★阿修羅♪ > アーカイブ > 2010年12月 > 26日00時01分 〜
 ★阿修羅♪  
2010年12月26日00時01分 〜
コメント [経世済民70] 「TPP参加は日本をどう変えるか」渡邊頼純・慶大教授ブリーフィング gikou89
04. TPP反対 2010年12月26日 00:01:36: pYrSUASCrh2tI : 4xSvWbPzhs
知ったかぶりして何を言っているのかわからないぞ。誰が儲かるんだ?
アメリカのご機嫌取り条約に加盟してどうするんだ、ブルネイやチリなんぞの
出稼ぎ労働者の面倒見て、鯨をとるなとかぬかすオーストラリアの肉や
BSEの危険部位たっぷりのアメの肉を買わされて、日本のコメ農家のほとんど、
酪農のほとんどが壊滅するんだぞ。経済規模だとアメリカ、オーストラリア以外は日本の県ほどもないような小さな国だぞ。中国が加盟するなら考えてもいいがな。

こんな奴等が日本をダメにするんだ。何がどう遅いんだ数字で示せアホ!
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/347.html#c4

コメント [ホロコースト6] ヒトラーの祖先、ユダヤ人の可能性も…DNA検査で発覚 ジオン兵士
02. 2010年12月26日 00:07:55: Y3IYpBZ23I
・アドルフ・ヒトラーは、イスラエル建国の父。
・アドルフ・ヒトラーは、当時ヨーロッパ諸国の民族に同化しつつあった
ユダヤ人の民族意識を高めるために、強制収用所送りにした。
・アウシュヴィッツのガス室は、戦後作られたもの。
・アンネ・フランクの「アンネの日記」は捏造。
・アウシュヴィッツでのユダヤ人虐殺はなく、死亡したのは伝染病が原因。
・911では純粋水爆を用いて、タリバン政権が禁止した麻薬栽培の復活(麻薬利権)、石油利権、軍産複合体利権、諸々の金融経済犯罪の隠蔽、ドルの防衛、大イスラエル帝国の実現を実行するために隠れユダヤ人デイヴィッド・ロックフェラーらで構成されるCFRメンバーが首謀したテロ事件。
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/166.html#c2
コメント [環境・エネルギー・天文板4] 欧州で近年増加する大寒波、原因は「温暖化」 独研究 (AFP) ダイナモ
07. 2010年12月26日 00:15:39: d8u0QQgn1Y
イスラエルが上空のジェット気流を変えたからミニ氷河期がきたと海外論文にでてたよ。ユダヤ問題だから。マスコミもいわない。世界政府イルミナテイの好き放題だね。
http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/548.html#c7
コメント [経世済民70] マインド・コントロールとパチンコ 不動明
05. 2010年12月26日 00:15:53: IqDrSmvKOo
>>04
あなたは、どこのお猿さんですか?w
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/440.html#c5
コメント [雑談専用38] 日本を護る市民の会(日護会)とは? 愛国改善党
04. 地には平和を 2010年12月26日 00:34:11: inzCOfyMQ6IpM : qMgtYZ3CJU
取り合えずどうやって生き延びるかを考える方が先決なのでは?
貧乏人に金を配るべきですよ。
特にホームレスに。
彼等に金を配れば生活必需品を中心として消費が伸びるでしょう。
生産能力があるのに生産しても物が売れないという事が問題なのですよ。
まずは強い経済にならなければなりません。
その為にはお金を貧乏人に配るべきです。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/894.html#c4
コメント [不安と不健康15] 薬は毒です。皆さん薬を飲んではいけません。 by 薬学部教授 うたかた
03. 2010年12月26日 00:34:42: d8u0QQgn1Y
 ↑ 2 さん

茶化すんじゃないよ。極端なことを言ってる訳じゃねえだろ。

そりゃあ、急性の症状を抑えるためにどうしても必用な量の薬は仕方がないだろうよ。それでも1割でいいと投稿者さんは言われてるだろ。

制癌剤などで無理やり患者を大量虐殺してる現在の医療体制などがおかしい、間違ってるといってるだけだろ。インチキ医療に皆がきずくのが必要と言ってるだけだ。

まあそうは言っても、いつまでいっても、その時点で判らない事や騙されてることがあるのはついて回るもんだけど。前向きにしようやってことだね。


http://www.asyura2.com/09/health15/msg/317.html#c3

コメント [狂牛病・ゲノム15] ビル・ゲイツ「ワクチンは人口削減が目的」と語る(為清勝彦ブログ) 近藤勇
02. 2010年12月26日 00:42:17: d8u0QQgn1Y
多くの日本人がまだまだしらずにワクチンうってますよ。無知なのは罪だね。医者も打ってるしね。みんながワクチンを拒否すればなあ。

新しい病気がドンドン撒かれてるようですね。

彼らは慈悲がないのはおかしいでしょうね。人間では、、、正確な意味で、、、人間でないです。
これは米軍の現場情報です。

ただの銀行家とか欧州貴族ではあいのが真相です。
http://www.asyura2.com/09/gm15/msg/137.html#c2

コメント [環境・エネルギー・天文板4] 欧州で近年増加する大寒波、原因は「温暖化」 独研究 (AFP) ダイナモ
08. 2010年12月26日 00:44:40: sNdrwBpvYc
>>07
>イスラエルが上空のジェット気流を変えたからミニ氷河期がきたと海外論文にでてたよ。

嘘でしょ?(笑)
嘘でないなら、その「論文」とやらの出典を明示してみな。
どうせ出来ないだろ。(笑)
http://www.asyura2.com/09/nature4/msg/548.html#c8

記事 [口蹄疫・新型インフル02] 環境省がツルなど糞便調査 鹿児島・出水の鳥インフル
http://www.asahi.com/national/update/1225/SEB201012250017.html

環境省がツルなど糞便調査 鹿児島・出水の鳥インフル

2010年12月25日20時27分

 国内最大のツル越冬地、鹿児島県出水市で強毒性の高病原性鳥インフルエンザに感染したナベヅルが見つかった問題で、環境省は25日、現地のツルがどの程度インフルエンザウイルスを持っているかを知る手がかりを得るための糞便(ふんべん)調査を始めた。

 調査範囲は、感染したツルが見つかった保護区内から10キロ圏内。25日から3日間で、ツル100検体、カモ50検体、それ以外の野鳥50検体の計200検体を採取する予定。同じツルからのものと判別できる糞5個を1検体とする。採取した検体は調査終了後にまとめて国立環境研究所に送り、分析するという。

 調査を担当する財団法人自然環境研究センター(東京)の久保田正秀研究本部長は調査開始前の記者会見で、「大規模なツル越冬地での糞便調査は初めて。これまでカモなどの野鳥の調査でウイルスが見つかったことはない。ツル100検体のうち10〜20検体からウイルスが出れば、広範囲に汚染されていると判断できるのではないか」と話した。

 また環境省の依頼で、鳥取大の伊藤寿啓(としひろ)教授(獣医公衆衛生学)ら専門家4人が25日夕、現地入りした。弱ったツルを保護する施設などを視察し、ウイルスに感染した疑い例が出た場合、ウイルスが拡散しないような万全の検査態勢を整えることなどが目的という。

**************************

どうもよく解らない。高病原性鳥インフルエンザにかかったら、かなり短期間に死ぬのではないのか?20%程の感染率だとしたら、既にバンバン鳥が死亡しているはずではないのか?

それに、鶏舎への立入検査はしても、症状観察で終わっている様子だ。ふんなどのサンプリングをやって、鶏への感染率を調べるべきだと思うのだが、感染しているかよりも発症しているかどうかの発見を優先しているように見える。発症する前から感染鶏はウィルスの吐き出しをやるだろうから、今のような状態では今年の宮崎での口蹄疫と同じでどんどん感染が広まる可能性があると思う。
http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/830.html

コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
03. 健奘 2010年12月26日 00:54:05: xbDm84QDmOFmc : rYd4I1Qido

野口氏、別の本で、年金のシミュレーションをしています。そして、年金は、2031年か32年に破たんすると。

この記事ですと、財政破たんが、2020年ごろ(あと9年とか)だという主張があるので、財政破たんがきても、年金は破たんしないというシミュレーションになりますね。

つまり、野口氏は、断片をとらえて議論されていて、統合的にとらえることができないのではないかと疑ってしまいます。日本が持つ海外債権のことも含めた、統合的な。



http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c3

コメント [雑談専用38] 今日の入間市のデモに参加されました皆さん、愚民党さん、田中さん、矢野さん、秋元さん、ありがとうございました。 地には平和を
68. 地には平和を 2010年12月26日 00:54:27: inzCOfyMQ6IpM : qMgtYZ3CJU
>67さんへ おっしゃる通りです。日比谷公会堂が何故借りれなかったのか?の1点において私は檀さんの行動があまりにも不可解だと感じました。お金を持っているのに予約金を払わないという1点が不信の原因です。この点に関して何等合理的な説明はなされておりません。おかし過ぎるでしょう。この事を12月19日の入間デモの前日の夜秋元氏から聞いたのです。決定的ではないですか?お金が無いから払えなかったという以外の事情があるのでしょうか?払っておれば檀氏は当日会場にしたハズです。でも、無いから払えないので恥ずかしくて会場に行けなかったというのが真相ではないですか?一体何に使ったのかが今後問題になってきます。秋元氏から聞いておきますが伏せておきます。ヒントは新潟です。新潟に檀さんが1人で行ったのかどうかがポイントです。交通費も掛かるでしょう。誰かお供がいて贅沢をしなかったかどうかがポイントです。新潟デモの事ですよ。12月5日の集会の会場も借りれていないのに新潟まで行った事を皆さんはどう思われますか?
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/884.html#c68
コメント [雑談専用38] 今日の入間市のデモに参加されました皆さん、愚民党さん、田中さん、矢野さん、秋元さん、ありがとうございました。 地には平和を
69. 地には平和を 2010年12月26日 01:06:42: inzCOfyMQ6IpM : qMgtYZ3CJU
新潟デモは11月23日でした。ここに檀さんは参加されています。この行動にお金を使ってしまって日比谷公会堂に払えなかったというのが真相ではないかと私は思っているのです。11月21日の名古屋のデモの際には檀さんと秋元さんは行動を共にしておりました。それ以降12月5日に至る2週間に何があったのか無かったのかが問題なのです。私は秋元さんと矢野さんとは連絡を取っておりますのでこのお2人の了解を得て阿修羅に実名の意見として報告させていただきたいと思います。檀さんに連絡を取って聞き出してもいいのですが、それについてはどうしたものかと思っております。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/884.html#c69
コメント [お知らせ・管理19] 取材とインタビューのお願い 檀公善
09. 地には平和を 2010年12月26日 01:13:54: inzCOfyMQ6IpM : qMgtYZ3CJU
檀公善さん そんな事よりも集めたカンパを何に使ったのかの詳細を明らかにして下さい

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/440.html#c9
コメント [お知らせ・管理19] 文字化けの投稿が阿修羅ではきちと表示され表題と内容が一致しない記事になりました 玄米
01. 管理人さん 2010年12月26日 01:34:38: Master
消しておきました。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/462.html#c1
コメント [議論30] 教師の精神疾患休職が過去最高の5458人の異常事態への対処 パルタ
01. 2010年12月26日 01:38:42: O6JvIm2gCw
>>
まず、学校教師には塾や予備校の教師にはない素質が求められます。<<

 その通りだ。

>>
勉強の教え方以上に全人格的な指導力が求められます。それだけ難しいのです。<<

1, では、まず投稿者に質問しよう。

  全人格的指導力を、一体どうやって、教師自身が会得するのか。

    聞いてみたいね、方法論ですよ。
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/347.html#c1

コメント [ペンネーム登録待ち板6] 投稿可能になりました。本番投稿をお願いします。 管理人さん
02. 管理人さん 2010年12月26日 01:48:15: Master
ご連絡ありがとうございます。
忘れていました。
投稿可能数を0に戻しておきました。

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1018.html#c2
コメント [外国人参政権・外国人住民基本法01] 発砲警官に懲役4年求刑 栃木、中国人死亡(47NEWS) 中国人がいかに異常かが分かる内容です 警官は正当防衛 木卯正一
13. 2010年12月26日 01:58:15: t60c8dAoaU
この事件前後関係でなんか不自然な事が有ったと思うけど

http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/701.html#c13
記事 [お知らせ・管理19] otoppiさん、投稿規定をご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。
12・28内閣改造、 仙谷更迭で「小沢系」を取り、船橋洋一TPP担当相か?歳川隆雄「ニュースの深層」
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/875.html
投稿者 otoppi 日時 2010 年 12 月 25 日 15:58:00: cUHXG0u8x2am6

船橋洋一前朝日新聞主筆のTPP担当相就任も浮上した12・28内閣改造の可能性
仙谷更迭で「小沢系」細野、樽床、松本を取り込み
2010年12月25日(土) 歳川 隆雄 「ニュースの深層」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1806

タイトルが規定違反です

投稿規定をご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/463.html

記事 [お知らせ・管理19] パルタさん、投稿規定をご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。
我々はなぜ日本社会にゆとりがないか考えていく必要がある
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/873.html
SEN 873 2010/12/25 14:06:09
投稿者: パルタ

↑これは2重投稿です。削除しておきました。


http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/464.html

コメント [経世済民70] 子どもの学力でも中国にかなわない tea
03. 2010年12月26日 02:26:30: EXViAI8hMI
日本の教師は教え方が下手すぎる。

はっきり言えば生徒にわからせないために授業をしてるんだよ。

嘘だと思うだろうが本当なんだよ。

ようするに上位の塾にいける子どもに合わせて難しい重箱の隅を突っつくような瑣末な怪問題ばかりやって肝心な基礎的な学力強化が行われてない。

だからさらなるゆとり教育大賛成だ!!!

教科書を半分にとは言わないが怪問題を減らして大人になっても忘れないような基本的に重要なことだけ教えろ。

それが出来ないから諸外国に遅れるんだよ。だれか帰国子女、海外の具体的教授法を教えてくれ
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/448.html#c3

コメント [お知らせ・管理19] 本文の修正はできないでしょうか? 地には平和を
08. 地には平和を 2010年12月26日 02:38:39: inzCOfyMQ6IpM : qMgtYZ3CJU
管理人さん このご恩は一生忘れません。ありがとうございました。ありがとうございました。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/424.html#c8
コメント [経世済民70] マインド・コントロールとパチンコ 不動明
06. 2010年12月26日 03:11:28: UOlBbR9K26
>>01,04

特アに金が落ちるような産業は徹底的に排除すべき。

特にパチンコ、スロットみたいなギャンブルは
客のためにもならないし
そもそも存在理由じたいないでしょ。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/440.html#c6

コメント [経世済民70] 國會議員とパチンコ 不動明
01. 2010年12月26日 03:13:20: UOlBbR9K26
なんという売国者リストw
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/442.html#c1
コメント [経世済民70] マインド・コントロールとパチンコ 不動明
07. 2010年12月26日 03:44:45: IqDrSmvKOo
>06
他人が、本人の所有物をどのように処分しようが、その人の自由であって、あなたには関係ないじゃんw
あなたの周りの人でパチンコに自分の時間を費やす馬鹿な人に、あなたがアドバイスするのも自由だけどさw
なんで卑しい宦官に何かをさせたいの?w
あの宦官どもが動くたびにカネが掛かるんだよw
俺のものだったはずのカネがなw
俺は「特ア」のために俺のカネを使わせたくないのよw
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/440.html#c7
記事 [お知らせ・管理19] 「阿修羅掲示板を読もう!」というチラシを作りたいです。
ここにUPして誰でもプリントアウトしてコピーをしたり印刷をして自分が住んでいる近所でポスティングできるようにしたいです。最近の投稿からという欄を設けて重要投稿を載せれば話題になるのではないでしょうか?こうやって阿修羅はアクセスを伸ばし、各地で阿修羅掲示板のオフ会を開催すればいいのではないでしょうか?その地域のお店などの広告を取ればチラシの印刷代も出るでしょう。管理人さん、いかがでしょうか?場合によっては阿修羅掲示板維持の為の資金調達になるかも知れません。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/465.html
コメント [外国人参政権・外国人住民基本法01] 発砲警官に懲役4年求刑 栃木、中国人死亡(47NEWS) 中国人がいかに異常かが分かる内容です 警官は正当防衛 木卯正一
14. 2010年12月26日 03:58:57: dJqSr1tTYM
12

お前みたいな奴だから職質されるんだよな 笑
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/701.html#c14

コメント [マスコミ・電通批評11] ネットユーザーへの受信料支払を画策するNHKの愚 (暗黒夜考〜崩壊しつつある日本を考える〜) pochi
25. リクルート栄えて国滅ぶ 2010年12月26日 04:18:37: o3G.qndRd5HPM : ZCkvT3LN5E
 若者の就職難について論じた「日本の、これから」。前半部で何たら喋っていたSフトバンクの青野さんも、21.で記した海老原氏同様、リクルート出身。
 「テリー伊藤ふざけるな」のスレでも記した(51.55.)のだが、NHKのリクルートびいきは、やや異常。
 おまけに出てきたのが、51.でも触れた東大・灘高エリートの鈴木寛。鈴木の喋くりに対し、海老原は「寛さん」と返しており、こんなNHKにリクルート批判は、まず不可能。
 言葉は悪いがNHKよ、 んでくれ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/238.html#c25
コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
03. 2010年12月26日 04:26:31: O6JvIm2gCw
IMF管理です。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c3
コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
04. 2010年12月26日 04:48:43: X2FNCErPrj
>年金は、2031年か32年に破たん 
>財政破たんが、2020年ごろ(あと9年とか)だという主張があるので、財政破たんがきても、年金は破たんしないというシミュレーションになりますね。

あれは国債デフォが無くても、年金は20年後に破綻するという計算ですね
また、国債デフォしても、税金から年金への補填を続けることはできるので
原理的には、財政破綻と年金破綻は別問題として扱えます
ただ国民が健全な常識を持っているなら、年金もそれ以前の時点で見直すでしょう(笑)
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c4

コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
05. 2010年12月26日 04:53:56: X2FNCErPrj
>野口さんが心配しているようなインフレは「通貨量<潜在生産力」である限り起きないよ。日本経済でやばいのはGDPの減退

結局、これが一番の問題でしょうね
そのためには、日本の産業構造や、行政構造を、少子高齢化に対応させなければならないですが、現実には、これまでの与党はほとんど何もしない
それは結局、国民自身が目先の負担増や分配構造の変化を嫌い、構造改革の痛みを先延ばしにしているからなんでしょう

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c5

コメント [経世済民70] 30年間8.5兆円「円買い外貨売り」を続けてきた、輸出超過額平均年8.5兆円がそれだ heiwatarou
19. 2010年12月26日 05:00:02: X2FNCErPrj
>強制的に上げても、企業が潰れ失業が増えて不況が悪化するだけ 

こっちが問題ですね
理想論として賃上げを主張しても、現実の地方の雇用を支える中小企業が、これに耐えられず、失業や倒産が増えれば、全く無意味です


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/422.html#c19

コメント [マスコミ・電通批評11] プロレスってやっぱり八百長、それはマスコミの責任だ、PJ(政治報道然り、6大マスゴミは、事実と嘘と冗談を峻別すべきです) 小沢内閣待望論
01. 2010年12月26日 05:01:50: sUpHQ8Q75g
「真剣勝負」だと思い込んでるから
シナリオがあると判った途端に
「八百長」と叫んじまう

プロレスは最初から最後まで「興行」なの
プロボクシングだって同じ

それでもまだ熱くなれる人はどうぞ楽しんでくださいなw

http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/379.html#c1

記事 [経世済民70] オバマの再チャレンジ 米の財政問題
オバマの評価が一連の立法化によって高まっているらしい
マイナスの反作用という面もあるだろうが、完全なレイムダック化は
何とか避けられる見通しということか

日本の首相に対する国民の信任低下、マスコミのバッシングとは
対照的なのは、再チャレンジを許す国民気質の違いもあるか


XXXXXXXXXXXXXX 引用 XXXXXXXXXXXXXX

『from 911/USAレポート』第490回

    「中道オバマの新政策にある一貫した方針とは何なのか?」

    ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■ 『from 911/USAレポート』               第490回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「中道オバマの新政策にある一貫した方針とは何なのか?」

 11月の中間選挙で大敗して以来、精彩を欠く印象だったオバマ大統領は、このま
までは再選に黄信号というような雰囲気でした。ところが、年末ギリギリになって共
和党との「超党派合意」を連発、長い間懸案だった問題を一気に解決して政治的には
急浮上しています。それにしても(1)ブッシュ減税の延長、(2)軍における同性
愛カミングアウトの自由化、(3)対ロシア新核軍縮条約の批准、(4)911テロ
時の救急出動者への無償医療サービス立法、と合意の難しいと思われた懸案を4つも
片付けているのですから大したものです。

 NBCのブライアン・ウィリアムスは、「議会にこんなに仕事をさせたのはジョン
ソン大統領時代以来」だと言っていましたし、オバマ大統領は22日の夕方4時過ぎ
には「勝利の記者会見」を行い「今日は最高の一日だ」とニッコリ笑って、そのまま
「エアフォースワン」に乗り込み、ハワイでの11日間の休暇に入りました。大統領
の支持率も、20日から22日にかけて行われたラスムーセンの調査で支持47%、
不支持51%と一時期の「不支持が10%以上も上回る」状況からは持ち直していま
す。年明けの調査では恐らくもっと良い数字になるでしょう。

 先週のこの欄では「中道にシフトしたオバマ」について、(1)の減税延長で合意
に達しただけの時点で論じてみましたが、更にこれだけの合意を実現したとなると、
改めてその意味についてじっくり考える必要があると思います。それにしても、「ブ
ッシュ減税の全面延長」という点で大統領が共和党案を「丸呑み」したインパクトは
大きかったようです。これで共和党議員団はすっかり軟化することになりました。今
年の春、民主党サイドが医療保険改革案をかなり強引な通し方をした際に、「以降は
超党派合意には応じない」と態度を硬化していた共和党が、その前の状態に戻ったの
です。

 以降はかなりスムーズに審議が進みました。(2)から(4)はどれも共和党の支
持母体の一角を担う「草の根保守」のイデオロギーとは相容れない政策ですが、結果
的に実務家による説得が通じたのです。軍の同性愛自由化については、ゲイツ国防長
官、マレン統合参謀本部議長以下が承認を求めましたし、ロシアとの新核軍縮に関し
てはそのゲイツ国防長官とヒラリー国務長官がサポートする中、議会の秘密会で国の
防衛戦略に根ざした説得が繰り広げられました。また911テロの際の出動者の救済
については、ニューヨークのブルームバーグ市長が共和党の説得に当たったのでした。

 さて、こうした一連の「新政策」ですが、何か一貫した方針はあるのでしょうか? 
その検討に入る前に、そもそも「11月の中間選挙で与党が大敗し、1月の新議会で
は共和党が下院を圧倒的多数でコントロールるする」という現状にも関わらず、どう
してこれだけの「超党派合意」ができたのかという点で、「ねじれ議会+与党内分裂」
で動きの取れない日本の政局とはどこが違ったのか、その点を確認しておきたいと思
います。

 今回の「超党派合意」の背後には、確かに民選で強大な権力を与えられた大統領制
や、上下両院の性格付けや優越性に関する憲法上の規定が制度インフラとして存在し
ています。ですが、大統領制や両院の優越性の定義がなければこうした「ねじれの中
での超党派合意」は不可能かというと、そんなことはないと思います。この欄で再三
お話しているでのすが鍵は「党議拘束の解除」です。個々の議員が、大統領の説得を
受ける中で選挙区と相談して独自の判断を行う、その柔軟で独立したシステムが「ね
じれの中での決定」を可能にしているのです。

 それはともかく、実際に今回決定した政策は、単に「超党派合意ができた結果」と
いう以上の意味を持っていると思います。表面的には「減税」は共和党寄りですし、
「同性愛の自由化」とか「核軍縮」というのは民主党的な政策に見えます。また
「911出動者の救済」について当初共和党が反対したというのは、彼等にとって
「911と戦った伝説」よりも「目先の医療保険改革つぶし」の方が優先事項であっ
たという時間感覚を感じさせて興味深いようにも思います。

 ですが、そうした対立軸とか政争という構図の奥を見てゆくと、この四つの「政策」
には一つの共通したテーマがあることが分かります。それは「財政再建」という問題
です。まず軍の関係で(2)の同性愛自由化と(3)の核軍縮についてはどうでしょ
う? まず対ロシアの核軍縮ですが、一つには「欧州のミサイル防衛システムの仮想
敵を、ロシアからイランに一部変更」という戦略的な意味合いがあります。ですが、
それ以上に「膨大な核弾頭の維持管理コスト」にはもう耐えられないという財政上の
要請があるのです。対イラン戦略にしても、イラクとアフガンの延長に「対イラン抑
止力」を本格的に構築するのではなく、ミサイル防衛システムの「対象ずらし」で対
応するというのはコストダウンに他なりません。

 軍における同性愛カミングアウトの自由化についても、社会価値観に関するイデオ
ロギー的な政策変更に見えますが、実際のところは「コスト削減」の問題が決め手に
なったという見方もあります。折角国費をかけて募兵をした、あるいは訓練を施した
兵士であっても、これまでは同性愛を告白した場合は即時除隊にしていたわけで、そ
の「ムダ」は相当な額になっていたというのです。共和党の反対派を説得するための
レトリックにも見えますが、この「コスト要因」というのは無視できない問題であっ
たようです。

 ニューヨークの「911テロ出動者への医療サービス」という問題も、共和党にと
っては「医療保険改革を潰そう、あるいは骨抜きに」という「意欲」の延長で反対し
ていたように見えますが、これとても「小さな政府論」や「自己責任論」の延長にあ
る主張であり、「財政」の問題が色濃く影を落としています。結果的に可決されたと
はいえ、当初案よりも金額的には圧縮されているのです。

 ところで、一連の「超党派合意」の決め手になった「ブッシュ減税の継続」はどう
でしょう? 2年間で総額8600億ドル(72兆円)という額は、減税である以上
はコストであり持ち出しになる金額です。とりわけ、年収25万ドル(約2千万円)
以上の富裕層に関しては、減税を終わらせることによる税収により「財政再建」を行
うとか「医療保険改革の財源」にするというようなことを、オバマ自身が大統領選を
通じて言い続けて来ましたし、民主党の周辺には今でもこの「増税」が実現できなか
ったことへの反発が渦巻いています。

 ですが、今回議会が可決してオバマがサインした法案は、富裕層も含めた完全な
「減税の延長」なのです。これでは共和党案を丸呑みしただけでなく、オバマ政権と
しての節操はどこにあるのかという話になってしまいそうです。ですが、この判断自
体もオバマとしては一応筋を通しているのです。というのは、オバマの「再選戦略」
においては「財政再建」をキーワードにしそうな気配で、既に大統領の諮問委員会で
ある「財政規律委員会」などが動いているのですが、ここでは2020年までに累計
4トリオン弱(4兆ドル=340兆円)という巨額の赤字削減を目指すという方針が
出てきています。

 そんな物凄い赤字削減に取り組むのであれば、まず2011年から2年間の860
0億ドルの減税をするというのは矛盾に見えます。ですが、オバマとしてはストーリ
ーはあるのです。この「2020年までに赤字削減を行う財政規律委員会の提言」の
行動計画には、次のような前提条件があるのです。それは「不安定な景気回復トレン
ドに負荷をかけない」という前提で、そのために具体的な財政赤字削減については
「2012年からゆっくりスタートし、本格的な歳入増+歳出減に取り組むのは20
14年から」というタイムテーブルになっているのです。

 つまり2011年から2012年という時期に「景気回復の手段としての減税」を
行うことは「中長期の財政赤字削減計画」とは矛盾しないどころか、この減税が景気
回復に効果があるのであれば、却ってその後の税収増にもなるという計算もあるとい
うわけです。これは別に詭弁でも手品でもなく、単年度主義ではない国家経営を行う
という発想から自然に与野党で合意がされたのです。

 そう考えると、今回の「オバマの譲歩」や「共和党の妥協」というように見える一
連の「超党派合意劇」は、実現可能な狭い政策選択の幅の中で、しっかりとその「実
現可能なゾーン」での意思決定がされたというだけのことのように思われるのです。
繰り返しになりますが、それは「財政再建」という一つのテーマに集約ができるもの
です。そして、この点に関しては実はトーンこそ違え、草の根保守の「ティーパーテ
ィー」が今年一年をかけて主張してきたテーマと見事に重なるのです。

 もうすぐ2011年、年明けにはオバマの年頭予算教書演説(ステート・オブ・ユ
ニオン・アドレス)があります。大統領の今回のハワイでの静養は、この「中間選挙
敗北直後」の予算教書に何を盛り込むかを考えるためという解説もありますが、とに
かくこの演説は大事です。選挙に負けた直後でもありますが、再選を目指す大統領選
へのキックオフ宣言という位置づけもあるからです。そして、そのテーマは恐らくは
「財政再建」になるでしょう。具体的には「2020年までに4トリオン弱の赤字削
減」という巨大な数字も持ち出すでしょうし、今回の減税は景気回復のためであり、
赤字削減は2012年から、そして2014年以降に本格化するということも恐らく
口にするのではないかと思われます。

 対する共和党の大統領候補レースは、今のところサラ・ペイリンを軸に回っていま
すが、アプローチこそ違え、こちらも主要な主張は「財政再建」です。例えばペイリ
ンの場合は、今回の「超党派合意劇」や「財政規律委員会」には批判的です。彼女の
立場からすれば、いかなる増税も認められないし、いかなる歳出増も認められないか
らです。ペイリンの推薦を受けて当選した「ティーパーティー系」新人議員が多数登
院する1月以降の新議会では、この点で対立が深まるという見方もあります。

 そうした違いを持ちながら、民主党と共和党は恐らくこの「財政再建」をテーマに
大統領選を戦うことになる可能性が大きいと思います。仮の話ですが、同じ財政の問
題をテーマに選挙戦が戦われ、そこで様々な具体的な論点に関しての論争が行われ、
結果的に民意とのコミュニケーションがかなりできた中で、思い切った歳出カットを
国家の中長期計画として決定ができるようですと、アメリカの衰退は食い止められる
かもしれません。先週お話した「新しいストーリー」とはこうした意味だったのであ
り、この一週間、アメリカは2011年を先取りするように、その新しいストーリー
へと入っていったように思われます。

----------------------------------------------------------------------------
冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーショ
ンズ)( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media]                No.615 Saturday Edition
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】   ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/ )

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/449.html

記事 [経世済民70] 合理的であるために、不合理的になる
常に合理的であろうとすること(自己利益の追求)が、結果として不幸になったり、自己利益を損なう
というのは、良くあるパターンだ。
成功した企業がCSRに励むのも、法人として、同様の原理が働いているからだろう


XXXXXXXXXXXXX 引用 XXXXXXXXXXXX
【第122回】 2010年12月24日
http://diamond.jp/articles/-/10575

「職場や家庭で常に合理的であろうとするな!」
気鋭の行動経済学者ダン・アリエリーが説く
理屈に合わない不合理を人生に活かすヒント
1 

人間の行動の驚くほど理屈に合わない不合理性を浮き彫りにした2008年9月のリーマンショックを契機に、その学問的意義があらためて見直されている行動経済学――。振り返れば、再評価ブームの火付け役は、ダン・アリエリー教授(デューク大学)の世界的ベストセラー『予想どおりに不合理』だった。その気鋭の行動経済学者が、新作『不合理だからすべてがうまくいく』で実生活の視点から人間の行動原理をさらに解き明かし、今ふたたび話題を集めている。「高い報酬は逆効果」「自分で作ったものを過大評価するイケア効果」等々、職場や家庭での不合理な人間行動メカニズムを解析する自称「ソーシャルハッカー」が、人生に役立つ行動経済学的思考法を披露する。
(聞き手/ジャーナリスト、大野和基)
ダン・アリエリー(Dan Ariely)
新進気鋭の行動経済学者。現在、デューク大学教授。2008年に上梓した『予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(邦訳は早川書房刊)は世界的ベストセラーに。2008年度のイグノーベル賞の受賞者。近著は『不合理だからすべてがうまくいく―行動経済学で「人を動かす」』(邦訳は同じく早川書房刊)。

――あなたにとって、行動経済学とは何か。

 重要なポイントは、二つある。

 まず心理学やさまざまな社会科学を合わせて人間の行動を解き明かす集学的な、すなわち多くの学問領域にわたる(multidisciplinaryな)アプローチであるということ。もう一つは、多方面に応用が利くということだ。

 われわれは皆、政府・企業・個人などの各レベルでの意思決定全般をより良い方向にもっていきたい。ただ、そのためには、実際にどんなことをすればいいのか、意思決定の際に人が犯す間違いを正すために何ができるのかを研究しなければならない。行動経済学とはそうしたことに対して具体的な説明を試みている、非常に実用的な学問だと私は思っている。

――近著『不合理だからすべてがうまくいく』(原題 “The Upside of Irrationality”)で伝えたかったことは何か。

 われわれ人間は、配偶者や上司たちについては合理的ではないと考えていながら、自分自身については合理的だと思い込んでいる。まずは、そうではないと認めることから始めないといけない。

 錯視(visual illusion)では、相手の間違いを証明することは簡単だ。実物を測定すれば証明できる。しかし、意思決定はそれほど簡単ではない。たとえば、恋愛や仕事で二つの選択肢があったとする。この女性か別の女性かどちらとも結婚できる、あるいはこの仕事かあの仕事かいずれにも就くことができるとする。われわれはいったいどうやって、自分たちの選択が正しかった、間違ったと証明できるというか。一人の女性と結婚したら、あるいは一つの仕事に就けば、もう一人もう一つの現実はない。要するに、合理性の説明は簡単ではないし、世の中は不合理でいっぱいなのだ。

――われわれ人間はなぜ不合理に行動するのか。
次のページ>> ときには不合理でいることは凄く良いことだ


合理的になる方法は一つでも、不合理になる方法はいくらでもある。一つには、われわれはしなければならない少しのことをするようにはできていないということだ。たとえば、人類は非常に長生きをするようになったが、30年後に自分に何が起こるかについて気にするようにはできていない。

 また、感情という問題もある。感情は、意思決定についての大きな部分を占めるが、そもそも感情というものは合理的ではない。

 最後に、お金の問題だ。お金は比較的新しい発明だ。非常に抽象的で考えにくいものだ。コーヒー一杯買うたびに、現在と将来についてどんなトレードオフ(得失評価)があるのか考えなければならない。しかし実際は考えることは難しい。

 そこで起きることは、近道を見つけて、完全ではない方法でお金(の使途)に関する決断を下すことだ。

――われわれは常に合理的であろうとすべきなのか?

 それは違う。そもそもの議論として、われわれは常に合理的に行動しようとすべきではないと思う。この本のタイトルをThe Upside of Irrationalityにしたのは、ときには不合理であることはすごくいいことだと伝えたかったからだ(注:upsideは利点という意味)。

 たとえば、人は他人のことを気遣うものだ。「自分が一番得する」方法ばかりを考えて実際に行動している人間だらけの社会に生きたいとは、あなたも思わないだろう。もしそんな社会ならば、皆それぞれに何が自分にとってもっとも利益になるかを計算しているだけになる。

 つまり、常に合理的に行動する必要があるということではなく、どんなときに、自分たちに害になるやり方で行動しているかについて考える必要があるということだ。

 それは単に合理的とか不合理というのではない。どういうときにわれわれは間違いを犯すのか、間違った行動をするほうがいいのはどういうときなのか、どういうときにわれわれの行動が不合理だけれども受け入れられるのか――そうしたことを考えるべきなのだ。近著のテーマも、まさにそこにあった。
次のページ>> 人間の失敗の多くは長期的なビジョンに関するもの


――人間が長期的なビジョンを持つことは難しいと思うか?

 非常に難しい。人間の失敗の多くは長期的なビジョンに関するものだ。

 貯蓄することの難しさ、食べすぎ、無防備なセックス、十分運動をしないこと、飲みすぎ…枚挙にいとまがない。予防的医学検査をしないこともそうだ。こういうことはすべて今と将来のトレードオフになる。トレードオフにかかわると、人間は間違いを犯す。

――もし将来に対して非常に明確な目的がある場合、その目的を達成するために今何をすべきだと思うか。逆算するのか?

 その通りだ。多くのことを考慮に入れなければならない。先送りにすることについてもそうだ。

 そもそも目的を持つことはいいことである。なぜならそれは非常に具体的なことを作り出すからだ。一般的に、今私があなたに貯金を始めたらどうかと言っても、その理由を考えるのは非常に難しい。しかし、非常に具体的な目標があれば、たとえば、休暇のために貯金するといったいことであれば少しは貯金が簡単になる。

 自動天引きもしかり、長期的な意味を持つ一つの意思決定を作り出すといい。もし先延ばしを懸念するなら、その目標に対する毎日のタスクをカレンダーに書き込むことも有効だ。また、他人に目標を伝えることで、達成しやすくなることもわれわれの研究で分かっている。言ったことは守りたいと思うからだ。
次のページ>> オンラインデートはなぜうまく行かない?

――ところで、あなたは著書の中で、「自分で作れば愛着がわいて来る、価値が高くなる」というイケア効果について言及している。イケア自身、この効果を知っていて、企業戦略に生かしたのだと思うか。

 (笑)イケアに取材して確認しようとしたが、答えはもらえなかった。ただ、イケアは別として、うまく行っている企業は、人間の行動分析について何かコツを知っているのだろう。

 そもそも、行動経済学には3種類の支持者がいると私は思っている。まず、パーソナルな関心を持っている人たち。つまり、われわれは誰なのか、どのように行動するのか、といったことに関心がある人たちだ。

 次に、企業だ。企業はもちろん人間の行動分析をいいようにも悪いようにも使うことができる。もしも企業側が悪いように使うのならば、われわれは消費者として自分たちがどこかで失敗するかもしれないことを考える必要がある。

 最後に、政策立案者だ。人がどこで失敗するか理解すれば、いかにして規制を作ればいいか考えることができる。

――個人と企業についていえば、オンラインデートについての章は興味深かった。最後に当人(女性についてデータを集めて、完璧だと思った人と付き合おうと思ったら、すぐにふられた男)が失敗したのはなぜだと思うか。彼は絶対にうまくいくはずだと思っていた。

 オンラインデーティングは、本当に悲しい状況だ。われわれが機能してほしいという方向では機能していない。

 たとえば、こんなことを想像してほしい。あなたが、自分の好きな人50人と、それほど好きでない人50人の計100人のリストを作り、皆に連絡して、オンラインデート・サイトに各々の情報を書き込んでもらう。そして、そのサイトから顔も名前も伏せられたかたちで、プロフィールだけ送られてきたとする。それで、あなたは先ほどの区分通りに分けられると思うか。

――非常に難しい。

 そうだろう。そこが問題だ。つまり情報は記述であって、それだけでは役に立たない。われわれはオンラインデート・サイトがその人について説明するのと同じようには、その人のことを経験していないからだ。
次のページ>> 自分が持っているものを過大評価させる授かり効果と損失回避


――話は変わるが、あなたはかつて事故で重傷を負い、腕の切断を医師に迫られたが、その提案を受け入れなかった。行動経済学者としてその時の判断をどう分析する?

 人間には、Endowment effect(授かり効果)とloss aversion(損失回避)という2つのバイアスのせいで自分の持っているものを過大評価し、それを失うことを損失とみなす傾向がある。

 また、現状バイアスという別の不合理の影響を受ける。一般的に言うと、われわれは現状を維持したいと考える傾向があるからだ。

 さらに、決定の不可逆性も人間特有の癖につながっている。元に戻せない決定となれば、不合理の影響を受けるのはなおさらのことだ。

――結局、何がわれわれを動機付けるのかということについては、わからないという結論に達したのか。

 (笑)私の研究の目的は、何がわれわれを動機付けるのかを解明することだ。理解できるときもあれば、少しだけしか理解できない、あるいはまったく理解できないときもある。

 また、大きくわけて、2つのタイプの誤解がある。一つはまったくみえない誤解。もう一つは見えてはいるが、そのパワフルさを理解していない場合だ。

――本の中には「直感を疑え」と書いてあるが。

 それは最初のステップだ。そして少し謙虚な気持ちを持つことだ。知らないと認めると現実を吟味する方法を考えるが、わかっていると思い込めば、何もしない。

 本にも書いたが、自分のあやまちを発見し、それを克服する方法を見つける最善の方法の一つは、データを集め注意深く調べ、そこに潜むことを見抜くことである。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/450.html

コメント [マスコミ・電通批評11] 何も知らない人でもここまで嘘の報道をされると疑問に思う(6大マスゴミの嘘は、キオスクのおばちゃんに見抜かれています) 小沢内閣待望論
03. 2010年12月26日 06:08:21: 8LQMpSZJfU
 特定の政治家ネームを使用した方の尋常とは思えない超人的な投稿が、このマスコミ板と戦争板に埋め尽くされている。ヤフーのスレッドか2チャンネル投稿コピーを見させられているようで辟易するものがある。大量に特定のデータを送り付け埋め尽くして、他の投稿を下位に追いやるスパムメール作戦のように感じる。不偏不党?の公共NHK、新聞テレビよりもネットでの情報の信憑性が一定程度評価されつつあるのに、ある意味で、自由投稿スレッドが原始的なスパム商品の洪水で氾濫、溢れ返りのようである。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/381.html#c3
コメント [中国2] 温首相長男が転職、未上場株で大もうけ?、醜聞を未然に防止か―中国(東亜通信社) tk
01. 2010年12月26日 06:27:31: ibwFfuuFfU
どんなに隠しても人の口に戸は立てられない。こういうスキャンダルが来たるべき中国の本格的かつ破滅的なバブル崩壊の際に暴動のきっかけになるのだろうねえ。
http://www.asyura2.com/09/china02/msg/709.html#c1
記事 [経世済民70] ドイツのEU脱退など、もともとありえない ?
政治経済的な混乱が自国に帰ってくるリスクを考えれば
仄めかすことはあってもドイツが脱退することはありえないというのは
メインシナリオとしては正しいだろうが、断言するのは危険ではないか
人間は、皆そんなに合理的に動くものではない


XXXXXXXXXXXXX 引用 XXXXXXXXXXX
http://diamond.jp/articles/-/10558
辻広雅文 [ダイヤモンド社論説委員]
「米国のハミルトン以前」の欧州で続く危うい綱渡りとドイツの危機感〜白井さゆり・慶大教授に聞く

金融政策は統一されたが財政政策は各国ばらばらという欧州の本質問題を指して、専門家たちは「欧州は米国のハミルトン以前」と形容する。ハミルトンとは、地域ごとにバラバラに債券が発行されていたのを統一して、連邦債を発行した米国の初代財務長官である。ギリシャ、アイルランドにとどまらず、ポルトガルやスペインへの飛び火も懸念される財政危機の連鎖不安を受けて、欧州が“ハミルトン後” に移行する可能性はあるのか。目の前の危機の行方とあわせて、白井さゆり・慶應義塾大学教授に聞いた。

――アイルランドはなぜ、EU(欧州連合)、IMF(国際通貨基金)、ECB(欧州中央銀行)総がかりによる救済支援を受けなければならなくなったのか。
白井さゆり
慶応大学総合政策学部教授。経済学博士。専門は国際経済、マクロ経済、アジア経済。慶応大学大学院修士課程修了。コロンビア大学大学院博士課程修了。「欧州迷走」(日本経済新聞社)など著書多数。

 財政赤字と公的債務が巨額に膨れ上がり、独力では立ち直れず、ポルトガル、スペインといった“次の危機国”に波及しかねないと、その三者が判断したからだ。当初、アイルランド政府は救済支援を拒否したのだが、とりわけ、ECBが申請せよ、と強く迫った。

 財政赤字のGDP比は2009年の14%から10年には32%に急膨張した。公的債務のGDP比は、10年には97%だが早晩150%まで増えるだろうとみられている。

 財政の急激な悪化は、金融危機、銀行危機が原因だ。財政赤字GDP比32%のうち、20%が銀行の損失を埋める増資に使われた。それを除いたら12%で、今年の財政赤字目標を満たすので合格点だ。だから、財政運営の失敗によって危機に至ったのではない。

――GDP比20%を日本に当てはめれば、およそ100兆円だ。それだけの資金を今年調達したのか。

 そうではない。この資金は今後10年かけてアイルランド政府が調達していくので、今すぐに市場で国債を発行して調達する必要はない。しかしEUの会計基準により全額を10年の財政統計に計上しなければならなくなった。だから今年の財政赤字は20%分増えたのだ。しかし政府の負担になる事実は変わらないし、市場はアイルランド政府の負担能力に懸念を高めている。アイルランドの国内銀行の総資産はGDPの4倍という、とてつもない規模にまで拡大した。その劣化が、止まらず、今後も負担が増えていく可能性があるからだ。

 ユーロという統一通貨に参加しているメリットを生かして、アイルランドの銀行は欧州の銀行から大量の資金を借り入れた。それを不動産業者や家計の住宅ローンに貸しまくった。当然、バブルが発生した。10年間で不動産価格は、4.5倍に上昇した。

 ところが、08年9月のリーマンショックでいっせいに返済を迫られる一方で、国内のバブルが崩壊した。資金が調達できず、資産は一気に不良化した。アウトだ。

 政府は三大銀行の一つを国有化し、巨額の公的資金を投入した。だが、大海の一滴かもしれない。4.5倍に上昇した不動産価格は、ピークからまだ 30%程度しか下落していない。景気と雇用の回復の見通しが立たなければ、底が見えないまま、下がり続けるだろう。銀行の損失拡大は止まらない。
次のページ>> アイルランドはなぜ当初、救済支援の申し出を拒否したのか

――同じ財政危機でも、財政運営の失敗が原因のギリシャとまったく状況が異なるということか。

 ギリシャは、50歳前半でハッピーリタイアメントができる恵まれすぎた社会保障を続けるなど放漫財政の典型であり、脱税天国でもあり、あげくに政府が粉飾を施し、財政赤字を過少に報告した。規律が働かない典型的な南欧の国だ。

 実は、アイルランドは2008年後半から今年にかけてGDPの10%相当の歳出カットと増税による財政の健全化を進めて、国際的な評価も高かった。だが、その努力を銀行危機が無にしてしまった。

――それほどの危機に至っているのに、当初はアイルランド政府が救済支援の申し出を拒否したのはなぜか。

 アイルランドはITサービス産業立国構想を実現しつつあった。米国の名だたるハイテク企業が進出している。その最大の武器は、12.5%という非常に低い法人税だ。EU平均が23%、ドイツが29.8%、フランスが34%だから、かなりの低率だ。それをかねてから他のEU諸国は不公平だと不満に思っていた。そこでアイルランドが救済支援を受けた場合、策定する財政再建策に法人税率引き上げを入れるべきと、ドイツとフランスが要求した。アイルランド政府は、これだけは経済成長のために譲れないと拒否したのだ。

 結局、支援する側が折れて、法人税率引き上げ要求を取り下げた。それで、ようやくアイルランド政府は、救済支援申請に同意した。当時、ポルトガルやスペイン国債が売られ始めていた。危機の連鎖を何としても止めるために早急にアイルランドに国際支援を受け入れてもらう必要があり、EU、IMF、 ECBは妥協したのだ。

――5月9日、国際救済支援の仕組みが導入された。アイルランドはその支援第一号になる。

 この仕組みによる支援額の総額は、総額7500億ユーロだ。IMFが2500億ユーロ、EUが5000億ユーロを拠出する。内容を詳しく解説しておこう。

 EUが拠出する5000億ユーロは、二つの組織から調達される。一つは欧州金融安定化メカニズム(EFSM)で600億ユーロ、もう一つは欧州金融安定基金(EFSF)で4400億ユーロという分担だ。つまり、EFSFがほとんどの資金を出すということだ。この基金は特別目的事業体であり、 EFSFは社名だと考えてほしい。EFSFは、アイルランドが救済支援要請を行ったら、アイルランド政府に代わって債券を発行、市場から資金を調達する。トリプルA格付けを得るために、ドイツやフランスなど残りのユーロを採用している諸国が保証を付ける。
次のページ>> とりわけECBの危機感が強いのはなぜか

 この仕組みが用意されていたので、EUは支援を受けろとアイルランド政府に迫ることができた。ギリシャ危機の時点では、まだこの救済支援の仕組みがなかった。EU基本条約(リスボン条約)には「救済禁止条項」もあるため、ギリシャ支援はそれとの整合性の問題もあったことから、あれほどギリシャ救済支援にEU各国は躊躇し、混乱したのだ。

――アイルランド救済支援内容は総額850億ユーロで、アイルランド政府自身が175億ユーロを出し、IMFとEUが先ほど述べた支援制度を使って675億ユーロを供与する。

 アイルランド政府自身が(年金基金などを使って)拠出するのは、市場も想定外だった。理由は、節約のためだ。仮に財政危機がポルトガルやスペインに広がり、支援しなければならなくなると7500億ユーロの国際支援制度の資金枠が不足する恐れがあるからだ。

 アイルランドへの救済支援のもうひとつの特徴は、資金使途が財政支援500億ユーロ、銀行部門支援350億ユーロに分けられ、決まっていることだ。通常であれば、支援資金は国に対して供与するもので、使い方を決めたりしない。いかにアイルランドの問題の本質が銀行危機にあるかを物語っている。

 また、資金使途を明記するに当たっては、一国の銀行危機に対して大掛かりな国際支援を組むのは好ましくないのではないか、という批判が、複数国から出た。だが、ECBが「銀行の救済と銀行改革にこそに使うべきだ」とわざわざ公的にお墨付きを与え、最も強く救済支援要請を迫った。

――とりわけECBの危機感が強いのはなぜか。

 ECBは今、非伝統的金融政策に突入し、「無制限の資金供給」という異例の金融緩和を続けている。実は11年1月に終了、出口戦略に移行する心積もりだったが、方針を転換し、4月までの延長を決めた。場合によっては、さらなる延長もありえる。最も大きな理由は、アイルランドの銀行が市場から資金を調達できず、預金の流出が続いており、ECBからの借り入れへの依存度を高めていることにある。このままだといつまでもECB支援から卒業できないのではないかといった懸念がECBで高まっていた。そこでIMFとEUの支援を受け入れて大幅な資産売却など抜本的な銀行改革も断行してほしいと主張したわけだ。

 その一方で、ECBは12月16日に、自己資本を二倍に増資することを決定した。ECBは長らく否定的だったユーロ建債券(各国の国債)の買い入れを5月に開始したが、市場からすれば非常に物足りない額だった。大幅増資はこの方針も転換するという意味であり、各国国債を本格的に買い支え続けアイルランド支援をするというシグナルだろう。場合によっては、ECBが不良債権のたまり場になってしまう危険があるが、目の前の危機への対処を優先させた。
次のページ>> 財政危機はどこまで波及する可能性があるのか

――アイルランドの銀行危機は解決できるのか。

 結論を言えば、難しい。IMF、EU、ECBが必死で救済スキームを作ったが、あまりに大きい銀行の負債の大きさに対して十分とはとても言えない。これほどの巨額な負債の削減にめどをつけるには、本来は「銀行債務の再編」が必要だ。金利支払いの軽減、元本の削減などで、負担を軽くしてやる必要がある。だが、アイルランド救済支援策には銀行の劣後債の再編だけしか入っていない。優先債や政府が保証する債券などには手をつけない予定だ。

――「債務の再編」とは、企業再生において銀行団が債権放棄などを行う金融支援策に当たるものか。

 そうだ。通常のIMFの支援では対外債務の借り手である「民間債務の再編」を促す。例えば、1997年のアジア通貨危機におけるタイ、韓国、インドネシアの支援ではそうだった。実は今回も、IMFとアイルランド政府自身はそう望んだのだが、EUが拒否したのだ。

 なぜなら、ひとたびアイランドの銀行の債務再編を行えば、民間投資家が損失を嫌ってポルトガルやスペインなどの銀行の債券を購入しなくなる恐れがあるからだ。そうなるとこれらの諸国の銀行が市場で資金調達するのが難しくなるかもしれない。となると欧州のいくつかの国の金融機関が持たなくなる。結果として、ECBの負担や銀行支援を迫られる各国政府の負担が急増する可能性がある。

 こうした思惑が交錯した結果、アイルランド支援は中途半端なものになった。ECBも出口戦略の転換し、当面はアイルランドなどへの支援を続けざるをせざるを得なくなった。

――財政危機はどこまで波及する可能性があるのか。

 10年もの国債の利回りが高い順番に、危機が訪れる可能性が高い。ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアの順だ。ポルトガルが救済支援を申請する可能性は極めて高く、市場も織り込み済みだ。救済支援が現実化しても、ポルトガルのGDPは、ユーロ圏全体の2%に過ぎないから、ここで止まれるならば、深刻ではあるが取り返しの付かない事態にはならない。

 問題は、ユーロ圏第4位の大国である国スペインだ。GDPは12%を占めている。スペインの10年もの国債利回りは、今のところ5.5%前後であり、危険水域からは離れている。それでも市場が不安に駆られるのは、借換債の規模が大きいからだ。来年度の政府の必要調達額は2000億ユーロ前後であり、仮に支援資金として3年分確保しなければならないとなれば6000億ユーロで、7500億ユーロのIMFとEUの国際金融支援枠を使い果たしてしまう。
次のページ>> ドイツのEU脱退など、もともとありえない

 また、民間銀行も巨額な融資を受けており、来年度の借換え額は、1000億ユーロ前後に達する。政府の借換債の必要額を合計すれば3000億ユーロだ。果たして来年度、それだけの資金調達をスペインができるのか、市場は不安視している。

――現在の財政危機拡大に対処し、また将来の再度の危機発生に備えるために、EUは矢継ぎ早に監視、監督あるいは救済に関わるさまざまな制度の再構築を行っている。ポイントはどこにあるのか。

 さきほど説明した欧州安定化基金(EFSF)だ。これは実は、3年間の時限措置で導入されたスキームだ。問題は、その後2013年中旬以降だ。

 前述しているように、EU基本条約のなかには「救済禁止条項」があり、各国は互いの債務には責任を負わない取り決めになっている。この条項が壁となって、ギリシャ救済や欧州安定化メカニズムなどをなかなか決められず、また、EFSFを時限措置に限ることになった。

 これでは、市場の不安は消せない。そこで12月16、17日の欧州首脳会議で、詳しい説明は省くが、EU基本条約に新しい項目を追加して、EFSFを永続化することを決定した。詳細は決定していないが、市場が注目しているのは、「集団行動条項」という新しい機能を持たせようという点にある。

――「集団行動条項」とは何か。

 一言で言えば、先ほど述べた「債務の再編」条項だ。13年中旬以降にユーロを採用する各国が発行する国債を保有する金融機関や投資家に、場合によっては損失を負ってもらうという内容だ。例えば、ポルトガルの債務が巨額すぎて持続不可能だと判断した場合、支援を続ける一方で、民間投資家に損失を肩代わりしてもらう。この規定は、国債発行の際に契約文書に明記される。「投資家の(たとえば)75%以上が同意したら債務再編を行う事ができる」といった条項になるだろう。これは、ドイツの提案だ。

――ドイツは財政難の国々に対し極めて厳しく、制裁主義の方針を採っていたのではなかったか。孤立を恐れず、EUを脱退するかもしれない、とさえ言われていた。

 ドイツの脱退など、もともとありえないと思う。ドイツへの信認によって、ユーロが成立しているのだ。確かに、孤立を恐れぬ制裁主義であったが、明らかに方針を変え、他国と強調して改革を積極的に進める覚悟を固めたように見える。

 ドイツ経済好調の主因は輸出であり、その約50%以上がユーロ向けだ。しかもドイツの銀行はユーロ圏に多額の投融資をしている。さらにドイツが脱退しドイツマルクに復帰すれば、ドイツマルクは急上昇するだろう。PIIGS(ピーグス)などの周辺国の預金者が一斉に預金をドイツに移すだろうから、ドイツマルクはドイツの経済実態を超えて大きく上昇するであろう。そうなれば輸出で高い成長をしているドイツ経済はアウトになる。それらの事実を改めて認識したのだろう。今年の初めには対立気味だったフランスとも、今は協調路線に転換している。EU基本条約に新たな項目を追加することによって、欧州金安定基金(EFSF)の永続化を推進したのもドイツとフランスだ。ドイツが提案した集団行動条項も、フランスが賛同した。
次のページ>> ドイツ主導でEUは統合の緊密度を上げていく

――欧州危機が起きたとき、「欧州は米国のハミルトン以前だ」というジョークが専門家の間で交わされた。ハミルトンはワシントンとともに米国建国の立役者であり、初代財務長官として、地域ごとにばらばらに債券が発行されていたのを統一し、連邦債を発行した。金融政策は統一されたが、財政政策は各国ばらばらであるという欧州の本質問題を言い表したジョークだ。

 実は、ルクセンブルク首相とイタリア蔵相が、12月初めに“ユーロ連邦債”の発行を提案している。やり方は、二つある。ひとつは、アイルランドなどの財政難で国債発行が難しい国々の肩代わりを行う。もうひとつは、財政難の国々の国債と一定の割引率で交換する。この二つの方法によって、少しずつ共通のユーロ建債券が増加していけば、最終的には米国の財務省証券に匹敵する質が一定の大きな流動性市場ができあがる。

 だが、ドイツとフランスは反対している。財政難の国にはまず厳しい再建策の実行を迫るべきで、さまざまなアイデアは財政赤字国がきちんとした財政改革や構造改革を推進する意欲を失わせてモラルハザードを引き起こす、という立場だ。ルクセンブルグとイタリアは、財政難の国ほど既存の国債とユーロ連邦債の交換において厳しい割引率を適用するのでモラルハザードは起きないと主張しているが、ドイツは、そもそも肩代わりという発想自体が問題であり、議論する段階にない、としている。

 ただし、ドイツは、EU共通の税制や労働政策のあり方の議論に入ってもいいのではないか、と言い出してもいる。つまり、財政運営の共通化を図る基盤つくりの提案だ。また、ドイツの野党は”ユーロ連邦債“を認めてもいいのではないか、としている。

 EU一体化をあれほど嫌っていたドイツは、明らかに姿勢を転じた。今後、EUは紆余曲折を辿りながらも統合の緊密度を上げていくであろう。それを牽引するのは、ドイツだ


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/451.html

コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
06. 2010年12月26日 06:58:47: 4QyvM7j0v2
とりあえず、このままだと政府の借金だけが残るってことでしょ?
政府が国債発行してばら撒く→民間が返済のために使う(笑)→不況で政府が(略
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c6
コメント [憲法3] 〔某国会議員への反論〕 「検察審査会は憲法で保障された制度である」 その根拠/ 夜明けの晩
03. 2010年12月26日 07:53:21: 8ZXG5AAQQ6
検察審査会の審査記録の保管について裁判所が通達(だったかな)を出していると思います。
ということは上級官庁は裁判所になる訳で、検察=行政への牽制機関としての位置付けかと頷けなくもうりません。
検察は司法機関というのはウソです、念のため。
これが検察に所属しているなら、自分で不起訴にした案件を起訴にするという自己矛盾が生じてしまいます。
但し、裁判所に属すとしても、自分で起訴して裁判することになり、これも矛盾です。
とすると、牽制の役割が立法機関であってもよいようにと思いますが、今回のように政治家が対象になる場合もあるので、なかなか難しいでしょう。
監督官庁が無く独立しているというのは、予算の面からも、実際的には成立しないのではないでしょうか。
第四の権力と割り切ってしまうと超法規機関のようで、それはそれで怖いように思います。
こう考えてくると確かにヌエみたいな機関ではありますね。
少なくともその活動がもう少し透明性をもったものでないと、なんとも判断のしようがない、というところでしょうか。

http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/307.html#c3
コメント [憲法3] 〔某国会議員への反論〕 「検察審査会は憲法で保障された制度である」 その根拠/ 夜明けの晩
04. 2010年12月26日 07:54:47: xDKFbXQBkE
検察審査会は欠陥商品
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/307.html#c4
コメント [経世済民70] 國會議員とパチンコ 不動明
02. 2010年12月26日 08:23:14: Qmr742hN4I
これじゃぁ〜国民の為の政治なんて絵空事だよな よくわかりました
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/442.html#c2
コメント [戦争b6] 「宮古空港の軍事化ノー」 島の平和に「軍隊不要」 妹之山商店街
30. 2010年12月26日 08:37:12: pPvDYNPuSc
>26

>徳川の代には、武器・軍備としての、鉄砲は厳しく制限されまっしたが、百姓のイノシシ退治のための農具としては、所持が多数、許されたそうです。しかし、だからといって、村の百姓が鉄砲で軍備を蓄えていたとは、けっして、いわないでしょう。

 百姓が鉄砲を持って一揆を起こしたら、武士は刀を捨てて鉄砲を持ち、また大砲を蔵から持ちだして一揆を鎮圧したでしょう。百姓の中には、強盗殺人もやりかねない無法者もいたに違いないが、武士の支配をひっくり返そうなどということを考えなかったのは、上記の「こうすればこうなる」ということが分かっていたからだ。この場合、理論的に言うと、武士は刀を持っていなくてもよい。いざと言う時に刀、鉄砲、大砲を使える用意が出来ていればよい。これは「武器を捨てた」とは言えないでしょう。

 私が03,〜07,〜20,21、23で一貫して言っているのは、「武器を捨てれば平和になる」という考え、というより「思いつき」の無意味さです。

>電車の中で、不届きモノがいた、そのとき、居合わせた勇気あるヒトたちが、おいっ!と取り囲んで取り押さえた、というような場合、軍備も軍も使われたとは言わない、が、暴力は使われたとはいうかもしれない。衆人環視とはそういうことをふくむ。

 これは、「日本が侵略されたら、国連や国際世論に助けてもらえばよい」という意見を比喩的にいったものではないのか。そういう議論は出尽くしているので、反論は省略します。

>正義の根拠はどこにあるのか? 武器や軍備というモノにあるか?軍隊という独特の官僚組織にあるのか?

 こういう言い方は思慮深いようでいて、実は曖昧で分かりにくい。武器や軍備というものはそれ自体ニュートラルであり、よくも悪くもないが、それを使う軍隊は悪であり、軍隊に使われる武器も悪であるという意味か。軍隊は悪であるというのは、日本やアメリカだけのことなのか。それとも世界の全国家の軍隊は悪だと言うのか。軍隊が武器を使うのはいかんと言うなら、どういう組織が武器を使えばよいのか。警察にミサイルや戦車や戦闘機を使わせればよいのか。それとも自衛隊は軍隊と呼んでいないのだから、軍隊ではないのか。多摩散人。

http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/888.html#c30

コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
04. 2010年12月26日 08:38:39: HP81ETgaSg
>時代の趨勢を正確に見抜くには、まず
>あらゆる報道に疑問を持つことではないかと
>僕は考えている。

そもそも田原がこんなことを口にする資格があるのか?
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c4

コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
07. 2010年12月26日 08:57:45: PPAJr6WqwQ
官僚機構は自然増殖する、これは古今東西の経験則である。

なぜなら、会社であれば債務をデフォルトすれば、強制的に組織も消滅するが、国家は日銀引き受けがあるので消滅しない。

だから官僚組織を縮小させていく自助作用がなければならないが、そうはならない。
民間が滅びすべての国民が公務員かホームレスかどちらかになるまで官僚機構の拡大は止まらない。

国家債務のデフォルトで官僚組織の肥大が止められない以上、官僚機構の拡大を止めるには強い権力がいる。
国民から選ばれた政治家に強い権限を与えないとできない。
政治とカネと言って政治家の権力を弱めていては、官僚機構の縮小はできない。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c7

コメント [憲法3] 〔某国会議員への反論〕 「検察審査会は憲法で保障された制度である」 その根拠/ 夜明けの晩
05. 2010年12月26日 09:07:34: nWIUR2rD6s
検察審査会は廃棄処分でよろしい。


http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/307.html#c5

コメント [憲法3] 〔某国会議員への反論〕 「検察審査会は憲法で保障された制度である」 その根拠/ 夜明けの晩
06. 2010年12月26日 09:28:56: CRer5rROIE
>>03
>検察は司法機関というのはウソです

たしかにウソですねw
検察は、法務省管轄の行政機関です。(司法≠行政)
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/307.html#c6

コメント [経世済民70] 子どもの学力でも中国にかなわない tea
04. 2010年12月26日 09:30:37: Get9aY0xRA
小中学校のゆとり教育力を受け手そのまま社会に出てから反映云々ってのは
高等教育の問題がすぱっと抜け落ちている時点で理論の飛躍に過ぎない

社会トータルとしての教育論を考えるなら高等教育〜生涯教育のあり方こそ
もっと真面目に考えないと
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/448.html#c4

コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
05. taked4700 2010年12月26日 09:43:10: 9XFNe/BiX575U : uJ4tgLaONU
もう少し具体的に言うと、公務員給与の引下げ、退職金の廃止、年金支給額の切下げ、健康保険の公的負担減少などです。公的支出をどんどん削減することですね。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c5
記事 [ペンネーム登録待ち板6] 借金頼みの予算編成?この借金も刷ったお金、財源は無尽蔵(日本経済復活の会Blog)
「借金頼みの予算編成?この借金も刷ったお金、財源は無尽蔵(No.29)

一般会計92.4兆円の来年度予算が閣議決定した。2年連続で借金が税収を上回るとマスコミが騒いでいる。是非一度、マスコミ関係者はこのブログを読んで、借金の意味を理解していただきたいものだ。借金は誰から借りているのか考えてもらいたい。もちろん、大部分は日本国民からだ。銀行等の金融機関を経由して国民から借りていると言ったほうが正確だ。

財務省によると、9月末の国の借金は908兆円になる。つまり国民一人当たり約750万円ものお金を国民が貸しているということになる。5人世帯だと3750万円も貸しているのだ。日本の家庭はそんなに金持ちなのだろうかと思うが、そんな実感はない。財務省のホームページから国債の保有者の割合を調べてみた。

http://ajer.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/12/25/291.jpg

銀行など、金融機関が多く、海外の購入者は5%にすぎない。44兆円の新規国債が発行され、それを売ったお金を政府が財政支出に使ったらどうなるだろう。お金は医療・介護・公共投資・防衛・教育等様々な経路をたどり、結局は国民に渡る。国民が自宅の金庫に全部しまっておくことはあり得ない。銀行や郵貯に預けたり、生命保険の保険金として使ったり、年金の掛け金に使ったり、国債を買ったりする。銀行・郵便局・生命保険会社・社会保険庁等は有力な投資先が他に見つからないので、そのお金を次の年、国債などに投資する。

これはぐるぐる回っているだけで、持続可能であり、将来破綻するようなものではない。もし、銀行等にお金が無くなったら、日銀がお金を刷って流すことになっているので、決して資金が枯渇することはない。しかし、お金が一回りするごとに国は数十兆円の借金を増やしてしまう。このお金は金融機関が稼いだお金ではない。国民から預かったお金だ。預かったお金を再び貸し出すということは、お金を刷った(作り出した)ことになることだ。

例えば自分の車を貸したら、もう自分は車を持っていないから、もう一度貸すことは出来ない。しかし、国債を使い国が金融機関からお金を借り、それを使うとお金は金融機関に戻る。もう一度そのお金を国に貸すということは、実質的にお金を刷って貸していることと同じだ。刷って貸している限り、お金は無尽蔵に増やせる、つまりいくらでも国は借金を増やせることになる。もともと日銀が刷ったお金だが、金融機関がそれを国や国民に対して何重にも貸し出すことでお金が増え経済が発展する仕組みになっている。経済発展で銀行貸出は際限なく増えるものであり、増やさなければならないものである。

現在の日本には2つ問題があって、第一は、お金がいつまで経っても国の経済を発展させるためには使われないことと、第二は、もし国に対して金融機関がもうこれ以上金を貸せないと言ったときどうするかということだ。我々は日経の経済モデルを使い、この問題をどのようにすれば、この問題は解決できるかを示した。No.7を見ていただきたい。

http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-bd0c.html

結論を言えば、数十兆円の景気対策を5年程度続けることだ。環境エネルギーや様々な分野の研究開発、社会基盤整備等、日本の将来への投資になるような景気対策がよい。そうすれば、需要が拡大し、企業に利益が出るようになり、設備投資をすればもっと儲かると感じるようになる。そうなれば、国債ばかり買っていた金融機関も設備投資のために融資を行うようになるし、景気が回復してくれば税収も増え、やがて国債に頼る必要も無くなってくる。まず景気回復のための一押しを政府が行うことが重要なのであり、あとは民間主導で経済が伸びていく。」
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/no29-6751.html


http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1022.html

コメント [経世済民70] パチンコを全廃した韓国、やめられない日本 tea
16. 2010年12月26日 09:50:04: jThU5Bby9w
さんざん偉そうなこと言う政治家が誰もパチンコ賭博について経済対策
景気回復にもなる問題を国会議員全員にFAXメールいれました。
返事はこないのはいいとして、国会でパチンコ禁止議論すらないのも驚いた。

自民党政権の時にもいれたけど誰一人言わないし偽善者だらけだよ。
ようやく地方議員がいいだしっぺとか言ってなんか禁止を考える会だか知らんけど、
票稼ぎの売名行為情けない現実。党の中枢か国会議員しか、なくせるわけがない。

石原都知事も漫画規制になんか必死になってるけど
パチンコ禁止して20兆経済対策、国の蘇りって騒いで、それを武器に
立ち上がれ票とりにいけってメールいれたのにシカトしている現実w

みんな保身のため。落選中の人みてみろよ。チャンネル桜で必死にデモに参加してるwww
当選してればこないんだろ?現役の国会議員でデモに歩いて
参加してるの見たらプレミアだぞw

というか、現役だからこそこないとだめだろ?

議員なんて落選すればニート。国民は公務員の奴隷。
誰一人パチンコ賭博で騒ぐ議員がいないのは、この国は完璧に腐ってるぞ
FAXメール読んでないっていうより自分の保身のためだけに騒がないってことでしょ?

