チャイコフスキー『ピアノ小曲集 四季 6月 舟歌 Op.37b - 6』
Lener String Quartet - Tchaikowsky : Barcarolle (再復刻)
78rpm / Columbia, J-5196 (A-11860)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/257.html
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Lener String Quartet - Tchaikowsky : Barcarolle (再復刻)
78rpm / Columbia, J-5196 (A-11860)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/257.html
Lener Quartet - Tchaikovsky : String Quartet - Andante Cantabile Op.11 (1935)
Lener String Quartet
recorded March 11, 1935
transfer from Jpn Columbia 78s / J-8444(CAX-7478/9)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/258.html
Bronislaw Huberman - Tchaikovsky : Violin Concerto in D Op.35 (1928) 再復刻
Bronisław Huberman(Violin)
William Steinberg(Conductor)
Berlin Staatskapelle
28-30 December 1928
transferred from Jpn Columbia 78s, J-7550/3 (AX-4509-15)
Tchaikovsky: Violin Concerto, Huberman & Steinberg (1929)
Bronisław Huberman (1882-1947), Violin
William Steinberg (1899-1978)(Hans Wilhelm Steinberg), Conductor
Staatskapelle Berlin
Rec. 16 August 1929
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/259.html
Lotte Lehmann: Winterreise by Franz Schubert
Winterreise, D.911 (Winter Journey ♦ Voyage d'hiver)
00:00 01. Gute Nacht
04:21 02. Die Wetterfahne
06:00 03. Gefrorne Tränen
08:49 04. Erstarrung
11:43 05. Der Lindenbaum
15:57 06. Wasserflut
19:22 07. Auf dem Flusse
22:59 08. Rückblick
25:35 09. Irrlicht
28:15 10. Rast
32:21 11. Frühlingstraum
36:34 12. Einsamkeit
39:16 13. Die Post
41:25 14. Der Greise Kopf
44:03 15. Die Krähe
47:07 16. Letzte Hoffnung
49:35 17. Im Dorfe
52:26 18. Der stürmische Morgen
53:15 19. Täuschung
54:34 20. Der Wegweiser
58:56 21. Das Wirtshaus
1:03:33 22. Mut!
1:05:05 23. Die Nebensonnen
1:07:31 24. Der Leiermann
Lotte Lehmann, soprano
Paul Ulanowsky, piano
1940
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/260.html
Schubert - Schwanengesang D.957 - Hotter 1954
Franz Schubert (1797-1828) - Schwanengesang D.957 (1828)
1. Liebesbotschaft 00:00
2. Kriegers Ahnung 02:57
3. Frühlingssehnsucht 07:23
4. Ständchen 11:15
5. Aufenthalt 14:47
6. In der Ferne 17:31
7. Abschied 22:41
8. Der Atlas 26:53
9. Ihr Bild 28:49
10. Das Fischermädchen 31:26
11.Die Stadt 33:31
12. Am Meer 36:25
13. Der Doppelgänger 40:23
14. Die Taubenpost 44:09
Baritone - Hans Hotter
Piano - Gerald Moore
Studio, 1954.
Hans Hotter; "SCHWANENGESANG"; Franz Schubert 1949
Hans Hotter--bass-baritone
Gerald Moore--piano
1949
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/261.html
崎陽軒が横浜名物と言われる理由と、シウマイが売れるまでを解説しました。一筋縄ではいかなかったシウマイをどうやって全国に広めたのか?その戦略が凄すぎ!
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1007.html
Bruno Walter / VPO - Schubert : Symphony No.8 b-moll 'Unfinished' (1936) 再復刻
recorded May, 19,21, 1936
transfer from JPN Columbia 78s /J-8642/3(CHAX-103/5)
Schubert: Symphony No. 7(8) `Unfinished`, Walter & NYP (1958)
Bruno Walter (1876-1962), Conductor
New York Philharmonic
Rec. 3 March 1958, at Hotel St. George, in New York [Columbia]
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/262.html
Budapest String Quartet String Quartet No. 18 in A Major, K. 464(Live)
Budapest String Quartet String Quartet No. 18 in A Major, K. 464
Budapest String Quartet, Josef Roisman, Jac Gorodetzky, Boris Kroyt, Mischa Schneider
Released on: 1956-01-01
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/263.html
インスタントラーメン、ピザ、クロワッサン、食パン
ショートニング、マーガリン、マヨネーズ、ドレッシング、
ホイップクリーム、アイスクリーム、コーヒーフレッシュ
市販のカレー、シチュ-、ハンバーグ、おでん、焼肉、から揚げ、トンカツやコロッケ、天麩羅
全部食べちゃダメだよ
因みに、
生クリームの代わりに使われているホイップ・クリーム
アイスクリーム
コーヒーフレッシュ
はサラダ油を乳化したもので乳製品ではない
▲△▽▼
認知症、5人に1人が発症か…サラダ油摂取で発症リスク増大か
若年性認知症の患者数が増えてきているということをご存じでしょうか。65歳未満で認知症を発症してしまう若年性認知症の患者は、全国で約4万人近くいるといわれています。
認知症施策推進総合戦略、通称「新オレンジプラン」と呼ばれる、厚生労働省をはじめとして内閣官房、内閣府、警察庁、金融庁、消費者庁、総務省、法務省、文部科学省、農林水産省、経済産業省、国土交通省など、多くの省庁がかかわっている大規模な施策にも、若年性認知症の対策が盛り込まれています。
2012年時点で約462万人といわれていた日本の認知症患者数ですが、厚労省の推計によると、25年には認知症患者数が700万人に達し、65歳以上の約5人に1人が認知症ということになるそうです。あまり想像したくない未来予想図ですが、笑ってはいられない事態です。
若年性認知症とは別に、認知症予備軍といわれる「軽度認知障害」の人も、現段階で約400万人を超えていると推計されていて、この方たちはいずれ重度認知症になっていくと考えられています。
これは、医療機関を受診して認知症と診断された人の数ですから、医療機関を訪れない人を含めると、どれくらいになるのかわかりません。
認知症の患者が増えると、それに伴ってさまざまな社会への影響が出てきます。町を徘徊する人も増えるでしょうし、高速道路の逆走による事故なども増えるかもしれません。
■認知症を引き起こす要因
認知症がなぜ起きるのかは、まだ研究段階で確たる説はありませんが、一説によれば生活習慣病が一因だといわれています。たとえば、高血圧の人は認知症になりやすいというデータもありますし、糖尿病の人がアルツハイマー型認知症になりやすいともいわれています。
そんななかで筆者が着目しているのは「ヒドロキシノネナール」という物質です。ヒドロキシノネナールは、一般的なサラダ油などに多量に含まれています。リノール酸(オメガ6脂肪酸)が200度以上に加熱されると生成されるのですが、サラダ油などの製造過程では、脱臭の段階で200度以上になってしまうので、必然的に含まれることになります。
ヒドロキシノネナールは、私たちの体内に入った後、細胞膜の構成要素のひとつであるリン脂質を酸化させます。全身のあらゆる細胞に悪影響を及ぼすため、当然、脳の神経細胞も影響を受け、徐々に死滅していきます。最終的に、脳の一部である海馬という記憶装置も委縮させ、やがては破壊してしまうのです。これが認知症のプロセスで起こるといわれています。
では、どうすればいいのでしょうか。
簡単です。サラダ油を摂らないようにすることが、もっとも早い解決方法となります。加えて、サラダ油に類するような劣悪な油を使った“工業製品的加工食品”を食べないことです。マヨネーズやドレッシング、揚げ物やスナック菓子などにも、大量のヒドロキシノネナールが含まれているので、食べないほうが賢明です。
また、トランス脂肪酸も認知症の原因物質と疑われているので、その意味からも、摂らないようにしましょう。トランス脂肪酸に関しては、本連載の中でも繰り返し触れてきたので今回はあえて書きませんが、それを注意するだけでも認知症予防に少しは役立つはずです。
もう一点、注意を喚起しておきたいのが「アミロイドベータ」という物質で、たんぱく質の一種です。アミロイドベータは脳内の情報伝達のプロセスで必然的に生み出される物質ですが、通常は分解されて脳の血管を通じて体外に排出されます。ところが、なんらかの理由により、この排出がうまくいかなかったり、アミロイドベータが過剰に生成されてしまうと、脳内に蓄積されることになり、次第に毒性を発揮して脳の神経細胞を破壊することになるのです。それも認知症の原因になっています。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/687.html
今回は、以前から多数のリクエストがありました『カネミ油症』についての紹介です。
カネミ倉庫という企業は、米ぬかから油を精製し、「カネミライスオイル」という食用油を製造、販売しておりました。
しかし、このライスオイルを販売してしばらくすると、北九州の各地で謎の奇病が出はじめます。
さらに、この油を作る際に出る副産物「ダーク油」が家畜用の試料として出荷されていましたが、これが原因で養鶏場の鶏が命を落とし、生存した場合も卵を産まなくなるという事象が発生していました。
しかし、この時は国もメーカーもまともに調査を行わず、原因は不明のままでした。
その後、人間への影響は北九州のみならず、西日本全域で黒い吹き出物がでるなどの奇病が蔓延していました。原因は、ライスオイルを精製するときに使用していた熱触媒「PCB」。
これがライスオイルに大量に混入していたため、摂取した生物に様々な症状を引き起こしていたのです。
現在でも、当時の被害者の子供、孫などが苦しんでおり、被害者全員の救済には至っていないそうです。
※今回の事例では、企業名などをどうしても挙げざるを得なかったため、表記しましたが、この事件は裁判で和解が決定し、法的も精算された例です。
ですので、現存する当該企業などに対して、風評被害などが内容に留意していただきますよう、お願い致します。
引用:出典:参考
厚生労働省
https://ishort.ink/ezrQ
https://ishort.ink/dV6U
https://ishort.ink/AQ54
農林水産省
https://ishort.ink/S4LR
カネミ油症事件の経過 五島市
日本POPsネットワーク
https://ishort.ink/oKjc
Yahoo!ニュース
https://ishort.ink/PkwS
有害物質は土壌・底質に蓄積する。
高砂西港のカネカ盛立地を学ぶ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1008.html
【ゆっくり解説】海外の叡智なサ〇ト・第二弾【再投稿版】
2021/08/07
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フランクフルトから、特急電車でハイデルベルクまで行き、そこから普通電車を乗り継ぎ念願の温泉の町「バーデンバーデン」へ
で、混浴は絶対いや、という先輩のために、水着で入れる温泉施設へ
で、日曜日の10時過ぎに着いたのだけど・・・
100人くらい並んでる・・・
そして、水着がないので、売店にいくと、これ着るの、海外だけだよ、っていう色合いのワンピースタイプのものが1万円くらい・・・
外は雨。
「せ、せんぱい、条件、悪すぎません?待つのもしんどいし、
ち、ちょっと、横にある、混浴のとこ見てみましょうよぉ〜」
と、横の「フリートリッヒ浴場」へ
私が調べた資料によると、100年以上前にローマ浴場跡に建設されたらしい。
ドイツ観光局のホームページによると、
「華麗なドーム状の浴場では、芸術性の高いフレスコ画や大理石など、目を楽しませてくれるだけでなく、身体と心を包み込む芳香は肌で感じる装飾です。フリートリッヒ浴場の贅沢で華麗な魅力。」
とある。
「せんぱい、中がすごい、歴史的らしいですよぉ。どうせ混浴っていっても、タオルで前、隠せますよ〜私、まえ鹿児島で混浴入ったけど、タオルで隠したらぜんぜん恥ずかしくなかったですよ〜嫌だったら、すぐ出ましょうよぉ〜」
で、せっかく来たから、という事で先輩のOKをもらい、入場口へ。
そこの入場係のおばちゃんが「どっから来たの?ここ、裸だよ。ミックス入浴だよ。いいの?若い子ちゃん達」みたいな事を言ってくる。
不安を隠しつつ、「OKOKドキドキ」とおばちゃんをかわして中へ。
で、マッサージもできるよ、というので、1000円位多く払ってマッサージ付きに。
で、中へ。
「ひょえ〜〜〜〜〜」
女子も男子も全く隠してないよ。
ってか、タオル持ち込み禁止的な!
私 「先輩私が嫌になってきた〜あんなに嫌がる先輩連れてきてごめん〜」
先輩「もうはいってもたから、仕方ないやん。あけっぴろげにいこ。アジアパワー見せつけよ」
で、あけっぴろげにヨーロッパ人の裸を見ながら、入浴。
ここは、沢山浴場があって、数字がそれぞれ振ってあって、その順番に入り、入り方も何分間、とか決まってる。
その為、途中で脱落、とかしにくい。
でも、最後まで回らなければ損。と、前半を周り、美しいヨーロッパヌードを堪能し、丁度中間くらいで次はマッサージ。
「さすがに、マッサージは男女別なはずですよぉ〜マッサージの人は女子ですよぉ〜緊張感から解き放たれますね〜やっと」
↓
「・・・・・」
叫び全て不正解でした叫び
私のベッドの1メートルも離れないベッドの横で(超パーソナルスペース内!)、超ガタイのでかい男子が金丸出しでマッサージ中。
仕切りなし。
で、私をマッサージしてくれる人、超マッチョイケメン。
いや、さすがにその人の前はタオル巻いてたけど、この人、タオル巻いてなかったら、風俗やがな・・・
と勝手に、自意識過剰に考えながら、ブラシでゴシゴシ洗われて、マッサージを受ける。
人間不思議なもので、マッサージされてたら、恥ずかしいとか、なくなってきて、
「はぁ〜気持ちかった〜延長〜」となりそうだった。(もちろん延長とかないです・・・)
で、羞恥心が薄れた所で、子ども用プールみたいな浅瀬のお風呂へ。
周りにある彫刻とかがすごく素敵で、天井がフレスコ画で、見とれながら長々入ってたら、最初5人程しかいなくて広々だったのに、男子アジア人の団体が入ってきて、一気に20人程に。
1メートル以内に男子がいる、という、再度、全裸でパーソナルスペースを冒される状況に。
なんか、同じ人種の人に見られるのは、なぜか、すごくはずかしい。
で、アジア人男子たちが出るのを待つが、誰も出ない・・・
→のぼせる→はずかしい→どうしよう→待つ→よりのぼせる
という負のスパイラルへ。
で、「もうえーやん!こいつらに裸、見せつけてやろ!ヤマトパワーみせてやろ!そうしましょ!先輩!この人ら絶対うちらのアラレもない姿みたいんですよっ!先輩、ドMでしょっ!屈辱味わいましょ!」
もう、恥ずかしさにより、すでにおかしくなってますね・・・
で、堂々とサパーッと出てやりましたよ。
「屈辱ぅ〜」といいながら・・・(先輩はドMなので、楽しそうに「くつじょくぅ〜」と言ってた)
で、そのテンションMAXのまま、帰りのバスを乗り間違え、電車に遅れそうになりながら、無事にフランクフルトへ帰る車中へ。
私:「せんぱい、今となっては、良い思い出ですねぇ合格、みんなもうちらの裸見れて喜んでましたよ恋の矢きっと。いちゃつくゲイも初めて見たし目、人生初体験でしたねぇ」
先輩:「ほんまやな〜あんなに金見る事、ないなぁ。一生分の金みたなぁ〜。ヨーロッパ人の金初めて見たけど・・・すごいな・・・」
すみません。最後は下ネタみたいになっちゃいましたけど、
その日、何回、金、と言ったことか・・・あくまでも事実です。
13. 無題
はじめまして。10年前の2003年に、そこへ行ったことがありますが、変わっていないようですね。私は男性ですが、隠さず威風堂々としている白人の若い女性に気押されしました。
fmi 2013-03-15 19:40:15
14. Re:無題
fmiさんも行かれたんですね〜
たしかに白人女性、誰も恥ずかしそうにしてなかった覚えがあります〜中々出来ない体験ですよね〜
旅行大好きクローバー 2013-07-21 01:45:57
http://ameblo.jp/purinnori/entry-11008574927.html
世界の混浴をゆく ヴィースバーデン
Wiesbaden駅に着いたのは18:15。温泉は1.7キロ先にあり、ぶっ飛ばして歩いても18:40くらいにしか着けない。
まず驚いたことが、建物のファサード。
超立派。
建物の中に入るとうっすら湿っぽい。温泉の壁画もある。
喜び勇んでフロントへ。すると磁気ボタンつきリストバンドを渡される。入り口に入ってから1時間ごとに6ユーロという料金体系らしい。とりあえず温泉についての説明を少し受け、いざ出陣。(残念ながらここから先にぼく撮影の写真はありません。ぼくの興奮状態を想像していただければ幸いです。)
で、いきなりである。
ロッカールームからすでに「混」なのである。金髪のお姉さんが、すっぽんぽんでいらっしゃるのである。ここは天国か?
高まる期待。早まる鼓動。そして張り切る下半身。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
勝負はまだ始まったばかりだ。
すっぽんぽんになり、タオルを持ち、シャワーを浴びてから、浴場に向かう。とりあえず全体を見てみる。最初のホールにはバーラウンジがあり、ここで飲食ができるらしい。お金は磁気ボタンに記憶され、最後に清算されるとのこと。次のホールには右手に水風呂、左手にサウナが2部屋。右奥にはスチームサウナと別のサウナ。次のホールには温泉が温度別で2つ。最後にリラックスホールと続く。
ぼくが最初に向かったのはもちろん温泉。タオルをハンガーにかけ、いざ、と思ったところ、推定30台中盤の、チャビーなお姉さんが一糸まとわぬ姿でお風呂から出てくるところとすれ違った。当然目のやり場に困り、焦り、うろたえる。
覚えていることは、髪型がベリーショートだったことと、おっぱいがでかかったことと、アソコの毛がなかったことと、全体的にチャビーなこと。つまり、焦りうろたえながらも、圧倒的な動体視力と集中力を発揮し、全容をしっかり記憶したのである。
続いて隣の部屋の奥のサウナへ。推定40のお姉さんが一糸まとわぬ姿で寝てらっしゃる。はんぱない。
さらにスチームサウナへ。ここではなんと、推定20歳の美しき2人組がいらっしゃる。スチームばかりでほとんど視界がないとはいえ、まじで大迫以上にはんぱない。
早まる鼓動。張り切る下半身。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。
なんとか持ちこたえ、別のサウナへ。すると、お風呂ですれ違ったチャビーなお姉さんが一糸まとわぬ姿で寝転んでいる。相当気持ちよいとみえ、いびきまでかいておられる。で、ふとオマタ全開なことに気づく。
早まる鼓動。はじける祈りと激しいリズム。そしてさらに張り切る下半身。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。
ドイツの友人に「混浴ツアーに行くんだ」と事前連絡をした際、「下半身興奮させたら変態と思われるからね」とくぎを打たれていた。旅の恥はかき捨てとは言うが、ぼくの股間・・・ではなく沽券に関わる。混浴ごときで興奮するようでは、日本の古き良き入浴文化の復権に全力を尽くす(はずの)ぼくの正義に反する。
ウェブで拾ったWiesbaden。実際はタオルなどゲセワなものは巻いてません。
結局1時間弱の滞在時間、かなり多くの全裸の乙女たちに遭遇した。混浴をめぐる戦いでは、これまでにない圧勝である。
ただ、本当の勝負は自分との戦いであることに気づいたのは言うまでもない。己の集中力とプライドと股間・・・ならぬ沽券に関わる戦いである。こちらは、ひん死の重傷を負いながらなんとか逃げ切ったにすぎない。
温泉とサウナできれいさっぱりした後に、また1.7キロの道のりを歩き、電車に乗り込んだころにはしっかり汗をかいていた。
天女のいる温泉、Wiesbaden。まだまだ修行不足であることを痛感した。
☆☆☆☆☆
Wiesbaden Kaiser Friedrich Therme
訪問日:2013年9月18日(水)19時頃
結果:一糸まとわぬ麗らかな乙女たちに囲まれたぼくは、プライドをズタボロにされた。混浴としては圧倒的な「混」状態。しかし、下心などなくても興奮を抑えるのに必死にならざるをえなかった。混浴大国ドイツ。恐るべし。修行して出直します。
http://urbancatalist.wordpress.com/2013/10/06/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%B7%B7%E6%B5%B4%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F%EF%BC%92%E3%80%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3/
合法の極楽浄土〜全裸・混浴ドイツ・スパ初体験〜!! December 26, 2010
その施設の名はClaudius Therme(クラウディウス・テルメ)。ドイツはケルン中央駅からタクシーに乗ること約20分。広大なラインパーク公園の北の一角にその広大なスパ・サウナ施設はあります。ベルギッシュランド地方およびライン川中域の火山活動などその特異な地理的条件から、ここオーデコロン(ケルンの水の意)発祥の地でもあるケルンの街に豊かな源泉が湧き出ています。
とりわけ海外、特にヨーロッパでの温泉は初めてでした。右も左も分からないまま、楽しみ半分心配半分、とにかく入館です。
「2階にはサウナがあるよ」ということで、道中冷えた体を温めに、上の階に行ってみることに。
そこにはなんと、未だ人生で見たことのない、信じがたい光景が眼前に広がったのでした!
プールで戯れる全裸の男女。仲良く裸でジャグジーにつかるカップル。シャワーでクールダウンさせているサウナで発汗した裸体。
物語の世界でしか出会ったことのない、桃源郷の世界が、アダムとイブの世界が、現実の光景として私の眼前に広がっている、その事実。呆然と立ちすくむこと、(決して大げさでなく、感覚的に約)3分。ようやく意識が戻ってくるとともに、水着を着てそこに存在する自分に、逆に恥ずかしさすら感じ始めました。そこで、さっきの第2の更衣室に再び戻り、私も「郷に従う」ことに。水着を脱ぎ捨てるも、捨てきれない羞恥心がバスローブ一枚を纏わせたものの、再びいざ突入。
そこでは、人間を性により分け隔てることはなく、まるで、身にまとった外界の全てを取り除き、真にリラックスした姿で寛ぐ人々。ベンチに身体をあずけて寝そべる者。傍らの足湯で寛ぐ者。バブル・ジャグジーで暖をとる者。最初、あっけにとられてしまった自分を恥ずるくらい、そこには性的な雰囲気など微塵もありません。男女ではなく、人類に近いそんな感覚。次第に目も脳も慣れ、「遠路はるばる来たのだから寛がなくっちゃ」と気持ちも切り替わり、お目当てのサウナに入ってみることに。
扉の内側のこのエリアには、その周囲にいくつもの異なる個室サウナがあります。日本で最もポピュラーなタイプの、階段状の80-90℃のフィンランドサウナ。また、円形タイル張りの、湿度100%、40-50℃のスチームサウナ。変わりどころでは、一見日焼けマシーンのような、ベッド型の機械に横たわり、遠赤外線を浴びるタイプのサウナ(55℃、湿度60%)。別料金ですが、45分の垢すりのような、ボディー・ラビング。どれから入ろうか、迷ってしまうくらいのバラエティー。
とりあえず、広めで既に数人入室している低温サウナに入ってみることに。各サウナの扉の側には必ずフックがかかっていて、皆そこにタオルやバスローブを引っかけて行きます。私も、恥ずかしさとドキドキ感をバスローブと共にフックにかけ置き、いざ入室です。
そこには、既に気持ちよさそうに身体を保湿させた男女が数人、それぞれの体勢で寛いでいます。階段に腰掛けひたすら俯く者。タオルを一面に広げて、寝そべる者。そんな皆に共通しているのは、ドイツ人の気性でしょうか?それとも、真剣にサウナと対峙しているのか?中央の塔から流れ出る流水のせせらぎ以外は、皆、言葉一つ交わさず、静かに沈黙を保ちつつ汗を絞り出しています。
サウナに入室してきた二人は、見た目、自分よりもはるかに年下と思われる、初々しさあふれるカップルでした。
入室するや否や、彼の方は、「考える人」のように俯き加減で物静かに座るかと思えば、その彼女は、タオルを大きく広げ、近くの木枕を手繰り寄せ、仰向けに体を横たえました。もちろん、その体を覆い隠す、羞恥の心もタオルも何もありません。目のやり場に困ると思いつつ気付けば、私を除く周囲の皆はひたむきにリラクゼーションを追及して汗をかくことに集中しています。
その若いカップルも、言葉は一言も交わさず、それぞれ思い思いの体勢で、自らの新陳代謝促進に集中です。初めは視線が泳ぎ、どうして裸の男女が言葉も発することなくこのせまい箱に籠っているのか理解しようと考えを巡らせたのですが、答えなど浮かぶわけもありません。答えを待つより先に、次第に目が、脳が慣れてきたのか、だんだん目の前の光景を事実として受け入れられるようになってきました。恥ずかしさから誘発される汗から、純粋にサウナの熱により誘発される汗へと、次第に変わっていくのでした。
温泉好きを自称していることもあって、数々の温泉、スパ施設をこれまで経験してきました。しかし、ここまで異文化体験を感じることができた温泉に出会ったことはありませんでした。拙文のあまり、その新鮮な驚きがどの程度お伝えできたか分かりませんが、「百聞は一見に如かず!」ドイツ(ケルン以外にも、ドイツにはバーデンバーデンという有名な温泉街もありますよ!)に足を運ぶ機会があったら、ぜひ温泉の
http://loiseaubleutokyo.blogspot.jp/2010/12/blog-post_26.html
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フランクフルトから、特急電車でハイデルベルクまで行き、そこから普通電車を乗り継ぎ念願の温泉の町「バーデンバーデン」へ
で、混浴は絶対いや、という先輩のために、水着で入れる温泉施設へ
で、日曜日の10時過ぎに着いたのだけど・・・
100人くらい並んでる・・・
そして、水着がないので、売店にいくと、これ着るの、海外だけだよ、っていう色合いのワンピースタイプのものが1万円くらい・・・
外は雨。
「せ、せんぱい、条件、悪すぎません?待つのもしんどいし、
ち、ちょっと、横にある、混浴のとこ見てみましょうよぉ〜」
と、横の「フリートリッヒ浴場」へ
私が調べた資料によると、100年以上前にローマ浴場跡に建設されたらしい。
ドイツ観光局のホームページによると、
「華麗なドーム状の浴場では、芸術性の高いフレスコ画や大理石など、目を楽しませてくれるだけでなく、身体と心を包み込む芳香は肌で感じる装飾です。フリートリッヒ浴場の贅沢で華麗な魅力。」
とある。
「せんぱい、中がすごい、歴史的らしいですよぉ。どうせ混浴っていっても、タオルで前、隠せますよ〜私、まえ鹿児島で混浴入ったけど、タオルで隠したらぜんぜん恥ずかしくなかったですよ〜嫌だったら、すぐ出ましょうよぉ〜」
で、せっかく来たから、という事で先輩のOKをもらい、入場口へ。
そこの入場係のおばちゃんが「どっから来たの?ここ、裸だよ。ミックス入浴だよ。いいの?若い子ちゃん達」みたいな事を言ってくる。
不安を隠しつつ、「OKOKドキドキ」とおばちゃんをかわして中へ。
で、マッサージもできるよ、というので、1000円位多く払ってマッサージ付きに。
で、中へ。
「ひょえ〜〜〜〜〜」
女子も男子も全く隠してないよ。
ってか、タオル持ち込み禁止的な!
私 「先輩私が嫌になってきた〜あんなに嫌がる先輩連れてきてごめん〜」
先輩「もうはいってもたから、仕方ないやん。あけっぴろげにいこ。アジアパワー見せつけよ」
で、あけっぴろげにヨーロッパ人の裸を見ながら、入浴。
ここは、沢山浴場があって、数字がそれぞれ振ってあって、その順番に入り、入り方も何分間、とか決まってる。
その為、途中で脱落、とかしにくい。
でも、最後まで回らなければ損。と、前半を周り、美しいヨーロッパヌードを堪能し、丁度中間くらいで次はマッサージ。
「さすがに、マッサージは男女別なはずですよぉ〜マッサージの人は女子ですよぉ〜緊張感から解き放たれますね〜やっと」
↓
「・・・・・」
叫び全て不正解でした叫び
私のベッドの1メートルも離れないベッドの横で(超パーソナルスペース内!)、超ガタイのでかい男子が金丸出しでマッサージ中。
仕切りなし。
で、私をマッサージしてくれる人、超マッチョイケメン。
いや、さすがにその人の前はタオル巻いてたけど、この人、タオル巻いてなかったら、風俗やがな・・・
と勝手に、自意識過剰に考えながら、ブラシでゴシゴシ洗われて、マッサージを受ける。
人間不思議なもので、マッサージされてたら、恥ずかしいとか、なくなってきて、
「はぁ〜気持ちかった〜延長〜」となりそうだった。(もちろん延長とかないです・・・)
で、羞恥心が薄れた所で、子ども用プールみたいな浅瀬のお風呂へ。
周りにある彫刻とかがすごく素敵で、天井がフレスコ画で、見とれながら長々入ってたら、最初5人程しかいなくて広々だったのに、男子アジア人の団体が入ってきて、一気に20人程に。
1メートル以内に男子がいる、という、再度、全裸でパーソナルスペースを冒される状況に。
なんか、同じ人種の人に見られるのは、なぜか、すごくはずかしい。
で、アジア人男子たちが出るのを待つが、誰も出ない・・・
→のぼせる→はずかしい→どうしよう→待つ→よりのぼせる
という負のスパイラルへ。
で、「もうえーやん!こいつらに裸、見せつけてやろ!ヤマトパワーみせてやろ!そうしましょ!先輩!この人ら絶対うちらのアラレもない姿みたいんですよっ!先輩、ドMでしょっ!屈辱味わいましょ!」
もう、恥ずかしさにより、すでにおかしくなってますね・・・
で、堂々とサパーッと出てやりましたよ。
「屈辱ぅ〜」といいながら・・・(先輩はドMなので、楽しそうに「くつじょくぅ〜」と言ってた)
で、そのテンションMAXのまま、帰りのバスを乗り間違え、電車に遅れそうになりながら、無事にフランクフルトへ帰る車中へ。
私:「せんぱい、今となっては、良い思い出ですねぇ合格、みんなもうちらの裸見れて喜んでましたよ恋の矢きっと。いちゃつくゲイも初めて見たし目、人生初体験でしたねぇ」
先輩:「ほんまやな〜あんなに金見る事、ないなぁ。一生分の金みたなぁ〜。ヨーロッパ人の金初めて見たけど・・・すごいな・・・」
すみません。最後は下ネタみたいになっちゃいましたけど、
その日、何回、金、と言ったことか・・・あくまでも事実です。
13. 無題
はじめまして。10年前の2003年に、そこへ行ったことがありますが、変わっていないようですね。私は男性ですが、隠さず威風堂々としている白人の若い女性に気押されしました。
fmi 2013-03-15 19:40:15
14. Re:無題
fmiさんも行かれたんですね〜
たしかに白人女性、誰も恥ずかしそうにしてなかった覚えがあります〜中々出来ない体験ですよね〜
旅行大好きクローバー 2013-07-21 01:45:57
http://ameblo.jp/purinnori/entry-11008574927.html
世界の混浴をゆく ヴィースバーデン
Wiesbaden駅に着いたのは18:15。温泉は1.7キロ先にあり、ぶっ飛ばして歩いても18:40くらいにしか着けない。
まず驚いたことが、建物のファサード。
超立派。
建物の中に入るとうっすら湿っぽい。温泉の壁画もある。
喜び勇んでフロントへ。すると磁気ボタンつきリストバンドを渡される。入り口に入ってから1時間ごとに6ユーロという料金体系らしい。とりあえず温泉についての説明を少し受け、いざ出陣。(残念ながらここから先にぼく撮影の写真はありません。ぼくの興奮状態を想像していただければ幸いです。)
で、いきなりである。
ロッカールームからすでに「混」なのである。金髪のお姉さんが、すっぽんぽんでいらっしゃるのである。ここは天国か?
高まる期待。早まる鼓動。そして張り切る下半身。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
勝負はまだ始まったばかりだ。
すっぽんぽんになり、タオルを持ち、シャワーを浴びてから、浴場に向かう。とりあえず全体を見てみる。最初のホールにはバーラウンジがあり、ここで飲食ができるらしい。お金は磁気ボタンに記憶され、最後に清算されるとのこと。次のホールには右手に水風呂、左手にサウナが2部屋。右奥にはスチームサウナと別のサウナ。次のホールには温泉が温度別で2つ。最後にリラックスホールと続く。
ぼくが最初に向かったのはもちろん温泉。タオルをハンガーにかけ、いざ、と思ったところ、推定30台中盤の、チャビーなお姉さんが一糸まとわぬ姿でお風呂から出てくるところとすれ違った。当然目のやり場に困り、焦り、うろたえる。
覚えていることは、髪型がベリーショートだったことと、おっぱいがでかかったことと、アソコの毛がなかったことと、全体的にチャビーなこと。つまり、焦りうろたえながらも、圧倒的な動体視力と集中力を発揮し、全容をしっかり記憶したのである。
続いて隣の部屋の奥のサウナへ。推定40のお姉さんが一糸まとわぬ姿で寝てらっしゃる。はんぱない。
さらにスチームサウナへ。ここではなんと、推定20歳の美しき2人組がいらっしゃる。スチームばかりでほとんど視界がないとはいえ、まじで大迫以上にはんぱない。
早まる鼓動。張り切る下半身。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。
なんとか持ちこたえ、別のサウナへ。すると、お風呂ですれ違ったチャビーなお姉さんが一糸まとわぬ姿で寝転んでいる。相当気持ちよいとみえ、いびきまでかいておられる。で、ふとオマタ全開なことに気づく。
早まる鼓動。はじける祈りと激しいリズム。そしてさらに張り切る下半身。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。
ドイツの友人に「混浴ツアーに行くんだ」と事前連絡をした際、「下半身興奮させたら変態と思われるからね」とくぎを打たれていた。旅の恥はかき捨てとは言うが、ぼくの股間・・・ではなく沽券に関わる。混浴ごときで興奮するようでは、日本の古き良き入浴文化の復権に全力を尽くす(はずの)ぼくの正義に反する。
ウェブで拾ったWiesbaden。実際はタオルなどゲセワなものは巻いてません。
結局1時間弱の滞在時間、かなり多くの全裸の乙女たちに遭遇した。混浴をめぐる戦いでは、これまでにない圧勝である。
ただ、本当の勝負は自分との戦いであることに気づいたのは言うまでもない。己の集中力とプライドと股間・・・ならぬ沽券に関わる戦いである。こちらは、ひん死の重傷を負いながらなんとか逃げ切ったにすぎない。
温泉とサウナできれいさっぱりした後に、また1.7キロの道のりを歩き、電車に乗り込んだころにはしっかり汗をかいていた。
天女のいる温泉、Wiesbaden。まだまだ修行不足であることを痛感した。
☆☆☆☆☆
Wiesbaden Kaiser Friedrich Therme
訪問日:2013年9月18日(水)19時頃
結果:一糸まとわぬ麗らかな乙女たちに囲まれたぼくは、プライドをズタボロにされた。混浴としては圧倒的な「混」状態。しかし、下心などなくても興奮を抑えるのに必死にならざるをえなかった。混浴大国ドイツ。恐るべし。修行して出直します。
http://urbancatalist.wordpress.com/2013/10/06/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%B7%B7%E6%B5%B4%E3%82%92%E3%82%86%E3%81%8F%EF%BC%92%E3%80%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3/
合法の極楽浄土〜全裸・混浴ドイツ・スパ初体験〜!! December 26, 2010
その施設の名はClaudius Therme(クラウディウス・テルメ)。ドイツはケルン中央駅からタクシーに乗ること約20分。広大なラインパーク公園の北の一角にその広大なスパ・サウナ施設はあります。ベルギッシュランド地方およびライン川中域の火山活動などその特異な地理的条件から、ここオーデコロン(ケルンの水の意)発祥の地でもあるケルンの街に豊かな源泉が湧き出ています。
とりわけ海外、特にヨーロッパでの温泉は初めてでした。右も左も分からないまま、楽しみ半分心配半分、とにかく入館です。
「2階にはサウナがあるよ」ということで、道中冷えた体を温めに、上の階に行ってみることに。
そこにはなんと、未だ人生で見たことのない、信じがたい光景が眼前に広がったのでした!
プールで戯れる全裸の男女。仲良く裸でジャグジーにつかるカップル。シャワーでクールダウンさせているサウナで発汗した裸体。
物語の世界でしか出会ったことのない、桃源郷の世界が、アダムとイブの世界が、現実の光景として私の眼前に広がっている、その事実。呆然と立ちすくむこと、(決して大げさでなく、感覚的に約)3分。ようやく意識が戻ってくるとともに、水着を着てそこに存在する自分に、逆に恥ずかしさすら感じ始めました。そこで、さっきの第2の更衣室に再び戻り、私も「郷に従う」ことに。水着を脱ぎ捨てるも、捨てきれない羞恥心がバスローブ一枚を纏わせたものの、再びいざ突入。
そこでは、人間を性により分け隔てることはなく、まるで、身にまとった外界の全てを取り除き、真にリラックスした姿で寛ぐ人々。ベンチに身体をあずけて寝そべる者。傍らの足湯で寛ぐ者。バブル・ジャグジーで暖をとる者。最初、あっけにとられてしまった自分を恥ずるくらい、そこには性的な雰囲気など微塵もありません。男女ではなく、人類に近いそんな感覚。次第に目も脳も慣れ、「遠路はるばる来たのだから寛がなくっちゃ」と気持ちも切り替わり、お目当てのサウナに入ってみることに。
扉の内側のこのエリアには、その周囲にいくつもの異なる個室サウナがあります。日本で最もポピュラーなタイプの、階段状の80-90℃のフィンランドサウナ。また、円形タイル張りの、湿度100%、40-50℃のスチームサウナ。変わりどころでは、一見日焼けマシーンのような、ベッド型の機械に横たわり、遠赤外線を浴びるタイプのサウナ(55℃、湿度60%)。別料金ですが、45分の垢すりのような、ボディー・ラビング。どれから入ろうか、迷ってしまうくらいのバラエティー。
とりあえず、広めで既に数人入室している低温サウナに入ってみることに。各サウナの扉の側には必ずフックがかかっていて、皆そこにタオルやバスローブを引っかけて行きます。私も、恥ずかしさとドキドキ感をバスローブと共にフックにかけ置き、いざ入室です。
そこには、既に気持ちよさそうに身体を保湿させた男女が数人、それぞれの体勢で寛いでいます。階段に腰掛けひたすら俯く者。タオルを一面に広げて、寝そべる者。そんな皆に共通しているのは、ドイツ人の気性でしょうか?それとも、真剣にサウナと対峙しているのか?中央の塔から流れ出る流水のせせらぎ以外は、皆、言葉一つ交わさず、静かに沈黙を保ちつつ汗を絞り出しています。
サウナに入室してきた二人は、見た目、自分よりもはるかに年下と思われる、初々しさあふれるカップルでした。
入室するや否や、彼の方は、「考える人」のように俯き加減で物静かに座るかと思えば、その彼女は、タオルを大きく広げ、近くの木枕を手繰り寄せ、仰向けに体を横たえました。もちろん、その体を覆い隠す、羞恥の心もタオルも何もありません。目のやり場に困ると思いつつ気付けば、私を除く周囲の皆はひたむきにリラクゼーションを追及して汗をかくことに集中しています。
その若いカップルも、言葉は一言も交わさず、それぞれ思い思いの体勢で、自らの新陳代謝促進に集中です。初めは視線が泳ぎ、どうして裸の男女が言葉も発することなくこのせまい箱に籠っているのか理解しようと考えを巡らせたのですが、答えなど浮かぶわけもありません。答えを待つより先に、次第に目が、脳が慣れてきたのか、だんだん目の前の光景を事実として受け入れられるようになってきました。恥ずかしさから誘発される汗から、純粋にサウナの熱により誘発される汗へと、次第に変わっていくのでした。
温泉好きを自称していることもあって、数々の温泉、スパ施設をこれまで経験してきました。しかし、ここまで異文化体験を感じることができた温泉に出会ったことはありませんでした。拙文のあまり、その新鮮な驚きがどの程度お伝えできたか分かりませんが、「百聞は一見に如かず!」ドイツ(ケルン以外にも、ドイツにはバーデンバーデンという有名な温泉街もありますよ!)に足を運ぶ機会があったら、ぜひ温泉の
http://loiseaubleutokyo.blogspot.jp/2010/12/blog-post_26.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/264.html#c1
目次
00:00 1日1食の食事法について
00:41 1日1食についての留意点
02:05 1日1食の食事法についてのメリットやデメリット
・肌の調子が良くなる
・集中力が保てる
・身体が軽くなる
・筋肉がおちる
・血糖値スパイク
・必要なビタミンやミネラルが不足
09:52 1日1食の食生活はやめるべき?
13:28 健康な毎日を過ごすためには?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1011.html
Koizumi Shinjiro 001Koizumi Juniciro 002Koizumi Junya 1Koizumi Matajiro
(左 : 小泉進次郎 / 父親の小泉純一郎 / 祖父の小泉純也 / 右 : 曾祖父の小泉又次郎 )
日本人は平等思想を好むが、その裏で学歴や家系を非常に尊ぶ。確かに、我が国は民族的同質性が極めて高く、西歐的な階級社会とは程遠い。だから、善悪は別にして、何らかの「差別」が必要になってくる。人間は平等を愛していても、時折、他者との違いを求め、どちらが優位なのかを知りたくなる。とりわけ、日本人は全国何処にいっても似たり寄ったりの顔つきで、貧富の格差も少ないから、より一層色々な「格付け」に興味を抱く。天皇陛下の目から見れば、百姓でも将軍でも「同じ日本国民、陛下の赤子」だから、日本は稀に見る平等社会なんだけど、ちょっとだけ「序列」をつけて「差別」わ楽しみたくなる。日本人が学校の試験とかスポーツの競技に夢中になるのは、ランキングの刺戟を求めているからだろう。
Arleigh Burke 221(左 / アーレイ・バーク )
最近発売された『週刊新潮』の記事によれば、小泉進次郎は「親爺の人脈」や「特別待遇」とやらで、コロンビア大学の大学院や、世界的に知られるCSIS(戦略国際問題研究所)に入ったそうだ。ちなみに、この「CSIS(Center for Strategic and International Studies)」というのは、1962年、ジョージタウン大学に創設されたシンクタンクのことで、主導者は合衆国海軍の高名な提督たるアーレイ・バーク(Arleigh A. Burke)と、レーガン大統領の特別補佐官を務め、国務省勤務からNATO大使になったデイヴィッド・マンカー・アブシャー(David Manker Abshire)である。国家論や軍事・外政を勉強している者にとって、有力者が集まるCSISは馴染みが深く、「フーバー研究所」や「ケイトー研究所」、「ヘリテージ研究所」と肩を並べるシンクタンクだ。一般国民だとバーク提督を知らない人もいるだろうが、テレビやラジオの番組でミサイル駆逐艦(イージス艦)「USSアーレイ・バーク」の名を聞いたことはあるんじゃないか。
気候変動サミットに参加した進次郎は、「セクシー発言」で注目を集め、「ポエム的発想」で話題となった環境大臣だけど、その英語力は留学経験で磨かれていた。2004進次郎は年に関東学院大学を卒業し、父親(純一郎)の「後押し」で難関のコロンビア大学院に入ったそうだ。しかし、その「入学」には関東学院大学の教授と国際関係学研究所の天川由記子(あまかわ・ゆきこ)所長が絡んでいたという。母校の教授は小泉家からの接触を受け、コロンビアに行きたい進次郎の希望をどうしたらよいのかと悩んだらしい。そこで、知り合いの天川に相談してアドバイスを求めたから、今回の暴露記事になったそうだ。進次郎はコロンビア大学で日本の政治を専門にするジェラルド・カーティス(Gerald Curtis)教授のもとで学びたかったそうで、父親の純ちゃんも息子の願いを叶えたかったらしい。まぁ、藝人の「なべおさみ(渡辺修三)」も息子の「やかん(渡辺心)」を明治大学に入れたく、お金を使って替え玉受験をさせたから、どこの業界にも子煩悩な親はいるものだ。
Gerald Curtis 1Gerald Curtis 443(左 : ジェラルド・カーティス / 右 : 小泉総理と一緒のカーティス教授)
一方、カーティス教授は日本のメディアにも度々登場した学者なので、「ああ、昔、TBSやテレ朝に時々出ていたアメリカ人教授かぁ〜」と覚えている日本人も多いだろう。カーティス教授もYKK(小泉、加藤紘一、山崎拓)とは顔馴染みだから、純ちゃんの「お願い」を聞き入れた可能性は高い。ここでは直接関係ないけど、カーティス教授の素性は知られておらず、どんな民族性なのか興味がある。
米国人で日本の事を勉強する人にはユダヤ人が多く、合衆国陸軍で対日情報を扱っていたハーバット・パッシン(Herbert Passin)はコロンビア大学のユダヤ人教授であったし、合衆国海軍に属していたエドワード・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker)は、カトリック信徒になったドイツ系ユダヤ人のアメリカ人。戦後、上智大学の教授となり、源氏物語を英訳したことで有名だ。モルガン・スタンレーMUFGの日本担当アナリストであったロバート・フェルドマン(Robert Alan Feldman)は、テレビ東京の「ワールド・サテライト・ニュース」に出演したり、政府の諮問委員会に参加したことで有名なユダヤ系アメリカ人である。現在は、東京理科大学で客員教授を務めているそうだ。日本に活動の場を移したマーティー・フリードマン(Marty Friedman)は、人気ロックバンド「メガデス」の元ギターリストで、流暢な日本語を話すユダヤ系アメリカ人。おそらく、歌手の相川七瀬を支持するファンや「タモリ倶楽部」の視聴者なら、フリードマンを知っているだろう。カーティス教授は、一体どんなアメリカ人なのか?
Herbert Passin 111Edward Seidensticker 111Robert Feldman 111Marty Friedman 001
(左 : ハーバット・パッシン / エドワード・サイデンステッカー / ロバート・フェルドマン / 右 : マーティー・フリードマン )
それはともかく、肝心な問題は、進次郎の学力と英語力の方だ。中堅の関東学院でも「優等生」なら米国への留学も可能だが、進次郎の成績は「平均的」だったというから、卒業時の進次郎ではコロンビア大学への留学は極めて困難。(『週刊新潮』 2021年8月12・19日夏期特大号、p.153.) そもそも、留学の前提となる語学力(TOEFLの点数)だって「凡庸」であったというから、進次郎の留学計画は最初から破綻していたのかも知れない。ちなみに、この「TOEFLE」とは外人留学生に課せられる英語試験で、今は形式が違うけど、昔は満点が677点で、有名校だと最低でも620点から630点くらいは要求されたものである。
その他、高校から学部への入学だと英語と数学によるSATという試験が課せられ、大学院への進学ならGREという難しい試験を受けなければならない。SATの方は簡単な数学と、ちょっと難しい英語の読解程度だから、日本人でも頑張れば合格点を取れる。しかし、TOEFLで躓く進次郎となれば、GREで合格点を取るのは不可能に近い。進次郎よりも前の世代だと、留学を希望する日本人は過去の試験を参考にしたTOEFLの問題集やGREの解説書を購入して勉強したものだ。(一般的に受験勉強はつまらないけど、日本人にとって英語で質問される数学の試験は新鮮だ。日本の学校に通っていると、理科や数学を英語の参考書で勉強する人は滅多にいないから。)
Victor Cha 001(左 / ヴィクター・チャ )
話を戻す。相談を受けた天川氏は、面識のあるマイケル・グリーン(Michael Green)氏に連絡を取ったそうだ。「ジャパン・ハンドラー」として有名なグリーン氏は、ブッシュ政権で国家安全保障会議(NSC)に属し、大統領特別補佐官に就いた人物である。それゆえ、日本の総理から内々に「お願い事」を打診されれば、「一肌脱いでやるか !」と気張っても不思議じゃない。グリーン氏は早速NSCのヴィクター・チャ(Victor Cha / ブッシュ政権で北鮮問題を担当した補佐官)を紹介し、チャ氏に対しては「父親の跡継ぎだから、小泉家の御曹司を面倒見てね !」と頼んだらしい。そこで、チャ氏は小論文や推薦状で進次郎が政治家になりたい旨を強調するよう、天川氏に伝えたそうである。(上掲記事 p.154.)
このアドバイスが功を奏したのか、進次郎は条件付きで合格となった。ただし、TOEFLのスコアが600点に達するまで、大学内の英語講座を受けるよう指示されたそうだ。まぁ、勉強するために渡米したんだからいいんだけど、これって、何となく「胡散臭い入学」に思えてくる。それなら、堂々と寄付金を払って正門から入学すればいいじゃないか。
Michael Green 11(左 / マイケル・グリーン )
新潮の記事によると、進次郎は睡眠時間を削って猛勉強し、コロンビア大で修士号を取れたという。しかし、驚くのは、その後の就職先である。何と、出来損ないの進次郎は、世界的に有名なCSISに就職できたのだ。モノマネ藝人の梅小鉢さんじゃないけど、「へぇぇぇ〜」と叫びたくなる。これは、いくら何でも八百長だろう。CSISの研究員とかスタッフといったら、英語を得意とするアメリカ人やカナダ人にとっても「狭き門」であるのに、そこへ凡庸な進次郎が就職できたなんて奇蹟だ。まるで、小室圭の留学みたいだぞ。マイケル・グリーンによれば、ジェラルド・カーティスの「口利き」で進次郎の「CSIS入り」が実現したそうだが、天川氏には不可解であったらしい。彼女がグリーン氏と会った時、よく進次郎は博士号も無いのにCSISに採用されましたね、と尋ねたら、グリーン氏はニヤッと笑って「人質だよ」と答えたそうだ。(上掲記事 p.155.)
この会話を聞いた大抵の日本人は、背中に戦慄を感じるというよりも、恐怖と落胆、困惑、心配、不安が入り交じった感情を抱くはずだ。愛国者や神経質な人だと、無意識的に膝から崩れ落ちてしまうだろう。そして、「あぁぁ〜、こんな奴が未来の総理大臣かぁ〜。いったい日本の運命は、どうなるんだ?」と嘆くに違いない。アメリカのエスタブリッシュメントは、裏庭の衛星国や間抜けな後進国を間接的に支配するため、現地で権力を振るう酋長の息子や土豪の娘を米国の教育機関に招き、将来の買弁にしようと考える。日本は米国の属州だから、小泉家の跡継ぎは、何年か先の「支店長」と見なされてもおかしくはない。グリーン氏は茶目っ気たっぷりに「人質だよ !」と控えめに述べていたが、実質的には「操り人形の調教」に違いない。つまり、今のところは、この馬鹿息子をチヤホヤ持ち上げて「アメリカ通」にしてやり、何年後かには「飼い犬」に戻して、アメリカの無茶な要求を次々と承諾させるつもりなんだろう。しかし、「小泉劇場シーズン2」に夢中な日本人は、こうした裏事情には気づかず、地上波テレビの宣伝ばかりを鵜呑みにする。たぶん、巷のオバちゃん達は、永田町の歌舞伎役者に惚れ込み、進次郎がどんなヘマをしようが「進ちゃ〜ん、頑張ってぇぇ〜」と励ますんじゃないか。彼の横に滝川クリステルが居れば鬼に金棒で、石原裕次郎と浅丘ルリ子の再来に思えてくる。
フランクフルトの牙城はコロンビア大学に移った
学歴重視の日本人は、大学のランキングや試験の難易度ばかりに目を奪われてしまい、教室の中でどんな授業が行われ、如何なる卒業生が輩出されるのかを無視する。元々、学問の質や人材育成に無関心な大衆は、自分の尻や子供の腕に名門大学の烙印(ブランド)が焼き付けられれば、それで万々歳。脳味噌が真っ赤になったり、ツムジが左巻きになってもお構いなし。卒業大学の「評判」が自分の「評価」に変換されればOKなんだから。大学は食堂と大違い。民間のレストランは、たとえミシュランの星を4つ貰っても、客に出す料理が不味ければ世間の評判はガタ落ちだ。しかも、近所にライバル店が現れ、客がそちらに流れてしまえば、やがて閉店となる。東京大学や京都大学の学食で、ウンコ入りのカレーを出したら大騒動になるけど、法学部や教育学部、経済学部では問題無し。学生のオツムは鈍感となり、健康なクルクルパーにされているから、味の違いなんか判らない。
一般の日本人は「アイヴィーリーグの一つである名門のコロンビア大学」と耳にすれば、即在に「凄いなぁぁ〜、英語力が相当高い人じゃないと入れないんだぁ〜」と溜息をつく。しかし、ちょっと正常で保守的なアメリカ人だと、「なんだ、あんな大学 !」と呟いて、「俺なら真っ平御免だ !」と吐き捨てる。多少アメリカに詳しい日本人だと、「ズビグニュー・ブレジンスキーやヘンリー・キッシンジャーが教えていた大学だよなぁ〜」とか、「オバマが編入した大学だ」と述べるだろう。でも、「フランクフルト学派のユダヤ人が移り住んだ、赤い悪魔の巣窟」と評する日本人は極めて少ない。何しろ、「フランクフルト学派って何?」と訊いてくる日本人が大半なんだから。(フランクフルト学派については、別の機会で具体的に述べたい。)
フランクフルト学派のユダヤ人がコロンビア大学に移ってきた理由は様々あるけど、コロンビア大学にも受け容れる“素地”があったのは確かだ。1920年代後半から1930年代にかけて、コロンビア大学の社会学部は凋落の危機に瀕していた。当時は不況の波もあったから、思ったように研究費は支給されなかったし、気前の良い旦那衆はそうそう現れるものではない。コロンビア大学はシカゴ大学を創ったロックフェラー財団のような庇護者を持っていなかったから、世間の関心を集める講座やプログラムを実行できなかった。しかし、社会学部には後に社会学の業界で大御所となるロバート・マッキヴァー(Robert Morrison MacIver)教授がいたし、有名な社会学者のロバート・リンド(Robert Staughton Lynd)も雇われていた。このリンド教授は女房のヘレン(Helen Lynd / 旧姓 : Mirrell)と一緒に『Middletown』を書いて出版し、一躍世間の脚光を浴びた人物。しかし、この夫婦は共産主義に親近感を抱く学者カップルであったから、1950年代のマッーカーシー時代になると「赤狩り」のターゲットになってしまった。もっとも、リンド教授自身は「コミュニスト」じゃく「リベラル派」を名乗り、容疑の火消しに躍起だった。でも、本当は“マルキストもどき”のクリムゾン・リベラルだったりして・・・。
Robert MacIver 1Robert Lynd 1Helen Mirrell Lynd 01
(左 : ロバート・マッキヴァー / 中央 : ロバート・リンド / 右 : ヘレン・ミレル・リンド )
コロンビア大学とフランクフルト学派を結び附ける「仲人」は幾人かいて、その内の一人が、ルイス・ローウィン(Lewis Lorwin)という社会学を専攻する知識人であった。彼の本名はルイス・リヴァイン(Louis Levitski Levine)といい、キエフ生まれのユダヤ人。根無し草のユダヤ人らしく、彼の家族はヨーロッパ各地をうろつき、息子のルイスはロシア、スイス、フランスなどで教育を受けた。その後、大学へ進もうとしたルイスは、米国のコロンビア大学に入って博士号(社会学のPhD)を取得する。彼はほんの少しだけウェスリー・カレッジや母校で教鞭を執るが、後にモンタナ大学へと移った。しかし、根っからの左翼であるから、モンタナ州の労働問題に首を突っ込み、地元で絶大な影響力を持つアナコンダ鉱山会社(Anaconda Copper Mining Company)を批判したという。何しろ、ユダヤ人左翼は資本家や大企業が不倶戴天の敵だから、巨大企業による搾取や税金逃れを見逃すことはできない。ローウィンは会社の不正を指摘し、そこの経営陣や地元の政治家、さらには大学のお偉方と一悶着を起こしたらしい。その結果、エドワード・エリオット学長から停職処分を受け、三年間の教員生活に終止符を打つことになった。(詳しい経緯は、Arnon Gutfeld, 'A Russian Jew Named Levine', Michael : On the History of the Jews in the Diaspora, 1975.を参照。)
この事件で刮目すべきは、当時の西歐系アメリカ人がユダヤ人を「厄介者」とか「脅威」と見なしていたことだ。アーノン・ガットフェルドによれば以下の通り。
1919年の愛国者達は、「外国人の過激な行動(foreign radicalism)」に最大の脅威を見出していた。ユダヤ人というのが、この脅威に関して、最も目につく、現実的な具体例となった。この見解は移民反対論者を支援することになる。移民に反対する人々は、どのユダヤ人も過激な社会主義軍団にリクルートされる可能性を秘めている、と警告したのだ。そして、ユダヤ人の過激派どもは世界革命をもたらし、アメリカの政治・経済システムを破壊する要因である、とも述べていた。そして、「ボルシェビキはユダヤ人の運動である」という考えは、アメリカ中に広がっていく。多くの点で、こうした「赤の恐怖(red scare)」時代は、1920年代における反ユダヤ主義の道を舗装することになった。反ユダヤ主義は色々な形をとり、時には露骨で騒がしく、またある時には、潜在的で目に見えないものである。リヴァイン事件はこの両方の形をとっていた。(上掲記事、p.216.)
「リヴァイン」から「ローウィン」に改名したユダヤ人学者は、被服業界の国際労働組織に雇われ、労働問題の専門家となった。さらに、ローウィンは有名な「ブルッキングス研究所(Brookings Institution)」の研究員となる。これは如何にもユダヤ人らしい転職だが、ブルッキングス研究所に雇われたローウィンは、やがて別のユダヤ人と接触し、フランクフルト学派の盟友となってしまう。
「類は友を呼ぶ」というのはユダヤ人社会にも当て嵌まるようで、ローウィンが出版した本の書評には、ジュリアン・グンペルツ(Julian Gumperz)という社会学者が名を連ねていた。このグンペルツはローウィンを高く評価するマルキストで、後にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の後輩となる。フランクフルト学派の仲間になたローウィンは、これまた上層中流階級の家庭に生まれたユダヤ人。彼はフランクフルト学派の連中とソックリだ。創設メンバーのフェリックス・ワイル(Felix Weil)は、裕福な家庭に育ち、彼の父親であるヘルマン・ワイル(Hermann Weil)は、アルゼンチンで成功した穀物商人であった。フランクフルトで育ったレオ・ローウェンタール(Leo Lowenthal)は、同化したユダヤ人医者の息子だし、藝術面で批判論を展開したテオドール・アドルノ(Theodor Wiersengrund Adorno)は、ワイン販売で儲けた父親を持つ。ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)もドイツの上層中流階級に生まれ、父親のカール(Carl)は裕福なユダヤ人ビジネスマンだった。
Felix Weil 001Leo Lowenthal 1111Theodor Adorno 21Herbert Marcuse 001
(左 : フェリックス・ワイル / レオ・ローウェンタール / テオドール・アドルノ / 右 : ヘルベルト・マルクーゼ )
脱線したので話を戻す。グンペルスはマルクス主義を学ぶためにドイツへ渡り、フェリクス・ワイルが主宰する「マルキスト学習週間」という講座に参加したという。(Thomas Wheatland , The Frankfurt School in Exile , Minneapolis : University of Minnesota Press, 2009, p.45.) ちなみに、フェリクスの父親であるヘルマン・ワイルがフランクフルト学派創設のスポンサーである。当初、フランクフルト大学の運営者は、スポンサーの恩恵に報いるため、「フェリクス・ワイル社会研究所」という名称にしようと提案したが、これはワイルの方が断ったらしい。そこで、西歐社会を破壊しようと目論むユダヤ人どもは、科学的学問としてマルクス主義を確立し、この偉大なる思想に貢献しようと考え、単に「社会研究所(Institut fürSozialforschung)」と呼ぶことにした。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.7.)
ハイデルベルク大学で博士号を取ったグンペルツは、「研究所」のリサーチ・スタッフとなり、フランクフルト学派の創設メンバーであるフリードリッヒ・ポロックのアシスタントになったそうだ。しかし、研究所でホルクハイマーの助手という地位に不満を感じたグンペルツは転職を考え、ルイス・ローウィンに手紙を書いてブルッキングス研究所に勤めようと試みた。ところが、ホルクハイマーからの推薦状をもらっても、ブルッキングスには採用されず、悲嘆の日々を過ごすことになる。確かに、この不採用には落胆したが、グンペルツはめげずに別の道を模索し、アメリカでの人脈を広げつつ、社会学や心理学で著名な学者と顔見知りになった。
ついでに言えば、グンペルツの私生活も酷かった。ユダヤ人の左翼学者だから仕方ないけど、彼が結婚したヘーデ・テューン(Hede Tune / Hedwig Tune)という女優であった。ただし、彼女は結婚を機に共産主義者となり、「レッドベッド(Redhead)」というコードネームを持つソ連のスパイになった。ヘーデはポーランド人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれた非ユダヤ人。ウィーンでそだった少女は普通に成長したが、高校生の時にジャーナリストで作家のカール・クラウス(Karl Kraus)に魅了され、文学の世界に没頭した。ところが、ノーベル文学賞に何度もノミネートされたクラウスは、これまたヨーロッパに住み着くユダヤ人。彼は日本の左翼学者の間で人気が高く、あの赤い法政大学出版から著作集が出ている。ホント、日本の出版社は西洋の赤色分子が大好き。そして、「ヨーロッパの知識人」として紹介する学者が、実はヨーロッパ人のフリをするユダヤ人なんだからタチが悪い。翻訳者は原作者の素性を曖昧にせず、ちゃんと原作者の血筋や人脈を解説すべきだ。
Karl Kraus 001Hede Massing 11Gerhart Eisler 2234
(左 : カール・クラウス / 中央 : ヘーデ・テューン / 右 : ゲルハルト・アイズナー )
ハリウッド女優のエリザベス・テイラーじゃないけど、ヘーデも離婚や再婚を繰り返し、その都度「ラスト・ネーム」を変えていた。最初の亭主はゲルハルト・アイズナー(Gerhart Eisner)で、ドイツ・オーストリアの共産党に属するユダヤ人であった。彼の母親は非ユダヤ人であったけど、父親のルドルフ・アイズナーがオーストリア出身のユダヤ人であったから、血統的にはドイツに住み着くユダヤ人。父親のルドルフは哲学を専攻する大学教授であったというから、典型的なユダヤ人の左翼家庭である。ゲルハルトの導きにより、ヘーデはベルリンにあるドイツ共産党に入ってしまう。その後二人は離婚し、ヘーデはジュリアン・グンペルツと再婚するが、この夫も共産党に共鳴する極左分子だった。二人は米国のNYへ移り住むが、やがてジュリアンはフランクフルトへ留学し、再婚カップルは破局を迎える。三番目の亭主となるのは、ドイツ人社会学者のポール・マッシング(Paul Wilhelm Massing)で、彼もドイツの共産党(KPD)に属する左翼活動家であった。この時期、ヘーデはあのリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)に勧誘され、イグナス・レース(Ignace Reiss)のもとで動くソ連のスパイになってしまった。
Paul Lazarsfeld 1Sophie Lazarsfeld 01Alfred Adler 1
(左 : ポール・ラザースフェルト / 中央 : ゾフィー・ラザースフェルト / 右 : アルフレート・アドラー )
もう一人、フランクフルト学派の仲人になったと考えられるのは、有名な社会学者のポール・ラザースフェルト(Paul Lazarsfeld)である。彼はウィーンのユダヤ人家庭に生まれた移民で、元々は数学で博士号を取った研究者で、次第に社会科学に興味を示した転向組だ。彼が大衆心理の研究を始めたのは、母親の影響があるのかも知れない。母のゾフィー・ラザースフェルト(Sofie Munk / Sophie Lazarsfeld)はセラピストで、彼女は精神治療を専門とする心理学者のアルフレート・アドラー(Alfred Adler)の弟子であった。このアドラーもオーストリアに住み着くハンガリー・チェコ系のユダヤ人で、彼の「個人心理学(Individualpsychologie)」は日本でもよく知られている。
ラザースフェルドの才能を見出したロックフェラー財団は、このユダヤ人学者をアメリカに招き、これから発展するコミュニケーション媒体の研究を任せることにした。米国での生活を決めたラザースフェルドは、当時普及し始めたラジオの影響や、その宣伝力に着目し、新たな媒体が大衆に及ぼす効果を研究した。日本人でも心理戦を勉強する人は、ラザースフェルドと協力関係にあったハドリー・カントリール(Albert Hadley Cantril, Jr.)や、ユダヤ人社会学者のエリュー・カッツ(Elihu Katz)の名を知っているはずだ。マスメディアの影響力を研究していたラザースフェルドが、社会学の教授達と顔見知りであっても不思議じゃないし、事実、彼はコロンビア大学で「応用社会科学研究所(Bureau of Applied Social Science)」を創設していたのである。
ホルクハイマー率いるフランクフルト学派がコロンビア大学に移籍できたのは、ロバート・リンドやルイス・ローウィン、ロバート・マッキヴァー、ジュリアン・グンペルツ等が奔走してくれたこともあるが、コロンビア大のニコラス・マレー・バトラー(Nicholas Murray Butler)学長が理解を示してくれたことも大きかった。そして、この大学には日本でも有名なジョン・デューイ(John Dewey)が盤踞していたから、極左の社会主義者や隠れ共産主義者が繁殖したのも当然だ。デューイの弟子で、後に保守派へと転向したシドニー・フック(Sidney Hook)によれば、彼の師匠はマルクスに批判的だが、心の何処かで共産主義に共鳴しており、社会改革にとても熱心な社会主義者であったらしい。事実、デューイは有名な黒人団体であるNAACPの初期メンバーであったし、極左人権団体のACLUの創設者でもあった。一般の日本人は学校の先生から聞いていないけど、デューイは1928年にソ連を旅行し、共産党にもシンパシーを持っていたからFBIの監視対象になっていたのだ。(John A. Beineke, 'The Investigation of John Dewey by the FBI', Educational Theory, Vol. 37, 1987, p.43.)
Max Horkheimer 199921Nicholas Murray Butler 1111Sidney Hook 222John Dewey 22121
(左 : マックス・ホルクハイマー / ニコラス・マレー・バトラー / シドニー・フック / 右 : ジョン・デューイ )
日本でもそうだけど、歐米諸国で社会学を専攻する学者には、密かなマルキストや心情的な共産主義者が結構多い。共産党とは距離を置く知識人でも油断はできず、別路線の共産主義を目指す者かも知れないし、「リベラル派」を看板にするピンク左翼という場合もある。国立大学や私立大学にも、共産党に入らずに共産主義革命を模索する赤色細胞がウジャウジャいるし、社会主義や共産主義の理論を用いて西歐社会を破壊したいと願うアナーキストも少なくない。日教組の教師は滅多に口にしないが、天才的物理学者のアルベルト・アインシュタインや国連で人権活動をしていたエレノア・ローズヴェルトは、NAACPの創設メンバーで、あからさまな共産主義者ではないが、心の底で西歐社会を憎む左翼分子であった。
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(左 : フリードリッヒ・ポロック / エレノア・ローズヴェルト / アルベルト・アインシュタイン / 右 : カール・マンハイム)
日本でも昔は「進歩的知識人」が流行しており、今では残骸しか生きていないが、敗戦後30年くらいは、左翼の黄金時代であった。文系・理系を問わず、大学には反日分子や様々なタイプのマルキストが溢れていたのだ。例えば、東大教授から法政大学の学長にまでなった大内兵衛は、筋金入りのマルキスト学者で、その専攻分野は経済学であった。東大の総長を務めた経済学者の大河内一男は、『赤旗』に寄稿する反戦論者であったし、内村鑑三の赤い弟子であった大塚久雄は、これといった業績が無く、社会学の泰斗であるマックス・ウェバー(Max Weber)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を和訳した事だけが「唯一の業績」である。この東大教授は、西洋の市民社会とやらを称讃することで日本は“遅れた”後進国と暗に批判していた。
同じ東大で名物教授になっていたのが、政治学者の丸山眞男で、彼はアントニオ・グラムシの共産主義思想に共鳴していたが、ユダヤ人社会学者のカール・マンハイム(Karl Manheim)にも憧れていた。一橋大学で社会学を教えていた佐藤毅(さとう・たけし)は本当に碌でなしで、犯罪者の責任を教育や環境のせいにして、政府や世間が社会悪と仄めかしていたのだ。一橋大学には左翼学者がゴロゴロいて、人権思想をバラ撒く田中宏やイスラム擁護で悪名高い内藤正典(ないとう・まさのり)が教えていたし、政府の諮問委員会で権力をふるう竹中平蔵も一橋大学の教授だった。学者としての才能が無いことに気づいたパソナの竹中平蔵は、ロバート・ルービンやラリー・サマーズといったユダヤ人支配者に貢ぐ日本側の買弁となり、参院議員を経て政商に成り下がっていた。こんな売国奴が一橋大学の名物教授になっていたんだから、出資者の渋沢栄一が知ったら「資金を返せ!」と叫ぶだろう。福沢諭吉だって竹中が慶應義塾の教授と判ったら、筆を棄てて刀を握るんじゃないか。何しろ、福沢先生は痩せても枯れても中津藩士だからねぇ〜。
とにかく、日本人は学校で何を学んだかを問わず、「どこの大学に合格したのか? どいうった学歴なのか?」ばかりに注目する。筆者は小泉進次郎がどんな学歴でも構わない。日本の政治家は日本の国益を最優先にし、国家の独立と安寧を図るべきだ。もし、本業が日本人から選ばれた代議士なら、国家主義者になるのは当然だろう。ところが、進次郎には日本第一の思想が全く無い。テレビや雑誌で人気を博す小泉家のお坊ちゃんは、皇室伝統にさえ関心が無いのだ。しかし、もっと心配なのは、神奈川の有権者が進次郎の国家思想を尋ねないことだ。彼がどんな政治哲学を抱き、如何なる政策を以て国家を運営したいのか、ほとんどの国民には「謎」となっている。進次郎が思い描く未来の日本とは、一体どんな社会なんだ?
なるほど、進次郎はテレビ映りが良く、選挙にも強い。同僚の応援演説に駆けつければ、見物客が寄ってくる。しかし、保守派国民の心には不安しか残らない。マスコミから期待される進次郎は、幾つかの大臣職を経て、やがては首相の座に上り詰めるだろう。でも、内閣総理大臣となった進次郎は、日本人の利益を最優先に考えるのか? もしかすると、合衆国政府やウォール街の命令に従う属州総督になるかも知れない。今だって、外国資本の要求に屈する売国奴になる可能性もあるのだ。マイケル・グリーンは進次郎を「人質」と呼んでいたが、心の底では10年先の日本で気軽に使え、何でも言うことを聞く「便利な馬鹿(useful idiot)」と思っているのかも知れないぞ。
Koizumi Shinjiro 0234 現在の進次郎は、支援者の企業に報いるため、国民にとって迷惑な太陽光発電を推進しているくらいだから、数年先の進次郎となれば危険極まりない。たぶん、父親に倣って厚労大臣とか総務大臣、あるいは財務大臣か外務大臣になるかも知れないが、肝心要の知識に乏しく、そのうえ実務にも疎いから、側近の官僚に従うだけだろう。それでも、マスコミ各社は短い言葉で「決め台詞」を口にする進次郎を持て囃し、小泉劇場の再来を期待するはずだ。おそらく、大衆の喝采を浴びる進次郎も自分の影響力に自信を抱き、自民党での基盤を固めることだろう。もし、何らかの要職について外遊ともなれば、進次郎の人気は鰻登りだ。何しろ、クリステル夫人を伴った映像は華やかだから、まるでカンヌかベルリンの国際映画祭に参加する藝能人みたいだ。さらに、クリステル夫人には“お得意”のフランス語という武器があるから、ヨーロッパの政治家と面会した際、英語を交えたフランス語の会話があるのかも。
まぁ、現在の日本は衆愚政治を称讃する頽廃社会だから、世襲議員の進次郎に高度な知識や教養人の礼儀作法を求めても無駄であろう。それでも、CSISの関係者が述べていたエピソードは衝撃的だ。(『週刊新潮』上掲記事、p.155.) 進次郎がCSISに入って、まだ間もない頃、彼はあるシンポジウムに参加したそうだ。進次郎が「気さくな青年」であることは好ましいが、初対面のアメリカ人に対して、「Hey !」と声を掛けていたなんて、ビックリ仰天である。親しい友人になら、「おい! どうしてる?」でいいけど、面識の無い大人に向かって使う言葉じゃないだろう。でも驚く事に、進次郎は上司のマイケル・グリーンに対しても「Hey !」と呼びかけていたそうだ。これは深刻なレベルの「重症」である。アメリカで生活していた人なら判るが、英語でも敬語や丁寧な言い回しがあるから、時と場所、話しかける相手によって言葉を選ぶのは常識だ。それなのに、二十歳を過ぎた進次郎には解らなかったなんて、とても信じられない。日本の有権者は進次郎の学歴よりも、その根本的な思考形態を問題にすべきだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867197.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/791.html#c3
2021年08月07日
進次郎は「人質」だった / 悪魔の巣窟コロンビア大学
肩書・学歴のみを重視する日本人
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867197.html
Koizumi Shinjiro 001Koizumi Juniciro 002Koizumi Junya 1Koizumi Matajiro
(左 : 小泉進次郎 / 父親の小泉純一郎 / 祖父の小泉純也 / 右 : 曾祖父の小泉又次郎 )
日本人は平等思想を好むが、その裏で学歴や家系を非常に尊ぶ。確かに、我が国は民族的同質性が極めて高く、西歐的な階級社会とは程遠い。だから、善悪は別にして、何らかの「差別」が必要になってくる。人間は平等を愛していても、時折、他者との違いを求め、どちらが優位なのかを知りたくなる。とりわけ、日本人は全国何処にいっても似たり寄ったりの顔つきで、貧富の格差も少ないから、より一層色々な「格付け」に興味を抱く。天皇陛下の目から見れば、百姓でも将軍でも「同じ日本国民、陛下の赤子」だから、日本は稀に見る平等社会なんだけど、ちょっとだけ「序列」をつけて「差別」わ楽しみたくなる。日本人が学校の試験とかスポーツの競技に夢中になるのは、ランキングの刺戟を求めているからだろう。
Arleigh Burke 221(左 / アーレイ・バーク )
最近発売された『週刊新潮』の記事によれば、小泉進次郎は「親爺の人脈」や「特別待遇」とやらで、コロンビア大学の大学院や、世界的に知られるCSIS(戦略国際問題研究所)に入ったそうだ。ちなみに、この「CSIS(Center for Strategic and International Studies)」というのは、1962年、ジョージタウン大学に創設されたシンクタンクのことで、主導者は合衆国海軍の高名な提督たるアーレイ・バーク(Arleigh A. Burke)と、レーガン大統領の特別補佐官を務め、国務省勤務からNATO大使になったデイヴィッド・マンカー・アブシャー(David Manker Abshire)である。国家論や軍事・外政を勉強している者にとって、有力者が集まるCSISは馴染みが深く、「フーバー研究所」や「ケイトー研究所」、「ヘリテージ研究所」と肩を並べるシンクタンクだ。一般国民だとバーク提督を知らない人もいるだろうが、テレビやラジオの番組でミサイル駆逐艦(イージス艦)「USSアーレイ・バーク」の名を聞いたことはあるんじゃないか。
気候変動サミットに参加した進次郎は、「セクシー発言」で注目を集め、「ポエム的発想」で話題となった環境大臣だけど、その英語力は留学経験で磨かれていた。2004進次郎は年に関東学院大学を卒業し、父親(純一郎)の「後押し」で難関のコロンビア大学院に入ったそうだ。しかし、その「入学」には関東学院大学の教授と国際関係学研究所の天川由記子(あまかわ・ゆきこ)所長が絡んでいたという。母校の教授は小泉家からの接触を受け、コロンビアに行きたい進次郎の希望をどうしたらよいのかと悩んだらしい。そこで、知り合いの天川に相談してアドバイスを求めたから、今回の暴露記事になったそうだ。進次郎はコロンビア大学で日本の政治を専門にするジェラルド・カーティス(Gerald Curtis)教授のもとで学びたかったそうで、父親の純ちゃんも息子の願いを叶えたかったらしい。まぁ、藝人の「なべおさみ(渡辺修三)」も息子の「やかん(渡辺心)」を明治大学に入れたく、お金を使って替え玉受験をさせたから、どこの業界にも子煩悩な親はいるものだ。
Gerald Curtis 1Gerald Curtis 443(左 : ジェラルド・カーティス / 右 : 小泉総理と一緒のカーティス教授)
一方、カーティス教授は日本のメディアにも度々登場した学者なので、「ああ、昔、TBSやテレ朝に時々出ていたアメリカ人教授かぁ〜」と覚えている日本人も多いだろう。カーティス教授もYKK(小泉、加藤紘一、山崎拓)とは顔馴染みだから、純ちゃんの「お願い」を聞き入れた可能性は高い。ここでは直接関係ないけど、カーティス教授の素性は知られておらず、どんな民族性なのか興味がある。
米国人で日本の事を勉強する人にはユダヤ人が多く、合衆国陸軍で対日情報を扱っていたハーバット・パッシン(Herbert Passin)はコロンビア大学のユダヤ人教授であったし、合衆国海軍に属していたエドワード・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker)は、カトリック信徒になったドイツ系ユダヤ人のアメリカ人。戦後、上智大学の教授となり、源氏物語を英訳したことで有名だ。モルガン・スタンレーMUFGの日本担当アナリストであったロバート・フェルドマン(Robert Alan Feldman)は、テレビ東京の「ワールド・サテライト・ニュース」に出演したり、政府の諮問委員会に参加したことで有名なユダヤ系アメリカ人である。現在は、東京理科大学で客員教授を務めているそうだ。日本に活動の場を移したマーティー・フリードマン(Marty Friedman)は、人気ロックバンド「メガデス」の元ギターリストで、流暢な日本語を話すユダヤ系アメリカ人。おそらく、歌手の相川七瀬を支持するファンや「タモリ倶楽部」の視聴者なら、フリードマンを知っているだろう。カーティス教授は、一体どんなアメリカ人なのか?
Herbert Passin 111Edward Seidensticker 111Robert Feldman 111Marty Friedman 001
(左 : ハーバット・パッシン / エドワード・サイデンステッカー / ロバート・フェルドマン / 右 : マーティー・フリードマン )
それはともかく、肝心な問題は、進次郎の学力と英語力の方だ。中堅の関東学院でも「優等生」なら米国への留学も可能だが、進次郎の成績は「平均的」だったというから、卒業時の進次郎ではコロンビア大学への留学は極めて困難。(『週刊新潮』 2021年8月12・19日夏期特大号、p.153.) そもそも、留学の前提となる語学力(TOEFLの点数)だって「凡庸」であったというから、進次郎の留学計画は最初から破綻していたのかも知れない。ちなみに、この「TOEFLE」とは外人留学生に課せられる英語試験で、今は形式が違うけど、昔は満点が677点で、有名校だと最低でも620点から630点くらいは要求されたものである。
その他、高校から学部への入学だと英語と数学によるSATという試験が課せられ、大学院への進学ならGREという難しい試験を受けなければならない。SATの方は簡単な数学と、ちょっと難しい英語の読解程度だから、日本人でも頑張れば合格点を取れる。しかし、TOEFLで躓く進次郎となれば、GREで合格点を取るのは不可能に近い。進次郎よりも前の世代だと、留学を希望する日本人は過去の試験を参考にしたTOEFLの問題集やGREの解説書を購入して勉強したものだ。(一般的に受験勉強はつまらないけど、日本人にとって英語で質問される数学の試験は新鮮だ。日本の学校に通っていると、理科や数学を英語の参考書で勉強する人は滅多にいないから。)
Victor Cha 001(左 / ヴィクター・チャ )
話を戻す。相談を受けた天川氏は、面識のあるマイケル・グリーン(Michael Green)氏に連絡を取ったそうだ。「ジャパン・ハンドラー」として有名なグリーン氏は、ブッシュ政権で国家安全保障会議(NSC)に属し、大統領特別補佐官に就いた人物である。それゆえ、日本の総理から内々に「お願い事」を打診されれば、「一肌脱いでやるか !」と気張っても不思議じゃない。グリーン氏は早速NSCのヴィクター・チャ(Victor Cha / ブッシュ政権で北鮮問題を担当した補佐官)を紹介し、チャ氏に対しては「父親の跡継ぎだから、小泉家の御曹司を面倒見てね !」と頼んだらしい。そこで、チャ氏は小論文や推薦状で進次郎が政治家になりたい旨を強調するよう、天川氏に伝えたそうである。(上掲記事 p.154.)
このアドバイスが功を奏したのか、進次郎は条件付きで合格となった。ただし、TOEFLのスコアが600点に達するまで、大学内の英語講座を受けるよう指示されたそうだ。まぁ、勉強するために渡米したんだからいいんだけど、これって、何となく「胡散臭い入学」に思えてくる。それなら、堂々と寄付金を払って正門から入学すればいいじゃないか。
Michael Green 11(左 / マイケル・グリーン )
新潮の記事によると、進次郎は睡眠時間を削って猛勉強し、コロンビア大で修士号を取れたという。しかし、驚くのは、その後の就職先である。何と、出来損ないの進次郎は、世界的に有名なCSISに就職できたのだ。モノマネ藝人の梅小鉢さんじゃないけど、「へぇぇぇ〜」と叫びたくなる。これは、いくら何でも八百長だろう。CSISの研究員とかスタッフといったら、英語を得意とするアメリカ人やカナダ人にとっても「狭き門」であるのに、そこへ凡庸な進次郎が就職できたなんて奇蹟だ。まるで、小室圭の留学みたいだぞ。マイケル・グリーンによれば、ジェラルド・カーティスの「口利き」で進次郎の「CSIS入り」が実現したそうだが、天川氏には不可解であったらしい。彼女がグリーン氏と会った時、よく進次郎は博士号も無いのにCSISに採用されましたね、と尋ねたら、グリーン氏はニヤッと笑って「人質だよ」と答えたそうだ。(上掲記事 p.155.)
