[ペンネーム登録待ち板6] 旧統一協会に支配される自民党 !
旧統一協会に支配される自民党 !
植草一秀氏ブログ「知られざる真実」2022年9月15日
正統性のない国葬についての論議が紛糾している。
岸田内閣の適法手続きの瑕疵が問題の根源。
安倍晋三氏が銃殺されたのは7月8日。
岸田内閣が国葬の日程として選定したのは9月27日。
十分過ぎる時間があった国葬案内状に印刷の誤りがあり、シールを貼って手書きで修正されているという。
岸田内閣の末期ぶりを示している。日本劣化の象徴ともいえる。
国葬に反対する主権者は過半数を超えていると見られる。
民意を無視し、民意に反する国葬強行。
案内状を受け取った人が案内状をSNS上に紹介して欠席の意向を示している。これにネトウヨ方面から反発が生じている。
「社会人として恥ずかしい行為」などと喚いている。
問題の本質を見極められない人々なのだろう。
同類がフジテレビ解説委員・平井文夫氏。
「8年8カ月の間、日本の首相を務めた人が選挙期間なかの街頭演説で凶弾に倒れ亡くなった。
岸田首相が国葬にすることに決めた。
それでいいと思う。
一部野党やメディアが反対し、学者や弁護士がいろいろいうが、議論する気にもならない。
僕を含め多くの人は安倍晋三さんと静かにお別れをしたいと思っているだけなのだ。」と記述。「静かにお別れをしたと思っている」なら「静かにお別れ」をすればよいだけのこと。
「国葬」にして主権者全体を巻き込むから混乱が生じる。
「国葬」にしていなければ有志が集い葬儀を行えばよいだけのこと。
「国葬」にするから問題が生じている。
岸田首相は国葬について、「敬意と弔意を国全体として表明する国の公式行事」だとしている。
しかし、故安倍晋三氏に対して敬意と弔意を表明したくないと考える国民が多数存在する。理由は安倍晋三氏の人徳にある。
国葬が「敬意と弔意を国全体として表明する」ものであるなら、多数の国民の賛同を得ることができない国葬を実施することは不可能だ。
それにもかかわらず「敬意と弔意を国全体として表明する」国葬実施を強行するなら、憲法第19条が保障する「思想及び良心の自由」を侵害することになる。国葬実施強行は憲法違反になる。
有志の者が集り、しめやかに葬儀を執り行うなら誰も反発はしない。
そのときに葬儀を妨害するなら「社会人として恥ずかしい行為」と批判しても適正だろう。
国葬反対論が噴出するのは国葬によって「敬意と弔意の表明」を強要される側面があるからだ。
これが問題の本質。この本質を見落として、「国葬」に対する批判を、「村八分でさえ、葬儀は絶縁の対象から除外されていた」として批判するのは、思考能力の欠落を表すもの。
「村八分」の意味さえ知らずに「村八分」の言葉を用いる者まで登場する。日本の言論空間の劣化が著しい。
議論が沸騰しているのは岸田内閣が「国葬」を強行しようとしているからだ。
「国葬」を強行しようとしているから、「敬意と弔意の表明」を強要されたくない主権者が異議を強く唱えている。
国葬に反対しているのは高齢者が多いとの情報を一部メディアが流布しているがミスリーディング。
若い世代で国葬に反対する者が多数存在する。
国葬に反対する女性の示威行動が報道されたが、若い女性も多数参加していた。しかし、テレビカメラは高齢者だけを映して報道した。
政府から圧力が加えられ、若い世代が国葬に反対している絵を、広く一般に知らさないように「忖度」しているのだと思われる。
*与野党を問わず,宗教団体と関係を持っている
立正佼成会や崇教真光、パーフェクトリバティー(PL)教団などが作る「新日本宗教団体連合会」(新宗連)という団体がある。いわば創価学会とライバル関係にある新興宗教の連合組織である(小川寛大『“創価学会のライバル組織”が毎年夏にやる集会』PRESIDENT Online)。
新宗連は自公政権に対抗して、改憲や政治家の靖国神社参拝に反対する姿勢を取ってきた。2009年の総選挙では民主党を強力に支援し、民主党政権の誕生に大きく貢献した。
だが、2012年に自公が政権を奪還して長期政権*し、民主党が弱体化して分裂したことで、自民党との関係を再構築しようとする動きが出るなど、新宗連の勢力は次第に衰退してきた。しかし、左派野党の政治家の一部は、現在でも宗教団体の支援を受けている。
このように、与野党を問わず、政党は宗教団体に票を集めてもらっているのが現実だ。中には、政治献金を合法的に受け取っているケースもあるだろう。ただし、たとえ関係が合法的ではあっても、政治と宗教の関係に問題がないとはいえない。
安倍元首相を殺害した容疑者の母は、1億円以上も旧統一教会に献金して自己破産したという。宗教団体の中には、信者が借金で自己破産するほど寄付をさせる、信者を洗脳のために監禁するなどの違法行為を行っているものがある。
それを知りながら、政党は宗教団体を有力な支持団体として選挙活動に使う。政治家は宗教団体の集会に出席し、あいさつをする。前述の通り、公の場で“神様”に関するリップサービスもする。
そして、それら信用して入信して破産する人、救済を求める家族も多数いる。このことに対して、政治家の道義的責任は絶対にある。政治と宗教の関係は、抜本的に見直すべき時が来ている。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/15931.html
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