[ペンネーム登録待ち板7] さすらう
2018年10月11日、午前11時頃、県市の駅から市町丁目番地にある、所に向かって歩いていたところ、駅の近くにあるホテルの前に女が立っていて、私に向かって、一緒にホテルに入らない?と誘ってきた。年齢は若いとはいえず40歳代に見えた。どうも慣れている様子で、いつもそのようにして通行人を誘っているらしい。つまり売春だ。とか、などの都市部ではそのようなことは珍しくもないが、ここでそういうことをしているのがいるとは驚いた。この駅周辺はものすごく治安が悪い。喧嘩も多い。不良学生グループもよく出没する。その場を急いで離れ、所に行ったが、なかなか見つからずとても大変だった。それに驚くべき水道工事の現場に遭遇した。市役所の水道局の白いワンボックスカーが交差点付近に堂々と駐車してあり、しかもトラックやダンプなども両サイドの道路に駐車してあった。それも1台や2台ではなく、7台ぐらいがずらりと並んでいた。それもぴったりとくっついておらず、それぞれの車が出入りができるように車間距離を空けて車を駐車していたので、かなり長い道がそれで閉塞状態にあった。交通整理のガードマンらしき者はいたが、自動販売機でジュースを購入して飲んでいるなど全くやる気がなかった。それから現場監督らしき人物と市の水道局の職員らしき連中がだらだらと長時間雑談をしていた。他の員もをしておらず、雑談をしていた。まるでごろつきの集団のようで、通行人も車も完全無視していた。車のドライバーの中には怒って、けたたましくクラクションを鳴らす者もいた。周辺の住民やホテルの従業員も出てきていて、何かを話していた。とにかくまるでお祭り騒ぎのようになっていた。そこはいくら田舎とはいえ県庁庁舎が近くにある県の中心部であり、しかも駅は一応はそれなりの利用者がいる。よって、それなりに交通量は激しく、人通りも多い。それは大都市と比較すれば寂しいものかもしれないが、決して何もない場所ではない。その市町の中心部の交差点付近を道路工事しておいて、何といういい加減な対応だろうかと驚いた。仕方がないので、その場も急いで離れ、所を必死で探し、やっとたどり着いた。しかし、その場ですぐに断られた。定員が一杯であり、新しい人を受け入れる余地はないと言われ、体験しても無駄であり、そういう余裕は一切ないと言われた。確かにかなりの人がいて、かなり混雑しており、余裕はないように見えた。対応した女性もヒステリー状態で、かなり混乱しており、多忙すぎる様子がよくわかった。建物は古い屋敷のようであり、看板も文字がかすれており、木の看板で古風だった。二階建てで、二階でもをしているようだった。この所について、県庁の職員や市役所の職員や県社会福祉協議会の人に聞いてみたが、誰も知らなかった。住所を知らないだけでなく、そういう所があるということ自体を知らなかった。これは問題である。その後県庁に行き、に所の問題について相談した。あいにくとそのころになると、ちょうど12時になったので、あまりゆっくりと話はできなかった。に所の問題について、何も知らない人のためにこれまでのことを知らせておきたい。再びさまよう日々となってきた。
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[ペンネーム登録待ち板7] いじめと社会
いじめ問題についていろいろ考えてみたが、結局のところ有効な対策方法は何も思いつかなかった。それは今までの犠牲者もそうだったのだろうし、今後もそうなると思う。いじめ加害者もそういうことは熟知しており、何もできないからこそしつこくいじめを続けるのだ。できることといえばやはり誰かに相談するしかない。相談するとしても、まともに対応されないことは覚悟しなければならない。組織内部の人間とかましてや管理者とか権威のある人物は平然と無視する。必ずいじめはなかったことにされる。それで相談する相手をいろいろと変える必要がある。当事者とか関係者に相談しても、必ずもみ消されてしまう。地元の有力者とかあまり世間にとらわれていない、しがらみのない人のほうが適切なアドバイスをしてくれることがある。しかし、しがらみがないということは何の力も効力も影響力もないということになる。