この会話を聞いた大抵の日本人は、背中に戦慄を感じるというよりも、恐怖と落胆、困惑、心配、不安が入り交じった感情を抱くはずだ。愛国者や神経質な人だと、無意識的に膝から崩れ落ちてしまうだろう。そして、「あぁぁ〜、こんな奴が未来の総理大臣かぁ〜。いったい日本の運命は、どうなるんだ?」と嘆くに違いない。アメリカのエスタブリッシュメントは、裏庭の衛星国や間抜けな後進国を間接的に支配するため、現地で権力を振るう酋長の息子や土豪の娘を米国の教育機関に招き、将来の買弁にしようと考える。日本は米国の属州だから、小泉家の跡継ぎは、何年か先の「支店長」と見なされてもおかしくはない。グリーン氏は茶目っ気たっぷりに「人質だよ !」と控えめに述べていたが、実質的には「操り人形の調教」に違いない。つまり、今のところは、この馬鹿息子をチヤホヤ持ち上げて「アメリカ通」にしてやり、何年後かには「飼い犬」に戻して、アメリカの無茶な要求を次々と承諾させるつもりなんだろう。しかし、「小泉劇場シーズン2」に夢中な日本人は、こうした裏事情には気づかず、地上波テレビの宣伝ばかりを鵜呑みにする。たぶん、巷のオバちゃん達は、永田町の歌舞伎役者に惚れ込み、進次郎がどんなヘマをしようが「進ちゃ〜ん、頑張ってぇぇ〜」と励ますんじゃないか。彼の横に滝川クリステルが居れば鬼に金棒で、石原裕次郎と浅丘ルリ子の再来に思えてくる。
フランクフルトの牙城はコロンビア大学に移った
学歴重視の日本人は、大学のランキングや試験の難易度ばかりに目を奪われてしまい、教室の中でどんな授業が行われ、如何なる卒業生が輩出されるのかを無視する。元々、学問の質や人材育成に無関心な大衆は、自分の尻や子供の腕に名門大学の烙印(ブランド)が焼き付けられれば、それで万々歳。脳味噌が真っ赤になったり、ツムジが左巻きになってもお構いなし。卒業大学の「評判」が自分の「評価」に変換されればOKなんだから。大学は食堂と大違い。民間のレストランは、たとえミシュランの星を4つ貰っても、客に出す料理が不味ければ世間の評判はガタ落ちだ。しかも、近所にライバル店が現れ、客がそちらに流れてしまえば、やがて閉店となる。東京大学や京都大学の学食で、ウンコ入りのカレーを出したら大騒動になるけど、法学部や教育学部、経済学部では問題無し。学生のオツムは鈍感となり、健康なクルクルパーにされているから、味の違いなんか判らない。
一般の日本人は「アイヴィーリーグの一つである名門のコロンビア大学」と耳にすれば、即在に「凄いなぁぁ〜、英語力が相当高い人じゃないと入れないんだぁ〜」と溜息をつく。しかし、ちょっと正常で保守的なアメリカ人だと、「なんだ、あんな大学 !」と呟いて、「俺なら真っ平御免だ !」と吐き捨てる。多少アメリカに詳しい日本人だと、「ズビグニュー・ブレジンスキーやヘンリー・キッシンジャーが教えていた大学だよなぁ〜」とか、「オバマが編入した大学だ」と述べるだろう。でも、「フランクフルト学派のユダヤ人が移り住んだ、赤い悪魔の巣窟」と評する日本人は極めて少ない。何しろ、「フランクフルト学派って何?」と訊いてくる日本人が大半なんだから。(フランクフルト学派については、別の機会で具体的に述べたい。)
フランクフルト学派のユダヤ人がコロンビア大学に移ってきた理由は様々あるけど、コロンビア大学にも受け容れる“素地”があったのは確かだ。1920年代後半から1930年代にかけて、コロンビア大学の社会学部は凋落の危機に瀕していた。当時は不況の波もあったから、思ったように研究費は支給されなかったし、気前の良い旦那衆はそうそう現れるものではない。コロンビア大学はシカゴ大学を創ったロックフェラー財団のような庇護者を持っていなかったから、世間の関心を集める講座やプログラムを実行できなかった。しかし、社会学部には後に社会学の業界で大御所となるロバート・マッキヴァー(Robert Morrison MacIver)教授がいたし、有名な社会学者のロバート・リンド(Robert Staughton Lynd)も雇われていた。このリンド教授は女房のヘレン(Helen Lynd / 旧姓 : Mirrell)と一緒に『Middletown』を書いて出版し、一躍世間の脚光を浴びた人物。しかし、この夫婦は共産主義に親近感を抱く学者カップルであったから、1950年代のマッーカーシー時代になると「赤狩り」のターゲットになってしまった。もっとも、リンド教授自身は「コミュニスト」じゃく「リベラル派」を名乗り、容疑の火消しに躍起だった。でも、本当は“マルキストもどき”のクリムゾン・リベラルだったりして・・・。
Robert MacIver 1Robert Lynd 1Helen Mirrell Lynd 01
(左 : ロバート・マッキヴァー / 中央 : ロバート・リンド / 右 : ヘレン・ミレル・リンド )
コロンビア大学とフランクフルト学派を結び附ける「仲人」は幾人かいて、その内の一人が、ルイス・ローウィン(Lewis Lorwin)という社会学を専攻する知識人であった。彼の本名はルイス・リヴァイン(Louis Levitski Levine)といい、キエフ生まれのユダヤ人。根無し草のユダヤ人らしく、彼の家族はヨーロッパ各地をうろつき、息子のルイスはロシア、スイス、フランスなどで教育を受けた。その後、大学へ進もうとしたルイスは、米国のコロンビア大学に入って博士号(社会学のPhD)を取得する。彼はほんの少しだけウェスリー・カレッジや母校で教鞭を執るが、後にモンタナ大学へと移った。しかし、根っからの左翼であるから、モンタナ州の労働問題に首を突っ込み、地元で絶大な影響力を持つアナコンダ鉱山会社(Anaconda Copper Mining Company)を批判したという。何しろ、ユダヤ人左翼は資本家や大企業が不倶戴天の敵だから、巨大企業による搾取や税金逃れを見逃すことはできない。ローウィンは会社の不正を指摘し、そこの経営陣や地元の政治家、さらには大学のお偉方と一悶着を起こしたらしい。その結果、エドワード・エリオット学長から停職処分を受け、三年間の教員生活に終止符を打つことになった。(詳しい経緯は、Arnon Gutfeld, 'A Russian Jew Named Levine', Michael : On the History of the Jews in the Diaspora, 1975.を参照。)
この事件で刮目すべきは、当時の西歐系アメリカ人がユダヤ人を「厄介者」とか「脅威」と見なしていたことだ。アーノン・ガットフェルドによれば以下の通り。
1919年の愛国者達は、「外国人の過激な行動(foreign radicalism)」に最大の脅威を見出していた。ユダヤ人というのが、この脅威に関して、最も目につく、現実的な具体例となった。この見解は移民反対論者を支援することになる。移民に反対する人々は、どのユダヤ人も過激な社会主義軍団にリクルートされる可能性を秘めている、と警告したのだ。そして、ユダヤ人の過激派どもは世界革命をもたらし、アメリカの政治・経済システムを破壊する要因である、とも述べていた。そして、「ボルシェビキはユダヤ人の運動である」という考えは、アメリカ中に広がっていく。多くの点で、こうした「赤の恐怖(red scare)」時代は、1920年代における反ユダヤ主義の道を舗装することになった。反ユダヤ主義は色々な形をとり、時には露骨で騒がしく、またある時には、潜在的で目に見えないものである。リヴァイン事件はこの両方の形をとっていた。(上掲記事、p.216.)
「リヴァイン」から「ローウィン」に改名したユダヤ人学者は、被服業界の国際労働組織に雇われ、労働問題の専門家となった。さらに、ローウィンは有名な「ブルッキングス研究所(Brookings Institution)」の研究員となる。これは如何にもユダヤ人らしい転職だが、ブルッキングス研究所に雇われたローウィンは、やがて別のユダヤ人と接触し、フランクフルト学派の盟友となってしまう。
「類は友を呼ぶ」というのはユダヤ人社会にも当て嵌まるようで、ローウィンが出版した本の書評には、ジュリアン・グンペルツ(Julian Gumperz)という社会学者が名を連ねていた。このグンペルツはローウィンを高く評価するマルキストで、後にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の後輩となる。フランクフルト学派の仲間になたローウィンは、これまた上層中流階級の家庭に生まれたユダヤ人。彼はフランクフルト学派の連中とソックリだ。創設メンバーのフェリックス・ワイル(Felix Weil)は、裕福な家庭に育ち、彼の父親であるヘルマン・ワイル(Hermann Weil)は、アルゼンチンで成功した穀物商人であった。フランクフルトで育ったレオ・ローウェンタール(Leo Lowenthal)は、同化したユダヤ人医者の息子だし、藝術面で批判論を展開したテオドール・アドルノ(Theodor Wiersengrund Adorno)は、ワイン販売で儲けた父親を持つ。ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)もドイツの上層中流階級に生まれ、父親のカール(Carl)は裕福なユダヤ人ビジネスマンだった。
Felix Weil 001Leo Lowenthal 1111Theodor Adorno 21Herbert Marcuse 001
(左 : フェリックス・ワイル / レオ・ローウェンタール / テオドール・アドルノ / 右 : ヘルベルト・マルクーゼ )
脱線したので話を戻す。グンペルスはマルクス主義を学ぶためにドイツへ渡り、フェリクス・ワイルが主宰する「マルキスト学習週間」という講座に参加したという。(Thomas Wheatland , The Frankfurt School in Exile , Minneapolis : University of Minnesota Press, 2009, p.45.) ちなみに、フェリクスの父親であるヘルマン・ワイルがフランクフルト学派創設のスポンサーである。当初、フランクフルト大学の運営者は、スポンサーの恩恵に報いるため、「フェリクス・ワイル社会研究所」という名称にしようと提案したが、これはワイルの方が断ったらしい。そこで、西歐社会を破壊しようと目論むユダヤ人どもは、科学的学問としてマルクス主義を確立し、この偉大なる思想に貢献しようと考え、単に「社会研究所(Institut fürSozialforschung)」と呼ぶことにした。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.7.)
ハイデルベルク大学で博士号を取ったグンペルツは、「研究所」のリサーチ・スタッフとなり、フランクフルト学派の創設メンバーであるフリードリッヒ・ポロックのアシスタントになったそうだ。しかし、研究所でホルクハイマーの助手という地位に不満を感じたグンペルツは転職を考え、ルイス・ローウィンに手紙を書いてブルッキングス研究所に勤めようと試みた。ところが、ホルクハイマーからの推薦状をもらっても、ブルッキングスには採用されず、悲嘆の日々を過ごすことになる。確かに、この不採用には落胆したが、グンペルツはめげずに別の道を模索し、アメリカでの人脈を広げつつ、社会学や心理学で著名な学者と顔見知りになった。
ついでに言えば、グンペルツの私生活も酷かった。ユダヤ人の左翼学者だから仕方ないけど、彼が結婚したヘーデ・テューン(Hede Tune / Hedwig Tune)という女優であった。ただし、彼女は結婚を機に共産主義者となり、「レッドベッド(Redhead)」というコードネームを持つソ連のスパイになった。ヘーデはポーランド人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれた非ユダヤ人。ウィーンでそだった少女は普通に成長したが、高校生の時にジャーナリストで作家のカール・クラウス(Karl Kraus)に魅了され、文学の世界に没頭した。ところが、ノーベル文学賞に何度もノミネートされたクラウスは、これまたヨーロッパに住み着くユダヤ人。彼は日本の左翼学者の間で人気が高く、あの赤い法政大学出版から著作集が出ている。ホント、日本の出版社は西洋の赤色分子が大好き。そして、「ヨーロッパの知識人」として紹介する学者が、実はヨーロッパ人のフリをするユダヤ人なんだからタチが悪い。翻訳者は原作者の素性を曖昧にせず、ちゃんと原作者の血筋や人脈を解説すべきだ。
Karl Kraus 001Hede Massing 11Gerhart Eisler 2234
(左 : カール・クラウス / 中央 : ヘーデ・テューン / 右 : ゲルハルト・アイズナー )
ハリウッド女優のエリザベス・テイラーじゃないけど、ヘーデも離婚や再婚を繰り返し、その都度「ラスト・ネーム」を変えていた。最初の亭主はゲルハルト・アイズナー(Gerhart Eisner)で、ドイツ・オーストリアの共産党に属するユダヤ人であった。彼の母親は非ユダヤ人であったけど、父親のルドルフ・アイズナーがオーストリア出身のユダヤ人であったから、血統的にはドイツに住み着くユダヤ人。父親のルドルフは哲学を専攻する大学教授であったというから、典型的なユダヤ人の左翼家庭である。ゲルハルトの導きにより、ヘーデはベルリンにあるドイツ共産党に入ってしまう。その後二人は離婚し、ヘーデはジュリアン・グンペルツと再婚するが、この夫も共産党に共鳴する極左分子だった。二人は米国のNYへ移り住むが、やがてジュリアンはフランクフルトへ留学し、再婚カップルは破局を迎える。三番目の亭主となるのは、ドイツ人社会学者のポール・マッシング(Paul Wilhelm Massing)で、彼もドイツの共産党(KPD)に属する左翼活動家であった。この時期、ヘーデはあのリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)に勧誘され、イグナス・レース(Ignace Reiss)のもとで動くソ連のスパイになってしまった。
Paul Lazarsfeld 1Sophie Lazarsfeld 01Alfred Adler 1
(左 : ポール・ラザースフェルト / 中央 : ゾフィー・ラザースフェルト / 右 : アルフレート・アドラー )
もう一人、フランクフルト学派の仲人になったと考えられるのは、有名な社会学者のポール・ラザースフェルト(Paul Lazarsfeld)である。彼はウィーンのユダヤ人家庭に生まれた移民で、元々は数学で博士号を取った研究者で、次第に社会科学に興味を示した転向組だ。彼が大衆心理の研究を始めたのは、母親の影響があるのかも知れない。母のゾフィー・ラザースフェルト(Sofie Munk / Sophie Lazarsfeld)はセラピストで、彼女は精神治療を専門とする心理学者のアルフレート・アドラー(Alfred Adler)の弟子であった。このアドラーもオーストリアに住み着くハンガリー・チェコ系のユダヤ人で、彼の「個人心理学(Individualpsychologie)」は日本でもよく知られている。
ラザースフェルドの才能を見出したロックフェラー財団は、このユダヤ人学者をアメリカに招き、これから発展するコミュニケーション媒体の研究を任せることにした。米国での生活を決めたラザースフェルドは、当時普及し始めたラジオの影響や、その宣伝力に着目し、新たな媒体が大衆に及ぼす効果を研究した。日本人でも心理戦を勉強する人は、ラザースフェルドと協力関係にあったハドリー・カントリール(Albert Hadley Cantril, Jr.)や、ユダヤ人社会学者のエリュー・カッツ(Elihu Katz)の名を知っているはずだ。マスメディアの影響力を研究していたラザースフェルドが、社会学の教授達と顔見知りであっても不思議じゃないし、事実、彼はコロンビア大学で「応用社会科学研究所(Bureau of Applied Social Science)」を創設していたのである。
ホルクハイマー率いるフランクフルト学派がコロンビア大学に移籍できたのは、ロバート・リンドやルイス・ローウィン、ロバート・マッキヴァー、ジュリアン・グンペルツ等が奔走してくれたこともあるが、コロンビア大のニコラス・マレー・バトラー(Nicholas Murray Butler)学長が理解を示してくれたことも大きかった。そして、この大学には日本でも有名なジョン・デューイ(John Dewey)が盤踞していたから、極左の社会主義者や隠れ共産主義者が繁殖したのも当然だ。デューイの弟子で、後に保守派へと転向したシドニー・フック(Sidney Hook)によれば、彼の師匠はマルクスに批判的だが、心の何処かで共産主義に共鳴しており、社会改革にとても熱心な社会主義者であったらしい。事実、デューイは有名な黒人団体であるNAACPの初期メンバーであったし、極左人権団体のACLUの創設者でもあった。一般の日本人は学校の先生から聞いていないけど、デューイは1928年にソ連を旅行し、共産党にもシンパシーを持っていたからFBIの監視対象になっていたのだ。(John A. Beineke, 'The Investigation of John Dewey by the FBI', Educational Theory, Vol. 37, 1987, p.43.)
Max Horkheimer 199921Nicholas Murray Butler 1111Sidney Hook 222John Dewey 22121
(左 : マックス・ホルクハイマー / ニコラス・マレー・バトラー / シドニー・フック / 右 : ジョン・デューイ )
日本でもそうだけど、歐米諸国で社会学を専攻する学者には、密かなマルキストや心情的な共産主義者が結構多い。共産党とは距離を置く知識人でも油断はできず、別路線の共産主義を目指す者かも知れないし、「リベラル派」を看板にするピンク左翼という場合もある。国立大学や私立大学にも、共産党に入らずに共産主義革命を模索する赤色細胞がウジャウジャいるし、社会主義や共産主義の理論を用いて西歐社会を破壊したいと願うアナーキストも少なくない。日教組の教師は滅多に口にしないが、天才的物理学者のアルベルト・アインシュタインや国連で人権活動をしていたエレノア・ローズヴェルトは、NAACPの創設メンバーで、あからさまな共産主義者ではないが、心の底で西歐社会を憎む左翼分子であった。
Friedrich Pollock 1443Eleanor Roosevelt 333Albert Einstein 1Karl Mannheim 221
(左 : フリードリッヒ・ポロック / エレノア・ローズヴェルト / アルベルト・アインシュタイン / 右 : カール・マンハイム)
日本でも昔は「進歩的知識人」が流行しており、今では残骸しか生きていないが、敗戦後30年くらいは、左翼の黄金時代であった。文系・理系を問わず、大学には反日分子や様々なタイプのマルキストが溢れていたのだ。例えば、東大教授から法政大学の学長にまでなった大内兵衛は、筋金入りのマルキスト学者で、その専攻分野は経済学であった。東大の総長を務めた経済学者の大河内一男は、『赤旗』に寄稿する反戦論者であったし、内村鑑三の赤い弟子であった大塚久雄は、これといった業績が無く、社会学の泰斗であるマックス・ウェバー(Max Weber)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を和訳した事だけが「唯一の業績」である。この東大教授は、西洋の市民社会とやらを称讃することで日本は“遅れた”後進国と暗に批判していた。
同じ東大で名物教授になっていたのが、政治学者の丸山眞男で、彼はアントニオ・グラムシの共産主義思想に共鳴していたが、ユダヤ人社会学者のカール・マンハイム(Karl Manheim)にも憧れていた。一橋大学で社会学を教えていた佐藤毅(さとう・たけし)は本当に碌でなしで、犯罪者の責任を教育や環境のせいにして、政府や世間が社会悪と仄めかしていたのだ。一橋大学には左翼学者がゴロゴロいて、人権思想をバラ撒く田中宏やイスラム擁護で悪名高い内藤正典(ないとう・まさのり)が教えていたし、政府の諮問委員会で権力をふるう竹中平蔵も一橋大学の教授だった。学者としての才能が無いことに気づいたパソナの竹中平蔵は、ロバート・ルービンやラリー・サマーズといったユダヤ人支配者に貢ぐ日本側の買弁となり、参院議員を経て政商に成り下がっていた。こんな売国奴が一橋大学の名物教授になっていたんだから、出資者の渋沢栄一が知ったら「資金を返せ!」と叫ぶだろう。福沢諭吉だって竹中が慶應義塾の教授と判ったら、筆を棄てて刀を握るんじゃないか。何しろ、福沢先生は痩せても枯れても中津藩士だからねぇ〜。
とにかく、日本人は学校で何を学んだかを問わず、「どこの大学に合格したのか? どいうった学歴なのか?」ばかりに注目する。筆者は小泉進次郎がどんな学歴でも構わない。日本の政治家は日本の国益を最優先にし、国家の独立と安寧を図るべきだ。もし、本業が日本人から選ばれた代議士なら、国家主義者になるのは当然だろう。ところが、進次郎には日本第一の思想が全く無い。テレビや雑誌で人気を博す小泉家のお坊ちゃんは、皇室伝統にさえ関心が無いのだ。しかし、もっと心配なのは、神奈川の有権者が進次郎の国家思想を尋ねないことだ。彼がどんな政治哲学を抱き、如何なる政策を以て国家を運営したいのか、ほとんどの国民には「謎」となっている。進次郎が思い描く未来の日本とは、一体どんな社会なんだ?
なるほど、進次郎はテレビ映りが良く、選挙にも強い。同僚の応援演説に駆けつければ、見物客が寄ってくる。しかし、保守派国民の心には不安しか残らない。マスコミから期待される進次郎は、幾つかの大臣職を経て、やがては首相の座に上り詰めるだろう。でも、内閣総理大臣となった進次郎は、日本人の利益を最優先に考えるのか? もしかすると、合衆国政府やウォール街の命令に従う属州総督になるかも知れない。今だって、外国資本の要求に屈する売国奴になる可能性もあるのだ。マイケル・グリーンは進次郎を「人質」と呼んでいたが、心の底では10年先の日本で気軽に使え、何でも言うことを聞く「便利な馬鹿(useful idiot)」と思っているのかも知れないぞ。
Koizumi Shinjiro 0234 現在の進次郎は、支援者の企業に報いるため、国民にとって迷惑な太陽光発電を推進しているくらいだから、数年先の進次郎となれば危険極まりない。たぶん、父親に倣って厚労大臣とか総務大臣、あるいは財務大臣か外務大臣になるかも知れないが、肝心要の知識に乏しく、そのうえ実務にも疎いから、側近の官僚に従うだけだろう。それでも、マスコミ各社は短い言葉で「決め台詞」を口にする進次郎を持て囃し、小泉劇場の再来を期待するはずだ。おそらく、大衆の喝采を浴びる進次郎も自分の影響力に自信を抱き、自民党での基盤を固めることだろう。もし、何らかの要職について外遊ともなれば、進次郎の人気は鰻登りだ。何しろ、クリステル夫人を伴った映像は華やかだから、まるでカンヌかベルリンの国際映画祭に参加する藝能人みたいだ。さらに、クリステル夫人には“お得意”のフランス語という武器があるから、ヨーロッパの政治家と面会した際、英語を交えたフランス語の会話があるのかも。
まぁ、現在の日本は衆愚政治を称讃する頽廃社会だから、世襲議員の進次郎に高度な知識や教養人の礼儀作法を求めても無駄であろう。それでも、CSISの関係者が述べていたエピソードは衝撃的だ。(『週刊新潮』上掲記事、p.155.) 進次郎がCSISに入って、まだ間もない頃、彼はあるシンポジウムに参加したそうだ。進次郎が「気さくな青年」であることは好ましいが、初対面のアメリカ人に対して、「Hey !」と声を掛けていたなんて、ビックリ仰天である。親しい友人になら、「おい! どうしてる?」でいいけど、面識の無い大人に向かって使う言葉じゃないだろう。でも驚く事に、進次郎は上司のマイケル・グリーンに対しても「Hey !」と呼びかけていたそうだ。これは深刻なレベルの「重症」である。アメリカで生活していた人なら判るが、英語でも敬語や丁寧な言い回しがあるから、時と場所、話しかける相手によって言葉を選ぶのは常識だ。それなのに、二十歳を過ぎた進次郎には解らなかったなんて、とても信じられない。日本の有権者は進次郎の学歴よりも、その根本的な思考形態を問題にすべきだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867197.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1012.html
8 名無しさん@涙目です。(京都府) 2011/10/11(火) 09:42:00.89 ID:AFqwezST0
推進してる奴は売国奴だろ
18 名無しさん@涙目です。(東京都) 2011/10/11(火) 09:45:50.36 ID:57k/L9qm0
日本とアメリカでGDP9割だっけ。その他の国はオマケで利用させてやるよって感じか
47 名無しさん@涙目です。(アラバマ州) 2011/10/11(火) 09:59:06.12 ID:1N4S6NsY0
農業だけの問題じゃないんだよ
輸出大企業も日本市場における関税があるから日本に留まってるんだ
関税撤廃なら輸出企業は日本から出て行く
アメリカに工場作って生産してアメリカ及び世界や日本で販売したほうが企業にとって遥かに合理的なんだから
232 名無しさん@涙目です。(長屋) 2011/10/11(火) 11:43:17.17 ID:GCitNosH0
TPPはアメ公しか得しないじゃんマジで参加する意味が無い
234 名無しさん@涙目です。(京都府) 2011/10/11(火) 11:43:39.28 ID:bZSI/XEa0
TPPっていうのは日本がターゲット、日本市場をいかにしてとるかが狙いだから、TPP日本が不参加ならこのTPPは消えてなくなる
バスに乗り遅れるな。じゃなく、日本がのってくるまで、運転手であるアメリカがずっと待ってるこれが真相
233 名無しさん@涙目です。(北海道) 2011/10/11(火) 11:43:32.44 ID:fIUkfB6s0
俺が思うに今日本は戦後史上最大の瀬戸際に立たされてると思う
TPPで国ごと瀕死のアメリカに捧げるか?、
中韓連合軍の奴隷になるか?
俺はどっちがいいのかわからない、まあ誰かが勝手に決めるんだろうけど
23 名無しさん@涙目です。(福島県) 2011/10/11(火) 09:47:03.41 ID:a/XmoboU0
経産省の古賀もTPP推進派だ
中国人や欧米人がたくさんいる日本が、成長する明るい日本なんだそうだ
227 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:40:32.63 ID:prv3UGwa0
宗像 直子!! 売国奴は日本から出て行くべき!!
全日本人の敵!!宗像 直子!!
44 名無しさん@涙目です。(東京都) 2011/10/11(火) 09:56:27.67 ID:TGFk/4cH0
宗像直子
桜蔭中高卒
東大法学部卒
経済産業省84年入省(大臣官房参事官など歴任)
ハーバード・ビジネス・スクールMBA取得
ジョージ・ワシントン大学シグールアジア研客員教授
独立行政法人 経済産業研究所所属
51 名無しさん@涙目です。(WiMAX) 2011/10/11(火) 10:00:26.41 ID:WYbda58K0
>>44
外国かぶれか
そりゃ自由化とか国際化とかに傾倒するだろうよ
59 名無しさん@涙目です。(兵庫県) 2011/10/11(火) 10:02:58.48 ID:gRCJz4g70
>>51
留学してるくらいで外国かぶれ(笑)
官僚が国費留学なんか当然だろ
62 名無しさん@涙目です。(神奈川県) 2011/10/11(火) 10:04:21.09 ID:m7RftHik0
>>59
向こうの経済界に取り込まれてる気がするがな
70 名無しさん@涙目です。(東京都) 2011/10/11(火) 10:14:16.68 ID:9iDNezoh0
>>62
公立大の経済学部だけしか出ていない人と、
文一出て、ハーバードのMBA取った人とでは、どっちが国際的な視野を持てると思う?
そもそも、取り込まれる、取り込まれない以前に、METIのTPP派があたかもたった一人であるかのような考えが、まず、非現実的なんだ
三橋さんの奇妙な主張は、霞ヶ関で銃弾のように飛び交っている怪文書を鵜呑みした典型としか言いようがないよ・・・
101 名無しさん@涙目です。(長屋) 2011/10/11(火) 10:33:09.50 ID:J+0p5TLD0
基本的に経済学学ぶと新しい本のほとんどは自由貿易は正しいってとこから始まってるから先ず間違いなく賛成派に回る。
一部の大御所は教科書の間違いを指摘して、自由貿易が正しいと信じているわけではないが、それ以外の連中はお経を読むように盲信しているから経済学を学んだやつほどダメになる話なんだよねこれ。
84 名無しさん@涙目です。(関東地方) 2011/10/11(火) 10:25:50.06 ID:A+44Bhg60
肩書きと権威に騙されるようじゃまだまだだよ
東大法学部でハーバードMBA持ってるからって、正しいとはかぎらない
むしろこういうアメリカに留学したような奴は必ずアメリカ政府に裏で操られてるからな
209 名無しさん@涙目です。(愛知県) 2011/10/11(火) 11:29:22.40 ID:dtHqt6Bu0
>>44
やっぱりアメリカに洗脳されちゃったんだね
アメリカみたいな人種の坩堝が大好きなようだから
日本を多種多様な人種の多民族国家化させたいんだろうね
214 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:32:50.55 ID:VicIC/nB0
たぶん留学中にオルグされちゃったんだろうけど、
ムナカタ氏を背後で操っているのはアメリカの誰なんだい?
221 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:35:41.63 ID:Eii4zrtV0
こういう売国官僚って3つのパターンがあるんだよ
1、アメリカ留学などで洗脳されたバカ
2、アメリカ筋とのつながりがあり確信犯
3、マジで工作員
この3つのパターンのどれか
222 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:37:45.77 ID:Eii4zrtV0
4、スキャンダルネタをつかまれて脅されている
225 名無しさん@涙目です。(茨城県) 2011/10/11(火) 11:39:58.21 ID:VicIC/nB0
>>221
アメリカ逝った人は1.のパターンが圧倒的じゃないかなぁ
242 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:46:36.12 ID:Eii4zrtV0
コイツまじの工作員じゃねえかな
72 名無しさん@涙目です。(兵庫県) 2011/10/11(火) 10:16:51.27 ID:N2aMDL/JP BE:4971154289-2BP(0)
>>70
国際的な視野も何も、破綻システムの破綻を早めるだけだから
君のその権威主義のおかげで、為政者たちは「国家」を私物化できるんだよ
算数もしなければ社会もやらない、社会システムについては偉い人に全て丸投げ
そんなのがドヤ顔で何かを意見できると思うなよ、同じ間違いを原発事故でやっただろうが
202 名無しさん@涙目です。(千葉県) 2011/10/11(火) 11:25:58.41 ID:HCzWIgm20
優秀な奴の利益と庶民の利益は反するんだよ
そんなこともわからんのかw
296 名無しさん@涙目です。(dion軍) 2011/10/11(火) 12:13:50.58 ID:6OZAtEge0
普通に考えて
「関税が撤廃されたら海外から安い商品が購入できるようになるんだよな?わーいw」
って喜ぶのが愚民。
日本の農業やその他の産業が打撃を受けるかもしれないとか、そういうことに思いが至らない。
264 名無しさん@涙目です。(庭) 2011/10/11(火) 12:00:42.96 ID:jOdTT7kD0
デフレやTPPで潤うのは公務員や年金需給者や生活保護者の安定収入だけ
265 名無しさん@涙目です。(庭) 2011/10/11(火) 12:00:43.67 ID:cZ1Ud88l0
推進してる人間は悪いとこを隠すから。
93 名無しさん@涙目です。(長野県) 2011/10/11(火) 10:29:40.00 ID:odJFVnnh0
アメリカ対日本じゃなくて、
支配層対被支配層だって事に気付かないとな
アメリカ国民の大半だって日本国民と同じ被害者なんだから
212 名無しさん@涙目です。(鹿児島県) 2011/10/11(火) 11:31:34.22 ID:2G1c5URh0
TPPってのは100点取りたい病な官僚ちゃまの点数稼ぎみたいなもんだろ
法務省の死刑廃止や人権救済機関設立なんたらと一緒
258 名無しさん@涙目です。(大阪府) 2011/10/11(火) 11:56:09.97 ID:0uKoMm1u0
役人にとっては右だろうが左だろうが実績あげて出世することが何よりも大事なんだよ
キャリアのためにはそれが成功しようが失敗しようが自分主導の仕事を通さなければいけないんだな
そして基本右寄りな政策よりも左寄りな政策のほうが色々な理由でとてもとても通りやすい
150 名無しさん@涙目です。(東日本) 2011/10/11(火) 10:56:50.63 ID:v1qJqJj70
子宮で思考するメス豚が官僚かよ最悪じゃねぇか…
43 名無しさん@涙目です。(福岡県) 2011/10/11(火) 09:55:46.47 ID:WJAqeY0r0
女に力を持たせると国は滅ぶというのは本当みたいやな
53 名無しさん@涙目です。(兵庫県) 2011/10/11(火) 10:00:50.14 ID:N2aMDL/JP BE:5592548399-2BP(0)
女に国益という概念が理解できるかさえ怪しい
なんかのテクノロジーとバーターじゃねえと割りにあわねえよ
298 名無しさん@涙目です。(北海道) 2011/10/11(火) 12:16:29.95 ID:fIUkfB6s0
だから女の社会進出なんて許すべきじゃなかったんや
197 名無しさん@涙目です。(iPhone) 2011/10/11(火) 11:24:44.10 ID:6qDPTgmZ0
女か
198 名無しさん@涙目です。(西日本) 2011/10/11(火) 11:24:51.74 ID:Eii4zrtV0
宗像ってのが超スーパー売国奴ってことでOKですか?
114 名無しさん@涙目です。(dion軍) 2011/10/11(火) 10:38:16.06 ID:ubuv2lmx0
昭和40年代前半に官僚の留学制度ができたが、そのあたりまでが本当の語学などの実力者がenaとかハーバードとかに留学していた。
その後は、下駄履かせてただ留学しているだけ
118 名無しさん@涙目です。(長屋) 2011/10/11(火) 10:40:23.72 ID:J+0p5TLD0>>114
最近急激に欧米への官僚の留学者の質が落ちてるらしいね。
退学者まで出たとか。
146 名無しさん@涙目です。(dion軍) 2011/10/11(火) 10:55:17.82 ID:ubuv2lmx0
>>118
留学生の質もあるけど、私学の一貫校出身者をみてると なんだか偏ったオーラが漂っているんだよなぁ
古賀にしてもいいか悪いかは別として麻布だし、このオバサンだって
桜蔭だろ。
子供の頃、勉強以外の世界なんも体験してないじゃん
それとこのオバサンやオバサンの理屈云々いう積りはないけど、
女はどこまでも破滅してまでも突き進んでいく習性があるから、
女に責任あるポジション任せるのはあんま良くないと思うよ。
168 名無しさん@涙目です。(大阪府) 2011/10/11(火) 11:11:32.33 ID:QZvd9NyG0
まあ麻布なんかに行ってる連中は、万事につけ
・公式の意味を理解してなくても、テストで点が取れればいい
・女心を全く理解できなくても、ヤレればいい
みたいな調子だからな
表面的な事柄で他人と競争して、勝った負けたと騒ぐのが全て
206 名無しさん@涙目です。(dion軍) 2011/10/11(火) 11:27:41.51 ID:ubuv2lmx0
身近にいるから言ってるのよ。
まあ全てとは言わないけど、受験でオワッテル印象は強いね。
オレの親父も叔父もみんな
東大法→官僚、
東大医学部→医者
だったけどさ、そう言ってたよ。
医者の叔父は特に灘が受験で終わっていると言ってたな。
http://7ch.viewerd.com/m/news/1318293550/-86/
http://7ch.viewerd.com/m/news/1318293550/101/
544:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 20:54:25 ID:nqPogllY0
ほとんど留学経験なしで、日本の教育受けて日本で研究してた研究者がノーベル賞取っちゃったりしてるから、元々外国語や外国文化が苦手だったり興味無かったりする傾向が強い理系の人たちは別に留学なんてしなくても日本で十分第一線の研究ができるじゃん、って思い始めてんだよね。
でもポスドクで2,3年、っていうのは今でも盛んなんじゃないの?
548:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 20:56:27 ID:lYMi0rxZ0
小学校での英語教育はエリート教育とは真逆の愚民化政策だよ
本気で子供の事を考えるなら小学生の時期に国語と算数に力を入れる
552:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 20:59:45 ID:DC0C5GoU0
算数国語の教育は別に問題ないと思うけどな。問題あるのは、数学と英語と部活。
中等教育時に部活なんて強要したら趣味を育てる時間がない。だいたいどの世界でも大きな業績を上げる人間は遅くても10代までに将来につながる趣味を本格的にはじめている。
554:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:00:25 ID:LhuYbGH5O
MBAをとって帰ってきた人達の惨状を見たからでしょ。
563:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:03:50 ID:lYMi0rxZ0
数学は必要だよ
日本ではどんな仕事につこうとも高校程度の数学力はあった方が有利
高等教育でどんなことを学ぼうとも(文系であっても)線形代数や微積や統計のスキルが必要になる
566:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:05:19 ID:T/nNWzmX0
アメリカは大学経営がビジネスになっちゃって、留学生はべらぼうに学費が高いんだよな。
アメリカの景気が悪すぎるのも、急激なダウンの原因だろう。
とくに、カリフォルニアなんか州が財政破綻しそうだもん。
575:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:07:01 ID:dsJE6uBY0 >>554
富士通の統括部長とかやってた親父がMBAの相談会行ったら
お前が行く価値ないよって言われたそうな
580:名無しさん@十一周年:2010/12/26(日) 21:09:22 ID:bYlQ0d9+0
流石だな。
通常、宗主国は属国からの留学を奨励・強制して、卒業後は、宗主国とパ
イプのある属国の支配者層として育成する。
日本も、フルブライト留学生とかで、アメリカの子分が育成されたものだ。
これは、明治日本も似た方策で、清や朝鮮から留学生等を受け入れ、自国
を改革させ、欧米列強に対抗する味方を増やそうとしていた。
尤も、支那人と朝鮮人じゃ、民度が低過ぎるし恩を仇で返す連中だったの
で役には立たなかったがw
現代日本も、アジア・アフリカ諸国の留学生を受け入れ、日本の親派を育
成するのは、それなりに効果のあるもの。
フランクフルト学派のユダヤ人がコロンビア大学に移ってきた理由は様々あるけど、コロンビア大学にも受け容れる“素地”があったのは確かだ。1920年代後半から1930年代にかけて、コロンビア大学の社会学部は凋落の危機に瀕していた。当時は不況の波もあったから、思ったように研究費は支給されなかったし、気前の良い旦那衆はそうそう現れるものではない。コロンビア大学はシカゴ大学を創ったロックフェラー財団のような庇護者を持っていなかったから、世間の関心を集める講座やプログラムを実行できなかった。しかし、社会学部には後に社会学の業界で大御所となるロバート・マッキヴァー(Robert Morrison MacIver)教授がいたし、有名な社会学者のロバート・リンド(Robert Staughton Lynd)も雇われていた。このリンド教授は女房のヘレン(Helen Lynd / 旧姓 : Mirrell)と一緒に『Middletown』を書いて出版し、一躍世間の脚光を浴びた人物。しかし、この夫婦は共産主義に親近感を抱く学者カップルであったから、1950年代のマッーカーシー時代になると「赤狩り」のターゲットになってしまった。もっとも、リンド教授自身は「コミュニスト」じゃく「リベラル派」を名乗り、容疑の火消しに躍起だった。でも、本当は“マルキストもどき”のクリムゾン・リベラルだったりして・・・。
Robert MacIver 1Robert Lynd 1Helen Mirrell Lynd 01
(左 : ロバート・マッキヴァー / 中央 : ロバート・リンド / 右 : ヘレン・ミレル・リンド )
コロンビア大学とフランクフルト学派を結び附ける「仲人」は幾人かいて、その内の一人が、ルイス・ローウィン(Lewis Lorwin)という社会学を専攻する知識人であった。彼の本名はルイス・リヴァイン(Louis Levitski Levine)といい、キエフ生まれのユダヤ人。根無し草のユダヤ人らしく、彼の家族はヨーロッパ各地をうろつき、息子のルイスはロシア、スイス、フランスなどで教育を受けた。その後、大学へ進もうとしたルイスは、米国のコロンビア大学に入って博士号(社会学のPhD)を取得する。彼はほんの少しだけウェスリー・カレッジや母校で教鞭を執るが、後にモンタナ大学へと移った。しかし、根っからの左翼であるから、モンタナ州の労働問題に首を突っ込み、地元で絶大な影響力を持つアナコンダ鉱山会社(Anaconda Copper Mining Company)を批判したという。何しろ、ユダヤ人左翼は資本家や大企業が不倶戴天の敵だから、巨大企業による搾取や税金逃れを見逃すことはできない。ローウィンは会社の不正を指摘し、そこの経営陣や地元の政治家、さらには大学のお偉方と一悶着を起こしたらしい。その結果、エドワード・エリオット学長から停職処分を受け、三年間の教員生活に終止符を打つことになった。(詳しい経緯は、Arnon Gutfeld, 'A Russian Jew Named Levine', Michael : On the History of the Jews in the Diaspora, 1975.を参照。)
この事件で刮目すべきは、当時の西歐系アメリカ人がユダヤ人を「厄介者」とか「脅威」と見なしていたことだ。アーノン・ガットフェルドによれば以下の通り。
1919年の愛国者達は、「外国人の過激な行動(foreign radicalism)」に最大の脅威を見出していた。ユダヤ人というのが、この脅威に関して、最も目につく、現実的な具体例となった。この見解は移民反対論者を支援することになる。移民に反対する人々は、どのユダヤ人も過激な社会主義軍団にリクルートされる可能性を秘めている、と警告したのだ。そして、ユダヤ人の過激派どもは世界革命をもたらし、アメリカの政治・経済システムを破壊する要因である、とも述べていた。そして、「ボルシェビキはユダヤ人の運動である」という考えは、アメリカ中に広がっていく。多くの点で、こうした「赤の恐怖(red scare)」時代は、1920年代における反ユダヤ主義の道を舗装することになった。反ユダヤ主義は色々な形をとり、時には露骨で騒がしく、またある時には、潜在的で目に見えないものである。リヴァイン事件はこの両方の形をとっていた。(上掲記事、p.216.)
「リヴァイン」から「ローウィン」に改名したユダヤ人学者は、被服業界の国際労働組織に雇われ、労働問題の専門家となった。さらに、ローウィンは有名な「ブルッキングス研究所(Brookings Institution)」の研究員となる。これは如何にもユダヤ人らしい転職だが、ブルッキングス研究所に雇われたローウィンは、やがて別のユダヤ人と接触し、フランクフルト学派の盟友となってしまう。
「類は友を呼ぶ」というのはユダヤ人社会にも当て嵌まるようで、ローウィンが出版した本の書評には、ジュリアン・グンペルツ(Julian Gumperz)という社会学者が名を連ねていた。このグンペルツはローウィンを高く評価するマルキストで、後にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の後輩となる。フランクフルト学派の仲間になたローウィンは、これまた上層中流階級の家庭に生まれたユダヤ人。彼はフランクフルト学派の連中とソックリだ。創設メンバーのフェリックス・ワイル(Felix Weil)は、裕福な家庭に育ち、彼の父親であるヘルマン・ワイル(Hermann Weil)は、アルゼンチンで成功した穀物商人であった。フランクフルトで育ったレオ・ローウェンタール(Leo Lowenthal)は、同化したユダヤ人医者の息子だし、藝術面で批判論を展開したテオドール・アドルノ(Theodor Wiersengrund Adorno)は、ワイン販売で儲けた父親を持つ。ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)もドイツの上層中流階級に生まれ、父親のカール(Carl)は裕福なユダヤ人ビジネスマンだった。
Felix Weil 001Leo Lowenthal 1111Theodor Adorno 21Herbert Marcuse 001
(左 : フェリックス・ワイル / レオ・ローウェンタール / テオドール・アドルノ / 右 : ヘルベルト・マルクーゼ )
脱線したので話を戻す。グンペルスはマルクス主義を学ぶためにドイツへ渡り、フェリクス・ワイルが主宰する「マルキスト学習週間」という講座に参加したという。(Thomas Wheatland , The Frankfurt School in Exile , Minneapolis : University of Minnesota Press, 2009, p.45.) ちなみに、フェリクスの父親であるヘルマン・ワイルがフランクフルト学派創設のスポンサーである。当初、フランクフルト大学の運営者は、スポンサーの恩恵に報いるため、「フェリクス・ワイル社会研究所」という名称にしようと提案したが、これはワイルの方が断ったらしい。そこで、西歐社会を破壊しようと目論むユダヤ人どもは、科学的学問としてマルクス主義を確立し、この偉大なる思想に貢献しようと考え、単に「社会研究所(Institut fürSozialforschung)」と呼ぶことにした。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.7.)
ハイデルベルク大学で博士号を取ったグンペルツは、「研究所」のリサーチ・スタッフとなり、フランクフルト学派の創設メンバーであるフリードリッヒ・ポロックのアシスタントになったそうだ。しかし、研究所でホルクハイマーの助手という地位に不満を感じたグンペルツは転職を考え、ルイス・ローウィンに手紙を書いてブルッキングス研究所に勤めようと試みた。ところが、ホルクハイマーからの推薦状をもらっても、ブルッキングスには採用されず、悲嘆の日々を過ごすことになる。確かに、この不採用には落胆したが、グンペルツはめげずに別の道を模索し、アメリカでの人脈を広げつつ、社会学や心理学で著名な学者と顔見知りになった。
ついでに言えば、グンペルツの私生活も酷かった。ユダヤ人の左翼学者だから仕方ないけど、彼が結婚したヘーデ・テューン(Hede Tune / Hedwig Tune)という女優であった。ただし、彼女は結婚を機に共産主義者となり、「レッドベッド(Redhead)」というコードネームを持つソ連のスパイになった。ヘーデはポーランド人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれた非ユダヤ人。ウィーンでそだった少女は普通に成長したが、高校生の時にジャーナリストで作家のカール・クラウス(Karl Kraus)に魅了され、文学の世界に没頭した。ところが、ノーベル文学賞に何度もノミネートされたクラウスは、これまたヨーロッパに住み着くユダヤ人。彼は日本の左翼学者の間で人気が高く、あの赤い法政大学出版から著作集が出ている。ホント、日本の出版社は西洋の赤色分子が大好き。そして、「ヨーロッパの知識人」として紹介する学者が、実はヨーロッパ人のフリをするユダヤ人なんだからタチが悪い。翻訳者は原作者の素性を曖昧にせず、ちゃんと原作者の血筋や人脈を解説すべきだ。
Karl Kraus 001Hede Massing 11Gerhart Eisler 2234
(左 : カール・クラウス / 中央 : ヘーデ・テューン / 右 : ゲルハルト・アイズナー )
ハリウッド女優のエリザベス・テイラーじゃないけど、ヘーデも離婚や再婚を繰り返し、その都度「ラスト・ネーム」を変えていた。最初の亭主はゲルハルト・アイズナー(Gerhart Eisner)で、ドイツ・オーストリアの共産党に属するユダヤ人であった。彼の母親は非ユダヤ人であったけど、父親のルドルフ・アイズナーがオーストリア出身のユダヤ人であったから、血統的にはドイツに住み着くユダヤ人。父親のルドルフは哲学を専攻する大学教授であったというから、典型的なユダヤ人の左翼家庭である。ゲルハルトの導きにより、ヘーデはベルリンにあるドイツ共産党に入ってしまう。その後二人は離婚し、ヘーデはジュリアン・グンペルツと再婚するが、この夫も共産党に共鳴する極左分子だった。二人は米国のNYへ移り住むが、やがてジュリアンはフランクフルトへ留学し、再婚カップルは破局を迎える。三番目の亭主となるのは、ドイツ人社会学者のポール・マッシング(Paul Wilhelm Massing)で、彼もドイツの共産党(KPD)に属する左翼活動家であった。この時期、ヘーデはあのリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)に勧誘され、イグナス・レース(Ignace Reiss)のもとで動くソ連のスパイになってしまった。
Paul Lazarsfeld 1Sophie Lazarsfeld 01Alfred Adler 1
(左 : ポール・ラザースフェルト / 中央 : ゾフィー・ラザースフェルト / 右 : アルフレート・アドラー )
もう一人、フランクフルト学派の仲人になったと考えられるのは、有名な社会学者のポール・ラザースフェルト(Paul Lazarsfeld)である。彼はウィーンのユダヤ人家庭に生まれた移民で、元々は数学で博士号を取った研究者で、次第に社会科学に興味を示した転向組だ。彼が大衆心理の研究を始めたのは、母親の影響があるのかも知れない。母のゾフィー・ラザースフェルト(Sofie Munk / Sophie Lazarsfeld)はセラピストで、彼女は精神治療を専門とする心理学者のアルフレート・アドラー(Alfred Adler)の弟子であった。このアドラーもオーストリアに住み着くハンガリー・チェコ系のユダヤ人で、彼の「個人心理学(Individualpsychologie)」は日本でもよく知られている。
ラザースフェルドの才能を見出したロックフェラー財団は、このユダヤ人学者をアメリカに招き、これから発展するコミュニケーション媒体の研究を任せることにした。米国での生活を決めたラザースフェルドは、当時普及し始めたラジオの影響や、その宣伝力に着目し、新たな媒体が大衆に及ぼす効果を研究した。日本人でも心理戦を勉強する人は、ラザースフェルドと協力関係にあったハドリー・カントリール(Albert Hadley Cantril, Jr.)や、ユダヤ人社会学者のエリュー・カッツ(Elihu Katz)の名を知っているはずだ。マスメディアの影響力を研究していたラザースフェルドが、社会学の教授達と顔見知りであっても不思議じゃないし、事実、彼はコロンビア大学で「応用社会科学研究所(Bureau of Applied Social Science)」を創設していたのである。
ホルクハイマー率いるフランクフルト学派がコロンビア大学に移籍できたのは、ロバート・リンドやルイス・ローウィン、ロバート・マッキヴァー、ジュリアン・グンペルツ等が奔走してくれたこともあるが、コロンビア大のニコラス・マレー・バトラー(Nicholas Murray Butler)学長が理解を示してくれたことも大きかった。そして、この大学には日本でも有名なジョン・デューイ(John Dewey)が盤踞していたから、極左の社会主義者や隠れ共産主義者が繁殖したのも当然だ。デューイの弟子で、後に保守派へと転向したシドニー・フック(Sidney Hook)によれば、彼の師匠はマルクスに批判的だが、心の何処かで共産主義に共鳴しており、社会改革にとても熱心な社会主義者であったらしい。事実、デューイは有名な黒人団体であるNAACPの初期メンバーであったし、極左人権団体のACLUの創設者でもあった。一般の日本人は学校の先生から聞いていないけど、デューイは1928年にソ連を旅行し、共産党にもシンパシーを持っていたからFBIの監視対象になっていたのだ。(John A. Beineke, 'The Investigation of John Dewey by the FBI', Educational Theory, Vol. 37, 1987, p.43.)
Max Horkheimer 199921Nicholas Murray Butler 1111Sidney Hook 222John Dewey 22121
(左 : マックス・ホルクハイマー / ニコラス・マレー・バトラー / シドニー・フック / 右 : ジョン・デューイ )
日本でもそうだけど、歐米諸国で社会学を専攻する学者には、密かなマルキストや心情的な共産主義者が結構多い。共産党とは距離を置く知識人でも油断はできず、別路線の共産主義を目指す者かも知れないし、「リベラル派」を看板にするピンク左翼という場合もある。国立大学や私立大学にも、共産党に入らずに共産主義革命を模索する赤色細胞がウジャウジャいるし、社会主義や共産主義の理論を用いて西歐社会を破壊したいと願うアナーキストも少なくない。日教組の教師は滅多に口にしないが、天才的物理学者のアルベルト・アインシュタインや国連で人権活動をしていたエレノア・ローズヴェルトは、NAACPの創設メンバーで、あからさまな共産主義者ではないが、心の底で西歐社会を憎む左翼分子であった。
Friedrich Pollock 1443Eleanor Roosevelt 333Albert Einstein 1Karl Mannheim 221
(左 : フリードリッヒ・ポロック / エレノア・ローズヴェルト / アルベルト・アインシュタイン / 右 : カール・マンハイム)
日本でも昔は「進歩的知識人」が流行しており、今では残骸しか生きていないが、敗戦後30年くらいは、左翼の黄金時代であった。文系・理系を問わず、大学には反日分子や様々なタイプのマルキストが溢れていたのだ。例えば、東大教授から法政大学の学長にまでなった大内兵衛は、筋金入りのマルキスト学者で、その専攻分野は経済学であった。東大の総長を務めた経済学者の大河内一男は、『赤旗』に寄稿する反戦論者であったし、内村鑑三の赤い弟子であった大塚久雄は、これといった業績が無く、社会学の泰斗であるマックス・ウェバー(Max Weber)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を和訳した事だけが「唯一の業績」である。この東大教授は、西洋の市民社会とやらを称讃することで日本は“遅れた”後進国と暗に批判していた。
同じ東大で名物教授になっていたのが、政治学者の丸山眞男で、彼はアントニオ・グラムシの共産主義思想に共鳴していたが、ユダヤ人社会学者のカール・マンハイム(Karl Manheim)にも憧れていた。一橋大学で社会学を教えていた佐藤毅(さとう・たけし)は本当に碌でなしで、犯罪者の責任を教育や環境のせいにして、政府や世間が社会悪と仄めかしていたのだ。一橋大学には左翼学者がゴロゴロいて、人権思想をバラ撒く田中宏やイスラム擁護で悪名高い内藤正典(ないとう・まさのり)が教えていたし、政府の諮問委員会で権力をふるう竹中平蔵も一橋大学の教授だった。学者としての才能が無いことに気づいたパソナの竹中平蔵は、ロバート・ルービンやラリー・サマーズといったユダヤ人支配者に貢ぐ日本側の買弁となり、参院議員を経て政商に成り下がっていた。こんな売国奴が一橋大学の名物教授になっていたんだから、出資者の渋沢栄一が知ったら「資金を返せ!」と叫ぶだろう。福沢諭吉だって竹中が慶應義塾の教授と判ったら、筆を棄てて刀を握るんじゃないか。何しろ、福沢先生は痩せても枯れても中津藩士だからねぇ〜。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867197.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/213.html#c4
フランクフルト学派のユダヤ人がコロンビア大学に移ってきた理由は様々あるけど、コロンビア大学にも受け容れる“素地”があったのは確かだ。1920年代後半から1930年代にかけて、コロンビア大学の社会学部は凋落の危機に瀕していた。当時は不況の波もあったから、思ったように研究費は支給されなかったし、気前の良い旦那衆はそうそう現れるものではない。コロンビア大学はシカゴ大学を創ったロックフェラー財団のような庇護者を持っていなかったから、世間の関心を集める講座やプログラムを実行できなかった。しかし、社会学部には後に社会学の業界で大御所となるロバート・マッキヴァー(Robert Morrison MacIver)教授がいたし、有名な社会学者のロバート・リンド(Robert Staughton Lynd)も雇われていた。このリンド教授は女房のヘレン(Helen Lynd / 旧姓 : Mirrell)と一緒に『Middletown』を書いて出版し、一躍世間の脚光を浴びた人物。しかし、この夫婦は共産主義に親近感を抱く学者カップルであったから、1950年代のマッーカーシー時代になると「赤狩り」のターゲットになってしまった。もっとも、リンド教授自身は「コミュニスト」じゃく「リベラル派」を名乗り、容疑の火消しに躍起だった。でも、本当は“マルキストもどき”のクリムゾン・リベラルだったりして・・・。
Robert MacIver 1Robert Lynd 1Helen Mirrell Lynd 01
(左 : ロバート・マッキヴァー / 中央 : ロバート・リンド / 右 : ヘレン・ミレル・リンド )
コロンビア大学とフランクフルト学派を結び附ける「仲人」は幾人かいて、その内の一人が、ルイス・ローウィン(Lewis Lorwin)という社会学を専攻する知識人であった。彼の本名はルイス・リヴァイン(Louis Levitski Levine)といい、キエフ生まれのユダヤ人。根無し草のユダヤ人らしく、彼の家族はヨーロッパ各地をうろつき、息子のルイスはロシア、スイス、フランスなどで教育を受けた。その後、大学へ進もうとしたルイスは、米国のコロンビア大学に入って博士号(社会学のPhD)を取得する。彼はほんの少しだけウェスリー・カレッジや母校で教鞭を執るが、後にモンタナ大学へと移った。しかし、根っからの左翼であるから、モンタナ州の労働問題に首を突っ込み、地元で絶大な影響力を持つアナコンダ鉱山会社(Anaconda Copper Mining Company)を批判したという。何しろ、ユダヤ人左翼は資本家や大企業が不倶戴天の敵だから、巨大企業による搾取や税金逃れを見逃すことはできない。ローウィンは会社の不正を指摘し、そこの経営陣や地元の政治家、さらには大学のお偉方と一悶着を起こしたらしい。その結果、エドワード・エリオット学長から停職処分を受け、三年間の教員生活に終止符を打つことになった。(詳しい経緯は、Arnon Gutfeld, 'A Russian Jew Named Levine', Michael : On the History of the Jews in the Diaspora, 1975.を参照。)
この事件で刮目すべきは、当時の西歐系アメリカ人がユダヤ人を「厄介者」とか「脅威」と見なしていたことだ。アーノン・ガットフェルドによれば以下の通り。
1919年の愛国者達は、「外国人の過激な行動(foreign radicalism)」に最大の脅威を見出していた。ユダヤ人というのが、この脅威に関して、最も目につく、現実的な具体例となった。この見解は移民反対論者を支援することになる。移民に反対する人々は、どのユダヤ人も過激な社会主義軍団にリクルートされる可能性を秘めている、と警告したのだ。そして、ユダヤ人の過激派どもは世界革命をもたらし、アメリカの政治・経済システムを破壊する要因である、とも述べていた。そして、「ボルシェビキはユダヤ人の運動である」という考えは、アメリカ中に広がっていく。多くの点で、こうした「赤の恐怖(red scare)」時代は、1920年代における反ユダヤ主義の道を舗装することになった。反ユダヤ主義は色々な形をとり、時には露骨で騒がしく、またある時には、潜在的で目に見えないものである。リヴァイン事件はこの両方の形をとっていた。(上掲記事、p.216.)
「リヴァイン」から「ローウィン」に改名したユダヤ人学者は、被服業界の国際労働組織に雇われ、労働問題の専門家となった。さらに、ローウィンは有名な「ブルッキングス研究所(Brookings Institution)」の研究員となる。これは如何にもユダヤ人らしい転職だが、ブルッキングス研究所に雇われたローウィンは、やがて別のユダヤ人と接触し、フランクフルト学派の盟友となってしまう。
「類は友を呼ぶ」というのはユダヤ人社会にも当て嵌まるようで、ローウィンが出版した本の書評には、ジュリアン・グンペルツ(Julian Gumperz)という社会学者が名を連ねていた。このグンペルツはローウィンを高く評価するマルキストで、後にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の後輩となる。フランクフルト学派の仲間になたローウィンは、これまた上層中流階級の家庭に生まれたユダヤ人。彼はフランクフルト学派の連中とソックリだ。創設メンバーのフェリックス・ワイル(Felix Weil)は、裕福な家庭に育ち、彼の父親であるヘルマン・ワイル(Hermann Weil)は、アルゼンチンで成功した穀物商人であった。フランクフルトで育ったレオ・ローウェンタール(Leo Lowenthal)は、同化したユダヤ人医者の息子だし、藝術面で批判論を展開したテオドール・アドルノ(Theodor Wiersengrund Adorno)は、ワイン販売で儲けた父親を持つ。ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)もドイツの上層中流階級に生まれ、父親のカール(Carl)は裕福なユダヤ人ビジネスマンだった。
Felix Weil 001Leo Lowenthal 1111Theodor Adorno 21Herbert Marcuse 001
(左 : フェリックス・ワイル / レオ・ローウェンタール / テオドール・アドルノ / 右 : ヘルベルト・マルクーゼ )
脱線したので話を戻す。グンペルスはマルクス主義を学ぶためにドイツへ渡り、フェリクス・ワイルが主宰する「マルキスト学習週間」という講座に参加したという。(Thomas Wheatland , The Frankfurt School in Exile , Minneapolis : University of Minnesota Press, 2009, p.45.) ちなみに、フェリクスの父親であるヘルマン・ワイルがフランクフルト学派創設のスポンサーである。当初、フランクフルト大学の運営者は、スポンサーの恩恵に報いるため、「フェリクス・ワイル社会研究所」という名称にしようと提案したが、これはワイルの方が断ったらしい。そこで、西歐社会を破壊しようと目論むユダヤ人どもは、科学的学問としてマルクス主義を確立し、この偉大なる思想に貢献しようと考え、単に「社会研究所(Institut fürSozialforschung)」と呼ぶことにした。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.7.)
ハイデルベルク大学で博士号を取ったグンペルツは、「研究所」のリサーチ・スタッフとなり、フランクフルト学派の創設メンバーであるフリードリッヒ・ポロックのアシスタントになったそうだ。しかし、研究所でホルクハイマーの助手という地位に不満を感じたグンペルツは転職を考え、ルイス・ローウィンに手紙を書いてブルッキングス研究所に勤めようと試みた。ところが、ホルクハイマーからの推薦状をもらっても、ブルッキングスには採用されず、悲嘆の日々を過ごすことになる。確かに、この不採用には落胆したが、グンペルツはめげずに別の道を模索し、アメリカでの人脈を広げつつ、社会学や心理学で著名な学者と顔見知りになった。
ついでに言えば、グンペルツの私生活も酷かった。ユダヤ人の左翼学者だから仕方ないけど、彼が結婚したヘーデ・テューン(Hede Tune / Hedwig Tune)という女優であった。ただし、彼女は結婚を機に共産主義者となり、「レッドベッド(Redhead)」というコードネームを持つソ連のスパイになった。ヘーデはポーランド人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれた非ユダヤ人。ウィーンでそだった少女は普通に成長したが、高校生の時にジャーナリストで作家のカール・クラウス(Karl Kraus)に魅了され、文学の世界に没頭した。ところが、ノーベル文学賞に何度もノミネートされたクラウスは、これまたヨーロッパに住み着くユダヤ人。彼は日本の左翼学者の間で人気が高く、あの赤い法政大学出版から著作集が出ている。ホント、日本の出版社は西洋の赤色分子が大好き。そして、「ヨーロッパの知識人」として紹介する学者が、実はヨーロッパ人のフリをするユダヤ人なんだからタチが悪い。翻訳者は原作者の素性を曖昧にせず、ちゃんと原作者の血筋や人脈を解説すべきだ。
Karl Kraus 001Hede Massing 11Gerhart Eisler 2234
(左 : カール・クラウス / 中央 : ヘーデ・テューン / 右 : ゲルハルト・アイズナー )
ハリウッド女優のエリザベス・テイラーじゃないけど、ヘーデも離婚や再婚を繰り返し、その都度「ラスト・ネーム」を変えていた。最初の亭主はゲルハルト・アイズナー(Gerhart Eisner)で、ドイツ・オーストリアの共産党に属するユダヤ人であった。彼の母親は非ユダヤ人であったけど、父親のルドルフ・アイズナーがオーストリア出身のユダヤ人であったから、血統的にはドイツに住み着くユダヤ人。父親のルドルフは哲学を専攻する大学教授であったというから、典型的なユダヤ人の左翼家庭である。ゲルハルトの導きにより、ヘーデはベルリンにあるドイツ共産党に入ってしまう。その後二人は離婚し、ヘーデはジュリアン・グンペルツと再婚するが、この夫も共産党に共鳴する極左分子だった。二人は米国のNYへ移り住むが、やがてジュリアンはフランクフルトへ留学し、再婚カップルは破局を迎える。三番目の亭主となるのは、ドイツ人社会学者のポール・マッシング(Paul Wilhelm Massing)で、彼もドイツの共産党(KPD)に属する左翼活動家であった。この時期、ヘーデはあのリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)に勧誘され、イグナス・レース(Ignace Reiss)のもとで動くソ連のスパイになってしまった。
Paul Lazarsfeld 1Sophie Lazarsfeld 01Alfred Adler 1
(左 : ポール・ラザースフェルト / 中央 : ゾフィー・ラザースフェルト / 右 : アルフレート・アドラー )
もう一人、フランクフルト学派の仲人になったと考えられるのは、有名な社会学者のポール・ラザースフェルト(Paul Lazarsfeld)である。彼はウィーンのユダヤ人家庭に生まれた移民で、元々は数学で博士号を取った研究者で、次第に社会科学に興味を示した転向組だ。彼が大衆心理の研究を始めたのは、母親の影響があるのかも知れない。母のゾフィー・ラザースフェルト(Sofie Munk / Sophie Lazarsfeld)はセラピストで、彼女は精神治療を専門とする心理学者のアルフレート・アドラー(Alfred Adler)の弟子であった。このアドラーもオーストリアに住み着くハンガリー・チェコ系のユダヤ人で、彼の「個人心理学(Individualpsychologie)」は日本でもよく知られている。
ラザースフェルドの才能を見出したロックフェラー財団は、このユダヤ人学者をアメリカに招き、これから発展するコミュニケーション媒体の研究を任せることにした。米国での生活を決めたラザースフェルドは、当時普及し始めたラジオの影響や、その宣伝力に着目し、新たな媒体が大衆に及ぼす効果を研究した。日本人でも心理戦を勉強する人は、ラザースフェルドと協力関係にあったハドリー・カントリール(Albert Hadley Cantril, Jr.)や、ユダヤ人社会学者のエリュー・カッツ(Elihu Katz)の名を知っているはずだ。マスメディアの影響力を研究していたラザースフェルドが、社会学の教授達と顔見知りであっても不思議じゃないし、事実、彼はコロンビア大学で「応用社会科学研究所(Bureau of Applied Social Science)」を創設していたのである。
ホルクハイマー率いるフランクフルト学派がコロンビア大学に移籍できたのは、ロバート・リンドやルイス・ローウィン、ロバート・マッキヴァー、ジュリアン・グンペルツ等が奔走してくれたこともあるが、コロンビア大のニコラス・マレー・バトラー(Nicholas Murray Butler)学長が理解を示してくれたことも大きかった。そして、この大学には日本でも有名なジョン・デューイ(John Dewey)が盤踞していたから、極左の社会主義者や隠れ共産主義者が繁殖したのも当然だ。デューイの弟子で、後に保守派へと転向したシドニー・フック(Sidney Hook)によれば、彼の師匠はマルクスに批判的だが、心の何処かで共産主義に共鳴しており、社会改革にとても熱心な社会主義者であったらしい。事実、デューイは有名な黒人団体であるNAACPの初期メンバーであったし、極左人権団体のACLUの創設者でもあった。一般の日本人は学校の先生から聞いていないけど、デューイは1928年にソ連を旅行し、共産党にもシンパシーを持っていたからFBIの監視対象になっていたのだ。(John A. Beineke, 'The Investigation of John Dewey by the FBI', Educational Theory, Vol. 37, 1987, p.43.)
Max Horkheimer 199921Nicholas Murray Butler 1111Sidney Hook 222John Dewey 22121
(左 : マックス・ホルクハイマー / ニコラス・マレー・バトラー / シドニー・フック / 右 : ジョン・デューイ )
日本でもそうだけど、歐米諸国で社会学を専攻する学者には、密かなマルキストや心情的な共産主義者が結構多い。共産党とは距離を置く知識人でも油断はできず、別路線の共産主義を目指す者かも知れないし、「リベラル派」を看板にするピンク左翼という場合もある。国立大学や私立大学にも、共産党に入らずに共産主義革命を模索する赤色細胞がウジャウジャいるし、社会主義や共産主義の理論を用いて西歐社会を破壊したいと願うアナーキストも少なくない。日教組の教師は滅多に口にしないが、天才的物理学者のアルベルト・アインシュタインや国連で人権活動をしていたエレノア・ローズヴェルトは、NAACPの創設メンバーで、あからさまな共産主義者ではないが、心の底で西歐社会を憎む左翼分子であった。
Friedrich Pollock 1443Eleanor Roosevelt 333Albert Einstein 1Karl Mannheim 221
(左 : フリードリッヒ・ポロック / エレノア・ローズヴェルト / アルベルト・アインシュタイン / 右 : カール・マンハイム)
日本でも昔は「進歩的知識人」が流行しており、今では残骸しか生きていないが、敗戦後30年くらいは、左翼の黄金時代であった。文系・理系を問わず、大学には反日分子や様々なタイプのマルキストが溢れていたのだ。例えば、東大教授から法政大学の学長にまでなった大内兵衛は、筋金入りのマルキスト学者で、その専攻分野は経済学であった。東大の総長を務めた経済学者の大河内一男は、『赤旗』に寄稿する反戦論者であったし、内村鑑三の赤い弟子であった大塚久雄は、これといった業績が無く、社会学の泰斗であるマックス・ウェバー(Max Weber)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を和訳した事だけが「唯一の業績」である。この東大教授は、西洋の市民社会とやらを称讃することで日本は“遅れた”後進国と暗に批判していた。
同じ東大で名物教授になっていたのが、政治学者の丸山眞男で、彼はアントニオ・グラムシの共産主義思想に共鳴していたが、ユダヤ人社会学者のカール・マンハイム(Karl Manheim)にも憧れていた。一橋大学で社会学を教えていた佐藤毅(さとう・たけし)は本当に碌でなしで、犯罪者の責任を教育や環境のせいにして、政府や世間が社会悪と仄めかしていたのだ。一橋大学には左翼学者がゴロゴロいて、人権思想をバラ撒く田中宏やイスラム擁護で悪名高い内藤正典(ないとう・まさのり)が教えていたし、政府の諮問委員会で権力をふるう竹中平蔵も一橋大学の教授だった。学者としての才能が無いことに気づいたパソナの竹中平蔵は、ロバート・ルービンやラリー・サマーズといったユダヤ人支配者に貢ぐ日本側の買弁となり、参院議員を経て政商に成り下がっていた。こんな売国奴が一橋大学の名物教授になっていたんだから、出資者の渋沢栄一が知ったら「資金を返せ!」と叫ぶだろう。福沢諭吉だって竹中が慶應義塾の教授と判ったら、筆を棄てて刀を握るんじゃないか。何しろ、福沢先生は痩せても枯れても中津藩士だからねぇ〜。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68867197.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html#c38
一般の日本人は「アイヴィーリーグの一つである名門のコロンビア大学」と耳にすれば、即在に「凄いなぁぁ〜、英語力が相当高い人じゃないと入れないんだぁ〜」と溜息をつく。しかし、ちょっと正常で保守的なアメリカ人だと、「なんだ、あんな大学 !」と呟いて、「俺なら真っ平御免だ !」と吐き捨てる。多少アメリカに詳しい日本人だと、「ズビグニュー・ブレジンスキーやヘンリー・キッシンジャーが教えていた大学だよなぁ〜」とか、「オバマが編入した大学だ」と述べるだろう。でも、「フランクフルト学派のユダヤ人が移り住んだ、赤い悪魔の巣窟」と評する日本人は極めて少ない。何しろ、「フランクフルト学派って何?」と訊いてくる日本人が大半なんだから。(フランクフルト学派については、別の機会で具体的に述べたい。)
フランクフルト学派のユダヤ人がコロンビア大学に移ってきた理由は様々あるけど、コロンビア大学にも受け容れる“素地”があったのは確かだ。1920年代後半から1930年代にかけて、コロンビア大学の社会学部は凋落の危機に瀕していた。当時は不況の波もあったから、思ったように研究費は支給されなかったし、気前の良い旦那衆はそうそう現れるものではない。コロンビア大学はシカゴ大学を創ったロックフェラー財団のような庇護者を持っていなかったから、世間の関心を集める講座やプログラムを実行できなかった。しかし、社会学部には後に社会学の業界で大御所となるロバート・マッキヴァー(Robert Morrison MacIver)教授がいたし、有名な社会学者のロバート・リンド(Robert Staughton Lynd)も雇われていた。このリンド教授は女房のヘレン(Helen Lynd / 旧姓 : Mirrell)と一緒に『Middletown』を書いて出版し、一躍世間の脚光を浴びた人物。しかし、この夫婦は共産主義に親近感を抱く学者カップルであったから、1950年代のマッーカーシー時代になると「赤狩り」のターゲットになってしまった。もっとも、リンド教授自身は「コミュニスト」じゃく「リベラル派」を名乗り、容疑の火消しに躍起だった。でも、本当は“マルキストもどき”のクリムゾン・リベラルだったりして・・・。
Robert MacIver 1Robert Lynd 1Helen Mirrell Lynd 01
(左 : ロバート・マッキヴァー / 中央 : ロバート・リンド / 右 : ヘレン・ミレル・リンド )
コロンビア大学とフランクフルト学派を結び附ける「仲人」は幾人かいて、その内の一人が、ルイス・ローウィン(Lewis Lorwin)という社会学を専攻する知識人であった。彼の本名はルイス・リヴァイン(Louis Levitski Levine)といい、キエフ生まれのユダヤ人。根無し草のユダヤ人らしく、彼の家族はヨーロッパ各地をうろつき、息子のルイスはロシア、スイス、フランスなどで教育を受けた。その後、大学へ進もうとしたルイスは、米国のコロンビア大学に入って博士号(社会学のPhD)を取得する。彼はほんの少しだけウェスリー・カレッジや母校で教鞭を執るが、後にモンタナ大学へと移った。しかし、根っからの左翼であるから、モンタナ州の労働問題に首を突っ込み、地元で絶大な影響力を持つアナコンダ鉱山会社(Anaconda Copper Mining Company)を批判したという。何しろ、ユダヤ人左翼は資本家や大企業が不倶戴天の敵だから、巨大企業による搾取や税金逃れを見逃すことはできない。ローウィンは会社の不正を指摘し、そこの経営陣や地元の政治家、さらには大学のお偉方と一悶着を起こしたらしい。その結果、エドワード・エリオット学長から停職処分を受け、三年間の教員生活に終止符を打つことになった。(詳しい経緯は、Arnon Gutfeld, 'A Russian Jew Named Levine', Michael : On the History of the Jews in the Diaspora, 1975.を参照。)
この事件で刮目すべきは、当時の西歐系アメリカ人がユダヤ人を「厄介者」とか「脅威」と見なしていたことだ。アーノン・ガットフェルドによれば以下の通り。
1919年の愛国者達は、「外国人の過激な行動(foreign radicalism)」に最大の脅威を見出していた。ユダヤ人というのが、この脅威に関して、最も目につく、現実的な具体例となった。この見解は移民反対論者を支援することになる。移民に反対する人々は、どのユダヤ人も過激な社会主義軍団にリクルートされる可能性を秘めている、と警告したのだ。そして、ユダヤ人の過激派どもは世界革命をもたらし、アメリカの政治・経済システムを破壊する要因である、とも述べていた。そして、「ボルシェビキはユダヤ人の運動である」という考えは、アメリカ中に広がっていく。多くの点で、こうした「赤の恐怖(red scare)」時代は、1920年代における反ユダヤ主義の道を舗装することになった。反ユダヤ主義は色々な形をとり、時には露骨で騒がしく、またある時には、潜在的で目に見えないものである。リヴァイン事件はこの両方の形をとっていた。(上掲記事、p.216.)
「リヴァイン」から「ローウィン」に改名したユダヤ人学者は、被服業界の国際労働組織に雇われ、労働問題の専門家となった。さらに、ローウィンは有名な「ブルッキングス研究所(Brookings Institution)」の研究員となる。これは如何にもユダヤ人らしい転職だが、ブルッキングス研究所に雇われたローウィンは、やがて別のユダヤ人と接触し、フランクフルト学派の盟友となってしまう。
「類は友を呼ぶ」というのはユダヤ人社会にも当て嵌まるようで、ローウィンが出版した本の書評には、ジュリアン・グンペルツ(Julian Gumperz)という社会学者が名を連ねていた。このグンペルツはローウィンを高く評価するマルキストで、後にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の後輩となる。フランクフルト学派の仲間になたローウィンは、これまた上層中流階級の家庭に生まれたユダヤ人。彼はフランクフルト学派の連中とソックリだ。創設メンバーのフェリックス・ワイル(Felix Weil)は、裕福な家庭に育ち、彼の父親であるヘルマン・ワイル(Hermann Weil)は、アルゼンチンで成功した穀物商人であった。フランクフルトで育ったレオ・ローウェンタール(Leo Lowenthal)は、同化したユダヤ人医者の息子だし、藝術面で批判論を展開したテオドール・アドルノ(Theodor Wiersengrund Adorno)は、ワイン販売で儲けた父親を持つ。ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)もドイツの上層中流階級に生まれ、父親のカール(Carl)は裕福なユダヤ人ビジネスマンだった。
Felix Weil 001Leo Lowenthal 1111Theodor Adorno 21Herbert Marcuse 001
(左 : フェリックス・ワイル / レオ・ローウェンタール / テオドール・アドルノ / 右 : ヘルベルト・マルクーゼ )
脱線したので話を戻す。グンペルスはマルクス主義を学ぶためにドイツへ渡り、フェリクス・ワイルが主宰する「マルキスト学習週間」という講座に参加したという。(Thomas Wheatland , The Frankfurt School in Exile , Minneapolis : University of Minnesota Press, 2009, p.45.) ちなみに、フェリクスの父親であるヘルマン・ワイルがフランクフルト学派創設のスポンサーである。当初、フランクフルト大学の運営者は、スポンサーの恩恵に報いるため、「フェリクス・ワイル社会研究所」という名称にしようと提案したが、これはワイルの方が断ったらしい。そこで、西歐社会を破壊しようと目論むユダヤ人どもは、科学的学問としてマルクス主義を確立し、この偉大なる思想に貢献しようと考え、単に「社会研究所(Institut fürSozialforschung)」と呼ぶことにした。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.7.)
ハイデルベルク大学で博士号を取ったグンペルツは、「研究所」のリサーチ・スタッフとなり、フランクフルト学派の創設メンバーであるフリードリッヒ・ポロックのアシスタントになったそうだ。しかし、研究所でホルクハイマーの助手という地位に不満を感じたグンペルツは転職を考え、ルイス・ローウィンに手紙を書いてブルッキングス研究所に勤めようと試みた。ところが、ホルクハイマーからの推薦状をもらっても、ブルッキングスには採用されず、悲嘆の日々を過ごすことになる。確かに、この不採用には落胆したが、グンペルツはめげずに別の道を模索し、アメリカでの人脈を広げつつ、社会学や心理学で著名な学者と顔見知りになった。
ついでに言えば、グンペルツの私生活も酷かった。ユダヤ人の左翼学者だから仕方ないけど、彼が結婚したヘーデ・テューン(Hede Tune / Hedwig Tune)という女優であった。ただし、彼女は結婚を機に共産主義者となり、「レッドベッド(Redhead)」というコードネームを持つソ連のスパイになった。ヘーデはポーランド人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれた非ユダヤ人。ウィーンでそだった少女は普通に成長したが、高校生の時にジャーナリストで作家のカール・クラウス(Karl Kraus)に魅了され、文学の世界に没頭した。ところが、ノーベル文学賞に何度もノミネートされたクラウスは、これまたヨーロッパに住み着くユダヤ人。彼は日本の左翼学者の間で人気が高く、あの赤い法政大学出版から著作集が出ている。ホント、日本の出版社は西洋の赤色分子が大好き。そして、「ヨーロッパの知識人」として紹介する学者が、実はヨーロッパ人のフリをするユダヤ人なんだからタチが悪い。翻訳者は原作者の素性を曖昧にせず、ちゃんと原作者の血筋や人脈を解説すべきだ。
Karl Kraus 001Hede Massing 11Gerhart Eisler 2234
(左 : カール・クラウス / 中央 : ヘーデ・テューン / 右 : ゲルハルト・アイズナー )
ハリウッド女優のエリザベス・テイラーじゃないけど、ヘーデも離婚や再婚を繰り返し、その都度「ラスト・ネーム」を変えていた。最初の亭主はゲルハルト・アイズナー(Gerhart Eisner)で、ドイツ・オーストリアの共産党に属するユダヤ人であった。彼の母親は非ユダヤ人であったけど、父親のルドルフ・アイズナーがオーストリア出身のユダヤ人であったから、血統的にはドイツに住み着くユダヤ人。父親のルドルフは哲学を専攻する大学教授であったというから、典型的なユダヤ人の左翼家庭である。ゲルハルトの導きにより、ヘーデはベルリンにあるドイツ共産党に入ってしまう。その後二人は離婚し、ヘーデはジュリアン・グンペルツと再婚するが、この夫も共産党に共鳴する極左分子だった。二人は米国のNYへ移り住むが、やがてジュリアンはフランクフルトへ留学し、再婚カップルは破局を迎える。三番目の亭主となるのは、ドイツ人社会学者のポール・マッシング(Paul Wilhelm Massing)で、彼もドイツの共産党(KPD)に属する左翼活動家であった。この時期、ヘーデはあのリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)に勧誘され、イグナス・レース(Ignace Reiss)のもとで動くソ連のスパイになってしまった。
Paul Lazarsfeld 1Sophie Lazarsfeld 01Alfred Adler 1
(左 : ポール・ラザースフェルト / 中央 : ゾフィー・ラザースフェルト / 右 : アルフレート・アドラー )
もう一人、フランクフルト学派の仲人になったと考えられるのは、有名な社会学者のポール・ラザースフェルト(Paul Lazarsfeld)である。彼はウィーンのユダヤ人家庭に生まれた移民で、元々は数学で博士号を取った研究者で、次第に社会科学に興味を示した転向組だ。彼が大衆心理の研究を始めたのは、母親の影響があるのかも知れない。母のゾフィー・ラザースフェルト(Sofie Munk / Sophie Lazarsfeld)はセラピストで、彼女は精神治療を専門とする心理学者のアルフレート・アドラー(Alfred Adler)の弟子であった。このアドラーもオーストリアに住み着くハンガリー・チェコ系のユダヤ人で、彼の「個人心理学(Individualpsychologie)」は日本でもよく知られている。
ラザースフェルドの才能を見出したロックフェラー財団は、このユダヤ人学者をアメリカに招き、これから発展するコミュニケーション媒体の研究を任せることにした。米国での生活を決めたラザースフェルドは、当時普及し始めたラジオの影響や、その宣伝力に着目し、新たな媒体が大衆に及ぼす効果を研究した。日本人でも心理戦を勉強する人は、ラザースフェルドと協力関係にあったハドリー・カントリール(Albert Hadley Cantril, Jr.)や、ユダヤ人社会学者のエリュー・カッツ(Elihu Katz)の名を知っているはずだ。マスメディアの影響力を研究していたラザースフェルドが、社会学の教授達と顔見知りであっても不思議じゃないし、事実、彼はコロンビア大学で「応用社会科学研究所(Bureau of Applied Social Science)」を創設していたのである。
ホルクハイマー率いるフランクフルト学派がコロンビア大学に移籍できたのは、ロバート・リンドやルイス・ローウィン、ロバート・マッキヴァー、ジュリアン・グンペルツ等が奔走してくれたこともあるが、コロンビア大のニコラス・マレー・バトラー(Nicholas Murray Butler)学長が理解を示してくれたことも大きかった。そして、この大学には日本でも有名なジョン・デューイ(John Dewey)が盤踞していたから、極左の社会主義者や隠れ共産主義者が繁殖したのも当然だ。デューイの弟子で、後に保守派へと転向したシドニー・フック(Sidney Hook)によれば、彼の師匠はマルクスに批判的だが、心の何処かで共産主義に共鳴しており、社会改革にとても熱心な社会主義者であったらしい。事実、デューイは有名な黒人団体であるNAACPの初期メンバーであったし、極左人権団体のACLUの創設者でもあった。一般の日本人は学校の先生から聞いていないけど、デューイは1928年にソ連を旅行し、共産党にもシンパシーを持っていたからFBIの監視対象になっていたのだ。(John A. Beineke, 'The Investigation of John Dewey by the FBI', Educational Theory, Vol. 37, 1987, p.43.)
