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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100480
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[リバイバル4] EL34 を使ったアンプ 中川隆
6. 中川隆[-5749] koaQ7Jey 2021年4月13日 23:27:16 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[64]

Date: 8月 12th, 2018
ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=26903


五味先生のタンノイ・オートグラフにつながれていたのは、
主にマッキントッシュのC22とMC275のペアである。
「人間の死にざま」を読むと、カンノアンプの300Bシングルに、
交換しても聴かれていたことがわかる。

コントロールアンプはマランツのModel 7とマークレビンソンのJC2もお持ちだった。
その他にデッカ・デコラのアンプも所有されていた。

マランツのパワーアンプはどうだったのか。
Model 2かModel 5、Model 8Bのどれかは所有されていたとしてもおかしくない。

所有されていないアンプも多数聴かれている。
その結果のC22とMC275である、とみている。

中学生だったころ、
マッキントッシュとマランツの真空管アンプを見較べて、マランツの方がよさそうに思えた。
そのころ、マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを聴ける店は、熊本にはなかった。
周りにオーディオマニアが誰もいなかったから、
個人でどちらかを持っている人を探そうとは思わなかった。

ステレオサウンド 51号のオーディオ巡礼に、
ヴァイタヴォックスCN191を鳴らされているH氏が登場されている。

アンプはマッキントッシュからマランツのModel 7とModel 9のペアに交換した、とあった。
このときもまだどちらも聴いたことはなかったし、写真でだけ知っているだけでしかなかった。

それでも、そうだろう、と思いながら、オーディオ巡礼を読んでいた。
アンプとして、どちらが高性能かといえば、マランツに軍配をあげる──、
そういう見方を10代の私はしていた。

なので、五味先生はなぜマッキントッシュなのか、という疑問がなかったわけではない。
正確にいえば、マランツを選ばれなかった理由はなんのか、を知りたいと思っていた。

結局、それはワグナーを聴かれるから、というのが、私がたどりついた答である。
http://audiosharing.com/blog/?p=26903


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=26909


ステレオサウンド 37号から「クラフツマンシップの粋」が始まった。
一回目は、やはりマランツの真空管アンプである。

長島先生と山中先生の対談による、この記事の最後に、
マランツサウンドは存在するか、について話されている。
     *
山中 製品についてはいま話してきたのでだいたい出ていると思うのですが、それでは実際にマランツの音とはどんな音なのかということですが……。
 全般的な傾向としては、一言でいってしまえば特にキャラクターを持たないニュートラルな音だと思うのですよ。色づけが少ないというか……。特に泣かせどころがあるとか、そういう音じゃないですね。
 よく、マッキントッシュサウンドとか、JBLサウンド、アルテックサウンドという言い方をしますね。そしてこの言葉を聞くだけでそれぞれの音がイメージできるほどはっきりした性格をもっていますね。しかしそういう意味でのマランツサウンドというのはあり得ないと思うのです。事実、マランツサウンドっていう言葉はないでしょう。
長島 俗に、管球式の音は柔らかいとか、暖か味があるとかいいますが、マランツはそういう臭さ≠感じさせませんね。
 マランツの一群のアンプはぼくも使っているのですけれど、球の暖かさなんていうのは、はっきりいえば、少しも感じない(笑)。
山中 ともかく媚びるということがないですね。
長島 まったくその通りですね。
山中 マランツの音について話しているとどうも取り留めなくなってしまうのだけれど、音のキャラクター云々ということが出てこないでしょう。
長島 それでも厳としてあることはある。
山中 あるんですよね、マランツのサウンドというのは……。
長島 あるのだけれど非常に言いにくい……。
山中 それが実はマランツの秘密で、結局ソウル・マランツ氏の目差した音じゃないですかね。
長島 要するに、あまりにも真っ当すぎるので言うのに困ってしまう(笑)。あえてマランツサウンドってなんだと聞かれたら、筋を通して理詰めに追いあげたせのがマランツサウンドだと言うよりないですね。決して神経を休めるという傾向の音ではありません。レコードに入っている音が、細大洩らさず、あるがままの形で出てくるのですよ。
山中 だからこそ、この時代におけるひとつのプレイバックスタンダードであり得たのでしょうね。
     *
ことわるまでもなく、ここに出てくるマランツの音とは、
あくまでも真空管アンプ時代のマランツであり、いまのマランツにそっくりあてはまるわけではない。

そして、真空管アンプ時代のマランツの音に関しては、瀬川先生もほぼ同じことを書かれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26909

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=26911


1981年夏のステレオサウンド別冊「世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭、
「いま、いい音のアンプがほしい」で、瀬川先生はマランツのアンプの音についてこう書かれている。
     *
 そうした体験にくらべると、最初に手にしたにもかかわらず、マランツのアンプの音は、私の記憶の中で、具体的なレコードや曲名と、何ひとつ結びついた形で浮かんでこないのは、いったいどういうわけなのだろうか。確かに、その「音」にびっくりした。そして、ずいぶん長い期間、手もとに置いて鳴らしていた。それなのに、JBLの音、マッキントッシュの音、というような形では、マランツの音というものを説明しにくいのである。なぜなのだろう。
 JBLにせよマッキントッシュにせよ、明らかに「こう……」と説明できる個性、悪くいえばクセを持っている。マランツには、そういう明らかなクセがない。だから、こういう音、という説明がしにくいのだろうか。
 それはたしかにある。だが、それだけではなさそうだ。
 もしかすると私という人間は、この、「中庸」というのがニガ手なのだろうか。そうかもしれないが、しかし、音のバランス、再生される音の低・中・高音のバランスのよしあしは、とても気になる。その意味でなら、JBLよりもマッキントッシュよりも、マランツは最も音のバランスがいい。それなのに、JBLやマッキントッシュのようには、私を惹きつけない。私には、マランツの音は、JBLやマッキントッシュほどには、魅力が感じられない。
 そうなのだ。マランツの音は、あまりにもまっとうすぎるのだ。立派すぎるのだ。明らかに片寄った音のクセや弱点を嫌って、正攻法で、キチッと仕上げた音。欠点の少ない音。整いすぎていて、だから何となくとり澄ましたようで、少しよそよそしくて、従ってどことなく冷たくて、とりつきにくい。それが、私の感じるマランツの音だと言えば、マランツの熱烈な支持者からは叱られるかもしれないが、そういう次第で私にはマランツの音が、親身に感じられない。魅力がない。惹きつけられない。だから引きずりこまれない……。
 また、こうも言える。マランツのアンプの音は、常に、その時点その時点での技術の粋をきわめながら、音のバランス、周波数レインジ、ひずみ、S/N比……その他のあらゆる特性を、ベストに整えることを目指しているように私には思える。だが見方を変えれば、その方向には永久に前進あるのみで、終点がない。いや、おそらくマランツ自身は、ひとつの完成を目ざしたにちがいない。そのことは、皮肉にも彼のアンプの「音」ではなく、デザインに実っている。モデル7(セブン)のあの抜きさしならないパネルデザイン。十年間、毎日眺めていたのに、たとえツマミ1個でも、もうこれ以上動かしようのないと思わせるほどまでよく練り上げられたレイアウト。アンプのパネルデザインの古典として、永く残るであろう見事な出来栄えについてはほとんど異論がない筈だ。
 なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
 パネルのデザインの完成度の高さにくらべると、その音は、崩し方が少し足りない。いや、音に関するかぎり、マランツの頭の中には、出来上がったバランスを崩す、などという意識はおよそ入りこむ余地がなかったに違いない。彼はただひたすら、音を整えることに、全力を投入したに違いあるまい。もしも何か欠けた部分があるとすれば、それはただ、その時点での技術の限界だけであった、そういう音の整え方を、マランツはした。
     *
ここでも、マランツの音について説明しにくい、とある。
そして、それは言葉で説明できる個性、悪くいえばクセがないからで、
まっとうすぎる、立派すぎる、と。

SMEのフォノイコライザーアンプSPA1HLを聴いたとき、
そういうことなのか、と合点がいった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26911


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=26913


話をすすめていく前にひとつ書いておきたいのは、
長島先生、山中先生、瀬川先生だけでなく、同時代のオーディオ評論家の人たちは、
そして五味先生もそうなのだが、
みな、マッキントッシュやマランツの真空管アンプが現役のころからオーディオに取り組まれている。

つまりみな新品のマッキントッシュのアンプの音、マランツのアンプの音、
真空管アンプではないが同時代のJBLのアンプの音などを聴かれている。

このことは後に生まれた世代にはかなわぬことである。
長島先生、山中先生は1932年、瀬川先生は1935年、
私は約30年後の1963年生れである。

同世代の人たちよりは程度のいいマッキントッシュやマランツを聴いているのかもしれないが、
それでも30年という時間のひらきは、なにをもってきてもうめられない。

完全な追体験は無理なのだ。
完全メインテナンスを謳っていようが、
それがどの程度なのかは、だれが保証してくれるのか。

周りに、マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを新品の状態で聴いたことがある、
しかも耳の確かな人がいればいい。
けれど、そういう人がどのくらいいるか。

いわゆる自称は、ここでは役に立たぬ存在だ。

私がこうやって古いマッキントッシュやマランツの音に関することを引用しているのを読んで、
いや、そういう音じゃないぞ、と思われる人もいよう。
そのことを否定しない。

その人が聴くことができたマッキントッシュやマランツの真空管アンプは、
そういう音を出していたのだろうから。

でも、それが新品での音とどのくらい違ってきているのか。
そのことを抜きにして、自分が聴いた範囲だけの音で語るのは、私はやらない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26913


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26915


SMEのSPA1HLは最初オルトフォン・ブランドで登場した。
プロトタイプというか、プリプロモデルだったのか、
とにかくオルトフォンのSPA1HLを聴いている。

オルトフォンのSPA1HLとして登場した時、このフォノイコライザーアンプの事情は何も知らなかった。
オルトフォンの技術者が設計した真空管のフォノイコライザーアンプだと素直に信じていた。
だからオルトフォンのカートリッジに持っている音のイメージを、期待していた。

鳴ってきた音は、その意味では期待外れともいえたし、
期待外れだからといって、このフォノイコライザーアンプに魅力を感じなかったわけではない。
おもしろいアンプが登場してきた、と思った。

それからしばらくして、今度はSMEブランドで現れた。
ここで初めて、このフォノイコライザーアンプの事情を知る。

SMEのSPA1HLは長島先生といっしょに聴いた。
SPA1HLについて長島先生の詳しいこと詳しいこと。

思わず「長島先生が設計されたのですか」と口にしそうになるくらいだった。
そうなんだということはすぐにわかった。
パーツ選びの大変さも聞いている。

それに長島先生自身、SMEのアンプは、マランツの#7への恩返し、といわれていた。
オルトフォン・ブランドであろうとSMEブランドであろうと、
SPA1HLに、そのオーディオ機器ならではの音色の魅力というものは、
まったく感じなかった。

この点で期待外れと、最初の音が鳴った時に感じても、さまざまなレコードをかけていくと、
SPA1HLの実力は高いと感じてくる。

ただそれでもオーディオ機器固有の音色にどうしても耳が向いてしまう人には、
SPA1HLは不評のようだった。

SPA1HLをある人とステレオサウンドの試聴室で聴いている。
その人は、ほんとうにいいアンプだと思っています? ときいてきた。
その人にとってSPA1HLはどうでもいい存在のようだった。

私はSPA1HLを、何度もステレオサウンドの試聴室で聴いている。
SPA1HLを聴いて、
長島先生がマランツのModel 7をどう聴かれていたのかを理解できた、と思った。
http://audiosharing.com/blog/?p=26915

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=26917


SPA1HLによって、長島先生にとってModel 7がどういう存在なのかをはっきりと知った。
マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを新品で聴くことはできなかった世代であっても、
SPA1HLを長島先生といっしょに、しかも解説つきでじっくりと聴くことができたからだ。

長島先生はステレオサウンド 38号で、
《決して神経を休めるという傾向の音ではありません》といわれている。
確かにそうである。
SPA1HLもそういうアンプである。

同じことを井上先生もいわれていたし、
ステレオサウンド別冊「音の世紀」でも、同じ意味あいのことを書かれている。
     *
 心情的には、早くから使ったマランツ7は、その個体が現在でも手もとに在るけれども、少なくとも、この2年間は電源スイッチをONにしたこともない。充分にエージング時間をかけ音を聴いたのは、キット版発売の時と、復刻版発売の時の2回で、それぞれ約1ヵ月は使ってみたものの、老化は激しく比較対象外の印象であり、最新復刻版を聴いても、強度のNFB採用のアンプは、何とはなく息苦しい雰囲気が存在をして、長時間聴くと疲れる印象である。
     *
決して神経を休めるという傾向の音ではないModel 7、
何とはなく息苦しい雰囲気が存在をして、長時間聴くと疲れる印象のModel 7。

どちらも同じことを語っている。
ただ聴き手が違うだけの話である。
音楽の聴き方の違いが、そこにある。

五味先生はワグナーをよく聴かれていた。
毎年NHKのFMで放送されるバイロイト音楽祭を録音されていたことはよく知られているし、
《タンノイの folded horn は、誰かがワグナーを聴きたくて発明したのかも分らない。それほど、わが家で鳴るワグナーはいいのである》
とも書かれているくらいだ。

ワグナーは長い。
どの楽劇であっても、長い。
その長さゆえ、五味先生はマランツを選ばれなかったのではないのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26917

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26920


長島先生はステレオサウンド 37号で、
《レコードに入っている音が、細大洩らさず、あるがままの形で出てくる》といわれている。

五味先生はMC275とMC3500を聴き比べて、次のように書かれている。
     *
 ところで、何年かまえ、そのマッキントッシュから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メインアンプMC三五〇〇≠ェ発売された。重さ六十キロ(ステレオにして百二十キロ——優に私の体重の二倍ある)、値段が邦貨で当時百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(十ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二十から二万ヘルツまでマイナス〇・五dB。SN比が、マイナス九五dBである。わが家で耳を聾する大きさで鳴らしても、VUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪のアンプといっていいように思う。
 すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、悪いわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。当時、百五十万円の失費は私にはたいへんな負担だったが、よい音で鳴るなら仕方がない。
 さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
 理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
 MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
     *
マッキントッシュのMC3500よりも、
マランツのModel 9のほうが、より《簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている》だろう。

けれど五味先生はMC3500ではなくMC275なのである。
《必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかして》描く、
そういうMC275を選ばれている。

簇生の美しさを出すためにぼかす──、
ここを忘れては、何も語れない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26920


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26922


長島先生は、最初からマランツのModel 7とModel 2の組合せだったわけではない。
ステレオサウンド 61号で語られているが、
最初はマッキントッシュである。真空管アンプではなくトランジスターアンプである。
     *
長島 つぎにアンプのマッチングを考えました。そのときマッキントッシュのMC2105を使っていたんですが、これはやさしいアンプですが、スピーカーが慣れてくるにしたがって、力量不足がはっきりしてきたわけです。そこでつぎにMC275に切りかえました。MC275でもエイジングがすすんでくるにつれて、こんどは甘さが耳についてきました。その甘さがほくには必要じゃない。だから、もっと辛口のアンプをということでマランツ2になり、ずうっと使ってきたマッキントッシュのC26プリアンプをマランツ7に変え、それでやっとおちついているわけです。
     *
長島先生が鳴らされていたスピーカーは、ジェンセンのG610Bなのはよく知られている。
G610Bの前は、タンノイだった。
GRFだった、と記憶している。

そのタンノイについて、61号では、
タンノイのやさしさが、もの足りなかった、と。
タンノイは、だから演奏会場のずうっと後の席で聴く音で、
長島先生は、前の方で聴きたい、と。

だから長島先生にとってG610Bであり、Model 7+Model 2なのである。

そういう長島先生なのだが、ステレオサウンド 61号の写真をみた方ならば、
マランツのModel 2の隣にMC275が置いてあるのに気づかれたはず。

使っていないオーディオ機器は手離す長島先生であっても、
MC275だけは手離す気になれない、とある。

簇生の美しさを出すためにぼかす甘さを求める聴き方もあれば、
簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いていくため甘さを拒否する聴き方もある。

それによってアンプ選びは違ってくる。
ここで書きたいのは、マッキントッシュとマランツの、どちらの真空管アンプが優秀か、ではない。
こういうことを書いていくと、わずかな人であっても、
マッキントッシュが優秀なんだな、とか、やっぱりマランツなんだな、と決めてかかる人がいる。

書きたいのは、なぜ五味先生がマッキントッシュだったのか、
その理由について考察なのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=26922


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=26926

五味先生はステレオサウンド 50号のオーディオ巡礼で、
森忠輝氏のリスニングルームを訪ねられている。
     *
森氏は次にもう一枚、クナッパーツブッシュのバイロイト録音のパルシファル≠かけてくれたが、もう私は陶然と聴き惚れるばかりだった。クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でも余りうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか思えぬ鳴り方をする個所がある。
 しかるに森家のオイロダイン≠ヘ、実況録音盤の人の咳払いや衣ずれの音などがバッフルの手前から奥にさざ波のようにひろがり、ひめやかなそんなざわめきの彼方に聖餐の動機≠ェ湧いてくる。好むと否とに関わりなくワグナー畢生の楽劇——バイロイトの舞台が、仄暗い照明で眼前に彷彿する。私は涙がこぼれそうになった。ひとりの青年が、苦心惨憺して、いま本当のワグナーを鳴らしているのだ。おそらく彼は本当に気に入ったワグナーのレコードを、本当の音で聴きたくてオイロダイン≠手に入れ苦労してきたのだろう。敢ていえば苦労はまだ足らぬ点があるかも知れない。それでも、これだけ見事なワグナーを私は他所では聴いたことがない。天井棧敷は、申すならふところのそう豊かでない観衆の行く所だが、一方、その道の通がかよう場所でもある。森氏は後者だろう。むつかしいパルシファル≠これだけ見事にひびかせ得るのは畢竟、はっきりしたワグナー象を彼は心の裡にもっているからだ。オイロダイン≠フ響きが如実にそれを語っている。私は感服した。あとで聞くと、この数日後アンプの真空管がとんだそうだが、四十九番あたりの聴くに耐えぬ音はそのせいだったのかも知れない。
 何にせよ、いいワグナーを聴かせてもらって有難う、心からそう告げ私は森家を辞したのである。彼の人となりについては気になる点がないではなかったが、帰路、私は満足だった。本当に久しぶりにいいワグナーを聴いたと思った。
     *
40号代のステレオサウンドには、森忠輝氏の連載が載っていた。
オイロダインとの出合い、アナログプレーヤー、アンプの選択と入手についての文章を読んでいた。

森忠輝氏のアンプはマランツのModel 7とModel 9である。
森忠輝氏の心の裡にあるワグナー像を描くには、
森忠輝氏にとってはマランツのアンプしかなかったのだろう。

けれど、忘れてならぬのは天井桟敷の俯瞰である、ということだ。

ここでひとつ五味先生に訊ねたいことがある。
森忠輝氏のオイロダインで、クナッパーツブッシュのパルシファルは、どこまで聴かれたのだろうか。
レコードの片面だけなのか、まさかとは思うが、五枚全面聴かれたのか。

森忠輝氏の音量は、かなり小さい、と書かれている。
小さいからこそマランツなのか、と思うし、
おそらく聴かれたのはレコード片面なのだろう──、とそんなことを考えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26926

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=26932

ワグナーとオーディオというタイトルなのに、
書いていることはワグナーと五味康祐になっている。

五味先生とワグナーということで、
私と同世代、上の世代で熱心にステレオサウンドを読んできた人ならば、
2号での小林秀雄氏との音楽談義を思い出されるはずだ。

そこで五味先生は、いわれている。
     *
五味 ぼくは「トリスタンとイゾルデ」を聴いていたら、勃然と、立ってきたことがあるんでははぁん、官能というのはこれかと……戦後です。三十代ではじめて聴いた時です。フルトヴェングラーの全曲盤でしたけど。
     *
「勃然と、立ってきた」とは、男の生理のことである。
この五味先生の発言に対し、小林秀雄氏は「そんな挑発的ものじゃないよ。」と発言されている。

そうかもしれない、と考えるのが実のところ正しいのかもしれない。
それに音楽、音、オーディオについて語っているところに、
こういった性に直結する表現が出てくることを非常に嫌悪される人がいるのも知っている。

以前、ステレオサウンドで、菅野先生が射精という表現をされた。
このことに対して、
ステレオサウンドはオーディオのバイブルだから、そんな言葉を使わないでくれ、
そういう読者からの手紙が来たことがあった。

私の、このブログをオーディオのバイブルと思っている人はいないだろうから、
気にすることなく書いていくけれど、世の中にはそういう人がいるというのは事実である。

そういう人にとっては、
小林秀雄・五味康祐「音楽談義」での《勃然と、立ってきたことがある》は、
どうなんだろうか。

《勃然と、立ってきた》とはあるが、その後のことについては語られていない。
だから、かろうじて、そういう人にとっても許容できることなのだろうか。

三十代ではじめて聴いて《勃然と、立ってきた》とあるから、
タンノイのオートグラフ以前のことだ。

五味先生のところにオートグラフが届いたのは1964年である。
五味先生は42歳だった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26932

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=26979


「西方の音」に「少年モーツァルト」がある。
そこに、こうある。
     *
 私は小説家だから、文章を書く上で、読む時もまず何より文体にこだわる。当然なはなしだが、どれほどの評判作もその文体が気にくわねば私には読むに耐えない。作家は、四六時中おなじ状態で文章が書けるわけはなく、女を抱いた後でつづる文章も、惚れた女性を持つ作家の文章、時間の経過も忘れて書き耽っている文章、またはじめは渋滞していたのが興趣が乗り、夢中でペンを走らせる文章など、さまざまにあって当然だが、概して女と寝たあとの文章と、寝るまでの二様があるように思える。寝てからでは、どうしても文体に緻密さが欠けている。自他ともに、案外これは分るものだ。女性関係に放縦な状態でけっしてストイックなものが書けるわけはない。ライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』や、総じて彼の詩作は、女性を拒否した勤勉な、もしくは病的な純粋さで至高のものを思わねばつづれぬものだろう、と思ったことがある。《神への方向》にリルケの文学はあるように思っていた。私はリルケを熟読した。そんなせいだろうか、女性との交渉をもったあとは、それがいかほど愛していた相手であれ、直後、ある己れへの不潔感を否めなかった。なんという俺は汚ない人間だろうと思う。
 どうやら私だけでなく、世の大方の男性は(少なくともわれわれの年代までに教育をうけた者は)女性との交渉後に、ある自己嫌悪、アンニュイ、嘔吐感、虚ろさを覚えるらしい。そういう自己への不潔感をきよめてくれる、もしくは立ち直らせてくれるのに、大そう効果のあるのがベートーヴェンの音楽ではなかろうか、と思ったことがある。
 音楽を文体にたとえれば、「ねばならぬ」がベートーヴェンで、「である」がバッハだと思った時期がある。ここに一つの物がある。一切の修辞を捨て、あると言いきるのがバッハで、あったのだったなぞいう下らん感情挿入で文体を流す手合いは論外として、あるとだけでは済ませぬ感情の盛り上がり、それを、あくまで「ある」でとどめるむずかしさは、文章を草してきて次第に私にも分ってきた。つまり、「ある」で済ませる人には、明治人に共通な或る精神の勁さを感じる。何々である、で結ぶ文体を偉ぶったように思うのは、多分思う方が弱くイジケているのだろうと。──なんにせよ、何々だった、なのだった、を乱用する作家を私は人間的に信用できなかった。
 シューベルトは、多分「だった」の作曲家ではなかろうかと私は思う。小林秀雄氏に、シューベルトの偉さを聞かされるまではそう思っていたのである。むろん近時、日本の通俗作家の「だった」の乱用と、シューベルトの感情挿入は別物だ。シューベルトの優しさは、だったで結べば文章がやさしくなると思う手合いとは無縁である。それでも、ベートーヴェンの「ねばならぬ」やバッハにくらべ、シューベルトは優しすぎると私には思えた。女を愛したとき、女を抱いたあとにシューベルトのやさしさで癒やされてはならぬと。
 われながら滑稽なドグマであったが、そういう音楽と文体の比喩を、本気で考えていた頃にもっとも扱いかねたのがモーツァルトだった。モーツァルトの音楽だけは、「ねばならぬ」でも「である」でもない。まして「だった」では手が届かない。モーツァルトだけは、もうどうしようもないものだ。彼も妻を持ち、すなわち妻と性行為はもったにきまっている。その残滓がまるでない。バッハは二人の夫人に二十人の子を産ませた。精力絶倫というべく、まさにそういう音楽である。ベートーヴェンは女房をもたなかったのはその音楽を聞けば分る。女房ももたず、作曲に没頭した芸術家だと思うから、その分だけベートーヴェンに人々は癒やされる。実はもてなかったといっても大して変りはないだろう。
     *
《ある己れへの不潔感》、《アンニュイ、嘔吐感、虚ろさ》、
そういったことをまったく感じない男がいる、ということも知っている。

そんな男にかぎって、ストイックな文章を書こうとしているのだから、
傍から見れば滑稽でしかない、とおもうことがある。

《概して女と寝たあとの文章と、寝るまでの二様があるように思える》とある。
ならば自己への不潔感を感じる者と、感じない者との二様がある、のだろう。

感じない者が大まじめに、ストイックな文章であろうとするのだから、
やはり、滑稽でしかない、と感じる。

ワグナーは、どちらだったのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26979


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=26983

《何々である、で結ぶ文体を偉ぶったように思うのは、多分思う方が弱くイジケているのだろうと》
そう五味先生は書かれている。
私もそう思う。

いまでは「上から目線で……」と、すぐさま口にする人が増えてきたようだ。
「上から目線でいわれた」と感じる方が弱くてイジケているのだろう、と思う。

弱くてイジケている人は、上の人が自分がいまいるところまで降りてきてくれる、と思っているのか。
弱くてイジケている人は、自分よりも下にいると思っている人のところまで降りて行くのか。

上にいる者は、絶対に下に降りていってはダメだ、と菅野先生からいわれたことがある。
そう思っている。

下にいる人を蹴落とせ、とか、
上に上がってこようとしているのを拒む、とか、そういうことではない。
上にいる者は、目標としてしっかりと上にいるべきであり、
導くことこそ大事なことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26983
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/137.html#c6

[リバイバル4] KT88 を使ったアンプ 中川隆
4. 中川隆[-5748] koaQ7Jey 2021年4月13日 23:27:43 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[65]

Date: 8月 12th, 2018
ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=26903


五味先生のタンノイ・オートグラフにつながれていたのは、
主にマッキントッシュのC22とMC275のペアである。
「人間の死にざま」を読むと、カンノアンプの300Bシングルに、
交換しても聴かれていたことがわかる。

コントロールアンプはマランツのModel 7とマークレビンソンのJC2もお持ちだった。
その他にデッカ・デコラのアンプも所有されていた。

マランツのパワーアンプはどうだったのか。
Model 2かModel 5、Model 8Bのどれかは所有されていたとしてもおかしくない。

所有されていないアンプも多数聴かれている。
その結果のC22とMC275である、とみている。

中学生だったころ、
マッキントッシュとマランツの真空管アンプを見較べて、マランツの方がよさそうに思えた。
そのころ、マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを聴ける店は、熊本にはなかった。
周りにオーディオマニアが誰もいなかったから、
個人でどちらかを持っている人を探そうとは思わなかった。

ステレオサウンド 51号のオーディオ巡礼に、
ヴァイタヴォックスCN191を鳴らされているH氏が登場されている。

アンプはマッキントッシュからマランツのModel 7とModel 9のペアに交換した、とあった。
このときもまだどちらも聴いたことはなかったし、写真でだけ知っているだけでしかなかった。

それでも、そうだろう、と思いながら、オーディオ巡礼を読んでいた。
アンプとして、どちらが高性能かといえば、マランツに軍配をあげる──、
そういう見方を10代の私はしていた。

なので、五味先生はなぜマッキントッシュなのか、という疑問がなかったわけではない。
正確にいえば、マランツを選ばれなかった理由はなんのか、を知りたいと思っていた。

結局、それはワグナーを聴かれるから、というのが、私がたどりついた答である。
http://audiosharing.com/blog/?p=26903


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=26909


ステレオサウンド 37号から「クラフツマンシップの粋」が始まった。
一回目は、やはりマランツの真空管アンプである。

長島先生と山中先生の対談による、この記事の最後に、
マランツサウンドは存在するか、について話されている。
     *
山中 製品についてはいま話してきたのでだいたい出ていると思うのですが、それでは実際にマランツの音とはどんな音なのかということですが……。
 全般的な傾向としては、一言でいってしまえば特にキャラクターを持たないニュートラルな音だと思うのですよ。色づけが少ないというか……。特に泣かせどころがあるとか、そういう音じゃないですね。
 よく、マッキントッシュサウンドとか、JBLサウンド、アルテックサウンドという言い方をしますね。そしてこの言葉を聞くだけでそれぞれの音がイメージできるほどはっきりした性格をもっていますね。しかしそういう意味でのマランツサウンドというのはあり得ないと思うのです。事実、マランツサウンドっていう言葉はないでしょう。
長島 俗に、管球式の音は柔らかいとか、暖か味があるとかいいますが、マランツはそういう臭さ≠感じさせませんね。
 マランツの一群のアンプはぼくも使っているのですけれど、球の暖かさなんていうのは、はっきりいえば、少しも感じない(笑)。
山中 ともかく媚びるということがないですね。
長島 まったくその通りですね。
山中 マランツの音について話しているとどうも取り留めなくなってしまうのだけれど、音のキャラクター云々ということが出てこないでしょう。
長島 それでも厳としてあることはある。
山中 あるんですよね、マランツのサウンドというのは……。
長島 あるのだけれど非常に言いにくい……。
山中 それが実はマランツの秘密で、結局ソウル・マランツ氏の目差した音じゃないですかね。
長島 要するに、あまりにも真っ当すぎるので言うのに困ってしまう(笑)。あえてマランツサウンドってなんだと聞かれたら、筋を通して理詰めに追いあげたせのがマランツサウンドだと言うよりないですね。決して神経を休めるという傾向の音ではありません。レコードに入っている音が、細大洩らさず、あるがままの形で出てくるのですよ。
山中 だからこそ、この時代におけるひとつのプレイバックスタンダードであり得たのでしょうね。
     *
ことわるまでもなく、ここに出てくるマランツの音とは、
あくまでも真空管アンプ時代のマランツであり、いまのマランツにそっくりあてはまるわけではない。

そして、真空管アンプ時代のマランツの音に関しては、瀬川先生もほぼ同じことを書かれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26909

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=26911


1981年夏のステレオサウンド別冊「世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭、
「いま、いい音のアンプがほしい」で、瀬川先生はマランツのアンプの音についてこう書かれている。
     *
 そうした体験にくらべると、最初に手にしたにもかかわらず、マランツのアンプの音は、私の記憶の中で、具体的なレコードや曲名と、何ひとつ結びついた形で浮かんでこないのは、いったいどういうわけなのだろうか。確かに、その「音」にびっくりした。そして、ずいぶん長い期間、手もとに置いて鳴らしていた。それなのに、JBLの音、マッキントッシュの音、というような形では、マランツの音というものを説明しにくいのである。なぜなのだろう。
 JBLにせよマッキントッシュにせよ、明らかに「こう……」と説明できる個性、悪くいえばクセを持っている。マランツには、そういう明らかなクセがない。だから、こういう音、という説明がしにくいのだろうか。
 それはたしかにある。だが、それだけではなさそうだ。
 もしかすると私という人間は、この、「中庸」というのがニガ手なのだろうか。そうかもしれないが、しかし、音のバランス、再生される音の低・中・高音のバランスのよしあしは、とても気になる。その意味でなら、JBLよりもマッキントッシュよりも、マランツは最も音のバランスがいい。それなのに、JBLやマッキントッシュのようには、私を惹きつけない。私には、マランツの音は、JBLやマッキントッシュほどには、魅力が感じられない。
 そうなのだ。マランツの音は、あまりにもまっとうすぎるのだ。立派すぎるのだ。明らかに片寄った音のクセや弱点を嫌って、正攻法で、キチッと仕上げた音。欠点の少ない音。整いすぎていて、だから何となくとり澄ましたようで、少しよそよそしくて、従ってどことなく冷たくて、とりつきにくい。それが、私の感じるマランツの音だと言えば、マランツの熱烈な支持者からは叱られるかもしれないが、そういう次第で私にはマランツの音が、親身に感じられない。魅力がない。惹きつけられない。だから引きずりこまれない……。
 また、こうも言える。マランツのアンプの音は、常に、その時点その時点での技術の粋をきわめながら、音のバランス、周波数レインジ、ひずみ、S/N比……その他のあらゆる特性を、ベストに整えることを目指しているように私には思える。だが見方を変えれば、その方向には永久に前進あるのみで、終点がない。いや、おそらくマランツ自身は、ひとつの完成を目ざしたにちがいない。そのことは、皮肉にも彼のアンプの「音」ではなく、デザインに実っている。モデル7(セブン)のあの抜きさしならないパネルデザイン。十年間、毎日眺めていたのに、たとえツマミ1個でも、もうこれ以上動かしようのないと思わせるほどまでよく練り上げられたレイアウト。アンプのパネルデザインの古典として、永く残るであろう見事な出来栄えについてはほとんど異論がない筈だ。
 なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
 パネルのデザインの完成度の高さにくらべると、その音は、崩し方が少し足りない。いや、音に関するかぎり、マランツの頭の中には、出来上がったバランスを崩す、などという意識はおよそ入りこむ余地がなかったに違いない。彼はただひたすら、音を整えることに、全力を投入したに違いあるまい。もしも何か欠けた部分があるとすれば、それはただ、その時点での技術の限界だけであった、そういう音の整え方を、マランツはした。
     *
ここでも、マランツの音について説明しにくい、とある。
そして、それは言葉で説明できる個性、悪くいえばクセがないからで、
まっとうすぎる、立派すぎる、と。

SMEのフォノイコライザーアンプSPA1HLを聴いたとき、
そういうことなのか、と合点がいった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26911


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=26913


話をすすめていく前にひとつ書いておきたいのは、
長島先生、山中先生、瀬川先生だけでなく、同時代のオーディオ評論家の人たちは、
そして五味先生もそうなのだが、
みな、マッキントッシュやマランツの真空管アンプが現役のころからオーディオに取り組まれている。

つまりみな新品のマッキントッシュのアンプの音、マランツのアンプの音、
真空管アンプではないが同時代のJBLのアンプの音などを聴かれている。

このことは後に生まれた世代にはかなわぬことである。
長島先生、山中先生は1932年、瀬川先生は1935年、
私は約30年後の1963年生れである。

同世代の人たちよりは程度のいいマッキントッシュやマランツを聴いているのかもしれないが、
それでも30年という時間のひらきは、なにをもってきてもうめられない。

完全な追体験は無理なのだ。
完全メインテナンスを謳っていようが、
それがどの程度なのかは、だれが保証してくれるのか。

周りに、マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを新品の状態で聴いたことがある、
しかも耳の確かな人がいればいい。
けれど、そういう人がどのくらいいるか。

いわゆる自称は、ここでは役に立たぬ存在だ。

私がこうやって古いマッキントッシュやマランツの音に関することを引用しているのを読んで、
いや、そういう音じゃないぞ、と思われる人もいよう。
そのことを否定しない。

その人が聴くことができたマッキントッシュやマランツの真空管アンプは、
そういう音を出していたのだろうから。

でも、それが新品での音とどのくらい違ってきているのか。
そのことを抜きにして、自分が聴いた範囲だけの音で語るのは、私はやらない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26913


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26915


SMEのSPA1HLは最初オルトフォン・ブランドで登場した。
プロトタイプというか、プリプロモデルだったのか、
とにかくオルトフォンのSPA1HLを聴いている。

オルトフォンのSPA1HLとして登場した時、このフォノイコライザーアンプの事情は何も知らなかった。
オルトフォンの技術者が設計した真空管のフォノイコライザーアンプだと素直に信じていた。
だからオルトフォンのカートリッジに持っている音のイメージを、期待していた。

鳴ってきた音は、その意味では期待外れともいえたし、
期待外れだからといって、このフォノイコライザーアンプに魅力を感じなかったわけではない。
おもしろいアンプが登場してきた、と思った。

それからしばらくして、今度はSMEブランドで現れた。
ここで初めて、このフォノイコライザーアンプの事情を知る。

SMEのSPA1HLは長島先生といっしょに聴いた。
SPA1HLについて長島先生の詳しいこと詳しいこと。

思わず「長島先生が設計されたのですか」と口にしそうになるくらいだった。
そうなんだということはすぐにわかった。
パーツ選びの大変さも聞いている。

それに長島先生自身、SMEのアンプは、マランツの#7への恩返し、といわれていた。
オルトフォン・ブランドであろうとSMEブランドであろうと、
SPA1HLに、そのオーディオ機器ならではの音色の魅力というものは、
まったく感じなかった。

この点で期待外れと、最初の音が鳴った時に感じても、さまざまなレコードをかけていくと、
SPA1HLの実力は高いと感じてくる。

ただそれでもオーディオ機器固有の音色にどうしても耳が向いてしまう人には、
SPA1HLは不評のようだった。

SPA1HLをある人とステレオサウンドの試聴室で聴いている。
その人は、ほんとうにいいアンプだと思っています? ときいてきた。
その人にとってSPA1HLはどうでもいい存在のようだった。

私はSPA1HLを、何度もステレオサウンドの試聴室で聴いている。
SPA1HLを聴いて、
長島先生がマランツのModel 7をどう聴かれていたのかを理解できた、と思った。
http://audiosharing.com/blog/?p=26915

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=26917


SPA1HLによって、長島先生にとってModel 7がどういう存在なのかをはっきりと知った。
マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを新品で聴くことはできなかった世代であっても、
SPA1HLを長島先生といっしょに、しかも解説つきでじっくりと聴くことができたからだ。

長島先生はステレオサウンド 38号で、
《決して神経を休めるという傾向の音ではありません》といわれている。
確かにそうである。
SPA1HLもそういうアンプである。

同じことを井上先生もいわれていたし、
ステレオサウンド別冊「音の世紀」でも、同じ意味あいのことを書かれている。
     *
 心情的には、早くから使ったマランツ7は、その個体が現在でも手もとに在るけれども、少なくとも、この2年間は電源スイッチをONにしたこともない。充分にエージング時間をかけ音を聴いたのは、キット版発売の時と、復刻版発売の時の2回で、それぞれ約1ヵ月は使ってみたものの、老化は激しく比較対象外の印象であり、最新復刻版を聴いても、強度のNFB採用のアンプは、何とはなく息苦しい雰囲気が存在をして、長時間聴くと疲れる印象である。
     *
決して神経を休めるという傾向の音ではないModel 7、
何とはなく息苦しい雰囲気が存在をして、長時間聴くと疲れる印象のModel 7。

どちらも同じことを語っている。
ただ聴き手が違うだけの話である。
音楽の聴き方の違いが、そこにある。

五味先生はワグナーをよく聴かれていた。
毎年NHKのFMで放送されるバイロイト音楽祭を録音されていたことはよく知られているし、
《タンノイの folded horn は、誰かがワグナーを聴きたくて発明したのかも分らない。それほど、わが家で鳴るワグナーはいいのである》
とも書かれているくらいだ。

ワグナーは長い。
どの楽劇であっても、長い。
その長さゆえ、五味先生はマランツを選ばれなかったのではないのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26917

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26920


長島先生はステレオサウンド 37号で、
《レコードに入っている音が、細大洩らさず、あるがままの形で出てくる》といわれている。

五味先生はMC275とMC3500を聴き比べて、次のように書かれている。
     *
 ところで、何年かまえ、そのマッキントッシュから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メインアンプMC三五〇〇≠ェ発売された。重さ六十キロ(ステレオにして百二十キロ——優に私の体重の二倍ある)、値段が邦貨で当時百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(十ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二十から二万ヘルツまでマイナス〇・五dB。SN比が、マイナス九五dBである。わが家で耳を聾する大きさで鳴らしても、VUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪のアンプといっていいように思う。
 すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、悪いわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。当時、百五十万円の失費は私にはたいへんな負担だったが、よい音で鳴るなら仕方がない。
 さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
 理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
 MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
     *
マッキントッシュのMC3500よりも、
マランツのModel 9のほうが、より《簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている》だろう。

けれど五味先生はMC3500ではなくMC275なのである。
《必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかして》描く、
そういうMC275を選ばれている。

簇生の美しさを出すためにぼかす──、
ここを忘れては、何も語れない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26920


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26922


長島先生は、最初からマランツのModel 7とModel 2の組合せだったわけではない。
ステレオサウンド 61号で語られているが、
最初はマッキントッシュである。真空管アンプではなくトランジスターアンプである。
     *
長島 つぎにアンプのマッチングを考えました。そのときマッキントッシュのMC2105を使っていたんですが、これはやさしいアンプですが、スピーカーが慣れてくるにしたがって、力量不足がはっきりしてきたわけです。そこでつぎにMC275に切りかえました。MC275でもエイジングがすすんでくるにつれて、こんどは甘さが耳についてきました。その甘さがほくには必要じゃない。だから、もっと辛口のアンプをということでマランツ2になり、ずうっと使ってきたマッキントッシュのC26プリアンプをマランツ7に変え、それでやっとおちついているわけです。
     *
長島先生が鳴らされていたスピーカーは、ジェンセンのG610Bなのはよく知られている。
G610Bの前は、タンノイだった。
GRFだった、と記憶している。

そのタンノイについて、61号では、
タンノイのやさしさが、もの足りなかった、と。
タンノイは、だから演奏会場のずうっと後の席で聴く音で、
長島先生は、前の方で聴きたい、と。

だから長島先生にとってG610Bであり、Model 7+Model 2なのである。

そういう長島先生なのだが、ステレオサウンド 61号の写真をみた方ならば、
マランツのModel 2の隣にMC275が置いてあるのに気づかれたはず。

使っていないオーディオ機器は手離す長島先生であっても、
MC275だけは手離す気になれない、とある。

簇生の美しさを出すためにぼかす甘さを求める聴き方もあれば、
簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いていくため甘さを拒否する聴き方もある。

それによってアンプ選びは違ってくる。
ここで書きたいのは、マッキントッシュとマランツの、どちらの真空管アンプが優秀か、ではない。
こういうことを書いていくと、わずかな人であっても、
マッキントッシュが優秀なんだな、とか、やっぱりマランツなんだな、と決めてかかる人がいる。

書きたいのは、なぜ五味先生がマッキントッシュだったのか、
その理由について考察なのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=26922


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=26926

五味先生はステレオサウンド 50号のオーディオ巡礼で、
森忠輝氏のリスニングルームを訪ねられている。
     *
森氏は次にもう一枚、クナッパーツブッシュのバイロイト録音のパルシファル≠かけてくれたが、もう私は陶然と聴き惚れるばかりだった。クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でも余りうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか思えぬ鳴り方をする個所がある。
 しかるに森家のオイロダイン≠ヘ、実況録音盤の人の咳払いや衣ずれの音などがバッフルの手前から奥にさざ波のようにひろがり、ひめやかなそんなざわめきの彼方に聖餐の動機≠ェ湧いてくる。好むと否とに関わりなくワグナー畢生の楽劇——バイロイトの舞台が、仄暗い照明で眼前に彷彿する。私は涙がこぼれそうになった。ひとりの青年が、苦心惨憺して、いま本当のワグナーを鳴らしているのだ。おそらく彼は本当に気に入ったワグナーのレコードを、本当の音で聴きたくてオイロダイン≠手に入れ苦労してきたのだろう。敢ていえば苦労はまだ足らぬ点があるかも知れない。それでも、これだけ見事なワグナーを私は他所では聴いたことがない。天井棧敷は、申すならふところのそう豊かでない観衆の行く所だが、一方、その道の通がかよう場所でもある。森氏は後者だろう。むつかしいパルシファル≠これだけ見事にひびかせ得るのは畢竟、はっきりしたワグナー象を彼は心の裡にもっているからだ。オイロダイン≠フ響きが如実にそれを語っている。私は感服した。あとで聞くと、この数日後アンプの真空管がとんだそうだが、四十九番あたりの聴くに耐えぬ音はそのせいだったのかも知れない。
 何にせよ、いいワグナーを聴かせてもらって有難う、心からそう告げ私は森家を辞したのである。彼の人となりについては気になる点がないではなかったが、帰路、私は満足だった。本当に久しぶりにいいワグナーを聴いたと思った。
     *
40号代のステレオサウンドには、森忠輝氏の連載が載っていた。
オイロダインとの出合い、アナログプレーヤー、アンプの選択と入手についての文章を読んでいた。

森忠輝氏のアンプはマランツのModel 7とModel 9である。
森忠輝氏の心の裡にあるワグナー像を描くには、
森忠輝氏にとってはマランツのアンプしかなかったのだろう。

けれど、忘れてならぬのは天井桟敷の俯瞰である、ということだ。

ここでひとつ五味先生に訊ねたいことがある。
森忠輝氏のオイロダインで、クナッパーツブッシュのパルシファルは、どこまで聴かれたのだろうか。
レコードの片面だけなのか、まさかとは思うが、五枚全面聴かれたのか。

森忠輝氏の音量は、かなり小さい、と書かれている。
小さいからこそマランツなのか、と思うし、
おそらく聴かれたのはレコード片面なのだろう──、とそんなことを考えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26926

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=26932

ワグナーとオーディオというタイトルなのに、
書いていることはワグナーと五味康祐になっている。

五味先生とワグナーということで、
私と同世代、上の世代で熱心にステレオサウンドを読んできた人ならば、
2号での小林秀雄氏との音楽談義を思い出されるはずだ。

そこで五味先生は、いわれている。
     *
五味 ぼくは「トリスタンとイゾルデ」を聴いていたら、勃然と、立ってきたことがあるんでははぁん、官能というのはこれかと……戦後です。三十代ではじめて聴いた時です。フルトヴェングラーの全曲盤でしたけど。
     *
「勃然と、立ってきた」とは、男の生理のことである。
この五味先生の発言に対し、小林秀雄氏は「そんな挑発的ものじゃないよ。」と発言されている。

そうかもしれない、と考えるのが実のところ正しいのかもしれない。
それに音楽、音、オーディオについて語っているところに、
こういった性に直結する表現が出てくることを非常に嫌悪される人がいるのも知っている。

以前、ステレオサウンドで、菅野先生が射精という表現をされた。
このことに対して、
ステレオサウンドはオーディオのバイブルだから、そんな言葉を使わないでくれ、
そういう読者からの手紙が来たことがあった。

私の、このブログをオーディオのバイブルと思っている人はいないだろうから、
気にすることなく書いていくけれど、世の中にはそういう人がいるというのは事実である。

そういう人にとっては、
小林秀雄・五味康祐「音楽談義」での《勃然と、立ってきたことがある》は、
どうなんだろうか。

《勃然と、立ってきた》とはあるが、その後のことについては語られていない。
だから、かろうじて、そういう人にとっても許容できることなのだろうか。

三十代ではじめて聴いて《勃然と、立ってきた》とあるから、
タンノイのオートグラフ以前のことだ。

五味先生のところにオートグラフが届いたのは1964年である。
五味先生は42歳だった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26932

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=26979


「西方の音」に「少年モーツァルト」がある。
そこに、こうある。
     *
 私は小説家だから、文章を書く上で、読む時もまず何より文体にこだわる。当然なはなしだが、どれほどの評判作もその文体が気にくわねば私には読むに耐えない。作家は、四六時中おなじ状態で文章が書けるわけはなく、女を抱いた後でつづる文章も、惚れた女性を持つ作家の文章、時間の経過も忘れて書き耽っている文章、またはじめは渋滞していたのが興趣が乗り、夢中でペンを走らせる文章など、さまざまにあって当然だが、概して女と寝たあとの文章と、寝るまでの二様があるように思える。寝てからでは、どうしても文体に緻密さが欠けている。自他ともに、案外これは分るものだ。女性関係に放縦な状態でけっしてストイックなものが書けるわけはない。ライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』や、総じて彼の詩作は、女性を拒否した勤勉な、もしくは病的な純粋さで至高のものを思わねばつづれぬものだろう、と思ったことがある。《神への方向》にリルケの文学はあるように思っていた。私はリルケを熟読した。そんなせいだろうか、女性との交渉をもったあとは、それがいかほど愛していた相手であれ、直後、ある己れへの不潔感を否めなかった。なんという俺は汚ない人間だろうと思う。
 どうやら私だけでなく、世の大方の男性は(少なくともわれわれの年代までに教育をうけた者は)女性との交渉後に、ある自己嫌悪、アンニュイ、嘔吐感、虚ろさを覚えるらしい。そういう自己への不潔感をきよめてくれる、もしくは立ち直らせてくれるのに、大そう効果のあるのがベートーヴェンの音楽ではなかろうか、と思ったことがある。
 音楽を文体にたとえれば、「ねばならぬ」がベートーヴェンで、「である」がバッハだと思った時期がある。ここに一つの物がある。一切の修辞を捨て、あると言いきるのがバッハで、あったのだったなぞいう下らん感情挿入で文体を流す手合いは論外として、あるとだけでは済ませぬ感情の盛り上がり、それを、あくまで「ある」でとどめるむずかしさは、文章を草してきて次第に私にも分ってきた。つまり、「ある」で済ませる人には、明治人に共通な或る精神の勁さを感じる。何々である、で結ぶ文体を偉ぶったように思うのは、多分思う方が弱くイジケているのだろうと。──なんにせよ、何々だった、なのだった、を乱用する作家を私は人間的に信用できなかった。
 シューベルトは、多分「だった」の作曲家ではなかろうかと私は思う。小林秀雄氏に、シューベルトの偉さを聞かされるまではそう思っていたのである。むろん近時、日本の通俗作家の「だった」の乱用と、シューベルトの感情挿入は別物だ。シューベルトの優しさは、だったで結べば文章がやさしくなると思う手合いとは無縁である。それでも、ベートーヴェンの「ねばならぬ」やバッハにくらべ、シューベルトは優しすぎると私には思えた。女を愛したとき、女を抱いたあとにシューベルトのやさしさで癒やされてはならぬと。
 われながら滑稽なドグマであったが、そういう音楽と文体の比喩を、本気で考えていた頃にもっとも扱いかねたのがモーツァルトだった。モーツァルトの音楽だけは、「ねばならぬ」でも「である」でもない。まして「だった」では手が届かない。モーツァルトだけは、もうどうしようもないものだ。彼も妻を持ち、すなわち妻と性行為はもったにきまっている。その残滓がまるでない。バッハは二人の夫人に二十人の子を産ませた。精力絶倫というべく、まさにそういう音楽である。ベートーヴェンは女房をもたなかったのはその音楽を聞けば分る。女房ももたず、作曲に没頭した芸術家だと思うから、その分だけベートーヴェンに人々は癒やされる。実はもてなかったといっても大して変りはないだろう。
     *
《ある己れへの不潔感》、《アンニュイ、嘔吐感、虚ろさ》、
そういったことをまったく感じない男がいる、ということも知っている。

そんな男にかぎって、ストイックな文章を書こうとしているのだから、
傍から見れば滑稽でしかない、とおもうことがある。

《概して女と寝たあとの文章と、寝るまでの二様があるように思える》とある。
ならば自己への不潔感を感じる者と、感じない者との二様がある、のだろう。

感じない者が大まじめに、ストイックな文章であろうとするのだから、
やはり、滑稽でしかない、と感じる。

ワグナーは、どちらだったのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26979


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=26983

《何々である、で結ぶ文体を偉ぶったように思うのは、多分思う方が弱くイジケているのだろうと》
そう五味先生は書かれている。
私もそう思う。

いまでは「上から目線で……」と、すぐさま口にする人が増えてきたようだ。
「上から目線でいわれた」と感じる方が弱くてイジケているのだろう、と思う。

弱くてイジケている人は、上の人が自分がいまいるところまで降りてきてくれる、と思っているのか。
弱くてイジケている人は、自分よりも下にいると思っている人のところまで降りて行くのか。

上にいる者は、絶対に下に降りていってはダメだ、と菅野先生からいわれたことがある。
そう思っている。

下にいる人を蹴落とせ、とか、
上に上がってこようとしているのを拒む、とか、そういうことではない。
上にいる者は、目標としてしっかりと上にいるべきであり、
導くことこそ大事なことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26983
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/147.html#c4

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか)
audio identity (designing) 宮ア勝己 ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか)


Date: 8月 12th, 2018
ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=26903


五味先生のタンノイ・オートグラフにつながれていたのは、
主にマッキントッシュのC22とMC275のペアである。
「人間の死にざま」を読むと、カンノアンプの300Bシングルに、
交換しても聴かれていたことがわかる。

コントロールアンプはマランツのModel 7とマークレビンソンのJC2もお持ちだった。
その他にデッカ・デコラのアンプも所有されていた。

マランツのパワーアンプはどうだったのか。
Model 2かModel 5、Model 8Bのどれかは所有されていたとしてもおかしくない。

所有されていないアンプも多数聴かれている。
その結果のC22とMC275である、とみている。

中学生だったころ、
マッキントッシュとマランツの真空管アンプを見較べて、マランツの方がよさそうに思えた。
そのころ、マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを聴ける店は、熊本にはなかった。
周りにオーディオマニアが誰もいなかったから、
個人でどちらかを持っている人を探そうとは思わなかった。

ステレオサウンド 51号のオーディオ巡礼に、
ヴァイタヴォックスCN191を鳴らされているH氏が登場されている。

アンプはマッキントッシュからマランツのModel 7とModel 9のペアに交換した、とあった。
このときもまだどちらも聴いたことはなかったし、写真でだけ知っているだけでしかなかった。

それでも、そうだろう、と思いながら、オーディオ巡礼を読んでいた。
アンプとして、どちらが高性能かといえば、マランツに軍配をあげる──、
そういう見方を10代の私はしていた。

なので、五味先生はなぜマッキントッシュなのか、という疑問がなかったわけではない。
正確にいえば、マランツを選ばれなかった理由はなんのか、を知りたいと思っていた。

結局、それはワグナーを聴かれるから、というのが、私がたどりついた答である。
http://audiosharing.com/blog/?p=26903


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=26909


ステレオサウンド 37号から「クラフツマンシップの粋」が始まった。
一回目は、やはりマランツの真空管アンプである。

長島先生と山中先生の対談による、この記事の最後に、
マランツサウンドは存在するか、について話されている。
     *
山中 製品についてはいま話してきたのでだいたい出ていると思うのですが、それでは実際にマランツの音とはどんな音なのかということですが……。
 全般的な傾向としては、一言でいってしまえば特にキャラクターを持たないニュートラルな音だと思うのですよ。色づけが少ないというか……。特に泣かせどころがあるとか、そういう音じゃないですね。
 よく、マッキントッシュサウンドとか、JBLサウンド、アルテックサウンドという言い方をしますね。そしてこの言葉を聞くだけでそれぞれの音がイメージできるほどはっきりした性格をもっていますね。しかしそういう意味でのマランツサウンドというのはあり得ないと思うのです。事実、マランツサウンドっていう言葉はないでしょう。
長島 俗に、管球式の音は柔らかいとか、暖か味があるとかいいますが、マランツはそういう臭さ≠感じさせませんね。
 マランツの一群のアンプはぼくも使っているのですけれど、球の暖かさなんていうのは、はっきりいえば、少しも感じない(笑)。
山中 ともかく媚びるということがないですね。
長島 まったくその通りですね。
山中 マランツの音について話しているとどうも取り留めなくなってしまうのだけれど、音のキャラクター云々ということが出てこないでしょう。
長島 それでも厳としてあることはある。
山中 あるんですよね、マランツのサウンドというのは……。
長島 あるのだけれど非常に言いにくい……。
山中 それが実はマランツの秘密で、結局ソウル・マランツ氏の目差した音じゃないですかね。
長島 要するに、あまりにも真っ当すぎるので言うのに困ってしまう(笑)。あえてマランツサウンドってなんだと聞かれたら、筋を通して理詰めに追いあげたせのがマランツサウンドだと言うよりないですね。決して神経を休めるという傾向の音ではありません。レコードに入っている音が、細大洩らさず、あるがままの形で出てくるのですよ。
山中 だからこそ、この時代におけるひとつのプレイバックスタンダードであり得たのでしょうね。
     *
ことわるまでもなく、ここに出てくるマランツの音とは、
あくまでも真空管アンプ時代のマランツであり、いまのマランツにそっくりあてはまるわけではない。

そして、真空管アンプ時代のマランツの音に関しては、瀬川先生もほぼ同じことを書かれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26909

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=26911


1981年夏のステレオサウンド別冊「世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭、
「いま、いい音のアンプがほしい」で、瀬川先生はマランツのアンプの音についてこう書かれている。
     *
 そうした体験にくらべると、最初に手にしたにもかかわらず、マランツのアンプの音は、私の記憶の中で、具体的なレコードや曲名と、何ひとつ結びついた形で浮かんでこないのは、いったいどういうわけなのだろうか。確かに、その「音」にびっくりした。そして、ずいぶん長い期間、手もとに置いて鳴らしていた。それなのに、JBLの音、マッキントッシュの音、というような形では、マランツの音というものを説明しにくいのである。なぜなのだろう。
 JBLにせよマッキントッシュにせよ、明らかに「こう……」と説明できる個性、悪くいえばクセを持っている。マランツには、そういう明らかなクセがない。だから、こういう音、という説明がしにくいのだろうか。
 それはたしかにある。だが、それだけではなさそうだ。
 もしかすると私という人間は、この、「中庸」というのがニガ手なのだろうか。そうかもしれないが、しかし、音のバランス、再生される音の低・中・高音のバランスのよしあしは、とても気になる。その意味でなら、JBLよりもマッキントッシュよりも、マランツは最も音のバランスがいい。それなのに、JBLやマッキントッシュのようには、私を惹きつけない。私には、マランツの音は、JBLやマッキントッシュほどには、魅力が感じられない。
 そうなのだ。マランツの音は、あまりにもまっとうすぎるのだ。立派すぎるのだ。明らかに片寄った音のクセや弱点を嫌って、正攻法で、キチッと仕上げた音。欠点の少ない音。整いすぎていて、だから何となくとり澄ましたようで、少しよそよそしくて、従ってどことなく冷たくて、とりつきにくい。それが、私の感じるマランツの音だと言えば、マランツの熱烈な支持者からは叱られるかもしれないが、そういう次第で私にはマランツの音が、親身に感じられない。魅力がない。惹きつけられない。だから引きずりこまれない……。
 また、こうも言える。マランツのアンプの音は、常に、その時点その時点での技術の粋をきわめながら、音のバランス、周波数レインジ、ひずみ、S/N比……その他のあらゆる特性を、ベストに整えることを目指しているように私には思える。だが見方を変えれば、その方向には永久に前進あるのみで、終点がない。いや、おそらくマランツ自身は、ひとつの完成を目ざしたにちがいない。そのことは、皮肉にも彼のアンプの「音」ではなく、デザインに実っている。モデル7(セブン)のあの抜きさしならないパネルデザイン。十年間、毎日眺めていたのに、たとえツマミ1個でも、もうこれ以上動かしようのないと思わせるほどまでよく練り上げられたレイアウト。アンプのパネルデザインの古典として、永く残るであろう見事な出来栄えについてはほとんど異論がない筈だ。
 なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
 パネルのデザインの完成度の高さにくらべると、その音は、崩し方が少し足りない。いや、音に関するかぎり、マランツの頭の中には、出来上がったバランスを崩す、などという意識はおよそ入りこむ余地がなかったに違いない。彼はただひたすら、音を整えることに、全力を投入したに違いあるまい。もしも何か欠けた部分があるとすれば、それはただ、その時点での技術の限界だけであった、そういう音の整え方を、マランツはした。
     *
ここでも、マランツの音について説明しにくい、とある。
そして、それは言葉で説明できる個性、悪くいえばクセがないからで、
まっとうすぎる、立派すぎる、と。

SMEのフォノイコライザーアンプSPA1HLを聴いたとき、
そういうことなのか、と合点がいった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26911


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=26913


話をすすめていく前にひとつ書いておきたいのは、
長島先生、山中先生、瀬川先生だけでなく、同時代のオーディオ評論家の人たちは、
そして五味先生もそうなのだが、
みな、マッキントッシュやマランツの真空管アンプが現役のころからオーディオに取り組まれている。

つまりみな新品のマッキントッシュのアンプの音、マランツのアンプの音、
真空管アンプではないが同時代のJBLのアンプの音などを聴かれている。

このことは後に生まれた世代にはかなわぬことである。
長島先生、山中先生は1932年、瀬川先生は1935年、
私は約30年後の1963年生れである。

同世代の人たちよりは程度のいいマッキントッシュやマランツを聴いているのかもしれないが、
それでも30年という時間のひらきは、なにをもってきてもうめられない。

完全な追体験は無理なのだ。
完全メインテナンスを謳っていようが、
それがどの程度なのかは、だれが保証してくれるのか。

周りに、マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを新品の状態で聴いたことがある、
しかも耳の確かな人がいればいい。
けれど、そういう人がどのくらいいるか。

いわゆる自称は、ここでは役に立たぬ存在だ。

私がこうやって古いマッキントッシュやマランツの音に関することを引用しているのを読んで、
いや、そういう音じゃないぞ、と思われる人もいよう。
そのことを否定しない。

その人が聴くことができたマッキントッシュやマランツの真空管アンプは、
そういう音を出していたのだろうから。

でも、それが新品での音とどのくらい違ってきているのか。
そのことを抜きにして、自分が聴いた範囲だけの音で語るのは、私はやらない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26913


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26915


SMEのSPA1HLは最初オルトフォン・ブランドで登場した。
プロトタイプというか、プリプロモデルだったのか、
とにかくオルトフォンのSPA1HLを聴いている。

オルトフォンのSPA1HLとして登場した時、このフォノイコライザーアンプの事情は何も知らなかった。
オルトフォンの技術者が設計した真空管のフォノイコライザーアンプだと素直に信じていた。
だからオルトフォンのカートリッジに持っている音のイメージを、期待していた。

鳴ってきた音は、その意味では期待外れともいえたし、
期待外れだからといって、このフォノイコライザーアンプに魅力を感じなかったわけではない。
おもしろいアンプが登場してきた、と思った。

それからしばらくして、今度はSMEブランドで現れた。
ここで初めて、このフォノイコライザーアンプの事情を知る。

SMEのSPA1HLは長島先生といっしょに聴いた。
SPA1HLについて長島先生の詳しいこと詳しいこと。

思わず「長島先生が設計されたのですか」と口にしそうになるくらいだった。
そうなんだということはすぐにわかった。
パーツ選びの大変さも聞いている。

それに長島先生自身、SMEのアンプは、マランツの#7への恩返し、といわれていた。
オルトフォン・ブランドであろうとSMEブランドであろうと、
SPA1HLに、そのオーディオ機器ならではの音色の魅力というものは、
まったく感じなかった。

この点で期待外れと、最初の音が鳴った時に感じても、さまざまなレコードをかけていくと、
SPA1HLの実力は高いと感じてくる。

ただそれでもオーディオ機器固有の音色にどうしても耳が向いてしまう人には、
SPA1HLは不評のようだった。

SPA1HLをある人とステレオサウンドの試聴室で聴いている。
その人は、ほんとうにいいアンプだと思っています? ときいてきた。
その人にとってSPA1HLはどうでもいい存在のようだった。

私はSPA1HLを、何度もステレオサウンドの試聴室で聴いている。
SPA1HLを聴いて、
長島先生がマランツのModel 7をどう聴かれていたのかを理解できた、と思った。
http://audiosharing.com/blog/?p=26915

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=26917


SPA1HLによって、長島先生にとってModel 7がどういう存在なのかをはっきりと知った。
マッキントッシュ、マランツの真空管アンプを新品で聴くことはできなかった世代であっても、
SPA1HLを長島先生といっしょに、しかも解説つきでじっくりと聴くことができたからだ。

長島先生はステレオサウンド 38号で、
《決して神経を休めるという傾向の音ではありません》といわれている。
確かにそうである。
SPA1HLもそういうアンプである。

同じことを井上先生もいわれていたし、
ステレオサウンド別冊「音の世紀」でも、同じ意味あいのことを書かれている。
     *
 心情的には、早くから使ったマランツ7は、その個体が現在でも手もとに在るけれども、少なくとも、この2年間は電源スイッチをONにしたこともない。充分にエージング時間をかけ音を聴いたのは、キット版発売の時と、復刻版発売の時の2回で、それぞれ約1ヵ月は使ってみたものの、老化は激しく比較対象外の印象であり、最新復刻版を聴いても、強度のNFB採用のアンプは、何とはなく息苦しい雰囲気が存在をして、長時間聴くと疲れる印象である。
     *
決して神経を休めるという傾向の音ではないModel 7、
何とはなく息苦しい雰囲気が存在をして、長時間聴くと疲れる印象のModel 7。

どちらも同じことを語っている。
ただ聴き手が違うだけの話である。
音楽の聴き方の違いが、そこにある。

五味先生はワグナーをよく聴かれていた。
毎年NHKのFMで放送されるバイロイト音楽祭を録音されていたことはよく知られているし、
《タンノイの folded horn は、誰かがワグナーを聴きたくて発明したのかも分らない。それほど、わが家で鳴るワグナーはいいのである》
とも書かれているくらいだ。

ワグナーは長い。
どの楽劇であっても、長い。
その長さゆえ、五味先生はマランツを選ばれなかったのではないのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26917

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26920


長島先生はステレオサウンド 37号で、
《レコードに入っている音が、細大洩らさず、あるがままの形で出てくる》といわれている。

五味先生はMC275とMC3500を聴き比べて、次のように書かれている。
     *
 ところで、何年かまえ、そのマッキントッシュから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メインアンプMC三五〇〇≠ェ発売された。重さ六十キロ(ステレオにして百二十キロ——優に私の体重の二倍ある)、値段が邦貨で当時百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(十ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二十から二万ヘルツまでマイナス〇・五dB。SN比が、マイナス九五dBである。わが家で耳を聾する大きさで鳴らしても、VUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪のアンプといっていいように思う。
 すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、悪いわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。当時、百五十万円の失費は私にはたいへんな負担だったが、よい音で鳴るなら仕方がない。
 さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
 理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
 MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
     *
マッキントッシュのMC3500よりも、
マランツのModel 9のほうが、より《簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている》だろう。

けれど五味先生はMC3500ではなくMC275なのである。
《必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかして》描く、
そういうMC275を選ばれている。

簇生の美しさを出すためにぼかす──、
ここを忘れては、何も語れない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26920


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26922


長島先生は、最初からマランツのModel 7とModel 2の組合せだったわけではない。
ステレオサウンド 61号で語られているが、
最初はマッキントッシュである。真空管アンプではなくトランジスターアンプである。
     *
長島 つぎにアンプのマッチングを考えました。そのときマッキントッシュのMC2105を使っていたんですが、これはやさしいアンプですが、スピーカーが慣れてくるにしたがって、力量不足がはっきりしてきたわけです。そこでつぎにMC275に切りかえました。MC275でもエイジングがすすんでくるにつれて、こんどは甘さが耳についてきました。その甘さがほくには必要じゃない。だから、もっと辛口のアンプをということでマランツ2になり、ずうっと使ってきたマッキントッシュのC26プリアンプをマランツ7に変え、それでやっとおちついているわけです。
     *
長島先生が鳴らされていたスピーカーは、ジェンセンのG610Bなのはよく知られている。
G610Bの前は、タンノイだった。
GRFだった、と記憶している。

そのタンノイについて、61号では、
タンノイのやさしさが、もの足りなかった、と。
タンノイは、だから演奏会場のずうっと後の席で聴く音で、
長島先生は、前の方で聴きたい、と。

だから長島先生にとってG610Bであり、Model 7+Model 2なのである。

そういう長島先生なのだが、ステレオサウンド 61号の写真をみた方ならば、
マランツのModel 2の隣にMC275が置いてあるのに気づかれたはず。

使っていないオーディオ機器は手離す長島先生であっても、
MC275だけは手離す気になれない、とある。

簇生の美しさを出すためにぼかす甘さを求める聴き方もあれば、
簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いていくため甘さを拒否する聴き方もある。

それによってアンプ選びは違ってくる。
ここで書きたいのは、マッキントッシュとマランツの、どちらの真空管アンプが優秀か、ではない。
こういうことを書いていくと、わずかな人であっても、
マッキントッシュが優秀なんだな、とか、やっぱりマランツなんだな、と決めてかかる人がいる。

書きたいのは、なぜ五味先生がマッキントッシュだったのか、
その理由について考察なのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=26922


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=26926

五味先生はステレオサウンド 50号のオーディオ巡礼で、
森忠輝氏のリスニングルームを訪ねられている。
     *
森氏は次にもう一枚、クナッパーツブッシュのバイロイト録音のパルシファル≠かけてくれたが、もう私は陶然と聴き惚れるばかりだった。クナッパーツブッシュのワグナーは、フルトヴェングラーとともにワグネリアンには最高のものというのが定説だが、クナッパーツブッシュ最晩年の録音によるこのフィリップス盤はまことに厄介なレコードで、じつのところ拙宅でも余りうまく鳴ってくれない。空前絶後の演奏なのはわかるが、時々、マイクセッティングがわるいとしか思えぬ鳴り方をする個所がある。
 しかるに森家のオイロダイン≠ヘ、実況録音盤の人の咳払いや衣ずれの音などがバッフルの手前から奥にさざ波のようにひろがり、ひめやかなそんなざわめきの彼方に聖餐の動機≠ェ湧いてくる。好むと否とに関わりなくワグナー畢生の楽劇——バイロイトの舞台が、仄暗い照明で眼前に彷彿する。私は涙がこぼれそうになった。ひとりの青年が、苦心惨憺して、いま本当のワグナーを鳴らしているのだ。おそらく彼は本当に気に入ったワグナーのレコードを、本当の音で聴きたくてオイロダイン≠手に入れ苦労してきたのだろう。敢ていえば苦労はまだ足らぬ点があるかも知れない。それでも、これだけ見事なワグナーを私は他所では聴いたことがない。天井棧敷は、申すならふところのそう豊かでない観衆の行く所だが、一方、その道の通がかよう場所でもある。森氏は後者だろう。むつかしいパルシファル≠これだけ見事にひびかせ得るのは畢竟、はっきりしたワグナー象を彼は心の裡にもっているからだ。オイロダイン≠フ響きが如実にそれを語っている。私は感服した。あとで聞くと、この数日後アンプの真空管がとんだそうだが、四十九番あたりの聴くに耐えぬ音はそのせいだったのかも知れない。
 何にせよ、いいワグナーを聴かせてもらって有難う、心からそう告げ私は森家を辞したのである。彼の人となりについては気になる点がないではなかったが、帰路、私は満足だった。本当に久しぶりにいいワグナーを聴いたと思った。
     *
40号代のステレオサウンドには、森忠輝氏の連載が載っていた。
オイロダインとの出合い、アナログプレーヤー、アンプの選択と入手についての文章を読んでいた。

森忠輝氏のアンプはマランツのModel 7とModel 9である。
森忠輝氏の心の裡にあるワグナー像を描くには、
森忠輝氏にとってはマランツのアンプしかなかったのだろう。

けれど、忘れてならぬのは天井桟敷の俯瞰である、ということだ。

ここでひとつ五味先生に訊ねたいことがある。
森忠輝氏のオイロダインで、クナッパーツブッシュのパルシファルは、どこまで聴かれたのだろうか。
レコードの片面だけなのか、まさかとは思うが、五枚全面聴かれたのか。

森忠輝氏の音量は、かなり小さい、と書かれている。
小さいからこそマランツなのか、と思うし、
おそらく聴かれたのはレコード片面なのだろう──、とそんなことを考えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26926

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=26932

ワグナーとオーディオというタイトルなのに、
書いていることはワグナーと五味康祐になっている。

五味先生とワグナーということで、
私と同世代、上の世代で熱心にステレオサウンドを読んできた人ならば、
2号での小林秀雄氏との音楽談義を思い出されるはずだ。

そこで五味先生は、いわれている。
     *
五味 ぼくは「トリスタンとイゾルデ」を聴いていたら、勃然と、立ってきたことがあるんでははぁん、官能というのはこれかと……戦後です。三十代ではじめて聴いた時です。フルトヴェングラーの全曲盤でしたけど。
     *
「勃然と、立ってきた」とは、男の生理のことである。
この五味先生の発言に対し、小林秀雄氏は「そんな挑発的ものじゃないよ。」と発言されている。

そうかもしれない、と考えるのが実のところ正しいのかもしれない。
それに音楽、音、オーディオについて語っているところに、
こういった性に直結する表現が出てくることを非常に嫌悪される人がいるのも知っている。

以前、ステレオサウンドで、菅野先生が射精という表現をされた。
このことに対して、
ステレオサウンドはオーディオのバイブルだから、そんな言葉を使わないでくれ、
そういう読者からの手紙が来たことがあった。

私の、このブログをオーディオのバイブルと思っている人はいないだろうから、
気にすることなく書いていくけれど、世の中にはそういう人がいるというのは事実である。

そういう人にとっては、
小林秀雄・五味康祐「音楽談義」での《勃然と、立ってきたことがある》は、
どうなんだろうか。

《勃然と、立ってきた》とはあるが、その後のことについては語られていない。
だから、かろうじて、そういう人にとっても許容できることなのだろうか。

三十代ではじめて聴いて《勃然と、立ってきた》とあるから、
タンノイのオートグラフ以前のことだ。

五味先生のところにオートグラフが届いたのは1964年である。
五味先生は42歳だった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26932

ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=26979


「西方の音」に「少年モーツァルト」がある。
そこに、こうある。
     *
 私は小説家だから、文章を書く上で、読む時もまず何より文体にこだわる。当然なはなしだが、どれほどの評判作もその文体が気にくわねば私には読むに耐えない。作家は、四六時中おなじ状態で文章が書けるわけはなく、女を抱いた後でつづる文章も、惚れた女性を持つ作家の文章、時間の経過も忘れて書き耽っている文章、またはじめは渋滞していたのが興趣が乗り、夢中でペンを走らせる文章など、さまざまにあって当然だが、概して女と寝たあとの文章と、寝るまでの二様があるように思える。寝てからでは、どうしても文体に緻密さが欠けている。自他ともに、案外これは分るものだ。女性関係に放縦な状態でけっしてストイックなものが書けるわけはない。ライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』や、総じて彼の詩作は、女性を拒否した勤勉な、もしくは病的な純粋さで至高のものを思わねばつづれぬものだろう、と思ったことがある。《神への方向》にリルケの文学はあるように思っていた。私はリルケを熟読した。そんなせいだろうか、女性との交渉をもったあとは、それがいかほど愛していた相手であれ、直後、ある己れへの不潔感を否めなかった。なんという俺は汚ない人間だろうと思う。
 どうやら私だけでなく、世の大方の男性は(少なくともわれわれの年代までに教育をうけた者は)女性との交渉後に、ある自己嫌悪、アンニュイ、嘔吐感、虚ろさを覚えるらしい。そういう自己への不潔感をきよめてくれる、もしくは立ち直らせてくれるのに、大そう効果のあるのがベートーヴェンの音楽ではなかろうか、と思ったことがある。
 音楽を文体にたとえれば、「ねばならぬ」がベートーヴェンで、「である」がバッハだと思った時期がある。ここに一つの物がある。一切の修辞を捨て、あると言いきるのがバッハで、あったのだったなぞいう下らん感情挿入で文体を流す手合いは論外として、あるとだけでは済ませぬ感情の盛り上がり、それを、あくまで「ある」でとどめるむずかしさは、文章を草してきて次第に私にも分ってきた。つまり、「ある」で済ませる人には、明治人に共通な或る精神の勁さを感じる。何々である、で結ぶ文体を偉ぶったように思うのは、多分思う方が弱くイジケているのだろうと。──なんにせよ、何々だった、なのだった、を乱用する作家を私は人間的に信用できなかった。
 シューベルトは、多分「だった」の作曲家ではなかろうかと私は思う。小林秀雄氏に、シューベルトの偉さを聞かされるまではそう思っていたのである。むろん近時、日本の通俗作家の「だった」の乱用と、シューベルトの感情挿入は別物だ。シューベルトの優しさは、だったで結べば文章がやさしくなると思う手合いとは無縁である。それでも、ベートーヴェンの「ねばならぬ」やバッハにくらべ、シューベルトは優しすぎると私には思えた。女を愛したとき、女を抱いたあとにシューベルトのやさしさで癒やされてはならぬと。
 われながら滑稽なドグマであったが、そういう音楽と文体の比喩を、本気で考えていた頃にもっとも扱いかねたのがモーツァルトだった。モーツァルトの音楽だけは、「ねばならぬ」でも「である」でもない。まして「だった」では手が届かない。モーツァルトだけは、もうどうしようもないものだ。彼も妻を持ち、すなわち妻と性行為はもったにきまっている。その残滓がまるでない。バッハは二人の夫人に二十人の子を産ませた。精力絶倫というべく、まさにそういう音楽である。ベートーヴェンは女房をもたなかったのはその音楽を聞けば分る。女房ももたず、作曲に没頭した芸術家だと思うから、その分だけベートーヴェンに人々は癒やされる。実はもてなかったといっても大して変りはないだろう。
     *
《ある己れへの不潔感》、《アンニュイ、嘔吐感、虚ろさ》、
そういったことをまったく感じない男がいる、ということも知っている。

そんな男にかぎって、ストイックな文章を書こうとしているのだから、
傍から見れば滑稽でしかない、とおもうことがある。

《概して女と寝たあとの文章と、寝るまでの二様があるように思える》とある。
ならば自己への不潔感を感じる者と、感じない者との二様がある、のだろう。

感じない者が大まじめに、ストイックな文章であろうとするのだから、
やはり、滑稽でしかない、と感じる。

ワグナーは、どちらだったのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26979


ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=26983

《何々である、で結ぶ文体を偉ぶったように思うのは、多分思う方が弱くイジケているのだろうと》
そう五味先生は書かれている。
私もそう思う。

いまでは「上から目線で……」と、すぐさま口にする人が増えてきたようだ。
「上から目線でいわれた」と感じる方が弱くてイジケているのだろう、と思う。

弱くてイジケている人は、上の人が自分がいまいるところまで降りてきてくれる、と思っているのか。
弱くてイジケている人は、自分よりも下にいると思っている人のところまで降りて行くのか。

上にいる者は、絶対に下に降りていってはダメだ、と菅野先生からいわれたことがある。
そう思っている。

下にいる人を蹴落とせ、とか、
上に上がってこようとしているのを拒む、とか、そういうことではない。
上にいる者は、目標としてしっかりと上にいるべきであり、
導くことこそ大事なことのはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26983
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1162.html

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル)
audio identity (designing) 宮ア勝己 真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル)


Date: 6月 18th, 2018
真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=26032


EL34といえば、ポピュラーな出力管である。
EL34のプッシュプルといえば、
マランツの一連のパワーアンプを真っ先に思い出す人も多い。

私は、伊藤先生のEL34のプッシュプルアンプが、真っ先に浮ぶ。
それからマランツのModel 2、Model 9、Model 8という順番がずっと続いていたけれど、
ある時から、デッカ・デコラのアンプのことが気になりはじめていた。

きっかけは管球王国 Vol.41(2006年夏号)で、
是枝重治氏発表のEL34プッシュプルのKSM41の製作記事である。

KSM41は、デコラのアンプの再現である。
記事最後の音の印象に、
《あでやかで彫りが深く解像度が高い》とあった。

個人的に多極管の三極管接続は好まない。
デコラのパワーアンプはEL34の三極管接続である。
そのことは以前から知っていた。

それでも記事を読んでいて、
そのへんのところが少しだけ変った。

管球王国 Vol.41は買おう、と思ったが、
この記事のためだけに、この値段……、という気持が強くて、買わずにいた。

先日、友人のKさんが記事をコピーしてくれた。
管球王国 Vol.41の記事だけでなく、
その前にラジオ技術(2005年9月号)で発表された記事も一緒に、だった。

EF86が初段、ECC83のムラード型位相反転回路で電圧増幅段は構成されている。
あれっ? この構成、そういえば……と思い出したのが、
ウェストレックス・ロンドンの2192Fである。

サウンドボーイ(1981年8月号〜10月号)で伊藤先生が発表されたEL34のアンプの、
範となっているのが2192Fである。

このアンプもデコラのアンプと同じ構成である。
そればかりか、EF86、ECC83周りの抵抗とコンデンサーの値も同じである。
回路も同じだ。

出力段が2192FはUL接続、デコラは三極管接続という違いと、
電源の違いくらいである。
NFBの抵抗値も違うが、そのくらいの違いしかない。

設計者は同じなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26032


真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=26597


(その1)で、EL34のプッシュプルアンプとして、
マランツのアンプを真っ先に思い出す人は多い、とした。

マランツのアンプは、どれもEL34のプッシュプルだ(Model 9はパラレルプッシュプル)。
Model 2、5、8(B)、9。
ここで取り上げるのは唯一のステレオモデルであるModel 8(B)。

出力35W+35W。
アメリカには、もう一機種、出力35W+35WのEL34のプッシュプルのステレオアンプがある。
ダイナコのStereo 70である。

外形寸法はModel 8がW34.3×H18.4×D26.7cm、Stereo 70がW33.0×H16.5×D24.0cm、
そう大きくは違わない。

全体のレイアウトもシャーシー後方に三つのトランス、前方に真空管。
その真空管のレイアウトも、電圧増幅管を左右に二本ずつ配置した出力管で取り囲む。

とはいえ、細部を比較していくと、Model 8とStereo 70はずいぶん違うアンプだ。
まずStereo 70はキットでも販売していた。

Model 8もマランツのラインナップでは普及クラスとはいえなくもないが、
市場全体からみれば、そうではないのに対し、Stereo 70はダイナコの製品である以上、
はっきりと普及クラスのEL34のプッシュプルアンプである。

キットも出ていたStereo 70は、高価な測定器を必要としなくても、
ハンダ付けがきちんとなされていて、テスターが一台あれば完成できなければならない。
ちなみに1977年当時の完成品のStereo 70は89,000円、
キットのStereo 70は69,000円だった。

Model 8Bにもキットはあった。
1978年にModel 7とModel 9のキットが、日本マランツから出て好評だったため、
翌年にModel 8BKが出ている。

同じキットとはいえ、ダイナコとマランツとでは、意味あいが違う。
http://audiosharing.com/blog/?p=26597

真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=26607


ダイナコとマランツの真空管アンプでは、
Mark IVとModel 5の対比も好き、というコメントがfacebookにあった。

Mark IVとModel 5の対比もありだな、と思っていたが、
実はMark IVは実機を見たことがない。
Model 5に関しても、みたことはあるけれど音は聴いたことはない。

とはいえ回路図、外観、内部を含めてインターネット上にはけっこうな数あるから、
特に音について書くわけではないから、
Mark IVとModel 5の対比でもなんら問題ないけれど、
Stereo 70とModel 8Bのほうが、私には身近な存在だけに、選んでいる。

ついでに書いておくと、ダイナコにはMark VIというモノーラルアンプもある。
ステレオサウンド 42号(1977年)の新製品紹介で登場している。

出力管に8417を四本使ったパラレルプッシュプルで、出力は120W。
ダイナコの真空管アンプとして初めての19インチラックサイズのフロントパネルをもち、
バイアスチェックをかねたパワーメーター、ラックハンドルがついている。

マランツのModel 9のプロ用機器版9Rを強く意識したような造りのアンプである。
Model 9は1960年に登場しているから、約20年経っての新製品Mark VIである。

ダイナコは真空管アンプにおいては、マランツの真空管アンプを、
どこか意識していたように感じる。
http://audiosharing.com/blog/?p=26607

真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=26641


キットを出していたということでは、
ダイナコとラックスの対比ではないか、と思われるかもしれない。

私にもそういう気持はないわけではないのだが、
ラックスのEL34プッシュプルアンプというのは印象がとても薄い。

私がオーディオに興味を持ち始めたころのラックスの真空管アンプといえば、
プリメインアンプのSQ38FD/IIであり、登場したばかりの薄型のコントロールアンプのCL32、
パワーアンプではMB3045だった。

そのころキットでA3500がEL34プッシュプルで、出力はUL接続で40W、三極管接続で30Wだった。
1978年にはMQ70も登場した。
出力は45Wだった。
MQ70はA3500の完成品ではなく、レイアウトも違っていた。

どちらも私には印象が薄い、というか、存在が稀薄だった。

日本では真空管アンプを、
トランジスターアンプ全盛時代になっても造りつづけているメーカーとして、
ラックスは知られていた。

ラックス以外にも真空管アンプメーカーはあったが、
トランジスターアンプと真空管アンプの両方、それに会社の規模ということで、
ラックスが日本における真空管アンプの最後の砦的であった。

それでもラックスのEL34プッシュプルは、印象がなさすぎる。
http://audiosharing.com/blog/?p=26641

真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26856


ダイナコのStereo 70のキットの実物を見たことがないため断言できないが、
電圧増幅檀のプリント基板に関しては、部品が最初から取り付けてあり、
ハンダ付けもなされていた(はずだ)。

キットの内容は穴あきシャーシーに、出力トランス、電源トランス、チョークコイル、
出力管、整流管とそのソケット、電圧増幅管に内部配線材に、入出力端子などに、
完成済のプリント基板のはずだ。

もちろんハンダ付けはしなければならないが、細かいハンダ付けが求められるわけではない。
仮にプリント基板が組み立て済でなかったとしても、部品点数はそう多くないし、
部品の取り付けを間違えずに丁寧にハンダ付けをしていけば、失敗は少ない。

製作の難易度は、高いとはいえない。
完成後の各部のチェックもそれほど多くないし、基本は電圧のチェックである。

つまりダイナコのキットは、誰が組み立てても、ある一定以上の性能を保証している。
ところがマランツのキットは、そういう性格のモノだと思って取りかかると、
痛い目に合うことは必至である。

マランツのキットは、Model 7、Model 8B、Model 9にしても、
プリント基板は一切使っていない。
ラグ端子に部品のリード線をからげてハンダ付けしていく。

しかもひとつの端子に部品一つということはまずない。
複数の部品のリード線をからげ、内部配線材もそこにくる。

どの部品からからげていくか、その順番によって音は違ってくるし、
マランツのアンプはその順番も指定されていた、と聞いている。

ハンダ付けの箇所もマランツは多い。

ダイナコは完成品が隣になくとも、きちんと完成することは大変ではないが、
マランツの場合は、特にModel 7は、
実機を隣に置いて、じっくりそれを観察した上での製作が望ましいだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=26856
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1163.html

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ)
audio identity (designing) 宮ア勝己 真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ)

7月 30th, 2018
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=26694

「タンノイはいぶし銀か」を書き始めたところ。
タンノイの同軸ユニットにはフロントショートホーンが不可欠だ、と、
以前から書いていることをくり返している。

もうひとつ不可欠(フロントショートホーンほどではないが)といえるのが、
KT88のプッシュプルアンプである。

世の中に出ているすべてのKT88プッシュプルアンプを聴いて書いているのではない。
タンノイに接いで聴いているのは、マッキントッシュのMC275、
マイケルソン&オースチンのTVA1、ウエスギ・アンプのU·BROS3、
それからジャディスのJA80(これはパラレルプッシュプル)だけである。

けれど、このどれでタンノイを聴いても、よく鳴ってくれる。
真空管アンプの音が出力管だけで決るわけでないことは重々承知しているが、
それでもタンノイにはKT88プッシュプルだ、と口走りたくなるほど、
それぞれに魅力的、ときには魅惑的な音をタンノイから抽き出してくれる。

JA80で鳴らしたGRFメモリーの音は、フロントショートホーンがついていないけれど、
もうこれでいいのかもしれない……、
そんなふうなある種の諦観に近いところに誘われている感じさえした。

やや白痴美的な音でもあった。
CDで聴いていたのに、以前一度だけ聴いたことのあるカートリッジの音を思い出してもいた。
グラドのSignature IIである。

1979年に199,000円もしていたカートリッジで、
瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られた時に持参されていた。

このカートリッジのことは、「ラフマニノフの声〃ocaliseとグラドのSignature II」で書いている。

甘美な音がしていたカートリッジだった。
私も、欲しい、と思った。
高校生にはとても手が出せない価格だったけれど。
http://audiosharing.com/blog/?p=26694


Date: 8月 3rd, 2018
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=26758


タンノイのスピーカーにはKT88のプッシュプルアンプ。
これには異論がある、という人は多いかもしれない。

私だって、乱暴な書き方なのはわかっていても、
ジャディスのJA80で鳴らしたGRFメモリーの音は、
もう聴く機会はない、と諦めていたグラドのSignature IIの音を、
もう一度聴くことが叶った、と思わせてくれた。

この音が、私にとって、タンノイにはKT88プッシュプルという組合せを、
決定づけてしまった。

もっと長い時間聴いていたい、と思わせる音ほど、
短い時間しか聴けなかったりする。
このときのタンノイとジャディスの音もそうだった。

もっと聴きたい、と思っていただけに、よけいに印象深い音として記憶されているのだろう。

マッキントッシュのMC275、マイケルソン&オースチンのTVA1、
ウエスギ・アンプのU·BROS3、ジャディスのJA80、
こうやって書き並べていくと、
アメリカ、イギリス、日本、フランスと国がバラバラなのに気づく。

ジャディスだけがモノーラルで、あとはステレオ機。
トランスと真空管のレイアウトも、それぞれ違う。
MC275とU·BROS3は似ていると思われるかもしれないが、
トランスの順序、内部配線の仕方を比較すると、違いは大きい。
それにTVA1とJA80はプリント基板による配線である。

この四機種を同時比較したことはない。
タンノイのスピーカーで比較試聴すれば、それぞれの違いははっきりする。
そうなると、これら四機種のKT88プッシュプルに共通して感じている良さは、
あくまでも個人的に感じている良さではあるが、それは否定されてしまうかもしれない。

それでも、あえて書けば、意外にもこれらのアンプのフレキシビリティは高い、と感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26758


Date: 8月 4th, 2020
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=32761


今日、東京は暑かった。
出掛ける用事がなくて、よかった、と思うほどに暑かった。

そんな暑い日中に、コーネッタをKT88のプッシュプルアンプで鳴らしてみたいなぁ、と思っていた。

私がタンノイに接いで聴いたことのあるKT88のプッシュプルアンプは、
マッキントッシュのMC275、マイケルソン&オースチンのTVA1、
ウエスギ・アンプのU·BROS3、ジャディスのJA80の四機種だけであることは、(その1)で書いたとおり。

いずれも、いまとなっては30年、40年ほど前のアンプだから、
いまでは新品で手に入れることはできない。

ジャディスのJA80は、いまMKIIになっているが、
いま日本に輸入元はない。

話はそれるが、この十年ほど、こういうことが増えてきた。
以前は輸入されていて、ある程度知れ渡っていた海外のブランドが、
いまではすっかり忘れられてしまっている、という例が意外とある。

そのブランドがなくなってしまったわけではなく、
単に日本に輸入されなくなっただけの話だ。

しかもアジアの他の国には輸入元がある。
日本にだけない、という例が具体的には挙げないが、まだまだある。
しかも増えてきているように感じる。

それらのブランドは、なんらかの理由で日本の市場から淘汰されただけなんだよ、
そんなことをいう人もいるけれど、ほんとうにそうなのだろうか。

そういうブランドもあるだろうけど、なにか日本だけが取り残されつつあるよう気もする。

話を戻すと、コーネッタは比較的新しいトランジスターアンプで鳴らしたい、という気持に変りはないが、
それでも、こんなふうにふとKT88のプッシュプルアンプで鳴らした音を聴きたい、と思う。

なにもこんな暑い日に、こんなことを思わなくてもいいだろうに……、と自分でも思いながらも、
なぜKT88なのだろうか、とも考えていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=32761


Date: 8月 8th, 2020
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=32803


真空管パワーアンプの音が、出力管だけで決るわけがないことは百も承知だ。
この項で挙げている四機種のKT88のパワーアンプは、どれも音が違う。

それでも、そこに何か共通項のようなものを、少なくとも私の耳は感じている。
もっと厳密にいえば、タンノイのスピーカーで聴いた時に、そう感じている。

「五味オーディオ教室」を読みすぎたせい──、とはまったく思っていない。
マッキントッシュのMC275がKT88のプッシュプルだから、ということではない。
私の場合、タンノイで聴いたKT88のプッシュプルアンプは、MC275が最初ではないからだ。

KT88のプッシュプルアンプは、他にもいくつもの機種がある。
それらでタンノイを鳴らしたことはない。
もしかすると、私が聴いたことのないKT88のプッシュプルアンプで、
タンノイを鳴らしてみると、KT88にこだわることはないな、と思うかもしれない。

KT88のプッシュプルアンプのなかにも不出来なアンプは少なからずある。
そのこともわかっている。
それでも、タンノイを、真空管アンプで鳴らすのであれば、
まずKT88のプッシュプルアンプということを、頭から消し去ることができないままだ。

真空管パワーアンプの音が、出力管だけで決るわけがないのだが、
だからといって、出力管の銘柄、型番が音に関係ないわけではない。
鳴ってくる音のどこかに、出力管に起因するなにかが存在しているのかもしれない。

それがタンノイのスピーカーと組み合わされた時に、
私の耳は無意識のうちに嗅ぎ分けているのかもしれない。

コーネッタを鳴らすのに、真空管アンプを作るのであれば、
デッカ・デコラのパワーアンプ、EL34のプッシュプルのコピーにしようか、と思っている。
いい感じに鳴ってくれるだろうな、と夢想しながらも、
それでもKT88のプッシュプルアンプ、と思ってしまう。

しかも、ここがわれながら不思議なのだが、
KT88のプッシュプルアンプを自作しようという気は、ほとんどない。
市販品のなかから、いいモノがないか、と思ってしまうのは、なぜなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=32803

Date: 8月 13th, 2020
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=32848

聴いてみたかったKT88のプッシュプルアンプといえば、
ユニゾンリサーチのプリメインアンプP70である。

でもエレクトリはユニゾンリサーチの取り扱いをやめてしまっている。
しかもユニゾンリサーチも、P70、P40(EL34のプッシュプル)の製造をやめている。

P70を聴く機会はなかった。
エレクトリがとりあつかいをやめた理由も、ウワサではきいている。

どんな音だったのか。
周りに聴いている人もいない。

でも、P70のアピアランスは、気に入っている。
優れたデザインとは言い難い。
それでも、コーネッタを接いで鳴らすには、いい感じじゃないだろうか。

そう思いながらも、P70にはトーンコントロールがなかったなぁ……、となる。
1970年代後半ごろから、トーンコントロールをパスするスイッチが、
プリメインアンプにつくようになってきた。

さらにはトーンコントロールを省く製品も出てくるようになった。
いまではトーンコントロールがついている製品のほうが、
高額な価格帯になるほどに少数となってくる。

プリメインアンプにはトーンコントロールは要らないのか。

ステレオサウンド 55号の特集ベストバイで、
瀬川先生はケンウッドのL01Aを、プリメインアンプのMy Best 3の一つにされている。

55号のベストバイでは、誰がどの機種にどれだけ点数を入れたのかまったくわからない。
51号もそうだったのを反省してなのか、55号では各製品ジャンルのMy Best 3が載っている。

瀬川先生のプリメインアンプのMy Best 3は、L01Aの他に、
サンスイのAU-D607とラックスのL58Aである。

ところが59号のベストバイで、瀬川先生はL01Aには一点も入れられていない。
http://audiosharing.com/blog/?p=32848


真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=32855


ステレオサウンド 55号と59号の中間、57号の特集はプリメインアンプだった。
ケンウッドのL01Aも取り上げられている。

瀬川先生の、57号での評価は高いものだった。
音の躍動感に、やや不足するものがあるのは読みとれるが、
《音の質の高さは相当なものだと思った》とある。

しかも、瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られたときに、
サンスイのAU-D907 Limitedを買ったことを話した。
瀬川先生は、L01Aのほうがあなたの好みだよ、といわれた。

L01Aは聴いたことがなかった。
それでも気になっているプリメインアンプだった。

それでもAU-D907 Limitedは175,000円、
L01Aは270,000円だった。

当時高校生だった私に、この価格差はそうとうに大きく、手の届かない製品であった。
でも、その時の口ぶりからもL01Aを高く評価されていることは伝わってきた。

なのに59号での結果である。
当時も、なぜだろう? とおもったものだ。
答はわからなかった。

いま、その理由を考えると、L01Aにはラウドネスコントロールはついていても、
トーンコントロールはなかった。

しかも57号に、
《ファンクションにはややトリオ独自の部分があり、例えば、テープ端子のアウト/イン間にイコライザーその他のアダプター類を接続できない回路構成》
とある。

瀬川先生は、59号でサンスイのAU-X11には1点をいれられている。
AU-X11にもトーンコントロールはついていない。
けれどテープ入出力端子に、トーンコントロール、イコライザーなどの周辺機器を接続できる。

このあたりに、L01Aへの0点の理由が隠れているような気がしてならないし、
AU-X11にトーンコントロールがついていたら、2点以上になっていたであろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=32855


真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=32860


(その1)を書いたのは、二年前。
そのころはタンノイを買うことになるとは、ほとんど思っていなかった。

なので、ここでのサブタイトル、「KT88プッシュプルとタンノイ」は、
タンノイの特定のモデルではなく、あくまでもタンノイの同軸型スピーカー全般のことだった。

それが今年6月にコーネッタを手に入れた。
そうなってくると、「KT88プッシュプルとタンノイ」のタンノイとは、
コーネッタということに、意識しなくてもそうなりつつある。

最初のころのKT88プッシュプルとは、KT88のプッシュプルのパワーアンプのことを想定していた。
それがコーネッタ以降、プリメインアンプも含めてのことになってきている。

KT88プッシュプルのパワーアンプということならば、
コントロールアンプは別個に考えればいいわけで、
トーンコントロールのことは考えていなかった。

コーネッタとの組合せを、この項でも意識する。
そうなるとプリメインアンプ、それもトーンコントロール付きかどうかが気になる。

コーネッタを鳴らしてみたいプリメインアンプとして、イギリスのCHORDのモデルがある。
ソリッドステートアンプなので、この項とは直接関係ないわけだが、
それでもコーネッタとの組合せは、かなりいいように想像している。

そのCHORDのプリメインアンプは、
輸入元タイムロードでは、現在プリメインアンプは取り扱っていない。

CHORDのサイトをみると、製造中止になったわけではなく、
現行製品であることがわかる。

CHORDのプリメインアンプは日本ではあまり人気がないようだが、
私はけっこう気に入っているが、トーンコントロールに関しては、不満がある。

トーンコントロールがついていないだけでなく、
テープ入出力端子をもたないから、そのへんの拡張性はまったくない。

このことはCHORDのプリメインアンプに限ったことではなく、
ほかのブランドのプリメインアンプでもそうなのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=32860

Date: 12月 15th, 2020
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=33809


ラックスから、今年プリメインアンプのプリメインアンプのL595A LIMITEDが登場した。

今回も往年のラックスのアンプ・デザインの復活であり、
これまで続いてきたずんぐりむっくりからの脱却でもある。

L595A LIMITEDのページには、《一体型アンプの矜持》という項目がある。
L595A LIMITEDはフォノイコライザーはもちろん、
2バンドのトーンコントロールも備えている。

さらに音量連動式のラウドネスコントロールもついている。
テープ入出力端子は、時代の流れからなのか、ないのだが、
プリ・パワーアンプのセパレート機能はついている。

プリメインアンプ全盛時代のプリメインアンプそのまま、といいたくなる内容である。

さまざまな機能を削ぎ落として、音質をひたすら追求しました、
というアプローチのプリメインアンプもあってもいいが、
それならば、いっそのことセパレートアンプにしてしまえばいいのに、と私は考える。

だからL595A LIMITEDは、逆に新鮮にみえてくるところもある。
管球式のプリメインアンプは、いまでも存在している。

けれどほとんどの管球式プリメインアンプは、さまざまな機能を省略しすぎている。
そこに、プリメインアンプの矜恃は感じられない。

なかにはかなり大きな図体の管球式プリメインアンプもある。
それでも機能は最低限度しかついていなかったりする。

音がいいことだけが、アンプづくりの矜恃ではないはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=33809


