1. 中川隆[-15147] koaQ7Jey 2021年11月21日 15:57:47 : DfWLM8FXvA : a3duYW1jOVYzc2c=[24]
ライバルを作って政敵を倒す
政界を牛耳る大御所達は、人気のある政敵を葬るために、わざとライバルを誕生させて、得票数を減らすといった策略を練る。歴史を振り返れば、こうした妨害策は結構見つかるはずだ。例えば、米国の選挙は有名で、プリンストン大学の総長にすぎなかったウッドロー・ウィルソンが、地滑り的勝利で大統領になれたのは、元大統領のセオドア・ローズヴェルトが「進歩党(Progressive Party)」を作って大統領選挙に容喙したからだ。テディー・ローズヴェルトは1901年から1909年まで大統領職を2期務めた後、同じ共和党のウィリアム・ハワード・タフトを候補者に指名した。保守派のタフトは著名な一族の出身であったから、民衆党の人気者であったウィリアム・ジェニングス・ブライアンでも苦戦し、タフトはブライアンを破って大統領になった。
William Howard Taft 001Theodore Roosevelt 111Woodrow Wilson 1213
(左 : ウィリアム・ハワード・タフト / 中央 : セオドア・ローズヴェルト / 右 : ウッドロー・ウィルソン )
しかし、タフト大統領が再選を目指した1912の大統領選挙には、引退したはずのローズヴェルトが出馬した。これでは共和党の票田が割れてしまうのも当然だ。通常なら、有能なタフトが素人のウィルソンを簡単に凌駕して圧勝するはずなんだが、投票箱の蓋を開けてみると、タフトが獲得した選挙人はユタ州とヴァーモント州の二つだけ。ローズヴェルトは6州で善戦し、88名の選挙人を獲得した。驚くことに、ウィルソンの方は435名も獲得したのだ。進歩党はJ.P.モルガン商会の財政的支援を受けていたから、反トラストのタフトは国際金融業者に潰されたという訳だ。(Anthony Sutton, Wall Street and FDR, New York :Arlington House Publishers, 1975, p.24.) 操り人形とも言えるウィルソン大統領の誕生により、ウォーバーグ兄弟やモルガン家は計画通りFRB(連邦準備制度理事会)を創設できたことは日本でも有名である。
こうした「政敵潰し」は再び行われた。絶大な人気を誇るロナルド・レーガン大統領の威光を借りて、やっと大統領になれたジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシは、ホワイトハウスでの悦楽を手放したくなかったのか、ロックフェラー家やロスチャイルド家の意向を無視して、念願の二期目を狙ってしまった。第一期目はパトロン連中が手を回し、楽勝できるマイケル・デュカキスを用意してくれたから良かったけど、二期目は旦那衆の反対に遭ってしまったようだ。(マサチューセッツ知事のデュカキスはギリシア系で、見るからに三流で、しかも普通のアメリカ人でさえも眉を顰めるほどの左翼だった。しかも、外見が非アングロ・サクソン的で、戦車に乗った姿は「サンダーバード」に出てくる人形みたいだった。)
アメリカの政治を牛耳る闇勢力は、ブッシュを落選させるために、共和党寄りの候補者であるヘンリー・ロス・ペロー(Henry Ross Perot)を担ぎ出した。彼は「Electronic Data System」や「Petro Systems」を創設して大富豪になったビジネスマン。対する民衆党からは元アーカンソー州知事のビル・クリントンが出馬してきた。これはよく囁かれることだが、クリントンはロックフェラー系の手下なのかも知れない。アーカンソーはロックフェラー家の領土(シマ)で、ジョン・デイヴィッドソン・ロックフェラー・ジュニア(John Davidson Rockefller, Jr.)の息子であるウィンスロップ・ロックフェラー(Winthrop Rockefeller)が、1967年から1971年まで州知事を務めていたから、彼の采配でビル・クリントンはローズ奨学金を得てオックスフォード大に留学することが出来たのだろう。
George H W Buch 1222Ross Perot 32Bill Clinton 221Winthrop Rockefeller 02234
(左 : ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシ / ヘンリー・ロス・ペロー / ビル・クリントン / 右 : ウィンスロップ・ロックフェラー )