Max Horkheimer 199921Nicholas Murray Butler 1111Sidney Hook 222John Dewey 22121
(左 : マックス・ホルクハイマー / ニコラス・マレー・バトラー / シドニー・フック / 右 : ジョン・デューイ )
日本でもそうだけど、歐米諸国で社会学を専攻する学者には、密かなマルキストや心情的な共産主義者が結構多い。共産党とは距離を置く知識人でも油断はできず、別路線の共産主義を目指す者かも知れないし、「リベラル派」を看板にするピンク左翼という場合もある。国立大学や私立大学にも、共産党に入らずに共産主義革命を模索する赤色細胞がウジャウジャいるし、社会主義や共産主義の理論を用いて西歐社会を破壊したいと願うアナーキストも少なくない。日教組の教師は滅多に口にしないが、天才的物理学者のアルベルト・アインシュタインや国連で人権活動をしていたエレノア・ローズヴェルトは、NAACPの創設メンバーで、あからさまな共産主義者ではないが、心の底で西歐社会を憎む左翼分子であった。
Friedrich Pollock 1443Eleanor Roosevelt 333Albert Einstein 1Karl Mannheim 221
(左 : フリードリッヒ・ポロック / エレノア・ローズヴェルト / アルベルト・アインシュタイン / 右 : カール・マンハイム)
日本でも昔は「進歩的知識人」が流行しており、今では残骸しか生きていないが、敗戦後30年くらいは、左翼の黄金時代であった。文系・理系を問わず、大学には反日分子や様々なタイプのマルキストが溢れていたのだ。例えば、東大教授から法政大学の学長にまでなった大内兵衛は、筋金入りのマルキスト学者で、その専攻分野は経済学であった。東大の総長を務めた経済学者の大河内一男は、『赤旗』に寄稿する反戦論者であったし、内村鑑三の赤い弟子であった大塚久雄は、これといった業績が無く、社会学の泰斗であるマックス・ウェバー(Max Weber)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を和訳した事だけが「唯一の業績」である。この東大教授は、西洋の市民社会とやらを称讃することで日本は“遅れた”後進国と暗に批判していた。
同じ東大で名物教授になっていたのが、政治学者の丸山眞男で、彼はアントニオ・グラムシの共産主義思想に共鳴していたが、ユダヤ人社会学者のカール・マンハイム(Karl Manheim)にも憧れていた。一橋大学で社会学を教えていた佐藤毅(さとう・たけし)は本当に碌でなしで、犯罪者の責任を教育や環境のせいにして、政府や世間が社会悪と仄めかしていたのだ。一橋大学には左翼学者がゴロゴロいて、人権思想をバラ撒く田中宏やイスラム擁護で悪名高い内藤正典(ないとう・まさのり)が教えていたし、政府の諮問委員会で権力をふるう竹中平蔵も一橋大学の教授だった。学者としての才能が無いことに気づいたパソナの竹中平蔵は、ロバート・ルービンやラリー・サマーズといったユダヤ人支配者に貢ぐ日本側の買弁となり、参院議員を経て政商に成り下がっていた。こんな売国奴が一橋大学の名物教授になっていたんだから、出資者の渋沢栄一が知ったら「資金を返せ!」と叫ぶだろう。福沢諭吉だって竹中が慶應義塾の教授と判ったら、筆を棄てて刀を握るんじゃないか。何しろ、福沢先生は痩せても枯れても中津藩士だからねぇ〜。
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http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1691.html
Schubert: Piano Sonata No.20 in A, D.959
Released on: 1998-01-01
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/265.html
Schubert: 3 Klavierstücke, D.946 - No.1 in E flat minor (Allegro assai)
Schubert: 3 Klavierstücke, D.946 - No.2 in E flat (Allegretto)
Schubert: 3 Klavierstücke, D.946 - No.3 in C (Allegro)
Released on: 1998-01-01
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/266.html
Schubert: 6 Moments musicaux, Op. 94, D. 780
(Live in Ossiach / 26th June, 1969) · Wilhelm Backhaus The Last Concert
Wilhelm Backhaus´ last solo recitals from June 26/28, 1969 / side 1
[Wilhelm Backhaus] Schubert: 6 Moments Musicaux Op.94 (D780)
00:00 Moment Musical No.1 in C major - Moderato
03:20 Moment Musical No.2 in A-flat major - Andantino
08:58 Moment Musical No.3 in F minor - Allegro moderato
10:36 Moment Musical No.4 in C-sharp minor - Moderato
14:43 Moment Musical No.5 in F minor - Allegro vivace
16:56 Moment Musical No.6 in A-flat major - Allegretto
Wilhelm Backhaus (1884-1969)
Piano
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/267.html
シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/262.html#c2
シューベルト 『軍隊行進曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/268.html
シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/269.html
阿修羅♪ > 近代史6
阿修羅♪ > リバイバル3
を見れば僕が何故体制側からそれほど嫌われているのかすぐにわかるよ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/489.html#c7
Busch Quartet - Schubert : String Quartet No. 14 "Death and the Maiden" (1936)
recorded Oct.16, 1936
transfer from Jpn Victor 78s /JD-1032/3 (2EA-3795/6)
The Busch String Quartet
Adolf Busch(1st Violin)
Gösta Andreasson(2st Violin)
Karl Doktor(Viola)
Hermann Busch(Cello)
Schubert String Quartet No.15 in G major,D887(Busch String Quartet1938)
The Busch String Quartet
Adolf Busch(1st Violin)
Gösta Andreasson(2st Violin)
Karl Doktor(Viola)
Hermann Busch(Cello)
1938
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/272.html
Schubert String Quartet No.13 in A minor,D804"Rosamunde"(Vienna Konzerthaus Quartet1950)
Vienna Konzerthaus Quartet (Wiener Konzerthaus streicherquartett)
Anton Kamper, 1st Violin
Karl Maria Titze, 2nd Violin
Erich Weiss, Viola
Franz Kwarda, Cello
ca.1950 Vienna
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/273.html
Schubert, Piano Trio No.2 in E-flat Major, D.929, Op.100 / Busch Trio ( 1935 )
Rudolf Serkin, piano
Adolf Busch, violin
Hermann Busch, cello
Rec. EMI Studio No.3, Abbey Road, London, 23. X. 1935 ( Andante )
Schubert - Piano trio n°2 D.929 - Busch / Busch / Serkin 1951
Adolf Busch
Hermann Busch
Rudolf Serkin
Brattleboro, 11.X.1951
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/274.html
Schubert Piano Trio No.1 in B-flat major,Op.99,D.898(Casals,Thibaud,Cortot 1926)
Jacques Thibaud(Violin)
Pablo Casals(Cello)
Alfred Cortot(Piano)
5,6 July 1926
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/275.html
Gérard Caussé, Oleg Kagan, Natalia Gutman : Beethoven Trio Serenade for strings in D Major op.8
Gérard Caussé Viola
Oleg Kagan violin, Gérard Caussé viola, Natalia Gutman cello Beethoven Trio Serenade for strings in D-Major op.8
Dubrovnik Festival
Kagan, Bashmet, Gutman - Beethoven String Trios op. 9 & op. 8 - video 1988
00:00 - Beethoven String Trio, op. 9 no. 1
29:36 - finale of op. 9 no. 1
34:44 - Beethoven Serenade, op. 8 (or parts thereof)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/276.html
Schubert / Denis Matthews / Vienna Konzerthaus Quartet, 1959: Trout Quintet, Op. 114 - Vanguard LP
Allegro vivace (0:05)
Andante (8:57)
Scherzo (15:11)
Theme/Variations (19:18)
Allegro giusto (26:40)
Schubert: Arpeggione Sonata -- Mischa Maisky, Gábor Takács-Nagy, Weinberger
Weinberger Chamber Orchestra, Gábor Takács-Nagy, Mischa Maisky
Live at Zurich Tonhalle January 31 2016
F. Schubert - Sonata D 821 "Arpeggione" - Martha Argerich - Mischa Maisky
Martha Argerich - Mischa Maisky - Milano 2016
Schubert: Sonata For Arpeggione And Piano In A Minor, D.821
Martha Argerich · Mischa Maisky
Released on: 1985-01-01
Schubert: Arpeggione Sonata in A Minor, D. 821
Mischa Maisky · Daria Hovora
Released on: 1996-01-01
Schubert : Arpeggione Sonata A minor D.821 [ Mischa Maisky & Daria Hovora 971116 ]
Mischa Maisky Recital
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/278.html
Beethoven: Piano Sonata No. 27 in E Minor, Op. 90 (Stereo Version)
℗ 1969 Decca Music Group Limited
Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No.27, Op.90
mono rec.1954
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/279.html
Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No. 18 in E flat Op. 31 No. 3
live, last solo recitals from June 28, 1969
Wilhelm Backhaus´ last solo recitals from June 26/28, 1969 / Side 2
Beethoven: Piano Sonata No. 18 in E-Flat Major, Op. 31 No. 3 "The Hunt" (Stereo Version)
℗ 1963 Decca Music Group Limited
BACKHAUS plays BEETHOVEN Sonata No.18 Op.31 No.3 (1954 MONO)
STUDIO RECORDING 1954 MONO - BOSENDORFER PIANO
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/280.html
Busch, Brain, Serkin - Brahms : Horn Trio Es-dur Op.40 (1932) 再復刻
Rec. 16 May & 13 November 1933, at Abbey Road Studios, in London
transferred from U.K.HMV 78rpm / D.B.7610/3(32-4217/24)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/282.html
Brahms: Clarinet Trio, Wlach & Kwarda & Holetschek (1952)
Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet
Franz Kwarda (1904-1971), Cello (Kvarda)
Franz Holetschek (1911-1990), Piano
Rec. 1952 [Westminster]
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/283.html
Lener Quartet & Charles Draper - Brahms : Clarinet Quintet Op.115 (1928)
transferred from Jpn Columbia 78s /J-7600/02(AX-4258/60, 4289/91) 再復刻
Charles Draper, clarinet
Léner String Quartet:
Jenö Léner & Joszef Smilovits, violins
Sándor Roth, viola
Imre Hartmann, cello
Recorded: 7 & 10 XI 1928
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/284.html
Brahms: Clarinet Sonata No. 2, Wlach & Demus (1953)
Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet
Jörg Demus (1928-), Piano
Brahms: Clarinet Sonata No. 1, Wlach & Demus (1953)
Leopold Wlach (1902-1956), Clarinet
Jörg Demus (1928-), Piano
Brahms - Violin sonata n°3 - Busch / Serkin 1939
Adolf Busch
Rudolf Serkin
Live recording, Washington, 9.III.1939
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/287.html
Adolf Busch - Brahms : Violin Sonata No.2 in A Op.100 (1932) 再復刻
Adolf Busch
Rudolf Serkin
Studio recording, London, 20.IX.1932
transferred from Jpn Victor 78s /JD-151/2 (2B 3872/5)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/288.html
Adolf Busch - Brahms : Violin Sonata No.1 in G op.78 (1931) 再復刻
transferred from Jpn Victor 78s / 7487(71325/6)
Adolf Busch
Rudolf Serkin
Studio recording, London, 4 & 7.V.1931
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/289.html
Piano Trio No. 2 in C Major, Op. 87
Joseph Szigeti, Pablo Casals, Dame Myra Hess
℗ 1952 - BNF Collection 2014
Brahms Piano Quartet No.1 in G minor, Op.25(Serkin,Busch 1949)
Rudolf Serkin(Piano)
Adolf Busch(1st Violin)
Hugo Gottesman(Viola)
Hermann Busch(Cello)
1949
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/291.html
Brahms - Piano quartet n°2 - Busch SQ / Serkin
Studio recording, London, 21.IX.1932
Rudolf Serkin(Piano)
Adolf Busch(1st Violin)
Karl Doktor(Viola)
Hermann Busch(Cello)
Brahms - Piano quintet - Busch / Serkin
Studio recording, 13.X.1938
Rudolf Serkin(Piano)
The Busch String Quartet
Adolf Busch(1st Violin)
Gösta Andreasson(2st Violin)
Karl Doktor(Viola)
Hermann Busch(Cello)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/293.html
Pablo Casals Prades-1952
Brahms: Sextet No. 1 in B-flat major - 2. Andante ma moderato
Pablo Casals Prades-1952
Brahms-Sextet for Strings No. 1 in B flat Major Op. 18 (Complete)
Artist: Ernst Wallfisch
Artist: Karen Tuttle
Artist: Madeline Foley
Artist: Pablo Casals
Artist: Yehudi Menuhin
Artist: Árpád Gérecz
Prades-1952
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/294.html
Brahms Quintet No. 2 In G Major Budapest String Quartet (1958) LP
Cello – Mischa Schneider
Viola – Walter Trampler
Viola – Boris Kroyt
Violin – Alexander Schneider, Joseph Roisman
Brahms, String quintet no. 2 in G major, op. 111 (Budapest Quartet/Mahlke/1932)
J. Roismann - A. Schneider - I. Ipolyi - M. Schneider
2nd Viola ; Hans Mahike
transferred from JPN Victor 78s / JH-1-3(2D-1271/3, 1280/2)
Recorded 15, 17, and 18 November 1932
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/295.html
Brahms - Hungarian Dances n°17, n°1, n°3 & n°10 - New York / Walter
Hungarian Dances
n°17 in F-sharp minor 0:00
n°1 in G minor 3:13
n°3 in F major 6:13
n°10 in F major 8:37
New York Philharmonic
Bruno Walter
Studio recording, New York, 12.II.1951
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/296.html
Brahms: Alto Rhapsody, Miller & Walter (1961)
Mildred Miller (1924-), Mezzo Soprano
Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra
Occidental College Concert Choir (Chorus Master: Howard Swan)
Rec. 11 January 1961, at American Legion Hall, in Hollywood
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/297.html
Busch Quartet - Beethoven : String Quartet No.11 f-moll op.95 (1932) 再復刻
transferred from Jpn Victor 78s /JD-71/2(2B-3866/7,3870/1)
The Busch String Quartet
Adolf Busch(1st Violin)
Gösta Andreasson(2st Violin)
Karl Doktor(Viola)
Hermann Busch(Cello)
19-23 September 1932
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/298.html
Busch Quartet - Beethoven : String Quartet No.9 "Rasumovsky" Op.59 - No.3 (1933) - 再復刻
recorded 10 - 16 November 1933, London
transferred from Jpn Victor 78s / JD-311/4(2B-5418/5425)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/299.html
Beethoven Cello Sonata No.4 in C major Op.102-1(Pablo Casals - Mieczyslaw Horszowski 1936)
0:00 1.Andante - Allegro vivace
8:40 2.Adagio - Tempo d'andante - Allegro vivace
Oct. 1936
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/300.html
Beethoven: 32 Variations in C minor on an Original Theme, WoO 80
Released on: 1986-01-01
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/301.html
"Für Elise" - Wilhelm Kempff: 1964, Deutsche Grammophon (SLPM 138 934) - Beethoven
Wilhelm Backhaus Plays Brahms Op. 35 Variations on a Theme by Paganini, in a 1924 Duo Art Roll
Wilhelm Backhaus plays Brahms Paganini Variations Op. 35
recorded in 1929
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/303.html
そんなのはデマだ、本当かどうかわからない
無責任な事は言うな
確実に正しいと証明された事以外は一切言うな
不確かな情報は書くな
被害者を冒涜するな、
そんな事まで晒したら被害者や母親がかわいそうだ、
名誉棄損だ、
削除依頼を出す、
通報する、
告訴する、
というのが児童売春組織の工作員の もっともらしい批判です。
誰も知らなかった真相が書かれる事もあるけど、そうするとすぐに削除依頼が出されたり、どうでもいい話を大量に書いて大事な情報を隠す。
旭川凍死事件の同じ様なスレが何千個も建てられているのは、真実が書かれたスレを見つけられない様にする為です。
証拠隠蔽の為に何十人もの工作員と何億円もの資金が使われています。
被害者の遺族までが明らかに間違ったデマを流して児童売春組織の隠蔽工作に加わっています。
単なる中学生のイジメ事件では絶対に有り得ない事です。
因みに名誉棄損で訴訟を起こしたら、予想賠償金額は20万円程度なのに、訴訟費用が90万円もかかる。そんな事をやる物好きは何処にも居ない。
裁判で最悪の結果になっても20万円払えばいいんだろ
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/688.html
というのが児童売春組織の工作員の もっともらしい批判です。
誰も知らなかった真相が書かれる事もあるけど、そうするとすぐに削除依頼が出されたり、どうでもいい話を大量に書いて大事な情報を隠す。
旭川凍死事件の同じ様なスレが何千個も建てられているのは、真実が書かれたスレを見つけられない様にする為です。
証拠隠蔽の為に何十人もの工作員と何億円もの資金が使われています。
被害者の遺族までが明らかに間違ったデマを流して児童売春組織の隠蔽工作に加わっています。
単なる中学生のイジメ事件では絶対に有り得ない事です。
因みに名誉棄損で訴訟を起こしたら、予想賠償金額は20万円程度なのに、訴訟費用が90万円もかかる。そんな事をやる物好きは何処にも居ない。
裁判で最悪の結果になっても20万円払えばいいんだろ
半年酒を飲まなければそれ位は出せるからな
▲△▽▼
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街
今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です。
旭川 児童 売春・ハニートxップ帝国!
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇2021/3/26
旭川市東光の中学校教師・畔柳(くろやなぎ)健容疑者(46) 女子高生(17)こどもの日に買春
◇2020/12/2
旭川市立 東鷹栖中学校の教師、丸田文則容疑者(50) ツイッターで知り合った女性(17)買春
◇2020/1/15-
旭川市立永山南中学校の男性教諭(44)が7月に児童買春の容疑で逮捕されたのに続いて、この9月には東鷹栖中学校の男性教諭(50)も同様の容疑で逮捕。
◇2018/4/23
旭川市立北鎮小教諭進藤隆英容疑者(43)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕
◇2021/3/18
児童売春で懲戒免職など道教委4件処分】
【再犯】
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇買春に中3を派遣 鈴商=暴力団員を逮捕
旭川中央署は児童福祉法違反などの疑いで松本豊容疑者(43)と内縁の妻の北野恵美容疑者(29)暴力団員、無職石川斤三容疑者(62)同豊岡五ノ三、同、塗装工荒井孝司容疑者の四人を逮捕した
#173 2021/05/21 02:13
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街 今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です
#52 2021/05/19 03:09
産業のない旭川では児童売春は重要な資金稼ぎ。
誰かが児童売春をすれば、その上がりで町全体にお金が回る。
旭川で生まれ育った低所得者の子は、中学入学後売春をするものだと思っていた。
旭川以外で育った子は、親を含めてそんなことは知らない。
被害者が9歳の頃から、お母さんの悪い噂を流し、被害者が中1になると同時に
性奴隷にすべく魔法が近づく。旭川の地元民は、如何によそ者から搾取するかが
重要な収入手段。被害者が自閉症であるから、おごらせるのも当然。
学校でいじめて、追い込んで、性的画像を手に入れて、売春を強要。
校長も教頭も担任も、旭川の人が生きていくための性奴隷を学校で
捕獲調教する必要があるので被害者を助けない。
警察も市役所もみんな性奴隷が必要。旭川全体で隠蔽した。おそらく
被害者以外にも、自殺した子はもともと旭川以外の人ではないだろうか。
つまり旭川の地元の人にとっては、地元で生まれ育った人以外は、搾取する相手。
よそ者いじめがきつい、とネット情報にある。よそ者いじめではなく追い込んで
痛めつけて性奴隷にしたり地元民のために搾取する相手がよそ者。
#27 2021/05/12 10:40
子どもの頃から自分を売って稼ぐのが当たり前だとして育ってたら
周囲もそうだったら何の疑問も持たずできてしまうでしょ
そういう環境が異常だという教育をしないといけないのに、教育者が率先してやってるというのがな
#31 2021/05/20 09:41
今回の旭川でクラス一番かわいい女の子を『自分たちの性の便所』ミッションの成功を物凄く喜ぶ人々多過ぎて怖いくらいです。
旭川では、クラスで一番かわいい女の子を集団で性的玩具にして遊ぶというのは『伝統』です
今はスマホが小学生から持ち歩いているのて
学校カースト上位の児童はカースト下位の女子児童を性的玩具にして みんなで共有して遊んでいます。
そして、一切罪として立憲されないという『成功体験』を旭川の住民は与えてしまいました。
これから街を歩く少しかわいい女子児童すべてターゲット
ワイセツ画像をとり
脅し、集団で暴行
性の奴隷として
動画をみんなで共有
かわいい女の子も
自分は汚れた
将来の楽しい夢や希望は無くなり
加害者の奴隷としてしか生きていけない
自覚し、将来を嘆き
あボーンする
旭川という女子児童を性の奴隷化するという『伝統』は日本のレジェンドとなっていきます。旭川は、児童 rape の『聖地』
▲△▽▼
旭川では中学の上級生が顧客に下級生を紹介して児童売春させている
2007年12月02日 女子中学生を買春 容疑の自衛官逮捕 旭川(11/28 10:10)
【旭川】旭川東署は二十七日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで、旭川市大町二の九、陸上自衛隊旭川駐屯地所属の三等陸曹 菱沼泰巳 容疑者(27)を逮捕した。
調べでは、菱沼容疑者は八月二十六日、携帯電話の出会い系サイトで知り合った同市内の女子中学生(14)から、別の女子中学生二人(いずれも十三歳)を紹介され、十八歳未満と知りながら、二人に二万−六万円を渡す約束をし同市内のホテルでいかがわしい行為をした疑い。
菱沼容疑者は金を渡さなかったため仲介した女子中学生が学校に相談し発覚した。最終的に金を払わなくても約束をしていれば児童買春は成立するという。
▲△▽▼
#132 2021/05/19 15:04
中学生とセックスしたいオッサン多いからな
それにしてもセックス代がたったの1万円っつのはあり得ないな
#140 2021/05/19 17:30
>>132
当日は1万、1.5万円だからと油断してると翌日には旭導が家に来て昨日小学生とやりましたね
この写真を100万円で買ってくれますかって来られて、払えないと言うと見せしめに新聞社に流すらしいよ
▲△▽▼
旭川での児童売春・ハニートxップの総元締めはマカオ犯罪集団「14k」だった
2020年12月9日、米国財務省はマカオ犯罪集団「14k」の親分、尹国駒(ワン・コクコイ)の在米資産を凍結したと発表した
一帯一路プロジェクトは中国共産党の利権でもある。べったりと、この国家プロジェクトに張り付いて利権をむさぼり、麻薬・売xからカジノ経営、はては不動産投資に仮想通貨取引でも暗躍したのは「洪門会」と総称されるヤクザである。
カンボジアを拠点としてのオレオレ詐欺の上部組織ではないか、という疑念もある。
中国系のヤクザは日本の仁義深いヤクザとは雲泥の差があり、約束は守らず仁義なんて何のことか、裏切りは日常の風景。すぐに殺人事件に発展する。
中国大陸、マカオ、香港、そして一帯一路プロジェクトの拡充にともなって犯罪組織「14k」はカンボジア、ミャンマー、パラオ諸島にも進出し、裏社会に深く浸透している。拠点はカジノである。
この「14k」を率いるのが尹国駒。通称は「歯列破壊」(ブロークンテース=崩牙駒)。1955年生まれの65歳。八年前にマカオの刑務所をでてから杳として行方知れず。それでいて闇世界に君臨し、一説には中国共産党のメンバーであり、党内幹部に顔が利くという。
「14k」はマカオが拠点、「新義安」などのマフィア集団と並び、カジノにまつわる裏ビジネスで肥った。この文脈からカンボジア、ミャンマーでもカジノを拠点に、さらに一帯一路では各地の中国人施設、宿舎のガードマンを引き受ける利権を持つという。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/609.html#c12
2021.08.08
自分たちから離れていくかつての属国を引き戻そうと必死のバイデン政権
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108080000/
アメリカのジョー・バイデン政権はユーラシア大陸の東側で盛んに動いている。同政権は「対アジア政策」、事実上の対中国政策の責任者としてカート・キャンベルを選んだが、この人物の働きで「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が1995年2月に作成されている。このレポートによって日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。
7月25日にウェンディ・シャーマン国務副長官が天津を訪問し、翌日には謝鋒外務次官や王毅国務委員兼外相と会談したが、中国の外交分野におけるトップである中央外事活動委員会弁公室の楊潔篪主任には会えなかった。
その直後にロイド・オースチン国防長官がフィリピンとベトナムを、またジョン・ブリンケン国務長官はインドをそれぞれ訪れたが、いずれも中国へ軍事的な圧力を加えるための拠点作りだと言えるだろう。
アメリカは1898年にスペインと戦争を行って勝利、中央アメリカから南アメリカにかけての地域を植民地化、さらにフィリピンも侵略して住民を虐殺している。フィリピンは大陸を侵略する重要な拠点と認識されていた。
その前にアメリカやイギリスは日本でクーデターを成功させ、新体制を侵略戦争へと誘導する。イギリスはアーネスト・サトーらが暗躍していたが、アメリカでは厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルや駐日公使だったチャールズ・デロング。ふたりは明治政権に対し、台湾へ派兵するよう煽っていた。台湾へ派兵するために琉球を併合することになる。
そこから江華島事件、日清戦争、日露戦争、シベリア派兵、「満州国」の建国、ノモンハン事件、そして1941年の関東軍特種演習。ここまでは中国からロシア/ソ連を支配するというアメリカやイギリスの戦略に合致している。
現在、アメリカは日本を「巨大空母」化させ、自衛隊の傭兵化を進めている。沖縄での軍事力を増強、台湾の現政権はアメリカの言いなり。次にフィリピンを制圧しようとするのは必然だろう。韓国の現政権を屈服させて橋頭堡にしようとしている。明治時代と同じようなことを行っているのだ。長期戦略に変化はないとも言える。
19世紀にイギリスが立てた長期戦略はユーラシア大陸の周辺部を制圧し、内陸部を締め上げるというもの。その戦略をまとめたのが地政学の父とも言われるハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその戦略に基づいている。
アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替えたが、これもマッキンダーの理論に合致している。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐとされた。そこでアメリカやその手下である日本がインドへ働きかけているのだが、働きかけなければならない状況だとも言える。インドはアメリカとの距離を置き始めたのだ。インドネシアもアメリカの思惑通りには動いていない。
アメリカはインドと中国の対立を煽ってきた。昨年5月にもインド北部のラダックと中国のチベット自治区にはさまれた場所にあるパンゴン湖でインドと中国が衝突、緊張が高まっていたが、今年8月6日に両国軍の撤退が発表された。緊張緩和の流れを阻止することがブリンケン国務長官の与えられた使命だろう。国防長官や国務長官が走り回らなければならないほど、ユーラシア大陸東部の国々はアメリカから距離を置こうとしている。
そうしたこともあり、NATOがユーラシア大陸の反対側までやってこようとしている。例えば事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは「NATO2030」なるプロジェクトを始めると2020年6月8日に宣言したが、イギリス軍やフランス軍が東アジアへ現れるようになった理由はその辺にあるのだろう。
アメリカのインド・太平洋軍司令部は8月3日から16日の日程で、40年ぶりの大艦隊演習だという「LSGE21(2021年大規模演習)」を実施している。アメリカの海軍と海兵隊が演習の主体だが、アメリカの陸軍、空軍、海軍、海兵隊、そしてイギリス軍、オーストラリア軍、自衛隊も合流しているという。
周辺国を威嚇しているつもりかもしれないが、すでに空母を中心とする艦隊の時代は過ぎ去った。1982年4月にアルゼンチン軍とイギリス軍がフォークランド(マルビナス)諸島の沖で軍事衝突、5月にアルゼンチン軍の対艦ミサイル、エグゾセがイギリスの軍艦、HMSシェフィールドなどを撃沈、他の感染にもダメージを与えている。
あわてたイギリスのマーガレット・サッチャーはパリでフランスのフランソワ・ミッテランと会談し、ミサイルを無効化するコードを教えるように要求、それでイギリスは勝利することができたと言われている。この戦争で艦隊の時代は終わったと言えるだろう。
現在、ロシアや中国が保有している対艦ミサイルはエグゾセとは比較にならないほど性能が向上している。海上を航行する艦船はすぐに撃沈される可能性が高く、アメリカの空母艦隊はかつての「戦艦大和」と似た状況に置かれている。
アメリカは脅しながら交渉する。例えば大統領に就任した直後、ドワイト・アイゼンハワーは泥沼化した朝鮮戦争から抜け出すため、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。それを副大統領として見ていたリチャード・ニクソンはベトナム戦争の際に同じ手法を使ったともいう。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
現在、アメリカは台湾を利用し、中国に対して軍事的な圧力を強めているが、1958年8月から9月にかけての時期にも台湾海峡で軍事的な緊張が高まっていた。エルズバーグによると、1958年の危機当時、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は金門島と馬祖に核兵器を投下する準備をしていた。そして現在、バイデン政権は同じことが国防総省で議論されているという。脅しても相手が屈するとは限らないと言うことをアメリカが学べないなら、世界は非常に危険な状態になる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108080000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/537.html#c12
2021.08.08
自分たちから離れていくかつての属国を引き戻そうと必死のバイデン政権
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108080000/
アメリカのジョー・バイデン政権はユーラシア大陸の東側で盛んに動いている。同政権は「対アジア政策」、事実上の対中国政策の責任者としてカート・キャンベルを選んだが、この人物の働きで「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が1995年2月に作成されている。このレポートによって日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。
7月25日にウェンディ・シャーマン国務副長官が天津を訪問し、翌日には謝鋒外務次官や王毅国務委員兼外相と会談したが、中国の外交分野におけるトップである中央外事活動委員会弁公室の楊潔篪主任には会えなかった。
その直後にロイド・オースチン国防長官がフィリピンとベトナムを、またジョン・ブリンケン国務長官はインドをそれぞれ訪れたが、いずれも中国へ軍事的な圧力を加えるための拠点作りだと言えるだろう。
アメリカは1898年にスペインと戦争を行って勝利、中央アメリカから南アメリカにかけての地域を植民地化、さらにフィリピンも侵略して住民を虐殺している。フィリピンは大陸を侵略する重要な拠点と認識されていた。
その前にアメリカやイギリスは日本でクーデターを成功させ、新体制を侵略戦争へと誘導する。イギリスはアーネスト・サトーらが暗躍していたが、アメリカでは厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルや駐日公使だったチャールズ・デロング。ふたりは明治政権に対し、台湾へ派兵するよう煽っていた。台湾へ派兵するために琉球を併合することになる。
そこから江華島事件、日清戦争、日露戦争、シベリア派兵、「満州国」の建国、ノモンハン事件、そして1941年の関東軍特種演習。ここまでは中国からロシア/ソ連を支配するというアメリカやイギリスの戦略に合致している。
現在、アメリカは日本を「巨大空母」化させ、自衛隊の傭兵化を進めている。沖縄での軍事力を増強、台湾の現政権はアメリカの言いなり。次にフィリピンを制圧しようとするのは必然だろう。韓国の現政権を屈服させて橋頭堡にしようとしている。明治時代と同じようなことを行っているのだ。長期戦略に変化はないとも言える。
19世紀にイギリスが立てた長期戦略はユーラシア大陸の周辺部を制圧し、内陸部を締め上げるというもの。その戦略をまとめたのが地政学の父とも言われるハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその戦略に基づいている。
アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替えたが、これもマッキンダーの理論に合致している。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐとされた。そこでアメリカやその手下である日本がインドへ働きかけているのだが、働きかけなければならない状況だとも言える。インドはアメリカとの距離を置き始めたのだ。インドネシアもアメリカの思惑通りには動いていない。
アメリカはインドと中国の対立を煽ってきた。昨年5月にもインド北部のラダックと中国のチベット自治区にはさまれた場所にあるパンゴン湖でインドと中国が衝突、緊張が高まっていたが、今年8月6日に両国軍の撤退が発表された。緊張緩和の流れを阻止することがブリンケン国務長官の与えられた使命だろう。国防長官や国務長官が走り回らなければならないほど、ユーラシア大陸東部の国々はアメリカから距離を置こうとしている。
そうしたこともあり、NATOがユーラシア大陸の反対側までやってこようとしている。例えば事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは「NATO2030」なるプロジェクトを始めると2020年6月8日に宣言したが、イギリス軍やフランス軍が東アジアへ現れるようになった理由はその辺にあるのだろう。
アメリカのインド・太平洋軍司令部は8月3日から16日の日程で、40年ぶりの大艦隊演習だという「LSGE21(2021年大規模演習)」を実施している。アメリカの海軍と海兵隊が演習の主体だが、アメリカの陸軍、空軍、海軍、海兵隊、そしてイギリス軍、オーストラリア軍、自衛隊も合流しているという。
周辺国を威嚇しているつもりかもしれないが、すでに空母を中心とする艦隊の時代は過ぎ去った。1982年4月にアルゼンチン軍とイギリス軍がフォークランド(マルビナス)諸島の沖で軍事衝突、5月にアルゼンチン軍の対艦ミサイル、エグゾセがイギリスの軍艦、HMSシェフィールドなどを撃沈、他の感染にもダメージを与えている。
あわてたイギリスのマーガレット・サッチャーはパリでフランスのフランソワ・ミッテランと会談し、ミサイルを無効化するコードを教えるように要求、それでイギリスは勝利することができたと言われている。この戦争で艦隊の時代は終わったと言えるだろう。
現在、ロシアや中国が保有している対艦ミサイルはエグゾセとは比較にならないほど性能が向上している。海上を航行する艦船はすぐに撃沈される可能性が高く、アメリカの空母艦隊はかつての「戦艦大和」と似た状況に置かれている。
アメリカは脅しながら交渉する。例えば大統領に就任した直後、ドワイト・アイゼンハワーは泥沼化した朝鮮戦争から抜け出すため、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。それを副大統領として見ていたリチャード・ニクソンはベトナム戦争の際に同じ手法を使ったともいう。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
現在、アメリカは台湾を利用し、中国に対して軍事的な圧力を強めているが、1958年8月から9月にかけての時期にも台湾海峡で軍事的な緊張が高まっていた。エルズバーグによると、1958年の危機当時、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は金門島と馬祖に核兵器を投下する準備をしていた。そして現在、バイデン政権は同じことが国防総省で議論されているという。脅しても相手が屈するとは限らないと言うことをアメリカが学べないなら、世界は非常に危険な状態になる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108080000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c20
7月25日にウェンディ・シャーマン国務副長官が天津を訪問し、翌日には謝鋒外務次官や王毅国務委員兼外相と会談したが、中国の外交分野におけるトップである中央外事活動委員会弁公室の楊潔篪主任には会えなかった。
その直後にロイド・オースチン国防長官がフィリピンとベトナムを、またジョン・ブリンケン国務長官はインドをそれぞれ訪れたが、いずれも中国へ軍事的な圧力を加えるための拠点作りだと言えるだろう。
アメリカは1898年にスペインと戦争を行って勝利、中央アメリカから南アメリカにかけての地域を植民地化、さらにフィリピンも侵略して住民を虐殺している。フィリピンは大陸を侵略する重要な拠点と認識されていた。
その前にアメリカやイギリスは日本でクーデターを成功させ、新体制を侵略戦争へと誘導する。イギリスはアーネスト・サトーらが暗躍していたが、アメリカでは厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルや駐日公使だったチャールズ・デロング。ふたりは明治政権に対し、台湾へ派兵するよう煽っていた。台湾へ派兵するために琉球を併合することになる。
そこから江華島事件、日清戦争、日露戦争、シベリア派兵、「満州国」の建国、ノモンハン事件、そして1941年の関東軍特種演習。ここまでは中国からロシア/ソ連を支配するというアメリカやイギリスの戦略に合致している。
現在、アメリカは日本を「巨大空母」化させ、自衛隊の傭兵化を進めている。沖縄での軍事力を増強、台湾の現政権はアメリカの言いなり。次にフィリピンを制圧しようとするのは必然だろう。韓国の現政権を屈服させて橋頭堡にしようとしている。明治時代と同じようなことを行っているのだ。長期戦略に変化はないとも言える。
19世紀にイギリスが立てた長期戦略はユーラシア大陸の周辺部を制圧し、内陸部を締め上げるというもの。その戦略をまとめたのが地政学の父とも言われるハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその戦略に基づいている。
アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替えたが、これもマッキンダーの理論に合致している。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐとされた。そこでアメリカやその手下である日本がインドへ働きかけているのだが、働きかけなければならない状況だとも言える。インドはアメリカとの距離を置き始めたのだ。インドネシアもアメリカの思惑通りには動いていない。
アメリカはインドと中国の対立を煽ってきた。昨年5月にもインド北部のラダックと中国のチベット自治区にはさまれた場所にあるパンゴン湖でインドと中国が衝突、緊張が高まっていたが、今年8月6日に両国軍の撤退が発表された。緊張緩和の流れを阻止することがブリンケン国務長官の与えられた使命だろう。国防長官や国務長官が走り回らなければならないほど、ユーラシア大陸東部の国々はアメリカから距離を置こうとしている。
そうしたこともあり、NATOがユーラシア大陸の反対側までやってこようとしている。例えば事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは「NATO2030」なるプロジェクトを始めると2020年6月8日に宣言したが、イギリス軍やフランス軍が東アジアへ現れるようになった理由はその辺にあるのだろう。
アメリカのインド・太平洋軍司令部は8月3日から16日の日程で、40年ぶりの大艦隊演習だという「LSGE21(2021年大規模演習)」を実施している。アメリカの海軍と海兵隊が演習の主体だが、アメリカの陸軍、空軍、海軍、海兵隊、そしてイギリス軍、オーストラリア軍、自衛隊も合流しているという。
周辺国を威嚇しているつもりかもしれないが、すでに空母を中心とする艦隊の時代は過ぎ去った。1982年4月にアルゼンチン軍とイギリス軍がフォークランド(マルビナス)諸島の沖で軍事衝突、5月にアルゼンチン軍の対艦ミサイル、エグゾセがイギリスの軍艦、HMSシェフィールドなどを撃沈、他の感染にもダメージを与えている。
あわてたイギリスのマーガレット・サッチャーはパリでフランスのフランソワ・ミッテランと会談し、ミサイルを無効化するコードを教えるように要求、それでイギリスは勝利することができたと言われている。この戦争で艦隊の時代は終わったと言えるだろう。
現在、ロシアや中国が保有している対艦ミサイルはエグゾセとは比較にならないほど性能が向上している。海上を航行する艦船はすぐに撃沈される可能性が高く、アメリカの空母艦隊はかつての「戦艦大和」と似た状況に置かれている。
アメリカは脅しながら交渉する。例えば大統領に就任した直後、ドワイト・アイゼンハワーは泥沼化した朝鮮戦争から抜け出すため、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。それを副大統領として見ていたリチャード・ニクソンはベトナム戦争の際に同じ手法を使ったともいう。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
現在、アメリカは台湾を利用し、中国に対して軍事的な圧力を強めているが、1958年8月から9月にかけての時期にも台湾海峡で軍事的な緊張が高まっていた。エルズバーグによると、1958年の危機当時、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は金門島と馬祖に核兵器を投下する準備をしていた。そして現在、バイデン政権は同じことが国防総省で議論されているという。脅しても相手が屈するとは限らないと言うことをアメリカが学べないなら、世界は非常に危険な状態になる。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/689.html
Beethoven - Piano Sonata nº 23 - Op. 57 - Appassionata (Backhaus Stereo Version)
Piano: Wilhelm Backhaus (1884 / 1969)
Gravado em 1959
Beethoven - Piano sonata n°23 op.57 - Backhaus 1952
Wilhelm Backhaus
Studio recording, Geneva, IV.1952
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/304.html
Jacques Thibaud & Alfred Cortot - Beethoven : Violin Sonata "Kreutzer" Op.47 (1929) 再復刻
transferred from Jpn Victor 78s / JD-1349/52(58213/58220)
Jacques Thibaud(Violin)
Alfred Cortot(Piano)
27,28 May 1929 Paris
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/305.html
Jacques Thibaud - Faure : Violin Sonata in A Op.13 (1927)
recorded 23 June, 1927, Kingsway Hall, London
transfer from U.S. Victrola 78s / 8086 (CR-1420/1)
Jacques Thibaud(Violin)
Alfred Cortot(Piano)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/306.html
Fauré Berceuse Op.16,子守歌(Thibaud,Cortot 1931)
recorded 1,2 Juli 1931, Salle Pleyel, Paris
transfer from Jpn Victor 78s /D.B.1653(2G-982)
Jacques Thibaud(Violin)
Alfred Cortot(Piano)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/307.html
Alfred Cortot - Chopin : Fantasie Impromptu 幻想即興曲 Op.66 (1933) 再復刻
recorded 5 July 1933 , No.3 Studio, Abby Road, London
transferred from Jpn Victor 78s /JD-265(2B-5225)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/310.html
フレデリック・ショパン 『バラード第1番ト短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/862.html
フレデリック・ショパン 『ピアノソナタ第2番 変ロ短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/863.html
フレデリック・ショパン 『舟歌 Barcarolle 嬰ヘ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/864.html
フレデリック・ショパン 『英雄ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/865.html
フレデリック・ショパン 『軍隊ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/866.html
フレデリック・ショパン 『幻想ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/867.html
フレデリック・ショパン 『夜想曲第2番 変ホ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/868.html
最美の音楽は何か? _ ショパン 『エチュード Op.10-3 別れの曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/189.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/310.html#c1
北海道旭川市近郊にある中国人墓地。地元の方も避けるようなこの場所は、正式名称を「中国人殉難烈士慰霊碑」と言います。
日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。
彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。
行ってはいけない‼多数の被害
また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。
ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。
なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。
▲△▽▼
戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった。
1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。
うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。
戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。
しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。
残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。
▲△▽▼
今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。
同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。
「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」
「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」
堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。
それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。
ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー
国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。
「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」
「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。
「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」
「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」
そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」
彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。
「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。
▲△▽▼
遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。
遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。
冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/367.html#c8
ベートーヴェン 『交響曲第2番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/312.html
ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html
ベートーヴェン 『交響曲第9番』
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ベートーヴェン 『交響曲第8番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/844.html
ベートーヴェン 『交響曲第7番』
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ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html
ベートーヴェン 『交響曲第5番』
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ベートーヴェン 『交響曲第4番』
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ベートーヴェン 『交響曲第3番』
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ベートーヴェン 『交響曲第2番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/850.html
ベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』
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ベートーヴェン オペラ 『フィデリオ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/836.html
ベートーヴェン 『フィデリオ序曲』
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ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』
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ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』
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ベートーヴェン 『エグモント序曲』
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ベートーヴェン 『コリオラン序曲』
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ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか?
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ベートーヴェン 『交響曲第9番』
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ベートーヴェン 『交響曲第8番』
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ベートーヴェン 『交響曲第7番』
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ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
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ベートーヴェン 『交響曲第5番』
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ベートーヴェン 『交響曲第4番』
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ベートーヴェン 『交響曲第3番』
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ベートーヴェン 『交響曲第2番』
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ベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』
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ベートーヴェン オペラ 『フィデリオ』
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ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第2番』
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ベートーヴェン 『レオノーレ序曲 第3番』
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ベートーヴェン 『エグモント序曲』
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ベートーヴェン 『コリオラン序曲』
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http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/311.html#c1
モーツァルト 『レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/839.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/313.html
モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html
モーツァルト 歌劇「魔笛」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html
モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/817.html
モーツァルト 『レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/839.html
クールな音楽家モーツァルト
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html
ブルーノ・ワルター _ モーツァルトの名盤
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/832.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/313.html#c1
誰も知らなかった真相が暴かれる事もあるけど、そうするとすぐに削除依頼が出されたり、どうでもいい話を大量に書いて重要な情報を隠す。
旭川凍死事件の同じ様なスレが何千個も建てられているのは、真実が書かれたスレを見つけられない様にする為です。
証拠隠蔽の為に何十人もの工作員と何億円もの資金が使われています。
被害者の遺族までが明らかに間違ったデマを流して児童売春組織の隠蔽工作に加わっています。
単なる中学生のイジメ事件では絶対に有り得ない事です。
因みに名誉棄損で訴訟を起こしたら、予想賠償金額は20万円程度なのに、訴訟費用が90万円もかかる。そんな事をやる物好きは何処にも居ない。
裁判で最悪の結果になっても20万円払えばいいんだろ
半年酒を飲まなければそれ位は出せるからな
▲△▽▼
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街
今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です。
旭川 児童 売春・ハニートxップ帝国!
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇2021/3/26
旭川市東光の中学校教師・畔柳(くろやなぎ)健容疑者(46) 女子高生(17)こどもの日に買春
◇2020/12/2
旭川市立 東鷹栖中学校の教師、丸田文則容疑者(50) ツイッターで知り合った女性(17)買春
◇2020/1/15-
旭川市立永山南中学校の男性教諭(44)が7月に児童買春の容疑で逮捕されたのに続いて、この9月には東鷹栖中学校の男性教諭(50)も同様の容疑で逮捕。
◇2018/4/23
旭川市立北鎮小教諭進藤隆英容疑者(43)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕
◇2021/3/18
児童売春で懲戒免職など道教委4件処分】
【再犯】
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇買春に中3を派遣 鈴商=暴力団員を逮捕
旭川中央署は児童福祉法違反などの疑いで松本豊容疑者(43)と内縁の妻の北野恵美容疑者(29)暴力団員、無職石川斤三容疑者(62)同豊岡五ノ三、同、塗装工荒井孝司容疑者の四人を逮捕した
#173 2021/05/21 02:13
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街 今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です
#52 2021/05/19 03:09
産業のない旭川では児童売春は重要な資金稼ぎ。
誰かが児童売春をすれば、その上がりで町全体にお金が回る。
旭川で生まれ育った低所得者の子は、中学入学後売春をするものだと思っていた。
旭川以外で育った子は、親を含めてそんなことは知らない。
被害者が9歳の頃から、お母さんの悪い噂を流し、被害者が中1になると同時に
性奴隷にすべく魔法が近づく。旭川の地元民は、如何によそ者から搾取するかが
重要な収入手段。被害者が自閉症であるから、おごらせるのも当然。
学校でいじめて、追い込んで、性的画像を手に入れて、売春を強要。
校長も教頭も担任も、旭川の人が生きていくための性奴隷を学校で
捕獲調教する必要があるので被害者を助けない。
警察も市役所もみんな性奴隷が必要。旭川全体で隠蔽した。おそらく
被害者以外にも、自殺した子はもともと旭川以外の人ではないだろうか。
つまり旭川の地元の人にとっては、地元で生まれ育った人以外は、搾取する相手。
よそ者いじめがきつい、とネット情報にある。よそ者いじめではなく追い込んで
痛めつけて性奴隷にしたり地元民のために搾取する相手がよそ者。
#27 2021/05/12 10:40
子どもの頃から自分を売って稼ぐのが当たり前だとして育ってたら
周囲もそうだったら何の疑問も持たずできてしまうでしょ
そういう環境が異常だという教育をしないといけないのに、教育者が率先してやってるというのがな
#31 2021/05/20 09:41
今回の旭川でクラス一番かわいい女の子を『自分たちの性の便所』ミッションの成功を物凄く喜ぶ人々多過ぎて怖いくらいです。
旭川では、クラスで一番かわいい女の子を集団で性的玩具にして遊ぶというのは『伝統』です
今はスマホが小学生から持ち歩いているのて
学校カースト上位の児童はカースト下位の女子児童を性的玩具にして みんなで共有して遊んでいます。
そして、一切罪として立憲されないという『成功体験』を旭川の住民は与えてしまいました。
これから街を歩く少しかわいい女子児童すべてターゲット
ワイセツ画像をとり
脅し、集団で暴行
性の奴隷として
動画をみんなで共有
かわいい女の子も
自分は汚れた
将来の楽しい夢や希望は無くなり
加害者の奴隷としてしか生きていけない
自覚し、将来を嘆き
あボーンする
旭川という女子児童を性の奴隷化するという『伝統』は日本のレジェンドとなっていきます。旭川は、児童 rape の『聖地』
▲△▽▼
旭川では中学の上級生が顧客に下級生を紹介して児童売春させている
2007年12月02日 女子中学生を買春 容疑の自衛官逮捕 旭川(11/28 10:10)
【旭川】旭川東署は二十七日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで、旭川市大町二の九、陸上自衛隊旭川駐屯地所属の三等陸曹 菱沼泰巳 容疑者(27)を逮捕した。
調べでは、菱沼容疑者は八月二十六日、携帯電話の出会い系サイトで知り合った同市内の女子中学生(14)から、別の女子中学生二人(いずれも十三歳)を紹介され、十八歳未満と知りながら、二人に二万−六万円を渡す約束をし同市内のホテルでいかがわしい行為をした疑い。
菱沼容疑者は金を渡さなかったため仲介した女子中学生が学校に相談し発覚した。最終的に金を払わなくても約束をしていれば児童買春は成立するという。
▲△▽▼
#132 2021/05/19 15:04
中学生とセックスしたいオッサン多いからな
それにしてもセックス代がたったの1万円っつのはあり得ないな
#140 2021/05/19 17:30
>>132
当日は1万、1.5万円だからと油断してると翌日には旭導が家に来て昨日小学生とやりましたね
この写真を100万円で買ってくれますかって来られて、払えないと言うと見せしめに新聞社に流すらしいよ
▲△▽▼
旭川での児童売春・ハニートxップの総元締めはマカオ犯罪集団「14k」だった
2020年12月9日、米国財務省はマカオ犯罪集団「14k」の親分、尹国駒(ワン・コクコイ)の在米資産を凍結したと発表した
一帯一路プロジェクトは中国共産党の利権でもある。べったりと、この国家プロジェクトに張り付いて利権をむさぼり、麻薬・売xからカジノ経営、はては不動産投資に仮想通貨取引でも暗躍したのは「洪門会」と総称されるヤクザである。
カンボジアを拠点としてのオレオレ詐欺の上部組織ではないか、という疑念もある。
中国系のヤクザは日本の仁義深いヤクザとは雲泥の差があり、約束は守らず仁義なんて何のことか、裏切りは日常の風景。すぐに殺人事件に発展する。
中国大陸、マカオ、香港、そして一帯一路プロジェクトの拡充にともなって犯罪組織「14k」はカンボジア、ミャンマー、パラオ諸島にも進出し、裏社会に深く浸透している。拠点はカジノである。
この「14k」を率いるのが尹国駒。通称は「歯列破壊」(ブロークンテース=崩牙駒)。1955年生まれの65歳。八年前にマカオの刑務所をでてから杳として行方知れず。それでいて闇世界に君臨し、一説には中国共産党のメンバーであり、党内幹部に顔が利くという。
「14k」はマカオが拠点、「新義安」などのマフィア集団と並び、カジノにまつわる裏ビジネスで肥った。この文脈からカンボジア、ミャンマーでもカジノを拠点に、さらに一帯一路では各地の中国人施設、宿舎のガードマンを引き受ける利権を持つという。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/609.html#c13
イスラエルのパレスチナへの侵攻について。
これは衝突ではありません。
戦争ではありません。
対立ではありません。
正当防衛ではありません。
これは植民地化であり、外国領土の占領であり、組織的な国際法違反の行為です。
それにこの事態は、この地で70年以上も繰り返されてきた迫害の、最新の一例でしかない。
すべては1948年、イスラエルを建国したシオニストたちが、イスラエルを「ユダヤ人国家」とするために、この地から先住パレスチナ人を追放すると決めたことから始まった。イスラエル人の歴史学者イラン・パペが次のように指摘している。[1]
(略)ユダヤ人指導層はすでに1948年2月に、つまりはイスラエル国家の創設に先立つ3ヶ月前から、パレスチナ人の追放作戦を開始していました。それはある日、地中海岸に面する五つの村を排除することから開始されました。(略)
私が話を始めるにあたって言及した会議は3月にもたれ、彼らはこっちの五つの村にあっちの五つの村にといったような散発的なやり方にとどまらず、パレスチナ人全体を体系的に排除し始めることを決定しました。彼らは、この国土を12の地域に分割し、おのおのの地域に軍の部隊を配置し、それぞれの部隊に各地域のなかの町や村のリストを受け持たせることを決定しました。(略)彼らはある一日でハイファの町から7万5千人の人びとを追放しました。1948年4月21日のことです。そして数日後には、ほぼ同数のパレスチナ人をヤーファの町から追放しました。イスラエル国家の建国を前に、35万人のパレスチナ人が自らの家から追放されたのです。
(略)
建国の前後を通じて、イスラエルは合計で約500の村、11の町を破壊し、ほぼ100万人のパレスチナ人を難民としました。(略)追放されることをパレスチナ人が拒んだ場合にはいつでも、虐殺、レイプ、略奪、投獄が伴いましたが、実際に数千ものパレスチナ人が投獄され、さらに強制労働収容所へと送り込まれ、1949年の中頃まで留め置かれることになりました。
これはまぎれもない民族浄化であり、ジェノサイドにほかならない。そしていま、最も激しいジェノサイドにさらされているのが、今回も標的にされたガザ地区だ。[2]
よりいっそうひどいのは、ガザ回廊のパレスチナ人の状況です。この問題が生じたのは、パレスチナ人たちが存在しているという問題を、巨大な監獄的収容所の中に彼らを閉じこめることで解決できる、というふうにイスラエル人たちが考えたからでした。(略)この地域で、たんに民族浄化にとどまらず、パレスチナ人に対する大量殺戮政策がとられたのは、ガザ地区の人びとの移送先がなかったためです。西岸地区の人びとについては、その半分の地域から残りの半分の地域へと移送することができます。エルサレムの人びとをヨルダンヘと移送することもできます。しかしガザ地区の人びとをどこかに移送できるかといえば、そうはいきません。そこでガザ地区の人びとが原始的なミサイルをイスラエルに放つことで反抗したときに、イスラエルは報復として大規模な殺戮の開始を決めました。ガザ地区に対するイスラエルの計画に関しては、われわれ双方にとっての未来がどうなるかなど、私も考えたくなくなるほどです。
イスラエルがパレスチナ人たちに加えている迫害は、かつてナチスがユダヤ人に加えた迫害とよく似ている。違いは、イスラエルは絶滅収容所までは作ってはいない、という程度ではないか。
「世界最大の監獄」と呼ばれるガザ地区など、まさにゲットーそのものだろう。
そんな場所で生まれ育った子どもたちがどうなるか。パレスチナ人の映画監督イマード・ブルナートが自分の息子ジブリールについてこう語っている。[3]
映画では、デモをやめさせようとするイスラエル軍の圧倒的な暴力が映し出される。ヨチヨチ歩きのジブリールが、片言で「壁」「軍隊」「ゴム弾」と話すようになり、3歳になると、デモに付いていく。最初は大勢の兵士を見て「怖かった」と言うジブリール。しかし、村人の「希望の象徴」であり、ジブリールの「友人」でもあった、イマードさんの親友がイスラエル兵に殺されると、ジブリールは言う。「パパ、ナイフで兵士を殺せばいいのに」
言葉の真意をイマードさんはこう語る。「子どもがけんかしてやられたらやり返す、そういう感覚だったんだろう。イスラエルと世界が知ってほしいのは、どんなに親が子どもを愛し慈しんでも、壁があり、イスラエル兵による暴力があり、死があり、私たちにはなんの権利もない。時に目の前で父親が逮捕され、家族を殺され、経済的にも苦しい。すると子どもはどうなる? 戦士(fighter)になっていく」。無邪気だったジブリールはやがて静かな炎を瞳に宿らせる。
よく、イスラエルとパレスチナの間の「暴力の連鎖」を止めなければならない、などという中立ぶった主張がなされるが、圧倒的な暴力を振るって民族浄化を行っているのは常にイスラエルの側であり、パレスチナではない。
イスラエルがこの不当な迫害をやめない限り、この地に平和が訪れることは決してない。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/690.html
従来の学校歴史観だと、英米はソ連を同盟国にして、極悪のドイツ、イタリア、日本を成敗したことになっている。さらに、英米の勝利は「ファシズムに対するデモクラシーの勝利」となっているから片腹痛い。なぜなら、どうして極悪の共産主義国、すなわち全体主義のソ連が同盟国となっているのに、リベラル・デモクラシーの勝利と宣言できるのか? しかも、アメリカは大虐殺を厭わない毛沢東を支援して、支那大陸の赤化を推進した張本人。朝鮮戦争だって、ディーン・アチソンやジョージ・マーシャルの不可解な言動を調べれば、米ソの「出来レース」だと判る。東アジアは米国から遠く離れた化外の地。冷たい“緊張状態”が続くことは、エスタブリッシュメントにとって必ずしも損な状態ではない。ノルマンディー上陸作戦だって甚だ怪しく、ポーランドを含めた東歐諸国をソ連に貢ぐための策略じゃないのか、と思えてくる。もし、本当に歐洲を救いたければ、フランスの海岸じゃなくバルカン半島から上陸し、北上しながら反撃すればいいじゃないか。英米の一般人は、ポーランドがヒトラーの手から解放され、スターリンの懐に入ったから嬉しいのか?
もちろん、一般のアメリカ国民や連合軍の将兵は、米国と歐洲を救うべく、多大な犠牲を払ったと思っている。しかし、大戦が勃発する原因や経緯、戦後の経済体制や国際秩序を冷静に見つめてみれば、何となく割の合わない結果であることに気づく。普通のアメリカ人やイギリス人は絶対に口にしないけど、「どうも、腑に落ちない。日独に勝ったとはいうものの、俺達の生活は良くならないどころか、以前よりも悪くなっている。第一、ナチズムを一掃したら、今度は故郷に有色人種が増えちまった。アーリア人を殺して、アフリカ人が隣人なんて真っ平御免だぞ。これなら、ドイツと一緒に組んで yudaya 人を中東に叩き出しておけばよかった。あれだけ多くの血を流したのに、その結果がこの程度なんて・・・」と嘆いてしまう。そもそも、大戦前にブリテン帝國の崩壊と英国病を予想したイギリス人は、いったい何人いたんだ? また、南洋戦線で日本兵を撃ち殺した白人兵は、本国での人種平等、つまり黒人との混淆や yudaya 人との共生を望んでいたのか?
第二次世界大戦の隠された目的は、独立を高めるドイツ帝國への懲罰処分にあった。我々はナチ・ドイツがヨーロッパ諸国を侵掠し、 yudaya 人を迫害したから、正義と秩序を守る英米が蹶起(けっき)した、と習っている。しかし、こんなのは子供騙しの御伽噺だ。大戦の理由は幾つかあるけど、そのうちの一つは、歐米世界を牛耳る闇組織の誤算にあった。ロスチャイルド家の指令を受けたウォーバーグ銀行が、レーニンのボルシェビキに資金を流したことはよく知られている。日本人は「ロシア革命」と思っているが、実質的には「 yudaya 人によるクーデタ」と呼んだ方がいいだろう。嘘だと思う日本人は、ボルシェビキの幹部を一人一人じっくりと眺めてみれはいい。
ポグロムを以て yudaya 人を度々迫害してきたロマノフ朝ロシアは、 yudaya 人にとったら不倶戴天の敵であるから、一家皆殺しは当然の結果である。しかし、革命の目的はそれだけではない。ロシアの富を収奪しようとする連中にとって、買収の効かないロシア皇帝は邪魔者でしかなかった。もし、外国人勢力がロシアの天然資源を根こそぎ奪い、民衆を低賃金労働者にして搾取すれば、必ずやロマノフ王朝は介入してくる。おそらく、外国企業は国外追追放になってしまうだろう。でも、子飼いのレーニンが支配者になれば、共産党が唯一の窓口になるから、党の幹部に甘い汁を吸わせておけば、後は国際企業のやりたい放題。巨大な資金を有するオルガルヒのような悪党、つまりロシア人の“フリ”をした yudaya 人が、ロシアの至る所で跋扈し、ロシアの石油や稀少金属を掘り出して巨万の富を得るだろう。もちろん、ボルシェビキの一般党員は「赤色革命」の輸出に夢中だ。しかし、裏から資金を流していた連中は違う野望を抱いていた。そして、世界政府の樹立を目論む大富豪は、レーニン亡き後の指導者にレフ・トロツキーを充てようと考えていたのだ。
ところが、グルジア人のヨシフ・スターリンが、国際金融業者の計画に大きなズレをもたらした。スターリンは巧妙な策略を用いてトロツキーを欺き、レーニンの葬儀に参列できないよう仕組んでしまう。意識朦朧のレーニンから「後継者の指名を受けた」スターリンは、独裁者として赤いロシアに君臨する。しかも、冷徹な目で現状を捕らえる大元帥は、トロツキーの永続革命論を斥け、一国社会主義で自分の土台を固めようと考えた。これはトロツキーを「操り人形」にしようと考えていた資金提供者にとっては番狂わせのパプニングだ。彼らはスターリンを甘く見ていたのかも知れない。知識人型のレーニンと違って、暴君型のスターリンは金持ちどものペットになる気は更々無かった。レーニンは資本家の足元にひれ伏したが、スターリンは彼らの尻(ケツ)を舐めるのが大嫌い。 yudaya 人のパトロンに頭を下げるくらいなら、自前で金を稼ぐ方がいいと考えた。実際、スターリンは金に困って強盗になったし、売春婦を搾取する女衒にもなっていた。やはり、革命家は暴力団の闘士でなきゃ。
ボーダレス・エコノミーを夢見る資本家達は、「絶大な権力を手に入れたスターリンを何とか制禦しなければ !」と思い、このグルジア人を懲らしめる政敵を創ろうと考えた。そこで目に附けたのが、当時、まだ駆け出しの政治家であったアドルフ・ヒトラー。なんと、ロンドンやウォール街を牙城とする大物ビジネスマンは、現地の企業を通してヒトラーに活動資金を渡していたのだ。この経緯については、アンソニー・サットン教授が詳しく述べている。フーバー研究所に属していたサットン教授は、ウォール街とボルシェビキの関係を明らかにしたことで有名だ。彼の三部作を読めば、どんな人物がヒトラーのパトロンになっていたかが判る。
ヒトラーの台頭を助けた企業として挙げられるのは、米国の有名企業である「ジェネラル・エレクトリック社(General Electric)」である。この会社はベルリンにある「ドイツ・ジェネラル・エレクトリック社(Allgemeine Electricitäts Gesellschaft / A.E.G.)」と提携し、国家社会主義者のヒトラーを支援するスポンサーになっていた。「A.E.G.」というのは、エミール・ラーテナウ(Emil Rathenau)がトマス・エジソンの特許を取得して設立した、「ドイツ・エジソン電器会社(Deutsche Edison Gesellschaft für angewandte Electricität)」が前身となっている。そして、エミールの息子というのが、ワイマール共和国で外相を務めたヴァルター・ラーテナウ(Walter Rathenau)ときている。彼は1922年に暗殺されてしまうが、元々は父親の跡を継いでA.E.G.の経営を担っていた人物だ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/691.html
Brahms - Händel Variations, Op. 24 (Murray Perahia)
00:00 - Theme. Aria
01:07 - Variation 1
01:56 - Variation 2
02:40 - Variation 3
03:22 - Variation 4
04:11 - Variation 5
05:12 - Variation 6
06:09 - Variation 7
06:46 - Variation 8
07:22 - Variation 9
08:34 - Variation 10
09:05 - Variation 11
09:50 - Variation 12
10:45 - Variation 13
12:25 - Variation 14
13:02 - Variation 15
13:44 - Variation 16
14:17 - Variation 17
14:46 - Variation 18
15:28 - Variation 19
16:23 - Variation 20
17:36 - Variation 21
18:25 - Variation 22
19:28 - Variation 23
20:02 - Variation 24
20:34 - Variation 25
21:14 - Fugue
Murray Perahia, 2010
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/314.html
Brahms: Rhapsody in B Minor, Op. 79 No. 1
℗ 1957 Decca Music Group Limited
Wilhelm Backhaus - Brahms : Rhapsody in B minor Op.79 - 1 (1932) 再復刻
Wilhelm Backhaus (1884 - 1969)
transfer from Jpn Victor 78s / JD-550(2B-4572/3)
recorded in 1932
Wilhelm Backhaus - Brahms : Rhapsody in G minor Op.79 - 2 (1932) 再復刻
recorded in 1932
transferred from Jpn Victor 78s / JD-551(2B-4574)
Wilhelm Backhaus plays Brahms Two Rhapsodies Op. 79
00:00 - No. 1 in B minor
07:56 - No. 2 in G minor
Brahms, Six Pieces, Op 118, Backhaus
Wilhelm Backhaus plays Brahms Opus 118 (complete, 1932 rec.)
Opus 118, Klavierstücke (Six Pieces for Piano)
No. 1. Intermezzo in A minor. Allegro non assai, ma molto appassionato 0:00
No. 2. Intermezzo in A major. Andante teneramente 0:50
No. 3. Ballade in G minor. Allegro energico 4:42
No. 4. Intermezzo in F minor. Allegretto un poco agitato 8:06
No. 5. Romanze in F major. Andante 9:57
No. 6. Intermezzo in E flat minor. Andante, largo e mesto 13:01
Wilhelm Backhaus (1884-1969), piano
Recorded in 1932
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/316.html
Wilhelm Backhaus plays Brahms Klavierstucke Op. 119
Recording: 1956
℗ 1958 - BNF Collection 2014
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/317.html
ブラームス 『ドイツ・レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/840.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/318.html
金持ちのことを心配する貧乏人…実質的失業者は350万人超、消費税廃止で税収は劇的改善(Business Journal)
http://www.asyura2.com/21/hasan135/msg/472.html
2021.08.09 05:30 文=林克明/ジャーナリスト Business Journal
金持ちのことを心配する貧乏人――。この恐ろしい思考と行動を捨て去り、私たち庶民が「税金は金持ちから取れ! 消費税をなくせ!」と叫ぶところから、コロナ禍における格差社会の是正が始まるのではないだろうか。
「金持ちのことを心配する貧乏人」現象は、社会のあらゆるところに見られる。たとえば、経営陣のために無理して働く平社員が慢性疲労で、うつ病になったりする。あるいは、会社の損失補填を一中間管理職が補填しようとして法に触れる行為をしてしまう、というようなことがある。
経営者が苦労したり、エリートが難しい課題を解決して全体に貢献するならわかる。あるいは、将軍や上級将校が過酷な責務を負うことも理解できる。だが、一兵卒が「お国のために」と、軍上層部より危険な道を選択するのは悲劇だ。
こうした現象に対して、さまざまな説明や解説はできるだろうが、ひとつには他者のためや全体のために「貢献したい」という思いが心の奥底に存在するからだろう。
そのような人間の善良さにつけ込んだ“似非エリート”が、一部の人たちだけが得をする社会・経済・政治システムを強化してきた結果、今の日本がある。
■コロナ失業150万人の惨状
7月12日から東京では4回目の緊急事態宣言が発出され、息苦しい日々が続いている。
「外出するな」「外食するな」「職場に行くな」「テレワークしろ」などと強要し、メーカーや金融機関に圧力をかけようとしてまで酒類の提供を止めさせて「自宅に蟄居しろ」と言いながら、世界各国から膨大な人が集まる東京オリンピックは強行している。
多くの人々が耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ぶなか、迎賓館(旧赤坂離宮)においてトーマス・バッハIOC(国際オリンピック委員会)会長を招いて歓迎会を開いた。食事と酒の提供はなかったものの、迎賓館という宮殿でセレモニーを執り行ったのは、実に象徴的だ。
華麗な宮殿内とは対照的に、悲惨な状況が街にあふれている。帝国データバンクの調査によると、今年6月末の累計コロナ関連倒産は1738件に上っている。
注目すべきは東京都議選最中の6月に実施された、NHKによる1万人のアンケート調査だ。コロナによって収入が減少した人は34%、変わらない人は61%、増えた人は4%である(四捨五入のため、合計が100%にはならない)。
これを見ると、34%の人々が経済的に追い詰められてはいるものの、残りの66%は生活を維持できている。この66%によって現体制が維持されているのだろう。
そうしたなか、しわ寄せを受ける「34%」に関連した衝撃的な調査結果がある。今年2月、野村総研が行ったパート・アルバイト就業者6万4943人へのアンケート調査から、コロナによる実質的失業者は女性103.1万人、男性43.4万人(合計146.5万人)と推計できることがわかった。
この報告書によれば、「シフトが5割以上減少」かつ「休業手当を受け取っていない」人を「実質的失業者」と定義し、今回の調査結果および総務省「労働力調査」を用いて推計したという。
2月時点の失業率は2.9%で完全失業者は194万人だったので、これと合わせると実質的な失業者は340.5万人にも上ることになる。さらに、それから3カ月後の5月の完全失業者は211万人に増えている。
補償がほとんどないなかでの自粛や休業強制は死活問題だ。窮地に陥った人々の生活を好転させるのは、個人の努力では限界があり、財政出動による各種給付金などが急がれるし、消費税廃止を含む不公平税制の抜本改革も急務だ。
■消費税収入、史上最高の21兆円
そんな状況で飛び込んできたのが、コロナ不況が続くにもかかわらず2020年度の税収が最高になり、消費税も最高の20兆9714億円だったというニュースである(7月5日財務省発表)。
ここで本稿のテーマ「金持ちのことを心配する貧乏人」がかかわってくるのだが、その前に消費税が導入された翌年の1990年と比較して、2020年の法人税・所得税・消費税がどう変化したかを確認しておこう。
所得税26兆円→19.2兆円
法人税18.4兆円→11.2兆円
消費税4.6兆円→21兆円
法人税と(主として高額所得者の)所得税が激減し、その穴埋めに消費税が使われている。つまり、大企業や高額所得者、大資産家の税金を安くした分を、貧困者から大富豪までが同率で支払う消費税で賄っているのだ。消費税は、不公平税制の最たるものといえる。
■1974年の所得税累進課税に戻すだけで、新たな財源13兆1752億円
所得税も金持ち優遇になっている。申告納税者の所得税負担率は、所得1億円を超えるとどんどん下がる。給与のような所得とは別に、株式譲渡や配当金などの資産に課税される税率は、いくら高額でも約20%のまま。富裕層ほど資産の比率が高くなるため、金持ちになればなるほど税負担率が下がっていく仕組みだ。
大企業に対しては、本来の支払いを猶予する租税特別措置が80以上もある。そのため大企業は税金を減免され、法定どおりに税金を支払っているのは黒字を出した中小企業がほとんど、という現実がある。
こうした不公平税制の抜本改正が急務だが、新しいことをせずに昔の税制を一部復活させる方法もある。
1977年に税理士らによって結成された「不公平な税制をただす会」は、さまざまな不公平をただすとどれだけ税収が増えるかを、毎年発行する報告集『福祉と税金』で公表している。その第32号(2020年)の一部を紹介しよう。
所得が増えるにつれて税率を上げる仕組みを「累進課税」という。現在は、5%から45%までの7段階になっている。これを1974年(昭和49年)の超過累進課税率を適用するとどうなるか。その当時は、12%から75%の7段階。所得が8000万円以上の人は75%もの税率だった。
1974年推進課税適用の表
当時と同じ累進課税を適用すれば、2018年度の実際の所得税収3兆2950億円から16兆4072億円へと13兆1752億円も激増する。さらに、消費税導入前の源泉分離課税の税率35%を利子所得・配当所得・株式の譲渡所得に適用すると10兆3095億円で実際より4兆9999億円増収財源が発生。
消費税導入前の源泉分離課税の税率を適用した場合
たった2つを昔に戻すだけで、18兆1751億円の増収となり、現在の消費税に近いくらいの財源が生まれる。
■法人税の5段階累進課税で22兆円、全体で43兆632億円税収増
法人税はどうだろうか。現在は23.2%(所得800万円以下は15%の特例)と一律なのを、5%、15%、25%、35%、45%の5段階の超過累進税率を適用した場合、2018年実績12兆3868億円から34兆2631万円にもなる。実に21兆8763億円も財源が生まれるのだ。
法人税に累進課税を適用した場合
ここで例として挙げた改革を含めて不公平な税制を是正すると、「不公平な税制をただす会」の2018年実績データを基にした財源試算によれば、現行よりも43兆632億円の増収になるという。
43兆632億円の財源が増加する計算になる
消費税を完全に廃止しても21兆円超の税金が余るのだから、その分を低所得者の生活改善や福祉・教育などに十分使える。
加えてコロナ禍は緊急事態だから、国債を発行して当面賄う方法も考えられるだろう。儲かっている人や企業から税金を徴収して富の再分配ができ、生活が向上するのだ。
■金持ちやエリートの心配する貧乏人を止めよう
ところが、「消費税廃止しろ」「超高額所得に資産課税や総合累進課税を課せ」「富裕税を創設しろ」「大企業から税金を徴収しろ」と言うべき貧乏人が、妙に金持ちやエリートのことを心配するのである。
「消費税がないと福祉が立ちゆかなくなる」
「財政破綻するのではないか」
「大企業の課税を強化すれば国際競争力が失われる」
「超高額所得者に総合累進課税を適用したり富裕税を創設すれば海外に逃げて行ってしまう」
このような言説を根拠に、現在の税制が維持されている。
大金持ちや大企業経営者、高級官僚がなどのエリートが言うなら、わからなくもない。しかし、一般人がエリートのことを心配するのは噴飯ものではないか。庶民よりは少し上の中産階級の小金持ちが、彼らよりはるか上の階層である億万長者を擁護するのも悲しい姿だ。
これでは、一介の庶民が「お国のために」と身を捨て、エリートが生き残るようなものではないか。特に消費税が3%から5%へと増税された1997年以降、実質賃金も減り続け、デフレが続き、貧困は拡大し、世界の中で日本が“一人負け”している。
これらの負の連鎖を断ち切るには、「金持ちのことを心配する貧乏人」から脱却することだ。「不公平な税制をただす会」が示しているように、大企業と金持ちの減税のために使われる消費税を廃止し、大企業優遇や富裕層の減税を止めよ、と堂々と主張することが私たちの暮らしは大幅に改善する一歩だろう。
「不公平な税制をただす会」」は今年8月末までに、不公平を是正した場合の最新の財源試算を発表する予定だ。
(文=林克明/ジャーナリスト)
不公平な税制をただす会ホームページ http://japan-taxpayers.org/
※8月末発行予定の「福祉と税金」第33号で最新財源試算が公表される。上記ホームページトップの右上「福祉と税金」をクリック
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/319.html
Brahms Quintet No. 1 In F Major Budapest String Quartet (1958) LP
Cello – Mischa Schneider
Viola – Walter Trampler
Viola – Boris Kroyt
Violin – Alexander Schneider, Joseph Roisman
Brahms, String quintet no. 1 in F major, op. 88 (Budapest Quartet/Hobday/1937)
Budapest String Quartet (Josef Roisman, violin; Alexander Schneider, violin; Boris Kroyt, viola; Mischa Schneider, cello); Alfred Hobday, viola II
Recorded 8 February 1937
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/320.html
Busch Quartet - Brahms : String Quartet No.3 Op.67 (1942)
Adolf Busch, 1st Violin
Bruno Straumann, 2nd Violin
Hugo Gottesmann, Viola
Hermann Busch, Cello
recorded 22 May 1942
LP 33 1/3 - CBS SONY / 20AC-1883
Brahms: String Quartet No. 3, BuschQ (1949) ブラームス 弦楽四重奏曲第3番 ブッシュ四重奏団
Busch Quartet
Adolf Georg Wilhelm Busch (1891-1952), 1st Violin
Ernest Drucker (1909-1993), 2nd Violin
Hugo Gottesmann (1896-1970), Viola
Hermann Busch (1897-1975), Cello
Rec. 17, 21 May 1949
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/321.html
Brahms String Quartet No.2 in A Minor, Op.51-2(Busch String Quartet1947)
recorded on june 19, 1947
The Busch String Quartet
Adolf Busch(1st Violin)
Ernst Druccker(2st Violin)
Hugo Gottesman(Viola)
Hermann Busch(Cello)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/322.html
Busch Quartet - Brahms : String Quartet No.1 c-moll op.51- No.1 (1932) 再復刻
recorded 19,23 September 1932
transferred from jpn Victor 78s /JD-134/7(2B-3858/3865)
The Busch String Quartet
Adolf Busch(1st Violin)
Gösta Andreasson(2st Violin)
Karl Doktor(Viola)
Hermann Busch(Cello)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/323.html
Lener String Quartet - Gavotte (Gluck - Brahms) 再復刻
transferred from Jpn Columbia 78s /J-5196 (A-11876)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/324.html
Lener String Quartet - Schubert : Octet in F D.803 (1928)
Charles Draper (clarinet), Claude Hobday (bass),
Aubrey Brain (horn), Ernest Hinchliff (bassoon)
recorded March 23, 1928
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/325.html
Capet Quartet - Schumann - String Quartet No.1 a - moll Op.41-1 (1928) 再復刻
recorded 3 October 1928
transferred from Jpn Columbia 78s / J-7629/31 (LX-517/522)
Capet Quartet
Lucien Capet(1st Violin)
Maurice Hewitt(2st Violin)
Henri Benoît(Viola)
Camille Delobelle(Cello)
3 October 1928
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/326.html
Lener Quartet - Schumann : String Quartet No.3 in A op.41 - 3 - 1st & 2nd Mvt (1936) 再復刻
recorded 6 Juli 1936
transferred from Jpn Columbia 78s / JW-132/3(CAX-7810/3)
Léner Quartet - Schumann: String Quartet No 3 in A major
Recorded in 1930.
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/327.html
Busch Quartet & R.Serkin - Schumann : Piano Quintet Op.44 (1942)
recorded 22 May 1942
LP 33 1/3 - CBS SONY / SOCU 16
Rudolf Serkin (Piano)
Bush String Quartet
Adolf Busch (v1)
Gösta Andreasson (v2)
Karl Doktor (va)
Herman Busch (vc)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/328.html
その前にアメリカやイギリスは日本でクーデターを成功させ、新体制を侵略戦争へと誘導する。イギリスはアーネスト・サトーらが暗躍していたが、アメリカでは厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルや駐日公使だったチャールズ・デロング。ふたりは明治政権に対し、台湾へ派兵するよう煽っていた。台湾へ派兵するために琉球を併合することになる。
そこから江華島事件、日清戦争、日露戦争、シベリア派兵、「満州国」の建国、ノモンハン事件、そして1941年の関東軍特種演習。ここまでは中国からロシア/ソ連を支配するというアメリカやイギリスの戦略に合致している。
現在、アメリカは日本を「巨大空母」化させ、自衛隊の傭兵化を進めている。沖縄での軍事力を増強、台湾の現政権はアメリカの言いなり。次にフィリピンを制圧しようとするのは必然だろう。韓国の現政権を屈服させて橋頭堡にしようとしている。明治時代と同じようなことを行っているのだ。長期戦略に変化はないとも言える。
19世紀にイギリスが立てた長期戦略はユーラシア大陸の周辺部を制圧し、内陸部を締め上げるというもの。その戦略をまとめたのが地政学の父とも言われるハルフォード・マッキンダーで、ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその戦略に基づいている。
アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替えたが、これもマッキンダーの理論に合致している。日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点にし、インドネシアが領海域をつなぐとされた。そこでアメリカやその手下である日本がインドへ働きかけているのだが、働きかけなければならない状況だとも言える。インドはアメリカとの距離を置き始めたのだ。インドネシアもアメリカの思惑通りには動いていない。
アメリカはインドと中国の対立を煽ってきた。昨年5月にもインド北部のラダックと中国のチベット自治区にはさまれた場所にあるパンゴン湖でインドと中国が衝突、緊張が高まっていたが、今年8月6日に両国軍の撤退が発表された。緊張緩和の流れを阻止することがブリンケン国務長官の与えられた使命だろう。国防長官や国務長官が走り回らなければならないほど、ユーラシア大陸東部の国々はアメリカから距離を置こうとしている。
そうしたこともあり、NATOがユーラシア大陸の反対側までやってこようとしている。例えば事務総長を務めるイェンス・ストルテンベルグは「NATO2030」なるプロジェクトを始めると2020年6月8日に宣言したが、イギリス軍やフランス軍が東アジアへ現れるようになった理由はその辺にあるのだろう。
アメリカのインド・太平洋軍司令部は8月3日から16日の日程で、40年ぶりの大艦隊演習だという「LSGE21(2021年大規模演習)」を実施している。アメリカの海軍と海兵隊が演習の主体だが、アメリカの陸軍、空軍、海軍、海兵隊、そしてイギリス軍、オーストラリア軍、自衛隊も合流しているという。
周辺国を威嚇しているつもりかもしれないが、すでに空母を中心とする艦隊の時代は過ぎ去った。1982年4月にアルゼンチン軍とイギリス軍がフォークランド(マルビナス)諸島の沖で軍事衝突、5月にアルゼンチン軍の対艦ミサイル、エグゾセがイギリスの軍艦、HMSシェフィールドなどを撃沈、他の感染にもダメージを与えている。
あわてたイギリスのマーガレット・サッチャーはパリでフランスのフランソワ・ミッテランと会談し、ミサイルを無効化するコードを教えるように要求、それでイギリスは勝利することができたと言われている。この戦争で艦隊の時代は終わったと言えるだろう。
現在、ロシアや中国が保有している対艦ミサイルはエグゾセとは比較にならないほど性能が向上している。海上を航行する艦船はすぐに撃沈される可能性が高く、アメリカの空母艦隊はかつての「戦艦大和」と似た状況に置かれている。
アメリカは脅しながら交渉する。例えば大統領に就任した直後、ドワイト・アイゼンハワーは泥沼化した朝鮮戦争から抜け出すため、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。それを副大統領として見ていたリチャード・ニクソンはベトナム戦争の際に同じ手法を使ったともいう。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/689.html#c1
戦中、米駐日大使グルーとゴルフ三昧の李信介。50年経過しCIA公開。敗戦を見越して米に内通。進駐軍下士官サムが父に語った内通者は李信介。情報筒抜け。ほぼ丸腰の竹槍戦法と焼夷弾、原爆などで日本人ホロコースト。日米開戦半年で既に日本は敗戦状態。国民に嘘ついて日本人を死に追いやった李家。 pic.twitter.com/W6ZYWYb6X5
— 片山徹 (@_9105294027642) August 6, 2021
アメリカ軍やNATOの方針は19世紀にイギリスの支配者が描いた長期戦略に従っている。この戦略をまとめ、1904年に発表したのが地理学者で地政学の父と呼ばれているハルフォード・マッキンダーである。ユーラシア大陸の沿岸を支配し、内陸部を締め上げていくというものだ。
締め上げていく三日月帯の西端はイギリス。この国が1822年から支配するようになったエジプト、1757年のプラッシーの戦いで制圧したインド、1886年から全土を占領することになったビルマを経て東端が日本だ。その三日月帯にイギリスはイスラエルを1948年に、サウジアラビアを1932年に建国させている。明治維新でイギリスが金融や技術面で日本を支援した理由は言うまでもないだろう。
日本は1923年9月1日に起こった関東大震災の復興資金調達をJPモルガンに頼り、それ以降、その強い影響下に入った。
この金融機関の創設者と言われているジョン・ピアポント・モルガンだが、その父親、ジュニアスはロンドンでジョージ・ピーボディと銀行を経営していた。その銀行の経営状況が悪化した際、助けたのがネイサン・ロスチャイルド。このロスチャイルドに評価され、アメリカでのビジネスを任されたのがジョン・ピアポント・モルガン。関東大震災当時は息子のジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの時代になっていた。
このジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアと結婚した相手のいとこが1932年から駐日アメリカ大使に就任したジョセフ・グルー。日本で彼が最も親しくしていた人物は松岡洋右と言われている。そのほか松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らとも親しく、真珠湾攻撃の後、1942年8月に離日する直前、岸信介とゴルフをしたと言われている。
グルーが来日した1932年にアメリカでは大統領選挙があり、ニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが勝利した。その政権を倒すため、JPモルガンを中心とするウォール街の住人たちが1933年から34年にかけてクーデターを計画、ファシズム体制を樹立させようとしていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。このクーデターを阻止、計画の内容を議会で詳細に証言したのがスメドリー・バトラー退役少将だ。第2次世界大戦で日本は敗北するが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中枢にはグルーがいた。戦後レジームと戦前レジームは基本的に同じだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/692.html
Concerto No. 6 For Violin In A Minor, RV 356
I Musici · Roberto Michelucci
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op. 3, No. 6, RV 356
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/918.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/331.html
Berg: Violin Concerto "To the Memory of an Angel"
℗ 1984 Decca Music Group Limited
Kyung Wha Chung
Sir Georg Solti Chicago Symphony Orchestra
September 3, 1984
ベルクのヴァイオリン協奏曲は何度聴いても理解不能なんだけど、本当にみんな感動してるの?(強い疑い)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/710.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/332.html
Händel: Concerti grossi Op. 6-4, Schuricht & BavarianRSO (1961)
(00:05) 1. Larghetto affettuoso
(03:29) 2. Allegro
(06:50) 3. Largo, e piano
(09:22) 4. Allegro
Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
Bavarian Radio Symphony Orchestra
Rec. September 1961, in Munich
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/334.html
グリーグ 『2つの悲しき旋律』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/953.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/335.html
Dinu Lipatti plays Grieg Concerto in A minor Op. 16
Dinu Lipatti(Piano)
Alceo Galliera(Conductor)
Philharmonia Orchestra
September 1947
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/336.html
ヴィヴァルディ 「四季」より「夏」 アーノンクール指揮CMW
Vivaldi - Four Seasons - Les Quatre Saisons - Violin Alice Harnoncourt - HD
Violin Alice Harnoncourt
Hautbois Jurg Schaeftlein
Concentus Musicus Wien
Direction Nikolaus Harnoncourt
Edition Telefunken 1977
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/337.html
先日警視庁のHPのPDFから
令和元年の0〜19歳の行方不明者が1,200人ほどいると書きました。
見つかった人がいたとしても何割かは行方不明のままです。
とくに女の子。小学生くらい。
もちろん中国や東南アジアの国際組織人身売買ブローカー、ヤクザ、芸能事務所等を通じて
性的虐待や人食、奴隷目的や結婚相手として売られてしまいます。
または売る前に日本に監禁されてしまうケースも。
そして世界の奥の院が一目置く存在として天皇家があります。
なぜ?
とお思いになるかと思います。
イギリスじゃないの?