Date: 12月 18th, 2020
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=33822

(その8)でテープ入出力端子のことにちょっと触れたので、
ここでのテーマとは直接関係ない話なのだが、
プリメインアンプの現行製品で、テープ入出力端子を備えているのは、
どれだけあるのだろうか。

しばらく前からアナログディスク・ブームといわれている。
それからしばらくして、カセットテープがブームになってきた、ともいわれた。
オープンリールテープも、静かなブームだ、ときく。

カセットテープにしろオープンリールテープにしても、
アンプにテープ入出力端子がなければ、けっこう扱い難い。

なのにテープ入出力端子をつけてほしい、という声を、
ソーシャルメディアでもみかけたことがない。

私がフォローしている人たちがツイートしていないだけで、
そういう声はあるのかもしれない。

でも、カセットテープ、オープンリールテープの音に惚れ込んでいても、
再生だけで録音はしていない人が、いまでは案外多いのかもしれない。

録音をしなければテープ入出力端子の必要性は、あまり感じないし、
テープデッキの出力を、アンプのライン入力に接続するだけで事足りる。

テープデッキを再生だけに使うのも悪いことではないし、間違っているわけでもない。
それでも、やっぱり録音器であるわけだから。

でも、何を録るのか、といわれるだろう。
音楽を録ることだけにとらわれすぎていないだろうか。

カメラを買ったからいって、誰もがスタジオを借りて撮影するわけではない。
家族の写真を撮ったり、身近な風景や動物を撮ったりする。

なぜオーディオの録音器だけが音楽だけを録ることにこだわるのか。
スマートフォンのカメラ機能で、気軽に撮るように、
身近にある音を録ってみたらいい。
http://audiosharing.com/blog/?p=33822


Date: 12月 22nd, 2020
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=33842


コーネッタを鳴らすKT88のプッシュプルのプリメインアンプについて、
具体的に考えてみる。

出力はどれだけ欲しいのか、となると、50Wは欲しい。
コーネッタは、さほど高能率スピーカーではない。
これは、あくまでも昔の基準でのことであって、
いま市販されているスピーカーシステムとの比較では高能率となる。

それでも私の感覚としては、能率はやや低め、ということになる。

アンプの出力は音場の再現と大きく関っている。
オペラを聴くとよくわかる。

歌手がソロで歌っている。
さほど大きくない音量では、出力の低いアンプであっても、
クォリティの高いアンプであれば、気持よく鳴ってくれるのだが、
そこに合唱が加わって、クレッシェンドしていくと、音場がぐしゃっとくずれることがある。

出力に余裕のないアンプに起りがちな現象である。

だからコーネッタに50Wの出力というのは、最低限といってもいい。
私の部屋はさほど音量が出せるわけではない。
それでも50Wは欲しい、と考えている。

もっと音量を出せる環境であれば、出力はもっと欲しいところだ。

75Wの出力といえば、マッキントッシュのMC275がそうである。
規模としては、一つの目安となる。

MC275をベースに、ラインアンプ(これも管球式)で、
トーンコントロールを装備したプリメインアンプとなると、かなり大型になる。

自家用として使いたくない大きさになるはずだ。
そこまでなるならば、セパレート形式のほうが、
パワーアンプを目につかないところに設置すれば、ずっとすっきりする。
http://audiosharing.com/blog/?p=33842

Date: 1月 11th, 2021
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=33938


コーネッタを手に入れたことで、
この項のテーマが微妙にずれてきてしまっている。

だんだんとコーネッタにおける黄金の組合せ的なことを考え始めている。

別項で「黄金の組合せ」について書いている。
黄金の組合せという表現がつかわれるようになったのは、
タンノイのIIILZとラックスのSQ38FDの組合せからであろう。

この組合せの音は聴いたことがない。
それでもなんとなく想像はつく。

IIILZとコーネッタは、基本的には同じユニットといってもいい。
もちろんMonitor GoldとHPD295Aは違うユニットだ、という人もいるのはわかっている。

それでも別ブランドのユニットと比較すれば、どちらもタンノイの10インチ同軸型ユニットである。
ならばコーネッタにもSQ38FDが合うのだろうか。

これも別項で書いているのだが、
ラックスのLX38(SQ38FD、SQ38FD/IIの後継機)で鳴らしたスペンドールのBCIIの音は、
いまでも聴きたい、と思うほどの音だった。

熊本のオーディオ店で、この組合せで、と瀬川先生にいった。
瀬川先生は、なかなかおもしろい組合せだ、といわれた。
接続が終って、音が鳴り始めた。

カートリッジは、ピカリングのXUV/4500Qにした。

スピーカーにしてもアンプにしても、カートリッジもそうなのだが、
どれもはっきりとした個性をもつ音だ。

鳴ってきた音を聴かれた瀬川先生は「玄人の組合せだ」といわれた。
自分で考えた組合せということもあって、
私にとっての「黄金の組合せ」といえば、この組合せの音である。
http://audiosharing.com/blog/?p=33938


Date: 1月 12th, 2021
真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ・その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=33940


この組合せ、この時の音があまりにも印象的だったこともあり、
私にとってラックスの38といえば、SQ38FDでもSQ38FD/IIではなく、LX38である。

しかも私はウッドケースというのが、あまり好きではない。
LX38はウッドケースがオプションになっていた。

おそらくウッドケースをつけると値上げしなければならなかったため、
なんとか価格も維持するためだったのだろう。

だとしても重いコートを脱ぎ捨てかのようでもあり、私はLX38を好む。
ではLX38の程度のいいのを探してきてコーネッタを鳴らしたいか、となると、
興味がまったくない、とはいわないまでも、それほどではない。

なぜかというと、まず一つはスペンドールのBCIIとコーネッタは、
同じイギリスのスピーカーシステムであっても、ずいぶんと性格が違う。
それに当時はアナログディスクで、カートリッジはピカリングだった。

いまはそうではない。
ピカリングのXUV/4500QのようなCDプレーヤー、もしくはD/Aコンバーターはない。

あのころとずいぶんと、いろんなことが変ってきている。
LX38の出力管、50CA10も、いまでは製造されていない。
探せば、まだ入手できる真空管ではあるが、
なんとなく避けたい気持があったりする。

中国で、さまざまな真空管が製造されているが、
50CA10は、そのラインナップにはない。おそらくこれから先も期待薄だろう。

他にも、こまかな理由がいくつかあって、
LX38で、どうしても──、という気持にはなれないでいる。

やはりKT88のプッシュプルアンプで鳴らしたい、という気持のほうが、強い。
いい音の真空管アンプであれば、なにもKT88のプッシュプルにこだわる必要はない──、
頭では、そう理解していても、一度はKT88のプッシュプルで鳴らしてみたい。

それも自分の手で鳴らしてみたい。
http://audiosharing.com/blog/?p=33940
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1164.html

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 Western Electric 300-B
audio identity (designing) 宮ア勝己 Western Electric 300-B


Date: 2月 16th, 2019
Western Electric 300-B(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=28228


ウェスターン・エレクトリックの300Bの再生産がようやく始まる。
30年ほど前にも、ウェスターン・エレクトリックの300Bは再生産された。

その後、300B同等管が、いくつかのメーカーから登場している。
どのメーカーの300B互換球が音がよいのかも話題になっている。

どの300Bがどうなのか、比較試聴する機会はないのでなんともいえないが、
音と同じくらいに気になるのは、ぞの外観である。

ガラスの形状の違い、
ベースの色の違い、
ベースに印刷されている文字、
それからモノによってはガラスにも印刷されていたりする。

そういったことがすごく気になる。

やっぱり外観は、ウェスターン・エレクトリックの300Bがいちばんである。
ベースが黒の300Bも各社から出ているが、
どうにもガラスの形状、特に肩の部分の曲線の違いが、いつも気になっていた。

今回再生産される300Bのプレオーダーは始まっている。

300B(一本)が699ドル、
マッチドペアが1499ドル、さらに四本マッチングしたものだと3099ドルとなっている。

日本からだと、直接のオーダーはできない。
輸入元エレクトリ経由となる、とのこと。

300B再生産のニュースは昨年秋ごろに知った。
ウェスターン・エレクトリックのウェブサイトをみると、
以前は完実電気が輸入元だったが、エレクトリに変更になっていた。

けれどエレクトリのサイトをみても、ウェスターン・エレクトリックのことはどこにもない。
今日もエレクトリのサイトをチェックしたけれど、なかった。

エレクトリが扱う(はずである)。
http://audiosharing.com/blog/?p=28228


Western Electric 300-B(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=28230


オーディオ店を通じて、エレクトリへの予約された方によると、
製造が始まるのは来月からで、日本に入ってくるのは夏以降とのこと。

管球王国では、きっと秋以降の号で、300Bの比較試聴を行うだろう。
どの時代の300Bが音がいいのかは、昔から話題になっていた。

一般的には刻印の300Bがいいことになっている。
何度か聴いているが、確かにいい。

けれど伊藤先生によると、必ずしも刻印が常に最高とは限らない、とのこと。
比較的新しい300Bでも、音のいいのがある、とはいう話を伊藤先生から直接聞いている。

伊藤先生ほど300Bという真空管にぞっこんだった人はいない。
その伊藤先生がいうことである。

伊藤先生によると、音のいい300Bは触ってみるとわかるそうだ。
どこが見分けるポイントか、そういうことではなく、
手にとった瞬間、いい音をだしてくれそうな300Bは直観でわかる、とのこと。

これは伊藤先生だからいえることであり、
ものすごい数の300Bにふれ、アンプを作ってきた人だからいえることである。

今回の再生産について、あれこれいう人はいるだろう。
裏事情を知っている人もいよう。
いまはブランドが売り買いされる時代である。

そういう時代において、昔のブランドの威光がどれほどあてになるか。
そんなことはいわれなくともわかっている。

そのうえで、今回の300Bの再生産は、私にとっては嬉しいニュースのひとつである。
http://audiosharing.com/blog/?p=28230

Western Electric 300-B(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=28232


今回の300Bは、けっこう売れるんだろうなぁ、と思う。
メーカー製の300Bのアンプを使っている人、
真空管アンプを自作している人(ここにはメーカーも含まれる)、
それからオーディオを投資として捉えている人などが買う。

私は、再生産されるのは300Bだけなのか、と思ってしまう。
どのくらい前だったかは忘れてしまったが、
ウェスターン・エレクトリックによる274B、310Aの再生産のウワサもあった。

私はいまでも300Bのアンプでいちばん美しいたたずまいをもつのは伊藤先生のシングルアンプだ、
と思う人間である。

たとえメーカー製の、お金をかけた300Bのアンプであっても、
伊藤アンプのたたずまいに並ぶモノはない。

そうなると300Bだけでなく、274B、310Aも再生産してほしい。
274B、310A(特にメッシュタイプ)は、300B以上に入手が難しくなっている。

310Aの再生産はまずない、と思っている。
300Bと違い、それほど数が出るとは思えないからだ。

整流管の274は、310Aよりは売れるだろうが、
300Bのアンプを作っているメーカー、個人にしても、
必ずしも整流管を使うわけではない。

ダイオードのほうが内部抵抗が低い、レギュレーションがよくなるから、ということで、
整流管は時代遅れだという考えの人もいる。

それに274は整流管の中でも内部抵抗は高い。
私にすれば、だからこそ、と考えるわけだが、
人の考えは人の数だけあるのだから、それはそれとしかいいようがない。

そういう状況において、いま300Bのアンプを自作するならば、
私ならばシングルアンプは選択しない。
どうやっても伊藤先生の300Bシングルアンプのたたずまいに追いつけないからだ。

ならばプッシュプルアンプだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=28232

Date: 3月 1st, 2019
Western Electric 300-B(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=28321

300Bのアンプで、シングルかプッシュプルか。
フィラメントの点火という点も、プッシュプルを選択する理由のひとつだ。

300Bのシングルアンプだと、どうしても直流点火が必要となる。
そんなの簡単ではないか、と考える人もいるだろうが、
以前書いているように、直流点火にはいくつかの方法があり、
比較的簡単に直流点火が可能なのは、三端子レギュレーターによる定電圧点火である。

ハムもすんなりなくなる。
けれど三端子レギュレーターによる定電圧点火は、すすめられない(やりたくない)。
音がいい、とは思えないからだ。

以前書いていることなので詳細は省くが、
定電圧点火ではなく定電流点火すべきであり、
三端子レギュレーターによる定電流点火も可能だが、これもすすめられない。

定電流点火をきちんとやろうとするならば、
ラジオ技術に石塚峻氏が発表された回路こそがすすめられる。

とはいえ定電流回路は、意外に難しい。
ここでは詳しくは述べないが、実際に定電流点火を試みようと、
あれこれ考えてみると、大変さは作らなくても実感できる。

それに出力管の300Bを定電流点火するならば、前段の真空管も定電流点火したくなる。
そうなるとさらに大変なことになる。

ならばいっそのこと交流点火でいけるプッシュプルでいいではないか、と思う。
けれど、ここで考えるのは、300Bはアメリカの真空管である、ということだ。

アメリカの電源周波数は60Hzである。
東京は50Hzである。

別項「日本のオーディオ、これまで(ラックスのアンプ)」で指摘したように、
アメリカのアンプは60Hzで聴いてこそだ、と思っている。
同じ理由で、300Bも交流点火ならば、60Hzで聴いてこそなのだろう、と思うわけだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=28321

Western Electric 300-B(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=28336


私が考えている300Bプッシュプルアンプは、
別項「現代真空管アンプ考」で書いていることとは、また別のモノだ。

究極の300Bプッシュプルアンプを、と考えているわけではない。
なんといったらいいんだろうか、気の向くままに作ってみたい、と思っている。

プッシュプルアンプも突き詰めて考えれば、
出力トランスそのものがプッシュプル動作をしているのか、まで考えていくことになる。
そうなってくると、出力トランスをどこかに特註ということになる。

そこまでやるのならばフィラメントも定電流点火にしたくなる。
出力管の300Bだけでなく、電圧増幅段の真空管も定電流点火──、
ここまでくると電源トランスも、ヒーター(フィラメント)用に専用トランスということになる。

そんなふうにだんだんと大がかりなモノになってしまう。
そういう世界のアンプを追求することもまた楽しいが、
私は300Bプッシュプルアンプに、そんなことは求めたくない、という気持がある。

300Bの固定バイアスでなく自己バイアスでいい。
出力トランスも市販のモノから選びたい。
そうなってくると、プッシュプルの平衡度を厳密に考えようとは思わないから、
電圧増幅段、位相反転回路の構成も変ってくる。

入力にトランスを使えば、そのまま一段増幅し、出力段(300B)という構成になる。
真空管の数も少なくてすむし、位相反転回路も要らない。

プッシュプルアンプとして、シンプルな、理にかなった構成なわけだが、
そんなアンプが作りたければ、それは「現代真空管アンプ考」でのアンプとしたい。

それにそんなプッシュプルアンプだと、出力トランスのことが再び気になってきて、
大げさ、大がかりなプッシュプルアンプへと発展してしまう。

そうなるのを抑えたい、
そんな気にならなくなるアンプを目指したい。
http://audiosharing.com/blog/?p=28336

Western Electric 300-B(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=28344


そういう300Bプッシュプルアンプならば、ウェスターン・エレクトリックの300Bでなくとも、
数多くある互換球の300Bでいいじゃないか、という考えをもつ人はいよう。

ウェスターン・エレクトリック以外の300Bでは、PSVANあたりかな、と思いはする。
それでも実際にPSVANの300Bで作ろうとしたら、
私のなかにあるウェスターン・エレクトリックの300Bの印象へと少しでも近づけようとする。

そうなるとフィラメントの点火も、定電流点火にしたくなる。
ウェスターン・エレクトリックの300Bと、それ以外の300Bの音の違いは、
理由はあれこれあるだろうが、そのひとつとしてエミッションに起因しているような気もする。

そうであれば安定化という意味でも、
ウェスターン・エレクトリック以外の300Bだと定電流点火にしたくなる。

つまり定電流点火をやらなくするためにも、
私にとってはウェスターン・エレクトリックの300Bなのである。

それじゃ300Bのフィラメントの点火には何も工夫しないかというと、
いくつかのことはやろうと予定している。

ひとつは、別項で何度も書いているCR方法である。
この方法は、スピーカーユニットに対して、これまで効果的であった。
同じことを300Bのフィラメントにも試してみたい。

300Bのフィラメントの定格は5V、1.2Aである。
つまり直流抵抗は約4.16Ωである。

300Bのフィラメントに対して、
4Ωの無誘導巻線抵抗と4pFのコンデンサーを直列接続したものを並列に接続する。

まだ他の真空管でも試していないが、何らかの効果は得られる(はず)と確信している。

同じことを電源トランスの巻線、
つまりフィラメント点火用の巻線にも施す。

あとはフィラメント用の配線材に銀線を使ってみたい。
このくらいのことならば、大がかりではない。

もう回路も決めてある。
コンストラクションもおおまかに決めている。
http://audiosharing.com/blog/?p=28344


Date: 3月 18th, 2019
Western Electric 300-B(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=28492


誠文堂新光社から1987年に出た伊藤先生の「音響道中膝栗毛」の巻末に、
300Bのプッシュプルアンプの回路図が二つ載っている。

一つはウェスターン・エレクトリックのTA4767をベースにしたモノ、
もう一つはテレフンケンのV69aをベースにしていて、
どちも真空管は前段に348A、出力段に300B、整流管には274Bを使っている。
真空管の本数も348A、300Bが二本ずつ(片チャンネル)で、274Bが一本と同じ。

さらにどちらも入力トランスを搭載している。
けれど前段(348A)の使い方が、この二つの300Bプッシュプルアンプでは違う。

V69aをベースにしたアンプは、
入力トランスからの信号を348Aにそのまま渡している。
つまり前段、出力段ともにプッシュプル動作となっていて、
位相反転回路はない。

入力トランスを使うからこそ、これ以上真空管の本数を減らせないといえる回路で、
伊藤先生は《回路が簡単で安定性が良好であるから》と書かれている。

以前、別項で書いているように、私は349Aのプッシュプルアンプを製作しようとしていた。
その時、V69aと同じ回路構成で作ろうと考えてもいた。
348Aもメッシュタイプも手に入れていた。

プッシュプルアンプならば、こういう回路がいちばん理に適っている、ともいえる。
なのに、考え直した。

伊藤先生の、TA4767をベースにした300Bプッシュプルは、
348Aの前段で位相反転を行っている。
しかもここでの位相反転回路はカソード結合型ではなく、
オートバランス型と呼ばれる回路の一種である。

入力トランスからの信号を上側の348Aが受け増幅する。
この348Aの出力は二つに分岐され、一つは300Bへ、
もう一つは抵抗分割回路を経て、下側の348Aに渡される。
下側の348Aの出力が下側の300Bへと行く。

つまり上側の信号経路は348A→300Bなのに対し、
下側は348A→抵抗アッテネーター→348A→300Bとなる。

そのため部品数はV69a型アンプよりも多くなる。
当然配線もその分複雑になる。
http://audiosharing.com/blog/?p=28492


Date: 3月 18th, 2019
Western Electric 300-B(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=28500


それにしても、ウェスターン・エレクトリックはこういう回路にするのだろうか。
ウェスターン・エレクトリックの機械は、映画館で使われる。
つまりお金を稼ぐ機械である。

だからこそ、音と同じくらいに信頼性の高さが求められる。
故障しにくいこと、故障したとしても修理がすばやく確実に行えること。
そういったことが求められている。

にもかかわらずのTA4767は部品点数を増やし、配線を複雑にする回路を選択している。
故障は部品点数が少なければ発生率は低くなるし、
簡単な回路で配線がシンプルであるほど、修理もしやすくなる。

なのにウェスターン・エレクトリックはそうしない。
そういう回路構成のアンプもある。
けれどそうでないアンプの方が多い。

私が初めてきいた伊藤先生製作のアンプ、
ウェスターン・エレクトリックの349Aのプッシュプルアンプは、
ウェストレックスのA10の回路をベースにしたもので、
位相反転にはオートパランスの一種といえる回路を採用している。

A10も、上側の信号経路と下側の信号経路とでは、信号が徹真空管の数が違う。
もちろんA10も入力トランスを備えている。

こうなるとウェスターン・エレクトリックは意図的に、
上側と下側の信号経路が、いわばアンバランス的になるようにしているとしか考えられない。

あえて、そんなことをするのか。
本当のところは設計者に訊くしかないけれど、もうそれは無理なこと。
想像するしかないことだが、結局のところ、音のはずだ。

伊藤先生はTA4767型の300Bプッシュプルアンプを、《作って見て納得した》と書かれている。
頭で考えれば、V69a型300Bプッシュプルアンプのほうが、
特性的にも音的にも、TA4767型よりも優秀である、ということになる。

けれど、音は理屈で推し量れるとは限らない。
だから私が作りたい300Bプッシュプルアンプは、そういうアンプである。

348Aも310Aも、いまではいい球が入手し難い。
だから私はウェストレックスのA10型の300Bプッシュプルアンプを構想している。
http://audiosharing.com/blog/?p=28500

Date: 4月 11th, 2019
Western Electric 300-B(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=28675


ウェストレックスのA10は、初段が6J7(五極管)で、
位相反転回路が一種のオートバランス型で、ここには6SN7が使われている。

そして出力段が350Bのプッシュプル(五極管接続)となっている。
350Bを四本使用のパラレルプッシュプルがA11である。

実際には6J7による前段回路が、初段の前にあるが、
一般的なオーディオアンプとして、A10のレプリカの製作記事では、
この6J7による回路は省かれる。

伊藤先生が無線と実験に発表された349Aのプッシュプルアンプは、
初段がEF86、位相反転回路がE82CC、出力段が349Aとなっていて、
やはり前段の6J7の回路は省かれている。

NFBは出力トランスの二次側からではなく、出力段からでもなく、
位相反転回路から初段へとかけられている。

A10そのままの回路では、300Bの深いバイアス電圧に対して十分な電圧とはならない。
6SN7による位相反転回路の出力電圧は上側の6SN7が30V程度で、
下側は2V弱高くなる。

30Vちょっとでは300Bには足りない。
だから位相反転回路と出力段のあいだにE80CCによる増幅段を挿入する。

信号部には、300Bの二本を含めて、計五本の真空管を使う。
電源部もダイオードではなく整流管にするから、
真空管は六本使うことになる。

この回路で300Bプッシュプルを作りたい、と考えている。
300Bは固定バイアスではなく、自己バイアスにする予定。

NFBのかけ方も、A10に準ずる。
出力トランス、出力管からNFBを戻すようなことはしない。

もちろんそうしたほうが周波数特製も歪率も良くなるのはわかっていても、
そういうことは、ここでの300Bプッシュプルアンプには必要ない、と決めてかかっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=28675

Date: 4月 14th, 2019
Western Electric 300-B(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=28691


6SN7による位相反転回路と出力段300Bとのあいだに、
E80CCによる増幅段を挿入するのであれば、
最初からE80CCの前段に入力トランスをおくことで、
ノイマンのV69aと同じ構成にすることができる。

こちらのほうが回路的にもすっきりしていて、信号が通る真空管の本数も少なくなる。
しかも私が考えているA10型300Bプッシュプルアンプにも、入力トランスを使うつもりだから、
よけいに6J7、6SN7による増幅段建位相反転回路は不要──、
そう受けとられがちになるだろう。

別項の「現代真空管アンプ考」で書いている(目指している)アンプならば、
そういう構成にするけれど、ここでの300Bプッシュプルアンプは、
そういうアンプはまったく考えていないし、
聴き手である(作り手でもある)私自身の、音楽の聴き手としての生理というか、
もっといえばオーディオマニアとしての生理、本能といったものに、
直截に向きあってのアンプに仕上げたいからである。

向きあって、と書いた。
(むきあって)は剥きあって、でもある。

剥くことによって、仕上げられるアンプというものがある、と考えるからだ。
それに剥くは無垢でもあり、
誰かに聴かせるためのアンプではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=28691


Western Electric 300-B(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=28694

High Fidelity ReproductionとGood Reproduction、
高忠実度再生と心地よい再生、

瀬川先生が、スピーカーを分類するときに使われていた。
私にとってのグッドリプロダクションのスピーカーといえば、
イギリスのスピーカーで、それもBBCモニターの流れを汲むモノである。

スペンドール、ロジャース、ハーベス、チャートウェルなどのメーカーがあった。
いまもブランドだけは残っているところもある。
ハーベスは、いまも生き残っている会社である。

ハーベスのデビュー作、Monitor HLは、フレッシュだった。
いいスピーカーだ、と思ったし、欲しい、とも思った。

スペンドールのBCIIよりも、その響きは明るかった。

そのハーベスも創立者のハーウッドが高齢のため引退し、アラン・ショウが引き継いでいる。
アラン・ショウによる最初のモデルは、HL Compactだった。

HL Compactの評価は高かった。
HL Compactが登場した時は、まだステレオサウンドにいたから、
皆がほぼ絶賛に近い褒め方だったのをみてきている。

けれど、私の耳には、ずいぶん変ったなぁ、と感じたし、
変ったこと自体は設計者が違うわけだし、時代の変化もあり、当然のことと受け止めても、
私がBBCモニター系のスピーカーに感じていたグッドリプロダクションといえるところが、
HL Compactからは消えていた。

消えていた、というのが大袈裟すぎるのであれば、かなり薄れてしまっていた。
HL Compactを聴いて、何か致命的な欠陥があるとは感じなかった。
バランスのいいスピーカーに仕上がっていた。

けれど、その音が私にとってはグッドリプロダクション(心地よい音と響き)ではなかった。

どうも、このグッドリプロダクションは、少し誤解されているようであるが、
やわらかくてあたたかくて、耳にやさしい感じで鳴る音だから、
グッドリプロダクションではない、と私は考えている。

確かに、そういう音は、心地よい音につながっていくことは多い。
けれど、どこかにもどかしさを感じてしまうと、
どんなに上質な、そういう音であっても、もうグッドリプロダクションではなくなる。
http://audiosharing.com/blog/?p=28694

Western Electric 300-B(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=28696


300Bのアンプについて書いてきていたのに、
いきなりスピーカーのことを書き始めたのは、
ここで書いている300Bプッシュプルアンプは、
私にとってのグッドリプロダクション・アンプであるからだ。

ハーベスのHL Compactは、聴けば聴くほど、私はもどかしさを募らせていた。
聴く機会は多かった。

悪いスピーカーではない。
そんなことはわかっている。
それでも、聴き惚れることがない。
その音のどこにも、そういう要素が感じられない。

しかももどかしさが、どこかにある。
もどかしさがあるから、心地よくない。

私は、HL Compactの登場によって、ハーベスのスピーカーへの興味を失ってしまった。

HL Compactが1987年、それから16年後の2003年、
HL Compact 7ES3が出てきた。

このスピーカーも評価がよかった。
けれどハーベスのスピーカーに興味を失っていた私は、特に聴きたいとも思っていなかった。
それでも偶然、あるところで耳にしたHL Compact 7ES3の音は、
どうしても拭えなかったHL Compactのもどかしさがなかった。

HL CompactからHL Compact 7ES3のあいだに登場した他のハーベスのスピーカーは聴いていない。
だから何もいえないのだが、HL Compact 7ES3は、グッドリプロダクションである。

HL Compact、HL Compact 7ES3、
どちらもグッドリプロダクションだ、と思っている人は少なくない、と思う。
そういう人には、私がここで書いていることはわかってもらえないかもしれない。

けれど私と同じようにHL Compactに、なにかしらもどかしさを感じていた人もいると思う。
その人は、ここで書きたいと思っているグッドリプロダクション・サウンドを理解してくれるはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=28696


Western Electric 300-B(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=28698


私にとって、最初のグッドリプロダクションのスピーカーはスペンドールのBCII、
最良のグッドリプロダクションのスピーカーはロジャースのPM510である。

BCIIを自分の手で鳴らすことはなかったけれど、
PM510は自分のモノとして鳴らしている。

このPM510を鳴らすためのアンプとして計画していたのが、
伊藤先生が無線と実験に発表された349Aのプッシュプルアンプである。

この349Aプッシュプルアンプが、私にとって最初の伊藤アンプである。
それ以前に真空管アンプは、自作のモノも含めていくつか聴いていたが、
まさか伊藤先生製作のアンプが、こんなにも早く聴ける日がくるとは思ってもいなかった。

東京に台風が接近して大雨だったある日、349Aアンプをじっくり聴く機会があった。
この時から、PM510を349Aプッシュプルアンプで鳴らそうという夢が始まった。

PM510は、まさしくグッドリプロダクションのスピーカーだった。
瀬川先生が、ステレオサウンド 56号に書かれた文章を、
手に入れる前に何度も何度も読み返していた。
     *
 JBLが、どこまでも再生音の限界をきわめてゆく音とすれば、その一方に、ひとつの限定された枠の中で、美しい響きを追求してゆく、こういう音があっていい。組合せをあれこれと変えてゆくうちに、結局、EMT927、レヴィンソンLNP2L、スチューダーA68、それにPM510という形になって(ほんとうはここでルボックスA740をぜひとも比較したいところだが)、一応のまとまりをみせた。とくにチェロの音色の何という快さ。胴の豊かな響きと倍音のたっぷりした艶やかさに、久々に、バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった。
     *
《バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった》とある。
まさにグッドリプロダクションである。

ぼんやり聴きふけりたい──、
そのためには、出てくる音のどこかにもどかしさを感じるようであってはだめだ。

HL Compactの音を聴いていて、
この場に瀬川先生がおられたら、HL Compactの音をどう表現されるだろうか──、
何度もそう思った。

音にもどかしさを感じるだけでなく、
そのもどかしさを言葉として表現できないもどかしさも感じていた。

瀬川先生なら、きっと、そのもどかしさを的確に表現されるはず──、
そう思っていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=28698

Western Electric 300-B(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=28701


私が、心底美しいと感じた最初の真空管アンプは、
伊藤先生のEdのプッシュプルアンプだった。

このアンプとそっくりなアンプを自作したい、と思ったのが、
真空管アンプについて勉強するようになったきっかけでもある。

アンプだけではなかった、
Edという、初めて見る(知る)真空管も美しい、と感じていた。

私はST管があまり好きではない。
いかにも真空管という感じがしているからで、
シーメンスのEdのような形が、私の好きな真空管である。

それでも音を聴くと、結局ウェスターン・エレクトリックの真空管ということになる。
伊藤先生のEdのシングルアンプを聴いたのは、
349Aプッシュプルアンプの一年ぐらいあとである。

その時のことは別項で書いているのでくり返さないが、
やっはりウェスターン・エレクトリックなのか……、と実感させられた。

なんだろうなぁ、と、伊藤先生のアンプの音を思い出す度に考える。
349Aプッシュプルアンプの出色の音の良さは、
音楽がデクレッシェンドしていくときの美しさにある。

すーっと音がひいていく。
それまで、そんなふうにデクレッシェンドの美しさを表現してくれるアンプと出逢ったことはない。

アンプだけではない、そういう音そのものを聴いたことはほとんどない。

五味先生は「五味オーディオ教室」、
《はじめに言っておかねばならないが、再生装置のスピーカーは沈黙したがっている。音を出すより黙りたがっている。これを悟るのに私は三十年余りかかったように思う》
と書かれていた。

スピーカーは沈黙したがっている──のかもしれない。
けれど、アンプやプレーヤー、その他のことによって、素直に沈黙できないでいるのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=28701


MQAのこと、349Aプッシュプルアンプのこと
http://audiosharing.com/blog/?p=28730


別項「Western Electric 300-B(その14)」で、
伊藤先生による349Aプッシュプルアンプの、
音楽がデクレッシェンドしていくときの美しさについてふれた。

このデクレッシェンドしていく音の美しさは、その後、一度も聴いていない。
伊藤先生の349Aアンプだけの音だったのか──、
もうそう思うしかなかった。

349Aプッシュプルアンプを聴いて三十年以上経った。
やっと出逢えた。

すべてが違うシステムであったにも関らず、
あのときの音、デクレッシェンドしていく音の美しさにはっとした。

それが2018年9月のaudio wednesdayで、初めてULTRA DACでMQA-CDを聴いた音である。
すべてのディスクがそんなふうに鳴ってくれたわけではない。
あるディスクの、あるところだけがそう鳴ってくれた。

私は、それで充分である。
鳴らせるという確信が得られたのだから。
http://audiosharing.com/blog/?p=28730


Western Electric 300-B(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=28717


伊藤先生の349Aのプッシュプルアンプの製作記事は、
1973年の無線と実験に載っている。

私が持っているのは記事をコピーしたものをさらにコピーしたもので、
何月号なのかははっきりしない。

記事の冒頭に《昭和48年の御代》と書かれているから、
1973年であることは間違いない。
251ページから255ページにわたって掲載されている。

回路図には出力トランスの一次側インピーダンスは8kΩとなっているが、
実際のアンプは10kΩである。

出力トランスはラックスのCSZである。
この10kΩ(カタログには載っていないはず)という値が、
最終的にはネックとなり、片チャンネル、出力トランスが断線してしまい、
修理が非常に困難になってしまっていた。

そんなわけで伊藤先生の349Aプッシュプルアンプを聴いたのは一度きりである。
けれど、その一度きりはじっくりと聴くことができた。

アナログプレーヤーはEMTの927Dstで、
イコライザーアンプの出力をアッテネーターと通して349Aのアンプに入力。
スピーカーはJBLの2ウェイで、
ウーファーが2220、ドライバーは2440(2441ではなかったはず)でホーンは2397。

エンクロージュアはステレオサウンド 51号で、細谷信二氏担当の記事、
ジェンセン型のモノである。

この構成からわかるように、スピーカーはナロウレンジ、高能率である。
349Aプッシュプルアンプも、実はナロウレンジといえる。

製作記事の最後のページには、測定結果が載っている。
周波数特性グラフをみると、低域特性は、-3dBポイントがおおよそ70Hzである。

349Aは五極管で、出力段は三極管接続でもUL接続でもなく、
五極管接続で、出力トランスの二次側からのNFBはかけられていないのは、既に書いてる通り。

それに位相反転段と出力段とのあいだのカップリングコンデンサーの容量からいっても、
低域特性が最低域までフラットになるわけがない。

些細なことだが、回路図では0.05μFとなっているが、
使われいてるのは0.047μFである。

回路図と実際のアンプを比較していくと、コンデンサーの容量は、わずかだが違うところがある。
もっとも特性的にはほとんど差違はないといっていいくらいの違いである。

ナロウなスピーカーにナロウなアンプ。
カートリッジもまだSFLは登場していなかったから、こちらもワイドレンジとはいえない。
EMTのイコライザーアンプも、入力と出力にトランスがあるし、
トランジスター式とはいえ、古い回路構成である。

なのにまったくナロウレンジとは感じなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=28717


Western Electric 300-B(その15・追補)

(その15)を読んでくれた友人のOさんからメールがあった。
伊藤先生の349Aプッシュプルアンプの記事は、1973年5月号に載っている、ということだった。

国会図書館が雑誌の電子化を始めていて、
記事そのものは公開されていないけれども、目次はインターネットで検索できるようになっている。

1973年5月号に伊藤先生以外の製作記事も載っている。
それらの記事のタイトルは、真空管の型番と、
アンプの形式のあとに「設計と製作」とついている。

伊藤先生の349Aのアンプも基本的には同じだが、
「WE-349App8Wパワー・アンプの設計と製作の心得」というように、
製作のあとに「心得」とついている。
http://audiosharing.com/blog/?p=28721


Western Electric 300-B(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=28797


ここまで読まれた方のなかには、
ならば349Aのプッシュプルアンプを作った方がいいのではないか、
そう思われる人もいよう。

私もそうおもう時がある。
とにかく349Aのプッシュプルアンプのデクレッシェンドしていく音の美しさに魅了された。
しかも、それ以降、その美しさを、どのアンプでも聴くことがかなわなかった。

なので思い始めていたことがある。
真空管の電極の大きさが、あのデクレッシェンドの美しさに深く関係しているのではないのか、と。
だとしたら300Bのアンプでは、
いまも耳に残っているといえる、あの美しい音は出せないのかもしれない。

むしろ出せない可能性が高いのではないか。
ならば349Aを、いままた探して出すか。

349Aも、ずいぶん高くなった。
三十数年前は一本五千円程度だった。
ベースにでは、ガラスの上部に、349Aと入っている、
いわゆるトップマークの349Aでも、八千円から一万円くらいだった。

私のなかには、いまさら、という気持が少しある。
だから349Aの代りに、45という選択もあるな、と実は考えていた。

直熱三極管で、電極のサイズも大きくない。
それに45は、瀬川先生がAXIOM 80のために作られたアンプの真空管でもある。

にもかかわらず300Bのプッシュプルアンプを目指そうとしているのは、
別項「MQAのこと、349Aプッシュプルアンプのこと」でのことが関係している。

デクレッシェンドしていく音楽の美しさに、ここで再び出逢えたからである。
ならば300Bプッシュプルアンプでも、トータルで出せる──、
そう確信できたからだ。

もっともそのためにはメリディアンのULTRA DACが前提となるけれど……
http://audiosharing.com/blog/?p=28797

Western Electric 300-B(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=28805


伊藤先生は、無線と実験の349Aのプッシュプルアンプの記事に、こう書かれている。
     *
 他人の作ったものばかり食べている人にはわかりますまいが、本当の食通は他人に嘲笑わても厨房に入りたがるものです。
 一番大切なことをいいましょう。「誰がこれを食べるのか」ということなのです。若い人か、年寄りか、肉体労働をしている人か、どんな条件(部屋)の雰囲気で食べるのか、とそれまで考えてやるべきでしょう。アンプにしてみればスピーカーとの組合わせなのです。プリ・アンプもカートリッジももちろん大切には違いありまんが、それにも増してスピーカーとの関係を大切にしなければなりません。
 測定ではわからないのです……というと、学識のある方に嘲笑われますが、こればかりは如何にもなりません。
 それはスピーカーというものは前述したように府議名もので、アンプに較べて完璧なものが存在しないのです。あるスピーカーを捉えて、こんなアンプならいい音がするだろうなどと極めて無責任な考え方で音を出すのです。私にはそうしか方法がないのです。スピーカーの気嫌を取結ぶためにアンプを組んでいるのです。
 そして、スピーカーからきめてかかるのが一番良い音を出す途への近道なのです。
 良いスピーカーほど癖のあるもので、どんなアンプでも良く鳴るものにはろくなものはありません。
 ここでいう癖は忌(いや)な音というのではありません。誤解しないでください。
     *
349Aのアンプを作りたい、ということを伊藤先生に話したことがある。
「349Aはいい球だよ」といってくださった。
そしてアンプを自作するのならば、まず一時間自炊をしなさい、ともいわれた。

この時のことは別項「伊藤喜多男氏の言葉」に書いている。

平成の三十年間は、夕食に関しては、毎日とまではいかないけれど、自炊してきた。
「誰がこれを食べるのか」も、
三十年間ということは20代の私から50代の私まで、となる。
若い私から初老の私ということになる。

贅沢な自炊をしてきたわけではない。
伊藤先生は、こうもいわれた。
「いきなり300Bにいっても、300Bという球のほんとうの良さはわからないよ」
「349Aから始めるのはいいことだよ」

贅沢な自炊をしたくてもできない時期がけっこう続いた。
でも、それでよかったのだろう、たぶん。
http://audiosharing.com/blog/?p=28805


Western Electric 300-B(Good Reproductionの和訳・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=28818


300Bのプッシュプルアンプについて書いてきていて、
グッドリプロダクション(Good Reproduction)のことに触れ始めている。

グッドリプロダクションについては、これまで何度か書いてきている。
Good Reproductionを心地よい音、としてきた。

たしかに心地よい音、響きである。
でも、それだけでは何か足りないような気も、ずっとしていた。

無理に日本語にすることなく、グッドリプロダクションでいいではないか──、
とも思うけれど、それでももっとぴったりとくる言葉はないものかと、
これを書きながらも思っている。

最近おもうようになったのは、
Good Reproductionとは、居心地のよい音、響きだということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=28818


Western Electric 300-B(Good Reproductionの和訳・その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=28821


Good Reproductionを、居心地のよい音、響きとすれば、
居心地のよい部屋というものを考えてみれば、
居心地のよい音、響きがどういうことなのか浮んでくる。

居心地のよい部屋といっても、たとえば真夏と真冬では、
ベースとなる部屋は同じ空間であっても、
何から何まで、真夏と真冬が同じままでは、居心地のよい空間(部屋)とはいえない。

カーテンひとつにしても、真夏と真冬とでは色を変えたくなるし、
花瓶に挿いた花にしても、季節によって変ってくる。

こまかなところが、四季によって変化していってこそ、
居心地のよい部屋へと近づいていくのであれば、
居心地のよい音というものも、そうであるはずだ。

以前書いているように、井上先生は四季によって聴きたい音は変っていく、といわれた。
真冬は真空管アンプ、それもマッキントッシュの真空管アンプの音が恋しくても、
真夏になるとすっきりとした音のトランジスターアンプに切り替える──、
そんな話をよくされていた。

音の季節感について話されていたわけだが、
実のところ、井上先生が話されていたのは、
Good Reproductionについてだったのか、と、いまごろ気づいている。
http://audiosharing.com/blog/?p=28821


Date: 5月 18th, 2019
Western Electric 300-B(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=28986


菅野先生が、こんなことを書かれていた。
     *
 私は食べるのも好きだが、つくるほうにも興味があり、忙中閑ありで、しばしばキッチンに立つが、料理でもう一つ面白いのが味つけの妙である。例えば、塩加減など一発で決めないとうまい料理は絶対にできない。一回塩を入れて、濃かったらもう駄目だ。いくら薄めてもうまい味は出ない。逆に、薄いところに、後で追加しても思い通りの味には絶対ならない。これは書道における一筆描きの如きもので、かすれていようとなぞったら駄目なのと同じことであろう。また、これは私の体験から分ったことだが、よく料理の時間などで、三人前で塩小さじ一杯などというが、では、六人前なら二杯かというと、そうはいかないのだ。これも料理の実に面白いところだと思う。
(「うまい料理」より引用)
     *
「うまい料理」(「音の素描」におさめられている)を最初に読んだ時は、
まだ自炊はしていなかった。
なので、塩加減について、そうものなのかぁ、ぐらいの受け止め方だった。

でも自炊を積極的にするようになってくると、菅野先生が書かれているとおりである。
《一回塩を入れて、濃かったらもう駄目だ》
そのとおりである。薄めてもうまくいかないし、
《薄いところに、後で追加しても思い通りの味には絶対ならない》のもそうである。

塩加減は、一発勝負である。
私の、たいしたものではない料理の腕でも、年に一回ほど、
見事な塩加減ができるときがある。

そういうときは、ほんとうに美味しい。
けれど、料理の素人である私は、その絶妙の塩加減を再現できるわけではない。
まぐれでうまくいくことが、年に一回ほどある、というだけである。

塩加減の、ほんとうにうまくいったといえる範囲というのは、
ワンポイントなのかもしれない、と思う。
ちょっとでも増えたら(減ったら)、もうその絶妙な塩加減から外れてしまう。

外れたからといって、美味しくならないわけではないが、
ぴたっと絶妙の塩加減におさまった味というのは、自炊を続けているから味わえるともいえる。

菅野先生は、上で引用した文章に続けて、こう書かれている。
《私は録音の時、マイクロフォンを念じておけ≠ニいう言葉を使う》。
http://audiosharing.com/blog/?p=28986

Date: 5月 20th, 2019
Western Electric 300-B(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=29013


塩加減で思い出すことが、もう一つある。
1980年代に、文春文庫から「B級グルメ」シリーズが出ていた。

そこに四川飯店の陳健民氏(だったと記憶している)が、
自宅でつくるラーメンが、とても美味しい、という記事が載っていた。

どんなスープを使っているのか、とよくきかれるそうだ。
でも使っているのは、醤油と塩だけ、とのこと。
その他の調味料は使っていない。
麺はインスタントラーメンの乾麺を使う、とのこと(記憶違いでなければそうだったはず)。

たったそれだけのラーメンなのに、美味しい。
このときは、自炊もほとんとしていなかったから、理解していたわけではなかった。

でも、自炊を重ねて、ワンポイントしかないといえる絶妙な塩加減のことを体験すると、
陳健民氏のつくるラーメンも、塩加減がほんとうに絶妙だからこその美味しさだったのでは……、
とおもうようになった。

陳健民氏は料理のプロフェッショナルだし、料理の天才なのかもしれないから、
いつでも絶妙な塩加減を再現できるのだろう。

中途半端な記憶なのだが、イタリアでは、
オリーブオイルは金持ちにかけさせろ、
塩は天才にかけさせろ、といわれているらしい。

オリーブオイルはケチケチせずに、
塩は絶妙の塩加減は、天才の領域なのだろう。

ほんとうに、イタリアでそんなことがいわれているのかもあやしいが、
納得できることだ。

この塩加減、
アンプの自作では、何に相当するのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=29013


Western Electric 300-B(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=29015


塩加減ということで、さらに脱線していけば、
瀬川先生がステレオサウンド 56号で、
JBLのParagonについて書かれた文章から、次のことを引用したくなる。
     *
 おもしろいことに、パラゴンのトゥイーター・レベルの最適ポイントは、決して1箇所だけではない。指定(12時の)位置より、少し上げたあたり、うんと(最大近くまで)上げたあたり、少なくとも2箇所にそれぞれ、いずれともきめかねるポイントがある。そして、その位置は、おそろしくデリケート、かつクリティカルだ。つまみを指で静かに廻してみると、巻線抵抗の線の一本一本を、スライダーが摺動してゆくのが、手ごたえでわかる。最適ポイント近くでは、その一本を越えたのではもうやりすぎで、巻線と巻線の中間にスライダーが跨ったところが良かったりする。まあ、体験してみなくては信じられない話かもしれないが。
 で、そういう微妙な調整を加えてピントが合ってくると、パラゴンの音には、おそろしく生き生きと、血が通いはじめる。歌手の口が、ほんとうに反射パネルのところにあるかのような、超現実的ともいえるリアリティが、ふぉっと浮かび上がる。くりかえすが、そういうポイントが、トゥイーターのレベルの、ほんの一触れで、出たり出なかったりする。M氏の場合には、6本の脚のうち、背面の高さ調整のできる4本をやや低めにして、ほんのわずか仰角気味に、トゥイーターの軸が、聴き手の耳に向くような調整をしている。そうして、ときとして薄気味悪いくらいの生々しい声がきこえてくるのだ。
     *
Paragonのトゥイーター(075)のレベル調整こそ、
まさに塩加減ではないか、とおもう。

料理の塩加減は、一発勝負でやり直しはきかないが、
スピーカーのレベル調整は、必ずしも一発勝負ではない。

ただし、この領域になると、
いいところに決った、と思って、そこでやめることができればいいのだが、
欲深く、さらに……、とあと少しだけ動かしてみたら、だめということがままある。

それで元に戻したら……、とはなかなかならない。
巻線抵抗のアッテネーターは、けっこうヤクザな造りである。

もとに戻したはずなのに、そうはならないのが巻線抵抗である。
とはいえ根気よくやれば、最適ポイントを探しだせる。
http://audiosharing.com/blog/?p=29015
34. 中川隆[-5752] koaQ7Jey 2021年4月13日 22:55:28 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[61] 報告
▲△▽▼
Western Electric 300-B(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=29019

真空管アンプを自作する、
そこでの塩加減はなんのか。

こじつけなのかもしれないが、ハンダ付けにおけるハンダの量のような気がする。

二十数年前に、知人に頼まれて抵抗とコンデンサーだけの、
いわゆるパッシヴ型のデヴァイダーを作ったことがある。

4ウェイ用で、モノーラル仕様。
シャーシー加工が終り、依頼してきた知人が一台、私が一台を作ることになった。

当然だが、使用部品は同じ。
内部の配線もプリント基板を使わずにラグ端子を使って行った。
配線材は左右チャンネルで同じになるように、線材の長さだけでなく向きも揃えた。

そうやって二台のパッシヴ型のデヴァイダーが出来上った。
ステレオで聴いた後に、スピーカーを一本にしてモノーラルでも聴いてみた。

知人が作ったモノと私が作ったモノとの比較試聴である。
部品が同じだから、基本的には同じ音といえるけれど、
まったく同じ音でもなかった。

ここでの音の違いは、ハンダ付けの違いに起因するとしか思えない。
もちろん同じハンダ(キースター)を使っている。

けれど一箇所あたりのハンダの量は、知人と私とでは違いがあった。
知人のほうが一箇所あたりのハンダ使用量は多かった。

多かったといっても、二倍も違うわけではない。
ハンダの量の違いは、作っている途中で、知人も気付いていた。

ハンダの量は多すぎても少なすぎてもダメであり、
塩加減と同じで、ハンダ付けも一発勝負である。

パッシヴ型のデヴァイダーだから、いくら4ウェイ用とはいえ、
使用部品点数は少ないし、ハンダ付けの箇所も多いわけではない。
真空管アンプに比べれば、ずっと少ない。

それでもハンダ付けでのハンダの量は、
少なからぬ違いとして、音としてあらわれることは事実である。
http://audiosharing.com/blog/?p=29019

Date: 5月 25th, 2019
Western Electric 300-B(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=29040


パッシヴ型のデヴァイダーでは、
ラグ端子を使い、部品のリード線がしっかりと絡むようにした上でのハンダ付けだった。

つまりハンダ付けをしなくとも音は出る(信号が流れる)状態での、
ハンダの量による音の違いが生じたわけである。

その理由について、ある仮説をもっているけれど、
いまのところ公表するつもりはない。

大事なのは、ハンダの量で音は変る、ということである。
とはいうものの、パッシヴ型のデヴァイダーを作ってから、
けっこう年月が経っている。

その間にどれだけのハンダ付けをしてきたかというと、
やっていない、といったほうがいいくらいでしかない。

ハンダ付けがヘタになった、と自覚している。
こんな腕前では、ハンダの量を、ハンダ付けの箇所すべてできちんとコントロールできるわけがない。

そうなると、300Bのプッシュプルアンプを作る前に、
少なくとも一台は、ハンダ付けの勘を取り戻すために作る必要性を感じている。

私は、真空管アンプ自作マニアではない。
何台も何台も、真空管アンプを自作して、手元に置きたいわけではない。

一台の、300Bプッシュプルアンプが欲しい。
満足できる300Bプッシュプルアンプが欲しいだけである。

市販されているモノに、残念ながら満足できないから、
自作するしかないと思っているだけである。

100%満足できるモノを、市販品に求めているわけではない。
70%くらい満足できれば、充分だと思っているにも関らず、
それでも見当たらないのが現状である。

もっとも、このことは私にとって──、ということでしかない。

ならば300Bプッシュプルアンプの前に、どんなアンプを作るのか。
大袈裟なモノにはしたくない。

ステレオ仕様(300Bプッシュプルアンプはモノーラル仕様の予定)で、
出力管は6V6あたりにしようかな、と思っている。

ならばウェストレックスのA10と同じ回路構成で、となる。
つまり伊藤先生の349Aプッシュプルアンプを、
349Aではなく出力管を6F6にして──、そんなことを考えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=29040

Date: 7月 3rd, 2019
Western Electric 300-B(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=29349


300Bのプッシュプルアンプの前に作る予定の6F6のプッシュプルアンプは、
本番(300Bのアンプ)のために試しておきたいことがあるからでもある。

昨晩の「オーディオの楽しみ方(つくる・その42)」、
ここでの自作の電源コードの一工夫は、そのまま真空管アンプの内部配線にも使える。

大袈裟、大掛りでもよければ、出力管を含めてヒーターの定電流点火にしたいところだが、
すでに書いているように、ここでの300Bのアンプでは、そこまでするつもりはまったくない。

それでもヒーター(フィラメント)の点火の仕方は、
試したことのない方にとっては想像以上の音の変化だと思う。

真空管アンプ内部には、信号ラインの他に、
電源系も高電圧・小電流の直流、低電圧・大電流の交流とがある。

ここをどう処理するのか。
配線テクニックの腕のみせどころとなるわけだが、
それよりも、周囲のケーブルに影響を与えない、
周囲のケーブルからの影響を受けにくいような方式を採用すべきである。

今回の自作の電源コードの構造は、ずっと以前から試そうと考えていた。
自作の電源コードのヒントは、中学生時代に読んだ技術書の中にあった。

こういう手法があるのか、と思ったし、
オーディオ機器はなぜ採用しないのか、とも疑問に思っていた。

システムコンポーネントの組合せの自由度の高さを、
その方式は少しばかり損うことになる場合もある。

それでもメリットは大きい。
とはいえ、私もずっと頭のなかにあるだけで、手を動かして試してはこなかった。

それを思い出したようにいまごろ実践したのは、いくつか理由がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=29349

Date: 11月 30th, 2019
Western Electric 300-B(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=28812


300Bのプッシュプルアンプは、私にとってのグッドリプロダクション・アンプなだけに、
徹底してオーディオ機器としての音色を磨き上げたい。

そのためにしたいことは、徹底的に灰汁をとっていくことだ。
面倒がらずにていねいに灰汁をとっていくことでしか得られない味があるように、
アンプの内部からも、そういう灰汁へと結びついていく要素を面倒がらずにていねいになくしていく。

部品を吟味していくだけでは、
良質の素材を用意しただけではおいしい料理がつくれないのと同じで、
雜味のたっぷり残った音は、私の望む音色ではない。

そういう300Bのプッシュプルアンプをつくりたいのだから、
(その23)で書いているように、
配線方法にいままで真空管アンプに採用されたことのないやり方でいく。

もしかすると誰かが既に試しているかもしれないが、
少なくとも私がこれまで見てきた真空管アンプ、
メーカー製、オーディオ雑誌の記事などでは見たことはない。

周囲のケーブルに影響を与えない、
周囲のケーブルからの影響を受けにくいような方式を採用すべき、と書いているが、
だからといってシールド線を使えばいい、というものではない。

中学生ののころは、なぜ シールド線を、
信号系ではなく電源系の配線に使わないのか、と疑問だった。

私になりに、その理由をいくつか考えた。
それでも疑問点は残ったままでもあった。

300Bのプッシュプルアンプに採用するやり方は、大袈裟にはならない。
パッと見て、どんなことをやっているのかわからないところがある。
それがいいな、と思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=28812

Date: 1月 10th, 2020
Western Electric 300-B(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=31044


真空管アンプを設計するにあたって、
固定バイアスにするか自己バイアスにするか──、
どの段階で決めていくのだろうか。

私は早い段階から、どちらのバイアスのかけ方にするかは決める方だ。
ここでの300Bのプッシュプルアンプにおいては、
この項の最初のほうに書いているように、自己バイアスで考えている。

理論的に考えていけば、自己バイアスよりも固定バイアスだろう。
この自己バイアスか固定バイアスかは、
スピーカーユニットでいえば、永久磁石か励磁型かの違いに似ているように感じることもある。

励磁型(フィールド型)こそが、
スピーカーユニットの磁気回路として理想だ、という謳うメーカーや、
そう主張するオーディオマニアは少なくない。

ウェスターン・エレクトリックの初期のスピーカーはすべて励磁型だったことも、
このことは関係しているのだろう。

励磁型の音は聴いている。
確かに惹かれる音を出してくれる。

それでも励磁型のスピーカーを、
スペースや予算のことを考えなくてもいいのだとしても、
自分のリスニングルームに導入するかというと、ちょっと考え込む。

励磁型は、当然のことながら、電磁石ゆえに外部電源が必要になる。
この電源をどうするのか。

定電圧電源を製作すれば、なんの問題もない、というのであれば、
励磁型の導入も、個人的に現実味を帯びてくる。

けれど実際には電源によって、大きく音が変りすぎることを経験している。
励磁型が最高の性能を目指してのモノであるならば、
その性能を最高度までに発揮するには、そうとうに大掛りな電源を必要とする。
http://audiosharing.com/blog/?p=31044


Date: 1月 13th, 2020
Western Electric 300-B(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=31053


励磁型の電源は、メーカーがつけてくる電源をそのまま使うのが無難ではある。
無難とはいえるが、必ずしも最良の結果とはいえないのも事実である。

永久磁石では得られない性能をめざしての励磁型なのだから──、
というおもいは、励磁型スピーカーに惚れ込めば惚れ込むほどに強くなっていく、であろう。

スピーカーユニットに手を加えることは生半可なことではない。
でも外部電源ならば……、と思うはずだ。

もっと大きな電源にしてみたら、
最新の電源にしてみたら、とか、
電源についてあれこれ勉強すればするほど、なんとかしたくなるはずだ。

非安定化か安定化電源か、
安定化電源ならば、定電圧電源なのか、定電流電源なのか。

このへんのことは、ビクターがSX1000を開発するにあたって、そうとうにやっていて、
そのことは当時の広告にも載っている。

定電圧電源にしても定電流電源にしても、回路によって性能は違ってくるし、
使用部品によっても音は違ってくる。

部品に懲り出すと、電源トランスはトロイダル型がいいのか、それともEI型がいいのか、
電源トランスの磁束密度は……、とか、
トランスの取付方法はどうするのか(意外にも高額機でも安直な取り付けのモノが少なくない)、
シャーシーはどういうものにするのか、
他にもいろいろあって、それだけでもかなりの量になってしまう。

思いつくことをすべて比較試聴して検証して──、
そんなことをやりはじめたら、肝心の音楽を聴く時間を大きく削ってしまうことになるはずだ。

でも、時間とお金を費やして、理想に近いと思える電源が実現したとしよう。
きっとかなり大型の電源になっているだろう。

大型になり、重量が増せば増すほど、置き方の注意もさらにシビアになってくる。
ウーファーだけ励磁型ならば,電源の数は二つで済むが、
マルチウェイで全ユニット励磁型ともなれば、電源の数は増え、
置き方の解決は難しくなっていくばかり。

そしてもうひとつ、
電源事情はますます悪くなっていくばかりである。
http://audiosharing.com/blog/?p=31053

Western Electric 300-B(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=31065


励磁型用の電源については書きたいことはまだまだあるが、
ここでは真空管アンプのこと、
ウェスターン・エレクトリックの300Bのプッシュプルアンプのことがテーマなので、
このへんにしておくが、真空管アンプにおいての固定バイアスの電源も、
励磁型の電源と同じところがある。

凝ろうとすれば、いくらでも凝れる。
電源トランスから別個にして、というのが理想に近い。

それから非安定化なのか安定化なのか。
安定化ならば──、励磁型の電源について書いたことと同じことがいえる。

凝れば凝るほど大掛りな電源となっていく。
場合によっては屋上屋を重ねることにもなりかねない。

電源トランスから独立させた固定バイアスの真空管アンプの音は聴いたことがないが、
その効果は音にはっきりとあらわれることだろう。

けれどバイアス用電源にそこまで凝る、ということは、
アンプ全体の電源に関しても、そういうことになる、ということだ。

バイアス用だけでなくヒーター用の電源トランスも独立させることになる。
そうなるとモノーラル構成でも、電源トランスは最低でも三つになる。

最低でも、としたのは、もっと凝ることもできるからだ。
各増幅段用に電源トランスを独立させていく──、
こんなことをやっていると、シャーシーの上にはトランス類がいくつ並ぶことになるだろうか。

トランスの数が増えれば、相互干渉の問題からトランス同士の距離も確保しなければならない。
振動の問題も、トランスが増えれば増してくるし、
重量の問題も大きくなってくる。

真空管アンプ一台の重量は、モノーラルであっても50kgを優に超えるであろう。

電源はエスカレートしやすい。
それは江川三郎氏がハイイナーシャのアナログプレーヤーの実験と同じようで、
ここまでやれば、という限度が見えてこないのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=31065
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1165.html

[近代史5] 真空管アンプの世界 中川隆
16. 中川隆[-5747] koaQ7Jey 2021年4月14日 08:42:37 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[1]
audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1159.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 Western Electric 300-B
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1165.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1164.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1163.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1162.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/415.html#c16

[近代史4] 真空管アンプの世界 中川隆
22. 中川隆[-5746] koaQ7Jey 2021年4月14日 08:43:04 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[2]
audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1159.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 Western Electric 300-B
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1165.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 真空管アンプの存在(KT88プッシュプルとタンノイ)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1164.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 真空管アンプの存在(ふたつのEL34プッシュプル)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1163.html

audio identity (designing) 宮ア勝己 ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1162.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/116.html#c22

[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
112. 中川隆[-5745] koaQ7Jey 2021年4月14日 08:58:56 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[3]

柳武作太夫
5つ星のうち5.0 私は個人的な音楽の趣味はノリのよいディスコサウンドなのだが、森田童子の悲しげで美しいメロディも好きだった
2020年5月21日

私は30歳ころ偶然ラジカセのスイッチを入れたとき、流れてきた音楽が、山崎ハコさんの「ひとり歌」でした。この曲は姉が嫁いで母と二人だけになりコンピュータ(出たばかりの8080Aなどを利用して)を自作しました。Tiny-Basicで書いたプログラムは、1 ハコ ガ スキ 〜 10 ハコ ガ スキ for-next ループでした。「うち、ばかやもん」と唄う彼女の歌は、私の当時の心境をぴったりと、代弁してくれていたので、皆、山崎 ハコは、暗いと言っていたけど中島みゆきより感性が優れていると感じました。

それで、ファン倶楽部に入ったら小さな新聞が届いてその中で「森田童子」は、頭で歌っていると評論されて、いたけど、ハコと比較されるほどなら、素晴らしいかも知れないと思ってFM放送の「森田童子特集」番組を聞きました。

彼女は「何もかも完成されて居る時代にうまれた、私達はなにを、すればいいだろうか?」と言いました。音楽も「バッハ」のころに、完成していて美術も「レオナルドダビンチ」のころに、完成されてしまっていると、いいました。そして、弾き語りで「菜の花明かり」と言う曲とか、「たとえば、僕がしんだら」とか、数曲演奏しました。

ずっと、後の時代になって、高校教師というドラマが放送され主題歌に私の知らない「僕たちの失敗」が、放送されました。森田童子も全国に知られるようになったな!と思ったのですが、主題歌だけ聴いてドラマは見なかったので、先生と生徒の間の恋物語かな?と思っていたら、最近私に、ドラマの内容を教えてくれた人が、いて「それも、あるけど、実は近親相姦の内容です」との話でした。


当時加山雄三さんが、私の娘が森田童子に夢中になって全てのCDを購入して聴いているが、何も新しくない。新しいコード進行がないといいました。

加山雄三さんは作曲できたし、エレキギターが上手だったし、蒼い星屑だの好きな曲もあるけど、歌はハートであり、ギターのコード進行に新しものがなくても、心をうつメロディを感性で感じ取った娘さんの感性の方が加山雄三より鋭いと思いました。歌は心であり感性であり、コード進行うんぬん・・・ではありません。

加山雄三の無感覚!馬鹿野郎!

私は明るい韓国の女性K-POPの初期のT-ARAの曲が好きだけど、童子が懐かしくなり、アマゾンから中古のCDを買いました。知ってる曲も数曲あるが、知らない曲も沢山ありました。全16曲を3回くらい聴いた。

美しい旋律だと思うけどどの曲も「悲しげ」であり、失望感の表明であり、自殺予告かと、思う曲もあるが、彼女は自殺はしなかった。腎臓病の持病でなくなった。最後まで、本名は名乗らなかった。真っ黒いサングラスをしていたから、目元を知っている人はいないと思います。

シンガーソングライターだった。東京出身かもしれない。なぜ、「ぼく」と言うのか。「女性であることを否定したい人なのか」可愛い声であり、ほんとは、恥ずかしがりやさん、(シャイなひと)目元を見られるのが恥ずかしいから、真っ黒なサングラス???不明です。

Wikipediaで亡くなっていることを、知りました。ご冥福を祈ります。73歳もなると、森山加代子さんも大腸がん ステージ4でなくなっていることを、これもWikipediaで知ったし、好きだった人がどんどん、亡くなっていきます。寂しいです。

加山雄三の無感覚 バカか、音楽はハートで鑑賞すべきであり、コード進行が新しい必要はありません。

ばかもの!以上!

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%95%97-%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%AB%A5%E5%AD%90%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%AB%A5%E5%AD%90/dp/B01FFVT8H4/ref=sr_1_1?adgrpid=115247167823&dchild=1&hvadid=492662838120&hvdev=c&hvqmt=b&hvtargid=kwd-758155555179&hydadcr=5168_10960512&jp-ad-ap=0&keywords=%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%AB%A5%E5%AD%90+%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88+%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0&qid=1618358023&sr=8-1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c112

[リバイバル4] ウェスタン・エレクトリック 300B を使ったアンプ 中川隆
35. 中川隆[-5744] koaQ7Jey 2021年4月14日 09:49:48 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[4]
2020-08-26
真空管WE300Bシングルアンプ
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2020/08/26/213820

自作してから30年程経ちますが、真空管を含め無故障です。
western electricに今頃になって感心しています。長寿命です。
このアンプには長く前からタンノイのHPD315A(DEVON)が接続され、良好です。

WE300Bを囲む円筒状の網は、真鍮ワイヤーを茶筒に巻き付け加工した自作品である。

91MDKと付けたマークはWE91Bアンプが由来でMDKはモドキという意味である。
最初、初段は5極管であったが12AX7,12AU7と試行錯誤の結果、12AU7に落ち着いた。
整流管はダンパー役で5RK16、実際にはダイオード整流で500μFのコンデンサーが付いているが、高電圧の突入電流を防止するためタイマーでコントロールされている。
さらにWE300Bを保護するためにダンパー管を実装してある。
なお、このアンプの入力端子には、western electric製のインプットトランス(600:7000)が接続され、marantz CD34 CDプレーヤが音源となります。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2020/08/26/213820

2021-01-08
300Bシングルアンプは、単純だが難しい
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/08/135525

中国製の300Bアンプのレビューの書き込みである。
失礼ながら、「こんな事にならない様に、ひと言、申し上げたい。

まず、以下はそのレビュー内容。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
上位レビュー、対象国: 日本
5つ星のうち5.0Amazonで購入
安いので腕自慢は購入を。2019年4月4日に日本でレビュー済み
先ずは、音質はとてもよいです。
3カ月使用後、ハムバランサー用の100V47uFコンデンサーが液漏れ白煙を上げる。
故障したのは300B真空管の絶縁不良で、当該コンデンサーに400Vが印加された模様。
この際、ハムバランサの1kΩ30wの抵抗の異常発熱で半田が溶融し当該抵抗器が落下。
これらの部品は故障時の耐性がなく、真空管故障で芋づる式に故障するなど
安全性に問題ある。またハムバランサ前段は通常ボリュームでヒーター端子からパラ取りするのだが33オーム固定抵抗2本でパラ取りしているのでハムバランス調整ができない。尚この33Ωの抵抗も焦げていた。
使用する真空管によっては、ハム音が耳障りになる。
VUメーターはスピーカー出力をそのままブリッジ回路でDCにしてメーターへ繋いでいるので、ダイオードの順方向電圧を超えられず視聴音量ではピクリとも動かない。
上述の件は不良というわけではなく、そういう設計なので安価で購入できる訳だから、問題は自分で改良するしかない。
高額な真空管に差し替える前に、新品のアンプではあるが、以下の改良を施す。
第一に、
真空管が故障してもダメージが広がらないように、
47uF100Vコンデンサー→同容量 400V品に交換
1kΩ30w抵抗→同抵抗値100w品に交換
33Ω抵抗→100Ω5wボリュームに変更
第二に、
VUメーターを使えるように対数アンプ追加
対数アンプ用電源追加
対数アンプの入力はRCAセレクタの後段から配線
対数アンプの出力をVUメーターへ直結、VUメーターの周囲部品とりはずし。
第三に
カップリングコンデンサーはビタミンQオイルコンデンサーに交換耐圧は600V。
ハム対策で300bのヒーター電源の平滑コンデンサーに10000追加
占めて3000円なり。
第四に、
真空管はプリ管 JJ ECC803
ドライバー管 GOLDLION 6V6
パワー管 GOLDLIOON 300B
整流管 SVTLANA 5C3S
としたので、安全性、音質は文句ない状態となった。
追伸。。。b電源がコンセント抜いて3日経っても300V位あるので改良時とても危険。
取り敢えず100kΩのディスチャージ抵抗を追加したが、音質に影響してそうなので近々1MΩ品に交換予定。
電源投入直後は整流管の動作不安定に伴い残留電圧が積算された電圧になることがある。電源オンオフを短時間に繰り返すとb電源が800Vを超えるのを目撃した。ディスチャージ抵抗が必須なことと、頻繁な電源オンオフはアンプ全体にダメージを与える。
ディスチャージ抵抗を追加することで5分待てばオンできるようになった。

【私の意見】

300Bが手っ取り早く自作出来る時代になり、昔とは違い初心者でも、いきなり手をかける。

300Bシングルアンプは単純な回路でも作動するし、単純であるからゆえ内部の配線を整然ときれいに配線し、見えない内部をご披露なさる輩もいる。

アンプを何十台と作ってきたが、300Bシングルアンプが、一番難題であった。

上記のレビューのアンプは、真空管を守る安全対策に、配慮が欠けている。

直熱管である300Bは信号回路より、電源回路の設計が極めて難しく、一つでも起こりうる現象を見落とせば、「これが原因だ!」との感違いをしてしまい、別な原因対策をしてしまう。

まあ、アンプ造りはそうした失敗の積み重ねである。
具体例は次の機会にする事に。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/08/135525


2021-01-08
300Bシングルアンプの難しさ、その1
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/08/201008


まず一番難しいのが、300Bのフィラメント電圧の管理である。
電力会社の供給電圧は100V±7Vに規定されているらしい。(不確か)
実際、105V位が、一般的である。
高いほうが電力会社は電力量が増え、増収につながる。
これは、ソーラーシステムが普及して、末端電圧がコントロール出来ないからであろう。
この状態で300Bを作動させ続けると、まず短期間でまずフィラメントが切断する。
いわゆる、昔の電球のたま切れである。

WE300Bを使用していた大昔の先輩諸氏は、当時電力会社の供給電圧が97V位の頃でも、300Bのフィラメント電圧は規定の5Vの5%ダウンに減圧していた。

WE300Bのフィラメントは、最近のアンプの画像にある様な、ピカと光ってはいない。

細い赤色の線である。

注意しなければ、フィラメントの光は見えないのである。

最近の中国製の300Bは少し輝き過ぎる。

これは、フィラメントが断線するのが速いと言う事だ。

ピーンと張られたフィラメントは断線すると、前回のブログのレビュー記事のように真空管不良によるショートと解釈されやすいが、本当はフィラメントが切れて、他の電極に接触して、思わぬ事故に発展するのである。
現在、フィラメントの電圧管理のしっかりしたアンプは少ないようである。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/08/201008


2021-01-12
300Bシングルアンプの難しさ、その2
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/12/115519

WE274A(B)という有名な整流管があるが、WE300Bとほぼ同じフィラメントの加熱速度を有しているが、他のメーカー製品では整流管と出力管が作動開始が同期しない。
その他半導体によるB電源供給、フィラメント用定電圧スイッチング電源もある。
これらはもっと直熱型真空管とは、かけ離れた性質を有する。

確かに製作したばかりの段階では、上手く行ったと思えるのだが、1年も経たないうちに問題にでくわすであろう。
結論として、B電源に関しては電源ONで20秒程遅れて電圧供給、電源OFFで即刻ゼロが好ましい。この時平滑コンデンサーも適正抵抗で短絡する。
そしてその時点から、即電源ONでも20秒遅れで電圧供給をしなければならないと言う事である。
もし、こうした回路を考え出す位なら、WE274Aを使った方が手っ取り早い。という方はそうなされた方が、「さすがはWE274Aは音が良い。」という事とは別次元で正解である。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/12/115519


2021-01-19
300Bシングルアンプの難しさ、その3
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/19/092407


300Bアンプで一番不良率の高い部品は、多分真空管300Bそのものであろう。
老衰で亡くなる300Bは少ないと思われる。
設計の不十分な300Bアンプは、やはり一番弱い真空管そのものが背負う事になる。

言ってみれば、300Bのフィラメントはアンプのフューズのような役目を果たしてしまっている。
前述のブログのレビュー筆者が、300Bのバイアス抵抗を100W型にした、とあるが、それではこの880Ω〜1000Ωが断線する前に300Bはもちろん、出力トランスの一次側が断線する。
最近、大昔のLUXやタンゴの出力トランスが高値で取引されているが、たぶん多くが断線または断線しかかっているはずである。
トランスは新品でも良い音が出ないが、古過ぎれば充填剤がピッチ(コールタール)であるから、少し加熱すれば断線しやすくなる。

話が横道にそれた。もとに戻すとする。
300Bシングルアンプで、故障や不良が出るとすれば、これ以外には初段の増幅回路の真空管固有のノイズ以外にはない。
たまに、カップリングコンデンサのショートなどがあるが、その時は300Bはすでにオシャカであるはずである。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/19/092407


2021-01-28
300Bシングルアンプの難しさ、その4
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/28/133347

アンプを作ると、すぐに周波数特性などを測定する方がいらっしゃいます。

実は、周波数特性と聴感特性は違うのです。
勿論、聴覚神経は人それぞれですから、すべての人々に共通な特性は周波数特性の測定結果と言う事が出来ますが、測定結果の良いアンプがすべての人に受け入れられるかと言うと、そうではありません。
これはアンプづくりをする皆さんが、経験済みです。
しかし、やはり周波数特性に重点をおき部品を選択します。
私の経験では、入力トランスはあまりコアボリュームの大きいものは音が良くありません。
出力トランスも教科書では低域を伸ばすには、大きい程良いとされています。

タムラのF2007が、まだ1個18000円だった頃、ウエスタンサウンドINCのWE91Bアンプのレプリカ出力トランスは2個で68000円しました。

私は初期の物を入手して、F2007から乗せ換えをしました。
タムラのトランスはNHKトーンと言いますか、低域中高域と伸びが良いですが、音を大きくするとやたら低域の量感が強くなり、アンプのチューニングに困ったのを覚えています。

一方、ウエスタンサウンドINCのトランスはタムラよりはるかに小さく、軽いのですが、音量を上げると自然に低域のエネルギーが落ち、音量を下げても低域はもちろん全帯域の音が痩せることなく、しっかり出ます。

これはMCカートリッジのインプットトランスでも同じ事が言えるそうです。
いかがですか。
そうした経験のある方は多いと思います。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/01/28/133347


2021-02-03
300Bシングルアンプの難しさ、その5
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/02/03/174329

次に気がついたのは、電源のフィルター回路です。
現代の300Bシングルアンプの電源回路は、殆ど大昔の原器からかけ離れています。
測定器を使って残留ノイズをmV単位で測る時代ではなく、ましてやスピーカーに耳をあてウ〜ンという音が気になる距離で聴いてもいない時代です。
そんな時代では、電源のフィルター回路はそんなに神経質に考える必要もありませんでした。スピーカーは大口径で聴感上十分な低音域とは言え、現代のスピーカーの帯域とは比較にならず、能率も良かったのです。
ましてや、300BのフィラメントはAC点火の時代です。
まあ、現代のスピーカーで300Bシングルアンプを使うには、WE91Bアンプの回路にこだわっていては実用性がありません。

ご存知の通り整流管は、直熱管は勿論、傍熱管にもコンデンサーインプットの場合、容量の最高値が決まっています。

これを無視すれば、整流管の寿命は極端に落ちます。

直熱管はだいたい10μF以下(WE91Bは20μF)、傍熱管でも50μF位です。

こうした条件で良質な電源を確保するには、フィラメントのDC点火を含め、半導体整流がどちらかと言うと良いと思います。

もちろん、真空管整流でも出来ない事はありませんが、整流管の寿命は極めて短くなります。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/02/03/174329


2021-02-12
300Bシングルアンプの難しさ、その6
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/02/12/093326

f:id:we300ba:20210207085341j:image

上記はウエスタンエレクトリックのWE91Bアンプの回路図です。
電源フィルターにある電解コンデンサーにパラに入っている100KΩは、前述のブログのレビュー文にある、ディスチャージ用ではなく、単なる耐圧不足の電解コンデンサーのシリーズ接続の印加電圧均衡用です。
現代300Bシングルアンプに必須のチョークトランスがないのは、永久磁石を使わない、電磁マグネット方式、つまりスピーカーのフィールドコイルです。

ざっと見ますと、電源フィルター回路は極めてお粗末で、現代の広帯域スピーカーで至近距離で視聴するには問題がありそうです。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/02/12/093326


2021-02-13
300Bシングルアンプの難しさ、その7
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/02/13/101356

私の現在使用中のWE300Bシングルアンプの電源回路です。

f:id:we300ba:20210213094148j:image

記憶に基づき手書きで画像にしました。
PTのAC電圧が350V X2ですから、DCピーク電圧はおよそ最大490Vとなります。

しかし、タイマーリレーRLスイッチにより電源オンから20秒間は15KΩを通してコンデンサーに緩やかにチャージされます。

そして、それまでの間に、まず300Bのフィラメントが、つぎに5RK16のヒーターが加熱完了しています。
500V500μFが490Vに達する前に5RK16から適正電圧が供給され始めます。
一旦、電源スイッチをオフにして、すぐにオンにしても、遅延リレーによりまた20秒遅れてB電圧が出力されます。

電源フィルターは500μFでかなり平滑化されていますが、5RK16の内部抵抗を通してWE300BにB電圧がかかりますので、膨大な蓄電量がいっきに流れる事はありません。

しかも、この5RK16にはACがかかっていませんから、この真空管も30年前から、交換した事はありません。
普通、箱型オイルコンデンサーはAC整流のすぐ後に接続される事が多いですが、出力トランスの直前に配置した方が音質が良く、そうしてあります。
ダイオードに対しては、2μFのフィルムコンデンサーが付けてあります。
説明不足の面もあるかも知れませんが、かなり長期間のトライアンドエラーで組上げてきました。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/02/13/101356


2021-03-14
300Bシングルアンプの難しさ、その8
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/03/14/215212

300Bシリーズも、これが最後です。
残る最後は特に問題のない信号回路です。
私の作ったWE300Bシングルアンプは、いくつもの製作段階があり、初期はタムラの段間トランス、出力トランス、パワートランスでかためた壮大なものでしたが、アンプの細かいチューニングをするには、余りにも重たく、その割には性能が良くありませんでした。
技術レベルが低かったのかも知れません。
初段真空管も、最初は5極管の6267で次に12AX7のパラ接続、そして最後に12AU7のパラ接続でした。

音質は12AX7のパラが好みでしたが、増幅率の高い初段管は300Bとの歪み打消しに対して、バイアス抵抗つまりカソード抵抗値の許容変動幅が少なく、難しい一面がありました。
12AU7のパラに決めてからも、トランス結合にしたりして、これ以上はあるまい、と思うレベルへの挑戦でしたが、結局現在のアンプに落ち着きました。
これが、30年程前の話です。
スピーカーがタンノイですから、QUADの405アンプの音と比較しながらの試行錯誤でした。(音質を似せるという事ではないです)

CDプレーヤーも幾つも買い集めましたが、今ではマランツのCD34とphilipsのLHH500だけしか残っていません。

耳は一人分ですから、よくよく考えると、アンプやスピーカー等の機材の数を増やしても意味がないのですが、それでも比較して聴き比べるのは楽しいものです。

話をアンプの回路に戻します。
真空管アンプでは、一番音質の良い抵抗器は私個人的には、カーボンソリッド抵抗だと思います。

殆どをソリッドにして、一部ホーローとかセメント、あるいは金属被膜抵抗器にしました。

音質に影響の出る初段のカソードパスコンは銀タンタルコンデンサー、カップリングコンデンサーはオイルコンデンサーが一番良かったと思います。

また、電解コンデンサーにはすべて1/100位のオイルコンデンサーをパラに付けてあります。

そんな訳で、製作したアンプの内部は整然とした配線は無理でした。

時々、ネットの画像で部品数が少なく、整然と美しく配線されたアンプの内部をお見受けいたしますが、よほど大きな筐体にしない限り、私には受け入れ難い目標です。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/03/14/215212
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/107.html#c35

[近代史4] 東電福島第一原発汚染水の太平洋への放出の影響
東電福島第一原発汚染水の太平洋への放出の影響

2021.04.14
WHOは医療利権だけでなく原子力利権の影響下にもある
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104140000/


 東電福島第一原発で増え続けている汚染水を太平洋へ放出することを菅義偉内閣は4月13日に閣議決定したという。放射性物質で汚染された水のうち回収された分は保管されているが、2022年秋には限界に達する。そこで、汚染水からトリチウム(水素の放射性度言う元素)以外の「ほとんどの放射性物質」を除去したうえで薄め、環境中へ放出するわけだ。言うまでもなく、薄めても放出される放射性物質の総量に変化はない。

 水俣病など公害が問題になった時も「薄める」という儀式を行った上で環境中へ放出していた。排水溝の近くの海から水をくみ上げ、廃液とまぜて濃度を下げるという子ども騙しのようなことが行われていたのである。

 汚染水が放出されるのは30年間とされているが、それは2051年までに廃炉できるという前提での話。イギリスのタイムズ紙は​福島第一原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定​したが、数百年はかかるだろうと考える人が少なくない。数百年間は放射性物質を含む水を太平洋へ流し続けるということだ。

 廃炉を困難にしている最大の理由はデブリ(溶融した炉心を含む塊)の存在。炉心が溶融してデブリが格納容器の床に落下、コンクリートを溶かし、さらに下のコンクリート床面へ落ちたと見えられている。実際にデブリがどうなっているのかは明確でないが、その一部が地中へ潜り込み、地下水で冷却されている可能性もあり、そうなると流れてくる地下水を汚染し続けることになる。

 福島第一原発の周辺は水の豊かな場所。その地下水によってデブリは冷却されているのだろうが、それによって大量の汚染水を作り出すことになり、捕捉されていないルートを通って海へ流れ出ていることも考えられる。

 事故当時、風向きの影響で、放射性物質の多くは太平洋側へ流れたと見えられている。それで東京ではまだ人が住めるのだが、その分、太平洋は汚染された。

 事故からしばらくすると、​ベーリング海やチュクチ海で生息するアザラシの間で奇病が発生​していると伝えられた。無気力で新しい毛が生えず、皮膚病も見つかったという。

 この件について、アラスカ大学の研究者がひとつの仮説をたてた。福島第一原発から大気中に放出された放射性物質は5日以内にベーリング海やチュクチ海に到達、海氷の上に蓄積されて東へ移動、その間、氷の上で生活するアザラシなどが外部被曝や呼吸を通じて内部被曝した可能性があるというのだ。出産なども氷の上で行うので、その時にも被曝する。放射性物質が食物連鎖の中に入るのは氷が溶けた後ということだ。

 そのほか、​カナダではニシンのひれ、腹部、あご、眼球などから出血が報告され、サケへも影響が出ている疑い​があり、​ヤマトシジミに遺伝的な異常​が出たとする調査結果もある。​アメリカの西海岸ではヒトデに異常​が報告されている。また、昨年末には​ユタ州でハクトウワシが原因不明の奇病で数週間に20羽が死亡​しているようだ。

 勿論、日本列島で被害がなかったとは言えない。福島第一原発から放出された放射性物質の総量はチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表されているが、その算出方法に問題がある。

 計算の前提では、圧力抑制室(トーラス)の水で99%の放射性物質が除去されることになっているが、この事故では水が沸騰していたはずなので、放射性物質の除去は無理。トーラスへの爆発的な噴出で除去できないとする指摘もある。そもそも格納容器も破壊されていた。

 原発の元技術者、アーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)が、10倍程度だと考えても非常識とは言えない。

 放出された放射性物質が住民の上に降り注いでいたことを示す証言もある。例えば医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:

 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」

 12日の午後2時半頃にベント(排気)した、つまり炉心内の放射性物質を環境中へ放出したとされているが、双葉町ではベント前に放射線量が上昇していたと伝えられている。そして午後3時36分に爆発。

 建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片について​NRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長​は2011年7月28日に開かれた会合で、発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測できるとしている。マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出した。

 また、​事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆​によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。

 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動と同じように、福島第一原発の事故でも事実は明らかにされてこなかった。政府、企業、あるいはマスコミだけでなく、検察や裁判所、そしてWHO(世界保健機関)も共犯関係にあると言えるだろう。

 COVID-19の件でWHOがワクチン利権の影響下にあることが明白になったが、福島第一原発の件ではIAEA(国際原子力機関)との関係が指摘された。​1959年にWHOとIAEAが調印した合意文書​の第1条第3項の規定により、一方の機関が重大な関心を持っている、あるいは持つことが予想されるテーマに関するプログラムや活動の開始を考えている場合、プログラムや活動を考えている機関はもうひとつの機関に対し、問題を調整するために相談しなければならないとされている。IAEAの許可がなければ、WHOは放射線の健康被害に関して発表することはできないということだ。

 COVID-19騒動にしろ、福島第一原発の事故にしろ、問題は構造的である。その構造に目を向け、調べる人びとに有力メディアや「権威」は「謀略論」というタグをつけ、切り捨てようとする。構造的な問題に触れたくない人びとは、このタグを喜んで受け入れる。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202104140000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1630.html

[近代史5] 東電福島第一原発汚染水の太平洋への放出の影響
東電福島第一原発汚染水の太平洋への放出の影響
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1630.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/585.html
[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
53. 中川隆[-5743] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:06:34 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[7]
2021-03-24
TANNOYスピーカーについて、その1
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/03/24/092949

TANNOYスピーカーとの付合いは長く、50年近くになります。

TANNOYのスピーカーユニットは、日本の気候には適応力がなく、大昔の物である事から程度の良い物はかなり少なくなって来ていると思います。

TANNOYのスピーカーユニットは、ご承知の通りデュアルコンセントリックと言う同軸構造で、ウーハーの中心からツイーターの音が出るホーン構造が特徴です。
このホーンーの金属部分が錆びやすく、程度が悪化すると使用に適さなくなります。

ちなみに、通常では画像にしない、私のユニットで何とかスマホで撮ったのがこれです。
f:id:we300ba:20210324091616j:image
ウーハーのダストカバー越しで、薄くて見にくいですが、中心にたくさん穴の空いている部分が、ツイーターのイコライザーです。
現在の製品で極めて高価になったアルニコマグネット使用のユニットは、錆に対して改善されているようですが、20世紀で一番量産されたHPDシリーズでは、性能が優秀であるにも関わらず、程度の良い物が少ないのは残念な事です。
いきなり、あまり一般的でない内容から、TANNOYの話を進めていきます。

次回からは、HPDユニットのメンテナンスを紹介したいと思います。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/03/24/092949

2021-03-27
TANNOYスピーカーについて、その2
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/03/27/201012

話が前後しましたが、TANNOYスピーカーのメンテナンスと言えば、まずエッジの交換があげられます。

何をするにも、まずウーハーのコーン紙をフレームから外す事になり、その時ウレタンエッジは破れてしまいます。
時々、ウーハーのセンターキャップまで破り外しする方がいらっしゃいますが、これはまったく必要ありません。

HPDタンノイの場合、ウーハーコーンを外すには、本体の背中を向け、まずボイスコイル引出し線をハンダコテで端子から外す事になります。

次に、12個のエッジ押さえ金属板(昔から矢紙と言われている)を止めているマイナスネジすべてを外します。

そしてボイスコイルを支えている、ダンパーを押えているリング状の金具のボルトを全部外すと、コーンは難なく単体になります。

これがHPDタンノイの最大の特徴で、現代の高級TANNOYのユニットにもない利点です。
こうして外されたコーン紙は、まずエッジの張換えをする事になります。
エッジ交換にも、いくつかのパターンがあり、それは次回にいたします。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/03/27/201012

2021-03-29
TANNOYスピーカーについて、その3
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/03/29/115509

TANNOYのHPDが総分解、再組立が出来る事は、多くの人がご存知です。
HPD愛好家は、たいてい1組どころか2〜3組スペアにお持ちであると思います。

従って、エッジ交換はネットを検索するとたくさん出てきます。

しかし、純正のエッジだけの販売は日本代理店のTEACでも扱っていません。

昔ならば、純正コーンアッセンブリーで1個21500円で販売されていた記憶があります。

現在はファンテックとか言うエッジ専門店で代用品が売られています。

発泡ウレタン製のエッジの寿命は20年が限界です。(但しHPDでもHPD295Aだけはゴム製エッジで状態の良い物がたくさんありますが、エッジ以外の部分でやはり劣化がありますので、メンテナンスは欠かせません。)

ですから、HPD愛好家はたぶんいろいろと工夫されているのでしょう。

実は私もその一人です。

私のHPDは、20年程(正確には26年)前に思い切って自然素材の牛革にしました。


f:id:we300ba:20210329114616j:image

これが完成した画像です。

素材は念のために、2台分作りました。


f:id:we300ba:20210329114828j:image

これが、薄い牛革で裁断したものです。

ちなみにユニットの裏側からの画像がこんな感じです。


f:id:we300ba:20210329115048j:image

このエッジは、もうゆうに25年以上経過していますが、変質どころかうまく馴染みベストコンディションです。

次回は、その作り方を紹介いたします。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/03/29/115509


2021-04-03
TANNOYスピーカーについて、その4
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/04/03/082138

今回からHPDの実際のメンテナンスの紹介をしたいと思います。

準備するものは次の物ですが、まず言える事は決して急いで作業をしない。

2〜3日位では無理で、1ヶ月はかけたいところです。

100円ショップなどで売られている直径30Cm程の回転台、コンパス、ボール紙、切れ味鋭いハサミ、マイナスドライバー、インチネジスパナ(ダンパー外し用)、透明ゴム系接着剤、サンドペーパー、シルバー色塗料ミニ缶、1Cm幅刷毛、そして素材となる牛革のシート等です。素材は、今はどうか知りませんが、昔、秋葉原のホコ天大通りに革布専門店があり、そこで入手しました。

作業は大きく分けて、

1)エッジの型紙の作成、素材の裁断

2)コーンへのエッジの接合(少し難しい)

3)ホーンの錆取り

4)完全に接着完了したコーンアッセンブリーの、本体への取付

5)コーンの芯出し(これがかなり難しい)

6)最終組立

の順になります。

次回から、上記の項目別に説明いたします。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/04/03/082138

2021-04-04
TANNOY スピーカーについて、その5
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/04/04/144255

1)エッジの型紙の作成、素材の裁断

まずスピーカー直径分の大きさのボール紙を用意して、コンパスで矢印間の直径円を描きます。

f:id:we300ba:20210405124001j:image

次に同心で下図の矢印間の内径を引きます。

f:id:we300ba:20210405124031j:image
f:id:we300ba:20210405124227j:image

ここでエッジへの接着剤糊面を5mmに設定します。c の寸法はエッジをどの位たるませるか、で決まりますが、あまりたるませると安定性が悪くなります。

私の場合はB 寸法を約3.8Cmに設定しました。HPD315Aの場合は、ドーナツ円外径は30.5○、内径は23.0○、その差7.5、その1/2は3.75CmがおのずとB寸法になります。

上記のコーン寸法からドーナツ状の描き画を、正確に90°に4等分します。

さらに取付状態の補正として、90°線に対して外径Cの円弧上で下図の様に4mm(HPD315Aの場合)だけ直線状に増寸します。

これは、トライアンドエラーで発案した重要な事です。

f:id:we300ba:20210405133320j:image

上記の黄緑色の部分が、4枚のエッジの1枚分の型紙です。

この型紙になぞって牛革にボールペン等で書込み、さらに裁断したものが、その3のページにアップしてあります。

こうして4枚分の分割エッジが出来上り、4枚の突合せ端面は組上がった時にわずかずつ重なりあい、エアー漏れは生じません。

牛革は厚さにムラがありますから、出来るだけ薄くて大きな素材が必要となります。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/04/04/144255


2021-04-08
TANNOYスピーカーについて、その6
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/04/08/110602


2)コーンへのエッジの接合

コーンにエッジを接合するには、回転させながらやるのが効率的です。
特に接着剤を塗布するには、スピードと正確さが必要です。
その前に、コーンに付着した古い従来のエッジはカッターの刃の割った部分などで十分掻き落とします。

コーンの外周径でくり抜いたボール紙を90度ずつ4等分にして、それをコーン裏側外周に当てて90度ごとに鉛筆で線を引いておき、90度ごとに4枚のエッジが正確に貼り付くように下準備をしておきます。

これが正確でないと、一枚ずつ貼っていき最後にきちっと揃わずオシャカです。

やり直しは、たぶん結果を最悪な状態にします。

接着剤に速乾性がありますから、きれいに仕上げるにはそれなりのスキルが必要です。

こうして貼りつけたエッジは、接着面の全周を指先で圧着して完成です。

貼り付けしろは、市販のウレタンエッジと異なり、5mm程です。

その後、しばらく乾燥させて完成です。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/04/08/110602


2021-04-10
TANNOYスピーカーについて、その7
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/04/10/171013


3)ホーンの錆取り

コーンアッセンブリーが完成したところで、ツイーターホーンの点検をします。

HPDは45年程前の製品ですから、鉄材のホーンが錆一つ無いというのは、稀です。

白サビ程度ならば簡単に補修が出来ますが、錆色に錆びた状態は、面積によっては相当苦労します。

錆は結露によって発生します。

冬寒い部屋に急に暖房を入れますと、ダストカバーを通して鉄材ホーンの表面に細かい結露が生じます。
イギリス本土では湿気も日本程ではなく、部屋も広いのか、薄いメッキでも大丈夫なのでしょう。HPDは日本製のユニット類よりはるかに、お粗末なメッキです。
中古品で入手されますと、すでに補修済が多く、この項目はスキップしましょう。

白サビ程度なら、サンドペーパーで軽く擦りきれいに布で拭き取るだけで十分です。

その後から、油性のシルバーカラーの塗料を薄めて軽く塗布します。

あまり濃い塗料を厚く塗ると逆効果で、剥離しますから要注意です。
白サビ、赤錆共に、ペーパーがけの際はボイスコイルのギャップにセロテープ等を貼り、ゴミが入らない様に注意しましょう。

その他、程度の悪化した物はツイーターのダイアフラムまで及ぶ事がありますが、ここから先の分解はあまりお薦め出来ませんので、今回はここで終わりとします。
https://we300ba.hateblo.jp/entry/2021/04/10/171013



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c53

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 同軸型ユニットの選択
audio identity (designing) 宮ア勝己 同軸型ユニットの選択


Date: 12月 2nd, 2009
同軸型ユニットの選択(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=1017


JBLの4343について、これまで書いてきた。ワイドレンジについては、いまも書いている。
これらを書きながら考えていたのは、放射パターンを考慮したときの同軸型ユニットの優位性について、であり、
同軸型ユニットを中核としたスピーカーシステムの構想について、である。

アルテックの604シリーズ、タンノイのデュアルコンセントリック・シリーズ──、
両社の伝統的ユニットを使い、最低域と最高域を、ぞれぞれ別のユニットで補う。

すでに、実際の製品として、アルテックには6041があり、タンノイにはキングダム・シリーズがある。
にもかかわらず、自分で確認したいこと、試してみたいことが、いまもくすぶっている。
そのくすぶりが、書くことで次の段階へとうつろうとしている。

今日、604-8Gが届いた。
http://audiosharing.com/blog/?p=1017


同軸型ユニットの選択(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=1025

同軸型ユニットを中心としたワイドレンジのスピーカーシステム構築を考えれば、
タンノイとアルテックの同軸型ユニットを、私と同世代、上の世代の方は、最初に思い浮かべるだろう。

タンノイにするかアルテックにするか……。
別に迷ってはいなかった。最初に手にしたほうを使おう、そういうつもりでいたからだ。

主体性のない、やや受け身のスピーカー選びだが、それでも、モノとの巡り合いがあるだろうから、
ひとつくらい、こんなふうにスピーカーを選ぶのもいいかもしれない。

タンノイには、五味先生の本でオーディオと出合っただけに、その想いは簡単には語れない。
アルテックは、ここに書いたことをきいて知っていただけに、
一度は、自分の手で鳴らしてみたいと、ここ数年想い続けてきた。

タンノイとアルテック、ふたつとも手に入れてシステムを組むというのは、いまは無理だ。
だから、最初に私のところに来てくれたほうを使おうと決めた。そしてアルテックが到着した。
http://audiosharing.com/blog/?p=1025


同軸型ユニットの選択(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=1026


604-8Gに関して、こんな記事が出ていたことがある。
管球王国 Vol.25において、604シリーズ6機種の試聴記事が載っている。

そこで、篠田寛一氏が、604-8Gに604EのネットワークN1500Aを使うと、
「604Eに限りなく近い音で鳴る」と発言されている。
これを受けて、杉井真人氏(どういう方なのかは知らない)が、
「8Gのネットワークを解析するとわかるのですが、かなりイコライジングしているんです。
音質補正回路みたいなものが入っていて、
ある帯域にピークやディップを持たせたりして独特の音作りをしています」と補足されている。

604-8Gのネットワークには型番はない。
クロスオーバー周波数は1.5kHzで、ウーファーのハイカットは12dB/oct.、
トゥイーターのローカットは18dB/oct. となっていて、レベルコントロールは連続可変で、ツマミはひとつ。

この専用ネットワークは、ほんとうに杉井氏の指摘のとおり、
回路構成によって独特の音作りを行っているのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=1026


同軸型ユニットの選択(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=1027


手もとに604-8Gがあるから、ネットワークの内部を見ることができる。
シャーシー内部には、鉄芯入りのコイルが2個、コンデンサーが3個、
あとはレベルコントロール用の巻線型のアッテネーターだけである。

12dB/oct.のハイカットフィルターには、コイルとコンデンサーがひとつずつ、
18dB/oct.のローカットには、コイルはひとつ、コンデンサーはふたついる。
ハイカット、ローカットあわせて2個のコイルと3個のコンデンサーは、最低でも必要である。

インピーダンス補正や周波数特性をいじるのであれば、さらにコンデンサーやコイルが必要になる。
604-8Gの専用ネットワークには、必要最小限の部品しか収められていない。
インピーダンス補正も周波数のイコライジングを行なう部品は、何ひとつない。

アルテックのサイトから、604-8Gのネットワークの回路図がダウンロードできる。
見れば一目瞭然である。どこにも杉井氏が指摘されるようなところは、ない

杉井氏の「解析」とはどういうことなのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=1027


同軸型ユニットの選択(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=1028

おそらく杉井氏は、604-8Gと604-8Hのネットワークを混同されていたのだろう。
勘違いの発言だったのだろう。

604-8Hはマンタレーホーンを採用している関係上、ある帯域での周波数補正が必要となる。
それに2ウェイにも関わらず、3ウェイ同様に中域のレベルコントロールも可能としたネットワークであるため、
構成は複雑になり、使用部品も増えている。

だから、杉井氏の発言は、604-8Hのネットワークのことだろう。
勘違いを批判したいわけではない。

この記事の問題は、その勘違いに誰も気がつかず、活字となって、事実であるかのように語られていることである。

この試聴記事に参加されている篠田氏は、エレクトリでアルテックの担当だった人だ。
アルテックについて、詳しいひとのはずだ。
604-8Gと604-8Hのネットワークについて、何も知らないというのはないはずだ。

本来なら、篠田氏は、杉井氏の勘違いを指摘する立場にあるべきだろうに、
むしろ「アルテックのあがき≠ンたいなものがこの音に出ている」と、肯定ぎみの発言をされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1028


同軸型ユニットの選択(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=1033


604Eのネットワーク、N1500Aは、クロスオーバー周波数は1.5kHzで、
減衰特性はウーファーは6dB/oct.、トゥイーターは12dB/oct.。
604-8Gのネットワークとはスペックの上では減衰特性が異るわけだが、
もっとも大きな違いはスペックに、ではなく、回路構成にある。

いま市販されている大半のスピーカーのネットワークは、並列型であろう。
604-8Gのネットワークも並列型である。

パワーアンプから見た場合、ウーファーとトゥイーターに、それぞれネットワークの回路がはいったうえで、
並列接続されたかっこうになっている。だからこそ、バイワイアリングという接続方法も可能になる。