みんなこの国の現状に驚いた方がいいぞ。
マジでFAXメールほとんどの国会議員に送ったから。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/421.html#c16

コメント [お知らせ・管理19] JAXVN タイトル投稿規定違反です。ご理解いただけるまで投稿規定を投稿可能数を0にしておきます。 管理人さん
03. JAXVN 2010年12月26日 09:52:21: fSuEJ1ZfVg3Og : 90pw6nTWjI
元記事のタイトルでは記事の内容がわからないような気がしたのでこのようなタイトルしたのですが、問題があるという事であれば今後は元記事のタイトル自体を変える事が無いよう気をつけます。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/445.html#c3
コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
06. 2010年12月26日 10:15:53: 4Tt4p4vCf2
そう、公務員給与が高止まりで維持できる間は、何が言われようと大丈夫ということだ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c6
記事 [社会問題8] 日航の整理解雇/ILO、調停に動く/労組側の訴え受け 政府 対応問われる(しんぶん赤旗)
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10748335386.html から転載。

gataro-cloneの投稿
日航の整理解雇/ILO、調停に動く/労組側の訴え受け 政府 対応問われる【しんぶん赤旗】
テーマ:電子版にない「しんぶん赤旗」記事


日航労組が加盟する航空労組連絡会は12月10日、国際労働機関(ILO)駐日事務所に調査勧告などの対応を要請していたが、ILOが日本政府に対して調停に動き出した。

人員削減目標を超過達成しているのに交渉もせずに解雇を強行するのだから、明らかにILO条約に違反している。

<参照>
日航「整理解雇」/ILO条約に違反/航空連など 日本政府への指導要請(しんぶん赤旗)

========================================


(* ソースはこちら ⇒ http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e7/b3262b8e4f5306daf529b1307620ee02.jpg

-----------------------------------

日航解雇撤回支援して/東京・有楽町 客乗組合宣伝/労組、女性団体から200人
「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年12月26日 15面

 日本航空キャビンクルーユニオン(CCU)は25日、東京・有楽町マリオン前で日航の整理解雇撤回を求める宣伝を行いました。

 全労連、全労協、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)、全建総連、航空連など幅広い労働組合、新日本婦人の会など女性団体から200人が参加しました。

 マイクを握った全労連の小田川義和事務局長は、「働くこと以外に収入源のない労働者の解雇は、厳しく制限される。『整理解雇4要件』は労働者が長年たたかい勝ち取ったものだ。1327億円のもうけをあげる日航の解雇は許されない」と強調しました。

 JMIU(全日本金属情報機器労組)の生熊茂実委員長は、「日航には税金が投入されているが、解雇の正当化はできない」と指摘。「米国からのジャンボ機購入や地方空港乱造など航空行政のせいで、日航は破綻したのだから、政府の責任で再建するのは当然だ。解雇は安全運航の再生に逆行する」と発言しました。

 新婦人の児玉紀子さんは、「ベテラン客室乗務員の解雇は、女性が結婚・出産で退職させられていた時代から、定年まで働けるよう勝ち取った権利を奪うものです」と訴えました。

 CCUの内田妙子委員長は「経営の失敗を労働者に押し付けては、空の安全を確保できません。解雇撤回を支援してください」と呼びかけました。

 署名に協力した男性(46)は、「自宅から、JALビルが見えるところに住んでいます。年末で強制的に首切りなんてよくない」と話していました。

-----------------------------------

JAL労働者に連帯/大阪で集会
「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年12月26日 15面

 日本航空の不当解雇を撤回させようと、「JAL労働者のたたかいに連帯する緊急集会」が24日夜、大阪市内で開かれました。航空労組連絡会大阪地方連絡会と民主法律協会がよびかけたもので、大阪労連や大阪全労協など支援の労働組合や民主団体の代表が寄せ書きや花束を携え、廊下まであふれる270人が参加しました。

 「この不当解雇を許せば、日本中でやり放題になる」「1047人のたたかいでの支援をさあこれから返そうという矢先の日航の仲間への攻撃。“第2の国鉄闘争”としてがんばる」「航空郵便の地上輸送を担い、JAL123便墜落事故の遺品も手を合わせて運んだ。空と陸でともにたたかっていく」

 梅田章二弁護士や大阪労連の川辺和宏議長をはじめ支援者の訴えに参抑者が「そうだ」と相づちを打ち、当事者のパイロットや客室乗務員がマイクを握ると会場は最高潮に。

 閉鎖された大阪基地で23年間働いてきたという客室乗務員は、9月末から1日も仕事をさせてもらえず、希望退職をすすめる通知が5通も送られてきて多くの仲間が去っていったと告発。「飛行機の職場で堂々とモノをいう私たちをなくそうとする日航には負けない」と語り、大きな拍手に包まれました。

========================================

【関連エントリー】

JAL整理解雇、今後は法廷闘争へ/JAL 整理解雇の現実 / 日航台湾支店 “年齢差別”で罰金

JAL 不当な「整理解雇」/ 「解雇自由は許さない」 たたかう労働者 翼の安全守る誇り


http://www.asyura2.com/10/social8/msg/263.html

コメント [議論30] 教師の精神疾患休職が過去最高の5458人の異常事態への対処 パルタ
02. 2010年12月26日 10:21:40: e4l4vwCjio
こんなに凝り固まってては、病気になるのは当然です。

大体、教師に全人格的な指導力なんて物を、求める人は異常です。

人間には、いろんな人がいるのです。

学校という集団の場で、世の中にはいろんな人がいるという事を知り、社会に出た時に必要な学力や知識を身に付ければ良いだけです。

子供の教育は、まず親の責任です。
少なくとも、授業時間に遊び目的で出席させてはいけません。

教師は、もっと個性的であるべきです。
それでなければ、子供の個性を認められません。

教師個々人が、無力な自分達を虐めているのではないか。
人間は無力であるが故に、助け合うのだという事を忘れているのではないか。
それでなければ、集団の中にいる意味が、ないのではないか?


http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/347.html#c2

コメント [戦争b6] 「宮古空港の軍事化ノー」 島の平和に「軍隊不要」 妹之山商店街
31. 2010年12月26日 10:32:40: looT5ZRVSs
30 多摩散人

イラク、アフガンの戦争に参戦した自衛隊(軍)は違憲、違法の大犯罪です。
黙殺、もみ消し工作をやめなさい。
そうでなければ、ここから話をしてみてください。

事実を抹殺しては、その上の話は全て大嘘です。
26は、あなたと同業者です(そうでなく、気づいていなくても)。
八百長の芝居はもう、うんざりです。

軍の兵器は、大量対人殺戮、破壊専用の攻撃的、弾圧的、脅迫的、威圧的な
カルトの暴力の道具です。
全てを破壊します。
人類の攻撃や防御は、手や足や頭突きです。
又は、スキやクワ、猪肉や鯨を得るため、猛獣から身を守るための、
対他種類、対自然専用です。

警察権力は最小限にするものです。
銃は、犯罪者を気絶させるようなもので十分です。

自然史観上の日常に、人類同士の殺し合いは存在しません。
敵は、自然の驚異や病や災害のみです。

よく、弱肉強食という出鱈目をいうものがあります。
特殊な例を除き、多くは食べるために、他の種や類を殺します。
殺害が目的では無く、食べることが目的で他種類の命を頂きます。
戦車や戦艦や対人巨大破壊ミサイルでトラを払い、鯨を捕り、病を治療しますか。
イラク人やアフガン人を誰が食べますか。
石油やケシが欲しい???ペテン、殺人強盗=軍とその兵器。
無法、非人道、反自然史観。

ピンハネや強盗やペテンが至上原理のカルト武装集団に対しては、
全世界の自然史観原理主義の非武装世界の人類が目を見張っています。

世界を支配するほどの対人殺戮破壊兵器、どこでミサイルや戦車や秘密兵器を作り、
実験をし、集団の訓練をしますか。
なんの得やメリットが誰にありますか。

通報者は、カルト教祖や教団員の誰より、はるかに大きな
報奨や栄誉や勲章を得ることのできる
戦争や軍の対人殺戮破壊専用兵器が無い平和な世界で。

上に述べたように、人類には偉大な敵がいつもあります。
わざわざ、カルト、軍、兵器の敵を増やすことは、算数に合いません。

多摩は、どこのどのカルト、暴力団で洗脳されましたか。
どこのどのカルトに属していますか。
大変な、犯罪です。
暴力団やマフィアやヤクザの本山が軍です。
軍が解体されれば、これらは、共に消えます。

2000年程度のカルト新興日本と16000年の土器の歴史は世界の手本です。
外国人は、よく日本を学び、日本人にならなければなりません。

軍縮〜0、大国の解体が人類共通の精神です。
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/888.html#c31

コメント [口蹄疫・新型インフル02] 韓国の口蹄疫に戦々恐々(読売新聞)今年の口蹄疫も韓国などから侵入した可能性高く 木卯正一
01. 2010年12月26日 10:45:50: vtA0I7xzLI
何でもかんでも民主党の責任へ転換するのは良くないよ。
とんでもないヤツはどの党にも居るからね。

一番の問題、それは盗まれた精液がどうやって「検疫」をすり抜けたのか。
本当に盗まれて韓国へと流れたのならそちらのほうが大問題。
逆ルートで口蹄疫に感染した液体を持ち込む事もたやすいと思われるからです。

こういうルートがあるとすれば、大掛かりな組織レベルが浮上して来る。
当然韓国が有利に事を運ぶように仕掛け、なおかつ日本国内で自由に動けると言えば
もう言わなくても想像出来るでしょう。
今年の発症で最初に疑われたのはどこの水牛だったのか。

事の重大さはもはや政治レベルを超えているかも知れませんね。


http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/829.html#c1

コメント [経世済民70] 30年間8.5兆円「円買い外貨売り」を続けてきた、輸出超過額平均年8.5兆円がそれだ heiwatarou
20. 2010年12月26日 10:53:18: uKFoqoJusE
>>19
日本は生産過剰なので共倒れになっている、賃下げて輸出を増やせば円高になる、
この原因は労働者派遣の合法化だと思う、すなわち賃金引き下げ、それと金融緩和
すなわち企業優位の政策を取って来たこと、
これを打破するのは賃金を大幅に上げること、すなわち派遣の禁止、最低時給1000円にすること
国は失業者や企業の海外移転を支援する。
なのに法人税の引き下げなど論外で全くの逆
輸入超過にし円安に導くことですね、これ以外に景気対策はない、今までやって来たことの逆が日本を救うのです。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/422.html#c20

コメント [経世済民70] 時限爆弾を抱えた「モラトリアム法」延長     〜中小企業は銀行の思惑にのらずに自立せよ tea
01. 2010年12月26日 10:57:35: PPAJr6WqwQ
大前研一は、現実を解っていない
中小企業に不足しているのは資本金だ。
資本金と借入金の違いは、返済しなくても良いか返済しなければならないかの違いだ。
このモラトリアル法案の本質は、中小企業への資本金の供与なのだ。

昔中小企業は期日1年の手形貸し付けで銀行の借り入れを借り換え借り換えで資金調達していた。それがバブル崩壊後一転返済しろとなり、多くの中小企業が倒産した。また連鎖倒産した会社も多い。

資本金が不足しているから中小企業なのだ。
その中小企業の資本不足を補う手段を取り上げれば必ず経済は悪くなる。
当たり前の話なのである。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/446.html#c1

コメント [社会問題8] 日航の整理解雇/ILO、調停に動く/労組側の訴え受け 政府 対応問われる(しんぶん赤旗) gataro
01. gataro 2010年12月26日 11:05:25: KbIx4LOvH6Ccw : 6Qifi87kmQ
日航の整理解雇 ILO、調停に動く/労組側の訴え受け 政府 対応問われる【しんぶん赤旗】
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-12-26/2010122601_01_1.html

日航解雇撤回支援して/東京・有楽町客乗組合宣伝/労組、女性団体から200人【しんぶん赤旗】
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-12-26/2010122615_01_1.html

JAL労働者に連帯/大阪で集会【しんぶん赤旗】
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-12-26/2010122615_02_1.html


http://www.asyura2.com/10/social8/msg/263.html#c1

記事 [経世済民70] 中国でも物を半値で供給する努力を(ハイハイQさんです)
http://www.9393.co.jp/moshiq/index.html
「ハイハイQさんです」の「もしもしQさんQさんよ」第第3943回 『中国でも物を半値で供給する努力を』から下記を転載投稿します。

=転載開始=

中国でも物を半値で供給する努力を

この次、中国で起る最も際立った動きは
恐らく過剰流動性の激化による資産インフレと
賃上げがもたらす物価高でしょう。
資産インフレは政府が金利をあげたり、
融資に制限を加えたりすることによって
多少なりと抑え込むことができるでしょうが、
輸出の黒字によって人民元がふえ続けるのを止められない限り、
防ぎようのないことは目に見えています。

賃上げによる消費の増大がもたらす物価高に至っては、
真っ先に来るのは日用品、わけても、卵や油やメリケン粉、
さては豚肉や牛肉などの食料品に起りますから、
物価に口出しのできる当局もお手揚げになってしまいます。
値上げに禁止令を出せば、
その日のうちに商品が姿を消してしまうからです。

こういう時世は、
お金があっても節約を強いられることになりますが、
一番うける商売は値上げをしなくとも大量に供給のできる
ビジネス努力をすることです。
かつてのスーパーの安売りはその部類に属しますが、
石油の暴騰した時に
ガソリン代の節約できるエンジンづくりに生命を賭けた
日本の自動車メーカーの努力もこの部類に属します。
そう言った意味では、時代の動きに逆行することになりますが、
インフレのさなかで、
これからの中国で最も受け入れられるビジネスは
同じ物を同業者の半値で供給する
努力に徹することではないでしょうか。

今、上海や北京で猛進撃をしているサイゼリヤは
かつて幕張で1軒目の店を閉めるところまで追い込まれて、
どうせ閉めるなら
今までの半値でやって見たらと思い切ってやったところ、
たちまち大入り満員になったそうです。
ですから「安ければ絶対にハヤる」という堅い信念に生きて、
今日のサイゼリヤを築き、
更にそれを中国で再現して見せるべく努力したら
中国人の間でもウケにウケているのはご存知の通りです。
どちらかといえば、中国人がやったことを
日本人が受け入れているような話ですが、
それを逆にやっているのです。
真理は洋の東西を問わないと言ってよいのではないでしょうか。

=転載終了=
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/452.html

コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
08. 2010年12月26日 11:32:22: 5OSV8Up776
>政府が国債発行してばら撒く→民間が返済のために使う(笑)→不況で政府が(略

何を言っているのかわからん。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c8

コメント [議論30] 充実感をもって働いていますか? モモンガール
18. 2010年12月26日 11:36:04: LXjg5fAkwA
機械で代用、充分可能ですよ。しかし、実際にそう言う事をするには、資金もかかり、幸いにも俺の所は、当面、そう言う状況は起きそうにありません。勿論、万が一、もしそう成った場合、その時は、晴れてお払い箱でしょうか?。まあ、働ける限りは働く、それしか無いですよ。営利目的は、理論的には自分で自分の首を絞める?、かも知れません。しかし、営利目的で動くしか無いです、会社にいる間は。つまり、会社を出てしまえば、無能な一市民に過ぎませんよ、俺は。

http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/340.html#c18
コメント [経世済民70] 合理的であるために、不合理的になる tea
01. 健奘 2010年12月26日 11:36:59: xbDm84QDmOFmc : rYd4I1Qido

日本では、すでに行っていることを、言葉にするのがアメリカ、そんな例のひとつと言えます。

生産の仕方、日本の現場で行っていりやり方を、"JUST IN TIME"と名前をつけてまとまりよく話をつくったのがMIT(マサセッチュ工科大学)。

行動経済学。

儲からなくても、残したい、良い仕事を続けたい、というのは、日本ではよくあります。経済的には不合理ですが、気持ちがそうさせるのですね。そんな会社は、日本では山ほど。細々としてもやろうとしています。

数々の工芸品。

アメリカにはほとんどありませんね。19世紀初めには、地域的な家具など、フランス的な、オランダ的な家具もあったのですが、生産効率の中でなくなりました。特色が。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/450.html#c1

コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
07. 2010年12月26日 11:45:28: pwqXLQNYpx
>>05とは逆で、あと2年で消費税を絶対上げるという決意表明に読めます。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c7
コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
08. 2010年12月26日 11:47:46: 5OSV8Up776
「2年で財政破綻する」じゃなくて「財政破綻したことにする」ってことなんだろ?
要するに、あと2年で売国するぞーってことだ。>>05
>公的支出をどんどん削減することですね。

そうするつもりなんだろうね。
歳出を削減すれば、GDPが落ちて歳入も減って行く。
財政を破綻させるには「小さな政府」を押し進めるのが最も効果的だ。

「利子率<名目成長率」となっている限り、自国通貨建て政府の債務が何千兆円になろうと財政破綻はおきない。
まして日本は圧倒的な需要不足だ。
公共事業で通貨をばらまけばそれに応じて生産が増える。
日本の場合、潜在生産力のキャップ内でGDPはスムーズに上昇するのだ。

それなのに敢えて歳出を抑えて小さな政府を行えば、その逆の減少がおこる。
ほんのちょっと歳出を増やして直後に削減する小技を用いれば、国民経済へのダメージを更に大きく出来る。

振り返れば、小泉・竹中にさかのぼって、怪しげな為政者たちは我が国を「利子率>名目成長率」の状態にしたいのだろうとわかる。
こうなれば、有り得ないはずの自国通貨建て債務による財政破綻が起こりうる。

彼らは国を滅ぼす姦物なのだ。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c8

コメント [経世済民70] 時限爆弾を抱えた「モラトリアム法」延長     〜中小企業は銀行の思惑にのらずに自立せよ tea
02. 健奘 2010年12月26日 11:48:56: xbDm84QDmOFmc : rYd4I1Qido

大前氏は、見栄えのする大規模プロジェクトをどうしたら良いかの議論には、切れ味を見せてくれます。

しかし、極めて多様な活動を、単純化した経済合理性という枠では測れませんが、そういう場合には、大前氏は、向いていませんね。

数えきれないほどたくさんの仕事、作品を提供する活動は、それぞれ、現場で議論するのがふさわしいのでしょう。成果は、1年後かもしれません、4年後かもしれません。そのためには、最低限、回るお金が必要ではあります。

はっきり言うと、大前氏は、日本の"道"を理解できない人でしょうか。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/446.html#c2

コメント [戦争b7] 山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したのか(米国に寝返った小泉・竹中に置き換えれば、有り得る話です) 小沢内閣待望論
04. 2010年12月26日 12:09:00: t3QCmUjZsY
03も小沢内閣待望論の投稿に意味はないと考えてはいるのな。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/135.html#c4
記事 [カルト7] 世界が注目する日本人の可能性6〜他には無い特性を持つ日本人の観念体系・言語〜(日本文明自体が大吟醸の宗教と言えそうです)
http://blog.trend-review.net/blog/2010/12/001840.html#more
2010年12月24日
世界が注目する日本人の可能性6〜他には無い特性を持つ日本人の観念体系・言語〜
前稿で、日本文明のの基底部をなす縄文文明を扱いました。さらに、その基底部にある日本人の頭の使い方にも特徴があります。
それは思考するための道具である観念体系という意味でもそうですし、そのベースとなる言語そのものでも他民族と違いがある、という話です。


写真は 知られざる人類婚姻史と共同体社会 さんからお借りしました(下も)


興味のある方は↓お願いします。


まず、観念体系について。
るいネット から
日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い

西洋人/東洋人(その中でも日本人)の民族性の違いは、人間の本性である共同性がどれくらい残っているかによって規定されています。(『人類の本性は共同性にある』)東洋であれ西洋であれ、始原人類はこの共同性を育みながら、共認充足を最大の活力源として何とか生き残ってきた存在です。
約5000年前にイラン高原で勃発した人類最初の略奪戦争は、玉突き的に東西に伝播していきますが、皆殺しが常態となっていった西洋に比して、東洋は支配・服属という形が主流となります。特に、日本列島では、大規模な略奪戦争は発生せず、中国大陸の負け組みが渡来人として定着していきました。
この大規模な略奪戦争の有無によって、西洋人、東洋人、日本人、それぞれの共同性に大きな差が生まれ、民族性の違いを生んでいます。つまり、皆殺しにまで発展した戦争を経験した西洋人は周囲に対する警戒心が高まり共同性が失われ、そのような戦争を経験していない日本人は警戒心がそれほど高まることなく共同性が保持されています。
この「共同性」が影響を与えるのは、何も人間関係だけではありません。共同性の根本にある自分と相手を同一視する機能は、観念機能のあり方にも大きな影響を与えます。(対象物である自然との同一視を通じて作り上げられた日本の観念体系と、自然を警戒すべきもの→征服すべきものとして捉えて作り上げられた西洋の観念体系)

この観念のあり方の違いが、その後の文化・芸術の発展過程をも分けていきます。日本では、できるだけ主観や自身の感情を排して対象をありのままに描写する方向で文化・芸術が発展していきますが、西洋では自身の感情を(大げさに)描写する方向で発展していきます。(日本の浮世絵⇔西洋の宗教画/日本の俳句⇔西洋の叙情詩)

1970年前後、ヨーロッパ(特にフランス)において、西洋の(主観的な)言葉・観念のあり方が大きく見直される中、最終的に注目されたのは「俳句」でした。俳句では自然への描写を重んじるだけでなく、先人たちが築き上げた「型」に当てはめることによって、言葉の使い方にまで人間の主観的な要素が入り込まないようにしている様式です。(そして、今ではフランスの中学・高校で「俳句」が教えられています)

自然への同一視、共同性が残っていたため、ここまで人間の主観を排除し続ける観念体系を築きあげることができたのでしょう。このような観念機能のあり方(頭の使い方)によって、現実を直視し続け、その本質をつかみ出すことができると考えています。


 主観を排し、対象に同化する力は、サービス業(広い意味で教育や医療も含めて)で発揮されますね。実は日本のサービスの質は世界的に見てダントツに高品質と言われています。特に、どのレベルでも(三ツ星レストランだけではなく、巷の食堂でも)心のこもったサービスが受けられるということで評価が高いのです。同化能力の高さとそれに支えられた労働倫理規範の高さですね。
 また、この力は製造業にも大きな力を発揮します。作っているモノに同化し、それを使う人に同化し、その上作るための工作機械にまで同化して仲間扱いしてしまうのが日本の製造業の人たちです。だから、手を抜きません。日本製=高品質の代名詞はこのベースがあるからです。

次に言語について。


るいネット から
自然音を左脳で聞く日本語の凄さ

脳細胞をパソコンのハードだとすれば言語は基本ソフトOSである、は良く言われること。何を考えるにも言語を使って思考するからですが、もっと深くて、母語が何かによって、脳細胞のネットワークが変わってくる。基本ソフトを間違いなく効率よく動かすために、ハードが最適化されるわけです。
母音を言語脳である左脳で聞くために、同じような音である自然音まで左脳で聞くように脳を組織化している日本人。
子音をより明確に聞くため、子音のみを左脳で聞き、母音や自然音や音楽を右脳で聴く西洋人、アラビア人、中国人、その他大勢。母音を右脳で聞くため、まず右脳から音声が入り、それから左脳の言語野へ移動する。

そのため彼らは言語主体と、認知主体に断絶がある。だから必ず「I」と言う。日本人は認知主体も言語主体も連続しており、あえて言語主体「私」を発声する必要がない。
会話する人同士が周囲の状況を共有出来ている上で言語が成立します。あえて「私が」と言わなくて良いのです。

そして、言語は各民族の歴史風土から創られるもの。日本語は幸い、この日本列島でずーっと発達してきた。歴史風土と断絶が無い。ゆえに、音そのものにニュアンスがあることを日本人同士は了解している。これは世界では希な事なのだ。

また、言語は文字からも規定される。特に日本語は表意文字と表音文字の両方を使い、且つ海外から入ってくる概念をとことん翻訳しながら吸収したために、同音異意言葉が多く、漢字のバックボーンがなければ意味が判らない。常に漢字を頭の中でイメージしながらしゃべっている。ここから図象を扱う右脳と言語脳である左脳を同時活性化する。文章と絵画の両方に秀でた才人が、普通にいるのも日本人の脳だからだ。

言語脳である左脳で音楽も自然音も聞いてしまい、文章やマンガを読んで左右脳同時活性化させる日本人にとって、右脳マインド、左脳マインドは欧米人のものと少し異なるかもしれません。
何せ、小川のせせらぎを左脳で聞いてしまう脳ですから。

これらの特性はお互いに関連しているはずです。
これらが相まって、日本語と日本人の脳が出来上がっている。
明治期に日本語を捨てようとした動きがあったことは、考えればぞっとする。我々は日本語というOSがあって初めてこの日本人としての能力を発揮出来る。


 こうして観念を見ても言語を見ても、日本民族はなんと幸せな民族だったか、と思ってしまいます。
太古から、この日本列島で他民族に蹂躙されることなく、共同体性と言語を保持してきました。これだけ大きな規模の国家を運営しながら、それも世界の最先端を走りながら、この状態を際どいながらも保ってきた事は奇跡だと言えると思います。

 日本列島という、非常に稀有な地理条件によるところが大きいとも言えますが、この日本人の特性があったからこそ、弱肉強食の世界の中で保持し続けることが出来たとも言えます。そして、その特性こそが今後の世界で日本が必要とされる所以となるのではないかと考えています。

 次に日本人が使う文字を見てみましょう。


by ヒヒ at 20:17
コメント「自然音を左脳で聞く日本語の凄さ」というのは角田忠信という人の実験結果と思いますが、この人、その「理論」を捨て去っているはずですが。つまり、被験者によってかなり異なる結果が出ているということです。全てはもう一度、実験をやり直した方がいいですね。

 その程度の信憑性の薄い話をいまだに日本人論として(よせばいいのに、日本人優越性の理論として)後生大事にしているのは頭の悪いネトウヨ高校生ぐらいなものですよ。


http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/743.html

記事 [戦争b7] 戦争をなくすには、どうしたらいいのでしょう、智恵袋(先ず、勝者が歪めてきた戦争の正史を把握・修正する事が第一です)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412409409
戦争をなくすには、どうしたらいいのでしょう。greenpplaさん

戦争をなくすには、どうしたらいいのでしょう。

先日夫に
「やったらやりかえす、の心情がよくわからない。
親しい人を殺した相手をたとえ殺せたとしても、親しい人は生き返らない。
それが戦争中のことであれば、戦争相手の国の人をを憎むことになるだろうが、
その連鎖を断ち切らないと戦争はなくならないのではないか?
北朝鮮や中国は過去の日本を非難するが、
現在の北朝鮮の行動はまるで戦時中の日本と同じだ。
なぜ人のふりみて我がふりを直さないのか?」
といったら、
「オレは身近な人が殺されたら、やり返しに行く。それが人間というものだ」
といわれました。
(ほんとうはもうちょっといろんな話をしましたが)

なるほど、と思い、(私は心情的にそういう人間らしさが抜けていると思うので)
「じゃあ、原爆投下は戦争を終わらせるためには仕方なかった?日本もひどいことしたし。」ときいたら、
「そんなことはない。ほかにもっと方法があったはずだ。
おれは原爆投下はなくても8月いっぱいくらいで戦争は終わったのではないかと思う」
といわれました。
でも1回ポツダム宣言を無視したのに・・・ほんとうかな。


やったらやり返したい。
原爆はだめ?
それ以外の武器ならOKなの?

なんだかわからなくなってきました。

本当に戦争をなくすには
「やられても、やりかえさない」だと思うのですが、どうですか?
それで日本が滅びても、平和のためには仕方ないかもしれません。

反対意見も含めて、皆さんのご意見を聞かせてください。

違反報告

質問日時: 2007/8/8 02:20:22
解決日時: 2007/8/19 03:56:02
回答数: 33
お礼: 知恵コイン 500枚
閲覧数: 18,341
ソーシャルブックマークへ投稿: Yahoo!ブックマークへ投稿 はてなブックマークへ投稿 (ソーシャルブックマークとは) ベストアンサーに選ばれた回答estr140さん

戦争が起こるのは、やられたからやり返すのではなくて、戦争に勝つ事で利権が得られるからです。
赤の他人が何人死んだ所で、自分に利権が得られるなら構わないって感覚なんですよね。
戦争を起こす人達は、絶対に最前線には出ないのですから。

複数の国家があれば、隣の芝は青く見えるし、他より劣る事が許せなくて戦争が起こる。
かと言って、どこかの国が世界統一をした所で、利権を求めた派閥抗争や、貧富の格差が原因の反乱が起きる。

「やられても、やりかえさない」はもっともですが、そもそも「やるひと」が存在する限りは、戦争はなくならないでしょうね。

違反報告 回答日時:2007/8/8 02:42:33
この質問は投票によってベストアンサーが選ばれました!

この質問・回答は役に立ちましたか? 役に立った! お役立ち度:38人が役に立つと評価しています。

ベストアンサー以外の回答
(32件中1〜20件)

並べ替え:回答日時の 新しい順 | 古い順
[次の12件]

kairnadさん

>「やられても、やりかえさない」だと思うのですが、どうですか?

申しわけないですが、「やりかえさない」という「精神論・価値論」だけでは戦争は無くせないと思います。
戦争をどう防止するかは、何が原因で戦争が起きるかを分析し、且つその原因となる事象が生起しないようなシステムを作る必要があると考えます。

戦争の原因について

戦争が起きた理由というものを調べていくと、資源・市場等の権益・利益ということが原因であるケースが多いようです(歴史に詳しいわけではないので断言できませんが)。特に資源が足りない場合に戦争が起きるようです。
古代ギリシア(ローマだったかも)では、森林資源が枯渇したとき、森林資源を巡って戦争が起きたようです。
また南太平洋のイースター島でも森林伐採が進んだ結果、土壌が荒れて食糧難に陥り、戦争が起きたようです。
水産資源を巡って、小規模ですが紛争が起きた例もあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9%E6%88%A6%E4%BA%89
最近のイラク戦争でも、米国の目的が石油だとか、基軸通貨特権の維持であるとか言われています(石油は枯渇が心配されています)。
イスラエルがゴラン高原を支配したのも、水資源との関連が噂されています(中東は基本的に水不足)。
http://subsite.icu.ac.jp/people/yoshino/W5M2.html
従って、戦争予防の原則は次のようになります(紛争原因の除去の原則)。
A.全ての人に、最小限の物資(食糧・水・エネルギー等)を保証する
B.その配分を維持可能な仕方で行う
つまり地球環境問題を解決し、且つ分配の平等を世界規模で行う、ということになります。

対策について

では、対策をどうやって行うかですが、いいアイデアがあるわけではないのですが、幾つか。
@世界の金融取引に国際的に税金を掛けて、その税金を環境問題・配分の平等の確立の為に用いる(これをトービン税と言います。低率の税でも莫大な収入が得られるそうです)。
http://kattac.talktank.net/sections/tobintax/
A中立貨幣・減価貨幣を世界規模で導入する
環境問題にしても、配分の不平等の問題にしても『資本主義経済の成長体質』と無縁ではありません。また現行の資本主義は、森林育成事業等の長期に渡る事業を展開するには不向きです(投資資金の回収が数十年後とか数百年後などになるため)。
資本主義の成長体質・短期事業優位の体質は貨幣が利子を持つことに由来する、という分析があり、その欠点を克服するためにマイナスの利子を持った通貨を発行しようという考えがあります(減価貨幣或は中立貨幣と言います)。
http://www3.plala.or.jp/mig/neutral/problems.html
http://www3.plala.or.jp/mig/neutral/causes.html
http://www3.plala.or.jp/mig/neutral/ideas.html
世界規模でこの中立貨幣を導入しようと、欧州の通貨単位ECUの創設にも関わったリエター氏が提言しています。

資源・エネルギー関連で言いますと、
B風力・太陽光発電等の再生可能エネルギーをもっと大規模に導入する。その為にに現行のRPS方式から「固定価格買取制度」に移行する必要がある(日本が諸外国特に欧州と比して風力発電の普及が遅れている原因の一つは、RPS制度という実効性のない制度を採用しているから)
http://www.parep.org/log/eid100.html
Cゴミ処理でゼロ・ウェイスト方式を採用する。

違反報告 編集日時:2007/8/11 11:03:54 回答日時:2007/8/11 09:50:28 guitarbaka2006さん

「やり返さない」が平和の第一歩なのは同意します。
今現在永遠と繰り返されている中東戦争を見れば明らかです。
報復の繰り返しで。
と同時に、同じ悲劇を繰り返さない。
イスラエルは、有史以来色々な場所で迫害を受け
ナチスのアウシュビッツ殺戮の最大の被害者ヤダヤ人
がやっと定住地を見つけ築き上げた土地であります。
だからこそ譲れない部分もあるでしょうが、
過去に自分たちが経験してきた苦さを
今正に他所で繰り返している訳です。

相手の痛みを知ると同時に、自分の受けてきた苦しみを風化させない
事こそが平和に繋がるのでは無いでしょうか?

ブッシュのイラク、アフガン侵攻だって、報復以外の何物でもありません。
憎しみからは負しか生まれません。

現在憲法9条が歪められようとしています。
戦後直後は、まだ人々に戦争の苦しさがただよっていたので、
現在のような改憲の発想はありませんでした。
しかし、今は戦争経験者がどんどん消えていき、戦争の恐ろしさを知る人もいません。
もういちど戦争直後のスタンスに立ちかえり、なんとしても9条を守る必要があります。
改憲し、国を守るという名の元に武力を容認する事になれば、世界の破滅へまた
一歩進みましょう。

No報復
相手の痛みを知る
過去の経験を風化させない

これが大切だと思います。

違反報告 回答日時:2007/8/10 23:41:17 cmpcn155さん

私は戦争、原子爆弾 核ミサイル・・・・などは全て人間の科学技術の進歩によって生まれたともいえます。しかし、私は同時に感情から生まれたものだと思います。「やられたら、やる返す」という考えも人間の感情から起こる行動です。なので、戦争、これらの兵器は人の感情が無くならない限り、地球がなくならない限り、残り続けると思います。

皆が平和を願うのは私も素晴らしいことだと思います。しかし、60億を上回る地球では全員がそのように思ってくれる日が来るのは難しいと思います。

違反報告 回答日時:2007/8/10 22:41:35 ichinen_ichikumiさん

今年も巡ってきた8月6日。

広島の小学生が発信してくれた「平和への誓い」の中に、
こたえがあったように思います。

『・・・平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、
自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。

そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、
相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。

途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、
今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、
一人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。

私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、
未来の人たちを助けることはできるのです。』


「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさ・・・


多くの人、特に核保有国の指導者が持ち得ないのは、この強さだと思います。


己(自国)だけの栄華にとらわれず、「地球規模の民主主義」を尊重すれば、
争いごとは間違いなく縮小していくはずです。


今、私たちに出来ることは、平和の大切さと戦争の愚かさを、みなが声を
合わせて唱えることだと思います。

John Lennon が 「Imagine」で歌ったように。

合わせて、2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の成功を
心から祈りたいと思います。

違反報告 回答日時:2007/8/10 20:22:05 kento070209さん

戦争が起こるのは、やっぱり欲があるからと思います

違反報告 回答日時:2007/8/10 19:19:01 soccerboyvillaさん

難しい質問ですね。確かに、戦争をなくすのはかなり難しいことだと思います。個人的な意見を言わせていただきます。
まず、戦争の起こる理由についてですが、人間が儲かりたいということから起こるのではないでしょうか。特にアメリカのブッシュ大統領等は特にそうだと思います。イラク戦争がその象徴たるものだったのでは。ブッシュは資源が欲しく、イラクが原子爆弾を作っているという嘘を言わせ、そこから戦争を始めました。色んな本を読んでいると、アメリカが変わらないと、世界は変わらないと思います。本当に「ブッシュ早くやめないかなー」と、しょっちゅう思ってます。

それと、「やられても、やりかえさない」というのは、少し難しい考えだと思います。客観的に見れば、「やられたからって、そこまでしなくても…」など思うときはあります。が、もし自分がやられたとすれば、絶対にそうは思えないでしょう。

まあ、そんなわけで、もっと上に立つ指導者達が平和の意識を持ってくれないと、私達に世界は変えられないでしょう。アメリカの国民達がブッシュ以外の世界を良い方向に導ける人間を大統領に選んでくれることを、願ってます。

違反報告 回答日時:2007/8/10 14:16:55 redhotlinuxkazu110さん

戦争はなくならないと思います。人は性善説で生まれてきた時は
白紙、、、、、ですが、今は情報も大量化し、また何より人には
感情があります。

自分の親が殺された相手を素直に許せる人間などどこにもいな
いと思います。だから、戦争はしてはいけないんです。でも戦争は
なくならないんです。

違反報告 回答日時:2007/8/10 00:27:16 evolist2000さん

人類自体が悪いのではなく、欲深く卑怯な人間が絶滅すれば良くなるのではないかな。
卑怯なやつがかしこく生きられるような、卑怯さを賢さで美化した社会はそろそろ変えないといけないです。

人間社会には真面目な人格者がいないとダメなんです。

違反報告 回答日時:2007/8/10 00:00:03 mocchii48さん

欲があるから戦争が起きる、でも欲がなければこの世界は成り立たない。
戦争をなくす方法、私には分からないですね・・・。
でもいつか答えが分かる日が来るのかもしれません、遥か遠い未来かそれとも近いうちに・・・・。

違反報告 回答日時:2007/8/9 22:18:12 kame2623さん

すべての人の中から「敵」という観念を無くせればいいのですが・・・原爆の歴史の
最初にあったのは、「ユダヤ人は悪魔だ」というキリスト教伝統の思い込みですからねー
なお本格的戦争映画館/http://kame2428.seesaa.net/のカテゴリー「戦争エッセイ集」
中頃〜 原爆投下に関するレポートを載せてあります。参考にしてください。

違反報告 回答日時:2007/8/9 17:49:14 質問をみる
wadach1jpさん

私はEUの様に国家の枠組みを超えて国と国が相互依存する経済の枠組みが増えると国家間の戦争は確実に減ると思います。
EUに加入しようとしているトルコとギリシャは歴史的に中が悪いですがトルコも経済的な「身」を取りたいのでEUに加入したがっています。
日本が出来る事は。。。と考えると、未だ平和条約を締結していないロシアや中国と平和条約をどんどん締結して、関税障壁も低くして相互依存するような関係を各国と結ぶと、EU間の国と同じようにパートナーの国とは戦争をするリスクは減ると思います。「ロシアとの平和条約締結には北方領土返還が前提・・」などとは言わずに土地や国家の枠に拘らない国家戦略と外交が求められているのではないでしょうか?

違反報告 回答日時:2007/8/9 15:47:13 telephonebox2200さん

「兵器開発競争なんて、血を吐きながら走り続けるマラソンレースだ。」byモロボシ ダン

40年も前に放送されたの「ウルトラセブン」の中の有名な台詞です。

違反報告 回答日時:2007/8/9 15:13:48 yukirinngo0323さん

私は、

人類が滅びない限り、争いはなくならないと

諦めています。

平和な世界を取り戻そうとしても

もう遅すぎるような気がします。

違反報告 回答日時:2007/8/9 14:28:42 cigar123cohibaさん

原爆に関しては、戦後の対ソ連政策を念頭に置いたアメリカによる、ウラニュウム爆弾とプルトニュウム爆弾の実験と牽制です。本当に戦争を終わらせるために日本政府を威嚇するなら富士山をぶっ飛ばせばよかったことです。女子供も住む市街地を2カ所も地獄に変える必要はなかったと思います。

戦争はなくなりません。戦争の原因は、「経済」と「宗教」だからです。宗教もつきつめれば、経済戦争の一種です。では、経済戦争がなぜ起きるのかといえば、DNAの命令だからです。種の保存と繁栄をDNAが求めているからです。種の保存と繁栄のためには経済の安定と発展が不可欠です。自分を中心とした同心円を考えてください。自分ー家族ー親類ー地域ー県ー国家・・・。人間は、自分に近いものから守ろうとします。高校野球では県を応援し、オリンピックでは、国を応援します。そのエゴが、DNAに組み込まれている限り戦争はなくなりません。地球外からの侵略があれば、世界はひとつにまとまるでしょう。旦那さんのおっしゃるとうり、身近な人が殺されたらかたきを打ちに行くというのも当然なことです。

最後に「日本もひどいことをしたし・・」とありましたが、それは、偏った教育ゆえの誤解です。今の歴史観は、というか歴史は、勝った方の国が作ります。20世紀の歴史を自分なりに勉強してみて下さい。欧米の植民地政策と現地での植民地経営の実態とか、なぜパレスチナ問題が起きたのか、など
です。イギリスの非人道的政策がわかるとおもいます。太平洋戦争だけを問題にするのではなく、この100年間の世界の流れのなかでの日本、という位置付けで考えてください。私的には、太平洋戦争は、欧米によって、仕掛けられたもの、と解釈してます。

違反報告 回答日時:2007/8/9 13:14:18 sindy_1118さん

『戦争』というと規模が大きいですが、『ケンカ』だったらどうですか?

どちらも同じだと思います。譲れないものがある、怒りがある。
人が人である以上、争いは仕方のないことのように思えます。
意見が食い違い、どうしても相手に分かってもらいたい、でもそれが叶わない。
相手のせいで自分の大切な人が死んだ、相手に極刑を望みたい、でもそれが叶わない。

口の言い合いが拳の殴り合いに変わり、剣の斬り合い、銃の撃ち合い、核兵器の撃ち合いと単に武器が変わっただけです。

人の命を尊ぶことを忘れなければ武器は捨てられますが、想いは晴れません。
結局は相手を憎むことしかできないのです。

それは真の平和でしょうか?

人の命が奪われることは許されないことだと思いますが、人が争うことにはとても重たい理由があると思います。僕はそれを尊重したいと思います。

違反報告 回答日時:2007/8/9 12:33:16 marizou3000さん

「オレは身近な人が殺されたら、やり返しに行く。それが人間というものだ」
が本質だと思います。
口ではいいことを言っていても、当事者になったことを考えたら、許してやろうといった心情はおきないと思います。
でも、「自分に火の粉が飛んでこなければそれでもいい」というのもあると思います。

人類の歴史は、戦争と宗教の歴史と言っても過言ではないと思います。
昔は、多くの領土を取るとか、獲物の取り合いなどで戦争が起きてました。
最近も資源の奪い合いで戦争が起きてます。
本質的には、大きな力を持った者がよりよい生活や富を得るために戦争を起こすか、虐げられた者が普通の生活をえるために戦争を起こすか、自分の主張を相手に聞かせるために戦争を起こすかのどれかだと思います。
ゆえに、戦争をなくすには、人としての欲を全く持たないか、人類滅亡しかないと思います。

違反報告 回答日時:2007/8/9 11:47:43 this_is_tajitaさん

「やられても、やりかえさない」に賛成です。
やりかえしていたら、きりがなくなると思います。

非致死性兵器のゴム弾でも、人が死ぬことがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%83%E5%BC%BE
非致死性の兵器でさえ、人が亡くなるのに、他にどんな兵器、武器の使用ならOKなのでしょうか。

ただし、だからと言って、ガンディーの非暴力を実行できるかと考えると悩みます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E6%9A%B4%E5%8A%9B
犠牲を目の当たりにしながら、ただ言論の自由だけを信じて、非暴力で勝利を得た史実は、まだまだ少ないように感じます。

それでも、戦争で人と人が殺めあう時代は、そのうち終わると思います。
そんなことを続けている場合じゃない事態に、刻々となろうとしているからです。
ギリギリになってから、そういう事態にあることを理解するのかもしれませんが。

例えば、ウィルス。
鳥インフルエンザに対抗するための現在のワクチンは、まだまだ無力です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E...
人類を滅亡させるのは、戦争ではなくウイルスかもしれません。

例えば、天変地異。
温暖化でハリケーンの被害が増えているそうですね。
http://www.janjan.jp/world/0610/0610012052/1.php
環境問題で政府は国際協力をしないといけない状況になっているように思います。
アメリカの大統領が、『地球温暖化』という言葉を避けて『気候変動』と言ったところで、被害が改善されるわけではありません。
もうそろそろ、事の深刻さにアメリカという国家が向き合うようになるのではないでしょうか。

共通の敵をもったとき、人と人は味方になります。
国家も同じです。
本当に共通の敵が何なのか、目の当たりにすれば、きっと戦争なんてしている場合ではなくなるでしょうね。
ご質問者様の回答になるよう言い換えるなら、『人類共通の敵に直面すれば』、戦争はなくなります。

それがいつになるのか、分かりませんが。

違反報告 回答日時:2007/8/9 02:32:37 mr_ssssssssssssssssssさん

 豊かになれば、戦争はなくります。宗教や信条の違いなど、富を獲得するための詭弁に使われているにすぎません。エナジィの問題が解決すれば、戦争はなくなります。

違反報告 回答日時:2007/8/8 13:52:00 scull4999さん

確かに「やられてもやり返さない」様にすれば戦争はしなくてすみますね。
ただ、その代わりに「人を人とも思わない一方的な搾取」を受ける事になりますが。それが是認出来るようであれば、「戦争行為だけ」は止められます。しかしそれだけが止められたとしても、何か意味がありますか?根本的な解決には何もなっていません。

ただ、比較的早い段階(ドイツ降伏後、6月)で日本が「降伏を検討していた」のは事実です。当時不可侵条約を締結していたソ連に対して、停戦交渉を依頼していましたので。逆に、この動きを察知した米軍に「原爆を落とされる前に降伏されては、使う口実を失う」として広島、長崎への原爆投下が急がれたぐらいです。つまり、日本の降伏があったから原爆が投下されたのであって、原爆によって日本が降伏したのではない、と言う事です。
これは全く以て「人道的に許されざる行為」だと思うのですが、そうは思われませんか?
軍民を問わず攻撃対象とする所もそうですが、使用理由が全く「人として許されない」と思うのです。

それとは別に「自分が大事だと思うもの」を守りたいとも思います。質問者様はお子様がいらっしゃいますか?質問から想像するに、まだおられないのではないでしょうか。そう言うものを「自分の身を楯にしても守りたい」と思う御主人の気持ちは分かります(おそらく御主人の考えには、質問者様が入っていると思います)。
目の前で自分が大事だと思う人が殺されていくのを、座視は出来ません。私はそう思います。ただし、出来たら「相手(殺人者)にそう言う事をして欲しくはない」とも思います。

やられたらやり返す、やられてもやり返さない。私はそもそも「やられないようにする事」が根本的な解決だと思うのですがいかがでしょう。


違反報告 回答日時:2007/8/8 10:47:59 rooo0rooo0rooo0さん

種の保存の人間版が戦争。

宗教、人種、文化、地域いろいろな要素があり争いが起きるのだが、

あなたの意見のような人達だけなら戦争は起きないでしょう。

それは、実は武士道に通じるものです。

あえて、財(金勘定)は卑しいものとし、的に塩を送る精神、大儀に比べ命は低い。

戦争を無くすには、日本的文化武士道を世界中に広め理解させるしかないでしょう。

極論に思うかもしれませんが、神は一神教ではなく、八百万の神。

他人を助けるために我子を差し出す犠牲的精神。

理屈にあった仇討ち、卑怯という精神文化。


人を抑えるのに、金、宗教、では無理であり、精神文化で統制されなければ戦争を

排除できません。

違反報告 回答日時:2007/8/8 10:32:18 質問をみる

12次へ>

http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/136.html

コメント [雑談専用38] 今日の入間市のデモに参加されました皆さん、愚民党さん、田中さん、矢野さん、秋元さん、ありがとうございました。 地には平和を
70. 2010年12月26日 12:53:07: gVd0oewgqo
>66
札幌行が虚構だったなんて全く言っていない。札幌でチラシが撒かれた事実は誰でも知っている。
問題は紀行記があまりにもよく出来ている。その中に事実と反することがあれば、すべて信じるべきではないと言っているのだ。

運転を職業にしているベテランに聞いてみてください。
マーチで160Kでとばして、免許証不携帯で、区分帯違反だけで済まされますか?
60Kオーバーは免停に相当しますよ。交通違反で違反が重なった場合重いほうをとる事になっているのでは?。
管轄は違うけど別の高速道路交通警察隊に問い合わせた結果「こんなことはありえない」との答えでした。当然の回答でしょうけど。

すべて鵜呑みにしてしまうのは良くない。「自分の頭で考えろ」と言われているでしょう。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/884.html#c70

記事 [社会問題8] 再審無罪で無年金 “免田栄さん救済を” 日弁連
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10748382234.html から転載。

2010-12-26 10:50:48
gataro-cloneの投稿
再審無罪で無年金 “免田栄さん救済を” 日弁連
テーマ:人権侵害/冤罪

========================================

【関連記事・サイト】

「無年金の免田さん救済を」日弁連(日経新聞)

冤罪被害で無年金、免田栄さん救済を…日弁連(読売新聞)


-----------------------------------

解説・あらすじ - 映画「免田栄 獄中の生」

解説
誤審により死刑囚となり、判決から三十四年六か月にわたって牢獄での生活を余儀なくされたひとりの男性を取材したドキュメンタリー。作品中登場する免田栄氏は一九五〇年代殺人罪で起訴され、五一年十二月に死刑が確定された。免田氏は一貫して無実を主張し、五六年熊本地方裁判所は第三次の再審請求に対して異例の再審を決定(確定死刑囚に対しては初めての判断)。だがその後も氏は八三年に勝訴を勝ち取るまで死刑囚として独房の生活を強いられた。小池監督は、免田氏が獄中から世間の人々に宛てて書いた手紙を、再び免田氏に見せ当時の心境をインタビューするという手法で、氏の人間性を引き出していく。画面に映るのは免田氏と小池監督のふたりのみ。自分を支援し続けた人々、父親、そして死刑執行されていった親しい囚人などの思い出を、免田氏は淡々と語るが、その言葉の中に、有限と決められた時間を真剣に生きる覚悟を持たざるを得なかった人間の迫力を感じさせる。死刑制度が論議を呼ぶ昨今、本作品は、死刑を訴えられた囚人も、また人間であるということを人道的に静かに訴えていく。キネマ旬報文化映画ベストテン第二位。


http://www.asyura2.com/10/social8/msg/264.html

コメント [経世済民70] 30年間8.5兆円「円買い外貨売り」を続けてきた、輸出超過額平均年8.5兆円がそれだ heiwatarou
21. 2010年12月26日 13:19:15: MjSMb8dQ2g
>派遣の禁止、最低時給1000円にすること
>国は失業者や企業の海外移転を支援する。

あまりに非現実的ですね
現実に数百万単位の地方の失業者が海外で受け入れてもらえると思いますか?
また、どれだけコストがかかるか


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/422.html#c21

コメント [戦争b7] 戦争をなくすには、どうしたらいいのでしょう、智恵袋(先ず、勝者が歪めてきた戦争の正史を把握・修正する事が第一です) 小沢内閣待望論
01. 2010年12月26日 13:20:13: fTbc4yvHMk
>戦争をなくすには、どうしたらいいのでしょう、智恵袋(先ず、勝者が歪めてきた戦争の正史を把握・修正する事が第一です)

>「やり返さない」が平和の第一歩なのは同意します。
>今現在永遠と繰り返されている中東戦争を見れば明らかです。
>報復の繰り返しで。
>と同時に、同じ悲劇を繰り返さない。
>イスラエルは、有史以来色々な場所で迫害を受け
>ナチスのアウシュビッツ殺戮の最大の被害者ヤダヤ人
>がやっと定住地を見つけ築き上げた土地であります。
>だからこそ譲れない部分もあるでしょうが、
>過去に自分たちが経験してきた苦さを
>今正に他所で繰り返している訳です。

ホロコーストを盲信しているのに修正を使うなよ。
修正主義者である西岡氏などに対して失礼だろうが。
600万人確定に使われたユダヤ人の定義を示してホロコーストを立証証明してみせろ。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/136.html#c1

コメント [経世済民70] 売国商人、ユニクロ柳井正(野に在って国家に尽くす) イカ息子
39. 摘発求む 2010年12月26日 13:20:14: HcdrHTAXm5kNk : IHNaA1cJ7c
ユニ黒のような、発展途上国を植民地化するようなグローバル企業を擁護する気がまったくしないが、ここまで、あちらこちら便利な場所まではびこってしまうと、つい利用してしまうが、完全な排除は難しくても町の小さな洋品店での購入を少しでも増やすバランス感覚は持ち合わせている。あんまり強欲な企業に肩入れすると社会がギスギスしてしかたない。ほどほどにしてもらいたい。ユニ黒の拡大も限界じゃないのか?尻拭いを税金でさせられるのがオチだと思うが?
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/416.html#c39
記事 [社会問題8] 報告:いよいよ大きな山場を迎える、木村百合子さん自死事件裁判(レイバーネット)
http://www.labornetjp.org/news/2010/1224hokoku

報告:いよいよ大きな山場を迎える、木村百合子さん自死事件裁判

12月24日、新採半年で自ら命を絶った木村百合子さん(享年24歳)の公務外認定処分取消訴訟裁判(弁論手続)が静岡地方裁判所で開催された(民事第2部 山ア努裁判長)。

木村百合子さんは、2004年新人の年の9月に自らの命を絶った。その背景には、クラス運営の難しい状況、新人教師に対する管理職の支援の無さと過酷な状況を後押しするかのようなパワハラがあった。その時の様子を木村さんは自らの日記に克明に書き残している。

百合子さんの両親(写真)は、2004年12月地方公務員災害補償基金静岡支部に公務災害の認定を求めたが裁定は、公務外。その根拠は、「パワハラはなかった」「初任者研修等で充分支援をした」「残業は月あたり20時間程度であった」など、現実とは程遠いものであった。

そして両親は、認定取り消しを求め2008年静岡地裁に提訴し、この間弁論が続けられてきた。

今日の裁判は、次回から行われる証人の採用の可否を決める非常に重要な弁論のための手続きであった。法廷には、用意された30席を埋め尽くす支援者がかけつけた。

審議の結果、原告の申請した証人全員は認められず、一部は今後検討するということとなった。保留となった証人の中には、百合子さんがクラスの中で出会った「発達障がい」の疑いのある児童と関わった過程の職場のフォローが充分であったか否かについて論じうる、同じようなクラス状況を経験してきた現職教員も含まれていた。

この証人申請に対して被告(地方公務員災害補償基金、以下「基金」)側代理人は、「そのような『教育関係者』の意見は、陳述書を読めばわかる」と述べ、証人採用に反対した。百合子さんの悩みに職員や管理職がどう応えたかについて、周囲が「一生懸命やった」で終わらせるのではなく、学校教育環境をいかに現実にあわせ整備していくのかという大局的な見解を現場の経験を通して提案するということが今いかに大事かを理解せず、「本人が未熟」「自己責任」ですべて片を付けるという「基金」の本性があらわになった法廷であった。



報告集会(写真)では、弁護団から「裁判の決め手になる証人が認められないケースが、最近増えてきている」という報告があった。それについては、つい最近行われた都立七生養護学校の「こころとからだの学習」裁判控訴審や疋田教諭分限免職取消訴訟控訴審が想起される。

木村裁判は、いよいよ証人尋問に入る。今後の裁判の行方を決める重要な局面に入ってきたといっていい。全国からこの裁判を注目し、傍聴席を埋め尽くしたい。(湯本雅典)

・裁判の予定

4月14日(木)午後1時30分 

百合子さんが自死された当時の教頭と研修主任の証人尋問

場所:静岡地方裁判所(JR静岡駅から北口からバス「中町」下車5分 054-252-6111)

*精神疾患で休職した公立校教員5458人、記録更新の記事

朝日コム
http://www.asahi.com/national/update/1224/TKY201012240345.html
毎日JP
http://mainichi.jp/life/today/news/20101225ddm012040021000c.html

========================================

【関連記事】

「うつ病の発症以後のことは関係ない!」とうそぶく被告側〜木村百合子裁判報告【レイバーネット】


http://www.asyura2.com/10/social8/msg/265.html

記事 [国際5] ロシアは日本に、千島列島での自由貿易圏創設を提案する(RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20101225-russie-propose-japon-creation-une-zone-economique-libre-archipel-kouriles

ロシア/日本
記事発表:2010年12月25日
最終更新:2010年12月25日

ロシアは日本に、千島列島での自由貿易圏創設を提案する

RFI


ディミトリ・メドベージェフ露大統領は、2010年12月24日金曜日、日本が領有権を主張する千島列島について、ロシアがこれを手放すことはないと、繰り返し表明した。しかしその一方で、同大統領は日本政府に、この地域に自由貿易圏を創設することを提案した。国家主権に係わるこのデリケートな問題をめぐる、日露二国間の消極的な姿勢を考慮したとき、この提案が拒否されるのは確実だ。

千島は65年間、日露両政府の関係において、いわば踵にささったトゲだ。日本人は普通なら、これから全てが好転し、ロシア人がよりよい感情を取り戻し始め、自分たちが「北方領土」と呼ぶ島々の返還に動き出すと信じる。「北方領土」とは、カムチャツカ半島から北海道に連なる、列島の終端部にある4島のことで、日本列島の端のさらに端に位置し、平和条約が正式に結ばれることによって全てが決着に向かう。

理解しなければならないのは、政権の都合で、クレムリンの吐く息は暑くなったり冷たくなったりすることだ。また、方向によっては、日本政府に希望を抱かせるような、一種の曖昧さが表明される可能性がある。ただ、今回はそうならない。ロシア政府には、経済連携協定のおまけとして交渉を検討する可能性はあるが、領土問題でわずかでも譲歩する余地はない。

11月初め、メドベージェフ氏は露大統領として初めて現地に行ったことは、強調されなければならない。そのときは、この行程について、連邦内の一州への普通の訪問であると発表された。千島に対するロシアの主権を繰り返し表明することにより、ディミトリ・ メドベージェフ氏は、国家主義ロシアの頂点に立つ者として、2012年の大統領選挙を見据えて、例えば、ウラジミール・プーチン氏に立ち向かうよう位置決めをしていることも、強調されるべきだ。プーチン氏は、このようなロシアの頂点に到達したことはまだない。

--------------------------------------

(投稿者より)

12月24日、メドベージェフ露大統領がテレビのインタビューに答えて、日露関係・領土問題について語ったことを伝えた、フランスRFIサイトに掲載された記事です。誤訳があるかも知れません。ご容赦ください。

この記事が伝えた内容について、産経新聞が伝えていますので、その記事を下に付しておきます。

さらに、同じ内容について、「ロシアの声」が伝えていますので、その下に付しておきます。

この記事ではプーチン首相についての言及がありましたが、12月17日に、やはりテレビで国民との直接対話を行っています。この記事も、そのさらに下に付しておきます。これも「ロシアの声」が伝えたものです。

-------------------------------------

(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/101224/erp1012242010006-n1.htm

露大統領「北方四島すべてロシア領」 自由経済圏の創設提案

2010.12.24 23:05

【モスクワ=遠藤良介】ロシアのメドベージェフ大統領は24日、政府系テレビ3局のインタビュー生番組に出演し、日本の北方四島を指す南クリール諸島は「全てロシア領だ」と述べた。また、日本は「ロシアとクリール諸島(千島列島と北方四島)に関する理解を変えるべきだ」とし、北方領土に日本との「自由経済圏」や「自由貿易圏」を創設することを提案した。

ロシアが日本との領土交渉には応じず、四島での共同経済活動を持ちかけて主権問題を棚上げする思惑であることが鮮明になった。

メドベージェフ大統領は11月1日、旧ソ連・ロシアの国家指導者として初めて国後島を訪問した。この際、日ソ共同宣言(1956年)が平和条約締結後に引き渡すとした色丹島や歯舞群島は訪れなかったため、一部には大統領が同宣言に基づく「2島引き渡し」での決着を意識しているとの観測も出ていた。

しかし、24日に一斉放映された番組では、クリール諸島の中でも初めて北方四島(南クリール諸島)を特定し、「全ての島はロシア領だ」と言明。「われわれは必要な決定をし、クリールを開発せねばならない」と述べ、自身や閣僚の北方領土訪問を正当化した。

一方、メドベージェフ大統領が北方領土の共同経済活動に直接言及したのも初めて。日本外交筋によると、具体的内容は不明ながら、北方四島について「自由経済圏」や「自由貿易圏」との表現を使った露大統領は過去にいないとみられる。

メドベージェフ大統領は「(北方領土に)特別なミクロ環境ができ、人々が働きに来る。日本国民もやって来て、歴史的な場所を訪れたり働いたりする」と構想を語る一方、日本との経済協力は「われわれがクリール諸島を放棄しなければならないということを意味しない」と述べた。

共同経済活動をめぐっては1998年、当時のエリツィン大統領と小渕恵三首相の合意により、両国間の国境画定委員会と並んで共同経済活動委員会が設けられたことがある。ただ、共同経済活動には常に四島の主権をめぐる問題がつきまとい、「法的立場を侵害しない形での共同活動」を見いだせないまま委員会の活動は頓挫した。

---------------------------------------------------

(ロシアの声)

http://japanese.ruvr.ru/2010/12/24/37677056.html
http://japanese.ruvr.ru/2010/12/24/37680246.html

露大統領との1年の総括−日本との協力とクリル諸島(@、A)

24.12.2010, 17:10
24.12.2010, 18:45

メドヴェージェフ露大統領はこの1年を総括する番組に生出演した中で、「ロシアは日本と協力する用意がある。しかし共同での経済プロジェクトのために南クリル諸島を手放す用意はない」との声明を表した。

大統領は、国後島訪問後の日本の反応をまったく冷静に受け止めているとし、日本側が同訪問に多くの意味を与えすぎているとの見解を示した。

大統領はまた、日本側が同訪問後に駐露大使を呼び戻したことに心から遺憾の意を表し、クリル諸島訪問の目的は大使の召還ではなかったことを保障した。

メドヴェージェフ露大統領は「クリル諸島の全ての島はロシア連邦の領土である。これはわれわれの領土だ」との声明を表し、日本側に対し「ロシアとクリル諸島に対する認識を再検討する」よう要請、ロシアの同地域に積極的に経済やビジネス分野で協力するよう、日本政府と実業界に提案した。

大統領は日本に対し、クリル諸島に自由経済圏、自由貿易圏を創設するよう提案し、「ここで資金を稼げるようになれば、ここに人々が働きにやってくるだろうし、また日本国民も訪れるようになるだろう」と述べた。

大統領は、11月に横浜で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際に日本の菅直人首相と会談し、首相をロシアに招待した際に、経済的な展望に関するロシア側のこのようなアプローチを伝えている。

また大統領は、自身の国後島訪問に関して、「大統領は同地へ行くことができる。私の前に誰も訪れなかったのは、この地が遠いためだろう。しかしそうであっても、これはわれわれの領土だ」と述べた。

-------------------------------

(ロシアの声)

http://japanese.ruvr.ru/2010/12/17/37080777.html
http://japanese.ruvr.ru/2010/12/17/37081866.html

プーチン首相の国民直接対話を振り返って(@、A)

イリヤ・ハルラモフ

17.12.2010, 15:37
17.12.2010, 15:24

プーチン首相の9回目となる国民直接対話は16日に実施され、その模様は生中継された。首相宛に寄せられた質問の数は二百万件を越え、4時間半の間、90人もの市民の質問に応じた。

プーチン首相はロシア経済の行方について「2012年前半には、危機前の水準にまで回復するだろう」との見方を示し、その根拠として「現在、工業生産の伸びが見られ、銀行システムがしっかりと活動し、百万を越える雇用が生み出されている事」を挙げ「国民の実質賃金や社会手当ての引き上げも可能になる」と述べ「今年、ロシア人の年金額がほぼ二倍に増える見込みである」点を強調した。 

今回の直接対話ではまず、つい先日モスクワ及びその他の地域で発生した若者達による騒乱事件に対する質問が文字通り殺到した。首相は、治安維持諸機関に対し、法律の枠内でできる限りきちんと秩序を確立するよう強く求め、次のように続けた―

「過激主義が、それがどのようなものであっても、あらゆるところから、そうしたものが生まれ出ないようにしなくてはならない。何人も一色で塗り込めるような事をしてはならないが、いかなる過激主義の現れもそれを厳しく阻止する必要がある。皆、秩序はあるべきであり、それを維持すべきだと感じている。国家は、大多数の人々の利益を保証するため、存在している。」

またプーチン首相は、ウクライナ及びCIS諸国との相互関係についても触れた―

「ロシア・ベラルーシ・カザフスタン三カ国が関税同盟を創設し、将来的に統一経済圏を形成すると決めた事は、必要不可欠で全く当然の措置である。これは最終的に、より安く質のよい製品を手にしサービスを受けられる事につながり、国民にとっても国の経済にとっても、プラスになるだろう。もし様々な形で、ウクライナがこうした統合プロセスに加わるならば、ウクライナ経済のあらゆる領域全体を維持する強力な刺激となるだろうし、我々の多くの企業の競争力を高める助けになるだろう。だがこれは、ウクライナ国民とその指導部が自分達で決める事だ。」

直接対話では、現在刑期を努めているロシアの石油企業ユコスの元オーナー・ミハイル・ホドロコフスキー氏についても、首相は、イルクーツクの一市民の質問に率直に答えた―

「ロシア映画の伝統的ヒーローの台詞を借りれば『盗人は刑務所に入っていなくてはならない』、まずそう言える。彼は、横領・使い込みの罪で収監されている。おまけに罪はかなり重く、脱税・詐欺の罪を犯している。その額は、何十億ルーブルにも達する。又彼個人としても、税金逃れをしており、これの重大だ。」首相は、他の国々の例として、2008年12月に詐欺罪でFBIにより逮捕され、禁固150年を言い渡された米人実業家バーナード・マドフ氏を挙げた。氏は、史上最大の詐欺事件の犯人として知られる。

さらにプーチン首相は、2014年にロシアが冬季五輪開催地に又18年にサッカー・ワールドカップ開催国となった事について「ロシア・ヨーロッパ部の経済発展にとって強力な梃子になるだろう」との期待感を明らかにした。

なおプーチン首相には、日本からも多くの質問が寄せられた。 

ロシアの声を通じて、ウラジーミル・プーチン首相には日本からの質問が30個以上伝えられた。ロシアの声のスタッフは、日本から日本語で寄せられた全ての質問をロシア語に翻訳したうえで、プーチン首相に伝えた。

日本からの質問のなかでは、北方領土問題に対するプーチン首相の姿勢を問うものが多くあったが、そのほかにもプーチン首相がすでに長く取り組んでいる柔道についての質問や、プーチン首相の和食の好き嫌いなどについての質問が見られた。また日本からの質問のなかでは、様々な問題に対する日本の人々の意見も述べられていた。

日本からの質問は、国民との対話の生中継中に、プーチン首相の手元に届けられた。プーチン首相は、日本から寄せられた質問の数の多さに驚いたようだが、それに対する答えは簡潔なものとなった。

―日本からとてもたくさんの質問が届いている。どうしてこれほど多くの質問が届いたのか知らないが、クリル諸島についての質問、和食についての質問、柔道に関する質問などがある。私は柔道が好きであり、和食も好きだ。しかし答えとしては以上にとどめたいと思う。

恐らくプーチン首相に質問を送った人たちは、そのような短い答えにがっかりしたかもしれない。しかし一方で、200万人以上の人々がプーチン首相に質問をしていたことを考えれば、一つ一つの質問に詳しく答えることができなかったのは当然だろう。

少なくとも今回の質問を通してプーチン首相は、日本の人々がどのようなことに関心があり、プーチン首相についてどのように考えているのかについて、おおよその理解を深めたことだろう。

今後もさまざまな行動を通じて、日本の人々から寄せられた質問に答えていくに違いない。
http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/226.html

コメント [昼休み44] 社民、小沢喚問に賛成も…福島党首表明 尾張マン
02. 2010年12月26日 14:01:09: GcZpbY1qAc
土居タカコも酷かったけど福島も酷いなあ。コンナ人物が党首か、昔の社会党党首もこの程度だったのかしら。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/460.html#c2
記事 [国際5] ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)報告「イスラエル:差別的な入植地政策 栄える入植者と苦しむパレスチナ人」
 他国人による差別政策がわかりやすく感じるのは、第3者として冷静に見られるからだろう。
 逆に当事国、特に差別する側として居る場合には問題とされにくい。

>子どもの学校教育を受ける権利を奪い、水や電気を与えないことが、安全保障に関わりがあるようなふりをするのはバカげている。
 というのは国際基準にまだなっていないのだろうか。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ここから)
http://astand.asahi.com/magazine/middleeast/interview/2010122400009.html?iref=chumoku

ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)報告「イスラエル:差別的な入植地政策 栄える入植者と苦しむパレスチナ人」2010年12月24日

◆ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)イスラエル/西岸地区:極めて差別的な入植地政策

栄える入植者と苦しむパレスチナ人***ビデオ映像あり***(略)

日本語ニュースリリース:http://www.hrw.org/node/95221 

英語オリジナル: http://www.hrw.org/en/news/2010/12/18/israelwest-bank-separate-and-unequal


 (エルサレム、2010年12月19日)−ヨルダン川西岸地区で、イスラエル政府はパレスチナ人住民から生活必需品へのアクセスを禁止する一方、ユダヤ人入植者には贅沢な設備を提供するなど、極めて差別的な政策を行っている、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日公表した報告書で述べた。本報告書は、イスラエルの合理的な安全保障上の理由など、何らの正当性のない具体的な差別的施策を指摘するととともに、国際法に従い入植地から撤退しパレスチナ人の権利を侵害する行為を止めるよう求めている。

 同報告書「分断と不平等:パレスチナ被占領地におけるパレスチナ人の差別的処遇」(全166ページ)は、イスラエルが排他的に支配権を行使している広大なヨルダン川西岸地域で、2つの民族の住民に対して不平等な制統治政策を行っていることを明らかしている。 イスラエル人入植地の住民と、隣接するパレスチナ人コミュニティの住民への処遇を比較検討する事例研究を基礎に作成された同報告書は、米国やEU加盟国、入植地で活動する企業などに、差別的かつ国際法に違反するイスラエルの入植政策を支援しないよう求めている。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチの対外関係担当副代表キャロル・ボガートは、「パレスチナ人は、人種・民族・国籍のみを理由に、電気・水・学校も奪われ、道路を利用することも許されないという、制度的差別の下にある。その一方で、近隣に住むユダヤ人入植者は、国からのサービス全てを享受している」と語る。「イスラエル人入植者はますます豊かになり、かたやイスラエルの統治支配の下、パレスチナ人は、分断され不平等な処遇を受けるだけでなく、自分の土地や家から追い出されることもある。」

 イスラエル政府は、パレスチナコミュニティを事実上居住出来ないようにして、住民を強制的に追い出すという差別的政策を取ってきた、とヒューマン・ライツ・ウォッチは述べる。イスラエルの排他的支配にある西岸地区内の「Cエリア」(西岸地区の60%を占める)、及びイスラエルが一方的に併合した東エルサレム、この2つの地域に住む世帯に対し、2009年6月に行われた調査によると、パレスチナ人住民の約31%が2000年以降強制退去させられているという。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチがCエリアと東エルサレムを調べた結果、いずれの地域においてもイスラエルは二重基準を用いた統治政策を取っていることが明らかとなった。ユダヤ人入植地の住民には生活向上のための金銭的支援とインフラを提供している一方で、パレスチナ人住民には、基本的サービスの供給を意図的に抑え、経済成長を阻害し、コミュニティに苛酷な条件を押し付けているのが実態だ。正当な目標のため特定個人に対してのみ制約を加えるどの対応をとるのではなく、人種・民族・国籍を基にコミュニティ全体の処遇に差異を付けることは、人権法上の差別禁止原則への違反である。

 イスラエルの政策は、Cエリアと東エルサレムで暮らすパレスチナ人の日常生活を様々な点で支配している。今回ヒューマン・ライツ・ウォッチが明らかにした、パレスチナ人に対する差別には、例えば、入植事業を目的とした土地接収、道路使用禁止農地までの通行遮断、電気や水の供給拒否、住宅・学校・診療所・インフラの建設の不認可、家屋(コミュニティ全体に至ることもある)の取り壊しなどがある。このような措置はパレスチナ人村落の拡大を抑制するとともに、医療をほとんど受けられないままに住民を放置するなど、パレスチナ住民に大きな苦難を強いてきた。

 それと対照的に、イスラエル政府は、パレスチナ人には事実上使用不可能な土地やその他の資源を利用して、Cエリアと東エルサレムのユダヤ人入植地拡大を推進する政策をとっている。イスラエル政府は入植者に対し、住宅・教育・特別道路のようなインフラへの資金援助をするなど、数々の奨励策を施している。こうした政策による便益は、入植地の持続的かつ急速な拡大につながり、入植者人口は東エルサレムを含めて1992年に約241,500人だったものが、2010年にはおよそ490,000人まで増大した。

 前出のボガートは、「イスラエル政府は、不法入植地の『自然的拡大』のために奮闘する一方で、古くから存在するパレスチナ人コミュニティでは、自宅の増築を禁じ、そこで住めないようにするなど、生活を抑圧している」と語る。「イスラエルの入植地に関した政策は、平等とはかけ離れ、一般のパレスチナ人の生活に大きな障害をもたらしている。」

 同報告書でヒューマン・ライツ・ウォッチが調査したパレスチナ人コミュニティの1つ、ジュベット・アルディブ(Jubbet al-Dhib)は、ベツレヘム南東に位置する人口160人の村で、1929年から存在する。この村には普通徒歩でしか行けない。舗装道路に繋がる唯一の道は、1.5kmの未舗装道路だからだ。また、ジュベット・アルディブには学校がないので、村の子どもは数キロ離れた他の村に歩いて通わなければならない。

 この村には電気もない。イスラエルの送電線に繋げて欲しいという要請が多数寄せられてきたにもかかわらず、イスラエル当局はそれを拒んできたからだ。イスラエル当局は、村に太陽光発電による街灯を提供するという海外からの資金援助も拒否した。冷蔵庫がないため肉やミルクはその日の内に消費しなければならず、多くの場合住民は保存食品に頼っている。また、灯りはロウソクや灯油のランタンに頼る状態で、もしガソリンを入れられる余裕がある場合には小さな発電機が使われている。

 ジュベット・アルディブからおよそ350m離れたところに、ユダヤ人の村スデ・バル(Sde Bar)がある。1997年に建設された同地区にはおよそ50人の住民のために舗装された道路がある。また、数百万ドルかけて建設された新しい高速道路「リーベルマン道」が、この場所からジュベット・アルディブのようなパレスチナ人の市町村を迂回して、エルサレムに繋がっている。また、スデ・バルには高等学校もあるが、ジュベット・アル-ディブの学生は通うことができない。入植地は閉鎖軍事エリアとして指定されていて、軍の特別許可がなければ立ち入り出来ないのだ。入植地であるスデ・バル村の住民は、冷蔵庫・電灯など通常のイスラエルの町にも設けられている設備を所有しているのに対し、ジュベット・アルディブ村のパレスチナ人が夜間できることといえば、自分の家からスデ・バル村の住民の家の灯りを見ることだけだ。

 前出のボガートは、「イスラエル政府の支配下のパレスチナ人の子どもたちは、入植者の家の窓からもれる電気の光を見ながら、ロウソクの光で勉強することを強いられている」と語る。「パレスチナ人の子どもの学校教育を受ける権利を奪い、水や電気を与えないことが、安全保障に関わりがあるようなふりをするのはバカげている。」

 パレスチナ人に対する「入植者専用」道路の通行禁止のように、パレスチナ人への差別的な処遇をイスラエル政府が明らかにしている場合もあるが、イスラエル政府は、そのほとんどについてパレスチナ人武装グループによる断続的な攻撃から、ユダヤ人入植者などのイスラエル人を保護するために、必要な手段であると強く主張してきた。しかし、パレスチナ人に対し事実上、家屋・学校・道路・水貯蔵タンクの建設を禁止しているといってよい大規模な不許可処分を、安全保障や治安を根拠に正当化することなどできるはずはない。

 さらにイスラエル政府は、安全保障上の懸念への対応をするため、脅威をもたらすと見られる特定個人に対してのみ制約を加えるなどの調整をすることをせず、あたかも全てのパレスチナ人が人種的・民族的・国籍上の理由で、安全保障上の脅威をもたらしているかのような前提を基に対応してきた。しかし法律上の差別禁止は、このような大雑把な制約を禁じている。

 前出のボガードは、「人種・民族・国籍のみを理由に、あるグループを他と差別して処遇することを正当化するような誤った理論を、世界は当の昔に捨て去っている」と指摘。「今こそイスラエル政府は、差別政策を終わりにし、同じ地域に住むユダヤ人よりもパレスチナ人を差別して扱うことを止めるべきだ。」

 イスラエルの最高裁判所は、イスラエル国籍のパレスチナ人に対するいくつかの措置について、それが差別であることを理由にして違法という判決を出している。しかしながら、これまで西岸地区におけるイスラエルの施策が差別的だという申立ては数多くなされているものの、ヒューマン・ライツ・ウォッチはこの件について判断した裁判所を承知していない。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「イスラエルが露骨な差別的施策を採っている今、同国の入植による国際法違反に加担することを避けることこそが援助国の緊急課題になっている。イスラエルの支援国は、同政府が国際法上の義務を遵守するよう促す実効的手段を講ずるべきだ。」と述べた。

