6. 歴史の真実[1] l_COaoLMkF6OwA 2024年9月14日 01:09:39 : u9Mxn16CO6 : TDVQa0N5ak8xQWc=[4]
君の知る【ヒットラー・ナチス体制】とは、勝者のプロパガンダですよ!!
私の1918年生まれの義父は身長186pの身体頑丈なウエストファリア人ですが、戦争に行きませんでした。1975年、最初に会った時の彼の第一声は、「日本か、同盟国だったなー、俺は、戦争に行かなかったよ!」でした。
本当に、ナチス政権下のドイツが、ハリウッドの映画の様に恐ろしいものであったかは、疑問です。
1918年生まれの、義父は戦争に行きませんでした。
彼は戦争勃発した時に、近所の友人と『ドイツは負ける。』とビール一箱の賭けをして、『この戦争には絶対行かない』と宣言したそうです。
どうして兵役を逃れたかと言うと、自分の愛車で出かけて、たまに家に帰って来るのを繰り返していただけです。 『徴兵命令』が出ると、ワイフが『夫は出かけています』と言っただけで、済んだそうです。
それだけでは無く、彼は4hの地主だったので、農業を義務付けられ、2人のフランス兵捕虜をあてがわれたそうです。 ある日、そのフランス兵達に『明日、逃げたいから、今度はなるべく長く、帰って来ないで』と言いわれ、『そりゃ、困る』の返事に、『もう、逃げる事に決めた』と。 帰って来たらフランス兵は消えていたけど、何の罰も受けなかったそうです。 ハリウッド映画ならゲシュタポに連れてかれ、拷問ですね。
終戦直前には、12−3歳から70才位の全男性が徴兵されました。 そのとき、彼は足を折って、その場をしのぎましたが、それでも呼ばれたので、松葉杖をついてブレーマーハーフェンに集合しました。 隊長が『船に乗りたくない奴は一歩前に出ろ!』と叫んだので、一歩前に出ると『さっさと、家に帰れ!』と怒鳴られたそうです。 船は、東プロイセンの難民を連れに行くところでしたが、爆撃で、沈没。全員死亡したそうです。
義父の敷地には母屋以外に、事務所として建てた大きな建物があり、彼は、戦後、その建物に東プロイセンの難民の約12世帯を受け入れました。 全てが、女性と子供達と老人だったそうです。 働ける男性は、ナチスに破壊された国を立て直す為の労働力としソ連に連行されたのです。
さて、皆さんは戦後の米国によるドイツ民族浄化をご存じ??
1400万人以上のドイツ人が地上から消えました!!
このことは、どこかで2度ほど説明したので省力します。