直列型は、文字通り、ユニットを直列接続した回路構成となっており、
ウーファーのマイナス端子とトゥイーターのプラス端子が接続される。
12dB/oct.の場合は、並列型と同じようにトゥイーターの極性を反転させることもある。

604Eと直列型のネットワークN1500Aの組合せもその例にもれず、
ウーファーとトゥイーターのマイナス端子同士が接続される。
一見、トゥイーターの極性を反転しているかのように思えるが、
N1500Aの入力端子のプラス側は、トゥイーターのプラス側に接がっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1033


同軸型ユニットの選択(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=1034

つまり、604Eは、N1500Aを接いで鳴らすと、ウーファーは逆相接続になる。
プラスの信号が入力されると、コーン紙は前にではなく、後に動く。

もちろんウーファーを正相接続にして、トゥイーターの極性を反転させるという手もあるだろうし、
ウーファーもトゥイーターも正相接続もあるなかで、
アルテックは、ウーファーを逆相にするという手を選択している。

それに直列型のネットワークを採用する例では、ウーファーのプラス端子が、
そのまま入力端子のプラスとなることが多いはずだが、
この点でも、604EとN1500Aの組合せは異る。

スピーカーユニットを逆相にすると、音の表情は大きく変化する。
フルレンジユニットで試してみると、よくわかる。

これらのことをふまえてN1500Aの回路図を見ていると、アルテックの音づくりの一端がうかがえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=1034


同軸型ユニットの選択(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=1040


604EとN1500Aの組合せにおける、こまかな工夫にくらべると、
604-8Gと、そのネットワークの組合せは、ウーファーもトゥイーターも正相接続で、
スピーカーの教科書に載っているそのままで、おもしろみといった要素はない。

それだけN1500Aと604-8G用ネットワークの仕様は違うわけだ。
だから管球王国 Vol.25にあるように、604-8GにN1500Aを組み合わせれば、
純正の組合せの音は、同じアルテックの604というスピーカーの中での範疇ではあるものの、
かなり傾向は異ってきて当然であろう。

優れたユニットであればあるほど、活かすも殺すもネットワーク次第のところがある。
604-8Gでシステムを構築するにあたって、ネットワークをどうするか。

604-8Gについているネットワークをそのまま使うつもりはない。
ひとつのリファレンスとして、純正ネットワークの音はいつでも聴けるようにはしておくが、
ネットワークに関しては、新たに作る予定でいる。

N1500Aと同じ回路のものを試しにつくってもいいが、私が参考にするのは UREIの813である。
http://audiosharing.com/blog/?p=1040


Date: 12月 16th, 2009
同軸型ユニットの選択(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=1041

ゆくゆくは604-8Gをマルチアンプ駆動で、チャンネルデバイダーはデジタル信号処理のものにして、
時間軸の整合をとった同軸型ユニットの音を鳴らしてみたい、とは思っている。

それでも最初はネットワークで、どこまでやれるかに挑んでみたい。
ネットワークの場合、時間軸の整合はとれないと考えているひとが少ないようだ。
コイルとコンデンサーといった受動素子で構成されているネットワークで、
604-8Gの場合、ウーファーへの信号を遅らせることは不可能のように捉えられがちだが、
けっしてそんなことはない。

たとえばQUADのESL63は、同心円状に配置した8つの固定電極のそれぞれに遅延回路を通すことにより、
時間差をかけることを実現している。
KEFのレイモンド・クックも、ネットワークでの補正は、高価になってしまうが可能だといっている。

またJBLに在籍した後、マランツにうつりスピーカーの設計を担当したエド・メイは、
マルチウェイスピーカーの場合、個々のユニットの前後位置をずらして位相をあわせるよりも、
ネットワークの補正で行なった方が、より正しいという考えを述べている。
ユニットをずらした場合、バッフル板に段がつくことで無用な反射が発生したり、
音響的なエアポケットができたりするため、であるとしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1041

同軸型ユニットの選択(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=1042


レイモンド・クックもエド・メイも具体的な方法については何も語っていない。

ふたりのインタビューが載っているのは、
1977年発行のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界’78」で、
当時出版されていたいくつかの技術書を読んでも、
ネットワークでの時間軸の補正については、まったく記述されてなかった。

だから、どうやるのかは皆目検討がつかなかった。
ただそれでも、ぼんやりとではあるが、コイルを多用するであろうことは想像できた。

同時期、アルテックの604-8Gをベースに、マルチセルラホーンを独自の、水色のホーンに換え、
604-8Gのウーファーとトゥイーターの時間差を補正する特殊なネットワークを採用したUREIの813が登場した。
813についても、ステレオサウンドに詳しい技術解説はなかった。

可能だとわかっていても、そのやり方がわからない。
少し具体的なことがわかったのは、ステレオサウンドの61号のQUAD・ESL63の記事においてである。
長島先生が書かれていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=1042


同軸型ユニットの選択(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=1043

ステレオサウンド 61号の記事には、ESL63の回路図が載っている。
たしか長島先生の推測を元にしたものだったと記憶している。

8個の同心円状の固定電極に対して、直列に複数のコイルが使われている。
同心円状の固定電極は、外周にいくにしたがって、通過するコイルの数がふえていくようになっていた(はず)。

やはり、コイルの直列接続によって、時間軸の遅れをつくり出しているのはわかっても、
動作原理まではわからなかったし、どういうふうに定数を決定するのかも、とうぜんわからなかった。

ESL63やUREIの813に使われている回路技術はおそらくおなじものだろうと推測はできても、
具体的なことまで推測できるようになるには、もうすこし時間が必要だった。

ESL63の翌年にCDプレーヤーが登場する。
そしてD/Aコンバーターのあとに設けられているアナログフィルターについての技術的なことを、
少しずつではあるが、知ることとなる。

フィルターには、いくつかの種類がある。
チェビシェフ型、バターワース型、ベッセル型などである。
http://audiosharing.com/blog/?p=1043

同軸型ユニットの選択(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=1044

UREIの813のネットワークに使われているのは、ベッセル型フィルターである。
おそらくESL63のディレイ回路も、ベッセル型フィルターのはずだ。
ベッセル型フィルターの、他のフィルターにはない特徴として、
通過帯域の群遅延(Group Delay)がフラットということがあげられる。

つまりベッセル型のハイカットフィルターをウーファーのネットワークに使えば、
フィルターの次数に応じてディレイ時間を設定できる。

604シリーズのウーファーのハイカットを、ベッセル型フィルターで適切に行なえば、
トゥイーターとの時間差を補正できることになり、
これを実際の製品としてまとめ上げたのが、UREIの813や811といったスピーカーシステムと、
604E、604-8G用に用意されたホーンとネットワークである。

ホーンの型番は800H、ネットワークの型番は、604E用が824、604-8G用が828、
さらに813同様サブウーファーを追加して3ウェイで使用するためのネットワークも用意されており、
604E用が834、604-8G用が838であり、TIME ALIGN NETWORKとUREIでは呼んでいる。
http://audiosharing.com/blog/?p=1044

同軸型ユニットの選択(その13)

川崎先生は「プレゼンテーションの極意」のなかで、特徴と特長について語られている。
     *
「特徴」とは、物事を決定づけている特色ある徴のこと。
「特長」とは、その物事からこそ特別な長所となっている特徴。
     *
ベッセル型フィルターの「特徴」が、同軸型ユニットと組み合わせることで「特長」となる。
http://audiosharing.com/blog/?p=1046


同軸型ユニットの選択(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=1094

UREIの813のネットワーク(TIME ALIGN NETWORK)は、回路図から判断するに、
ウーファー部のハイカットフィルターは、6次のベッセル型である。

ベッセル型フィルターの通過帯域内の群遅延特性はフラットであると前に書いているが、
そううまくウーファーの音だけに遅延がかかって、トゥイーターからの音と時間的な整合がとれているのか、
と疑われる方もおられるだろう。
メーカーの言い分だけでは信じられない、コイルとコンデンサーだけのネットワークで、
タイムアライメントをとることが、ほんとうに可能なのか、と疑問を持たれても不思議ではない。

ステレオサウンドの46号の特集記事はモニタースピーカーだった。
その次の47号で、46号で登場したモニタースピーカーを、三菱電機郡山製作所にての測定結果が載っている。

アルテックの620A、JBLの4343、4333A、ダイヤトーンのMonitor1、キャバスのブリガンタン、
K+Hの092、OL10、ヤマハのNS1000M、そしてUREIの813の、
無響室と2π空間での周波数特性、ウーファー、バスレフポート、パッシヴラジエーターに対する近接周波数特性、
超高域周波数特性、高次高調波歪特性、混変調歪特性と混変調歪差周波掃引、
インパルスレスポンス、群遅延特性、エネルギータイムレスポンス、累積スペクトラム、
裏板振動特性、デジタル計測による混変調歪が載っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1094


同軸型ユニットの選択(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=1157

ステレオサウンド 47号の測定結果で比較したいのは、
アルテック620AとUREI・813であることはいうまでもない。

813のネットワークの効果がはっきりと出ているのは、
インパルスレスポンス、群遅延特性、エネルギータイムレスポンスにおいてである。

620Aのエネルギータイムレスポンスは、まず-40dB程度のゆるやかな山があらわれたあとに、
高く鋭く、レベルの高い山が続く。
最初の山がウーファーからのエネルギーの到達を示し、それに続く山がトゥイーターからのものである。

813はどうかというと、ゆるやかなウーファーの山の中ほどに、トゥイーターからの鋭い山が入りこんでいる。
ふたつの山の中心が、ほぼ重なり合っている形になっている。

620Aでのウーファーの山のはじまりと、813でのはじまりを比較すると、
813のほうがあきらかに遅れて放射されていることがわかる。
インパルスレスポンスの波形をみても、このことは読み取れる。

620Aでは、やはりゆるやかな低い山がまずあらわれたあとに鋭い、レベルの高い山が続く。
813では、ゆるやかな山の始まりが遅れることで、鋭い山とほぼ重なり合う。

群遅延特性も、同じアルテックの604-8Gを使用しているのに、813はかなり優秀な特性となっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1157


同軸型ユニットの選択(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=1159

ウーファーとトゥイーターの中心軸を揃えた同軸型ユニットは、
その構造ゆえの欠点も生じても、マルチウェイスピーカーの構成法としては、
ひとつの理想にちかいものを実現している。

同軸型ユニットは、単体のウーファーやトゥイーターなどにくらべ、
構造はどうしても複雑になるし、制約も生じてくる。
それでも、各スピーカーメーカーのいくつかが、いまも同軸型ユニットを、新たな技術で開発しているのをみても、
スピーカーの開発者にとって、魅力的な存在なのかもしれない。

KEFは1980年代の終りに、Uni-Qという同軸型ユニットを発表した。
それまで市場に現れた同軸型ユニットとあきらかに異り、優位と考えられる点は、
ウーファーとトゥイーターのボイスコイルの位置を揃えたことにある。

アルテックの604シリーズ、タンノイのデュアルコンセントリック・ユニットが、
トゥイーターにホーン型を採用したため、ウーファーとトゥイーターの音源の位置のズレは避けられない。

パイオニアのS-F1は、世界初の平面振動板の同軸型、しかも4ウェイと、規模も世界最大だったが、
記憶に間違いがなければ、ウーファー、ミッドバス、ミッドハイ、
トゥイーターのボイスコイルの位置は、同一線上にはなかったはずだ。

ユニットの構造として、Uni-Qは、他の同軸型ユニットを超えているし、
同軸型ユニットを、スピーカーユニットの理想の形として、さらに一歩進めたものともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=1159

Date: 2月 16th, 2010
同軸型ユニットの選択(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=1160

Uni-Qをもってして、同軸型ユニットは完成した、とはいわないが、
Uni-Qからみると、ホーン型トゥイーターのアルテックやタンノイの同軸型は、あきらかに旧型といえるだろう。

ただ、オーディオマニア的、といおうか、モノマニア的には、
アルテックやタンノイのほうに、魅力を強く感じる面があることは否定できない。
Uni-Qの優秀性は素直に認めても、個人的に応援したくなるのは、アルテックだったり、タンノイだったりする。

空想してもしかたのないことではあるが、もしJBLがUni-Qを開発していたら、
モノとしての魅力は、マニア心をくすぐるモノとして仕上っていただろう。

Uni-Qは、あたりまえのことだけど、あくまでもイギリス的に仕上りすぎている。
もっといえば、いかにもKEFらしく仕上がっている。
そこが魅力でもあるのは重々承知した上で、やはりもの足りなさも感じる。

すこし話はそれるが、アルテックとタンノイの同軸型ユニットを比較するときに、磁気回路の話がある。
タンノイはウーファーとトゥイーターでひとつのマグネットを兼用している、
アルテックはそれぞれ独立している、と。

たしかに604や605などのアルテックの同軸型ユニットにおいて、
ウーファーとトゥイーターのマグネットは独立している。
が、磁気回路が完全に独立しているかという、そうではない。

604の構造図をみればすぐにわかることだが、ウーファー磁気回路のバックプレートと、
トゥイーターのバックプレートは兼用していることに気がつくはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=1160

同軸型ユニットの選択(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=1161

アルテック、タンノイといった古典的な同軸型ユニットで、
ウーファー部の磁気回路とホーン型トゥイーター(もしくはスコーカー)の磁気回路が完全に独立しているのは、
長島先生が愛用されてきたジェンセンのG610シリーズがそうである。

完全独立、ときくと、マニアとしてはうれしいことではあるが、
ふたつ以上のマグネットが近距離にあれば干渉しあう。

干渉を防ぐには、距離を離すことが手っとり早い解決法だが、同軸型ユニットではそうもいかない。
ならばひとつのマグネットでウーファー用とトゥイーター用を兼ねよう、という発想が、
タンノイのデュアルコンセントリックの開発に当たっては、あったのかもしれない。

もっともマグネットは直流磁界で、ボイスコイルが発する交流磁界の変化によって、
磁束密度が影響を受ける、それに2次高調波歪がおこることは、
いくつかのスピーカーメーカーの解析によってはっきりとした事実であるから、
一つのマグネット(ひとつの直流磁界)に、二つの交流磁界が干渉するタンノイのデュアルコンセントリックでは、
音楽信号再生時に、どういう状態になっているのかは、専門家の話をうかがいたいと思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1161

同軸型ユニットの選択(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=1163

振動板の駆動源といえるマグネットが兼用されているため、
節倹の精神によってタンノイはつくられている、ともいえるし、
口の悪いひとならば、ケチくさいつくり、とか、しみったれたつくり、というかもしれない。

けれどオートグラフという、あれだけ意を尽くし贅を尽くしたスピーカーシステムをつくりあげたタンノイが、
その音源となるユニットに、節倹の精神だけで、ウーファーのコーン紙のカーブを、
トゥイーターのホーンの延長として利用したり、マグネットをひとつにしたとは、私は思っていない。

ボイスコイルがひとつだけの純粋のフルレンジユニットでは、ワイドレンジ再生は不可能。
かといって安易に2ウェイにしてしまうと、タンノイが追い求めていた、
家庭での音楽鑑賞にもっとも大切と思われるものが希薄になってしまう。
そのデメリットをおさえるために、できるかぎりの知恵を出し、
コーン型のウーファーとホーン型のトゥイーターを融合させてようとした結果が、
タンノイ独自のデュアルコンセントリックといっていいだろう。

これは、外観からも伺えないだろうか。
アルテックの604の外観が、同軸型2ウェイであることを顕示しているのに対し、
タンノイのデュアルコンセントリックは、何も知らずにみれば、大口径のフルレンジに見えないこともない。
http://audiosharing.com/blog/?p=1163


同軸型ユニットの選択(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=1165

タンノイの同軸型ユニットは、必ずしもマグネットがひとつだけ、とは限らない。
1977年ごろ登場したバッキンガム、ウィンザー、このふたつのシステムに搭載されているユニット2508は、
フェライトマグネットを、高音域、低音域用とにわかれている。

バッキンガムも、ウィンザーも、ウーファーユニットを追加したモデルだ。
このときのタンノイの主力スピーカーシステムは、アーデン、バークレイなどの、いわゆるABCシリーズで、
使用ユニットはアルニコマグネットのHPDシリーズ。いうまでもなくマグネットはひとつだけ。
さらに同時期登場したメイフェアー、チェスター、ドーセット、アスコットには、2528DUALが使われている。
このユニットもフェライトマグネットだが、低音、高音で兼用している。

HPDシリーズはのちにフェライトマグネット使用のKシリーズに換っていくが、
Kシリーズも、マグネットひとつだけ、である。
2508のマグネットがふたつあるのはフェライトマグネットだからではないことが、このことからわかるだろう。

1996年、キングダムが登場する。
このキングダムに搭載されている同軸型ユニットも、またマグネットを2組持っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1165

同軸型ユニットの選択(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=1166


キングダムのユニット構成は、同軸型ユニットを中心として、低域にサブウーファーを、
高域にスーパートゥイーターを追加した4ウェイである。

ここまで書けば、察しのいい方ならば気がつかれるだろうが、
タンノイのスピーカーづくりのありかたとして、同軸型ユニットだけでシステムを構築する場合には、
従来からのウーファーとトゥイーターのマグネットを兼用させたものが、
そしてレンジ拡大のためにウーファーやトゥイーターが追加されるときには、
マグネットが独立したタイプが使われる。

このことから推測されるのは、重視する要素が、システム構成によって違いがあるということだ。

それぞれの同軸型ユニットが重視している要素は、調和か明晰か、ではなかろうか。
このことは、エンクロージュアの構造、つくりの違いにも顕れている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1166

同軸型ユニットの選択(その22)

タンノイの創始者、ガイ・R・ファウンテンと、
チーフエンジニアのロナルド・H・ラッカムのふたりが音楽再生においてめざしたものは、調和だった気がする。
それも有機的な調和なのではなかろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=1374


同軸型ユニットの選択(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=1582


この項の(その18)でふれているが、同軸型ユニットにおいて、
ウーファー用とトゥイーター用のマグネットが独立していた方がいいのか、
それともひとつで兼ねた方がいいのか、どちらが技術的には優れているのか、もうひとつはっきりしない。

タンノイのリビングストンは、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
アルテックの604との比較、それにマグネットを兼用していることについて語っている(聞き手は瀬川先生)。
     *
これ(604のこと)に比べてタンノイのデュアル・コンセントリックは全く違います。まず、ホーンでの不連続性はみられません。第二にコーンの前に障害物が全くないということです。第三に、マグネティックシャントが二つの磁束の間にあるということです。結局、タンノイは一つのマグネットで二つのユニットをドライブしているわけですが、アルテックは二つのマグネットで二つのドライバーユニットを操作しているわけで、この差が大きなものになっています。
     *
第三の理由として語られていることについては、正直、もうすこし解説がほしい。
これだけではなんともいえないけれど、
少なくともタンノイとしては、リビングストンとしては、
マグネットを兼用していることをメリットとして考えていることは確実なことだ。

そのタンノイが、同軸型ユニットなのに、
ウーファーとトゥイーターのマグネットを独立させたものも作っている。

そのヒントとなるリビングストンの発言がある。
     *
スピーカーの基本設計の面で大事なことは、使われているエレメントが、それぞれ独立した思想で作られていたのでは、けっしていいスピーカーを作り上げることはできないと思うのです。サスペンションもコーンもマグネットも、すべて一体となって、それぞれがかかわり合って一つのシステムを作り上げるところに、スピーカーの本来の姿があるわけです。例えば、ボイスコイルを研究しているエンジニアが、それだけを取り上げてやっていると、トータルな相関関係が崩れてしまう。ボイスコイルだけの特性を高めても、コーンがそれに十分対応しなかったり、磁束密度の大きいマグネットにしても、それに対応するサスペンションがなかったりするわけで、そこでスピーカーの一体感というものが損なわれてしまう。やはりスピーカーを作る場合には各エレメントがそれぞれお互いに影響し合い、作用し合って一つのものを作り上げているんだ、ということを十分考えに入れながら作る必要があると思います。
     *
「一体」「一体感」「相関関係」──、
これらの言葉が、いうまでもなく重要である。
http://audiosharing.com/blog/?p=1582
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1166.html

[近代史5] 伝説のスピーカー 中川隆
22. 中川隆[-5742] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:10:45 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[8]
audio identity (designing) 宮ア勝己 同軸型ユニットの選択
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1166.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/414.html#c22
[近代史4] タンノイのスピーカーは買ってはいけない 中川隆
11. 中川隆[-5741] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:11:34 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[9]
audio identity (designing) 宮ア勝己 同軸型ユニットの選択
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1166.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/494.html#c11
[近代史4] アルテックの世界 中川隆
7. 中川隆[-5740] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:11:59 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[10]
audio identity (designing) 宮ア勝己 同軸型ユニットの選択
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1166.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/993.html#c7
[近代史5] 高齢者は死んでいいのか _ 大西つねき「命、選別しないと駄目だと思いますよ」 中川隆
33. 中川隆[-5739] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:16:08 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[11]

2021年04月14日
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html


親や子供や親せきや世間の為に生きるのは辞めた方が良い
カテゴリ社会問題・環境などライフ・趣味・食べ物
自分で歩けず食事できない人は、欧米では死者あつかいになるので寝たきり老人が居ない

人生の負担を軽くしよう

日本人は30年間不況が続いた末にコロナで経済が壊滅し、さらに困難な状況に陥っている人が多い。

政治家はばかばっかりで予算を取り仕切る財務大臣は「給付金なんか無駄なんだよ」とばかり「パンが無ければケーキを食べなさいよ」みたいな事を言っています。

だがその連中を選挙で選んだのは他ならぬ日本人自身なので、東日本大震災の失策同様に、政治家がバカなのか選んだ国民がバカなのか分からない。

ちなみにマリーアントワネットが「パンが無ければケーキを食べなさいよ」と言ったのを聞いた人は1人もおらず、革命を起こしたかった新聞の捏造記事でした。

先進国の中で日本だけが唯一ずっと不況なのですが、その原因として国民に過剰な負担を強いている事が考えられます。

高齢化で親が動けなくなり、子供が寝たきり老人の介護をするため仕事を辞めるケースが非常に多い。


仕事を辞めた子供は貧困者か生活保護に転落し、下手をすると親子で食べるものが無くなってしまう。

この話を聞いた欧米人の反応は「ばかじゃないの?」というもので誰も同情してくれないそうです。

欧米では子供が親の面倒を見るのは自由意志で強制されるものではなく、親の面倒を見ない人は大勢います。


子供に世話して貰えない人は福祉団体や介護施設に入るが、寝たきり老人がそもそも居ない。

ドイツの例では寝たきりになった人を生かしておく文化がなく、それ以上延命治療をしない例が多い。

F1レーサーのミハエルシューマッハはずっと寝たきりらしいですが、あれは莫大な資産があるので家族の意思でそうしています。

人の為に人生を犠牲にしても何も残らない

普通の人が自分で歩けなくなり、食事もできなくなったらそれ以上治療せず自然死するのが普通です。

ここで日本人の生死観という問題につきあたり、「生かしておくのが親孝行だ」という考えが正しいのかどうか疑問に思えます。

自分で体を動かせず考える事もできないのに、医学の力で心臓と脳を動かして、それが親孝行や本人の為なのでしょうか?


親の最期の20年間のために子供は20年間を犠牲にするわけで、その負担で子供も作れず少子化が加速します。

親のおむつを替えるのではなく子供のおむつを替えれば子孫が栄えるのに、親の介護があるから子供を造れません。

日本政府は老人の介護を子供に押し付けておいて、「なんで子供を産まないんだろう」と首をひねっている。


両方の親4人の老後の面倒を見ながら自分の子供2人を育て上げるなど、誰にもできる筈がありません。

子供は親の面倒を見るべきではないし、親は子供の世話になるべきではない、非情なようですがそうしないと子供の負担が際限なく増えます。

ここで登場するのが親戚一同で「親の面倒も見れないのか」などと非難して罪悪感を植え付けようとします。


「親を老人ホームに入れるなんて、なんて冷酷な奴だ」現実にこのように言われて親の介護に人生を犠牲にする人が多い。

親の次に人生の負担になっているのは家と子供で、多くの人は「子供に家を残す」目的で家を建てるそうです。

だがその子供は「自分の家を所有したい」などと言っていないはずで、その証拠に成人したらさっさと家から出ていきます。


これも30年間を住宅ローン返済の為にだけ生きるのが、本当に子供の為なのか非常に疑問です
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/220.html#c33

[近代史5] 「楢山節考」は本当か 中川隆
8. 中川隆[-5738] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:18:43 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[12]

2021年04月14日
親や子供や親せきや世間の為に生きるのは辞めた方が良い
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html


自分で歩けず食事できない人は、欧米では死者あつかいになるので寝たきり老人が居ない

人生の負担を軽くしよう

日本人は30年間不況が続いた末にコロナで経済が壊滅し、さらに困難な状況に陥っている人が多い。

政治家はばかばっかりで予算を取り仕切る財務大臣は「給付金なんか無駄なんだよ」とばかり「パンが無ければケーキを食べなさいよ」みたいな事を言っています。

だがその連中を選挙で選んだのは他ならぬ日本人自身なので、東日本大震災の失策同様に、政治家がバカなのか選んだ国民がバカなのか分からない。

ちなみにマリーアントワネットが「パンが無ければケーキを食べなさいよ」と言ったのを聞いた人は1人もおらず、革命を起こしたかった新聞の捏造記事でした。

先進国の中で日本だけが唯一ずっと不況なのですが、その原因として国民に過剰な負担を強いている事が考えられます。

高齢化で親が動けなくなり、子供が寝たきり老人の介護をするため仕事を辞めるケースが非常に多い。


仕事を辞めた子供は貧困者か生活保護に転落し、下手をすると親子で食べるものが無くなってしまう。

この話を聞いた欧米人の反応は「ばかじゃないの?」というもので誰も同情してくれないそうです。

欧米では子供が親の面倒を見るのは自由意志で強制されるものではなく、親の面倒を見ない人は大勢います。


子供に世話して貰えない人は福祉団体や介護施設に入るが、寝たきり老人がそもそも居ない。

ドイツの例では寝たきりになった人を生かしておく文化がなく、それ以上延命治療をしない例が多い。

F1レーサーのミハエルシューマッハはずっと寝たきりらしいですが、あれは莫大な資産があるので家族の意思でそうしています。

人の為に人生を犠牲にしても何も残らない

普通の人が自分で歩けなくなり、食事もできなくなったらそれ以上治療せず自然死するのが普通です。

ここで日本人の生死観という問題につきあたり、「生かしておくのが親孝行だ」という考えが正しいのかどうか疑問に思えます。

自分で体を動かせず考える事もできないのに、医学の力で心臓と脳を動かして、それが親孝行や本人の為なのでしょうか?


親の最期の20年間のために子供は20年間を犠牲にするわけで、その負担で子供も作れず少子化が加速します。

親のおむつを替えるのではなく子供のおむつを替えれば子孫が栄えるのに、親の介護があるから子供を造れません。

日本政府は老人の介護を子供に押し付けておいて、「なんで子供を産まないんだろう」と首をひねっている。


両方の親4人の老後の面倒を見ながら自分の子供2人を育て上げるなど、誰にもできる筈がありません。

子供は親の面倒を見るべきではないし、親は子供の世話になるべきではない、非情なようですがそうしないと子供の負担が際限なく増えます。

ここで登場するのが親戚一同で「親の面倒も見れないのか」などと非難して罪悪感を植え付けようとします。


「親を老人ホームに入れるなんて、なんて冷酷な奴だ」現実にこのように言われて親の介護に人生を犠牲にする人が多い。

親の次に人生の負担になっているのは家と子供で、多くの人は「子供に家を残す」目的で家を建てるそうです。

だがその子供は「自分の家を所有したい」などと言っていないはずで、その証拠に成人したらさっさと家から出ていきます。


これも30年間を住宅ローン返済の為にだけ生きるのが、本当に子供の為なのか非常に疑問です
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/247.html#c8

[近代史4] アメリカに「寝たきり老人」が居ない理由_ 寝たきりになる人を助けないので、寝たきりにならない 中川隆
1. 中川隆[-5737] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:19:21 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[13]

2021年04月14日
親や子供や親せきや世間の為に生きるのは辞めた方が良い
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html


自分で歩けず食事できない人は、欧米では死者あつかいになるので寝たきり老人が居ない

人生の負担を軽くしよう

日本人は30年間不況が続いた末にコロナで経済が壊滅し、さらに困難な状況に陥っている人が多い。

政治家はばかばっかりで予算を取り仕切る財務大臣は「給付金なんか無駄なんだよ」とばかり「パンが無ければケーキを食べなさいよ」みたいな事を言っています。

だがその連中を選挙で選んだのは他ならぬ日本人自身なので、東日本大震災の失策同様に、政治家がバカなのか選んだ国民がバカなのか分からない。

ちなみにマリーアントワネットが「パンが無ければケーキを食べなさいよ」と言ったのを聞いた人は1人もおらず、革命を起こしたかった新聞の捏造記事でした。

先進国の中で日本だけが唯一ずっと不況なのですが、その原因として国民に過剰な負担を強いている事が考えられます。

高齢化で親が動けなくなり、子供が寝たきり老人の介護をするため仕事を辞めるケースが非常に多い。


仕事を辞めた子供は貧困者か生活保護に転落し、下手をすると親子で食べるものが無くなってしまう。

この話を聞いた欧米人の反応は「ばかじゃないの?」というもので誰も同情してくれないそうです。

欧米では子供が親の面倒を見るのは自由意志で強制されるものではなく、親の面倒を見ない人は大勢います。


子供に世話して貰えない人は福祉団体や介護施設に入るが、寝たきり老人がそもそも居ない。

ドイツの例では寝たきりになった人を生かしておく文化がなく、それ以上延命治療をしない例が多い。

F1レーサーのミハエルシューマッハはずっと寝たきりらしいですが、あれは莫大な資産があるので家族の意思でそうしています。

人の為に人生を犠牲にしても何も残らない

普通の人が自分で歩けなくなり、食事もできなくなったらそれ以上治療せず自然死するのが普通です。

ここで日本人の生死観という問題につきあたり、「生かしておくのが親孝行だ」という考えが正しいのかどうか疑問に思えます。

自分で体を動かせず考える事もできないのに、医学の力で心臓と脳を動かして、それが親孝行や本人の為なのでしょうか?


親の最期の20年間のために子供は20年間を犠牲にするわけで、その負担で子供も作れず少子化が加速します。

親のおむつを替えるのではなく子供のおむつを替えれば子孫が栄えるのに、親の介護があるから子供を造れません。

日本政府は老人の介護を子供に押し付けておいて、「なんで子供を産まないんだろう」と首をひねっている。


両方の親4人の老後の面倒を見ながら自分の子供2人を育て上げるなど、誰にもできる筈がありません。

子供は親の面倒を見るべきではないし、親は子供の世話になるべきではない、非情なようですがそうしないと子供の負担が際限なく増えます。

ここで登場するのが親戚一同で「親の面倒も見れないのか」などと非難して罪悪感を植え付けようとします。


「親を老人ホームに入れるなんて、なんて冷酷な奴だ」現実にこのように言われて親の介護に人生を犠牲にする人が多い。

親の次に人生の負担になっているのは家と子供で、多くの人は「子供に家を残す」目的で家を建てるそうです。

だがその子供は「自分の家を所有したい」などと言っていないはずで、その証拠に成人したらさっさと家から出ていきます。


これも30年間を住宅ローン返済の為にだけ生きるのが、本当に子供の為なのか非常に疑問です
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1180.html#c1

[近代史5] 「集団免疫戦略 真似しないで」 スウェーデンの医師・科学者が意見投稿 中川隆
4. 中川隆[-5736] koaQ7Jey 2021年4月14日 11:19:42 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[14]

2021年04月14日
親や子供や親せきや世間の為に生きるのは辞めた方が良い
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html


自分で歩けず食事できない人は、欧米では死者あつかいになるので寝たきり老人が居ない

人生の負担を軽くしよう

日本人は30年間不況が続いた末にコロナで経済が壊滅し、さらに困難な状況に陥っている人が多い。

政治家はばかばっかりで予算を取り仕切る財務大臣は「給付金なんか無駄なんだよ」とばかり「パンが無ければケーキを食べなさいよ」みたいな事を言っています。

だがその連中を選挙で選んだのは他ならぬ日本人自身なので、東日本大震災の失策同様に、政治家がバカなのか選んだ国民がバカなのか分からない。

ちなみにマリーアントワネットが「パンが無ければケーキを食べなさいよ」と言ったのを聞いた人は1人もおらず、革命を起こしたかった新聞の捏造記事でした。

先進国の中で日本だけが唯一ずっと不況なのですが、その原因として国民に過剰な負担を強いている事が考えられます。

高齢化で親が動けなくなり、子供が寝たきり老人の介護をするため仕事を辞めるケースが非常に多い。


仕事を辞めた子供は貧困者か生活保護に転落し、下手をすると親子で食べるものが無くなってしまう。

この話を聞いた欧米人の反応は「ばかじゃないの?」というもので誰も同情してくれないそうです。

欧米では子供が親の面倒を見るのは自由意志で強制されるものではなく、親の面倒を見ない人は大勢います。


子供に世話して貰えない人は福祉団体や介護施設に入るが、寝たきり老人がそもそも居ない。

ドイツの例では寝たきりになった人を生かしておく文化がなく、それ以上延命治療をしない例が多い。

F1レーサーのミハエルシューマッハはずっと寝たきりらしいですが、あれは莫大な資産があるので家族の意思でそうしています。

人の為に人生を犠牲にしても何も残らない

普通の人が自分で歩けなくなり、食事もできなくなったらそれ以上治療せず自然死するのが普通です。

ここで日本人の生死観という問題につきあたり、「生かしておくのが親孝行だ」という考えが正しいのかどうか疑問に思えます。

自分で体を動かせず考える事もできないのに、医学の力で心臓と脳を動かして、それが親孝行や本人の為なのでしょうか?


親の最期の20年間のために子供は20年間を犠牲にするわけで、その負担で子供も作れず少子化が加速します。

親のおむつを替えるのではなく子供のおむつを替えれば子孫が栄えるのに、親の介護があるから子供を造れません。

日本政府は老人の介護を子供に押し付けておいて、「なんで子供を産まないんだろう」と首をひねっている。


両方の親4人の老後の面倒を見ながら自分の子供2人を育て上げるなど、誰にもできる筈がありません。

子供は親の面倒を見るべきではないし、親は子供の世話になるべきではない、非情なようですがそうしないと子供の負担が際限なく増えます。

ここで登場するのが親戚一同で「親の面倒も見れないのか」などと非難して罪悪感を植え付けようとします。


「親を老人ホームに入れるなんて、なんて冷酷な奴だ」現実にこのように言われて親の介護に人生を犠牲にする人が多い。

親の次に人生の負担になっているのは家と子供で、多くの人は「子供に家を残す」目的で家を建てるそうです。

だがその子供は「自分の家を所有したい」などと言っていないはずで、その証拠に成人したらさっさと家から出ていきます。


これも30年間を住宅ローン返済の為にだけ生きるのが、本当に子供の為なのか非常に疑問です
http://www.thutmosev.com/archives/85572704.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/257.html#c4

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
19. 中川隆[-5735] koaQ7Jey 2021年4月14日 13:17:33 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[17]
現金給付でも日本がインフレにならない理由
2021年4月13日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13311


前回の記事ではアメリカで現金給付が物価高騰を引き起こし始めている理由について説明した。

量的緩和で上がらなかった物価が現金給付で高騰する理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13296


しかし同じく現金給付のあった日本では現状ではアメリカほどのインフレは始まっていない。今回の記事ではその違いについて説明したい。

コロナ禍の現金給付

2020年、コロナ禍における緊急事態宣言を受け、日本政府は1人あたり一律10万円の現金給付を決定した。その総額はおよそ13兆円となった。

日本政府にはお金がないため、この予算は国債を発行して賄われ、その国債は日銀が量的緩和によって引き受けている状態である。

つまり、アメリカも同じだが、この現金給付は実質的には中央銀行が紙幣を刷って国民に配ったということになる。こうした政策を行なった場合に一般に懸念されるのが物価上昇、つまりインフレである。しかし日本経済には今のところ大きなインフレの兆候は見られない。消費者物価指数は次のように推移している。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/04/2021-jan-japan-cpi-chart.png


今のところは2020年に入ってからコロナの影響で下落トレンドに入っており、現金給付の影響は確認できないように見える。チャートを見て分かるように今年に入ってからは少し跳ね上がっており、その後のデータを待ちたいが、少なくともアメリカのように明らかなインフレにはまだなっていない。


2月の米国インフレ率は4.3%、追加現金給付で更に加速へ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12880

止まらないインフレ、米国で住宅価格が暴騰中
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13098

インフレにならない日本

この違いは何だろうか。1つには現金給付の金額とやり方だろう。日本では1人あたり10万円が配られた一方、アメリカではトランプ政権が1,200ドル(13万円)、バイデン政権が1,400ドル(15万円)と2年連続の給付となっている。

しかもトランプ政権においては現金給付だけではなく、失業保険にも現金給付に匹敵する金額を振り分けた結果、働くよりも失業して失業保険をもらった方が儲かるとも言われたほどであり、総合して考えると日本とはそもそも給付の金額が違うということになる。

では日本国民の預金は現金給付で実際どれくらい増えたのだろうか。現金(紙幣と硬貨)と預金の合計であるマネーサプライの上昇率(前年同月比)は次のようになっている。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/04/2021-jan-japan-money-stock-growth-chart.png


前年比で14%の伸びとなっており、増加しているのは事実である。しかし前回の記事で取り上げたアメリカのデータと比べればどうだろう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/04/2021-mar-us-money-stock-growth-chart.png


アメリカでは25%以上もの伸びとなっており、日本とは比較にならない。

日本ではアメリカほどインフレにならないのも当然である。そしてこれは、日本はアメリカほどお金を刷っていないので、円の価値はドルほど毀損していないということにもなる。アメリカの金利が上がってもドル円がそれほどドル高に振れなくなっている一因はそれだろう。近年ドル円はめっきり上がらなくなっている。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/04/2021-4-13-usdjpy-chart.png


平均的には裕福な日本

また、デフレの原因の1つには日本はアメリカほど貧富の差が激しくないこともあるだろう。例えば貯金がほとんどない人に10万円を渡した場合にはその人は少なくとも数万は使う可能性が高いだろうが、1億円持っている人に10万円を渡したとしてもその人の消費行動にはほとんど影響を与えないだろう。

つまり、貧乏な人が多い国ほど現金給付でインフレになる可能性が高いと言える。アメリカ人は実際にはほとんど預金を持っていない。お金を持っているのは極一部の超富裕層である。そういう意味でアメリカではやはりインフレになりやすく、それはドルが下落しやすいという意味でもある。Bridgewaterのレイ・ダリオ氏などがドル下落をしきりに懸念しているのはそういう理由なのである。

世界最大のヘッジファンド: ドルが下落したらアメリカは終わり
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11762


一方で日本人は給付された現金をアメリカ人ほどは使っていない。それらのお金は単に日本人の預金に追加され、国債で賄われたその資金は後で消費税増税などのやり方で回収されることになるのである。

国の借金を軽く考えている日本国民は多いが、消費税は恐らく20%までは軽く上がるだろう。そして10万円のつけを何倍にも返すことになる。本当にGO TOトラベルや東京オリンピックに自分の金が使われている現状は良いのだろうか? もう少ししっかり考えてもらいたいものである。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13311
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c19

[近代史4] 公共事業や量的緩和で経済は救えない _ 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる 中川隆
9. 中川隆[-5734] koaQ7Jey 2021年4月14日 13:18:03 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[18]
現金給付でも日本がインフレにならない理由
2021年4月13日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13311


前回の記事ではアメリカで現金給付が物価高騰を引き起こし始めている理由について説明した。

量的緩和で上がらなかった物価が現金給付で高騰する理由
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13296


しかし同じく現金給付のあった日本では現状ではアメリカほどのインフレは始まっていない。今回の記事ではその違いについて説明したい。

コロナ禍の現金給付

2020年、コロナ禍における緊急事態宣言を受け、日本政府は1人あたり一律10万円の現金給付を決定した。その総額はおよそ13兆円となった。

日本政府にはお金がないため、この予算は国債を発行して賄われ、その国債は日銀が量的緩和によって引き受けている状態である。

つまり、アメリカも同じだが、この現金給付は実質的には中央銀行が紙幣を刷って国民に配ったということになる。こうした政策を行なった場合に一般に懸念されるのが物価上昇、つまりインフレである。しかし日本経済には今のところ大きなインフレの兆候は見られない。消費者物価指数は次のように推移している。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/04/2021-jan-japan-cpi-chart.png


今のところは2020年に入ってからコロナの影響で下落トレンドに入っており、現金給付の影響は確認できないように見える。チャートを見て分かるように今年に入ってからは少し跳ね上がっており、その後のデータを待ちたいが、少なくともアメリカのように明らかなインフレにはまだなっていない。


2月の米国インフレ率は4.3%、追加現金給付で更に加速へ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12880

止まらないインフレ、米国で住宅価格が暴騰中
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13098

インフレにならない日本

この違いは何だろうか。1つには現金給付の金額とやり方だろう。日本では1人あたり10万円が配られた一方、アメリカではトランプ政権が1,200ドル(13万円)、バイデン政権が1,400ドル(15万円)と2年連続の給付となっている。

しかもトランプ政権においては現金給付だけではなく、失業保険にも現金給付に匹敵する金額を振り分けた結果、働くよりも失業して失業保険をもらった方が儲かるとも言われたほどであり、総合して考えると日本とはそもそも給付の金額が違うということになる。

では日本国民の預金は現金給付で実際どれくらい増えたのだろうか。現金(紙幣と硬貨)と預金の合計であるマネーサプライの上昇率(前年同月比)は次のようになっている。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/04/2021-jan-japan-money-stock-growth-chart.png


前年比で14%の伸びとなっており、増加しているのは事実である。しかし前回の記事で取り上げたアメリカのデータと比べればどうだろう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/04/2021-mar-us-money-stock-growth-chart.png


アメリカでは25%以上もの伸びとなっており、日本とは比較にならない。

日本ではアメリカほどインフレにならないのも当然である。そしてこれは、日本はアメリカほどお金を刷っていないので、円の価値はドルほど毀損していないということにもなる。アメリカの金利が上がってもドル円がそれほどドル高に振れなくなっている一因はそれだろう。近年ドル円はめっきり上がらなくなっている。


https://www.globalmacroresearch.org/jp/wp-content/uploads/2021/04/2021-4-13-usdjpy-chart.png


平均的には裕福な日本

また、デフレの原因の1つには日本はアメリカほど貧富の差が激しくないこともあるだろう。例えば貯金がほとんどない人に10万円を渡した場合にはその人は少なくとも数万は使う可能性が高いだろうが、1億円持っている人に10万円を渡したとしてもその人の消費行動にはほとんど影響を与えないだろう。

つまり、貧乏な人が多い国ほど現金給付でインフレになる可能性が高いと言える。アメリカ人は実際にはほとんど預金を持っていない。お金を持っているのは極一部の超富裕層である。そういう意味でアメリカではやはりインフレになりやすく、それはドルが下落しやすいという意味でもある。Bridgewaterのレイ・ダリオ氏などがドル下落をしきりに懸念しているのはそういう理由なのである。

世界最大のヘッジファンド: ドルが下落したらアメリカは終わり
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11762


一方で日本人は給付された現金をアメリカ人ほどは使っていない。それらのお金は単に日本人の預金に追加され、国債で賄われたその資金は後で消費税増税などのやり方で回収されることになるのである。

国の借金を軽く考えている日本国民は多いが、消費税は恐らく20%までは軽く上がるだろう。そして10万円のつけを何倍にも返すことになる。本当にGO TOトラベルや東京オリンピックに自分の金が使われている現状は良いのだろうか? もう少ししっかり考えてもらいたいものである。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13311
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/892.html#c9

[リバイバル3] オールド QUAD の安物アンプは名機なのか? 中川隆
77. 中川隆[-5733] koaQ7Jey 2021年4月14日 13:22:21 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[19]
audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考


Date: 8月 8th, 2018
現代真空管アンプ考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?cat=48&paged=6

こうやって真空管アンプについて書き始めると、
頭の中では、現代真空管アンプとは、いったいどういうモノだろうか、
そんなことも並行して考えはじめている。

個人的に作りたい真空管アンプは、現代真空管アンプとはいえないモノである。
それこそ趣味の真空管アンプといえるものを、あれこれ夢想しているわけだが、
そこから離れて、現代真空管アンプについて考えてみるのもおもしろい。

現代真空管アンプだから、真空管もいま現在製造されていることを、まず条件としたい。
お金がいくら余裕があっても、製造中止になって久しく、
市場にもあまりモノがなく、非常に高価な真空管は、それがたとえ理想に近い真空管であっても、
それでしか実現しないのは、現代真空管アンプとはいえない。

真空管もそうだが、ソケットもきちんと入手できること。
これは絶対に外せない条件である。

ここまではすんなり決っても、
ここから先となると、なかなか大変である。

大ざっぱに、シングルなのかプッシュプルなのか、がある。
プッシュプルにしても一般的なDEPPにするのかSEPPにするのか。

SEPPならばOTLという選択肢もある。
現代真空管アンプを考えていくうえで、出力トランスをどうするのかが、やっかいで重要である。
となるとOTLアンプなのか。

でも、それではちょっと安直すぎる。
考えるのが面倒だから省いてしまおう、という考えがどこかにあるからだ。


Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その2)

現代真空管アンプで、絶対に外せないことがまだある。
真空管のヒーターの点火方法である。

交流点火と直流点火とがある。
物理的なS/N比の高さが求められるコントロールアンプでは、直流点火が多い。
パワーアンプでは交流点火が多いが、
シングルアンプともなると、直流点火も増えてくる。

交流点火といっても、すべてが同じなわけではない。
例えば出力管の場合、一本一本にヒーター用巻線を用意することもあれば、
電流容量が足りていれば出力管のヒーターを並列接続して、という場合もあるし、
直列接続するという手もある。

ヒーター用配線の引き回しも音にもS/N比にも影響してくる。

直流点火だと非安定化か安定化とがある。
定電圧回路を使って安定化をはかるのか、
それとも交流を整流・平滑して直流にする非安定化なのか。

電源のノイズ、インピーダンスの面では安定化にメリットはあるが、
ではどういう回路で安定化するのかが、問題になってくる。

三端子レギュレーターを使えば、そう難しくなく安定化できる。
それで十分という人もいるし、三端子レギュレーターを使うくらいならば、
安定化しない方がいい、という人も、昔からいる。

ここでの直流点火は、電圧に着目してであって、
ヒーターによって重要なパラメータは電圧なのか、電流なのか。
そこに遡って考えれば、定電流点火こそ、現代真空管アンプらしい点火方法といえる。

Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その3)

オーディオに興味をもち、真空管アンプに、
そして真空管アンプの自作に興味をもつようになったばかりのころ、
ヒーターの点火は、ノイズが少なくインピーダンスが十分に低い定電圧回路を採用すれば、
それでほぼ問題解決ではないか,ぐらいに考えていた。

三端子レギュレーターはともかくとして、ディスクリート構成の定電圧回路、
発振せず安定な動作をする回路であれば、それ以上何が要求されるのかはわかっていなかった。

そのころから交流点火のほうが音はいい、と主張があるのは知っていた。
そもそも初期の真空管は直流、つまり電池で点火していた歴史がある。

ならば交流点火よりも直流点火のはず。
それなのに……、という疑問はあった。

ステレオサウンド 56号のスーパーマニアに、小川辰之氏が登場されている。
日本歯科大学教授で、アルテックのA5、9844Aを自作の真空管アンプで鳴らされている。

そこにこんな話が出てきたことを憶えている。
     *
 固定バイアスにしていても、そんなにゲインを上げなければ、最大振幅にならなくて、あまり寿命を心配しなくてもいいと思ってね、やっている。ただ今の人はね、セルフバイアスをやる人はそうなのかもしれないが、やたらバイアス電圧ばかり気にしているけれど、本来は電流値であわせるべきなんですよ。昔からやっている者にとっては、常識的なことですけどね。
     *
電圧ではなく電流なのか。
忘れないでおこう、と思った。
けれど、ヒーターの点火に関して、電圧ではなく電流と考えるようになるには、もう少し時間がかかった。

現代真空管アンプ考(その4)

いまヒーターの点火方法について書いているところで、
この項はそんな細部から書いていくことが多くなると思うが、
それだけで現代真空管アンプを考えていくことになるとは考えていない。

現代真空管アンプは、どんなスピーカーを、鳴らす対象とするのか、
そういったことも考えていく必要がある。

現代真空管アンプで、真空管アンプ全盛時代のスピーカーシステムを鳴らすのか。
それとも現代真空管アンプなのだから、現代のスピーカーシステムを鳴らしてこそ、なのか。

時代が50年ほど違うスピーカーシステムは、とにかく能率が大きく違ってきている。
100dB/W/m前後の出力音圧レベルのスピーカーと、
90dBを切り、モノによっては80dBちょっとのスピーカーシステムとでは、
求められる出力も大きく違ってくる。

そしてそれだけでないのが、アンプの安定性である。
ここ数年のスピーカーシステムがどうなっているのか、
ステレオサウンドを見ても、ネットワークの写真も掲載されてなかったりするので、
なんともいえないが、十年以上くらい前のスピーカーシステムは、
ネットワークを構成する部品点数が、非常に多いモノが珍しくなかった。

6dBスロープのネットワークのはずなのに、
写真を見ると、どうしてこんなに部品が多いのか、理解に苦しむ製品もあった。
いったいどういう設計をすれば、6dBのネットワークで、ここまで多素子にできるのか。

しかもそういうスピーカーは決って低能率である。
この種のネットワークは、パワーアンプにとって容量負荷となりやすく、
パワーアンプの動作を不安定にしがちでもあった。

井上先生から聞いた話なのだが、
そのころマランツが再生産したModel 8B、Model 9は、
そういうスピーカーが負荷となると、かなり大変だったらしい。

現代真空管アンプならば、その類のスピーカーシステムであっても、
安定動作が求められることになり、そうなると、往年の真空管アンプでは、
マランツよりもマッキントッシュのMC275のほうがフレキシビリティが高い──、
そのこともつけ加えられていた。
http://audiosharing.com/blog/?cat=48&paged=6

 


audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考
Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26876

容量性負荷で低能率のスピーカーといえば、コンデンサー型がまさにそうである。
QUADのESLがそうである。

QUADはESL用のアンプとして真空管アンプ時代には、
KT66プッシュプルのQUAD IIを用意していた。

私はQUAD IIでESLを鳴らした音は聴いたことがないが、
ESL(容量性負荷)を接続してQUAD IIが不安定になったという話も聞いていない。

QUAD IIを構成する真空管は整流管を除けば四本。
電圧増幅に五極管のEF86を二本使い、これが初段であり位相反転回路でもある。
次段はもう出力管である。

マランツやマッキントッシュの真空管アンプの回路図を見た直後では、
QUAD IIの回路は部品点数が半分以下くらいにおもえるし、
ものたりなさを憶える人もいるくらいの簡潔さである。

NFBは19dBということだが、これもQUAD IIの大きな特徴なのが、位相補正なしということ。
NFBの抵抗にもコンデンサーは並列に接続されていない。

出力トランスにカソード巻線を設けているのはマッキントッシュと同じで、
時代的には両社ともほほ同時期のようである。

同じカソード巻線といっても、マッキントッシュはバイファイラー巻きで、
QUADは分割巻きという違いはある。
それにマッキントッシュのカソード巻線はバイファイラーからトライファイラーに発展し、
最終的にはMC3500ではペンタファイラーとなっている。

マランツの真空管アンプにはカソード巻線はない。
マランツのModel 8BのNFB量はオーバーオールで20dBとなっている。
QUAD IIとほぼ同じである。

Model 8BとQUADのESLの動作的な相性はどうだったのか。
容量性負荷になりがちな多素子のネットワークのシステムで大変になるということは、
ESLでもそうなる可能性は高い。

マランツとQUADではNFB量は同じでも、
それだけかけるのにマランツは徹底した位相補正を回路の各所で行っている。
QUAD IIは前述したように位相補正はやっていない。

マッキントッシュだと、MC240、MC275は聴く機会は、
ステレオサウンドを辞めた後もけっこうある。
マランツもマッキントッシュよりも少ないけれどある。

QUADの真空管アンプは、めったにない。
もう二十年以上聴いていない。
前回聴いた時には、現代真空管アンプという視点は持っていなかった。
いま聴いたら、どうなのだろうか。

MC275同様、フレキシビリティの高さを感じるような予感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26876


現代真空管アンプ考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

QUAD IIの出力は15Wである。
高能率のスピーカーならば、これでも十分ではあっても、
95dB以下ともなると、15Wは、さすがにしんどくなることも、
新しい録音を鳴らすのであれば出てくるはずだ。

実際には25W以上楽に出る感じの音ではあったそうだが、それでも出力に余裕があるとはいえない。
QUAD IIはKT66のプッシュプルアンプである。
出力管がKT88だったら……、と思った人はいると思う。

私もKT66プッシュプルアンプとしての姿は見事だと思いながらも、
もしいまQUAD IIを使うことになったら、KT88もいいように思えてくる。

実際、QUADはQUAD IIを復刻した際、
EF86、KT66とオリジナルのQUAD IIと同じ真空管構成にしたQUAD II Classicと、
EF86を6SH7、KT66をKT88に変更したQUAD II fortyも出している。

QUAD II Classicはオリジナルと同じ15Wに対し、
QUAD II fortyは型番が示すように40Wにアップしている。

QUADが往年の真空管アンプを復刻したとき、QUADもか、と思った一人であり、
内部の写真をみて、関心をもつことはなくなった。
それにシャーシーのサイズも多少大きくなっていて、
オリジナルのQUAD IIのコンストラクションの魅力ははっきりと薄れている。

ならば基本レイアウトはそのままで、
トランスカバーの形状を含めて細部の詰めをしっかりとしてくれれば、
外観の印象はずっと良くなる可能性はあるのに──、と思う。

QUAD II fortyはオリジナルのQUAD IIと同じ回路なのだろう。
位相補正は、やはりやっていないのか。

現代真空管アンプを考えるうえで、いまごろになってQUAD II fortyが気になってきている。
QUAD II fortyはどういう音を聴かせるのか。

QUADのESLだけでなく、
複雑な構成のネットワークゆえ容量性負荷になりがちなスピーカーシステムでも、
音量に配慮すれば不安定になることなくうまく鳴らしてくれるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

現代真空管アンプ考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

QUAD IIの存在に目を向けるようになって気づいたことがある。
ここでは現代真空管アンプとしている。
最新真空管アンプではない。

書き始めのときは、現代と最新について、まったく考えていなかった。
現代真空管アンプというタイトルが浮んだから書き始めたわけで、
QUAD IIのことを思い出すまで、現代と最新の違いについて考えることもしなかった。

最新とは、字が示すとおり、最も新しいものである。
現行製品の中でも、最も新しいアンプは、そこにおける最新アンプとなるし、
最も新しい真空管アンプは、そこにおける最新真空管アンプといえる。

では、この「最も新しい」とは、何を示すのか。
単に発売時期なのか。
それも「最も新しい」とはいえるが、アンプならば最新の技術という意味も含まれる。

半導体アンプならば、最新のトランジスターを採用していれば、
ある意味、最新アンプといえるところもある。
けれど真空管アンプは、もうそういうモノではない。

いくつかの新しい真空管がないわけではないが、
それらの真空管を使ったからといって、最新真空管アンプといえるだろうか。

最新アンプは当然ながら、時期が来れば古くなる。
常に最新アンプなわけではない。
いつしか、当時の最新アンプ、というふうに語られるようになる。

そういった最新アンプは、ここで考える現代アンプとは同じではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

現代真空管アンプ考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

1983年に会社名も変更になり、ブランド名として使われてきたQUADに統一されたが、
QUADが創立された当初はThe Acoustical Manufacturing Company Ltd.だった。

QUADとは、Quality Unit Amplifier Domesticの頭文字をとってつけられた。
DomesticとついていてもQUADのアンプは、BBCで使われていた、と聞いている。

BBCでは、真空管アンプ時代はリーク製、ラドフォード製が使われていた。
QUADもそうなのだろう。
このあたりを細かく調べていないのではっきりとはいえないが、
それでもBBCでQUAD IIが採用されていたということは、
QUAD初のソリッドステートアンプ50Eの寸法から伺える。

QUAD IIの外形寸法はW32.1×H16.2×D11.9cmで、
50EはW12.0×H15.9×D32.4cmとほぼ同じである。

それまでQUAD IIが設置されていた場所に50Eはそのまま置けるサイズに仕上げられている。
50Eは、BBCからの要請で開発されたものである。

しかも50Eの回路はトランジスターアンプというより、
真空管アンプ的といえ、真空管をそのままトランジスターに置き換えたもので、
当然出力トランスを搭載している。

50Eの登場した1965年、JBLには、SG520、SE400S、SA600があった。
トランジスターアンプの回路設計が新しい時代を迎えた同時期に、QUADは50Eである。

こう書いてしまうと、なんとも古くさいアンプだと50Eを捉えがちになるが、
決してそうではないことは二年後の303との比較、
それからトラジスターアンプでも、
トランス(正確にはオートフォーマー)を搭載したマッキントッシュとの比較からもいえる。
これについて別項でいずれ書いていくかもしれない。

とにかくQUAD IIと置き換えるためのアンプといえる50Eは1965年に登場したわけだが、
QUAD IIは1970年まで製造が続けられている。
QUAD IIはモノーラル時代のアンプで、1953年生れである。
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

現代真空管アンプ考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=26895

オーディオ機器にもロングラン、ロングセラーモデルと呼ばれるものはある。
数多くあるとはいえないが、あまりないわけでもない。
スピーカーやカートリッジには、多かった。

けれどアンプは極端に少なかった。
ラックスのSQ38にしても、初代モデルからの変遷をたどっていくと、
何を基準にしてロングラン、ロングセラーモデルというのか考えてしまう。

そんななかにあって、QUAD IIはまさにそういえるアンプである。
1953年から1970年まで、改良モデルが出たわけでなく、
おそらく変更などなく製造が続けられていた。

ペアとなるステレオ仕様のコントロールアンプ22の登場は1959年で、
1967年に、33と入れ代るように製造中止になっている。

22とQUAD IIのペアは、ステレオサウンド 3号(1967年夏)の特集に登場している。
     *
 素直ではったりのない、ごく正統的な音質であった。
 わたくしが家でタンノイを鳴らすとき、殆んどアンプにはQUADを選んでいる。つまりタンノイと結びついた形で、QUADの音質が頭にあった。切換比較で他のオーソドックスな音質のアンプと同じ音で鳴った時、実は少々びっくりした。びっくりしたのは、しかしわたくしの日常のそういう体験にほかならないだろう。
 タンノイは、自社のスピーカーを駆動するアンプにQUADを推賞しているそうだ。しかしこのアンプに固有の音色というものが特に無いとすれば、その理由は負荷インピーダンスの変動に強いという点かもしれない。これはおおかたのアンプの持っていない特徴である。
 10数年前にすでにこのアンプがあったというのは驚異的なことだろう。
     *
瀬川先生が、こう書かれている。
ここで「選んでいる」とあるのは、QUAD IIのことのはず。

ただし52号の特集の巻頭「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」では、
こうも書かれている。
     *
 マランツ7にはこうして多くの人々がびっくりしたが、パワーアンプのQUAD/II型の音のほうは、実のところ別におどろくような違いではなかった。この水準の音質なら、腕の立つアマチュアの自作のアンプが、けっこう鳴らしていた。そんないきさつから、わたくしはますます、プリアンプの重要性に興味を傾ける結果になった。
     *
実を言うと、これを読んでいたから、QUAD IIにさほど興味をもてなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26895

現代真空管アンプ考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=26898


ステレオサウンド 3号のQUADのページの下段には、解説がある。
この解説は誰による文章なのかはわからないが、8号の特集からわかるのは、
瀬川先生が書かれていた、ということ。

QUAD IIについては、こう書かれている。
     *
 公称出力15Wというのは少ないように思われるが、これは歪率0.1%のときの出力で、カタログ特性で、OVERLOAD≠ニある部分をみると、ふつうのアンプなら25Wぐらいに表示するところを、あえて控えめに公称しているあたり、イギリス人の面目躍如としている。コムパクトなシャーシ・コンストラクションと、手工芸的な配線テクニックは、実に信頼感を抱かせる。
 イギリスでは公的な研究機関や音響メーカーで標準アンプとして数多く採用されていることは有名で、技術誌のテストリポートやスピーカーの試聴記などに、よく「QUAD22のトーン目盛のBASSを+1、TREBLEを−1にして聴くと云々」といった表現が使われる。
     *
岡先生もステレオサウンド 50号で、
《長年に亘ってBBCをはじめ、イギリスの標準アンプとして使われていただけのことはある傑作といえる。》
と書かれている。

その意味でQUAD IIは、業務(プロフェッショナル)用アンプといえる。
けれどQUAD IIはプロフェッショナル用を意図して設計されたアンプではないはず。

結果として、そう使われるようになったと考える。

同じ意味ではマッキントッシュのMC275もそうといえよう。
マッキントッシュにはA116というプロフェッショナル用として開発され使われたアンプもあるが、
MC275はコンシューマー用としてのアンプである。

それがCBSコロムビアのカッティングルームでのモニター用アンプとして、
それから1970年代初頭、コンサートでのアンプには、
トランジスターの、もっと出力の大きなアンプではなくMC275がよく使われていた、とも聞いている。

MC275もQUAD IIと、だから同じといえ、
それがマランツの真空管アンプとは、わずかとはいえはっきり違う点でもある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26898

現代真空管アンプ考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=26935


多素子のネットワーク構成ゆえに容量性負荷となり、
しかもインピーダンスも8Ωよりも低くかったりするし、
さらには能率も低い。

おまけにそういうスピーカーに接続されるスピーカーケーブルも、
真空管アンプ全盛時代のスピーカーケーブル、
いわゆる平行二芯タイプで、太くもないケーブルとは違っていて、
そうとうに太く、構造も複雑になっていて、
さらにはケーブルの途中にケースで覆われた箇所があり、
そこには何かが入っていたりして、
ケーブルだけ見ても、アンプにとって負荷としてしんどいこともあり得るのではないか。

QUAD II以外のアンプのほとんどは位相補正を行っている。
無帰還アンプならばそうでもないが、NFBをかけているアンプで位相補正なしというのは非常に珍しい。

大半のアンプが位相補正を行っているわけだが、
どの程度まで位相補正をやっているのか、というと、
メーカー、設計者によって、かなり違ってきている。

マランツの真空管アンプは、特にModel 9、Model 8Bは、
徹底した、ともいえるし、凝りに凝った、ともいえる位相補正である。

積分型、微分型、両方の位相補正を組合せて、計五箇所行われている。
それ以前のマランツのパワーアンプ、Model 2、5、8でも位相補正はあるけれど、
そこまで徹底していたわけではない。

私がオーディオに興味をもったころ、Model 8に関しては8Bだけが知られていた。
Model 8というモデルがあったのは知っていたものの、
そのころは8Bはマイナーチェンジぐらいにしかいわれてなかった。

ステレオサウンド 37号でも、
回路はまったく同じで電源を少し変えた結果パワーが増えた──、
そういう認識であった。
1975年当時では、そういう認識でも仕方なかった。

Model 8とModel 8Bの違いがはっきりしたのは、
私が知る範囲では、管球王国 vol.12(1999年春)が最初だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26935

現代真空管アンプ考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=26937


Model 8とModel 8Bの違いについて細かなことは省く。
詳しく知りたい方は、管球王国 vol.12の当該記事が再掲載されているムック、
「往年の真空管アンプ大研究」を購入して読んでほしい。

以前の管球王国は、こういう記事が載っていた。
そのころは私も管球王国には期待するものがあった。
けれど……、である。

わずかのあいだにずいぶん変ってしまった……、と歎息する。

Model 8はよくいわれているようにModel 5を二台あわせてステレオにしたモデルとみていい。
Model 8は1959年に発売になっている。
Model 8Bは1961年発売で、前年にはModel 9が発売されている。

Model 8と8Bの回路図を比較すると、もちろん基本回路は同じである。
けれど細かな部品がいくつか追加されていて、
出力トランスのNF巻線が8Bでは二組に増えている。

そういった変更箇所をみていくと、Model 8Bへの改良には、
記事中にもあるようにModel 9の開発で培われた技術、ノウハウが投入されているのは明らかだ。

石井伸一郎氏は、Model 8Bはマランツの管球式パワーアンプの集大成、といわれている。
井上先生も、Model 8Bはマランツのパワーアンプの一つの頂点ではないか、といわれている。
上杉先生は、マランツのパワーアンプの中で、Model 8Bがいちばん好きといわれている。

マランツの真空管パワーアンプの設計はシドニー・スミスである。
シドニー・スミスは、Model 5がいちばん好きだ、といっている(らしい)。

ここがまた現代真空管アンプとは? について書いている者にとっては興味深い。
http://audiosharing.com/blog/?p=26937


現代真空管アンプ考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=26949

上杉先生は管球王国 vol.12で、
マランツのModel 8Bの位相補正について、次のように語られている。
     *
上杉 この位相補正のかけ方は、実際に波形を見ながら検証しましたが、かなり見事なもので、補正を一つずつ加えていくと、ほとんど原派生どおりになるんですね。そのときの製作記事では、アウトプットトランスにラックス製を使ったため、♯8Bとは異なるのですが、それでも的確に効果が出てきました。
     *
上杉先生が検証されたとおりなのだろう。
位相補正をうまくかけることで、NFBを安定してかけられる。
つまりNFBをかけたアンプの完成度を高めているわけである。

真空管のパワーアンプの場合、出力トランスがある。
その出力トランスの二次側の巻線から、ほとんどのアンプではNFBがかけられる。
つまりNFBのループ内に出力トランスがあるわけだ。

出力トランスが理想トランスであれば、
位相補正に頼る必要はなくなる。
けれど理想トランスなどというモノは、この世には存在しない。
これから先も存在しない、といっていいい。

トランスというデバイスはひじょうにユニークでおもしろい。
けれど、NFBアンプで使うということは、それゆえの難しさも生じてくる。

Model 8と8Bは、トランスの二次側の巻線からではなく、NFB用巻線を設けている。
しかも(その12)でも書いているように、8BではNFB用巻線がさらに一つ増えている。

上杉先生が検証されたラックスのトランスには、NFB用巻線はなかったのではないか。
二次側の巻線からNFBをかけての検証だった、と思われる。

それでも的確に効果が出てきた、というのは、そうとうに有効な位相補正といえよう。
なのに、なぜ、複雑な構成のネットワークをもつスピーカーが負荷となると、
マランツのModel 8B、Model 9は大変なことになるのか。

凝りに凝った位相補正がかけられていて、
NFBアンプとしての完成度も高いはずなのに……、だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26949

現代真空管アンプ考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=26951


結局のところ、抵抗負荷での測定であり、
入力信号も音楽信号を使うわけではない。

上杉先生の検証も抵抗負荷での状態のはずだし、
マランツがModel 8Bの開発においても抵抗負荷での実験が行われたはず。

ほぼ原波形どおりの出力波形が得られた、ということにしても、
音楽信号を入力しての比較ではなく、
正弦波、矩形波を使っての測定である。

アンプが使われる状況はそうてはない。
負荷は常に変動するスピーカーであり、
入力される信号も、つねに変動する音楽信号である。

ここでやっと(その4)のヒーターの点火方法のことに戻れる。
おそらくヒーターも微妙な変動を起しているのではないか、と考えられる。
安定しているのであれば、定電圧点火であろうと定電流点火であろうと、
どちらも設計がしっかりした回路であれば、音の変化は出ないはずである。

ヒーターに流れる電流は、ヒーターにかかっている電圧を、
ヒーターの抵抗値で割った値である。

ヒーターは冷えている状態と十分に暖まった状態では抵抗値は違う。
当然だが、冷えている状態のほうが低い。

十分に暖まった状態で、ヒーターの温度が安定していれば抵抗値も変動しないはず。
抵抗値が安定していれば、かかる電圧も安定化されているわけで、
オームの法則からヒーターに流れる電流も安定になる。
定電圧点火でも定電流点火でも、音に違いが出るはずがない。

けれど実際は、大きな音の違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26951

現代真空管アンプ考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=26999


いまでこそアンプに面実装タイプの部品があたりまえのように使われるようになっている。
小さい抵抗やコンデンサーには、そのサイズ故のメリットがあるのはわかっていても、
それ以前のアンプでのパ抵抗やコンデンサーの大きさを知っている者からすれば、
デメリットについても考える。

もちろんメリットとデメリットは、どちらか片方だけでなく、
サイズの大きな部品にもメリットとデメリットがあるわけだが、
昔から、抵抗は同じ品種であっても、ワット数の大きいほうが音はいい、といわれてきた。

1/4Wのの抵抗よりも1/2W、さらには1W、2W、5W……、というふうに音はよくなる、といわれていた。
富田嘉和氏はさらに大きな10W、20Wの抵抗を、アンプの入力抵抗に使うという実験をされていたはずだ。

ワット数が大きいほうが、なぜいいのか。
その理由ははっきりとしないが、ひとつには温度係数が挙げられていた。
音楽信号はつねに変動している。

1/4Wの抵抗で動作上問題がなくても、
大きな信号が加わった時、抵抗の内部はほんのわずかとはいえ温度が上昇する。
温度係数の、あまりよくない抵抗だと、その温度上昇によって抵抗値にわずかな変動が生じる。
それが音に悪影響を与えている可能性が考えられる──、
そういったことがいわれていた。

確かに抵抗であれば、ワット数が大きくなれば温度係数はよくなる。
この仮説が事実だとしたら、真空管のヒーターもそうなのかもしれない、と考えられる。

温度のわずかな変化、それによるヒーターの抵抗値のわずかな変動。
そこに定電圧電源から一定の電圧がかかっていれば、
ヒーターへの電流はわずかとはいえ変動することになる。

電流の変動はエミッションの不安定化へとつながる。
ならば安定化しなければならないのは電圧ではなく、電流なのかもしれない。

定電流点火によってヒーターのなんらかの変動が生じても、電流は一定である。
そのためヒーターにかかる電圧はわずかに変動する。

それでも重要なのはエミッションの安定であることがわかっていれば、
どちらなのかははっきりとしてくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=26999


現代真空管アンプ考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=27001


ヒーターはカソードを熱している。
カソードとヒーター間に十分な距離があれば問題は生じないのだろうが、
距離を離していてはカソードを十分に熱することはできない。

カソードとヒーターとは近い。
ということはそこに浮遊容量が無視できない問題として存在することになる。
ということは真空管アンプの回路図を厳密に描くのであれば、
カソードとヒーターを、極小容量のコンデンサーで結合することになる。

それでも真空管が一本(ヒーターが一つ)だけであれば、大きな問題とはならないかもしれないが、
実際には複数の真空管が使われているのだから、浮遊容量による結合は、
より複雑な問題となっているはず。

仮に定電圧点火であっても定電流点火であっても、
エミッションが完全に安定化していたとしても、この問題は無視できない。

そこに定電圧電源をもてくるか、定電流電源をもってくるかは、
それぞれの干渉という点からみれば、
低インピーダンスの定電圧電源による点火か、
高インピーダンスの定電流電源による点火か、
どちらが複数の真空管の相互干渉を抑えられるかといえば後者のはずだ。

念のためいっておくが、三端子レギュレーターの配線を変更して定電流点火は認めない。

私は真空管のヒーターは、きちんとした回路による定電流点火しかないと考える。
けれど、ここで交流点火について考える必要もある。

交流点火はエミッションの安定化、つまりヒーター温度の安定化という点では、
どう考えても直流点火よりも不利である。

けれど交流点火でなければならない、と主張する人は昔からいる。
ここでの交流点火は、ほとんどの場合、出力管は直熱三極管である。
http://audiosharing.com/blog/?p=27001

現代真空管アンプ考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=27010

直熱三極管の交流点火ではハムバランサーが必ずつくといっていい。
この場合、電源トランスのヒーター用巻線の両端のどちらかが接地されることは、まずない。

傍熱管の場合でもハムバランサーがついているアンプもある。
マッキントッシュの場合は、モノーラル時代のモノ(つまりMC60までは)ハムバランサーがあり、
ステレオ時代になってからはヒーター用巻線の片側が接地されている。
MC3500ではハムバランサーが復活している。

同時代のマランツのパワーアンプは、というと、ヒーター用巻線にセンタータップがあり、
これが接地されている。ハムバランサーはない。

ハムバランサーがない場合でも、マッキントッシュとマランツとでは接地が違う。
正直いうと、この接地の仕方の違いによる音の変化を、同一アンプで比較試聴したことはない。

マランツの真空管アンプも聴いているし、マッキントッシュの真空管アンプも聴いているが、
これらのアンプの音の違いは交流点火における接地の仕方だけの違いではないことはいうまでもない。

なので憶断にすぎないのはわかっているが、交流点火の場合、
ヒーター用巻線にセンタータップがあり、ここを接地したほうが音はいいのではないのか。

交流点火が音がいい、という人がいる。
けれど理屈からは直流点火のほうがエミッションは安定化するように思える。
それでも──、である。

ということは交流点火で考えられるのは電流の向きが反転することであり、
この反転がヒーターの温度の安定化にどう作用しているのか。

交流点火になんらかの音質的なメリットがあるとしよう。
ならば交流点火でも、定電圧点火と定電流点火とが考えられる。
通常の交流点火ではヒーター用巻線からダイレクトに真空管のヒーターに配線するが、
あえてアンプを介在させる。小出力のアンプの出力をヒーターへと接続する。

そうすることで出力インピータンスを低くすることができ、
この場合は定電圧点火となるし、このアンプを電流出力とすれば、
交流の定電流点火とすることができる。
しかもアンプをアンバランスとするのか、バランスとするのかでも音は変ってこよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=27010


現代真空管アンプ考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=27012


ここまでやるのならば、ヒーター点火の周波数を50Hz、60Hzにこだわることもない。
もう少し高い周波数による交流点火も考えられる。
十倍の500Hz、600Hzあたりにするだけでも、そうとうに音は変ってくるはずだ。

そのうえで定電流でのバランス点火とする手もある。

つまりヒーター用電源を安定化するということは、
真空管のエミッションを安定化するということであり、
ヒーターにかかる電圧を安定化するということではない。

エミッションの安定化ということでは、重要なパラメーターは電圧ではなく電流なのだろう。
そうなると定電流点火を考えていくべきではないのか。

300Bだろうが、EL34、KT88だろうが、真空管全盛時代のモノがいい、といわれている。
確かに300Bをいくつか比較試聴したことがあって、刻印タイプの300の音に驚いた。

そういう球を大金を払って購入するのを否定はしないが、
そういう球に依存したアンプは、少なくとも現代真空管アンプとはいえない。

現代真空管アンプとは、現在製造されている真空管を使っても、
真空管全盛時代製造の真空管に近い音を出せる、ということがひとつある。
そのために必要なのは、エミッションの安定化であり、
それは出力管まで定電流点火をすることで、ある程度の解決は見込める。

もちろん、どんなに優れた点火方法であり、100%というわけではないし、
仮にそういう点火方法が実現できたとしても、
真空管を交換した場合の音の違いが完全になくなるわけではない。

それでも真空管のクォリティ(エミッションの安定)に、
あまり依存しないことは、これからの真空管アンプには不可欠なことと考える。
http://audiosharing.com/blog/?p=27012

現代真空管アンプ考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=27014


定電流点火のやっかいなのは、作るのが面倒だという点だ。
回路図を描くのは、いまでは特に難しくはない。

けれど作るとなると、熱の問題をどうするのかを、まず考えなくてはならない。
それに市販の真空管アンプ用の電源トランスではなく、
ヒーター用に別個の電源トランスが必要となってくる。

もっとも真空管アンプの場合、高電圧・低電流と低電圧・高電流とを同居しているわけで、
それは電源トランスでも同じで、できることならトランスから分けたいところであるから、
ヒーター用電源トランスを用意することに、特に抵抗はないが、
定電流回路の熱の問題はやっかいなままだ。

きちんとした定電流点火ではなく、
単純にヒーター回路に抵抗を直列に挿入したら──、ということも考えたことがある。

たとえば6.3Vで1Aのヒーターだとすれば、ヒーターの抵抗は6.3Ωである。
この6.3Ωよりも十分に高いインピーダンスで点火すれはいいのだから、
もっとも安直な方法としては抵抗を直列にいれるという手がある。

昔、スピーカーとアンプとのあいだに、やはり直列に抵抗を挿入して、
ダンピングをコントロールするという手法があったが、これをもっと積極的にするわけで、
たとえば6.3Ωの十倍として63Ωの抵抗、さらには二十倍の126Ωの抵抗、
できれば最低でも百倍の630Ωくらいは挿入したいわけだが、
そうなると、抵抗による電圧低下(630Ωだと630Vになる)があり、
あまり高い抵抗を使うことは、発熱の問題を含めて現実的ではない。

結局、定電流点火のための回路を作ったほうが実現しやすい。
定電流の直流点火か交流点火なのか、どちらが音がいいのかはなんともいえない。

ただいえるのは定電流点火をするのであれば、ヒーター用トランスを用意することになる。
それはトランスの数が増えることであり、トランスが増えることによるデメリット、
トランス同士の干渉について考えていく必要が出てくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=27014


現代真空管アンプ考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=27016


真空管パワーアンプは、どうしても重量的にアンバランスになりがちだ。
出力トランスがあるから、ともいえるのだが、
出力トランスをもたないOTLアンプでも、
カウンターポイントのSA4やフッターマンの復刻アンプでは、重量的アンバランスは大きかった。

電源トランスが一つとはいえ、真空管のOTLアンプではもう一つ重量物であるヒートシンクがないからだ。
SA4を持ち上げてみれば、すぐに感じられることだが、フロントパネル側がやたら重くて、
リアパネル側は軽すぎる、といいたくなるほどアンバランスな重量配分である。

重量的アンバランスが音に影響しなければ問題することはないが、
実際は想像以上に影響を与えている。

出力トランスをもつ真空管アンプでは、重量物であるトランスをどう配置するかで、
アンプ全体の重量配分はほぼ決る。

ステレオアンプの場合、出力トランスが二つ、電源トランスが一つは、最低限必要となる。
場合によってはチョークコイルが加わる。

マッキントッシュのMC275やMC240は、重量配分でみれば、そうとうにアンバランスである。
マランツのModel 8B、9もそうである。
ユニークなのはModel 2で、電源トランス、出力トランスをおさめた金属シャーシーに、
ゴム脚が四つついている。
この、いわゆるメインシャーシーに突き出す形で真空管ブロックのサブシャーシーがくっついている。

サブシャーシーの底にはゴム脚はない。いわゆる片持ちであり、
強度的には問題もあるといえる構造だが、重量的アンバランスはある程度抑えられている、ともいえる。

Model 5は奥に長いシャーシーに、トランス類と真空管などを取り付けてある。
メインシャーシー、サブシャーシーというわけではない。
このままではアンバランスを生じるわけだが、
Model 5ではゴム脚の取付位置に注目したい。

重量物が寄っている後方の二隅と、手前から1/3ほどの位置に前側のゴム脚がある。
四つのゴム脚にできるだけ均等に重量がかかるような配慮からなのだろう。

でもシャーシー手前側は片持ち的になってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=27016


現代真空管アンプ考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=27019

これまで市販された真空管パワーアンプを、
トランスの配置(重量配分)からみていくのもおもしろい。

ウエスギ・アンプのU·BROS3は、シャーシーのほぼ中央(やや後方にオフセットしているが)に、
出力トランス、電源トランス、出力トランスという順で配置している。
重量物三つをほぼ中央に置くことで、重量バランスはなかなかいい。

同じKT88のプッシュプルアンプのマイケルソン&オースチンのTVA1は、
シャーシーの両端にトランスを振り分けている。
片側に出力トランスを二つを、反対側に電源トランスとなっている。

電源トランスは一つだから、出力トランス側のほうに重量バランスは傾いているものの、
極端なアンバランスというほどではない。

ラックスのMQ60などは、後方の両端に出力トランスをふりわけ、前方中央に電源トランス。
完璧な重量バランスとはいえないものの、けっこう重量配分は配慮されている。

(その20)で、マッキントッシュのMC275、MC240はアンバランスだと書いたが、
MC3500はモノーラルで、しかも電源トランスが二つあるため、
内部を上から見ると、リアパネル左端に出力トランス、フロントパネル右端に電源トランスと、
対角線上に重量物の配置で、MC275、MC240ほどにはアンバランスではない。

現行製品のMC2301は、マッキントッシュのパワーアンプ中もっとも重量バランスが優れている。
シャーシー中央にトランスを置き、その両側に出力管(KT88)を四本ずつ(計八本)を配置。

出力は300W。MC3500の350Wよりも少ないものの、MC3500の現代版といえる内容であり、
コンストラクションははっきりと現代的である。
2008年のインターナショナルオーディオショウで初めてみかけた。
それから十年、ふしぎと話題にならないアンプである。
音を聴く機会もいまのところない。

インターナショナルオーディオショウでも、音が鳴っているところに出会していない。
いい音が鳴ってくれると思っているのに……。
http://audiosharing.com/blog/?p=27019


現代真空管アンプ考(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=27023


ここまで書いてきて、また横路に逸れそうなことを思っている。
現代真空管アンプとは、いわゆるリファレンス真空管アンプなのかもしれない、と。

ステレオサウンド 49号の特集は第一回STATE OF THE ART賞だった。
Lo-DのHS10000について、井上先生が書かれている。
     *
 スピーカーシステムには、スタジオモニターとかコンシュマーユースといったコンセプトに基づいた分類はあが、Lo-DのHS10000に見られるリファレンススピーカーシステムという広壮は、それ自体が極めてユニークなものであり、物理的な周波数特性、指向周波数特性、歪率などで、現在の水準をはるかに抜いた高次元の結果が得られない限り、その実現は至難というほかないだろう。
     *
こういう意味での、リファレンス真空管アンプを考えているのだろうか、と気づいた。
製品化することを前提とするものではなく開発されたオーディオ機器には、
トーレンスのReferenceがある。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生がそのへんのことを書かれている。
     *
「リファレンス」という名のとおり、最初これはトーレンス社が、社内での研究用として作りあげた。
アームの取付けかたなどに、製品として少々未消化な形をとっているのも、そのことの裏づけといえる。
 製品化を考慮していないから、費用も大きさも扱いやすさなども殆ど無視して、ただ、ベルトドライヴ・ターンテーブルの性能の限界を極めるため、そして、世界じゅうのアームを交換して研究するために、つまりただひたすら研究用、実験用としてのみ、を目的として作りあげた。
 でき上った時期が、たまたま、西独デュッセルドルフで毎年開催されるオーディオ・フェアの時期に重なっていた。おもしろいからひとつ、デモンストレーション用に展示してみようじゃないか、と誰からともなく言い出して出品した。むろん、この時点では売るつもりは全くなかった??、ざっと原価計算してみても、とうてい売れるような価格に収まるとも思えない。まあ冗談半分、ぐらい気持で展示してみたらしい。
 ところが、フェアの幕が開いたとたんに、猛反響がきた。世界各国のディーラーや、デュッセルドルフ・フェアを見にきた愛好家たちのあいだから、問合せや引合いが殺到したのだそうだ。あまりの反響の大きさに、これはもしかしたら、本気で製品化しても、ほどほどの採算ベースに乗るのではないだろうか、ということになったらしい。いわば瓢箪から駒のような形で、製品化することになってしまった……。レミ・トーレンス氏の説明は、ざっとこんなところであった。
     *
トーレンスのReferenceには、未消化なところがある。
扱いやすいプレーヤーでもない。
あくまでもトーレンスが自社の研究用として開発したプレーヤーをそのまま市販したのだから、
そのへんは仕方ない。

その後、いろいろいてメーカーからReferenceとつくオーディオ機器がいくつも登場した。
けれど、それらのほとんどは最初から市販目的の製品であって、
肝心のところが、トーレンスのReferenceとは大きく違う。

Lo-DのHS10000も、市販ということをどれだけ考えていたのだろうか。
W90.0×H180.0×D50.0cmという、かなり大きさのエンクロージュアにもかかわらず、
2π空間での使用を前提としている。

つまりさらに大きな平面バッフルに埋めこんで使用することで、本来の性能が保証される。
価格は1978年で、一本180万円だった。
しかもユニット構成は基本的には4ウェイ5スピーカーなのだが、
スーパートゥイーターをつけた5ウェイへの仕様変更も可能だった。

HS10000も、せひ聴きたかったスピーカーのひとつであったが、
こういう性格のスピーカーゆえに、販売店でもみかけたことがない。
いったいどれだけの数売れたのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=27023

現代真空管アンプ考(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=27053


トランスのことに話を戻そう。

重量物であるトランスをうまく配置して、重量バランスがとれたからといって、
トランスが複数個あることによる問題のすべてが解消するわけではない。

トランスは、まず振動している。
ケースにおさめられ、ケースとトランスの隙間をピッチなどが充填されていても、
トランスの振動を完全に抑えられるわけではない。

トランスはそれ自体が振動発生源である。
しかも真空管パワーアンプでは複数個ある。
それぞれのトランスが,それぞれの振動を発生している。

チョークコイルも、特にチョークインプット方式での使用ではさらに振動は大きく増す。
しかも真空管アンプなのだから、能動素子は振動の影響を受けやすい真空管である。

一般的な真空管アンプのように、一枚の金属板に出力トランス、電源トランス、チョークコイル、
そして真空管を取り付けていては、振動に関してはなんら対策が施されていないのと同じである。

トランスと金属板との間に緩衝材を挿むとか、
その他、真空管ソケットの取付方法に細かな配慮をしたところで、
根本的に振動の問題を解消できるわけではない。

もちろん、振動に関して完璧な対策があるわけではないことはわかっている。
それでも真空管アンプの場合、
トランスという振動発生源が大きいし多いから、
難しさはトランジスターアンプ以上ということになる。

30年ほど前、オルトフォンの昇圧トランスSTA6600に手を加えたことがある。
手を加えた、というより、STA6600に使われているトランスを取り出して、
別途ケースを用意して、つくりかえた。

その時感じたのは、トランスの周囲にはできるだけ金属を近づけたくない、だった。
STA6600のトランスはシールドケースに収められていた。
すでにトランスのすぐそばに金属があるわけだが、
それでも金属板に取り付けるのは、厚めのベークライトの板に取り付けるのとでは、
はっきりと音は違う。

金属(アルミ)とベークライトの固有音の違いがあるのもわかっているが、
それでも導体、非導体の違いは少なからずあるのではないのか。

そう感じたから、トランスの周りからは配線以外の金属は極力排除した。
ベークライトの板を固定する支柱もそうだし、ネジも金属製は使用しなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=27053


現代真空管アンプ考(番外)
http://audiosharing.com/blog/?p=27060


現代真空管アンプ考というタイトルをつけている。
「現代スピーカー考」という別項もある。

現代、現代的、現代風などという。
わかっているようでいて、いざ書き始めると、何をもって現代というのか、
遠くから眺めていると、現代とつくものとつかないものとの境界線が見えているのに、
もっとはっきり見ようとして近づいていくと、いかにその境界線が曖昧なのかを知ることになる。

1989年、ティム・バートン監督による「バットマン」が公開された。
バットマンは、アメリカのテレビドラマを小さかったころ見ていた。

バットマンというヒーローの造形が、こんなに恰好良くなるのか、とまず感じた。
バットモービルに関しても、そうだった。

「バットマン」はヒットした。
そのためなのかどうかはわからないが、
過去のヒーローが、映画で甦っている。

スーパーマン、スパイダーマン、アイアンマン、ハルク、ワンダーウーマンなどである。
スパイダーマンは日本で実写化されたテレビ版を見ている。
ハルクとワンダーウーマンのテレビ版は見ている。

スーパーマンの映画は、
1978年公開、クリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」から観てきている。

これらヒーローの造形は、現代的と感じる。
特にワンダーウーマンの恰好良いこと。

ワンダーウーマンの設定からして、現代的と感じさせるのは大変だったはずだ。
けれど、古い時代の恰好でありながらも、見事に成功している。

日本のヒーローはどうかというと、
仮面ライダー、キカイダー、ガッチャマン、破裏拳ポリマーなどの映画での造形は、
アメリカのヒーローとの根本的な違いがあるように感じる。

較べるのが無理というもの、
予算が違いすぎるだろう、
そんなことを理由としていわれそうだが、
ヒーローものの実写映画において、肝心のヒーローの造形が恰好良くなくて、
何がヒーローものなのか、といいたくなる。

日本の、最近制作されたヒーローものの実写映画での造形は、
どこか根本的なところから間違っているように思う。

「現代」という言葉の解釈が、アメリカと日本の映画制作の現場では大きく違っているのか。
日米ヒーローの造形の、現代におけるありかたは、
「現代」ということがどういうことなのかを考えるきっかけを与えてくれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=27060

現代真空管アンプ考(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=27321


オルトフォンのSTA6600のトランスを流用して自作したモノは、
うまくいった。
トランスの取り付け方だけが工夫を凝らしたところではなく、
他にもいろいろやっているのだが、その音は、
誰もが中身はSTA6600のトランスとは見抜けないほど、音は違っている。

もっといえば立派な音になっている。
自画自賛と受けとられようが、
この自作トランスの音を聴いた人は、その場で、売ってほしい、といってくれた。

その人のところには、ずっと高価な昇圧トランスがあった。
当時で、20万円を超えていたモノで、世評も高かった。

だから、その人も、その高価なトランスを買ったわけだが、
私の自作トランスの方がいい、とその人は言ってくれた。

そうだろうと思う。
トランス自体の性能は、高価なトランスの方が上であろう。
ただ、その製品としてのトランスは、トランス自体の扱いがわかっていないように見えた。

この製品だけがそうなのではなく、ほとんど大半の昇圧トランスが、そうである。
インターネットには、高価で貴重なトランスをシャーシーに取り付けて──、というのがある。

それらを見ると、なぜこんな配線にしてしまうのか。
その配線が間違っているわけではない。
ほとんどのトランスでやられている配線である。

それを疑いもせずにそのまま採用している。
私にいわせれば、そんな配線をやっているから、
トランス嫌いの人がよくいうところの、トランス臭い音がしてしまう。

取り付けにしても配線にしても、ほんのちょっとだけ疑問をもって、
一工夫することを積み重ねていけば、トランスの音は電子回路では味わえぬ何かを聴かせてくれる。

MC型カートリッジの昇圧トランスと、真空管パワーアンプの出力トランスとでは、
扱う信号のレベルが違うし、信号だけでなく、真空管へ供給する電圧もかかる。

そういう違いはあるけれど、どちらもトランスであることには変りはない。
ということは、トランスの扱い方は、自ずと決ってくるところが共通項として存在する。
http://audiosharing.com/blog/?p=27321

現代真空管アンプ考(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=27342

無線と実験、ラジオ技術には、毎号、真空管アンプの製作記事が載っている。
この二誌以外のオーディオ雑誌にも、真空管アンプの製作記事が載ることがある。

トランスにはシールドケースに収納されているタイプと、
コアが露出しているタイプとがある。

シールドケースに入っているタイプだとわかりにくいが、
コアが露出しているタイプを使っているアンプ、
それもステレオ仕様のアンプだと、出力トランスの取り付け方向を見てほしい。

きちんとわかって配置しているアンプ(記事)もあれば、
無頓着なアンプも意外と多い。

EIコアのトランスだと、漏洩磁束の量がコアの垂直方向、水平方向、
それに巻線側とでは、それぞれに違う。

そのことを忘れてしまっている製作例がある。

複数のトランスが、一つのシャーシー上にあれば、必ず干渉している。
その干渉をなくすには、トランス同士の距離を十二分にとるのがいちばん確実な方法だ。

けれどこんなやり方をすれば、アンプ自体のサイズがそうとうに大きくなるし、
それに見た目も間延してしまう。

それにトランス同士の距離が離れれば、内部配線も当然長くなる。
どんなワイヤーであってもインダクタンスをもつ。
そうであれば高域でのインピーダンスは必然的に上昇することになる。

配線の距離が長くなるほど、インピーダンスの上昇も大きくなるし、
長くなることのデメリットは、外部からの影響も受けやすくなる。

NFBを、出力トランスの二次側からかけている回路であれば、
NFBループ内のサイズ(面積)が広くなり、このことにも十分な配慮が必要となる。

配線の長さ、仕方によるサイズの変化については、以前書いているので、ここでは触れない。
http://audiosharing.com/blog/?p=27342

現代真空管アンプ考(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=27557


トランスの取り付け方、取り付け位置は注目したいポイントである。

カタログやウェブサイトなどでの製品の説明で、
良質で大容量の電源トランスを使用していることを謳っているものはけっこうある。

オーディオ雑誌の記事でも、製品の内部写真の説明でも、
電源トランスは……、という記述があったりする。

アンプにしても、CDプレーヤーにしても交流電源を直流にして、
その直流を信号に応じて変調させて出力をさせているわけだから、
電源のクォリティは、音のクォリティに直結しているわけで、
電源トランスは、その要ともいえる。

だからこそ良質で(高価な)トランスを採用するわけだが、
その取り付け方をみると、このメーカーは、ほんとうに細部までこだわっているのだろうか──、
そう思いたくなるメーカーが、けっこう多い。

ケースなしの電源トランス、
特にトロイダルコアの電源トランスをどう固定するか。

どんなに電源トランスのクォリティにこだわりました、と謳っていても、
こんな取り付け方しかしないのか、取り付け方を自分たちで工夫しないのか、考えないのか、
そういいたくなることがある。

安価な製品であれば、それでもかまわない、と思うけれど、
数十万円、百万円をこえる製品なのに、
電源トランスも大きく立派そうにみえるモノであっても、
取り付け方は標準的な方法そのままだ。

ここまで書けば、製品内部をきちんと見ている人ならば、
どういうことをいいたいのかわかってくれよう。

細部まで疎かにせず、とか、細部までこだわりぬいた、とか、
そういう謳い文句が並んでいても、電源トランスの取り付け方が、
そのこだわりがどの程度のものなのかを、はっきりと示している。
http://audiosharing.com/blog/?p=27557

現代真空管アンプ考(最大出力)
http://audiosharing.com/blog/?p=27653


マイケルソン&オースチンのTVA1は、KT88のプッシュプルで出力は70W+70Wだった。
TVA1に続いて登場したEL34プッシュプルのTVA10は、50W+50Wだった。

TVA1の70Wの出力は理解できた。
けれどTVA10の50Wという出力は、EL34のプッシュプルにしては大きい。
EL34のプッシュプルで、AB1級ならば出力は35W程度である。

TVA10に続いて登場したM200は、EL34の4パラレルプッシュプルで200Wの出力。
出力管の本数がTVA10の四倍に増え、出力も四倍になっている。

TVA1は何度か聴いている。
TVA10も一度か二度聴いているけど、M200は聴く機会がなかった。

TVA1とTVA10は、出力管が違うとはいえ、ずいぶん音が違うな、と感じたものだった。
TVA1の音には魅力を感じたが、TVA10には、まったくといっていいほど魅力を感じなかった。

M200までになると、印象は変ってくるかもしれないが、
TVA1とTVA10は、同じ人が設計しているとは思えなかった。

そのことがはっきりしたのは聴いてから数年経ったころで、
TVA10とM200の設計者はティム・デ・パラヴィチーニであることがわかった。

パラヴィチーニはラックスに在籍していたこともある。
コントロールアンプのC1000とパワーアンプのM6000は、彼の設計といわれているし、
管球式モノーラルパワーアンプのMB3045もそうである。

ならば、パラヴィチーニは、ラックス時代に上原晋氏と一緒に仕事をしていた可能性もある。

上原晋氏は、ラジオ技術の1958年8月号で、EL34のプッシュプルアンプを発表されている。
このアンプの出力は60Wと、一般的なEL34のプッシュプルよりもかなり大きい。

だからといって、EL34の定格ぎりぎりまで使っての、やや無理のある設計ではない。
記事の冒頭に、こう書かれている。
     *
このアンプでは、定格いっぱいの用法は敬遠し、できるだけ球に余裕を持たせ、とくにSgの損失を軽くすることによって寿命を延ばすようにしました。結果からいいますとSgの損失を定格の半分くらいに押えましたので、いちおうこの点での不安は解消しましたが、これでも球によってはグリッドのピッチの不揃いからか、2〜3本の線が焼けるものに当る時もありますが、この程度ならたいして実害はないようで、かなり長く使っていてなんともありませんから、まず大丈夫だと思っていいでしょう。
     *
パラヴィチーニは、この上原晋氏のEL34のプッシュプルアンプの動作点を参考にしての、
TVA10とM200の出力の実現なのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=27653


現代真空管アンプ考(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=30130

真空管アンプではどうしても不可欠になってしまうトランス類、
これらをどう配置して、どう取り付けていくのかについて、
こまかく書いていこうとすると、どこまでも細かくなってしまうほど、
やっかいな問題といえる。

それに真空管アンプを自作される人ならば、
こうやって文章だけで伝えてもイメージされるだろうが、
自作されない方のなかには、なかなかイメージしにくいと思われている方もいるのではないか。

ここまで書きながら、もう少し具体的に、
もう少しイメージしやすいようにしたい、と考えていた。

なので、過去の真空管アンプで、
私が考える現代真空管アンプに近いモデルはあっただろうか、とふり返ってみた。

マランツの管球式アンプ?
マッキントッシュ?

