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野口健一 luyM@4ySiOo コメント履歴 No: 100000
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[ペンネーム登録待ち板6] 長妻政調会長: 「葉梨法務大臣の発言は見過ごせない。」


「葉梨法務大臣の発言は見過ごせない。大臣の任には
ふさわしくない」長妻政調会長が会見で:2022年11月10日

 長妻昭政務調査会長は11月10日、国会内で定例の記者会見を開きました。 冒頭の発言で、葉梨法務大臣から「法務大臣の仕事は死刑のはんこを押す地味な役職」などとする発言があったことについて、「これは見過ごすことのできない発言」と指摘。その上で、「死刑執行の決断は、法務大臣に課せられた重い判断で、間違いがあってはならない。刑罰とはいえ人の命を奪うもの。こういう軽い発言は大臣の任にふさわしくない」と批判しました。また、総理の任命責任について、「今日中に判断するかどうかで、任命責任の重みが変わってくるのではないか」と述べました。
 旧統一教会問題の被害者救済法案等について昨日9日、岡田克也幹事長と自民党の茂木幹事長が幹事長会談を行ったことについて、「わが党と日本維新の会とで昨日5項目の共同文書を示した。
また、私たちはすでに法案を提出している。政府側はこちらの法案を批判するが、ではあなたがたはどうするのか」ということだ述べ、来週月曜日(14日)までに政府法案の要綱を出すようあらためて要求しました。
 補正予算が閣議決定されたことに、「予算委員会がいつ始まるのか分からないが、多くの問題がある。補正予算にも関わらず、来年の3月までの執行を前提としない予算を組んでいるようなきらいもある」と、指摘しました。
 岸田政権で、大臣の問題が相次いでいることについて記者団から問われ、「どの内閣でもあるが、量と悪質さが突出している。また事後の対応の統一性も欠けている。普通の内閣であれば法務大臣は即更迭となるのではないか。司令塔が不在だ」と答えました。
 安保外交問題についての質問に長妻政調会長は、「わが党の考え方は、玄葉光一郎外交・安保NC大臣の下で議論をしており、まとめているところ」と述べたうえで、政府の防衛政策の決め方について、「正々堂々と国会に提示するやり方に変えるべき。防衛3文書の改訂についても、国会開会中には検討中と言っているが、国会が閉じた途端に出してくる。こういうことを繰り返していると不信感を呼ぶだけだ」と指摘しました。

* 長妻昭議員のプロフールとは ?

来歴[編集]
生い立ち[編集]
1960年〈昭和35年〉6月14日生まれ,62歳 -東京都練馬区生まれ。都立練馬高校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科(民法:新田敏ゼミ)卒業。大学卒業後、日本電気(NEC)に入社し、大型コンピューターの営業職を務める。その後日経ビジネスの記者に転職し、主に金融、行政、政治分野を担当した。
1992年、大前研一が立ち上げた平成維新の会に参加し、事務局長代理を務める。
1995年の第17回参議院議員通常選挙に平成維新の会公認で立候補するも、落選。その後新党さきがけに入党し、1996年の旧民主党結党に参加する。
1996年の第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で東京10区から出馬するが、自由民主党公認の小林興起に大敗。次点も新進党前職の鮫島宗明に奪われ、重複立候補していた比例東京ブロックでの復活もならず落選した。

2010年9月21日、新旧厚生労働大臣の事務引き継ぎにて細川律夫(左)と
• 2009年9月17日に厚生労働省に初登庁したが、出迎えた職員からは拍手もなく、終始緊張感のただよう初登庁であった[47]。その後の訓示では、民主党の衆院選マニフェスト(政権公約)の冊子を手にしながら、マニフェストを「ある意味、国民と新しい政府との契約書、あるいは命令書と考えてもよい」と訓示した[48]。
• 2009年9月19日、厚生労働大臣として障害者自立支援法の廃止を明言した[49]。
• 2009年9月25日、守秘義務のない民主党政策調査会の職員を、省内の担当部署からの説明時に同席させている問題について、民主党の職員を非常勤国家公務員として採用することで問題を解決する考えを示した[50]。

• 2009年9月30日、閣議について「判子を押してそれで解散という自民党の方式ではなく、閣議の後で懇談会で率直な意見交換を行うようにした」と記者会見で報告した。記者から「自民党も閣議、閣僚懇という仕組みで同じことをしていました。民主党が「形骸化した」と批判していた閣議は参加してみたら実はそうではなかったという趣旨の感想でしょうか」と質問されると、長妻は「マスコミの報道で見た自民党の閣議は、サインをして「はい終わり」というものだった。実際に見たことはないが、民主党のように濃厚な議論はしていないと思う」と回答した[51]。
• 2009年10月5日、緊急雇用対策に関する指針について取材しようと内閣府の会議室前で待機していたぶら下がりの記者たちを避けるため、貨物用エレベーターに乗り込んで、地下から逃げるように立ち去ったと、週刊文春に報道された[52]。
• 2009年10月26日、中央社会保険医療協議会の後任人事について、自民党を支持する日本医師会の委員枠を実質廃止し、同年8月の総選挙で民主党を支持した茨城県医師会の医師ら3人を選出した[53]。
• 2009年11月12日、日経ビジネスのインタビューで「自民党政権だったら、大臣になってもすべてお膳立てが整っている。極端に言えばハンコをつくくらいだと推察されます」と、同年9月30日に述べた自民党への見解を重ねて主張。また予算額について自ら電卓を使っている理由として「最初は自分でやってみないことにはどうにもならないから」、自民党の大臣については「自分で電卓をたたく大臣はいなかったんじゃないか」と語った[54]。



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