 またヒューマン・ライツ・ウォッチは、「米国はイスラエルに年間27億5千万ドルの援助を提供しているが、イスラエルの入植地補助金(2003年に行われた調査で推定14億ドル)に相当する金額をイスラエルへの援助資金から削減するべきである」という勧告を改めて表明した。また今回の報告書は、米国の非課税団体が入植地に相当な寄付をしているという数多くの証拠をもとに、このような非課税措置が、差別禁止など国際法尊重の義務に沿ったものであるのかを検証するよう、米国に強く求めた。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、イスラエル入植地生産物の主要市場であるEUに対してもいくつかの点を求めた。具体的には、まず、関税優遇措置を通じて同入植地からの輸出誘導を行わないよう確約すること、そしてパレスチナ人への差別によって商品生産が潤っているケースを特定することだ。例えば今回の報告書は、イスラエルが掘った井戸の水を使って入植地からの輸出農作物を生産してきたことが、近くのパレスチナ人の井戸を枯渇させるに至った実態を取りまとめている。

 同報告書はまた、パレスチナ人への差別を助長し、あるいはこのような差別から直接利益を得ている企業についても述べている。例えば入植者の利益のためにパレスチナ人から補償もないまま違法に没収した土地で、商業活動を行っている企業の例などを挙げている。これらの企業は同時に、イスラエル政府から助成金、減税、インフラの特権的利用・許可・輸出経路利用による便益も得ている。ヒューマン・ライツ・ウォッチはこのような企業に、差別的なイスラエルの施策と切り離すことのできないあらゆる経済活動を止めることなど、違法行為の調査、防止、軽減を求めた。

 「西岸地区で日常的に行われている差別は、誰がみても常軌を逸したものである。」とボガート述べた。「イスラエルの違法な施策に関与する危険性がある諸外国政府や企業は、差別的な施策を支援している政策や活動を特定し、それを止めるべきである。」

●同報告書「分断と不平等:パレスチナ被占領地におけるパレスチナ人の差別的処遇」はこちら:http://www.hrw.org/node/95061

本報告書関連のビデオ映像はこちら:http://hrwnews.org/distribute/israel_settlements_121610/

●ヒューマン・ライツ・ウォッチによるイスラエルとパレスチナ占領地区に関する情報の詳細はこちら:

http://www.hrw.org/middle-eastn-africa/israel-and-occupied-territories


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ここまで)
関連:
■東京都が朝鮮学校への補助金を中止の方針、関係者の反発は必至―韓国(反日感情に薪を与える意義は?)
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/125.html
投稿者 戦争とはこういう物 日時 2010 年 12 月 26 日 11:53:12: N0qgFY7SzZrIQ



http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/227.html

コメント [昼休み44] 社民、小沢喚問に賛成も…福島党首表明 尾張マン
03. 2010年12月26日 14:28:09: GcZpbY1qAc
状況次第で如何にでも立場、態度が変化して平気か。菅仙石江田の同類か。小澤を葬る奴らに与してどうする。ヘノコの問題でも口だけだったことを証明したことになる。共産も社民も自力でヘノコを解決できるか。どうしても信念を貫く意思のないでしゃばりは議員を辞めてもらいたい。全くもって目障り。
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak44/msg/460.html#c3
コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
09. 2010年12月26日 14:30:27: PPAJr6WqwQ
>>03さんへ

IMFから金借りてるのですか。
IMFに金貸してるのと違いますか。

財政破綻というのは単に政府部門の会計上のことでしかない。
日本経済の破綻と混同しているのと違いますか。

税金も国債も政府にとっては同じもの。
借りるももらうも国家にとっては一緒。

いま日本は需要不足なんだから支出は一定にして、消費税を減税するなどして使う人にお金を回せばいいのだ。財源は国債でよい。使われていないお金だからだ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c9

コメント [経世済民70] 30年間8.5兆円「円買い外貨売り」を続けてきた、輸出超過額平均年8.5兆円がそれだ heiwatarou
22. 2010年12月26日 14:42:12: uKFoqoJusE
>>21
失業者は海外移転でなく失業保険の増額で支援ですよ、
賃金上げて輸出超過を輸入超過にして円安にする、120円くらいにですね。
なら景紀も良くなり、雇用も増える
輸出増→円高→賃上げ→輸出減→円安→輸出増→円高の繰り返し
を提案します。
人件費を下げて輸出超過を永久に続けるのは馬鹿げたことなのです。
▼賃金が上げられないなら輸出税でも良いですよ
120円になるまで、その税金は雇用保険料に当てる

▼そもそも1994年頃から人件費が増えずに2008年も同じ
一方配当金は3〜4倍に膨れ上がっているのですよ。この現実も見ましょう。
http://www.garbagenews.net/archives/990472.html


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/422.html#c22

記事 [テスト21] Re: テスト
2010年12月26日 (日)
小沢一郎対菅直人全面戦争勝利のための基本書
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-3fd9.html

拙著『日本の独立−主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘』のベストセラー化を記念して刊行記念講演会第二弾が開催されることになった。
 
 アマゾン・ベストセラー・ランキング「社会・政治」カテゴリーでは、1ヵ月間連続で1位、2位にランクインし続けている。この傾向を一般書店に広げていただければありがたく思う。

 ベストセラー記念講演会の詳細については版元である飛鳥新社サイトをご覧いただきたいが、概要を以下に掲載させていただく。併せてPDFチラシ(『日本の独立』ベストセラー記念講演会)をご参照賜りたい。
 
日時  2011年1月24日(月)
    午後6時開場 6時半開演
場所  日本教育会館 第一会議室(8F)
    東京都千代田区神田一ツ橋2-6-2
    最寄駅:神保町駅(A1出口より徒歩3分)
    都営新宿線・三田線、半蔵門線
参加費 500円
お申込み方法:メールのみでの受付
メールアドレス kouen@asukashinsha.co.jp
に宛て、
件名「日本の独立講演会」
を明記のうえ、
本文に、
@氏名(フリガナ)、A電話番号
を明記したメールを送信下さい。
参加人数が複数の場合は、全員の方の氏名をご記入ください。
先着順の受付で、会場の定員300名に達した時点で、受付を締め切らせていただきます。
 
 第一回の講演会は定員800名の会場で開催されたが、今回は大ホールが利用できず、定員300名の第一会議室が会場になるので、参加下さる皆様は、早めのお申し込みをお願い申し上げます。
 
 12月27日から1月4日まで、飛鳥新社が休業になるので、年末年始の期間に定員に達することになることも予想されるので、早めのご対応をお願い申し上げたい。

日本の政界では、菅直人政権がいよいよダッチロール状態に移行している。突然、「立ち上がれ日本」との連立を提案したようだが、本末転倒を絵に描いたような醜態である。
 
 政権交代の偉業の本来の目的は、この国の政治を変えることである。ところが、菅直人氏の頭のなかは、総理の椅子にしがみつくことしかなくなっているのである。
 
 実行しなければならない政策課題があり、その基本課題で合意を得られたから連立を組むとの手順が取られない限り、連立組み替えはあり得ないし、あってはならない。
 
 連立の提案を受けた側も、基本政策の調整もないまま連立の呼びかけがあり、それに応じれば、大臣のポストが欲しいだけだと揶揄されるのが関の山だ。
 
 2006年以来、総理大臣の交代は、年中行事になっている。2011年に7年連続で総理大臣が交代することになることは確定的である。
 
 拙著『日本の独立』では、
第T部「6.2クーデターの真実」、
第W部「菅直人政権の「逆コース」」、
第X部「主権者国民と悪徳ペンタゴンの死闘」
の構成を採用し、
最終章=第28章を
「政界再編と日本のルネサンス」
として、日本政治の今後を展望した。
 
 菅直人政権は、政権交代によって樹立した「主権者国民政権」ではすでになくなっている。6.2クーデターにより、主権者国民政権は倒壊され、すでに悪徳ペンタゴンが権力を奪還したのである。菅直人政権は悪徳ペンタゴン政権なのだ。この基本を正しく捉えることが、今後の政治変動を読む、あるいは主導する上での最重要点になる。

イ
 Photo_3 菅直人氏は残念なことに悪徳ペンタゴンに魂を売ってしまった。見るがよい。菅直人氏の顔を。かつて理想を追求していたころの瞳の輝きは完全に消え、悪に支配される虚ろな表情しか示さなくなっている。
 
 小沢一郎氏が激しく、かつ執拗に攻撃を受け続けているのは、小沢一郎氏が主権者国民勢力を率いているからである。日本政治支配を続けようとする米国を主軸とする悪徳ペンタゴン勢力にとって、主権者国民(=主権者であることを自覚した主体的行動を示す国民)は、邪魔者=障害物でしかない。悪徳ペンタゴンは、手先のマスゴミを総動員して、小沢一郎氏と主権者国民勢力をせん滅しようとしているのだ。

 小沢一郎対菅直人の全面戦争こそ、「主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘」=「主権者国民と悪徳ペンタゴンの死闘」そのものなのである。
 
 6.2クーデターの時点で、この宿命の対決の火ぶたが落とされたのである。
 
 9月14日民主党代表選では、マスゴミの情報工作総攻撃と選挙管理の不正から、主権者国民勢力は惜敗を喫してしまった。選挙管理の不正はまだ正式に立証されていないから、現段階では疑惑であるが、いずれ、真実が明らかにされることになるだろう。
 
 2011年は、いよいよこの死闘が本格化することになる。日本の命運を決する死闘であると言って過言でない。
 
 主権者国民勢力がこの死闘に勝利して、主権者国民政権を樹立し、自主独立の新国家日本を創設するとき、日本は「真の独立」を勝ち得るのである。
 
 そのための基礎知識を主権者国民が共有しなければならない。そのための基本書として拙著『日本の独立』を位置付けている。真の平成維新=第二平成維新を成就するために、主権者国民が徹底した情報武装をしなければならないのである。

28SOBA ←Twitter(ツイッター)

クリックすると代表選党員・サポーター投票用紙の杜撰と廃棄疑惑 エントリー
クリックすると不思議な菅の表情エントリー

BBS会社から11月末サービス終了の連絡あり、急遽引っ越しました
↓クリックで【本家】と【遊撃版】「愛、そして生きる 主権者は私たち」BBS。
主権者は私たち国民レジスタンスバナー 主権者は私たち国民レジスタンスバナー

引っ越し先のBBSでは、子スレッドが現在11個あります。

↓以下子スレッドのリストです。新投稿があると一番上になります。「一郎ファンです。駄目ですか?」では現在小沢一郎応援者のテーマ音楽を決めました。& lt;a href="http://www.youtube.com/watch?v=-UBy5va76oU&fmt=18" target="_blank" title="クリックすると">myself 長渕剛、吉田拓郎のファイトです。

1. ◇IT寺子屋(7)
2. ◇デモ・集会情報など(15)
3. ◇この本お勧めです。(2)
4. ◇悪徳ペンタゴン糾弾(1)
5. ◇一郎ファンです。駄目ですか?(8)
6. ◇笑い(2)
7. ◇設定した歌の履歴(4)
8. ◇言論の自由(5)
9. ◇日本の独立(6)
10. ◇動画紹介(3)
11. ◇Wiki 【植草一秀】 の虚偽情報(0)
12. ◇時事川柳(3)

断固としていけば必ずその後に道が出来る 眉を挙げ決然として行くのみ

↓ クリックで24日検審糾弾デモのまとめエントリー。(曲は、 myself 長渕剛、吉田拓郎のファイト、宗次郎の= 道 =
規制改革要望書司法改革と検察審査会会議録非公開糾弾バナー

ラブソングその他
バナーは、8・30勝利 7・11隷米菅鉄槌記念
↓植草さんのココログへ、↓モルダウ(我が祖国)
8・30勝利記念バナー

↓植草さんの主権者国民レジスタンス戦線結成呼びかけエントリー(関連
主権者は私たち国民レジスタンスバナー
http://www.asyura2.com/10/test21/msg/192.html

コメント [戦争b7] 沖縄:高江ヘリパッド工事再開強行 : これが「沖縄に理解を求める」という民主党政権の正体だ 妹之山商店街
02. 2010年12月26日 15:21:16: looT5ZRVSs
政権はいつも国民不在で、軍、財、官、メディア、ヤクザ、カルトと一体です。
巨大な暴力に属する、非人道、非法、非事実、非民主主義・・・カルト犯罪機関です。
もう、許すわけにはいきません。

http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/127.html#c2
記事 [マスコミ・電通批評11] 最近のマスコミの堕落ぶりには辟易(6大マスゴミは、誇りがあるならば、自らの手で、老害を追放し、自浄能力を発揮すべきです)
http://blog.goo.ne.jp/kc-stranger/e/514625dc07d8f0422ca8d019f5f9042e
最近のマスコミの堕落ぶりには辟易
2009年12月17日 | 社会・政治 中国のナンバー2の天皇陛下の特例会見についての報道を見ると反吐が出る。

 なんでもかんでも騒ぎを大きくすればいいとしか考えていないように見える。

 それに反応して小沢さんを罵る発言を繰り返す輩は、ブログを炎上させ喜んでいる連中と変わりないではないか?

 確かに小沢さんの表現には、誤解を受けやすい、まずい点はあったと思う。

 昨夜の「マイケル・ジャクソン」のドキュメンタリーにもあったが、映像は放送する側が意図的に、ある印象を持つように放送すれば、真実と違う報道も可能だ。

 小沢さんをヒットラーに例え批判する連中は、ナチスに宣伝担当部門が存在し、マスコミを使って国民感情を誘導していたことを忘れたのか?

 小沢さんから、勉強不足の事を叱られ、恥をかいた事を根に持って、小沢バッシングの報道をするなら、それは非常に愚かな事だ。

 発端となった、宮内庁長官の会見時、長官は政府の一部局の長にあたれられる人だが、政府の指示に逆らうような発言をして大丈夫なのかと質問をした記者はいたのか?

 考えてもみてもらいたい、陛下との会見を宮内庁に要請したのは、政府なんだよ。政府の長は鳩山首相じゃないの。

 会社の一部所長が、社長の指示を外部に向かって批判したらどうなるのよ。

 小沢さんが言っているのは、どうしてもその命令(指示)に従えないのなら、私はその指示に従えませんと言って辞めるのが筋だと言っているのでしょう。

 指示に従いながら、「陛下お痛わしや」みたいに発言するのは卑怯ですよ。

 結果的に体調の優れないと自分が思っている陛下に会見をさせてしまったのだから。

 ちゃんと辞めて、自分の立場をはっきりさせてから批判するべきでしょう。

 それにマスコミ!

 小沢さんは、辞めてから言うべきだと言っただけで、この長官をクビにしてないよね。

 自民党時代には、陰湿なやり方で官僚を抹殺した例があるよね。

 犯罪をでっち上げ、社会的に抹殺しようとするやり方。

 マスコミが社会的権力者を敵に回すやり方そのものは正しいと思う。

 しかし、自民党の頃はろくに批判もしないで、敵の多い小沢さんを攻撃するのはフェアじゃないでしょう。

 実は善人ぶっている人の方が、悪い人が多いということをまだ気付かないのかね。

 国内で、こんな事で騒いでいると、中国から馬鹿にされるよ!

 アメリカのオバマさんが、陛下に頭を下げた時に、その角度が低すぎると非難したアメリカ国民がいたようだが、その国の象徴、国家元首に最敬礼するのは外交儀礼上当然でしょう。

 そういう意味で中国のナンバー2が会見を求めてきたら、少なくとも文明国であれば当然のエチケットでしょう。

 それを政治的利用だと、云々するのはおかしいでしょう。

 そうやって批判した、自民党の谷垣さんだって、このナンバー2に逢っているんでしょう。

 その時、自分はあなたと陛下の会見に反対したとはっきり言ったのかい?

 マスコミも書くなら、その事を書けよ!
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/385.html

コメント [昼休み42] 2、特別公務員職権濫用罪、刑法194条(前田事件とは、検察・裁判所・マスゴミが共謀し、刑法違反をしたという事です) 小沢内閣待望論
57. 2010年12月26日 15:24:31: EgAkPruZcQ

前田がご赦免になったって本当でしょうか?

http://www.asyura2.com/10/lunchbreak42/msg/820.html#c57
記事 [憲法3] 検察審査会という制度の欠陥と人権侵害!、株式探偵コナン(司法制度の重大な欠陥をシンボリックに物語っている組織です)
http://blogs.yahoo.co.jp/konan119269/31905673.html
検察審査会という制度の欠陥と人権侵害!! 傑作(1)
2010/10/8(金) 午前 0:04政治・社会その他政界と政治活動 Yahoo!ブックマークに登録

検察審査会という制度の欠陥と人権侵害!!


制度というものは、いかにその目的が正しくとも、使い方を間違えると、人を抹殺する凶器に

なることもある。

できの悪い学生のレポートのような東京第5検察審査会の文面により、小沢一郎氏に

ふりかかった「強制起訴」という災難は、根拠なく誰でもが法廷に引っ張り出される可能性が

あることを天下に知らしめた衝撃的、かつ危険な歴史的出来事である。

筆者はこの、稚拙かつ予断と偏見と非論理性に満ちた、およそ法治の精神とは縁遠い

「起訴相当」議決の文面を、静かに読者の方々とともに吟味するにあたり、まず、肩書きや修飾語、

ダブりなど、不要なものを取り除いた文章に直してみることにした。これにより、骨組みが

しっかり分かるはずである。

そして、それに対しコメントを付け加えることで、まず、筆者なりの疑念を今回の議決に

対して呈してみたい。

被疑事実については前回議決と同じである。念のため、ごく簡単にまとめておく。
 
「小沢氏が、代表をつとめる陸山会は04年10月に代金3億4264万円を支払い、東京都

世田谷区の土地2筆を取得したのに、04年分の陸山会の収支報告書に記載せず、05年分の

陸山会の収支報告書に、本件土地代金分過大の4億1525万4243円を事務所費として支出した」

これについて、04年10月に3億4264万円で土地を購入したのは、陸山会ではなく、小沢氏

個人であることが登記簿謄本などから確認でき、04年分の陸山会の報告書に記載すべきものでは

ないことを再三、指摘してきました。

  そもそも陸山会は権利なき団体であり、不動産を所有したり登記することはできない。そこで、

登記上の所有者を小沢一郎個人としたまま、実質的な所有者を陸山会にするため、登記が完了した

05年1月7日の日付で、陸山会と小沢一郎個人との間で、確認書を交わした。 

  その内容にしたがって、陸山会は同じ1月7日に、3億4264万円の土地代金に登記料、

登記手数料等の諸費用を加算した4億1500万円を小沢一郎個人に支払って05年の収支報告書に

記載した。

登記簿謄本や確認書などを素直に解釈すると、そうなるはずである。

さて、今回の「検察審査会の議決」についてである。

1 再捜査について

「検察官は小沢氏、大久保隆規、石川知裕、池田光智を再度取り調べたが、形式的な取り調べの
域を出ておらず十分な再捜査とは言い難い」

形式的な取り調べとは何か。静かにじっくり相手の話に耳を傾けることであろうか。実質的な

取り調べとは何か。脅したりすかしたりして心理的に追い詰め、筋立てどおりの供述を得ることで

あろうか。


2 石川被告供述の信用性

「石川被告の供述は、4億円の出所や土地取得資金の記載を翌年にずらした偽装工作の動機に
不合理・不自然な点もみられるが、真の動機を明らかにできないことから、苦し紛れの説明を
せざるを得なかったものだ」

どうして、偽装工作と決めつけられるのであろうか。まず「偽装」ありき、を出発点にした
論理では、たどり着く先は決まっており、それこそ真相究明を阻むものとなる。

「石川被告は尊敬する小沢氏を罪に陥れる虚偽の供述をするとは考え難い。再捜査でも、
検察官から小沢氏に不利となる報告・相談などを認める供述をした理由を聞かれ、合理的に
説明し再捜査前の供述を維持していることなどから、石川被告の供述には信用性が
認められる。」

「小沢氏に報告・相談し了解を得た場面での具体的なやりとりがなく、迫真性があるものと
まで言えないとして、また、石川被告の説明に対する小沢氏の反応も受け身のものである
として、石川被告の供述の信用性を消極的に評価することは適切ではない」


石川氏の供述が曖昧なものであったことがうかがえる文面だ。曖昧でも、捜査段階で、供述
を翻していないから信用性があるという。短絡的であるといわざるを得ない。


大久保、石川、池田の三氏がすでに、公判で罪状を否認することを表明していることで
分るとおり、検事のプレッシャーがない状況では、供述が覆る可能性が高い。


3 池田被告供述の信用性

「池田被告は『05年分の報告書を提出する前に、小沢氏に土地代金計上を報告し、了承を
得た』と供述していたが、再捜査でこの供述を否定した。尊敬する小沢氏を罪に陥れる虚偽の
供述をすることは考え難いから、変遷前の供述に信用性が認められる」

「前供述では、あいまいな記憶に基づいて話したが、冷静に記憶を呼び戻した結果、はっきり
なかったと思い至った旨の説明をしているが、池田被告は逮捕前から、大久保被告への報告を
否定しつつ、小沢氏への報告、了承を供述しており、記憶に従って供述していたことが
認められることから、不合理な説明である。再捜査での取り調べでは、自らの供述が小沢氏の
刑事処分に影響を及ぼしかねないことを恐れていることが明らかで、変遷後の供述は信用
できない」

前の供述が信用できて、後の供述が信用できないという。その根拠としての上記に説得力が
あるだろうか。すべて、前の供述の信用性を主張するための屁理屈の類である。


4 小沢氏供述の信用性
 
「小沢氏が4億円の出所について明らかにしようとしないことは、小沢氏に収支報告書の
不記載、虚偽記入に係る動機があったことを示している」

小沢氏は、土地の代金3億4264万円について、湯島の自宅を売り、現在の自宅を建てた際に
残った2億円と、家族名義の口座からの3億6千万円の計5億6千万円の一部であると出所を
明らかにしている。「出所について明らかにしようとしない」というのは事実誤認である。

「小沢氏は、土地購入の原資を偽装するために、銀行から陸山会の定期預金4億円を担保に
小沢氏個人が4億円を借り入れるに際して、融資申込書や約束手形に署名・押印した・・・」

「小沢氏は、土地購入資金として4億円を自己の手持ち資金から出したと供述しており、そうで
あれば土地購入資金として銀行から4億円を借り入れる必要は全くなかったわけである・・・」


土地購入の原資を偽装したという検察の当初の筋書きを鵜呑みにした論理展開でありながら、
「小沢不起訴」という検察の判断を否定するのは、大いなる矛盾である。


5 状況証拠

「小沢氏は、07年2月20日の記者会見にあたり、土地の登記が小沢氏個人の名義に
なっていることから、土地が小沢個人の財産ではなく、陸山会の財産である旨の確認書を
05年1月7日付で作成させ、記者会見の場で自らこの偽装した確認書を示して説明を
行っている。作成年月日の偽装は事後的なものであるが、収支報告書の不記載・虚偽記入に
ついての小沢氏の関与を強くうかがわせる」

確認書が偽装であるという、きわめて情緒的な判断がなされているが、これも、もともと
検察の主張に過ぎず、現に、検察は小沢氏を不起訴としている。

確かなことは、登記簿謄本に記された客観的事実、すなわち前述したことの繰り返しになるが
以下の通りである。

そもそも陸山会は権利なき団体で、不動産を所有したり登記することはできない。そこで、
登記上の所有者を小沢一郎個人としたまま、実質的な所有者を陸山会にするため、登記が
完了した05年1月7日の日付で、陸山会と小沢一郎個人との間で、確認書を交わした。 
その内容にしたがって、陸山会は同じ1月7日に、3億4264万円の土地代金に登記料、
登記手数料等の諸費用を加算した4億1500万円を小沢一郎個人に支払って05年の
収支報告書に記載した。


 6 まとめ

「検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに検察官だけの判断で有罪になる高度の見込み
がないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によって本当に無罪なのかそれとも
有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものだ。そして嫌疑不十分として
検察官が起訴をちゅうちょした場合に、いわば国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で
黒白をつけようとする制度であると考えられる」


これは、市民が悪いと思えば、とりあえず起訴してしまえ、という論理だ。市民では
分らないから「裁判官さんよろしく」という、安易な丸投げの「新権力」がついに、牙を
むき始めたということだ。


小沢氏の場合、二月の不起訴を受けて、東京と岩手の審査会に申し立てがあった。しかも、

申し立てた市民団体は代表者名など素性を明らかにしていないばかりか、市民オンブズマンの

ようにHPを立ち上げて公開することもない。


まさに、市民感情という得体の知れないものを旗印に、気に入らぬ人間を潰してまわる、現代の

魔女狩りがはじまっているのである。法治国家の危機というほかない。


しかし、いずれにせよ、どのような側面から見ても小沢氏の無罪は明らかである。

検察審査会制度の欠陥という問題は残るが、とりあえずここは冷静に見守りたい。


http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/308.html

コメント [戦争b7] 山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したのか(米国に寝返った小泉・竹中に置き換えれば、有り得る話です) 小沢内閣待望論
05. 2010年12月26日 15:35:44: 7IpsRZdKJk
>>03

じゃあ、君んちの周りがゴミ捨て場状態になってもその理屈で平然としてられるの?

(ピ)
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/135.html#c5

コメント [外国人参政権・外国人住民基本法01] 発砲警官に懲役4年求刑 栃木、中国人死亡(47NEWS) 中国人がいかに異常かが分かる内容です 警官は正当防衛 木卯正一
15. 2010年12月26日 15:41:18: lQKKbrE2cg
中国人は嫌いではないが、自分たちがすべて正しいと自己主張する人が多いことは事実。今回の尖閣諸島の件についても明確に理解できる。そんな人たちを信頼することはできない!
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/701.html#c15
記事 [戦争b7] 自虐史観から真実の歴史認識へ、日本を悪者とする自虐史観はもうやめよう(自虐史観=米国による刷り込み、客観史観が必要です)
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi01.htm

自虐史観から
真実の歴史認識へ

日本を悪者とする自虐史観はもうやめよう

インドのオールドデリー市街、チャンドラ・ボース公園の
「インド独立義勇軍(INA)と日本兵たち」の像(日の丸に注目)。
日本兵はインド兵と共に戦い、それがインド独立の基礎となった。


 ある日本人の学校教師が、戦後、マレーシアを訪れました。
 かつて日本軍は大東亜戦争(太平洋戦争)中に残虐非道を尽くした、と思っていた彼は、マレーシアにおける日本軍の活動を調査しようと思ったのです。
 彼は、マレーシアの上院議員ラジャー・ノンチックに会って言いました。
 「日本軍はマレー人を虐殺したに違いありません。その事実を調べにきました」。
 すると、ノンチック議員は驚いて言ったのです。
 「日本軍はマレー人を一人も殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。それに、日本の将兵も血を流しました」。
 そのような話が、『教科書が教えない歴史』(扶桑社文庫)という本に紹介されています。


日本軍はマレー人を一人も殺さなかった

 じつはこのノンチック議員は、かつてマレーシアの独立に半生をかけた人です。
 マレー半島は、かつて150年もの間、イギリスの植民地支配に苦しんでいました。マレー半島だけではありません。当時アジア諸国において、独立国は日本とタイだけであり、他のほとんどは欧米列強の植民地と化していたのです。
 当時、欧米列強は、アジアは白人のために資源を供給すべき国々、白人に隷属すべき国々とみなしていました。彼らはアジア諸国から収奪し、搾取を続けていたのです。
 しかし1941年、日本は真珠湾攻撃と同時に、マレー半島に進撃。イギリス軍を打ち破りました。日本軍はその後、マレーシア独立のために訓練所を造り、マレー人青少年の教育に力を注ぎました。
 訓練生と共に汗を流す日本人の姿は、マレー青年たちに大きな感銘を与えました。
 「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」
 ――そうした機運が彼らの内に育てられたのです。さらに日本政府は、南方特別留学生制度を創設。アジア諸国独立のため、指導者養成を目指しました。


マレーシアのラジャー・ノンチック上院議員
「日本軍はマレー人を一人も殺していません」

 ノンチックは、その第一期生の一人でした。彼は、同じように独立の熱意に燃えるアジアの青年たちと共に、留学生として日本に派遣されます。
 日本人教官たちは留学生たちを、わが子のように厳しく優しく指導し、「独立を戦いとるためには、連戦連敗してもなお不屈の精神を持つことだ」と励ましてくれたといいます。
 日本政府は食糧難の中にも、苦労して留学生の食糧まで集めました。この日本留学の経験は、ノンチックの人生を変えるものとなったのです。
 そののち1945年、日本は敗戦を迎えます。ノンチックは、そのとき決意を新たにしました。
 「日本はアジアのために戦い疲れて破れた。今度はわれわれマレー人が自分の戦いとして、これを引き継ぐのだ」
 ノンチックらは、祖国独立のための戦いを続け、ついに1957年、祖国独立を果たしました。さらに、彼ら日本に来た南方特別留学生たちが中心となり、現在のASEAN(東南アジア諸国連合)が設立されたのです。
 ノンチックは、こんな詩を残しています。
「かつて日本人は清らかで美しかった。かつて日本人は親切で心豊かだった。アジアの国の誰にでも、自分のことのように一生懸命尽くしてくれた」。
 かつて日本軍は、東南アジアを舞台として戦いました。しかし東南アジア人を相手に戦ったのではなく、東南アジアを東南アジア人の手に取り戻すために、欧米人を相手に戦ったのです。


日本は「とてつもなく悪い国」だったか

 今日、大東亜戦争中の日本軍の「侵略」行為や、「残虐」行為が取りざたされることがあります。しかし私たちは、歴史というものを偏り見てはいけません。誰かが、
 「日本はアジア諸国を侵略した」
 と言えば、それで日本軍の行動がすべて侵略だったように思うなら、間違いです。
 現在の日本の学校で使われている歴史の教科書は、第二次世界大戦前後の日本のことを、「とてつもなく悪い国だった」と教えます。そのような教育を受けた日本人が、先のノンチックの話などを聞くと、
 「えっ、そんなことあったの?」
 「信じられない」
 と驚きます。このような日本人たちを見て、ノンチック自身、たいへん歯がゆい気持ちでいたそうです。
 私たちが教科書を通して教えられてきたことは、あまりにも一面的なものだったのではないでしょうか。
 歴史というものは、様々な出来事の積み重ねから成っています。私たちは、そうした歴史のすべてを知ることはできないでしょうが、少なくともバランスのよい理解をすることは、大切なことです。
 日本は悪いことだけをしたという考えに偏るのではなく、また、日本は全く悪くなかったというのでもなく、公平に歴史の真実を見つめる歴史観が必要です。
 戦後、タイの首相になったククリット・プラモートは、まだ自分が新聞記者だった頃に、こんな記事を書きました。
 「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子どもはすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
 それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。われわれはこの日を忘れてはならない」(「12月8日」サンヤム・ラット紙)。


ククリット・プラモート(タイの元・首相)
「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した」

 この言葉の通り、日本軍の東南アジア進出という一撃は、欧米列強による植民地支配を崩壊させました。大東亜戦争後、アジア諸国はすべて独立したのです。
 

インドネシアを独立させた日本人

 欧米列強の植民地だったのは、インドネシアも同じでした。インドネシアは、じつに約350年もの間、オランダの植民地だったのです。
 オランダの行なった「愚民政策」「貧民政策」――つまりインドネシア人を愚民、貧民のままに押さえ込むという政策のもとで、インドネシア人の平均寿命は、一説によれば35歳にまで低下していました。
 それだけにインドネシア人のオランダへの反感は根強かったのです。それで人々の間で、
 「いまに北方から黄色い強者が空から降り、圧政者を追放してくれる」
 という12世紀の王、ジョボヨヨの予言が信じられるようになりました。
 ですから大東亜戦争が始まった翌年、日本軍がインドネシアに上陸すると、現地の人は日本軍を歓迎し、積極的に作戦に協力しました。彼らの目に日本軍は、自分たちを解放してくれる「北方の黄色い強者」と映ったのです。
 日本軍はオランダ軍を破り、インドネシアに軍政をしきました。しかし、その軍政は、オランダの政策とは大きく違っていました。
 それはインドネシア人の自覚を高め、独立を勝ち取らせることを目指したものだったのです。事実、日本軍は、オランダ語に代えてインドネシア語を採用し、インドネシア人を軍事訓練し、住民組織を作らせ、また行政組織の重要な仕事をインドネシア人に委譲しました。
 これらのことは、たとえば1958年発行のインドネシアの学校用歴史教科書にも、日本占領の利点として記されています。
 また日本軍は、インドネシア義勇軍(PETA)を編成。日本人が隊長となって、防衛のための様々な訓練をインドネシア人に行ないました。
 ところが、そののち日本は敗戦。インドネシア義勇軍も解散させられますが、その4万人の隊員たちは、続くインドネシア独立戦争のための主力となります。
 インドネシアは、日本敗戦の2日後の1945年8月17日に独立を宣言しました。しかし、オランダやイギリスは再びインドネシアを植民地にしようと、一方的に攻撃してきたのです。
 これがインドネシア独立戦争です。このときインドネシア独立のために、自分の意志でその戦いに参加した日本人たちが数多くいました。
 その数は、千人とも2千人とも言われます。彼らは「共に生き、共に死ぬ」(共生同死)を誓って独立戦争に参加。その多くは戦死しました。しかしこの血の犠牲を通して、インドネシアは独立を果たしたのです。
 日本の軍政に問題がなかったわけではありません。しかし、インドネシアでは独立記念日に向けての記念パレードで今もなお、インドネシア人によって日本の軍歌が誇らしげに歌われています。


フィリピン、ビルマ、インドを独立させた日本人

 一方フィリピンでは、日本人、原禎元大尉の率いる義勇隊が、フィリピン独立運動を支援。フィリピン人と共に、米国の軍隊と戦いました。
 ビルマでも、鈴木啓司大佐をはじめ、多くの日本人がビルマ人と共にビルマ独立義勇軍を編成し、独立運動を展開しました。
 インドでも、インドの独立のために援助した日本人が数多くいました。インドは1947年に独立。それまでのイギリスによる植民地支配に終止符を打ちました。
 この少し前に、インド法曹界の長老、パラバイ・デサイ博士はこう語りました。
 「インドはまもなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで、30年も早まった。
 インドだけではない。ビルマも、インドネシアも、ベトナムも、東亜民族はみな同じである。インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう」。
 また、東南アジア諸国独立における日本人の貢献について研究した、台湾の黄文雄(こうぶんゆう)氏もこう書いています。
 「犬養毅、頭山満をはじめ、明治維新以来、アジア各地の革命や独立運動のために自らの命や財産をかけた日本人は、数え切れないほど多い。……民族・国家を超えて献身的に尽くす日本人の精神は、世界でもまれに見る特筆すべき義侠心である」。
 このように東南アジアの人々の日本に対する思いには、中国や韓国の人々の感情とは、まさに逆のものがあります。
 とはいえ東南アジアでも、しばしば反日デモが繰り広げられることがあります。これはなぜでしょうか。
 私たちは、その反日デモをしている人間が誰なのかを、よく見きわめなければなりません。黄氏はこう述べています。
 「反日運動……を主導しているのは、華僑と、何らかの政治的意図のある日本のマスコミなのである。東南アジアの住民は基本的に親日的であり、大規模なデモになるような反日感情は持っていない」。
 東南アジアには、昔から「華僑」と呼ばれる中国人がいます。彼らは欧米列強による植民地時代には、白人と結託して現地人から搾取をしていました。
 当時、華僑は居住地の民族とは決して同化しないだけでなく、現地人を蔑視し、利益をほとんど地元に還元せず、吸い上げるばかりだったのです。
 またインドネシアなどではとくに、その商業活動は悪質で、統治者と結託し、彼らの手先となって、オランダ人よりも過酷にインドネシア人から搾取するほどでした。
 東南アジアの現地人と、華僑との間には、このようなわけで今も根強い反感と対立があります。それはこうした過去があるからなのです。
 かつて日本軍は、東南アジアから欧米人を追放するだけでなく、華僑の追放も行ないました。ですから華僑の中には、今も根強い反日感情を持っている人々が少なくありません。しかしそれは、東南アジアの現地人の感情ではないのです。


台湾で仁政を敷いた日本人

 一方、台湾ではどうだったでしょうか。
 台湾は、日本にとって最初の植民地となった地でした。かつて日清戦争の結果、台湾は、国際条約である下関条約によって日本に割譲された地だったのです。それは合法的に日本の領土となりました。
 日本領有当初の15年間は、住民による激しい武力抵抗が続きました。日本政府は、ゲリラの討伐に明け暮れました。けれども台湾の武力抗争は、日本統治時代に始まったことではありません。
 それ以前の清国による統治時代のほうが激しかったのです。しかし大正デモクラシーの影響が及ぶようになると、台湾では無政府主義者も、共産主義者、独立運動家、議会主義運動家などもみな武力を捨てて、平和的な政治運動に変わりました。それは時代の流れでもあったのです。
 一方、韓国も日本の植民地となった地でした。今日、韓国人が日本の統治時代に関して述べる批判は痛烈です。ところが台湾はどうかというと、かつての日本の統治時代をそれなりに評価する、親日的な人々が多くいます。
 これには幾つかの理由があるでしょう。しかしその一つに、統治者となった人々の方針や人柄の違いもあります。
 1940年から44年まで、台湾総督をつとめたのは、長谷川清という日本人でした。


長谷川 清 台湾総督
その仁政は台湾の人々から慕われた

 長谷川は、台湾総督になり、日本人の現地人に対する不当な差別を取り締まりました。台湾人に対して公正な態度で臨むよう、政策を進めたのです。その結果、台湾では、現地人に対する不当な差別や、いじめがほとんど見られませんでした。台湾出身の金美齢は、これを思い、
 「日本精神は公正の精神である」
 と書いています。
 長谷川はまた、前任の総督の時代に行なわれた台湾の伝統宗教や伝統芸能の弾圧を取りやめ、その復活を認めました。皇民化とは、形だけ日本人に見せることではなく、今日のアメリカのように、人種・宗教が違っても日本国民としての愛国心を育てることだと、彼は主張したのです。
 彼の治世は、長谷川「仁政」と言われ、今も台湾人から高い評価を受け、慕われています。
 台湾における日本の治世に、全く問題がなかったわけではありません。しかし長谷川以外にも、台湾の人々と共に働き、台湾の人々のために活動した日本人が数多くいました。
 そうした働きのゆえに、日本人の働きを高く評価する人々が、台湾には少なくないのです。
 日本が敗戦国となるまで、台湾は日本の植民地でした。しかしそれは、欧米の植民地政策とは大きく異なるものでした。
 欧米諸国は、植民地からの収奪を続け、利益を現地に還元することはほとんどありませんでした。現地の人々は欧米諸国から、取られる一方だったのです。
 それに対し日本は、台湾を内地の延長と考えていました。その地の近代化のために、日本は莫大な国家予算をつぎ込んだのです。
 当時、台湾は辺境の地であり、流刑地だったような所で、道路はほとんどなく、ダム、水道、電気、衛生など、インフラ(公共設備)は全くといっていいほど整っていませんでした。
 そこに技術者を送り込み、お金をつぎ込み、現地の人々と共になってインフラ整備を進めたのが、日本でした。植民地時代に日本が台湾から得た利益より、台湾への支出のほうが、はるかに上回っていたのです。
 日本にとって、台湾の植民地時代は、出る一方でした。今日の台湾の経済発展は、この日本による植民地時代の恩恵によるところが大きい、と言えます。黄文雄氏はその著『捏造された日本史』(日本文芸社刊)の中で、
 「台湾の近代化は、日本人の経営なくしてあり得なかったことは、誰も否定できない」
 と書いています。


なぜ日本は明治維新に踏み切ったか

 つぎに、中国や韓国について見てみましょう。
 大東亜戦争に至る時代の日本の行動に関する中国や韓国の批判は、痛烈です。なぜでしょうか。日本は悪いだけだったのでしょうか。
 いや、事情は単純なものではありませんでした。
 話は、明治維新から始まります。日本は、それまでの幕藩体制を放棄して、明治維新を断行し、近代国家に生まれ変わりました。
 それは古い体制のままでは、野蛮国として、やがて欧米列強の植民地とされてしまうことが、火を見るより明らかな状況だったからです。
 欧米列強による植民地獲得競争が、当時すでに激化し始めていました。たとえば日本がまだ徳川時代だったとき、隣の中国で「アヘン戦争」が起きました。
 それまでイギリスは、中国から大量にお茶を買って、輸入していました。その代金として、イギリスは中国に大量の銀を支払っていました。
 そのときイギリスは、きたない手を使って、その大量の銀を取り戻そうと考えたのです。
 まず、密貿易でアヘンを中国に入れます。そして人々の間に、はやらせます。アヘンは麻薬ですから、喫煙者は中毒になります。中毒になれば、もっと欲しがります。
 そうやって大量のアヘンを中国に売り込んだのです。こうして銀を取り戻すことに成功しました。
 この出来事は、欧米人の多くが当時、有色人種であるアジア人を人間とは思っていなかったことを、端的に示しています。
 しかし中国側は、イギリス側のこの策略に気づき、怒ります。アヘン患者の蔓延を国家の危機と考え、アヘンの密輸を禁じたのです。そして約2万箱ものアヘンを廃棄させました。
 これにイギリスが反発し、「アヘン戦争」が勃発したのです。結果は、兵器に優れたイギリス側の圧勝でした。
 アヘン戦争以後、中国はしだいに欧米列強の植民地と化していきます。日本人は、こうしたことを伝え聞いたのです。当時、中国の上海でこの様子を見た高杉晋作は、こう書き記しました。
 「中国人はほとんどが外国人の召使いのようだ。英仏の人が街を歩けば、中国人は傍らによって道を譲る。上海は中国の領土だが、英仏の植民地ともいえる」。
 そして、わが国もこのままでは欧米列強の植民地になってしまう、という強い危機感を持ちました。実際、欧米列強によるアジアの植民地化は、どんどん進行中でした。
 イギリスによるインド植民地化は明治維新の十年前には終わっていました。ビルマ植民地化は明治19年、マレー半島の完全な植民地化は明治42年、フランスがベトナムを奪ったのが明治20年、インドネシアが正式にオランダ領となったのが明治37年でした。さらにアメリカのハワイ併合が明治31年、フィリピン奪取も同じ年でした。
 他方、北からは不凍港を求めて南下してくる最大の脅威ロシアがあったのです。
 こうした野盗の群れが走り回る世界にあっては、自立国家を守るために、どうしても明治維新によって近代化を達成する必要があったのです。


近代国家に生まれ変わった日本

 日本は明治のこの大改革に成功し、それまでの封建制度を改めて、近代的国家に生まれ変わりました。
 明治維新というのは、とくに武士階級の人々の多大な犠牲によって実現したものです。それまで武士たちは、藩に属していました。それぞれの家柄に応じて、給料(禄)をもらっていました。
 その給料のもとになったのは、農民から集まった年貢です。しかし、明治政府はこの年貢が藩に集まるのではなく、すべて政府に集まるようにしました(廃藩置県)。
 こうして藩を廃止するのみならず、江戸時代までの主役であった武士階級を一挙に廃絶したのです。これは武士とその家族約180万人が失業し、収入を失なうことを意味しました。
 もしこんなことをヨーロッパで行なったら、ひどい反乱となったでしょう。実際、当時東京にいた外国人は、ヨーロッパでこんなことをしたら、血で血を洗う大惨事になっただろうと言いました。
 しかし、反乱は起きなかったのです。藩主以下、武士達は、天皇の布告に従いました。そして刀を置いて、町民になり、商売や事業を始めたのです。
 その背景にはまた、先見の明のある数多くの武士たちがいたからでもあります。明治維新とは、世界に例をみない「無血革命」だったのです。
 日本が幾つもの藩に分かれていてバラバラでは、外国が攻めてきたとき、とうてい太刀打ちできません。また当時、藩ごとに別々の通貨や尺度があったので、豊かな経済活動のための基盤ができていませんでした。
 そのために藩を廃止し、中央集権にしました。また士農工商の身分制度を捨て、みなを「国民」となしました。憲法をつくって法治国家とし、共通の通貨や尺度をつくって、産業発展の基礎をつくったのです。
 学校制度を充実し、生まれや家柄によらず、努力さえすれば地位や富を得られるような社会にもしました。こうして日本は、近代国家への変貌を遂げたのです。


旧態依然とした当時の中国と朝鮮

 しかし、ただひとり、日本が近代国家への変貌を遂げても、すぐ近くの朝鮮や中国は旧態依然としたままでした。
 それどころか、中国や朝鮮の国内状況は混迷を深め、ひどく弱体化していたのです。統治者は国益を考えず利己的に行動し、役人の間には賄賂が横行して、腐敗が国家をおおい、内戦が多発していました。


日韓併合前、1897年の韓国・ソウルの南大門。国家は破産状態
で、国民も為政者もアジアに迫り来る危機を理解していなかった。


 かつて幕末に勝海舟などは、東アジアに侵略してくる欧米勢力に対し、日本は中国や朝鮮と手を携えて当たるべきだと主張していました。ところがその中国と朝鮮の実状を知れば、まことに頼りにならないものだったのです。
 このままでは、中国も朝鮮も、食うか食われるかの弱肉強食の世界の中で、欧米列強の植民地と化すのは必至でしょう。そこで日本は、まず朝鮮とこの問題を話し合うため、外交官を派遣しました。
 しかし当時の李王朝(李氏朝鮮)の政府は、この日本の申し出を冷たくあしらったのです。
 というのは当時朝鮮の人々は、中国を世界の中心と見る「中華思想」、およびその中国からへだたるほど文化的に遅れた野蛮国であると見る「華夷秩序」の中に、どっぷりつかっていました。
 それで朝鮮の人々には、日本人が欧米のものまねをして国をつくりかえ、洋服を着始めた姿が、たいへん愚かに見えたのです。彼らは日本人を軽蔑し、嫌悪して、日本の使節を追い返すことまでしました。当時ニューヨーク・タイムズは、
 「日本人が話し合いを持とうとした試みを、朝鮮人が非友好的な横柄さであしらった結果、両国の関係は日々険悪となっている」
 と報じました。朝鮮はまことに扱いにくい相手だったのです。それなら日本は、朝鮮とのつきあいをあきらめて、放っておけばよかったじゃないかというと、そうはいきませんでした。
 地図をみればすぐわかるように、朝鮮半島はユーラシア大陸から日本列島に向かって、グイと突き出た形になっています。もしこの朝鮮半島にロシアまたは欧米諸国の勢力が居座ってしまえば、日本にとっては、のど元に凶器を突きつけられたような格好です。
 実際、ロシアはすでに手ぐすねを引いて、朝鮮や清国のほうへ領土拡大をねらっていました。欧米列強も清国に進出しつつありました。
 そうなれば日本も、安んじてはいられなくなります。当時ロシアや欧米が、植民地からいかにひどい搾取を続けていたかについて、日本のリーダーたちはよく知っていたからです。江戸時代を通じて武家社会であった当時の日本人は、中国や朝鮮の人々に比べ、危機意識に格段の差がありました。
 この状況は、たとえば長屋に住んでいるお隣同士の関係に似ていました。壁一枚を隔てたお隣の家が火事になれば、自分の家も類焼をまぬがれません。ですから、内政干渉と言われても、日本は隣の家の火の始末に関心をもたざるを得なかったのです。
 「そこで、明治の日本が最も願ったことは、朝鮮半島に、日本と同じ独立の気概をもった、外国に侵される心配のない近代的な国家が誕生することでした」
 と東大の藤岡信勝教授は述べています。
 日本が朝鮮を無理に開国させたのも、そのためでした。かつてアメリカの黒船が、鎖国日本を無理に開国させたように、日本も朝鮮に対してそのようにしたのです。
 それまで、朝鮮は清国の属国でした。しかし、日本が朝鮮を開国させたとき、日本はその条約の第一条に、
 「朝鮮国は自主の邦にして、日本国と平等の権を保有」
 する旨を明記しました。これは日本が、朝鮮は清国の属国ではないことを宣言したもので、画期的なものでした。以後日本は、朝鮮の自立と近代化に、手を貸していきます。
 日本は何とか、朝鮮が列強の支配を受けない近代的な独立国家になってくれるよう、努力を重ねていきました。しかし朝鮮の自立的な近代化の道は、やがて挫折します。
 そのとき、日本は自ら朝鮮支配に乗り出しました。けれども、そうやって乗り出せば乗り出すほど、やがて日本は朝鮮と中国の内戦の泥沼にひきずり込まれていきます。
 そして気づいたときには、もはや抜け出せなくなっていたのです。


朝鮮と中国を近代国家にしようとした日本

 日本は明治時代に、日清、日露の戦争を経験します。これらは両方とも、朝鮮半島をめぐる争いでした。
 日清戦争は、朝鮮で起きた内乱を契機として始まりました(1894年)。それを鎮めるため、日本と清国の両軍が朝鮮に出兵しました。
 これにより、朝鮮内の反乱(東学党の乱)は抑えられましたが、今度は、日清両国に対立が深まりました。
 清国は、朝鮮をあくまで自分の属国と主張し、日本を懲らしめようとしました。一方日本は、朝鮮を独立国として認め、朝鮮から清国の支配を排除するために戦ったのです。
 こうして日清両国の間に、戦争が始まりました。欧米は日本の敗北を予想していましたが、結果は日本の圧倒的勝利でした。
 兵員の数からいえば、じつは清国のほうが圧倒的にまさっていたのです。しかし清国軍はよく訓練された兵士ではなく、統制もきちんととれていなかったので、劣勢になればすぐ降参してしまうような者たちでした。
 そのうえ彼らには、盗賊なのか軍隊なのか、区別できないような性格もありました。『日清交戦録』第16号の外国人の手記によると、清国軍はソウルから平壌への撤退中に、沿道の村々を略奪したうえ、四方に逃亡したといいます。
 また、国民意識の差も大きかったと言えます。当時、日本では戦時公債を発行して戦費を集め、国民の関心づくりも徹底していました。
 ところが、清国は戦費をイギリスから高利で借りていました。かの孫文の談によれば、当時、清国の民衆で、清国が日本と戦争をしていることを知っていた者はほとんどいなかったとのことです。
 日本が清国との戦争に勝利したとき、日本はその勢いで行けば、北京にまで進み、清国を倒すこともできたでしょう。しかし、伊藤博文はそこまでしませんでした。彼は講和に持ち込み、清国の保全をはかりました。
 清国の民衆はそののち、清国が日清戦争に負けたことを知るようになります。けれども当時、清国の民衆の中には、日本に脅威を感じる者はいても、日本との戦争を日本の「中国侵略」と思うものは一人もいませんでした。
 むしろ東夷(東の野蛮国)の小国が、天下国家の清帝国を打ち負かしたという事実に、ある種の畏敬を覚えました。
 そして、もし清国も日本のように「明治維新」をやるなら、欧米列強の支配を受けるのではなく、彼らと対等の独立国家となる力をつけられるのではないか、という希望が生じたのです。
 それで中国のリーダーたちや民衆の中に、維新派の人々が生まれていきました。
 維新派の人々の中には、日本に学びに来る者も多くいました。そして日本は、彼ら留学生を積極的に受け入れたのです。それは、
 「清国が近代化し欧米列強に抗することができれば、アジアにとっても日本にとっても好ましい」
 という「清国保全論」が日本国内にあったからです。日本に学びに来た清国の留学生たちは、優に1万人を超えました。
 また日本に留学生が来るだけでなく、日本人教師たちも、清国に派遣されました。それは清の実力者、李鴻章らの招きによるものです。その数は約2000名にのぼりました。
 こうして日本から学んだ中国人らは、のちに中国近代化運動のリーダーとなっていきます。


北京市民に慕われた日本軍人

 日清戦争で、清国が日本に負けたことからもわかるように、清国は図体は大きくても、その内情は混迷を深めていました。
 そうした中、「義和団事件」が起こります(1900年)。これは中国から欧米勢力を排除しようとする民衆の反乱でした。しかしそのやり方は、かえって中国の混乱を増すばかりでした。
 このとき、彼ら暴徒を鎮めるためにイギリス、フランス、アメリカ、ロシア、ドイツ、イタリア、オーストリア、日本の8カ国連合軍が出動します。
 日本も出兵したわけですが、これは日本にとっては難しい選択でした。同じ黄色人種でもあり、うかうか介入するのはどうかという意見もありました。
 しかし、イギリスの強い後押しもあり、日本政府は兵力派遣を決意しました。これは日本政府のPKOの前身ともいえるものです。
 日本の兵力派遣は、中国の国内の混乱を平定することを目的としていました。しかしこの混乱に乗じて、自分の領土拡大をはかった国がありました。
 ロシアです。義和団事件が満州に飛び火し、ロシア人が殺傷される事件が起きると、ロシアはそれを口実に、満州占領を行ないました。
 ロシア軍は怒濤のように満州に流れ込み、街を焼き、一般兵士は好き勝手に略奪し、虐殺し、市民の生活を脅かしました。
 こうした軍隊の横暴は、中国人には昔からよく知られたことでした。ロシア軍だけでなく、中国の軍隊も同じ様なものだったからです。
 とくに中国の敗残兵が、好き放題に略奪を働き、婦女暴行を働き、虐殺するのは、中国の伝統文化の一つといっていいほどでした。
 しかしその中国人たちを驚かせたのが、日本の軍隊だったのです。北京に入城し、そこを平定した日本軍の規律は厳しく、末端の兵士に至るまで非行をすることがなかったからです。
 「この様子は、北京市民にとって有史以来初めて目にする光景だった」
 と中国人歴史家が述べています。そのため北京市民は、布や紙に「大日本順民」と書いて日本軍を歓迎しました。
 日本軍は略奪や暴行を厳しく取り締まり、そのために治安はすぐに回復し、商店も営業を再開できました。
 これに引き替え、ロシア軍に占領された地域は悲惨でした。その地の住民たちは続々と日本占領区に逃げ込み、保護を求めてきました。ロシア軍管区を日本軍管区に替えて欲しい、という懇願が出されたほどです。


柴五郎中佐
彼の軍隊は中国の庶民から尊敬された

 日本軍管区を指揮していたのは、柴五郎中佐でした。しばらくして、柴中佐に日本から帰国命令が来ました。そのとき、町の老若男女はこぞって別れを惜しみ、涙ぐんだといいます。


東アジアからロシア軍を追い払った日露戦争

 ロシアは満州を占領し、支配下におきました。義和団事件がおさまっても、ロシアは満州から軍を引き揚げず、そこに居座りました。
 ロシアは膨張主義をとった国です。強引な領土拡大を次々に行なっていました。そして土地を支配すると、そこから略奪していました。
 そのロシアにとって、次のターゲットは朝鮮でした。日本の近代史は、このロシアの脅威に動かされたものであると言えます。
 もし朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、日本はもはや、首もとにナイフを突きつけられたようなものです。
 ところが当時の朝鮮は、日本ほどの強い国家意識を持っておらず、政治経済の近代化もできていませんでした。兵力も微々たるものでした。それで朝鮮半島の領有をめぐり、やがて日本とロシアの間に、日露戦争が勃発します(1904年)。
 それは朝鮮半島と満州からロシアを追い払うための戦争でした。日本がその開戦を決意した背景には、ロシアの南下に反発するイギリスやアメリカの支持もありました。
 日本軍はよく戦い、連戦連勝して、ロシア軍を打ち破りました。朝鮮と満州からロシア軍を追い払ったのです。
 その日本の勝利は世界を驚かせました。黄色人種がはじめて、白人に戦争で勝利したからです。しかも相手は、大国ロシアでした。
 これはまた、白人支配に苦しんでいたアジア諸国にも、大きな希望をもたらしました。
 「我々も日本のように維新を行なうなら、欧米の支配から脱し、独立国家になれる」
 という気概を彼らの間に生んだのです。日露戦争における日本の勝利は、植民地の束縛の中にあったアジア諸国やアフリカ諸国に、計り知れない希望と勇気を与えたのです。
 そうした意味で、日露戦争は世界史的意義を持つものでした。
 ロシアにとって日露戦争は、極東における彼らの侵略政策が、一時的に失敗に終わった出来事にすぎません。しかし日本にとって、それは国家の存亡を賭けた戦いだったのです。
 また、この日露戦争の時の話として、日本軍に捕まったロシア人捕虜たちの話があります。
 当時、ロシア人捕虜の収容先の一つとして、四国の松山がありました。そこには約6000名の捕虜が収容されました。そのとき県は、
 「捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して破れた心情をくみとり、一時の敵愾心にかられて侮辱を与えるような行動はつつしむこと」
 と県民に訓告していました。
 松山に来た捕虜の大半は、傷病兵でした。彼らに対し赤十字の医師や看護婦らは、懸命に治療と看護に当たりました。手足を失った者には、当時の皇后陛下より、義手、義足が贈られました。
 当時捕虜だったF・クブチンスキー氏は、日記にこう書き記しています。
 「敵国でこのようなやさしい思いやりを予期したであろうか……。医師や看護婦の献身的な心くばりは、真の人間愛の表れである。それは神聖にして不滅のもので、キリストの愛と名づけられるものである」。
 また日本政府は、日露戦争後の明治40年、戦死したロシア兵たちのために忠魂碑を建てました。まず敵兵のための忠魂碑を建てたのです。その2年後に、戦死した日本兵のための忠魂碑を建てています。


満州は「無主の地」だった

 「もし日清・日露戦争で日本が負けたら」という仮定をするなら、どうでしょうか。朝鮮は、中国よりはロシアの一部になっていたことでしょう。ロシアの勢力は、たいへん巨大だったからです。
 日本の大陸政策は、よく「中国侵略」ととらえられてしまいます。しかし、じつは日本の朝鮮政策と、満州進出は、ロシアの南下を防ぐのが目的でした。
 日本にとっては、なによりロシアの膨張主義に対抗することが、危急の課題だったのです。
 日露戦争後、日本は、朝鮮が二度とロシアの勢力と結びつくことがないよう、朝鮮の外交権を奪います。そして日本の従属下におきました。これには欧米の支持もありました。
 さらに1910年になると、日本は朝鮮を併合(日韓併合)。朝鮮を日本との合邦国家とします。朝鮮は日本の一部とされました。
 しかし、この日韓併合は行き過ぎだったとの批判もあります。なぜなら当時、すでに日本は日露戦争で南満州を手に入れていました。それでロシアがただちに朝鮮に侵入してくる心配は、なくなっていたからです。
 しかし当時、朝鮮の国家財政は破綻。朝鮮の指導者には腐敗がはびこり、国内は荒れ、自立的再建はもはや不可能という状況にありました。これ以上放置しておけば、アジアに混乱をもたらす呼び水になったと考えられ、日韓併合はやむを得なかったとの意見もあります。
 一方、満州について見てみると、満州はかつての万国公法の基準から言えば、当時まだ「無主の地」でした。アメリカ国務長官ヘンリー・スチムソンはかつて『極東の危機』の中で、
 「日露戦争当時、満州はほとんど空き地同然の辺境で、最初に植民に成功した国民の手に帰すべき、競争の目標物として放置されていた」
 と書いています。事実はまさにそうで、日本は日露戦争後、移民競争に負けじと、盛んに満州移民を推進していきます。
 そしてそこに、一大文明圏がつくられていきました。それは中国人からみると別天地、パラダイスのように見えたほどです。そのため中国人の流民も、日本人以上にそこに移民してきました。
 そもそも当時の中国は、地方軍閥間の争いによって内戦が続いていました。しかも彼ら地方軍閥は、住民に重い税を課し、搾取していました。
 それは先取りで、むしり取る税です。数年先や、数十年先まで、なかには百年後の租税まで取り立てるものまでありました。
 そんなふうですから、日本の経営する満州の地は、彼ら苦しめられてきた者たちにとって、パラダイスのように思えたのです。そして年に百万を超える中国人流民が流れ込んで来ました。
 日本は満州の荒野に鉄道を敷き、殖産興業につとめ、教育に力を注ぎました。この殖産興業は、戦後、中国への置きみやげとなり、今も社会主義中国の工業の基礎となっているほどです。
 では、なぜその後、中国と日本との間に戦争が起こったのでしょうか。


中国の内戦の泥沼にひきずり込まれていった日本

 それには複雑なものが、からみ合っています。しかし大きな目で見ると、日本は中国の内戦の泥沼に巻き込まれていったことがわかります。
 中国は、あたかも巨大なブラック・ホールのように、日本をその泥沼にひきずり込んでいったのです。
 当時の中国を、まとまった一つの国家のように考えたら誤りです。当時、中国は内戦によってズタズタに引き裂かれた地であり、国家の体をなしていませんでした。
 さて中国の内部では、欧米や日本のような近代国家になることを目指す維新派と、ロシアのような共産国家になることを目指す共産主義勢力とが対立していました。
 維新派勢力の代表は蒋介石、共産主義勢力の代表は毛沢東です。当初、蒋介石の軍隊は毛沢東の軍隊よりも圧倒的に優勢でした。
 一時、共産軍は全滅に近いところまで行ったほどです。ところが共産軍は劣勢を挽回するために、あることを計画します。
 それはこれ以上、蒋介石軍と真っ向から戦っては、もはや勝ち目はない。だから日本軍をこの中国に引きずり込み、日本軍と蒋介石軍とを戦わせて、どちらか生き残った方と戦う、ということでした。


毛沢東の戦略は、日本軍と蒋介石
軍を戦わせることだった

 そうすれば日本軍と蒋介石軍が戦っている間に、自分たちの戦力の回復を計れます。また、日本軍と蒋介石軍のどちらが生き残ったにせよ、その時点では弱体化していますから、それと戦えばよいのです。
 さらにこうすれば、日本国内の力も弱体化し、日本を共産化する道も開けます。こうして共産主義勢力は、日本軍を戦争へと挑発し始めたのです。
 じつは当時日本は、中国側との間に起こり始めていた抗争や、いざこざを、何とか和平に持ち込みたいと願い、様々な努力を続けていました。
 蒋介石の顧問にW・H・ドナルドというオーストラリア人がいました。彼がのちに証言したところによれば、日本は1938年から1941年の間に中国側に対し、12回も和平提案を行なっていたのです。
 しかもその条件は、中国側に有利なものでした。中国に対する領土的要求は含まれていませんでした(ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』メディアファクトリー刊)。
 日本はもともと、中国の領土を支配しようなどと妄想していたわけではないのです。日本が繰り返し和平提案を行なったことからみても、日本は好きこのんで戦争を続けたわけではありませんでした。
 日中戦争の発端と言われる蘆溝橋事件(1937年)にしても、日本軍と、蒋介石の国民党軍との間に起きた、小さな衝突事件にすぎませんでした。
 またこの事件でさえ、じつは犯人は共産軍だったと指摘する人もいます。この事件の翌日、中国共産党は、日本との開戦を主張する激烈な声明を出しました。そして蒋介石に対日開戦を強く迫りました。
 また共産党は、現地の停戦協定が成立し戦争が終わりそうになると、各地で日本人に対するテロを繰り返し、戦争を挑発しました。
 中国共産党の活動は、日本軍と蒋介石軍とを戦わせるという、コミンテルン(国際共産党)の方針に基づいたものだったのです。日本は、その戦略にまんまと乗せられてしまいます。
 そして日本軍と蒋介石軍が戦っている間に、共産軍は勢力を回復、やがて蒋介石軍を打ちのめし、政権を取り、中国を共産化してしまいます。中国が共産化したとき、毛沢東は高らかに笑って言いました。
 「中国が統一され、人民共和国政権が誕生したのは、みな日本の中国侵略のおかげだ。我々は日本に感謝しなければならない」。
 ずいぶん皮肉な言い方をしたわけですが、日本のこの中国「侵略」は、毛沢東率いる共産軍の策略に乗せられたものだった、ということを忘れることはできません。
 共産主義の理念の中では、いかなる策略も、暴力も、共産主義世界実現という大義の前には正当化されます。目的のためには手段を選ばなくてよいとされるのです。
 そして共産主義では、過去の歴史もすべて、共産主義体制に都合のいいように解釈されます。
 今日も中国共産党の指導者は、日本の政治家に会えば、「日本の戦争責任」や「正しい歴史認識」を口にします。それを聞いて、日本の政治家がうろたえる姿がテレビに映ります。
 しかし、うろたえる前に、過去の歴史をよく知っておかなければなりません。
 

「南京大虐殺」はあったか

 今日、中国大陸で日本軍が残虐行為を働いたとして、「南京大虐殺」などが取りざたされることがあります。日本軍が南京の市民30万人を虐殺したというのです。
 この「南京大虐殺はあった」「いや、なかった」など、意見は真っ向から割れています。
 戦後に連合国が日本を裁いた、いわゆる「東京裁判」では、南京攻略時の司令官であった松井石根(まついいわね)陸軍大将が、南京大虐殺の責任者とされ、死刑判決を受けました。
 しかし松井大将とはどういう人物だったかというと、かの孫文とも親交があり、孫文の唱えた「大アジア主義」に深く共感している人でした。
 彼は南京攻略の前にも、日本軍の規律を厳しく定め、決して罪なき人を殺傷したり、中国の人々を軽んじたりすることのないよう事前に強く指示を出していました。
 ですから、東京裁判の時にただひとり日本無罪論を展開したあのインドのパール判事は、この松井の事前指示を根拠に、彼の無罪を主張したほどでした。
 また今日、「南京大虐殺」が中国共産党の広げたデマによるものであることを示す、多くの証拠が出てきています。
 南京攻略時の南京の人口は約20万人でした。しかし占領1ヶ月後には、戦闘の終わった南京に住民が戻ってきて、人口は25万人に増えています。彼らに日本軍が食糧を配布したという記録があるのです。これだけみても、「住民30万人の大虐殺」が大ウソであることがわかります。
 虐殺のあったところに、中国人住民が戻ってくるでしょうか。しかし彼らは何万人も、1ヶ月後には安心して戻ってきて、日本兵に物を売ったり、また農業を始めたり、商売をしたりしているのです。そういう記録写真、記録映画があります。


日本軍による南京占領5日目の写真(朝日新聞)
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手
製の日の丸の腕章をして笑っている。
 「南京大虐殺」がなかったことを如実に示す証拠写真である。


 ナチスドイツがユダヤ人虐殺を国是として推し進めたのとは、わけが違うのです。戦争文化的に見てみると、住民虐殺や略奪の行為は、日本の戦争の歴史には見られなかったものです。たとえば関ヶ原の合戦のときなど、百姓衆は弁当を持って、朝から山にでかけて戦闘を見物していました。
 賤ヶ岳の戦のときは、民衆は傘をさし、山の斜面を埋め尽くして観戦に興じたといいます。日本の戦争文化には、住民虐殺や略奪は存在しなかったのです。
 それに対して、住民の虐殺と略奪は、中国ではごく普通の、伝統的な戦争文化でした。中国には「屠城」という言葉があり、これは城(都市)の住民を殺し尽くす大虐殺をいいます。
 また、いわゆる「三光」作戦(焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす)というのも、もともと中国の言葉であり、中国の伝統的な戦争文化です。
 実際に都、南京では、昔から王朝が替わるたびに虐殺が行なわれていました。その様子は、正史の列伝に詳しく書かれています。
 日本軍の南京大虐殺の「証拠」として、よく髑髏を山にしてある写真が紹介されますが、あれは「万人塚」といって、中国人が戦争のあとによくやったものです。それが日本軍によるものではないことは、多くの専門家によって見破られています。
 万人塚は斬り取った敵の首数を誇るためのもので、中国の古い歴史書には、よく5万、10万の首をとってそういう塚をつくったという記述があります。
 日本には首塚というものはありますが、あのように敵の首をたくさん集めて塚にする文化はありませんでした。
 戦後の東京裁判の時、アメリカはすでに長崎、広島に原爆を落とした後であり、日本住民の大量無差別殺戮を行なっていました。これは当時の国際法にも違反する残虐行為です。その被害者は計約30万人。東京大空襲でも、アメリカは日本住民約10万人を殺していました。
 それでアメリカは、日本の戦争行為の中にも、それと「五分五分になるような」戦争犯罪を探していました。日本が「とてつもなく悪い国だった」という証拠を出さなければ、アメリカの行為が正当化されません。
 ところが、探しても見つからなかったのです。数千人規模の虐殺ならどの国の戦争にもありますから、その程度の数字では迫力がありません。
 そこで突如出てきたのが、日本軍による南京での「30万人大虐殺」説でした。
 その根拠とされた証言は、あやふやなものでした。「証拠写真」として提出されたものも、全く別の場面のものであったり、捏造されたものでした。そこには中国軍の情報戦略、プロバガンダが見えているのです。
 また、中国にある南京大虐殺の記念館に行くと、日本兵が人間の肝を食べている像が展示されています。しかし、はたして日本兵はそこまでやったでしょうか。
 人食いは中国の食文化にはありましたが、日本ではそうではありません。明の李時珍の『本草綱目』には、人間の肝は薬用効果があると紹介されています。
 また記念館には、日本兵が銃剣で赤ん坊を串刺しにしている描写があります。しかし、これも中国の戦争話にはよく出てくるもので、日本の戦争文化ではありません。
 南京大虐殺として言われているものの中には、中国共産党の情報戦略と、戦後日本人の誤解があるのです。


朝鮮に対する日本統治はどんなものだったか

 つぎに、日本と韓国との関係を見てみましょう。
 アジア諸国の中で、韓国人の反日感情は今も根強いものがあります。
 先に述べたように、統治者の方針や人格が、住民の感情に深い影響を与えることがあります。台湾の人々に慕われた長谷川総督のような人物も、日本の朝鮮総督府にもいたことはいたのです。
 そして日本が朝鮮半島を支配していた時代、日本人と朝鮮の人々は概して仲良くやっていました(「日韓併合時代の真実」を参照)。実際、朝鮮では官公庁でも学校でも軍隊でも警察でも、日本人と朝鮮人が共に働いていました。朝鮮人の上司のもとで、日本人が働いていることも多かったくらいです。そして、もめ事というもめ事も、ほとんどなかったのです。
 それがなぜ、戦後の韓国や北朝鮮の人々は、こんなにも反日になってしまったのでしょうか。
 それは、戦後に日本人が去ったあと、それらの国々を支配した支配者のイデオロギーによるのです。戦後、韓国を支配した初代大統領・李承晩は、日本による朝鮮半島支配の間中、アメリカに亡命していた人です。彼は日本による朝鮮半島支配を経験していません。
 彼は、徹底した反日の人で、アメリカによって戦後、韓国大統領の座を与えられると、親日の韓国人をすべて追放し、反日の韓国人だけを登用して、全土に反日の思想統制、反日教育をしきました。北朝鮮の金日成も同様です。こうして韓国も北朝鮮も、以後、反日一色となってしまったのです。
 歴史的にみると、じつは朝鮮の人々は、最初に日本人を蔑視しました。
 朝鮮には「衛正斥邪」(えいせいせきじゃ)といって、朱子学(儒教の一派)の伝統を守り、欧米勢力を排除する思想がありました。これは、
 「欧米人は金と色にまみれた汚らわしい害獣であるから、世界で唯一の汚れなき地である朝鮮を守るために、欧米を撃退しなければならない」
 という思想です。これは単に反欧米というだけでなく、反近代化の思想でもありました。
 そのために、アメリカの商船を焼き払って乗組員を皆殺しにするといった暴挙さえ、多発していたほどです。ましてや、欧米文化の真似をして明治維新をした日本など、とんでもない輩に見えました。
 また、朝鮮には先に述べたように、世界文明の中心である中国から遠ざかるほど野蛮な劣等国だ、という考えがありました(華夷秩序)。
 ですから、自分たちより「劣る」日本民族に支配されたという屈辱は、朝鮮の人々の激しい反発となって表れたのです。このように日本と朝鮮の関係は、初めから困難を極めました。
 そうした中、1910年、日本は朝鮮――当時の大韓帝国を併合し、日本との合邦国家としました。いわゆる「日韓併合」です。これは、イギリスの連合王国でたとえるなら、イングランドとスコットランドの関係にも似ています。
 「日韓併合」は、日韓併合条約にあるように、少なくとも形の上では双方の「合意」に基づいてなされたものでした。しかし、日本側の強い圧力で行なわれたものであったのも事実です。これにはまた、欧米からの支持もありました。
 当時、新渡戸稲造などは、もし朝鮮が自立できるならば、ヨーロッパのベルギーのように小さくても独立したほうがよい、と考えていました。しかし日本が手を離したら、いずれ中国かロシアの植民地にされてしまう運命にあると考える者が、大勢を占めました。
 アメリカのルーズベルト大統領なども、朝鮮が自立できないなら、むしろ日本と合併したほうがよいという意思を示しました。実際、1905年1月に、韓国の保護国化に承認を与えています。
 また韓国人の間にも、この併合を熱心に推進したグループがありました。「一進会」といいます。
 その指導者、李容九は来日した際、樽井藤吉の『大東合邦論』という本に出会いました。当時、欧米諸国は東洋に進出し、次々に植民地を広げていました。樽井は、欧米諸国に対抗するため、こう主張していました。
 「ドイツがプロシアを中心に連邦を組んだように、日本と韓国が合邦し、支那(中国)と連合して欧米にあたらなければならない」。
 この意見にすっかり感動した李は、韓国と日本の合邦を積極的に唱え始めたのです。彼は韓国で同志を集め、日本に協力して、反日的勢力と戦いました。彼ら「一進会」は、最盛期には百万人を号しました。