いくつかのブランド名とモデル名が浮びはするが、
どれも違うな、と思う。

結局、QUADのIIが、意外にも、
私が考える現代真空管アンプに近いようにも感じている。

ここで考えている現代真空管アンプとは、
あくまでも自分の手でつくれる範囲において、である。

加工機械を駆使して、金属ブロックからシャーシーを削り出して──、
そういうことまでは、ここでのテーマではない。

もちろん理想の現代真空管アンプとは? ということは考えながらも、
個人でつくれる範囲に、どうもってくるのか。
それもテーマの一つである。

そういう視点で眺めてみると、
QUAD IIというモデルこそが、という想いが確固たるものになってくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=30130

現代真空管アンプ考(その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=34357


現代真空管アンプをどうイメージしていくか。
こまかな回路構成について後述するつもりなのだが、NFBをどうするのか。

私は出力管が三極管ならばかけないという手もあると考えるが、
ビーム管、五極管ともなるとNFBをかけることを前提とする。

NFBはほとんどの場合、出力トランスの二次側巻線から初段の真空管へとかけられる。
信号経路とNFB経路とで、ひとつのループができる。
このループのサイズを、いかに小さく(狭く)していくかは、
NFBを安定にかける以上に、
真空管アンプ全盛時代とは比較にならないほどアンプを囲む環境の悪化の点でも、
非常に重要になってくる。

プッシュプルアンプならば、初段、位相反転回路、出力段、出力トランス、
これらをどう配置するかによって、ループの大きさは決ってくる。

信号経路をできるだけストレートにする。
初段、位相反転回路、出力段、出力トランスを直線状に並べる。
こうするとNFBループは長く(大きく)なってしまう。

初段、位相反転回路、出力段、出力トランス、
これらを弧を描くように配置していくのが、ループのサイズを考慮するうえでは不可欠だ。

QUAD IIのこれらのレイアウトを、写真などで確認してほしい。
しかもQUAD IIは、出力トランスと電源トランスを、シャーシーの両端に配置している。

やや細長いシャーシー上にこういう配置にすることで、
重量がどちらかに偏ることがない。

出力トランスと電源トランスの干渉を抑えるうえでも、
この二つの物理的な距離をとるのは望ましい。
http://audiosharing.com/blog/?p=34357

現代真空管アンプ考(その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=34437


私がQUAD IIの詳細を知ったのは、
ステレオサウンド 43号(1977年夏号)掲載の「クラフツマンシップの粋」でだった。

QUADのアンプのことは知っていた。
トランジスターアンプの前に管球式のコントロールアンプの22、
パワーアンプのIIがあることだけは知ってはいたが、
具体的なことを知っていたわけではなかった。

記事は、井上先生、長島先生、山中先生による鼎談。
QUAD IIのところの見出しには「緻密でむだのないコンストラクション」とあった。

内容を読めば、そして写真をみれば、
この見出しは納得できる。

山中先生は
《とにかく、あらゆる意味でこのアンプは、個人的なことになりますけれども、一番しびれたんですよ。》
と発言されていた。

この時から、QUAD II、いいなぁ、と思うようになっていた。

43号から約二年後の52号。
巻頭に瀬川先生の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」がある。

そこで、こう書かれていた。
     *
迷いながらも選択はどんどんエスカレートして、結局、マランツのモデル7を買うことに決心してしまった。
 などと書くといとも容易に買ってしまったみたいだが、そんなことはない。当時の価格で十六万円弱、といえば、なにしろ大卒の初任給が三万円に達したかどうかという時代だから、まあ相当に思い切った買物だ。それで貯金の大半をはたいてしまうと、パワーアンプはマランツには手が出なくなって、QUADのII型(KT66PP)を買った。このことからもわたくしがプリアンプのほうに重きを置く人間であることがいえる。
     *
瀬川先生も、QUAD IIを使われていたのか──、
もちろん予算に余裕があったならばマランツの管球式パワーアンプを選択されていただろうが、
いまとは時代が違う。

マランツのModel 7とQUAD IIが、
瀬川先生にとって《初めて買うメーカー製のアンプ》である。

52号では、こんなことも書かれていた。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
     *
このころはQUAD IIを聴く機会はなかった。
意外にもQUAD IIを聴く機会は少なかった。

マランツやマッキントッシュの同時代の管球式アンプを聴く機会のほうがずっと多かった。
http://audiosharing.com/blog/?p=34437


現代真空管アンプ考(その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=34452


QUADの22+IIの組合せを聴く機会には恵まれなかったけれど、
ステレオサウンドで働いていたから、QUADのトランジスター式のアンプをよく聴いた。

QUADのペアで聴くことも多かったし、
それぞれ単独で、他のメーカーのアンプとの組合せでも、何度も聴いている。

そうやってQUADのアンプの音のイメージが、私のなかでできあがっていった。
このことが、QUAD IIの真価をすぐには見抜けなかったことにつながっていったように、
いまとなっては思っている。

QUAD IIは22との組合せで、とある個人宅で聴いている。
他のアンプと比較試聴をしたわけではない。
あくまでも、その人の音を聴かせてもらうなかで、
アンプがQUADの22+IIであった、というわけだから、
その時の音の印象が、QUAD IIの音の印象となるわけではない。

それは十分承知していても、
私がQUAD IIを聴いたのは、このときとあと一回ぐらいだ。
どちらも22との組合せである。

22との組合せこそ、もっともQUADの音なのだが、
こうやってQUAD IIのことを書き始めると、QUAD II単体の音というのを、
無性に聴いてみたくなる。

おそらくなのだが、かなりいい音なのではないだろうか。
出力は公称で15Wである。
実際はもう少し出ているそうだが、
その出力の小ささとコンパクトにまとめられた構成、
そしてQUADのその後のアンプの音の印象から、
なんとなくスケール感は小さい、とどうしても思いがちだ。

実際に大きくはないだろう。
際立ったすごみのような音も出ないだろう。

それでも、フレキシビリティの高い音のような気がする。
このことはQUAD IIのアンプとしてのつくりとともに、
現代真空管アンプとしての重要な要素と考えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34452


現代真空管アンプ考(その31)
http://audiosharing.com/blog/?p=34496


QUAD IIと同時代の真空管アンプ、
たとえばマランツのModel 5と比較してみたい。

比較といっても、その音を聴いてどちらかが優れているとか、
こんな音の特徴もっているとかいないとか、そんなことではなく、
現代真空管アンプ、それもオーディオマニアが自作できる範囲でのあり方を、
二つのアンプを比較して考えていきたい、というものである。

マランツの管球式パワーアンプは、
Model 2、Model 5、model 8(B)、Model 9がある。
Model 8(B)だけがステレオ仕様で、あとはモノーラル仕様である。

QUAD IIもモノーラルである。
QUAD IIの発表は1953年。
Model 2は1956年、Model 5は1958年である。

QUAD IIの出力管はKT66で、マランツはEL34である。
出力はQUAD IIが15W、Model 2が40W(UL接続)、Model 5が30W。

外形寸法は、QUAD IIがW32.1×H16.2×D11.9cm、
Model 2はW38.1×H16.5×D24.1cm、Model 5はW15.2×H18.7×D38.7cmで、
QUAD IIと比較するならばMODEL 5である。

マランツのModel 2、Model 5は、シャーシー構造がいわゆる片持ちといえる。
底板にゴム脚が四つあるが、これらはトランスの重量を支えるためといえる場所にある。

Model 2はシャーシー上後方にトランス(重量物)をまとめている。
手前に真空管が立っているわけだが、
この部分はトランスを支えるシャーシーにネジで固定されたサブシャーシーとなっている。

そして、このサブシャーシーの下部にゴム脚はない。

Model 5はサブシャーシーという構造はとっていないが、
真空管が立っている箇所の下部にゴム脚はない。

Model 8(B)、Model 9はオーソドックスな位置にゴム脚がついている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34496
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/840.html#c77

[リバイバル3] オールド マランツ 中川隆
67. 中川隆[-5732] koaQ7Jey 2021年4月14日 13:22:57 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[20]
audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考


Date: 8月 8th, 2018
現代真空管アンプ考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?cat=48&paged=6

こうやって真空管アンプについて書き始めると、
頭の中では、現代真空管アンプとは、いったいどういうモノだろうか、
そんなことも並行して考えはじめている。

個人的に作りたい真空管アンプは、現代真空管アンプとはいえないモノである。
それこそ趣味の真空管アンプといえるものを、あれこれ夢想しているわけだが、
そこから離れて、現代真空管アンプについて考えてみるのもおもしろい。

現代真空管アンプだから、真空管もいま現在製造されていることを、まず条件としたい。
お金がいくら余裕があっても、製造中止になって久しく、
市場にもあまりモノがなく、非常に高価な真空管は、それがたとえ理想に近い真空管であっても、
それでしか実現しないのは、現代真空管アンプとはいえない。

真空管もそうだが、ソケットもきちんと入手できること。
これは絶対に外せない条件である。

ここまではすんなり決っても、
ここから先となると、なかなか大変である。

大ざっぱに、シングルなのかプッシュプルなのか、がある。
プッシュプルにしても一般的なDEPPにするのかSEPPにするのか。

SEPPならばOTLという選択肢もある。
現代真空管アンプを考えていくうえで、出力トランスをどうするのかが、やっかいで重要である。
となるとOTLアンプなのか。

でも、それではちょっと安直すぎる。
考えるのが面倒だから省いてしまおう、という考えがどこかにあるからだ。


Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その2)

現代真空管アンプで、絶対に外せないことがまだある。
真空管のヒーターの点火方法である。

交流点火と直流点火とがある。
物理的なS/N比の高さが求められるコントロールアンプでは、直流点火が多い。
パワーアンプでは交流点火が多いが、
シングルアンプともなると、直流点火も増えてくる。

交流点火といっても、すべてが同じなわけではない。
例えば出力管の場合、一本一本にヒーター用巻線を用意することもあれば、
電流容量が足りていれば出力管のヒーターを並列接続して、という場合もあるし、
直列接続するという手もある。

ヒーター用配線の引き回しも音にもS/N比にも影響してくる。

直流点火だと非安定化か安定化とがある。
定電圧回路を使って安定化をはかるのか、
それとも交流を整流・平滑して直流にする非安定化なのか。

電源のノイズ、インピーダンスの面では安定化にメリットはあるが、
ではどういう回路で安定化するのかが、問題になってくる。

三端子レギュレーターを使えば、そう難しくなく安定化できる。
それで十分という人もいるし、三端子レギュレーターを使うくらいならば、
安定化しない方がいい、という人も、昔からいる。

ここでの直流点火は、電圧に着目してであって、
ヒーターによって重要なパラメータは電圧なのか、電流なのか。
そこに遡って考えれば、定電流点火こそ、現代真空管アンプらしい点火方法といえる。

Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その3)

オーディオに興味をもち、真空管アンプに、
そして真空管アンプの自作に興味をもつようになったばかりのころ、
ヒーターの点火は、ノイズが少なくインピーダンスが十分に低い定電圧回路を採用すれば、
それでほぼ問題解決ではないか,ぐらいに考えていた。

三端子レギュレーターはともかくとして、ディスクリート構成の定電圧回路、
発振せず安定な動作をする回路であれば、それ以上何が要求されるのかはわかっていなかった。

そのころから交流点火のほうが音はいい、と主張があるのは知っていた。
そもそも初期の真空管は直流、つまり電池で点火していた歴史がある。

ならば交流点火よりも直流点火のはず。
それなのに……、という疑問はあった。

ステレオサウンド 56号のスーパーマニアに、小川辰之氏が登場されている。
日本歯科大学教授で、アルテックのA5、9844Aを自作の真空管アンプで鳴らされている。

そこにこんな話が出てきたことを憶えている。
     *
 固定バイアスにしていても、そんなにゲインを上げなければ、最大振幅にならなくて、あまり寿命を心配しなくてもいいと思ってね、やっている。ただ今の人はね、セルフバイアスをやる人はそうなのかもしれないが、やたらバイアス電圧ばかり気にしているけれど、本来は電流値であわせるべきなんですよ。昔からやっている者にとっては、常識的なことですけどね。
     *
電圧ではなく電流なのか。
忘れないでおこう、と思った。
けれど、ヒーターの点火に関して、電圧ではなく電流と考えるようになるには、もう少し時間がかかった。

現代真空管アンプ考(その4)

いまヒーターの点火方法について書いているところで、
この項はそんな細部から書いていくことが多くなると思うが、
それだけで現代真空管アンプを考えていくことになるとは考えていない。

現代真空管アンプは、どんなスピーカーを、鳴らす対象とするのか、
そういったことも考えていく必要がある。

現代真空管アンプで、真空管アンプ全盛時代のスピーカーシステムを鳴らすのか。
それとも現代真空管アンプなのだから、現代のスピーカーシステムを鳴らしてこそ、なのか。

時代が50年ほど違うスピーカーシステムは、とにかく能率が大きく違ってきている。
100dB/W/m前後の出力音圧レベルのスピーカーと、
90dBを切り、モノによっては80dBちょっとのスピーカーシステムとでは、
求められる出力も大きく違ってくる。

そしてそれだけでないのが、アンプの安定性である。
ここ数年のスピーカーシステムがどうなっているのか、
ステレオサウンドを見ても、ネットワークの写真も掲載されてなかったりするので、
なんともいえないが、十年以上くらい前のスピーカーシステムは、
ネットワークを構成する部品点数が、非常に多いモノが珍しくなかった。

6dBスロープのネットワークのはずなのに、
写真を見ると、どうしてこんなに部品が多いのか、理解に苦しむ製品もあった。
いったいどういう設計をすれば、6dBのネットワークで、ここまで多素子にできるのか。

しかもそういうスピーカーは決って低能率である。
この種のネットワークは、パワーアンプにとって容量負荷となりやすく、
パワーアンプの動作を不安定にしがちでもあった。

井上先生から聞いた話なのだが、
そのころマランツが再生産したModel 8B、Model 9は、
そういうスピーカーが負荷となると、かなり大変だったらしい。

現代真空管アンプならば、その類のスピーカーシステムであっても、
安定動作が求められることになり、そうなると、往年の真空管アンプでは、
マランツよりもマッキントッシュのMC275のほうがフレキシビリティが高い──、
そのこともつけ加えられていた。
http://audiosharing.com/blog/?cat=48&paged=6

 


audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考
Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26876

容量性負荷で低能率のスピーカーといえば、コンデンサー型がまさにそうである。
QUADのESLがそうである。

QUADはESL用のアンプとして真空管アンプ時代には、
KT66プッシュプルのQUAD IIを用意していた。

私はQUAD IIでESLを鳴らした音は聴いたことがないが、
ESL(容量性負荷)を接続してQUAD IIが不安定になったという話も聞いていない。

QUAD IIを構成する真空管は整流管を除けば四本。
電圧増幅に五極管のEF86を二本使い、これが初段であり位相反転回路でもある。
次段はもう出力管である。

マランツやマッキントッシュの真空管アンプの回路図を見た直後では、
QUAD IIの回路は部品点数が半分以下くらいにおもえるし、
ものたりなさを憶える人もいるくらいの簡潔さである。

NFBは19dBということだが、これもQUAD IIの大きな特徴なのが、位相補正なしということ。
NFBの抵抗にもコンデンサーは並列に接続されていない。

出力トランスにカソード巻線を設けているのはマッキントッシュと同じで、
時代的には両社ともほほ同時期のようである。

同じカソード巻線といっても、マッキントッシュはバイファイラー巻きで、
QUADは分割巻きという違いはある。
それにマッキントッシュのカソード巻線はバイファイラーからトライファイラーに発展し、
最終的にはMC3500ではペンタファイラーとなっている。

マランツの真空管アンプにはカソード巻線はない。
マランツのModel 8BのNFB量はオーバーオールで20dBとなっている。
QUAD IIとほぼ同じである。

Model 8BとQUADのESLの動作的な相性はどうだったのか。
容量性負荷になりがちな多素子のネットワークのシステムで大変になるということは、
ESLでもそうなる可能性は高い。

マランツとQUADではNFB量は同じでも、
それだけかけるのにマランツは徹底した位相補正を回路の各所で行っている。
QUAD IIは前述したように位相補正はやっていない。

マッキントッシュだと、MC240、MC275は聴く機会は、
ステレオサウンドを辞めた後もけっこうある。
マランツもマッキントッシュよりも少ないけれどある。

QUADの真空管アンプは、めったにない。
もう二十年以上聴いていない。
前回聴いた時には、現代真空管アンプという視点は持っていなかった。
いま聴いたら、どうなのだろうか。

MC275同様、フレキシビリティの高さを感じるような予感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26876


現代真空管アンプ考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

QUAD IIの出力は15Wである。
高能率のスピーカーならば、これでも十分ではあっても、
95dB以下ともなると、15Wは、さすがにしんどくなることも、
新しい録音を鳴らすのであれば出てくるはずだ。

実際には25W以上楽に出る感じの音ではあったそうだが、それでも出力に余裕があるとはいえない。
QUAD IIはKT66のプッシュプルアンプである。
出力管がKT88だったら……、と思った人はいると思う。

私もKT66プッシュプルアンプとしての姿は見事だと思いながらも、
もしいまQUAD IIを使うことになったら、KT88もいいように思えてくる。

実際、QUADはQUAD IIを復刻した際、
EF86、KT66とオリジナルのQUAD IIと同じ真空管構成にしたQUAD II Classicと、
EF86を6SH7、KT66をKT88に変更したQUAD II fortyも出している。

QUAD II Classicはオリジナルと同じ15Wに対し、
QUAD II fortyは型番が示すように40Wにアップしている。

QUADが往年の真空管アンプを復刻したとき、QUADもか、と思った一人であり、
内部の写真をみて、関心をもつことはなくなった。
それにシャーシーのサイズも多少大きくなっていて、
オリジナルのQUAD IIのコンストラクションの魅力ははっきりと薄れている。

ならば基本レイアウトはそのままで、
トランスカバーの形状を含めて細部の詰めをしっかりとしてくれれば、
外観の印象はずっと良くなる可能性はあるのに──、と思う。

QUAD II fortyはオリジナルのQUAD IIと同じ回路なのだろう。
位相補正は、やはりやっていないのか。

現代真空管アンプを考えるうえで、いまごろになってQUAD II fortyが気になってきている。
QUAD II fortyはどういう音を聴かせるのか。

QUADのESLだけでなく、
複雑な構成のネットワークゆえ容量性負荷になりがちなスピーカーシステムでも、
音量に配慮すれば不安定になることなくうまく鳴らしてくれるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

現代真空管アンプ考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

QUAD IIの存在に目を向けるようになって気づいたことがある。
ここでは現代真空管アンプとしている。
最新真空管アンプではない。

書き始めのときは、現代と最新について、まったく考えていなかった。
現代真空管アンプというタイトルが浮んだから書き始めたわけで、
QUAD IIのことを思い出すまで、現代と最新の違いについて考えることもしなかった。

最新とは、字が示すとおり、最も新しいものである。
現行製品の中でも、最も新しいアンプは、そこにおける最新アンプとなるし、
最も新しい真空管アンプは、そこにおける最新真空管アンプといえる。

では、この「最も新しい」とは、何を示すのか。
単に発売時期なのか。
それも「最も新しい」とはいえるが、アンプならば最新の技術という意味も含まれる。

半導体アンプならば、最新のトランジスターを採用していれば、
ある意味、最新アンプといえるところもある。
けれど真空管アンプは、もうそういうモノではない。

いくつかの新しい真空管がないわけではないが、
それらの真空管を使ったからといって、最新真空管アンプといえるだろうか。

最新アンプは当然ながら、時期が来れば古くなる。
常に最新アンプなわけではない。
いつしか、当時の最新アンプ、というふうに語られるようになる。

そういった最新アンプは、ここで考える現代アンプとは同じではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

現代真空管アンプ考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

1983年に会社名も変更になり、ブランド名として使われてきたQUADに統一されたが、
QUADが創立された当初はThe Acoustical Manufacturing Company Ltd.だった。

QUADとは、Quality Unit Amplifier Domesticの頭文字をとってつけられた。
DomesticとついていてもQUADのアンプは、BBCで使われていた、と聞いている。

BBCでは、真空管アンプ時代はリーク製、ラドフォード製が使われていた。
QUADもそうなのだろう。
このあたりを細かく調べていないのではっきりとはいえないが、
それでもBBCでQUAD IIが採用されていたということは、
QUAD初のソリッドステートアンプ50Eの寸法から伺える。

QUAD IIの外形寸法はW32.1×H16.2×D11.9cmで、
50EはW12.0×H15.9×D32.4cmとほぼ同じである。

それまでQUAD IIが設置されていた場所に50Eはそのまま置けるサイズに仕上げられている。
50Eは、BBCからの要請で開発されたものである。

しかも50Eの回路はトランジスターアンプというより、
真空管アンプ的といえ、真空管をそのままトランジスターに置き換えたもので、
当然出力トランスを搭載している。

50Eの登場した1965年、JBLには、SG520、SE400S、SA600があった。
トランジスターアンプの回路設計が新しい時代を迎えた同時期に、QUADは50Eである。

こう書いてしまうと、なんとも古くさいアンプだと50Eを捉えがちになるが、
決してそうではないことは二年後の303との比較、
それからトラジスターアンプでも、
トランス(正確にはオートフォーマー)を搭載したマッキントッシュとの比較からもいえる。
これについて別項でいずれ書いていくかもしれない。

とにかくQUAD IIと置き換えるためのアンプといえる50Eは1965年に登場したわけだが、
QUAD IIは1970年まで製造が続けられている。
QUAD IIはモノーラル時代のアンプで、1953年生れである。
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

現代真空管アンプ考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=26895

オーディオ機器にもロングラン、ロングセラーモデルと呼ばれるものはある。
数多くあるとはいえないが、あまりないわけでもない。
スピーカーやカートリッジには、多かった。

けれどアンプは極端に少なかった。
ラックスのSQ38にしても、初代モデルからの変遷をたどっていくと、
何を基準にしてロングラン、ロングセラーモデルというのか考えてしまう。

そんななかにあって、QUAD IIはまさにそういえるアンプである。
1953年から1970年まで、改良モデルが出たわけでなく、
おそらく変更などなく製造が続けられていた。

ペアとなるステレオ仕様のコントロールアンプ22の登場は1959年で、
1967年に、33と入れ代るように製造中止になっている。

22とQUAD IIのペアは、ステレオサウンド 3号(1967年夏)の特集に登場している。
     *
 素直ではったりのない、ごく正統的な音質であった。
 わたくしが家でタンノイを鳴らすとき、殆んどアンプにはQUADを選んでいる。つまりタンノイと結びついた形で、QUADの音質が頭にあった。切換比較で他のオーソドックスな音質のアンプと同じ音で鳴った時、実は少々びっくりした。びっくりしたのは、しかしわたくしの日常のそういう体験にほかならないだろう。
 タンノイは、自社のスピーカーを駆動するアンプにQUADを推賞しているそうだ。しかしこのアンプに固有の音色というものが特に無いとすれば、その理由は負荷インピーダンスの変動に強いという点かもしれない。これはおおかたのアンプの持っていない特徴である。
 10数年前にすでにこのアンプがあったというのは驚異的なことだろう。
     *
瀬川先生が、こう書かれている。
ここで「選んでいる」とあるのは、QUAD IIのことのはず。

ただし52号の特集の巻頭「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」では、
こうも書かれている。
     *
 マランツ7にはこうして多くの人々がびっくりしたが、パワーアンプのQUAD/II型の音のほうは、実のところ別におどろくような違いではなかった。この水準の音質なら、腕の立つアマチュアの自作のアンプが、けっこう鳴らしていた。そんないきさつから、わたくしはますます、プリアンプの重要性に興味を傾ける結果になった。
     *
実を言うと、これを読んでいたから、QUAD IIにさほど興味をもてなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26895

現代真空管アンプ考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=26898


ステレオサウンド 3号のQUADのページの下段には、解説がある。
この解説は誰による文章なのかはわからないが、8号の特集からわかるのは、
瀬川先生が書かれていた、ということ。

QUAD IIについては、こう書かれている。
     *
 公称出力15Wというのは少ないように思われるが、これは歪率0.1%のときの出力で、カタログ特性で、OVERLOAD≠ニある部分をみると、ふつうのアンプなら25Wぐらいに表示するところを、あえて控えめに公称しているあたり、イギリス人の面目躍如としている。コムパクトなシャーシ・コンストラクションと、手工芸的な配線テクニックは、実に信頼感を抱かせる。
 イギリスでは公的な研究機関や音響メーカーで標準アンプとして数多く採用されていることは有名で、技術誌のテストリポートやスピーカーの試聴記などに、よく「QUAD22のトーン目盛のBASSを+1、TREBLEを−1にして聴くと云々」といった表現が使われる。
     *
岡先生もステレオサウンド 50号で、
《長年に亘ってBBCをはじめ、イギリスの標準アンプとして使われていただけのことはある傑作といえる。》
と書かれている。

その意味でQUAD IIは、業務(プロフェッショナル)用アンプといえる。
けれどQUAD IIはプロフェッショナル用を意図して設計されたアンプではないはず。

結果として、そう使われるようになったと考える。

同じ意味ではマッキントッシュのMC275もそうといえよう。
マッキントッシュにはA116というプロフェッショナル用として開発され使われたアンプもあるが、
MC275はコンシューマー用としてのアンプである。

それがCBSコロムビアのカッティングルームでのモニター用アンプとして、
それから1970年代初頭、コンサートでのアンプには、
トランジスターの、もっと出力の大きなアンプではなくMC275がよく使われていた、とも聞いている。

MC275もQUAD IIと、だから同じといえ、
それがマランツの真空管アンプとは、わずかとはいえはっきり違う点でもある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26898

現代真空管アンプ考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=26935


多素子のネットワーク構成ゆえに容量性負荷となり、
しかもインピーダンスも8Ωよりも低くかったりするし、
さらには能率も低い。

おまけにそういうスピーカーに接続されるスピーカーケーブルも、
真空管アンプ全盛時代のスピーカーケーブル、
いわゆる平行二芯タイプで、太くもないケーブルとは違っていて、
そうとうに太く、構造も複雑になっていて、
さらにはケーブルの途中にケースで覆われた箇所があり、
そこには何かが入っていたりして、
ケーブルだけ見ても、アンプにとって負荷としてしんどいこともあり得るのではないか。

QUAD II以外のアンプのほとんどは位相補正を行っている。
無帰還アンプならばそうでもないが、NFBをかけているアンプで位相補正なしというのは非常に珍しい。

大半のアンプが位相補正を行っているわけだが、
どの程度まで位相補正をやっているのか、というと、
メーカー、設計者によって、かなり違ってきている。

マランツの真空管アンプは、特にModel 9、Model 8Bは、
徹底した、ともいえるし、凝りに凝った、ともいえる位相補正である。

積分型、微分型、両方の位相補正を組合せて、計五箇所行われている。
それ以前のマランツのパワーアンプ、Model 2、5、8でも位相補正はあるけれど、
そこまで徹底していたわけではない。

私がオーディオに興味をもったころ、Model 8に関しては8Bだけが知られていた。
Model 8というモデルがあったのは知っていたものの、
そのころは8Bはマイナーチェンジぐらいにしかいわれてなかった。

ステレオサウンド 37号でも、
回路はまったく同じで電源を少し変えた結果パワーが増えた──、
そういう認識であった。
1975年当時では、そういう認識でも仕方なかった。

Model 8とModel 8Bの違いがはっきりしたのは、
私が知る範囲では、管球王国 vol.12(1999年春)が最初だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26935

現代真空管アンプ考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=26937


Model 8とModel 8Bの違いについて細かなことは省く。
詳しく知りたい方は、管球王国 vol.12の当該記事が再掲載されているムック、
「往年の真空管アンプ大研究」を購入して読んでほしい。

以前の管球王国は、こういう記事が載っていた。
そのころは私も管球王国には期待するものがあった。
けれど……、である。

わずかのあいだにずいぶん変ってしまった……、と歎息する。

Model 8はよくいわれているようにModel 5を二台あわせてステレオにしたモデルとみていい。
Model 8は1959年に発売になっている。
Model 8Bは1961年発売で、前年にはModel 9が発売されている。

Model 8と8Bの回路図を比較すると、もちろん基本回路は同じである。
けれど細かな部品がいくつか追加されていて、
出力トランスのNF巻線が8Bでは二組に増えている。

そういった変更箇所をみていくと、Model 8Bへの改良には、
記事中にもあるようにModel 9の開発で培われた技術、ノウハウが投入されているのは明らかだ。

石井伸一郎氏は、Model 8Bはマランツの管球式パワーアンプの集大成、といわれている。
井上先生も、Model 8Bはマランツのパワーアンプの一つの頂点ではないか、といわれている。
上杉先生は、マランツのパワーアンプの中で、Model 8Bがいちばん好きといわれている。

マランツの真空管パワーアンプの設計はシドニー・スミスである。
シドニー・スミスは、Model 5がいちばん好きだ、といっている(らしい)。

ここがまた現代真空管アンプとは? について書いている者にとっては興味深い。
http://audiosharing.com/blog/?p=26937


現代真空管アンプ考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=26949

上杉先生は管球王国 vol.12で、
マランツのModel 8Bの位相補正について、次のように語られている。
     *
上杉 この位相補正のかけ方は、実際に波形を見ながら検証しましたが、かなり見事なもので、補正を一つずつ加えていくと、ほとんど原派生どおりになるんですね。そのときの製作記事では、アウトプットトランスにラックス製を使ったため、♯8Bとは異なるのですが、それでも的確に効果が出てきました。
     *
上杉先生が検証されたとおりなのだろう。
位相補正をうまくかけることで、NFBを安定してかけられる。
つまりNFBをかけたアンプの完成度を高めているわけである。

真空管のパワーアンプの場合、出力トランスがある。
その出力トランスの二次側の巻線から、ほとんどのアンプではNFBがかけられる。
つまりNFBのループ内に出力トランスがあるわけだ。

出力トランスが理想トランスであれば、
位相補正に頼る必要はなくなる。
けれど理想トランスなどというモノは、この世には存在しない。
これから先も存在しない、といっていいい。

トランスというデバイスはひじょうにユニークでおもしろい。
けれど、NFBアンプで使うということは、それゆえの難しさも生じてくる。

Model 8と8Bは、トランスの二次側の巻線からではなく、NFB用巻線を設けている。
しかも(その12)でも書いているように、8BではNFB用巻線がさらに一つ増えている。

上杉先生が検証されたラックスのトランスには、NFB用巻線はなかったのではないか。
二次側の巻線からNFBをかけての検証だった、と思われる。

それでも的確に効果が出てきた、というのは、そうとうに有効な位相補正といえよう。
なのに、なぜ、複雑な構成のネットワークをもつスピーカーが負荷となると、
マランツのModel 8B、Model 9は大変なことになるのか。

凝りに凝った位相補正がかけられていて、
NFBアンプとしての完成度も高いはずなのに……、だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26949

現代真空管アンプ考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=26951


結局のところ、抵抗負荷での測定であり、
入力信号も音楽信号を使うわけではない。

上杉先生の検証も抵抗負荷での状態のはずだし、
マランツがModel 8Bの開発においても抵抗負荷での実験が行われたはず。

ほぼ原波形どおりの出力波形が得られた、ということにしても、
音楽信号を入力しての比較ではなく、
正弦波、矩形波を使っての測定である。

アンプが使われる状況はそうてはない。
負荷は常に変動するスピーカーであり、
入力される信号も、つねに変動する音楽信号である。

ここでやっと(その4)のヒーターの点火方法のことに戻れる。
おそらくヒーターも微妙な変動を起しているのではないか、と考えられる。
安定しているのであれば、定電圧点火であろうと定電流点火であろうと、
どちらも設計がしっかりした回路であれば、音の変化は出ないはずである。

ヒーターに流れる電流は、ヒーターにかかっている電圧を、
ヒーターの抵抗値で割った値である。

ヒーターは冷えている状態と十分に暖まった状態では抵抗値は違う。
当然だが、冷えている状態のほうが低い。

十分に暖まった状態で、ヒーターの温度が安定していれば抵抗値も変動しないはず。
抵抗値が安定していれば、かかる電圧も安定化されているわけで、
オームの法則からヒーターに流れる電流も安定になる。
定電圧点火でも定電流点火でも、音に違いが出るはずがない。

けれど実際は、大きな音の違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26951

現代真空管アンプ考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=26999


いまでこそアンプに面実装タイプの部品があたりまえのように使われるようになっている。
小さい抵抗やコンデンサーには、そのサイズ故のメリットがあるのはわかっていても、
それ以前のアンプでのパ抵抗やコンデンサーの大きさを知っている者からすれば、
デメリットについても考える。

もちろんメリットとデメリットは、どちらか片方だけでなく、
サイズの大きな部品にもメリットとデメリットがあるわけだが、
昔から、抵抗は同じ品種であっても、ワット数の大きいほうが音はいい、といわれてきた。

1/4Wのの抵抗よりも1/2W、さらには1W、2W、5W……、というふうに音はよくなる、といわれていた。
富田嘉和氏はさらに大きな10W、20Wの抵抗を、アンプの入力抵抗に使うという実験をされていたはずだ。

ワット数が大きいほうが、なぜいいのか。
その理由ははっきりとしないが、ひとつには温度係数が挙げられていた。
音楽信号はつねに変動している。

1/4Wの抵抗で動作上問題がなくても、
大きな信号が加わった時、抵抗の内部はほんのわずかとはいえ温度が上昇する。
温度係数の、あまりよくない抵抗だと、その温度上昇によって抵抗値にわずかな変動が生じる。
それが音に悪影響を与えている可能性が考えられる──、
そういったことがいわれていた。

確かに抵抗であれば、ワット数が大きくなれば温度係数はよくなる。
この仮説が事実だとしたら、真空管のヒーターもそうなのかもしれない、と考えられる。

温度のわずかな変化、それによるヒーターの抵抗値のわずかな変動。
そこに定電圧電源から一定の電圧がかかっていれば、
ヒーターへの電流はわずかとはいえ変動することになる。

電流の変動はエミッションの不安定化へとつながる。
ならば安定化しなければならないのは電圧ではなく、電流なのかもしれない。

定電流点火によってヒーターのなんらかの変動が生じても、電流は一定である。
そのためヒーターにかかる電圧はわずかに変動する。

それでも重要なのはエミッションの安定であることがわかっていれば、
どちらなのかははっきりとしてくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=26999


現代真空管アンプ考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=27001


ヒーターはカソードを熱している。
カソードとヒーター間に十分な距離があれば問題は生じないのだろうが、
距離を離していてはカソードを十分に熱することはできない。

カソードとヒーターとは近い。
ということはそこに浮遊容量が無視できない問題として存在することになる。
ということは真空管アンプの回路図を厳密に描くのであれば、
カソードとヒーターを、極小容量のコンデンサーで結合することになる。

それでも真空管が一本(ヒーターが一つ)だけであれば、大きな問題とはならないかもしれないが、
実際には複数の真空管が使われているのだから、浮遊容量による結合は、
より複雑な問題となっているはず。

仮に定電圧点火であっても定電流点火であっても、
エミッションが完全に安定化していたとしても、この問題は無視できない。

そこに定電圧電源をもてくるか、定電流電源をもってくるかは、
それぞれの干渉という点からみれば、
低インピーダンスの定電圧電源による点火か、
高インピーダンスの定電流電源による点火か、
どちらが複数の真空管の相互干渉を抑えられるかといえば後者のはずだ。

念のためいっておくが、三端子レギュレーターの配線を変更して定電流点火は認めない。

私は真空管のヒーターは、きちんとした回路による定電流点火しかないと考える。
けれど、ここで交流点火について考える必要もある。

交流点火はエミッションの安定化、つまりヒーター温度の安定化という点では、
どう考えても直流点火よりも不利である。

けれど交流点火でなければならない、と主張する人は昔からいる。
ここでの交流点火は、ほとんどの場合、出力管は直熱三極管である。
http://audiosharing.com/blog/?p=27001

現代真空管アンプ考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=27010

直熱三極管の交流点火ではハムバランサーが必ずつくといっていい。
この場合、電源トランスのヒーター用巻線の両端のどちらかが接地されることは、まずない。

傍熱管の場合でもハムバランサーがついているアンプもある。
マッキントッシュの場合は、モノーラル時代のモノ(つまりMC60までは)ハムバランサーがあり、
ステレオ時代になってからはヒーター用巻線の片側が接地されている。
MC3500ではハムバランサーが復活している。

同時代のマランツのパワーアンプは、というと、ヒーター用巻線にセンタータップがあり、
これが接地されている。ハムバランサーはない。

ハムバランサーがない場合でも、マッキントッシュとマランツとでは接地が違う。
正直いうと、この接地の仕方の違いによる音の変化を、同一アンプで比較試聴したことはない。

マランツの真空管アンプも聴いているし、マッキントッシュの真空管アンプも聴いているが、
これらのアンプの音の違いは交流点火における接地の仕方だけの違いではないことはいうまでもない。

なので憶断にすぎないのはわかっているが、交流点火の場合、
ヒーター用巻線にセンタータップがあり、ここを接地したほうが音はいいのではないのか。

交流点火が音がいい、という人がいる。
けれど理屈からは直流点火のほうがエミッションは安定化するように思える。
それでも──、である。

ということは交流点火で考えられるのは電流の向きが反転することであり、
この反転がヒーターの温度の安定化にどう作用しているのか。

交流点火になんらかの音質的なメリットがあるとしよう。
ならば交流点火でも、定電圧点火と定電流点火とが考えられる。
通常の交流点火ではヒーター用巻線からダイレクトに真空管のヒーターに配線するが、
あえてアンプを介在させる。小出力のアンプの出力をヒーターへと接続する。

そうすることで出力インピータンスを低くすることができ、
この場合は定電圧点火となるし、このアンプを電流出力とすれば、
交流の定電流点火とすることができる。
しかもアンプをアンバランスとするのか、バランスとするのかでも音は変ってこよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=27010


現代真空管アンプ考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=27012


ここまでやるのならば、ヒーター点火の周波数を50Hz、60Hzにこだわることもない。
もう少し高い周波数による交流点火も考えられる。
十倍の500Hz、600Hzあたりにするだけでも、そうとうに音は変ってくるはずだ。

そのうえで定電流でのバランス点火とする手もある。

つまりヒーター用電源を安定化するということは、
真空管のエミッションを安定化するということであり、
ヒーターにかかる電圧を安定化するということではない。

エミッションの安定化ということでは、重要なパラメーターは電圧ではなく電流なのだろう。
そうなると定電流点火を考えていくべきではないのか。

300Bだろうが、EL34、KT88だろうが、真空管全盛時代のモノがいい、といわれている。
確かに300Bをいくつか比較試聴したことがあって、刻印タイプの300の音に驚いた。

そういう球を大金を払って購入するのを否定はしないが、
そういう球に依存したアンプは、少なくとも現代真空管アンプとはいえない。

現代真空管アンプとは、現在製造されている真空管を使っても、
真空管全盛時代製造の真空管に近い音を出せる、ということがひとつある。
そのために必要なのは、エミッションの安定化であり、
それは出力管まで定電流点火をすることで、ある程度の解決は見込める。

もちろん、どんなに優れた点火方法であり、100%というわけではないし、
仮にそういう点火方法が実現できたとしても、
真空管を交換した場合の音の違いが完全になくなるわけではない。

それでも真空管のクォリティ(エミッションの安定)に、
あまり依存しないことは、これからの真空管アンプには不可欠なことと考える。
http://audiosharing.com/blog/?p=27012

現代真空管アンプ考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=27014


定電流点火のやっかいなのは、作るのが面倒だという点だ。
回路図を描くのは、いまでは特に難しくはない。

けれど作るとなると、熱の問題をどうするのかを、まず考えなくてはならない。
それに市販の真空管アンプ用の電源トランスではなく、
ヒーター用に別個の電源トランスが必要となってくる。

もっとも真空管アンプの場合、高電圧・低電流と低電圧・高電流とを同居しているわけで、
それは電源トランスでも同じで、できることならトランスから分けたいところであるから、
ヒーター用電源トランスを用意することに、特に抵抗はないが、
定電流回路の熱の問題はやっかいなままだ。

きちんとした定電流点火ではなく、
単純にヒーター回路に抵抗を直列に挿入したら──、ということも考えたことがある。

たとえば6.3Vで1Aのヒーターだとすれば、ヒーターの抵抗は6.3Ωである。
この6.3Ωよりも十分に高いインピーダンスで点火すれはいいのだから、
もっとも安直な方法としては抵抗を直列にいれるという手がある。

昔、スピーカーとアンプとのあいだに、やはり直列に抵抗を挿入して、
ダンピングをコントロールするという手法があったが、これをもっと積極的にするわけで、
たとえば6.3Ωの十倍として63Ωの抵抗、さらには二十倍の126Ωの抵抗、
できれば最低でも百倍の630Ωくらいは挿入したいわけだが、
そうなると、抵抗による電圧低下(630Ωだと630Vになる)があり、
あまり高い抵抗を使うことは、発熱の問題を含めて現実的ではない。

結局、定電流点火のための回路を作ったほうが実現しやすい。
定電流の直流点火か交流点火なのか、どちらが音がいいのかはなんともいえない。

ただいえるのは定電流点火をするのであれば、ヒーター用トランスを用意することになる。
それはトランスの数が増えることであり、トランスが増えることによるデメリット、
トランス同士の干渉について考えていく必要が出てくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=27014


現代真空管アンプ考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=27016


真空管パワーアンプは、どうしても重量的にアンバランスになりがちだ。
出力トランスがあるから、ともいえるのだが、
出力トランスをもたないOTLアンプでも、
カウンターポイントのSA4やフッターマンの復刻アンプでは、重量的アンバランスは大きかった。

電源トランスが一つとはいえ、真空管のOTLアンプではもう一つ重量物であるヒートシンクがないからだ。
SA4を持ち上げてみれば、すぐに感じられることだが、フロントパネル側がやたら重くて、
リアパネル側は軽すぎる、といいたくなるほどアンバランスな重量配分である。

重量的アンバランスが音に影響しなければ問題することはないが、
実際は想像以上に影響を与えている。

出力トランスをもつ真空管アンプでは、重量物であるトランスをどう配置するかで、
アンプ全体の重量配分はほぼ決る。

ステレオアンプの場合、出力トランスが二つ、電源トランスが一つは、最低限必要となる。
場合によってはチョークコイルが加わる。

マッキントッシュのMC275やMC240は、重量配分でみれば、そうとうにアンバランスである。
マランツのModel 8B、9もそうである。
ユニークなのはModel 2で、電源トランス、出力トランスをおさめた金属シャーシーに、
ゴム脚が四つついている。
この、いわゆるメインシャーシーに突き出す形で真空管ブロックのサブシャーシーがくっついている。

サブシャーシーの底にはゴム脚はない。いわゆる片持ちであり、
強度的には問題もあるといえる構造だが、重量的アンバランスはある程度抑えられている、ともいえる。

Model 5は奥に長いシャーシーに、トランス類と真空管などを取り付けてある。
メインシャーシー、サブシャーシーというわけではない。
このままではアンバランスを生じるわけだが、
Model 5ではゴム脚の取付位置に注目したい。

重量物が寄っている後方の二隅と、手前から1/3ほどの位置に前側のゴム脚がある。
四つのゴム脚にできるだけ均等に重量がかかるような配慮からなのだろう。

でもシャーシー手前側は片持ち的になってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=27016


現代真空管アンプ考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=27019

これまで市販された真空管パワーアンプを、
トランスの配置(重量配分)からみていくのもおもしろい。

ウエスギ・アンプのU·BROS3は、シャーシーのほぼ中央(やや後方にオフセットしているが)に、
出力トランス、電源トランス、出力トランスという順で配置している。
重量物三つをほぼ中央に置くことで、重量バランスはなかなかいい。

同じKT88のプッシュプルアンプのマイケルソン&オースチンのTVA1は、
シャーシーの両端にトランスを振り分けている。
片側に出力トランスを二つを、反対側に電源トランスとなっている。

電源トランスは一つだから、出力トランス側のほうに重量バランスは傾いているものの、
極端なアンバランスというほどではない。

ラックスのMQ60などは、後方の両端に出力トランスをふりわけ、前方中央に電源トランス。
完璧な重量バランスとはいえないものの、けっこう重量配分は配慮されている。

(その20)で、マッキントッシュのMC275、MC240はアンバランスだと書いたが、
MC3500はモノーラルで、しかも電源トランスが二つあるため、
内部を上から見ると、リアパネル左端に出力トランス、フロントパネル右端に電源トランスと、
対角線上に重量物の配置で、MC275、MC240ほどにはアンバランスではない。

現行製品のMC2301は、マッキントッシュのパワーアンプ中もっとも重量バランスが優れている。
シャーシー中央にトランスを置き、その両側に出力管(KT88)を四本ずつ(計八本)を配置。

出力は300W。MC3500の350Wよりも少ないものの、MC3500の現代版といえる内容であり、
コンストラクションははっきりと現代的である。
2008年のインターナショナルオーディオショウで初めてみかけた。
それから十年、ふしぎと話題にならないアンプである。
音を聴く機会もいまのところない。

インターナショナルオーディオショウでも、音が鳴っているところに出会していない。
いい音が鳴ってくれると思っているのに……。
http://audiosharing.com/blog/?p=27019


現代真空管アンプ考(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=27023


ここまで書いてきて、また横路に逸れそうなことを思っている。
現代真空管アンプとは、いわゆるリファレンス真空管アンプなのかもしれない、と。

ステレオサウンド 49号の特集は第一回STATE OF THE ART賞だった。
Lo-DのHS10000について、井上先生が書かれている。
     *
 スピーカーシステムには、スタジオモニターとかコンシュマーユースといったコンセプトに基づいた分類はあが、Lo-DのHS10000に見られるリファレンススピーカーシステムという広壮は、それ自体が極めてユニークなものであり、物理的な周波数特性、指向周波数特性、歪率などで、現在の水準をはるかに抜いた高次元の結果が得られない限り、その実現は至難というほかないだろう。
     *
こういう意味での、リファレンス真空管アンプを考えているのだろうか、と気づいた。
製品化することを前提とするものではなく開発されたオーディオ機器には、
トーレンスのReferenceがある。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生がそのへんのことを書かれている。
     *
「リファレンス」という名のとおり、最初これはトーレンス社が、社内での研究用として作りあげた。
アームの取付けかたなどに、製品として少々未消化な形をとっているのも、そのことの裏づけといえる。
 製品化を考慮していないから、費用も大きさも扱いやすさなども殆ど無視して、ただ、ベルトドライヴ・ターンテーブルの性能の限界を極めるため、そして、世界じゅうのアームを交換して研究するために、つまりただひたすら研究用、実験用としてのみ、を目的として作りあげた。
 でき上った時期が、たまたま、西独デュッセルドルフで毎年開催されるオーディオ・フェアの時期に重なっていた。おもしろいからひとつ、デモンストレーション用に展示してみようじゃないか、と誰からともなく言い出して出品した。むろん、この時点では売るつもりは全くなかった??、ざっと原価計算してみても、とうてい売れるような価格に収まるとも思えない。まあ冗談半分、ぐらい気持で展示してみたらしい。
 ところが、フェアの幕が開いたとたんに、猛反響がきた。世界各国のディーラーや、デュッセルドルフ・フェアを見にきた愛好家たちのあいだから、問合せや引合いが殺到したのだそうだ。あまりの反響の大きさに、これはもしかしたら、本気で製品化しても、ほどほどの採算ベースに乗るのではないだろうか、ということになったらしい。いわば瓢箪から駒のような形で、製品化することになってしまった……。レミ・トーレンス氏の説明は、ざっとこんなところであった。
     *
トーレンスのReferenceには、未消化なところがある。
扱いやすいプレーヤーでもない。
あくまでもトーレンスが自社の研究用として開発したプレーヤーをそのまま市販したのだから、
そのへんは仕方ない。

その後、いろいろいてメーカーからReferenceとつくオーディオ機器がいくつも登場した。
けれど、それらのほとんどは最初から市販目的の製品であって、
肝心のところが、トーレンスのReferenceとは大きく違う。

Lo-DのHS10000も、市販ということをどれだけ考えていたのだろうか。
W90.0×H180.0×D50.0cmという、かなり大きさのエンクロージュアにもかかわらず、
2π空間での使用を前提としている。

つまりさらに大きな平面バッフルに埋めこんで使用することで、本来の性能が保証される。
価格は1978年で、一本180万円だった。
しかもユニット構成は基本的には4ウェイ5スピーカーなのだが、
スーパートゥイーターをつけた5ウェイへの仕様変更も可能だった。

HS10000も、せひ聴きたかったスピーカーのひとつであったが、
こういう性格のスピーカーゆえに、販売店でもみかけたことがない。
いったいどれだけの数売れたのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=27023

現代真空管アンプ考(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=27053


トランスのことに話を戻そう。

重量物であるトランスをうまく配置して、重量バランスがとれたからといって、
トランスが複数個あることによる問題のすべてが解消するわけではない。

トランスは、まず振動している。
ケースにおさめられ、ケースとトランスの隙間をピッチなどが充填されていても、
トランスの振動を完全に抑えられるわけではない。

トランスはそれ自体が振動発生源である。
しかも真空管パワーアンプでは複数個ある。
それぞれのトランスが,それぞれの振動を発生している。

チョークコイルも、特にチョークインプット方式での使用ではさらに振動は大きく増す。
しかも真空管アンプなのだから、能動素子は振動の影響を受けやすい真空管である。

一般的な真空管アンプのように、一枚の金属板に出力トランス、電源トランス、チョークコイル、
そして真空管を取り付けていては、振動に関してはなんら対策が施されていないのと同じである。

トランスと金属板との間に緩衝材を挿むとか、
その他、真空管ソケットの取付方法に細かな配慮をしたところで、
根本的に振動の問題を解消できるわけではない。

もちろん、振動に関して完璧な対策があるわけではないことはわかっている。
それでも真空管アンプの場合、
トランスという振動発生源が大きいし多いから、
難しさはトランジスターアンプ以上ということになる。

30年ほど前、オルトフォンの昇圧トランスSTA6600に手を加えたことがある。
手を加えた、というより、STA6600に使われているトランスを取り出して、
別途ケースを用意して、つくりかえた。

その時感じたのは、トランスの周囲にはできるだけ金属を近づけたくない、だった。
STA6600のトランスはシールドケースに収められていた。
すでにトランスのすぐそばに金属があるわけだが、
それでも金属板に取り付けるのは、厚めのベークライトの板に取り付けるのとでは、
はっきりと音は違う。

金属(アルミ)とベークライトの固有音の違いがあるのもわかっているが、
それでも導体、非導体の違いは少なからずあるのではないのか。

そう感じたから、トランスの周りからは配線以外の金属は極力排除した。
ベークライトの板を固定する支柱もそうだし、ネジも金属製は使用しなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=27053


現代真空管アンプ考(番外)
http://audiosharing.com/blog/?p=27060


現代真空管アンプ考というタイトルをつけている。
「現代スピーカー考」という別項もある。

現代、現代的、現代風などという。
わかっているようでいて、いざ書き始めると、何をもって現代というのか、
遠くから眺めていると、現代とつくものとつかないものとの境界線が見えているのに、
もっとはっきり見ようとして近づいていくと、いかにその境界線が曖昧なのかを知ることになる。

1989年、ティム・バートン監督による「バットマン」が公開された。
バットマンは、アメリカのテレビドラマを小さかったころ見ていた。

バットマンというヒーローの造形が、こんなに恰好良くなるのか、とまず感じた。
バットモービルに関しても、そうだった。

「バットマン」はヒットした。
そのためなのかどうかはわからないが、
過去のヒーローが、映画で甦っている。

スーパーマン、スパイダーマン、アイアンマン、ハルク、ワンダーウーマンなどである。
スパイダーマンは日本で実写化されたテレビ版を見ている。
ハルクとワンダーウーマンのテレビ版は見ている。

スーパーマンの映画は、
1978年公開、クリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」から観てきている。

これらヒーローの造形は、現代的と感じる。
特にワンダーウーマンの恰好良いこと。

ワンダーウーマンの設定からして、現代的と感じさせるのは大変だったはずだ。
けれど、古い時代の恰好でありながらも、見事に成功している。

日本のヒーローはどうかというと、
仮面ライダー、キカイダー、ガッチャマン、破裏拳ポリマーなどの映画での造形は、
アメリカのヒーローとの根本的な違いがあるように感じる。

較べるのが無理というもの、
予算が違いすぎるだろう、
そんなことを理由としていわれそうだが、
ヒーローものの実写映画において、肝心のヒーローの造形が恰好良くなくて、
何がヒーローものなのか、といいたくなる。

日本の、最近制作されたヒーローものの実写映画での造形は、
どこか根本的なところから間違っているように思う。

「現代」という言葉の解釈が、アメリカと日本の映画制作の現場では大きく違っているのか。
日米ヒーローの造形の、現代におけるありかたは、
「現代」ということがどういうことなのかを考えるきっかけを与えてくれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=27060

現代真空管アンプ考(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=27321


オルトフォンのSTA6600のトランスを流用して自作したモノは、
うまくいった。
トランスの取り付け方だけが工夫を凝らしたところではなく、
他にもいろいろやっているのだが、その音は、
誰もが中身はSTA6600のトランスとは見抜けないほど、音は違っている。

もっといえば立派な音になっている。
自画自賛と受けとられようが、
この自作トランスの音を聴いた人は、その場で、売ってほしい、といってくれた。

その人のところには、ずっと高価な昇圧トランスがあった。
当時で、20万円を超えていたモノで、世評も高かった。

だから、その人も、その高価なトランスを買ったわけだが、
私の自作トランスの方がいい、とその人は言ってくれた。

そうだろうと思う。
トランス自体の性能は、高価なトランスの方が上であろう。
ただ、その製品としてのトランスは、トランス自体の扱いがわかっていないように見えた。

この製品だけがそうなのではなく、ほとんど大半の昇圧トランスが、そうである。
インターネットには、高価で貴重なトランスをシャーシーに取り付けて──、というのがある。

それらを見ると、なぜこんな配線にしてしまうのか。
その配線が間違っているわけではない。
ほとんどのトランスでやられている配線である。

それを疑いもせずにそのまま採用している。
私にいわせれば、そんな配線をやっているから、
トランス嫌いの人がよくいうところの、トランス臭い音がしてしまう。

取り付けにしても配線にしても、ほんのちょっとだけ疑問をもって、
一工夫することを積み重ねていけば、トランスの音は電子回路では味わえぬ何かを聴かせてくれる。

MC型カートリッジの昇圧トランスと、真空管パワーアンプの出力トランスとでは、
扱う信号のレベルが違うし、信号だけでなく、真空管へ供給する電圧もかかる。

そういう違いはあるけれど、どちらもトランスであることには変りはない。
ということは、トランスの扱い方は、自ずと決ってくるところが共通項として存在する。
http://audiosharing.com/blog/?p=27321

現代真空管アンプ考(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=27342

無線と実験、ラジオ技術には、毎号、真空管アンプの製作記事が載っている。
この二誌以外のオーディオ雑誌にも、真空管アンプの製作記事が載ることがある。

トランスにはシールドケースに収納されているタイプと、
コアが露出しているタイプとがある。

シールドケースに入っているタイプだとわかりにくいが、
コアが露出しているタイプを使っているアンプ、
それもステレオ仕様のアンプだと、出力トランスの取り付け方向を見てほしい。

きちんとわかって配置しているアンプ(記事)もあれば、
無頓着なアンプも意外と多い。

EIコアのトランスだと、漏洩磁束の量がコアの垂直方向、水平方向、
それに巻線側とでは、それぞれに違う。

そのことを忘れてしまっている製作例がある。

複数のトランスが、一つのシャーシー上にあれば、必ず干渉している。
その干渉をなくすには、トランス同士の距離を十二分にとるのがいちばん確実な方法だ。

けれどこんなやり方をすれば、アンプ自体のサイズがそうとうに大きくなるし、
それに見た目も間延してしまう。

それにトランス同士の距離が離れれば、内部配線も当然長くなる。
どんなワイヤーであってもインダクタンスをもつ。
そうであれば高域でのインピーダンスは必然的に上昇することになる。

配線の距離が長くなるほど、インピーダンスの上昇も大きくなるし、
長くなることのデメリットは、外部からの影響も受けやすくなる。

NFBを、出力トランスの二次側からかけている回路であれば、
NFBループ内のサイズ(面積)が広くなり、このことにも十分な配慮が必要となる。

配線の長さ、仕方によるサイズの変化については、以前書いているので、ここでは触れない。
http://audiosharing.com/blog/?p=27342

現代真空管アンプ考(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=27557


トランスの取り付け方、取り付け位置は注目したいポイントである。

カタログやウェブサイトなどでの製品の説明で、
良質で大容量の電源トランスを使用していることを謳っているものはけっこうある。

オーディオ雑誌の記事でも、製品の内部写真の説明でも、
電源トランスは……、という記述があったりする。

アンプにしても、CDプレーヤーにしても交流電源を直流にして、
その直流を信号に応じて変調させて出力をさせているわけだから、
電源のクォリティは、音のクォリティに直結しているわけで、
電源トランスは、その要ともいえる。

だからこそ良質で(高価な)トランスを採用するわけだが、
その取り付け方をみると、このメーカーは、ほんとうに細部までこだわっているのだろうか──、
そう思いたくなるメーカーが、けっこう多い。

ケースなしの電源トランス、
特にトロイダルコアの電源トランスをどう固定するか。

どんなに電源トランスのクォリティにこだわりました、と謳っていても、
こんな取り付け方しかしないのか、取り付け方を自分たちで工夫しないのか、考えないのか、
そういいたくなることがある。

安価な製品であれば、それでもかまわない、と思うけれど、
数十万円、百万円をこえる製品なのに、
電源トランスも大きく立派そうにみえるモノであっても、
取り付け方は標準的な方法そのままだ。

ここまで書けば、製品内部をきちんと見ている人ならば、
どういうことをいいたいのかわかってくれよう。

細部まで疎かにせず、とか、細部までこだわりぬいた、とか、
そういう謳い文句が並んでいても、電源トランスの取り付け方が、
そのこだわりがどの程度のものなのかを、はっきりと示している。
http://audiosharing.com/blog/?p=27557

現代真空管アンプ考(最大出力)
http://audiosharing.com/blog/?p=27653


マイケルソン&オースチンのTVA1は、KT88のプッシュプルで出力は70W+70Wだった。
TVA1に続いて登場したEL34プッシュプルのTVA10は、50W+50Wだった。

TVA1の70Wの出力は理解できた。
けれどTVA10の50Wという出力は、EL34のプッシュプルにしては大きい。
EL34のプッシュプルで、AB1級ならば出力は35W程度である。

TVA10に続いて登場したM200は、EL34の4パラレルプッシュプルで200Wの出力。
出力管の本数がTVA10の四倍に増え、出力も四倍になっている。

TVA1は何度か聴いている。
TVA10も一度か二度聴いているけど、M200は聴く機会がなかった。

TVA1とTVA10は、出力管が違うとはいえ、ずいぶん音が違うな、と感じたものだった。
TVA1の音には魅力を感じたが、TVA10には、まったくといっていいほど魅力を感じなかった。

M200までになると、印象は変ってくるかもしれないが、
TVA1とTVA10は、同じ人が設計しているとは思えなかった。

そのことがはっきりしたのは聴いてから数年経ったころで、
TVA10とM200の設計者はティム・デ・パラヴィチーニであることがわかった。

パラヴィチーニはラックスに在籍していたこともある。
コントロールアンプのC1000とパワーアンプのM6000は、彼の設計といわれているし、
管球式モノーラルパワーアンプのMB3045もそうである。

ならば、パラヴィチーニは、ラックス時代に上原晋氏と一緒に仕事をしていた可能性もある。

上原晋氏は、ラジオ技術の1958年8月号で、EL34のプッシュプルアンプを発表されている。
このアンプの出力は60Wと、一般的なEL34のプッシュプルよりもかなり大きい。

だからといって、EL34の定格ぎりぎりまで使っての、やや無理のある設計ではない。
記事の冒頭に、こう書かれている。
     *
このアンプでは、定格いっぱいの用法は敬遠し、できるだけ球に余裕を持たせ、とくにSgの損失を軽くすることによって寿命を延ばすようにしました。結果からいいますとSgの損失を定格の半分くらいに押えましたので、いちおうこの点での不安は解消しましたが、これでも球によってはグリッドのピッチの不揃いからか、2〜3本の線が焼けるものに当る時もありますが、この程度ならたいして実害はないようで、かなり長く使っていてなんともありませんから、まず大丈夫だと思っていいでしょう。
     *
パラヴィチーニは、この上原晋氏のEL34のプッシュプルアンプの動作点を参考にしての、
TVA10とM200の出力の実現なのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=27653


現代真空管アンプ考(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=30130

真空管アンプではどうしても不可欠になってしまうトランス類、
これらをどう配置して、どう取り付けていくのかについて、
こまかく書いていこうとすると、どこまでも細かくなってしまうほど、
やっかいな問題といえる。

それに真空管アンプを自作される人ならば、
こうやって文章だけで伝えてもイメージされるだろうが、
自作されない方のなかには、なかなかイメージしにくいと思われている方もいるのではないか。

ここまで書きながら、もう少し具体的に、
もう少しイメージしやすいようにしたい、と考えていた。

なので、過去の真空管アンプで、
私が考える現代真空管アンプに近いモデルはあっただろうか、とふり返ってみた。

マランツの管球式アンプ?
マッキントッシュ?

いくつかのブランド名とモデル名が浮びはするが、
どれも違うな、と思う。

結局、QUADのIIが、意外にも、
私が考える現代真空管アンプに近いようにも感じている。

ここで考えている現代真空管アンプとは、
あくまでも自分の手でつくれる範囲において、である。

加工機械を駆使して、金属ブロックからシャーシーを削り出して──、
そういうことまでは、ここでのテーマではない。

もちろん理想の現代真空管アンプとは? ということは考えながらも、
個人でつくれる範囲に、どうもってくるのか。
それもテーマの一つである。

そういう視点で眺めてみると、
QUAD IIというモデルこそが、という想いが確固たるものになってくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=30130

現代真空管アンプ考(その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=34357


現代真空管アンプをどうイメージしていくか。
こまかな回路構成について後述するつもりなのだが、NFBをどうするのか。

私は出力管が三極管ならばかけないという手もあると考えるが、
ビーム管、五極管ともなるとNFBをかけることを前提とする。

NFBはほとんどの場合、出力トランスの二次側巻線から初段の真空管へとかけられる。
信号経路とNFB経路とで、ひとつのループができる。
このループのサイズを、いかに小さく(狭く)していくかは、
NFBを安定にかける以上に、
真空管アンプ全盛時代とは比較にならないほどアンプを囲む環境の悪化の点でも、
非常に重要になってくる。

プッシュプルアンプならば、初段、位相反転回路、出力段、出力トランス、
これらをどう配置するかによって、ループの大きさは決ってくる。

信号経路をできるだけストレートにする。
初段、位相反転回路、出力段、出力トランスを直線状に並べる。
こうするとNFBループは長く(大きく)なってしまう。

初段、位相反転回路、出力段、出力トランス、
これらを弧を描くように配置していくのが、ループのサイズを考慮するうえでは不可欠だ。

QUAD IIのこれらのレイアウトを、写真などで確認してほしい。
しかもQUAD IIは、出力トランスと電源トランスを、シャーシーの両端に配置している。

やや細長いシャーシー上にこういう配置にすることで、
重量がどちらかに偏ることがない。

出力トランスと電源トランスの干渉を抑えるうえでも、
この二つの物理的な距離をとるのは望ましい。
http://audiosharing.com/blog/?p=34357

現代真空管アンプ考(その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=34437


私がQUAD IIの詳細を知ったのは、
ステレオサウンド 43号(1977年夏号)掲載の「クラフツマンシップの粋」でだった。

QUADのアンプのことは知っていた。
トランジスターアンプの前に管球式のコントロールアンプの22、
パワーアンプのIIがあることだけは知ってはいたが、
具体的なことを知っていたわけではなかった。

記事は、井上先生、長島先生、山中先生による鼎談。
QUAD IIのところの見出しには「緻密でむだのないコンストラクション」とあった。

内容を読めば、そして写真をみれば、
この見出しは納得できる。

山中先生は
《とにかく、あらゆる意味でこのアンプは、個人的なことになりますけれども、一番しびれたんですよ。》
と発言されていた。

この時から、QUAD II、いいなぁ、と思うようになっていた。

43号から約二年後の52号。
巻頭に瀬川先生の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」がある。

そこで、こう書かれていた。
     *
迷いながらも選択はどんどんエスカレートして、結局、マランツのモデル7を買うことに決心してしまった。
 などと書くといとも容易に買ってしまったみたいだが、そんなことはない。当時の価格で十六万円弱、といえば、なにしろ大卒の初任給が三万円に達したかどうかという時代だから、まあ相当に思い切った買物だ。それで貯金の大半をはたいてしまうと、パワーアンプはマランツには手が出なくなって、QUADのII型(KT66PP)を買った。このことからもわたくしがプリアンプのほうに重きを置く人間であることがいえる。
     *
瀬川先生も、QUAD IIを使われていたのか──、
もちろん予算に余裕があったならばマランツの管球式パワーアンプを選択されていただろうが、
いまとは時代が違う。

マランツのModel 7とQUAD IIが、
瀬川先生にとって《初めて買うメーカー製のアンプ》である。

52号では、こんなことも書かれていた。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
     *
このころはQUAD IIを聴く機会はなかった。
意外にもQUAD IIを聴く機会は少なかった。

マランツやマッキントッシュの同時代の管球式アンプを聴く機会のほうがずっと多かった。
http://audiosharing.com/blog/?p=34437


現代真空管アンプ考(その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=34452


QUADの22+IIの組合せを聴く機会には恵まれなかったけれど、
ステレオサウンドで働いていたから、QUADのトランジスター式のアンプをよく聴いた。

QUADのペアで聴くことも多かったし、
それぞれ単独で、他のメーカーのアンプとの組合せでも、何度も聴いている。

そうやってQUADのアンプの音のイメージが、私のなかでできあがっていった。
このことが、QUAD IIの真価をすぐには見抜けなかったことにつながっていったように、
いまとなっては思っている。

QUAD IIは22との組合せで、とある個人宅で聴いている。
他のアンプと比較試聴をしたわけではない。
あくまでも、その人の音を聴かせてもらうなかで、
アンプがQUADの22+IIであった、というわけだから、
その時の音の印象が、QUAD IIの音の印象となるわけではない。

それは十分承知していても、
私がQUAD IIを聴いたのは、このときとあと一回ぐらいだ。
どちらも22との組合せである。

22との組合せこそ、もっともQUADの音なのだが、
こうやってQUAD IIのことを書き始めると、QUAD II単体の音というのを、
無性に聴いてみたくなる。

おそらくなのだが、かなりいい音なのではないだろうか。
出力は公称で15Wである。
実際はもう少し出ているそうだが、
その出力の小ささとコンパクトにまとめられた構成、
そしてQUADのその後のアンプの音の印象から、
なんとなくスケール感は小さい、とどうしても思いがちだ。

実際に大きくはないだろう。
際立ったすごみのような音も出ないだろう。

それでも、フレキシビリティの高い音のような気がする。
このことはQUAD IIのアンプとしてのつくりとともに、
現代真空管アンプとしての重要な要素と考えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34452


現代真空管アンプ考(その31)
http://audiosharing.com/blog/?p=34496


QUAD IIと同時代の真空管アンプ、
たとえばマランツのModel 5と比較してみたい。

比較といっても、その音を聴いてどちらかが優れているとか、
こんな音の特徴もっているとかいないとか、そんなことではなく、
現代真空管アンプ、それもオーディオマニアが自作できる範囲でのあり方を、
二つのアンプを比較して考えていきたい、というものである。

マランツの管球式パワーアンプは、
Model 2、Model 5、model 8(B)、Model 9がある。
Model 8(B)だけがステレオ仕様で、あとはモノーラル仕様である。

QUAD IIもモノーラルである。
QUAD IIの発表は1953年。
Model 2は1956年、Model 5は1958年である。

QUAD IIの出力管はKT66で、マランツはEL34である。
出力はQUAD IIが15W、Model 2が40W(UL接続)、Model 5が30W。

外形寸法は、QUAD IIがW32.1×H16.2×D11.9cm、
Model 2はW38.1×H16.5×D24.1cm、Model 5はW15.2×H18.7×D38.7cmで、
QUAD IIと比較するならばMODEL 5である。

マランツのModel 2、Model 5は、シャーシー構造がいわゆる片持ちといえる。
底板にゴム脚が四つあるが、これらはトランスの重量を支えるためといえる場所にある。

Model 2はシャーシー上後方にトランス(重量物)をまとめている。
手前に真空管が立っているわけだが、
この部分はトランスを支えるシャーシーにネジで固定されたサブシャーシーとなっている。

そして、このサブシャーシーの下部にゴム脚はない。

Model 5はサブシャーシーという構造はとっていないが、
真空管が立っている箇所の下部にゴム脚はない。

Model 8(B)、Model 9はオーソドックスな位置にゴム脚がついている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34496
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/635.html#c67

[リバイバル3] マッキントッシュ 中川隆
55. 中川隆[-5731] koaQ7Jey 2021年4月14日 13:23:28 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[21]
audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考


Date: 8月 8th, 2018
現代真空管アンプ考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?cat=48&paged=6

こうやって真空管アンプについて書き始めると、
頭の中では、現代真空管アンプとは、いったいどういうモノだろうか、
そんなことも並行して考えはじめている。

個人的に作りたい真空管アンプは、現代真空管アンプとはいえないモノである。
それこそ趣味の真空管アンプといえるものを、あれこれ夢想しているわけだが、
そこから離れて、現代真空管アンプについて考えてみるのもおもしろい。

現代真空管アンプだから、真空管もいま現在製造されていることを、まず条件としたい。
お金がいくら余裕があっても、製造中止になって久しく、
市場にもあまりモノがなく、非常に高価な真空管は、それがたとえ理想に近い真空管であっても、
それでしか実現しないのは、現代真空管アンプとはいえない。

真空管もそうだが、ソケットもきちんと入手できること。
これは絶対に外せない条件である。

ここまではすんなり決っても、
ここから先となると、なかなか大変である。

大ざっぱに、シングルなのかプッシュプルなのか、がある。
プッシュプルにしても一般的なDEPPにするのかSEPPにするのか。

SEPPならばOTLという選択肢もある。
現代真空管アンプを考えていくうえで、出力トランスをどうするのかが、やっかいで重要である。
となるとOTLアンプなのか。

でも、それではちょっと安直すぎる。
考えるのが面倒だから省いてしまおう、という考えがどこかにあるからだ。


Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その2)

現代真空管アンプで、絶対に外せないことがまだある。
真空管のヒーターの点火方法である。

交流点火と直流点火とがある。
物理的なS/N比の高さが求められるコントロールアンプでは、直流点火が多い。
パワーアンプでは交流点火が多いが、
シングルアンプともなると、直流点火も増えてくる。

交流点火といっても、すべてが同じなわけではない。
例えば出力管の場合、一本一本にヒーター用巻線を用意することもあれば、
電流容量が足りていれば出力管のヒーターを並列接続して、という場合もあるし、
直列接続するという手もある。

ヒーター用配線の引き回しも音にもS/N比にも影響してくる。

直流点火だと非安定化か安定化とがある。
定電圧回路を使って安定化をはかるのか、
それとも交流を整流・平滑して直流にする非安定化なのか。

電源のノイズ、インピーダンスの面では安定化にメリットはあるが、
ではどういう回路で安定化するのかが、問題になってくる。

三端子レギュレーターを使えば、そう難しくなく安定化できる。
それで十分という人もいるし、三端子レギュレーターを使うくらいならば、
安定化しない方がいい、という人も、昔からいる。

ここでの直流点火は、電圧に着目してであって、
ヒーターによって重要なパラメータは電圧なのか、電流なのか。
そこに遡って考えれば、定電流点火こそ、現代真空管アンプらしい点火方法といえる。

Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その3)

オーディオに興味をもち、真空管アンプに、
そして真空管アンプの自作に興味をもつようになったばかりのころ、
ヒーターの点火は、ノイズが少なくインピーダンスが十分に低い定電圧回路を採用すれば、
それでほぼ問題解決ではないか,ぐらいに考えていた。

三端子レギュレーターはともかくとして、ディスクリート構成の定電圧回路、
発振せず安定な動作をする回路であれば、それ以上何が要求されるのかはわかっていなかった。

そのころから交流点火のほうが音はいい、と主張があるのは知っていた。
そもそも初期の真空管は直流、つまり電池で点火していた歴史がある。

ならば交流点火よりも直流点火のはず。
それなのに……、という疑問はあった。

ステレオサウンド 56号のスーパーマニアに、小川辰之氏が登場されている。
日本歯科大学教授で、アルテックのA5、9844Aを自作の真空管アンプで鳴らされている。

そこにこんな話が出てきたことを憶えている。
     *
 固定バイアスにしていても、そんなにゲインを上げなければ、最大振幅にならなくて、あまり寿命を心配しなくてもいいと思ってね、やっている。ただ今の人はね、セルフバイアスをやる人はそうなのかもしれないが、やたらバイアス電圧ばかり気にしているけれど、本来は電流値であわせるべきなんですよ。昔からやっている者にとっては、常識的なことですけどね。
     *
電圧ではなく電流なのか。
忘れないでおこう、と思った。
けれど、ヒーターの点火に関して、電圧ではなく電流と考えるようになるには、もう少し時間がかかった。

現代真空管アンプ考(その4)

いまヒーターの点火方法について書いているところで、
この項はそんな細部から書いていくことが多くなると思うが、
それだけで現代真空管アンプを考えていくことになるとは考えていない。

現代真空管アンプは、どんなスピーカーを、鳴らす対象とするのか、
そういったことも考えていく必要がある。

現代真空管アンプで、真空管アンプ全盛時代のスピーカーシステムを鳴らすのか。
それとも現代真空管アンプなのだから、現代のスピーカーシステムを鳴らしてこそ、なのか。

時代が50年ほど違うスピーカーシステムは、とにかく能率が大きく違ってきている。
100dB/W/m前後の出力音圧レベルのスピーカーと、
90dBを切り、モノによっては80dBちょっとのスピーカーシステムとでは、
求められる出力も大きく違ってくる。

そしてそれだけでないのが、アンプの安定性である。
ここ数年のスピーカーシステムがどうなっているのか、
ステレオサウンドを見ても、ネットワークの写真も掲載されてなかったりするので、
なんともいえないが、十年以上くらい前のスピーカーシステムは、
ネットワークを構成する部品点数が、非常に多いモノが珍しくなかった。

6dBスロープのネットワークのはずなのに、
写真を見ると、どうしてこんなに部品が多いのか、理解に苦しむ製品もあった。
いったいどういう設計をすれば、6dBのネットワークで、ここまで多素子にできるのか。

しかもそういうスピーカーは決って低能率である。
この種のネットワークは、パワーアンプにとって容量負荷となりやすく、
パワーアンプの動作を不安定にしがちでもあった。

井上先生から聞いた話なのだが、
そのころマランツが再生産したModel 8B、Model 9は、
そういうスピーカーが負荷となると、かなり大変だったらしい。

現代真空管アンプならば、その類のスピーカーシステムであっても、
安定動作が求められることになり、そうなると、往年の真空管アンプでは、
マランツよりもマッキントッシュのMC275のほうがフレキシビリティが高い──、
そのこともつけ加えられていた。
http://audiosharing.com/blog/?cat=48&paged=6

 


audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考
Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26876

容量性負荷で低能率のスピーカーといえば、コンデンサー型がまさにそうである。
QUADのESLがそうである。

QUADはESL用のアンプとして真空管アンプ時代には、
KT66プッシュプルのQUAD IIを用意していた。

私はQUAD IIでESLを鳴らした音は聴いたことがないが、
ESL(容量性負荷)を接続してQUAD IIが不安定になったという話も聞いていない。

QUAD IIを構成する真空管は整流管を除けば四本。
電圧増幅に五極管のEF86を二本使い、これが初段であり位相反転回路でもある。
次段はもう出力管である。

マランツやマッキントッシュの真空管アンプの回路図を見た直後では、
QUAD IIの回路は部品点数が半分以下くらいにおもえるし、
ものたりなさを憶える人もいるくらいの簡潔さである。

NFBは19dBということだが、これもQUAD IIの大きな特徴なのが、位相補正なしということ。
NFBの抵抗にもコンデンサーは並列に接続されていない。

出力トランスにカソード巻線を設けているのはマッキントッシュと同じで、
時代的には両社ともほほ同時期のようである。

同じカソード巻線といっても、マッキントッシュはバイファイラー巻きで、
QUADは分割巻きという違いはある。
それにマッキントッシュのカソード巻線はバイファイラーからトライファイラーに発展し、
最終的にはMC3500ではペンタファイラーとなっている。

マランツの真空管アンプにはカソード巻線はない。
マランツのModel 8BのNFB量はオーバーオールで20dBとなっている。
QUAD IIとほぼ同じである。

Model 8BとQUADのESLの動作的な相性はどうだったのか。
容量性負荷になりがちな多素子のネットワークのシステムで大変になるということは、
ESLでもそうなる可能性は高い。

マランツとQUADではNFB量は同じでも、
それだけかけるのにマランツは徹底した位相補正を回路の各所で行っている。
QUAD IIは前述したように位相補正はやっていない。

マッキントッシュだと、MC240、MC275は聴く機会は、
ステレオサウンドを辞めた後もけっこうある。
マランツもマッキントッシュよりも少ないけれどある。

QUADの真空管アンプは、めったにない。
もう二十年以上聴いていない。
前回聴いた時には、現代真空管アンプという視点は持っていなかった。
いま聴いたら、どうなのだろうか。

MC275同様、フレキシビリティの高さを感じるような予感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26876


現代真空管アンプ考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

QUAD IIの出力は15Wである。
高能率のスピーカーならば、これでも十分ではあっても、
95dB以下ともなると、15Wは、さすがにしんどくなることも、
新しい録音を鳴らすのであれば出てくるはずだ。

実際には25W以上楽に出る感じの音ではあったそうだが、それでも出力に余裕があるとはいえない。
QUAD IIはKT66のプッシュプルアンプである。
出力管がKT88だったら……、と思った人はいると思う。

私もKT66プッシュプルアンプとしての姿は見事だと思いながらも、
もしいまQUAD IIを使うことになったら、KT88もいいように思えてくる。

実際、QUADはQUAD IIを復刻した際、
EF86、KT66とオリジナルのQUAD IIと同じ真空管構成にしたQUAD II Classicと、
EF86を6SH7、KT66をKT88に変更したQUAD II fortyも出している。

QUAD II Classicはオリジナルと同じ15Wに対し、
QUAD II fortyは型番が示すように40Wにアップしている。

QUADが往年の真空管アンプを復刻したとき、QUADもか、と思った一人であり、
内部の写真をみて、関心をもつことはなくなった。
それにシャーシーのサイズも多少大きくなっていて、
オリジナルのQUAD IIのコンストラクションの魅力ははっきりと薄れている。

ならば基本レイアウトはそのままで、
トランスカバーの形状を含めて細部の詰めをしっかりとしてくれれば、
外観の印象はずっと良くなる可能性はあるのに──、と思う。

QUAD II fortyはオリジナルのQUAD IIと同じ回路なのだろう。
位相補正は、やはりやっていないのか。

現代真空管アンプを考えるうえで、いまごろになってQUAD II fortyが気になってきている。
QUAD II fortyはどういう音を聴かせるのか。

QUADのESLだけでなく、
複雑な構成のネットワークゆえ容量性負荷になりがちなスピーカーシステムでも、
音量に配慮すれば不安定になることなくうまく鳴らしてくれるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

現代真空管アンプ考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

QUAD IIの存在に目を向けるようになって気づいたことがある。
ここでは現代真空管アンプとしている。
最新真空管アンプではない。

書き始めのときは、現代と最新について、まったく考えていなかった。
現代真空管アンプというタイトルが浮んだから書き始めたわけで、
QUAD IIのことを思い出すまで、現代と最新の違いについて考えることもしなかった。

最新とは、字が示すとおり、最も新しいものである。
現行製品の中でも、最も新しいアンプは、そこにおける最新アンプとなるし、
最も新しい真空管アンプは、そこにおける最新真空管アンプといえる。

では、この「最も新しい」とは、何を示すのか。
単に発売時期なのか。
それも「最も新しい」とはいえるが、アンプならば最新の技術という意味も含まれる。

半導体アンプならば、最新のトランジスターを採用していれば、
ある意味、最新アンプといえるところもある。
けれど真空管アンプは、もうそういうモノではない。

いくつかの新しい真空管がないわけではないが、
それらの真空管を使ったからといって、最新真空管アンプといえるだろうか。

最新アンプは当然ながら、時期が来れば古くなる。
常に最新アンプなわけではない。
いつしか、当時の最新アンプ、というふうに語られるようになる。

そういった最新アンプは、ここで考える現代アンプとは同じではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

現代真空管アンプ考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

1983年に会社名も変更になり、ブランド名として使われてきたQUADに統一されたが、
QUADが創立された当初はThe Acoustical Manufacturing Company Ltd.だった。

QUADとは、Quality Unit Amplifier Domesticの頭文字をとってつけられた。
DomesticとついていてもQUADのアンプは、BBCで使われていた、と聞いている。

BBCでは、真空管アンプ時代はリーク製、ラドフォード製が使われていた。
QUADもそうなのだろう。
このあたりを細かく調べていないのではっきりとはいえないが、
それでもBBCでQUAD IIが採用されていたということは、
QUAD初のソリッドステートアンプ50Eの寸法から伺える。

QUAD IIの外形寸法はW32.1×H16.2×D11.9cmで、
50EはW12.0×H15.9×D32.4cmとほぼ同じである。

それまでQUAD IIが設置されていた場所に50Eはそのまま置けるサイズに仕上げられている。
50Eは、BBCからの要請で開発されたものである。

しかも50Eの回路はトランジスターアンプというより、
真空管アンプ的といえ、真空管をそのままトランジスターに置き換えたもので、
当然出力トランスを搭載している。

50Eの登場した1965年、JBLには、SG520、SE400S、SA600があった。
トランジスターアンプの回路設計が新しい時代を迎えた同時期に、QUADは50Eである。

こう書いてしまうと、なんとも古くさいアンプだと50Eを捉えがちになるが、
決してそうではないことは二年後の303との比較、
それからトラジスターアンプでも、
トランス(正確にはオートフォーマー)を搭載したマッキントッシュとの比較からもいえる。
これについて別項でいずれ書いていくかもしれない。

とにかくQUAD IIと置き換えるためのアンプといえる50Eは1965年に登場したわけだが、
QUAD IIは1970年まで製造が続けられている。
QUAD IIはモノーラル時代のアンプで、1953年生れである。
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

現代真空管アンプ考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=26895

オーディオ機器にもロングラン、ロングセラーモデルと呼ばれるものはある。
数多くあるとはいえないが、あまりないわけでもない。
スピーカーやカートリッジには、多かった。

けれどアンプは極端に少なかった。
ラックスのSQ38にしても、初代モデルからの変遷をたどっていくと、
何を基準にしてロングラン、ロングセラーモデルというのか考えてしまう。

そんななかにあって、QUAD IIはまさにそういえるアンプである。
1953年から1970年まで、改良モデルが出たわけでなく、
おそらく変更などなく製造が続けられていた。

ペアとなるステレオ仕様のコントロールアンプ22の登場は1959年で、
1967年に、33と入れ代るように製造中止になっている。

22とQUAD IIのペアは、ステレオサウンド 3号(1967年夏)の特集に登場している。
     *
 素直ではったりのない、ごく正統的な音質であった。
 わたくしが家でタンノイを鳴らすとき、殆んどアンプにはQUADを選んでいる。つまりタンノイと結びついた形で、QUADの音質が頭にあった。切換比較で他のオーソドックスな音質のアンプと同じ音で鳴った時、実は少々びっくりした。びっくりしたのは、しかしわたくしの日常のそういう体験にほかならないだろう。
 タンノイは、自社のスピーカーを駆動するアンプにQUADを推賞しているそうだ。しかしこのアンプに固有の音色というものが特に無いとすれば、その理由は負荷インピーダンスの変動に強いという点かもしれない。これはおおかたのアンプの持っていない特徴である。
 10数年前にすでにこのアンプがあったというのは驚異的なことだろう。
     *
瀬川先生が、こう書かれている。
ここで「選んでいる」とあるのは、QUAD IIのことのはず。

ただし52号の特集の巻頭「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」では、
こうも書かれている。
     *
 マランツ7にはこうして多くの人々がびっくりしたが、パワーアンプのQUAD/II型の音のほうは、実のところ別におどろくような違いではなかった。この水準の音質なら、腕の立つアマチュアの自作のアンプが、けっこう鳴らしていた。そんないきさつから、わたくしはますます、プリアンプの重要性に興味を傾ける結果になった。
     *
実を言うと、これを読んでいたから、QUAD IIにさほど興味をもてなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26895

現代真空管アンプ考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=26898


ステレオサウンド 3号のQUADのページの下段には、解説がある。
この解説は誰による文章なのかはわからないが、8号の特集からわかるのは、
瀬川先生が書かれていた、ということ。

QUAD IIについては、こう書かれている。
     *
 公称出力15Wというのは少ないように思われるが、これは歪率0.1%のときの出力で、カタログ特性で、OVERLOAD≠ニある部分をみると、ふつうのアンプなら25Wぐらいに表示するところを、あえて控えめに公称しているあたり、イギリス人の面目躍如としている。コムパクトなシャーシ・コンストラクションと、手工芸的な配線テクニックは、実に信頼感を抱かせる。
 イギリスでは公的な研究機関や音響メーカーで標準アンプとして数多く採用されていることは有名で、技術誌のテストリポートやスピーカーの試聴記などに、よく「QUAD22のトーン目盛のBASSを+1、TREBLEを−1にして聴くと云々」といった表現が使われる。
     *
岡先生もステレオサウンド 50号で、
《長年に亘ってBBCをはじめ、イギリスの標準アンプとして使われていただけのことはある傑作といえる。》
と書かれている。

その意味でQUAD IIは、業務(プロフェッショナル)用アンプといえる。
けれどQUAD IIはプロフェッショナル用を意図して設計されたアンプではないはず。

結果として、そう使われるようになったと考える。

同じ意味ではマッキントッシュのMC275もそうといえよう。
マッキントッシュにはA116というプロフェッショナル用として開発され使われたアンプもあるが、
MC275はコンシューマー用としてのアンプである。

それがCBSコロムビアのカッティングルームでのモニター用アンプとして、
それから1970年代初頭、コンサートでのアンプには、
トランジスターの、もっと出力の大きなアンプではなくMC275がよく使われていた、とも聞いている。

MC275もQUAD IIと、だから同じといえ、
それがマランツの真空管アンプとは、わずかとはいえはっきり違う点でもある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26898

現代真空管アンプ考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=26935


多素子のネットワーク構成ゆえに容量性負荷となり、
しかもインピーダンスも8Ωよりも低くかったりするし、
さらには能率も低い。

おまけにそういうスピーカーに接続されるスピーカーケーブルも、
真空管アンプ全盛時代のスピーカーケーブル、
いわゆる平行二芯タイプで、太くもないケーブルとは違っていて、
そうとうに太く、構造も複雑になっていて、
さらにはケーブルの途中にケースで覆われた箇所があり、
そこには何かが入っていたりして、
ケーブルだけ見ても、アンプにとって負荷としてしんどいこともあり得るのではないか。

QUAD II以外のアンプのほとんどは位相補正を行っている。
無帰還アンプならばそうでもないが、NFBをかけているアンプで位相補正なしというのは非常に珍しい。

大半のアンプが位相補正を行っているわけだが、
どの程度まで位相補正をやっているのか、というと、
メーカー、設計者によって、かなり違ってきている。

マランツの真空管アンプは、特にModel 9、Model 8Bは、
徹底した、ともいえるし、凝りに凝った、ともいえる位相補正である。

積分型、微分型、両方の位相補正を組合せて、計五箇所行われている。
それ以前のマランツのパワーアンプ、Model 2、5、8でも位相補正はあるけれど、
そこまで徹底していたわけではない。

私がオーディオに興味をもったころ、Model 8に関しては8Bだけが知られていた。
Model 8というモデルがあったのは知っていたものの、
そのころは8Bはマイナーチェンジぐらいにしかいわれてなかった。

ステレオサウンド 37号でも、
回路はまったく同じで電源を少し変えた結果パワーが増えた──、
そういう認識であった。
1975年当時では、そういう認識でも仕方なかった。

Model 8とModel 8Bの違いがはっきりしたのは、
私が知る範囲では、管球王国 vol.12(1999年春)が最初だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26935

現代真空管アンプ考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=26937


Model 8とModel 8Bの違いについて細かなことは省く。
詳しく知りたい方は、管球王国 vol.12の当該記事が再掲載されているムック、
「往年の真空管アンプ大研究」を購入して読んでほしい。

以前の管球王国は、こういう記事が載っていた。
そのころは私も管球王国には期待するものがあった。
けれど……、である。

わずかのあいだにずいぶん変ってしまった……、と歎息する。

Model 8はよくいわれているようにModel 5を二台あわせてステレオにしたモデルとみていい。
Model 8は1959年に発売になっている。
Model 8Bは1961年発売で、前年にはModel 9が発売されている。

Model 8と8Bの回路図を比較すると、もちろん基本回路は同じである。
けれど細かな部品がいくつか追加されていて、
出力トランスのNF巻線が8Bでは二組に増えている。

そういった変更箇所をみていくと、Model 8Bへの改良には、
記事中にもあるようにModel 9の開発で培われた技術、ノウハウが投入されているのは明らかだ。

石井伸一郎氏は、Model 8Bはマランツの管球式パワーアンプの集大成、といわれている。
井上先生も、Model 8Bはマランツのパワーアンプの一つの頂点ではないか、といわれている。
上杉先生は、マランツのパワーアンプの中で、Model 8Bがいちばん好きといわれている。

マランツの真空管パワーアンプの設計はシドニー・スミスである。
シドニー・スミスは、Model 5がいちばん好きだ、といっている(らしい)。

ここがまた現代真空管アンプとは? について書いている者にとっては興味深い。
http://audiosharing.com/blog/?p=26937


現代真空管アンプ考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=26949

上杉先生は管球王国 vol.12で、
マランツのModel 8Bの位相補正について、次のように語られている。
     *
上杉 この位相補正のかけ方は、実際に波形を見ながら検証しましたが、かなり見事なもので、補正を一つずつ加えていくと、ほとんど原派生どおりになるんですね。そのときの製作記事では、アウトプットトランスにラックス製を使ったため、♯8Bとは異なるのですが、それでも的確に効果が出てきました。
     *
上杉先生が検証されたとおりなのだろう。
位相補正をうまくかけることで、NFBを安定してかけられる。
つまりNFBをかけたアンプの完成度を高めているわけである。

真空管のパワーアンプの場合、出力トランスがある。
その出力トランスの二次側の巻線から、ほとんどのアンプではNFBがかけられる。
つまりNFBのループ内に出力トランスがあるわけだ。

出力トランスが理想トランスであれば、
位相補正に頼る必要はなくなる。
けれど理想トランスなどというモノは、この世には存在しない。
これから先も存在しない、といっていいい。

トランスというデバイスはひじょうにユニークでおもしろい。
けれど、NFBアンプで使うということは、それゆえの難しさも生じてくる。

Model 8と8Bは、トランスの二次側の巻線からではなく、NFB用巻線を設けている。
しかも(その12)でも書いているように、8BではNFB用巻線がさらに一つ増えている。

上杉先生が検証されたラックスのトランスには、NFB用巻線はなかったのではないか。
二次側の巻線からNFBをかけての検証だった、と思われる。

それでも的確に効果が出てきた、というのは、そうとうに有効な位相補正といえよう。
なのに、なぜ、複雑な構成のネットワークをもつスピーカーが負荷となると、
マランツのModel 8B、Model 9は大変なことになるのか。

凝りに凝った位相補正がかけられていて、
NFBアンプとしての完成度も高いはずなのに……、だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26949

現代真空管アンプ考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=26951


結局のところ、抵抗負荷での測定であり、
入力信号も音楽信号を使うわけではない。

上杉先生の検証も抵抗負荷での状態のはずだし、
マランツがModel 8Bの開発においても抵抗負荷での実験が行われたはず。

ほぼ原波形どおりの出力波形が得られた、ということにしても、
音楽信号を入力しての比較ではなく、
正弦波、矩形波を使っての測定である。

アンプが使われる状況はそうてはない。
負荷は常に変動するスピーカーであり、
入力される信号も、つねに変動する音楽信号である。

ここでやっと(その4)のヒーターの点火方法のことに戻れる。
おそらくヒーターも微妙な変動を起しているのではないか、と考えられる。
安定しているのであれば、定電圧点火であろうと定電流点火であろうと、
どちらも設計がしっかりした回路であれば、音の変化は出ないはずである。

ヒーターに流れる電流は、ヒーターにかかっている電圧を、
ヒーターの抵抗値で割った値である。

ヒーターは冷えている状態と十分に暖まった状態では抵抗値は違う。
当然だが、冷えている状態のほうが低い。

十分に暖まった状態で、ヒーターの温度が安定していれば抵抗値も変動しないはず。
抵抗値が安定していれば、かかる電圧も安定化されているわけで、
オームの法則からヒーターに流れる電流も安定になる。
定電圧点火でも定電流点火でも、音に違いが出るはずがない。

けれど実際は、大きな音の違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26951

現代真空管アンプ考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=26999


いまでこそアンプに面実装タイプの部品があたりまえのように使われるようになっている。
小さい抵抗やコンデンサーには、そのサイズ故のメリットがあるのはわかっていても、
それ以前のアンプでのパ抵抗やコンデンサーの大きさを知っている者からすれば、
デメリットについても考える。

もちろんメリットとデメリットは、どちらか片方だけでなく、
サイズの大きな部品にもメリットとデメリットがあるわけだが、
昔から、抵抗は同じ品種であっても、ワット数の大きいほうが音はいい、といわれてきた。

1/4Wのの抵抗よりも1/2W、さらには1W、2W、5W……、というふうに音はよくなる、といわれていた。
富田嘉和氏はさらに大きな10W、20Wの抵抗を、アンプの入力抵抗に使うという実験をされていたはずだ。

ワット数が大きいほうが、なぜいいのか。
その理由ははっきりとしないが、ひとつには温度係数が挙げられていた。
音楽信号はつねに変動している。

1/4Wの抵抗で動作上問題がなくても、
大きな信号が加わった時、抵抗の内部はほんのわずかとはいえ温度が上昇する。
温度係数の、あまりよくない抵抗だと、その温度上昇によって抵抗値にわずかな変動が生じる。
それが音に悪影響を与えている可能性が考えられる──、
そういったことがいわれていた。

確かに抵抗であれば、ワット数が大きくなれば温度係数はよくなる。
この仮説が事実だとしたら、真空管のヒーターもそうなのかもしれない、と考えられる。

温度のわずかな変化、それによるヒーターの抵抗値のわずかな変動。
そこに定電圧電源から一定の電圧がかかっていれば、
ヒーターへの電流はわずかとはいえ変動することになる。

電流の変動はエミッションの不安定化へとつながる。
ならば安定化しなければならないのは電圧ではなく、電流なのかもしれない。

定電流点火によってヒーターのなんらかの変動が生じても、電流は一定である。
そのためヒーターにかかる電圧はわずかに変動する。

それでも重要なのはエミッションの安定であることがわかっていれば、
どちらなのかははっきりとしてくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=26999


現代真空管アンプ考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=27001


ヒーターはカソードを熱している。
カソードとヒーター間に十分な距離があれば問題は生じないのだろうが、
距離を離していてはカソードを十分に熱することはできない。

カソードとヒーターとは近い。
ということはそこに浮遊容量が無視できない問題として存在することになる。
ということは真空管アンプの回路図を厳密に描くのであれば、
カソードとヒーターを、極小容量のコンデンサーで結合することになる。

それでも真空管が一本(ヒーターが一つ)だけであれば、大きな問題とはならないかもしれないが、
実際には複数の真空管が使われているのだから、浮遊容量による結合は、
より複雑な問題となっているはず。

仮に定電圧点火であっても定電流点火であっても、
エミッションが完全に安定化していたとしても、この問題は無視できない。

そこに定電圧電源をもてくるか、定電流電源をもってくるかは、
それぞれの干渉という点からみれば、
低インピーダンスの定電圧電源による点火か、
高インピーダンスの定電流電源による点火か、
どちらが複数の真空管の相互干渉を抑えられるかといえば後者のはずだ。

念のためいっておくが、三端子レギュレーターの配線を変更して定電流点火は認めない。

私は真空管のヒーターは、きちんとした回路による定電流点火しかないと考える。
けれど、ここで交流点火について考える必要もある。

交流点火はエミッションの安定化、つまりヒーター温度の安定化という点では、
どう考えても直流点火よりも不利である。

けれど交流点火でなければならない、と主張する人は昔からいる。
ここでの交流点火は、ほとんどの場合、出力管は直熱三極管である。
http://audiosharing.com/blog/?p=27001

現代真空管アンプ考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=27010

直熱三極管の交流点火ではハムバランサーが必ずつくといっていい。
この場合、電源トランスのヒーター用巻線の両端のどちらかが接地されることは、まずない。

傍熱管の場合でもハムバランサーがついているアンプもある。
マッキントッシュの場合は、モノーラル時代のモノ(つまりMC60までは)ハムバランサーがあり、
ステレオ時代になってからはヒーター用巻線の片側が接地されている。
MC3500ではハムバランサーが復活している。

同時代のマランツのパワーアンプは、というと、ヒーター用巻線にセンタータップがあり、
これが接地されている。ハムバランサーはない。

ハムバランサーがない場合でも、マッキントッシュとマランツとでは接地が違う。
正直いうと、この接地の仕方の違いによる音の変化を、同一アンプで比較試聴したことはない。

マランツの真空管アンプも聴いているし、マッキントッシュの真空管アンプも聴いているが、
これらのアンプの音の違いは交流点火における接地の仕方だけの違いではないことはいうまでもない。

なので憶断にすぎないのはわかっているが、交流点火の場合、
ヒーター用巻線にセンタータップがあり、ここを接地したほうが音はいいのではないのか。

交流点火が音がいい、という人がいる。
けれど理屈からは直流点火のほうがエミッションは安定化するように思える。
それでも──、である。

ということは交流点火で考えられるのは電流の向きが反転することであり、
この反転がヒーターの温度の安定化にどう作用しているのか。

交流点火になんらかの音質的なメリットがあるとしよう。
ならば交流点火でも、定電圧点火と定電流点火とが考えられる。
通常の交流点火ではヒーター用巻線からダイレクトに真空管のヒーターに配線するが、
あえてアンプを介在させる。小出力のアンプの出力をヒーターへと接続する。

そうすることで出力インピータンスを低くすることができ、
この場合は定電圧点火となるし、このアンプを電流出力とすれば、
交流の定電流点火とすることができる。
しかもアンプをアンバランスとするのか、バランスとするのかでも音は変ってこよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=27010


現代真空管アンプ考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=27012


ここまでやるのならば、ヒーター点火の周波数を50Hz、60Hzにこだわることもない。
もう少し高い周波数による交流点火も考えられる。
十倍の500Hz、600Hzあたりにするだけでも、そうとうに音は変ってくるはずだ。

そのうえで定電流でのバランス点火とする手もある。

つまりヒーター用電源を安定化するということは、
真空管のエミッションを安定化するということであり、
ヒーターにかかる電圧を安定化するということではない。

エミッションの安定化ということでは、重要なパラメーターは電圧ではなく電流なのだろう。
そうなると定電流点火を考えていくべきではないのか。

300Bだろうが、EL34、KT88だろうが、真空管全盛時代のモノがいい、といわれている。
確かに300Bをいくつか比較試聴したことがあって、刻印タイプの300の音に驚いた。

そういう球を大金を払って購入するのを否定はしないが、
そういう球に依存したアンプは、少なくとも現代真空管アンプとはいえない。

現代真空管アンプとは、現在製造されている真空管を使っても、
真空管全盛時代製造の真空管に近い音を出せる、ということがひとつある。
そのために必要なのは、エミッションの安定化であり、
それは出力管まで定電流点火をすることで、ある程度の解決は見込める。

もちろん、どんなに優れた点火方法であり、100%というわけではないし、
仮にそういう点火方法が実現できたとしても、
真空管を交換した場合の音の違いが完全になくなるわけではない。

それでも真空管のクォリティ(エミッションの安定)に、
あまり依存しないことは、これからの真空管アンプには不可欠なことと考える。
http://audiosharing.com/blog/?p=27012

現代真空管アンプ考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=27014


定電流点火のやっかいなのは、作るのが面倒だという点だ。
回路図を描くのは、いまでは特に難しくはない。

けれど作るとなると、熱の問題をどうするのかを、まず考えなくてはならない。
それに市販の真空管アンプ用の電源トランスではなく、
ヒーター用に別個の電源トランスが必要となってくる。

もっとも真空管アンプの場合、高電圧・低電流と低電圧・高電流とを同居しているわけで、
それは電源トランスでも同じで、できることならトランスから分けたいところであるから、
ヒーター用電源トランスを用意することに、特に抵抗はないが、
定電流回路の熱の問題はやっかいなままだ。

きちんとした定電流点火ではなく、
単純にヒーター回路に抵抗を直列に挿入したら──、ということも考えたことがある。

たとえば6.3Vで1Aのヒーターだとすれば、ヒーターの抵抗は6.3Ωである。
この6.3Ωよりも十分に高いインピーダンスで点火すれはいいのだから、
もっとも安直な方法としては抵抗を直列にいれるという手がある。

昔、スピーカーとアンプとのあいだに、やはり直列に抵抗を挿入して、
ダンピングをコントロールするという手法があったが、これをもっと積極的にするわけで、
たとえば6.3Ωの十倍として63Ωの抵抗、さらには二十倍の126Ωの抵抗、
できれば最低でも百倍の630Ωくらいは挿入したいわけだが、
そうなると、抵抗による電圧低下(630Ωだと630Vになる)があり、
あまり高い抵抗を使うことは、発熱の問題を含めて現実的ではない。

結局、定電流点火のための回路を作ったほうが実現しやすい。
定電流の直流点火か交流点火なのか、どちらが音がいいのかはなんともいえない。

ただいえるのは定電流点火をするのであれば、ヒーター用トランスを用意することになる。
それはトランスの数が増えることであり、トランスが増えることによるデメリット、
トランス同士の干渉について考えていく必要が出てくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=27014


