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2011年1月08日00時01分 〜
コメント [マスコミ・電通批評11] 「めざまし」に負けた?ズームイン、33年の歴史に幕(夕刊フジ) 実に美しい風景だ。終わりの始まり! うばかか
12. 2011年1月08日 00:01:30: FPxyvPurj8
ウィっキーさんはまだいきてんのかな。

でもあの羽鳥って生意気な学習塾の中学生みたいで嫌われたんだろ。

大塚さんのほうがはるかに親しみやすいからな。蛆テレビは嫌いだけど。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/429.html#c12

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] 2chオワタ\(^o^)/ 記者キャップが流出し、ニュー速がわけわからんことに 此れ多分朝鮮の聯中が報復に出たんだらうね 不動明
01. 2011年1月08日 00:05:15: ZSXCrmalPY
2chがよくやる注目度あげるためのヤラセだろ。
そんで、Yahooにアジ記事書かせるいつものパターン。
不正アクセスとか言って、
電子書籍板だけ潰れたってのも何か怪しいなw
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/239.html#c1
記事 [テスト21] 試驗投稿
 
 
 
 
Kazumoto Iguchi's blog : 「2012年12月21日宇宙から巨大な物体がやってくる」はヤラセだった?
http://quasimoto.exblog.jp/13942980/
 
 
 
此の情報の顛末を受けて、
ん? 此の名前、なんか臭いなと、ぽんと思ひ附き、
此れは恐らく何らかのデイス・インフオメーシヨン
情報攪亂工作であらうと思ひ、
以前の此のコメントが思ひ浮かんだので、
 
 
直径240キロメートルのUFOが高速で遂に太陽系内に突入!破滅か福音か/〔Kazumoto Iguchi's blog〕
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/676.html#c3
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2010 年 9 月 16 日 08:20:53: 8EItFG7yGzQIA

03. 2010年9月16日 12:29:52: 1lQtAalSZI

SKY-MAP.ORG は一日中遊んでも面白い。

     19 25 12-89 45 03

の座標らしいです。
 
 
此處で出て來る
Craig Kasnovと云ふ名前に
何らかの意味が込められてゐるのではないか
此の名前は隱しコマンドつぽいな。
此の名前に何か鍵があるなと思ひ、
此れは何らかの坐標の數値なのではないか
と想定して數値變換してみる。
 
 
abcd・・・・にそれぞれ1234・・・・の数値を當て嵌める。

C r a i g
K a s n o v
3 18 1 9 7
+ + + + +
11 1 19 14 15 22
------------------
14 19 20 23 22 22
 
 
此の數値を坐標と假定して表示させたのが以下の畫像。
唯單に思ひ附きでやつただけだから、 
其れがだうしたと言はれても困る。
其れが何かの意味があるのかなんて知らない。
そもそも此れが正しいのかだうかすら知りやうが無い。
 
 

 
 
此の星の人達が2012年に地球に來る
とでも言ひたいのだらうか。
ところで此の星は何所にある星でなんて星なのだらうか?
此の邊りに生命體が生息出來る可能性のある星はあるのか?

何だか三角形を成す星々の眞ん中に一つ星と云ふ配置が
萬物を見通す目を聯想しないでもないんだけど
だうなんだらう。
 
 
SKY-MAP.ORG
http://sky-map.org/
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/test21/msg/225.html

コメント [雑談専用39] 戦争したくないなら、ベーシックインカムしかないことに、いつになったら、皆、気付くのだ? 最大多数の最大幸福
41. 2011年1月08日 00:24:05: FPxyvPurj8
信じられない馬鹿ども。

コルホーズにでもいけ。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/117.html#c41

コメント [戦争b7] 米テロ:4割が米国民 09年以降、訴追急増126人(毎日新聞) gataro
02. 2011年1月08日 00:26:00: FPxyvPurj8
アメリカは終わりだな。新しい時代の始まりだ。

それは多極化の世界だ。そしてさよなら英語。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/168.html#c2

コメント [お知らせ・管理19] 板を沢山作った事を未だに批判する人がいらっしゃいますがこの際この議論に決着を付けたいです。 地には平和を
05. 地には平和を 2011年1月08日 00:27:33: inzCOfyMQ6IpM : vS9bgCZnbM
>2さんへ 板が多過ぎるという事を主張するあらゆる論理に対して批判を行い、反論ができなくなったら決着が着いた事になりはしまいか?政治板から小沢一郎という項目を分割するのは私は意味があると思います。その板では小沢一郎のよい面、悪い面が徹底して話される事になるだろう。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/478.html#c5
記事 [テスト21] 試驗投稿
 
 
 
 
Kazumoto Iguchi's blog : 「2012年12月21日宇宙から巨大な物体がやってくる」はヤラセだった?
http://quasimoto.exblog.jp/13942980/
 
 
 
此の情報の顛末を受けて、
此處に出て來るCraig Kasnovと云ふ名前が
ん? 此の名前、なんか臭いなと、ぽんと思ひ附き、
此れは恐らく何らかのデイス・インフオメーシヨン
情報攪亂工作であらうと思ひ、
以前の此のコメントが思ひ浮かんだので、
 
 
直径240キロメートルのUFOが高速で遂に太陽系内に突入!破滅か福音か/〔Kazumoto Iguchi's blog〕
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/676.html#c3
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2010 年 9 月 16 日 08:20:53: 8EItFG7yGzQIA

03. 2010年9月16日 12:29:52: 1lQtAalSZI

SKY-MAP.ORG は一日中遊んでも面白い。

     19 25 12-89 45 03

の座標らしいです。
 
 
Craig Kasnovと云ふ名前に
何らかの意味が込められてゐるのではないか
此の名前は隱しコマンドつぽいな、
此の名前に何か鍵があるなと思ひ、
此れは何らかの坐標の數値なのではないか
と想定して數値變換してみる。
 
 
abcd・・・・にそれぞれ1234・・・・の数値を當て嵌める。

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此の數値を坐標と假定して表示させたのが以下の畫像。
唯單に思ひ附きでやつただけだから、 
其れがだうしたと言はれても困る。
其れが何かの意味があるのかなんて知らない。
そもそも此れが正しいのかだうかすら知りやうが無い。
 
 

 
 
此の星の人達が2012年に地球に來る
とでも言ひたいのだらうか。
ところで此の星は何所にある星で何と言ふ星なのだらうか?
此の邊りに生命體が生息出來る可能性のある星はあるのか?

何だか三角形を成す星々の眞ん中に一つ星と云ふ配置が
萬物を見通す目を聯想しないでもないんだけど
だうなんだらう。
 
 
SKY-MAP.ORG
http://sky-map.org/
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/test21/msg/226.html

コメント [文化2] <ETV特集>なぜ日本の農業は衰退したのか〜あるコメ農家と霞が関の半世紀〜 gataro
02. 2011年1月08日 00:29:46: FPxyvPurj8
中国のコメはまずいが、あの国民にジャパン米を売りつければいい。

金持ちがわんさといるし、日に二三度食うからいい需要だよ。農水省は邪魔するなよ。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/459.html#c2

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 14 19 20 23 22 22? ん? 何か意味あるの? さあ? 單なる思ひ附きですから
 
 
 
 
Kazumoto Iguchi's blog : 「2012年12月21日宇宙から巨大な物体がやってくる」はヤラセだった?
http://quasimoto.exblog.jp/13942980/
 
 
 
此の情報の顛末を受けて、
此處に出て來るCraig Kasnovと云ふ名前が
ん? 此の名前、なんか臭いなと、ぽんと思ひ附き、
此れは恐らく何らかのデイス・インフオメーシヨン
情報攪亂工作であらうと思ひ、
以前の此のコメントが思ひ浮かんだので、
 
 
直径240キロメートルのUFOが高速で遂に太陽系内に突入!破滅か福音か/〔Kazumoto Iguchi's blog〕
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/676.html#c3
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2010 年 9 月 16 日 08:20:53: 8EItFG7yGzQIA

03. 2010年9月16日 12:29:52: 1lQtAalSZI

SKY-MAP.ORG は一日中遊んでも面白い。

     19 25 12-89 45 03

の座標らしいです。
 
 
Craig Kasnovと云ふ名前に
何らかの意味が込められてゐるのではないか
此の名前は隱しコマンドつぽいな、
此の名前に何か鍵があるなと思ひ、
此れは何らかの坐標の數値なのではないか
と想定して數値變換してみる。
 
 
abcd・・・・にそれぞれ1234・・・・の数値を當て嵌める。

C r a i g
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3 18 1 9 7
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11 1 19 14 15 22
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14 19 20 23 22 22
 
 
此の數値を坐標と假定して表示させたのが以下の畫像。
唯單に思ひ附きでやつただけだから、 
其れがだうしたと言はれても困る。
其れが何かの意味があるのかなんて知らない。
そもそも此れが正しいのかだうかすら知りやうが無い。
 
 

 
 
此の星の人達が2012年に地球に來る
とでも言ひたいのだらうか。
ところで此の星は何所にある星で何と言ふ星なのだらうか?
此の邊りに生命體が生息出來る可能性のある星はあるのか?

何だか三角形を成す星々の眞ん中に一つ星と云ふ配置が
萬物を見通す目を聯想しないでもないんだけど
だうなんだらう。
 
 
SKY-MAP.ORG
http://sky-map.org/
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/242.html

コメント [日本の事件29] 上の記事の改訂版です。 taked4700
02. taked4700 2011年1月08日 00:33:32: 9XFNe/BiX575U : dmaBs2BvRY
01さんへ

googlemapで見ると、土浦バイパスまで数百メートルだし、国道354までも1kmあるかないかほど。容疑者は歩きで移動していたのではないので、この程度なら「すぐ近く」と言っていいと思いましたが、ご意見はいかがですか?
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/656.html#c2

コメント [雑談専用39] ベーシックインカムは政府紙幣を発行すれば可能である。 アミ
03. 地には平和を 2011年1月08日 00:44:28: inzCOfyMQ6IpM : vS9bgCZnbM
通貨発行権は現に政府が持っているんだから通貨を発行して貧乏人に配ればいい。
デフレギャップがあるのでインフレに転化するまでには大量の分配が必要だ。
もし、不安だと言うのなら少しづつ様子を見ながら配ればいい。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/124.html#c3
コメント [日本の事件29] 堤剛容疑者から覚せい剤反応、覚せい剤をやっていながら8時間もパトカーの追尾を振り切れた?? taked4700
01. taked4700 2011年1月08日 00:46:18: 9XFNe/BiX575U : dmaBs2BvRY
「殺すつもりはなかった」にしては、冬の厚い服の上から背中を2箇所刺す(わき腹と背中と言う報道もある)など、結構酷い怪我を与えている。全治1ヶ月というから、ある程度酷い怪我であるはずだし、「重傷」と言う報道だから、傷そのものが深い傷だということだ。

更に、覚醒剤中毒で幻覚などが出るほど、つまり、傷害事件を起こしたのが覚醒剤の影響だというのなら、そのような人間が8時間も車を運転して事故も起こさず警察の追跡を振り切り続けられたことは、ある意味、驚異的だ。

反対に、逃走時にだけ覚醒剤を使っていて、覚醒作用によって深夜の逃走が可能になったというのなら、それなりにまだ筋が通る。しかし、8時間も覚醒剤の作用が持続しないから、途中で何回も覚醒剤を服用しなければいけない。そんなことができるだろうか?

酒井法子の場合も覚醒剤をやっていたということだから、ある程度の服用なら、日常生活がおかしくなることはないのだろう。

>犯行の際に「死ね、こらー」と叫んだほか、犯行直前にホームセンター内で買った凶器の包丁をレジで店員に「開けろ」と迫って開封を手伝わせ、刃をさらしたまま現場の駐車場まで歩くなど、不可解な行動も目立っていた。

ということが覚醒剤の影響だというのなら、8時間の逃走が出来たことが矛盾する。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/657.html#c1

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 見てるページをGoogleで簡単に一発翻訳できるフリーソフト。その場で。
--部分転載--
Google翻訳は50種類以上の言語に対応しており、
ブラウザ上で素早く翻訳ができる便利なサービスで
すが、一部分だけを翻訳するためにもGoogle翻訳の
ページを開かなくてはならないのはちょっと面倒。
「Client for Google Translate」はそうした不便さを排除して、
今見ているページから他のページへ移動することなくGoogle翻訳を
使うことができるフリーソフトです。

ブラウザ上でテキストを選択するだけで必要な部分をすぐさま翻訳できるため、
英文サイトを見る時など分からない部分だけすぐ翻訳できて非常に便利。また、
翻訳した文章をその場でコピーしクリップボードに移す事もできるので、そのまま
コピーしてテキストエディタで編集することも可能です。

見ているページをGoogleで簡単に一発翻訳できるフリーソフト「Client for Google Translate」
http://gigazine.net/news/20110104_cl_google_translate/

ゲーム機のコントローラー感覚で持てる
ワイヤレスキーボードマウスが登場、1台でパソコンを操作可能に
http://gigazine.net/news/20110107_game_controller_mouse/
http://gigazine.jp/img/2011/01/07/game_controller_mouse/game_controller_mouse07.jpg
わずらわしい配線などをすっきりさせるために、ワイヤレスマウスやワイヤレスキーボードを
利用している人もいるかと思われますが、マウスとキーボードを一体化させた上で、さらに
ゲーム機のコントローラー風のデザインにしたワイヤレスデバイスが登場しました。
操作の度に持ち替える必要も無くなるため、なかなか便利かもしれません。価格は4999円。

 おまけ
行方不明になった猫、11年後に帰ってきた
http://labaq.com/archives/51551098.html
衝撃の次世代埋葬法「遺体をフリーズドライして粉砕」「薬剤に溶かす」
http://gigazine.net/news/20110104_promession/
薬物依存の治療へ新たなアプローチ、コカインが効かなくなるワクチンが完成間近
http://gigazine.net/news/20110106_vaccine_to_block_cocaine_high/

アメリカ軍の最新式ゴーグルの性能はもはやゲームの世界
http://digimaga.net/2011/01/pentagon-bionic-soldiers-cyborg-goggles
YouTube - Ghost Recon: Future Soldier Trailer - Live Action
http://www.youtube.com/watch?v=sGPf_h0pLzU
この装置は兵士の周囲360度を見渡すことができ、
半径1キロメートル以内にいる人間を全て捉えることができます。

終末思想信奉者らが、2012年地球滅亡を逃れる聖地としてフランス、ビュガラッシュ村に続々流入
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51939334.html
国家公安委員「マスコミによって国民の知る権利が侵害されている」と公式発言
http://www.nikaidou.com/archives/9364

-------


http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/243.html

コメント [お知らせ・管理19] 真上ですぐ連続して二重投稿してます。 SOBA
07. 2011年1月08日 00:59:41: WIzCPYmy0U
05ですがヒくんて誰だよw
ヒロくんでしたね

まあ、分かってくれているとは思いますが
誤解のないように言っときますと
小沢氏の政治生命を奪おうとする動きには怒りを覚えます
あまりにも微力ですが全力で戦いたいですね
よく言うんですが、小沢氏支持不支持じゃなく人としての問題と思いますよ
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/484.html#c7

コメント [戦争b7] 自虐史観から真実の歴史認識へ、日本を悪者とする自虐史観はもうやめよう(自虐史観=米国による刷り込み、客観史観が必要です) 小沢内閣待望論
45. 2011年1月08日 01:07:15: dkB5hH2XCc
台湾では新渡戸稲造もサトウキビなどの生産に尽力をつくした。しかも彼のキリスト精神により、台湾の方へ温かい心で接したとう事実は知っている。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/137.html#c45
コメント [マスコミ・電通批評11] 岡田幹事長の囲み取材の後、「メモ合わせ」をする岡田番記者たちの写真(Kanematsu氏のTwitterより) 蔦
05. 2011年1月08日 01:09:23: dhUnZE1Lfc
電通だか三宝会だかの申し合わせになっているのだ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/433.html#c5
コメント [日本の事件29] 東金女児殺害事件裁判の欺瞞 taked4700
07. taked4700 2011年1月08日 01:09:27: 9XFNe/BiX575U : dmaBs2BvRY

PrevNext事件を見にゆく
[編集]千葉東金市幼女全裸殺人事件

幼女成田幸満ちゃんが全裸で道路ばたに遺棄・殺されていた事件...

■首都高銀座にむかってる時に速報を耳にした...とにかく大網白里・九十九里へむかえばいいわけで...おいしいラーメン屋はなじみで海水浴にいっといてよかったわけだ.最後には国道125号へ入ればいいのだがサテ、いまの車の向きをどこで変えるかだ...人形町の知人の会社に車を預け新日本橋から茂原
もばら
(外房線)行き総武線快速に乗るとは誰も想像つかないだろう...かえりは北総線で...千葉ニュータウン...もちろん被害者が運ばれた病院によるつもりである.完成度の高い防災都市・防災・事故連携だがひとつ海に近すぎた.被害者の命を救おうと千葉ニュータウンまで出てきたり、事件解決もこの町だけですまないようなイヤな気がしてしまう...が23日あたりの情報では少女は病院に戻っており、楽屋落ちしそうである.
■どんな部外者でも事件の土地を歩くと「不審者・黒いワゴン、白い車」の目撃情報に出くわすことができる.無職・不審者・白い(黒)車の証言が必ず出てくるのにも閉口である...今回はどうだろうか.お察しの通り、われわれの町には前科(前歴)モノなどあふれており、しょっちゅうそれらとすれ違っている.霞でも食って生きているならいいが、全員、金儲けにいそしみ他人を押しのけて生きているものは全員不審者なのである.
■2008/08/12 東金市
とうがねし
居酒屋経営の宮崎潔さん=当時(61)=が県立病院駐車場で殺害される事件もあったばかりどこぞやのテンプラ警部の首都圏ケンケイと違うところを見せてもらいたいものである...下の地図だと左端の病院駐車場に失血死の死体が転がっていた(正しくは軽ワゴン車助手席)事件だ...
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地図
航空写真
地図+写真


■位置正確でない
東金中央クリニック:35.557629,140.366929
遺体発見場所:35.555548,140.364756
マンション:35.562273,140.374031
東金市立第一保育所:35.556634,140.358539
衣類発見場所:35.556111,140.364842
http://210.230.1.140/index.php?%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%AB%E3%82%86%E3%81%8F/%E5%8D%83%E8%91%89%E6%9D%B1%E9%87%91%E5%B8%82%E5%B9%BC%E5%A5%B3%E5%85%A8%E8%A3%B8%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6よりコピー:

千葉県立東金病院:35.552026,140.3486920080812千葉県立東金病院飲食店経営者殺害事件
[編集]経 緯


2010/12/17[千葉地裁](栃木力裁判長)初公判(公判5回) 裁判員制度施行前に起訴、裁判官だけの審理
2008/12/27[千葉県警]殺人罪逮捕.責任能力鑑定.「うるさいので水につけた」
2008/12/19[千葉地裁](武富一晃裁判官)勝木諒(りょう)容疑者(21)に対する拘置理由開示法廷.
2008/12/06[県警東金署捜査本部]遺体の発見現場近くに住む男を重要参考人で事情聴取⇒午後無職、勝木諒(りょう)容疑者(21)死体遺棄容疑で逮捕.レジ袋から検出した指紋の一つが勝木容疑者の指紋と一致.小太りの男が事件当日、幸満ちゃんとみられる裸の女児を肩にかついで運んでいたとの目撃証言.
2008/09/28 10:00- ビラ4000枚、配布場所10箇所、捜査員20人動員.遺体発見現場付近の高さ2mの立て看板10本
2008/09/26 11:00 葬儀 50人 斎場の入り口には幸満ちゃんの写真や使っていた水筒など思い出の品...
2008/09/25夜 通夜.同市堀上の葬儀場「東雲閣」250人参列 祭壇中央でVサインをする幸満ちゃん
2008/09/22 遺体司法解剖(千葉大学医学部・死因特定せず) 窒息死腕にあざ
水死は窒息死かい、肺の中もみない解剖...「風呂場で水につけた」(12/14勝木諒供述)
2008/09/21夜 新井所長に幸満ちゃんの母親の多恵子さん(37)から「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と電話
2008/09/21 16:30 母親(37)・祖母(67)、身元確認[東金署]
2008/09/21 12:45 救急車到着
ドクターヘリ*1で日本医科大千葉北総病院*2に運ばれる
2008/09/21 14:00 死亡確認
2008/09/21 12:37 110番通報
2008/09/21 12:26 近所の男子中学生(13)が幸満ちゃんを発見.生徒は帰宅.生徒の母親がともに現場を確認.
2008/09/21 12:25 千葉県東金市の公園わきの側溝上で遺体発見病院から300メートル西
黒運動靴、紺色半袖シャツ、黒半ズボン、下着=現場から100m程離れたマンション駐車場(レジ袋2つに入れられ車の下).
2008/09/21 12:10 住民、資材置き場前を自転車で通過.異変気がつず
2008/09/21 12:00 遺棄現場から250m離れた鴇嶺(ときがね)小学校前の路上を、東金南公園の方向へ走っていた.「傘も差さずに大変だな」
2008/09/21 12:00 ピンク色のバッグか水筒のようなものを振り回しながら、雨の中を走る
12:00過ぎ 遺体遺棄現場のプレハブ小屋前の道路にトランクの開いたRVタイプの車が止まっていた
2008/09/21 12:00(11:00?) 病院内で幸満ちゃんが複数の病院関係者に目撃*3
2008/09/11 11:00 病院の事務室にやってきて「まだ終わんないの」と職員に話しかけていた.幸満ちゃんが病院を出ていくのを職員が記憶.
2008/09/11 11:00すぎ 幸満ちゃんが病院事務所にやって来てスタッフに「(お母さんの)仕事はまだ終わらないの?」と尋ねた.この後も病院内で目撃.
2008/09/21 10:40 病院に面した市道につながる路地で、近くの住民男性(48)、病院に向かって一人で歩いている幸満ちゃんを目撃
2008/09/21 10:00-11:00 母親の勤務先病院から友達の家に行くと言って出かける
2008/09/21 09:00-09:40 幸満ちゃんと祖母(多恵子さんの母親)、病院周辺のごみ拾い活動に参加
2008/09/20 母(夜勤)子いっしょに病院に泊まる
[編集]報 道

2008/09/29[3k]千葉県東金市で5歳児の成田幸満(ゆきまろ)ちゃんが遺棄された、痛ましい事件を取材しました。子供を不安がらせないためか、近所のお母さんたちの取材に対するガードは堅く、特に幸満ちゃんの写真の入手には苦労しました。 事件発生翌日の22日夜、東金市が運営する保育所の前で、写真の提供を求める報道陣と「出せない」とする市側が議論する場面もありました。写真は結局、23日に県警が公開しました。
440 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/09/29(月) 08:34:19 ID:
あのインタビュー何回か見たけど、前に見た時は「仏さんも浮かばれない」とテロップついてたが、「お父さん」なのか?
445 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/09/29(月) 08:36:57 ID:
中学生男子も冷静には伝えられないだろうし、 母ちゃんも一応戸締りとかしてからじゃないと出られないし、 アワ食って多少時間かかっても仕方ないよな。 それに、新潮か文春には、 心細いので近所の男性にも一緒に行ってもらったと書いてあった。
TELしとけばいい話なのに、この「出頭」みたいな形式はなんなのだろう
444 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/09/29(月) 08:35:23 ID:gU34zWCKO テレビでやってたが、警察は単身者を虱潰しに聞き込みしてるって。単身者ではないからリスクを負ってゆきまろちゃんや衣類を棄てたんだとおもう。
445 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/09/29(月) 08:36:57 ID:atJ8liUp0
419 中学生男子も冷静には伝えられないだろうし、 母ちゃんも一応戸締りとかしてからじゃないと出られないし、 アワ食って多少時間かかっても仕方ないよな。 それに、新潮か文春には、 心細いので近所の男性にも一緒に行ってもらったと書いてあった。
982 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/09/28(日) 18:07:53 ID:gZFnSznz0 さっきのTBS
袋の中身のお菓子
友人宅にお菓子が残ってた
439 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/09/28(日) 12:12:00 ID:ah+Y1zmf0
被害者の置かれていた環境 (週刊誌のまとめ)

                            先代・院長
                             │
   愛人----同居----マロ祖父───離婚───マロ祖母(先代の次女)
(看護婦長?)       (院長)      │     (理事長)
                        │
                   ┌──3人兄妹──┐
                   │         │
              (タエコ兄・医師)  │  (タエコ妹)
                         │
       妻子持ちの男------------タエコ───離婚───成田某
        (所在不明)     │             │     (医師)
                   │             │
                  マロ(5才)      タエコ長女(中1)

これって事実なの 父親は同じだと思っていたが違うんだ
2008/09/28[毎日]遺体発見は21日午後0時25分ごろ。周辺住民への聞き込みから、レジ袋はその約5分後の午後0時半ごろにはまだなかったという。当時、駐車場付近にいたという住民の一人は「車の下に何か置いてあれば必ず気づく。何もなかったと思う。そのとき携帯電話を受けたので時間は間違いない」と話している。
36 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/09/28(日) 02:02:56 ID:3oHdZUie0  ■事件の経過■ 20日夜 母多恵子さんの勤務先、東金中央クリニックに宿泊 21日 9時 祖母と地域の清掃活動に参加。 クリニック周辺を清掃しいったん戻る 10時以降 多恵子さんに「保育所の友達の家に遊びに行く」と告げ、クリニックから外出 正午ごろ 幸満ちゃんが発見された現場を通った住民は異常に気付かず 12時26分 男子中学生が現場の路上で幸満ちゃんを発見     37分 男子中学生の母が110番     45分 県警東金署員が現場到着     50分 救急隊が到着、心肺停止状態。ドクターヘリの出動要請     56分にドクターヘリの出動を要請。 13時09分に東金中にドクターヘリが着陸。 13時37分 日本医科大千葉北総病院に到着 14時22分 幸満ちゃんの死亡を確認 16時30分 多恵子さんと祖母が東金署を訪れ、「帰ってこない」と届け出。その後、遺体を確認
2008/09/28(日) 千葉県東金市の保育園児成田幸満ちゃん(5つ)の死体遺棄事件で、遺体が発見された時間帯に 「いやー」という女児のような叫び声を現場近くの住民が聞いていたことが27日、分かった。 東金署捜査本部は事件との関連を調べている。 調べによると、幸満ちゃんは21日午後零時25分ごろ、同市東上宿の路上で遺体で発見された。 現場から約100メートル離れたマンションに住む女性によると、同じ時間ごろ、 外出するためにマンション駐車場にいたところ、遺体発見現場の方向から叫び声が聞こえた。 声は一瞬でやみ、女性は「女の子がお母さんに怒られているのかと思った」という。 9月27日12時27分配信 時事通信 ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080927-00000044-jij-soci
2008/09/27 千葉県東金市の保育園児成田幸満ちゃん(5つ)の死体遺棄事件で、遺体が発見された時間帯に「いやー」という女児のような叫び声を現場近くの住民が聞いていたことが27日、分かった。 東金署捜査本部は事件との関連を調べている。 調べによると、幸満ちゃんは21日午後零時25分ごろ、同市東上宿の路上で遺体で発見された。 現場から約100メートル離れたマンションに住む女性によると、同じ時間ごろ、 外出するためにマンション駐車場にいたところ、遺体発見現場の方向から叫び声が聞こえた。 声は一瞬でやみ、女性は「女の子がお母さんに怒られているのかと思った」という。 9月27日12時27分配信 時事通信
2008/09/26[FNN]千葉・東金市の路上で5歳の女の子が遺体で見つかった事件で、女の子の遺体発見直前、「現場付近で不審な黒い車に乗った男がモゾモゾしているのを見た」などと、近所の小学生が話していたことが新たにわかった。
2008/09/26[読売新聞]千葉県東金市田間、保育園児成田幸満(ゆきまろ)ちゃん(5)の死体遺棄事件で、遺棄現場近くに止めてあった車の下から衣服などが入った二つのレジ袋が見つかったが、衣服や運動靴は袋に乱雑に突っ込まれたうえ、一つは路上から見える場所に置かれていたことがわかった。 東金署捜査本部は、犯人が慌てて袋を捨てた可能性があるとみている。 捜査本部などによると、レジ袋が置かれていた駐車場は、遺棄現場から約100メートル離れたマンション入り口付近にある。遺体発見から約2時間後の21日午後2時半過ぎに、捜査員が見つけた。一つの袋は車の助手席側に置かれていたが、車体の下には隠れていなかった。もう一つは後部トランクの下にあり、完全に隠れていたという。袋の口は縛ってあったが、中の衣服や運動靴はぬれていた。
母親が4時ごろに友人宅を訪ねたら、留守だった、 後に被害者が行った頃には不在だとわかる。 母と職員が周りを探すが、いない、そこで警察へ。 と言う事なら週刊文春に...
632 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 13:30:07 ID:ZUi68cRvO 愛人は婦長て噂。あくまでも噂。 四階に住んでいる。 幸満ちゃんのお爺さん、東金中央クリニックの理事長、名字は岡本。 成田は幸満ちゃんの父親の名字。 お爺さんの岡本成通さんは本の監修もする名のある人。 マスコミがあの家族に余り突っ込まないのは、この辺りかと。 岡本成通(オカモトシゲミチ) 慶応義塾大学医学部卒。慶応義塾大学内科入局。1971年から1974年、米国テキサスメディカルセンタ-脳血管研究所研究員。1975年に東金中央クリニックを開設。1992年より特別養護老人ホ-ム芙蓉荘嘱託医。2000年、社会福祉法人清規会理事長に就任。2007年医療法人社団東成会理事長に就任
642 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/09/26(金) 13:35:46 ID:jzRl2KpQO 病院に住んでいるはずなのに、 警察が13時遺留品発見当日14時と16時前に訪問した その話が全く報じられていない。 16時過ぎてから母親が起きて所在確認に奔走した事になっているが、 警察が来た段階で、居たはずの何故母親には情報が行かなかったのかとかね。
ネット一部に内部説が出るとテレビ 母親は仮眠、いなくなって町中探し回ったと報道開始...またケイサツ手記公開
2008/09/25[東京新聞]千葉県東金市の保育園児成田幸満(ゆきまろ)ちゃん(5つ)の死体遺棄事件で、東金署捜査本部は二十四日、遺棄現場の周辺三百メートルほどの範囲を中心に、目撃情報の収集を続けた。複数の女子中学生が遺体発見の三十分ほど前の二十一日正午ごろ、ピンク色のバッグか水筒のようなものを振り回しながら、雨の中を走る幸満ちゃんの姿を目撃していたが、その後、バッグのようなものは不明になっている。 遺棄現場から約百メートル離れた駐車場に幸満ちゃんが着ていた衣服と靴が隠されていた。幸満ちゃんと同じ保育所に園児が通う保護者によると、幸満ちゃんはいつもピンク色の水筒を持っていたという。だが、駐車場からはほかの遺留品は確認されていない。 事件当日の二十一日、幸満ちゃんは母多恵子さん(37)が勤務する病院から一人で二度外出したとみられるが、いずれも病院を出た際の姿は確認されていない。捜査本部は外出時間の特定やその後の足取りの確認を進めている。
2008/09/25[母親手記公表] この度の成田幸満の不幸は、あまりにも突然のことでした。残された私や家族にとりましては、 どの様言葉をもってしても言い表すことの出来ない思いがこみあげてきております。 こんなに早く別れが来るとは思いもよらないことでした。5年という短い歳月でしたが、周囲の皆様に 愛され元気一杯幸せに暮らせた多くの幸満の思い出が去来してきます。同時に、今となっては、 母としてしてあげられなかったことばかりの思いがしてなりません。 何故との思いがあります。怒りや悔しさがあります。しかし、犯人がどのような処罰を受けようとも、 謝罪の言葉を言われようとも、幸満は戻っては参りません。 その時の幸満の苦しみや悔しさや絶望感……、立ちすくむしかありません。 今となっては、警察、報道関係の方々、周りの皆様方のお力を得て、一日も早くこの街を子供達が 安全で安心して暮らせるようにすることが、唯一、幸満にしてあげられることと思います。 最後になりましたが、皆様方からのお気遣いに心から感謝いたします。 成田多恵子
2008/09/24[東京新聞]遺棄現場から約百メートル離れた駐車場では、車の下に隠されるように幸満ちゃんの衣類や靴が置かれていた。この車の所有者の男性(63)は「近くの別の車の陰より、隠しやすい状況だったかもしれない」と話す。  衣類の発見場所はマンションの駐車場で十一台分ある。このうち男性の車を含め二台だけが道路に並行して横向きに駐車する構造になっていた。タイヤとタイヤで仕切られた車の下の空間は、前輪と前輪の間より、前輪と後輪の方が広い。このため男性は「道路側から犯人が隠そうとすれば、隠しやすかったのではないか」と話している。  男性は「驚いたし、気持ちはよくないが、事件は早く解決してもらいたい」と捜査の進展を願っていた。
2008/09/24 06:49[徳島新聞] 千葉県東金市の成田幸満ちゃん(5)死体遺棄事件で、東金署捜査本部は24日までに、遺留品を入れた2つのレジ袋が見つかったマンション駐車場付近を撮影したとみられる防犯ビデオの提出を受け、不審な人物や車両が写っていないか分析を始めた。
2008/09/24{東京新聞}遺棄現場から約百メートル離れた駐車場では、車の下に隠されるように幸満ちゃんの衣類や靴が置かれていた。この車の所有者の男性(63)は「近くの別の車の陰より、隠しやすい状況だったかもしれない」と話す。  衣類の発見場所はマンションの駐車場で十一台分ある。このうち男性の車を含め二台だけが道路に並行して横向きに駐車する構造になっていた。タイヤとタイヤで仕切られた車の下の空間は、前輪と前輪の間より、前輪と後輪の方が広い。このため男性は「道路側から犯人が隠そうとすれば、隠しやすかったのではないか」と話している。  男性は「驚いたし、気持ちはよくないが、事件は早く解決してもらいたい」と捜査の進展を願っていた。
「5歳女児の遺留品、大手レジ袋に 口鼻ふさがれ殺害か」「幸満ちゃんは遺体で見つかる約2時間前に母親多恵子さん(37)が勤務する「東金中央クリニック」で目撃...その後病院から外出し、被害に遭ったとみられる。」(共同通信)こういう見出しだとポリ袋を顔にかぶせて殺害したようだし、さらに勝手に被害者二回外出させるわ、歩きもしない記者の机上私見はいらないのたか.
2008/09/22[mai]幸満ちゃんは衣服を身に着けず、あおむけの状態で道路脇の側溝のふたの上に倒れていた。靴を履いていなかったが、足の裏には素足で路面を歩いて傷ついたような跡はなかったという。
2008/09/21 19:27 千葉県警によると、5歳園児は成田幸満ちゃんで履いていたとみられる黒い靴と衣服が見つかった。
2008/09/21(日・雨) 【東金市幼女殺害遺棄事件】09/21 00:25千葉県東金市の公園わきの側溝上で、市立第一保育所(年中のすみれ組)、成田幸満(ゆきまろ)ちゃん(5)が全裸死亡遺体は00:25、近所の中学1年の男子生徒(13)が発見.自宅に帰って母親を伴い、00:35 110番.看護師の母親(37)と2人暮らし(東金市田間152-1).多恵子さんは20日は夜勤「東金中央クリニック」(多恵子さんの父親が院長の市内の病院)へ幸満ちゃんを連れて行き、病院宿泊.09/21祖母(多恵子さん母親)と09:00-09:40病院周辺のごみ拾い活動に参加.母親の勤務先から友達の家に向かう.友人宅からの電話「(幸満ちゃんが)来ていない」、母親、16:30東金署に届出.靴なし.心肺停止状態.外傷なし.右手は顔の横、左手は腰の横.日本医科大千葉北総病院へヘリ搬送.
黒運動靴、紺色半袖シャツ、黒半ズボン、下着=現場から100m程離れたマンション駐車場(レジ袋2つに入れられ車の下).
医療法人社団東成会 東金中央クリニック 診療科目 内科 小児科 神経内科 皮膚科 泌尿器科 放射線科 診療時間 平日  9:00〜12:00、16:30〜18:30 日・祝 9:00〜12:00
294 :名無しさん@九周年:2008/12/06(土) 16:11:24 ID:
朝日新聞夕刊より 男は知的障害を中心とする生徒を受け入れる特別支援学校の高等部を卒業
すっかし、市民とマスコミってのはデタラメな目撃情報をながしまくるもんだ...そんなにニュースをうめるのがつらいのか.年々巧妙にデマを飛ばすようになってる.メルトモができたとよろこんでたらしいが、やっぱし、ネタ欲しさのTBSの女らしい.
2009/12/03-21:31指紋の鑑定書を証拠請求=「線の数合致せず別人」-勝木被告の弁護側・千葉女児殺害 千葉県東金市で昨年9月、保育園児成田幸満ちゃん=当時(5)=が殺害された事件で、殺人罪などで起訴された無職勝木諒被告(22)の第6回公判前整理手続きが3日、千葉地裁(栃木力裁判長)で非公開で開かれ、弁護側は犯人が遺留したレジ袋の指紋と掌紋について、勝木被告とは合致しないとする鑑定書の証拠採用を請求した。 弁護側は、幸満ちゃんの靴を入れて屋外に放置されていたレジ袋に付いた指紋と掌紋の鑑定を、元栃木県警鑑識課員の斎藤保氏に依頼。記者会見した斎藤氏によると、左親指の指紋線が勝木被告より1本多く、左の掌紋は勝木被告であれば指紋線がつながっている個所で中断しているなどの相違点があった。 このため、斎藤氏は指紋と掌紋は勝木被告とは合致せず別人のものと結論付け、鑑定書で捜査当局に再鑑定を求めた。 http://www.jiji.com/jc/zc?k=200912/2009120300986
2010/03/05「日本発達障害福祉連盟」(金子健会長)、被告の知的障害に配慮し、 供述よりも客観的に物証中心の審理を行うよう、千葉地裁に申し入れ.


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*1 ドクターヘリ:運航は民間のヘリ運航会社に委託/まだ一部、1億5千万円ほどかかる
*2 日本医科大学千葉北総病院:〒270-1694千葉県印旛郡印旛村鎌苅1715.北総公団線終着駅・印旛日本医大駅
*3 警察には、正午ごろに病院で目撃したとの情報も寄せられていたが、勤務記録などを詳しく調べた結果、午前11時ごろに病院を出るのを見たというのが、幸満ちゃんの最後の目撃情報とみている。このため、幸満ちゃんは午前11時ごろから、午後0時26分ごろまでの約1時間の間に何者かに殺害された可能性が強まっている。NNN 9/24 2:21

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http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/643.html#c7

コメント [カルト7] Re: 言い分を一つ一つ検証しますよ。 K24
05. 2011年1月08日 01:20:24: hGLSnXaUNw

ご指導のほど、ありがたき幸せと存じます。
鳩がフンを落としたときにも、そういって手を合わせることにしております。
そうか、全部創価のしわざか、創価の野郎許せねえ〜〜〜〜w

謙虚一番、サッポロ一番


http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/757.html#c5

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] angela atsuko vs 在日特権を許さない市民の会会長桜井誠ユダヤ金融資本 蒼い春編
 桜井在特会会長プロフィール
 桜井誠 =本名:T
 年齢  =38歳
 出身地 =福岡県中間市(旧炭鉱町。隣接市には九州有数の朝鮮人集住地区)
 出身校 =福岡県立中間高校(校名は未掲載だがほぼ確定。現在の偏差値は51)
 最終学歴=高卒
 職歴  =高校卒業後は進学せず地元で警備員などのアルバイト。
 家庭環境=離婚による母子家庭。弟1人(既婚)あり。母親は地元でスナックを経営していたが、店で突然倒れて十年前に死去。生まれ育った実家は既に他人の手に。
 中・高校時代=存在感無し。クラスで最も地味な奴。生徒会役員を押し付けられる。家出を何度も繰り返す。(リチャード・コシミズ・ブログ2010/12/08 09:38)

 都青少年育成条例、総務委で可決 15日の本会議で成立へ
 東京都の青少年育成条例の改正案が都議会総務委員会で可決。15日の本会議で採決され、成立する見通しだ。
 2010年12月13日 14時53分 更新
 過激な性行為を描いた漫画やアニメの販売などを規制する東京都の青少年健全育成条例の改正案について、都議会総務委員会が13日午後、開かれた。民主、共産など3会派が「規制は最小限にすべきで、出版業界の合意が必要」などと意見を述べた後に、賛成多数で可決した。

 改正案は15日の本会議で採決され、成立する。

 出版業界は「作者が萎縮、創作活動に悪影響がある」「表現の自由の侵害」と強く反対しており、「作品に表現した芸術性、社会性などの趣旨をくみ取り、慎重に運用する」との付帯決議が付けられた。都議会の民主、自民、公明の3会派の委員が賛成、共産、生活者ネットワークの委員が反対した。

 改正案は強姦や強制わいせつなど刑罰法規に触れるか、近親者同士の性行為を「不当に賛美・誇張」して描いたものを規制対象とした。6月に最大会派の民主などの反対で否決された前回の改正案で話題になった18歳未満の登場人物を示す「非実在青少年」の文言は、石原慎太郎知事が定例会見で「役人言葉」と批判。今回の改正案では、削除された。
  http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1012/13/news058.html

 (予告)年明け、angela atsukoはエジプトに一人旅。そんな彼女を出迎えたのは教会前での爆弾テロ。非実在青少年規制に爆弾テロ、そこまでされて黙っていては男じゃないけどすたる。そしてangela atsukoが次に選んだ旅先は・・・
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/244.html

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] angela atsuko vs 在日特権を許さない市民の会会長桜井誠ユダヤ金融資本 新春一人旅編
 おはようございます。朝日とともに!やっと着いた!! VT: http://twitvideo.jp/04OBV
2:36 PM Jan 3rd twitvideoから http://twitter.com/angela_atsuko/status/21802100551843840
.
教会前で自爆テロ エジプト

 こんな手口で、キリスト教徒・イスラム教徒の対立を煽ることができるとでも思っているのだろうか?実在しない「アルカイダ系勢力」の犯行を示唆しているけれど、「アルカイダの首領の隠れユダヤ人ビン・ラディンとイスラム過激派を偽装するイスラエルのテロ部隊」の犯行とみる人、増えてますよ。「近年目立っているイスラム教徒とコプト教徒の反目をさらに強める狙いもあった」のは、金融破綻糊塗目的の戦争惹起を狙うユダヤ金融犯罪者の皆さんではないですか?

 ちなみに、「自爆テロ」というのは、「このリュックの荷物を協会に運んでくれよ。ほら、前金。あとで残りを渡すから。」で、成立してしまうわけで。現金収入のほしい麻薬患者は、大喜び。あとは、遠隔操作で、教会前に到着したところで爆発....かもしれませんね。

 世ゴロ協の「大イスラエル計画」の最終段階では、エジプトのシナイ半島をもイスラエルの版図に加えるご予定なのは分かりますが、どうにも、やり方が陳腐です。犠牲になる現地の方々が不憫です。以下、捏造アルカイダと同じ飼い主に尻尾を振る惨軽統一教会新聞の記事です。

 ところで、今回の爆弾テロ、現場にクレーターができたり、犠牲者の遺体が「蒸発」したりしてませんか?5年後、癌患者が多発したり....以上、夢に見ました。(リチャード・コシミズ・ブログ2011/01/03 11:01)

 おはようございます!エジプトのホテルをチェックアウトして、次の国に移動します♪4:04 PM Jan 5th Keitai Webから
 http://twitter.com/angela_atsuko/status/22548907816914944

 飛んでイスタンブール。トルコに到着。軽くトラブりましたが。。いらいら。チェックインしたら飲みに行こ〜。2011年1月6日 1:21:32 Keitai Webから
 http://twitter.com/angela_atsuko/status/22689160347262976

 (参考)ガザ支援船をイスラエル軍が強襲、10人以上死亡 トルコ強く抗議
2010年05月31日 14:52 発信地:ガザ市/パレスチナ自治区
 イスラエルによって封鎖されているパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)へ支援物資や援助活動家らを運んでいた支援船団6隻のうちの少なくとも1隻が31日、イスラエル特殊部隊の強襲を受け、イスラエル軍の発表によると少なくとも10人が死亡した。
 
 船団結成に関与したトルコの人道支援団体IHH(Foundation of Humanitarian Relief)のガザ支部はAFPの電話取材に対し、強襲を受けたのはトルコ船籍の船で、トルコ人を中心に15人が死亡したと語った。

 一方、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマス(Hamas)が運営するアルアクサ(Al-Aqsa)テレビは、死者は20人に上ると報じている。同テレビは、黒服のイスラエル軍兵士がヘリから船へ降下して船上で活動家たちと衝突する様子や、船の甲板に倒れている負傷者の様子を放映した。

 イスラエルの民放チャンネル10(channel 10)によると、攻撃したのはイスラエル海軍の特殊部隊で、船の乗客らから斧(おの)やナイフで反撃されたため発砲したという。

 船団は、建材などの支援物資約1万トンや活動家ら約700人を乗せ、31日午前にガザ沿岸の封鎖海域に到達する見通しだった。

 トルコ外務省はただちにイスラエル大使を呼び、強く抗議。「イスラエルの非人道的な行動を厳しく非難する」「公海上で発生し、国際法違反に相当するこの遺憾な出来事は、2国間関係に取り返しのつかない結果をもたらしかねない」とする声明を発表した。(c)AFP
  http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2731691/5823544
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/245.html

コメント [経世済民70] ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(日本経済復活の会blog)-今の日本で超インフレはありえない JAXVN
22. 2011年1月08日 02:15:25: IqDrSmvKOo
一応、副島氏は、サンデルのコミュニタリアニズムじゃなくて「私たちのリバータリアニズム」だと言っていますw

=========================

[132]私の近況報告と、 来たる講演会に向けてと、読者とのメールのやりとり

投稿者:副島隆彦 投稿日:2010-11-24 05:31:29

「これから正義の話をしよう」[マイケル・サンデル 著 、邦訳は、早川書房刊) という、むずかしそうな本があって、ハーヴァード大学教授が、ハーヴァードの新入生用にやっている、人気授業の抗議録のような、本で、日本のインテリ(気取り、自分では秀才だと思っている人間たち) に、今も売れている本です。

この本は、 コミュニタリアニズム Communitarianism , 共同体主義 (あるいは共生主義) というアメリカの政治思想の派閥の 思想です。  このコミュニタリアニズム というのを、唱導し始めたのは、アミタイ・エツイオーニという学者で、30年前ぐらいです。これが、アメリカ民主党の学者集団の牙城である、ハーヴァード大学の、あまり頭のよくない政治思想として、主流派です。この 共同体主義 という思想派閥 は、一言で、読み破れば、 イスラエルのキブツ (今は、もう廃止になりました) という、集団農場、集団開拓地運動 の 集住の思想から生まれたものです。

この「正義の話をしよう」には、私たちのリバータリアニズム や、アンチ・グローバリズム(特定の思想が世界を支配するな) は、柔らかく、それとなく、批判と言うか、貶(けな)されています。

今の日本国内で、アメリカ政治思想研究学者である、私、副島隆彦に、かなう日本人はいないし、いるなら、出てきてくれ、私と、論争しようではないか、ということです。

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現代アメリカ政治思想各派見取り図(現代アメリカ政治思想の大研究)

『ロッキアン、自然権派 ←→ ベンサマイト、リバータリアン ←→ バーキアン、自然法派』

↑この区分は混乱を生むだけw
「現代アメリカ」の「リバタリアン」の大教祖のロスバードが、「自然法」「自然権」派じゃんw

『シカゴ派経済学
 <小さな政府>
 F・ハイエク
 M・フリードマン』

↑これを一緒にしたらアウトでしょw
肝心カナメが分からなくなるw

俺みたいな日本在住の日本人の馬鹿階級でも、副島氏がオカシイことは分かる時代になりましたw
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/538.html#c22

記事 [日本の事件29] 政治板リンク:岡田克也のWikiページには以前の記事から削除されている内容がある。
岡田克也のWikiページには以前の記事から削除されている内容がある。
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/878.html
投稿者 taked4700 日時 2011 年 1 月 08 日 02:49:04: 9XFNe/BiX575U
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/659.html
コメント [日本の事件29] 政治板リンク:岡田克也のWikiページには以前の記事から削除されている内容がある。 taked4700
01. 2011年1月08日 03:07:47: pM83xD4Q7c
板違い。
事件ではない。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/659.html#c1
コメント [日本の事件29] 上の報道記事やその他の報道から浮かび上がる不思議 taked4700
05. taked4700 2011年1月08日 03:45:34: 9XFNe/BiX575U : dmaBs2BvRY
>ただの憶測で被害者の名誉を著しく貶める最低記事

少なくとも「ただの憶測」ではありません。

また、被害者の名誉を貶めているとは思いません。こういった事件を起こす権力はとてつもなく大きなものです。一般市民は犠牲者でしかありません。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/655.html#c5

コメント [昼休み44] 笠間新検事総長「あの程度の証拠能力では立件できない」(大林前総長に続き、新総長も冤罪と分かっているようです) 小沢内閣待望論
02. 2011年1月08日 04:07:09: lFtrGPhedw
ちなみに、民主党の小沢一郎元幹事長の政治資金規正法違反事件について、笠間氏は、「あの程度の証拠能力では立件できない」と慎重な姿勢を貫いたという。
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/1804
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/527.html#c2
コメント [日本の事件29] シアン化金カリウム 致死量900人分 栃木・日光で盗難 あややの夏
01. 2011年1月08日 04:19:53: aJknZDjEfo
こんなのも見つけました。

青酸化合物(青酸カリを含むシアン化合物)がチョコレートに入っていた事例

食品衛生法違反

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1351616013


http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/658.html#c1

コメント [医療崩壊3] 国民必読の書!『ガンは治る ガンは治せる』 船瀬俊介・安保徹・奇剞ャ著 花伝社毎年二五万人が、病院で『虐殺』されている 亀ちゃんファン
14. 2011年1月08日 04:25:59: 4yAGFWyMRs
まあ医療業界も設けないといけないのだし、なあ。病院経営も厳しいですよね。

人口を大量に削減するのが人類の至上命題で世界政府からも強力なお達しがきてるのだろうしなあ。難しいよね、、、ひとの世は。

団塊の世代は全部死ねと2チャンネルではでてるよね。年寄りは早く消えたほうが人類にはいいのだろうね。辛いね。悲しいよね。

地球規模の大規模人口削減プログラムのイベントに抵抗するといってもなあ。内部から反日工作員に滅ぼされつつある真正日本人にとっては厳しいか。
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/382.html#c14

コメント [雑談専用39] ベーシックインカムは政府紙幣を発行すれば可能である。 アミ
04. 2011年1月08日 04:29:49: XIljIAmqt6
>>03へ、全くその通り!  調整は可能なのです!

しかし、政府は、しない。アメリカが反対するからね。
アメリカの利益には、ならないから。


http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/124.html#c4

コメント [議論30] 反日政治家と反日マスコミの政治生命とマスコミ生命を断て! baka
02. 2011年1月08日 04:34:56: XIljIAmqt6
爆笑! まあ、そうやなあ! 
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/350.html#c2
コメント [経世済民70] 所得を「逆分配」する国 taked4700
01. 2011年1月08日 07:44:59: Pj82T22SRI
池田氏は以前から、非効率で不平等な再分配システム(公共事業、社会保障、徴税・・)が日本をダメにしてきたと主張してきたが、残念ながら多くの日本人には理解できないようだ。

その責任は教育システムやマスコミにもあるが、目先の不安や利害に振り回され、長期的な視野で課題を考えることが、B層に典型的な多くの日本人にできないことにある。

敗戦や高度成長、バブル崩壊、都市化・核家族化などによるショックが、PTSDのように人々の精神を劣化させてきたのかもしれないが、
いずれにしても若者が団結して政治的多数派を形成して改革していくことは非常に難しい。

結局、一度、徹底的な社会システムの崩壊を経験しないと意識改革は難しいかもしれない。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/574.html#c1

コメント [医療崩壊3] なぜ代替え療法的なものは潰されのか? 寅蔵
48. 2011年1月08日 07:51:28: 48lBhgKy0A
医療は既にビジネス産業体化しているのか?

★動画 NHK 追跡!A to Z 「逸脱する“病院ビジネス”」
http://hon42.com/iryou/br201012.html
より
NHKの取材番組 直接ここに飛んで見るもヨシ、ダウンロードして見るもヨシ。

この動画をダウンロードする
http://hon42.com/iryou/douga5/nhkatoz522.flv

http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/385.html#c48

コメント [戦争b7] ロン・ポールは国際金融資本マフィアを倒せるか 姉葉大作
04. 2011年1月08日 08:10:52: MwD6vaXd0Q
コメディアンに揶揄されるFRB、次は新議会が攻撃へ
2011年 01月 7日 16:05 JST


[ワシントン 6日 ロイター] 米連邦準備理事会(FRB)の量的緩和第2弾(QE2)は、コメディアンや漫画家に揶揄(やゆ)され、海外からも批判が相次いでいるが、次は議会から激しい攻撃を浴びそうだ。

 バーナンキ議長は7日、新議会で初の証言を行う。

 先の中間選挙で躍進した共和党はFRBに対する攻勢を強めており、一部の共和党議員からは、FRBはなりふり構わぬ大きな政府の象徴、との批判さえ出ている。

 下院では、激しいFRB批判で知られるロン・ポール議員がFRBを監視する小委員会の委員長に就任。保守派のティーパーティーがFRBに対する攻勢を一段と強める可能性がある。

 今回の議長証言は、その軽いウォーミングアップとなりそうだ。 

 今後FRBは議会で、QE2に関する厳しい質問責めに遭う可能性が高い。FRBの使命に雇用最大化は必要か、金融政策を議会監査の対象にする必要がある、といった声も出ている。

 上院では民主党が多数派を維持しており、政権も民主党であるため、FRBに対する議会の不満が法制化につながる可能性は低い。

 ただ、FRBに対する不信感は党派を超えて広がっており、FRBは今後、庶民よりもウォール街を優遇しているとの批判に反論する必要に迫られそうだ。

ブッシュ政権で大統領報道官を務めたトニー・フラット氏は「靴でテーブルをたたいて抗議する人間も出てくるだろう」との見方を示した。

 <コメディアンのネタに> 

 QE2はコメディーや漫画の格好のネタになっている。

 コメディアンのジョン・スチュワート氏は、QE2を「紙幣の発行」と解釈するのは正しくないと主張。

 FRBは銀行に準備資金を提供しているだけで、銀行が資金を貸し出さなければ現実の紙幣にはならず、「国民は紙幣を夢想しているだけだ」と批判している。

 同氏はバーナンキ議長が2年前に「(国債買い入れは)紙幣発行とまったく同じではないが、それに非常に近い」と発言したことを取り上げ、「バーナンキ、君は紙幣の発行を認められたひげのおじさんなんだろ」と皮肉った。

 スチュワート氏の番組は全米で150万人が視聴しているとされる。

 ユーチューブで約400万回近く視聴されたアニメ漫画( herehttp://www.youtube.com/watch?v=PTUY16CkS-k&feature=related )では、のどかな風景の中、2匹の可愛らしいクマが次のような会話を交わす

「何で量的緩和って言うんだろう。何でお札の発行って言わないんだろう」

 「お札の発行は、経済がだめになった帝国や小さな国の最後の手段なんだ。FRBはそれしかアイデアがないことを認めたくないんだよ」  

 <悪魔との取引>

 ジョークはさておき、今後、新議会はQE2への攻撃を強めていくとみられる。

 QE2は、海外ではドル安や通貨安競争を招くと批判されているが、米国内では、保守系議員だけでなく、FRB内部からもインフレの温床になるとの批判が出ている。

 カンザスシティー地区連銀のホーニグ総裁はQ2を「悪魔との取引」と表現。

 ブッシュ政権で財務省のエコノミストを務めたフィリップ・スワジェル氏は「QE2は異例の措置であり、さまざまな意見が出るのは当然だ」との認識を示した。 

 FRBをめぐっては、金融機関の救済に対する批判が根強く残っており、融資先や融資理由の一段の情報開示を求める声が強まる可能性がある。

下院監視・政府改革委員会のイッサ新委員長は、FRBに圧力をかけるため、召喚権限を利用する考えを表明。現在5年後の公表となっている連邦公開市場委員会(FOMC)筆記録の公開前倒しを目指す考えも示している。

 同委員長は「現状では、FRBに関する十分な情報を適切な時期に得られない」と述べた。

 議会では、金融政策の議会監査を求める声も出ている。

 ロン・ポール議員は昨年、金融政策の議会監査を義務付ける法案を提出。法案は成立しなかったが、同議員は今年、FRBを監視する下院金融委員会の国内金融政策小委員会委員長に就任した。

 同議員は昨年11月、「(FRBは)独立性が強すぎる。そのような権限を持たせるべきではない」と批判している。

 (Mark Felsenthal 記者;翻訳 深滝壱哉) 


http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-18920620110107?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/149.html#c4

コメント [経世済民70] 公共事業費:東北6県、20.9%減 9月末現在の今年度見込み /福島 あややの夏
04. 2011年1月08日 08:13:42: Pj82T22SRI
>国民一人当たり、デフレ脱却まで、毎年100万円を支給

これは年120兆円の円資産への課税による巨額のバラマキ財政支出に対応する。
急激な為替安により、エネルギーや食料などの価格は急上昇し、
一方で、日本の企業利益の大部分を占める輸出競合財の価格はそれほど上がらず、
原材料価格の高騰から、輸入企業の倒産、輸出関連中小企業の資金繰り倒産から、失業も急増することになる。
結果的にはそのような措置は続かず、国民生活水準(特に中流層)の大幅な低下を招くことになるだろう。

それよりも、日銀の国債買取枠を増やしてQEを強化し、同時に
国債発行で、環境や耐震、都市インフラ整備、効率的で高収益な農業への公共投資、
それに失業・貧困層向けの生活保障基金を作ったり、
優良起業家への融資保証に使った方が、遥かに少額で効果的で、長期的なマイナス効果は小さいし、なにより政治的抵抗が少ないだろう。
(それでも財務省などは抵抗するし、崩壊した民主党にできる可能性は低いだろう)

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/573.html#c4

記事 [経世済民70] 「共通通貨ユーロ」夢の終わり 
ユーロ106円台に到達

http://www.gci-klug.jp/mitsuhashi/2011/01/06/011592.php
三橋貴明第83回 「共通通貨ユーロ」夢の終わり 
2011/01/04 (火) 15:48

 フランスのサルコジ大統領は、2010年ラストとなる大晦日の演説において、「欧州共通通貨ユーロが終われば、欧州の終わりを示唆する」 と発言した。
 別に、ユーロが終わったところで、欧州の終わりは意味しないと思うわけだが、それだけ現在の欧州首脳部の危機感が強いという話なのであろう。
 改めて考えてみると、欧州共通通貨ユーロは本当に不思議なシステムである。何しろ、国民国家の「経済的二大機能」とでも言うべき、財政政策と金融政策を分離してしまったのだ。
 国家の役割は、経済分野に絞っても、もちろん一つではない。とはいえ、例えば「需給の調整」「金利の調整」「物価の調整」の三つは、間違いなく国家が責任を持たなければならない重要分野であろう。
 需給の調整とは、国内の需要が不足し、失業率が高まっている状況であれば、政府が支出することで「需要を創り出す」ことだ。あるいは、逆に国内の 供給が不足し、貿易赤字が続き、インフレ率が高まっているのであれば、規制緩和や民営化、時には外資の導入などで「供給能力を高める」ことになる。
 例えば、かつて貿易赤字や極端に高いインフレ率に悩み続けていたブラジルは、ボトルネック(制約条件)と化していた国営企業を民営化し、国内の様 々な規制を緩和し、外資を積極的に導入することで自国の供給能力を高めた。結果的に、ブラジルの高インフレは次第に改善されていき、昨今の経済的隆盛を迎 えたのだ。
 そういう意味で、バブル崩壊後のデフレ(需要不足)環境下で、公共投資を削減(政府支出という需要を削る)し、規制緩和(供給能力を高める)を推 進し続けてきた日本政府は、とてもではないが役割をきちんと果たしていたとは言えない。規制緩和にしても、政府支出削減などの緊縮財政にしても、インフレ 下に採るべき政策である。デフレ下で強行しても、状況を悪化させるだけの話だ。デフレ下に緊縮財政を開始した橋本政権以降、延々とデフレから脱却できずに いる日本の現状を見る限り、それは誰の目にも明らかであろう。
 残り二つの国家の役割、すなわち金利の調整や物価の調整とは、上記「需給の調整」と密接に関連している。政府が需要不足を補うために国債を増発す ると、通常は金利が上がっていく。高金利は民間経済の成長の妨げになるため、中央銀行が国債を買い取り、金利を抑制する。中央銀行の国債買取が増えると、 今度は物価が上昇を始めるため、「需給」「金利」「物価」の三つをバランスさせながら、国民経済全体を成長させることこそが、政府に求められるわけだ。
 すなわち、「需給の調整」「金利の調整」そして「物価の調整」の三つは不可分ということになる。ところが、ユーロのシステムでは、通貨発行による 「金利の調整」などの金融政策が、各加盟国の政府から切り離されてしまう。すなわち、不況下で国債を増発し、結果的に金利が上昇した場合であっても、各国 政府は手も足も出ないのである。何しろ、各加盟国の国債を買い取るために、ユーロを発行できる権限を持つのは、ECB(欧州中央銀行)のみなのだ。
 各加盟国は、国債増発や財政危機によりソブリン債(国債など)の金利が上昇していったとしても、指を加えて見ているしかない。実際、ギリシャ国債の金利が二桁に達しても、ギリシャ政府は国債買取による金利調整ができなかった。
 現在のECBは、加盟国の金利の極端な上昇を避けるため、ギリシャ、アイルランド、ポルトガル国債などを大々的に買い取っている。しかし、これは 共通通貨ユーロの理念から言っても、極めて奇妙な話である。なぜならば、ECBは国債買い取り時に「なぜ、その国の国債を、その金額分買い取ったのか」に ついて、他加盟国に全く説明できないためだ。
 そもそも、ユーロはこの種の問題発生を避けるためにこそ、マーストリヒト条約により「財政赤字は対GDP比で3%まで」というルールを設定してい たわけである。現実には、3%ラインを守っている国は数えるほどになってしまった。今にして思えば、この「財政赤字は対GDP比3%まで」というルール自 体が、景気の極端な悪化などを前提にしていない、荒唐無稽な決まりごとに思えてしまうわけだ。
(2/3に続く)
 ユーロの問題は、上記「国家の機能の分離」の他にも複数ある。
 例えば、国内が供給能力不足で、本来は貿易赤字や通貨安、それにインフレ率上昇が止まらないはずの国々であっても、問題から目をそらすことができるという点だ。
 分かりやすく書くと、先に例として出したブラジルが、ユーロに加盟していた場合、別に国営企業の民営化や規制緩和に乗り出す必要はな かったのだ。何しろ、そもそも共通通貨に加盟している国は、どれだけ貿易赤字や経常収支赤字が拡大しても、通貨安や極端なインフレ率上昇は発生しにくいの だ(少なくとも自国の都合では)。ユーロは加盟国「全体」として信用が維持され、ユーロ加盟国間には為替レートが存在しない。かつ、「インフレ恐怖症」に とりつかれたドイツ連銀の流れを引くECBが、容赦なくインフレの芽を叩き潰してくれる。
 結果、ユーロ加盟国では「経常収支黒字国は、ひたすら黒字を拡大する。経常収支赤字国は、ひたすら赤字を拡大する」という、普通の独自通貨国ではありえない現象が発生した。すなわち、グローバル・インバランスの拡大ならぬ「ユーロ・インバランスの拡大」だ。
 ユーロが決済用仮想通貨として導入されたのが、1999年。そして、各国の法定通貨となったのが2002年である。この時期を境に、欧州主要国、 特にユーロ加盟国の経常収支の状況が、まさしく「二極化」していくことになる。すなわち、一部の経常収支黒字国がひたすら黒字額を積み上げる一方で、赤字 国の側も毎年赤字額が増大していく状況に陥ったわけだ。
 以下に、筆者が抜粋した欧州主要国ついて、具体的な黒字組、赤字組の国名をご紹介しよう。(09年時点。ユーロ加盟国以外の欧州主要国含む)
◆黒字組:ドイツ、フィンランド、アイスランド、オランダ、ノルウェイ、スウェーデン◆赤字組:スペイン、フランス、英国、ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル
 ちなみに、08年に破綻したアイスランドであるが、同年までは延々と経常収支赤字を続けてきた。破綻時に通貨クローネが暴落し、「輸入が困難に、輸出が容易に」なった結果、同国の経常収支は黒字化したわけである。
 黒字組と赤字組の位置関係を見ると、面白いことが分かる。すなわち、経常収支黒字組にはゲルマン系が多く、赤字組はラテン系が多数派になっている のである。北方のゲルマン諸国がひたすら経常収支黒字を拡大していく中、南方や西方のラテン系諸国が経常収支赤地を積み上げていく構図になっていたわけ だ。
 上記12カ国について、95年から09年までの経常収支の推移をグラフ化したものが、図83−1である。
【図83−1 欧州主要国の経常収支の推移(単位:十億ドル)】出典:IMF
 確かに、ユーロ導入以降、加盟国の貿易総額は格段に増えている。とは言え、それは北方諸国が経常収支黒字を積み重ね、南欧及びフランスなどが赤字額を一方的に増やしていく、一種の「南北問題」を伴った形での拡大だったわけだ。
 そして、この「南北問題」の拡大を可能にした最大の要因こそが、共通通貨ユーロの存在なのである。
 特に、ギリシャのような経済規模の小さい国が、09年に至ってもフランスに匹敵するほどの経常収支赤字であったわけだから、呆れてしまう。ギリ シャの場合、公務員が労働人口の25%に達するほどに「大きな政府」であり、規制緩和や民営化などにより供給能力を高める余地は充分にあったにも関わら ず、それを怠り続けてきたわけだ。ギリシャがユーロ加盟国でなければ、早期に財政危機に陥り、経常収支の赤字は減少に転じざるを得なかったはずである。
 また、ギリシャにしてもアイルランドにしても、ユーロに加盟している限り、輸出競争力の向上はなかなか難しい。先に、アイ「ス」ランドにおいて、 09年に経常収支が黒字化したと書いた。同国の通貨クローネは、08年10月の危機で、価値がほとんど半減してしまった。結果、確かにアイスランド国民の 生活は厳しくなってしまったが、代わりに輸出競争力の向上と経常収支の黒字化(=対外純資産の増加)をもたらしたのである。
 ところが、ギリシャやアイルランドは、アイスランド型の経常収支黒字路線への転換が困難である。何しろ、両国の財政がどれだけ悪化し、不況が深刻化しても、自国通貨の為替レートが下落するという事態は訪れないのだ。
 すなわち、ユーロはシステムとして「破綻」の可能性を内在しているのみならず、実際に破綻した国々の回復のボトルネックにさえなってしまうのである。
(3/3に続く)
 ユーロが抱える問題は、まだまだ上記にとどまらない。
『2010年12月31日 ブルームバーグルームバーグ「エストニア:11年からユーロ導入、旧ソ連圏から初−計17カ国に」
 エストニアは2011年1月1日に、旧ソ連諸国として初めてユーロを導入する。ソブリン債危機が欧州を揺るがした影響でユーロ圏拡大は一時的に制限される見通しだ。
 ラトビアとロシアに挟まれ、バルト海に面したエストニアは1日午前零時に同国通貨をユーロに切り替え、17カ国目のユーロ導入国となる。同国の国内総生産(GDP)は140億ユーロ(約1兆5230億円)で、ユーロ圏ではマルタに次ぎ2番目に経済規模が小さい。 欧州諸国が財政危機に取り組む中、今後数年でユーロ圏に加盟するのはエストニアが最後となる公算が大きい。次の加盟候補国であるリトアニアとラトビアは2014年の加盟を目指しているほか、他の東欧諸国は目標時期の設定を先送りした。(後略)』
 個人的に「最後のユーロ加盟国」になると予想しているエストニアが、2011年1月1日からユーロを導入した。
 エストニアの09年のGDPは140億ユーロで、ユーロ全体に占めるシェアは1%に満たない。それでもユーロ圏では「一票」を持ってしまうという点も、ユーロの歪みの一つである。
 もっとも、それ以上にも危うく思えるのは、PIIGS諸国の破綻により、投資先を失った欧州の経済大国(独仏英)の銀行が、短期的な収益を狙ってエストニアにユーロを大規模に流しこんでしまうのではないかという懸念だ。
 ユーロ導入前まで「ケルトの虎」として、輸出を中心に経済成長を達成していたアイルランドは、まさにユーロ導入により経済モデルが様変わりしてしまった。
 ユーロ導入後のアイルランドは、国内の銀行が低金利のユーロ建てで資金調達が可能になった。結果、アイルランドの銀行は独仏などの銀行から短期で 融資を受け、不動産セクターに長期で投資するというモデルで成長していったのである。すなわち、不動産バブルを中心とした成長モデルだ。
 アイルランドの不動産バブルは07年に崩壊したが、「外国の銀行」の資金により拡大したバブルの後始末に、「国民の金」が使われる羽目に陥った。 何しろ、銀行の不良債権の規模が大きすぎ、政府が資金注入しようにも、やはり「外国からお金を借りる」ことなしでは不可能なのである。
 アイルランドの2010年の財政赤字は、対GDP比で32%という途轍もない水準に達すると予想される。そのツケを「外国人へ」払わされるのは、 もちろんアイルランド国民だ。アイルランドはユーロという縛りの中、経常収支黒字路線にもなかなか戻れず、国民から「ユーロを搾り取る」形で外国の銀行に 債務を返済していくしかない。すなわち、緊縮財政で、国民からユーロを搾り取るのだ。
 エストニアに話を戻すが、最新の同国の失業率は16.2%である。当たり前の話として、エストニア政府は「ユーロに加盟した、万歳!」などと言っている状況ではない。
 失業率が高く、かつユーロ諸国全体から見ると、経済規模が非常に小さい。独仏などの銀行にとってみれば、これほどお金を投じやすい環境はないよう にも思える。独仏の銀行がユーロ建ての対エストニア融資を(彼らにとってみれば)「少しだけ」実行に移せば、比較的容易に何らかの資産バブルが発生してし まうだろう。高失業率に悩むエストニア政府も、むしろそれを望むように思える。
 エストニアの人口はわずかに134万人であるが、何しろ人口32万人のアイスランドでさえ、海外マネーに依存したバブルが発生した。欧州各国の銀行の当座の「しのぎ」としては、エストニアは充分な規模であろう。
「なあに。長いこともたせる必要はない。短期的にバブル起こして、当座をしのげればいい」「そうだな。バブルが崩壊したら、エストニア政府に公的資金を注入させ、エストニア国民の負担にしてしまえばいいしな」
 こんな会話が、ユーロ諸国の銀行で交わされていないことを祈らずにいられない。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/575.html

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] 2chオワタ\(^o^)/ 記者キャップが流出し、ニュー速がわけわからんことに 此れ多分朝鮮の聯中が報復に出たんだらうね 不動明
02. 2011年1月08日 08:43:38: dqIQ0PK2cp
弐chの正体

http://www.asyura2.com/0601/livedoor2/msg/166.html

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/239.html#c2

コメント [経世済民70] 「共通通貨ユーロ」夢の終わり  tea
01. 2011年1月08日 09:03:21: ibwFfuuFfU
「欧州の終わりを示唆する」の「欧州」は欧州共同体のことをいってるんだろね。今欧州で「ヨーロッパ」といえば地理的・歴史的な欧州でなく、ずばりEUの意味になる場合が多いからだ。ま、サルコジの言うとおりで、ユーロが崩壊したら現在のEUの枠組みはお終いである。ユーロは1部リーグユーロ(独仏)と2部リーグ(南欧その他)に分裂する可能性もある。ま、日本から南欧に観光に行く場合は通貨が激安になるので好都合だけどね。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/575.html#c1
記事 [戦争b7] Bomber kills 17 in Afghan bathhouse
AP Saturday, 8 January 2011

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/bomber-kills-17-in-afghan-bathhouse-2179182.html

A suicide bomber blew himself up inside a bathhouse in a southern Afghan border town yesterday, killing 17 people as men gathered to wash for Friday prayers.

The bomber killed 16 civilians and a police inspector in Spin Boldak near the Pakistani border in Kandahar province, the governor's spokesman said. The Taliban claimed responsibility for the blast, which injured 23 people.
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/170.html

コメント [エネルギー2] エネルギー問題は、高性能バッテリーを開発すれば解決する ラクダと針
36. 2011年1月08日 09:38:00: nOHDUtEzMM
地熱発電の虚実
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/106.html
投稿者 taked4700 日時 2009 年 4 月 15 日 20:53:34: 9XFNe/BiX575U

原発は廃止して、地熱発電を大規模にやり景気回復を!
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/219.html
投稿者 taked4700 日時 2010 年 4 月 20 日 10:33:28: 9XFNe/BiX575U

とりあえず「思う」が多すぎてドラエもん待望するのと大して変わらない投稿で失望した。
特に、採掘費用が2分の1もかからないのでは、というくだりは、
掘削作業は岩盤しだいで数倍にもなりかねないことすら理解していないことがわかる。

この程度の投稿であれば、高性能のバッテリーを今後の研究として挙げる投稿者のレベルと変わらない。

また、直接熱水を上げるやりかたでないのでクリーンだというコメも見たが、
地熱が、その地域の生態系に与える影響も全く考慮していない。
地熱を上げる管を通すことは、その地域の熱を吸い上げることを意味する。
生態系への影響を考慮しなければならなくなるのは当然なのだが・・・・・

投稿者の主旨は、地熱発電を多数箇所で行えば簡単に日本発電量を賄えるという
楽観論すぎるものであるが、掘削することでの岩盤への影響、地熱が与える周囲の生態系への
影響などを考えると、現時点で簡単にできる方法とはとてもいえないと考える。
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/258.html#c36

記事 [芸能ニュース等2] 「山P妹クビ」で興起氏側が反論
スポーツ報知 1月8日(土)8時1分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110108-00000032-sph-soci

 人気アイドルNEWSの山下智久(25)の妹・山下莉奈さん(22)が、民主党の小林興起衆院議員(67)の事務所を「クビになりました」と自身のブログで明かした件で、小林氏の事務所が7日反論した。小林事務所によると、山下さんは駅頭や地元まわりなど現場での勉強を拒み、内勤のみを希望し、「政治家の仕事を理解してなかった」という。

 山下さんは昨年12月中旬から欠勤。5日に話し合いを持ったが溝は埋まらず解雇に。山下さんは「お世話になりました」と笑顔であいさつしたという。その直後にブログでクビ通告をつづられただけに、小林事務所では「ガッカリしました。小林も『どうしちゃったの』ってあきれてます」と話していた。

http://www.asyura2.com/09/geinou2/msg/330.html

コメント [ホロコースト6] 壮大なウソが世の中に満ちているC、つむじ風(連合国も同盟国も軍産複合体が操っていたというオチのようです) 小沢内閣待望論
01. 2011年1月08日 09:48:54: dB8o69mlVg
消された? 
現在見られない。
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/178.html#c1
コメント [経世済民70] 消費税率アップができないなら「インフレ税」を“活用”しよう デフレで私たちは損している? 得している? tea
04. 2011年1月08日 09:55:37: Pj82T22SRI
国内インフレ率は、世界の生産や金融システムとリンクしているので
政府や中銀が、これをコントロールすることは現代では不可能だ。

とは言え、最終的には、膨張する社会保障など累積財政赤字を解消する手段としては、高インフレによる資産&所得課税以外に選択はないだろう。

現在は、円国債バブル崩壊が、いつ来るかを待っている状況と言える。
関東大震災や東海巨大地震と同じく、必ず来るのだが、
金融現象というのは、皆が来ると思って、用心するほど、デフレ不況とバブル崩壊は先延ばしになる経済心理学の対象だから皮肉であるw
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/561.html#c4

コメント [社会問題8] ネット注文の「スカスカ」おせち、横浜市が調査開始 めっちゃホリディ
04. 2011年1月08日 10:09:08: MqnKyzYDtk
あくまで疑惑だけど(2chに貼られてた)、産地偽装疑惑もあるらしいw
http://www.asyura2.com/10/social8/msg/276.html#c4
コメント [マスコミ・電通批評11] 首相、テレビ出演の視聴率6・9%… ドキッ!プロ奴隷だらけの水泳大会
05. 2011年1月08日 10:10:58: VYmGKQdqJk
TVは地震があったときにつけるだけ。
デジタル化したらもう見ない。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/436.html#c5
コメント [近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
17. 中川隆 2011年1月08日 10:12:15: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q

再説 _ 相場で儲けるには

柴田秋豊先生は特に私には無口で、改まって難しい話はされなかったが、私から話しかけるていけば簡単な注意や心得については気軽に答えられた。

「細かい事は知らなくても良い。鈎足を信じてそれについて行く事である。種々な情報や自分の考えは入れず、ただ実行するだけである。それさえ時を選ばず行うことに徹すれば必ず結果は出るはずだ」

というのである。

「罫線の見方は色々ある。月足、週足、日足、順張り、逆張り 日柄等参考にすべきは多いが、君のように実業を成している者が趣味的に相場を張る者にとっては鈎足のみで充分である。」

と話される。

「特に底値近辺での長期の保合相場や、天井近辺での長期の保合相場の時点で現れる法則の買売の出現には素直について行くべきであると、一年に何回も出るというのではないが、必ず辛抱強くチャンスを待つということも大切であり、相場というものは常時張るものではない。」

というのが持論である。

「次に誰もが迷う所であるのは、上昇下降相場の上げ止まり、下げ止まった時点で保合相場に入っており再び上げに転じるか引き続き下げ相場に入って行くかという判断の仕方であろうと思う。

 その場合、上げ相場の時も下げ相場の時も新高値に進むか新安値に向かうかはおおむね一ヶ月(立会日前)25日を限度として考え対処して行けばよろしいだろう。」

との考え方が話された。

 要するに高値をつけた相場が押目または保合に入り、最大限25日経っても前高値を抜けぬ場合は目先天井であり、反対に安値をつけた相場が戻りまたは保合に入り、25日経っても前安値を下回らねば目先底入れと判断すべきであるとの考え方である。

 その他に

「日足週足で、高値圏での連続四本陰線は暴落の前兆である。安値圏での連続四本陽線は暴騰の予告である。」

という話もあった。


 はたしてこの説明は当っているのか否かを過去5年間までの日足罫線で調べてみたところ、それは約80%以上の的中率であった。
http://www.harvestchart.com/tonpei/tonppei.htm#m051

事務所に置かれている何百という日足鈎足を毎日見ていると、たとえ初心者としても線さえ信じて実行されるならばトータルとして損失はあり得ない事だけは断言できるのである。

「素人は色々考えることはない。ただ鈎足を信じてついてさえ行けば大きな損は出ない筈であり、信じて実行することさえやれればそれでいい。」

と言ういとも安直な話は、常にされていた。 要するに

「法則の出現を待って最も効率良くやることだ。」という教えである。

http://www.harvestchart.com/tonpei/tonppei.htm#m052


柴田鉤足罫線は本質的には Donchian の4週間ルールと同じもの:


地上最強の必勝法一4週間ルール 

相場の世界には思惑に頼らず、機械的に売買する必勝方(システム売買)の有効性が大昔から議論されてきました、そのる必勝方の中で、最古にして最強、使い方次第ではいくらでも儲けられる4週間ルールを紹介します。

 この4週間ルールは、二十年ほども前、全米アナリスト協会どか言うところの、システム売買の検証が長い期間に且って行われ、その時に、最も高い収益率である、と宣言されたいわくつきのものなのです。

 でぱルールを説明します。

 この売買システムは至って簡単で、直近4週間(日足で20本)の終わり値の中で今日が最高値をつけたらその瞬間に逆指し値で買いが入るようにしておく。逆に再安値をつけるようなら、逆指し値でやはり売りが入るようにしておく。そうやって常にドテン売買を休むことなく続ける訳です。典型的な順張りによるシステム売買です。 

http://www.mmjp.or.jp/sunrise-co/4weekrule.html

23投稿者:柴田鉤足罫線の本質  投稿日:2005年10月30日(日) 11時10分57秒


柴田鉤足罫線の法則書には ろさ、ろく、ろゑ、ろあ法則と もっともらしく法則が沢山書き並べてありますが、実ははこれらの法則が正しいかどうかはどうでも良い事なのです。

柴田鉤足罫線の本質は要するに

相場が十分長く(4週間)もみあった後で、上抜ければ買い転換、下抜ければ売り転換

というだけのものなのです。 正しくても間違っていても構わないから、とにかく何でも沢山法則を作っておいて、もみあった後、持ち合い放れした時に、少なくともどれか一つがうまく転換してくれれればそれで十分なのですね。

従って、柴田鉤足罫線がうまく機能する為の条件も4週間ルールと全く同じでしょう: 


スタートのタイミングを絶対有利という瞬間に選ぷことが4週間ルールで勝つ秘訣となります。つまり、法外な大天井をつけて、もうとてもこの値段は保たない、と判断できる瞬間。或いは、十分に底練りを続けて、この銘柄に関するかぎり今年はまず絶対大相場が出ると期待できる時。そのような時に使用すると絶大な威力を発揮します。


_____

柴田棒足罫線とは  投稿日:2005年10月30日(日) 11時33分04秒

柴田秋豊先生の”発見”した法則というのは結局


”株価がトレンドラインを切ったら相場が転換する”


という当時のアメリカのチャート理論では周知の事実なのです.

大辞典には何やら尤もらしい法則が沢山書き並べてありますが


順張り法則には 一つ”法則”があったら 必ずそれが壊れた場合の”法則”もセットで入れている.


相場が上に行こうが,下に行こうが どっちに転んでも 対になる2つ法則の内のどちらかは成り立ちます. 大辞典の挿入図で順張り法則が完璧に相場の転換を捉えている様に見える裏には こういう仕掛けがあるのです.


天井型はすべて いえ-いこ型 いひ-いふ型 の様にどっちに転んでもどちらかが正しいようになっています. いせ-いわ型もそう. いね-いり型もそう.


柴田秋豊先生としては

"放れにつけ"

と言いたいのでしょうが,結局


”株価がトレンドラインを切ったら相場が転換する”


という以上の事は言っていません.


要するに,柴田棒足罫線法を現代風に言い換えると


”株価がトレンドラインを切った時に逆指値の自動注文を出す”


というだけの内容しかないのです.


_______


29投稿者:トレンドラインを引けるのは天才だけ  投稿日:2005年10月30日(日) 11時52分29秒

柴田罫線で儲けるにはトレンドラインが完璧に引けなければならない。

柴田罫線の順張り法則というのはあくまで、トレンドラインの引き方をあらゆる場合について説明する為のもので、法則自体には何の価値も無いのです。


しかし、素人投資家が順張り法則をすべて暗記したとしてもトレンドラインをうまく引くのは不可能でしょう。

おそらく鉤足法則というのはトレンドラインをうまく引けない素人投資家でも儲けられるようにと考案したものなのです。 

結論として、素人投資家が柴田罫線を使って儲けられる可能性は完全にゼロでしょう。

30投稿者:トレンドラインを引けるのは天才だけ  投稿日:2005年10月30日(日) 12時01分52秒

棒足法則の致命的な欠陥は トレンドラインが実際に破られたかどうかを客観的に判断する具体的な方法を何も示していない事です。

大辞典には トレンドラインは何度も引き直すものだ と書かれていますが、それではトレンドが変わった場合と単に引き直す場合の判別ができない。

棒足法則は最初に 正確なトレンドライン有りき という前提で作られていますが、こういう前提を置く事自体がごまかしでしょう。 良く言われる


”後からわかる相場かな”

というのはチャートの言葉で言い換えると


” 後からわかるトレンドラインかな”

という意味ですね。まあ、RSI や ストキャスティクスの様なオシレーターでも事情は全く変わりませんが。


_______

結局、”相場で儲けるには” の結論はこういう事でしょうか:

386 名前: :03/01/02 19:15

大体、相場の奥義なんてものは必死になって教えてもらったら、内容は、厳格な損きりと、資金管理と、ポジションサイズのコントロールだけで、仕掛けの方法など皆が聞きたがる所はほとんど金もうけに関係ない重要度の低いジャンルだったりするもんさ。

常識的な面白くないことを続けるのが奥義で、秘密はほとんどないというのがこの世界のからくりなのさ。

柴田のような、いわゆる一子相伝奥義なんてものは存在しないんだよ
相場には。

そこを判ってない奴が何度もだまされる。

390 名前: :03/01/02 19:20
>>386
いいじゃんか。馬鹿はだまされるだけだまされさせとけば。

一生、存在しない秘儀を追い求めて死んでいくんだろうよ
この手の詐欺師に引っかかってさ。

http://mimizun.com/2chlog/stock/money.2ch.net/stock/kako/1040/10406/1040626634.html

林輝太郎氏と私十数年前、私は相場の勉強を志す一環として林輝太郎氏の事務所を訪れました。暑い夏の日に地下鉄を乗り継いで行ったことを思い出します。確か日本橋の雑居ビルの一室だと思います。

当時私は東京穀物商品取引所の小豆(しょうず)という銘柄を手がけており、思うような結果が出ていませんでした。

突然事務所に入り、林氏の著作の書籍を何冊か購入しました。あまり長くはお話はしませんでしたが、林氏は私にこう言いました。


「あまり大きく張らないように。小さい枚数でやりなさい。」


この言葉によって私は相場人生の初期の頃生きながらえてこれたと思っております。

現在おそらく林氏は私のことは覚えてないでしょう。しかし私にとってはあの時かけてもらったこの言葉が大切な宝物となっています。

もしこれを読んでいる初心者がいるとするならば、私もあなたに言いたい。

「まずはじめは最小単位でやりなさい。たとえば日経225先物ならラージの資金があってもminiでやりなさい。」

とね。

http://www.1systrade.com/archives/51015130.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c17

記事 [雑談専用39] ベーシックインカム参考資料・信州中川村 村長のメッセージ=いい案ですね
中川村村長さんのメッセージには賛成です。
政府紙幣の発行も可能のように思いますが、
政府に提案するには、
そこには明快な説明が、必要なのではありませんか?