中国の統治に比べるとはるかに優遇されていた日本統治下の朝鮮

 一部の日本人学者を含め、多くの韓国人・朝鮮人の学者は、日本による朝鮮統治時代を、史上最悪の植民地統治と書き立てます。そして日本政府関係者が、
 「日本の統治では良いこともした」
 などと一言でも発言すれば、すぐに「妄言を吐いた」とされ、蜂の巣をつついたような騒ぎになります。しかし、日本の植民地統治のすべてが悪夢のようにひどかったわけではありません。
 日本統治以前、清国が朝鮮を属国支配していた時代には、清国の朝鮮に対する扱いは奴隷以下でした。朝鮮の国王の地位は、清国朝廷の延臣以下とされたのです。
 さらに清国は、属国や地方からの収奪を続けていました。そのために朝鮮国内は混乱し、一揆や争乱は絶えませんでした。朝鮮の国家財政は破綻。自力で建て直すのは不可能という状態にありました。
 一方、日本統治下になると、韓国人の皇族・貴族は一貫して日本の華族と同等の扱いを受けていました。
 またすでに日本統治下の1896年に、朝鮮人の士官が11人も、日本陸士に入っていました。以後終戦に至るまで、朝鮮人は日本人と同じように軍事教育を受け、中将まで出ていたのです。
 さらに、イギリスやフランスなどが植民地からしぼり取っていたのとは逆に、日本は朝鮮の近代化のために莫大な投資を続けました。日本は国庫から出す一方だったのです。
 日本は朝鮮に鉄道を敷き、道路をつくり、港湾を築き、製鉄、造船、重化学などの工場をつくり、農業を改良しました。
 保健衛生施設の普及などに力を注ぎました。伝染病やアヘン中毒患者は激減しました。
 日韓併合以前、朝鮮の教育事情をみれば、就学率はわずかに1%。しかし昭和18年には、61%に達しています。
 いま韓国人が使っているハングル文字は、15世紀につくられたものですが、日本統治以前は、漢文を用いる貴族階級から軽蔑されていたため、実用化していませんでした。しかし日本はハングルを普及させ、それを初めて小学校教育に導入したのです。
 フランスの人文地理学者のマサビュオー氏は、『新朝鮮事情』(白水社)の中で、冷静かつ客観的見地から、日韓併合が韓国に近代化をもたらしたことを、率直に認めています。


日本統治中のソウル南大門
日本統治によって、朝鮮は大きく発展した

 こうしたことは韓国の教科書には書かれません。しかし歴史的な事実なのです。
 また、よく日本の「武断政治」(武力による力づくの統治)が非難されます。しかし、それは大韓帝国時代の皇帝や「両班」(やんぱん 官吏)による恐怖政治ほど「武断」ではありませんでした。
 日本統治以前の朝鮮は、硬直した官僚国家ということでは中国以上であり、専制君主国家として世界屈指の恐怖政治を行なっていました。両班と呼ばれる官僚が、民衆に対し生殺与奪の権をふるい、目に余る横暴を行なっていたのです。
 韓国人エッセイスト呉善花氏によれば、当時の朝鮮人は、日本の憲兵警察による両班取り締まりを、大いに感謝したほどだったといいます。
 つまり日本の朝鮮統治は、「強者が弱者をむりやり支配する侵略」というような単純な状況ではなかったのです。
 日本の憲兵警察は、じつは日本人だけで成っていたのではありませんでした。半数以上は、朝鮮人の補助憲兵らでした。ところがそれまで内紛が絶えなかった朝鮮では、朝鮮人憲兵の中に、ひそかに朝鮮人同胞に私怨を持つ者が少なくありませんでした。
 彼らの中には、日本の権力を借りて、朝鮮人に怨みを晴らす者がいました。これは後に、朝鮮の人々の日本に対する悪感情を生みました。
 また韓国のキリスト教について見てみると、かつての王朝時代にキリスト教は何度も厳しい弾圧を受け、ほとんど広がりませんでした。それは先に述べた朝鮮の「衛正斥邪」の思想が、激烈な反キリスト教、反欧米思想であったからです。
 では、いつ韓国のキリスト教が急成長したかというと、それは日本の植民地時代においてでした。19世紀末からプロテスタントの宣教師が数多く朝鮮に入り、社会福祉や教育にも力を入れながら宣教をなしたのです。
 のちには日本の「皇民化政策」による迫害を受けたものの、それでも平壌などでは、日本の植民地時代を通じてキリスト教が盛んでした。これは日本統治の初期・中期などの朝鮮は、それ以前の王朝時代に比べ、かなりの自由があったことを示しているのではないでしょうか。
 当時、日本は「内鮮一体」(内地と朝鮮の一体)のスローガンを掲げていました。少なくとも日本政府は、朝鮮の人々を見下すのではなく、相互に支え合う連合国家の形成を目指していたのです。


日米戦争はなぜ起きたか

 つぎに日米戦争について見てみましょう。
 日露戦争の前から、また日露戦争中も、アメリカは概して日本に好意的でした。小国が大国ロシアに立ち向かったというだけで、アメリカ人は感動しました。
 当時、日本は、戦争に勝ったら満州をロシアから解放し、各国の自由な経済活動の場にすると約束していました。
 アメリカ実業界は、以前から中国にビジネス進出することを夢見ていましたから、日本のこの約束を信じ、イギリスと共に日本の戦費のかなりの部分を肩代わりしてくれたのです。
 ところが、日本は日露戦争で戦死者が10万人を越えてしまいました。その尊い犠牲の結果、ロシアから講和で得たものは南満州における鉄道経営権などにとどまり、賠償金はゼロでした。
 国民は憤激し、新聞は国民の怒りをあおり、東京では大暴動事件までおきました。「十万の地であがなった満州」「満州を失うな」は国民的スローガンとなりました。
 日本は以後、満州の開発に乗り出していきますが、かつて約束していたアメリカなどとの共同開発をしない方向に行ってしまいます。これはアメリカには、日本が満州をひとり占めにしようとしているものと映りました。
 その後、日本が主張していた人種差別撤廃法案をアメリカが拒否する出来事や、アメリカにおける日本人移民排斥などの動きが起こります。
 じつは日本は、もともとアメリカとは戦争をする気など毛頭ありませんでした。敵視もしていませんでした。アメリカとは出来るだけ仲良くやって行きたかったのです。
 しかし日露戦争以来、アメリカのほうが最初に、日本を仮想敵国と考えるようになります。それは白人のロシアを打ち破るほどの強国、黄色人種の日本の存在は、あなどれないと見るようになったからです。
 アメリカと日本の対立を決定的にしたのは、1940年の日独伊「三国同盟」でした。
 しかし、三国同盟を結んだ当時の元・外相、松岡洋右の念頭にあったのは、アメリカとの戦争を防ぐこと、そして日中戦争を解決することでした。この思惑とは逆に、これはアメリカとの戦争を誘発するものとなってしまったのです。
 当時の世界は、1929年以来の世界恐慌を乗り切るため、英米を中心に自国経済圏内の貿易を優先する「ブロック経済政策」がとられていました。しかし貿易しか活路のない日本にとって、この排他的・閉鎖的で日本を占め出すブロック経済は、真綿で首がしめられるような苦しみを与えました。
 こうした現状を打破し、国家と国民の生存を確保するため、日本政府は「大東亜共栄圏」建設構想を打ち出します。これは、満州・台湾・朝鮮からなっていたミニ・ブロックを、本格的なものに拡大しようとしたものでした。
 しかしこの計画は、米英仏などの利害と激しく対立しました。
 そのため日本政府は、これらの行き詰まりを一挙に打開する方法を模索したのです。そうして締結されたのが、日独伊の三国同盟でした。
 イギリスを敵視するこの同盟に加わることで、アメリカの譲歩を引き出せるのではないか、そしてアメリカとの国交を正常化し、中国との戦争も終わらせられる、と踏んだのでした。
 けれども、これは綱渡りのような危険な戦略でした。また、アメリカという国のあり方を、余りに知らなすぎたやり方だったと言わなければなりません。
 この意図は、アメリカには通じるはずもありませんでした。三国同盟の報を聞いたルーズベルト政権は、ガソリンなどの日本への輸出禁止、中国の蒋政権への資金・武器援助の大幅増で応えたのです。
 三国同盟締結は、日本の意図とは逆に、日米関係を悪化させてしまったわけです。怒ったアメリカは、日本と戦争をして、この問題に決着をつけることを願いました。
 最近明らかにされた事実によると、日本の真珠湾攻撃の約5ヶ月前に、アメリカは日本の本土爆撃を含む日本攻撃を計画していました。大統領のゴー・サイン、自署名入り作戦文書が、アメリカの国立公文書館で発見されたのです(産経新聞1999年7月15日朝刊トップ記事)。
 日本の真珠湾攻撃は、「宣戦布告なき卑劣な奇襲攻撃」と言われています。しかしじつはアメリカは、日本の真珠湾攻撃より前に、自ら宣戦布告なき攻撃を計画していたわけです。
 しかし、この「最初の一発」をアメリカ側が打ったのでは、国際世論はアメリカを非難し、味方してくれないでしょう。決闘を行なうにしても、相手に最初にピストルを抜かせ、それに早撃ちで応戦するのが理想とされるところです。
 つまり最初の一発は、日本に打たせなければなりません。それでアメリカは、「ハル・ノート」と呼ばれる無理難題を日本に突きつけます。日本軍の真珠湾攻撃の10日前のことでした。
 これはアメリカ議会も、アメリカ国民も全く知らないところで、大統領の独断で秘かに日本政府に提出されたものでした。この無理難題は、日本に開戦を決意させるに十分な内容を盛り込んだものだったのです。
 そして日本の真珠湾攻撃が行われたとき、大統領は日本の「だまし打ち」を非難し、米国国民は日本の「卑劣さ」を怒りました。こうして日米戦争が開始されたのです。
 当時病床にあった松岡は、真珠湾攻撃の報を聞き、泣きながらこう語ったといいます。
 「三国同盟の締結は、僕一生の不覚だったことを、今さらながら痛感する」。
 日米開戦こそ、本当は松岡が最も防ぎたかったことだったのです。


背後にコミンテルンの謀略

 では、日米戦争は、日米間の衝突だけで起こったのでしょうか。そうではありませんでした。
 その背後には、もっと複雑な力が働いていたのです。アメリカのW・ビュリット駐ソ大使は、1935年7月19日に、
「アメリカを日本との戦争に引き込むのがソ連政府の心からの願望」
 だと本国に知らせています。当時、コミンテルン(国際共産党組織)の戦略は、日米を戦わせて両者を弱体化させ、その機に乗じて、中国、またやがては日本、そしてアメリカをも共産化させることにありました。
 ちょうど蒋介石軍と日本軍を戦わせて、両者を弱体化させ、その間に共産軍が力をつけて、ついには中国を共産化してしまったのと同じ戦略です。
 アメリカはこの報告を受けていましたが、それでもある程度、この共産勢力の策略に乗せられてしまった形だったのです。
 アメリカは、共産主義の拡大を何としても防ぎたい、と願っていました。しかし、アメリカはのちにソ連と結託して日本と戦います。そして中国から日本を追い出しますが、その結果、中国の共産化を許してしまうのです(大東亜戦争終結の4年後の1949年)。
 また、アジアにおけるソ連の勢力を拡大させてしまいます。それによってベトナムは共産化し、朝鮮半島は分断され、北朝鮮は共産化してしまいました。この点で、明らかにアメリカの極東政策は失敗だった、ということができるでしょう。
 さらに、コミンテルンの魔の手は、日本国内にも及んでいました。
 1933年、リヒャルト・ゾルゲという人物が、ドイツの新聞記者を装って来日しました。彼はドイツ大使館に出入りして大使の信頼を得、通常の取材では入手できないような情報まで知るようになりました。
 このゾルゲは、じつはコミンテルンのために働くソ連のスパイでした。また、ゾルゲに協力した日本人の中に、尾崎秀実がいました。彼は近衛首相の側近であり、私的にも親しい間柄でした。
 彼らは近衛内閣に偽情報や意図的な影響を与え、日本がさらに中国に首をつっこむようにさせました。またそれによって日本が米英と対立を深めるように、仕向けたのです。
 こうして、日本を「北進」させず「南進」させて日中戦争を拡大し、日米戦争をも引き起こすというコミンテルンの謀略が実ったわけです。
 ゾルゲと尾崎は、大東亜戦争の始まった年の1941年、スパイ活動がばれ、逮捕されます。翌年、死刑判決を受けました。しかし、そのときには日米はすでに戦争をしていたのです。


偽書が及ぼした影響

 また日米戦争において、「田中上奏文」と呼ばれた偽書の影響も、決して小さいものではありませんでした。偽書というのは作り話、でっちあげです。
 これは1927年当時の田中義一首相が天皇に提出したものという体裁をとった文書で、日本はやがてアジア全土を侵略、征服し、またその後は世界征服を目指す、という内容を語ったものでした。
 この偽書は、中国でつくられ、日本の侵略の意図を暴露するものとして喧伝(言いふら)されました。この偽書を作った犯人は、ユダヤ人を陥れた『シオン長老の議定書』と同様、コミンテルンであったといわれています。
 「田中上奏文」の英訳コピーは、米国議会の議員たちの間でも、まわし読みされました。そして日本の邪悪な意図を示すものとして、その後の米国指導者たちの判断と行動に少なからぬ影響を与えたのです。
 戦後、連合国が日本の戦争を裁いた「東京裁判」でも、日本断罪をなしたアメリカ人らは、この偽書を偽書と知らなかった読者でした。
 そしてその影響は今日も残っています。なぜなら、いま日本の学校で教えられている歴史教科書は、おもにこの「東京裁判史観」および占領軍の、
"War Guilt Information Program"(戦争についての罪悪感を日本人に植えつける計画)
 をそのまま受け継いで書かれているからです。つまり当時のアメリカ側の論理――日本は一方的にアジアを侵略した、悪者だったという歴史観に立って記述されています。ある高校生は、歴史の授業の日に、
 「ああ、また日本の悪口か」
 とこぼしました。こんな授業では、若者が日本に誇りを持てないのは当然でしょう。日本の悪いところを悪いと言うのは、よいのです。悔い改めるべきことはあります。
 しかし日本だけが悪かった、あるいは、日本は悪いことだけをしたと言うなら、これ以上の歴史の歪曲はありません。一面的な偏向教育は、青少年の健全な育成をもたらしません。


勝てば官軍、負ければ賊軍

 東京裁判というのは、戦後、勝者が敗者の戦争犯罪を一方的に裁いた裁判です。
 大東亜戦争が終結したとき、日本の総理大臣は東条英機首相でした。彼は裁判の被告席にすわったとき、戦争をするに至った日本の立場を次のように説明しました。
 まず戦争の直接の原因は、1929年以来の世界恐慌に始まったと、東条は述べました。
 それによってアメリカなどの国が、いわゆる「ABCD(米、英、中、オランダ)ライン」の経済封鎖によって、資源を持たない日本を追い込んだことを述べました。
 また武力包囲、日本資産の凍結、物資の禁輸などによって日本を排除しようとしたこと、それによって窮地に立たされた日本は、もはや実力(武力)で資源獲得をする以外になくなったことを、主張しました。
 つまり東条にとって、この戦争は明確に自衛戦争であったのです。日本の存亡をかけた、生きるか死ぬかの戦争でした。
 またその一方、東条は、日本は東アジアの保全と中国との協力を求めていながら、中国に対して強引な武力行動に出たしまったことの反省を述べました。
 日本は、国際連盟で人種平等を唱えながら、中国に不平等条約を強要し、維持し続けたという矛盾をおかした。またそのために、半植民地の状態から抜け出そうとしていた中国の民族主義と、激しく対立してしまったとも述べました。
 東条はまた、東京裁判を批判して言いました。世界戦争が勃発する背景には、歴史的に根深い原因が相互にある。戦争責任を一方の指導者にかぶせても、それは解決にならない。また国際法上、外交上の開戦責任を論じても、本質的な原因を究明することにはならないと、主張しました。
 それは東京裁判が「文明と人道」を法基準とするなら、戦争犯罪の追求は当然、連合国側にも及ぶべきものではないか、という主張だったのです。
 東条の弁明は、堂々としたものでした。戦争をして、一方が完全な悪玉で、一方が完全な善玉であるということはあり得ないのです。
 しかし、東京裁判はもともと、勝者が敗者を一方的に裁くものでした。東条の主張が聞き入れられるはずもありません。
 「勝てば官軍、負ければ賊軍」の言葉もあるように、勝った方の行為は正当化され、負けた方が悪とされるのが世の常です。
 しかし、アメリカ人の中にも、日本を弁明して立つ人がいました。
 ベン・ブルース・ブレークニー弁護人は、1948年3月10日の最終弁論において、連合国側、とくにアメリカがいかに経済的・軍事的に日本を追い込んだかを、論証しました。そして大東亜戦争は、連合国の「不当な挑発」によって引き起こされたものだと、訴えたのです。
 彼は日本を去るとき、日本の全被告に対してこう述べました。
 「わたしは最初日本に着いたときには、これはとんでもない事件を引き受けたものだと、後悔しないでもありませんでした。
 けれどもその後、種々調査、研究をしているうちに、私どもがアメリカで考えていたこととは全然逆であったことを知りました。
 つまり日本には、20年間一貫した世界侵略の共同謀議なんて断じてなかったことに、確信を持つに至ったのです。したがって起訴事実は当然、すべて無罪です」。


トインビーの評価

 このように、かつての大東亜戦争は、様々の出来事が重なり、こじれあって起こったものです。
 しかし、雨降って地固まるといいましょうか、日米はかつてケンカをしましたけれども、ぎくしゃくした過去を乗り越えて、今や両者の関係はこれまでになく仲のいいものとなっています。
 私たちは過去を知った上で、未来の平和を築いていかなければならないのです。
 英国の歴史家、アーノルド・トインビーは、日本の近代史についてこんな分析をしました。
 19世紀以来の食うか食われるかの帝国主義時代の中で、日本の取るべき選択肢は一つしかなかった。それは明治維新を断行し、近代国家に生まれ変わることだった。それがなかったら、日本は欧米の植民地になっていただろうと。
 また日本に来たこともあり、日本を愛したトインビーにとって、大東亜戦争は悲しい出来事でした。しかし彼は、日本の無謀さを批判しながらも、戦後は、
 「日本は米英を一時的に打ち破り、植民地帝国を解体へ追い込んだ。そしてアジア諸国民のためになる働きをした」
 と、その一面を評価しました。


トインビー。彼は「日本はアジア諸国民
のためになる働きをした」と述べた。

 明治維新以来、日本の外交は、悪戦苦闘の連続でした。その歴史を、一面的にだけとらえて自虐史観に偏ることは、今後の日本の歩みにマイナスになるだけです。


韓国への賠償問題は?

 次に、いわゆる「賠償問題」を考えてみましょう。
 今も韓国ではしばしば、日本による個人への賠償を求める声があがります。しかし、日本は韓国への賠償をまだしていないのでしょうか。
 いいえ、かつて1965年、日本と韓国は日韓条約を結び、すべての賠償問題を終了しました。岡田邦宏著『「戦後補償論」は間違っている』によれば、そのとき日本は無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、さらに民間借款で3億ドルを支払ったのです。
 また日本は、韓国内に持っていた財産を放棄し、その上で、
 「両国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」
 ことで両国は合意しました。民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1・45倍にあたる膨大なものです。
 韓国の人々の中には、「あれは単なる経済協力にすぎなかった」と説明する人もいます。しかし「請求権に関する問題」が「完全かつ最終的に解決」されたと条約にあるのですから、これは賠償問題の終了を意味します。
 韓国は、このお金を「軍人、軍属、労務者として召集・徴収された」者で死亡した者の遺族への補償に、一部使いました。
 しかし大部分は、道路やダム、工場の建設など国づくりに投資しました。その結果「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げたのです。
 韓国はこのように、日本から得たお金を個人補償として人々に分配することよりも、全国民が豊かになることを選びました。それは韓国自身がとった行動であり、出した日本がその使い道についてあれこれ言うことはできません。
 個人に対する補償を日本政府に求める韓国人は、こうした事実を知る必要があります。日本人も、貧しかった中で、一生懸命働いて賠償要求に応じてきたのです。
 しかし日本にとって歯がゆいのは、韓国政府がこうした過去の条約を知りながら、国民から補償を求める声があがったときに何も言わないことです。それは、言えば、偏った反日教育ばかり受けてきた韓国人の感情を抑えられないからかもしれません。
 補償問題については、こうした歴史の経緯を正しく理解しなければなりません。


日本はアジア諸国に賠償をしなかったか

 では、韓国以外のアジア諸国への賠償はどうでしょうか。
 1951年、日本はサンフランシスコ条約を結んで、連合55カ国中、48カ国と講和をしました。その条約とそれに続く個別の国との協定において、日本は、戦争で与えた損害に対して賠償を行なうことを約束。そこから戦後処理が始まりました。
 岡田氏の前著によれば、日本はたとえばフィリピンに賠償金約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償金約803億円、借款1440億円を支払いました。
 このほか賠償、補償の総額は約3566億円、借款約2688億円で、合わせて6253億円にのぼります。これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産は、すべて放棄して現地に残しました。
 たとえば日本政府が海外に持っていた預金、鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅まで含み、当時の計算で約1兆1千億円にも達しています。
 なお中国の蒋介石政権は、対日賠償請求権を当然持っていましたが、「以徳報怨」(怨みに報いるに徳を以てせよ)の精神に立ち、一切の賠償請求権を放棄してくれました。彼は、今後日本と中国が手を取り合って「大同の世界」(真の平和が実現した世界)を実現していこうと、呼びかけたのです。
 この蒋介石の賠償請求放棄は、敗戦国日本にとって、どれほどありがたいことだったでしょう。ただし日本は、中国や台湾に莫大な資産をそのまま残してきたので、その残してきた資産は、単なる賠償以上にその後の中国、台湾の発展の基礎となったのです。
 また、1972年に日中国交回復がなされ――このときの中国は共産主義政権でしたが――以来、日本は中国に対し莫大な「財政支援」を続けてきました(約6兆円)。
 これは、日中間の賠償問題はすでに決着がついているので、日本は隣国・中国への友情のしるしとして、財政支援という形でしてきたのです。
 しかし、中国の共産主義政権は、国民にいまだにこれを知らせていません。中国の国民は、中国は賠償権を放棄して日本に恩義を与えたということだけを、聞かされているようです。
 いずれにしても、このように日本は、戦争被害を与えた国に対し、賠償を行なってきました。一方ドイツは、国に対する賠償を行なうのではなく、個人に対する賠償の方法を取りました。
 ドイツ人の考え方は、ナチスの戦争責任は国家にはなくすべて個人にあり、したがって戦争被害者もすべて国家ではなく個人である、というものです。それで、個人に対する賠償を行ないましたが、ドイツは戦争被害を受けた国家に対する賠償は一切行なっていません。ドイツは、被害国との講和を一切結んでいないのです。
 このように日本とドイツの賠償の仕方は、異なる形のものです。どちらがいいというのではなく、両方ともそれぞれの仕方で賠償を行なったのです。
 日本は戦後の貧しい時代に、賠償を約束した国々に対して、それをきちんとすべて実行してきました。毎年の返済額は、国家予算の3割近くにも達しました。
 ちなみに1955年のスチュワーデスの初任給は、7000円でした。今日、こうした事実が忘れられ、戦後補償の問題が間違った形で討議されることがあります。
 しかし補償問題が言われるとき、私たちは右往左往するのではなく、歴史の経緯をよく理解した上で対処していかなければなりません。
 キリストは、「平和をつくる者は幸いです」(マタ5・9)と言われました。真の平和をつくるには、過去の歴史に対する偏らない理解も必要です。その上でこそ、積極的で効果的な平和活動も生まれてくるのです。            

[参考文献]
◎「教科書が教えない歴史」(藤岡信勝/自由主義史観研究会)扶桑社文庫
◎「捏造された日本史」(黄文雄)日本文芸社
◎「国民の歴史」(西尾幹二)産経新聞社
◎自由主義史観研究会ホームページ 



http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/137.html

コメント [外国人参政権・外国人住民基本法01] 発砲警官に懲役4年求刑 栃木、中国人死亡(47NEWS) 中国人がいかに異常かが分かる内容です 警官は正当防衛 木卯正一
16. 2010年12月26日 15:51:49: d4r60vwMYk
中国人は嫌いだから死んで当然とは言わないが、今回の事件では警官の発砲は当然だろう。
こんな凶悪な犯罪者に対し、自分の生命が危険に晒されても発砲出来ないのであれば、一体何の為に拳銃を所持しているのかってことになるだろうし、そもそも警察官の成り手さえ居なくなるのでは?
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/701.html#c16
コメント [戦争b7] 山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したのか(米国に寝返った小泉・竹中に置き換えれば、有り得る話です) 小沢内閣待望論
06. 2010年12月26日 15:57:24: LDgKnqx85E
参謀を自室に招き入れて
戦争を主導したのは天皇と皇族。
戦後、全てを部下に押し付けて
天皇だけが残ったというのが
真実でしょう。
「日本のいちばん醜い日」

原爆ホロコースト肯定発言といい、
ホイットニー文書といい。

http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/135.html#c6

コメント [芸能ニュース等2] ノーパンで土下座させられちゃった海老蔵さん  (カナダ de 日本語) …フム、なかなか深いなこの事件。 新世紀人
01. 2010年12月26日 15:58:18: d4r60vwMYk
暴力行為を肯定する積りは更々無いが、今回のこの事件、一言で言うならば「自業自得」でしか無い。
まぁ、高くはついたが、良い勉強になったろうな。
http://www.asyura2.com/09/geinou2/msg/316.html#c1
コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
09. 2010年12月26日 15:59:33: AP0bX8u7y2
>日本経済でやばいのはGDPの減退

このままではGDPは減退するのは目に見えている。
なぜなら

GDP=人口×一人当たり生産性

人口は減少するし、
生産性の上がりそうな施策がみえない。
まずは公共事業を大幅カットすべき。
子供手当のバラマキを批判するが、公共事業のばらまきこそ低成長時代の最大のムダ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c9

記事 [ホロコースト6] 「原爆ホロコースト」の実態〜「原爆」と「冷戦」の舞台裏〜(東京大空襲然り、かなり用意周到で悪質である事が分かります)
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html
「原爆ホロコースト」の実態

〜 「原爆」と「冷戦」の舞台裏 〜

 

 

ホロコーストは「焼き殺す」という意味を持つが、
壊滅寸前の日本に対する“炎の絶滅兵器”の使用は、
まさに「原爆ホロコースト」と呼ぶにふさわしい
アメリカが犯した戦争犯罪であった…

 

最初に断っておくが、当館(ヘブライの館)は、ユダヤ研究をメインにしているので、今回、原爆の問題を扱う際にも、ユダヤに関する考察が多くなっている。そのため、ここで紹介される原爆とユダヤのつながりに、少なからずの抵抗(とまどい)を感じる人もいるだろうが、原爆の問題を別の角度から考えるいい機会だと思って読んでほしい。また当館は、「原爆の責任は全てユダヤ人にある」と主張するつもりはない。

※ かなりの長文のため、読みにくいかと思うが、あらかじめご了承下さい。m(_ _)m

 

第1章 「マンハッタン計画」とユダヤ人科学者
第2章 ユダヤ人大富豪
バーナード・バルーク
第3章 「戦争早期終結論」の虚構
第4章 戦争犯罪者 トルーマン大統領
第5章 演出された東西の「冷戦」
第6章 冷戦で肥大化していった
「軍産複合体」
第7章 葬られたスミソニアンの「原爆展」
第8章 都市に対する無差別爆撃
そのものが犯罪である
第9章 原爆投下を肯定する
在米ユダヤ人組織「SWC」

追加1 イスラエル在住の
日本人からのレポート
追加2 ユダヤ人科学者テラー博士は語る
「広島への原爆投下は間違っていた」
追加3 『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』
〜 「反転爆撃」説の紹介 〜
追加4 広島の空に白く大きく華やかに
開いた「落下傘」の謎
追加5 長崎原爆で破壊された
東洋一の「キリスト教大聖堂」
追加6 ナチス・ドイツに匹敵する
悪魔のような「人体実験」
追加7 ユダヤ人歴史学者の提言
「米日共同で『原爆展』開こう」
追加8 日本の敗戦は必至であった
追加9 パール博士の言葉
追加10 映画 『フォッグ・オブ・ウォー』
〜 マクナマラ元米国防長官の告白 〜
追加11 ウクライナ系ユダヤ人は語る
「日本人には申し訳ないことをした」
追加12 ユダヤ人女性監督は語る
「原爆は日本への罰」
追加13 ナチによる「ホロコースト」の
 恐怖は消え去ったが…

特別A 全てを焼き尽くす「地獄の炎」
特別B 放射能をたっぷり含んだ
「黒い雨」の恐怖
特別C 「ラッセル=アインシュタイン宣言」と
核兵器廃絶を求める科学者組織
「パグウォッシュ会議」
特別D 大戦中、「マンハッタン計画」を離れた
ユダヤ人科学者ロートブラット博士
特別E 原爆をテーマに映画を作った
アメリカの中学生
特別F 日系アメリカ人監督による
ドキュメンタリー映画
★ 動画(リンク集)
★ 関連記事(リンク集)
★ 原爆関連の書籍の紹介
追加14 映画化された『夕凪の街 桜の国』
追加15 アメリカが行なったホロコースト

↑読みたい「章」をクリックすればスライド移動します

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■第1章:「マンハッタン計画」とユダヤ人科学者


●戦後のアメリカの「軍」と「産業」の癒着構造(軍産官学複合体)を生み出す大きなきっかけとなったのは、「マンハッタン計画」である。

「マンハッタン計画」とは、第二次世界大戦中にアメリカが極秘にスタートさせた原爆開発計画のことである。5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入された。(ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円)。ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。


この軍・産・官・学の連携によって進められた「マンハッタン計画」は、多くのユダヤ人科学者が参加したことで知られている。具体的にみてみよう。

 

 

●まず最初は、「コンピュータの父」として知られるフォン・ノイマンである。

彼はハンガリーの裕福なユダヤ人銀行家の家に生まれ、1930年に渡米。天才的頭脳の持ち主であり、現在のほとんどのコンピュータの動作原理であるストアードプログラム方式を考案した。アラン・チューリング、クロード・シャノンらとともに、現在のコンピュータの基礎を築いた功績者で、現在使用されているコンピュータは「ノイマン型コンピュータ」と呼ばれる。また、彼はゲーム理論におけるミニ・マックス法の発明者としてや、自己増殖オートマトンの考案、量子力学についての研究でも知られている。

大戦中は「マンハッタン計画」の軍事顧問として参加。

爆縮レンズ開発に従事し、爆薬を32面体に配置することにより核爆弾が製造できることを10ヶ月に渡る計算により導いた。また、地面ではなく空中で爆発させたほうが原爆の破壊力が増すことも計算により導いた。

その圧倒的な計算力と、極めて広い活躍領域から、「悪魔の頭脳」と評された。

 


コンピュータの父、フォン・ノイマン

大戦中は「マンハッタン計画」の軍事顧問
として参加し、原爆の開発に貢献した

 

●次は、レオ・シラードである。彼もハンガリー生まれで、アメリカに亡命したユダヤ人科学者である。

彼は原爆のアイデアを思いつき、同じユダヤ人でドイツからアメリカに亡命したアインシュタインの知名度を利用して、ルーズベルト大統領宛に原爆開発を促す手紙=「アインシュタイン書簡」(1939年8月)を送ったことで有名である。この手紙がきっかけとなって、アメリカの原爆開発はスタートしたのだ。

ちなみに、シラードがアインシュタインに自分のアイデア(核連鎖反応)を話したところ、アインシュタインは「考えもしなかった」と驚いたという。アインシュタインは、シラードが手紙を持ってきてから2週間悩んだすえに、署名したのだった。

※ アインシュタインは手紙に署名しただけで、「マンハッタン計画」には参加していない。彼は、手紙に署名したことを生涯の最大の過ちとして、その後の人生を平和のために捧げた。

 

 
ユダヤ人科学者アインシュタインとレオ・シラード

シラードはアインシュタインを説得して、ルーズベルト大統領宛に
原爆開発を促す「手紙」(右)を送った (1939年8月)

 

●同じくハンガリー生まれで、アメリカに亡命したユダヤ人科学者にエドワード・テラーがいる。彼はハンガリーからドイツに移り住んでいたが、ヒトラーの迫害を恐れたためイギリスを経てアメリカに亡命して「マンハッタン計画」に参加した。

(エドワード・テラーは1939年、アインシュタインの別荘をシラードとともに訪れていた)。

そして、彼は誰よりも早く、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた「超強力爆弾」(水素爆弾)へと核兵器を発展させるべきだと主張し、戦後、積極的に「水爆計画」に携わった。そして、1952年にソ連より半年早く水爆実験に成功し、「水爆の父」と呼ばれた。その後、「ロスアラモス研究所」に代わる第2の核兵器研究所「ローレンス・リバモア国立研究所」の所長に就任。

1954年に行なわれた水爆実験によって、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23名が被爆してしまうという事件が発生したが、この時の「水爆」の名前は『ブラボー(万歳)』で、エドワード・テラーの作品であった。

※ ちなみに、スタンリー・キューブリックの映画『博士の異常な愛情』のモデルは、エドワード・テラーだといわれている。(※ ノイマンがモデルという説もある)

 

 
(左)原爆・水爆・SDIの父、エドワード・テラー
(右)彼のアイデアで生まれた「SDI(戦略防衛構想)計画」

テラーは「マンハッタン計画」に参加した最初の科学者の一人であった。
「マンハッタン計画」では、テラーは最初シカゴ大学でシラードと共に働いた。
1943年、彼は「ロスアラモス研究所」の理論物理学部門のグループ長になったが、
彼が水爆に熱中したため他の科学者、特に部長のハンス・ベーテと不仲になった。

戦後、テラーは防衛力強化政策を辛抱強く唱え、水爆の開発と核爆発実験の継続を
求め続けた。テラーはアメリカ歴代政権の核戦略、防衛政策に影響力を行使し続け、
1980年代のレーガン政権時代には「SDI(戦略防衛構想)計画」を推し進めた。

 

●このエドワード・テラーは、1980年代のレーガン政権時代には「SDI(戦略防衛構想)計画」を推し進め、「SDIの父」とも呼ばれるようになる。「電話一本で話ができる間柄」と評されるほどテラーとレーガンの関係は親密だった。レーガン政権の「科学顧問」はテラーの愛弟子が務めた。

レーガン大統領はアメリカ科学界最高峰の栄誉とされる「アメリカ国家科学賞」をテラー博士に贈った。


※ この「SDI計画」はブラックホールさながらに 300億ドル以上という天文学的な額のカネを呑み込み続けただけで、何一つ使途が明らかにされないまま1993年5月に中止されてしまった。が、「SDI」は死ななかった。この「SDI」は「BMD(弾道ミサイル防衛)」という名前に変え、ペンタゴンに新設された「弾道ミサイル防衛局(BMDO)」の下に移管され、しぶとく生き残り、現在もアメリカ国民の税金を食い続けている。

「BMD」の中核には「TMD(戦域ミサイル防衛システム)」や、アメリカ本国を守る「NMD(国家防衛システム)」なるものがあるのだが、中でも「TMD」は日本が参加するのかしないのかで注目されている。もし参加したら数兆円もの日本人の血税がアメリカに流れると言われている。

 

 
この記事からもわかるように、「SDI」は死んでいない。
「ミサイル防衛」という名のもとで、指向性エネルギー兵器の研究や
宇宙の軍事利用は今後、ますます活発化していくだろう。

 

●さて、話を「マンハッタン計画」に戻そう。

同じくハンガリー生まれで、アメリカに亡命して「マンハッタン計画」に参加したユダヤ人科学者に、ユージン・ウィグナーがいる。彼は「原子核反応理論」で1963年にノーベル物理学賞を受賞した。

 


ユージン・ウィグナー

1963年にノーベル物理学賞を受賞

 

●今まで紹介したユダヤ人科学者、フォン・ノイマン、レオ・シラード、エドワード・テラー、ユージン・ウィグナー……。

こうして並べてみると、ハンガリー生まれのユダヤ人科学者が「マンハッタン計画」で大きな力になっていたことが分かる。特にシラード、テラー、ウィグナーの3人は、原爆開発の発端となった「アインシュタインの手紙」の作成に直接関わった「ハンガリー3人衆」である。

もちろん、ハンガリー系以外にも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者は大勢いる。有名なところでは、「ロスアラモス研究所」の所長に就任して「マンハッタン計画」を主導したロバート・オッペンハイマーである。(彼はニューヨーク生まれのユダヤ人である)。


●ロバート・オッペンハイマーといえば、「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」と反日的な強硬論を主張した人物である。彼は、最初から最後まで投下目標について日本だけを論じており、ドイツを投下目標として論じたことはなかった。


彼は戦時中、日本への原爆使用に反対した科学者たちを巧みにのけ者にしていった。そして、1945年7月に、ロスアラモスで最初の原爆実験に成功した際、狂喜して、「いま私は死神になった。世界の破壊者だ!」と叫んだ。

 


ロバート・オッペンハイマー

「ロスアラモス研究所」の所長を
務め、「マンハッタン計画」を主導した。

「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」
と主張し、原爆の対日投下に反対した科学者たちを
巧みにのけ者にしていった。戦後は水爆に
反対し、エドワード・テラーと対立。

 

●しかし、オッペンハイマーは、戦後は核開発、特に水爆に反対するようになり、水爆の開発をめぐって、推進派のエドワード・テラーと激しく対立したことで知られている。

彼は、1945年10月に、ロスアラモス研究所の所長を辞任する際、「人類がロスアラモスと広島の名を呪う時が来るだろう」という言葉を残している。

 


ニューメキシコ州アラモゴードの核実験場

1945年7月16日、人類史上初めての
「核爆発実験」が行なわれた

 

●オッペンハイマーと同じく、ニューヨーク生まれのユダヤ人科学者、リチャード・ファインマンも、大戦中、「マンハッタン計画」に携わり、重要な役割を果たした。彼は量子電磁力学におけるくりこみ理論で、1965年にノーベル物理学賞を受賞した。

ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人科学者、ハンス・ベーテも、「マンハッタン計画」に携わった。彼は、ファインマンの良き指導者となり、ロスアラモス研究所の理論物理学部門の責任者(初代理論部長)を務め、疲れを見せない研究への没頭ぶりから「戦艦」と称された。戦後は、歴代アメリカ大統領の核兵器問題担当上級顧問を務め、核融合の研究で、1967年にノーベル物理学賞を受賞した。

ファインマンとベーテの2人はチームを組んで、爆発を起こすのに必要な核分裂しやすい材料の量など、鍵となる数学方程式を考え出した。ファインマンの才能の1つは、数式を頭の中で早く解くことができるということであった。ファインマンとベーテは、三次方程式が早く解ける短絡解法を編み出したことでも知られている。

 

 
(左)リチャード・ファインマン。1965年にノーベル物理学賞を受賞。
(右)ハンス・ベーテ。1967年にノーベル物理学賞を受賞。

2人はチームを組んで、爆発を起こすのに必要な
核分裂しやすい材料の量など、鍵となる
数学方程式を考え出した

 

●ノーベル化学賞受賞のハロルド・ユーリーも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。

彼は1934年に「重水素」発見の功績によりノーベル化学賞を受賞し、第二次世界大戦ではその功績を買われて「マンハッタン計画」に参加。ウランからウラン235のみを得るための「気体拡散法」を開発し、原子爆弾の実現に大きな貢献をした。

 


ハロルド・ユーリー

戦後は、核科学研究所や
カリフォルニア大学の教授を歴任した。
1934年にノーベル化学賞を受賞。

 

●1925年にノーベル物理学賞を受賞したジェームズ・フランクも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。

ドイツからアメリカに亡命した彼は、オッペンハイマーと違って、実戦使用される前から原爆の対日投下に反対していた。彼は大戦末期の1945年6月11日に、対日戦での原爆の不使用を強く勧告する「フランク・レポート」を政府に提出したことで知られている。

 


ジェームズ・フランク

1945年6月11日、対日戦での原爆の
不使用を強く勧告する「フランク・レポート」を
アメリカ政府に提出したことで知られている。

彼はこのレポートの中で、原爆の威力を各国の
前でデモンストレーション(砂漠か無人島にて)で示す
ことにより戦争終結の目的が果たせると提案していたが、
この提案は政府に拒絶された。また彼はこのレポートで
「核兵器の国際管理」の必要性をも訴えていた。

1925年にノーベル物理学賞を受賞。

 

●先に紹介した、最初に原爆製造を進言したユダヤ人科学者レオ・シラードも、ナチス・ドイツの敗北が決定的になると、原爆の実戦使用(対日投下)に反対するようになった。

シラードにとって「原子爆弾」とは、ナチスの脅威に対抗するためのものであって、日本に使用するためのものではなかったのだ。

1945年3月、シラードは、アインシュタインと会い、再び大統領への手紙にサインするよう求めた。原爆の対日投下を阻止しようと、シラードは、大統領に働きかけるつもりだった。原爆開発を進めるにも、原爆投下を止めるにも、アインシュタインの名声が必要だったのである。アインシュタインは、再びシラードの意見に同調しサインした。

しかし、効果はなかった。

シラードは対日戦争での原爆使用に対して最後まで「反対請願」を展開したが、時すでに遅しだったのである。(戦後、シラードは、分子生物学へ転向した)。

 


レオ・シラード

 彼は最初に原爆製造を進言した男だが、
ナチスの脅威が去ると、対日戦争での
原爆使用に対して、最後まで
「反対請願」を展開した

 

●「近代量子論の父」で同じくノーベル物理学賞受賞のニールス・ボーアも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。(彼は、アインシュタインにつぐ、20世紀で最も影響の大きかった物理学者で、「近代量子論の父」と世界的に認められている)。

ボーアは大戦中、アメリカに渡り「マンハッタン計画」に参加した。しかし、彼は原爆が日本に投下される前に、その巨大な破壊力がいかに恐ろしい惨禍をもたらすかを誰よりも早く悟っていた。

戦争が連合国側の勝利に終わると、ボーアは祖国デンマークに戻り、その後の人生を、「超大国が責任を自覚し、核エネルギーを適正に管理し、平和利用に専心するように促すこと」に捧げた。

しかしその努力は、実を結ぶことはなかったのである。

 


近代量子論の父、ニールス・ボーア

1922年にノーベル物理学賞を受賞。

核エネルギーの「軍用化」には
反対の立場をとっていた。

 

●結局、原爆開発に関わる科学者たちを駆り立てた「戦争早期終結論」は、広島に続く「長崎」への原爆使用によって、「ドイツ原爆対抗論」と同様に虚構の理論であったことが明らかにされた。


●最新の調査によると、アメリカ政府は1943年5月という早い時点で「対日投下」を決定し、原爆使用を来たるべき戦後の原子力開発競争において、アメリカがとりわけソ連に対していかに優位を確保していくかを中心に議論していたことが判明している。

大戦中、アメリカとソ連は同じ陣営に属してはいたが、戦後の世界再建に向けてにらみ合っていた。ともに増大する軍事的脅威に危機感を感じ取っていた。ソ連はヨーロッパ戦線でベルリンを陥落し、東ヨーロッパの大部分を手中に収めるにまで至っており、アメリカと対等の席につくはずであった。ところが、原子爆弾という切り札によってソ連の優位は崩れ、アメリカに交渉のイニシアティブを握られてしまったのである。

原子爆弾は「対ソ外交」を有利に運ぶ上で、効果的な材料だったのである。

 

 
(左)ヨシフ・スターリン (右)激戦の末、ベルリンの帝国議会の
ドームに翻ったソ連国旗 (1945年4月末)

 

●ちなみに、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。彼は日本人を蔑視し、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張。京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。

しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都は原爆のターゲットから外された。彼は、京都の代わりに長崎の追加を指示したのである(1945年7月22日)。


●一般に、この時にスチムソンが京都を原爆のターゲットから外した理由として、「スチムソンは京都が歴史のある都市であることを理解していたから」という“美談”で語られる場合があるが、だまされてはいけない。この“美談”は、戦後、GHQがお涙頂戴好きの日本人を洗脳する為に、意図的に流したニセ情報である。

アメリカ軍部の一部は京都を原爆投下目標とすることを諦めず、空襲を実施しなかった。原爆投下後に原爆の影響を正確に把握するため、空襲が禁止されていたのである。京都が最後まで空襲されなかったのは、原爆投下の前に日本が降伏したからにすぎない。

スチムソン以外にも、「京都を戦果から救った恩人」と言われるアメリカ人が何人かいるが、すべて何の根拠もない流言に過ぎないのだ。詳しくは吉田守男著『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫)を読んで欲しい。当時のアメリカ政府は、日本の文化遺産を根こそぎ破壊することに、なんのためらいもなかったのである。

 


『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』
吉田守男著(朝日文庫)

京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が
アメリカ軍の空襲を免れたのは、その価値を認めてくれたからだ、
という「定説」は、まったくデタラメだった。それどころか、
京都は第3の原爆投下目標のひとつだったのである。
その証拠を丹念に洗い出し、この俗説が
流布・信奉された理由を暴いている。

 

●ところで、「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。

当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」

「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」

 

 
(左)「マンハッタン計画」をスタートさせた、
第32代大統領フランクリン・ルーズベルト。
強烈な親中反日主義者であった。

(右)『人種偏見 ─ 太平洋戦争に見る日米
摩擦の底流』ジョン・ダワー著(TBSブリタニカ)。
あまり語られることのない「人種戦争」の真相。
太平洋戦争における日米両国の憎悪の
構造を分析し、「人種主義」再生の
危険性に警鐘を鳴らす問題作。

 

●当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。日本人を根絶しなければならない!」

 

 

 

●ところで、「強制収容所」といえば、真っ先にナチスを思い浮かべる人は多いと思うが、第二次世界大戦中、自由と民主主義の国、アメリカ合衆国にも「強制収容所」があった。それも日本人と日系人専用のもので、約12万人もの民間人が財産と市民権を奪われて、カリフォルニア州からルイジアナ州までに広がる10数ヶ所の強制収容所に収容されたのである。

このアメリカの日系人に対する強制収容政策の裏には、白人の有色人種に対する人種的偏見や差別意識があったことは明らかである。(この時期、同じ敵国であったドイツ系・イタリア系のアメリカ人は「お構いなし」の状態だった)。

 

 
アメリカに作られた日系人強制収容所。人里離れたアメリカの砂漠の中に
建てられた、タール紙で造られたバラック小屋の列。約12万人もの
日系民間人が財産と市民権を奪われて収容された。


整理用名札をつけられ、
日系人強制収容所に送り込まれた少女

 

●この日系人強制収容政策の最高責任者は、前出のヘンリー・スチムソン陸軍長官である。

彼は太平洋戦争と原爆を語る上で、非常に重要な人物だ。

 


ヘンリー・スチムソン陸軍長官

「マンハッタン計画」の最高責任者。
広島と長崎への原爆使用を決定した彼は、
日系アメリカ人を強制収容所に送った最高責任者
でもある。戦後は、原爆投下に対する批判を
抑えるための「原爆神話」を生み出した。

 

●彼は、セオドア・ルーズベルト大統領の時代に政権に入り、以後、1950年に死ぬまで、7人のアメリカ大統領に仕えたことで知られている。第二次世界大戦中は、「マンハッタン計画」の最高責任者を務め、広島と長崎への原爆使用を決定した。

それ以前に、彼は、ロンドン海軍軍縮会議においてアメリカ代表団議長として、また、フーバー政権の国務長官として、日本海軍力の制限のために中心的に働いた。さらに、フランクリン・ルーズベルト政権においては、経済封鎖によって日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃へと駆り立て、ついに、アメリカを太平洋戦争に参加させた張本人である。

ルーズベルト大統領が急死すると、彼はトルーマン大統領の背後で、実質的にアメリカの戦争を指揮した。(トルーマンはスチムソンを全面的に信頼した)。

戦争が終わると、スチムソンは、原爆投下に対する批判を抑えるために、「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」と発言(1947年2月)。

これが原爆使用正当化の定説となった。(「原爆神話」の誕生)。



●さて、最終的に、2個の原爆が日本に「無警告」で投下されたことに満足したフォン・ノイマンは、戦後のビキニ環礁の核実験に立ち会ってガンになり53歳の短い人生を終えた。

また、全人口に対してユダヤ人口が5〜6%にしか過ぎなかった当時のアメリカで、広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員として特別に選ばれた15名のうち、ユダヤ人が7名も占めていた。機長のポール・ティベッツもユダヤ人である。広島に原爆を落としたとき、彼はまだ30歳だった。

ポール・ティベッツ機長をはじめ搭乗員の多くは、戦後もずっと「全く後悔していない。夜眠れなくなったことも一度もない。あの時、我々は人類にとって最善のことをしたんだ」と述べ、原爆投下の正当性を強調した。

このことからも、ユダヤ人の中には原爆の対日投下に反対する一方で、日本に対して敵対的な感情を持つユダヤ人がいたことが伺える。

 

 
(左)ユダヤ人ポール・ティベッツ機長 (右)B29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員たち

彼らは戦後もずっと「投下は間違っていなかった」と述べ、
原爆投下の正当性を強調した

広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」


 
(左)広島に投下されたウラン型原爆 「リトル・ボーイ」
(右)長崎に投下されたプルトニウム型原爆 「ファット・マン」

 

●ところで、アメリカのユダヤ人には、猛烈な反日ユダヤ人もいれば、日本の文化を愛する親日ユダヤ人もいる。

現在も、日本に何の興味も持たないユダヤ人もいれば、日ユ同祖論を信奉する強烈な親日家もいる。また、アジアの中では日本よりも中国(華僑勢力)との友好を求めるユダヤ人もいるし、アジア勢力全体を嫌悪するユダヤ人もいる。

アメリカのユダヤ人は、親日家と反日家含め、実にさまざまな人間がいるといえよう……。



●ちなみに、アインシュタイン博士は親日ユダヤ人として知られている (1922年に日本に来ている)。

1945年8月、アメリカ軍が日本に原爆を投下したニュースを聞いたとき、彼は「ああ、何ということか!」とうめいたという。

 

 
アインシュタイン博士は、1922年11月16日に初来日して43日間日本に滞在した。
博士は来日途上の船中で、「ノーベル物理学賞」受賞決定の電報を受け取った。

(左)の写真は、東京大学の物理学教室で講演するアインシュタイン博士。
(右)は、博士の来日を特集した雑誌『改造』(1922年12月号・改造社)。
この改造社の山本実彦社長が、博士を日本に招いたのである。

 

●先に触れたように、アインシュタイン博士は「マンハッタン計画」に参加しておらず、ルーズベルト大統領宛に原爆開発を促す「手紙」に署名したことを生涯の最大の過ちとして、その後の人生を平和のために捧げた。

1952年に雑誌『改造』へ「日本人への弁明」を寄稿。

1955年には、核兵器の廃絶と紛争の平和的解決を求める「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名。その1週間後に動脈瘤破裂のため、76歳の生涯を閉じたのであった。

(また、アインシュタイン博士は、パレスチナにユダヤ人国家「イスラエル」を建設するという「シオニズム」に理解を示していたが、権力や権威的なものは嫌いで、第2代イスラエル大統領への就任を辞退していた。彼は拡張主義の考えはなく、パレスチナ人と共存できると信じていたのである)。

 


アルベルト・アインシュタイン博士
(1879〜1955年)

ドイツ出身の理論物理学者。
1921年度のノーベル物理学賞を受賞。
(受賞理由は「光電効果の発見」であり、
「相対性理論の発見」ではない)

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■第2章:ユダヤ人大富豪バーナード・バルーク


●「マンハッタン計画」の舞台裏を語る時に、忘れてはならない人物がいる。バーナード・バルークというユダヤ人大富豪である。

「バルーク家」はラビを生み出すユダヤ人指導者のファミリーで、ロスチャイルド家と深いかかわりをもち、彼は「アグダス=イスラエル・ユニオン」というユダヤ系結社の代表を務めていた。

バーナード・バルークは、相場の世界では冷徹な投資で巨額の資産を作った相場師として有名であり、政治家としても幅広く活躍した。

 


ユダヤ人大富豪
バーナード・バルーク
(1870〜1965年)

 

●第一次世界大戦中は、アメリカの「国家防衛会議」に所属し、総力戦体制の遂行のために設置された「戦時産業調整委員会(WIB)」の委員長を務め、独裁的権力を振るった。1916年のウッドロー・ウィルソン大統領の選挙資金集めでも決定的な役割を演じ、戦争が終わると、ベルサイユ講和会議に参加し、「賠償委員会」の委員長を務めた。そして、法外な賠償金をドイツに支払うように決め、ロスチャイルド商会傘下の国際銀行家たちやダレス兄弟と組んで、ドイツにヒトラー政権が誕生する手助けをした。

彼は、その後も大統領顧問を務め、ウィルソン、ハーディング、クーリッジ、フーバー、ルーズベルト、トルーマンなど、6人から絶大な信頼を寄せられた人物だった。チャーチルの親友でもあった。(バーナード・バルークは「影の大統領」と呼ばれていた)。


●第一次世界大戦前、バーナード・バルークは100万ドルの資産を持っていたが、それが終わった時には2億ドルになっていた。ヒトラーが戦争を起こすと、彼はチャーチル、ルーズベルトと語らってアメリカを参戦させた。

バーナード・バルークは、第二次世界大戦中は、原爆開発の有力な支援者となり、「マンハッタン計画」を指導した。「マンハッタン計画」は、最高機密の軍事プロジェクトとして厳しい情報管理が行なわれる一方、大統領直轄の最優先プロジェクトとして、膨大な資金と人材が投入された。この計画の存在については大統領や陸軍長官など限られた関係者のみに知らされ、議会への報告などは一切行なわれなかった。

そして原爆が完成すると、バーナード・バルークは大統領顧問として、原爆の対日使用を積極的にすすめたのである。彼にとって、日本人の命なんてどうでもよかったのだろう。(彼は京都への原爆投下を主張していた)。



●戦争が終わると、バーナード・バルークは「国連原子力委員会」のアメリカの主席代表となり、原子力の管理に大きな影響力を持つようになる。彼は全米一のウラン採掘業者グッゲンハイム財閥の代理人として働くウォール街の投機業者でもあったのだ。

1946年、バーナード・バルークは、すべての核技術を国際的な管理下に置くことを提案した。しかし、それが人道主義的な立場からではなく「アメリカの核優位・核独占」という「ソ連への牽制」であることが明らかにされ始めると、この「国際原子力管理協定」の実現は破綻してしまったのである。

1947年4月、バーナード・バルークは「冷たい戦争(コールド・ウォー)」の言葉を初めて使用した。一般に、彼が「冷戦」の名付け親であるとされている。(ちなみに「鉄のカーテン」という表現を最初に口にしたのはチャーチルである。念のため)。


●このように、ユダヤの大富豪であるバーナード・バルークは、第一次と第二次の2つの世界大戦で重要な役割を演じ、「原爆」と「冷戦」の誕生にも深く関与していたのである。彼は戦争によって自分の資産を増やしていた。一部の研究家の間では、バーナード・バルークは「戦争仕掛人」と呼ばれている。(バーナード・バルークは1965年に亡くなった)。


◆ ◆ ◆


以上、見てきたように、原爆の誕生にはユダヤ人が大きく関わっている。これは否定できない事実である。

もちろん、対日使用に賛成の者もいれば、反対の者もいた。様々なユダヤ人が様々な「思惑」を抱いて関与していたのである。(念のために繰り返しておくが、当館は、「原爆の責任は全てユダヤ人にある」と主張するつもりはない)。

これら原爆に関わったユダヤ人たちに対する評価は、人によって大きく分かれると思うが、いずれにせよ、広島と長崎の悲劇は、アメリカが犯した「戦争犯罪」だったことは確かである。(この件に関しては、次章で詳しく触れたい)。

 


原爆によって廃墟となった
広島中心部の様子 (1945年10月)

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■第3章:「戦争早期終結論」の虚構


●一般のアメリカ人に、なぜアメリカが広島と長崎に原爆を落としたのかを尋ねれば、たいていの人はこう答えるであろう。

「アメリカ軍の日本上陸により、多くの犠牲者を出すことを避けるためであった。原爆を落とさなければもっと大きな悲劇を生んでいたであろう」と。

 

 

●しかし、この言説を鵜呑みにしてはならない。「当時、原爆投下以外にも日本への本土上陸を阻止する方法があったことは識者の間ではすでに常識となっており、トルーマンも彼の顧問もそれを知っていた」という事実があるからである。これは、アメリカ原子力規制委員会の主任歴史家であるサミュエル・ウォーカーの言葉である。


●1946年実施の戦略投爆調査の結論も、「原爆が投下されなくても、またソ連が宣戦布告しなかったとしても、さらには日本上陸を考えなくとも、1945年12月31日までには確実に、そしておそらく1945年11月1日までには、日本は降伏していたであろう」として、先の歴史家サミュエル・ウォーカーと同じ結論を示している。



●1989年に公開された、陸軍省諜報部による1946年の最高機密調査では、「日本の降伏に原爆はほとんど関係がなかった」という大胆な結論が出されている。そして第二次世界大戦終結の決定的要因はソ連の宣戦布告であったとされ、アメリカの大規模な日本侵略が行なわれることはなかったであろうと記されている。

つまり、「日本を降伏に追い込んだのは、原爆の使用ではなく、ソ連の参戦であるといっても過言ではない」というのが同調査の結論であった。


●また、スタンフォード大学の歴史家バートン・バーンスタイン教授によれば、統合参謀本部の諮問グループ、統合戦争計画委員会は当時、ソ連が宣戦布告しない場合でも、九州への上陸だけで戦争を終結できるであろうと結論づけていたのだ。



●原爆投下の決定を聞かされたアメリカ軍部の指導者の中には、嫌悪を催した者もいた。

ヨーロッパのアメリカ軍司令官アイゼンハワー将軍は、スチムソン陸軍長官から計画を報告された時のことをこう記している。

「彼の報告を聞いているうちに、暗い気持ちになった。私は彼に深い不安を伝えた。まず、日本はすでに敗北しており、原爆は全く必要ないということ、次にアメリカ人の命を救う手段として、もはや不要ともいえる兵器を使用することで国際世論に衝撃を与えることは避けるべきだと伝えた。」

アイゼンハワーの見解は「日本はできる限り体面を損なわない降伏の方法を模索している。恐ろしい兵器で日本に打撃を与える必要はもはやない」というものであったのだ。

 


ヨーロッパのアメリカ軍司令官
ドワイト・アイゼンハワー将軍
(のちの第34代アメリカ大統領)

1945年7月20日に、彼は
「日本に対し原爆投下は不必要」と
トルーマン大統領に進言していた

 

●現在では、原爆は恐らく戦争を長引かせ、アメリカ兵の命を救うどころか、奪ったと信じる歴史家もいる。

なぜなら、国務次官ジョセフ・グルーは、1945年5月には降伏条件を変えるだけで戦争は終結すると大統領に進言しており、また大統領は原爆が完成するまで明らかにそれを引き延ばしたからである。

タフツ大学の歴史家マーティン・シャーウィンは、「トルーマン大統領がジョセフ・グルーの助言を受けていれば、アメリカ兵、日本人の犠牲者の数は大幅に削減されたことであろう」と語っている。

スチムソン陸軍長官もまた後になって、「歴史の中で、アメリカは降伏の条件を延期したことによって戦争を長引かせた」としている。

 


ジョセフ・グルー

日米開戦時の駐日アメリカ大使。
開戦と同時に帰国し国務次官。1945年5月28日、
「天皇制を保証すれば日本は降伏するであろう」と
トルーマン大統領に進言していた。

 

●陸軍次官補ジョン・マックロイは、1945年6月18日に開かれた「対日戦略会議」において、日本への原爆使用は「事前警告」した上で使用するべきだと主張し、

「無警告」による原爆投下に反対していた。

 


ジョン・マックロイ

「一発で都市を吹っ飛ばせる兵器を、我々
アメリカが所有していることを事前警告すべきである。
それでも降伏しなければ原爆を投下する、と日本政府に
伝えるべきだ」と主張し、「無警告」による原爆投下に反対した。

彼は、戦後1953年にロックフェラー財団の理事、
のちにロックフェラー系「チェースマンハッタン銀行」の頭取、
「セブン・シスターズ」の法律顧問、CFR議長を務めた。

 

●アメリカ極東軍司令官だったダグラス・マッカーサーは、1961年の書簡で次のように証言している。

「私は原爆使用については相談を受けなかった。もし相談を受けていたとすれば、それは不要である、日本はすでに降伏の準備をしている、との見解を表明していたであろう。」

 


極東のアメリカ軍司令官
ダグラス・マッカーサー

1945年8月30日から約5年半、
GHQの最高司令官として
日本占領に当たった

 

●アメリカ海軍太平洋艦隊の空母機動部隊の司令官だったウィリアム・ハルゼーも、次のように述べている。

「最初の原子爆弾はいわば不必要な実験であった。これを投下するのは誤りだった。

あのような兵器を、必要もないのになぜ世界に明らかにするのであろうか?」

 


ウィリアム・ハルゼー海軍元帥

彼は攻撃精神旺盛な性格で、
あだ名は「ブル(雄牛)」だった。

 日本軍との戦闘に際し「敵を殺せ!
敵をもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!」
など度々過激な発言を繰り返したことで
知られているが、日本への原爆投下
に対しては批判的だった。

 

●海軍元帥で当時の大統領主席補佐官のウィリアム・リーヒも、1950年発行の回顧録『私はそこにいた』で原爆は不要だった、と断言している。

「この野蛮な武器を広島と長崎に投下したことは、日本との戦争でなんら重要な意味をもたなかった。日本軍はすでに敗北していたし、海上封鎖の効果と、通常兵器による爆撃の成功によって、降伏しようとしていた。

この新兵器に『爆弾』という言葉を使うのは間違いだ。

これは爆弾ではない。爆発物ではない。

恐ろしい放射能によって多数の人間を殺す『毒物』であり、爆発力によるより、放射能による死者の方が多くなる。」

 


ウィリアム・リーヒ海軍元帥

非戦闘員を犠牲にすることをよしと
しない軍人としての立場から、日本への
原爆投下に対しては批判的だった

 

●以上、当時原子爆弾に批判的だったアメリカ人エリートたちを簡単に紹介してみたが、

結局、アメリカ政府が日本に対して原爆を使用したのは、先に触れたように、戦争を早期に終結させるためではなく、戦後の対ソ外交を有利に運ぶ上で、効果的な材料だったためである。

アメリカ政府は1943年5月という早い時点で「対日投下」を決定し、原爆使用を来たるべき戦後の原子力開発競争において、アメリカがとりわけソ連に対していかに優位を確保していくかを中心に議論していたのだ。

大戦末期、米軍幹部の間では、原爆を投下しなくてもいずれ日本は力尽きるという予想が大勢をしめていた。

しかし、トルーマン大統領は、ソ連の対日参戦で日本が降伏する前に、原爆という圧倒的なインパクトのある兵器を投入することで、日本にとどめを刺したのはソ連ではなく原爆、というイメージを全世界に与えようとしたのだ。

 


ヨシフ・スターリン

戦後の世界再建交渉において、
アメリカと対等の席につくはずであったが、
原子爆弾という切り札によってソ連の優位は崩れ、
アメリカに交渉のイニシアティブを握られてしまった

 

●ところで、ホロコーストは「焼き殺す」という意味を持つが、壊滅寸前の日本に対する“炎の絶滅兵器”の使用は、まさに「原爆ホロコースト」と呼ぶにふさわしいアメリカが犯した戦争犯罪であった。

まさに「炎」の地獄だった。前代未聞の「炎」の海。超高熱と放射線の嵐。一瞬にして数万人の一般市民が焼き殺され、この世から生命を奪われてしまった。一瞬にである。

(原爆は、ユダヤ人の頭脳と葛藤の中から誕生した「ホロコースト兵器」であり、通常の爆弾と違って、深刻な「放射能汚染」を引き起こすのが大きな特徴である)。

 

 
……原爆は大量の人間を一瞬にして焼き殺す「ホロコースト兵器」である……

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■第4章:戦争犯罪者 トルーマン大統領


●「原爆ホロコースト」に重大な責任がある人物を挙げるなら、その筆頭は、直接ゴーサインを出したトルーマン大統領だろう。

「原爆の誕生」自体は、当時の「原子物理学」発展の流れにおいて避けられなかったとしても、原爆の「実戦使用」に関しては、彼個人の「政治的な判断」で避けようと思えば避けられたのだ。(原爆は作った人よりも使う人に問題があると思う)。

しかし彼は、原爆を使わずに戦争を終わらせるなどとは考えもしなかった。彼は誕生したばかりの超兵器=原爆を使用したくてたまらなかった。人間のいない荒野で爆発させるのではなく、人間が密集する大都市の上で爆発させて、その破壊力を試してみたい気持ちに駆られていたのだ。人体実験をしたかったのだ。

彼は日本から提示された降伏条件をはねつけ、日本への原爆投下を命じた。しかも無警告で。2発も。そうしたうえでその降伏条件を認めたのだった。彼は自分の行動を正当化するために、「原爆投下により100万のアメリカ兵の生命が救われた」とする「原爆神話」を積極的に広めた張本人でもある。

 


原爆の「対日使用」にゴーサインを出した
第33代大統領 ハリー・トルーマン

1958年2月3日 『東京新聞』

【上の記事の内容】=トルーマン前米大統領は2日、
CBSテレビ放送番組「今だから話そう」の対談に出演し、
「私は広島・長崎の原爆攻撃を指令したあとに、良心のとがめを少しも感じなかった。
これからも万一の場合、水爆使用はたしかだ」と語った。 〈中略〉

「我々が強力な新兵器を持っていた以上、それが大量殺人兵器
だからといって、私はこれを使うことに良心のとがめを感じることはなかった。
戦争には反対だが、勝てる兵器を持ちながら、それを使わなかった
とすればバカげたことである。」 〈後略〉

 

●広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、原爆の対日使用は「人体実験」だったとして、1994年に次のように述べている。

「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への『人体実験』である。


だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、

第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

 

 

 

  

トルーマン大統領は原爆の惨状についての
報道を一切禁止し、被爆治療を徹底的に妨害した。
そして、被爆者を「治療」せず「実験動物」のように観察する組織「ABCC」
(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置した。

  

 

●広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。

まさにアメリカがやったことは、「人体実験」だったといえよう。

 


被爆者である橋爪文さんが書いた
『少女・14歳の原爆体験記』(高文研)

詩人の感性を持つ少女の目を通して、被爆の実相と、
廃墟に生きた人々の姿が克明に描かれている。
「ABCC」の実態についても触れられている。

 

「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。

このように原爆は人体実験であり、戦後のアメリカの利を確立するための暴挙だったにもかかわらず、原爆投下によって大戦が終結し、米日の多くの生命が救われたという大義名分にすりかえられました。このことによって核兵器の判断に大きな過ちが生じたと私は思っています。」

 

 
原爆は通常の爆弾と違って、深刻な
「放射能汚染」を引き起こすのが大きな特徴である。

放射線の影響は、その後長期にわたってさまざまな障害を引き起こした。
体内に取り込まれた放射線が年月を経て何を引き起こすのか、
50年以上経過した現在でもまだ十分に解明されておらず、
被爆者はこれらの後障害で今なお苦しみ続けている。

現在もアメリカは被爆者たちを追跡調査している。


 
放射線の影響によって、髪の毛がごっそり抜け落ちてしまった姉弟


 
被爆して顔面に大ヤケドを負った6歳の少女。包帯姿が痛々しい。
後ろにいる母親は左腕と両足をヤケドし歩くことができなかった。
この親子は広島地方専売局の臨時救護所に通い続けた。
当時、彼女たちは一生消えない傷を背負って、
戦後を生きていかねばならなかった。

1993年2月5日 『朝日新聞』

【上の記事の内容】=ネバダ核実験場を管轄している
米エネルギー省ネバダ事務所が発行している刊行物「公表された米核実験」の中に、
広島・長崎への原爆投下が「核実験(テスト)」として記載されていることが、
4日、明らかになった。同事務所は「分類方法に不適切があった」とし、
「次版から書き方を変更することを検討する」としている。 〈後略〉

 

 

●トルーマン大統領の原爆に関する「罪」は、これだけでは終わらない。まだ大きな責任がある。

大戦の終結とともに、アメリカは「世界最初の原爆保有国・使用国」として、原子力を厳重に管理して、世界に原爆を拡散させないようにする重大な責任があった。「原子力の国際管理」は地球の未来を占う非常に重要なテーマであった。

第2章でも触れたように、1946年、トルーマン大統領の国連特使を務めたバーナード・バルークは、すべての核技術を国際的な管理下に置くことを提案した。しかし、それが人道主義的な立場からではなく「アメリカの核優位・核独占」という「ソ連への牽制」であることが明らかにされ始めると、この「国際原子力管理協定」の実現は破綻してしまったのである。

また、大戦の終結とともに、「マンハッタン計画」に参加していた科学者たちは、原子力研究を平和時の状態に戻し、「軍管理体制」を解除するよう求めていたが、トルーマン大統領はこうした動きを完全に無視して、原爆の開発を軍の指揮下で積極的に推し進めた。そして、1948年には「サンドストーン計画」という「原爆大量生産計画」をスタートさせたのである。


●そして、1949年にソ連が「原子爆弾」の開発に成功すると、トルーマン大統領は、翌年1950年に「水素爆弾」の開発にすんなりとゴーサインを出してしまった。

1952年に最初の「水素爆弾」の実験が行なわれたが、この時、太平洋の小島「エルゲラブ島」が消滅してしまうほどの威力を見せつけた。

この水爆実験成功によって、ユダヤ人科学者エドワード・テラーの唱え続けていた「超強力爆弾」の理論が妄想でないことが実証されたのである。

 


「水素爆弾」は広島に投下された「原子爆弾」の
1000倍以上の破壊力を持つ悪魔の兵器である

 

●1954年3月1日に行なわれた「水爆」実験によって、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23名が被爆してしまうという事件が発生したが、この時の「水爆」の名前は『ブラボー(万歳)』で、テラー博士の作品であった。

恐ろしいことに、日本人は広島・長崎に続いて核の被害にあったのである。

この世界中を震撼させた「ビキニ事件」は、映画「ゴジラ」の製作のきっかけにもなった事件である。(※ アメリカが行なったビキニ環礁の水爆実験でジュラ紀の恐竜が目覚め、身体にたまってしまった放射能を吐くという設定)。

 

 
1954年3月1日に行なわれた「水爆」実験によって、
日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23名が被爆してしまった。
日本人は広島・長崎に続いて核の被害にあったのである。

 

●「水素爆弾」の完成は、アメリカ科学者たちの間に大変な反響を呼び、テラー派と反テラー派とに大分裂させた。

更にこの頃、「マッカーシー旋風(赤狩り)」が荒れ狂っており、原爆開発のリーダー的存在であったオッペンハイマーは「ソ連のスパイ」ではないかと告発され、「政治的理由から水爆の緊急開発計画に反対を唱えた」というテラー博士らの追い打ち証言もあって、かつての英雄オッペンハイマーは「国家反逆」のレッテルを貼られて第一線から追放されてしまったのである。

 


ジョセフ・マッカーシー上院議員

マッカーシズムといわれる嵐を巻き起こした。
マッカーシズムとは、1948年頃から1950年代半ばの
アメリカで起きた激しい反共産主義運動のことである。


 
米誌『タイム』の表紙を飾った
オッペンハイマーとテラー博士

 

●しかしこの事件は多くの人々に“不正”なものと映ったため、この「オッペンハイマー事件」以後、一般にオッペンハイマーは「科学への殉教者」、テラー博士は彼を落としめた「迫害者」と見なされ、かつての親友たちもテラー博士を敬遠するようになったという。

結局、テラー博士もまたアメリカ科学アカデミーの主流から隔絶されてしまったのである。

 


原爆・水爆・SDIの父である
ユダヤ人科学者エドワード・テラー

水爆の開発をめぐって、水爆反対派の
オッペンハイマーと激しく対立した

 

●しかし、科学者の仲間から拒絶されたテラー博士は積極的に資本家や産業界の重鎮、大物政治家との親交を深め、軍部にも急接近していった。ネルソン・ロックフェラーとはすぐに親友になった。時の副大統領のリチャード・ニクソンは、テラー博士に助言を求めた。後にニクソンは大統領になったとき、テラー博士の研究を推した。

1960年代、テラー博士の招待に応えたロナルド・レーガンは、テラー博士の研究所を訪れた最初のカリフォルニア州知事となった。後に大統領となったレーガンは、強力な軍拡路線を敷く中で、テラー博士を最大限に擁護した。レーガンは、テラー博士のアイデアである「SDI計画」をブチ上げたことで知られる(1983年3月23日)。

※ レーガン大統領はアメリカ科学界最高峰の栄誉とされる「アメリカ国家科学賞」をテラー博士に贈った(前述)。

 

 
(左)レーガン大統領と握手するテラー博士 (1983年)
(右)テラー博士の考案したSDI兵器の1つ「核X線レーザー衛星」。
小型水爆の周囲に数十本のロッドを配して、自らの核爆発によって
各ロッドから「核X線レーザー」の一撃を放出させる兵器である。

 

●さて、話をトルーマン大統領に戻そう。

冷戦時代の外交官で第一外務次官を務めたコルニエンコは、1995年に『冷戦──冷戦参加者の証言』を出版し、冷戦発生の責任はその全てとはいわないが、そのほとんどの部分は西側列強にあり、冷戦を開始したのはアメリカ、トルーマン大統領であったと主張している。彼は次のように語っている。

「フランクリン・ルーズベルト大統領は1945年4月12日に亡くなるまでソ連との協力を望んでいたが、同大統領の亡きあと大統領となったトルーマンはただちにポーランド問題で冷戦の『第一発』を放った。また、トルーマンが冷戦の道を歩むことを最終的に決めたのは同年9月21日、彼がスチムソン陸軍長官の原子爆弾の管理と使用制限についてソ連と協定を結ぶように主張した提案を拒否した日であり、冷戦を公式に宣言したのは1946年3月5日、チャーチルがアメリカ・ミズーリ州フルトンで有名な『鉄のカーテン』演説をしたときに同席した日である。」