そこで何かをしてもらうためにお願いするというのではなく、公正な第三者として冷静な判断を仰ぐという形になる。そうなると必ずしもいじめをされている側だけをかばうということはないかもしれない。いじめが一方的なものではなく、復讐ということもある。過去にいろいろあって、その反動が来ていることもある。それに対して反撃するのは当然だろうが、そうなるとまたその反撃を受けることになる。その繰り返しがずっと続いてしまう。相談しても、まともな回答は得られないかもしれないが、少なくとも、ある程度は考えてくれる人がいることで安心はできる。役には立たないかもしれないが、その時はある程度は一緒に考えてくれたのだ。だがそれも芝居であり、本当はまったく何も気にしていないということもある。役所では個人的な問題だとして、まったく対応しないことが多い。それでは民間ではどうかというと、さらに縁遠い話となる。そんな他人のいじめ問題などにかかわっていられるほど暇な人はあまりいない。暇な人もいるかもしれないが、そういう人は他のことで忙しいか、すでに思考能力が低下している。結局は泣き寝入りとなるのだが、少なくとも、誰かに相談することで、自分の気持ちの整理がつく。その後の対応は、神や仏が存在するとすればそれらが対応する。存在しなければ忘れ去られる。だが、いじめを継続して続けていると、その影響で、逆にその人がいじめを受けやすくなる。いじめというのは最後にはどう生きるのかということになる。いじめを続けていくのか、それとも別な生き方をするのかということだ。いじめを続けると、そこから逃れることはできなくなる。別の生き方をしようとしても、それはできない。また他の分野で人並み以上の努力をしても、いじめのことがいつか出てくる。いじめをすればいじめから離れられないのだ。いじめそのものがいじめをした人をとらえて離さない。そしていじめと共に生きねばならなくなる。
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いじめ問題についていろいろ考えてみたが、結局のところ有効な対策方法は何も思いつかなかった。それは今までの犠牲者もそうだったのだろうし、今後もそうなると思う。いじめ加害者もそういうことは熟知しており、何もできないからこそしつこくいじめを続けるのだ。できることといえばやはり誰かに相談するしかない。相談するとしても、まともに対応されないことは覚悟しなければならない。組織内部の人間とかましてや管理者とか権威のある人物は平然と無視する。必ずいじめはなかったことにされる。それで相談する相手をいろいろと変える必要がある。当事者とか関係者に相談しても、必ずもみ消されてしまう。地元の有力者とかあまり世間にとらわれていない、しがらみのない人のほうが適切なアドバイスをしてくれることがある。しかし、しがらみがないということは何の力も効力も影響力もないということになる。そこで何かをしてもらうためにお願いするというのではなく、公正な第三者として冷静な判断を仰ぐという形になる。そうなると必ずしもいじめをされている側だけをかばうということはないかもしれない。いじめが一方的なものではなく、復讐ということもある。過去にいろいろあって、その反動が来ていることもある。それに対して反撃するのは当然だろうが、そうなるとまたその反撃を受けることになる。その繰り返しがずっと続いてしまう。相談しても、まともな回答は得られないかもしれないが、少なくとも、ある程度は考えてくれる人がいることで安心はできる。役には立たないかもしれないが、その時はある程度は一緒に考えてくれたのだ。だがそれも芝居であり、本当はまったく何も気にしていないということもある。役所では個人的な問題だとして、まったく対応しないことが多い。それでは民間ではどうかというと、さらに縁遠い話となる。そんな他人のいじめ問題などにかかわっていられるほど暇な人はあまりいない。暇な人もいるかもしれないが、そういう人は他のことで忙しいか、すでに思考能力が低下している。結局は泣き寝入りとなるのだが、少なくとも、誰かに相談することで、自分の気持ちの整理がつく。その後の対応は、神や仏が存在するとすればそれらが対応する。