現代真空管アンプ考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=27016


真空管パワーアンプは、どうしても重量的にアンバランスになりがちだ。
出力トランスがあるから、ともいえるのだが、
出力トランスをもたないOTLアンプでも、
カウンターポイントのSA4やフッターマンの復刻アンプでは、重量的アンバランスは大きかった。

電源トランスが一つとはいえ、真空管のOTLアンプではもう一つ重量物であるヒートシンクがないからだ。
SA4を持ち上げてみれば、すぐに感じられることだが、フロントパネル側がやたら重くて、
リアパネル側は軽すぎる、といいたくなるほどアンバランスな重量配分である。

重量的アンバランスが音に影響しなければ問題することはないが、
実際は想像以上に影響を与えている。

出力トランスをもつ真空管アンプでは、重量物であるトランスをどう配置するかで、
アンプ全体の重量配分はほぼ決る。

ステレオアンプの場合、出力トランスが二つ、電源トランスが一つは、最低限必要となる。
場合によってはチョークコイルが加わる。

マッキントッシュのMC275やMC240は、重量配分でみれば、そうとうにアンバランスである。
マランツのModel 8B、9もそうである。
ユニークなのはModel 2で、電源トランス、出力トランスをおさめた金属シャーシーに、
ゴム脚が四つついている。
この、いわゆるメインシャーシーに突き出す形で真空管ブロックのサブシャーシーがくっついている。

サブシャーシーの底にはゴム脚はない。いわゆる片持ちであり、
強度的には問題もあるといえる構造だが、重量的アンバランスはある程度抑えられている、ともいえる。

Model 5は奥に長いシャーシーに、トランス類と真空管などを取り付けてある。
メインシャーシー、サブシャーシーというわけではない。
このままではアンバランスを生じるわけだが、
Model 5ではゴム脚の取付位置に注目したい。

重量物が寄っている後方の二隅と、手前から1/3ほどの位置に前側のゴム脚がある。
四つのゴム脚にできるだけ均等に重量がかかるような配慮からなのだろう。

でもシャーシー手前側は片持ち的になってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=27016


現代真空管アンプ考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=27019

これまで市販された真空管パワーアンプを、
トランスの配置(重量配分)からみていくのもおもしろい。

ウエスギ・アンプのU·BROS3は、シャーシーのほぼ中央(やや後方にオフセットしているが)に、
出力トランス、電源トランス、出力トランスという順で配置している。
重量物三つをほぼ中央に置くことで、重量バランスはなかなかいい。

同じKT88のプッシュプルアンプのマイケルソン&オースチンのTVA1は、
シャーシーの両端にトランスを振り分けている。
片側に出力トランスを二つを、反対側に電源トランスとなっている。

電源トランスは一つだから、出力トランス側のほうに重量バランスは傾いているものの、
極端なアンバランスというほどではない。

ラックスのMQ60などは、後方の両端に出力トランスをふりわけ、前方中央に電源トランス。
完璧な重量バランスとはいえないものの、けっこう重量配分は配慮されている。

(その20)で、マッキントッシュのMC275、MC240はアンバランスだと書いたが、
MC3500はモノーラルで、しかも電源トランスが二つあるため、
内部を上から見ると、リアパネル左端に出力トランス、フロントパネル右端に電源トランスと、
対角線上に重量物の配置で、MC275、MC240ほどにはアンバランスではない。

現行製品のMC2301は、マッキントッシュのパワーアンプ中もっとも重量バランスが優れている。
シャーシー中央にトランスを置き、その両側に出力管(KT88)を四本ずつ(計八本)を配置。

出力は300W。MC3500の350Wよりも少ないものの、MC3500の現代版といえる内容であり、
コンストラクションははっきりと現代的である。
2008年のインターナショナルオーディオショウで初めてみかけた。
それから十年、ふしぎと話題にならないアンプである。
音を聴く機会もいまのところない。

インターナショナルオーディオショウでも、音が鳴っているところに出会していない。
いい音が鳴ってくれると思っているのに……。
http://audiosharing.com/blog/?p=27019


現代真空管アンプ考(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=27023


ここまで書いてきて、また横路に逸れそうなことを思っている。
現代真空管アンプとは、いわゆるリファレンス真空管アンプなのかもしれない、と。

ステレオサウンド 49号の特集は第一回STATE OF THE ART賞だった。
Lo-DのHS10000について、井上先生が書かれている。
     *
 スピーカーシステムには、スタジオモニターとかコンシュマーユースといったコンセプトに基づいた分類はあが、Lo-DのHS10000に見られるリファレンススピーカーシステムという広壮は、それ自体が極めてユニークなものであり、物理的な周波数特性、指向周波数特性、歪率などで、現在の水準をはるかに抜いた高次元の結果が得られない限り、その実現は至難というほかないだろう。
     *
こういう意味での、リファレンス真空管アンプを考えているのだろうか、と気づいた。
製品化することを前提とするものではなく開発されたオーディオ機器には、
トーレンスのReferenceがある。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生がそのへんのことを書かれている。
     *
「リファレンス」という名のとおり、最初これはトーレンス社が、社内での研究用として作りあげた。
アームの取付けかたなどに、製品として少々未消化な形をとっているのも、そのことの裏づけといえる。
 製品化を考慮していないから、費用も大きさも扱いやすさなども殆ど無視して、ただ、ベルトドライヴ・ターンテーブルの性能の限界を極めるため、そして、世界じゅうのアームを交換して研究するために、つまりただひたすら研究用、実験用としてのみ、を目的として作りあげた。
 でき上った時期が、たまたま、西独デュッセルドルフで毎年開催されるオーディオ・フェアの時期に重なっていた。おもしろいからひとつ、デモンストレーション用に展示してみようじゃないか、と誰からともなく言い出して出品した。むろん、この時点では売るつもりは全くなかった??、ざっと原価計算してみても、とうてい売れるような価格に収まるとも思えない。まあ冗談半分、ぐらい気持で展示してみたらしい。
 ところが、フェアの幕が開いたとたんに、猛反響がきた。世界各国のディーラーや、デュッセルドルフ・フェアを見にきた愛好家たちのあいだから、問合せや引合いが殺到したのだそうだ。あまりの反響の大きさに、これはもしかしたら、本気で製品化しても、ほどほどの採算ベースに乗るのではないだろうか、ということになったらしい。いわば瓢箪から駒のような形で、製品化することになってしまった……。レミ・トーレンス氏の説明は、ざっとこんなところであった。
     *
トーレンスのReferenceには、未消化なところがある。
扱いやすいプレーヤーでもない。
あくまでもトーレンスが自社の研究用として開発したプレーヤーをそのまま市販したのだから、
そのへんは仕方ない。

その後、いろいろいてメーカーからReferenceとつくオーディオ機器がいくつも登場した。
けれど、それらのほとんどは最初から市販目的の製品であって、
肝心のところが、トーレンスのReferenceとは大きく違う。

Lo-DのHS10000も、市販ということをどれだけ考えていたのだろうか。
W90.0×H180.0×D50.0cmという、かなり大きさのエンクロージュアにもかかわらず、
2π空間での使用を前提としている。

つまりさらに大きな平面バッフルに埋めこんで使用することで、本来の性能が保証される。
価格は1978年で、一本180万円だった。
しかもユニット構成は基本的には4ウェイ5スピーカーなのだが、
スーパートゥイーターをつけた5ウェイへの仕様変更も可能だった。

HS10000も、せひ聴きたかったスピーカーのひとつであったが、
こういう性格のスピーカーゆえに、販売店でもみかけたことがない。
いったいどれだけの数売れたのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=27023

現代真空管アンプ考(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=27053


トランスのことに話を戻そう。

重量物であるトランスをうまく配置して、重量バランスがとれたからといって、
トランスが複数個あることによる問題のすべてが解消するわけではない。

トランスは、まず振動している。
ケースにおさめられ、ケースとトランスの隙間をピッチなどが充填されていても、
トランスの振動を完全に抑えられるわけではない。

トランスはそれ自体が振動発生源である。
しかも真空管パワーアンプでは複数個ある。
それぞれのトランスが,それぞれの振動を発生している。

チョークコイルも、特にチョークインプット方式での使用ではさらに振動は大きく増す。
しかも真空管アンプなのだから、能動素子は振動の影響を受けやすい真空管である。

一般的な真空管アンプのように、一枚の金属板に出力トランス、電源トランス、チョークコイル、
そして真空管を取り付けていては、振動に関してはなんら対策が施されていないのと同じである。

トランスと金属板との間に緩衝材を挿むとか、
その他、真空管ソケットの取付方法に細かな配慮をしたところで、
根本的に振動の問題を解消できるわけではない。

もちろん、振動に関して完璧な対策があるわけではないことはわかっている。
それでも真空管アンプの場合、
トランスという振動発生源が大きいし多いから、
難しさはトランジスターアンプ以上ということになる。

30年ほど前、オルトフォンの昇圧トランスSTA6600に手を加えたことがある。
手を加えた、というより、STA6600に使われているトランスを取り出して、
別途ケースを用意して、つくりかえた。

その時感じたのは、トランスの周囲にはできるだけ金属を近づけたくない、だった。
STA6600のトランスはシールドケースに収められていた。
すでにトランスのすぐそばに金属があるわけだが、
それでも金属板に取り付けるのは、厚めのベークライトの板に取り付けるのとでは、
はっきりと音は違う。

金属(アルミ)とベークライトの固有音の違いがあるのもわかっているが、
それでも導体、非導体の違いは少なからずあるのではないのか。

そう感じたから、トランスの周りからは配線以外の金属は極力排除した。
ベークライトの板を固定する支柱もそうだし、ネジも金属製は使用しなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=27053


現代真空管アンプ考(番外)
http://audiosharing.com/blog/?p=27060


現代真空管アンプ考というタイトルをつけている。
「現代スピーカー考」という別項もある。

現代、現代的、現代風などという。
わかっているようでいて、いざ書き始めると、何をもって現代というのか、
遠くから眺めていると、現代とつくものとつかないものとの境界線が見えているのに、
もっとはっきり見ようとして近づいていくと、いかにその境界線が曖昧なのかを知ることになる。

1989年、ティム・バートン監督による「バットマン」が公開された。
バットマンは、アメリカのテレビドラマを小さかったころ見ていた。

バットマンというヒーローの造形が、こんなに恰好良くなるのか、とまず感じた。
バットモービルに関しても、そうだった。

「バットマン」はヒットした。
そのためなのかどうかはわからないが、
過去のヒーローが、映画で甦っている。

スーパーマン、スパイダーマン、アイアンマン、ハルク、ワンダーウーマンなどである。
スパイダーマンは日本で実写化されたテレビ版を見ている。
ハルクとワンダーウーマンのテレビ版は見ている。

スーパーマンの映画は、
1978年公開、クリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」から観てきている。

これらヒーローの造形は、現代的と感じる。
特にワンダーウーマンの恰好良いこと。

ワンダーウーマンの設定からして、現代的と感じさせるのは大変だったはずだ。
けれど、古い時代の恰好でありながらも、見事に成功している。

日本のヒーローはどうかというと、
仮面ライダー、キカイダー、ガッチャマン、破裏拳ポリマーなどの映画での造形は、
アメリカのヒーローとの根本的な違いがあるように感じる。

較べるのが無理というもの、
予算が違いすぎるだろう、
そんなことを理由としていわれそうだが、
ヒーローものの実写映画において、肝心のヒーローの造形が恰好良くなくて、
何がヒーローものなのか、といいたくなる。

日本の、最近制作されたヒーローものの実写映画での造形は、
どこか根本的なところから間違っているように思う。

「現代」という言葉の解釈が、アメリカと日本の映画制作の現場では大きく違っているのか。
日米ヒーローの造形の、現代におけるありかたは、
「現代」ということがどういうことなのかを考えるきっかけを与えてくれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=27060

現代真空管アンプ考(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=27321


オルトフォンのSTA6600のトランスを流用して自作したモノは、
うまくいった。
トランスの取り付け方だけが工夫を凝らしたところではなく、
他にもいろいろやっているのだが、その音は、
誰もが中身はSTA6600のトランスとは見抜けないほど、音は違っている。

もっといえば立派な音になっている。
自画自賛と受けとられようが、
この自作トランスの音を聴いた人は、その場で、売ってほしい、といってくれた。

その人のところには、ずっと高価な昇圧トランスがあった。
当時で、20万円を超えていたモノで、世評も高かった。

だから、その人も、その高価なトランスを買ったわけだが、
私の自作トランスの方がいい、とその人は言ってくれた。

そうだろうと思う。
トランス自体の性能は、高価なトランスの方が上であろう。
ただ、その製品としてのトランスは、トランス自体の扱いがわかっていないように見えた。

この製品だけがそうなのではなく、ほとんど大半の昇圧トランスが、そうである。
インターネットには、高価で貴重なトランスをシャーシーに取り付けて──、というのがある。

それらを見ると、なぜこんな配線にしてしまうのか。
その配線が間違っているわけではない。
ほとんどのトランスでやられている配線である。

それを疑いもせずにそのまま採用している。
私にいわせれば、そんな配線をやっているから、
トランス嫌いの人がよくいうところの、トランス臭い音がしてしまう。

取り付けにしても配線にしても、ほんのちょっとだけ疑問をもって、
一工夫することを積み重ねていけば、トランスの音は電子回路では味わえぬ何かを聴かせてくれる。

MC型カートリッジの昇圧トランスと、真空管パワーアンプの出力トランスとでは、
扱う信号のレベルが違うし、信号だけでなく、真空管へ供給する電圧もかかる。

そういう違いはあるけれど、どちらもトランスであることには変りはない。
ということは、トランスの扱い方は、自ずと決ってくるところが共通項として存在する。
http://audiosharing.com/blog/?p=27321

現代真空管アンプ考(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=27342

無線と実験、ラジオ技術には、毎号、真空管アンプの製作記事が載っている。
この二誌以外のオーディオ雑誌にも、真空管アンプの製作記事が載ることがある。

トランスにはシールドケースに収納されているタイプと、
コアが露出しているタイプとがある。

シールドケースに入っているタイプだとわかりにくいが、
コアが露出しているタイプを使っているアンプ、
それもステレオ仕様のアンプだと、出力トランスの取り付け方向を見てほしい。

きちんとわかって配置しているアンプ(記事)もあれば、
無頓着なアンプも意外と多い。

EIコアのトランスだと、漏洩磁束の量がコアの垂直方向、水平方向、
それに巻線側とでは、それぞれに違う。

そのことを忘れてしまっている製作例がある。

複数のトランスが、一つのシャーシー上にあれば、必ず干渉している。
その干渉をなくすには、トランス同士の距離を十二分にとるのがいちばん確実な方法だ。

けれどこんなやり方をすれば、アンプ自体のサイズがそうとうに大きくなるし、
それに見た目も間延してしまう。

それにトランス同士の距離が離れれば、内部配線も当然長くなる。
どんなワイヤーであってもインダクタンスをもつ。
そうであれば高域でのインピーダンスは必然的に上昇することになる。

配線の距離が長くなるほど、インピーダンスの上昇も大きくなるし、
長くなることのデメリットは、外部からの影響も受けやすくなる。

NFBを、出力トランスの二次側からかけている回路であれば、
NFBループ内のサイズ(面積)が広くなり、このことにも十分な配慮が必要となる。

配線の長さ、仕方によるサイズの変化については、以前書いているので、ここでは触れない。
http://audiosharing.com/blog/?p=27342

現代真空管アンプ考(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=27557


トランスの取り付け方、取り付け位置は注目したいポイントである。

カタログやウェブサイトなどでの製品の説明で、
良質で大容量の電源トランスを使用していることを謳っているものはけっこうある。

オーディオ雑誌の記事でも、製品の内部写真の説明でも、
電源トランスは……、という記述があったりする。

アンプにしても、CDプレーヤーにしても交流電源を直流にして、
その直流を信号に応じて変調させて出力をさせているわけだから、
電源のクォリティは、音のクォリティに直結しているわけで、
電源トランスは、その要ともいえる。

だからこそ良質で(高価な)トランスを採用するわけだが、
その取り付け方をみると、このメーカーは、ほんとうに細部までこだわっているのだろうか──、
そう思いたくなるメーカーが、けっこう多い。

ケースなしの電源トランス、
特にトロイダルコアの電源トランスをどう固定するか。

どんなに電源トランスのクォリティにこだわりました、と謳っていても、
こんな取り付け方しかしないのか、取り付け方を自分たちで工夫しないのか、考えないのか、
そういいたくなることがある。

安価な製品であれば、それでもかまわない、と思うけれど、
数十万円、百万円をこえる製品なのに、
電源トランスも大きく立派そうにみえるモノであっても、
取り付け方は標準的な方法そのままだ。

ここまで書けば、製品内部をきちんと見ている人ならば、
どういうことをいいたいのかわかってくれよう。

細部まで疎かにせず、とか、細部までこだわりぬいた、とか、
そういう謳い文句が並んでいても、電源トランスの取り付け方が、
そのこだわりがどの程度のものなのかを、はっきりと示している。
http://audiosharing.com/blog/?p=27557

現代真空管アンプ考(最大出力)
http://audiosharing.com/blog/?p=27653


マイケルソン&オースチンのTVA1は、KT88のプッシュプルで出力は70W+70Wだった。
TVA1に続いて登場したEL34プッシュプルのTVA10は、50W+50Wだった。

TVA1の70Wの出力は理解できた。
けれどTVA10の50Wという出力は、EL34のプッシュプルにしては大きい。
EL34のプッシュプルで、AB1級ならば出力は35W程度である。

TVA10に続いて登場したM200は、EL34の4パラレルプッシュプルで200Wの出力。
出力管の本数がTVA10の四倍に増え、出力も四倍になっている。

TVA1は何度か聴いている。
TVA10も一度か二度聴いているけど、M200は聴く機会がなかった。

TVA1とTVA10は、出力管が違うとはいえ、ずいぶん音が違うな、と感じたものだった。
TVA1の音には魅力を感じたが、TVA10には、まったくといっていいほど魅力を感じなかった。

M200までになると、印象は変ってくるかもしれないが、
TVA1とTVA10は、同じ人が設計しているとは思えなかった。

そのことがはっきりしたのは聴いてから数年経ったころで、
TVA10とM200の設計者はティム・デ・パラヴィチーニであることがわかった。

パラヴィチーニはラックスに在籍していたこともある。
コントロールアンプのC1000とパワーアンプのM6000は、彼の設計といわれているし、
管球式モノーラルパワーアンプのMB3045もそうである。

ならば、パラヴィチーニは、ラックス時代に上原晋氏と一緒に仕事をしていた可能性もある。

上原晋氏は、ラジオ技術の1958年8月号で、EL34のプッシュプルアンプを発表されている。
このアンプの出力は60Wと、一般的なEL34のプッシュプルよりもかなり大きい。

だからといって、EL34の定格ぎりぎりまで使っての、やや無理のある設計ではない。
記事の冒頭に、こう書かれている。
     *
このアンプでは、定格いっぱいの用法は敬遠し、できるだけ球に余裕を持たせ、とくにSgの損失を軽くすることによって寿命を延ばすようにしました。結果からいいますとSgの損失を定格の半分くらいに押えましたので、いちおうこの点での不安は解消しましたが、これでも球によってはグリッドのピッチの不揃いからか、2〜3本の線が焼けるものに当る時もありますが、この程度ならたいして実害はないようで、かなり長く使っていてなんともありませんから、まず大丈夫だと思っていいでしょう。
     *
パラヴィチーニは、この上原晋氏のEL34のプッシュプルアンプの動作点を参考にしての、
TVA10とM200の出力の実現なのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=27653


現代真空管アンプ考(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=30130

真空管アンプではどうしても不可欠になってしまうトランス類、
これらをどう配置して、どう取り付けていくのかについて、
こまかく書いていこうとすると、どこまでも細かくなってしまうほど、
やっかいな問題といえる。

それに真空管アンプを自作される人ならば、
こうやって文章だけで伝えてもイメージされるだろうが、
自作されない方のなかには、なかなかイメージしにくいと思われている方もいるのではないか。

ここまで書きながら、もう少し具体的に、
もう少しイメージしやすいようにしたい、と考えていた。

なので、過去の真空管アンプで、
私が考える現代真空管アンプに近いモデルはあっただろうか、とふり返ってみた。

マランツの管球式アンプ?
マッキントッシュ?

いくつかのブランド名とモデル名が浮びはするが、
どれも違うな、と思う。

結局、QUADのIIが、意外にも、
私が考える現代真空管アンプに近いようにも感じている。

ここで考えている現代真空管アンプとは、
あくまでも自分の手でつくれる範囲において、である。

加工機械を駆使して、金属ブロックからシャーシーを削り出して──、
そういうことまでは、ここでのテーマではない。

もちろん理想の現代真空管アンプとは? ということは考えながらも、
個人でつくれる範囲に、どうもってくるのか。
それもテーマの一つである。

そういう視点で眺めてみると、
QUAD IIというモデルこそが、という想いが確固たるものになってくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=30130

現代真空管アンプ考(その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=34357


現代真空管アンプをどうイメージしていくか。
こまかな回路構成について後述するつもりなのだが、NFBをどうするのか。

私は出力管が三極管ならばかけないという手もあると考えるが、
ビーム管、五極管ともなるとNFBをかけることを前提とする。

NFBはほとんどの場合、出力トランスの二次側巻線から初段の真空管へとかけられる。
信号経路とNFB経路とで、ひとつのループができる。
このループのサイズを、いかに小さく(狭く)していくかは、
NFBを安定にかける以上に、
真空管アンプ全盛時代とは比較にならないほどアンプを囲む環境の悪化の点でも、
非常に重要になってくる。

プッシュプルアンプならば、初段、位相反転回路、出力段、出力トランス、
これらをどう配置するかによって、ループの大きさは決ってくる。

信号経路をできるだけストレートにする。
初段、位相反転回路、出力段、出力トランスを直線状に並べる。
こうするとNFBループは長く(大きく)なってしまう。

初段、位相反転回路、出力段、出力トランス、
これらを弧を描くように配置していくのが、ループのサイズを考慮するうえでは不可欠だ。

QUAD IIのこれらのレイアウトを、写真などで確認してほしい。
しかもQUAD IIは、出力トランスと電源トランスを、シャーシーの両端に配置している。

やや細長いシャーシー上にこういう配置にすることで、
重量がどちらかに偏ることがない。

出力トランスと電源トランスの干渉を抑えるうえでも、
この二つの物理的な距離をとるのは望ましい。
http://audiosharing.com/blog/?p=34357

現代真空管アンプ考(その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=34437


私がQUAD IIの詳細を知ったのは、
ステレオサウンド 43号(1977年夏号)掲載の「クラフツマンシップの粋」でだった。

QUADのアンプのことは知っていた。
トランジスターアンプの前に管球式のコントロールアンプの22、
パワーアンプのIIがあることだけは知ってはいたが、
具体的なことを知っていたわけではなかった。

記事は、井上先生、長島先生、山中先生による鼎談。
QUAD IIのところの見出しには「緻密でむだのないコンストラクション」とあった。

内容を読めば、そして写真をみれば、
この見出しは納得できる。

山中先生は
《とにかく、あらゆる意味でこのアンプは、個人的なことになりますけれども、一番しびれたんですよ。》
と発言されていた。

この時から、QUAD II、いいなぁ、と思うようになっていた。

43号から約二年後の52号。
巻頭に瀬川先生の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」がある。

そこで、こう書かれていた。
     *
迷いながらも選択はどんどんエスカレートして、結局、マランツのモデル7を買うことに決心してしまった。
 などと書くといとも容易に買ってしまったみたいだが、そんなことはない。当時の価格で十六万円弱、といえば、なにしろ大卒の初任給が三万円に達したかどうかという時代だから、まあ相当に思い切った買物だ。それで貯金の大半をはたいてしまうと、パワーアンプはマランツには手が出なくなって、QUADのII型(KT66PP)を買った。このことからもわたくしがプリアンプのほうに重きを置く人間であることがいえる。
     *
瀬川先生も、QUAD IIを使われていたのか──、
もちろん予算に余裕があったならばマランツの管球式パワーアンプを選択されていただろうが、
いまとは時代が違う。

マランツのModel 7とQUAD IIが、
瀬川先生にとって《初めて買うメーカー製のアンプ》である。

52号では、こんなことも書かれていた。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
     *
このころはQUAD IIを聴く機会はなかった。
意外にもQUAD IIを聴く機会は少なかった。

マランツやマッキントッシュの同時代の管球式アンプを聴く機会のほうがずっと多かった。
http://audiosharing.com/blog/?p=34437


現代真空管アンプ考(その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=34452


QUADの22+IIの組合せを聴く機会には恵まれなかったけれど、
ステレオサウンドで働いていたから、QUADのトランジスター式のアンプをよく聴いた。

QUADのペアで聴くことも多かったし、
それぞれ単独で、他のメーカーのアンプとの組合せでも、何度も聴いている。

そうやってQUADのアンプの音のイメージが、私のなかでできあがっていった。
このことが、QUAD IIの真価をすぐには見抜けなかったことにつながっていったように、
いまとなっては思っている。

QUAD IIは22との組合せで、とある個人宅で聴いている。
他のアンプと比較試聴をしたわけではない。
あくまでも、その人の音を聴かせてもらうなかで、
アンプがQUADの22+IIであった、というわけだから、
その時の音の印象が、QUAD IIの音の印象となるわけではない。

それは十分承知していても、
私がQUAD IIを聴いたのは、このときとあと一回ぐらいだ。
どちらも22との組合せである。

22との組合せこそ、もっともQUADの音なのだが、
こうやってQUAD IIのことを書き始めると、QUAD II単体の音というのを、
無性に聴いてみたくなる。

おそらくなのだが、かなりいい音なのではないだろうか。
出力は公称で15Wである。
実際はもう少し出ているそうだが、
その出力の小ささとコンパクトにまとめられた構成、
そしてQUADのその後のアンプの音の印象から、
なんとなくスケール感は小さい、とどうしても思いがちだ。

実際に大きくはないだろう。
際立ったすごみのような音も出ないだろう。

それでも、フレキシビリティの高い音のような気がする。
このことはQUAD IIのアンプとしてのつくりとともに、
現代真空管アンプとしての重要な要素と考えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34452


現代真空管アンプ考(その31)
http://audiosharing.com/blog/?p=34496


QUAD IIと同時代の真空管アンプ、
たとえばマランツのModel 5と比較してみたい。

比較といっても、その音を聴いてどちらかが優れているとか、
こんな音の特徴もっているとかいないとか、そんなことではなく、
現代真空管アンプ、それもオーディオマニアが自作できる範囲でのあり方を、
二つのアンプを比較して考えていきたい、というものである。

マランツの管球式パワーアンプは、
Model 2、Model 5、model 8(B)、Model 9がある。
Model 8(B)だけがステレオ仕様で、あとはモノーラル仕様である。

QUAD IIもモノーラルである。
QUAD IIの発表は1953年。
Model 2は1956年、Model 5は1958年である。

QUAD IIの出力管はKT66で、マランツはEL34である。
出力はQUAD IIが15W、Model 2が40W(UL接続)、Model 5が30W。

外形寸法は、QUAD IIがW32.1×H16.2×D11.9cm、
Model 2はW38.1×H16.5×D24.1cm、Model 5はW15.2×H18.7×D38.7cmで、
QUAD IIと比較するならばMODEL 5である。

マランツのModel 2、Model 5は、シャーシー構造がいわゆる片持ちといえる。
底板にゴム脚が四つあるが、これらはトランスの重量を支えるためといえる場所にある。

Model 2はシャーシー上後方にトランス(重量物)をまとめている。
手前に真空管が立っているわけだが、
この部分はトランスを支えるシャーシーにネジで固定されたサブシャーシーとなっている。

そして、このサブシャーシーの下部にゴム脚はない。

Model 5はサブシャーシーという構造はとっていないが、
真空管が立っている箇所の下部にゴム脚はない。

Model 8(B)、Model 9はオーソドックスな位置にゴム脚がついている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34496
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/627.html#c55

[リバイバル3] 今 大人気の WE101D _ 出力0.6Wのシングル・アンプで鳴らせるスピーカーは? 中川隆
14. 中川隆[-5730] koaQ7Jey 2021年4月14日 14:22:08 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[22]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
手放してから後悔したアンプ 2021年04月14日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/02c681e00e6c6a9157c9b99d91434ecd


写真のアンプはWE101D・102Dを使った1W/chのパワーアンプ。球付きで手放してしまったが、今考えると「もったいない」事をした。パワーアンプとしては非力であったが音色はすこぶる良かった。なぜ後悔しているかと云うと「プリアンプ」にすれば良かったと後悔している。

プリアンプにするには@セレクター Aメインボリューム Bバランスボリューム を追加すれば簡単に作れてしまう。WE101Dの独特の音色が得られたのに・・・。

リアパネルのSP出力端子をRCAソケットにすれば簡単にプリアンプ化で来た。もっとも、本格的なプリアンプにするには、もっと大きな箱に入れて、このパワーアンプを丸ごと内蔵する様な大きなプリアンプになるだろう。

今更振り返っても遅い。それに、もう私にも時間が少なくなっている。音楽を楽しむ時間が大事になって来た。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/02c681e00e6c6a9157c9b99d91434ecd
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/445.html#c14

[リバイバル4] オーディオ・ノート 300B プッシュプル パワーアンプ 8,250,000円
オーディオ・ノート 300B プッシュプル パワーアンプ 8,250,000円

Kanon パワーアンプ
8,250,000円 /ペア(税込)
https://www.audionote.co.jp/jp/products/power_amplifier/kanon.html


オーディオ・ノートの300Bパワーアンプが、伝統の回路に最新の知見を加え生まれ変わりました。 銘球300Bが持つ繊細かつ豊かな音調を活かしつつ、キレの良さと強靭な駆動力を伴ったバランスの良いモノーラルパワーアンプです。

現代的スピーカーとの相性にも十分に配慮しつつ、管球式アンプならではの有機的な音の魅力を存分に楽しめます。


特徴

初段はプレートフォロア+カソードフォロアの直結型、広大な周波数特性と強力なドライブ力を有しています。

位相反転/ドライブ段は古典型位相反転回路を採用、ナチュラルな音質で反転精度が比較的よく、低いインピーダンスで300Bをドライブしています。

出力段は自己バイアス回路を採用し、300Bの容易な差し替えが可能です。
ハムバランス回路では高音質抵抗器を合わせて用いることで、バランサーVRへ流れ込むシグナルを極小に抑えています。

オーバーオールNFB量を僅か2dB に抑えることで、ダイナミック感と低歪率を両立しています。
また、増幅回路全体をユニット化することにより、配線の最短化を実現しました。


モジュール化ユニット

増幅回路全体は一つのユニットに高品質部品を立体的に配置し、信号配線の最短化を実現しました。 電源配線もユニット内で各段直近にデカップリングコンデンサを配置し、高純度な信号回路を形成、また、段間の干渉も最小に抑えています。


理想的な電源回路

電圧増幅段と出力段の電源回路は整流素子から別々となっており、相互干渉を抑え純度の高い音質を実現しています。

電源供給ラインにはリップルフィルターとは別に各段でデカップリングコンデンサを搭載。 高純度なシグナルループを形成し、段間の干渉も最小に抑えています。
また、出力段の電源回路では音質上の理由から整流管を採用していますが、2本を並列動作させる事により瞬時電流供給能力を向上させています。 この整流管へのヒーター電源供給は大きな脈流を伴うため、整流管専用のヒータートランスを独立搭載しています。

高品位パーツ

段間の結合コンデンサーにはKaguraでも採用した制振対策純銀箔コンデンサを配置し、音の魅力と密度感の向上に成功しました。
巻き方から新規に設計しなおした純銀線巻出力トランスは、スピーカーのインピーダンス4/8/16Ωに対応。注文時に2系統を選択します。

純銀リード抵抗、純銀配線材SSW(シルクシルバーワイヤー)、Ls-41(シールド線)、オリジナル制振モールド電源トランス、厳選したCR パーツを効果的に配置しています。


電源ケーブル
ACz-AVOCADOを標準付属。


おもな仕様

基本構成 300B プッシュプル モノーラルパワーアンプ
型式 Kanon
定格出力 20W @1kHz, 5% THD
周波数特性 10Hz - 40kHz (+0dB, -3dB @1W)
入力 / インピーダンス 2系統 (RCA, XLR, アンバランス) / 70kΩ
スピーカー出力端子 出荷時に4Ω, 8Ω 16Ωから2系統を選択
残留ノイズ 1mV未満
真空管 300B x2, 6072 x1, 6CG7 x2, GZ34 x2
消費電力 120W
外形寸法(突起部含まず) 294mm(W) 284mm(H) 485mm(D)
重量 32kg
https://www.audionote.co.jp/jp/products/power_amplifier/kanon.html


▲△▽▼


国産ハイエンドの雄が手がけた最新アンプ
AUDIO NOTE「Kanon」を聴く − 極上の描写力と繊細さを両立させた300Bモノパワーアンプ
鈴木 裕 2018年07月06日
https://www.phileweb.com/review/article/201807/06/3098.html


AUDIO NOTE(オーディオ・ノート)は、5月に独ミュンヘンで開催されたHIGH END 2018 MUNICHにて新パワーアンプ「Kanon」を発表。世界中のプレスや来場者から大きな注目を集めた。今回、このKanonを鈴木裕氏がオーディオ・ノートのリスニングルームで試聴。そのサウンドを紐解いていく。


モノラル・パワーアンプ
AUDIO NOTE
Kanon
¥8,100,000(ペア・税込)

Profile 日本を代表するハイエンドオーディオブランドのひとつであるオーディオ・ノート。同ブランドでは最高峰パワーアンプとして「kagura」が君臨しているが、その設計思想を継承しつつサイズダウンをはかったモノラル・パワーアンプ「Kanon」が誕生した。本機は300Bを採用したプッシュプルモノラルパワーアンプで、キレの良さと強靭なドライブ力を追求。現代派スピーカーにもマッチするモデル。今年のミュンヘン「ハイエンド」にて鮮烈なデビューを飾った同ブランドの新鋭機がいよいよ本国にて発売を開始した。


■伝統の奥義が色濃く流れる300Bモノパワーアンプ

オーディオ・ノートの新しい製品はKanonである。300Bを出力管に使ったパワーアンプだが、聴くとその再生音にはこのブランドの持っている揺るぎないフィロソフィーが反映されている。それは説明されなくても音として伝わってくる。そもそもオーディオ・ノートが生まれたのは1976年。製品としては銀線巻き昇圧トランスの販売からスタートしている。創業者は近藤公康氏で、世界で初めてオーディオに銀線を採用した。その近藤氏の元で働き、厳しく指導されたのが現在の代表である芦澤雅基氏。技術だけでなく、精神的な薫陶を受けたと言っていい。

オーディオ・ノートのモノラル・パワーアンプ「Kanon」。最高峰モデルである「Kagura」のデザインを踏襲しつつ、本機が320W×370H×558Doであるのに対し、「Kanon」は296W×284H×485Doとひとまわりコンパクトな仕上げとなっている

最高の音質にこだわり、音楽再生を大事にしているフィロソフィーについては一点の曇りもなく継承されている。そのオーディオノートの奥義が新しく開発された「Kanon」にも色濃く流れている。

オーディオ・ノートの歴史を見ると、90年代から2009年まで日本国内での販売をしていない時期があった。銀という貴金属の高額な素材を使用し、それを使ってトランスフォーマー類までをもひとつひとつ製作するため、製品が大変高額になってしまったためだ。しかしオーディオを取り巻く状況も変化し、2009年に再び日本市場での販売が復活しているが、ある意味、その日本市場をメインターゲットとするような製品が今回のKanonだ。

300Bである。この銘球と呼ばれる真空管は特に日本市場で人気があり、その繊細で豊かな音を生かすべく開発されたモノラルのパワーアンプだ。現代的なスピーカーを駆動することも視野に入れ、プッシュプルにして20Wの出力を持たせている。

■最高峰モデルが採用した高品位パーツを投入する

その概要を紹介してみよう。電源部は、電圧増幅段と出力段に整流素子から分離し、それぞれの各段にはデカップリングコンデンサーを配置。純度の高い、相互の影響を排した構成を取っている。特に出力段の電源回路では整流管を2本使ってパラレル動作させており、瞬間的な高い電流供給能力を持たせた。また、整流管へのヒーター電源用に専用のトランスを搭載しているのも安定した再生音に寄与している。

初段は6072によるプレートフォロア+カソードフォロアの直結型。ドライブ段は古典型位相反転回路を採用し、6CG7のパラレル動作により、低インピーダンスで300Bを駆動。出力段は自己バイアス回路を採用し、300Bの差し替えが容易にできるようになっている

初段は6072を使ったプレートフォロア+カソードフォロアの直結型。ドライブ段は6CG7のパラレル動作で出力段をドライブする。出力段は自己パイアス回路を採用しているので、さまざま300Bを差し替えて楽しめる。全体的な回路としては、NFB量を2dBに抑えているが、増幅回路をユニット化することによって実装状態での配線を短くしているのも大きい。

本機のリア部。入力はRCAとXLRが各1系統ずつ。スピーカー出力は注文時に4Ω、8Ω、16Ωのインピーダンスから2系統を選択できる

真空管以外については同社のオリジナルのパーツを採用しているのは言うまでもない。211を使った同ブランドのフラッグシップKaguraにも採用されているパーツ類、具体的に書くと純銀箔コンデンサ、純銀リード抵抗、純銀配線材SSW(シルク・シルバー・ワイヤー)、シールド線のLs‐41、モールドで制振処理を施された電源トランス、CRパーツなどを採用。また、新開発された出力トランスも注目だ。

本機に搭載された制振対策純銀箔コンデンサ。最高峰モデル「Kagura」にも採用されている。ほかにも新開発の出力トランスや純銀リード抵抗、純銀配線材、オリジナルの制振モールド電源トランスや厳選したCRパーツなど高品位なものを効果的に配置している


■音数の多い中高域で格別に繊細な表現力

テストはオーディオ・ノートの試聴室で行った。CDプレーヤー以外、同ブランドの製品ですべて統一され、B&Wの「ノーチラス801」を鳴らすシステム。

まずビル・エヴァンス・トリオの『ワルツ・フォー・デビイ』から聴き出したが、駆動力の高さが印象的だ。91dBの能率のスピーカーだが、15インチのウーファーのムーヴィングマスは大きく、これが見事にグリップされている。


このソフトで特徴的な演奏中にわずかに聴こえてくる客席のガヤも見事で、特に中高域の音数の多い、繊細な表現力が素晴らしい。音自体はクリアなのに、ライブをやっている空間の濃密な感じが良く出てくる。シンバルの複雑な倍音やリアルさなど、300Bならではの美音成分がオーディオを聴く愉悦を感じさせてくれる。低音はナチュラルな太さでウッドベースが適度な重量を持って立ち上がっている。

■鳥肌ものの描写力と高域の繊細さが両立

ダイナ・ワシントン『イン・ザ・ランド・オブ・ハイファイ』から「わが恋はここに」を聴く。

ブラスの黄銅の匂いのするような音色感やダイナの渋いヴォーカル、そしてピアノ。音自体はリアルなのに、再生音としてどこか高い品があり、音楽が美しく感じられる。ミルシテインがソロ・ヴァイオリンを弾いているブラームスのヴァイオリン協奏曲。演奏のニュアンスやボウイングのタッチの描写などは細かく描写してくれるのだがソロのヴァイオリンの音が特別に澄んでいて、鳥肌が立つような研ぎ澄まされたものがある。

「Kanon」の音に浸りきる筆者。奥にあるのが、同社最高峰のモノラル・パワーアンプ「Kagura」

この高域の倍音感や繊細さはたしかに300Bの音でもあるが、やはりオーディオ・ノートの世界なのだ。プリアンプをフラッグシップのG‐1000からG‐70に繋ぎ替えても聴いたが、プリの表現を的確に反映しつつ、Kanonの音はとにかく楽しい。入力はアンバランスのみでコネクターはXLRとRCAの2系統がある。20Wという数字以上にスピーカーをハンドリングできるパワーアンプだ。夢のようなひとときを過ごさせてもらった。

(鈴木裕)

開発者から

株式会社オーディオ・ノート 商品開発チーフデザイナー 廣川嘉行

本機は銘球300Bが持つ繊細かつ豊かな音調を活かしつつ、キレの良さと強靭なドライブ力を合わせ持った高品位モノラル・パワーアンプとして開発しました。

初段は6072によるプレートフォロア+カソードフォロアの直結型回路とし、続く位相反転段では6CG7のパラレル動作による古典型回路の採用により、自然な質感と強力なドライブ力を両立しています。

出力段は自己バイアス回路を採用し、300Bの容易な差し替えが可能となっています。

電源部では整流管を2本用いてパラレル動作させる等、有機的な音質を保ったまま瞬時電流供給能力を高めています。

チューニングは代表の芦澤が入念に行いました。(廣川氏)


Kanon Specifications
●方式:300Bプッシュプルモノラルパワーアンプ
●定格出力:20W @1kHz、5%THD

●周波数特性:10Hz〜40kHz(+0dB -3dB@1W)
●入力:2系統(RCA、XLRアンバランス)
●入力インピーダンス:約70kΩ
●出力インピーダンス:4Ω、8Ω、16Ωから注文時に2系統を選択

●残留ノイズ:1mV未満
●真空管:300B×2、6CG7×2、6072×1、GZ34×2

●消費電力:120W
●ヒューズ:遅断型125V 3A
●外形寸法:296W×284H×485Do(突起部含まず)
●質量:32kg
●取り扱い:(株)オーディオ・ノート


■組み合わせた機材と試聴ディスク

●アナログプレーヤー/AUDIO NOTE「GINGA」※トーンアーム(KONDO V-12)付属
●MCカートリッジ/AUDIO NOTE「IO-M」
●MCトランス/AUDIO NOTE「SFz」
●フォノイコライザー/AUDIO NOTE「GE-10」
●プリアンプ/AUDIO NOTE「G-1000」「G-70」
●スピーカーシステム/B&W「ノーチラス801」


●試聴ディスク(以下を参照)

『ワルツ・フォー・デビー/ビル・エヴァンス・トリオ』(【米国】FANTASY/OJC-210)
『ブラームス:ヴァイオリン協奏曲』オンゲン・ヨッフム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ナタン・ミルシテイン(vn)(【日本】ボリドール/MG2513)


『イン・ザ・ランド・オブ・ハイファイ/ダイナ・ワシントン』(【米国】EMARCY/MG 36073)
『アンプラグド/エリック・クラプトン』(【米国】REPRISE/468412)※


※本記事は「季刊analog」60号所収記事を転載したものです。

http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/148.html

[リバイバル3] オーディオ・ノートの旗艦パワーアンプ「Kagura 2」15,620,000円/ペア/税込 中川隆
2. 中川隆[-5729] koaQ7Jey 2021年4月14日 15:36:32 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[25]
オーディオ・ノート 300B プッシュプル パワーアンプ 8,250,000円

Kanon パワーアンプ
8,250,000円 /ペア(税込)
https://www.audionote.co.jp/jp/products/power_amplifier/kanon.html


オーディオ・ノートの300Bパワーアンプが、伝統の回路に最新の知見を加え生まれ変わりました。 銘球300Bが持つ繊細かつ豊かな音調を活かしつつ、キレの良さと強靭な駆動力を伴ったバランスの良いモノーラルパワーアンプです。

現代的スピーカーとの相性にも十分に配慮しつつ、管球式アンプならではの有機的な音の魅力を存分に楽しめます。


特徴

初段はプレートフォロア+カソードフォロアの直結型、広大な周波数特性と強力なドライブ力を有しています。

位相反転/ドライブ段は古典型位相反転回路を採用、ナチュラルな音質で反転精度が比較的よく、低いインピーダンスで300Bをドライブしています。

出力段は自己バイアス回路を採用し、300Bの容易な差し替えが可能です。
ハムバランス回路では高音質抵抗器を合わせて用いることで、バランサーVRへ流れ込むシグナルを極小に抑えています。

オーバーオールNFB量を僅か2dB に抑えることで、ダイナミック感と低歪率を両立しています。
また、増幅回路全体をユニット化することにより、配線の最短化を実現しました。


モジュール化ユニット

増幅回路全体は一つのユニットに高品質部品を立体的に配置し、信号配線の最短化を実現しました。 電源配線もユニット内で各段直近にデカップリングコンデンサを配置し、高純度な信号回路を形成、また、段間の干渉も最小に抑えています。


理想的な電源回路

電圧増幅段と出力段の電源回路は整流素子から別々となっており、相互干渉を抑え純度の高い音質を実現しています。

電源供給ラインにはリップルフィルターとは別に各段でデカップリングコンデンサを搭載。 高純度なシグナルループを形成し、段間の干渉も最小に抑えています。
また、出力段の電源回路では音質上の理由から整流管を採用していますが、2本を並列動作させる事により瞬時電流供給能力を向上させています。 この整流管へのヒーター電源供給は大きな脈流を伴うため、整流管専用のヒータートランスを独立搭載しています。

高品位パーツ

段間の結合コンデンサーにはKaguraでも採用した制振対策純銀箔コンデンサを配置し、音の魅力と密度感の向上に成功しました。
巻き方から新規に設計しなおした純銀線巻出力トランスは、スピーカーのインピーダンス4/8/16Ωに対応。注文時に2系統を選択します。

純銀リード抵抗、純銀配線材SSW(シルクシルバーワイヤー)、Ls-41(シールド線)、オリジナル制振モールド電源トランス、厳選したCR パーツを効果的に配置しています。


電源ケーブル
ACz-AVOCADOを標準付属。


おもな仕様

基本構成 300B プッシュプル モノーラルパワーアンプ
型式 Kanon
定格出力 20W @1kHz, 5% THD
周波数特性 10Hz - 40kHz (+0dB, -3dB @1W)
入力 / インピーダンス 2系統 (RCA, XLR, アンバランス) / 70kΩ
スピーカー出力端子 出荷時に4Ω, 8Ω 16Ωから2系統を選択
残留ノイズ 1mV未満
真空管 300B x2, 6072 x1, 6CG7 x2, GZ34 x2
消費電力 120W
外形寸法(突起部含まず) 294mm(W) 284mm(H) 485mm(D)
重量 32kg
https://www.audionote.co.jp/jp/products/power_amplifier/kanon.html


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国産ハイエンドの雄が手がけた最新アンプ
AUDIO NOTE「Kanon」を聴く − 極上の描写力と繊細さを両立させた300Bモノパワーアンプ
鈴木 裕 2018年07月06日
https://www.phileweb.com/review/article/201807/06/3098.html


AUDIO NOTE(オーディオ・ノート)は、5月に独ミュンヘンで開催されたHIGH END 2018 MUNICHにて新パワーアンプ「Kanon」を発表。世界中のプレスや来場者から大きな注目を集めた。今回、このKanonを鈴木裕氏がオーディオ・ノートのリスニングルームで試聴。そのサウンドを紐解いていく。


モノラル・パワーアンプ
AUDIO NOTE
Kanon
¥8,100,000(ペア・税込)

Profile 日本を代表するハイエンドオーディオブランドのひとつであるオーディオ・ノート。同ブランドでは最高峰パワーアンプとして「kagura」が君臨しているが、その設計思想を継承しつつサイズダウンをはかったモノラル・パワーアンプ「Kanon」が誕生した。本機は300Bを採用したプッシュプルモノラルパワーアンプで、キレの良さと強靭なドライブ力を追求。現代派スピーカーにもマッチするモデル。今年のミュンヘン「ハイエンド」にて鮮烈なデビューを飾った同ブランドの新鋭機がいよいよ本国にて発売を開始した。


■伝統の奥義が色濃く流れる300Bモノパワーアンプ

オーディオ・ノートの新しい製品はKanonである。300Bを出力管に使ったパワーアンプだが、聴くとその再生音にはこのブランドの持っている揺るぎないフィロソフィーが反映されている。それは説明されなくても音として伝わってくる。そもそもオーディオ・ノートが生まれたのは1976年。製品としては銀線巻き昇圧トランスの販売からスタートしている。創業者は近藤公康氏で、世界で初めてオーディオに銀線を採用した。その近藤氏の元で働き、厳しく指導されたのが現在の代表である芦澤雅基氏。技術だけでなく、精神的な薫陶を受けたと言っていい。

オーディオ・ノートのモノラル・パワーアンプ「Kanon」。最高峰モデルである「Kagura」のデザインを踏襲しつつ、本機が320W×370H×558Doであるのに対し、「Kanon」は296W×284H×485Doとひとまわりコンパクトな仕上げとなっている

最高の音質にこだわり、音楽再生を大事にしているフィロソフィーについては一点の曇りもなく継承されている。そのオーディオノートの奥義が新しく開発された「Kanon」にも色濃く流れている。

オーディオ・ノートの歴史を見ると、90年代から2009年まで日本国内での販売をしていない時期があった。銀という貴金属の高額な素材を使用し、それを使ってトランスフォーマー類までをもひとつひとつ製作するため、製品が大変高額になってしまったためだ。しかしオーディオを取り巻く状況も変化し、2009年に再び日本市場での販売が復活しているが、ある意味、その日本市場をメインターゲットとするような製品が今回のKanonだ。

300Bである。この銘球と呼ばれる真空管は特に日本市場で人気があり、その繊細で豊かな音を生かすべく開発されたモノラルのパワーアンプだ。現代的なスピーカーを駆動することも視野に入れ、プッシュプルにして20Wの出力を持たせている。

■最高峰モデルが採用した高品位パーツを投入する

その概要を紹介してみよう。電源部は、電圧増幅段と出力段に整流素子から分離し、それぞれの各段にはデカップリングコンデンサーを配置。純度の高い、相互の影響を排した構成を取っている。特に出力段の電源回路では整流管を2本使ってパラレル動作させており、瞬間的な高い電流供給能力を持たせた。また、整流管へのヒーター電源用に専用のトランスを搭載しているのも安定した再生音に寄与している。

初段は6072によるプレートフォロア+カソードフォロアの直結型。ドライブ段は古典型位相反転回路を採用し、6CG7のパラレル動作により、低インピーダンスで300Bを駆動。出力段は自己バイアス回路を採用し、300Bの差し替えが容易にできるようになっている

初段は6072を使ったプレートフォロア+カソードフォロアの直結型。ドライブ段は6CG7のパラレル動作で出力段をドライブする。出力段は自己パイアス回路を採用しているので、さまざま300Bを差し替えて楽しめる。全体的な回路としては、NFB量を2dBに抑えているが、増幅回路をユニット化することによって実装状態での配線を短くしているのも大きい。

本機のリア部。入力はRCAとXLRが各1系統ずつ。スピーカー出力は注文時に4Ω、8Ω、16Ωのインピーダンスから2系統を選択できる

真空管以外については同社のオリジナルのパーツを採用しているのは言うまでもない。211を使った同ブランドのフラッグシップKaguraにも採用されているパーツ類、具体的に書くと純銀箔コンデンサ、純銀リード抵抗、純銀配線材SSW(シルク・シルバー・ワイヤー)、シールド線のLs‐41、モールドで制振処理を施された電源トランス、CRパーツなどを採用。また、新開発された出力トランスも注目だ。

本機に搭載された制振対策純銀箔コンデンサ。最高峰モデル「Kagura」にも採用されている。ほかにも新開発の出力トランスや純銀リード抵抗、純銀配線材、オリジナルの制振モールド電源トランスや厳選したCRパーツなど高品位なものを効果的に配置している


■音数の多い中高域で格別に繊細な表現力

テストはオーディオ・ノートの試聴室で行った。CDプレーヤー以外、同ブランドの製品ですべて統一され、B&Wの「ノーチラス801」を鳴らすシステム。

まずビル・エヴァンス・トリオの『ワルツ・フォー・デビイ』から聴き出したが、駆動力の高さが印象的だ。91dBの能率のスピーカーだが、15インチのウーファーのムーヴィングマスは大きく、これが見事にグリップされている。


このソフトで特徴的な演奏中にわずかに聴こえてくる客席のガヤも見事で、特に中高域の音数の多い、繊細な表現力が素晴らしい。音自体はクリアなのに、ライブをやっている空間の濃密な感じが良く出てくる。シンバルの複雑な倍音やリアルさなど、300Bならではの美音成分がオーディオを聴く愉悦を感じさせてくれる。低音はナチュラルな太さでウッドベースが適度な重量を持って立ち上がっている。

■鳥肌ものの描写力と高域の繊細さが両立

ダイナ・ワシントン『イン・ザ・ランド・オブ・ハイファイ』から「わが恋はここに」を聴く。

ブラスの黄銅の匂いのするような音色感やダイナの渋いヴォーカル、そしてピアノ。音自体はリアルなのに、再生音としてどこか高い品があり、音楽が美しく感じられる。ミルシテインがソロ・ヴァイオリンを弾いているブラームスのヴァイオリン協奏曲。演奏のニュアンスやボウイングのタッチの描写などは細かく描写してくれるのだがソロのヴァイオリンの音が特別に澄んでいて、鳥肌が立つような研ぎ澄まされたものがある。

「Kanon」の音に浸りきる筆者。奥にあるのが、同社最高峰のモノラル・パワーアンプ「Kagura」

この高域の倍音感や繊細さはたしかに300Bの音でもあるが、やはりオーディオ・ノートの世界なのだ。プリアンプをフラッグシップのG‐1000からG‐70に繋ぎ替えても聴いたが、プリの表現を的確に反映しつつ、Kanonの音はとにかく楽しい。入力はアンバランスのみでコネクターはXLRとRCAの2系統がある。20Wという数字以上にスピーカーをハンドリングできるパワーアンプだ。夢のようなひとときを過ごさせてもらった。

(鈴木裕)

開発者から

株式会社オーディオ・ノート 商品開発チーフデザイナー 廣川嘉行

本機は銘球300Bが持つ繊細かつ豊かな音調を活かしつつ、キレの良さと強靭なドライブ力を合わせ持った高品位モノラル・パワーアンプとして開発しました。

初段は6072によるプレートフォロア+カソードフォロアの直結型回路とし、続く位相反転段では6CG7のパラレル動作による古典型回路の採用により、自然な質感と強力なドライブ力を両立しています。

出力段は自己バイアス回路を採用し、300Bの容易な差し替えが可能となっています。

電源部では整流管を2本用いてパラレル動作させる等、有機的な音質を保ったまま瞬時電流供給能力を高めています。

チューニングは代表の芦澤が入念に行いました。(廣川氏)


Kanon Specifications
●方式:300Bプッシュプルモノラルパワーアンプ
●定格出力:20W @1kHz、5%THD

●周波数特性:10Hz〜40kHz(+0dB -3dB@1W)
●入力:2系統(RCA、XLRアンバランス)
●入力インピーダンス:約70kΩ
●出力インピーダンス:4Ω、8Ω、16Ωから注文時に2系統を選択

●残留ノイズ:1mV未満
●真空管:300B×2、6CG7×2、6072×1、GZ34×2

●消費電力:120W
●ヒューズ:遅断型125V 3A
●外形寸法:296W×284H×485Do(突起部含まず)
●質量:32kg
●取り扱い:(株)オーディオ・ノート


■組み合わせた機材と試聴ディスク

●アナログプレーヤー/AUDIO NOTE「GINGA」※トーンアーム(KONDO V-12)付属
●MCカートリッジ/AUDIO NOTE「IO-M」
●MCトランス/AUDIO NOTE「SFz」
●フォノイコライザー/AUDIO NOTE「GE-10」
●プリアンプ/AUDIO NOTE「G-1000」「G-70」
●スピーカーシステム/B&W「ノーチラス801」


●試聴ディスク(以下を参照)

『ワルツ・フォー・デビー/ビル・エヴァンス・トリオ』(【米国】FANTASY/OJC-210)
『ブラームス:ヴァイオリン協奏曲』オンゲン・ヨッフム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ナタン・ミルシテイン(vn)(【日本】ボリドール/MG2513)


『イン・ザ・ランド・オブ・ハイファイ/ダイナ・ワシントン』(【米国】EMARCY/MG 36073)
『アンプラグド/エリック・クラプトン』(【米国】REPRISE/468412)※


※本記事は「季刊analog」60号所収記事を転載したものです。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1161.html#c2

[リバイバル4] オーディオ・ノート 300B プッシュプル パワーアンプ 8,250,000円 中川隆
1. 中川隆[-5728] koaQ7Jey 2021年4月14日 15:38:35 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[26]

オーディオ・ノート AUDIO NOTE 会社概要
https://www.audionote.co.jp/jp/company.html

音楽のある優雅な暮らし・・・

「音楽を生き生きとした豊かな表現力をもって再現する」
この永遠のテーマを追求し、一貫した手作りで製品を製造しております。音楽をありのままに再生するためには正しい設計と技術が何より重要です。 さらにそれを実現するため、100%、200%の精力を傾けてより良い音を得るための最善方法を常に探求しております。

我々は創業当時より銀という素材に着目して音作りをしております。 銀は導電率が一番高いということだけでなく、素材そのものの響きが大変美しい金属です。 その美しい響きを最大限に活かし如何に再生音に反映させるかを考えて様々な実験を重ね、作り方、使い方などのノウハウを蓄積してまいりました。
音楽という芸術作品に向き合い、あらゆる可能性を探り「美」を追求すること、これこそが我々オーディオ・ノートの使命です。


会社概要
社名 株式会社オーディオ・ノート (法人番号:9020001080097)
設立 昭和54年10月
神奈川県川崎市幸区下平間242
電話 044-520-3150
代表者 代表取締役 芦澤 雅基


年表

1976年
オーディオ・ノート創業
銀線巻きMC昇圧トランス
高耐圧FETプリアンプ Meister-7
高耐圧FETプリアンプ M7

1977年
純銀線ラインケーブル
純銀線スピーカケーブル

1979年
株式会社オーディオ・ノートに変組(資本金600万円)
MCカートリッジ「IO」

1981年 YL音響研究所を吸収、ホーン型スピーカの新規開発開始
1982年 211プッシュプルパワーアンプ発表
1983年 励磁型MCカートリッジ「IO-Limited」

1986年
20cmコーン型スピーカユニット「2001-20SP」
38cmコーン型ウーファーユニット「2001-38W」

1987年
資本金1600万円に増資
カーステレオ用スピーカ

1988年 プリアンプ「M7 TUBE」

1989年
純銀箔コンデンサー
純銀線巻きOPT
211シングルパワーアンプ「ONGAKU」

1990年
英国オーディオ誌に記事掲載、海外販促活動の本格始動
現AUDIO NOTE UK(現在弊社とは無関係)を海外販促活動の拠点として活動開始

1997年
現AUDIO NOTE UKとの取引終了
海外ブランドを「KONDO」に変更

2003年 海外販社 ANJ International 設立
2006年 MCカートリッジ「IO-M」

2007年
本社を川崎市幸区に移転
プリアンプ「M1000 MkII」

2009年
日本国内販売再開
ターンテーブルシステム「GINGA」
ステレオパワーアンプ「SOUGA」

2010年
海外販社Audio Note International 設立
ラインプリアンプ「G-70」

2011年 インテグレーテッドアンプ「Overture」

2012年
フォノアンプ「GE-1」
MC昇圧トランス「CFz」
ターンテーブルシステム「GINGA 2012」

2013年
MC昇圧トランス「SFz」
モノーラルパワーアンプ「Kagura」

2014年 インテグレーテッドアンプ「Overture PM-2」
2015年 ターンテーブルシステム「GINGA 2015」
2016年 ラインプリアンプ「G-1000」

2017年
フォノアンプ「GE-10」
シェルリード「SL-115」

2018年 モノーラルパワーアンプ「Kanon」

2019年
ステレオパワーアンプ「Departure」
プリアンプ「M7 Heritage」

2020年 モノーラルパワーアンプ「Kagura2」

https://www.audionote.co.jp/jp/company.html


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製品紹介 | オーディオ・ノート AUDIO NOTE
https://www.audionote.co.jp/jp/products/  


詳細は

オーディオ・ノートの旗艦パワーアンプ「Kagura 2」15,620,000円/ペア/税込
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1161.html
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/148.html#c1

[近代史5] 真空管アンプの世界 中川隆
17. 中川隆[-5727] koaQ7Jey 2021年4月14日 15:39:56 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[27]

オーディオ・ノートの旗艦パワーアンプ「Kagura 2」15,620,000円/ペア/税込
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1161.html

オーディオ・ノート 300B プッシュプル パワーアンプ 8,250,000円
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/148.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/415.html#c17

[近代史4] 真空管アンプの世界 中川隆
23. 中川隆[-5726] koaQ7Jey 2021年4月14日 15:40:25 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[28]
オーディオ・ノートの旗艦パワーアンプ「Kagura 2」15,620,000円/ペア/税込
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1161.html

オーディオ・ノート 300B プッシュプル パワーアンプ 8,250,000円
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/148.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/116.html#c23

[リバイバル3] KEF _ 世界で初めてデジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー
KEF 〜世界で初めて、デジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー〜


KEF | HiFi Speakers | KEF 日本
https://jp.kef.com/pages/hifi-speakers

KEF 製品一覧
https://audio-heritage.jp/KEF/index.html

ヤフオク! - KEF(一般 スピーカー)の中古品・新品・未使用品一覧
https://auctions.yahoo.co.jp/category/list/2084307212/

価格.com - KEFのスピーカー 人気売れ筋ランキング
https://kakaku.com/kaden/speaker/itemlist.aspx?pdf_ma=725

Amazon.co.jp : KEF
https://www.amazon.co.jp/s?k=KEF&rh=n%3A171351011&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss


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KEFブランドストーリー 〜世界で初めて、デジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー〜
https://audio.kaitori8.com/story/kef/

「すべてのアートで、音楽は最も曖昧でありながら最も表現力が豊かであり、最も想像的でありながら最も身近な存在であり、最もはかないようで最も不滅なものです。音楽はワイヤに沿って電子のダンスに変換され、その魂は長く生き長らえます。KEFはそれを音楽としてあなたの耳や心に戻す時、可能な限り最も自然の方法で達成します……これは誇張でもなければ策略でもなく、作り話でもありません」

これはKEF創設者の言葉だが、今日お届けするのは、そんな音とデザインにこだわり続け、欧州で高い人気を誇るスピーカー・メーカー「KEF」のブランドストーリー。
目次

名称
1-1.70~80年代
1-2.90年代後半以降
設立〜60年代のKEF〜
2-1.社名の由来
2-2.創設
2-3.60年代のKEF
2-4.60年代のKEF(まとめ)
世界へ〜70年代のKEF〜
3-1.世界初・コンピューター統合システム設計
3-2.モデル104
3-3.70年代のKEF(まとめ)
Uni-Q開発へ〜80年代のKEF〜
4-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
4-2.会社の売却
4-3.LS3/5a
4-4.80年代のKEF(まとめ)
90年代のKEF
5-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
5-2.会社の売却
5-3.LS3/5a
5-4.創設者の死
21世紀のKEF
6-1.KEFの研究
6-2.ACE技術
6-3.約2,000万円のMuon(ミュオン)
まとめ

1.名称
「ケーイーエフ」か「ケフ」か。
日本におけるKEFは、しばしばその呼称が議論となる。おそらくそのどちらでも通じるが、しかし実際はどちらが適しているのだろうか。

今回はKEF製品の販売者にスポットを当て、「KEF」の最適な呼称について考えてみたい。

1-1.70~80年代
1970年代〜80年代始めは、KEF製品はBSRジャパンによって輸入されていた。

BSRはブリティッシュ・サウンド・リプロダクションズの略で、1932年に英国で設立されたメーカーだ。オートチェンジャーや高級オーディオプレイヤーなどを主に製造していたが、BSRジャパンはその日本企業であり、国内初の外資100%オーディオメーカーだった。BSRジャパン設立は1972年。その頃は世界市場の70%をBSRのオートチェンジャーが占め、世界中で愛用されていた。

しかし、1980年代始めにBSRジャパンはKEF製品の輸入を中止し、そこで一旦、KEF製品は日本に入ってこなくなる。が、1988年になるとKEF製品は再び輸入され始める。その再開を取り仕切ったのが「ケフジャパン」。つまり80年代後半では、KEFは「ケフ」が正しい呼称だったと推測される。

1-2.90年代後半以降
しかし、ケフジャパンの販売は短期間に終わってしまい、1991年にはラックスが輸入元となる。そしてKEF JAPANへと変更になり現在に至るわけだが、KEF JAPANは、「ケーイーエフジャパン」と登記している。つまりメーカーが期待するKEFの呼称は、今の日本では「ケーイーエフ」が好ましそうだ。

「ケーイーエフ」か「ケフ」か。
呼称は時代によって変動する。しかし、ひとまず2017年1月時点の結論としては、「KEF」は「ケーイーエフ」とするのが最適だろう。

2.設立〜60年代のKEF〜
2-1.社名の由来
KEFは1961年、ロンドン南東のケント州に設立された。
最初に構えた工場は、ケント州の州都・メイドストーンにある金属・鋳物工業の構内。その名称が「Kent Engineering & Foundry(ケント・エンジニアリング&ファウンドリー)」だったことから、その頭文字をとって「KEF」となった。

この感覚は日本人には馴染み深い。
田中は「田の中」、川上は「川の上流」と、地名が苗字になっているケースは多い。

KEFも同じパターンである。

2-2.創設
創設者は、レイモンド・クック。1925年生まれ、1995年没。冒頭で紹介した通り、人間の心と耳に、自然に信号を音楽へ戻す方法を追求し続けた男だった。

レイモンドは英国海軍の無線通信士として活躍した後、ロンドン大学で電気工学の学位を取得。その後BBCの設計部門へ入社。ダッドレイ・ハーウッドやD.E.Lショーターと共に先進的スピーカーの開発に携わる。そして、ワーフェデールでギルバート・ブリッグスのそばで働き、その5年後、最新の素材テクノロジーによりオリジナル・スピーカーを開発するべく、会社設立を決意する。

それがKEFである。

2-3.60年代のKEF
設立した1961年、KEFは早速3ウェイスピーカー「K1」を発表し、世間でいきなり注目を浴びる。発想が非常にユニークだったのだ。駆動部には真空成型されたポリスチレン製ダイアフラムを採用し、T15というツイータはメリネックスのダイアフラムを使用。そして、固定は金属の薄片という画期的構成。さらに翌年、KEFは技術革新により一層の話題を集める。コンパクトな2ウエイで最初の小型Hi-Fiスピーカー「CELESTE」を発表するのだ。

この二機種は商業的にも大成功を収め、KEFは創業数年で軌道に乗る。
が、驚きはそればかりではない。

この二つのスピーカーを含むKEF初期のスピーカーは、B1814やB139など平面ユニットを搭載していた。日本でテクニクスやLo-D、SONYなどの平面スピーカーがブームとなる、実に15年以上も前のことである。

一方、レイモンドはLS5/1Aモニターシステムの生産を独占的に請け負う交渉を成功させ、BBCとの業務提携を再構築。そして、よりクリアな音を出すスピーカー開発のため、合成ゴム製で固有の質感を有するネオプレンを採用し、さらに、これを中音域全体にわたる音質をキープすべくスピーカーダイアフラムの周りに使用した。

また1967年には、「B110(5インチ低/中域駆動部)」と、「T27(B110と共に使用される3/4インチのメリネックス・ドーム型ツイータ)」を発表。さらに、「Carlton」システムを発表すると、1969年には3ウエイの「Concerto」を発売。既存のスピーカー市場を席巻した。

2-4.60年代のKEF(まとめ)
1960年代は、有能な設計・製造開発チームが少人数ながらも尽力したKEF。
ただ、このチームには、後にスピーカー部品の販売会社であるFalcon Acoustics社を設立したマルコム・ジョーンズが在籍し、1968年にはClestion and Goodman社の主任設計者であったローリー・フィンチャムが参加したことが大きい。

いずれにせよ、1960年代はこうした優秀なチームがレイモンドの先見的な理念を実現していった。

3.世界へ〜70年代のKEF〜
3-1.世界初・コンピューター統合システム設計
1970年、KEFは60年代の実績が評価され、本国イギリスで輸出業績に対する二つの女王賞を受賞する。さらにその三年後には、スピーカーセットを0.5db範囲内で一致させ、ほぼパーフェクトなステレオ再現を可能にし、世界初のコンピューター統合システム設計を採用したスピーカメーカーとして、各国で認知されるようになった。

これはKEFにとって、非常に重要なブレイクスルーだった。

そして、こうした技術革新が「モデル104」(英国産初の、放送局用モニタースピーカーの標準機種適合)の開発につながり、1970年代初頭には、KEFは正確な音響特性で名声を得るようになっていた。

3-2.モデル104
モデル104は、文字通り世界を夢中にさせた名機だった。伝統的ながらも高出力であり高感度。そして、並はずれた音響的精密さと、比較的小型であるにもかかわらずクリアな低音特性。さらに、ボイスコイルアッセンブリに螺旋状に巻いた耐熱性ボイスコイルやエポキシ樹脂仕上げのショートコイルを使用。短時間なら最低250℃、連続なら180℃までの耐熱性を実現し、故障による問題をかなり低減。そのため、今でも状態のいいものがしばしば市場に出回ることもあって、人気の高い商品だ。

モデル104。
これはまさに、KEFで最初に製造され、世界に名の知られたレファレンスシリーズだった。

3-3.70年代のKEF(まとめ)
KEFはモデル104発表以降、設計手法を洗練させることに集中。その結果、3年後にはコンピューターによる統合システム設計により、「Corelli」「Calinda」「Cantata」の開発に成功する。

そして、さらにその1年後、1977年にはレファレンスモデル105を発表したが、このモデル105は本当に特異な存在だった。フロアー型スピーカーシステムに求められる技術的ファクターを、オリジナリティ溢れるのデザインに全てまとめあげていた。

まずは低音と中/高音部キャビネットを分離することで、各々の音域のタイムラグを排除。また、全てのオーデイオ周波数にわたる均一の音放射特性と、4次のLinkwitz-Rileyクロスオーバ特性を保持。さらに、音響的機能に最適なデザインだったこともあり、モデル105は英国産スピーカーの新標準となった。

このように、KEFの1970年代はモデル104と105により世界的な称賛を博し、プレミアムReference Seriesを「優れた音響の代名詞」とのブランド化に成功させた十年だった。

4.Uni-Q開発へ〜80年代のKEF〜
4-1.エディンバラ・フェスティバルにて
1980年、エディンバラ・フェスティバル。クラウデイオ・アバドの指揮により、ベリオツ・テ・デユアムの演奏がアッシュアホールで行われた。演奏に使用されるオルガンは、1マイルほど離れたセントメリー教会にあった。そして、そのオルガンの音がBBCのFMラジオを通じて会場へ伝えられたのだが、そのときのスピーカーが105/2。36台あったそのスピーカーは、驚く程正確だった。

そんなKEFのスピーカーのおかげもあって、そのコンサートは大成功。レファレンスシリーズの信望が一層高まるイベントとなり、KEFは幸先のいい80年代を走り始める。

4-2.モデル105/2とモデル104/2
モデル105/2は、コンピューター解析により開発されたリファレンスシリーズだ。しかし、このモデルはコンピューター解析を用いて設計されただけではなく、生産ラインにもコンピューター管理を導入、それぞれのパーツ品質の安定化と均質化を実現し、デジタル解析をいっそう押し進めた製品だった。

一方、1984年に発売されたモデル104/2は、多くの台数が世界中に販売された人気商品だ。モデル104/2には大きな特徴が4つあった。
・大幅に低域特性を高めた空洞結合型低音負荷部。
・駆動部シャーシによる機械的振動がキャビネットに及ぼす悪影響の排除。
・アンプへの電気的負荷の軽減。
・小型キャビネットで、低域特性を拡張させるためのKEF万能低音イコライザ。

こうした特徴が、KEFのレファレンスシリーズの評判の柱であり、KEFの優秀性を維持した技術だった。そして、このようなハイレベルな技術が礎となり、1985年には、104/2システムで開発された空洞結合技術を用い、カーオーデイオ製品を開発。1987年には、60年代のK1,K2のバッフルを開発した起源に立ち戻る「壁埋め込み型のカスタムシリーズ」を発表。他社との差別化が次々と押し進められた。

4-3.Uni-Qシステム
そして1988年。KEFはオーディオ市場で確固たる地位を確立する。その立役者がUni-Qシステムだ。

Uni-Qシステムとは、完璧な位相特性を備えた点音源を可能にしたシステムだ。昔からスピーカーの理想型の一つとも言われている。

そんなUni-Qシステムの要は、1988年にNASAで開発された磁性材料「Neodymium-Iron-Boron」である。このネオジウムマグネットが従来のフェライト磁石の10倍の磁気を持っているため、低音ユニットのボイスコイルの中心部に小さなトゥイーターを取付けることができるようになり、単一の点音源を実現した。

点音源の環境下では、低音部と高音駆動部の位置が離れていることによって生じる垂直方向の音の干渉という欠点がない。つまり、Uni-Qシステムでは高音域の出力が音源の主軸から、たった+/- 10度の範囲に限定されることがないのである。

わかりやすく言えば、Uni-Qシステムはどのような部屋でも最適に音を聴くことができるようになるわけで、この開発により、音を聴くために最適な場所を探すのは過去の話となったわけである。

4-4.80年代のKEF(まとめ)
1961年に英国で生まれ、それまではBBC(日本のNHKに当たる国営放送局)向けモニタースピーカーを作っていたKEF。しかし、1988年に登場した「Uni-Q」によってKEFは大変貌を遂げる。

スピーカーの理想「点音源」。
それを実現したUni-Qドライバー。

1980年代のKEFは、まさに大きな転換期だった。
そして、Uni-Qは以来改良が重ねられ、名実ともにKEFの顔となり、今も他社と差別化を図る上で最も重要なものの一つとなっている。

5.90年代のKEF
5-1.日本における「最高の輸入スピーカー」
1992年、第二世代のUni-Q技術を特徴とする「105/3スピーカー」が、日本の出版界で“最高の輸入スピーカー”と評された。

105/3Sは,一見3ユニットのバスレフ構造に見えるが,実は真ん中が同軸ツー・ウェイ(UNI-Qユニット)で,その上下にミッド・バス・ドライバが配置された,バーチカル・ツイン構造のスピーカーだ。エンクロージャー内部には20cmウーハーが2個,金属棒で連結されツインドライブする構造で、全体としては4ウェイ・6ユニット構造だ。

定位が非常によく,解像度も優れ,スペースファクターも良好。しかし、ウーハーのエッジがウレタンなため、こまめな交換は欠かせない。とはいえ、この105/3は今でも人気が高く、日本に限らず愛好家は多い。

5-2.会社の売却
日本では”最高の輸入スピーカー”との称号を得た1992年だったが、本国イギリスでは、KEFは自社をゴールドピーク社に売却した年となった。しかし、結果的に見れば新しいオーナーのもとでの再出発は、KEFにとっては更なる名声を得るきっかけとなった。

まず、売却した翌年の1993年には、モデル100センタースピーカーを発表。高価格帯の製品であったにもかかわらず、Uni-Qの卓越した音の広がりなどが好評を博し、ホームシアター市場に旋風を巻き起こした。さらに1994年には、その当時としては革新的だった垂直に配置したフロントスピーカーとダイポール周辺機器で構成されたTHXシリーズが話題となった。

5-3.LS3/5a
同じく1994年には、LS3/5a(シグネチャー・モデル)が発表されている。
LS3/5aはイギリスを代表する小型スピーカーとして、1975年から存在する。古くから、ロジャースやスペンドールなどが生産してきた。

そのLS3/5aをベースに、LS3/5、LS3/5aの設計者でありKEFの創設者でもあるレイモンド・クックが監修し、開発したのがLS3/5aシグネチャー・モデル(しばしばKEF LS3/5aのみで表記される)だ。

前身のLS3/5は、中継車内など狭いスペースで人間の声を正確に再現することを目的に、英国BBCの技術部門によって開発された。LS3/5はKEFが開発したベクストレン・ダイアフラムの11cm口径コーン型ウーファーB110と、樹脂系素材マイラードームの1.9cm径のT27トゥイーターを搭載しており、この二つのユニットとネットワークを、スペンドール、ロジャース、ハーベスなどBBCモニターを手掛けるメーカーに供給してきたのである。

しかし、KEFはBBCのライセンス所有していながらも、LS3/5及びLS3/5Aはシステム化していなかった。それを設計者自身の手によって製品化したものがLS3/5a(シグネチャー・モデル)というわけだ。

ユニットはオリジナルに改良を加えたB110CタイプSP1228ウーファーと、T27SP1032トゥイーターを使用。26個のパーツで構成されるクロスオーバーネットワークは、コンピューターシミュレーションを駆使。もちろん、BBC規格とBBCリファレンスLS3/5aの規格に従っている。また、この二つのユニットは左右一対で、スペックを管理し、レベル誤差が±0.5dB以内に収まるよう厳密に管理した上でペアリング。そしてシステム全体の特性も、BBCスペックの±0.25dB以内に管理されている。

リアパネルにはレイモンド・クックのサインが刻印されたゴールド・プレートが添付されている。LS3/5aは、開発者レイモンド・クック自らの直接監修による特別なバージョンであることが伺える、今なお色褪せない名機である。

5-4.創設者の死
そんなLS3/5aを発表した翌1995年、KEF創立者レイモンド・クックは他界する。ちょうど70歳だった。
しかし、KEFは創設者を失っても、創設者が残した価値観“質、誠実、献身、革新”に要約された、堅実に先を歩んで行く主義を全うすることで飛躍を続ける。

同年のことである。第四世代のUni-Qドライブユニットを装備した、レファレンスシリーズのモデル4を発表し、Hi-Fi News紙が“これまでのKEF社の製品のうちで最高のシステムである”と記したりするなど、世界中で賞賛を浴びる。

一方で、1990年代後半には、DVDの発売によりホームシアター市場が拡大しつつあった。そこでKEFは、シリーズのラインアップにセンタースピーカーやサブウーファーを追加。堅調に市場を拡大していき、優位を占める。

KEFにとって90年代は大きなものを失い、しかし大きなものを得た年だったと言えるだろう。

6.21世紀のKEF
6-1.KEFの研究
21世紀に入っても、KEFの技術は着実に磨きがかかっている。例えば、正確な音響システムのモデル化は、以前はかなり困難だったが、今では「Finite Element Analysis(有限要素解析)」により可能である。具体的には、複雑な振動部分のあるドライブユニットなどにおいては、実際に実物を製作する前に様々な条件で徹底的に調べることができるのだ。この機能の成果は、新世代のUni-Qドライバーにも見ることができるし、最新版6.5インチのレファレンス・レンジUni-Qシステムの密閉型懸架部分などにも垣間みることができる。

6-2.ACE技術
2005年、KEFはそれまで企業秘密としてきたACE技術を公開。スピーカー業界の定説「低域特性を広げるためには大きなキャビネットが必要」を真っ向から否定する。

ACE技術はキャビネットの実効容積を大幅に増加させ、いかに小型のキャビネットで低音特性を拡張させるかというものである。具体的には、活性炭によって空気の分子を瞬時に吸着・発散し、容積を実質的に2倍にする技術である。

もちろん、このACE技術はMuon(ミュオン)においても重要な役目を果たしている。

6-3.約2,000万円のMuon(ミュオン)
MuonはKEFのフラッグシップ・モデルである。
2016年11月には「MUON Upgrade」を日本でも発売を開始し、21,000,000円(ペア/税抜)の価格でも話題になった。

Muonのデザインを務めるのは、先進的な英国のデザイナー「ロス・ラブグローブ」。KEFは彼との共同開発により、”究極”のものを創り出すことを主眼にしたプロジェクトのもと「Muon」の開発に取り組んだ。

特にこの2016年の「MUON Upgrade」では、KEFブランド50周年記念モデル「Blade」で新開発したUni-QドライバーをMUON用に合わせて搭載しており、バッフルの最適化や筐体にフィットするようアルミニウム・トリムリングを備え、音の回折がスムーズになるよう設計。感動するほど均一に音を拡散できるとしている。

また、トゥイーターは「リア・ベンティッド構造」を採用し、背面に通気孔を設け歪みを低減。と同時に、2層構造のKEFオリジナル技術「スティフンド・ドーム」により、全体の剛性向上も実現している。

KEFはこれからも、音楽愛好者や熱心なオーディオファンに向け、信じられないほど素晴らしい音質をもたらすスピーカーを作り続けることだろう。

7.まとめ
KEF創設者レイモンド・クックは、人との意見交換には非常に長けていたと聞く。そして、スピーカーの開発ばかりでなく、商品の販路拡大も、自分の行動規範にかかっていると確信していたそうだ。

そんなレイモンドだからこそ、LS5/1Aモニターシステムの生産を独占的に請け負う交渉を成功させ、BBCとの業務提携を再構築する一方で、104の開発に成功できた。

また、レイモンドのオーデイオ業界への努力はとても献身的だった。それは、Audio Engineering Society(オーデイオ開発協会)への援助を見れば明らかだ。

Audio Engineering Societyといってお分かりにならなくても、「AES」といえば聞き覚えがあるのではないだろうか。AES/EBUケーブルの、あの「AES」である。AES/EBUケーブルは、AES(Audio Engineering Society;オーディオ技術者協会)とEBU(European Broadcasting Union;欧州放送連合)の二つのオーディオ団体により企画されたものなのだ。

レイモンドは、そんなAESの会長に1984年に就任し、またそのことで変換器測定装置に対して大いに貢献したことが認められ、1993年に銀メダルを受賞。さらに、レイモンドの広範囲にわたる貢献が認められ、1979年にはクイーンエリザベス女王二世よりOBE(大英帝国第五勲爵士)の称号が与えられている。

1995年、レイモンドは惜しまれつつこの世を去ったが、彼の遺産は自分が創立した会社に生き続けている。彼はKEFの理念をこう語っている。
「私は、より厳密な開発を通じて、スピーカを改良するために、理解できる数々の可能性を実行に移すことを決意した」

Uni-Qシステムを筆頭に、世界中のオーディオファンを魅了し続けるKEF。
間違いなく、今後も科学的に新機軸を打ち出し、実地試験を行い、オーデイオマニアに対して最高のスピーカー製造メーカとして、信用と名声を保ち続けることだろう。

https://audio.kaitori8.com/story/kef/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1167.html

[近代史4] イギリスのスピーカー 中川隆
21. 中川隆[-5725] koaQ7Jey 2021年4月14日 16:13:31 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[30]
KEF _ 世界で初めてデジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1167.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/111.html#c21
[番外地9] 大西さんの考え方は欧米では標準的です

大西さんの考え方は欧米では標準的です

子供や親せきや世間の為に生きるのは辞めた方が良い
自分で歩けず食事できない人は、欧米では死者あつかいになるので寝たきり老人が居ない

人生の負担を軽くしよう
日本人は30年間不況が続いた末にコロナで経済が壊滅し、さらに困難な状況に陥っている人が多い。
政治家はばかばっかりで予算を取り仕切る財務大臣は「給付金なんか無駄なんだよ」とばかり「パンが無ければケーキを食べなさいよ」みたいな事を言っています。

だがその連中を選挙で選んだのは他ならぬ日本人自身なので、東日本大震災の失策同様に、政治家がバカなのか選んだ国民がバカなのか分からない。

ちなみにマリーアントワネットが「パンが無ければケーキを食べなさいよ」と言ったのを聞いた人は1人もおらず、革命を起こしたかった新聞の捏造記事でした。

先進国の中で日本だけが唯一ずっと不況なのですが、その原因として国民に過剰な負担を強いている事が考えられます。

高齢化で親が動けなくなり、子供が寝たきり老人の介護をするため仕事を辞めるケースが非常に多い。

仕事を辞めた子供は貧困者か生活保護に転落し、下手をすると親子で食べるものが無くなってしまう。

この話を聞いた欧米人の反応は「ばかじゃないの?」というもので誰も同情してくれないそうです。

欧米では子供が親の面倒を見るのは自由意志で強制されるものではなく、親の面倒を見ない人は大勢います。


子供に世話して貰えない人は福祉団体や介護施設に入るが、寝たきり老人がそもそも居ない。

ドイツの例では寝たきりになった人を生かしておく文化がなく、それ以上延命治療をしない例が多い。

F1レーサーのミハエルシューマッハはずっと寝たきりらしいですが、あれは莫大な資産があるので家族の意思でそうしています。

人の為に人生を犠牲にしても何も残らない
普通の人が自分で歩けなくなり、食事もできなくなったらそれ以上治療せず自然死するのが普通です。

ここで日本人の生死観という問題につきあたり、「生かしておくのが親孝行だ」という考えが正しいのかどうか疑問に思えます。

自分で体を動かせず考える事もできないのに、医学の力で心臓と脳を動かして、それが親孝行や本人の為なのでしょうか?

親の最期の20年間のために子供は20年間を犠牲にするわけで、その負担で子供も作れず少子化が加速します。

親のおむつを替えるのではなく子供のおむつを替えれば子孫が栄えるのに、親の介護があるから子供を造れません。

日本政府は老人の介護を子供に押し付けておいて、「なんで子供を産まないんだろう」と首をひねっている。


両方の親4人の老後の面倒を見ながら自分の子供2人を育て上げるなど、誰にもできる筈がありません。

子供は親の面倒を見るべきではないし、親は子供の世話になるべきではない、非情なようですがそうしないと子供の負担が際限なく増えます。

ここで登場するのが親戚一同で「親の面倒も見れないのか」などと非難して罪悪感を植え付けようとします。


「親を老人ホームに入れるなんて、なんて冷酷な奴だ」現実にこのように言われて親の介護に人生を犠牲にする人が多い。

親の次に人生の負担になっているのは家と子供で、多くの人は「子供に家を残す」目的で家を建てるそうです。

だがその子供は「自分の家を所有したい」などと言っていないはずで、その証拠に成人したらさっさと家から出ていきます。

これも30年間を住宅ローン返済の為にだけ生きるのが、本当に子供の為なのか非常に疑問です

_________________

大西 つねきさんは福祉大国のスウェーデンを目指している:
【現場から、新型コロナ危機】スウェーデンで見捨てられた高齢者
 シリーズ「コロナ危機」です。厳しいロックダウンを行わないなど独自の新型コロナウイルス対策を貫くスウェーデン。その一方で、多くの高齢者が治療さえ受けられずに亡くなっている実態を取材しました。

 ジュリアナさんは、亡くなった叔父の写真を前に悔しさをにじませました。
 「叔父が病院でちゃんと治療を受けられていれば、生きるチャンスはあったはずなのに」(叔父を亡くしたジュリアナさん)
 認知症のため高齢者施設に入所していたジュリアナさんの叔父、モーゼスさん(72)は今年4月、新型コロナウイルスへの感染が確認され、4日後にそのまま施設で亡くなりました。

 「医師は『持病のある高齢の感染者は病院で治療を受けられないことになっている』と。叔父が亡くなった時、私は何時間も泣いて眠れませんでした。でも次の日、『コロナだけのせいじゃない』と直感したんです」(ジュリアナさん)

 「持続可能な対策をとるべき」として、厳しいロックダウンを一貫して行っていないスウェーデン。こうした政府の対策を市民のおよそ7割が支持しています。

 「ヨーロッパの他の政府は愚かです。スウェーデン方式はもちろんリスクはあります。でも(ロックダウンしたことで)世界経済への悪影響は天文学的じゃないですか」(ストックホルム市民)

 しかし、死者およそ7300人のうち9割近くを高齢者が占めていて、特に高齢者施設での対策が不十分だったことは、政府の政策を主導してきたテグネル博士も認めています。

 ジュリアナさんも、テレビ電話でモーゼスさんの様子を見た時、施設の感染対策の緩さに眼を疑ったといいます。

 「全てが普段どおりでした。コロナなどないかのように職員はマスクも手袋もしていませんでした」(ジュリアナさん)

 さらに、施設側は家族に相談もなく緩和ケアに切り替え、モーゼスさんにモルヒネを打ちました。

 「施設が緩和ケアをした理由は分かりません。でも叔父は生贄にされたんだと確信しています」(ジュリアナさん)


 これはモーゼスさんだけの話ではありません。

 「施設がしっかり患者の状態を調べもせず、親族にも知らせずに緩和ケアの決定を行ったケースが多く見られました」(イングヴェ・グスタフソン教授〔高齢者医療が専門〕)

 ジュリアナさんは、スウェーデンの高齢者が見捨てられていることを知ってほしいと話します。

 「最も腹立たしいのは政府は承知のうえで高齢者を犠牲にしていること。私の叔父だけでなく、多くの高齢者が同じように扱われているんです」(ジュリアナさん)
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/301.html

[リバイバル3] KEF _ 世界で初めてデジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー 中川隆
1. 中川隆[-5724] koaQ7Jey 2021年4月14日 17:19:12 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[31]

audio identity (designing)宮ア勝己 

Date: 9月 15th, 2008
現代スピーカー考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=48

1年ほど前だったと思うが、ある掲示板で
「現代スピーカーの始まりはどこからか」というタイトルで語られていたのを、ちらっと読んだことがある。

この問掛けをした人は、ウィルソン・オーディオのスピーカーだ、という。
コメントを寄せている人の中には、B&Wのマトリックス801という人もいたし、
その他のメーカー、スピーカーの型番をあげる人もいた。

挙げられたスピーカーの型番は、
ほぼすべて1980年代の終わりから90年にかけて登場したものばかりで、
ここにコメントしている人たちは、私よりも10歳くらい若い世代か、さらにその下の世代かもと思っていたら、
大半の方が私よりも二、三歳上なので、驚いた。

もっと驚いたのは、誰一人、現代スピーカーの定義を行なわないまま、
スピーカーの型番を挙げ、その理由というよりも、私的感想を述べているだけなことだ。

特定の人しか読めないようになっている内輪だけの場や、
酒を飲みながら、あれが好きだとかこれはちょっと……と語り合うのは、くだらなさを伴いながらも楽しいし、
そのことに、外野の私は、何も言わない。

けれど不特定の人がアクセスする場で、
少なくとも「現代スピーカーはここから始まった」というテーマで語り合うにしては、
すこし幼すぎないだろうか。

話をもどそう。
現代スピーカーは、KEFからはじまった、と私は考える。
http://audiosharing.com/blog/?p=48

現代スピーカー考(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=49

昔も今もそうだが、KEFをケフと呼ぶ人が少なからずいるが、正しくはケー・イー・エフである。

KEFは、1961年にレイモンド・E・クックによって創立されている。
クックは、ワーフェデール(輸入元が変わるたびに日本語表記も変っていて、ワーフデールだったりもするが、
個人的にはワーフェデールが好きなので)に直前まで在籍している。

ワーフェデールは、イギリス人で当時のスピーカー界の大御所のひとりだった
G・A・ブリッグスによる老舗のスピーカーメーカー(創立1932年)で、
ブリッグスはいくつものオーディオ関係の著書を残している。
1961年に「Audio Biobraphies」を出している。

イギリスとアメリカのオーディオ関係者の回想録に、ブリッグスがコメントをつけたもので、
そこに1954年の、ある話が載っており、岡俊雄氏が、ステレオサウンド 10号に要約されている。

手元にその号はないので、記憶による要約だが──
1954年、ニューヨークのホテルで催されていたオーディオフェアに、ワーフェデールも出展していた。
そのワーフェデールのブースにある日、若い男が、
一辺四〇センチにも満たない、小さなスピーカーを携えて現われた。
エドガー・M・ヴィルチュアであり、G・A・ブリッグスに面会を求めた。
ヴィルチュアはスピーカー会社をつくり、その第1号機を持ってきた。
これと、ブリッグス(つまりワーフェデール)のスピーカーと、公開試聴をしたいという申し出である。
ワーフェデールの大型スピーカーは約250リットル強、
ヴィルチュアのスピーカーは一辺40cmにも満たない立方体の小型スピーカー。

当時の常識では、勝負は鳴らす前から決っていると多くの人が思っていたにも関わらず、
パイプオルガンのレコードを、十分な量感で自然な音で聴かせたのは、
ヴィルチュアの小型スピーカーだったのを、会場の多くの人ばかりでなく、ブリッグスも認めている。

E・M・ヴィルチュアは、翌年、自身の会社アコースティック・リサーチ(AR)創立し、
正式にAR-1と名付けたスピーカーを市販している(試作機とは多少寸法は異なる)。

勝手な推測だが、この事件が、クックがワーフェデールをはなれ、
KEFを創立するのにつながっていると思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=49

現代スピーカー考(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=50

クックがいた頃のワーフェデールのスピーカーユニットは、
ウーファーもスコーカーもトゥイーターもすべてコーン型で、振動板は、もちろん紙を採用している。
そのラインナップの中で異色なのは、W12RS/PSTである。

紙コーンのW12RSとは異り、型番の末尾が示すとおり発泡プラスチックを振動板に採用している。
このW12RS/PSTを開発したのは、技術部長だったクックである。
さらにクックは、高分子材料を振動板に使うことを考え開発したにも関わらず、ブリッグスが採用を拒否している。
このウーファーがのちにKEFのB139として登場する。

クックは、スピーカーの振動板としての紙に対して、
自然素材ゆえに安定性が乏しく均一のものを大量に作る工業製品の素材としては必ずしも適当ではないと考えており、
均質なものを大量に作り出すことが容易な化学製品に、はやくから注目し取り組んでいる。

クックの先進性と、それを拒否したブリッグスが、
ワーフェデールという、老舗の器の中で居つづけることは無理があったと考えてもいいだろう。

もしB139がワーフェデールから登場していたら、クックの独立はなかったか、
すこし先に延びていたかもしれないだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=50


現代スピーカー考(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=51

レイモンド・E・クックは、ワーフェデールに在籍していた1950年代、
外部スタッフとしてBBCモニターの開発に協力している。
当時のBBC技術研究所の主任研究員D・E・L・ショーターを中心としたチームで、
ショーターのキャリアは不明だが、イギリスにおいてスピーカー研究の第一人者であったことは事実で、
ワーフェデールのブリッグスも,自著「Loudspeakers」に、
ショーターをしばしば訪ねて、指導を仰いだことがある、と記している。

ショーターの元での、スピーカーの基本性能を解析、理論的に設計していく開発スタイルと、
当時のスピーカーメーカーの多くが勘と経験に頼った、いわゆる職人的な設計・開発スタイルを、
同時期に経験しているクック。

クックの写真を見ると、学者肌の人のように思う。
彼の気質(といっても写真からの勝手な推測だが)からいっても、
後者のスタイルはがまんならなかっただろうし、職人的開発スタイルのため、
新しい理論(アコースティックサスペンション方式)による小型スピーカーに公開試聴で負けたことは、
その場にいたかどうかは不明だが、ブリッグス以上に屈辱的だったに違いないと思っている。

ショーターやクックのチームが開発したスピーカーは、LS5/1であり、
改良モデルのLS5/1Aの製造権を手に入れたのは、クックが創立したKEFであり、BBCへの納入も独占している。
http://audiosharing.com/blog/?p=51


現代スピーカー考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=54

LS5/1Aは、スタンダードサンプルに対して規定の範囲内に特性がおさまるように、
1本ずつ測定・キャリブレートが要求される。
クックにとって、均質の工業製品をつくる上で、このことは当り前のこととして受けとめていただろう。

1961年、KEFはプラスチックフィルム、メリネックスを振動板に採用したドーム型トゥイーターT15を、
1962年にはウーファーのB139を発表している。
ワーフェデール時代にやれなかった、
理論に裏打ちされた新しい技術を積極的に採りいれたスピーカーの開発を特色として打ち出している。

1968年、KEFにローリー・フィンチャムが技術スタッフとして加わる。
彼を中心としたチームは、ブラッドフォード大学と協力して、
スピーカーの新しい測定方法を開発し、1973年のAESで発表している。
インパルスレスポンスの解析法である。

この測定方法の元になったのは、
D.E.L.ショーターが1946年にBBCが発行しているクオータリーに発表した
「スピーカーの過渡特性の測定とその視覚的提示方法」という論文である。
第二次世界大戦の終わった翌年の1月のことである。驚いてしまう。
この論文が実用化されるにはコンピューターの進化・普及が必須で、27年かかっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=54

現代スピーカー考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=56

インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。

この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」とひじょうに高く評価されている。
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
1975年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により、
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、
#104aBにモデルチェンジしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=56


現代スピーカー考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=57

KEFの#104aBは、20cm口径のウーファーB200とソフトドーム型トゥイーターT27の2ウェイ構成に、
B139ウーファーをベースにしたドロンコーンを加えたモデルである。

B200は、クックが中心となって開発された高分子素材のベクストレンを振動板に採用している。
ベクストレンは、その組成が、紙以上にシンプルで均一なため、ロットによるバラツキも少なく、
最終的に音質もコントロールしやすい、との理由で、BBCモニターには1967年から採用されている。
ただし1.5kHzから2kHzにかけての固有音を抑えるために、ダンプ剤が塗布されている。

T27の振動板はメリネックス製。T27の最大の特長は振動板ではなく、構造にある。
磁気回路のトッププレートの径を大きくし、そのままフレームにしている。
従来のドーム型トゥイーターの、トッププレートの上にマウントフレームが設けるのに対して、
構造をシンプル化し、音質の向上を図っている。しかもコストがその分けずれる。
のちにこの構造は、ダイヤトーンのドーム型ユニットにも採用される。

このT27の構造は、いかにもイギリス人の発想だとも思う。
たとえばQUADの管球式パワーアンプのIIでは、QUADのネームプレートを留めているネジで、
シャーシ内部のコンデンサーも共締めしているし、
タンノイの同軸型ユニットは、
アルテックがウーファーとトゥイーターのマグネットを独立させているのと対照的に、
ひとつのマグネットで兼用している。
しかも中高域のホーンの延長として、ウーファーのカーブドコーンを利用している。

こういう、イギリス独特の節約精神から生れたものかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=57

現代スピーカー考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=58


#104と#104aBの違いは(記憶に間違いがなければ)ネットワークだけである。
ユニットはまったく同じ、エンクロージュアも変更されていない。
そのため、KEFでは、旧モデルのユーザーのために、aBタイプへのヴァージョンアップキットを発売していた。
キットの内容は新型ネットワークのDN22をパッケージしたもので、
スピーカーユニットが同じにも関わらず、スピーカーの耐入力が、50Wから100Wと大きく向上している。

この成果は、#104の開発に使われた4ビット・マイクロプロセッサーと、
aBタイプへの改良に使われたヒューレット・パッカード社のHP5451の処理能力の違いから生れたものだろう。

インパルスレスポンスの解析法そのものは大きな変化はなくても、
処理する装置の能力次第で、時間は短縮され、
その分、さまざまなことを試せるようになっているし、
結果の表示能力も大きな違いがあるのは容易に想像できる。
そこから読み取れるものも多くなっているはず。

インパルスレスポンスの解析法の進歩・向上によって(言うまでもないが、進歩しているのは解析法だけではない)、
#105が生れてくることになる。
私が考える現代スピーカーのはじまりは、この#105である。
http://audiosharing.com/blog/?p=58

現代スピーカー考(余談・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=59

KEFの#105は、ステレオサウンド 45号の表紙になっている。
このころのステレオサウンドの表紙を撮影されていたのは安齋吉三郎氏。

いまのステレオサウンドの表紙と違い、
この時代は、撮影対象のオーディオ機器を真正面から見据えている感じがしてきて、
印象ぶかいものが多く、好きである。
41号の4343もそうだし、45号の105もそう。ほかにもいくつもあげられる。

目の前にあるモノを正面から、ひたすらじーっと見続けなければ、
見えてこないものがあることを、
安齋氏の写真は無言のうちに語っている、と私は思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=59


現代スピーカー考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=60

「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」
当時、類似のスピーカーとの違いを尋ねられて、
KEFのレイモンド・E・クックがインタビューで答えた言葉である。

#105とは、KEF独自の同軸型ユニットUNI-Qを搭載したトールボーイ型スピーカーのことではなく、
1977年に登場した3ウェイのフロアー型スピーカーのことである。
#105は、傾斜したフロントバッフルのウーファー専用エンクロージュアの上部に、
スコーカーとトゥイーターをマウントした樹脂製のサブエンクロージュアが乗り、
中高域部単体で、左右に30度、上下に7度、それぞれ角度が変えられるようになっている。
使用ユニットは、105のためにすべて新規開発されたもので、
ウーファーは30cm口径のコーン型、振動板は高分子系。
スコーカーは10cmのコーン型、トゥイーターはドーム型となっている。