とか思いますよね。
何故日本の天皇家が悪魔の集団から一目置かれてるかというと
@天皇家が所有してる金(ゴールド)が ケタ外れに多いこと。
A人種売買の総元締めであること。
ぷちえんじぇる置屋の源氏名せいか(小向美x子)は現在栃木の女性刑務所に服役中。
まだ刑期中だったかな。
悲しい人生です。
僕が彼女の親なら…。
芸能界ーペドファイルーグラビアアイドルーAV女優ー覚醒剤ー逮捕ー実刑。
天皇のペドファイルの後は芸能界や性産業で働かされたり、口封じで殺害したり。
カネ、ヒト、奴隷。
以下真偽不明ですが、皇室関係の話は5ちゃん他のネット情報と全く同じなので、一応転記しておきます:
片山徹 @_9105294027642 2021年7月21日
ぷちえんじぇる事件。女児発注者徳仁(東宮)。請負人吉里弘太郎(置屋、東京都港区赤坂2-17-54ウィークリーマンション・インターナショナルプラザ赤坂 11階1101号室)。女児配達人、渡辺x也、上原x優、ベンツCクラス。女児売春婦に飽きた徳仁は吉里に新女児発注。女児逃亡により発覚。ほぼ全員殺。
片山徹 2020年6月12日
プチエンジェル小学六年生、2000年7月17日午後5時2分の写真。令和天皇徳仁へのメッセージ「優しくしてくださいね」、現在AV女優小向x奈子と年齢出身地概ね一致。筆跡・文体も概ね本人と確認。江上波夫東大教授紹介の長州イボ侍の子供Mと父との面談の話。小児性愛であれば辻褄が合います。
2019年6月13日
小向美x子 アイドル時代の写真はプチエンジエル写真と一致。徳仁へのメッセージ「優しくしてくださいね」プチエンジェル事件後、鹿児島へ暫く姿を眩ませ、グラビアアイドルとして復帰。芸能プロダクションと宮内庁とはグル。不審死四人、行方不明六名。森友学園の不審死四人より多い日本人犠牲者。
2019年7月2日
赤坂プチエンジェル事件、小学六年生女児から、徳仁 へのメッセージ「なめるの大好き♡」女児の名は町田x沙と小向美x子に次いで二人目判明。運転手は東宮へ出張サービス。現在、運転手は行方不明。不審死四名、行方不明六名。
2020年8月22日
「あなたは、天皇。わたしは、女囚生活。」小向美x子。ぷちえんじぇる置屋の源氏名せいか(小向美x子)は女児売春婦。令和天皇に「やさしくしてくださいね」。今、栃木刑務所「女囚生活」。昭恵と同じ薬やってた。
2021年7月17日
女児人身売買、背後の人物統一教会大村x章。ベンツCクラスで女児配達渡辺x也。中国マフィアから仕入れた東南アジア女児。その後、行方不明。ぷちえんじぇる事件四人女児も行方不明。三浦春馬は日本でラオスから人身売買された女児の行方を探し、密室空間Xで消えた事を知った可能性。PEDO徳仁関与。
7月12日
済生会総裁PEDO秋篠宮からのビデオメッセージを見る六人の幹部の一人東京済生会中央病院院長海老原全。上下関係から三浦春馬の生き見せ、病院での死去を依頼した可能性。PEDO秋篠宮は複数回ラオス・ヴエンチャン訪問中の少女買春と遊興費寄付金から支出とを三浦春馬に掴まれた為、口封じ暗殺共謀か。
7月7日
李家の連続口封じ暗殺事件。三人共、PEDO(徳仁、秋篠宮、晋三)の少女買春口封じの為韓流地蔵背負ドアノブ自殺偽装暗殺。竹内結子(40歳)タオル、芦名星(36歳)ベルトに対し三浦春馬(30歳)は他人のリーシュコード(三田警察押収)でドアノブと繋がれていた。A香川健二郎、田中諒平とは証拠品窃盗回収。
7月5日
陸山会(小沢一郎)所有マンションは既に解体更新築済。グーグル3Dの赤坂ぷちえんじぇる貴重資料。「赤坂ぷちえんじぇる」事件現場は東京都港区赤坂2丁目17-54 11F赤丸。皇居から至近距離。徳仁、秋篠宮ご愛用の為、官邸は赤坂の地名削除。渡辺x也、上原x優により暗殺された吉里弘太郎の女児置屋。
7月5日
ぷちえんじぇる事件。稲城市立長峰小学校六年生女児四人監禁事件( 03.07.13〜07.17)。女児の一人が花屋に逃亡、事件発覚。警察保護の四人がその後、家庭に戻った報道無し。全員行方不明との未確認情報。口封じ暗殺であれば、計十四人の日本人の命がPEDO倶楽部会員 徳仁によって失われた事になる。
7月4日
中国マフィアから統一教会大村x章が仕入れた女児に手を出すPEDO徳仁。女児は中里弘太郎置屋からベンツCクラスで渡辺x也が東宮へ搬送。会員制PEDO倶楽部に徳仁名。ぷちえんじぇる事件はマンションから女児逃亡で発覚。米ピザゲート事件の日本版。三浦春馬を含め日本人十名が自殺偽装口封じ暗殺。
片山徹 7月2日
ぷちえんじぇる事件。住民からの目撃証言。マンション玄関から二人男女が出て行った。吉里弘太郎を社長と。女児置屋主と女児配達屋との仕事関係。東宮への配達写真に渡辺x也。女はM配下の上原x美。当日、女児の一人を東宮へ配達する予定。女児逃亡により警察介入。渡辺を除き関係者全員口封じ暗殺。
7月1日
PEDO徳仁、少女拉致事件。吉川x梨失踪事件はPEDO徳仁が性欲を満足する為、大阪府熊取町在住九歳少女を白いクラウンで拉致。十四歳の時、PEDO徳仁に面談を許され、アイドルレビューを懇願。芸名町田x紗でDVDレビュー。最初のDVDカバー写真と懇願する後ろ姿の吉川x梨とのヘアーバンド一致。
6月30日
赤坂ぷちえんじぇる事件の女児置屋主(東京都港区赤坂2-17-54、1101号)吉里弘太郎はマンション玄関から入室した女児デリバリー担当渡辺x也と上原x優とに練炭自殺偽装暗殺された。現地に乗り捨てられた徳仁への女児搬送用ベンツCクラス。警察は捜査放棄。LornserE50に近い型式車。渡辺x也所有か。
6月30日
捜索中の吉川友梨は全国捜査のWEB司法省により発見。九歳の時、大阪府熊取町から白クラウンで拉致された吉川x梨は五年間、PEDO徳仁の性奴隷。十四歳の時、芸名町田x沙で念願CDレビュー。PEDO徳仁との吉川x梨面談写真のヘアーバンドと町田x沙最初CDカバーのヘアーバンドと一致。乳大人化。
6月28日
PEDO徳仁が大阪府熊取町から吉川友梨を白いクラウンで拉致証拠。五年間性奴として仕えた吉川x梨は約束グラビアアイドルレビュー要求。DVD出演は叶えられた。しかし、面談時の吉川x梨ヘアーバンドとDVDのカバー町田x沙のヘアーバンドと一致。PEDOの性犯罪立証。
6月14日
ベトナムの闇市人身売買。スマホ欲しさに子供を売る親。公権力介在。中国マフィアを経て国際的人身売買組織統一教会等に売却。赤坂プチエンジェル事件、フリージャーナリスト染谷悟刺殺遺体東京湾に浮かぶ。中国マフィアに殺されると予告。統一教会と中国マフィアとの人身売買取引に大村秀章知事関与。
4月4日
春馬の最後のマネジャーは死後八ヶ月以上経過して田中諒平と判明。諒平ブログに「カンボジヤなう」と投稿。後藤x政、高村x彦、安藤x春の人身売買闇組織とPEDO令和天皇とを結ぶ線浮上。貧困から身を売る少女は闇組織の資金源
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/693.html
戦中、米駐日大使グルーとゴルフ三昧の李信介。50年経過しCIA公開。敗戦を見越して米に内通。進駐軍下士官サムが父に語った内通者は李信介。情報筒抜け。ほぼ丸腰の竹槍戦法と焼夷弾、原爆などで日本人ホロコースト。日米開戦半年で既に日本は敗戦状態。国民に嘘ついて日本人を死に追いやった李家。 pic.twitter.com/W6ZYWYb6X5
— 片山徹 (@_9105294027642) August 6, 2021
香淳皇后のチマチョゴリで解けた昭和偽天皇李裕仁の正体。父は米軍下士官の通訳、日本に内通者有り告発。在日米大使グルーを戦中に開放しゴルフ三昧の岸(李)信介写真がCIAより公開。李信介は大正偽天皇と異母兄弟、裕仁叔父。李裕仁は江戸城、広島、長崎無空爆対価として日本人を原爆生体実験に提供。 pic.twitter.com/gdUT8AnpoB
— 片山徹 (@_9105294027642) August 5, 2021
読者から質問「下関と朝鮮」。朝鮮ゲート指摘のメラニア夫人。両手にチマチョゴリ安倍(李)晋三とチマチョゴリ昭恵。私の長年の疑問「長州と朝鮮」関係。エリザベス女王公開「睦仁天皇暗殺」写真に統一教会創設文鮮明の父慶裕。貧乏長州は朝鮮と手を組んで明治テロクーデター。朝鮮自公政権の反日政策。 pic.twitter.com/sCla5nFyYw
— 片山徹 (@_9105294027642) August 3, 2021
ゆっくり災難資料館【裏】 - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCuPuxHDxM7eCIb5_Vw_NwqA/videos
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/430.html#c1
ゆっくり災難資料館【裏】 - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCuPuxHDxM7eCIb5_Vw_NwqA/videos
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/422.html#c4
Rachmaninov Piano Concerto 2 / Sviatoslav Richter, Stanislaw Wislocki (1959/2015)
Recorded: #1-3: Warsaw, Philharmonie on 26th to 28th April 1959
Sviatoslav Richter plays Rachmaninov Concerto No.2, Op.18
Leningrad Philharmonic Orchestra
Kurt Sanderling
1959
Richter plays Rachmaninoff - Piano Concerto No. 2 in C minor, Op. 18 (1951)
In this 1951 recording
conductor Kirill Kondrashin
the Moscow Youth Symphony Orchestra.
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/338.html
逢びき Brief Encounter 1945年
監督 デヴィッド・リーン
出演者 セリア・ジョンソン、トレヴァー・ハワード
音楽 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
ピアノ独奏はアイリーン・ジョイス
動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9417500
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9416813
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9416338
アイリーン・ジョイス _ エロい美女は天才でも評価されない?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/431.html
2020年06月13日
ラヂオ
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52304705.html
終戦後ロンドン郊外ミルフォード・ジャンクション駅の待合室
ふたりのテーブルには紅茶と菓子パン
「これでも自分の専門に関しては野心家でね」
「専門は?」
「予防医学・・知ってる?」
「わからない」
「良心的な医者は若い時は夢を持つが、多くは職業医にとどまる。退屈かい?」「いいえ、わからないけど」
「医者には何より情熱が必要だ、作家や画家と同じく使命感を持つこと、それを忘れてはいけない」
「そうね」
「病気の予防策1つには、50の治療法と同じ価値がある、というのが僕の信念、予防医学は生活、衛生、市民の共通認識、あらゆることに関わってくる」
「例えば炭疽病、ここには炭鉱があるから研究には最適だ」
「あなた、急に若く見えてきた。少年みたい」
「なぜそんなことを?」
「わからない、さあ、なぜかしら」
「聞かせてください」
「えーと、炭鉱の話でしたわね」
待合室のベルが鳴る
「汽車の時間よ、遅れるわ」
「わかってる」
「どうしたの?」
「いや、別に」
「ほんと楽しい午後だった」
「僕こそ、退屈な話をして悪かった」
「理解できなくてごめんなさい」
「・・・また会いたい、来週の木曜、同じ時刻に?」
汽車の音
「向こうのプラットフォームでしょ、走らないと」
「また会いたい」
「ええ、日曜日、ケッチワースの家で、きっと家族も喜ぶわ」
「どうか、お願いです、来週、同じ時間に」
「そんな、無理よ」
「無理は承知、どうか」
「乗り遅れるわ」
「じゃあ」と立ち上がる
「わたし、やっぱり行く」
「ほんと!ありがとう!じゃあ来週!」
アイリーン・ジョイスのピアノでラフマニノフの2番が流れる映画「逢びき」(1945年デイヴィド・リーン監督)をラヂオで聴いた。
ずいぶん前のこと、クーダムの裏通りにある小さな電気店のウィンドウの前に立ち止まったベルリンの友人、「ちょっと見ろよ、いいだろ?」と指さしたのがこのラヂオ。
当時と同じデザインながら最新モデルはBluetooth対応と聞いて、決めた。小さな箱のわりにずっしり重い。タブレットから音声を送ると思い通りの音が出た。まさしくラヂオの音!楽しくて置く場所をいろいろ試した。結局デスクの上の棚が一番空気を震わせてくれた。快適な音の環境が整った。シェーンベルクのピアノの低音が潤ってほぐれている。とても3インチのスピーカの音とは思えない。梅雨の季節、外に出られないとき。ディジタル臭さがないせいか、装置を気にせずにゆたかな音に包まれる。今となっては贅沢な音。棚自体が大きなスピーカボックスとなって、デスクに座れば前の壁に音が舞い降りてくる。映画の音声をラヂオに飛ばして聞く。
夫婦の居間
憔悴しきった妻に
「ローラ」
「なに」
「そんなに思い詰めて。あまり楽しくない夢のようだね?
「ええ」
「私で力になれるかな?」
「ありがとう、あなた」
「ずいぶん遠くへ旅していたんだね」
「そう」
「よく戻ってきた」
映画の主役はラフマニノフ、彼の音楽なしにドラマは成り立たない。セリフと演技だけでは退屈な一本だったはず。ラフマニノフもおかげでレコードが売れた。
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52304705.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/338.html#c1
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/943.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/339.html
2021年08月10日
韓国人の借金事情、クレジットカード先進国?
最近の韓国はキャッシュレス比率95%以上だという
韓国人の借金事情
韓国はクレジットカード払いをする人が多く、早くからキャッシュレス化が進んでいました。
キャッシュレスは早くいうと「借金で後払い」という事なので、家計債務がかなり高い。
韓国では個人の買い物で現金は20%でキャッシュレスが8割、コロナ後は9割に達したそうです。
日本の2019年のキャッシュレス決済比率は約27%、これでもペイペイブームなどで数%上昇した。
政府は2025年までにキャッシュレス比率1を40%にする目標を立てたが、実現する可能性は40%より低いでしょう。
韓国ではクレジットカードがキャッシュレスの主流で、どんな安い買い物でもカードを使っています。
韓国でクレジットカード普及が進んだのはソウル五輪後の1990年代で、特に1997年以降急速に進んだ。
経済破綻した韓国政府の政策でカード消費を奨励し、カードで買い物すると減税などの政策をやった。
カード会社は無審査で学生やアルバイトにカードを配り、キャッシュレス化が急速に進んだ。
経済破綻でお金がなくなったので、借金で国民に消費させようとしたのが始まりです。
以来韓国人はずっと借金づけで、家庭の債務比率は世界一で非婚化の原因にもなっている。
結婚前から借金がたくさんあるので、結婚して子供を作るのは難しくなっている。
借金で自転車操業する国
韓国のGDPに対する家計債務残高は103.8%、アメリカは70%で日本は約65%となっている。
韓国の1人当たりGDPは2000年以前は20年ごとに約2倍に伸びていたが、2010年以降は明らかにペースが落ちている。
20年で1人当たりGDPが2倍になるには年約3%台の成長が必要だが、最近は2%前後になっている。
韓国政府は成長率が下がったのに最低賃金の伸びを依然と同じように設定している。
家計債務の伸びも高度成長時と変わっておらず、これが対GDPで家計債務が上昇する原因になっている。
一言で言うと韓国人は国が成長していないのにそれを認めず、高い賃金を払って借金で消費している。
韓国の消費好きは国単位にも表れていて、表向き純資産国なのだが実体はなく、債務超過だと考えられる。
欧米の多くの国は対外資産より対外債務が多いので異常ではないが、韓国は昔から日本などからの借金で国を運営している。
欧米や日本から借金して借金で工場を建てて輸出で儲けて借金を返す、というのが韓国の経済モデルです。
それが回転しなくなったのが1997年の国家破産で、今後も経済が回転しなくなれば同様に躓く。
日本はどこから見ても完璧な純資産国で外国からの借金は1円もなく、世界中にお金を貸している。
なんだか偉そうだが別の言い方をすると「日本の金で韓国は経済成長し、日本は衰退している」のです。
日本がお金を貸した外国でお金を使われ、日本国内で使わないので必然的に「金を貸した国が衰退」しています。
日本は自国で金を使い投資するべきだが、現在はそうなっていません。
http://www.thutmosev.com/archives/86472296.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1013.html
マルセル・デュシャンの名前を聞いたことがあるでしょうか?
この人が1917年に「泉」を制作して現代アートの扉を開いたと言われている(らしい)
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/250px-Duchamp_Fountaine.jpeg
ご覧の様に市販の男性用便器に(デュシャン本人のものでさえない)サインを書いただけの物体を芸術展に応募したが、運営側はふざけたジョークだとして出典を取り消しにした後
製作者がデュシャンだと分かって美術界に大きな物議を巻き起こしたと言われる
さて、この「便器?」「アート?」を既成の美を論じる観点で語ればただの「便器」だし、アートと捉えれば数億円のプライスタグが付く
ここで、受け売りだけれど・・・
元々現代アートは意味不明なところがあるので、そのイメージを共有するため「しくじり先生」を参考にしました
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この動画は「番組公式」ですが公開期限があるそうなのでお早めに
現代アートを芸人に例える件は面白いです
さて、定義なんて存在しない一見なんでもありの現代アートですが、核心的要件があるそうです
「今までにないインパクト」
後は見る人の解釈次第ってことですかね・・・多分怒られる
ご存知ない方も見えるかもしれないので、いくつか例を挙げますが
最大の特徴は、とてつも無い高額だということでしょう
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/01.jpeg
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/20140726024038.jpeg
マーク・ロスコ 約4600万ドル
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/20140726024113.jpeg
バーネット・ニューマン 約4300万ドル
現代アートの価格を取り巻く謎についてNHKが取り上げていますので、興味のある方は合わせてどうぞ
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4332/index.html
私は門外漢なので個々の価格について論じる事はできませんが、40年来の主張はできます
ダヴィンチの「モナリザ(1505年頃)」と同じ年月、つまり今から700年の時の審判を受けた後、西暦2720年に21世期のアートが幾つ程評価されて残っているのか?それを西暦2021年の今日、見極めるのが審美眼だと思っています
まあ、一つも残らないかも知れませんが
分かっていますよ、現代アートと言うのは悠久なる審美の対象ではなく上述したとおり「ビックリインパクトの強さ」であるならば50年100年毎にその時代の作品は忘れ去られ、新しい次の時代の作品(ビックリ)を追い続ける事になるでしょう
つい先日、古楽演奏の移り変わりを感じて「最先端の解釈」にどれ程の価値があるかは100年後に判る。と書きました
それと、こんな事を書くとまた怒られるかも知れませんが
現代アートの経済動向に非常によく似た環境を知っています
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/202108090019308be.jpeg
おそらく世界一って言ってますが、たかが1億3千万ほどです。
やっぱり工業生産品ですから芸術作品とは桁が違いますね
あれあれ「泉」は市販の便器だった様な・・・
ある人が言っていましたが
現代アートとは
100億で欲しい人と120億でも欲しい人が世の中にいたに過ぎない、のであって人類の宝物そのものとは限らない
(オークションと言う「制度」が生み出した価値という意味)
全くその通りで、ある日突然=「大貧民」で起こる「革命」の様に一瞬にして全人類の価値観が逆転する事だってある訳ですよ
タイ・バーツや韓国ウォンどころじゃない、1929年のニューヨークだって起きたんだ
振り返ると、沢山所有していたLeicaのカメラを早く売っておいてよかった、デジタルカメラ全盛になって大暴落したので
しかし、レンズは売るべきじゃなかったなあ、いまだに高くなり続けている
一人だけ未来が見えて得するなんて、ある訳ないよね
という事で、結論
自分の信じた物に邁進するしかありませんなあ
良くも悪くも闇雲に突っ走る・ではなくて
死ぬその瞬間まで一刻も休む事なく自分の審美眼を磨き続けて行かなきゃ、しゃあねーだろうなあって事ですか
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-544.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/340.html
マルセル・デュシャンの名前を聞いたことがあるでしょうか?
この人が1917年に「泉」を制作して現代アートの扉を開いたと言われている(らしい)
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/250px-Duchamp_Fountaine.jpeg
ご覧の様に市販の男性用便器に(デュシャン本人のものでさえない)サインを書いただけの物体を芸術展に応募したが、運営側はふざけたジョークだとして出典を取り消しにした後
製作者がデュシャンだと分かって美術界に大きな物議を巻き起こしたと言われる
さて、この「便器?」「アート?」を既成の美を論じる観点で語ればただの「便器」だし、アートと捉えれば数億円のプライスタグが付く
ここで、受け売りだけれど・・・
元々現代アートは意味不明なところがあるので、そのイメージを共有するため「しくじり先生」を参考にしました
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現代アートを芸人に例える件は面白いです
さて、定義なんて存在しない一見なんでもありの現代アートですが、核心的要件があるそうです
「今までにないインパクト」
後は見る人の解釈次第ってことですかね・・・多分怒られる
ご存知ない方も見えるかもしれないので、いくつか例を挙げますが
最大の特徴は、とてつも無い高額だということでしょう
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/01.jpeg
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/20140726024038.jpeg
マーク・ロスコ 約4600万ドル
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/20140726024113.jpeg
バーネット・ニューマン 約4300万ドル
現代アートの価格を取り巻く謎についてNHKが取り上げていますので、興味のある方は合わせてどうぞ
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4332/index.html
私は門外漢なので個々の価格について論じる事はできませんが、40年来の主張はできます
ダヴィンチの「モナリザ(1505年頃)」と同じ年月、つまり今から700年の時の審判を受けた後、西暦2720年に21世期のアートが幾つ程評価されて残っているのか?それを西暦2021年の今日、見極めるのが審美眼だと思っています
まあ、一つも残らないかも知れませんが
分かっていますよ、現代アートと言うのは悠久なる審美の対象ではなく上述したとおり「ビックリインパクトの強さ」であるならば50年100年毎にその時代の作品は忘れ去られ、新しい次の時代の作品(ビックリ)を追い続ける事になるでしょう
つい先日、古楽演奏の移り変わりを感じて「最先端の解釈」にどれ程の価値があるかは100年後に判る。と書きました
それと、こんな事を書くとまた怒られるかも知れませんが
現代アートの経済動向に非常によく似た環境を知っています
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/202108090019308be.jpeg
おそらく世界一って言ってますが、たかが1億3千万ほどです。
やっぱり工業生産品ですから芸術作品とは桁が違いますね
あれあれ「泉」は市販の便器だった様な・・・
ある人が言っていましたが
現代アートとは
100億で欲しい人と120億でも欲しい人が世の中にいたに過ぎない、のであって人類の宝物そのものとは限らない
(オークションと言う「制度」が生み出した価値という意味)
全くその通りで、ある日突然=「大貧民」で起こる「革命」の様に一瞬にして全人類の価値観が逆転する事だってある訳ですよ
タイ・バーツや韓国ウォンどころじゃない、1929年のニューヨークだって起きたんだ
振り返ると、沢山所有していたLeicaのカメラを早く売っておいてよかった、デジタルカメラ全盛になって大暴落したので
しかし、レンズは売るべきじゃなかったなあ、いまだに高くなり続けている
一人だけ未来が見えて得するなんて、ある訳ないよね
という事で、結論
自分の信じた物に邁進するしかありませんなあ
良くも悪くも闇雲に突っ走る・ではなくて
死ぬその瞬間まで一刻も休む事なく自分の審美眼を磨き続けて行かなきゃ、しゃあねーだろうなあって事ですか
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1014.html
マルセル・デュシャンの名前を聞いたことがあるでしょうか?
この人が1917年に「泉」を制作して現代アートの扉を開いたと言われている(らしい)
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ご覧の様に市販の男性用便器に(デュシャン本人のものでさえない)サインを書いただけの物体を芸術展に応募したが、運営側はふざけたジョークだとして出典を取り消しにした後
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さて、この「便器?」「アート?」を既成の美を論じる観点で語ればただの「便器」だし、アートと捉えれば数億円のプライスタグが付く
ここで、受け売りだけれど・・・
元々現代アートは意味不明なところがあるので、そのイメージを共有するため「しくじり先生」を参考にしました
日向坂46金村美玖がライブでとんでもない失言!?『しくじり先生 #91』アベマオリジナル完全版を公開中
2021/07/06
オードリーの漫才は現代アート!?カズレーザーが現代アートを解説!!『しくじり先生 #91』アベマオリジナル完全版を公開中
2021/07/06
澤部はアートの価値がわからないポンコツだった!?『しくじり先生 #92』アベマオリジナル完全版を公開中
2021/07/13
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2021/07/13
この動画は「番組公式」ですが公開期限があるそうなのでお早めに
現代アートを芸人に例える件は面白いです
さて、定義なんて存在しない一見なんでもありの現代アートですが、核心的要件があるそうです
「今までにないインパクト」
後は見る人の解釈次第ってことですかね・・・多分怒られる
ご存知ない方も見えるかもしれないので、いくつか例を挙げますが
最大の特徴は、とてつも無い高額だということでしょう
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/01.jpeg
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マーク・ロスコ 約4600万ドル
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/20140726024113.jpeg
バーネット・ニューマン 約4300万ドル
現代アートの価格を取り巻く謎についてNHKが取り上げていますので、興味のある方は合わせてどうぞ
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4332/index.html
私は門外漢なので個々の価格について論じる事はできませんが、40年来の主張はできます
ダヴィンチの「モナリザ(1505年頃)」と同じ年月、つまり今から700年の時の審判を受けた後、西暦2720年に21世期のアートが幾つ程評価されて残っているのか?それを西暦2021年の今日、見極めるのが審美眼だと思っています
まあ、一つも残らないかも知れませんが
分かっていますよ、現代アートと言うのは悠久なる審美の対象ではなく上述したとおり「ビックリインパクトの強さ」であるならば50年100年毎にその時代の作品は忘れ去られ、新しい次の時代の作品(ビックリ)を追い続ける事になるでしょう
つい先日、古楽演奏の移り変わりを感じて「最先端の解釈」にどれ程の価値があるかは100年後に判る。と書きました
それと、こんな事を書くとまた怒られるかも知れませんが
現代アートの経済動向に非常によく似た環境を知っています
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/202108090019308be.jpeg
おそらく世界一って言ってますが、たかが1億3千万ほどです。
やっぱり工業生産品ですから芸術作品とは桁が違いますね
あれあれ「泉」は市販の便器だった様な・・・
ある人が言っていましたが
現代アートとは
100億で欲しい人と120億でも欲しい人が世の中にいたに過ぎない、のであって人類の宝物そのものとは限らない
(オークションと言う「制度」が生み出した価値という意味)
全くその通りで、ある日突然=「大貧民」で起こる「革命」の様に一瞬にして全人類の価値観が逆転する事だってある訳ですよ
タイ・バーツや韓国ウォンどころじゃない、1929年のニューヨークだって起きたんだ
振り返ると、沢山所有していたLeicaのカメラを早く売っておいてよかった、デジタルカメラ全盛になって大暴落したので
しかし、レンズは売るべきじゃなかったなあ、いまだに高くなり続けている
一人だけ未来が見えて得するなんて、ある訳ないよね
という事で、結論
自分の信じた物に邁進するしかありませんなあ
良くも悪くも闇雲に突っ走る・ではなくて
死ぬその瞬間まで一刻も休む事なく自分の審美眼を磨き続けて行かなきゃ、しゃあねーだろうなあって事ですか
http://kaorin27.blog67.fc2.com/blog-entry-544.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1692.html
Händel "Concerto grosso op 6 No 5" Hans Knappertsbusch
Erich Röhn & Ulrich Grehlinger, violins
Berlin Philharmonic
Hans Knappertsbusch, Conductor
10.III.1944
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/341.html
Wilhelm Furtwängler "Concerto grosso Op 6 No 10" Händel
Berlin Philharmonic
Wilhelm Furtwägler, conductor
Berlin State-Opera 08.II.1944
Handel - Concerto grosso Op.6 no.10 Furtwangler Berliner
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1950年録音 〔※ 曲のLast部分でエラーerrorが有ります。〕
Händel: Concerti grossi Op. 6-10, Furtwängler & OSV (1954) ヘンデル 合奏協奏曲第10番 フルトヴェングラー
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Venezuela Symphony Orchestra (Orquesta Sinfónica Venezuela)
Rec. 20 March 1954, in Caracas (Live Recording)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/342.html
Georg Friedrich Haendel (1685-1759) - Complete (16) Keyboard Suites.
*Click to activate the English subtitles for the presentation* (00:00-02:05)
Suite No.1
I.Prélude (00:00)
II.Allemande (02:22)
III.Courante (05:18)
IV.Gigue (07:59)
Suite No.2
I.Prélude (10:52)
II.Toccata (14:03)
III.Sarabande (15:27)
IV.Fugue (17:23)
Suite No.3
I.Prélude (19:34)
II.Fugue (20:47)
III.Allemande (22:46)
IV.Courante (25:54)
V.Air (27:33)
VI.Variation 1 (32:23)
VII.Variation 2 (33:13)
VIII.Variation 3 (34:06)
IX.Variation 4 (34:57)
X.Variation 5 (35:47)
XI.Presto (36:26)
Suite No.4
I.Fugue ‘’la grande’’ (39:09)
II.Allemande (42:50)
III.Courante (45:01)
IV.Sarabande (47:02)
V.Gigue (51:54)
Suite No.5 ‘’L’harmonieux Forgeron’’
I.Prélude (53:32)
II.Allemande (55:47)
III.Courante (59:21)
IV.Air (1:00:45)
Suite No.6
I.Prélude (1:05:19)
II.Fugue (1:09:51)
III.Gigue (1:13:05)
Suite No.7
I.Ouverture (1:15:47)
II.Allemande (1:21:41)
III.Courante (1:24:27)
IV.Sarabande (1:25:29)
V.Gigue (1:27:35)
VI.Passacaille (1:28:54)
Suite No.8
I.Prélude (1:33:31)
II.Fugue (1:35:40)
III.Allemande (1:39:23)
IV.Courante (1:41:19)
V.Gigue (1:42:52)
Suite No.9
I.Allemande (1:44:50)
II.Courante (1:47:21)
III.Gigue (1:50:58)
Suite No.10
I.Allemande (1:55:35)
II.Courante (1:57:54)
III.Air (1:59:27)
IV.Gigue (2:02:31)
V.Menuet (2:03:55)
Suite No.11
I.Allemande (2:09:05)
II.Courante (2:11:25)
III.Sarabande ‘’La Grande’’ (2:12:51)
IV.Variations 1 à 6 (2:13:31)
V.Strette (2:16:46)
VI.Gigue (2:17:14)
Suite No.12
I.Allemande (2:17:59
II.Courante (2:21:13)
III.Gigue (2:23:04)
Suite No.13
I.Allemande (2:25:56)
II.Courante (2:27:56)
III.Sarabande (2:29:33)
IV.Gigue ‘’La Grande’’ (2:33:07)
Suite No.14
I.Allemande (2:34:44)
II.Allegro (2:36:25)
III.Courante (2:37:27)
IV.Air (2:40:08)
V.Menuet (2:40:45)
VI.Gavotte (2:42:42)
VII.Gigue (2:45:45)
Suite No.15
I.Allemande (2:47:42)
II.Courante (2:49:39)
III.Sarabande (2:51:36)
IV.Gigue (2:54:24)
Suite No.16
I.Allemande (2:55:40)
II.Courante (2:57:00)
III.Sarabande (2:59:21)
IV.Gigue (3:02:02)
Piano : Eric Heidsieck
New mastering in 2018 by AB for CMRR
▲△▽▼
2012年1月21日土曜日
【収録曲】ハイドシェックのヘンデル:クラーヴィア組曲
年が明けてから、
ハイドシェックさんが弾いた、
ヘンデルのクラーヴィア組曲集を聴き始めました。
1974年から1977年にかけて録音されたもので、
CD4枚に計16曲が収められています。
ここでは収録曲について、
若干の問題を整理しておきます。
それはこのCDでは
第1番から第16番まで、
組曲に番号をふってあるのですが、
1859年に出版された
ドイツのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社による、
ヘンデルのクラーヴィア作品集(第1集〜第4集)をみると、
順番に若干の異同があり、抜けている組曲もあることがわかります。
また、ヘンデルの作品番号(HWV)は、
1978年から1986年にかけて、ドイツの学者
ベルント・バーゼルト氏が整理したものなので、
1974〜1977年に収録されたこのCDに、
HWVの番号は記されておりません。
これらの点を補正した上で、
収録曲を掲げると次のとおりです。
CD-1
組曲 第5番 ホ長調 (第1集〜第5番)HWV430
「調子の良い鍛冶屋」
組曲 第8番 ヘ短調 (第1集〜第8番)HWV433
組曲 第6番 嬰ヘ短調(第1集〜第6番)HWV431
組曲 第7番 ト短調 (第1集〜第7番)HWV432
録音:1974年頃
【CASSIOPEE 969 192】
CD-2
組曲 第3番 ニ短調 (第1集〜第3番)HWV428
組曲 第13番 変ロ長調(第2集〜第7番)HWV440
組曲 第2番 ヘ長調 (第1集〜第2番)HWV427
組曲 第15番 ニ短調 (第3集〜第1番)HWV447
組曲 第1番 イ長調 (第1集〜第1番)HWV426
録音:1975年頃
【CASSIOPEE 969 193】
CD-3
組曲 第4番 ホ短調(第1集〜第4番)HWV429
組曲 第10番 ト長調(第2集〜第3番)HWV436
組曲 第16番 ト短調(第3集〜第2番)HWV451
録音:1977年頃
【CASSIOPEE 969 208】
CD-4
組曲 第9番 ト短調(第2集〜第6番)HWV439
組曲 第11番 ニ短調(第2集〜第4番)HWV437
組曲 第14番 ト長調(第2集〜第8番)HWV441
組曲 第12番 ホ短調(第2集〜第5番)HWV438
録音:1977年頃
【CASSIOPEE 969 209】
曲順に並べなおすと次のとおりです。
組曲 第1番(第1集〜第1番)HWV426
組曲 第2番(第1集〜第2番)HWV427
組曲 第3番(第1集〜第3番)HWV428
組曲 第4番(第1集〜第4番)HWV429
組曲 第5番(第1集〜第5番)HWV430
組曲 第6番(第1集〜第6番)HWV431
組曲 第7番(第1集〜第7番)HWV432
組曲 第8番(第1集〜第8番)HWV433
組曲 第9番(第2集〜第6番)HWV439
組曲 第10番(第2集〜第3番)HWV436
組曲 第11番(第2集〜第4番)HWV437
組曲 第12番(第2集〜第5番)HWV438
組曲 第13番(第2集〜第7番)HWV440
組曲 第14番(第2集〜第8番)HWV441
組曲 第15番(第3集〜第1番)HWV447
組曲 第16番(第3集〜第2番)HWV451
第1集の全8曲はすべて収録されています。
第2集は、始めの第1・2番と、
最後の第9番が省略されています。
組曲 変ロ長調 (第2集〜第1番)HWV434
シャコンヌ ト長調(第2集〜第2番)HWV435
シャコンヌ ト長調(第2集〜第9番)HWV442
の3曲です。
このうち
第2・9番(HWV435・442)が省略されたのは、
他とは違った形式で書かれていたからでしょうか。
第1番(HWV434)を省略した理由はわかりませんが、
後にブラームスが、この曲の主題を用いて、
「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」
を作曲しています。
ハイドシェックはこのブラームスの方は
得意にして録音も行なっています。
第3集以降は、詳しく調べておりませんが、
ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社による、
ヘンデルのクラーヴィア作品集(第1集〜第4集)に収録されている組曲は、
ほぼ網羅されていると言ってよいと思います。
ハイドシェックがどんな楽譜を用いたのか、
興味のあるところですが、わかりませんでした。
また現在、ヘンデルの
一番新しい校訂楽譜はどれを選ぶのが適当なのか、
これもわかりませんでした。
https://mutsugorongak.blogspot.com/2012/01/blog-post_21.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/343.html
ヘンデル オラトリオ 『サムソン』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/829.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/344.html
ヘンデル オラトリオ 『エジプトのイスラエル人』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/825.html
ヘンデル オペラ 『エジプトのジュリアス・シーザー』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/826.html
ヘンデル 音楽劇 『ヘラクレス』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/828.html
ヘンデル オペラ 『フラーヴィオ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/830.html
ヘンデル 音楽劇 『セメレ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/831.html
ヘンデル オラトリオ 『サムソン』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/829.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/344.html#c1
『合奏協奏曲集』作品6(英語: Grand Concertos、イタリア語: Concerti grossi)、HWV 319-330は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが1739年に作曲した、12曲からなる合奏協奏曲集。初版の正式な題は『ヴァイオリン4部、テノール・ヴァイオリン、チェロおよびハープシコードの通奏低音のための七声による12の合奏協奏曲集』(テノール・ヴァイオリンはヴィオラのこと)。
2台のヴァイオリンとチェロによるコンチェルティーノと、弦楽(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ)およびチェンバロの通奏低音によるリピエーノによって演奏される。
ヘンデルの器楽曲のうちでもっとも優れ、もっとも洗練された作品とされる[1]。
この作品は、アルカンジェロ・コレッリの合奏協奏曲集作品6(1714年出版、全12曲)をモデルとして書かれている[2]。様式は変化に富み、オペラと共通のフランス風序曲(第5番・第10番)、サラバンド風のアリア(第10番)、ダカーポ形式(第11番)、室内ソナタ的な舞曲の連続(第8番)、フーガに見られるドイツ的な対位法的音楽など、国際性ゆたかである[3]。ホグウッドによると「はるかに地味なコレッリのスタイルに断固とした推進力、研ぎ澄まされた英知、豊かな機知を加えている[4]。」
コレッリはイタリアではすでに忘れられかけていたが、イギリスではジェミニアーニらによってコレッリの音楽が伝えられ、大きな人気を誇っていた[5]。
ヘンデルの協奏曲は三楽章形式のヴィヴァルディやアルビノーニのものとは共通点を持たず、個人の名人芸を披露するものではない[6]。しかし、一部にはヴィヴァルディ的な箇所も見られ、たとえば第5番冒頭のコンチェルティーノによる開始は『調和の霊感』第1曲のはじまり方に似ているし、第6番の第4曲は華々しいヴァイオリンの独奏が目立つ[3]。
いくつかの曲は、当時作曲中だったオペラ『イメネーオ』の楽想を書き変えたものである[7]。第5番は同時期に作曲された『聖セシリアの日のための頌歌』と共通の主題を使用している[2]。『聖セシリアの日のための頌歌』と同様、作品6でもヘンデルはゴットリープ・ムッファトのチェンバロ曲集『Componimenti musicali』から多数の楽想の借用を行っている。また、ドメニコ・スカルラッティの30曲のソナタからなる『チェンバロ練習曲集』(Essercizi per cembalo、1738-1739年にロンドンで出版)からもいくつかの素材を借用している[8][9]。
作曲の経緯
ヘンデルは1738年にオルガン協奏曲集第1巻(作品4)を出版して以来、この時期にまとめて器楽曲を出版している。
作品6は1739年の9月から10月末までの非常に短い期間に作曲された。自筆原稿には各曲の完成日が記されているが(第9番を除く)、第1番が9月23日、最後に作曲された第11番が10月30日に完成している[10]。
自筆原稿では第1・2・5・6番にオーボエのパートがあり、第1・第2ヴァイオリンのパートをなぞっているが、出版された楽譜からは除かれている[2][7]。
各曲の初演の日付は明らかでないが、多くは1739年11月から翌年3月にかけてリンカーンズ・イン・フィールズ劇場で上演されたオラトリオや頌歌の幕間に演奏されたと考えられている[2]。
1740年4月27日にジョン・ウォルシュから出版された[11]。
Busch Chamber Players "Concerto grosso op. 6
recorded 1946
第1番ト長調 HWV 319
A tempo giusto
Allegro
Adagio
Allegro
Allegro
最初の2曲はつなげて演奏される。第3曲は短調の緩徐楽章。第4曲は独奏ヴァイオリンからはじまるフーガ。最終曲は8分の6拍子のジグで、スカルラッティのソナタ第2番を借用しているが、原曲とはまったく異なった作品になっている[9]。
第2番ヘ長調 HWV 320
Andante larghetto
Allegro
Largo
Allegro, ma non troppo
おだやかな第1曲に続けて、短調で急速な第2曲が続く。第3曲は長調に戻り、2つの異なる楽想が交替に出現する。最終曲はフーガ。
第3番ホ短調 HWV 321
Larghetto
Andante
Allegro
Polonaise - Andante
Allegro, ma non troppo
沈んだ調子の第1曲は短く、すぐに半音階的な主題をもつフーガがはじまる。第3曲ではヴァイオリン独奏が活躍する。ポロネーズと題された第4曲は3拍子の長調の華やかな舞曲。最終曲で再び短調に戻る。
フーガの主題はおそらくスカルラッティのソナタ第30番(猫のフーガ)の影響を受けている。他の楽章にもスカルラッティと類似した箇所が見られる[12]。
第4番イ短調 HWV 322
Larghetto affetuoso
Allegro
Largo, e piano
Allegro
全奏による静かな第1曲についで、第2曲のフーガが演奏される。第3曲は長調の緩徐楽章。4分の3拍子の最終曲で再び短調に戻る。
第5番ニ長調 HWV 323
Ouverture
Allegro
Presto
Largo
Allegro
Menuet
最初の2曲はヴァイオリン独奏ではじまる明るく華やかな序曲とフーガで、『聖セシリアの日のための頌歌』のフランス風序曲を書き直したもの。第3曲は非常に速い舞曲風の音楽で、第4曲は短調の緩徐楽章。第5曲の主題はスカルラッティのソナタ第23番との類似が指摘されている[9]。最後のメヌエットは再び『聖セシリアの日のための頌歌』序曲のものを拡張して変奏曲風にしている。
第6番ト短調 HWV 324
Larghetto e affetuoso
Allegro, ma non troppo
Musetto - Larghetto
Allegro
Allegro
暗く沈んだ第1曲はしばしば長い休符やフェルマータで中断される。第2曲は半音階的なフーガ。ミュゼットと題された変ホ長調の第3曲は全曲の中心をなす長大な緩徐楽章で、短調の中間部でははっきり調子が変わる。この曲はヘンデルのお気に入りの曲であり、しばしばオラトリオの幕間に演奏したという[7]。第4曲では独奏ヴァイオリンの速いパッセージが特徴的。第5曲は全奏によるメヌエット風の舞曲である。
第7番変ロ長調 HWV 325
Largo
Allegro
Largo, e piano
Andante
Hornpipe
この曲はすべて全奏によって演奏され、コンチェルティーノだけの部分が存在しない。
ゆっくりした第1曲は短く、すぐに第2曲のフーガに入る。フーガの主題は同じ音を2分音符×2、4分音符×4、8分音符×8の3小節にわたって伸ばす変わったものである。第3曲は短調の沈んだ音楽、第4曲は付点つきリズムをもつ。最終曲はホーンパイプと題され、2分の3拍子の非常に歯切れのよい曲である。
アルノルト・シェーンベルクの『弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲』(1933年)はこの曲の自由な改作である。
第8番ハ短調 HWV 326
Allemande - Andante
Grave
Andante allegro
Adagio
Siciliana - Andante
Allegro
冒頭のアルマンドは、チェンバロ組曲ト短調HWV452(第16番)の第1曲と共通の音楽だが、曲の途中で不穏な和音がしばしば出現する。第2曲は短い経過句風の音楽だが、激しい3つの音符が印象的である。第3曲は快速。3拍子で短い長調の緩徐楽章である第4曲についでシチリアーナと、やはり舞曲風の最終曲がつづく。
全12曲中、この曲だけがフーガを持たない。
第9番ヘ長調 HWV 327
Largo
Allegro
Larghetto
Allegro
Menuet
Gigue
第1曲ははっきりした旋律を持たない導入部風の音楽である。鳥の鳴き声の模倣を含む楽しい第2曲と、短調のシチリアーナ調の第3曲の2つはそれぞれ「かっこうとナイチンゲール」の名で知られるオルガン協奏曲ヘ長調HWV 295(第13番、1740年に独奏曲として出版)の第2・3楽章と共通する。第4曲のフーガの後に、短調のメヌエットと長調のジグの2つの舞曲が続く。
第10番ニ短調 HWV 328
Ouverture
Allegro
Air - Lento
Allegro
Allegro
Allegro moderato
暗く激しい第1曲は、第2曲のフーガとあわせてフランス風序曲をなす。第3曲は2分の3拍子で全奏とコンチェルティーノが交替する。第4曲は全奏による。第5曲は4小節のコンチェルティーノからはじまる快速な3拍子の音楽。最終曲ではじめて長調に変わり、おだやかに終わる。
第11番イ長調 HWV 329
Andante larghetto, e staccato
Allegro
Largo, e staccato
Andante
Allegro
オルガン協奏曲イ長調HWV296(第14番、1740年に独奏曲として出版)と音楽が共通する。
第1曲は付点つきリズムをもった明るい音楽にはじまり、2拍ごとに半音ずつ上がる音をだんだん細かくなる音符で演奏する特徴的な音型が現れる。第2曲は全奏によるフーガ。第3曲はわずか6小節の経過句で、すぐに次の曲に移る。第4曲は3拍子で、おだやかな全奏とはなやかなコンチェルティーノ(チェロのソロを含む)が対比される。最終曲はダ・カーポを持つ快速な曲で、ソロの第1ヴァイオリンに華やかなパッセージが多い。
第12番ロ短調 HWV 330
Largo
Allegro
Larghetto, e piano
Largo
Allegro
激しい第1曲と独奏ヴァイオリンの活躍する第2曲はフランス風序曲をなす。ホ長調の第3曲は変奏曲の形式をもつ。第4曲は6小節の経過句で、すぐに最終曲のフーガに移る。このフーガは師のツァハウ(英語版)の主題にもとづく[7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E5%A5%8F%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E9%9B%86_%E4%BD%9C%E5%93%816_(%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/345.html
Händel: Water Music, Stokowski & RCAVso (1961)
(00:05) 1. Menuet
(02:55) 2. Andante
(06:46) 3. Allegro
(09:38) 4. Adagio e staccato
(12:54) 5. Bourrée
(14:36) 6. Hornpipe
(16:36) 7. Air
(19:25) 8. Alla Hornpipe
Leopold Antoni Stanislaw Boleslawowicz Stokowski (1882-1977), Conductor
RCA Victor Symphony Orchestra
Rec. 17 April 1961, at Manhattan Center, in New York [RCA]
1959 Live Händel Water Music Suite - Stokowski conducts
Leopold Stokowski and Houston Symphony Orchestra
19/10/59
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/346.html
セザール・フランク 『前奏曲・コラールとフーガ 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/915.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/347.html
中東の人口史に関する研究(Almarri et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。世界的な全ゲノム配列計画は、ヒトの多様性と拡散と過去の混合事象への洞察を提供してきました(関連記事1および関連記事2)。しかし、多くの人口集団はまだ研究されておらず、そのため、遺伝的多様性と人口史の理解を制約し、健康の不平等性を悪化させるかもしれません。大規模な配列計画によりとくに研究対象とされている地域は中東です。中東はアフリカとヨーロッパとアジア南部の間に位置しており、ヒトの進化と歴史と移住を理解するうえで重要地域となります。中東ではアフリカ外の現生人類(Homo sapiens)の最初の証拠のいくつかが得られており、177000年前頃のレヴァント(関連記事)や85000年前頃のアラビア半島北西部(関連記事)で年代測定された化石が発見されています。さらに、現生人類のものとされる12万年前頃の道具と足跡も、アラビア半島で特定されました(関連記事1および関連記事2)。
現在、アラビア半島の大半は超乾燥砂漠ですが、過去には「緑のアラビア」をもたらしたいくつかの湿潤期があり、その時期にはヒトの拡散が促進され、現在の砂漠気候の始まりは6000年前頃に始まった、と考えられています。後期更新世と完新世における湿潤期から乾燥期への移行は、気候に適応した人口集団の移動をもたらした、と提案されてきました。アラビア半島内の新石器時代の移行は、地域内で独立して発展したか、あるいはレヴァントの新石器時代農耕民の南方への拡大によるものでした。こうした問題に取り組むため、アラビア半島とレヴァントとイラクの人口集団からの高網羅率の物理的に位相の揃ったデータセットが生成され、分析されました。将来の医学研究に役立つだろうあまり研究されていない地域における遺伝的多様性の目録の作成に加えて、人口構造、人口統計学および選択の歴史、現生人類および絶滅ホモ属(古代型ホモ属)との混合事象が調べられました。
●データセット
短い読み取りから長い情報を保存する手法を用いて中東の8人口集団(図1A)の137個体の全ゲノムが配列され、その平均網羅率は32倍です。この「連鎖読み取り(linked-read)」技術を用いる利点は、短い読み取りの整列を区別しない反復領域における、物理的に位相のそろったハプロタイプの再構築と、改善された整列です。調査対象の全人口集団はアフロ・アジア語族のセム語派であるアラブ語を話しますが、例外はイラクのクルド人集団で、インド・ヨーロッパ語族のイラン語群であるクルド語を話します。
品質管理の後、2310万ヶ所の一塩基多様体(SNV)が特定されました。このデータセットが、ヒトゲノム多様性計画(HGDP)で特定された多様体(関連記事)と比較されました。本論文のデータセットでは、HGDPでは見つかっていない480万ヶ所のSNVが見つかりました。予測されたように、これらの多様体のほとんどは稀で、その93%は1%未満の頻度ですが、37万ヶ所は一般的(頻度1%以上)です。興味深いことに、これらの一般的な多様体のほとんどは、以前の研究(関連記事)により定義された利用可能性被覆外となります(246000ヶ所の多様体)。これは、中東人など遺伝的にあまり知られていない人口集団の配列決定と、将来の医学研究における地域固有の多様体の包摂の重要性を示します。これは、標準的な短い読み取りを利用しにくい領域に、かなりの量の未知の変異が存在することも示します。以下は本論文の図1です。
画像
●人口構造と混合
人口構造と過去の混合事象を明らかにすることは、人口史の理解と医学研究の設計および解釈に重要です。単一の多様体およびハプロタイプの両方に基づく手法を用いて、本論文のデータセットの構造と多様性が調べられました。本論文のデータセットを世界規模の人口集団と統合した後、fineSTRUCTUREで、地理と合致した遺伝的クラスタが識別され、自己標識された人口集団は一般的に異なるクラスタを形成する、と示されました(図1C)。レヴァントとイラク(レバノン人、シリア人、ヨルダン人、ドゥルーズ派、ベドウィンA、イラクのアラブ人)が一まとまりになったのに対して、イラクのクルド人はイラン中央部人口集団とまとまりました。アラビア半島の人口集団(エミラティA、サウジ人、イエメン人、オマーン人)はHGDPのベドウィンBとまとまりました。エミラティ人口集団(アラブ首長国連邦集団)内では、過剰なイランおよびアジア南部祖先系統(祖先系譜、ancestry)を有する下位人口集団(エミラティBおよびエミラティC)が特定されました(図1B)。また、比較的高いアフリカ祖先系統を有する下位人口集団(サウジBおよびエミラティD)も見つかりました。
次に古代の地域的および世界的人口集団の文脈で本論文の標本が分析されました。主成分分析(図1D)では、現代の中東人は古代レヴァントの狩猟採集民であるナトゥーフィアン人(Natufian)と新石器時代レヴァント人(レヴァントN)と青銅器時代ヨーロッパ人と古代イラン人との間に位置する、と示されます。アラブ人とベドウィンは古代レヴァント人の近くに位置しますが、現代のレヴァント人は青銅器時代ヨーロッパ人の方に引き寄せられています。イラクのアラブ人およびクルド人とアッシリア人は古代イラン人に比較的近いようです。
ほとんどの中東現代人は、4古代人口集団の祖先系統からの派生としてモデル化できる、と明らかになりました。それは、レヴァントN、新石器時代イラン人であるガンジュダレー(GanjDareh)N、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)、4500年前頃のアフリカ東部人であるモタ(Mota)個体です。レヴァントとアラビア半島の人口集団間での差異が観察されました。レヴァント人は過剰なEHG祖先系統を有しており(図1E)、これは以前の研究(関連記事)で示された、青銅器時代後に古代ヨーロッパ南東部およびアナトリア半島祖先系統を有する人々とともに到来した祖先系統です。本論文の結果は、この祖先系統がアラビア半島と比較してレヴァントでずっと高い、と示します。
レヴァントとアラビア半島との間の別の差異は、アラビア半島の人口集団におけるアフリカ祖先系統の過剰です。本論文のデータセットにおけるほとんどの人口集団にとってのアフリカ祖先系統の密接な供給源は、エチオピアのナイル・サハラ語族話者に加えて、ケニアのバンツー語族話者である、と明らかになりました。中東におけるアフリカ人との混合は過去2000年以内に起きたと推定され、ほとんどの人口集団は1000〜500年前頃の混合の兆候を示しており、以前の研究と一致します。
4方向混合の選択は、レヴァントNおよびガンジュダレーNが古代近東人にかなりの祖先系統をもたらしたこと(関連記事)、EHG/草原地帯祖先系統が青銅器時代後に中東に浸透したこと(関連記事)、ほとんどのレヴァント人とアラブ人でアフリカ祖先系統が現在見られることといった、中東に関する以前の知識に基づきます。本論文では検証において7つの外群が用いられ、それは、45000年前頃となるシベリア西部のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された個体と、ヨーロッパロシアにあるコステンキ−ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の若い男性1個体と、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)と、コーカサス狩猟採集民(CHG)と、ナトゥーフィアン人もしくはレヴァントNと、パプア人と、ムブティ人です。
EHGとアフリカの祖先系統における違いに加えて、レヴァントと比較してアラビア半島ではナトゥーフィアン祖先系統の過剰が観察されました(図1BおよびE)。中東における祖先系統の供給源としてレヴァントNをナトゥーフィアン人と置換すると、アラブ人はモデル化に成功できますが、レヴァントの現代人はどれもそのようにモデル化できませんでした。モデル準拠クラスタ化でも、アラビア半島の人口集団はレヴァント現代人と比較してかなり低いアナトリア半島新石器時代(アナトリアN)祖先系統を有する、と示されました(図1Bの紫色の構成要素)。古代アナトリア半島祖先系統におけるこの違いは、アラビア半島への限定的なレヴァントNの拡大に由来するかもしれません。なぜならば、レヴァントNはアナトリアNとかなりの祖先系統を共有しているものの(関連記事)、レヴァントへのアナトリアN祖先系統を有する人口集団の拡大とともに青銅器時代後の事象にも由来するからです(関連記事)。
続旧石器時代/新石器時代の人々からの在来の祖先系統に加えて、古代イラン人と関連する祖先系統が見つかり、それは現在すべての中東人に遍在します(図1Bの橙色の構成要素)。以前の研究では、この祖先系統は新石器時代のレヴァントには存在しなかったものの、青銅器時代には見られ、在来の祖先系統の最大50%が古代イラン人関連祖先系統を有する人口集団に置換された、と示されました。この祖先系統がレヴァントとアラビア半島の両方に同時に浸透したのかどうか調べられ、混合年代は北方から南方への勾配にほぼ従っており、最古の混合はレヴァントで5900〜3300年前頃に置き、その後アラビア半島で3500〜2000年前頃に、アフリカ東部で3300〜2100年前頃に混合が起きた、と明らかになりました。
これらの年代は、語彙データから推定された中東およびアフリカ東部におけるセム語派の青銅器時代起源および拡大の年代と重なります(図2)。この人口集団は、レヴァントとアラビア半島にY染色体ハプログループ(YHg)J1をもたらした可能性があります。本論文のデータセットにおけるYHg-J1の大半は5600年前頃に合着(合祖)し、青銅器時代の拡大の可能性と一致しますが、17000年前頃に分岐した稀なより早期の系統も見つかりました。そのYHgはナトゥーフィアン人で一般的なE1b1bで、本論文のデータセットでもよく見られ、ほとんどの系統は8300年前頃に合着しますが、39000年前頃に合着する稀なより深く分岐したYHgも見つかりました。以下は本論文の図2です。
画像
次に、標本抽出された地域的な青銅器時代人口集団の一つからの祖先系統の派生として人口集団がモデル化できるのかどうか検証され、レバノンのシドン(Sidon)遺跡の中東青銅器時代人口集団(シドンBA)が一部の現代のレヴァントおよびアラビア半島の人口集団の祖先系統の供給源であり得る、と明らかになりました。本論文の系統発生モデル化では、レヴァント現代人はシドンBA関連人口集団に直接的に由来する祖先系統を有しているかもしれない、と示唆されます。しかし、アラブ人はナトゥーフィアン関連人口集団からの追加の祖先系統が必要です(図3)。以下は本論文の図3です。
画像
●有効人口規模と分離の歴史
歴史的な有効人口規模は、母集団から標本抽出された染色体間の合着年代の分布から推測できます。しかし、単一のヒトゲノムを用いた場合、最近の期間では解像度が限定されますが、複数のゲノムを用いると、ハプロタイプ位相のエラーにより不自然な結果が作成されます。位相のないゲノムからアレル(対立遺伝子)頻度範囲を組み込むことによりこれらの範囲を拡張する手法が開発されましたが、最近では、たとえば金属器時代を通じて解像度がありません。
ゲノム規模系統生成における最近の発展と、本論文の多数の物理的位相標本を活用することで、本論文のデータセットにおける各人口集団のごく最近(1000年前頃)までの有効人口規模を推定できます(図4A)。全中東人の祖先は、7万〜5万年前頃の出アフリカ事象の頃に人口規模の顕著な減少を示す、と明らかになりました。このボトルネック(瓶首効果)からの回復は、レヴァントとアラビア半島の間の差異が出現し始める20000〜15000年前頃まで、同様のパターンをたどります。レヴァントとイラクの全人口集団はかなりの人口拡大を示し続けますが、アラブ人は類似の人口規模を維持しました。この差異は注目に値します。それは、この差異が最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の終了後に始まり、新石器時代に顕著になるからで、新石器時代には肥沃な三日月地帯で農耕が発達し、より大きな人口集団を支える定住社会へとつながりました。
新石器時代に続いて、6000年前頃となるアラビア半島の乾燥化の始まりとともに、アラビア半島の人口集団はボトルネックを経ましたが、レヴァント人は人口規模が増加し続けました。その後、レヴァント人の拡大は停滞期に入り、4200年前頃の乾燥化事象で人口規模は減少します。エミラティ人(アラブ首長国連邦人)の減少はとくに顕著で、有効人口規模は5000人となり、同時期のレヴァント人およびイラク人の1/20程度でした。人口回復は過去2000年で観察されます。本論文の結果は、以前の人口規模推定に影響を及ぼした可能性のある、中東で一般的な最近の近親結婚に対しても堅牢で、それは、分析において標本ごとに単一のハプロタイプを含めたからです。
次に、中東の人口集団の、中東人口集団内および世界の人口集団との人口分離の歴史が調べられました。この分析における正確な位相調整の重要性は、統計的に位相データに基づいて、現代パプア人がアフリカからの現生人類(Homo sapiens)の初期の拡大の祖先系統を有している、と提案した以前の知見(関連記事)により示されます。しかし、その以前の知見は、物理的に位相化されたゲノムデータを用いて複製されなかったので、統計的に不自然な結果が原因だった、と示唆されました(関連記事)。
逆に、最近の人口分離の歴史を調べるさいには、稀な多様体がより多くの情報をもたらすものの、統計的手法により正確に位相化されておらず、参照パネルに存在する可能性は低くなります。本論文ではまず、中東の現代人が出アフリカ現生人類の初期拡大からの祖先系統を有しているのかどうか、HGDPからの物理的に位相化された標本と本論文の人口集団との分岐年代の比較により検証されました(図4B)。分岐年代の発見的推定値として相対的な交差合着率(rCCR)を0.5とすると、レヴァント人とアラブ人とサルデーニャ島人と漢人は同じ分岐年代と、さらに12万年前頃以降のムブティ人からの同じ漸進的な分離パターンを共有している、と明らかになりました。次に、本論文のデータセットの人口集団とサルデーニャ島人が比較され、両者は2万年前頃に分岐し、レヴァント人はアラブ人よりもわずかに最近の分岐を示す、と明らかになりました。
ムブティ人との漸進的な分離パターンとは対照的に、サルデーニャ島人は中東の全人口集団とのより明確な分岐を示します。注目すべきことに、レヴァントおよびアラビア半島内の全系統と、さらに全ての中東人口集団およびサルデーニャ島人の内部の系統は、過去4万年以内で合着します。これらの結果をまとめると、現代の中東人口集団は、出アフリカ現生人類のより早期の拡大からの顕著な痕跡を有しておらず、全ての人口集団は6万〜5万年前頃にアフリカから拡大した同じ人口集団の子孫だった、と示唆されます。
次に、中東内の人口集団の分離年代が比較され、最古の分離年代はアラビア半島とレヴァント/イラクとの間だった、と明らかになりました(図4C)。エミラティ人はイラクのクルド人と1万年前頃に、ヨルダン人およびシリア人およびイラクのアラブ人とはもっと新しく7000年前頃に分岐しました。同じ人口集団からのサウジ人の分岐年代はもっと最近のようで7000〜5000年前頃ですが、イエメン人の分離曲線はエミラティ人とサウジ人の曲線間の中間です。アラビア半島とレヴァントの人口集団間の分岐年代は青銅器時代に先行し、本論文の系統発生モデル化と一致しますが、青銅器時代にアラビア半島への拡大が起きたならば、祖先系統の完全な置換は起きませんでした。以下は本論文の図4です。
画像
レヴァントとイラクの内部では、全ての分岐は過去3000〜4000年間に起きました。アラビア半島内では、イエメン人がエミラティ人と4000年前頃に分岐し、サウジ人はエミラティ人およびイエメン人の両方と最も分岐度の低い人口集団として現れ、過去2000年以内となる最近の分岐です。注意すべきは、この地域内の分離曲線が漸進的なように見えることで、明確な分岐よりもむしろ、分離後の継続的な遺伝子流動が示唆されます。また、この分離曲線にはこれらの人口集団の混合史が反映されていることにも要注意です。
●中東における古代の遺伝子移入と深い祖先系統
ほとんどの非アフリカ人口集団における類似のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)祖先系統量と、遺伝子移入されたハプロタイプの低い多様性から、現生人類はアフリカ外に拡大したさいにネアンデルタール人との単一の混合の波を経た可能性が高い、と示唆されています(関連記事)。中東の人口集団は以前に、ヨーロッパおよびアジア東部の人口集団よりもネアンデルタール人祖先系統が少ない、と示されましたが、この知見の解釈は、ネアンデルタール人祖先系統を「希釈する」最近のアフリカ人との混合により複雑になっています。
さらに、一部の分析では外群の使用が必要ですが、外群にネアンデルタール人祖先系統が含まれる場合、推定を偏らせる可能性があります(関連記事)。本論文のデータセットにおけるネアンデルタール人からの遺伝子移入を調べるため、標本の正確な位相調整を利用し、高網羅率となるクロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)のネアンデルタール人のゲノム(関連記事)と、交差合着率が比較されました。全ての中東人は、他のユーラシア人と同様の時期に古代型混合の兆候を示しました(図5A)。
次に、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)に基づく手法であるIBDmixが用いられました。IBDmixは、標的集団とネアンデルタール人のゲノムを直接的に比較し、ネアンデルタール人起源のハプロタイプを検出します(関連記事)。
本論文の標本とHGDPデータセットでIBDmixが実行され、ネアンデルタール人起源の可能性が高そうな合計12億7000万塩基対の区域が回収されました。本論文のデータセットに固有ではあるものの、他の非中東地域ユーラシア人には存在しないネアンデルタール人のハプロタイプの量を比較すると、合計で2500万塩基対しか見つからず、中東人におけるネアンデルタール人のハプロタイプの大半が他の人口集団と共有されている、と示されます。しかし、世界では比較的稀であるものの、アラビア半島では高頻度に達する、比較的大きな遺伝子移入されたハプロタイプ(最大50万塩基対程度)が見つかりました。
次に、人口集団あたりの合計のネアンデルタール人由来の塩基対の平均数が比較され、レヴァント人を含む他のユーラシア人口集団と比較してアラビア半島ではより低い値が見つかりました。たとえば、ドゥルーズ派とサルデーニャ島人は類似の量(1個体平均5640万塩基対)のネアンデルタール人祖先系統を有しています(図5B)。対照的にアラビア半島では、エミラティAとサウジAのネアンデルタール人祖先系統は平均してそれぞれ5270万塩基対と5210万塩基対で、ドゥルーズ派やサルデーニャ島人よりも8%、漢人よりも20%少なくなっています。
エミラティAとサウジAのアフリカ祖先系統は3%未満なので、アラビア半島におけるネアンデルタール人祖先系統の希釈はアフリカ祖先系統だけでは説明できません。以前の研究では、ネアンデルタール人祖先系統の割合が低いか皆無の基底部ユーラシア人集団が、古代および現代のユーラシア人にさまざまな割合で寄与し、新石器時代イラン人とナトゥーフィアン人では50%に達する、と提案されました(関連記事)。アラブ人は中東の他地域集団と比較してナトゥーフィアン的祖先系統を過剰に有しているので、アラブ人はネアンデルタール人祖先系統を減少させるだろう基底部ユーラシア人祖先系統も過剰に有している、と明らかになりました。
さらに、ほとんどの中東現代人は最近の混合からアフリカ祖先系統を有しており、それも主要なユーラシア祖先系統を有する時期と比較して、中東現代人の深い祖先系統に寄与しています。中東現代人では、深い祖先系統の増加とネアンデルタール人祖先系統量との間で負の相関関係が見つかりました。全ての古代人口集団を検証すると、ネアンデルタール人祖先系統の希釈を説明する2つの勾配(図5C)が明らかになりました。一方はアフリカ祖先系統により、もう一方は基底部ユーラシア人祖先系統により形成されます。中東人は、両方の祖先系統を有するので、両方の勾配に影響を受けたようです。以下は本論文の図5です。
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●選択
現在の超乾燥気候は、アラビア半島の人口集団における適応に選択圧を及ぼした可能性があります。これを調べるため、控えめなゲノム規模閾値でひじょうに急速に拡大した変異を有する系統のゲノム規模系図が調べられました。以前の研究では、アラビア半島におけるラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と関連する、ヨーロッパの既知の多様体(rs4988235)とは異なる2つの相関する多様体(rs41380347とrs55660827)が特定されました。アラブ人の多様体rs41380347について、本論文では強い選択の証拠が明らかになりました(図6A)。同様ではあるものの、やや弱く、ヨーロッパ人ではrs4988235における強い選択が報告されています。
rs41380347はアラビア半島人口集団において最高頻度で存在し、サウジ人とエミラティ人では50%となりますが、レヴァントとイラクでは4%とずっと低頻度になります。注目すべきことに、この多様体は1000人ゲノム計画(1KG)ではユーラシアもしくはアフリカの人口集団に存在しませんが、一部のアフリカ東部集団には低頻度で見られます。この多様体は、レヴァントとイランの古代人を含む既知の古代ユーラシア人157個体でも見つからず、中東内のハプロタイプの最近の起源および選択によるその後の頻度増加と一致します。この多様体は9000年前頃から現代の間に頻度が急速に増加した、と明らかになりました(図6A)。注目すべきことに、この期間はアラビア半島における狩猟採集民から牧畜採集民への生活様式移行と重なります。
最近の頻度増加を示す追加の多様体も特定されました。多くの遺伝子には発現量的形質遺伝子座(eQTL)でもある、LMTK2遺伝子内の多様体rs11762534は、推定上の選択の証拠を示します(図6B)。LMTK2遺伝子は、アポトーシスや成長因子シグナリングを含む多様な細胞過程に関わり、マウスでは精子形成に不可欠と思われる、セリン/セロトニンキナーゼをコードします。中東以外では、この多様体はひじょうに層序化されており、ヨーロッパ人で最高頻度(1KGで45%)となりますが、アフリカ人とアジア東部人では1%未満と稀です。
この多様体の頻度は、アラビア半島人口集団では66%、ベドウィンBでは81%ですが、ドゥルーズ派とパレスチナ人ではともに55%とやや頻度か低いようです。rs35241117における強い推定上の選択の兆候も見つかりました(図6C)。この多様体は、サウジ人とイエメン人で最高の世界規模の頻度(最大で60%)を示し、糸球体濾過や利尿や高血圧やBMIなど、多くの代謝や骨格や免疫特性と関連しています。rs35241117はクウェート人サウジ人で選択下にあると最近示唆された40万塩基対外に位置しますが、それとは中程度の連鎖不平衡(LD)です。
さらに、アラビア半島とレヴァント/イラクとの間の強く違う多様体が探されました。エミラティ人とサウジ人の両方では、7番染色体の97000塩基対で分化の強い兆候が見つかりました。このハプロタイプ(rs1734235)の多様体はアラブ人ではほぼ固定しており、培養線維芽細胞におけるlincRNA AC003088.1の発現増加と関連しています。イエメンで最も極端な人口集団分枝統計はrs2814778で、rs2814778では派生的アレルがダッフィー・ヌル(Duffy null)表現型をもたらし、1KGではアフリカの人口集団においてほぼ排他的に見られます。
しかし、この多様体はイエメン人ではひじょうに一般的で(74%)、アラビア半島を北上するにつれて頻度が減少します(サウジ人では59%ですが、イラクのアラブ人では6%です)。ゲノム全体でこの領域は中東においてアフリカ祖先系統が最も濃縮されており、以前の研究と一致する、と明らかになりました。イエメン人とサウジ人におけるアフリカ祖先系統の平均量はそれぞれ9%と3%なので、この多様体の高頻度はアフリカ人との混合後の正の選択と一致しているようです。この派生的なアレルは、アラビア半島において歴史的に存在してきた三日熱マラリア原虫感染を防ぐ、と考えられてきました。
ゲノム規模の系統を用いる利点は、比較的弱い選択を検出する力があることです。そこで、とくに過去2000年間の、20の多遺伝子性特徴全体のアラビア半島人口集団における多遺伝子適応の証拠が探されました。ほとんどの特徴では、身長や肌の色やBMIなど、最近の方向選択の証拠は見つからないか、決定的ではありませんでした(図6D)。しかし、いくつかの特徴は証拠を示しており、最も強い選択兆候は、現代西洋社会の教育年数と関連する遺伝子多様体に現れ、全アラビア半島人口集団で一貫しています。これはイギリスの人口集団でも報告されていますが、その兆候は他の特徴で条件付けした後には減少すると示されており、相関する特性を介した間接的選択が示唆されます。
イギリスの人口集団の知見とは対照的に、日焼けや髪の色などの特徴に作用する推定上の選択の証拠は見つかりませんでした。アラビア半島内では、ほとんどの特徴の推定上の選択の方向性は、おそらく共有された祖先系統の結果として、人口集団全体で類似しています。しかし注意すべきは、アラビア半島全体の現在の変化している環境は、さまざまな最近の選択圧を起こす可能性がある、ということです。エミラティ人では、2型糖尿病を増加させる多様体の推定上の選択の証拠が見つかりました。エミラティ人における2型糖尿病の発症率は世界で最も高く、それは部分的に定住性生活様式への強い最近の変化に起因すると考えられているので、興味深い結果です。同じ人口集団で、低密度リポ蛋白質の水準を向上させ、アポリプロテインBの水準を減少させる推定上の選択のわずかな証拠も見つかりましたが、多重検定を調整すると、これらの証拠は示唆的になりました。以下は本論文の図6です。
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●考察
本論文は、遺伝的に充分に研究されていなかった中東地域の高網羅率のゲノム配列の生成を報告しました。研究された全ての標本は、連鎖読み取り配列を用いて実験的に位相化され、大規模で正確なハプロタイプの再構築を可能とします。以前の世界規模の配列計画では分類されていなかった何百万もの多様体が見つかり、そのかなりの割合が中東では一般的です。これら一般的な多様体の大半は短い読み取りの利用可能な被覆外にあり、標準的な短い読み取りの配列に基づく研究の限界を浮き彫りにします。
多数の物理的に位相化されたハプロタイプにより、比較的古い期間(10万年以上前)からごく最近(1000年前頃)までの人口史の研究が可能になりました。アフリカからのヒトの初期拡大が、中東の現代の人口集団に遺伝的に寄与した証拠は見つかりませんでした。この知見は、全ての非アフリカ系現代人はアフリカからの単一の拡大の子孫で、その後すぐにネアンデルタール人と混合し、それは世界の他地域に移住する前だった、という支持を集めつつする合意に追加されます(関連記事)。
中東の人口集団は地域固有のネアンデルタール人由来のDNAをほとんど有しておらず、その大半が他のユーラシア人と共有されている、と明らかになりました。アラビア半島の人口集団は、レヴァントやヨーロッパやアジア東部の人口集団よりもネアンデルタール人祖先系統の割合が低く、これは、ネアンデルタール人と混合しなかった基底部ユーラシア人からの祖先系統の増加と、ネアンデルタール人の遺伝的影響をユーラシア西部現生人類から間接的にしか受けなかったアフリカ人との最近の混合に起因する、と示されます。
古代人のゲノムを用いて現代の人口集団をモデル化することにより、レヴァントとアラビア半島の人口集団間の違いが識別されました。レヴァントの人口集団はヨーロッパ/アナトリア半島関連祖先系統の割合がより高い一方で、アラビア半島人口集団はアフリカおよびナトゥーフィアン的祖先系統の割合がより高くなっています。レヴァントとアラビア半島との間の差異は、人口規模の歴史によっても示されます。両者は新石器時代前の20000〜15000年前頃に分岐し、定住農耕生活様式への移行はレヴァントで人口増加を可能にしたものの、アラビア半島では並行していなかったことを示唆します。
アラビア半島では後期更新世と前期完新世の間で人口集団の不連続性が起き、アラビア半島は肥沃な三日月地帯からの新石器時代農耕民により再移住された、と示唆されています。本論文の結果は、レヴァントの農耕民によるアラビア半島人口集団の完全な置換を支持しません。さらに、本論文のモデルでは、アラビア半島の人々は、レヴァントの農耕民ではなく、ナトゥーフィアン的な在来狩猟採集民人口集団に祖先系統が由来する、と示唆されます。アラビア半島北部石器群は、その一部がレヴァントの農耕民により製作された石器群と類似しているように見えると識別されており、さらにレヴァントとアラビア半島との間の家畜動物の移動から、人口集団の移動もしくは文化的拡散のどちらかによるものだった、と提案されてきました。本論文の結果は、文化的拡散および/もしくはレヴァントからの限定的な移住を示唆します。
中東現代人のモデル化に必要な系統の追加の供給源は、古代イラン人と関連しています。本論文の混合検証では、古代イラン人祖先系統がまずレヴァントに到達し、その後でアラビア半島とアフリカ東部に到達した、と示されます。これらの事象の年代は、興味深いことにセム語派の起源および拡大と重なっており、この祖先系統を有する(おそらくはレヴァントもしくはメソポタミアのまだ標本抽出されていない)人口集団がセム語派を拡大させた、と示唆されます。乾燥化事象と関連する気候変化が人口集団のボトルネックと関連していることも明らかになり、アラビア半島では6000年前頃に砂漠気候の始まりとともに人口規模が減少しましたが、レヴァントでは、4200年前頃の乾燥化事象で人口が減少しました。この深刻な旱魃は、中東とアジア南部の王国および帝国の崩壊の原因になった、と示唆されており、本論文で特定された兆候に遺伝的に反映されている可能性があります。
多様体の進化史の再構築への祖先的組換え図の適用は、自然選択研究に強力な手法を提供します。本論文は、アラビア半島の人口集団において、選択の兆候を洗練して特定しました。過去数千年に50%にまで頻度が達し、アラビア半島外ではほぼ存在しない多様体と関連するラクターゼ活性持続の事例は、ヒトの歴史と適応の理解において、あまり研究されていない人口集団の研究が重要だと示します。
本論文の結果から、多遺伝子性選択は、過去に有益だった可能性があるものの、現在では2型糖尿病などの疾患と関連している多様体の頻度増加に役割を果たしたかもしれない、と示唆されます。本論文では、他の人口集団と比較して、アラビア半島人口集団では多遺伝子性選択の兆候がほとんど見つからず、これは理論的に選択の強度を低下させるだろう長期の小さな有効人口規模の結果かもしれません。長期の小さな有効人口規模は、とくに最近の近親結婚の習慣(関連記事)と相まって、メンデル型や複雑な特徴の研究に利用できます。なぜならば、個体群はホモ接合型の機能喪失変異を有し、自然な「ヒトノックアウト」として機能するからです。本論文と中東地域における最近の国立バイオバンク設立は、健康格差是正への第一歩であり、将来、中東における複雑で疾患性の特徴を調べるための、刺激的な機会を提供します。以下は本論文の要約図です。
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本論文は最後に限界も指摘しています。アラビア半島人口集団の形成を洗練し、レヴァントとアラビア半島との間の先史時代のつながりをさらに明らかにするには、アラビア半島からの将来の古代DNA研究が必要です。中東の人口集団はゲノム規模関連解析では最も注目されていない集団の一つなので、選択兆候の理解や多遺伝子性特徴の分析には限界があります。中東集団に関する将来のゲノム規模関連解析は、これらの人口集団における多遺伝子性選択の影響を理解するのに必要です。
参考文献:
Almarri MA. et al.(2021): The genomic history of the Middle East. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.07.013
古人類学
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2021年08月08日
Y染色体の詳細な分析に基づく新石器時代のヨーロッパ西部への農耕民の拡大経路
古人類学
Y染色体の詳細な分析に基づく新石器時代のヨーロッパ西部への拡大経路に関する研究(Rohrlach et al., 2021)が公表されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)やY染色体の非組換え領域(NRY)のような片親性遺伝標識は、その歴史を単純な進化系統樹により表せるという事実のため、集団の人口史についての魅力的な情報源です。1980年代の先駆的研究以来、ゲノム研究以前には、人類の遺伝的歴史と世界への移住のほとんどは、片親性遺伝標識のmtDNAとNRYから推測されていました。細胞内のコピー数が多く、ゲノムが短くて(17000塩基対未満)、比較的高い置換率のため、mtDNAはとくによく研究されてきており、人口集団の遺伝的変異性についての安価ではあるものの信頼できる情報源を産出してきました。
逆に、NRYのマッピング可能な部分(古代DNA研究などで短い読み取りが確実にマッピングされている領域)はmtDNAよりもずっと長く(10445000塩基対)、男性個体の細胞で単一コピーとしてのみ表れます。進化的置換率(年間の部位あたりの置換数)は、NRYではmtDNAよりも最大で2桁低い、と推定されました。たとえば、7.77×10⁻¹⁰〜8.93×10⁻¹⁰で、ミトコンドリアゲノムでは1.36×10⁻⁸〜1.95×10⁻⁸となりますが、置換率の推定に関しては多くの議論があります。しかし、mtDNAと比較してNRYのゲノムがより長いことは、これらの置換率から、および単一系統の場合に、ミトコンドリアゲノムでは約3094〜4440年に起きる点変異と比較して、NRYでは約108〜123年ごとに点変異が起きることを意味します。その結果、NRYは集団の父方の人口史についてより多くの情報を含み、男性主導の移住もしくは父方居住など、男性に偏った集団の人口統計学的変化について多くの情報を提供できるので、人口集団の父方の歴史を調べることは、ひじょうに重要かもしれません。
人口史の研究では、古代DNAはかけがえのない情報源として示されてきました。古代DNA研究は、ユーラシア西部における大規模な人口集団の移動と遺伝的交替事象を明らかにしてきており(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、これらの事象は現代の人口集団の遺伝的データからの復元は不可能でした。古代人の片親性遺伝標識の研究も、現代人のみの研究では検出できない結果をもたらしてきました。たとえば、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後のヨーロッパの再移住に続くmtDNAの多様性喪失、もしくは新石器時代拡大に続くヨーロッパ東部および中央部における狩猟採集民Y染色体系統多様性の減少と部分的な置換(関連記事)や、紀元前三千年紀初めにおける草原地帯的祖先系統(祖先系譜、ancestry)の到来に伴う、その後の新石器時代Y染色体系統の多様性喪失です(関連記事1および関連記事2)。
古代DNAデータを用いる研究者たちは、通常、標本の品質に関連する問題、とくに死後のDNA崩壊と環境汚染による内在性DNAの減少に直面します。Y染色体は男性細胞の全DNAの2%未満程度を占めており、これが意味するのは、研究者たちが単一コピーのNRYで充分な情報価値のある部位を適切に網羅するためにショットガン(SG)配列の使用を望むならば、良好なDNA保存状態の標本でさえ、かなりの配列作業が必要になる、ということです。
標的捕捉分析評価の開発により、古代DNA研究者たちは配列においてゲノムの特定の部位と領域を濃縮できるようになり、古代標本からのヒト内在性DNAの収量は大きく改善しました。そうした一般的な分析評価の一つが1240kアッセイ(分析評価)で、ヒトゲノムにおける124万ヶ所の祖先系統の情報価値のある部位を標的とし、そのうち32000ヶ所はY染色体上の既知の多様体の選択を表します。これは、情報価値のあるY染色体の一塩基多型の遺伝子系譜学国際協会(ISOGG)の一覧に基づきます。注目すべきことに、市販の利用可能版(myBaits Expert Human AffinitiesやDaicel Arbor Biosciences)では、ISOGGにより特定された追加の46000ヶ所のY染色体一塩基多型が含まれており、現代人男性で変異が見られます。
現在知られている情報価値のあるY染色体の一塩基多型の数(ISOGGでは73163ヶ所、Yfullでは173801ヶ所)と比較して、標的Y染色体一塩基多型の数は比較的少なく、基本的なY染色体ハプログループ(YHg)の分類は可能ですが、現代の多様性と特定地域に大きく偏っています。結果として、1240kアッセイにおける特定のY染色体一塩基多型の表示に応じて、得られるYHgの分類は低く不均一な解像度になる可能性がありますが、標的を絞る手法は、ヒトの過去における隠れたおよび/もしくは消滅した可能性のある系統の検出ができません。