ロックフェラー家は大統領を輩出しなかったが、一族の中には政治の表舞台に立ちたい者がいたようで、ウィンスロップの息子であるウィンスロップ・ポール(Winthrop Paul Rockefeller)も父親の足跡に従ったようだ。彼は共和党員で、マイク・ハッカビー(Michael Dale Huckabee)がアーカンソー州知事の時に、彼の副知事となっていた。ジョン・D・ジュニアの息子にはウィンスロップの他にジョン・デイヴィソン・ロックフェラー3世(John Davison Rockefeller III)がいて、チェース・マンハッタン銀行を率いたデイヴィッド・ロックフェラー(David Rockefeller)は末っ子だ。
Winthrop Rockefeller 0223John D. Rockefeller Jr 00221John Davidson Rockefeller the Third 01David Rockefeller 2221
(左 : ウィンスロップ・ポール・ロックフェラー / ジョン・デイヴィッドソン・ロックフェラー・ジュニア / ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー3世 / 右 : デイヴィッド・ロックフェラー )
Jay Rockefeller 21344( 左 / ジェイ・ロックフェラー4世)
ちなみに、ジョン・D・3世の息子はウェスト・ヴァージニア州の知事から同州選出の連邦上院議員になったジェイ・ロックフェラー4世(John D. "Jay" Rockefeller IV)である。彼は民衆党員で諜報委員会に属していた。この御曹司はハーバード・カレッジの学生時代、なぜか1957年に日本へやって来て、国際基督教大学に入り、三年間も「東洋学」とやらを勉強したそうだ。ハーバードを卒業したジェイは、ベトナム戦争の生き地獄へは向かわず、「平和部隊(Peace Corp)」という民間部隊で奮闘したそうだ。金持ちのボンボンは死亡率の高い海兵隊員にはならない。ジェイは危険な戦場へは行かず、安全な人生を歩んでいた。
一方、フォード政権で副大統領になったネルソン・オードリッチ・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)は共和党員で、彼は1959年から1973年までニューヨーク州の知事を務めていた。ネルソンはオルドリッチ家の母を持ち、祖父のネルソン・W・オルドリッチ(Nelson Wilmarth Aldrich)は共和党の大物で、ロードアイランド州選出の下院議員と上院議員を務めていた。ネルソンの家系は華々しく、彼は米国で超有名なジョン・ウィンスロップ(John Winthrop)とロジャー・ウィリアムズ(Roger Williams)の血を引いていたのだ。米国の歴史教科書には必ず出てくるけど、ウィンスロップはピューリタンの法律家で、マサチューセッツ湾入植地の初代知事となった人物。ウィリアムズの方はコモン・ローの巨星であるエドワード・クック卿(Sir Edward Coke)の庇護を受けていた神学者で、アメリカ大陸へ渡るとロードアイランド州の統治者となった。
Nelson Rockefeller 8332Nelson W. Aldrich 1920John Winthrop 001Roger Williams 111
(左 : ネルソン・オードリッチ・ロックフェラー / ネルソン・W・オルドリッチ / ジョン・ウィンスロップ / 右 : ロジャー・ウィリアムズ)
脱線したので話を戻す。異例の三者対決となった1992年の大統領選挙だが、結果はやはり民衆党のビル・クリントンに軍配が上がってしまった。民衆投票(popular vote)ではクリントンが43%を取り、ペローが18.9%も奪ってしまったので、ブッシュは37.4%しか取れなかった。ペローがいなければ、ブッシュが46%くらい獲得し、二期目の出発となっていたかも知れない。選挙人の獲得数を観てみると、ペローはゼロであったが、彼のせいでブッシュは168名しか取れず、クリントンが370名を獲得して勝利となった。選挙に敗れたペローは1995年に「改革党(Reform Party)」を結成したが、そんなのは出馬の目的を誤魔化すための偽装で、彼は2000年になると共和党に戻っていた。忘れ去られたペローはつい最近まで生きており、共和党員のまま2019年に亡くなっている。
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