*福島 後始末なしに復興ない 「異常」が「日常」の怖さ…
農林水産省が2015年度に検査した農産物など約26万品目のうち、放射性セシウムの基準値を超えたのは264品目だった。わずか0.1%。一方、昨夏の調査で回答した福島県民約1400人のうち38%が食品に放射性物質が含まれないか、「時々」もしくは「いつも」気にしており、73%が県産米の全量検査の継続を望む。原発事故が起きて6年。放射能を気にしながら生活する、この「異常」な日々はいつになったら終わるのか−。 (白名正和、池田悌一)
◆福島 終わらない苦闘
「大丈夫、安心ですとは言えない。気にするなら買わないでくださいと言う。『自信ないのに売るのか』と怒られることもある」
福島県大玉村の専業農家、鈴木博之さん(66)はそう苦笑いする。
田んぼ約10ヘクタールを耕して40年以上。昨年はコメ約60トンを収穫した。検査で全てが食品の放射性物質の基準値を下回ったが、今も土に放射性セシウムが残る。完全に「ゼロ」と言い切れないところがつらい。
「江戸時代の先祖から受け継がれてきた経験を生かし、米作りを極めたいとやってきた。それに、ほかにないもんね」
6年前、年に5回以上、コメを購入する固定客が240人にまで増えていたが、東京電力福島第一原発事故によって8分の1の30人ほどに激減した。2007年からコメを加工して作っていた団子も売れなくなり、年間約4千万円あった売り上げは半減した。
原発が爆発した日、「60キロも離れているから無関心だった」が、やがて、福島県産の農産物から基準値超の放射性セシウムが検出され、大玉村産のホウレンソウからも出た。「とんでもない。売れなくなる、決まったな」と妻に語りかけた言葉を忘れられない。
それでも、11年も米作りを始めた。「百姓は習性と本能で田植えをする。大げさかもしれないが、作らないという言葉がDNAの中にないから」
結局、福島県産米から放射性物質が検出され、鈴木さんのコメもほとんど売れ残り、倉庫にうずたかく積まれた。睡眠薬なしでは眠れない日もあった。「自殺した農家がいたよね。俺も考えたことが、なくはなかったよ」
「廃業しかないのか」。妻と話し合ううち、逆に、「せめて一太刀あびせてやりたい」と闘争心が湧いてきた。「土を壊された」として器物損壊罪で東電を告訴した。受け入れられなかったので、コメ販売を妨げた威力業務妨害罪で告訴したが、やはりダメだった。
一方で、14年10月、農地の放射線量を事故前の値に戻すことを東電に求め、ほかの農家と一緒に福島地裁郡山支部に提訴した。裁判外紛争解決手続き(ADR)で原状回復を求めたが、東電が「除染は国が行うことになっている」と応じなかったからだ。
「事故で汚したら後始末をする。小学生でも分かる。普通の会社は誤ったことをしたら、給与をゼロにしてでも責任を取る。東電には責任の概念がない。あれは会社じゃない」
判決は来月14日の予定だ。「事故の後始末はちゃんとする、そんな当たり前の判決を期待する」
そんな闘いを続ける鈴木さんに、周囲の農家から、何度かこんな言葉をかけられた。「おまえのように騒ぐ人間がいるから、風評被害がなくならないんだ」
放射能の問題を伏せ、早く復興をという意識からだろうが、鈴木さんはこう指摘する。
「後始末なしに、復興はない」
◆「安心のため」検査続ける直売所
福島県郡山市の県道沿いにある農産物直売所「ベレッシュ」。建物内に入り、すぐ左手の小部屋のガラス窓に「放射能分析センター」と表示があった。銀色の機械の前で女性2人が作業をしている。
「仕入れ先ごとに野菜や果物の検査をしている」とベレッシュ専務の武田博之さん(35)が説明した。
国は一般食品の放射性セシウム基準値を1キロ当たり100ベクレルと定めているが、ベレッシュは20ベクレルに設定する。より厳しいが、「2年以上、全く引っかからない。でも、まだ不安に思っている県民は多いから、少しでも安心してもらうために続けています」。
地元農家が事前に持ち込んだ500グラム分の野菜を検査し、20ベクレル未満を確認した上で、店頭に並べる。
分析センターに入ると、ネギや長芋、春菊など十数品目がかごに入っていた。女性がブロッコリーを軽く洗った後、ミキサーですりつぶし、プラスチック容器に入れて測定機へ。30分後、モニターには「不検出」と表示された。
武田さんが地元農家らとベレッシュを設立したのは09年。ラベルに生産者名と詳しい産地を記し、「顔が見える農産物」を売りに、客足を伸ばしていた。
11年、原発事故で状況は一変する。ホウレンソウなど農家が丹精して育てた野菜の数々が出荷制限対象となり、店に並べられなくなった。出荷を認められた農産物もあったが、地元の住民の多くも「福島産」を手に取らなかった。
見せるしかない。「うちの野菜は本当に安心で安全だということを、目で見て分かってもらおう」(武田さん)と始めたのが、ガラス張りの自主検査だった。12年10月以降、県の補助金で測定機3台を導入し、今年1月からは非破壊型の機械も使って検査する。
県産のネギやジャガイモを買っていた地元の箭内(やない)秀子さん(68)は「スーパーもちゃんと検査をしていると思うが、目の前でやってくれると安心感が違う。千葉や茨城から来た友だちにも『地元のいい野菜がある』と勧めたほど」とほほ笑む。
だが、孫(17)の食事には「県外産を使うことが多い」と明かす。安心感はあるが、「不安」が全くないわけではないようだ。
男性(26)が、長女(1つ)に県産のイチゴを試食させていた。「全然気にしない。もう6年もたっているわけだし」。一緒にいた妻(42)は違った。「正直心配ですよ。一つ一つ全てを検査しているわけではないだろうし。ちょっと疑っているところはある。『まあ、大丈夫』と思い込もうとしています」と表情は硬かった。
リンゴの納品に来た農家有我光雄さん(62)は「事故直後は、せっかくのリンゴが廃棄されてつらかった。自主検査はありがたいが、頭ん中では『やんねえでいい日が来ねえかな』と思っているよ」と話した。
近年は野生のキノコなどを除き、人が栽培管理する農産物から、基準値超の放射性物質はほぼ検出されない。だから、「自主検査せずに売っても問題ない」と武田さん。「でも、売れるかどうかは別問題だ」
「初めて来た人からは『ここまでやっているの』と驚かれることがある。でも、ここまでやらなきゃ買ってもらえない。こんな検査までしているのは福島くらいでしょ。これが日常になってしまっているのは怖いこと」と本音を吐露した。
「ふと、いつまで続くんだろうと考えることがある。5年後ですか。10年後ですか。何年たったらやめられるという確信が持てない。原発事故がなければ、農家や私たちがこんな思いをすることはなかった。本当に悔しい」
[デスクメモ]
「大人たちは一億玉砕と言っていたから、自分も死ぬんだ、と思っていた」。亡くなった父は、1945年当時の心境をそう語っていた。当時、14歳だった。米軍の投下した焼夷(しょうい)弾で自宅が焼けても「異常」ではなく「日常」だったという。感覚をまひさせてはいけない。(文)
2017年3月11日 東京新聞:こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017031102000139.html
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/650.html