●このように、トルーマン大統領は、原爆の管理と使用制限についてソ連と協定を結ぶのを拒否し、無秩序な核開発計画を進めたのである。

結局、アメリカとソ連は、トルーマン政権以降、熾烈な核軍拡競争に明け暮れ、20世紀の末までに米ソ両国は合わせて4万発以上の原爆・水爆を製造し、1700回以上の原爆・水爆実験を実施し、各地に死の灰を降らせた。

また両国各地に点在する巨大な核施設の爆発事故・放射能漏れ、原発事故、さらには老朽化した原潜・ウラン鉱山なども住民に深刻な放射線被害を引き起こし、環境に多大な汚染をもたらしてきた。

全く狂気の沙汰としかいいようがない。

 

核実験の回数 (核爆発をともなう実験)

 

●トルーマン大統領の「罪」は、原爆の対日投下と、戦後の無秩序な核開発だけにとどまらない。彼は、1947年の国連による「パレスチナ分割案」を強力に後押しし、国連加盟諸国へ脅しの根回しをして、イスラエル建国を実現させた元凶でもあるのだ。

 


イスラエルの国旗

 

●中東を専門分野とするイギリス人の国際評論家、デイヴィッド・ギルモアは、豊富な当局側資料を駆使した著書『パレスチナ人の歴史──奪われし民の告発』の中で、この経過を次のように描きだしている。

「パレスチナの運命を決定したのは、国連全体ではなく、国連の一メンバーにすぎないアメリカだった。パレスチナ分割とユダヤ人国家創設に賛成するアメリカは、国連総会に分割案を採択させようと躍起になった。分割案が採択に必要な3分の1の多数票を獲得できるかどうかあやしくなると、アメリカは奥の手を発揮し、分割反対にまわっていたハイティ、リベリア、フィリピン、中国(国府)、エチオピア、ギリシアに猛烈な政治的、経済的な圧力をかけた。ギリシアを除いたこれらの国は、方針変更を“説得”された。フィリピン代表にいたっては、熱烈な分割反対の演説をした直後に、本国政府から分割の賛成投票の訓令を受けるという、茶番劇を演じさせられてしまった。」



●なお、ここで注意してほしいのは、トルーマン大統領は最初からシオニズムの支持者ではなかったという点だ。彼は最初は、アラブ諸国、とりわけアメリカが石油利権を持つサウジアラビアとの関係を重視し、パレスチナでのユダヤ国家建設に反対する意向を表明していたのである。これに対し、当時の在米ユダヤ人社会は強く反発し、「1948年の大統領選挙では、トルーマンはユダヤ人票を失うだろう」と警告したのである。

大きな票田を持つ都市に集中するユダヤ人の票は、当時、戦局不利が伝えられていたトルーマンにとって勝敗を左右する重要な要素だった。このままでは共和党候補に敗北する、という危機感を抱いたトルーマンは、前言を翻し、国連決議案の支持に回った。これによって、翌年の大統領選挙では75%のユダヤ票を獲得し、きわどい差で勝利したのである。

 


トルーマン大統領は、ユダヤ票欲しさに
熱烈なシオニズム支持者になり、
イスラエル建国を実現させた

 

●マスコミの連中がトルーマン大統領に聞いた。
「なんであなたはそんなにユダヤの肩ばかり持つんですか?」

トルーマン大統領はこともなげにこう言った。
「だって君、アラブの肩を持ったって、票にはならんだろうが」

このように、トルーマン大統領はユダヤ票欲しさに、イスラエル建国を支持するパレスチナ分割決議を推進したのである。

原爆投下といい、戦後の無秩序な核開発といい、イスラエル建国といい、彼は、自分の下した決定が、どんな深刻な悲劇を生み出すのか、あまり深く考える男ではなかったようだ。(ちなみに、トルーマンは父方がユダヤ系である)。

 


シオニズムが抱える深刻な問題については、当館6Fの
シオニズムのページで具体的に考察しているので、
そちらをご覧下さい。本当に深刻な問題です。

 

●参考までに、『新・文化産業論』や『失敗の教訓』など数多くのベストセラーを世に出している日下公人氏(東京財団会長)は、

「トルーマンのコンプレックス」について次のように述べている。

「1995年に刊行された『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』(ロナルド・タカキ著/草思社)という本の中に、驚くべきことが書いてある。

トルーマンは、子供の頃からひ弱い坊やと言われ、ルーズベルトが急死した後を継いで大統領になった時は頼りないと言われた。本人も当初は自信が持てないと日記に書いている。だから、男らしいところを見せようと思って努力しているところへ原爆完成の報告がきたので、早速、原爆投下を決定したのだと書いてある。

それ以前にも、この話は聞いたことがあった。その時は『ウソだろう』と思ったが、還暦を越した今では、その気持ちが分かる。そういうことはあるだろうと思う。歴史は、こうした個人の性格によっても左右されるものらしい。」

 


『アメリカはなぜ日本に
原爆を投下したのか』
ロナルド・タカキ著(草思社)

この本は、トルーマン大統領の性格と
彼の置かれた立場を分析することによって、
彼が原爆投下の決定を下すに至る経緯を
初めて明らかにした衝撃の書である。
興味のある方は一読して下さい。

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■■第5章:演出された東西の「冷戦」──原子力利権の実態


●1992年3月10日に朝日新聞は、「ソ連原爆1号はアメリカのコピーだった」として、次のような記事を載せた。

「1949年8月に初めて実験に成功したソ連の原爆は、アメリカの原爆製造に参加したドイツの亡命物理学者クラウス・フックスからのスパイ情報をもとに、アメリカ製原爆の構造をほぼ真似たものだったことを、ソ連の原水爆の設計責任者を長年務め『ソ連の原爆の父』とも呼ばれるユーリー・ハリトン博士(88)が、朝日新聞とのインタビューで明らかにした。

西側でも、フックス情報がソ連原爆開発の力になったと推定されてはいたが、当事者がこれを認めたのは初めて。また、ソ連初の原子炉は、占領したドイツから押収したウランを燃料としたなど、これまで秘密にされてきたソ連の核兵器開発の様子を詳しく語った。」

 


クラウス・フックス(ユダヤ人)

ドイツ共産党に入党していたが、ナチスの
弾圧を逃れてイギリスに亡命。物理学で頭角を現し、
1943年にアメリカに渡り、「マンハッタン計画」に参加。
その間、原爆情報を旧ソ連政府に流していた。スパイ容疑で
尋問され、1950年に自白。懲役14年の判決を受けたが、
1959年に釈放される。その後、旧東ドイツの原子力
研究所副所長を務め、1988年1月に死亡した。


 
(左)1992年3月10日 『朝日新聞』
(右)ソ連初の原爆 「Joe-1」。だが、その実態はアメリカの
原爆情報を入手して作られた「長崎型原爆」のコピーだった。

 

●驚くべきことに、ソ連の原爆開発には、「マンハッタン計画」を主導したオッペンハイマー博士も関与していたという。

1994年4月18日に、中日新聞は次のような記事を載せた。

「第二次世界大戦中にアメリカが原爆を開発した『マンハッタン計画』の責任者で『原爆の父』といわれるロバート・オッペンハイマー博士らが、核戦争回避のため力のバランスをつくり上げようと自らの原爆製造情報を当時のソ連スパイに秘密裏に提供していた事実が明らかになった。

18日発売の米誌『タイム』(4月25日号)が元ソ連の大物スパイ、パベル・スドプラトフ氏(87)の回顧録の抜粋で紹介したもので、戦後の『冷たい戦争』も『核抑止力による平和』も、実はこれら科学者たちが“演出”したものだったことになる。


スドプラトフ氏は現在は引退してモスクワに住むが、大戦当時はソ連の欧州・北米担当情報網の責任者。スターリンによるトロツキーの暗殺計画も担当した大物スパイ。

『タイム』誌が抄録した同氏の英語版新著『特殊任務──望まれない証人の回顧録』によると、原爆製造情報の秘密提供に参加したのは『マンハッタン計画』の責任者でロスアラモス研究所所長のオッペンハイマー博士のほか、1938年のノーベル物理学賞受賞者で1939年にイタリアからアメリカに亡命したエンリコ・フェルミ博士、さらにニールス・ボーア博士ら。3博士らとも熱心な戦争反対論者として知られるが、スドプラトフ氏によれば、『原子力の秘密情報を米ソが共有することで力のバランスをつくり上げ、核戦争を回避しようとした』のが動機という。

ソ連は広島、長崎に原爆が投下される以前の1945年初めに、アメリカの原爆設計図を入手。33ページにわたるこの設計図がその後のソ連製原爆の基礎となった。ソ連は1949年に最初の原爆爆発テストに成功している。」

 


米誌『タイム』
(1994年4月25日号)

 

●この記事で紹介されているパベル・スドプラトフの回顧録は、現在、日本でも翻訳出版されている (邦題『KGB衝撃の秘密工作』/ほるぷ出版)。かなり衝撃的な内容である。興味のある方は、ぜひ読んで欲しい。

 

 
(左)元ソ連の大物スパイ、パベル・スドプラトフ
(右)彼の回顧録『特殊任務』(英語版・1994年)


  
左から、ロバート・オッペンハイマー、エンリコ・フェルミ、ニールス・ボーア

パベル・スドプラトフによれば、この3人は、原爆製造情報の秘密を
当時のソ連スパイに秘密裏に提供し、冷戦を演出したという。

3人とも熱心な戦争反対論者として知られるが、
「原子力の秘密情報を米ソが共有することで力の
バランスをつくり上げ、核戦争を回避
しようとした」のが動機という。

 

●「マンハッタン計画」と「冷戦」の舞台裏については、まだまだいろいろな情報がある。

例えば、ユダヤ人大富豪ロスチャイルドの研究で有名な広瀬隆氏は、次のような事実を明らかにしている。

「原爆の製造には、原料のウランが必要だった。ロスアラモス研究所では原爆製造のために、アフリカのコンゴ(現ザイール)からウランを調達していた。コンゴは当時最大のウランの産地であり、この鉱山利権を握っていたのがロスチャイルド財閥であった。そのためウラン原料を調達する監督官として国際的な役割を果たしたのがチャールズ・ハンブローであり、彼は戦時中にスパイ組織OSS(CIAの前身組織)を設立した大物でもあった。のちに『ハンブローズ銀行』の会長となり、イングランド銀行と南アフリカの大鉱山利権を支配した男である。」

「第二次世界大戦はユダヤ人にとってホロコーストの悪夢の時代であった。そのユダヤ人であるヴィクター・ロスチャイルド男爵、チャールズ・ハンブロー、ロバート・オッペンハイマーは、〈系図〉をみてお分かりのように、血のつながりを持つ一族だったのである。イギリスのロスチャイルド・ファミリーは金融王ネイサン・ロスチャイルドに源を発する一族だが、ちょうどその5世代ファミリーに、彼らが同じ血族として記録されているのである。オッペンハイマーは突然にニューメキシコ州の砂漠に現れた科学者ではなかった。

そしてここに、世界史の大きな謎がある。1989年にベルリンの壁が崩壊するまで続いた米ソの東西対立が、事実危険な対立であったか、それとも半ば両者が示し合わせた人為的な対立だったかという謎である。」

 


上は広瀬隆氏が作成した「系図」。ユダヤ人であるヴィクター・ロスチャイルド男爵、
チャールズ・ハンブロー、ロバート・オッペンハイマーは、血のつながりを持つ一族だった。
オッペンハイマーは突然にニューメキシコ州の砂漠に現れた科学者ではなかったのだ。

 

●さらに広瀬隆氏は、次のように語る。

「ヴィクター・ロスチャイルド男爵の再従妹にナオミ・ロスチャイルドがいるが、その夫はベルトラン・ゴールドシュミットというフランス人だった。後に国際原子力機関IAEAの議長となるのだが、この男は『マンハッタン計画』の指導的立場にいた。その『マンハッタン計画』に物理学者として参加していたユダヤ人、クラウス・フックスは、原爆に関する極秘資料をせっせと旧ソ連政府に流し、旧ソ連の原爆第1号が製造される。(フックスはスパイ容疑で逮捕され、1950年に懲役14年の判決を受けたが、1959年に釈放された)。

このクラウス・フックスを操っていたのがイギリス内部に深く根差した『ケンブリッジ・サークル』という組織だった。共にケンブリッジ大学出身のイギリス諜報機関MI5、MI6の最高幹部4人が、この組織を通じてソ連に核ミサイルに関する極秘情報を流していたのだった。そしてその中にMI5のソ連担当官アンソニー・ブラントという人物がいた。ブラントは女王陛下の美術鑑定家としても名高くナイトの称号を与えられていたが、実はソ連の二重スパイとして女王陛下を裏切っていたのだった。そしてこのブラントはアーサー・ブラントという父を持ち、その血縁者エディス・ボンソワを通じてハンブロー・ファミリーと結ばれている。」

「先にオッペンハイマーの一族として示した〈系図〉のヴィクター・ロスチャイルド男爵は、1990年にこの世を去るまで、このソ連の原爆スパイとして有名なイギリスの『ケンブリッジ・サークル』の最大の黒幕とみなされてきたのである。」

「このように東西を密かに流通する大きなパイプが走っていたのだ。しかも、パイプの東側ではシベリアの原爆開発が進められ、西側では彼らが全世界のウラン鉱山を支配して、今日まで人類史上最大のカルテルを形成してきた。南アフリカから生まれた利権は、想像できないほど天文学的なものだったのだ。」

 


第二次世界大戦中の
ロスチャイルド直系当主
ヴィクター・ロスチャイルド男爵

彼はソ連の原爆スパイとして有名なイギリスの
「ケンブリッジ・サークル」の最大の黒幕だった

 

●さらに広瀬隆氏はこう語る。

「核実験は、2つの目的を持っていた。1つは、高度で破壊力のある兵器を作るための軍事的開発である。しかしもう1つは、核爆弾を1発爆発させるごとに大量の札束を吹き飛ばす利権であった。東西の緊張が高まれば高まるほど、核兵器の開発は容易になったのである。」

「そして次に彼らに必要となったのは、原子力の平和利用へ移っていくなかでの“放射能の安全論”であった。ここで数々の生体実験を行なってきた科学者たちが所有しているデータに目がつけられたのだ。『マンハッタン計画』の命令系統には、大きく分けて2つの部門があった。第1が広島・長崎への原爆投下を実行した『原爆開発班』である。世界有数の科学者が集められ、核分裂を実用化した著名なグループだ。しかしそこに第2の部門として『医学班』が存在していたのである。放射能の危険性を研究した最高責任者がスタッフォード・ウォーレンであり、彼自身が生体実験を認可した当人であった。 〈後略〉」



●上の広瀬隆氏の話の中に出てくる「ケンブリッジ・サークル」とは、イギリスを震撼させた「ソ連の二重スパイ組織」のことで、ケンブリッジ出身の4人のダブル・スパイ、キム・フィルビー、アンソニー・ブラント、ガイ・バージェス、ドナルド・マクレーンがメンバーだったことで知られている。名門パブリックスクールからケンブリッジに進学したエリート中のエリートで、彼らはその才能とバックグラウンドを生かしてイギリス情報部、外務省、BBC、王室とイギリスの支配階級の中枢に深く潜入し、KGBに情報を送り続けていたのである。

なぜ将来を約束されたエリートたちが共産主義に傾倒し国を裏切るようになったのか、今でも大きな関心を集めている。

 

   
ソ連の二重スパイだった「ケンブリッジ・サークル」のメンバーたち。左から、
キム・フィルビー、アンソニー・ブラント、ガイ・バージェス、ドナルド・マクレーン。
特にキム・フィルビーは、冷戦時代にスパイ界の「キング」と呼ばれていた。

1979年11月、サッチャー首相は、公的にアンソニー・ブラントを
「反逆者」と発言し、ナイトの称号を剥奪した。

 

●スパイの世界に詳しい高橋五郎氏は、「ケンブリッジ・サークル」のメンバーだったキム・フィルビーについて次のように述べている。

「冷戦時代にスパイ界の『キング』と呼ばれたキム・フィルビーは、学生時代の1933年から熱烈なレーニン主義信奉者で筋金入りのソビエト・ロシアのスパイ。CIAは、フィルビーの正体を1960年代初頭には薄々感づいていたといわれるが、フィルビーは1963年頃にモスクワに逃げてしまった。逃げたというよりも、CIAが逃がしたというほうが、ベラスコのいう『良心的な歴史観』に沿っているかもしれない。

フィルビーがモスクワに逃げて、西側は大打撃を受けた。フィルビーは戦前・戦後を通してイギリス情報網の組織強化に情熱を燃やし、アメリカ戦略情報局(OSS)をCIAに改組強化するうえで力を貸し、両機関のソ連対策にまで知恵を授けてきたとんでもない人物だったからだ。」

「ところで、フィルビーの正体をCIAが見破ったことで、皮肉にも西側戦勝国の戦史や政治史の信憑性が疑われることになる。歴史学者はパニックに陥った。それまで戦勝国が公表してきた第二次世界大戦史と、それに沿って再生産された秘密諜報活動史、軍事作戦史をはじめとして、それらに準拠したスパイ小説、戦争指導者たちの得意げな、あるいは控え目な回顧録、映画、新聞、雑誌記事、テレビ番組など、とくに1960年代前半までに公開された『史実』は書き換えを余儀なくされた。しかし一度知った『歴史』を世間の人びとは面倒がって書き直さない。それをよいことに戦勝国は、スクープされない限りは、いまだに歴史の修正に無関心を装っている。」



●東京大学出身で、「アジア・アフリカ研究所」の名誉所長である岡倉古志郎氏は、「原子力利権」の実態について、著書『死の商人』(岩波書店)の中で、次のように述べている。

「1947年にアメリカで『原子力委員会(AEC)』という国家機関が創設され、『マンハッタン計画』が受け継がれた。引き継ぎの際、明らかになったことは、過去7年間に原爆生産に投下された経費が22億ドルの巨額に達していたということである。その後、冷戦が展開されるに及んで、原子力予算は、まず年額10億ドル台になり、ついで20億ドルを超えた。

『1つの新しい産業が突如出現した。それは、初めてベールを脱いだその時からすでに巨体であったが、やがて体全体が成長し、単一の産業としては現代最大の産業になっている』と、1948年末、当時のAECの委員W・W・ウェイマックは原子力産業の巨大なスケールについて述べている。

原子力産業は、『死の商人』にとっては、もっともすばらしい活動分野であった。何しろ、その規模がどえらく大きい。年額20億ドルもの巨費が建設や運営のためにばらまかれる。その設備はといえば、『USスティール』『GM』 『フォード社』 『クライスラー社』の4つの巨大会社を合わせたよりも大きく、数十万の技術者、労働者を擁している。

この土地、建物、機械などの固定設備はむろん、AEC、つまり国家がまかなうが、その建設、運営は『デュポン社』だとか、『ユニオン・カーバイド社』(ロックフェラー財閥系)や、『GE』(モルガン財閥系)のような巨大企業にまかせられる。建設、運営をひきうける会社は自社製品を優先的に売りこみ、すえつける特権があり、また、運営の代償として『生産費プラス手数料』の原則でAECに請求して支払いをうけるが、この『手数料』は純然たる利潤だとAEC担当官さえ認めている。このほか、運営に当たっていれば、科学技術上の機密が自然入手できるが、これらの機密は、将来原子力産業が民間に解放される場合には、ごっそりいただくことができる。

『死の商人』にとって、こんなボロもうけの分野がかつてあったであろうか。

ジェイムズ・アレンが『原爆崇拝のかげで景気のいい一つの商売がおこなわれている。それは、国家の権威をまとい、えせ愛国主義の霊気に包まれているが、いうなれば“ボロもうけの商売”である。しかも、この事業の目的たるや、大量殺人でしかない』と慨歎しているのも当然である。」

 

<原爆開発と原子力開発の組織の変遷>

1947年1月1日に「原子力委員会(AEC)」が発足し、「マンハッタン計画」を継承。
1977年10月1日に「エネルギー省(DOE)」が発足し、「AEC」など諸機関を継承。

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■第6章:冷戦で肥大化していった「軍産複合体(MIC)」


●陸・海・空・海兵隊・予備を含めて350万人以上の人間を擁し、あらゆる近代兵器を持ったアメリカ軍部は、そのメカニズムと力において他に類を見ない組織である。しかもその軍は、2万以上の企業と組んで、巨大な「軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス)」を形成している。


●軍産複合体の根幹を成しているのが「ウォー・エコノミー(戦争経済)」である。そもそも軍産複合体は第二次世界大戦と、それに勝つために必要であった複雑な兵器とともに起こったものであった。「軍事省」や「戦時生産局」は、航空機・大砲・戦車などを作り出すためには産業に頼らざるをえなかった。電子工学や原子力が兵器となるとともに、頭脳力を供給するために大学が選ばれた。大学は、戦争に勝ち、民主主義を救うための必要な協力者であった。


●そしてこの「軍」と「産業」の癒着構造(軍産複合体制)を生み出す大きなきっかけとなったのは、軍・産・官・学の連携によって進められた「マンハッタン計画」である。冒頭でも触れたように、「マンハッタン計画」では、5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入された。(ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円)。

ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。

 


「ロスアラモス研究所」

この研究所は、1943年、原爆の開発を目的として
ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密の国立研究所で、
初代所長はユダヤ人ロバート・オッペンハイマーが務めた。
1945年春には、理論物理部、実験原子核物理部、
化学及び冶金部、兵器部、爆薬部、爆弾物理部、
それに高級研究部があった。

 

●そして第二次世界大戦が終結すると、今度はソ連を相手にした兵器近代化競争に打ち勝つため、アメリカ政府は膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を結集して新しい武器の開発を求めてきた。

そこで得た研究成果は、「ダウケミカル社」「デュポン社」「ロッキード社」「ダグラス社」などに下ろされ、これら軍需産業が大量に生産。大学の研究室と産業と政府ががっちり手を結び、冷戦という獲物を手にして巨大な怪物へと成長した。


●この「軍産複合体」の中核に位置するのが、ペンタゴンとCIAである。1947年に「国家安全法」に基づいて、それまで独立機関であったアメリカ4軍を一元的にコントロールするために設けられたのが「国防総省(ペンタゴン)」で、更に同じ「国家安全法」に基づいて作られたのが「中央情報局(CIA)」であった。

このペンタゴンとCIAの誕生により、軍産複合体は一つのガッチリした“中央集権的組織”となって、アメリカに根を下ろしたと言えよう。

 

 
1947年に、「国家安全法」に基づいて誕生した
「国防総省(ペンタゴン)」と「CIA(中央情報局)」

 

●軍産複合体は年々肥大化し、ペンタゴンから発せられる莫大な「軍需注文」は、2万2000社もある「プライム・コントラクター(ペンタゴンと直接契約する会社)」と呼ばれる巨大な航空機メーカーやエレクトロニクス企業に一括して流されている。

更に、その周辺に彼らの下請け・孫請け会社1万2000社、彼らの金融面を司る多国籍銀行団、スタンフォードやハーバードなどの大学研究室が70以上、ランド研究所、フーバー研究所などペンタゴンと契約している「シンク・タンク」が16……などといったように、何百何千万人もの労働者や科学者、研究家、政治家、退役軍人、ロビイストたちが張り付いているのである。


●ちなみに、ペンタゴンと直接契約している企業は、まだ兵器を製造している段階で、多額の「推奨金(無利子の貸金)」を受け取ることができる。

例えば「ロッキード社」は、1968年12月の12億7800万ドルという支払い済み経費に対して、12億700万ドルの「推奨金」を与えられた。15億ドル近くの経費や設備を含む取引に対して、同社が調達しなければならなかったのは、7100万ドルの自己資金だけであった。


●ペンタゴンからの退役軍人の天下りの多さも無視できないものがある。

プロクスマイア上院議員のいうところによると、1968年財政年度には、主要軍需業の3分の2以上をやっていた100社は、その給与名簿に「2072人の大佐もしくは艦長以上の階級の退役軍人」を抱えていたという。トップは「ロッキード社」の210人で、その次に「ボーイング社」の169人、「マクダネル・ダグラス社」の141人、「ジェネラル・エレクトリック社」の89人と続くという。ペンタゴンの制服を着ていた時に、民間企業との多額の取引の交渉をやっていたその同じ人間の多くの者が、退役後は、その影響力や内部の知識を国防会社の利益のために行使していたわけだ。



●「軍産複合体」がアメリカ経済に対し、依然として強い影響力を持っていることに関し、国防産業協会の会長J・M・ライル元提督は以下のように言っている。

「もしも我々が軍産複合体を持っていなかったとするならば、我々はそれを考え出さねばならなかったであろう。というのは、今日の複雑な兵器を考案し、生産し、そして維持することは、必然的に、それを要求する軍部とそれを供給する産業との間の、最も緊密な協力と連携を伴うからである。」


●「ディロン・リード社」のジェイムス・フォレスタルや「ジェネラル・エレクトリック社」のチャールス・ウィルソンなどは、以下のような率直な見解を示している。

「アメリカが必要としているのは、永久的な“戦争経済”である。」


●ベトナムのある高官は以下のような告発をしている。

「……結局、一番もうかるのは、より性能のいい兵器により高い値札をつけてどんどん売りさばくことのできる“ビッグ5(国連常任理事国)”の兵器産業である。」

「ベトナム戦争ひとつを振り返ってみても、本当の“死の商人”が誰であったか一目瞭然だろう。まず、フランスが膨大な兵器を流し込み、その後をアメリカが引き継いだ。もちろん、そうなるとソ連も放っておけないから、北ベトナムやベトコンにどんどん新兵器を与え、やがては中国も介入していった。そうやって戦争がエスカレートして行きさえすれば、それぞれの国の兵器産業を中心とした軍産複合体もまたどんどん肥え太っていくわけだ。」



●ところで、「軍産複合体」という言葉を最初に使ったのは、トルーマン大統領の次に就任したアイゼンハワー大統領である。

彼は第二次世界大戦の欧州戦域で「連合軍」を指揮し、近代戦の凄まじい消費と後方の生産力のシステム化に成功した「戦争管理型軍人」として知られている。その意味で、「軍産複合体」の生みの親ともいえる人物であるが、それだけに内在する危険性についても考えていたようだ。

 


トルーマン大統領の次に就任した
第34代大統領ドワイト・アイゼンハワー

退任する時に、「軍産複合体(MIC)」の
危険性について警告を発していた

 

●アイゼンハワー大統領は1961年1月17日の大統領“退任”演説で、「軍産複合体」の危険性に関して、次のような警告を発していた。

「第二次世界大戦まで、合衆国は兵器産業を持っていなかった。アメリカの鋤(すき)製造業者は、時間があれば、必要に応じて剣も作ることができた。しかし今や我々は、緊急事態になるたびに即席の国防体制を作り上げるような危険をこれ以上冒すことはできない。我々は巨大な恒常的兵器産業を作り出さざるをえなくなってきている。これに加え、350万人の男女が直接国防機構に携わっている。我々は、毎年すべての合衆国の企業の純利益より多額の資金を安全保障に支出している。」

「軍産複合体の経済的、政治的、そして精神的とまでいえる影響力は、全ての市、全ての州政府、全ての連邦政府機関に浸透している。我々は一応、この発展の必要性は認める。しかし、その裏に含まれた深刻な意味合いも理解しなければならない。 〈中略〉 軍産複合体が、不当な影響力を獲得し、それを行使することに対して、政府も議会も特に用心をしなければならぬ。この不当な力が発生する危険性は、現在、存在するし、今後も存在し続けるだろう。この軍産複合体が我々の自由と民主的政治過程を破壊するようなことを許してはならない。」


●この“退任”演説の3日後に、ジョン・F・ケネディが大統領に就任。彼の対キューバ政策や対ソ連政策、対ベトナム政策などは、軍産複合体の利益と真っ正面から衝突した。

ケネディ暗殺の首謀者が誰なのかは知らないが、「2039年には全面的に真相を公開する」というアメリカ政府の声明は謎めいて聞こえる。

 

 
第35代大統領ジョン・F・ケネディ。右はケネディ暗殺の瞬間 (1963年11月)

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■第7章:葬られたスミソニアンの「原爆展」


●1995年、国立スミソニアン航空宇宙博物館で、「大戦終結50周年記念特別展」として、エノラ・ゲイを中心とする「原爆展」の開催が予定された。

この「原爆展」では、広島・長崎の被爆の様子も大きくとりあげ、被爆者の様々な遺品も展示される予定だった。アメリカではほとんど知られていないキノコ雲の下で起こった悲惨な出来事にも光を当てることで、核兵器の全体像をとらえようという意図だった。

 


スミソニアンの「原爆展」を企画した
マーチン・ハーウィット館長

 

●しかし、この企画はアメリカ国内で大きな反発を招いた。

多くのアメリカ人にとって、第二次世界大戦は正義と民主主義を守るための「よい戦争」であり、原爆の投下は戦争の終結を早めたと考えられているからだ。そのため、B29とキノコ雲は、アメリカにとって、勝利と栄光のシンボルである。

この「原爆展」の前に、アメリカはキノコ雲をデザインした「原爆切手」を発行しようとしたが、日本の反発で発行中止となる騒ぎがあった。この騒ぎで、アメリカ国内に、日本への原爆投下が残虐行為として認定されてしまうのではないかという危機感が広がり、この危機感がそのまま「原爆展」への反発へとつながっていったのである。

 


第二次世界大戦終結50周年を記念して、
1995年にアメリカが発行しようとした「原爆切手」

「原爆の投下が戦争の終結を早めた」という文章が
刷り込まれていたが、日本の反発で発行中止となる

 

●スミソニアンの「原爆展」への反発は、やがて、保守派を中心に議会や大統領まで巻き込んでの大きな動きとなった。特に「原爆展」反対を大きく唱えた団体は、「全米在郷軍人会」なる組織であった。

こうした動きに関連してクリントン大統領は、「原爆展」の中止を支持するとともに、「トルーマン大統領が下した原爆投下の決断は正しかった」と言明した。

 


第42代アメリカ大統領
ウィリアム・クリントン

「トルーマン大統領が下した原爆投下の
決断は正しかった」と言明した

(トルーマンもクリントンも、同じ「民主党」である)

 

●結局、「原爆展」は、50年前に勇敢に戦ったアメリカ兵を侮辱するものだとされ、中止に追い込まれてしまい、B29「エノラ・ゲイ号」だけを展示するものに差し替えられてしまったのである。

 


国立スミソニアン航空宇宙博物館に展示された
B29「エノラ・ゲイ号」 (1995年)

 

●この「原爆展」を企画したマーチン・ハーウィット館長は辞任に追い込まれてしまった。

彼は「原爆展」企画から中止までの経過を一冊の本にまとめて出版したが、取材に訪れた日本人記者に対して、「『原爆展』の挫折で日本人に学んでほしいこと」として、次のように語っている。

「“戦争教育”は、ある意味において諸刃の剣にも似た危うさを伴っています。もちろん“アメリカの正義”を主張するのも大切ですが、その側面だけを強調して、他の側面(被害者の立場)を捨象してしまえば、単なる戦争礼賛のためのデモンストレーションとなってしまいます。私は必死に説得活動を続けましたが、結局、私の考えは拒否され、館長を追われる結果となってしまいました。

このたび、考えに考えたすえ、ようやく脱稿した『拒絶された原爆展』という本が出版されましたが、真の“戦争教育”とは何かという主題をみんなで徹底的に議論してほしいという祈りをこめてこの書を世に問うたつもりです。

日本では、アメリカのタカ派とは全く逆の論調から、ややもすれば『加害者の立場』のみが強調されがちだと聞きますが、これもまた戦争の一面だけしか伝えないという意味において実に危険なことだと思います。スミソニアン博物館で何が失われ何が得られたかという議論を通じて、日本の“戦争教育”のあり方をもう一度真剣に考え直してもらえれば……と、私はいま痛切に感じています。」

 


『拒絶された原爆展』
(みすず書房)

スミソニアンの「原爆展」はなぜ挫折したのか?
「原爆展」企画から中止までの経過を、
館長を追われたマーチン・ハーウィット
自らがつづったドキュメントである

 

●この「原爆展」の諮問委員会を務めた、スタンフォード大学の著名な歴史学者であるバートン・バーンスタイン教授(ユダヤ人)は、アメリカの外交雑誌『フォーリン・アフェアーズ』に「広島再考」と題した論文を寄稿し、対日戦の早期終結に向け「アメリカ指導者は原爆使用以外の道を探求しなかった」などと、日本への原爆投下に批判的な説を展開した。

バーンスタイン教授は、「マンハッタン計画」の目標委員会の会議録などをもとに、ニューメキシコ州での爆発実験前から日本での投下先が詳細に検討され、都市中心部に目標が定められていた事実を紹介しながら、アメリカ指導層が当初から市民の大量犠牲を前提にしていたと指摘。

原爆投下が早い段階で既定路線になった背景として、彼はアメリカ軍によるドイツの「ドレスデン空襲」や「東京空襲」など戦略爆撃の例を挙げ、指導層や国民の戦争モラルが変質したと強調。「民間人の大量殺傷」を許す素地があったため、原爆投下を避けようとはしなかったと主張している。

 


バートン・バーンスタイン教授

スタンフォード大学のユダヤ人歴史学者。

原爆問題について30年近く研究を続け、
現在、原爆史研究の第一人者である。

 

●また彼は、こうした「道義感」の変質を「第二次世界大戦の産物」とし、

ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害(ホロコースト)と、アメリカの原爆投下に本質的な違いはないと結論づけている。


●更にバーンスタイン教授は、次のように主張している。

「原爆が戦争終結を早めたという議論の根拠はとぼしく、たとえ原爆を投下していなくても、ソ連の参戦によって11月前には日本は降伏していただろう。加えてアメリカの指導者の中で、1945年春から夏の段階において、『50万人のアメリカ兵の命を救うために』原爆を使用すべきだったと考えていた者など一人もいなかった。

広島や長崎への原爆投下を可能にしたのは、20億ドルもの資金を投入したプロジェクトの持つ政治的・機構的勢い、そして第二次世界大戦の熾烈な戦闘を通じて、(市民を戦闘行為に巻きこまないという)旧来の道徳観が崩れてしまっていたからに他ならない。

この道徳観の衰退こそ、後における核兵器による恐怖の時代の背景を提供したのである。

ドイツや日本の軍国主義者たちだけでなく、なぜアメリカを含むほかの諸国の道徳観までもが荒廃していたのか、この点にこそ我々が歴史の教訓として学ぶべきテーマが存在する。」

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■第8章:都市に対する無差別爆撃そのものが犯罪である


●スミソニアンの「原爆展」が中止になってからすぐに『スミソニアンの判断』という本がアメリカで出版された。

内容は「原爆展」中止に至るまでの経過の解説と、幻の企画書全文の紹介で、残り3分の1は前出のバーンスタイン教授の長い論文が占めていた。

この本を編集したのは、フィリップ・ノビレという異色のアメリカ人ジャーナリストで、彼は「アメリカ政府は原爆投下について日本に謝罪すべきだ」という考えの持ち主である。

 

 
(左)アメリカ人ジャーナリスト、フィリップ・ノビレ。
(右)彼が編集した『スミソニアンの判断』。
「原爆展」についての内容である。

 

●このフィリップ・ノビレは、都市に対する無差別爆撃=「戦略爆撃」そのものが犯罪であり、広島・長崎はその極限に位置すると捉えている。

広島・長崎はそれが「核爆弾」だったからいけないというのではなく、東京その他の日本の都市、ドイツのドレスデン、そして広島・長崎を挟んでのベトナムのハノイ・ハイフォン・バグダッドにまでつながってくる20世紀の戦争に特有の、「戦略爆撃」の歴史の中で位置づけなければならないと言う。

彼は次のように述べている。

「戦略爆撃、すなわち都市に対する無差別爆撃は悪魔的で残酷な行為であり、ローマ教皇も『無差別爆撃は神に対する犯罪である』と言っている。多くのアメリカ人は都市爆撃そのものがすでに間違いだったということに気付いていない。 〈中略〉 爆撃する側も払うコストが大きく、ヨーロッパではアメリカ軍の戦死者の10人に1人が飛行士だった。いずれにせよ、アメリカ人が、われわれは善人であいつらは悪人だと考えているうちは、真実の全体像は浮かんでこない。

わが国は、日本とドイツの戦争犯罪人を裁判にかけて絞首刑にしたわけだが、同時に自分自身も罰すべきなのだ。善意に満ちたアメリカ人が日本人と協力して、トルーマン大統領やチャーチル首相の戦争当時の意思決定や行動について徹底的に調査して、彼らを戦争犯罪人として裁く法廷を開くべきだ。」

 


廃墟になったドイツのドレスデン (1945年2月13日)

米英空軍の4日間にわたる徹底した無差別爆撃で、
宮殿や教会など18世紀バロック建築の建ち並ぶ
文化の街は一変、ガレキと化した

 

●ところで、日本本土への爆撃作戦(戦略爆撃)の司令官を務めたのは、ユダヤの血をひくアメリカ人、カーチス・ルメイ少将である。彼は対ドイツ爆撃(ドレスデン空襲その他)で実績を上げ、「空の英雄」と呼ばれていた。

彼は日本の家屋が木と紙でできていることに注目して、それまで補助的に使われてきた、油脂をばらまいて炎を広げる焼夷弾(Incendiary bomb)を用いて焼き払う方法を考え、ユタ州の砂漠に日本の家屋を建てて焼夷弾を投下してその効果を確かめもした。すなわち、最初から家屋を燃やし、日本人を焼き殺すという目的があったのである。

アメリカ軍による日本本土への爆撃は、最初は、武蔵野の中野飛行場など軍需工場を狙う「精密爆撃」だった。ところが、カーチス・ルメイが作戦の司令官に任命されてから、一般庶民皆殺しのために焼夷弾を投下する「無差別爆撃」に変わったのである。(これは非常に重要なポイントである)。

 


日本本土への爆撃作戦の
司令官を務めたカーチス・ルメイ

戦後は、戦略空軍(SAC)司令官、
空軍参謀総長などを歴任。ケネディ政権時には
キューバやベトナムへの「核攻撃」を主張した。
(ベトナム戦争で北爆を推進したのは彼である)

1968年の大統領選では、無所属で出馬した
ジョージ・ウォーレスの副大統領候補になった。
1990年12月10日に死去。享年83歳。


 
焼夷弾 (Incendiary bomb)

この焼夷弾が投下後に38個の子弾(右)を空中で放出し、
その衝撃により爆発、高温の油脂が飛び散って燃え広がる。

この焼夷弾の「実戦的テスト」がユタ州で日本の典型的町並みを
再現した標的に対して行なわれ、最高の効果を示した。

 

●アメリカ軍は1944年11月1日から都市空襲を本格化させ、六大工業都市を狙った後、

人口の多い順に日本全国64の都市を火の海にして、焼け野原にした。

1945年3月10日の東京大空襲では、40kuの周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。その後、約100万発(2000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が投下された。

こうして、一夜のうちに10万人以上の民間人(非戦闘員)が生きたまま焼き殺された。

まさにホロコースト状態である (ホロコーストは「焼き殺す」という意味を持つ)。

これが虐殺でなくて一体何が虐殺か?

 

 

カーチス・ルメイの指揮のもとに行なわれた
1945年3月10日の東京大空襲では、300機以上のB29爆撃機が
大編隊を組んで、無差別じゅうたん爆撃をした。約100万発の焼夷弾を落とし続け、
人も家屋も焼いて焼いて焼き尽くしたのである。一夜にして10万人の民間人が
焼き殺され、関東大震災をはるかに上回る面積が焼失した。運河も道路も
公園も、逃げながら焼け死んだ黒こげの死体で埋め尽くされた。

まさに「ホロコースト状態」である。これは原爆投下に
匹敵する戦争犯罪であり「大虐殺」であった。


空襲後、廃墟となった東京

3月以降も東京への空襲は続けられた。3月10日に
次いで被害の大きかったのは5月25日で、470機が来襲し、
それまで空襲を受けていない山の手が主な対象になった。

 

 
女性も子供も、生きたまま焼き殺され、黒こげになった死体の山

 まさに「東京大虐殺」と呼ぶにふさわしい凄惨な事件である…

 

●対日戦略爆撃を指揮したカーチス・ルメイは、戦後、回想記のなかで次のように述べている。

「原爆を落とすまでもなく太平洋戦争は実質終わっていた」

「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊したのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。女、子ども、老人も全て戦闘員だった。これをやっつけて何が悪いのか?」



●このカーチス・ルメイは、明らかに東京大空襲を始めとする無差別爆撃および原爆投下の直接の責任者である。(日本人は彼を「鬼畜ルメイ」と呼んだ)。しかし1964年12月6日、日本政府は彼に対して「勲一等旭日大綬章」(勲章)を授与した。授与理由は「戦後、日本の航空自衛隊の育成に協力した」からだという……。

日本の100万もの民間人を虫ケラのように虐殺した人物に勲章を与えてしまった日本政府の態度は卑屈以外のなにものでもない。無残である。この時の総理大臣は、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作だった。

 

1964年12月6日、日本政府は、
日本人を大量虐殺したカーチス・ルメイに対して
「勲一等旭日大綬章」(勲章)を授与した。

この勲章(上の写真)のデザインは、輝く太陽を
宝石やプラチナが取り巻く形になっている。この勲章は
日本のため最大級の功績があった人にしか贈られず、
今までも皇族や総理経験者など数えるほどの
納得できる人にしか贈られていない。

 

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■第9章:原爆投下を肯定する在米ユダヤ人組織「SWC」


●「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」というユダヤ人組織がある。

「SWC」は、第二次世界大戦中のナチスによるホロコーストを記憶し、ユダヤ人の人権を守るため、1977年に設立された組織である。その名前は“ナチ・ハンター”の異名を持つサイモン・ヴィーゼンタールを記念して付けられている。本部はロサンゼルスにあり、ニューヨーク、シカゴ、ワシントン、トロント、パリ、エルサレムにもオフィスを開設している。

 


“ナチ・ハンター”の異名を持つ
サイモン・ヴィーゼンタール

 

●アメリカだけでも会員が40万人を超える「SWC」の影響力は、計り知れないものがある。

「SWC」の力を日本人に知らしめたのが1995年に起きた「マルコポーロ廃刊事件」である。(この事件に関する詳細は、別ファイル「日本に圧力をかけるシオニスト組織『SWC』」をご覧下さい)。

 

 
「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」が運営する
「寛容の博物館(Museum of Tolerance)」=ホロコースト博物館

センターが運営するこの博物館は、1993年2月にロサンゼルスに設立された。
館内は「マルチメディア資料室」 「公文書資料室」 「ホロコースト・セクション」の
3つに分かれており、コンピュータを活用したマルチメディアや実際の展示品
などによって、ナチスの残虐さについて理解を深めることができるように
作られている。年間40万人を超える来館者があるが、このうち
約15万人は学校の授業で訪れる子供たちだという。

博物館の内部(ガス室を模した学習ルーム)

 

●この「SWC」は広島・長崎の原爆投下についてはどのような見解を持っているのだろうか? ナチスのホロコーストに匹敵する悲劇だと思っているのだろうか? アメリカが犯した「戦争犯罪」だと思っているのだろうか? 

この「SWC」の主張と活動を知る上で、非常に興味深い取材記事がある。『新潮45』(2000年12月号)に掲載された、『特別インタビュー「ユダヤは怖い」は本当ですか? 「SWC」のアブラハム・クーパー副館長に聞く』という新潮社編集部の取材記事である。


●この取材記事の中で、「SWC」の副館長であるラビ、アブラハム・クーパーは、南京虐殺事件と原爆投下について驚くべき見解を披瀝している。取材記事の一部分を下に掲載しておくが、これは、日本人にとっては看過することのできない内容であろう。

 

 
(左)『新潮45』(新潮社)2000年12月号
(右)「SWC」の副館長であるラビ、
アブラハム・クーパー

 

〈南京虐殺事件に関して〉

◆編集部 : 「SWC」は『ザ・レイプ・オブ・南京』を書いたアイリス・チャンをサポートしていると報じられています。けれど、彼女の本には多くの間違いがあることが指摘されています。

◆クーパー: アイリス・チャンだけではなく、本多勝一氏を招いてフォーラムを開きました。多くのアジア系アメリカ人の活動家がこのフォーラムに参加してくれました。

◆編集部 : アイリス・チャンと本多勝一という人選はあまりに偏っています。否定派は招かないのですか?

◆クーパー: センターとして色々オープンな形で受け入れるけれども、「犠牲者はわずかに3、4万人」というようなことを口にする人を講師として招くことは、絶対にしません。


〈原爆投下に関して〉

新潮社編集部の「第二次世界大戦で人類に対する明らかな犯罪が2つあったと思います。ひとつはホロコースト、もうひとつは原爆投下です。その責任追及を『SWC』がする予定はないのでしょうか?」の質問の中で、次の問答がある。

◆編集部 : 原爆による無差別爆撃の事実は明らかで、これは戦争犯罪ですから、アメリカの戦犯追及を考えるべきです。

◆クーパー: 率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません。

◆編集部 : それは納得できません。非戦闘員の殺害は明らかに戦争犯罪じゃないですか。

◆クーパー: ノー。戦争というのは非常に悲惨な出来事なわけですけれども、2つの原爆を落としたことで、戦争が終わったという事実はあるわけです。もしトルーマンが原爆を落とさなければ、さらに多くの死傷者が出たでしょう。

 

●上の取材記事からも分かるように、「SWC」に代表されるシオニスト・ユダヤ人勢力は、自分たちのホロコースト体験は世界に向けて盛んに宣伝するが、他民族が体験したジェノサイド(ホロコースト)に対しては無関心(冷淡)のようである。現在、パレスチナで進行中のホロコーストに対しても冷淡で、むしろユダヤ人によるパレスチナ人の虐殺を積極的に支持している有様だ。

「SWC」を「平和・人権団体」と呼ぶ人がいるが、「SWC」は非ユダヤ人の平和・人権に関しては無頓着だといえる。その偽善ぶりに、最近では、「SWCはホロコーストを商業化している!」として、一般的なユダヤ人からも批判が出ている。(この件に関しては別の機会に詳しく触れたい)。



●なお、日本政府や日本の民間諸団体は、以前からイスラエル政府に、ユダヤ人の災難犠牲者と原爆被害者を合同で追悼するよう呼び掛けている。

つい最近、日本政府はイスラエル政府に、ユダヤの「イェド・ファシム機構」のような「日本災害機構」を広島市に建設する計画を提案したことがある。イスラエルからユダヤの災難を表す物品を提供してもらい展示するというものだった。

しかしこの要請は断られた。

イスラエル政府の外務省高官は、「日本には敬意を表するが、2つの災難を比較することは出来ない」と語った。

 

 

 

●このことから分かるように、在米ユダヤ人組織やイスラエル政府は、ユダヤ人が被った災難と、広島・長崎への原爆投下を同列に扱われることを非常に嫌がっているのだ……。

もっとも、ユダヤ人たちの気持ち(心情)は分からないでもない。

「アウシュヴィッツの悲劇」を、「原爆の悲劇」とは比較することのできぬ「人類史上最悪の出来事」として、このままずっと世界中の人々に強くアピールし続けていきたいのだろう。


●しかし、当館は声を大にして次のように主張したい。

「核兵器は『ホロコースト兵器』であり、大都市を一瞬にして“焼却炉”にし、一般市民の命を無差別に奪いとる『炎の絶滅兵器』である。

広島・長崎への2度にもわたる原爆投下は、アウシュヴィッツの悲劇に勝るとも劣らない『人類の悲劇』であった」と──。

 

 
核兵器は大量の人間を一瞬にして焼き殺す「炎の絶滅兵器」である。
通常の爆弾と違って、深刻な「放射能汚染」を引き起こすのが大きな特徴である。

このような悪魔の兵器が、二度と都市に対して使われることがないように祈りたい。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------------------------------------

 

以上で「本論」は終了です

ここより下はサブテキスト(追加情報)です

 


--------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 1: イスラエル在住の日本人からのレポート


●下は、とあるイスラエル在住の日本人が書いたレポートである。この文章を読むと、ユダヤ人の中にも、アメリカの対日原爆投下に対して強い疑問を抱いている人がいることがわかる。参考までに、どうぞ。

 

── なぜトルーマンは日本に原爆を落としたのか? ──


イスラエルに移住して、キブツでビジネスに携わる40代のカナダ系ユダヤ人のA氏と話したときのこと。国際法にも詳しく、弁護士資格も持つA氏は、歴史には疎いといいながらも、私の妻が長崎生まれだと教えると、話題がアメリカの原爆投下の話になった。

「日本人は原爆投下でアメリカを非難しているのか?」とA氏。「少なくとも高校までの歴史教育では、アメリカを非難する論調はなかった」と答えると、「どうして?」と不思議そうにさらに尋ねてきた。

「日本の歴史学者は左翼が多く、戦争に導いた日本の旧指導部を非難することはあっても、原爆を投下したアメリカを非難することはあまりない」などと答えておいたが、自らを振り返り、原爆投下の功罪を大学生になって、自ら歴史を勉強するようになるまで考えることのなかった教育環境についても考えさせられた。

「しかし、アメリカでも、本土決戦に突入した場合、アメリカ軍に50万から100万人もの犠牲者が出ると想定し、その前に原爆投下をしたことで日本の早期降伏をもたらしたとの、いわゆる原爆投下を正当化する意見もあるが…」とこちらが問い返すと、「それは詭弁だ」とA氏。

A氏によれば、仮に原爆投下で日本を早期降伏に導くつもりなら、北海道の原野など過疎地域に原爆と落とし、その威力を日本の当時の指導部に知らしめることで十分、その目的は達せられたというのだ。

それをわざわざ人口密集地に落とし、非戦闘員である多数の婦女子を含む一般市民を大量虐殺したのは、やはりアメリカの大きな戦争犯罪である、と指摘するのである。

A氏の話を聞いていて、当時のアメリカ指導部(トルーマン大統領など)は、大量殺戮兵器の威力を具体的な人体実験で試してみたいという“悪魔の思想”に取りつかれていたのではないか、との考えがよぎった。そして人体実験には白人ではない日本人を選択した……。

日本の歴史学者などは、過去の日本の悪事を暴くのに熱心だが、アメリカの原爆投下の真意なども、冷静な目で研究すべき課題ではないのか。ユダヤ人A氏との会話で、そう強く感じた。

(1997年8月13日)

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 2: ユダヤ人科学者テラー博士は語る 「広島への原爆投下は間違っていた」


●「原爆・水爆・SDIの父」とも「大量殺戮兵器の父」とも呼ばれるエドワード・テラー博士。

彼は1958年に、「ロスアラモス研究所」に代わる第2の核兵器研究所「ローレンス・リバモア国立研究所」の所長に就任し、その後カリフォルニア大学バークレー校で教える傍ら同研究所の副所長を務めた。

 


ユダヤ人科学者エドワード・テラー

レーガン時代にアメリカ科学界最高峰の
栄誉とされる「アメリカ国家科学賞」を受賞

 

●彼は絶えず「核計画推進」の主張者であり続け、実験と開発の継続を訴えた。

(この「ローレンス・リバモア国立研究所」は、冷戦中、アメリカの核戦略ミサイルの10発中9発の核弾頭の開発を担った。またSDI研究の中心地として活躍した)。

 

 
(左)「ロスアラモス研究所」に代わる第2の核兵器研究所として、
1952年にカリフォルニア州に作られた「ローレンス・リバモア国立研究所」。
(右)1984年に「SDI計画」の予算を使い同研究所内に設けられたレーザーの
実験施設「ノバ」。10本のレーザーを使い、当時世界最大出力を誇ったが、
膨大なエネルギーを消費するため、1日に数度しか運転できなかった。

 

●テラー博士は晩年、「ローレンス・リバモア国立研究所」の名誉所長に指名され、その後、非常に高齢なため現役を退き、コロラド州デンバーから飛行機で1時間半ほど飛んだ、サン・ホセという街の郊外で、美しい環境に囲まれた2階建ての家に、夫人と2人きりで生活していた。

 

 
晩年のテラー博士

 

●1993年6月8日、テラー博士はニューメキシコ州のロスアラモス市で開かれた原爆開発50周年の記念イベントで講演し、次のような貴重なコメントを残している。

「広島に原爆を投下するよりも、東京湾のように被害が少なくて済む場所で爆破して戦争を終結する方法もあった……」


●この件に関しては1993年6月10日付『朝日新聞』夕刊で詳しく報じられているが、

この後の朝日新聞の取材に対しテラー博士は、「広島への原爆投下は核時代の誤った幕開け(wrong start)だった」とも話したという。


※ テラー博士は2003年9月に、脳溢血のため死去した。95歳だった。



●ちなみに、最初に原爆製造を進言したユダヤ人科学者レオ・シラードも、戦後、次のように述べていた。

「振り返ってみると、示威についての議論は示威の可能性をあまりに強調しすぎたと思う。私たちが十分議論しなかったことは日本は必ず負けるということであった。

この戦争は『政治的手段』で終わらせることができ、『軍事的手段』で終わらせる必要がなかった。」

 


ユダヤ人科学者レオ・シラード

彼は最初に原爆製造を進言した男だが、
ナチスの脅威が去ると、対日戦争での
原爆使用に対して、最後まで
「反対請願」を展開した

 

●大戦中、「マンハッタン計画」に参加したフェルト博士も次のように述べている。

「何といっても、最初の原爆投下はある意味では、わき目もふらずにあれほど強く専念してやったことが成就したものであった。

しかし、2発目(長崎)の原爆によって我々は『一体どうなってしまっているのか。こんなことを放っておいてよいのか』と疑いを持った……」



●この博士が述べているように、なぜアメリカは2発目の原爆を使用する必要があったのか?

なぜ、広島を破壊した後、しばらく様子を見ることもなく、すぐに(3日後に)長崎を破壊したのか?

この問題について、ある歴史研究家は次のように述べている。

「ヒロシマについで3日目、ナガサキに原爆が落とされた。これにはさすがにアメリカ市民の間でも早過ぎるという非難の声があがった。

また現在にいたるまで、もし日本の軍部がもっと早く調査をし、政府が早く終戦の決定をしたならナギサキは防げたと考えられている。しかし、この観察には一番重要な要素、すなわち主導権を握っていたアメリカが欠けている。

なぜ2発目が時間を置かずに相次いだのか?

これも原爆投下は誰が、いつ、何の動機で決定したかの問題である。

当時、トルーマン大統領は、実は日本が降伏しようとしまいと、あまり関心はなかった。だからこそポツダム宣言を発表して日本に降伏勧告はしたものの『原子爆弾を使うぞ』とも言わず、また宣言から『天皇制は存続させてもよい』保障を削ってしまった。

したがって、ポツダム宣言が日本政府に〈黙殺〉されたからヒロシマ攻撃を発令したのではない。また、ヒロシマがやられてもまだ降伏しないからナガサキを攻撃せよ、と命令したのでもない。その証拠は存在しない。

当時、原爆開発の司令官だったレズリー・グローブス陸軍少将は、日本が早く降参しないようにと祈っていた。同時に早く原爆が出来るようにと祈っていた。

1945年6月と7月、『急げ! 金も手間も材料も惜しむな! とにかく急げ!』の厳命がマンハッタン機構の隅々にまで走っていた。これについての証言は、いくらでもある。 〈中略〉

結局、アメリカの指導者たちは原爆を人間が密集するエリア(都市)に落とすことで、その殺傷能力(破壊力)を観察したかったのだ。それは、ウラン型とプルトニウム型という2種類の異なる原爆を連続して投下したことからも分かる。また彼らは、原爆のテスト(生体実験)と同時に、戦後の覇権争いをにらんで、アメリカの力を世界に誇示したかったのである。

つまり2発の原爆は、日本政府を威嚇するためではなく、世界(特にソ連)を威嚇するために使用されたのだ。」

 


退任直前の陸軍長官スチムソンから勲章をもらう
レズリー・グローブス陸軍少将 (1945年9月13日)

グローブスは原爆開発のための「マンハッタン計画」を
指揮した。高圧的な性格で、何かトラブルが起きるとすぐ
「オレは大統領のお墨付き。文句があるなら大統領に言え!」と
怒鳴り散らしたという。(彼は京都への原爆投下を主張していた)。

 

●1999年12月20日に世界三大通信社の一つである「AP通信」に加盟する、世界36ヶ国にある71の報道機関が選んだ「20世紀における20大ニュース」の1位に選ばれたのは、広島・長崎に対する原爆投下であった。ちなみに日本軍の真珠湾攻撃は18位だった。

世界のジャーナリストが原爆投下を20世紀最大のニュースとしたのは、核兵器の使用が人類史上、希にみる残虐な行為であり、 国家(アメリカ)が犯した最大の過ちだったからである。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 3: 『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』──「反転爆撃」説の紹介


●戦時中、広島で原爆を体験した若木重敏氏は、アメリカ軍の爆撃機B29は、広島への原爆投下に先立って「巧妙なトリック」を仕掛け、人間の被害を極大にしたと述べている。

(1994年に出版された若木氏の著書『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』光文社より)

 

 
『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』
若木重敏著(光文社)

著者・若木氏は京都大学理学部卒の工学博士で、
戦後は、抗生物質並びに抗ガン物質の研究に従事し、
1972年に「紫綬褒章」受章、1987年に「勲三等旭日中綬章」受章、
1989年には「高松宮妃癌研究基金学術賞」と
「ベルギー王冠コンマンダー勲章」を受章

 

●若木氏によれば、8時15分の前に、爆撃機は広島市上空を旋回し、警戒警報を出させ、その後いったん飛び去り、警報が解除されて市民が安堵感から防空壕や家から外に出てきた頃合いを見計らって、直ちに「反転」して広島市上空に戻り、原爆を投下したという。

その証拠に、「エノラ・ゲイ号」とその僚機の当日の航路など、具体的な行動記録については現在に至るまで公表されていないという。

 


広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」

 

●若木氏は次のように述べている。

「爆撃を行なった当のアメリカの権威ある数多くの著書のどれにも、エノラ・ゲイ号が日本に近づいてから、どんな航路を取り、またどこでどのように進路を変えたかの具体的な記述をしたものは一冊もない。

これは実に異様なことである。

その異様さの第一は、日本の海軍も陸軍もNHKの放送も、豊後水道および国東半島を北上した大型3機が広島上空に来襲し旋回したので警戒警報が出されたといっているのに、アメリカのどの文献にもその3機のことについての記載が全く出てこないことだ。またアメリカの文献では一様に気象観測機のストレート・フラッシュ号が広島を襲ったので7時9分に警報が出されたと書いている。日本のどの記録にも、ストレート・フラッシュ号のことなどは問題にしていない。問題にしているのはアメリカ人だけである。

第二は、広島が被爆したときに空襲警報も警戒警報も発令されていなかったことは明白な事実なのに、アメリカの代表的な著名文献の全てが、被爆時、警報は発令されていたと、例外なく書いているのである。

この明白な2つのウソをなぜ揃いもそろって書かなければならなかったのだろうか。それは、この2点こそが、アメリカ空軍の作戦を立てた人が、日本人に、いや世界の人に最も知られたくない問題点であったからではないかと私は思うのだ。」

 


『原爆機反転す』の著者・若木氏が推測する「エノラ・ゲイ号」の航路

 

●そして若木氏は自著の中で数々の「傍証」をあげながら、次のように述べている。

「私は自分の得た情報に基づき、エノラ・ゲイ号らは、いったん広島上空を西から東に飛び、ついで方向を東から西に変え、いわゆる『反転爆撃』をしたのではないかと推測している。

爆撃機(3機のB29)が広島上空を旋回し警戒警報を出させ、播磨灘に抜けたのは7時25分であり、警報解除になったのが7時31分である。 〈中略〉

……すなわち、私は爆撃機がいったん広島上空を飛んで警戒警報を出させ、ついで飛び去り、警報が解除になり人々が防空壕から出て、リラックスしたその瞬間を狙って爆弾を炸裂させた、謀略的に人間の大量殺戮実験を行なったのではないかという懸念を抱いているのだ。 〈中略〉

広島爆撃の2ヶ月前の名古屋空襲でも、警報解除後を見計らっての爆撃という同じことが行なわれ、恐るべき人員殺傷効果を上げた事実がある。警報発令、次いで解除された状態で、アメリカ空軍が爆撃して大きな殺傷効果を上げたことは、すでにヨーロッパで実験済みである。」



●「広島被爆後50年経った。そろそろ、本当のことをアメリカのジャーナリストが、調査し報告してくれてもいいのではないかと考えるのである。本書以上の検証は日本人には不可能に近いのではないかと身にしみて感じているからだ。こんな本を書くと、私は反米主義者ととられそうだが、お断りしておきたいことは私は反米主義者ではなく、むしろ親米主義者に近いつもりである。」

このように若木氏は述べておられるが、氏が主張する「反転爆撃」説は、果たして正しいのか否か──。

これは非常に重要なテーマだと思うので、今後、新しい研究(新資料の発掘など)によって、この問題が完全解明されることを期待したい。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 4: 広島の空に白く大きく華やかに開いた「落下傘」の謎


●1945年8月6日、「エノラ・ゲイ号」とともに作戦に参加したB29「グレート・アーティスト号」(科学観測機)は、原爆投下と同時に爆発力測定用のラジオゾンデを吊るした「落下傘」を3つ落下させた。

この青空に目立つ直径3mの「落下傘」は、空を見上げた市民たちに目撃されている。

 

 
(左)「落下傘」を3つ投下したB29「グレート・アーティスト号」 
(右)この機体に大きく描かれたノーズアート(帽子を手にした芸人)

 

●広島の被爆者である河内朗氏(元・国連本部の財務官)は、著書『ヒロシマの空に開いた落下傘』(大和書房)の中で、このパラシュートの落下は一般に説明されているように、原爆の爆発を確認するための電波を出させる器具であったばかりでなく、人々を死に誘い出すための工夫であったと主張している。

 


『ヒロシマの空に開いた落下傘』
河内朗著(大和書房)

 

参考までに、この本の内容から一部分を抜粋しておきたい↓

 

■ヒロシマの空に開いた落下傘 / 河内朗著 (1985年)


原爆攻撃は最初から最後まで、綿密かつ完壁に計画された。

まず10ヶ月の長きにわたり、訓練している。1発だから1機でいいのに、2機も伴走させて人々がいかに死ぬるか、観察した。その3機を見て人々が逃げ出さないよう、あらかじめ馴らした。このような準備は、すべて、可能なかぎりたくさんの人を殺そうとしたからである。 〈中略〉

同じ理由から攻撃の時刻もわざわざ計算に入れた。

月曜日の朝、8時15分。通勤・通学のラッシュ・アワー。人々は勝手を知った身辺の防空壕を離れて移動中であった。

〈中略〉



……そして、ひどいと言えば、いまひとつ非道が残っている。

パラシュートである。

朗は江川隆の眼球が溶けて真珠になったのを目撃し、親友が「見てくれ、おれはこうして死んだ」と呼んだのだと信じた。でなければ、あれだけ多数あった死体の中で、かれとも知らず、その一体にだけ惹きつけられた理由がない。

眼球が溶けた、すなわち江川は、何かを、見ていた。

何を見つめていたのか気になった。

爆撃機は点であったし、爆弾は石ころのように落ちたのだから見えはしない。見えたのは、その数分前に、広島の空に、大きく開いた3つの落下傘に間違いない。



落下傘は「観測筒」を吊ったという。

直径35cm、全長1.6mの「観測筒」の内部にはリレーだのスイッチだの発信装置らしいものが入っている。説明も気圧測定のラジオ・ゾンデと同じように原子爆弾炸裂時の圧力その他を無線で送信したとあり、一般もまたそのように納得した。

しかし、それは日本側の自己解釈だから、マンハッタン機構側の裏づけを取る必要がある。ところが、どうしたわけか、観測データどころか、「観測筒」そのものについても説明が見つからない。犠牲者が出るとわかっていたからその場で観測したと発表するのにとがめを感じたのだろうか、とにかく、「観測筒」についてもデータについても話が全く出てこない。 〈中略〉

マンハッタン計画の司令官グローブス少将の陰険な性格と自己顕示の心理からして何かわけがあると直感し、つぎのように調べてみると、なんと、爆発力測定が無益無用であった。

兵器専門家、火薬担当官などに尋ね、科学書で裏づけを取ってみると、爆薬の強さは爆風圧で測るが、爆風圧は距離の二乗に反比例してツルベ落としの急激さで弱まるので、距離はごく精密に設定しなければならない。

1mの誤差があってもダメだという。だからこそ爆弾でも砲弾でも直撃点から少し離れてさえいれば助かる。逆に新しい種類の爆薬の効率を測るには、まず爆発点とセンサー、すなわち感知機との距離を正確に測定する。つぎに爆発させてセンサーの度合いを調べ、それを既知既定の度合いと比較する。したがって正確な2点間の長さが決め手となる。

ということは気圧源との距離を無視するラジオ・ゾンデとは全く似て似つかぬ方法なのであった。



ヒロシマの場合はどうか。

落下傘にブラ下がってフワフワ降りる「観測筒」は風向き次第、感知器はどこへ行くやら知れたものではない。一方、爆弾は石ころのように落ちる。このどちらも動いている両者の間の距離は、絶対に、測り得ない。また、そうまでムリをして概算しなくても7月16日、アラモゴードでは、動かない地上の2点間をあらかじめキッチリ測り、爆発力はすでに計算してあった。

とすると「観測筒」は全く無用──。

しかしあのグローブス少将が不必要なことをするはずがない。

よく考えてみると「観測筒」は見せかけのラジオ・ゾンデとして皆を欺くためであり、実際に必要なのは、だれ一人としてその意味を疑わないであろう「落下傘」なのであった。

なぜ「落下傘」か?

