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『A』

最近のおすすめ映画

『A』 5/9〜6/12 ¥1400

作品中盤で展開する不当逮捕事件。この映像が撮影 出来たことの意味をお考え戴きたい。

 白昼堂々、回り続けるカメラをはっきり認識しなが ら警察官は犯行に及んだ。メディアであれば、確実に 握りつぶせることを熟知していたからではないのか?

◆荒木浩広報副部長を中心にオウム真理教の信者達に密 着取材。のべ150時間に及ぶビデオ映像には、オウム信 者たちの生々しい姿と共に、彼らと対峙するマスコミや 警察、一般市民の撫樅克明に収められ、その映像の中 に日本人の心の中で着実に進行する「歪み」が浮かび上 がってくる。

『A』作品データベース
迷路からの脱出!

映画「A」が記録した警察とマスコミ勇み足

 映画「A」が記録した警察とマスコミの勇み足
http://ing.alacarte.co.jp/~press/980810.htm
畑仲哲雄 (ウエブサイト「Press Room」主宰者)


  ●警察とマスコミを逆から撮影

 監督はフリーのテレビディレクター・森達也監督。「ゆきゆきて、神軍」で
演出助手を務めた安岡卓治氏がプロデューサーを務めた。作品は、麻原教祖逮
捕後の96年3月から1年2か月の間、荒木浩広報部副部長を中心にオウム真理
教内部を追ったもので、家庭用ビデオカメラで録られた150時間あまりのテー
プが、2時間15分に編集されている。

 ユニークなのは、森監督がこの作品を撮るにあたって、オウム真理教広報部
に手紙で撮影申し込みを行い、半年待たされたあと、許可を得たうえでフィル
ムを回したことである。映画の中で荒木氏は、このような申し込みは森氏一人
だけだったと話している。

 森氏も安岡氏もフリーランスである。自分たちが何者で、なぜオウム真理教
を撮ろうとしているのか、説明をきちんとしなければならず、「報道の自由
だ」とゴリ押しできる立場にいない。大手メディアの記者にはない数々の困難
があったことは想像に余りある。

 ここで映画内容について、ここでクドクド書くことは避けよう。ただ2点だ
け、どうしても紹介したいことを記しておく。

 ひとつは、映画中盤で、オウム真理教の若い男性幹部が、公務執行妨害で逮
捕される場面が詳細に記録されていることだ。場面を再現してみよう。

 荒木広報副部長と別の幹部が歩道を歩いているところへ、数人の私服警官が
道路をふさぐ。彼らは荒木氏とその幹部をひき離して、1人の幹部だけを取り
囲む。

 私服の1人でチンピラのようないでたちの男が、幹部に名前と所属を執拗に
訊ねる。オウムなのか、どうなのか。後ろめたいことがないのなら、いえるは
ずだ。そうスゴむ。

 胸を突き出して通行を妨害し、威圧する。決して通そうとしない。それを他
の警官が取り囲み、荒木氏らに手出しさせないようにする。まるでチンピラ集
団が気の弱い1人の学生をカツアゲしている光景である。

 やがて、若い幹部は私服の威圧から逃れるように駆け出してしまう。私服は
彼を追いかけて、タックルし、もみ合い、幹部をあおむけに押し倒す。

 私服の圧勝である。幹部はアスファルトに後頭部を痛打し、意識が混濁して
いるように見える。その横で、勝手に転んだ私服が足をさすりながら「いたた
たた!」という大声を上げる。どうみても私服は無傷である。

 だがその直後、若い幹部は「公務執行妨害の現行犯」で逮捕される
職務質
問をふりきり、私服に暴行を働いた立派な犯罪者に仕立て上げられていくあり
さまが、見事に撮影されているのだ。

 森監督らはオウム教団から、不当逮捕の一部始終を収めたビデオカメラを提
出して欲しいと懇願され、担当弁護士にテープを預けるシーンが映し出され
る。そして、そのビデオがもとで、幹部は起訴を免れる。彼らがそれを素直に
喜んでいる場面が映し出される。

 だが、起訴を免れたことを、喜んでいていいのだろうか。教団広報部長の上
祐史浩被告(偽証罪で起訴され現在最高裁で審理中)も月刊誌「創」8月号
で、「そんなことは以前からも色々あったので、(不当捜査に対する驚きとい
う)反響の大きさの方が逆に強い違和感があった」と話している。

 この事件、ヤラセ映像でないのなら、私には特別公務員陵虐事件(刑法195
条,7年以下の懲役又は禁錮)に映って仕方がないのだ。

 もう一点強調したいのは、オウム真理教を取材する報道記者やディレク
ター、カメラマンたちの姿だ。どうみても、卑怯な取材としか思えない場面が
いくつも繰り返されている。

 取材を申し込む前から無断でカメラを回すテレビクルー、取材を願い出る立
場にいるのに取材するのが当然だと強弁する記者、現場で「お前んところは黙
ってろ」と他社の記者と怒鳴り合う記者。こうした場面が随所に散りばめられ
ていたのにも驚かされた。

 この2種類の映像は、大手メディアがいくら頑張っても撮れるものではない
だろう。そういう意味で、森達也+安岡卓治のコンビの仕事には心から賛辞を
送りたいと思うのである。

 

  ●歯切れの悪い新聞の映画評

 さて、大手メディアにとって映画「A」はどう映ったのか。マスコミ側にし
てみると、ぜったいに撮られたくない場面がいくつも出ているためか、じつに
歯切れが悪い。

 実際に新聞の映画評をみてみよう。可能ならば全文を掲載したいところだ
が、著作権法の許す範囲で引用する(こうした部分的な引用の方が誤解を招き
やすいと思うのだが)。