こう書いていくと、B&Wの801と似ていると思う人もいるだろう。
801は2年後の79年に登場している。
#105の2年前に、テクニクスのSB-7000が登場しているし、
さらに前にはフランス・キャバスからも登場している。同時期にはブリガンタンが存在している。
http://audiosharing.com/blog/?p=60


現代スピーカー考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=61

使用ユニットの前後位置合わせを行なったスピーカー、一般的にリニアフェイズと呼ばれるスピーカーは、
キャバスがはやくからORTF(フランスの国営放送)用モニターで採用していた。
1976年当時のキャバスのトップモデルのブリガンタン(Brigantin)は、
フロントバッフルを階段状にすることで、各ユニットの音源を垂直線上に揃えている。

リニアフェイズ(linear phase)を名称を使うことで積極的に、
この構造をアピールしたのはテクニクスのSB-7000である。
このモデルは、ウーファー・エンクロージュアの上に、
スコーカー、トゥイーター用サブエンクロージュアを乗せるという、
KEFの#105のスタイルに近い(前にも述べたように、SB-7000が先に登場している)。

さらに遡れば、アルテックのA5(A7)は、
ウーファー用エンクロージュアにフロントホーンを採用することで、
ホーン採用の中高域との音源の位置合わせを行なっている。
#105よりも先に、いわゆるリニアフェイズ方式のスピーカーは存在している。
http://audiosharing.com/blog/?p=61

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1167.html#c1

[リバイバル3] KEF _ 世界で初めてデジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー 中川隆
2. 中川隆[-5723] koaQ7Jey 2021年4月14日 17:39:07 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[32]
Date: 10月 29th, 2008
現代スピーカー考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=163

KEFのレイモンド・E・クックの
「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」 を
もういちど思い出してみる。

このインタビューの詳細を思い出せればいいのだが、さすがに30年前のことになると、
記憶も不鮮明なところがあるし、手元にステレオサウンドもない。
いま手元にあるステレオサウンドは10冊に満たない。
もうすこしあれば、さらに正確なことを書いていけるのだが……。

クックが言いたかったのは、#105は単にユニットの音源合わせを行なっているだけではない。
ネットワークも含めて、位相のつながりもスムーズになるよう配慮して設計している。
そういうことだったように思う。
他社製のスピーカーを測定すると、位相が急激に変化する帯域があるとも言っていたはずだ。

当然、その測定にはインパルスレスポンスによる解析法が使われているからこその発言だろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=163


現代スピーカー考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=82

KEFの#105をはじめて聴いたのは1979年、熊本のとあるオーディオ店で、
菅野先生と瀬川先生のおふたりが来られたイベントの時である。

オーディオ相談といえるイベントで、菅野先生、瀬川先生はそれぞれのブースにおられて、
私はほとんど瀬川先生のブースにずっといた。
その時、瀬川先生が調整して聴かせてくれたのが、105である。

いまでこそクラシックが、聴く音楽の主だったものだが、当時、高校二年という少年にとっては、
女性ヴォーカルがうまく鳴ってほしいもので、瀬川先生に、
「この人とこの人のヴォーカルがうまく鳴らしたい」(誰なのかは想像にまかせます)と言ったところ、
「ちょっと待ってて」と言いながら、ブースの片隅においてあった105を自ら移動して、
バルバラのレコードをかけながら、
スピーカー全体の角度、それから中高域ユニットの水平垂直方向の調整を、
手際よくやられたのち、「ここに座って聴いてごらん」と、
バルバラをもういちど鳴らしてくれた。

唇や舌の動きが手にとるようにわかる、という表現が、当時のオーディオ雑誌に載っていたが、
このときの音がまさにそうだった。
誇張なく、バルバラが立っていたとして、ちょうど口あたりのところに、
何もない空間から声が聴こえてくる。

瀬川先生の調整の見事さと早さにも驚いたが、この、一種オーディオ特有の生々しさと、
けっして口が大きくならないのは、強い衝撃だった。
バルバラの口の中の唾液の量までわかるような再現だった。

ヴォーカルの再生は、まず口が小さくなければならない、と当時のオーディオ誌ではよく書いてあった。
それがそのまま音になっていた。

いま思い出すと、それは歌い手のボディを感じられない音といえるけれど、
なにか他のスピーカーとは違う、と感じさせてくれた。
http://audiosharing.com/blog/?p=82

現代スピーカー考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=83

KEFの#105の底にはキャスターが取り付けられていた。

いまのオーディオの常識からすると、なぜそんなものを取り付ける? となるが、
当時は、スペンドールのBCII、BCIIIの専用スタンドもキャスターをがついていた。

ただスペンドールの場合も、このキャスター付きのスタンドのせいで、
上級機の BCIIIはずいぶん損をしている。
日本ではBCIIのほうが評価が高く、BCIIIの評価はむしろ低い。

ステレオサウンド 44号のスピーカーの総テストの中で、瀬川先生が、
BCIIIを、専用スタンドではなく、
他のスタンドにかえたときの音に驚いた、といったことを書かれている。

スペンドールのスタンドは、横から見るとコの字型の、鉄パイプの華奢なつくりで、キャスター付き。
重量は比較的軽いBCIIならまだしも、BCIIのユニット構成に30cmウーファーを追加し
エンクロージュアを大型にしたBCIIIで、スタンドの欠点が、よりはっきりと出たためであろう。

KEFの試聴室の写真を見たことがある。
スピーカーは、105の改良モデルの105.2で、一段高いステージの上に置かれているが、
とうぜんキャスターは付いていない。あのキャスターは、輸入元がつけたのかもしれない。
そして、キャスターを外した105の音はどう変化するのかを確認してみたい。
http://audiosharing.com/blog/?p=83


現代スピーカー考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=164

KEFの#105の資料は、手元に何もない。写真があるぐらいだ。

以前、山中先生が言っておられた。
「ぼくらがオーディオをやりはじめたころは、得られる情報なんてわずかだった。
だからモノクロの写真一枚でも、じーっと見続けていた。
辛抱づよく見ることで、写真から得られるもの意外と多いし、そういう習慣が身についている。」

私がオーディオに関心をもちはじめたころも、山中先生の状況と大きく変わらない。
東京や大阪などに住んでいれば、本だけでなくオーディオ店にいけば、実機に触れられる。
しかも、オーディオ店もいくつも身近にある。
けれど、熊本の片田舎だと、オーディオを扱っているところはあっても、近所にオーディオ専門店はない。
得られる情報といえば、オーディオ誌だけである。
まわりにオーディオを趣味としている先輩も仲間もいなかった。

だから何度もくり返し同じ本を読み、写真を見続けるしかなかった。

いまはどうだろう。
情報量が増えたことで、あるひとつの情報に接している時間は短くなっていないだろうか。

数年前、ある雑誌で、ある人(けっこう年輩の方)が、
「もう、細かなことはいちいち憶えてなくていいんだよ。ネットで検索すればいいんだから」と発言されていた。
それは趣味の分野に関しての発言だった。

ネットに接続できる環境があり、パソコンもしくはPDAで検索すればそのとおりだろう。
仲間内で、音楽やオーディオの話をしているとき、
その人は、つねにネットに接続しながら話すのだろうか。
それで成り立つ会話というのを想像すると、つよい異和感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=164


現代スピーカー考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=195

KEFの#105の写真を見ていると、LS3/5Aにウーファーを足したスタイルだなぁ、と思ってしまう。

スコーカーは10cm口径のコーン型で、
トゥイーターはT27でこそないが、おそらく改良型といえるであろうソフトドーム型。
これらを、ただ単にウーファーのエンクロージュアに乗せただけではなく、
左右上下に角度調整ができる仕掛けがついている。

#105の、見事な音像定位は、LS3/5Aの箱庭的定位に継がっているようにも思えてくる。
LS3/5Aも、#105の中高域部と同じように、仰角も調整して聴いたら、
もっと精度の高い、音の箱庭が現われるのかもしれない。
LS3/5Aを使っていたときには、仰角の調整までは気がつかなかった。

セレッションのSL600を使っていたときに、カメラの三脚の使用を検討したことがある。
スピーカーの仰角も、左右の振り、そして高さも、すぐ変更できる。
いい三脚は、ひじょうにしっかりしている。

スピーカーのベストポジションを見つけたら、そこからは絶対に動かさないのと対極的な聴き方になるが、
被写体に応じて、構図やカメラのピントを調整するように、
ディスクの録音に応じて、スピーカーのセッティングを変えていくのも、ありではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=195


現代スピーカー考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=205

推測というよりも妄想に近いとわかっているが、#105のスタイルを、
レイモンド・クックは、LS3/5A+ウーファーという発想から生み出したように思えてならない。

LS3/5Aに搭載されているスピーカーユニットはKEF製だし、KEFとBBCの関係は深い。
時期は異るが、KEFからもLS3/5Aが発売されていたこともある。

#105は、セッティングを緻密に追い込めば、精度の高い音場再現が可能だし、
内外のスピーカーに与えた影響は、かなり大きいといえるだろう。

にも関わらず、少なくとも日本では#105は売れなかった。

#105は、より精度の高さを求めて、105.2に改良されている。
もともとバラツキのひじょうに少ないスピーカーではあったが、105.2になり、
全数チェックを行ない、標準原器と比較して、
全データが±1dBにおさまっているモノのみを出荷していた。

またウーファーの口径を30cmから20cmの2発使用にして、
ウーファー・エンクロージュアを小型化した105.4も出ていた。
ということは、#105はKEFにとって自信作であり、主力機でもあったわけだが、
日本での売れ行きはサッパリだったと聞いている。

この話をしてくれた人に理由をたずねると、意外な答えが返ってきた。
「(スピーカーの)上にモノが乗せられないから」らしい。
いまでは考えられないような理由によって、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=205

現代スピーカー考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=206

KEFの#105が日本であまり芳しい売行きでなかったのは、
なにも上にモノを乗せられないばかりではないと思う。

#105と同時期のスピーカーといえば、価格帯は異るが、JBLの4343があり、爆発的に売れていた。
#105と同価格帯では、QUADのESL、セレッションのDitton66(662)、
スペンドールBCIII、ダイヤトーンの2S305、タンノイのアーデン、
すこし安い価格帯では、ハーベスのMonitor HL、スペンドールBCII、JBLの4311、
BOSEの901、パイオニアのS955などがあった。

これらのスピーカーと比較すると、#105の音色は地味である。
現代スピーカーの設計手法の先鞭をつけたモデルだけに、周波数バランスもよく、
まじめにつくられた印象が先にくるのか、
魅力的な音色で楽しく音楽を聴かせてくれる面は、薄いように思う。
もちろんまったく無個性かというと決してそうではなく、
昔から言われるように、高域に、KEFならではの個性があるが、
それも#104に比べると、やはり薄まっている。
それにちょっと骨っぽいところもある。

もっともKEFが、そういうスピーカーづくりを嫌っていただろうから、
#105のような性格に仕上がるのは同然だろうが、
個性豊かなスピーカー群に囲まれると、地味すぎたのだろう。
少なくとも、いわゆる店頭効果とは無縁の音である。

店頭効果で思い出したが、
上にモノが乗せられないことは、オーディオ店に置いてもらえないことでもある。
当時のオーディオ店では、スピーカーは山積みで展示してあり、
切換スイッチで、鳴らしていた。
#105のスタイルは、オーディオ店でも嫌われていた。

おそらく、このことは輸入代理店を通じて、KEFにも伝えられていたはず。
それでも、KEFは、スタイルを変えることなく、105.2、105.4とシリーズ展開していく。
http://audiosharing.com/blog/?p=206


現代スピーカー考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=207

#105の2年ほどあとに登場した303というブックシェルフ型スピーカーは、
ペアで12万4千円という、輸入品ということを考えれば、かなりのローコストモデルだ。

20cm口径のコーン型ウーファーとメリネックス振動板のドーム型トゥイーターで、
エンクロージュアの材質は、木ではなく、プラスチック樹脂。
外観はグリルがエンクロージュアを一周しているという素っ気無さであり、
合理的なローコストの実現とともに、製造時のバラツキの少なさも考慮された構成だ。

303の音は、当時、菅野先生と瀬川先生が高く評価されていた。
たしかおふたりとも、ステレオサウンド 55号(ベストバイの特集号)で、
マイベスト3に選ばれている。

こういうスピーカーは、従来の、技術者の勘や経験を重視したスピーカーづくりではなしえない。
理知的なアプローチと、それまでのスピーカーづくりの実績がうまく融合しての結果であろう。
#105の誕生があったから生れたスピーカーだろうし、
303も優れた現代スピーカーのひとつだと、私は思う。

瀬川先生が書かれていたように、303のようなローコスト設計を日本のメーカーが行なえば、
もっと安く、それでいて、まともな音のするスピーカーをつくれただろう。

2 Comments

kenken
1月 11th, 2009
なつかしさのあまり投稿いたします。 KEFの303は3度にわたり手に入れては手放しました。
今思うとラックスのアンプで303を鳴らしていた時代が最も純粋に音楽を楽しめた時期だったような気がします。
マニアの性ですぐにもう少しハイエンドなスピーカーを使いたくなってしまうのですが。。

audio sharing
3月 15th, 2009
kenkenさま
コメント、ありがとうございます。
KEF303の特徴である何気ない音、素朴な音は、現行製品ではなかなか得られない良さだと思います。
http://audiosharing.com/blog/?p=207


現代スピーカー考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=210

KEFの#105で思い出したことがある。
1979年前後、マークレビンソンが、開発予定の機種を発表した記事が
ステレオサウンドの巻末に、2ページ載っていたことがある。

スチューダーのオープンリールデッキA80のエレクトロニクス部分を
すべてマークレビンソン製に入れ換えたML5のほかに、
マランツ10 (B)の設計、セクエラのチューナーの設計で知られるリチャード・セクエラのブランド、
ピラミッドのリボントゥイーターT1をベースに改良したモノや、
JBL 4343に、おもにネットワークに改良を加えたモノのほかに、
KEFの#105をベースにしたモノもあった。

A80、T1(H)、4343といった高級機の中で、価格的には中級の#105が含まれている。
#105だけが浮いている、という見方もあるだろうが、
訝った見方をすれば、むしろ4343が含まれているのは、日本市場を鑑みてのことだろうか。

マークレビンソンからは、これと前後して、HQDシステムを発表している。
QUADのESLのダブルスタックを中心とした、大がかりなシステムだ。
このシステム、そしてマーク・レヴィンソンがチェロを興してから発表したスピーカーの傾向から思うに、
浮いているのは4343かもしれない。

結局、製品化されたのはML5だけで、他のモノは、どこまで開発が進んでいたのかすら、わからない。

なぜマーク・レヴィンソンは、#105に目をつけたのか。
もし完成していたら、どんなふうに変わり、
どれだけマークレビンソンのアンプの音の世界に近づくのか、
いまはもう想像するしかないが、おもしろいスピーカーになっただろうし、
#105の評価も、そうとうに変わってきただろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=210


現代スピーカー考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=771

ステレオサウンド創刊15周年記念の60号の特集は、アメリカン・サウンドだった。
この号の取材の途中で瀬川先生は倒れられ、ふたたび入院された。
この号も手もとにないので、記憶に頼るしかないが、JBLの4345を評して、
「インターナショナルサウンド」という言葉を使われた。

残念なのは、この言葉の定義づけをする時間が瀬川先生には残されていなかったため、
このインターナショナルサウンドが、その後、使われたことはなかった(はずだ)。

インターナショナルサウンドという言葉は、すこし誤解をまねいたようで、
菅野先生も、瀬川先生の意図とは、すこし違うように受けとめられていたようで、
それに対して、病室でのインタビューで、瀬川先生は補足されていた。

「主観的要素がはいらず、物理特性の優秀なスピーカーシステムの、すぐれた音」──、
たしか、こう定義されていたと記憶している。

インターナショナルサウンド・イコール・現代スピーカー、と定義したい。
http://audiosharing.com/blog/?p=771


Date: 1月 13th, 2010
現代スピーカー考(その20・補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1102

ステレオサウンドの60号が手もとにあるので、
瀬川先生のインターナショナルサウンドについての発言を引用しておく。
     *
これは異論があるかもしれないですけれど、きょうのテーマの〈アメリカン・サウンド〉という枠を、JBLの音には、ぼくの頭のなかでは当てはめにくい。たとえば、パラゴンとオリンパスとか、あの辺はアメリカン・サウンドだという感じがするんだけれども、ぼくの頭の中でJBLというとすぐ、4343以降のスタジオモニターが、どうしてもJBLの代表みたいにおもえちゃうんですが、しかし、これはもう〈アメリカン・サウンド〉じゃないんじゃないのか、言ってみれば〈インターナショナル・サウンド〉じゃないかという感じがするんです。この言い方にはかなり誤解をまねきやすいと思うので、後でまた補足するかもしれないけれども、とにかく、ぼくの頭の中でのアメリカン・サウンドというのは、アルテックに尽きるみたいな気がする。
アルテックの魅力というのは(中略)、50年代から盛り返しはじめたもう一つのリッチなアメリカ、それを代表するサウンドと言える。もしJBLの4343から4345を、アメリカン・サウンドと言うならば、これは今日の最先端のアメリカン・サウンドですね。
     *
瀬川先生のインターナショナル・サウンドに対しては、
アメリカン・サウンドの試聴に参加された岡、菅野のおふたりは、異論を唱えられている。

岡先生は、4345の音を「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1102


現代スピーカー考(その20・続補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1103

「ぼくはインターナショナル・サウンドっていうのはあり得ないと思います」と岡先生は否定されている。
が、「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とも言われているように、全否定されているわけではない。

岡先生は、こうも言われている。
「非常にオーバーな言い方をすれば、アメリカのスピーカーの方向というものはよくも悪しくもJBLが代表していると思うんです。アメリカのスピーカーの水準はJBLがなにかをやっていくたびにステップが上がっていく。そういう感じが、ことにここ10数年していたわけです。
 JBLの行きかたというのはあくまでもテクノロジー一本槍でやっている。あそこの技術発表のデータを見ていると、ほんとうにテクノロジーのかたまりという感じもするんです。」

この発言と、瀬川先生が病室から談話で語られた
「客観的といいますか、要するにその主観的な要素が入らない物理特性のすぐれた音」、
このふたつは同じことと捉えてもいい。

だから残念なのは、全試聴が終った後の総括の座談会に、瀬川先生が出席されていないことだ。
もし瀬川先生が入院されていなかったら、インターナショナル・サウンドをめぐって、
ひじょうに興味深い議論がなされたであろう。

それは「現代スピーカー」についての議論でもあったはずだ。

瀬川先生の談話は、the Review (in the past) で公開している。
「でも、インターナショナル≠ニいってもいい音はあると思う」の、その1、2、3、4だ。


1 Comment

AutoG
1月 14th, 2010
当時、同時進行でステサンを読んでいた訳ですが、瀬川氏が4320、43、45等に対して礼賛する姿勢を以前から採っていて、客観的にも「やや淹れ込んでいる」という感は否めませんでした。まあ、その後、菅野氏がマッキンのスピーカーに傾倒していったりする経緯もありましたが、瀬川氏は情緒的にやや入りすぎるきらいがあって、菅野氏達に自分の好みを一般化する姿勢に対し、「傲慢」呼ばわりされる羽目になってしまった。入院先から「談話」の形で誤解を解く記事が載ったものの、読者としてはこの一連の「揉め事」に心穏やかではなかったことを思い出します。
 結果として後に入院先の九段坂病院で帰らぬ人となった瀬川氏にとって、このアメリカンサウンド特集が評論活動としての最後であったと記憶します。
 昨年大晦日に瀬川氏や岩崎千明氏を良く知る御仁と話しができて、しみじみ懐かし九思い、タイプは異なれどご両人とも「鋭い感性の人」という共通認識で別れました。いずれにしても瀬川氏には大きな影響を受けました。
http://audiosharing.com/blog/?p=1103


Date: 1月 22nd, 2010
現代スピーカー考(その20・続々補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1115

瀬川先生が、「インターナショナル・サウンド」という言葉を使われた、29年前、
私は「グローバル」という言葉を知らなかった。
「グローバル」という言葉を、目にすることも、ほとんどなかった(はずだ)。

いま「グローバル」という言葉を目にしない、耳にしない日はないというぐらい、の使われ方だが、
「グローバル・サウンド」と「インターナショナル・サウンド」、このふたつの違いについて考えてみてほしい。

ステレオサウンド 60号の、瀬川先生抜きの、まとめの座談会は、
欠席裁判のようで不愉快だ、と捉えられている方も、少なくないようである。
インターネット上でも、何度か、そういう発言を読んだことがある。

早瀬さんも、「やり場のない憤り」を感じたと、つい最近書かれている。

私は、というと、当時、そんなふうには受けとめていなかった。
いまも、そうは受けとめていない。

たしかに、菅野先生の発言を、ややきつい表現とは感じたものの、瀬川先生の談話は掲載されていたし、
このとき、瀬川先生が帰らぬ人となられるなんて、まったく思っていなかったため、
次号(61号)のヨーロピアン・サウンドで、きっとKEFのスピーカーのことも、
思わず「インターナショナル・サウンド」と言われるのではないか、
そして、「インターナショナル・サウンド」について、
菅野先生と論争をされるであろう、と思っていたし、期待していたからだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=1115


現代スピーカー考(その20・続々続補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1116

仮に欠席裁判だとしよう。
29年経ったいま、「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになったいま、
「インターナショナル・サウンド」という表現は、瀬川先生も「不用意に使った」とされているが、
むしろ正しい使われ方だ、と私は受けとめている。

もし「グローバル・サウンド」と言われていたら、いまの私は、反論しているだろう。

瀬川先生は、他の方々よりも、音と風土、音と世代、音と技術について、深く考えられていた。
だから、あの場面で「インターナショナル・サウンド」という言葉を、思わず使われたのだろう。
瀬川先生に足りなかったのは、「インターナショナル・サウンド」の言葉の定義をする時間だったのだ。
思慮深さ、では、決してない。
http://audiosharing.com/blog/?p=1116


現代スピーカー考(その20・続々続々補足)

瀬川先生に足りなかったものがもうひとつあるとすれば、
「インターナショナル・サウンド」の前に、
岡先生の発言にあるように「アメリカ製の」、もしくはアメリカ西海岸製の」、または「JBL製の」と、
ひとこと、つけ加えられることであろう。

グローバルとインターナショナルの違いは、
「故郷は?」ときかれたときに、
「日本・東京」とか「カナダ・トロント」とこたえるのがインターナショナルであって、
「お母さんのお腹の中」とこたえるのがグローバルだ、と私は思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1117


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1167.html#c2

[リバイバル3] KEF _ 世界で初めてデジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー 中川隆
3. 中川隆[-5722] koaQ7Jey 2021年4月14日 17:48:20 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[33]
現代スピーカー考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=781

ステレオサウンドの60号の1年半前にも、スピーカーの試聴テストを行なっている。
54号(1980年3月発行)の特集は「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」で、
菅野沖彦、黒田恭一、瀬川冬樹の3氏が試聴、長島先生が測定を担当されている。
この記事の冒頭で、試聴テスター3氏による「スピーカーテストを振り返って」と題した座談会が行なわれている。

ここで、瀬川先生は、インターナショナルサウンドにつながる発言をされている。
     ※
海外のスピーカーはある時期までは、特性をとってもあまりよくない、ただ、音の聴き方のベテランが体験で仕上げた音の魅力で、海外のスピーカーをとる理由があるとされてきました。しかし現状は決してそうとばかかりは言えないでしょう。
私はこの正月にアメリカを回ってきまして、あるスピーカー設計のベテランから「アメリカでも数年前までは、スピーカーづくりは錬金術と同じだと言われていた。しかし今日では、アメリカにおいてもスピーカーはサイエンティフィックに、非常に細かな分析と計算と設計で、ある水準以上のスピーカーがつくれるようになってきた」と、彼ははっきり断言していました。
これはそのスピーカー設計者の発言にとどまらず、アメリカやヨーロッパの本当に力のあるメーカーは、ここ数年来、音はもちろんのこと物理特性も充分にコントロールする技術を本当の意味で身につけてきたという背景があると思う。そういう点からすると、いまや物理特性においてすらも、日本のスピーカーを上まわる海外製品が少なからず出てきているのではないかと思います。
かつては物理特性と聴感とはあまり関連がないと言われてきましたが、最近の新しい解析の方法によれば、かなりの部分まで物理特性で聴感のよしあしをコントロールできるところまできていると思うのです。
     ※
アメリカのベテランエンジニアがいうところの「数年前」とは、
どの程度、前のことなのかはっきりとはわからないが、10年前ということはまずないだろう、
長くて見積もって5年前、せいぜい2、3年前のことなのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=781


Date: 12月 7th, 2010
現代スピーカー考(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=1581

瀬川先生の「本」づくりのために、いま手もとに古いステレオサウンドがある。
その中に、スピーカーシステムの比較試聴を行った号もあって、掲載されている測定データを見れば、
あきらかに物理特性は良くなっていることがわかる。

ステレオサウンドでは44、45、46、54号がスピーカーの特集号だが、
このあたりの物理特性と、その前の28、29、36号の掲載されている結果(周波数特性)と比較すると、
誰の目にも、その差はあきからである。

36号から、スピーカーシステムのリアル・インピーダンスがあらたに測定項目に加わっている。
20Hzから20kHzにわたって、各周波数でのインピーダンス特性をグラフで表わしたもので、
36号(1975年)と54号(1980年)とで比較すると、これもはっきりと改善されていることがわかる。

インピーダンス特性の悪いスピーカーだと、
周波数特性以上にうねっているものが1970年半ばごろまでは目立っていた。
低域での山以外は、ほぼ平坦、とすべてのスピーカーシステムがそういうわけでもないが、
うねっているモノの割合はぐんと減っている。
周波数特性同様に、全体的にフラット傾向に向っていることがわかる。

この項の(その21)でのアメリカのスピーカーのベテラン・エンジニアの発言にある数年前は、
やはり10年前とかではなくて、当時(1980年)からみた4、5年前とみていいだろう。

アンプでは増幅素子が真空管からトランジスター、さらにトランジスターもゲルマニウムからシリコンへ、と、
大きな技術的転換があったため、性能が大きく向上しているのに対して、
スピーカーの動作原理においては、真空管からトランジスターへの変化に匹敵するようなことは起っていない。
けれど、スピーカーシステムとしてのトータルの性能は、数年のあいだに確実に進歩している。
http://audiosharing.com/blog/?p=1581


Date: 3月 21st, 2012
現代スピーカー考(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=7389

ステレオサウンド 54号のスピーカー特集の記事の特徴といえるのが、
平面振動板のスピーカーシステムがいくつか登場しており、
ちょうどこのあたりの時期から国内メーカーでは平面振動板がブームといえるようになっていた。

51号に登場する平面振動板のスピーカーシステムはいちばん安いものではペアで64000円のテクニクスのSB3、
その上級機のSB7(120000円)、Lo-DのHS90F(320000円)、ソニー・エスプリのAPM8(2000000円)と、
価格のダイナミックレンジも広く、高級スピーカーだけの技術ではなくてなっている。
これら4機種はウーファーまですべて平面振動板だが、
スコーカー、トゥイーターのみ平面振動板のスピーカーシステムとなると数は倍以上になる。

ステレオサウンド 54号は1980年3月の発行で、
国内メーカーからはこの後、平面振動板のスピーカーシステムの数は増えていった。

私も、このころ、平面振動板のスピーカーこそ理想的なものだと思っていた。
ソニー・エスプリのAPM8の型番(accurate pistonic motion)が表すように、
スピーカーの振動板は前後にピストニックモーションするのみで、
分割振動がまったく起きないのが理想だと考えていたからだ。
それに平面振動板には、従来のコーン型ユニットの形状的な問題である凹み効果も当然のことだが発生しない。

その他にも平面振動板の技術的メリットを、カタログやメーカーの広告などで読んでいくと、
スピーカーの理想を追求することは平面振動板の理想を実現することかもしれない、とも思えてくる。
確かに振動板を前後に正確にピストニックモーションさせるだけならば、平面振動板が有利なのだろう。

けれど、ここにスピーカーの理想について考える際の陥し穴(というほどのものでもないけれど)であって、
振動板がピストニックモーションをすることが即、入力信号に忠実な空気の疎密波をつくりだせるわけではない、
ということに1980年ごろの私は気がついていなかった。

音は空気の振動であって、
振動板のピストニックモーションを直接耳が感知して音として認識しているわけではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=7389


Date: 3月 24th, 2012
現代スピーカー考(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=7391

平面振動板のスピーカーと一口に言っても、大きく分けると、ふたつの行き方がある。
1980年頃から日本のメーカーが積極的に開発してきたのは振動板の剛性をきわめて高くすることによるもので、
いわば従来のコーン型ユニットの振動板が平面になったともいえるもので、
磁気回路のなかにボイスコイルがあり、ボイスコイルの動きをボイスコイルボビンが振動板に伝えるのは同じである。

もうひとつの平面振動板のスピーカーは、振動板そのものにはそれほどの剛性をもつ素材は使われずに、
その平面振動板を全面駆動とする、リボン型やコンデンサー型などがある。

ピストニックモーションの精確さに関しては、どちらの方法が有利かといえば、
振動板全体に駆動力のかかる後者(リボン型やコンデンサー型)のようにも思えるが、
果して、実際の動作はそういえるものだろうか。

リボン型、コンデンサー型の振動板は、板というよりも箔や膜である。
理論通りに、振動箔、振動膜全面に均一に駆動力がかかっていれば、振動箔・膜に剛性は必要としない。
だがそう理論通りに駆動力が均一である、とは思えない。
たとえ均一に駆動力が作用していたとしても、実際のスピーカーシステムが置かれ鳴らされる部屋は残響がある。

無響室ではスピーカーから出た音は、原則としてスピーカーには戻ってこない。
広い平地でスピーカーを鳴らすのであれば無響室に近い状態になるけれど、
実際の部屋は狭ければ数メートルでスピーカーから出た音が壁に反射してスピーカー側に戻ってくる。
それも1次反射だけではなく2次、3次……何度も壁に反射する音がある。

これらの反射音が、スピーカーの振動板に対してどう影響しているのか。
これは無響室で測定している限りは掴めない現象である。

1980年代にアポジーからオール・リボン型スピーカーシステムが登場した。
ウーファーまでリボン型ということは、ひとつの理想形態だと、当時は考えていた。
それをアポジーが実現してくれた。
インピーダンスの低さ、能率の低さなどによってパワーアンプへの負担は、
従来のスピーカー以上に大きなものになったとはいえ、
こういう挑戦によって生れてくるオーディオ機器には、輝いている魅力がある。

アポジーの登場時にはステレオサウンドにいたころだから、聴く機会はすぐにあった。
そのとき聴いたのはシンティラだった。
そのシンティラが鳴っているのを、見ていてた。
http://audiosharing.com/blog/?p=7391


Date: 3月 25th, 2012
現代スピーカー考(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=7410

アポジーのスピーカーシステムは、外観的にはどれも共通している。
縦長の台形状の、広い面積のアルミリボンのウーファーがあり、
縦長の細いスリットがスコーカー・トゥイーター用のリボンなのだが、
アポジーのスピーカーシステムが鳴っているのを見ていると、
スコーカー・トゥイーター用のリボンがゆらゆらと動いているのが目で確認できる。

目で確認できる程度の揺れは、非常に低い周波数なのであって、
スコーカー・トゥイーターからそういう低い音は本来放射されるものではない。
LCネットワークのローカットフィルターで低域はカットされているわけだから、
このスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れは、入力信号によるもではないことははっきりしている。

リボン型にしてもコンデンサー型にしても、
理論通りに振動箔・膜の全面に対して均一の駆動力が作用していれば、
おそらくは振動箔・膜に使われている素材に起因する固有音はなくなってしまうはずである。
けれど、現実にはそういうことはなく、コンデンサー型にしろリボン型にしろ素材の音を消し去ることはできない。

つまりは、微視的には全面駆動とはなっていない、
完全なピストニックモーションはリボン型でもコンデンサー型でも実現できていない──、
そういえるのではないだろうか。
この疑問は、コンデンサー型スピーカーの原理を、スピーカーの技術書を読んだ時からの疑問だった。
とはいえ、それを確かめることはできなかったのだが、
アポジーのスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れを見ていると、
完全なピストニックモーションではない、と確信できる。

だからリボン型もコンデンサー型もダメだという短絡なことをいうために、こんなことを書いているのではない。
私自身、コンデンサー型のQUADのESLを愛用してきたし、
アポジーのカリパー・シグネチュアは本気で導入を考えたこともある。
ここで書いていくことは、そんなことではない。

スピーカーの設計思想における、剛と柔について、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=7410

Date: 3月 28th, 2012
現代スピーカー考(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=7456

より正確なピストニックモーションを追求し、
完璧なピストニックモーションを実現するためには、振動板の剛性は高い方がいい。
それが全面駆動型のスピーカーであっても、
振動板の剛性は(ピストニックモーションということだけにとらわれるのであれば)、高い方がいい。

ソニーがエスプリ・ブランドで、振動板にハニカム構造の平面振動板を採用し、
その駆動方法もウーファーにおいてはボイスコイル、磁気回路を4つ設けての節駆動を行っている。
しかもボイスコイルボビンはハニカム振動板の裏側のアルミスキンではなく、
内部のハニカムを貫通させて表面のアルミスキンをふくめて接着する、という念の入れようである。

当時のソニーの広告には、そのことについて触れている。
特性上ではボイスコイルボビンをハニカム振動板の裏側に接着しても、
ハニカム構造を貫通させての接着であろうとほとんど同じなのに、
音を聴くとそこには大きな違いがあった、ということだ。
つまり特性上では裏側に接着した段階で充分な特性が得られたものの、
音の上では満足の行くものにはならなかったため、さらなる検討を加えた結果がボイスコイルボビンの貫通である。

APM8は1979年当時でペアで200万円していた。
海外製のスピーカーシステムでも、APM8より高額なモノはほとんどなかった。
高価なスピーカーシステムではあったが、その内容をみていくと、高くはない、といえる。

そして、この時代のソニーのスピーカーシステムは、
このAPM8もそうだし、その前に発売されたSS-G9、SS-G7など、どれも堂々としていた。

すぐれたデザインとは思わないけれど、
技術者の自信が表に現れていて、だからこそ堂々とした感じに仕上がっているのだと思う。

これらのソニーのスピーカーシステムに較べると、この10年ほどのソニーのスピーカーシステムはどうだろう……。
音は聴いていないから、そこについては語らないけれど、どこかしら弱々しい印象を見たときに感じてしまう。

このことについて書いていくと、長々と脱線してしまう。
話をピストニックモーションにもどそう。
http://audiosharing.com/blog/?p=7456


Date: 5月 20th, 2012
現代スピーカー考(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=7704

スピーカーの振動板を──その形状がコーン型であれ、ドーム型であれ、平面であれ──
ピストニックモーションをさせる(目指す)のは、なぜなのか。

スピーカーの振動板の相手は、いうまでもなく空気である。
ごく一部の特殊なスピーカーは水中で使うことを前提としているものがあるから水というものもあるが、
世の中の99.9%以上のスピーカーが、その振動板で駆動するのは空気である。

空気の動きは目で直接捉えることはできないし、
空気にも質量はあるものの普通に生活している分には空気の重さを意識することもない。
それに空気にも粘性があっても、これも、そう強く意識することはあまりない。
(知人の話では、モーターバイクで時速100kmを超えるスピードで走っていると、
空気が粘っこく感じられる、と言っていたけれど……)

空気が澱んだり、煙たくなったりしたら、空気の存在を意識するものの、
通常の快適な環境では空気の存在を、常に意識している人は、ごく稀だと思う。

そういう空気を、スピーカーは相手にしている。

空気がある閉じられた空間に閉じこめられている、としよう。
例えば筒がある。この中の空気をピストンを動かして、空気の疎密波をつくる、とする。
この場合、筒の内径とピストンの直径はほぼ同じであるから、
ピストンの動きがそのまま空気を疎密波に変換されることだろう。

こういう環境では、振動板(ピストン)の動きがそのまま空気の疎密波に反映される(はず)。
振動板が正確なピストニックモーションをしていれば、筒内の空気の疎密波もまた正確な状態であろう。

だが実際の、われわれが音を聴く環境下では、この筒と同じような状況はつくり出せない。
つまり壁一面がスピーカーの振動板そのもの、ということは、まずない。
http://audiosharing.com/blog/?p=7704


現代スピーカー考(その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=7812

仮に巨大な振動板の平面型スピーカーユニットを作ったとしよう。
昔ダイヤトーンが直径1.6mのコーン型ウーファーを作ったこともあるのだから、
たとえば6畳間の小さな壁と同じ大きさの振動板だったら、
金に糸目をつけず手間を惜しまなければ不可能ということはないだろう。

縦2.5m×横3mほどの平面振動板のスピーカーが実現できたとする。
この巨大な平面振動板で6畳間の空気を動かす。
もちろん平面振動板の剛性は非常に高いもので、磁気回路も強力なもので十分な駆動力をもち、
パワーアンプの出力さえ充分に確保できさえすればピストニックモーションで動けば、
筒の中の空気と同じような状態をつくり出せるであろう。

けれど、われわれが聴きたいのは、基本的にステレオである。
これではモノーラルである。
それでは、ということで上記の巨大な振動板を縦2.5m×横1.5mの振動板に二分する。
これでステレオになるわけだが、果して縦2.5m×横3mの壁いっぱいの振動板と同じように空気を動かせるだろうか。

おそらく無理のはずだ。
空気は押せば、その押した振動板の外周付近の空気は周辺に逃げていく。
モノーラルで縦2.5m×横3mの振動板ひとつであれば、
この振動板の周囲は床、壁、天井がすぐ側にあり空気が逃げることはない。
けれど振動板を二分してしまうと左側と振動板と右側の振動板が接するところには、壁は当り前だが存在しない。
このところにおいては、空気は押せば逃げていく。
逃げていく空気(ここまで巨大な振動板だと割合としては少ないだろうが)は、
振動板のピストニックモーションがそのまま反映された結果とはいえない。

しかも実際のスピーカーの振動板は、上の話のような巨大なものではない。
もっともっと小さい。
筒とピストンの例でいえば、筒の内径に対してピストンの直径は半分どころか、もっと小さくなる。
38cm口径のウーファーですら、6畳間においては部屋の高さを2.5mとしたら約1/6程度ということになる。
かなり大ざっぱな計算だし、これはウーファーを短辺の壁にステレオで置いた場合であって、
長辺の壁に置けばさらにその比率は小さくなる。
http://audiosharing.com/blog/?p=7812


Date: 11月 3rd, 2012
現代スピーカー考(その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=8337

筒とピストンの例をだして話を進めてきているけれど、
この場合でも筒の内部が完全吸音体でなければ、
ピストン(振動板)の動きそのままの空気の動き(つまりピストニックモーション)にはならないはず。

どんなに低い周波数から高い周波数の音まで100%吸音してくれるような夢の素材があれば、
筒の中でのピストニックモーションは成立するのかもしれない。

でも現実にはそんな環境はどこにもない。
これから先も登場しないだろうし、もしそんな環境が実現できるようになったとしても、
そんな環境下で音楽を聴きたいとは思わない。

音楽を聴きたいのは、いま住んでいる部屋において、である。
その部屋はスピーカーの振動板の面積からずっと大きい。
狭い狭い、といわれる6畳間であっても、スピーカー(おもにウーファー)の振動板の面積からすれば、
そのスピーカーユニットが1振幅で動かせる空気の容量からすれば、ずっとずっと広い空間である。
そして壁、床、天井に音は当って、その反射音を含めての音をわれわれは聴いている。

そんなことを考えていると、振動板のピストニックモーションだけでいいんだろうか、という疑問が出てくる。

コンデンサー型やリボン型のように、振動板のほぼ全面に駆動力が加わるタイプ以外では、
ピストニックモーションによるスピーカーであれば、振動板に要求されるのは高い剛性が、まずある。

それに振動板には剛性以外にも適度な内部損失という、剛性と矛盾するような性質も要求される。
そして内部音速の速さ、である。

理想のピストニックモーションのスピーカーユニットための振動板に要求されるのは、
主に、この3つの項目である。

その実現のために、これまでさまざまな材質が採用されてきたし、
これからもそうであろう。
ピストニックモーションを追求する限り、剛性の高さ、内部音速の速さは重要なのだから。

このふたつの要素は、つまりは剛、である。
この剛の要素が振動板に求められるピストニックモーションも、また剛の動作原理ではないだろうか。

剛があれば柔がある。
剛か柔か──、
それはピストニックモーションか非ピストニックモーションか、ということにもなろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=8337


Date: 8月 15th, 2013
現代スピーカー考(その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=11560

スピーカーにおけるピストニックモーションの追求は、はっきりと剛の世界である。

その剛の世界からみれば、
ジャーマン・フィジックスのスピーカーシステムに搭載されているDDD型ユニットのチタンの振動板は、
理屈的に納得のいくものではない。

DDD型のチタンの振動板は、何度か書いているように振動板というよりも振動膜という感覚にちかい。
剛性を確保することは考慮されていない。
かといって、コンデンサー型やリボン型のように全面駆動型でもない。

スピーかーを剛の世界(ピストニックモーションの追求)からのみ捉えていれば、
ジャーマン・フィジックスの音は不正確で聴くに耐えぬクォリティの低いものということになる。

けれど実際にDDD型ユニットから鳴ってくる音は、素晴らしい。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、
1970年代にはウォルッシュ型、ウェーヴ・トランスミッションライン方式と呼ばれていた。
インフィニティの2000AXT、2000IIに採用されていた。
2000AXTは3ウェイで5Hz以上に、2000IIは4ウェイで、10kHz以上にウォルッシュ型を使っていた。

1980年代にはオームから、より大型のウォルッシュ・ドライバーを搭載したシステムが登場した。
私がステレオサウンドにいたころ、伊藤忠が輸入元で、新製品の試聴で聴いている。
白状すれば、このとき、このスピーカー方式のもつ可能性を正しく評価できなかった。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ほどに完成度が高くなかった、ということもあるが、
まだ剛の世界にとらわれていたからかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=11560
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1167.html#c3

[リバイバル3] QUAD ESL57 が似合う店 _ 喫茶店 荻窪邪宗門 中川隆
20. 中川隆[-5721] koaQ7Jey 2021年4月14日 18:07:45 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[34]
audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考


Date: 8月 8th, 2018
現代真空管アンプ考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?cat=48&paged=6

こうやって真空管アンプについて書き始めると、
頭の中では、現代真空管アンプとは、いったいどういうモノだろうか、
そんなことも並行して考えはじめている。

個人的に作りたい真空管アンプは、現代真空管アンプとはいえないモノである。
それこそ趣味の真空管アンプといえるものを、あれこれ夢想しているわけだが、
そこから離れて、現代真空管アンプについて考えてみるのもおもしろい。

現代真空管アンプだから、真空管もいま現在製造されていることを、まず条件としたい。
お金がいくら余裕があっても、製造中止になって久しく、
市場にもあまりモノがなく、非常に高価な真空管は、それがたとえ理想に近い真空管であっても、
それでしか実現しないのは、現代真空管アンプとはいえない。

真空管もそうだが、ソケットもきちんと入手できること。
これは絶対に外せない条件である。

ここまではすんなり決っても、
ここから先となると、なかなか大変である。

大ざっぱに、シングルなのかプッシュプルなのか、がある。
プッシュプルにしても一般的なDEPPにするのかSEPPにするのか。

SEPPならばOTLという選択肢もある。
現代真空管アンプを考えていくうえで、出力トランスをどうするのかが、やっかいで重要である。
となるとOTLアンプなのか。

でも、それではちょっと安直すぎる。
考えるのが面倒だから省いてしまおう、という考えがどこかにあるからだ。


Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その2)

現代真空管アンプで、絶対に外せないことがまだある。
真空管のヒーターの点火方法である。

交流点火と直流点火とがある。
物理的なS/N比の高さが求められるコントロールアンプでは、直流点火が多い。
パワーアンプでは交流点火が多いが、
シングルアンプともなると、直流点火も増えてくる。

交流点火といっても、すべてが同じなわけではない。
例えば出力管の場合、一本一本にヒーター用巻線を用意することもあれば、
電流容量が足りていれば出力管のヒーターを並列接続して、という場合もあるし、
直列接続するという手もある。

ヒーター用配線の引き回しも音にもS/N比にも影響してくる。

直流点火だと非安定化か安定化とがある。
定電圧回路を使って安定化をはかるのか、
それとも交流を整流・平滑して直流にする非安定化なのか。

電源のノイズ、インピーダンスの面では安定化にメリットはあるが、
ではどういう回路で安定化するのかが、問題になってくる。

三端子レギュレーターを使えば、そう難しくなく安定化できる。
それで十分という人もいるし、三端子レギュレーターを使うくらいならば、
安定化しない方がいい、という人も、昔からいる。

ここでの直流点火は、電圧に着目してであって、
ヒーターによって重要なパラメータは電圧なのか、電流なのか。
そこに遡って考えれば、定電流点火こそ、現代真空管アンプらしい点火方法といえる。

Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その3)

オーディオに興味をもち、真空管アンプに、
そして真空管アンプの自作に興味をもつようになったばかりのころ、
ヒーターの点火は、ノイズが少なくインピーダンスが十分に低い定電圧回路を採用すれば、
それでほぼ問題解決ではないか,ぐらいに考えていた。

三端子レギュレーターはともかくとして、ディスクリート構成の定電圧回路、
発振せず安定な動作をする回路であれば、それ以上何が要求されるのかはわかっていなかった。

そのころから交流点火のほうが音はいい、と主張があるのは知っていた。
そもそも初期の真空管は直流、つまり電池で点火していた歴史がある。

ならば交流点火よりも直流点火のはず。
それなのに……、という疑問はあった。

ステレオサウンド 56号のスーパーマニアに、小川辰之氏が登場されている。
日本歯科大学教授で、アルテックのA5、9844Aを自作の真空管アンプで鳴らされている。

そこにこんな話が出てきたことを憶えている。
     *
 固定バイアスにしていても、そんなにゲインを上げなければ、最大振幅にならなくて、あまり寿命を心配しなくてもいいと思ってね、やっている。ただ今の人はね、セルフバイアスをやる人はそうなのかもしれないが、やたらバイアス電圧ばかり気にしているけれど、本来は電流値であわせるべきなんですよ。昔からやっている者にとっては、常識的なことですけどね。
     *
電圧ではなく電流なのか。
忘れないでおこう、と思った。
けれど、ヒーターの点火に関して、電圧ではなく電流と考えるようになるには、もう少し時間がかかった。

現代真空管アンプ考(その4)

いまヒーターの点火方法について書いているところで、
この項はそんな細部から書いていくことが多くなると思うが、
それだけで現代真空管アンプを考えていくことになるとは考えていない。

現代真空管アンプは、どんなスピーカーを、鳴らす対象とするのか、
そういったことも考えていく必要がある。

現代真空管アンプで、真空管アンプ全盛時代のスピーカーシステムを鳴らすのか。
それとも現代真空管アンプなのだから、現代のスピーカーシステムを鳴らしてこそ、なのか。

時代が50年ほど違うスピーカーシステムは、とにかく能率が大きく違ってきている。
100dB/W/m前後の出力音圧レベルのスピーカーと、
90dBを切り、モノによっては80dBちょっとのスピーカーシステムとでは、
求められる出力も大きく違ってくる。

そしてそれだけでないのが、アンプの安定性である。
ここ数年のスピーカーシステムがどうなっているのか、
ステレオサウンドを見ても、ネットワークの写真も掲載されてなかったりするので、
なんともいえないが、十年以上くらい前のスピーカーシステムは、
ネットワークを構成する部品点数が、非常に多いモノが珍しくなかった。

6dBスロープのネットワークのはずなのに、
写真を見ると、どうしてこんなに部品が多いのか、理解に苦しむ製品もあった。
いったいどういう設計をすれば、6dBのネットワークで、ここまで多素子にできるのか。

しかもそういうスピーカーは決って低能率である。
この種のネットワークは、パワーアンプにとって容量負荷となりやすく、
パワーアンプの動作を不安定にしがちでもあった。

井上先生から聞いた話なのだが、
そのころマランツが再生産したModel 8B、Model 9は、
そういうスピーカーが負荷となると、かなり大変だったらしい。

現代真空管アンプならば、その類のスピーカーシステムであっても、
安定動作が求められることになり、そうなると、往年の真空管アンプでは、
マランツよりもマッキントッシュのMC275のほうがフレキシビリティが高い──、
そのこともつけ加えられていた。
http://audiosharing.com/blog/?cat=48&paged=6

 

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コメント
1. 中川隆[-5881] koaQ7Jey 2021年4月09日 10:17:12 : 6gG22Swxpc : bm5xUFA5bmFnVjI=[8] 報告
▲△▽▼

audio identity (designing) 宮ア勝己  現代真空管アンプ考
Date: 8月 9th, 2018
現代真空管アンプ考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=26876

容量性負荷で低能率のスピーカーといえば、コンデンサー型がまさにそうである。
QUADのESLがそうである。

QUADはESL用のアンプとして真空管アンプ時代には、
KT66プッシュプルのQUAD IIを用意していた。

私はQUAD IIでESLを鳴らした音は聴いたことがないが、
ESL(容量性負荷)を接続してQUAD IIが不安定になったという話も聞いていない。

QUAD IIを構成する真空管は整流管を除けば四本。
電圧増幅に五極管のEF86を二本使い、これが初段であり位相反転回路でもある。
次段はもう出力管である。

マランツやマッキントッシュの真空管アンプの回路図を見た直後では、
QUAD IIの回路は部品点数が半分以下くらいにおもえるし、
ものたりなさを憶える人もいるくらいの簡潔さである。

NFBは19dBということだが、これもQUAD IIの大きな特徴なのが、位相補正なしということ。
NFBの抵抗にもコンデンサーは並列に接続されていない。

出力トランスにカソード巻線を設けているのはマッキントッシュと同じで、
時代的には両社ともほほ同時期のようである。

同じカソード巻線といっても、マッキントッシュはバイファイラー巻きで、
QUADは分割巻きという違いはある。
それにマッキントッシュのカソード巻線はバイファイラーからトライファイラーに発展し、
最終的にはMC3500ではペンタファイラーとなっている。

マランツの真空管アンプにはカソード巻線はない。
マランツのModel 8BのNFB量はオーバーオールで20dBとなっている。
QUAD IIとほぼ同じである。

Model 8BとQUADのESLの動作的な相性はどうだったのか。
容量性負荷になりがちな多素子のネットワークのシステムで大変になるということは、
ESLでもそうなる可能性は高い。

マランツとQUADではNFB量は同じでも、
それだけかけるのにマランツは徹底した位相補正を回路の各所で行っている。
QUAD IIは前述したように位相補正はやっていない。

マッキントッシュだと、MC240、MC275は聴く機会は、
ステレオサウンドを辞めた後もけっこうある。
マランツもマッキントッシュよりも少ないけれどある。

QUADの真空管アンプは、めったにない。
もう二十年以上聴いていない。
前回聴いた時には、現代真空管アンプという視点は持っていなかった。
いま聴いたら、どうなのだろうか。

MC275同様、フレキシビリティの高さを感じるような予感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26876


現代真空管アンプ考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

QUAD IIの出力は15Wである。
高能率のスピーカーならば、これでも十分ではあっても、
95dB以下ともなると、15Wは、さすがにしんどくなることも、
新しい録音を鳴らすのであれば出てくるはずだ。

実際には25W以上楽に出る感じの音ではあったそうだが、それでも出力に余裕があるとはいえない。
QUAD IIはKT66のプッシュプルアンプである。
出力管がKT88だったら……、と思った人はいると思う。

私もKT66プッシュプルアンプとしての姿は見事だと思いながらも、
もしいまQUAD IIを使うことになったら、KT88もいいように思えてくる。

実際、QUADはQUAD IIを復刻した際、
EF86、KT66とオリジナルのQUAD IIと同じ真空管構成にしたQUAD II Classicと、
EF86を6SH7、KT66をKT88に変更したQUAD II fortyも出している。

QUAD II Classicはオリジナルと同じ15Wに対し、
QUAD II fortyは型番が示すように40Wにアップしている。

QUADが往年の真空管アンプを復刻したとき、QUADもか、と思った一人であり、
内部の写真をみて、関心をもつことはなくなった。
それにシャーシーのサイズも多少大きくなっていて、
オリジナルのQUAD IIのコンストラクションの魅力ははっきりと薄れている。

ならば基本レイアウトはそのままで、
トランスカバーの形状を含めて細部の詰めをしっかりとしてくれれば、
外観の印象はずっと良くなる可能性はあるのに──、と思う。

QUAD II fortyはオリジナルのQUAD IIと同じ回路なのだろう。
位相補正は、やはりやっていないのか。

現代真空管アンプを考えるうえで、いまごろになってQUAD II fortyが気になってきている。
QUAD II fortyはどういう音を聴かせるのか。

QUADのESLだけでなく、
複雑な構成のネットワークゆえ容量性負荷になりがちなスピーカーシステムでも、
音量に配慮すれば不安定になることなくうまく鳴らしてくれるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26879

現代真空管アンプ考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

QUAD IIの存在に目を向けるようになって気づいたことがある。
ここでは現代真空管アンプとしている。
最新真空管アンプではない。

書き始めのときは、現代と最新について、まったく考えていなかった。
現代真空管アンプというタイトルが浮んだから書き始めたわけで、
QUAD IIのことを思い出すまで、現代と最新の違いについて考えることもしなかった。

最新とは、字が示すとおり、最も新しいものである。
現行製品の中でも、最も新しいアンプは、そこにおける最新アンプとなるし、
最も新しい真空管アンプは、そこにおける最新真空管アンプといえる。

では、この「最も新しい」とは、何を示すのか。
単に発売時期なのか。
それも「最も新しい」とはいえるが、アンプならば最新の技術という意味も含まれる。

半導体アンプならば、最新のトランジスターを採用していれば、
ある意味、最新アンプといえるところもある。
けれど真空管アンプは、もうそういうモノではない。

いくつかの新しい真空管がないわけではないが、
それらの真空管を使ったからといって、最新真空管アンプといえるだろうか。

最新アンプは当然ながら、時期が来れば古くなる。
常に最新アンプなわけではない。
いつしか、当時の最新アンプ、というふうに語られるようになる。

そういった最新アンプは、ここで考える現代アンプとは同じではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=26885

現代真空管アンプ考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

1983年に会社名も変更になり、ブランド名として使われてきたQUADに統一されたが、
QUADが創立された当初はThe Acoustical Manufacturing Company Ltd.だった。

QUADとは、Quality Unit Amplifier Domesticの頭文字をとってつけられた。
DomesticとついていてもQUADのアンプは、BBCで使われていた、と聞いている。

BBCでは、真空管アンプ時代はリーク製、ラドフォード製が使われていた。
QUADもそうなのだろう。
このあたりを細かく調べていないのではっきりとはいえないが、
それでもBBCでQUAD IIが採用されていたということは、
QUAD初のソリッドステートアンプ50Eの寸法から伺える。

QUAD IIの外形寸法はW32.1×H16.2×D11.9cmで、
50EはW12.0×H15.9×D32.4cmとほぼ同じである。

それまでQUAD IIが設置されていた場所に50Eはそのまま置けるサイズに仕上げられている。
50Eは、BBCからの要請で開発されたものである。

しかも50Eの回路はトランジスターアンプというより、
真空管アンプ的といえ、真空管をそのままトランジスターに置き換えたもので、
当然出力トランスを搭載している。

50Eの登場した1965年、JBLには、SG520、SE400S、SA600があった。
トランジスターアンプの回路設計が新しい時代を迎えた同時期に、QUADは50Eである。

こう書いてしまうと、なんとも古くさいアンプだと50Eを捉えがちになるが、
決してそうではないことは二年後の303との比較、
それからトラジスターアンプでも、
トランス(正確にはオートフォーマー)を搭載したマッキントッシュとの比較からもいえる。
これについて別項でいずれ書いていくかもしれない。

とにかくQUAD IIと置き換えるためのアンプといえる50Eは1965年に登場したわけだが、
QUAD IIは1970年まで製造が続けられている。
QUAD IIはモノーラル時代のアンプで、1953年生れである。
http://audiosharing.com/blog/?p=26887

2. 2021年4月13日 20:19:48 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[53] 報告
▲△▽▼

現代真空管アンプ考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=26895

オーディオ機器にもロングラン、ロングセラーモデルと呼ばれるものはある。
数多くあるとはいえないが、あまりないわけでもない。
スピーカーやカートリッジには、多かった。

けれどアンプは極端に少なかった。
ラックスのSQ38にしても、初代モデルからの変遷をたどっていくと、
何を基準にしてロングラン、ロングセラーモデルというのか考えてしまう。

そんななかにあって、QUAD IIはまさにそういえるアンプである。
1953年から1970年まで、改良モデルが出たわけでなく、
おそらく変更などなく製造が続けられていた。

ペアとなるステレオ仕様のコントロールアンプ22の登場は1959年で、
1967年に、33と入れ代るように製造中止になっている。

22とQUAD IIのペアは、ステレオサウンド 3号(1967年夏)の特集に登場している。
     *
 素直ではったりのない、ごく正統的な音質であった。
 わたくしが家でタンノイを鳴らすとき、殆んどアンプにはQUADを選んでいる。つまりタンノイと結びついた形で、QUADの音質が頭にあった。切換比較で他のオーソドックスな音質のアンプと同じ音で鳴った時、実は少々びっくりした。びっくりしたのは、しかしわたくしの日常のそういう体験にほかならないだろう。
 タンノイは、自社のスピーカーを駆動するアンプにQUADを推賞しているそうだ。しかしこのアンプに固有の音色というものが特に無いとすれば、その理由は負荷インピーダンスの変動に強いという点かもしれない。これはおおかたのアンプの持っていない特徴である。
 10数年前にすでにこのアンプがあったというのは驚異的なことだろう。
     *
瀬川先生が、こう書かれている。
ここで「選んでいる」とあるのは、QUAD IIのことのはず。

ただし52号の特集の巻頭「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」では、
こうも書かれている。
     *
 マランツ7にはこうして多くの人々がびっくりしたが、パワーアンプのQUAD/II型の音のほうは、実のところ別におどろくような違いではなかった。この水準の音質なら、腕の立つアマチュアの自作のアンプが、けっこう鳴らしていた。そんないきさつから、わたくしはますます、プリアンプの重要性に興味を傾ける結果になった。
     *
実を言うと、これを読んでいたから、QUAD IIにさほど興味をもてなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=26895

現代真空管アンプ考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=26898


ステレオサウンド 3号のQUADのページの下段には、解説がある。
この解説は誰による文章なのかはわからないが、8号の特集からわかるのは、
瀬川先生が書かれていた、ということ。

QUAD IIについては、こう書かれている。
     *
 公称出力15Wというのは少ないように思われるが、これは歪率0.1%のときの出力で、カタログ特性で、OVERLOAD≠ニある部分をみると、ふつうのアンプなら25Wぐらいに表示するところを、あえて控えめに公称しているあたり、イギリス人の面目躍如としている。コムパクトなシャーシ・コンストラクションと、手工芸的な配線テクニックは、実に信頼感を抱かせる。
 イギリスでは公的な研究機関や音響メーカーで標準アンプとして数多く採用されていることは有名で、技術誌のテストリポートやスピーカーの試聴記などに、よく「QUAD22のトーン目盛のBASSを+1、TREBLEを−1にして聴くと云々」といった表現が使われる。
     *
岡先生もステレオサウンド 50号で、
《長年に亘ってBBCをはじめ、イギリスの標準アンプとして使われていただけのことはある傑作といえる。》
と書かれている。

その意味でQUAD IIは、業務(プロフェッショナル)用アンプといえる。
けれどQUAD IIはプロフェッショナル用を意図して設計されたアンプではないはず。

結果として、そう使われるようになったと考える。

同じ意味ではマッキントッシュのMC275もそうといえよう。
マッキントッシュにはA116というプロフェッショナル用として開発され使われたアンプもあるが、
MC275はコンシューマー用としてのアンプである。

それがCBSコロムビアのカッティングルームでのモニター用アンプとして、
それから1970年代初頭、コンサートでのアンプには、
トランジスターの、もっと出力の大きなアンプではなくMC275がよく使われていた、とも聞いている。

MC275もQUAD IIと、だから同じといえ、
それがマランツの真空管アンプとは、わずかとはいえはっきり違う点でもある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26898

現代真空管アンプ考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=26935


多素子のネットワーク構成ゆえに容量性負荷となり、
しかもインピーダンスも8Ωよりも低くかったりするし、
さらには能率も低い。

おまけにそういうスピーカーに接続されるスピーカーケーブルも、
真空管アンプ全盛時代のスピーカーケーブル、
いわゆる平行二芯タイプで、太くもないケーブルとは違っていて、
そうとうに太く、構造も複雑になっていて、
さらにはケーブルの途中にケースで覆われた箇所があり、
そこには何かが入っていたりして、
ケーブルだけ見ても、アンプにとって負荷としてしんどいこともあり得るのではないか。

QUAD II以外のアンプのほとんどは位相補正を行っている。
無帰還アンプならばそうでもないが、NFBをかけているアンプで位相補正なしというのは非常に珍しい。

大半のアンプが位相補正を行っているわけだが、
どの程度まで位相補正をやっているのか、というと、
メーカー、設計者によって、かなり違ってきている。

マランツの真空管アンプは、特にModel 9、Model 8Bは、
徹底した、ともいえるし、凝りに凝った、ともいえる位相補正である。

積分型、微分型、両方の位相補正を組合せて、計五箇所行われている。
それ以前のマランツのパワーアンプ、Model 2、5、8でも位相補正はあるけれど、
そこまで徹底していたわけではない。

私がオーディオに興味をもったころ、Model 8に関しては8Bだけが知られていた。
Model 8というモデルがあったのは知っていたものの、
そのころは8Bはマイナーチェンジぐらいにしかいわれてなかった。

ステレオサウンド 37号でも、
回路はまったく同じで電源を少し変えた結果パワーが増えた──、
そういう認識であった。
1975年当時では、そういう認識でも仕方なかった。

Model 8とModel 8Bの違いがはっきりしたのは、
私が知る範囲では、管球王国 vol.12(1999年春)が最初だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26935

現代真空管アンプ考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=26937


Model 8とModel 8Bの違いについて細かなことは省く。
詳しく知りたい方は、管球王国 vol.12の当該記事が再掲載されているムック、
「往年の真空管アンプ大研究」を購入して読んでほしい。

以前の管球王国は、こういう記事が載っていた。
そのころは私も管球王国には期待するものがあった。
けれど……、である。

わずかのあいだにずいぶん変ってしまった……、と歎息する。

Model 8はよくいわれているようにModel 5を二台あわせてステレオにしたモデルとみていい。
Model 8は1959年に発売になっている。
Model 8Bは1961年発売で、前年にはModel 9が発売されている。

Model 8と8Bの回路図を比較すると、もちろん基本回路は同じである。
けれど細かな部品がいくつか追加されていて、
出力トランスのNF巻線が8Bでは二組に増えている。

そういった変更箇所をみていくと、Model 8Bへの改良には、
記事中にもあるようにModel 9の開発で培われた技術、ノウハウが投入されているのは明らかだ。

石井伸一郎氏は、Model 8Bはマランツの管球式パワーアンプの集大成、といわれている。
井上先生も、Model 8Bはマランツのパワーアンプの一つの頂点ではないか、といわれている。
上杉先生は、マランツのパワーアンプの中で、Model 8Bがいちばん好きといわれている。

マランツの真空管パワーアンプの設計はシドニー・スミスである。
シドニー・スミスは、Model 5がいちばん好きだ、といっている(らしい)。

ここがまた現代真空管アンプとは? について書いている者にとっては興味深い。
http://audiosharing.com/blog/?p=26937

3. 中川隆[-5759] koaQ7Jey 2021年4月13日 20:26:57 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[54] 報告
▲△▽▼
現代真空管アンプ考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=26949

上杉先生は管球王国 vol.12で、
マランツのModel 8Bの位相補正について、次のように語られている。
     *
上杉 この位相補正のかけ方は、実際に波形を見ながら検証しましたが、かなり見事なもので、補正を一つずつ加えていくと、ほとんど原派生どおりになるんですね。そのときの製作記事では、アウトプットトランスにラックス製を使ったため、♯8Bとは異なるのですが、それでも的確に効果が出てきました。
     *
上杉先生が検証されたとおりなのだろう。
位相補正をうまくかけることで、NFBを安定してかけられる。
つまりNFBをかけたアンプの完成度を高めているわけである。

真空管のパワーアンプの場合、出力トランスがある。
その出力トランスの二次側の巻線から、ほとんどのアンプではNFBがかけられる。
つまりNFBのループ内に出力トランスがあるわけだ。

出力トランスが理想トランスであれば、
位相補正に頼る必要はなくなる。
けれど理想トランスなどというモノは、この世には存在しない。
これから先も存在しない、といっていいい。

トランスというデバイスはひじょうにユニークでおもしろい。
けれど、NFBアンプで使うということは、それゆえの難しさも生じてくる。

Model 8と8Bは、トランスの二次側の巻線からではなく、NFB用巻線を設けている。
しかも(その12)でも書いているように、8BではNFB用巻線がさらに一つ増えている。

上杉先生が検証されたラックスのトランスには、NFB用巻線はなかったのではないか。
二次側の巻線からNFBをかけての検証だった、と思われる。

それでも的確に効果が出てきた、というのは、そうとうに有効な位相補正といえよう。
なのに、なぜ、複雑な構成のネットワークをもつスピーカーが負荷となると、
マランツのModel 8B、Model 9は大変なことになるのか。

凝りに凝った位相補正がかけられていて、
NFBアンプとしての完成度も高いはずなのに……、だ。
http://audiosharing.com/blog/?p=26949

現代真空管アンプ考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=26951


結局のところ、抵抗負荷での測定であり、
入力信号も音楽信号を使うわけではない。

上杉先生の検証も抵抗負荷での状態のはずだし、
マランツがModel 8Bの開発においても抵抗負荷での実験が行われたはず。

ほぼ原波形どおりの出力波形が得られた、ということにしても、
音楽信号を入力しての比較ではなく、
正弦波、矩形波を使っての測定である。

アンプが使われる状況はそうてはない。
負荷は常に変動するスピーカーであり、
入力される信号も、つねに変動する音楽信号である。

ここでやっと(その4)のヒーターの点火方法のことに戻れる。
おそらくヒーターも微妙な変動を起しているのではないか、と考えられる。
安定しているのであれば、定電圧点火であろうと定電流点火であろうと、
どちらも設計がしっかりした回路であれば、音の変化は出ないはずである。

ヒーターに流れる電流は、ヒーターにかかっている電圧を、
ヒーターの抵抗値で割った値である。

ヒーターは冷えている状態と十分に暖まった状態では抵抗値は違う。
当然だが、冷えている状態のほうが低い。

十分に暖まった状態で、ヒーターの温度が安定していれば抵抗値も変動しないはず。
抵抗値が安定していれば、かかる電圧も安定化されているわけで、
オームの法則からヒーターに流れる電流も安定になる。
定電圧点火でも定電流点火でも、音に違いが出るはずがない。

けれど実際は、大きな音の違いがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=26951

現代真空管アンプ考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=26999


いまでこそアンプに面実装タイプの部品があたりまえのように使われるようになっている。
小さい抵抗やコンデンサーには、そのサイズ故のメリットがあるのはわかっていても、
それ以前のアンプでのパ抵抗やコンデンサーの大きさを知っている者からすれば、
デメリットについても考える。

もちろんメリットとデメリットは、どちらか片方だけでなく、
サイズの大きな部品にもメリットとデメリットがあるわけだが、
昔から、抵抗は同じ品種であっても、ワット数の大きいほうが音はいい、といわれてきた。

1/4Wのの抵抗よりも1/2W、さらには1W、2W、5W……、というふうに音はよくなる、といわれていた。
富田嘉和氏はさらに大きな10W、20Wの抵抗を、アンプの入力抵抗に使うという実験をされていたはずだ。

ワット数が大きいほうが、なぜいいのか。
その理由ははっきりとしないが、ひとつには温度係数が挙げられていた。
音楽信号はつねに変動している。

1/4Wの抵抗で動作上問題がなくても、
大きな信号が加わった時、抵抗の内部はほんのわずかとはいえ温度が上昇する。
温度係数の、あまりよくない抵抗だと、その温度上昇によって抵抗値にわずかな変動が生じる。
それが音に悪影響を与えている可能性が考えられる──、
そういったことがいわれていた。

確かに抵抗であれば、ワット数が大きくなれば温度係数はよくなる。
この仮説が事実だとしたら、真空管のヒーターもそうなのかもしれない、と考えられる。

温度のわずかな変化、それによるヒーターの抵抗値のわずかな変動。
そこに定電圧電源から一定の電圧がかかっていれば、
ヒーターへの電流はわずかとはいえ変動することになる。

電流の変動はエミッションの不安定化へとつながる。
ならば安定化しなければならないのは電圧ではなく、電流なのかもしれない。

定電流点火によってヒーターのなんらかの変動が生じても、電流は一定である。
そのためヒーターにかかる電圧はわずかに変動する。

それでも重要なのはエミッションの安定であることがわかっていれば、
どちらなのかははっきりとしてくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=26999


現代真空管アンプ考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=27001


ヒーターはカソードを熱している。
カソードとヒーター間に十分な距離があれば問題は生じないのだろうが、
距離を離していてはカソードを十分に熱することはできない。

カソードとヒーターとは近い。
ということはそこに浮遊容量が無視できない問題として存在することになる。
ということは真空管アンプの回路図を厳密に描くのであれば、
カソードとヒーターを、極小容量のコンデンサーで結合することになる。

それでも真空管が一本(ヒーターが一つ)だけであれば、大きな問題とはならないかもしれないが、
実際には複数の真空管が使われているのだから、浮遊容量による結合は、
より複雑な問題となっているはず。

仮に定電圧点火であっても定電流点火であっても、
エミッションが完全に安定化していたとしても、この問題は無視できない。

そこに定電圧電源をもてくるか、定電流電源をもってくるかは、
それぞれの干渉という点からみれば、
低インピーダンスの定電圧電源による点火か、
高インピーダンスの定電流電源による点火か、
どちらが複数の真空管の相互干渉を抑えられるかといえば後者のはずだ。

念のためいっておくが、三端子レギュレーターの配線を変更して定電流点火は認めない。

私は真空管のヒーターは、きちんとした回路による定電流点火しかないと考える。
けれど、ここで交流点火について考える必要もある。

交流点火はエミッションの安定化、つまりヒーター温度の安定化という点では、
どう考えても直流点火よりも不利である。

けれど交流点火でなければならない、と主張する人は昔からいる。
ここでの交流点火は、ほとんどの場合、出力管は直熱三極管である。
http://audiosharing.com/blog/?p=27001
4. 中川隆[-5758] koaQ7Jey 2021年4月13日 20:30:27 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[55] 報告
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現代真空管アンプ考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=27010

直熱三極管の交流点火ではハムバランサーが必ずつくといっていい。
この場合、電源トランスのヒーター用巻線の両端のどちらかが接地されることは、まずない。

傍熱管の場合でもハムバランサーがついているアンプもある。
マッキントッシュの場合は、モノーラル時代のモノ(つまりMC60までは)ハムバランサーがあり、
ステレオ時代になってからはヒーター用巻線の片側が接地されている。
MC3500ではハムバランサーが復活している。

同時代のマランツのパワーアンプは、というと、ヒーター用巻線にセンタータップがあり、
これが接地されている。ハムバランサーはない。

ハムバランサーがない場合でも、マッキントッシュとマランツとでは接地が違う。
正直いうと、この接地の仕方の違いによる音の変化を、同一アンプで比較試聴したことはない。

マランツの真空管アンプも聴いているし、マッキントッシュの真空管アンプも聴いているが、
これらのアンプの音の違いは交流点火における接地の仕方だけの違いではないことはいうまでもない。

なので憶断にすぎないのはわかっているが、交流点火の場合、
ヒーター用巻線にセンタータップがあり、ここを接地したほうが音はいいのではないのか。

交流点火が音がいい、という人がいる。
けれど理屈からは直流点火のほうがエミッションは安定化するように思える。
それでも──、である。

ということは交流点火で考えられるのは電流の向きが反転することであり、
この反転がヒーターの温度の安定化にどう作用しているのか。

交流点火になんらかの音質的なメリットがあるとしよう。
ならば交流点火でも、定電圧点火と定電流点火とが考えられる。
通常の交流点火ではヒーター用巻線からダイレクトに真空管のヒーターに配線するが、
あえてアンプを介在させる。小出力のアンプの出力をヒーターへと接続する。

そうすることで出力インピータンスを低くすることができ、
この場合は定電圧点火となるし、このアンプを電流出力とすれば、
交流の定電流点火とすることができる。
しかもアンプをアンバランスとするのか、バランスとするのかでも音は変ってこよう。
http://audiosharing.com/blog/?p=27010


現代真空管アンプ考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=27012


ここまでやるのならば、ヒーター点火の周波数を50Hz、60Hzにこだわることもない。
もう少し高い周波数による交流点火も考えられる。
十倍の500Hz、600Hzあたりにするだけでも、そうとうに音は変ってくるはずだ。

そのうえで定電流でのバランス点火とする手もある。

つまりヒーター用電源を安定化するということは、
真空管のエミッションを安定化するということであり、
ヒーターにかかる電圧を安定化するということではない。

エミッションの安定化ということでは、重要なパラメーターは電圧ではなく電流なのだろう。
そうなると定電流点火を考えていくべきではないのか。

300Bだろうが、EL34、KT88だろうが、真空管全盛時代のモノがいい、といわれている。
確かに300Bをいくつか比較試聴したことがあって、刻印タイプの300の音に驚いた。

そういう球を大金を払って購入するのを否定はしないが、
そういう球に依存したアンプは、少なくとも現代真空管アンプとはいえない。

現代真空管アンプとは、現在製造されている真空管を使っても、
真空管全盛時代製造の真空管に近い音を出せる、ということがひとつある。
そのために必要なのは、エミッションの安定化であり、
それは出力管まで定電流点火をすることで、ある程度の解決は見込める。

もちろん、どんなに優れた点火方法であり、100%というわけではないし、
仮にそういう点火方法が実現できたとしても、
真空管を交換した場合の音の違いが完全になくなるわけではない。

それでも真空管のクォリティ(エミッションの安定)に、
あまり依存しないことは、これからの真空管アンプには不可欠なことと考える。
http://audiosharing.com/blog/?p=27012

現代真空管アンプ考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=27014


定電流点火のやっかいなのは、作るのが面倒だという点だ。
回路図を描くのは、いまでは特に難しくはない。

けれど作るとなると、熱の問題をどうするのかを、まず考えなくてはならない。
それに市販の真空管アンプ用の電源トランスではなく、
ヒーター用に別個の電源トランスが必要となってくる。

もっとも真空管アンプの場合、高電圧・低電流と低電圧・高電流とを同居しているわけで、
それは電源トランスでも同じで、できることならトランスから分けたいところであるから、
ヒーター用電源トランスを用意することに、特に抵抗はないが、
定電流回路の熱の問題はやっかいなままだ。

きちんとした定電流点火ではなく、
単純にヒーター回路に抵抗を直列に挿入したら──、ということも考えたことがある。

たとえば6.3Vで1Aのヒーターだとすれば、ヒーターの抵抗は6.3Ωである。
この6.3Ωよりも十分に高いインピーダンスで点火すれはいいのだから、
もっとも安直な方法としては抵抗を直列にいれるという手がある。

昔、スピーカーとアンプとのあいだに、やはり直列に抵抗を挿入して、
ダンピングをコントロールするという手法があったが、これをもっと積極的にするわけで、
たとえば6.3Ωの十倍として63Ωの抵抗、さらには二十倍の126Ωの抵抗、
できれば最低でも百倍の630Ωくらいは挿入したいわけだが、
そうなると、抵抗による電圧低下(630Ωだと630Vになる)があり、
あまり高い抵抗を使うことは、発熱の問題を含めて現実的ではない。

結局、定電流点火のための回路を作ったほうが実現しやすい。
定電流の直流点火か交流点火なのか、どちらが音がいいのかはなんともいえない。

ただいえるのは定電流点火をするのであれば、ヒーター用トランスを用意することになる。
それはトランスの数が増えることであり、トランスが増えることによるデメリット、
トランス同士の干渉について考えていく必要が出てくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=27014


現代真空管アンプ考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=27016


真空管パワーアンプは、どうしても重量的にアンバランスになりがちだ。
出力トランスがあるから、ともいえるのだが、
出力トランスをもたないOTLアンプでも、
カウンターポイントのSA4やフッターマンの復刻アンプでは、重量的アンバランスは大きかった。

電源トランスが一つとはいえ、真空管のOTLアンプではもう一つ重量物であるヒートシンクがないからだ。
SA4を持ち上げてみれば、すぐに感じられることだが、フロントパネル側がやたら重くて、
リアパネル側は軽すぎる、といいたくなるほどアンバランスな重量配分である。

重量的アンバランスが音に影響しなければ問題することはないが、
実際は想像以上に影響を与えている。

出力トランスをもつ真空管アンプでは、重量物であるトランスをどう配置するかで、
アンプ全体の重量配分はほぼ決る。

ステレオアンプの場合、出力トランスが二つ、電源トランスが一つは、最低限必要となる。
場合によってはチョークコイルが加わる。

マッキントッシュのMC275やMC240は、重量配分でみれば、そうとうにアンバランスである。
マランツのModel 8B、9もそうである。
ユニークなのはModel 2で、電源トランス、出力トランスをおさめた金属シャーシーに、
ゴム脚が四つついている。
この、いわゆるメインシャーシーに突き出す形で真空管ブロックのサブシャーシーがくっついている。

サブシャーシーの底にはゴム脚はない。いわゆる片持ちであり、
強度的には問題もあるといえる構造だが、重量的アンバランスはある程度抑えられている、ともいえる。

Model 5は奥に長いシャーシーに、トランス類と真空管などを取り付けてある。
メインシャーシー、サブシャーシーというわけではない。
このままではアンバランスを生じるわけだが、
Model 5ではゴム脚の取付位置に注目したい。

重量物が寄っている後方の二隅と、手前から1/3ほどの位置に前側のゴム脚がある。
四つのゴム脚にできるだけ均等に重量がかかるような配慮からなのだろう。

でもシャーシー手前側は片持ち的になってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=27016

5. 中川隆[-5757] koaQ7Jey 2021年4月13日 20:37:44 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[56] 報告
▲△▽▼
現代真空管アンプ考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=27019

これまで市販された真空管パワーアンプを、
トランスの配置(重量配分)からみていくのもおもしろい。

ウエスギ・アンプのU·BROS3は、シャーシーのほぼ中央(やや後方にオフセットしているが)に、
出力トランス、電源トランス、出力トランスという順で配置している。
重量物三つをほぼ中央に置くことで、重量バランスはなかなかいい。

同じKT88のプッシュプルアンプのマイケルソン&オースチンのTVA1は、
シャーシーの両端にトランスを振り分けている。
片側に出力トランスを二つを、反対側に電源トランスとなっている。

電源トランスは一つだから、出力トランス側のほうに重量バランスは傾いているものの、
極端なアンバランスというほどではない。

ラックスのMQ60などは、後方の両端に出力トランスをふりわけ、前方中央に電源トランス。
完璧な重量バランスとはいえないものの、けっこう重量配分は配慮されている。

(その20)で、マッキントッシュのMC275、MC240はアンバランスだと書いたが、
MC3500はモノーラルで、しかも電源トランスが二つあるため、
内部を上から見ると、リアパネル左端に出力トランス、フロントパネル右端に電源トランスと、
対角線上に重量物の配置で、MC275、MC240ほどにはアンバランスではない。

現行製品のMC2301は、マッキントッシュのパワーアンプ中もっとも重量バランスが優れている。
シャーシー中央にトランスを置き、その両側に出力管(KT88)を四本ずつ(計八本)を配置。

出力は300W。MC3500の350Wよりも少ないものの、MC3500の現代版といえる内容であり、
コンストラクションははっきりと現代的である。
2008年のインターナショナルオーディオショウで初めてみかけた。
それから十年、ふしぎと話題にならないアンプである。
音を聴く機会もいまのところない。

インターナショナルオーディオショウでも、音が鳴っているところに出会していない。
いい音が鳴ってくれると思っているのに……。
http://audiosharing.com/blog/?p=27019


現代真空管アンプ考(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=27023


ここまで書いてきて、また横路に逸れそうなことを思っている。
現代真空管アンプとは、いわゆるリファレンス真空管アンプなのかもしれない、と。

ステレオサウンド 49号の特集は第一回STATE OF THE ART賞だった。
Lo-DのHS10000について、井上先生が書かれている。
     *
 スピーカーシステムには、スタジオモニターとかコンシュマーユースといったコンセプトに基づいた分類はあが、Lo-DのHS10000に見られるリファレンススピーカーシステムという広壮は、それ自体が極めてユニークなものであり、物理的な周波数特性、指向周波数特性、歪率などで、現在の水準をはるかに抜いた高次元の結果が得られない限り、その実現は至難というほかないだろう。
     *
こういう意味での、リファレンス真空管アンプを考えているのだろうか、と気づいた。
製品化することを前提とするものではなく開発されたオーディオ機器には、
トーレンスのReferenceがある。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生がそのへんのことを書かれている。
     *
「リファレンス」という名のとおり、最初これはトーレンス社が、社内での研究用として作りあげた。
アームの取付けかたなどに、製品として少々未消化な形をとっているのも、そのことの裏づけといえる。
 製品化を考慮していないから、費用も大きさも扱いやすさなども殆ど無視して、ただ、ベルトドライヴ・ターンテーブルの性能の限界を極めるため、そして、世界じゅうのアームを交換して研究するために、つまりただひたすら研究用、実験用としてのみ、を目的として作りあげた。
 でき上った時期が、たまたま、西独デュッセルドルフで毎年開催されるオーディオ・フェアの時期に重なっていた。おもしろいからひとつ、デモンストレーション用に展示してみようじゃないか、と誰からともなく言い出して出品した。むろん、この時点では売るつもりは全くなかった??、ざっと原価計算してみても、とうてい売れるような価格に収まるとも思えない。まあ冗談半分、ぐらい気持で展示してみたらしい。
 ところが、フェアの幕が開いたとたんに、猛反響がきた。世界各国のディーラーや、デュッセルドルフ・フェアを見にきた愛好家たちのあいだから、問合せや引合いが殺到したのだそうだ。あまりの反響の大きさに、これはもしかしたら、本気で製品化しても、ほどほどの採算ベースに乗るのではないだろうか、ということになったらしい。いわば瓢箪から駒のような形で、製品化することになってしまった……。レミ・トーレンス氏の説明は、ざっとこんなところであった。
     *
トーレンスのReferenceには、未消化なところがある。
扱いやすいプレーヤーでもない。
あくまでもトーレンスが自社の研究用として開発したプレーヤーをそのまま市販したのだから、
そのへんは仕方ない。

その後、いろいろいてメーカーからReferenceとつくオーディオ機器がいくつも登場した。
けれど、それらのほとんどは最初から市販目的の製品であって、
肝心のところが、トーレンスのReferenceとは大きく違う。

Lo-DのHS10000も、市販ということをどれだけ考えていたのだろうか。
W90.0×H180.0×D50.0cmという、かなり大きさのエンクロージュアにもかかわらず、
2π空間での使用を前提としている。

つまりさらに大きな平面バッフルに埋めこんで使用することで、本来の性能が保証される。
価格は1978年で、一本180万円だった。
しかもユニット構成は基本的には4ウェイ5スピーカーなのだが、
スーパートゥイーターをつけた5ウェイへの仕様変更も可能だった。

HS10000も、せひ聴きたかったスピーカーのひとつであったが、
こういう性格のスピーカーゆえに、販売店でもみかけたことがない。
いったいどれだけの数売れたのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=27023

現代真空管アンプ考(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=27053


トランスのことに話を戻そう。

重量物であるトランスをうまく配置して、重量バランスがとれたからといって、
トランスが複数個あることによる問題のすべてが解消するわけではない。

トランスは、まず振動している。
ケースにおさめられ、ケースとトランスの隙間をピッチなどが充填されていても、
トランスの振動を完全に抑えられるわけではない。

トランスはそれ自体が振動発生源である。
しかも真空管パワーアンプでは複数個ある。
それぞれのトランスが,それぞれの振動を発生している。

チョークコイルも、特にチョークインプット方式での使用ではさらに振動は大きく増す。
しかも真空管アンプなのだから、能動素子は振動の影響を受けやすい真空管である。

一般的な真空管アンプのように、一枚の金属板に出力トランス、電源トランス、チョークコイル、
そして真空管を取り付けていては、振動に関してはなんら対策が施されていないのと同じである。

トランスと金属板との間に緩衝材を挿むとか、
その他、真空管ソケットの取付方法に細かな配慮をしたところで、
根本的に振動の問題を解消できるわけではない。

もちろん、振動に関して完璧な対策があるわけではないことはわかっている。
それでも真空管アンプの場合、
トランスという振動発生源が大きいし多いから、
難しさはトランジスターアンプ以上ということになる。

30年ほど前、オルトフォンの昇圧トランスSTA6600に手を加えたことがある。
手を加えた、というより、STA6600に使われているトランスを取り出して、
別途ケースを用意して、つくりかえた。

その時感じたのは、トランスの周囲にはできるだけ金属を近づけたくない、だった。
STA6600のトランスはシールドケースに収められていた。
すでにトランスのすぐそばに金属があるわけだが、
それでも金属板に取り付けるのは、厚めのベークライトの板に取り付けるのとでは、
はっきりと音は違う。

金属(アルミ)とベークライトの固有音の違いがあるのもわかっているが、
それでも導体、非導体の違いは少なからずあるのではないのか。

そう感じたから、トランスの周りからは配線以外の金属は極力排除した。
ベークライトの板を固定する支柱もそうだし、ネジも金属製は使用しなかった。
http://audiosharing.com/blog/?p=27053


現代真空管アンプ考(番外)
http://audiosharing.com/blog/?p=27060


現代真空管アンプ考というタイトルをつけている。
「現代スピーカー考」という別項もある。

現代、現代的、現代風などという。
わかっているようでいて、いざ書き始めると、何をもって現代というのか、
遠くから眺めていると、現代とつくものとつかないものとの境界線が見えているのに、
もっとはっきり見ようとして近づいていくと、いかにその境界線が曖昧なのかを知ることになる。

1989年、ティム・バートン監督による「バットマン」が公開された。
バットマンは、アメリカのテレビドラマを小さかったころ見ていた。

バットマンというヒーローの造形が、こんなに恰好良くなるのか、とまず感じた。
バットモービルに関しても、そうだった。

「バットマン」はヒットした。
そのためなのかどうかはわからないが、
過去のヒーローが、映画で甦っている。

スーパーマン、スパイダーマン、アイアンマン、ハルク、ワンダーウーマンなどである。
スパイダーマンは日本で実写化されたテレビ版を見ている。
ハルクとワンダーウーマンのテレビ版は見ている。

スーパーマンの映画は、
1978年公開、クリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」から観てきている。

これらヒーローの造形は、現代的と感じる。
特にワンダーウーマンの恰好良いこと。

ワンダーウーマンの設定からして、現代的と感じさせるのは大変だったはずだ。
けれど、古い時代の恰好でありながらも、見事に成功している。

日本のヒーローはどうかというと、
仮面ライダー、キカイダー、ガッチャマン、破裏拳ポリマーなどの映画での造形は、
アメリカのヒーローとの根本的な違いがあるように感じる。

較べるのが無理というもの、
予算が違いすぎるだろう、
そんなことを理由としていわれそうだが、
ヒーローものの実写映画において、肝心のヒーローの造形が恰好良くなくて、
何がヒーローものなのか、といいたくなる。

日本の、最近制作されたヒーローものの実写映画での造形は、
どこか根本的なところから間違っているように思う。

「現代」という言葉の解釈が、アメリカと日本の映画制作の現場では大きく違っているのか。
日米ヒーローの造形の、現代におけるありかたは、
「現代」ということがどういうことなのかを考えるきっかけを与えてくれている。
http://audiosharing.com/blog/?p=27060

現代真空管アンプ考(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=27321


オルトフォンのSTA6600のトランスを流用して自作したモノは、
うまくいった。
トランスの取り付け方だけが工夫を凝らしたところではなく、
他にもいろいろやっているのだが、その音は、
誰もが中身はSTA6600のトランスとは見抜けないほど、音は違っている。

もっといえば立派な音になっている。
自画自賛と受けとられようが、
この自作トランスの音を聴いた人は、その場で、売ってほしい、といってくれた。

その人のところには、ずっと高価な昇圧トランスがあった。
当時で、20万円を超えていたモノで、世評も高かった。

だから、その人も、その高価なトランスを買ったわけだが、
私の自作トランスの方がいい、とその人は言ってくれた。

そうだろうと思う。
トランス自体の性能は、高価なトランスの方が上であろう。
ただ、その製品としてのトランスは、トランス自体の扱いがわかっていないように見えた。

この製品だけがそうなのではなく、ほとんど大半の昇圧トランスが、そうである。
インターネットには、高価で貴重なトランスをシャーシーに取り付けて──、というのがある。

それらを見ると、なぜこんな配線にしてしまうのか。
その配線が間違っているわけではない。
ほとんどのトランスでやられている配線である。

それを疑いもせずにそのまま採用している。
私にいわせれば、そんな配線をやっているから、
トランス嫌いの人がよくいうところの、トランス臭い音がしてしまう。

取り付けにしても配線にしても、ほんのちょっとだけ疑問をもって、
一工夫することを積み重ねていけば、トランスの音は電子回路では味わえぬ何かを聴かせてくれる。

MC型カートリッジの昇圧トランスと、真空管パワーアンプの出力トランスとでは、
扱う信号のレベルが違うし、信号だけでなく、真空管へ供給する電圧もかかる。

そういう違いはあるけれど、どちらもトランスであることには変りはない。
ということは、トランスの扱い方は、自ずと決ってくるところが共通項として存在する。
http://audiosharing.com/blog/?p=27321

6. 中川隆[-5756] koaQ7Jey 2021年4月13日 21:02:00 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[57] 報告
▲△▽▼
現代真空管アンプ考(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=27342

無線と実験、ラジオ技術には、毎号、真空管アンプの製作記事が載っている。
この二誌以外のオーディオ雑誌にも、真空管アンプの製作記事が載ることがある。

トランスにはシールドケースに収納されているタイプと、
コアが露出しているタイプとがある。

シールドケースに入っているタイプだとわかりにくいが、
コアが露出しているタイプを使っているアンプ、
それもステレオ仕様のアンプだと、出力トランスの取り付け方向を見てほしい。

きちんとわかって配置しているアンプ(記事)もあれば、
無頓着なアンプも意外と多い。

EIコアのトランスだと、漏洩磁束の量がコアの垂直方向、水平方向、
それに巻線側とでは、それぞれに違う。

そのことを忘れてしまっている製作例がある。

複数のトランスが、一つのシャーシー上にあれば、必ず干渉している。
その干渉をなくすには、トランス同士の距離を十二分にとるのがいちばん確実な方法だ。

けれどこんなやり方をすれば、アンプ自体のサイズがそうとうに大きくなるし、
それに見た目も間延してしまう。

それにトランス同士の距離が離れれば、内部配線も当然長くなる。
どんなワイヤーであってもインダクタンスをもつ。
そうであれば高域でのインピーダンスは必然的に上昇することになる。

配線の距離が長くなるほど、インピーダンスの上昇も大きくなるし、
長くなることのデメリットは、外部からの影響も受けやすくなる。

NFBを、出力トランスの二次側からかけている回路であれば、
NFBループ内のサイズ(面積)が広くなり、このことにも十分な配慮が必要となる。

配線の長さ、仕方によるサイズの変化については、以前書いているので、ここでは触れない。
http://audiosharing.com/blog/?p=27342

現代真空管アンプ考(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=27557


トランスの取り付け方、取り付け位置は注目したいポイントである。

カタログやウェブサイトなどでの製品の説明で、
良質で大容量の電源トランスを使用していることを謳っているものはけっこうある。

オーディオ雑誌の記事でも、製品の内部写真の説明でも、
電源トランスは……、という記述があったりする。

アンプにしても、CDプレーヤーにしても交流電源を直流にして、
その直流を信号に応じて変調させて出力をさせているわけだから、
電源のクォリティは、音のクォリティに直結しているわけで、
電源トランスは、その要ともいえる。

だからこそ良質で(高価な)トランスを採用するわけだが、
その取り付け方をみると、このメーカーは、ほんとうに細部までこだわっているのだろうか──、
そう思いたくなるメーカーが、けっこう多い。

ケースなしの電源トランス、
特にトロイダルコアの電源トランスをどう固定するか。

どんなに電源トランスのクォリティにこだわりました、と謳っていても、
こんな取り付け方しかしないのか、取り付け方を自分たちで工夫しないのか、考えないのか、
そういいたくなることがある。

安価な製品であれば、それでもかまわない、と思うけれど、
数十万円、百万円をこえる製品なのに、
電源トランスも大きく立派そうにみえるモノであっても、
取り付け方は標準的な方法そのままだ。

ここまで書けば、製品内部をきちんと見ている人ならば、
どういうことをいいたいのかわかってくれよう。

細部まで疎かにせず、とか、細部までこだわりぬいた、とか、
そういう謳い文句が並んでいても、電源トランスの取り付け方が、
そのこだわりがどの程度のものなのかを、はっきりと示している。
http://audiosharing.com/blog/?p=27557

現代真空管アンプ考(最大出力)
http://audiosharing.com/blog/?p=27653


マイケルソン&オースチンのTVA1は、KT88のプッシュプルで出力は70W+70Wだった。
TVA1に続いて登場したEL34プッシュプルのTVA10は、50W+50Wだった。

TVA1の70Wの出力は理解できた。
けれどTVA10の50Wという出力は、EL34のプッシュプルにしては大きい。
EL34のプッシュプルで、AB1級ならば出力は35W程度である。

TVA10に続いて登場したM200は、EL34の4パラレルプッシュプルで200Wの出力。
出力管の本数がTVA10の四倍に増え、出力も四倍になっている。

TVA1は何度か聴いている。
TVA10も一度か二度聴いているけど、M200は聴く機会がなかった。

TVA1とTVA10は、出力管が違うとはいえ、ずいぶん音が違うな、と感じたものだった。
TVA1の音には魅力を感じたが、TVA10には、まったくといっていいほど魅力を感じなかった。

M200までになると、印象は変ってくるかもしれないが、
TVA1とTVA10は、同じ人が設計しているとは思えなかった。

そのことがはっきりしたのは聴いてから数年経ったころで、
TVA10とM200の設計者はティム・デ・パラヴィチーニであることがわかった。

パラヴィチーニはラックスに在籍していたこともある。
コントロールアンプのC1000とパワーアンプのM6000は、彼の設計といわれているし、
管球式モノーラルパワーアンプのMB3045もそうである。

ならば、パラヴィチーニは、ラックス時代に上原晋氏と一緒に仕事をしていた可能性もある。

上原晋氏は、ラジオ技術の1958年8月号で、EL34のプッシュプルアンプを発表されている。
このアンプの出力は60Wと、一般的なEL34のプッシュプルよりもかなり大きい。

だからといって、EL34の定格ぎりぎりまで使っての、やや無理のある設計ではない。
記事の冒頭に、こう書かれている。
     *
このアンプでは、定格いっぱいの用法は敬遠し、できるだけ球に余裕を持たせ、とくにSgの損失を軽くすることによって寿命を延ばすようにしました。結果からいいますとSgの損失を定格の半分くらいに押えましたので、いちおうこの点での不安は解消しましたが、これでも球によってはグリッドのピッチの不揃いからか、2〜3本の線が焼けるものに当る時もありますが、この程度ならたいして実害はないようで、かなり長く使っていてなんともありませんから、まず大丈夫だと思っていいでしょう。
     *
パラヴィチーニは、この上原晋氏のEL34のプッシュプルアンプの動作点を参考にしての、
TVA10とM200の出力の実現なのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=27653
7. 中川隆[-5755] koaQ7Jey 2021年4月13日 21:14:41 : 34i32T20cM : VjNnTnE1eGhXTzY=[58] 報告
▲△▽▼
現代真空管アンプ考(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=30130

真空管アンプではどうしても不可欠になってしまうトランス類、
これらをどう配置して、どう取り付けていくのかについて、
こまかく書いていこうとすると、どこまでも細かくなってしまうほど、
やっかいな問題といえる。

それに真空管アンプを自作される人ならば、
こうやって文章だけで伝えてもイメージされるだろうが、
自作されない方のなかには、なかなかイメージしにくいと思われている方もいるのではないか。

ここまで書きながら、もう少し具体的に、
もう少しイメージしやすいようにしたい、と考えていた。

なので、過去の真空管アンプで、
私が考える現代真空管アンプに近いモデルはあっただろうか、とふり返ってみた。

マランツの管球式アンプ?
マッキントッシュ?