現在:金の所持在庫に応じて、同じ価値の政府紙幣の発行が認められている?
これは現在の日銀の方法なのでしょうが、
金は軍産複合体極右により、軍事力の整備に紙幣の形で投入されている。
菅さんは米従属方針にのめり込み、考える力を失い軍事同盟べったりです。
自らの座を守り、権威の誇示の為に金を浪費している。

であるなら、なにを価値にして、政府紙幣を発行できるか?
政治体制を崩壊させないためには必要最低限の堅実さも必要です。
この点は長年の研究課題でしたのでごく近い将来その案も整理できる見通しです。

この点をクリアして、政府に実現を要求できるのではないかと考えています。
その前に腐敗している菅さんは、自分の仕事が第一なのでBI案を提案するだけ
裏目となって国民の立ち場にマイナスの影響となって反映されるので、
これを避けるためにも、交代政権が目的を見据えて進めるよう、民主党建て直しは
緊急課題となっていますし、米従属中毒の人は役職から外れて戴きたいです。
軍国'米へ盲目的な従属で、無理やり国民を力で従わせたい政治家なんて、
一人でさっさとアメリカへ移住してしまいなさい!と言いたいところです。
                        
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/125.html

コメント [環境・エネルギー・天文板4] ビニール製レジ袋使用禁止、イタリア全国で1日より施行(CNN) 最大多数の最大幸福
02. 最大多数の最大幸福 2011年1月08日 10:15:12: d1qFhv8SE.fbw : F3mTj8A8XA
>CO2地球温暖化脅威終末規制推進論者は店じまいですね。

 まったくです。

 日本人から税金を徴収して、無駄に、海外にバラ撒かせるような
 くだらない制度は、断固、やめるべきですね。

 それでも、もし、どうしても、二酸化炭素が脅威だと言うのなら、
 そのカネで、どんどん藻を培養して、二酸化炭素を吸収させて、
 原油を抽出し、原油の形で、地下にでも埋蔵しておけば良い。

 環境問題とエネルギー問題の一挙両得で解決だぁ。
http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/554.html#c2

コメント [雑談専用39] ベーシックインカムは政府紙幣を発行すれば可能である。 アミ
05. 2011年1月08日 10:16:44: FFuNfLHeO2
日本で本当に実行するにはどうしたらいいのでしようか?
具体的な計画を示してください。


http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/124.html#c5

コメント [経世済民70] 10年以内の財政破綻の根拠 人口高齢化による社会保障給付増 tea
10. 2011年1月08日 10:18:21: Pj82T22SRI
>10年たってもこの先生は「次の10年で財政破綻します」

これまでも過剰に危機を煽って初めて日本の社会保障抑制が少し進む程度だから
当然の結果ではあるw


>年金抑制は給付開始年齢を70歳、75歳と遅らせる 3割負担を5割負担 地方の過疎を放置

現実に、こういう対策が実行できるのか?それはいつか?が問題だろうな

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/567.html#c10

コメント [雑談専用39] ベーシックインカムは政府紙幣を発行すれば可能である。 アミ
06. 2011年1月08日 10:18:37: FFuNfLHeO2
デモ行進のときのように集会を開いて会議をやってみるのはいかがですか?



http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/124.html#c6

コメント [経世済民70] 10年以内の財政破綻の根拠 人口高齢化による社会保障給付増 tea
11. 2011年1月08日 10:23:45: Pj82T22SRI
>30年も前からずーっと言われ続けてる

あと国債長期金利が1%という異常事態が続くとは想定していなかったのだろう
現実には、もっと前に財政破綻して社会保障をリセットした方が、長期的には国民(特に若年世代)のためには良かったかもしれないw
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/567.html#c11

記事 [経世済民70] ドル安ではなく円単独高、通貨の価値は購買力で決まるのにおかしなことだ、円単独高の理由は単純明瞭
ドル単独安とエコノミストは決めつけているが全くの逆で誤解、円が単独に高くなっている

▼米国の電気料金は日本の1/2以下、食料は1/2以下、葉書28セントで封書44セント、高速料金は無料
したがってドル安ではなく円単独高と言って良い、ただ円の価値は低い(通貨の価値は購買力で決まる)のに円高とはおかしな話
※日本はデフレと言われているのに電気が米国の2倍以上も高いとは、これもおかしな話ですね。

▼円はなぜ高くなったか、簡単明瞭
日本が毎年8.5兆円「円買い外貨売り」を30年間も続けた当然の結果、
8.5兆円は年平均の輸出超過分の額で、30年間で計260兆円が「円買い外貨売り」を続けたと言える
人件費を抑制して輸出したから輸出超過になり円高になった、それで内需が停滞して景気を悪くした。

▼日本は輸出超過なのに海外の景気に左右されるとはおかしな国だ、輸入超過の国なら理解出来るが、
だからTPP参加も賃金引き上げてから参加すべきだ、賃金を上げられないようなら参加すべきでない
そもそも人件費上げなければ内需は増えずに景気も良くならないのです

▼人件費抑制の事実は次からも明らかです
1994年頃より大企業でさえ人件費総額は下がることがあっても上がることなし
しかるに株の配当金総額は3〜4倍に膨れ上がっている
「大企業の配当金と人件費の関係をグラフ化してみる」
http://www.garbagenews.net/archives/990472.html

▼景気対策には人件費を引き上げること、それで輸入超過にすること、これで内需を増やし円安にすること、これ以外にないはず
※安賃金しか払えない企業は海外に移転して頂きたい、日本は供給過剰なので共倒れにならない為にです

▼米国の電気料金(ドルの購買力は高いですね)

U.S.Energy Infomation Administration
Released: September 15, 2010

U.S. Total(Cents per kilowatthour)
       2010年、 2009年
Residential   11.32、  11.42
Commercial  10.03、  10.15
Industrial     6.65、   6.88
▼「電気料金の国際比較」電気を安くするには
http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/708.htm
※日本は輸出超過なのに、電気はなぜかこんなに高いのか、景気にも国民生活に影響大
なのに政治家もエコノミストもマスコミも話題にすらしない。これも不思議なのですね。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/576.html

コメント [雑談専用39] ベーシックインカム参考資料・信州中川村 村長のメッセージ=いい案ですね 天のあゆみ
01. 2011年1月08日 10:31:02: FFuNfLHeO2
政府紙幣を発行したリンカーン大統領は暗殺されましたから、暗殺が起きないように大勢で進めていくとよいと思います。有志をつのり、デモ行進したり、集会を開いて、実行計画をかためていくといいのではないでしょうか?
ジャパンハンドラーズの動きを逐一この阿修羅掲示板に投稿して情報を共有し、みんなの安全をはかりながら、政府紙幣発行に反対する人たちの根拠をよく分析して進むとよいと思います。

ロスチャイルド家や役に立たない集団の指示がどのようになされているかを分析し推測しながら対応をこの阿修羅掲示板で公開で行っていけばよいのではと思います。

もともとロスチャイルド家のもつウラン利権は、本来は地球のみんなのものなんだから地球のみんなに平等に分配するのが筋であると思いますね。
ロックフェラー家の石油利権もそうです。
みんなのものにもどしてもらう必要があると思います。


http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/125.html#c1

記事 [自然災害16] 米国ネバダ州で巨大地震を想定した1000万人規模の防災訓練
http://oka-jp.seesaa.net/article/164980792.html

2010年10月07日

米国ネバダ州で巨大地震を想定した1000万人規模の防災訓練


来年4月には米国中部全域での大規模震災訓練も


Register for Great Nevada ShakeOut, world's largest quake drill
ネバダニュース(米国ネバダ大学) 2010.10.04

世界最大の地震防災訓練「グレート・ネバダ・シェイクアウト」へご登録を

今すぐ、「グレート・ネバダ・シェイクアウト」にご登録下さい。
そう、これは世界最大規模の地震防災訓練です。

ネバダ州とカリフォルニア州が、ネバダ大学の地震研究所とチームを組み、住民の方々の震災への危機意識の向上と、大地震が来た場合の対処をレクチャーするための大規模な訓練を行います。

▲ 2008年2月21日にネバダ省北東部を襲ったウェールズ地震は、マグニチュード6を記録し、ネバダ州としては、1954年のディキシー・バレー地震以来の被害となりました。


グレート・ネバダ・シェイクアウトはとてもシンプルで、「伏せる、身を守る、待機する」演習( “drop, cover and hold on” exercise )のスタイルで、10月21日の午前10時21分に行われます。

これまでにすでに 600万人の州民たちが登録を終えている公式イベントです。

ご登録するには、個人の方、ビジネス、学校関係者、または政府機関のすべての方々は、ウェブサイト www.shakeout.org/nevada を訪問してください。

10月21日 午前10時21分には、あなたが、学校だろうが、職場だろうが、自宅だろうが、どこにいようとも、まさにその時に巨大地震が発生したというシミュレーションで訓練に参加できるのです。そして、少なくともその場に60秒間留まることが、地震訓練への登録にかかる時間として必要となります。


ネバダ大学の地震研究室の責任者であり、地球物理学者でもあるグラハム・ケント教授は、「私たち(ネバダ州とカリフォルニア州)は活断層を共有する地域に生活しているのですから、防災訓練もお互いに共有しましょう」と言います。

(訳者注) ネバダ州とカリフォルニア州の位置関係の地図。北米大陸の西側で隣接しています。


「この地域にある断層は、ネバダ州とカリフォルニア州の両方に影響を及ぼす可能性があるのです。なので、事前に訓練と協力を行うことは大事です」。

先週、ネバダ州とカリフォルニア州の両方にまたがるファーニス・クリーク近くの断層で、マグニチュード3から4の群発地震が発生しました。

このグレート・ネバダ・シェイクアウトは、今後、ネバダ州での新しい年中防災行事として、毎年10月の第3木曜日に行われる予定となっています。

2011年1月26日には、カナダのブリティッシュ・コロンビアとオレゴン州が、ネバダとカリフォルニア両州と共同しての震災訓練を行う予定となっています。そして、2011年4月には、アメリカ合衆国の中部全域の合同震災訓練として、「グレート・セントラル US シェイクアウト」を開始することになっています。

昨年、カリフォルニアでは人口の25パーセントが震災行事に参加しましたが、今回は、1000万人以上の参加者を想定しています。

防災訓練ウェブサイトによりますと、すでに 540万人のカリフォルニアの人たちが登録を完了しています。

「近年、世界中で大地震が多く発生しているということもあり、住民たちの関心はとても高いと感じられます。今回はネバダの住民たちに地震の際の有益な情報を提供することができると思います」と、ケント教授は言いました。

ネバダ州は「地震国」です。アメリカ合衆国でもっとも地震の多い地域のひとつなのです。カリフォルニアとアラスカに加えて、ネバダ州は、この150年間の中でもっとも大規模な地震が発生することを想定した州のトップ3となっています。

詳細な情報と、グレート・ネバダ・シェイクアウトのご登録は、www.shakeout.org/nevada を訪問してください。
タグ:アメリカ グレート・ネバダ・シェイクアウト

http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/380.html

コメント [カルト7] 既に異常な勢力が社会のイニシアティブを握っているという事実 たそがれ竹べえ
01. 2011年1月08日 10:31:37: B3CDvuOEiE
奴隷同士が争っている限り自分たちは安泰。そう思っている人たちがたくさんいます。問題は彼らが金を配っていることです。2ちゃんねるで監視するだけで日当2万円もらえる。とてもおいしいと書いてあった。宗教にそらそうというのは誘導でこれは税金で主にやっていることです。在日、部落、探偵、など雇う金は税金だし
警察も税金で働いています。だから税金不払いなどもいいことだと思います。自作自演の戦争、冤罪の捏造、冤罪裁判、捏造のために動因される人たち。税金で彼らが生きているというならなんで払う必要がある。中央銀行も彼ら自身のために公務員を雇い、そして働き手を奴隷としているわけです。政治家も税金で雇われているため中央銀行改革はできない。逆らうと政治家だろうとマスコミだろうと一般人だろうと集団ストーカー、冤罪、電磁波、盗聴盗撮、そして暗殺が待っています。税金を払っているのは一般人です。そしてその一般人が自分の税金で贅沢し、監視している人たちの奴隷状態なわけです。
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/774.html#c1
記事 [自然災害16] 連動巨大地震 防災対策を検討
http://www.nhk.or.jp/news/html/20110103/k10013172531000.html
連動巨大地震 防災対策を検討
1月3日 5時57分

東海と東南海、それに南海の3つの巨大地震が同時に発生したり、連続して起きたりする国内最大級の災害に備えるため、国は、被害想定を改めて作成するなど、ことしから防災対策の本格的な検討を進めることにしています。
東海地震と東南海・南海地震は、東海から四国にかけての太平洋沿岸でおよそ100年から150年ごとに繰り返し起きる、いずれもマグニチュード8クラスの巨大地震で、過去には3つが同時に発生したり、数日から数年の間隔で連続的に起きたりして、激しい揺れや大津波による甚大な被害が出ています。国は、3つの地震で最大2万5000人が死亡するという被害想定を7年余り前にまとめ、去年9月には初めての総合防災訓練を行いましたが、現在の国の防災対策は、東海地震と東南海・南海地震とに分かれたままで、一体的な対策は検討されていません。このため、内閣府は、ことし、専門家や自治体の担当者などによる会合を新たに設け、3つの巨大地震の対策を具体的に検討していくことになりました。この会合では、まず、最新の研究成果に基づいて、揺れの強さや津波の高さ、地域ごとの死傷者の数、それに経済損失などの被害想定をおよそ1年かけて改めて作成します。そのうえで、地震が同時に発生するケースや、一定の時間差をおいて起きるケースなどを想定し、国や自治体が行う広域的な救援活動や物資の備蓄などについて計画を取りまとめることにしています。
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/381.html

記事 [自然災害16] 平成22年度 総合防災訓練大綱案(概要):全壊棟数55万で死者数2万5千の不思議???
http://www.bousai.go.jp/chubou/26/shiryo1-1.pdf

平成22年度 総合防災訓練大綱案(概要)
ア 「防災の日」政府本部運営訓練
し、内閣総理大臣を始めとする全閣僚が参加して、 東海地震と東南海・南海地震が連動して発生した場合を想定
緊急災害対策本部(官邸)の運営訓練を実施
(政府調査団派遣、実動省庁の訓練への参画等) イ 現地訓練
・東海地震を想定した静岡県総合防災訓練との連携
・首都直下地震を想定した九都県市合同防災訓練との連携(千葉県)
・直下型地震を想定した近畿府県合同防災訓練との連携(三重県)
(1)地震を想定した総合防災訓練
中部電力(株)浜岡原子力発電所における事故を想定した訓練を実施
(2)原子力災害を想定した原子力防災訓練
(3)政府の災害応急対策を担当する職員を対象とした訓練
ア 政府現地対策本部訓練
有明の丘基幹的広域防災拠点等において、政府現地対策本部の業務について訓練を実施
イ 政府初動対応訓練
官邸危機管理センターにおいて、政府の初動対応業務について訓練を実施
ウ 津波防災総合訓練
・日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震による津波を想定した訓練を実施
→ 初めて東海地震と東南海・南海地震が連動して発生した場合を対象
資料1−1東海・東南海・南海地震 被害想定
約12,200人
揺れによる
建物の全壊
約2万5千人 合 計
約 2,600人 崖崩れ
約 900人 火 災
約 9,100人 津 波
死者数
専門調査会「東南海、南海地震の被害想定につ ※出典:中央防災会議東南海、南海地震等に関する
海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊 いて」(平成15年9月17日)における「想定東
される場合」(被害想定の最大値)
参考資料
約 90,000棟 液状化
約309,000棟
揺れによる
建物の全壊
約55万棟 合 計
約 27,000棟 崖崩れ
約 81,000棟 火 災
約 42,000棟 津 波
全壊棟数被害想定の県別内訳
(1)死者数
@東海地震 A東南海・南海地震 B東海・東南海・南海地震
全国 9,200 全国 18,000 全国 25,000
埼玉県 埼玉県 埼玉県
千葉県 千葉県 千葉県
東京都 東京都 東京都
神奈川県 20 神奈川県 神奈川県 10
新潟県 新潟県 新潟県
富山県 富山県 富山県
石川県 石川県 石川県
福井県 福井県 福井県
山梨県 200 山梨県 山梨県 200
長野県 100 長野県 長野県 100
岐阜県 岐阜県 20 岐阜県 30
静岡県 7,900 静岡県 1,500 静岡県 8,100
愛知県 500 愛知県 1,800 愛知県 1,900
三重県 500 三重県 2,600 三重県 2,600
滋賀県 滋賀県 10 滋賀県 10
京都府 京都府 10 京都府 10
大阪府 大阪府 50 大阪府 50
兵庫県 兵庫県 100 兵庫県 100
奈良県 奈良県 10 奈良県 10
和歌山県 10 和歌山県 4,600 和歌山県 4,600
鳥取県 鳥取県 鳥取県
島根県 島根県 島根県
岡山県 岡山県 50 岡山県 50
広島県 広島県 30 広島県 30
山口県 山口県 10 山口県 10
徳島県 徳島県 1,300 徳島県 1,300
香川県 香川県 香川県
愛媛県 愛媛県 200 愛媛県 200
高知県 高知県 4,900 高知県 4,900
福岡県 福岡県 福岡県
佐賀県 佐賀県 佐賀県
長崎県 長崎県 長崎県
熊本県 熊本県 熊本県
大分県 大分県 30 大分県 30
宮崎県 宮崎県 500 宮崎県 500
鹿児島県 鹿児島県 鹿児島県
※いずれも被害想定の最大値(朝5時、火災:風速15m/秒、津波:避難意識低い・水門等異常なし)
B中央防災会議東南海・南海地震等に関する専門調査会「東南海、南海地震の被害想定について」
(平成15年9月17日)における想定東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される
場合を算出した際のデータ
@中央防災会議東海地震対策専門調査会「東海地震に係る被害想定結果について」(平成15年3月
18日)
A中央防災会議東南海、南海地震等に関する専門調査会「東南海、南海地震の被害想定について」
(平成15年9月17日)
参考資料被害想定の県別内訳
(2)全壊棟数
@東海地震 A東南海・南海地震 B東海・東南海・南海地震
全国 260,000 全国 360,000 全国 550,000
埼玉県 埼玉県 埼玉県
千葉県 300 千葉県 千葉県 60
東京都 20 東京都 30 東京都 40
神奈川県 1,100 神奈川県 神奈川県 600
新潟県 新潟県 新潟県
富山県 富山県 富山県
石川県 石川県 石川県
福井県 福井県 30 福井県 30
山梨県 4,700 山梨県 山梨県 5,100
長野県 4,200 長野県 100 長野県 3,700
岐阜県 200 岐阜県 3,800 岐阜県 3,900
静岡県 220,000 静岡県 51,000 静岡県 230,000
愛知県 28,000 愛知県 89,000 愛知県 91,000
三重県 4,500 三重県 50,000 三重県 51,000
滋賀県 滋賀県 1,200 滋賀県 1,200
京都府 京都府 1,200 京都府 1,200
大阪府 大阪府 13,000 大阪府 13,000
兵庫県 兵庫県 6,100 兵庫県 6,100
奈良県 奈良県 1,400 奈良県 1,400
和歌山県 300 和歌山県 47,000 和歌山県 48,000
鳥取県 鳥取県 鳥取県
島根県 島根県 島根県
岡山県 岡山県 6,000 岡山県 5,900
広島県 広島県 4,000 広島県 4,000
山口県 山口県 500 山口県 500
徳島県 徳島県 15,000 徳島県 15,000
香川県 香川県 1,700 香川県 1,700
愛媛県 愛媛県 4,500 愛媛県 4,600
高知県 高知県 55,000 高知県 55,000
福岡県 福岡県 20 福岡県 20
佐賀県 佐賀県 佐賀県
長崎県 長崎県 長崎県
熊本県 熊本県 30 熊本県 30
大分県 大分県 1,200 大分県 1,200
宮崎県 宮崎県 3,000 宮崎県 3,000
鹿児島県 鹿児島県 鹿児島県
※いずれも被害想定の最大値(朝5時、火災:風速15m/秒、津波:水門等異常なし)
@中央防災会議東海地震対策専門調査会「東海地震に係る被害想定結果について」(平成15年3月1
8日)
A中央防災会議東南海、南海地震等に関する専門調査会「東南海、南海地震の被害想定について」
(平成15年9月17日)
B中央防災会議東南海・南海地震等に関する専門調査会「東南海、南海地震の被害想定について」
(平成15年9月17日)における想定東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される
場合を算出した際のデータ
参考資料
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/382.html

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] イルミナリティも恐れる2012年問題。:日本人は知ってはいけない。 kokopon
04. 2011年1月08日 10:47:19: FFuNfLHeO2
マシュー君のメッセージには2012年12月に黄金時代にはいると書いてあります。
楽しいばっかりだ。

イルミナティだけが困るのでしょ。


http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/226.html#c4

コメント [お知らせ・管理18] 阿修羅♪運営費・システム開発&メンテナンス費カンパのお願い。 管理人さん
122. 管理人さん 2011年1月08日 10:53:27: Master
ゆうちょ銀行にて
1月5日 SY様より 2000円
1月6日 NJ様より 3000円

みずほ銀行にて
1月6日 TT様より 5000円

カンパをお預かりしました。
阿修羅掲示板の運営資金として大切に使わせていただきます。

友達や会社の同僚などと、あるときに意見が食い違うことがありますよね。
こう言ったじゃないか。それはこうだとおもっていたが、そんな風に考えていたのか。と。

そういうものです。

解釈の違いは、人の数ほどごく普通に存在すると思います。
悪意があって解釈をねじ曲げる、というケースもあるとおもいますが、
全く悪意がなくても、解釈は人の数だけあるんだとおもいます。

普通に考えてこうだろう、という「普通」がときどき違うので、
「違う」と思ったときに、「自分は絶対正しくて、相手は絶対間違っている」
という前提で、処理を始めると、結構めんどくさい人になってしまったりします。

まずは、相手の解釈・話を聞くこと、そしてこちらの状況を伝えること、
そこから始めたらいいんじゃないかと、

最近あったそういうことで、思いました。

あなたにもそういうことあったりしませんか?
http://www.asyura2.com/09/kanri18/msg/759.html#c122

コメント [戦争b7] ウイキリークスが、9 ・11事件当日のポケベルメッセージ公開、和順庭(米軍はアルカイダの動きを全て把握していた筈です) 小沢内閣待望論
01. 2011年1月08日 11:09:18: KNAXM1Dwp6
アサンジさんよくやってくれましたね
これでこの世の中のあらゆる陰謀と勝手に言われている事が真実として出てくれる事を期待しています
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/169.html#c1
記事 [ペンネーム登録待ち板6] 釈迦の悟りとは何であったのか? _ 1

インドへのアーリア人侵入


「アーリア人侵入説」は、言語学の分野から持ち上がってきたものだ。

「インド・ヨーロッパ語族」という分類から、北インドのヒンズー支配層は、BC3000〜8000年に、欧州・中東・小アジア・コーカサスから移動してきた西ヨーロッパ人ではないか、と推理されるようになった。

つまり「白人、金髪、青い目」の侵略者たちが、先住民のドラヴィダ語族の民族を南に押しやり、北インドではカーストの支配者となったのではないか、という話なのだ。

_________

アメリカのユタ大学とインド南部のアンドラプラデシュ大学による共同研究

インドのカースト別のDNA分析から、侵攻したのは「コーカソイドの男子」であり、先住民の下層階級の女子と混血してきたことが証明された。


インドのカースト制度は、「4階層+不可触民」で、実質5階層になっている。

1930年にイギリスがとった人口統計によれば、


1)バラモン(僧侶)・・・・5%
2)クシャトリア(武士)・・・・7%
3)ヴァイシャ(商人)・・・・3%
4)シュードラ(農民工民)・・・・60%
5)アンタッチャブル(穢多非人)・・・・15%

という比率で、これにイスラム教、シーク教、キリスト教、ゾロアスター教などの「異教徒10%」をたすと、100%になる。

1930年以来、1度も統計調査がないというも驚きだが、不可触民(穢多非人)の「15%」という比率は、実際はもっと高いと言われている。

DNA分析の共同研究では、

上層カースト(バラモン+クシャトリア+ヴァイシャ)、
中層カースト(シュードラ)、
下層カースト(アンタッチャブル)

に分類し、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人のDNAと比較している。

表内の数字は、小さいほど関係性の距離が短い(先祖の共通性が高い)ことを示す。
http://jorde-lab.genetics.utah.edu/elibrary/Bamshad_2001a.pdf


■Y染色体のSTR分析

  アフリカ人  アジア人   ヨーロッパ人
上層カースト 0.0166 0.0104 0.0092
中層カースト 0.0156 0.0110 0.0108
低層カースト 0.0131 0.0088 0.0108


日本の皇位継承問題でもおなじみの「Y染色体」だが、これは男系の遺伝を示す。
インド人の「男系遺伝子」は、ヨーロッパ人とアジア人と同じぐらいの距離にある。

カースト別でいうと、上層カーストとヨーロッパ人の関係がもっとも近い。

低層カーストはアジア人にもっとも近い。

■ミトコンドリア染色体のHVR1分析

  アフリカ人  アジア人   ヨーロッパ人
上層カースト 0.0179 0.0037 0.0100
中層カースト 0.0182 0.0025 0.0086
低層カースト 0.0163 0.0023 0.0113


ミトコンドリアのDNAは、母親のものだけが子供に伝わり、父親のものは次世代にはまったく関与しない「母系遺伝」になっているので、母系分析に使われる。

この分析によると、インド人の「先祖の女性」は、歴然とした数値をもって、アジア人に近い。
低層カーストがもっとも近く、上層になるにつれて距離が離れていく。


以上の研究から、インド人の母系と父系に明らかな「系統」が生じており、

1)「アーリア人の男性」が「ワンランク下の先住女性」と混血を繰り返した、
2)「低いカーストの男性」が「高いカーストの女性」と結婚するケースはほとんどなかった、

という結論になる。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1354332


_____________
_____________


1. 深い闇に覆われた釈迦の真の教え

「武士」「庶民」「奴隷」の上に絶対的権力をふるうカーストの最上位階級、バラモン(婆羅門)というのは、中央アジアにおいて極めて少数であったこの「白色人種(アーリヤン)」は、圧倒的多数の「黄色人種」や「黒色人種」の先住民と混血して、完全に同化されてしまうのを極度に恐れ、「バラモンの村」という特別区域に居住していました。

そして、彼らの持って来た民族宗教「バラモン教」の神々を武士階級と庶民階級には強制的に信仰させ、また、奴隷階級がバラモン教にふれることは禁止して、その権威を保とうとしたのでありました。

 この白人支配下のインドに生れた釈迦は、この皮膚の色にもとづく苛酷な人種差別と職業差別とに反対し、「人間みな平等」(「四姓平等」)の立場に立って、かの宗教を創始したのでありました。

 最新の研究によれば、ブッダが積極的に人種差別廃止を目指した事実はないとされている。しかし、ブッダは不可触民に対して最上格の敬語をもって接した。この事実そのものが既に革命的なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090111/p2


六道輪廻について
 
 世に広まっている誤解に、釈尊は「六道輪廻」から解脱することを説いた、つまり生まれ変わりからの解放を説いたというものがあります。

しかし実は「輪廻」も「解脱」も元来、古代インドの支配階級だったバラモンの考えで、それらを含む思想が釈尊と同じころに『ウパニシャッド』という文献にまとめられてきますが、それは釈尊のとられる考え方ではありません。 それどころか、それらを批判していったのが釈尊でした。


 そもそも釈尊の当時は、正統的なバラモン思想に対抗する一連の革新的思想家が出てきた時代です。

かれらは沙門(しゃもん=努力する人)と呼ばれ、釈尊もその中の一人でした。

釈尊の師であったといわれるアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタもそうですし、ジャイナ教の始祖ヴァルダマーナなど、「六十二見九十五種」という言葉もあるように、何十何百もの方々がさまざまな教えを説いていたといわれています。

 その中にも生まれ変わりを否定する人はたくさんいたのですが、釈尊がそれを否定した仕方はきわめて簡単です。 生まれ変わりという考えは、われわれが常住不変・永遠不滅の「我」(霊魂のようなもの)を持つということを前提としますが、釈尊はそのような「我」はないと言われたのです。

 趙樸初『仏教入門』(法蔵館)の記述にしたがえば、釈尊はわれわれも含め生き物はすべて、さまざまな物質的要素(地・水・火・風・空)と心理的要素(感覚器官・感覚・印象・思惟・判断力など)の集合体であり、しかもそれらすべての要素が一瞬ごとに生滅・変動していると考えました。

そうであれば、そこには輪廻の主体となる不変の「我」はどこにも見いだすことができないということです。これが「無我」といわれる考え方です。

 ただし、釈尊が冷静に学問的に研究した結果、そういう結論に達したのかどうかは微妙です。むしろ、輪廻という考えを否定するという動機にしたがってそう考えたと見ることもできます。

 というのも、ここは非常に大事な点ですが、釈尊を含む革新的思想家たちがバラモンの教えを批判するのは、それがバラモン支配の社会を支えるための教え(今ふうに言えばイデオロギー)だったからです。

たとえば、輪廻という考えは厳然としてカースト制を支える教えとしてあります。

つまり、現在バラモンであるものは前世によい行いをしたからであり、反対にシュードラにあるものは、前世でわるい行いをしたからであり、来世でよい境遇に生まれたければ善いことをせよというわけですが、その善悪の基準とは、つねにカースト制を含む社会が存続するのに都合のいいものです。

善を行ない悪を行うまいとして道徳を守れば守るほど、一方では安逸を貪り、他方ではいかに努力しようとも悲惨な状況から抜け出すことの出来ない階層が存在するという状況が続くわけです。

 これだけでも皮肉ですが、しかも、悲惨な状況にある者は、その状況を自分の前世の行いからくる運命のように受け入れて生きていくしかないと思いこんでしまうという点で、二重に悲惨なのです。

要するに、輪廻は身分差別には当然の理由があるんだという「こじつけ」として機能していたと考えることができます。

 ですから、釈尊が輪廻を否定し「四姓平等」(四姓とは、バラモン:司祭者・クシャトリヤ:王族・ヴァイシヤ:庶民・シュードラ:隷民)を表明したということは、「カースト制度を正当化しようとするいかなる考えかたも許さない」ということを意味したわけですから、カースト制と闘う態度を明確にしたということができます。

 しかし、残念ながら世間には、釈尊が輪廻を説いたというたぐいの仏教入門書が少なくありません。

しかし逆に言えば、その本が輪廻を釈尊が説いたもののように言っているかどうかは、その本が信用できるかどうかの一つの指標になるのではないでしょうか。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html


「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、

『我と世界は一つである』

とか、

『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』

というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」


「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」
(マッジマニカーヤ 中部経典22)


「真実として捉えられるものではない」というのは、それが実証できない主張、つまり単なる空想的独断に過ぎないこと、を意味しています。 このように、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、ブッダは、同じ次元で「アートマンは無い」と単純に言い返したのでは有りません。現代仏教学者が、ときどき、初期の仏教は決して「アートマンは存在しない」と主張したのではないというのは、この意味からです。


初期の仏教では決して「アートマン(我)が存在しない」とは説いていない。・・・アートマンが存在するかしないかという形而上学な問題に関しては釈尊は返答を与えなかったといわれている。
(中村元、『仏教語辞典』「無我」、1316頁)

ブッダの批判は、「アートマンは有る」とか「アートマンは無い」という主張が依って立つ土台そのものに対する、もっと根本的な批判だったのです。つまり、ブッダは、「アートマンは有る(無い)」という主張は間違っていると批判したのではなく、そのような問答は無意味であると批判したのです。ここに仏教のアートマン批判のもっとも顕著な特徴があります。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html

かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。
その時、長老ラーダ(羅陀)は、世尊のましますところに至り、世尊を拝して、その傍らに座した。
傍らに座した長老ラーダは、世尊に申し上げた。
「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょうか」
「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。
ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪りを離れる。貪りを離れることによって、解脱するのである。そして、すでに解脱するにいたれば、ああわたしは解脱したとの智が生じて、<わが迷いの生活はすでにおわった。清浄なる行はすでに成った。作すべきことはすでに弁じた。もはやかような迷いの生活に入ることはあるまい>と知ることができるのである」
南伝 相応部経典23-17
http://www.kojintekina.com/agama/agama7052006.html


無常の思想
ブッダの主張のなかでも、とくに重要なのは、「諸行無常」、すなわち、すべてわたしたちが経験や知覚するものは無常であるという主張です。経験世界のすべては、生まれ、変化し、滅するのであって、常住不変なるものはない、という主張です。これが無我の主張の根拠となりました。
かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。

「大徳よ、この世のものにて、定恒永住にして、変易せざるものがあろうか。」

「比丘よ、この世には、定恒永住にして、変易せざるものは、少しもない。」

そして、世尊は、すこしばかりの土を爪の上にのせて、かの比丘に示して言った。

「比丘よ、たったこれだけのものといえども、定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである。」
(相応部経典22:97、増谷文雄訳「爪にのせたる土」『仏教の根本聖典』、大蔵出版、84頁)


かようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。
「大徳よ、世間、世間と称せられるが、一体どのような意味において世間と称せられるのであろうか。」

「比丘よ、破壊するがゆえに世間と称せられるのである。
比丘よ、眼は破壊する。鼻は破壊する。舌は破壊する。身は破壊する。意は破壊する。
また、それらの触(感官)を縁として生ずるところの感受は、楽なるものも、苦なるものも、あるいは非楽非苦なるものも、すべて破壊するのである。
比丘よ、このように、すべてが破壊し遷流するがゆえに、世間と称せられるのである。」
(相応部経典35:82、増谷文雄訳「世間は壊れる」『仏教の根本聖典』、大蔵出版、88〜89頁)

ブッダはこのように、「定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しない」、と主張しました。しかし、それは、古代ギリシャ哲学のように、単に「万物は流転する」というような主張ではなく、この諸行無常という経験世界の観察を、人間が経験する悲しみや苦しみと関連づけました。そこにブッダの思想の特徴があります。
つまり、ブッダは、この世のすべてのものは無常にして結局破壊にいたってしまうものに過ぎないのに、そのことを理解せずそれに執着してしまうことから人の悲しみや苦しみが生じると考えました。そのために、「定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである」という理解を徹底すること(覚り)によって執着心をなくし、執着心が無くなればひとは苦しみから解放される(解脱)と考えたのです。

無常だから無我である
ブッダの思想は、死後も生残る魂、永遠不変の魂、すなわちアートマン(永遠の個我)の存在が当然のことと考えられていたウパニシャッドの宗教世界の真っただ中に生まれました。しかも、アートマンを認識することは彼らの宗教的救いの根拠となるものでした。そのために、アートマンを救いの根拠とするウパニシャッド哲学の伝統と、すべてが無常であり、そのことを理解して執着から解放されて自由になれ、という仏教の思想とが、真っ正面から対立することになります。こうして、仏典は、「無常だから無我である」、というブッダの主張を繰り返し繰り返しすることになったのだと思われます。

原始仏典の中では、無常ということがすべての教えの前提になっている。

「すべては無常であり、すべては苦であり、すべては無我である」

という文句は、原始仏典のいたるところでお目にかかる。・・・すべてが無常なのだから、すべては苦しみであり、そのように無常と苦にさいなまれている自分と世界の中に、絶対者としての自己、恒常・不変・自在な自我などあるわけはない、というようにである。
(梶山雄一、『空の思想 仏教における言葉と沈黙』、8頁)

たとえば、次のような経が典型的です。

「アッギヴェッサーナよ、これをどのように思うか。人間の肉体(色)は恒常であろうか無常であろうか。」

「無常です、大徳よ。」

「それでは、無常なものは、苦であろうか楽であろうか。」

「苦です、大徳よ。」

「それでは、無常であり、苦であり、変異するものを、これは我がものである、これは我である、これは我がアートマンである、ということは正しいであろうか。」

「いいえ、大徳よ。」
「アッギヴェッサーナよ、それではこれをどのように思うか。感覚(受)や思考(想)や意志(行)や意識(識)[などの人間の心の部分]は、恒常であろうか無常であろうか。」
「無常です、大徳よ。」
「それでは、無常なものは、苦であろうか楽であろうか。」
「苦です、大徳よ。」
「それでは、無常であり、苦であり、変異するものを、これは我がものである、これは我である、これは我がアートマンである、ということは正しいであろうか。」
「いいえ、大徳よ。」
(マッジマニカーヤ、35:20)

ここで、「肉体(色)、感覚(受)、思考(想)、意志(行)、意識(識)」などといわれているものは「五蘊(スカンダ)」といって、初期の時代から仏教では人間存在を構成している要素と考えられていたものです。すなわち、すべての存在はさまざまな原因や条件や要素に依存して成立しているという縁起の考え方から生まれた仏教の人間観です。

ブッダは人間存在を成立させている要素の一つ一つを取り上げて、そのどれも、無常であり、苦であり、変異するものであるから、そのどれも、永遠不変の存在と信じられているアートマンではありえない、と主張したのです。
これはとくに注目すべき主張です。なぜなら、ブッダは、「アートマンは存在しない」という全称命題的言明を意図的に避け、人間存在を成立させている要素の一つ一つ取り上げて、これも無常であるから(常住であるはずの)アートマンではない、あれも無常であるから(常住であるはずの)アートマンではない、というふうな仕方で、知覚し経験できる範囲内の事柄に関してのみ言及するという方法をとっているからです。
しばしば、アナートマンは「無我」ではなく「非我」と翻訳すべきであるという主張が仏教学者によってなされるときがありますが、まさにそのとおりで、人間存在を成立させている一つ一つが、これも非我であり、あれも非我である、という主張がなされているわけです。
つまり、ここでも、形而上学的問題については断定的判断を下さないというブッダの態度が貫かれていることが分かります。また、これとはすこし別の形の人間分析からもおなじような主張がなされていることがありますが、いずれにしても、人間存在というものを、知覚し経験できる範囲内だけで分析しているところがブッダらしいところです。

比丘たちよ、眼は無常である。
すべて無常なるものは苦である。
すべて苦なるものは無我である。

すべて無我なるものは

『これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあらず。』

と、このように正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。

比丘たちよ、耳について言うも同じである。鼻について言うも同じである。舌について言うも同じである。身について言うも同じであり、また、意について言うも同じである。
(サンユッタニカーヤ 35:1、増谷文雄訳)

そこにないものを見ようとしたりしないで、人間存在を「あるがままに見」れば、人間存在を成立させているどの要素もすべて無常であり、アートマンの恒常不変の性質をもつものではない、というわけです。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_3.html


仏教はジャイナ教と同じく諸要素の集合論をとる。しかし、ジャイナ教が業物質の担い手としての霊魂(ジ−ヴァ、生命体)を想定したのに対し、仏教は肉体を物質(色)の要素一本にまとめる代わりに、こころを感覚(受)・想念(想)・意志(行)・認識(識)の四種の作用に分解し、そのいずれもがアートマン(霊魂)ではない、という論理で、間接的に霊魂の実体性を否定し、同時に業とはそれらの心身の営むはたらきとみることで徹底した。(高崎直道、『インド思想論』、法蔵館、12頁)
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism33.html

業をどう見るか
 仏教は一方で、慈悲を強調しながら、他方、人間の深い煩悩の世界を凝視しています。
 そのような点で、「業」の思想は、今後仏教の現代的意味を考えるとき、たいへん重要な思想であると思うのです。 業の思想が、例の十二因縁の思想と深いつながりを持っていることは確かであります。 十二因縁とはなんでしょうか。
 木村泰賢氏によれば、十二因縁の解釈には、三つの解釈の仕方があるというのであります。
第一は論理的な解釈、つまり十二因縁、無明から老死までの十二因縁を、論理的範疇として考える考え方であります。
第二は、それを心理的あるいは倫理的、現代の哲学用語を使えば、実存的に解釈する道であります。つまり、老や死を、苦と思うことの原因を、渇愛と無明に求める、これが十二因縁の意味であるという解釈であります。
それから第三に、十二因縁を実在的に、宇宙的生の発展のあり方を述べたものであるという説があります。つまり、無明から存在するものは発生し、行識を通り、最後に人間が出て老死が生じたという解釈であります。
 このうち、のちの仏教において、とくに部派仏教において有力になったのは、第三の実在的な因果の考え方であったようです。因果はまさに生命の理法を示したものというわけです。 しかもその因果が、道徳の問題と結合するとき、善因善果、悪因悪果、三世の因果という考え方が生まれます。
われわれが長い間、因果の概念で知っていたのは、このような因果概念でありました。私は子どものころ、縁日に見世物を見に行きましたが、そこにはロクロ首の女や熊女などがいました。このロクロ女や熊女は親の因果が子に報いて、このような片輪者になったといわれました。明治以前までわれわれ日本人はよいことがあると、先祖のおかげでといって喜び、悪いことがあると、親の因果と思ってあきらめたものでした。
 因果の概念には宿命論的ひびきがあります。そこには、おのれの運命への諦めがあります。そして同時に、このような現世の運不運を、人間の理解できない前世の因縁と結びつけることによって、仏教は、はなはだしく、理性の正しい行使を傷つけます。因果の概念は、まさに、日本人を諦観にしばりつけるとともに、日本人の理性をマヒさせた最大の元凶のようでした。
 長い間、仏教は因果の概念をつかって、民衆に道徳を教えましたが、その概念の拡張解釈は、人問に諦観を与えるとともに、人間理性の正しい行使を妨げることに役立ったようです。近代の精神は、このような因果因縁の概念を否定することから生じるのであります。近代的理性にとって、このような因果因縁の概念こそ、まさに仏教のインチキ性を証明するものと映ったにちがいありません。
 このような因果因縁の概念は、まさに仏教の恥部であったわけです。明治以後、日本の仏教学者が、仏教の束縛を離れて、ヨーロッパから、直接に釈迦仏教を研究する方法を学びとったとき、彼らは、彼らが従来釈迦の教説と思っている仏教が、実は釈迦の仏教でもなんでもなく、はるか後代において、釈迦の名にかこつけて作られた経典編集者の思想にすぎないことを知ってビックリしたものでありました。そればかりか、釈迦以来、二千何百年という年月は、同じことばの意味をも、まったく変えてしまったようでありました。

釈迦の十二因縁の思想は、どうやら、因縁・因果の名でもって、われわれの現実に知られていた思想とまったく別な思想のようでありました。因縁の思想を釈迦それ自身において考える必要があります。明治以来の根本仏教と解する原始仏教の研究は、結局この因縁の概念、因果の概念を明らかにすることにあったといってよいかもしれません。因縁をあの伝統的な汚名から解放すること、それはあたかも、文明開化の時代の文化人に不評となった仏教を、その迷信の汚名から解放するかのような意味をもっていました。

 因縁の論理的解釈
 このうち、論理的解釈はもっとも近代的解釈のようであります。このような解釈の代表が、宇井伯寿氏の『十二因縁の解釈−縁起説の意義−』と和辻哲郎氏の『原始仏教の実践哲学』であるといわれます。じつは、この解釈には、すでに先例があり、新カント派の哲学者マックス.ワレーザーが、『原始仏教の哲学的基礎』という本を書き論理的解釈の先鞭をつけたといいます。ワレーザーの本を私は読んでいませんので、はっきりしたことは申しかねますが、日本においてこのような理解がはなばなしく、出てきたときは、まさに新カント学派の全盛時代であったことに注意する必要があります。新カント学派は、ヴィンデルバントやリッケルトに代表されるカント復興運動でありますが、それは、当時ドイツに広がったカント以後の非合理主義的な思想に反対して、カントの合理主義に帰れという運動でありました。いわば、それは小市民の合理主義を代表するものでありましょうが、なんでもドイツ哲学を最高の真理として学ぶ日本の哲学者のサル真似主義が大正デモクラシー運動と結びつき、日本の哲学者はほとんど新カント派の哲学者になりました。このとき秀才の文献学的仏教学者宇井伯寿氏と、秀才哲学者和辻氏のみごとな理性主義的仏教解釈が生まれたのです。
 新カント派は非合理主義、人間の本質を非合理な意志や感情におく非合理主義に深いにくしみをもっていました。そして彼らが、もっともきらったのはショウペンハウエルでした。なぜなら、ショウペンハウエルは、彼らの尊敬する師カントを非合理主義のほうにねじまげたからです。
 ところがまさに仏教は、とくに原始仏教は、従来ショウペンハウエルの見地で見られていたわけです。ショウペンハウエルは、世界を動かしているものを、近代哲学の伝統に反して、理性として考えず、盲目の意志として考えます。われわれの生命を支配する盲目の意志、この盲目の意志は、必然的に人間を苦悩におとしいれます。意志の世界は必然的に苦の世界であります。この苦の世界から、人間を救い出す必要かあります。そのためには、この意志を否定すること、我の意志を否定することが必要であるとショウぺンハウエルは考えます。ショウぺンハウエルは、釈迦の思想中に、このような意志否定の哲学を見て驚くわけです。ショウぺンハウエルは、釈迦の涅槃をこのような意志否定の境地として解釈します。
 ショウぺンハウエルの弟子、ドイッセンは、この師の思想に啓発されて、仏教の研究を志します。
つまりヨーロッパは、ショウぺンハウエル思想によって、仏教を発見するわけです。そして、西洋の仏教学をそのまま学んだ明治以前の日本の仏教学も、またショウぺンハウエルから仏教を見ていたわけです。仏教学者姉崎正治氏は、ショウぺンハウエルの『意志と現識としての世界』の訳者でありますし、木村泰賢氏もショウぺンハウエルに大きな影響を受けています。
 ヨーロッパの哲学、ドイツの哲学がショウぺンハウエルから抜け出そうとしていたのです。ドイツの哲学、とくに現在流行しているドイツの流行哲学を最高の哲学と無邪気に思っている日本の哲学者が、このような風潮により、仏教解釈においても、ショウぺンハウエルを抜け出て、カントに帰ろうとしたのは当然であります。そこから和辻氏の解釈が出てまいります。和辻氏の解釈は、死の解釈において、その本質をむき出しています。死は彼によれはVergehenすることです。つまり過ぎてゆくことであります。死ははたして単なる過ぎてゆくことでありましょうか。ここで、釈迦の人間の苦悩を語ったかの偉大なる教説が、論理的範疇(はんちゅう)論に化するのです。ハイデッガーはExistenzialistat実存範疇ということばを作っています。それは実存的人間存在を表わす範疇であり、それはKategorie論理的範疇とまったく違うというのです。退屈や不安はエキジステンチアリテートに属しますが、カテゴリーには属しません。和辻氏はまさに、ここで一つの誤謬を犯したのです。それは実存範噂に属することを、論理的範疇の意味に解釈したという誤謬です。宗教的不安なしに仏教を見たすぐれた文献学者宇井氏が、そのような誤謬を犯したのは当然かもしれません。和辻氏は、この宇井氏の解釈を哲学的に根拠づけたわけです。まことに才気あるさっそうたる誤謬であります。
 従来から私は和辻氏に対して、きびしすぎる批判をくだしてきましたが、別に和辻氏に恨みがあるわけではありません。私は和辻氏を、むしろ私どもの仕事の先輩として、尊敬すらしています。
しかし私は、和辻氏の青年時代はまだヨーロッパの最先端の哲学に真理そのものが住んでいるという幻想を脱却することができなかったのではないかと思うのです。
 十二因縁を論理的に解釈すること、それはまさに仏教の合理化であり、近代化であるようでありました、この因縁という仏教の汚点のように見える思想を、長い間の不名誉から救うすばらしい行為のようでありました。しかし、因果・因縁を論理的カテゴリーとして解釈して、いったいどういう利益があるというのでしょう。われわれはそこに、ただ、不明確に語られたカント哲学を見るだけであります。釈迦の思想を不明瞭に語られたカント哲学としてみることは、はたして釈迦にとって名誉でありましょうか。当時のインテリの目からみれば、それは名誉なことであったのでしょう
が、いかんながら、釈迦の十二因縁を、論理的カテゴリーとして解釈することは、まったくの誤解のようであります。
 因縁の実存的解釈
 このような解釈より、さきに述べた木村氏の第二の解釈のほうが、ほるかに正しい解釈であると思います。つまり釈迦は、やはり生病老死の原因を求めるのです。どうして人間の世界に苦があるか、世界の苦の原因は何か。そしてその原因をわれわれの心の中にある渇愛と無明に求めます。渇愛は欲望を欲望の側から、無明はむしろ知の側からそれがわれわれの知をくらませるものとしてとらえるわけです。つまりこの老死の苦の原因が、渇愛または無明、すなわち盲目の意志というわけです。このような解釈はショウペンハウエル的ですが、同時に、明治時代の日本の原始仏教研究家の多くの意見です。私はこの見方は一応正しいのではないかと思います。
 人間には苦がある。苦の原因は何か。渇愛あるいは無明。この渇愛、無明を滅ぼせ。このような苦の原因の追求と、同時に苦の滅びに関する追求、それはけっして論理的追求ではなく実存的追求といわれるべきものと思います。釈迦の思想は実存的なものであります。したがって、このような実存的な釈迦は論理的な解釈よりはるかに正しさをもちます。
 人間における渇愛と無明の深さ、のちの仏教はそれを煩悩といいます。そして仏教はじっとおのれの心の姿を見ているところがあります。暗い闇の心の凝視、それが仏教に、キリスト教以上の深みを与える思想的特質なのです。ヨーロッパの哲学では、人間を理性的自我としてとらえます。しかし、人間は理性的自我に尽きません。人間の中には深い煩悩の相がありノます。無明は無知と違います。無知は知らない心ですが、無明は知っていても止められない心であります。このような心、深い煩悩の心の考察は、ヨーロッパにおいて、ショウペンハウエル以後においてはじめて自覚に上されました。近代的な無意識の発見者フロイドは、ショウペンハウエルとニーチェから思想的示唆を得たというわけです。このように煩悩の世界、無明の世界は西洋において、ショウペンハウエル以来の哲学の一潮流にすぎないのですが、仏教ではこの間題が思想の中心問題となります。闇の煩悩の凝視、そこに仏教思想の深さがあります。
 このように解された十二因縁の説は、はなはだ倫理的にして、しかも実存的な説であります。死の苦の原因は、無明渇愛にある、その渇愛無明を捨てたまえ。
 このような十二因縁の見方は、はなはだ倫理的、実存的であります。たしかにこの理解は仏教理解の解釈として実存的であります。まさにこれこそすぐれた十二因縁の解釈であるといえます。
 しかし、はたして十二因縁はこのような意味に尽きるでしょうか。木村泰賢氏は、十二因縁はこのような意味には尽きない、そこには実在する生命の発展過程を、時間的に説明するという面もあると言うのです。たとえば、無明行識の識といわれるものは、受胎の状態に比せられます。つまり十二因縁はすべての存在するものが発生し、老死を生み出すまでの時間的契機を明らかにしたものだと言うのです。
 このような実在的生命観は、因果理解に、道徳的要求が加わった場合、あの善因善果、悪因悪果の説すなわち、よい行為にはよい結果が伴い、悪い行為には悪い結果が伴うという考え方が生じます。しかしこのような縁起の概念をとる仏教学者は現代では少ないようです。むしろ、それは宗派を代表する古い仏教学者の意見に多いようです。木村泰賢氏は、第二の実存的な思想が因果概念にあることを認めながら、同時に、実在的な因果概念も仏教においては無視できない思想であると言われます。

 人類の業
 私はこの第二のいわば、倫理的、あるいは心理的、あるいは実存的な因果理解は、たしかに近代的な正しい因縁概念の理解と思いますが、それはいささか不十分なのではないかと思うようになりました。なぜなら、そこではあくまで個人の存在が問題の中心でありました。実存は、むしろ個人に尽きています。したがって、十二因縁の否定は、個人の内面のみでよいわけです。けれど、はたして、原始仏教は現代哲学のように個人中心主義的でしょうか。あるいほ、はたして因果関係に、個人を越えて拡大されることはないでしょうか。個人は個人を越えた因果関係によってしばられない、それはむしろ、近代的個人主義の立場の前提です。しかしはたしてそうでしょうか、親の因果ははたして、子に報いないでしょうか。祖先のしわざがわれわれの滅びの原因になることがまったくないのでしょうか。われわれが何万年の間になってきた運命によって、われわれが左右されることははたしてよいのでしょうか。われわれが本能という名で呼んでいる能力、これはやはりわれわれが祖先から伝えた一つの潜在能力ではないでしょうか。われわれの祖先がわれわれに投げかけた運命に、われわれが支配を受けることはないのでしょうか。
 私はやはり、因縁の問題を単なる倫理的、心理的、あるいは実存的問題に限定するのは正しい解釈ではないのではないかと思います。やはり、人間が、自己を越えた因果、いってみれば、普遍なる宇宙の生命発生以来の運命の支配を受けているという考えが、十二因縁の思想の中にあるように思うのです。こういう宇宙発生以来の生命の無意識の支配力を「業」というのでありましょう。仏教ではこのような業を認めますが、仏教では自己を業のままに流させるのではなく、業からの脱出をはかるのであります。業にまとわれるかぎり、人間は永遠に苦の世界に坤吟します。この菅の世界、永遠の輪廻(りんね)の世界をまぬがれるには、因果のくさびを切る必要があります。人類が発生以来、になっている重い煩悩の鎖の環を切り取ること、ここに仏教の教説があるわけです。
 私はつい最近まで、『地獄の思想』(中公新書)を書いたころまで、まだ十二因縁の実存的解釈をまぬがれませんでしたが、今は個人の実存的解脱の知恵のみで仏教を解釈するだけではだめだと思うのです。煩悩を長い人類の業として受けとめることが必要です。
 私がこのようなことを思うのは、今の世界を憂えるからであります。いったい今の世界はいずこへ動いているのでありましょうか。近代の歴史観は世界の歴史を発展として考えます。しかし、われわれは世界の歴史が発展するものであることを楽観的に信ずることができましょうか。たしかに、生産力が上がり人間の欲望は満たされるようになりました。しかし世界は疑いもなく進化発展の方へ進んでいると信じることができるでしょうか。世界は、人類は、はたして滅びることはないでしょうか。人間は発生以来たえず戦争をしてきました。勝った者はさいわいに生き残り、負けた者は滅びる、それが人類発生以来の変わらぬ歴史のようでした。人類がどんなにおのれの理性を誇ろうと、世界中において、人類の最大の運命の決定者となったのは戦争であります。戦争が人類の業であります。しかし、いま戦争は人類にとって不可能になってきました。少なくとも、大国相互の全面戦争は不可能であります。核兵器をもった大国同士が、水爆を投げ合ったら、たちどころに人類は破滅であり与。破滅の運命は明らかでありますが、人類はなおかつ戦争、あるいは戦争の野望を止めようとしないのは、どういうわけでしょう。アメリカの国家予算の約四二%は軍事費だといいます、しかも軍事費は毎年多くなってゆくということであります。おそらくソ連や中国も同じことであると思います。いったい破滅や崩壊が目に見えていながら、このような行動が止められないとはどういうわけでありましょう。一じっさい人類は、その発生とともに戦争をしてまいりました。その習性がどうして一朝一夕に改められましょうか。戦争は無明の行為であります。しかもこの無明はまさに人間的な業のようなものであります。それは業として、人間にとってまぬがれがたいものですが、また同時に、まぬがれないかぎり、人類は滅びるのであります。因果の鎖を断ち切ることが必要なのですが、そのような因果の鎖の断ち切る必要を、ほとんど世界の人は知らないのであります。
 私は、もしも今、人間を襲っている危機的な運命が、もしも一個人の自覚によって打開できるようなものであるならば、いつまでも私は実存主義にとどまることができたでありましょう。そして実存主義から、仏教を解釈して自ら足れりとすることができたでしょう。
 しかし、人類の危機はもっと深いところにあるような気がします。人類はヘーゲルの言うように、戦争によって、文化を発展させてきた。戦いが万物の父であり、母であるというへラクレイトスのことばは真実であります。にもかかわらず、もはや、戦いは少なくとも昔のままの形、つまり、もっている全兵器を使うというような戦争という形では不可能です。もちろん不可能ではありませんが、そういう戦争をしたら人類全体はすべて滅びることは確実のようであります。
 人類が、今まで、それでもってやってきたもの、それは、すでにかつてあって今はないというようなものではなく、今現在人類の傾向として現在の人間の性格を形成しているものです。このかってあり、そして今も現在の人間の性格を形成している戦争という業が、今や、人間を破滅にかりたてようとしているのです。人間そのもののあり方と深く関係しています。それは人間の業のようなものです。けれど、今この業からの脱出が必要とされているのです。
 われわれはまさしく歴史の危機にたっています。しかし、われわれはその危機を危機として深く感じていません。世界は ふたたび業としての運命のまぬがれがたい方向に向かって確実に歩いているような気がしますが、人類は目前の物質的幸福に目をうばわれて、危機の深さを十分見ていないように思うのです。
 危機を深く見つめることが必要であります。しかしこの危機を、人塀に自覚させないのも、またヨーロッパ直の歴史観のように思うのであります。
 歴史観としての業
 ヨーロッパにおいて歴史観は、キリスト教によってもたらされたといいます。それは、はたして正しいかどうかはわかりませんが、とにかくギリシアにおいては時間はくり返すという思想が圧倒的であったようです。つまり、春が来、夏が来、秋が来、冬が来、また春が来るように、四季の循環のように歴史は生成消滅をくり返すというのであります。ここで歴史は円鐶的に考えられ、直線的には考えられなかったといわれます。つまり、一方向へと進んでいくという歴史という考えはなかったといわれます。
一方向に向かってゆく歴史という観点をヨーロッパ世界にもたらしたのは、キリスト教でした。
キリスト教の歴史観は終末観です。つまり歴史は地上の国が終わり、神の国が地上に出現される終末に向かっているという考え方です。終末は同時に目的を意味します。つまり歴史は目的に向かっているという見方であります。この場合、このような神の国の到来にはかならず危機が伴います。
地球の大洪水、かならずそこに大混乱、あたかも地球が滅びるのではないかと思われるほどの大混乱が来るというのです。この大混乱の末にはじめて神の国は実現されるというのであります。
 たしかにこの考え方は危機意識を伴います。しかし、この危機意識は、実はみせかけだけのものであることがわかります。たしかに、地上の国は滅びるのであります。しかし、それは神の国の到来のしるしなのであります。どんなに危機が釆ようが、どんなに破滅が来ようが、それは近づく神の国の到来のためというわけです。それゆえ終末史観は、みせかけほど危機感を持たないのです。
むしろ危機に対して、まったくの楽観をその根拠にしているといってよいかもしれません。
 このような終末観はキリスト教のもたらしたものですが、近代のヨーロッパはこのような終末観を現世的に変更します。つまり歴史に目的があるということは、キリスト教の教理をうけながら、神の国を歴史の目的から否定することによってであります。歴史の目標を現世的進歩におく、つまり自由の意識の発展といい、あるいは生産力の発展といい、とにかくこの世の中はだんだんによくなってゆくという考えであります。絶えざる進歩として歴史を考える思想であります。それはキリスト教の歴史観より、もっと楽観的であります。人類はまさに歴史発展のエスカレーターに乗って、無限に発展するというわけであります。
 近代人はこのような進歩史観の上に、歴史を考えます。科学技術文明による生産力の発展が、このような進歩史観の正しさを証明しているようであります。ヨーロッパばかりか、日本人もまさにこのような歴史観の愛好者であります。とにかく、日本においても生産力は飛躍的に増大し、われわれの生活も飛躍的によくなりました。どうして進歩の教説を信ぜずにはいられましょうか。
 マルクスの歴史観もそのような進歩の史観の上に立ちます。彼はヘーゲルから弁証法という歴史観を学びます。ヘーゲルは、すべて歴史は闘争によって進歩するという歴史説明の論理的公式を発見したと思いました。闘争、そして闘争の末に、新しい歴史の状況が生まれる。こういう歴史理解によってヘーゲルは、戦争を肯定しましたが、マルクスは、ヘーゲルから弁証法的発展史観を借りながら、彼は国家と国家との闘争である戦争ではなく、階級と階級との戦い、階級闘争を歴史発展の原動力と考えます。
 いずれにせよ、ここに闘争についての楽観論があります。闘争はけっして世界の破滅ではなく、進歩を生むという楽観的信仰がそこにあります。しかしはたして、このようなオプティミズムはそのまま通用するでしょうか。マルクス主義は終末観であるという人があります。彼はヘーゲルのように段階的な発展論ではなく、階級社会の終末を宣言し、無階級社会の到来を実現する終末史観がそこにあるというのです。しかし、この終末観も、キリスト教と同じくたいへん楽観的であります。人類全体が滅びるなんて、そこでは考える必要のないことのように思っているかのようです。
今世界を支配しているのは進歩史観であります。それは一直線的な進歩史観か、それとも世界の破滅と新しい神の国の到来を説く終末史観かどちらかです。人類の破滅をどちらの歴史観も予想すらできません。彼らの思想が、むしろ破滅の予想を妨げているのです。そしてこの楽観的な終末観ないしは進歩史観が彼らの愚かしい軍備拡張競争を止めさせはしないのです。
今後の人間は人類全体の破滅の可能性を考える必要があると思います。そしてその破滅をまぬがれるために、あらゆる人間、あるいは国家は、自己の内部にある我欲の強さを反省する必要があります。国家というエゴイズム集団は、それがなくては人叛はやってゆけなかったのです。しかし、私は国家を人類の業のようなものと思うのであります。なぜなら、それはまぬがれがたい人間のエゴイズムの所産であり、しかもそのエゴイズムをまぬがれないかぎり、国家は人間を、人類破滅の方向へと押しやるかもしれないからです。人間の業の深さを凝視して、この業をまぬがれる道を考える哲学が必要なのです。業の歴史的反省のみが、この戦争をまぬがれる方向だと思います。国家を無我の主体に近づけること、それが今や現代世界にもっとも必要とされている全人弊的な歴史的要請であります。もう一度業の思想がかえりみられる必要があります。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:s_TCcEAFasYJ:d.hatena.ne.jp/nanmosa/20080209+%E6%A2%85%E5%8E%9F%E7%8C%9B+%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3+%E6%96%B0%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88&cd=8&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

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2. 釈迦が否定しようとしたバラモン教はどういう教えか?

アーリア人の宗教ーーヴェーダの神話と祭式思想

1)ヴェーダ文献

 現存するインド最古の文献は、ヴェーダである。「ヴェーダ」という語は、二種類の意味で用いられる。広義の「ヴェーダ」は、西紀前1500年頃、インドへ西方から侵入したとされるアーリア人1)の残した文献群、すなわちヴェーダ・サンヒター(本集)とその三種の付属文献、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドの総称として用いられる。一方、狭義の「ヴェーダ」は、このうちのサンヒターを指して用いられる。
 広義のヴェーダの成立期間は長く、最古のヴェーダ・サンヒターからウパニシャッドまでの間には、「新ウパニシャッド」と呼ばれるものを除いても、1000年以上の開きがある。
 ヴェーダは、口伝によって現代まで伝えられたが、その正確さには驚くべきものがある。もちろん、すべてが伝承されたわけではない。文字で記されるようになったのは、14世紀後半で、南インドにおいてとされる。2)
2)サンヒターと四ヴェーダ
 ヴェーダ・サンヒターには四種類あり、四ヴェーダといわれる。『リグ・ヴェーダ』『サーマ・ヴェーダ』『ヤジュル・ヴェーダ』『アタルヴァ・ヴェーダ』である。これらは、祭式において唱え歌われる賛歌(マントラ)、呪句の集成で祭官の職分に応じて作成され、伝承された。内容は、古代インド・アーリア人の祭式と密接に結びついている。彼らは、戦勝、子孫繁栄、降雨、豊作、長寿などさまざまな願望を成就するために祭式を行った。ヴェーダは、それらの祭式の実行と解釈のために作られた伝承の集成といった性格をもつ。
3)三ヴェーダ
 四ヴェーダのうち最後の『アタルヴァ・ヴェーダ』は、主として呪術に用いられる呪句を集めたもので、ヴェーダ祭式に関わる前三者とは性格が異なる。またヴェーダとしての権威を認められたのも遅く、一段低いものとみなされる。そのため、これを除いた三者をあわせて「三ヴェーダ」と呼ぶことがしばしばある。
4)ブラーフマナ
 ブラーフマナは、祭式の次第・順序などの規定とマントラの起源・語義などを神話と結びつけて神学的に説明することを主な内容とする散文の文献である。その神話や伝説は後代の文学に影響を及ぼした。
5)アーラニヤカ
 アーラニヤカは、「森林書」と訳されることがあるが、祭式の神秘的な意義を説き明かすもので、人里はなれた所において説かれるべきものとされるのでこの名がある。ブラーフマナとウパニシャッドの中間的な性格を持ち、単なる祭式の説明にとどまらず一部に哲学的な思想も含む。
6)ウパニシャッド
 ウパニシャッドは「奥義書」と訳されることがある。ヴェーダの秘教的な思想を集めたもので、その神秘思想は多くの人の注目を集めてきた。これはまた、ヴェーダの最後の部分で、「ヴェーダーンタ(ヴェーダの最後)」とも呼ばれ、転じて「ヴェーダの極致」と解釈される。ウパニシャッドの思想は、第3節で扱う。
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/veda.htm


ウパニシャッド
ヴェーダの最後の哲学
 ウパニシャッドは、ヴェーダの最後を飾る哲学的な文献群である。さまざまな哲人が登場し、宇宙の根源、人間の本質についてさまざまな思索を展開するが、おおむねヴェーダ祭式と神話に源を持つ。とりわけヴェーダ祭式において宇宙を支配する原理・力と見なされたブラフマンについての考究がなされる。その考究の結実がウパニシャッドの代表的な思想、梵我一如の思想である。ウパニシャッドはしばしば「奥義書」と訳されるように、全般的に神秘主義的な傾向が強く、秘教的である。
 このようにウパニシャッドは、ヴェーダの神話と祭式の伝統の上に成り立ったものであるけれども、ウパニシャッドの成立は、社会の変化と無縁ではない。それらの思索を展開した人々のなかには、ヴェーダの祭式をになったバラモンとは異なる階級の思想家も何人か現れる。その思想は、それまでのバラモンの祭式思想、祭式万能主義と明らかに異質である。
 ウパニシャッドの思想の特徴は、<祭式(yajna)に対する知(jnAna)の優位>である。ウパニシャッドにおける考究は、完全な祭式を実行するために必要な知識の追究からはなれ、知ることそのものの追究へ力点が移動している。あるものを知り、そのものになることによって、そのものの力を獲得することができる。宇宙を支配する原理を知ることによって、その宇宙原理に自己が同化し、自在な境地に到達できると考えるのである。
 ブラーフマナが「祭式は力なり」とするのに対し、ウパニシャッドは「知は力なり」とする。この場合の知は「分析的、合理的な知」とは異なる。ここで追究される知は、概念を論理的に構成して得られる知ではない。ことばを離れた、体験によって知られる直観的な知である。「知ること」とは「なること」であるとみなされる。瞑想や苦行を通じて、宇宙を支配する神秘力に直接触れ、体験することである。そのため自己を絶対的な存在と合一させる神秘体験が目指される。
 ギリシアにおいては、神話的な思考から脱却することにより、哲学が生まれた。これに対し、インドにおいては、呪術的な思考を究極にまで押し進め、神秘的なものの精髄を追究することから哲学的な思索が生まれた。この点で、ギリシアとインドの思想は対照的である。
 ウパニシャッドと呼ばれるものは、長期にわたって作られ続け、新しいものは近代にまで至る。「108ウパニシャッド」という表現があるように1)、その数は多く、したがって内容も多岐にわたっている。しかし、ヴェーダ時代が終わった後に作られた成立の遅いものは、ヴェーダ学派との関連が曖昧で「新ウパニシャッド」と呼ばれ、「古代ウパニシャッド」とは区別される。2) 思想内容も「新ウパニシャッド」はヒンドゥー教の影響が濃厚で、「古代ウパニシャッド」とは異なる。一般に「ウパニシャッド」という時は、「古代ウパニシャッド」を指す。
 ヴェーダ時代に属するとされるのは次のウパニシャッドで、紀元前600年代あるいは500年代から数百年かけて成立した。最古のウパニシャッド、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』と『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』は、ブッダより古い時代の成立とされているが、多くはブッダ時代以後に成立した。『プラシュナ・ウパニシャッド』や『マーンドゥーキヤ・ウパニシャッド』の成立は、西暦紀元前後にまで時代が下る。
 これらおよそ20ほどの古代ウパニシャッドは内容と言語により次の三期に分けられる。
   古代ウパニシャッド一覧(すべて「ウパニシャッド」の語を略す)
 1)初期散文ウパニシャッド:  『ブリハッドアーラニヤカ』『チャーンドーギヤ』『カウシータキ』『アイタレーヤ』『タイッティリーヤ』『ケーナ』『チャーガレーヤ』
 2)中期韻文ウパニシャッド:    『イーシャー』『カタ(または、カータカ)』『シュヴェーターシュヴァタラ』『ムンダカ』『マハーナーラーヤナ』『バーシュカラマントラ』
 3)後期散文ウパニシャッド:  『プラシュナ』『マーンドゥーキヤ』『マイトリ(または、マイトラーヤナ)』『アールシェーヤ』
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/upanisad.htm


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3. ブラフマンとは何か?

ブラフマンは「本質と美徳に関して偉大さの限りなく卓越した者こそが、これ(ブラフマンという語)の一義的な意味なのであり、そしてそれこそが、万物の主宰神なのである。従って、ブラフマンという語は、それ(万物の主宰神)だけを一義的には意味しているのである。」と説かれ、宇宙の根本原理であり、万物の主宰神とされています。キリスト教の神との違いは、ブラフマンとは世界の創造主ではなく、そこから宇宙が展開し、顕現する根本原理であり、真実の世界そのものを意味します。

ここに白い紙があった場合、この紙には、無色透明ではあるが基体として一つの場があって、その場に白色という属性があり、さらに大きさ、形、匂い、重さといった属性が存在するとバラモン正統派では主張します。仮にそこからすべての属性を取り除くことができると仮定して、白色の属性を取り、匂いの属性を取り、重さの属性を取り、すべての属性を取り除いても、最後に基体ともいうべき何ものかが存在するとバラモン正統派は主張するのです。それがブラフマンです。

したがって、ブラフマンが宇宙のすべての万物に遍満していることになり、ブラフマンは世界そのものとなり、万物の主宰神(構成原理)となります。白色の紙は時間の経過につて変色もしますが、基体としてのブラフマンは常に変わらず単一で存在し、紙という物質を主宰者として支配しています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114509061?fr=rcmd_chie_detail

ブラフマン (Brahman) は、ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根本原理。
サンスクリットの「力」を意味する単語からきている。特に、物質世界を変える儀式や犠牲(生贄)の力を意味する。ヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派 (Vedantic) の思想によれば、この単語が指しているのは、外界に存在する全ての物と全ての活動の背後にあって、究極で不変の現実である。

ブラフマンは宇宙の源である。神聖な知性として見なされ、個々人の魂を含む全ての存在に浸透している。
それゆえに、多くのヒンドゥーの神々は1つのブラフマンの現われである。
初期の宗教的な文書、ヴェーダ群の中では、全ての神々は、ブラフマンから発生したと見なされる。

ヒンドゥーの神々の体系では、ブラフマンはブラフマーと同一のものと見なされる。
ブラフマー(創造者)は三神一体(Trimurti)の神々の1つであり、ヴィシュヌ(保持者)と、シヴァ(破壊者)とは本来同一とされている。


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結局、ブラフマンというのは現代の言葉で言えば物理法則に支配されている“場”の事でしょう:

場(field)とは、物理量を持つものの存在が別の場所にある他のものに影響を与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。
場では、座標および時間を指定すれば、(スカラー量、ベクトル量、テンソル量などの)ある一つの物理量が定まる。つまり、数学的には空間座標が独立変数となっているような関数として表現できることがその特徴である。 場に配置される物理量の種類により、スカラー場、およびベクトル場などに分類することができる。
場の例
• 電磁場
• 重力場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4


場の量子論(quantum field theory)は、物理学における理論的枠組の1つであり、場という物理量に量子力学を適用した理論である。
素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学などの多くの物理学の分野で、多体系を記述するための基礎的な道具として用いられている。
特に素粒子物理学においては、場の量子論とは量子化された場(素粒子物理ではこれが素粒子そのものに対応する)の性質を扱う理論であり、それらの素粒子間の力の相互作用はゲージ理論によって描写される。
もともと場の量子化は量子力学の多体系への拡張を目指して発展された。多体系での反応では粒子数が保存するとは限らず、また時間とエネルギーの間にある不確定性原理により、粒子の生成/消滅が起きるので、それらも含めて扱う必要性があった。さらに、特に素粒子物理などにおいては高エネルギー反応を扱うので、相対論的不変性を課す必要性もあるが、多体系において波動関数に相対論的不変性を課すには、いろいろと問題がある。しかし、物理量としての場を量子化して扱えば(しかも反粒子が存在する必要性も生じる)、それらの問題を解決することができる。
なお、粒子の生成/消滅現象の代表例として対生成、対消滅などが知られており、この対生成により生じる粒子を仮想粒子と呼ぶ。この場合、この仮想粒子が物質の間でやり取りされる現象が力の相互作用に対応する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E3%81%AE%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%AB%96


大乗仏教で言う“空”はブラフマンそのものだと言われていますが、“空”に一番近い概念は:


量子論における真空
量子論における真空は、決して「何もない」状態ではない。常に電子と陽電子の仮想粒子としての対生成や対消滅が起きている。
ポール・ディラックは、真空を負エネルギーを持つ電子がぎっしりと詰まった状態(ディラックの海)と考えていたが、後の物理学者により、この概念(空孔理論)は拡張、解釈の見直しが行われている。
現在の場の量子論では、真空とは、その物理系の最低エネルギー状態として定義される。粒子が存在して運動していると、そのエネルギーが余計にあるわけだから、それは最低エネルギー状態でない。よって粒子はひとつもない状態が真空であるが、場の期待値はゼロでない値を持ちうる。それを真空期待値という。 たとえば、ヒッグス場がゼロでない値をもっていることが、電子に質量のあることの原因となっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%A9%BA#.E9.87.8F.E5.AD.90.E8.AB.96.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E7.9C.9F.E7.A9.BA


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4. アートマンとは何か?

ブッダが、インドの伝統的な信仰であったバラモン教(後のヒンズー教)の中心的概念であった、輪廻転生しながら永遠に生き続けるというアートマン(atman 個我=魂)を否定して、アン・アートマン(anatman 無我)を説いたことを疑うのは極めて困難です。それは、あまりにも多くの文献において書き残されており、しかも、仏教徒の書いたものだけでなく、彼らの宗教的・思想的ライバルたちによっても、仏教徒たちがアートマンを否定していることに対するさまざまな批判が、書き残されているからです。
もし、ブッダが魂の否定としての無我を説かなかったとすれば、たとえば、『ミリンダ王の問い』に書き残されているような、

「もしアートマンが存在しないのなら、改組・回帰(輪廻転生)していく、当のそのものは、なにものか」

というような問いに仏教が明確な解答を与えようと大変苦労した思想史的事実が説明できなくなってしまうでしょう。

また、「アートマン」という概念はバラモン教の哲学(ウパニシャッド)にとって本質的なものであって、それなくしては、ウパニシャッドの語る宗教的救い(ブラフマンとの合一)がなくなってしまいますが、そのような重要な概念を真っ向から否定する「アン・アートマン」という概念を使用したことは決して軽く見るわけにはいきません。
単に、「自己中心的な生き方を否定する」、といったような凡庸な教えにすぎないのなら、バラモン教・ヒンズー教にもあるのであって、わざわざ「アン・アートマン」という概念を持ち出す論理的な必要がありません。
なぜブッダはアートマン(永遠の魂)を否定したのか、この問いは、大変重要な問題なのです。
死を恐れ、永遠の生命を望むのは、古今東西、どこでも見られる現象です。そのため、古代人はさまざまな空想を駆り立てて、死後も生き残る自己の物語(エジプトのミイラ、中国の仙人、キリスト教の復活、インドのアートマン、日本の魂、など)を創造してきました。
さいわいなことに、古代インド人は彼らの思想を伝達することにきわめて熱心で、たとえば、リグ・ヴェーダ経典は世界最古(おそらく西暦前1200年頃成立)の残存する経典となっています。そこで、彼らの古代の経典を調べることによって、どのようにして、古代インド人がアートマンというものを信じるようになっていったか、その初期の状況をかなりくわしく知ることができます。 たとえば、『ブリハッド・アーラヤヌカ・ウパニシャッド』には、アートマンが次のように説明されています。
「アートマンとはどのようなものか」

「認識からなり、諸機能のうちに、(また)心臓に存在する内部の光であるこのプルシャ(神人)であります。
彼は(かなたの世界とこの世界に)共通ですから、両世界を往来します。
(かなたの世界では)沈思するかのようであり、(この世界では)動き回るかのようであります。
彼は夢となって、この世界…、死のさまざまな形を超え出ていくのです……。
まさしくプルシャ(神人)には、実際には二つの状態があります。
(目覚めて)この世にあることと、(熟睡して)かなたの世界にある状態とであります。
夢の状態は(両者の)つなぎ目になる第三のものであります。
そのつなぎ目の状態にあるとき、彼はこの世に在ることと、かなたの世に在る状態という、この二つの状態を見るのです……。

彼は眠っているとき、万物を包蔵するこの世界から物質素材をとり、自ら破壊し、自ら創造し、自らの光輝により、自らの光明によって夢を見るのです。
この場合、神人は自らを光明とするのであります……。

その点について次のような詩節があります。

黄金の神人、一羽の鷲鳥は、
眠りによって、身体にかかわるもの(この世)に打ち勝ち、
自らは眠らず、眠った者たちを観察する。

彼は光を得て(目覚めて)、もとの位置に戻る。

黄金の神人、一羽の鷲鳥は、
下方の巣(身体)を、気息によって守りつつ、
不死となって、巣(身体)から外に歩み出で、
望むところに、不死のものとしておもむく、

夢の中で、あるいは上昇しあるいは下降し、
神として、さまざまな形像をつくり出す。

……

人々は彼の巣である園林を見るが、
だれひとり彼を見るものはいない。

……彼は、実に、この安全な安息(熟睡状態)のなかで楽しみ、徘徊して、善いこと悪いことを見た後に、もとのところへと進路を逆にたどり、夢へと馳せ戻るのです。」
(長尾雅人編集『バラモン教典・原始仏典』より)

アートマン(永遠の魂)という概念が、ここでは、夢の中で自由に行動する自己と同一視されています。そして、夢の中の世界や熟睡状態の世界をもう一つの事実の世界であると見なしています。このような夢の内容をそのまま事実の世界と思い込む現象は、決して、古代インド人だけに特有のものではなく、現代人のなかにもしばしば見られるものです。 たとえば、

「ベッドに横たわる自分の姿を上から見ていた」、という内容の夢を見た人が、夢を事実と取り違えて、

「身体から抜け出した魂が抜け殻の身体を上から見ていた」、


というふうな解釈したりする話を、今日でもときどき聞きます。 上記の「自らは眠らず、眠った者たちを観察する」という表現も、そういうことを意味してるのでしょう。

しかし、古代インド人の特徴は、夢の中の体験を、目覚めているときにも体験しようと執拗に試みたところにあります。
それが、ヨーガ(瞑想)だと思われます。 ヨーガ(瞑想)に関する教典から、古代インドのバラモン教の実践者たちが、現実の世界よりも夢(空想)の世界の内容を「より真実の世界」であると思い込んでいたことがうかがえます。

夢における知は、夢の中で拝んでいた、神の美しいすがたを対象としている。

目覚めたときの静かな心で同じ神の姿に凝念すれば、ヨーガ行者の心は安定に達する。
(「ヨーガ・スートラ」、同上)

このように、ヨーガ行者は夢の中と同じ体験を瞑想のなかに求めます。さらに、夢の中で自由に徘徊する自己、という考えをエスカレートさせて、


ヨーガ行者は水上を歩き、蜘蛛の糸の上を歩き、光線の上を歩き、さらに虚空を自由に行くことができる。(同上)

とか、

心が身体を離れて外的に働くときは、大離身といわれるのである。
この大離身によって、ヨーガ行者は他人の身体に入る。(同上)


などともいわれます。

夢のなかで「自己」が身体を離れてゆく現象を、目覚めているときに意図的につくりだす心理的テクニックが本来のヨーガ(瞑想=夢想)の目的だったろうと思われますが、後には、身体を持ったまま空中を飛ぶ、いわゆる「空中浮遊」などが信じられるようになります。 いずれにしても、夢や空想を現実から区別をしようとしない独特の宗教的習慣が古代インド人の間にあったことは否定できません。

このような考え方の中で、死後、身体を離れてゆく永遠の魂(アートマン)を想定することは、何でもないことです。

つまり、アートマン(永遠の魂)の思想は、もとをたどれば、古代のインド人たちが、身体とは別に夢の中で自由に徘徊する自己を「真実の自己」と思い込んだところから、生まれてきたものと考えられるのです。

このような歴史的背景を知ることによって、シッダータ・ゴータマが、「無我」の思想を真理として発見した自分のことを、「ブッダ=目覚めた者」と呼んだことの歴史的な意義が明確になると思います。
ブッダの思想家としてのデビューと考えられる、いわゆる「第一説法」において、瞑想・苦行にいそしむ旧友に対して彼は
なんじらは、わたしを名をもって呼んではいけない。 また「友」と呼んでもならない。

わたしはもはや如来である、最高の「目覚めたもの」である。
(『マジマ・ニカーヤ』26)


と宣言します。すなわち、

「buddh =眠りから醒める」

という言葉を用いることによって、

彼の真理の特徴が夢想的なバラモンの思想の否定

にあることを主張したのだ、と考えられます。

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/soul02.html


アートマン(Atman) は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。
真我とも訳される。
最も内側 (Inner most)を意味する サンスクリット語の Atma を語源としており、アートマンは個の中心にあり認識をするものである。

それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。 初期のウパニシャッドである『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では、「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。その属性を「…である」と定義することはできないという。

したがって、「…である」ものではない。すなわち、「何でもないもの」すなわち「何かではないもの」「有るものではないもの」がアートマンで、これは仏教または禅の「無」と同じ意味だととることもできる。
ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/62.html#id_622e274d

大まかに言うとかつてのインドの宗教思想や規律がまとまったものをヴェーダと言い、そのなかでも後代にまとまった哲学的思想がウパニシャッドと呼ばれます。「梵我一如」というのはそのウパニシャッドの中の最重要な考え方ですね。
基本的には仏教はウパニシャッドを否定するなかでできたものですから、梵我一如が仏教にとり込まれたとか、仏教がそれを受け継いだ、ということはありません。

梵我一如というときの我は、アートマン(atman、発音符は除きます)の漢訳語です。このアートマンというのは、ちょうど有名なデカルトの懐疑で表れる主体のように、疑っても疑っても疑う主体として現れてどこまでもそれを否定し得ない、懐疑の一番メタレベルに存在する、唯一至上の主体として想定されました。思惟のなかではどこまでも客体として扱えない、従って言葉では常に「〜ではない」という否定を重ねる仕方でしか表現できないとされます。

つまり、アートマンというのは基本的には「私」という個別の実体を支える「本質、そのもの」と言ってよいものです。これは私を成立させる原理であると同時に、心臓に位置すると考えられる実体的存在でもあります。ウパニシャッドではもちろん輪廻を想定するのですが、アートマンはその際に自己同一性を保つ実体でもありますから、一面では具体的な「魂」とも考え得るわけです。

このアートマンが梵つまり宇宙の本質であるブラフマン(brahman)と実は一体であって交換可能な概念である、というのが梵我一如の思想ですね。恐らくいろいろなウパニシャッド書のなかで一番有名な言葉が「それはアートマンである」「自己はブラフマンである」といった短い聖句ですが、これがブラフマンとアートマンの究極的な合一を表すものとされています。(事実、サンスクリット語ではアートマンという言葉が「ブラフマン」を意味する場合がかなりあって、両者は相即的な関係にあります)

要するに、対象化すらできない自分の本質が世界全ての本質と通じている、ゆえにそこではすべての物がひとつのものになりますから、当然、個々の人間同士の差も問題にならなくなるし、善と悪だとか人と神といった一切の分析的な区別も超越される、というのがウパニシャッドの理想とした境地なのです。その合一は言語を離れた瞑想のなかでしか感得できないものとされます。宗教学の術語で言えば一元論的な神秘主義思想ですね。


一方、このような思想とは異なって、仏教では固定的な実体をもった「本質」なる存在を認めません。原始経典にもあるように、「私にはアートマンとしての我は存在しない、従ってアートマンに属するものとして我がものも存在しない」という認識が苦を離れるための仏教の実践の基礎にあるのです。

個々の事物が互いに関係し合いながら本質(仏教では自性と呼びます)を持たずに存在し、変化を続けていく姿を仏教は「縁起」として捉えました。言わばあるがままを根本原理としたのですから、永遠不滅にして普遍の実体を認めるはずがありません。これは初期仏教でも大乗仏教にも共通していますし、法体恒有(ほったいごうう)を唱えてモノの背後に実体を想定した有部という部派ですら、人間については何ら実体的存在を仮定しなかったのです。


仏教をかじり出した人は初期仏教と大乗仏教の差が気になるのですが、本質的には大乗仏教の始まりにあたる空観という思想は、隘路にはまった有部の思想と決別して釈迦の縁起説を復活させようとした言わばルネッサンスです。従って、ことアートマンに関するような根本的問題について両者の違いを論じるのはナンセンスです。

事実、八宗の祖などと言われ、大乗仏教の思想的基礎を確立した竜樹(ナーガールジュナ)は、『中論』という書物の中ではっきりと「我(アートマン)と我所(アートマンに属するもの)が無いことを知るところに解脱が生まれる」とか、「われわれは一切の縁起を空と呼ぶ」と書いています。これは明かに釈迦の縁起を正統に受け継いだもので、実体ありきの梵我一如の考え方とはまさしく正反対です。

そもそも、仏教が旗印とする縁起の思想から生まれた「無我」という考え方は、サンスクリット語ではアナートマン(anatman)と言います。この語頭のanは「無、非」の意味を持つ接頭語です。例えばaryaというのは「アーリア的な、高貴な」という意味ですがanaryaとなると「アーリア的でない、下賎な」という意味になります。つまり、「アートマンに非ず」という意味のアナートマンという言葉からして、仏教がアートマンを肯定する立場をとらないことは歴然としています。

あるいは原始経典に頻出する十無記、十四無記などを考えてもよいでしょう。釈迦は、「アートマンは存在するのか」という問いに対しては常に答えを保留したとされます。

要するに、仏教というのはヒンドゥーつまりインド的なものの中では基本的に異端なのです。例えば14世紀にマーダヴァが著した『全哲学綱要』という書物では、ヒンドゥー教の立場からインドで起こった合計16の哲学説をそれぞれ解説しているのですが、仏教はヴェーダ聖典の権威を認めない3つの異端のひとつ、という扱いを受けています。

ヒンドゥーにとって一番劣っているのは精神を認めない唯物論ですが、仏教はそれに次いで劣った思想、とされています。それというのも結局アートマンを認めないからなのです。
一方でジャイナ教は3番目に劣った思想という位置づけです。ヴェーダは認めないけれどもアートマンの存在を認めるジャイナ教が仏教よりはまし、とされるというのは、ヒンドゥーにおけるアートマンの重要性を雄弁に語っていると思えます。
事実、現在に至るもジャイナ教はインドで命脈を保っているのに対し、仏教は早くに滅んでしまいましたね。(むろんこれには、仏教がヒンドゥー教に近づいたためにインドでは価値が薄れてしまったという5〜6世紀以降の歴史もあるのですが、ここでは重要な問題ではありません)

概ね、梵我一如を肯定しない仏教の立場は以上のようなものです。 さて、なぜその仏教が梵我一如と関係づけて説明されるのでしょうか。正直なところ私にもわからないのですが、輪廻や業というインドでは空気のような考え方が結果的に仏教にとり入れられたこと。 このことがアートマンまでとり入れられたという錯覚をもたらしたのでしょうか。
http://okwave.jp/qa/q718920.html

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5. 深層心理学の観点ではアートマンとは何か?

「自己」とは何か _ ユング心理学からの答え

きのうTVで東大教授のカン・サンジュンさんが、卓越した発言をしてました。
自分とは何者なのか、自分のアイデンティティとは何なのか、自分の正体とは何なのか、それを知ることが神を見ることであり、神を見れなければ、世界の本当の姿を見れない、と。
この発言の中の、自分のアイデンティティ、正体、こそが「自己」であり神です。自分自身の母体であり、内なる神であり、現実世界そのもの、でもあります。自分が自己と一体化したとき、世界の真実の姿が見えてくる、という発言と思います。
なぜでしょうか。それは、現実のありのままの姿、世界のあるがままの姿を見るためには、どうしても、自己の助けが必要だからです。なぜなら、自我意識は、比較でしか物事を判断できないため、比較・区別・分離・排除が本来の目的のため、主観が入り、どうしても、ゆがんでしか見れないのです。たとえば、世界を評価するとき、過去のどの時代と比較するのか、とか、先進国中心で見るのか否か、など、比較対照でしか判断できないため、全体を表現するのは不可能です。
そもそも自我意識および言葉は、目的が比較のため、全体を表現できません。表現しようとすれば、矛盾が生じます。全体を表現できるのは、対立を結合した自己だけです。
自己の概念は世界中に古くからあり、ウパニシャッドのアートマン・ブラフマン概念が自己のことであり、仏教では個我・空の概念がおなじものです、
日本仏教の卓越した才能の中村元博士は、空はブラフマンである、と断言してます。(「自我と無意識」P204 12行〜及び「タイプ論」・定義の自己の項を参照)
http://maglog.jp/yumeken2/index.php?module=Article&action=ReaderDetail&article_id=89027

シンボルは神・・・ユング
『タイプ論』タイプ問題に関するシラーの理念についてより

「人類はシンボルを現実と受け取ることによって彼らの神々を誕生させ、すなわち観念を現実化させ・・・」
「・・・無意識の要因をすべて包み込んだシンボルが浮かび上がる。このシンボルは・・・歴史の中では神のイメージとして現れるものである」
http://maglog.jp/yumeken2/Article213188.html


無意識は神(SYMBOLS OF TRANSFORMATION) .

ユング心理学の「神」は心理的事実であり、現実の世界に「神」が存在するという意味ではありません。

『SYMBOLS OF TRANSFORMATION』 『変容の象徴』  P392より 
「But Christ,from the point of view of psychology and comparative religion,is a typical manifestation of the self.For psychology the self is an imago Dei (Latin image of God) and cannot be distinguished from it empirically. The two ideas are therefore of the same nature .(not similar nature)」.