存在しなければ忘れ去られる。だが、いじめを継続して続けていると、その影響で、逆にその人がいじめを受けやすくなる。いじめというのは最後にはどう生きるのかということになる。いじめを続けていくのか、それとも別な生き方をするのかということだ。いじめを続けると、そこから逃れることはできなくなる。別の生き方をしようとしても、それはできない。また他の分野で人並み以上の努力をしても、いじめのことがいつか出てくる。いじめをすればいじめから離れられないのだ。いじめそのものがいじめをした人をとらえて離さない。そしていじめと共に生きねばならなくなる。
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[ペンネーム登録待ち板7] 想念
人間の想念というのはエネルギーであることがわかった。普通は人間の想念などは取るに足りないものであり、意味不明であり、まとまりがなく、曖昧で、いい加減で、何の力のないものだと考えやすい。しかしそうではなかったのだ。力を発揮しないのは、集中しないからであり、何か一つのことを思いついても、すぐに次の瞬間にそれを自分で打ち消してしまうからである。もしも集中してある一定時間以上同じことを考えるならば、それは必ず何らかの結果を生じさせるものだ。それがどれぐらいの時間なのか、あるいは何日か、何週間か、何ヵ月か何年かわからない。どんなことにせよ同じことを集中して考えるとそれなりの成果が出る。それを否定しないで本当のことだと本気で信じ込めば。たいてい失敗するのは疑念を持つからだ。いじめの原理も同じことだ。卑劣ないじめ常習犯は、この原理をよく知っているのだ。いじめとはマイナスの否定的なネガティブな想念を誰かに集中してぶつけることだ。それは実際に殴るとか蹴るとか何か物理的な損害を与える必要もない。最初はそういうことで本気であることを相手に伝え、相手に深刻なダメージを与えて恐怖心を植え付ける目的があるかもしれない。しかし、それが成功すれば後は何も物理的な影響を与える必要はない。後は勝手にそのいじめ対象者自身が、自分の力で、自分に損害を与え、破滅させるのだ。これは恐るべき行為であり、その手口は卑劣で、有害であり、非常に間違っていることだ。だが、そういうことをしておいて、そのいじめ常習犯である加害者に何の影響もないのかというとそうでもない。実はネガティブ思考とポジティブ思考というのがあり、これはただ単に性格とか性質とかそんなものではすまないようだ。かなり人生に大きな影響をもたらすものだ。ネガティブ思考というのは否定的な考え方であり、何でもかんでも否定し、けなし、侮辱し、マイナス面ばかりを強調して、とにかく相手を攻撃することのみに人生を捧げている連中のことだ。こういう連中は絶対に他人を評価しない。皮肉屋であり、マイナス面ばかりを見る。他人の失敗ばかりを強調する。他人のミスが大好きで、とにかく否定的なことばかりに集中する。常に誰かを攻撃しようと身構えており、否定的な人生を送る。その結果、否定的なことばかりが次々に起きる。それとは逆にポジティブ思考とはのん気屋といえるかもしれない。マイナス面はあえて見ない。楽観主義ともいえる。ネガティブ思考が悲観主義であるとするなら、ポジティブ思考は楽観主義だ。楽天家ともいう。とにかく明るい面ばかりに集中する。否定的なことは考えない。明るいし、陽気だ。それで人が集まる。人気者だ。誰からも頼りにされるし、良いことが次々に起きる。ただし、まったく悲しいことが起きないのかというとそうでもない。そういうことが起きてもそれに集中しないのがポジティブ思考だ。すると、本来であれば非常に悲しいことが起きても、何とか切り抜けることができる。あるいはダメージはあるものの、回復が早い。仲間が多いので、助けてくれる人がいる。しかし、ネガティブ思考の人が簡単にポジティブ思考になれるのかというとそうでもない。またネガティブ思考にもまったく何の利点がないのかというとそうでもない。ネガティブ思考は問題点を明らかにする。全体的に考えるとネガティブ思考はかなりの損をする。ネガティブ思考は人間の可能性を踏み潰す。また周囲にマイナスの影響力を与え、必要のない悲しみを与える。これがいじめ常習犯の目的でもある。要するに不幸な人を増やしたいのだ。そして自分と同じように悲しんでほしいのだ。すべてはその人の選択にかかっている。そして人間にはそういう力があることを知らなければならない。人間が何を選択するかによって、未来は変化する。あなたは自分の主人公である。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/763.html