 朝日新聞夕刊98年4月20日

「確かに、さまざまな『行き過ぎ』があったかもしれない。ただ、教団が『被
害者』になる場面が連続すると、見る側に別の感情がわいてくる」

 朝日新聞大阪版98年7月24日

「高圧的ともいえるマスコミの取材や、信者を強引に逮捕に持ち込む警察官の
姿などがそのまま映し出される。一方で、事件にはさほど触れられず、『誤解
を招く』という指摘もある」

 毎日新聞夕刊98年6月2日

「このような宗教団体を生み出してしまったのは、実は私たちの社会のゆがみ
ではないかという視点から、教団に立ちはだかる『世間』の姿を捕らえようと
している。それは無謀な試みで、画面に映し出すことには失敗している」

 もちろん上記の引用はかなり乱暴なキリトリなので、論旨を正確に伝えてい
るとはいえないが、少なくとも筆者は、歯切れが悪いという印象を受ける。
「あんなのオウムの宣伝だ」と断じる自信もなく、むしろ「してやられた」と
忸怩たる思いの強さを感じるのは、私だけであろうか。

 これが逆に、「正義の警察官」や「炎のジャーナリスト」と呼ばれる人たち
が作った”オウム糾弾映画”だったら、評者・記者たちは上記のようなネガテ
ィブな表現を敢えて使うだろうか。仮定の話をしても仕方がないから、これく
らいにしておこう。

 


  ●オウムを語るという困難

 ここで、こうした断りをしなければならないのが、(オウム事件を語るとき
について回る「困難」なのだが)筆者はオウム真理教に対して特別な敵意や憎
悪、あるいは好意や愛情を抱いていないことをお断りしておかなければならな
い。私のこの発言だけで「こいつ親オウムか! よし糾弾してやれ」という人
は少なくないと思われるからだ。

 オウム真理教事件が連日連夜報道されていたころ、あらゆる人は「反オウ
ム」と「親オウム」に2分された。大学教員が少しばかりオウム教団に理解を
示したため職を追われるという事件まで起きた。報道の渦中に放り込まれるこ
とがなかった筆者にとって、反オウムのマスヒステリーは、魔女狩りの嵐に見
えた。

 事件で被害にあった人がいるのは知っている。刑事事件で起訴されたのはオ
ウム真理教のごく一部信者である。指定暴力団が日々起こしている殺人や強盗
に比べるべくもなく、ましてや、交通戦争で犠牲になった人たちに比べると
微々たる数である。つまり、筆者を含めて圧倒的多数の人がオウム事件の傍観
者にすぎないのだ。

 にもかかわらず、かなり多くの人が、まるで自分が被害を受けたかのような
口ぶりになり、オウム教団を口汚く罵った。自ら痛みを感じることもないくせ
に。マスコミに登場するオウムウォッチャーや公安が垂れ流す「オウム=悪」
という情報にまんまと染められていく課程のはじつにおぞましいものがある。

 オウム真理教の信者であれば事件に関与していなくても、すべての国民に対
して土下座すべし、といった風潮が醸し出されたことに、ただ言葉を失うばか
りだった。

 だが、国家から刑罰によって責められるべき存在は、オウム教団の中で有罪
判決を受けたほんの数人しかいないのだ。みそもクソも一緒にすると、かえっ
て事態が見えなくなってしまう。

 従軍慰安婦問題では、すべての日本国民が悪になってしまい、天安門事件で
は12億人の中国人が悪になってしまう。日米戦争で広島と長崎に原爆を投下し
た責任は、すべてのアメリカ人にはないのだから。

 もう一点、つけ加えておかなければならないのは、宗教者たちの声である。
「オウム宗教ではない」「邪教だ」という声が、各地で語られたが、それに追
い風を送っていた多くは宗教者だった。その言葉の裏には、宗教は人殺しなど
しないという誤った歴史認識がある。

 だが、宗教の歴史は殺戮の歴史でもある。少数民族問題として片付けられて
いる各地の紛争の多くは宗教対立をも含んでいる。エルサレムをめぐる血生臭
い闘いはいうに及ばず、現在の旧ユーゴスラビア、イラン北部のクルド人、北
アイルランド、スリランカのタミル人、アフガニスタンのタリバン、スペイン
のバスク、地中海のキプロス… と数え上げればきりがない。

 イスラム教シーア派の故ホメイニ師は作家のサルマン・ラシディ氏に対して
死刑を宣告し、ラシディ氏の本を翻訳した筑波大学の五十嵐教授は原理主義者
に殺害された可能性が濃厚とされている。

 あらゆる宗教は、発生時においてはカルトである。「人の魂を救う」などと
いいながら、人の命を奪うことも同時に行ってきた。わたしたちはこれを忘れ
てはならない。だからこそ、憲法20条「信教の自由は、何人に対してもこれを
保障する」というのは計り知れないほどの重みを持っているのだ。

 宗教者も無神論も、保守派もリベラル派も、知識人も非常識人もも、みんな
いっしょくたになって「反オウム」だった時代を、私たちは生きてしまった。
それをもう一度考えるいい機会を、この映画は教えている。

 畑仲哲雄


オウム真理教関連ページへの道 より

映画館BOX:作品データベース「A」
http://www.mmjp.or.jp/BOX/database/a.html

映画館BOX:場所
http://www.mmjp.or.jp/BOX/whatsbox.html

『A』についてのコメント多数

オウムドキュメンタリー映画『A』を観ての感想記
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1733/a1.html

オウム真理教をホーリスティックにとらえる
http://www.tcup4.com/405/holism.html?

映画瓦版
http://www.hi-ho.ne.jp/hattori-k/98/98031202.html


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