人口集団の男性の歴史をよりよく研究して理解するために、すでによく知られている一塩基多型だけを標的にするのではなく、NRYの部位の配列データをとくに濃縮する標的分析評価の必要性が認識されました。そのため、YMCA(Y染色体マッピング可能捕獲分析評価)が設計され、実装されました。これは造語で、古代DNAに典型的な短いリードをヒトゲノムに確実にマッピングできるNRYの領域を標的とします。類似の手法はすでに以前の研究で調べられました(関連記事)。しかし本論文では、その研究で提示された精査セットとの詳細な比較は避けられます。その研究では、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)といったずっと古い標本のために設計され、690万塩基対を標的としているので、「マッピング可能」の定義が本論文よりもずっと控えめで制約されています。一方、別の研究では890万塩基対領域が報告され、本論文の標的領域をほぼ完全に(99.97%)含んでいます。本論文は、標的領域の残りの150万塩基対で確実にマッピングされた部位を得られる、と示します。
本論文は、YMCA がショットガン配列と比較してNRY部位の相対的な網羅率を大きく改善し、同じ配列作業でNRY部位を濃縮できる、と示します。また本論文は、YMCAが2つの点で1240k一塩基多型アッセイ配列よりもずっと性能が優れていることを示します。本論文は実験的に、YMCAが網羅されているNRY部位の数を改善する、と示します。また本論文は、関連するbedファイル(標的領域を記述したタブ区切りのテキストファイル)により定義された標的NRY部位の考慮により、および抽出への高い複雑性を有する標本を配列する場合、YMCAが1240kアッセイ配列と比較して、YHg分類と新たな診断に役立つ一塩基多型の発見に対して、解像度改善の可能性を有することも示します。
本論文は、YHg-H2(P96)の分析によりYMCA経由で得られた性能改善を強調します。YHg-H2は、ユーラシア西部の新石器時代移行期の初期農耕民と関連した低頻度のハプログループです。本論文は、既知の46個体(古代人45個体と現代人1個体)と、新たにYMCAで配列された49個体(全員古代人)のデータセットを精選しました。おもに現代人20個体の標本に基づくYHg-H2の現在の理解は、本論文のYHg-H2の個体群の古代の多様性と一致しない、と本論文は示します。この古代のYHgの解決において、アナトリア半島からヨーロッパ西部への新石器時代集団にとっての、地中海とドナウ川に沿った異なる2経路を示せます。地中海由来の集団は、最終的にブリテン島とアイルランド島にも到達しました。
●YMCAの性能の検証
YMCAの性能を評価するため、さまざまな保存状態水準の標本について、内在性ヒトDNAの実験上の倍増が計算されました。ショットガンと1240kとYMCAの配列データについての、多すぎる環境変数の影響を避けるため、同じ遺跡から標本が選択されました。それはドイツのレウビンゲン(Leubingen)遺跡です。次に、網羅されたNRY部位の数と、少なくとも一度各ライブラリタイプで網羅されたISOGGの数を調べることにより、同じライブラリでの標準的なショットガン配列と1240kキャプチャに対するYMCAの実験上の性能が比較されました。ヒト内在性リードのみを選別し、次に500万の内在性リードごとに網羅された部位・一塩基多型の数を正規化することにより、同じ品質と入力配列労力が説明されます。ショットガン配列をYMCAと比較すると、内在性ヒトDNAの量で顕著な増加が観察され、以下ではこれが「濃縮」と呼ばれます。標本の保存状態が増加するにつれて濃縮が減少する、と明らかになりました。つまり、より高い開始内在性DNAの割合が高い標本では、濃縮効果が減少するものの、それでも有意でした。
ショットガン配列と比較すると、YMCA捕捉ライブラリにより網羅されたNRY部位の数では、15.2倍の顕著な平均増加が観察され、1240k配列と比較した場合は1.84倍となり、YMCAは平均してショットガン配列および1240k配列の両方よりも多くのNRY部位を網羅する、と示されます(図1)。またこれは、ショットガン配列の500万リードあたり平均15.2倍のISOGG一塩基多型を網羅しているので、YMCAのわずか500万リードと比較して、ショットガン配列では同じ数のNRY部位を網羅するのに7600万のリードを配列する必要がある、と示唆します。以下は本論文の図1です。
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興味深いことに、1240k配列と比較すると、YMCA捕捉ライブラリで少なくとも1回網羅されたISOGG一塩基多型の数では、平均4.36倍増加していることも明らかになりました。これは、同じ配列作業でYMCAがより多くの情報価値のある一塩基多型を網羅していることも示唆します。網羅されたNRY部位の数と、ショットガン配列および1240k配列の内在性DNAの割合は相関していないことと、網羅されたISOGG一塩基多型の数と1240k配列の内在性DNAの割合は相関していないことが明らかになり、これらの結果が標本における回収可能なヒトDNAの相対的量に依存しないことを示唆します。したがって、Y染色体で網羅される一塩基多型は1240kアッセイを用いると追加のボーナスですが、それはおもに男性と女性の常染色体ゲノムの分析で使用されるので、研究者が効率的かつ徹底的にY染色体の非組換え部分を調べたいならば、YMCAは明らか顕著な改善である、と明らかになります。
次に、各bedファイルにしたがって、1240kアッセイとYMCAにも含まれる、ISOGG一塩基多型一覧14.8版におけるハプログループの情報をもたらす一塩基多型の割合が比較されました。YMCAと1240kアッセイは同じ技術に基づき、同じ実験室の手順で捕捉されているので、この比較はとくに強力です。1240kアッセイは現在掲載されているISOGG一塩基多型の24.44%を標的としますが、YMCAは90.01%を標的とします(図2)。注意すべきは、ISOGG一塩基多型の残り9.99%はNRY領域に存在し、古代DNAで一般的な短いリードでは「マッピングできない」と考えられることです。
1240kアッセイの各部位は2つの精査(アレルと代替アレル)および多様体のそれぞれの側の5200塩基対により標的とされるので、追加の隣接する「標的」部位もマッピングされたリードから回収可能です。したがって、1240kアッセイの各一塩基多型の120塩基対(それぞれの側で60塩基対)の解析単位(window)も許可され、これは古代DNAの妥当な平均リード長です。この1240k+120塩基対の部位の一覧では、標的とされるISOGG一塩基多型の割合が45.34%にまで増加しますが、これは、1240k一塩基多型アッセイが、情報価値のあるY染色体一塩基多型が含まれる総数により基本的に制約されることも示します。ISOGG標的一塩基多型におけるこの顕著な増加は、同じ配列作業でYMCAがより多くISOGG一塩基多型を網羅する理由も説明します。以下は本論文の図2です。
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さらに、NRYをできるだけ多く回収することは、とくに研究者がY染色体の新たな多様体を探すか、もはや存在しないかもしれない過去の多様性の解明に関心を持っている場合に、たいへん重要です。1240kアッセイにより標的とされた部位の数をYMCAと比較すると、1240k捕捉アッセイは合計で32670ヶ所の部位を標的とする可能性があり、これはYMCAにより標的とされた部位の数の約0.31%になる、と観察されます。しかし、各一塩基多型の周囲の120塩基対の解析単位を含めると、1240kアッセイは3953000ヶ所の部位、もしくはYMCAを用いての分析できる可能性のある部位の数の37.82%を、標的とする可能性があります。したがって、YMCAは新たな祖先系統の情報をもたらす一塩基多型のNRYを探すための手法としてより優れている、と予測されます。
この研究では、YMCAと1240kにより標的とされた利用可能なISOGG一塩基多型を考えて、YHg分類の可能な潜在的解像度の比較にも関心がもたれました。各bedファイルのISOGG一塩基多型によると、32000ヶ所のY染色体の周囲の120塩基対を含めた時でさえ、一塩基多型YHgの解像度は改善できないことも明らかになりました。これは、現在優勢なYHgと、とくに、既知の過去の人口集団と関連するものの、現代の人口集団では顕著に頻度が低下しており、1240kアッセイの診断一塩基多型では充分に網羅されないYHgの両方で当てはまります。
初期狩猟採集民のYHg-C1a2(V20)や、新石器時代の拡大と関連するYHg-G(Z38202)やYHg-H2(P96)などのハプログループでは低解像度がよく観察されます。これらのYHgに関して、1240kアッセイのY染色体一塩基多型は、それぞれ関連するISOGG一塩基多型の0.8%と0%と13%を標的とします。120塩基対の解析単位を含めると、これらの割合はそれぞれ32.5%と31.2%と36.2%に増加しますが、依然としてYMCAにより標的とされた一塩基多型の場合の、89.6%と90.6%と95.2%よりもずっと低くなります(図2)。さらに、初期ヒト集団の移動において存在すると考えられているものの、現代人集団では比較的多く見られるYHgの理論的網羅率が低いことも、1240kアッセイの部位に関して問題となる可能性があります。たとえば、アメリカ大陸への人類最初の移住と関連する、YHg-Q1b1a1a(M3)は、1240kアッセイでは関連する診断上の一塩基多型の11.9%(120塩基対の解析単位を含めると33.5%)しか網羅されていないのに対して、YMCAでは92%となります。
まとめると、ショットガン配列および1240kアッセイと比較して、YMCAはNRYへのマッピングリードの相対的割合を高めます。またYMCAは、1240kアッセイよりもNRYの部位を2.5倍以上標的としており、新たな診断一塩基多型の検出を可能とします。しかし重要なことは、YMCAが、すでに情報価値があると知られているものの、1240kアッセイでは標的とできない一塩基多型を標的とすることです。
●事例研究としてのYHg-H2へのYMCAの適用
標本選別のショットガン配列の手順適用と、実験室での適切な標本へのその後の1240kキャプチャを通じて、古代の男性個体におけるさまざまなYHgについて新たなYMCAの性能を調べられました。本論文は、YHg-H2(P96)の事例を紹介します。データ不足と現代の人口集団では低頻度であるため、YHg-H2では進化系統樹の解像度が依然として不明です。現在の古代DNA記録から判断すると、YHg-Hは過去には、とくに新石器時代化の時期のユーラシア西部全域で農耕拡大と関連する男性の間でもっと一般的だったようです。本論文は結果として、古代DNA研究、とくにYHgの高解像度型は、過去と現在のY染色体の進化関係の解明に役立つ、と示せます。
YHg-H(L901)はアジア南部で48000年前頃に形成された、と考えられています。その下位区分のYHg-H1a(M69)とH2(P96)とH3(Z5857)は、その後4000年で急速に形成されたようです。YHg-H1およびH3は44300年前頃に形成されたと推定されていますが、YHg-H2はわずかに早く45600年前頃に形成された、と推定されています(yfull)。
YHg-H1およびH3はアジア南部ではまだ20%の頻度で見られますが、ヨーロッパではひじょうに頻度が低く、YHg-H1はロマ人の900年前頃の拡大との関連のみで見られます。逆に、YHg-H2は少なくとも1万年前以来ユーラシア西部に存在してきており、農耕拡大と強く関連していますが、現代のヨーロッパ西部人口集団では0.2%以下の頻度です。対照的に、YHg-H2は新石器時代集団ではより一般的で(関連記事1および関連記事2)、観察されたYHgの1.5〜9%を構成しますが、中には例外的に30%に達する個体群も存在します。
5000年前頃となる草原地帯関連祖先系統の到来とともに、YHg-R1aやR1bなど侵入してくるYHgが、YHg-G2やT1aやH2などより古い「新石器時代」YHgの多くをほぼ置換し、YHg-H2はとくに、新石器時代個体群において高頻度で見られませんでしたが、その多様性も大きく減少し、多くの下位系統が完全に失われたかもしれない、と予測されます。
本論文のYMCAがハプロタイプ決定品質を向上させて系統地理学的推論も導き出せるのかどうか検証するため、先史時代古代人のDNAデータと、暫定的にYHg-H2に分類された選択された個体群の新たな収集が用いられました。49個体の新たなデータが生成され、既知の46個体のY染色体ゲノムデータと統合されました。
YHg-H2は、新石器時代のより優勢なYHg-G2a2b2a1a2a(Z38302)とともに一般的に見られますが、本論文ではYHg-H2の低頻度が注目されます。とくに、YHg-G2a個体群の相対的な高頻度と比較してのYHg-H2個体群の相対的な少なさから、系統選別のより強い影響と、したがって観察される地理的パターンのより高い変化を予測するように、「系統の歴史」、したがって潜在的には拡散経路をよりよく追跡できます。この特定の事例では、YHg-H2個体群と関連する固有の遺伝標識を用いて、アナトリア半島からヨーロッパ西部への拡大する新石器時代農耕民を追跡でき、新石器時代拡大の提案されたいわゆる「ドナウ川もしくは内陸部」経路と「地中海」経路を遺伝的に識別可能なのかどうか、検証できます。これらの新石器時代拡大経路は、最近核ゲノム分析でも裏づけられました(関連記事)。
残念ながら、Y染色体の進化系統樹のYHg-H2の下位区分は、YHg-H2個体の現代人標本の不足とYHg-H2の古代人の相対的な少なさのため現在よく理解されておらず、多くの場合、既知および未報告の古代人標本のほぼ全ての系統樹的歴史と一致しません。本論文では、1例を除く全事例で、YHg-H2個体群は、YHg-H2 a1やH2b1など、現在のISSOG分類における2つの分岐クレード(単系統群)から派生した一塩基多型の混合を有している、と明らかになりました。したがって、上述のYMCAの性能から、さらにYHg-H2個体群が分析され、この系統の分岐パターンの解明が試みられました。
Y染色体DNAの非組換え部分では、進化史は系統樹構造に従うと予測されるので、たとえばISOGGでのYHg-H2aとH2b1とH2c1aなどの混合ハプログループはあり得ません。これらの個体群のよりよく理解された進化史を見つけるため、IQ-TREEを用いて最尤(ML)系統発生樹が構築されました。ML系統樹(図3A)から2つの主要なクレードが識別され、暫定的にH2m(青色)およびH2d(緑色)と表示されます。現在のISOGGの命名法に関して、YHg-H2mはYHg-H2とH2aとH2a1とH2c1aの一塩基多型の混合により定義づけられることに要注意です。YHg-H2dは、2ヶ所のYHg-H2b1の一塩基多型と、以前には検出されなかった追加の4ヶ所の一塩基多型により定義されるようです。したがって、YHg-H2dは、トルコとドイツの個体群から成る下位クレードを含んでおり、それらは、YHg-H2b1と関連する追加の10ヶ所の一塩基多型により独自に定義され、さらなる下位区分の可能性が示唆されることに要注意です。
診断一塩基多型の拡張セットに基づいて、ML系統樹に含まれるための最小限の網羅率要件を満たしていない個体も含めてさえ、58個体をYHg-H2mとH2dのどちらか、あるいは(基底部)H2*(低網羅率のため)に分類できました。最終的に、これら追加の一塩基多型のどれにも由来せず、YHg-H2の一塩基多型の多くにとって祖先型である3個体も確認され、基底部の3個体と表示されます。
本論文の全標本をヨーロッパの地図に投影すると、系統地理的パターンがはっきりと現れました(図3B)。YHg-H2d個体は全員、ヨーロッパ中央部へのいわゆる内陸部・ドナウ川経路沿いで見つかり、YHg-H2mは1個体を除いて全て、ヨーロッパ西部とイベリア半島と最終的にはアイルランド島へのいわゆる地中海経路で見つかりました。ドイツ中央部で見つかった孤立したYHg-H2mの個体(LEU019)は、年代が後期新石器時代・前期青銅器時代で、新石器時代拡大の2000〜3000年後となります。ミシェスベルク(Michelsberg)文化のような中期・後期新石器時代集団の東方への拡大の考古学およびmtDNAの証拠は、この単一の地理的に離れた観察結果を説明できるかもしれません。以下は本論文の図3です。
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本論文で用いられた古代人標本の不完全でさまざまな網羅率のため、古代人標本の放射性炭素年代測定を用いての、分岐年代推定のための信頼できる較正を作成できませんでした。本論文は代わりに、個体の各組み合わせの最新の共通祖先(TMRCA)以来の年代を推定し、新たに識別されたYHg-H2クレードの分岐年代を調べました。まず、相対的な置換率が構成され、YHg-A0と他の全てのYHgの平均TMRCAが161300年前と推定されました。この較正された置換率を用いてのTMRCAは、YHg-A1が133200年前、YHg-HIJKが48000年前と推定され、これは現在のそれぞれの推定年代(yfull)である133400年前および48500年前とひじょうに近くなっています。本論文はYHg-H2のTMRCAを24100年前と推定し、これは現在の推定年代(17100年前)よりもわずかに古く、高網羅率のYHg-H2の現代人標本を1個体しか利用できず、古代人標本が増加したことで説明できます。
YHg-H2dとH2mの推定TMRCA年代は15400年前で、それぞれの推定TMRCA年代は11800年前と11900年前です(図4)。しかし、重複する一塩基多型が少ないために関連するエラーバーがより広くなっている場合でも、平均推定年代は依然として比較的一貫していることに要注意です。これらの推定値に加えて、YHg-H2dとH2mの個体がアナトリア半島とレヴァントでも見つかった事実から、YHg-H2の多様性は農耕および家畜の確立以前に近東狩猟採集民に存在していた可能性が最も高く、初期農耕民にも存在し、その後で新石器時代拡大を経てヨーロッパ中央部および西部に広がった可能性が高い、と示されます。以下は本論文の図4です。
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●YHg-H2の解像度向上のための診断用一塩基多型の特定
YMCAを用いてYHg-H2の新たな下位クレードを特定した後、参照ヒトゲノム配列(hs37d5)と比較して、どの一塩基多型がこれらの下位クレードの診断用なのか、識別することも目的とされました。そのために、次の特性を有する分離部位が探されました。(1)集団内のどの個体もその部位では祖先的ではない場合。(2)その部位では集団内の複数個体が網羅されている場合。(3)その部位では集団外のどの個体も派生的ではない場合。(4)その部位では集団外の複数の個体が網羅されている場合。そのうえで、「新たな」一塩基多型の調査は、CからTもしくはGからAではなく、したがって古代DNA損傷の結果である可能性が低い置換に限定されましたが、本論文の結果でCからTもしくはGからAである多様体も、それらがISOGG もしくはYFullで以前に発見されているならば、含まれました。
YHg-H2(全て)とH2d(緑色)とH2m(青色)として定義される図3の下位ハプログループ・分枝の、312ヶ所の診断用の可能性のある一塩基多型が特定されました。心強いことに、本論文で特定された312ヶ所の診断用一塩基多型のうち258ヶ所(80.1%)はすでに、ISOGGもしくはYFullの一覧においてYHg-H2(P96)もしくはより派生的な下位区分と関連している、と明らかになっています。本論文では、YHg-H2と関連づけられていなかった、以前に発見された一塩基多型を2ヶ所(0.31%)のみ見つけました。それは、YHg-R1a1およびR1a1aと関連づけられたCからTの置換です。これはYHg-H2標本31点のうち17点で見つかったので、CからTの置換が損傷に起因する可能性は低そうです。さらに、本論文のYHg-H2の古代人(フランスのYHg-H2の1個体を除いて)では、134ヶ所の既知の基底部YHg-H2一塩基多型のうち110ヶ所を見つけられました。
上述のさまざまなYHgで新たに発見された残りの62ヶ所の一塩基多型は、未発見の診断用一塩基多型か、失われたYHg-H2の多様性を表します。しかし、部位8611196におけるAからGの置換のような、新たに発見された一塩基多型のいくつか(本論文のYHg-H2の31個体のうち20個体)では、新たな真の診断用一塩基多型の圧倒的な証拠が見つかりました。これら明確なYHg-H2の下位ハプログループを検出する本論文の手法の能力、したがって新石器時代拡大における情報価値のあるYHgの分岐年代をさらに解明して推定する能力は、網羅率の増加と、YMCAで標的をとできる部位の数の増加によってのみ可能となります(ショットガン配列もしくは1240k配列と比較した場合)。
●考察
人口集団のY染色体の歴史の分析は、人口史を理解するうえでひじょうに重要かもしれません。この目的のため、本論文は古代のY染色体配列データの標的配列戦略の採用を提唱します。本論文で提示された焦点を絞った研究では、ショットガン配列もしくは1240k配列と比較した場合、内在性ヒトDNA含有量を考慮したうえで、同じ配列作業量YMCAを用いたさいに達成可能な一塩基多型の網羅率と数の改善が浮き彫りになります。
標的となる内在性ヒトDNAの濃縮は、古代DNA研究における不充分な標本の保存状態を克服するためにひじょうに重要です。現代人男性から確認された1240kアッセイのY染色体一塩基多型は単に、信頼できるYHg分類のためのNRY上の診断用一塩基多型を、とくに現代の多様性に先行するYHgの事例では充分に網羅できない、と示され、最新の「Y染色体一塩基多型パネル」のために連続する領域を標的とする必要性が浮き彫りになります。YMCAは、他のキャプチャに使用され、追加の抽出もしくはライブラリの準備を必要としない、同じライブラリに適用できます。YMCAを本論文では試みられていない他のキャプチャアッセイと組み合わせることは確かに可能ですが、管理された研究における選択された男性標本の特注YMCAは、追加の配列作業を伴う(男性および女性標本への)手順複合適用よりも優れているかもしれない、と本論文は主張します。
YHg-H2(P96)のより詳細な分析を通じて、古代のYHg-H2の多様性に関する現在の理解は、系統樹的な歴史(NRYの歴史にも当てはまるはずです)と矛盾し、この多様性の解決は近東からヨーロッパへの新石器時代拡大の2経路へのさらなる裏づけにつながる、と示せます。それは、YMCAによりもたらされた改善された解像度なしには可能ではなかっただろう観察結果です。ユーラシア西部狩猟採集民のY染色体(YHg-I2aやI2bやC1a)の下位構造の研究や、青銅器時代ユーラシア西部やアジア中央部および南部YHg-R1aおよびR1bの多様化をよりよく特徴づけるために、こうした手法が将来適用されるよう期待されます。
参考文献:
Rohrlach AB. et al.(2021): Using Y-chromosome capture enrichment to resolve haplogroup H2 shows new evidence for a two-path Neolithic expansion to Western Europe. Scientific Reports, 11, 15005.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-94491-z
古人類学
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2021年08月07日
小林登志子『古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで』
読書 アフロユーラシア史前近代
中公新書の一冊として、中央公論新社より2020年10月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書が対象とするのはメソポタミアで、年代では都市文化が始まる紀元前3500年頃からおもに紀元前539年の新バビロニア王国の滅亡までで、その後もアラブ人勢力による支配の始まりとなる紀元後651年のサーサーン王朝の滅亡までが扱われています。メソポタミアは地理的に大きくは、南部のバビロニアと北部のアッシリアの2地域に区分されます。メソポタミアは現在の国境線ではおおむねイラク共和国に相当しますが、この南北の違いは、現在のスンニ派(北部)とシーア派(南部)の対立にも続いている、と本書は指摘します(妥当な見解なのか、疑問は残りますが)。
世界最古の都市文化は、紀元前四千年紀後半にユーフラテス河畔で勃興しました。ユーフラテス河はアジア南西部における交易の大動脈で、それが都市の発展を促したのでしょう。ユーフラテス河の東方を流れるティグリス河は、ユーフラテス河と比較する短く、支流が山地から直接本流に流れ込むため水位が急増し、大洪水が頻繁に起きました。そのため、メソポタミアの災害といえば洪水で、「大洪水伝説」が語り継がれ、それは『聖書』にも取り入れられました。ユーフラテス河とティグリス河という「(両)河の間の地」を意味するギリシア語がメソポタミアです。メソポタミア南部のバビロニアは地理的に、北部のアッカドと南部のシュメルに二分されます。ただ、シュメル人は自らをシュメルではなく「キエンギ(ル)」と呼んでおり、シュメルは後代のアッカド語となります。
メソポタミア南部に人々が最初に定住したのはウバイド文化期(紀元前5500〜紀元前3500年頃)で、歴史時代は都市文化が成立したウルク文化期(紀元前3500〜紀元前3100年頃)に始まります。その担い手は、「民族」系統不詳のシュメル人です。広い沖積平野が続くメソポタミア南部では高度な灌漑農業が営まれの下が、鉱物や石材や木材には恵まれず、オオムギなど農産物を対価としてそれらの物資を入手しました。都市文化の当初より、内向きでは生き残れず、外部との関係が不可欠だった、というわけです。そのため、メソポタミア南部全体が共通の経済観念を有していたようで、その証拠が文字の祖型とされるトークン(小型粘土製品)です。紀元前三千年紀後半には、メソポタミアやシリアなどで次々と都市が形成されていきますが、都市の周辺には、都市と関わる遊牧社会も存在しました。
紀元前3100〜紀元前2900年頃となるジェムデット・ナスル期にはバビロニア全域に都市文化が広まり、初期王朝時代が続きます。シュメルでは複数の都市国家が交易路や領土問題で争いました。初期王朝時代には第I期(紀元前2900〜紀元前2750年頃)に都市を囲む城壁が出現し、第IIIB期(紀元前2500〜紀元前2335年頃)に覇権をめぐる都市間の合従連衡が活発になり、ついにはウルクがシュメルを統一します。ウルクはアッカド語の呼称で、シュメル語ではウヌグです。ウルクにはすでにウバイド文化期に定住が始まり、紀元後634年のアラブ人によるメソポタミアへの侵攻の前後に放棄されたようです。ウルクで発明された文字が完全な文字体系(楔形文字)に整備されたのは紀元前2500年頃でした。メソポタミアの都市国家の王は、都市全域を支配して全住民に人頭税や地租を課すのではなく、広大な耕地と所属員から構成される家産的な独立自営の組織に依存していたようです。
メソポタミア南部のバビロニアを統一したのは、ウルクではなくバビロニア北部のアッカドのサルゴン王(在位は紀元前2334〜紀元前2279年)でした。シュメルとアッカドでは、言語により呼称は違うものの、ほぼ同じ神々が祀られていました。たとえば大地母神は、シュメル語ではイナンナ、アッカド語ではイシュタルです。余談ですが、これが高橋克彦『竜の柩』の設定にも取り入れられていたことを思い出しました。アッカドはバビロニアを統一しましたが、その後もシュメル人がたびたび反乱を起こしました。こともあり、支配が安定したのは第3代のマニシュトゥシュ王の時代だったようです。アッカドの衰退後、シュメル人による最後の統一王朝を築いたのがウル第三王朝でした。ウル第三王朝時代には、現存最古の法典となるシュメル語の『ウルナンム法典』が作成されました。『ウルナンム法典』では、傷害罪は銀で償うと規定されており、『ハンムラビ法典』などに見られる後の同害復讐法とは異なります。ウル第三王朝の滅亡とともに、シュメル人は政治的・「民族的」独立を失い、日常語はアッカド語となりますが、その後も学校ではシュメル語が教えられ、シュメル語の文学作品が作られました。
ウル第三王朝滅亡後のメソポタミア南部は古バビロニア時代と呼ばれ、前半は群雄割拠の混乱期だったイシン・ラルサ時代、後半はハンムラビ王(在位は紀元前1792〜紀元前1750年)以降のバビロン第一王朝時代と区分されます。紀元前二千年紀前半のメソポタミアで大きな役割を果たしたのは、シリア砂漠からメソポタミアへ侵入してきた、西方セム語族のアムル(アモリ)人でした。メソポタミア北部のアッシリアの歴史は、紀元前2000年頃以降にようやく明確になってきて、アッシリア時代(紀元前2000〜紀元前1600年頃)と呼ばれます。アッシリアはアナトリア半島やシリアとメソポタミアとの間の遠距離交易活動を優位に展開した商業国家で、紀元前三千年紀にはアッカド王朝やウル第三王朝に従属していました。バビロン第一王朝は、ヒッタイト王国に攻められて紀元前1595年に滅亡しましたが、都市としてのバビロンの優位は失われず、バビロンを首都とする王朝が新バビロニアまで1000年以上にわたって断続的に続きました。
紀元前二千年紀後半のメソポタミアでは、同じくアッカド語を使い、同じ神々を祀るなど同一文化を担う二大勢力として、バビロニアとアッシリアによる覇権争いが展開します。この間、バビロニアを長期にわたって支配したのが、「民族」系統不詳のカッシート王朝(紀元前1500〜紀元前1155年)でした。一方、アッシリアは不明な点が多くいミタンニ(ミッタニ)王国(紀元前16〜紀元前14世紀)に制圧されていましたが、紀元前14世紀後半にミタンニの支配から脱し、メソポタミア北部で勢力を回復します。ただ、アッシリアがバビロニアに軍事的に勝利しても、バビロニア文化に圧倒されることは珍しくなかったようです。この時期のメソポタミアには、このミタンニやアナトリア半島中央部のヒッタイト王国が関わり、さらにはエジプトもアジアへと侵出してきます。こうしてメソポタミアも含めてアジア南西部で諸勢力が並存し、「世界最古」の「国際社会」が形成されます。ミタンニはフリ(フルリ)人の国で、その言語は膠着語であり、紀元前千年紀前半にアナトリア半島東部およびアルメニアを支配したウラルトゥ王国(紀元前9世紀中期〜紀元前6世紀初頭)の言語と類縁関係にあります。こうして諸勢力が興亡を繰り返しつつ政治・文化・経済的に交流を続けた「国際社会」は、「紀元前12世紀の危機」で大打撃を受けます(関連記事)。
「紀元前12世紀の危機」を経た後、紀元前千年紀前半のメソポタミアでは「世界帝国」の興亡が繰り広げられます。この時代の「世界帝国」としてまず台頭したのは、「紀元前12世紀の危機」で中期アッシリアが衰退した後に復興した新アッシリア(紀元前1000〜紀元前609年)で、その武力により版図を拡大しました。その背景には鉄器時代の到来があり、鉄製の農具や工具の普及により人類の居住世界が大きく広がるとともに、鉄製武器と騎兵の本格的出現により軍事力が向上しました。この間、アラム語がアジア南西部で広く用いられるようになります。
紀元前8世紀後半のティグラト・ピレセル3世(在位は紀元前744〜紀元前727年)の代にアッシリアは大きく拡大し、「帝国」としての実態を有するようになっていきます。その後、紀元前8世紀末から紀元前7世紀前半にかけて、アッシリア帝国全盛期を迎え、ついにはメソポタミアのみならずエジプト全土も支配しますが、この支配は長続きしませんでした。新アッシリアは複雑な官僚組織で広大な帝国を運営し、多くの属国が存在しました。しかし、アッシュル・バニパル王が紀元前627年に死ぬと、新アッシリア帝国は急速に崩壊していき、紀元前609年に滅亡します。
新アッシリア帝国を単独では滅ぼせなかったものの、新バビロニアは新アッシリア帝国の滅亡後にメソポタミアで大きな勢力を有し、とくに有名な王は「バビロニア捕囚」を行なったネブカドネザル2世です。新バビロニアの都市住民は自由人と奴隷と「半自由人(王室や宮殿または個人に属している人や小作人)」に分かれ、商人の経済活動が活発だったようです。しかし、新バビロニアはペルシアに勃興したハカーマニシュ王朝により紀元前539年に滅ぼされ、本書はこれを古代メソポタミア史の終わりと指摘します。もはやメソポタミアは歴史を動かす主役たり得ず、以後はもっぱら東西の強国に蹂躙されていった、というわけです。紀元後7世紀のアラブ人勢力の支配により、メソポタミア地域の言語がアラビア語へと変わったのは、それを象徴しています。
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アフロユーラシア史前近代
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2021年08月06日
ヤンガードライアスを同期させるラーハ湖の噴火の正確な年代
古人類学
ヤンガードライアスを同期させるドイツのラーハ湖噴火(LSE)の正確な年代に関する研究(Reinig et al., 2021)が公表されました。LSEは、後期更新世におけるヨーロッパ最大級の火山事象の一つと位置づけられています。LSEのテフラ堆積物は、後期氷期から前期完新世への移行期における代理指標アーカイブを同期させるための重要な等時性を示していますが、噴火の年代については不確かさが残っています。
この研究は、火砕堆積物に埋もれた半化石樹木の年輪年代測定と放射性炭素測定を行ない、LSEの年代を13006±9年前(1950年を基点とする較正年代)と確定しました。これは、じゅうらい認められていた年代より1世紀以上古くなります。LSEの年代が修正されたことで、ヨーロッパの氷縞粘土湖の年代は、グリーンランドの氷床コア記録に対して必然的にシフトし、これによりヤンガードライアスの開始時期は12807±12年前(較正年代)となりました。
これは、じゅうらいの推定年代より約130年古くなります。この結果は、ヤンガードライアスの開始時期を北大西洋とヨーロッパで同期させるもので、LSEとグリーンランド 亜氷期1の寒冷化の直接的関連性を排除し、温暖化条件下での大西洋の南北方向の鉛直循環の弱化という大規模な共通機構を示唆しています。ヤンガードライアスは、大型動物の絶滅や農耕への移行とも関連している可能性があり、人類史の観点からひじょうに注目される事象だけに、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Reinig F. et al.(2021): Precise date for the Laacher See eruption synchronizes the Younger Dryas. Nature, 595, 7865, 66–69.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03608-x
https://sicambre.at.webry.info/202108/article_9.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/468.html#c7
この国際機関に対する2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGaviだ。Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団は有力メディアのスポンサーでもある。
要するに、WHOは西側の強大な私的権力の強い影響下にある。そうした私的権力の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」するとしている。
2020年12月にはバチカンを巻き込み、「包括的資本主義会議」を発足させた。この会議で看板的な役割を果たしている人物はリン・フォレスター・ド・ロスチャイルド。ロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。
こうした私的権力の構成員はいずれも富豪だが、ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によると、COVID-19のパンデミックが宣言されてから昨年12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達した。
財産が急増した理由のひとつは相場が上昇し、金融資産の評価額が増えたこと。製造やサービスを生業にしている人びとは苦境に陥り、倒産が増えれば金融で生きている人びとは安値で手に入れることができる。
金融資本の実働部隊として注目されているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」。金融業者だが、銀行のような規制は受けない会社だ。1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって誕生、この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。
この私的権力は経済システムを破壊するだけでなく、社会を収容所化しようとしている。そのために「ロックダウン(監禁策)」や「自粛」が使われた。
こうした政策によって生産活動や商業活動は麻痺し、企業や商店の経営は悪化した。倒産が増え、必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあり、「デジタル・パスポート」を携帯させ、国境を越えて人間を集中管理しようとしている。
彼らの計画はそこにとどまらない。クラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組で話をしているのだが、その中で彼はマイクロチップで人びとを管理する計画を疲労している。最初は服、さらに皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合するというのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108090000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c27
この国際機関に対する2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGaviだ。Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団は有力メディアのスポンサーでもある。
要するに、WHOは西側の強大な私的権力の強い影響下にある。そうした私的権力の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」するとしている。
2020年12月にはバチカンを巻き込み、「包括的資本主義会議」を発足させた。この会議で看板的な役割を果たしている人物はリン・フォレスター・ド・ロスチャイルド。ロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。
こうした私的権力の構成員はいずれも富豪だが、ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によると、COVID-19のパンデミックが宣言されてから昨年12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達した。
財産が急増した理由のひとつは相場が上昇し、金融資産の評価額が増えたこと。製造やサービスを生業にしている人びとは苦境に陥り、倒産が増えれば金融で生きている人びとは安値で手に入れることができる。
金融資本の実働部隊として注目されているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」。金融業者だが、銀行のような規制は受けない会社だ。1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって誕生、この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。
この私的権力は経済システムを破壊するだけでなく、社会を収容所化しようとしている。そのために「ロックダウン(監禁策)」や「自粛」が使われた。
こうした政策によって生産活動や商業活動は麻痺し、企業や商店の経営は悪化した。倒産が増え、必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあり、「デジタル・パスポート」を携帯させ、国境を越えて人間を集中管理しようとしている。
彼らの計画はそこにとどまらない。クラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組で話をしているのだが、その中で彼はマイクロチップで人びとを管理する計画を疲労している。最初は服、さらに皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合するというのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108090000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/511.html#c8
この国際機関に対する2018年から19年にかけての上位寄付者を見ると、第1位はアメリカ、第2位はビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団、第3位はイギリス、そして第4位はGaviだ。Gaviはワクチンを推進するため、2000年にWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で設立された。活動資金はWHO、UNICEF(国連児童基金)、世界銀行、ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団などから得ている。ビル・アンド・メリンダ・ゲーツ財団は有力メディアのスポンサーでもある。
要するに、WHOは西側の強大な私的権力の強い影響下にある。そうした私的権力の広報的な役割を果たしているWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは2020年6月、COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」するとしている。
2020年12月にはバチカンを巻き込み、「包括的資本主義会議」を発足させた。この会議で看板的な役割を果たしている人物はリン・フォレスター・ド・ロスチャイルド。ロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきたエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻だ。ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。
こうした私的権力の構成員はいずれも富豪だが、ATF(税の公正さを求めるアメリカ人)によると、COVID-19のパンデミックが宣言されてから昨年12月7日までの間に651人の富豪が保有する財産の勝ちは1兆ドル以上増えて4兆ドルに達した。
財産が急増した理由のひとつは相場が上昇し、金融資産の評価額が増えたこと。製造やサービスを生業にしている人びとは苦境に陥り、倒産が増えれば金融で生きている人びとは安値で手に入れることができる。
金融資本の実働部隊として注目されているのはブラックロック、バンガード、ステート・ストリートをはじめとする「闇の銀行」。金融業者だが、銀行のような規制は受けない会社だ。1970年代から始まった金融規制の大幅な緩和によって誕生、この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。
この私的権力は経済システムを破壊するだけでなく、社会を収容所化しようとしている。そのために「ロックダウン(監禁策)」や「自粛」が使われた。
こうした政策によって生産活動や商業活動は麻痺し、企業や商店の経営は悪化した。倒産が増え、必然的に失業者が増え、ホームレス、そして自殺者を増加させることになる。働き、集うことが「ノーマル」ではなくなり、公的な情報を知る権利、あるいは表現する自由などが奪われつつあり、「デジタル・パスポート」を携帯させ、国境を越えて人間を集中管理しようとしている。
彼らの計画はそこにとどまらない。クラウス・シュワブは2016年1月にスイスのテレビ番組で話をしているのだが、その中で彼はマイクロチップで人びとを管理する計画を疲労している。最初は服、さらに皮膚や脳へ埋め込み、最終的にはコンピュータ・システムと人間を融合するというのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108090000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/570.html#c1
Barylli Quartet and Joerg Demus play Schumann - Piano Quartet op. 47
Barylli Quartet;
Joerg Demus, piano.
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/348.html
Schumann - Violin sonata n°2 - Busch / Serkin
Adolf Busch
Rudolf Serkin
Live recording, Washington, 27.IV.1943
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/349.html
Adolf Busch - Schumann : Violin Sonata No.1 a-moll Op.105 (1937)
recorded in 1937
transferred from Jpn Victor 78s / RL-59/60(2EA-5480/3)
Adolf Busch(Violin)
Rudolf Serkin(Piano)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/350.html
Schubert Fantasia for violin & piano in C major, Op.159, D.934(Busch,Serkin 1931)
Adolf Busch, violin
Rudolf Serkin, piano
Rec. 6. V. 1931 Small Quenn's Hall, London ( Andante )
Schubert - Fantasy D.934 - Busch / Serkin live 1946
Adolf Busch
Rudolf Serkin
Live recording, Washington, 1946
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/351.html
Adolf Busch & Rudolf Serkin - Mozart : Violin Sonata in F K.377 (1937) 再復刻
recorded Octover 9, 1937, London
transferred from Jpn Victor 78s / VD-8903/4(2EA-5484/7)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/352.html
Adolf Busch & Rudolf Serkin - Beethoven : Violin sonata No.5 in F op.24 "Spring" (1933)
recoeded 17 May 1933
transferred from Jpn Victor 78s /JD-221/3(2B-6702/7)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/353.html
Adolf Busch - Beethoven : Violin Sonata No.10 in G Op.96
recording date unknown
LP 33 1/3, CBS SONY / SOCU 19
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/354.html
Lener String Quartet - Schumann : Träumerei トロイメライ (再復刻)
transferred from Jpn Columbia 78s / J-5227(CA-11873)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/355.html
Fauré Piano Quartet No.2 in G minor,Op.45(Thibaud,Long,Vieux,Fournier 1940)
Jacques Thibaud(Violin)
Marguerite Long(Piano)
Maurice Vieux(Viora)
Pierre Fournier(Cello)
10 May 1940 Paris
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/357.html
Fauré: Piano Quartet No. 1, Long & Pasquier Trio (1956)
Marguerite Long (1874-1966), Piano
Pasquier Trio
Jean Pasquier (1903-1992), Violin
Pierre Pasquier (1902-1986), Viola
Étienne Pasquier (1905-1997), Cello
Rec. February 1956
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/358.html
Stravinsky "Rite of spring" - Pierre Boulez (1969, from LP)
Pierre Boules / Cleveland Orchestra
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/359.html
ストラヴィンスキー バレエ音楽 『ペトルーシュカ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/821.html
ストラヴィンスキー バレエ音楽 『火の鳥』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/822.html
ストラヴィンスキー バレエ音楽『オルフェウス』・3楽章の交響曲
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/823.html
ストラヴィンスキー 自作自演
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/701.html
▲△▽▼
世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html
20世紀初めはこういう時代だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/359.html#c1
グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/360.html
グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html
グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html
グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html
マーラー ピアノロールで自作自演
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/699.html
世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/360.html#c1
メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/361.html
Schumann - Manfred Overture Op. 115 (1852) - Furtwängler, BPO, 1949 (Remastered 2012)
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Live Recording, Berlin, December 18, 1949
Schumann, Overture Manfred, Op.115 / Wilhelm Furtwangler ( 1953 )
Wilhelm Furtwangler, conductor
Swiss Festival Orchestra
Rec. Lucerne, Kunsthaus, 26. VIII. 1953 ( Audite )
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/362.html
ロベルト・シューマン 交響曲第4番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/363.html
Mendelssohn Symphony No.4 "Italy" - Toscanini (1954)
Arturo Toscanini / NBC Symphony Orchestra
Recorded Feb 28 1954
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/364.html
Wilhelm Furtwangler Berlin Philharmonic Mendelssohn: The Hebrides, Op.26 (Fingal's Cave) - Allegro moderato
Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Recorded 1930
Mendelssohn: The Hebrides, Furtwängler & VPO (1949)
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. 15 February 1949, at Musikverein Brahms-saal, in Vienna
Mendelssohn: The Hebrides, Furtwängler & VPO (1951)
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. 19 August 1951, at Festspielhaus, in Salzburg (Live Recording)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/365.html
Mendelssohn: Overture "A Midsummer Night's Dream", Op.21
Berliner Philharmoniker
WIlhelm Furtwängler
Studio recording, Berlin, 13.VI.1929
Mendelssohn: A Midsummer Night's Dream Overture (Furtwangler)
Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Live Recording, September 30, 1947
Mendelssohn: A Midsummer Night's Dream Overture, Furtwängler & BPO (1947)
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 28 September 1947, at Titania-Palast, in Berlin (Live Recording)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/366.html
欧米や日本から借金して借金で工場を建てて輸出で儲けて借金を返す、というのが韓国の経済モデルです。
それが回転しなくなったのが1997年の国家破産で、今後も経済が回転しなくなれば同様に躓く。
日本はどこから見ても完璧な純資産国で外国からの借金は1円もなく、世界中にお金を貸している。なんだか偉そうだが別の言い方をすると「日本の金で韓国は経済成長し、日本は衰退している」のです。
日本がお金を貸した外国でお金を使われ、日本国内で使わないので必然的に「金を貸した国が衰退」しています。日本は自国で金を使い投資するべきだが、現在はそうなっていません。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/694.html
ブッシュ大統領が1月31日の一般教書演説で、「私は8800億ドルを減税し、国民に返却した。今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」と述べた。
一方で、アメリカの経常赤字は05年が7900億ドル(93兆6940億円)、財政赤字も06年度は4230億ドル(約50兆2千億円)で過去最大、債務残高はすでに8兆ドル(約950兆円)を越えている。
日本では、税制赤字を解消するために、増税をしなければならないと考えられているが、アメリカは逆である。減税をして国内消費を活性化し、景気をよくして税収をあげようとする。さらにアメリカの場合は戦争によって軍需景気を作りだしているわけだ。
いずれにせよ、アメリカは消費大国。国も国民も借金をして消費を楽しんでいる。このアメリカの消費を助けているのが日本をはじめとするアジア諸国だ。とくに日本の貢献が大きい。日本は政府と民間が何百億ドルというアメリカ国債を買っている。
先日、朝日新聞夕刊「経済気象台」に「米国のもう一つの謎」という文章が載った。経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高が持続している謎について、それは借金国のアメリカが負債について支払う金利が「異常」に低いからだと書いている。これに反して、アメリカの対外資産は巨大な利益を手にしている。
アメリカは莫大な借金をし、そしてその中から、わずかな一部を他国に貸している。そして不思議なことに、巨大な借金のための利払いよりも、わずかな海外資産の方が多くの利益を生み出しているというのだ。
どうしてこんなマジックが可能なのか。それは日本がこの逆をしているからである。なぜ日本がこの分の悪い役回りを続けるのか、実はこれこそが本当の謎だということになる。
驚くべきことに、小さな対外資産から受け取る利子と配当が、大きな対外負債に支払う利子と配当を今日まで上回り続けている。家計にたとえると、収入を上回る買い物をして毎月赤字が続き、借金が膨らんでいる。ところが、多額の借金に支払う金利がゼロに近ければ、わずかばかり保有する預金などから受け取る利子の方が大きいという状態なのだ。これでは赤字をいくら出しても、借金さえできれば、後は何の憂いもなく買い物ができる
このうまい話に手放しで悪のりして、米国は経済収支赤字を続け、負債の増加に加速度がついている。この構図が最近話題になり、債権国が浮き足だっている。日本にその気配がないことが「謎」の源である
実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。
だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。
イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。
一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。
仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。
このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている。
輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。
日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。
日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・
輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである
幸い、最近この貿易構造がかわりつつある。日本の貿易相手国が中国をはじめとするアジアやヨーロッパにシフトしたことで、日本の対米黒字の割合が相対的に低下したからだ。こうして日本がデフレから解放されるチャンスがここから拡大した。
しかし、問題はすでに厖大なドル建て資産をアメリカに持っていることだ。日本人の汗の結晶であるドル建て資産が、今後ドル安で何百兆と失われる可能性がある。こうした形で、アメリカは最終的に日本の資産を合法的に手に入れようとする。
「今後も減税を恒久化し、09年に財政赤字を半減する」というブッシュの一般教書の宣言は、これからも日本をはじめ、世界から資金を調達するという意思表示と読むべきなのだろう。
________
財務省が何時も警告している、日本国民一人当たりの借金とか財政破綻の話はすべて事実です。
ただ財務省としては、資本家・労働者とか植民地搾取とかの用語を使えないので曖昧な表現にしているのですね。
それがMMT派の人が誤解する原因になっているのです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/695.html
Alfred Cortot plays Schumann Kinderszenen Op. 15
Kinderszenen Op. 15
("Scenes from Childhood")
01. Von fremden Ländern und Menschen (Of Foreign Lands and Peoples)
02. Kuriose Geschichte (A Curious Story)
03. Hasche-Mann (Blind Man's Bluff)
04. Bittendes Kind (Pleading Child)
05. Glückes genug (Happy Enough)
06. Wichtige Begebenheit (An Important Event)
07. Träumerei (Dreaming)
08. Am Kamin (At the Fireside)
09. Ritter vom Steckenpferd (Knight of the Hobbyhorse)
10. Fast zu ernst (Almost Too Serious)
11. Fürchtenmachen (Frightening)
12. Kind im Einschlummern (Child Falling Asleep)
13. Der Dichter spricht (The Poet Speaks)
Recorded in July, 4 1935 at Abby Road Studio No.3
Schumann - Kinderszenen - Cortot 1947
Studio recording, London, 9.X.1947
Alfred Cortot plays Schumann Kinderszenen (1954 German radio recording)
An unpublished May 2, 1954 Bayerischer Rundfunk recording
Alfred Cortot: Master Class on Schumann Kinderszenen (1953)
Schumann: Der Dichter Spricht (Kinderszenen, Op15)
Paris, 1953
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/367.html
Lener String Quartet_ Mozart : Quartet No.17 in B-Flat Major, K.458 "Hunt"
recorded 11/3, 1928
78rpm / Columbia, J-7854/6 (AX-4236/41)
electric reproduction
Léner Quartet
Jenö Léner(1st Violin)
Joszef Smilovits(2nd Violin)
Sándor Roth(Viola)
Imre Hartmann(Cello)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/368.html
ご覧の様に市販の男性用便器に(デュシャン本人のものでさえない)サインを書いただけの物体を芸術展に応募したが、運営側はふざけたジョークだとして出典を取り消しにした後
製作者がデュシャンだと分かって美術界に大きな物議を巻き起こしたと言われる
さて、この「便器?」「アート?」を既成の美を論じる観点で語ればただの「便器」だし、アートと捉えれば数億円のプライスタグが付く
ここで、受け売りだけれど・・・
元々現代アートは意味不明なところがあるので、そのイメージを共有するため「しくじり先生」を参考にしました
日向坂46金村美玖がライブでとんでもない失言!?『しくじり先生 #91』アベマオリジナル完全版を公開中
2021/07/06
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2021/07/06
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2021/07/13
正しい絵画の向きがわからない美術館がとった対応とは!?『しくじり先生 #92』アベマオリジナル完全版を公開中
2021/07/13
この動画は「番組公式」ですが公開期限があるそうなのでお早めに
現代アートを芸人に例える件は面白いです
さて、定義なんて存在しない一見なんでもありの現代アートですが、核心的要件があるそうです
「今までにないインパクト」
後は見る人の解釈次第ってことですかね・・・多分怒られる
ご存知ない方も見えるかもしれないので、いくつか例を挙げますが
最大の特徴は、とてつも無い高額だということでしょう
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/01.jpeg
https://blog-imgs-150.fc2.com/k/a/o/kaorin27/20140726024038.jpeg
マーク・ロスコ 約4600万ドル
バーネット・ニューマン 約4300万ドル
現代アートの価格を取り巻く謎についてNHKが取り上げていますので、興味のある方は合わせてどうぞ
私は門外漢なので個々の価格について論じる事はできませんが、40年来の主張はできます
ダヴィンチの「モナリザ(1505年頃)」と同じ年月、つまり今から700年の時の審判を受けた後、西暦2720年に21世期のアートが幾つ程評価されて残っているのか?それを西暦2021年の今日、見極めるのが審美眼だと思っています
まあ、一つも残らないかも知れませんが
分かっていますよ、現代アートと言うのは悠久なる審美の対象ではなく上述したとおり「ビックリインパクトの強さ」であるならば50年100年毎にその時代の作品は忘れ去られ、新しい次の時代の作品(ビックリ)を追い続ける事になるでしょう
つい先日、古楽演奏の移り変わりを感じて「最先端の解釈」にどれ程の価値があるかは100年後に判る。と書きました
それと、こんな事を書くとまた怒られるかも知れませんが
現代アートの経済動向に非常によく似た環境を知っています
おそらく世界一って言ってますが、たかが1億3千万ほどです。
やっぱり工業生産品ですから芸術作品とは桁が違いますね
あれあれ「泉」は市販の便器だった様な・・・
ある人が言っていましたが
現代アートとは
100億で欲しい人と120億でも欲しい人が世の中にいたに過ぎない、のであって人類の宝物そのものとは限らない
(オークションと言う「制度」が生み出した価値という意味)
全くその通りで、ある日突然=「大貧民」で起こる「革命」の様に一瞬にして全人類の価値観が逆転する事だってある訳ですよ
タイ・バーツや韓国ウォンどころじゃない、1929年のニューヨークだって起きたんだ
振り返ると、沢山所有していたLeicaのカメラを早く売っておいてよかった、デジタルカメラ全盛になって大暴落したので
しかし、レンズは売るべきじゃなかったなあ、いまだに高くなり続けている
一人だけ未来が見えて得するなんて、ある訳ないよね
という事で、結論
自分の信じた物に邁進するしかありませんなあ
良くも悪くも闇雲に突っ走る・ではなくて
死ぬその瞬間まで一刻も休む事なく自分の審美眼を磨き続けて行かなきゃ、しゃあねーだろうなあって事ですか
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/696.html
言葉が尖っているのです。うかつに触れるとすぐに皮膚が切り裂かれて、傷が残るような「尖った言葉」が行き交っている。だから、傷つけられることを警戒して、みんな身を固くしている。あるいは、自分の言葉の切れ味がどれくらいよいか知ろうとして、「刃」に指を当てて、嗜虐的な気分になっている。
そういう「尖った言葉」が行き交っている。外から見ると、あるいはスマートで知的なやりとりが行われているように見えるのかも知れません。でも、僕はそういう言葉がいくら大量に行き交い、蓄積しても、それが日本人全体の集団としてのパフォーマンスが向上することには結びつかないと思います。
僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵を力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのもたいせつですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの』をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。
よく考えてみたら、それは僕がずいぶん昔からずっと言ってきたことでした。
若い頃は左翼の言葉づかいに対して、そのような不満を感じていました。「革命をめざす」といっている人たちがお互いに相手について「はしなくも階級意識の欠如を露呈し」とか「嗤うべきプチブル性」とかいう非難を投げ合っていたからです。正直言って、そんなことをいくらやっても得るところはほとんどないんじゃないかと思っていました。というのは、そうやって「革命闘争を担う資格を持つ人」の条件を厳しくすればするほど「革命の主体」の頭数は減るだけだからです。「世の中をよりよいものにしよう」と願う資格のある人間の条件を厳密化することによって、この人たちはどうやって世の中をよくする気なんだろうと思っていました。
同じことは、そのあとフェミニズムやポストモダニズムにも感じたことです。今度は「はしなくも性差別意識を露呈し」とか「はしなくも植民地主義者の加害者意識に気づくこともなく」というふうに表現は変わりましたけれども、それでも「真に差別され、徹底的に疎外された人間だけがシステムを批判する権利を持つ(それ以外の人間はすべて無意識のうちに差別し、疎外する側に加担している)」ということになると、すてきに切れ味はいいテーゼではあるのですけれども、これもやっぱり、徹底すればするほど「世の中を少しでも住みやすくする」事業の仲間の頭数を減らす結果になる。
http://blog.tatsuru.com/2021/08/02_0935.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c144
言葉が尖っているのです。うかつに触れるとすぐに皮膚が切り裂かれて、傷が残るような「尖った言葉」が行き交っている。だから、傷つけられることを警戒して、みんな身を固くしている。あるいは、自分の言葉の切れ味がどれくらいよいか知ろうとして、「刃」に指を当てて、嗜虐的な気分になっている。
そういう「尖った言葉」が行き交っている。外から見ると、あるいはスマートで知的なやりとりが行われているように見えるのかも知れません。でも、僕はそういう言葉がいくら大量に行き交い、蓄積しても、それが日本人全体の集団としてのパフォーマンスが向上することには結びつかないと思います。
僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵を力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのもたいせつですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの』をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。
よく考えてみたら、それは僕がずいぶん昔からずっと言ってきたことでした。
若い頃は左翼の言葉づかいに対して、そのような不満を感じていました。「革命をめざす」といっている人たちがお互いに相手について「はしなくも階級意識の欠如を露呈し」とか「嗤うべきプチブル性」とかいう非難を投げ合っていたからです。正直言って、そんなことをいくらやっても得るところはほとんどないんじゃないかと思っていました。というのは、そうやって「革命闘争を担う資格を持つ人」の条件を厳しくすればするほど「革命の主体」の頭数は減るだけだからです。「世の中をよりよいものにしよう」と願う資格のある人間の条件を厳密化することによって、この人たちはどうやって世の中をよくする気なんだろうと思っていました。
同じことは、そのあとフェミニズムやポストモダニズムにも感じたことです。今度は「はしなくも性差別意識を露呈し」とか「はしなくも植民地主義者の加害者意識に気づくこともなく」というふうに表現は変わりましたけれども、それでも「真に差別され、徹底的に疎外された人間だけがシステムを批判する権利を持つ(それ以外の人間はすべて無意識のうちに差別し、疎外する側に加担している)」ということになると、すてきに切れ味はいいテーゼではあるのですけれども、これもやっぱり、徹底すればするほど「世の中を少しでも住みやすくする」事業の仲間の頭数を減らす結果になる。
http://blog.tatsuru.com/2021/08/02_0935.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/300.html#c24
そういう「尖った言葉」が行き交っている。外から見ると、あるいはスマートで知的なやりとりが行われているように見えるのかも知れません。でも、僕はそういう言葉がいくら大量に行き交い、蓄積しても、それが日本人全体の集団としてのパフォーマンスが向上することには結びつかないと思います。
僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵を力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのもたいせつですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの』をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。
よく考えてみたら、それは僕がずいぶん昔からずっと言ってきたことでした。
若い頃は左翼の言葉づかいに対して、そのような不満を感じていました。「革命をめざす」といっている人たちがお互いに相手について「はしなくも階級意識の欠如を露呈し」とか「嗤うべきプチブル性」とかいう非難を投げ合っていたからです。正直言って、そんなことをいくらやっても得るところはほとんどないんじゃないかと思っていました。というのは、そうやって「革命闘争を担う資格を持つ人」の条件を厳しくすればするほど「革命の主体」の頭数は減るだけだからです。「世の中をよりよいものにしよう」と願う資格のある人間の条件を厳密化することによって、この人たちはどうやって世の中をよくする気なんだろうと思っていました。
同じことは、そのあとフェミニズムやポストモダニズムにも感じたことです。今度は「はしなくも性差別意識を露呈し」とか「はしなくも植民地主義者の加害者意識に気づくこともなく」というふうに表現は変わりましたけれども、それでも「真に差別され、徹底的に疎外された人間だけがシステムを批判する権利を持つ(それ以外の人間はすべて無意識のうちに差別し、疎外する側に加担している)」ということになると、すてきに切れ味はいいテーゼではあるのですけれども、これもやっぱり、徹底すればするほど「世の中を少しでも住みやすくする」事業の仲間の頭数を減らす結果になる。
http://blog.tatsuru.com/2021/08/02_0935.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/536.html#c5
日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…|
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/687.html
売国政治家列伝 _ 不破哲三
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/790.html
中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html
若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html
重信房子、北朝鮮、オウム真理教の深い関係
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/300.html
日本の左翼は今でも地道な政治活動を続けている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/744.html
左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/797.html
ロクでなしの左翼に大金を流して操るのは闇組織や外国勢力の常套手段
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/536.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/797.html#c7
そういう「尖った言葉」が行き交っている。外から見ると、あるいはスマートで知的なやりとりが行われているように見えるのかも知れません。でも、僕はそういう言葉がいくら大量に行き交い、蓄積しても、それが日本人全体の集団としてのパフォーマンスが向上することには結びつかないと思います。
僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵を力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのもたいせつですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの』をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。
よく考えてみたら、それは僕がずいぶん昔からずっと言ってきたことでした。
若い頃は左翼の言葉づかいに対して、そのような不満を感じていました。「革命をめざす」といっている人たちがお互いに相手について「はしなくも階級意識の欠如を露呈し」とか「嗤うべきプチブル性」とかいう非難を投げ合っていたからです。正直言って、そんなことをいくらやっても得るところはほとんどないんじゃないかと思っていました。というのは、そうやって「革命闘争を担う資格を持つ人」の条件を厳しくすればするほど「革命の主体」の頭数は減るだけだからです。「世の中をよりよいものにしよう」と願う資格のある人間の条件を厳密化することによって、この人たちはどうやって世の中をよくする気なんだろうと思っていました。
同じことは、そのあとフェミニズムやポストモダニズムにも感じたことです。今度は「はしなくも性差別意識を露呈し」とか「はしなくも植民地主義者の加害者意識に気づくこともなく」というふうに表現は変わりましたけれども、それでも「真に差別され、徹底的に疎外された人間だけがシステムを批判する権利を持つ(それ以外の人間はすべて無意識のうちに差別し、疎外する側に加担している)」ということになると、すてきに切れ味はいいテーゼではあるのですけれども、これもやっぱり、徹底すればするほど「世の中を少しでも住みやすくする」事業の仲間の頭数を減らす結果になる。
http://blog.tatsuru.com/2021/08/02_0935.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/797.html#c8
そういう「尖った言葉」が行き交っている。外から見ると、あるいはスマートで知的なやりとりが行われているように見えるのかも知れません。でも、僕はそういう言葉がいくら大量に行き交い、蓄積しても、それが日本人全体の集団としてのパフォーマンスが向上することには結びつかないと思います。
僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵を力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのもたいせつですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの』をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。
よく考えてみたら、それは僕がずいぶん昔からずっと言ってきたことでした。
若い頃は左翼の言葉づかいに対して、そのような不満を感じていました。「革命をめざす」といっている人たちがお互いに相手について「はしなくも階級意識の欠如を露呈し」とか「嗤うべきプチブル性」とかいう非難を投げ合っていたからです。正直言って、そんなことをいくらやっても得るところはほとんどないんじゃないかと思っていました。というのは、そうやって「革命闘争を担う資格を持つ人」の条件を厳しくすればするほど「革命の主体」の頭数は減るだけだからです。「世の中をよりよいものにしよう」と願う資格のある人間の条件を厳密化することによって、この人たちはどうやって世の中をよくする気なんだろうと思っていました。
同じことは、そのあとフェミニズムやポストモダニズムにも感じたことです。今度は「はしなくも性差別意識を露呈し」とか「はしなくも植民地主義者の加害者意識に気づくこともなく」というふうに表現は変わりましたけれども、それでも「真に差別され、徹底的に疎外された人間だけがシステムを批判する権利を持つ(それ以外の人間はすべて無意識のうちに差別し、疎外する側に加担している)」ということになると、すてきに切れ味はいいテーゼではあるのですけれども、これもやっぱり、徹底すればするほど「世の中を少しでも住みやすくする」事業の仲間の頭数を減らす結果になる。
http://blog.tatsuru.com/2021/08/02_0935.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/744.html#c7
都会では嫌な人とつきあわない生き方もできるが田舎では不可能
田舎暮らしにもストレス
米シカゴ大学の研究者らの論文によると、一般に考えられているより田舎はストレスが多く、都会のほうが健康に良い場合がある。
すべての人に当てはまる訳ではないが、大都会のほうが心の健康に良い場合がある。
発表された論文では都市の規模や構造物・道路などの「構築物環境」が抑うつ状態に与える影響を研究している。
大都会では一切他人と関わらず会話もしなくても、行きかう大勢の人を目にする事になる。
これが抑うつ症を予防する効果があり、逆に人が少ない場所に住むと誰も見かけない。
田舎に住んで親しい人が居たとしても、他の人を一日に1人も見かけないと心理的に不安を感じる。
人間は性格に関わらず社会的生き物なので、たとえ山の中に1人で住んでいても、社会や他人を感じようとする。
それが山頂にある神社や祠だったりし、誰もいなくてもそこに行くと神々や大勢の人を感じることが出来る。
都会では空虚な人間関係が問題視されるが、田舎でも空虚な関係や敵対的な関係になりえる。
人口100万人だったら近所の人と対立しても他の人と親しくすればいいが、人口2人だったらそうはいかない。
極端な過疎地ではある種の職業が1軒や1人しかいないのが普通で、商店やガス屋や大工もだいたい1軒しかない。
1軒しかないガス屋と敵対したら、もうその家はガスの配達をしてもらえず、オール電化にするかガスを使わない生活になる。
田舎のストレス
一軒しかない商店と支払いや品質で揉めたら、もうその店で買い物できなくなり30キロ離れたスーパーに行かなくてはならない。
こんな風に田舎は「あの人嫌いだからこの人」という訳にはいかず、ヘリ下って一生付き合わなくてはならない。
親戚や近所のつきあいもそうで、金を払えばなんでも売ってくれる都会のようにはいかない。
過疎地では親戚関係や長年の近所づきあいでサービスや交換していて、それがないと生活を維持できない。
降雪地では除雪車が通るのは広い道だけで、大通りまでの道は自力で除雪しなくてはならない。
いやでも隣近所との関係が生まれ、除雪をめぐる対立で事件になった例も多い。
野菜とかも物々交換やサービスとの交換で手に入るが、近所と親しくしないと村八分になりかねない。
このように過疎地で暮らすには我慢しなくてはならない事が多く、案外ストレスに晒される。
気晴らしをしようにもマックやスタバはなく、その辺でくつろいでいるとすぐ村中の噂になる。
都会では嫌な事は嫌だと言って拒絶できるし、替わりの人やサービスがいくらでもあるので選び放題です。
このように都会の方がストレスが少ない場合があり、すべての人に田舎暮らしが向くわけではない
http://www.thutmosev.com/archives/86476811.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/399.html#c2
都会では嫌な人とつきあわない生き方もできるが田舎では不可能
田舎暮らしにもストレス
米シカゴ大学の研究者らの論文によると、一般に考えられているより田舎はストレスが多く、都会のほうが健康に良い場合がある。
すべての人に当てはまる訳ではないが、大都会のほうが心の健康に良い場合がある。
発表された論文では都市の規模や構造物・道路などの「構築物環境」が抑うつ状態に与える影響を研究している。
大都会では一切他人と関わらず会話もしなくても、行きかう大勢の人を目にする事になる。
これが抑うつ症を予防する効果があり、逆に人が少ない場所に住むと誰も見かけない。
田舎に住んで親しい人が居たとしても、他の人を一日に1人も見かけないと心理的に不安を感じる。
人間は性格に関わらず社会的生き物なので、たとえ山の中に1人で住んでいても、社会や他人を感じようとする。
それが山頂にある神社や祠だったりし、誰もいなくてもそこに行くと神々や大勢の人を感じることが出来る。
都会では空虚な人間関係が問題視されるが、田舎でも空虚な関係や敵対的な関係になりえる。
人口100万人だったら近所の人と対立しても他の人と親しくすればいいが、人口2人だったらそうはいかない。
極端な過疎地ではある種の職業が1軒や1人しかいないのが普通で、商店やガス屋や大工もだいたい1軒しかない。
1軒しかないガス屋と敵対したら、もうその家はガスの配達をしてもらえず、オール電化にするかガスを使わない生活になる。
田舎のストレス
一軒しかない商店と支払いや品質で揉めたら、もうその店で買い物できなくなり30キロ離れたスーパーに行かなくてはならない。
こんな風に田舎は「あの人嫌いだからこの人」という訳にはいかず、ヘリ下って一生付き合わなくてはならない。
親戚や近所のつきあいもそうで、金を払えばなんでも売ってくれる都会のようにはいかない。
過疎地では親戚関係や長年の近所づきあいでサービスや交換していて、それがないと生活を維持できない。
降雪地では除雪車が通るのは広い道だけで、大通りまでの道は自力で除雪しなくてはならない。
いやでも隣近所との関係が生まれ、除雪をめぐる対立で事件になった例も多い。
野菜とかも物々交換やサービスとの交換で手に入るが、近所と親しくしないと村八分になりかねない。
このように過疎地で暮らすには我慢しなくてはならない事が多く、案外ストレスに晒される。
気晴らしをしようにもマックやスタバはなく、その辺でくつろいでいるとすぐ村中の噂になる。
都会では嫌な事は嫌だと言って拒絶できるし、替わりの人やサービスがいくらでもあるので選び放題です。
このように都会の方がストレスが少ない場合があり、すべての人に田舎暮らしが向くわけではない
http://www.thutmosev.com/archives/86476811.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/427.html#c14
Wilhelm Backhaus play Schumann "Des Abends" - "Warum?"
from Fantasiestucke Op. 12, No.1 and No. 3
Wilhelm Backhaus (March 26, 1884 -- July 5, 1969)
recorded Ossiach, 28 June 1969 (the last recital - encores)
Wilhelm Backhaus´ last solo recitals from June 26/28, 1969 / side 1
Wilhelm Backhaus´ last solo recitals from June 26/28, 1969 / Side 2
1969年6月26日と28日にオーストリアのケルンテン州オシアッハの修道院教会(シュティフト・キルヘ)の再建記念コンサートがバックハウス生涯最後のリサイタルとなりました。
26日のコンサートは無事終了しましたが、28日のコンサートでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番の第3楽章を弾いているときに心臓発作が起きて中断、彼は「気分が悪いので少し休ませてください」と言い残して、第4楽章を弾かずに舞台から控室へ戻りました。後半の曲目をシューマンの「幻想小曲集」から「夕べに」と「なぜに」に変更して再び休憩へ。控室では医師から演奏を止めるように強く勧められましたが、バックハウスはこれを退け、
「今夜の演奏会はシューベルトを弾いて終わりにしたい。」と。
そして再び舞台へと戻りました。シューベルトの即興曲 D935-2を弾き終えてステージを去ると、そのまま病院へ搬送されましたが意識を失い、1週間後の7月5日にオーストリア南部のフィラッハで亡くなりました。85歳でした。
それでは今日の曲です。バックハウスが最後の演奏会で、最後に弾いたというシューベルトの即興曲変イ長調 D935-2です。これが彼の生涯最後の演奏となりました。
シューベルト:4つの即興曲 D935より 第2曲 Allegretto (5分27秒)
/ ヴィルヘルム・バックハウス (Pf) (1969年6月28日 オシアッハでの演奏会)
最初にドイツ語で(司会の人?)ナレーションが入って、バックハウスが登場したときの拍手から入っています(演奏は4分30秒くらいまで)。私は彼のこのときの演奏を今回初めて聴きましたが、とても感動しました。4分過ぎからの最後の方の弱音のなんと美しいことか・・・
https://ameblo.jp/endless-sorrow628/entry-12609078001.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/370.html
三木慎一郎 2021年6月6日
昨年12月にアメリカ政府が三合会系組織「14K」を率いるマフィア尹国駒(マカオのボス)を制裁対象に指定したことをお忘れなく。北海道ニセコに近づくサンシティ周焯华との関係はここに書けないのでお察しください。
https://tr.twipple.jp/p/3d/207864.html
中国のマカオ犯罪集団「14k」が旭川の女子 小中学生を使って北海道の政治家や役人・教育者にハニートxップをかけていた理由
マカオ大手、ニセコ進出 リゾート開発に400億円 2021/6/4
【倶知安】マカオなどでカジノを運営する大手企業サンシティグループ(太陽城集団)が、後志管内倶知安町に大規模リゾートを開発することが3日分かった。同町ひらふ地区に取得した20ヘクタールの用地に、ホテル棟と70戸以上の別荘を2025年末までに建設する。総投資額は約400億円でニセコ地域でも有数の規模のリゾートになる見通し。国内外で新型コロナウイルスの感染拡大が続く中でも、ニセコ地域では中華系資本主体の開発が加速している。
サンシティグループは東京に設立した子会社を通じて、1月にリゾート建設用地を取得。9月までに着工する。ホテル棟は全65室の規模で、敷地内に物販や複数のレジャー施設を置く計画だが、カジノの関連施設は設けない。
進出先にニセコ地域を選んだ理由として「世界でも有数のスキーリゾートである」としたうえで、「新幹線および高速道路により、訪問時間が大幅に短縮される」とし、交通の利便性が高まる点もあげた。
サンシティグループはニセコ地域のほか沖縄県宮古島市でもリゾート開発を進めるなど、カジノ以外の施設の拡大を進めている。同社幹部のアルビン・チャウ氏が立ち上げた別の日本法人が和歌山県でカジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)の事業者選定に参加していたが、5月に入札を取り下げた。
ひらふ地区ではこのほか、香港系の不動産投資会社の卓越国際が、大型宿泊施設の開発を今月下旬から開始。「ニセコマウンテンビレッジ」開発事業として、ひらふ坂近くの約1ヘクタールの用地に6〜7階建てのコンドミニアム3棟と別荘15棟を建設する。
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街
今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です。
旭川 児童 売春・ハニートxップ帝国!