人間の想念というのはエネルギーであることがわかった。普通は人間の想念などは取るに足りないものであり、意味不明であり、まとまりがなく、曖昧で、いい加減で、何の力のないものだと考えやすい。しかしそうではなかったのだ。力を発揮しないのは、集中しないからであり、何か一つのことを思いついても、すぐに次の瞬間にそれを自分で打ち消してしまうからである。もしも集中してある一定時間以上同じことを考えるならば、それは必ず何らかの結果を生じさせるものだ。それがどれぐらいの時間なのか、あるいは何日か、何週間か、何ヵ月か何年かわからない。どんなことにせよ同じことを集中して考えるとそれなりの成果が出る。それを否定しないで本当のことだと本気で信じ込めば。たいてい失敗するのは疑念を持つからだ。いじめの原理も同じことだ。卑劣ないじめ常習犯は、この原理をよく知っているのだ。いじめとはマイナスの否定的なネガティブな想念を誰かに集中してぶつけることだ。それは実際に殴るとか蹴るとか何か物理的な損害を与える必要もない。最初はそういうことで本気であることを相手に伝え、相手に深刻なダメージを与えて恐怖心を植え付ける目的があるかもしれない。しかし、それが成功すれば後は何も物理的な影響を与える必要はない。後は勝手にそのいじめ対象者自身が、自分の力で、自分に損害を与え、破滅させるのだ。これは恐るべき行為であり、その手口は卑劣で、有害であり、非常に間違っていることだ。だが、そういうことをしておいて、そのいじめ常習犯である加害者に何の影響もないのかというとそうでもない。実はネガティブ思考とポジティブ思考というのがあり、これはただ単に性格とか性質とかそんなものではすまないようだ。かなり人生に大きな影響をもたらすものだ。ネガティブ思考というのは否定的な考え方であり、何でもかんでも否定し、けなし、侮辱し、マイナス面ばかりを強調して、とにかく相手を攻撃することのみに人生を捧げている連中のことだ。こういう連中は絶対に他人を評価しない。皮肉屋であり、マイナス面ばかりを見る。他人の失敗ばかりを強調する。他人のミスが大好きで、とにかく否定的なことばかりに集中する。常に誰かを攻撃しようと身構えており、否定的な人生を送る。その結果、否定的なことばかりが次々に起きる。それとは逆にポジティブ思考とはのん気屋といえるかもしれない。マイナス面はあえて見ない。楽観主義ともいえる。ネガティブ思考が悲観主義であるとするなら、ポジティブ思考は楽観主義だ。楽天家ともいう。とにかく明るい面ばかりに集中する。否定的なことは考えない。明るいし、陽気だ。それで人が集まる。人気者だ。誰からも頼りにされるし、良いことが次々に起きる。ただし、まったく悲しいことが起きないのかというとそうでもない。そういうことが起きてもそれに集中しないのがポジティブ思考だ。すると、本来であれば非常に悲しいことが起きても、何とか切り抜けることができる。あるいはダメージはあるものの、回復が早い。仲間が多いので、助けてくれる人がいる。しかし、ネガティブ思考の人が簡単にポジティブ思考になれるのかというとそうでもない。またネガティブ思考にもまったく何の利点がないのかというとそうでもない。ネガティブ思考は問題点を明らかにする。全体的に考えるとネガティブ思考はかなりの損をする。ネガティブ思考は人間の可能性を踏み潰す。また周囲にマイナスの影響力を与え、必要のない悲しみを与える。これがいじめ常習犯の目的でもある。要するに不幸な人を増やしたいのだ。そして自分と同じように悲しんでほしいのだ。すべてはその人の選択にかかっている。そして人間にはそういう力があることを知らなければならない。人間が何を選択するかによって、未来は変化する。あなたは自分の主人公である。