「心理学と比較宗教学の観点から言って、キリストは「自己」が現実の世界に現われた(認識できる形として現われた)典型的な例です。 心理学的には神のイメージとして現われてくるものが自己であり、経験的にも自己と神の区別はつきません。ですから自己と神は本質的には同じものです。」.
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『自我と無意識』より第三文明社・松代洋一氏・渡辺学氏・共訳  P200〜より.

 (自己は)「われわれの内なる神」と呼んでもいいだろう。 われわれの全精神生活は、まさにこの一点(自己という心の中心点)に解きがたいすべての端緒を発しているかに見え、あらゆる最高かつ究極の目標も、ひたすらこの一点をめざしているように思われる。.

 (自己の)この声に耳を傾けるほうがはるかにためになる。.
 自己は生の目標でもある。それは、ひとが個体とよんでいる運命複合体の全き表現であり、さらに個々の人間のみか一人一人の人間が相補いつつ一つの全体像を形づくっているその集団全体の、いとも完璧な表現だからである。.
 自我が、われわれの知る自己の唯一の内容である。個性化された自我は、自らが、上位に位置する知られざる主体(自己)の客体であると感じるようになる。.
 われわれ自身すらその中の(自己の中の)一部であるようなイメージであることも、私はまったく疑っていない。.

 以下P188.
 (自己は)人格の「中心」であり、対立物の間の言い表しがたい一点(中心)であり、あるいは、対立物の統合者であり、葛藤の帰結(解決)であり、エネルギーの緊張がもたらした「成果」であり(定立・反定立の強さが同じになった時にシンボルとして顕現するため・言い換えれば両方大切な葛藤・エネルギー緊張の解決策として示現するため)・・・・・・・.
http://maglog.jp/yumeken2/index.php?module=Info&infid=10593

神とは心の一機能
『タイプ論』 定義・具象性KONKRETISMUSより,(   )内は引用したHPの注

 未開人は、神という観念を、主観的内容として体験するのではなく、神聖な樹木が神(自己)の宿っている場所であり、それどころか神そのものである。これが(神という)思考の具象性である。(内面的な事実である神を樹木に投影する).
 具象性は・・・・・個人の心的自立を妨げる。(心理的事実である神を実在のものとしたためその影響により)・・・事実の重みが(ここでは神)が圧倒する状態・・・個性とその自由を圧迫する(個人が神に縛られるため).
 具象性はこの内的要素を(心理的事実である神などを)外界の事物に投影させ、ちょうど未開人におけるように単なる事実がいわば迷信的に過大評価されるようにする。(http://maglog.jp/yumeken2/Article216742.html


「神」の正体の歴史的発見・・・ユング

『タイプ論』文学に見られるタイプ問題より

 分析心理学にとって、神のイメージとは、ある心的状態ないしある機能を象徴する表現であるが、この機能は主体の意識的な意思よりも絶対的に優れており、それゆえ意識的な努力ではなしえないほどの行為や仕事を強要したり可能にするという特徴を持っている。・・・

意識的な知性に勝るこの霊感は、無意識内にエネルギーがせき止められることによって生じる。このリビドーの蓄積によってもろもろのイメージが活性化される。その中の一つが神の像であり、これは無意識的なリビドー集積のうちで太古以来最も強く最も圧倒的に意識に影響を与えたものの集合的表現が形をなしたものである。.
 ・・・神が一つの自律的な心的コンプレックスとなっているのである・・・現実意識としての自我はほとんど消えてしまう・・・この状態は幼児・・・未開人・・・と酷似している。したがって初期の楽園状態が回復されるからこそこの至福が生じるということは確信を持って言えよう。・・・外のものにわずらわされず内側から温かくあふれ出るこの喜び・・・.
http://maglog.jp/yumeken2/Article214454.html

新しい自分「自己」・・・ユング

『タイプ論』タイプ問題に関するシラーの理念についてより ,(   )内は引用したHPの注

 智恵はあらゆる野蛮なものを飼いならすのであって、よいところだけを選び取るのでもなければ高次なものに改造するではない。.
 一切の事物は・・・ブラフマン(自己)のうちにおいてこそ正道を行く。すべて秩序を持って生まれてくるのである。
 (老子の)タオ・道とは「正道」(常に正しく秩序そのものである自己)であり、法則に適った道理であり、対立する二者の間の中道、つまり対立する二者のどちらからも自由でありながら両者を自らの内で一つにする道である。
 宇宙生成神話は・・無意識が・・投影されたものである・・・(これは)客体(現実世界や内面世界)に対する・・・新しい適応が起こっていることを示している。.

 インド思想は一切の激情状態や、客体に対する情動的な結びつきを対立であると理解し(無意識的なものの受け入れができていないため対立が生じその結果感情的・激情的な反応が起こる。これがすべての不幸の原因であると理解し)、この対立からの解放を教えている。
http://maglog.jp/yumeken2/Article224053.html


苦悩がなくなるメカニズム・・・ユング

『タイプ論』文学に見られるタイプ問題より

「苦悩は一つの激しい感情であるゆえに、もろもろの激しい感情からの解放が救済を意味する。もろもろの激しい感情からの解放、すなわち緊迫した対立からの解放は救済の道と同じ意味を持つ。」 

解説・・・なぜユング心理学が「対立の結合」なのか、なぜ仏教の救済の道が「対立の撥無」である「空」(中村元博士)なのか、がこの一言に集約されています。.
http://maglog.jp/yumeken2/Article213366.html


悪魔憑きの正体
『タイプ論』タイプ問題に関するシラーの理念についてより, (  )内は引用したHPの注

 悪魔とは心理学的にはまさしく無意識の干渉に他ならない。すなわち(偏った意識の構えにより猛威を奮い始めた)無意識のコンプレックスの側から持続的な意識の働きの中へ自発的に侵入してくるもののことにほかならない。
コンプレックスは気まぐれに思考や行為を妨害する悪魔にたとえることができる。
だからこそ古代と中世の人たちは重い神経障害を悪魔つきと解したのである。
(悪魔つき・憑依状態など重度の統合失調症でも意識の死に至っておらず、数時間でも会話が成り立つのであれば、意識の構えを修正することによって全快できる。).
 シュネオシスは「夢想は動物の理性そのものであり、動物はこの夢想を通して知識を得る。(夢想そのものである悪魔は)人間の内面で起こっているものが反映しているのである。」と言っている。.
http://maglog.jp/yumeken2/Article225006.html

悪夢・幻覚・フラッシュバックの意味

『タイプ論』・定義・無意識より

・・・無意識的な出来事は、その時の意識状況(具体的に言えば偏った意識の構え)によって布置された識閾下の材料(布置された意識にのぼらない材料、すなわち偏った意識の構えによって生成されたコンプレックス、言い換えれば無意識に沈み込んだ使われていない構え・機能)・すなわちもしすべてが意識化されたとすれば意識の全体図の中に必ず書き加えられるはずのものすべてを明るみに出すからである。.
http://maglog.jp/yumeken2/Article222449.html

自我を超越した判断機能=夢

『タイプ論』タイプ問題に関するシラーの理念についてより ,(  )内は引用したHPの注

・・・浮かび上がった夢想の素材の中には、個人が心理的に発達していくその後の状態のイメージが、いわば対立する2者(両立できず両方ともに正しいため自我が判断できない葛藤もしくはその結果としての精神病)の間をどう生きていくかを示す下絵あるいはスケッチが、含まれているからである。
(よって自我が判断ができない事柄に対して、代わりに夢・シンボルが判断してくれる。そのために夢・シンボル解釈が必要。夢・シンボルの解釈が正確であれば、夢・シンボルの判断は、間違いだらけの自我の判断とは違い常に正しい。なぜなら夢などで表現されるシンボルは自己・元型の個別的表現である。
それゆえシンボルは世界的に歴史的に絶対的な「神」として具象化され崇拝の対象とされてきた。)

 意思をシンボルによって規定する。
(葛藤で判断不能になった自我の意思を決定するのは夢・幻覚・空想などに現われるシンボル。シンボルは自己・元型のその人特有の表れである。よって指導原理が自我から自己に徐々に移行していく)

  ・・・意識の区別する働きは、(夢・幻覚・空想などに現われるシンボルの)イメージを直接理解するためには役立たない。しかしイメージが直感的にとらえられると、意思に働きかけて意思を決める。

 無意識は・・・意思を左右するシンボルを形成する。.
 ・・・無意識は心の判断機関である。.
 意思は・・・対立する2者の間を裁決するのではなく、ひたすら自己(夢・幻覚・空想などのシンボルの源泉)に向かう。

用語
シンボル=心理現象のすべては、隠された意味を持つと仮定した場合、シンボルである。
シンボルの源泉は自己元型である。
個別的具体的には、夢・幻覚・空想などの夢想や感情的・激情的な反応を引き起こす人・もの・出来事(無意識の投影)として現われる。
http://maglog.jp/yumeken2/Article223437.html

精神病治療のメカニズム・・・ユング ,(  )内は引用したHPの注


 自我が定立と反定立の両者(具体的には善い悪いなどの対立する両者)に限りなく関与しているため両者が完全に対等かつ同権である場合には意欲が停滞してしまう。というのはどんな動機にもそれと同じ強さの反対の動機が出てくるので、何かを意欲することができなくなるのである。

(たとえば善い・悪いの強さが同じになった場合は判断ができなくなり活動がストップする。そして心のエネルギーはすべて無意識に落ち込みシンボルを形成するエネルギーとなる)。

 生というものは停滞状態には絶対に耐えられないため、生のエネルギーがせき止められると、この対立緊張の中から対立している両者を超え出るための新しい結合機能が生じてこないとすると、耐え難い状態に陥ってしまうだろう。しかしそうした機能はもちろん生じてくる。

(この対立を結合してくれる機能とは「生きているシンボル」である。これは夢・幻覚・空想などの夢想や感情的・情緒的・激情的な反応を引き起こす人・物・出来事(無意識の投影)として表れる。

「生きているシンボル」とは元型・自己の個別的な表れである。

シンボルとはその人に意識されていない隠された意味を持ち、一義的・一面的な「記号」と区別されるいわゆる「象徴」のこと。生きているシンボルは言葉で表現できないものを表現しており(言葉・意識はシンボルのように定立・反定立を同時に持つことは不可能なため)、シンボルを言葉で表現した時点でシンボルではなく記号となる。物事を一義的・一面的に記号化することが役目の意識もまた一義的・一面的である。シンボルのみが両義的・両面的である。

よって精神病の正体である両立しえない・しかも両方ともに正しい葛藤の解決、言い換えれば、無価値ゆえに無意識に落ち込みコンプレックスとなった対立の片方(定立または反定立)の意識への同化は、一義的・一面的な機能である意識がすることは不可能(意識は対立の片方すなわち定立または反定立の片方しか選択できないしそれがまた役目でもあるので)。よって両義的・両面的・対立を結合した機能、すなわちシンボルのみが精神病・葛藤の解決をしてくれる。

シンボルの由来は元型・自己である。

よってシンボルの内容は(定立・反定立)の1セット、(意識が選択した内容・意識が選択できず無意識に落ち込んだ内容)の1セット、(意識の持つエネルギー・無意識の持つエネルギー)の1セット、(優越機能・劣等機能)の1セット、(内向・外向)の1セット、(自我・コンプレックス)の1セット、(意識の構え・意識の同化すべき構え)など、ありとあらゆる心的対立がその中で統合されている。言い換えれば「正常な意識の構え」である)http://maglog.jp/yumeken2/Article211963.html


 (ユングの精神病治療法は、この定立・反定立への意欲の強さを同じに持っていくことである。世界宗教の根底には常にこれがある。

高次の対立の結合は悟りと呼ばれている。)

 (精神病・葛藤を解決してくれるシンボルには)意識の価値観と合わないため抑圧されたあらゆる心的な内容であり、つまり(無価値と判断されてコンプレックスとなった)醜悪なもの・不道徳なもの・不正なもの・無目的なもの・無用のものなど(が含まれる)・・・『タイプ論』・P287より
 (正常な場合、シンボルは自動的に意識に同化されている。しかし心のエネルギーが減った場合夢・幻覚・空想などの夢想や、感情的・情緒的な反応を引き起こす人・もの・出来事(無意識の投影)をヒントにコンプレックスの意識への同化(言い換えればシンボル解釈)が必要となる。)
http://maglog.jp/yumeken2/Article214068.html

 (上記の理由から、現実生活や夢・幻覚・空想に醜悪なもの・不道徳なもの・不正なもの・無目的なもの・無用のものが出てきて、感情的・激情的な反応をした場合、その対象こそが意識に同化すべきコンプレックスである。醜悪なもの・不道徳なもの・不正なもの・無目的なもの・無用のものが自分自身であることを理解することがコンプレックスの意識への同化。)
 (以上はコンプレックスの解消の観点からの対立の結合の方法論。「意識の構え」の観点からの対立の結合が以下)http://maglog.jp/yumeken2/index.php?、module=Article&action=ReaderDetail&article_id=201933
http://maglog.jp/yumeken2/index.php?module=Article&action=ReaderDetail&article_id=201933


ユングの「宗教精神と個性化」

人間が宗教と呼ぶものはいくつかの段階を経て進化してきたものである。
シャーマンや呪術による太古の時代、預言者、司祭による古代文明の時代、神学者や哲学者によるキリスト教の遺産の時代である。
この種の宗教的なかかわりあいをもつ人間に共通する要因は何か。
それは、内なる神性の経験とも言うべき体験であろう。
ユングは、これをヌミノース(現前する神を意味するラテン語のヌーメンあるいはヌミナからのもの)体験と呼んだ。
シャーマンが部族の神の声を聞き、キリスト教神秘家が内なるキリストの声を経験する。
これらは、ユングによれば、「全体性の元型」や「自己の元型」ということになる。
そして、これこそが、神のイメージとして、我々人間に対して現れるのである。
個人的な自我と関係なく、その人間の本性が意識を超越する全体的なものが存在することは、大抵の宗教でいわれることである。
つまり、全体的なものとしての「ヌミノース体験」とは、シャーマンや聖職者だけの特権ではないと考えられる。
自己の全体性を探求しようとする人間なら誰しもが持つ最終目標なのである。
内なる神性ともいうべき「ヌミノース体験」は、「個性化の過程」ということになる。

ユングが主張したかったことは、全体性と個性の対立的二項関係を認識するとともに、「個性化の過程」による「個性の確立」のプロセスを明確にすることではなかったか。
「個性化の過程」とは、心理学的主体性、すなわち全人格的存在となるプロセスを表現しているものである。
そして最終的には「自己実現」に至るわけだが、「世俗的な個性」を培うことではない。
なぜなら、「世俗的な個性」とは、個人の主体性で一定の集合的あるいは文化的レベルでの流行を受け入れて同一化することと変わりがないのであって、ユングによれば、「ペルソナ」のレベルでの問題にしかすぎないということになる。
ここでの考察は、個々の自我主体としての本来的な個性への同一性(回帰)→「個性の確立」についてこそ議論されるべきものである。

それでは、ユングの「自己実現論」と「他者の関係」はどうであろうか。
心的現象や心的現実としての経験が素材としてみなされるので、ユングは他者そのものを扱うことはない。
あくまで自己の内面の確立が重要であり、これが達成されれば、他者との関係も、自然な形で投影されるのである。
従来、心理学は、自然科学的認識に立って様々な事象を検討していくことが、その出発点であった。
何か一部分だけを見て、全体を見渡さない。
おそらく、部分の総和が全体といった考え方が、その背後にあったのだろう。
それでは、人間が感じたり、理解したり、意味をなしたりする作業は、全体的にその事象をとらえてはいないのであろうか。
ここでの自我と自己というのは、専門用語としての使用するには、いささか逸脱したものがあるように思う。
ユング心理学では、全人格的存在としてのオールマイティーな自己と、主体が同一化する自我とは、大きな隔たりがあり、これらの隔たりは一種のコンプレックスが存在していると。
これは、最初から他者を同一化するほど極端ではないが、しかしながら自我は心の中心たらんとする反面、このことが逆に他者性に対する恐怖心を誘う。
これは、自我意識の外部性に対する暗黒面を拡大させる要因となっている。


心的世界は、自我によって支配することは困難であるし、自我と対立する無意識的なものが優勢である。
この無意識的なものは、なにひとつ純粋に個人的な生育歴に根拠を置くものではなく、人間心理の共通な構成要素としての「元型」に依拠する。
自己とは、これらの意識と無意識を含んだ心の全体性だが、このような自己は個人的レベルではなく、「集合的無意識」にその根拠を置く。
それゆえ、ユングの理論は、自我意識では到底、統御不可能な部分にまで侵入し、自己というものが、あくまで他者との関わり合いを通して、個性化されていくものであると論理付けるヒントを与えた。
ところで、ユングは、「4」という数字に関して、錬金術の研究の中では、重要であると指摘している。
錬金術とは、卑金属から金を得る術として古代より伝説的(比喩的)に語り伝えられてきたものである。
ユングは、錬金術の研究を通して、卑金属から金に変容するまでの過程と、患者が次第に「真の自己」を実現していく人格変化の過程とが、不思議なほど酷似していることに気がついた。
おもしろいように、患者の変化していく「夢と錬金術」の中の言葉が意味を同じくしている。
夢の中に象徴的に現れた「4」という数は、錬金術では「完全性」を表している。
しかしながら、キリスト教では、」「三位一体」という意味で、「3」が重要視される。
キリスト教の「3」は、天上の調和であるが、錬金術では、ここに地上の肉を加えて「4」という数で「完全」を示すのである。

そもそも、キリスト教のような宗教的な見地と臨床心理学の見地を融合したものとしては、宗教心理学という学問領域が考えられるわけであるが、その意図するところは、
人間の心的状態を宗教という見地から、その意味内容を把握し、理解することだと思われる。

一般的に宗教とは、上意下達的な客観的視点というものを集団心理として与え、個々人の中では、様々な事象的な現象として宗教家本人の体験とが含まれている。
通常の宗教的感受性からも、通常でない熱狂的な宗教体験からも「自己開示」を当然ながら必要とするものである。
よく、この点で引用されるのが、ルドルフ・オットーの「ヌミノース体験」であるが、宗教心理学では、絶対的な人間の創造物を抱く感情、要するに人間の心理における経験への反映を研究することなのである。
ここでいう「ヌミノース体験」とは、一種の心霊的要素を含んだ宗教体験である。

つまり、「ヌミノース体験」とは、人間の超越した感情、又は、強力で魅惑的な感受性、更には宗教的な熱狂性を誘発する心的体験をいう。
分かりやすくいえば、大自然の壮大な景色に出くわした時などに、人間誰しもが感じる一種の感動にも似た気持ちではないだろうか。
従って、ユングは、この「ヌミノース体験」を認め、注意深く良心的に暖かく見守ることが宗教であると考えていたようである。
換言すれば、真に宗教的なるものは、教義や戒律、その宗教組織そのもののことではなくて、一人ひとりが心の中に抱く「ヌミノース体験」を暖かく見守ることなのである。
ユングの宗教心理学は、「宗教的救済」を「心理学的自己実現」に置き換えて記述するものであった。
そこでは、狭い自我がそれとは他なるものに直面することで、他なるものに生まれ変わるプロセスが記述される。
http://phenix2772.exblog.jp/9907733/


1) 個性化の過程


今まで、タイプ論や、ペルソナ、アニマ・アニムスについて書いてきましたが、これらが互いに補償しあう関係にあることは理解いただけたと思います。
例えば、外向型と内向型、思考と感情、感覚と直観、ペルソナとアニマ・アニムス等、
これらは対極に位置すると共に、お互いを補い助けます。
つまり、相補的な関係にある。

ひとりの人間が成長しようという時、これらのどちらかに頼るというよりは、両方をうまく統合することで事が成されるのは今まで述べたとおりです。
(相反する存在が、自身に欠けているものを補ってくれるわけですね)。
人はある時期、何かを完成させようと頑張ります。
しかし、それだけでは完成されず、むしろその偏りや一面性による不具合を抱え込むようになってしまう。
それを反対側のものを取り込むことで、補います。
バランスを回復させる。


ひとりの人間を考えてみると、意識は自我を中心に、ある程度統合性を持っており、安定しています。
それゆえ、ひとりの人格として成り立ち、それぞれが「わたし」と言えるのです。
また、外界もその個人を認識してくれます。

このように人間はある程度、安定しているものですが、その安定を崩してまででも、より成長しようとする傾向があります。
これは個人にも言え、社会にも言えるようですね。
その意図は別にしても、結果そうなることが多い。


まず何かに向かってまい進し、やがて安定の時期を迎える。
それが長く続けばいいのですが、なかなかそうもいきません。
ひとつには、バランスの悪さが顕在化してくる。
なぜなら、何かに一生懸命の間、別の何かは放ったらかしになっているから。
その放置された部分により、何か問題が出てくる。


また別の要因としては、状況が変わったりする。
それまではよかったことが、通用しなくなる場合もあります。
それは技能かもしれないし、態度かもしれない。
あるいは、考え方や生き方だったりする。
ともかくいろんなものが、以前は問題なかったのに、急に問題になったりする。
そうなると、変わらざるを得なくなります。


このように、人間というものは、内的にも、外的にも、変わることを要求されるような時期が来ます。
そしてそんな時、表面だけではなく奥のことまで考えていると、そこに無意識的な働きが見え隠れしたりする。
別の問題を悩みとしていても、それを掘り下げていると、変容することの必要性が見えてきたり、すべてが終わった時には、結果として、変容していたりします。
それも、悩んでいた本人だけが変容することは少なくて、周囲を含めた人々が、何らかの変容を遂げたりする。


そんなことを体験すると、人間の意識外の部分に、人を変容させようとする何か、人を成長させるような何か、そんな導き手のような存在を感じずにはおれません。

ユングは、「個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向せしめる努力の過程」を、ユングは『個性化の過程』、あるいは『自己実現の過程』と呼んでいます。

人は何らかの可能性を、無意識に有している。
それははじめ、自我には意識されませんが、やがて、活動しだす。
種から芽が出るように、土から新芽が顔を出すように、無意識から可能性が萌芽する。
その芽を育てる過程が、個性化の過程。
そして芽が育ってきたとき、自我は高次の全体性へと向かう。
欠けた部分が補われ、全部を足りている状態にするような、人間の完成形へと向かう。

(完成するわけではなく、そのような方向に向かう。したがって、過程になる)

そういう意味では、個性化とは、完全なる人間になるとか、個人が有している理想像に近づくとか、そういう意味にも取れます。
普遍的無意識といった深い部分での人間の完成形や理想像は同じでも、今の時代を生きる個人に顕現するカタチは、それぞれ異なってきます。
芯は同じでも、表に現れるカタチはそれぞれ違う。
そういう意味でも、個性化という言葉は意味深いですね。
「それぞれの自分になる」というニュアンスがある。


また、ある見方をすれば、問題に悩む人というのは、そういう要請を拒否しているから、余計に苦しいのかもしれません。
低次の場合は、直すべき態度があるのに、頑なに直さないとか。あるいは、社会的に問題ない場合でも、社会が要請する態度や生き方と、内在する個性が要求する態度や生き方がせめぎ合い、葛藤を起こしているような場合も、あるかもしれません。(葛藤に堪えられないから別の症状が現れるという見方もあります)

後者のような場合、個性化の入口にいるような感じもしますよね。そして、社会という立ち位置にいる場合、それは困ったもののように見える。しかし、内なる個人を尊重すると、それはむしろ、好ましい導き手のようにも見える。

こういうのは、それぞれの価値観によって見方が変わるものなのですが、ちょっと現代は、悩みや問題に対するアレルギー反応のようなものが強すぎるような気もします。悩みや問題を避けるあまり、余計に問題を大きくしたり、悩みを深くしているように思える。ある意味では、問題を避けるから問題が消えないし、悩むことを避けるからいつまでも悩んだまま、という捉え方もできます。

問題や悩みと向かい合うのはつらいのですが、避けられないものに対しては、むしろとことん向かい合った方がいいというのは、少なくとも半分としては、真実だと思えます。なのにどうも、その半分が無視されているように感じる。

で、個性化というのも、このような避けられない問題や悩みとして、顕在化してくるようです。いろんな対決を、要求してくるんですね。でも、そのおかげで、無いものが足される。補償されてくる。それは、今までの章でも、書いた通りです。

参考:ユング心理学辞典『個性化/個性化の過程』


【自己の定義】


ある人の意識が安定した状態であっても――つまり自我が変化する必要を感じなくても――ある時、無意識下の内的問題や現実世界の外的問題により、自らが変容することを強要されることがあります。
(「価値観の崩壊と再構築」とか、「生き方の変更」とか、「誰かを赦すこと」とか、「認めたくないものを認める」とか、いろいろあるでしょう。更には、内的に出てくるものもあれば、外的に突きつけられる場合もあるでしょう)

「中年の危機」といわれるものも、この類かもしれませんね。ある程度の地位を築き、自分でも、世間でも、ある程度社会で成功を収めたり、社会に適応していると思っている人が、ある日突然に、説明のできない不安に襲われたりする。あるいは、長年適応した社会に新たな価値観が現れ、それとの適応を急に迫られ、心身ともにまいってくる。

これは自我にとっては、非常に理不尽で、つらいことですが、それでも問題が投げかけられてしまいます。変われ、適応せよ、と要求される。で、その要求は、時に内的であったり、時に外的であったり。

このように、こころは(あるいは魂は)、自我の崩壊や既存の価値観の崩壊という危険を冒してまで、ひとりの人間の成長を要求することがある。そしてこのような布置を考えるとき、ユングは『自己』の概念を構築しました。

ユングは、自我が意識の中心であるのに対し、自己は意識と無意識を含んだ「心の全体性」であると考えました。自己は「意識と無意識の統合機能の中心」であり、「人間の心に存在する二面性を統合する中心」とも考えられます。

ユングはある論文の中で「二重人格として生じるものは、新しい人格の発展の可能性が何らかの特殊な困難性のために妨害され、その結果、意識の障害として現れたものである」と述べています。

これは何も二重人格に限らず、「ふたつのものの統合という発展の可能性が、何らかの要因により妨害されるとき、それは表面的な問題として生じてくる」と、言えるのかもしれません。

問題や悩みというとどうしてもマイナスのイメージが付きまといますが、このように、そこには発展の可能性が隠されている場合があるんですね。


ユングはその臨床の中で、一般的には異常とも取れるものの中に、意識と無意識の持つ相補的な働きを見出し、心の持つ全体性(自己)を見出してきたのですが、これは彼が東洋の思想に触れることにより、より明確になったようです。

中国に『道(タオ)』という考えがありますが、この「相対立する陰と陽の相互作用と、その対立を包含するものとして把握される点」にユングの思想との共通点が見受けられます。

ユングは次のように述べています。「我々が意識の世界のみを重んじることなく、無意識も大切なものであることを知り、この両者の相補的な働きに注意するときは、我々全人格の中心はもはや自我ではなく、自己であることを悟るであろう」 「自己は心の全体性であり、また同時にその中心である。これは自我と一致するものではなく、大きい円が小さい円を含むように、自我を包含する」


ここで注意がちょっと必要で、このようなユングの考えは、無意識や自己という概念が軽んじられた当時の西洋世界に対して述べられた言葉であるということを、忘れてはならないと思います。
というのも、日本は割合、無意識的なものに開かれている面があるから。そして時には、無意識に超常的な効果を期待し、自我的な努力なしに、無意識的な作用に問題解決をゆだねてしまう面もあるからです。

無意識にゆだねるというのは、ある意味では間違ってはいないのですが、それは自我による努力の放棄というのとは、少し違うんですね。確かに、自我の力を弱めて、自己の作用を観察し、何かを悟らねばならないようなことはあります。そうしてやっと、やり直しや変容ができる。ただしそれは、「自己にやらせる」というのとは、違うんですね。むしろ、「自己の導きに従い、自我がやる」というものです。ある意味では、自我が頑固に拒んでいたものを、自己に教えられ、自我がやる、といった感じ。なので、実際的な努力は、自我がやることになるのです。


自我の力だけでは、人間の発展には限界がある。だから、ユングは、自己という概念を導入しました。しかし、自我の力なしには、何も成せません。西洋では特に自我を鍛えるということが当たり前に行われるようですが、場を大切にする日本においては、そうでもないようです。なので、自我を鍛えるということも、大切になるようですね。特に近年の日本には、状況判断や合理性というものが、欠けているように思います。情緒に流されることが多く、また、合理性のないものに合理性があると信じられたりする。(また、この辺は、父性の欠如と、関係するのかもしれません)。

ただ、自然の理を鑑みれば、無いものは足されるわけで、著しく日本に欠けている合理性や父性も、足されることになるのかもしれません。何らかの痛みや対決を通して。そして、その時には、単なる反転になることなく、補償的なものになるように、期待します。

ユングは、このような言葉を残しています。

「全て良いものは高くつくが、人格の発展ということはもっとも高価なものである」

この言葉にはふたつの意味が含まれていますよね。ひとつには、人格の発展というものは、この上なく高価であること。ただその反面、よいものは高くつく。人格の発展には、いろんな苦しみや悩みが付きまとうようです。

自己は内的に存在する発展の可能性を萌芽させようとします。しかし、そのために、今までを壊そうとしたり、問題を突きつけたりもする。その一つひとつの過程が、今まで書いてきた「影」であったり、「ペルソナ」であったり、「アニマ」や「アニムス」であったりします。それぞれとの対決を通して、人は成長する。欠けたものを補ったり、社会に適応しようとしたり、あるいは、再適応という仕事を行ったり、自分の深い部分との関係を構築したりする。

しかし、その最初の現れ方は、概ね問題や悩みとして、現れるようです。時には、実際的な問題として、また時には、もやもやした不安やいらいらなど、目には見えない問題として、生じる。

我々はそういう事態に疲弊したり、右往左往してしまったりするのですが、悩みを深めることで奥にある問題が見えたり、あるいは、聴くプロに対して語り続けているうちに、ふと、見逃していたものに気づいたりします。そういう、つらくしんどいことを通して、人間を成長させ、発展させていくんですね。

まさに、「全て良いものは高くつくが、人格の発展ということはもっとも高価なものである」というわけ。人格の発展は尊いが、それだけに高くつく。


またユングは、こんなことも言っています。

「個性化は二つの主要な面を持っている。まず一つは、内的・主観的な統合の過程であり、他の一つは同様に欠くことのできない客観的関係の過程である。ときとして、どちらか一方が優勢となることもあるが、どちらも欠かすことができない」


個性化のひとつの側面は、己の深い部分と向き合うことです。時には自我を弱め、無意識的要素の言わんとするところを観察する。自我の防衛や、頑なな態度、願望などを置いといて、純粋に、眺めます。ただ、これは半分。

個性化には同時に、実際的なものと向き合うことも含まれます。例えば、影との対決にしても、相手なしに自身の影を知ることは難しい。投影という映し鏡によってこそ、我々は自身の態度や生き方に気づくことができるのです。また、アニマやアニムスに関しても、そこには実際の相手というものが出てくる。アニマやアニムス自体は内的なものですが、それを映し出す存在が出てくるし、また、影やアニマ・アニムスを自分の生き方に組み込むということは、それらを実際的な場面に顕現させることになる。態度や行動、生き方のうちに統合したり、何らかの表現でこの世に表したりするのです。

人には好みがあって、どちらかといえば自分と向き合うのが好きな人もいれば、どちらかといえば社会で活動するのが好きな人もいます。個性化というのは、その両方に関わっているんですね。ということは、ここでもまた、逆の態度を補うことが求められることになります。自分と向き合った結果を、何らかの手段で社会に表現したり、社会と関わるために、自分の深い部分と向き合ったりする。方向や順序はいろいろあると思うのですが、どちらにせよ、その両方と関わり合いになるようです。

というか、個人の自己というのは、実際の目の前の世界とも関わり合いを持つものなのかもしれません。

2.自己の表現、そのかたち


「自己実現」や「個性化」は人間の究極の目標として捉えられるわけですが、そこに到達点があるかというと、そうではありません。人は自己実現の過程で、ある種の理想像のようなものを設定するでしょうが、その像は永久不変なものではなく、むしろ日々変化するものです。というか、自我の定めたそれを見直させ、新たに目標を教えるのが個性化なので、理想は変遷するでしょうね。また、明確な理想像というのは、なかなか見えてこないかもしれません。それよりは、いろんな元型と対決し、結果として、成長したり、補われたり、人格が発展したりする。そういう意味では、自我にとっては、「させられる」といった面が多いかもしれません。

我々は歳を重ねるうちに自分の可能性をある程度の枠の中に収めようとしますが、自己の試みはそうではない。自我の知らない潜在能力を使えるようにするために、頑張ります。実は持っているのに使っていないものを使わせようとしたり、奥にしまってあるものを活性化させ、表面に出させようとしたりします。それによって、全人格というものを確立させようとする。

個性化とは、そういった過程のことです。

我々は、自身の魂そのものを見ることができないように、自己そのものを見ることはできません。しかし、自己の象徴的表現を通して、その働きを知ることはできる。意識化することができます。

自己の象徴は様々なカタチをとるのですが、それが人格化した姿としては、男性における「老賢者」、女性における「至高の女神」などが挙げられます。この姿は個人の夢にも、世界中の物語の中にも現れます。主人公が苦難の旅の中で身動き取れない状況に陥ったとき、老賢者や至高の女神は、その閉塞を打ち破るだけの、価値ある助言や忠告を与えてくれます。

実際、自我の力で問題を解決しようと努力に努力を重ね、しかし解決には至らず、疲弊し、まさに絶望しようかというとき、我々の知らない自己に働きが生じ、我々の知りえなかった高次の解決法を授けてくれる場合も、あるでしょう。(この辺は、禅の公案にも通じるものがあるかもしれません。禅の場合、考えて考えてなお分からず、ふと考えることを放棄した瞬間に、(葉が落ちるなどの)ふとした自然現象などをきっかけに、悟りを得る場合もあるようです)

老賢者の像は、時に「老人の知恵を持った子供」として現れることがあるといいます。このモチーフは、夢などにもよく現れますが、一見、弱そうであったり、価値が低いと思えるものが、実際には価値ある知恵を持つ存在であるというところが非常に興味深いですよね。また、別の見方として、子供という可能性に満ちた姿をとっている点も興味深い。

現実問題でも、若い者や子供の意見の中に、有用な知恵が隠されている場合もあるし、若くして経験を積んだ者が深い洞察や見識を示すこともあります。そしてこのような時、受け取る側が、若さや幼さを理由に、その知恵を簡単に無視したり否定したりすれば、大事な宝を失うことにもなるようです。(ここでも「聞く耳」が必要になります)


自己実現は素晴らしいものですが、同時に苦難の道でもあります。ユングが「自己実現は高くつくものだ」と言ったように、実際にはできれば避けて通りたいくらいの苦難の道だったりする。自己実現の道を歩もうとしてからも、投げ出したいと思ったり、実際一時的に投げ出すこともあるでしょう。

ただ、ある種の症状に苦しむ人は、「苦しい自己実現の道から逃げ出そうとしているために、ほかの意味の苦しさを味わっている」という見方もできます。自己実現の道は確かに苦しい、しかし、それを経れば、それだけではないものが待っています。そして、そういった自己からの要求を拒否することで、別の苦しみを味わうわけですから、それを踏まえると、どうなるか。

確かに、我々人間には頑ななところがあって、ちょっと態度を改めればよくなることでも、そうしようとはしなかったりします。そして、態度の修正というちょっと苦しい道から逃げ出すことで、別の苦しみを味わい続けることになる。ちょっと気をつければよくなることでも、そのちょっとを頑なに拒み、結果、いつもの失敗で、周囲も自分も苦しんだりする。我々は、「ちょっと」をしないことで、より多くの苦しみを味わっていたり、味わわせていたりするようです。


個性化では、ふたつの要素の統合ということが、テーマになったりします。意識的な態度と影なる態度、表面に出ている男性性や女性性と奥に眠っていた異性性(アニマ・アニムス)、主機能と劣等機能、それらを何とか統合し、より成長するのが、「個性化の過程」や「自己実現の過程」だともいえるようです。

そして、このような統合性を示す例として、「男女の結婚」や「男女の結合」、「陰と陽の結合」などがあります。これは夢や物語のモチーフであるとともに、宗教的なモチーフでもあるように思います。

そして、このような二者の合一による全体性の象徴で、人格化されたものではないものに、『曼荼羅』があります。ここでは、統合による全体性が、幾何学的な図形として表れています。
ユングは、自身の夢の中で、曼荼羅の夢を度々見たそうです。これはユングの著作にも残っています。

このような曼荼羅は、ある個人が心的な分離や不統合を経験している際に、それを統合しようとする心の内部の働きの表れとして生じる場合が多い、とユングは言っています。更にユングは言います「これは明らかに、自然の側からの自己治癒の企てであり、それは意識的な反省からではなく、本能的な働きから生じたものである」

そして河合隼雄先生も言います。「意識的には分裂の危機を感じ、あるいは強い不統合性を感じて解決策もなくて困っている人が、この曼荼羅象徴が生じることによって心の平静を得、新たな統合性へと志向していく過程を経験すると、人間の心の内部にある全体性と統合性へ向かう働きの存在、自己治癒の力の存在を感ぜずにはおれないのである」


自己の象徴としては、他に、「宝石」や「動物」があるといいます。物語などでは、「宝石」を求めて冒険する話も多いですよね。これは曼荼羅に共通する幾何学的な精密さと、得がたい高価なもの、という2点が強調された姿でしょうか。また、未だ意識化されない面が強調されると「動物」の姿で現れることもあるようです。無意識的要素は、夢の中などでも度々動物の姿などをとって現れます。おとぎ話などで、この「動物」が主人公を助けることがあるのも興味深いことです。

さらに、不可思議な面が強まると、それはお化けや物の怪として、夢などに現れるのかもしれません。


閑話休題:『夢の中の曼荼羅』

ある人の夢に現れた曼荼羅について書きます…


わたしは外に出て、家の隅のガソリンスタンドの傍を通り、ゆるやかな坂を下った。
わたしは浴衣姿に、下駄履きである。
空にUFOが見えた。
それはやがて太陽に重なると、二つに分身し、最後には五つに増えた。
UFOは「ダビデの星」のようであり、「曼荼羅」のようでもあった。


詳しい解釈は省きますが、ガソリンスタンドは「補給の意味合い」を、ゆるやかな坂を下る件(くだり)は「無意識へ下ること」を、浴衣や下駄履きは「その時のペルソナの状態」を、UFOは「未知なるもの」を、それぞれ匂わせるところがあります。

そして「ダビデの星」や「曼荼羅」は、人間の域を超えた「超越的な機能や統合性」を感じさせる。

3.「時」


「自己実現の過程」や「個性化の過程」を歩もうとする際に重要となる要素に、「その時」というものがあるかもしれません。

ユングは「自己実現は高くつく」と言いましたが、その通り、自己実現は偶然出会う幸運でもなければ、簡単なアドバイスにより達成されるような甘い話でもないようです。それよりは、理不尽な不幸に巻き込まれて、旅に出発し、幾たびの苦難を乗り越えながら、なんとかお宝を手にするといった物語との方が、共通点が多いように思います。そして、そこには危険が常に付きまといます。まさしくこれは冒険でしょう。


人生の後半において、自分の内面と対決せねばならない「時」が来るのは、容易に想像できるのではないでしょうか? 世間から人生の成功者のように思われる人でも、「その時」には、自分の空虚な心に気づき絶望するかもしれません。会社から仕事を奪われた人は、「その時」には、仕事以外に何もなかった自分に気づき、立ち尽くすかもしれません。あるいは、家庭を支えてきた人は、「その時」に、自分の中で何かに突き動かそうとしている動きに気づき、戸惑うかもしれない。


河合隼雄先生は『寿命の話』として、グリムの面白い話を提供してくれています。

神様はロバに三十歳の寿命を与えようとしましたが、ロバは荷役に苦しむ生涯の長いのを嫌がったので、神様は十八年分短くすることを約束しました。次いで、犬もサルも三十歳を長すぎると言って辛がるので、神様はそれぞれ十二歳と十歳分だけ短くしました。さて、そこに人間がやって来たのですが、人間が三十歳の寿命が短いというので、神様は、ロバ、犬、サルから取った年齢分、十八、十二、十歳の合計を人間に与えたので、人間の寿命は七十歳になりました。

人間はそれでも不満げに退いたのですが、この物語のよると、それ以来人間は、三十年の人間の生涯を楽しんだ後、あとの十八年は重荷に苦しむロバの人生を送り、続く十二年は噛み付こうにも歯の抜けてしまった老犬の生活をし、後の十年は子供じみたサルの年を送ることになったそうです。

これは非常に興味深い物語です。「重荷に苦しむロバの人生」、「噛み付こうにも歯の抜けてしまった老犬の生活」、「子供じみたサルの年」これらの喩えは単純には笑えない真理を含んでいる。このような物語は、論理的な人生の説明よりも、よほど胸を打つものだと思います。読む各人に様々な情動を与えてくれるのではないでしょうか。(そういう意味では、夢と同じような効果がありそう)

この物語を読むと、長寿を得た人間の不幸話の印象が強いのですが、現実世界に生きる人間の一人としては、せっかく得た寿命という貴重な「時間」を有効に使い、動物の人生を送るのではなく、せめて人間として年齢の分だけ価値ある人生を送りたい、そう願います。

ただ、三十歳まで生きた人生を、そのまま晩年にまで生きようとしても無理があるかもしれませんね。実際の世界でも、「若さ」や「強さ」に固執し、それを売り物にしようと努める人もいます。しかし、それが限界に達したとき、急降下が始まるようです。この急降下は悲劇につながりやすい。逆に、急降下ではなく、自負を持ってゆっくり下る、これができる人は「人生の達人」なのかもしれませんね。

年齢の分だけしっかり生きた人には、老いというよりは、そこに成熟がみられるように思います。そして、そこには老いを受け入れた人の美しさがあるのではないでしょうか。


自己実現の「時」がいつ来るかは誰にも分かりません。このような「時」は、一般に言う時計で測定できるような「時」と区別して考える必要があるようです。

神学者パウル・ティリッヒは時を以下の二つに分けて考えたといいます。

ひとつは「クロノス」で、これは時計で測定できる時間です。数字に換算できる時間。一方、「カイロス」は時間の質の体験で、例えば、何かに熱中していて時計の時間的には長いのに、感覚としては瞬間にさえ感じてしまう、そんな体験です。これはいわば、感覚的な時間。

もともと「時」とは後者の感覚的な意味合いが強く、あのニュートンは、時間を感覚から解放するために数学的な時間「絶対時間」を提唱したといいます。

我々の生活に、もはや時間は欠かせませんが、時計で測定できる時間(クロノス)と、もっと感覚的・主観的な時間(カイロス)、両方と接しているようですね。

時間を守るというときは、前者の意味合いが強いようです。スケジュールなんかも、そう。ただ、人と過ごす時間というのは、むしろ、後者の意味合いの方が強いように感じます。授業なんかは、開始と終わりは前者だけど、その途中はというと、後者的な感じもしますね。
(余談ですが、カイロスを「神が定めた時」という人もいるそうです)

「!」とくる瞬間、そういうのも、カイロスに関係するのかもしれません。そして、自己実現の問題と、このカイロスの問題とは密接な関わり合いを持つようです。

例えば、外向的に生きてきた人が、内向的な生き方にも意義を見出さねばならなくなった「時」、家庭を顧みなかった人が家族の病気に際して、家族と深く向き合わなければならなくなった「時」、自分の中の弱さや欠損を否定したり抑圧して生きてきた人が、それに気づき、なお逃れられず、どうしても向き合わねばならなくなった「時」、いろんな時がある。

カイロスとは機会を神格化した神だと言われますが、「チャンスの神は前髪しかない」という言葉があります。これは、「好機はすぐに捉えなければ、次はない」という意味なのでしょう。そして、これと同じように、カイロスを大切にしないと、我々は自己実現の道を誤ってしまうかもしれません。

ただ、カイロスを大切にするばかりに、クロノスを忘れてしまうと、外界に対して適応した態度であるペルソナを損なう恐れがあります。勤務時間、面接時間、劇場の開演時間、いろんな約束の時間、これらのクロノスを守ることは社会人として最低限の常識です。

このように、クロノスのみに囚われると大事なカイロスを見逃してしまうし、カイロスのみに囚われると大事なクロノスを見誤ってしまう。ここでも、バランスが問題になります。そしてその「時」を見極め、何を選択するかというのも、重要になってくる。


自己実現もそうですが、人生の重要な「時」に、我々は不思議な現象に出会うことがあります。それは偶然という言葉でくくるには、あまりにも意味深い現象であり、心にぐっときたりする。

例えば、「夢のお告げ」といわれるような夢を見ることもあるでしょう。祖母がやさしく笑う夢を見て、覚醒した瞬間に電話が鳴り、祖母の死を知るようなこともあるかもしれません。あるいは、夢の中のアニマが現実世界にも現れるかもしれない。

このような『意味ある偶然の一致』をユングは重要だと考え、これを因果律によらない一種の規律であると考え、非因果的な原則として『共時性』(シンクロニシティー:synchronicity )と名づけました。

ここで注意せねばならないのは、「因果律によらない」ことです。上記のような例でも、祖母の夢を見たから祖母が死んだのではありません。仮に、地震の夢を見たとしても、その夢を見たから地震が起きた訳ではないのです。このような共時性の現象を因果律によって説明しようとすると、偽(ニセ)科学や偽魔術、宗教モドキなどに陥ります。
祈ってもらった「から」、症状がよくなった。信心しなかった「から」、悪くなった。そんな都合のいい解釈はないでしょう。よいことは神のおかげ、悪いことは本人のせいでは、本人の努力が価値の低いものになります。というか、神のおかげと言いつつ、特定の人間を神格化するのでは、訳が分からない。


話を戻すと、共時性の現象を見るときは、原因を探るよりは、その現象が当人にとって何を意味するのか考えるほうが、より建設的なようです。共時的現象が、何と何をつなぎ、何を教えようとしているのか? それが大事なのかもしれません。

ユング心理学辞典:「共時性」


「個性化の過程」は自分だけの理想像、なるべき姿、人生の仕事を模索し、それを成し得ようとする作業であり、過程です。それは既存の価値観でもなければ、誰かに押し付けられたものでもないし、世間の流行によるものでもありません。そして、自我も知らぬ未知のものでもあります。

無意識の深遠から突き動かされ、自我と自己とがタッグを組み、この人間の深い部分からの要求を我々が生きる世界で体現することが、個性化の過程です。

我々は意識できない領域に、何らかの可能性や貴重な潜在能力を有している。まだカタチにしていない未知なるものを、持っているのです。自己はそれを、何とか育てようとする。

我々はそれを拒否することで、悩みを大きくしている面があります。なので、そんな時は、自我の力を弱め、無意識のメッセージに耳を傾けるのも、意味あるようです…
http://starpalatina.sakura.ne.jp/kouza/08.html

バラモン教・ヒンドゥー教の宇宙と「自己」との一体感・同一化というのは心理学の用語では『自我インフレーション』
個人の意識を潜って行く・・すると先人達の意識に達し、さらには民族、もっと潜って行けば人類の無意識層が横たわっている。
 集合的無意識には「元型」呼ばれるものに分類され、『自我』『自己』『影-シャドウ』『アニムス・アニマ』等。さらに細分化され『仮面-ペルソナ』『子供-インナーチャイルド』等もある。
  【そこで最も重要視しなければ成らないのが『英雄』と言う元型である。】
 元型の作用があまりに強く、自我が十分に自分自身を意識して確立していない場合、自我は、元型の作用像を自分自身の像と混同し、元型の像に同一化することがある。自分が非常に大きな力・権力を持ち、偉大な存在であると錯覚する事態が生じるのだ。
  【これを自我インフレーションと言う。】
 集合的無意識は、ある場合には、無限のエネルギーを持っているように見えることがあり、その結果、自我のインフレーションは極端化し、自分こそは、世界を変革する英雄であり、偉大な指導者であるなどの妄想的な錯覚が生じることがあるだ。
http://linray.run.buttobi.net/column04.html#spirithttp://www.seijin.asia/wps/?p=30

個性化と自我肥大(自我インフレーション)
ユングは最終的には実存主義者ではなく実在論者の立場を取ったと考えていますが、実存主義を理解していたことは確かであると思います。
ユング心理学の言うところの「自己」とは、極論すると「神」または「全宇宙」と言い換えても良いものです。
ユング学派の言う「個性化」が進むとフロイト学派の言うところの自己同一性は高まって行くのですが、その結果心理的変容の1つの最終過程である「自己」との一体感を感じる瞬間が起きます。
これをユング心理学ではエナンティオドロミーと呼びますが、この際に経験者には自我肥大(エゴ・インフレーション)という物が起きているとされます。
この自我肥大という言葉は、言葉だけでも良い印象は無いと思いますが言ってしまえば、「自分と宇宙が一つになったような全能感」が起きます。
私の経験からですが、頭の片隅ではこれは一種の錯覚に過ぎないと気付いているのですが、確かに自分がまるで「神」になったかのような気持ちになり、一種傲慢になりました。
そして非常に分かりにくいと思いますが、同時にそれは「死」に非常に近接した状態、生と死の交わる1点に自分が立っている感覚であり非常に危険です。
別のある心理学者(セラピスト)の言葉を借りると「自分が100%死ぬと分かっていた」という表現も可能です。(彼の場合は私と比較し幾らかポジティヴな状態であったようですが。)
この異常な精神状態が、おそらくニーチェの言うところの「永遠回帰(永劫回帰)」になるのであろうと考えています。
心理的変容が未経験の哲学・文学系の方々は、この永遠回帰を文章・文脈的に理解しようとする傾向があるようですが、この永遠回帰思想はそれだけでは断片的理解に過ぎず、彼のツァラトゥストラには、むしろこの「死を伴った全能感」をニーチェが克服しようとした時に表された言葉が出ているだけと考えています。
ニーチェの「ツァラトゥストラ」含め彼の作品は皆、一種の高揚感がありまた傲慢とも言える全能感に満ちていることがありますが、この原因には彼の梅毒罹患による脳の器質的破壊があったかもしれませんが、ユング派の言葉を借りれば個性化過程における自我肥大による影響もあったのではないかと思います。
ニーチェの文体は非常に力強いのですが同時に一見、混乱・破綻したような文章になっています。
これは自我肥大を伴う個性化課程を経験した者のみは「ああ、そうだよね。同じことを経験しているんだ。」と読み解けるようある程度意図的に設計されていると思います。
http://www.seijin.asia/wps/?p=30

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6. ユングのマンダラと密教の曼荼羅

――西洋と東洋の深層心理比較,自我と無我について――

人間のこころの探究を無意識の領域にまで広げたユング(1875〜1961)は,東洋思想の内面性,特に仏教思想に強い関心をもち,私たちは多くのユングの著書からもそのことを感じ取ることができます。
しかし残念なことに,実際には仏教のもつ多様性,ならびに両者の基本的なコンテクストの相違については,当時ユング自身あまり理解していたとは言えないようですし,その後のユンギアンもほとんどこの基本的問題には触れてきませんでした。
他方仏教サイドのほうはと言えば,伝統的に西洋心理学の無意識に対して無関心であったこともあって,結果として両者の間で根本的なカテゴリーの相違について,客観的検証がなされていないのが現状です。
一方,1960年代から70年代にかけて,一部ユング心理学の流れを受け,東洋思想を取り入れたカウンターカルチャー運動,いわゆるニューエイジ,ニューサイエンス運動がアメリカ西海岸を中心に広まりました。
この運動自体は現在ではほとんど姿を消しましたが,この流れの延長線に位置するのが,東西思想の統合を唱えるウィルバー(1949〜)に代表される,トランスパーソナル心理学です。
しかしこれもユングの場合と同様と言うか,さらに両者のコンテクストの違いを不明確にしたまま,安易にいいところ取りをした考え方のように思われます。
そうした背景を踏まえた上で,よくユングと仏教の類似性の例として一般的に挙げられるのが,「ユングのマンダラと密教の曼荼羅」および「ユング心理学と唯識思想」です。
本文では,これらの例を通して両者の本質的な相違点を,東西比較思想の視点に立って比較検証してみたいと思います。
さらに両者のコンテクストの底流にある「自我と無我,空の思想と実在論」「仏教思想史の釈迦仏教と大乗仏教」の問題も併せて考えてみたいと思います。

1) ユングのマンダラと密教の曼荼羅

(1)ユングのマンダラ

苦難のナチ時代,ユングは
「その時の自分の内的状態にふさわしいと思われる小さな円と四角の図形」
を描いていましたが,当時彼が知っていたチベット密教の瞑想道具の曼荼羅に似ていたことからこれをマンダラと名づけました。
最初は図形の意味が分かりませんでしたが,そのうち「自己の中心」「人格の全体」を表していることに気がついたということです。
こうしたユングのマンダラの特徴は,第1に自分の心の投影ですので,密教の曼荼羅と異なり決められた形式がないということです。
第2にはマンダラの構成としては,周囲の円または四角形,中身の図形,ならびに核となる中心の3つからなっています。
そしてマンダラ全体は,自我(意識)または自己を表しているということになります。
したがって周囲の円または四角形は,自我(意識)を外部(無意識)から守る防御柵に当たり,通常ははっきりした境として,城壁あるいは堀などとして図示されています。
中身の図形は,
安定した全体性を象徴する円,四,四の倍数の角形や放射線
で仕切られており,
上下,左右,白黒,明暗,昼夜,太陽と月,善悪,男女などを象徴する対立物
が調和して配置されています。

中心は,対立物の統合の象徴として,星,宝物など最も貴重なものが描かれ,
自我の中心,価値観の中心となっています。

マンダラの外側は無意識の大海を表し,
防御柵に守られた内側は自我意識となっており,
全体として個体または個性の秩序の確立を象徴しています。

外部(無意識)と神秘的融即して自我を喪失することのないよう,
separated,but undivided personality(individuality)を育てること,
これがユング心理学の目標である「個性化」概念であり,
それを集中的に表現したのがマンダラと言えるのではないかと思います。


(2)真言密教の曼荼羅
7世紀インドの密教経典,大日経,金剛頂経から生まれ,
大日如来を中心に四仏,多くの菩薩,明王,天部などの眷属をまとめて描いた図形
が,胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の両界曼荼羅です。

その中の胎蔵曼荼羅を取り上げてみます。
そもそも曼荼羅という言葉は,サンスクリット語のmandala の漢訳語です。
語源から言うと「本質を得る」で,一般には円とか円壇を意味しています。
曼荼羅には時代場所によってさまざまなものがありますが,この胎蔵曼荼羅は中期密教(純密)のもので,ほかに初期密教(雑密)のもの,後期密教にはシャクティ(女神信仰)が入った官能的なチベット密教の曼荼羅などもあります。
この曼荼羅には,大日如来を中心とした仏の世界であるとともに,仏性をもつ人間の心の世界でもあるとの考えから,
手に仏の印を結び,口に仏の真言を誦し,心を三昧の境地に置いて,曼荼羅(仏)の世界と一体になる修行,
つまり三密加持の密儀によって,空海のいう「秘密荘厳住心」(十住心論の10番目のレベル)の境地に即身成仏する法具としての役割があります。
密教の曼荼羅は,ユングのマンダラが自我または自己の小宇宙であるのに対し,大日如来を中心とした大宇宙です。
ユングのマンダラが自我の確立にあるのに対して,
密教の曼荼羅は無我になって大宇宙あるいは仏の世界に,自身を投入または神秘的融即することにあります。
したがって両者の図形は類似していても,内容と役割はまったく正反対です。

2) ユング心理学と唯識思想の心のしくみ

(1)ユング心理学の心のしくみ
人間のこころは,自我意識と無意識からなり,

無意識には,幼児体験とか忘れた過去の体験などの個人的無意識と,
遺伝的本能的なものも含めた人類の普遍的無意識または集合的無意識があります。

両者の関係は,大海が集合的無意識だとすると,浮き沈みする小島が自我意識というイメージになります。
この場合,小島の周囲の沿海が個人的無意識ということになりますね。

ユング心理学の核心は,あくまで価値体系の主体である自我の確立です。
これは自我(光)が,影の個人的無意識とうまく補償関係を保ち,
闇の集合的無意識の奔流から自らを守りながら必要なものだけ取り入れ意識化(個性化)する
ことにより,自我を完成すること,つまり自己になることが目標になります。

基本的には,マンダラと曼荼羅におけると同様,自我のユング心理学は無我の仏教とは正反対の立場にあるといえます。

(2)唯識思想の心のしくみ
唯識とは「すべては心が生み出した表象にすぎない」という意味で,このことをヨーガ修行によって実証しようとするのが,大乗仏教の唯識・瑜伽行派の思想です。
心のしくみに関するユング心理学との用語の対比は次のとおりです。

唯識思想の表層意識は六識(眼,耳,鼻,舌,身,意)あるいは視覚,聴覚,臭覚,味覚,触覚,感覚の六感覚からなり,これはユング心理学の自我意識に対応します。

唯識思想における潜在意識はユング心理学の無意識で,その内訳であるマナ識は個人的無意識,アーラヤ識は集合的無意識に対応します。

さらに言えば,唯識の梵行はユングの個性化で,唯識の円成実性の境地(悟り)はユングの自己に当たると言えます。
しかし,前述のように内容のほうは大違いです。
ユング心理学では,自我意識が実在の中心であるのに対して,
唯識では意識は仮象(したがって当然無我となる)であり,すべては仮の唯一の実在であるアーラヤ識から生起すると考えますが,
円成実性のレベルになると仮の実在であるアーラヤ識も消えてしまうという,空の思想(非実在論)になってしまいます。

心のしくみの名前は対応していても,中身は,
自我と無我,実在論と空の思想
という基本的にクリティカルな関係にあるので,無理に両者を結びつけようとするとカテゴリーエラーに陥る危険性を常にはらんでいます。
しかし現実には,こうした前提を無視した統合の議論が多くみられます。


3) 自我と無我,空の思想と実在論

仏教の自我と無我について,ここでまとめて考えてみましょう
西洋の自我に対し,仏教の基本的な考え方は無我の立場であるといちおう言えると思います。

次に問題は,日本の仏教学が「有」すなわち実在論に立っているか,「空」すなわち非実在論の世界観に立っているかということです。

大乗仏教が成立する前の部派仏教の時代では,説一切有部の名のとおり法(事物)は実在するという立場でした。
ところが3世紀になって大乗仏教中観派の竜樹が書いた『中論』の中の,いわゆる「空」の思想が,従来の実在論を大きく転換させる契機になったと言われています。
それでは,こうした「空」の思想が,当時どう理解され,その後どのように伝えられていったかを考えてみたいと思います。
まずこれに関連する中論の中の3つのキーワードを取り上げてみます。
それは,
空(シューニア),無自性(ナスバータ),縁起(プラティティアサムツパーダ)
で,4世紀に鳩魔羅什が,括弧内のサンスクリット語を現在の漢字に翻訳し,それが日本で通説の「空」論,あるいはダルマ(諸法=事物)非実在論の根拠になっています。

それでは,これらのサンスクリット語の漢訳ははたして正しい訳であったかということが問題になります。
これについて日本の仏教学界には,シューニアを空としたのは羅什の世紀の誤訳であったとする少数学説があります。

当時,竜樹はサンスクリット語のシューニアを仏教の最高のレベル状態と考え,
中国で主流であったタオ思想の最高のステージである玄あるいは無に準えて,空と漢訳した
という見解です。

確かにシューニアには,空のほかに諸法実相つまり「ありのままである」との意味もあるということから,もし後者のラインでいけば,

無自性は「すべてのものには実在がない」
ではなく
「ダルマの主観的な独自性を否定した」

だけと言えるし,また

縁起は「すべては相互的依存関係であって実在がない」ではなく,
本来の意味の「眼に見える総合的関係」

と考えるのが適切と言えるというものです。
特に日本の仏教学会で空の思想が多数説になったのは,明治以降の圧倒的な西洋の実在論に対抗するために,独自の世界観を求めたことにあったからだとも言われています。


4.仏教思想史における釈迦仏教と大乗仏教<仏教はひとつではない>

仏教というと,インドを連想しますが,現実にはインドの仏教徒は1%程度で,大多数がヒンズー教徒,次にイスラム教徒となっています。
紀元前15世紀のアーリア民族の侵入から現在まで3500年のインド思想史から眺めてみても,その仏教の盛んだったのは紀元前3,4世紀からせいぜい500年くらいの期間で,それもそれまでのバラモン教と共存していたと考えられます。
つまりインド思想史の大勢は,バラモン教とヒンズー教を通して業・輪廻・解脱・梵我一如のラインにあるアートマン(我)思想,現世肯定の実在論(有の思想)であるといってもよいと思います。

こうした流れの中で誕生した釈尊の悟り(四諦=苦集滅道)とは,

前世を含むバラモン教徒であったそれまでの自身の生き方(自利利他の現世主義)を,しょせん無駄であったと言って全面否定して,
梵行により煩悩(渇愛)を断ち,出家主義によって自利を求めたものと思います。

つまりは釈迦仏教(原始仏教)は,本質的に現世を否定した宗教と言えると思います。
現世否定の当然の流れとして,無我を標榜し,その延長線上には空の思想への土壌があったと考えても不思議ではと思います。

悟りの内容は,言葉では言えないし,言えたとしても煩悩が好きな衆生は受け入れない
と言って,当初梵天勧請を断った釈尊の予想どおり,本国インドの釈迦仏教は現世肯定のヒンズー教に取って替わられました。

しかし,国外では仏教自身が自利利他の現世主義に大変容することによって,大乗仏教,密教として中国,日本,チベットで受け入れられたと考えられます。
この大転換と釈尊との関係は,一言で言えば,
原始仏教が釈尊の悟りの四諦を即実践しようとするのに対して,
大乗仏教では,釈尊自身が前世を含めて仏陀になる前までバラモン教徒としてやってきた利他行(菩薩行)のプロセスを追体験しようとする宗教と言えるかと思います。

仏教思想史をこうした視点でみると,
大乗仏教の中でも,竜樹の空・中観派,
その流れの無着・世親の唯識・瑜伽派の,生きている間には到底達成できない三劫成仏の菩薩行に対し,
誰でも仏性(本覚思想)ありとする如来蔵派(以上を大乗仏教三派と言います。),現世利益的色彩の強い即身成仏の密教への流れを考えれば,
日本の近代仏教学の多くの学者が,無我論はともかくとしても,いまだに非実在論あるいは空の思想に固執しているのは,いったいどうしたものでしょう。
しかしいずれ近い将来には日本仏教学も,これらの問題を乗り越える時期が来るでしょうが,その時こそはじめて西洋の宗教,心理学とカテゴリーを共にした真の研究がスタートのではないかと期待するところです。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/u-jung/page7/page7.htm


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10. 光が乱舞する心の深層の世界

仏教タントラではブラフマン(創造神)とアートマン(真我)の合一を体験することをサマジー(三昧耶)・・・暝想の極致という。
ダンマ(真理)に接近しこれと合一する(即身成仏)ことを目的にした、究極的な高度で、深い暝想のはてに、浄化がある。


○想像力は目にみえないものを見させる

 ハワイのフラダンスは、もともと神に奉げれていた神舞であった。
フラの巫女には、女神ペレのマナ(霊力)が感応してくる。
ハワイ語でマナとはスピリチャル・パワーのことだという。
そこで、もともとフラは神霊との交流の儀式であった。

 始めに、詔(みことなり)や、リズムと歌で、神々しい雰囲気と聖なる場を整える。
「真如」の導入である。

次に、フラのダンサーは、そのリズムで踊りながら陶酔し、やがて「没我」となる。
そこに、神霊が「感応」する。
恍惚が踊り手を支配する。
すると、神からの返答が現れ、「天恵」が現象化する。

こうしたプロセスをもつ古代儀式は、世界中に普遍的にある。
ダンスがそもそも交霊術であることを示してくれる明確な例はスーフィのダンス、鎌倉時代に起きた一遍の「踊念仏」などが上げられよう。
不乱の舞は、「没我」に至るには欠かせなかったのだろう。


 古代的な交霊は、表面的にしか物事を見ない人々には理解できない。
エンタテインメント化されたショウとしてのフラよりも、マナ(スピリチャル・パワー)と一体になったフラは偉大で神聖である。
ハワイ島では、古代と同じ”のり”で女神ペレへの感謝のフラが、今でも行われている。
これが奇跡なのだろう。

 なんであれ、音楽とダンスとは一体であり、それは神楽(かぐら)だった。
日本の祭の神輿(みこし)の”のり”が、それなのだろうか。
洸惚感、あの陶酔感は、御輿(御神体)を担ぐことによって、はじめて感じることができる。
神輿を担ぐことは、スピリチャル・ダンスだった。
真の芸能には、「真如」「天応」「没我」「天恵」の4つのプロセスが必ず組み込まれている。
だからこそ喜びと生きる力を与えていた。
現代では、真のイベントは少なく、その一部か、残り物だけとなってしまっている。
それは、大音響のロックの陶酔感とはあきらかに違うものである。

http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/008.html


○男性原理と女性原理


 マンダラは金剛界マンダラと胎蔵界マンダラと2つのマンダラが常に一対のものとして見られている。
般若とは完全な知恵という意味があるが、ヒンズータントラでは、般若(プラジニヤ・ー)といい、女性原理(シャクティ)を示し、行動と知恵であり、男性原理は方便(ウ・パーヤ)シヴァといい、自らは何の活動もしない。

方便(シヴァ)と般若(シャクティ)が一体になったときをアーナンダ(恍惚たる喜び)という。

後期のチベット密教の無上ヨーガタントラは性的技法が説かれている。

タントラの根本は男性より女性のほうが多量の霊的エネルギーをもっていると信じられ、このため男性は女性との性的結合によってはじめて悟りの境地に到達し、神的なるものを認識するという後期のタントリズムを生んだ。
基本的には男性は射精によって精力を費やすことなく、女性のオルガスムスによって生じた液体を吸収し、長時間性交を保ち、大楽の観相をする生理的ヨ−ガである。

女神との合一している神仏の当体のごとくなろうとする儀式の体系を秘密灌頂という。

 後期の無上瑜伽タントラはヒンズー教、梵教の神母信仰と習合したもので、本来、禁欲的な仏教とは相容れないので、「タントラ密教」として本来の仏教と区別する。

 インドのカジュラーホーのヒンズー寺院群、コナーラクの太陽寺院の外壁を飾る男女の交歓像(ミトナ像)は、けた外れに官能的な浮き彫りで、おびただしく曝している。
リンガをヨーニに結合し、女性は永遠のオルガスムスに至福の笑みを浮かべている。
シヴァ神とカーりー女神の合一を表すリンガ(男根)・ヨーニ(女陰)がそもそも神体であるので、ヒンズータントラは性的結合が万物の根本であるという原理にたったものである。
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_MJ.html


○マンダラの普遍性
 
 マンダラはタントラ(仏教教典)によった仏界の見取り図といわれている。
しかし、単に「金剛頂経」のから生まれ出た産物なのではない。
この幾何学的な構図や色彩は、真実の仏界と心のリアリティ=元型(イデア・プリンシパル)の像であり、かつ普遍的なものである。
だからこそ、太古からその像は連綿と描かれてきた。
そもそも、マンダラは意図されることなく、始まりのない宇宙そのものであった。

ところで、瞑想ってなんだろう? 
チベットの僧侶たちは、「マンダラ」に対座して暝想をする。
チベットの密教では暝想が必須の行だ。
暝想を実践しなくては、生ある間に、どんな人間も聖なる領域へつながることはない。
チベットの僧侶の暝想は、朝、昼、晩、夜にと、各時間帯に継続して行なわれている。
ゴンパ(寺)の中は暗く、蝋燭の火で灯す。
すると、マンダラは眼前に迫るように浮き上がり、揺らめく炎が煙のようにその前を立ち昇る。
その煙は、自分の体から立ち昇る気の炎であることに気づく。
と、やがて、目の前は青紫色に、やがて黄金色に輝き始める。 
それは、次元を透過する超越した偉大なる光だ。
「空性」の体験はこうして現われる。
大空の世界からの橋渡しが為されており、それは、この幻の光に他ならない。


 マンダラは超越しており、特定の人間のものだけではない。
マンダラを外なる図画として語るだけでは、マンダラに近接できないと言ったのは、実は、こうした体験こそ大切なことだからだ。
マンダラは内なる存在として、すべての俗的な権威を越える至高の存在であり、それは、同時にあなた自身であるからだ。
マンダラは「空」の世界の究極の「相」であり、空の本質であり、円く輝くさまざまな色彩に満ちた光の像となって顕れる。
永遠なるもの、マンダラの本質、それは、同時に一人一人の「魂」に輝き、万物に平等にある。
生あるものは、それがマンダラなのだ。

 暝想は誰もが大悟を得るために通らねばならない偉大なステップだ。
宇宙原理(ブラフマン)と個我(アートマン)とは本来、同一であるという考え方は、バラモン正統派の伝統的な疑いえない真理なのだ。
アートマン、その表れはあくまで肯定的な「有」の存在であり、肯定的な有産力をもった力となって表れる。
さまざまなトーンをもち、色彩をもち、形をもって存在し、あらゆる存在するものなかをつらぬいて全空間をおおいつくしている。
それゆえに、アートマンは現象のすべてを包み、生産するむシャクティ(母性)の役割を担う。
それは、空域と物質界がもともと一つである事の確証であり、2つの領域は別物ではないことを示している。
そして、それと不二だと思うとき、彼は至福をえるのである。
彼の外からけっして来るものでなく、それははじめから内蔵されていたものであった。


 さて、インドでは仏教はヒンズー教に、また、イスラム教に圧倒されてしまったが、チベットにはタントラ仏教(ラマ教)がいまでも残されている。
そして、チベットには数々のゴンパ(寺)があり、なかでもリンチェンサンポ方式の堂は、ただ、ひたすら暝想を行なうための場とされている。

とりわけ堂内の壁にはマンダラが所狭しと描かれ、そのなかで、独り、宇宙と自分の合一を体感するために暝想に耽る。

宇宙のエネルギーが彼自身を全く貫いている。
すべては、原初仏のもとに一つなのだと・・・。


 密教タントラのあらゆる実践は、ラマによって灌頂、直接伝授されなければ成就できないとされる。
また、タントラ密教の三帰依戒は、導師(グル)、守護神(デーヴァ)、ダーキニーで、仏教とは出発から異なっている。
仏教の三宝帰依は”仏法僧”である。

 チベットの修行で、導師は一人とは限らない。
はじめは何人もの導師に教えを乞う。
しかし、最終的な悟りに導く導師を根本導師といい、グルに絶対的に帰依する。
口伝だけでなく、あらゆる動作を含めて、それらは書物だけでは伝えることができない。


 ヨーガとはサンスクリット語で、馬をくびきに「縛りつける」といった意味だ。
肉体の感覚器官を暴れる馬にたとえると、その統御を意味する。転じて、暝想という意味の言葉になった。
荒々しい五感煩悩に、手綱をつけるという伝統的な意味をもっている。
それが、ヨーガである。
 タントラとは、[tantri]が語源で「縦糸、織物」を表し、転じて、「知識を広める」という意味。
自らに目覚めるための知識、体験の体系を意味し、単純に教典をさすようになった。
タントラのうち、第4の無上ヨーガ(最高のヨーガ)は中国・日本には伝わらなかった。
一方、いわゆる後期の密教がチベットでは一世を風靡し、土着的ボン包含しながら発展したといわれる。
チベットでは、タントラヨーガに、無常の魂の励起が約束されており、多くの人々を高い境地に導く実践がいまでもなされている。
日本の密教は、中期の密教に属している。

 瞑想のビギナーは、瞑想中に不思議な挙動をしめす光にでくわす。
それらは、ブラフマンを顕す兆候だ。
なぜなら、その光はまさしくわたしの意志によらない挙動をしめし、わたしはただ感動しているからだ。
禅では、これと魔境(雑念、妄想)と区別しない人が多い。
しかし、これらは、たいへん良い瑞兆なのである。

「密教は4つの段階に別れている。
一、所作タントラ 
二、行タントラ 
三、ヨーガタントラ 
四、無常タントラ。 

第1の「所作タントラ」は、呪文、陀羅尼、諸仏の供養の仕方、壇の作り方、手印の結び方などの作法を主要な内容とする。「蘇悉地経」、「蘇婆呼童子経」、「不空絹索経」などがある。 

第2の「行タントラ」は7世紀の成立と言われる「大日経」で、マンダラをつくり、悟りを中心にした観想法を発展させた。観想法とは、精神集中によって眼前に神仏をありありと描くことである。しかし、この行タントラの大日マンダラはほんのわずかの点数が残されていること以外、あまり知られていない。 

第3の「ヨーガ・タントラ」は「金剛頂経」である。この教典の出現は8世紀で、行者はこの金剛界曼陀羅と一体になる暝想を行じる。 第4の「無上ヨーガ・タントラ」は精神・生理学的なヨーガの技術を用いる。さらに、奥深い秘密を残しているが、この暝想は、ある観相マンダラを持ちいて直接、光の場に降り立とうとする。 

 チベットの観相修業にもちいる第4段階以降のマンダラは、日本に知られていなかった。
「悟り」の第一段階は、シューニャータ(空)の光とエネルギーが、いつも真我に透過しているという真実を見ることからはじまる。
それが透過しているゆえに、万物がマンダラの(構成の)一部であり、わたしたちもマンダラの元型を刻印された「仏」に他ならないことを感得することができる。

○チベット・ゾクチェン密教
「無意識をさらに突き抜けたところに光の領域があらわれる。この光の領域こそ、意識の原初の場を示している。

これは、『ダルマ(法)の本性』ともいうべき(光の)場、精神現象の「法」すべてが、この『法の本性』の場に立ちあらわれる。

『法の本性』という光の場において、輪廻する現象界のすべてと、それを抜け出した解脱の状態を示すものすべてがあらわれである。

したがって、この『法の本性』とは違うところからあらわれでるものはなにひとつとしてない。

すべては、とぎれることなく、『法の本性』という場の中にあり、その場から立ちあらわれる。だからこれを、一切の土台と呼んでもいい。

仏教の修業は最終的には、ここに直接おりたとうとする。

 経験的な知覚意識よりもさらに奥深く、光の領域がある。
この光の元型がマンダラである。
そのマンダラはまさに「ダルマ」の本性であり、さまざまに呼ばれるているが、もともと一つのものだ。
この他に、「空」とも「中道」とも、さらに「縁起」とも名づけられる。
これらも、そう名づけられているが、皆、一つのものを言い表している。
マンダラは光の領域、または、光の場にあり、自然(じねん)的で、なにものにも影響されない(無碍)ばかりか、いっさいの精神現象のエネルギーの源になっている。
つまり、ここから、無限の生命力が絶え間なく供給されている。すべてのエネルギーがそこから流出している。
ダルマカーヤ(法身)とはマンダラにほかならない。
マンダラは永遠で無限の光を、他からエネルギーを与えられずに活動する超越的な存在である。
つまるところ、原初の太陽といってもいい。
この太陽は、なにものにも影響されず、消滅せず、また、なにものにも汚されない純粋な光を放つ性質をもっている。
その存在する領域は空性であり、永遠で、清浄で、破壊されず、減ることも増えることもない。終わりなく、始まりもないので、創造した、あるいは創造されたということもない。

 この永遠の光の領域は、3つの純粋な光に分かれ、それらは堅く結び合わされている。
そして、図画としてのマンダラもまた、光の法身を直接顕そうとする。
マンダラがパンテオンのようでもあるが、実は、一つである。
したがって、マンダラはわたしたちに秘密をもって立ち表れる。

自己の内部には、必ず光り輝く空性の領域(仏の世界)がある。
外なるマンダラは、内なるマンダラを招来するための聖なる像であり、同時に伝法の手段である。 

そもそも、マンダラを自己のものとしてとらえるのには暝想する以外にない。
暝想はマンダラを捉える最上位の手段である。マンダラが描かれた訳はたとえていうなら、図画は多くの情報を瞬間的に訴えることができるからといえる。
無意識の内奥に刻印された形は、文書で説明するのは極めて難しい。
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_MJ.html


仏の世界は「空」の場、そのものなのだ。
般若心経の解釈では「空」は「実体がない」つまり、相がないと学者は解釈するが、実は心の目で見ると全く反対となる。
空は、全く形なきものではなく、「光」(クリアーライト)で成り立ち、実は形もあり、動き回わる。
それがマンダラなのだ。
無と空 そもそも、「無」を対象として、それと合一することはできない。
「無」とは、主語ともなりえず、また、一切の形容を受けつけない。
空性はわれわれの意識と連続しており、万象がまた連続しており、一切が一つの空性(マンダラ)のなかに息づいている。
なにもないことを無というのでない。
存在のなかに無がある。

彼は、はっきりと実在の「光」を観相する。
それは現実の光線ではない。
そして、しばし己れを忘れる。
そういった体験から、空性は「無」ではなく、輝き、あるがままに自在に運動する実体なのである。
激しく活動する光り・・・マンダラは、その所在地を「空」の場に置く。
空界がイコール、そのままマンダラなのだ。 


マンダラはわたしたちをも包含した神仏の世界、それは広大なる、「空」である。
そこには、実在の「光」があり、それは振動の乱舞であり、エネルギーに満ちている。
無限のエネルギーの波動であり、永遠に尽きず、宝石のような美しさに溢れている。
http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/Frame_N_MJ.html


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7. 梵我一如とは何か?

 梵、すなわち「ブラフマン」と我、すなわち「アートマン」が同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする。これが梵我一如の思想である。
 ブラフマンは、宇宙を支配する原理である。ブラフマンは、もともとは、ヴェーダの「ことば」を意味する語で、呪力に満ちた「賛歌」「呪句」を表した。やがて、それらに内在する「神秘力」の意味で用いられるようになり、さらに、この力が宇宙を支配すると理解されて「宇宙を支配する原理」とされた。
 アートマンは、私という一個人の中にある個体原理で、私をこのように生かしている「霊魂」であり、私をこのような私にしている「自我」、もしくは「人格」である。元は、ドイツ語のAtem「息、呼吸」と同じ語源から生まれた語で、「息」を意味した。ここから「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生し、ついには「個体を支配する原理」とみなされるにいたった。この語はさらに「ものの本質・本体」という意味でも用いられる。
 この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中でありありと直観することを目指すのが梵我一如の思想である。これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。その代表的な思想家は、シャーンディリヤ、ウッダーラカ・アールニ、ヤージュニャヴァルキヤなどの哲人である。1)
 梵我一如の思想の背景にあるのは、ヴェーダ祭式の「同一視の論理」である。「同一視の論理」は呪術の論理で、たとえば、獲物の足跡に傷をつける猟師のまじないがある。足跡を獲物の足と同一視して、それに傷をつければ獲物は遠くへ逃げられないと考える。ヴェーダの祭式では、祭式の場にあるものを神話の世界や自然界の事物と同一視する。呪術によって、祭場にある祭具などを操作することで自然を支配しようとするのである。
 これに対して、ウパニシャッドの哲人たちは、同一視の論理を祭式でなく、瞑想で用いた。ウパニシャッドには「AをBとウパースする」という句が多くみられる。瞑想でAをBと同一のものとみなして(ウパースして)意識を集中する。意識の集中により、分別による知を乗り越えて、対象が直観される。そのとき、主観は対象の中に入り、対象と融和する。対象そのものになり、同化する。同化すれば、それのもつ力が自分のものになる。こうして、瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を体得することをめざす。「太陽はブラフマンである」「虚空はブラフマンである」などといったものから「食物はブラフマンである」「思考力はブラフマンである」などと、さまざまな原理が同一視された。とりわけ、気息、目、耳、思考力などの生活諸機能がブラフマンとの同一視の対象とされた。ウパニシャッド思想の発展とともに、それらは、個体原理アートマンと宇宙原理ブラフマンの同一視に収束していった。2)
 後にバラモン思想の主流となるヴェーダーンタ思想は、梵我一如の思想を発展させたものである。また、大宇宙(梵)と小宇宙(我)の融合合一という考えは、その後の神秘主義思想にくりかえしあらわれる。たとえば、仏教でも密教の大日如来の観想による即身成仏には、同じ発想がみられる。
http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bonga.htm


天界(霊界,向こうの世界)というのは深層心理学で集合的無意識と呼ばれているものです.

悟りを得る = 集合的無意識に到達する

と考えて下さい. 何故悟りを得るのがそんなに難しいかというと:

「無意識」はその名の通り、「意識でないもの」で、意識で到達などできません。

「無意識を知ることができる」というのは、無意識の活動の結果、意識に現れた影響を調べ、確認に、これが無意識の活動の所産であると知るという意味です。

夢には、無意識のメッセージや無意識の活動が含まれ、現れていますが、夢を見ているのは、あくまで「意識自我」です。

>催眠術で、ユングのいう集合的無意識に、意識を保ったまま到達することは可能でしょうか?

だから、これはできないのです。不可能なことです。非常に深い催眠術などで、集合的無意識の影響が非常に濃い、無意識のメッセージを引き出すことはできますが、その時、被験者は無意識状態にあるので、メッセージを聞くのは、術者や立会人ということになります。

催眠術でも、意識がなくなる訳ではなく、前意識状態で半分眠ったように意識していることが多いのですが、無意識からのメッセージは、この半分眠った意識から出てくるのではないのですし、意識がこれで、無意識に達した訳でもないのです。

ユング派では、夢の分析を行うとき、「拡充法(能動的創造法とも言います)」というのを使いますが、これは意識を無意識にするのではなく、無意識のメッセージやイメージ、時に集合的無意識のメッセージなどを、色々な意味の連想などで、意識が解釈できるような形に集めてまとめる作業です。

拡充法で、集合的無意識のメッセージやイメージを再構成できますが、あくまで意識がそれを理解するのであって、拡充法というのは、意識経験として断片的に現れている無意識や集合的無意識のメッセージを、集めて、パターンが理解できるようにする方法です。

こうして、集合的無意識に「アプローチ」はできますが、それは、集合的無意識に意識が到達することとは別のことなのです。LSDとか、精神開示薬物・薬草類などを服用すると、集合的無意識のメッセージやイメージが意識に見えてきますが、これは意識が、ダイレクトに影響や作用を受け止めているのであって、意識が集合的無意識などに達した訳ではありません。

拡充法は、危険性はありませんが、薬物や、またヨーガや瞑想法などで、集合的無意識の影響やメッセージをダイレクトに意識が受け止められるような状態になることは、意識が、場合によっては、精神分裂症などに落ち込む危険性があります。

瞑想の修行などは、経験ある師匠の指導においてすべきだ、というのは、こういう危険を回避するためです。ユング派の臨床心理士などだと、こういうことについて分かっているかも知れませんが、一般の臨床心理士では、こういうことまで詳しく分かっていません。知っていても、頭の知識だけの場合が多いです。

実際に、集合的無意識のメッセージを解読したり、受け止めたりする瞑想などの実地修行を経験した者でないと、こういう場合のアドヴァイスはできません。

要するに,天界(霊界,向こうの世界)に到達するには死ぬか,植物人間になるか,精神分裂病になるか,幻覚剤を飲む位しか方法は無いのですね.いづれにしろ悟ったら人間としてはお終いですね(合掌)
 
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa361485.html

バラモン教の聖典はヴェーダやブラーフマナ、ウパニシャッドである。シッダッタの誕生よりずっと昔の、成立の古いヴェーダではまだ、輪廻の考えはなかった。素朴な気持ちで死後は皆、この世よりも快適で楽しい天国に行くと考えていたらしい。「死者が必ずや来世でも全くこの世と等しい姿を得、しかも不死すなわちもはや死ぬ必要のない完全な存在で生き続けられるような祭式を工夫することが、バラモン達の為すべきことになったのである。」(J・コンダ「インド思想史」)

 ところがインド人の間にしだいに来世の不死についての根深い懸念が生じ、やがて輪廻(再生と再死の繰り返し)や輪廻の基となる業の考えが生まれ、再生の場所に地獄や餓鬼・畜生の世界が考えられ、さらにシッダッタの頃には、その考え方を疑いようのないこととしてかたく信じるようになっていた。

 そこでインド人は真剣に輪廻、特に再死から逃れようとするようになる。どんな良いところに再生しても必ず再死があるのだから。インド人は再死のない解脱の境地(永遠の安らぎ・平安)を願うようになったらしい。

 では、当時のインド人はどうすれば再死を繰り返す輪廻から脱する(離脱する=解脱する)ことが出来ると考えたのか。シッダッタの誕生の頃までに、解脱への道だという考え方がいくつか見つかっていたのである。解脱は再死がないから不死(への道)ともいわれる。不死とは、秦の始皇帝が望んだ現在の生存の永続を意味する不死つまり今の自分(自分の命)が死なないことではなく、輪廻で繰り返される死(再死)がなくなること。だから当然、今の自分(の命)は死ぬ。解脱すれば、「死」は今回限りになるということです。
http://www.geocities.jp/avarokitei/go-tamaryakuden/go-tama-tanjo.htm

「輪廻」というのは、サンスクリット語で「サンサーラ」と言い、元々ウパニシャッド思想(紀元前8世紀から6世紀頃)において、梵我一如(「ブラフマン=梵」と「アートマン=我」は本質的に同一であるという思想)の原型と共に、輪廻の思想も形成されました。

ウパニシャッドの輪廻の考え方では、「太陽の道」と「祖霊の道」というものが考えられ、後者は、「転生」の概念にほぼ近い考えで、死んだ後、魂は、雨水などと一緒になって、天から下りてきて、また女性の胎内に入り、生まれて来るというような考えです。

「太陽の道」は、「祖霊の道」を歩むと、どこまで言っても、転生を繰り返すに対し、死後、ある方法で、太陽の道に進ことができると、もはや、この世には、再び転生して来ない道があるという考えです。

「輪廻」とは、転生のなかで、「業(カルマ=行い=生前にどういう行動・生き方であったか)」によって、次の転生先や転生のあるようが決まり、この決定規則は厳密なもので、機械的に起こり、動物をむやみに殺していると、転生先は、殺していた豚や牛になるとか、ブラフマ階級の者は、儀式を行っている限り、転生してもブラフマ階級であるとか、非常に細かく規則が決まって来ます(それには、長い時間がかかりましたが)。

ヒンドゥー教、ヒンドゥー思想では、この運命決定論的「輪廻思想」が正しいとされています。その一方で、「不二一元論=ブラフマンとアートマンは本質は一つであるという思想」もヒンドゥー思想の中核にあり、輪廻論と、不二一元論は、どう調和するのかは、結局、輪廻もこの世の生も、すべて「幻(マーヤー)」であるということになります。

マーヤーから脱し、個人のアートマンが覚醒して、ブラフマンと一致するとき、輪廻の幻からも脱出するのであり、これを、「独存」とも言います
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa503252.html

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梵我一如とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。
古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。
梵とは神ではなく、あらゆるところに始めから存在する生命の源と考えられている。
また人間が梵を吸収することにより生命力が増すという思想もある。
仏教では、梵(ブラフマン)が人格をともなって梵天として登場するが、本来のインド思想にあっては、自然そのもの、あるいは遍在する原理、または真理を指していた。
一方、我(アートマン)とは、身体の中にあって、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)として考えられ、「真我」と漢訳される。
ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91%E4%B8%80%E5%A6%82

「サーンキヤ思想」における「プルシャの独存」

「プルシャ」というのは、純粋精神とも言えるもので、これは或る意味でアートマンの言い換えでもあるのです。つまり、精神の現象と世界などの物質現象の現れについて、これを理論的に説明する思想がサーンキヤ思想なのです。
そしてサーンキヤ思想では、「プルシャの独存」という仏教だと「解脱」に対応するような、純粋精神の実現の課題を考えます。

どのようにプルシャの純粋性を達成するか。

実は、サーンキヤ思想のこのような課題に対応する「実践的修行体系」として、古典ヨーガの瞑想修行や思想のシステムが構想され築かれています。つまり、古典ヨーガでは、プルシャの独存の達成のための修行の段階を説明し、最終の「独存」に至るまでの瞑想修行の過程が解説されているのですが、
このような古典ヨーガの瞑想修行過程において、「得られる体験」が、梵我一如の真理の確認体験の一つだとも言えます。なぜなら、先にプルシャとは、アートマンの言い換えだとも言いましたが、
「プルシャの独存」とはどういう事態なのかを考えると、これが「梵我一如」と密接な関係を持つことが分かります。

「プルシャの独存」は、マーヤーの幻からの「完全な離脱」を意味します。

このとき、個々の人のプルシャは、その「本質」が明らかになる訳で、

独存状態においては、プルシャは「誰かのプルシャ」ではなくなり、
個々人の精神の根柢にある、原型としてのアートマンそのものに一致し、

アートマンはこのとき、個々人のアートマンではなく、本来の「唯一なるアートマン」となり、
この「唯一のアートマン」とは則ち、「ブラフマン」に他ならないからです。


ブラフマンがマーヤーにおいて現象を展開してゆくことにおいて、
わたしとかあなたなどの「個人」の区別が生まれ、
その個人の主体精神の本質としてアートマンが考えられているのであって、
マーヤーから脱した純粋なアートマン、つまり「独存のプルシャ」は、結局、ブラフマンと一致することになるのです。


インドにおいては、古典ヨーガの瞑想修行を通じて、梵我一如の真理が体感されるのだとも言えます。
(古典ヨーガとは、『ヨーガ・スートラ』に述べられている瞑想修行体系とその実践思想で、ヨーガはこの後、様々に展開し多様なものとなりますが、しかし、根本には、古典ヨーガの思想が流れています。

ヨーガ一般の最終目標は、マーヤーからの離脱、
従って、プルシャ、アートマンの独存なのです。
従って、ヨーガの瞑想修行を通じて、梵我一如の真理の確認が試みられるとも言えます)。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1094165.html

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7. 空とは何か?