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇2021/3/26
旭川市東光の中学校教師・畔柳(くろやなぎ)健容疑者(46) 女子高生(17)こどもの日に買春
◇2020/12/2
旭川市立 東鷹栖中学校の教師、丸田文則容疑者(50) ツイッターで知り合った女性(17)買春
◇2020/1/15-
旭川市立永山南中学校の男性教諭(44)が7月に児童買春の容疑で逮捕されたのに続いて、この9月には東鷹栖中学校の男性教諭(50)も同様の容疑で逮捕。
◇2018/4/23
旭川市立北鎮小教諭進藤隆英容疑者(43)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕
◇2021/3/18
児童売春で懲戒免職など道教委4件処分】
【再犯】
◇2020/7/8
旭川市立東町小学校教諭、 片山育男容疑者(47) アルバイト少女(16)買春
◇買春に中3を派遣 鈴商=暴力団員を逮捕
旭川中央署は児童福祉法違反などの疑いで松本豊容疑者(43)と内縁の妻の北野恵美容疑者(29)暴力団員、無職石川斤三容疑者(62)同豊岡五ノ三、同、塗装工荒井孝司容疑者の四人を逮捕した
#173 2021/05/21 02:13
旭川という街は元々が🇯🇵陸軍と公認売春の『赤線』で発展した街 今も貧乏女子達は金持ちの性奴隷にされてるSEX街です
#52 2021/05/19 03:09
産業のない旭川では児童売春は重要な資金稼ぎ。
誰かが児童売春をすれば、その上がりで町全体にお金が回る。
旭川で生まれ育った低所得者の子は、中学入学後売春をするものだと思っていた。
旭川以外で育った子は、親を含めてそんなことは知らない。
被害者が9歳の頃から、お母さんの悪い噂を流し、被害者が中1になると同時に
性奴隷にすべく魔法が近づく。旭川の地元民は、如何によそ者から搾取するかが
重要な収入手段。被害者が自閉症であるから、おごらせるのも当然。
学校でいじめて、追い込んで、性的画像を手に入れて、売春を強要。
校長も教頭も担任も、旭川の人が生きていくための性奴隷を学校で
捕獲調教する必要があるので被害者を助けない。
警察も市役所もみんな性奴隷が必要。旭川全体で隠蔽した。おそらく
被害者以外にも、自殺した子はもともと旭川以外の人ではないだろうか。
つまり旭川の地元の人にとっては、地元で生まれ育った人以外は、搾取する相手。
よそ者いじめがきつい、とネット情報にある。よそ者いじめではなく追い込んで
痛めつけて性奴隷にしたり地元民のために搾取する相手がよそ者。
#27 2021/05/12 10:40
子どもの頃から自分を売って稼ぐのが当たり前だとして育ってたら
周囲もそうだったら何の疑問も持たずできてしまうでしょ
そういう環境が異常だという教育をしないといけないのに、教育者が率先してやってるというのがな
#31 2021/05/20 09:41
今回の旭川でクラス一番かわいい女の子を『自分たちの性の便所』ミッションの成功を物凄く喜ぶ人々多過ぎて怖いくらいです。
旭川では、クラスで一番かわいい女の子を集団で性的玩具にして遊ぶというのは『伝統』です
今はスマホが小学生から持ち歩いているのて
学校カースト上位の児童はカースト下位の女子児童を性的玩具にして みんなで共有して遊んでいます。
そして、一切罪として立憲されないという『成功体験』を旭川の住民は与えてしまいました。
これから街を歩く少しかわいい女子児童すべてターゲット
ワイセツ画像をとり
脅し、集団で暴行
性の奴隷として
動画をみんなで共有
かわいい女の子も
自分は汚れた
将来の楽しい夢や希望は無くなり
加害者の奴隷としてしか生きていけない
自覚し、将来を嘆き
あボーンする
旭川という女子児童を性の奴隷化するという『伝統』は日本のレジェンドとなっていきます。旭川は、児童 rape の『聖地』
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/697.html
Wagner: Die Walküre (Act 1), Knappertsbusch & VPO (1957)
Die Walküre: Act 1
(00:05) 01. Scene 1: Prelude
(03:53) 02. Scene 1: Wes Herd dies auch sei, hier muss ich rasten (Siegmund, Sieglinde)
(15:17) 03. Scene 2: Mud am Herd fand ich den Mann (Sieglinde, Hunding, Siegmund)
(20:35) 04. Scene 2: Friedmund darf ich nicht heissen (Siegmund, Hunding, Sieglinde)
(30:26) 05. Scene 2: Ich weiss ein wildes Geschlecht (Hunding)
(35:38) 06. Scene 3: Ein Schwert verhiess mir der Vater (Siegmund)
(41:10) 07. Scene 3: Schläfst du, Gast? (Sieglinde)
(42:14) 08. Scene 3: Der Männer Sippe sass hier im Saal (Sieglinde, Siegmund)
(47:49) 09. Scene 3: Winterstürme wichen dem Wonnemond (Siegmund)
(50:57) 10. Scene 3: Du bist der Lenz, nach dem ich verlangte (Sieglinde, Siegmund)
(58:42) 11. Scene 3: War Wälse dein Vater (Sieglinde)
(59:08) 12. Scene 3: Siegmund heiss' ich und Siegmund bin ich! (Siegmund, Sieglinde)
Sieglinde: Kirsten Malfrid Flagstad (1895-1962), Soprano
Siegmund: Set Karl Viktor Svanholm (1904-1964), Tenor
Hunding: Arnold van Mill (1921-1996), Bass
Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. 28-30 October 1957, at Sofiensaal, in Vienna [Decca]
Hans Knappertsbusch & Wiener Philharmoniker - Sonderkonzert of 1963 Wiener Festwochen (2nd Half)
Richard Wagner (1813-1883): Die Walküre - Act 1
Sieglinde: Claire Watson, soprano
Siegmund: Fritz Uhl, tenor
Hunding: Josef Greindl, bass
Wiener Philharmoniker
Hans Knappertsbusch
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/371.html
▲△▽▼
旭川・釧路は、アイヌの人たちを騙して和人が奪い取った地
そんな土地だから、ろくでもない悪人の子孫しか住んでいない
「知床日誌」 松浦武四郎
松浦の実見によれば、たとえば現在の釧路場所においては
「四十一人の番人三十六人まで土人の女(め)の子を奸奪して妾となし」といった状態であった。
彼らは情欲に任せてメノコを強姦し、思いのままにならぬ女は、その夫を遠い漁場に強制的に追いやり、
その留守に犯したりしたのである。犯されたアイヌメノコの多くは感染した梅毒に悩まされた。
また、これらの和人は、彼女たちが妊娠すると唐辛子やいぼたなどの煎じ薬を飲ませて堕胎させ、
生まれた子は「鯨針にて刺殺し、また膝の下に敷殺」(松浦武四郎『炉心余赤』)し、病気にかかれば山に棄てたりした。
こうやってできたのが旭川
江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属する松前藩領となっており、石狩十三場所の範囲に含まれた。天明6年2月、佐藤玄六郎は幕府に提出した蝦夷地調査の報告書(「蝦夷地之儀是迄見聞仕候趣申上候書付」『蝦夷地一件』二)で、
蝦夷地は穀物栽培を禁じており、上川郡域でアイヌが米作したところ、和人は籾・種を没収し償いさせた
と書いている
日本人の蛮行の原型が、このアイヌ民族浄化にある
▲△▽▼
とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化―日本人が自ら葬り去った異文化
アイヌ文化には三つの文化圏がある。すなわち「北海道」島に栄えた北海道アイヌ、樺太(ロシア領サハリン)島南部に栄えた樺太アイヌ、そして、中部千島・北千島(ロシア領クリール諸島)に栄えた千島アイヌである。
このなかで、千島アイヌはそのひとを含め、文化・言語は今日にまったく伝わらないのである。国際交渉の陰で、しかもきわめて平和裡に、日本人は地上から一つの文化を葬り去ったのである。
「1884年の日露両国間の協定によって、樺太はロシアに、千島列島は日本に帰することになった。その後、日本は総人口わずか九七人のものが群島の各地点に分散している極北の新しい国民の憐れな状態に憐憫の情をもよおし、彼らを絶滅から救うことを願った。そのため、彼ら全員を、はるかに豊で気候も温暖なシコタン島へ移住させた。ここは蝦夷の根室地方とクナシリ島の間にあり、千島列島の最南端に位置する。しかし、憐れな彼らにとってそこが楽園となったであろうか。否、無益であった…」(鳥居竜蔵『千島アイヌ』序)。
日露間で締結された「樺太千島交換条約」によって、樺太はロシアに割譲され、全千島列島が日本の版図となった。このとき、日本政府は先住民であるアイヌの人びとをも同時に自らの民に加えた。樺太アイヌは北海道に強制移住させられ、当初は樺太に程近い稚内のメグマに居住地が定められたが、じきに札幌近郊の対雁(ツイシカリ、現在の江別市内)に移された。
シムシュ島、ホロムシリ島などに住む千島アイヌが移された先が、鳥居の序文にあるシコタン島である。
このいずれもが、かれらがロシア人と通交をおこなって、結果的に日本に不利となる行為を働くことを危惧してのものであった。
明治36年の戦争の結果、樺太アイヌはそれでも故郷に帰りえた。しかし千島アイヌは、そこが日本領土であったにもかかわらず、帰ることはできなかった。望郷の想いにかられながらも、かれらは北海道とその付属島嶼(島々)のなかで、みずからの文化を放棄せざるを得なかった。今日、千島アイヌの文化を伝えるひとはただのひとりも存在しない。
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千島アイヌの強制移住
1884年(明治17年)に占守島や幌筵島、及び中部千島の羅処和島に居住していた千島アイヌの人々が色丹島に強制移住させられた。
これは根室から遠く離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与える恐れがあったことと、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて、殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、日本の領域を確定するにおいて危険な障害と感じられたためである。
移住した千島アイヌに対しては農地が与えられ、また牧畜や漁業も奨励されたが、元々が漁撈民であった彼らは慣れぬ農耕に疲弊し、多くが病に倒れ命を失った。
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色丹島移住後のクリル人
移住の年より漁船や漁網を与えて漁業に従事せしめ、また北千島時代に露人の指導に依って既に試みられていた牧牛と、新たに緬羊・豚・鶏の飼養が相当の計画のもとに始められ、農耕も指導奨励されたが、これらの組織化は彼らにとって未だ経験したことのない急速な生活上の変化であったため、適応は困難であった。農耕についてはやや望みがあるとみられたが、明治27年8月の水害による耕土の流失を機として殆ど廃止され、自家用の野菜を収穫する程度にとどまり、各種漁業も細々ながら唯一の生業として期待されたが、移住後の生活の安定した拠り所とするには至らなかった。
この間、明治18年より27年まで10カ年間撫育費が計上され、その後も更に期間が延長されて32年まで継続された。また、同年3月より新たに保護法が制定され、その中に特別科目が設けられて救恤事業(救済)が続行された。
強制移住による人口の減少
移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。
明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、
「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」
故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。
根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。
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北海道の和人のイジメ体質は今も昔も変わらないんだよ:
「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散……氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ”
旭川では町ぐるみで女子中学生に強制売春をさせている
https://www.youtube.com/watch?v=XfwJVgSsbUs
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/698.html
日本に強制連行され、過酷な状況の中労働させられていた中国人のお墓です。
彼らは日本人に強い怒りや憎しみを持ちながら亡くなっているので、特に日本人が軽い気持ちで肝試しに行くのは危険すぎます。
行ってはいけない‼多数の被害
また一部で、墓石にすがる霊や夜に行くと錯乱状態になるなどの話も実しやかに囁かれています。
ここまで見ると「よくあるパターン」と笑ってしまうかもしれません。しかし、軽い話で済まされません。
なぜ、中国人墓地に行ってはいけないのか、それは大きな事件を引き起こした事実があるからです。
▲△▽▼
戦時中、いわゆる1941年11月政府閣議決定にもとづき、中国人を日本国内に強制連行し135事業所で、強制労働にしいられ、多くの中国人がたえられぬ労働とリンチによって死にいたった。
1944年、東川のこの江卸事業所も例外ではなく、338名の中国人が連行され、遊水地工事のために苛酷な強制労働をしいられたのでございます。バラ線の張った高いヘイ、明かりのない窓、見張所が作られ、監獄部屋と同じになってしまったバラックの収容所。
うす氷のはりつめる初冬から真冬に近い季節というのに、ヨレヨレの夏の国防服一枚に、ワラで作ったツマゴグツをはき、ワラの手袋をつけ、忠別川の川底の石を素手でかき集めて運ぶ、手足が凍傷にかかり指がちぎれたり、くさったり、それでも奴れい的作業はつづいていました。
戦時中なので日本人の食糧が不足であったという事で、中国人には、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけ、しかもわずかな量でした。いつも空腹にたえなければならなかったのです。
しかも夏は午前6時より 日が暮れるまで、日本人監視のもとに一寸の休みも認められず、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていたのでございます。
残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみはじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。
▲△▽▼
今回は、過酷な労働から出来た遊水池について。
同じような池がこの他にもあり、それが中国人や朝鮮人を連れてきて掘らせたわけです。Tさんはこう話してくれました。
「真冬なんてかわいそうなもんだった。布で作った靴しか与えられなくてな、そんなの何回も土を運んでいるうちすぐ穴が開いてしまうわ。足の指真っ赤に腫らしてな、凍傷なんていうもんじゃない、半分腐っていたもんもいたさ。ずいぶん酷いことしたもんだ。見ていられんかったもんな」
「ずいぶん堤が高いしな、土は他の所へかなり運んだんだけれど、手が間に合わなくて土手に積み上げたんだ」
堤が高いということは、かなり深くまで掘った土を、掘った人間が上まで運んだということです。当たり前と思うかも知れませんが、現代のようにユンボがある訳もなくすべて手作業です。ましてや、鉄製のも使わせなかったと聞いています。と言うより、鉄が戦車や鉄砲を創るため、拠出させられていたので、鉄そのものが無かったのだと思います。
それだけを考えただけでも、どれほど重労働だったか推し量れます。
ここまで酷いことをするのか、人間は出来るのかとーー
国が違う国を支配する。そうするとこういうことが、何の躊躇もなく行なわれてしまうのかと考えてしまいます。Tさんの話を続けます。
「冬になっても足には草鞋しかはかせないで、素足のままだ。凍傷になって足は真っ赤に腫れ上がっていた。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ。可哀そうにな」
「戦争が始まった頃、道路拡張の工事があってだいぶん進んでいた頃なんだわ、こっちの方がもっと悲惨だったんじゃないかな」と話します。
「強制労働者は、天秤棒を担がされて、その両端には砂袋だ。それに掘り起こした土を詰め込んで運ばされていたんだ。一日に何回も往復させられていたさ。それを続けて何日もやらされるもんだから、肩は真っ赤に腫上がって水脹(ぶく)れになっていた」
「そりゃ毎日だからな、水脹れが破れて中の肉がでてきてただれてしまっていた。そりゃ酷いもんだったさ。それでも天秤棒を担がされてな、血がたれていたよな」
そこでも、日本の軍人はただ命令するだけで、誰一人として助けようとはしなかったのですか、と聞くと、「それどころか、その赤く腫れあがったところに、煮えきった油をかけていたのさ。酷いなんちゅうものじゃなかった。そうしたほうが、その水脹れが早く治るっていうんだと言ってな」
彼らは、その繰り返しだったらしいのです。当然長くは続けることは困難でした。
「菌が入ったらもうおしまいだ。そうなったら長くはもたんな。当然死ぬよ。死んだら穴を掘って捨てるように埋めていた。まったく酷いことをしたもんだ」。 T さんは「可哀そうにな」と、今でも思い出さない日はないと言います。
▲△▽▼
遊水池づくりの作業は、スコップ、ツルハシで平地を二メートル掘り下げた。土や石はモッコに入れ、二人でかつぎ上げた。土を掘るのも、モッコをかつぐのも重労働だった。疲れているうえにろくな食事もとっていないので、ちょっと休んだり、モッコをかついで転んだりすると、八番線ぐらいの太い針金で殴りつけた。
遊水池を掘る工事のほかに、池に水を出し入れする入水溝と排水溝をつくる仕事もあった。土が崩れないように斜面に蛇籠を並べたが、蛇籠につめる石は忠別川に入って集めた。すでに冬が訪れ積雪も深くなった季節に、ワラで編んだワラジで川に入り、素手で石を拾って川岸に運んだ。寒さで手がしびれ、石を落としたりした。中国人の五人がひと組になり、日本人指導員や警察の監視のもとで働いた。石をそりに積んで運び蛇籠につめたが、全身水びたしになって震えながら働いた。
冬は寒さが厳しいうえに重労働で、しかも食糧が少ないので、次々と死んでいった。少しでも生きのびようと、逃走する人が多くでた。六人が集団逃走した時は、地崎組の幹部や警察、村の警防団も駆り出されて翌日に捕らわれた。宿舎の庭に座らされ、「警官が彼らの首をしめて仮死させる。するとカツを入れて蘇生させるのだった。これが何回となく繰り返された。六人共青い鼻汁を出して死んだようになっていた」(佐藤幸子)と目撃した人は語っている。十代の時のことを思い出すと、いまも胸がつまって涙がこぼれるという。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/699.html
Wagner: Die Walkure: The Ride Of The Valkyries
℗ 1953 Decca Music Group Limited
Hans Knappertsbusch
Wiener Philharmoniker
Die Walkure, Act III: Ride of the Valkyries
Berlin Philharmonic Orchestra
℗ 1928 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin
Wagner: Wotan's Farewell - George London; Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1958)
GEORGE LONDON, bass-baritone
Wiener Philharmoniker
HANS KNAPPERTSBUSCH, conductor
Rec. 9-11 June 1958, at Sofiensaal, in Vienna
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/373.html
ゲリラ豪雨に、巨大台風に、大地震。多くの日本人はあまり意識していないが、多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある。財源不足や少子高齢化による人口減が加速している地方で大災害が起きたら、復旧されるよりも見捨てられる地区がどんどん増えていく。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
豪雨や台風や地震があれば、禿げ山が大きく崩れていく
日本では静岡県熱海市伊豆山で発生した土石流で凄まじい被害に見舞われている。大量の土砂が家屋を飲み込み、押し流し、行方不明者も数十人がいまだに発見されていない。
この土石流の要因は「盛り土」にあると言われているが、この盛り土のすぐ側にはメガソーラーが設置されている。
今の日本はあちこちの山の木を伐採して禿げ山にして太陽光発電を設置しており、それが壮大な面積を占める「メガソーラー」となっているのだが、日本人なら誰もが知っているように、山の木を伐採したら山に保水能力が喪失して山崩れ、土石流被害が起きやすくなる。
今後、異常気象はますます激甚化していくというのは分かりきっているのに、わざわざ山を切り崩して環境破壊して太陽光発電を設置するのは、「金のことしか考えていない」と言っても過言ではない。
こうした太陽光発電を促進したのが2009年から2012年まで日本を悪夢のどん底に突き落としていた民主党政権なのだが、自民党もこれを放置していたのだから共犯と言っても差し支えない。
政治の無策が日本の国土を脆弱化させている。
いずれにしても、すでに日本のあちこちで木が広範囲に渡って伐採され、山が削られ、メガソーラーが設置されているわけで、今後も豪雨や台風や地震があれば山が大きく崩れて麓にいる人々に被害をもたらすことになる。
自然を破壊すれば、自然に復讐される。目の前で起きているのはそういうことだ。
異常気象が年々ひどくなって、日本の環境を破壊していく
異常気象が年々ひどくなっているというのは、今に始まったことではない。そして災害が巨大化・凶悪化しているのも今に始まったことではない。
今、カナダでは異常熱波が襲いかかっていて、場所によると49.6度を観測している。通常は25度くらいの場所がその2倍の50度近くなのだから、まさに「異常気象」と言っても過言ではない。
しかし、もう世界中であらゆる異常気象、巨大災害が続発しても、もう誰も驚かない情勢である。それもそうだ。異常気象が常態化してしまっているので、珍しくなくなったのである。
たとえば、日本はすでに熱帯化している。
最高気温が35度以上は「猛暑日」と呼ぶのだが、最近は35度どころか、40度を超えるような日がいくらでも観測されるようになった。時には「東南アジアよりも暑い」と言われる日すらもある。
熱帯と言えばスコールだが、猛暑日が続発する今の日本を悩ましているのが「ゲリラ豪雨」だ。ゲリラ豪雨が発生すること自体が、日本が熱帯化していることを意味している。
しかし、日本には季節がある。灼熱の夏が終わると、秋が来て冬が訪れる。では冬は暖かいのかと言えば、それがまるっきり逆で過去に経験したことのないような厳寒になる。今まで想定もしていなかった豪雪で身動きが取れなくなる。
なぜ、こんなことになっているのか。
以前から言われているのが「地球温暖化」なのだが、その理由は人間の自然破壊なのか、それとも自然環境の変化なのかはともかく、「何らかの理由」で海面温度が上がっているのは間違いない。
西暦2030年から40年の間には起こる南海トラフ大地震
2021年2月26日。南極の棚氷から氷山が分離という事態が起きていたのだが、南極の棚氷、氷山が次々と分離するという事態が進行している。環境の変化が進んでおり、それが今までの自然とは違う環境を生み出している。
海面の温度が上がると、温められた海面から大量の蒸気が上がる。それがどこかの段階で常軌を逸する豪雨や台風やハリケーンやサイクロンや豪雪となって降り注ぐ。温暖化が止まっていない以上、災害がどこまでも巨大化していくのは避けられない時代に入っているのだ。
自然災害はそれだけではない。私が最も憂慮しているのは「次の巨大地震」のことである。日本は4枚のプレートが重なり合っている真上に位置している国であり、世界でも類を見ないほどの地震大国である。
今年は日本に壊滅的なダメージを与えた東日本大震災から10年経つ。東日本大震災の爪痕は今もあちこちに残されているのだが、日本人は誰もこれが「最後の巨大地震」であるとは思っていない。
30年以内には70〜80%の確率で、推定死者最大32万人になる「南海トラフ大地震」さえも起きることが「予測」されている。
南海トラフ大地震は言って見れば「西日本大震災」である。専門家は「西暦2030年から40年の間には確実に起こる」とも言っているほどだ。
具体的な時期はともかく、日本は間違いなく巨大災害の犠牲国と化す。「南海トラフ大地震」でなくても、それに近いような大きな地震も必ず発生する。想定していない場所で、甚大な被害が発生するだろう。
別にこれは予言でも何でもない。日本というのは世界で最も災害が起きやすい土壌に構築された国家なのである。
災害に見舞われたら再生不可能になる地方が続出する
多くの日本人はあまり意識していないが、多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある。
1990年以後、日本はバブル崩壊と次々と上がっていく消費税と長々と続く緊縮財政のせいで国民の貧困化が加速してしまい、それに起因する少子高齢化も世界最悪のペースで進んでいる。
人口減は地方の共同体を壊し、莫大な過疎地と限界集落と消滅集落を生み出す。2015年4月から2019年4月までの4年間で住民がゼロになって消滅した集落は全国で164集落だったが、今後は3622集落が消滅すると総務省は2020年にデータを出している。
財源不足や少子高齢化による人口減が加速している地方で大災害が起きたら、復旧されるよりも見捨てられる地区がどんどん増えていく。
現に2017年に福岡と大分両県をまたがって発生した「九州北部豪雨」では4年経っても復興は終わっておらず、もう住民が戻ってこない。戻るどころか「出て行っている」のである。
政府も自治体も財源が無限にあるわけではない。少子高齢化によって税収が減っている上に高齢者にかける社会保障費が膨れ上がっている。
そんな中で災害の起きた場所が過疎か過疎に近い地区だった場合、もはや建物や壊れたインフラの復旧ができなくなって見捨てられるのだ。
つまり、人口の少ない地方、交通の便の悪い地方は、いったんインフラが破壊されるような災害に見舞われたら、再生不可能になる危険が高まる。限界集落などは被災した時点で、地域ごと捨てられることになる。
「少子高齢化」解消が不可欠。地方再生の道はこれしかない
少子高齢化と増え続ける災害は、地方の崩壊と荒廃をもたらす危険性はかつてないほど高まっている。
政治家は、空虚な言葉で「地方の再生」を叫ぶが、本当の意味で地方の再生を成し遂げたいのであれば、20年計画で少子高齢化の解決のために全精力を傾けることであると気付く必要がある。
根本に少子高齢化対策があって、そこに「地方の再生」や「国土強靭化」を絡めなければ日本には未来がない。このままでは、災害が起きるたびに地方は死んでいく。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1016.html
ゲリラ豪雨に、巨大台風に、大地震。多くの日本人はあまり意識していないが、多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある。財源不足や少子高齢化による人口減が加速している地方で大災害が起きたら、復旧されるよりも見捨てられる地区がどんどん増えていく。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
豪雨や台風や地震があれば、禿げ山が大きく崩れていく
日本では静岡県熱海市伊豆山で発生した土石流で凄まじい被害に見舞われている。大量の土砂が家屋を飲み込み、押し流し、行方不明者も数十人がいまだに発見されていない。
この土石流の要因は「盛り土」にあると言われているが、この盛り土のすぐ側にはメガソーラーが設置されている。
今の日本はあちこちの山の木を伐採して禿げ山にして太陽光発電を設置しており、それが壮大な面積を占める「メガソーラー」となっているのだが、日本人なら誰もが知っているように、山の木を伐採したら山に保水能力が喪失して山崩れ、土石流被害が起きやすくなる。
今後、異常気象はますます激甚化していくというのは分かりきっているのに、わざわざ山を切り崩して環境破壊して太陽光発電を設置するのは、「金のことしか考えていない」と言っても過言ではない。
こうした太陽光発電を促進したのが2009年から2012年まで日本を悪夢のどん底に突き落としていた民主党政権なのだが、自民党もこれを放置していたのだから共犯と言っても差し支えない。
政治の無策が日本の国土を脆弱化させている。
いずれにしても、すでに日本のあちこちで木が広範囲に渡って伐採され、山が削られ、メガソーラーが設置されているわけで、今後も豪雨や台風や地震があれば山が大きく崩れて麓にいる人々に被害をもたらすことになる。
自然を破壊すれば、自然に復讐される。目の前で起きているのはそういうことだ。
異常気象が年々ひどくなって、日本の環境を破壊していく
異常気象が年々ひどくなっているというのは、今に始まったことではない。そして災害が巨大化・凶悪化しているのも今に始まったことではない。
今、カナダでは異常熱波が襲いかかっていて、場所によると49.6度を観測している。通常は25度くらいの場所がその2倍の50度近くなのだから、まさに「異常気象」と言っても過言ではない。
しかし、もう世界中であらゆる異常気象、巨大災害が続発しても、もう誰も驚かない情勢である。それもそうだ。異常気象が常態化してしまっているので、珍しくなくなったのである。
たとえば、日本はすでに熱帯化している。
最高気温が35度以上は「猛暑日」と呼ぶのだが、最近は35度どころか、40度を超えるような日がいくらでも観測されるようになった。時には「東南アジアよりも暑い」と言われる日すらもある。
熱帯と言えばスコールだが、猛暑日が続発する今の日本を悩ましているのが「ゲリラ豪雨」だ。ゲリラ豪雨が発生すること自体が、日本が熱帯化していることを意味している。
しかし、日本には季節がある。灼熱の夏が終わると、秋が来て冬が訪れる。では冬は暖かいのかと言えば、それがまるっきり逆で過去に経験したことのないような厳寒になる。今まで想定もしていなかった豪雪で身動きが取れなくなる。
なぜ、こんなことになっているのか。
以前から言われているのが「地球温暖化」なのだが、その理由は人間の自然破壊なのか、それとも自然環境の変化なのかはともかく、「何らかの理由」で海面温度が上がっているのは間違いない。
西暦2030年から40年の間には起こる南海トラフ大地震
2021年2月26日。南極の棚氷から氷山が分離という事態が起きていたのだが、南極の棚氷、氷山が次々と分離するという事態が進行している。環境の変化が進んでおり、それが今までの自然とは違う環境を生み出している。
海面の温度が上がると、温められた海面から大量の蒸気が上がる。それがどこかの段階で常軌を逸する豪雨や台風やハリケーンやサイクロンや豪雪となって降り注ぐ。温暖化が止まっていない以上、災害がどこまでも巨大化していくのは避けられない時代に入っているのだ。
自然災害はそれだけではない。私が最も憂慮しているのは「次の巨大地震」のことである。日本は4枚のプレートが重なり合っている真上に位置している国であり、世界でも類を見ないほどの地震大国である。
今年は日本に壊滅的なダメージを与えた東日本大震災から10年経つ。東日本大震災の爪痕は今もあちこちに残されているのだが、日本人は誰もこれが「最後の巨大地震」であるとは思っていない。
30年以内には70〜80%の確率で、推定死者最大32万人になる「南海トラフ大地震」さえも起きることが「予測」されている。
南海トラフ大地震は言って見れば「西日本大震災」である。専門家は「西暦2030年から40年の間には確実に起こる」とも言っているほどだ。
具体的な時期はともかく、日本は間違いなく巨大災害の犠牲国と化す。「南海トラフ大地震」でなくても、それに近いような大きな地震も必ず発生する。想定していない場所で、甚大な被害が発生するだろう。
別にこれは予言でも何でもない。日本というのは世界で最も災害が起きやすい土壌に構築された国家なのである。
災害に見舞われたら再生不可能になる地方が続出する
多くの日本人はあまり意識していないが、多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある。
1990年以後、日本はバブル崩壊と次々と上がっていく消費税と長々と続く緊縮財政のせいで国民の貧困化が加速してしまい、それに起因する少子高齢化も世界最悪のペースで進んでいる。
人口減は地方の共同体を壊し、莫大な過疎地と限界集落と消滅集落を生み出す。2015年4月から2019年4月までの4年間で住民がゼロになって消滅した集落は全国で164集落だったが、今後は3622集落が消滅すると総務省は2020年にデータを出している。
財源不足や少子高齢化による人口減が加速している地方で大災害が起きたら、復旧されるよりも見捨てられる地区がどんどん増えていく。
現に2017年に福岡と大分両県をまたがって発生した「九州北部豪雨」では4年経っても復興は終わっておらず、もう住民が戻ってこない。戻るどころか「出て行っている」のである。
政府も自治体も財源が無限にあるわけではない。少子高齢化によって税収が減っている上に高齢者にかける社会保障費が膨れ上がっている。
そんな中で災害の起きた場所が過疎か過疎に近い地区だった場合、もはや建物や壊れたインフラの復旧ができなくなって見捨てられるのだ。
つまり、人口の少ない地方、交通の便の悪い地方は、いったんインフラが破壊されるような災害に見舞われたら、再生不可能になる危険が高まる。限界集落などは被災した時点で、地域ごと捨てられることになる。
「少子高齢化」解消が不可欠。地方再生の道はこれしかない
少子高齢化と増え続ける災害は、地方の崩壊と荒廃をもたらす危険性はかつてないほど高まっている。
政治家は、空虚な言葉で「地方の再生」を叫ぶが、本当の意味で地方の再生を成し遂げたいのであれば、20年計画で少子高齢化の解決のために全精力を傾けることであると気付く必要がある。
根本に少子高齢化対策があって、そこに「地方の再生」や「国土強靭化」を絡めなければ日本には未来がない。このままでは、災害が起きるたびに地方は死んでいく。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c607
映画『Workers被災地に起つ』神戸・元町映画館でのアフタートーク - 内田樹の研究室 2020-03-02
http://blog.tatsuru.com/2020/03/02_0912.html
21世紀の日本はこれから急激な人口減と高齢化局面を迎えます。予測では、21世紀末の日本の人口は上位推計で6450万人、中位推計で4950万人、最少では3800万人となります。今1億2700万人ですから、中位推計でも7000万人減る。
人口減は世界中で進行しています。日本が高齢化では世界一ですが、欧米もアジアもすぐ後に続いています。韓国も少子高齢化局面に入りましたし、中国は「一人っ子政策」のせいで、このあと劇的な人口減局面に入ります。15億人でピークアウトした後に世紀末には7億人に半減すると予測されています。これほどの人口減を人類は経験したことがありません。だから、何が起こるかわからない。
今の社会システムはすべて「右肩上がり」の経済成長を前提にしています。人口減局面を生き延びるためには選択肢は2つしかありません。
一つは都市一極集中。今の日本の政官財が考えているのはこれです。すべての資源と人口を首都圏の狭い範囲に集める。人口が減っただけ集住する地域を狭くする。そうすれば、仮に人口が半減しても、都市の風景は今と変わりません。その代わり首都圏の外には無住の地が広がることになる。無住の地には交通や通信や上下水道のようなインフラを整備する必要がありません。行政コストは限りなく抑制できる。「人を狭いところに集める」、今政府が考えている人口減対策はそれだけです。小泉進次郎環境大臣が先日語った「もう人口減少、嘆くのやめませんか」と言うのは、具体的にはこのことです。
シンガポールは人口560万人、面積720平方キロ。人口は日本の4%、国土は日本の0.2%しかありませんが、一人当たりGDPは世界8位で、26位の日本の1.6倍です。土地もない、自然資源もない、食糧も飲料水さえ自給できないシンガポールがこれだけ繁栄しているのは「経済成長」が国是だからです。それだけではありません。シンガポールは建国以来一党独裁で、治安維持法があって令状なしに反政府的な人物を逮捕拘禁できて、反政府メディアも労働運動も学生運動も存在しません。この国がおそらく今の政権にとっての「人口減局面でのモデル」だと思います。
行政コスト削減のために、首都圏以外を無住の地にするというのが基本構想ですから、東日本大震災の復興が進まないのも当然です。「ねまれや」の女性に行政が告げたように、「人口が減っていく地域に、そんな施設など作ってどうするのか?」ということです。
政府は東京オリンピックを「復興五輪」などと言っていますが、隠された目的は東京にすべての資源を集中させて、地方を枯渇させることです。政府は東北の復興に予算を使う気はないし、福島の原発の除染も本格的にやる気はありません。「どうせいずれ誰も住まなくなる土地なんだから、そんなところを『人が住めるようにする』のはまるで無駄だ」と思っているからです。
地方の無住化・日本のシンガポール化しか政府に策はありません。たしかに人口減局面でなお経済成長しようという無理なことを実現するならシンガポールモデル以外に選択肢はないのです。でも、政府や財界は彼らが「シンガポール化」をめざしていることを決して公言しません。東北復興や福島の除染をだらだら進めているうちに、東北の人口が減ってゆく。やがて「人が減ってゆく地域に予算を投じるのは金をドブに棄てるようなにものだ」という世論が形成されるのを待っているのです。でも、今それを言ったら地方の選挙区では自民党に入れる有権者はいなくなる。あっとうまに政権は倒壊する。だから、その方向に政策を着々と手を打ちながら、自分たちが何を目指しているのかについては口を噤んでいる。
でも、もうひとつのシナリオがあります。それは「経済成長をもう目指さない」ということです。そらなら東京への資源一極集中の必要はありません。むしろ、地方に離散する。
今、若い人たちが地方に移住して、第一次産業に就く動きが出てきました。こちらの方が生活の質を考えたら、明らかにアドバンテージがある。東京一極集中ということになると、生業の選択肢は資本を持たない若者には賃労働以外にはありません。定型的な賃労働と定型的な消費生活を強いられる。快適で文化な生活を維持しようと思うならむしろ地方にチャンスがある。そのことを直感しているからこそ若者たちの地方移住が続いているのだと思います。
今、僕たちは人類の文明史的転換点に来ています。僕の周りでも、若い人たちがどんどん地方移住を始めて、農業林業のような第一次産業に就いたり、本屋やカフェを営んだり、図書館を開いたり、出版社を立ち上げたり・・・いろいろな仕事を始めています。
日本には温帯モンスーンの豊かな風土があり、植物相も動物相も多様だし、温泉やスキー場などの観光資源も豊かだし、食文化も芸能も世界的レベルですし、教育も医療も高水準です。経済成長にこだわらずに、この豊かな資源を活用する仕方に知恵を使うべきだと僕は思います。
この映画は、林業を営む限界集落の再生という話も取り扱っています。鱒淵という中山間地に、年間2世帯ずつ人が戻ってくれば、人口は定常化するという話が出てきます。この「定常化」ということがこれから先の地方再生の基本になると思います。もう右肩上がりで人口が増えたり、右肩上がりで経済成長することはあり得ないのです。それでも定常的な経済活動を維持することはできます。
定常経済というのは新規の需要が発生せず、買い替え需要しかない経済のことです。だから、投機的に株を買っても儲からない。それじゃ意味がないと思う人がいるかも知れませんけれども、それでも出資する人はいるはずです。その商品やサービスが安定的に供給されることそれ自体を「配当」として受け取る人たちが株を買う。自分が出資することで「必要なものが、必要な場所で、必要なときに手に入る」のならそれ以上は求めないという人たちが経済活動を動かしている限り、経済成長の必要はありません。
今日本の政官財は東京一極集中プランにはっきり舵を切りました。日本の農業や林業も切捨てるつもりです。しかし、多くの国民は、故郷が無住の地になり、地方が切り捨てられるというシナリオの現実性にまだ気が付いていません。この流れに抗して、もう一度地方を住みやすい場所、住み甲斐のある場所にしてゆくことが、これからのわれわれの仕事だと思います。
http://blog.tatsuru.com/2020/03/02_0912.html
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2020年3月2日
【三橋貴明】店じまい国家の断末魔
https://38news.jp/economy/15441
店じまい国家の成れの果て
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578317719.html
安倍政権の朝令暮改と臨終
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578536890.html
グローバリズムのトリニティ(緊縮財政、規制緩和、自由貿易)を究極まで推し進め、政府を限りなく「小さく」することを「国家の店じまい」と呼んでいます。
元々、「国家の店じまい」とは、佐藤健志先生が紹介された、達増拓也岩手県知事のツイートが元ネタです。
達増拓也 TASSO 幸福を守り育てる希望郷いわて
@tassotakuya 2016年3月24日
経済は市場にまかせ、民生は地方にまかせ、国家が店じまいするように、人口減少で地方が末端から消滅するのが必然とばかり、大震災を奇貨として地方消滅の加速を図ろうというのは良くない。
https://twitter.com/tassotakuya/status/712980527293140992
達増知事は地方交付税交付金などを減らし、地方の衰退を加速している安倍政権について「国家が店じまいするように」と表現されていますが、国家の店じまいは地方行政に限りません。
そもそも、グローバリズムという「小さな政府」を目指す政策は、国家の店じまいなのです。
国家の店じまいは、様々な分野に及んでいますが、今回のCOVID−19感染症の襲来で明らかになったのは、日本国民の公衆衛生、健康促進が役割の厚生労働省、医療サービスまでもが、国家の店じまいを進めていたという衝撃的な事実になります。
【日本国内の保健所数(合計)】
http://mtdata.jp/data_68.html#hokenjo
【日本の病院病床数の推移】
http://mtdata.jp/data_68.html#bed
日本政府は(第二次安倍政権発足前から)全国の保健所を次々に閉鎖していきました。
さらに、病院の病床数も削減。
安倍総理大臣は2019年10月28日、経済財政諮問会議において、
「持続可能な地域医療体制を構築するため」
とのお題目で、病院の統廃合(=削減)や「過剰な」ベッド数の削減などを進めるよう関係閣僚に指示しています。
ただでさえ減っている病床数を、さらに減らせ、と。
もっとも、何しろ日本政府の政策のコンセプトは「国家の店じまい」でございますので、非常事態に国民を救う可能性がある医療サービスなど「ムダ」という話でございますよ。
閉店作業中の店舗が、客からの要望を受けますか?
新たな仕入れや什器のために支出しますか。
するわけないでしょ。
というわけで、特に「非常事態への備え」を中心にカットし、国家の店じまいを続けてきた日本政府が、実際に非常事態が到来した途端に大混乱に陥っています。
安倍政権は、間もなく終幕です。
問題は、むしろ「安倍政権の後」になります。
何しろ、グローバリズムのトリニティ、国家の店じまいが続く限り、誰が政権を
担おうとも、我々国民の「豊かで安全な生活」は実現しないのです。
というわけで、日本国民は現在の非常事態が「なぜ、ここまで深刻化したのか?」について理由を正しく知らなければなりません。
そもそも、国家の店じまい、小さな政府化という日本政府のグローバリズム推進は、初めから非常事態に対応不可能なのです。
その上で、次の政権において、グローバリズム路線を「ピボット(転換)」させる。小手先の変更ではダメです。
政権の基本コンセプトからのピボットが必要なのです。
すなわち、令和の政策ピボットです。
令和の政策ピボットを実現するためには、現在の日本の絶望、店じまい国家の断末魔をしっかりと見届ける必要があります。
少なくとも日本において、希望は絶望の先にしかないのです。
https://38news.jp/economy/15441
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1016.html#c1
画像引用:「移住しやすい地域ランキング」1位に選ばれたのは人口約3000人の小さな町だった!|@DIME アットダイムhttps://dime.jp/genre/797172/
限界集落に住むべきではない
移住先の人気ランキングでは毎回長野県が1位で2位以下も富山、新潟、北海道などが続きます。
住んでみたい街というアンケートでは高級住宅地が上位だったりするが、両極端の傾向です。
おそらく高級住宅地はもしお金があったら住んでみたい街で、現実の移住先ではないでしょう。
他には郊外のベッドタウンとか、市街地よりも自然が豊かなチョイ田舎な場所が選ばれる傾向がある。
日本人の9割は都市部に住んでいるので、多くの人は混雑した場所で狭い家や部屋に住んでいる。
憧れの対象になるのは一戸建ての広い家で、自然環境に恵まれた郊外や田舎になるのでしょう。
だが郊外のチョイ田舎は良いとしても長野や富山や北海道の田舎に移住するのは現実的でしょうか?
政府の統計によると2050年には日本の町や村のほとんどは人口が減少し自治体消滅するそうです。
日本創生会議によると西暦2040年までに896の自治体が消滅し、村や「字」や郷がつくような場所は人口ゼロになります。
人口が少なくなると住みたくても住み続けることができなくなり、移住者は絶対に現れません。
電気や水道やごみ収集、道路整備や災害防止など生活に必要な自治体サービスが行われなくなるからです。
山から水を引いてきて電気はなくて良いという人以外は、日本のほとんどの村で生活不可能になります。
40年後も存在する街
そこまで行かなくても例えば田舎にはプロパンガスしかなく料金は都市ガスの2倍、水道料金やガス料金も都会の2倍です。
大きな病院には車で1時間かかり、コンビニやスーパーも車で30分はかかるでしょう。
車を運転できるうちは良いが、年を取るといずれ運転が不自由になる。
憧れで田舎に移住しても先行きの展望がないと、どんどん不自由になり後悔する事になります。
移住した先で残りの人生を過ごし、子供も住むかも知れないので、移住先の40年後まで予想しなくてはならない。
その町や地域が将来栄えるかどうかは自然な地形で決まり、例えば東京は周囲の地方都市の扇の要のような要衝に位置します。
だから家康は江戸に拠点を構え、秀吉は大阪に大阪城をつくり、東京と大阪は今も栄えています。
都市は発展するべき場所につくられたから発展したので、信長のように山の中に「ニュータウン」を作ってもだめです。
発展する場所には必ず川が流れて平野があり、いくつかの川が合流する地点にある筈です。
道は川沿いにあり、複数の川が合流する場所は四方八方の道が合流する地点になっています。
地方の主要都市は必ずこういう場所にある筈で、そうした町は50年後も栄えているでしょう。
地形が悪い場所を無理やり開発したとしても、最初は栄えるが2世代ほどでゴーストタウンになります。
移住先は憧れや夢よりも、地図を見て「発展するべくして発展した」街を選んだ方が良いです。
http://www.thutmosev.com/archives/82327606.html
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2020年02月02日
ダム拒否した集落は消滅、受け入れた集落は存続
ダム候補地になる集落は、ダムができなくとも住民が逃げ出して消滅します
ダム拒否した集落から消滅した
今から10年前くらいまでダム建設反対を唱える「反ダム運動」や大型モール反対を唱える「反大型店」が大ブームでした。
現在は反原発や反米軍基地がブームですが、過去のブームを知れば将来が予測できるかも知れません。
反ダム運動とはダム建設を推進しようとした政府に、故郷の村が消えるとして各地で反対運動が起きました。
ダム建設にはきっかけがあり、1959年伊勢湾台風は死者5千名以上、浸水や流された家屋は数数万戸に達した。
東日本大震災の死者は約1万5,700人だったが、連続台風によって巨大地震並みの被害が出た。
1950年代から60年代は大型台風の被害が多発し、1961年の第2室戸台風でも200名以上の死者を出しました。
台風は地震より局地的な被害は少ないが、日本列島を縦断するので沖縄から東北、北海道まで被害が及んだ。
被害が拡大したのは戦争とGHQ統治で災害防止工事が止まっていたからで、ダムなどの建設工事をする機運が高まった。
こうしたタイミングで登場したのが「土建屋宰相」の田中角栄で、並外れた才能を示し1972年総理大臣になった。
田中は総理になる前と総理を辞任後も強い影響力があったので、60年代後半から87年の中曽根内閣までが実際の田中時代だった。
田中角栄は日本列島改造を唱えて大規模公共事業を行い、その一つがダム建設でした。
上越・東北・九州・北陸新幹線や地方の高速道路は全て田中角栄が指示して建設したもので、田中が居なかったらこれらは無かった。
ダムを受け入れた集落には膨大な投資が行われ、電力や水資源保護、防災、観光などの職場が産まれた
画像引用:https://www.shiibakanko.jp/wp-content/uploads/2018/03/1265589203-640x333.jpg
ダム受け入れた集落は存続
時代は替わり90年代になると「公共事業悪玉論」が台頭し、日本が悪いのはすべて公共事業のせいだという空気になった。
空気に正体はないが、マスコミや学者がみんなそう言うので日本ではあらゆる公共事業が批判され工事停止した。
高速道路も新幹線も原発も港湾も空港も新規建設は行わなくなり、当然の結果として日本経済は衰退した。
日本中のダム建設も中止されたが、最近また地球温暖化で大型台風が増え、やっぱりダムは必要だという空気になっている。
おかしなものであれほど「ダム反対」を唱えていた人たちが、台風で被害が出たら「なぜダムを造らなかったのか」と批判した。
政治家が「空気」つまり雰囲気に流されて政治をしたら、必要なダムや公共事業が行われなくなり、日本経済を破壊してしまいました。
さてダム建設候補地だった自治体は、ダムを建設した村と拒否した村に分かれたのだが、結果はどうなったのでしょうか。
ダムで村が沈むとして建設拒否した村は例外なく限界集落になり、今後すべて消滅集落になります。
ダムの底になるような山奥の谷底に好んで住む人はいないので、ダムが無くても人口は減り村は消滅しました。
一方ダムを受け入れた村では確かに集落はダム底に消えたが、住民は補償金を受け取り平野部に移住したり、周辺のもっとマシな場所に移住しました。
ダム建設の資金が小さな村に数十億円も投入され、バブル景気に湧き様々な施設や道路が建設された。
そうしたダムの多くは秘境となり、釣り人や観光客が訪れる場所になっています。
人口百人程度の集落では、一日数人が宿泊する民宿であっても経済効果が大きく、ダム周辺には小集落が残る。
結局ダムを拒否した村の方が消滅し、ダムを受け入れた村のほうが、細々ながら存続している。
この理由は単純に「お金」で、ダムによってダムや観光などの職場ができ、職場があれば人々は定住します。
一方ダムを拒否した集落には収入源が無く、職場がないので住人はいずれ去っていきます。
郷土愛だけでは故郷は守れなかったという事です。
http://www.thutmosev.com/archives/82090443.html
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2020年01月17日
GS閉店で給油困難地域が増加 1台給油して利益50円
過疎地のGSは一度閉店すると、出店することは2度と無い
引用:http://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/028/354/614/28354614/p1.jpg?ct=361ddc0250ff
ガソリンスタンドの閉店が続き、ついに最盛期の半分近くにまで数が減ってしまいました。
ガソリンスタンドが少ない「GS過疎地」や給油不可能な地域まで出来ようとしている。
ガソリンスタンドの大量閉店
ガソリンスタンドの数がついに最盛期の半分に減少し、給油困難地域が深刻な問題になろうとしています。
1994年には6万ヶ所存在したが、2018年には3万70ヶ所に減少し、さらに減少を続けています。
年間消費量は2004年の6147万キロリットルから、2018年は5063万キロリットルに減少しました。
燃料消費量は毎年1%から2%減少していて、減っていく客をGS同士で奪い合っている。
車で遠出をする人が減り、若い男性の月間走行距離は、1990年代の半分に減ったというデータもある。
ハイブリッド車や軽自動車など、燃費の良い車が普及し、ガソリンを道路に撒くような大型車が売れなくなった。
追い討ちを掛けたのが政府の失策で、2013年までに老朽化したタンクの改修を義務付けました。
地下タンクの改修には1基100万円掛かり、灯油と軽油タンクも必要なので、最低500万円から1000万円は掛かる。
大手や繁盛店はコストを負担できたが、ギリギリで運営しているスタンドには、借金して営業を続ける意味は無かった。
ガソリンを売るだけでは利益を得られなくなり、大手は洗車機やカフェ、点検整備の充実で補っている。
設備を拡大できない小規模店や、そもそも人口が少ない地域では、淘汰されて大量閉店しました。
利益率が低いので増税による減収も響き、2012年の温暖化対策税や、2014年の消費増税で閉店が相次いだ。
経済産業省はガソリンスタンドが3ヶ所以下の自治体を「GS過疎地」と呼び2017年に312市町村に増え、全体の17%以上になった。
ガソリンスタンドは灯油販売所も兼ねているので、灯油の入手が難しくなり、寒冷地では深刻な問題になる。
ガソリン需要が少ない地域では24時間営業する意味がないので、給油できるのは朝8時から夜8時までに限られる。
給油計画を建てておかないと、どこかで燃料切れという事になりかねません。
また農家の農機具に給油出来ないといった事例も出て来ています。
ガソリン需要は減っていない
総務省や経産省はようやく間違いに気づいたのか、少ない費用で運営できるスタンドを検討しています。
コンビニにスタンドを併設し、コンビニ店員が給油する「駆けつけ型GS」などが考えられている。
大量閉店の原因を作った地下貯蔵タンクについては、地上に設置して費用を抑える事も検討している。
国土交通省によれば、高速道路で100キロ以上もGSがない「空白区間」が83ヶ所存在している。
燃費がリッター10キロとして、燃料計が残り10リッターを指してから、スタンドを探しても間に合わない計算になる。
高速道路上での停止は重大事故に繋がりかねないが、営業に応募する石油会社がなければ手の打ちようが無い。
最終手段として自治体や役所、公的事業者などが高速GSを営業する手段もあるが、現在は検討されていません。
奇妙な事にガソリン需要は毎年減少しているのに、自動車の保有台数は毎年増え続けています。
低燃費化と走行距離減少が、ガソリン需要減少の主な原因になっているのが分かります。
ガソリン需要は最盛期の6147万Kリットルから、5063Kリットルに減少したと最初に書きました。
減少率は17%に過ぎず、ガソリンスタンドが半減するほど消費量は減っていなかったのです。
GSが半減した理由としては、80年代頃のブームで増えすぎていたのが最大の要因とされています。
場所によっては100mの間に3軒以上もGSが並んでいたのは、どう考えても多すぎました。
第2の理由は過当競争と増税、安全設備でガソリン1リッター当たりの利益率が減少した。
1990年代には1Lあたり10円以上の利益が在ったそうですが、現在は2円以下だそうで、なるほどやってられません。
軽自動車に30L給油して利益は30円か60円で、100円ショップで駄菓子を売ったほうが儲かる。
今後の見通しですが、ガソリンそのものの需要減少はゆっくりとしたものであり、今後も急速には進みません。
従って過当競争が収まって、ガソリンの利益率が回復したら、GS閉店ラッシュも収まるのではないでしょうか。
GSと反対に増えているのがEVの急速充電所で、2009年はほぼゼロだったのが2019年に7600か所になりました。
ただ2016年まで充電所は急激に増えていたが17年以降はゆっくりとしたものであり、今後急速には増えない。
http://www.thutmosev.com/archives/43917925.html
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2019年06月09日
今から30年後の田舎 インフラや商店がなくなり無人化が進む
「パッとしない田舎」の多くが今後30年で過疎化する
自分の町が消滅集落になる日
総務省の予想によると、2040年代に東日本や四国のほとんどでは、人口が1割以上減少している。
たっだ1割なら良いんじゃないかと思えるが、その頃には若者は半減して高齢者が倍増しています。
日本創成会議によると全国自治体の半数が、出産可能年齢の女性が現在の半分以下になっている。
具体的には現在「市」以上の栄えている街を除く、町や村のほとんどで子供の数が半減している。
その一方で都市化が進むので、県庁所在地や主要都市の減少ペースは遅く、人口が増える場合もある。
40年代の田舎では今は当たり前に存在するものが次々に消滅し、無人化が進行します。
まず利用客の少ないコンビエンスストア、郵便局、銀行、スーパーのような物が徐々に減ります。
数年前まであったドラッグストアとかクリーニング屋とか、ATMや保育所も一つづつ消えていきます。
今の無人駅は廃止され、今のバス停は整理されてなくなり、予約制のコミュニティバスとかに置き換えられる。
不便な場所にある団地(なぜかニュータウンという名前が多い)が日本中でどんどん廃墟化しています。
昭和50年代に20代で入居した人は今60代後半で、子供たちは引っ越して高齢者だけの集落になっています。
今現在パッとしない田舎や不便な団地は、2040年代にはすべてゴーストタウンか無人になっている。
今の田舎は30年後に無人かも知れない
田舎では車が必須だが、ガソリンスタンドがなくなるのでEVが走り回るようになる。
ATMや銀行や郵便局もなくなるので、田舎でもキャッシュレス化が進み支払いをオンラインで済ませる人が増える。
幼稚園や保育所や学校がないので、たとえ田舎が好きでも子供が生まれた夫婦は都会に引っ越していきます。
日本の農業人口は4%くらいですが、他の先進国は2%前後で日本より自給率が多いので、今後20年で農業人口は半減するでしょう。
こうして田舎の人口は減少しつづけるが、2050年代にはこの減少も止まるのではないかと考えます。
農業人口が2%を割ると必要な食料を得られなくなるので、国は今度は補助金を出して若者に農業を奨励するようになる。
日本の田舎は水源地で都市の上流にあるので、もし田舎の自然が荒廃したら都会も人が住めなくなります。
田舎や無人地帯でも災害防止や自然保護で一定の労働者が必要なので、完全な無人地帯というのは存在しません。
ただ山々に点在する集落はほとんど消滅し、コミュニティという意味では存在しえません。
これが20年から30年後の日本の田舎の姿で、今田舎に住んでいる人は将来も住み続けるのか考えた方が良いでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/80059173.html
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2019年05月04日
田舎からコンビニが無くなると昭和の生活に戻る
コンビニがなくなると便利なサービス全てを失い、昭和以前に戻る
画像引用:日本のコンビニサービスについて | SITA - Study in Japan Guide - http://si-ta.com/ja/in-japan/convenience-store/
生活インフラをコンビニに依存するリスク
コンビニエンスストアの24時間をめぐって本部とオーナーが対立しているが、問題点は他にもいろいろある。
ATMや公共料金支払い、公的文書の受け取りや、保険などの契約手続き、宅急便の発送などコンビニが生活インフラになった。
この結果コンビニがある地域とない地域で生活レベルに大差が生まれ、コンビニが無い場所は郵便も出せずお金を引き出せない。
銀行は経営が悪化したので高コストのATMを減らそうとしていて、今後短期間に半減します。
ATMは人件費削減と利便性向上のため始まったが、1台年間1000万円以上の維持費がかかっています。
銀行員を一人立たせておくより安いかも知れないが、有名都市銀行では「1回500円以上の手数料を貰わないと赤字」と言っています。
日本全体でATMは約2万台あり、維持に年2兆円もかかっているので、銀行はATMを廃止したくてしょうがない。
集客力があるコンビニのATMは最後まで残るが、田舎にポツンとあるような「キャッシュコーナー」は廃止・統合されます。
すると数年以内に日本中で、コンビニ以外の田舎のATMの多くが撤去されるだろうという予測ができます。
公共料金の支払いとか手続きも、コンビニ以外では郵便局・銀行や役所でできるが、9時に開いて5時に閉まり、サービスによっては3時で窓口が閉まる。
コンビニがある・なしで生活が激変し、コンビニがなくなるのは昭和に戻るのと同じになります。
われわれの生活は気づかない間に、ここまでコンビニに依存するようになりました。
コンビニがなくなった世界
コンビニは知らない間に公的な役割を担うようになったが、一方でコンビニはただの民間業者にすぎない。
利益がでなければいつでも閉店するし、住民や自治体のためにサービスをする義務はありません。
多くのコンビニはオーナーとフランチャイズ契約をし、オーナーが経営者になっています。
オーナーとコンビニ本部は5年か10年の契約を結び、契約期間が満了したら閉店する事になっている。
もし店に利益が出ていたらオーナーが再契約するか、本部の直営店として生まれ変わる可能性もあります。
コンビニを取り壊してまた同じコンビニを建てたり、一度閉店して再度開店しているのはこうした契約の事情かもしれません。
いずれにしても人口減少でコンビニに利益が出ず閉店するとき、自治体や住民は全く口出しできません。
今後20年で日本の半分の自治体では若い世代の人口が半減しますが、過疎化した自治体ではコンビニ売上を維持できません。
くしの歯が抜けるように田舎のコンビニは閉店していき、昭和に逆戻りしたような生活が始まります。
そうなる前にコンビニがなくなっても、サービスを続けられる仕組みを作る必要があります。
http://www.thutmosev.com/archives/79730913.html
これからは、コンビニとガソリンスタンドが無くなった所から無人地帯になっていきます。
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日本人は地方を見捨てるのか。
2024年、少子高齢化で認知症が這い回る地獄絵図となる=鈴木傾城 2018年9月20日
https://www.mag2.com/p/money/530806
少子高齢化の問題を真剣に考えている人は少ない。日本人の半数が大都市圏に住んでいるため、その深刻さを理解できないのだ。日本をあきらめた地方の悲惨な現状を知っても、まだ見て見ぬふりを続けられるだろうか。
都会の人は気づかない。急増する買い物弱者、団塊世代の認知症…
日本を終わらせる「超少子高齢化」
2018年9月16日、総務省は「日本の総人口に占める70歳以上の割合が2,618万人となり、初めて日本の人口の2割を超えた」と報告している。団塊の世代が70代に達しているのだ。65歳以上で見ると3,557万人で、日本の総人口比の28.1%である。
一方で出生数の方は、200万人超えだった1974年以後から明確に減少の方向にあり、2016年にはとうとう100万人を割って97万6,978人になってしまっている。
高齢者が極端に増え、子供が極端に減っている。まさに、超少子高齢化が進んでいる。また、人口の自然増減率を見ると2007年から一貫してマイナスを記録するようになった。
これらのデータから、日本は3つの危険な事態が進行しているということが分かる。
1. 高齢者が増え続けている
2. 子供が減り続けている
3. 人口も減り続けている
高齢者が増えて、子供が減って、人口も消えていく。日本が静かな危機に直面している。
高齢者が増え続ける国にイノベーションは生まれない。子供が減り続ける国に活力は生まれない。人口が減り続ける国に成長は見込めない。
少子高齢化は日本を崩壊させる致命的な病苦なのだ。そろそろ日本人は、これから生々しい「日本の崩壊」を現実に見ることになる。
日本人のほとんどは少子高齢化という病魔に無関心
社会・文化・経済における「日本の崩壊」があるとしたら、その原因となる確率が最も高いのは、間違いなく少子高齢化の進行だ。
しかし、日本人のほとんどは少子高齢化という日本を蝕む病魔に無関心だ。まるで他人事なのだ。なぜなのだろうか。それは、半分以上の日本人が「少子高齢化をまったく実感できていない」ことにある。
なぜ実感できないのか。それは、日本人の人口の半分が三大都市圏(東京圏・名古屋圏・大阪圏)に暮らしており、この三大都市圏に暮らす人たちは「日本人が減っている」ということに肌で気づかないからでもある。
総務省統計局「国勢調査」及び国土交通省「国土の長期展望」がまとめた資料を元に、総務省市町村課が作成した『都市部への人口集中、大都市等の増加について』の資料を読むと、この三大都市圏に住む人たちの割合はさらに増えていき、都市部の人口集中がこれからも続くことが示されている。
一方で、三大都市圏以外の地域は着実に人口減となる。2050年までに、現在、人が居住している地域の約2割が無居住化し、国土の約6割は無人化すると分析されている。
人口の半分以上は三大都市圏に暮らすので、少子高齢化はまったく実感できていないのである。だから、地方がどんどん死んでいくのに無関心のまま放置されている。
日本崩壊の過程が人口動態から透けて見える
この現象を見ると、日本の崩壊はどのように始まるのかは明確に見えてくるはずだ。
「都会に住む日本人が無関心のまま最初に地方が死んでいき、やがて都市部もまた少子高齢化に飲まれて崩壊する」
これが、人口動態から見た日本の崩壊の姿である。少子高齢化という病魔は、「地方」という最も弱いところを破壊して壊死させてから、都市部に侵食していくのだ。
増え続ける「買い物弱者」
最近、地方で買い物ができずに孤立する「買い物弱者」の問題が表面化しつつある。
地方は人口が少ないので、そこでビジネスをしても割が合わない。だから地方に進出するビジネスは少ないし、逆に地方のビジネスはチャンスを求めて都会に向かう。
仕事が消えれば、若者も消える。地方に残されるのは常に高齢層である。高齢層は消費が弱い。だから地方の個人商店は売上が上がらず、店主の高齢化も相まって次々と廃業を余儀なくされていく。
地方で暮らすというのは、不便と隣合わせである。都会ではどこにでもあるファストフード店やコンビニも採算が合わないので進出しない。
そこに今まであった個人商店さえも消えていくのだから、地方ではモノを買いたくても買えない人たちが大量に出現しているのである。
地方は、もはや買い物すらできない陸の孤島に
2015年の経済産業省調査では、こうした60歳以上の買い物弱者数は700万人いると試算している。
若年層であれば、こうした環境であっても「インターネットで買い物すればいい」と考える。しかし、高齢者はそんなわけにいかない。
高齢層は年齢層が高くなればなるほどテクノロジーから疎くなり、インターネットの基本さえ分からない。
それだけではない。人口が減り、出歩く高齢者も減っていくと、交通機関も赤字経営となって維持できない。電車は走らなくなり、バスの路線もなくなり、交通はいよいよ不便になる。
銀行も、病院も、郵便局も、赤字経営になれば撤退していくしかない。当然のことながらATMもない。
そうなれば、地方は陸の孤島も同然の状態となり、いくら郷土愛が強くても、そこで暮らしていけなくなってしまう。こうした状況が延々と続いており、少子高齢化によって状況は悪化するばかりだ。
自然災害からのインフラ復旧すら危うい
ファストフード店もない、コンビニもない、個人商店もない、交通機関もない、銀行もない、病院もない、郵便局もない。少子高齢化はそうやって地方を「壊死」させてしまう。
人口が減り、高齢化し、やがて消えていくのだから、地方が再生できると思う方がどうかしている。
昨今は地震やゲリラ豪雨や台風と言った自然災害も大型化しているが、地方がこうした自然災害に被災していくと、やがてはインフラの復旧ができなくなる可能性も高い。
インフラが消えれば生活環境は極度に悪化する。地方は再生よりも荒廃に向かう。
見捨てられた高齢者が認知症で這い回る地獄絵図
2018年、「70歳以上の割合が2,618万人となった」と総務省は発表したというのは冒頭でも書いたが、気がかりなのは2024年には日本で最も人口の多い団塊の世代がすべて「75歳以上」となってしまうことだ。
認知症は75歳を過ぎると急激に増えていく。2024年から認知症は大きな社会問題として見えるようになっていく。2026年には高齢者の5人に1人が認知症患者となる。これは患者数にすると約730万人である。
日本の地方は病院も介護施設もなくなっている。だとすれば、あと10年もしないうちに、見捨てられた高齢者が認知症で這い回る地獄絵図が発生したとしてもおかしくない。実際、そうなると危惧する人もいる。
地方の人々は日本をあきらめた
少子高齢化に叩きのめされ、地方は疲弊し、荒廃し、そして見捨てられた。そして、地方の人々はもうこの状況が改善できないことを悟り、再生をあきらめ、日本をあきらめた。
しかし、都会に住む日本人はまったくそのことに気づいていないか、気づいても無関心のままである。これで日本はこれからも大国でいられると楽観的に思える人はどうかしている。
日本を愛し、日本の未来を憂うのであれば、日本最大の国難は少子高齢化であると強く認識しなければならない。もう手遅れの一歩手前まで来ている。
危機感が共有できていないうちは何も始まらない
少子高齢化が日本を破壊する時限爆弾になっているという意識は、まだ日本人全体に共有されていない。そして、危機感もまた希薄だ。
すでに少子高齢化が地方をじわじわと殺している現状にあっても、国民の半数は三大都市圏に住んでいるので、まるで他人事のように「見て見ぬふり」をしている。
しかし、少子高齢化によって税収が減っている上に、高齢者にかける社会保障費が膨れ上がっている。
少子高齢化の放置によるツケは、年金受給年齢の引き上げ、年金の削減、医療費負担の増大、税金の引き上げ……という見える形で、日本人全員にのしかかってくるようになっている。
人口動態から見ると、少子高齢化問題は解決するどころかより深刻化してしまうわけで、もう日本人はこの問題を無視できないところにまできていることを認識すべきなのだ。
自滅へのトロッコに乗った私たちにできること
最初にやらなければならないのは、とにかく「少子高齢化が日本を自滅させる」という共通認識を持ち、これを広く周知して国民の意識と議論を高めていくことだ。
危機感が共有できていないから問題は先送りされてきた。ここで少子高齢化の危機感が共有できなければ、日本は破滅的な結末を迎えてしまう。
この危機感が共有できたら、出生率を上げるためにどうするのか、地方をどう救うのか、少子高齢化を解決するために税金はどのように配ればいいのか、政治家は何をすべきなのか、社会はどのように変わるべきなのか、すべての議論が進んでいくことになる。
危機感が共有できていないうちは何も始まらない。だから、「少子高齢化による日本の崩壊」という未来が見えた人は、まず最初に日本を救うために「大変なことが起きている」と叫ぶ必要がある。もう時間がない。
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増え続ける災害と少子高齢化が、地方の崩壊と荒廃をもたらすのだ │ ダークネス:鈴木傾城 2018.09.13
https://bllackz.com/?p=4853
異常気象が年々ひどくなっているというのは、今に始まったことではない。そして災害が巨大化・凶悪化しているのも今に始まったことではない。
たとえば、日本はすでに熱帯化している。
最高気温が35度以上は「猛暑日」と呼ぶのだが、最近は35度どころか、40度を超えるような日がいくらでも観測されるようになった。時には「東南アジアよりも暑い」と言われる日すらもある。
この暑さの中で日本を悩ましているのが「ゲリラ豪雨」だ。熱帯地方には「スコール」という現象があるのだが、ゲリラ豪雨はスコールに相当する。
ゲリラ豪雨が発生すること自体が、日本が熱帯化していることを意味している。
しかし、日本には季節がある。灼熱の夏が終わると、秋が来て冬が訪れる。では冬は暖かいのかと言えば、それがまるっきり逆で厳寒になる。豪雪で身動きが取れなくなる。
2018年1月は東京でも大雪が降って交通機関が麻痺したこともあったが、夏はゲリラ豪雨、冬は豪雪が日本列島を襲いかかる時代になっているのである。
なぜ、こんなことになっているのか。
以前から言われているのが「地球温暖化」なのだが、その理由は人間の自然破壊なのか、それとも自然環境の変化なのかはともかく、「何らかの理由」で海面温度が上がっているのは間違いない。
これによって温められた海面から蒸気が上がり、豪雨や豪雪となって降り注ぐ。温暖化が止まっていない以上、災害が巨大化していくのは避けられない時代に入っている。
多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある
日本は4枚のプレートが重なり合っている真上に位置している国であり、世界でも類を見ないほどの地震大国である。いつでも、どこでも地震は発生する。
30年以内には、死者最大32万人になる南海トラフ巨大地震さえも起きることが「予測」されている。日本というのはそのような国なのである。
多くの日本人はあまり意識していないが、多発する巨大災害は「地方を殺す」可能性がある。
財源不足や少子高齢化による人口減が加速している地方で大災害が起きたら、復旧されるよりも見捨てられる地区がどんどん増えていくのではないか。
政府も自治体も財源が無限にあるわけではない。少子高齢化によって税収が減っている上に高齢者にかける社会保障費が膨れ上がっている。
そんな中で災害の起きた場所が過疎か過疎に近い地区だった場合、もはや建物や壊れたインフラの復旧ができなくなる場所が出てきたとしても何ら不思議ではない。
つまり、人口の少ない地方、交通の便の悪い地方は、いったんインフラが破壊されるような災害に見舞われたら、再生不可能になる危険が高まる。限界集落などは被災した時点で、地域ごと捨てられることになる。
少子高齢化と増え続ける災害は、地方の崩壊と荒廃をもたらす危険性はかつてないほど高まっている。
政治家は、空虚な言葉で「地方の再生」や「国土強靭化」を叫ぶが、本当の意味で地方の再生や国土強靭化を成し遂げたいのであれば、20年計画で少子高齢化の解決のために全精力を傾けることであると気付く必要がある。
根本に少子高齢化対策があって、そこに「地方の再生」や「国土強靭化」を絡めなければ日本には未来がない。このままでは、災害が起きるたびに地方は死んでいく。(written by 鈴木傾城)
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2018年09月09日
移住者が多い田舎ほど栄える理由
観光客や移住者がもたらす金は過疎地にとって非常に大きい
画像引用:円空の里 なごみ村キャンプ場 | ZAQおでかけガイド https://sasp.mapion.co.jp/f/glean/0/29446/sh728170/29010689_2601_1.jpg
田舎が衰退した原因は自由貿易
日本はこれから少子高齢化で急速に人口減少し、東北地方は半減するとも予想されています。
人口減少のしかたには違いがあり、都市部はあまり減少せず過疎地ほど減少し、廃村が続出します。
まず山奥の村が廃村し、次いで山里が廃村、次に平野部の農村人口が半減します。
山から平野へ人口が移動していき、大都市は最後まで人口減少がゆっくりと進む。
なぜこうなるかはお金の流れで決まっていて、過疎地は都会から金を得て成立してきました。
日本の都会は明治から昭和には、炭鉱や食料や木材など生活物資の大半を田舎から買っていました。
江戸以前は木炭が主要なエネルギーで建築資源は石と木しかなく、それらは田舎にしか存在しなかった。
旧石器時代から昭和まで田舎は都会に資源を供給し、見返りを受け取ることで発展してきました。
ところが1980年ごろから貿易自由が本格化し、外国から何でも輸入し始めました。
木材や地下資源や食料や水すら外国から低価格で輸入したので、田舎は資金源を断たれて貧困化しました。
これが日本の地方の衰退を引き起こし、人口減少の原因になりました。
山里や山間地は今では都会で売るものがなくなってしまい、生活ができなくなったので衰退しています。
観光客や移住者がもたらすお金
そこで解決策になるのは「都会から田舎に金を移動させる」ことで、何かを売るか都会の人に来てもらうことになる。
野菜や木材を売っても大した金にはならないが、都会の人が田舎に遊びに来るだけでかなりのお金を使います。
例えば一人5000円使うとしてひと夏に1万人が遊びに来たら村には5000万円もの金が落ちます。
それが春夏秋冬と繰り返されて、毎年リピーターが来たら、年間数億円のお金がもたらされます。
年数回遊びに来る観光客だけでこれだけのお金が移動するのだから、移住者はもっと多くの金をもたらします。
人間一人が移住すると数百万円のお金が都会から田舎に移動し、移住した人が働いたり消費してまたお金が増えていきます。
さらに田舎に住んで都会で仕事をするタイプの人は、毎年数百万円もの金を田舎にもたらします。
現在はネットで完結する職業もあり、住むのは田舎だが仕事はネット上という人も増えています。
都会から田舎に移住した人は田舎で起業して観光客を呼び寄せたり、仲間の移住者を増やします。
すると相乗効果でどんどん移住者や仲間が増えていき、都会から田舎にお金が移動していきます。
これからの田舎や過疎地はこういう事をやらないと、やがて人口ゼロになり揃って廃村に成りかねません。
http://www.thutmosev.com/archives/77409693.html
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2018年09月05日
ゴーストマンションの未来? 湯沢リゾートで現実に
住民が減り高齢化すると多くの問題が起きる
画像引用:http://livedoor.blogimg.jp/jnrz34/imgs/a/9/a9676e5c.jpg
老朽マンションは最後にどうなる
今後大量に顕在化する老朽マンションはどうなるのか、もしかしたら湯沢は東京の近未来なのかもしれない。
多摩ニュータウンなど高度成長期に建設されたニュータウンは、住民の高齢化でオールドタウンになりつつある。
山を切り開いたような不便な場所にあるので子供たちは通勤に便利な場所に住んでいる。
残った老人ばかりになったニュータウンは、都市近郊でありながら限界集落になっている。
都市部でも高度成長期からバブル期に建てたマンションが老朽化し、今後耐用年数を迎える。
実際には補修や修繕を適切に行えば50年はおろか100年でも使えるのだが、そうできない事情がある。
入居者が一定以下に減ると修繕積立金はおろか管理費も集まらなくなり、日常的な保守費用も出なくなる。
すると管理や清掃が行き届かなくなりさらに入居者が減り、最後は家賃も払えない高齢の滞納者だけになる。
一足先にそうなっていると言われているのが新潟県越後湯沢のリゾートマンション群です。
湯沢では1990年台前半のバブル期に無数のリゾートマンションが建設されたが、バブル崩壊で需要がなくなりました。
数百万から数千万円で売り出された物件は、現在では10万円以下のものが常に数十件売りに出されています。
中古価格が10万円以下になったマンションでは、平穏な生活を営むのが難しくなる。
湯沢リゾートマンションの最後
最初リゾートマンションとして分譲されたが価格が下がると高齢者が購入し、現在は高齢化率が40%を超えている。
そういう人がつぎつぎになくなるので”事故物件”が増えてますます中古価格が安くなっている。
湯沢マンションは分譲なので家賃はないが、管理費と積立金で4万円以上かかる事が多い。
管理費を滞納すると差し押さえられて競売に掛けられるが、競売の基準額(開始価格)は1万円になっている。
管理組合は自分で競売にかけた物件を自分で入札し、1万円から数十万円で落札している。
これにはコストがかかるがそんな面倒な事をする理由は第一に、競売に掛けることで管理費滞納者を追い出せる。
第二に「反社会組織」に落札されると面倒なことになるため、自分で落札したうえで不動産屋を介して購入者を募集する。
その手の組織に購入されて占拠されると、管理組合を乗っ取られて組合が集めた積立金を横取りされてしまう。
数百戸ものリゾートマンションの修繕積立金は数億円もなっているので、組織はこの金を狙って乗っ取りを仕掛けるのです。
ここまで住民の質が低下すると再建は困難だが、安い住居が欲しい人は居るので一定の需要がある。
首都圏の老朽マンションや限界ニュータウンも、最後はこんな状況になるかも知れない。
http://www.thutmosev.com/archives/77424954.html
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2018年07月17日
田舎移住はアパートや団地がある程度の田舎が良い
本当の過疎地では、移住者を受け入れる準備がない
画像引用:長野県生坂村 移住者田舎体験ハウスhttp://www.village.ikusaka.nagano.jp/images/muradukuri/mura.jpg
限界集落に移住してはいけない
若い人を中心に都会から地方に移住する人が増えているそうで、良い事だと思いますが、限界もあります。
移住を進めるサイトの中には、山間地や農村の美しい風景を掲載している場合がある。
イメージ画像としては良いが、本当にそのPCの待ち受け画像みたいな場所に住むと問題も起きます。
そうした過疎の村は数百年も孤立してきたので、他からの移住者を想定しておらず、準備もできていない。
例えば移住してきて朝ゴミを出そうとしても、「ゴミ捨て場」があるとは限らない。
地域のゴミ捨て場は自治会とか組合の所有物で、移住者は勝手にゴミ捨てできず、自治会には代々暮らしてきた住人しか入れない場合がある。
地方でもそこそこの都会では当たり前のことが、限界集落や過疎地では当たり前ではない。
自治会とか組合は曲者で、役員はやはり代々住んでいる地域の有力者が独占しています。
限界集落では働き先は農家以外では公共事業の建設会社、役所、公的機関、学校や郵便局やインフラ関係くらいです。
警察や役所を頂点としたピラミッド型の階級社会の場合が多く、移住者は一番下に位置付けられます。
こういう地域で都会からやってきたITエンジニアが暮らすのは、あまり快適ではないでしょう。
アパートがある程度の田舎
では田舎は全部だめなのかといえば、「アパートや団地がある程度の田舎」なら他からの移住者が多く、面倒くささが少ない。
ゴミ捨て場は最初からあって自由に使えるし、町内会は嫌なら入らくても良く、実用上は困らない。
大きな団地が近くに存在するなら、職場もあるだろうし商店もあり、買い物場所や様々な公的機関、民間機関もあるでしょう。
本物の限界集落には商店は一軒もなく、一番近いコンビニは車で片道2時間で、夜は閉まっていたりします。
極端な田舎で困るのは競争とか市場原理が働かないので、選択の自由がなくなる。
たとえばプロパンガスの取次店とか食品店とか、その店の対応に納得できない部分があるとします。
たとえ期限切れの食品を平気で売っていたとしても、他に商店がなければそこで買うしかないのです。
こんな時に苦情をいったり訴え出たら、その人は地域の厄介者になってしまい、村八分にされるかも知れません。
悪いのは向こうでも、こっちが頭を下げてお願いしなくてはならないのです。
アパートがたくさんあって大きな団地があるような田舎では、田舎なりの競争があるので市場原理も存在します。
都会から移住するなら、まずはそうした「適度な田舎」のほうが良いでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/76847040.html
移住先はリゾートマンションか別荘地のどちらかにしておいた方がいいです
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八ヶ岳エコーラインの超えられない壁 茅野、原村、富士見で移住者におすすめできないエリア
http://golden-tamatama.com/
さて一昨日の土曜日
天下泰平さんとこのドームハウスで移住セミナーやってますた。
皆様、都内からたくさん来て頂きありがとうございますた。
いや、それにしても素敵なドームハウスでしたね。
ドームハウスといえば日本では
ログハウスのBESS
https://www.bess.jp/index.html
という輸入ログハウスの会社が有名です。
でも、輸入材なので日本の気候に合ってなくて必ず結露とか雨漏りの問題が出て来る。
でも泰平さんのドームハウスは全て国産の資材で作られているそうです。
だからそういう問題が出ない。
ドームハウスとしては全て国産資材というのは初だとのことでした。
ちょびっとその模様を載せときます。
外見はUFOみたいなとこで中は素敵な空間ですた。
暖房なしでも暖かかった。
さて、これは当日の補足です。
ワタスは八ヶ岳エコーラインの話をしましたね。
八ヶ岳の西側。
茅野、原村、富士見エリアの移住希望者は知っておいた方が良いので書いときましょう。
エコーラインから下は原住民エリアです。(いわゆる、じもぴーエリア)
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U
エコーラインの超えられない壁。
これはこの辺りでは有名な話です。
役場でも聞きました。
エコーラインを挟んで上(標高が高い)は移住者、下(標高が低い)は現地住民。
お互いがいがみ合ってて争いが絶えない。
そう聞きました。
例えば退職したサラリーマンが地元住民エリアでペンションなどをやったこともあった。
でも、ほどなくして嫌がらせを受けて撤退する羽目になった。
そういう話が昔からあるようです。
とにかくエコーラインから下は移住者は住んじゃいけない。
八ヶ岳エコーラインとはここですね。
http://golden-tamatama.com/
Google mapで詳細が見れます。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U
以下は、ワタスの持つエコーラインから下の現地住民のイメージ図です。
ほーっほほー
例えばこんな感じです。
例えばワタスが原住民エリアを散歩する。
良い風景ですねぇ。
ニコニコ。
笑いながら散歩してると。
バタッ、バタッ。
一斉に辺りの窓が閉められる。
よそ者が来た。
よそ者が来たぞ。
窓の奥で小さく囁く声が聞こえる。
そして監視している人々の目線を強く感じるのですた。
うーん。
まるで全身スキャンされているようだ。。
爪さきから脳天まで鋭く指すような目線を感じるのですた。
例えばです。
都内からカフェに来たお客さんがいる。
良い空気ですね〜
そういって何も知らないで、ニコニコと犬を連れて散歩する。
で、途中、畑の真ん中でワンちゃんが糞をする。
大自然の中、犬だって開放的になる。
自然の生理現象です。
別にアスファルトの上なら糞の処理もするでしょう。
でもこんな畑のあぜ道でほっといたって肥料になるだけでしょう。
そうやって放置して過ぎ去ったら、500mも過ぎた場所で
あんたあそこで糞させてただろう。
拾ってけ!
そのように現地住民にドヤされるのですた。
ガクガクガクガク。
ってあんた、ずーっと遠くから望遠鏡で監視してたの?
そんな風なエリアなのですた。
原住民の口コミ速度は光ファイバーより早い。
よそ者が来た!
そういう情報があっという間に広まって限界体制がひかれるのですた。
ワタスの場合、そういう危険エリアだと露知らず、真っただ中でカフェなどをやってしまいますた。
今となっては後悔しかありません。
カフェの場所は非常に分かりずらかったせいもあり
金玉カフェどこですか。
金玉さんって、どこですか。
辺りの原住民にそう聞きまわってやってくる読者さんが結構いますた。
玉蔵さん!
いやー
やっと見つけますたよ。
5軒以上聞きまわってやっとみつけますた。
いや、見つかって本当に良かった。
そう目を輝かせてワタスの手をとって喜ぶ読者さん。
こ、この野郎。。
こんな危険エリアで金玉、金玉などと言いふらしやがって。。
このスカポンピャン!!
その読者さんをぶん殴りそうになったのを覚えています。
とにかく八ヶ岳の西側エリア。
エコーラインより下はひじょーーーに危険だ。
移住者は住んじゃダメです。
そういうお話をしますた。
という訳で笑いあり涙( ;∀;)ありのお話ですた。
http://golden-tamatama.com/
田舎暮らしの真実を語ろう! 10/29(土) タッキー&玉ちゃん 移住セミナー開催!
さて、最近は田舎暮らしに憧れる人達も多いと聞きます。
以下は移住先人気ランキング。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2558.html
おほぉ!
なんとワタスの住む長野県、そしてしょっちゅう行く山梨県。
ランキングツートップ1位2位ではないですか。
そうですか。
ワタスは人気県に住んでたのか。
ワタスはこんな人気になる前に人に先駆けて人気ナンバー1の県に住んでいる。
人が羨む田舎暮らし。
くほほほ。
別にワタスは長野は適当に決めただけなんですが。
なんてワタスは幸せなんだ。
ありがとうございます。
ついてる。ついてる。
先ほどまで斉藤一人さんの教えを呟いていますた。
とかなんとか。
さて、しかし。
移住希望ランキング1位の長野県。
移住先の人気になることは嬉しい。
しかし、こう言ってはなんだが。。
先に移住した者として語らなければいけない真実がある。
確かに田舎に行けば素晴らしい景色、綺麗な空気、おいしい食べ物。
素敵なスローライフが待ってる。
でも、そういう幻想を抱いているあなた。
気を付けないと大変な目にあう。
移住で苦労したくなければ事前に知っとくべきことはかなりある。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2558.html
地方消滅 田舎暮らしの真実 その2
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html
さて、昨日は長野、山梨は移住ランキング 1位 2位と載せたのですが。
以下は全国空き家率ランキングです。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html
実は、なんと長野県や山梨県は空き家率でも全国1位2位なのですね。
え?
長野、山梨は移住先人気1位2位なのになんで空き家率トップ?
矛盾している。
なんでしょうこの矛盾したデータは。
そう。
この意味するところ。
言いにくいことですが。
地方消滅。。
以下、元総務大臣で岩手県知事などを経験した増田氏の著書です。
全国に衝撃を与えたと言われる著書です。
地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)
増田 寛也 中央公論新社 2014-asyuracom-22
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4121022823/asyuracom-22/
これから全国1742の地方自治体のうち、ほぼ半数の896市町村が消滅する。
今後の日本は地方が消滅し都市部だけに人口が集中する。
人口が点在する極点社会になる。
データを元にしてそう書かれた本です。
以下は国土交通省が出した今後の日本の人口推移グラフです。
ご存じのようにこれから日本は急減に人口が減ります。
日本の現在の出生率1.41%。2100年には人口 5000万人になるのでした。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html
実はここまでの人口減少を経験する国はないと言われています。
大抵の国はここまでなる前に移民を入れたりする。
移民を受け入れない国でも子供を急激に増やす政策を打ちだして人口減少に歯止めをかけている。
でも、日本の場合どちらもやってないのでした。
フランスやスウェーデンは事実婚制度をすすめて子供が増えた。
ちなみに、知らない人が多い事実ですが、
日本は、生まれる数より堕胎する数の方が多い。
日本の場合、戸籍制度が縛りになって子供が増えない。
結婚の半分はできちゃった婚なのに、戸籍制度が縛りになって入籍するより堕胎を選ぶ人が多い。
フランスやスウェーデンは事実婚制度を推奨してから子供が増えた。
で、何もやってない日本は急激に人口の減る一方なのでした。
そして長野県、山梨県は10年後20年後には無人化するところが多いのでした。
以下は先日撮影した長野県の限界集落です。
長野県限界集落レポート - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iCw48Xp18HA
この動画は以下のルートで撮影しました。
八ヶ岳の麓。
富士見町から茅野あたりまでの20号線沿いを走ってます。
どうでしょうか。
見ると非常に寂れた街並みです。
この地域は、長野の中でも空き家率2位の場所です。
限界集落がどういうものか分かると思います。
Wiki 限界集落
中山間地域や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきている。このような状態となった集落では集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」にはもはや就学児童など未成年者の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く病身者も少なくないという。
実はワタスはこの20号線沿いでカフェをやってました。
その時、ワタスは多くの人達から何度も言われたのを覚えています。
玉ちゃん。
原村や茅野はエコーラインから下は住んじゃダメだよ。
あそこは移住者が住む場所じゃないよ。
ワタスは移住してまもないのでそんな場所とは露知らず。
カフェなどやって非常に苦労したのでした。
ワタスが最初に感じた違和感。
近くの温泉に行った時のことでした。
いたるところに
「オムツは捨てないで下さい。」
そういう張り紙が貼ってあったことを覚えてます。
オムツ?
こんな温泉で赤ちゃんのオムツを捨てたりするのか。。
何たるマナーの悪さ。
もうちょっとこの地域のお母さん方の教育をした方が良い。
そう思ってたのですが。
もちろんオムツとはジジババのオムツのことですた。
ガーン。
住民の平均年齢75歳。
移住して最初に感じる幻滅。
ダメだこりゃ。。
希望溢れる移住者は最初にここで打ちひしがれます。
ジジババ天国。
そこは驚くほど完全閉鎖的。排他的です。
現住民は外からの刺激を完全シャットアウト。
よそ者にはきてほしくない。
よそ者のあんたにゃわからない。
このキーワード。
決まりきったジジババサークル以外は誰も寄せ付けない。
地方には新しい取り組みをしたがる若者がいたりする。
移住者が何か新しい取り組みをしたりする。
でも村に住む保守的な老害が潰してしまう。
前例がない。
その言葉で大抵、何もやらない。
その地方では自民党系議員と土建屋だけが栄えてるだけ。
良くあるパターンです。
なんの新しい取り組みもアイデアも出ないので産業もなにも作りだせない。
で、若者は出て行く一方。
もちろん外部からもだれも寄り付かない。
随分と前に商店はシャッターを下したままだ。
そして最近スーパーが閉鎖した。
バスも来ない。
電車もかなり昔から1時間に一本。
かなり前から子供もいないので学校は閉鎖しました。
そして郵便局が消え、しまいには交番が消え。
最近、唯一繁盛していた病院が消えた。
今、繁盛してるのは火葬場だけです。
長野や山梨はそういう場所がいたるところにある。
それが空き家率ナンバー1,2の理由でした。
移住者はこんな場所には間違っても行ってはいけないのでした。
そういう場所は今後10年〜20年で70歳代の排他的ジジババも自然消滅する。
限界集落を越えて消滅集落。
これから20年以内にインフラ自体が消えてなくなっていくのです。
もちろん移住は楽しい。
美しい景色、美味しい野菜。
そういうハッピー移住ライフを目指すなら、
移住前にちゃんとした情報を仕入れましょう。
という訳で何年も前に引っ越したワタスは移住のリアル。
良いとこも悪いとこも語る話は多い。
こういう話はいくらでも書くことがあるのでまた続きを書きましょう。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html
▲△▽▼
八ヶ岳エコーラインの超えられない壁 茅野、原村、富士見で移住者におすすめできないエリア
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2562.html
ワタスは八ヶ岳エコーラインの話をしましたね。
八ヶ岳の西側。
茅野、原村、富士見エリアの移住希望者は知っておいた方が良いので書いときましょう。
エコーラインから下は原住民エリアです。(いわゆる、じもぴーエリア)
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U
八ヶ岳エコーライン - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%85%AB%E3%83%B6%E5%B2%B3%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
エコーラインの超えられない壁。
これはこの辺りでは有名な話です。役場でも聞きました。
エコーラインを挟んで上(標高が高い)は移住者、下(標高が低い)は現地住民。
お互いがいがみ合ってて争いが絶えない。
そう聞きました。
例えば退職したサラリーマンが地元住民エリアでペンションなどをやったこともあった。
でも、ほどなくして嫌がらせを受けて撤退する羽目になった。
そういう話が昔からあるようです。
とにかくエコーラインから下は移住者は住んじゃいけない。
八ヶ岳エコーラインとはここですね。Google mapで詳細が見れます。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U
とにかく八ヶ岳の西側エリア。
エコーラインより下はひじょーーーに危険だ。
移住者は住んじゃダメです。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2562.html
に書かれている様に、原住民と接触しなくても良い別荘地内に住んだ方がいいです:
yodogawa3169さん 2015/05/19 01:02:38
セルフサービスのスタンドを除いて、山梨では、★ガソリンの価格★が他府県ナンバーの車は高い単価になります。
洗車も、他府県ナンバーは吹っ掛けられます。
慣れたらそんな物かと諦めますが。
あの有名な遊園地は、
地元民に無料で開放の日があります。
美術館などの入場料も地元民は無料です。
もし、京都や横浜でそう言う事をしたら、 観光客は怒りますよね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14145691534
ID非公開さん 2015/5/18 15:29:48
春に山梨に転居してきました。パートですが、職場の雰囲気に馴染めず悩んでいます。
妙にそっけなく無視されているようです。それでいて、体調不良で休みをとると
「どんな病名?」「どこの病院いった?」「先生は誰?」「どんな薬?」
などプライベートな領域にズカズカ入ってきます。
いきなりそんな事聞く!?と引いてしまうのは私の感覚がおかしいのでしょうか!?
mobilat74さん 2015/5/18 15:41:25
山梨には都市部・山間部を問わず「無尽」という風習があり、無数の閉鎖的サークルが点在しているような土地柄です。
酒や女といった欲求から、お金の融通、祝い事、留守番から介護といった、およそ人間が生活していくうえですべての面倒をみてくれる、濃厚濃密な人づきあいです。
山梨の人は必ず、たとえルンペンであっても、自分の生活エリアの無尽にいくつか所属しています。
あなたが職場の雰囲気に馴染めるようになるのは、その職場の無尽に入ってからです。質問が多いのは、あなたを無尽に入れるかどうかの鑑別です。
入れるなら入った方がいいでしょうね。
山梨で無尽に入らず、生活できた人を知りませんので…。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14145691534
山梨県限定の秘密の風習「ムジン」って何なの? - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2134979873440847801
山梨県民が楽しみにしている「無尽」の習慣って一体何? [2013/04/14]
「無尽」は「無尽講(むじんこう)」「頼母子講(たのもしこう)」とも言う
山梨県には「無尽(むじん)」という独特の習慣がある。無尽とは月1回程度、特定のメンバーで集まって食事や飲み会をすること。そして、その時に食事代とは別にお金を出し合って積み立て、メンバーが順番に使ったり、グループの目的のために役立てたりすることをいう。なぜこのような独特のシステムが生まれたのだろうか。
助け合いの精神から生まれた独特の習慣
「無尽」は、鎌倉時代に始まった庶民同士の融資制度が始まり。冠婚葬祭などまとまったお金が必要になった時、お互いに助け合うために作られたという。それなりの頻度で集まり、しかもお金が絡んでくるとなると、メンバー同士の信頼が必要になる。その点、山梨県は昔から住民同士のつながりが強く、このような独特の習慣が発展したようだ。
その後、金融サービスが発達して融資し合う必要はなくなったが、既に生活に根づいていた仲間で集まるという習慣は残った。現在では積み立てをする人たちもいるが、必ずしもお金を出し合うわけではなく、特定のメンバーでの定期的な飲み会を無尽と呼んでいる人も多いという。
人間関係が希薄な時代の貴重なつながり
おいしい料理とお酒を前に笑顔があふれる
そんな無尽、実際にはどんな形で行われているのか、地元の人に聞いてみた。まず参加している無尽の数は平均1〜3つ。付き合いが多い人は10、20も参加する人もいる。しかし、最近は人間関係が希薄になり、どの無尽にも属していないという人も増えているという。
メンバーは学生時代からの友人や職場の友人、趣味の仲間など気の合う人同士というのが基本。男性同士、女性同士、同年代が多いと思いきや、「草野球の無尽」「カメラ仲間の無尽」など趣味の集まりになると、幅広い世代が集まることもあるそうだ。
無尽を行う場所は、居酒屋やレストランが多いという。しかし、休みの日などはキャンプに行ったりバーベキューをしたり、食事をしたあとスーパー銭湯でリラックスしたりと、様々な形で行われている。場所決めは、持ち回りの幹事が行うことが多い。
女性の無尽は、いわゆる女子会的な雰囲気。食べたり飲んだりが好きなメンバーだと毎回場所にもこだわり、話題のおいしい店で行うことが多いとか。ちなみに、無尽は夜に行われることが多いが、家庭を持っていたりお子さんがいたりする女性でも、「無尽だけは特別」と家族が快く送り出してくれるそうだ。
積立金はみんなで有意義に使う
融資制度の名残で、積み立てをするグループも
積立金の場合は、その日集まったお金を各メンバーがローテーションで持って帰る形が主流。例えば、メンバーが5人いて1人1万円払うとすると、合計5万円を1人が持って帰るということになる。使い道はそれぞれに任されているので、貯金をする人もいれば欲しかった物を買う人もいる。
一方、目的を決めて積み立てをするグループもある。例えば、旅行好きの集まりならば、目標金額がたまったらそのお金を使ってみんなで旅行するという具合。あるいは、毎回食事代を少し多めに徴収して積み立てていき、忘年会でパーッと使うというケースもあるという。いずれにしても、細かくは仲間同士で話し合って決めるそうだ。
山梨県の飲食店は「無尽承ります」
山梨県の居酒屋やレストランの看板やホームページには、他の地域ではあまり見られない「無尽承ります」という文言が記載されている。それだけ無尽が根づいている証拠と言えるだろう。次は、そんな「無尽承ります」を掲げている山梨県甲府市・笛吹市の居酒屋「北海屋」に話を聞いてみた。
「北海屋」のホームページには「無尽承ります」の文字が明記されている
北海屋では、月に20件ほどの無尽が行われるそうだ。いろいろなグループが訪れるというよりも、無尽の常連さんがいて、例えば「毎月第3土曜日は、北海屋で無尽」と決めて同じグループが訪れることが多いという。そのため常連さんから予約が入ると、お店の方は「また無尽だな」と分かるそうだ。
人数は5〜10人でそれほど多くないので、メニューはお店に来てから決めるグループがほとんどだという。北海屋は、すしや刺身など新鮮な海の幸を中心に、バラエティに富んだメニューを提供している。それぞれ好きなものを注文して、気の置けない仲間とのひとときを楽しむそうだ。
ちなみに北海屋スパランド店は、宿泊できるスパ施設が併設されているため、泊まりで無尽を行うグループもいるという。これなら飲んでも安心、心ゆくまで楽しめるということで、こちらの店を利用する人も多いそうだ。
無尽があるからがんばれる! 生活の張り合いに
山梨県の珍しい習慣「無尽」。単なる飲み会とも言えるが、無尽によって楽しみが増えて充実した生活を送っているという人が多いそうだ。定期的に気の合う友人に会い、おいしい物を食べて飲む。そして次の無尽の約束をする。何げないことのようだが、こうやって仲間とつながっていることで毎日頑張れるのだという。
また、人とのつながりが薄れがちな高齢者も、無尽に参加することによって生活に張り合いが出るという人も多い。たくさんの無尽に参加している人ほど長生きするという話もあり、生きがいにつながっているようだ。
基本的には特定のメンバーで行われるため、県外の人はなかなか参加できないが、知り合いなどがいれば一度参加させてもらってみるといい。もしくは、居酒屋などで無尽らしき会が行われていたら、その様子を眺めてみたりするのも面白いかもしれない。
http://news.mynavi.jp/news/2013/04/14/027/
afurika_careさん 2012/7/12 16:56:50
山梨県のことをどう思いますか?
現在山梨県に住んでますが人間も短気で性格がキツいし最悪。
給料安い。仕事もロクな仕事が無い。車が無いと不便極まりない。
早く転勤したいです。
yamairaniranさん 2012/7/18 08:29:22
・山梨県をどう思うか → 今まで住んだ中で最悪(甲府よりも県内の田舎に行くほどひどいと感じる)
・県民性→
排他的
県内と県外に分けたがる
盆地だからか古めかし~い地区の冠婚葬祭を今だ続けている
会社まで休まされる
自慢話が好き
妬み僻みがすさまじい
ケチが多い
・給料→
安い
大企業は他県へと移転したり、そもそも大企業があっても工場であり、数も限られている
・仕事→
土木建築関連が県の予算も多く公共工事が県の主な産業なのだろうか?
販売系も愛想が悪い
デパートの店員にタメ口で話された経験有
・・・デパートもメジャーなデパートなし
・不便→
そのとおり
バス高いし本数ない
車がないと不便極まりない
運転も運転マナーも良くない
選択肢がすべてにおいて少なすぎる
全てにおいてレベルがお粗末
siettela_siettelaさん 2012/7/17 02:11:41
他県から山梨に来た者ですが正直な所、一ヶ月で嫌気がさしました(笑)
色んな地方に住みましたが、こんなに嫌だと思ったのは初めてです。
まず、車がないと生活出来ない。バスは料金が高いし、中心街に住んでるわけじゃないので電車も殆ど来ないです。
自然はいっぱいですが、遊ぶ所が殆どなく、場所によってはかなり過疎っていて寂れてる感じです。店も閉まってる方が多かったりします。
人間性ですが、他の所から来た人を快く受け入れず、よそ者と言うくくりでずっと扱います。隣町から移り住んで何十年経っていても、よそ者扱いされてる人もいるぐらいです。
あと、とにかく自慢話が凄いです。永遠に聞かされます。そして他県をけなします。とくに都会の人をけなします。
やたらと『若いってよく言われる。いくつに見える?』と聞くジジババが多かったです(笑)大抵、年齢より上に見えるんですが…。
噂話好きで、よくデカイ声で井戸端会議してます。早朝からです。田舎時間なのか、朝早くに悪びれる事もなく訪ねて来ます。
いい人もいるけど、気が強く、押し付けがましい人が多い気がします。
あと、うちの地域だけなのか、やたらと募金だのイベントだの、お札代だのとお金を集めに来ます。
いい所は自然いっぱいで景色がいい、果物が豊富で野菜も新鮮。ぐらいです。
本当に仕事がないです。給料も安いです。早く引っ越したいです。
japan2012okさん 2012/7/15 12:47:36
山梨県について思うのは・・・住みたくないと言う事です
過去に日本国内、とある島を含め数箇所住みましたが、
ここまで嫌な思いや、不便、理不尽を感じたことは山梨のみです。
旅行で行くぐらいなら良い所かもしれません
しかし、住むと質問者様が書かれている事がピッタリ当てはまる場所だと思います
質問者様が他の都道府県から来られた方ならあまりの田舎に驚かれたことと思います。
わたくしも他の都道府県から来ましたが長年「いつか慣れる」と思ってたのですが
いまだに慣れません。
住みにくい生き辛い場所だと思います
ただの田舎ならのどかで良いのかもしれませんが
山梨県は県民性が都会などでもまれてる人が少なく、田舎の価値観そのまま、自分と山梨中心の価値観を押し付けてきます
さらに他人の家庭やあらゆることにズケズケと平気で口を挟みます
地域には噂大好き田舎人が必ずいて、誇張した噂を流す人がいます
井の中の蛙のような人間がたくさんいます
自分と自分の(東京・埼玉・熊本・大阪・神奈川)から来た友人達の感じる山梨県は
地縁、コネ、都会に対する妬み、やっかみ、嫉妬深さに損得勘定に見栄っ張り
黙ってはいられないのかすぐ大声で口をはさむ、人の話を聞かない頑固さ
山梨に来て良かったことがこれといってないどころか、早く他に引越しをした方がよいという感想です。
仕事もスキルが高い人は少ないです
恐らく元々のスキルが高い人は東京や大阪など大都会に本社のある会社に就職しているでしょう
そして優秀な成績の子供達は山梨以外の大学へと県外に出ているでしょう
ですから山梨にどうしても帰らなければならない理由がある人以外はあまり山梨にすまないのではないでしょうか
山梨から出れないで過ごしている人も多いです
進学しないとか、就職も山梨県民お得意のコネ頼みなど
仕事も大手企業はありませんし、山梨県民が自慢する仕事は「役所」「地元地方銀行」「教師」の3点ぐらいなものです
車がないと身動き取れません
街つくりも下手ですよね、いちいちアクセスが悪すぎ
風景も綺麗というよりは特に冬場は悲しくなりますよ、
枯れた山に木が四方に見えますから廃墟みたいに感じます
仕事で来られた方も都会から来て山梨が嫌で、途中から単身赴任で子供や奥様が戻られるケースもあります
まあ、個人的には住みたくない県です
今後も人口は減るんじゃあないでしょうか?
