43. 罵愚[5022] lGyL8A 2017年4月19日 16:43:14 : LPgYYlYYWk : d6@UKqcdGRA[76]
▼戦前日本のどこがいいのか? …C
中間的結論として戦前までの日本は疑似家族国家で、日本人は組織を家族に似せて作る習慣をもっていた。もちろん敗戦を境にして一挙にそれが消滅してしまったわけではなく、戦後も…たとえば企業経営においては家族経営と呼んで社長を父親に、管理職を兄さんに擬して語る経営者が多かった。
組織のトップを父親に、スタッフを母親や兄姉に擬する組織論を日本人は好んでいた。それに対して欧米のキリスト教社会でははじめにゼウスの神ありきではなく、ギリシャのポリスの乱立を経験しているし、ローマの皇帝の交代の歴史を経験し、一神教は異民族の宗教であって、自民族の伝統とは無縁は自明だった。事情は支那でも同じで、天帝のもとでの革命思想や王朝の交代のもとで疑似家族のフィクションが生まれる余地がなかった。
疑似家族が生まれない、かれらの組織論はしたがって支配と隷属の現実と歴史を生み出す。政権交代による支配者の交代の要因は戦争や革命であって、神のご意思でもある。王様や皇帝は血縁とは無縁に被支配者のなかから選ばれる。庶民の一人が実力によって皇帝に登りつめて、支配者になり、きのうまでの支配者が庶民に落ちる。神様の気まぐれがキリスト教社会や支那の歴史をつくっている。
疑似家族の特殊性に目を向けた日本論がスタートする。
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