地上の人間の注意を喚起するためである。落下傘は現在ですら珍しい。当時とすれば尚更のことで、結構な見世物になった。かすかな爆音に気づいたヒロシマの人たちが不安を感じてその方角を見上げると、青く晴れた空にポッカリ、見たこともない落下傘が白く大きく華やかに開く。

思いがけない光景に人びとは袖を引き、他の人に声をかけ、アレヨアレヨと皆で3個の落下傘を見守った。

その背後に「原子爆弾」がツーと落ちつつあるとも知らないで……。

そしてその人たちはすべて死ぬか、目を焼き切られた。

〈中略〉

「そういえば、爆音がして一番先に気づいたのは落下傘だった」と繁が言った。

「ぼくも見た」と優が言った。

シルク・ロードを描いて有名な平山郁夫画伯をのぞき、他にあの「落下傘」を見て無事な人はいない。

 

※ 以上、『ヒロシマの空に開いた落下傘』河内朗著(大和書房)より

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 5: 長崎原爆で破壊された東洋一の「キリスト教大聖堂」


●長崎の浦上(うらかみ)地区は、長崎の北に位置する農村であり、戦国時代の末頃から「キリシタンの村」であった。

度重なるキリシタン弾圧に耐え、信仰の自由を得たカトリック信徒たちは、レンガを一枚一枚積み上げ、30年の歳月をかけて大正14年(1925年)、自分たちの教会=「浦上天主堂」(うらかみ てんしゅどう)を完成させた。

この大聖堂は、赤レンガ造りのロマネスク様式で、当時、東洋一と言われていた。

 

 
(左)原爆で破壊される前の「浦上天主堂」(1925年に完成)
双塔の高さは26m、東洋一の壮大さを誇っていた
(右)天主堂内部の祭壇の様子

 

●この日本におけるキリスト教布教のさきがけとなった地(日本最大、最古の信徒が残った地域)に原爆を投下したのは、

皮肉なことに“キリスト教の国”だった…。

 

 
(左)長崎に原爆を投下したB29「ボックス・カー号」
(右)この機体に大きく描かれたノーズアート


 
長崎に投下する直前に撮影されたプルトニウム型原爆「ファット・マン」
(長さ3.25m、直径1.52m、重さは4.5t もあり、かなり大きい)


↑笑みを浮かべながら原爆にサインを
 書き込むアメリカの軍人たち…


 

原爆を積み込んだB29「ボックス・カー号」は、
広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ号」と同様、
早朝テニアン島を出発し、当初第1目標の小倉上空に
達するが、天候が悪かったため投下を断念、目標を
 急遽第2目標の長崎に変更したのであった…


  
長崎上空でプルトニウム型原爆が炸裂した瞬間

最高数百万度の熱火は、直径280m、
表面温度5000度の火の玉に膨れ上がり、
放射線と強烈な爆風を四方に放ちながら、
一般市民や、家と工場、学校を焼いた。

 

●1945年8月9日、長崎への原爆投下により、浦上一帯は猛火に包まれ地獄と化した。

爆心地から至近距離にあった「浦上天主堂」は、一瞬のうちに爆風で全壊した。

天主堂には、被昇天の祝日の準備のため信徒24名と神父2名がいたが、全員が即死した。

天主堂は深夜まで燃え続け、浦上地区に住んでいた1万2000人の信徒のうち、8500人がその日に亡くなった(爆死した)。

 


廃墟となった「浦上天主堂」(Urakami Cathedral)

爆心地から至近距離にあった「浦上天主堂」は、一瞬のうちに爆風で全壊し、
天主堂内にいた2人の神父と24人の信徒が運命を共にした。この原爆のため、
当時の浦上教区信徒12000人のうち8500人が爆死し、浦上一帯は廃墟と化した。

この「浦上天主堂」の廃虚は、広島の「原爆ドーム」とともに、原爆の威力と悲惨を
物語る長崎の代表的な原爆遺跡として注目されていた。「原爆ドーム」と同様に、
平和祈念のシンボルとして永久保存しようとする被爆者と市民の声は高かった。

しかし、破壊が凄まじく、保存が困難であるなどの理由で、1958年、ついに
「全面撤去」され、長崎はこの歴史的な“証人”を失ってしまったのである。

 

●浦上の信徒たちの願いは、一日も早い「神の家」の再建だった。

「浦上の聖者」とあがめられた永井隆博士は、「浦上天主堂」の残骸撤去を支持し、こう述べていた。

「こんなもの(天主堂の残骸)を見るごとに私たちの心がうずくばかりでなく、これから生まれ出る子供たちに、我々の世代が誤って犯した戦争によって『神の家』さえ焼いた罪のあとを見せたくない。むしろ平和な美しい教会を建て(再建して)、ここを花咲く丘にしたい。」

 

 
(左)永井隆・医学博士
(右)被爆の体験記録『長崎の鐘』

博士は原爆に被爆し、自ら病を患いながらも
「被爆者救護」に努めた。壮絶な闘病生活の中、
『長崎の鐘』など多くの名作を生んだ。
43歳の若さで亡くなった。

※ たくましい人間愛の物語でもある『長崎の鐘』は、
 欧米数ヶ国語に訳され、世界的反響を呼んだ。

 

●この永井博士の言葉通り、現在、浦上地区には新しく作り直された「浦上天主堂」が建っているが、戦前から「浦上天主堂」の写真を撮り続け、被爆後の残骸を写真に収めた津場貞雄氏は、1958年の旧・天主堂の取り壊し工事のときのことを次のように語っている。

「取り壊しには昔ながらの万力が使われた。強力な万力を使っても、まるで壊されるのを拒むかのように天主堂はなかなか壊れなかった。そして大部分はハンマーで打ち砕かれていった。

原爆の大切な資料が消されていくことに、取り返しのつかない無念さを感じた。」


※ この津場氏と同じく、当館も旧・天主堂の残骸撤去には「取り返しのつかない無念さ」を感じる。旧・天主堂は、広島の「原爆ドーム」とともに、原爆の威力と悲惨を物語る長崎の代表的な「原爆遺跡」として残しておくべきだったと思う……。

 

 
(左)被爆した聖人の石像。どれも熱線で黒く焼けこげ、
鼻や頭部を欠いたものもあり、その姿は痛々しい
(右)溶けたロザリオ(数珠と十字架)

 

●ところで、被爆したあの日のことを浦上(うらかみ)では「浦上五番崩れ」という。

その前の「浦上四番崩れ」は明治新政府により、浦上地区のカトリック信徒が村ぐるみ「流罪」に処せられたキリシタン検挙事件を指すが、「四番崩れ」で壊滅し、その後復興した村は、再び「五番崩れ」の原爆で廃墟となった。


●現在、浦上で生活しているクリスチャン女性は、こう語っている。

「ここに原爆が落とされたのは、雲の切れ間にこの町が見えたというその日の天候だけが理由で、本当は他の大都会が目的だったらしいのです。山の谷間のような地形のここでなく、広い平野の町だったら、この何百倍もの被害が出たかもしれません。

浦上は、人類史上最も悲惨な世界大戦に終止符を打つために、人間の罪の代償として天に捧げられた町だったと思います。」

 


新しく作り直された「浦上天主堂」で
祈りを捧げる信徒たち

今も長崎にはカトリック信徒が多く、町全体が
静かに祈っている様な雰囲気がある。そのため、
原爆の落とされた広島が「怒りの町」と呼ばれるのに
対して、長崎は「祈りの町」と呼ばれることがある。

 

●原爆文学の記念碑的作品である『地の群れ』を書いた作家・井上光晴氏は、こういう長崎の姿勢に対して、「なぜ長崎の人はもっと怒らないのか。怒り方が少ない。原爆まで妙な観光にしてしまって」(季刊『長崎の証言』3号)と嘆いた。

長崎の問題に詳しい「西日本新聞社」東京支社の編集長である馬場周一郎氏によれば、長崎には一般の日本人にはあまり知られていない“意識の断層”問題が横たわっているという。

彼は、こう語っている。


「原爆の対日投下に関するアメリカの『暫定委員会』資料によれば、もともと長崎市への投下目標は浦上ではなく、人口が密集した市街(眼鏡橋が架かる中島川付近)だった。それが、一瞬の天候条件によって浦上上空で炸裂したのだった。

これを一部の市民は『市街に落ちなかったのは、お諏訪さん(秋の大祭「くんち」で知られる諏訪神社)が守ってくれたおかげ』と言ってはばからなかった。そして『浦上に落ちたのは、お諏訪さんに参らなかった“耶蘇(キリスト教)”への天罰』との悪罵(あくば)を浴びせた。それは長いキリシタン迫害の歴史のなかで醸成された長崎の一般民衆の異教徒への信仰差別が吐かせたものであった。 〈中略〉

……同じ被爆都市ながら、広島は河口に発達した比較的平坦な地形であることから被害は万遍なく広がった。これに対し、長崎市は市街と浦上地区が山で遮られていることで被害は軽重を分けた。

加えて、カトリック(浦上)と神道(市街)の宗教的、文化的異相……。『原爆は長崎に落ちたのではなく浦上に落ちた』。長崎でよく口にされるこの言葉こそ、原爆がどのようにとらえられているかを如実に示すものといえる。

長崎の反原爆運動が広島ほど全市的な怒りの熱気を帯びないのも、こうしたことに淵源(えんげん)がある。反文明の究極兵器の使用に対して、立場や地域を超えた運動の構築が求められるのに、『俺のところには関係ない』といった他者意識が連帯を分断する。〈中略〉

……戦争においては被害者と加害者は常に裏返しの関係であり、第三者など存在しない。長崎原爆は浦上でも市街でもなく、人類全体の頭上に落とされたことを知るべきである。」

 


浦上駅のプラットホームで寄り添って死亡していた母と子

子供の顔は、熱線による火傷で朱赤色にはれ上がっていた


 
(左)長崎の病院に運び込まれた少女。全身ボロボロに皮膚が垂れ下がっていた。
(右)長崎の爆心地から南南東700m付近で全身焼け焦げた少年。ガレキの中で発見された。

 

●ところで、戦後、「浦上天主堂」の廃墟の中から黒くこげた「マリア像」の頭胸部が発見された。

これは、1920年代にイタリアから送られてきて、天主堂の祭壇の上部に安置されていた木製の聖母マリア像だった。

 

 
「浦上天主堂」のガレキの中から奇跡的に発見された「被爆マリア像」

 

●この「被爆マリア像」は、現在、平和と反核のシンボルとして再建された同天主堂に保管されており、このマリア像を「世界遺産」に登録するための運動も行なわれている。

この運動を支援している佐多保彦氏は、次のように語っている。

「第二次世界大戦はどちらが正しくて、どちらが間違っていたかを責めるのではなく、原子爆弾のような革新的科学の成果は、良心と正義の心で使われるべきだというのが私の固い信念である。」

「被爆のマリア像が訴えるものは実にパワフルで、世界平和のシンボルにこれほどふさわしいものはないと考えている。それは単なる反核の訴えを越えて、人類普遍の平和に対する認識と熱意を感じさせるからである。お像の廻りに“反核”や“平和”などの言葉によるプロパガンダは要らない。ただ静かに傷ついたお顔を堂々とお見せになられているだけでよい。人々はその前に跪き、各々の祈りを心に唱えることだろう。それは目に見えずとも、平和を訴える大きなパワーとなって浦上から世界へ流れ出てゆくに違いない。

被爆者の身体は月日と共に朽ち、記憶も薄れる。しかし世界で唯一傷ついたマリア様のお顔は、浅はかな人間の行為や科学の過ちを後世に伝えてゆく。その意味で、このマリア像はまさしく『世界遺産』ではないだろうか。」



●当館は、この佐多氏が言うように、「被爆マリア像」は世界平和のシンボルとして「世界遺産」に登録されるにふさわしいと思う。

この運動に興味のある方は、下のリンク先のページをご覧下さい。
「被爆マリア像」に関する詳しい説明や、署名FORMなどがあります。

※ 世界遺産への署名は簡単にできます

      ↓↓↓

◆「被爆マリア像」を世界遺産へ The Madonna of Nagasaki
http://www.madonnagasaki.org/ja/index2.html

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 6: ナチス・ドイツに匹敵する悪魔のような「人体実験」


●「マンハッタン計画」には、原爆を開発した「原爆開発班」の他に、第2の部門として「医学班」が存在していた。

そしてこの「医学班」の医師たちは、ナチス・ドイツに匹敵する悪魔のような「人体実験」を行なっていたのである。

 


スタッフォード・ウォーレン

「マンハッタン計画」の「医学班」の最高責任者。
「プルトニウム人体実験」を承認。広島・長崎に
原爆が投下されたあと、現地を調査した。
カリフォルニア大学に医学部を創設し、
自らその学部長に就任した。
放射能被爆の権威。

 

●1993年末、アメリカ地方紙の記者が、7年の歳月をかけて空軍機密文書の「謎の記号」を追跡し、アメリカで極秘に行なわれていた「プルトニウム人体実験」の実態を暴露。

このスクープ・レポートは、「戦後最大のスキャンダル」として、全米を揺るがした。

※ このスクープ・レポートをまとめた本は、日本では小学館から『マンハッタン計画──プルトニウム人体実験』という題名で翻訳出版されている。(この本は、1994年ピュリッツァー賞受賞作品である)。

 


『マンハッタン計画 ─ プルトニウム人体実験』
アルバカーキー・トリビューン編(小学館)

1994年ピュリッツァー賞受賞作品

 

●この本によって明らかにされたのは、「マンハッタン計画」の科学者たちが、プルトニウムの毒性を調べるため、18人のアメリカの一般市民に対し、プルトニウムを注射するという「人体実験」を行なっていた事実である。(いうまでもなく、プルトニウムは、極めて発ガン率の高い地上で最も毒性の強い物質である)。

被験者はプルトニウム注射後、必要もないのに内臓を切除されたり、死亡後の遺灰までも研究材料にされ、文字通りモルモット同然の扱いを受けていた。

知らない人には、本当にこれがアメリカで行なわれたことかと目を覆うばかりの内容であるが、このケースはアメリカで行なわれてきた「人体実験」の氷山の一角にすぎなかった。

 

↓「プルトニウム人体実験」に直接関わった代表的な医師たち

  
(左)ジョゼフ・ハミルトン博士。「プルトニウム人体実験」で中心的な役割を果たした。 
世界で初めて放射性物質を人体に注入した。 (中)サミュエル・バセット博士。
「ストロング・メモリアル病院」の医師で、新陳代謝の権威。多数の患者に
プルトニウムを注射。 (右)バートラム・ビーア博士。カリフォルニア大学の
放射線安全委員会の初代委員長。腫瘍の治療に放射性物質を
使用したパイオニア。人体への放射線の直接照射の
熱心な研究者であった。

 

●そして、これらの恐るべき「人体実験」は、妄想に取り憑かれた医師の異常さが生み出したものではなかった。「マンハッタン計画」に参集した人間が組織的に、というよりむしろ国の機関が中心となって実験を続けてきたのである。

広島・長崎の被爆者や、ビキニ環礁の核実験で被爆した「第五福竜丸」の乗員たちは、長年にわたって「人体実験のモルモットにされた」と訴えてきたが、このピュリッツァー賞を受賞したスクープ・レポートによって浮かび上がってきた新事実は、それを広大な範囲で証明するものである。



※ 追記: 驚くべきことに「プルトニウム人体実験」は戦後にスタートしたプロジェクトではない。広島・長崎で原爆が使用される前から、既に始まっていたのである。

最初の被害者(第一号患者)がプルトニウムを注射されたのは1945年4月10日である。この人は自動車事故で重傷を負った黒人だった。(ちなみに被験者18人中、黒人が3人で、白人が15人であった)。

また、放射能の人体実験にかけられた被験者は18人だけではなかった。1994年6月27日にエネルギー省が公開した大量の資料によれば、1940年代から1989年に至るまで放射能の人体実験が行なわれ、その被験者の数は1200人にも達することが明らかになっている。


また、現在、次のような衝撃的な事実も明らかにされている。


◆1940年代から1960年代にかけて、「ロスアラモス国立研究所」の職員、労働者とその家族たち、合計50人以上が、ヨウ素131、セシウム137、亜鉛65、ウランなどの放射性物質で被曝する人体実験にかけられていた。この中には、4歳から10歳までの幼い子供8人と、12歳から14歳の若者3人が含まれ、これらの実験が、本人の同意のないまま実施された。


◆1960年から1972年にかけて、オハイオ州の「シンシナティ大学医療センター」で、黒人のガン患者たちに大量の放射線を照射する人体実験が行なわれ、2ヶ月以内に25人が死亡した。ここでの人体実験患者は82人だったが、うち61人が低所得層の黒人であり、安全基準の10倍に相当する250ラドが照射されていた。シンシナティ大学名誉教授ユージン・ゼンガー博士が関与し、国防総省が65万ドルを提供した「国家的なプロジェクト」であった。


◆1951年から1975年にかけて、「バッテル・パシフィック・ノースウェスト研究所」は、少なくとも319人の病院患者と職員および囚人を使って放射能の人体実験を行なった。

テネシー州オークリッジの核兵器研究所の付属病院では、1960年から1974年にかけて、少なくとも89人のガン患者がネズミと一緒に大量の放射線を照射され、その中には8歳でこの世を去った少年が入っていた。


◆甲状腺への影響を調べるため、1950年代から1960年代初めにかけて、テネシー、ミシガン、ネブラスカ、アーカンソー、アイオワの各州で、200人以上の幼児に「放射性ヨウ素」が経口投与または注射された。(※ 生まれたばかりの新生児7人に「放射性ヨウ素」を注入する人体実験も行なわれた)。


◆この他にも、アメリカの一般市民に対して様々な「人体実験」が行なわれたようであるが、詳しいことは上で紹介した本『マンハッタン計画──プルトニウム人体実験』(小学館)に書いてあるので、興味のある方は一読されることをお勧めします。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 7: ユダヤ人歴史学者の提言──「米日共同で『原爆展』開こう」


●第7章で紹介した、原爆史研究の第一人者であるバートン・バーンスタイン教授(ユダヤ人歴史学者)は

「米日共同で『原爆展』開こう」と題する記事を、朝日新聞(1995年2月8日)に寄稿している。

 

 
(左)1995年2月8日 『朝日新聞』
(右)バートン・バーンスタイン教授

スタンフォード大学のユダヤ人歴史学者。

原爆問題について30年近く研究を続け、
現在、原爆史研究の第一人者である。

 

●この記事には次のような記述がある。

「展示は米日両国がお互いを人種的に排斥しあったことの実態、太平洋での戦争が著しく残虐に戦われた理由、戦時下の米国人は日本人を通常の人間以下とみなしていたことも明らかにする必要がある。」

「展示はしかし、広島、長崎の惨状や8月15日の降伏で終わってはならない。

原爆後遺症に苦しみ、時には日本の社会からさえも排除されていると感じた被爆者や、莫大な費用が投じられた戦後の危険な核軍拡競争にも視点を広げなければならない。」


※ この記事の全文はココにあります。

 

●バーンスタイン教授は、この記事の中で、「戦時下の米国人は日本人を通常の人間以下とみなしていた」と述べているが、

この件に関しては、東アジア史の専門家であるジョン・ダワー教授(マサチューセッツ工科大学)が、著書『人種偏見』(TBS・ブリタニカ)の中で、第二次世界大戦中の日米双方の人種観を詳しく分析している。

これに従えば、アメリカからみると対独(ドイツ)戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。

またドイツの側にしても、西部戦線より対ソ東部戦線の方が格段に凄惨な戦闘であったと言われる。

 

 
(左)ジョン・ダワー(マサチューセッツ工科大学教授)
(右)彼の著書『人種偏見』(TBS・ブリタニカ)

 

●ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。

ところがアメリカのヨーロッパでの敵は、ドイツ人自体ではなくヒトラー一派であり、ジャーナリズムも、日本軍の残虐行為については盛んに報道したという。


●ダワー教授は、このような相手を人間以下とみなす発想は、日本人に対して初めてではなく、歴史上繰り返してきた非白人に対する蔑視、具体的にはインディアンと黒人に投げつけてきた表現が噴出したものにすぎないとしている。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 8: 日本の敗戦は必至であった


●大戦中、アメリカ軍による空襲は大都市にとどまらなかった。アメリカの爆撃機は大都市を焼き払った後、地方の中小都市にも空襲を拡大していったのである。

空襲の結果、日本は抗戦能力をほとんど失っていた。敗戦は必至であった。

それを知りながら、アメリカは「原爆」を2発も使用して、追い討ちをかけたのである。

 

 

 

●アメリカの戦略立案に深く関わったアルバート・ウェデマイヤー大将は、戦後に出した『回想録』の中で、こう記している。

 

 
(左)アルバート・ウェデマイヤー大将
(右)彼の回想録『第二次大戦に勝者なし』(講談社)

このアメリカのウェデマイヤー大将は、
連合軍東南アジア副司令官、中国戦線米軍総司令官
兼蒋介石付参謀長を歴任して1951年退役。1989年没。

 

「1945年初頭の諜報と日本諸都市の爆撃結果についての写真を判読すれば、東アジアにおける戦争の終結は、あと何週間かの問題であることがわかった。

……それなのにアメリカは、この事実を見て見ぬふりをし、最後の勝利を求めてソ連を戦争に引き入れた。

アメリカの情報当局者は、日本に対して原爆を使用しないよう、またソ連に参戦の機会を与えないよう、アメリカ政府に対し勧告すべきであった。

われわれは暗号解読によって、日本の天皇がモスクワ駐在の日本大使に対し、停戦を実現するためアメリカとの調停者となるよう、ソ連に要請する訓令を出したことを知っていた。

……アメリカは1945年の初め、連合国が無条件降伏を主張しないならば、日本には終戦の用意のあることを実際に知っていた。」



●当時の状況をもっともよく知るアメリカ人エリートの一人であるハミルトン・フィッシュ(元下院議員)も、著書『日米・開戦の悲劇 ─ 誰が第二次大戦を招いたのか』(PHP文庫)の中で、次のような日本を擁護する言葉を残している。

「アメリカ国民の85%は、第二次世界大戦はもとより、いかなる外国における戦争に対しても米軍を派遣することに反対していたという現実にも関わらず、ルーズベルトは、欧州戦争の開始当初から、米国は同戦争に参戦すべきであると確信していた。この大戦は、結果として、30万人の死亡者と70万人の負傷者、そして5000億ドルの出費を米国にもたらしたのである。

〈中略〉

日本はフィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしに存立できなかった。

非常な平和愛好家である首相の近衛公爵は、ワシントンかホノルルに来てもよいからルーズベルト大統領と会談したい、と繰り返し要望していた。彼は、戦争を避けるためには、米国側の条件に暫定協定の形で同意する意思があったが、ルーズベルトは、すでに対日戦および対独戦を行なうことを決意していたというだけの理由で、日本首相との話し合いを拒否した。

駐日米国大使であったジョセフ・グルーは、日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたかを承知しており、かかる首脳会談の開催を強く要請した。しかしルーズベルトおよびその側近の介入主義者たちは、策謀とごまかしとトリックを用いて、全く不必要な戦争へ我々を巻き込んだのである。」

 

 
(左)ハミルトン・フィッシュ (右)彼の著書
『日米・開戦の悲劇』(PHP文庫)

… ハミルトン・フィッシュの略歴 …

ハーバード大学を卒業し、第一次世界大戦に
従軍の後、1919年、米国下院議員に選出され、
1945年まで12回にわたり選出される(共和党員)。
アメリカの孤立主義の指導的代表者であり、ルーズベルト
大統領の外交政策を鋭く批判した。1991年没。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 9: パール博士の言葉


●「東京裁判」において、判事11名の中ただ一人「日本無罪」を主張したパール博士(インド代表判事)。

判事中唯一の「国際法学者」だった彼は、国際法に拠らず、事後法によって行なわれた裁判を、戦勝国による「リンチと何ら変わらない復讐」であり、違法裁判であると非難した。(後にその主張は世界中で高く評価された)。

 


ラダ・ビノード・パール博士
(1886〜1967年)
インド・ベンガル州ノディア出身

「東京裁判」において、判事11名の中
ただ一人「日本無罪」を主張した

 

●パール博士は1952年、広島の爆心地「本川小学校」講堂で開かれた「世界連邦アジア会議」にゲストとして招待され、この会議の中で次のように述べた。

「人種問題、民族問題が未解決である間は、世界連邦は空念仏である。」

「広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。日本は投下される何の理由があったか。当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。それにもかかわらず、この残虐な爆弾を『実験』として広島に投下した。同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔(ざんげ)の言葉を聞いていない。彼らの手はまだ清められていない。こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか。」

 


『パール判事の日本無罪論』
田中正明著(小学館)

 

●その後、パール博士は「原爆慰霊碑」を訪れ、献花し黙祷を捧げた。

そしてその碑に刻まれた文字を通訳させ、疑うかのように二度三度と確認したという。

その慰霊碑にはこう刻まれていた。


安らかに眠って下さい


過ちは二度と繰り返しませぬから

 

 
広島の平和記念公園にある「原爆慰霊碑」 (1952年完成)

この慰霊碑は、東京大学教授(当時)の丹下健三氏が
設計したもので、原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという
気持ちから、屋根の部分がはにわの家型をしている。

※ この慰霊碑の碑文を書いたのは被爆者のひとり、
雑賀忠義氏(広島大学教授)である。

 

●パール博士は怒りを顔にあらわして、次のように述べた。

「ここで言う『過ち』とは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、私は疑う。

ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落とした者が責任の所在を明らかにして 《二度と再びこの過ちは犯さぬ》 と言うならうなずける。

この『過ち』が、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行なって挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 10: 映画 『フォッグ・オブ・ウォー』──マクナマラ元米国防長官の告白


●2003年にアメリカで『フォッグ・オブ・ウォー』というドキュメンタリー映画が制作され、大きな話題になった。

この映画は、ハーバード大学院卒、「フォード社」社長、ケネディとジョンソン政権下で国防長官、世界銀行総裁とエリート街道を歩み、政財界の中枢を歴任してきたロバート・マクナマラが、キューバ・ミサイル危機、東京大空襲、ベトナム戦争当時の真実を告白する衝撃のドキュメンタリー映画である。

 

 
(左)映画 『フォッグ・オブ・ウォー』
(右)ロバート・マクナマラ元米国防長官。
政財界の中枢を歴任してきたスーパーエリート。

 

●この映画の中で、85歳になったマクナマラは、「私の人生は戦争と共にあった」と驚くべき告白をしている。

カーチス・ルメイの部下としてマクナマラは、東京大空襲での焼夷弾使用を立案。多くの民間人を殺し、更に原爆まで投下したことを「明らかに行き過ぎた行為」と振り返る。

「第二次世界大戦中、私は統計管理官として、東京大空襲でいかに効率的に日本人を殺戮できるかを仲間と共に研究した。その結果、一晩で子供を含む10万人を殺した。」

マクナマラは東京大空襲は、現在から振り返ってみて「不要だった」と断罪する。その理由が、残虐だとか無差別爆撃だということではない。「日本を敗退させるのに喪失した人命(日本人の)が多すぎる」ということなのだ。

 


日本本土への爆撃作戦の
司令官を務めたカーチス・ルメイ

戦後は、戦略空軍(SAC)司令官、
空軍参謀総長などを歴任。ケネディ政権時には
キューバやベトナムへの「核攻撃」を主張した。
(ベトナム戦争で北爆を推進したのは彼である)

1968年の大統領選では、無所属で出馬した
ジョージ・ウォーレスの副大統領候補になった。
1990年12月10日に死去。享年83歳。

 

●この映画の中で、カーチス・ルメイは「負ければ戦争犯罪人だ!」と述べている。

それでは「勝ったから許されるのか? 私もルメイも戦争犯罪を行なったんだ」とマクナマラは自問自答する。

更に「日本全土、67都市を爆撃し、その上、原子爆弾を落とす必要があったのか?」

「私は戦争にも目的と手段の釣り合いが必要だと考える」とマクナマラは語っている。

 


映画の中で驚くべき告白をする
ロバート・マクナマラ

 

●またマクナマラは、こうも語っている。

「原爆投下を許可した好戦的性格のルメイや、ケネディ亡き後、私と意見を違えて、ベトナム戦争を拡大、泥沼に落ちたジョンソン大統領も選ばれて『国家と国民のために』と称した行為である事を思う時、『人は善をなさんとして、いかに悪をなすものなのか』(パウロの「ローマ人への手紙」)という言葉を思い起こす。」


※ この映画は第76回アカデミー賞、長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。

 


映画 『フォッグ・オブ・ウォー』 (2003年制作)

 

●この映画が制作された翌年(2004年)、マクナマラは来日したが、日本人に向けて次のような勇気あるコメントを残している。

「原爆投下が必要だったとは思わない。賢明な選択ではなかった。 〈中略〉 原爆投下がなければ核戦争の時代の到来は避けられた。」(『読売新聞』 2004年1月31日)

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 11: ウクライナ系ユダヤ人は語る 「日本人には申し訳ないことをした」


●『週刊新潮』(2005年7月28日号)の連載「変見自在」の中で、

帝京大学教授の高山正之氏が、面白い事を書いている。

 

 
 『週刊新潮』 2005年7月28日号/連載「変見自在」

 

●高山正之氏が、アメリカのロサンゼルス空港からタクシーに乗ったら、
いきなり「申し訳ないことをした」と運転手が謝罪したそうだ。

その運転手はウクライナから移民してきたユダヤ人で、彼によると
ウクライナのユダヤ人コミュニティーにはある言い伝えがあるそうだ。

『旧約聖書』によると「イスラエル12支族」のうち、10支族が
いなくなったが、そのうちの1支族が日本人であると。

それなのに
「ユダヤ人のオッペンハイマーは日本に落とす原爆を作った」
というのが謝罪の理由だったという。


●この記事の全文はココにあります。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 12: ユダヤ人女性監督は語る 「原爆は日本への罰」


●ユダヤ人の中には、下のような意見を持つ人が存在していることも、一応紹介しておきたい。

もちろん、このような意見はユダヤ人の中でも「少数派」に属する
と思うが(そう願いたいが)、とても悲しい発言である……。

大戦中、日本人が上海や満州で多くのユダヤ難民を
助けたことを知らないのだろうか?


↓↓↓


-----------------------------------------------------------


◆ユダヤ人女性監督は語る 「原爆は日本への罰」


迫害に直接関わらなくとも、日本を見るユダヤ人の目は今も厳しいのです。

ユダヤ人学生は、広島の平和記念公園に、ホロコースト慰霊碑があることに驚いて、
「ヒロシマ」の横に「アウシュヴィッツ」を並べて、同列に扱うのはおかしいと言いました。
「むしろ『南京虐殺』を並べて、原因と結果の因果関係を展示すべきではないか」と。

また、ホロコースト生存者の映画を撮ったユダヤ人女性は、
「原爆は日本への罰」と言いました。つまり、原爆の被害を受けた日本でも、
ユダヤ人から見れば、加害者でしかないということです。


吉永世子のアメリカ便り (2005年)
連載★第4回=アウシュヴィッツ収容所解放60周年「遠くて近いアウシュヴィッツへの道」より
http://www.dokushojin.co.jp/yoshinaga_seiko4.html

 

-----------------------------------------------------------


●おまけ情報

大戦中、ナチス・ドイツと同盟を結んでいた日本政府は、
ヒトラーの反ユダヤ主義に同調してしまったのだろうか?

日本人はユダヤ人を迫害したのだろうか?

この問題に興味のある方は、当館作成の
別ファイル「上海と満州のユダヤ難民 〜ユダヤ難民を保護した日本〜」をご覧下さい。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 13: ナチによる「ホロコースト」の恐怖は消え去ったが…

 

あの戦争によって、

地上から「ナチ」は消えたが、

代わりに「核兵器」が生誕した。

ナチによる「ホロコースト」の恐怖は

消え去ったが、それと入れ替わるようにして、

「核ホロコースト」の恐怖が地上を支配し始めた…。

 

※ ナチス・ドイツが「無条件降伏」したのは1945年5月7日。

その2ヶ月後に、アメリカのニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で、

人類初の原爆が巨大な「産声」をあげたのである(1945年7月16日)。

 

 
(左)ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠(トリニティ実験場)
(右)人類史上初めての「核実験」の様子 (1945年7月16日)


このように、ナチの恐怖に代わって「核ホロコースト」の恐怖が

新たに台頭してきたわけだが、「核兵器」は「究極の暴力」であり、

形を変えた「ナチズム」であると言っても過言ではなかろう。

 

 
1994年11月17日 『朝日新聞』

↑「イスラエルの核兵器は約200発」と報じる新聞記事

 (※ ユダヤ人の国イスラエルは、戦後1948年5月に中東に誕生した)

 

第9章で紹介した在米のユダヤ人組織や
前章で紹介したユダヤ人女性監督もそうだが、
あれだけ「ナチの暴力」を非難する人たちが、なぜ、
このようなジェノサイド(虐殺)を生み出す〈悪魔の兵器〉の
世界的拡散(自国保有)については、黙り続けているのか。

「ナチの暴力」はダメでも、「核の暴力」なら許されるのか。

なぜ「究極の暴力」である核兵器の廃絶には消極的なのか。

なぜ他の国で起きたジェノサイドには鈍感(無神経)でいられるのか。

なぜ日本で起きた人類史上初の「核ホロコースト」を
あからさまに肯定し続けるのか。

理解できない。

もし本当に彼らが真の世界平和
 (人類平和)を希求するのであれば、
核兵器を肯定することは
 できないはずだ。

 


◆◆追記(補足文)


●ここでちょっとキツイことを書いてしまった感があるが、

前章で紹介したユダヤ人女性監督の「原爆は日本への罰」という言葉に、非常に強い反発を感じたので、心の中にモヤモヤと湧いてきた言葉(素朴な疑問の数々)をそのままストレートに表現した次第である。ご理解いただきたい。


●あと、これも正直に言っておきたいが、アメリカにいるユダヤ人(特に「SWC」の方々など)の意識が変わらない限り、原爆の問題は永遠に解決しないと感じる今日この頃である。

※ もちろん、アメリカのユダヤ人の中には、核兵器反対運動に参加している人もいるし、全てのユダヤ人が原爆を肯定しているわけではない。しかしアメリカ政府を動かすほどの運動には発展していないというのが現状である。


●もしも全世界のユダヤ人・平和団体が、核の怖ろしさを再認識して「核兵器廃絶」に共鳴してくれたら、世界は大きく変わると思うのだが……。(期待しすぎだろうか?)

 

 

●また、「やられたらやり返せ」の“報復思想”(暴力主義)が正当化され続ける限り

「原爆はパールハーバーのお返しだ」とか「南京でやったことのお返しだ」とか、
そういう「浅薄な主張」が多くの人々の間で支持され続けていくと思う。

最近、日本人の間では、「原爆投下はしょうがなかった」と主張する人が増えているようだが

本当に「しょうがなかった」で済むような問題なのだろうか??

 

1945年夏、ナチによる「ホロコースト」の恐怖が消え去った後、
「核ホロコースト」の恐怖が全地球を支配し始めた…

 

●あの戦争中、地球上の最高の頭脳を結集して
「原子力」という究極的なエネルギー(炎)を手に入れた人類──。

ギリシア神話に登場するプロメテウスは人間に「火」を与えた罰として、
永遠にハゲタカに内蔵をついばまれるという怖ろしい刑を受けたが

原爆の悲劇は「日本の戦争問題」という枠組みを超え、

人類全体の問題として、もっと真剣に考えていくべきではないだろうか?

なぜならば、原爆の怖ろしさは、広島・長崎で「終わった」のではなく

むしろ「始まった」のだから……。

 

  
(左)人類史上初めての「核実験」が行なわれたニューメキシコ州アラモゴードのトリニティ実験場は、
1965年にアメリカの歴史記念物に指定され、爆心地には高さ約3.6mの記念碑が建っている。
(中央)「トリニティ・サイト ─ ここで世界最初の核実験が行なわれた」と記されている。

(右)爆心地の記念碑前で記念撮影をする観光客たち。手前の人が着ている
「キノコ雲」をあしらった記念Tシャツは売店の人気商品だという…。

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------------------------------------

 

ここから下は「特別編」です。

原爆の問題をもうちょい違う角度から

考えてみるために作りました。

 参考までにどうぞ…


※ グロテスクな表現が含まれて
 おりますのでご注意下さい

 


--------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------------------------------------

 

■■特別編 A: 全てを焼き尽くす「地獄の炎」

 

あの戦争中、人類は全てを焼き尽くす「地獄の炎」を手に入れた…


   

  

核兵器は「地獄の炎」を生み出す「絶滅兵器」である!

ボタン1つで、いつでもどこでも人間を大量に「焼き殺す」ことが可能な
「炎の絶滅兵器」であり、地上のどこでも、狙った場所を「灰の山」に
することのできる「空飛ぶアウシュヴィッツの火葬場」である。

戦後、このようなシロモノが世界中に広まり、様々な国が大量に
保有するという狂った世の中になってしまったが、広島・長崎に
続く新たな「核ホロコースト」はもう二度と起きてほしくない。


↑「核ホロコースト」で一般市民が生きたまま
焼き殺され、廃墟となった広島の町 (1945年8月)

空から落とされた原爆によって、町全体が「焼却炉」になった。

その後、この町は「核エネルギー」のシャワー(黒い雨)を浴びた…。


※ 爆発の瞬間の爆発点は「数十万気圧」にも達し、
これが爆風を起こした。爆風の風速は「音速」を超えたという。
(エネルギー比では台風の暴風エネルギーの100倍の爆風であった)

広島原爆による全焼地域は、爆心地から半径2キロ前後に及んだ。

1キロ以内の建物1万9667件のほぼ100%が全壊全焼、1キロから
2キロの2万5526件の99%が全壊全焼または大破した。

市内全域の7万6327件でみれば半壊・半焼・
大破を含め、92%が被害にあった。

※ 「黒い雨」(=強い放射能を帯びた粘り気の
ある大粒の雨)は、爆風や熱線の被害を受け
なかった地域にも降り注ぎ、広範囲に
深刻な放射能汚染をもたらした。

原爆の悲劇から7年後に、広島市外(坂町)の仮設救護所跡で発見された死体の一部 (1952年7月30日)

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■特別編 B: 放射能をたっぷり含んだ「黒い雨」の恐怖


●原爆が投下された後に激しく降った「黒い雨」──。

原爆の悲劇は、その場にいた人たちが焼き殺されただけでなく、家族や知人の安否を気づかい、廃墟になった町の中に入った人々にも襲いかかった「黒い雨」の恐怖を抜きにしては語れない。

 

 
『黒い雨〜広島・長崎原爆の謎』
(1986年制作・45分)NHK特集名作100選

地方の時代映像特別賞(平和賞)・ギャラクシー奨励賞受賞

広島と長崎に原爆が投下された直後、爆心地周辺に万年筆大の
激しい「黒い雨」が降った。アメリカ軍も予想していなかった「黒い雨」の
正体は戦後40年明らかにされることがなかった。この「黒い雨」の謎を解くため、
NHKが市民に資料の提供を呼びかけたところ、広島市内の住宅内部の壁に
くっきりと「黒い雨」の痕跡が残されていることがわかった。「黒い雨」の
人体や環境への影響はどうだったのだろうか。様々な証言や
残されたデータを手がかりに科学的手法で謎に迫る。

 

●広島出身の小説家・井伏鱒二(いぶせ ますじ)は、小説『黒い雨』を書き、放射能の雨に打たれただけで原爆病に蝕(むしば)まれていく女性の姿を克明に描いた。

彼はこの作品で1966年に「第19回 野間文芸賞」を受賞し、同年に「文化勲章」も受章した。

 

  
(左)井伏鱒二 (1898〜1993年)
(右)原爆をテーマにした彼の小説『黒い雨』

彼は31歳の時に『山椒魚』その他で文壇に登場。
以後独特のユーモアとペーソスをたたえた風格の
ある作品を書き続けた。彼の小説『黒い雨』は
海外でも翻訳され出版されている。

 

●この小説『黒い雨』に登場する若い女性は、周囲から「被爆者」だと噂されて縁談を破棄され、そのうえ原爆症を発病してしまうが、このような悲劇は決して小説の中だけの話ではなく、現実に起きた出来事である。

この女性のように運よく生き残っても、常に発病の恐怖と世間からの偏見に苦しむ人々は実際に多く存在したし、今現在も原爆後遺症で苦しんでいる被爆者は多く存在している。

原爆による「後でやってくる恐怖」(第2の恐怖)を描いたこの小説は、原爆がもたらす非道さ、原爆の本当の怖さを物語っている。

この小説を読むと、原爆は1つの都市を物理的に抹殺するだけでなく、運よく生き残った人々に対しても陰湿にジワジワと肉体的・精神的ダメージを与え続けていく〈悪魔の兵器〉であることを改めて痛感する。



●なお、この小説は社会派の名匠・今村昌平監督が1989年に映画化している。

女優の田中好子は熱演し、映画祭主演女優賞を総なめした。


◆カンヌ映画祭(1989年)第42回 高等技術委員会賞

◆日本アカデミー賞(1989年)第13回 作品賞、監督賞(今村昌平)、主演女優賞(田中好子)、助演女優賞(市原悦子)

◆ブルーリボン賞(1989年)第32回 主演男優賞(三國連太郎)、主演女優賞(田中好子)

◆報知映画賞(1989年)第14回 主演女優賞(田中好子)

◆キネマ旬報賞(1989年)第63回 作品賞、監督賞(今村昌平)、主演女優賞(田中好子)

◆毎日映画コンクール(1989年)第44回 日本映画大賞、主演女優賞(田中好子)

 

原爆による「黒い雨」を浴びてしまった若い女性(田中好子)↓

  
今村昌平監督の映画 『黒い雨』 (1989年制作)

この映画は、井伏鱒二のベストセラー小説をもとに、今村昌平監督が
原爆被爆者の悲劇を庶民の普通の生活を通して淡々と綴った力作である

   

 

●ちなみに、この映画の前年(1988年)に制作された

新藤兼人監督の映画『さくら隊散る』にも、「黒い雨」が不気味に降り注ぐシーンが

盛り込まれているが、映画『黒い雨』よりも生々しい描写になっている。

 

 
新藤兼人監督の映画 『さくら隊散る』 (1988年制作)

↓原爆による「黒い雨」を浴びてしまった「さくら隊」の劇団員

 

1945年8月6日、巡演中の広島で原爆投下に遭遇して被爆、非業の死を遂げた
移動劇団「さくら隊」の悲劇を、『原爆の子』『第五福竜丸』の新藤兼人監督(広島出身)が、
記録映像や証言を交えて忠実に再現したセミドキュメンタリー。放射能の影響で髪が抜け落ち、
全身に発疹ができ、高熱を発してもがき苦しむ劇団員たちの姿が生々しく描写されている。

   
↑「黒い雨」を浴びた「さくら隊」の女優・園井恵子(元宝塚歌劇団スター)は、
放射能による病に犯され、徐々に衰弱して死んでいった(享年32歳)

※ 同じく被爆した女優・仲みどりは、東大病院で治療を受けたが8月24日に
亡くなった。彼女は世界で初めて「原子爆弾症」と診断された。(彼女の
肺と骨髄の一部は今でも東大病院に保存されているという)。

 

●ところで、広島出身の漫画家・中沢啓治氏は、原爆マンガ『はだしのゲン』(1973年〜)で有名だが、

彼はこの作品よりも先に『黒い雨にうたれて』という原爆をテーマにした作品を発表している(1968年)。

この『黒い雨にうたれて』は、戦後の広島を舞台に原爆後遺症で苦悩する人々を描いたマンガで、1986年にアニメ化されている。

 

  
原爆をテーマにしたマンガ『黒い雨にうたれて』(1968年)

被爆直後の広島には、放射能をたっぷり含んだ「黒い雨」が
降り注ぎ、その死の灰の影響は二世、三世にまで及んでいた。

原爆が被爆者の体と心にどれだけ深い傷を残しているかを
漫画家の中沢啓治氏は鮮烈なタッチで描いている。


 
(左)アニメ 『黒い雨にうたれて』(1986年制作)
(右)1983年公開の劇場用アニメ 『はだしのゲン』

原作・企画・脚本・制作:中沢啓治氏

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■特別編 C: 「ラッセル=アインシュタイン宣言」と、核兵器廃絶を求める科学者組織「パグウォッシュ会議」


●第1章の内容と重複するが、ユダヤ人科学者アインシュタイン博士について再度触れたい。


●1945年8月、アメリカ軍が日本に原爆を投下したニュースを聞いたとき、アインシュタイン博士は「ああ、何ということか!」とうめいたという。

アインシュタイン博士は「マンハッタン計画」に参加しておらず、ルーズベルト大統領宛に原爆開発を促す「手紙」に署名したことを生涯の最大の過ちとして、その後の人生を平和のために捧げた。

1952年に雑誌『改造』へ「日本人への弁明」を寄稿。

1955年には、核兵器の廃絶と紛争の平和的解決を求める「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名。

その1週間後(1955年4月18日)に動脈瘤破裂のため、76歳の生涯を閉じたのであった。

 


アルベルト・アインシュタイン博士
(1879〜1955年)

ドイツ出身の理論物理学者。
1921年度のノーベル物理学賞を受賞。
(受賞理由は「光電効果の発見」であり、
「相対性理論の発見」ではない)

 

●この「ラッセル=アインシュタイン宣言」は、イギリスの数学者であり著名な思想家のバートランド・ラッセルが起草したもので、アインシュタイン博士の死から約3ヶ月後の1955年7月9日にロンドンで発表された。

※ この時に開かれたラッセルの記者会見には、全世界の一流紙のロンドン特派員が集まり、

会見はテレビとラジオで全世界に中継された。

 


バートランド・ラッセル卿
(1872〜1970年)

イギリスの貴族出身の
論理学者、数学者、哲学者。
1950年にノーベル文学賞を受賞。

1955年7月9日、核戦争回避を訴えるための
記者会見を開き、核兵器の廃絶・科学技術の平和
利用を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表。

1961年には、百人委員会を結成し、委員長に就任。
イギリスの核政策に対する抗議行動を行なった。

その後も、97歳でこの世を去る直前
まで、精力的に活動した。

 

●アインシュタイン博士が人類に残した「遺言状」ともいわれるこの宣言は、アメリカ、イギリス、ソ連など6ヶ国の政府首脳に直接送られ、「ラッセル=アインシュタイン宣言」として世界中に広まった。

この宣言には、日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士ら世界の著名な学者9名が署名に加わった。

 


湯川秀樹博士
(1907〜1981年)

日本の理論物理学者。
1949年にノーベル物理学賞を受賞。
(日本人初のノーベル賞受賞だった)

1954年に起きた「第五福竜丸」事件を
 契機に反核運動に力を注ぎ、終生、
 核兵器の廃絶を訴え続けた。

 

●「ラッセル=アインシュタイン宣言」の内容は、核兵器による戦争が人類に終末をもたらす危険性を警告し、「世界科学者会議」の開催を呼びかける、というものであった。

この宣言の要請を受けて、核兵器廃絶を求める科学者組織「パグウォッシュ会議」が誕生し、第1回会議(1957年7月)には10ヶ国22人の著名な科学者が集まった。

日本からは湯川秀樹博士、小川岩雄博士(湯川博士の甥)、朝永振一郎(ともなが しんいちろう)博士らが参加した。

※ 「パグウォッシュ」はカナダ東海岸の小さな漁村の名前。

 


「第1回パグウォッシュ会議」に集まった科学者たち
(左から4人目の人物=朝永振一郎博士)

この会議は1957年7月に、カナダ・ノバスコシア州の
漁村パグウォッシュで開かれ、世界平和と科学者の
社会的責任について真剣に討議された

朝永振一郎博士
(1906〜1979年)

日本の物理学者。1941年に35歳で
東京文理科大学(筑波大学の前身校)教授。
1956年に50歳で東京教育大学の学長になり
定年まで務めた。原水爆の禁止や原子力の平和
利用に熱意を示し、平和運動、国際交流に
対して湯川博士らと協力して行動した。

1965年にノーベル物理学賞を受賞。

 

●この科学者の国際会議は、「私たちはすべて、人類は戦争を廃絶するか、さもなくば、破滅に導かれるに違いないということを確信する。それゆえ、対立する強国間のジレンマと軍拡競争は破棄されねばならない」と結ぶ声明を発表した。

以後、この会議は毎年(年に1〜2回)世界各地で開かれている。

※ 湯川博士と朝永博士は、京都府立一中と第三高等学校、京都帝国大学において学んだ同級生で、1975年に京都で開かれた科学者会議では「核抑止を超えて」と題する「湯川・朝永宣言」を共同発表している。

 

↓日本パグウォッシュ会議の公式サイト
http://www.pugwashjapan.jp/index.html

※ 「パグウォッシュ会議」の正式名称は
「科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議」である

 

●1995年7月、「第45回パグウォッシュ会議」が広島で開催された。

テーマは「核兵器のない世界を目指して」で、137名(うち日本から24名)の科学者が参加し、「広島宣言」が発表された。

この「広島宣言」は次のような文章で始まっていた。

「50年前、2発のアメリカの原子爆弾が広島と長崎という2つの日本の都市を破壊した。そこに発生した2つのキノコ雲は──その下には恐るべき惨状が現出したのだが──、史上最悪の破壊をもたらした戦争の終結を告げるものとなった。

しかし、それは同時に、人類が地球規模の核戦争の危険におびえながら暮らさなければならない、新たな時代の開幕でもあった。もし地球規模の核戦争が起これば、第二次世界大戦が6年間に及ぼした以上の災厄が、6時間もかからずに出現することになるであろう。 〈後略〉 」(「広島宣言」1995年)


●この年の10月、「パグウォッシュ会議」への「ノーベル平和賞」授賞が発表され、12月に授賞式が行なわれた。

 

 45回目の会議が広島で開催された年(1995年)に、
「パグウォッシュ会議」は当時のジョセフ・ロートブラット
名誉会長とともに「ノーベル平和賞」を受賞した

 

●ところで、前出のバートランド・ラッセルは、かつて原爆投下について「一人の人間として人間に訴える」と厳しく批判している。

その内容を簡単に紹介しておきたい。

「ヒロシマ原爆は、単にアメリカの非人道的行為たるにとどまらず、白人全体の罪である。日本をして、降伏を決意させるために心要な行為であったと弁解するのは偽りである。日本は、すでにその1ヶ月前にポツダム宣言受諾の方針を決定していた。そうして、スターリンに対して米英首脳への仲介を依頼していた。

ヒロシマ原爆は、新型原爆の実験であり、アメリカのソ連に対する牽制と東南アジア諸国向けの示威であった。

いずれにしてもこの原爆投下は許さるべき行為ではなかった。どんなにもっともらしい言い訳を言ったとて、またどんなに壮厳らしく見える慰霊祭典を挙行したところで、それでこの罪を償えるものではない。真に罪を償う道は、2度と核戦争をしないことであり、その証明としての『核兵器撤廃』である。」(『世界はひとつ、道ひとすじに』 八幡書店)

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■特別編 D: 大戦中、「マンハッタン計画」を離れたユダヤ人科学者ロートブラット博士


●ポーランド生まれのユダヤ人科学者ジョセフ・ロートブラット博士は

第二次世界大戦が始まった時、イギリスに留学中だったが、ナチスの脅威に対抗するため、アメリカの「マンハッタン計画」に参加した。

 


ジョセフ・ロートブラット博士
(1908〜2005年)

ポーランド生まれのユダヤ人科学者。
ワルシャワ大学卒業後、イギリスのリバプール大学で
核物理学研究に取り組む。大戦中、ナチスの脅威に対抗
するため、アメリカの「マンハッタン計画」に参加した。

 

●しかし1945年5月にナチス・ドイツが降伏すると

「ドイツが降伏した以上、原爆は必要ない。アメリカも核兵器開発をやめるべきだ」と訴えた。

そして、科学者として原爆の開発計画に関与してしまった責任を痛感し、

良心に従って「マンハッタン計画」から離脱したのである。

※ ロートブラット博士は、このような理由で「マンハッタン計画」を離れた唯一の科学者だったが、
当時、このような行動を起こすのは相当の勇気が必要だったと思われる。

 


「ロスアラモス研究所」

1945年5月、ロートブラット博士は、ドイツが
降伏した以上原爆は必要ないとロスアラモスを去った

 

●その後、博士は広島・長崎への原爆投下に衝撃を受け、反核運動に目覚め

1955年に「ラッセル=アインシュタイン宣言」の起草に尽力し、宣言の署名者の一人となった。

その後、「パグウォッシュ会議」の創設に加わり、初代事務局長に就任。

核兵器廃絶を目指して世界中を飛び回り、核兵器に反対する運動家として象徴的存在となった。



●1995年、(前章で触れたように)「パグウォッシュ会議」とロートブラット博士(名誉会長)は「ノーベル平和賞」を共同受賞した。

受賞理由として「核兵器が国際政治で果たす役割を減少させ、長期的には核兵器廃絶を実現するために努力した」ことが挙げられた。

 


1995年に「ノーベル平和賞」を受賞した
ロートブラット博士(名誉会長)

 

●それから10年後の2005年8月31日、博士はロンドンで死去した。享年96歳だった。


●「日本パグウォッシュ会議」代表の大西仁氏(東北大学理事)は、「ロートブラット元会長逝去の報に接して」(2005年9月1日)の中で、博士についてこう述べている。簡単に紹介しておきたい。

(ロートブラット博士の人柄を知る上で、大変興味深い内容である)。

「ロートブラット氏は、日本も度々訪れ、日本の国民がヒロシマ・ナガサキを忘れず、核兵器廃絶を世界に向かって訴え続けていることへの感動と讃嘆の気持ちを率直に述べると共に、平和憲法の重要性も繰り返し力説していました。

ロートブラット氏が日本に対してそのような特別な思いを懐いていたにもかかわらず、

本年7月に広島で開催された第55回パグウォッシュ会議年次大会は、生前に氏が出席できなかった唯一の年次大会になってしまいました。氏は、病床から同年次大会の開会式に向けて挨拶文を送って下さいました。その中で、氏は、これまで54回の年次大会に欠かさず出席してきたのに、今回初めて欠席することになったのは大層残念だと語っています。

さらに、『冷戦の終焉は人々に安堵感をもたらしましたが、現実には、核兵器が紛争で使われる可能性は、これまでになく高いのです』と警告しています。

そして恐らく、これが、氏の世界に対する最後のメッセージになりました。 〈後略〉 」

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■特別編 E: 原爆をテーマに映画を作ったアメリカの中学生


●映画『魔法のランプのジニー 〜ジニーは広島・長崎で何をしたのか?〜』は

アメリカの少年2人が描いた広島・長崎原爆に関する短編ドキュメント(16分)で、

2005年にニューヨークの国連本部で開かれた「核拡散防止条約(NPT)再検討会議」や、ロサンゼルスで開かれた「国際こども映画祭」などで上映され、大反響を呼んだ。

 

 
(左)若き映画監督スティーブン・ソター君(シカゴ市在住)
(右)彼が作った映画『魔法のランプのジニー 〜
ジニーは広島・長崎で何をしたのか?〜』

※ この映画は16分という短い作品だが、
鋭い感性で作られており、内容は濃い

 

●この映画の監督スティーブン・ソター君は、「映像作家」を目指し

12歳だった2004年夏に、同級生とドキュメンタリーの製作を始めた。

テーマは、教科書ではよく分からなかった「アメリカはなぜ原爆を開発し、日本に投下したのか」という疑問。



●この作品は「マンハッタン計画」に関わった科学者らの話を中心に構成され、題名は、ランプの中の魔神ジニーを「一度出したら元に戻せないもの=原爆」に例えて付けたという。

重いテーマだが、魔神に扮した男を登場させ、コミカルにこう語らせたりする。

「オレは悪くない。爆弾は使われるだけで、使うのはいつも人間だろ!」

 

 
映画の中に登場する魔神ジニー

「ジニー」は魔法のランプに閉じ込められた
魔神の名で、「核エネルギー」を象徴しているという

 

●スティーブン・ソター君は、アメリカ国内に原爆投下を悪いと思わない人がいるのは、「よく知らないから」と指摘し、こう語っている。

「史上最悪の決断だった。二度と繰り返してはならない。

ボクはこの映画で原爆が人を傷つけたのではなく、人が人を傷つけたのだと訴えたかったのです」

 


2006年7月に初来日した
スティーブン・ソター君

 

●このスティーブン・ソター君のような鋭い感性を持った〈新しい世代〉が、アメリカに登場したことは非常に喜ばしいことである。

しかしまだ若いので、今後、アメリカ国内の多数派である「原爆肯定派」や周囲の大人たち(学校の先生など)から強い影響を受けて、原爆に対するスタンスが変わっていくかもしれないという一抹の不安がある。

彼の鋭い感性(才能)が成長とともに曇ることなく、このままずっと輝いていくことを祈りたい(暖かく見守っていきたい…)。

 

◆14歳の米映画監督ヒロシマを撮る (中国新聞の記事)
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/2006/news/An06071702.html

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■特別編 F: 日系アメリカ人監督によるドキュメンタリー映画


●名前が「スティーブン」つながりというわけで、この映画監督も一緒に紹介しておきたい↓

 


2006年6月5日 『東京新聞』

 

●この記事で紹介されているスティーブン・オカザキ監督は、

1952年ロサンゼルス生まれの日系3世で、「日系人強制収容所」を描いた作品『待ちわびる日々』(1991年)で米アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞を受賞。

広島・長崎の原爆問題に関心を寄せるようになったのは、英訳の『はだしのゲン』を読んだのがきっかけで、1981年に広島を初訪問して以来、25年の歳月をかけて、500人以上の被爆者を取材し続けてきたという。


●オカザキ監督は新作映画の発表に向け、こう語っている。

「偏見もあり、特別扱いされていた被爆を、普通の人間の体験として伝えていきたい。

1995年の米スミソニアン協会の原爆展で長編を作る予定だったが、当時はアメリカ国内の反発で実現しなかった。

2005年にアメリカの記録映画会社から『手遅れになる』と、制作を持ちかけられ、ようやく実現した。被爆者にとって、あの日の体験は今も生々しい。高齢化で今語らなければという緊迫感もある。若者には、自分にも起きたかもしれない体験として見てほしい。」

 

●このオカザキ監督の原爆映画の最新情報はこちら↓にあります。


◆公式サイト (ヒロシマ ナガサキ) 予告編ムービーあり
http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■動画(リンク集)

 

Hiroshima and Nagasaki 英語 (1分50秒)
http://www.youtube.com/watch?v=X5Lpemjki_A


 
上の動画の中に登場する被爆した少年

※ 原爆は通常の爆弾と違って、深刻な
「放射能汚染」を引き起こすのが大きな特徴である

 


上で紹介した原爆アニメ『はだしのゲン』のワンシーン (9分2秒)
http://www.youtube.com/watch?v=BfJZ6nwxD38

↑心臓の弱い方は観ないほうがいいと思います

 

英BBC制作 広島 原爆投下 (9分37秒)
http://www.youtube.com/watch?v=i3fmPaWyA7U

↑CGを使って広島原爆をリアルに再現しています

 

核爆発の映像集 (5分43秒)
http://www.youtube.com/watch?v=IHeI4TRoKvo

↑衝撃の映像集 (BGMがうるさいので要注意)

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆


…… これらの映像を見た感想 ……

人間が核の「力自慢」をするようになった
戦後の世界は、まさに病んでいるといえる。

「核兵器」のない平和な世界は、もう我々の
 住む「星」には永遠に訪れないのであろうか?

現在、世界には地球を何回も破壊できるほどの
核兵器が存在するという。一体いつまで人類は
 このような「愚行」を続けるのだろうか?

 核によって自分たちの文明が滅びた時、
 ようやく「正気」に戻るのだろうか?
 (今、とても悲しい気分である…)

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■関連記事(リンク集)


◆原爆投下の歴史的時間──広島の高校生による原爆ドームの変化を再現するCGギャラリー
http://www.urban.ne.jp/home/kibochan/miyakou/cg.htm


◆反日の「民主党」のF・D・ルーズベルト大統領は
日本へ18発もの原爆投下を承認していた。

しかし「共和党」は日本との戦争にも反対し、分割占領にも反対していた。
http://www.geocities.jp/tqovopy/TORAshi.htm


◆原爆投下、市民殺戮が目的──米学者、極秘文書で確認
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■原爆関連の書籍

 

 毎年、様々な原爆関連の書籍が出版されていますが、
 オススメの本を簡単に紹介(展示)しておきたいと思います↓


原爆災害
ヒロシマ・ナガサキ
原爆災害誌編集委員会
アメリカはなぜ日本に
原爆を投下したのか
ロナルド・タカキ著
原爆を投下するまで
日本を降伏させるな
鳥居民著
科学大国アメリカは原爆
投下によって生まれた
歌田明弘著

広島原爆
8時15分 投下の意味
諏訪澄著

核兵器のしくみ
山田克哉著
カウントダウン
ヒロシマ
S・ウォーカー著
原爆写真 ノーモア
ヒロシマ ナガサキ
清水博義[編集]

被爆者
60年目のことば
会田法行[写真・文]
ヒロシマ あの時、
原爆投下は止められた
TBSテレビ[編集]
コミック
夕凪の街 桜の国
こうの史代
リトルボーイと
ファットマン
マッド・アマノ著

 

▲TOP(目次)へ
 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 14: 映画化された『夕凪の街 桜の国』


上で紹介中の、こうの史代(ふみよ)さん(広島出身)のコミック
『夕凪の街 桜の国』(双葉社/2004年出版)を、佐々部清監督が見事に映画化しました(2007年)。

この作品は、広島に落とされた原爆の影響を、昭和と現代に生きる2人の女性を通して描いた「傑作」です。

詳しくは、下のリンク先のページ(公式サイト)をご覧になって下さい。

 

◆映画『夕凪の街 桜の国』 公式サイト
http://www.yunagi-sakura.jp/index.html

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------

 

■■追加情報 15: アメリカが行なったホロコースト


●多数のベストセラーで有名な渡部昇一氏(上智大学名誉教授)は、月刊『WiLL』8月号緊急増刊(2007年)の中で、「アメリカが行なったホロコースト」と題して、こう述べている。

(※ 氏が主張されるように、ホロコーストの悲劇はヨーロッパだけでなく、日本でも起きたのである)。

 

 

「アメリカは原爆、および東京大空襲の無差別爆撃という『ホロコースト』を日本に仕掛けた国です。

ホロコーストとは、全てを焼き尽くすという意味です。

東京は何度も空襲され、被災者は60万人を超えています。一晩で10万人が死んでいます。その90%以上は女子供です。これをホロコーストと言わずして、何がホロコーストか。

アウシュヴィッツでも10万人を焼き殺そうと思ったら何ヶ月かかりますか。

アメリカ議会は日本の人道を問うなどと言っていますが、ではアメリカが日本で行なった無差別爆撃、原爆についてはどう考えるか問うべきです。

これはホロコーストであり、ホロコーストはいかなる理屈をつけようとホロコーストなのです。

アメリカは苦しまぎれに、『戦争を早く終えるために原爆を落とした』などと言いますが、この件を私はベルリンの学会に出席した際に話したことがあります。

プライベートなお茶の時間でしたが、『アメリカは戦争を早く終えるために原爆を落とした』と言う人がいたので、

『早く終えるために一般国民を殺戮してもよいのであれば、原爆でなく毒ガス(化学兵器)を使ってもよかったではないか』と言いました。

すると相手は『それは考えもしなかった』と言っていましたが、このようにアメリカが言っていることは弁解にもならないのです。アメリカ人も心の底では弁解にならないと思っているはずです。

ですから、彼らの唯一の慰めとして、『日本人は殺されてもいいような悪い奴らだった』ということをなんとしても言いたいのです。

実に悪魔のような潜在意識的欲求があると見なければならないと思います。

事実、私は7年前に出したカタログの序文に『 Tokyo was a holocaust city 』という表現を使ったことがあります。これを読んだ古書を扱う国際的な学会の編集者が感激し、その学会が発行する国際的な雑誌に全文を掲載しました。ですから私は、世界に向かってアメリカの爆撃をホロコーストと書いた最初の人間ではないかと思います。

私たちはこの『ホロコースト』という言葉を使わなければならない。『 Holocaust bombing 』と言わなければなりません。」

 

▲TOP(目次)へ

 


--------------------------------------------------------------------------------


http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/174.html

記事 [ペンネーム登録待ち板6] 小室直樹の資本主義講座
小室直樹の資本主義講座 T

http://www.youtube.com/watch?v=LEipRS6cjG4

追悼 小室直樹 
98年の講演CD。日経BPの付録から。
全部で8章、73分。
第1章「不思議な日本の経済危機」。
動画は唯一ダートが残る国道458号線大蔵村側から十部一峠へ。

小室直樹

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9
小室は、その行動から奇人と評されることが多い[9]が、その思想・学説は全て原理、原則に基づくもので、小室自身も学生や一般読者に向けて「正当な学問」を学ぶことの重要性を説いている[10]。

小室は、典型的な軍国少年で、日本の敗戦の知らせを聞いたときの悔しさが学問を志す原体験となっており、高校在学中に湯川秀樹博士のノーベル賞受賞を聞くと、日本がアメリカ合衆国を打ち倒し、世界から尊敬を受けることができるようになる国になるための研究ができると思い、京大理学部を志望した[11]。ところが、小室が京大に入学したころは既に湯川が研究の第一線を退いていたため、小室は、失意の日々を送っていたが、ジョン・ヒックスの『価値と資本』の解説を書いていた市村真一の論文を読んで、まるで理論物理学のようなエレガントさに魅了されて、学問の枠を超えて、理論経済学に興味を持ち、当時高田保馬が森嶋通夫 、安井琢磨、二階堂副包ら日本のトップレベルの経済学者を大阪大学社会経済研究所に集め、阪大ゴールデン時代とまで呼ばれた大阪大学大学院経済学研究科に進学し、「正当な学問」を身につける[12]。

このような経緯から、経済学が小室の思想の出発点となったのである。小室は、レオン・ワルラスの一般均衡理論によって初めて経済学が単なる思想ではなく、科学として成立したとした上で、この「正当な学問」としての経済学を日本に正しく紹介したのは高田保馬であるとする。高田の「私が一生かかっても十分に理解できない学者が二人いる。ケインズとヴェーバーだ」との言を聞いた小室は、いつか両学者の研究をすることを決意する[13]。

小室は、市村真一の期待を一身に受け、経済学の本場アメリカに留学することになるが、研究を進めるに連れて、ヒックス、サミュエルソン、アローなどにより理論経済学の研究は完成されてしまったと考え、社会学と政治学の理論化を研究しようと決意する。そのためには、当時実証科学の条件を満たしていた心理学を学ぶことが社会学や政治学の理論化に有益であると考え、スキナーの下で行動主義心理学を学び、学問の分野を超えて最先端の「正当な学問」を身につけて帰国するが、経済学から転向することを告げると市村から破門された。

その後、小室は、様々な分野の学問の研究を続けていたが、高田保馬の『社会学概論』(岩波書店)の解説を書いた富永健一から社会学を学ぶようになったことがきっかけで、社会学の雑誌に立て続けに一連の論文を発表し、行動主義心理学を社会学に応用したパーソンズの構造機能分析を日本で他に先駆けて整理して論じた[14]。

後掲「社会動学の一般理論構築の試み」を発表すると、この論文が川島武宜の目に止まり、川島編集の後掲『法社会学講座』の編集協力・執筆に冨永と共に加わることとなった。『法社会学講座』は、当時著名な教授・助教授が執筆者として名を連ねているが、当時無名であった小室の経歴だけが「京大卒」とのみ書かれているほど異例の大抜てきであった。その論文の内容は、理論経済学を社会学に応用しようとする、ホマンズの社会行動論を踏まえながら、ワルラスの一般均衡理論を構造機能分析を利用して法社会学に応用し、自身が提唱した「規範動学モデル」によって、日本とは全く社会的な条件が異なる西欧社会の法体系を日本に導入した場合、全く同じ条文でも、母法の国と継受国では全く異なる機能を果たすことがある現象の分析が可能になるとするものである[15]。これにより小室の学説の一般理論は一通り完成するが、その特徴は、スキナー、ホマンズ、パーソンズらから学んだ「正当な学問」を分野を超えて統合した点にあるといえ、以後その一般理論によって現実の社会現象を分析し、これを予測するという応用の研究を始める。『ソビエト帝国の崩壊』は、正にその構造機能分析を応用し、予言を的中させたものであるとされる[16]。

小室は、人類学の研究を進めていくにつれ、その研究対象が様々な未開社会の親族構造の研究にとどまっていることに不満を持ち、近代資本主義の解明のためには、ヴェーバーを学ぶ必要があると考えるようになり、大塚久雄から直接指導を受ける。そして、西欧において近代資本主義が発達したのは、宗教革命によって西欧社会のエートスが変化し、プロテスタントが禁欲的労働というエートスを得たからであり、このことから社会における「構造」が絶対不変のものではなく、変化し得るとのアイデアを得る。そして、このアイデアを構造機能分析に応用して、日本において資本主義が定着していったのは、西欧と日本は同じ禁欲的労働というエートスをもっているからであり、その日本における象徴が二宮尊徳であるとする。

その後、小室は、西欧における近代資本主義と日本の資本主義の違いについて研究するため、山本七平の知遇を得て、日本独自の宗教ともいうべき「日本教」、天皇制の研究を始め、これが西欧の古典だけでなく、中国や韓国の古典、儒教、官僚制の研究に繋がっていく。

小室は、自身の応用研究を更に深め、近代資本主義が成立するためには絶対性と抽象性を特徴とする近代的所有権が制度として確立されていることが必要であるとの川島武宜の学説を承継した上で、これを経済学の研究と結びつけてセイの法則が機能を停止し、自由放任が資源の最適分配を行い得なくなった現代社会では近代的所有権の概念は修正されざるを得ないとして発展させた。

小室は、大塚久雄から「川島先生には正当な後継者がいない。川島先生の理論を完成させることができるのは小室さんだけだ。完成させてよ」との遺言を預かるが[17]、遂げられなかった

小室直樹の資本主義講座 U

http://www.youtube.com/watch?v=Fj-MxBM2Tvo&feature=mfu_in_order&list=UL

第2章 「ロシア経済はなぜ破綻したか」 
動画は第1章の続き、R458十部一峠あたり。
小室センセ、もっと著作出して欲しかったなあ。

小室直樹の資本主義講座 V

http://www.youtube.com/watch?v=dl9vimCpjwI&feature=mfu_in_order&list=UL

第3章 日本の「社会主義経済」も破綻。
全部で8章の3番目。
動画は秋田県道2号、除雪きっちり冬の十和田大舘樹海ライン。パジェロミニ車載動画

小室直樹の資本主義講座 W

http://www.youtube.com/watch?v=1YKp5DwhYXk&feature=mfu_in_order&list=UL

第4章 資本主義経済を導入できなかったロシア 
動画は首都高、大島JCTから山手トンネルのロードスター車載カメラ。
一般人や門外漢にもわかるように説明できる人は本当に頭がいいんだろうね。
さらに小室センセの場合、比喩や語彙が面白く記憶に残る文章だった

小室直樹の資本主義講座 X
http://www.youtube.com/watch?v=rrR7eqrtdV4&feature=mfu_in_order&list=UL

第5章 「資本主義」が成立するための条件  
動画は、九州のやまなみハイウェイのバックオンボードカメラ。ロードスター車載動画。
岡潔か小室直樹か、日本が誇る知の2大巨人(私的印象です)。


http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1023.html

記事 [テスト21] テスト
種々の法律の署名大臣名は「法なび法令検索」のサイトで調べることができる(http://hourei.hounavi.jp/information/ippatsu.php)。調べた結果を図2に示す。最初の検察審査会法 (昭和23年7月12日法律第147号) の署名者は内閣総理大臣のみであった。

(a)「人権擁護委員会その他の準司法機関・オンブズマン制度」に関する基礎的資料
 (平成16 年3 月11 日)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi042.pdf/$File/shukenshi042.pdf

検察審査会の設立当時の日本側とGHQの会談録や検察審査会法案の司法委員会での審議内容などを図7〜図11に示す。GHQとの意見の相違点や法案の裏の事情などがよく分かる。

http://www.asyura2.com/10/test21/msg/193.html

記事 [経世済民70] ひとりのトレーダーがこんな短期間に兆円単位の金を稼いだのは、あるいは失ったのは人類史上はじめてのことです。
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu230.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
ひとりのトレーダーがこんな短期間に兆円単位の金を稼いだ
のは、あるいは失ったのは人類史上はじめてのことです。

2010年12月26日

世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち


◆世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち、マイケル・ルイス、東江一紀(翻訳) 12月25日 金融日記
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51780725.html

ちょっと前に出版されて話題になっていた本でしたが、僕はAmazonで買ってそのまま机に積んでありました。今回の金融危機に関する本はそれこそ山のように出版されていて食傷気味だったからです。それでクリスマス・シーズンでちょっと仕事も暇になってきたのでしょうがないので読んでみることにしました。しばらく読み進むと、僕はひどく後悔することになりました。なんでもっとはやくこの本を読まなかったのだろうかと思ったからです。それほどこの本は傑出したノンフィクションです。世間的には全く無名で、どちらかというと住宅ローン債券に関しては最初は素人だったみっつの小さなヘッジファンドを通して物語は進行していきます。彼ら無名のヘッジファンド・マネジャーたちは巨万の富を得るのですが。

世界同時金融危機に関しては、ジャーナリストや経済学者が書いた本が多く、そのどれもが正直いって僕には腹に落ちない部分がありました。ジャーナリストが書いた本の多くはひどく複雑な話を簡単にまとめすぎていて論理が破綻していました。経済学者はマクロ経済学的な意味付けや金融システムの観点から金融危機を論じていました。しかし僕は住宅ローン仕組債とは幸か不幸か全く縁がなかったのですが、それでも証券会社ではたらく人間としてどうもそういうマクロ的な話はどこか遠い世界の話のように思えました。現場で高尚な金融システムのことを考えている人間なんてどこにもいないからです。自分が関わっている金融商品を使っていかに合法的にたくさん稼ぐか。そして会社のために稼いだ金をどれだけ自分のポケットに取り戻すか。良くも悪くも証券会社のフロントの人間はそれだけを考えていますし、またそれが義務であるともいえます。そして会社は自社の社員にカモられないために社員をひどく神経質に監視し、また管理しようとしています。そんな状況で、なぜ何兆円も損失を被るリスクを数々の金融機関は許容していたのか。また住宅バブルの崩壊により住宅ローン仕組債が暴落することに賭けたヘッジファンドや証券会社のトレーダーが一夜にして数千億円という天文学的な利益をたたき出すのですが、いったいどういう仕組みでそんなことが可能だったのか、ほとんどの本に具体的な記述がありませんでした。ちなみにひとりのトレーダーがこんな短期間に兆円単位の金を稼いだのは、あるいは失ったのはいうまでもなく人類史上はじめてのことです。

住宅ローンとは庶民が住宅を担保に入れて金融会社からお金を借りることです。するとお金を貸している債権者には毎月の返済と金利が入ってきます。このキャッシュフローをごっそりまとめて切り刻んだりすればいろいろな面白い住宅ローン債券が作れます。それでこの住宅ローンをごっそりまとめた金融商品にムーディーズやS&Pという権威ある格付け会社が、それを売る投資銀行に頼まれてアメリカ国債並みの格付けをどんどん付けていくのです。なぜならそれぞれのローンは焦げ付く可能性があっても、ローン同士の相関は弱いので、全体としてはリスクが分散するというナイーブな仮定をそのまま信じ込んだ、あるいは信じこまされたからです。トリプルAの格付けがついたこれらの複雑な金融商品を保険会社などの世界中の機関投資家が買いました。

それではこのような金融商品をどうやって空売りするのでしょうか? それにはCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)というデリバティブ商品を使います。CDSは債券のデフォルトをヘッジするための金融商品です。たとえばトヨタ自動車の社債を保有している人がいるとしましょう。トヨタ自動車が倒産したら、この社債のかなり部分が吹き飛んでしまうでしょう。たとえば100円の社債で倒産して30円しか返ってこなかったとします。ここでこの社債のCDSを買っておけば、それ売った人から損失分の70円を貰えます。そのかわりCDSを買った人は、最初に決められたお金をこの保険料としてCDSを売った人に払い続けなければいけません。たとえば年間1%とかです。つまりトヨタ自動車の社債を100億円持っている人は、毎年1億円ずつ払えばトヨタ自動車が倒産しても損しないのです。

しかしトヨタ自動車の社債を持っていない人がCDSを買ったらどうなるでしょうか? この場合、毎年1億円払えば、トヨタ自動車が倒産したら最大で100億円儲かることがわかります。つまりCDSとはルーレットで数字に賭けるような非対称のギャンブルなのです。ルーレットではピッタリの数字が当たる確率は32分の1ですが、そのオッズも30倍以上です。めったに当たらないけど当たったらがっぽり貰えるのです。つまりたった1億円を賭けるだけで、もし予想通り会社が潰れたら100億円儲かるチャンスに張ることができるのです。さらに面白いことがわかります。社債に投資するには、あたり前ですがその社債が実際に発行され流通していないといけません。しかしCDSなら社債に投資したりデフォルトに賭けたりすることが社債がなくてもデリバティブの売り手と買い手さえいればどれだけでもできるのです。つまり実物資産がわずかしかなくても、無限大の大きさの市場を作り出せるのです。

それでトリプルAがついている債券が、実はサブプライムがたっぷり入ったとんでもないクズだと気がついた男がいました。幼少期に片目を失い、後にアスペルガー症候群と診断されるサイオン・キャピタルのマイク・バーリです。バーリは医師で株式投資家でした。勤務中に書いていた投資ブログがあまりにも秀逸で予想が次々に的中するので、投資家からいきなり資金を託されてヘッジファンドをはじめたという異色の人物です。彼は住宅ローン仕組債を原資産とするCDSを思いつき、さまざまな投資銀行に提案していきます。つまりそういった仕組債が約束していたキャッシュフローを支払えなくなったときに、CDSの買い手が売り手から保険金を受け取るのです。トリプルAの格付けが付いていたので、そういったCDSはわずか1%程度の保険料で買うことができました。これで当たれば、つまり住宅バブルが崩壊すれば一気に100倍になる大穴馬券を買うことができました。

しかし、こんなCDSをいったい誰が売ってくれたのか? そもそも格付け会社はなぜトリプルAなんていう格付けをつけたのか? そしてトリプルAだというだけで何の分析もせずにそんな債券を機関投資家はなぜ山のように買ったのか? そして住宅バブル崩壊による金融危機により、なぜ世界中の金融機関は住宅市場の規模からは考えられないほどの莫大な損失を出したのか? 僕が今まで読んだ本にはこういった根源的な疑問に対して、腹に落ちる答えが書いてありませんでした。しかしマイケル・ルイスのこの本を読んで、全てが具体的に、生々しくわかりました。重要な現場のプレイヤーたちがノン・フィクションとして実名で登場します。数十億円のボーナスを受け取った後に数千億円の損失を銀行に与えて、そのままパッと会社を辞めて楽しく生活をしているトレーダーも実名ででてきます。

世界的なベストセラー(暴露本)、ライアーズ・ポーカーを書いて、ウォール街の帝王と呼ばれたソロモン・ブラザーズ会長のジョン・グッドフレンド(元上司)を辞任に追いやっただけの男です。物語としても秀逸で本当に面白い本でした。これは今年一番面白かった本かもしれません


(私のコメント)
長年使っていたノートパソコンが調子が悪くなってきたのでパソコンの引越し作業をしているのですが、長年使っていたせいで様々なパスワードや設定方法を忘れてしまって悪戦苦闘しています。引越しソフトも使ってみましたが使い物にならず、一つ一つやり直しながら再設定しなければならないようです。ホームページビルダー6で書いていたのですが、新しいホームページビルダー14は激重で使い物になりそうもありません。書き込んで1秒ぐらいたってから文字が表示される。

新しいパソコンは高性能なのですがそれでも重い。ホームページビルダーも多機能になったのはいいのですが使いにくくては何にもならない。文字は別のエディターで書いて貼り付けたほうがいいのだろうか。それでも基本操作は同じなので楽なのですが、軽くて単純なソフトで書きたいものだ。

パソコンと同じように株式投資の世界も日進月歩で、私のような旧人類には付いていけないものになりました。CDSと言ってもほとんどの日本人は馴染みのないもので、株式日記でもいろいろ問題点を書き込んできたのですが、サブプライムローンの問題点も株式日記ではいろいろ指摘してきました。古くからの読者はわかってくれるのでしょうが、最近の読者はクレームばかりつけてくる。

株式日記では格付け会社のいい加減さも指摘してきたのですが、リーマンショックですっかり格付け会社も化けの皮がはがされた。債権の証券化ビジネスもアイデアとしては良いのでしょうが、貸し手責任が曖昧になってしまう。要するに金融工学も煎じ詰めてみれば丁半博打と同じであり、保険をかけてみたところで、その保険会社が破綻してしまえば保険の意味はなくなる。

アメリカの金融業界はCDSと言うとんでもない巨大な爆弾を抱えているのですが、だからFRBはなりふり構わずドルをばら撒いて破綻を何とか防いでいる。しかしこれも先送りに過ぎず狂乱インフレにして借金をチャラにしないとどうにもならなくなるだろう。アメリカの金融業界が抱えた問題は大きすぎて正体を現すのは数年先の話になるだろう。

「世紀の空売り」と言う本は読んではいないのですが、住宅ローン仕組み債の破綻に賭けた人の物語ですが、保険料を支払い続けていれば対象の債券が破綻しても死亡保険金のように会社が破綻しても保険金が支払われる。GMなども破綻させないようにすればできたのでしょうが、GM破綻に賭けた人々がたくさんいて潰された。サブプライムローンも同じなのだろう。

ゴールドマンサックスのポールソンもサブプライムローンの仕組み債破綻に賭けていた一人であり、住宅金融に詳しい人ならば一攫千金のチャンスであったのだろう。馬鹿を見たのはサブプライムローンで住宅を買わされた人であり、返済能力のない人にも住宅ローンが組まされて買わされた。これではサブプライムローンが破綻するのはかなりの確率は高いので、格付け会社のAAAの最高ランク格付けは詐欺の共犯だろう。

そのような仕組み債をヨーロッパの機関投資家が大量に買い付けましたが、それがユーロ危機の一因になっている。アメリカのヘッジファンドのペテンに引っかかったわけですが、アメリカのヘッジファンドのマネージャーは詐欺師と大して変わりがない。デェリバディブと言ってもその中身は見ることができないのだから、そんなものに大金を投資するのが間違っていたのだ。

これから賭けるとすればアメリカの破綻にかけるのが一番大きな賭けになるだろう。そろそろアメリカの景気対策も切れかかる頃であり、金融機関の破綻や企業の破綻が出てくるようになるだろう。株式だけが高騰していますが、ヘッジファンドも株式をいったん吊り上げてから叩き落すのが彼らのやり方だ。日本のバブルもそれでやられた。



http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/453.html

コメント [経世済民70] 最後の貸し手としての連邦準備銀行は何が出来るか?  (ROCKWAY EXPRESS ) 新世紀人
10. 2010年12月26日 16:21:19: LDgKnqx85E
連銀(FRB)の出自がわかる動画。
日本の支配層にも騙されていたことがよくわかった。
日本人の覚醒が緊急に必要だ。

FRB[1/8] "悪の出先機関" 伯壬旭軍帥・地獄論壇44
http://www.youtube.com/watch?v=XKt78jPbjtc
FRB[2/8] "悪の出先機関" 伯壬旭軍帥・地獄論壇44
http://www.youtube.com/watch?v=F6_stU8AzqQ
FRB[3/8] "悪の出先機関" 伯壬旭軍帥・地獄論壇44
http://www.youtube.com/watch?v=B5kO8zqvrTQ
FRB[4/8] "悪の出先機関" 伯壬旭軍帥・地獄論壇44
http://www.youtube.com/watch?v=X0xpYNjyrDM
FRB[5/8] "悪の出先機関" 伯壬旭軍帥・地獄論壇44
http://www.youtube.com/watch?v=ttTg-ILMMfU
FRB[6/8] "悪の出先機関" 伯壬旭軍帥・地獄論壇44
http://www.youtube.com/watch?v=q-0S_bAXdEw
FRB[7/8] "悪の出先機関" 伯壬旭軍帥・地獄論壇44
http://www.youtube.com/watch?v=Zalxc7u4CMA
FRB[8/8] "悪の出先機関" 伯壬旭軍帥・地獄論壇44
http://www.youtube.com/watch?v=phW8hXDJitw



http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/438.html#c10

コメント [] パラオKBブリッジ@韓国製 半年で崩壊 ねこ
29. 2010年12月26日 16:29:34: xLiCNErj3o
残念ながら韓国みたく多数トラブル発生させないんだなw
さすがメイドインジャパンだよ。

1990年12月 具永東高速道で進入歩道橋崩壊
1992年 大雨で流された遊覧船が漢江の橋に衝突、橋脚の方が壊れる。
1993年1月 清州ウアム商店街崩壊
1994年10月 漢江・聖水大橋が崩落
1994年11月 ゾンアムドン歩道橋崩壊
1995年6月 三豊デパート倒壊
1995年 ソウル地下鉄2号線の鉄橋に崩壊の危険があり掛け直し
1996年9月 韓国企業が施工したパラオのKB橋が崩壊、首都機能が麻痺。現地では「暗黒の九月事件」と呼ばれている。
1997年 韓国企業が施工したマレーシア・ペトロナスタワー2(ツインタワーの片方)完成直後より傾斜し始めたため、特に上層階にはテナントが入らず。
2000年10月 ビル崩壊
2001年 ソウルで雑居ビルが崩壊
2002年7月 済州ワールドカップスタジアムの屋根が強風にあおられ、7億ウォン余りの被害
2003年ソウル清渓川高架道路の崩壊の危険が指摘され取り壊し。
2004年 崩壊の危機があり「全面的な建て直し」が必要とされた光化門地下歩道を「政治的判断」により補修のみで済ませる。
2004年9月 京畿道・安養市で3階建て旅人宿が崩壊
2006年2月韓国エバーランドのウォターパーク、天井崩れ
2009年 駐車場崩落
2009年6月マレーシアのサルタン・ミザン・ジャイナル・アビジン・スタジアム 韓国建設会社が作った東側観客席の屋根わずか1年で崩壊
2010年4月 オリンピック公園の青龍橋崩壊〜一人怪我
2010年5月 光州市錦南路地下商店街店舗3ヶ所崩壊
2010年6月メキシコ湾原油漏出大事故で崩壊したリグは韓国ヒュンダイ社製造、耐用年数30年のはずが製造後10年しか経ていない。
     アメリカ政府はヒュンダイ社にも数千億円の損害賠償請求訴訟
2010年10月F1史上最低の韓国GP
     開催直前からメインストレートの陸橋や仮設スタンド等々出来ておらず路面波打つなどの危険施工
     強行開催も初日のフリー走行でコース陥没等問題多発。レース後違法建築が明らかになった。

☆韓国マンセー☆これは日本はとてもじゃないけどマネできないわw

http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/583.html#c29

コメント [経世済民70] 30年間8.5兆円「円買い外貨売り」を続けてきた、輸出超過額平均年8.5兆円がそれだ heiwatarou
23. 2010年12月26日 16:34:26: RJ1T55HkJ2
>派遣の禁止、最低時給1000円にすること
>国は失業者や企業の海外移転を支援する。
>失業者は海外移転でなく失業保険の増額
>輸出超過を輸入超過にして円安にする、120円

もし現実的に可能性があると思うなら、試しに失業手当や移転コストなど
実際にかかる財政支出を見積もってみては?