もともとの山梨県民の中にも都会暮らしを経験した方は、山梨の不便さを嫌ってる人もいますし近所関係の深い深い関わりが苦痛だと言ってる方もいますので
住んでいる人々が悪いのではなく地形的にこのようになってしまったのでしょうね
東京と埼玉、東京と神奈川、大阪と奈良、滋賀と京都、などのように日々、日常的に他の県民と会ったり通勤通学ができる場所であったら、ここまで排他的で狭い視点の県民性にはならなかったかと思われます
早く転勤が決まればいいですね
ryghm962さん 2012/7/14 20:34:19
様々なところで地方生活を送りましたが、一番肌には合わなかったですね。
地方は不便、これは共通の課題(魅力とも捕らえられますが)です。
ただ、とにかくエゴイストが多すぎますよね。
それは人の性格のみならず、街づくりにも垣間見られます。
石和は温泉資源を持ちながら、街並はバラバラ。
どこも「うちさえ売れれば」の雰囲気で、情緒的な「温泉街」としての街並は最悪。
表面・無駄な見栄張りの重なりは県民性を表してますよね…
cat2jpさん 2012/7/13 16:36:29
私も転勤で、甲府に暮らしたことがあります。
正直、田舎コンプレックス丸出しの人たちが多いと思います。
良い思い出の無い街でした。
食べ物もまずいし(私の口には合わなかった)、飲み屋もロクなのないし、
女の子もブス(私好みの女性がいなかった)ばっかりだし。
早くイイところに転勤できるといいですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1390577563
hm_luxuryさん 2014/3/16 23:12:46
仕事で山梨県にきてます。かわってる人が多くいる印象です。
悪口ばかり言ってるし(こそこそ)仲いいのかわからない会話している。
横浜出身ですが、このようなこと感じたことないから。同じ境遇の方いますか?
kokutetsuakajiさん 2014/3/17 01:53:05
ああ、それが山梨県民ですよ。
早く出世して山梨から脱出した方がよい。
私は逆に山梨から神奈川へ出た人間ですが、神奈川って、なんとまあ人間の質が素晴らしい県かと思ったけど、その後いろんな土地に住み、いろいろな都道府県の出身者と関わってみると、悪い意味で山梨が特別だということがよくわかりました。
残念なことに今はまた山梨で暮らしていますが、山梨出身でも山梨以外を知ると二度と帰りたくないと感じるのが山梨(県民)です。
育った場所なので、風景や自然は懐かしく感じますが、県民とは関わりたくない、そういう県です。
日本にはこういう地域もあるんだなと、勉強のつもりで頑張ってください。
必ず、山梨を出る日はきますから。
プロフィール画像
springkp1677さん 2014/3/20 11:06:06
旦那の仕事の都合で東京から山梨にきました。
最初の一年マンションに住み、その後会社近くの一戸建てを購入したのが大間違い。
マンションに居る時は気が付かなかったのですが、めちゃくちゃ住民の性格が悪いですね。
人の悪口言いまくり。常に誰かを仲間外れにしないと気が済まないみたいです。
お年寄りだけならまだしも、若い人も他県出身というだけで敵対視します。
私は東京で生まれ育ち、色々な県民の方との交流がありましたが、山梨県民最悪です。
我が家は旦那の定年をもって山梨とはおさらばする予定です。
プロフィール画像
pomery_popさん 2014/3/18 22:06:24
自分も仕事で山梨県に来ました。
典型的な山梨県民ですね。
仲良さそうに接しててその人が居なくなった途端に悪口・陰口を言う…。
あと、山梨県外から来た人にはいじめ、嫌がらせ等する山梨県民もいるので気をつけて下さい。
いい人もいるけど、全体的に自己中・傲慢・陰湿・ケチでセコい人が多いと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12122591922
▲△▽▼
『人口減社会の未来学』から - 内田樹の研究室 2020-03-18
ちょうど2年前に『人口減社会の未来学』という編著書を出した(文藝春秋、2018年)。寄稿者は常連の平川克美、小田嶋隆のほかに、池田清彦、平田オリザ、ブレイディみかこ、姜尚中、藻谷浩介ら錚々たる論客。私が序論を書いた。
この文中の「人口減」を「コロナウィルス禍」と書き換えても、ほとんどそのまま使えるということに気がついた。そのつもりで読んで頂きたい。
人口減社会の未来を予測する書物は、本書を含めて、これからいくつも出版されると思います。このような国民的な問題については、できるだけ多くの書き手によって、できるだけ多くの知見が示されるべきだと思います。未来はつねに霧の中です。霧の先にどういう風景が広がっているかについては、確定的なことを言える人は一人もいません。ですから、論者の数だけ未来像が語られることになる。この場合、予測される未来像が違えば違うほど、僕たちが書き出さねばならない「心の準備」のリストは長大なものになります。
ところが、僕たち日本人はこの起こるかも知れないことについて「心の準備をする」ということがどうも大変に苦手らしいのです。上の依頼文の中で、人口減社会の未来予測は「世界各地で同時多発的に、いくつもの領域で始まりつつある」と僕は書きました。たしかに海外では数年前から「脱成長論」や「定常経済論」が重要な論件になってきています。でも、日本社会にはそれが喫緊の論件だという切迫感がまだありません。それが不思議です。なぜなら、日本は世界で最初に超少子化・超高齢化のフェーズに突入する国だからです。かつて世界のどんな国も経験したことのない、歴史上前例のない局面に踏み込む。にもかかわらず、「その時何が起きるのか?」についての予測がなされていない。僕のような経済学とも人口学とも制度論ともまったく無縁の人間が「こんな本」の企画の編者に呼ばれるのは、率直に言えば、専門家がこの議論を忌避しているからです。「人口減社会の予測や対策は専門家にお任せください。素人さんが出しゃばることないです」と専門家が言ってくれるなら、僕だって心配しません。そもそも僕のような素人のところにこんな企画が回ってくるはずがない。でも、現に僕は「こんな文」を書いている。この事実そのものが、日本人が人口減社会に対する備えができていないことを証拠立てています。
もう一度言いますけれど、僕たち日本人は最悪の場合に備えて準備しておくということが嫌いなのです。「嫌い」のなのか、「できない」のか知りませんが、これはある種の国民的な「病」だと思います。
戦争や恐慌や自然災害はどんな国にも起こります。その意味では「よくあること」です。でも、「危機が高い確率で予測されても何の手立ても講じない国民性格」というのは「よくあること」ではありません。それは一つ次数の高い危機です。「リスク」はこちらの意思にかかわりなく外部から到来しますが、「リスクの到来が予測されているのに何も手立てを講じない」という集合的な無能は日本人が自分で選んだものだからです。「選んだもの」が言い過ぎなら、「自分に許しているもの」です。
人口減そのものは天変地異ではありません。自然過程です。キャリング・キャパシティを超えた人口膨張に対して、人類が生き延びるために無意識的に選択しつつある集団的な行動です。
70億という人類の総人口はどう考えても地球環境への負荷としては過大です。それでも、22世紀までは人口はさらに増え続けます。2050年には97億人、2100年には112億に達すると予測されています。それだけの人口に対して、エネルギーや食糧や水や医療や教育資源を安定的に供給できると思っている人はたぶんいないでしょう。現在でさえ、世界では8億人が栄養不良状態にあります。9人に1人が飢えている。それにもかかわらず、世界人口はこれから30年でさらに30億人、1年一億のペースで増え続けます。
人口が際立って増えるのは、インド(4億人)、ナイジェリア(2.1億人)、パキスタン(1.2億人)、コンゴ(1.2億人)、エチオピア(9千万人)、タンザニア(8千万人)、アメリカ(7千万人)、インドネシア(6千万人)、ウガンダ(6千万人)などです。
これらの国々において、30年後は今より政情が安定し、経済が好調で、民心が穏やかになっていると予測するためにはよほどの楽観が必要でしょう。これ以上の人口増を受け入れるだけの体力は(アメリカを除いて)これらの国々のどこにもありません。ですから、地球環境が持続可能な状態にまで人口が減少するのは自然なことですし、合理的なことです。人口減それ自体があたかも「忌まわしいもの」でもあるかのように語るのはまったく当を失しています。先進国はどこでも(アメリカを除いて)これから人口減局面に入ります。22世紀にはアジア、アフリカを含む全世界が少子・高齢化、そして人口減局面を迎えます。これは「誰の身にも起きること」なのです。まずそのことを認めるところから始めないと話になりません。
誰の身にも起きることであるわけですから、早晩どこの国もそれに対する備えを始めなければならない。でも、最も早くその危機に遭遇する日本では、なぜかそれに対する備えが始められていない。人々はそのことについては考えないようにしている。駝鳥が砂に頭を突っ込むように、危機の接近に気づかないふりをしている。人口減社会の実相についての具体的な考察に入る前に、僕は序文においてこの日本人の集団的無能についての予備的な考察をしたいと思います。少し長い話になりますけれど、ご容赦ください。
先日、毎日新聞が「縮む日本の先に」という座談会を企画しました。「人口減がなぜ深刻な問題なのか、どのような課題に、どのように向き合っていけばいいのでしょうか」という記者の問いに、ある人は「楽観する問題ではないが、かといって悲観的になるのではなく、人口減は既定の事実と受け止めて、対処法をどうするか考えたらいい」と回答しました。ある人は「人口が減っていくと『衰退宿命論』が社会に広がっていく。すると、なすべき対応を忘れ、社会は転落する」と回答しました。別の人は「人口減に対応する社会システムを作る必要があるだろう」と回答しました。その後、個別的な議論になって、東京一極集中から地方分権へ、定年制の延長と高齢者の就労促進、年金支給年齢の引き上げというような当たり障りのない意見がぱらぱらと出た後、最後に政治家が(福田康夫元首相でしたが)「国家の行く末を総合的に考える中心がいない」と冷たく突き放して座談会は終わりました。
ここから知れるのは、人口減社会に対して、行政のどの部署が対応策を起案するのか、その提案の適否は誰がどういう基準に基づいて判断するのかについて、今の日本にはまだ何の合意も何のルールも存在しないということです。「人口減に対応する社会システムを作る必要があるだろう」というようなことを行政の専門家が今頃(自分にその起案責任があるのではないかという自覚をまったく欠いたまま)言っているという事実に僕たちはもう少し慄然としてよいと僕は思います。
「最悪の事態」に備えてさまざまなプランを用意するということを日本人は嫌いますけれど、それはかなりの程度まで日本人の民族誌的奇習だと思います。とりあえずアメリカは違います。
前にも書いた話ですけれど、手ごろな傍証なのでまた引かせてもらいます。『エアポート77/バミューダからの脱出』(1977年)というパニック映画がありました。ジャンボ機がハイジャックされ、バミューダ海域で故障して水没する。アメリカ海軍が救難信号をキャッチして現地に急行し、ジャンボ機を乗客ごと引き上げるための大規模な救助作戦が始まる・・・という「あらすじ」を書いただけで「よくあるパニック映画」だとわかると思います。さしてサスペンスも盛り上がらず、爽快感もない凡作なのですけれど、それを休日の昼間に寝転んで見ていて強い違和感を覚えた場面がありました。それはジャンボ機の引き上げ作業(それは海底に沈んだ機体に風船をくくり付けて浮かび上がらせるというものなんですけれど)を始めるに当たって、艦長が「それだと作戦第何号だな」と言って、艦橋のロッカーを開けて、そこにびっしり詰まっている作戦実施要領ファイルの中から一冊を抜き出し、艦内放送で「これから作戦第何号を実行する。なお、これは演習ではない」と告げた場面でした。僕は思わずテレビ画面に向いて「おい」とつぶやいてしまいました。「海底30メートルのところに乗客ごと沈んでいて、浸水し、酸素がなくなってきたジャンボ機を風船で浮かせる」オペレーションに特化したマニュアルがあって、乗組員たちはその演習をこれまで何度か繰り返して来ているという設定があまりに非現実的なものに思えたからです。でも、このシナリオがユニヴァーサル映画の企画会議を通って、1000万ドルの製作費が出たということは「こんなご都合主義の設定はいくら何でも客が怒り出すだろう」と言った人がユニヴァーサルにはいなかったということを意味しています。
僕はこの時に「危機」というものについての考え方が日米ではずいぶん違うのだと思いました。「ふつうは起きないこと」を網羅的に列挙し、それぞれについて逐一対応策を用意しておくことをアメリカ人は「無駄」だとは考えない。むしろ、「誰も思いつかなかったような最悪の事態」を思いつき、それに対処するプランを立案できる能力にアメリカ社会は高い評価を与えるらしい。
「カタストロフが過去に一度も起きなかったということは、それが将来において決して起きないということの根拠にならない」という命題は(デイヴィッド・ヒューム以来)英米の知性にはおそらく深く内面化されている。「これまで起きなかったこと」はこれからも起きない蓋然性が高いけれど、それはあくまで蓋然性に過ぎない。蓋然性の見積もりに主観的願望を関与させてはならない。これがおそらくはアングロ=サクソン的知性にとっての「常識」なのです。でも、これは日本では常識ではありません。日本では話がみごとに逆転します。起こる確率の低い破局的事態については「考えないことにする」。それが本邦の伝統です。
その傾向が最も極端なかたちで発現したのが、さきの大戦のときの大日本帝国戦争指導部でした。「これがうまく行って、これもうまく行けば、皇軍大勝利」という「最良の事態」ばかりを次々とプレゼンできる参謀たちがそこでは重用されました。もちろん現実はそんなに都合よくはゆきません。敗色が濃厚になってから後はほとんどすべての作戦は失敗しました。けれども、作戦が失敗した場合も、その責任はしばしば作戦起案者ではなく、現場の指揮官や兵士たちが指示通りに行動しなかったことに帰されました。作戦が成功すれば立案者の功績、失敗すれば実行部隊の責任。ノモンハン以来、インパールでもフィリピンでもずっとそうでした。
ですから、作戦起案時点で、「最悪の事態」を想定する人間が出て来るはずがない。「もしプランAが失敗したらどうするんですか?」という問いは「そういう敗北主義が皇軍の士気を低下させて、作戦の失敗を引き寄せるのだ」というロジックでただちに却下された。
先の座談会でも、四人の論者たちは全員が「悲観的になってはならない」という点では一致していました。確かに、その通りかも知れません。けれども、この場合に気をつけなければいけないのは、日本社会では「最悪の事態を想定して、その対処法を考える」という態度そのものが「悲観的なふるまい」に類別されるということです。だから、「そういうこと」をしてはならないと厳命される。悲観的になると人は「衰退宿命論」に取り憑かれ、「なすべき対策を忘れ」、そのせいで「社会は転落する」からです。
危機的な事態に備えている人間は別に悲観的になっているわけではないと僕は思います(とりあえず『エアポート77』を見る限りではそうです)。でも、そういうふうに考える人間は日本社会では例外的少数であるらしい。というのも、たしかに彼らの言う通り、日本人は「最悪の事態」を想定すると、それにどう対処するかをクールに思量し始める前に、絶望のあまり思考停止に陥ってしまうからです。
人口減は対処を誤ると亡国的な危機を招来しない問題ですけれど、それについては政府も自治体もまだ何も手立てを講じていません。どの部局が手立てを講じるべきかについての合意さえない。それは「悲観的になると、何も対策を思いつかない」という信憑がひろく世間に行き渡っているからです。現に、経験知もそう教えている。悲観的になると日本人は愚鈍化する。
そして、その反対の「根拠のない楽観」にすがりついて、あれこれと多幸症的な妄想を語ることは積極的に推奨されています。原発の再稼働も、兵器輸出も、リニア新幹線も、五輪や万博やカジノのような「パンとサーカス」的イベントも、日銀の「異次元緩和」も官製相場も、どれも失敗したら悲惨なことになりそうな無謀な作戦ですけれど、どれについても関係者たちは一人として「考え得る最悪の事態についてどう対処するか」については一秒も頭を使いません。すべてがうまくゆけば日本経済は再び活性化し、世界中から資本が集まり、株価は高騰し、人口もV字回復・・・というような話を(たぶんそんなことは絶対に起きないと知っていながら)している。思い通りにならなかった場合には、どのタイミングで、どの指標に基づいてプランBやプランCに切り替えて、被害を最小化するかという話は誰もしない。それは「うまくゆかなかった場合に備える」という態度は敗北主義であり、敗北主義こそが敗北を呼び込むという循環的なロジックに取り憑かれているからです。そして、この論法にしがみついている限り、将来的にどのようなリスクが予測されても何もしないでいることが許される。
その点では現代日本のエリートたちも先の戦争指導部とマインドにおいてはほとんど変わりません。いずれの場合も高い確率で破局的事態が到来することは予測されている。けれども、破局が到来した場合には社会全体が大混乱に陥るので、そんな時に「責任者は誰だ」というような他責的な言葉づかいで糾明する人間はもういない。そんなことしている暇もないし、耳を貸す人もいない。だったら、いっそ破局まで行った方が個人の責任が免ぜられる分だけ「得」だ。それが「敗北主義が敗北を呼び込む」というロジックの裏側にある打算です。
東京裁判の時、25名の被告の全員が「自分は戦争を惹起することを欲しなかった」と主張しました。満州事変についても、中国との戦争についても、太平洋戦争についても、被告たちは「他に択ぶべきはかれていなかった」と述べて責任を忌避しました。例えば、小磯國昭は満州事変にも、中国における軍事行動にも、三国同盟にも、米国への戦争にも、そのすべてに個人的には反対であったと証言しました。これに驚いた検察官は、なぜあなたは自分が反対する政策を執行する政府機関で次々と重職を累進しえたのかと問い詰めました。それに小磯はこう答えました。
「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります。」(丸山眞男、『現代政治の思想と行動』、未來社、1964年、109頁)
丸山眞男はこの証言を引用した後にこう記しています。「右のような事例を通じて結論されることは、ここで『現実』というものは常につくりだされつつあるもの或は作り出され行くものと考えられないで、作り出されてしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこかから起って来たものと考えられていることである。」(同書、109頁、強調は丸山)
被告たちは戦争指導の要路にありながら、自分たちが戦争という現実を作り出したということをかたくなに拒みました。戦争は人間の能力を超えた天変地異のように「どこから起って来たもの」として彼らには受け止められていたのです。それゆえ、その圧倒的な現実に適応する以外に「択ぶべき途は拓かれていなかった」と彼らは弁疏したのです。
戦争がコントロール可能な政治的行為だとするならば、どのような理念と計画に基づいて戦争を始めたのかについての政治責任が発生します。けれども、「どこかから起って来た」天変地異的な破局であるならば、誰の身にもいかなる政治責任も発生しない。ですから、いささか意地の悪い見方をすると、戦争指導部の人々は敗色濃厚になってから後は「戦争が制御不能になること」をこそむしろ無意識的には願っていただろうと僕は思います。
1942年のミッドウェー海戦で海軍はその主力を失い、もう戦争遂行能力はなくなっていました。ですから、その時点で講和の交渉を開始することは選択肢としては合理的でした(現に、木戸幸一や吉田茂らは和平工作を始めていました)。でも、例えば講和の条件として、大日本帝国の継続を認める代わりに、満州や朝鮮半島や台湾の植民地を手離すことを求められが場合、何が起きたでしょう。「誰が、何をめざしてこのような無謀な戦争を始めたのか? 国益を損なったのは誰だ?」というきびしい責任追求が行われたはずです。統治機構がまともに機能していて、国民生活が平常に送られていて、ジャーナリズムがまだ生きていたら、戦争指導部の責任が問われたはずです。その場合には、後に東京裁判で被告席に立たされることになった人たちの多くは日本人自身の手によって裁かれたはずです。でも、戦争が制御不能になり、統治機構が瓦解し、人々が戦火の下を逃げまどい、政治的意見を語る場も対話の場もなくなれば、事態があまりに破局的であるがゆえに日本人自身による戦争責任追及の機会はなくなる。人々はとりあえずその破局的現実に適応して、生き延びることに全力を尽くすしかない。そして、国運が決した以上、「自分の意見は意見、議論は議論」として脇に措いて、生き延びたものたち同士で手を取り合い、国を再建する事業に取り組む、それが「課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方」であるということになる。「一億総懺悔」というのはそういうことです。この破局は天変地異なのだから、そんな修羅場で「誰の責任だ」というような野暮は言うな、と。
自分の手で敗戦処理ができるだけの余力がある間は(責任を問われるから)何もしない。ひたすら天変地異的な破局が天から降って来るまで(あるいは「神風」が吹いて指導部の無為無策にもかかわらず皇軍勝利が天から降って来るまで)手をつかねて待つ。
この病的な心理機制はさきの敗戦の時に固有なものではありません。今もそのままです。手つかずのまま日本社会に残っている。現に、今もわが国の指導層の人々は人口減がどういう「最悪の事態」をもたらすのか、その被害を最小化するためには今ここで何を始めればよいのかについては何も考えていません。悲観的な未来について考えると思考が停止するからです。自分がそうだということはわかっているのです。それよりは無根拠に多幸症的な妄想に耽っている方が「まだまし」だと判断している。楽観的でいられる限りは、統計データを都合よく解釈したり、リスクを低く見積もったり、嘘をついたり、他人に罪をなすりつけたりする「知恵」だけはよく働くからです。そうやって適当な嘘や言い逃れを思いつく限りは、しばらくはおのれ一人については地位を保全できるし、自己利益を確保できる。でも、悲観的な未来を予測し、それを口にしたとたんに、これまでの失敗や無作為について責任を問われ、採るべき対策の起案を求められる。そんな責任を取りたくないし、そんなタスクを課せられたくない。だから、悲観的なことは考えないことにする。早めに失敗を認めて、被害がシステム全体には及ばないように気づかった人間がむしろ責任を問われる。非難の十字砲火を浴び、謝罪や釈明を求められ、「けじめ」をつけろと脅される。それが日本社会のルールです。システム全体にとっては「よいこと」をしたのに、個人的には何一つ「よいこと」がない。だったら、失敗なんか認めず、「すべて絶好調です」と嘘を言い続けて、責任を先送りした方が「まだまし」だということになる。
これはバブル期の銀行経営において見られたことです。銀行経営者たちは不良債権のリスクを知りながら、自分の在任中にそれが事件化して責任を問われることを嫌って、問題を先送りし、満額の退職金をもらって逃げ出し、銀行が破綻するまで問題を放置した。彼らは早めに失敗を認めて、被害を最小化することよりも、失敗を認めず、被害が破局的になる方が「自己利益を確保する上では有利」だと判断したのです。
どんな世の中にもそういう利己的な人間は一定数存在します。これをゼロにすることはできません。けれども「そういう人間」ばかりが統治機構の要路を占めるというシステムはあきらかに病んでいます。その意味で現代日本社会は深く病んでいます。(...)
以上、個人的な愚痴をまじえて長々と書いてきましたが、僕が言いたいのは、要するに日本社会には最悪の事態に備えて「リスクヘッジ」をしておくという習慣がないということです。ただ、誤解して欲しくないのですが、僕はそれが「悪い」と言っているわけではありません(そんなこと今さら言っても仕方がありません)。そうではなくて、どんな場合でも、日本人は「最悪の事態」に備えてリスクヘッジする習慣がなく、そういう予測をすること自体を「敗北主義」として忌避するという事実を勘定に入れてものごとを考えた方が実用的ではないかと言っているだけです。日本人というリスクファクターを勘定に入れておかないと適切なリスク管理はできない。そういう話です。車を運転する時に、ブレーキがよく効かないとか、空気圧が足りないとか、ライトが点かないとかいうことを勘定に入れて運転しないとえらいことになるのと同じです。「ちゃんと整備されていない車を運転させるな」と怒ってもしょうがない。それしか乗るものがないんですから。不具合を「込み」で運転するしかない。
僕たちがこれから行うのは「後退戦」です。後退戦の目標は勝つことではなく、被害を最小化することです。「どうやって勝つか」と「どうやって負け幅を小さくするか」とでは頭の使い方が違います。
勝つ時にはそれほど頭を使う必要はありません。潮目を見はからって、勢いに乗じればよい。でも、負けが込んできた時に被害を最小化にするためにはそのようなタイプの頭の使い方では間に合わない。もっと非情緒的で計量的な知性が必要です。
「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」というのは松浦静山の『甲子夜話』の言葉です(野村克也監督がしばしば引用したことで知られておりますが、もとは剣術の極意について述べたものです)。なぜ勝ったのか分からない勝ちがある。けれども、どうして負けたのか理由がわからない負けというものはない。勝ちはしばしば「不思議」であるけれど、負けは「思議」の範囲にある。だから、後退戦で必要なのはクールで計量的な知性です。まずはそれです。イデオロギーも、政治的正しさも、悲憤慷慨も、愛国心も、楽観も悲観も、後退戦では用無しです。ステイ・クール。頭を冷やせ。大切なのはそれです。
これからの急激な人口減はもう止めることができません。それによって社会構造は劇的な変化を強いられます。いくつもの社会制度は機能不全に陥り、ある種の産業分野はまるごと消滅するでしょう。それは避けられない。でも、それがもたらす被害を最小化し、破局的事態を回避し、ソフトランディングするための手立てを考えることはできます。それがまさに「思議」の仕事です。(後略)
http://blog.tatsuru.com/2020/03/18_1003.html
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日本はもはや“人口時限爆弾”、危機的な8つの兆候―米メディア
http://www.recordchina.co.jp/b193935-s0-c30.html
2017年10月18日(水) 5時50分
2017年10月15日、騰訊網は、日本が「人口の時限爆弾」と化していることを示す八つの兆候を挙げた米メディアの報道を伝えた。
記事は、米メディア・ビジネス・インサイダーの報道を引用。「日本は今、経済学者が指摘する人口の時限爆弾に対処している」としたうえで、日本が「時限爆弾」化している兆候を8点紹介した。
一つ目は、100歳の人口が約6万8000人に上り、対全人口比が世界のどの国よりも高くなっていること。
二つ目は、大人用紙おむつの販売数が、乳幼児用紙おむつの販売数を超えていることだ。
三つ目は、2016年の日本での出生数が過去117年で最低レベルに達したこと。1899年に現行の方法で統計を取り始めて以来初めて100万人を切るとともに、死亡者数も約130万人と低い水準になっているとした。
四つ目は、若い世代が自宅の高齢者を病院や介護施設に送り込んで事実上面倒を見るのを放棄していること。
五つ目は、刑務所が高齢者介護施設と化していること。日本では約5分の1の犯罪が高齢者によるもので、その多くは万引きである。高齢者の犯罪率が上昇するのに伴い、刑務所が事実上の高齢者施設になっている。看守たちの仕事が、高齢の受刑者の入浴などを補助することになっている、と記事は紹介した。
六つ目は、低い出生率で、これが続けば3776年8月12日には日本の人口がゼロになる計算だという。
七つ目は「もし40歳までに互いに結婚していなければ、私たち結婚しよう」という友達同士の会話が、日本では往々にして現実になること。
八つ目は「長時間労働による過労死が増えていること」を挙げている。いずれも人口問題に悩む日本の現状を表現したものだ。(翻訳・編集/川尻)
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>四つ目は、若い世代が自宅の高齢者を病院や介護施設に送り込んで事実上面倒を見るのを放棄していること。
最近は10万円で叩き売られている湯沢のリゾートマンションもそういう用途で買われていますね:
四つ目は、若い世代が自宅の高齢者を湯沢のリゾートマンションに送り込んで事実上面倒を見るのを放棄していること。
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内田樹 2017年07月31日 地方移住の意味するもの
http://blogos.com/article/237706/
先日、奈良の山奥の集落で、都会から移住してきた若者たちと話し合う機会があった。
都市住民の地方移住は3・11以来途絶えることなく続いているが、メディアはこれを特に重要なことだとは考えていないらしく、ほとんど報道されることがない。総務省も国交省も農水省も、この動きには特段の関心を示していない。そもそも今のところ、地方移住については公式の統計さえ存在しない。
2015年末に毎日新聞が明治大学の研究室と共同調査を行い、2014年度に地方自治体の移住支援策を利用するなどして地方に移住した人が1万1735人であることを報じた。それによると、09年度から5年間で地方移住者は4倍以上に増えたという。ただし、これは自治体の移住支援を受けた移住者だけの数であり、行政の支援を受けずに移住した人たちがおり、アンケート未回答の自治体もあるので、移住の実態は明らかにされないままである。
私はメディアと政府のこの無関心にむしろ興味をそそられる。過疎化・高齢化による「地方消滅」という危機的事態の切迫を考えると、若者の地方移住をどうやって支援するかということは国家的な急務だと私には思われるからである。だが、そのような熱意を政府やメディアから感じとることはない。なぜか。
そのときのトークセッションのテーマは「10年後の地方移住」というものであった。
集まってきた人たち(若者ばかりではない)はそれぞれの仕方で地方移住を果たした人たちである。住民たちと親しくなり、高齢の農業従事者からは「地域の農業文化を絶やす事なく継承して欲しい」と頼られるようになり、それなりに質の高い生活を営めるようになった。あと数年は「こんな感じ」で暮らしていけるだろう。けれども、10年後にはどうなっているのだろう。今のような生活がこの先10年後も20年後も維持できるのか。それについて意見を聴きたいと言われた。
私の見通しは明るいものではない。だから、こんなふうな話をした。
いま、みなさんが村落共同体のメンバーとして迎え入れられたのは、限界集落化という地方の窮状ゆえである。かつての村落共同体は、都市からやってくる「ニューカマー」たちに対してそれほど宥和的ではなかった。村の閉鎖性が解除されたのは、「このまま人が減り続ければ集落が消滅する」という危機感がリアルなものとなったからである。
だから、当然のことだが、移住者に対して最もフレンドリーなのが70代以上の高齢者で、それより年齢が若くなるほど移住者に対して距離感を持つということが起きる。同じことをいくつかの場所で聞いた。そうだろうと思う。「まだ時間がある」と思えば、見ず知らずの部外者の助力を求めるまでもなく、自力で何とかしようと考える。「もう時間が残されていない」と感じる人は「藁をもつかみ」、「猫の手」も借りたいと思う。閉鎖的な村落共同体の扉が緩んだのは高齢者たちが抱くこの危機感ゆえである。
だが、このような「チャンス」は長くは続かない。というのは、「脱都市」志向は文明史的な出来事だから、これからも続く者が出るだろうが、「限界集落消滅寸前」という事態にはタイムリミットがあるからである。
先日、私がある席で隣り合わせた岐阜県の人は、故郷の村はいま200戸あるが、子どもたちが引き続き村に住むと言っているのは2戸だけだと悲しげに語っていた。おそらくあと20年もすれば彼の故郷はほとんど住む人のない村になるだろう。
まだ集落としての体をなしているうちは移住者の受け入れもできる。だが、ある時点で、受け入れる主体そのものが消えてしまう。だから、地方移住はある意味で時間との競争なのである。このまま高齢化・少子化が進めば、20年後には「地方移住希望者をぜひ受け入れたい」と切望する集落そのものがなくなってしまう。諸君は「村落共同体の扉が一時的に開き、たぶん永遠に閉じる前の、ごく限られた時間帯」に地方移住を果したのである。そういう話をした。
気を付けなければいけないのは、地方の人口はなだらかな曲線を描いて減るのではなく、ある時点で一気に垂直に下降してゼロに近づくということである。先にあげた「200戸の集落が2戸になる」ケースを考えてみればわかる。2戸だけしか住人がいない集落にはもうバスも通らないし、学校もないし、病院もないし、警察もないし、消防署もない。住みたければ住んでもいい。
「そういう生き方」を自己責任で続けたいという人を止めることはできない。だが、同じ地方自治体の他の地域の住民と同じクオリティの住民サービスを行政に期待してはならない。そう告げられるだろう。住民が2戸だけの集落にバスを通したり、ライフラインを維持したりするコストを税金で分担することを、他の地域の住民は拒否するだろう。
だが、家族の中に子どもがいる場合は学校が近くになければ困る。介護看護を要するものがいる場合には病院が近くになければ困る。だから、人口減によって行政サービスが劣化した地域の人々は、生業を捨てて、「地方都市」へ移住することを余儀なくされる。
「コンパクトシティ」構想という国交省のプランは、この「里山から地方都市へ」という人口移動を利用しようとするものだと私は考えている。
たしかに、里山の住人たちを地方都市に呼び集めれば、一時的に地方都市は人口を回復し、消費活動も活発になるだろう。だが、それも一時的なものに終わる。そもそも里山の人口減は高齢化によるものである。高齢者を地方都市へ集めれば、地方都市が高齢化するだけの話である。彼らは年金や貯金の取り崩しによって、しばらくの間はいくばくかの消費活動を行い、介護など高齢者対象の雇用を創出しはするだろう。
だが、里山で営んでいた生業を継続することはもうできないし、新たに起業することも期待できない。そして、何年か経って、消費活動に特化したこの高齢者層が「退場」したあと、「コンパクトシティ」はかつての里山と同じステイタスになる。住民たちは「採算が取れない」という理由で、それまで享受していた交通や通信や上下水道や医療や教育や防災や治安のサービスを打ち切られる。
「採算が合わない行政サービスは廃止すべきだ」というロジックをかつて一度受け入れた以上、二度目も三度目も、受け入れ続けるしかない。かつて里山からコンパクトシティへ移住したように、今度は次の「もう少し大きい地方都市」への移住が促される。でも、やがてそこも人口減になる。すると、今度は「首都圏」への移住が促されるだろう。そして、最終的に首都圏に列島の人口の大部分が集まり、その外には「無住の荒野」が広がる。
「採算が合うか合わないか」ということを唯一の物差しにして、公共サービスの打ち切り・縮小を続けていれば、100年後の日本は「そういう光景」になる。
厚労省の中位推計によれば、100年後の日本の人口は約5000万人。今から7000万人ほど減って、日露戦争の頃の人口にまで縮減するのである。その5000万人が明治時代の日本のように列島各地に広く分布し、その頃のような穏やかな風景を取り戻すことになるのか、あるいは今私が描いたようなディストピア的風景になるのか、それはまだわからない。だが、経産省や国交省が描いている未来社会は「ディストピア」の方である。
前代未聞の人口減局面に立ち至って、まだ「経済成長」というようなことを言っている人たちなのだから、これからも「選択と集中」を呪文のように唱え続けるだろう。五輪や万博を招致し、カジノやアミューズメントパークを作り、リニア新幹線のような不要不急の土木事業に巨額の国富を投じ、「一発大当たりしたセクターからのトリクルダウン」を約束して、国民には増税や低賃金や私権の制限を求める。私は個人的にこれらの政策を「日本のシンガポール化」と呼んでいるが、政官財が日本の「明日の姿」として合意しているのはその方向と断じて間違いない。
シンガポールはご存じの通り、国是が「経済成長」であり、すべての社会制度は経済成長に資するか否かを基準に適否が決定される。だから、建国以来事実上の一党独裁であり、治安維持法によって令状なしで逮捕拘禁ができ、反政府的メディアも反政府的な労働運動も市民運動も学生運動も存在しない「世界で一番ビジネスがしやすい国」である。
然るべき筋に通じて、権力者によって「身内」認定されれば、面倒な手続きも審査も「岩盤規制」もなしに利益の多いビジネスが始められる環境のことをもし「ビジネスがしやすい国」と呼ぶのだとすると、本邦における森友学園・加計学園問題のプレイヤーたちがどういう社会体制を理想としているかはおのずと知れる。
地方移住する若者たちになぜメディアも行政も関心を示さないのか、なぜ里山をもう一度豊かな故郷に蘇生させようとする彼らの願いに対して国を挙げての支援体制を整えようとしないのか、その理由は以上の説明でだいたいご理解頂けただろうと思う。
地方移住者たちは直感的にそういう生き方を選んだ。それは経済成長が止まった社会において、なお「選択と集中」という投機的な経済活動にある限りの国富を投じようとする人たちに対抗して、まだ豊かに残っている日本の国民資源−温帯モンスーンの豊饒な自然、美しい山河、農林水産の伝統文化、地域に根付いた芸能や祭祀を守ろうとする人たちが選んだ生き方である。
先月号の『フォーリン・アフェアーズ・レポート』では、モルガン・スタンレーのチーフ・グロバル・ストラテジストという肩書のエコノミストが、経済成長の時代は終わったという「経済の新しい現実を認識している指導者はほとんどない」ことを嘆いていた。経済目標を下方修正しなければならないにもかかわらず、政治家たちは相変わらず「非現実的な経済成長を目標に設定し続け」ている。
中でも質の悪い指導者たちは「人々の関心を経済問題から引き離そうと、外国人をスケープゴートにしたり、軍事的冒険主義に打って出たりすることでナショナリズムを煽っている」(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』、2017年 第六号、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン、21−22頁)。
まるで日本のことを書かれているような気がしたが、世界中どこでも政治指導者たちの知性の不調は似たり寄ったりのようである。
だが、このエコノミストのような認識が遠からず「世界の常識」になるだろうと私は思っている。今求められているのは、この後始まる「定常経済の時代」において世界標準となりうるような「オルタナティヴ」を提示することである。若者たちの地方移住はその「オルタナティヴ」のひとつの実践である。海外メディアがこの動きを「超高齢化・超少子化日本の見出した一つの解」として興味をもって報道する日が来るのはそれほど遠いことではないと私は思っている。
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山谷。かつてのドヤ街の光景から少子高齢化の未来が見える
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171017T0213500900.html
日本は少子高齢化を放置してきたので、地方からどんどん寂れてしまっている。人口は急激に減少して、地方の僻地どころか、地方都市そのものまで人口が消えてマンションや民家に空白が増えている。
地方のこの惨状は、実際に自分の目で見て見ると「本当に日本はこのままで大丈夫なのだろうか?」と背筋に冷たい汗が流れるような恐怖に駆られる。
以前、広島の人口減で消えていく村や、廃墟になりつつある民家の写真を紹介したことがあるが、私は「人が消える」ということに居心地の悪い不安を隠すことができなかった。
これは実際に、誰もいなくなった限界村などを歩けば誰もが同じ不安を持つはずだ。もう一度、この写真を見て欲しい。それは「地方の死」に他ならないのである。
(滅びゆく地方の光景。やがてそれは日本の致命傷になる)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20150519T1709040900.html
私は東南アジアの多くの地方都市や何もない郊外を、野良犬のようにほっつき歩いてきたが、東南アジアで同じような不安を感じたのはインドネシア・モロ島くらいだ。
(不気味なインドネシア・モロ島と、打ち捨てられた村の女性)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20121031T0451180900.html
しかし今、改めて考えると不気味だと思ったモロ島以上に、日本の地方都市は人が消えて薄気味悪くなってきている。
2025年、「ついに東京都も人口減少」に向かう
私は一時期、地方のどこかに家を買って隠遁したように生きていこうと思ったことがあったのだが、実際に地方を回って過疎と限界集落の現場を見て止めた。
私は都会生まれの都会育ちなので、電気・ガス・水道・インターネット等のインフラが使えなくなったら日常生活が送れないと客観的に思っている。
もし、地方に家を買ってそこが限りなく過疎になったら、インフラが維持できなくなってしまう。そうなったら、私にできることは何もない。
だから、私は地方に住むのはリスクを抱えると直感して、以後は東京から離れる気をなくした。
何かのSF映画では、しばしば人類が絶滅して数人の人間が生き残って廃墟の街を歩くような場面が出てくる。
日本はあたかもその人類滅亡以後の世界を地方に作り出しているかのように見える。子供が消え、老人ばかりになり、やがてその老人も消えていき、最後に日本人全体が縮小していく。
その、じわじわと迫り来る未来に対して日本人が危機感を覚えないのは、人口の大多数が都会に住んでいることと、少子高齢化の現象はじわりじわりと進むので切実な危機感を覚えられないからである。
熱湯に入れたカエルは驚いて飛び出すが、じわじわと温度を上げていくとカエルはそのまま茹でガエルになる。それと同じ現象が日本に起きている。
都会に住む私たちはこの人口減を「田舎だけの話だ」と他人事のように思っているのだが、どのみちあと8年もしたら「ついに東京都も人口減少」に向かう。
2025年の日本は3人に1人が65歳以上となり、少子高齢化を解決することは不可能になる。不動産価格も全体的に崩落していく。
(マネーボイス:日本発地獄行き。「念願のマイホームを買う」という幸せゲームの末路)
http://www.mag2.com/p/money/314207
過疎化の地区がアメーバのように広がっていく絶望
東京は、どのような光景になっていくのだろうか。ぼんやりと、そのように考えていた時、ふと私の脳裏に浮かんだのは、「山谷」だった。
かつてドヤ街として知られ、日本中から労働者が集まって溢れんばかりの熱気にむせ返っていた山谷は、今や人々が消え、労働者も高齢化していなくなり、東京でありながら誰も関心を寄せない淀んだ空気の街となっている。
そこには昼間歩いても車の往来も人の往来もほとんどない。老いた人たちが目立つが、その老いた人たちですら少ない。
数年前に山谷を歩いた時に私が感じたのは、「この街は死んでる」というものだった。
2025年の日本が超少子高齢化によって活気を失っていくのだとすると、どのような光景をイメージしたらいいのか、私はその手がかりを現在の山谷に持っている。
今のまま少子高齢化の波を止められないというのであれば、東京は2025年以後、まだら模様に人口が少ないところから、今の山谷のようになっていくはずだ。
すでに東京では、26市1群や東京圏の外側からゆっくりと過疎が始まっている。
多摩ニュータウンも歯が抜けたように人口が消えており、今後は八王子市域や稲城市域でも人口減少に悩まされるようになっていく。
場所によってはすでに首都圏の過疎化が始まっているのだが、やがては過疎化の地区がアメーバのように広がっていき、あちこちで「都市内限界集落」のような場所が生まれていくことになるだろう。
家やマンションは買わない方がいいというのは、自分の住んでいる地域が過疎化して今の山谷のようになってしまう可能性もあるからだ。
資産価値が落ちるかもしれないのに30年以上にも及ぶローンで人生を消費しても仕方がないし、自分の住んでいる街が駄目になったら、さっさと住みやすいところに逃げられる身軽さを保つ方がよほどいい。
つい先日、平日の昼間に山谷に寄った。今の山谷がかつての熱気などまったくなくなっていることを写真から雰囲気を感じて欲しい。
泪橋を南下した都道464号線。昼間なのに人通りも少ないし、通っている車もそれほどない。誰もこの地区には用がないようだ。
テナント募集も「FOR RENT」もずいぶん古くなっているのが分かる。誰も入らない。山谷ではもはや「FOR RENT」すらもあきらめて見捨てられた建物もたくさんある。
ゴミを捨てるなと看板が出ているのに、そこにわざわざゴミを捨てている。そのまわりは誰もいない。
自転車に乗った高齢層が危なっかしくフラフラと自転車で大通りを走っている。危なっかしくても大丈夫だ。この大通りに車はほとんど走っていない。
作業衣を売っている店もあるが、もう商売をあきらめた雰囲気もある。労働者は高齢化して、誰も作業衣を必要としていない。
コンビニがあったが、利用しているのはやはり高齢者である。まだそれほど気温は低くなかったが、かなりの厚着をしている。路上に長い人は、厚着の傾向が強い。
道の奧まで見渡せるが、人がほとんどいないのが分かるはずだ。本当にこのあたりは人がいない。
「年金生活者、生活保護、保証人不要」を謳うのは大阪のドヤ街である「あいりん地区」と同じだ。高齢層の年金や生活保護費を狙うのが貧困街の貧困ビジネスである。
孤独な高齢者が、収容されているアパートから出てどこかに歩いていく。
見捨てられた建物。二階のガラスが割れている。もう誰も住んでいないのが分かる。
ドヤのひとつ「トキワ」。かなりの老朽化した建物であるのが分かる。
教会も老朽化している。ドヤ街にこうした教会が多いのは、貧困層の救済の意味もあるが、布教のためでもある。
三三ハウスは、労働者ではなく安い宿に泊まりたい外国人のバックパッカーのための宿だ。
個室は2200円、ドミトリーは1250円となっている。無料Wi-Fiも使えることになっている。
杖をついて歩く高齢層の姿もあった。この日、街に子供の姿はまったく見なかった。
いったいいつの店なのだろうか。氷販売……。まるで昭和40年代にでもタイムスリップしたかのような看板だ。
山谷の商店街「いろは会」も、昼間だというのにほとんど誰もいない。99%の店が商売をあきらめて店を閉じている。
アーケードの中。まったく活気がないのが分かるはずだ。シャッター通りなので、買い物に来ても何も買えない。
ただ、すべての店が閉まっているわけではない。雑貨屋のような店が開いていた。この店もまた古めかしい昭和の雰囲気がぷんぷんしている。
アーケードは撤去されるようだ。工事は平成29年5月からと書かれているが、工事が始まっている気配はまったくない。工事までやる気がないのだろうか。
この商店街のシンボルである「あしたのジョー」の看板がある。もはやジョーがいた頃の山谷と今の山谷はまったく違う光景になっている。
古めかしい旅館(ドヤ)だが、今でも健在だ。
空室あり。高齢化した労働者はドヤからドヤへと渡り歩くのではなく、年金や生活保護費をもらいながら、ドヤをアパートのように使っている。
自動販売機は70円だった。
かつての山谷は、このような建物がたくさん建ち並んでいたのだろう。この家もガラスが割れて見捨てられている。
この家も見捨てられている。恐らく家主が亡くなって、そのまま放置されてしまっているのだろう。
こうした見捨てられた建物が山谷にはあちこちに建っている。このあたりは日本堤なので、台東区になるが、東京23区でも見捨てられる土地は見捨てられるということだ。
人がいるのかいないのか、開いているのかいないのか分からない旅館も多い。
ここもまったく人の気配がない。ふと、私はゴーストタウンでも歩いているのか、という気分にもなった。
全室冷暖房が完備されて一泊2000円。月にすると6万円だから、年金だけの高齢者には厳しいかもしれない。
冷暖房が完備されているというのは、旅館の売りになっているようだ。
この旅館は完備されているようには見えない。しかし、表の自転車の数で見ると、住民が多いように見える。
やはり、誰も歩いていない。
ここも誰も歩いていない。人がいないところを探して写しているわけではない。本当に人が歩いていない。
やっと人を見つけた。やはり老いた人で、ゆっくりと私を追い抜いて歩いていく。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171017T0213500900.html
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日本発地獄行き。「念願のマイホームを買う」という幸せゲームの末路=鈴木傾城
2017年10月5日
不動産デベロッパーが仕掛ける持ち家信仰に踊らされ、家を買いたいと思う日本人は多い。彼らはこの国の確定した未来から目を背けている。どういうことか
日本で持ち家が「財産」だった時代はとうの昔に終わっているのに
この国自体が「終わっている」
日本は世界で最も激しい少子高齢化に突き進んでいる国であり、人口が減少している国でもある。人口が減っているということは、「働き手」も減っているということだ。
「働き手」のことを生産年齢人口というが、15歳から64歳までの人口もバブル崩壊以後、じわじわと減少している。
日本は、1990年のバブル崩壊から国が壊れたままで直せない状況にあると言える。
それは、バブル崩壊以後、26年に渡ってバブル期の株価の頂点であった3万8915円を一度も超えることができなくなっていることや、銀座の地価1億2000万円をも超えられないことを見ても分かる。
少子高齢化の放置、人口減の放置こそが日本を蝕む最大のガンであると、何度も繰り返し警鐘が鳴らされていた。しかし、日本政府はまったく手を打たず、日本人も危機感を覚えることがなかった。
今のままで推移するのであれば、日本は立ち枯れすることになる。だから、客観的かつ合理的に考えるのであれば、「日本に長期投資する」というのは正しいことではない。
これは株式であっても不動産であっても然りだ。もちろん、すべての企業、すべての不動産がじり貧になるわけではないのだが、全般的に見るとかなり厳しい状況になるのは間違いない。
「郊外に夢のマイホーム」という悪夢
私も日本の株式はいくらか持っている。しかし、日本株を増額する予定はまったくない。
短期的に見れば、円安が進むのであれば日本企業の売上が上がって株価も上がるという局面が起きるので、今年あたりは日本株を買っておくのは無駄ではないかもしれない。
しかし長期的な視点で見ると、日本への長期投資とは、日本特有の少子高齢化リスクを背負うことを意味する。それよりも、資本主義の総本山であるアメリカの株式市場に投資しておいた方が間違いない。
現在の資本主義を動かしているのはアメリカだ。アメリカには自社株買いを行い、高い配当を出し、増配する超優良企業が山ほど存在する。日本の株式市場でそれを探すよりも、簡単でシンプルで分かりやすい。
日本に投資して良い環境というのは、爆発的に人口が増えて少子高齢化が解消する頃である。そのメドが経ってからでも遅くない。
それがいつ来るのか、本当に来るのかは分からないが、「日本を蝕む最大のガン」が治癒したら、その時こそ日本に全財産を投じるべきだろう。
私が心配しているのは、人口減が進む今になってもまだ日本の不動産にこだわる人が多くいるということだ。
不動産デベロッパーが仕掛けてくる「持ち家信仰」に踊らされ、「自分の家」を買いたいと思うのだ。自分の家を買っても良かったのは、バブル崩壊前までの話である。
今後はよほどのロケーションでもない限り、不動産はじりじりと値を下げていくばかりと化す。
住宅ローンに追われて人生の大半を借金返済のために生きるくらいなら、値段の付く今のうちに売っておいた方がいい。日本の不動産は財産にならない可能性がある。
特に郊外の新興住宅地の不動産は厳しいことになる。
「売れるはず」のその不動産は、絶対に売れない
日本で空き家率が増えるのは避けられない。
総務省統計局は2011年より人口が年間20万人規模で減少しているとしている。少子高齢化が解消できないので人口減が止まらないのである。
さらに、若い「働き手」の多くは都会に行くので、まずは地方から、村や町が成り立たないほどの人口減に見舞われている。
こうしたところでは今後も人口が増える見込みが立たないので、借り手も買い手も見つからない。その結果、どうなるのか。不動産価格は暴落することになる。
また、こうしたところでは商業施設も病院も撤退し、個人商店も一代限りで廃業するので、取り残された高齢者は買い物すらもできなくなってしまう。現在、こうした買い物すらもおぼつかない生活をしている人は全国で約700万人もいる。
そのため、残された高齢者もそこで暮らすことができなくなり、やがては施設に入っていく。
「スラム化」の波は首都圏にも
東京圏は大丈夫だと思っている人もいるかもしれないが、東京圏でも埼玉や千葉は人口減に向かっており、空き家率はどんどん増えている。
バブル期、千葉の郊外に作られた1億円以上の住宅が、今や3000万円でも買い手が付かず、居住者はいなくなったり老いたりして建物もバケモノ屋敷のようになってしまっているというのはよく知られている。
また、高度成長期にあちこちに作られた「ニュータウン」も老朽化して無残な姿をさらけ出している。こうしたところではバス通勤が必要なのだが、人口が減ればバスも本数を極度に減らすか廃業するしかなくなる。
かくして、日本全国の空き家数は820万戸となり、それが売るに売れない状態となってしまっている。売れるはずだった不動産が売れないのである。
自分の家をローンで買う必要はまったくない
このような状況を冷静に見つめたとき、今後の日本で不動産が財産であるという考え方は成り立たないと考えた方が早い。都心なら大丈夫といっても、大阪でさえ人口減に見舞われているのだから、一筋縄ではいかない。
現在でも820万戸の空きがあり、さらに不動産デベロッパーが馬鹿のようにマンションをあちこちに建てているので、状況はもっと悪化する。
大量に供給されるものは、価値が下がる。日本の不動産を買うというのは、その価値の下がるものを買うということに他ならない。
価値の下がるものを買うのは投資ではない。つまり、日本の不動産を買うというのは、もはや投資ではない可能性がある。それは一部に上がるものがあるとしても、全般的に見ると下を見るからである。
仮に自分が不動産を買った地域が過疎化してしまうと、どうなるのか。空き家率が30%を超えると、その地域はスラム化に向かって突き進むことになる。スラムの不動産の価値などゼロに等しい。
住宅は「財産」ではなく「消耗品」
不動産デベロッパーは今も不動産が財産のように喧伝して住宅を買わせている。しかし、「住宅は財産」という考えは、一刻も早く捨てるのが好ましい。
住宅は「消耗品」であると考えるべきだ。家は古くなるし、壊れるし、ひっきりなしに手入れが必要だ。
莫大な住宅ローンを背負って家を手に入れても、返し終わった頃には土地も建物も価値を失っている。
家はボロボロで再び多額の修繕費をかけなければならない目に遭う可能性も高い。それは自分の家だから逃れられない。それができないと家がスラム化していく。日本中がそうなっていこうとしているのである。
確定した悲惨な未来
少子高齢化と人口減を甘く見てはいけない。それは猛烈なスピードでやってきている。そんな中で、自分の家を莫大なローンをかけて買うというのは、非常に問題な時代になっているのだ。
家はもう財産ではない。やがてそれが「お荷物」になる前に清算しておいた方がいい。特に自分の家をローンで買う必要はまったくない。今の日本の状況で言うと、家は消耗品なのだから、使い捨てるのが正しい。
http://www.mag2.com/p/money/314207
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20年後に田舎では水道の水は飲めなくなる 迫る老朽化と経営破たん
このグラフの先は必然的に、水道水が飲めなくなるのを意味している
引用:公明党https://www.komei.or.jp/var/files/storage/images/news/detail/20160831_21147/556121-1-app-WF/_1.jpg
水道水は飲めなくなる
日本は水道の水をそのまま飲む事ができる、世界で10カ国しかない国の一つだそうです。
だが10年後か20年後には飲めない地域がでてきて、数十年後には日本中で飲めなくなる可能性が、指摘されています。
理由の一つは設備の老朽化で、もう一つが水道事業者の経営悪化、そして水道技術者の減少が上げられています。
これらは相互に結びついていて、人口減少や公共事業費削減、人材育成の軽視、旧態依然とした行政などが原因です。
現在の水道は明治時代から戦前に基礎が作られ、戦後の成長期からバブル期に完成したものでした。
バブルの頂点から暫くは景気テコ入れのために公共事業費が増やされたが、その後「公共事業悪玉論」で大幅カットされました。
水道は老朽化してもすぐに使えなくなる訳ではなく、数十年超過しても一応蛇口から水は出てきます。
だが水道水はだんだん赤茶けた錆びや土を含むようになり、結局生水を飲めなくなります。
公共事業費が減らされた上に水道料金を支払う人口も減少しているので、水道会社は必要な設備更新ができません。
同じ公共設備でも電気会社大手は全国に10社しか存在しないのに、水道事業者は1344社も存在しています。
市町村が一つずつ水道事業者を持っているのだが、これはあまりに非効率で、水道危機の原因になりかねません。
こんな小さな水道事業者では人材育成もできず、職員は高齢化していて、若者はほとんど居ません。
水道自由化すれば田舎の過疎化が進む
いざ水道の大改修を全国規模で始めようとしても、その時にはすでに水道工事できる人材が居ないかも知れません。
小さな水道事業者が無数にあるので、例えばJRのように大都市の利益で赤字路線を支える事はできず、赤字なら閉鎖されるだけです。
アメリカは水道も資本主義なので、過疎地域では水道水が飲めないのは当たり前で、水道がない地域もかなり多い。
日本では水道の民営化が始まろうとしていて、始まったらバタバタと赤字水道会社は民営化され統合されるでしょう。
ここで問題なのは、国は電気のように「全国統一価格」ではなく、ガスのように「自由価格」にしようとしている事です。
現在ガス価格は全国で数倍の差があるが、水道も同じように都市では安く、過疎地ほど高くしようとしています。
ガス料金の制度もそもそもおかしいのだが、加えて水道料金も田舎だから都会の数倍であったら、田舎はますます衰退するでしょう。
水道会社は(ガス会社も)一地域に1社しかないので、使わないか言い値で契約するしかなく、利用者に選択権は一切無い。
こういうジャンルを民営化しても成功例がないのだが(刑務所など)、国は水道を民営化すれば良くなると言っています。
http://www.thutmosev.com/archives/73585955.html
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2019.01.30 真冬の移住セミナーやってました
https://golden-tamatama.com/blog-entry-winter-iju-seminar.html
くほほほほ
くほほほ
さて、何を思ったかワタスは昨日、都内で移住セミナーをやってますたよ。
いきなり富士山に登ったと思ったら、次は新宿で移住セミナーをやる。
神出鬼没の動き。
もしかしたら明日はあなたの街に現れるかもしれません。
宜しくお願いします。
さて、直前の告知にも関わらず多くの隊員が来てくれますた。
ちょっとその模様を張っときます。
なんで真冬に移住セミナー?
それはこの時期だからやっとかねばならないのです。
とかなんとか。
で、ワタスは
今、人気の移住エリアだからと言って将来どうなるか分からないよ。
そう言いましたね。
例えば、総務省の人口問題研究所が2045年までの人口予想を載せてます。
移住を考えてる人は移住先の人口がどうなるか確認した方が良いでしょう。
例えば、長野県は74%まで人口が減る。
山梨は71%まで減る。人口の減り具合で言えば山梨の方が若干急です。
例えば山梨県の南部町というところは、2045年には人口が30%ぐらいになってしまう。
山梨県の北杜市は、今は移住希望ナンバーワンの人気エリアですが、
こんな人口予想になってます。
今後、急激に人が減るんですね。
人気があるのは移住者エリアで、地元エリアは人口が減ってる。
長野県の原村あたりはそうでもなかった。
ゆっくり減ってる。
こういうのも色々見て総合的に判断した方が良いでしょう。
人口が急激に減るようなとこは人里離れた山奥のログハウス買ったり。
ペンション買ったり。
そういう移住はしない方が良いのでは?
今は普通に機能してるかもしれませんが、公共サービスやインフラがなくなってく
ことも考慮した方が良い。
除雪車も今は来てくれても、将来来なくなったら真冬は身動きが取れないでしょう。
そういうところはやはり駅周辺など中心部に近いとこに住んだ方が良い。
今後、地元エリアは空き家がゴロゴロあるので、
地元住民と仲良くなるとただで貸してくれる物件もある。
今まで地元住民も色々嫌がらせをしてよそ者を排除してたが、
今や年寄りだらけになってどんどん数が減って、そんなことをやってられなくなってる。
とかなんとかそんなを色々話しますた。
実は今年は、何を思ったか。
ワタスは春よりまたシェアハウス計画を立ててます。
近々、2月の極寒の八ヶ岳。
マイナス10度、体感温度マイナス20度。
寒中、シェアハウス案内ツアーをやろうと思ってます。
体力に自信がある方はご参加ください。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-winter-iju-seminar.html
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2019年02月18日
日本の田舎は変われるか 移住者を追い出すから人口が減る
限界集落では住人自身に問題があり人が離れていくことが多い
移住者いじめという田舎文化
都会から田舎に移住するUターンやIターンが増えているが、問題点も明らかになった。
人口減少になやむ過疎地域ほど、移住者への反発が強く、公然といじめや村八分を行っている。
しかも「移住者募集します」とネットで公募しているような過疎地ほど、移住するといじめに遭うので始末が悪い。
住民たちは人口を増やしたいと思っているが、同時に既得権を手放す気はまったくない。
今まで人口10人だった集落に3人家族が移住してきたら13人になり、それだけ先住者の権利は失われてしまう。
町内会でもゴミ出しルールでも神社や寺の運営でも、なんでも自分たちだけで決めていたのに、ある日よそ者が来て「それはダメだ」と言い出すのが耐えられない。
こうした過疎の村は家長である数人の実力者が代表になり、その中でも力のある1人の人物が全権力を握っていることが多い。
移住者がその大ボスに従順な態度を見せないと村八分になり、受け入れられても新参者は住民の最底辺になる。
山口県周南市の「かつを事件」やその後発生したトラブルの多くは、このように発生していました。
奈良県のある山間地では町内会費を払わないという理由で電気の供給を拒否され、隣の市から電線を引いた。
他の複数の過疎地でも、町内会をめぐってトラブルがあり、ゴミ出し場を使用させないなどの村八分が発生している。
ある程度の都会では町内会に入ろうが入るまいがゴミ出しは市民の当然の権利だから、町内会費を払っていない人が多い。
田舎が変わらないと人口は減るばかり
過疎地では町内会は強制で会費を払わなかったり活動しないのは非国民のような存在になってしまう。
田舎では集団で草刈りしたり神社などの行事をしていて、都会の人はそれを見て「のどかな風景だ」と思うが多くが強制です。
消防団とかも強制だしPTAも強制、過疎地では民間サービスも行政サービスもないので、住民にボランティアを強制することでやっと村を維持している。
ところが人口が残り100人を切るような過疎の集落ほど、先住者は既得権を守るために「よそ者いじめ」に精を出すから益々人口が減ってしまう。
移住してきた人も数年で出ていき(追い出され)、子供が生まれても街に引っ越すので住民は老人だけになる。
老人だけになった集落はさらに頭が固くなり、自分たちのルールに固執しさらによそ者いじめを過激化させる。
こんな事が全国の過疎地で起きていて、名指しすると長野県や奈良県、秋田県、山梨県の山間部などが評判が悪い。
移住者を募集しておいて移住したら追い出そうとするのは、募集しているのは役所の職員で住民ではないからです。
役所の職員は移住者を騙して連れてくれば自分の成果になるが、後の面倒は一切見てくれません。
役人は募集時の説明では良いことだけを話すが、実際に移住したら移住者を放置します。
「人口減に悩む過疎の村」はまるで被害者のような言い分だが、人が出ていくような事ばかりしたから人口が減った面もある。
http://www.thutmosev.com/archives/79048819.html
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2019年03月03日
100万円以下 田舎の激安物件は買えるか
自然豊かな田舎に家や土地があるのは、とりあえず夢はある
田舎の激安物件が大量発生している
デフレの頃は激安XXXXが大流行りだったが、最近はあまり聞かなくなりました。
今激安価格なのが実は田舎の不動産で、人口減少の上に都市への移動で住む人が減っている。
不動産情報サイトで検索しても安い物件はあまり見当たらないが、実は大量に存在しています。
不動産屋は「利益になる物件」だけを宣伝するので、100坪10万円の土地があったとしても扱わないし宣伝しない。
そんな安い物件をサイトに掲載したら、他の物件が高く見えて値引きを要求されるのがオチだからです。
大手不動産屋は100万円以下のような物件は扱わないし、ネットの不動産サイトにも情報が掲載されません。
そうした激安物件は所有者から地元の不動産屋に売却を依頼するが、宣伝もしないのでほとんど売れ残っています。
激安不動産の所有者は親から相続したり、利用価値のない土地に税金だけを払っているので、タダでも良いから手放したい。
だが長年暮らしてきた愛着やメンツもあるので、300万円程度の価格がつけられている場合が多い。
こういう物件は実際に買う気がある客が現れれば、簡単に半額程度になる場合も多い。
駅から遠かったり廃線になった地域だと、値段はあってないようなものになっている。
激安物件を買う人とは
全国の住宅は約6000万戸以上で、2013年に800万戸が空き家になり、現在は900万戸を超えていると想定されます。
2033年には空き家が2000万戸になるとも言われていて、当然空き家の下の地面も空き地になります。
空き家を解体すると100万円ほどかかるのでそのまま放置される例が多く、各地でおばけ屋敷になっています。
田舎でも広い道路に面した更地で人口もそこそこあれば激安価格にはならない。
数十万円から200万円以下まで下がるのは、過疎で道路が狭く利用価値が低いような物件です。
斜面に段差をもうけて家を建てていることもあり、こんな土地では100万円でも買い手がつきにくい。
50万円とかゼロ円で空き家バンクに載っている物件は、現地に行ってみるとびっくりするような場所が多い。
最も近いスーパーやコンビニまで車で片道1時間、学校の類はなし、病院などもなし、バスは大通りだけコミュニティバスが走っているイメージです。
それでも空き家バンクの激安物件は売れているので、何らかの価値を見出して購入している人たちが居る。
そこに永住するには苦痛だが、別荘を建てたりレジャーの活動拠点とするには面白そうです。
田舎の自然の中に自分の土地があるのは都会の人からすれば夢があるし、激安なら欲しい人も居る。
http://www.thutmosev.com/archives/79170532.html
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2019年03月21日
水道&ガス料金の格差 田舎は生涯600万円以上も多く支払う
過疎地の水道&ガス料金は都会の1.5倍から2倍以上高い
水道&ガス料金格差の理由
電気料金は全国ほぼ一律料金ですが、水道料金とガス料金はかなりのバラつきがあります。
水道民営化は今話題ですが、20m3当たり3000円前後の自治体が最も多い。
水道料金が安い自治体は1000円前後、高い自治体は北海道に集中していて6000円以上になっている。
水道料金が高いのは破綻した夕張市など北海道・東北・九州の「町」が多く、地名から想像すると過疎地が多い。
東京、大阪のような大都市や県庁所在地クラスの都市は、3000円前後の中心価格帯に収まっている。
人口が多い都市は大人数で割るので価格が平均化されるのに対し、過疎地は少ない人数で割るので料金が高くなる構図です。
大都市が安く過疎地が高い構図は、ガス料金にもそのまま当てはめることが出来ます。
知っての通り大都市や中小都市の中心部は都市ガスが供給されていて、料金はとても安い。
だが中小都市の周辺部や町村・郡部などはプロパンガスで、都市ガスの2倍程度も料金が高い。
仮に2倍として月5000円多く払ったら年6万円、50年間の生涯では300万円も多く支払います。
加えて水道料金も東京都の世帯平均は月5000円なので、2倍近い地域では300万円、水道とガスの合計では生涯600万円も多く払います。
高価格地域では他の物価も高く、住居費や家賃も高いと推測されるので、合計するとおそらく1000万円程度の違いになるでしょう。
どの場所に住むかによって一生涯で1000万円も支出額が違うのは、意外だが現実です。
エネルギー自由化の末路
電力自由化に続いてガス料金も自由化され、水道民営化で水道も自由化されようとしていますが、自由化をもてはやす人達はマイナスの影響を説明しない。
自由化すれば当然大都市ではあらゆる料金が安くなり、過疎地ではあらゆる料金が値上がりします。
現在の電気料金のように全国統制価格にしておけば水道やガスも全国同じ料金だったのに、自由化することで3倍以上の格差になりました。
自由化したからと言って大都市の水道ガス料金はあまり安くならず、過疎地の料金だけが大幅に値上がりしました。
これは人口の比重が違うからで、「都会ではほとんどメリットがなかったのに、過疎地では大幅に値上がりした」のでした。
こういうバカな政策がエネルギー自由化で、誰にもメリットが無いのに「素晴らしいものだ」と推進しています。
10年後に過疎地の電気料金やガス料金が都会の10倍になっても、驚くには値しません。
電力やガスや水道料金のようなものは全国一律価格にしても、東京や大阪の料金は1割か2割しか値上がりしません。
その変わり過疎地や離島では料金が3分の1になり、こうした地域への移住が促進され生活が豊かになります。
地方が栄えれば結局都会の人も豊かになるので、誰も損をしないのです。
移住したら生涯600万円から1000万円も多く払うような場所に、好んで移住する人などいません。
都会の人はなんとなく「どこでもガスや水道料金は同じ」と思って移住して、後で現実を知るのです。
http://www.thutmosev.com/archives/79317270.html
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2019年04月01日
引っ越しで収入が上がる 田舎から都会へのiターン
やはり人が多い都市ほど平均収入が高い
好景気は大都市にしかない
世のなか都会を離れて田舎へ引っ越すUターンやiターンが盛んですが、逆はあまり話題になりません。
実際には田舎から都市部へ出てくる人の方が多く、今も日本の都市化は進んでいます。
総務省によると首都圏・中京圏・近畿圏の3大都市圏では人口が増えていて、その他の地域では減少が続いています。
このままの傾向が続くと今世紀後半には千葉から兵庫までの太平洋側は人口が微増で、他の地域の人口は4割ほどに減少します。
千葉から兵庫までと他の地域は別の国と言えるほど違っていて、就職状況も大きく異なります。
例えば人出不足と言われますがそれは3大都市圏だけで、他の地域には当てはまりません。
労働者の給与やバイト時給などの民間統計の多くは、需要の多い大都市だけしか取っていません。
好景気や不景気といった景況も、好景気は大都市から始まって田舎になるほど最後にやってきます。
そして不況は田舎から始まって、大都市には一番最後にやってくるものです。
過疎地には杉の値段が上がったとか行楽客が増えた、公共事業予算が増えたなどで好景気を感じられる程度です。
近い県や同一県内でも収入格差がある
大都市圏以外は募集企業も限られていて、田舎では昔ながらの職業しかない場合が多い。
田舎に留まったまま収入を上げるのは困難なので、お金を求めるなら都会に出た方が良い。
田舎の人口流出はまさに「お金を稼げないから」なので、そこに留まる限り収入は増えません。
すごく能力が高い人は田舎で出世したり高収入を得られるが、その場合も都会に出た方が収入は向上します。
田舎でも人口減少による労働者不足がありますが、この場合は人手不足でも企業は賃金を低く抑えようとします。
自分が住んでいる地域の平均収入を調べてみて、3大都市圏より大幅に少ないようだったら、真剣に移住を検討するべきかも知れません。
1位の東京都は615万円で5位の京都府は498万円、18位和歌山県の453万円あたりまでが3大都市圏に該当しています。
400万円以下は38位鳥取県の396万円、46位宮崎県は365万円、47位青森県は359万円などとなっています。
九州の中でも26位の福岡県、内陸部でも12位栃木県や16位群馬県は高収入県となっています。
東北でも19位の宮城県、四国では24位香川県、北陸でも22位石川県は比較的収入が高い。
同じ県内でも県庁所在地など最大都市の平均収入が高いので、同一県内でも過疎地から都市部に引っ越すメリットは大きい。
http://www.thutmosev.com/archives/79430347.html
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2019年05月04日
田舎からコンビニが無くなると昭和の生活に戻る
コンビニがなくなると便利なサービス全てを失い、昭和以前に戻る
画像引用:日本のコンビニサービスについて | SITA - Study in Japan Guide - http://si-ta.com/ja/in-japan/convenience-store/
生活インフラをコンビニに依存するリスク
コンビニエンスストアの24時間をめぐって本部とオーナーが対立しているが、問題点は他にもいろいろある。
ATMや公共料金支払い、公的文書の受け取りや、保険などの契約手続き、宅急便の発送などコンビニが生活インフラになった。
この結果コンビニがある地域とない地域で生活レベルに大差が生まれ、コンビニが無い場所は郵便も出せずお金を引き出せない。
銀行は経営が悪化したので高コストのATMを減らそうとしていて、今後短期間に半減します。
ATMは人件費削減と利便性向上のため始まったが、1台年間1000万円以上の維持費がかかっています。
銀行員を一人立たせておくより安いかも知れないが、有名都市銀行では「1回500円以上の手数料を貰わないと赤字」と言っています。
日本全体でATMは約2万台あり、維持に年2兆円もかかっているので、銀行はATMを廃止したくてしょうがない。
集客力があるコンビニのATMは最後まで残るが、田舎にポツンとあるような「キャッシュコーナー」は廃止・統合されます。
すると数年以内に日本中で、コンビニ以外の田舎のATMの多くが撤去されるだろうという予測ができます。
公共料金の支払いとか手続きも、コンビニ以外では郵便局・銀行や役所でできるが、9時に開いて5時に閉まり、サービスによっては3時で窓口が閉まる。
コンビニがある・なしで生活が激変し、コンビニがなくなるのは昭和に戻るのと同じになります。
われわれの生活は気づかない間に、ここまでコンビニに依存するようになりました。
コンビニがなくなった世界
コンビニは知らない間に公的な役割を担うようになったが、一方でコンビニはただの民間業者にすぎない。
利益がでなければいつでも閉店するし、住民や自治体のためにサービスをする義務はありません。
多くのコンビニはオーナーとフランチャイズ契約をし、オーナーが経営者になっています。
オーナーとコンビニ本部は5年か10年の契約を結び、契約期間が満了したら閉店する事になっている。
もし店に利益が出ていたらオーナーが再契約するか、本部の直営店として生まれ変わる可能性もあります。
コンビニを取り壊してまた同じコンビニを建てたり、一度閉店して再度開店しているのはこうした契約の事情かもしれません。
いずれにしても人口減少でコンビニに利益が出ず閉店するとき、自治体や住民は全く口出しできません。
今後20年で日本の半分の自治体では若い世代の人口が半減しますが、過疎化した自治体ではコンビニ売上を維持できません。
くしの歯が抜けるように田舎のコンビニは閉店していき、昭和に逆戻りしたような生活が始まります。
そうなる前にコンビニがなくなっても、サービスを続けられる仕組みを作る必要があります。
http://www.thutmosev.com/archives/79730913.html
これからは、コンビニとガソリンスタンドが無くなった所から無人地帯になっていきます。
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2020年03月01日
引っ越すなら40年後も「持続可能な街」が良い
憧れで移住して20年後に自治体が消滅しているかも
画像引用:「移住しやすい地域ランキング」1位に選ばれたのは人口約3000人の小さな町だった!|@DIME アットダイムhttps://dime.jp/genre/797172/
限界集落に住むべきではない
移住先の人気ランキングでは毎回長野県が1位で2位以下も富山、新潟、北海道などが続きます。
住んでみたい街というアンケートでは高級住宅地が上位だったりするが、両極端の傾向です。
おそらく高級住宅地はもしお金があったら住んでみたい街で、現実の移住先ではないでしょう。
他には郊外のベッドタウンとか、市街地よりも自然が豊かなチョイ田舎な場所が選ばれる傾向がある。
日本人の9割は都市部に住んでいるので、多くの人は混雑した場所で狭い家や部屋に住んでいる。
憧れの対象になるのは一戸建ての広い家で、自然環境に恵まれた郊外や田舎になるのでしょう。
だが郊外のチョイ田舎は良いとしても長野や富山や北海道の田舎に移住するのは現実的でしょうか?
政府の統計によると2050年には日本の町や村のほとんどは人口が減少し自治体消滅するそうです。
日本創生会議によると西暦2040年までに896の自治体が消滅し、村や「字」や郷がつくような場所は人口ゼロになります。
人口が少なくなると住みたくても住み続けることができなくなり、移住者は絶対に現れません。
電気や水道やごみ収集、道路整備や災害防止など生活に必要な自治体サービスが行われなくなるからです。
山から水を引いてきて電気はなくて良いという人以外は、日本のほとんどの村で生活不可能になります。
40年後も存在する街
そこまで行かなくても例えば田舎にはプロパンガスしかなく料金は都市ガスの2倍、水道料金やガス料金も都会の2倍です。
大きな病院には車で1時間かかり、コンビニやスーパーも車で30分はかかるでしょう。
車を運転できるうちは良いが、年を取るといずれ運転が不自由になる。
憧れで田舎に移住しても先行きの展望がないと、どんどん不自由になり後悔する事になります。
移住した先で残りの人生を過ごし、子供も住むかも知れないので、移住先の40年後まで予想しなくてはならない。
その町や地域が将来栄えるかどうかは自然な地形で決まり、例えば東京は周囲の地方都市の扇の要のような要衝に位置します。
だから家康は江戸に拠点を構え、秀吉は大阪に大阪城をつくり、東京と大阪は今も栄えています。
都市は発展するべき場所につくられたから発展したので、信長のように山の中に「ニュータウン」を作ってもだめです。
発展する場所には必ず川が流れて平野があり、いくつかの川が合流する地点にある筈です。
道は川沿いにあり、複数の川が合流する場所は四方八方の道が合流する地点になっています。
地方の主要都市は必ずこういう場所にある筈で、そうした町は50年後も栄えているでしょう。
地形が悪い場所を無理やり開発したとしても、最初は栄えるが2世代ほどでゴーストタウンになります。
移住先は憧れや夢よりも、地図を見て「発展するべくして発展した」街を選んだ方が良いです。
http://www.thutmosev.com/archives/82327606.html
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2020年3月2日
【三橋貴明】店じまい国家の断末魔
https://38news.jp/economy/15441
店じまい国家の成れの果て
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578317719.html
安倍政権の朝令暮改と臨終
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578536890.html
グローバリズムのトリニティ(緊縮財政、規制緩和、自由貿易)を究極まで推し進め、政府を限りなく「小さく」することを「国家の店じまい」と呼んでいます。
元々、「国家の店じまい」とは、佐藤健志先生が紹介された、達増拓也岩手県知事のツイートが元ネタです。
達増拓也 TASSO 幸福を守り育てる希望郷いわて
@tassotakuya 2016年3月24日
経済は市場にまかせ、民生は地方にまかせ、国家が店じまいするように、人口減少で地方が末端から消滅するのが必然とばかり、大震災を奇貨として地方消滅の加速を図ろうというのは良くない。
https://twitter.com/tassotakuya/status/712980527293140992
達増知事は地方交付税交付金などを減らし、地方の衰退を加速している安倍政権について「国家が店じまいするように」と表現されていますが、国家の店じまいは地方行政に限りません。
そもそも、グローバリズムという「小さな政府」を目指す政策は、国家の店じまいなのです。
国家の店じまいは、様々な分野に及んでいますが、今回のCOVID−19感染症の襲来で明らかになったのは、日本国民の公衆衛生、健康促進が役割の厚生労働省、医療サービスまでもが、国家の店じまいを進めていたという衝撃的な事実になります。
【日本国内の保健所数(合計)】
http://mtdata.jp/data_68.html#hokenjo
【日本の病院病床数の推移】
http://mtdata.jp/data_68.html#bed
日本政府は(第二次安倍政権発足前から)全国の保健所を次々に閉鎖していきました。
さらに、病院の病床数も削減。
安倍総理大臣は2019年10月28日、経済財政諮問会議において、
「持続可能な地域医療体制を構築するため」
とのお題目で、病院の統廃合(=削減)や「過剰な」ベッド数の削減などを進めるよう関係閣僚に指示しています。
ただでさえ減っている病床数を、さらに減らせ、と。
もっとも、何しろ日本政府の政策のコンセプトは「国家の店じまい」でございますので、非常事態に国民を救う可能性がある医療サービスなど「ムダ」という話でございますよ。
閉店作業中の店舗が、客からの要望を受けますか?