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[ペンネーム登録待ち板7] ショッピングセンター
2018年10月14日、午後3時頃、県市町の駅がある近くにショッピングセンターにて3人組のチンピラ風のごろつきの不良グループに因縁をつけられ、脅された。ここはバホームとか堂書店、リュー、薬局、洋服の他花屋とかいろいろな店が集中して集まっている場所で、中央部分に広い駐車場がある。ここに私は用事があって行ったのだが、中央部分の駐車場付近を通りかかったところ、そのやくざ風の連中が通りかかり、挑発して恐喝行為をした。こういうショッピングセンターにはよくこういう連中や学生の不良グループがやってくる。そして通りすがりの見ず知らずの人に対していちゃもんをつけたり、からかったり、侮辱したり、因縁をつけ、陰口悪口を言い、挑発して嘲笑して面白がることが多い。は何もしないし、警備員も何の役もたたない。多くの人は見て見ぬふりをするし、関わり合いになることを避ける。助けは来ないのだ。も何もしない。本当には役に立たないし、何もしない。完全に孤立無援の状態になるので、十分に注意してほしい。こういうところでは人が多くても、助けてくれないことがある。本当に怖い体験をすることがある。自分だけは大丈夫だと思うかもしれないが、本当にこういうことはあるのだ。それは駅などの切符売り場とかホームや通路でもよくある。しかし、これは市だけのことではない。市でも市市でもどこでもあることで、それこそ屋でもでもでも起きている。多くの人は、自分とは関係のないことだと思っているがそうではない。ほとんどの人は無防備状態なのだ。そして無防備な人ほど狙われる。日本は治安が良い国とされているが、そうでもない。いじめ常習犯についても昔のように放置されるということはない。以前は相談できる場所などはなかった。しかし今は違う。ただし相談したからと言って解決するかというとそうでもない。一応は話は聞くけれども、それだけのことで、何もしないということが多い。そもそも何かをするという権限がないのだ。それにやる気もない。結局は個人の問題だとして、いつもうやむやにされることが多い。しかし、以前と違うのはかなり対応に差があるということだ。昔は一律に完全無視の体制ができていた。いじめがあるのは当然であり、それを問題視するほうがおかしいということだった。そんなことを気にするのはひ弱な証拠であり、何でも根性で乗り切れということにされてきた。しかし最近はそれに変化が出てきている。まず学校の対応が変わってきた。昔は放置されていた。しかし今は一応説教はされる。もちろんそんなものは不良グループが聞き入れるわけがなく、どうにもならないのだが、一応は建前として、表面的にはいじめはしてはならないとされている。それから幼児教育もかなり変わってきている。今は年齢が低いほど厳しくなっている。小学校も一応は人権教育をしている。また幼稚園、保育園などではかなり厳しくなっている。昔はある程度子供だから仕方がないということで放置されていた。子供の喧嘩も自然なことであり、大目に見られていた。ところは最近はかなり対応は厳しくなっている。いじめは許されないという風潮が広がっている。それでもいつの時代にも悪餓鬼グループはいるし、言うことを聞かない子もいる。反抗期もあるだろうし、一律に強制するだけでは効果がないこともある。だが昔と違うのは、かなり綿密に調査がされるようになってきたということだ。またすぐに保護者が呼びつけられるようになってきた。そして厳格な対応を迫るようになってきた。ただし、これも効果があるのかどうかわからない。なぜならば、いじめ加害者の家庭というのもかなり問題を抱えていることが多いからだ。過保護ということもあるだろうが、両親とも共働きでほとんど家にいないとか、あるいは離婚しているケース、片親だけの場合とか、育児放棄の場合もある。温かい家庭があり、十分に愛され、大切にされている家庭であれば、いじめなどには興味がないだろう。それよりもむしろ、自分の目標をしっかりと持ち、力強く前進していくはずだ。いじめをして喜んでいるような者はいない。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/764.html