あと一度輸出を潰す政策をとると、誰も国内で製造業なんて起業することはなくなるので、為替が、どんどん円安が進展し、ひどいインフレになっていくことでしょうね
政治的な多数者である高齢者は猛反対するので、実現は難しいでしょう
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/422.html#c23

コメント [雑談専用38] 今日の入間市のデモに参加されました皆さん、愚民党さん、田中さん、矢野さん、秋元さん、ありがとうございました。 地には平和を
71. 2010年12月26日 16:35:22: ZMbmXo037I
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/271.html?c116#c133

133. 2010年12月26日 16:28:44: ZMbmXo037I
檀公善氏は11月14日にも間違いなく札幌にいらっしゃったようですね。石川議員の兄上の以下のtwitterで確認出来ます。
----------------------------------------------------------------------------
何気に阿修羅見てみると→檀公善渾身! 日本縦断7000キロ、超緊急ミニオフ勉強会の旅 勉強会タイトル「石川真っ白と小沢真っ白の因果を解く」講師:檀公善http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/727.html明日夜うちに来る秘書に確認する。 3:57 PM Nov 5th webから

senkei_m @tomoanisake 兄これは?→檀公善渾身! 日本縦断7000キロ、超緊急ミニオフ勉強会の旅 「石川真っ白と小沢真っ白の因果を解く」講師:檀公善http://www.asyura2.com/10/senkyo98/msg/727.html明日夜うちに来る秘書に確認する。 4:47 PM Nov 5th webから tomoanisake宛 tomoanisakeと2人がリツイート

@senkei_m ダンさん自身の阿修羅の投稿だと思います。ちょっと秘書に聞いときます。来週日曜は千歳空港PM2時半だったかな? 2010年11月6日 15:23:17 webから

@senkei_m ん?DM見ました。多分そうでしょ。でもあいつは相手にされてないよ。。ムネオ事務所でも要注意人物。ダンさんが、トモと東京事務所で実際に会ってるかどうか、そしてヤツがその場にいたかも明日秘書に聞いときます。その結果を待って千歳に向かうか検討します。2010年11月6日 20:19:39 webから

ダンさんは直接トモの東京議員会館にはいらしてないらしい。がhankiyoさんのご紹介で佐藤優サンの勉強会にはいらしてると先ほど「自称」秘書に聞く。「自称」というのは。。いろいろ。。俺が政策になるか、これも呑み代が嵩み・・ 4:55 AM Nov 7th webから

今日は酒抜こうと思ったんだが。。秘書はどこ行った、車はあるからいったん戻って。。あいつススキノいっちまったか?ん、しまった、ダン・コウゼンさんのこと、聞くの忘れてた。今週日曜千歳空港だったな。明日も旭川だし、デスクワークがたまってる。。 3:28 AM Nov 9th webから

soilyano 檀公善はダンきみよしさんです。そちらに行かれますね。RT @tomoanisake 今日は酒抜こうと思ったんだが。。秘書はどこ行った、車はあるからいったん戻って。。あいつススキノいっちまったか?ん、しまった、ダン・コウゼンさんのこと、聞くの忘れてた。今週日曜千歳空港だったな。5:55 AM Nov 9th TwitBirdから tomoanisakeがリツイート

@soilyano 檀(だん)公善(きみよし)さんですね。了解です(汗゜)。11/14(日)仙台から札幌千歳空港に入られます。お会いしようと思っています。 2:01 PM Nov 9th webから

あのダンだかというヤツは本名じゃないと本人が言うとった。自分は事業家だと。アカ?パネと呑みすぎた。協力できない。 5:11 AM Nov 15th webから

昨日千歳に行ったのは、僕が行かなきゃ「石川の野郎はふざけやがって」と、どうせ言われるから。だからトモに近づけることはしない。 5:23 AM Nov 15th webから

人は大抵、自分自身のことはそれなりに、自分のこととして、わきまえた言動なり、行動をするのが通常であると考えます。これが政治の事になると、とたんに、わきまえない人たちが、自分自身のことではないだけに、より過激な行動を取る。悲劇です。なぜなら、責任を負わないから。ダンも同じだ。 5:33 AM Nov 15th webから

え^と酒が冷めたから思い出した、正確なことを。檀は11/14(日)夕方に千歳に来て、1週間後の11/21(日)に札幌でデモをやれと。警察の許可なぞ、簡単だし、許可が取れたら阿修羅に投稿すれば何とかなる、名古屋もそれで何とかなったと。。むちゃくちゃな事を言ってるし、無責任極まりない 2010年11月16日 0:20:41 webから
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/884.html#c71

コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
10. 2010年12月26日 16:58:17: 5OSV8Up776
>>09
>生産性の上がりそうな施策がみえない。
>まずは公共事業を大幅カットすべき。

あのね・・・
GDP=C+G+I+(EX-IM)なのね。
だからね、GDPを上げなきゃいけないときはGをふやすのね。
不況だから自発的にCやIは増えないから。
EX-IMは増えてるんだけど、貿易黒字の割合は1〜2%でとても小さいので問題にならないのさ。

それでさ、公共事業を大幅カットするってのはね。
C+↓G+I+(EX-IM)=↓GDPってことになっちゃうのよ。

それにね。
GDPがマイナスに転じるとね、絶対に「利子率>名目成長率」になっちゃうでしょ。
するとね、政府の債務残高の負担がますわけ。
更にね、政府債務残高の半分以上が貸出されているわけで、これらが不良債権化する危険度がますのね。
900兆円の政府債務の半分以上は政府資金を借り入れている企業や外国政府に返済義務があるのよ。景気悪化でつぶれたら返してもらえないじゃん。

つまり、緊縮財政こそが国家破産への最短ルートだったわけよ。

で、政府の場合はさ、民間とは逆で、国債を発行して債務をふやすと債務負担がへるのよ。
新規国債発行分をそっくり公共事業の増大にまわすばあいね、こうなるから。

債務残高/GDP>(債務残高+新規債務)/(GDP+公共事業費増加分)

な、面白いだろ。

緊縮財政をうって一般歳出を減らし、国債費を増額し、債務残高を減らしたとしよう
するとこうなる。

債務残高>GDP、国債費<一般歳出削減分
債務残高/GDP<(債務残高ー国債費)/(GDPー財政における一般歳出削減分)

な、財政負担は増すだろ。うわーって感じだよね。
不況下で財政再建なんて絶対にやっちゃいけないのさ。

長期的な人口減少については可能性大なので、心配して当然。俺もすげー心配。
ただし長期予測なので、今から人口増大に転じることは可能だから、心配しているとおりにならないよう、政府に工夫させよう。
これは私権だけど、人間の性欲がなくなることはないんだから、若い世代の所得向上と住宅事情の改善、および労働時間短縮で人口増加に転じることは十分あると思うよ。

>公共事業のばらまきこそ低成長時代の最大のムダ。

・・・と言うわけで、この思い込みは正答とは真逆です。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c10

記事 [雑談専用38] 「青春の富士そば」あるいは不遇な青年の話 (文筆劇場)
http://hiroya.web.infoseek.co.jp/「文筆劇場 ジョン・スミスへの手紙  サイバー・ラボ・ノート」から下記を転載投稿します

=転載開始=

ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (2823)

 「青春の富士そば」あるいは不遇な青年の話 

 本日、久しぶりに富士そばの蕎麦を食べました。特選富士そばで\410です。懐かしい味でした。

【写真】特選富士そば。\410。


 学生時代、僕はよく富士そばの蕎麦を食べていました。

 僕にはあまりお金がなかった。だから何といっても安いのが魅力でした。そして蕎麦には栄養価があります。

 毎週日曜日の午前、武術の稽古に行く前も、富士そばで「わかめそば」を食べてからいくのが定番でした。朝からたくさん食べると身体の動きが鈍くなる一方、何も食べないとお腹がすきます。

 そんなとき、そばの「重み」が丁度よかった。

 富士そばでは、「カツ丼」が\450で、これもよく食べました。ガッツリ食べたいとき向けのメニューです。格段においしいわけではありませんでしたが、「カツ丼を食べた」という気分に浸るには充分でした。

 しかしそれ以上に富士そばで思い出すのは、掃除屋の仲間です。仮にSさんとしておきましょう。

 Sさんは高田馬場在住で、僕の下宿先のすぐ近くに住んでいました。

 そして、百貨店の掃除屋と富士そばの店員とビル清掃の3つのアルバイトを掛け持ちしていました。1日10時間を週5で働いて月収は約20万円。年齢は既に30を越していました。

 色々なことが、もはや「手遅れ」になっていました。おそらくそれを一番わかっていたのはSさん本人でしょう。

 Sさんはもともと一般企業に社員として就職していました。ある時、楽器店で働くことに魅力を感じて会社を辞め、アルバイトとして楽器店で働き始めます。

 しかし、うまくいかなかった。成績が芳しくなく、楽器店に居づらくなり、店長からも退職勧奨を受けるようになります。

 そして結局、Sさんは楽器店を辞めざるを得なくなり、3つのアルバイトを掛け持ちするフリーターに流れ着いた。今更、最初の会社を辞めたことを後悔しても遅かった。

 Sさんは趣味というより、生きがいとしてギターを弾いていて、時々、ライブをしていました。僕も一度、高円寺のライブハウスに観にいったことがあります。まさに「魂の叫び」といった感じでした。

 音楽のセンスに問題があったのか、演奏技術に問題があったかは定かではありませんが、残念ながらお客さんもあまりいませんでした。

 Sさんは毎日、3つの掛け持ち仕事を終えてからオリジナルの作曲などをしていて、毎日睡眠時間は3時間くらいだったようです。掃除屋の作業中もよく「眠い」「つらい」とこぼしていました。いつも不機嫌な様子でした。

 僕から見ても、Sさんは不遇でした。

 「何がいけなかったのか」と言われても、正直、よくわかりません。強いて言うならば、小さな歯車の掛け違いが重なって、いつしか取り返しのつかないことになっていた。

 そういうピットフォールに落ちてしまった。おそらくそれは、誰にでも起こりえることでしょう。

 結局、Sさんは掃除屋を辞めて、富士そばのアルバイト一本で生計を立てることにしました。理由はわからない。色々と思うところがあったのでしょう。もしかしたら「社員に登用する」というような話があったのかもしれません。

 そして今でも、高円寺のライブハウスに出演しているようです。

 もちろん、Sさんが自分の人生に納得しているかどうかはわからない。それでも、ライフワークである音楽を続けて欲しいと思います。人間には何らかの「救い」が必要です。

 「餃子の王将が旨い」とか「世の中にはiPodという音楽プレイヤーがある」いうことを、仕事の雑談中、Sさんに教えてもらいました。ある意味、僕も恩人です。

 富士そばの店舗の前を通ると、不意にそんな記憶が蘇ります。

 (以上、1400字)

=転載終了=
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/895.html

記事 [国際5] 就任式強行の「大統領」に武力行使の声も
読売新聞 12月26日(日)14時44分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101226-00000163-yom-int

 【ヨハネスブルク=中西賢司】西アフリカのコートジボワールで、2人の「大統領」が並立する異常事態に陥ってから25日で3週間となった。

 大統領選決選投票を巡る選挙管理委員会の暫定結果発表を無視して就任式を強行したバグボ氏(65)に対する武力行使を訴える声も出始めており、情勢は緊迫の度を高めつつある。

 同国からの報道によると、国際社会が当選者と認める野党指導者ワタラ氏(68)が拠点とする最大都市アビジャンのホテル周辺では、バグボ氏が掌握する国軍が周辺道路を封鎖、にらみ合いが続く。

 アフリカ諸国には「武力介入すべきだ」(ケニアのオディンガ首相)との強硬論が浮上。西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は24日、特使を派遣し、バグボ氏が退陣を拒否すれば、武力行使を含めた手段を講じると表明した。
http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/228.html

コメント [お知らせ・管理19] Re: 素晴らしいTORA氏の提案!是非とも「一般規定」をベースにした投稿規定を作成してはいかが? metola
02. 2010年12月26日 17:09:02: t3QCmUjZsY
小沢内閣待望論のコピペのみ投稿には文句言わないのな。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/459.html#c2
記事 [お知らせ・管理19] 管理人さんへ 二重投稿です。削除をお願いいたします。
削除依頼投稿
内閣支持23%、不支持67% 共同通信世論調査 56・2%が衆院解散・総選挙で民意を問うよう求める
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/142.html
投稿者 赤かぶ 日時 2010 年 12 月 26 日 17:00:00: igsppGRN/E9PQ

先行投稿
内閣支持23%、不支持67% 共同通信世論調査
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/141.html
投稿者 あややの夏 日時 2010 年 12 月 26 日 16:58:16: GkI4VuUIXLRAw

ご多忙のところ申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/466.html

コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
10. 2010年12月26日 17:19:12: 5OSV8Up776
いや、09さんがさ、完全に正しいんだけどさ。
仙谷は無理矢理「財政を破綻にもっていく」って宣言だったんじゃないの。

経済法則や政策の妥当性を無視して、GDPを落としまくるぞと・・・
GDPの形成要素の中で人為的にコントロール出来るのは財政支出だけだからね。

07の言っているように2年後に、緊縮財政下で消費税10%(一方で法人税所得税相続税減税)をうてば、次年度以降のGDPは更に減少、歳入の悪化も更に加速。
GDP成長率が長期金利の利子率を下回った状態を永続させれば、有り得ないはずの「不況下に於ける流動性過剰状態での国債未消化」をおこせるかもね。

要するに日本国家を滅ぼすつもりなんだろ、仙谷たち前原派は。
あいつら確信犯だってことだよ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c10

コメント [医療崩壊3] 国民必読の書!『ガンは治る ガンは治せる』 船瀬俊介・安保徹・奇剞ャ著 花伝社毎年二五万人が、病院で『虐殺』されている 亀ちゃんファン
03. 2010年12月26日 17:27:02: KiAdVfwZmc
アマゾンで買ってね!としておけば良いでしょう?
それより、正常細胞を破壊して、がん細胞に耐性をつける抗がん剤について
自分の父親のがん治療で散々見ていたからよく理解できる。
外科手術も初期の頃なら良いが、中期以降の手術は老人には害悪であるのも事実
放射線治療もまったく体力の消耗でしかない
なぜ昼間大量に流れる保険会社のCMに最先端療法の重粒子線治療等の項目がでてくるか?
よ〜く考える必要がある。

http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/382.html#c3
記事 [マスコミ・電通批評11] 菅直人首相が朝日・毎日・読売の編集委員と夕食、はなゆー(6大マスゴミは、最低限のマナーは守るべきです)
http://alcyone.seesaa.net/article/174732503.html
2010年12月23日
菅直人首相が朝日・毎日・読売の編集委員と夕食
☆首相動静(12月23日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101223-00000035-jij-pol

http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/765.html

午後6時22分、公邸発。同35分、東京・芝公園の日本料理店「とうふ屋うかい」着。星浩朝日新聞編集委員、岩見隆夫毎日新聞客員編集委員、橋本五郎読売新聞特別編集委員と食事。

http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/386.html

コメント [経世済民70] 日本国債のDoomsday(終焉の日)はいつ到来するか?   10年以内 tea
11. 2010年12月26日 17:33:02: 5OSV8Up776
>官僚機構の拡大を止めるには強い権力がいる。
>国民から選ばれた政治家に強い権限を与えないとできない。

これ、まったく正しいと思うんだけどさ。
今まで、公務員たたきばっかりやって何も良いことがなかったじゃん。
やるべきことが間違ってると思うんだよな。

官僚が何をどう立案し、予算をどうしようとも、国会が予算修正権を行使すりゃいいんじゃないかねぇ。
政治家が官僚をつかいこなすも何も、国会議員同士で議論して予算額をいじればいいじゃんか。
そうすりゃ、あらゆる権限が国会にあるのと同じことになる。
官僚機構が何をどう考えてやろうとしても、どうせ国会議員に片っ端から修正されるから、その通りに従うしかなくなる。
陳情や立案の働きかけも官僚にはいかなくなるぜ。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/447.html#c11

コメント [お知らせ・管理19] 「阿修羅掲示板を読もう!」というチラシを作りたいです。 地には平和を
01. 2010年12月26日 17:38:27: sNdrwBpvYc
広告媒体に、他者の著作物を無許可で掲載すれば
いろいろと厄介な問題が生じてきます。
そのあたりをキッチリとあらかじめ考えておかないと、
大変なトラブルを招きかねないですよ。

(たとえ広告媒体でなく、自費でチラシを作ってポスティングするとしても、
 他人の著作物を無許可で掲載すれば、やはり著作権法違反で厄介な
 法的トラブルを招くことになります。自分で製作するチラシには、
 完全に自作の著作物だけを使うか、他者から正式に許可を得た著作物
 を使わねばなりません。)

「地には平和をワヤクチャ」は音楽映像著作物の違法使用を重ねてきた
犯歴があるのですから、この課題をクリアできるとは到底思えませんね。

http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/465.html#c1

コメント [マスコミ・電通批評11] 菅直人首相が朝日・毎日・読売の編集委員と夕食、はなゆー(6大マスゴミは、最低限のマナーは守るべきです) 小沢内閣待望論
01. 2010年12月26日 17:49:11: sNdrwBpvYc
悪代菅が、悪徳商人の朝日屋。毎日屋・読売屋と
とうふ屋うかいで犯罪謀議か。(笑)

うかいといえば、与謝野馨と渡辺喜美の鵜飼い献金だろ、まずもって。(笑)
http://img.asyura2.com/us/bigdata/up1/source/199.jpg

おい悪徳カワラ屋ども、小沢リンチで売国商売してるヒマがあったら
まず与謝野と渡辺の鵜飼い献金を追及しろや、悪党ども!
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/386.html#c1

コメント [マスコミ・電通批評11] 菅直人首相が朝日・毎日・読売の編集委員と夕食、はなゆー(6大マスゴミは、最低限のマナーは守るべきです) 小沢内閣待望論
02. 2010年12月26日 17:49:23: kbjD6Oqr1Y
首相の動向は、発表されるが、
他の与太者の行動は、
関係者だけです。

ブタ面の枝野は、再々マスコミの連中を接待している。

ブタは、石原や与謝野にも、再々接触していました。


http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/386.html#c2

記事 [マスコミ・電通批評11] マスコミの人間が決定的に理解できないネットの本質(6大マスゴミは、二度と「編集権」が戻らぬ事に気付くべきです)
http://d.hatena.ne.jp/anti-monos/20080131/p1
2008-01-31
■[ネット] マスコミの人間が決定的に理解できないネットの本質 〜朝日、日経、読売3社連合「あらたにす」を見ての感想〜
今日から朝日、日経、読売という新聞勝ち組3社連合のあらたにすがオープンした。見た感想は「予想通り」。

はっきり言ってしまえば、「あらたにす」は間違いなく失敗する。かつて共同通信と地方紙連合が立ち上げた47NEWSと同じくらい、過疎状態になる。なぜダメかと言うと、RSSに対応していないのも驚いたが、構成自体が新聞といったマスコミの論理から1ミリも抜け出せていない。

コンテンツの中身を見ると、まずは朝日、日経、読売の一面記事を紹介して比べる。さらに社説、各紙の注目テーマが並ぶ。新聞紙面と違う目玉と言えば、「新聞案内人」なる有識者が、新聞の読み方を教えてくれる。さすが全国紙が集めてきただけあって、「新聞案内人」は伊藤元重東大教授、小林陽太郎元経済同友会代表幹事などそうそうたる面々になっている。

だが「一面記事」、「注目テーマ」、「社説」、「新聞案内人」と来て、気がついてしまった。やはりダメだと。既存の新聞そのものなのだ。つまり、すべてが「上から目線」で押し付けがましい。

例えば一面記事というのは、新聞社が「きょう日本国民が知っておくべき最も重要なニュースはこれです!」という意味を持つ。まあ、勝手な新聞社の独りよがりなのだが、新聞記者というのは自分の記事が一面になるかどうかがかなり気になる。読者に新聞社のニュース価値判断を押し付けている。「社説」はもはや説明の必要もないほどの「押し付け」。

「押し付け」の極めつけは「新聞案内人」だ。有識者が新聞の見方を教えてくれる。はっきり言って、大きなお世話だし、誰も新聞の読み方なんぞ、教えてもらいたくはない。勝手に好きなように読みたいのだ。

既存のマスコミが絶対に理解できない、かつ生理的にも受け付けられないネットの特徴は「編集権を読者に委ねている」ということ。新聞、ラジオ、テレビと既存のマスコミはすべてニュース価値をマスコミの側で判断し、それを受け手に与えるという構造だった。何をどう扱うかは最初から最後まで、すべてマスコミ次第。つまり「編集権を完全にコントロールできる」状態。言い方を変えれば完全なる「押し付け」だ。だから、マスコミはブログやSNSなど受け手の側が発信、編集するというのは生理的にも受け入れられない。

ところがネットだと、2ちゃんねる、ニコニコ動画でも、マスコミの作った「ニュース」はすべて盛り上がるための「ネタ」に過ぎない。ネットに放たれたとたん、マスコミのコンテンツは、マスコミ自身が与えたお仕着せの「ニュース価値」から開放されてしまう。良くも悪くもなのだが。そこがマスコミにはアイデンティティに関わるだけに、決定的に理解できない。平均年収千数百万をもらっていても、社会経験などほとんどない記者が経費で飲み食いしながら、政治、経済、天下国家を語り、経費のタクシーで深夜に帰宅、そして紙面では格差社会を嘆くなどという、マスコミにとっては能天気な時代はもはや終わろうとしているのに。

毎日.jpや産経MSNという新聞業界の負け組だけに、失うものがなく、存亡の危機にあるだけに試行錯誤をしている。

「あらたにす」はマスコミの「押し付け」論理から1ミリたりとも出ていない。必ず、行き詰る。しかも、かなり早い段階で。


http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/387.html

記事 [エネルギー2] 「藻類」を石油代替に 基礎研究が次世代産業に発展(日本経済新聞)
 石油の中東依存が脱却できる日も近い。

 カーボンニュートラルだから、温暖化云々、言われることもないだろうし。

 国を挙げて、早急に、取り組んで貰いたい。

*******************************

「藻類」を石油代替に 基礎研究が次世代産業に発展(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/tech/ssbiz/article/g=96958A9C93819696E0E2E290E38DE0E3E3E0E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E2E3E0E2E3E2E1EAE4E2

筑波大学を中心に、オイル(油)を採取できる藻類の研究が加速している。バイオ燃料にするだけでなく、化学製品の原料にもなり、そのまま石油の代替に使えるのが利点。石油化学産業ならぬ「藻類産業」を目指している。もともとは地味な基礎研究の分野が次世代産業へと大きく発展しようとしている。

 13〜14日、筑波大で藻類の国際会議「第1回アジア・オセアニア藻類イノベーションサミット」が開催された。日本と韓国、中国、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、米国、さらに欧州の代表格のオランダから研究者や政府関係者らが参加し、研究成果や政策を発表し合った。

 「どの国も熱心。各国ともけっこう取り組みを進めていることがお互いによくわかった」と筑波大の井上勲教授は話す。次回は2年後の予定だが、早くも3カ国が開催地に名乗りをあげた。それだけ会議の成功ぶりと各国の力の入れようがうかがえる。

 筑波大では藻類と太陽光発電、風力発電、燃料電池を組み合わせた複合的なクリーンエネルギー実験施設の建設が進んでいる。次世代環境エネルギーの国際研究拠点を目指す。

 ここでは例えば、オイル生産に有望な藻類「ボトリオコッカス」を効率的に培養する技術を開発する。培養装置の1つは、ずらりと並んだ藻類培養パイプを支柱で高く持ち上げた構造。太陽の方向を追尾してパイプを向け、藻類の光合成を活発にする。夜間も太陽光発電などの電気で照明を当てて光合成を続ける。

 「ボトリオコッカスのオイルは純粋な炭化水素。燃料だけでなく、樹脂など石油化学製品の原料としてもそのまま、既存のプラントで使える」と彼谷邦光特任教授は説明する。邪魔な酸素や硫黄などを取り除く必要がないのも利点だ。

 ボトリオコッカスは有機物を含む排水をエサにしてオイル生産効率を高めることもできる。オイルを採取した後に藻類の搾りかすが残るが、これも無駄にしない。

 ナノテクノロジーを応用した触媒を開発し、搾りかすから水素を生産することを考えている。水素は燃料電池に使える。さらに渡辺信教授や彼谷特任教授らは最近、新たな有望藻類「オーランチオキトリウム」を発見した。

これは光合成ではなく、もっぱら有機物を食べるタイプで、多くのエサが必要になるが、搾りかすがエサに使える。ボトリオコッカスはオイル生産コストの低減が課題だが、オーランチオキトリウムと組み合わせることで、新たな可能性が開ける。

オーランチオキトリウムは従来の10倍以上の効率で、やはり様々な利用が可能な炭化水素を生産できる。特に「スクアレン」という化粧品などに使われている高価な原料が豊富。「直径30メートル、深さ10メートルのタンクで培養すれば、年間約500トン。日本のスクアレン需要をまかなえるほど」(彼谷特任教授)と見積もる。

 これにとどまらず、さらに大量生産して燃料や化学製品原料に利用することを目指す。大規模培養時のオイル生産コストは1リットル当たり50円と研究グループはみており、実用化に向けて有望。ただ、「これは試算なので実証しなければならない。まずタンクで培養実験をして、性質や適した条件を突き止める」(渡辺教授)考え。

 その後、実証規模に拡大する予定。エサとなる排水の処理と組み合わせる構想もある。オーランチオキトリウムの搾りかすは相変わらず残るが、これもガス化して利用する案がある。

 石油化学産業は原油を出発点に様々な原料を作り、燃料や化学製品に至る。これになぞらえれば、再生可能な光エネルギーと水、二酸化炭素による光合成から燃料や製品を無駄なく作るのが藻類産業の大きな骨格だ。筑波大は今年、企業などと「藻類産業創成コンソーシアム」も結成しており、産業化に向けた研究開発が一気に進むかもしれない。

もっとも、日本でこうした藻類の応用研究が進んでいるのは、長年の基礎研究の蓄積が大きいと言える。にわか研究で都合の良い藻類を見つけられるものではないし、ボトリオコッカスとオーランチオキトリウムで終わりでもない。

 「まだまだ探せば、すごい藻類がいると思う。優秀なものを見つけることは、いずれ国を左右する」と井上教授は指摘する。基礎から応用まで一体となった推進が重要になっている。

http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/260.html

コメント [お知らせ・管理19] 「阿修羅掲示板を読もう!」というチラシを作りたいです。 地には平和を
02. 2010年12月26日 18:16:42: E9u6pFYVS2
>>01氏が指摘する問題のほか、現在の低レベルの阿修羅を
これ以上宣伝して広めても社会のためにはならない。

>最近の投稿からという欄
今の阿修羅に「投稿」はなく、ほとんどがマスコミや低俗ブログの
貼付けに過ぎない。

ワヤクチャは阿修羅をワヤクチャにしたが、こんどは社会を
ワヤクチャにしたいようだ。

地にはワヤクチャを!
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/465.html#c2

記事 [中国2] 爆発物持ちトラックで北京に進入 男を拘束、動機不明
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010122601000339.html

 【北京共同】中国北京市で25日、爆発物を持った男が小型トラックで市内に進入、警察に見つかると車内に立てこもり、約1時間後に拘束される騒ぎがあった。北京の各紙が26日報じた。

 拘束されたのは遼寧省の35歳の男。警察当局は車内から手製の爆発物を2個押収したが、動機は明らかにされていない。

 男は25日午前、天津市から北京に入る高速道路のガソリンスタンドで給油した際、料金支払いを拒否。店員に爆発物を見せ「爆発させるぞ」と脅し、逃走した。高速道路の出口でも料金を支払わずに突破し、北京に入った。

2010/12/26 18:43 【共同通信】

http://www.asyura2.com/09/china02/msg/711.html

コメント [戦争b7] 沖縄 高江 ヘリパッド建設反対運動小屋を米軍ヘリが襲う:反対運動への露骨な恫喝 妹之山商店街
02. 2010年12月26日 19:02:05: iUb26xIXpz
>復帰直前よりひどく、赤狩り時代に近いかも。

これは全くその通りですね。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/134.html#c2

コメント [戦争b7] 自虐史観から真実の歴史認識へ、日本を悪者とする自虐史観はもうやめよう(自虐史観=米国による刷り込み、客観史観が必要です) 小沢内閣待望論
01. 2010年12月26日 19:02:37: C8678aQ9Qo
>ナチスドイツがユダヤ人虐殺を国是として推し進めたのとは、わけが違うのです。
600万人確定に使われたユダヤ人の定義をまず示せ。
ユダヤ人の定義は、
正統派系(本人が改宗したか母親がユダヤ人)
改革派系(本人が改宗したか両親のどちらかがユダヤ人)
ナチス(4分の1)
ソ連(自己申告制)
などがある。
ユダヤ人の定義なしでどうやってユダヤ人と非ユダヤ人を区別するのだ?
答えられないのなら西岡氏にでも聞け。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/137.html#c1
コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
11. 2010年12月26日 19:09:14: 3IP6BkuGPs
 ”あと二年で国債の消化ができなくなる。”ってこと。 外資から売りたたかれ、一気に長期金利が上昇する怖れがある。 

 そうなると、日銀の国債買取以外に実質、手が無く高度なインフレ起動にのる可能性がある。

参考↓

http://www.nikkei.com/biz/world/article/g=96958A9C93819499E0E2E2E2988DE0E2E3E2E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E7E2E0E0E2E3E2E6E1E0E0
 

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c11

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] アデン湾の渦と木星の同期現象を結ぶ点と線/遥かなる古、エジプトで『秘儀を解くホルス神の目』と呼ばれしもの



デンデラの黄道帯

                ≪デンデラの黄道帯≫



『古代・日本・環状列石-ストーンサークル 古代史掲示板(清談論議)』


http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2127




木星は「秘儀を解くホルス神」、

デンデラの黄道帯

この黄道帯はきわめて有名な記念の遺物である。この黄道帯を見て、星占い信仰を示したものと考える人は、困惑を覚えるだろう。というのもこの浅浮彫りの図像は、デンデラのハトホル神殿内にある、オシリス神の蘇生の密議を祝う祠堂の天井にあったもので、実のところ夜の天体図を表しているのである。

古代エジプトの秘儀

当時よく知られていた5惑星は星座と結びつけられ、水瓶座の後ろの金星は「朝の神」、蟹座の近くの木星は「秘儀を解くホルス神」、山羊座の背に乗った火星は「赤いホルス神」、水星は「安定」、土星は「牡牛のホルス神」と呼ばれた。 ...

http://www.louvre.fr/llv/oeuvres/detail_notice.jsp?CONTENT%3C%3Ecnt_id=10134198673225460&CURRENT_LLV_NOTICE%3C%3Ecnt_id=10134198673225460&FOLDER%3C%3Efolder_id=9852723696500776&baseIndex=12&bmUID=1178631032338&bmLocale=ja_JP

天体図で装飾された天井

この砂岩でできた板石は、デンデラのハトホル女神とイシス女神を祀った神殿から出土し、オシリス神の蘇生を祝う儀式を行うために造営された祠堂の天井にあった。この祠堂はハトホル大神殿の屋上に建てられていた。

女性4人が、ハヤブサの頭をした神霊たちに助けられて円盤状の大空を支え、周囲に表されている36の神霊デカン(10分角)は、エジプトの一年つまり360日を象徴している。円内には黄道十二宮の星座が描かれ、牡羊座、牡牛座、蠍座、山羊座など今日のものと同じ形で表されているので容易に見分けられる。その他の星座はエジプト風の図像で描かれ、例えば水瓶座は、水が流れ出る瓶を二体持った氾濫の神ハピとして表されている。中央には北天の星座が描かれ、牡牛の前脚は大熊座、小熊座と大熊座の正面に位置するカバの女神は龍座を表している。

年代を特定できる天文学的配置

当時よく知られていた5惑星は星座と結びつけられ、水瓶座の後ろの金星は「朝の神」、蟹座の近くの木星は「秘儀を解くホルス神」、山羊座の背に乗った火星は「赤いホルス神」、水星は「安定」、土星は「牡牛のホルス神」と呼ばれた。惑星と星座がこのように配置された天空は、約千年に一度しか見られない。ある天体物理学者によると、正確には紀元前50年6月15日から8月15日にわたって観察された空であったという。また、2回の蝕の正確な位置がこの天体図の上に記されている。紀元前51年3月7日の日蝕は、イシス女神がヒヒの尾を引いている姿で表されている。すなわち、トト神(ヒヒ)で象徴された月が太陽を隠すのを止めているイシスの姿である。紀元前52年9月25日の月蝕は、ウジャトの眼(「完全なもの」を意味する)で表されている。月蝕は常に満月に起こるからだ。

黄道帯はエジプト風イラストか

エジプトの総督ムハンマド・アリーの許可を得て、1821年にフランスにもたらされたデンデラの黄道帯は、フランスで所蔵されている最も有名なエジプトのモニュメントの一つとされている。この浅浮彫は、巨大な星占い図でも、不滅の星占いの道具でもなく、天体図として解釈されなければならない。とはいえ、当時のエジプト人は特定の星座やデカンが、運命や健康に災を及ぼす可能性があると信じていたようだ。

エジプトでは、現在も使用されているような黄道十二宮はグレコ=ローマン時代以降に現れた。

この作品は、エジプトの文化的要素が、バビロニアやギリシアの天文学や占星術理論とどのように融合していったかを物語っている。つまりエジプト人が、紀元前8世紀にはアッシリア人に、紀元前6世紀にはバビロニア人に捕虜として連行されたり、紀元前6世紀と紀元前4世紀にはペルシアやギリシアの侵略を受けたりした結果の融合なのである。

http://help.yahoo.co.jp/group/toraijinkenkyuu/    」


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

  ベンジャミン・フルフォード氏情報に基づいてこの12月25日に日本が危ないと思っておりましたが、同氏の情報中に述べられているものが既に12月25日に予定されていたものでずれたものなのでしょうか。


  不動明氏ご投稿にある異常気象が、未だ精確にはできないものの、世界的に何かをやろうとしている計画のテクノロジーに関係するように思います。


  思えばその渦がホルスの目(古代エジプト呼称では『ウジャトの目』)そのものである木星と同期してイルミナティーがアデン域で発生させているホルスの渦が長期的なものであるとすれば、やはり2012年前後の12月25日というのを目論んでいる危険性があります。


  そしてその12月25日というのは実際にはマヤ暦や旧暦等のそれでずれているという事なのかも知れません。



『昨夜の地震について事前に知らせれた、向こう6日間アジア太平洋地域で地震兵器の攻撃が続く(Benjamin Fulford』Orion星人〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/203.html



04. 不動明 2010年12月24日 22:16:46: yX4.ILg8Nhnko : BX5grrygms

>>03

スカラーポテンシヤルエネルギー

オルゴンエネルギー

テスラ波

重力波

縱波

氣功

想念波

此れ等一聯の物はだうも同じ物らしい。

だから生體エネルギーとマインドコントロールと

氣象操作とタイムワープ技術は

一直線に繋がつて來るテクノロジーと云ふ事に成る。

此れ等各々の對象を合體して研究したと云ふか

同じ物ゆゑ必然的に各々の研究が収斂して行つたのが、

だうやらモントークプロジエクトと云ふ事のやうだ。

其のモントークプロジエクトは後に

タイムワープ技術の研究が主體に成つたやうだが。

だからHAARPはマインドコントール兵器か、

はたまた氣象操作兵器か、

或いは地震兵器かと云ふ議論があるが、

實は其のいづれでもあると云ふのが正解と云ふ譯だ。

HAARPに關する本が最近成甲書房から發刊されてゐる。

今囘發刊された本の畫期的な所は

HAARPに觸れた事のみならず、

初めてケムトレイルの事を眞正面から取り上げた

日本語で記述された本だと言ふ事だ。

ジェリー・E・スミス著 ベンジャミン・フルフォード監修翻訳

「気象兵器・地震兵器・HAARP・ケムトレイル」

HAARPについて書かれた日本語で讀める本は此れと

ムー・スーパーミステリーブツクスから出版されてゐる。

此の二册しか個人的には知らない。

ニック ベギーチ著 ジーノ マニング著

並木 伸一郎監修 宇佐 和通翻訳

「悪魔の世界管理システム「ハープ」」    」


▽参考

『ノルウェー上空螺旋光とアデン湾の謎の渦とかけて...ウジャト(ホルス)の目と解く!』〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/204.html



『恐らく近日中に此の畫像の雲の境界附近で其れなりの規模の地震が發生するだらう』不動明〔阿修羅〕

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/205.html




http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/208.html

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] 昨夜の地震について事前に知らせれた、向こう6日間アジア太平洋地域で地震兵器の攻撃が続く(Benjamin Fulford Orion星人
05. 2010年12月26日 19:12:39: hCHnysmCvY
“クルシミマスが過ぎ、ケーキ屋さんの前を通るたびに一度は食べてみたいと思うだけで、
“乞食ホームレス的な状態下では、あきらめざるを得ず素通りばかりです…

正当な権利を主張しただけで、“詐欺地面師と“放火地上げ屋と“乗っ取り犯らを加担している“日本体制側は、“三権制度まで私物化している“三権制度賊が束になり襲いかかるなどの弾圧群と差別群のために、父から譲り受けた個人的財産群(“土地800坪や“家屋15棟や商材家財や“3金庫の多額の現金などなどが強奪と破壊などの被害群を受ける)のすべてと、“人工地震(阪神大震災)で一家五人が生き埋めとなり五人全滅のところ、身代わりの“二十歳の愛息が暗殺され、自宅二軒とも全壊と全焼で古くから加入の3保険金ともに支払いゼロ!(弁護士会も加担)〜“自宅数軒や、家財など一切を強奪され破壊や、“再放火(不在時を狙い)されるなど、“乞食ホームレス的な状態下に落とし込められているために、すべてが叶わぬ欲望に過ぎなくなっています。

“日本体制側とは野蛮なる“強盗犯罪&“暗殺犯罪&“破壊犯罪&“裁判詐欺などの「“犯罪群センター」そのものです〜これらすべては、机上の論ではなく、李得実が受難群した実体験です〜、看板だけで、必要不可欠な“救援用の有効的な受け皿すらも存在していません〜“弁護士会なども相談料は取り、聞くだけで、実効策な被害回復策もなく、あてにならずだめです!〜“日本体制側が作っている偽装例外用の数粒か数滴は存在していても“三流以下であり論外です!〜

係る現在の本受難群事件において、敵側に平然と寝返り謝罪文を書いた李得実を裏切った刑事罰を受けるべき“弁護士を加護加担する“弁護士会制度や〜裁判制度や〜マスコミ報道や〜警察や〜検察や〜消防署や〜救急隊なども、すべてが、“日本体制賊として連携的に加担しています〜“日本体制賊ぐるみで、正当権利者の善弱民側へ襲いかかってくるのです〜その不当弾圧群の理由として、
私(李得実)が在日韓国人であり、“SOS弱者側をつねに支援し、“日本体制賊側の正体を批判と糾弾し続け、強奪群されている“正当権利の奪還の言動群などが気に入らないとして、“日本体制野蛮賊側の総がかりによる、それらの過酷で陰湿なる差別群と弾圧群を集中砲火的に“李得実側に浴びせかけてくるのです〜、※係る現在の受難事件群の“日本体制巨悪側による“李得実側が受けた総損害被害額は=数十億円に及ぶ〜

それから、“李得実は韓国慶州李家の43代目であり、度重なる“豊臣秀吉の朝鮮侵略群と、明治〜大正〜昭和とにまたがる“日本侵略軍による被害群をもろに受け続けており、“李得実家の“父系と“母系とを合算すると、その被害総額は“数百億円を下らないことを、すでに裁判紙面(損害賠償請求事件など)でも提出している〜“侵略戦争にも時効は存在しないにもかかわらず、いまだに係る侵略行為群による加害責任体でもある、“日本当局側からの謝罪や賠償なども一切存在しないまま現在に至る〜

「“日独伊の三国同盟」の同盟国の“ドイツは2年で、“イタリアは3年で謝罪と巨額の賠償を、被害民へ直接的にほぼ完了している〜当然の行為として世界からの信頼回復を“ドイツも“イタリアも得ているが、責務放棄主義の日本のみが信頼失墜のまま現在に至る〜

☆万民主権被害者たちは遠慮することなく、その受けている被害群を金額に明示してはじめてその被害の規模が判明するのであり、減圧などせずに、しっかりと損害金額提示をする習慣をつけるべきです〜、加害側も反省材料にもなるからです〜

※“インチキにまみれている日本の裁判司法制度では、“巨額の詐欺横領プロ犯と、“生存苦のために止むを得ずコンビニで数千円分の万引き犯と同列に扱い、高級な弁護士次第で、刑期は同じくらいで出所する明らかなる超差別である〜“巨悪巨罪さに応じて“懲役刑500年とか“懲役刑1千年とかを判決するのことがわかりやすく正しい裁判方法であるが、日本では巨悪巨罪側に断然有利なように“日本体制巨悪側が作り“体制巨悪のための「日本巨悪体制=地方と中央政府とその三権(立法&行政&司法)制度賊」側である〜そして日本体制巨悪(法務省)側が作った“弁護士制度もそれを支え続けている〜


“送年会や〜“新年会もまともに越せない、我々と同じような“生存継続困窮者の多発素因を作り続けている“元凶黒幕の“日本体制とは?、世界第二位の先進経済大国日本とは?、世界最大級の地球天然資源の保有大国日本とは、いったいなんのために存在しているのだろうか?!〜“万民主権者がへ納得できる“説明義務や“救援実行策の義務も“公僕の“日本体制側には存在するはず〜

古代から〜半永久的に毎日毎日、日本列島内で追加増産されてづけている日産追加推定額・数十億円分以上の“地球天然資源群を、“SOS万民主権者側の救援策&返還策にあてがえば、大した労苦策も無く、劇的に問題解決が可能であるにもかかわらず、拒否を継続中の“日本体制野蛮側の正体を読み解かなくてはならない〜
※日産の追加の“地球天然資源群分だけでも(“マグマ活動や〜“太陽活動や〜“自然活動群などによる〜)
☆10日で=推定・約数百億円分。
☆100日では=推定・約数千億円分。
☆1000日では=推定額・約数兆円分位に及び、(※現保有推定額・約十数万兆円分とは別の日産の追加分の地球天然資源分に過ぎない…)この地球天然資源群のすべては“万国万民主権者側へ贈与され続けている“大自然太陽法の“大恩恵群であり、この“地球天然資源群すらも、姑息極まる“公僕に過ぎない“日本体制野蛮賊側は、何らの正当性もなく、隠ぺい&強奪中で、“万民主権者側へ計り知れない“損害(加害)群をばらまき続けており、

☆☆☆抗議と奪還要求群を“我々正当権利者の万民主権者側から奪還目的の“メール群などを発し続けなければならない〜、現“黙認&“黙止主義では千年間待っても、決して“日本体制野蛮側は責務群を実行しないこと明らか!〜

☆「“オルタナティブ通信=オバマ新大統領の対日戦略」(米国公文書の和訳文)のブログにも日本列島がサウジアラビアを上回る世界最大級の地球天然資源群の宝庫であることが明記されている。
☆日本列島には無尽蔵に存在中の“レアアースの中には“ウランを上回る高性能&高級な資源群(トリウム)が含まれていることも世界常識であり明らかになっている。


“護国とか、“愛国とか、“国益ほどあてにならにことはない…。その証拠に、先の侵略戦争群はすべてが“護国主義と“愛国主義と“国益主義から黒煙のように発生しており、もともと国という概念すらも存在していなかったが、西欧列強諸国が日本(“ジバング=黄金や〜銀や〜亜鉛などが世界最大級の保有大国日本と認められていた=蒙古皇帝から寵愛され、日本などへの調査依頼された天才的な調査探検家“マルコポーロの「東方見聞録(調査報告書などもかねる」などにも「日本のこと=黄金大国の日本」として詳細に明記され、蒙古来襲の原因=日本の資源群を狙って再来襲…、その後、やがて西欧列強諸国にも知れ渡り…)の豊富な地球天然資源群を狙った西欧列強諸国がそれぞれ軍艦(黒船)を伴って来航して脅迫され続けだいたので、幕府側も対応せざるを得なくなった。

それまでは、日本列島の超豊かな地球天然資源群を背景にして、約三百年間も鎖国繁栄を謳歌し天下泰平を“むさぼっていた時の権力支配者の“徳川幕府が、謀略師の“伊藤博文と“岩倉具視らに対応策と知恵を借りたのが始まりといわれており、泥縄式に作ったのが日本国の概念であり、同時に、日本万民の統治目的用に、うずもれていて“日本万民から関心や存在すら持たれていなかった“天皇をかつぎだし、“天皇制も、この時同時に泥縄式で作られたようである〜

それまでは、“日本国と“天皇制の完成された概念すらも日本には存在していなかったようであり、数百以上も存在していた大中小の豪族単位圏の寄り合いの日本列島であり、わずか近代の明治期になり日本国の概念の発生をみて、その後に完成されて“日本政府=日本体制として現在に至るようである〜、“廃藩置県が=“国の概念と入れ替わったのではないか!〜侵略奴隷主義の米国も、欧州系などの移民たちが“原住インディアン民を銃で追い払い、乗っ取り侵略してからも、アメリカ大地の豊富な“金や石油などの“地球天然資源と“奴隷民や土地などの争奪の“南北内紛戦争を繰り返した後に、米国として建国できたのも、わずか約二百年ほどに過ぎないもので、日本国という概念すら存在していなかった数百以上の豪族の寄り合いの日本列島同様に、それまでは“米国という概念すらも存在せず“日米ともに国の概念は近代までは存在していなかった〜

この日本国の体制賊側ほど、その体制=国家体制を悪利用する野蛮賊は存在していないもので、日本体制賊は日本国を愛するのではなく、国家体制内に存在している超膨大なる“利権群と〜“権力群と〜“地球天然資源群と〜“万民主権群を強奪&詐取&支配することをもっとも好み、“万民主権者を外した“それ(物と金と権力)を愛しているのに過ぎないものであり、愛国とか護国とか国益とかは“万民主権群と“それの支配のための方便に過ぎないもの〜仮に、真剣に愛しているならば、これほどまで、ずたずたに、“日本国の主人公であり“日本国の基礎である“万民主権者たちを捨て置いたりはしないはずである〜

大多数の“万民主権群者をずたずたに捨て置いて、“奴隷カースト制度群を強化しておいて、何が“愛国や〜“護国や〜“国益であろうか?、成り立つはずもない“ペテン暴論であり、つねに最優先されるべきは“大自然太陽法の“大恩恵の受益者であり日本列島の主人公=主権在民者の“万民主権群であり、国益とか愛国とか護国とか最優先主義は“こどもだましの幼稚論であり、“ペテン侵略戦争野蛮師が考えついた“ペテン奴隷カースト制度商法に過ぎないもの?〜

ニューヨーク「9・11の同時多発テロ」も、“新証拠群が続々と出ており、米国政府巨悪側の自作自演であることが判明しており、もはや世界常識となっている〜
1995年1月17日の“阪神大震災も“日本体制巨悪側による自作自演の人工地震であり=「被災地の“地上げ乗っ取り商法」&「被災者の“借金漬け“人工地震策」&「被災者奴隷化の“人工地震政策」&「土木建設ゼネコン群社の丸儲け主義の“人工地震破壊&再建商法」&「区画整理強行の“人工地震策」&“日本体制巨悪側にとっては大成功の阪神人工大震災による「人工地震商法の海外輸出策」などであったことが、次々と明らかになっている〜関連情報ブログ名=★「阪神大震災は人工地震」。★「地震兵器」。★「気象兵器」。★「生物兵器」。などの検索を!〜“再発防止策と“被災者再興と“損害賠償群の奪還などに役立てましょう!〜その人工地震の被害群の損害賠償奪還の実現こそが、約1万人の震災死者への本当の供養と、約二十数万世帯以上の被災家屋の全被災者への、本当の損害回復策と再興策にもつながる〜巨額の各種イベント群は死者の墓標をなでるだけであり“あきらめ感を作り誘導するために“体制巨悪側によって謀作されており、その巨額のイベント費用群も借金苦にあえぐ“被災遺族側へ支払うべきもの〜


☆心ある“万国万民主権者と、送年会と新年会などの茶話交流をしませんか?、各自飲食の実費のみ主義で、大阪&京都&兵庫周辺の駅近くの“マクドナルドや“ファミレスなどで〜

※全文例外を含む。 ☆「“巨悪巨罪群の告発センター」村長。 ☆「“万国万民による“万国不可侵条約の加入の実現の会」。 ☆「“震災の復興と支援の村」など〜

“大自然太陽法に沿い、非暴力による「“おとなしい“万国の“万民平和革命主義(“反巨悪巨罪主義」の思想言動者の・李 得実   ☆万国万民との茶話交流とご意見なども!〜

  pj,ne.omocod@atarumirir   pj,oc.oohay@3atarumir ※逆読みを〜


http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/203.html#c5

コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
12. 2010年12月26日 19:15:18: dDUdnG8Spc
>時代の趨勢を正確に見抜くには、まず
>あらゆる報道に疑問を持つことではないかと
>僕は考えている。
なるほど、どちらにつけばおいしい餌にありつけるかよく見極め
身内の報道の嘘を確認し、趨勢についていくと言うことですね。
最近も聞いた田原の発言は本当に強いものに巻かれろ的な内容が多い。
小沢は政倫審か証人喚問しか道はなく、党内の不和は小沢の責任であり、
菅総理はこれからが本当の力の発揮しどころと小沢氏の処分を決めなければならないとまで言い切る。
どんだけぼんくらなんだろう?
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c12
記事 [雑談専用38] ベーシック・インカム…関曠野の意見
関曠野がメルマガで、次のように書いている。… 「ベーシック・インカムについては当分語らないとに決めた。… 唯一にして最大の障害である議会制と政党政治に対し人々が完全に幻滅するまでは、余計なことは言わないということである。」

また、関曠野の講演録で、次の一節がある… 「こういう転機には、学者や役人はもう頼りになりません、文明の転換のためには、無数の無名の人々が草の根レベルで試行錯誤して新しい生き方を模索することが必要でしょう。」

たしかに、賞味期限の切れた既存の権威に依存したままで、ベーシック・インカムさえあればと期待をふくらませても、ダメだろう。人類の破局を生き残る、草の根のヨコの結びつき、そこからスタートしないとね。人と人の結びつき、そのよろこびを、ベーシック・インカムの運動を進めるなかで実感できれば、破局を生き抜くための気力が得られるかも知れない。
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/896.html

コメント [マスコミ・電通批評11] 何も知らない人でもここまで嘘の報道をされると疑問に思う(6大マスゴミの嘘は、キオスクのおばちゃんに見抜かれています) 小沢内閣待望論
04. 2010年12月26日 19:45:10: XKOkwdlkXM
マスコミは既得権益(官僚、法曹、メディア、、、)の単なる‘使い走り‘です。ぜんぜん社会における役割を担えません。こんなガキ以下のもの(社会の役割を自覚しろ)は規制しろ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/381.html#c4
コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] アデン湾の渦と木星の同期現象を結ぶ点と線/遥かなる古、エジプトで『秘儀を解くホルス神の目』と呼ばれしもの そこちょっとつんつく
01. そこちょっとつんつく 2010年12月26日 19:47:59: 8EItFG7yGzQIA : Rht6bPeMuI
マスコミ・TV等を用いた洗脳といわゆる異端科学等をとんでも化して羞恥心を煽る下部工作員達のせいでテクノロジーに余りの開きが出てしまったせいか信じ難いですが、アデン湾の渦と木星の同期現象はイルミナティー・ナチスバタリオン超科学によるオシリス神蘇生(復活)のオカルト的儀式らしいという結論に達してしまいです。
『数珠連メテオによる世界諸都市大津波壊滅計画とアデン域の油田破壊秘密基地/バタリオン・ナチスNWO最終章』〔阿修羅〕
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/151.html

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/208.html#c1
コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
13. 2010年12月26日 19:51:55: 9OVomtZBzs
あんたらスッカラ菅一派が官僚主導でやってればねそうなるかもしらん

だから一刻もはやく小鳩に大政奉還して、政治主導でこの国の仕組みをかえる平成

革命を断行しなければならない。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c13

記事 [ペンネーム登録待ち板6] コメントの削除をお願いします
このコメントの02は私ですが、完全に記事を誤解していたようなので削除をお願いします。

菅さんは人望がないというのはほんとうか?毎日新聞 論説委員 野沢和弘(反射鏡)
http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/147.html
投稿者 ジャック・どんどん 日時 2010 年 12 月 26 日 19:20:54: V/iHBd5bUIubc
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/1024.html

コメント [音楽2] 松田聖子    瑠璃色の地球     <ライブ特別編> 愚民党
03. 2010年12月26日 20:19:21: QBQqfEeQhE
http://www.youtube.com/watch?v=z0hiL2cjmLk&feature=fvw
http://www.youtube.com/watch?v=iAQVM6VxVuI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=BU4lR1pg4aw
http://www.asyura2.com/10/music2/msg/306.html#c3
コメント [マスコミ・電通批評11] 菅直人首相が朝日・毎日・読売の編集委員と夕食、はなゆー(6大マスゴミは、最低限のマナーは守るべきです) 小沢内閣待望論
03. 2010年12月26日 20:23:21: swlnfR07HU
公金で会食したのならその会談内容を三大紙は記事にするべきだ。
呼ばれなかった産経こそいつものように見てきたような記事を書けばいいのに。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/386.html#c3
コメント [議論30] 教師の精神疾患休職が過去最高の5458人の異常事態への対処 パルタ
03. 2010年12月26日 20:58:23: EDMAnY2i4c
>>パルタさん、投稿規定をご理解いただけるまで投稿可能数を0にしておきます。 - 管理人さん 2010/12/26 02:01:40

 パルタさんへ、投稿禁止処分じゃないか! どうしたんじゃ?

 いい投稿内容なのに。

http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/347.html#c3

記事 [テスト21] 試驗投稿
 
 
 
 
最近此の本を讀みました。
此れもシンクロニシテイーなんでせうか。

日月b示で
「石物云ふ時來たぞ」「石もの云ふ時來るぞ」とか
「石もの云ふぞ」「イシもの云ふと申しておらうが」とかありますが、
此れも其の一つなんだらうなと思ひ坐す。
此れ以外にも水晶髑髏やカブレラストーンなんかも
其の情報記録媒體としての機能を其の内發動し始めるのでせう。

石川縣のウツド・サークルに關する事も書かれてゐましたね。
個人的に一番興味深かつたのが、
三内丸山の住人達が何處へ行つたのか、
エジプトに行つた事を仄めかしてゐたのが一番興味深かつたでせうか。
 
 
 
 
古代日本のフリーメーソン
 
 
        
 
 
商品の説明

内容紹介

古代日本にも秘密結社フリーメーソンは存在した。各地に残る縄文時代の巨石遺構や日本ピラミッドの正体と機能とはいったい何なのか。古代における巨石建築技術と神秘思想、そして超能力の視点から知られざる秘教集団に迫る。
内容(「BOOK」データベースより)

万葉集にもうたわれた飛鳥の大和三山。それらの頂点を直線で結ぶと、きれいな二等辺三角形が浮かび上がる。しかも、その垂直二等分線は三輪山を通り、整数比のピタゴラスの三角形を形成するという。大陽信仰のネットワークと夢通信を手がかりに、日本ピラミッドや巨石遺構を設計した縄文フリーメーソンの正体に迫る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

渡辺 豊和

1938年、秋田県角館町(現仙北市)に生まれる。1961年、福井大学工学部建築学科卒。工学博士(東京大学)。建築家として、秋田市体育館、劇場ホール・対馬豊玉町文化館など曲線曲面の表現・設計で活躍するかたわら芸術教育の現場に立ち、天才づくりに励む。京都造形芸術大学教授。2004年には巨石愛好の仲間とイワクラ学会を設立し、その会長に就任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次

序章 右脳革命 縄文イメージの革新
第1章 縄文夢通信 光が呼び覚ます霊能力
第2章 フリーメーソン 巨石神殿を築いた謎の技術者集団
第3章 神々の幾何学 大和三山を結ぶ二等辺三角形の謎
第4章 日本ピラミッド 驚異の縄文土木技術
第5章 太陽のネットワーク 日本列島をカバーする巨石遺構
第6章 古代の光通信 ご神体の鏡岩に隠された秘密
第7章 地球結晶体 謎を解く鍵はエジプトにあった!!
終章 世界革命 夢と光のネットワークが人間を変える!!
 
 
               - Amazon.co.jp:古代日本のフリーメーソン
                 (ムー・スーパーミステリー・ブックス):渡辺豊和 據り
 
 
 
 
 
 
 
 
2010年11月17日の記事 | ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!
Ancient Aliens[The Evidence] 古代の宇宙人[証拠] 
http://poyoland.jugem.jp/?day=20101117


今日の広大な建設現場や採石場では巨大な機械を使って石の採掘、切断、引き上げを行う。
人間が作ったこられの機械は最新の油圧技術で数1000人分の仕事をする。
このような機械がなくては現代の高層ビルは建設できないだろう。
しかし数1000年前の古代文明は同じことをやってのけた。
巨大な石を使って記念碑や神殿を建てたのだ。
使われた巨石の多くは100トンを超え、現代の技術者にとっても取り扱いが難しいもの。
それなのに数1000年前の人々は硬い岩場から石を切り出し、何kmもかけて運び、正確な場所に積み上げているが、いったいどうやったのだろうか?
考古学者の多くがいうように、ハンマーやのみ、銅線で巨大な石材を切断したのだろうか?
滑車装置なしで引き上げや運搬が可能だったのだろうか、それとも古代文明は科学技術の中で失われた進んだテクノロジーを持っていたのだろうか。

        

Rovert Bauval(Author,The Egypt Code)「ギザにピラミッドだけでなく、ピラミッドをつなぐ河岸神殿もある。
ピラミッドが2〜3トンの石で造られている一方、河岸神殿はピラミッドに比べて規模は小さいが、その石は100トン。
中には200トンのものもある。
100トンの石は100台のファミリーカーを押しつぶして一塊にした大きさ。
どうやって動かしたのかはもちろん、なぜ100トンもの石を使おうと思ったのか、まったくわからない。」
古代宇宙飛行士説の支持者は、異星人がその見事な建造物を作ったのではなく、我々の祖先に何らかの技術的知識や道具を与えたのだと考えている。
Christpher Dunn(Author,Lost Technologies of Ancient Egypt)は、古代のエジプト人が建設に使った道具を数10年研究している。
Dunnは実際にエジプトの遺跡に行って調査を行った。
発見したものは革新的で、議論を巻き起こすものだった。
ギザの数km北にあるアブロアシュを調査している時、Dunnは深い切込みが入った花崗岩を見つけ、手掛かりをつかんだ。

        

古代エジプト人が巨大ノコギリを使ったというDunnの説は多くの考古学者の大反発をかったが、Dunnは確信していた。
Dunn「私は元機械工なのでどこにいっても工具の痕跡を探す。
機械の跡があちこちで見つかった。
ルクソール博物館アモン神の尻とベンチが接触する部分の横、くりぬかれた部分に道具が滑った跡がある。
とても能率的な道具があったに違いない。」

        

Dunnはまた、ギザの地下にある多くの窪みは、考古学者の多くが主張するような船を納める穴ではなく、10mのノコギリを収納する場所だったと考える。
Dunn「ノコギリを入れる穴に据え付けられたノコギリは、大ピラミッドに積まれる石材を切っていたのだと思う。」
もう1つの謎はどうやって巨大な石を持ち上げ、正確な位置に積んだのか。

        

レバノン、バールベックにあるジュピター神殿で、世界最大の人工石が3石見つかった。
それぞれの石の重量はおよそ1000トンと推定される。
近くの採石場には南方の石として知られるさらに大きな巨石がある。
重量は1200トン。
Peter Palutikof(Architect)「動かすためには大型クレーン車21機分の力がいる。」
Roger Hopkins(Stone Sculptor)「ファームススプリングズの工事現場から採掘された石。
そこでは最大級の掘削機が使われ、トラックに積むのも一苦労だった。
石の重量は5トンを超える。
上エジプトで滑車を使った引き上げ作業をした。
様々な段階で何1000人もの人々が携わり、数100トンほどの非常に割れやすい石を動かした。
確かにロープは使うが、機械の力も活用せねばならないだろう。」
だがもし古代文明が近代的装置を持っていなかったのなら、どうやってメガトン級の石を運搬したのだろうか?
地球外生命体から技術的な恩恵を受けたと考える者もいる。
Tsoukalos「ある方法を非常に簡潔に表した資料が存在する。
そのようにして巨大な石を採石場から建設現場まで運搬したのかが分かる。
それによると現場の親方達は石にかけるための何か白くて紙のようなものを持つことができたという。
それに石をかけてから何かをかくと、ただ一押しするだけでまるで魔法のように2m近くも動いたという。
はたして本当に魔法で動いたのか、いいえ、何らかの技術が使われたのだ。」
古代人がどう巨大な石を運搬したのかは謎の1つに過ぎず、その石の加工技術も謎に包まれている。
先史時代の文明がどうやてある硬い花崗岩に複雑なデザインの模様を刻んだのだろうか?
カリフォルニア州ファームズスプリングズ、熟練の石職人で彫刻家のHopkinsは硬い石の切断、整形に様々な最新式工具を使う。
ダイヤモンドワイヤーや研磨機をはじめとする電動工具で近くの採石場から切り出した巨大な花崗岩を芸術作品に仕上げる。
だがそんなハイテク工具を使っても、Hopkinsは数1000年前に古代文明が作ったものを再現することはできない。
Tsoukalos「古代遺跡の石の切断技術を見れば、地球外の技術が使われた可能性がもっともはっきりと証拠として表れていると思う。
なぜなら我々の祖先が石の加工技術で作ったとされるものの中に、現代の技術では再現できないようなものがいくつかあるからだ。」

        

Puma Punkuはボリビアの高原地帯にある大規模な神殿遺跡。
考古学者の多くは紀元前200年頃のものだと考えている。
ここの人達は文字や車輪ももっていなかったが、どういうわけか世界有数の複雑な建造物を作った。
古代宇宙飛行船説の論者は、地球外の影響をはっきり示している場所だとみる。
Coppens「Puma Punkuの石には目を見張るようなデザインが施されている。
現在使用されている数学の概念を飛び越えたものが必要。
現在のコンピュータープログラムで作ったようなデザインが、どうして可能だったのだろう?」

        

Hopkins「彼らの石の切断技術は非常に優れいている。
切断面、正確なカットがある。
ここにあるような内側の切断はかなり難しい。
現代の工具を使ったとしてもこの正確さを出すのは難しい。
石の加工技術にも驚く。
もし現在同じようなものを作ろうと思ったら、コンピューター制御のCNCマシーンを使わないとできない。
ダイヤモンドチップがついていて、デザインをコンピューターに入力するマシーン。
それでもこんなに完璧に仕上げられないかもしれない。」
Tsoukalos「縁に指を当ててみると、少し力を加えるだけで、指が切れてしまう。
角がいかに鋭いかが分かる。」

        

古代人はどこでこんな技術を学んだのだろうか?
宇宙人が工法や工具を与えたという話など、本当にありえるのだろうか?
Michael Dunn(Mining Engineer)「そのブロックを見たとき、切断されたものだと思わなかった。
最初に思ったのはフランクロイド・ライトのテキスタイルブロック工法に似ていること。
1920年代初めに建てられたカリフォルニアの住宅に使われている工法。
彼はコンクリートを型に流してブロックを作った。」
Tsoukalos「古代インカ帝国の人々は、石を軟らかくする能力があったという言い伝えがある。
Saksaq Waman遺跡には巨大な石壁があるが、それあまるで溶かされてから必要な場所に流され、再び固められたように見える。」

        

Puma Punkuから数100km北、ペルーのアンデス山脈の上にマチュピチュがある。
インカ人によって15世紀に築かれた石の要塞だが、その約100年後に突如放棄された。
Puma Pumkuのようにマチュピチュも先端技術の証拠があるのだろうか?
型で造られた石もあるのだろうか?
Dunn「この遺跡を造った人々は工程計画を立てていたとしか思えない。
石を切り出す前に運搬方法を決めていた。
最初から最後までどんな技法や技術を使って何をするべきかを把握していたので、そんなに難しいことではなかった。
現代のこの業界にも、できるだけ簡単にしろという格言がある。」
Dunnは今までの経験からマチュピチュの巨大な壁は単純な方法で造られたと考える。
小さな石を現場に運んできて溶かし、肩に流し込んで必要な大きさと形を正確に作ったという。
Hopkins「岩を溶かして所定の場所に流し込もうと思ったら、かなりの熱量が必要。
石を細かく砕かねばならない。
私は石材加工用バーナーを持っていて、たまに花崗岩を成型するのに使うが、そのバーナーは1600℃を超える熱を出す。」

        

神の技か、他の惑星から高度な技術の文明人が来て、彼らにやり方を教えた後、材料や道具を持って帰ったのか。
もし1本当に異星人が地球に先端技術をもたらしたのなら、その道具を残していった可能性はないのだろうか?
Hopkins「古代に行われた謎の事業の多くは鉄がない時代に行われ、銅はあったので常温の銅をハンマーでたたいて硬くすることはできただろう
しかしそれでは玄武岩や花崗岩のような石は凹みもしない。
彼らはもっと骨の折れる方法を使わざるを得なかったのか、それともなんらかの先進技術を持っていたのか。
この業界に40年いるがまったくわからない。」
Chrisopher Dunn「ピラミッドを造るために相応しい道具や機械が使われていたはず。
あんなに制度の高い彫像を作っている。
私達の検査室でみられるような精密さで石の箱も作っている。
ではその道具はどこにあるのだろうか。」
19世紀後半、イギリス人考古学者フリンダース・ペトリーはもっとも大きなものではなく、もっとも小さなものを求めてエジプトを探しまわった。
Debbie Challis,ph.D.(Hostorian,Petrie Museum,London)「これはドリルの穴、上に細かい線が入っており、穴はほぼ完ぺきだが、一方の端が先細りになっている。
これは硬い石の1つ、閃緑岩の器のかけら、旋盤という工具のあとがある。」

        

ペトリーが発掘した道具の中で一際目立ったものがあった。
大ピラミッドの中で作業をしている時に、花崗岩でできたドリルコアを発見した。
Challis「硬い石が慎重に掘られ、精巧な溝が刻まれている。
それぞれの線の間隔は2mmほど。
正確な直線が一周している。
ペトリーはエジプト人がこれを作るためにダイヤモンドなどの何らかの宝石を使ったはずだと提唱したが、彼は古代エジプトにダイヤモンドがあったことを発見できなかった。」
古代エジプト人がダイヤモンドを持っていなかったのなら、どうやって花崗岩のドリルコアに正確な溝を掘ったのだろうか?
機械の専門家Christpher Dunnは古代エジプト人の道具と技法に関する知識を駆使し、自分で花崗岩のドリルコアを作ってこの問いに挑んでいる。
Dunn「導管にクランクを取り付け、研磨材には砂と炭化ケイ素を使用した。
何時間もかけて回転させながらこの花崗岩に穴をあけて十分な深さに到達したところでやっとサンプルコアを取り出せた。
次に私達が導管と綱手穴をあけたコアを顕微鏡で見ると、コアの表面、刻まれた線はあまりきれいではない。
ペトリー博物館のコアからとったラテックスコピーの線はひじょうにはっきりしていて深い。
この精巧な出土品の細部が確かな証拠。
古代エジプト人の技術水準がどのくらいのものだったのかを判断できる手掛かり。
水平かどうかを検査するための定盤という台、平面度はおそらく5.08ミクロン以内で、人間の毛髪の10分の1というわずかな誤差しかない。
スラピウムに入ってその壁に測定器をあててみると、その平面度は許容範囲内だった。
精密な測定器の誤差範囲内だったのだ。
許容値を外れるとどうなるか、測定器の片方の端の下に紙を1枚おいてみると分かる。
わずかな隙間から光が漏れてしまう。
スラピウムにあった花崗岩の箱の内側の制度は5.08ミクロン以内だと思う。」
Hopkins「エジプトで花崗岩に施された彫刻を見たことがある。
彼らは石英の小さな破片を使っていたようだが、それは可能性の1つ。
そんな方法だと途方もない手間と時間がかかる。」

        
 
 
 
 
世界中にある古代の建造物のうち、ギザの大ピラミッドほど謎が多く長く持ちこたえているものはない。
もともと約147mの高さだった大ピラミッドは、1889年にエッフェル塔が完成するまで、世界1高い建造物だった。
他のピラミッドや神殿の壁にはその目的が象形文字で書かれているが、大ピラミッドには1つの記も見当たらない。
その役割は何だったのか、なぜ建てられたのか、どんな秘密がその中に隠れているのだろうか?
工学専門家のChristpher Dunnは大ピラミッドの謎を解こうと、1970年代後半から個人的に調査してきた。
Dunnによるとこの巨大な建造物がなぜ建てられたかを知る具体的な手掛かりが、そのデザインと構造にあるという。
Dunn「多くの技術者が今ピラミッドを造るのは難しいという。
4500年前のものと推定されるが機械のような正確さ。
私が大ピラミッドの調査を開始した時、その機能に注目して調べた。
まるで機械のように造られているので、おそらく機械のように機能していたのだろう。」
大ピラミッドの内部のデザインで特徴的なのは王の間とその下にある女王の間から斜めに延びた4本のシャフト。
大ピラミッドと同様にその存在理由と目的を簡単には説明できない。
2002年ドイツの技術者とエジプト学者のチームが女王の間につながるシャフトの1本に小型ロボットを送って調査した。
65m進んだところで石のドアにはばまれたため、ドアにドリルで穴をあけると、その向こうは小さな部屋になっていた。
そしてさらに奥へとつながるもう1つのドアがあった。
シャフトが開かれたことはあったのか、開かれたのなら何に使われたものなのか。

        

Dunn「初期の探検家が女王の間に入った時、その壁が塩分の層で覆われているのを発見したが、このことは私がたてた説を具体化してくれる。
その説とは1つのシャフトから希塩酸溶液が流れてきて、もう1つのシャフトからは水和した亜鉛が流れてきて女王の間で混ざり、そこで水素を発生させたというもの。」
水素とは宇宙でもっとも強いエネルギー源の1つ。
20世紀初めツェッペリンという人類最初の飛行船を大空に飛ばすことができたのは、水素ガスのおかげだった。
現在でもロケットを宇宙に発射する燃料として使われる。
もし数1000年前に大ピラミッドが実際に水素を発生させていたのだとしたら、それがもっとも古い発電所ということになる。
Dunn「ギザ発電所説というものの本質的な内容な、大ピラミッドを通して地球からエネルギーを取り出し、そのエネルギーえをマイクロ波のエネルギーに変換すること。
詳しく説明すると、化学物質がシャフトを通って女王の間に入る。
そして混ざると水素が噴き出す。
水素は空気より軽いため、上の部屋へと上がってゆく。
そこで地球のエネルギーがピラミッド全体を振動させる。
そしてその振動を大回廊で取り入れる。
大回廊が共振器の役割をはたしていたのだと思う。
回廊の端から端まで並ぶ27対のスロットの中に共振器が垂直に積まれていたのだ。」

        

A: The "King's Chamber": Hydrogen, sound energy, and solar/lunar energy was collected here and amplified by crystals.
A1 & A2: Solar energy & lunar energy (reflected solar, microwave and other types of energy from space) collected through these shafts. The northern and southern faces were originally shaped like satellite dishes, with collectors to collect and transmit the energy into the King's Chamber via the shafts.