Q : アートマンとブラフマンの違いを教えてください。

ヤフー辞書では同じと書いてありますが、本当は違うものではないでしょうか?


.ベストアンサーに選ばれた回答 bougainvillea1207さん

『ブラフマ・スートラ』の中でアートマンについて、次のように語っています。

「このアートマンには、言説(すなわち思惟)によっても、知性(すなわち瞑想)によっても、聴聞によっても、達することはできない。これ(アートマン)が選んだ者だけが、[アートマンに]達することができ、その者にたいして、このアートマンは、自らの姿を開示するのである」

「ある者(最高神)にとってこれ以上ないほど愛しい者が、その者(最高神)にとって最も愛しい者となる。[すると]この最も愛しい者がアートマンに到達できるよう、最高神が自ら努力してくださるのである。」

http://web.kanazawa-u.ac.jp/~hikaku/shima/sbh.pdf#search='ブラフマン'

アートマンは生命の基底にある常一主宰の魂であり、三世にわたって常に変壊することなく、他の何ものにも依存することなく単一で生存し、私たちの意識活動を根底において主宰者のように統括する根源の基体です。ゆえに、理性や知性で到達できるものではなく、「常に修練し、愛情をもって[予を]崇拝する彼らに対して、予はかの知性のヨーガを授ける。それによって彼らは予に達する」もののみが、アートマンに到達することができます。

そして「人間が死ぬとその肉体は自然現象のなかに解消するが、不死のアートマンはそこから出ていって、あたかも草の葉の先端に達した青虫が次の葉に移るように、次の身体に移っていく。」(長尾雅人、服部正明、『バラモン経典・原始仏典』)と説かれています。
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/muga-0t.htm


これに対してブラフマンは「本質と美徳に関して偉大さの限りなく卓越した者こそが、これ(ブラフマンという語)の一義的な意味なのであり、そしてそれこそが、万物の主宰神なのである。従って、ブラフマンという語は、それ(万物の主宰神)だけを一義的には意味しているのである。」と説かれ、宇宙の根本原理であり、万物の主宰神とされています。キリスト教の神との違いは、ブラフマンと
は世界の創造主ではなく、そこから宇宙が展開し、顕現する根本原理であり、真実の世界そのものを意味します。

ここに白い紙があった場合、この紙には、無色透明ではあるが基体として一つの場があって、その場に白色という属性があり、さらに大きさ、形、匂い、重さといった属性が存在するとバラモン正統派では主張します。仮にそこからすべての属性を取り除くことができると仮定して、白色の属性を取り、匂いの属性を取り、重さの属性を取り、すべての属性を取り除いても、最後に基体ともいうべき何ものかが存在するとバラモン正統派は主張するのです。それがブラフマンです。したがって、ブラフマンが宇宙のすべての万物に遍満していることになり、ブラフマンは世界そのものとなり、万物の主宰神(構成原理)となりますます。白色の紙は時間の経過につて変色もしますが、基体としてのブラフマンは常に変わらず単一で存在し、紙という物質を主宰者として支配しています。

アートマンも同じく、私たちの心が、時には悲しみ、時には喜び、あるいは苦しみ悶えても、アートマンは何ら変わることなく常に変わらず存在し、私たちのこころを主宰者として支配しているとしています。バラモン正統派の教えである個人を主宰者として支配し、個人の輪廻転生の基体であるとする面からいえば、アートマンはその働きにおいては個に特有の側面がありますが、その属性であるこころの支配者である常一主宰の原理はブラフマンと全く同一といえます。ブラフマンから宇宙のすべての万物が展開されているからです。

決して単一で永劫に存在するのではなく、すべてのものは関係しあってはじめて成立するものであるという仏教の縁起の法理とは、極めて異質のものであるといえます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1147965726

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prbdxさん 「般若心経で言うところの実体とは何?」 2005,11,25,


     
すべての現象、ものには実体がないうときの意味する「実体」とはなんでしょうか? 魂でしょうか? アートマンなのでしょうか?  何を定義しているのでしょうか? そもそも般若心経は釈迦仏教なのでしょうか?  歴史的には紀元後の成立なのでしょう。 柳沢さんの本「生きて死ぬ知恵」には疑問を感じます。「空」は釈迦(仏陀)の教えなのでしょうか? ヒンズー哲学に堕してしまったのではないか、なんとなく仏教の「空」はヒンズーの「マーヤー」説の概念に近いというか、言葉の言い換えにすぎないように感じます。曽我さんはどうかんじられますか?


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曽我から prbdxさんへ 般若心経は自然な見方に導かれた梵我一如 2005,12,3,


拝啓


 実体についてご質問をいただきました。般若心経は、「実体」という言葉を使っていないと思いますので、的を射た返事になるか分かりませんが、私の考えを書いてみます。


 仏教で「実体」にあたるものは、やはりアートマンであろうと思います。アートマンとは、「恒常で、独立自存し、主体性自律性を有し、あれこれを主宰しているものとして想定されたもの」だと考えます。要は、無常や縁起とは正反対の概念であり、釈尊は、「無我であり、そんなものは存在しない」と否定されました。


 我々が自分やものに執着するのは、上の定義ほど厳密ではなくとも、なにかそのようなものを無意識のうちに想定しているからだと思います。無常にして無我なるそのつどの縁起の現象を、変わらぬ価値を持って独立自存し続ける存在として誤って捉えることは、動物が進化の過程で身につけた自然な自動的反応です。この反応は、苛酷な環境を生き抜くことには有利に働きましたが、同時に苦も生み出しました。自然な自動的反応を無反省に繰り返して苦を作り続けるのではなく、努力を重ねて、注意して、はからいを極めて観察することによって、自然で自動的な荒っぽい不注意な捉え方の間違いに気づき、執着のあさはかさを知ること、これが仏教だと思います。


 般若心経が釈尊の教えかと問われれば、4,5百年の時代を経ており、釈尊の教えではないと考えます。
 時間的な隔たりだけではなく、思想的にもそう考えます。般若心経は、仏教の重要な概念を片っ端から「無ー無ー無ー」と否定しておきながら、最後には「無ゲー礙(覆われておらず妨げのない)である心」に期待しています。「覆われておらず妨げのない心」とは、解放されたアートマン以外の何ものでもなく、故に、般若心経は、仏教であるどころか、仏教に敵対するところの梵我一如型思想を説くものだと考えます。


 空については、大乗の創作というわけではなく、かなり古い経典にも散見されるようです。元々は、上に書いたようにアートマンがないこと、無我であることと同内容な、「空っぽである」という意味だったと考えます。それが次第に名詞化され、対象化され、ものとして実体視されて、梵我一如の梵(ブラフマン)の呼び替えになってしまいました。
 般若心経の「空」は、すべての個物と一体(=即)であり、対立を超えており、超越的かつ内在的であると説かれており、やはり、ブラフマンの呼び替えになっていると思います。


 般若心経が意図的に梵我一如を説いたとは思いませんが、梵我一如型の思考は、自動的に陥りやすい自然な発想で、よほど注意をしないと執着によって容易にそこへ導かれてしまうのです。般若心経は、「仏教」の中に混入した梵我一如型思想のひとつであり、「仏教」をますます梵我一如化することに大きな役割を果たしたと思います。


 柳沢さんの本「生きて死ぬ知恵」というのも、ヒンズーの「マーヤー」説も存じ上げないので、両者については何もコメントできません。申し訳ありません。


 またご意見お聞かせください。
                           敬具
prbdx様
        2005,12,3,          曽我逸郎


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prbdxさんから 経典自体の信頼性にも疑義が 2005,12,10,


「般若心経でいうところの実体とは何をいうのでしょうか?」に回答いただきありがとうございました。明解な回答でずっとくすぶり続けていた疑問を一つ解くことができました。


「仏教で「実体」にあたるものは、やはりアートマンであろうと思います。アートマンとは、「恒常で、独立自存し、主体性自律性を有し、あれこれを主宰しているものとして想定されたもの」だと考えます。要は、無常や縁起とは正反対の概念であり、釈尊は、「無我であり、そんなものは存在しない」と否定されました。」

と曽我さんの説明にあったように、仏教の立場としては、基本的に「無我説」に立つといっていいでしょう。最近の学者は「無我」というよりも「非我」というような表現をする方も増えてきているようにも思いますが。中村元博士門下の宮元啓一氏は「最初期の仏教では無我ではなく、非我説が説かれていたとみるべきである」さらに「無我説は釈尊には似つかわしくない」とまで言い切っています。『仏教誕生』173p-174p (スッパニパータに依拠しているための発言か?)

松本史朗氏の「スッタニパータはアートマンを説く反仏教」が正しいとすると、「無我説」が正しい。そうすると輪廻説が成立しない。反対にスッパニパータに依拠すると、、「無我説」が成立しない。どっちが正しいのか? 釈尊の真意はどっちなのか? これほど思想にゆらぎがあるのは、そもそも経典自体の信頼性にも疑義が生じるのですが、いかがですか?


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曽我から prbdxさんへ 無我vs非我、執着に導かれた考えの混入 2005,12,12,


前略


 私はやはり、釈尊は、「非我」ではなく「無我」を説かれたと考えます。


 「非我」とする考えは、「あなたたちが我だと考えているものは、AもBもCも、本当の我ではない。真の我は、もっと別にあるのだ」、そのように釈尊は説かれたと考えているのでしょう。
 しかし、この考えでは、結局のところ「真の我がある、それを追及せよ」ということになり、レトリックを一捻りしただけで、それまでのインド土着の考えから代わり映えのしないものになってしまいます。釈尊の教えが、そのようなありふれた退屈なものである筈はありません。


 我は無い、存在していない。しかし、縁によってそのつど現象している。その現象は、しばしば我が有ると思う反応となり、有る筈の我を守り育てようとする反応となり(業)、その結果、苦しむ反応となる(果)。


 このように言うと、普通の言葉に、殊更に「現象」とか「反応」といった単語を割り込ませただけで、それこそ単なるレトリックだと感じる人もいるかもしれません。しかし、主語があり述語がある普通の我々の言語で無常=無我=縁起を厳密に語ることには、限界があります。「離言」とは、「言葉の届かぬ、言葉の相対性を超越した絶対的な何かがある」ということではけしてなく、「まず先に何かがあって、それが働く」と考える執着に導かれた自然な見方(=我論)、それが主語・述語がある普通の言葉の根底の構造なのですが、そういった「我あり」という執着に導かれた言語によって無常=無我=縁起を直接に語ることは不可能である、そういう意味に理解したほうがいいのではないかと思います。


 なにか主語となるものが先にあって、それがなにかをするのではありません。「(何かが)起こる」という述語が(縁により)まず起こって、それによってその主体が仮構されるのです。今ここでメールが打たれているのも、私がいてキイボードを叩いているのではなく、キイボードを叩くという反応が起こって、叩く私が仮構されている。キイボードを叩いている時、キイボードを叩くことが私なのです。仮構する私が仮構しているのではなく、仮構する反応によって、仮構する主体が仮構されているのです。「火が燃える」と言うけれども、火が先にあってそれが燃えるのではなく、燃焼という現象が起こって、そのことによって「火」という主語が仮構されるのです。


 経典の信頼性については、おっしゃるとおり、多くの矛盾が内包されており、釈尊のお言葉だけがそのまま保存されているとは思えません。無常=無我=縁起と輪廻転生とは、矛盾の最たるものでしょう。ただし、必ずしも意図的に捻じ曲げられたとは思いません。釈尊ご自身が、執着に凝り固まった人になにかを説くとき、その執着を前提に話をされたこともあったでしょう(対機説法)。また、人は執着に導かれたものの見方に陥りやすく、それに沿って釈尊の教えを誤解した弟子が、良かれと思って親切心からその誤解を分かりやすく伝えたこともあったと思います。


 釈尊から直接教えを聞いていた弟子の中でさえ、間違った見解に凝り固まって、仲間から諌められ、釈尊からも叱られた者がいました。サーティという比丘は、「<識は流転し、輪廻し、同一不変である>そのように世尊は説かれた」と主張して、皆から、「世尊を誹謗してはならない。世尊は<縁がなければ、識の生起はない>と述べておられる」と諭されます。(片山一良訳 パーリ仏典中部 大蔵出版 第38大愛尽経から要約)
 釈尊から直接教えを聞いていてもこういうことがあったのですから、釈尊亡き後においては、執着に導かれた誤解が、はじめは徐々に、やがて勢いを増して「仏教」に混ざりこんだと想像します。


 しかし、これは無理もないことです。成道後間もない釈尊は、「私のさとった縁起という真理は深遠であり、執着のこだわりを楽しんでいる人には見がたい」と考えておられるのですから(中村元選集[決定版]春秋社、第11巻P444)
 (ついでながら、同書P432には、「<おれがいるのだ>という慢心を制することは、じつに最上の楽しみである。」という言葉も紹介されています。これは明らかに、非我ではなく無我だと思います。中村元の訳を信頼する限りは。)
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha277.html


8. スッタ・ニパータは釈迦の本当の教えなのか?

 釈尊について知っておくべき基本的前提は、釈尊が確かにこの通りしゃべったといえる言葉は残念ながら一つも残っていないということです。 大乗経典はもちろんのこと、最初期の経典にもそれを見つけるのは困難です。

 しかし、釈尊がしゃべった言葉にかなり近いだろういわれているものはあって、スッタニパータ(『ブッダのことば』岩波文庫)やダンマパダ(『真理のことば/感興のことば』同)の中の言葉がそれにあたります。
その中でも、スッタニパータの「八つの詩句の章」と「彼岸に至る道の章」をまず読まれることをおすすめします。そこには、仏教の基本的教えとされる「諸行無常」も「諸法無我」も出てきませんし、菩提樹の下で瞑想し自己と宇宙に関する究極的真理を体得したとかいった神話もありません。

それらは釈尊よりはるかに後の人が釈尊の教えを整理した言葉、あるいは、釈尊の教えを宣伝するために作った物語なのですから当然ですが、とりあえずそういうものをいったん忘れて釈尊の言葉を読む必要があると思います。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/98_10_21.html

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1) スッタニパータを読む

 ゴータマ・ブッダは紀元前500〜400年頃に生まれ80年間生きた。 研究者の間で生年に100年程の誤差あるが、もともとインドには正確な年代を記する習慣はなかったから、 むしろ100年程度の誤差ですんでいることは驚きでもあるといわれている。
 ゴータマ・ブッダは「仏教」の創始者ということになるのかもしれないが、ブッダ は、 自分が教祖となり〈「仏教」という宗教〉を興すことを意図してはいない。 彼の言葉には、宗教一般に見られる「教義」を見い出すことはできない。 むしろ「私にはこのことを説くということがない」(スッタニパータ)という言葉が示すように〈概念や教義の構築〉とは 反対の方向を目指している。
 ブッダの死後、弟子達によってブッダの言葉がまとめられた。さらに時代の流れと共にその当時の社会環境やほかの宗教、思想の影響を受け、変化してきたが、発祥の地インドでは13世紀に仏教は衰退した。仏教の外国への伝播には中国への北伝と南アジアに広がった南伝とがある。日本では北伝により仏教が入り各宗派が確立した。
 何を指して「仏教」というのか、議論されるところであるが、紀元前後にぼっ興した新しい仏教(大乗仏教)は『スッタニパータ』に比べ、時空間の拡がりやお経の規模の拡大などが目につく。その内容に目を通 すと、『スッタニパータ』の内容をそのまま増幅させたようなものもあるし、異なる部分もある。概念的に要約され、隠れてしまったこともある。私達がすでにもっている仏教についての知識を一旦取り払い『スッタニパータ』を読み直してみると、そこには、2500年の間に忘れられていた智慧があることが分かる。(2004.6.18改訂)
 もともとブッダは何を語ったのか、その時代に一番近い仏典とは何であるのか? 最近の研究では、もともとブッダが弟子達にしゃべったのはマガタ語で、それが口伝で残され、紀元前一世紀頃、パーリ語に置き換えられといわれている。パーリ語は南伝において口伝で流布したのであるが、19世紀、イギリスでローマ字表記にあらためられたパーリ語聖典(PTS:Pali Text Society)が、刊行された。それは今日でも研究者によく読まれている。そのパーリ語聖典の中で、古層にあたるといわれるものに『スッタニパータ』、『ダンマパダ』、『サンユッタニカーヤ』がある。中でも『スッタニパータ』の第四章、第五章は特に古いといわれている。
 詳しくは中村元博士が『ブッダのことば』(岩波書店発行)の後に、解説されているので、興味のある方はお読みください。 最後になったが、『スッタニパータ』はパーリ語のsutta-nipataをカタカナ表示にしたものである。suttaは「お経」、nipataは「集まり」だから、「経集」という程の意味になる。
 私たちは、たかがこの30年だけを取り上げても、多くを学んで来た。その中で重要なことの一つに次のことがある。どれほど優れた論理体系でありイデオロギーであっても、「私たちのこころ」は、論理を構成する言葉の枠に入ることをよしとはしないことだ。論理体系だけでは、自分のこころは何も解決され得ないことに気がついてきた。 
  この2500年も前のブッダの言葉(『スッタニパータ』)にはそれらを解く道筋がある。(2009.4.14改訂)

http://www.yamaji-kan.com/about.html



 さき程述べたように、『スッタニパータ』第四章、第五章が最古層に属するということが研究者の大方の意見である。実はこの第四章、第五章の中でも後世に挿入された部分もあるようだ。これら疑わしい所をどんどん除いていかなければ、ブッダが語ったことにアプローチすることは難しくなる。
  ブッダが亡くなった後、ブッダが語った内容は論理的に整理されボリュームも増した。ブッダが語った内容を骨とすると、それに肉付けがされたのであるが、変更が加えられた部分もある。例えば第四章839にある「戒律」が後にどう変わったのか見てみよう。
 
  教義ではなく、天啓でもなく、知識でもなく、マーガンディヤよ、と世尊
 また戒律でもありません。それらによって清らかになるとは説かない。また教義、天啓、知識、戒律がないから清 らかになるとも説かない。これらを捨てて取らず、寂静であって依存することなく、生存を熱望してはならない。(Sn.839)
 
 「戒律」については、「戒律を守っている」ということに自分の心が依存してはならない。反対に「戒律はいらない」ということにも依存してはならない、という意味である。
 これに対し第三章547の後ろの部分を読むと、ブッダの言葉として「‥‥‥完全な戒律を受けさせて、修行僧となるようにさせる。‥‥」という言葉が出てくる。第四章839の方が古層にあるので、この547以降の一連の文章は、後に追加されたものであろうという判断になる。スッタニパータの中においてもこのように変遷が見られるのは、ブッダの死後、弟子達にとって「いかにしてサンガを維持するのか」という問題があり、そのひとつとしてこのような内容の変更に表れたと見ることが出来る。そしてサンガ自体も「修行者の〈依りどころ〉」に変わっていくのである。(2009.4.15)



 ブッダは果たして何を語ったのか、『スッタニパータ』以外に参考になる資料は何があるのだろうか。『スッタニパータ』が最古層に位置するのでなければ、時系列の中で前後の資料を当たれば、「変化の流れ」を見ることができる。ところが『スッタニパータ』第四章、第五章は現存する経典の中で最古である。このため事情はかなり違ってくる。私たちに可能なのは、ブッダが生存していた時代と同じか、それ以前の資料を見ることで、ブッダの思想への影響を見ることぐらいである。ウパニシャッドでいえば『ブリハド・アラーニヤカ・ウパニッシャッド』『チャーンドギア・ウパニシャッド』がブッダ生存前にあったと言われている。ただ、ブッダはバラモンに対して、批判的な側面があったということを忘れてはならない。ウパニシャッドとの関連については「dharma」の意味を交えて後述したい。(2009.4.15)
http://www.yamaji-kan.com/about2.html

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2) スッタ・ニパータは釈迦の本当の教えなのか?

仏教学を学ぶ者にとって、釈迦が、神の存在や霊魂の不滅性の是非を説かなかったことは、初歩中の初歩であるのだろう。そして、多くの仏教本には、釈迦は、人間にとって知ることのできない形而上学的諸問題については、それを問うても解答の出ないものであり、釈迦は、それらをことごとく捨て去ったと書かれている。(無記説)

ところで、最古の経典『スッタ・ニパータ』に登場する釈迦は、「無執着説」を説きながら、一方では、「輪廻からの解脱」ということを言う。最初から、霊魂の不死性を肯定も否定もしなかった仏陀が、一体、何故に、再び「輪廻」という言葉を持ち出してくるのだろうか?

これらのことは、『スッタ・ニパータ』を読んだときから、どうしても、私の頭から離れなかった疑問点であった。そして、もともと、本経典は、別々の時代に書かれた別の経典から編集されたものであり、全く別のものとして仏教を誤解釈した釈迦弟子が、仏陀の言葉として書き記したものであるのだろうか?

あるいは、釈迦は最初から輪廻を信じていて、これらは、何かの点によって繋がっているものであるのだろうか? それとも、それらはナーガールジュナ(龍樹)が言うような「勝義諦」と「世俗諦」なのだろうか?

実を言うと、先日、由緒ある曹洞宗のお寺に、日本を代表する仏教学者である奈良康明先生の講演会があり、話が終わった後に、個人的に、これらの質問をもって行ったところ、お寺の奥にあった小部屋に、先生から直々に案内され、一対一で、先生からの、これらに関する解答を頂いたのでした。

『釈迦は無我説を説き、霊魂の不滅性は説かなかった。

しかし、当時の一般民衆のほとんどが輪廻思想を信じていて、釈迦は霊魂の不滅性を否定はしなかった。霊魂の不滅性を否定したなら、托鉢で飯も食えなくなっただろうし、それを信じる者には、その道で行きなさい、といった感じだった。

だから、スッタ・ニパータのは矛盾はない。』


その日の夜に、仕事が終わった後に、スリランカ出身の友人B氏と、これらについて、さらに深い部分にまで及んで話し合ったところ、まったく別の説が浮かび上がってきた。

その彼の説はこうである。

『当時のインドでは、ほとんどの人が輪廻を信じていて、釈迦は輪廻からの解脱に挑んだ。その到達点は梵我一如のそれと同じであり、ニルヴァーナに至った釈迦には輪廻それ自体が無くなってしまった。

それゆえに、神(ブラフマン)の領域にまで達した釈迦にとってはアートマンは輪廻することが無くなったために、霊魂は不滅ではなくなった。』


しかし、B氏の説はバラモン教や梵我一如とその到達点ばかりではなく、それに至る道までもが同じではないのか?

一体、釈迦の仏教は梵我一如であったのだろうか?

いや、そんなはずはないだろう。釈迦の仏教が梵我一如の達人であったのなら、仏教は仏教である意味は喪失してしまうことになるのだろう。

私は、仏教のニルヴァーナの境地とバラモン教の境地とは、同一のものであることはB氏の意見と一致するが、釈迦の山頂に登る手法は、梵我一如のそれとは異なっていたのではないのかと思っている。

そして、「釈迦は霊魂の不滅説を説かなかった(否定も肯定もしなかったという意味)。

しかし、当時、霊魂の不滅性を信じる多くの一般民衆に対しては、霊魂の不滅性を否定はしなかった。」

という奈良先生の説に、私は賛同している。

もしかしたら、修行のレベルに合わせて釈迦は説法をされたのであろう。(対機説法)
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/47870614.html


無我説と輪廻転生説との矛盾について

  最近、タイのブッダダーサという比丘について知った。 このブッダダーサという比丘は、「釈迦は輪廻転生説は説いていない」と主張しているという。
 それ以外にも、伝統的なタイの僧侶であるプラ・ティップパリンヤーによれば、ブッダダーサ比丘は、三宝(仏・法・僧)は涅槃への到達を妨げるヒマラヤのようなものであるとし、また、経典にある「一切智」の意味を「ブッダがすべてを知っていること」ではないと唱えているそうである。

私のスリランカ人の友人の話によれば、かつて、スリランカに、このブッダダーサ比丘と同じように、「釈迦は輪廻転生は説いていない」と主張する比丘がいたらしく、その比丘は、ラジオ番組にまで出演して、それ以外のところでも、そのことを何度も説いたところ、マーハー・サンガというところから、ついには破門されてしまったそうである。

 ここで、ブッダダーサ比丘の注目すべき言葉を、いくつか抜粋してみることにする。

 『いかなる宗教の経典も後世の付加を必ず含んでおり、我々の三蔵も例外ではない。』

 『釈尊が亡くなられた日から(仏教の中に)腫瘍は休みなく広がりつづけ、今日に至るまであらゆる方向に拡大しており、今や非常に大きなものになっている。』

 『再生は行為(業)をするたびに起こり、その再生は、行為(業)の瞬間に自動的に起こる。世間で一般に考えられているように死後にやってくる再生(生まれ変わり)を待つ必要はない。

人が考え行動する時、心は、欲望と執着の力によって自動的に変化し、縁起の法則に従ってすぐさま生まれることになる。再生するために肉体の死を待つ必要はない。

この真理は、仏教の真の教えとして、(すなわち)生まれ変わるべき我(Atman)は無いと説く本来の初期仏教の核心の原理として、認識されねばならない。

死後の再生という考えがどのようにして仏教に忍び込んだのか、説明することはむずかしいし、我々はそんなことに拘らう必要はない。』

 釈迦が、アートマン(霊魂)の不滅説を説かなかったことは、仏教を知っている者なら、誰もが知っているだろう。 しかし、釈迦以降の仏教の多くは、時を経るごとに、教団が組織化し、多くの在家信者を取り込んでいったことにより、必然的に、輪廻転生説を説かなければならなかったために、アートマン(霊魂)ではない、アートマンとは別の、何らかの輪廻の主体を想定しなければならなかったのだと思うのである。

 そして、そこで、考案されたのが、まさに、「業」(カルマ)を主体とする輪廻転生説であったと思うのだ。

 とは言っても、無我説と輪廻説とは、明らかに矛盾する。 そもそも、古代インドの業思想とは、アートマンに付随して起こるものであり、アートマンなしに、業が、業のみで単独に輪廻するのであれば、、それは誰のものだか分からない業(カルマ)となるのではないのか?

 話は戻るが、東南アジア一帯に広まる上座部仏教は、元々はインドから伝わった、スリランカの上座部大寺派を起源とするものである。(事実、現存するパーリ三蔵は、スリランカの上座部大寺派が伝持するものである。)
 そして、現存する上座部仏教が、釈迦は、輪廻転生の主体たるアートマンを斥けているにも拘わらず、アートマンとは別の、輪廻の主体を想定することは、私の推測では、他でもない、パーリ三蔵の中に存在する、成仏伝承の「三種の名知」の中の第一の名知である「過去の生涯を想起する知」というものに、起源を有しているものであるのではないのかと思っている。

 そして、成仏伝承の「三種の名知」の中の第一の名知である「過去の生涯を想起する知」というものは、スリランカにおいて、ブッダゴーサ以前に、増広されたものではないということは明白であるから、その起源は、インド本土に遡らなければならないのだと、私は思っている。 ちなみに、説一切有部などが、おびただしい経典の改ざんや増広をおこなっていたことは、知られていることである。

 それ以前に、「ブッダの言葉」の曲解や加増は、もしかしたら、第一結集以降に、教団が拡大するにしたがって、顕著になっていった可能性も否定できないだろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1815573.html


釈迦と輪廻について

初期仏教の経典には、「輪廻からの解脱」という言葉が繰り返し述べられているが、「輪廻からの解脱」というときの「輪廻」ということについて、釈迦は、一体、いかに捉えていたのだろうか?
 言い方を換えれば、釈迦は「輪廻」という言葉を、実在としての意味で使っていたのか、または、それは「方便」であったのか、あるいは、「輪廻」という言葉の表現は、釈迦弟子による、後代の付加であったのだろうか?
 言うまでもないが、「輪廻からの解脱」とは、古代インドにおいて、ジャイナ教やバラモン教においての「苦」や「迷い」から離れることを表わす根本的理念であり、そして、それらの教理において、「輪廻」とは、決して「方便」であるのではなく、それらは、実在的、かつ、形而上学的なことがらを示しているものであるのだろう。
 しかし、その一方において、初期仏教の経典に登場する釈迦は、「無我説」や「無記説」、あるいは、後の大乗仏教で言うところの「空観」を説いたと言われている。

 それらが、釈迦仏教の根本であるとすれば、釈尊が、『毒矢の譬えの経』などを一連とする、十四の形而上学的諸難問を捨て去ったとされる「無記説」と、「輪廻からの解脱」ということを言うときに、実在としての輪廻を前提としたことがらを、同じ人(釈迦)が、同一の相手に対して説いたのであるのだろうかという疑問が、ここに生じるのである。

 釈迦が、同一の人に、「無記説」と「実在としての輪廻説」とを説いたするのであれば、それは明らかに矛盾であるのだろう。
 それがなぜかと言えば、実在としての「輪廻」とは、人間の死後においても存在するという何らかの存在(仏教では、それはアートマンではないことになっているが、「永久不滅なるナニモノカの存在」)を前提としいるはずであり、人間の死後における、「永久不変なるナニモノカの存在」がないのなら、「輪廻説」は、あり得ないと思われるからである。

 より具体的に言えば、「輪廻説」というものは、「永久不変、あるいは半永久不変なるナニモノカの存在」を前提としている、ということである。
 つまり、実在としての「輪廻」の存在の主張は、十四の形而上学的難問を捨て置いた、釈迦の「無記説」とは、それらが、もし、同一の人に対して説かれたとするのであれば、明らかに両立しないものである、と考えられるのである。

 そして、最も注目すべき点の一つは、悟った釈迦が、そのような矛盾するようなことを、同一の人に説くことがあり得るのだろうか、ということである。
 これらのことに関して、中村元博士と奈良康明博士との対談『仏教の道を語る』の中で、両氏は、初期仏教に出てくる「輪廻」というものに関して、それは物理的な意味での輪廻を必ずしも考えなくてもよいものであり、「輪廻からの解脱」とは、悟りを開き涅槃に達すると、迷いは離れるので、再び迷いの存在には戻ることはない、というようなことを説明している。

 けれども、懐疑的な視点から言えば、初期の経典に書かれている「輪廻からの解脱」の「輪廻」とは、

釈迦は、実在として言っているのか、
あるいは、
当時の、多くのバラモンたちの根本思想の手法をもって表わした言葉である、いわゆる、「方便」であるのか、
それとも、
釈迦は、悟る前まで「輪廻からの解脱」を求めていたが、最終的に到達したその手法とは、「輪廻」を含める形而上学的難問に対する執着さえも捨て置いたものであったのか、

それらのことは、初期経典そものが、複雑に編纂してあるその事実においても、最終的には、その明かなる釈迦の真意を知る方法はない。
 そもそも、釈迦の仏教というものは、消去法であると言われている。ここで言う消去法とは、執着の対象を一つずつ、無くしていく、ということである。 ただ、そういうことの中で、釈迦という人は、無執着の境地に至る過程において、捨て去る対象に、「例外」を適用することを許すことができなかった、一切の妥協のない人であった、ということは、間違いなさそうである。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1804467.html


釈迦の待機説法について

私は、もう随分前のことであるが、初めて仏教の経典を読み始めたときに、仏教の経典には(それが同じ経典の中でさえも)、それぞれに全く矛盾するような言葉が存在することに強い違和感を感じたことを、今でも覚えている。


 具体的に言えば、ある経典には、永久不滅なるアートマン(霊魂)の不死(または「来世」や「冥土」に関しても同様)や絶対者なる神の存在の有無に関しては捨て去れ、と言い、また別の経典においては、アートマンの不滅性や、どう考えても「来世」あるいは「あの世」としか捉えようのない「極楽浄土」や「仏国土」のようなものの状況の内容までもが詳細に語られている、ということである。そして、一方では、すべての存在は無常であるとも言う。(実際に、古い経典には、釈迦は、一切の現象は無常であると説いている。)
 
 一体、何ゆえに、仏教というものは、 全く別物であるかのように見える多くの仏教が存在するのか?そして、宗派ごとに、「これこそが釈迦の直説である!」などと唱えて罵り合うことの最大の原因は、一体、どこにあるのか?最近になって、私は、それらが、一体なぜなのか、少しずつ分かり始めてきた。

 私は、仏教の経典ごとに異なった言葉は、釈迦の「対機説法」というものにあると思うのである。

釈迦は、出家修行者においては、その修行のレベルに応じて、その人に合った説法を行っていた、ということである。 もちろん、在家信者や、在家の仏教徒ではない人々に関しても、その説法の内容は、決して、修行者に対して語られたものとは同じである、ということはできないだろうと、私は思うのである。

 もし、釈迦が、「来世」や「アートマン(霊魂)の不滅性」を信じる一般の人たちに、そのようなものはすべて捨て去れ、などと言ったら、一体どうなっただろうか?

おそらく、お釈迦さまが、そのように言ったとすれば、彼らの自我は一瞬にして壊されてしまい、泣き叫ぶ人も現れてくるだろうことは、容易に推測できると思うのである。

 もちろん、釈迦の滅後、多くの考え方を持った仏教者たちが仏教に自らの理念や思考を盛り込んで、(釈迦の死後、500年以上後に)様々な経典や物語が書かれていった、と言うこともできる。

 実際に、紀元後にインドで生きていたとされるナーガールジュナ(漢語で言う「龍樹」)が記したとされる『中論』の中には、仏教には「世俗諦」と「勝義諦」(真理諦)とがあり、その両方を知っておかなければならない、とも記されている。
 そのことは、釈迦の「待機説法」の真の意味を知っておかなければならない、ということであるのではないのかと、私は思ってる、ということである。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1795001.html


スッタニパータ
第二章 小なるもの 第一経 宝

222  ここに集いあつまった精霊たちよ、あるいは、地上にあるものたちも、あるいは、空中にあるものたちも、まさしく、一切の精霊たちよ、意[こころ]楽しく有れ。しかしてまた、〔わたしの〕語るところを、謹んで聞け。

227  正しくある者たちに賞賛された、これら四組の者たち八人(四双八輩:正覚に至る四階梯の各々において学びつつある者と学び終えた者の計八人)が〔世に〕有るなら、彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。これもまた、僧団(サンガ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。

230  深遠なる知慧の者によって見事に示された、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を分明する者たち――たとえ、何であれ、彼らが多く怠る者たちで有るとして、彼らは、第八の生存(有)を取らない(最高で七回までの輪廻のうちに解脱する)。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20070317.html

増谷 文雄氏はこう書いている。「ブッダの説いたことのなかには、そのような教え(生天もしくは往生を説く思想)はまったくなかった。」『仏教概論』(『現代の仏教』第12巻所収、筑摩書房、1965、17頁)

スッタニパータには最初から此岸と彼岸,精霊という言葉が出てくるというのは,バラモン教の経典の書き方を踏襲しているという事なんですね.

そして,スッタニパータを書いた目的は

善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。

というのを一般の人に納得させる事なんですね.

要するに,我々僧侶にもっと金を出せ というだけの事です.

輪廻転生や死後の世界を素朴に信じている無知蒙昧な一般人に大金を出させるには,僧侶が特別な選ばれた人間であると思わせなければならないですからね.

坊さんも水を飲んで霞を食べて生きている訳じゃないからね.
ハッタリも方便
9投稿者:幸福の科学信者との対話  投稿日:2009年07月11日(土) 23時15分24秒


2931.スッタニパータは釈迦の教えそのものじゃない

名前:777 日付:7月11日(土) 10時14分

「法(に従って得た)財をもって母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように暮らしている在家者は、死後に『みずから光を放つ』という名の神々のもとに生まれる」(スッタニパータ・ダンミカ品1)

ダンミカ品のような生天話は、何故、いつごろ、だれによって、だれに対して説かれたのであろうか。それは仏教の主調音とどう関係するのだろうか。

  1期経典2では、その対告衆(説教の相手)はすべて出家者となっており、生天話はひとつも存在しない。 2期経典3にはじめて生天話が現れる(二百余経のうち二十二経)が、そのほぼすべてが在家者に向かって説かれている。

2期経典の生天話の半ばは、その告示者をゴータマではなく、諸天子としている。この部分については弟子や民間の伝承である余地は大きい。とはいえ拘薩羅相応品の七経はじめいくつかは、ゴータマを告示者としており、そこになにほどかの歴史的事実の反映を見るのは自然であろう24。

 ではゴータマは何ゆえ天界往生話を説いたのであろうか。

 その一つの理由は、ゴータマが積極的に説くというよりは、相手の関心や質問に応じたためだと思われる。例えば次のようなマーガ婆羅門との問答がある。

 「『・・・光輝ある人よ。どうしたならば梵天界に生まれるのでしょうか?』

 師(ゴータマ)はこたえた、『マーガよ、三種より成る完全な祭祀を実行するそのような人は、施与を受けるべき人々を喜ばしめる。施しの求めに応ずる人がこのように正しく祭祀を行うならば、梵天界にうまれる、とわたくしは説く』と」25。

 この例からもわかるように、天界往生は、もともと当時のバラモン教や他の宗教指導者によって、すでに説かれていたものであり、そもそも天界という概念自体が、その由来を『ヴェーダ』26に持っている。

天界に生まれることのできるものは、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャの上位三階級の者に限られ、祭儀(供犠)・布施に励んだものである。とりわけ布施は重視され、後のマヌ法典には次のように明文化されている。

 「人はその能力に応じて、『ヴェーダ』を知り且つ独り住めるバラモンに富を与うべし、(かくて)人は死後天界の福祉を獲得す」31。

 ここで布施を受けるのは、貧しい人々ではなく、バラモンの生活法に則って、家住期を終え、家庭を離れて遍歴修行する遊行者、あるいは祭祀を行うバラモンのことである。  ところで、ゴータマとその弟子たちもまた、住居と生業をもたない遍歴の修行者であった。 かれらも生存していくためにやはり在家から食を乞わねばならない。 そのとき、布施の功徳を問われれば、先のマーガとの問答にあるように、祭祀さえも認めることがあったのだろう32。 後の経典は、動物供犠を除けば邪盛会でさえ、肯定されているのである33。

 このような事情のためか、生天話は多くの場合布施と結び付き、ヒンドゥー教のそれとほどんど同工異曲である。
http://www.eonet.ne.jp/~sansuian/com/comp5.html

要するに僧侶にとって宗教は,職業として生活の為にやっているものなので,釈迦の本当の教えなんかどうでもいいという事かな.

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3) 仏教の無我

仏教の自我と無我について,ここでまとめて考えてみましょう

西洋の自我に対し,仏教の基本的な考え方は無我の立場であるといちおう言えると思います。
次に問題は,日本の仏教学が「有」すなわち実在論に立っているか,「空」すなわち非実在論の世界観に立っているかということです。
大乗仏教が成立する前の部派仏教の時代では,説一切有部の名のとおり法(事物)は実在するという立場でした。
ところが3世紀になって大乗仏教中観派の竜樹が書いた『中論』の中の,いわゆる「空」の思想が,従来の実在論を大きく転換させる契機になったと言われています。
それでは,こうした「空」の思想が,当時どう理解され,その後どのように伝えられていったかを考えてみたいと思います。
まずこれに関連する中論の中の3つのキーワードを取り上げてみます。
それは,
空(シューニア),無自性(ナスバータ),縁起(プラティティアサムツパーダ)
で,4世紀に鳩魔羅什が,括弧内のサンスクリット語を現在の漢字に翻訳し,
それが日本で通説の「空」論,あるいはダルマ(諸法=事物)非実在論の根拠になっています。

それでは,これらのサンスクリット語の漢訳ははたして正しい訳であったかということが問題になります。
これについて日本の仏教学界には,シューニアを空としたのは羅什の世紀の誤訳であったとする学説があります。
当時,竜樹はサンスクリット語のシューニアを仏教の最高のレベル状態と考え,
中国で主流であったタオ思想の最高のステージである玄あるいは無に準えて,空と漢訳した
という見解です。
確かにシューニアには,空のほかに諸法実相つまり「ありのままである」との意味もあるということから,もし後者のラインでいけば,

無自性は「すべてのものには実在がない」
ではなく
「ダルマの主観的な独自性を否定した」

だけと言えるし,また

縁起は「すべては相互的依存関係であって実在がない」
ではなく,
本来の意味の「眼に見える総合的関係」

と考えるのが適切と言えるというものです。
特に日本の仏教学会で空の思想が多数説になったのは,明治以降の圧倒的な西洋の実在論に対抗するために,独自の世界観を求めたことにあったからだとも言われています。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/u-jung/page7/page7.htm


非我と無我に関する中村元氏の解説@

先日、中村元氏の『ブッダの人と思想』(NHKブックス)という本を読んでいたら、仏教においての非我と無我に関する重要であると思われる箇所がありましたので、ここで、その部分を引用してみようと思います。

『人間は苦しむものであると前章において考察しました。なぜ人間は苦しむのでしょうか。それはすべては常ならざるもの、無常であるからでありました。それはまた、別の角度からみると、我あらざるもの(非我)を我(アートマン)とみなすところから起こるとブッダは説きます。つまり本来自己に属さないものを自己に属すると錯覚し、それに報われて苦を受けるというのです。

仏教は古来「諸法無我」といい、すべての存在は実体なきものであるという存在論を展開してきましたが、原始仏教の時代においては、「我(アートマン)にあらざるもの」つまり「非我」が主として説かれています。「我(アートマン)は存在しない」つまり「無我」が説かれ、仏教を無我説として特徴ずけるのは時代が下がってからであります。

非我も無我もブッダの時代から一体として説かれていたものが、時代がたつにつれて微妙なニュアンスの違いを生じ、日本においては我無しの無我は、自己がすべて無くなることであるとにお誤解が生じています。』P94

『ブッダは、自己にあらざるものを自己とみることによって、苦しみが生ずるとときました。つまり、ブッダの言わんとするところは、まず、自己にあらざるものを自己の所有とみなすこと、二つには、自己には無常不変の実体があるとみなすこと、三つには自己の本質というものがあるとみること、これらを否定することが非我の内容であると説きます。』P95

【色(物質的なかたち)は無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは非我である。非我であるものはわがものではない。これはわれではない。これはわがアートマンではない。正しい智慧をもってこのお〔道理〕を如実に観ずべし。】(『サンユッタ・ニカーヤ』)

『ここで説かれていることを一つずつ見ていきましょう。まず、ここでは色(肉体)の部分の説法を抜き出したものです。このあと、受(感覚)、相(表象)、行(意識)、識(意識)について同じ説法がくりかえされています。この一説は大変重要なもので、これでブッダの考えている非我とはどういうことか
分かるのです。
 
「色(肉体)は無常である。」これは当然のことであります。永遠に不滅の肉体などありません。次に「無常であれば苦しみである。」これも当然です。世の中のものは肉体にかぎらずすべてうつろうわけですから、不滅であってほしいと思っても、思い通りにはなりません。

たとえば、愛しいものといつかは別れなければならない苦しみ(愛別離苦)などは、典型的なことではないでしょうか。無常であれば苦しみである。苦しみであれば無我である。この部分は、おもいどおりにならないこと(苦)が、どうして自分の本性であり、実体であるといえるか、苦は不変のものではなく、もともと非我ではないかというのです。そして、非我であるものはわがものではない。われではない、これはアートマンではないと説いているのです。

この文脈で理解するならば、ブッダは「自己は存在せず」と自己そのものを否定してはおりません。ブッダの否定するのは、自己の所有であり、常住不変の実体であり、常住不変の自己の本質といったものであります。』P96

『原始仏典の中でもっとも古い層に説かれている非我の説異名には、まず何ものかを「わがもの」「われの所有」とする勧化を排斥しています。修行者は自己の清浄行を達成するためのは、所有のとらわれを離れなければなりません。』P97

【人々はわがものである」と執着したもののために悲しむ。〔自己の〕所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである。....人が「これがわがものである」と考えるもの、―それは〔その人の〕死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してはならない。】(『スッタ・ニパータ』805〜806)

『およそ自己の所有と見なされているものは常に変滅するものです。したがって永久に自己に所属するものではありません。自分が死んだならば、自己の所有はもちろんのこと、自己に属していると思われている世界はすべて自分を離れてしまうのでしょう。

つまり、人間は、自己の生存欲を中核として自己意識を構築し、それによって自己流の世界像を創出します。この世界像の中に住んでいる者は、利己的で排他的な自己であります。この自己を我執の自己といい、孤独な自己といいます。ブッダはこの自己を排除することを求めています。その一つが所有欲であります。所有欲は人間の最も深い本質的な執着の一つです。これから解放されるには、とても大きな努力が必要です。』P99

『所有欲と共に人間の執着の強力なものに身体への執着があります。我われは、自己(アートマン)とは何かと考えるとき、ただちに思いうかべるのは身体と、身体をコントロールしている精神とを考えるのではないでしょうか。

最近の科学的と称する還元論や唯物論では、精神もまた脳の活動であるから結局、すべては肉体のはたらきに集約さあれます。そうすれば、自己とは身体のこととなり、身体をもってアートマンとする考えにゆき着いてしまいます。ブッダは肉体を否定はしません。しかし、肉体が有る、それはアートマンであるとして執着することを排除せよと説きます。』P99

【〔尊師がいった、〕「刀が体に刺さっている場合に〔刀を抜き去る〕ように、〔ターバンを巻いた〕頭〔髪〕に火がついている場合に〔急いで火を消そうと努める〕ように、<自身ありという見解>を捨て去るために、修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。】(『サンユッタ・ニカーヤ』)

【洞窟(身体)のうちにとどまり、執著し、多くの〔煩悩〕に覆われ、迷妄のうちに沈没している人、―このような人は、じつに<遠ざかり離れること>(厭離)から遠く隔たっている。じつに世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。】(『スッタ・ニパータ』772)

http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1813075.html

非我と無我に関する中村元氏の解説A

『身体が我われのアートマンであるという思想は根深いものがあります。唯物論はもちろんのこと、多くの一般人もまたこの見解をとっているのではないでしょうか。この見解は一見、論理的にみえますが、自己の身体に対する微妙な執着をもっています。これを初期の仏教徒は「自己の身体に執する見解」と呼んでいます。仏教はあくまで苦の克服を目指さなければならない。
しかし、前にふれたよう身体観のように、肉体に対する執着の根深さを自覚すればするほど、生存への妄執の自覚は深まります。これが「清浄行」の実践へと必然的につながっていくのです。これが四諦八正道の道理であります。苦の自覚は、深い妄執への自覚となり、それが強いバネとなって八正道の実践となります。』P100
『結局「非我」とはなんであるのかこの問いに帰ってきます。釈迦は身体と精神を分析して、五つの構成要素をたて、その因縁和合したものを五蘊(五つのあるまり)と名づけ、個人存在としました。
つまり、色(物質的なもの、肉体)受(感受作用)、想(表象作用)、行(形成作用)、識(識別作用)であります。色のほか四つは精神のはたらきです。この五つの要素が仮にあつまって自己存在を形成するわけで、自己とはあくまで仮構されたものであると見ます。
仮構されたものには実体はありません。また、色・受・想・行・識の各要素にも実体があるとはいえません。つまり、すべて「非我」であります。』P101
【五種の構成要素(五蘊)を、〔アートマンとは異なった〕他のものであると見て、アートマンであるとは見ない人々は、微妙なる真理に通達する。―毛の尖端を矢で射るように。】(『テーラガータ』)

『さて、非我あるいは無我が、いまひとつはっきりしないのは、あれはアートマンではない、これもアートマンではないと否定的に説かれていて、これがアートマンであると肯定的、断定的に説きあかされないところに、わかりにくい面がありましょう。
しかし、ここで、否定的にしか説き得ないことなのであるということを理解しなければなりません。もしこれがアートマン(自己)であると断定したなら、釈迦の説教と違ってしまうのでしょう。
釈迦は、これといって具体的に、また対象的に客体化して明示するどんなものもアートマンではないといっています。釈迦はアートマンは存在しないとはいっていません。人間の五種の構成要素(五蘊)をとりあげ、「アートマンはこれでもない、あれでもない」といっているだけです。』P102
『釈迦は、人間存在は非我(無我)であるからといって、自己の存在を否定したわけではありません。むしろ、倫理的行為の主体として、自己の存在を積極的に肯定していました。

パーリ文の『律蔵』の中に「自己を求めよ」と若者たちに説法したエピソードがあります。それは三十人の若者がそれぞれ妻を連れて森にピクニックにきていました。そのうちの一人だけは未婚であったので、遊女をつれてきていました。

ところが、遊びに夢中になっているすきに、その遊女がみんなの持ち物を盗んで逃げてしまいました。それで彼らはその遊女をさがして森の中を走り回っているとき、ちょうど一本の木の下で釈迦が瞑想していました。青年の一人が女の行方をたずねます。釈迦は、青年たちにいいました。

「君らはどう思うか。婦女を探し求めるのと、自己を探し求めるのと、どちらがすぐれているか」と。青年達はその意味するところを理解して、釈迦の説法を聞いたということです。こ

こで釈迦は、はっきりと自己(アートマン)を求めよと言っています。非我(無我)は自己否定や自己放棄ではありません。むしろ自己を愛し、自己を大切にせよといっています。』P104

【愚かで知慧のない人は自己に対して仇敵のごとくふるまう。】(『サンユッタ・ニカーヤ』)

【たとい他人にとっていかに大切であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。】(『ダンマパダ』166)

【善しからぬこと、己のためにならぬことは、なしやすい。ためになること、善いことは、じつにきわめてなしがたい。】『ダンマパダ』163)

【自己を護る人は他の自己をも護る。それゆえに自己を護れかし。〔しからば〕かれはつねに損ぜられることなく、賢者である。】(『アングッタラ・ニカーヤ』)

『こうした自己についての説法だけをみてゆくと、無我説を説いた人だとは思われません。しかし、実はこれが無我説の真意であり、内容であるのです。つまり、無我説の中核を挫いて、見ていくと、当然人格の変容を体験することになります。すると、今まで「自己だ、自己だ」と思っていたものは、仮のものにすぎないということがわかってきます。

人間は分別心があるために、どうしても仮構された世界に生きており、その世界が現実であると勘違いしています。腹がすいているときには、石ころが饅頭に見える道理です。それが、次第に者が正しくみえるようになれば、他人の気持ちがわかるようになり、慈しみの心が深くなります。

我執が崩れはじめると、外教や他者と素通しとなり、自然に世界を受け入れ、愛するようになるでしょう。利己的自己を挫けば自己のアイデンティティー(独自性)がなくなると思うかもしれませんが、全くその反対です。

利己という名のカラにはもともと独自性などありません。人間的な癖があるのみです。近代的な自我は個のオリジナリティー(独自性)を強調しますが、行きすぎは、妄想であり、はた迷惑であります。

さらに無我はそれを体得することによって、死の恐怖が薄れることです。利己心の中核を挫けば、死すべき自己は去っています。自己がないのですから、死の恐怖は去ってゆく道理であります。

釈迦や祖師たちはそれをやりとげた人たちです。後世、「不生」ということがいわれています。真の自己は生まれません。不生であれば死にません。仮の自己を撃ち砕けば、死すべき自己はいないのですから、生死はない道理であります。これを「無我の理法」というのです。』P107

『このように理想的な倫理的主体としての自己(アートマン)を認め、自己浄化によって現実の苦なる人生を越えていこうと、最初期の仏教は努力しました。これは実践の道であり、アートマンを決して形而上学的な実体とみなすことはありませんでした。

このように、非我(無我)の教説は、釈迦の中心的な法理であり、煩悩や妄執を超えて、法(ダンマ)による倫理主体としての自己こそ非我(無我)の当体であると考えていたのす。』P109
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1813086.html

非我と無我に関する中村元氏の解説B 傑作(0)
2010/6/8(火) 午後 10:45非我と無我についてB宗教 Yahoo!ブックマークに登録 先日、仏教学者である中村元博士の『原始仏教〜その思想と生活』(NHKブックス)を読んでいたときに、興味深い文章と、古い経典からの引用があったので、その箇所のみを一部抜粋して、下に載せてました。


【世のつねの諸哲学者は真理の部分、部分を見ているにすぎない。が、ゴータマ・ブッダの教えは他の教説と比較することのできぬものである。それは他の教説と「等しい」とか「勝れている」とか「劣っている」といって比較することができない。―
 

 『「等しい」とか「勝れている」とか、あるいは「劣っている」とか考える人は―かれはその思いによって争うであろう。.....しかし等しいとか等しくないとかいうことのなくなった人は、だれと論争にかかずらうのであろうか。』(Sn.842〜843)


比較することができるということは、共通な立場に立つものの間でのみ可能なのである。『一切世間から離れた者は、全世界に比ぶべきものがない。』(Itiv.122;AN.T,p.24)仏は六十三種の異端説を克服した、といわれる。ゴータマ・ブッダの教えは、その立脚点が他の諸学派の立脚点と次元を異にしていて、それを超越したものであるという意味に解すべきであろう。だから仏教で考える真理は対立を超えたものである。普遍的真理は誤謬に対立するものであり、二者択一的であるが、仏教の説く真理は分別を超えたものである。


『真理は一つであって、第二の者は存在しない。その真理を知った人は争うことがない。』(Sn.884)


この立場の自覚がある故に、仏教は当時のもろもろの思想や宗教は真理の教えではないと考えていた。


ところで、仏教が他の思想とは次元を異にした高い立場にたつ思想であり、すべての思想を包含するものであるとするという、まさにその故に他の人と争うということがなくなる。


『われは世間とは争わない。しかし、世間がわれと争う。法を語る人は、世間の何人とも争わない。世間の諸の賢者が「無し」と承認したことを、われもまた「無し」と語る。世間の諸の賢者が「有り」と承認したことを、われもまた「有り」と語る。(SN.V,p.138 f 『雑阿含経』第二巻・三十七)


そして、最後に、次のように教えをまとめている。


『譬えば青蓮華、または白蓮華が水のうちに生じ、水の中で成長し、自ら上に現われ出て、しかも水に汚されていないように、実に如来は世間の中で成長し、世間にうちかっているが、しかも世間に汚されないのである。』


真理の修行者はいかなる党派にも続さない。(Therag.1217)それ故に仏教が真理を説く教えであるということが主張できるのである。仏教以外にはニルヴァーナ(涅槃)に赴く道なし、とさえ説かれている。】


http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1813179.html

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バラモン教の悟りとは何か?


1) 仏教とバラモン教との関係について

 経典『スッタ・ニパータ』の中には、いくつかの疑問点が散見するのであるが、これを読む者の多くの人は、聖者なるゴーダマ・ブッダ(釈迦)は、自らを「真のバラモン」と呼んでいる箇所が見られることに気付かれるだろうと思う。
 
 もちろん、そのことは、後代による編集者の付加であるということも考えることも可能であるのだろうが、もしそうではないとしたら、仏教の開祖たるゴータマ・ブッダ(釈迦)が、何ゆえに「真のバラモン」なのか、言い換えれば、「釈迦はバラモン教徒なのか?」という問題を、ここで究明しなければならないのである。
 
 このことに関連して、仏教学者である奈良康明博士によれば、釈迦の生きていた時代はバラモン教という世界観の只中にあり、われわれは、そのことを理解することなしには、仏教の核心を捉えることはできないのだと説明している。
 スリランカ出身の友人M氏によれば、仏教とバラモン教とは従兄の関係にあるのだと言う。そのM氏と、これらのことに関して、中い間、論じ合った結果、われわれは、仏教(Buddisum)とバラモン教(Brahmanism)との関係について、釈迦の境地とバラモン教の究極の境地とは、全くの同一のものであるのではないのかという結論に至った。
 具体的に言えば、仏教とバラモン教の究極の境地とは無執着の境地であり、ただ、両者の境地に至る過程においての、最大なる相違点とは、

バラモン教においては一切の執着の対象を捨て去るのであるが、絶対者なる神(ブラフマン)や永久不滅なる魂(アートマン)への執着そのものは残存させたのに対して、

仏教は、絶対者なる神(ブラフマン)や永久不滅なる魂(アートマン)への思考、そして、執着そのものに関する執着さえも棄て去ったのだのではないのか、ということである。
 
 では、バラモンの修行の中にあったゴーダマ・ブッダが、何ゆえに、その悟りにおいて、絶対者なる神(ブラフマン)や永久不滅なる魂(アートマン)への執着そのものさえも捨て去ったのか?  
 
 仏伝によれば、ゴータマ・シッダッタ(釈迦)は出家したあとに、アーラーラ・カーラーマと、その後、もう一人ウッダカ・ラーマ・プッタという人に師事したのであると伝えられている。(これらの二人の師は、もしかしたら、バラモンであったのだろう。)そして、その修業の末、釈迦は、それぞれの師から離れて行った。


その後、釈迦は、単独で、死ぬ寸前までの苦行を行い、その苦行によっても、釈迦は、悟りには到達できなかった。そして、釈迦は、師の指導による修行とさらには、その後の、単独の苦行の果てに、ブラフマンとアートマンへの執着さえも捨て去ったところに、ニルヴァーナに到達することができたのではないのかと、私は推察している。
 
 ということは、私は、私見として、釈迦は、バラモン教の境地とされる宇宙の根源たる絶対者たるブラフマンと人間の絶対的な永久の主体たるアートマンを捉えることができなかった。具体的に言えば、ブラフマンとアートマンを確認することができなかった釈迦は、梵我一如たるブラフマンとアートマンへの執着さえも捨て去ったところに、ニルヴァーナ、すなわち、不動の「心の平安」なる境地に到達した、ということであるのではないのかと見ている。

結論を言えば、釈迦のニルヴァーナの境地とバラモン教のマハリシ(バラモンの悟り)の境地とは全くの同一のものであり、それらは、ただ単に、そこに至る手法が異なっているだけではないのか、ということである。
 単純化して言えば、仏教とバラモン教とは、一般的には、そこに至る手法が異なっているゆえに、別々のものである、あるいは、真逆のものである、などと捉えられる場合が多いのであるのかもしれないが、苦がことごとく消滅した、無執着なる究極の境地、すなわち、釈迦のニルヴァーナとバラモン教(Brahmanism)のマハリシとは同一のものであるのだと、私は感じるのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/folder/1802145.html

8. 釈迦がエロスの世界を遠ざけた理由

エロスとは古代インドでヴェーダの究極の悟りとされている梵我一如の世界そのものなんですね。
そして釈迦が本当に否定したかったのはエロスではなく、梵我一如の概念の方だったのです。
即ち、釈迦はアートマンの存在をどうしても否定したかったのです。
しかし、アートマンを抹殺するとエロスまで一緒に消えてしまうのですね。
大乗仏教が生き残った理由は釈迦が否定したアートマンを無という概念で言い換えて、エロスの世界を認めたからなのです。
アートマンというのは死後も生き続ける個人の魂ではなく、単に無意識をイメージ化して出てきたものに過ぎないのです。

釈迦がその存在をどうしても否定したかったアートマンは心の中に確かに存在します。

それはヴェーダではプルシャ(神人)としてイメージ化されています。
大乗仏教や密教では眩い光に満たされた空なるものとしてイメージ化されます。
無意識の浅い層をイメージ化すると人間の姿をしたプルシャ(神人)になり、深い層をイメージ化すると眩い光に満たされた空なるものになるのです。
これはユダヤ教の人格化されたヤハベの神と新約聖書の人間にはその姿が見えないキリスト教の愛の神の関係と同じです。

但し、釈迦が本当に否定したかったのは眩い光に満たされた唯一なるアートマンではなく、個々の人の魂としてイメージ化されたプルシャだったのです。

眩い光に満たされた唯一なるアートマンは誰が体験しても同じ様なイメージで現れますから、ヴェーダに書かれている様に、人間の死後もアートマンは永遠に生き続けると言えない事もないです。
一方、人間が死んで脳が溶けてしまえば、個々の人のプルシャも地獄や極楽と一緒に消えて無くなってしまいます。
従って、釈迦の「永遠不変なものはない」という言葉もまた真理なのです。

エロスに関係するのは勿論、個々の人のプルシャではなく、眩い光に満たされた唯一なるアートマンの方です。

仏教が一般人に正しく理解されないのは
個々の人のプルシャと 眩い光に満たされた唯一なるアートマンとを区別せずに ごっちゃにしている事が原因なのです。

釈迦が実在を否定したのは個々の人のプルシャと死後の世界・輪廻転生
大乗仏教で空と呼んでいるものは眩い光に満たされた唯一なるアートマン

と考えればいいと思います。

釈迦の悟りというのはそんな大層なものではなく、
個々の人のプルシャが唯のマーヤ(幻妄)であると認識する
という内容でしょう。

個々の人のプルシャが唯の幻影なら、地獄・極楽も輪廻転生も又すべてマーヤ(幻妄)で、単なる心の中のイメージに過ぎないという事になります。
よくある臨死体験と同レベルの体験です。

梵我一如というのは眩い光に満たされた空の世界を実体験するという事でしょう。
一般人には密教の様に麻薬を使わない限り体験できない世界です。

___________

2) アートマンとは何か


アートマンが実在する(心の中のイメージとしてだけど)というのも深層心理学の常識。

弟子は釈迦の教えではやっていけなくなったので、部派仏教、大乗仏教、密教等を次々に考えて行かざるを得なくなっただけさ。

大乗仏教も密教も釈迦が否定したかったアートマンやブラフマンの実在を認めているしね。

空はブラフマン

大日如来はアートマンだからね。

整合性が取れていないのは仏教自体が寄せ集めの教えだからだ。

釈迦の残した言葉も、本当の教えだけでなく、対機説法として話したものも含まれているから、どれが本当の教えか判別するのが難しいのさ。

釈迦の教え自体も殆ど間違いだしね。

釈迦の教えで正しいのは魂や死後の世界が無いという部分だけだ。

要するに釈迦は無神論と唯物論を説いたのさ。

しかし、釈迦がその根拠とした無我説や縁起説は明らかな間違いだ。

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3) 対機説法の目的

ブッダというのは目覚めた者という意味で単なる人間の事だよ。

悟った人間は阿羅漢と言われて、全員釈迦と同格さ。釈迦から阿羅漢に認定された弟子は当時、何千人か居ただろうから、釈迦は特別な人間じゃない。

それから、部派仏教の段階で釈迦の教えは既に大幅に修正されていたから、釈迦の言説は100年後には既に真理だとは思われていなかった訳だ。


釈迦が何故神格化されたかと言うと、

無知蒙昧な一般人にお布施を出させるには,釈迦が神で、その弟子も特別な選ばれた人間であると思わせなければならないさ:


スッタニパータ 第二章 小なるもの 第一経 宝

227  正しくある者たちに賞賛された、これら四組の者たち八人(四双八輩:正覚に至る四階梯の各々において学びつつある者と学び終えた者の計八人)が〔世に〕有るなら、彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。

これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。これもまた、僧団(サンガ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏成れ。
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho20070317.html

要するに、釈迦もその弟子も特別な存在だから、もっと金を出せという事さ。それが釈迦崇拝が生じた理由だ。

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http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1058.html

コメント [日本の事件29] 上の記事の改訂版です。 taked4700
03. 2011年1月08日 11:26:56: AQqyLULhMc
> 土浦バイパスまで数百メートルだし、国道354までも1kmあるかないかほど。
↑↑↑↑
デタラメです
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/656.html#c3
記事 [経世済民70] 日本郵政・斎藤社長が会見 郵便会社の人件費抑制検討(フジサンケイビジネスアイ)
 分不相応に高すぎる正社員の給与は下げて、
 低すぎる非正規雇用の人の給与は上げる。

 そのような調整をする中で、全体としては、
 総人件費は、多少は抑制せざるを得ないだろう。

 IT化の進展で、郵便量が減っていることは、時代の流れ。

*******************************

日本郵政・斎藤社長が会見 郵便会社の人件費抑制検討(フジサンケイビジネスアイ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110107-00000013-fsi-bus_all

日本郵政の斎藤次郎社長は7日の記者会見で、業績が悪化している傘下の郵便事業会社について「経営の効率化を具体的に検討している」と述べ、給与やボーナスのカットによる人件費抑制や配置転換などを検討していることを明らかにした。労働組合と協議した上で、28日までに総務省に具体策を報告する。

 郵便事業会社は昨年7月、累計34万個を超える宅配便「ゆうパック」の遅配を起こし、その影響などで2010年9月中間決算は営業損益が928億円の大幅赤字に陥った。斎藤社長は「相当抜本的なことをやらないといけない」と語り、経費の約7割を占める人件費の抑制などの改善策をまとめるとした。

 一方、現在の5社体制から3社への日本郵政グループの再編を盛り込んだ郵政改革法案が先の臨時国会でも継続審議となったことについて「法案成立を待って組織改編や新規業務を展開し、会社の体質を立て直したい」と述べ、今月召集の通常国会での法案成立に期待を示した。斎藤社長の記者会見は昨年5月以来、約7カ月ぶり。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/577.html

記事 [マスコミ・電通批評11] 年明けの日本・アメリカの経済見通し 〜「楽観論」満載のお馬鹿報道の嵐〜 (暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜)
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/cd38f34862a2663ea859a5aa3e8d4cb8
2011年01月07日

年明けの日本・アメリカの経済見通し 〜「楽観論」満載のお馬鹿報道の嵐〜


(転載開始)

◆東京株式大引け速報:全面高に、日経平均は一時7カ月半ぶりの1万0400円台に
 サーチナ 1月4日(火)15時10分配信

1月4日、大発会の東京株式市場は反発した。
大引けの日経平均株価は前営業日比169.18円高の1万0398.10円。一時、5月14日以来、7カ月半ぶりに1万0400円台を回復する場面があった。
TOPIX(東証株価指数)も反発。

昼休み時間中に、シンガポールの日経平均先物が一段高となるなど先物主導の展開に、市場では「幻のSQ値」1万0420円突破を期待する声が強まった。
上海、香港市場などが上伸しており、世界的な株高期待が強まっている。全面高商状。

2011年相場に関しては「強気」の見方が大勢となっている。
外資系証券では、「前半は循環的強気、年後半は構造的強気へのスタート地点」と位置づけ、2011年3月末ターゲットはTOPIX1000ポイント・日経平均1万1000円、2011年末ターゲットはTOPIX1200ポイント・日経平均1万3000円としている。

また、別の外資系証券も「2011年は外国人が最大の買い手となり、年金、個人、金融機関の売りを吸収。上昇率は増資の規模や件数に大きく影響されるものの、2003〜07年と同じく、2011年も典型的な株価上昇パターンとなる」としている。(編集担当:佐藤弘)


◆米S&P500種、安値から86%上昇−「ニューノーマル」とは無縁か
 更新日時: 2011/01/03 11:35 JST

1月3日(ブルームバーグ):世界景気の好転と過去最高水準の企業業績を背景に、米国株は平均を下回るリターンが常識である「ニューノーマル」の予測を覆す好成績を上げている。

ブルームバーグと米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)のデータによれば、S&P500種株価指数は2010年に約13%上昇。09年3月の安値からの上昇率は86%と、比較可能な期間では1955年以来の大幅高となった。09年と10年の2年間の上昇率は、98年と99年のインターネットバブル時以来の大きさだった。ダウ工業株30種平均も年間上昇率11%で越年した。

米セキュリティー・グローバル・インベスターズで210億ドル(約1兆7100億円)相当の運用に携わるマーク・ブロンゾ氏は、「市場参加者はついに『今回の経済成長は持続可能のようだ』と言い始めつつある」と指摘。「10年末に企業利益が伸びていることが分かった。大半の市場参加者は、11年は恐らく良い年になると認めつつある」と述べた。

米パシフィック・インベストメント・マネジメント(PIMCO)は09年5月、財政赤字と規制強化を理由に、金融資産のリターンが過去の平均水準を下回ると警鐘を鳴らした。ロンドン・ビジネス・スクールとクレディ・スイス・グループがまとめたインフレ調整後のデータによると、米国株のリターン(配当込み)は1900年以降、年間6.2%。

10年7−9月(第3四半期)には、70%余りの企業がアナリスト予想を上回る利益を上げた。米ゴールドマン・サックス・グループのデービッド・コスティン氏は、1兆ドル余りの現金を保有する企業のデータを基に、企業のバランスシートがその資産価値と比べてこれまでで最も強固だと分析した。

ブルームバーグ・ニュースがまとめたストラテジスト11人の予想平均によれば、S&P500種株価指数は11年に1374と、10年末比で9.3%の上昇が見込まれている。08年末からの上昇率は52%に達する。

翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:東京 松井 玲 Akira Matsui Akmatsui@bloomberg.net

◆今年の米国債相場は続落基調−ゴールドマン、PIMCOなど予想
 更新日時: 2011/01/03 12:17 JST

1月3日(ブルームバーグ): 米国債相場は、昨年12月に記録した1年ぶりの大幅安の基調を引き継ぐ見通しだ。米ゴールドマン・サックス・グループや米パシフィック・インベストメント・マネジメント(PIMCO)は2011年の利回り上昇を予想している。

市場予想によると、米労働省が今週発表する昨年12月の非農業部門雇用者数は3カ月連続で増加する見込みで、統計を控えて米国債の下げが顕著となっている。

MFグローバル・シンガポールの上級バイスプレジデント、ジェフ・ホーウィー氏(シンガポール在勤)は、「利回りは今年上昇する見込みだ」と予想。「米景気は緩慢だが確実に回復する。量的緩和の第3弾は不要だろう」と述べた。

BGキャンター・マーケット・データによると、米10年債利回りはシンガポール時間午前9時33分(日本時間同10時33分)現在、3.29%。ブルームバーグがまとめた銀行や証券会社の予想によれば、同利回りは11年末までに3.52%に上昇する見込みだ。ホーウィー氏は4%を予想している。

翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:東京 松井 玲 Akira Matsui Akmatsui@bloomberg.net


◆ドルは上昇、アジア株も6日続伸−米景気回復持続の楽観論台頭
 更新日時: 2011/01/03 17:12 JST

1月3日(ブルームバーグ):3日の金融市場では、ドルが上昇し、アジア株が6営業日続伸。銅相場は過去最高値を更新した。中国で景気拡大の鈍化が示されているものの、米国で景気回復が持続し、世界経済の成長をけん引するとの楽観的な見方が広がった。

ドルは主要16通貨の大半に対して上昇。対ユーロでは香港時間午後3時15分(日本時間同4時15分)現在、1ユーロ=1.3308ドルで取引されている。昨年12月31日は1.3384ドルだった。MSCIアジア太平洋(日本除く)指数は0.9%高の483.17で、このままいけば昨年7月以来の連続高で取引を終える。

韓国総合株価指数は終値ベースの過去最高値を更新。ユーロ・ストックス50種株価指数先物は0.7%高。S&P500種株価指数は0.2%高。ニューヨーク商業取引所(NYMEX)のCOMEX部門の銅先物は一時、1ポンド=4.4925ドルと最高値を付けた。

翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:東京 松井 玲 Akira Matsui Akmatsui@bloomberg.net

(転載終了)


「開いた口が塞がらない」とはまさにこのことであろうか。
上記にて取り上げた記事を読んで頂いたとおり、年明け以降、マスゴミの流すニュース・記事は、日米の今後の経済見通しについて、「楽観論」のオンパレードである。
特にブルームバーグの松井玲なる記者によるアメリカ経済”ヨイショ記事”の連発は、あまりに”露骨”であり、明らかに”確信犯”であろう。

しかしながら、上記記事などは数多く報道されているニュース・記事の中のほんの一部である。
マスゴミや御用アナリストらは、一体、何の根拠を持ってこのような「楽観論」に終始するのであろうか?


アメリカ経済の実態については、以前のエントリーにて度々指摘しているように、金融工学を駆使した”レバレッジ投資”により、その損失学は天文学的数字に達しており、もはや”死に体”である。
その実態は、FRBによる米ドル紙幣の刷り散らかしによる”緊急輸血”により”延命”されているだけであり、その病巣が取り除かれた訳でも何でもないというのが実情である。
死を間近に控えた”末期患者”の病状がたまたま今は安定しているように見えるだけのことであり、このことをもってして「楽観論」を垂れ流すことは「偽証罪」ものである。
個人投資家を騙し、安心させて、株式や債券への投資を促し、ある時一気に”売り崩し”を仕掛けて個人資産を収奪する「いつもの構図」である。

繰り返しになるが、アメリカ経済の窮状は何ら解決されたわけではなく、そのアメリカに隷属し大量の米国債を抱える日本も”その時”は一蓮托生である。
まさに副島隆彦氏の指摘する「日米抱きつかれ心中」の図式である。

個人投資家の方は、マスゴミ・腐れ証券会社・御用アナリストらの口車にくれぐれも騙されないように注意が必要であろう。


http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/438.html

コメント [経世済民70] ドル安ではなく円単独高、通貨の価値は購買力で決まるのにおかしなことだ、円単独高の理由は単純明瞭 heiwatarou
01. 2011年1月08日 12:22:56: MqnKyzYDtk
この人のHPも投稿も、理論的でまともです。参考にされないのは世の中腐りきっているからでしょうなあ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/576.html#c1
記事 [昼休み44] 何でも小沢さんの真似をする空き缶にはうんざりしますが、現職総理がネットに出演せざるを得ない時代になった事実は大歓迎です。
ネット生放送に、菅総理が出演
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/892.html
投稿者 尾張マン 日時 2011 年 1 月 08 日 10:09:43: YdVVrdzAJeHXM

(回答先: 首相動静(1月7日) 投稿者 尾張マン 日時 2011 年 1 月 08 日 10:04:27)


MarkeZine 1月6日(木)11時35分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110106-00000001-sh_mar-sci


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/531.html

記事 [雑談専用39] 埼玉入間の田中さん。藤沢まで来ていただき、ありがとうございました。
田中さん。ありがとうございました。

とにかく、これまで舞台人、現場で死んだ舞台人への追悼・哀悼によって
21世紀2010年代の表現の扉を押し開く舞台ができたと、わたしは
確信いたしました。

田中さんのお姿を客席で発見したとき、人生の真実を感じました。


田中さんに本番突入の勇気をいただきました。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/126.html

コメント [経世済民70] 「共通通貨ユーロ」夢の終わり  tea
02. 2011年1月08日 12:44:38: 5OSV8Up776
サルコジはイスラム諸国をふくめて地中海の経済同盟を狙ってるんじゃなかったっけ?
ユーロを更に拡大するつもりだったのかな?
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/575.html#c2
記事 [経世済民70] Re: インフレ、デフレというのは現象の一面に過ぎない。ホットコーヒーかアイスコーヒーのどちがいいかと同じで下らない。
書かれていることは、理論的には正しい。メディアのインフレ叩きへの懸念もあるだろう。インフレ税の導入というのも、一つの選択肢として大いにありうる。ただ、問題をインフレという「結果」の問題に集中してはならない。個人よりも企業を保護したほうが良いと臭わせたり、「貯蓄を食いつぶせる」から幸せだと書いたりするのは論外である。もう、そういう時代もおわりに近づいている。

問題は収入より支出の方が(キャッシュフローがどうのこうのというつもりはないが。)多いということ、それが本質だ。国も。企業も。個人も。その原因は何かというと、支出が増えているというよりも、収入が減っているというところにある。特に、企業と個人についてはそうである。

では、なぜ収入が減っているのか。厳密にいうと、収入そのものが減っているのでは無い。収入を横取りされている。

たとえば、製造業でいえば、スマイルカーブ現象というのがある。部品メーカーと、アセンブリメーカー(部品を組み立てて製品にするメーカー)と販売会社では、販売会社が一番利益をとりやすく、アセンブリメーカーが一番利益を取りにくい。詳細はスマイルカーブ現象で調べてちょうだい。日本は一時期、基盤技術に強くて、世界に電子「部品」を売って儲けていた。ところが、今ではそういう製造業は廃れて、アセンブリメーカーが殆どである。そして、製品を叩き卸して売り飛ばす家電量販店が以前よりも権力を握っている。なぜか、という点については調べて頂戴。で、家電量販店の従業員が儲けているのかというと、そうではない。家電量販店はヘルパーを雇って、社員を削りまくっている。さらにその社員も低賃金で働いている。では、だれが儲けているのか?

たとえば、医療で言えば、患者は保険の自己負担額が増えたり、医療報酬額が増えたり薬代が上がったりで苦しい状態だ。じゃぁ、医者が儲けているのかと言えば違う。医者も最近は儲からなくって、バタバタ潰れている。詳細は調べて頂戴。薬局も、儲けているかと蓋を開けてみるとそうでもない。じゃぁ、だれが儲けているのか、というと、まぁ、製薬会社である。でも製薬会社の末端にいる人をみると、人並で、それほど儲けているという様子はない。では、だれが儲けているのか?

農業や漁業に目を留めると、価格の高騰で、消費者は困っている。で、販売店で利益があるのかと思ったら、そうでもないようで、販売店は利益の取りにくい生鮮食品をバシバシ縮小している。じゃぁ、生産者が儲けているのかといえば、そうでもない。ご存知の通り、安すぎて燃料の費用がでないとか、そういう状態。だれが儲けているのか?

日本の銀行、阿修羅では攻撃の対象として持て囃されているが、実際は全く成功していない。どこも破綻の危機。生命保険、わしの死亡保障よりも生命保険の保険の方がいるんじゃないかという経営状況。では、だれが儲けているのか?