新たな仕入れや什器のために支出しますか。
するわけないでしょ。
というわけで、特に「非常事態への備え」を中心にカットし、国家の店じまいを続けてきた日本政府が、実際に非常事態が到来した途端に大混乱に陥っています。
安倍政権は、間もなく終幕です。
問題は、むしろ「安倍政権の後」になります。
何しろ、グローバリズムのトリニティ、国家の店じまいが続く限り、誰が政権を
担おうとも、我々国民の「豊かで安全な生活」は実現しないのです。
というわけで、日本国民は現在の非常事態が「なぜ、ここまで深刻化したのか?」について理由を正しく知らなければなりません。
そもそも、国家の店じまい、小さな政府化という日本政府のグローバリズム推進は、初めから非常事態に対応不可能なのです。
その上で、次の政権において、グローバリズム路線を「ピボット(転換)」させる。小手先の変更ではダメです。
政権の基本コンセプトからのピボットが必要なのです。
すなわち、令和の政策ピボットです。
令和の政策ピボットを実現するためには、現在の日本の絶望、店じまい国家の断末魔をしっかりと見届ける必要があります。
少なくとも日本において、希望は絶望の先にしかないのです。
https://38news.jp/economy/15441
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2020年12月8日
【室伏謙一】緊縮財政に殺されかけつつある北海道
本日政府の新たな経済対策が閣議決定されると聞いています。その下敷きになっているのが自民党の経済対策提言。11月30日に一度菅総理に申し入れを行ったにも関わらず、12月4日に「仮称」と「案」と付いた対策が、分量が倍ぐらいになって党政調の全体会議にかけられ、取りまとめられたもの。その内容のお粗末さというより恐ろしさについては、拙稿「お粗末すぎる自民党「新たな経済対策への提言」、コロナ禍の影響を無視」( https://diamond.jp/articles/-/256327 )をご参照ください。
それにしても菅内閣、相変わらず我が国の置かれた状況、世界の状況の変化を理解できていないようで、いまだに民間主導でなんとかなる、国よりも民間にやらせた方がいいという考え方にしがみついているようです。それがこの20年の衰退を招いたというのに、まだ飽きたらないのか、転換(ピボット)できる絶好の機会なんですがね。
さて、そうした誤った政策によって徹底的に打ちひしがられてしまった典型が北海道です。10月末に現地に行っていろいろ見て回ってきましたが、実に悲惨な状況でした。
まず高速道路。道央道はまだいいのですが、帯広方面に整備された道東道は実に悲惨な状況でした。高速道路とは名ばかりのほとんどが片側1車線であり、インターチェンジ等を除いて街灯もない状態で、夜間の走行は結構危険な感じでした。
次に帯広市。今回で3回目なのですが、前回、10年前と比べて、圧倒的に寂れてしまっていました。そもそも市道は整備が行き届いていないのか、ボコボコだったり、歩道の端が崩れてしまっているところが散見されたり、交差点以外は街灯がなかったりと、まるで発展途上国に来たかのようでした。
これらはいずれも北海道、特に道東に公共投資を十分にしてこなかった結果ですね。そんな暗く寂れかけ、そして不便な地域になど住みたくない、ならばとりあえず札幌に出てしまおう、そんな風に考えて帯広を引き払ってしまう人がいるのも当然です。地方の過疎化や人口減を止めたいのであれば、人口を増やしたいのであれば、その地域に住む利便性を高めてあげることです。その利便性とはインフラの利便性であり、交通インフラは特に重要です。Wi-Fi環境を整備するのもいいですが、まずは生活の利便性向上に直結するインフラに投資するのが常道のはずです。
しかしそれをさせてこなかったのが、緊縮財政であることはご承知のとおり。しかし財政制度等審議会では、平気で「日本のインフラは十分だ」などといった類の議論が行われています。結局緊縮脳の人たちは机上の空論でしかものを考えず、実際に現場をじっくり見るということをしない、東京の都心だけを見てものを考える、そういった悪い癖がついてしまっていて、そこから抜けられないのでしょう。そんな現実感覚に欠ける「専門家」など、とっとと退場していただきたいところですが、まさにその地位に「連綿と」してひたすら緊縮教の呪文を唱え続けています。
ならば、我々が現実を把握し、彼らに対して、国会議員や官僚、そして一般国民に突きつけるしかないのです。
「そうは言っても札幌は・・・」という人がいるかもしれません。確かに帯広に比べて圧倒的に札幌は利便性が高いですが、札幌に向かうJR北海道の郊外線、東京で言えば中央線や京浜東北線、総武線に該当する路線の駅等の施設も、柱や柵に錆が目立っていたり、廃線になった駅なのではないかと勘違いしてしまいそうなぐらいに寂れていたりと、緊縮に加えて構造改革脳、民営化脳、とにかく合理化脳の悪影響で施設の維持管理のための投資が全くできていない実態が見て取れました。
緊縮脳に加えて構造改革脳等が日本を、国内各地域を破壊し続けてきました。今もそれは続き、菅内閣はそれを更に加速化しようとしています。それを止めるためには、まずは実態を、現実を伝えることです。皆さんが直面している現実、ご親族やお友達が直面している現実を、是非発信してください。
私も今後も現地調査、実態の把握を続けていきます。
https://38news.jp/economy/17180
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命の源の食料とその源の種を守る取り組みを強化しよう 東京大学教授・鈴木宣弘
2021年1月2日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/19666
すずき・のぶひろ 1958年三重県生まれ。東京大学農学部卒業。農学博士。農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より東京大学教授に就任。専門は農業経済学。日韓、日チリ、日モンゴル、日中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員などを歴任。『岩盤規制の大義』(農文協)、『悪夢の食卓 TPP批准・農協解体がもたらす未来』(KADOKAWA)、『亡国の漁業権開放 資源・地域・国境の崩壊』(筑波書房ブックレット・暮らしのなかの食と農)、『食の未来に向けて』(同)など著書多数。
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方向性が間違っていた
大手人材派遣会社のT会長はK県で「なぜ、こんなところに人が住むのか。早く引っ越せ。こんなところに無理して住んで農業をするから行政もやらなければならない。これを非効率というのだ。原野に戻せ」と言い、そうした発言を繰り返してきた。
コロナ・ショックは、この方向性、すなわち、地域での暮らしを非効率として放棄し、東京や拠点都市に人口を集中させることを「効率的な社会のあり方」として推進する方向性が間違っていたことを改めて認識させた。都市部の過密な暮らしは人々を蝕む。
GoToトラベルをどう評価するか
GoToトラベル事業を続けるべきかどうかが議論されているが、この議論には、経済社会の構造そのものをどう転換するか、という視点が欠如している。GoToトラベルは都市部の「三密」構造をそのままにして、感染を全国に広げて帰ってくるだけで、都市部の「三密」構造を転換するという視点がない。
危うい観光・外需頼み
さらに根本的には、地域経済が観光や外需に過度に依存しないで回っていく循環構造を生み出すことが望まれるが、GoToトラベルは単なる観光であり、観光に依存した地域振興はそのままである。つまり、本質的には、都市人口集中という「三密」構造そのものを改め、地域を豊かにし、地域の中で経済が回る仕組みづくりを進めていく必要がある。
地域の農林水産業が元気で地域の環境や文化が守られなくては、観光も成り立たない。ましてや、輸出5兆円が実現できるわけがない。足元を見ずに、観光だ、インバウンドだ、輸出だ、と騒ぐのは本末転倒だ。
核は農林漁業のはずだが〜命を守る食・農でなく儲けの道具としての食・農へ
地域に働く場をつくり、生産したものを消費に結びつけて循環的な地域経済をつくるには、農林水産業が核になるはずである。政府が何に力を入れていくべきかは明らかだ。ところが、家族農業を「淘汰」して、オトモダチの流通大手企業などが虫食い的に儲けられることを意図したような制度改革が推し進められてきた。
特に、中小農家については「つぶれても構わない」「むしろ農地が空けば大企業の農業参入に好都合」と考えてきたかのように思われる。結局は、政権を支えてくれる経済界のため、金儲けを手助けすることしか頭にないのではないか、と疑いたくなる。
「種子法廃止→農業競争力強化支援法8条4項→種苗法改定」で、コメ麦大豆の公共の種事業をやめさせ、その知見を海外も含む民間企業へ譲渡せよと要請し、次に自家増殖を制限して、企業に渡った種を買わざるを得ない方向性がつくられてしまった。農家の権利を奪って企業利益の増大につなげようとするのは、他人の山を勝手に切ってバイオマス発電をして儲けは企業のものにし、漁民から漁業権を取り上げて企業が洋上風力発電で儲ける道具にするという農林漁業の一連の法律改定と同根である。
農林漁業を犠牲にして国民の命は守れない
畜産などでもメガ・ギガファームと言われる超大規模経営はそれなりに増えているが、それ以外の農家で廃業・規模縮小が増え、全体の平均規模は拡大しても、やめた農家の減産をカバーしきれず、総生産の減少と地域の限界集落化が止まらない段階に入っている。
特に、【表@】のとおり、飼料の海外依存度を考慮すると、牛肉の自給率は現状でも11%、このままだと2035年には2%、種の海外依存度を考慮すると、野菜の自給率は8%、2035年には3%と、驚くべき低水準に陥る可能性がある。このままでは地域コミュニティが維持できるわけがないし、地域の住民や国民に安全安心な食料を量的に確保することも到底できない。
そもそも、農家の所得を1時間あたりに換算した時給【表A】は、コロナ・ショック以前の問題として、平均961円しかない。
これは、自動車などの輸出のために農と食を差し出す貿易自由化が進められた結果でもある。【表B】のとおり、貿易自由化の進展と食料自給率の低下には明瞭な関係がある。農林漁業は貿易自由化も通じた一部企業の利益の犠牲とされ続けている。
食料は国民の命を守る安全保障の要(かなめ)なのに、日本には、そのための国家戦略が欠如しており、自動車などの輸出を伸ばすために、農業を犠牲にするという短絡的な政策が採られてきた。農業を過保護だと国民に刷り込み、農業政策の議論をしようとすると、「農業保護はやめろ」という議論に矮小化して批判されてきた。
農業を生贄にする展開を進めやすくするには、農業は過保護に守られて弱くなったのだから、規制改革や貿易自由化というショック療法が必要だ、という印象を国民に刷り込むのが都合がよい。この取組みは長年メディアを総動員して続けられ、残念ながら成功してしまっている。しかし、実態は、日本農業は世界的にも最も保護されていない。
【表C】のとおり、欧州諸国では、農業所得の90〜100%が政府からの直接支払いの国もある。日本は30%前後で、オセアニアを除く先進国では最低水準だ。米国・カナダ・EUは最低価格を支えるために穀物や乳製品を政府が買い入れる仕組みを維持している。支持価格による政府買い入れを廃止したのは日本だけだ。
近年は、農業犠牲の構図が強まった。官邸における各省のパワー・バランスが完全に崩れ、農水省の力が削がれ、経産省が官邸を「掌握」していた。筆者は「今は“経産省政権”ですから自分たちが所管する自動車(天下り先)の25%の追加関税や輸出数量制限は絶対に阻止したい。代わりに農業が犠牲になるのです」と2018年9月27日に某紙で日米交渉の構図を指摘した。
新内閣では、経産省の影響力が低下したとも言われているが、残念ながら、大企業利益の徹底した追求の構造は内閣の交代でむしろ強化されようとしている。
「地方は原野に戻せ」と連呼した先述のT氏と、中小企業社長の名目で、中小経営淘汰を進めているA氏が、内閣の参謀の2トップになっている。(「新モノプソニー論」という怪しげな理論が出されているが、まず、モノプソニー〈買手独占〉はオリゴプソニー〈買手寡占〉に変えるべきだし、企業による労働の買い叩き〈買手寡占〉が問題と言いながら、処方箋は大企業への一層の生産集中〈中小企業の優秀な労働力を低賃金で雇える構造の強化〉という完全な論理矛盾が展開されている。)
命の源の食料とその源の種を守る取組みを強化しよう
日本の消費者は命の源の食料を、その源の種も含めて、量的にも質的にも確保するために、安全・安心な食料を提供してくれる国内の生産者との連携を強化すべきである。地域の多様な種を守り、活用し、循環させ、食文化の維持と食料の安全保障につなげるために、ジーンバンク、参加型認証システム、有機給食などの種の保存・利用活動を強化しよう。それらを支援し、育種家・種採り農家・栽培農家・消費者が共に繁栄できる公共的支援の枠組みが必要である。
多様な農業経営が共存して地域が発展できるように、欧米のように、再生産に必要な価格・所得水準が確保できる差額補填を充実し、支持価格による政府の買入れの仕組みも復活させよう。「日本=過保護で衰退、欧米=競争で発展」は逆だったのだ。命、環境、地域、国土・国境を守る産業は、安全保障の要であり、国民全体で支えるのが世界の常識である。それを非常識とする日本が非常識だということに気づき、一人一人が行動を起こそう。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/19666
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2021年02月04日
日本は「地方バラマキ」を再開した方が良い
http://www.thutmosev.com/archives/85019210.html
90年代に「地方を貧しくすれば都会が豊かになる」というバカみたいな主張が支持を得て、地方予算をどんどん減らしていった。
その結果日本すべてが貧しくなった
バラマキを辞めたら貧乏になった
1990年代の日本はバブルが崩壊しバブル批判が起き、公共事業とバラマキ財政が矢面に立たされた。
特に目立ったのは当時大人気だった社会党や進歩的文化人の、「バラマキをやめれば何兆円浮く」という主張でした。
公共事業費については平成10年(1998年)の約15兆円がピークで、最近は6兆円前後に定着しています。
地方バラマキは各省庁に別れていて定義が難しいが、大幅に減少したのは確かでしょう。
地方バラマキでもっとも批判されたのは竹下総理の「ふるさと創生事業」で全市町村に1億円づつ現金でくばった。
使い道に困った村は1億円の金塊を見せびらかしたりしたため、かなり評判が悪かった。
全国にばら撒いた別の例は日本中にある「道の駅」で3割は赤字、利益が出ているのは半数に満たない。
しかも道の駅は公共事業であるため税制などで優遇されているので、実質大半が赤字とも言えます。
道の駅と言えば広い敷地に立派な建物があり、産地直売所やレストラン、お土産コーナーなどがある。
道の駅は自治体が費用を支出するが、国が地方交付金などでお金を出しているので、自治体は国からお金を貰うために作りたがる。
多くの道の駅は自治体や委託業者が経営していて、無駄が多く効率的な経営がされているとは言えない。
だからと言って全国1200か所の道の駅を廃止したら、日本は今よりもっと衰退するのは容易に予想できます。
バラマキを辞めると国は貧しくなる
この30年ほど日本は非効率な事業を次々に廃止したが、お金が余るどころかどんどん貧乏が加速していきました。
石原伸晃大臣が小泉政権で「北海道は人よりクマが多いから高速道路は不要」と言って建設中止させていました。
発想は鳩山政権のレンホーと同じで、「無駄遣いを辞めればお金が余り財政好転する」と考えていました。
レンホーも日本の為に良かれと思ってやっていたと思うが、まあバカの努力は迷惑だったりします。
レンホーや石原大臣のような政治家が頑張れば頑張るほど日本は貧乏になり、もうG7どころか上位20か国からも転落しました。
『こんなに節約しているのに』財政は悪化の一途をたどり、財務省はもっと倹約して支出を減らすと言っています。
この種あかしは政府が財政支出、いわゆる無駄遣いを減らすほど民間も無駄遣いを減らし給料が減り、民衆も無駄遣いをしなくなります。
無駄遣いを違う言葉でいうと「消費」で、昔池田総理は「消費は美徳」と消費を奨励し、日本は世界の経済大国にのし上がりました。
もし池田総理が「倹約は美徳」と言って新幹線も高速道路もオリンピックも中止させていたら、日本は今フィリピン程度の国だったでしょう。
バブル崩壊後特に最悪だったのは地方へのバラマキを辞めたことで、地方の収入がなくなり過疎化と貧困化と少子化が起きた。
このままでは全国の自治体の半数が消滅し、地方の過疎地の殆どが人口ゼロになると予想されています。
バブル期までの日本は「都会から田舎へ」お金が流れていて、田舎でも十分な収入を得られていました。
レンホーや石原のような政治家が人気を得て地方を切り捨てた結果、日本全部が貧乏になりました。
バブル崩壊後に「地方への補助金をやめれば数兆円が浮く」という意見が支持を得て、地方切り捨てで東京は繁栄すると言われていました。
実際に地方を切り捨ててみたら地方は衰退したが東京も衰退し、日本すべてが衰退しました。
当たり前の話で日本から東京を切り離して、東京だけ繁栄する事なんかあり得ません。
東京の人間は東京の年収が高いのを自慢するが、その金は「日本中から集めた金」で東京都内で稼いだ金ではない。
日本経済の再生のために「国の無駄遣いと地方バラマキ」の再開をお勧めします
http://www.thutmosev.com/archives/85019210.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1016.html#c2
【高音質復刻】Knappertsbusch & VPO - Wagner: Dawn & Siegfried's Rhine Journey (1956.6)
Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. October 1957 (or June 1956)
Götterdämmerung, WWV 86D (Excerpts) : Dawn and Siegfried's Rhine Journey (Live)
Provided to YouTube by NAXOS of America
Vienna Philharmonic
Hans Knappertsbusch
Wagner Gotterdammerung Siegfried's Rhine Journey (Knappertsbusch , Wiener Philharmoniker 1942)
Knappertsbusch Wiener Philharmoniker
31,January,1942
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/374.html
Hans Knappertsbusch "Siegfried`s Death and Funeral March" Götterdämmerung
Siegfried`s Death and Funeral March
from Götterdämmerung by Richard Wagner (1813-1883)
Wolfgang Windgassen (Siegfried)
Orchestra of the Bayreuth Festival
Hans Knappertsbusch, conductor
Bayreuth 17.VIII.1956
Wagner: Siegfried's Funeral March, Knappertsbusch (1957)
Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. October 1957 (or June 1956)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/375.html
Christa Ludwig "Brunnhilde's immolation" Gotterdammerung
Brünnhilde Christa Ludwig
orch NDR Sinfonieorchester Hamburg
(NDR Elbphilharmonie Orchester)
cond Hans Knappertsbusch
March 24, 1963
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/376.html
Wagner: Die Meistersinger von Nürnberg, Prelude, Schuricht (1961)
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
(00:05) 第3幕への前奏曲
(05:04) 第3幕 徒弟たちの踊り
(07:51) 第1幕への前奏曲
指揮:カール・アドルフ・シューリヒト
バイエルン放送交響楽団
録音:1961年9月 ミュンヘン
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/377.html
楽劇《トリスタンとイゾルデ》〜前奏曲と愛の死(ワーグナー)
1962年05月31日 アン・デァ・ウィーン劇場
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:ビルギット・ニルソン
Hans Knappertsbusch & Wiener Philharmoniker - Sonderkonzert of 1962 Wiener Festwochen
Sonderkonzert of 1962 Wiener Festwochen at Theater an der Wien on 31st May 1962.
Ludwig van Beethoven (1770-1827):
Leonore Overture No. 3
Piano Concerto No. 4 in G major, Op. 58 (Pianist: Wilhelm Backhaus)
Richard Wagner (1813-1883):
Tristan und Isolde, Vorspiel & Isolde's Liebestod (Soprano: Birgit Nilsson)
Wiener Philharmoniker
Hans Knappertsbusch
Wagner: Tristan und Isolde; Prelude-Liebestod, Knappertsbusch (1962)
Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Munich Philharmonic
Rec. November 1962, in Munich
【高音質復刻】Nilsson, Knappertsbusch & VPO - Wagner: Tristan und Isolde Vorspiel & Liebestod (1959.9)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ビルギット・ニルソン (ソプラノ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1959年9月22-25日、ウィーン、ゾフィエンザールでの英Deccaセッション録音
Wagner - Orchestral Works / Presentation + New Mastering (Century’s recording : H.Knappertsbusch)
Götterdämmerung
I.Morgendämmerung und Siegfrieds Rheinfahrt / Vorspiel (00:00)
Dawn and Siegfried’s Rhine journey / Prologue
L’Aube et le voyage de Siegfried sur le Rhin / Prologue
II.Siegfrieds Trauermarsch / 3.Akt (12:34)
Siegfried’s funeral march / Act Three
Marche funèbre de Siegfried / Acte trois
Die Walküre
‘’Leb wohl, du kühnes, herrliches Kind !’’ (20:04)
Wotans Abschied und Feuerzauber / 3.Akt
Wotan’s Farewell and Magic Fire Music
L’Adieu de Wotan et le miracle du feu
Wotan : George London
Parsifal
‘’Ich sah das Kind an seiner Mutter Brust’’ (37:41)
Kundrys Erzählung / Kundry’s narration 2.Akt
Tristan und Isolde
I.Vorspiel zum 1.Akt (43:31)
II.’’Weh, ach wehe! Dies zu dulden! 1.Akt (53:39)
III.’’Mild und leise, wie er lächelt’’ (1:15:15)
Isoldes Liebestod, 3.Akt
Mort d’Isolde
Isolde : Birgit Nilsson / Brangäne : Grace Hoffman
Wiener Philharmoniker
Hans KNAPPERTSBUSCH
Recorded in 1956,58-60
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/378.html
「無期懲役で万歳三唱」 反省しない犯罪者の心理とは
2019年12月30日掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/12300800/?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&ui_medium=http&ui_source=yahoo&ui_campaign=link_back&all=1
謝罪の気持ちは「一切ない」と言い切り、さらに「一生刑務所にいたい」「死刑は怖い」と身勝手このうえない主張を展開
東海道新幹線内で3人の乗客を殺傷した事件の被告、小島一朗の裁判での言動は、過去類をみないようなものだった。
謝罪の気持ちは「一切ない」と言い切り、さらに「一生刑務所にいたい」「死刑は怖い」と身勝手このうえない主張を展開。要するに、一生刑務所で暮らすために人を殺したのであり、下手に反省の気持ちを示すと、無期懲役にならない可能性があるので、謝罪もしない、というのだ。望み通り、無期懲役の判決を言い渡された時、彼は万歳三唱までしたという。小島被告は、死刑にならず無期懲役になるくらいの罪を意識して、1人殺し、2人を傷つけたのだ、と「週刊新潮」に寄せた手記の中で告白している。そこには改悛の情はまったく感じられない。
速報小室佳代さん、勤務先の洋菓子店で“無断欠勤”トラブル 労災請求に社長は困惑
彼の言動は、一般人の常識をはるかに超えている。が、現実の受刑者には、このように常識の外の思考様式を持つ者は少なくない。小島被告の場合はある意味で計算づくで反省を放棄し、それをアピールまでしたのだが、そもそも反省する能力に欠けている、犯した罪や自身についてきちんと認識できない、という犯罪者は珍しくないのだ。
数多くの少年犯罪者たちと接してきた精神科医、宮口幸治氏の著書『ケーキの切れない非行少年たち』には、自らの犯した罪についての認識ができない非行少年たちの姿がリアルに描かれている(以下、引用はすべて同書より)。
宮口氏は非行少年たちとの面接に際して、常に罪を犯した自分のことをどう思っているか聞くようにしていたという。自分のことを正しく知ることが更生へのスタートだからだ。
そこで最初に聞くのが、
「自分はどんな人間だと思うか?」
という質問だ。
少年院に入ったのだから、それなりの罪を犯している。普通の感覚であれば、「反省しています」「バカなことをした」と答えるところだろう。現実には、「相手が悪い。僕ははめられました」という少年もいるが、そのくらいは想定内だという。しかし、宮口氏はまったく別のパターンの回答があまりに多いことに衝撃を受ける。
「私が驚いたのは約8割の少年が『自分はやさしい人間だ』と答えたことでした。どんなにひどい犯罪を行った少年たち(連続強姦、一生治らない後遺症を負わせた暴行・傷害、放火、殺人など)でも同様でした。当初、私は耳を疑いましたが、どうやら本気で思っていたのです。
「すべてがゆがんで見えている」子どもたちの驚くべき実像
ネット書店で購入する
ある殺人を犯した少年も、『自分はやさしい』と答えました。そこで『どんなところがやさしいのか?』と尋ねてみると『小さい子どもやお年寄りにやさしい』『友だちからやさしいって言われる』と答えたりするのです。“なるほど”と思いました。そこでさらに私は『君は〇〇して、人が亡くなったけど、それは殺人ですね。それでも君はやさしい人間なの?』と聞いてみますと、そこで初めて『あー、やさしくないです』と答えるのです。
逆にいうと、“そこまで言わないと気付かない”のです。いったいこれはどういうことなのか。これではとても被害者遺族への謝罪などできるはずがありません。逮捕されてから少年院に入るまでひと月以上は経っており、その間に自分の犯した非行が十分に分かっているはずなのに、です」
こうした少年犯罪者について、モラルの欠如を嘆き、道徳教育の徹底を叫んだところで効果は期待できない。こうした「反省以前の子ども」は、現在の基準では障害とはされないものの、知能に何らかの問題を抱えた「境界知能」である可能性が高い、と宮口氏は指摘している。こうした事情を抱えていると、認知力が弱く、そのせいで場合によっては非行や犯罪に走ってしまうことになる、というのだ。その場合、いきなり「反省しろ」「謝罪しろ」といったアプローチをしてもあまり意味がないことになる。宮口氏は経験をもとにこうした少年犯罪者らの認知能力を向上させるためのトレーニング方法を開発し、実践し続けている。その結果として認知能力が改善されていくケースも珍しくないという。罪を犯した者を厳しく罰するのは当然として、社会全体で犯罪が起きる可能性を下げるための取り組みも急務だろう。
デイリー新潮編集部
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/12300800/?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&ui_medium=http&ui_source=yahoo&ui_campaign=link_back&all=1
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1017.html
MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません:
大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo
今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか?
アホ右翼でも理解できる様に超簡単に解説しました。
経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title
今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。
そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。
日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:
(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。
MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。
日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。
安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR
すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______
起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない
10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。
ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。
中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。
個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。
「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。
現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。
既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。
インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。
起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。
働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。
______
失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。
貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/700.html
労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えない
労働生産性というのは賃金額の事だよ、地方の生産性が低いというのは地方の賃金が安いというだけの事だ。
GDPというのは企業や金持ちの所得の事だ、労働者の所得とはあまり関係しない。
やっても やらなくてもいい仕事ばかりの需要・供給は生活必需品の需要・供給とはあまり関係しない。
消費者物価指数というのは高級酒や高級車や贅沢品の価格を反映する物価で、生活必需品の価格とはあまり関係しない。
従って、労働生産性、GDP、需要・供給とか消費者物価指数は経済指標としては使えないのです。
金利が上がらないのは日本だけでなく世界中で起きている現象で、階級社会が完成して内需が壊滅したのが原因です。
奥の院は今 資本主義をグレートリセットして地球人口を3億人まで減らそうとしています。
これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?
資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。
理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです。
今は世界中が階級社会になってしまって内需が壊滅したので資本主義の時代はもう終わったと言われています。
銀行から金を借りて新規事業をやっても儲からないですからね。
それで資本主義のグレートリセットをやらないといけないという結論になったのです。
▲△▽▼
人口100人の青い目の人達の村 _ 資本主義村があった。
4人の資本家に支配された労働者庶民96人が住んでいた。
資本家の年俸は2億円、残りの庶民は年俸200万円
全体で9億9200万円の紙幣が循環していた。
資本主義村 では、自動車は6〜7台しか売れず、他の者は自転車だった。
暴動や略奪や薬物中毒・犯罪が頻繁に起こっていて
ズタズタなスラム社会になった。
その村の隣に、共産主義村という人口100人の島国があった。
20人の知恵者をリーダーとした職人庶民80人いた
リーダーの年俸は1440万円、残りの職人は年俸500万円
全体で 資本主義村 より少しすくない6億8800万円の紙幣が循環していた。
その村では、自動車は100台売れた。 自転車も売れた。
あらゆる産業が学問が医療が社会福祉が発展し
インフラが整備されていき、すばらしい街を形成していった。
▲△▽▼
民間銀行は自己資金ゼロでも、顧客に借用書を書いてもらって、融資金額を顧客の銀行預金として記帳するだけでお金が無から生まれると思っているアホが多過ぎる。
そもそも民間銀行が自己資金も持っていないのに顧客に融資したとしたら、顧客が自分が借りた金を日銀券(円紙幣)で引き出したいと言った時に、全く金を持っていない民間銀行が顧客に日銀券を渡せる訳がないですね。
小学生でもわかる道理です。
民間銀行の信用創造というのは民間銀行が自分の持っている日銀当座預金口座の日銀当座預金を日銀券に変えるという意味です。日銀当座預金口座は政府と民間銀行しか作れないので、民間銀行に借金しないと日銀券を発行してもらえないのです。
それが、借金でお金を作る、という意味です。
ゼロからお金を作るのではなく、日銀当座預金を日銀券に変えているだけです。 銀行が顧客に金を貸せるのは、貸す金額と同額の日銀当座預金を持っている場合だけです。
融資が焦げ付いた場合、預金などの他人資本に手を付けるわけにはいかないので、銀行には一定水準以上の自己資本を持つことが義務付けられています。
国際的な業務を営む銀行の場合、自己資本比率=自己資本÷融資額(リスクアセット)×100 の下限は8%、
国内業務に限っている場合には4%
という「自己資本比率規制」があり、これを維持することがBIS(国際決済銀行)によって義務付けられています。
預貸率 : 銀行の預金に対する貸出金の比率
日銀によると、2020年5月の国内銀行の預貸率は63.7%で、2カ月連続で過去最低を更新した。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が多額の給付金を支給したり企業が手元資金を厚くしたりしたため、預金が急増した。銀行も貸し出しを増やすが、預金の増加幅を下回る。5月の国内銀行の預金平均残高は前年同月比6.2%増の772兆535億円だった。
西岡氏は、植村氏の記事に対し、『週刊文春』2014年2月6日号で「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、xx紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントした。
しかし、尋問で「そう訴状に書いてあるのか」と問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。金さんの記者会見を報じたxx『ハンギョレ』新聞の記事を著作で引用した際、「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という、元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると、「間違いです」と小声で認めた。
西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられたxx人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。
▲△▽▼
慰安婦強制連行・吉田証言はやはり事実だった
慰安婦問題の討論・秦郁彦vs吉見義明、秦郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう
https://dj19.hatenadiary.org/entry/20130703/p1
秦郁彦 VS 吉見義明
https://www.nicovideo.jp/watch/sm24444064
経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/702.html
グリーグ 『ペール・ギュント』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/933.html
グリーグ 『ペールギュント ソルヴェイグの歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/932.html
グリーグ自作自演
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/458.html#c2
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/379.html
Mussorgsky: Pictures at an Exhibition, Horowitz (1951) ムソルグスキー「展覧会の絵」ホロヴィッツ
Modest Petrovich Mussorgsky(1839-1881)
Pictures at an Exhibition (arr. by V. Horowitz (1903-1989))
(00:05) 1. Promenade
(01:25) 2. The Gnome
(03:45) 3. Promenade
(04:34) 4. The Old Castle
(08:22) 5. Promenade
(08:52) 6. The Tuileries
(10:01) 7. Bydlo
(12:36) 8. Promenade
(13:18) 9. Ballet of Unhatched Chicks
(14:30) 10. Samuel Goldenberg and Schmuÿle
(16:48) 11. The Marketplace at Limoges
(18:05) 12. The Catacombs
(19:22) 13. Cum mortuis in lingua mortua
(21:43) 14. The Hut on Fowl's Legs (Baba-Yaga)
(24:59) 15. The Great Gate of Kiev
モデスト・ムソルグスキー
組曲「展覧会の絵」(ホロヴィッツ編曲版)
(00:05) 1. 第1プロムナード
(01:25) 2. 小人(グノーム)
(03:45) 3. 第2プロムナード
(04:34) 4. 古城
(08:22) 5. 第3プロムナード
(08:52) 6. テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか
(10:01) 7. ビドロ(牛車)
(12:36) 8. 第4プロムナード
(13:18) 9. 卵の殻をつけた雛の踊り
(14:30) 10. サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
(16:48) 11. リモージュの市場
(18:05) 12. カタコンベ - ローマ時代の墓
(19:22) 13. 死せる言葉による死者への呼びかけ
(21:43) 14. 鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー
(24:59) 15. キエフの大門
ピアノ:ウラディミール・サモイロヴィチ・ホロヴィッツ
録音:1951年4月23日 カーネギー・ホール (ニューヨーク、実況録音)
Vladimir Horowitz live in New York, Carnegie Hall, 2 April 1948
· Beethoven: 32 Variations in C minor, WoO 80
· Schubert: Impromptu in G-flat major, Op.90 No.3
· Mussorgsky-Horowitz: Pictures at an Exhibition
· Chopin: Ballade No.4 in F minor, Op.52
· Debussy: Serenade for the Doll
· Debussy: Etude No.6 Pour les huit doigts
· Liszt: Funérailles
· Rachmaninoff: Prelude in G major, Op.32 No.5
· Rachmaninoff: Prelude in G minor, Op.23 No.5
Encores:
· Scarlatti: Sonata in A major, K.322
· Mozart: Rondo alla Turca
· Chopin: Nocturne in F-sharp major, Op.15 No.2
· Sousa-Horowitz: The Stars and Stripes Forever
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/380.html
ヨハン・シュトラウス 2世 『皇帝円舞曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/878.html
Wagner: Tannhauser; Overture & Venusberg Music, Knappertsbusch & VPO (1953)
Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
Rec. 1953
Wagner: Tannhäuser - Overture - Munich Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1962)
Münchner Philharmoniker
HANS KNAPPERTSBUSCH, conductor
Recording: Bavaria Studio, Munich, November 1962
Wagner: Tannhäuser - Overture - Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1940)
Wiener Philharmoniker
HANS KNAPPERTSBUSCH, conductor
Recording: Vienna, May 12, 1940
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/382.html
Knappertsbusch - Good Friday Music - Parsifal . (multi-subs)
Hans Knappertsbusch conducts
Hans Hotter
the Bayreuth Festival Orchestra 1962.
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/383.html
Wagner: Parsifal Prelude (Act I), Knappertsbusch & MPhil (1962)
Hans Knappertsbusch (1888-1965), Conductor
Munich Philharmonic
Rec. November 1962, in Munich
Richard Wagner - PARSIFAL - Prelude / Vorspiel - Hans Knappertsbusch, 1951
Conductor: Hans Knappertsbusch
Bayreuth Festival Chorus & Orchestra
Bayreuth, 1951
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/384.html
こども会議旭川AGOB - 旭川市雑談掲示板|ローカルクチコミ爆サイ.com北海道版
https://bakusai.com/thr_res/acode=1/ctgid=104/bid=1064/tid=9639400/tp=1/
#605 2021/08/10 11:16
C事件は、元々FGが○いせつやってそれをFが○じやすい子だからとかAやBに言って、それを耳にしたCがお願いお願いって押してやらかしたわけでしょ
関係者と疑われてるとか小川さんに言ってたようですがFさん、100%関係者ですよね 笑
この事件君無しでは語れないでしょう
北☆関係の地元の人は、分かっている人多いみたいでみんな疑っていると…以前から○態だったんだね
出てきてる情報の中にかなり誤情報があるので注意が必要のようだわ
#609 2021/08/10 11:47
>>605
それが前半の真相だな。小学生から付きまとってきた吉田が、まほや赤井に教えた。そこから佐藤、竹内、服部に繋がる。
問題は、後半。失踪1ヶ月近くの間、誰らとどこにいたのか。
#606 2021/08/10 11:19
関係ないなら謝罪の会には出ないよな。
しかも、川とは別件で謝罪の会に出てるんすよね?
#607 2021/08/10 11:27
AGOのフォロワーのフォロワーに動画販売したり、フィールに出入りしてる奴がいる。これもAGOの関係者かな
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/598.html#c232
#609 2021/08/10 11:47
>>605
それが前半の真相だな。小学生から付きまとってきた吉田が、まほや赤井に教えた。そこから佐藤、竹内、服部に繋がる。
問題は、後半。失踪1ヶ月近くの間、誰らとどこにいたのか。
#606 2021/08/10 11:19
関係ないなら謝罪の会には出ないよな。
しかも、川とは別件で謝罪の会に出てるんすよね?
#607 2021/08/10 11:27
AGOのフォロワーのフォロワーに動画販売したり、フィールに出入りしてる奴がいる。これもAGOの関係者かな
A子やC男は自分達が旭導会の一員だと言って被害者を脅迫して児童AVを撮影していました。 女児のAV撮影には覚醒剤や薬物を使うものなので、ヤクザから薬を貰っているに決まっています:
妻は人前でオナxーやセックxするのは嫌だと強く断ったそうですが、断れないように妻に syabu を使ったのです。 その3日間のセックxショーの直前にsyabu入りの酒を飲まされたり、水に溶かしたsyabuを彼処に直接入れられたのです。特に、水に溶かしたsyabuを彼処に入れられると粘膜が syabu を吸収し直ぐに体と彼処が熱くなりセックxしたくてたまらなくなると言ってました。
体が熱くなると戸を開けてオナxーショーが始まり、最初は指で彼処を開き、見ている人達に中を見せたり指を入れたり、ビール瓶を挿入したり、極太バイx、ローxーなどでオナxーをしたのです。
それが終わると、妻の男が現れてみんなの前でフェxxオしたり、色んな体位で濃厚なセックスをするのです。その時のセックxショーを、ビデオと写真に撮られていたようで、ビデオは、ダビングして裏ビデオとして販売したそうです。
セックxショーが終わると、興奮したヤクザ客同士がくじ引きで順番を決め自分の部屋に連れて行き妻を抱くのです。3日の間に20数人全員とセックxしたそうです。 シャxを使われた妻は10時間も連続で数人の男達とセックxし、男達が疲れて寝ても妻の彼処の疼きが止まず、妻の男にシャブの効き目が切れるまで抱かれたのです。
その男は、グラマーな妻を高給ソーx で働かせて金にしようと思っていたようです。人妻ソープ嬢として売り出させるつもりだったようです。
爽彩ちゃんの4本のビデオの詳細
まぁややこしいってのはわかりますが、
主犯が被害者1コ上の女で、その1コ上の女が男たちを巻き込む中心人物となり、
そこに群がった男たちのボスが実働部隊長になっていて、
被害者が男どもの中に1名好きなヤツがいて、1コ上の主犯女も男どもと関係を持っていて……
みたいな筋だと思います
(動画見せてくれた人の情報で辻褄が合った感)
586 加害へのダメを最優先 ◆rlOOQ0Glvw 2021/05/11(火) 05:08:31.63 ID:b88jYaRa0
いえ聞けばわかりますよ
過去に被害者が相談してる動画?が上がってましたよね?
あの声とまったく同じであることは誰が聞いてもわかります
745 加害へのダメを最優先 ◆rlOOQ0Glvw 2021/05/11(火) 06:06:03.49 ID:b88jYaRa0
音声すべて記憶してないですが
3つ目の動画が一番声が多く
女「きもちいいなら声出しなよ」
被「気持ちよくないです」
男1「ちゃんと丁寧にやれや」
男2「ちょ足こっちにして」
男1「○○(名前)ははははははは」
男2「クスクスクス」
みたいな流れでがほとんどで、名前は1名だけ出てます
独り言みたいな男の声も入ってますが、それが男12なのかは判別できない感じっすね
爽彩ちゃんに売春させてた?
#2 2021/06/18 21:31
お前ら今時気づいたんか?地元じゃ暗黙の了解だぞ?
死をほのめかすメール送るのにAndroidとiPhoneの2種類あったよね?
Androidは売春の連絡用に持たされてた管理人から持たされてたスマホだよ。
#20 2021/06/18 22:52
4月の時点で加害者は爽彩さんに売り強要させてたリークあるね。2ヶ月経って信憑性が高くなってきた。アイス(シャブ)奢ってもらった方、リークありがとう。
0385 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:43:13
加害者の某は爽彩に売りを強要させてた
その金で遊び回ってたよ
叩かれるのはわかってるけど自分も加害者にアイス(註:覚せい剤の隠語)おごってもらった
0495 ニューノーマルの名無しさん 2021/04/19 01:48:47
んでね、まだいじめられて売りやらされてる女の子いんよ
072させられて動画とられたかは知らない
中学生じゃないから格安で売らないといけないからノルマゆって1日5人とやらないと髪の毛ひっぱったり見た目にわからない頭おもいっきり殴ってるんだって客を取らなかった
#297 2021/05/08 18:43
【被害者を詰るここの住民大丈夫か?】
子どもいる?
小6→ゴールデンウィークまでに彼女に暴力したんだよ
『年齢12歳』
妹とか知人で12歳いたらみてみろよ
まだ『羞恥心』すらあまりない
爆サイのスレでA子が誘引して、『媚薬』をもった
普通の大人でも
おかしくなるのに
小学生に媚薬とかもったら
おかしくならないか?
それを『旭川』はシステム的にしている
女性(女の子)を『便所』と呼ぶ
動画でも殴る蹴るして『豚』呼ばわりしていた
被害者を冒涜するやつ
頭おかしいやろ
お前たちの親族でしてみろ
親族に『便所』って周りから言われたら
悔しくないのか?
#371 2021/05/09 06:11
ハメ撮りの最後は
ピースと笑顔強要して和姦アピール
#379 2021/05/09 07:02
>>32
どっかのスレで
クスリもったって書き込してたけど
知ってるのか?
#383 2021/05/09 08:34
>>379
これ気になるね
f_i_ori
2020.7.29 6:31 さあやww
2020.7.29 6:32 飲んだ
>ツイ フジモン→フォロワー→れな→フォロー →3匹怪しいのがいる。1番下ツイ返信チェック!
#384 2021/05/09 08:37
C男は脅迫メールを送っただけで、それ以前に撮られた四本の動画作成とは無関係
#387 2021/05/09 08:44
挿入してたのは複数で吉xと藤x以外にも関わった男子がいる
覚x剤漬けにすればセックxマシーxの出来上がり。超人気間違いない。 実際にやっている風俗店あるし。
昔、893の友達のビデオ作成の仕事手伝ったことあるんだけど彦根の方の別荘みたいなトコで12歳の女の子に覚x剤打ってビデオ作った経験あります。
昼過ぎには、別荘についてさっそく機材おろして準備をしてるとケンが俺に「こっち見にこいよ」 と2階の部屋に消えていきます。覗きにいくと、カーテンの締め切った部屋に、真っ裸で手首、足首を縛られてベットに横たわってる女の子が一人。身長150ぐらいの小柄で手足が細くてすっごい色白。体つきを見ても、あきらかに小学生ぐらいなんで顔を覗き込むと、吉川ひなのを子供にしたような美形で潤んだ目と半開きの口元がゾクっとするくらい色っぽいんだけど、その潤んだ目は完全に覚x剤でイッてる目でした。
0601 名無番長 2019/07/12 17:15:29
旭導会 若頭補佐
唐沢昌幸(からさわまさゆき)56歳
旭川市豊岡7条1丁目
稲川会荒木組の組員と共謀し、小学生と中学生の姉妹に覚x剤を注射した上で卑猥な行為をした。
この姉妹の母親と唐沢は顔見知りであり、母親の依頼でトリトンの会長を恐喝し逮捕。その捜査の過程で小学生と中学生の姉妹に対する猥褻行為が発覚。旭導会本部はこれに対する処分をしておらず、強く処分を求める。
2020年8月12日、旭川中央警察署は、自宅に大量の覚せい剤と注射器を隠し持っていた組員を逮捕。同年9月2日、旭川市の事務所に家宅捜索が行われた
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/703.html
ワーグナー 楽劇「パルジファル」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/813.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/385.html
ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html
序夜 『ラインの黄金』(Das Rheingold):2時間40分
第1日 『ワルキューレ』(Die Walküre):3時間50分
第2日 『ジークフリート』(Siegfried):4時間
第3日 『神々の黄昏』(Götterdämmerung):4時間30分
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/386.html
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html
ニーチェが耽溺したワーグナー トリスタンとイゾルデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/375.html
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/387.html
ホロヴィッツ - トスカニーニ NBC交響楽団
Vladimir Horowitz; Arturo Toscanini: Tchaikovsky: Piano Concerto #1 1943 Live
Vladimir Horowitz, pianist
Arturo Toscanini, conductor
NBC Symphony Orchestra
Recorded April 25, 1943
in Carnegie Hall, New York City
Horowitz / Toscanini - Tchaikovsky : Piano Concerto No.1 -1st Mvt (1941) 再復刻
Arturo Toscanini / NBC Symphony Orch.
transfer from U.S.Victor 78s/ 18145/6 (06530/3)
Rec. 6, 14 May 1941, at Carnegie Hall, in New York (Live Recording)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/388.html
プチエンジェル小学六年生、2000年7月17日午後5時2分の写真。令和偽天皇徳仁へのメッセージ「優しくしてくださいね」、現在AV女優小向美奈子と年齢出身地概ね一致。筆跡・文体も概ね本人と確認。江上波夫東大教授紹介の長州イボ侍の子供Mと父との面談の話。小児性愛であれば辻褄が合います。 pic.twitter.com/zTfGsOugLI
— 片山徹 (@_9105294027642) June 11, 2020
小向美奈子 アイドル時代の写真はプチエンジエル写真と一致。徳仁へのメッセージ「優しくしてくださいね」プチエンジェル事件後、鹿児島へ暫く姿を眩ませ、グラビアアイドルとして復帰。芸能プロダクションと宮内庁とはグル。不審死四人、行方不明六名。森友学園の不審死四人より多い日本人犠牲者。❗️ pic.twitter.com/zzJr0kWTN5
— 片山徹 (@_9105294027642) June 13, 2019
赤坂プチエンジェル事件、小学六年生女児から、徳仁 へのメッセージ「なめるの大好き♡」女児の名は町田有沙と小向美奈子に次いで二人目判明。運転手は東宮へ出張サービス。現在、運転手は行方不明。不審死四名、行方不明六名。 pic.twitter.com/lVHD2FrOnc
— 片山徹 (@_9105294027642) July 2, 2019
写真と言葉比較により小向美奈子の真実。プチエンジェル時代徳仁に「優しくしてくださいね」。アイドル時代「見てね!」。AV女優時代「いっぱい ごめんネ」。睦仁天皇殺し長州イボ侍子孫に小児性愛遺伝。父が面談した長州イボ侍の子Mは岸信介と同年代、1910年頃の子。令和偽天皇に小児性愛遺伝。 pic.twitter.com/FKsbq4fFsv
— 片山徹 (@_9105294027642) June 14, 2020
徳仁偽皇太子と来日したアンドリュー王子とは共に小児性愛者。人身売買で国際的話題に。白クラウンで大阪府熊取町から拉致された吉川友梨、徳仁の性奴、現在、ぷちえんじぇる町田有沙。アンドリュー王子と17歳で性行為をさせられた自分は王子に「人身売買」されたのだと発言したバージニア・ロバート。 pic.twitter.com/nJEnvMeRZm
— 片山徹 (@_9105294027642) August 4, 2020
「あなたは、偽天皇。わたしは、女囚生活。」小向美奈子。ぷちえんじぇる置屋の源氏名せいか(小向美奈子)は女児売春婦。令和偽天皇に「やさしくしてくださいね」。今、栃木刑務所「女囚生活」。昭恵と同じ薬やってた。 pic.twitter.com/GoV5TZg37k
— 片山徹 (@_9105294027642) August 22, 2020
女児人身売買、背後の人物統一教会大村秀章。ベンツCクラスで女児配達渡辺雅也。中国マフィアから仕入れた東南アジア女児。その後、行方不明。ぷちえんじぇる事件四人女児も行方不明。三浦春馬は日本でラオスから人身売買された女児の行方を探し、密室空間Xで消えた事を知った可能性。PEDO徳仁関与。 pic.twitter.com/IrKSGAC8LA
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021
済生会総裁PEDO秋篠宮からのビデオメッセージを見る六人の幹部の一人東京済生会中央病院院長海老原全。上下関係から三浦春馬の生き見せ、病院での死去を依頼した可能性。PEDO秋篠宮は複数回ビエンチャン訪問中の少女買春と遊興費寄付金から支出とを三浦春馬に掴まれた為、口封じ暗殺共謀か。 pic.twitter.com/KTA1qfjDxe
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021
三浦春馬ご遺体を収めた洋式霊柩車の三田警察署長小関誠を見送る日本寝台自動車社員二人。チーフ顔写真は社員PR写真と一致。カショギ記者成りすましマダニ氏と同類の成りすまし犯罪手口。睦仁天皇殺しPEDO李家長州イボ侍玄孫徳仁の権威を守る為、三浦春馬を含め十名の口封じ暗殺。正に恐怖国家。 pic.twitter.com/2QoRx5IZch
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021
女児人身売買、背後の人物統一教会大村秀章。ベンツCクラスで女児配達渡辺雅也。中国マフィアから仕入れた東南アジア女児。その後、行方不明。ぷちえんじぇる事件四人女児も行方不明。三浦春馬は日本でラオスから人身売買された女児の行方を探し、密室空間Xで消えた事を知った可能性。PEDO徳仁関与。 pic.twitter.com/IrKSGAC8LA
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021
三浦春馬、芦名星、竹内結子、上原美優の自殺不可解。全員ドアノブなんてあり得ない。ドアノブ自殺偽装暗殺は韓国常識。地蔵背負ロープで息を止め、同じ首筋位置に本人のローブ状物でドアノブに繋ぎ自殺偽装。三浦春馬のみ他人リーシュコード。香川健二郎、田中諒平がサーフボードを窃盗回収した理由。 pic.twitter.com/YyigiRsYHe
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021
約半年間以上、私が捏造したと疑われ誹謗中傷。私の建築設計用画像ソフトでは細い白枠は作成不可と反論。三浦春馬を失って衝撃を受けたAスタッフのリーク。白枠はA写真画像ソフト使用。渡辺雅也が大里洋吉からマンション鍵を預かり、地蔵背負ドアノブ自殺偽装暗殺。他人のリーシュコードで暗殺確定。
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021
三浦春馬は病院で14時10分死去は嘘。交通量の多い港区で一秒を争う命を繋ぐ交通手段は芝消防救急車か三田警察署のパトカー。救急車には救命救急士が同乗、より有効。7時以前に死亡が確認され、ご遺体搬送に日本寝台車洋式霊柩車使用。暗殺故、検死を避ける安藤隆春の策は見事に失敗。李晋三に波及。 pic.twitter.com/CfphR7Kf3E
— 片山徹 (@_9105294027642) July 14, 2021
済生会総裁PEDO秋篠宮からのビデオメッセージを見る六人の幹部の一人東京済生会中央病院院長海老原全。上下関係から三浦春馬の生き見せ、病院での死去を依頼した可能性。PEDO秋篠宮は複数回ラオス・ヴエンチャン訪問中の少女買春と遊興費寄付金から支出とを三浦春馬に掴まれた為、口封じ暗殺共謀か。 pic.twitter.com/nvsnuihv3e
— 片山徹 (@_9105294027642) July 12, 2021
三浦春馬暗殺事件以前の不審死状況。首吊自殺偽装、練炭自殺偽装、割腹自殺偽装、転落事故偽装、火災事故偽装など。一見暗殺と分からない巧妙手口。警察が関与し証拠隠滅。日本国民に分からない仕組。三浦春馬暗殺事件では李晋三が暗殺指示、百田尚樹暗殺計画、朝日新聞関与、安藤隆春実行部隊指揮か。 pic.twitter.com/KoKtMCrz8s
— 片山徹 (@_9105294027642) July 11, 2021
化け物李徳仁画像。宮内庁のイボ・ハゲ隠しの成果か。話題写真の解像度を極限まで上げ観察。前頭部の黒髪と自毛との髪質・色の違い。イボ取整形手術前、イボ隠しの為、顔面に全面着色。首筋の自肌との違い。面を被った様に見える。日本国民を騙す手練手管。健康診断時採血でDNA検査。朝鮮人と判明済。 pic.twitter.com/al6EtUBsQ5
— 片山徹 (@_9105294027642) July 11, 2021
李佳子のイボは自民党清和会の名の由来となっている北村清和のイボに似ており、李家長州イボ侍からの遺伝。宮内庁検閲が無かった為、検証出来た。田布施朝鮮部落内での近親婚が原因。私の二十年以上の李家調査研究は検閲の無い海外からの還流資料。国内資料は改竄済資料ばかりで信用出来ません。 pic.twitter.com/EOE4hnMYTQ
— 片山徹 (@_9105294027642) July 10, 2021
浜祥平医師の素顔写真。ラオス観光局女児保護に。浜は七歳の女児買春で逮捕。年齢が分からないハズはない。七歳で売春イヤリングが痛々しい。鼻下長PEDO要人は春馬くんに女児買春の弱みを握られ、口封じ暗殺。愛子影武者PEDO李徳仁の女児愛人影子の赤口紅異常。李晋三は報道管制で春馬暗殺を封印。 pic.twitter.com/BjLHhPyCBU
— 片山徹 (@_9105294027642) July 9, 2021
人食いアドレノクロムの果に。イジメ抜いた子供の命から創り出された妙薬は麻薬以上の効果、しかし、その果に過酷な現実。合成アドレノクロムも出回っている。創価学会は会員勧誘に教祖の血分けと騙して飲ませ、中毒患者増加。全国20万人超。麻薬と同等にも関わらす゛日本に法規制無し。小池都知事も。 pic.twitter.com/iXRljZKQPB
— 片山徹 (@_9105294027642) July 7, 2021
PEDOアイランドで発見された浴室の歯科治療具。悪魔の化身レイチェル・チャンドラーが小児虐待に使用。前歯抜き等。飛び散った血をシャワーで流す為に浴室設置。その後目に注射器を刺してアドレノクロム採取。FBザッカーバーグは自身のブログでこのシーンを見て初めての快感と記述。サディストなのか。 pic.twitter.com/iDkSTGhupW
— 片山徹 (@_9105294027642) July 7, 2021
李家の連続口封じ暗殺事件。三人共、PEDO(李徳仁、秋篠宮、李晋三)の少女買春口封じの為韓流地蔵背負ドアノブ自殺偽装暗殺。竹内結子(40歳)タオル、芦名星(36歳)ベルトに対し三浦春馬(30歳)は他人のリーシュコード(三田警察押収)でドアノブと繋がれていた。A香川健二郎、田中諒平とは証拠品窃盗回収。 pic.twitter.com/js2pZOeDlS
— 片山徹 (@_9105294027642) July 7, 2021
李家PEDO鼻下長要人のラオス・ヴィエンチャン訪問目的は少女買春。浜祥平医師逮捕で暴露。顔は口程に物を言う。寄付金が遊興費に使われた事を知った春馬の衝撃。竹内結子と芦名星とに相談し百田尚樹要請で朝日新聞に告発。盗聴され、安倍晋三指示で三人共、渡辺雅也のドアノブ地蔵背負自殺偽装暗殺か。 pic.twitter.com/pu4PM9Bv72
— 片山徹 (@_9105294027642) July 5, 2021
陸山会(小沢一郎)所有マンションは既に解体更新築済。グーグル3Dの赤坂ぷちえんじぇる貴重資料。「赤坂ぷちえんじぇる」事件現場は東京都港区赤坂2丁目17-54 11F赤丸。皇居から至近距離。李徳仁、秋篠宮ご愛用の為、官邸は赤坂の地名削除。渡辺雅也、上原美優により暗殺された吉里弘太郎の女児置屋。 pic.twitter.com/RhZ56IfEwM
— 片山徹 (@_9105294027642) July 5, 2021
ぷちえんじぇる事件。稲城市立長峰小学校六年生女児四人監禁事件( 03.07.13〜07.17)。女児の一人が花屋に逃亡、事件発覚。警察保護の四人がその後、家庭に戻った報道無し。全員行方不明との未確認情報。口封じ暗殺であれば、計十四人の日本人の命がPEDO倶楽部会員李徳仁によって失われた事になる。 pic.twitter.com/NWqCHRGVoq
— 片山徹 (@_9105294027642) July 4, 2021
国際的人身売買組織関与の米ピザゲート事件。ピザ宅配方式、PEDO指定場所に小児を宅配するビジネス。首謀者はクリントン夫妻。人身売買に聖霊修道会マザー・テレサや統一協会大村秀章関与。ぷちえんじぇるは米ピザゲートを倣った。置屋は吉里弘太郎赤坂マンション。宅配はベンツCクラスで渡辺雅也。 pic.twitter.com/Vw0SxX8Yli
— 片山徹 (@_9105294027642) July 4, 2021
李家PEDO鼻下長要人のラオス・ヴィエンチャン訪問目的は少女買春(7〜12歳)。浜祥平医師逮捕で実態暴露。三浦春馬AAAチャリティコンサートかける想いはメッセージを読めば分かる。寄付金が遊興費に使われた事を知った春馬の衝撃。百田尚樹要請により二人に相談し朝日新聞に告発か。安倍晋三により暗殺。 pic.twitter.com/rNOD1UjTgN
— 片山徹 (@_9105294027642) July 4, 2021
中国マフィアから統一教会大村秀章が仕入れた女児に手を出すPEDO李徳仁。女児は中里弘太郎置屋からベンツCクラスで渡辺雅也が東宮へ搬送。会員制PEDO倶楽部に徳仁名。ぷちえんじぇる事件はマンションから女児逃亡で発覚。米ピザゲート事件の日本版。三浦春馬を含め日本人十名が自殺偽装口封じ暗殺。 pic.twitter.com/hdPOy8WMfM
— 片山徹 (@_9105294027642) July 4, 2021
ビル・ゲイツの離婚原因は悪魔崇拝、女児買春。米国で禁止。軽井沢の別荘と言われる建物はエプスタイン島悪魔神殿代替施設。レイプ室及び少女監禁室は既に爆破。菅内閣は最高勲章をビル・ゲイツに贈呈。息子の勤務する大成建設は悪魔神殿建設に積極的に全面協力。悪魔崇拝導入は日本国民への背信行為。 pic.twitter.com/izpEgK6J2n
— 片山徹 (@_9105294027642) July 3, 2021
鼻下長PEDO要人達が訪問し、三浦春馬がAAAチャリティコンサートを開催のラオス・ヴィエンチャン。浜祥平医師は2017年7月と10月に訪れ7〜12歳女児とSEXし撮影。機材はタブレット、スマートフォン。100本余の少女ポルノ動画保存媒体はパソコンとHD。要人達は、AAA寄付金で自身の性欲を満足させたのか。 pic.twitter.com/kVLr22fBDE
— 片山徹 (@_9105294027642) July 3, 2021
PEDO李徳仁のお相手の一人ぷちえんじぇる「せいか」は後のAV女優小向美奈子。大麻所持法違反で現在栃木刑務所の女囚。大麻に魅せられた安倍昭恵、田口淳之介、小峰麗奈、小向美奈子。沢尻エリカ(MDMA)。腕にヤク注射痕のある一人だけ何故か逮捕されません。チマチョゴリ特権なのでしょうか。 pic.twitter.com/ImgEaMB3Mt
— 片山徹 (@_9105294027642) July 3, 2021
李家PEDO鼻下長要人のラオス・ヴィエンチャン訪問目的は少女買春。浜祥平医師逮捕により実態暴露。三浦春馬AAAチャリティコンサートかける想いはメッセージを読めば分かる。寄付金が遊興費に使われた事を知った時の春馬の驚き。百田尚樹要請により二人に相談し朝日新聞に告発か。安倍晋三により暗殺。 pic.twitter.com/spGhWRI41F
— 片山徹 (@_9105294027642) July 2, 2021
ぷちえんじぇる事件。住民からの目撃証言。マンション玄関から二人男女が出て行った。吉里弘太郎を社長と。女児置屋主と女児配達屋との仕事関係。東宮への配達写真に渡辺雅也。女はM配下の上原優美。当日、女児の一人を東宮へ配達する予定。女児逃亡により警察介入。渡辺を除き関係者全員口封じ暗殺。 pic.twitter.com/G9k1cu47EU
— 片山徹 (@_9105294027642) July 2, 2021
PEDO李徳仁、少女拉致事件。吉川友梨失踪事件はPEDO李徳仁が性欲を満足する為、大阪府熊取町在住九歳少女を白いクラウンで拉致。十四歳の時、PEDO李徳仁に面談を許され、アイドルレビューを懇願。芸名町田有紗でDVDレビュー。最初のDVDカバー写真と懇願する後ろ姿の吉川友梨とのヘアーバンド一致。 pic.twitter.com/GZYh9HyJcQ
— 片山徹 (@_9105294027642) July 1, 2021
女児のパンツに手を突っ込むPEDOオバマ。注釈にPEDOクリントン、PEDO徳仁も同類の小児性愛者。 pic.twitter.com/rx6ETMF8mD
— 片山徹 (@_9105294027642) June 30, 2021
吉川友梨(九歳)と町田有紗(十四歳)とは米顔認証システムで同一人物。ツイッター社はこの顔写真引用。町田有紗の知合い人物から執拗に別人と主張する背景にPEDO李徳仁の権威失墜を危惧。しかし、北朝鮮と同じ様に女児を拉致し性具化する睦仁天皇殺しPEDO長州イボ侍玄孫李徳仁を日本人として許せません。 pic.twitter.com/Q6aWRHlWQZ
— 片山徹 (@_9105294027642) June 30, 2021
A執行取締役香川健二郎と三浦春馬最後M田中諒平との接点。香川と田中とは他人の白いサーフボード窃盗回収で暗殺確定。田中はブログ「カンボジヤなう」。東南アジアでの人身売買。要人のビエンチャンでの少女買春と寄付金から遊興費支出とを春馬告発。地蔵背負他人リーシュコード首吊り自殺偽装暗殺。 pic.twitter.com/I0jWy1iioR
— 片山徹 (@_9105294027642) June 30, 2021
赤坂ぷちえんじぇる事件の女児置屋主(東京都港区赤坂2-17-54、1101号)吉里弘太郎はマンション玄関から入室した女児デリバリー担当渡辺雅也と上原美優とに練炭自殺偽装暗殺された。現地に乗り捨てられた李徳仁への女児搬送用ベンツCクラス。警察は捜査放棄。LornserE50に近い型式車。渡辺雅也所有か。 pic.twitter.com/XeaDfYCS9u
— 片山徹 (@_9105294027642) June 30, 2021
捜索中の吉川友梨は全国捜査のWEB司法省により発見。九歳の時、大阪府熊取町から白クラウンで拉致された吉川友梨は五年間、PEDO李徳仁の性奴隷。十四歳の時、芸名町田有沙で念願CDレビュー。PEDO李徳仁との吉川友梨面談写真のヘアーバンドと町田有沙最初CDカバーのヘアーバンドと一致。乳大人化。 pic.twitter.com/wIJUx97lmL
— 片山徹 (@_9105294027642) June 29, 2021
瀬戸内、小豆島・豊島・直島はマフィアの植民地化。米DSとパソナ竹中平蔵・アミューズ大里洋吉・ベネッセ原田泳幸と共謀。麻薬、人身売買、アドレノクロム等マフィア関連特区構想。マップは米DS向け三島の交通の利便性を強調。香川県や建築家安藤忠雄の関与疑義。 pic.twitter.com/FKYdtijKLU
— 片山徹 (@_9105294027642) June 29, 2021
Yandexは、ロシアの検索エンジン、ポータルサイトの一つ。「src usa W001161698」を検索するとPEDO御用達女児カタログ。米家具通信販売店wayfairとリンク、通販カタログで高価な家具を注文するとテーピングされた女児が届けられる仕組。システム開発にFBザッカーバーグ関与。現在は元の家具販売店。 pic.twitter.com/6wP8XZ3vDm
— 片山徹 (@_9105294027642) June 29, 2021
米韓元大統領のPEDO問題。PEDOオバマは李徳仁同様、姉の子と称して同棲生活。李徳仁は愛子の同級生影子と同棲。 pic.twitter.com/ZqSA10NReK
— 片山徹 (@_9105294027642) June 29, 2021
李家PEDO鼻下長要人のラオス・ヴィエンチャン訪問目的は少女買春。三浦春馬はAAAチャリティコンサート寄付金が遊興費に使われた事を把握し朝日新聞に告発し暗殺。秋篠宮に花束贈呈したのは満面の笑みから、夜のお相手の少女か。図らずもPEDO浜祥平医師逮捕により、少女買春の全貌が明らかに。 pic.twitter.com/RuGzaLDnk1
— 片山徹 (@_9105294027642) June 28, 2021
PEDO李徳仁が大阪府熊取町から吉川友梨を白いクラウンで拉致証拠。五年間性奴として仕えた吉川友梨は約束グラビアアイドルレビュー要求。DVD出演は叶えられた。しかし、面談時の吉川友梨ヘアーバンドとDVDのカバー町田有沙のヘアーバンドと一致。睦仁天皇殺しPEDO李家長州イボ侍玄孫の性犯罪立証。 pic.twitter.com/LSBY7FI1vd
— 片山徹 (@_9105294027642) June 28, 2021
PEDO李徳仁により白いクラウンで大阪府熊取町から9才の時拉致された吉川友梨。14才アイドルレビュー町田有沙。その後AV女優に。最初のDVDカバー写真は5年経過しても本人と確認。睦仁天皇殺しPEDO李家長州イボ侍玄孫自身のPEDO性欲の為に日本人少女は犠牲となった。春馬くんは李徳仁を告発し暗殺。 pic.twitter.com/oFjS0EzRqe
— 片山徹 (@_9105294027642) June 28, 2021
2004.7.28東宮御所で第43次本土派遣沖縄豆記者とのPEDO李徳仁の接見。魚柄ワンビース着用の影子と手をつなぎ、歯をむき出して満面の笑み。愛子替玉影子は同級生でPEDO李徳仁の女児愛人。小学生なのに口紅。公式報道で影子=愛子。PEDOオバマも姉の子として女児愛人と同居。ともに夫人許容。異常な家庭。 pic.twitter.com/Ivd9sf6vp8
— 片山徹 (@_9105294027642) June 27, 2021
赤坂ぷちえんじぇる事件の女児置屋主(東京都港区赤坂2-17-54、1101号)吉里弘太郎はマンション玄関から入室した女児デリバリー担当渡辺雅也と上原美優とに練炭自殺偽装暗殺された。現地に乗り捨てられた李徳仁への女児搬送用ベンツCクラス。警察は捜査放棄の為、読者からこの車についての投稿を期待。 pic.twitter.com/iQzIK4z8jN
— 片山徹 (@_9105294027642) June 27, 2021
AAAコンサートでヴィエンチャンを何度も訪問した三浦春馬。アジア最貧国ラオスを訪問する鼻下長PEDO要人に疑念。「訪問目的は女児買春」と現地商社マン断言。要人の顔で分かる。要人のヴィエンチャンでの行動と遊興費がAAA寄付金で賄われている事とを把握し、朝日新聞に告発。自殺偽装暗殺された。 pic.twitter.com/r4Dpw3SOpB
— 片山徹 (@_9105294027642) June 27, 2021
PEDOに玩具にされた影子とジョンベネ。影子は愛子影武者で睦仁天皇殺し李家長州PEDO侍子孫李徳仁女児愛人。美人の誉高い米ジョンベネは六歳の時PEDOに暗殺された。二人共、男性経験から子供の無邪気さは無く既に大人の面影、口紅。 pic.twitter.com/wjZNlvkwxv
— 片山徹 (@_9105294027642) June 26, 2021
赤坂ぷちえんじぇる事件の女児置屋主(東京都港区赤坂2-17-54、1101号)吉里弘太郎。東京芸大卒。親兄も口封じ暗殺。宮内庁がひた隠しするPEDO李徳仁醜聞。マンション玄関から入室したデリバリー担当渡辺雅也と上原美優とに練炭自殺偽装暗殺された。後、上原美優は渡辺雅也により地蔵背負ドアノブ暗殺。 pic.twitter.com/LJWLhODRXy
— 片山徹 (@_9105294027642) June 26, 2021
ラオス観光局女児保護に立ち上がる。日本人医師浜祥平は七歳の女児買春で逮捕。小学一年生女児とSEX。鼻下長PEDO要人は春馬くんに女児買春の弱みを握られ、口封じ暗殺。七歳で耳にイヤリングが痛々しい。愛子影武者、PEDO李徳仁の女児愛人影子の口紅も異常。 pic.twitter.com/ios04uAgYy
— 片山徹 (@_9105294027642) June 26, 2021
読者から容疑者渡辺雅也が逮捕されない理由の質問。赤坂ぷちえんじぇる吉里弘太郎置屋から女児をベンツCクラスで東宮PEDO李徳仁へデリバリーサービス。統一教会、愛知県知事大村秀章斡旋の女児を李徳仁に届ける写真に渡辺雅也。東宮へ出入り自由。殺人についても無罪放免か。殺し報酬三千万円受取。 pic.twitter.com/nHKT3EESiO
— 片山徹 (@_9105294027642) June 26, 2021
ぷちえんじぇる事件。東宮への女児デリバリー用の車は現場にあった白ベンツCクラス。渡辺雅也と上原美優とはこの車でマンション女児置屋に乗り付け、吉里弘太郎を殺害後、女児が花屋に逃げ込んだ為、逃走。近隣の目撃情報有り。警察は李徳仁関係の案件と分かり手が出せなかった。 pic.twitter.com/FeZVM7dcbh
— 片山徹 (@_9105294027642) June 26, 2021
赤坂ぷちえんじぇる事件の女児置屋主、吉里弘太郎。東京芸大卒。親も兄も口封じ暗殺。宮内庁がひた隠しするPEDO李徳仁の醜聞。一人の女児は鎖で繋がれていた。マンションの玄関から入室したデリバリー担当の渡辺雅也と上原美優とに暗殺された。後、上原美優は渡辺雅也により地蔵背負ドアノブ暗殺。 pic.twitter.com/eNsU5kkPsQ
— 片山徹 (@_9105294027642) June 25, 2021
韓国PEDO大統領醜聞。日本の鼻下長PEDO要人同様、女児虐待。ドイツでも女児に薬を盛って、行為を撮影する事件。アミューズ豊島保養所地下に強姦室があると業者リーク。日本は闇支配国家。 pic.twitter.com/sEcvg8iNOE
— 片山徹 (@_9105294027642) June 25, 2021
NYエプスタイン邸はFBIにより差押。悪魔崇拝信者は日本に活路。安倍・菅共謀。エプスタイン島悪魔崇拝施設移転構想。ビルゲイツ軽井沢別荘と瀬戸内海PEDO天国。別荘地下に女児監禁室、強姦室。アミューズ保養所地下に強姦室。カイル・マクラカラン、キアヌ・リーブス、ギレーヌ・マックスウェル来日。 pic.twitter.com/zRDgO3AzCq
— 片山徹 (@_9105294027642) June 24, 2021
週刊誌に公開されたヴィエンチャンでのPEDO医師浜祥平の女児とのSEX写真からホテル名特定方法。ホテル設計の経験から客室設計で最重要項目はベッドのタイプと大きさ。WBで頭部分が木製アーチ。室内の設えは漆喰と木。PEDO御用達ホテルとして著名なラオンダオホテル1と特定。鼻下長PEDO要人も活用。 pic.twitter.com/izVBgQtauI
— 片山徹 (@_9105294027642) June 23, 2021
愛子と影子との違い。愛子は睦仁天皇殺し李家長州イボ侍の子孫。首筋にイボ遺伝。影子は愛子の影武者。PEDO李徳仁の女児愛人。小学生口紅。報道機関は影子=愛子。その後、影子は吉里弘太郎のぷちえんじぇる置屋に登録され、源氏名「ゆあ」。女児売春婦。会員は覆面姿で。口封じ暗殺、三浦春馬他九名。 pic.twitter.com/cj6lv8gqRG
— 片山徹 (@_9105294027642) June 23, 2021
ヴィエンチャンでPEDO医師浜祥平が7〜12歳女児を調達したラオンダオホテル1併設置屋。気に入った女児を見つけ、値段交渉。ホテルへの連れ込み自身の行為を撮影。100本余のビデオ。営利目的。鼻下長PEDO要人達が自身の性欲を満足させた事は間違い無い。PEDO医師浜祥平は小児性愛者のモデルを開示。 pic.twitter.com/6AknoBAGYu
— 片山徹 (@_9105294027642) June 23, 2021
東京湾に浮かんだフリージャーナリスト染谷悟の殺傷された遺体。私を恫喝した百田尚樹の「私の遺体が海に浮かぶ」と同一。彼の赤坂ぷちえんじぇる記事の裏側を読み解くと、女児売春婦に飽きたPEDO李徳仁の新鮮な女児要求が置屋主吉里弘太郎にあった。女児逃亡により、発覚。揉み消しに五人口封じ暗殺。 pic.twitter.com/a8OxiwVm9i
— 片山徹 (@_9105294027642) June 23, 2021
ヴィエンチャンで7〜12歳の女児5人とSEX。その様子をパソコンに保存した医師、浜祥平 容疑者(31歳)を児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で逮捕。報道写真に本人写真を嵌込。ホテル中庭に少女置屋食堂を併設したラオンダオホテル1。春馬くんはこの狭い都市での鼻下長要人の行動と資金の出処を把握。暗殺。 pic.twitter.com/HOukcDbFXf
— 片山徹 (@_9105294027642) June 22, 2021
「私の遺体が海に浮かぶ」と恫喝した百田尚樹の暗殺手順。政権維持に手段を選ばない。私に、証拠を朝日新聞or東京新聞に告発要請。告発文は安倍マフィア暗殺判定材料。染谷悟と三浦春馬とは素直に告発文を提出。安倍晋三は本人告発文から最終暗殺決定。二人はPEDO李徳仁の児女買春を告発したのか。 pic.twitter.com/90DdxI9pxn
— 片山徹 (@_9105294027642) June 22, 2021
ヴィエンチャンで7〜12歳の女児5人とSEX。その様子をパソコンに保存した医師、浜祥平 容疑者(31歳)を児童買春・ポルノ禁止法違反(製造)容疑で逮捕。報道写真に本人写真を嵌込。睦仁天皇殺しPEDO李家長州イボ侍子孫の鼻下長PEDO要人の年齢ニーズと一致。吉川友梨が9歳で拉致された理由自明。 pic.twitter.com/w88bjVNBtC
— 片山徹 (@_9105294027642) June 22, 2021
鼻下長要人のヴィエンチャン訪問の目的は少女買春。ホテル中庭に少女置屋食堂を併設したラオンダオホテル1。客室内部は白漆喰と木とで構成。日本人客は日に40人。春馬くんはこの狭い都市での鼻下長要人の行動と資金の出処を把握、竹内優子、芦名星に相談し朝日新聞に告発か。盗聴され口封じ暗殺。 pic.twitter.com/lSTu7j0Xpd
— 片山徹 (@_9105294027642) June 21, 2021
PEDO李徳仁により白いクラウンで大阪府熊取町から9才の時、拉致された吉川友梨。14才でアイドルレビュー町田有沙と一致。その後AV女優に変身。一人の少女が選別拉致され女児売春婦に。三浦春馬を含め不審死十名のぷちえんじぇる事件。睦仁天皇殺し李家長州イボ侍は戸籍操作までして日本国民に隠蔽。 pic.twitter.com/hkhQlewd0g
— 片山徹 (@_9105294027642) June 21, 2021
鼻下長PEDO李徳仁により白クラウンで大阪府熊取町から9才の時拉致された吉川友梨。AV女優町田有沙と一致。当時と笑顔不変。警察は職務上捜索のフリ。一人の少女が選別され、拉致され女児売春婦に。三浦春馬を含む口封じ暗殺十名ぷちえんじぇる事件に。睦仁天皇殺しPEDO長州イボ侍からのイボPEDO遺伝。 pic.twitter.com/a3BcfhUMtv
— 片山徹 (@_9105294027642) June 19, 2021
アジア最貧国ラオスへ複数回訪問した秋篠宮。花束贈呈は夜の相手をする写真のお馴染みの少女か。秋篠宮は普段滅多に見せない喜びの表情。ラオス高官呆れ顔。三浦春馬にPEDO鼻下長ぶりを知られた可能性。春馬ご遺体が霊柩車で運ばれた東京都済生会中央病院総裁。少女買春揉み消しの為、暗殺に共謀か。 pic.twitter.com/7bVadkyVvp
— 片山徹 (@_9105294027642) June 19, 2021
ビエンチャンPEDO御用達ロリコンホテルとして有名。睦仁天皇殺しPEDO李家長州イボ侍子孫の秋篠宮、李徳仁、李晋三のPEDO鼻下長要人達が利用か。東南アジアで小児売春婦の居るホテルは見当たらない為、鳥類研究と称して夜の蝶研究に熱心な秋篠宮。AAAコンサートで何度も訪れた春馬くんにバレバレ。 pic.twitter.com/MwjoOQhR2e
— 片山徹 (@_9105294027642) June 17, 2021
李晋三は桜を見る会に招待したA在日大里洋吉に三浦春馬暗殺依頼。洋吉は百田刈渡辺雅也に鍵を手渡した。春馬への公的弔慰無しの洋吉は安倍に春馬を売った。春馬は百田の要請、朝日新聞へ告発。ヴィエンチャンでのPEDO李徳仁他の少女買春とAAA寄付金流用。暗殺後、安倍辞任。雅也は成功報酬3000万円。 pic.twitter.com/vAZBC1U5PK
— 片山徹 (@_9105294027642) June 17, 2021
ヴィエンチャンを訪れた日本のPEDO鼻下長要人が訪れたのであろうか。置屋でTVを見ながら客待ち少女。ナイトマーケットには何百もの食堂兼置屋があり、お気に入りの少女を物色出来るシステム。複数回訪問したPEDO秋篠宮は鳥類の研究と宮内庁発表。しかし、実際は夜の蝶(鳥)の研究にご熱心の様だ。 pic.twitter.com/gpGygoC7cQ
— 片山徹 (@_9105294027642) June 14, 2021
ベトナムの闇市人身売買。スマホ欲しさに子供を売る親。公権力介在。中国マフィアを経て国際的人身売買組織統一教会等に売却。赤坂プチエンジェル事件、フリージャーナリスト染谷悟刺殺遺体東京湾に浮かぶ。中国マフィアに殺されると予告。統一教会と中国マフィアとの人身売買取引に大村秀章知事関与。 pic.twitter.com/imbTcm0YGO
— 片山徹 (@_9105294027642) June 14, 2021
ヴィエンチャンの移動式置屋の少女。赤坂ぷちえんじぇる吉里弘太郎置屋は会員制。三浦春馬を含め計十名口封じ暗殺。「PEDO鼻下長要人」李晋三、李徳仁、秋篠宮も会員名簿に記載か。 pic.twitter.com/FRVXvHbsqG
— 片山徹 (@_9105294027642) June 13, 2021
アジア最貧国ラオスへ複数回訪問した秋篠宮。花束贈呈は夜の相手をするお馴染みの少女か。秋篠宮は普段滅多に見せない喜びの表情。ラオス高官は呆れ顔。三浦春馬にPEDO鼻下長ぶりを知られた可能性。春馬ご遺体が霊柩車て゛運ばれた東京都済生会中央病院の総裁。少女買春揉み消しの為、暗殺に共謀か。 pic.twitter.com/cXHodbKh7S
— 片山徹 (@_9105294027642) June 12, 2021
ラオスAAAチャリティコンサート舞台と要人少女買春裏舞台。三浦春馬は要人ラオス訪問の秘密を朝日新聞にリークして口封じ暗殺か。要人は睦仁天皇殺し李家長州PEDO侍子孫。秋篠宮は複数回訪問。ラオス駐在商社マン証言「アジア最貧国ラオス訪問は女児買春目的」。寄付金から要人少女買春費支出疑惑。 pic.twitter.com/1Dulp5m9j5
— 片山徹 (@_9105294027642) June 7, 2021
女児人身売買現行犯。PEDO李徳仁、大村秀章、渡辺雅也。女児斡旋者は統一教会大村秀章。赤坂ぷちえんじぇる吉里弘太郎置屋から搬送した渡辺雅也。大村秀章は安倍晋三同様、統一教会式典に祝電。合意無き結婚は人身売買に等しい。多くの日本人妻犠牲。間抜け者と報道された昭恵は文亨進妻李妍雅を接待。 pic.twitter.com/h7pnmybB31
— 片山徹 (@_9105294027642) June 5, 2021
日米トップクラス小児性愛者の女児愛人問題。愛子影武者影子はPEDO李徳仁の女児愛人(口紅小学生)。愛子には睦仁天皇殺し李家長州イボ侍のイボ首筋他に遺伝、影子にはイボ無し。公式報道機関の愛子30ショットに影子を含む。PEDOオバマ姉の娘と公式報道は、実は女児愛人。日米共夫人了解女児愛人と同棲。 pic.twitter.com/zbNz7EVUTy
— 片山徹 (@_9105294027642) May 28, 2021
PEDO李徳仁の女児買春。公式報道機関発表の愛子成長記録30カットに赤丸の影武者影子。影子はPEDO李徳仁の女児愛人。小学生で口紅。後、赤坂ぷちえんじぇる吉里弘太郎置屋に、源氏名「ゆあ」登録。東宮へ渡辺雅也がデリバリー。現在、芸能プロダクション所属AV女優。同様コースのAV女優や国会議員も。 pic.twitter.com/DfNpNH4yEL
— 片山徹 (@_9105294027642) May 27, 2021
愛子に睦仁天皇殺し李家長州イボ侍のイボ遺伝。画右の影武者影子にはイボ無し。PEDO李徳仁の女児愛人で小学生から口紅。衣装同一。報道機関には共に愛子。しかし、首筋のイボで別人と判定。影子はぷちえんじぇる吉里弘太郎置屋で源氏名「ゆあ」。デリバリー運転手渡辺雅也。現、芸能事務所所属AV女優。 pic.twitter.com/kRC1yYiMdR
— 片山徹 (@_9105294027642) May 27, 2021
愛子影武者影子の拡大画。PEDO李徳仁の女児愛人らしく、小学生で既に口紅。女児愛人を隠蔽する為、雅子了解、自身の娘、衣装も同一「愛子」として報道機関に開示。しかし、イボ愛子と識別可。この手口はPEDOオバマと同じ、姉の子供を預かっていると報道機関に開示し、女児愛人を夫人了解で家に入れた。 pic.twitter.com/5qNxXZ5oAW
— 片山徹 (@_9105294027642) May 27, 2021
愛子の影武者影子(現AV女優)の首にはイボ無し。首を見れば偽物と分かる。公的報道機関が愛子と認定しても無理。影子はPEDO李徳仁の女児愛人。その後、ぷちえんじぇる中里弘太郎置屋で源氏名「ゆあ」。現在、闇芸能プロダクション所属AV女優。口封じ暗殺は三浦春馬を含め10名。 pic.twitter.com/5Nycp3ZL6c
— 片山徹 (@_9105294027642) May 27, 2021
ビル・ゲイツ永年連れ添ったメリンダ夫人との離婚原因はエプスタイン悪魔崇拝、女児買春。米国で禁止。軽井沢の別荘と言われる建物はエプスタイン島悪魔神殿代替施設。レイプ室、少女監禁室等を含む。菅内閣は最高勲章を贈り、息子の勤務する大成建設は悪魔神殿建設に積極的全面協力。背信行為。 pic.twitter.com/mTBmkOY5up
— 片山徹 (@_9105294027642) May 25, 2021
「アンドリュー王子に十七才の時、強姦された」と訴える米バージニア・ロバーツのパーティ現場写真。赤丸印の女性。ギブスレイン・マックスウェル斡旋。王子を弁護するハーバード大学法学部教授アラン・デルショーウィッツ。教授自身Lolita Express搭乗者。結果、王子は公的職務から離脱。 pic.twitter.com/h2BM6kwIMr
— 片山徹 (@_9105294027642) May 24, 2021
カリブ海エプスタイン島悪魔神殿浴室に設けられた歯科治療機器。虐待した小児の松果体に管を差込、アドレノクロム抽出に活用。用済み小児遺骨は米FBIの島周辺海底調査から大量遺骨発見。エリザベス女王は李徳仁も悪魔儀式出席と。江戸城地下にも小児遺骨廃棄の可能性。 pic.twitter.com/esf9RBnCtN
— 片山徹 (@_9105294027642) May 21, 2021
PEDO徳仁の女児買春。公式発表の愛子成長記録30カットに赤丸の影武者影子が含まれています。影子はPEDO徳仁の小児性愛対象女児。小学生で口紅を。赤坂ぷちえんじぇる吉里弘太郎置屋に登録。渡辺雅也が東宮へデリバリー。現在、芸能プロダクション所属AV女優。同様コースを経たAV女優や国会議員も。 pic.twitter.com/yyslVGAL9p
— 片山徹 (@_9105294027642) May 20, 2021
雅子は朝鮮人成太作の外子。読者からガセネタとの指摘もあったが、親子関係を示す類似点が多く、間違い無し。創価学会の全面支援からも関係裏付。後藤忠政は創価学会の殺し屋。高島屋裏玄関で山口組傘下後藤組所有マイバッハに乗車する雅子は、後藤忠政の女。PEDO李徳仁偽皇太子は忠政の娼婦と結婚。 pic.twitter.com/fzokVuL6zI
— 片山徹 (@_9105294027642) May 17, 2021
雅子は朝鮮人成太作の外子。読者から他人の空似との指摘もあったが、親子関係を示す類似点が多く、間違いありません。創価学会の全面支援からも関係を裏付。著書のとおり、後藤忠政は学会の殺し屋。父成太作は雅子を後藤忠政に預けた。成婚は朝鮮李家と朝鮮成家との政略結婚。日本人奴隷化政策。 pic.twitter.com/bBYu9LWy4F
— 片山徹 (@_9105294027642) May 17, 2021
雅子が舌を入れさせた男性は後藤忠政。高島屋裏玄関でマイバッハに乗る雅子の写真と目撃証言とは真実であった。朝鮮人成太作外子、雅子は後藤忠政の女。トランプが娼婦ファーストレディに疑念。創価学会の殺し屋と著書で公開した後藤忠政。闇世界の女、雅子。 pic.twitter.com/LNB7PAfwPy
— 片山徹 (@_9105294027642) May 15, 2021
PEDO東宮への女児デリバリーサービス。置屋主、吉里弘太郎は東京都港区赤坂2-17-54ウィークリーマンション・インターナショナルプラザ赤坂 11階1101号室で練炭自殺偽装暗殺。現場から逃走男女の目撃情報。顔見知り犯行。渡辺雅也は上原美優のM。上原美優は渡辺に口封じ地蔵背負ドアノブ自殺偽装暗殺。 pic.twitter.com/HWBdnofI6M
— 片山徹 (@_9105294027642) May 11, 2021
三浦春馬を含め十名不審死ぷちえんじぇる事件の闇。PEDO李徳仁の少女買春を隠蔽する為の口封じ暗殺。小学生女児を女優にすると騙し誘拐、闇芸能プロダクションが女児売春婦教育。吉里弘太郎などの置屋に登録。李徳仁東宮へ渡辺雅也がデリバリーサービス。クリントン夫妻の米ピザゲート事件の日本版。 pic.twitter.com/wvGPNL4QGu
— 片山徹 (@_9105294027642) May 9, 2021
PEDOジェフリー・エプスタインを告発した四人の少女の内、トランプの膝上の少女は「アンドリュー王子に十七才の時、強姦された」と訴えた米バージニア・ロバーツ。トランプ所有フロリダ州パームビーチにある別荘「マー・ア・ラゴ」の従業員。2017.2.10 安倍晋三訪問。 pic.twitter.com/xsyfF0Ez0G
— 片山徹 (@_9105294027642) April 13, 2021
李家偽皇太子徳仁と長州佐伯普と酷似。長州熊毛郡田布施町出身江上波夫東大教授が指摘したPEDO李家長州イボ侍が夜毎、少女と無合意で関係し子を設け、東大二年後輩の父が紹介され、面談した岸信介と概ね同年の子供M。江上波夫が睦仁天皇殺し李家長州イボ侍の皇国史観に造反理由。徳仁にPEDO遺伝。 pic.twitter.com/9ZmSKsw7AG
— 片山徹 (@_9105294027642) April 12, 2021
春馬の最後のマネジャーは死後八ヶ月以上経過して田中諒平と判明。諒平ブログに「カンボジヤなう」と投稿。後藤忠政、高村正彦、安藤隆春の人身売買闇組織とPEDO令和偽天皇とを結ぶ線浮上。貧困から身を売る少女は闇組織の資金源。秘密を知った三浦春馬、竹内結子、芦名星は口封じ自殺偽装暗殺か。 pic.twitter.com/Yf1Uu2PaL0
— 片山徹 (@_9105294027642) April 4, 2021
PEDO李家女児買春口封じ暗殺事件。渡辺雅也による地蔵背負ドアノブ自殺偽装暗殺。上原美優暗殺の9年後、芦名星に同じ手口、本人ベルト自殺偽装暗殺。4人共、同じ地蔵背負ドアノブ自殺偽装暗殺か。渡辺雅也と上原美優とはぷちえんじぇる吉里幸太郎置屋からPEDO李徳仁へ、ベンツCクラスで女児配達。 pic.twitter.com/gXmbZvfPvG
— 片山徹 (@_9105294027642) July 29, 2021
不審死上原美優の東京都目黒区中央町2丁の1Kマンション間取り。クローゼットのドアノブに本人ベルトに繋がれて発見。韓流地蔵背負ドアノブ自殺偽装暗殺か。ぷちえんじぇる置屋主吉里幸太郎の練炭自殺偽装暗殺に渡辺雅也と共に関与。現地に小6女児を配達する為のベンツCクラスが乗り捨てられていた。 pic.twitter.com/E4SNY7TKlg
— 片山徹 (@_9105294027642) July 28, 2021
上原美優は韓流地蔵背負ドアノブ暗殺。ぷちえんじぇる関係者4人が同様韓流地蔵背負ドアノブ暗殺。渡辺雅也と上原美優とはベンツCクラスでPEDO李徳仁へ小六女児を赤坂吉里幸太郎置屋から配達予定。上原美優はマンション自宅でドアノブとベルトとで結ばれ自殺偽装口封じ暗殺。犯人は合鍵所持渡辺雅也か。 pic.twitter.com/0DwcERQkK6
— 片山徹 (@_9105294027642) July 27, 2021
PEDO李家ぷちえんじぇる不審死12名。赤坂ぷちえんじぇる置屋主吉里弘太郎、父、兄。記者染谷悟。女児配達人上原優美。PEDO鼻下長要人ヴィエンチャン醜聞、三浦春馬、芦名星、竹内結子。ぷちえんじぇる女児4人。PEDO李徳仁の性犯罪口封じ暗殺。孝明天皇、睦仁天皇暗殺PEDO李家長州イボ侍子孫達の犯行。 pic.twitter.com/HqycpnJLC1
— 片山徹 (@_9105294027642) July 27, 2021
PEDO李徳仁、少女拉致事件。吉川友梨失踪事件はPEDO李徳仁が性欲を満足する為、大阪府熊取町在住九歳少女を白いクラウンで拉致。十四歳の時、PEDO李徳仁に面談を許され、アイドルレビューを懇願。芸名町田有紗でDVDレビュー。最初のDVDカバー写真と懇願する後ろ姿の吉川友梨とのヘアーバンド一致。 pic.twitter.com/RP2GD1rBWw
— 片山徹 (@_9105294027642) July 26, 2021
エプスタイン悪魔崇拝。現世の約束事を破棄。本能のおもねるまま現世を楽しむカルト宗教。悪魔へ生贄に女児血。統一教会教義は下部組織。小児は全世界人身売買組織から買い集められた。マザーテレサの小児売先はヒラリー・クリントン。使用済小児海葬。海底に夥しい遺骨。李徳仁参加とエリザベス女王。 pic.twitter.com/dxR80fFo0m
— 片山徹 (@_9105294027642) July 22, 2021
安藤隆春と三浦春馬最後のマネジャー田中諒平との接点はカンボジャを含めた東南アジア人身売買。春馬の言動を逐一報告。ラオスPEDO鼻下長要人の秘密を三浦春馬は把握。浜医師児童買春事件でヴィエンチャンの夜の実態暴露。鍵所持田中諒平は盗聴器を自宅に仕掛け、会話が漏れ、竹内結子、芦名星暗殺か。 pic.twitter.com/h9LXrmW9ln
— 片山徹 (@_9105294027642) July 21, 2021
ぷちえんじぇる事件。女児発注者李徳仁(東宮)。請負人吉里弘太郎(置屋、東京都港区赤坂2-17-54ウィークリーマンション・インターナショナルプラザ赤坂 11階1101号室)。女児配達人、渡辺雅也、上原美優、ベンツCクラス。女児売春婦に飽きた李徳仁は吉里に新女児発注。女児逃亡により発覚。ほぼ全員殺。 pic.twitter.com/aWmgDr9fRm
— 片山徹 (@_9105294027642) July 20, 2021
済生会総裁PEDO秋篠宮からのビデオメッセージを見る六人の幹部の一人東京済生会中央病院院長海老原全。上下関係から三浦春馬の生き見せ、病院での死去を依頼した可能性。PEDO秋篠宮は複数回ビエンチャン訪問中の少女買春と遊興費寄付金から支出とを三浦春馬に掴まれた為、口封じ暗殺共謀か。 pic.twitter.com/KTA1qfjDxe
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021
女児人身売買、背後の人物統一教会大村秀章。ベンツCクラスで女児配達渡辺雅也。中国マフィアから仕入れた東南アジア女児。その後、行方不明。ぷちえんじぇる事件四人女児も行方不明。三浦春馬は日本でラオスから人身売買された女児の行方を探し、密室空間Xで消えた事を知った可能性。PEDO徳仁関与。 pic.twitter.com/IrKSGAC8LA
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021
三浦春馬、芦名星、竹内結子、上原美優の自殺不可解。全員ドアノブなんてあり得ない。ドアノブ自殺偽装暗殺は韓国常識。地蔵背負ロープで息を止め、同じ首筋位置に本人のローブ状物でドアノブに繋ぎ自殺偽装。三浦春馬のみ他人リーシュコード。香川健二郎、田中諒平がサーフボードを窃盗回収した理由。 pic.twitter.com/YyigiRsYHe
— 片山徹 (@_9105294027642) July 17, 2021