31. 殲バークレーマフィア[1] n3KDb4Fbg06DjIFbg32DdINCg0E 2021年12月16日 10:51:07 : kxk7MnCbWU : d1N5Q0JNaG5NNEk=[-12484]
>>29
>民主主義サミット
は、ヤリスギかどうかは別として、茶番でしたね。
米軍産複合体(フォードなど)へのリップサービスだったんでしょうけど。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202112150000/
>櫻井ジャーナル 米国は軍事的な恫喝をエスカレートさせ 2021.12.15
>ジョー・バイデン米大統領が「民主主義」に関するバーチャル会議を開催する直前、ロシアのウラジミル・プーチン大統領、セルゲイ・ラブロフ外相、セルゲイ・ショイグ国防相がインドを訪問、インド政府の首脳と12月6日に会談し、軍事協力を含む関係強化で合意した。
ロシア→インド、中国→パキスタン、日本→台湾、・・・
ですね。
>第2次世界大戦が終わった1945年にスカルノがインドネシアの独立を宣言、インドのネルー、ユーゴスラビアのチトー、エジプトのナセルらと1961年に「非同盟諸国首脳会議」を開催して植民地主義の清算と冷戦への不関与を打ち出した。
>アメリカへの従属を拒否したわけだ。
>スカルノは1955年の総選挙と57年の地方選挙で勝利、その際にコミュニストも勢力を伸ばした。この選挙でアメリカはスカルノを中傷するプロパガンダを展開したが無駄で、そしてスカルノ政権は外国資産の国有化を始める。
>スカルノたちが1955年にバンドンで開いた会議では「平和十原則」が打ち出された。基本的人権、国連憲章の目的と原則、全ての国の主権と領土、あらゆる人種の平等と全ての国の平等権などを尊重、内政への不介入と不干渉などがその内容だ。
>それに対し、アメリカの私的権力はCIAを使って暴力的に体制を転覆させようとする。
>1958年、スカルノが日本を訪問しているときにインドネシアで最初の蜂起が決行される。反乱グループの中心は旧貴族階級と地主で、スマトラ島を拠点としていたインドネシア軍の将校が参加していた。
>フォード財団は貴族階級出身のインドネシア人をアメリカの大学に留学させて訓練、育成された「近代的エリート」は、後に「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれているようになる。そうした学生のほかイスラム教徒(ワッハーブ派)がスカルノを中心とする体制を暴力的に壊し始めたのは1965年9月30日のことだった。
1965年はインドネシアの「大リセット」の年ですね。
>バラク・オバマはハワイで生まれたとされている。母親はアメリカ生まれのスタンリー・アン・ダンハム、父親はケニヤ生まれのバラク・オバマ・シニア。1962年にオバマ・シニアはハーバード大学へ移り、64年に離婚して別のアメリカ人女性と結婚して帰国、CIAの協力者として活動するようになる。母親のダンハムはハワイ大学の東西センターでインドネシアから来ていたロロ・ソエトロと1965年3月に再婚するが、その直後にソエトロはインドネシアへ戻る。
>「9月30日事件」、つまりアメリカの私的権力にとって好ましくない人びとを虐殺するタイミングで帰国したわけだ。
このときの「共産党弾圧」が、RCEPで問題になった「スハルト指令」なんですよね。
ワッハーブ派のイスラム教徒は、サウジアラビアと連携していて、反イスラエルと親イランに向かっていますね。
>インドネシアではアメリカの手先として機能していたワッハーブ派の力が強かったが、ここにきてアメリカから距離を置き始めている。
インドネシアは、まだ、RCEPを批准していないんですよね。
共産党弾圧の法律改正が進んでいないから・・・???
https://www.youtube.com/watch?v=NdYpSUnGfqc
>スタマス】 Spread the Wings - Engish Subs (Ami, Mami, Tenka, Amana)
http://www.asyura2.com/21/senkyo284/msg/606.html#c31