政府。経済活性化のために使う筈の費用が、一部にプールされるばかりで、経済効果がない。そして、税金だけは増えている。公務員も昔ほど優遇されているわけではない。では、だれが(以下略)

......とあげればキリがない。ここまで挙げてこなかった部分に関しても、なぜそんなに儲かっていないのか不思議に思える部分がある。結局、だれが儲けているのか?
具体的にだれかというのは別にどうでもいい。ぶっちゃければ、あらゆる産業分野がこれだから、いろんなところで、極小数の人だけが儲けているのだ。問題は、この一部の人「だけ」が儲けているというところにある。いろんな産業分野で、利益が流れて一部に吸い取られる仕組みができてしまっている。そして念のため書いておくが、阿修羅的に言えば、その利益の流れる先が外資系のことが多いから腹が立つということになる。だが、ハッキリいえば、問題はそこではない。(もちろん、日本がデフレ傾向だから、彼等の利益は盤石なものとなっている。だから、デフレはいかんよ、という結論は当然ありうる。)問題は、この横取りというのが横行しすぎていて、働けども働けども利益がとれない。だから経済が全体が疲弊してしまうというところにある。

格差が広がると不景気になるのである。

それは、金が凝集して、自由に動けなくなる状態だからである。
そして、こうなった理由はなにかというと、格差を容認する税制はもちろん、インフレが進むことを前提とした経済成長施策(簡単にいえばバラマキ)であり、横取りしようというガメツイやつらの声に従ってしまうヘタレであり、それに立ち向かうのではなく金をやり繰りして何とかしようと考える情けなさであり、そういうことを容認してしまう民衆の無知なのである。
経済学の論理は大切だということは認めるが、ポイントを間違えてはいけない。



http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/578.html

コメント [経世済民70] 貧富差が問題なのに世代間論争に拍車かけるとは由々しき問題だ、お年寄り苛めの世論作りの日本政治 heiwatarou
03. 2011年1月08日 13:04:37: 9wjqyqBwdA
良いご意見です。
投稿者に賛同します。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/572.html#c3
コメント [戦争b7] グラスピーメモの暴露によって、91湾岸戦争時に米国の誘導でフセインがクウェートに侵攻した可能性が明るみに gataro
09. 2011年1月08日 13:10:24: DhtGT4Wu4U
 このようなことは当時ニュースにもなっていたんではないのか。目新しいものとも思われんがな。それに、当時はわても赤旗を取っていたが、フセインがCIAを雇っていたと書かれていて、鬼の首でもとったように喜んだものだが、一般紙はいっさい口をつぐんでたんでがっくりきた。CIAとイラクはイランイラク戦争時から湾岸直前まで蜜月関係であった。新聞テレビしか情報源のない人は知りもしないが。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/162.html#c9
コメント [経世済民70] ドル安ではなく円単独高、通貨の価値は購買力で決まるのにおかしなことだ、円単独高の理由は単純明瞭 heiwatarou
02. 2011年1月08日 13:28:26: 9wjqyqBwdA
>人件費を抑制して輸出したから輸出超過になり円高になった、それで内需が停滞して景気を悪くした

この部分は間違い。
2002年ころからリーマンショック前までは、
世界経済の活況とくに中国の高成長、加えて円安により、特に輸出産業、市況産業を中心に企業はもの凄く利益を出し、内部留保を蓄積したのは事実。

人件費を抑制したから、競争力が高くなったのではなく、利益を出す環境にめぐまれて大幅な利益を出したにもかかわらず、賃金に反映させなかった。要するに労働分配率を引き下げたからです。

大企業の配当金と人件費の関係のグラフ化は、わかりやすいグラフで、大企業の利益蓄積と対比するともっと鮮明に出ることでしょう。

菅政権の法人税引き下げは、最も非難さるべきですね。
なぜなら、法人税は利益に対して課税されるものですから、減税分は株主のものであり、配当原資がその分増えるだけで、決して人件費UPにはつながりません。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/576.html#c2

記事 [経世済民70] 労働力人口の減少、高齢者増 成長因子の消失 成熟フェーズの日本経済
試算の元になるデータをもっと明確にして、複数のシナリオで計算するなどすると
より説得力のある議論が展開できるだろうが、
いずれにせよ、不確定性がかなり高いから、既得権派の反対は大きいだろう。
目先の景気回復で、再び国民が浮かれてしまったり、
目先の不景気で改革を先延ばしにする可能性が一番高そうだ。

http://www.jeed.or.jp/data/elderly/elder/download/2011_01-06.pdf
エコノミスト  波頭 亮
成熟フェーズの日本経済 成長論から分配論へ
労働力人口の減少、高齢者増 成長因子の消失

1964年と言えば、欧米も日
本も高度経済成長真っ只中、黄金

60
年代であり、当時各国は経済
だけでなく人口もぐんぐん増えて
いた時代です。そんな時代に、将
来人口が減少していく社会の危機
を論じたドラッカーの慧眼は凄い
としか言いようがありません。し
かし、いままさに日本が迎えよう
としている人口減少が社会や経済
に与えるインパクトは、もしかし
たらそれ以上に凄いものになるか
もしれないと案じています。
人口が減っていくということは、経済の面で言うと、モノを買
う人が減り、モノを作る人も減る
ということです。何だ、両方が減
るのならバランスが取れるじゃな
いかと安心するのは早計です。こ
れから本格的に迎えようとしてい
る日本の人口減少は、少なくとも
2つの意味で極めて深刻な問題を
はらんでいます。

第1の問題は、現行の国民経済
が運営不能になるということで
す。言わば、日本経済のシステム
ダウンです。どういうことかと言
うと、今の日本丸は船長以下、航
海士や機関士や甲板員や船医や
ら、トータルで約8100万人の
働き手がそれぞれの役割を果たす
ことによって動いています。人員
減少が1万人、2万人程度であれ
ば、手が空いている人が肩代わり
することもできるでしょうが、働
き手が何百万人というスケールで
大幅に減ってしまうと、エンジン
のメンテナンスができなくなった
り、適切な航路を判断できなくな
ったり、病人が出ても治療ができ
なくなったりという事態が起きて
しまうのです。つまり、8100
万人の働き手がそれぞれの役割を
果たしてこそ回る日本経済システ
ムなので、もし何百万人もの働き
手が減ってしまうと全体として機
能不全になってしまうのです。
ちなみに現在の労働力人口は約
8100万人ですが、今後
10
年の
間に770万人も減少することが
すでに起こった未来〞として分
かっています。労働力人口770
万人というと、経済規模で言うと、
ギリシャ(750万人)、ベルギ
ー(710万人)、スウェーデン
(610万人)の一国経済全体に
匹敵するほどのスケールです。日
本の国民経済で言うならば、運
輸・郵便業(348万人)と情報
通信業(193万人)と金融保険
業(165万人)と自動車製造業

87
万人)が全てなくなるのに等
しいほどのインパクトなのです。
2つ目の問題は、非労働力人口
の増加です。1つ目の問題として
指摘した労働力人口の減少だけで
も国民経済はシステムとして機能
不全に陥ってしまうリスクがある
のに、これからは労働力人口の減少と並行して高齢者が急速に増加

ていきます。具体的には、今後
10
年間で65
歳以上の高齢者は65
0万人も増えて3590万人にな
ります。現在でも総人口に占める
高齢者の割合は
23
%と世界一の水
準なのですが、今後
10
年で急速に
上昇して
30
%に達するのです。と
なると、減り続ける労働力人口の

一人ひとりの肩にのしかかってく
る国民経済を支えるための負担
は、加速度的に重くなっていくの
です。
さらに、筆者が特に深刻に捉え
ているのは、たった10年間で高齢
者が650万人も増え、高齢化率
が7%も上昇するという、その社
会変化のスピードそのものです。
徐々に高齢化率が上がっていくの
であれば、医療や介護サービスの
体制を整えることもできるでしょ
うし、高齢者向けの様々なサービ
スや制度を充実させることもでき
るでしょう。が、たった10年しか
時間的猶予がないと何一つ準備が
整わないままその事態を迎えるこ
とになりかねません。高齢化社会
を迎える準備のないままで突入す
る人類初の超高齢化社会の姿は、
至る所を徘徊する老人、老々介護
の悲劇、姥捨て事件等々、想像したくないようなものが少なくあり
ません。

このように極めて深刻なすで
に起こった未来〞の前で佇む現在
の日本は、当然のことながら、経
済政策も産業構造も雇用制度も大
きく変えていかなければなりませ
ん。
まず不可避、不可欠な変革は、
経済政策の基本方針の転換です。
これからの経済政策では、経済成
長を前提としないで国民一人ひと
りがより幸せな生活を営むことが
できるようにすることを考えるべ
きです。経済が成長し得るステー
ジであれば、「成長は全てをいや

」と言われるように、成功した
人にも成功できなかった人にも、
優秀な人にも優秀でない人にも、
広くあまねく恩恵が及びます。し
かし経済の成長が止まった社会で
は、限りある富と減少していく価
値(GDP)をどのように分配す
るのかが極めて重要です。つまり、
経済政策の基軸を、いかにして経
済を成長させるかという成長
論〞から、どのように富や価値を
分配するかという分配論〞に転
換することがまず必要になるので
す。
日本は90年代後半から「人口」
と「貯蓄」という経済成長のため
に不可欠な2つの基礎的ファクタ
ーが頭打ちになり、
80年代までの
ような経済成長が理論的に実現し
得なくなりました。それにもかか
わらず経済政策はかつての成長論
中心の施策のままで、緊急経済対
策などという名のもとに15年間で
226兆円も成長論的景気対策に
費やしてきてしまいました。
その結果、実際に経済は成長し
たのかというと、名目で見ればマ
イナス成長、実質でもやっと1%
そこそこというありさまです。ド
ルベースで見ると、日本は15
年前の水準を一度も超えることなく、
ジリ貧の一途というのが現実です。
15年間もデフレ基調が続いている
のは世界中で日本だけであり、ま
た人口が減少している国も日本だ
けなのです。そろそろ、成長論中
心の経済政策や景気対策を転換し
なければ、財政的にも、人口減
少・高齢化社会到来のタイムリミ
論〞から、どのように富や価値を
分配するかという分配論〞に転
換することがまず必要になるので
す。
日本は90年代後半から「人口」
と「貯蓄」という経済成長のため
に不可欠な2つの基礎的ファクタ
ーが頭打ちになり、80年代までの
ような経済成長が理論的に実現し
得なくなりました。それにもかか
わらず経済政策はかつての成長論
中心の施策のままで、緊急経済対
策などという名のもとに15年間で
226兆円も成長論的景気対策に
費やしてきてしまいました。
その結果、実際に経済は成長し
たのかというと、名目で見ればマ
イナス成長、実質でもやっと1%
そこそこというありさまです。ド
ルベースで見ると、日本は15
年前の水準を一度も超えることなく、
ジリ貧の一途というのが現実です。
15年間もデフレ基調が続いている
のは世界中で日本だけであり、ま
た人口が減少している国も日本だ
けなのです。そろそろ、成長論中
心の経済政策や景気対策を転換し
なければ、財政的にも、人口減
少・高齢化社会到来のタイムリミ
れませんが、その総コストは約
24兆円です。この24兆円を消費税で
取るのか所得税で徴収するのか、
あるいは金融資産課税を導入する
のか、原資の集め方には議論の余
地があると思いますが、今よりも
国民負担を24兆円増やしたとして
も国民負担率は46%です。46%と
いうとイギリスの48・3%、ドイツの52%、
フランスの61%と比べて、まだまだ低い水準です。
24兆円の負担増は、現在の国民
負担と比べると約18%増になりま
すが、医療・介護の経済負担がな
くなり、食べることや住むことの
心配がなくなるのならば、国民は
すごく安心して生きていくことが
できるでしょう。その安心感は経
済成長のない社会においてはとて
も貴重なものであり、成熟社会の
安定には欠かせないものだと思い
ます。

次に成熟社会における産業政策

まず、喫緊のテーマは医療・介
護サービスの拡充です。高齢者は
一人当りで見て若年者の3倍強の
医療サービスが必要です。10年後
には高齢者のうちの5割以上を占
める後期高齢者では、若年者の約
5倍も必要です。この事実を前提
に計算すると、日本全体で10年後
の医療ニーズは現在の3割増にな
ります。医師の数だけでも少なく
見積もって33万人増やさなければ
なりません。現在でさえ3時間待
ちの3分診療などと言われている
現実を考えると、この数字は最低
限の水準です。当然ですが医師の
増加に伴って看護師や医療技師な
ども増やさなければなりません。
その数は約215万人と試算され
ています。
これだけの医師や看護師等を10
年以内に増やさなければ、病気に
かかった人が病院にかかれないと
いう悲惨な事態が起きてしまうわ
けです。これは大変なことですが、
逆に考えると確実に需要が見込ま
れる職が約250万人分も必要と
されているということです。公共
事業の縮小に伴う土木建設業の従
事者の余剰が150万人ともいわ

まず、喫緊のテーマは医療・介
護サービスの拡充です。高齢者は
一人当りで見て若年者の3倍強の
医療サービスが必要です。
10年後には高齢者のうちの5割以上を占
める後期高齢者では、若年者の約
5倍も必要です。この事実を前提
に計算すると、日本全体で10年後
の医療ニーズは現在の3割増にな
ります。医師の数だけでも少なく
見積もって33万人増やさなければ
なりません。現在でさえ3時間待
ちの3分診療などと言われている
現実を考えると、この数字は最低
限の水準です。当然ですが医師の
増加に伴って看護師や医療技師な
ども増やさなければなりません。
その数は約215万人と試算され
ています。
これだけの医師や看護師等を10
年以内に増やさなければ、病気に
かかった人が病院にかかれないと
いう悲惨な事態が起きてしまうわ
けです。これは大変なことですが、
逆に考えると確実に需要が見込ま
れる職が約250万人分も必要と
されているということです。公共
事業の縮小に伴う土木建設業の従
事者の余剰が150万人ともいわ


れ、円高に伴う工場の海外移転で
300万人以上の雇用が失われて
しまうと喧伝されていますが、国
民経済全体で見れば医療分野だけ
でも250万人の雇用創出を見込
めるわけです。
同時に介護の分野も大量の人材
を必要としています。様々な試算
がありますが、後期高齢者が18
70万人に達する10年後には少な
くとも現在の2倍に当たる260
万人の介護サービス従事者が必要
とされています。単純化して言う
と、これから公共事業縮小や工場
の海外移転で450万人分の雇用
が失われる可能性があるけれど
も、今後必要とされる医療・介護
の分野での雇用創出は約380万
人分も存在するということです。
ここでこうした産業構造のシフ
トに関する政府の役割を示してお
きましょう。それは医療・介護産
業で働くことに対するインセンテ
ィヴの強化です。現在介護サービ
ス従事者の給料は月額で
15万円〜18万円くらいが標準的です。肉体
的にも精神的にもとてもきつい介
護サービスで1カ月働いて
15万円〜18万円という収入では、よほど
福祉意識の高い方でないとなかな
かこの仕事は続かないでしょう。
実際に多くの人が介護サービスに
就いても半年以内に辞めてしまっ
ているのが現実で、現在も介護事
業の大きな問題となっています。
大量に増える高齢者に備えて
10年間で介護サービス体制を整える
ためには、財政的支出を伴った支
援が不可欠です。例えば介護サー
ビス従事者の給料を現在の2倍
(30万円〜36万円程度)にして現
行との差額分は国が補填するよう
にすれば、介護サービスで働くこ
との魅力が大きく高まって、多くの雇用が実現されるはずです。こ
の時の国の財政負担は約5兆円に
なります。ちなみに日本はこの
10年間で90兆円、つまり毎年平均で
9兆円の公共事業費を使っている
のですが、その半分を介護サービ
スに回すなり、追加することがで
きれば、この金額は十分に賄える
わけです。


内需型産業の拡大だけでなく、
外貨を稼ぐ産業の育成も

これからの日本の産業を考える
上で、医療・介護産業の拡充と並
んでもう一つ重要な産業政策があ
ります。それは輸出産業の振興で
す。医療・介護産業は高齢化社会
にあっては最も必要とされる重要
な産業であることは間違いありま
せんが、あくまでも内需型産業で
す。日本経済のしくみとして、石
油や食糧の輸入代金を稼いでくれ
る輸出産業なくしては国民経済は
成り立ちません。「日本経済は外
需依存度が高いために世界の景気
の波をもろに被るので、内需型産
業を喚起しなければならない」と
いう意見をしばしば見聞きします
が、これは必ずしも正しくありま
せん。データからすると、日本は
先進国の中では外需産業=輸出依
存度がむしろ低い国なのです。国
民経済(GDP)に対する輸出額
の比率は、ドイツが
40%、フランスが21%、イギリスが
17%、日本はそれ以下の16%でしかありませ
ん。日本は少なくとも石油と食糧
の輸入代金27兆円を輸出で稼がな
ければならないわけですから、現
状より輸出を落とすわけにはいか
ないのです。
しかし、この27兆円というどう
しても必要な輸出金額は莫大です。
世界最強と言われる日本の自
動車産業ですら年間の輸出金額は
14兆円でしかありません。
27兆円稼ごうと思うとその2倍もの製品
を輸出しなければならないので
す。しかもこれまで日本の輸出に
貢献してきた家電・エレクトロニ
クス産業は韓国や中国の追い上げ
にあって、国際市場でのシェアを
落としてきていますし、企業は工
場を海外に移転させたりしてい
て、今後は輸出をあまり期待でき

ません。従って、これから新しい
輸出産業を育成していくことも日
本経済が沈没しないためには大変
重要なテーマなのです。
有望な分野はもちろんありま
す。環境関連の機器や設備はこれ
から世界中で需要が高まってくる
ことが予測されています。先進国
では省エネやクリーンエネルギ
ー、発展途上国では上下水道や公
害防止といった分野です。これら
の分野では日本企業は世界の最先
端を走っているという心強い事実
があります。例えば、今後20年間
の間に先進国でも発展途上国でも
多数建設が予定されている原子力
発電所の設備・機器では、世界の
トップ3のうち2社は日本企業で
す。水処理や太陽光発電などの分
野でも日本企業は世界のトップクラスに入っています。


社会保障と市場メカニズムの両立が、
新しい国のかたち

では、こうした輸出産業を育
成・振興していくための産業政策はどのようなものかというと、医
療・介護の場合とは逆に、政府が


主導したり補助金をつけたりする
のではなく、自由競争を阻害しな
いようにすることだと言えるでし
ょう。国際市場での競争は、結局
は企業の技術力とコスト競争力で
決まります。政府が補助金をつけ
てやっと仕事が取れる状態では、
現在の日本の農業と同じように、
いつまでたっても独り立ちできま
せん。それどころか、補助金をつ
けて輸出をするというのは高く作
ったものを安く海外に売ることで
すから、貴重な国民の税金の国外
流出を意味します。これでは外資
を稼ぐどころか、逆効果になって
しまうのです。いまの日本の農業
が典型ですが、政府が手厚い保護
を施し、政策による統制で育てよ
うとした産業で成功した例は皆無
だと言っても過言ではありませ
ん。国際競争に耐え得る実力をつ
けるためには、過剰な保護や支援
をしない代わりに規制や管理もせ
ず、自由な活動を保証することが
最も有効なのです。
国際競争の中で日本企業が勝ち
抜いていくためには、規制に縛ら
れることなく迅速で柔軟な経営を
展開することが不可欠なのです


が、そうした自由で柔軟な経営を
実現していく上で、日本の雇用に
関しても重要な課題があります。
最後にこれからの雇用政策につい
て一つ提言をしておきましょう。
日本は世界の先進国の中で、ド
イツ、フランスと並んで最も従業
員の解雇が難しい国とされていま
す。従業員を解雇することが難し
い中で企業が経営を行うと、常に少な目の社員しか雇わないという
ことになりがちですし、また事業
環境の変化が起きた時に従業員を
入れ替えて古い分野を捨てて新し
い分野に進出するということも難
しくなってしまいます。つまり、
雇用水準も低く抑えられてしまう
上に、企業も成長機会を逃してし
まうということなのです。
成長フェーズにある時は国民経
済も企業も毎年成長していきます
から、従業員の解雇などしなくと
も毎年雇用を増やしていけます
し、追加的に新しい分野に進出し
ていけますが、成長が止まった環
境で変化に対応するためには従業
員の解雇を伴うことが多いのが現
実です。この自由度が与えられな
いまま国際競争を戦うのは大きな

ハンディキャップと言わざるを得
ません。成長が止まった社会で効
率的な国民経済を実現し、しかも
日本企業が国際競争を勝ち抜いて
いくためには、雇用に関する自由
度を高めることが不可避の条件だ
と言えるでしょう。
もちろん解雇された人の生活を
守らなければならないことは当然
です。ただし、労働者=国民の生
活の保障は自由競争を戦っている
企業の責任とするのではなく、国
家の責務とすべきでしょう。その
ためにも「国民の誰もが医・食・
住を保障される」ことが国家によ
って整えられるべきなのです。企
業が働く人を解雇しても、その人
達が医・食・住に困らなければ、
働く人も企業にしがみつかなくて
良くなります。国民の生活は国家が保障し、企業は経営の自由を得

効率的にGDPを生み出す、と
いうのが成熟社会のあり得べき基
本型だと思います。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/579.html

コメント [雑談専用39] ベーシックインカム参考資料・信州中川村 村長のメッセージ=いい案ですね 天のあゆみ
02. 天のあゆみ 2011年1月08日 13:37:45: ule849OXhf152 : 3g4Twz5NHQ
>>01 さんのご意見には賛成です。
誰一人として暗殺されるようなことにならないように、慎重に確実に実現していくことは
重要ですよね。

これまでの人々の忍耐と苦労が未来に実って、これからの人類が幸せになってくれればいいと思います。
そして現時点で、困難を乗り越え改善を試みて闘っている私達にも
その幸せが実感できるよう、こつこつとしかしスピード感を持って
時計のごとく確実に、合わせた目標の実現に向かって前進したいですね。

>であるなら、なにを価値にして、政府紙幣を発行できるか?
政治体制を崩壊させないためには必要最低限の堅実さも必要です。
この点は長年の研究課題でしたのでごく近い将来その案も整理できる見通しです。

>この点をクリアして、政府に実現を要求できるのではないかと考えています。

ヒント = 生命の存在の、その能力(エネルギー)の価値です。
命の塩 = 能力に与えられた代価を国民は平等に受け取れるのです。

・・・命の塩を受け取るとは、
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/749.html
[一貫性を保って発展的に前進しましょう] 7.
・・・この部分で少し説明させていただいておりますので御確認下さい。
資本主義でも社会主義でもなく、第3の政治体制と考えられるのではないでしょうか。



http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/125.html#c2

コメント [経世済民70] ドル安ではなく円単独高、通貨の価値は購買力で決まるのにおかしなことだ、円単独高の理由は単純明瞭 heiwatarou
03. 2011年1月08日 14:02:26: Pj82T22SRI
>参考にされないのは世の中腐りきっているから

現実に最低賃金等の引き上げを大幅に行っても、雇用の大部分を占める地方の中小の倒産と失業が増えるだけだから、参考にしようもないといったところか

一部の解雇されない公務員や優良大企業の労働組合などは、賃上げに賛成だろうが
輸出系企業の場合、海外移転を加速し新規雇用が減る分、結局、新卒や若年層が割を食うだけとなりそうだ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/576.html#c3

コメント [マスコミ・電通批評11] 年明けの日本・アメリカの経済見通し 〜「楽観論」満載のお馬鹿報道の嵐〜 (暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜) 行雲流水
01. 2011年1月08日 14:04:00: 9wjqyqBwdA
>個人投資家を騙し、安心させて、株式や債券への投資を促し、ある時一気に”売り崩し”を仕掛けて個人資産を収奪する「いつもの構図」である。<

この「ある時」を見つけるコツを知りたいもの。

といっても、世界規模の強大なインサイダーの罠には、どうやら野村や大和でも太刀打ちできないようですから、個人が上手く立ちまわれる訳もないのでしょうね。


http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/438.html#c1

コメント [リバイバル3] 「心霊写真をお手軽に作れる「心霊写真変換」& ソフト」(心霊写真業者は、ユーチューブ対応できないならば、廃業すべきです) 小沢内閣待望論
01. 2011年1月08日 14:14:31: q1gf0gzNbs
 霊の存在を否定する目的の単なる工作だろう。
 そして、霊証言を否定、神を否定する事によって、
悪魔王国を作ろうと考えている。良心の無き人が考えたソフト
軍事戦略であ。それに乗ってどうするのか。
 それは、共産主義の「宗教は阿片」であると全く同じ論理
である事に気づくべきだ。
 そして、善霊の活動を阻止する目的の悪霊良心無き活動を一環である。
そうでないと、悪の行動を取れないからである。
 証言者の存在を否定する事は、悪を栄える事に繋がる
霊以外、誰も見なければ、そのまま犯罪に突入するだろう。
まあ、それ否定する善霊は馬鹿でないからそれを覆す現象も起こす可能性が
出てくるだろう。人々の生活を守る為に。
 だから良心無き無神論者の話を信用するな。
 まず、神の良心に基づき、神の現象を体験する事が大切でしょう。
 そして、こういう工作員の内容に無視し、それを作っているソフト会社
の監視が重要でしょう。(暴力団の仲間に入ったからである。)
明らかに善に対する工作活動であるからだ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/160.html#c1
コメント [マスコミ・電通批評11] 記者会見の生中継をめぐり、総務省記者クラブとフリーランスが激突 gikou89
04. 2011年1月08日 14:15:23: bnSlqTQKg6
何事においても、ノーカットでネット配信すれば良いだけです。
国民には何が問題なのかもわかりません。

問題にしたいのは、捏造編集報道が激しいからですね。

記者クラブは、国民の知る権利を蔑ろにしています。

記者クラブには、どんな法的根拠があるのですか?

記者クラブが言ってることは意味不明です。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/435.html#c4

記事 [戦争b7] アメリカは、911事件が政府犯罪者ではないかとの情報を消そうとする
【ワシントン=嶋田昭浩】米司法省は六日、国家機密情報を新聞記者に漏洩(ろうえい)したとして、米中央情報局(CIA)元職員で弁護士のジェフリー・スターリング容疑者(43)を逮捕した。同省は、流出した情報の内容や記者名、所属する報道機関を公表していないが、米紙ニューヨーク・タイムズは、情報の提供先を同紙のジェームズ・ライゼン記者と報道。イランの核開発に対するCIAの妨害工作についての情報が問題とされたとの見方を伝えた。

 ライゼン記者は、ブッシュ前政権の秘密情報活動を明かした二〇〇六年出版の「ステート・オブ・ウォー」(邦題「戦争大統領」)の著者。

 司法省によると、スターリング容疑者は、一九九三年から二〇〇二年までCIAに勤務し、複数の国の兵器に関する機密情報を扱う任務に就いていた。

 タイムズ紙は、ライゼン記者が同容疑者から提供を受けたとされるイラン核関連の情報について、新聞に掲載すれば国家の安全保障を脅かす、と米当局者から指摘され、同紙編集者らが記事の掲載見送りを決定。その後、ライゼン記者が著書に情報の内容を書き記した、と説明している。

 同紙によると、ライゼン記者は、ニュースソースについて明かすことを拒否。捜査機関にも協力していないと主張している。


東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011010802000029.html

戦争大統領―CIAとブッシュ政権の秘密
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E2%80%95CIA%E3%81%A8%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E6%94%BF%E6%A8%A9%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3/dp/4620317802

やはり「大義」は無かったのだ, 2007/6/2
By 藤崎健一 (東京都) - レビューをすべて見る
(VINEメンバー) (トップ1000レビュアー) レビュー対象商品: 戦争大統領―CIAとブッシュ政権の秘密 (単行本)
 副題が示すとおりホワイトハウス(+国防総省)と
CIAの裏側を明らかにした一冊。

 対イラク戦争の開戦に至る経緯を主軸にCIAが行った
対イラン工作(表側で行っていることとは全く正反対
の性質を持つ)や時の政権とサウジアラビアの関係等
にも迫っています。

 良くも悪くアメリカは世界最強の民主主義国家であり
それを国民・政府も誇りにしている国です。
(それ故に自己の価値観を勝手に広めようという
お節介な面も多々見受けられますが……)

 当然、そういう国であるからこそ、何かをするに
あたっても正当なプロセスを踏んで進められている
ものと考えてしまうのですが、本書を読むとそれが
勝手な考え、思いこみだったということを実感させ
られます。

・正義を説く国が、不正義をあちこちで行っている。
・偉い人が好む情報だけを提出していたCIA。
・逆に、不都合な情報を見つけてもそれを黙殺した
 ホワイトハウスや国防総省。
・他人の職権を侵して突き進んだネオコン。
・指摘されていた兵力不足も黙殺した結果故に
 泥沼化しているイラク。
・アフガンの戦後を考えていなかったホワイトハウス。

 と、いろいろ挙げられますが、本書に一貫して通じる
ものは、時の政権が自分たちにとって都合の良い「情報」
しか信じず(逆にそれを肯定する為の嘘情報まで持ち出した)
それを元に動いてきたということです。

 こんなことに人の命やお金に資源を浪費している
現実の愚かさを知るにも一読する価値有る本です。 レビューを評価してください
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コメント コメント

3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0 State of War, 2007/5/29
By エパメイノンダス - レビューをすべて見る
(VINEメンバー) (トップ100レビュアー) レビュー対象商品: 戦争大統領―CIAとブッシュ政権の秘密 (単行本)
サウジアラビアとのコネクション、前CIA長官テネットの問題、アブグレイブ刑務所のこと、N
SAの監視プログラム、大量破壊兵器捜索の顛末、イラク戦争計画の不手際、麻薬国家と化し
たアフガンの現状、対イラン情報工作の失敗等々、ブッシュ政権の失策の数々を暴いてはいる
ものの、分析や視野を欠いた単純な断罪や緻密さの欠如が目立つのであまり高い評価にはなら
ない。
位置づけとしてはあくまでウッドワードの「ブッシュのホワイトハウス」の副読本。ウッドワ
ードがあまり細かく書いていないことをこの本の記述で補完することができるので併せて読ん
だほうがよいと思う。

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コメント コメント

3 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 衝撃的なファクト・ファインディングだが……, 2006/12/15
By 精神交遊 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 戦争大統領―CIAとブッシュ政権の秘密 (単行本)
 たとえば、本来は海外での監視業務を担うはずの米NSAが、超法規的な措置で米国民の市民的自由を侵し、米国内で監視活動を続けていた。あるいは成功したと評されるアフガニスタンへの攻撃だが、米国によるタリバン政権打倒の後、かえって当地では麻薬栽培が増えた。存在しなかったイラクの核兵器開発計画を、必ずあると疑い、開戦の口実に利用した――。
 ライゼンが発掘した一つひとつのファクトは、凄みがある。
 とはいえ、ボブ・ウッドワードの「攻撃計画」などを読んだ後に、この書を読むと、あまりにも文章表現が新聞記者の雑報報道めいた書きっぷりで、読ませる文章上の工夫が乏しい。
 よほど訳者が拙劣なのかと思いきや、ウッドワードと同じ伏見威蕃氏の訳。ということは、本人(ライゼン)の表現力の問題である。
 おそらく彼はきっと特ダネ新聞記者だろうと思う。しかし、新聞でせいぜい100行の記事を書くのと、200〜300ページの本を書くのとでは、およそ書き方は根本から違う。そのへんの自覚がウッドワードと比べて足りない。

「コメント」
 なぜ、これを書いたのか、当然警察庁が本当にテロのことを考えているのかという疑問を持っているからだ。上の逮捕の理由も、その悪に対して証言封じ行おうとしているからだ。これは、日本も含んで重要な政治・外交問題である
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/171.html

記事 [テスト21] Re: テスト
2011年01月07日
菅さん、枝野官房長官だけはおやめなさい(天木直人のブログ)
http://www.amakiblog.com/archives/2011/01/07/#001791

 内閣改造人事が憶測されている。

 その一つに枝野官房長官案が急浮上したというのがある。

 もはや菅首相が何をやっても民主党政権は終わりだと思うが、それでも
これ以上間違った事をする菅首相は見たくないので助言をさせてもらう。

 小沢一郎との全面戦争を続けるのは勝手だが、だからといって仙谷官房長官
の後釜に枝野官房長官を指名することだけはやめたほうがいい。

 枝野は尖閣問題で大騒ぎしていた昨年の10月はじめに、さいたまの講演で
中国を悪しき隣人、法治主義の通用しない国、などと口を極めて罵倒し、
日中間の基本方針である「戦略的互恵関係」などありえない、とまで公言した男だ。

 その大失言をおそれて一時メディアから姿をくらますしなかった男だ。

 そんな男を、わずか3ヶ月で、よりによって菅政権の女房役であり政府の代弁役
である官房長官のポストに就けるとは、中国に喧嘩を売るようなものだ。

 中国は決して枝野発言を忘れないだろう。枝野を許さないだろう。

 私は中国の味方をするわけではない。

 しかし日中関係をこれ以上悪くすることで日本が得るものは何もない。

 菅民主党政権の対中外交は行き詰まる。

 菅政権が倒れても国民は構わないが、中国との経済関係にまで累が及ぶようでは
日本企業は困る。

 内閣改造人事までまだ時間がある。よく考えたほうがいい。

 このブログが枝野官房長官という間違った人事を思いとどまらせる事になれば
意味があったということだ。

                                 了
 
 
 
28SOBA ←Twitter(ツイッター)

イ イ イ イ イ

クリックすると代表選党員・サポーター投票用紙の杜撰と廃棄疑惑 エントリー
クリックすると不思議な菅の表情エントリー

BBS会社から11月末サービス終了の連絡あり、急遽引っ越しました
↓クリックで【本家】と【遊撃版】「愛、そして生きる 主権者は私たち」BBS。
主権者は私たち国民レジスタンスバナー 主権者は私たち国民レジスタンスバナー

引っ越し先のBBSでは、子スレッドが現在11個あります。

↓以下子スレッドのリストです。新投稿があると一番上になります。「一郎ファンです。駄目ですか?」では現在小沢一郎応援者のテーマ音楽を決めました。myself 長渕剛、吉田拓郎のファイトです。

1. ◇動画紹介(5)
2. ◇IT寺子屋(9)
3. ◇一郎ファンです。駄目ですか?(9)
4. ◇デモ・集会情報など(15)
5. ◇この本お勧めです。(2)
6. ◇悪徳ペンタゴン糾弾(1)
7. ◇笑い(2)
8. ◇設定した歌の履歴(4)
9. ◇言論の自由(5)
10. ◇日本の独立(6)
11. ◇Wiki 【植草一秀】 の虚偽情報(0)
12. ◇時事川柳(3)

断固としていけば必ずその後に道が出来る 眉を挙げ決然として行くのみ

↓ クリックで24日検審糾弾デモのまとめエントリー。(曲は、 myself 長渕剛、吉田拓郎のファイト、宗次郎の= 道 =
規制改革要望書司法改革と検察審査会会議録非公開糾弾バナー

ラブソングその他
バナーは、8・30勝利 7・11隷米菅鉄槌記念
↓植草さんのココログへ、↓モルダウ(我が祖国)
8・30勝利記念バナー

↓植草さんの主権者国民レジスタンス戦線結成呼びかけエントリー(関連
主権者は私たち国民レジスタンスバナー

http://www.asyura2.com/10/test21/msg/227.html

コメント [経世済民70] 肥田美佐子のNYリポート-S&P首席エコノミスト:2011年米経済はズバリこうなる gikou89
03. 2011年1月08日 14:51:53: fNXXsUfrjA
米国では、民間の経常収支赤字、連邦政府の財政赤字という「双子の赤字」が何かと注目されるが、州政府で言えば、カリフォルニア州とイリノイ州の「双子の赤字」となりましょうか。
歳出に対する歳入不足の割合を観ても、カリフォリニア州とイリノイ州はともに50%と、歳出の半分の歳入しか見込めない。それも、現在のような、やや景気悪化も底を打ったかのような状況でありながら、このような惨状なのです。多くの人がまったく想定していない景気の二番底が訪れれば、この2州の財政政策で最も有力な選択肢は「デフォルト」しかないと思います。すべては債権者に泣いてもらい、その後は痛みを分かち合いながら共に歩んでいこうという、勝手な論理が有力だと思います。
カリフォリニア州は、経済規模、財政規模、人口で、全米最大の州です。つまり、米国の顔とも言える。カリフォルニア州の財政事情は、西暦2000年の電力危機から大きな転機を迎えることとなり、その後のITバブル崩壊はIT産業のメッカ・シリコンバレ−を直撃したことで、カリフォルニアの財政危機は一気に進むことになった。ただ、僅かな期間ながら住宅バブルは一時的に州財政に潤いを与えることとなったのだが、それも長くは続かずに現在に至る。
カリフォルニア苦肉の策が、借用書(IOU)の発行。もう少し詳しく説明すると、IOUとは、ワラントという短期債である。機能的には、日本の約束手形を思い起こしてもらえばいいのだろう。今発行されているIOUは支払い期日を定め、その途中期間では州政府が換金に応じることはない。およそ4%の金利分を上乗せして支払うこととしているが、その受領者がどうしても今すぐお金が必要だと、手形で言うところの手形割引きを銀行にお願いしても、バンクオブアメリカ、JPモルガンなどの大手銀行はいっさい応じてくれない。応じてくれるのは地元の中小銀行がいいところで、あとは日本で言うところのサラ金のような金融業者だ。それこそ法外とも思える割引料を負担することとなり、地元の各種業者は市や州の仕事を請け負うのはコリゴリと、逆に仕事を断る例も増えているという。
そのような例は、もちろんカリフォルニアだけではない。州で言うところの「双子の赤字」のもう一つ、イリノイ州である。イリノイ州はたとえば、警ら中の警察官の乗ったパトカ−でガソリンが減ったので補給しようとした。しかし、ガソリンスタンドで州のクレジットカードの使用を拒否されたので、ガソリンが補給できなかったという、笑い話では済まされないことも起きている。それは、警察関係だけではなく、消防関係、福祉関係でも同様である。それこそ、警察官や消防隊員は現場まで自転車や徒歩で向かえということなのでしょうか。ただ、今となっては警察官や消防官、教員がイリノイにいるだけマシだということになるのか。今はどこの州でも、採用凍結、リストラ、公共設備投資計画の延期・中止、治安・福祉を含むサービスのカット、公務員の医療保険改革が進められている。
非常に残念なことは、決して手を付けてはならない義務教育にまでその影響が及んでいることです。学校区間にみる「生徒一人当たり教育費」格差は、法に照らして不当であるとの司法判決が下され、それ以後、格差を縮小すべく州政府が州教育均衡補助金(イリノイ州ではGeneral StateAid )が貧困学校区を中心に手厚く配分されてきた。シカゴ市学校区ChicagoPublic Schoolsを支えている資金は、「一般基金」(General Fund)、「特別基金」(Special Fund)、「資本基金」(Capital  Fund)、「債務管理基金」(Debts Service Fund)から構成されているが、このうち学校区財政全体にとって最も重要なのは一般基金。しかい、それも期待できなくなった。教員給与、非常勤給与、福利厚生費の支払いもそうだが、何より児童自らに財政危機の影響を押し付ける結果になっていることが実に嘆かわしい。州は違うが、ニュージャージー州のクリスティー知事は、「今回の財政難は、今までとは違う状況だ。何が以前と違うのかというと、人々が政治的に予算カットをしてはいけない領域、聖域まで手をつけなければならない状況に追い込まれていることだ」と、治安・福祉・教育を含むサービスを放棄することもやむを得ないとしている。
このような惨状を招いた元凶が、すべてゴ−ルドマンサックスやメリルリンチ、バンクオブアメリカなどの金融機関にあるとはいえないのか知れないが、それでもコイツ等だけは絶対に許せないのだ。それはあくまで個人的な感情だと言われそうだが、米金融機関、政府などを含めて「騙すより騙される方が悪い」という国是はどうしても受け入れがたいのだ。ゴ−ルドマンサックの社員などは、「俺には腐るほどカネがある。子どもは有名私立の名門学校に入学させるから、パブリックスク−ルがどうなってもいい。それに我が家は完璧なセキュリティシステムがあるから警官なんていらない」なんて考えなのかも知れぬが、お前等だけが米国を支えているわけではないし、逆にお前等がほんの短い間だけの天国を実現し、その後の長い地獄を歩ませることに導いた張本人たちだ。しかし、それを裁くのは、私のような外部の日本人ではなく、米国に住む米国人の決断だ。その米国人に正しい裁きができないというなら、勝手に国家ともども潰れるがいい。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/568.html#c3
コメント [経世済民70] 肥田美佐子のNYリポート-S&P首席エコノミスト:2011年米経済はズバリこうなる gikou89
04. 2011年1月08日 14:58:30: fNXXsUfrjA
連邦議会が始まり、オバマ政権は景気回復の足取りを確かなものにするため財政支出を減らさず予算案の早期成立を図りたい考えだが、共和党は対決姿勢を鮮明に打ち出し、財政健全化を優先課題にして連邦債務上限の拡大には応じないつもりでいる。
共和党ベイナー新議長は、米国の借金が経済全体に暗い影を落としており、共和党の公約通り、歳出削減を柱とし、「小さな政府」を実現する考えを改めて表明した。注目は、共和党がオバマの最大の成果と言える医療保険改革法の廃止を目指し、国民皆保険制度の撤廃を進めようとしている。
連邦債務は議会が承認している14兆3000億ドルにあと数ヶ月で到達する。その上限に達してしまった場合、金銭的には直接的な政府機能がマヒするだけではなく、連邦政府機関すべてにおいて閉鎖を強いられる可能性や、社会保障などの支払いもストップする可能性がある。もちろん、最悪のシナリオは、米国債のデフォルト(債務不履行)である。
それに苛立ちを感じているのが、米財務長官のガイトナ−だ。連邦債務が早ければ3月末に法定上限に達するものと焦っており、議会が上限引き上げを承認しない場合、上記最悪シナリオによって深刻な結果を引き起こす恐れがあると訴えた。財務省では、たとえ限定的なデフォルト(債務不履行)であっても、向こう数十年にわたって続くような甚大な経済的結果を招くことになると発表し、債務上限引き上げを急ぐように訴えている。
財務省としては、今まで抱えてきた州・地方政府証券の売却延期など特別措置を取ることも視野に入れるが、そんなこと自体、金融市場の混乱を引き起こしかねない。それこそ、米国が事実上の債務不履行に陥れば、それは2008年のリ−マンショックなど民間の金融危機どころではなく、いよいよ「100年に1度の危機」の結末である、米国の凋落の姿がハッキリと見えてくる。
現在、誰しも米国のデフォルトなど想定していない。もちろん、私のような一部悲観論者はそれが早いか遅いかの時期だけの問題だと思っている者もいるが、米国が事実上のデフォルトという最悪のシナリオに陥った場合、米国は債券市場へのアクセスで長期的な打撃を受けることは間違いない。投資家は、金と同様、米国債もいつでも好きな時に換金できるものだと思い込んでいるが、そこがそもそも錯角している。金はそれ自体に価値がある。しかし、米国債はその証券自体には価値などない。ただの印刷物の紙切れであったり、デ−タ上だけの存在だったりするわけだ。あくまで米国政府との約束事を交わした証だけのことであり、約束を守るか否かは政府の胸の内で決まる。
少しずつでも、米国の中央銀行と位置づけられている米連邦準備理事会(FRB)が、なぜ政府の資本がまったく入っていない、政府と完全に分離独立した存在だったのか、そしてそこがドル紙幣の発行を掌っているのかが次第に明かされていくのでしょう。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/568.html#c4
コメント [IT11] タブレットPCも高性能、高解像度化していけば「Androidタブレット」が、ポストPCとしてオフィスに本格的に入っていく TORA
01. 無段活用 2011年1月08日 15:01:11: 2iUYbJALJ4TtU : PG1nqWSNAg
ITは門外漢だが、この記事は興味深く読ませていただいた。

Linuxはフィンランドが発祥の地。プログラムは公開され自由に使うことができる。
研究者は既存のプログラムを使い、進化・発展させ、その成果を公開する。それを
さらに別の研究者が活用する。そのようにして進化を遂げてきた。裏を返せば、
Linuxは使えば使うほど進化するようにできている。それも、勝手に進化するのだ。
勝手に進化するのだから、原理的にそのコストはゼロだ。

Windowsは違う。米国の一企業が開発から全て独占する。プログラムを使う人がお
金を払い、そのお金でエンジニアを雇い、開発を続ける。エンジニアは人間だか
ら、雇うには当然お金がかかる。そして、開発を続け、進化を続けなければ、企
業は倒産し、Windowsは消滅する、というリスクを内在している。

次元の低い話で申し訳ない。ただ、どちらのシステムが持続可能か、ということを
以前から考えていた。そして、この記事に出会った。

記事を読ませていただき、Windowsは息切れを始めたのではないか、ということを
感じた。そしてそれが、アメリカという国の現状とダブって見えたのだ。


http://www.asyura2.com/09/it11/msg/579.html#c1

コメント [経世済民70] 肥田美佐子のNYリポート-S&P首席エコノミスト:2011年米経済はズバリこうなる gikou89
05. 2011年1月08日 15:04:07: fNXXsUfrjA
米国のラインハート教授とロゴフ教授の共同論文「The Aftermath of Financial Crises(金融恐慌の余波)」において、バブル崩壊には3段階危機説があるという。

≪第1段階:バブル崩壊≫
平均的には実質不動産価格が35%、株価は55%下落
バブル崩壊による不良債権の増加で金融危機、そして経済危機へ

≪第2段階:金融危機≫
平均的には失業率は7%ポイント上昇
金融危機対応で金融システムへ公的資金を投入、景気対策で公共投資を実施するも原資は赤字国債(借金)

≪第3段階:財政危機≫
平均的には政府債務残高が86%増加
景気回復後も財政再建が遅れる


この3段階危機説を今の米国に当てはめると、第1段階は、過去から続いてきた家計のハイレバレッジ、そしてサブプライム危機が引き金となり、銀行の不良債権問題で金融危機へと拡大した。
そして、第2段階は、行き過ぎたマネ−ゲ−ムではまずベア−スタ−ンズが異変を示し、結局はリーマンブラザ−スが生贄となった。そのショックは金融全体に及び、投資銀行だけに限らず商業銀行、そして総合保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)などにも及んだ。金融危機を鎮めるため金融システムへ巨額の公的資金を投入、景気対策として巨額の財政政策を実施するのだが、その原資はすべて国の借金(国債)である。
最後に第3段階として、それが国家の財政危機へとつながる。

人によっては、既に今回の危機が、ギリシャの例をはじめ第3段階に移っていると思われがちだが、個人的にはまだ第2段階すら片付いていない段階だと思っている。
その理由として、「大き過ぎて潰せない」銀行がまだまだ残存していることと、米国には住宅バブルの元凶である住宅公社フレディマックやファニ−メイが政府の無制限の支援を受けながら生き長らえていることがある。この先、何事も無かったかのようにキレイにフェ−ドアウトいくことなどはありえず、いずれ大きな痛みを伴って清算せざるを得ない。
今、それを解決したかのように思わせているのは、「見て見ぬフリ」を決め込んでいるからで、患部を針でつつけば腐った膿が溢れ出してくる。そのため、鎮痛剤の役目を果たす公的資金を投入したりしているのだが、景気対策などの原資はすべて赤字国債(借金)である。今の米政府の持続不能な財政赤字の累積は、より一層ひどくなるのだが、世界諸国はまだ拠り所を米国と位置づけているため、FRBは基軸通貨の特権を活かせ、その限界を迎えるまでドル紙幣の乱刷は続けられる。そして、米国は規模がでかいだけに、まだまだ限界が訪れるまでには時間がかかるということで、第3段階はまだまだ先となる。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/568.html#c5

コメント [経世済民70] 肥田美佐子のNYリポート-S&P首席エコノミスト:2011年米経済はズバリこうなる gikou89
06. 2011年1月08日 15:10:17: fNXXsUfrjA
米議会下院の審議が本格的に始まり、共和党が「小さな政府を目指したアメリカ建国の精神に立ち返ろう」として、合衆国憲法の全文を議場で初めて読み上げるなど、オバマ政権への対決姿勢を鮮明に打ち出しています。共和党のベイナー下院議長をはじめ、およそ50人の与野党の議員が交代で、憲法をおよそ1時間半をかけて読み上げることなど、220年余りの米国議会の歴史で初めてのことです。ベイナー議長は憲法が軽んじられてきた時代は終わったとし、法案には憲法上のどの条文を根拠とするかを明記することを義務づけるなど、憲法の精神を尊重していく考えを示している。
いやいや、共和党がここまでの強硬姿勢を打ち出すとは、想定外でした。共和党が何だかんだ言って、16兆ドル程度の債務上限を認めるのかと思いましたが、こりゃ結構大ごとに発展する可能性も出てきました。
とにかく、今のオバマ政権は財政赤字拡大を容認してもらわないことには何も手出しができません。それどころか、償還を次々迎える米国債の資金手当てにメドが付かないことになります。もちろん、緊急策として、海外勢が償還をもって払い戻しを請求してくれば、FRBが肩代わりするしかないでしょう。既存の米国債の償還はそれで何とかなるにしても、新たな政府支出は税収の範囲内に収める必要がありますが、それは不可能です。
ブルームバーグ記事で、欧州ではソブリン債のデフォルト(債務不履行)への懸念が「顕著」となっているが、この恐怖感は近く日本と米国にも広がると、米銀シティグループのエコノミストはみているという。「最近の展開にもかかわらず、ドラマはまだ第2幕までしか進んでいないと考えている。安全なソブリン債というものは絶対に存在しない」としている。エコノミストらは「米国と日本は財政の持続可能性の問題を無視し続けられなくなる公算が大きい」とした上で、米政府が「大幅に高い金利を支払わなければ」国債を発行できなくなるのは「時間の問題だ」と付け加えた。
米国のラインハート教授とロゴフ教授の共同論文「The Aftermath of Financial Crises(金融恐慌の余波)」では、、バブル崩壊には3段階危機説があり、その意味で、シティグループのエコノミストがいう「ドラマはまだ第2幕までしか進んでいない」と判断しているのは正しい見解である。
ただ、日本と米国を同格扱いにするのは不愉快だ。物事には順番がある。崩れるのがどちらが先かで、為替レ−トは天と地ほど大きく異なる。それに、米国が倒れれば日本も倒れるが、仮に日本が倒れても米国は倒れない。まぁ、順番は絶対に米国が先、というのが私の見解。
しかし、米国のデフォルトは突然死というハ−ドランディングシナリオではなく、米国のソブリン格付けが格下げされていくに従い、信用も徐々に剥落していくというソフトランディングシナリオが個人的なシナリオであり、世界諸国もまんざらバカではないから、ソフトランディングに導いてくれるだろうことに期待している。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/568.html#c6
コメント [経世済民70] 肥田美佐子のNYリポート-S&P首席エコノミスト:2011年米経済はズバリこうなる gikou89
07. 2011年1月08日 15:13:46: fNXXsUfrjA
連邦債務の上限引き上げが承認されなければ、米国のデフォルト(債務不履行)を招くことは必至である。
ジョン・ベイナー下院新議長は、「歳出を削減し、雇用喪失につながっている巨額支出を縮小するために、大統領と議会が実質的な措置を取らない限りは、米国民はこうした上限の引き上げを支持しないだろう」と、国民の声として考えを貫く意向だ。「米国のデフォルト(債務不履行)は容認できないが、向こう見ずに借り入れを継続し、一層の困難に落ち込み、われわれの子供や孫の世代につけを回すこともできない」との見解を示した。

この考えには多少の見解の相異があるが、自分の考えの通り、今の政府債務14兆ドルあたりでキッチリと清算する方がいいという考えだ。10年後、20年後、政府債務が20兆、30兆ドルと膨らんでからデフォルト(債務不履行)されるよりは、現在の負の清算でキッチリ片付けた方がいいと思う者は少なくあるまい。。今なら、米国債の4割は海外勢(中国や日本など)に負の清算を押し付けることができるし、時間の経過とともに海外勢が米国債の引き受けに消極的になってからでは遅い。
米政府関係者、議員、国民に至っても、自国がデフォルト(債務不履行)することを望む者などいない。しかし、いずれ潰れるのなら今のうちに、というのは、苦渋の選択としては正しい判断である。ここに書いているのは、あくまで連邦債務だけの話しであり、州政府、地方自治体を含めれば、今のうちに負の清算をしておくことが、米国にとっては再生できる唯一の道だ。
ベイナー下院新議長のタカ派とは別にしても、下院予算委員会のポール・ライアン委員長(共和党)は、連邦債務の上限引き上げ合意について、「国家のデフォルトを見たいかと問われれば、答えはノーだ。しかし、連邦債務上限の引き上げと引き換えに、大幅な歳出削減と規律を確実なものにしたい」というのが共和党の方向性だ。
さらに共和党は、過去10年間に米議会は連邦債務の上限を10回にわたって引き上げており、議会の有名無実、形骸化を修復したいと考えている。このままでは、20回、30回と債務の上限を容認し、「米国を潰したのは議会の責任だ」という汚名は何としてもはらしたいと考えているのです。
ただ、今の負の清算額で米国をデフォルト(債務不履行)に引導するのは、中国や日本の責務なのかも知れない。米国がここまでの醜い姿になったのは、安易に米国の債務を引き受けた日本や中国があったからとも言える。まったく、愚かな行為だったと振り返る時には、もう既に遅いのですから。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/568.html#c7

コメント [経世済民70] ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(日本経済復活の会blog)-今の日本で超インフレはありえない JAXVN
23. 2011年1月08日 15:51:28: fNXXsUfrjA
米国破産協会(ABI)が全米破産研究センターのデータとして明らかにしたところによると、2010年の米国での個人破産申請件数は概算で153万件超となり、2009年の141万件から10%程度の増加になると発表した。2010年に入って、景気回復と誤解を招くような経済指標の発表が続くこととなったが、雇用無き成長というこれからの米国経済の「ニュ−ノ−マル」や、依然として高過ぎる家計債務水準など、これからも破産件数が治まりを見せることはない。今年2011年は現状のような状態を引き継いだとしてもさらに増加することが避けられず、景気失速が訪れることがあれば、さらなる破産者を出すことになる。
それは今後も雇用環境、住宅市場に注目していればわかる。雇用者が増加傾向にあると言っても、それは高学歴や知識技能を身に付けている人が中心であり、低学歴中心のサブプライム層に位置する多くの人にはいまだに職などない。そして、住宅市場で差し押さえ物件が増加しているということは、それだけ住宅を差し押さえられるような境遇にいる人が多いことを示している。
米国経済楽観論者に言わせると、これから景気回復が鮮明になっていくという。私を含めて悲観論者は、今の景気回復が一過性のものだと分析し、経済指標の結果で早ければ2月度、少なくとも3月度にはそれが確認できるものと観ている。
「悪い事ばかりは続かない、しかし良い事はそれ以上に続かない」、米国経済の原理原則である。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/538.html#c23
コメント [経世済民70] 貧富差が問題なのに世代間論争に拍車かけるとは由々しき問題だ、お年寄り苛めの世論作りの日本政治 heiwatarou
04. 2011年1月08日 15:56:41: tXLK5wn6U2
この間も、経済評論家かなんか知らないが、年寄りにお金がかかり若者世代が苦労する。日本の年寄りは子や孫が可愛くないのかと、テレビでコメントしていたが、子の為に一生懸命働き食べさせ教育にも莫大な(我が家では)教育費をかけ、子供手当てや高校無償化の恩恵もなく三人の子を国に税金を納めるまで育て、見返りも期待せず(期待したところで子育てでやりくりに追われている)孫には少ない年金の中から祝い金やお年玉、お小遣いまであげ、どこが子供や孫が可愛くないのか教えてくれと、思わずテレビに向かって叫んじゃった。

年寄りが長生きすると国の財政が悪くなるなんて言われても、もう40年以上も前からこうなることが解っていたのに無駄遣いと借金ばかりして、何もしてこなかった自民党と官僚に腹が立つ。自民党と官僚に一千兆円返してもらいたい。そしてこんな政府は嫌だと、政権交代させたら自民党と同じことやる政府でビックリ仰天。

毎度毎度消費税をあげる時福祉に回す、嘘ばかり。何も良くなっていないじゃん。相変わらず家庭で面倒が見られないようなお年寄りを家庭で世話をさせ、民間の施設は増えても満足度の低い理事さんばかりが高い報酬で職員は薄給、なり手がなくて少ない人数でやるから利用者さんにサービスが行き届かない。40年も前に解ってたんでしょう年寄りが増えるって。

年寄りが多いからって年寄りの責任じゃないでしょう。一生懸命働いて歳をとっちゃたんだからさ。年寄りに生きてることに罪悪感を持たせるようなことは、言わないでほしい。

でも投稿者さんの意見はいい意見でした。
弱者にやさしく、貧富の差のない社会が理想ですが・・・ねぇ。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/572.html#c4

コメント [経世済民70] ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(日本経済復活の会blog)-今の日本で超インフレはありえない JAXVN
24. 2011年1月08日 16:05:29: fNXXsUfrjA
(ブルームバーグ):バーナンキは国内景気浮揚の取り組みで、どん底状態にある業界から援護を受けようとしている可能性がある。住宅業界だ。
雇用の伸びと人口の増加により、過去最低水準の付近にある住宅建設は2011年に持ち直すと、アドバイザーズ・キャピタル・マネジメントのチャールズ・リーバーマン最高投資責任者(CIO)はみている。住宅ローン金利は5%を下回っており、住宅の値ごろ感を支えている。
住宅建設が増加すれば、建設業界のほか、コンロや流し台など新築住宅の備品を供給する業界の雇用も拡大する。国内総生産(GDP)に占める住宅部門の割合が過去最低に縮小したのを受け、雇用の伸びは鈍化しており、11月は非農業部門の雇用者数が前月比3万9000人増となったものの、建設部門は同5000人減だった。
リーバーマン氏は「住宅市場は皆を驚かすことになる。きっかけをつかめば、後は簡単だ」と指摘。「FRBにとって最も重要なのは雇用の伸びを促進することで、これは決してたやすくない。雇用が伸びれば、住宅市場はかなりの力強さを示すことになる」との見方を示した。同氏は、来年は雇用者数が月間平均20万人のペースで伸び、11月に9.8%だった失業率は1%近く低下するとの見通しを示した。

よくもまぁ、ここまで楽観的に物事をとらえらるものだと、ある意味感心する。しかし、所詮はタラレバだ。「住宅建設が増加すれば」と、一番難しいことを成し遂げたらという前提である。
米国では、住宅市場と雇用とは切っても切り離せないところがある。日本では考えにくいことですが、米国では雇用を求めて州を越えて移住することも盛んに行なわれてきました。しかし、今や人々は新しい土地に移動して新しい住宅を買うことが難しくなりました。評価割れになった住宅を持つ人は住宅を売ってもエクイティ(純粋価値)を取り戻すことができないからです。同様の複雑な相互関係は、移住する行動パターンにも存在します。米国の人々は退職すると老後は南部に移動することが多かったのですが、今やこの人々も利益を出して住宅を売ることができなくなったため移動できません。
通常、景気回復は金利低下により住宅需要が喚起されることできっかけをつかむことが多い。それに住宅価格の上昇が加わり、消費者のマインドを明るくし、消費意欲を高める。ところが、米民間調査機関のコンファレンス・ボードが発表した12月の消費者信頼感指数は前月から低下。ゴールドマンサックスのエコノミストらは、コンファレンス・ボードのデータで雇用市場に対する見通しの改善が示されるかどうかが重要な意味を持つ、と注視した。11月のデータでは、楽観的なグループと悲観的なグループの差は狭まったものの、依然として、今後6カ月間以上にわたって雇用は減ると予想する向きの方がそうならないとする向きよりも多かったので、12月度のデ−タに注目した。しかし、懸念は的中した。今後6カ月の期待指数は前月を下回った。6カ月後に雇用が増加していると回答した割合は僅か14.3%と、7月以来の低水準。6カ月後の所得増を見込んでいる割合に至っては9.9%と、大きく落ち込んだ。現在は雇用が十分にあるとの回答者の比率は3.9%(前月は4.3%)、現在は職を得るのが困難との回答は46.8%(前月は46.3%)に上昇。
雇用破壊はまだまだ続く。財政難に見舞われた州・地方政府が従来見通しより多いレイオフに追い込まれる可能性がある。ゾンビ・ゼネラル・モータース(GM)は、早期退職支援制度による人員削減を実施し、閉鎖が予定されている8工場を含む同国内の14工場にて勤務する従業員は2000名以上になる見通し。機関投資家向け金融サービスを手掛ける「ステート・ストリート」は、2011年末までに全従業員の5%に相当する1400名を削減すると発表した。インターネット検索大手「ヤフー」は、全従業員の4%に相当する600名の人員削減を明らかにした。米国の失業率が、日本のおよそ2倍の雇用破壊を示していることを甘く考えない方がよい。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/538.html#c24
記事 [環境・エネルギー・天文板4] CO2地球温暖化詐欺ゲームから各国が離脱。日本が一人でゲームを続けている…。
■温暖化で日本がふたたび孤児にならないように 武田邦彦

http://takedanet.com/2011/01/post_5a9d.html

1933年、日本は満州国のことで国際的に孤立し、時の松岡洋右外務大臣が、自らキリスト教徒であることから、国際連盟で歴史的な大演説をぶった。

しかし、ついに脱退に追い込まれ、国際連盟の議場から去る松岡にとっても断腸の思いだっただろう.松岡の演説をつぶさに読むと彼は日本が国際的な孤児になることを防ぎたいと思っていたことが分かる。

ところが、当時の新聞はほとんどが「脱退支持」であり、実際にも全国132紙が共同声明を出し、新聞の第一面に満州国を手放すことは絶対できないとの圧力をかけた。

日本全体が「満洲は日本の生命線」というお題目にうなされていたのだった。

戦前は軍国主義、戦後は平和主義の新聞は世論を「指導」しているように見えるが、現実には世論の後をついているに過ぎなかった。

・・・・・・・・・

それから80年。日本はまだ世界的に孤立している

地球温暖化で言えば、京都議定書で「実質CO2削減」をしているのは日本だけで、それが日本ではまったく報道されなかったことや、なぜ、地球温暖化や生物多様性の環境問題の提案をしたアメリカが、今では両方にほとんど参加しなくなったか、などの報道は一切、行われていない。

でも、新聞を批判していても仕方がないので、ここ1年の温暖化に関する世界の動きを紹介しておきたい


・・・・・・・・・

1)2009年11月 温暖化防止の急先鋒だったオーストラリア議会が温暖化防止法案を「否決」


2)2009年12月 フランス議会が温暖化防止法案を「否決」


3)2009年6月 アメリカ下院が温暖化防止法案を可決したが、その後上院で審議もできず(アメリカでは上院が国家的な方針を決める)。下院も地球温暖化特設委員会を解散


4)2010年11月 カナダ、地球温暖化法案を上院が「否決」。


5)2010年  アメリカ唯一の炭素取引所として2004年から営業を開始していたシカゴ気候取引所が閉鎖を決定(炭素トンあたり5セントに下がり、1年近く取引ゼロに陥った)


6)2010年12月にメキシコでおこなれた地球温暖化の国際会議には、アメリカから閣僚級も出席しなかった(1年前のCOP15ではオバマ大統領、クリントン国務長官が出席)


7)2009年11月に起こった「温暖化データねつ造暴露事件」でIPCCの報告書などが報告していた元資料の内、5400件がずさんな引用だったことが判明した。

・・・・・・・・・

少し前まで毎日のように報道していた地球温暖化のことだから、報道に誤りがあれば直ちに修正していくのが新聞の読者や視聴者の方を向いている事になる。

しかし2010年5月に行われた日本学術会議のシンポジウムでの大新聞記者の発言のように「いまさら訂正できない」という雰囲気だ。

新聞が事実を報道できないのは確かだから、それを批判しても仕方がない。それは日本人がまだ新聞という報道方法を持つだけの「職業人の誇り」をもてない。

でも、IPCCのデータに大きな誤りがあり(多くは故意)、これまでの味方を修正しなければならないことを事実を知りたい人は知っておく必要があるだろう


かつての国際連盟脱退の時のように、日本が「あなたに何ができますか?」という良い子の熱病に冒されず、真正面から事実を見る勇気を持って欲しいと思う


(平成23年1月7日 執筆)

(注) ここに掲載した世界の動きはいろいろなところからのニュースであるが、主として2011年1月1日の長周新聞に渡辺正教授が寄稿された記事によっている。


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いいかげんやめませんかね、経済的に滅び行く日本に追い討ちをかけるような政策を行うのは。まあ懲りずに今度は生物多様性などと言い出し環境税をどうしても導入したいようですが…。


まあ日本の首相があちらの方なので日本を滅ぼすことが使命なんでしょうけど…。



陳哲郎こと福島哲郎氏は祖国中国に省エネ技術と金を流すことが使命なんでしょうけど…。


大田区西糀谷2丁目15番19号

陳 哲郎 こと 福山 哲郎 S37年1月19日生  S50年8月19日帰化 法務省告示第291号

http://www.nikaidou.com/wp-content/uploads/2010/08/fukuyama.jpg

■帰化の証拠の官報画像アリ!昭和50年8月29日発行!
■官報に公示されております!
■家族で帰化されております。

兄弟共に氏名と生年月日が完全一致!

■ 陳哲郎、ほぼ間違いなく成りすまし。

内閣官房副長官・福山哲郎こと陳哲郎の弟ですが、
http://item.rakuten.co.jp/flowermariee/c/0000000435/
http://www.kansai-shogekijo.com/article.php/2009011902012541
http://yaplog.jp/syunrokaman/profile/


そして中国はCO2の削減義務はないが排出権は売買できるというありえないゲームカードを手にして「日本閉店大バーゲンセール」で金と技術をタダ同然で買いまくっている。

■最大のお得意様≠ヘやっぱり日本だった ”年商”4500億円のボロ儲け! 排出権ビジネスは現代の不平等条約だ
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20100114-01/2.htm

<以下重要部分を抜粋>

04年に第1号のCDMプロジェクトが国連に承認されて以来、今日まで全世界で1915件の事業が承認されている。ホスト国別(プロジェクトが実施される国別)で見ると、件数でも創出される排出権の量でも中国が第1位となっている。件数では1位中国(35・1%)、2位インド(24・6%)、3位ブラジル(8・6%)で、以下、メキシコ、マレーシア、フィリピンと続く。年間の排出権創出量で見ると、中国のシェアは58・8%と圧倒的で、2位のインド(11・7%)、3位のブラジル(6・4%)に大きく水を開けている。

なぜこれほど中国に案件が集中するかというと、経済規模が大きく、エネルギー効率が悪いので、案件を発掘しやすいからだ。中国全土でありとあらゆる種類の673のプロジェクトが行なわれている。

これらCDM事業のほとんどに外国企業が関与している。外国企業の役割は、ノウハウを提供し、国連への各種申請手続きを行ない、必要資金を融資し、最終的に排出権を買うことだ。673あるプロジェクトのうち、日本企業が関与しているのは、ほぼ4分の1の162件である。社名を挙げると、三菱商事をはじめとする総合商社各社、東京電力をはじめとする電力各社、新日本製鉄、日本スマートエナジー、三菱UFJ証券、日本カーボンファイナンスなどだ。

売却価格の最大約65%が中国政府に上納≠ウれる

当初、中国政府はCDMがどういうものかよく理解していなかったため、あまり関心を示さなかった。ところがインドやブラジルがやって、金が儲かるのを目の当たりにした途端、俄然目の色を変え、外貨獲得手段として国を挙げて推進し始めた。北京の清華大学の中にCDM研究発展センターを設けてCDMの研究や案件発掘を推進し、国務院直属の国家発展改革委員会にCDM審査理事会を設け、個別案件の事前審査を入念に行なうようにした。

中国では法律によって、CDMプロジェクトで生み出された排出権はすべて中国側(プロジェクトの中国側参加者)に帰属すると定められている。プロジェクトに関与した外国企業は、中国側と排出権購入契約を結び、売ってもらわなくてはならない。CDMが始まった頃は安く買えるケースもあったようだが、現在は国家発展改革委員会が市場価格を睨みながら最低売却価格を定めているため、特段安く買えるということはない。

また、プロジェクトの中国側参加者は排出権を売却して得た代金のうち、温室効果ガスの種類によって2〜65%程度を中国政府に納めなくてはならない。要は、日本企業の払った金が、プロジェクトの中国側参加者を通じて中国政府に吸い上げられる仕組みになっているのだ。

(抜粋終了)

尖閣問題で反中国論が国内でも出てきているが、目に見えることだけ騒いでもこのように経済的、政治的策略には日本国民はまるで無頓着であり、金や技術や人材がどんどん中国にながれ、どんどん力をつけられていることに早く気づいたほうがよい。森林資源も中国に買い占められておりそこに中国人が「移民同化攻撃」をしかけると同時に売国政権が「外国人参政権」などを認めたらチベットやウィグルの二の舞である。

メディアもこのことはほとんど問題にしておらず、尖閣だけ取り上げて騒いでるといことは尖閣問題やデモも「陽動作戦」の可能性があります。

米国も政財界が完全にシオニスト・ユダヤ系マフィアに乗っ取られており、それに気づいたアメリカ国民の保守派でさえ手が打てないほどどうにもならない状況になっています。日本もすでにどうにもならない状況になっているかもしれません…。CO2地球温暖化詐欺ゲームなどを続けている限りこのまま滅ぶでしょうね。


http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/557.html

コメント [経世済民70] ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(日本経済復活の会blog)-今の日本で超インフレはありえない JAXVN
25. 2011年1月08日 16:09:37: fNXXsUfrjA
米シンクタンク経済政策研究所(EPI)がまとめた09年度分の統計によると、米国を直撃した住宅バブルの崩壊により、米国の富裕層と中間層の資産の差が拡大していることが明らかになった。
米国の世帯のわずか1%を占めるに過ぎない富裕世帯の純資産は、平均的な世帯の225倍に達し、バブル前の04年当時の190倍を上回って過去最高となった。富裕世帯の純資産はバブル期ピ−クの07からバブル崩壊の09年にかけて27%減って平均1400万ドルと、それでも恵まれた減少しか見せていない。富裕層の保有資産が減少したのは1992年〜1995年にかけてのS&L危機最中の3年間だけだという。
一方、米国経済の根底を支える平均的な世帯の純資産は07年から09年にかけて41%も減少し、平均6万2200ドルとなった。比率で観れば、どうしても家計資産に占める住宅価値の割合が富裕層より平均的な世帯の方が大きくなるため、このような結果になる。
さらに、底辺の貧困世帯では借金などの債務が資産を上回って純資産がマイナスになる状況が1962年以来続いている。今回のバブル崩壊ではさらに悪化し、純資産は平均でマイナス2万7000ドルと膨れ上がっている。
EPIはFRBの家計調査などをもとに純資産を推計し、純資産は不動産、預貯金、株式、年金などを合わせた額から住宅ローンや非事業性負債などを差し引いた額として試算したという。
2010年は終わった。現在、株価は2009年当時よりも平均的に上昇、しかし住宅価格は前年09年より2割以上減価している。願わくは、米国の家計資産の約3割は株式資産で占められているだけに、米国民にとって株価の急落だけは避けたいところだろう。しかし、しばらくすればその願いも届かなくなる。それも結局は、自らの負の清算の重みに潰される。おそらく、勝ち逃げできる個人株式投資家も数少ないのだろう。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/538.html#c25
コメント [経世済民70] 労働力人口の減少、高齢者増 成長因子の消失 成熟フェーズの日本経済 tea
01. 2011年1月08日 16:15:24: Pj82T22SRI
エルダー 2011年1月号
http://www.jeed.or.jp/data/elderly/elder/201101.html

■全文(PDF 9,302KB TEXT 142KB)
分割ダウンロード

■表紙(PDF 1,745KB)

■高年齢者就業形態開発支援事業、共同研究のごあんない(PDF 208KB TEXT 2KB)

■グラビア 技を支える 200(PDF 3,112KB TEXT 6KB)

歌舞伎の絢爛華麗(けんらんかれい)を再現する天職の羽子板づくり
押絵羽子板職人 西山鴻月さん、和宏さん

■目次(PDF 517KB TEXT 2KB)

■新春特集(PDF 555KB TEXT 1KB)

70歳への雇用変革の時代に、経済と雇用をどう見るか

◆新春特別講演(PDF 2,723KB TEXT 18KB)

70歳雇用時代への展望
慶應義塾大学教授 慶應義塾長 清家 篤

◆新春特集

●成熟フェーズの日本経済 ―成長論から分配論へ(PDF 1,241KB TEXT 13KB)

エコノミスト 波頭 亮

●人口減少社会から見た経済、社会の新たな公式(PDF 1,302KB TEXT 13KB)

政策研究大学院大学教授 松谷明彦氏に聞く

●持続可能な地域発展と雇用(PDF 1,387KB TEXT 13KB)

京都大学大学院経済学研究科教授 諸富 徹

● 「高齢者のための職業能力開発」の4つの課題(PDF 1,444KB TEXT 14KB)

職業能力開発総合大学校 名誉教授 田中萬年

■連載 実践 職場のメンタルヘルス 第3回(PDF 1,212KB TEXT 5KB)

パワーハラスメントとメンタルヘルスの関係 中辻めぐみ

■日本史にみる長寿食 208(PDF 835KB TEXT 2KB)

餅の力 永山久夫

■連載 働く人の「生涯職業能力開発」の確立をめざして 第7回(PDF 1,880KB TEXT 14KB)

企業実習の実際とメリット  松本和重

■江戸のビジネスマン列伝 164(PDF 1,361KB TEXT 10KB)

大岡忠相(二十五) 童門冬二

■技術者からの視点 第33回(PDF 1,310KB TEXT 5KB)

カタカナ語の国際性 藍野大学非常勤講師 木下親郎

■BOOK(PDF 536KB TEXT 5KB)

『「戦後」を点検する』 保阪正康 半藤一利 著
内藤正行他

■バックナンバー 編集後記(PDF 559KB TEXT 3KB)

■中高年のためのステップアップトレーニング 第9回(PDF 460KB TEXT 1KB)

ひざ痛を予防するための体力テスト 山田拓実

■愚なるが故に道なり 第67回(PDF 1,977KB TEXT 4KB)

人生は無。孤独という筆で、人生の白いキャンバスに自分の絵をかく! 奥井禮喜

■世界の高齢者雇用事情 第15回(PDF 1,246KB TEXT 1KB)

スペイン 労働政策研究・研修機構 国際研究部長 坂井澄雄

■地方業務関連事務所所在地等一覧(PDF 1,698KB TEXT 6KB)

■<エルダー>バックナンバーのご案内(PDF 1,443KB TEXT 2KB)
【表2 広告】
ごあんない
高年齢者の新たな働き方、負担軽減、
賃金体系等で悩んでいませんか?
解決したい企業を機構が支援します!

高年齢者就業形態開発支援事業
高年齢者がその多様な就業ニーズに応じていきいきと働くことができる職場にするために、
新たな働き方を導入しようとする企業を支援します。

〜新たな働き方の例〜
●短時間勤務、隔日勤務  ●交替制勤務  ●在宅就業
●サテライト・オフィスでの勤務  ●スポット勤務  ●派遣事業等

この事業を利用すると…
・高年齢者の雇用問題に精通したスペシャリスト(社会保険労務士、中小企業診断士、学識経験者等)の協力が得られます。
・実施にかかる費用を一定額(最高300万円まで)機構が負担します。

事業内容や公募時期などを
詳しくお知りになりたい方はお気軽にご連絡ください。
【お問合せ先】
TEL.03-5400-1659
雇用推進・研究部 産業別雇用推進課

共同研究
高年齢者が働きやすい職場にするために、制度の見直しや働く環境の改善を行うための研究を、
企業と機構が共同で行う事業です。

〜共同研究テーマ〜
●職務再設計  ●人事・賃金制度  ●健康管理  ●能力開発等

共同研究を利用すると…
・高年齢者の人事労務管理や作業改善に関するスペシャリスト(学識経験者、社会保険労務士、技術士、中小企業診断士等)の協力が得られます。
・研究にかかる費用の1/2(最高1,500万円まで)を機構が負担しますので、少ない費用負担で研究(改善)ができます。
・研究を行うなかで開発・改善導入した機器・装置はそのまま自社で使用できます。

事業内容や公募時期などを
詳しくお知りになりたい方はお気軽にご連絡ください。
【お問合せ先】
TEL.03-5400-1658
雇用推進・研究部 研究支援課

実施企業はホームページ上で公募しますので、ぜひご応募ください

独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構
〒105-0022 東京都港区海岸1-11-1 ニューピア竹芝ノースタワー
URL:http://www.jeed.or.jp/

高齢・障害者雇用支援機構  検索


【p1〜4 技を支える】
a technical expert
vol.200

技を支える

歌舞伎の絢爛華麗(けんらんかれい)を再現する
天職の羽子板づくり

押絵羽子板職人
西山鴻月さん(89歳)、和宏さん(48歳)

歴史と文化は、造られた文物によって伝承される。物を作るのは職人である。だとすれば、職人こそ、国の歴史と文化の担い手であると言えるのではなかろうか。…年齢とともに、この思いは強く深まってきたように感ぜられる(西山鴻月『風のしがらみ・羽子板職人の四季』新時代社)

「展示されている鴻月先生の作品を拝見しましたが……」
「あっ、それはいけません。先生はおやめください。わたくしは先生じゃありません、下町の一職人でございますから」
のっけから、機先を制されてしまった。つづけて……
「わたくしの羽子板は芸術家の作品じゃございません。職人の仕事です。ですから仕事も、ひとつの羽子板にかかりっきりで進めるのではなくて、捗(はか)が行くように一度に5点から10点を同時進行でつくります」
日ごとに背丈を伸ばす東京スカイツリーが注目される隅田川左岸の低層住宅地帯、都内墨田区向島5丁目に江戸押絵羽子板職人の西山鴻月(にしやま・こうげつ)さんの工房がある。昭和63年の東京都伝統工芸士認定、平成13年の都文化功労賞など数々の賞を受け、平成18年には名誉都民の顕彰を受けている。
後継者である和宏(かずひろ)さんも平成18年に東京都伝統工芸品産業後継者知事賞を受賞、翌年には墨田区優秀技能者として表彰され「すみだマイスター」に認定された。地域産業の振興に力を入れる自治体として著名な墨田区からも「高度な技術がうまく技能伝承されている好例」として高く評価されている。2階の工房の下、1階は平成元年創設の「羽子板資料館」で、2人の手になる作品を中心に絢爛にして華麗な歌舞伎の世界が展示されている。
「親父さん、1年中、羽子板が並べられているのはここだけだよ…そう言って、お客さまに喜んでいただいております」
ちなみに押絵(おしえ)とは、綿を布でくるんでふくらみをもたせた立体的な絵柄に西陣の織物や絹を重ねて花鳥・人物の世界を表現する工芸で、江戸時代の文化文政期(1804〜29)以降の歌舞伎の隆盛とともに役者羽子板が人気を博し、今日の江戸押絵羽子板に至っている。
「羽子板は末広がりでございましょう。ですから縁起が良い、おめでたいものとして、新年を控えた年の瀬の羽子板市だけではなく、誕生のお祝いやお店の開店祝い、新築祝いなど、広く祝い事にお使いいただいております」
この展示スペースは「ものづくり」による地域活性化をアピールする拠点として墨田区から「小さい博物館」の指定を受けている。今回、たまたま新年号への掲載ということで、撮影させていただいたのは年末恒例の台東区浅草寺の羽子板市(毎年、12月17〜19日)を控えた多忙な日の午前である。
製作工程は簡単にまとめただけでも16工程に及ぶが、前述のように複数同時進行で、作品にもよるが1サイクルに2週間前後をかける。写真で紹介するのは鴻月さんによる「面相描き」と和宏さんによる「上絵描き」の工程である。
顔を描く面相描きは最も気を使う部分で、鴻月さんによれば「1枚1枚、ていねいに同じ顔を描きますが、60ほどの手順を踏みます。地塗りだけでも顔の型紙に白い絹を貼り、刷毛で胡粉(ごふん)をきめ細かく4〜5回塗り重ねます」とのこと。このあとボタン刷毛でぼかしを入れ、さらに薄い胡粉で上塗り後、極細の面相筆で日本画用の顔彩を使って目や口に胡粉を置き、眉を描き、目張りを入れ、鼻や髪の生え際をていねいに描いて、最後に筆の柄先に付けた墨で黒目を描き入れる。作品によっては歌舞伎独特の隈取りを入れる。
華麗な衣装も歌舞伎の演題に合った模様を描き入れる。色絵具のほかに金・銀の絵具も使って実際の歌舞伎で使われる衣装と同じ模様にする。
和宏さんは言う。
「単純に厚塗りをすれば西陣の豪華な風合いが出るわけではありません。押絵のふくらみを活かしながら立体感を出します。刀や扇などの小道具にも模様が必要ですし、細かい金具の感じも出さなければなりません」
以上のように各部分が描けたら、それぞれのブロックごとに組み合わせて糊づけをして和紙で裏側を補強して押絵部分が完成。これを裏絵描き・背景作りを終えた板に貼り付けるが、あくまでもこれは単純化した話である。
「15歳で師匠(羽子板面相師・倉田雅生氏)に弟子入りして75年、途中、戦争もありましたが、よくこれだけで食べてこられたものだと思います。15歳の時、この仕事は歌舞伎を知ることが第一だと考えて歌舞伎座へ出かけました。羽子板屋の小僧としては往復の電車賃がもったいなくて往復は歩き。夜遅くの帰り道で交番の巡査に呼び止められましたが、歌舞伎座の半券を見せたら、こんな若いのに歌舞伎の勉強か、と妙にあきれられたことを記憶しています」
うなずきながら和宏さんが付け加えた。
「父について、よく人から鴻月さんはどういう方ですかと訊かれるのですが、羽子板をつくるため生まれてきた人、そう答えています。高校を卒業してから父に教えられ、一緒に仕事をし、国内外に何度か実演の旅にも出かけていますが、本当にそうだと思います。羽子板をつくるために生まれてきた人です」
天性の才と評されることには抵抗があるというが、卒寿を迎える下町の職人は、著書には天職という言葉を好んで使う。
(撮影・福田栄夫 取材・吉田孝一)


キャプション
p2
動の世界の押絵に対して裏絵では水墨画で使われる輪郭線を描かない付立法(つけたてほう)などによる静の世界を楽しむことができる。

芸術作品ではない…と言う作品がこのような形で保管されているが、それでも押絵羽子板の絢爛華麗さは出色だ。

最も気を使う面相描きは右上の下拵えした型紙から面相の完成まで60ほどの手順をかけてつくられる。

羽子板職人にとって恒例の重要行事「羽子板市」に備えて多彩な面相を整える。複数が同時進行される。

こちらは30年の職人歴、和宏さんの仕事机。この日は上絵描きや糊づけの工程を撮影させていただいた。

p3
和宏さんの役割は年ごとに重要性を増している。父親と外国での実演に赴き、単独でも展示活動を続けている。

書道から日本画まで、自学自習で基礎を習得した父には頭が下がります…和宏さんからはごく自然に賛辞が。

和宏さんによって「上絵描き」を施した黒塗り笠をかぶる藤娘。精妙な絵の具の彩色で着物の柄を表現する。

「倅は小さい時から正座ができる子でした」…剣道5段。

平成21年12月、鴻月さん(本名・西山幸一郎)は王貞治さんとともに墨田区名誉区民となった。

p4
工房の階下に開設された羽子板資料館では1年を通して作品の展示・販売をしている(休館日あり)。

書棚には歌舞伎や江戸の風俗など専門書が。1999年刊行の『風のしがらみ』には該博な知識が盛り込まれ、4年前に増刷された。

下町のたたずまいに溶け込んだ小粋な構えの西山父子の羽子板資料館。(電話03−3623−1305)

「筆は現在では画材屋に行けば売っている普通のものですよ」…極細の面相筆と彩色筆とに大別される。

工程の受け持ちが決まっているわけではなく、互いにやり取りを繰り返しながら作品を完成させていく。


【p5 目次】
ELDER エルダー
CONTENTS
2011 January
No.375

●エルダー(elder)は、英語のoldの比較級で、“年長の人、目上の人、尊敬される人”などの意味がある。昭和54年、本誌発刊に際し、(財)高年齢者雇用開発協会初代会長・花村仁八郎氏により命名された。

◆表紙
田中正秋
1947年東京都世田谷区生まれ。数々の国内外版画展に出品。1982年〜1991年の間『週刊新潮』の表紙を作品が飾る。
代表作/絵画「浄闇」(伊勢神宮微古館)
壁画「常盤姫」(世田谷区立八幡中学校)など

6 70歳への雇用変革の時代に、
経済と雇用をどう見るか
新春
特別講演
7 70歳雇用時代への展望
慶應義塾大学教授 慶應義塾長 清家 篤
新春
特集
16 成熟フェーズの日本経済 ―成長論から分配論へ
エコノミスト 波頭 亮
23 人口減少社会から見た経済、社会の新たな公式 
政策研究大学院大学教授 松谷明彦氏に聞く
29 持続可能な地域発展と雇用
京都大学大学院経済学研究科教授 諸富 徹
35 「高齢者のための職業能力開発」の4つの課題
職業能力開発総合大学校 名誉教授 田中萬年

41 詰め碁 白江治彦
詰め将棋 関屋喜代作
42 連載 実践 職場のメンタルヘルス
第3回 パワーハラスメントとメンタルヘルスの関係
中辻めぐみ
44 日本史にみる長寿食 208
餅の力
永山久夫
45 連載 働く人の「生涯職業能力開発」
の確立をめざして
第7回 企業実習の実際とメリット
 松本和重
50 江戸のビジネスマン列伝 164
大岡忠相(二十五)
童門冬二
56 技術者からの視点 
第33回 カタカナ語の国際性
藍野大学非常勤講師 木下親郎
58 BOOK
『「戦後」を点検する』
保阪正康 半藤一利 著
内藤正行
『ポピュリズムへの反撃
〜現代民主主義復活の条件』
山口二郎 著
『パワハラにならない叱り方
―人間関係のワークルール』
道幸哲也 著
『デンマークのにぎやかな公共図書館
―平等・共有・セルフヘルプを実現する場所』
吉田右子 著
60 次号予告 編集後記

グラビア
01 技を支える 200
歌舞伎の絢爛華麗(けんらんかれい)を再現する天職の羽子板づくり
西山鴻月さん、和宏さん
61 中高年のためのステップアップトレーニング
第9回 ひざ痛を予防するための体力テスト
山田拓実
62 愚なるが故に道なり 
第67回 人生は無。孤独という筆で、人生の白いキャンバスに自分の絵をかく!
奥井禮喜
64 世界の高齢者雇用事情 
第15回 スペイン
労働政策研究・研修機構 国際研究部長 坂井澄雄


キャプション
「日光氷雪まつり」(栃木) 1992年


【p6 特集トビラ】
新春特集

70歳への
雇用変革の時代に、
経済と雇用をどう見るか

70歳雇用問題に立ち入って考えると、どうしても高齢者雇用だけの問題でなく、若年者、女性などの雇用とセットで考えざるを得なくなる。また、企業における雇用だけでなく、地域で働くという就業も当然、視野に入ってくる。
編集部では、これまで“働くこと”の根本に立ち返って特集のテーマを組み立ててきたが、この平成23年の新年号では、雇用の根底にある経済(地域経済を含めて)や人口の変化から見て、これからの雇用・就業がどのように変わるのか、どのような雇用のビジョンが生まれるのか――などを特集した。


【p7〜15 70歳雇用時代への展望】
〈新春特別講演〉
70歳雇用時代への展望

慶應義塾大学教授
慶應義塾長
清家 篤

今日は「70歳雇用時代への展望」というテーマでお話をさせていただきます。
総務省は、毎年9月、その年の高齢者の人口を取りまとめ発表しています。昨年の発表資料によりますと、現在、65歳以上の高齢者が総人口に占める割合はすでに23・1%です。男女別に見ますと、男性が20・3%、女性が25・8%ですから、女性についていえば、4人に1人以上が65歳以上の高齢者になっています。日本全体でも、現在の推定ですと、2013年には人口の4人に1人が65歳以上の高齢者になり、20年くらい先には人口の3人に1人が65歳以上の高齢者になるということです。
このように世界に類を見ない高齢化が進む中で、日本の社会の活力を維持するためには、働く意思と仕事能力のある高齢者に、できるだけ長く活躍してもらえる“生涯現役社会”をつくる必要があるということを申し上げたいわけです。年金支給開始年齢の引上げにリンクする形で日本では改正高年齢者雇用安定法が施行され、すでに65歳までの雇用を確保する措置を講じる義務が雇用主に課せられています。その先に、本日のテーマでもある70歳くらいまでは、働く意思と仕事能力のある人の能力を活用できるような社会をつくろうという問題意識が出てきているわけであります。
20年後には3人に1人が65歳になり、現在65歳の人でも、厚生労働省の簡易生命表によりますと、男性はあと18・6年、女性の場合には23・64年生きるわけですから、やはり雇用ルールももう少し上の年齢に引き上げていく必要があるのではないかということで、きょうのテーマである「70歳雇用」というものが少しずつ視野に入ってきているのが現状だと思っています。
さらに言えば、65歳とか70歳という基準の年齢を引き上げていくのもいいのですが、年齢を基準としない、年齢にかかわらず働く意思と仕事能力のある人の能力が活用できるいわゆる生涯現役社会を実現することが長期的には求められるのではないかと思います。別の言い方をすれば、最終的な生涯現役社会に向けて、まず当面のステップとしては65歳まで、さらに70歳までの現役というものを進めていこうというふうに考えていただければよろしいのではないかと思っております。

団塊の世代の活用が、はじめの一歩

もちろん70歳現役雇用といいましても、もうくたびれて働く元気がないという人が非常に多くを占める中で「70歳雇用」も「生涯現役」もないものだ、というふうに思われる人もいらっしゃるかもしれません。
この点で、実は日本はとてもありがたい条件に恵まれているのです。ひとつは、高齢者の方が元気だということです。日本人の寿命は男性は79歳、女性は85歳を超え世界で最も長生きですが、日本人の平均寿命は単に生きているという年数が長いだけではなくて、WHOが推計している、元気な状態で何年ぐらい生きていくかという「健康寿命」で見ましても、日本は男性が73歳、女性の場合には78歳と、これまた男女とも世界トップのレベルになっているわけです。
もうひとつが、日本の高齢者は働く意欲が非常に高いということです。年をとっても元気なうちは働きたいという人が国際的に見ても非常に多いのです。たとえば、60代の前半で働く意志を持っている人の比率は日本男性では75%を超えており、次いで高いのがアメリカ、イギリスですが、それでも6割程度です。そして、ドイツが4割ぐらい、フランスは2割ぐらいということでずっと下がります。ヨーロッパのように、できれば早く引退したいのだという人が多い国からすると、日本は「生涯現役」、あるいは「70歳現役雇用」というのを進める上でとても恵まれた条件にあります。その意味ではぜひこれを活かしていくべきです。
その第一歩が、団塊の世代の人たちの能力と意欲を活かしていくことだと思います。団塊の世代の人々は現在でも670万人ぐらいの人が元気でして、そのうちの510万人ぐらいの人が実際に働く意志を持って労働市場にとどまっています。
団塊の世代の人たちの理想の引退年齢というのは大体60代の半ばぐらいから後半のところに散らばっています。その意味では、この人たちを先導者として、生涯現役、少なくとも70歳ぐらいまで現役で働くことのできる道筋をつけていくことが大切だと思っています。
この団塊の世代の人たちは、実は人材の宝庫でもあります。人数が多いというだけではなく、とても素晴らしい仕事の経験をし、高い仕事能力を蓄積しています。それは、団塊の世代の人々の多くが恵まれた職業人生を送ってきたからだと思います。
まず出発点の就職のときから恵まれています。団塊の世代の人々は毎年270万人ずつ生まれていたわけですから、他の世代に比べ競争の非常に厳しい世代です。就職でも一歩間違えると大変な競争になったかもしれなかったのですが、幸いなことに、この団塊の世代の人たちが就職した時期というのは、ちょうど日本の高度成長期とまったく重なっていました。団塊の世代の人たちは就職難どころか、中学、高校を卒業して就職された人は「金の卵」などといわれてかなり恵まれた就職をしました。と同時に、この団塊の世代の人たちがちょうど就職をした頃から日本の企業は少しずつゆとりが出てきて、新入社員にかなり手厚い初期の能力開発・教育訓練を、多くの企業で行うことができるようになりました。つまり、団塊の世代の人たちはかなり恵まれた就職をし、そして若い時の教育訓練・能力開発の機会にも恵まれていたわけです。
そして、団塊の世代の人たちの働き盛りである30代から40代の前半ぐらいが、2回にわたるオイルショックを克服して、エズラ・ボーゲルが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言ったような日本経済の黄金期でした。1970年代の後半から90年代の前半にかけての日本経済の成長期に、団塊の世代の人たちは30代から40代の前半の、まさに働き盛りの時期を過ごし、素晴らしい仕事経験や能力を蓄積し、人脈なども世界にまで広げてきました。そうした仕事の能力をしっかりと蓄積した団塊の世代の人たちが、数としてもたくさんいるわけです。そしてこの人たちも、これまでの高齢者と同じように高い就労意欲を維持していますから、今この世代をぜひ活用していきたいということなのです。
問題は、団塊の世代の就労意欲・能力をうまく活用するためのノウハウをどのように蓄積していくのか、あるいはその阻害要因をどのように見直していくかということです。その阻害要因を考えた場合、その筆頭が定年退職制度です。定年退職制度というのは、どんなに働く意思・能力があっても定年になると仕事を辞めてもらうという制度で、やはりこれは見直しがどうしても必要になってきます。

2013年に1年間の年金ブランク期間が出現

先ほど申しましたように、高年齢者雇用安定法が改正され、「日本の企業は2013年度までには65歳までの雇用を確保する措置を講じなければいけない」ということになったわけですが、その方法としては3つの方法が企業には認められています。
ひとつは、定年を65歳まで延長すること。もうひとつは、そもそも定年というような制度自体を廃止すること。そしてもうひとつは、定年はそのままで、たとえば60歳の定年制であれば、それ以降は再雇用のような形で65歳まで雇用していくという、いわゆる継続雇用制度をつくっていくことです。
厚生労働省の調査によりますと、この65歳までの雇用を確保する措置はほとんどの企業で講じられているわけですが、そのうち定年廃止を行った企業はさすがにほとんどありません。そして定年延長で対応するという企業も15%程度ですから、まだ8割以上の企業は、継続雇用制度で対応しようとしています。
私は、定年制度はそのままで、65歳までの継続雇用制度というのが多いのは今はまだやむをえないと思っています。しかし、最終的にはやはり年金の支給開始年齢と定年の年齢が接続していないと、困ると思います。たとえば定年は60歳、しかし年金は65歳にならないと支給されない、その間はかなり不安定な継続雇用制度で凌ぎましょうというのでは、社会の仕組みとしての整合性から、あるいは個人の生活の安定という観点から、相当問題があるのではないでしょうか。
厚生年金は報酬比例部分と老齢基礎年金部分の2階建てになっています。基礎年金部分は男性の場合は2013年度から65歳になり、報酬比例部分の支給開始年齢も2013年度から、3年おきに1歳ずつ引き上げられますので、2013年度に61歳になる人は報酬比例部分も基礎年金部分もどちらも1年間もらえないということになります。
すなわち2013年度には、報酬比例部分も含めて年金のブランク期間というのが1年間生じてくるのです。したがって、定年年齢と年金の支給開始年齢が接続していくことを考えていかなければなりません。2025年には報酬比例部分も含めて男性の場合、65歳支給に完全に移行します。その時にはやはり、定年も65歳に引き上げられている形にしておくことが必要なのではないかと思っています。
こういう話を経営者にしますと、皆さんちょっと嫌な顔をされます。もちろん経営者の方々が、「65歳までの定年延長、とんでもない」とおっしゃるのには理由があります。そのひとつは、年功的な賃金です。年功的な賃金制度は年齢や勤続年数に応じて賃金が上昇する仕組みで、このままで定年を延長すると、定年の延長に伴って企業はコストの高い労働者をたくさん抱えることになってしまいます。この点で日本の企業では大変苦労しております。それから年功的な昇進制度もあります。したがって、この年功賃金あるいは年功的な昇進制度の見直しというものが必要になってきます。
ただし年功賃金というのは、就業者が若い時にはとてもいい制度です。若い人が一人前になるまではむしろ年功賃金が望ましいと思います。皆さんの企業でもそうだと思いますが、若い新入社員が入ってくると、その人が一人前になるまでは、先輩から仕事を教えてもらって一人前になっていきます。その意味では、若者が一人前になるまでは、仕事を教える先輩のほうが教えてもらう後輩よりも賃金は必ず高いということでないと、この仕組みはうまく機能しません。そのあとは、年齢や勤続に応じて賃金が上昇していく部分をもっと少なくすることによって、賃金カーブ全体をフラットにしていくことが必要になってくるだろうと思います。
処遇の面についても、年をとった人を管理職にするのではなく、その培った能力をしっかりと生かしてもらい、個別のプロジェクトや業務の担当者としてしっかり仕事をしてもらうようにする。まさにプロフェッショナルとして仕事をしてもらうという仕組みを継続していくことが必要になってくるだろうと考えます。