2018年10月14日、午後3時頃、県市町の駅がある近くにショッピングセンターにて3人組のチンピラ風のごろつきの不良グループに因縁をつけられ、脅された。ここはバホームとか堂書店、リュー、薬局、洋服の他花屋とかいろいろな店が集中して集まっている場所で、中央部分に広い駐車場がある。ここに私は用事があって行ったのだが、中央部分の駐車場付近を通りかかったところ、そのやくざ風の連中が通りかかり、挑発して恐喝行為をした。こういうショッピングセンターにはよくこういう連中や学生の不良グループがやってくる。そして通りすがりの見ず知らずの人に対していちゃもんをつけたり、からかったり、侮辱したり、因縁をつけ、陰口悪口を言い、挑発して嘲笑して面白がることが多い。は何もしないし、警備員も何の役もたたない。多くの人は見て見ぬふりをするし、関わり合いになることを避ける。助けは来ないのだ。も何もしない。本当には役に立たないし、何もしない。完全に孤立無援の状態になるので、十分に注意してほしい。こういうところでは人が多くても、助けてくれないことがある。本当に怖い体験をすることがある。自分だけは大丈夫だと思うかもしれないが、本当にこういうことはあるのだ。それは駅などの切符売り場とかホームや通路でもよくある。しかし、これは市だけのことではない。市でも市市でもどこでもあることで、それこそ屋でもでもでも起きている。多くの人は、自分とは関係のないことだと思っているがそうではない。ほとんどの人は無防備状態なのだ。そして無防備な人ほど狙われる。日本は治安が良い国とされているが、そうでもない。いじめ常習犯についても昔のように放置されるということはない。以前は相談できる場所などはなかった。しかし今は違う。ただし相談したからと言って解決するかというとそうでもない。一応は話は聞くけれども、それだけのことで、何もしないということが多い。そもそも何かをするという権限がないのだ。それにやる気もない。結局は個人の問題だとして、いつもうやむやにされることが多い。しかし、以前と違うのはかなり対応に差があるということだ。昔は一律に完全無視の体制ができていた。いじめがあるのは当然であり、それを問題視するほうがおかしいということだった。そんなことを気にするのはひ弱な証拠であり、何でも根性で乗り切れということにされてきた。しかし最近はそれに変化が出てきている。まず学校の対応が変わってきた。昔は放置されていた。しかし今は一応説教はされる。もちろんそんなものは不良グループが聞き入れるわけがなく、どうにもならないのだが、一応は建前として、表面的にはいじめはしてはならないとされている。それから幼児教育もかなり変わってきている。今は年齢が低いほど厳しくなっている。小学校も一応は人権教育をしている。また幼稚園、保育園などではかなり厳しくなっている。昔はある程度子供だから仕方がないということで放置されていた。子供の喧嘩も自然なことであり、大目に見られていた。ところは最近はかなり対応は厳しくなっている。いじめは許されないという風潮が広がっている。それでもいつの時代にも悪餓鬼グループはいるし、言うことを聞かない子もいる。反抗期もあるだろうし、一律に強制するだけでは効果がないこともある。だが昔と違うのは、かなり綿密に調査がされるようになってきたということだ。またすぐに保護者が呼びつけられるようになってきた。そして厳格な対応を迫るようになってきた。ただし、これも効果があるのかどうかわからない。なぜならば、いじめ加害者の家庭というのもかなり問題を抱えていることが多いからだ。過保護ということもあるだろうが、両親とも共働きでほとんど家にいないとか、あるいは離婚しているケース、片親だけの場合とか、育児放棄の場合もある。温かい家庭があり、十分に愛され、大切にされている家庭であれば、いじめなどには興味がないだろう。それよりもむしろ、自分の目標をしっかりと持ち、力強く前進していくはずだ。いじめをして喜んでいるような者はいない。
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