いくつかのブランド名とモデル名が浮びはするが、
どれも違うな、と思う。

結局、QUADのIIが、意外にも、
私が考える現代真空管アンプに近いようにも感じている。

ここで考えている現代真空管アンプとは、
あくまでも自分の手でつくれる範囲において、である。

加工機械を駆使して、金属ブロックからシャーシーを削り出して──、
そういうことまでは、ここでのテーマではない。

もちろん理想の現代真空管アンプとは? ということは考えながらも、
個人でつくれる範囲に、どうもってくるのか。
それもテーマの一つである。

そういう視点で眺めてみると、
QUAD IIというモデルこそが、という想いが確固たるものになってくる。
http://audiosharing.com/blog/?p=30130

現代真空管アンプ考(その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=34357


現代真空管アンプをどうイメージしていくか。
こまかな回路構成について後述するつもりなのだが、NFBをどうするのか。

私は出力管が三極管ならばかけないという手もあると考えるが、
ビーム管、五極管ともなるとNFBをかけることを前提とする。

NFBはほとんどの場合、出力トランスの二次側巻線から初段の真空管へとかけられる。
信号経路とNFB経路とで、ひとつのループができる。
このループのサイズを、いかに小さく(狭く)していくかは、
NFBを安定にかける以上に、
真空管アンプ全盛時代とは比較にならないほどアンプを囲む環境の悪化の点でも、
非常に重要になってくる。

プッシュプルアンプならば、初段、位相反転回路、出力段、出力トランス、
これらをどう配置するかによって、ループの大きさは決ってくる。

信号経路をできるだけストレートにする。
初段、位相反転回路、出力段、出力トランスを直線状に並べる。
こうするとNFBループは長く(大きく)なってしまう。

初段、位相反転回路、出力段、出力トランス、
これらを弧を描くように配置していくのが、ループのサイズを考慮するうえでは不可欠だ。

QUAD IIのこれらのレイアウトを、写真などで確認してほしい。
しかもQUAD IIは、出力トランスと電源トランスを、シャーシーの両端に配置している。

やや細長いシャーシー上にこういう配置にすることで、
重量がどちらかに偏ることがない。

出力トランスと電源トランスの干渉を抑えるうえでも、
この二つの物理的な距離をとるのは望ましい。
http://audiosharing.com/blog/?p=34357

現代真空管アンプ考(その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=34437


私がQUAD IIの詳細を知ったのは、
ステレオサウンド 43号(1977年夏号)掲載の「クラフツマンシップの粋」でだった。

QUADのアンプのことは知っていた。
トランジスターアンプの前に管球式のコントロールアンプの22、
パワーアンプのIIがあることだけは知ってはいたが、
具体的なことを知っていたわけではなかった。

記事は、井上先生、長島先生、山中先生による鼎談。
QUAD IIのところの見出しには「緻密でむだのないコンストラクション」とあった。

内容を読めば、そして写真をみれば、
この見出しは納得できる。

山中先生は
《とにかく、あらゆる意味でこのアンプは、個人的なことになりますけれども、一番しびれたんですよ。》
と発言されていた。

この時から、QUAD II、いいなぁ、と思うようになっていた。

43号から約二年後の52号。
巻頭に瀬川先生の「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」がある。

そこで、こう書かれていた。
     *
迷いながらも選択はどんどんエスカレートして、結局、マランツのモデル7を買うことに決心してしまった。
 などと書くといとも容易に買ってしまったみたいだが、そんなことはない。当時の価格で十六万円弱、といえば、なにしろ大卒の初任給が三万円に達したかどうかという時代だから、まあ相当に思い切った買物だ。それで貯金の大半をはたいてしまうと、パワーアンプはマランツには手が出なくなって、QUADのII型(KT66PP)を買った。このことからもわたくしがプリアンプのほうに重きを置く人間であることがいえる。
     *
瀬川先生も、QUAD IIを使われていたのか──、
もちろん予算に余裕があったならばマランツの管球式パワーアンプを選択されていただろうが、
いまとは時代が違う。

マランツのModel 7とQUAD IIが、
瀬川先生にとって《初めて買うメーカー製のアンプ》である。

52号では、こんなことも書かれていた。
     *
 ずっと以前の本誌、たしか9号あたりであったか、読者の質問にこたえて、マッキントッシュとQUADについて、一方を百万語を費やして語り尽くそうという大河小説の手法に、他方をあるギリギリの枠の中で表現する短詩に例えて説明したことがあった。
     *
このころはQUAD IIを聴く機会はなかった。
意外にもQUAD IIを聴く機会は少なかった。

マランツやマッキントッシュの同時代の管球式アンプを聴く機会のほうがずっと多かった。
http://audiosharing.com/blog/?p=34437


現代真空管アンプ考(その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=34452


QUADの22+IIの組合せを聴く機会には恵まれなかったけれど、
ステレオサウンドで働いていたから、QUADのトランジスター式のアンプをよく聴いた。

QUADのペアで聴くことも多かったし、
それぞれ単独で、他のメーカーのアンプとの組合せでも、何度も聴いている。

そうやってQUADのアンプの音のイメージが、私のなかでできあがっていった。
このことが、QUAD IIの真価をすぐには見抜けなかったことにつながっていったように、
いまとなっては思っている。

QUAD IIは22との組合せで、とある個人宅で聴いている。
他のアンプと比較試聴をしたわけではない。
あくまでも、その人の音を聴かせてもらうなかで、
アンプがQUADの22+IIであった、というわけだから、
その時の音の印象が、QUAD IIの音の印象となるわけではない。

それは十分承知していても、
私がQUAD IIを聴いたのは、このときとあと一回ぐらいだ。
どちらも22との組合せである。

22との組合せこそ、もっともQUADの音なのだが、
こうやってQUAD IIのことを書き始めると、QUAD II単体の音というのを、
無性に聴いてみたくなる。

おそらくなのだが、かなりいい音なのではないだろうか。
出力は公称で15Wである。
実際はもう少し出ているそうだが、
その出力の小ささとコンパクトにまとめられた構成、
そしてQUADのその後のアンプの音の印象から、
なんとなくスケール感は小さい、とどうしても思いがちだ。

実際に大きくはないだろう。
際立ったすごみのような音も出ないだろう。

それでも、フレキシビリティの高い音のような気がする。
このことはQUAD IIのアンプとしてのつくりとともに、
現代真空管アンプとしての重要な要素と考えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34452


現代真空管アンプ考(その31)
http://audiosharing.com/blog/?p=34496


QUAD IIと同時代の真空管アンプ、
たとえばマランツのModel 5と比較してみたい。

比較といっても、その音を聴いてどちらかが優れているとか、
こんな音の特徴もっているとかいないとか、そんなことではなく、
現代真空管アンプ、それもオーディオマニアが自作できる範囲でのあり方を、
二つのアンプを比較して考えていきたい、というものである。

マランツの管球式パワーアンプは、
Model 2、Model 5、model 8(B)、Model 9がある。
Model 8(B)だけがステレオ仕様で、あとはモノーラル仕様である。

QUAD IIもモノーラルである。
QUAD IIの発表は1953年。
Model 2は1956年、Model 5は1958年である。

QUAD IIの出力管はKT66で、マランツはEL34である。
出力はQUAD IIが15W、Model 2が40W(UL接続)、Model 5が30W。

外形寸法は、QUAD IIがW32.1×H16.2×D11.9cm、
Model 2はW38.1×H16.5×D24.1cm、Model 5はW15.2×H18.7×D38.7cmで、
QUAD IIと比較するならばMODEL 5である。

マランツのModel 2、Model 5は、シャーシー構造がいわゆる片持ちといえる。
底板にゴム脚が四つあるが、これらはトランスの重量を支えるためといえる場所にある。

Model 2はシャーシー上後方にトランス(重量物)をまとめている。
手前に真空管が立っているわけだが、
この部分はトランスを支えるシャーシーにネジで固定されたサブシャーシーとなっている。

そして、このサブシャーシーの下部にゴム脚はない。

Model 5はサブシャーシーという構造はとっていないが、
真空管が立っている箇所の下部にゴム脚はない。

Model 8(B)、Model 9はオーソドックスな位置にゴム脚がついている。
http://audiosharing.com/blog/?p=34496
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/214.html#c20

[番外地9] 福沢諭吉は chousen や台湾の人びとのことをどう述べているか

福沢諭吉の中国人差別・chousen人差別を皇族や日本の政治家・軍人が引き継いでいたんだよ。
福沢諭吉先生とその教え子の天皇一族はアジア人が大嫌い
福沢諭吉は chousen や台湾の人びとのことをどう述べているか:
「 chousen ……野蛮国にして、……我属国と為るも……」、
「台湾蛮人……は禽獣……人の二人や三人を喰い殺すは通常……
chousen 人は唯頑固の固まり」(本書121頁)

chousen は、野蛮な国であり、 chousen 人はただ頑固なだけであり、台湾人も野蛮で獣と同じなのだから、日本人が支配してあげるのが正しいことなのだ、という理屈であろうか。

「チャンチャン……皆殺しにするは造作もなきこと」……

「 chousen ……人民は牛馬豚犬に異ならず。」……

「do人を銃殺……狐と思ふて打殺したり」

「島民が反抗……一人も余さず誅戮(ちゅうりく)して醜類を殲(つく)す可し。」……

「支那兵……恰も半死の病人……之と戦う……豚狩の積りにて」

(本書160−161頁)

なんという人種差別か。 このような読むに耐えないようなアジア蔑視を披露している。……甲申政変の際にさえ


「京城の支那兵を鏖(みなごろし)に」


と発言した諭吉は、……日清戦争では中国兵や台湾住民の「皆殺し」「殲滅」「誅戮」をくり返し呼号するようになる。したがって、日本の兵士が平然と「殲滅」作戦を担えるようにするためには、中国人・兵は「チャンチャン」「孑孑(ぼうふら)」「豚犬」「乞食」「烏合の草賊」の類であると教え、殲滅への抵抗感・抵抗意識を解除するマインド・コントロールを用意することも必要であった。(159頁)

中国人は人間以下の動物だから、皆殺しにしてしまえ、というのだ。


なんという怖ろしい「啓蒙思想家」だろう。戦争にあたって、相手国の人間を、人間以下に描き出すことは、侵略する側のひとびとが決まって行なってきたことである。かつてアメリカも、日本と戦争をするにあたって、日本人がいかに「人間以下」であるかをさまざまな方法でアメリカ国民に対して啓蒙した。

それにしても、これらの発言は、福沢に対するイメージを一変させるのではないか。


「目に付くものは分捕品の外なし。

何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚へて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩張らぬものなればチャンチャンの着替までも引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ。

其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、凱陣の上は参謀本部に御払下を出願して一儲け……」


という私有物の強奪の勧めを書いた。さらに


「生擒(いけどり)」にした捕虜の「老将」軍を「浅草公園に持出して木戸を張り……木戸銭」をとり、

老将軍に「阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します」


という慰み物にして金儲けをする提案までした。」(163頁)

目についたものは、すべて分捕ってくるといい、などと言っている。 しかも、捕虜にした中国の老将軍を、浅草公園に連れてきて、見世物にしてしまおう、と言っている。 ここに見られるのは、「啓蒙思想家」としての姿ではなく、強盗・殺人を奨励する単なる「極悪人」の姿である。


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

こんな言葉で知られる福沢の思想は、決して日本の民主主義の立役者でも何でもなかった。

「天」に代わって日本「人の上に」天皇制と「帝室の藩屏(はんぺい)」としての華族制度をつくりだした福沢諭吉は、

その日本「人の下に」被差別部落民の存在する事実になんらこだわることなく、

『東洋政略論』で日本「人の下に」アジア諸国民を置き、

百篇をこす論稿で男性「の下に」女性をおく家父長制的女性論を体系化し、

金持ち「の下に」貧乏人を位置づけた教育論を構築した。

たとえば、「今の世」で「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」という考えに基づき、

“貧智者”の出現阻止のために官立大学を廃止して私学に改変することを主張したり、

学問・教育も一種の商品だから


金持ちが「子の為に上等の教育を買ひ」中等は中等の教育、貧民は下等の教育を購入する


という貧富に応じた複線型学校論を主張し、それを合理化するために、

豪農・豪商・旧藩士族の「良家の子弟(男子)は「先天遺伝の能力」をもつ


という遺伝絶対論も主張した。こうした貧民無視の罪滅ぼしに、

「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」


と言って、貧民を宥(なだ)め眠らせるために、自らは信じない宗教の振興論を百篇以上書いた。(235頁)


筆者は、福沢諭吉を、「近代日本のアジア侵略思想とアジア蔑視観形成の最大の立役者の一人」と結論づけている。福沢諭吉を1万円札の肖像に使うことは、どのような意味を持つのか。日本人が、いまだに、侵略戦争・植民地支配を真に反省していない証拠である。 福沢諭吉は、いまも、アジア蔑視の差別意識を、金銭の欲望とともに、日本全国に流通させている。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/302.html

[リバイバル3] KEF _ 世界で初めてデジタル解析に取り組んだスピーカーメーカー 中川隆
4. 中川隆[-5720] koaQ7Jey 2021年4月14日 19:23:18 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[37]

Date: 8月 15th, 2013
現代スピーカー考(その31)
http://audiosharing.com/blog/?p=11569

ステレオサウンドは以前、HI-FI STEREO GUIDEを年二回出していた。
そのとき日本市場で発売されているオーディオ機器を、アクセサリーをふくめて網羅した便利な本だった。

しかも70年代の、この本の巻頭には、沢村亨氏による「カタログデータの読み方」というページがあり、
その中にウォルッシュ・ドライバーの解説もあった。

そのおかげで大ざっぱにはどういうものか知っていたけれど、
それだけではやはり不充分だったし、オームのスピーカーシステムを、
すこし変った無指向性スピーカーというぐらいの認識のところでとまっていた。

このころアメリカ(だったと記憶している)からBESというメーカーのスピーカーシステムが入ってきていた。
これもステレオサウンドの新製品紹介のページで取り上げている。
薄型のパネル状の外観のスピーカーシステムだった。

外観からはマグネパンと同類のスピーカーなんだろう、という理解だった。
ただ輸入元からの資料を読むと、どうもそうではないことはわかったものの、
それでも、それがどういうことなのかを理解できていたわけではない。

このBESのスピーカーシステムも、ステレオサウンドの試聴室で聴いている。
でも、記憶を溯っても、ほとんど思い出せない。

BESのスピーカーシステムもベンディングウェーヴのひとつだったのか、と気づくのは、
もっとずっと後、ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いたあとだった。

それほどスピーカーの理想動作は、ピストニックモーションである──、
このことから離れることができずに、ものごとを捉えていたのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=11569


Date: 8月 17th, 2013
現代スピーカー考(その32)
http://audiosharing.com/blog/?p=11586

ピストニックモーションだけがスピーカーの目指すところではないことは知ってはいた。
そういうスピーカーが過去にあったことも知識としては知ってはいた。

ヤマハの不思議な形状をしたスピーカーユニットが、いわゆる非ピストニックモーションの原理であることは、
あくまでも知識の上でのことでしかなかった。

このヤマハのスピーカーユニットのことは写真で知っていたのと、
そういうスピーカーがあったという話だけだった。
ヤマハ自身がやめてしまったぐらいだから……、というふうに捉えてしまったこともある。

1980年ごろから国内メーカーからはピストニックモーションを、より理想的に追求・実現しようと、
平面振動板スピーカーがいくつも登場した。
そういう流れの中にいて、非ピストニックモーションでも音は出せる、ということは、
傍流の技術のように見えてしまっていた。

それに1980年代に聴くことができた非ピストニックモーションのスピーカーシステム、
BESのシステムにしても、オームのウォルッシュドライバーにしても、完成度の低さがあり、
それまで国内外のスピーカーメーカーが追求してきて、あるレベルに達していた剛の世界からすれば、
非ピストニックモーションの柔の世界は、
生れたばかりの、まだ立てるか立てないか、というレベルだった、ともいえよう。

それに聞くところによると、
ウォルッシュ・ドライバーの考案者でウォルッシュ博士も、
最初はピストニックモーションでの考えだったらしい。
けれど実際に製品化し研究を進めていく上で、
ピストニックモーションではウォルッシュ・ドライバーはうまく動作しないことに気づき、
ベンディングウェーヴへと考えを変えていったそうだ。

当時は、ベンディングウェーヴという言葉さえ、知らなかったのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=11586

Date: 5月 13th, 2014
現代スピーカー考(その33)
http://audiosharing.com/blog/?p=13694

リボン型、コンデンサー型、その他の全面駆動型のスピーカーユニットがある。
これらは振動板の全面に駆動力がかかっているから、振動板の剛性は原則として必要としない、とされている。

駆動力が振動板全体に均一にかかっていて、その振動板が周囲からの影響をまったく受けないのであれば、
たしかに振動板に剛性は必要ない、といえるだろう。

だがリボン型にしろコンデンサー型にしろ、一見全面駆動のように見えても、
微視的にみていけば駆動力にムラがあるのは容易に想像がつく。
だいたい人がつくり出すものに、完全な、ということはない。
そうであるかぎり完全な全面駆動は現実のモノとはならない。

ボイスコイルを振動板にプリントし、振動板の後方にマグネットを配置した平面型は、
コンデンサー型よりももっと駆動力に関しては不均一といえる。
そういう仕組みを、全面駆動を目指した方式だから、
さも振動板全体に均一に駆動力がかかっている……、と解説する人がいる。

コーン型やドーム型に対して、こうした方式を全面駆動ということは間違いとはいえないし、
私もそういうことがある。だが完全なる全面駆動ではないことは、ことわる。

もし全面駆動(つまり振動板全体に駆動力が均一にかかっている状態)が実現できていたら、
振動板の材質の違い(物性の違い)による音の差はなくなるはずである。
現実には、そうではない。ということは全面駆動はまだ絵空事に近い、といえる。

ただこれらの方式を否定したいから、こんなことを書いているのではない。
これらのスピーカーはピストニックモーションを追求したものであり、
ピストニックモーションを少しでも理想に近付けるには、振動板の剛性は高さが常に求められる。

剛性の追求(剛の世界)は、力まかせの世界でもある。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いてから、頓にそう感じるようになってきた。
http://audiosharing.com/blog/?p=13694


Date: 1月 30th, 2015
現代スピーカー考(その34)
http://audiosharing.com/blog/?p=16134

柔よく剛を制す、と昔からいわれている。
これがスピーカーの世界にも完全に当てはまるとまでは私だっていわないけれど、
柔よく剛を制すの考え方は、これからのスピーカーの進化にとって必要なことではないか。

これに関連して思い出すのは、江川三郎氏が一時期やられていたハイイナーシャプレーヤーのことだ。
ステレオかオーディオアクセサリーに発表されていた。
慣性モーメントを高めるために、中心から放射状にのびた複数の棒の先に重りがつけられている。
重りの重量がどのくらいだったのか、放射状の棒の長さがどれだけだったのかはよく憶えていない。
それでもガラス製のターンテーブルとこれらの組合せは、写真からでも独特の迫力を伝えていた。

ターンテーブルの直径も30cmではなく、もっと大きかったように記憶している。
トーンアームもスタックスのロングアーム(それも特註)だったような気がする。

慣性モーメントを大きくするという実験のひとつの記録かもしれない。
メーカーも同じようにハイイナーシャのプレーヤーの実験は行っていただろう。
だからこそターンテーブルプラッター重量が6kgから10kgのダイレクトドライヴ型がいくつか登場した。

慣性モーメントを高めるには、同じ重量であれば、中心部よりも外周部に重量が寄っていた方が有利だし、
直径の大きさも効果的である。
その意味で江川三郎氏のハイイナーシャプレーヤーは理に適っていた、ともいえる。

そのころの私は、江川三郎氏はさらにハイイナーシャを追求されるだろうと思っていた。
けれど、いつのころなのかはもう憶えていないが、ハイイナーシャプレーヤーは処分されたようであるし、
ハイイナーシャを追求されることもなくなった。

なぜなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=16134


Date: 1月 30th, 2015
現代スピーカー考(その35)
http://audiosharing.com/blog/?p=16146

江川三郎氏がどこまでハイイナーシャプレーヤーを追求されたのかは、私は知らない。
想像するに、ハイイナーシャに関してはやればやるほど音は変化していき、
どこまでもエスカレートしていくことを感じとられていたのではないだろうか。

つまり飽和点が存在しないのではないか、ということ。

静粛な回転のためにターンテーブルプラッターの重量を増す傾向はいまもある。
10kgほどの重量は珍しくなくなっている。
もっと重いものも製品化されている。

どこまでターンテーブルプラッターは重くしていけば、
これ以上重くしても音は変化しなくなる、という飽和点があるのだろうか。

10kgを20kgにして、40kg、100kg……としていく。
アナログディスクの重量は、重量盤といわれるもので約180g。
この一万倍が1800kgとなる。
このへんで飽和点となるのか。

それにターンテーブルプラッターを重くしていけば、それを支える周辺の重量も同時に増していく。
1.8tのターンテーブルプラッターであれば、プレーヤーシステムの総重量は10tほどになるのだろうか。

だれも試せないのだから、ここまでやれば飽和点となるとはいえない。
飽和点に限りなく近づいていることはいえるが、それでも飽和点といえるだろうか。

江川三郎氏も、飽和点について書かれていたように記憶している。
ようするに、きりがないのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=16146


Date: 7月 22nd, 2018
現代スピーカー考(その36)
http://audiosharing.com/blog/?p=26490

この項は、このブログを書き始めたころは熱心に書いていたのに、
(その35)を書いたのは、三年半ほど前。

ふと思いだし、また書き始めたのは、
ステレオサウンド 207号の特集が「ベストバイ・スピーカー上位49モデルの音質テスト」だからだ。

ステレオサウンドでの前回のスピーカーシステムの総テストは187号で、五年前。
ひさびさのスピーカーシステムの総テストであるし、
私もひさびさに買ったステレオサウンドだった。

49機種のスピーカーシステムの、もっとも安いモノはエラックのFS267で、
420,000円(価格はいずれもペア)。
もっとも高いモノは、YGアコースティクスのHailey 1.2の5,900,000円である。

どことなく似ているな、と感じるスピーカーシステムもあれば、
はっきりと個性的なスピーカーシステムもある。

使用ユニットもコーン型は当然として、ドーム型、リボン型、ホーン型、
コンデンサー型などがあるし、
ピストニックモーションが主流だが、ベンディングウェーブのスピーカーもある。

これら49機種のスピーカーシステムは、
いずれも半年前のステレオサウンドの特集ベストバイの上位機種ということだから、
人気も評価も高いスピーカーシステムといえる。

その意味では、すべてが現代スピーカーといえるのか、と思うわけだ。

いったい現代スピーカーとは、どういうものなのか。
それをこの項では書こうとしていたわけだが、過去のスピーカーシステムをふり返って、
あの時代、あのスピーカーは確かに現代スピーカーだった、といえても、
現行製品を眺めて、さぁ、どれが現代スピーカーで、そうでないのか、ということになると、
なかなか難しいと感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26490


Date: 7月 24th, 2018
現代スピーカー考(その37)
http://audiosharing.com/blog/?p=26534

ステレオサウンド 207号の特集に登場する49機種のスピーカーシステム。
いま世の中に、この49機種のスピーカーシステムしか選択肢がない、という場合、
私が選ぶのは、フランコ・セルブリンのKtêmaである。

ペアで400万円を超えるから、いまの私には買えないけれども、
予算を無視した選択ということであれば、Ktêmaを、迷うことなく選ぶ。

このスピーカーならば、こちらがくたばるまでつきあっていけそうな予感がある。

49機種のスピーカーシステムで実際に、その音を聴いているのは半分もない。
Ktêmaは聴いている。

仮に聴いていなかったとしても、207号の試聴記だけでの判断でもKtêmaである。

207号の特集では四つの価格帯に分けられている。
それぞれの価格帯から選ぶとしたら、
80万円以下のところでは、ハーベスのSuper HL5 PlusかタンノイのEaton。
130万円以下のところでは、フランコ・セルブリンのAccordo。
280万円以下のところでは、JBLの4367WXかマンガーのp1、それにボーニック・オーディオのW11SE。
280万円超のところでは、Ktêmaの他にはJBLのProject K2 S9500。

8/49である。
これら八機種のうちで、現代スピーカーと考えられるモノは……、というと、
まずKtêmaは真っ先に外れる。
同じフランコ・セルブリンのAccordoも、外れる。

ハーベスも現代的BBCモニターとはいえても、現代スピーカーなのか、となると、
やはり外すことになる。Eatonも旧Eatonと比較すれば部分的に現代的ではあっても、
トータルでみた場合には、現代スピーカーとはいえない。

マンガーのユニットそのものは非常に興味深いものを感じるが、
だからといってシステムとしてとらえた場合は、やはりこれも外すことになる。

ボーニック・オーディオは数ヵ月前に、とある販売店で鳴っているのを偶然耳にした。
それまで気にも留めなかったけれど、
そこで鳴っていた音は、自分の手で鳴らしてみたらどんなふうに変るのか、
それをやってみたくなるくらいの音がしていた。

JBLを二機種選んだが、現代スピーカーということでは4367WXのほうだし、
ドライバーとホーンは現代スピーカーのモノといえるかも、ぐらいには感じている。
それでも、システムとしてどうなのか、といえば、やはり外す。

となると、八機種の中で、これが現代スピーカーだ、といえるモノはない。
では、残りの41機種の中にあるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26534
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1167.html#c4

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 現代スピーカー考
audio identity (designing) 宮ア勝己 現代スピーカー考


Date: 9月 15th, 2008
現代スピーカー考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=48

1年ほど前だったと思うが、ある掲示板で
「現代スピーカーの始まりはどこからか」というタイトルで語られていたのを、ちらっと読んだことがある。

この問掛けをした人は、ウィルソン・オーディオのスピーカーだ、という。
コメントを寄せている人の中には、B&Wのマトリックス801という人もいたし、
その他のメーカー、スピーカーの型番をあげる人もいた。

挙げられたスピーカーの型番は、
ほぼすべて1980年代の終わりから90年にかけて登場したものばかりで、
ここにコメントしている人たちは、私よりも10歳くらい若い世代か、さらにその下の世代かもと思っていたら、
大半の方が私よりも二、三歳上なので、驚いた。

もっと驚いたのは、誰一人、現代スピーカーの定義を行なわないまま、
スピーカーの型番を挙げ、その理由というよりも、私的感想を述べているだけなことだ。

特定の人しか読めないようになっている内輪だけの場や、
酒を飲みながら、あれが好きだとかこれはちょっと……と語り合うのは、くだらなさを伴いながらも楽しいし、
そのことに、外野の私は、何も言わない。

けれど不特定の人がアクセスする場で、
少なくとも「現代スピーカーはここから始まった」というテーマで語り合うにしては、
すこし幼すぎないだろうか。

話をもどそう。
現代スピーカーは、KEFからはじまった、と私は考える。
http://audiosharing.com/blog/?p=48

現代スピーカー考(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=49

昔も今もそうだが、KEFをケフと呼ぶ人が少なからずいるが、正しくはケー・イー・エフである。

KEFは、1961年にレイモンド・E・クックによって創立されている。
クックは、ワーフェデール(輸入元が変わるたびに日本語表記も変っていて、ワーフデールだったりもするが、
個人的にはワーフェデールが好きなので)に直前まで在籍している。

ワーフェデールは、イギリス人で当時のスピーカー界の大御所のひとりだった
G・A・ブリッグスによる老舗のスピーカーメーカー(創立1932年)で、
ブリッグスはいくつものオーディオ関係の著書を残している。
1961年に「Audio Biobraphies」を出している。

イギリスとアメリカのオーディオ関係者の回想録に、ブリッグスがコメントをつけたもので、
そこに1954年の、ある話が載っており、岡俊雄氏が、ステレオサウンド 10号に要約されている。

手元にその号はないので、記憶による要約だが──
1954年、ニューヨークのホテルで催されていたオーディオフェアに、ワーフェデールも出展していた。
そのワーフェデールのブースにある日、若い男が、
一辺四〇センチにも満たない、小さなスピーカーを携えて現われた。
エドガー・M・ヴィルチュアであり、G・A・ブリッグスに面会を求めた。
ヴィルチュアはスピーカー会社をつくり、その第1号機を持ってきた。
これと、ブリッグス(つまりワーフェデール)のスピーカーと、公開試聴をしたいという申し出である。
ワーフェデールの大型スピーカーは約250リットル強、
ヴィルチュアのスピーカーは一辺40cmにも満たない立方体の小型スピーカー。

当時の常識では、勝負は鳴らす前から決っていると多くの人が思っていたにも関わらず、
パイプオルガンのレコードを、十分な量感で自然な音で聴かせたのは、
ヴィルチュアの小型スピーカーだったのを、会場の多くの人ばかりでなく、ブリッグスも認めている。

E・M・ヴィルチュアは、翌年、自身の会社アコースティック・リサーチ(AR)創立し、
正式にAR-1と名付けたスピーカーを市販している(試作機とは多少寸法は異なる)。

勝手な推測だが、この事件が、クックがワーフェデールをはなれ、
KEFを創立するのにつながっていると思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=49

現代スピーカー考(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=50

クックがいた頃のワーフェデールのスピーカーユニットは、
ウーファーもスコーカーもトゥイーターもすべてコーン型で、振動板は、もちろん紙を採用している。
そのラインナップの中で異色なのは、W12RS/PSTである。

紙コーンのW12RSとは異り、型番の末尾が示すとおり発泡プラスチックを振動板に採用している。
このW12RS/PSTを開発したのは、技術部長だったクックである。
さらにクックは、高分子材料を振動板に使うことを考え開発したにも関わらず、ブリッグスが採用を拒否している。
このウーファーがのちにKEFのB139として登場する。

クックは、スピーカーの振動板としての紙に対して、
自然素材ゆえに安定性が乏しく均一のものを大量に作る工業製品の素材としては必ずしも適当ではないと考えており、
均質なものを大量に作り出すことが容易な化学製品に、はやくから注目し取り組んでいる。

クックの先進性と、それを拒否したブリッグスが、
ワーフェデールという、老舗の器の中で居つづけることは無理があったと考えてもいいだろう。

もしB139がワーフェデールから登場していたら、クックの独立はなかったか、
すこし先に延びていたかもしれないだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=50


現代スピーカー考(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=51

レイモンド・E・クックは、ワーフェデールに在籍していた1950年代、
外部スタッフとしてBBCモニターの開発に協力している。
当時のBBC技術研究所の主任研究員D・E・L・ショーターを中心としたチームで、
ショーターのキャリアは不明だが、イギリスにおいてスピーカー研究の第一人者であったことは事実で、
ワーフェデールのブリッグスも,自著「Loudspeakers」に、
ショーターをしばしば訪ねて、指導を仰いだことがある、と記している。

ショーターの元での、スピーカーの基本性能を解析、理論的に設計していく開発スタイルと、
当時のスピーカーメーカーの多くが勘と経験に頼った、いわゆる職人的な設計・開発スタイルを、
同時期に経験しているクック。

クックの写真を見ると、学者肌の人のように思う。
彼の気質(といっても写真からの勝手な推測だが)からいっても、
後者のスタイルはがまんならなかっただろうし、職人的開発スタイルのため、
新しい理論(アコースティックサスペンション方式)による小型スピーカーに公開試聴で負けたことは、
その場にいたかどうかは不明だが、ブリッグス以上に屈辱的だったに違いないと思っている。

ショーターやクックのチームが開発したスピーカーは、LS5/1であり、
改良モデルのLS5/1Aの製造権を手に入れたのは、クックが創立したKEFであり、BBCへの納入も独占している。
http://audiosharing.com/blog/?p=51


現代スピーカー考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=54

LS5/1Aは、スタンダードサンプルに対して規定の範囲内に特性がおさまるように、
1本ずつ測定・キャリブレートが要求される。
クックにとって、均質の工業製品をつくる上で、このことは当り前のこととして受けとめていただろう。

1961年、KEFはプラスチックフィルム、メリネックスを振動板に採用したドーム型トゥイーターT15を、
1962年にはウーファーのB139を発表している。
ワーフェデール時代にやれなかった、
理論に裏打ちされた新しい技術を積極的に採りいれたスピーカーの開発を特色として打ち出している。

1968年、KEFにローリー・フィンチャムが技術スタッフとして加わる。
彼を中心としたチームは、ブラッドフォード大学と協力して、
スピーカーの新しい測定方法を開発し、1973年のAESで発表している。
インパルスレスポンスの解析法である。

この測定方法の元になったのは、
D.E.L.ショーターが1946年にBBCが発行しているクオータリーに発表した
「スピーカーの過渡特性の測定とその視覚的提示方法」という論文である。
第二次世界大戦の終わった翌年の1月のことである。驚いてしまう。
この論文が実用化されるにはコンピューターの進化・普及が必須で、27年かかっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=54

現代スピーカー考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=56

インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。

この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」とひじょうに高く評価されている。
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
1975年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により、
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、
#104aBにモデルチェンジしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=56


現代スピーカー考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=57

KEFの#104aBは、20cm口径のウーファーB200とソフトドーム型トゥイーターT27の2ウェイ構成に、
B139ウーファーをベースにしたドロンコーンを加えたモデルである。

B200は、クックが中心となって開発された高分子素材のベクストレンを振動板に採用している。
ベクストレンは、その組成が、紙以上にシンプルで均一なため、ロットによるバラツキも少なく、
最終的に音質もコントロールしやすい、との理由で、BBCモニターには1967年から採用されている。
ただし1.5kHzから2kHzにかけての固有音を抑えるために、ダンプ剤が塗布されている。

T27の振動板はメリネックス製。T27の最大の特長は振動板ではなく、構造にある。
磁気回路のトッププレートの径を大きくし、そのままフレームにしている。
従来のドーム型トゥイーターの、トッププレートの上にマウントフレームが設けるのに対して、
構造をシンプル化し、音質の向上を図っている。しかもコストがその分けずれる。
のちにこの構造は、ダイヤトーンのドーム型ユニットにも採用される。

このT27の構造は、いかにもイギリス人の発想だとも思う。
たとえばQUADの管球式パワーアンプのIIでは、QUADのネームプレートを留めているネジで、
シャーシ内部のコンデンサーも共締めしているし、
タンノイの同軸型ユニットは、
アルテックがウーファーとトゥイーターのマグネットを独立させているのと対照的に、
ひとつのマグネットで兼用している。
しかも中高域のホーンの延長として、ウーファーのカーブドコーンを利用している。

こういう、イギリス独特の節約精神から生れたものかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=57

現代スピーカー考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=58


#104と#104aBの違いは(記憶に間違いがなければ)ネットワークだけである。
ユニットはまったく同じ、エンクロージュアも変更されていない。
そのため、KEFでは、旧モデルのユーザーのために、aBタイプへのヴァージョンアップキットを発売していた。
キットの内容は新型ネットワークのDN22をパッケージしたもので、
スピーカーユニットが同じにも関わらず、スピーカーの耐入力が、50Wから100Wと大きく向上している。

この成果は、#104の開発に使われた4ビット・マイクロプロセッサーと、
aBタイプへの改良に使われたヒューレット・パッカード社のHP5451の処理能力の違いから生れたものだろう。

インパルスレスポンスの解析法そのものは大きな変化はなくても、
処理する装置の能力次第で、時間は短縮され、
その分、さまざまなことを試せるようになっているし、
結果の表示能力も大きな違いがあるのは容易に想像できる。
そこから読み取れるものも多くなっているはず。

インパルスレスポンスの解析法の進歩・向上によって(言うまでもないが、進歩しているのは解析法だけではない)、
#105が生れてくることになる。
私が考える現代スピーカーのはじまりは、この#105である。
http://audiosharing.com/blog/?p=58

現代スピーカー考(余談・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=59

KEFの#105は、ステレオサウンド 45号の表紙になっている。
このころのステレオサウンドの表紙を撮影されていたのは安齋吉三郎氏。

いまのステレオサウンドの表紙と違い、
この時代は、撮影対象のオーディオ機器を真正面から見据えている感じがしてきて、
印象ぶかいものが多く、好きである。
41号の4343もそうだし、45号の105もそう。ほかにもいくつもあげられる。

目の前にあるモノを正面から、ひたすらじーっと見続けなければ、
見えてこないものがあることを、
安齋氏の写真は無言のうちに語っている、と私は思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=59


現代スピーカー考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=60

「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」
当時、類似のスピーカーとの違いを尋ねられて、
KEFのレイモンド・E・クックがインタビューで答えた言葉である。

#105とは、KEF独自の同軸型ユニットUNI-Qを搭載したトールボーイ型スピーカーのことではなく、
1977年に登場した3ウェイのフロアー型スピーカーのことである。
#105は、傾斜したフロントバッフルのウーファー専用エンクロージュアの上部に、
スコーカーとトゥイーターをマウントした樹脂製のサブエンクロージュアが乗り、
中高域部単体で、左右に30度、上下に7度、それぞれ角度が変えられるようになっている。
使用ユニットは、105のためにすべて新規開発されたもので、
ウーファーは30cm口径のコーン型、振動板は高分子系。
スコーカーは10cmのコーン型、トゥイーターはドーム型となっている。

こう書いていくと、B&Wの801と似ていると思う人もいるだろう。
801は2年後の79年に登場している。
#105の2年前に、テクニクスのSB-7000が登場しているし、
さらに前にはフランス・キャバスからも登場している。同時期にはブリガンタンが存在している。
http://audiosharing.com/blog/?p=60


現代スピーカー考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=61

使用ユニットの前後位置合わせを行なったスピーカー、一般的にリニアフェイズと呼ばれるスピーカーは、
キャバスがはやくからORTF(フランスの国営放送)用モニターで採用していた。
1976年当時のキャバスのトップモデルのブリガンタン(Brigantin)は、
フロントバッフルを階段状にすることで、各ユニットの音源を垂直線上に揃えている。

リニアフェイズ(linear phase)を名称を使うことで積極的に、
この構造をアピールしたのはテクニクスのSB-7000である。
このモデルは、ウーファー・エンクロージュアの上に、
スコーカー、トゥイーター用サブエンクロージュアを乗せるという、
KEFの#105のスタイルに近い(前にも述べたように、SB-7000が先に登場している)。

さらに遡れば、アルテックのA5(A7)は、
ウーファー用エンクロージュアにフロントホーンを採用することで、
ホーン採用の中高域との音源の位置合わせを行なっている。
#105よりも先に、いわゆるリニアフェイズ方式のスピーカーは存在している。
http://audiosharing.com/blog/?p=61

Date: 10月 29th, 2008
現代スピーカー考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=163

KEFのレイモンド・E・クックの
「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」 を
もういちど思い出してみる。

このインタビューの詳細を思い出せればいいのだが、さすがに30年前のことになると、
記憶も不鮮明なところがあるし、手元にステレオサウンドもない。
いま手元にあるステレオサウンドは10冊に満たない。
もうすこしあれば、さらに正確なことを書いていけるのだが……。

クックが言いたかったのは、#105は単にユニットの音源合わせを行なっているだけではない。
ネットワークも含めて、位相のつながりもスムーズになるよう配慮して設計している。
そういうことだったように思う。
他社製のスピーカーを測定すると、位相が急激に変化する帯域があるとも言っていたはずだ。

当然、その測定にはインパルスレスポンスによる解析法が使われているからこその発言だろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=163


現代スピーカー考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=82

KEFの#105をはじめて聴いたのは1979年、熊本のとあるオーディオ店で、
菅野先生と瀬川先生のおふたりが来られたイベントの時である。

オーディオ相談といえるイベントで、菅野先生、瀬川先生はそれぞれのブースにおられて、
私はほとんど瀬川先生のブースにずっといた。
その時、瀬川先生が調整して聴かせてくれたのが、105である。

いまでこそクラシックが、聴く音楽の主だったものだが、当時、高校二年という少年にとっては、
女性ヴォーカルがうまく鳴ってほしいもので、瀬川先生に、
「この人とこの人のヴォーカルがうまく鳴らしたい」(誰なのかは想像にまかせます)と言ったところ、
「ちょっと待ってて」と言いながら、ブースの片隅においてあった105を自ら移動して、
バルバラのレコードをかけながら、
スピーカー全体の角度、それから中高域ユニットの水平垂直方向の調整を、
手際よくやられたのち、「ここに座って聴いてごらん」と、
バルバラをもういちど鳴らしてくれた。

唇や舌の動きが手にとるようにわかる、という表現が、当時のオーディオ雑誌に載っていたが、
このときの音がまさにそうだった。
誇張なく、バルバラが立っていたとして、ちょうど口あたりのところに、
何もない空間から声が聴こえてくる。

瀬川先生の調整の見事さと早さにも驚いたが、この、一種オーディオ特有の生々しさと、
けっして口が大きくならないのは、強い衝撃だった。
バルバラの口の中の唾液の量までわかるような再現だった。

ヴォーカルの再生は、まず口が小さくなければならない、と当時のオーディオ誌ではよく書いてあった。
それがそのまま音になっていた。

いま思い出すと、それは歌い手のボディを感じられない音といえるけれど、
なにか他のスピーカーとは違う、と感じさせてくれた。
http://audiosharing.com/blog/?p=82

現代スピーカー考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=83

KEFの#105の底にはキャスターが取り付けられていた。

いまのオーディオの常識からすると、なぜそんなものを取り付ける? となるが、
当時は、スペンドールのBCII、BCIIIの専用スタンドもキャスターをがついていた。

ただスペンドールの場合も、このキャスター付きのスタンドのせいで、
上級機の BCIIIはずいぶん損をしている。
日本ではBCIIのほうが評価が高く、BCIIIの評価はむしろ低い。

ステレオサウンド 44号のスピーカーの総テストの中で、瀬川先生が、
BCIIIを、専用スタンドではなく、
他のスタンドにかえたときの音に驚いた、といったことを書かれている。

スペンドールのスタンドは、横から見るとコの字型の、鉄パイプの華奢なつくりで、キャスター付き。
重量は比較的軽いBCIIならまだしも、BCIIのユニット構成に30cmウーファーを追加し
エンクロージュアを大型にしたBCIIIで、スタンドの欠点が、よりはっきりと出たためであろう。

KEFの試聴室の写真を見たことがある。
スピーカーは、105の改良モデルの105.2で、一段高いステージの上に置かれているが、
とうぜんキャスターは付いていない。あのキャスターは、輸入元がつけたのかもしれない。
そして、キャスターを外した105の音はどう変化するのかを確認してみたい。
http://audiosharing.com/blog/?p=83


現代スピーカー考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=164

KEFの#105の資料は、手元に何もない。写真があるぐらいだ。

以前、山中先生が言っておられた。
「ぼくらがオーディオをやりはじめたころは、得られる情報なんてわずかだった。
だからモノクロの写真一枚でも、じーっと見続けていた。
辛抱づよく見ることで、写真から得られるもの意外と多いし、そういう習慣が身についている。」

私がオーディオに関心をもちはじめたころも、山中先生の状況と大きく変わらない。
東京や大阪などに住んでいれば、本だけでなくオーディオ店にいけば、実機に触れられる。
しかも、オーディオ店もいくつも身近にある。
けれど、熊本の片田舎だと、オーディオを扱っているところはあっても、近所にオーディオ専門店はない。
得られる情報といえば、オーディオ誌だけである。
まわりにオーディオを趣味としている先輩も仲間もいなかった。

だから何度もくり返し同じ本を読み、写真を見続けるしかなかった。

いまはどうだろう。
情報量が増えたことで、あるひとつの情報に接している時間は短くなっていないだろうか。

数年前、ある雑誌で、ある人(けっこう年輩の方)が、
「もう、細かなことはいちいち憶えてなくていいんだよ。ネットで検索すればいいんだから」と発言されていた。
それは趣味の分野に関しての発言だった。

ネットに接続できる環境があり、パソコンもしくはPDAで検索すればそのとおりだろう。
仲間内で、音楽やオーディオの話をしているとき、
その人は、つねにネットに接続しながら話すのだろうか。
それで成り立つ会話というのを想像すると、つよい異和感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=164


現代スピーカー考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=195

KEFの#105の写真を見ていると、LS3/5Aにウーファーを足したスタイルだなぁ、と思ってしまう。

スコーカーは10cm口径のコーン型で、
トゥイーターはT27でこそないが、おそらく改良型といえるであろうソフトドーム型。
これらを、ただ単にウーファーのエンクロージュアに乗せただけではなく、
左右上下に角度調整ができる仕掛けがついている。

#105の、見事な音像定位は、LS3/5Aの箱庭的定位に継がっているようにも思えてくる。
LS3/5Aも、#105の中高域部と同じように、仰角も調整して聴いたら、
もっと精度の高い、音の箱庭が現われるのかもしれない。
LS3/5Aを使っていたときには、仰角の調整までは気がつかなかった。

セレッションのSL600を使っていたときに、カメラの三脚の使用を検討したことがある。
スピーカーの仰角も、左右の振り、そして高さも、すぐ変更できる。
いい三脚は、ひじょうにしっかりしている。

スピーカーのベストポジションを見つけたら、そこからは絶対に動かさないのと対極的な聴き方になるが、
被写体に応じて、構図やカメラのピントを調整するように、
ディスクの録音に応じて、スピーカーのセッティングを変えていくのも、ありではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=195


現代スピーカー考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=205

推測というよりも妄想に近いとわかっているが、#105のスタイルを、
レイモンド・クックは、LS3/5A+ウーファーという発想から生み出したように思えてならない。

LS3/5Aに搭載されているスピーカーユニットはKEF製だし、KEFとBBCの関係は深い。
時期は異るが、KEFからもLS3/5Aが発売されていたこともある。

#105は、セッティングを緻密に追い込めば、精度の高い音場再現が可能だし、
内外のスピーカーに与えた影響は、かなり大きいといえるだろう。

にも関わらず、少なくとも日本では#105は売れなかった。

#105は、より精度の高さを求めて、105.2に改良されている。
もともとバラツキのひじょうに少ないスピーカーではあったが、105.2になり、
全数チェックを行ない、標準原器と比較して、
全データが±1dBにおさまっているモノのみを出荷していた。

またウーファーの口径を30cmから20cmの2発使用にして、
ウーファー・エンクロージュアを小型化した105.4も出ていた。
ということは、#105はKEFにとって自信作であり、主力機でもあったわけだが、
日本での売れ行きはサッパリだったと聞いている。

この話をしてくれた人に理由をたずねると、意外な答えが返ってきた。
「(スピーカーの)上にモノが乗せられないから」らしい。
いまでは考えられないような理由によって、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=205

現代スピーカー考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=206

KEFの#105が日本であまり芳しい売行きでなかったのは、
なにも上にモノを乗せられないばかりではないと思う。

#105と同時期のスピーカーといえば、価格帯は異るが、JBLの4343があり、爆発的に売れていた。
#105と同価格帯では、QUADのESL、セレッションのDitton66(662)、
スペンドールBCIII、ダイヤトーンの2S305、タンノイのアーデン、
すこし安い価格帯では、ハーベスのMonitor HL、スペンドールBCII、JBLの4311、
BOSEの901、パイオニアのS955などがあった。

これらのスピーカーと比較すると、#105の音色は地味である。
現代スピーカーの設計手法の先鞭をつけたモデルだけに、周波数バランスもよく、
まじめにつくられた印象が先にくるのか、
魅力的な音色で楽しく音楽を聴かせてくれる面は、薄いように思う。
もちろんまったく無個性かというと決してそうではなく、
昔から言われるように、高域に、KEFならではの個性があるが、
それも#104に比べると、やはり薄まっている。
それにちょっと骨っぽいところもある。

もっともKEFが、そういうスピーカーづくりを嫌っていただろうから、
#105のような性格に仕上がるのは同然だろうが、
個性豊かなスピーカー群に囲まれると、地味すぎたのだろう。
少なくとも、いわゆる店頭効果とは無縁の音である。

店頭効果で思い出したが、
上にモノが乗せられないことは、オーディオ店に置いてもらえないことでもある。
当時のオーディオ店では、スピーカーは山積みで展示してあり、
切換スイッチで、鳴らしていた。
#105のスタイルは、オーディオ店でも嫌われていた。

おそらく、このことは輸入代理店を通じて、KEFにも伝えられていたはず。
それでも、KEFは、スタイルを変えることなく、105.2、105.4とシリーズ展開していく。
http://audiosharing.com/blog/?p=206


現代スピーカー考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=207

#105の2年ほどあとに登場した303というブックシェルフ型スピーカーは、
ペアで12万4千円という、輸入品ということを考えれば、かなりのローコストモデルだ。

20cm口径のコーン型ウーファーとメリネックス振動板のドーム型トゥイーターで、
エンクロージュアの材質は、木ではなく、プラスチック樹脂。
外観はグリルがエンクロージュアを一周しているという素っ気無さであり、
合理的なローコストの実現とともに、製造時のバラツキの少なさも考慮された構成だ。

303の音は、当時、菅野先生と瀬川先生が高く評価されていた。
たしかおふたりとも、ステレオサウンド 55号(ベストバイの特集号)で、
マイベスト3に選ばれている。

こういうスピーカーは、従来の、技術者の勘や経験を重視したスピーカーづくりではなしえない。
理知的なアプローチと、それまでのスピーカーづくりの実績がうまく融合しての結果であろう。
#105の誕生があったから生れたスピーカーだろうし、
303も優れた現代スピーカーのひとつだと、私は思う。

瀬川先生が書かれていたように、303のようなローコスト設計を日本のメーカーが行なえば、
もっと安く、それでいて、まともな音のするスピーカーをつくれただろう。

2 Comments

kenken
1月 11th, 2009
なつかしさのあまり投稿いたします。 KEFの303は3度にわたり手に入れては手放しました。
今思うとラックスのアンプで303を鳴らしていた時代が最も純粋に音楽を楽しめた時期だったような気がします。
マニアの性ですぐにもう少しハイエンドなスピーカーを使いたくなってしまうのですが。。

audio sharing
3月 15th, 2009
kenkenさま
コメント、ありがとうございます。
KEF303の特徴である何気ない音、素朴な音は、現行製品ではなかなか得られない良さだと思います。
http://audiosharing.com/blog/?p=207


現代スピーカー考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=210

KEFの#105で思い出したことがある。
1979年前後、マークレビンソンが、開発予定の機種を発表した記事が
ステレオサウンドの巻末に、2ページ載っていたことがある。

スチューダーのオープンリールデッキA80のエレクトロニクス部分を
すべてマークレビンソン製に入れ換えたML5のほかに、
マランツ10 (B)の設計、セクエラのチューナーの設計で知られるリチャード・セクエラのブランド、
ピラミッドのリボントゥイーターT1をベースに改良したモノや、
JBL 4343に、おもにネットワークに改良を加えたモノのほかに、
KEFの#105をベースにしたモノもあった。

A80、T1(H)、4343といった高級機の中で、価格的には中級の#105が含まれている。
#105だけが浮いている、という見方もあるだろうが、
訝った見方をすれば、むしろ4343が含まれているのは、日本市場を鑑みてのことだろうか。

マークレビンソンからは、これと前後して、HQDシステムを発表している。
QUADのESLのダブルスタックを中心とした、大がかりなシステムだ。
このシステム、そしてマーク・レヴィンソンがチェロを興してから発表したスピーカーの傾向から思うに、
浮いているのは4343かもしれない。

結局、製品化されたのはML5だけで、他のモノは、どこまで開発が進んでいたのかすら、わからない。

なぜマーク・レヴィンソンは、#105に目をつけたのか。
もし完成していたら、どんなふうに変わり、
どれだけマークレビンソンのアンプの音の世界に近づくのか、
いまはもう想像するしかないが、おもしろいスピーカーになっただろうし、
#105の評価も、そうとうに変わってきただろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=210


現代スピーカー考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=771

ステレオサウンド創刊15周年記念の60号の特集は、アメリカン・サウンドだった。
この号の取材の途中で瀬川先生は倒れられ、ふたたび入院された。
この号も手もとにないので、記憶に頼るしかないが、JBLの4345を評して、
「インターナショナルサウンド」という言葉を使われた。

残念なのは、この言葉の定義づけをする時間が瀬川先生には残されていなかったため、
このインターナショナルサウンドが、その後、使われたことはなかった(はずだ)。

インターナショナルサウンドという言葉は、すこし誤解をまねいたようで、
菅野先生も、瀬川先生の意図とは、すこし違うように受けとめられていたようで、
それに対して、病室でのインタビューで、瀬川先生は補足されていた。

「主観的要素がはいらず、物理特性の優秀なスピーカーシステムの、すぐれた音」──、
たしか、こう定義されていたと記憶している。

インターナショナルサウンド・イコール・現代スピーカー、と定義したい。
http://audiosharing.com/blog/?p=771


Date: 1月 13th, 2010
現代スピーカー考(その20・補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1102

ステレオサウンドの60号が手もとにあるので、
瀬川先生のインターナショナルサウンドについての発言を引用しておく。
     *
これは異論があるかもしれないですけれど、きょうのテーマの〈アメリカン・サウンド〉という枠を、JBLの音には、ぼくの頭のなかでは当てはめにくい。たとえば、パラゴンとオリンパスとか、あの辺はアメリカン・サウンドだという感じがするんだけれども、ぼくの頭の中でJBLというとすぐ、4343以降のスタジオモニターが、どうしてもJBLの代表みたいにおもえちゃうんですが、しかし、これはもう〈アメリカン・サウンド〉じゃないんじゃないのか、言ってみれば〈インターナショナル・サウンド〉じゃないかという感じがするんです。この言い方にはかなり誤解をまねきやすいと思うので、後でまた補足するかもしれないけれども、とにかく、ぼくの頭の中でのアメリカン・サウンドというのは、アルテックに尽きるみたいな気がする。
アルテックの魅力というのは(中略)、50年代から盛り返しはじめたもう一つのリッチなアメリカ、それを代表するサウンドと言える。もしJBLの4343から4345を、アメリカン・サウンドと言うならば、これは今日の最先端のアメリカン・サウンドですね。
     *
瀬川先生のインターナショナル・サウンドに対しては、
アメリカン・サウンドの試聴に参加された岡、菅野のおふたりは、異論を唱えられている。

岡先生は、4345の音を「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1102


現代スピーカー考(その20・続補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1103

「ぼくはインターナショナル・サウンドっていうのはあり得ないと思います」と岡先生は否定されている。
が、「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とも言われているように、全否定されているわけではない。

岡先生は、こうも言われている。
「非常にオーバーな言い方をすれば、アメリカのスピーカーの方向というものはよくも悪しくもJBLが代表していると思うんです。アメリカのスピーカーの水準はJBLがなにかをやっていくたびにステップが上がっていく。そういう感じが、ことにここ10数年していたわけです。
 JBLの行きかたというのはあくまでもテクノロジー一本槍でやっている。あそこの技術発表のデータを見ていると、ほんとうにテクノロジーのかたまりという感じもするんです。」

この発言と、瀬川先生が病室から談話で語られた
「客観的といいますか、要するにその主観的な要素が入らない物理特性のすぐれた音」、
このふたつは同じことと捉えてもいい。

だから残念なのは、全試聴が終った後の総括の座談会に、瀬川先生が出席されていないことだ。
もし瀬川先生が入院されていなかったら、インターナショナル・サウンドをめぐって、
ひじょうに興味深い議論がなされたであろう。

それは「現代スピーカー」についての議論でもあったはずだ。

瀬川先生の談話は、the Review (in the past) で公開している。
「でも、インターナショナル≠ニいってもいい音はあると思う」の、その1、2、3、4だ。


1 Comment

AutoG
1月 14th, 2010
当時、同時進行でステサンを読んでいた訳ですが、瀬川氏が4320、43、45等に対して礼賛する姿勢を以前から採っていて、客観的にも「やや淹れ込んでいる」という感は否めませんでした。まあ、その後、菅野氏がマッキンのスピーカーに傾倒していったりする経緯もありましたが、瀬川氏は情緒的にやや入りすぎるきらいがあって、菅野氏達に自分の好みを一般化する姿勢に対し、「傲慢」呼ばわりされる羽目になってしまった。入院先から「談話」の形で誤解を解く記事が載ったものの、読者としてはこの一連の「揉め事」に心穏やかではなかったことを思い出します。
 結果として後に入院先の九段坂病院で帰らぬ人となった瀬川氏にとって、このアメリカンサウンド特集が評論活動としての最後であったと記憶します。
 昨年大晦日に瀬川氏や岩崎千明氏を良く知る御仁と話しができて、しみじみ懐かし九思い、タイプは異なれどご両人とも「鋭い感性の人」という共通認識で別れました。いずれにしても瀬川氏には大きな影響を受けました。
http://audiosharing.com/blog/?p=1103


Date: 1月 22nd, 2010
現代スピーカー考(その20・続々補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1115

瀬川先生が、「インターナショナル・サウンド」という言葉を使われた、29年前、
私は「グローバル」という言葉を知らなかった。
「グローバル」という言葉を、目にすることも、ほとんどなかった(はずだ)。

いま「グローバル」という言葉を目にしない、耳にしない日はないというぐらい、の使われ方だが、
「グローバル・サウンド」と「インターナショナル・サウンド」、このふたつの違いについて考えてみてほしい。

ステレオサウンド 60号の、瀬川先生抜きの、まとめの座談会は、
欠席裁判のようで不愉快だ、と捉えられている方も、少なくないようである。
インターネット上でも、何度か、そういう発言を読んだことがある。

早瀬さんも、「やり場のない憤り」を感じたと、つい最近書かれている。

私は、というと、当時、そんなふうには受けとめていなかった。
いまも、そうは受けとめていない。

たしかに、菅野先生の発言を、ややきつい表現とは感じたものの、瀬川先生の談話は掲載されていたし、
このとき、瀬川先生が帰らぬ人となられるなんて、まったく思っていなかったため、
次号(61号)のヨーロピアン・サウンドで、きっとKEFのスピーカーのことも、
思わず「インターナショナル・サウンド」と言われるのではないか、
そして、「インターナショナル・サウンド」について、
菅野先生と論争をされるであろう、と思っていたし、期待していたからだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=1115


現代スピーカー考(その20・続々続補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1116

仮に欠席裁判だとしよう。
29年経ったいま、「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになったいま、
「インターナショナル・サウンド」という表現は、瀬川先生も「不用意に使った」とされているが、
むしろ正しい使われ方だ、と私は受けとめている。

もし「グローバル・サウンド」と言われていたら、いまの私は、反論しているだろう。

瀬川先生は、他の方々よりも、音と風土、音と世代、音と技術について、深く考えられていた。
だから、あの場面で「インターナショナル・サウンド」という言葉を、思わず使われたのだろう。
瀬川先生に足りなかったのは、「インターナショナル・サウンド」の言葉の定義をする時間だったのだ。
思慮深さ、では、決してない。
http://audiosharing.com/blog/?p=1116


現代スピーカー考(その20・続々続々補足)

瀬川先生に足りなかったものがもうひとつあるとすれば、
「インターナショナル・サウンド」の前に、
岡先生の発言にあるように「アメリカ製の」、もしくはアメリカ西海岸製の」、または「JBL製の」と、
ひとこと、つけ加えられることであろう。

グローバルとインターナショナルの違いは、
「故郷は?」ときかれたときに、
「日本・東京」とか「カナダ・トロント」とこたえるのがインターナショナルであって、
「お母さんのお腹の中」とこたえるのがグローバルだ、と私は思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1117


現代スピーカー考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=781

ステレオサウンドの60号の1年半前にも、スピーカーの試聴テストを行なっている。
54号(1980年3月発行)の特集は「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」で、
菅野沖彦、黒田恭一、瀬川冬樹の3氏が試聴、長島先生が測定を担当されている。
この記事の冒頭で、試聴テスター3氏による「スピーカーテストを振り返って」と題した座談会が行なわれている。

ここで、瀬川先生は、インターナショナルサウンドにつながる発言をされている。
     ※
海外のスピーカーはある時期までは、特性をとってもあまりよくない、ただ、音の聴き方のベテランが体験で仕上げた音の魅力で、海外のスピーカーをとる理由があるとされてきました。しかし現状は決してそうとばかかりは言えないでしょう。
私はこの正月にアメリカを回ってきまして、あるスピーカー設計のベテランから「アメリカでも数年前までは、スピーカーづくりは錬金術と同じだと言われていた。しかし今日では、アメリカにおいてもスピーカーはサイエンティフィックに、非常に細かな分析と計算と設計で、ある水準以上のスピーカーがつくれるようになってきた」と、彼ははっきり断言していました。
これはそのスピーカー設計者の発言にとどまらず、アメリカやヨーロッパの本当に力のあるメーカーは、ここ数年来、音はもちろんのこと物理特性も充分にコントロールする技術を本当の意味で身につけてきたという背景があると思う。そういう点からすると、いまや物理特性においてすらも、日本のスピーカーを上まわる海外製品が少なからず出てきているのではないかと思います。
かつては物理特性と聴感とはあまり関連がないと言われてきましたが、最近の新しい解析の方法によれば、かなりの部分まで物理特性で聴感のよしあしをコントロールできるところまできていると思うのです。
     ※
アメリカのベテランエンジニアがいうところの「数年前」とは、
どの程度、前のことなのかはっきりとはわからないが、10年前ということはまずないだろう、
長くて見積もって5年前、せいぜい2、3年前のことなのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=781


Date: 12月 7th, 2010
現代スピーカー考(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=1581

瀬川先生の「本」づくりのために、いま手もとに古いステレオサウンドがある。
その中に、スピーカーシステムの比較試聴を行った号もあって、掲載されている測定データを見れば、
あきらかに物理特性は良くなっていることがわかる。

ステレオサウンドでは44、45、46、54号がスピーカーの特集号だが、
このあたりの物理特性と、その前の28、29、36号の掲載されている結果(周波数特性)と比較すると、
誰の目にも、その差はあきからである。

36号から、スピーカーシステムのリアル・インピーダンスがあらたに測定項目に加わっている。
20Hzから20kHzにわたって、各周波数でのインピーダンス特性をグラフで表わしたもので、
36号(1975年)と54号(1980年)とで比較すると、これもはっきりと改善されていることがわかる。

インピーダンス特性の悪いスピーカーだと、
周波数特性以上にうねっているものが1970年半ばごろまでは目立っていた。
低域での山以外は、ほぼ平坦、とすべてのスピーカーシステムがそういうわけでもないが、
うねっているモノの割合はぐんと減っている。
周波数特性同様に、全体的にフラット傾向に向っていることがわかる。

この項の(その21)でのアメリカのスピーカーのベテラン・エンジニアの発言にある数年前は、
やはり10年前とかではなくて、当時(1980年)からみた4、5年前とみていいだろう。

アンプでは増幅素子が真空管からトランジスター、さらにトランジスターもゲルマニウムからシリコンへ、と、
大きな技術的転換があったため、性能が大きく向上しているのに対して、
スピーカーの動作原理においては、真空管からトランジスターへの変化に匹敵するようなことは起っていない。
けれど、スピーカーシステムとしてのトータルの性能は、数年のあいだに確実に進歩している。
http://audiosharing.com/blog/?p=1581


Date: 3月 21st, 2012
現代スピーカー考(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=7389

ステレオサウンド 54号のスピーカー特集の記事の特徴といえるのが、
平面振動板のスピーカーシステムがいくつか登場しており、
ちょうどこのあたりの時期から国内メーカーでは平面振動板がブームといえるようになっていた。

51号に登場する平面振動板のスピーカーシステムはいちばん安いものではペアで64000円のテクニクスのSB3、
その上級機のSB7(120000円)、Lo-DのHS90F(320000円)、ソニー・エスプリのAPM8(2000000円)と、
価格のダイナミックレンジも広く、高級スピーカーだけの技術ではなくてなっている。
これら4機種はウーファーまですべて平面振動板だが、
スコーカー、トゥイーターのみ平面振動板のスピーカーシステムとなると数は倍以上になる。

ステレオサウンド 54号は1980年3月の発行で、
国内メーカーからはこの後、平面振動板のスピーカーシステムの数は増えていった。

私も、このころ、平面振動板のスピーカーこそ理想的なものだと思っていた。
ソニー・エスプリのAPM8の型番(accurate pistonic motion)が表すように、
スピーカーの振動板は前後にピストニックモーションするのみで、
分割振動がまったく起きないのが理想だと考えていたからだ。
それに平面振動板には、従来のコーン型ユニットの形状的な問題である凹み効果も当然のことだが発生しない。

その他にも平面振動板の技術的メリットを、カタログやメーカーの広告などで読んでいくと、
スピーカーの理想を追求することは平面振動板の理想を実現することかもしれない、とも思えてくる。
確かに振動板を前後に正確にピストニックモーションさせるだけならば、平面振動板が有利なのだろう。

けれど、ここにスピーカーの理想について考える際の陥し穴(というほどのものでもないけれど)であって、
振動板がピストニックモーションをすることが即、入力信号に忠実な空気の疎密波をつくりだせるわけではない、
ということに1980年ごろの私は気がついていなかった。

音は空気の振動であって、
振動板のピストニックモーションを直接耳が感知して音として認識しているわけではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=7389


Date: 3月 24th, 2012
現代スピーカー考(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=7391

平面振動板のスピーカーと一口に言っても、大きく分けると、ふたつの行き方がある。
1980年頃から日本のメーカーが積極的に開発してきたのは振動板の剛性をきわめて高くすることによるもので、
いわば従来のコーン型ユニットの振動板が平面になったともいえるもので、
磁気回路のなかにボイスコイルがあり、ボイスコイルの動きをボイスコイルボビンが振動板に伝えるのは同じである。

もうひとつの平面振動板のスピーカーは、振動板そのものにはそれほどの剛性をもつ素材は使われずに、
その平面振動板を全面駆動とする、リボン型やコンデンサー型などがある。

ピストニックモーションの精確さに関しては、どちらの方法が有利かといえば、
振動板全体に駆動力のかかる後者(リボン型やコンデンサー型)のようにも思えるが、
果して、実際の動作はそういえるものだろうか。

リボン型、コンデンサー型の振動板は、板というよりも箔や膜である。
理論通りに、振動箔、振動膜全面に均一に駆動力がかかっていれば、振動箔・膜に剛性は必要としない。
だがそう理論通りに駆動力が均一である、とは思えない。
たとえ均一に駆動力が作用していたとしても、実際のスピーカーシステムが置かれ鳴らされる部屋は残響がある。

無響室ではスピーカーから出た音は、原則としてスピーカーには戻ってこない。
広い平地でスピーカーを鳴らすのであれば無響室に近い状態になるけれど、
実際の部屋は狭ければ数メートルでスピーカーから出た音が壁に反射してスピーカー側に戻ってくる。
それも1次反射だけではなく2次、3次……何度も壁に反射する音がある。

これらの反射音が、スピーカーの振動板に対してどう影響しているのか。
これは無響室で測定している限りは掴めない現象である。

1980年代にアポジーからオール・リボン型スピーカーシステムが登場した。
ウーファーまでリボン型ということは、ひとつの理想形態だと、当時は考えていた。
それをアポジーが実現してくれた。
インピーダンスの低さ、能率の低さなどによってパワーアンプへの負担は、
従来のスピーカー以上に大きなものになったとはいえ、
こういう挑戦によって生れてくるオーディオ機器には、輝いている魅力がある。

アポジーの登場時にはステレオサウンドにいたころだから、聴く機会はすぐにあった。
そのとき聴いたのはシンティラだった。
そのシンティラが鳴っているのを、見ていてた。
http://audiosharing.com/blog/?p=7391


Date: 3月 25th, 2012
現代スピーカー考(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=7410

アポジーのスピーカーシステムは、外観的にはどれも共通している。
縦長の台形状の、広い面積のアルミリボンのウーファーがあり、
縦長の細いスリットがスコーカー・トゥイーター用のリボンなのだが、
アポジーのスピーカーシステムが鳴っているのを見ていると、
スコーカー・トゥイーター用のリボンがゆらゆらと動いているのが目で確認できる。

目で確認できる程度の揺れは、非常に低い周波数なのであって、
スコーカー・トゥイーターからそういう低い音は本来放射されるものではない。
LCネットワークのローカットフィルターで低域はカットされているわけだから、
このスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れは、入力信号によるもではないことははっきりしている。

リボン型にしてもコンデンサー型にしても、
理論通りに振動箔・膜の全面に対して均一の駆動力が作用していれば、
おそらくは振動箔・膜に使われている素材に起因する固有音はなくなってしまうはずである。
けれど、現実にはそういうことはなく、コンデンサー型にしろリボン型にしろ素材の音を消し去ることはできない。

つまりは、微視的には全面駆動とはなっていない、
完全なピストニックモーションはリボン型でもコンデンサー型でも実現できていない──、
そういえるのではないだろうか。
この疑問は、コンデンサー型スピーカーの原理を、スピーカーの技術書を読んだ時からの疑問だった。
とはいえ、それを確かめることはできなかったのだが、
アポジーのスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れを見ていると、
完全なピストニックモーションではない、と確信できる。

だからリボン型もコンデンサー型もダメだという短絡なことをいうために、こんなことを書いているのではない。
私自身、コンデンサー型のQUADのESLを愛用してきたし、
アポジーのカリパー・シグネチュアは本気で導入を考えたこともある。
ここで書いていくことは、そんなことではない。

スピーカーの設計思想における、剛と柔について、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=7410

Date: 3月 28th, 2012
現代スピーカー考(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=7456

より正確なピストニックモーションを追求し、
完璧なピストニックモーションを実現するためには、振動板の剛性は高い方がいい。
それが全面駆動型のスピーカーであっても、
振動板の剛性は(ピストニックモーションということだけにとらわれるのであれば)、高い方がいい。

ソニーがエスプリ・ブランドで、振動板にハニカム構造の平面振動板を採用し、
その駆動方法もウーファーにおいてはボイスコイル、磁気回路を4つ設けての節駆動を行っている。
しかもボイスコイルボビンはハニカム振動板の裏側のアルミスキンではなく、
内部のハニカムを貫通させて表面のアルミスキンをふくめて接着する、という念の入れようである。

当時のソニーの広告には、そのことについて触れている。
特性上ではボイスコイルボビンをハニカム振動板の裏側に接着しても、
ハニカム構造を貫通させての接着であろうとほとんど同じなのに、
音を聴くとそこには大きな違いがあった、ということだ。
つまり特性上では裏側に接着した段階で充分な特性が得られたものの、
音の上では満足の行くものにはならなかったため、さらなる検討を加えた結果がボイスコイルボビンの貫通である。

APM8は1979年当時でペアで200万円していた。
海外製のスピーカーシステムでも、APM8より高額なモノはほとんどなかった。
高価なスピーカーシステムではあったが、その内容をみていくと、高くはない、といえる。

そして、この時代のソニーのスピーカーシステムは、
このAPM8もそうだし、その前に発売されたSS-G9、SS-G7など、どれも堂々としていた。

すぐれたデザインとは思わないけれど、
技術者の自信が表に現れていて、だからこそ堂々とした感じに仕上がっているのだと思う。

これらのソニーのスピーカーシステムに較べると、この10年ほどのソニーのスピーカーシステムはどうだろう……。
音は聴いていないから、そこについては語らないけれど、どこかしら弱々しい印象を見たときに感じてしまう。

このことについて書いていくと、長々と脱線してしまう。
話をピストニックモーションにもどそう。
http://audiosharing.com/blog/?p=7456


Date: 5月 20th, 2012
現代スピーカー考(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=7704

スピーカーの振動板を──その形状がコーン型であれ、ドーム型であれ、平面であれ──
ピストニックモーションをさせる(目指す)のは、なぜなのか。

スピーカーの振動板の相手は、いうまでもなく空気である。
ごく一部の特殊なスピーカーは水中で使うことを前提としているものがあるから水というものもあるが、
世の中の99.9%以上のスピーカーが、その振動板で駆動するのは空気である。

空気の動きは目で直接捉えることはできないし、
空気にも質量はあるものの普通に生活している分には空気の重さを意識することもない。
それに空気にも粘性があっても、これも、そう強く意識することはあまりない。
(知人の話では、モーターバイクで時速100kmを超えるスピードで走っていると、
空気が粘っこく感じられる、と言っていたけれど……)

空気が澱んだり、煙たくなったりしたら、空気の存在を意識するものの、
通常の快適な環境では空気の存在を、常に意識している人は、ごく稀だと思う。

そういう空気を、スピーカーは相手にしている。

空気がある閉じられた空間に閉じこめられている、としよう。
例えば筒がある。この中の空気をピストンを動かして、空気の疎密波をつくる、とする。
この場合、筒の内径とピストンの直径はほぼ同じであるから、
ピストンの動きがそのまま空気を疎密波に変換されることだろう。

こういう環境では、振動板(ピストン)の動きがそのまま空気の疎密波に反映される(はず)。
振動板が正確なピストニックモーションをしていれば、筒内の空気の疎密波もまた正確な状態であろう。

だが実際の、われわれが音を聴く環境下では、この筒と同じような状況はつくり出せない。
つまり壁一面がスピーカーの振動板そのもの、ということは、まずない。
http://audiosharing.com/blog/?p=7704


現代スピーカー考(その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=7812

仮に巨大な振動板の平面型スピーカーユニットを作ったとしよう。
昔ダイヤトーンが直径1.6mのコーン型ウーファーを作ったこともあるのだから、
たとえば6畳間の小さな壁と同じ大きさの振動板だったら、
金に糸目をつけず手間を惜しまなければ不可能ということはないだろう。

縦2.5m×横3mほどの平面振動板のスピーカーが実現できたとする。
この巨大な平面振動板で6畳間の空気を動かす。
もちろん平面振動板の剛性は非常に高いもので、磁気回路も強力なもので十分な駆動力をもち、
パワーアンプの出力さえ充分に確保できさえすればピストニックモーションで動けば、
筒の中の空気と同じような状態をつくり出せるであろう。

けれど、われわれが聴きたいのは、基本的にステレオである。
これではモノーラルである。
それでは、ということで上記の巨大な振動板を縦2.5m×横1.5mの振動板に二分する。
これでステレオになるわけだが、果して縦2.5m×横3mの壁いっぱいの振動板と同じように空気を動かせるだろうか。

おそらく無理のはずだ。
空気は押せば、その押した振動板の外周付近の空気は周辺に逃げていく。
モノーラルで縦2.5m×横3mの振動板ひとつであれば、
この振動板の周囲は床、壁、天井がすぐ側にあり空気が逃げることはない。
けれど振動板を二分してしまうと左側と振動板と右側の振動板が接するところには、壁は当り前だが存在しない。
このところにおいては、空気は押せば逃げていく。
逃げていく空気(ここまで巨大な振動板だと割合としては少ないだろうが)は、
振動板のピストニックモーションがそのまま反映された結果とはいえない。

しかも実際のスピーカーの振動板は、上の話のような巨大なものではない。
もっともっと小さい。
筒とピストンの例でいえば、筒の内径に対してピストンの直径は半分どころか、もっと小さくなる。
38cm口径のウーファーですら、6畳間においては部屋の高さを2.5mとしたら約1/6程度ということになる。
かなり大ざっぱな計算だし、これはウーファーを短辺の壁にステレオで置いた場合であって、
長辺の壁に置けばさらにその比率は小さくなる。
http://audiosharing.com/blog/?p=7812


Date: 11月 3rd, 2012
現代スピーカー考(その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=8337

筒とピストンの例をだして話を進めてきているけれど、
この場合でも筒の内部が完全吸音体でなければ、
ピストン(振動板)の動きそのままの空気の動き(つまりピストニックモーション)にはならないはず。

どんなに低い周波数から高い周波数の音まで100%吸音してくれるような夢の素材があれば、
筒の中でのピストニックモーションは成立するのかもしれない。

でも現実にはそんな環境はどこにもない。
これから先も登場しないだろうし、もしそんな環境が実現できるようになったとしても、
そんな環境下で音楽を聴きたいとは思わない。

音楽を聴きたいのは、いま住んでいる部屋において、である。
その部屋はスピーカーの振動板の面積からずっと大きい。
狭い狭い、といわれる6畳間であっても、スピーカー(おもにウーファー)の振動板の面積からすれば、
そのスピーカーユニットが1振幅で動かせる空気の容量からすれば、ずっとずっと広い空間である。
そして壁、床、天井に音は当って、その反射音を含めての音をわれわれは聴いている。

そんなことを考えていると、振動板のピストニックモーションだけでいいんだろうか、という疑問が出てくる。

コンデンサー型やリボン型のように、振動板のほぼ全面に駆動力が加わるタイプ以外では、
ピストニックモーションによるスピーカーであれば、振動板に要求されるのは高い剛性が、まずある。

それに振動板には剛性以外にも適度な内部損失という、剛性と矛盾するような性質も要求される。
そして内部音速の速さ、である。

理想のピストニックモーションのスピーカーユニットための振動板に要求されるのは、
主に、この3つの項目である。

その実現のために、これまでさまざまな材質が採用されてきたし、
これからもそうであろう。
ピストニックモーションを追求する限り、剛性の高さ、内部音速の速さは重要なのだから。

このふたつの要素は、つまりは剛、である。
この剛の要素が振動板に求められるピストニックモーションも、また剛の動作原理ではないだろうか。

剛があれば柔がある。
剛か柔か──、
それはピストニックモーションか非ピストニックモーションか、ということにもなろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=8337


Date: 8月 15th, 2013
現代スピーカー考(その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=11560

スピーカーにおけるピストニックモーションの追求は、はっきりと剛の世界である。

その剛の世界からみれば、
ジャーマン・フィジックスのスピーカーシステムに搭載されているDDD型ユニットのチタンの振動板は、
理屈的に納得のいくものではない。

DDD型のチタンの振動板は、何度か書いているように振動板というよりも振動膜という感覚にちかい。
剛性を確保することは考慮されていない。
かといって、コンデンサー型やリボン型のように全面駆動型でもない。

スピーかーを剛の世界(ピストニックモーションの追求)からのみ捉えていれば、
ジャーマン・フィジックスの音は不正確で聴くに耐えぬクォリティの低いものということになる。

けれど実際にDDD型ユニットから鳴ってくる音は、素晴らしい。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、
1970年代にはウォルッシュ型、ウェーヴ・トランスミッションライン方式と呼ばれていた。
インフィニティの2000AXT、2000IIに採用されていた。
2000AXTは3ウェイで5Hz以上に、2000IIは4ウェイで、10kHz以上にウォルッシュ型を使っていた。

1980年代にはオームから、より大型のウォルッシュ・ドライバーを搭載したシステムが登場した。
私がステレオサウンドにいたころ、伊藤忠が輸入元で、新製品の試聴で聴いている。
白状すれば、このとき、このスピーカー方式のもつ可能性を正しく評価できなかった。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ほどに完成度が高くなかった、ということもあるが、
まだ剛の世界にとらわれていたからかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=11560


Date: 8月 15th, 2013
現代スピーカー考(その31)
http://audiosharing.com/blog/?p=11569

ステレオサウンドは以前、HI-FI STEREO GUIDEを年二回出していた。
そのとき日本市場で発売されているオーディオ機器を、アクセサリーをふくめて網羅した便利な本だった。

しかも70年代の、この本の巻頭には、沢村亨氏による「カタログデータの読み方」というページがあり、
その中にウォルッシュ・ドライバーの解説もあった。

そのおかげで大ざっぱにはどういうものか知っていたけれど、
それだけではやはり不充分だったし、オームのスピーカーシステムを、
すこし変った無指向性スピーカーというぐらいの認識のところでとまっていた。

このころアメリカ(だったと記憶している)からBESというメーカーのスピーカーシステムが入ってきていた。
これもステレオサウンドの新製品紹介のページで取り上げている。
薄型のパネル状の外観のスピーカーシステムだった。

外観からはマグネパンと同類のスピーカーなんだろう、という理解だった。
ただ輸入元からの資料を読むと、どうもそうではないことはわかったものの、
それでも、それがどういうことなのかを理解できていたわけではない。

このBESのスピーカーシステムも、ステレオサウンドの試聴室で聴いている。
でも、記憶を溯っても、ほとんど思い出せない。

BESのスピーカーシステムもベンディングウェーヴのひとつだったのか、と気づくのは、
もっとずっと後、ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いたあとだった。

それほどスピーカーの理想動作は、ピストニックモーションである──、
このことから離れることができずに、ものごとを捉えていたのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=11569


Date: 8月 17th, 2013
現代スピーカー考(その32)
http://audiosharing.com/blog/?p=11586

ピストニックモーションだけがスピーカーの目指すところではないことは知ってはいた。
そういうスピーカーが過去にあったことも知識としては知ってはいた。

ヤマハの不思議な形状をしたスピーカーユニットが、いわゆる非ピストニックモーションの原理であることは、
あくまでも知識の上でのことでしかなかった。

このヤマハのスピーカーユニットのことは写真で知っていたのと、
そういうスピーカーがあったという話だけだった。
ヤマハ自身がやめてしまったぐらいだから……、というふうに捉えてしまったこともある。

1980年ごろから国内メーカーからはピストニックモーションを、より理想的に追求・実現しようと、
平面振動板スピーカーがいくつも登場した。
そういう流れの中にいて、非ピストニックモーションでも音は出せる、ということは、
傍流の技術のように見えてしまっていた。

それに1980年代に聴くことができた非ピストニックモーションのスピーカーシステム、
BESのシステムにしても、オームのウォルッシュドライバーにしても、完成度の低さがあり、
それまで国内外のスピーカーメーカーが追求してきて、あるレベルに達していた剛の世界からすれば、
非ピストニックモーションの柔の世界は、
生れたばかりの、まだ立てるか立てないか、というレベルだった、ともいえよう。

それに聞くところによると、
ウォルッシュ・ドライバーの考案者でウォルッシュ博士も、
最初はピストニックモーションでの考えだったらしい。
けれど実際に製品化し研究を進めていく上で、
ピストニックモーションではウォルッシュ・ドライバーはうまく動作しないことに気づき、
ベンディングウェーヴへと考えを変えていったそうだ。

当時は、ベンディングウェーヴという言葉さえ、知らなかったのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=11586

Date: 5月 13th, 2014
現代スピーカー考(その33)
http://audiosharing.com/blog/?p=13694

リボン型、コンデンサー型、その他の全面駆動型のスピーカーユニットがある。
これらは振動板の全面に駆動力がかかっているから、振動板の剛性は原則として必要としない、とされている。

駆動力が振動板全体に均一にかかっていて、その振動板が周囲からの影響をまったく受けないのであれば、
たしかに振動板に剛性は必要ない、といえるだろう。

だがリボン型にしろコンデンサー型にしろ、一見全面駆動のように見えても、
微視的にみていけば駆動力にムラがあるのは容易に想像がつく。
だいたい人がつくり出すものに、完全な、ということはない。
そうであるかぎり完全な全面駆動は現実のモノとはならない。

ボイスコイルを振動板にプリントし、振動板の後方にマグネットを配置した平面型は、
コンデンサー型よりももっと駆動力に関しては不均一といえる。
そういう仕組みを、全面駆動を目指した方式だから、
さも振動板全体に均一に駆動力がかかっている……、と解説する人がいる。

コーン型やドーム型に対して、こうした方式を全面駆動ということは間違いとはいえないし、
私もそういうことがある。だが完全なる全面駆動ではないことは、ことわる。

もし全面駆動(つまり振動板全体に駆動力が均一にかかっている状態)が実現できていたら、
振動板の材質の違い(物性の違い)による音の差はなくなるはずである。
現実には、そうではない。ということは全面駆動はまだ絵空事に近い、といえる。

ただこれらの方式を否定したいから、こんなことを書いているのではない。
これらのスピーカーはピストニックモーションを追求したものであり、
ピストニックモーションを少しでも理想に近付けるには、振動板の剛性は高さが常に求められる。

剛性の追求(剛の世界)は、力まかせの世界でもある。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いてから、頓にそう感じるようになってきた。
http://audiosharing.com/blog/?p=13694


Date: 1月 30th, 2015
現代スピーカー考(その34)
http://audiosharing.com/blog/?p=16134

柔よく剛を制す、と昔からいわれている。
これがスピーカーの世界にも完全に当てはまるとまでは私だっていわないけれど、
柔よく剛を制すの考え方は、これからのスピーカーの進化にとって必要なことではないか。

これに関連して思い出すのは、江川三郎氏が一時期やられていたハイイナーシャプレーヤーのことだ。
ステレオかオーディオアクセサリーに発表されていた。
慣性モーメントを高めるために、中心から放射状にのびた複数の棒の先に重りがつけられている。
重りの重量がどのくらいだったのか、放射状の棒の長さがどれだけだったのかはよく憶えていない。
それでもガラス製のターンテーブルとこれらの組合せは、写真からでも独特の迫力を伝えていた。

ターンテーブルの直径も30cmではなく、もっと大きかったように記憶している。
トーンアームもスタックスのロングアーム(それも特註)だったような気がする。

慣性モーメントを大きくするという実験のひとつの記録かもしれない。
メーカーも同じようにハイイナーシャのプレーヤーの実験は行っていただろう。
だからこそターンテーブルプラッター重量が6kgから10kgのダイレクトドライヴ型がいくつか登場した。

慣性モーメントを高めるには、同じ重量であれば、中心部よりも外周部に重量が寄っていた方が有利だし、
直径の大きさも効果的である。
その意味で江川三郎氏のハイイナーシャプレーヤーは理に適っていた、ともいえる。

そのころの私は、江川三郎氏はさらにハイイナーシャを追求されるだろうと思っていた。
けれど、いつのころなのかはもう憶えていないが、ハイイナーシャプレーヤーは処分されたようであるし、
ハイイナーシャを追求されることもなくなった。

なぜなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=16134


Date: 1月 30th, 2015
現代スピーカー考(その35)
http://audiosharing.com/blog/?p=16146

江川三郎氏がどこまでハイイナーシャプレーヤーを追求されたのかは、私は知らない。
想像するに、ハイイナーシャに関してはやればやるほど音は変化していき、
どこまでもエスカレートしていくことを感じとられていたのではないだろうか。

つまり飽和点が存在しないのではないか、ということ。

静粛な回転のためにターンテーブルプラッターの重量を増す傾向はいまもある。
10kgほどの重量は珍しくなくなっている。
もっと重いものも製品化されている。

どこまでターンテーブルプラッターは重くしていけば、
これ以上重くしても音は変化しなくなる、という飽和点があるのだろうか。

10kgを20kgにして、40kg、100kg……としていく。
アナログディスクの重量は、重量盤といわれるもので約180g。
この一万倍が1800kgとなる。
このへんで飽和点となるのか。

それにターンテーブルプラッターを重くしていけば、それを支える周辺の重量も同時に増していく。
1.8tのターンテーブルプラッターであれば、プレーヤーシステムの総重量は10tほどになるのだろうか。

だれも試せないのだから、ここまでやれば飽和点となるとはいえない。
飽和点に限りなく近づいていることはいえるが、それでも飽和点といえるだろうか。

江川三郎氏も、飽和点について書かれていたように記憶している。
ようするに、きりがないのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=16146


Date: 7月 22nd, 2018
現代スピーカー考(その36)
http://audiosharing.com/blog/?p=26490

この項は、このブログを書き始めたころは熱心に書いていたのに、
(その35)を書いたのは、三年半ほど前。

ふと思いだし、また書き始めたのは、
ステレオサウンド 207号の特集が「ベストバイ・スピーカー上位49モデルの音質テスト」だからだ。

ステレオサウンドでの前回のスピーカーシステムの総テストは187号で、五年前。
ひさびさのスピーカーシステムの総テストであるし、
私もひさびさに買ったステレオサウンドだった。

49機種のスピーカーシステムの、もっとも安いモノはエラックのFS267で、
420,000円(価格はいずれもペア)。
もっとも高いモノは、YGアコースティクスのHailey 1.2の5,900,000円である。

どことなく似ているな、と感じるスピーカーシステムもあれば、
はっきりと個性的なスピーカーシステムもある。

使用ユニットもコーン型は当然として、ドーム型、リボン型、ホーン型、
コンデンサー型などがあるし、
ピストニックモーションが主流だが、ベンディングウェーブのスピーカーもある。

これら49機種のスピーカーシステムは、
いずれも半年前のステレオサウンドの特集ベストバイの上位機種ということだから、
人気も評価も高いスピーカーシステムといえる。

その意味では、すべてが現代スピーカーといえるのか、と思うわけだ。

いったい現代スピーカーとは、どういうものなのか。
それをこの項では書こうとしていたわけだが、過去のスピーカーシステムをふり返って、
あの時代、あのスピーカーは確かに現代スピーカーだった、といえても、
現行製品を眺めて、さぁ、どれが現代スピーカーで、そうでないのか、ということになると、
なかなか難しいと感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26490


Date: 7月 24th, 2018
現代スピーカー考(その37)
http://audiosharing.com/blog/?p=26534

ステレオサウンド 207号の特集に登場する49機種のスピーカーシステム。
いま世の中に、この49機種のスピーカーシステムしか選択肢がない、という場合、
私が選ぶのは、フランコ・セルブリンのKtêmaである。

ペアで400万円を超えるから、いまの私には買えないけれども、
予算を無視した選択ということであれば、Ktêmaを、迷うことなく選ぶ。

このスピーカーならば、こちらがくたばるまでつきあっていけそうな予感がある。

49機種のスピーカーシステムで実際に、その音を聴いているのは半分もない。
Ktêmaは聴いている。

仮に聴いていなかったとしても、207号の試聴記だけでの判断でもKtêmaである。

207号の特集では四つの価格帯に分けられている。
それぞれの価格帯から選ぶとしたら、
80万円以下のところでは、ハーベスのSuper HL5 PlusかタンノイのEaton。
130万円以下のところでは、フランコ・セルブリンのAccordo。
280万円以下のところでは、JBLの4367WXかマンガーのp1、それにボーニック・オーディオのW11SE。
280万円超のところでは、Ktêmaの他にはJBLのProject K2 S9500。

8/49である。
これら八機種のうちで、現代スピーカーと考えられるモノは……、というと、
まずKtêmaは真っ先に外れる。
同じフランコ・セルブリンのAccordoも、外れる。

ハーベスも現代的BBCモニターとはいえても、現代スピーカーなのか、となると、
やはり外すことになる。Eatonも旧Eatonと比較すれば部分的に現代的ではあっても、
トータルでみた場合には、現代スピーカーとはいえない。

マンガーのユニットそのものは非常に興味深いものを感じるが、
だからといってシステムとしてとらえた場合は、やはりこれも外すことになる。

ボーニック・オーディオは数ヵ月前に、とある販売店で鳴っているのを偶然耳にした。
それまで気にも留めなかったけれど、
そこで鳴っていた音は、自分の手で鳴らしてみたらどんなふうに変るのか、
それをやってみたくなるくらいの音がしていた。

JBLを二機種選んだが、現代スピーカーということでは4367WXのほうだし、
ドライバーとホーンは現代スピーカーのモノといえるかも、ぐらいには感じている。
それでも、システムとしてどうなのか、といえば、やはり外す。

となると、八機種の中で、これが現代スピーカーだ、といえるモノはない。
では、残りの41機種の中にあるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26534
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1168.html

[リバイバル3] ハイエンド・スピーカーの世界 中川隆
166. 中川隆[-5719] koaQ7Jey 2021年4月14日 19:27:12 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[38]
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タイトル=audio identity (designing) 宮ア勝己 現代スピーカー考

audio identity (designing) 宮ア勝己 ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか) (中川隆)
に対するレスポンス投稿として

audio identity (designing) 宮ア勝己 現代スピーカー考

Date: 9月 15th, 2008
現代スピーカー考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=48

1年ほど前だったと思うが、ある掲示板で
「現代スピーカーの始まりはどこからか」というタイトルで語られていたのを、ちらっと読んだことがある。

この問掛けをした人は、ウィルソン・オーディオのスピーカーだ、という。
コメントを寄せている人の中には、B&Wのマトリックス801という人もいたし、
その他のメーカー、スピーカーの型番をあげる人もいた。

挙げられたスピーカーの型番は、
ほぼすべて1980年代の終わりから90年にかけて登場したものばかりで、
ここにコメントしている人たちは、私よりも10歳くらい若い世代か、さらにその下の世代かもと思っていたら、
大半の方が私よりも二、三歳上なので、驚いた。

もっと驚いたのは、誰一人、現代スピーカーの定義を行なわないまま、
スピーカーの型番を挙げ、その理由というよりも、私的感想を述べているだけなことだ。

特定の人しか読めないようになっている内輪だけの場や、
酒を飲みながら、あれが好きだとかこれはちょっと……と語り合うのは、くだらなさを伴いながらも楽しいし、
そのことに、外野の私は、何も言わない。

けれど不特定の人がアクセスする場で、
少なくとも「現代スピーカーはここから始まった」というテーマで語り合うにしては、
すこし幼すぎないだろうか。

話をもどそう。
現代スピーカーは、KEFからはじまった、と私は考える。
http://audiosharing.com/blog/?p=48

現代スピーカー考(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=49

昔も今もそうだが、KEFをケフと呼ぶ人が少なからずいるが、正しくはケー・イー・エフである。

KEFは、1961年にレイモンド・E・クックによって創立されている。
クックは、ワーフェデール(輸入元が変わるたびに日本語表記も変っていて、ワーフデールだったりもするが、
個人的にはワーフェデールが好きなので)に直前まで在籍している。

ワーフェデールは、イギリス人で当時のスピーカー界の大御所のひとりだった
G・A・ブリッグスによる老舗のスピーカーメーカー(創立1932年)で、
ブリッグスはいくつものオーディオ関係の著書を残している。
1961年に「Audio Biobraphies」を出している。

イギリスとアメリカのオーディオ関係者の回想録に、ブリッグスがコメントをつけたもので、
そこに1954年の、ある話が載っており、岡俊雄氏が、ステレオサウンド 10号に要約されている。

手元にその号はないので、記憶による要約だが──
1954年、ニューヨークのホテルで催されていたオーディオフェアに、ワーフェデールも出展していた。
そのワーフェデールのブースにある日、若い男が、
一辺四〇センチにも満たない、小さなスピーカーを携えて現われた。
エドガー・M・ヴィルチュアであり、G・A・ブリッグスに面会を求めた。
ヴィルチュアはスピーカー会社をつくり、その第1号機を持ってきた。
これと、ブリッグス(つまりワーフェデール)のスピーカーと、公開試聴をしたいという申し出である。
ワーフェデールの大型スピーカーは約250リットル強、
ヴィルチュアのスピーカーは一辺40cmにも満たない立方体の小型スピーカー。

当時の常識では、勝負は鳴らす前から決っていると多くの人が思っていたにも関わらず、
パイプオルガンのレコードを、十分な量感で自然な音で聴かせたのは、
ヴィルチュアの小型スピーカーだったのを、会場の多くの人ばかりでなく、ブリッグスも認めている。

E・M・ヴィルチュアは、翌年、自身の会社アコースティック・リサーチ(AR)創立し、
正式にAR-1と名付けたスピーカーを市販している(試作機とは多少寸法は異なる)。

勝手な推測だが、この事件が、クックがワーフェデールをはなれ、
KEFを創立するのにつながっていると思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=49

現代スピーカー考(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=50

クックがいた頃のワーフェデールのスピーカーユニットは、
ウーファーもスコーカーもトゥイーターもすべてコーン型で、振動板は、もちろん紙を採用している。
そのラインナップの中で異色なのは、W12RS/PSTである。

紙コーンのW12RSとは異り、型番の末尾が示すとおり発泡プラスチックを振動板に採用している。
このW12RS/PSTを開発したのは、技術部長だったクックである。
さらにクックは、高分子材料を振動板に使うことを考え開発したにも関わらず、ブリッグスが採用を拒否している。
このウーファーがのちにKEFのB139として登場する。

クックは、スピーカーの振動板としての紙に対して、
自然素材ゆえに安定性が乏しく均一のものを大量に作る工業製品の素材としては必ずしも適当ではないと考えており、
均質なものを大量に作り出すことが容易な化学製品に、はやくから注目し取り組んでいる。

クックの先進性と、それを拒否したブリッグスが、
ワーフェデールという、老舗の器の中で居つづけることは無理があったと考えてもいいだろう。

もしB139がワーフェデールから登場していたら、クックの独立はなかったか、
すこし先に延びていたかもしれないだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=50


現代スピーカー考(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=51

レイモンド・E・クックは、ワーフェデールに在籍していた1950年代、
外部スタッフとしてBBCモニターの開発に協力している。
当時のBBC技術研究所の主任研究員D・E・L・ショーターを中心としたチームで、
ショーターのキャリアは不明だが、イギリスにおいてスピーカー研究の第一人者であったことは事実で、
ワーフェデールのブリッグスも,自著「Loudspeakers」に、
ショーターをしばしば訪ねて、指導を仰いだことがある、と記している。

ショーターの元での、スピーカーの基本性能を解析、理論的に設計していく開発スタイルと、
当時のスピーカーメーカーの多くが勘と経験に頼った、いわゆる職人的な設計・開発スタイルを、
同時期に経験しているクック。

クックの写真を見ると、学者肌の人のように思う。
彼の気質(といっても写真からの勝手な推測だが)からいっても、
後者のスタイルはがまんならなかっただろうし、職人的開発スタイルのため、
新しい理論(アコースティックサスペンション方式)による小型スピーカーに公開試聴で負けたことは、
その場にいたかどうかは不明だが、ブリッグス以上に屈辱的だったに違いないと思っている。

ショーターやクックのチームが開発したスピーカーは、LS5/1であり、
改良モデルのLS5/1Aの製造権を手に入れたのは、クックが創立したKEFであり、BBCへの納入も独占している。
http://audiosharing.com/blog/?p=51


現代スピーカー考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=54

LS5/1Aは、スタンダードサンプルに対して規定の範囲内に特性がおさまるように、
1本ずつ測定・キャリブレートが要求される。
クックにとって、均質の工業製品をつくる上で、このことは当り前のこととして受けとめていただろう。

1961年、KEFはプラスチックフィルム、メリネックスを振動板に採用したドーム型トゥイーターT15を、
1962年にはウーファーのB139を発表している。
ワーフェデール時代にやれなかった、
理論に裏打ちされた新しい技術を積極的に採りいれたスピーカーの開発を特色として打ち出している。

1968年、KEFにローリー・フィンチャムが技術スタッフとして加わる。
彼を中心としたチームは、ブラッドフォード大学と協力して、
スピーカーの新しい測定方法を開発し、1973年のAESで発表している。
インパルスレスポンスの解析法である。

この測定方法の元になったのは、
D.E.L.ショーターが1946年にBBCが発行しているクオータリーに発表した
「スピーカーの過渡特性の測定とその視覚的提示方法」という論文である。
第二次世界大戦の終わった翌年の1月のことである。驚いてしまう。
この論文が実用化されるにはコンピューターの進化・普及が必須で、27年かかっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=54

現代スピーカー考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=56

インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。

この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」とひじょうに高く評価されている。
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
1975年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により、
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、
#104aBにモデルチェンジしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=56


現代スピーカー考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=57

KEFの#104aBは、20cm口径のウーファーB200とソフトドーム型トゥイーターT27の2ウェイ構成に、
B139ウーファーをベースにしたドロンコーンを加えたモデルである。

B200は、クックが中心となって開発された高分子素材のベクストレンを振動板に採用している。
ベクストレンは、その組成が、紙以上にシンプルで均一なため、ロットによるバラツキも少なく、
最終的に音質もコントロールしやすい、との理由で、BBCモニターには1967年から採用されている。
ただし1.5kHzから2kHzにかけての固有音を抑えるために、ダンプ剤が塗布されている。

T27の振動板はメリネックス製。T27の最大の特長は振動板ではなく、構造にある。
磁気回路のトッププレートの径を大きくし、そのままフレームにしている。
従来のドーム型トゥイーターの、トッププレートの上にマウントフレームが設けるのに対して、
構造をシンプル化し、音質の向上を図っている。しかもコストがその分けずれる。
のちにこの構造は、ダイヤトーンのドーム型ユニットにも採用される。

このT27の構造は、いかにもイギリス人の発想だとも思う。
たとえばQUADの管球式パワーアンプのIIでは、QUADのネームプレートを留めているネジで、
シャーシ内部のコンデンサーも共締めしているし、
タンノイの同軸型ユニットは、
アルテックがウーファーとトゥイーターのマグネットを独立させているのと対照的に、
ひとつのマグネットで兼用している。
しかも中高域のホーンの延長として、ウーファーのカーブドコーンを利用している。

こういう、イギリス独特の節約精神から生れたものかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=57

現代スピーカー考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=58


#104と#104aBの違いは(記憶に間違いがなければ)ネットワークだけである。
ユニットはまったく同じ、エンクロージュアも変更されていない。
そのため、KEFでは、旧モデルのユーザーのために、aBタイプへのヴァージョンアップキットを発売していた。
キットの内容は新型ネットワークのDN22をパッケージしたもので、
スピーカーユニットが同じにも関わらず、スピーカーの耐入力が、50Wから100Wと大きく向上している。

この成果は、#104の開発に使われた4ビット・マイクロプロセッサーと、
aBタイプへの改良に使われたヒューレット・パッカード社のHP5451の処理能力の違いから生れたものだろう。

インパルスレスポンスの解析法そのものは大きな変化はなくても、
処理する装置の能力次第で、時間は短縮され、
その分、さまざまなことを試せるようになっているし、
結果の表示能力も大きな違いがあるのは容易に想像できる。
そこから読み取れるものも多くなっているはず。

インパルスレスポンスの解析法の進歩・向上によって(言うまでもないが、進歩しているのは解析法だけではない)、
#105が生れてくることになる。
私が考える現代スピーカーのはじまりは、この#105である。
http://audiosharing.com/blog/?p=58

現代スピーカー考(余談・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=59

KEFの#105は、ステレオサウンド 45号の表紙になっている。
このころのステレオサウンドの表紙を撮影されていたのは安齋吉三郎氏。

いまのステレオサウンドの表紙と違い、
この時代は、撮影対象のオーディオ機器を真正面から見据えている感じがしてきて、
印象ぶかいものが多く、好きである。
41号の4343もそうだし、45号の105もそう。ほかにもいくつもあげられる。

目の前にあるモノを正面から、ひたすらじーっと見続けなければ、
見えてこないものがあることを、
安齋氏の写真は無言のうちに語っている、と私は思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=59


現代スピーカー考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=60

「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」
当時、類似のスピーカーとの違いを尋ねられて、
KEFのレイモンド・E・クックがインタビューで答えた言葉である。

#105とは、KEF独自の同軸型ユニットUNI-Qを搭載したトールボーイ型スピーカーのことではなく、
1977年に登場した3ウェイのフロアー型スピーカーのことである。
#105は、傾斜したフロントバッフルのウーファー専用エンクロージュアの上部に、
スコーカーとトゥイーターをマウントした樹脂製のサブエンクロージュアが乗り、
中高域部単体で、左右に30度、上下に7度、それぞれ角度が変えられるようになっている。
使用ユニットは、105のためにすべて新規開発されたもので、
ウーファーは30cm口径のコーン型、振動板は高分子系。
スコーカーは10cmのコーン型、トゥイーターはドーム型となっている。