勤続60年社員にダイヤを贈呈する「西島」

実はこういう仕組みは、日本の企業社会を大企業の世界と中小企業の世界に分けてみますと、圧倒的に中小企業の世界のほうが進んでいます。実は、定年退職制度がない会社というのは圧倒的に中小企業に多いわけです。あるいは、定年退職制度があっても、定年年齢を60歳以上に定めているところは統計上も中小企業のほうが圧倒的に多いのです。また定年を定めていたとしても、中小企業の場合には、定年後も働く意思と能力のある人には働き続けてもらうという雇用慣行を持っているところが、少なくありません。
どうして中小企業ではそういう生涯現役的な働き方、雇用の仕方が可能なのかというと、ひとつには中小企業は大企業と違って賃金カーブがフラットだからです。初任給は大企業と中小企業ではさほど差はなく、30歳ぐらいまでは大体同じようなカーブになっています。ところが、大企業や、役所などの場合は、40代、50代になってもまだ平均賃金がかなりの傾斜で上昇していっているのに対して、中小企業の賃金カーブは、標準労働者でみても、40代の前半ぐらいからかなりフラットになっています。つまり中小企業の場合は、中高年の人を雇ってもそんなにコストが高くならないような賃金制度をもともと持っているのです。
もうひとつは、処遇面において、たしかに中小企業でも、一定の年齢になると課長とか部長とかになるわけですが、なにしろ少ない人数で仕事をしているので、営業課長さんも第一線の営業マンとして仕事をとってくる、あるいは生産現場の役付きの監督職も、培った能力、技能を生かして仕事をするというようなことが当たり前になっています。そしてここが大切なのですが、われわれがよく調査をさせていただいたりするオンリーワンの競争力のある地方の中小企業というのは、必ずといっていいほどこの“生涯現役”を実現しています。あるいはベテランの能力をうまく活用しているケースが多いわけです。
愛知県豊橋市に「西島」という金属加工業で工作機械などを作っている会社があります。従業員150人ぐらいの会社です。世界の中でもオンリーワンの競争力をもっている会社で、特に金属を切断する切断機の製造においては高い品質を保持し、言い値で製品が売れるぐらいの会社です。同社は定年退職制度なしです。75歳ぐらいの従業員が、この競争力のまさに源泉である機械を切断する歯車の歯の軸の製造に携わっています。
同社では、勤続50年の従業員に対して金婚式にちなんで純金のメダルを贈呈しているそうです。さらに、同社の社長は、もうすぐ勤続60年の社員には「ダイヤモンド婚」にちなみ、「なにかダイヤモンドを埋め込んだ記念品を贈らなくては―。相当費用がかかりそうだ」と笑っておられました。
また、鹿児島市には圧倒的なブランド力をもっている「山形屋」というデパートがあります。この会社にも60代あるいは70代の従業員がかなりおられます。経営者に話をお伺いしても、特に地方のデパートはお客様の年齢層も高くなっているため、そういうお客様のかゆいところに手が届くような接客サービス、販売サービスはやはりベテラン従業員に頼らなくてはだめだ、60歳になったから辞めてくれなんてもったいない、とおっしゃっていました。

土曜、日曜が私たちの就労日

岐阜県中津川市の「加藤製作所」では「ウィークエンド社員制度」といって、60歳以上の人に土曜日・日曜日に働いてもらっています。土・日に働いてもらうことによって工場は1年365日の稼働率を確保できるわけです。若い世代とは異なり、60歳以上の人というのは土、日働くという契約でも喜んで働いてくれます。別に土、日どうしても休まなければいけない理由がもうありません。むしろ休みは平日にとり、温泉などに行ったほうがいいかもしれない。
このようにさまざまな工夫をしながら、ベテラン従業員の能力を確保することで、圧倒的な競争力をもった地方の企業というのはたくさんあるわけです。そういう中小企業の持っているノウハウを、もっと大企業や役所などもこれから学んでいく必要があります。
これからどうしたら70歳まで働ける企業をつくっていくことができるか、70歳まで働ける企業の条件というのは何かということですが、そのためには、70歳にいきなり一足飛びにいくことは難しいので、まずはすべての企業が、65歳まで現役で働くのが当たり前だという環境をつくっていただきたいと思います。まず65歳までの現役雇用制度をつくり、それを土台にして働く意思と仕事能力のある人には70歳まで働けるような環境を整備していく、こういうことが必要になってくるのではないでしょうか。
その際の条件のひとつは、やはり健康だと思います。日本の高齢者の健康寿命は長いわけですが、60代の後半ぐらいになってきますと健康にもバラつきが出てきます。できるだけ長く元気な状態で仕事をしてもらえるような条件整備が必要ですし、加齢に伴う体力の衰えをしっかりと補う体制が必要になってきます。たとえば製造現場でいえば、重い部品等を台車で自由に工場の中を動かせるように、工場の床をフラットにするという工夫をされているところもあります。
年をとってきますと、過労が心配になってきます、しっかり休憩をとってもらうことも必要です。埼玉県川口市にある鋳物工場の「石川金属機工」では75歳まで鋳物製造現場で働いている人がいます。鋳物鋳造というのは技術が要ると同時に、職場は非常に暑く、かなりの重筋労働です。75歳まで働いてもらう反面、健康面も心配になります。そこで、同社では必ず休み時間をこまめにとっています。1時間半ぐらいの間に10分ぐらいの休憩時間を組み入れているようです。ベテランの人はなにしろ働き者ですから、10分間休まないですぐ職場に戻ろうとします。そこで休憩を必ずとってもらうためにどうしたかというと、今の社長のお姉さんで専務を務めている人がひとつ工夫をしました。それは休み時間にアイスキャンディーを出すことです。しかも普通のアイスキャンディーではなく表面がガリガリになった氷のアイスキャンディーがあります。あれだと、氷のアイスキャンディーを全部食べるのに10分かかるということが分かったので、それを配ることにして、みんなに10分間休んでもらうという工夫をしています。
もうひとつ大切なのは、もちろん仕事能力です。仕事能力が少なくとも70歳までしっかり持続されていないと仕事を続けることはなかなか難しい。あくまでも、仕事能力のある人が70歳ぐらいまで現役で働ける仕組みを「70歳現役雇用」というわけです。そのためには、長く働けるための健康に対する投資、それから技能がしっかり確保されているための仕事能力に対する投資を、若い時からしっかり行えるような環境を、社会全体としてそういう仕組みあるいはルールをつくることが必要です。

長距離競争の職業人生に不可欠な
能力の再開発

従来の職業人生が短かった時代には、若いときに学校に行き、そして就職した初期の若い時に集中的に仕事を覚えて、あとはその能力でもって55歳ぐらいまでの比較的短い雇用期間を、長時間労働を行うような形で突っ走るという、いわば短距離競走型の職業人生でもよかったのです。
しかし、70歳現役雇用というような長丁場を走りぬくためには、自分の健康に気をつけ体力が維持できるような、健康・体力に再投資する時間も必要になってきます。また仕事のあとに、新しい知識だとか技術を仕込む時間も必要です。つまり目先の仕事だけに忙殺されるのではなくて、新しい知識や技能などを習得し、自分の仕事能力に再投資する時間も必要になります。長い職業人生の折り返し点となる40代の前半ぐらいの頃に、1年ぐらいの長期の研修休暇をとって自分自身をオーバーホールする、もう1回自分自身のために勉強をし直す、そういう機会も必要になってくるかもしれません。短距離競走型の職業人生から、マラソン型・長距離競走型の職業人生に変わっていくにあたっては、やはり生涯にわたって能力が再開発されるようなそういう視点も必要なのです。その意味では、生涯現役社会というのは、生涯能力開発社会でもあると思います。
いずれにしても、日本という人材しか資源がない社会で、日本人が豊かになるためには、一人ひとりが高い賃金を得、高い付加価値を生み出すことができる能力を身につけるしか方法はないわけです。今までの日本でもこの能力開発は重要でしたけれども、これからは今まで以上に能力開発が必要になってきます。
もう少し正確にいえば、一人ひとりの付加価値生産性をどのように高めていくかということが、これからの社会では今まで以上に重要になってきます。一人ひとりが自分の仕事に強いこだわりをもった仕事人間になるのです。この“仕事人間”というのは必ずしも“会社人間”である必要はありません。「仕事人間と会社人間は、どこが違うのか」と聞かれるのですが、ひとつの違いは、最終的に仕事人生を終えて引退するとき、自分の職業人生をどのように振り返るかという振り返り方が、仕事人間と会社人間では大いに違うと思います。
会社人間は、「自分は○○会社の社員だった。△△部長だった」という振り返り方をします。しかしそれだけを自分の職業人生の拠りどころにしていると、自分のアイデンティティが失われてしまうかもしれません。
では仕事人間はどうかというと、仕事人間は、「何をやったか」ということで自分の職業人生を振り返ることができます。「あんな新製品を開発した」、「あんなプロジェクトを成功させた」、「あんないい部下を育てた」等々、「○○をやった」という形で自分の職業人生を振り返る。
そういう仕事人間をこれからどれだけ育て、そしてその仕事人間にその能力を十分に最後まで発揮してもらうことができるかどうかが、実は企業の競争力、生き残りを左右するようになるのです。その意味でこの70歳の雇用社会実現のためには、実は70歳までしっかりと高い付加価値を生み出せるような能力を若いときからずっと積み重ねていくことができるような仕組みを、企業においても社会においても構築していく必要があると思います。
そして、この「70歳現役社会」は、やはり70歳まで仕事人間としてもしっかりと働けると同時に、家族の一員としても、あるいは地域社会の一員としても、生き生きと活動できるような社会でなければいけません。
そのためにも、やはり若い頃から仕事能力だけではなくて、家族の一員としてあるいは地域社会の一員としても生き生きと活動できるような能力、趣味や社会的活動の経験も積んでいく、そういう時間的な余裕も必要です。その意味で、私は最終的な生涯現役社会を実現するためにも、もうひとつの雇用の面における重要なテーマである「ワーク・ライフ・バランス」も大切になってくると思います。
今日は「70歳雇用時代への展望」ということで、これから人口が高齢化していく中での雇用のあり方について、専門である労働経済学の視点からお話をさせていただきました。


キャプション
何をやってきたかで自分の職業人生を振り返ることが大切。


【p16〜22 成熟フェーズの日本経済】
新春特集
成熟フェーズの日本経済
―成長論から分配論へ
エコノミスト  波頭 亮

労働力人口の減少、高齢者増―成長因子の消失

「すでに起こった未来」という言葉があります。ドラッカーが1964年に書いた『創造する経営者』という本の中で使った言葉ですが、人口動態のことを意味しています。10年後、20年後の人口構成は未来の事柄でありながら、現時点でほぼ見通すことが出来ているということをこう表現したのです。そして、ドラッカーは先進国において将来起こるであろう人口が減少していく事態に対して警鐘を鳴らすためにこの言葉を使ったのでした。
1964年と言えば、欧米も日本も高度経済成長真っ只中、黄金の60年代であり、当時各国は経済だけでなく人口もぐんぐん増えていた時代です。そんな時代に、将来人口が減少していく社会の危機を論じたドラッカーの慧眼は凄いとしか言いようがありません。しかし、いままさに日本が迎えようとしている人口減少が社会や経済に与えるインパクトは、もしかしたらそれ以上に凄いものになるかもしれないと案じています。
人口が減っていくということは、経済の面で言うと、モノを買う人が減り、モノを作る人も減るということです。何だ、両方が減るのならバランスが取れるじゃないかと安心するのは早計です。これから本格的に迎えようとしている日本の人口減少は、少なくとも2つの意味で極めて深刻な問題をはらんでいます。
第1の問題は、現行の国民経済が運営不能になるということです。言わば、日本経済のシステムダウンです。どういうことかと言うと、今の日本丸は船長以下、航海士や機関士や甲板員や船医やら、トータルで約8100万人の働き手がそれぞれの役割を果たすことによって動いています。人員減少が1万人、2万人程度であれば、手が空いている人が肩代わりすることもできるでしょうが、働き手が何百万人というスケールで大幅に減ってしまうと、エンジンのメンテナンスができなくなったり、適切な航路を判断できなくなったり、病人が出ても治療ができなくなったりという事態が起きてしまうのです。つまり、8100万人の働き手がそれぞれの役割を果たしてこそ回る日本経済システムなので、もし何百万人もの働き手が減ってしまうと全体として機能不全になってしまうのです。
ちなみに現在の労働力人口は約8100万人ですが、今後10年の間に770万人も減少することが“すでに起こった未来”として分かっています。労働力人口770万人というと、経済規模で言うと、ギリシャ(750万人)、ベルギー(710万人)、スウェーデン(610万人)の一国経済全体に匹敵するほどのスケールです。日本の国民経済で言うならば、運輸・郵便業(348万人)と情報通信業(193万人)と金融保険業(165万人)と自動車製造業(87万人)が全てなくなるのに等しいほどのインパクトなのです。
2つ目の問題は、非労働力人口の増加です。1つ目の問題として指摘した労働力人口の減少だけでも国民経済はシステムとして機能不全に陥ってしまうリスクがあるのに、これからは労働力人口の減少と並行して高齢者が急速に増加していきます。具体的には、今後10年間で65歳以上の高齢者は650万人も増えて3590万人になります。現在でも総人口に占める高齢者の割合は23%と世界一の水準なのですが、今後10年で急速に上昇して30%に達するのです。となると、減り続ける労働力人口の一人ひとりの肩にのしかかってくる国民経済を支えるための負担は、加速度的に重くなっていくのです。
さらに、筆者が特に深刻に捉えているのは、たった10年間で高齢者が650万人も増え、高齢化率が7%も上昇するという、その社会変化のスピードそのものです。徐々に高齢化率が上がっていくのであれば、医療や介護サービスの体制を整えることもできるでしょうし、高齢者向けの様々なサービスや制度を充実させることもできるでしょう。が、たった10年しか時間的猶予がないと何一つ準備が整わないままその事態を迎えることになりかねません。高齢化社会を迎える準備のないままで突入する人類初の超高齢化社会の姿は、至る所を徘徊する老人、老々介護の悲劇、姥捨て事件等々、想像したくないようなものが少なくありません。

成熟フェーズの経済―成長論から分配論へ

このように極めて深刻な“すでに起こった未来”の前で佇む現在の日本は、当然のことながら、経済政策も産業構造も雇用制度も大きく変えていかなければなりません。
まず不可避、不可欠な変革は、経済政策の基本方針の転換です。これからの経済政策では、経済成長を前提としないで国民一人ひとりがより幸せな生活を営むことができるようにすることを考えるべきです。経済が成長し得るステージであれば、「成長は全てをいやす」と言われるように、成功した人にも成功できなかった人にも、優秀な人にも優秀でない人にも、広くあまねく恩恵が及びます。しかし経済の成長が止まった社会では、限りある富と減少していく価値(GDP)をどのように分配するのかが極めて重要です。つまり、経済政策の基軸を、いかにして経済を成長させるかという“成長論”から、どのように富や価値を分配するかという“分配論”に転換することがまず必要になるのです。
日本は90年代後半から「人口」と「貯蓄」という経済成長のために不可欠な2つの基礎的ファクターが頭打ちになり、80年代までのような経済成長が理論的に実現し得なくなりました。それにもかかわらず経済政策はかつての成長論中心の施策のままで、緊急経済対策などという名のもとに15年間で226兆円も成長論的景気対策に費やしてきてしまいました。
その結果、実際に経済は成長したのかというと、名目で見ればマイナス成長、実質でもやっと1%そこそこというありさまです。ドルベースで見ると、日本は15年前の水準を一度も超えることなく、ジリ貧の一途というのが現実です。15年間もデフレ基調が続いているのは世界中で日本だけであり、また人口が減少している国も日本だけなのです。そろそろ、成長論中心の経済政策や景気対策を転換しなければ、財政的にも、人口減少・高齢化社会到来のタイムリミット的にも、日本経済の破綻が避けられなくなってしまいます。
これからは分配論中心で経済政策を考えるべきであると言いましたが、それは具体的に言うと「国民全員に医・食・住を保障すること」というヴィジョンを据えるところからスタートするのが良いでしょう。国民は、誰でも医療も介護サービスも無料で受けられる、また食べることや住む所に困らないような社会保障の制度や政策を整えていくべきだと考えます。生活保護の基準を緩和するやり方でも良いし、国民一人当り7万円〜10万円程度のベイシックインカムを導入するのでも良いと思います。
国民全員の医療費や介護費用を無料にしたり、現在1900万人存在する生活保護対象者全員に無条件で手当を支給したりすると莫大なコストがかかると思うかもしれませんが、その総コストは約24兆円です。この24兆円を消費税で取るのか所得税で徴収するのか、あるいは金融資産課税を導入するのか、原資の集め方には議論の余地があると思いますが、今よりも国民負担を24兆円増やしたとしても国民負担率は46%です。46%というとイギリスの48・3%、ドイツの52%、フランスの61%と比べて、まだまだ低い水準です。
24兆円の負担増は、現在の国民負担と比べると約18%増になりますが、医療・介護の経済負担がなくなり、食べることや住むことの心配がなくなるのならば、国民はすごく安心して生きていくことができるでしょう。その安心感は経済成長のない社会においてはとても貴重なものであり、成熟社会の安定には欠かせないものだと思います。

産業構造をシフトする2つのテーマ

次に成熟社会における産業政策について説明しましょう。
まず、喫緊のテーマは医療・介護サービスの拡充です。高齢者は一人当りで見て若年者の3倍強の医療サービスが必要です。10年後には高齢者のうちの5割以上を占める後期高齢者では、若年者の約5倍も必要です。この事実を前提に計算すると、日本全体で10年後の医療ニーズは現在の3割増になります。医師の数だけでも少なく見積もって33万人増やさなければなりません。現在でさえ3時間待ちの3分診療などと言われている現実を考えると、この数字は最低限の水準です。当然ですが医師の増加に伴って看護師や医療技師なども増やさなければなりません。その数は約215万人と試算されています。
これだけの医師や看護師等を10年以内に増やさなければ、病気にかかった人が病院にかかれないという悲惨な事態が起きてしまうわけです。これは大変なことですが、逆に考えると確実に需要が見込まれる職が約250万人分も必要とされているということです。公共事業の縮小に伴う土木建設業の従事者の余剰が150万人ともいわれ、円高に伴う工場の海外移転で300万人以上の雇用が失われてしまうと喧伝されていますが、国民経済全体で見れば医療分野だけでも250万人の雇用創出を見込めるわけです。
同時に介護の分野も大量の人材を必要としています。様々な試算がありますが、後期高齢者が1870万人に達する10年後には少なくとも現在の2倍に当たる260万人の介護サービス従事者が必要とされています。単純化して言うと、これから公共事業縮小や工場の海外移転で450万人分の雇用が失われる可能性があるけれども、今後必要とされる医療・介護の分野での雇用創出は約380万人分も存在するということです。
ここでこうした産業構造のシフトに関する政府の役割を示しておきましょう。それは医療・介護産業で働くことに対するインセンティヴの強化です。現在介護サービス従事者の給料は月額で15万円〜18万円くらいが標準的です。肉体的にも精神的にもとてもきつい介護サービスで1カ月働いて15万円〜18万円という収入では、よほど福祉意識の高い方でないとなかなかこの仕事は続かないでしょう。実際に多くの人が介護サービスに就いても半年以内に辞めてしまっているのが現実で、現在も介護事業の大きな問題となっています。
大量に増える高齢者に備えて10年間で介護サービス体制を整えるためには、財政的支出を伴った支援が不可欠です。例えば介護サービス従事者の給料を現在の2倍(30万円〜36万円程度)にして現行との差額分は国が補填するようにすれば、介護サービスで働くことの魅力が大きく高まって、多くの雇用が実現されるはずです。この時の国の財政負担は約5兆円になります。ちなみに日本はこの10年間で90兆円、つまり毎年平均で9兆円の公共事業費を使っているのですが、その半分を介護サービスに回すなり、追加することができれば、この金額は十分に賄えるわけです。

内需型産業の拡大だけでなく、
外貨を稼ぐ産業の育成も

これからの日本の産業を考える上で、医療・介護産業の拡充と並んでもう一つ重要な産業政策があります。それは輸出産業の振興です。医療・介護産業は高齢化社会にあっては最も必要とされる重要な産業であることは間違いありませんが、あくまでも内需型産業です。日本経済のしくみとして、石油や食糧の輸入代金を稼いでくれる輸出産業なくしては国民経済は成り立ちません。「日本経済は外需依存度が高いために世界の景気の波をもろに被るので、内需型産業を喚起しなければならない」という意見をしばしば見聞きしますが、これは必ずしも正しくありません。データからすると、日本は先進国の中では外需産業=輸出依存度がむしろ低い国なのです。国民経済(GDP)に対する輸出額の比率は、ドイツが40%、フランスが21%、イギリスが17%、日本はそれ以下の16%でしかありません。日本は少なくとも石油と食糧の輸入代金27兆円を輸出で稼がなければならないわけですから、現状より輸出を落とすわけにはいかないのです。
しかし、この27兆円というどうしても必要な輸出金額は莫大です。世界最強と言われる日本の自動車産業ですら年間の輸出金額は14兆円でしかありません。27兆円稼ごうと思うとその2倍もの製品を輸出しなければならないのです。しかもこれまで日本の輸出に貢献してきた家電・エレクトロニクス産業は韓国や中国の追い上げにあって、国際市場でのシェアを落としてきていますし、企業は工場を海外に移転させたりしていて、今後は輸出をあまり期待できません。従って、これから新しい輸出産業を育成していくことも日本経済が沈没しないためには大変重要なテーマなのです。
有望な分野はもちろんあります。環境関連の機器や設備はこれから世界中で需要が高まってくることが予測されています。先進国では省エネやクリーンエネルギー、発展途上国では上下水道や公害防止といった分野です。これらの分野では日本企業は世界の最先端を走っているという心強い事実があります。例えば、今後20年間の間に先進国でも発展途上国でも多数建設が予定されている原子力発電所の設備・機器では、世界のトップ3のうち2社は日本企業です。水処理や太陽光発電などの分野でも日本企業は世界のトップクラスに入っています。

社会保障と市場メカニズムの両立が、
新しい国のかたち

では、こうした輸出産業を育成・振興していくための産業政策はどのようなものかというと、医療・介護の場合とは逆に、政府が主導したり補助金をつけたりするのではなく、自由競争を阻害しないようにすることだと言えるでしょう。国際市場での競争は、結局は企業の技術力とコスト競争力で決まります。政府が補助金をつけてやっと仕事が取れる状態では、現在の日本の農業と同じように、いつまでたっても独り立ちできません。それどころか、補助金をつけて輸出をするというのは高く作ったものを安く海外に売ることですから、貴重な国民の税金の国外流出を意味します。これでは外資を稼ぐどころか、逆効果になってしまうのです。いまの日本の農業が典型ですが、政府が手厚い保護を施し、政策による統制で育てようとした産業で成功した例は皆無だと言っても過言ではありません。国際競争に耐え得る実力をつけるためには、過剰な保護や支援をしない代わりに規制や管理もせず、自由な活動を保証することが最も有効なのです。
国際競争の中で日本企業が勝ち抜いていくためには、規制に縛られることなく迅速で柔軟な経営を展開することが不可欠なのですが、そうした自由で柔軟な経営を実現していく上で、日本の雇用に関しても重要な課題があります。最後にこれからの雇用政策について一つ提言をしておきましょう。
日本は世界の先進国の中で、ドイツ、フランスと並んで最も従業員の解雇が難しい国とされています。従業員を解雇することが難しい中で企業が経営を行うと、常に少な目の社員しか雇わないということになりがちですし、また事業環境の変化が起きた時に従業員を入れ替えて古い分野を捨てて新しい分野に進出するということも難しくなってしまいます。つまり、雇用水準も低く抑えられてしまう上に、企業も成長機会を逃してしまうということなのです。
成長フェーズにある時は国民経済も企業も毎年成長していきますから、従業員の解雇などしなくとも毎年雇用を増やしていけますし、追加的に新しい分野に進出していけますが、成長が止まった環境で変化に対応するためには従業員の解雇を伴うことが多いのが現実です。この自由度が与えられないまま国際競争を戦うのは大きなハンディキャップと言わざるを得ません。成長が止まった社会で効率的な国民経済を実現し、しかも日本企業が国際競争を勝ち抜いていくためには、雇用に関する自由度を高めることが不可避の条件だと言えるでしょう。
もちろん解雇された人の生活を守らなければならないことは当然です。ただし、労働者=国民の生活の保障は自由競争を戦っている企業の責任とするのではなく、国家の責務とすべきでしょう。そのためにも「国民の誰もが医・食・住を保障される」ことが国家によって整えられるべきなのです。企業が働く人を解雇しても、その人達が医・食・住に困らなければ、働く人も企業にしがみつかなくて良くなります。国民の生活は国家が保障し、企業は経営の自由を得て効率的にGDPを生み出す、というのが成熟社会のあり得べき基本型だと思います。

【p23〜28 人口減少社会から見た経済、社会の新たな公式】
新春特集
人口減少社会から見た
経済、社会の新たな公式
政策研究大学院大学教授 松谷明彦氏に聞く

―日本では高年齢者雇用安定法によって2013年からは65歳までの雇用が義務づけられていますが、最近では「70歳までの雇用」という話も現実味を帯びてきつつあります。その背景には、670万人にのぼる団塊の世代の全員が数年後には65歳を越えるにいたり、国民の4人に1人が65歳以上の高齢者になるといったことがあります。
しかし、「70歳までの雇用」というコンセプトは、いまだ国民のコンセンサスが得られているとは言いがたく、また、若年者の雇用も大きな問題となっています。高齢者雇用の問題を考えるに当って、企業経営から雇用まで全体を見渡してみる時期にきているともいえるのではないでしょうか。
そこで本稿では、政策研究大学院大学の松谷明彦教授に、人口減少社会の到来が企業経営や雇用、地域経済に与える影響についてお話をうかがいたいと思います。
「人口の高齢化」というのは、経済、社会のあり方を決定していく大きな要因となると考えられますが、高齢化という問題についての松谷先生のお考えをお聞かせ下さい。

松谷 現在進行しているわが国の人口減少と高齢化は、われわれ日本人が正面から向き合わなければならない環境変化です。しかも、社会・経済システムの根本的な変革をもって対応しなければならない巨大な環境変化のはずです。
そして現在進行中の少子化は、これまで多くの人が議論してきた出生率の低下を要因とする少子化とは違って、子どもを生む可能性の高い年代層の女性人口の急激な減少が原因ですから、この環境変化を押し止めることができないということなのです。
これは、日本の歴史の中の明治維新や第2次世界大戦の敗戦に匹敵する環境変化ですが、これに向き合って社会・経済のシステムをどう変革するのかといった取り組みは、残念ながら見られません。
こうした状況の中で、「高齢者雇用について、どのように考えるか」と問われれば、「まだまだ働きたいと考えている高齢者が、自己実現が可能な環境で働けるのであれば、それは望ましいことだ」と回答すると思います。
しかし、その一方で「70歳までの雇用」という話を聞くと、70歳近くなっても働かなければ生活していけない社会になってしまうのかという印象もあります。そのような社会は望ましいとは言えないだろうと考えます。
そもそも私は「定年延長」には反対です。なぜなら、定年延長とは「その年齢までは必ず働きなさい」と言われているようなもので、要するに「死ぬ間際まで働きなさい」と言われるのと同じでしょう。自分の人生をどのように考えるかにもよりますが、これは決して良い話とは言えないのではないですか。
もとより、働きたいという人が「年寄りは要らない」と理屈抜きで排除されるような社会は決して望ましいとはいえませんが、一方で、一生働かなければ食べていけないという社会も望ましくないというのが私の考えです。
ここで興味深い数字をご紹介しましょう。ヨーロッパ諸国と日本で、高齢者の労働力率を比較してみると、日本の65歳以上人口の男性労働力率が29・7%であるのに対して、フランスは2・1%、ドイツは5・7%に過ぎません。比較的所得格差の大きいイギリスでも10・9%、アメリカが21・4%と、高齢者の労働力率は各国とも日本よりはるかに低いことが分かります。つまり、日本は先進国の中では極めて多くの高齢者が働いている国なのです(図1参照)。
それではなぜ、欧米の先進国では高齢者の就業率が低いのでしょうか。実は、こうした国々では「高齢者が働かなくても生活できる」ということが大きいのです。日本では、各種アンケート調査結果をみても、経済的な理由によって働き続けている高齢者が多いことが分かっています。だから財政や年金の収支を改善するために、高齢者もさらに働くべきだと主張するということは、「高齢になったら働かなくてもよい」という欧米先進国とは、異なる方向に社会を持っていこうとしていることになります。
このように、日本は高齢者が働かなければ生活できない社会なのですが、その最大の理由は賃金水準の違いです。日本の時間当たりの賃金水準をドイツやフランスと購買力平価(総合的な物価水準の内外価格差を示す指標)で比較すると、日本を100とした場合、ドイツは155です。日本に比べて55%も高いのです。フランス、アメリカ、イギリスは概ね120です。日本の賃金水準がいかに低いかがわかるでしょう。
ちなみに、日本人が23歳から65歳まで43年間働いて得られる賃金は、フランス人、イギリス人、アメリカ人は35・7年で得られます。ですから、日本人よりもずっと早くリタイヤできようというものです。

―日本は「豊かな国」といわれるわけですが、国民からみると、その豊かさを実感できないというのが本当のところだろうと思います。その要因は、どこにあるのでしょうか?

松谷 ご指摘のとおり、「日本は世界でもっとも豊かな国のひとつだ」と言われても、大方の国民は首をかしげるのではないでしょうか。実は、そこに日本経済が抱える大きな問題があるのです。
なぜ、日本の1人当たりの国民所得が高いのか。生産効率が高いからでしょうか。そうではありません。ドイツやフランスと比較しても、日本の生産効率は悪いのです。では、なぜ日本の国民所得が高いのか。結論を言えば、日本人がよく働くからです。日本人労働者の週労働時間は、ドイツ、フランスよりかなり長いのに加えて、全人口に占める就労率が高い。それで、当然に国民所得が高くなるのです。
それと、もうひとつ重要なことは、企業が生産量の拡大のために行きすぎた省力化を行ったことが、賃金水準を低位に導いた点です。
日本の賃金水準が低いのは、日本の企業の付加価値率が欧米の先進国に比べてかなり低いからです。この付加価値率の低さの最大の原因は、私は過度の機械化にあると考えています。日本の企業は、ありとあらゆる作業にロボットを使おうとします。このためロボットのコストがかさみ、結果として利益をロボットに食われてしまっているのです。
効率的に使うことができるようであれば、ロボットの利用自体は悪いことではありません。しかし、ロボットの利用によって効率がかえって悪くなることもあり得ます。例えば検査工程ですが、人間に任せるのではなく、ロボットに任せようとするなら、たいへんなコストがかかってしまいます。また、在庫管理についても、ロボットに任せるために必要以上に壮大なシステムを組んでいる企業があります。
このような指摘をすると、日本の企業の担当者は、「人を雇えば人件費がかかるではないか」とよく言いますが、実態や生産効率を無視した機械化を進めている企業が多いのではないかと思います。また、ロボットを含めた機械や設備は固定費になりますから、うまく使わないとコスト高になります。操業率が低ければコストが過剰となるのです。
このように労働者に投資するのではなく、機械に投資しているのが日本企業の特徴であり、高い賃金が払えない理由のひとつになっているのです。日本ではロボットに過大な賃金を払っているとも言えるでしょう。
私はよく言うのですが、工場に人影がないことが「効率の良い証拠」として日本では称賛されているようですが、実は働いている人が少ない工場というのは開発途上国の生産現場の特徴なのです。ロボットを使って普及品を大量生産するのが開発途上国の特徴です。
欧米先進国の工場に行ってみてください。そのような工場はありません。ベンツの工場などでは、熟練した技を身につけた技能労働者が数多く働いています。彼らは機械にはできないものを生み出しています。ですから、より多くの利益を生み出すことができるのです。
人口減少、高齢化という問題に対して、では、なぜ社会・経済システムの根本的な変革が必要なのか。その理由は、そうでなければ日本経済は競争力を維持できないからです。
戦後の日本経済がなぜ高度成長をなしえたか。その秘密が戦後のビジネスモデルにあります。一言でいえば、技術輸入型大量生産モデルです。製品開発等を欧米経済に依存し、その製品をより多くの設備コストをかけてつくるのですから、当然利益率は低い。だから量で稼ぐべく、大量生産工程をさらに大規模化しなければならない。
これは典型的な“薄利多売”商法です。しかし、それが持続可能であるためには、労働力の増大による生産の拡大が確保されなければなりません。これは、1980年代までの日本には、そのいずれもがありましたけれども、いまはないのです。
日本のビジネスモデルは、まさにこのような「普及品を大量生産する」というところに特徴がありますから、開発途上国が急激に発展することにともなって起こった価格破壊が世界的なものとなったことの影響は、日本の付加価値率の低下に拍車をかけたといってもよいでしょう。
事実、アメリカやドイツ、フランス、イギリスの付加価値でみた企業収益は下がっていないのに、先進国の中では日本だけが付加価値率が下がっています(図2参照)。それは日本が開発途上国と競争をしている証拠です。日本は、戦後一貫して普及品を大量に売りさばくというモデルで商売をしてきましたが、欧米先進国では、普及品を大量につくって商売しようとは考えていません。開発途上国には真似することができない、熟練の技を使った高級品や技術先端的な製品を生産しているわけで、「戦う土俵が違っている」と言えるのではないでしょうか。
現代の日本が抱えている問題は、開発途上国との価格競争、過剰なロボットへの投資、そして賃金水準の低迷であり、高齢になっても働かなければならないという現実は、こうした悪循環の結果ではないかと私は思うのです。

―新たなビジネスモデルについては、どのようにお考えですか?

松谷 日本経済は、先進国になっても、経済発展の初期の段階で採用したビジネスモデルを変えませんでした。そのビジネスモデルは、新興国や開発途上国と変わるところはないわけです。
問題はこのモデルが今後も続けていけるかということですが、2つの理由からできないということになります。
ひとつは、開発途上国の発展によって、日本の商売はどんどん食われていっています。やはり、日本の賃金水準は開発途上国に比べれば高いわけですから、同じモデルでは開発途上国に間違いなく負けてしまいます。この点は外国人労働力を活用しても同じです。彼らの賃金は母国の賃金水準よりは高いのですから。
いまひとつは、薄利多売の場合、とにかく毎年たくさん売れなければならないのですが、これから起こることは人口減少社会です。そうすると、「多売」ができないのですから、企業はもちません。
このように、2つの理由から、従来からの日本のモデルは、このまま維持することができないというのが私の考えです。こうした全体的な状況の中で、日本人の働き方、さらには高齢者の働き方も考えてみる必要があるのではないでしょうか。
では、先進国型のビジネスモデルとは、どんなものでしょうか。いまの先進国経済の発展方向は、グローバル化に象徴されるように、各国の企業が入り乱れて競争する地域こそが世界経済の拠点たり得るということです。
高齢社会では、労働力率が持続的に低下します。だから、生産性の向上が経済運営の主な目標でなければならず、そのためには、その生産物が競争力を持たなければ、生産性の向上は実現しないわけです。とすれば、一定の国際化は避けて通れません。
しかし、日本の場合、国際化というと、生産拠点を海外に移せばよいということになるのですが、これは旧ビジネスモデルの延命策でしかありません。国際化とは、そうではなく、外国人や外国企業が日本に進出することで、いま日本経済に必要な国際化とはそういうことだろうと思います。

―日本経済のグルーバル化というお話をいただきましたが、その点でいま最も遅れていると思われるのが、「人材の育成」という問題ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

松谷 先進国型のビジネスモデルをつくるためには、世界中から優秀な人材を集めることこそが技術力の優位性を担保することになると思います。
また、これからの日本が、従来からのモデルから脱するためには、労働者がロボットにはできない高い品質やコンセプトを生み出せるようにならなければなりません。ロボットにでもできる作業しかできない労働者に対する需要は大幅に減ることになるでしょう。
ですから、先進国型のビジネスモデルを構築するためには、職業能力開発の果たす役割が大切になることは間違いありません。日本の職業能力開発はOJTが中心だとよく言われますが、これまでのようなOJTは、おそらく役に立たなくなるでしょう。本来の意味での職業能力開発が求められているのです。
必要なのは「熟練した腕」ですから、高齢者雇用の推進もこの方向から考えていく必要があるでしょう。若年労働者に比べて熟練の度合いが高い高齢労働者に対する需要はむしろ拡大するとも考えられます。
また、これからは学校を卒業するまでに一人前の技能労働者となるような「教育」が必要になるでしょう。終身雇用制の時代には、こうした問題はありませんでしたが、それが崩壊しつつある現在、技術・技能を次代に伝承していくためにも、システマティックな職業能力開発が必要とされるのではないかと思います。
ところで、リーマンショック以降の日本の労働力人口をみてみると、高齢者の割合はあまり減っていないことがわかります。この中にスキルをもった労働者はどの程度いるのでしょうか。
企業がスキルをもっていない高齢者を雇った場合、どうなるかと言いますと、生産効率が悪くなり、最終的には国際競争に負けるという結果に至るでしょう。「70歳までの雇用」と言っても、国際競争の中で、日本だけが高齢者を使うというわけにはいかない事情があるのです。
ですから、これからは、若年者に対して、先進国のようにきちんとした職業能力を付けさせる必要があります。例えば、職業学校を用意して、高校や大学の卒業後に一定の期間、職業能力を高める教育をするというやり方はどうでしょうか? あるいは、大学でもカリキュラムの改革などを行って、社会に出てからも役に立つ教育を行う。これは、大学卒業時に、一人前の労働者となるための準備でもあります。
それでは、特別なスキルを身につけていない50代、60代の人はどうすればよいのでしょうか。経済原理の枠の内で活躍するのは難しくなる可能性が高いと思います。ですから、最終的には「パブリック」(公的部門)で受け入れるしかなくなるのではないかと私は考えています。
次に地方経済ですが、例えば、地方の町おこし・村おこしについて見ると、「地方再生は観光客の招致」だと考えているところが多いようです。しかし、観光は本質的な地方再生をもたらしません。観光では日銭を稼ぐことはできても、子どもを生み・育て、地方経済を活性化させることはできないのです。
これに比べて、ドイツやフランスでは地方経済が元気なのですが、それは年金や政府からの補助金が地方経済を活性化させているからです。一方、日本の場合は、年金や補助金があっても、それが大都市(中央)に吸い上げられてしまう仕組みとなっていて、地方にお金が回らないのです。
これからは、地方ごとに独自の地場産業を興すことが課題のひとつになるでしょう。しかし、もはや手工業の時代ではありませんから、「一村一品」で食べていける時代ではありません。また、地方は大都市の下請けであって良いわけではありません。
最後に、日本は、今後の20〜30年の間に人口が減少する数少ない国のひとつです。これからの日本経済・社会のあり方を考えるにあたっては、人口減少、高齢化とその結果としての日本経済の縮小は避けて通ることはできません。労働力が縮小するときには、それに合わせて企業規模を縮小し、売上高でなく付加価値率の向上を経営目標とすべきであることに、企業は早く気付くべきでしょう。
日本が引き続き豊かな社会であり続けるために何をする必要があるのか、企業も個人も政府も、発想の転換とシステムの大幅な変革が不可欠です。

資料出所:松谷明彦『人口減少時代の大都市経済』(東洋経済新報社)


図1 主要先進国における年齢階級別労働力率(男性、2008年)
(注)国際労働機関データベース(2008年)による

図2 主要先進国の企業収益率の推移
(注)企業営業余剰の対GDP比を各々の国における1970〜2008年の平均値を100とした指数で表示。OECD“Annual National Accounts”より筆者算定

【p29〜34 持続可能な地域発展と雇用】
新春特集
持続可能な地域発展と雇用
京都大学大学院経済学研究科教授  諸富 徹

T 経済のグローバル化と地域格差の拡大

1.経済のグローバル化
本稿の目的は、地域経済のあり方、その発展の方向性、そして、地域における高齢者の雇用可能性がどのように展開しうるのかについて論じる点にある。そのためにはまず、地域経済の置かれた状況を把握する必要がある。地域経済が直面する制約条件を認識しないと、その発展の方向性を見出すことができないからである。それを読み解く鍵が「経済のグローバル化」である。
グローバル化(globalization)という用語は、1990年代以降、世界的に最も頻繁に使用される時代のキーワードのひとつとなっている。これは「貿易」、「直接投資」、そして「金融」の3局面で、国境を越える相互影響が強まる現象を指している。たしかにグローバル化は、それがなければ不可能だったような国境を越える経済的相互依存の深まりを実現し、世界的な所得の増大と新興国の成長を促した。しかし、グローバル化は「格差拡大」という副作用をもたらしていることも明らかになりつつある。例えば国際通貨基金(IMF)や経済協力開発機構(OECD)は、いずれも最近、世界的にグローバル化の進展が地域間格差を広げ、人々の所得格差を拡大していることを確認している。

2.地域格差の拡大
このような世界経済の趨勢の背景には、次のような経済構造転換が存在する。つまり、著名な都市社会学者サスキア・サッセン(コロンビア大学社会学部教授)が指摘するように、グローバル化には、都市への経済活動の集積をますます強める傾向がある。なぜなら、グローバル化が進行すれば、他方で世界的な経済活動のネットワークを束ね、管理し、それらに対して指令を出す「中枢管理機能」の必要性がますます高まるからである。そして、そのような機能は通常、大都市に立地する。その過程で、大都市にさらに富が蓄積される一方、非都市地域には恩恵が及ばないため、地域間経済格差は拡大せざるをえない。
日本でも、2000年以降、地域間の格差を示す指標は一貫して増大の一途をたどり、東京への一極集中に歯止めがかからない。しかし極度の一極集中は、日本の各地域の固有性を弱め、多様性を失わせることで、日本全体をシステムとしてみた場合、その脆弱性を顕在化させてしまうのではないかと筆者は考える。連邦国家であるアメリカやドイツだけでなく、同じ単一制国家であるイタリアも、企業や人口は各地域に分散し、それぞれの地域に固有の文化が息づきながら、それが企業の成長とも密接に結びつくような好循環をつくりだしている。この多様性が、彼らの創造性の源ではないだろうか。
グローバル化の波に洗われてますます変化が激しくなっていく時代に、このような地域の多様性を維持、発展させていくことが、日本というシステムの強靭性につながる。そうだとすれば、それはどのようにして可能になるのだろうか。1つは国主導で、分散政策を実施することである。そしてそれは実際、日本の国土政策を通じて実行されてきたのである。

3.国主導の地域開発政策転換の必要性
日本では、1950年の「国土総合開発法」以来、ほぼ7年から10年の間隔で5次にわたって全国総合開発計画が策定されてきた。この計画は「国土の均衡ある発展」を目指し、全国どこに居住していようとも同じ水準の公共サービスが享受できるように社会資本を全国的に整備し、「ナショナルミニマム」を達成しようとした。
この地域開発が、高度成長期の分散型国土形成に一定の寄与を行ったことは確かだが、低成長時代に入るにつれて、公共投資に頼る経済発展モデルは有効性を失っていった。というのは、経済のグローバル化と産業構造の転換で、公共投資の経済効果がかつてとは比較にならないほど低下してしまったからである。つまり、公共投資によって生み出される波及効果はグローバル化以前と異なって、国内だけにとどまらず、海外に漏出してしまう。雇用効果についても、同一金額の投資であれば、建設業よりも環境、医療・福祉、教育といった領域に投じる方が、はるかに大きな雇用効果を生み出すことが知られている。
したがって、いまや、公共事業による発展モデルからの転換の必要性は明らかである。これまでの国土政策や地域政策の問題は、それらが中央集権的な手法に依存していたために、地域が自ら発展する能力を阻害してきたという問題点もある。とはいえ、グローバル化の中で、新しい方法で地域を発展させようという試みが日本全国各地に現れつつある点には勇気づけられる。それは環境や文化、知識や情報、人的資本、産業のネットワーク、地域の人的なつながりといった非物質的な要素を大切にし、それを発展につなげようとしている点で共通している。また、それらは決してトップダウンではなく、むしろ地域の良さやその固有性に気がついた人々が相互に連携し、協力して地域固有の資源を磨く中からボトム・アップ的に現れてくるものである。ここに、日本の持続可能な地域発展にとっての新しい可能性を見出すことができる。

U 地域再生の具体的な試み〜滋賀県長浜市

1.黒壁を中心とするまちづくりの「成功」
このようなボトム・アップ型地域発展の1つの典型例として、滋賀県長浜市のまちづくりを挙げることができる。この街は、湖北に位置する人口約8万5000人の小規模都市であり、ガラスの製造・販売事業を営む株式会社「黒壁」によるまちづくり運動で有名である。北国街道沿いに伝統的な町屋が建ち並ぶ景観の魅力と、それらの外観を保存しながら内部を改装し、おしゃれなガラス製品の製造・販売やレストラン等にうまく転用した店舗を展開したことが奏功し、来街者数を一挙に増加させた。このことから長浜は、まちづくりの成功例として全国的に取り上げられることが多い。
豊臣秀吉の長浜築城以来、交通の要衝として商工業で栄えてきた長浜が衰退の危機に直面したのは、石油ショックによってであった。これを機に繊維産業の衰退が始まり、同時にモーターリゼーションと郊外化の波が押し寄せ、大型店舗が進出したことで中心商店街は打撃を受けた。ちょうどそのような時に、明治時代に第百三十銀行長浜支店として建設され、黒漆喰で塗られた街のシンボル的な建物が、売却・解体の危機にさらされていることが判明した。市の教育長から、これを買い取って第三セクター方式で何とか保存できないかという相談を受けた後の「黒壁」社長、笹原司朗氏は、青年会議所時代の経営者仲間と1000〜1500万円ずつ出資しあって、1988年4月に株式会社「黒壁」を設立、その建物を買い取る。
問題は、その建物を活用してどのような事業を行うかである。笹原らは、郊外の大資本に対抗して中心市街地での事業を成功させるには、大資本では絶対にできないことをやらなければならない、という方針を立てた。その要件として、(1)文化・芸術性、(2)歴史性、(3)国際性、の3つを掲げ、それらをクリアーする事業として、ガラスを選択した。彼らは自費で1カ月間の欧州視察に出かけ、そこで当地のガラス工芸が高い文化性を追求しながらも商業的に成功している姿を見て、大変なカルチャー・ショックを受けたという。
1989年に入ると、笹原氏らは本格的にガラスの研究に取り組み、同年7月に買い取った建物を活用したガラス館とガラス工房、そしてフランス料理店を開業する。ふたを空けてみると、月に4000人しか買い物客が来ない街に、2万人がやってきた。そのペースは、その後さらに上昇していった。これにより自信をもった笹原氏らは、江戸から明治期に建てられた町屋が立ち並ぶ北国街道沿いの空き家を再生しながらガラス店舗として活用し、そこを『ガラス街道』として新旧対比の面白さを演出する、「点から面への展開」を打ち出した。
この戦略は、ちょうど人々の目が、所得の上昇や物質的な豊かさから、歴史、文化、環境、町並みの良さ、アメニティなど、生活の質を向上させてくれる要素に向かい始めた時期と合致して、見事に成功を収めた。長浜への来街者数は右肩上がりに急増し、やがて年間200万人にも達するようになる。この黒壁の成功は、既存商店街にも大きなインパクトを与えた。つまり、商機があると感じた商店主らの投資意欲を刺激し、既存店舗の改装が相次いで行われたことで、長浜の中心商店街全体の再生が図られた。

2.高齢者雇用を創出するコミュニティ・ビジネス
黒壁の初期の成功は、笹原氏を中心とする少数精鋭主義による柔軟かつ迅速な意思決定と事業展開によってもたらされたといってよい。それが、ネットワーク型の事業展開に本格的に踏み込むことになった転機が1996年である。なぜなら、この年には長浜でNHK大河ドラマ「秀吉」の放映に合わせた「北近江秀吉博覧会(秀吉博)」が開催され、黒壁が既存商店街や市民との協力関係を築くきっかけとなったからである。
この博覧会が興味深いのは、役所やコンサルタントではなく市民が自ら企画・運営を担ったことである。博覧会の開催運営委員長に就任した笹原氏の呼びかけに対してさまざまな団体・グループから市民ボランティアが400人も集まり、「コンパニオン」と称して55歳以上の男女120人が道案内、会場の説明、交通警備などを担当した。博覧会は大成功を収め、期間を通して82万3000人もの来街者を獲得、1億円の収益を生み出した。
博覧会が終了した後、残されたのはパビリオンなどのハードな資産ではなく、長浜の人々のネットワークであり、まちづくりへ向けた熱気であった。238日間という期間にわたって、長浜のさまざまな団体やグループが分け隔てなく1つの目的に向けて協力し、相互の信頼関係とつながりを強化できたこと(このことを「社会関係資本の蓄積」という)は、ハコモノよりもよほど貴重な資産となってその後のまちづくりに貢献する。
また、博覧会期間中に「コンパニオン」を務めた人たちは、定年後に働くことの喜びを再認識し、博覧会終了後も社会的な活動を継続したいという意識が強かった。そこで笹原氏は、彼らが活躍できる場として「プラチナプラザ」の開設を図った。これは、シルバー世代がそれぞれ5万円ずつ出資して空き店舗を借り、野菜販売、惣菜店、リサイクルショップ、喫茶店の4店舗がそれぞれ独立採算で事業を営むという試みである。売り上げから経費を差し引いた残りを出資者の頭数で割った金額が報酬となる。これまでのところ、収益を上げるか、悪くても収支トントンぐらいで何とかやっていけているという。これは今でいうコミュニティ・ビジネスの一種だが、熟年世代が働く場を創出するとともに、空き店舗の活用を通じたまちづくりの一環ともなっている。

V 持続可能な地域発展と雇用の創出

1.町を自らの手で発展させていく自治・自律意識
長浜にとって、1988年は大きな分岐点であった。長浜はたしかに個性的な街に成長することに成功し、それゆえ、全国から多くの人々をひきつける魅力を備えることができた。もし、その時点で笹原氏らが行動を起こさなければ、中心商店街はさらに衰退し、郊外大型店との競争に敗れていただろう。結果として、子どもをもつ若年夫婦は郊外に移り、高齢者は中心市街地に取り残される。モーターリゼーションがさらに進行し、北国街道沿いの町屋も生かされることなく取り壊されていただろう。その行く末は、中心市街地が空洞化し、国道沿いの郊外店のみが賑わっている全国どこにでもある風景である。
長浜の成功の要因を一言で述べれば、大資本の席巻に対して対抗し、中心市街地の活性化を、従来とは異なるイノベーティブな方法で達成しようとする「下からの運動」を組織化し、展開する意思と活力を当時の地元若手経営者が備えていたということだ。本稿ではこれまで、笹原氏個人のリーダーシップを強調してきた。彼に会ってみればわかることだが、もちろん彼は強烈な個性の持ち主で、先天的にリーダーとしての資質を備えている。しかし、彼1人が踊っても、他の若手経営者、地元住民がついてこなければ、長浜の成功はありえなかった。人々が無力感をもちながら時代の趨勢に流され、ずるずると衰退の一途をたどるのか、それとも踏ん張って自らの力で立ち上がり、現状を変えることは可能だという信念を共有できるのか、これは長浜に限らない普遍的な課題である。
長浜を訪れてその成功要因を調査し、まちづくりに携わる人々の話に耳を傾けて感じるのは、「市役所が何とかしてくれる」、「県が何とかしてくれる」、あるいは「有力政治家が大規模プロジェクトをもってきてくれる」という他力本願的な心性をほとんど感じないことである。これは、秀吉によって朱印状を交付されて以来、町衆による自治を認めさせてきた長浜市民の「遺伝子」によるところが大きいのかもしれない。このような自治・自律の意識は、右肩下がりの日本で地域を持続的に発展させていくには、今後いっそう重要になるにちがいない。

2.人とそのネットワークへの投資を
これまでは、地域の所得を増やし、雇用を拡大するためには、工場や大規模プロジェクトを誘致し、公共事業を行うのが手っ取り早い方法であった。しかし、前述のように経済発展に対する物質的要素の比率が低下し、知識やアイディア、デザインといった非物質的な要素が重要になるにつれて、従来の発展方式は有効性を失っていった。その中で長浜が、地域を発展させるために地域固有の歴史性と文化性を重視したのは、バブルに沸く当時の日本としては、きわめて先見の明に満ちていた。
ところで、知識、アイディア、デザインといった目に見えない要素を保有しているのは当然のことながら人間である。したがって、人間のもっている肉体的能力だけでなく、それがもつ創造性が、これから地域の持続可能な発展にとって死活的に重要になる。さらに、地域で1つの事業が成功を収めていく過程では、かならず人々の間で信頼関係が成立し、お互い協力しようという動機が働いている。実際、長浜のように人間同士の間に張りめぐらされたネットワークが幾重にも折り重なって「厚み」をもっている地域では、笹原氏のようなリーダーシップに応えて、まちづくり事業を成功に導く人々の協力関係が構築されやすい。
また、人々がネットワークの中で相互に影響を与え合う環境では、お互いの知識、アイディアが相互に刺激を与え、個人の頭では思いつかない、新しい知識やアイディアが生み出されてくることが往々にして存在する。このように、人とネットワークは、これからの地域発展にとって決定的に重要な要素となる。したがって、経済学的な言い方をすれば、人(「人的資本」)とネットワークの厚み(「社会関係資本」)に投資をすることが、地域の持続可能な発展を可能にする鍵だということになる。
前節で、高齢者によるコミュニティ・ビジネス(「プラチナ・プラザ」)に言及したが、おそらく、その事業単体を取り出して他の町に移植しても成功しないだろう。この事業そのものが、長浜における人的資本と社会関係資本の蓄積の賜物だからである。どのようにすれば社会関係資本を蓄積できるのかを詳述する紙幅はないが(参考文献を参照されたい)、重要なことは、まず自治・自律に基づくまちづくりを行い、その過程で人とネットワークに対する投資を進め、その上でコミュニティ・ビジネスを軌道に乗せ、所得と雇用を増やすことであろう。この点で、豊かな人的資本と社会関係資本の塊ともいえる熟年世代が、地域のネットワーク化と若年世代の人的資本投資(教育)に果たすべき役割はきわめて大きく、今後、その活躍の程度によってまちづくりの成否が左右されるものと思われる。

[参考文献]
諸富徹『地域再生の新戦略』中央公論叢書、2010年

【p35〜41 「高齢者のための職業能力開発」の4つの課題】
新春特集
「高齢者のための職業能力開発」の4つの課題
職業能力開発総合大学校 名誉教授  田中 萬年

はじめに

「職業能力開発」という言葉は1985(昭和60)年に「職業訓練法」を改正した「職業能力開発促進法」によって一般化したことからわかるように、職業訓練の発展したものとして捉えられている。その職業訓練は1966(昭和41)年の「雇用対策法」制定以後、雇用対策として位置づけられてきた。職業能力開発も法令的にはその関係が継続している。
しかし、個人の立場から考えると、職業能力開発はその人の「仕事に関する能力」を開発することであり、労働のために行うことばかりとは限らない。つまり、職業能力開発は雇用対策としてのみあると考えるのは、極めて狭い、現行法令の規定に基づいていることを示している。そこからは、高齢者を排除する発想を生みかねない。
例えば、自営的な職業を営む人、職人さんは年齢に関係なく働いている人が多い。200歳の西陣織兄弟といわれている山口伊太郎・山口安次郎は「好きな仕事を続けて、……『生涯現役』というのが、一番大事なことです。引退したらあきませんえ」と述べている。また、痛くない注射針を開発した岡野雅行さんは72歳の時、「職人人生は終わらない」と語っている(2005年)。
山口兄弟や岡野氏等については、人間が働いているというよりも、むしろ仕事が人間を生かしている、といえば失礼だろうか。私が言いたいことは、仕事・労働には人が生きる上で極めて重要な意味がある、ということである。人は生きていくためには生き甲斐がなければならないが、仕事・労働は生き甲斐のひとつとしての効果を発揮するということである。
その仕事・労働を合理的に行うために職業能力開発が必要であるが、ここで考えるべきことは職業能力開発はふたつの側面を持っていることである。つまり、先に指摘した、仕事・労働そのもののために行う雇用対策の場合であり、もうひとつは生き甲斐のためにも有効である、ということである。
すると、職業能力開発はあらゆる人に必要なはずだと考えられる。つまり、人間形成として職業能力開発は必要だという観念を今後は持たねばならないことを示している。このような観念がなくては高齢者の職業能力開発を考えることは困難といえよう。
右の考えで問題となるのは、「仕事・労働」とは何か、ということになる。まず最初の課題として「働くこと」について考えてみよう。

T 「労働」の意味の再認識

「職業」とは何か、について明快に整理したのは社会学者の尾高邦雄氏である。尾高氏は、職業には「個性の発揮」、「役割の実現」そして「生計の維持」の3つの要素があるとした。尾高氏の「職業」を「労働」に置き換えてもよかろう。
「個性の発揮」とは、人間としての一人ひとりの個性を発揮することのひとつが職業だ、という考え方である。例えば好きな洋服を着ることと同じように好きな職業に就くということである。職業を目的としない職業能力開発は個性を発揮できないことを意味している。好きな職業で働くことができれば「個性の発揮」になる。
しかし、好きなこと、夢がそのまま実現できるわけではない。その困難に立ち向かって、夢を実現するために人は努力するのである。夢を目指して努力することで人は成長する。夢に向かって努力することのひとつが職業能力開発を行うことであろう。
次の「役割の実現」は分かりにくい言葉だが、誰もが人間としての役割を持っており、その役割を実現するのが職業だ、という意味である。この役割の実現とは、反社会的でない普通の職業に就いていれば結果的に社会に貢献しているのだ、という意味である。つまり、働いていれば役割を実現している、ということだ。しかし、フリーターやニートではこの役割を充分に果たしていない、ともいえるのである。
高齢者の場合、昔流に言えば穀潰しになりたくない、との観念がどうしても出てくるようである。そういう気持ちの逆として、社会に何か役立つことをしたい、という気持ちも強くなるようだ。そのためには、なにがしかの労働で社会に役立ちたいとする気持ちである。
3つ目の「生計の維持」は分かりやすい。自分の生活、そして家族を守るためにお金が必要である。極端にいうと、生きるためにはお金が要る。そのお金を稼ぐのが職業だ、という意味である。生きるための労働である。
高齢者が生計の維持のために働かねばならない社会は本来あってはならないはずである。永年の労働による社会への貢献に対し、敬意を持って気持ちよく過ごしてもらえるような社会であるべきだ。とはいえ、現在の日本ではそのような悠長なことは言っておれない。やはり働かねばならない人に対しては国が労働を保障する対策が必要である。
ところで、これらの3つの職業の役割は、相互に密接に関係していて、それぞれ別々に区別して取り上げることは困難である。人により、様々な条件により、上の3つの役割の位置と働きが異なってくるのである。どれかひとつの役割だけでは職業を論じられない、ということになる。
高齢者の労働に期待されるものは、よく言われるように、永年の経験を様々に持っている高齢者の能力を活用することが有効だからである。高齢者がリタイヤしたからといって、職業能力がゼロになるわけではない。高齢者の活用は社会にとっても意義深いことだ。現実に高齢者を活用できないことによって生じた技能の国外への流出が、技術・技能の空洞化の危機の要因となっている。
一方、経験の利用ではなくとも、新たな労働(仕事)をしたいと考える人もいる。この場合の「仕事」には多様な意味がある。ボランティアもあれば、園芸等の趣味もある。趣味の仕事が社会に無意味とは限らない。
その人々は生活のためよりも生き甲斐として仕事をしたい、働きたいと望んでいる人である。膨大な数になるこうした人材を見捨てることは社会としても大きな損失となる。
「生き甲斐労働」は雇用対策ではないが、社会のためになる、という評価の問題である。高齢者は何もしないよりも体を動かし働いている方が健康の維持にもなることは明らかである。その上に、なにがしかの労働・作業にも従事してもらえる、ということであれば、有効性は明らかである。
「生き甲斐労働」のための「生き甲斐訓練」を新たな職業能力開発の施策として立てるべきである。雇用対策としてではなく、人間形成としての施策である。
「生き甲斐訓練」を終え、働ける人は「シルバー人材センター」等に登録してもらい、仕事を担当してもらうことは有意義である。現代は、その登録のために職業能力を確認し、維持し、あるいは向上してもらうための職業訓練を整備することが必要な時代であろう。
「生き甲斐労働」として、シルバー人材センターの他にも次代を担う子ども達のために地域で、たとえば「モノづくり塾」を開講してもらうことも意味がある。社会の人間関係が断絶すれば、社会の財産である技術・技能の伝承が断絶する。それを防ぐためにも、次代の労働を担う若者を育てるためにも極めて重要な社会的営みである。
では、その「職業訓練」の意味を再確認してみたい。

U 「訓練」の意味の再認識

職業訓練を軽視する企業人はいない。しかし、一般的に、とりわけ教育界における職業訓練のイメージは決して良いとは言えない。その理由は、職業訓練という言葉が、Vocational Trainingの訳語として使われるようになったことと、教育信奉の故だと思われる。どのような仕事・業務であれ、それを遂行するためには職業訓練を受けなければならない。その重要性について再確認すべきである。
国語辞典では「訓練」をあまり重視していないことに加えて名詞が主となっているが、英語辞書では「Training」を重視し、動詞を区別して明記している。訓練を動詞にした時の「訓練する」は他動詞だけではなく、自動詞があることが重要だ。他動詞はこれまで一般的に理解されている、指導者がいてその指示を守って仕事を覚えるという意味であり、特に基礎・基本の習得には欠かせない。
しかし、自動詞としての「訓練する」は、自分の能力を自分で高めるために努力する意味である。つまり、自動詞の「訓練する」は能力開発の意味となる。換言すれば創意工夫しつつ、技術・技能を自分で高めなければならない、という意味である。そうでなければ技術・技能が発展することはない。今も縄文時代と同じになる。
「訓練する」の自動詞の意味は孟子が2000年前に述べた「大工等の親方は、弟子の腕前を上達させることはできない」の言葉と同じである。上達させることはできない弟子が何故仕事を伝承し、親方に劣らぬ仕事をするのか、が重要である。場合によっては、親方以上の仕事をするから、伝統的な工芸品や建築物は発展してきた。
法隆寺最後のお抱え棟梁であった、西岡常一は孫弟子達に「親方に授けられるべからず。一意専心親方を乗りこす工風を切さたくますべし」として、「之れ匠道文化の神髄なり。心して悟るべし」との激励を書き残している。
「親方を乗りこす」とは、教えられているだけでは親方を超えることはできないために必要なはずである。それは、自動詞としての自己訓練の意味を期待しているのである。
ところで、右の西岡の精神は、弟子が若くなければならない、ということではない。年齢に関係なく、修業する者に対する言葉であろう。高齢者でも変わらない。
能力開発は人間としていつの時代にも努力しなければならないあり方だと考えると、それはまさに生きることである。生きるためには生き甲斐がなければならず、加齢するほど生き甲斐は重要になる。その生き甲斐のための訓練が社会的に整備されるべきであろう。
これは、生きること=動くこと=趣味感覚の「仕事」であり、企業の課題というよりも、政府・地方自治体の課題である。それは雇用対策を超えた人間形成の立場から高齢者の職業能力開発を考えるべきということだ。ただ、政府の課題だといえど、政府・国民に認定させることにより企業でも可能であり、有効な方法となる。これは喫緊の課題であり、4節で述べる。
さて、「生き甲斐訓練」は生涯学習時代の下での課題でもあるが、その問題を考えてみよう。

V 生涯学習時代の高齢者の位置づけ

本誌でも「働く人の『生涯職業能力開発』の確立をめざして」が連載されているように、今日は「生涯学習」の時代である。
生涯学習の意味は、意欲と体力がある人に年齢は関係ないということだ。最初に紹介した山口兄弟や岡野氏はまさに生涯学習時代を生きている人だといえる。それらの人は必ず、仕事をしていると毎日が勉強です、というからである。
政府が進めようとしている職業資格の「段級制」も、雇用対策としての意味しか持たないとしたら、寂しいことであり、考え方が狭いと言わざるを得ない。生き甲斐のための職業資格があっても良いはずである。生き甲斐のために資格取得にチャレンジしても良いはずである。健康である人は、本人に意欲があれば職業資格も年齢に無関係に取ることはできるはずである。
さて、企業が定年を決めているのは、雇用対策として体力の衰えが来る年代を一応の区切りにしているだけのことで、従来型の雇用慣行の故だと思える。雇用対策としてではない高齢者を雇う意味を考えてみたい。

W 企業の社会的貢献と評価

企業の社会的貢献といえば、最近は環境問題が喧しいが、既にヨーロッパの先進国では、人材育成を通しての社会的貢献が問題とされている。人材育成についてはヨーロッパに学ぶべきことは多い。
人材育成はわが国では文部科学省系の学校で行うことと思われているが、ヨーロッパでは企業での職業訓練もまた人材育成として公認されている。ドイツ等のデュアルシステムは学校制度の一環であることが社会通念として認められている。このことを教育論としてキチンと位置づけなければならないことがまず第一である。
デュアルシステムは義務教育修了後の後期中等教育段階の制度であるが、高等教育段階の企業内教育がわが国でもようやく注目をはじめたインターンシップである。ドイツ等では1年や1年半のインターンシップを実施しているのが一般的である。このことは、新興国のブラジルでも同様のようだ。
デュアルシステムやインターンシップ制度は、生徒を出す側が企業内で行う労働を教育と認めることがまずなければならない。それはOJTの理解の問題である。わが国の教育界はこのことを肝に銘じているのだろうか。そして一方企業は、自社で学生を引き受けて実習をさせることは人材育成をしていることなのであるが、そのことによって社会に貢献しているのだ、という自負を持って良いということである。むしろ、そのように人材育成に関わることが社会的責任なのだ、と考えねばならないことである。
このことについて日立製作所の創立者・小平浪平氏の言葉を共通認識とする必要がある。日立は「工場の生産を盛んにし且つ純真な工場の気風を養成する」ため、そして「自主技術、自主営業、自主教育」という方針で、従業員の教育を重視し、1910(明治43)年に徒弟養成所を創設した。しだいに生産が増加するとともに企業は拡大し、徒弟の養成も強化された。このような中に企業内教育の精神を如実に表す、小平の逸話がある。
それは、日立の教育を受けた生徒が卒業後義務年限を満了しないうち、甚しいのは在所中に東京や大阪の高い給料の工場へ転社する者が続出したときのことである。このような状況に対して工場からは養成所に対する不平・批判が絶えなかった。教育業務を担当していた児玉寛一氏は小平社長を訪ねて苦衷を訴えたところ、社長は「辞めて百姓になるのか」と反問したという。児玉氏は、百姓になるのではないが、他社の職工になるため去ってしまう旨を説明した。すると社長は「辞めて百姓になるのでは教育したかいがないが、日本の工業に役立つことならば大いに結構ではないか。教育者は有能な技術者、工業人を作ることを目的とすればよい」と言われたので、大いに安心した、とのことである。
ここに、小平氏の社員教育に関する理念を窺い知ることができる。社員の教育訓練は自社のためだけではなく、「日本の人材育成」なのだという気概をここに見るのである。
こうした人材育成の実施企業、実施職場は大企業や大工場とは限らない。仕事があるところではどこでも可能であるからだ。中小企業であっても実施できる。
対象者は若者だけに限らない。高齢者にも敷衍できるはずである。わが国の場合は良くも悪くも階層性が明確でなく、年齢による社会的区別も明確でないので、可能性があるといえよう。もし、高齢者に対する企業における社会的責任問題を整備することができれば、国際的に画期的となる。
この時に、中小企業や個人経営では職業能力開発は困難と考えるべきではなく、企業側は素人に対して仕事を教えることは社会的貢献であり、お手伝いにもなるはずであり、仕事に興味を持ってもらえれば求人にも繋がるとプラスに考えねばならない。
さらに、教育訓練を実施する効能として、その担当者の能力も向上することを考えるべきだ。つまり、事業所の能力の向上が訓練受講者からのみではなく、訓練の担当者の両面から現れることを重視すべきなのである。
高齢者に対する企業の社会的貢献の可能性は大きく、人材の活用によってしか国際的に生きていけない日本には極めて重要な意義を持つことといえる。

おわりに

これまで述べてきたような高齢者をめぐる今後の課題として最も重要なことは、職業能力開発を雇用対策としてのみ考えるのではなく、あらゆる人の、高齢者をも含めた観念としなければならないことである。このためには、「働く」という観念も生活維持だけではなく、「生きるため」、生き甲斐のための労働があること、その能力を修得することは「自己訓練」の意味として考えることが重要であること、そのことは生涯学習時代の理念に叶うことと解すべきである。高齢者の雇用は大小に関わりなくこれからの企業が担当できる社会的貢献として意義深い営みである、ということである。
以上のことを追求するためには、既存の観念により成立している法体系と制度をも再編すべきことが望まれる。高齢化社会に向けた整備は先ずは4つの観念の転換がもとめられる。それは、人間形成としての広い立場から、高齢者を含めて、生き甲斐の役割としても位置づけるべきことを意味している。

主要文献
・田中萬年「教育と労働の接続のために」、日本産業教育学会企業内教育研究部会報告資料、2010年10月。
・田中萬年「“日本の人材育成”の気概で」、『産業訓練』、2008年12月号。
・田中萬年『教育訓練原理』、職業訓練教材研究会、2006年。
・田中萬年・大木栄一編著『働く人の「学習」論』、学文社、2007年(第2版)。


詰め碁
日本棋院八段 白江治彦
黒先白死(七手まで)
三分で三段、二分以内で高段者。
(ヒント)アタリを決めて。
(解答はP57)
**************
詰め将棋
日本将棋連盟七段 関屋喜代作(ヒント)玉を下段に追いこんでは失敗。この対策の手順の“あや”は?。 (九手詰)
(考慮時間一五分で初段)
持駒 飛金


【p42〜43 実践 職場のメンタルヘルス】
連載
実践 職場のメンタルヘルス
第3回
パワーハラスメントと
メンタルヘルスの関係
社会保険労務士/産業カウンセラー 中辻 めぐみ

前回までの「上司と部下の人間関係」に引き続き、今回はパワーハラスメント(以下、「パワハラ」)とメンタルヘルスの関係を取り上げます。
昨今、職場におけるハラスメント(嫌がらせ)が注目されています。とりわけパワハラ対策を企業は重要視する傾向にあると感じています。
職場での人間関係に関するトラブルは以前からありましたが、なぜ今、企業はパワハラ対策を重要視するようになったのでしょうか。私は大きくふたつの理由があるのではないかと考えています。
(1)職場における「いじめや嫌がらせ」が年々増加する傾向にある。
(2)企業におけるリスクや損失も増加傾向にある。
(1)については、職場内でのいじめや嫌がらせの件数が年々増えています(図1参照)。(2)については、パワハラが企業にもたらす損失はさまざまあり、特に8割以上の社員が心の健康を害している実態が明らかになりました(図2参照)。
さらに、最近の国の動きとしては、2009年4月、厚生労働省が「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」の一部を改正しました。これは仕事上のストレスが原因で、うつ病などの精神疾患を発症した場合、労災として認定するかどうかを判断する際の指針ですが、この中に「ひどいいじめ・嫌がらせ」など、パワハラに関する項目が追加されたのです。
このように、パワハラに関して企業側のリスクや損失が増えるだけでなく、企業責任も問われるようになりました。このような背景もあり、企業では何らかのパワハラ対策が必要だと考えられ始めたのでしょう。
一方、企業の現場では、「何がパワハラなのか分からない」、「部下に注意するとパワハラと受け止められてしまうかもしれない」などといった、パワハラに困惑しているという現状もあります。
では、どのような言動がパワハラとされるのでしょうか。何がパワハラ行為なのかが分からなければ、予防もできませんし、対応策を講じることもできませんが、現在のところ、パワハラには法的な定義はありません。また明確に「このような行為はパワハラになりますよ」などの目安といったものもありません。ですから、なかなか対応が進まないのです。
ところが、企業の現場において実際にパワハラ行為とされることが現に起こっており、過去の判例やさまざまな有識者の見解をもとに「定義」が示されています。そのひとつを紹介しましょう。
「職場において、職権などの力関係を利用して、相手の人格や尊厳を侵害する言動を繰り返し行い、精神的な苦痛を与えることにより、その人の働く環境を悪化させたり、あるいは雇用不安を与えること」(中央労働災害防止協会のパワハラの定義)
この定義をもとに、どのような行為がパワハラに当たるのかを、具体的な事例とともに見ていきましょう。
 
【事例1】住宅販売会社の営業担当社員Aは、上司に「契約が取れなかった」と報告した。すると上司は、「給料に見合った働きができないなら今すぐ辞表をもってこい!」、「一度死ね!」などと、多くの社員の前で執拗に長時間にわたり怒鳴り続け、Aの人格を否定した。さらに、雇用に不安を与えるような言動を発した。
 
確かに、自社の商品を売るのが営業の仕事ですが、Aの上司の言動は目に余るものがあります。このように、指導の範囲を逸脱し、業務の範疇を超える言動がパワハラに該当します。
このような説明をすると、「当社ではこのぐらいは当たり前」といった声が聞こえてくることがあります。特に営業部門の担当者からは、「うちは体育会系だから(このぐらい問題ない)」という決まり文句を幾度も聞かされました。
もちろん職場や職種によって、指示や指導のあり方の妥当性・相当性は異なります。しかし、どのような場合であれ「相手の人格や尊厳」を冒すような行為は許されるべきではありません。業務上の指導の範囲を超えない、というのがパワハラに当たるかどうかのポイントになります。
一方で、「業務上の注意なのにパワハラと受け取られた」という事例もあります。
 
【事例2】製造業の総務部に所属する勤続15年の社員Bは、今年4月に主任に昇格したが、当初から遅刻・欠勤が続き、部下への示しがつかなかった。上司である私が数回にわたり注意し、本人から始末書も取ったが、数カ月経っても改善の気配が見えず、反省している様子も見えなかった。そこで「今後も続くようなら就業規則に則り降格もありうる」と注意したところ、Bは「降格を言い出すのは上司のパワハラだ」と自社の相談窓口に駆け込んだ。
 
事例1とは異なり、この事例の上司は、「Bの人格や尊厳を冒すような言動を発していない」ということを前提に考えましょう。
Bは「降格もありうる」という上司の言動がパワハラに当たると考えたのですが、上司の言動は業務上必要不可欠な指導です。相当性を欠くとはいえない範囲内で行う行為は、パワハラには該当しません。
上司が部下に対して成長を促す、あるいは会社のルールに従わせるといった場合には、注意や指導は必要です。
もちろん、パワハラはうつ病などの精神疾患の発症とも密接な関係があります。ですから、今回紹介した事例などを参考にして、「自社に問題はないか?」という視点を持ち、いま一度、職場における人間関係を見直してみましょう。問題を捉える視点を持つことが、精神疾患を予防するための第一歩となるからです。

なかつじ・めぐみ
中村雅和社会保険労務士事務所副所長。共著書に『プロに聞く「部下を持つ人のための」メンタルヘルス対策』などがある。


図1 都道府県労働局「民事上の個別労働紛争件数」における「いじめ・嫌がらせ件数」およびその割合の変化
いじめ・嫌がらせ件数、全体からの割合

平成14年 6627件  6.42%
平成15年 11697件 8.31%
平成16年 14665件 9.16%
平成17年 17859件 11.82%
平成18年 22153件 10.12%
平成19年 28335件 14.32%
平成20年 32242件 13.60%

資料出所:厚生労働省(平成14年〜20年)


図2 パワーハラスメントが企業にもたらす損失
資料出所:中央労働災害防止協会「パワーハラスメントの実態に関する調査結果報告書」(平成17年1月)


【p44 日本史にみる長寿食】
FOOD
208
日本史にみる長寿食

餅の力◆食文化史研究家 永山久夫

戦国時代きっての名医といわれた曲直瀬道三(まなせどうさん)(1507〜1595)はその的確な診断と治療法によって、織田信長や豊臣秀吉にも厚遇された人物。人間性も豊かで、わけへだてのない診療によって庶民にも人気があり、戦国時代の英雄たちもこぞって頼りにしていました。
中国地方を代表する大名、毛利元就(1497〜1571)とも親交があり、健康管理と長寿法などについて、いろいろとアドバイスをしています。
精神的にも肉体的にも、きわめて消耗の激しかった戦国時代を戦って勝ち残り、その上、有能な世継ぎをもうけ、さらに長生きするのは至難のわざ。それをなしとげたのが毛利元就でした。元就は道三の忠告もうけ、自分でも健康法をあみ出すほど、長寿の達人で、75歳まで生きています。
道三は養生法をユーモラスな俳諧にして毛利家に贈っています。そのひとつが、次のようなものです。
常の食四時(しじ)に順じ五味を和し
飽(ほう)に及ばず又はうえざれ
「ふだんの食事は季節ごとの旬の物を、バランスよく味つけして、片寄らずに食べるのがよい。もちろん、食べ過ぎも空腹になり過ぎるのもよくない」(『戦国武将の養生訓』山崎光夫著より)という意味。昔は、「五色五味」といって、いろんな色どりの食材を組み合わせ、バランスのとれた味つけで食べるのが、何よりも勝る長寿法といわれたのです。
元就はこの養生訓のように、決してぜいたくをせず、副食物でよく口にしたのは瀬戸内の骨ごと食べられるような小魚類、それに地元の野菜類が多かったようです。
好んだのは餅。「餅腹三日」といわれるように、腹持ちのよさを好んだのです。米飯だと2、3時間もすれば空腹になり、その空腹時に敵に急襲されたら、惨敗の危険性があります。
元就は徳川家康と同じように、健康管理が上手だったせいか精力旺盛で71歳の時に11人目の子を生ませています。家康が最後の子を生ませたのは66歳の時。元就の方がはるかに精力の盛んな老人だったのは、精子の原料となるアルギニンが餅に豊富に含まれていたからでしょう。
アルギニンは生殖機能への影響だけでなく、虚弱体質の改善や疲労回復にも期待できます。


【p45〜49 働く人の「生涯職業能力開発」の確立をめざして】
連 載
働く人の「生涯職業能力開発」の
確立をめざして
第7回
企業実習の実際とメリット

職業能力開発総合大学校 講師 松本 和重

はじめに

一般的に“企業実習”とは、学校や団体等に所属する者が企業に出向き、現場の仕事を行うことを指す。その中には、離職者が就職を目的として企業実習する形態もあれば、高校生や大学生が職業理解を深めるために職場体験やインターンシップをする形態もある。いずれも企業を知ってもらう手段としては有効であるが、本稿では、特に求人求職のマッチングとして成果の出ている離職者対象の職業訓練における企業実習を取り上げ、その実際と活用のメリットを考えていきたい。

1 企業実習の実際

再就職を目指す離職者を対象にした企業実習を併用する職業訓練には次のようなものがある。(図表1)
現行の企業実習を併用する職業訓練は、2004年度に35歳未満のフリーター・ニート対策として始まった日本版デュアルシステムが発展したものである。日本版デュアルシステムはドイツのデュアルシステムを参考にしたもので、厚生労働省により発表された日本版デュアルシステム協議会報告書には、「訓練計画に基づき、企業における現場実習又はOJTとこれに密接に関連した教育訓練機関における教育訓練を並行的に実施し、修了時に能力評価を行う訓練制度」と規定されている。
日本版デュアルシステムは2004年度初めて実施したのにもかかわらず、3万人を超す受講生が集まり、就職率が企業実習を併用しない職業訓練より高いなど好調であった。このことから注目が集まり、訓練の種類が増え、対象者層が広がっていった。2008年10月には企業が主体的に企業実習と教育訓練機関の座学を併用する職業訓練が制度化され、新規学卒者を対象に現場の中核となる人材の育成を目指す実践型人材養成システムや、正社員経験の少ない者が企業に雇用されながら訓練を受けられる有期実習型訓練が登場している。日本版デュアルシステムや有期実習型訓練などの様々な名称が登場してきたことは、区別に便利であるが、企業実習と教育訓練機関の座学を併用する職業訓練全体を指す言葉がない中では、企業実習に複雑な印象を与えてしまうように思う。そこで本稿では、企業実習と教育訓練機関の座学を併用する職業訓練全体を「デュアル訓練」と呼び、訓練および企業実習の全体がイメージできるように説明していきたい。
現行のデュアル訓練の実施形態は、大きく企業主導型と教育訓練機関主導型の2タイプに分けられる。企業主導型は、企業が有期もしくは常用雇用の雇用契約のもとで実習し、教育訓練機関での訓練も組み入れて職業訓練を実施するものである。他方、教育訓練機関主導型は、教育訓練機関が中心になって、企業実習も組み込んだ形で職業訓練を実施するものである。後者について詳しく述べると、まずハローワークで受講指示を受けた受講生を教育訓練施設が選定し、施設内で関連する座学や実習を通して、目標とする職業の基礎を学ぶ。訓練は徐々に応用的な内容となり、企業実習を行う企業の決定など企業実習に向けた準備も行っていく。訓練の後半では受講生の就職活動支援をも行う。訓練受講生は非雇用で企業実習を受けることになるため、受入れ企業は給与を払う必要がないばかりか、委託費等を得ることができる。
デュアル訓練の実施状況(図表2、図表3)を見ると、教育訓練機関主導型の受講者が多いことがわかる。教育訓練機関主導型の実施状況に目を向けると、年が経つに従って上段に数字が集まっていることに気づくだろう。これは、訓練期間1〜2年の“長期課程”が減り、6カ月以下の“短期課程”が増えていることを意味している。つまりデュアル訓練は、長期から短期へシフトしているということになる。デュアル訓練の訓練期間が短くなることは、多くの受講希望者に機会を提供できるようになる反面、職業能力開発ができる範囲が狭まることにつながる。このため、ドイツのデュアルシステムが、労働市場で通用する職業能力を養成するものであるのに対して、わが国では、就職支援としての色合いが濃くなっている。

2 企業実習を活用する
2つのメリット

@ 求人・求職手段としてのメリット
企業において、“自社に適した人材”を獲得することは重要な課題である。書類選考と試験、面接による選考は場合によって、複数回にわたることもあろう。しかし、それでもなお、職場に定着しないことが起こってしまう。「せっかく採用したのに1カ月で辞められてしまった。こんなはずでは……」という声が聞かれる。その点、企業実習では通常の採用方法では確認しにくい、実際の働きぶり・技量に加え、仕事への取組み姿勢や熱意、あるいは企業文化に合う人材かを見極めることができる。ちなみに職業訓練ではないが、採用を見極めるための試行的な3カ月の雇用に奨励金が支給される制度(トライアル雇用奨励金)もある。デュアル訓練でもトライアル雇用の場合でも、実習後に必ず採用しなければならないわけではない。人材の採用を検討している企業が広く活用できる企業実習は、企業の新たな求人手段と言えるだろう。
企業実習があることは、求職者にとっても意味がある。その一つは、働きぶり・技量に加え、仕事への熱意や取組み姿勢を一定期間見てもらうことができることだ。たとえば、金融業界で働いていたアーティスト志望のデュアル訓練生が、材料試験の会社に就職したケースがある。採用担当者は、「書類選考であれば不合格となる者ではあったが、デュアル訓練生の実際に仕事している姿から、“職に就きたい”という強いやる気を感じ、採用を決定した」と語っていた。企業実習には書類選考や面接を超える就職支援効果があるといえる。
もう一つの意味として、企業実習をする求職者が、求人票・ネットの情報、面接だけでは得られなかった実際の職場環境や仕事内容を知ることができることが挙げられる。企業実習では単に職場を見聞きするだけでなく、実際の仕事を体験する。求職者は仕事体験を通して、自分はこの仕事をやっていくことができるか等の見通しを得ることができる。この点は、通常の就職活動と大きく異なる点だろう。実際に就職したい企業で実習することとなれば、求職者にもたらす意味は大きい。とりわけ未経験の分野に進もうとする求職者は、仕事に臨む自分を想像しにくいものである。たとえば、職人に強いあこがれを抱いていた元営業マンの求職者は、企業実習のチャンスがあったものの、職場見学の後すぐに就職する方を選んだ。職場では、毎日棒ハンマーを振る仕事に臨んだが、しばらくして、寝ているときも激痛が走るほどの筋肉疲労になってしまった。現場を外され、収入が大きく減少したため、彼は辞めてしまった。彼は「企業実習に行っていればミスマッチは防げたと思うんですけど、実際に気持ちが焦って」と話す。
一定期間企業実習を行うことを通して、企業は訓練受講生を採用すべきか見極めることができ、訓練受講生は実習企業を就職先として適切か判断することができる。企業や仕事に対する過剰な期待を抱く求職者であっても、企業実習のように現場を体験してもらうことは、入社後の失望・幻滅感を和らげ、自らが十分な情報をもって入社の決断することにつながる。企業実習はいわば、求人求職の「お見合い」期間であるといえよう。企業実習は、見聞きすることで得られる企業情報だけでなく、実際の仕事体験を通して得られる今後の見通しも与えてくれる。しかも企業実習は、求職者に実習企業で就職すべきか判断する時間を与えることにもなる。企業実習には、企業と求職者の相互理解を深め、両者納得の就職・採用となるメリットがある。
さらに教育訓練機関との連携のもと、デュアル訓練を実施する場合は、教育訓練機関のスタッフが企業と受講生の仲立ち的な役割を果たしてくれる。両者合意の就職・採用とならない場合は、仲介役が採用担当者の負荷を軽減するメリットをもたらしてくれる。
 
A職業能力開発手段としてのメリット
採用した人材が仕事に関する知識も経験もなければ、採用した後に手厚い研修を行う必要があるだろう。社員に対する要望が多くあるならなおさらである。この点も企業実習は変えてくれる。
企業実習では実習期間に導入的な指導内容を前倒しすることができる。もちろん企業実習の条件や期間など制約を受ける面もあるが、これはメリットとして挙げることができるだろう。受講生は、実際の職場で仕事する経験を通して、仕事を理解するだけでなく、仕事ができるようになっていく。デュアル訓練やトライアル雇用として企業実習を実施すれば、企業は委託費等を受けとることができるため、企業における新任研修のコスト負担の軽減になるメリットもある。
教育訓練機関との連携のもとデュアル訓練を実施する場合には、計画的に職業能力開発を進めていくことができるようになる。業界未経験のあるデュアル訓練修了生は、企業実習前に教育訓練施設で図面の見方や機械加工の専門用語を学んでいたので、すんなり企業で実習できたと語っている。企業にとっては、教育訓練機関と連携し予定通り職業能力開発できることは、採用後の技術指導を円滑にするなど、指導担当者の負担軽減に繋がる。ある企業経営者は、「設計者になるためには、その下地づくりとして、採用後1年以上機体配線作業の製造現場で経験を積んでもらうところなのが、半年間職業訓練施設でOff―JTを受けた受講者の場合、半年で設計部門へ異動できる」と語っている。Off―JTにより下地ができれば、短期間で実践的職業能力が養成されるようになるというわけだ。
このように企業実習は、社内で行う新任社員に対する導入的な指導を前倒しにし、採用後の技術指導を円滑にしてくれるメリットを有している。
中には、企業実習において訓練科目に関連した実習以外に、企業実習生にいくつか課題を課している企業もある。たとえば、毎日これまでに話したことのない従業員にインタビューし、日誌にまとめる課題を出す企業がある。この課題の目的は、社員との対話を通して会社の理解を深め、交流を深めるためだそうだ。企業実習での教育効果を高めるために、目標を設定し、その達成のために必要な策を講じる例と言える。企業実習を職業能力開発として活用する際に重要なことは、「目標像を明らかにすること」、「目標像のためにどのような仕事をどのように実施してもらうか明確にすること」である。仕事のさせ方には、「丁寧に手取り足取り教えた上でやってもらう」、「簡単な仕事からやってもらう」あるいは、「あえて何も言わないでやらせる」、「わざと失敗させる」など様々あるだろう。いずれにせよ、企業が企業実習の目標を設定し、その目標に到達させるために仕事を計画的に与えるならば、企業実習は企業実習生に仕事を単に経験させる以上の教育効果をもたらすだろう。

3 企業実習の課題

これまで見てきたように企業実習は、企業と求職者の相互理解を深めたうえで採用を決定する手段として活用することができるだけでなく、採用前に導入的な指導をする手段としても活用できる。しかし、今日までのところ企業実習の有しているメリットを十分に生かす体制が整ってはいない。
まず企業実習が、まだ十分に求人求職のマッチング機能を発揮するに形にはなっていないことが挙げられる。求人求職マッチングを考えれば、受講生が就職を希望する企業、しかも採用可能性のある企業で実習できるように調整する必要があるが、そうなっていないデュアル訓練もまだあるようだ。
次に企業実習の持つ職業能力開発の機能を生かすために必要な企業と教育訓練機関の連携、つまりOJTとOff―JTの連携が十分でない面もある。連携が不十分なことから、企業には企業実習生に対する教育担当者の配置に伴う人的負担がかかることもある。
これら企業実習の不十分な面ばかりが先行し、マッチングや職業能力開発の可能性について広く理解されていないことも挙げられる。
これらの課題は企業や教育訓練機関をはじめ支援機関等の連携の元で、克服していかなければならない。
ただ、企業実習が発展途上であるから利用を控えるというのはもったいないように思う。ぜひ、企業自身も採用・職業能力開発手段として上手に使えるようになるために企業実習にチャレンジしてほしい。東京商工会議所が発表した「中小企業の人材確保・育成十カ条」のひとつに「四 採用ミスは致命傷」がある。中小企業の場合には、事業分野が多様であるとともに企業風土や代表者の個性も多様である。ミスマッチの可能性は大企業に比べて格段に大きい。たとえ、現場が忙しくて人手が不足している状態でも、社長の考えや企業文化に合わない人は無理に採用しない。無理に採用したことによる損失は募集や採用コストよりもはるかに大きいと述べている。なにしろ、人材は経営資源・財産であり、企業成長の源泉である。重要事項である自社に適した人材採用のためなら、現場担当者の目でその人物を見極められ、お互いのミスマッチを回避でき、事前教育もできる企業実習は、たとえ労力やコストがかかったとしても、十分実施に値するものではないかと思う。
もっとも求人企業と求職者がお見合いできる企業実習は、企業が機会を提供しなければ始まらない。重要なのは、企業が求職者に門戸を開くこと、そして、企業が企業実習という手段を上手に運営していくことなのではないだろうか。
 

おわりに

イギリス、ドイツなどでは、教育訓練機関と企業・団体が連携し、企業実習とOff―JTを組み合わせた職業能力開発を制度として行っている。わが国においては、教育訓練機関と企業の密な連携等の課題はあるが、企業実習はわが国ならではの発展を伴いながら、教育訓練機関のOff―JTと企業のOJTを組み合わせた求人求職のマッチングおよび職業能力形成システムとして広がり始めている。これは、企業単独だけで人材の育成をするのではなく、教育訓練機関や近隣の類似業種企業や支援機関と連携しながら職業能力開発およびそのサポートを行う体制が育ちつつあるとも言えるだろう。企業実習から始まる輪が、企業と働く人両者がメリットを享受できる求人求職のマッチングと職業能力形成システム、ひいては地域の産業発展の大きな輪になることを期待したい。


図表1 企業実習を併用する職業訓練の例
対象者
総訓練期間、
時間
教育
訓練
形態
雇用形態
位置づけ

OJT
時間
割合
Off-JT
実施
主体

有期実習型訓練
(企業主導型)
正社員になるには当該有期実習型訓練を受講することが適切であり、正社員経験の少ない方として、キャリア・コンサルタントが認めた方
3カ月超6カ月(特別な場合には1年)以内
6月当たり425時間以上
2割以上 8割以下
(訓練修了後に正社員として雇用する場合には1割以上9割以下)
・OJT実施事業主以外の者に依頼して実施
・OJT実施事業主の施設内で外部から派遣された講師により実施
・OJT実施事業主の施設内で専修学校専門課程教員、職業訓練指導員免許取得者又はこれらの者と同等以上の能力を有する者により実施
・OJT実施事業主の施設内で実施する訓練に必要と認められるオリエンテーション又は能力評価(併せて10時間を上限)
有期 若しくは 常用雇用
フリーター等の正社員経験の少ない方に実践的な訓練を行うことにより、訓練実施企業 又は 他の企業における常用雇用を目指す。

日本版デュアル・システム
(教育訓練機関主導型)
概ね40歳未満又は正社員経験の少ない方として、キャリア・コンサルタントが認めた方であって、早期安定就労のためには、当該訓練を受講することが必要と認められた方
標準4カ月
[公共職業能力開発施設で座学を実施する標準6カ月の訓練もある]
1カ月以上、
総訓練期間の1/2以下
民間教育訓練期間
[公共職業能力開発施設]

公共職業訓練の一類型。
教育訓練機関が主体となり、フリーター等の正社員経験の少ない方に実践的な職業能力を付与することによる就職支援。

出所:厚生労働省ホームページ(http://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/job_card01/jobcard06.html


図表2 教育訓練機関主導型のデュアル訓練実施状況
公共職業訓練活用型
(短期訓練)
短期課程(6カ月)
  都道府県
  雇用・能力開発機構
委託訓練活用型(標準4カ月)
 ※2009年度まで標準5カ月
  都道府県
  雇用・能力開発機構
公共職業訓練活用型
(長期訓練)
普通課程(1年)
  都道府県
  雇用・能力開発機構
専門課程(2年)
  雇用・能力開発機構
その他
(民間教育訓練機関における取組)

2004年度
(平成16年度)
受講者数
22,905
292
174
70
8,145

就職率
68.8%


2005年度
(平成17年度)
受講者数
1,836
24,681
345
185
96
13,156

就職率
65.4%
72.3%
92.4%
94.7%

2006年度
(平成18年度)
受講者数
2,131
25,538
476
183
62

就職率
74.0%
75.3%
92.3%
92.9%
92.1%

2007年度
(平成19年度)
受講者数

1,560
2,307
24,912
232

71

就職率

87.5%
75.6%
77.0%
91.2%

93.7%

2008年度
(平成20年度)
受講者数

2,511
2,782
30,426
232※

74

就職率

80.8%
66.1%
73.2%
89.0%※

94.1%

2009年度
(平成21年度)
受講者数
211
4,019
2,957
40,119
184

210

就職率
80.5%
84.2%
61.5%
70.2%
86.6%

89.7%

※ 2008年度の都道府県実施の日本版デュアル・システムの値は、短期課程と普通課程の合計
出所:厚生労働省職業能力開発局調べ,2010年10月


図表3 企業主導型のデュアル訓練の実施状況
実践型人材養成システム
有期実習型訓練

2008年度
(平成20年度)
受講者数
957
505

就職率
96.8%
81.5%

2009年度
(平成21年度)
受講者数
3,133
4,612

就職率
97.2%
73.6%

(注)平成20年度の就職率は、平成20年4月〜平成21年3月末までに訓練を修了した者の3カ月後の値。
 平成21年度の就職率は、平成21年4月〜平成22年3月末までに訓練を修了した者の3カ月後の値。
出所:厚生労働省職業能力開発局調べ,2010年10月


【p50〜55 江戸のビジネスマン列伝】
江戸のビジネスマン列伝……164
大岡忠相 二十五
ライバル老中の出現

作家
童門冬二

尾張の批判は江戸への批判

いま名古屋での流行語は、
「江戸がダメなら名古屋があるさ」
というものだ。これは、八代将軍徳川吉宗の改革を江戸の町で実際に実行する大岡忠相の方針によって、江戸から叩き出された芝居小屋・歓楽施設・遊郭などが、すべて名古屋でよみがえっている状況をいう。尾張藩主徳川宗春は、吉宗の緊縮政策を批判し、
「上からゼイタクをして、下へ金を流すような方法をとらなければ、決して民の生活はゆたかにならない」
と公言し、それを実行している。江戸から追い出された諸施設の経営者はよろこんだ。そして、いままでとは打って変わって江戸の政治の悪口をいった。そうすることが、尾張藩主徳川宗春の意志に沿うと考えたからだ。
真っ向から自分の改革に反対する宗春のやり方を、将軍吉宗は苦々しい思いで噛みしめていた。だから、南町奉行の大岡忠相が、
「尾張様のご政策は、上様(吉宗)のご政策に真っ向から歯向かっております」
と答えたことは、吉宗の機嫌をよくした。しかし、大岡忠相もなかなかの政治家だ。単に吉宗の心境に迎合し、便乗してそんなことをいったわけではない。かれは、
「自分がいまやっていることと、尾張宗春の批判との関係」
として、この問題を捉えていた。だから忠相は次のようにいった。
「先ほど上様が仰せられた“江戸がダメなら名古屋があるさ”というのは、上様のご方針に背くだけでなく、わたくしが江戸の町でおこなっていることをすべて否定し、嘲笑しているかのごとく思われるからでございます。これは江戸町奉行としての面目にもかかわります」
「なに」
吉宗は眉を寄せて大岡をみた。
「どういうことだ?」
「わたくしが江戸の町から妖しげな歓楽施設などを追放したのは、あくまでも上様の政道に筋を立てよう、道理を通そうというご方針に従ったことでございます。わたくし自身、ご政道はそうあらねばならぬと考えております。したがって、上様のご方針を忠実に江戸の町で実行いたしました。これによって、江戸から諸施設を追放いたしました。
しかし、“江戸がダメなら名古屋があるさ”という流行語は、追放された芝居小屋や遊郭や、悪しき歓楽施設の経営者たちが、揃って江戸の方向を向き、手を叩いているような気がいたします。
これは、江戸町奉行としてのわたくしへの批判であって、到底これを容認することはできません。個人的には、わたくしの心も決して穏やかではございません」
「なるほどなあ」
吉宗はニッコリ笑った。大岡忠相が、単に自分の言葉に便乗するヨイショとしてそういうことをいっているのではなく、
「江戸町奉行としての職責」
を考えて、名古屋における流行語を受けとめているということがわかったからだ。吉宗は、
(大岡は、やはりわしの腹心だ。いわなくてもよくわかる男だ)
と安堵した。大岡はつづける。
「水野ご老中の仰せのとおり、上様のご方針に真っ向から背く者に対しては、たとえ尾張様といえどもきびしい態度で臨むべきだと思います」
吉宗は満足そうにうなずいた。
「よくわかった。安心したぞ。おまえたちはさすがにわしの信頼する人間だ。あしたにでも正式に老中会議を開き、宗春の処分を決めることにしよう」
この言葉をきくと、老中の水野忠之が、
「その件についてでございますが」
と、口を挟んだ。
「なんだ?」
「老中会議をお開きになる前に、しばらくわたくしにその件についてのお時間をお貸しいただけませんか」
「どうするつもりだ?」
「現在の尾張様のご方針を、名古屋城の重役どもが、果して心から支持しているのかどうか、気にかかります。そのへんを少し調べさせていただきとうございます。名古屋城内には存知よりもたくさんおりますので、城内のほんとうの声をきいてみたいと思います」
「なるほど、それはいい方法だな。いきなり宗春の処断をする前に、やはりその確かめが必要なことは確かだ。よし、水野ぜひ頼む」
水野の発言は、吉宗にとっても渡りに船だった。吉宗には別な思いがあったからだ。それは、
(紀州藩主だったわしが将軍になったことに、尾張宗春は遺恨を抱いているのだ)
と思っていたからである。たしかに、八代目将軍の座をめぐっての争いは凄まじかった。とくに尾張家と紀州家の争いは、血をみる寸前までいっていた。そういうきびしい政争を経て吉宗は将軍になったのである。だから尾張宗春がことごとに吉宗の政策に反対するのも、吉宗にすれば、
(やはり、将軍の相続問題が尾を引いている)
と思えたのである。

尾張藩の付家老はどう思っているのか?