B: The "Queen's Chamber": Hydrogen produced here by mixing zinc chloride and hydrochloric acid

B1: Hydrated zinc chloride is piped in from the outside through the shaft into the Queen's Chamber

B2: Hydrochloric acid is piped in from the outside through the shaft into the Queen's Chamber

B3 & B4: It is possible that the zinc chloride and hydrochloric acid was piped in from the outside, but no external opening has been found. A subterranean chamber in or beneath the pyramid may eventually be found that supplied these or other chemicals for the reaction.

C: The "Subterranean Chamber": A lesser resonating chamber that produces the bass and sub-bass notes

D: The "Grand Gallery": The primary resonating chamber, produces the midrange and high notes that, along with the bass from the Subterranean Chamber, creates an F-Sharp chord that is channeled into the King's Chamber

E: The "Ascending Passage": Contains granite "plugs" (E1) that serve as sonic dampers to prevent runaway vibration

F: The "Well Shaft": Bass notes from Subterranean Chamber travel through here to Grand Gallery

G: The "Descending Passage": Access tunnel to the mechanism
For further explanation, read on.

        

Childress「Dunnの説によると大ピラミッドは共振する大回廊で、変換したマイクロ波をシャフトから放出したようだ。
そしていったんこの発電所が稼働すると、何年も何十年も何百年も止まらずマイクロ波を放出しつづけたという。
そしてそのエネルギーは受信して利用できるもの。」
Dunn「そこからエネルギーを発していたのだと推測できるが、それがすぐ近くで受信されたのか、宇宙まで到達していたのかはわからない。」
もし実際に大ピラミッドがエネルギーを作る発電所だったとしたら、それはこの1か所だけだったのだろうか?
それとも大規模なネットワークの一部だったのだろうか?
そしてそのエネルギーが何のために使われたのかを知る手掛かりはあるのだろうか?

        

もっとも影響力のあった20世紀の発明家はセルビア系アメリカ人のニコラ・テスラだろう。
交流電流とその配電に関するテスラの特許は商業的な電力産業の設立に役立った。
その貢献はロボット工学やレーダーの研究、コンピューターサイエンスにも及ぶ。
テスラのおかげで科学技術はかなり進歩したが、実現できなかったアイディアもあった。
ワイヤレス送電網を作る試みである。
Frisbee「あちこちに送電線を張り巡らすのではなく、大気や地中を通してエネルギーを送るというものだった。
テスラは生涯何度もこの無線の送電装置のデモを行ったので、実際にその装置が動作したことはわかっている。
彼は地中や大気が持つ電気伝導率を利用していたようだ。
地中や空中では電流が運ばれる。
基本的には空中に十分な電圧を流すとアークが生じる。
アークは蛍光電球でよくみられるもの。
そして地中にも水や酵素、塩分などイオンを運ぶものがあるので電流を運ぶ。」
テスラの送電塔は理論的に人気があったが、資金難のため、プロジェクトは中止された。
無線で電気を送るというテスラのアイディアは、古代のテクノロジーの再発見だったのだろうか?
Childress「テスラが成し遂げようとしていたのは古代に世界中で使用されていた電力システムを再現することだったと思う。
そしてそのシステムに使われていたのがオベリスク。
オベリスクとは花崗岩の1本岩でできた石塔のことで、一塊の結晶体。
オベリスクは特別な大きさに切断されていて、よくチューニングされていた。」
その古代の送電塔は本当に大気中に電気を送っていたのか、もしそうなら電気はどのように作られたのか。
Childress「それぞれのオベリスクには現在の発電所のように電気を作る場所が必要だったと思われる。
電気は磁場が回転することで作られる。
つまり回転磁場が交流電力を生む。

        

そして最初の発電所はニコラ・テスラによってナイアガラの滝に建てられた。
回転磁場を回すためには何らかの力が必要とされるため、この場合には水が使われた。
全てのオベリスクにもナイアガラの滝に建てられたものに似た発電所が必要だった。
発電所が電気を作り、オベリスク自体はその電気が使用できるよう大気に送信する。
これはChristpher Dunnのギザ発電所説に似ている。
何故なら彼は大ピラミッドが実際にマイクロ波のビームを贈っていた先とは衛星だと言っているから。
地球の軌道上にいる衛星。
そしてその衛星がマイクロ波のエネルギーを取り込んだ後、地球のどこか別の場所に再送信していたという。
例えばイースター島のような遠く離れた島などに送っていたことがあり得る。」
Frisbee「空飛ぶマシーンが古代の文献に描かれていることからも、何らかのビームのようなエネルギーが使用されていた可能性がある。
実際その仕組みは多くの点でかなり納得がいくもの。
軌道上の宇宙船にビームのエネルギーの発信所を置くことが可能だからだ。
発射されたエネルギーはその宇宙船に吸収され、推進力に変えられる。
またエネルギーシステムや動力システムをその宇宙船から遠く離れた場所に置くことができるのも理にかなっている。」
電気、電動工具、巨大な機械、宇宙を探査する技術・・・
これらは過去数100年で可能になった技術なのか、それとも古代の技術を最近になって再発見しただけなのか。
我々の祖先はこのような偉業を成し遂げる能力があったのか、それともまったく知らない別の世界からもたらされたのだろうか?
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/test21/msg/194.html

コメント [Ψ空耳の丘Ψ59] アデン湾の渦と木星の同期現象を結ぶ点と線/遥かなる古、エジプトで『秘儀を解くホルス神の目』と呼ばれしもの そこちょっとつんつく
02. そこちょっとつんつく 2010年12月26日 21:15:02: 8EItFG7yGzQIA : 5KTCri9bjA
あのぅ...もっかアデン域の渦を攻撃しても何の意味もありませんから。

むしろ発生源であるテクノロジー施設を叩くとか木星の方でしょうね、UFOとか何か出て来たら兎も角。

税金無駄に使われても嫌ですので日本の艦隊とか他国の艦隊の方に(揃いもそろってそこまで軍人さんもおバカしゃんでしゅか?いいちいち^_^;)...これに関しては今年はほんとにこれでお終い。
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/208.html#c2

コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
14. 2010年12月26日 21:20:29: 5OSV8Up776
>”あと二年で国債の消化ができなくなる。”

あー、なんでこういう煽りをいれるかなー。
日銀が最終的に購入することがわかっている国債が国内消化出来なくなることなんてあるわけないじゃん。
日本国債が売れなくなる時は景気が回復して国債以外の投資先がニョキニョキあらわれたときだけさ。
その時はビルトインスタビライザーで自然増収するから国債は売れない分、売らなくてよくなるの。

>外資から売りたたかれ、一気に長期金利が上昇する怖れがある。

どういうつもりで不安を煽ろうとしているのか知らんけど、外国人の日本国債保有率じゃ国債価格は操作出来ないことは、今年中国がやってくれたので証明されてます〜。
外国人が今の状況で国債を売りに出せば、数日で国内からの買いが上回るだけ。
日本国債の短期の大規模買いと投げ売りは今年中国がやっちゃったでしょう。
それで長期金利あがった? 上がったよね、数パーミルだけ。で、次の日には下がっちゃった。
まぁ、それだけ国内の不況が深刻だってことなんだけどね。

日本を破壊する最良の手段は「小さな政府」を続けさせてGDPを低下させ続けることさ。

だいたいさ、日銀による国債買い付けは今も行われてるから。
みんなの財布にある日銀券は日銀を通して国債が細切れになったものだからね。

インフレってのは通貨量に対する生産量の不足で決まる。
デフレで生産設備が遊んでいる日本でインフレ圧力が強まれば、それに比例して生産が増えるだけ。

もっとも仙谷たちはそんなことを分かりきった上で、公共事業費削減、法人税減税や消費税10%などのGDP縮小策をすすめているのかもね。

俺はむしろ投資先を失った欧米の資金が日本に過剰流入することのほうが可能性高いと思うけどね。
不況下で金融バブルがおこる・・・これはやだね。あまり考えたくない。
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c14

コメント [経世済民70] 仙石官房長官曰く 「日本はあと2年で財政破綻する」 ( BS朝日「激論!クロスファイア」) DOMOTO
15. 2010年12月26日 21:23:29: 5OSV8Up776
インフレを心配している人は、まさか通貨量に対して日本の生産力が一定なままだと思っているのか?

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/444.html#c15
コメント [経世済民70] 企業を優遇、個人は富裕層中心に大幅増税=11年度税制改正大綱 Re: 法人税減税で雇用が増えるのは  tea
02. 2010年12月26日 21:26:48: G9lSeUZwmo
相続税の基礎控除4割減・最高税率55%に 政府税調案

(1/2ページ)
 政府税制調査会は10日、来年度税制改正に盛り込む相続税の増税案を固めた。遺産から差し引くことができる基礎控除の金額を4割減らして課税対象額を増やすほか、最高税率も50%から55%に引き上げる。相続税の納税者は年間約4.8万人から7万人程度に増加。年間1兆3千億円の相続税収は2千億〜3千億円程度増える見通しだ。

 相続税はバブル景気で地価が高騰した1980年代後半から、税負担を緩和しようと減税が繰り返されてきた。今回、「格差是正」の観点から資産家や高所得者により多くの税負担を求める方針に転換する。1958年度に現行の仕組みになって以来、相続税の本格増税は初めてとなる。

 相続税は土地や現金など相続財産から、基礎控除となる「5千万円+1千万円×法定相続人数」の合計額を差し引き、それに税率をかけて計算している。例えば、夫が亡くなり、法定相続人が妻と子ども2人の計3人の場合、基礎控除額は8千万円。相続遺産が1億円あると、控除額を差し引いた2千万円が課税対象になる。

 これに対して、来年度から実施する増税案では、基礎控除額を4割減らし、「3千万円+600万円×人数」にする。同じ例で考えると、控除額は4800万円になり、課税対象は5200万円に増える。これに税率をかけた相続税額は、現行の仕組みなら100万円なのが、315万円に増える計算だ。

 最高税率も見直す。現行は1人あたりの受け取り相当額が3億円を超えた場合に50%の税率がかかるが、新たに6億円を超える遺産に55%の税率を設ける。税率の区分は、現行の6段階から8段階に増やす方針だ。

 相続増税の代わりに、生前に次世代に財産を渡す「生前贈与」の優遇措置を拡大。これまでは20歳以上の子どもが対象だったが、これに孫を加える。子どもや孫へ生前贈与する場合は、配偶者よりも贈与税の負担を減らす仕組みに改め、世代間の資産の移転を促す。
http://www.asahi.com/politics/update/1210/TKY201012100646.html

(2/2ページ)
 政府税調はこのほかの税制改正についても方針を大筋決定。所得税では、会社員の年収から一定額を差し引くことができる給与所得控除について、年収1500万円で頭打ちとし、控除額の上限を245万円とする。23〜69歳の扶養親族にかかる成年扶養控除は、世帯主の年収が約568万円を超える場合は対象外とする。ただ、扶養親族が障害者や要介護者や介護する人、学生などは控除を適用する。

 温室効果ガスの削減対策などに活用する地球温暖化対策税(環境税)は、来年10月から導入する。石油石炭税に上乗せする形で、初年度は400億円規模とし、段階的に2400億円に増やす方針。環境省は、ガソリンや電気代などに置き換えた負担増を、1世帯あたり年1200円程度と試算している。『asahi.com』2010年12月12日18時20分
http://www.asahi.com/politics/update/1210/TKY201012100646_01.html
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/393.html#c2

コメント [戦争b7] 山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したのか(米国に寝返った小泉・竹中に置き換えれば、有り得る話です) 小沢内閣待望論
07. 2010年12月26日 21:37:07: kt8KhPqgH2
まあ、何れ歴史は、今現在のものとは、全く違ったものに、改められるに決まってるわな。

キリスト教もだが、紀元前からの世界史から、話が全然違うんだから。

特に、中世から、近現代史などは、あまりにも嘘っぱちが多すぎる。しかも、今の政治や実社会が、その歴史観に基づいているんだから(と言うより、それこそがその歴史捏造の目的だった訳だが)、話がおかしくなる訳だ。

山本五十六が、仮に戦後生きていたとしても、何ら驚くに値しない。

ロッキード事件もそうだが、そんな簡単なことが、理解できないようでは、生涯、歴史など到底理解することは出来ない。

今後も、益々、それこそ世界中で、歴史認識の見直しが行われるのは必至。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/135.html#c7

コメント [日本の事件29] 茨城・JR取手駅前刺傷事件、その本当の狙いは?! taked4700
08. 2010年12月26日 21:38:38: xPL7KQAUsk
>2004年に長崎で起こった毎日新聞記者の小学生の娘さんが同級生によって学校でカミソリを使って首の動脈を切られて亡くなった事件など正しく脅しの為の事件でした。

佐世保小6女児同級生殺害事件が、誰の誰に対しての脅しなんだよ。だいたいカミソリではなくカッターナイフだ。どっから出て来たカミソリなんだかね・・・ま、かなりの歳の者の誤想像だ。それにしても妄想が果てしない。いい加減にして欲しいところだ。taked4700 の独りよがりは目に余る。

9.11はアメリカの自作自演、口蹄疫は誰かが撒き散らしたもの、事件があれば必ず陰謀・・・

taked4700のような論は現実否定論(denialism)に近い。否定論者(denialist)の使う論法は陰謀論と「現実を歪めた対象」を勝手に構築し(ストローマン=藁人形)、それをもてあそぶ藁人形論法が大きな特徴となっている。taked4700の論法はこのような見地から相対化されうる。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/647.html#c8

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 古代日本のフリーメーソン 石物云ふ時來たぞ
 
 
 
 
最近此の本を讀みました。
此れもシンクロニシテイーなんでせうか。

日月b示で
「石物云ふ時來たぞ」「石もの云ふ時來るぞ」とか
「石もの云ふぞ」「イシもの云ふと申しておらうが」とかありますが、
此れも其の一つなんだらうなと思ひ坐す。
此れ以外にも水晶髑髏やカブレラストーンなんかも
其の情報記録媒體としての機能を其の内發動し始めるのでせう。

石川縣のウツド・サークルに關する事も書かれてゐましたね。
個人的に一番興味深かつたのが、
三内丸山の住人達が何處へ行つたのか、
エジプトに行つた事を仄めかしてゐたのが一番興味深かつたでせうか。
 
 
 
 
古代日本のフリーメーソン
 
 
        
 
 
商品の説明

内容紹介

古代日本にも秘密結社フリーメーソンは存在した。各地に残る縄文時代の巨石遺構や日本ピラミッドの正体と機能とはいったい何なのか。古代における巨石建築技術と神秘思想、そして超能力の視点から知られざる秘教集団に迫る。
内容(「BOOK」データベースより)

万葉集にもうたわれた飛鳥の大和三山。それらの頂点を直線で結ぶと、きれいな二等辺三角形が浮かび上がる。しかも、その垂直二等分線は三輪山を通り、整数比のピタゴラスの三角形を形成するという。大陽信仰のネットワークと夢通信を手がかりに、日本ピラミッドや巨石遺構を設計した縄文フリーメーソンの正体に迫る。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

渡辺 豊和

1938年、秋田県角館町(現仙北市)に生まれる。1961年、福井大学工学部建築学科卒。工学博士(東京大学)。建築家として、秋田市体育館、劇場ホール・対馬豊玉町文化館など曲線曲面の表現・設計で活躍するかたわら芸術教育の現場に立ち、天才づくりに励む。京都造形芸術大学教授。2004年には巨石愛好の仲間とイワクラ学会を設立し、その会長に就任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次

序章 右脳革命 縄文イメージの革新
第1章 縄文夢通信 光が呼び覚ます霊能力
第2章 フリーメーソン 巨石神殿を築いた謎の技術者集団
第3章 神々の幾何学 大和三山を結ぶ二等辺三角形の謎
第4章 日本ピラミッド 驚異の縄文土木技術
第5章 太陽のネットワーク 日本列島をカバーする巨石遺構
第6章 古代の光通信 ご神体の鏡岩に隠された秘密
第7章 地球結晶体 謎を解く鍵はエジプトにあった!!
終章 世界革命 夢と光のネットワークが人間を変える!!
 
 
               - Amazon.co.jp:古代日本のフリーメーソン
                 (ムー・スーパーミステリー・ブックス):渡辺豊和 據り
 
 
 
 
 
 
 
 
2010年11月17日の記事 | ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!
Ancient Aliens[The Evidence] 古代の宇宙人[証拠] 
http://poyoland.jugem.jp/?day=20101117
 
 
個人的に關聯ありと思はれる部分を抜粹

今日の広大な建設現場や採石場では巨大な機械を使って石の採掘、切断、引き上げを行う。
人間が作ったこられの機械は最新の油圧技術で数1000人分の仕事をする。
このような機械がなくては現代の高層ビルは建設できないだろう。
しかし数1000年前の古代文明は同じことをやってのけた。
巨大な石を使って記念碑や神殿を建てたのだ。
使われた巨石の多くは100トンを超え、現代の技術者にとっても取り扱いが難しいもの。
それなのに数1000年前の人々は硬い岩場から石を切り出し、何kmもかけて運び、正確な場所に積み上げているが、いったいどうやったのだろうか?
考古学者の多くがいうように、ハンマーやのみ、銅線で巨大な石材を切断したのだろうか?
滑車装置なしで引き上げや運搬が可能だったのだろうか、それとも古代文明は科学技術の中で失われた進んだテクノロジーを持っていたのだろうか。

        

Rovert Bauval(Author,The Egypt Code)「ギザにピラミッドだけでなく、ピラミッドをつなぐ河岸神殿もある。
ピラミッドが2〜3トンの石で造られている一方、河岸神殿はピラミッドに比べて規模は小さいが、その石は100トン。
中には200トンのものもある。
100トンの石は100台のファミリーカーを押しつぶして一塊にした大きさ。
どうやって動かしたのかはもちろん、なぜ100トンもの石を使おうと思ったのか、まったくわからない。」
古代宇宙飛行士説の支持者は、異星人がその見事な建造物を作ったのではなく、我々の祖先に何らかの技術的知識や道具を与えたのだと考えている。
Christpher Dunn(Author,Lost Technologies of Ancient Egypt)は、古代のエジプト人が建設に使った道具を数10年研究している。
Dunnは実際にエジプトの遺跡に行って調査を行った。
発見したものは革新的で、議論を巻き起こすものだった。
ギザの数km北にあるアブロアシュを調査している時、Dunnは深い切込みが入った花崗岩を見つけ、手掛かりをつかんだ。

        

古代エジプト人が巨大ノコギリを使ったというDunnの説は多くの考古学者の大反発をかったが、Dunnは確信していた。
Dunn「私は元機械工なのでどこにいっても工具の痕跡を探す。
機械の跡があちこちで見つかった。
ルクソール博物館アモン神の尻とベンチが接触する部分の横、くりぬかれた部分に道具が滑った跡がある。
とても能率的な道具があったに違いない。」

        

Dunnはまた、ギザの地下にある多くの窪みは、考古学者の多くが主張するような船を納める穴ではなく、10mのノコギリを収納する場所だったと考える。
Dunn「ノコギリを入れる穴に据え付けられたノコギリは、大ピラミッドに積まれる石材を切っていたのだと思う。」
もう1つの謎はどうやって巨大な石を持ち上げ、正確な位置に積んだのか。

        

レバノン、バールベックにあるジュピター神殿で、世界最大の人工石が3石見つかった。
それぞれの石の重量はおよそ1000トンと推定される。
近くの採石場には南方の石として知られるさらに大きな巨石がある。
重量は1200トン。
Peter Palutikof(Architect)「動かすためには大型クレーン車21機分の力がいる。」
Roger Hopkins(Stone Sculptor)「ファームススプリングズの工事現場から採掘された石。
そこでは最大級の掘削機が使われ、トラックに積むのも一苦労だった。
石の重量は5トンを超える。
上エジプトで滑車を使った引き上げ作業をした。
様々な段階で何1000人もの人々が携わり、数100トンほどの非常に割れやすい石を動かした。
確かにロープは使うが、機械の力も活用せねばならないだろう。」
だがもし古代文明が近代的装置を持っていなかったのなら、どうやってメガトン級の石を運搬したのだろうか?
地球外生命体から技術的な恩恵を受けたと考える者もいる。
Tsoukalos「ある方法を非常に簡潔に表した資料が存在する。
そのようにして巨大な石を採石場から建設現場まで運搬したのかが分かる。
それによると現場の親方達は石にかけるための何か白くて紙のようなものを持つことができたという。
それに石をかけてから何かをかくと、ただ一押しするだけでまるで魔法のように2m近くも動いたという。
はたして本当に魔法で動いたのか、いいえ、何らかの技術が使われたのだ。」
古代人がどう巨大な石を運搬したのかは謎の1つに過ぎず、その石の加工技術も謎に包まれている。
先史時代の文明がどうやってある硬い花崗岩に複雑なデザインの模様を刻んだのだろうか?
カリフォルニア州ファームズスプリングズ、熟練の石職人で彫刻家のHopkinsは硬い石の切断、整形に様々な最新式工具を使う。
ダイヤモンドワイヤーや研磨機をはじめとする電動工具で近くの採石場から切り出した巨大な花崗岩を芸術作品に仕上げる。
だがそんなハイテク工具を使っても、Hopkinsは数1000年前に古代文明が作ったものを再現することはできない。
Tsoukalos「古代遺跡の石の切断技術を見れば、地球外の技術が使われた可能性がもっともはっきりと証拠として表れていると思う。
なぜなら我々の祖先が石の加工技術で作ったとされるものの中に、現代の技術では再現できないようなものがいくつかあるからだ。」

        

Puma Punkuはボリビアの高原地帯にある大規模な神殿遺跡。
考古学者の多くは紀元前200年頃のものだと考えている。
ここの人達は文字や車輪ももっていなかったが、どういうわけか世界有数の複雑な建造物を作った。
古代宇宙飛行船説の論者は、地球外の影響をはっきり示している場所だとみる。
Coppens「Puma Punkuの石には目を見張るようなデザインが施されている。
現在使用されている数学の概念を飛び越えたものが必要。
現在のコンピュータープログラムで作ったようなデザインが、どうして可能だったのだろう?」

        

Hopkins「彼らの石の切断技術は非常に優れいている。
切断面、正確なカットがある。
ここにあるような内側の切断はかなり難しい。
現代の工具を使ったとしてもこの正確さを出すのは難しい。
石の加工技術にも驚く。
もし現在同じようなものを作ろうと思ったら、コンピューター制御のCNCマシーンを使わないとできない。
ダイヤモンドチップがついていて、デザインをコンピューターに入力するマシーン。
それでもこんなに完璧に仕上げられないかもしれない。」
Tsoukalos「縁に指を当ててみると、少し力を加えるだけで、指が切れてしまう。
角がいかに鋭いかが分かる。」

        

古代人はどこでこんな技術を学んだのだろうか?
宇宙人が工法や工具を与えたという話など、本当にありえるのだろうか?
Michael Dunn(Mining Engineer)「そのブロックを見たとき、切断されたものだと思わなかった。
最初に思ったのはフランクロイド・ライトのテキスタイルブロック工法に似ていること。
1920年代初めに建てられたカリフォルニアの住宅に使われている工法。
彼はコンクリートを型に流してブロックを作った。」
Tsoukalos「古代インカ帝国の人々は、石を軟らかくする能力があったという言い伝えがある。
Saksaq Waman遺跡には巨大な石壁があるが、それはまるで溶かされてから必要な場所に流され、再び固められたように見える。」

        

Puma Punkuから数100km北、ペルーのアンデス山脈の上にマチュピチュがある。
インカ人によって15世紀に築かれた石の要塞だが、その約100年後に突如放棄された。
Puma Pumkuのようにマチュピチュも先端技術の証拠があるのだろうか?
型で造られた石もあるのだろうか?
Dunn「この遺跡を造った人々は工程計画を立てていたとしか思えない。
石を切り出す前に運搬方法を決めていた。
最初から最後までどんな技法や技術を使って何をするべきかを把握していたので、そんなに難しいことではなかった。
現代のこの業界にも、できるだけ簡単にしろという格言がある。」
Dunnは今までの経験からマチュピチュの巨大な壁は単純な方法で造られたと考える。
小さな石を現場に運んできて溶かし、肩に流し込んで必要な大きさと形を正確に作ったという。
Hopkins「岩を溶かして所定の場所に流し込もうと思ったら、かなりの熱量が必要。
石を細かく砕かねばならない。
私は石材加工用バーナーを持っていて、たまに花崗岩を成型するのに使うが、そのバーナーは1600℃を超える熱を出す。」

        

神の技か、他の惑星から高度な技術の文明人が来て、彼らにやり方を教えた後、材料や道具を持って帰ったのか。
もし本当に異星人が地球に先端技術をもたらしたのなら、その道具を残していった可能性はないのだろうか?
Hopkins「古代に行われた謎の事業の多くは鉄がない時代に行われ、銅はあったので常温の銅をハンマーでたたいて硬くすることはできただろう
しかしそれでは玄武岩や花崗岩のような石は凹みもしない。
彼らはもっと骨の折れる方法を使わざるを得なかったのか、それともなんらかの先進技術を持っていたのか。
この業界に40年いるがまったくわからない。」
Chrisopher Dunn「ピラミッドを造るために相応しい道具や機械が使われていたはず。
あんなに精度の高い彫像を作っている。
私達の検査室でみられるような精密さで石の箱も作っている。
ではその道具はどこにあるのだろうか。」
19世紀後半、イギリス人考古学者フリンダース・ペトリーはもっとも大きなものではなく、もっとも小さなものを求めてエジプトを探しまわった。
Debbie Challis,ph.D.(Hostorian,Petrie Museum,London)「これはドリルの穴、上に細かい線が入っており、穴はほぼ完ぺきだが、一方の端が先細りになっている。
これは硬い石の1つ、閃緑岩の器のかけら、旋盤という工具のあとがある。」

        

ペトリーが発掘した道具の中で一際目立ったものがあった。
大ピラミッドの中で作業をしている時に、花崗岩でできたドリルコアを発見した。
Challis「硬い石が慎重に掘られ、精巧な溝が刻まれている。
それぞれの線の間隔は2mmほど。
正確な直線が一周している。
ペトリーはエジプト人がこれを作るためにダイヤモンドなどの何らかの宝石を使ったはずだと提唱したが、彼は古代エジプトにダイヤモンドがあったことを発見できなかった。」
古代エジプト人がダイヤモンドを持っていなかったのなら、どうやって花崗岩のドリルコアに正確な溝を掘ったのだろうか?
機械の専門家Christpher Dunnは古代エジプト人の道具と技法に関する知識を駆使し、自分で花崗岩のドリルコアを作ってこの問いに挑んでいる。
Dunn「導管にクランクを取り付け、研磨材には砂と炭化ケイ素を使用した。
何時間もかけて回転させながらこの花崗岩に穴をあけて十分な深さに到達したところでやっとサンプルコアを取り出せた。
次に私達が導管と綱手穴をあけたコアを顕微鏡で見ると、コアの表面、刻まれた線はあまりきれいではない。
ペトリー博物館のコアからとったラテックスコピーの線はひじょうにはっきりしていて深い。
この精巧な出土品の細部が確かな証拠。
古代エジプト人の技術水準がどのくらいのものだったのかを判断できる手掛かり。
水平かどうかを検査するための定盤という台、平面度はおそらく5.08ミクロン以内で、人間の毛髪の10分の1というわずかな誤差しかない。
スラピウムに入ってその壁に測定器をあててみると、その平面度は許容範囲内だった。
精密な測定器の誤差範囲内だったのだ。
許容値を外れるとどうなるか、測定器の片方の端の下に紙を1枚おいてみると分かる。
わずかな隙間から光が漏れてしまう。
スラピウムにあった花崗岩の箱の内側の制度は5.08ミクロン以内だと思う。」
Hopkins「エジプトで花崗岩に施された彫刻を見たことがある。
彼らは石英の小さな破片を使っていたようだが、それは可能性の1つ。
そんな方法だと途方もない手間と時間がかかる。」

        
 
 
 
 
世界中にある古代の建造物のうち、ギザの大ピラミッドほど謎が多く長く持ちこたえているものはない。
もともと約147mの高さだった大ピラミッドは、1889年にエッフェル塔が完成するまで、世界1高い建造物だった。
他のピラミッドや神殿の壁にはその目的が象形文字で書かれているが、大ピラミッドには1つの記も見当たらない。
その役割は何だったのか、なぜ建てられたのか、どんな秘密がその中に隠れているのだろうか?
工学専門家のChristpher Dunnは大ピラミッドの謎を解こうと、1970年代後半から個人的に調査してきた。
Dunnによるとこの巨大な建造物がなぜ建てられたかを知る具体的な手掛かりが、そのデザインと構造にあるという。
Dunn「多くの技術者が今ピラミッドを造るのは難しいという。
4500年前のものと推定されるが機械のような正確さ。
私が大ピラミッドの調査を開始した時、その機能に注目して調べた。
まるで機械のように造られているので、おそらく機械のように機能していたのだろう。」
大ピラミッドの内部のデザインで特徴的なのは王の間とその下にある女王の間から斜めに延びた4本のシャフト。
大ピラミッドと同様にその存在理由と目的を簡単には説明できない。
2002年ドイツの技術者とエジプト学者のチームが女王の間につながるシャフトの1本に小型ロボットを送って調査した。
65m進んだところで石のドアにはばまれたため、ドアにドリルで穴をあけると、その向こうは小さな部屋になっていた。
そしてさらに奥へとつながるもう1つのドアがあった。
シャフトが開かれたことはあったのか、開かれたのなら何に使われたものなのか。

        

Dunn「初期の探検家が女王の間に入った時、その壁が塩分の層で覆われているのを発見したが、このことは私がたてた説を具体化してくれる。
その説とは1つのシャフトから希塩酸溶液が流れてきて、もう1つのシャフトからは水和した亜鉛が流れてきて女王の間で混ざり、そこで水素を発生させたというもの。」
水素とは宇宙でもっとも強いエネルギー源の1つ。
20世紀初めツェッペリンという人類最初の飛行船を大空に飛ばすことができたのは、水素ガスのおかげだった。
現在でもロケットを宇宙に発射する燃料として使われる。
もし数1000年前に大ピラミッドが実際に水素を発生させていたのだとしたら、それがもっとも古い発電所ということになる。
Dunn「ギザ発電所説というものの本質的な内容は、大ピラミッドを通して地球からエネルギーを取り出し、そのエネルギーえをマイクロ波のエネルギーに変換すること。
詳しく説明すると、化学物質がシャフトを通って女王の間に入る。
そして混ざると水素が噴き出す。
水素は空気より軽いため、上の部屋へと上がってゆく。
そこで地球のエネルギーがピラミッド全体を振動させる。
そしてその振動を大回廊で取り入れる。
大回廊が共振器の役割をはたしていたのだと思う。
回廊の端から端まで並ぶ27対のスロットの中に共振器が垂直に積まれていたのだ。」

        

A: The "King's Chamber": Hydrogen, sound energy, and solar/lunar energy was collected here and amplified by crystals.
A1 & A2: Solar energy & lunar energy (reflected solar, microwave and other types of energy from space) collected through these shafts. The northern and southern faces were originally shaped like satellite dishes, with collectors to collect and transmit the energy into the King's Chamber via the shafts.

B: The "Queen's Chamber": Hydrogen produced here by mixing zinc chloride and hydrochloric acid

B1: Hydrated zinc chloride is piped in from the outside through the shaft into the Queen's Chamber

B2: Hydrochloric acid is piped in from the outside through the shaft into the Queen's Chamber

B3 & B4: It is possible that the zinc chloride and hydrochloric acid was piped in from the outside, but no external opening has been found. A subterranean chamber in or beneath the pyramid may eventually be found that supplied these or other chemicals for the reaction.

C: The "Subterranean Chamber": A lesser resonating chamber that produces the bass and sub-bass notes

D: The "Grand Gallery": The primary resonating chamber, produces the midrange and high notes that, along with the bass from the Subterranean Chamber, creates an F-Sharp chord that is channeled into the King's Chamber

E: The "Ascending Passage": Contains granite "plugs" (E1) that serve as sonic dampers to prevent runaway vibration

F: The "Well Shaft": Bass notes from Subterranean Chamber travel through here to Grand Gallery

G: The "Descending Passage": Access tunnel to the mechanism
For further explanation, read on.

        

Childress「Dunnの説によると大ピラミッドは共振する大回廊で、変換したマイクロ波をシャフトから放出したようだ。
そしていったんこの発電所が稼働すると、何年も何十年も何百年も止まらずマイクロ波を放出しつづけたという。
そしてそのエネルギーは受信して利用できるもの。」
Dunn「そこからエネルギーを発していたのだと推測できるが、それがすぐ近くで受信されたのか、宇宙まで到達していたのかはわからない。」
もし実際に大ピラミッドがエネルギーを作る発電所だったとしたら、それはこの1か所だけだったのだろうか?
それとも大規模なネットワークの一部だったのだろうか?
そしてそのエネルギーが何のために使われたのかを知る手掛かりはあるのだろうか?

        

もっとも影響力のあった20世紀の発明家はセルビア系アメリカ人のニコラ・テスラだろう。
交流電流とその配電に関するテスラの特許は商業的な電力産業の設立に役立った。
その貢献はロボット工学やレーダーの研究、コンピューターサイエンスにも及ぶ。
テスラのおかげで科学技術はかなり進歩したが、実現できなかったアイディアもあった。
ワイヤレス送電網を作る試みである。
Frisbee「あちこちに送電線を張り巡らすのではなく、大気や地中を通してエネルギーを送るというものだった。
テスラは生涯何度もこの無線の送電装置のデモを行ったので、実際にその装置が動作したことはわかっている。
彼は地中や大気が持つ電気伝導率を利用していたようだ。
地中や空中では電流が運ばれる。
基本的には空中に十分な電圧を流すとアークが生じる。
アークは蛍光電球でよくみられるもの。
そして地中にも水や酵素、塩分などイオンを運ぶものがあるので電流を運ぶ。」
テスラの送電塔は理論的に人気があったが、資金難のため、プロジェクトは中止された。
無線で電気を送るというテスラのアイディアは、古代のテクノロジーの再発見だったのだろうか?
Childress「テスラが成し遂げようとしていたのは古代に世界中で使用されていた電力システムを再現することだったと思う。
そしてそのシステムに使われていたのがオベリスク。
オベリスクとは花崗岩の1本岩でできた石塔のことで、一塊の結晶体。
オベリスクは特別な大きさに切断されていて、よくチューニングされていた。」
その古代の送電塔は本当に大気中に電気を送っていたのか、もしそうなら電気はどのように作られたのか。
Childress「それぞれのオベリスクには現在の発電所のように電気を作る場所が必要だったと思われる。
電気は磁場が回転することで作られる。
つまり回転磁場が交流電力を生む。

        

そして最初の発電所はニコラ・テスラによってナイアガラの滝に建てられた。
回転磁場を回すためには何らかの力が必要とされるため、この場合には水が使われた。
全てのオベリスクにもナイアガラの滝に建てられたものに似た発電所が必要だった。
発電所が電気を作り、オベリスク自体はその電気が使用できるよう大気に送信する。
これはChristpher Dunnのギザ発電所説に似ている。
何故なら彼は大ピラミッドが実際にマイクロ波のビームを送っていた先とは衛星だと言っているから。
地球の軌道上にいる衛星。
そしてその衛星がマイクロ波のエネルギーを取り込んだ後、地球のどこか別の場所に再送信していたという。
例えばイースター島のような遠く離れた島などに送っていたことがあり得る。」
Frisbee「空飛ぶマシーンが古代の文献に描かれていることからも、何らかのビームのようなエネルギーが使用されていた可能性がある。
実際その仕組みは多くの点でかなり納得がいくもの。
軌道上の宇宙船にビームのエネルギーの発信所を置くことが可能だからだ。
発射されたエネルギーはその宇宙船に吸収され、推進力に変えられる。
またエネルギーシステムや動力システムをその宇宙船から遠く離れた場所に置くことができるのも理にかなっている。」
電気、電動工具、巨大な機械、宇宙を探査する技術・・・
これらは過去数100年で可能になった技術なのか、それとも古代の技術を最近になって再発見しただけなのか。
我々の祖先はこのような偉業を成し遂げる能力があったのか、それともまったく知らない別の世界からもたらされたのだろうか?
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/209.html

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] 海老蔵事件関東連合と世田谷一家殺人を結ぶ点と線
−海老蔵事件−創価・統一と世田谷一家事件・麻薬・少女連続・FEMAまで「徹底的にやる」というパチンコ・麻薬漬け人身売買少女既得権益警察の臭い芝居を嗤う−

【世田谷一家殺害事件と関東連合と伊藤リオン】〔ネットの力で風化STOP 未解決事件を追う〕
http://netpower1.blog14.fc2.com/blog-entry-589.html

管轄 警視庁

事件の概要
21世紀を目前に控えた2000年12月30日午後11時ごろから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、父親(当時44歳)・母親(当時41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)の4人が惨殺された。隣に住む母親の実母が、31日の午前10時55分ごろ発見、事件が発覚した。

この事件は、大晦日に差し掛かろうとする年の瀬の犯行だったことや、犯人の指紋や血痕など個人を特定可能なもの、靴の跡(足跡)の他、数多くの遺留品を残している点、子どももめった刺しにする残忍な犯行、殺害後に翌朝まで10時間以上に渡って現場に留まり、パソコンを触ったりアイスクリームを食べるなど犯人の異常な行動、これらの多くの事柄が明らかになっていながら、犯人の特定に至っていないことでも注目される未解決事件である。また、年の瀬に発生した殺人事件という時期柄もあって、一年を振り返る区切りとなる年末近くになると、マスコミが話題に取り上げることが多い事件である。


暴走族との関係
被害者の宮沢みきおさんは当時、事件数日前に地元の暴走族「三軒茶屋愚連隊」ともめていたという記事が、あるスポーツ紙に掲載されたらしいが、この三軒茶屋愚連隊は先日逮捕された海老増襲撃事件の犯人である伊藤リオンが属している関東連合のことである。

偶然の一致だろうが、ちょっと気になった。
それと同日に世田谷一家殺害事件、懸賞金対象に4回目の指定がされ、懸賞金が地元事業者ら有志の会が新たに最高700万円の私的懸賞金をかけるため、最高額は計1千万円となるというニュースが流れた。


犯人のDNA
現場に残されていた血液のDNAからルーツを辿る人類学的解析により、父系がアジア系民族、母系に欧州系(地中海)民族が含まれることが判明。「日本人には少ない型」とする専門家の声もある。

2006年当時のDNA型鑑定で、母系がミトコンドリアDNAの塩基配列パターンによりアドリア海や地中海の南欧系民族に見られる「アンダーソンH15型」(アジア民族には見られない)、父親がY染色体鑑定によりアジア民族に多い「O3eスター型」。
「O3eスター型」の割合は日本人の約13人に1人、中国人の約10人に1人、韓国人の約5人に1人に見られる。また、南欧系の祖先は歴史的に見て遠くない祖先の可能性が高いが、DNA型から犯人との続柄は判別できないため、犯人の母親が南欧系の女性かは不明。

犯人が「アジア系含む日本国外の人」または「混血の日本人」である可能性も視野に入れて捜査している。また、ICPOを通じ日本国外の捜査機関に捜査協力を求めている。
一方で、人種に関するプロファイリングが捜査に適用されるのには前例がなく、ずっと遡った祖先が混血だった可能性も否定できないため、「犯人が純粋な日本人である可能性も否定せずに、国内でも幅広く捜査する」方針。


現場の遺留品・証拠
トレーナー(ラグランシャツ)
サイズはL(身長175〜185センチ用)同年TBSで放送されたドラマ「ビューティフルライフ」で、主演の木村拓哉が着ていたタイプとされ、当時、若者の間で流行していたラグランシャツと呼ばれるものである

スニーカー
現場に残されていた足跡から「28センチ」

柳刃包丁
現場付近では、世田谷区、杉並区内で事件前月の11月中に13本販売、被害者宅から数キロ圏内にある小田急線経堂駅近くのスーパーで事件前日の29日に2本販売、東急田園都市線用賀駅近くのスーパーでも事件前日と当日の30日に1本ずつ販売されていた

香水
ハンカチやヒップバッグに付着していた香水はGuy Laroche(フランス)の「DRAKKAR NOIR」(ドラッカーノアール)と見られている
これはスケートボーダー(スケートボードをする人)の間ではファンも多い

黒いハンカチ
2階の踊り場付近と台所で発見された。
黒で無地のハンカチ2枚は45センチ四方で無印良品で販売されていたもの。
うち1枚については特殊な方法で包丁の柄を包んでいた形跡(詳細は警視庁の情報公開参照)があり、犯行時に包丁を固定する際の滑り止めや返り血を避ける目的で使用したと見られている。
もう一枚は三角形に折られ両端に絞り込みがあったことなどからマスクやバンダナとして使用したとみられる。


犯人はスケートボードをしている人物
バッグの中から検出された砂は石英などを含んでおり、「アメリカ西部ネバダ州のラスベガス付近にある砂漠の砂」と思われていたが、カリフォルニア州の砂の可能性が高いことが分かった。

このカリフォルニア州のものと思われる砂は、約35,000 km²に及ぶモハーヴェ砂漠南西部にあるエドワーズ空軍基地付近のものであることも判明した。同基地東部の砂は特徴的なものであり、バッグ内の砂と酷似しているという。

また、ジャンパーのポケットから検出された三浦半島の砂は、バッグの中からも検出されている。
カリフォルニアはスケートボード発祥の地で、三浦半島の「うみかぜ公園」にはスケートボーダーが集まる場所があり、大会も頻繁に行われている。このことから、いずれもスケートボードと縁の深い場所の砂であることが明らかになった。

【AB蔵事件と世田谷一家殺人事件との接点】
http://ameblo.jp/yokohamajipsy/entry-10748416946.html

「激裏PR-GATE http://www.gekiura.com 

17才の伊藤リオンが犯した殺人と関東連合


 沈静化したかに見える海老蔵暴行事件。
 水面下では示談金の交渉が続いており、その額
 1000万とも1億とも言われている。
 
 関東連合の面々 右中程首にタトゥーの男性が
 海老像事件の被害者(?!)元暴走族リーダー石元太一氏
http://www.gekiura.com/~press/kantoh.jpg

 そのウラで伊藤リオンが17才の時に犯した
 殺人事件が話題になっている。

 東洋ボール殺人事件。

 2000年5月13日東京都大田区のボウリング場
 トーヨーボール駐車場で関東連合と敵対する
 暴力団と間違われた男性5名が車で拉致され暴行、
 1人が死亡した集団リンチ事件。
 三田佳子の次男、高橋裕也も関東連合関係者で
 金づるにされており、拉致した時の車が
 高橋裕也の車だった事で三田佳子は
 バッシングを受ける。三田佳子の地下室は
 関東連合のたまり場だったからだ。

 この事件の主犯格の柴田大輔は伊藤リオンの先輩。
 宮前愚連隊に属していたが
 出所後、暴力団弘道会が出資した広告代理店や
 芸能プロをまかされ六本木ヒルズに住んでいたのは既に
 お伝えした通り。

 関東連合23人らに拉致られ殺害された無関係な
 男性はボロ雑巾のように病院前に捨てられ
 脳挫傷で死亡した。当時少年だった柴田大輔、
 伊藤リオンらは名前も出ず、過去を消し再び東京の
 夜の街に現れたというところか。

 そして・・未だ解決の糸口が見えない世田谷一家
 殺人事件。殺された家の主、宮沢みきおさんは
 殺害される数日前、関東連合の一派
 「三軒茶屋愚連隊」と揉めていたという。
 人違いで集団リンチ死て殺した関東連合。
 この未解決事件との関連もささやかれるが
 真実はいかに。   」

▽参考

【欧米闇権力の意志で実質的な日本の支配者になった朝鮮人秘密組織/FEMAクーデター・市川海老蔵氏や朝青龍事件】〔阿修羅〕
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/125.html

【海老蔵事件が教えてくれたこの国の恥部】〔 天木直人のブログ〕
http://www.amakiblog.com/archives/2010/11/30/

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/210.html

コメント [戦争b7] 自虐史観から真実の歴史認識へ、日本を悪者とする自虐史観はもうやめよう(自虐史観=米国による刷り込み、客観史観が必要です) 小沢内閣待望論
02. 2010年12月26日 21:43:34: UbojPNqnns
イラク、アフガン戦争の自衛隊参戦の違憲、違法、大犯罪を黙殺します。

戦争は、自虐史観や客観史観の問題ではありません。
本質からのすり替えのごまかしです。

軍やその兵器や戦争は、カルト史観です。
戦争や軍を肯定した戦争論者はカルトです。
よって、小沢やこの投稿者はカルト信者です。

自然史観の存在しない客観史観は存在しません。
客観者がカルト史観の範疇に存在するなら、左も右も中もカルト史観です。
よく言われる八百長政治、マッチポンプ等々。

軍縮〜0,大国やカルトの解体が自然史観です。
平和(和ぎのような平穏)は自然史観の範疇で、
ピース(暴力的平定・支配)カルト史観の範疇です。

日本人としての常識です。
http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/137.html#c2

記事 [Ψ空耳の丘Ψ59] FEMA體制下日本國に於いて日本人虐殺の任務は韓國軍に擔はせる
 
 
 
 
前原 クリントンに突きつけられていた難題 “「韓国軍に日本の基地使わせろ」” (ゲンダイNet)
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/654.html
投稿者 亀ちゃんファン 日時 2010 年 12 月 21 日 18:33:38: GqNtjW4//076U
 
 
ゲンダイネット
前原 クリントンに突きつけられていた難題
http://gendai.net/articles/view/syakai/128046 
2010年12月21日 掲載

「韓国軍に日本の基地使わせろ」

●米国人の救出が目的?
 韓国軍が20日、延坪島で射撃訓練を強行し、朝鮮半島の緊張が再び高まっている。いまのところ、訓練実施なら「第2、第3の自衛的打撃を加える」と警告してきた北朝鮮は静観。先月のような衝突は起きていないが、半島炎上の危険性は回避されていない。そんなドサクサに紛れて、米国が日本に無理難題を突き付けていたことが明らかになった。
「2週間前の日米外相会談で、クリントン国務長官が前原外相に、朝鮮半島有事の際は、韓国軍も在日米軍基地を自由に使えるのが望ましいと切り出していたのです。基地の使用制限を取り払えという脅しです。さらに、集団的自衛権の行使を禁じている日本の憲法が、米軍の作戦の足かせにならないよう求めたと聞いています」(米政府事情通)
 軍事ジャーナリストの田岡俊次氏は「韓国軍には、当然、日米安保条約が適用されないし、国連軍の一部でもないから、日本国内にある基地は使用できない」と断言する。それでも、米国はお構いなしだ。
「米国は韓国軍の輸送機を使った在韓米国人救出を想定していると考えられます。これだけなら日本の基地も人道支援を理由に受け入れられるでしょうが、帰りの輸送機はカラッポで飛びません。武器弾薬や燃料、食料を持ち帰ることになる。それが日本の法律に引っかかるのなら、いまのうちに調整しておけということです。戦争が激化すれば、在韓基地は使えなくなる。韓国軍の戦闘機を一時避難させる場所としても使いたいのでしょう」(事情通)
 韓国から戦闘機まで飛んでくるようになれば、日本は確実に戦争に巻き込まれる。ノドンやテポドンがぶっ放されれば、ひとたまりもない。基地がある都市だけではなく、東京や大阪も、破れかぶれの攻撃を受けて火の海になる危険性があるのだ。
「菅政権には韓国にいる日本人を救出するシナリオもありません。自衛隊の派遣を協議すると言ってみたもののあっさり韓国側に否定されてお手上げです。そんな状態で米国人の救出には協力するのなら、だれのための政府なのか分からなくなります」(軍事ジャーナリスト・世良光弘氏)
 有事が起きないよう祈るしかない。
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/211.html

コメント [音楽1] 氷室京介「CHARISMA」 地には平和を
01. 2010年12月26日 21:46:03: QBQqfEeQhE
http://www.youtube.com/watch?v=DH0Zapy2GUw
http://www.youtube.com/watch?v=Ltil9rTaYGc

http://www.asyura2.com/10/music1/msg/213.html#c1
コメント [戦争b5] フジタ社員の取調べについて:南京で遺棄化学兵器処理関連工事に赴いた中国で (株式会社 フジタ hou
14. 2010年12月26日 21:46:27: z3HHaHbzps
>>12

雑誌正論の記事は誤報だと思う

http://tsune-3.cocolog-nifty.com/non_title/2006/05/post_7330.html
http://tsune-3.cocolog-nifty.com/non_title/2006/05/post_619c.html
http://www.asyura2.com/10/warb5/msg/715.html#c14

コメント [マスコミ・電通批評11] マスコミの人間が決定的に理解できないネットの本質(6大マスゴミは、二度と「編集権」が戻らぬ事に気付くべきです) 小沢内閣待望論
01. 2010年12月26日 21:49:32: EDMAnY2i4c
いい投稿内容だ。GOOD JOB!

NETが世界中で力を持ち始めているから、
言論規制をされないように権力を監視しようぜ!

まあ、NETも支配層に監視されているがね(爆笑)。

肉体の死を恐れないことだ、死はそもそも、幻、ないのだ。
http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/387.html#c1

記事 [経世済民70] 朝鮮詐欺會社ソフトバンクは國民生活センターを叩き潰したい 貴金屬等の買い取りサービスに關するトラブルも其の理由だらう
 
 
 
 
国民生活センター業務見直しへ…廃止も含め検討
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/823.html
投稿者 吐息でネット右翼 日時 2010 年 12 月 24 日 19:34:33: fq6z4wyhxyxZg
 
 
朝鮮詐欺會社ソフトバンクは國民生活センターを叩き潰したい。
其れと最近増えてゐる
貴金屬等の買い取りサービスに關するトラブルも其の理由だらう。

朝鮮の泥棒聯中の詐欺商法の邪魔だもの。
個人情報收集・盜聽會社のソフトバンクだもの。
そら、叩き潰さうとするだらうよ。

ソフトバンクの携帶電話なんぞ使つてゐる奴は
はつきり言つてバカだと思ふね。

さう言へば、
昔、街中でヤフーBBの勧誘してゐる奴等が
だうにもカルト信者臭くて氣持ち惡かつたのを覺えてゐる。
あれは創價・統一教會信者を動員してゐたのだらうか。
 
 
 
 
国民生活センター、ソフトバンクの「スーパー安心パック」加入者に注意喚起 - ITmedia +D モバイル
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0808/21/news065.html
 
 
国民生活センター、ソフトバンクの「スーパー安心パック」加入者に注意喚起

国民生活センターは8月20日、ソフトバンクモバイルの「スーパー安心パック」加入者に対し、契約内容の変更にともなったトラブルが発生していること、ソフトバンクに対し改善要望を出し、回答を得たことなどを明らかにした。

 国民生活センターは8月20日、ソフトバンクモバイルの「スーパー安心パック」加入者に対して、契約内容に変更があり、外装交換費用が無料ではなく2割負担(8割引)になったことにともなってトラブルが発生していること、ソフトバンクモバイルに対して、内容変更の周知徹底などを求めたこと、ソフトバンクモバイル側から契約者への意思確認を行い、受領した外装交換費用の返金を行う旨の回答があったことを明らかにした。

 スーパー安心パックは、月額498.75円で提供していた保証サービス。故障時の修理代金を無料にしたり、盗難や紛失、水ぬれ、全損などの場合に同一機種を会員価格で購入できるなど、万一に備えたサービスを提供し、外装破損時の外装交換価格が無料という特典もあった。しかし、2007年10月1日以降は月額498.75円の「あんしん保証パック」に切り替え、外装交換価格は80%割引に変更した。

 これにともなって、スーパー安心パックの申し込みは2007年9月30日に受け付けを終了したが、10月1日以降も、サービスを継続利用することはできた。ただ、2007年11月1日以降は、スーパー安心パックの特徴の1つだった外装交換が無料で行えるサービスを終了し、外装交換価格の割引率を、安心保証パックと同じ80%(自己負担額を20%)に変更したことで、消費者から相談が寄せられていたという。

 国民生活センターでは、「契約内容の変更に際し、契約者に十分な周知が行われていなかった」「約490万件の契約者の利益を一方的に制限するという不利益的な変更だった」といった点をかんがみ、ソフトバンクモバイルに要望書を提出。外装交換の無償対応を今後も保証すること、契約内容を変更するのであれば、十分に個別に周知して、変更に関する同意を得ることを求めた。

 これに対してソフトバンクモバイルは、
2007年11月から2008年7月までに外装交換サービスを利用したスーパー安心パック契約者には、個別に通知の上返金処理を行う
8月以降、スーパー安心パックの契約者には個別にSMSを送信し、スーパー安心パックの契約内容が変わったことを通知する
契約者には新しいスーパー安心パックで継続するか、あんしん保証パックに変更するか意思確認を行う
回答のない契約者には、11月以降に新しいスーパー安心パックを適用する
スーパー安心パック契約者の外装交換サービス利用料は、8月から10月までは無料とする

と回答したことを明らかにした。

 これを受けて国民生活センターは「SMSでの案内があるので確認すること」「回答内容が履行されない場合は、消費生活センターに相談すること」をアドバイスしている。

 なお今回のスーパー安心パックに関するトラブルについては、2008年7月にも京都消費者契約ネットワークからも指摘を受けており、ソフトバンクモバイルは同様の回答をしている。
 
 
 
 
国民生活センター、ソフトバンクの保証サービスについて報告
http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/41428.html
 
 
国民生活センター、ソフトバンクの保証サービスについて報告

 国民生活センターは、ソフトバンクモバイルの保証サービスに係わる消費者トラブルについて報告を行った。同センターによれば、ソフトバンクの保証サービス「スーパー安心パック」の利用者から、契約内容が一方的に「あんしん保証パック」へ変更され納得できないとする相談が寄せられたという。

 「スーパー安心パック」は2007年9月末で新規加入を終了した有料の保証サービス。当初、携帯電話が傷ついた場合などに制限無く外装交換が行えたが、2007年8月からは、半年に一度だけ無料交換できるという条件が追加された。

 2007年10月には保証サービスのリニューアルが実施され、「スーパー安心パック」に代わって「あんしん保証パック」が登場。「あんしん保証パック」では、外装交換が2割負担(約3150円)に変更された。既に「スーパー安心パック」を契約しているユーザーは契約を継続できた。

 国民生活センターでは、保証サービスの内容変更について、契約者への周知不足と判断するとともに、約490万件の「スーパー安心パック」契約者の利益を一方的に制限する変更であるため、ソフトバンク側に改善要望書を送付した。ソフトバンクからは事前周知が不十分であったことを認める回答があり、再周知と併せて受け取った外装交換費を返金する処置が講じられた。同センターではこうした対応について、一定の評価をしている。

 また、国民センター側でも利用者へのアドバイスを公表した。携帯電話のSMSで通知される案内を確認することや、事業者の回答内容が実施されない場合に消費生活センターに相談することなどが案内されている。

 なお、今回と同様の内容は、京都消費者契約ネットワークがソフトバンクに対して質問状を送付しており、ソフトバンク側はこれに回答している。

■ URL
  携帯電話機の有償保証サービスに係る消費者トラブルについて
  http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20080820_2.html

■ 関連記事
・ ソフトバンク、外装交換無料サービスの有料化周知不足で返金へ

(津田 啓夢)
2008/08/20 18:19
 
 
 
 
ほら、いつぱい出て來るよ。

ソフトバンク 詐欺 - Google 検索
http://www.google.com/search?client=opera&rls=ja&q=%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF+%E8%A9%90%E6%AC%BA&sourceid=opera&ie=utf-8&oe=utf-8
 
 
 
 
其れと、だうも此の貴金屬買取トラブルを取り上げてゐるのが
氣に入らないのだらうと思ふ。
最近良く目に附くザ・ゴールドとか云ふ
貴金屬買取チエーン店は創價系列の店だと思ふもの。

此の自宅訪問と云ふのも創價・統一信者がよくやる手口だし。
薄汚い手口で收集した個人情報を基に、
ある程度の資産を持ち乍ら、
然し最近其の資産を賣却しなければ成らない
困窮状態にある樣な家に對して
ピンポイントで訪問してゐるのではないかと疑う。
 
 
国民生活センター
悪質商法への対策
生活情報の紹介!
当サイトは無料です
突然自宅を訪れる貴金属等の買い取りサービスに関するトラブル
http://www.kokusen.go.jp/vo/news/data/n-20101221_2.html
http://www.kokusen.go.jp/vo/news/data/n-20101221_2_1.html
http://www.kokusen.go.jp/vo/news/data/n-20101221_2_2.html
http://www.kokusen.go.jp/vo/news/data/n-20101221_2_3.html
http://www.kokusen.go.jp/vo/news/data/n-20101221_2_4.html
 
 
突然自宅を訪れる貴金属等の買い取りサービスに関するトラブル
━━━━━━━━━━
最近、消費者の自宅を訪問し、金やプラチナ等の貴金属を使ったアクセサリーや和服等を買い取るというサービスに関する相談が、全国の消費生活センターに寄せられている。
相談内容は、「業者の勧誘が強引で怖かったので、買い取りに応じてしまった」「貴金属を買い取ってもらったが、買い取り価格が安すぎると思い解約を申し出たところ、解約は受け付けないという書面を渡しているのでできないと言われた」「買い取りの際に健康保険証の番号を書かされた。個人情報を悪用されるのではないか」といったものである。
消費者が、不意に来訪した業者から買い取りを勧誘され、冷静に判断できないまま契約してしまったというケースが目立っているが、自宅を訪問した業者に貴金属等を渡してしまうと、その後返品を求めても取り戻せないことがほとんどである。
2010年度に入って、自宅での買い取りサービスの苦情相談が538件(前年同期:66件)と急増しており、高齢者の相談も目立っていることから、問題点を整理し消費者に注意喚起する。 【2010年12月】
 
 
突然自宅を訪れる貴金属等の買い取りサービスに関するトラブル
PIO-NETにみる相談件数等
━━━━━━━━━━
相談件数
PIO-NET(全国消費生活情報ネットワーク・システム)では、2007年度から2010年度(11月末日登録分)までに774件の相談が寄せられており、2010年度に入って相談件数が急増している。

契約当事者の属性
契約当事者の年代が60歳代以上の相談件数が最も多く、2010年度の平均年齢は63.8歳である。自宅への訪問による契約であるためか、女性の割合が高い(93%)ほか、職業別にみると家事従事者(55%)と無職(33%)の割合が高い。
 
 
突然自宅を訪れる貴金属等の買い取りサービスに関するトラブル
相談事例
━━━━━━━━━━
1.着物の買い取りをすると言って訪問してきた業者に貴金属もしつこく要求され、怖くて断れなかった
2.認知症の高齢者の自宅で業者が貴金属を探していた
3.連日、夜間にしつこく勧誘を行う業者に困っている
4.買い取り価格が安いと思い業者に解約を申し出たが拒否された
5.見せた貴金属をあっという間に買い取られ、業者の名前も連絡先もわからない
6.業者に個人情報を知らせたが、悪用されないか心配になった
 
 
突然自宅を訪れる貴金属等の買い取りサービスに関するトラブル
相談事例からみる問題点
━━━━━━━━━━
1.不意打ち的に買い取りを勧誘され、買い取り価格が妥当かどうか比較検討できないまま契約させられる。
2.買い取り業者が消費者の自宅に訪問し、消費者が所有する貴金属を買い取るという契約を消費者と結んだ場合には、特商法の適用は難しい。
3.執拗(しつよう)・強引な勧誘を行っている業者がみられる。
4.買い取りの際、買い取った物品の種類や価格等の明細が記載された書面が渡されない。
5.貴金属等の物品を買い取る際、健康保険証や免許証等に記載された個人情報を書き留められ、悪用されるのではないかという相談が多い。
6.いったん業者に品物を引き渡すと、後で返品してほしいと申し出ても返品されることはほとんどない。
 
 
突然自宅を訪れる貴金属等の買い取りサービスに関するトラブル
消費者へのアドバイス
━━━━━━━━━━
1.買い取ってもらうつもりがないなら毅然(きぜん)と断ること。いったん業者に引き渡された物品を取り戻すのは極めて困難であるため、契約するかどうか十分慎重に検討すること。訪問した業者に退去するように言っても自宅に居座ったり、物品を何か出せと強く迫るなど、怖い思いをしたときは警察を呼ぶこと。
2.一人で業者に対応するのは避けること。来訪した業者に買い取りを依頼する場合は、家族や近所の方に同席してもらうなどし、一人で対応しないようにするとよい。
3.相手がどのような業者なのか確認すること。契約前に、業者の住所や電話番号を確認するのはもちろんのこと、古物商許可証等の提示を求め、内容を確認し書き留めておくこと。消費者からのこうした要請にきちんと対応しない業者とは契約しないこと。
4.買い取り条件などが明記された書面をもらうこと。1グラムあたりいくらで引き取るかなどの買い取り価格の計算根拠や、買い取り条件を確認した上で、それらのことを書面にしてもらい、控えを受け取っておくこと。
5.なにかあったら最寄りの消費生活センターや警察に相談すること。
 
 
 
 
又、國民生活センター其の物の破壞工作も當然してゐる形跡がある。
鳥・豚インフルエンザが問題に成り、
其の對策として國民の關心が空氣清淨機に注目が集まつてゐた最中に
此の樣な情報を發信したりしてゐた所などを見ると、
可也破壞工作も進んでゐた形跡が伺へる。
 
 
「オゾン発生器買わない方が」国民生活センター【読売】
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/150.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 8 月 27 日 22:02:13: YdRawkln5F9XQ


「オゾン発生器買わない方が」国民生活センター【読売】
http://www-06.ibm.com/businesscenter/jp/offeringpromo/dm2.html

 国民生活センターは27日、室内の除菌・脱臭効果をうたった家庭用オゾン発生器の中に、人体に影響を及ぼす高濃度のオゾンを排出するものがあると発表した。

 オゾンは特有のにおい、強い酸化力を持つ気体。水や空気の浄化、有機物の除去など工業分野で利用される一方、空気中の濃度が0・1ppm程度で鼻やのどに刺激を感じ、5〜10ppmで呼吸困難を起こす可能性があるとされる。日本産業衛生学会は労働者の作業環境基準を0・1ppmとしている。

 国民生活センターは今年5〜8月、酸素を取り込んで吹き出し口からオゾンを排出する家庭用の発生器7銘柄を通信販売で購入。

 試験室で30分間運転したところ、3銘柄で、10分以内に室内のオゾン濃度が0・05ppmを超え、運転停止後には0・31〜1・01ppmになった。排出口から10センチの場所では、2・2〜10・2ppmに達した。

 全国の消費生活センターには2004年度から5年間で、「気分が悪くなった」などオゾン発生器の安全性に関する相談が計67件寄せられた。

 国民生活センター商品テスト部は「使用方法によっては、身体へ影響を与える。安全対策が施されていない現状では、購入しない方がよい」としている。

(2009年8月27日19時48分 読売新聞)
 
 
 
 

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/454.html

コメント [マスコミ・電通批評11] 麻木久仁子と大桃美代子の事件の背景 kamekameka
01. 2010年12月26日 21:57:14: XPbA4xfCHA
海老蔵ネタに飽きられたら次はこれかい!
昨年の政権交代直前にのりぴーネタ
尖閣、ヨンピョン島砲撃戦の直後に海老蔵ネタ
そして空缶、賎獄による小沢氏陥れの直後はこのネタ
山路もさることながら麻木も売国TBSのこれまた
売国芸人「お恵」が司会する「うそおび」でさんざん
小沢氏誹謗中傷を繰り広げている売国タレントだ
何のことはない
いつものメンツによるいつもの猿芝居ということだ
たいがいにせいよ

http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/383.html#c1
記事 [経世済民70] プラザ合意!バブル崩壊!リーマンショック!アメリカとの経済戦争に全敗した日本は、即刻、対外情報機関を設立すべきだ!
現在、日本を取り巻く
・中国の経済的、軍事的台頭と東アジアでの覇権主義的動向
・北朝鮮の核ミサイルの脅威
・ロシア、韓国、中国などの領土問題を巡る角逐
など東アジア圏での緊張が高まっている。
日本政府は、場当たり的な国益が蝕まれる外交政策に終始している。これを指摘して国民の間では、日本独自の対外インテリジェンス体勢システム設立を問う声が高まっている。

そもそも世界の主要国では、第二次世界大戦後、過去の苦い経験を踏まえて、自国の国益と安全を守るため強大な中央情報機関を設立していた。
アメリカ自身も第二次世界大戦前はまともな情報機関などなかったが、ルーズベルトの指示で、後にCIAとなるOSS(戦略活動局)が設立された。ただアメリカの情報機関が他国と異なっていたのは、ロシア人と戦うために人類に狂気をもたらしたヒットラーのナチス幹部をスパイ要員として雇い入れたのだった。これによりアメリカは「悪魔と密約を結んだ」のである。元CIA高官のJ・ストックウェルは「CIA設立60年経つが、世界中で3000の大規模作戦と1万の小規模作戦が秘密戦争として実行され600万人以上が殺戮された。特に「ボリビア・コカインクーデター」「アルゼンチン・クーデター」などの政府転覆活動ではナチスの秘密結社が軍隊として陰で動いていた」と証言している。
しかし、日本だけは中央情報機関の設立を拒否している。極めて危険と思えるのは、対外情報を自国独自の収集や努力を怠り、「悪魔と手を結んだ」米政府やCIAなどからの情報提供に頼っていることである。対外情報を外国に依存することは、正確な情報判断が行なえないため自主的・戦略的な対応がとれず、結果的には自国の国益が蝕まれる外交政策に終始することになる。
最近の尖閣諸島問題、北方領土問題、拉致問題など端的に表している。国際社会でも日本の存在自体、軽視されており、アジア圏での経済主要国という点においても孤立化を招いている。

結論として言えるのは、
即刻、日本の国益に指針をおいた国際社会と対応な立場で交渉できるような対外情報戦略機関の設立が必要だと思う。そして世界経済を麻痺させているアメリカを徹底研究することである。
現実的には、
・合同情報会議に調整権限を与え、各省庁の機密情報へのアクセス権を認める
・現状の内閣情報調査室を合同情報会議のスタッフ機能を持つ組織に改変する
・各省庁から優秀な人材を集めるとともに、人材交流を活発にして出身省庁にとらわれない視野を持った人材を育成すること
・大学や民間の研究機関などから専門家を起用すること
以上のインテリジェンス体制とともに、情報収集・分析の水準を高めることが不可欠だと思う。

かつて海外の経済ジャーナリストから「1980年代前半までの日本の通産省・大蔵省の経済情報収集・分析能力の高さは、海外情報機関が一目置いている」と聞かされたことがあった。当時の通産省・大蔵省の官僚は、何もなくなった戦後日本のために、日本中からエリートが集まり、ひたすら経済大国になることを目指し、世界経済の情報分析・収集を行ないながら、日本独自の経済システムをつくりあげ、そして経済大国ニッポンを建国したのである。
誇りを持って、頑張れニッポン!

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/455.html

コメント [経世済民70] マインド・コントロールとパチンコ 不動明
08. 不動明 2010年12月26日 22:11:32: yX4.ILg8Nhnko : PNnBI2dclw
>>01,>>05,>>07

此のやうに粘着體質でしつこい所も朝鮮工作員の特徴だな。


http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/440.html#c8

コメント [不安と不健康15] カロリー0の甘味料で子供が知的障害に もっと早く知りたかった 代理投稿1
02. 2010年12月26日 22:14:53: QtN5RJrDKQ
OLITICS DAILY
12月22日

Risky Business: EPA Builds List of Potentially Dangerous Chemicals
危険なビジネス: 米環境保護庁、危険性を秘めた化学物質のリストを作成

リサーチトライアングルパーク、N.C.-- 学習障害や自閉症、および関連する症状の増加に伴い、米国環境保護庁は、これらの障害やその他神経障害の原因の一つになっていると思われる汚染物質のリストを準備している。

現在行われている3年間の取り組みで、EPAチームは、どのdevelopmental neurotoxicant (胎児や幼児の脳に損傷を与える化学物質) がアメリカの国民に最大リスクをもたらす可能性があるかを決定。

EPAのリストにある化合物には、家庭用品、飲用水、医薬品など、どこにでもあるものや、環境の中に存在するものもある。それらは子供用グラスにカラフルなキャラクターをエッチングするのに使われるカドミウムから、布張り家具を不燃化するのに使われる難燃剤など、多岐にわたる。

http://www.politicsdaily.com/2010/12/21/risky-business-epa-builds-list-of-potentially-dangerous-chemica/

 ーーーー

リストの一部
http://www.politicsdaily.com/2010/12/21/epas-list-of-suspect-chemicals-abridged/

Acrylamide – a chemical that is produced naturally in certain foods when they are cooked at high temperatures. It is also manufactured industrially for use in the production of polyacrylamide gels, which are used for various purposes, including the treatment of drinking water and wastewater; and found in cigarette smoke.
Aldicarb – a pesticide
Allethrin – a pesticide
Aluminum (lactate) -- used in lotions to treat very dry skin.
Aminopterin – chemical originally developed for use in cancer treatment;
Arsenic -- a semi-metal element, which enters drinking water supplies from natural deposits in the Earth or from agricultural and industrial practices.
[Aspartame – an artificial sweetener] アスパルテーム 人工甘味料

---

日本も考え直さないといけませんね。
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/307.html#c2

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > アーカイブ > 今月

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