だから水野忠之の申し出は、吉宗のそんなわだかまりにピッタリ適合するものではあったが、しかし吉宗はそのことを自分からいうわけにはいかなかった。口にすれば、
「まだそんなことにお拘りでいらっしゃいますか?」
と、場合によってはまわりから弱腰だとみられる。腰が引いていると思われる。それは負け惜しみの強い吉宗にすれば我慢できないことだ。したがって水野がいま、
「しばらく自分に時間を貸していただけないか」
といった申し出は、一種の緩衝装置として非常にありがたかったのである。吉宗がきいた。
「水野、しかしなぜそんな考えを持ったのだ?」
これに対し水野はこういった。
「家風というものは、一朝一夕で変えられるものではないという思いがあるからでございます」
「というと?」
「尾張様のご家風は、藩祖の義直公以来、謹厳実直で、とくに神道を重んずるお家柄でございます。名古屋城の武士の気風も日本の大名の中でも至ってきびしく、またその生活も質素でございます。それが代々つづいてまいりましたのに、突然宗春様のご方針によって、“江戸がダメなら名古屋があるさ”というような流行語が町人の口にのるほどの変化が、果して尾張様のご家風をも覆すようなものであるかどうか、これは由々しきことでございます。
不肖、わたくしも尾張様に隣接する三河の岡崎城に居を得ているものでございます。尾張様のご動向には、常々関心を持ってまいりました。また、神君家康公が御三家をお設けになりましたときには、付家老としてそれぞれのお家に直臣をご派遣になりました。尾張様には、成瀬殿と竹腰殿が派遣されました。
なかでも成瀬殿は、家康公からの特別のおはからいによって、一国一城令にもかかわらず現在犬山城主を兼ねております。幸い、わたくしはこの成瀬殿と昵懇でございます。忌憚のない意見をきいてみようかと存じます」
「わかった。そうしてくれればわしも助かる。頼む」
吉宗はそういってこの話を打ち切った。
水野がいったように、いわゆる「御三家」と称される尾張・紀伊・水戸の三徳川家を設置したのは、家康にすれば、
「徳川本家に相続人を欠いたときには、この御三家から候補者を出させる」
という目論見だった。しかし、慎重な家康は口が重い。自分の思いをはっきり明文化しない。したがって御三家のほうではさまざまな解釈をした。とくに尾張徳川家では、
● 御三家というのは、徳川本家と尾張徳川家・紀伊徳川家のことをいうので、水戸徳川家はこの中に入らない
● そのために、水戸徳川家は代々“副将軍”という別称を与えられ、非公式ではあるが、常に将軍の補佐役として、在府(いつも江戸に居住すること)を義務づけられている
● したがって、徳川宗家になにかあったときに、宗家相続人を出す家は、尾張徳川家と紀伊徳川家の二家に限られる。水戸徳川家は、これに入らない
という解釈をしてきた。これは尾張徳川家の誇りでもあり、また水戸徳川家を一段下にみる考えでもあった。
また、尾張徳川家は、
「御三家の中でも徳川本家に次ぐ家柄である」
という意識を持ち、紀伊徳川家や水戸徳川家よりも一段格が高い、という態度をとりつづけてきた。そのために、
「尾張徳川家は、全大名の模範にならなければならない」
というきびしい考えを保ち、とくに、
「藩主たる者は、全大名の模範になる必要がある」
という伝統を保ってきた。その認識の強かった初代藩主徳川義直は、みずからの身を律し、きびしい生活態度を持ちつづけた。水野忠之がいうのは、
「そういう家風をずっと保ってきたのは、付家老たちもそれを支えてきたためだ。宗春様が突然奢侈政策をおとりになったからといって、心の底からそれを支持しているのかどうか、そのへんは疑問だ」
と思っている。率直にいえば、疑問どころではなく、水野忠之の心づもりとしては、
「付家老たちは、おそらく宗春様のご政策に腹の中では反対しているのにちがいない」
とみこんでいた。

松平乗邑の進出

尾張徳川家では、この付家老の役割分担を「国元家老」と「江戸の留守家老」に分け、成瀬隼人正正太を国元家老とし、竹腰志摩守正武を江戸家老としていた。
吉宗の御座所(将軍の居室)を出て、廊下を渡りながら水野は、
「わしは成瀬殿と話すつもりだ」
と大岡に告げた。大岡はちょっと疑問に思った。それは、成瀬は遠く犬山城にいて、名古屋城に勤務している。江戸にいるのは竹腰だ。
当時は、コミュニケーション手段が不便で、信書の往来もなかなか思うようにいかない。
(そんな状況の中で、水野様はいったいどのようにして成瀬様とご連絡を取ろうとなさるのか?)
と思ったからだ。吉宗の信頼する老中職にある水野が、簡単に名古屋や犬山にいくわけにはいかない。また、呼び出すとしてもこれは大問題になる。名古屋城の連中もまさか、宗春の政策をドンチャン騒ぎで支持し、
「江戸よ、ざまをみろ。思い知ったか?」
とののしるような輩はそれほどいまい。そんな考えを持っているのは、宗春の側近だけだろう。したがって、多くの名古屋城の武士たちはやはり江戸城の動きを息をひそめて凝視している。
「宗春様を、いつまでも江戸の上様は放置なさるのか?」
という猜疑心はだれもが持っているはずだ。
それに、岡崎城主の水野家は、はじめから尾張徳川家には警戒されている。岡崎城に配置された水野忠之の先祖は、名古屋城が天下普請で大々的に工事がおこなわれているときから、警戒の目を怠らなかった。初代の岡崎城主自身が、名古屋城まで出かけていって堀の深さを測ったりしたという。尾張徳川家側ではたちまち気づいた。そして、
「岡崎城の水野を警戒しろ。油断がならない」
という指示がいっせいに出た。したがって、尾張徳川家と岡崎水野家とは常に、
「緊張関係」
にあって、ギクシャクしている。にもかかわらず、その岡崎城主である水野忠之が、
「尾張徳川家の付家老成瀬殿と話を詰める」
というのは、ほんとうにスムーズにいくのか、と大岡は心配したのである。
そして大岡忠相は、自分の情報ルートから別なことを知っていた。それは、
「近ごろ、ご老中の中でも松平乗邑(のりさと)様の勢いが日増しに募っている」
ということだ。松平乗邑は、官名が左近将監で、下総(千葉県)佐倉城主である。松平乗邑とは、大給(おぎゅう)松平系で、最初は肥前(佐賀県)唐津六万石の城主の家に生まれた。五歳で家を相続している。以後、志摩(三重県)鳥羽城主・伊勢(三重県)亀山城主・山城(京都府)淀城主などを歴任した。そして享保七(一七二二)年に大坂城代をつとめ、翌八年四月に吉宗から老中に抜擢されたのである。このとき、佐倉城主に任命され、六万石の領地を与えられた。吉宗からは、
「江戸城内の諸事務については、水野に任せてある。そちは、主として諸行事や儀礼の面を担当せよ」
といわれた。
ふつうに受け取れば、
「吉宗政治の実質的な政務は、水野忠之に任せた。それを膝元で実行するのは町奉行の大岡忠相である。おまえは、形式的な面にいそしめ」
と命ぜられたように思える。ところが大岡の知り得る限り、そんなことはなかった。大岡の認識では、
(上様のご改革の実質的面は、ほとんど松平乗邑様がおこなっておいでだ)
と思っている。そう思わせることが次々実証されているからだ。大岡は最近、
(水野様は、やがて松平様に乗り越えられるのではないか?)
と懸念している。乗邑の抬頭ぶりはそれほど凄まじかったのである。しかしだからといって大岡は必ずしも水野一辺倒の立場に立ち、そういう乗邑に敵対する気はまったくない。大岡は正直に、
(松平様のご頭脳は、はるかにわしを超えている)
と感じている。 (続)

【p56〜57 技術者からの視点】
技術者からの視点
●第33回●
カタカナ語の国際性

藍野大学非常勤講師 木下 親郎

外国人にも理解できる
優しい表記法

江戸末期から明治にかけての文明開化の先駆者たちは、新しい言葉を創り、古い言葉に新しい意味を与えた。オランダ留学経験のある西周が創った「哲学」はその傑作の一つと言える。「科学」、「技術」、「物理」などの言葉は既に存在していたが、現在の意味で使われるようになったのは明治時代からである。「化学」はオランダ語(Chemie)の音を模した「舎密(セイミ)」が創られたが古くからの「化学」になった。これらの明治の先達が作り上げた言葉を、我々の世代は当然のように使っている。その一方、外国語の音を模した「倫敦(ロンドン)」、「巴里(パリ)」などはカタカナ語に置き換えられた。
最近の科学技術用語は原語の音をカタカナで表すものが多い。根岸、鈴木両博士のノーベル化学賞受賞で有名になった「クロスカップリング」もそうだ。カタカナの読み方を知っている外国人なら、Cross-couplingであることを理解できる。このように、外国語の音をそのまま表したカタカナ語は、外国人にも優しい国際性を持っている。さらに、「クロス」と「カップリング」は広辞苑に「交叉すること」、「2つのものを1つに組み合わせること」と載っているので、科学者でない日本人にも優しい言葉だ。

原語の意味を知って
和製英語を使う必要がある

最近、外国語のカタカナ表記の一部を省略した、特定の仲間の間でしか通用しないと思われる隠語が、マスメディアで氾濫している。先日、電車の扉に貼られた広告に「メアド」とあるのを見た。電子メールの「メールアドレス」のことだが、一般の人や、海外からの訪問客は説明がないので、理解できないと思う。公共の場にあるカタカナ隠語を使った広告は、品位だけでなく国際性も欠いたものになる。「パソコン」や「テレビ」のように、日本語として認知され、辞書に掲載されるまでは使わないでほしい。
オックスフォード大学出版局の辞典に「ジャパニーズ・ピジン・イングリッシュ」という項があり、代表例として「イチバン」を挙げている。「ピジン」は広辞苑には「ビジネスの中国語訛り。異言語の話者が接触・交流して生まれる混成語」とある。また、「ホームステイ」、「サラリーマン」、「ワープロ」、「ドクター・ストップ」、「バージン・ロード」を和製英語と言い、「日本で使われる英語は、外国人と話すことよりも、日本人同士で話すため」と書いている。言葉は進化成長するものだから自然にまかせよという人がいるが、ピジンや和製英語を公式の文書に使うなら、そのことを認識した上で使ってほしい。明治時代に中学校で外国人と野球の試合をした経験のある人に守備位置を尋ねると、「ショートストップだった」と返ってきた。明治の中学生は正確な英語を使っていたのだ。
フランス語の統一のため、ルイ13世が作った、アカデミー・フランセーズは、現在でもフランス語の標準となる辞書を作っている。英国では一般紙と呼ばれる新聞と、夕刊紙と呼ばれる新聞では格調の異なる言葉が使われている。日本の一般紙、放送局、あるいは国際化を志向する企業や個人は、日本語を学ぶ外国人に優しい日本語資料を作るよう心がけてほしい。ちなみに、日本語を学ぶ外国人学生が困るのは、辞書に収録されていないカタカナ語だという。
カタカナ技術用語は正確に定義されているので誤解されることは少ないが、一般的に使われる外国語、特に修飾語は、日本人が知らない多くの意味を持っている。カタカナ語を使うときには原語の意味、さらにその言葉が名詞、形容詞、形容動詞なのかまで詳しく知っておく必要がある。それでも、誤った使い方となり、外国人に奇異な感じを与えることが多い。カタカナ語を使うよりも、辞書にある正確な日本語で表現した方が、日本人にも、外国人にも優しい国際的な日本語文になる。我々が外国語の文章を読むときに、辞書に頼るのと同様に、彼らも日本語文を読むときには辞書を頼りにしている。日本語文に使われた「改善」、「感性」や「もったいない」はkaizenやkanseiそしてmottainaiとして国際語になっている。
カタカナ語は話す時にも大きな問題がある。第一は、日本語にない「r(アール)」と「l(エル)」の区別である。我々が話すと「テレビ」は「terebi」、「ラジオ」は「rajio」、「カード」は「kado」、「ホテル」は「hoteru」と聞こえるそうだ。私が、米国でタクシー運転手に行く先を伝えるのに苦労したのは、エルとアールが入り混じった「ベル・テレフォン・ラボラトリー」であった。アクセントも問題だ。例えば、テレビで話されることの多い「マニフェスト」で、「マ」にアクセントを置くと、「船荷目録、(船・飛行機の)乗客名簿」を意味する英語になる。「フェ」にアクセントを置くと、イタリア語の「manifesto(宣言書)」を、そのまま借用した英語になる。アクセントの場所によって、英語では異なる意味になる。外国人にカタカナ語を話すときは、原語の綴りとアクセントの位置を確認しなければならない。

度胸英語は意思疎通の
有力な手段である

話す時に最も大切なことは、相手が正しく理解していることの確認である。岩波文庫の『戊辰物語』(東京日日新聞編)に、条約改正で伊藤博文が英国公使と英語で折衝したときの話がある。伊藤がユーロピアン・パウエルと怒鳴り、公使がけげんな顔をして「もう一度」を繰り返し、ようやくEuropean powers(欧州列強)であることがわかったときに、伊藤が「そうだ、そのパワーだ、パウエルなどとついオランダ語が出たのでね」と言い、伊藤の英語を度胸英語と紹介している。意思の疎通には、繰り返して確認を求めることのできる度胸英語の方が、流暢な英語よりも有力な手段なのだ。


P41の解答
■詰め碁
「正解」
 まず黒1とアタリを決めるのが手順で、白2のツギのあと黒3から5で中手攻め黒7でしとめます。

■詰め将棋
 1四飛 同香 2五竜 1三玉 1四竜 同玉 1五香 同玉 2五金まで、九手詰。
「解説」
 初手1四飛を1四同玉は、1五竜、同玉、2五金まで。したがって1四同香は最善の応接。1四竜に、2二玉は1二金まで。飛車よりも金を残す手法であります。

【p58〜59 BOOK】
BOOK

『「戦後」を点検する』
保阪正康 半藤一利 著/
講談社/798円

戦後の復興と繁栄の中で
何を求め、忘れようとしたのか?

昨年秋の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件以来、わが国は、まったく「想定外」だったとしか思えない対外交渉と、またそれと関連する経済活動への影響に頭を抱えている。いうまでもなく中華人民共和国(以下「中国」)との間の「領土問題」に端を発した隣接二国間関係の複雑さと、それと同時に隣国に依存するようになってしまった国内経済体制の脆弱さ等の問題についてである。
本書は、そうした問題認識に直接的な解答を与えてくれるものではないが、少なくとも、今を生きる“現在”のわれわれが、なぜこうした複雑な状況に陥ったのかを考える上で、非常に参考になると思われる。
本書の構成内容は、昭和史の実証的研究においてわが国の2大作家ともいうべき保阪正康氏と半藤一利氏による対談もので、まず第1章「いったい、いつまでが「戦後」なのか」で昭和50(1975)年までとする理由が述べられている。その後の項目は「〜帰り、〜あがり、〜崩れ」(第2章)、「一から出直し」(第3章)、「神武以来」(第4章)、「安保反対と米帝」(第5章)、そして「日中友好」(第6章)という意外なテーマが提示されている。しかし、「今の時代を考える」にふさわしい6つのテーマとなっていることが、2人の対談でわかってくる。
2人の話は、第5章「安保反対と米帝」までは人物を中心に語られている。「満州帰り」にして、「巣鴨帰り」の岸信介が政界に復帰し、首相になり日米対等の新安全保障条約の締結を強行した時代までである。そして、岸首相退陣後の15年間の時代については池田勇人、佐藤栄作、田中角栄という3人の首相を「日中友好」という題目で括っている。 
岸首相退陣後、60年安保闘争で国論が二分してしまったことを受けて池田首相は、「寛容と忍耐」をスローガンにひたすら「国民所得倍増計画」の実現に邁進する。そして、岸の弟である佐藤首相がその政策を引き継いだ1968年には、わが国はGNPで自由世界第2位に達した。しかし、この時代におけるわが国の外交はほぼアメリカの言うとおりやっているだけで、日本は国全体として国際情勢の変化に鈍感になっていた。その象徴が米中復交への対応だったというわけである。佐藤首相は沖縄返還を実現したが、それと同時並行して進んでいた米国の中国との国交回復交渉には、まったく気づかなかった。日本が、あわてて中国と国交を回復するのは、保阪氏が「剥き出しの欲望の無制限の肯定」と評する田中首相の手によってである。
評者/内藤正行(評論家)


『ポピュリズムへの反撃
〜現代民主主義復活の条件』
山口二郎 著/
角川書店/724円

政治選択を誤らせる
レトリックの正体を読み解く

自民党一党支配の時代には、「悪いのは自民党、いいのは革新政党」というのが「進歩的な人」にとっての自明の公理だったという。ところが、長年の制度疲労からこの仕組みにキシミが生じ、そのときに登場したのが小泉元総理であった。ポピュリズムというと「小泉劇場」といわれた元総理の政治手法を想起する人が少なくないと思うが、本書のテーマはこのポピュリズムをいま一度見直してみようというところにある。本書によるとポピュリズムの源流は19世紀アメリカにあり、平等を求める政治運動である反面、非寛容で、狂信的な反知性主義にもなり得る側面があったという。郵政選挙の圧倒的な結果には、後者の側面をみることができるのではないか。
「現代の民主政治というのは、多かれ少なかれ、ポピュリズムの要素をはらまざるを得ない」と著者は言い、これを否定すれば民主主義の大事な要素の否定につながると指摘する。だからこそ、その存在を前提に行動しなければならないというわけだ。
有志による勉強会のために行った講義を再構成した文章は平易でわかりやすく、この厄介な代物を読み解くのに最適だと思われる。


『パワハラにならない叱り方
―人間関係のワークルール』
道幸哲也 著/
旬報社/1260円

職場で起きたトラブルを通して
労務管理のあり方を考える

パワハラ(パワーハラスメント)という言葉が、一般的に使われるようになったのはいつ頃からのことだろうか。今号の「実践 職場のメンタルヘルス」でもこの話題がテーマとなっているように、今ではすっかり認知されるようになったのは間違いのないところだろう。
典型的なパワハラを、著者は「仕事を取り上げたり、意味のない仕事をさせること、人間関係から排除すること、名誉を毀損するような侮辱的発言をすること」とし、その多くは会社がリードしているという。現象面だけをみれば、小中学校のいじめにも匹敵するようなレベルの行為で、とても常識的な大人がすることとは思えない。このような職場の変化は、日本社会の変容にも通じるものではないだろうか。
本書は、現実に職場で起こっているパワハラ事案を紹介し、最近の裁判例をその判断内容を中心に詳しく検討することによって、問題点を浮き彫りにしている。著者は長年、北海道労働委員会の公益委員を務めており、その経験から労使紛争の解決には相互理解が必要だと言うが、パワハラ問題の解決にもこのような姿勢は必要であろう。書名から連想される、お手軽なマニュアル本ではないことを付言しておきたい。


『デンマークのにぎやかな公共図書館
―平等・共有・セルフヘルプを実現する場所』
吉田右子 著/
新評論/2520円

ユニークな視点から見た
「生涯学習社会」の現実

ベストセラー作品を何十冊も買い込み、「無料貸本屋」と揶揄されることもある日本の公共図書館。住民の要望に応えるという大義はあるにしても、行きすぎたサービスに物言いを付けたくなる気持ちも分からなくはない。
では、公共図書館が本来果たすべき役割とは何か。本書を読めば、少なくとも貸出件数を上げることばかりではないということがわかる。実際、デンマークの公共図書館は、生涯学習の拠点としても住民から認知されており、例えばマイノリティーに対する学習(読み書き)の支援も、重要な役割となっている。
本欄でも、たびたび北欧諸国の社会事情を対象にした本を紹介してきたが、本書はひときわユニークな視点からみた北欧(デンマークが中心ではあるが、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドに関する言及もある)社会のルポである。著者は8カ月にわたり、王立情報学アカデミーの客員研究員としてデンマークに滞在し、公共図書館をつぶさに見て歩いたというが、その経験が生かされているといえるだろう。
ところで、デンマークの図書館は原則として日曜日は休館日。にも関らず利用者は多いという。その理由をぜひ著者に教えてもらいたい。

【p60 次号予告・編集後記】
次号予告
ELDER 2月号

特 集
わが国の雇用で、何が問題なのか
 大久保幸夫氏(リクルート ワークス研究所所長)
 濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構統括研究員)
 梶原 豊 氏(高千穂大学名誉教授)
 小林辰滋 氏(NPO法人日本エンプロイアビリティ支援機構理事長)

えるだぁ最前線
「はやぶさ」を支えた平均年齢65歳、下町の町工場
─有限会社清水機械

お知らせ
『エルダー』が書店で購入できるようになりました
『エルダー』は下記の書店で購入が可能です。皆さまのご利用をお待ちしております。
定価480円(税込)/発売元:労働調査会
●ジュンク堂書店池袋本店(5階)TEL03−5956−6111 ●八重洲ブックセンター本店(2階)TEL03−3281−8202
●政府刊行物サービスセンター(全国10店舗、下記参照) 札幌(TEL 011−709−2401)/仙台(TEL 022−261−8320)/
霞が関(TEL 03−3504−3885)/大手町(TEL 03−3211−7786)/金沢(TEL 076−223-7303)/名古屋(TEL 052−951−9205)/
大阪(TEL 06−6942−1681)/広島(TEL 082−222−6012)/福岡(TEL 092−411−6201)/那覇(TEL098−866−7506)

編 集 後 記
●最近、diversity(ダイバーシティ)という言葉を耳にすることが多くなった。「多様性」という意味である。かつては、国際化という問題のなかで、国や民族、文化、言語などの多様性というようなときに使われることが多かったが、最近は、企業の人事管理の考え方などについても、このダイバーシティが使われるようになってきた。
 人の価値観の多様化が言われ、それに伴って、雇用の場における働き方の多様化も現実のものとなっている。正社員もいれば、短時間のパートもいるし、パートの正社員もいる。正社員もこれからは多様化するだろうといわれてもいる。職業人生のある一時期である高齢者の対策をとってみても、一人ひとりの能力や働き方にばらつきがでてくるので、人事制度の多様化がそのポイントとしてあげられる。
 たしかにダイバーシティである。もともと生まれも育ちも違う自由な人間を、ひとつの型に入れて理解することはできない。国際化という問題の中でのダイバーシティの理解は、「オレの国の政治や文化とオマエの国のそれとはこの点が違うね」というお互いの不一致点について一致することからはじまる。そこには、お互いが平等な地平に立っての理解がある。
 このダイバーシティの理解を雇用の場にそのままあてはめたら、どうなのだろうか。高齢者と若者、正社員と非正社員、男性社員と女性社員、それに外国人労働者といったいわば対立的な図式の中で現実に格差問題があるときに、これをダイバーシティという言葉で一括りにしてよいものなのだろうか。国際化の理解のように、お互い平等な地平に立つということがベースとして必要なのではないだろうか。
 格差として一番わかりやすいのが賃金であろう。賃金には最低賃金といわれるものがあり、これには国が法律で定めたものと、企業が独自に算出したものがある。もし、国が定めた最低賃金で文化的最低生活ができないのであれば、企業における賃金が相互理解のベースにならなければダイバーシティにならないのではないか。

 月刊エルダー1月号 No.375
●発行日―――平成23年1月1日(第33巻 第1号 通巻375号)
●発 行―――独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構
発行人―――代田雅彦
編集人―――春日利信
●発売元 労働調査会
〒170‐0004 東京都豊島区北大塚2-4-5
TEL 03(3915)6401 FAX 03(3918)8618
(禁無断転載)

●独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構
(竹芝事務所)
〒105‐0022 東京都港区海岸1-11-1 ニューピア竹芝ノースタワー
TEL 03(5400)1621(総務部)

ホームページURL  http://www.jeed.or.jp
メールアドレス elder@jeed.or.jp


【p61 中高年のためのステップアップトレーニング】
中高年のための
ステップアップトレーニング

首都大学東京 健康福祉学部 准教授/理学療法士 山田 拓実

第9回
ひざ痛を予防するための体力テスト

ひざの痛みや関節のこわばりなどといった「変形性膝関節症」の症状は、60歳以上のかたの約40%にみられ、そのうち約10%が日常生活に支障をきたしているとされています。
肥満気味で、階段の昇り降りの時や立ち上がったりしゃがんだりする時に、ひざが痛むかたは要注意です。早めにひざ痛予防に取り組みましょう。

《台からの立ち上がりテスト》
@立ち上がることができたら、次は高さ30センチの台でやってみましょう。
A20センチの台、10センチの台と、台の高さを変えて、立ち上がることができるかどうかを試してみてください。
Bひざや腰に痛みがある人は、無理に行うことは避けてください。
C高さ10センチ、20センチ、30センチの台と、座面の高さ40センチのイスを用意します。
Dまず、両手を交差させて胸に当て、イスに座ってください。足は肩幅程度に開きます。
Eその姿勢のまま反動をつけずに立ち上がってください。

 テストの結果はいかがでしたか? 低い台から立ち上がれるほど、ひざの筋力やひざの可動域があるということになります。10センチの台から立ち上がれたら60歳代のレベル、20センチの台からは70歳代のレベル、30センチの台からは80歳代のレベルです。
 次回はひざ痛予防のための運動を紹介します。

【p62〜63 愚なるが故に道なり】
愚なるが故に道なり

奥井禮喜
経営労働評論家
(有)ライフビジョン代表取締役

第67回
人生は無。孤独という筆で、人生の白いキャンバスに自分の絵をかく!

古書店めぐり専門である。たまたま入った新刊書店で、サルトル(1905〜1980)の出世作『嘔吐』(1938)が眼に止まった。遠い昔に読んだような気もするが、ほとんど記憶してはいない。60年ぶりに出された鈴木道彦氏の新訳である。
まだ無名のサルトルに注目し『嘔吐』の翻訳に着手されたのは、白井浩司氏(1917〜2004)が21歳のときだった。出版社が変わり、出版が変わるたびに白井氏は改訳・改定を続けられた。白井氏の最終訳は1994年である。こちらも最終版を入手して読んだ。作品に出会ってから56年間延々読み続け思索を深められたのである。まさに「一冊の本」という次第だ。
フランス語などさっぱりだけれど、白井・鈴木訳いずれも明晰で読みやすい文章である。持ち味は、白井訳の歯切れよさ、鈴木訳の流麗とでもいうべきか。しみじみ味わう。
サルトルは猛烈なメランコリアだったらしい。ボーヴォワール回想録によると、後ろから伊勢海老が追っかけてくるような幻想に悩んだという。ご馳走の伊勢海老に追っかけられたのではたまらない。
開高健氏(1930〜1989)もまた酷いメランコリアで悩んだと、さまざま書き残された。孤立して崩れていく人の叫び、つぶやきを体現する、孤独な主人公ロカンタンに共感された。『嘔吐』を無人島へもっていく何冊かの本の1冊だといい、白井氏の改訂のたびに購入して読まれ、白井訳を絶賛しておられた。さて―
作品のキーワードは人間の孤独―そのものにある。
人間が孤独な存在であることは誰でも知っている。
孤独といえば―寂しい―と反応するのが一般的感性である。それはそうなのだが、『嘔吐』を読んで少々違う景色が見えてきた。
寂しい、独りぼっちの問題解決策としては、友だちを作ることだ。しかし、友だちを作れば解決するのだろうか。いや、仮に友だちができたとしても依然として解決していない。なぜなら、自分と自分以外とは、相変わらず、それぞれが孤独な存在である。なにしろ最愛の(はずの)家族があって、天涯孤独でなくても、寂しがっている人は少なくないのである。初恋の切なさを思い浮かべてみてもよろしい。
友だちがいない状態は孤立である。友だちができて、孤立が解決しても、孤独は解決しない。孤独は孤独である。あるいは、友だちを作ろうと焦れば焦るほど孤立感を深めるかもしれない。友だちは、呼べば応えるコダマではない。心通う友だちを簡単に作れるわけでもない。
寂しさを紛らすために人は玩物喪志になりやすい。30年前、本邦バブル経済の前、経済好調・中流意識絶好調時代において、モノをもっても小金があっても、心豊かでない。然り、モノのみが幅をきかせる状態は所詮価値転倒の気風である。だから、モノは人の生活のためにある。一時期「モノからココロへ」、「所有から使用へ」という気風が起こった。しかし、結局は玩物喪志の網目から逃れられなかった。いまもまさしくその状態ではなかろうか。
人は孤独を感ずるから、誰かに自分の孤独感をわかってほしいと願う。しかし、孤独でない人間は一人としていないのである。その一方で、他人がちょっかい出すと「ほっといてんか、ぼくの自由だ」と反応する場合が少なくない。昨今、コミュニケーション不全が指摘されるのは、他者にちょっかいされるのが嫌さに、できるだけ他者との接触を避ける傾向にあるからである。
「独りぼっち」とぼやきつつ、一方では「個性的に生きたい」と考えている。二律背反、自己矛盾だ。
いったい孤独な自分の「何を」わかってほしいのであろうか。孤独とは自分が他者に受け入れられていないという思いである。では自分に聞いてみたい。「私は、自分の何を受け入れてほしいのであろうか?」
この問いは、「自分が何ものであるか」「何をしたいのか」と同じ意義である。これが厳しい。「何のために働くのか?」と問われれば、「生活の糧のためだ」と回答する。では「生活の糧を獲得した後何をしたいのか?」と問われた場合、容易に回答が出てこない。
かくして、孤独とは、他者に受け入れてもらえないから孤独なのではなくて、その前に―自分が何ものであるか、何をしたいのか―がわからないところにその本質が潜んでいるのではあるまいか。
人生とは何か―そんなことを考える暇がない。なにしろ日々の暮らしは余裕がない。働く時間はいかにも長い。自分の時間がない。客観的にはまことに辛いはずだ。しかし、お陰さまで、容易に出口の見つからない問題を考えなくて結構だ!
人生には普遍的な目的がない。人生の正解がない。すなわち「無」である。ひょっとすると、われわれは無の大海に漂うているのではないか。
主人公ロカンタンは、(この状態から)「自分を救うには芸術創作への熱中のみ」という結論に至る。サルトルもきっと読んだであろう、H・バルビュス(1873〜1935)『クラルテ』の主人公は戦場から帰って、「ぼくは取るに足らない人間で、以前と全然変わっていない。だが、ぼくは真理への欲求をもちかえった」と誓った。
孤独感を自分の人生の芸術に変える出発点にしたいのである。


【p64 世界の高齢者雇用事情】
世界の
高齢者雇用事情

第15回
スペイン

高齢者就業率は44.1%、数年後に過半数を超える見込み

スペインの2010年の人口は4,599万人、前年比0.35%増である。スペインは西欧の中で人口大国ではあるが、遅れて高齢化社会となった。しかし高齢化の速度は急速で、65歳以上人口(老年人口)の割合は2009年には17.2%だが、2024年に20%、2035年に25%を超え、2043年には30%と、急激に高まると予測されている。
高齢者(55〜64歳層)就業率は44.1%とEUの2010年の目標値50%には到達していないが、ここ10年で7ポイント上昇し、数年後には50%を超えるとみられている。
社会保障制度の整備は、フランコ独裁政権が長く続いたことから他の西欧諸国と比べて立ち遅れ、現行の公的年金制度が整ったのは1972年のことである。法的退職年齢は年金受給開始年齢の65歳であるが、実際の退職年齢は62.6歳と低い。これは25歳以下の若年失業率が高く(2009年37.8%)、高齢者は若年者に職を譲って労働市場から早期に引退することが慣行化されてきたためである。だが年金財政の悪化が進行し、年金受給開始年齢を2013年から段階的に67歳へと引き上げる政策が検討されている。
労働政策研究・研修機構
国際研究部長 坂井澄雄


キャプション
バルセロナ市のシンボル、サグラダ・ファミリア教会で作業に当たる石工。待望の完成は2026年が予定されている。


【表3 地方業務関連事務所所在地等一覧】
  独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構では、各都道府県における、高年齢者等及び障害者の雇用に関する相談・援助、給付金・助成金の支給申請の受付、障害者雇用納付金制度に基づく申告・申請の受付、啓発等の業務を次の各法人に委託して実施しています。
 また、機構では、平成22年10月1日から北海道、山形県、石川県、静岡県、奈良県、岡山県、香川県、宮崎県及び鹿児島県の9道県において、『地方分室(高齢・障害者雇用支援センター)』を設置し、高年齢者等及び障害者の雇用に関する相談・援助、給付金・助成金の支給申請の受付、障害者雇用納付金制度に基づく申告・申請の受付、啓発等の業務を直接実施しています。下記一覧の※印の事務所が、機構の地方分室(高齢・障害者雇用支援センター)です。

地方業務関連事務所所在地等一覧

名称、所在地、電話番号
※北海道高齢・障害者雇用支援センター
〒060‐0004 札幌市中央区北4条西4丁目1 札幌国際ビル4階
TEL011−200−6685

(社)青森県高齢・障害者雇用支援協会
〒030‐0801 青森市新町2丁目2−4 青森新町二丁目ビルディング7階
TEL017−775−4063

(社)岩手県雇用開発協会
〒020‐0024 盛岡市菜園1丁目12番10号 日鉄鉱盛岡ビル5階
TEL019−654−2081

(社)宮城県雇用支援協会
〒980‐0021 仙台市青葉区中央3丁目2−1 青葉通プラザ13階
TEL022−265−2076

(社)秋田県雇用開発協会
〒010‐0951 秋田市山王3丁目1番7号 東カンビル3階
TEL018−863−4805

※山形高齢・障害者雇用支援センター
〒990‐0039 山形市香澄町2−2−31 カーニープレイス山形3階
TEL023−674−9567

(社)福島県雇用開発協会
〒960‐8034 福島市置賜町1番29号 佐平ビル8階
TEL024−524−2731


(社)茨城県雇用開発協会
〒310‐0803 水戸市城南1丁目1−6 サザン水戸ビル3階
TEL029−221−6698

(社)栃木県雇用開発協会
〒320‐0033 宇都宮市本町4番15号 宇都宮NIビル8階
TEL028−621−2853

(社)群馬県雇用開発協会
〒371‐0026 前橋市大手町2−6−17 住友生命前橋ビル10階
TEL027−224−3377

埼玉高齢・障害者雇用支援センター*
〒330‐0063 さいたま市浦和区高砂3−2−10 草野高砂ビル4階
TEL048−815−5830

(社)千葉県雇用開発協会
〒260‐0015 千葉市中央区富士見2−5−15 塚本千葉第三ビル9階
TEL043−225−7071

(社)東京都雇用開発協会
〒101‐0061 千代田区三崎町1丁目3番12号 水道橋ビル6階
TEL03−3296−7221

神奈川高齢・障害者雇用支援センター*
〒231‐0033 横浜市中区長者町2−6−3 シティーハーズ長者町ビル3階
TEL045−250−5340

(社)新潟県雇用開発協会
〒950‐0087 新潟市中央区東大通1−1−1 三越・ブラザー共同ビル7階
TEL025−241−3123

(社)富山県雇用開発協会
〒930‐0083 富山市総曲輪2−1−3 富山商工会議所ビル東別館8階
TEL076−425−4488

※石川高齢・障害者雇用支援センター
〒920‐0856 金沢市昭和町16−1 ヴィサージュ1階
TEL076−255−6001

(社)福井県雇用支援協会
〒910‐0005 福井市大手2丁目7番15号 明治安田生命福井ビル10階
TEL0776−24−2392

(社)山梨県雇用促進協会
〒400‐0031 甲府市丸の内2丁目7−23 鈴与甲府ビル1階
TEL055−222−2112

(社)長野県雇用開発協会
〒380‐8506 長野市南県町1040−1 日本生命長野県庁前ビル6階
TEL026−226−4684

(社)岐阜県雇用支援協会
〒500‐8856 岐阜市橋本町2−20 濃飛ビル5階
TEL058−252−2324

※静岡高齢・障害者雇用支援センター
〒420‐0851 静岡市葵区黒金町59−6 大同生命静岡ビル7階
TEL054−205−3307

(社)愛知県雇用開発協会
〒460‐0008 名古屋市中区栄2丁目10番19号 名古屋商工会議所ビル9階
TEL052−219−5661

(社)三重県雇用開発協会
〒514‐0002 津市島崎町137番地122
TEL059−227−8030

(社)滋賀県雇用開発協会
〒520‐0056 大津市末広町1番1号 日本生命大津ビル3階
TEL077−526−4853

(社)京都府高齢・障害者雇用支援協会
〒604‐8171 京都市中京区烏丸通御池下ル虎屋町577−2 太陽生命御池ビル3階
TEL075−222−0202

(社)大阪府雇用開発協会
〒530‐0001 大阪市北区梅田1−12−39 新阪急ビル10階
TEL06−6346−0122

兵庫高齢・障害者雇用支援センター*
〒651‐0086 神戸市中央区磯上通6−1−9 神戸MKビル5階
TEL078−265−1314

※奈良高齢・障害者雇用支援センター
〒630‐8122 奈良市三条本町9−21 JR奈良伝宝ビル6階
TEL0742−30−2245

(社)和歌山県雇用開発協会
〒640‐8154 和歌山市六番丁24番地 ニッセイ和歌山ビル6階
TEL073−425−2770

(社)鳥取県高齢・障害者雇用促進協会
〒680‐0835 鳥取市東品治町102 明治安田生命鳥取駅前ビル3階
TEL0857−27−6974

(社)島根県雇用促進協会
〒690‐0826 松江市学園南1丁目2−1 くにびきメッセ 6階
TEL0852−21−8131

※岡山高齢・障害者雇用支援センター
〒700‐0907 岡山市北区下石井2−1−3 岡山第一生命ビル4階
TEL086−801−5150

(社)広島県雇用開発協会
〒730‐0013 広島市中区八丁堀16−14 第2広電ビル7階
TEL082−512−1133

(社)山口県雇用開発協会
〒753‐0051 山口市旭通り2丁目9番19号 山口建設ビル3階
TEL083−924−6749

(社)徳島雇用支援協会
〒770‐0824 徳島市南出来島町1丁目32番地 中山ビル1階
TEL088−655−1050

※香川高齢・障害者雇用支援センター
〒760‐0017 高松市番町1−6−1 住友生命高松ビル8階
TEL087−813−2051

(社)愛媛高齢・障害者雇用支援協会
〒790‐0006 松山市南堀端町5番地8 オワセビル4階

TEL089−943−6622

(社)高知県雇用開発協会
〒780‐0053 高知市駅前町5番5号 大同生命高知ビル7階
TEL088−884−5213

(財)福岡県高齢者・障害者雇用支援協会
〒812‐0011 福岡市博多区博多駅前3−25−21 博多駅前ビジネスセンター3階
TEL092−473−6300

(財)佐賀県高齢・障害者雇用支援協会
〒840‐0816 佐賀市駅南本町5−1 住友生命佐賀ビル5階
TEL0952−25−2597

(社)長崎県雇用支援協会
〒850‐0862 長崎市出島町1番14号 出島朝日生命青木ビル5階
TEL095−827−6805

(社)熊本県高齢・障害者雇用支援協会
〒860‐0844 熊本市水道町8−6 朝日生命熊本ビル3階
TEL096−355−1002

(財)大分県総合雇用推進協会
〒870‐0026 大分市金池町1丁目1番1号 大交セントラルビル3階
TEL097−537−5048

※宮崎高齢・障害者雇用支援センター
〒880‐0805 宮崎市橘通東5丁目4番8号 岩切第2ビル3階
TEL0985−77−5177

※鹿児島高齢・障害者雇用支援センター
〒892‐0844 鹿児島市山之口町1番10号 鹿児島中央ビル11階
TEL099−219−2000

(社)沖縄雇用開発協会
〒901‐0152 那覇市字小禄1831番地1 沖縄産業支援センター5階
TEL098−891−8460


*は、株式会社キャリアに事業委託

【表4 バックナンバー】
〈エルダー〉バックナンバーのご案内

2010年12月号
■特集
日本のものづくり産業は
高齢者が支える!
東海バネ工業株式会社
新興海運株式会社
株式会社山岡製作所
コマツ大阪工場
【労務資料】
平成22年就労条件総合調査結果の概況

2010年11月号
■特集
平成22年度
「高年齢者雇用開発コンテスト」
厚生労働大臣表彰受賞企業事例
【最優秀賞】
四国交通株式会社  (愛媛県)
【優秀賞】
赤津木材工業株式会社  (茨城県)
堀永殖産株式会社  (福岡県)
【特別賞】
株式会社日向屋  (宮崎県)
有限会社松活  (福岡県)
〈新連載〉
実践 職場のメンタルヘルス  中辻めぐみ

2010年10月号
■特集
立ち上がれ!団塊企業OB
◆東芝時代の技術・管理ノウハウを社会に
還元し経営支援に生かす団塊以上OB
NPO法人RKH研究所
◆団塊の世代の女性たちが創った
人のつながりをつくる地域ビジネス
NPO法人
高齢社会の食と職を考えるチャンプルーの会
◆多様な企業支援策を講じ、
地域産業振興を目指す
サイバーシルクロード八王子
◆映画で街に文化とにぎわいをと
映画館活動に奔走する
NPO法人市民シアター・エフの深谷シネマ
【労務資料】
高年齢者の雇用・就業の実態に関する調査

2010年9月号
■特集
70歳までの雇用に、
高齢者の体力・健康は耐えられるか?
【インタビュー】
国立健康・栄養研究所 宮地元彦氏
【調査研究】
70歳雇用に向けた高年齢者の体力等に関する
調査研究結果
【企業事例】
東京ガス株式会社 安全健康・福利室
■定年引上げ等奨励金のお知らせ
高年齢者雇用確保充実奨励金
独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構
高齢者助成部
〈えるだぁ最前線〉
株式会社ケーエヌアイ

2010年8月号
■特集
働く大ベテランたちが語る“働くこと”
名古屋市副市長   大西  聰さん
古書ハナ書房店主  成本 進吾さん
赤城自然園園長   片場 富夫さん
荒川シルバー大学理事長 秋山 照子さん
■定年引上げ等奨励金のお知らせ
中小企業定年引上げ等奨励金
独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構
高齢者助成部
【労務資料】
中小企業における従業員の教育訓練の実態

2010年7月号
■特集
賃金とは、何か?!
【総論】賃金とは何か
同志社大学社会学部教授 石田 光男
【Q&A】70歳まで働く賃金制度を、どうつくるか
マツダ・ビジネス・コンサルティーション
代表取締役 松田 憲二
【企業事例】
均等待遇を基本に社員の一本化を実現し、
「同一労働同一賃金」に立ち返ったロフト
株式会社ロフト
〈新連載〉
働く人の「生涯職業能力開発」の
確立をめざして


独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構


【表4 背文字】
エルダー 2011/1
平成23年1月1日発行(毎月1回1日発行)第33巻 第1号通巻375号
〈発行〉独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構
〈発売元〉労働調査会
定価480円(本体458円)



http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/579.html#c1

コメント [カルト7] 既に異常な勢力が社会のイニシアティブを握っているという事実 たそがれ竹べえ
02. 2011年1月08日 16:15:58: FEIm8CG5to
どうすれば正義を取り戻せるのでしょう。諦めて黙るしかない大人しいインテリ層ではますますつけ上がらせるだけですし、かと言って何かをすれば集ストの対象にされる。どうしょうもない心の荒んだ社会になって来ています。
全ては大新聞の堕落から始まったと言っていいでしょう。聖教新聞が社会の啓蒙をしているようではどうしょうもありません。
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/774.html#c2
コメント [経世済民70] 日本郵政・斎藤社長が会見 郵便会社の人件費抑制検討(フジサンケイビジネスアイ) 最大多数の最大幸福
01. 2011年1月08日 16:17:02: 5OSV8Up776
役員の経営責任は問われないのか?
下っ端は支持通り働いただけだろ。
下っ端なんだから。
郵便局は民営化したんだから、赤字なら経営者に責任がある。

役員総退陣・・・ってのが筋だろ。

郵便局のように労働集約型の事業の場合、下っ端を切れば単純に仕事をこなせなくなって更に事業はうまくいかなくなる。
働くおじさん、おばさんは貴重だが、経営者は貴重じゃない。
内部から出世しても良いし、外部から呼んでも良い。
民間なんだから好きに出来る。

郵政民営化で美味い汁を吸っている奥田とかその辺の連中を甘やかすな・・・と思った。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/577.html#c1

コメント [経世済民69] 日産もフーガでハイブリッドカーに参戦、2クラッチ式ハイブリッドは横置き4気筒エンジンのFF車にも搭載できる。 TORA
02. 2011年1月08日 16:17:04: aIclQUEYOY
ハイブリッド車って、プリウスだけが日本とアメリカで人気があるだけなんですよね。
2010年アメリカ市場のハイブリッド車販売実績
http://www.hybridcar.com/index.php?option=com_content&task=view&id=796&Itemid=45

他のハイブリッド車が販売不振なのは、安くなる燃料費では
ベースのガソリン車に対する価格上昇分を補えないからという意見もありますが
プリウスと同様に専用車体で、ベースのガソリン車との価格差をわかりにくくした
インサイトは 1965台
アメリカで最も売れ筋の2.4Lクラスのセダンであるカムリは同年同月で25014台の販売だそうですが
http://pressroom.toyota.com/pr/tms/toyota-reports-october-sales-177918.aspx

そのうちカムリハイブリッドは 1194台

日米でのハイブリッド市場では一人勝ちのプリウスもEUや中国では売れてません。

日産は、
・電気自動車
・環境型ターボ&スーパーチャージャー
・アイドリングストップ車
・世界で最も厳しい日本の規制(厳しいのは乗用のみ商用は緩い)に対応したクリーンディーゼルと
多種多様な環境技術を市販し始めましたので、その一環でハイブリッドも投入したものと思いますが、
世界的に見るとハイブリッド車市場はゴーン氏の言うとおりで、相変わらずニッチマーケットであるようですね。

http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/887.html#c2

コメント [カルト7] 問題なのは集団ストーカー疑惑に対する創価学会側のスタンスです。 K24
05. K24 2011年1月08日 16:19:56: RUW.8Yy8eqVmQ : WnZH9yEupw
>02. 2011年1月05日 16:23:42: hGLSnXaUNw
>まだやってんのか、このバカ。
>集団ストーカー と 海老蔵で 25400件だ。たった一ヶ月やそこらで
>この伸び具合だ。お前も海老蔵の実績を少しは見習え。

チベットよわー hGLSnXaUNw での検索結果 8件ヒットしていますね。

検索結果いい加減にしなさい。創価学会は、集団ストーキングなどやってません
...2010年12月31日 ... チベットよわー 2011年1月01日 07:20:57: Xy93FIMaJupUQ : hGLSnXaUNw 少なくとも創価は、清水さんの悩みをきいたら、真摯に励まし元気づけようとしたと思う。それができない奴が、根拠なき非難を創価にあびせることができようか? ...
www.asyura2.com/09/cult7/msg/751.html - キャッシュシー・

シェパードの正体、日本経済をボロボロにする人々(日本漁業を ...
2010年12月30日 ... チベットよわー 2010年12月31日 21:20:17: Xy93FIMaJupUQ : hGLSnXaUNw カナダ・ オーストラリアというのは、中国人の爆発的な移民でもう、アジアというものに根源的な恐怖を持っているからその反動でなぜか日本人に過剰な防衛反応をして ...
www.asyura2.com/09/cult7/msg/749.html - キャッシュ2011年1月03日00時04分 〜

2011年1月3日 ...
チベットよわー 2011年1月03日 04:51:44: Xy93FIMaJupUQ : hGLSnXaUNw 創価を批判して実のない人生を歩むよりは創価に入信して迷いのない人生を送るほうがよいとは思う。 創価のおかげで、貧しくても前向きに勇気を持って生きていくこと ...
www.asyura2.com/archives/11/01/03/other/0004.html - キャッシュ

2010年12月31日14時44分 〜
2010年12月31日 ... コメント [カルト7] いい加減にしなさい。創価学会は、集団ストーキングなどやってません。 チベットよわー 02. 2010年12月31日 20:12:10: hGLSnXaUNw 集団ストーキングに関して、一番真実に迫った投稿をしてきたのは私だよ。 ...
www.asyura2.com/archives/10/12/31/other/1444.html - キャッシュ

Re: 言い分を一つ一つ検証しますよ。 K24
2011年1月3日 ... (回答先: 言い分を一つ一つ検証しますよ。 投稿者 チベットよわー 日時 2010 年 12 月 31 日 18:06:16). これが検証なんですか? ... 2011年1月07日 10:51:35: hGLSnXaUNw いちいち新しい投稿ページを作らなくていいでしょ。 ...
www.asyura2.com/09/cult7/msg/757.html - キャッシュ

問題なのは集団ストーカー疑惑に対する創価学会側のスタンスです。 K24
2011年1月3日 ... 投稿者 チベットよわー 日時 2010 年 12 月 31 日 17:35:06). >Re:いい加減にしなさい。創価学会は、集団ストーキングなどやってません。 ... 04. 2011年1月06日 15: 44:45: hGLSnXaUNw 一部の読者を考慮(こうりょ)しなくてゴメン ...
www.asyura2.com/09/cult7/msg/759.html - キャッシュ

2011年1月01日00時08分 〜
2011年1月1日 ... チベットよわー 2011年1月01日 07:17:10: Xy93FIMaJupUQ : hGLSnXaUNw 04が正しいでござるよ、ニンニン. >仙波さんは公安警察が講演会のどこにいってもつきまとう。冤罪で逮捕するためだと動画で言っている。 ...
www.asyura2.com/archives/11/01/01/other/0008.html - キャッシュ

三菱自動車再生委員会−2
チベットよわー 2010年12月31日 21:20:17: Xy93FIMaJupUQ : hGLSnXaUNw カナダ・ オーストラリアというのは、中国人の爆発的な移民でもう、アジアというものに根源的な恐怖を持っているからその反動でなぜか日本人に過剰な防衛反応をしているんだよね。 ...
6254.teacup.com/motoshain2000/bbs - キャッシュ - 類似ページ


さて、こんなことより集団ストーカーの嫌疑を掛けられ続けている創価学会側の言い分が聞きたいものです。

http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/759.html#c5

コメント [マスコミ・電通批評11] 岡田幹事長の囲み取材の後、「メモ合わせ」をする岡田番記者たちの写真(Kanematsu氏のTwitterより) 蔦
06. 2011年1月08日 16:26:09: iTN02K46P2
記者会見場で、ノートパソコンにブラインドタッチで文章を入力している光景を見ると、「すごい!!」と関心してしまいますが・・・。

話を元に戻して、日本のマスコミは護送船団方式でしっかり守られていると思います、「情報は各社均等にやる代わりに変なこと書くなよ」みたいな暗黙の了解がり、どこのマスコミを見てもほぼ同じような内容になった結果、スクープ合戦がほぼなくなり、面白みのない内容になった気がします、もちろん、捏造や誤報は論外です、

勝谷氏は、「お前ら(大手マスコミ)が記者会見終了後に、記者が集まって答え合わせしよんねんで、スクープ取ろうとは思わんのか、ボケッ!!」という内容の発言を関西ではよくしておられますが、

マスコミ各社に競争意識があれば、他社の記者が聞き漏らした内容を自社だけが記事にすれば大喜びしなければならないし、会見が終了しても演壇に近づいてより深い質問をしようとか、他社を出し抜いて我が社だけの情報を得ようとする様子もありません、

終了後、マスコミの記者は、すぐ片付けに入ってさっさと退出しようとしているようです、そりゃ、裏では「夜討ち朝駆け」はしているでしょうが、それが、記事に反映されているかと言えば、はなはだ疑問です、「天安門広場」「金日成広場」のある国の報道機関に毛の生えた程度の、成熟度しかないとうことでしょう、

という風に、一読者しては見えるのですが。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/433.html#c6

コメント [雑談専用39] 埼玉入間の田中さん。藤沢まで来ていただき、ありがとうございました。 愚民党
01. 地には平和を 2011年1月08日 16:27:36: inzCOfyMQ6IpM : n7I0iAYEBo
愚民党さん 良かったですね。

田中さん  ありがとうございました。

舞台と街頭と阿修羅が結合しましたね。

色々な場で表現して行きましょう。

私もデモを主催する事によって通行人にどう表現すればいいのか?と思案中です。

親しみを持てるような形にしたいです。

愚民党さん、12月6日に鈴木宗男氏の収監の立ち会いに行こうとして何故か最初間違えて最高裁判所に行ってしまいましたね。私もトンチンカンでした。その際に愚民党さんが見学に来てバスに乗って帰る小学生に向かって敬礼してしましたね。小学生も気がついて笑いながら敬礼してましたね。私もマネをしました。あの事が何故かとても印象に残っています。あの小学生達には一生会う事は無いのかも知れませんが、彼らにも我々にも楽しい思い出として残ったと思います。気さくに誰にでも挨拶をする。これが表現の第一歩だと思いました。たまたま、奇跡的にこの世に生まれたまたま出会ったのですからお互いに生きて出会えた喜びを表現すればいいのですね。私にはああいう発想はありませんでしたので楽しかったです。ありがとうございました。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/126.html#c1

コメント [経世済民70] ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(日本経済復活の会blog)-今の日本で超インフレはありえない JAXVN
26. 2011年1月08日 16:32:43: fNXXsUfrjA
米連邦預金保険公社(FDIC)は2010年12月17日、
Community National Bank
First Southern Bank
United Americas Bank
Appalachian Community Bank
Chestatee State Bank
The Bank of Miami
の6行が当局により閉鎖されたと発表した。これで2010年の米銀破綻は計157行となった。
不動産関連損失が広がる中で中小銀行がバタバタと潰れているわけだが、潰れるべき潰すべきは地域に密着しているこのような中小銀行ではなく、この基を創ったゴ−ルドマンサックやバンク・オブ・アメリカ・メリルリンチである。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事によれば、次に金融危機が訪れるとすれば、17年後であることを願おうと、祈りを込めた記事が出ていた。米連邦預金保険公社(FDIC)は、預金保険基金(DIF)が準備万端になるまで、それくらいの年月がかかっても仕方ないと考えている。17年という数字は、FDIC理事会が2010年12月14日に承認した新規則に基づいて計算したものだ。新規則では、DIFの目標準備率が、被保険預金総額の2%にまで引き上げられた。これまで定められていた水準は1.5%。だが、準備率の目標水準をはじめとするこれまでの制約では金融危機には対処しきれず、315もの金融機関の破綻を招くこととなった。その結果、860の金融機関がFDICの要注意銀行リストに載っているにもかかわらず、2010年9月30日時点の同基金の残高は80億ドル(約6700億円)のマイナスとなっている。そもそも準備金の目的はマイナスになるのを防ぐことにある。FDICの分析には、前回の危機時に政府から救済を受けたような、「大き過ぎて潰せない」銀行が破綻する可能性は加味されていない。
我々は決して、ゴ−ルドマンサックやバンク・オブ・アメリカ・メリルリンチを生かし続けるべきではない。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/538.html#c26
コメント [雑談専用39] ベーシックインカムは政府紙幣を発行すれば可能である。 アミ
07. 地には平和を 2011年1月08日 16:35:53: inzCOfyMQ6IpM : n7I0iAYEBo
通貨発行権が政府にあってそれを貧乏人に配る事には何の問題もないどころか経済を立て直す最大の手段である事をもっと周知徹底させなければなりません。まずはこの認識を広める事です。それが実現する為の最大の手段です。毎日、毎日、ネットで政府紙幣発行の提言を行っていく事です。もちろん、政府紙幣発行せよ!という総決起集会を開催するのもいいし、デモをやるのもいい。これは運動であり、この事に反対する国際金融資本との熾烈な闘争になる事は必至です。検察やマスコミ批判のデモの中でも訴える事ができないか議論をしていこうと思っております。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/124.html#c7
コメント [カルト7] Re: 言い分を一つ一つ検証しますよ。 K24
06. K24 2011年1月08日 16:39:11: RUW.8Yy8eqVmQ : WnZH9yEupw
>01. 2011年1月07日 10:51:35: hGLSnXaUNw
>いちいち新しい投稿ページを作らなくていいでしょ。
>どうせ3行ならコメントで十分だよ、どこまで自己顕示欲が強い人だ。


なぜ?
構わないではありませんか、
検証というからにはやはり投稿ページを新たに建てたほうがいいでしょう?
なにもコソコソとコメント投稿することもありません。

それに当方は自己顕示欲など強くありません。
もし自己顕示欲が強いなら、連続投稿をしていますよ。

>あのね、K24さんレベルの人間が1000人あつまってああだこうだ
いって議論をまとめるより、私がそのレベルの1億人分考えてあげたほうが
真実に近いんだよ。主観とか客観とかはどうでもいい、優れた見地から
でてきているかどうかが問題なんだよ。

ははぁ、そうですか、で、貴殿の言う『優れた見地』のなせる技が、あの『検証』なのですか?

当方には『検証』ではなく、どう考えても単なる個人的主観を並べた『感想文』にしか見えませんし、『1億人分考えてあげた』結果の言説とも思えません。

http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/757.html#c6

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] 2chオワタ\(^o^)/ 記者キャップが流出し、ニュー速がわけわからんことに 此れ多分朝鮮の聯中が報復に出たんだらうね 不動明
03. 2011年1月08日 16:41:15: 2tB1NFRjwY
また独立党の自作自演か。

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/239.html#c3
記事 [地域13] 室蘭市内の神社でどんど焼き始まる―祈りの炎、赤々と
【2011年1月8日(土)朝刊】 室蘭民報

http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2011/01/08/20110108m_02.html

室蘭市内の各神社で7日から、正月飾りなどを焼くどんど焼きが始まった。参拝者は立ち上る煙を手で寄せながら、健康と無事を祈念していた。

 海岸町の室蘭八幡宮(奈良守房宮司)では境内の一角に祭壇を設け、奈良宮司が厳かに神事を行った後、集められたしめ飾りや神具に火を放った。

 この日は、風が強いため焼く量は控えられ、市民が持ち寄った飾り物などは保管場所に集められていた。境内で神事を見守っていた約100人の市民は、オレンジ色の炎に向かい無病息災を願い手を合わせていた。

(佐藤重理)

http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/436.html

コメント [カルト7] 既に異常な勢力が社会のイニシアティブを握っているという事実 たそがれ竹べえ
03. K24 2011年1月08日 16:46:01: RUW.8Yy8eqVmQ : WnZH9yEupw
創価学会と集団ストーカーに関して確実にいえること

それは、ネット上に広がる創価学会に対する大量の集団ストーカー疑惑に対して、
なぜか創価学会側が無視黙殺しているとしか思えない状況
創価学会側はまるで手も足も出せないかのように沈黙したままです。

これは何を物語るのか?

http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/774.html#c3

記事 [ペンネーム登録待ち板6] 私たちが小沢一郎氏を守らねばならない理由(植草一秀の『知られざる真実』)
2011年1月 5日 (水)
私たちが小沢一郎氏を守らねばならない理由
私が小沢一郎氏を擁護する理由について複数の質問があったので、私の立場を明らかにしておきたい。
 
 最も重要な認識は、小沢一郎氏を攻撃する側の論理に正当性がないことだ。たしかに小沢一郎氏はかつて自民党政治の中心に位置していた。このことをもって小沢氏を金権体質だと批判する向きがある。しかし、金権体質はかつての自民党の体質を表現したものであり、小沢氏個人の問題ではない。
 
 自民党が国政選挙に際して米国CIAを通じて選挙資金を得ていたことも明らかにされている。明らかな公職選挙法違反であり、『日本の独立』の根幹を揺るがすような現実が存在していたわけだ。
 
 2009年以来、問題とされてきたのは小沢一郎氏の政治資金管理団体「陸山会」の収支報告書に関する問題である。
 
 これまで取り沙汰されてきた問題は、具体的に言えば、西松関連の政治団体からの献金を事実に即して収支報告書に記載したことに関する問題と、2004年10月から2005年1月にかけて陸山会が購入した不動産に関する収支報告書への記載に関する問題である。
 
 前者の問題について、2010年1月13日の法廷で、西松建設元総務部長岡崎文彰氏が、二つの政治団体に実体があったこと、そのことを大久保隆規氏に伝えていたことを証言した。この証言により、大久保氏の収支報告書への記載が適正であったことが明らかにされた。つまり、2009年3月3日の大久保氏逮捕は不当逮捕だったことになるのだ。
 
 後者の問題について、小沢氏サイドは2005年1月の不動産取得として報告書に記載した。農地法の規定により所有権移転に時間がかかり、所有権移転が完了した2005年1月の日付で収支報告書に記載したものである。
 
 購入資金は小沢氏が銀行から融資を受けた4億円を充当し、このことは収支報告書に記載された。ただ、資金の受け渡しと銀行融資の間に短時間のずれがあったため、この期間、小沢一郎氏が資金を立て替えた。これまでの収支報告書への記載では、立て替え払いについては記載しないのが通例であったため、小沢氏サイドはこの立て替え払いについては記載しなかった。
 
 ところが、これらの収支報告について、不動産取得時期は2005年1月とせず2004年10月とすべきである、小沢氏の一時的な立て替え払いとその精算についても収支報告書に記載すべきだと主張が浮上した。
 
 2009年3月3日に公設第一秘書大久保隆規氏が逮捕されたのは前者の問題、2010年1月15日に衆議院議員石川知裕氏、大久保隆規氏、池田光智氏が逮捕されたのは後者の問題を「虚偽記載」と認定されたためであった。
 
 この事実だけをもってしても、小沢氏に関する、いわゆる「政治とカネ」問題がいかに奇異なものであるのかが分かる。小沢氏の政治資金管理団体とまったく同様の事務処理を行った政治家の資金管理団体は二桁の数の規模で存在する。そのなかで、小沢氏の事務所だけが「虚偽記載」で摘発されたのだ。このとき、漆間巌官房副長官は「自民党には波及しない」と明言したことが事態の本質を端的に示している。
 
 裏金を受け取った、あるいは賄賂を受け取った、しかも、それらの政治資金を表に出さず隠した。このような事実が存在するなら、小沢氏の「政治とカネ」の問題として大きく取り上げるべきだろう。
 
 しかし、これまでのところ、そのような事実は判明していないのである。小沢氏サイドが水谷建設から5000万円ないし1億円の裏金を受け取ったのではないかとの憶測が流布されているが、検察当局はまさにこの疑いに焦点を絞って、何度も強制捜査を繰り返し、犯罪の立証を試みた。
 
 ところが、犯罪を立証することができず、小沢一郎氏に対して不起訴の決定を示したのである。新たな裁判で検察サイドは、水谷建設関係者を証人申請し、資金の提供を証言させようとしているが、その証人として申請される水谷建設関係者は、過去に検察と取引をして、虚偽の証言をしたことがあることが判明している。
 
 つまり、水谷建設関係者の証言を信用することはできないのである。
 
 それでも、検察サイドは虚偽の証言でも、小沢氏のイメージを傷つける証言を得られるならそれが得策であるとの判断から証人申請をしていると見られるが、公正な裁判を行う上で、邪道であるとしか言いようがない。

 つまり、「政治とカネ」の問題とされている一連の問題に、真の実体は存在しない。
 
 詳細を調べる者には、この真実がすぐにわかる。マスゴミや菅−仙谷両氏をはじめとする民主党悪徳8人衆が、こうした基礎的事項を知らないはずがない。
 
 マスゴミが正義と公正を追求するなら、問題とされていることがらの詳細をすべて一般読者、視聴者に明らかにするべきである。小沢氏に説明責任を求める前に、すでに明らかにされている「真実」が山のように存在しているのだから、その「真実」を国民に分かりやすく説明するべきだろう。
 
 国民は、すでに明らかにされている「真実」を知るなら、恐らく全員が、なぜこのような「犯罪」とはかけ離れた問題を「小沢氏の政治とカネの問題」として、これほど過剰に取り上げてきたのかについて驚愕するはずだ。
 
 つまり、マスゴミも民主党悪徳8人衆も、問題が存在しないことを十分に知りながら、ものごとの詳細には触れることをせずに、ただひたすら「小沢氏が悪い」のイメージを流布しようとしていることが判明するのである。
 
 つまり、小沢氏擁護の原点は、小沢氏サイドに「悪」のレッテルを貼られる事由が存在しないことにある。立証されていない「悪」を根拠に、マスゴミの土石流のような情報流布により、一個人の人権を奪い去るような手法=メディア・ファシズムに対して、私たちは正面から闘いを挑まねばならないのである。
 
 次の思考は、それではなぜ、無実の小沢氏がこれほどまでに攻撃を受けるのかとの視点からのものだ。小沢氏がこれほどまでに激しい不当な攻撃を受けるには、相応の理由が存在しなければならないと考えるのが「論理的思考」の順路である。
 
 私は1993年の細川政権樹立時から一貫して小沢一郎氏の政治行動を支持し続けてきている。「政権交代」のある政治状況を生み出すことが、日本の政治浄化のために不可欠だとの考えを保持してきたからである。
 
 1996年に橋本政権が消費税大増税の方針を定めたとき、在野でもっとも強く反対論を唱えたのは私だった。この主張を当時の新進党が採用した。
 
 その後、新進党が分裂し、小沢氏が自由党を結成して以降も、私は自由党と連携しつつ行動し続けてきた。反自民勢力が分裂していては政権交代の実現は困難であることから、民主と自由の合併が必要であることも訴え続けた。
 
 その延長上に民由合併が実現し、ついに2006年4月に小沢一郎民主党代表が誕生した。
 
 この小沢一郎氏が「国民の生活が第一」の政治方針を掲げたのである。
 
 私は、かねてより政権交代によって実現しなければならない「三大課題」があると主張してきた。
@対米隷属からの脱却
A官僚主権構造の破壊
B政治と大資本の癒着排除
である。
 
 小沢一郎氏は、結局、この三つをすべて採用した。
@米国に対しても言うべきことを言う
A官僚の天下り根絶
B企業団体献金の全面禁止
を明確に示したのである。
 
 昨年の6月2日の政変により菅直人内閣が生まれた。菅直人氏はかつて「改革」の旗を掲げていたが、いま実行している政策にその片鱗がわずかでも残っているか。
 
@米国の言いなりになり、
A官僚の天下りを全面擁護し、
B企業団体献金の全面禁止に背を向けている
のではないか。
 
 さらに、追加的な二つの課題は、
C市場原理主義から共生重視主義への転換
D警察・検察・裁判所制度の近代化
であるが、この点でも菅直人氏は「反改革」の方向を向いている。
 
 米官業のトライアングルが政治の実権を持ち、米官業政電利権複合体が支配する日本政治の基本構造にとって、小沢一郎氏が天敵であることがよく分かる。この点を正確に、かつ確実に認識することが、次に何よりも重要になるのだ。
 
 日本政治構造の刷新、主権者国民の主権者国民による主権者国民のための政治を確立してゆくには、まず、小沢一郎氏に対する不当で卑劣な弾圧と闘うことが出発点になる。
 
 主権者国民勢力を糾合して、悪徳ペンタゴン勢力と対峙しなければならない。その際、その先頭に立ち、すべての主権者国民勢力を糾合できる存在は、現状では小沢一郎氏をおいて他にないと考えられる。
 
 私たちは現実社会のなかで闘いを進めている。現実を離れて空想論を唱えても意味はない。この現実に両足を踏みしめるとき、現実の戦略として小沢氏を擁護し、同志を糾合し、悪徳ペンタゴン勢力と対峙するしか道はないと考える。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c66b.html
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1059.html

コメント [戦争b7] 厳冬のアフガニスタン:ゴミ屑を拾い集め暖をとり家族の命を支える少女 妹之山商店街
05. 2011年1月08日 16:57:47: WGd80bxlQn
「所謂<テロとの戦い>の本当のテロリストは、このアメリカから何千キロも隔てた土地ではなく、ぼくらのごく身近な雲の上にいた。
この国の大富豪らが、更に大儲けを図るために駆り集めた、ぼくら若者の貧乏人ばかりを、遙か遠く離れたイラクへ送り込み、もっと貧しく罪のない住民たちにも、手ひどい戦火を浴びせ、襲わせるそんなシステムこそ、この戦いの本質、敵なるものの真の正体だった!」
                        (あるイラク帰還兵の告白)

ドキュメンタリーフィルム、「Winter Sordier(冬の兵士)」 田保寿一監督
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/161.html#c5
コメント [経世済民70] ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(日本経済復活の会blog)-今の日本で超インフレはありえない JAXVN
27. 2011年1月08日 17:00:28: fNXXsUfrjA
ゾンビ米銀・シティグループは、呆れるような発表を行った。ピーター・オルザグ前米行政管理予算局(OMB)局長をグローバル・バンキング部門の副会長に起用すると発表したからだ。これでシティグル−プは、天下り政府要人の起用が今月で2人目となる。
しかし、シティの広報からの説明では、オルザグ氏が連邦政府当局者との折衝する行為はないとしている。
おやおや、「大き過ぎても潰せる」気運の高まりから、懸命に保身を図っているご様子。バンカメも、いずれこれに続くのか。
シティは政府FRBが潰しにくいように、少し外堀を埋め始めているのですね。しかし、我々はこいつらを絶対に潰さなくてはならない。「やり得は許さない」、そのような断固とした決意をもって、世論をもって潰しにかかりたいものです。
弱者を追いつめ、マネ−ゲ−ムに明け暮れ、最後には金融システムをぶっ壊した。このような、いわば酒酔い運転で、かつ「ひき逃げ」を犯したような存在を放置しておくわけにはいかない。米政府、FRBがいくらゾンビ・シティを守ろうと働きかけても、我々は理性、世論をもって、この「酔っ払いひき逃げ犯」を死刑台まで引っ張ってこなくてはならない。
一方で、米財務省は、金融危機下で救済措置として取得したシティの残りの普通株をすべて売却したことを明らかにした。少なくとも政府は、シティとの関係を希薄にしたいのが本音だ。おもしろい駆け引きが今後は続きそうだ
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/538.html#c27
コメント [経世済民70] ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(日本経済復活の会blog)-今の日本で超インフレはありえない JAXVN
28. 2011年1月08日 17:03:57: fNXXsUfrjA
(ブルームバーグ):米カリフォルニア州のブラウン次期知事は、同州の財政赤字見通しを発表し、今後1年半に281億ドル(約2兆4000億円)にまで拡大する恐れがあるとの見解を示した。また会計監査官は、資金不足を理由に2011年7月までに借用証書(IOU)の利用を迫られる可能性があるとも指摘した。この見通しには遺産税減税に伴う27億ドルの歳入減が考慮されている。同州が示している直近の財政赤字見通しは250億ドル。さしあたり7カ月以内に、23億ドルの資金不足が生じるとの見通しを示した。会計監査官は「言いたくはないが、IOU発行や税還付の繰り延べ拡大となるかもしれない」ともらした。
州政府、そして地方自治体はたいへんです。連邦政府のように、FRBから好きなだけドル紙幣を横流ししてもらうわけにはいかない。デフォルト宣告せずに生き延びようとすれば、借用書(IOU)を債務者に発行して納得してもらうだけ。その効力が認められなければ、デフォルト宣告で借金をチャラにするしか道はない。
カリフォルニア州の経済規模は、ドル換算ベ−スで世界第8番目に位置するような大国並み。自分から言わせれば、欧州のギリシャやアイルランドごときに騒いでいる場合ではないと再三言っているが、現実をよく認識していないとソブリンデフォルトの本質を見誤る。
カリフォルニアがこの先、何をエンジンとしてよみがえると言うのか?少し前にはマリファナ合法化で財政再建を試みようとしたが、まだ理性のある住民によって阻止された。
歳出削減にしても、既にやりつくした。警官、消防職員、教職員などのクビ切り、給与カット、刑務所の維持管理コスト削減のため犯罪者も釈放した。確か1年前ぐらいになるかもしれないが、カリフォルニア州の連邦判事が刑務所の過密状態を考慮して受刑者が劣悪な環境で収容されているとして、州政府に対し3万〜5万人程度を釈放するよう求める決定を出した、というようなニュ−スもありました。
もうここまでやったのだから、頑張っても持続不能だとカリフォルニア州のブラウン次期知事は決断すればいいのです。頑張れば頑張るほど負の遺産が増えていくだけなのです。それは連邦政府にも言えることです。
政府関係者は、「持続不能」とはどのような状態になったらそう定義するのかを真剣に考えておくべきです。繰り返し「頑張ります、頑張ります」とバカの一つ覚えを唱えて、最後の最後で「やっぱりダメでした」というのが一番始末に悪い。
格付け会社は米カリフォルニア州一般財源債の格付けをジャンク等級まで格下げしていないが、ここまでの状況証拠が揃えば格下げするしかあるまい。いや、格付けを非対象として、格付けを付与するに値しない自治体として宣告すべきである。格付けのBレベルは実質破綻状態にあるクラスですが、州債も借用書も格付けの対象となる代物ではないとハッキリさせておくことが、格付け機関としての責務でしょうに。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/538.html#c28
記事 [戦争b7] 'Qaeda' ambushes kill 10 Yemen troops
– Fri Jan 7, 10:52 am ET

http://news.yahoo.com/s/afp/20110107/wl_mideast_afp/yemenunrestqaeda

ADEN, Yemen (AFP) – Al-Qaeda militants killed 10 soldiers on Friday in separate ambushes on two military convoys in the restive southern province of Abyan, Yemeni officials said.

"We were hit today in an Al-Qaeda ambush which resulted in the killing of five soldiers and two others being wounded," a security official who requested anonymity told AFP of the first attack.

But another security official later revised the death toll to nine soldiers.

The militants used rocket-propelled grenades and machine guns in the ambush in the area of Ameen, southwest of the town of Loder, the officials said, adding that two military vehicles were burned.

Loder health department chief Mostafa Ahmed confirmed to AFP that the bodies of five soldiers were taken to a hospital morgue. A civilian passer-by was wounded, he added.

And a medical official in Al-Bayda province, near Abyan, said the bodies of four other soldiers killed in the same ambush were taken to a hospital in his area.

The army vehicles had been escorting a lorry carrying food supplies to military bases in the area. Two water tanks were also destroyed.

Army units were hunting for the gunmen who are believed to number around 15, an official told AFP.

Meanwhile, one soldier was killed and the leader of army Brigade 111 in Abyan, Mohsen al-Juzaili, was wounded in an Al-Qaeda ambush which targeted a convoy of officials heading to the area of the earlier attack, officials said.

Awad al-Nukhy, the head of the local authority in Loder who survived the new ambush, told AFP that four soldiers were wounded in addition to Juzaili when the convoy came under fire south of Loder.

He said the group was on its way out of an army base heading to Ameen when the assailants struck.

A security official said one of the wounded soldiers died later in hospital. A medical official in Loder said that a woman was also brought in with serious injuries.

Abyan and adjacent Shabwa province have become major fields of operation for Al-Qaeda as the central government in Sanaa struggles to impose its control on the region's heavily armed tribes.

The United States last month called on Yemen to step up its fight against Al-Qaeda, one year after a botched attempt to blow up a US passenger plane.

Al-Qaeda in the Arabian Peninsula has been accused of being behind the attempted 2009 Christmas Day attack, allegedly carried out by a young Nigerian who had reportedly studied in Yemen.

In addition to its struggle against the growing presence of Al-Qaeda in the south, Sanaa is also grappling with an increasingly violent southern opposition.

Many southerners complain of discrimination in the government's allocation of resources to their part of the country, which was independent from the 1967 British withdrawal from Aden until uniting with the north in 1990.

The south seceded in 1994, sparking a short-lived civil war that ended with it being overrun by northern troops.
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/172.html

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 元気の出る聖書の言葉---どんな状況の中にあっても (岩本遠億さんのメルマガ)

 http://archive.mag2.com/0000095740/index.html

元気の出る聖書の言葉2011年1月8日

そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリー
ブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいな
くなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の
主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。指揮者の
ために。弦楽器に合わせて。ハバクク書3:17-19

+++

預言者ハバククは、神様の言葉を人に伝えるというよりは、むしろ神様に向かっ
て問い掛け、告白し、祈った預言者でした。

彼は、強者たちが自らを神としておごり高ぶり、弱者を踏みにじり、律法が軽ん
じられている状況を見て、主に訴えました。「なぜ、あなたはこの現状をながめ
ているのですか。なぜ踏みにじられている者たちを救って下さらないのですか。

そんな彼の訴えに、主は答えられました。「義人は信仰によって生きる」と。

主が握ってくださっている者たちは、主が与えて下さる信仰によって、どのよう
な状況にあっても生きる。今の苦しみを潜り抜けて生きて行く。

やがて、おごり高ぶる者たちが倒される時が来る。それは滅びの時であり、祝福
の象徴とされた果実は実らず、羊も牛もいなくなるような状況がやって来る。

その時にあっても、なお、「義人は信仰によって生きる」と。

解決の見えない状況の中にあって、苦しみ喘ぐ時、主はあなたを見捨てているの
ではありません。

あなたを背負い、あなたに信仰を与え、「あなたは義人だ」と呼びかけ励まし、
この時を潜り抜けさせてくださる方がいるのです。

あなたは、どんな状況の中にあっても、決して損なわれることのない神の子の尊
厳に満たされて行きます。希望を失ってはなりません。

+++

祈り1/8

天のお父さま。尊い御名を心から誉め讃えます。今日もあなたの大きな愛と慈し
みに包んで、御前に引き出して下さったことを心から感謝いたします。

主よ、状況に左右され、うろたえ、平安を失う私たちを憐れんで下さい。

あなたは仰ってくださいました。「義人は信仰によって生きる」と。

主よ、私たちに信仰を与えて下さい。あなたの圧倒的な真実に触れられ、あなた
を告白することができますように。

苦しい状況の中で自分と周囲に向けられた目をあなたに向けることができますよ
う、助けて下さい。あなたを告白すること、あなたを喜ぶことが私たちの力なの
です。

主よ、弱っている方々を今日も支えて下さい。今日も背負ってください。あなた
を告白することができますよう、満たしてください。あなたの義によってお一人
お一人を生かしてください。

感謝して、尊いイエス様の御名によって祈ります。アーメン。

岩本遠億

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/246.html

コメント [経世済民70] ドイツのハイパーインフレの原因と収束方法(日本経済復活の会blog)-今の日本で超インフレはありえない JAXVN
29. 2011年1月08日 17:13:56: fNXXsUfrjA
米労働省が発表した2010年11月の雇用統計によると、非農業部門雇用者数(事業所調査)は前月比3万9000人増加と、米国の現状を踏まえれば上出来な結果だった。しかし、エコノミストらが勝手に予想していたのは15万人増あたりと余りにも期待し過ぎたことで、その失望からドル売りが見られている。
家計調査に基づく11月の失業率は9.8%へと上昇し、再び2ケタも視野に入ってきた。しかし、米国の雇用の実態がわからなくなってきたというのが、個人的な見解である。家計調査、つまり雇用される側の調査と、事業所調査、つまり雇用する側の調査で、明らかに逆行する結果が続いているからです。

(万人)
  事業所調査 家計調査 失業率
7月 -5.4 -15.9 9.507%
8月 -5.7 29.0 9.642%
9月 -4.1 14.1 9.579%
10月 15.1 -33.0 9.644%
11月 3.9 -17.3 9.817%
5ヶ月累計 3.8 -23.1  

このギャップはいったい何なのであろうか?
特に、前月10月の家計調査と事業所調査では正反対の結果となっており、ここ5ヶ月累計でも、事業所側は雇用を3.8万人増やしましたと回答したのに対して、家計側では23.1万人の失業者が増えましたと回答している。ただ、どちらが実態に近いのかとなれば、やはり雇用される側の回答の方が信憑性は高いものと思われる。そう考えると、米国の雇用の一時的改善は、8月から9月で既に終えたと観るのが正しい認識だろう。
米ホワイトハウスは2010年12月2日、失業保険の給付が延長されなければ数百万人の国民に大きな打撃を与え、米景気回復をリスクにさらすことになりかねないと警告し、この12月1日に期限切れとなった失業保険給付延長法をさらに延長するよう議会に要請した。経済諮問委員会(CEA)による報告では、失業保険の給付が延長されなければ、2011年12月時点での雇用者数は、延長された場合に比べ約60万人減ることが見込まれると訴えている。さらに、失業保険の給付が延長されなければ、2011年の米国内総生産(GDP)が0.6%押し下げられるとの見通しを示した。労働関連のアナリストによると、2010年末までに200万人の延長法に基づく給付金の支払いが打ち切られ、それだけのまったくの無収入者を生むことになると嘆いている。
しかし、失業保険の給付の延長がGDPの0.6%に影響するとは、いかにも病んだ米国の姿を象徴しているかのようです。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/538.html#c29

コメント [カルト7] Re: 言い分を一つ一つ検証しますよ。 K24
07. 2011年1月08日 17:20:37: hGLSnXaUNw
いい加減にしなさい。
お前はストーカーか?

文句があるなら、お前が清水さんの妄想に対してどれだけの解答を
してさしあげることができたか、その腕前をみせてみろ。

なにもできないお前が、私に絡んで何になる?


謙虚一番、サッポロ一番


http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/757.html#c7

コメント [経世済民70] ドル安ではなく円単独高、通貨の価値は購買力で決まるのにおかしなことだ、円単独高の理由は単純明瞭 heiwatarou
04. 2011年1月08日 17:50:11: uKFoqoJusE
>>02
「輸出額=輸入額」での人件費が(輸出競争力に比し)適正だと言える。
輸出超過なら人件費を上げるべき、輸出超過が問題だと指摘しているのです。
(輸入超過なら逆ですね)
輸出超過を30年も続けた結果で日本は対外純資産残高は世界おダントツ、
円高にもなるし、日本経済のみでなく世界経済にもマイナスになっている。

>菅政権の法人税引き下げは、最も非難さるべきですね。
全く同感です、
引き下げたのだから、労働者派遣法の禁止と最低時給1000円にすべきですね
景気も良くなると思いますよ
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/576.html#c4

コメント [経世済民70] 中国バブル終焉、北朝鮮崩壊、そして日本売り tea
02. 2011年1月08日 17:54:13: cuDv0oNP5w
2011年残念ながら大きな事は起きないと思います。
小さい情報に振り回されると大局がみえません。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/557.html#c2
コメント [経世済民70] ドル安ではなく円単独高、通貨の価値は購買力で決まるのにおかしなことだ、円単独高の理由は単純明瞭 heiwatarou
05. 2011年1月08日 18:01:21: uKFoqoJusE
>>03
大企業と中小零細、正社員と派遣社員の賃金格差は可成り大きい、このままで良いはずはないのです

このために国内一斉に賃上げする、
国内全ての企業が賃上げするなら(正社員を除く)国内に限り市場競争には影響ないはずで内需が増えて景気が良くなるはず、
輸出は減るが,減れば円安になり、円安になれば輸出も増える。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/576.html#c5

記事 [文化2] 反射
はん‐しゃ【反射】

媒質中を進む光・音などの波動が、媒質の境界面に当たって向きを変え、もとの媒質に戻って進むこと。
「声が山に―してこだまする」

goo辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/181252/m0u/%E5%8F%8D%E5%B0%84/

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幸運の秘訣

今までの数千年間、多くの思想や宗教学、信仰や行法、近代の引き寄せ的な意識実現の方法が論じられて来ました。
その根底に在るのは、人類が持つ幸福に成りたい欲求です。安心した心境で暮らしたい本能でもあります。
ただ、どんなテクニックを開発しようが、何を実践しようが、自分から“出す”他への「思いやり心」「情け心」「愛情を掛ける」という、自分から“与える思考”には絶対に敵いません。仏教的には、これを慈悲(じひ)の心とも言います。これは最強の心「境」です。キレイな鏡(かがみ)と自分が成ります。
どんな強力な呪詛(じゅそ:ノロウこと)が掛けられても、相手への慈悲心を「自分が」持っていれば、キレイに跳ね返します。発信した本人に呪いが“帰り”、自分で自壊して行きます。
相手が分からない呪詛は、普段から「生かして頂いて ありがとう御座位ます」と謙虚に感謝想起をしていれば、キレイに発信者へと跳ね返ります。

金運にしても同じです。
金を欲しがる間は、何をしても失敗をします。
自分が他人を喜ばせたい、与えたい、と純粋に思いますと、福の神のほうから自分に寄って来られます。
同類が磁石のように集まる霊的法則から考えましても、自分が欲しがる間は、似たような欲しがる餓鬼(がき)が霊的にも集まります。運気は下がります。
自分が他人に与えたいと強く思えば、同じような“与える”霊的存在が自然と来ます。
昭和までの地球は、月(つき:憑き:引力)の世紀でした。つまり、「引き寄せる」引力の時代だったのです。
平成からは太陽の時代に入っています。太陽は、光や熱にしても電磁波にしても、地球へ“与える”存在です。
これに従って、地球上における文化の推進力は、“与える原理”に切り替わっています。この大きな法則に刃向かうような引き寄せ術は、不幸に成る原理へと変貌しています。注意をしましょう。

西洋文化は、古代の「狩り」の習慣が根底に在ると感じます。
無い物は、狩り取って来るという思考です。これが、信仰でも思想でも、見えない根底に隠れています。
日本にも狩りの習慣は古来からありますが、そこには感謝をする作法が在ります。生き物を狩り取れば、感謝をすることが非常に大切です。
秋に行われる神社の祭りも、収穫への感謝祭に原点があります。外国にも収穫祭があるでしょうが、日本には「いただきます」の習慣を始めとして、日常の中に色んな形で隠れています。

これからは、日常の中に「慈悲の心」と「感謝の心」を意識することが大切です。
太陽の波動が応援してくれます。誰も逆らうことが出来ない、大きな太陽の波動です。
必ず色んな事が改善して行きます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

伊勢ー白山 道
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20110107


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■ 因果律がこの世を支配している
 あなたの現在の状態は、あなたが過去において投げたボールが、白いボールであったか黒いボールであったかの結果です。白いボールは愛と奉仕であり、黒いボールとは自己中心主義です。この世には因果律があり、白いボールを投げると白いボール(幸福)が、黒いボールを投げると黒いボール(不幸)が返ってくると、心霊研究は教えます。これは正確無比で寸分の狂いもないそうです。人が因果律という壁に向かってボールを投げている姿が人生だと教えます。
 人はこうして、人生とは因果律が支配しており、自分の現在は自分が過去に投げたボールの結果だということを知るのです。ですから、現在の自分の状態を変えたかったら、今日あなたが投げるボールを変えればいいのです。あなたはいつも自分の未来を創造する「現在」に立っています。(中略)
 だから、現世(物質界)においても、人は想念で人生と住む世界を作る神である。ただ、あの世とこの世の相違点は、あの世では思ったことがすぐ実現するが、この世では実現に時間がかかるという点です。
 しかし、現在が自分の過去に投げたボールの結果である点は、あの世でもこの世でも何の違いもありません。また、このことは輪廻転生、つまりいくつもの生まれ変わりの人生の中でも、寸分の狂いもなく実現されています。あなたはあの世でもこの世でも神なのです。想念で世界を創る神と同じ仕事をするからです。
                  ――『サタンが降りた』(桑原啓善・著/でくのぼう出版)

  「この世は因果律によって支配されている」ということは、仏教では「自業自得」「善因善果・悪因悪果」という言葉で、新約聖書でも「人は自分が蒔いた種を刈り取らなければならない」という表現で、それぞれ同じ意味のことが述べられています。最近流行の言葉でいえば「原因と結果の法則」ということです。
  人がこの世で体験する内容は、すべて過去において(前世も含めて)自ら発信したこと(行為・言葉・思念=身・口・意)の結果だということです。たとえば、他人を傷つける黒いボールを投げれば、一定の時間を経て、今度は自分が他の人から同じ黒いボールを投げられ、傷つけられることになります。
  投げ返されたボールによって痛みや不快感を感じる場合は、次からは自分が投げるボールを変える必要があることに気づくのです。ボールには色がつけられていて、必ず同じ色のボールが返ってくるようになっているからです。これが「自業自得」ということなのですが、このように気づきを得るための大変ありがたい法則であることがわかります。
  新約聖書にイエスの言葉として、「あなたが他人にしてほしいと思うことを、他人にもしてあげなさい」と述べられているのも同じ意味であることがわかります。それは他人のためというよりも、まさに自分自身のためになることだったのです。新約聖書には、全く同じ意味で「与えなさい、そうすれば自分も与えられるであろう」という表現もあります。
  桑原さんが言うように、私たちがボール(思念、言葉、行為)を投げたら、異次元(霊界)を経由してきっちり同じ種類のボールが返ってくるということです。
  その一番極端な事例として、「人を呪わば穴ふたつ」という諺があります。わら人形に釘を打ちつける「子の刻参り」という呪いの儀式を行なうことによって、恨みに思う人物を呪い殺すことができるというものです。しかしながら、その呪いの念は「黒いボール」ですから、それはやがて自分のところにも同じ黒いボールとして返ってくるのです。その結果、自分も死んでしまうため、埋葬する墓穴が2つ必要になるということです。
  この「必ず同じものが戻ってくる」という宇宙の法則があるために、私たちは過去(または過去世)において投げたボールをこの人生で受け取っていることになります。各神示の伝えるところによりますと、人生でどんなボールを受け取ることになるかは、生まれる前に霊界ではある程度わかっていて、私たちはそれを覚悟して生まれてくるようです。ところが、現実にこの世界に生まれてしまうと、カルマを解消しようという霊界での決意を忘れてしまって、「なぜ自分はこんなに運が悪いのか」「なぜ自分は他の人よりも苦労をしないといけないのか」などと不満に思ったり、悩んだりするようになるのです。
  そして、神社や霊能者のところに足を運び、「どうか運がよくなるようにしてください」とお願いをします。でも、これはおかしいのです。「私が投げた黒いボールを、どうか受け取らなくて済むようにしてください」とお願いしていることになるからです。自分が投げたボールの行き先がなくなってしまいます。
  「親の因果が子に報う」という言葉があるように、祖先の投げた黒いボールを子孫が受け取る場合はあるようです。しかし、全く関係のない他人が、自分の投げたボールを受け取ってくれることはありません。「自業自得」がカルマの法則だからです。
  この物質世界を貫いている「エネルギー不滅の法則」から見ましても、投げたボールが途中で消えてしまうことはなく、ブーメランのように必ず投げた本人のところに返ってきます。その法則があるおかげで、この宇宙の秩序が保たれているのです。
  さらに、個人として投げたボールだけでなく、国家や民族、あるいは人類全体として投げたボールも、同じように返ってきます。今日の地球の自然環境破壊や異常気象は、これまでの歴史の中で人類が投げてきた黒いボールが、その子孫のところに返って来ていると考えるべきです。

フツーの人が書いた黙示録
http://www001.upp.so-net.ne.jp/apocalypse2012/karma21.html

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こだまでしょうか

         金子みすず

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。


金子みすずの心「こだまでしょうか」  
http://green.ap.teacup.com/gujo/176.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/461.html

コメント [マスコミ・電通批評11] 岡田幹事長の囲み取材の後、「メモ合わせ」をする岡田番記者たちの写真(Kanematsu氏のTwitterより) 蔦
07. 2011年1月08日 18:30:38: B5QIi2jePE
奈良から書き込みです。

>勝谷氏は、「お前ら(大手マスコミ)が記者会見終了後に、
>記者が集まって答え合わせしよんねんで、スクープ取ろうとは思わんのか、
>ボケッ!!」という内容の発言を関西ではよくしておられますが

東京のマスコミでは、そんな発言をする人はいないのでしょうか?
※上杉隆を除く。

関東の方の書き込みに期待します。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/433.html#c7

コメント [日本の事件29] 上の記事の改訂版です。 taked4700
04. 2011年1月08日 18:35:49: pM83xD4Q7c
どうみても国道354とジョイフル本田荒川沖店は2km以上離れてる
ようにしか見えないのだけど(taked470さんの貼ったgoogl地図でみて)
なぜ1kmあるかないかほどに見えるのか???
土浦バイパスまで数百メートルというのも、国道6号土浦バイパスの
ことなら、それはもっと土浦方面に2km以上行ったところで国道6号
から分岐していて、ジョイフル本田荒川沖店の横を通っている道は
国道6号です。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/656.html#c4
コメント [戦争b7] アメリカは、911事件が政府犯罪者ではないかとの情報を消そうとする 忍
01. 2011年1月08日 18:42:19: MwD6vaXd0Q
アメリカ政府にとって脅威となる人物は、テロリストに認定して暗殺する秘密作戦部隊を国防総省内に創設した。
アメリカ政府にとって脅威とは、911事件の真相を告発したり世界テロ戦争を止めようとする自分のことを指す。

US sets up center for 'secret war'

Thu, 06 Jan 2011 01:48:20 GMT

The US administration is ramping up a "secret war on terror groups" in hot spots around the globe by establishing a new military targeting center, officials say.

According to incumbent and former US officials, the center, run by the US Joint Special Operations Command (JSOC), keeps an eye on the growing use of special operation strikes against individuals.

"The new center would be a significant step in streamlining targeting operations previously scattered among US and battlefields abroad and giving elite military officials closer access to Washington decision-makers and counter-terror experts," the officials revealed to the Associated Press.

"The center is staffed with at least 100 counter terror experts fusing the military's special operations elite with analysts, intelligence and law enforcement officials from the FBI, Homeland Security and other agencies," they said.

The new military center focuses on "the offensive end of counter-terrorism, tracking and targeting terrorist threats that have surfaced in recent years from Pakistan to Yemen and Somalia and other hot zones."

The revelation comes while the US military has already increased the number of special operations and commando raids in Afghanistan.

A surge in unauthorized CIA-operated drone attacks in Pakistan along with NATO operations along the the country's border has sparked criticism from officials in Islamabad and given rise to the anti-US sentiment in the affected tribal regions.

"We've gone from 30-35 targeted operations a month in June 2009 now to about 1,000 a month," said NATO spokeswoman Maj. Sunset Belinsky.

The raids, which Washington claims to be aimed at weeding out pro-Taliban militants, often come at night and often claim many civilian lives in Pakistan.

US officials noted that several other centers dubbed military intelligence "fusion" offices are already operating in Iraq and Afghanistan.

The creation of the center, according to military officials, was an idea of JSOC's current commander, Vice Adm. Bill McRaven.

Previously McRaven had set up a military system called "counter-network" using unmanned planes, satellites and human intelligences to carry out ground operations in Iraq and Afghanistan.

"While directly run by JSOC, the center's staff is overseen by the Pentagon, while congressional committees have been briefed on its operations," officials said.

DB/MRS/MGH

Return

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http://edition.presstv.ir/TextOnly/detail.aspx?id=158849
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/171.html#c1

コメント [経世済民70] 所得を「逆分配」する国 taked4700
02. 2011年1月08日 18:45:28: BSZLL2M15c
「日本の社会保障は、その再分配の7割以上が老人福祉にあてられているため」
・・・搾取されたあとの7割と言うこと?
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/574.html#c2
コメント [戦争b7] アメリカは、911事件が政府犯罪者ではないかとの情報を消そうとする 忍
02. 2011年1月08日 18:54:00: jpp0vQHmnc
日本は、石井紘基が自民清和会に殺された!と明々白々な公然の秘密を書くと、物凄くネトウヨが火病るよ?
あそこ迄、清和会議員(後藤田正春の甥など含む)があから様にグレーゾーン金利廃止に抵抗していながら、ど厚かましい話だが。
貸付稟議書と言う、日本独特の保証人に保証上限を決めさせる書類を、流石に馬鹿じゃない(幾ら何でも自身の返済能力を認識してる)保証人に署名させてから虚偽の水増し上限書類と差し替え、当然ながら過剰に貸し付けた後の回収で裁判になる訳だが、刑事でも世界随一の有罪率を誇る日本の司法は民事でも「文面絶対主義」を貫き、其の過程で裁判官や清和会政治家が「活躍した」為に経済苦の自殺が横行した。
清和会が呑んだ命は決して石井紘基なんて一人のものでは無いよ。
副産物としての高利貸しの上がりを告発しそうな清廉裁判官は、住基ネット判決に託けて「自室で鞄紐の首吊り自殺」する羽目になる、背景は此れ。
他に小さい事実だが、ネット右翼が度々裁判官を真似て「書面絶対主義」を貫こうとするんだけど、低知能なので実質的に意味の無い、変なカルト教義ばかり庇ってる。
後、赤報隊は市谷砂土原が本拠と始めて書いた時、公安が名簿業者を装って電話を掛けて来た事もあった。
ま、些細な事だけど、満州の夜の帝王が陸軍と麻薬の「秘密」を飲んで自殺した後、昭和の妖怪が麻薬と女衒のルートを引き継いだ、此れが清和会に直通なんだから今更と言えば今更なんだけど、赤報隊はどうも旧陸軍寄りのノードとして機能してるみたいだ。
右翼内部では尊敬の対象らしい。
日本でタブーと言えば、この位ですかねえ?
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/171.html#c2
コメント [経世済民70] 日本郵政・斎藤社長が会見 郵便会社の人件費抑制検討(フジサンケイビジネスアイ) 最大多数の最大幸福
02. 最大多数の最大幸福 2011年1月08日 18:55:10: d1qFhv8SE.fbw : F3mTj8A8XA
 人件費抑制するなら、現経営陣は、総退陣すべきですね。

 しかし、この当たり前と思われることが、郵便会社だけでなく、
 その他の民間企業でも、ほとんど行なわれていない。

 弱い者を蹴落とし、自分たちだけ、贅沢三昧。

 腐った強欲者たちが、跳梁跋扈する国。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/577.html#c2

記事 [経世済民70] シュワルツネッガーの7年 IOUで生存権の保証
シュワも、結構、頑張っていた
自己責任のリバタリアニズムが米国の本質のように見えるが
現実は日本の夕張以上に、弱者の生存権を保障している
キャッシュフロー保障のには民主党の中国系出納係が活躍し
そして徹底的な情報公開が重要
というお話

確かに、橋本知事の支持を見ると、共通点はあるが
成果を出せないと、やはり厳しいというのも事実



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 ■ 『from 911/USAレポート』               第492回
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「シュワルツネッガーの7年は日本の参考になるのか?」

 カリフォルニア州では、年明けとともにジェリー・ブラウン新知事(民主)が就任
し、7年間知事を務めたアーノルド・シュワルツネッガー氏は退任しました。有名な
俳優から政治家への転身、特に前任のグレイ・デイビス氏をリコールによって引きず
り下ろし、出直し選挙で勝っての就任というドラマチックなスタートで始まった7年
でした。ですが、そもそもデイビス州政への「ノー」の原因となった破綻寸前の州財
政については、結果を出せなかった、多くの報道はそんなトーンになっています。と
にかく、このシュワルツネッガー氏の7年間については、大規模な山火事にあたって
陣頭指揮が好評だったという以外は、やはり辛口の評価が主となっています。

 結果が出なかったというのは、カリフォルニア州の債務を減らすどころか三倍に増
やしたということに尽きると思います。では、彼の州政は失敗だったのでしょうか? 
この点に関しては評価が非常に難しいところです。7年間で債務を三倍にしたという
のは、勿論全く褒められた話ではないのですが、このボロボロガタガタであったカリ
フォルニア州を、正にその中心地であった「サブプライム破綻」、そしてその連鎖と
しての「リーマンショック」という大波にも関わらず「破綻させずに7年間延命させ
た」というのは大変な手腕だということも言えなくもありません。

 彼は無策であったのではなく、逆に7年間ありとあらゆる手段を講じ続けてカリ
フォルニアを「死なない」ようにしたのです。それは、この人が俳優時代に演じてき
た「猛烈な破壊と混乱の中から正義を救い出すカタルシス」とは全く対極の行動でし
た。非常な困難の中で粘り強い調整を続けて、結果的に破綻を防いだのです。ではど
うやって破綻を防いだのかというと、徹底してキャッシュフローを守った、つまり
「資金ショート」に陥らないための政策を続けたということです。倒産寸前の会社が
資金繰りに奔走する、正にこれと一緒です。

 最大の危機は2009年6月でした。州のキャッシュは底をつき、7月から州政府
は対外的な支払いを「レジスタード・ワラント」で行う、そう発表したのです。この
「レジスタード・ワラント」というのは写真を見ると精巧なデザインが施してあった
り「小切手」や「公債の債券」に似ているのですが、実はそう簡単に換金できない、
いわば「借金の証文」です。この構想が発表されると、この「レジスタード・ワラン
ト」のことは「IOU(アイ・オウ・ユー)」というニックネームで呼ばれることに
なりました。“I owe you.”つまり「アンタには借りがある」というわけで、正に私
的な借金の証文というわけです。

 公務員への給与、州民への税還付、納入業者への支払いなどは全てIOUになると
されました。このIOUですが、州としては3ヶ月後に金利をつけて換金する一方で、
一部の銀行では即時換金が可能なはずだったのですが、その後「危険?」と見た多く
の大手銀行が換金業務を拒否したり、混乱のスタートとなりました。何と言っても州
財政の破綻イコール、このIOUは紙切れになる危険があるからです。ですが、州法
で「公債の発行限度」が決まっている中で、他に手段がないというわけで、以降は昨
年2010年までIOUの発行はズルズルと続いています。

 極端に言えば、会社が倒産しそうになったが、手形も小切手も切れないし貸してく
れる銀行もないので、自分で勝手に「借金の証文」を印刷して、取引先への支払いや
従業員への給与はその「紙切れ」でやっているというわけです。キャッシュの足りな
い分は、とにかくそうした方法を取ってきたのです。このIOUの利用を考えだした
のは、中国系の「ステート・コントローラー(州の出納役)」のジョン・チャンとい
う人でした。大恐慌の時代に一回だけ前例があるというこの制度を「伝家の宝刀」と
いうよりも「恥を忍んで」持ち出したというわけです。出納役が公選というのもいか
にもカリフォルニアですが、選挙で勝って就任したチャン氏は民主党員で、基本的に
は「歳出カット」には反対のスタンスです。

 歳出が大幅カットできないなら「資金繰り」を工夫すればいいということからIO
Uが登場することになったのですが、このIOUというのは、要するに借金です、カ
リフォルニアの州法(アメリカの連邦や各州は同様の法律を持っています)は、財政
破綻を防止するために過剰な債務や公債発行にストップをかける規定があるのですが、
その州法の「スキ」をついたIOUという手段で要するに「借金を増やすこと」に成
功したというわけです。IOU以外にも、時には法改正をやりながらとにかく「カネ
を借りられるようにして」破綻を防いだ、それが「キャッシュフロー州政」というわ
けです。

 ちなみに、歳出カットも勿論進めています。話題になったのは、バークレー校やロ
サンゼルス校で有名な巨大な州立大学システムの「UC」での経費節減と、学費の大
幅アップでした。学生がストライキを打って当局と衝突するなど、まるで60年代に
タイムスリップしたような光景が現出したわけですが、反対を押し切ってでもこうし
たリストラが可能になった背景には、シュワルツネッガー前知事の特殊な立ち位置が
ありました。

 他でもありません。奥さんのマリア・シュライバーさんは故ジョン・ケネディ大統
領や、同じく故人となったテッド・ケネディ上院議員の姪に当たるわけで、マリアさ
ん自身が2008年の大統領選で公然とオバマを支持するなど、姻戚関係として巨大
な民主党人脈があるのです。非常に強いカリフォルニアの公務員組合や教員団体など
を敵に回しつつ、とにかく落とし所へ持って行けた背景には、こうした民主党との
チャネルが機能したという見方もあります。その意味で、チャン出納役が民主党とい
うのは象徴的です。

 では、こうした「シュワルツネッガーの7年」は、財政危機に苦しむ日本の中央政
府や地方公共団体に取っては何か参考になる点があるのでしょうか? カリフォルニ
アの危機も、例えば日本の中央政府や大阪の問題などは余りに深刻である一方で、複
雑な背景がそれぞれにあり、単純な比較は不可能です。ですが、少し問題を解きほぐ
して考えると、良い意味でも悪い意味でも参考にはなると思う点があります。

 一つ目は、制度的にはカリフォルニアの方がガラス張りだということです。日本の
地方の場合は交付金あり、中央政府のダイレクトな資金提供ありという中で、中央と
地方の権限や予算配分は入り組んでいます。地方債に対する中央政府の保証は、原則
論はともかく現在でも実質的には続いています。また中央には埋蔵金やら特別会計や
ら、様々なポケットもあります。更に言えば、国債にしても、地方債にしても完全に
閉鎖した「円」の世界で動いている(東京など一部を除く)ために、グローバルなマ
ーケットの洗礼は受けないまま国内で消化されており、異常な低金利で発行できてい
るという問題もあると思います。

 その意味で、今回のカリフォルニアの問題にあるような、地方が完全に独立採算と
いうシステムの中で、否が応でも財政を破綻しないように経営しなくてはいけない厳
しい状況というのは、日本にとって参考になると思います。また、ポピュリズムが混
入する副作用はあるものの、知事だけでなく、収入役から司法長官など主要な公職が
公選になっており、相互牽制作用が強力に働いて少なくとも法的な客観性は高いレベ
ルで確保されているというのも参考になります。

 二つ目は、大きな政府論と小さな政府論の対決で論点が明確になっている点です。
知事だけでなく議会もこの両派のどちらかに属しているので、非常に単純化して言え
ば、民主党は「福祉を切るな」という観点から「まだ財源があるはずだ」とか、チャ
ン出納役などは「こんなウルトラCを使えば資金繰りのメドが立つぞ」ということを
ゴリゴリ押してくるわけです。一方で共和党の方も、事実と数字を根拠に「そんなこ
とをしたら本当に州が潰れる」という論陣を張る、勿論そこにはどの国の「政治」に
もつきものの寝技も力技も裏切りもあるのですが、とにかく論戦の中身が具体的にな
るという効果は大きいと思います。

 三つ目は、そうではあっても憲法上の生存権に絡む問題や治安維持など緊急性のあ
る問題は例外になるという原則は壊れていないという点です。例えば、日本の場合で
すと自治体が破綻すると、夕張の場合などは、一部の報道によれば救急や消防の体制
までリストラされているということのようです。ですが、カリフォルニアでもそうで
すが、安全に関わる問題、生存権に関わる問題については州の憲法に照らしてたとえ
公務員の給料が遅配になろうが(実際にIOUでそうなっています)、州政府が破綻
しようが保証しなくてはならない、アメリカでは原則としてそうした運用になってい
ます。

 日本では「いのちを守る」というのは国際社会を知らない空想的な既得権者が言っ
ているだけで、自由競争社会では餓死する人が出ても仕方がないというような理解が
一部にはありますが、「本家」のアメリカでは「餓死を見過ごす」ようなことは絶対
にありません。労働法制もそうですが「前近代の弱肉強食に戻すこと」を「アメリカ
発の新自由主義だ」などというのは歪められた議論だと思います。

 四つ目は、これは逆にダメな点ですが、住民投票制度による「バラマキはして欲し
いが、増税はイヤ。不況時は救済してほしい」という「民意のワガママ」がコントロ
ール不能になっていることです。カリフォルニアが他州とは違う深刻度に至っている
のはこの問題が大きいように思います。これも日本の議論ですが、「民主主義2.0」
などといってネット直接民主制を進める主張があるようです。こうした主張に関して
は、現在の日本の間接民主制が高齢者に有利になっている点を是正する効果という意
味では戦術の一つとして認めますが、その点を別にすれば直接民主制には欠陥がある
ということを忘れています。

 というのは、有権者の直接の利害や欲望をストレートに直接民主制に乗せてしまう
と「公共サービスは欲しいが税金は払いたくない」という矛盾を起こしてしまうから
です。この点に関して言えば、公約を掲げて当選した代議員の議会での投票行動を有
権者が継続監視するという間接民主制の方が機能的なのです。ただ日本の場合は、民
意を受けた議員が自身の選挙区民意に反してでも党議拘束に縛られてしまうことで、
民意と決定の間に「間接」どころか「分断」があるのです。直接民主制を言う前に、
とにかく首班指名以外の党議拘束を外すことが先決でしょう。

 五つ目は、カリフォルニアが大量の移民を抱え、更には不法移民も抱えて多様性を
持った社会を実現しているため、それぞれのグループの利害や権利を調整する中で財
政の身動きが取れなくなって行ったという問題です。これも良くない点ですが、ある
意味では宿命的なものだとも言えるでしょう。というわけで、カリフォルニアの財政
危機は日本の中央政府にとっても、各地方自治体にとっても全く人ごとではありませ
ん。ですが、この財政危機問題に関する日本の報道は全くピントが外れているようで
す。この点に関して特に気になるのは二点です。

 一つは財政再建というのは形式論ではないということです。具体的には単年度主義
ではダメだし、リターンのある投資は軽率にカットしてはダメだということです。今
の日本の民主党政権の「資金繰り」がダメなのは、公務員改革をやる気がないという
点はさておき、単年度で帳尻合わせができれば良いという方法論に乗せられているこ
と、そして「仕分け」に見られるように「産業活性化などリターンのある施策」を優
先するという発想がないことです。各地方の問題も同様に思います。

 もう一つは、大阪の府市統合問題、名古屋の議員歳費カット、阿久根の市役所人件
費の問題などは、「個別の権力闘争」でもなければ「既得権者を叩いてスカっとした
い壊し屋の活躍」でも何でもないということです。それぞれの地方公共団体は財政破
綻に瀕しているのです。危機はカリフォルニアほど切迫してはいないかもしれません
が、深刻度は同じです。そのリストラの第一歩として、福祉カットではなく議員の人
件費などから手を付けようとしているだけです。名古屋は一見良さそうですが、累積
債務は大きいですし、「トヨタ・バブル」の遺産としての高コスト体質は重くのしか
かっているわけで、河村市長は「話を分かりやすくするために」減税と議員歳費の話
から始めているだけだと思います。

 ですから「劇場型」のドラマとして報道するのは間違っています。どのぐらい財政
が危機的なのか、どうすれば再生できるのか、合意形成の障害は何か、といったこと
を事実に基づいて冷静にそして現実を直視すべきなのです。その上で、選択肢を民意
に提示する責任がある、その責任を地方議員やメディアは放棄しているように見えま
す。橋本知事も、河村市長も、竹原前市長も、多少方法論は粗っぽいですが、要は問
題提起をしているだけです。彼等が主役であるわけではありません。主役は住民であ
り、このまま放置すれば住民の生活に大きなマイナスの影響が出てしまうのです。

 ちなみに東京都は事情が違います。日本の中央政府や他の地方公共団体、あるいは
先進諸国の国や地方と比較すると、財政状況が「ずっと良い」のです。この問題につ
いては(1)日本全体がダメになる中、東京が成功事例として他に良い影響を与える
よう牽引する役割を強化するのか、(2)例えば東京都と大阪都(?)を合併して財
政破綻を避けるとか、東京都にマイナスの交付税を課すなど東京の富は他に還元すべ
きとするのか、あるいは(3)東京は自助努力で地方交付税の不交付団体になってい
るのだから国税が払い損になっておりもっと優遇されるべきとするのか、三つの選択
肢があるように思います。

 今年の都知事選では、そうした問題が争点となるべきだと思います。例えば宮崎の
厳しい県政を経験した東国原氏が都知事を目指すのであれば(1)にするのか(2)
になるのか、いずれにしても大胆な政策を期待したいと思いますし、国政の仕分けに
苦労した蓮舫氏の場合なら東京の「財源」を国に差し出すような姿勢になるのか、逆
に都政も「仕分け」して将来に備えるなど、仮に出馬するのであれば財政に関する明
確な姿勢が求められます。一方で、都政があまり(3)に近くなるようだと地方が
怒って反乱を起すかもしれません。それはそれで地方分権は進むのではないかという
考えも可能ですが、東京都と地方が喧嘩している構図というのは、中央政府の問題解
決を更に先送りすることになり余り感心しません。

 カリフォルニアに話を戻すと、シュワルツネッガー氏は「大ナタ」を振るうことは
できませんでした。とにかく調整を続け、債務を増やしてでもキャッシュを調達して
州を延命しただけでした。公認のジェリー・ブラウン知事は70年代に二期8年ほど
同州の知事を務めた際には、大胆な浪費カットを成功させて黒字の会計年度を実現す
るなど、財政再建に大きな実績を上げています。勿論、現在の情勢は当時より悪化し
ていますが、ブラウン知事はシュワルツネッガー州政当時には州司法長官を務めてい
ますし、州財政と州法体系の実務に精通した人物のようです。もしかしたら、実務的
な改革を積み重ねて成果を出すかもしれません。これに加えて、今年、2011年の
アメリカ政界では、2012年の大統領選挙を意識しつつ、連邦政府の財政再建問題
が大きな課題になっていくことと思われます。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーショ
ンズ)( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/580.html

コメント [よいモノ・よい話1] もう一個とっても良い事みぃつけた、でもこんな自分の投稿と今の世の中で起こっているのを対比しても涙が止まらないです。 めむめむ
04. 2011年1月08日 19:01:13: FFuNfLHeO2
めむめむさんへ 自分のこと非難するのはやめたらいかがですか。

だれでもそんなに悪人というほどの人はいないし、
善人という人もいないので、
みんなよかったり悪かったりということがあると思います。

だれもが同じくらいに大切な存在であるのですから。
めむめむさんのよいところをもっと伸ばしていいと思います。
この掲示板でめむめむさんのいいたいことをそのままいっていけばよいのではないでしょうか?



http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/153.html#c4

コメント [雑談専用39] 死ぬ準備をしています。 地には平和を
40. 2011年1月08日 19:09:06: FFuNfLHeO2
ロスチャイルド家などの役に立たない集団から石油利権やウラン利権を取り上げるなどの敵対行為をされるおつもりでしょうか?

見守っております。



http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/109.html#c40

コメント [戦争b7] 9.11事件深層暴露(?)で、米国戦争屋の極東暴発の危険高まるか、新ベンチャー革命(やらせのオンパレードという感じです) 小沢内閣待望論
01. 2011年1月08日 19:14:58: dHp4A7nK4I
思う存分、人命を弄んだカルトに洗脳された化け猫がネズミになることはありません。
化け猫は静かに病死するならよし、さもなくば、人類の大きな叫びで解体するのみです。

いかなる戦争も犯罪に帰結します。
戦争を煽るのはカルトです。

軍縮から0の道を叫び続けること以外、本当のことはありません。
軍やその兵器が無くなれば、戦争を煽る化け物も巨大共産国家も消えます。
小さな騒動はあっても、不経済も、巻き添いを食うことも最小で済みます。

自然史観精が途切れれば、ヤクザ、マフィア、ペテン師、カルト史観の政官財軍メディアによる最大限の人類の腐敗と損失です。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/166.html#c1

コメント [雑談専用39] 自分は世のため人のために何をなしうるか、という問いを切実に引き受けるものだけが才能の枯渇をまぬかれることができる。内田樹 TORA
09. 2011年1月08日 19:19:22: Iqtv44s3ZU
うん、確かに君には人を笑い転げさせるほどの有り余る才能ある。

本当の才能があれば、他人の文章をそっくり貼付けなどはせずに、
自ら文章を書くものだ。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/121.html#c9

コメント [経世済民70] 日本郵政・斎藤社長が会見 郵便会社の人件費抑制検討(フジサンケイビジネスアイ) 最大多数の最大幸福
03. 2011年1月08日 19:22:50: Pj82T22SRI
小沢が密室で選んだ元官僚の斎藤は、全く現場も経営もわからない
改革時においては最悪の経営者だ

従業員も皆、無責任化して崩壊していくのも当然だろう

郵政は完全に政争の具になって先を見通すことができない状況だが
日本の政治経済の縮図となっている


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/577.html#c3

記事 [ペンネーム登録待ち板6] 投稿可能になりました。本番投稿をお願いします。
お手数をおかけしております。

投稿可能になりましたので、

本番投稿をお願いします。

これから★阿修羅♪掲示板にどんどん投稿をお願いします。

管理人

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1060.html

コメント [マスコミ・電通批評11] 岡田幹事長の囲み取材の後、「メモ合わせ」をする岡田番記者たちの写真(Kanematsu氏のTwitterより) 蔦
08. 2011年1月08日 19:27:25: ILiTPGkN7Y
記者クラブでは、締め切り時刻に間に合いそうもない際に、他紙記者に原稿を書いてもらったりすることがあります。これは公然のことです。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/433.html#c8
記事 [テスト20] Re: てすと
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/8134 
投稿者:忍忍
投稿日:2011年 1月 8日(土)09時00分49秒 編集済


 ◆フリージャーナリスに記者魂を観た。戦場でなく総務省で!!

 なんとも閉鎖的な島国根性丸出しの連中が要るものだ。
 都合よく編集するには、目障りなのか??

 そもそも、総務省の建物内なら、税金の筈。


ついに激突! 記者クラブVSフリージャーナリスト 〜その1〜 田中龍作ジャーナル
 http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/178764301.html 


インターネット動画中継のセッティングをする畠山氏。記者クラブによるお手打ちも覚悟のうえだった。(5日、総務省記者会見室。写真:筆者撮影)








hatakezo 2011/01/05
77分30秒

2011年01月05日に行なわれた片山善博総務大臣の閣議後記者会見の中継録画です 。
これまで総務大臣の記者会見では、記者クラブに所属しないフリーランスの記者が「個人 の資格」で動画撮影することは「記者会見の主催者である総務省記者クラブ」によって「 禁止」されてきました。
税金で建てられた庁舎の中にある"公の場"、記者会見室で開かれる記者会見であるにも かかわらず、です。
ちなみに記者クラブは記者室の家賃も、記者会見室の使用料も払っていません。その上、 会見に誰を参加させるかのルールまで独自に決め、権力に対して情報公開を迫る同志であるはずのフリーランスの記者を不当に排除しています。
つまり国民の共有財産であるはずの庁舎、さらには大臣の公式な発言を、一部私企業の集 合体である記者クラブが独占しているのです。
私は昨年1月から1年間にわたり、総務省記者クラブに自由な動画の撮影、質問権、オープンな会見への参加を認めるよう要望を伝えてきました。しかし、1年経っても記者クラ ブ側の回答は「引き続き検討する」と、一歩も前進しませんでした。
総務大臣会見のオープン化から丸一年が経過したこの日、私は公の場で行なわれる記者会 見がすべての国民に「開かれていない」ことは、国民の知る権利を損なうと考え、会見の 主催者である記者クラブのルールを破ることを承知でインターネット中継しました。
私は記者クラブのメンバーではありませんし、記者クラブの設定したルールには、「国民 の知る権利」を上回る「大義」がないと判断したからです。
ちなみに記者会見終了後には、総務省記者クラブ幹事社とフリーランスの記者との間で話 し合いも行なわれました。その模様も収録しています。
◆以下、フリーランスの記者による質問開始時間メド
20:30〜 畠山理仁の質問
29:00〜 寺澤有氏の質問
37:50〜 田中龍作氏の質問
60:00 過ぎ〜 記者クラブ幹事社との話し合い “ ”


ついに激突! 記者クラブVSフリージャーナリスト 〜その2〜 田中龍作ジャーナル
 http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/179296565.html


「現行犯」の畠山氏(後ろ姿)を咎める幹事社(前列・ヒゲの男性)。=5日、総務省記者会見室。写真:筆者撮影=


ついに激突! 記者クラブVSフリージャーナリスト 〜その3〜 田中龍作ジャーナル
 http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/179483790.html


国権の最高機関たる「記者クラブ総会」を招集する張紙。記者クラブ員以外がこの場所で撮影することは固く禁じられている。(7日、総務省記者クラブ。写真:筆者撮影)


───

●(関連投稿)
記者会見の生中継をめぐり、総務省記者クラブとフリーランスが激突
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/435.html
投稿者 gikou89 日時 2011 年 1 月 07 日 02:59:52

http://www.asyura2.com/10/test20/msg/919.html

コメント [経世済民70] ドル安ではなく円単独高、通貨の価値は購買力で決まるのにおかしなことだ、円単独高の理由は単純明瞭 heiwatarou
06. 2011年1月08日 19:33:59: Pj82T22SRI
>国内全ての企業が賃上げするなら(正社員を除く)国内に限り市場競争には影響ないはず

最低時給1000円にしたらどうなるか、地方の中小企業の人に聞いてみるといい
経済をちゃんと勉強しよう
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/576.html#c6

コメント [社会問題7] 運転免許証にRFIDが埋め込まれている理由 杉崎隆彦
53. 2011年1月08日 19:51:06: FFuNfLHeO2
17.さんに質問ですが

鉄パンの車内の免許証を車の外からすきみんぐできるのでしょうか?


http://www.asyura2.com/09/social7/msg/742.html#c53

コメント [経世済民70] 米ロックフェラー家 石油からエコ農業へ gikou89
01. 2011年1月08日 19:51:45: Pj82T22SRI
>石油や肥料をできる限り使わずに穀物や野菜を栽培し、家畜を飼育する実験が行われている。
> 農場には温室もあるが、暖房をまったく使わないか、設定温度を極力低く抑えるかして、“脱石油”による「持続可能な農業」を目指す。収穫は「地産地消」

先進国での人手と面積をふんだんに使う食糧生産は、
安心と高品質を求める富裕層やちょっと贅沢をしたい中流層をターゲットにするには良いだろう
しかし低コストで食糧を調達したい貧困層にはほとんど縁のない世界だな

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/564.html#c1

記事 [昼休み44] 米国は、イラクで少数派のクルド人を悪用したように、日本では在日・部落出身者を間接支配に利用してきたようです。
日中戦争へのシナリオを遂行する前原の出自を拡散すべし(属国離脱への道)
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/909.html
投稿者 HARA 日時 2011 年 1 月 08 日 14:16:40: 4VaFRqhdRnzhQ

作成者 : i_move
作成日時 : 2011/01/08 10:52
http://qualitysaitama-blog.at.webry.info/201101/article_7.html

 当ブログでは、しつこいくらいにヒラリーケツ舐め外相前原について取り上げてきているが、こんなアホに日中戦争へ誘導されたり日本市場を米ユダヤにくれてやるためのTPP導入など実行されるのは多くの国民にとって死活問題なのだから当然だ。
 
 さて、今回は前原の出自について考えてみよう。まず、前原は日本版ネオコンと言われる。アメリカのネオコン=ネオコンサーバティブ(新保守主義)は、多くの研究者が分析しているようにもともとトロツキストを源流とする。日本でもありがちな偽装転向を伺わせる。前原の仲間凌雲会の仙石は元全共闘の極左運動家、同じく凌雲会の枝野は革マル派という香ばしい出自と同様の胡散臭さを発散している。

 前原が米ユダヤのネオコンどもと密接なつながりを持つのはいうまでもない。前原は、ジャパンハンドラーズと言われるマイケル・グリーンやアーミテージの手先となって動いている。前原のブログを漁るとマイケル・グリーンと一緒に食事している写真も見つかる。外相となってからは、直接ヒラリーの指図を受けることも増えてきた。

 リチャード・コシミズ氏のブログによると、前原は京都府議時代、同和推進副委員長を務めていた。このような地位に就くのは当然ご本人もそういう出自だということであろう。だからどうこういうのではなくて、事実は事実。しかも、前原は同和推進副委員長という経歴をプロフィールから削除までして隠蔽しているという。そして前原の妻が創価短大出身で、妻の両親も熱心な創価信者というのは有名な話。
“前原・日中戦争担当・次期総理大臣閣下、2012年極東戦争実現に向けて、「日韓軍事同盟」を御推進ですか”


http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/532.html

コメント [日本の事件29] 上の記事の改訂版です。 taked4700
05. taked4700 2011年1月08日 19:59:00: 9XFNe/BiX575U : ZtI4vvgqFg
01さん、04さん、

国道354との距離は2kmほどですね。自分が距離を読み違えていました。

国道6号と土浦バイパスは異なるのですか?自分は同じだと思っていて、それで土浦バイパスと書いたのですが、異なるのであれば国道6号と数百mと訂正させていただきます。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/656.html#c5

コメント [マスコミ・電通批評11] 岡田幹事長の囲み取材の後、「メモ合わせ」をする岡田番記者たちの写真(Kanematsu氏のTwitterより) 蔦
09. 2011年1月08日 20:08:48: pufQrOKRSg
面白い、実に面白い試みである。こういうのを映されるのを恐れるから記者クラブメディアはフリーランスを毛嫌いするのだ。自分たちがしている事を恥じ入る気持ちはないものなのか。そのうち世界中でこんな映像が流されてそれこそTPP交渉の時にこんな日本のメディアの後進性閉鎖性がやり玉にあがるに違いない。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/433.html#c9
コメント [雑談専用39] 梅田望夫,飯吉透(著)『ウェブで学ぶ』覚書 / オープンエデュケーションは世界をどう変えるか (文筆劇場) 五月晴郎
01. 2011年1月08日 20:17:12: P3QZ4t4Tgk
「自己拡張と自己進化のための恒久的な仕組み」(ぷっ)
そんなものいらねえよ。w
アメリカや欧州の資本家が世界を支配するために必要なもののひとつが、かれらの思想を全世界に伝え、洗脳する装置だ。
安いPCなんかもそう。あれは福祉でもなんでもない。
世界には日本とは違っていくら洗脳教育をほどこしても従わない部分がある。
たとえばソマリアでありイラクでありアフガンだ。
日本人のように簡単に訓育できない。
わたしたちはそういう部分をバカにしている。
だけど、欧米の洗脳に染まらないでいつまでもアフリカ的段階にとどまっている地域や文化や精神があることは
わたしたち人類にとっての救いなのだ。
そのことをよーーーーーく考えてからものをいったほうがいい。

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/123.html#c1
記事 [お知らせ・管理19] 一日の投稿数制限について教えて下さい
本日2件目の投稿をしようとしたら拒否されました、一人一日一件の制限になったのですか。
投稿が多くてめいわくと言う事ならもう投稿するのは止めようと思います。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/486.html
記事 [テスト21] 私たちが小沢一郎を守らねばならない理由(植草一秀の『知られざる真実』)
2011年1月 5日 (水)
私たちが小沢一郎氏を守らねばならない理由


私が小沢一郎氏を擁護する理由について複数の質問があったので、私の立場を明らかにしておきたい。
 
 最も重要な認識は、小沢一郎氏を攻撃する側の論理に正当性がないことだ。たしかに小沢一郎氏はかつて自民党政治の中心に位置していた。このことをもって小沢氏を金権体質だと批判する向きがある。しかし、金権体質はかつての自民党の体質を表現したものであり、小沢氏個人の問題ではない。
 
 自民党が国政選挙に際して米国CIAを通じて選挙資金を得ていたことも明らかにされている。明らかな公職選挙法違反であり、『日本の独立』の根幹を揺るがすような現実が存在していたわけだ。
 
 2009年以来、問題とされてきたのは小沢一郎氏の政治資金管理団体「陸山会」の収支報告書に関する問題である。
 
 これまで取り沙汰されてきた問題は、具体的に言えば、西松関連の政治団体からの献金を事実に即して収支報告書に記載したことに関する問題と、2004年10月から2005年1月にかけて陸山会が購入した不動産に関する収支報告書への記載に関する問題である。
 
 前者の問題について、2010年1月13日の法廷で、西松建設元総務部長岡崎文彰氏が、二つの政治団体に実体があったこと、そのことを大久保隆規氏に伝えていたことを証言した。この証言により、大久保氏の収支報告書への記載が適正であったことが明らかにされた。つまり、2009年3月3日の大久保氏逮捕は不当逮捕だったことになるのだ。
 
 後者の問題について、小沢氏サイドは2005年1月の不動産取得として報告書に記載した。農地法の規定により所有権移転に時間がかかり、所有権移転が完了した2005年1月の日付で収支報告書に記載したものである。
 
 購入資金は小沢氏が銀行から融資を受けた4億円を充当し、このことは収支報告書に記載された。ただ、資金の受け渡しと銀行融資の間に短時間のずれがあったため、この期間、小沢一郎氏が資金を立て替えた。これまでの収支報告書への記載では、立て替え払いについては記載しないのが通例であったため、小沢氏サイドはこの立て替え払いについては記載しなかった。
 
 ところが、これらの収支報告について、不動産取得時期は2005年1月とせず2004年10月とすべきである、小沢氏の一時的な立て替え払いとその精算についても収支報告書に記載すべきだと主張が浮上した。
 
 2009年3月3日に公設第一秘書大久保隆規氏が逮捕されたのは前者の問題、2010年1月15日に衆議院議員石川知裕氏、大久保隆規氏、池田光智氏が逮捕されたのは後者の問題を「虚偽記載」と認定されたためであった。
 
 この事実だけをもってしても、小沢氏に関する、いわゆる「政治とカネ」問題がいかに奇異なものであるのかが分かる。小沢氏の政治資金管理団体とまったく同様の事務処理を行った政治家の資金管理団体は二桁の数の規模で存在する。そのなかで、小沢氏の事務所だけが「虚偽記載」で摘発されたのだ。このとき、漆間巌官房副長官は「自民党には波及しない」と明言したことが事態の本質を端的に示している。
 
 裏金を受け取った、あるいは賄賂を受け取った、しかも、それらの政治資金を表に出さず隠した。このような事実が存在するなら、小沢氏の「政治とカネ」の問題として大きく取り上げるべきだろう。
 
 しかし、これまでのところ、そのような事実は判明していないのである。小沢氏サイドが水谷建設から5000万円ないし1億円の裏金を受け取ったのではないかとの憶測が流布されているが、検察当局はまさにこの疑いに焦点を絞って、何度も強制捜査を繰り返し、犯罪の立証を試みた。
 
 ところが、犯罪を立証することができず、小沢一郎氏に対して不起訴の決定を示したのである。新たな裁判で検察サイドは、水谷建設関係者を証人申請し、資金の提供を証言させようとしているが、その証人として申請される水谷建設関係者は、過去に検察と取引をして、虚偽の証言をしたことがあることが判明している。
 
 つまり、水谷建設関係者の証言を信用することはできないのである。
 
 それでも、検察サイドは虚偽の証言でも、小沢氏のイメージを傷つける証言を得られるならそれが得策であるとの判断から証人申請をしていると見られるが、公正な裁判を行う上で、邪道であるとしか言いようがない。


 つまり、「政治とカネ」の問題とされている一連の問題に、真の実体は存在しない。
 
 詳細を調べる者には、この真実がすぐにわかる。マスゴミや菅−仙谷両氏をはじめとする民主党悪徳8人衆が、こうした基礎的事項を知らないはずがない。
 
 マスゴミが正義と公正を追求するなら、問題とされていることがらの詳細をすべて一般読者、視聴者に明らかにするべきである。小沢氏に説明責任を求める前に、すでに明らかにされている「真実」が山のように存在しているのだから、その「真実」を国民に分かりやすく説明するべきだろう。
 
 国民は、すでに明らかにされている「真実」を知るなら、恐らく全員が、なぜこのような「犯罪」とはかけ離れた問題を「小沢氏の政治とカネの問題」として、これほど過剰に取り上げてきたのかについて驚愕するはずだ。
 
 つまり、マスゴミも民主党悪徳8人衆も、問題が存在しないことを十分に知りながら、ものごとの詳細には触れることをせずに、ただひたすら「小沢氏が悪い」のイメージを流布しようとしていることが判明するのである。
 
 つまり、小沢氏擁護の原点は、小沢氏サイドに「悪」のレッテルを貼られる事由が存在しないことにある。立証されていない「悪」を根拠に、マスゴミの土石流のような情報流布により、一個人の人権を奪い去るような手法=メディア・ファシズムに対して、私たちは正面から闘いを挑まねばならないのである。
 
 次の思考は、それではなぜ、無実の小沢氏がこれほどまでに攻撃を受けるのかとの視点からのものだ。小沢氏がこれほどまでに激しい不当な攻撃を受けるには、相応の理由が存在しなければならないと考えるのが「論理的思考」の順路である。
 
 私は1993年の細川政権樹立時から一貫して小沢一郎氏の政治行動を支持し続けてきている。「政権交代」のある政治状況を生み出すことが、日本の政治浄化のために不可欠だとの考えを保持してきたからである。
 
 1996年に橋本政権が消費税大増税の方針を定めたとき、在野でもっとも強く反対論を唱えたのは私だった。この主張を当時の新進党が採用した。
 
 その後、新進党が分裂し、小沢氏が自由党を結成して以降も、私は自由党と連携しつつ行動し続けてきた。反自民勢力が分裂していては政権交代の実現は困難であることから、民主と自由の合併が必要であることも訴え続けた。
 
 その延長上に民由合併が実現し、ついに2006年4月に小沢一郎民主党代表が誕生した。
 
 この小沢一郎氏が「国民の生活が第一」の政治方針を掲げたのである。
 
 私は、かねてより政権交代によって実現しなければならない「三大課題」があると主張してきた。
@対米隷属からの脱却
A官僚主権構造の破壊
B政治と大資本の癒着排除
である。
 
 小沢一郎氏は、結局、この三つをすべて採用した。
@米国に対しても言うべきことを言う
A官僚の天下り根絶
B企業団体献金の全面禁止
を明確に示したのである。
 
 昨年の6月2日の政変により菅直人内閣が生まれた。菅直人氏はかつて「改革」の旗を掲げていたが、いま実行している政策にその片鱗がわずかでも残っているか。
 
@米国の言いなりになり、
A官僚の天下りを全面擁護し、
B企業団体献金の全面禁止に背を向けている
のではないか。
 
 さらに、追加的な二つの課題は、
C市場原理主義から共生重視主義への転換
D警察・検察・裁判所制度の近代化
であるが、この点でも菅直人氏は「反改革」の方向を向いている。
 
 米官業のトライアングルが政治の実権を持ち、米官業政電利権複合体が支配する日本政治の基本構造にとって、小沢一郎氏が天敵であることがよく分かる。この点を正確に、かつ確実に認識することが、次に何よりも重要になるのだ。
 
 日本政治構造の刷新、主権者国民の主権者国民による主権者国民のための政治を確立してゆくには、まず、小沢一郎氏に対する不当で卑劣な弾圧と闘うことが出発点になる。
 
 主権者国民勢力を糾合して、悪徳ペンタゴン勢力と対峙しなければならない。その際、その先頭に立ち、すべての主権者国民勢力を糾合できる存在は、現状では小沢一郎氏をおいて他にないと考えられる。
 
 私たちは現実社会のなかで闘いを進めている。現実を離れて空想論を唱えても意味はない。この現実に両足を踏みしめるとき、現実の戦略として小沢氏を擁護し、同志を糾合し、悪徳ペンタゴン勢力と対峙するしか道はないと考える。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c66b.html  

http://www.asyura2.com/10/test21/msg/228.html

コメント [戦争b7] グラスピーメモの暴露によって、91湾岸戦争時に米国の誘導でフセインがクウェートに侵攻した可能性が明るみに gataro
10. 2011年1月08日 20:32:41: v7P6u87pwA
私は当時は、クェートの感謝決議に日本がないという新聞の報道だけ読んで、しおれ気味になってた多数派の普通の人でしたね。ネット時代でも、政治に関心があるなんて人は、残念ながらそう多くもないでしょう。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/162.html#c10
記事 [ペンネーム登録待ち板6] 魔術師たちの心理学


386 名前: :03/01/02 19:15

大体、相場の奥義なんてものは必死になって教えてもらったら、内容は、厳格な損きりと、資金管理と、ポジションサイズのコントロールだけで、仕掛けの方法など皆が聞き

たがる所はほとんど金もうけに関係ない重要度の低いジャンルだったりするもんさ。

常識的な面白くないことを続けるのが奥義で、秘密は殆どないというのがこの世界のからくりなのさ。

柴田のような、いわゆる一子相伝奥義なんてものは存在しないんだよ 相場には。そこを判ってない奴が何度もだまされる。

バン K タープ の魔術師たちの心理学でも読んで勉強しな。


390 名前: :03/01/02 19:20
>>386
いいじゃんか。馬鹿は騙されるだけ騙されさせとけば。

一生、存在しない秘儀を追い求めて死んでいくんだろうよ
この手の詐欺師に引っかかってさ。

http://mimizun.com/2chlog/stock/money.2ch.net/stock/kako/1040/10406/1040626634.html


旧版 魔術師たちの心理学 ― トレードで生計を立てる秘訣と心構え

バン・K・タープ (著), 上野 惠子 (翻訳), 萩原 重夫 (翻訳), 戸張 義雄 (翻訳)

単行本: 448ページ
出版社: パンローリング; 第1版 (2002/2/28)

目次

パート1 最も重要な成功要因―それは自分自身!

第1章 聖杯の伝説
第2章 思い込みによる判断―なぜ相場をマスターできないか
第3章 目標を設定する


パート2 システムの概念化

第4章 システム作りのステップ
第5章 機能する概念の選択
第6章 期待値とその他の成功要因


パート3 投資システムの本質を理解する

第7章 セットアップを用いる
第8章 参入あるいはマーケットタイミング
第9章 手仕舞いの仕方を知る―どのように投資資金を守るか
第10章 利食い法
第11章 機会とコストの要因
第12章 ポジションサイジングとは何を意味するのか。わたしは口座に1万ドルしか持っていないのに
第13章 結論


「秘密を公開しすぎる」との声があがった偉大なトレーダーになるための“ルール”、ここにあり!

「マーケットには何か魔術のような秩序があると信じている投資家は多い。それを知っている限られた人が相場で莫大な財産を築いていると思っているのだ。だから自分たち

もその秘密を知って金持ちになろうと一生懸命になる。秘密は存在するのであるが、ほとんどの人はそれがどこにあるのか分からない。なぜなら最もありそうにないところに

その答えがあるからだ」

トレーダーは全生涯をかけてマーケットに隠された暗号を解読し、相場で利益を稼ぎ出そうとする。そのための戦略を挙げればかぎりがない。例えば信頼性の高い仕掛けのシ

グナル、ボラティリティ・ブレイクアウト、万人向けの投資システムなどである。しかし、マーケットを容易に左右できるシステムなど、本当にこの世にあるのだろうか。
世界のトップ・トレーダーを育ててきたバン・K・タープ博士は本書『魔術師たちの心理学』でホーリーグレイル(聖杯)と名づけた投資法を紹介している。この投資法は「

リスクを負わずに莫大な利益が得られる」といった怪しげな取引手法ではない。ゴルフをするのに、唯一の「王道」がないように、すべてのトレーダーに共通する成功の秘訣

はないのである。

 タープ博士の調査によって明らかになったことは、成功の秘訣がトレーダーによって異なっているという点だ。

しかし、どのトレーダーにどの秘訣が適しているかは容易に判断でき、しかも驚くほど簡単に自分のトレーディング・プログラムに取り入れることができるとしている。投資

効率指向の本書の中で、タープ博士は、投資家のスタイル、目標、性格と、綿密に構築され検証されたシステムとの相互作用が、他の追随を許さない成功をもたらすことを証

明しているのである。

 『魔術師たちの心理学』はすべてのトレーダーや投資家が目覚ましい実績を収めるために必要な情報であふれている。タープ博士は本書で次のことを取り上げている。

■優れたシステムを開発することに対する心理的な偏見(バイアス)

■マーケットの転換点の正確な予測方法と投資の成功をもたらす独創的な考え方

■取引を成功させるに最も重要であるにもかかわらず、ほとんど理解されていない「期待値」と「ポジションサイジング」

■ウォーレン・バフェットからペリー・カウフマンまでを注目している、株式および先物の取引モデル(トップ・トレーダーのセットアップ)を検証する

■ポジションサイジングを用いて相場で成功する方法

■リスクなしで新しい投資技術を練習でき、プランを立て、他のトレーダーと腕を競うこともできる無料のウェブサイト

 本書はトレーディングで成功するための常識を覆す画期的な1冊である。投資システムの構築には、成功するための心理学が重要であると気づいたならば、また、上記6種

類の要素を理解したならば(相場に応じて各要素は重要度を増す)、あなたは自分の性格と目標利益に見合ったトレーディング・システムを開発できるようになっているだろ

う。バン・タープ博士の『魔術師たちの心理学』によって、マーケットでの成功を約束する明るい未来が始まるのだ。

http://www.panrolling.com/books/wb/financial.html#detail


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”魔術師たちの心理学”を読めば 短期間で破産しないようにはなれますが、これを読んでも稼げるようにはなれません。

タープ信者は、小さく負け続けてゆっくり貧乏人になっていきます。


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機械的売買法(システムトレーディング)開発のハウツー本, 2004/2/13


日本語訳は誤訳や意味が通らない日本語が多いので英語の原書を読んだほうがいい。

この本は機械的売買法の開発するためのハウツー本である。売買ルールを仕掛け、損切り、利食い、賭け金の量の調節法に分けて、それぞれのルールの開発方法を開発してい

る。

仕掛けと手仕舞いの良否は利益を出す勝率ではなく利益の平均値と取引の頻度の積が重要であると強調している点が珍しい。

また手仕舞いと賭け金の調節法の重要性を強調している。その例としてランダムに売りまたは買いを行う仕掛けに対して適切な手仕舞いと賭け金調節法を組み合わせることに

よって比較的安定して利益を出せるシミュレーション結果を紹介している。


著者は、勝率の高い仕掛け法を探すことを重要視している人が多いが、仕掛けや勝率を重要視することは間違いで、賭け金の調整法、手仕舞い、利益の平均値と取引の頻度の

積が重要であると繰り返し強調している。


____

Vanの言わんとする所を理解するためには, 2005/12/28


実際に、やってみるといいのですが。 具体的に何をやれ、という事になると最小単位での実売買と考えてしまうのが一般的でしょう。

しかし、この様に、1枚だけ建てて練習売買をするとか、最小の玉で、とりあえず20回トレードしてみて20連敗することもあるのだという事を体験するというのであれば

、林輝太郎氏やマーク・ダグラスと変わりはない。

Vanが最後のほうで示している、ポジションサイジング戦略によって、もたらされた右肩あがりの収益曲線を実際に自分のリアル・トレードで体験できれば、言われて理解する

場合よりも、実体験を通じての理解なのでこの本の「要」であるポジションサイジングの何たるかが、そりゃあもう、とことんわかってしまうのですが。

私は、タープ派ではありますが、別にVanから幾らかもらっている訳ではない。 それでも、Vanの考え方をもっと良く知るために、IITM(DOTT)COM(Vanのサイト)で補充事項の

学習をしてみる事を勧める。

___


いいことを書いてはいるのだが・・・, 2003/1/29


なんとこの本に書いてある内容に 誤りがあります。

第6章の期待値の計算方法は、はっきり言って間違ってます。おまけに計算方法がアバウトすぎて 2重に間違っています。

著者はバンKタープ博士とあるが、ホンマに博士なんですか?それとも 訳者の人が間違ったのかなー。

期待して読み進んだのですが 間違いとかあって閉じたくなりました。


http://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E8%A1%93%E5%B8%AB%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-%E2%80%95-%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89%E3%

81%A7%E7%94%9F%E8%A8%88%E3%82%92%E7%AB%8B%E3%81%A6%E3%82%8B%E7%A7%98%E8%A8%A3%E3%81%A8%E5%BF%83%E6%A7%8B%E3%81%88-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%

83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%BB%EF%BC%AB%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%

97/dp/4939103544

新版 魔術師たちの心理学―トレードで生計を立てる秘訣と心構え

バン・K・タープ (著), 長尾 慎太郎 (監修), 山下 恵美子 (翻訳)

ハードカバー: 645ページ
出版社: パンローリング (2008/1/10)

第1版からの主な変更個所は、

●超長期のメジャーなマーケットと世界を取り巻く大局観についての章を追加
●システムをリスク・リワード・レシオで評価するための方法
●実例とチャートも最新のものに更新
●スーパートレーダー、チャック・ホイットマンによる序文


『新版 魔術師たちの心理学』では、効果が実証されたタープ博士の14のステップモデルとどんなマーケットでも勝てる最新の手法とテクニックをメーンテーマに、超長期のメ

ジャーなブルマーケットとベアマーケットや、マクロ経済に関する章とトレーディングシステムをR倍数(リスク・リワード・レシオ)で考え、評価する方法を提示する章が新た

に加わった。

さらに、儲かるトレーディングにとって最も重要であるにもかかわらず ほとんど理解されていない概念である「期待値」と「ポジションサイジング(トレードする量)」の説明

にも力を注いでいる。

______


トレードの勝者である非トレーダー, 2008/4/6


新版 魔術師たちの心理学 旧版も持っています。

ずいぶんとページ数が増えましたが、増えた分は無価値です。それどころか、著者がトレードで稼いでる人間ではなくコーチやセミナーで稼ぐグル稼業の人間であることをタ

ープ信者達に気がつかせてしまい洗脳が解けてしまうので、著者にとっても出版社にとっても追加箇所は失敗でしょう。

この本で価値があるのは、期待値とポジションサイジングをすごいことのように説明しているところのみです。何年も資産を増やし続けているトレーダーなら言われなくても

わかっていることです。

その他は他の本で既出のことばかり。まあ、ポジションサイジングは大きく負けないためには必要な大事な知識ではあります。しかしながら、短期間で破産しないようにはな

れますが、これを読んでも稼げるようにはなれません。そうでなければ、よほど数学が苦手な人以外はみんなトレードで富豪になっているはずです。

机上の空論で取らぬ狸の皮算用をして勝者・金持ちになったきでいるタープ信者は、小さく負け続けてゆっくり貧乏人になっていきます。ずっと勝てなくてシステムトレード

にたどり着いた人に共通する傾向ですね。

ポジションサイジングや期待値がわからない人は、「ポジションサイジング」と「破産確率」をネットで検索することをお勧めします。この本をわざわざ買う必要はないです

。 著者から我々が学ぶべきことは、何かひとつ説得力のある言葉や仕掛など(なんでもいい)の宣伝に成功すれば、永遠に新参者が発生する市場でグルとして何年も稼ぐことが

できるというビジネスモデルです。 間違いなくバン・K・タープはトレードの勝者です。

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E9%AD%94%E8%A1%93%E5%B8%AB%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E2%80%95%E3%83%88%E3%83%AC%E3%

83%BC%E3%83%89%E3%81%A7%E7%94%9F%E8%A8%88%E3%82%92%E7%AB%8B%E3%81%A6%E3%82%8B%E7%A7%98%E8%A8%A3%E3%81%A8%E5%BF%83%E6%A7%8B%E3%81%88-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%

82%B6%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%BBK%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%

97/dp/477597100X


実験


次の文は、『魔術師たちの心理学』(バン・K・タープ著)からの引用です(71ページ。文章は少し変えました)。


ラルフ・ビンスは博士号を持つ40人を対象に実験をしたことがある。勝つ確率が60%のコンピュータゲームを100回してもらう。手持ちの資金は1000ドルで、毎回好きなだけ賭

けてよい。どの人も、資金管理がこの種のゲームに与える影響についての知識はない。
何人が儲けられただろうか。最終的に元の1000ドルより増えたのは40人中、たったの2人だけだった。

実験の詳細は不明ですが、Google の検索結果をあちこち見たところでは、勝ち(60%の確率)なら賭けた金額だけ儲かり、負け(40%)なら賭け金を没収というものらしいで

す。

あと、博士といっても、次の条件が付いています(“He” は、ラルフ・ビンスのこと)。
He ruled out doctorates with a background in statistics or trading.
これって、どういう意味なんでしょうか。英語力がないのでよくわからないのですが…。統計学やトレーディングの素養のある博士は除外した……でしょうか? トレーディ

ングとは、投資経験のことを指しているのでしょうか、それとも金融系の博士にはご遠慮いただいたということですか? そして、統計学って、基礎的な知識だけなら関係の

ある博士は多いはずです。そういう人もすべて除外したのでしょうか?

となると、古代ギリシア哲学の研究に没頭している人とか、ちょっと浮世離れしていて、金銭感覚については一般人より格段に鈍い人を集めただけじゃないのか?・・・と疑

ってしまいます。

というのも、試しにプログラムを作ってやってみたのですが、このゲーム、少し慎重な性格の人ならプラスになりそうなものです。簡単に勝てるとはいいませんが、いくら何

でも 40人中 2人って事はないと思います。お暇な方は、ソフトをここからダウンロードして、やってみて下さい。


ちょっと気になるのは、実験の手法です。

何も報酬を出さないと、被験者は、どうせゲームだからと遊び半分でいい加減に賭けてしまいます。かといって、「いちばん資金を増やした人に、賞品をあげる」 などとする

と、ゲーム終盤で成績がそこそこの人は、「このままでは1位になれない」 と考えて一発を狙うでしょう。
それならばと、「プラスで終わった人には、賞品をあげる」 にすると、今度は、ゲーム序盤で適当に儲けの出た人は、手堅く守りに入ってしまいます。

自分のお金を本当に賭けてもらうのが一番いいのですがそうもいかないでしょうし、ラルフ・ビンスはどういう条件でやったのでしょうね。


【注】 引用文では、本当にお金を賭けているようにも取れますけれど、本物のお金でないことは検索したサイトに書いてありました。

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もう少し詳細がわかる実験もあります。

TurtleTrader.com の4番目にある White Paper by Johan Ginyard です(PDFファイル)。

実際にゲームを行った実験報告で、概要は次のようなものです。


--------------------------------------------------------------------------------

52名の被験者(ほとんどがスウェーデンのウプサラ大学学生)に、仮想資金として10000クローネ(日本円で約10万円)を与え、賭けをしてもらう。

ゲームはレベル1とレベル2に分かれている。はじめに、レベル1の賭を50回行う。レベル1終了時点で資金が 15000クローネ以上になっている者だけが、その資金を持っ

たままレベル2に進み、さらに賭を50回行う。

被験者は、1回ごとに好みの金額を賭ける。途中で資金がなくなったら、そこでゲーム・オーバーになる。

1回ごとの損益は、袋から 「おはじき(原文は marble)」 を取り出して、その色で決める。

たとえば、レベル1の場合、1回ごとの損益は次のような確率になっている。
もちろん、被験者は、この確率を知っている。

・ 賭け金と同額が儲かる ・・・ 確率 55%。
・ 賭け金の 10倍が儲かる ・・・ 確率 5%。
・ 賭け金と同額の損失 ・・・ 確率 35%。
・ 賭け金の 5倍の損失 ・・・ 確率 5%。

被験者は、はじめに、実験に協力する報酬として 100クローネ(1000円ほど。もちろん、本物のお金)もらえる。しかし、ゲームで破産した場合は、この 100クローネを返さ

なくてはならない。また、成績が良いとボーナスで追加の 100クローネがもらえる。

被験者のうち 32名には、まえもって、マネー・マネジメントやトレードの心理学についてのレクチャー(3時間ほどのもの)を受けてもらい、残りの 20名はレクチャーなし

とする。

レクチャーの詳細は不明ですが、次のような内容らしいです(カッコ内は、私によるいい加減な説明)。

・ ギャンブラーの誤謬 (連敗したあと「今度こそは勝ち」と思う錯覚)。
・ プロスペクト理論 (優勢な時は手堅い戦法をとり、劣勢な時は無理して一発逆転を狙おうとする傾向)。
・ 期待値、R−倍数 (おそらくタープ氏の本に基づくものでしょう)。
・ ドローダウンについて (50%の損を回復するには、100%のリターンが必要)。
・ ポジションサイズについて (多く賭ければリターンが大きくなるが、ドローダウンもひどくなる)。


--------------------------------------------------------------------------------

次のように言葉を定義しておきます。

(a) 破産トレーダー : 資金をすべて失った人。
(b) 負けトレーダー : 破産はしなかったが資金を減らした人。
(c) 勝ちトレーダー : 資金を増やした人。

そして、(b) と (c) を 「生き残り組」 と呼びます。

また、「ポジションサイズ」 とは、手持ちの資金に対する賭け金の割合(10%とか20%とか)を指しているようです。

被験者 52名の結果は次のとおり。

破産トレーダー ・・・ 10名
負けトレーダー ・・・ 6名
勝ちトレーダー ・・・ 36名
また、レベル1での各種トレーダーの平均ポジションサイズは、
破産トレーダー ・・・ 22.9%
負けトレーダー ・・・ 15.0%
勝ちトレーダー ・・・ 6.0%
となっているそうで、やはり破滅の原因はオーバー・トレードにあるようです。


もっとも、期待値がプラスのゲームを繰り返し行う場合、少ない金額でチビチビ賭けている人は、たいてい 「勝ちトレーダー」 になります。ですから、上記のような結果に

なるのは、ほとんど当たり前のような気がします。

ちなみに、レベル1の場合、ケリー基準によれば、資金の 7.8%を賭けるのが正解です。


--------------------------------------------------------------------------------

この実験を行った人は、「普通の人が思うよりポジションサイズを小さめにした方がよい」 と考えているようで、実験の目的は、次の9つが正しいかを統計的に検証すること

でした。


(1) 破産トレーダーは、生き残り組よりポジションサイズが大きい。
(2) 負けトレーダーは、勝ちトレーダーよりポジションサイズが大きい。
(3) レクチャーを受けた人は、受けてない人よりポジションサイズが小さい。
(4) レクチャーを受けた人は、受けていない人に比べ破産する率は低い。
(5) レクチャーを受けた人は、受けていない人に比べ利益が多い。
(6) 女性は男性より破産する率が低い。
(7) 女性は男性より利益が多い。
(8) 投資経験がある人の方がない人より破産する率が低い。
(9) 投資経験がある人の方がない人より利益が多い。

(6) と (7) は、女性は男性に比べるとリスクを取らないという研究結果が過去にあるため調べたようです。

実験の結論は、青色で書いた3つについては確認できなかったけれど、他は確認できたというものです。


http://www.geocities.jp/y_infty/management/experiment.html



http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1061.html

コメント [マスコミ・電通批評11] 菅首相を後押し メディアの異常 ドキッ!プロ奴隷だらけの水泳大会
03. 2011年1月08日 20:39:50: xgQrEp1sYs
カンから菅の「市民運動」っていったいなんだったんだい。
誰かさんが、東工大学生運動に敵対したのも、日米パン助同盟賛美者−永井陽之助と学生課の学内治安対策と日共民青の敵対活動に乗っかったもの、挙句の果てに告訴して、学内に留まることあたわズとなって、弁理屋稼業と市川房江の婦民運動に逃げ込み、これを利用して自らの便利屋稼業に「はくをつけることのみ」に動き回ったこと。
特高−道警本部長を父に持つ町村が、同じく東大闘争に学内治安対策から加担し、日共ー民青と呼応−連動して蠢いたのと同じ歴史を持つ。今更、この時代の民青の残党がヨボヨボ爺、ババアになって街頭宣伝していることと同じ状態なのだ。そして、スターリン批判を受け入れるかのごとくに振舞う講改派−東大フロント-仙谷なども同様だ。「消滅した現代の理論」派なのだ。
だから、沖縄問題においても、日米パン助同盟賛美者−永井陽之助以外に立脚点は無い。永遠に沖縄を日米パン助同盟の被害者の立場押しとどめる、以外何者でもない。
だから、内閣改造なども、三途の河原の石積み人に等しい、田中角栄の「寝首掻き一族」の一人、悪行ブクブク面の「肛門」などを国対委員長に担ぎだし、季節外れの化け物屋敷じゃあるまいし、いまやなき多摩川園の「お化け屋敷」の再現と相成る。よっぽど、ロッキード事件の機密文書指定解除に怯える大勲位−風見鶏−オシメ中曽根の方が、昼間の梟よろしく目をポチポチさせて絵になる。
日本共産党も自らの出自を捨て去って、夜盗自民−公明−創価学会の第五列に転落してしまっている以上、勝手の民青の「闘士」たち掻き集めてヨタヨタ情宣しても、以下ばかりの勢力浮揚となるのか、よぉーく考えることだな。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/437.html#c3
コメント [カルト7] Re: 言い分を一つ一つ検証しますよ。 K24
08. SGK 2011年1月08日 21:11:06: CWm1N96Ef6C.M : xE3ZZvvgmQ
>お前はストーカーか?

あなたのほうこそ集スト関連の投稿に首を突っ込んできては、ワンパターンの根拠の薄弱な妄想じみたことばかり書き込んでいることを自覚すべきですよ。

創価学会関係者が集団ストーカー疑惑を突きつける人間に対してとる態度はいつもワンパターンですね。

うそをいつまでつき続けることができるのでしょうか?

世間一般の人がこの掲示板を見始めたとしたら、創価学会は非常にまずいのではないでしょうか。


http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/757.html#c8

コメント [戦争b7] グラスピーメモの暴露によって、91湾岸戦争時に米国の誘導でフセインがクウェートに侵攻した可能性が明るみに gataro
11. 2011年1月08日 21:12:12: v7P6u87pwA
政治に関心を持つと言っても、権力に野合しているだけの人たちも多いですしね。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/162.html#c11
記事 [社会問題8] 日本の元閣僚が出産をめぐるタブーを破る(RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20110106-japon-une-ancienne-ministre-donne-naissance-50-ans

日本
記事発表:2011年1月6日木曜日
最終更新:2011年1月7日金曜日

日本の元閣僚が出産をめぐるタブーを破る

RFI


日本では、保守政権下で閣僚経験のある女性代議士が50歳で出産したことが、話題になっている。野田聖子氏は、女性擁護についてほぼ非伝統的な立場をとることで知られている。同氏の妊娠・出産にまつわるさまざまな出来事は、社会的な論争のテーマとなった。同氏は妊娠するために、戦闘的ともいえる行動をとった。

野田聖子氏は、日本社会に残るあらゆるステロタイプ的思考を揺るがしてきた女性だ。2004年にはすでに、『私は、産みたい』という著書で、野田代議士は子供に恵まれない一女性としての戦いの道のりを記している。

さまざまな理由から、日本の出生率は女性1人あたり平均1.37人で、世界最低の部類となっている。男女平等のための数年間以降、野田聖子氏は、出産が働く女性の妨げにならないことや、働く女性が出産を妨げられないことのために活動してきた。

自分自身が母親となり、家族政策についての自分の提案が新たな反響を起こすことを、同氏は期待している。50歳にして新生児の母親となり、特に、出産が可能となるような条件の整備に注目が集まることを望んでいる。

妊娠中の事情から流産を繰り返し、野田聖子氏は、日本でほとんど実施されていない技術に頼ることにした。卵子の提供を受けたのだ。体外受精を行うための法律は未整備で、反対意見は強い。日本の医学界はこれに強く反対している。そのため、野田聖子氏は卵子を求めて米国に行くという、非常に政治的な決断をした。同氏は、いつか、新法成立のために、国会で議論を起こしたいと考えている。

-----------------------------------------------

(投稿者より)

野田聖子代議士の出産について、フランスRFIのサイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦ください。

「男女平等のための数年間」(des années en faveur de l'égalité entre les sexes)と表現した箇所ですが、何のことかよく分かりませんでした。国際婦人年は1975〜84年ですが、野田氏の大学卒業が1983年、岐阜県議当選が1987年、国政に初挑戦して落選したのが1990年、衆院初当選が1993年ですから、野田氏の経歴と整合しません。男女共同参画社会基本法の施行は1999年です。

新たな生命の誕生を素直に喜ぶ一方で、生命の尊厳・医療技術・法整備の問題、など、一石を投じる出来事でもあります。

昨年の10月から11月にかけて、妊娠中の野田氏が読売新聞のインタビューを受けています。5回に分けて掲載された、その記事のリンクを下に付しておきます。興味がありましたら、ご覧ください。

--------------------------------------------

(野田聖子さんインタビュー全文 (1)〜(5): YOMIURI ONLINE)

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32645
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32687
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32714
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32724
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=32732


http://www.asyura2.com/10/social8/msg/278.html

記事 [日本の事件29] 秋田市の弁護士津谷裕貴さん(55)が刺殺された事件について。尖閣ビデオとの関連がある。

秋田市の弁護士津谷裕貴さん(55)が刺殺された事件について。尖閣ビデオとの関連がある。

 本日1月8日、TBSの報道特集である程度詳しい事件経過を初めて知った。当初、剪定バサミで刺されて亡くなったと聞き、剪定バサミで人が死ぬかなと疑問だったが、今日、やっと事情が分かった。両手で使う柄の長い、そして、刃も20cmほどはある剪定バサミでしかもそれを分解し、片刃の状態で槍のように使ったということだ。しかも、左胸に水平に、次に、胸部から腹部へ向けて、合計2回刺されていると言う。これでは、ほぼ即死だ。とても素人がやったものとは思えない。少なくともかなり訓練を受けた者の仕業だ。

 津谷弁護士の奥さんの記憶と現場にいた警官の主張とが食い違っているという。僕が覚えている限りあげて見よう。

1.警官が到着したときの様子:奥さんは台所の出入口から2名の警官がほぼ同時に入ってきたとしている。警察の方は最初の一名が勝手口から台所へ行き、同時にもう一名が玄関を確認してから勝手口へ向かったため十数秒の時間差があったという。

2.警官が犯人を取り押さえるまで:奥さんは、警官が来たのを見てほっとして犯人を津谷弁護士と一緒に抑えていた手を離し、廊下へ出てしまったという。警察の主張は警官は奥さんが犯人を津谷弁護士と共に抑えているところはみていないとしている。しかし、警察が到着したとき犯人がどういう状況だったか、警察の主張は番組では言われていないと思う。

3.津谷弁護士が刺殺された場面:奥さんは、居間の出口のところに警官二人が津谷弁護士の両腕を上にあげた状態で押さえていて、津谷弁護士の体の正面は居間の出入口に面していたとし、しかも、居間の出入口の所から剪定バサミの刃が見えていたとしている。つまり、まるで凶器に津谷弁護士の身体を晒すような形で警官が津谷弁護士を拘束していたということだ。警察の主張は、津谷弁護士と警官2名が居間の出入口に対して縦に並ぶような形で立っていたとしている。津谷弁護士が刺された時の状況を警官2名は見ていないとしている。(ここのところはよく解らない。記憶が違っているかもしれない。)

4.津谷弁護士が刺された位置について:奥さんは廊下に血が付いていたはずだから、それを検証してほしいとしている。現場検証時、ブルーシートがその場所には敷いてあり、警察は確認していない。警察の方は、捜査との関係でそれについては何も言えないという。

 東京の弁護士が現場にいた警官2名を業務上過失致死で告発したという。

 津谷弁護士の娘さんが2年前東京で事故死さているという。息子さんは無事の様子だ。娘さんの事故死の後の昨年6月、津谷弁護士は日弁連消費者問題対策委員会の委員長に就任されているそうだ。日弁連でどんなことが問題として取り上げられていたのかはっきりしない。

 事件が起こったのは2010年11月4日の早朝だ。11月1日、午前8時過ぎ、国会内で尖閣ビデオを約6分間にまとめたものが衆参予算委員会委員等に見せられ、結果的に全編公開の世論がより強くなった。そして、津谷弁護士刺殺事件の翌日である11月5日に海保保安官による尖閣ビデオ流出がされるのだ。流出ビデオは約40分ほどの長さ。実際に撮影したビデオは複数のカメラで撮影したため合計10時間ほどの長さがあるとされるが、結局、全編公開を要求する声は、流出事件を契機に急速に萎んで行った。
 
 結局、津谷弁護士刺殺事件は幾つかの狙いがあったのだと思う。一つは岡田克也や前原誠司のような傀儡政治家のミスを追求するなという脅しだろう。実際、尖閣沖での中国漁船拿捕はこの二人の主導によって行われたものだ。また、振り込め詐欺やカード詐欺、特にフィッシング詐欺についてあまり追求するなという圧力もあったはずだ。サラ金のグレーゾーン廃止はある意味自民党の決断だったが、同時に、サラ金に頼っていた人々をより悪質な街金に頼らせる結果になっているという。僕は、ある意味、街金からいわゆる軍産複合体のパペットにリクルートされる道が作られているように感じている。高校入試不正によって毎年数十万人が背中にリモコン装置を付けられて行っているのと同じだ。
 
事件に関するリンクを幾つか見つけたのでこちらに貼って置きます。

http://matome.naver.jp/odai/2128888877944311801
http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2010/11/post-4fe2.html
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010112201000305.html

*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番を付しています。<<301>>
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/660.html

コメント [雑談専用39] 梅田望夫,飯吉透(著)『ウェブで学ぶ』覚書 / オープンエデュケーションは世界をどう変えるか (文筆劇場) 五月晴郎
02. 五月晴郎 2011年1月08日 21:36:47: ulZUCBWYQe7Lk : ZMbmXo037I
>>1
そういうことを言うと、なんか大したもんにでもなった錯覚にひたれんの?
不思議なんだけど、部活に遅れてきた中学生でも、そんなこと言わねえぞ。
アメリカ、欧州、資本家、世界、支配、洗脳、ソマリア、イラク、アフガンと御託並べずに一言”俺には「そんなものいらない」”と言えばいいだけ。

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/123.html#c2
コメント [経世済民70] ドル安ではなく円単独高、通貨の価値は購買力で決まるのにおかしなことだ、円単独高の理由は単純明瞭 heiwatarou
07. 2011年1月08日 21:38:44: uKFoqoJusE
>>06
原料価格が上がる、消費税率が上がると、消費は減るので製品価格に転嫁出来ない、メーカーは困る
しかし人件費を上げるのだから消費が増えるので製品価格に転嫁出来る
だから景気が良くなる、

輸出は減るが、減れば円安になり、円安になれば輸出も増える

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/576.html#c7

コメント [日本の事件29] 秋田市の弁護士津谷裕貴さん(55)が刺殺された事件について。尖閣ビデオとの関連がある。 taked4700
01. taked4700 2011年1月08日 21:38:50: 9XFNe/BiX575U : ZtI4vvgqFg
警察の言い分と奥さんの記憶が食い違っている。次に記憶が問われるのは、犯人だ。犯人は刑務所ないで自殺をしてしまわないか、それが心配だ。まあ、杞憂だろうが。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/660.html#c1
コメント [雑談専用39] ベーシックインカム参考資料・信州中川村 村長のメッセージ おどろき
06. 2011年1月08日 21:55:54: fhqMEypoT6
世間体があるから金に困って無くても大概の人は働くな。
自立したいという要求もある。
また、学生時代はみんな親の金で生存が保障されてる。
学生時代に部活頑張るのは、必ずしも就職面接対策の為だけじゃない。
それで金将来稼ぐ事も関係するだろうが、実際は頑張るのは今頑張りたいからで
将来就職に有利だから頑張っているというのとは違う人も多い。
頑張っている今が充実しているのだと。
ボランティアで社会活動に参加している人も多い。
それから金に困らなくても働くのは世間体、自己実現のほかに
ワンランク上の生活目指すというのもある。
国民全てがBIで生存は保障されても、宝くじは売れますよ。
生存保障の為の金が入ったら、今度は更にもう一つ上の暮らしが欲しくなるんです。
財政的な問題があるので、あまり不労所得だけで生活出来る人には出せないと思います。
不労所得だけで生活出来る資産家の子弟は、しっかり税金を納めて自助努力で頑張って欲しいです。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/122.html#c6

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