こう書いていくと、B&Wの801と似ていると思う人もいるだろう。
801は2年後の79年に登場している。
#105の2年前に、テクニクスのSB-7000が登場しているし、
さらに前にはフランス・キャバスからも登場している。同時期にはブリガンタンが存在している。
http://audiosharing.com/blog/?p=60


現代スピーカー考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=61

使用ユニットの前後位置合わせを行なったスピーカー、一般的にリニアフェイズと呼ばれるスピーカーは、
キャバスがはやくからORTF(フランスの国営放送)用モニターで採用していた。
1976年当時のキャバスのトップモデルのブリガンタン(Brigantin)は、
フロントバッフルを階段状にすることで、各ユニットの音源を垂直線上に揃えている。

リニアフェイズ(linear phase)を名称を使うことで積極的に、
この構造をアピールしたのはテクニクスのSB-7000である。
このモデルは、ウーファー・エンクロージュアの上に、
スコーカー、トゥイーター用サブエンクロージュアを乗せるという、
KEFの#105のスタイルに近い(前にも述べたように、SB-7000が先に登場している)。

さらに遡れば、アルテックのA5(A7)は、
ウーファー用エンクロージュアにフロントホーンを採用することで、
ホーン採用の中高域との音源の位置合わせを行なっている。
#105よりも先に、いわゆるリニアフェイズ方式のスピーカーは存在している。
http://audiosharing.com/blog/?p=61

Date: 10月 29th, 2008
現代スピーカー考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=163

KEFのレイモンド・E・クックの
「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」 を
もういちど思い出してみる。

このインタビューの詳細を思い出せればいいのだが、さすがに30年前のことになると、
記憶も不鮮明なところがあるし、手元にステレオサウンドもない。
いま手元にあるステレオサウンドは10冊に満たない。
もうすこしあれば、さらに正確なことを書いていけるのだが……。

クックが言いたかったのは、#105は単にユニットの音源合わせを行なっているだけではない。
ネットワークも含めて、位相のつながりもスムーズになるよう配慮して設計している。
そういうことだったように思う。
他社製のスピーカーを測定すると、位相が急激に変化する帯域があるとも言っていたはずだ。

当然、その測定にはインパルスレスポンスによる解析法が使われているからこその発言だろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=163


現代スピーカー考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=82

KEFの#105をはじめて聴いたのは1979年、熊本のとあるオーディオ店で、
菅野先生と瀬川先生のおふたりが来られたイベントの時である。

オーディオ相談といえるイベントで、菅野先生、瀬川先生はそれぞれのブースにおられて、
私はほとんど瀬川先生のブースにずっといた。
その時、瀬川先生が調整して聴かせてくれたのが、105である。

いまでこそクラシックが、聴く音楽の主だったものだが、当時、高校二年という少年にとっては、
女性ヴォーカルがうまく鳴ってほしいもので、瀬川先生に、
「この人とこの人のヴォーカルがうまく鳴らしたい」(誰なのかは想像にまかせます)と言ったところ、
「ちょっと待ってて」と言いながら、ブースの片隅においてあった105を自ら移動して、
バルバラのレコードをかけながら、
スピーカー全体の角度、それから中高域ユニットの水平垂直方向の調整を、
手際よくやられたのち、「ここに座って聴いてごらん」と、
バルバラをもういちど鳴らしてくれた。

唇や舌の動きが手にとるようにわかる、という表現が、当時のオーディオ雑誌に載っていたが、
このときの音がまさにそうだった。
誇張なく、バルバラが立っていたとして、ちょうど口あたりのところに、
何もない空間から声が聴こえてくる。

瀬川先生の調整の見事さと早さにも驚いたが、この、一種オーディオ特有の生々しさと、
けっして口が大きくならないのは、強い衝撃だった。
バルバラの口の中の唾液の量までわかるような再現だった。

ヴォーカルの再生は、まず口が小さくなければならない、と当時のオーディオ誌ではよく書いてあった。
それがそのまま音になっていた。

いま思い出すと、それは歌い手のボディを感じられない音といえるけれど、
なにか他のスピーカーとは違う、と感じさせてくれた。
http://audiosharing.com/blog/?p=82

現代スピーカー考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=83

KEFの#105の底にはキャスターが取り付けられていた。

いまのオーディオの常識からすると、なぜそんなものを取り付ける? となるが、
当時は、スペンドールのBCII、BCIIIの専用スタンドもキャスターをがついていた。

ただスペンドールの場合も、このキャスター付きのスタンドのせいで、
上級機の BCIIIはずいぶん損をしている。
日本ではBCIIのほうが評価が高く、BCIIIの評価はむしろ低い。

ステレオサウンド 44号のスピーカーの総テストの中で、瀬川先生が、
BCIIIを、専用スタンドではなく、
他のスタンドにかえたときの音に驚いた、といったことを書かれている。

スペンドールのスタンドは、横から見るとコの字型の、鉄パイプの華奢なつくりで、キャスター付き。
重量は比較的軽いBCIIならまだしも、BCIIのユニット構成に30cmウーファーを追加し
エンクロージュアを大型にしたBCIIIで、スタンドの欠点が、よりはっきりと出たためであろう。

KEFの試聴室の写真を見たことがある。
スピーカーは、105の改良モデルの105.2で、一段高いステージの上に置かれているが、
とうぜんキャスターは付いていない。あのキャスターは、輸入元がつけたのかもしれない。
そして、キャスターを外した105の音はどう変化するのかを確認してみたい。
http://audiosharing.com/blog/?p=83


現代スピーカー考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=164

KEFの#105の資料は、手元に何もない。写真があるぐらいだ。

以前、山中先生が言っておられた。
「ぼくらがオーディオをやりはじめたころは、得られる情報なんてわずかだった。
だからモノクロの写真一枚でも、じーっと見続けていた。
辛抱づよく見ることで、写真から得られるもの意外と多いし、そういう習慣が身についている。」

私がオーディオに関心をもちはじめたころも、山中先生の状況と大きく変わらない。
東京や大阪などに住んでいれば、本だけでなくオーディオ店にいけば、実機に触れられる。
しかも、オーディオ店もいくつも身近にある。
けれど、熊本の片田舎だと、オーディオを扱っているところはあっても、近所にオーディオ専門店はない。
得られる情報といえば、オーディオ誌だけである。
まわりにオーディオを趣味としている先輩も仲間もいなかった。

だから何度もくり返し同じ本を読み、写真を見続けるしかなかった。

いまはどうだろう。
情報量が増えたことで、あるひとつの情報に接している時間は短くなっていないだろうか。

数年前、ある雑誌で、ある人(けっこう年輩の方)が、
「もう、細かなことはいちいち憶えてなくていいんだよ。ネットで検索すればいいんだから」と発言されていた。
それは趣味の分野に関しての発言だった。

ネットに接続できる環境があり、パソコンもしくはPDAで検索すればそのとおりだろう。
仲間内で、音楽やオーディオの話をしているとき、
その人は、つねにネットに接続しながら話すのだろうか。
それで成り立つ会話というのを想像すると、つよい異和感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=164


現代スピーカー考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=195

KEFの#105の写真を見ていると、LS3/5Aにウーファーを足したスタイルだなぁ、と思ってしまう。

スコーカーは10cm口径のコーン型で、
トゥイーターはT27でこそないが、おそらく改良型といえるであろうソフトドーム型。
これらを、ただ単にウーファーのエンクロージュアに乗せただけではなく、
左右上下に角度調整ができる仕掛けがついている。

#105の、見事な音像定位は、LS3/5Aの箱庭的定位に継がっているようにも思えてくる。
LS3/5Aも、#105の中高域部と同じように、仰角も調整して聴いたら、
もっと精度の高い、音の箱庭が現われるのかもしれない。
LS3/5Aを使っていたときには、仰角の調整までは気がつかなかった。

セレッションのSL600を使っていたときに、カメラの三脚の使用を検討したことがある。
スピーカーの仰角も、左右の振り、そして高さも、すぐ変更できる。
いい三脚は、ひじょうにしっかりしている。

スピーカーのベストポジションを見つけたら、そこからは絶対に動かさないのと対極的な聴き方になるが、
被写体に応じて、構図やカメラのピントを調整するように、
ディスクの録音に応じて、スピーカーのセッティングを変えていくのも、ありではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=195


現代スピーカー考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=205

推測というよりも妄想に近いとわかっているが、#105のスタイルを、
レイモンド・クックは、LS3/5A+ウーファーという発想から生み出したように思えてならない。

LS3/5Aに搭載されているスピーカーユニットはKEF製だし、KEFとBBCの関係は深い。
時期は異るが、KEFからもLS3/5Aが発売されていたこともある。

#105は、セッティングを緻密に追い込めば、精度の高い音場再現が可能だし、
内外のスピーカーに与えた影響は、かなり大きいといえるだろう。

にも関わらず、少なくとも日本では#105は売れなかった。

#105は、より精度の高さを求めて、105.2に改良されている。
もともとバラツキのひじょうに少ないスピーカーではあったが、105.2になり、
全数チェックを行ない、標準原器と比較して、
全データが±1dBにおさまっているモノのみを出荷していた。

またウーファーの口径を30cmから20cmの2発使用にして、
ウーファー・エンクロージュアを小型化した105.4も出ていた。
ということは、#105はKEFにとって自信作であり、主力機でもあったわけだが、
日本での売れ行きはサッパリだったと聞いている。

この話をしてくれた人に理由をたずねると、意外な答えが返ってきた。
「(スピーカーの)上にモノが乗せられないから」らしい。
いまでは考えられないような理由によって、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=205

現代スピーカー考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=206

KEFの#105が日本であまり芳しい売行きでなかったのは、
なにも上にモノを乗せられないばかりではないと思う。

#105と同時期のスピーカーといえば、価格帯は異るが、JBLの4343があり、爆発的に売れていた。
#105と同価格帯では、QUADのESL、セレッションのDitton66(662)、
スペンドールBCIII、ダイヤトーンの2S305、タンノイのアーデン、
すこし安い価格帯では、ハーベスのMonitor HL、スペンドールBCII、JBLの4311、
BOSEの901、パイオニアのS955などがあった。

これらのスピーカーと比較すると、#105の音色は地味である。
現代スピーカーの設計手法の先鞭をつけたモデルだけに、周波数バランスもよく、
まじめにつくられた印象が先にくるのか、
魅力的な音色で楽しく音楽を聴かせてくれる面は、薄いように思う。
もちろんまったく無個性かというと決してそうではなく、
昔から言われるように、高域に、KEFならではの個性があるが、
それも#104に比べると、やはり薄まっている。
それにちょっと骨っぽいところもある。

もっともKEFが、そういうスピーカーづくりを嫌っていただろうから、
#105のような性格に仕上がるのは同然だろうが、
個性豊かなスピーカー群に囲まれると、地味すぎたのだろう。
少なくとも、いわゆる店頭効果とは無縁の音である。

店頭効果で思い出したが、
上にモノが乗せられないことは、オーディオ店に置いてもらえないことでもある。
当時のオーディオ店では、スピーカーは山積みで展示してあり、
切換スイッチで、鳴らしていた。
#105のスタイルは、オーディオ店でも嫌われていた。

おそらく、このことは輸入代理店を通じて、KEFにも伝えられていたはず。
それでも、KEFは、スタイルを変えることなく、105.2、105.4とシリーズ展開していく。
http://audiosharing.com/blog/?p=206


現代スピーカー考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=207

#105の2年ほどあとに登場した303というブックシェルフ型スピーカーは、
ペアで12万4千円という、輸入品ということを考えれば、かなりのローコストモデルだ。

20cm口径のコーン型ウーファーとメリネックス振動板のドーム型トゥイーターで、
エンクロージュアの材質は、木ではなく、プラスチック樹脂。
外観はグリルがエンクロージュアを一周しているという素っ気無さであり、
合理的なローコストの実現とともに、製造時のバラツキの少なさも考慮された構成だ。

303の音は、当時、菅野先生と瀬川先生が高く評価されていた。
たしかおふたりとも、ステレオサウンド 55号(ベストバイの特集号)で、
マイベスト3に選ばれている。

こういうスピーカーは、従来の、技術者の勘や経験を重視したスピーカーづくりではなしえない。
理知的なアプローチと、それまでのスピーカーづくりの実績がうまく融合しての結果であろう。
#105の誕生があったから生れたスピーカーだろうし、
303も優れた現代スピーカーのひとつだと、私は思う。

瀬川先生が書かれていたように、303のようなローコスト設計を日本のメーカーが行なえば、
もっと安く、それでいて、まともな音のするスピーカーをつくれただろう。

2 Comments

kenken
1月 11th, 2009
なつかしさのあまり投稿いたします。 KEFの303は3度にわたり手に入れては手放しました。
今思うとラックスのアンプで303を鳴らしていた時代が最も純粋に音楽を楽しめた時期だったような気がします。
マニアの性ですぐにもう少しハイエンドなスピーカーを使いたくなってしまうのですが。。

audio sharing
3月 15th, 2009
kenkenさま
コメント、ありがとうございます。
KEF303の特徴である何気ない音、素朴な音は、現行製品ではなかなか得られない良さだと思います。
http://audiosharing.com/blog/?p=207


現代スピーカー考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=210

KEFの#105で思い出したことがある。
1979年前後、マークレビンソンが、開発予定の機種を発表した記事が
ステレオサウンドの巻末に、2ページ載っていたことがある。

スチューダーのオープンリールデッキA80のエレクトロニクス部分を
すべてマークレビンソン製に入れ換えたML5のほかに、
マランツ10 (B)の設計、セクエラのチューナーの設計で知られるリチャード・セクエラのブランド、
ピラミッドのリボントゥイーターT1をベースに改良したモノや、
JBL 4343に、おもにネットワークに改良を加えたモノのほかに、
KEFの#105をベースにしたモノもあった。

A80、T1(H)、4343といった高級機の中で、価格的には中級の#105が含まれている。
#105だけが浮いている、という見方もあるだろうが、
訝った見方をすれば、むしろ4343が含まれているのは、日本市場を鑑みてのことだろうか。

マークレビンソンからは、これと前後して、HQDシステムを発表している。
QUADのESLのダブルスタックを中心とした、大がかりなシステムだ。
このシステム、そしてマーク・レヴィンソンがチェロを興してから発表したスピーカーの傾向から思うに、
浮いているのは4343かもしれない。

結局、製品化されたのはML5だけで、他のモノは、どこまで開発が進んでいたのかすら、わからない。

なぜマーク・レヴィンソンは、#105に目をつけたのか。
もし完成していたら、どんなふうに変わり、
どれだけマークレビンソンのアンプの音の世界に近づくのか、
いまはもう想像するしかないが、おもしろいスピーカーになっただろうし、
#105の評価も、そうとうに変わってきただろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=210


現代スピーカー考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=771

ステレオサウンド創刊15周年記念の60号の特集は、アメリカン・サウンドだった。
この号の取材の途中で瀬川先生は倒れられ、ふたたび入院された。
この号も手もとにないので、記憶に頼るしかないが、JBLの4345を評して、
「インターナショナルサウンド」という言葉を使われた。

残念なのは、この言葉の定義づけをする時間が瀬川先生には残されていなかったため、
このインターナショナルサウンドが、その後、使われたことはなかった(はずだ)。

インターナショナルサウンドという言葉は、すこし誤解をまねいたようで、
菅野先生も、瀬川先生の意図とは、すこし違うように受けとめられていたようで、
それに対して、病室でのインタビューで、瀬川先生は補足されていた。

「主観的要素がはいらず、物理特性の優秀なスピーカーシステムの、すぐれた音」──、
たしか、こう定義されていたと記憶している。

インターナショナルサウンド・イコール・現代スピーカー、と定義したい。
http://audiosharing.com/blog/?p=771


Date: 1月 13th, 2010
現代スピーカー考(その20・補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1102

ステレオサウンドの60号が手もとにあるので、
瀬川先生のインターナショナルサウンドについての発言を引用しておく。
     *
これは異論があるかもしれないですけれど、きょうのテーマの〈アメリカン・サウンド〉という枠を、JBLの音には、ぼくの頭のなかでは当てはめにくい。たとえば、パラゴンとオリンパスとか、あの辺はアメリカン・サウンドだという感じがするんだけれども、ぼくの頭の中でJBLというとすぐ、4343以降のスタジオモニターが、どうしてもJBLの代表みたいにおもえちゃうんですが、しかし、これはもう〈アメリカン・サウンド〉じゃないんじゃないのか、言ってみれば〈インターナショナル・サウンド〉じゃないかという感じがするんです。この言い方にはかなり誤解をまねきやすいと思うので、後でまた補足するかもしれないけれども、とにかく、ぼくの頭の中でのアメリカン・サウンドというのは、アルテックに尽きるみたいな気がする。
アルテックの魅力というのは(中略)、50年代から盛り返しはじめたもう一つのリッチなアメリカ、それを代表するサウンドと言える。もしJBLの4343から4345を、アメリカン・サウンドと言うならば、これは今日の最先端のアメリカン・サウンドですね。
     *
瀬川先生のインターナショナル・サウンドに対しては、
アメリカン・サウンドの試聴に参加された岡、菅野のおふたりは、異論を唱えられている。

岡先生は、4345の音を「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1102


現代スピーカー考(その20・続補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1103

「ぼくはインターナショナル・サウンドっていうのはあり得ないと思います」と岡先生は否定されている。
が、「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とも言われているように、全否定されているわけではない。

岡先生は、こうも言われている。
「非常にオーバーな言い方をすれば、アメリカのスピーカーの方向というものはよくも悪しくもJBLが代表していると思うんです。アメリカのスピーカーの水準はJBLがなにかをやっていくたびにステップが上がっていく。そういう感じが、ことにここ10数年していたわけです。
 JBLの行きかたというのはあくまでもテクノロジー一本槍でやっている。あそこの技術発表のデータを見ていると、ほんとうにテクノロジーのかたまりという感じもするんです。」


この発言と、瀬川先生が病室から談話で語られた
「客観的といいますか、要するにその主観的な要素が入らない物理特性のすぐれた音」、
このふたつは同じことと捉えてもいい。

だから残念なのは、全試聴が終った後の総括の座談会に、瀬川先生が出席されていないことだ。
もし瀬川先生が入院されていなかったら、インターナショナル・サウンドをめぐって、
ひじょうに興味深い議論がなされたであろう。

それは「現代スピーカー」についての議論でもあったはずだ。

瀬川先生の談話は、the Review (in the past) で公開している。
「でも、インターナショナル≠ニいってもいい音はあると思う」の、その1、2、3、4だ。


1 Comment

AutoG
1月 14th, 2010
当時、同時進行でステサンを読んでいた訳ですが、瀬川氏が4320、43、45等に対して礼賛する姿勢を以前から採っていて、客観的にも「やや淹れ込んでいる」という感は否めませんでした。まあ、その後、菅野氏がマッキンのスピーカーに傾倒していったりする経緯もありましたが、瀬川氏は情緒的にやや入りすぎるきらいがあって、菅野氏達に自分の好みを一般化する姿勢に対し、「傲慢」呼ばわりされる羽目になってしまった。入院先から「談話」の形で誤解を解く記事が載ったものの、読者としてはこの一連の「揉め事」に心穏やかではなかったことを思い出します。
 結果として後に入院先の九段坂病院で帰らぬ人となった瀬川氏にとって、このアメリカンサウンド特集が評論活動としての最後であったと記憶します。
 昨年大晦日に瀬川氏や岩崎千明氏を良く知る御仁と話しができて、しみじみ懐かし九思い、タイプは異なれどご両人とも「鋭い感性の人」という共通認識で別れました。いずれにしても瀬川氏には大きな影響を受けました。
http://audiosharing.com/blog/?p=1103


Date: 1月 22nd, 2010
現代スピーカー考(その20・続々補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1115

瀬川先生が、「インターナショナル・サウンド」という言葉を使われた、29年前、
私は「グローバル」という言葉を知らなかった。
「グローバル」という言葉を、目にすることも、ほとんどなかった(はずだ)。

いま「グローバル」という言葉を目にしない、耳にしない日はないというぐらい、の使われ方だが、
「グローバル・サウンド」と「インターナショナル・サウンド」、このふたつの違いについて考えてみてほしい。

ステレオサウンド 60号の、瀬川先生抜きの、まとめの座談会は、
欠席裁判のようで不愉快だ、と捉えられている方も、少なくないようである。
インターネット上でも、何度か、そういう発言を読んだことがある。

早瀬さんも、「やり場のない憤り」を感じたと、つい最近書かれている。

私は、というと、当時、そんなふうには受けとめていなかった。
いまも、そうは受けとめていない。

たしかに、菅野先生の発言を、ややきつい表現とは感じたものの、瀬川先生の談話は掲載されていたし、
このとき、瀬川先生が帰らぬ人となられるなんて、まったく思っていなかったため、
次号(61号)のヨーロピアン・サウンドで、きっとKEFのスピーカーのことも、
思わず「インターナショナル・サウンド」と言われるのではないか、
そして、「インターナショナル・サウンド」について、
菅野先生と論争をされるであろう、と思っていたし、期待していたからだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=1115


現代スピーカー考(その20・続々続補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1116

仮に欠席裁判だとしよう。
29年経ったいま、「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになったいま、
「インターナショナル・サウンド」という表現は、瀬川先生も「不用意に使った」とされているが、
むしろ正しい使われ方だ、と私は受けとめている。

もし「グローバル・サウンド」と言われていたら、いまの私は、反論しているだろう。

瀬川先生は、他の方々よりも、音と風土、音と世代、音と技術について、深く考えられていた。
だから、あの場面で「インターナショナル・サウンド」という言葉を、思わず使われたのだろう。
瀬川先生に足りなかったのは、「インターナショナル・サウンド」の言葉の定義をする時間だったのだ。
思慮深さ、では、決してない。
http://audiosharing.com/blog/?p=1116


現代スピーカー考(その20・続々続々補足)

瀬川先生に足りなかったものがもうひとつあるとすれば、
「インターナショナル・サウンド」の前に、
岡先生の発言にあるように「アメリカ製の」、もしくはアメリカ西海岸製の」、または「JBL製の」と、
ひとこと、つけ加えられることであろう。

グローバルとインターナショナルの違いは、
「故郷は?」ときかれたときに、
「日本・東京」とか「カナダ・トロント」とこたえるのがインターナショナルであって、
「お母さんのお腹の中」とこたえるのがグローバルだ、と私は思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1117


現代スピーカー考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=781

ステレオサウンドの60号の1年半前にも、スピーカーの試聴テストを行なっている。
54号(1980年3月発行)の特集は「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」で、
菅野沖彦、黒田恭一、瀬川冬樹の3氏が試聴、長島先生が測定を担当されている。
この記事の冒頭で、試聴テスター3氏による「スピーカーテストを振り返って」と題した座談会が行なわれている。

ここで、瀬川先生は、インターナショナルサウンドにつながる発言をされている。
     ※
海外のスピーカーはある時期までは、特性をとってもあまりよくない、ただ、音の聴き方のベテランが体験で仕上げた音の魅力で、海外のスピーカーをとる理由があるとされてきました。しかし現状は決してそうとばかかりは言えないでしょう。
私はこの正月にアメリカを回ってきまして、あるスピーカー設計のベテランから「アメリカでも数年前までは、スピーカーづくりは錬金術と同じだと言われていた。しかし今日では、アメリカにおいてもスピーカーはサイエンティフィックに、非常に細かな分析と計算と設計で、ある水準以上のスピーカーがつくれるようになってきた」と、彼ははっきり断言していました。
これはそのスピーカー設計者の発言にとどまらず、アメリカやヨーロッパの本当に力のあるメーカーは、ここ数年来、音はもちろんのこと物理特性も充分にコントロールする技術を本当の意味で身につけてきたという背景があると思う。そういう点からすると、いまや物理特性においてすらも、日本のスピーカーを上まわる海外製品が少なからず出てきているのではないかと思います。
かつては物理特性と聴感とはあまり関連がないと言われてきましたが、最近の新しい解析の方法によれば、かなりの部分まで物理特性で聴感のよしあしをコントロールできるところまできていると思うのです。
     ※
アメリカのベテランエンジニアがいうところの「数年前」とは、
どの程度、前のことなのかはっきりとはわからないが、10年前ということはまずないだろう、
長くて見積もって5年前、せいぜい2、3年前のことなのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=781


Date: 12月 7th, 2010
現代スピーカー考(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=1581

瀬川先生の「本」づくりのために、いま手もとに古いステレオサウンドがある。
その中に、スピーカーシステムの比較試聴を行った号もあって、掲載されている測定データを見れば、
あきらかに物理特性は良くなっていることがわかる。

ステレオサウンドでは44、45、46、54号がスピーカーの特集号だが、
このあたりの物理特性と、その前の28、29、36号の掲載されている結果(周波数特性)と比較すると、
誰の目にも、その差はあきからである。

36号から、スピーカーシステムのリアル・インピーダンスがあらたに測定項目に加わっている。
20Hzから20kHzにわたって、各周波数でのインピーダンス特性をグラフで表わしたもので、
36号(1975年)と54号(1980年)とで比較すると、これもはっきりと改善されていることがわかる。

インピーダンス特性の悪いスピーカーだと、
周波数特性以上にうねっているものが1970年半ばごろまでは目立っていた。
低域での山以外は、ほぼ平坦、とすべてのスピーカーシステムがそういうわけでもないが、
うねっているモノの割合はぐんと減っている。
周波数特性同様に、全体的にフラット傾向に向っていることがわかる。

この項の(その21)でのアメリカのスピーカーのベテラン・エンジニアの発言にある数年前は、
やはり10年前とかではなくて、当時(1980年)からみた4、5年前とみていいだろう。

アンプでは増幅素子が真空管からトランジスター、さらにトランジスターもゲルマニウムからシリコンへ、と、
大きな技術的転換があったため、性能が大きく向上しているのに対して、
スピーカーの動作原理においては、真空管からトランジスターへの変化に匹敵するようなことは起っていない。
けれど、スピーカーシステムとしてのトータルの性能は、数年のあいだに確実に進歩している。
http://audiosharing.com/blog/?p=1581


Date: 3月 21st, 2012
現代スピーカー考(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=7389

ステレオサウンド 54号のスピーカー特集の記事の特徴といえるのが、
平面振動板のスピーカーシステムがいくつか登場しており、
ちょうどこのあたりの時期から国内メーカーでは平面振動板がブームといえるようになっていた。

51号に登場する平面振動板のスピーカーシステムはいちばん安いものではペアで64000円のテクニクスのSB3、
その上級機のSB7(120000円)、Lo-DのHS90F(320000円)、ソニー・エスプリのAPM8(2000000円)と、
価格のダイナミックレンジも広く、高級スピーカーだけの技術ではなくてなっている。
これら4機種はウーファーまですべて平面振動板だが、
スコーカー、トゥイーターのみ平面振動板のスピーカーシステムとなると数は倍以上になる。

ステレオサウンド 54号は1980年3月の発行で、
国内メーカーからはこの後、平面振動板のスピーカーシステムの数は増えていった。

私も、このころ、平面振動板のスピーカーこそ理想的なものだと思っていた。
ソニー・エスプリのAPM8の型番(accurate pistonic motion)が表すように、
スピーカーの振動板は前後にピストニックモーションするのみで、
分割振動がまったく起きないのが理想だと考えていたからだ。
それに平面振動板には、従来のコーン型ユニットの形状的な問題である凹み効果も当然のことだが発生しない。

その他にも平面振動板の技術的メリットを、カタログやメーカーの広告などで読んでいくと、
スピーカーの理想を追求することは平面振動板の理想を実現することかもしれない、とも思えてくる。
確かに振動板を前後に正確にピストニックモーションさせるだけならば、平面振動板が有利なのだろう。

けれど、ここにスピーカーの理想について考える際の陥し穴(というほどのものでもないけれど)であって、
振動板がピストニックモーションをすることが即、入力信号に忠実な空気の疎密波をつくりだせるわけではない、
ということに1980年ごろの私は気がついていなかった。

音は空気の振動であって、
振動板のピストニックモーションを直接耳が感知して音として認識しているわけではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=7389


Date: 3月 24th, 2012
現代スピーカー考(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=7391

平面振動板のスピーカーと一口に言っても、大きく分けると、ふたつの行き方がある。
1980年頃から日本のメーカーが積極的に開発してきたのは振動板の剛性をきわめて高くすることによるもので、
いわば従来のコーン型ユニットの振動板が平面になったともいえるもので、
磁気回路のなかにボイスコイルがあり、ボイスコイルの動きをボイスコイルボビンが振動板に伝えるのは同じである。

もうひとつの平面振動板のスピーカーは、振動板そのものにはそれほどの剛性をもつ素材は使われずに、
その平面振動板を全面駆動とする、リボン型やコンデンサー型などがある。

ピストニックモーションの精確さに関しては、どちらの方法が有利かといえば、
振動板全体に駆動力のかかる後者(リボン型やコンデンサー型)のようにも思えるが、
果して、実際の動作はそういえるものだろうか。

リボン型、コンデンサー型の振動板は、板というよりも箔や膜である。
理論通りに、振動箔、振動膜全面に均一に駆動力がかかっていれば、振動箔・膜に剛性は必要としない。
だがそう理論通りに駆動力が均一である、とは思えない。
たとえ均一に駆動力が作用していたとしても、実際のスピーカーシステムが置かれ鳴らされる部屋は残響がある。

無響室ではスピーカーから出た音は、原則としてスピーカーには戻ってこない。
広い平地でスピーカーを鳴らすのであれば無響室に近い状態になるけれど、
実際の部屋は狭ければ数メートルでスピーカーから出た音が壁に反射してスピーカー側に戻ってくる。
それも1次反射だけではなく2次、3次……何度も壁に反射する音がある。

これらの反射音が、スピーカーの振動板に対してどう影響しているのか。
これは無響室で測定している限りは掴めない現象である。

1980年代にアポジーからオール・リボン型スピーカーシステムが登場した。
ウーファーまでリボン型ということは、ひとつの理想形態だと、当時は考えていた。
それをアポジーが実現してくれた。
インピーダンスの低さ、能率の低さなどによってパワーアンプへの負担は、
従来のスピーカー以上に大きなものになったとはいえ、
こういう挑戦によって生れてくるオーディオ機器には、輝いている魅力がある。

アポジーの登場時にはステレオサウンドにいたころだから、聴く機会はすぐにあった。
そのとき聴いたのはシンティラだった。
そのシンティラが鳴っているのを、見ていてた。
http://audiosharing.com/blog/?p=7391


Date: 3月 25th, 2012
現代スピーカー考(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=7410

アポジーのスピーカーシステムは、外観的にはどれも共通している。
縦長の台形状の、広い面積のアルミリボンのウーファーがあり、
縦長の細いスリットがスコーカー・トゥイーター用のリボンなのだが、
アポジーのスピーカーシステムが鳴っているのを見ていると、
スコーカー・トゥイーター用のリボンがゆらゆらと動いているのが目で確認できる。

目で確認できる程度の揺れは、非常に低い周波数なのであって、
スコーカー・トゥイーターからそういう低い音は本来放射されるものではない。
LCネットワークのローカットフィルターで低域はカットされているわけだから、
このスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れは、入力信号によるもではないことははっきりしている。

リボン型にしてもコンデンサー型にしても、
理論通りに振動箔・膜の全面に対して均一の駆動力が作用していれば、
おそらくは振動箔・膜に使われている素材に起因する固有音はなくなってしまうはずである。
けれど、現実にはそういうことはなく、コンデンサー型にしろリボン型にしろ素材の音を消し去ることはできない。

つまりは、微視的には全面駆動とはなっていない、
完全なピストニックモーションはリボン型でもコンデンサー型でも実現できていない──、
そういえるのではないだろうか。
この疑問は、コンデンサー型スピーカーの原理を、スピーカーの技術書を読んだ時からの疑問だった。
とはいえ、それを確かめることはできなかったのだが、
アポジーのスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れを見ていると、
完全なピストニックモーションではない、と確信できる。

だからリボン型もコンデンサー型もダメだという短絡なことをいうために、こんなことを書いているのではない。
私自身、コンデンサー型のQUADのESLを愛用してきたし、
アポジーのカリパー・シグネチュアは本気で導入を考えたこともある。
ここで書いていくことは、そんなことではない。

スピーカーの設計思想における、剛と柔について、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=7410

Date: 3月 28th, 2012
現代スピーカー考(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=7456

より正確なピストニックモーションを追求し、
完璧なピストニックモーションを実現するためには、振動板の剛性は高い方がいい。
それが全面駆動型のスピーカーであっても、
振動板の剛性は(ピストニックモーションということだけにとらわれるのであれば)、高い方がいい。

ソニーがエスプリ・ブランドで、振動板にハニカム構造の平面振動板を採用し、
その駆動方法もウーファーにおいてはボイスコイル、磁気回路を4つ設けての節駆動を行っている。
しかもボイスコイルボビンはハニカム振動板の裏側のアルミスキンではなく、
内部のハニカムを貫通させて表面のアルミスキンをふくめて接着する、という念の入れようである。

当時のソニーの広告には、そのことについて触れている。
特性上ではボイスコイルボビンをハニカム振動板の裏側に接着しても、
ハニカム構造を貫通させての接着であろうとほとんど同じなのに、
音を聴くとそこには大きな違いがあった、ということだ。
つまり特性上では裏側に接着した段階で充分な特性が得られたものの、
音の上では満足の行くものにはならなかったため、さらなる検討を加えた結果がボイスコイルボビンの貫通である。

APM8は1979年当時でペアで200万円していた。
海外製のスピーカーシステムでも、APM8より高額なモノはほとんどなかった。
高価なスピーカーシステムではあったが、その内容をみていくと、高くはない、といえる。

そして、この時代のソニーのスピーカーシステムは、
このAPM8もそうだし、その前に発売されたSS-G9、SS-G7など、どれも堂々としていた。

すぐれたデザインとは思わないけれど、
技術者の自信が表に現れていて、だからこそ堂々とした感じに仕上がっているのだと思う。

これらのソニーのスピーカーシステムに較べると、この10年ほどのソニーのスピーカーシステムはどうだろう……。
音は聴いていないから、そこについては語らないけれど、どこかしら弱々しい印象を見たときに感じてしまう。

このことについて書いていくと、長々と脱線してしまう。
話をピストニックモーションにもどそう。
http://audiosharing.com/blog/?p=7456


Date: 5月 20th, 2012
現代スピーカー考(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=7704

スピーカーの振動板を──その形状がコーン型であれ、ドーム型であれ、平面であれ──
ピストニックモーションをさせる(目指す)のは、なぜなのか。

スピーカーの振動板の相手は、いうまでもなく空気である。
ごく一部の特殊なスピーカーは水中で使うことを前提としているものがあるから水というものもあるが、
世の中の99.9%以上のスピーカーが、その振動板で駆動するのは空気である。

空気の動きは目で直接捉えることはできないし、
空気にも質量はあるものの普通に生活している分には空気の重さを意識することもない。
それに空気にも粘性があっても、これも、そう強く意識することはあまりない。
(知人の話では、モーターバイクで時速100kmを超えるスピードで走っていると、
空気が粘っこく感じられる、と言っていたけれど……)

空気が澱んだり、煙たくなったりしたら、空気の存在を意識するものの、
通常の快適な環境では空気の存在を、常に意識している人は、ごく稀だと思う。

そういう空気を、スピーカーは相手にしている。

空気がある閉じられた空間に閉じこめられている、としよう。
例えば筒がある。この中の空気をピストンを動かして、空気の疎密波をつくる、とする。
この場合、筒の内径とピストンの直径はほぼ同じであるから、
ピストンの動きがそのまま空気を疎密波に変換されることだろう。

こういう環境では、振動板(ピストン)の動きがそのまま空気の疎密波に反映される(はず)。
振動板が正確なピストニックモーションをしていれば、筒内の空気の疎密波もまた正確な状態であろう。

だが実際の、われわれが音を聴く環境下では、この筒と同じような状況はつくり出せない。
つまり壁一面がスピーカーの振動板そのもの、ということは、まずない。
http://audiosharing.com/blog/?p=7704


現代スピーカー考(その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=7812

仮に巨大な振動板の平面型スピーカーユニットを作ったとしよう。
昔ダイヤトーンが直径1.6mのコーン型ウーファーを作ったこともあるのだから、
たとえば6畳間の小さな壁と同じ大きさの振動板だったら、
金に糸目をつけず手間を惜しまなければ不可能ということはないだろう。

縦2.5m×横3mほどの平面振動板のスピーカーが実現できたとする。
この巨大な平面振動板で6畳間の空気を動かす。
もちろん平面振動板の剛性は非常に高いもので、磁気回路も強力なもので十分な駆動力をもち、
パワーアンプの出力さえ充分に確保できさえすればピストニックモーションで動けば、
筒の中の空気と同じような状態をつくり出せるであろう。

けれど、われわれが聴きたいのは、基本的にステレオである。
これではモノーラルである。
それでは、ということで上記の巨大な振動板を縦2.5m×横1.5mの振動板に二分する。
これでステレオになるわけだが、果して縦2.5m×横3mの壁いっぱいの振動板と同じように空気を動かせるだろうか。

おそらく無理のはずだ。
空気は押せば、その押した振動板の外周付近の空気は周辺に逃げていく。
モノーラルで縦2.5m×横3mの振動板ひとつであれば、
この振動板の周囲は床、壁、天井がすぐ側にあり空気が逃げることはない。
けれど振動板を二分してしまうと左側と振動板と右側の振動板が接するところには、壁は当り前だが存在しない。
このところにおいては、空気は押せば逃げていく。
逃げていく空気(ここまで巨大な振動板だと割合としては少ないだろうが)は、
振動板のピストニックモーションがそのまま反映された結果とはいえない。

しかも実際のスピーカーの振動板は、上の話のような巨大なものではない。
もっともっと小さい。
筒とピストンの例でいえば、筒の内径に対してピストンの直径は半分どころか、もっと小さくなる。
38cm口径のウーファーですら、6畳間においては部屋の高さを2.5mとしたら約1/6程度ということになる。
かなり大ざっぱな計算だし、これはウーファーを短辺の壁にステレオで置いた場合であって、
長辺の壁に置けばさらにその比率は小さくなる。
http://audiosharing.com/blog/?p=7812


Date: 11月 3rd, 2012
現代スピーカー考(その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=8337

筒とピストンの例をだして話を進めてきているけれど、
この場合でも筒の内部が完全吸音体でなければ、
ピストン(振動板)の動きそのままの空気の動き(つまりピストニックモーション)にはならないはず。

どんなに低い周波数から高い周波数の音まで100%吸音してくれるような夢の素材があれば、
筒の中でのピストニックモーションは成立するのかもしれない。

でも現実にはそんな環境はどこにもない。
これから先も登場しないだろうし、もしそんな環境が実現できるようになったとしても、
そんな環境下で音楽を聴きたいとは思わない。

音楽を聴きたいのは、いま住んでいる部屋において、である。
その部屋はスピーカーの振動板の面積からずっと大きい。
狭い狭い、といわれる6畳間であっても、スピーカー(おもにウーファー)の振動板の面積からすれば、
そのスピーカーユニットが1振幅で動かせる空気の容量からすれば、ずっとずっと広い空間である。
そして壁、床、天井に音は当って、その反射音を含めての音をわれわれは聴いている。

そんなことを考えていると、振動板のピストニックモーションだけでいいんだろうか、という疑問が出てくる。

コンデンサー型やリボン型のように、振動板のほぼ全面に駆動力が加わるタイプ以外では、
ピストニックモーションによるスピーカーであれば、振動板に要求されるのは高い剛性が、まずある。

それに振動板には剛性以外にも適度な内部損失という、剛性と矛盾するような性質も要求される。
そして内部音速の速さ、である。

理想のピストニックモーションのスピーカーユニットための振動板に要求されるのは、
主に、この3つの項目である。

その実現のために、これまでさまざまな材質が採用されてきたし、
これからもそうであろう。
ピストニックモーションを追求する限り、剛性の高さ、内部音速の速さは重要なのだから。

このふたつの要素は、つまりは剛、である。
この剛の要素が振動板に求められるピストニックモーションも、また剛の動作原理ではないだろうか。

剛があれば柔がある。
剛か柔か──、
それはピストニックモーションか非ピストニックモーションか、ということにもなろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=8337


Date: 8月 15th, 2013
現代スピーカー考(その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=11560

スピーカーにおけるピストニックモーションの追求は、はっきりと剛の世界である。

その剛の世界からみれば、
ジャーマン・フィジックスのスピーカーシステムに搭載されているDDD型ユニットのチタンの振動板は、
理屈的に納得のいくものではない。

DDD型のチタンの振動板は、何度か書いているように振動板というよりも振動膜という感覚にちかい。
剛性を確保することは考慮されていない。
かといって、コンデンサー型やリボン型のように全面駆動型でもない。

スピーかーを剛の世界(ピストニックモーションの追求)からのみ捉えていれば、
ジャーマン・フィジックスの音は不正確で聴くに耐えぬクォリティの低いものということになる。

けれど実際にDDD型ユニットから鳴ってくる音は、素晴らしい。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、
1970年代にはウォルッシュ型、ウェーヴ・トランスミッションライン方式と呼ばれていた。
インフィニティの2000AXT、2000IIに採用されていた。
2000AXTは3ウェイで5Hz以上に、2000IIは4ウェイで、10kHz以上にウォルッシュ型を使っていた。

1980年代にはオームから、より大型のウォルッシュ・ドライバーを搭載したシステムが登場した。
私がステレオサウンドにいたころ、伊藤忠が輸入元で、新製品の試聴で聴いている。
白状すれば、このとき、このスピーカー方式のもつ可能性を正しく評価できなかった。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ほどに完成度が高くなかった、ということもあるが、
まだ剛の世界にとらわれていたからかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=11560


Date: 8月 15th, 2013
現代スピーカー考(その31)
http://audiosharing.com/blog/?p=11569

ステレオサウンドは以前、HI-FI STEREO GUIDEを年二回出していた。
そのとき日本市場で発売されているオーディオ機器を、アクセサリーをふくめて網羅した便利な本だった。

しかも70年代の、この本の巻頭には、沢村亨氏による「カタログデータの読み方」というページがあり、
その中にウォルッシュ・ドライバーの解説もあった。

そのおかげで大ざっぱにはどういうものか知っていたけれど、
それだけではやはり不充分だったし、オームのスピーカーシステムを、
すこし変った無指向性スピーカーというぐらいの認識のところでとまっていた。

このころアメリカ(だったと記憶している)からBESというメーカーのスピーカーシステムが入ってきていた。
これもステレオサウンドの新製品紹介のページで取り上げている。
薄型のパネル状の外観のスピーカーシステムだった。

外観からはマグネパンと同類のスピーカーなんだろう、という理解だった。
ただ輸入元からの資料を読むと、どうもそうではないことはわかったものの、
それでも、それがどういうことなのかを理解できていたわけではない。

このBESのスピーカーシステムも、ステレオサウンドの試聴室で聴いている。
でも、記憶を溯っても、ほとんど思い出せない。

BESのスピーカーシステムもベンディングウェーヴのひとつだったのか、と気づくのは、
もっとずっと後、ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いたあとだった。

それほどスピーカーの理想動作は、ピストニックモーションである──、
このことから離れることができずに、ものごとを捉えていたのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=11569


Date: 8月 17th, 2013
現代スピーカー考(その32)
http://audiosharing.com/blog/?p=11586

ピストニックモーションだけがスピーカーの目指すところではないことは知ってはいた。
そういうスピーカーが過去にあったことも知識としては知ってはいた。

ヤマハの不思議な形状をしたスピーカーユニットが、いわゆる非ピストニックモーションの原理であることは、
あくまでも知識の上でのことでしかなかった。

このヤマハのスピーカーユニットのことは写真で知っていたのと、
そういうスピーカーがあったという話だけだった。
ヤマハ自身がやめてしまったぐらいだから……、というふうに捉えてしまったこともある。

1980年ごろから国内メーカーからはピストニックモーションを、より理想的に追求・実現しようと、
平面振動板スピーカーがいくつも登場した。
そういう流れの中にいて、非ピストニックモーションでも音は出せる、ということは、
傍流の技術のように見えてしまっていた。

それに1980年代に聴くことができた非ピストニックモーションのスピーカーシステム、
BESのシステムにしても、オームのウォルッシュドライバーにしても、完成度の低さがあり、
それまで国内外のスピーカーメーカーが追求してきて、あるレベルに達していた剛の世界からすれば、
非ピストニックモーションの柔の世界は、
生れたばかりの、まだ立てるか立てないか、というレベルだった、ともいえよう。

それに聞くところによると、
ウォルッシュ・ドライバーの考案者でウォルッシュ博士も、
最初はピストニックモーションでの考えだったらしい。
けれど実際に製品化し研究を進めていく上で、
ピストニックモーションではウォルッシュ・ドライバーはうまく動作しないことに気づき、
ベンディングウェーヴへと考えを変えていったそうだ。

当時は、ベンディングウェーヴという言葉さえ、知らなかったのだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=11586

Date: 5月 13th, 2014
現代スピーカー考(その33)
http://audiosharing.com/blog/?p=13694

リボン型、コンデンサー型、その他の全面駆動型のスピーカーユニットがある。
これらは振動板の全面に駆動力がかかっているから、振動板の剛性は原則として必要としない、とされている。

駆動力が振動板全体に均一にかかっていて、その振動板が周囲からの影響をまったく受けないのであれば、
たしかに振動板に剛性は必要ない、といえるだろう。

だがリボン型にしろコンデンサー型にしろ、一見全面駆動のように見えても、
微視的にみていけば駆動力にムラがあるのは容易に想像がつく。
だいたい人がつくり出すものに、完全な、ということはない。
そうであるかぎり完全な全面駆動は現実のモノとはならない。

ボイスコイルを振動板にプリントし、振動板の後方にマグネットを配置した平面型は、
コンデンサー型よりももっと駆動力に関しては不均一といえる。
そういう仕組みを、全面駆動を目指した方式だから、
さも振動板全体に均一に駆動力がかかっている……、と解説する人がいる。

コーン型やドーム型に対して、こうした方式を全面駆動ということは間違いとはいえないし、
私もそういうことがある。だが完全なる全面駆動ではないことは、ことわる。

もし全面駆動(つまり振動板全体に駆動力が均一にかかっている状態)が実現できていたら、
振動板の材質の違い(物性の違い)による音の差はなくなるはずである。
現実には、そうではない。ということは全面駆動はまだ絵空事に近い、といえる。

ただこれらの方式を否定したいから、こんなことを書いているのではない。
これらのスピーカーはピストニックモーションを追求したものであり、
ピストニックモーションを少しでも理想に近付けるには、振動板の剛性は高さが常に求められる。

剛性の追求(剛の世界)は、力まかせの世界でもある。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いてから、頓にそう感じるようになってきた。
http://audiosharing.com/blog/?p=13694


Date: 1月 30th, 2015
現代スピーカー考(その34)
http://audiosharing.com/blog/?p=16134

柔よく剛を制す、と昔からいわれている。
これがスピーカーの世界にも完全に当てはまるとまでは私だっていわないけれど、
柔よく剛を制すの考え方は、これからのスピーカーの進化にとって必要なことではないか。

これに関連して思い出すのは、江川三郎氏が一時期やられていたハイイナーシャプレーヤーのことだ。
ステレオかオーディオアクセサリーに発表されていた。
慣性モーメントを高めるために、中心から放射状にのびた複数の棒の先に重りがつけられている。
重りの重量がどのくらいだったのか、放射状の棒の長さがどれだけだったのかはよく憶えていない。
それでもガラス製のターンテーブルとこれらの組合せは、写真からでも独特の迫力を伝えていた。

ターンテーブルの直径も30cmではなく、もっと大きかったように記憶している。
トーンアームもスタックスのロングアーム(それも特註)だったような気がする。

慣性モーメントを大きくするという実験のひとつの記録かもしれない。
メーカーも同じようにハイイナーシャのプレーヤーの実験は行っていただろう。
だからこそターンテーブルプラッター重量が6kgから10kgのダイレクトドライヴ型がいくつか登場した。

慣性モーメントを高めるには、同じ重量であれば、中心部よりも外周部に重量が寄っていた方が有利だし、
直径の大きさも効果的である。
その意味で江川三郎氏のハイイナーシャプレーヤーは理に適っていた、ともいえる。

そのころの私は、江川三郎氏はさらにハイイナーシャを追求されるだろうと思っていた。
けれど、いつのころなのかはもう憶えていないが、ハイイナーシャプレーヤーは処分されたようであるし、
ハイイナーシャを追求されることもなくなった。

なぜなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=16134


Date: 1月 30th, 2015
現代スピーカー考(その35)
http://audiosharing.com/blog/?p=16146

江川三郎氏がどこまでハイイナーシャプレーヤーを追求されたのかは、私は知らない。
想像するに、ハイイナーシャに関してはやればやるほど音は変化していき、
どこまでもエスカレートしていくことを感じとられていたのではないだろうか。

つまり飽和点が存在しないのではないか、ということ。

静粛な回転のためにターンテーブルプラッターの重量を増す傾向はいまもある。
10kgほどの重量は珍しくなくなっている。
もっと重いものも製品化されている。

どこまでターンテーブルプラッターは重くしていけば、
これ以上重くしても音は変化しなくなる、という飽和点があるのだろうか。

10kgを20kgにして、40kg、100kg……としていく。
アナログディスクの重量は、重量盤といわれるもので約180g。
この一万倍が1800kgとなる。
このへんで飽和点となるのか。

それにターンテーブルプラッターを重くしていけば、それを支える周辺の重量も同時に増していく。
1.8tのターンテーブルプラッターであれば、プレーヤーシステムの総重量は10tほどになるのだろうか。

だれも試せないのだから、ここまでやれば飽和点となるとはいえない。
飽和点に限りなく近づいていることはいえるが、それでも飽和点といえるだろうか。

江川三郎氏も、飽和点について書かれていたように記憶している。
ようするに、きりがないのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=16146


Date: 7月 22nd, 2018
現代スピーカー考(その36)
http://audiosharing.com/blog/?p=26490

この項は、このブログを書き始めたころは熱心に書いていたのに、
(その35)を書いたのは、三年半ほど前。

ふと思いだし、また書き始めたのは、
ステレオサウンド 207号の特集が「ベストバイ・スピーカー上位49モデルの音質テスト」だからだ。

ステレオサウンドでの前回のスピーカーシステムの総テストは187号で、五年前。
ひさびさのスピーカーシステムの総テストであるし、
私もひさびさに買ったステレオサウンドだった。

49機種のスピーカーシステムの、もっとも安いモノはエラックのFS267で、
420,000円(価格はいずれもペア)。
もっとも高いモノは、YGアコースティクスのHailey 1.2の5,900,000円である。

どことなく似ているな、と感じるスピーカーシステムもあれば、
はっきりと個性的なスピーカーシステムもある。

使用ユニットもコーン型は当然として、ドーム型、リボン型、ホーン型、
コンデンサー型などがあるし、
ピストニックモーションが主流だが、ベンディングウェーブのスピーカーもある。

これら49機種のスピーカーシステムは、
いずれも半年前のステレオサウンドの特集ベストバイの上位機種ということだから、
人気も評価も高いスピーカーシステムといえる。

その意味では、すべてが現代スピーカーといえるのか、と思うわけだ。

いったい現代スピーカーとは、どういうものなのか。
それをこの項では書こうとしていたわけだが、過去のスピーカーシステムをふり返って、
あの時代、あのスピーカーは確かに現代スピーカーだった、といえても、
現行製品を眺めて、さぁ、どれが現代スピーカーで、そうでないのか、ということになると、
なかなか難しいと感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26490


Date: 7月 24th, 2018
現代スピーカー考(その37)
http://audiosharing.com/blog/?p=26534

ステレオサウンド 207号の特集に登場する49機種のスピーカーシステム。
いま世の中に、この49機種のスピーカーシステムしか選択肢がない、という場合、
私が選ぶのは、フランコ・セルブリンのKtêmaである。

ペアで400万円を超えるから、いまの私には買えないけれども、
予算を無視した選択ということであれば、Ktêmaを、迷うことなく選ぶ。

このスピーカーならば、こちらがくたばるまでつきあっていけそうな予感がある。

49機種のスピーカーシステムで実際に、その音を聴いているのは半分もない。
Ktêmaは聴いている。

仮に聴いていなかったとしても、207号の試聴記だけでの判断でもKtêmaである。

207号の特集では四つの価格帯に分けられている。
それぞれの価格帯から選ぶとしたら、
80万円以下のところでは、ハーベスのSuper HL5 PlusかタンノイのEaton。
130万円以下のところでは、フランコ・セルブリンのAccordo。
280万円以下のところでは、JBLの4367WXかマンガーのp1、それにボーニック・オーディオのW11SE。
280万円超のところでは、Ktêmaの他にはJBLのProject K2 S9500。

8/49である。
これら八機種のうちで、現代スピーカーと考えられるモノは……、というと、
まずKtêmaは真っ先に外れる。
同じフランコ・セルブリンのAccordoも、外れる。

ハーベスも現代的BBCモニターとはいえても、現代スピーカーなのか、となると、
やはり外すことになる。Eatonも旧Eatonと比較すれば部分的に現代的ではあっても、
トータルでみた場合には、現代スピーカーとはいえない。

マンガーのユニットそのものは非常に興味深いものを感じるが、
だからといってシステムとしてとらえた場合は、やはりこれも外すことになる。

ボーニック・オーディオは数ヵ月前に、とある販売店で鳴っているのを偶然耳にした。
それまで気にも留めなかったけれど、
そこで鳴っていた音は、自分の手で鳴らしてみたらどんなふうに変るのか、
それをやってみたくなるくらいの音がしていた。

JBLを二機種選んだが、現代スピーカーということでは4367WXのほうだし、
ドライバーとホーンは現代スピーカーのモノといえるかも、ぐらいには感じている。
それでも、システムとしてどうなのか、といえば、やはり外す。

となると、八機種の中で、これが現代スピーカーだ、といえるモノはない。
では、残りの41機種の中にあるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26534
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c166

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
94. 中川隆[-5718] koaQ7Jey 2021年4月14日 19:28:10 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[39]
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タイトル=audio identity (designing) 宮ア勝己 現代スピーカー考

audio identity (designing) 宮ア勝己 ワグナーとオーディオ(マランツかマッキントッシュか) (中川隆)
に対するレスポンス投稿として

audio identity (designing) 宮ア勝己 現代スピーカー考

Date: 9月 15th, 2008
現代スピーカー考(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=48

1年ほど前だったと思うが、ある掲示板で
「現代スピーカーの始まりはどこからか」というタイトルで語られていたのを、ちらっと読んだことがある。

この問掛けをした人は、ウィルソン・オーディオのスピーカーだ、という。
コメントを寄せている人の中には、B&Wのマトリックス801という人もいたし、
その他のメーカー、スピーカーの型番をあげる人もいた。

挙げられたスピーカーの型番は、
ほぼすべて1980年代の終わりから90年にかけて登場したものばかりで、
ここにコメントしている人たちは、私よりも10歳くらい若い世代か、さらにその下の世代かもと思っていたら、
大半の方が私よりも二、三歳上なので、驚いた。

もっと驚いたのは、誰一人、現代スピーカーの定義を行なわないまま、
スピーカーの型番を挙げ、その理由というよりも、私的感想を述べているだけなことだ。

特定の人しか読めないようになっている内輪だけの場や、
酒を飲みながら、あれが好きだとかこれはちょっと……と語り合うのは、くだらなさを伴いながらも楽しいし、
そのことに、外野の私は、何も言わない。

けれど不特定の人がアクセスする場で、
少なくとも「現代スピーカーはここから始まった」というテーマで語り合うにしては、
すこし幼すぎないだろうか。

話をもどそう。
現代スピーカーは、KEFからはじまった、と私は考える。
http://audiosharing.com/blog/?p=48

現代スピーカー考(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=49

昔も今もそうだが、KEFをケフと呼ぶ人が少なからずいるが、正しくはケー・イー・エフである。

KEFは、1961年にレイモンド・E・クックによって創立されている。
クックは、ワーフェデール(輸入元が変わるたびに日本語表記も変っていて、ワーフデールだったりもするが、
個人的にはワーフェデールが好きなので)に直前まで在籍している。

ワーフェデールは、イギリス人で当時のスピーカー界の大御所のひとりだった
G・A・ブリッグスによる老舗のスピーカーメーカー(創立1932年)で、
ブリッグスはいくつものオーディオ関係の著書を残している。
1961年に「Audio Biobraphies」を出している。

イギリスとアメリカのオーディオ関係者の回想録に、ブリッグスがコメントをつけたもので、
そこに1954年の、ある話が載っており、岡俊雄氏が、ステレオサウンド 10号に要約されている。

手元にその号はないので、記憶による要約だが──
1954年、ニューヨークのホテルで催されていたオーディオフェアに、ワーフェデールも出展していた。
そのワーフェデールのブースにある日、若い男が、
一辺四〇センチにも満たない、小さなスピーカーを携えて現われた。
エドガー・M・ヴィルチュアであり、G・A・ブリッグスに面会を求めた。
ヴィルチュアはスピーカー会社をつくり、その第1号機を持ってきた。
これと、ブリッグス(つまりワーフェデール)のスピーカーと、公開試聴をしたいという申し出である。
ワーフェデールの大型スピーカーは約250リットル強、
ヴィルチュアのスピーカーは一辺40cmにも満たない立方体の小型スピーカー。

当時の常識では、勝負は鳴らす前から決っていると多くの人が思っていたにも関わらず、
パイプオルガンのレコードを、十分な量感で自然な音で聴かせたのは、
ヴィルチュアの小型スピーカーだったのを、会場の多くの人ばかりでなく、ブリッグスも認めている。

E・M・ヴィルチュアは、翌年、自身の会社アコースティック・リサーチ(AR)創立し、
正式にAR-1と名付けたスピーカーを市販している(試作機とは多少寸法は異なる)。

勝手な推測だが、この事件が、クックがワーフェデールをはなれ、
KEFを創立するのにつながっていると思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=49

現代スピーカー考(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=50

クックがいた頃のワーフェデールのスピーカーユニットは、
ウーファーもスコーカーもトゥイーターもすべてコーン型で、振動板は、もちろん紙を採用している。
そのラインナップの中で異色なのは、W12RS/PSTである。

紙コーンのW12RSとは異り、型番の末尾が示すとおり発泡プラスチックを振動板に採用している。
このW12RS/PSTを開発したのは、技術部長だったクックである。
さらにクックは、高分子材料を振動板に使うことを考え開発したにも関わらず、ブリッグスが採用を拒否している。
このウーファーがのちにKEFのB139として登場する。

クックは、スピーカーの振動板としての紙に対して、
自然素材ゆえに安定性が乏しく均一のものを大量に作る工業製品の素材としては必ずしも適当ではないと考えており、
均質なものを大量に作り出すことが容易な化学製品に、はやくから注目し取り組んでいる。

クックの先進性と、それを拒否したブリッグスが、
ワーフェデールという、老舗の器の中で居つづけることは無理があったと考えてもいいだろう。

もしB139がワーフェデールから登場していたら、クックの独立はなかったか、
すこし先に延びていたかもしれないだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=50


現代スピーカー考(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=51

レイモンド・E・クックは、ワーフェデールに在籍していた1950年代、
外部スタッフとしてBBCモニターの開発に協力している。
当時のBBC技術研究所の主任研究員D・E・L・ショーターを中心としたチームで、
ショーターのキャリアは不明だが、イギリスにおいてスピーカー研究の第一人者であったことは事実で、
ワーフェデールのブリッグスも,自著「Loudspeakers」に、
ショーターをしばしば訪ねて、指導を仰いだことがある、と記している。

ショーターの元での、スピーカーの基本性能を解析、理論的に設計していく開発スタイルと、
当時のスピーカーメーカーの多くが勘と経験に頼った、いわゆる職人的な設計・開発スタイルを、
同時期に経験しているクック。

クックの写真を見ると、学者肌の人のように思う。
彼の気質(といっても写真からの勝手な推測だが)からいっても、
後者のスタイルはがまんならなかっただろうし、職人的開発スタイルのため、
新しい理論(アコースティックサスペンション方式)による小型スピーカーに公開試聴で負けたことは、
その場にいたかどうかは不明だが、ブリッグス以上に屈辱的だったに違いないと思っている。

ショーターやクックのチームが開発したスピーカーは、LS5/1であり、
改良モデルのLS5/1Aの製造権を手に入れたのは、クックが創立したKEFであり、BBCへの納入も独占している。
http://audiosharing.com/blog/?p=51


現代スピーカー考(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=54

LS5/1Aは、スタンダードサンプルに対して規定の範囲内に特性がおさまるように、
1本ずつ測定・キャリブレートが要求される。
クックにとって、均質の工業製品をつくる上で、このことは当り前のこととして受けとめていただろう。

1961年、KEFはプラスチックフィルム、メリネックスを振動板に採用したドーム型トゥイーターT15を、
1962年にはウーファーのB139を発表している。
ワーフェデール時代にやれなかった、
理論に裏打ちされた新しい技術を積極的に採りいれたスピーカーの開発を特色として打ち出している。

1968年、KEFにローリー・フィンチャムが技術スタッフとして加わる。
彼を中心としたチームは、ブラッドフォード大学と協力して、
スピーカーの新しい測定方法を開発し、1973年のAESで発表している。
インパルスレスポンスの解析法である。

この測定方法の元になったのは、
D.E.L.ショーターが1946年にBBCが発行しているクオータリーに発表した
「スピーカーの過渡特性の測定とその視覚的提示方法」という論文である。
第二次世界大戦の終わった翌年の1月のことである。驚いてしまう。
この論文が実用化されるにはコンピューターの進化・普及が必須で、27年かかっている。
http://audiosharing.com/blog/?p=54

現代スピーカー考(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=56

インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。

この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」とひじょうに高く評価されている。
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
1975年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により、
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、
#104aBにモデルチェンジしている。
http://audiosharing.com/blog/?p=56


現代スピーカー考(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=57

KEFの#104aBは、20cm口径のウーファーB200とソフトドーム型トゥイーターT27の2ウェイ構成に、
B139ウーファーをベースにしたドロンコーンを加えたモデルである。

B200は、クックが中心となって開発された高分子素材のベクストレンを振動板に採用している。
ベクストレンは、その組成が、紙以上にシンプルで均一なため、ロットによるバラツキも少なく、
最終的に音質もコントロールしやすい、との理由で、BBCモニターには1967年から採用されている。
ただし1.5kHzから2kHzにかけての固有音を抑えるために、ダンプ剤が塗布されている。

T27の振動板はメリネックス製。T27の最大の特長は振動板ではなく、構造にある。
磁気回路のトッププレートの径を大きくし、そのままフレームにしている。
従来のドーム型トゥイーターの、トッププレートの上にマウントフレームが設けるのに対して、
構造をシンプル化し、音質の向上を図っている。しかもコストがその分けずれる。
のちにこの構造は、ダイヤトーンのドーム型ユニットにも採用される。

このT27の構造は、いかにもイギリス人の発想だとも思う。
たとえばQUADの管球式パワーアンプのIIでは、QUADのネームプレートを留めているネジで、
シャーシ内部のコンデンサーも共締めしているし、
タンノイの同軸型ユニットは、
アルテックがウーファーとトゥイーターのマグネットを独立させているのと対照的に、
ひとつのマグネットで兼用している。
しかも中高域のホーンの延長として、ウーファーのカーブドコーンを利用している。

こういう、イギリス独特の節約精神から生れたものかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=57

現代スピーカー考(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=58


#104と#104aBの違いは(記憶に間違いがなければ)ネットワークだけである。
ユニットはまったく同じ、エンクロージュアも変更されていない。
そのため、KEFでは、旧モデルのユーザーのために、aBタイプへのヴァージョンアップキットを発売していた。
キットの内容は新型ネットワークのDN22をパッケージしたもので、
スピーカーユニットが同じにも関わらず、スピーカーの耐入力が、50Wから100Wと大きく向上している。

この成果は、#104の開発に使われた4ビット・マイクロプロセッサーと、
aBタイプへの改良に使われたヒューレット・パッカード社のHP5451の処理能力の違いから生れたものだろう。

インパルスレスポンスの解析法そのものは大きな変化はなくても、
処理する装置の能力次第で、時間は短縮され、
その分、さまざまなことを試せるようになっているし、
結果の表示能力も大きな違いがあるのは容易に想像できる。
そこから読み取れるものも多くなっているはず。

インパルスレスポンスの解析法の進歩・向上によって(言うまでもないが、進歩しているのは解析法だけではない)、
#105が生れてくることになる。
私が考える現代スピーカーのはじまりは、この#105である。
http://audiosharing.com/blog/?p=58

現代スピーカー考(余談・その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=59

KEFの#105は、ステレオサウンド 45号の表紙になっている。
このころのステレオサウンドの表紙を撮影されていたのは安齋吉三郎氏。

いまのステレオサウンドの表紙と違い、
この時代は、撮影対象のオーディオ機器を真正面から見据えている感じがしてきて、
印象ぶかいものが多く、好きである。
41号の4343もそうだし、45号の105もそう。ほかにもいくつもあげられる。

目の前にあるモノを正面から、ひたすらじーっと見続けなければ、
見えてこないものがあることを、
安齋氏の写真は無言のうちに語っている、と私は思う。
http://audiosharing.com/blog/?p=59


現代スピーカー考(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=60

「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」
当時、類似のスピーカーとの違いを尋ねられて、
KEFのレイモンド・E・クックがインタビューで答えた言葉である。

#105とは、KEF独自の同軸型ユニットUNI-Qを搭載したトールボーイ型スピーカーのことではなく、
1977年に登場した3ウェイのフロアー型スピーカーのことである。
#105は、傾斜したフロントバッフルのウーファー専用エンクロージュアの上部に、
スコーカーとトゥイーターをマウントした樹脂製のサブエンクロージュアが乗り、
中高域部単体で、左右に30度、上下に7度、それぞれ角度が変えられるようになっている。
使用ユニットは、105のためにすべて新規開発されたもので、
ウーファーは30cm口径のコーン型、振動板は高分子系。
スコーカーは10cmのコーン型、トゥイーターはドーム型となっている。

こう書いていくと、B&Wの801と似ていると思う人もいるだろう。
801は2年後の79年に登場している。
#105の2年前に、テクニクスのSB-7000が登場しているし、
さらに前にはフランス・キャバスからも登場している。同時期にはブリガンタンが存在している。
http://audiosharing.com/blog/?p=60


現代スピーカー考(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=61

使用ユニットの前後位置合わせを行なったスピーカー、一般的にリニアフェイズと呼ばれるスピーカーは、
キャバスがはやくからORTF(フランスの国営放送)用モニターで採用していた。
1976年当時のキャバスのトップモデルのブリガンタン(Brigantin)は、
フロントバッフルを階段状にすることで、各ユニットの音源を垂直線上に揃えている。

リニアフェイズ(linear phase)を名称を使うことで積極的に、
この構造をアピールしたのはテクニクスのSB-7000である。
このモデルは、ウーファー・エンクロージュアの上に、
スコーカー、トゥイーター用サブエンクロージュアを乗せるという、
KEFの#105のスタイルに近い(前にも述べたように、SB-7000が先に登場している)。

さらに遡れば、アルテックのA5(A7)は、
ウーファー用エンクロージュアにフロントホーンを採用することで、
ホーン採用の中高域との音源の位置合わせを行なっている。
#105よりも先に、いわゆるリニアフェイズ方式のスピーカーは存在している。
http://audiosharing.com/blog/?p=61

Date: 10月 29th, 2008
現代スピーカー考(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=163

KEFのレイモンド・E・クックの
「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」 を
もういちど思い出してみる。

このインタビューの詳細を思い出せればいいのだが、さすがに30年前のことになると、
記憶も不鮮明なところがあるし、手元にステレオサウンドもない。
いま手元にあるステレオサウンドは10冊に満たない。
もうすこしあれば、さらに正確なことを書いていけるのだが……。

クックが言いたかったのは、#105は単にユニットの音源合わせを行なっているだけではない。
ネットワークも含めて、位相のつながりもスムーズになるよう配慮して設計している。
そういうことだったように思う。
他社製のスピーカーを測定すると、位相が急激に変化する帯域があるとも言っていたはずだ。

当然、その測定にはインパルスレスポンスによる解析法が使われているからこその発言だろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=163


現代スピーカー考(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=82

KEFの#105をはじめて聴いたのは1979年、熊本のとあるオーディオ店で、
菅野先生と瀬川先生のおふたりが来られたイベントの時である。

オーディオ相談といえるイベントで、菅野先生、瀬川先生はそれぞれのブースにおられて、
私はほとんど瀬川先生のブースにずっといた。
その時、瀬川先生が調整して聴かせてくれたのが、105である。

いまでこそクラシックが、聴く音楽の主だったものだが、当時、高校二年という少年にとっては、
女性ヴォーカルがうまく鳴ってほしいもので、瀬川先生に、
「この人とこの人のヴォーカルがうまく鳴らしたい」(誰なのかは想像にまかせます)と言ったところ、
「ちょっと待ってて」と言いながら、ブースの片隅においてあった105を自ら移動して、
バルバラのレコードをかけながら、
スピーカー全体の角度、それから中高域ユニットの水平垂直方向の調整を、
手際よくやられたのち、「ここに座って聴いてごらん」と、
バルバラをもういちど鳴らしてくれた。

唇や舌の動きが手にとるようにわかる、という表現が、当時のオーディオ雑誌に載っていたが、
このときの音がまさにそうだった。
誇張なく、バルバラが立っていたとして、ちょうど口あたりのところに、
何もない空間から声が聴こえてくる。

瀬川先生の調整の見事さと早さにも驚いたが、この、一種オーディオ特有の生々しさと、
けっして口が大きくならないのは、強い衝撃だった。
バルバラの口の中の唾液の量までわかるような再現だった。

ヴォーカルの再生は、まず口が小さくなければならない、と当時のオーディオ誌ではよく書いてあった。
それがそのまま音になっていた。

いま思い出すと、それは歌い手のボディを感じられない音といえるけれど、
なにか他のスピーカーとは違う、と感じさせてくれた。
http://audiosharing.com/blog/?p=82

現代スピーカー考(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=83

KEFの#105の底にはキャスターが取り付けられていた。

いまのオーディオの常識からすると、なぜそんなものを取り付ける? となるが、
当時は、スペンドールのBCII、BCIIIの専用スタンドもキャスターをがついていた。

ただスペンドールの場合も、このキャスター付きのスタンドのせいで、
上級機の BCIIIはずいぶん損をしている。
日本ではBCIIのほうが評価が高く、BCIIIの評価はむしろ低い。

ステレオサウンド 44号のスピーカーの総テストの中で、瀬川先生が、
BCIIIを、専用スタンドではなく、
他のスタンドにかえたときの音に驚いた、といったことを書かれている。

スペンドールのスタンドは、横から見るとコの字型の、鉄パイプの華奢なつくりで、キャスター付き。
重量は比較的軽いBCIIならまだしも、BCIIのユニット構成に30cmウーファーを追加し
エンクロージュアを大型にしたBCIIIで、スタンドの欠点が、よりはっきりと出たためであろう。

KEFの試聴室の写真を見たことがある。
スピーカーは、105の改良モデルの105.2で、一段高いステージの上に置かれているが、
とうぜんキャスターは付いていない。あのキャスターは、輸入元がつけたのかもしれない。
そして、キャスターを外した105の音はどう変化するのかを確認してみたい。
http://audiosharing.com/blog/?p=83


現代スピーカー考(その14)
http://audiosharing.com/blog/?p=164

KEFの#105の資料は、手元に何もない。写真があるぐらいだ。

以前、山中先生が言っておられた。
「ぼくらがオーディオをやりはじめたころは、得られる情報なんてわずかだった。
だからモノクロの写真一枚でも、じーっと見続けていた。
辛抱づよく見ることで、写真から得られるもの意外と多いし、そういう習慣が身についている。」

私がオーディオに関心をもちはじめたころも、山中先生の状況と大きく変わらない。
東京や大阪などに住んでいれば、本だけでなくオーディオ店にいけば、実機に触れられる。
しかも、オーディオ店もいくつも身近にある。
けれど、熊本の片田舎だと、オーディオを扱っているところはあっても、近所にオーディオ専門店はない。
得られる情報といえば、オーディオ誌だけである。
まわりにオーディオを趣味としている先輩も仲間もいなかった。

だから何度もくり返し同じ本を読み、写真を見続けるしかなかった。

いまはどうだろう。
情報量が増えたことで、あるひとつの情報に接している時間は短くなっていないだろうか。

数年前、ある雑誌で、ある人(けっこう年輩の方)が、
「もう、細かなことはいちいち憶えてなくていいんだよ。ネットで検索すればいいんだから」と発言されていた。
それは趣味の分野に関しての発言だった。

ネットに接続できる環境があり、パソコンもしくはPDAで検索すればそのとおりだろう。
仲間内で、音楽やオーディオの話をしているとき、
その人は、つねにネットに接続しながら話すのだろうか。
それで成り立つ会話というのを想像すると、つよい異和感がある。
http://audiosharing.com/blog/?p=164


現代スピーカー考(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=195

KEFの#105の写真を見ていると、LS3/5Aにウーファーを足したスタイルだなぁ、と思ってしまう。

スコーカーは10cm口径のコーン型で、
トゥイーターはT27でこそないが、おそらく改良型といえるであろうソフトドーム型。
これらを、ただ単にウーファーのエンクロージュアに乗せただけではなく、
左右上下に角度調整ができる仕掛けがついている。

#105の、見事な音像定位は、LS3/5Aの箱庭的定位に継がっているようにも思えてくる。
LS3/5Aも、#105の中高域部と同じように、仰角も調整して聴いたら、
もっと精度の高い、音の箱庭が現われるのかもしれない。
LS3/5Aを使っていたときには、仰角の調整までは気がつかなかった。

セレッションのSL600を使っていたときに、カメラの三脚の使用を検討したことがある。
スピーカーの仰角も、左右の振り、そして高さも、すぐ変更できる。
いい三脚は、ひじょうにしっかりしている。

スピーカーのベストポジションを見つけたら、そこからは絶対に動かさないのと対極的な聴き方になるが、
被写体に応じて、構図やカメラのピントを調整するように、
ディスクの録音に応じて、スピーカーのセッティングを変えていくのも、ありではないだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=195


現代スピーカー考(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=205

推測というよりも妄想に近いとわかっているが、#105のスタイルを、
レイモンド・クックは、LS3/5A+ウーファーという発想から生み出したように思えてならない。

LS3/5Aに搭載されているスピーカーユニットはKEF製だし、KEFとBBCの関係は深い。
時期は異るが、KEFからもLS3/5Aが発売されていたこともある。

#105は、セッティングを緻密に追い込めば、精度の高い音場再現が可能だし、
内外のスピーカーに与えた影響は、かなり大きいといえるだろう。

にも関わらず、少なくとも日本では#105は売れなかった。

#105は、より精度の高さを求めて、105.2に改良されている。
もともとバラツキのひじょうに少ないスピーカーではあったが、105.2になり、
全数チェックを行ない、標準原器と比較して、
全データが±1dBにおさまっているモノのみを出荷していた。

またウーファーの口径を30cmから20cmの2発使用にして、
ウーファー・エンクロージュアを小型化した105.4も出ていた。
ということは、#105はKEFにとって自信作であり、主力機でもあったわけだが、
日本での売れ行きはサッパリだったと聞いている。

この話をしてくれた人に理由をたずねると、意外な答えが返ってきた。
「(スピーカーの)上にモノが乗せられないから」らしい。
いまでは考えられないような理由によって、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=205

現代スピーカー考(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=206

KEFの#105が日本であまり芳しい売行きでなかったのは、
なにも上にモノを乗せられないばかりではないと思う。

#105と同時期のスピーカーといえば、価格帯は異るが、JBLの4343があり、爆発的に売れていた。
#105と同価格帯では、QUADのESL、セレッションのDitton66(662)、
スペンドールBCIII、ダイヤトーンの2S305、タンノイのアーデン、
すこし安い価格帯では、ハーベスのMonitor HL、スペンドールBCII、JBLの4311、
BOSEの901、パイオニアのS955などがあった。

これらのスピーカーと比較すると、#105の音色は地味である。
現代スピーカーの設計手法の先鞭をつけたモデルだけに、周波数バランスもよく、
まじめにつくられた印象が先にくるのか、
魅力的な音色で楽しく音楽を聴かせてくれる面は、薄いように思う。
もちろんまったく無個性かというと決してそうではなく、
昔から言われるように、高域に、KEFならではの個性があるが、
それも#104に比べると、やはり薄まっている。
それにちょっと骨っぽいところもある。

もっともKEFが、そういうスピーカーづくりを嫌っていただろうから、
#105のような性格に仕上がるのは同然だろうが、
個性豊かなスピーカー群に囲まれると、地味すぎたのだろう。
少なくとも、いわゆる店頭効果とは無縁の音である。

店頭効果で思い出したが、
上にモノが乗せられないことは、オーディオ店に置いてもらえないことでもある。
当時のオーディオ店では、スピーカーは山積みで展示してあり、
切換スイッチで、鳴らしていた。
#105のスタイルは、オーディオ店でも嫌われていた。

おそらく、このことは輸入代理店を通じて、KEFにも伝えられていたはず。
それでも、KEFは、スタイルを変えることなく、105.2、105.4とシリーズ展開していく。
http://audiosharing.com/blog/?p=206


現代スピーカー考(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=207

#105の2年ほどあとに登場した303というブックシェルフ型スピーカーは、
ペアで12万4千円という、輸入品ということを考えれば、かなりのローコストモデルだ。

20cm口径のコーン型ウーファーとメリネックス振動板のドーム型トゥイーターで、
エンクロージュアの材質は、木ではなく、プラスチック樹脂。
外観はグリルがエンクロージュアを一周しているという素っ気無さであり、
合理的なローコストの実現とともに、製造時のバラツキの少なさも考慮された構成だ。

303の音は、当時、菅野先生と瀬川先生が高く評価されていた。
たしかおふたりとも、ステレオサウンド 55号(ベストバイの特集号)で、
マイベスト3に選ばれている。

こういうスピーカーは、従来の、技術者の勘や経験を重視したスピーカーづくりではなしえない。
理知的なアプローチと、それまでのスピーカーづくりの実績がうまく融合しての結果であろう。
#105の誕生があったから生れたスピーカーだろうし、
303も優れた現代スピーカーのひとつだと、私は思う。

瀬川先生が書かれていたように、303のようなローコスト設計を日本のメーカーが行なえば、
もっと安く、それでいて、まともな音のするスピーカーをつくれただろう。

2 Comments

kenken
1月 11th, 2009
なつかしさのあまり投稿いたします。 KEFの303は3度にわたり手に入れては手放しました。
今思うとラックスのアンプで303を鳴らしていた時代が最も純粋に音楽を楽しめた時期だったような気がします。
マニアの性ですぐにもう少しハイエンドなスピーカーを使いたくなってしまうのですが。。

audio sharing
3月 15th, 2009
kenkenさま
コメント、ありがとうございます。
KEF303の特徴である何気ない音、素朴な音は、現行製品ではなかなか得られない良さだと思います。
http://audiosharing.com/blog/?p=207


現代スピーカー考(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=210

KEFの#105で思い出したことがある。
1979年前後、マークレビンソンが、開発予定の機種を発表した記事が
ステレオサウンドの巻末に、2ページ載っていたことがある。

スチューダーのオープンリールデッキA80のエレクトロニクス部分を
すべてマークレビンソン製に入れ換えたML5のほかに、
マランツ10 (B)の設計、セクエラのチューナーの設計で知られるリチャード・セクエラのブランド、
ピラミッドのリボントゥイーターT1をベースに改良したモノや、
JBL 4343に、おもにネットワークに改良を加えたモノのほかに、
KEFの#105をベースにしたモノもあった。

A80、T1(H)、4343といった高級機の中で、価格的には中級の#105が含まれている。
#105だけが浮いている、という見方もあるだろうが、
訝った見方をすれば、むしろ4343が含まれているのは、日本市場を鑑みてのことだろうか。

マークレビンソンからは、これと前後して、HQDシステムを発表している。
QUADのESLのダブルスタックを中心とした、大がかりなシステムだ。
このシステム、そしてマーク・レヴィンソンがチェロを興してから発表したスピーカーの傾向から思うに、
浮いているのは4343かもしれない。

結局、製品化されたのはML5だけで、他のモノは、どこまで開発が進んでいたのかすら、わからない。

なぜマーク・レヴィンソンは、#105に目をつけたのか。
もし完成していたら、どんなふうに変わり、
どれだけマークレビンソンのアンプの音の世界に近づくのか、
いまはもう想像するしかないが、おもしろいスピーカーになっただろうし、
#105の評価も、そうとうに変わってきただろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=210


現代スピーカー考(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=771

ステレオサウンド創刊15周年記念の60号の特集は、アメリカン・サウンドだった。
この号の取材の途中で瀬川先生は倒れられ、ふたたび入院された。
この号も手もとにないので、記憶に頼るしかないが、JBLの4345を評して、
「インターナショナルサウンド」という言葉を使われた。

残念なのは、この言葉の定義づけをする時間が瀬川先生には残されていなかったため、
このインターナショナルサウンドが、その後、使われたことはなかった(はずだ)。

インターナショナルサウンドという言葉は、すこし誤解をまねいたようで、
菅野先生も、瀬川先生の意図とは、すこし違うように受けとめられていたようで、
それに対して、病室でのインタビューで、瀬川先生は補足されていた。

「主観的要素がはいらず、物理特性の優秀なスピーカーシステムの、すぐれた音」──、
たしか、こう定義されていたと記憶している。

インターナショナルサウンド・イコール・現代スピーカー、と定義したい。
http://audiosharing.com/blog/?p=771


Date: 1月 13th, 2010
現代スピーカー考(その20・補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1102

ステレオサウンドの60号が手もとにあるので、
瀬川先生のインターナショナルサウンドについての発言を引用しておく。
     *
これは異論があるかもしれないですけれど、きょうのテーマの〈アメリカン・サウンド〉という枠を、JBLの音には、ぼくの頭のなかでは当てはめにくい。たとえば、パラゴンとオリンパスとか、あの辺はアメリカン・サウンドだという感じがするんだけれども、ぼくの頭の中でJBLというとすぐ、4343以降のスタジオモニターが、どうしてもJBLの代表みたいにおもえちゃうんですが、しかし、これはもう〈アメリカン・サウンド〉じゃないんじゃないのか、言ってみれば〈インターナショナル・サウンド〉じゃないかという感じがするんです。この言い方にはかなり誤解をまねきやすいと思うので、後でまた補足するかもしれないけれども、とにかく、ぼくの頭の中でのアメリカン・サウンドというのは、アルテックに尽きるみたいな気がする。
アルテックの魅力というのは(中略)、50年代から盛り返しはじめたもう一つのリッチなアメリカ、それを代表するサウンドと言える。もしJBLの4343から4345を、アメリカン・サウンドと言うならば、これは今日の最先端のアメリカン・サウンドですね。
     *
瀬川先生のインターナショナル・サウンドに対しては、
アメリカン・サウンドの試聴に参加された岡、菅野のおふたりは、異論を唱えられている。

岡先生は、4345の音を「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とされている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1102


現代スピーカー考(その20・続補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1103

「ぼくはインターナショナル・サウンドっていうのはあり得ないと思います」と岡先生は否定されている。
が、「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とも言われているように、全否定されているわけではない。

岡先生は、こうも言われている。
「非常にオーバーな言い方をすれば、アメリカのスピーカーの方向というものはよくも悪しくもJBLが代表していると思うんです。アメリカのスピーカーの水準はJBLがなにかをやっていくたびにステップが上がっていく。そういう感じが、ことにここ10数年していたわけです。
 JBLの行きかたというのはあくまでもテクノロジー一本槍でやっている。あそこの技術発表のデータを見ていると、ほんとうにテクノロジーのかたまりという感じもするんです。」


この発言と、瀬川先生が病室から談話で語られた
「客観的といいますか、要するにその主観的な要素が入らない物理特性のすぐれた音」、
このふたつは同じことと捉えてもいい。

だから残念なのは、全試聴が終った後の総括の座談会に、瀬川先生が出席されていないことだ。
もし瀬川先生が入院されていなかったら、インターナショナル・サウンドをめぐって、
ひじょうに興味深い議論がなされたであろう。

それは「現代スピーカー」についての議論でもあったはずだ。

瀬川先生の談話は、the Review (in the past) で公開している。
「でも、インターナショナル≠ニいってもいい音はあると思う」の、その1、2、3、4だ。


1 Comment

AutoG
1月 14th, 2010
当時、同時進行でステサンを読んでいた訳ですが、瀬川氏が4320、43、45等に対して礼賛する姿勢を以前から採っていて、客観的にも「やや淹れ込んでいる」という感は否めませんでした。まあ、その後、菅野氏がマッキンのスピーカーに傾倒していったりする経緯もありましたが、瀬川氏は情緒的にやや入りすぎるきらいがあって、菅野氏達に自分の好みを一般化する姿勢に対し、「傲慢」呼ばわりされる羽目になってしまった。入院先から「談話」の形で誤解を解く記事が載ったものの、読者としてはこの一連の「揉め事」に心穏やかではなかったことを思い出します。
 結果として後に入院先の九段坂病院で帰らぬ人となった瀬川氏にとって、このアメリカンサウンド特集が評論活動としての最後であったと記憶します。
 昨年大晦日に瀬川氏や岩崎千明氏を良く知る御仁と話しができて、しみじみ懐かし九思い、タイプは異なれどご両人とも「鋭い感性の人」という共通認識で別れました。いずれにしても瀬川氏には大きな影響を受けました。
http://audiosharing.com/blog/?p=1103


Date: 1月 22nd, 2010
現代スピーカー考(その20・続々補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1115

瀬川先生が、「インターナショナル・サウンド」という言葉を使われた、29年前、
私は「グローバル」という言葉を知らなかった。
「グローバル」という言葉を、目にすることも、ほとんどなかった(はずだ)。

いま「グローバル」という言葉を目にしない、耳にしない日はないというぐらい、の使われ方だが、
「グローバル・サウンド」と「インターナショナル・サウンド」、このふたつの違いについて考えてみてほしい。

ステレオサウンド 60号の、瀬川先生抜きの、まとめの座談会は、
欠席裁判のようで不愉快だ、と捉えられている方も、少なくないようである。
インターネット上でも、何度か、そういう発言を読んだことがある。

早瀬さんも、「やり場のない憤り」を感じたと、つい最近書かれている。

私は、というと、当時、そんなふうには受けとめていなかった。
いまも、そうは受けとめていない。

たしかに、菅野先生の発言を、ややきつい表現とは感じたものの、瀬川先生の談話は掲載されていたし、
このとき、瀬川先生が帰らぬ人となられるなんて、まったく思っていなかったため、
次号(61号)のヨーロピアン・サウンドで、きっとKEFのスピーカーのことも、
思わず「インターナショナル・サウンド」と言われるのではないか、
そして、「インターナショナル・サウンド」について、
菅野先生と論争をされるであろう、と思っていたし、期待していたからだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=1115


現代スピーカー考(その20・続々続補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=1116

仮に欠席裁判だとしよう。
29年経ったいま、「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになったいま、
「インターナショナル・サウンド」という表現は、瀬川先生も「不用意に使った」とされているが、
むしろ正しい使われ方だ、と私は受けとめている。

もし「グローバル・サウンド」と言われていたら、いまの私は、反論しているだろう。

瀬川先生は、他の方々よりも、音と風土、音と世代、音と技術について、深く考えられていた。
だから、あの場面で「インターナショナル・サウンド」という言葉を、思わず使われたのだろう。
瀬川先生に足りなかったのは、「インターナショナル・サウンド」の言葉の定義をする時間だったのだ。
思慮深さ、では、決してない。
http://audiosharing.com/blog/?p=1116


現代スピーカー考(その20・続々続々補足)

瀬川先生に足りなかったものがもうひとつあるとすれば、
「インターナショナル・サウンド」の前に、
岡先生の発言にあるように「アメリカ製の」、もしくはアメリカ西海岸製の」、または「JBL製の」と、
ひとこと、つけ加えられることであろう。

グローバルとインターナショナルの違いは、
「故郷は?」ときかれたときに、
「日本・東京」とか「カナダ・トロント」とこたえるのがインターナショナルであって、
「お母さんのお腹の中」とこたえるのがグローバルだ、と私は思っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=1117


現代スピーカー考(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=781

ステレオサウンドの60号の1年半前にも、スピーカーの試聴テストを行なっている。
54号(1980年3月発行)の特集は「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」で、
菅野沖彦、黒田恭一、瀬川冬樹の3氏が試聴、長島先生が測定を担当されている。
この記事の冒頭で、試聴テスター3氏による「スピーカーテストを振り返って」と題した座談会が行なわれている。

ここで、瀬川先生は、インターナショナルサウンドにつながる発言をされている。
     ※
海外のスピーカーはある時期までは、特性をとってもあまりよくない、ただ、音の聴き方のベテランが体験で仕上げた音の魅力で、海外のスピーカーをとる理由があるとされてきました。しかし現状は決してそうとばかかりは言えないでしょう。
私はこの正月にアメリカを回ってきまして、あるスピーカー設計のベテランから「アメリカでも数年前までは、スピーカーづくりは錬金術と同じだと言われていた。しかし今日では、アメリカにおいてもスピーカーはサイエンティフィックに、非常に細かな分析と計算と設計で、ある水準以上のスピーカーがつくれるようになってきた」と、彼ははっきり断言していました。
これはそのスピーカー設計者の発言にとどまらず、アメリカやヨーロッパの本当に力のあるメーカーは、ここ数年来、音はもちろんのこと物理特性も充分にコントロールする技術を本当の意味で身につけてきたという背景があると思う。そういう点からすると、いまや物理特性においてすらも、日本のスピーカーを上まわる海外製品が少なからず出てきているのではないかと思います。
かつては物理特性と聴感とはあまり関連がないと言われてきましたが、最近の新しい解析の方法によれば、かなりの部分まで物理特性で聴感のよしあしをコントロールできるところまできていると思うのです。
     ※
アメリカのベテランエンジニアがいうところの「数年前」とは、
どの程度、前のことなのかはっきりとはわからないが、10年前ということはまずないだろう、
長くて見積もって5年前、せいぜい2、3年前のことなのかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=781


Date: 12月 7th, 2010
現代スピーカー考(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=1581

瀬川先生の「本」づくりのために、いま手もとに古いステレオサウンドがある。
その中に、スピーカーシステムの比較試聴を行った号もあって、掲載されている測定データを見れば、
あきらかに物理特性は良くなっていることがわかる。

ステレオサウンドでは44、45、46、54号がスピーカーの特集号だが、
このあたりの物理特性と、その前の28、29、36号の掲載されている結果(周波数特性)と比較すると、
誰の目にも、その差はあきからである。

36号から、スピーカーシステムのリアル・インピーダンスがあらたに測定項目に加わっている。
20Hzから20kHzにわたって、各周波数でのインピーダンス特性をグラフで表わしたもので、
36号(1975年)と54号(1980年)とで比較すると、これもはっきりと改善されていることがわかる。

インピーダンス特性の悪いスピーカーだと、
周波数特性以上にうねっているものが1970年半ばごろまでは目立っていた。
低域での山以外は、ほぼ平坦、とすべてのスピーカーシステムがそういうわけでもないが、
うねっているモノの割合はぐんと減っている。
周波数特性同様に、全体的にフラット傾向に向っていることがわかる。

この項の(その21)でのアメリカのスピーカーのベテラン・エンジニアの発言にある数年前は、
やはり10年前とかではなくて、当時(1980年)からみた4、5年前とみていいだろう。

アンプでは増幅素子が真空管からトランジスター、さらにトランジスターもゲルマニウムからシリコンへ、と、
大きな技術的転換があったため、性能が大きく向上しているのに対して、
スピーカーの動作原理においては、真空管からトランジスターへの変化に匹敵するようなことは起っていない。
けれど、スピーカーシステムとしてのトータルの性能は、数年のあいだに確実に進歩している。
http://audiosharing.com/blog/?p=1581


Date: 3月 21st, 2012
現代スピーカー考(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=7389

ステレオサウンド 54号のスピーカー特集の記事の特徴といえるのが、
平面振動板のスピーカーシステムがいくつか登場しており、
ちょうどこのあたりの時期から国内メーカーでは平面振動板がブームといえるようになっていた。

51号に登場する平面振動板のスピーカーシステムはいちばん安いものではペアで64000円のテクニクスのSB3、
その上級機のSB7(120000円)、Lo-DのHS90F(320000円)、ソニー・エスプリのAPM8(2000000円)と、
価格のダイナミックレンジも広く、高級スピーカーだけの技術ではなくてなっている。
これら4機種はウーファーまですべて平面振動板だが、
スコーカー、トゥイーターのみ平面振動板のスピーカーシステムとなると数は倍以上になる。

ステレオサウンド 54号は1980年3月の発行で、
国内メーカーからはこの後、平面振動板のスピーカーシステムの数は増えていった。

私も、このころ、平面振動板のスピーカーこそ理想的なものだと思っていた。
ソニー・エスプリのAPM8の型番(accurate pistonic motion)が表すように、
スピーカーの振動板は前後にピストニックモーションするのみで、
分割振動がまったく起きないのが理想だと考えていたからだ。
それに平面振動板には、従来のコーン型ユニットの形状的な問題である凹み効果も当然のことだが発生しない。

その他にも平面振動板の技術的メリットを、カタログやメーカーの広告などで読んでいくと、
スピーカーの理想を追求することは平面振動板の理想を実現することかもしれない、とも思えてくる。
確かに振動板を前後に正確にピストニックモーションさせるだけならば、平面振動板が有利なのだろう。

けれど、ここにスピーカーの理想について考える際の陥し穴(というほどのものでもないけれど)であって、
振動板がピストニックモーションをすることが即、入力信号に忠実な空気の疎密波をつくりだせるわけではない、
ということに1980年ごろの私は気がついていなかった。

音は空気の振動であって、
振動板のピストニックモーションを直接耳が感知して音として認識しているわけではない。
http://audiosharing.com/blog/?p=7389


Date: 3月 24th, 2012
現代スピーカー考(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=7391

平面振動板のスピーカーと一口に言っても、大きく分けると、ふたつの行き方がある。
1980年頃から日本のメーカーが積極的に開発してきたのは振動板の剛性をきわめて高くすることによるもので、
いわば従来のコーン型ユニットの振動板が平面になったともいえるもので、
磁気回路のなかにボイスコイルがあり、ボイスコイルの動きをボイスコイルボビンが振動板に伝えるのは同じである。

もうひとつの平面振動板のスピーカーは、振動板そのものにはそれほどの剛性をもつ素材は使われずに、
その平面振動板を全面駆動とする、リボン型やコンデンサー型などがある。

ピストニックモーションの精確さに関しては、どちらの方法が有利かといえば、
振動板全体に駆動力のかかる後者(リボン型やコンデンサー型)のようにも思えるが、
果して、実際の動作はそういえるものだろうか。

リボン型、コンデンサー型の振動板は、板というよりも箔や膜である。
理論通りに、振動箔、振動膜全面に均一に駆動力がかかっていれば、振動箔・膜に剛性は必要としない。
だがそう理論通りに駆動力が均一である、とは思えない。
たとえ均一に駆動力が作用していたとしても、実際のスピーカーシステムが置かれ鳴らされる部屋は残響がある。

無響室ではスピーカーから出た音は、原則としてスピーカーには戻ってこない。
広い平地でスピーカーを鳴らすのであれば無響室に近い状態になるけれど、
実際の部屋は狭ければ数メートルでスピーカーから出た音が壁に反射してスピーカー側に戻ってくる。
それも1次反射だけではなく2次、3次……何度も壁に反射する音がある。

これらの反射音が、スピーカーの振動板に対してどう影響しているのか。
これは無響室で測定している限りは掴めない現象である。

1980年代にアポジーからオール・リボン型スピーカーシステムが登場した。
ウーファーまでリボン型ということは、ひとつの理想形態だと、当時は考えていた。
それをアポジーが実現してくれた。
インピーダンスの低さ、能率の低さなどによってパワーアンプへの負担は、
従来のスピーカー以上に大きなものになったとはいえ、
こういう挑戦によって生れてくるオーディオ機器には、輝いている魅力がある。

アポジーの登場時にはステレオサウンドにいたころだから、聴く機会はすぐにあった。
そのとき聴いたのはシンティラだった。
そのシンティラが鳴っているのを、見ていてた。
http://audiosharing.com/blog/?p=7391


Date: 3月 25th, 2012
現代スピーカー考(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=7410

アポジーのスピーカーシステムは、外観的にはどれも共通している。
縦長の台形状の、広い面積のアルミリボンのウーファーがあり、
縦長の細いスリットがスコーカー・トゥイーター用のリボンなのだが、
アポジーのスピーカーシステムが鳴っているのを見ていると、
スコーカー・トゥイーター用のリボンがゆらゆらと動いているのが目で確認できる。

目で確認できる程度の揺れは、非常に低い周波数なのであって、
スコーカー・トゥイーターからそういう低い音は本来放射されるものではない。
LCネットワークのローカットフィルターで低域はカットされているわけだから、
このスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れは、入力信号によるもではないことははっきりしている。

リボン型にしてもコンデンサー型にしても、
理論通りに振動箔・膜の全面に対して均一の駆動力が作用していれば、
おそらくは振動箔・膜に使われている素材に起因する固有音はなくなってしまうはずである。
けれど、現実にはそういうことはなく、コンデンサー型にしろリボン型にしろ素材の音を消し去ることはできない。

つまりは、微視的には全面駆動とはなっていない、
完全なピストニックモーションはリボン型でもコンデンサー型でも実現できていない──、
そういえるのではないだろうか。
この疑問は、コンデンサー型スピーカーの原理を、スピーカーの技術書を読んだ時からの疑問だった。
とはいえ、それを確かめることはできなかったのだが、
アポジーのスコーカー・トゥイーター用リボンの揺れを見ていると、
完全なピストニックモーションではない、と確信できる。

だからリボン型もコンデンサー型もダメだという短絡なことをいうために、こんなことを書いているのではない。
私自身、コンデンサー型のQUADのESLを愛用してきたし、
アポジーのカリパー・シグネチュアは本気で導入を考えたこともある。
ここで書いていくことは、そんなことではない。

スピーカーの設計思想における、剛と柔について、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=7410

Date: 3月 28th, 2012
現代スピーカー考(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=7456

より正確なピストニックモーションを追求し、
完璧なピストニックモーションを実現するためには、振動板の剛性は高い方がいい。
それが全面駆動型のスピーカーであっても、
振動板の剛性は(ピストニックモーションということだけにとらわれるのであれば)、高い方がいい。

ソニーがエスプリ・ブランドで、振動板にハニカム構造の平面振動板を採用し、
その駆動方法もウーファーにおいてはボイスコイル、磁気回路を4つ設けての節駆動を行っている。
しかもボイスコイルボビンはハニカム振動板の裏側のアルミスキンではなく、
内部のハニカムを貫通させて表面のアルミスキンをふくめて接着する、という念の入れようである。

当時のソニーの広告には、そのことについて触れている。
特性上ではボイスコイルボビンをハニカム振動板の裏側に接着しても、
ハニカム構造を貫通させての接着であろうとほとんど同じなのに、
音を聴くとそこには大きな違いがあった、ということだ。
つまり特性上では裏側に接着した段階で充分な特性が得られたものの、
音の上では満足の行くものにはならなかったため、さらなる検討を加えた結果がボイスコイルボビンの貫通である。

APM8は1979年当時でペアで200万円していた。
海外製のスピーカーシステムでも、APM8より高額なモノはほとんどなかった。
高価なスピーカーシステムではあったが、その内容をみていくと、高くはない、といえる。

そして、この時代のソニーのスピーカーシステムは、
このAPM8もそうだし、その前に発売されたSS-G9、SS-G7など、どれも堂々としていた。

すぐれたデザインとは思わないけれど、
技術者の自信が表に現れていて、だからこそ堂々とした感じに仕上がっているのだと思う。

これらのソニーのスピーカーシステムに較べると、この10年ほどのソニーのスピーカーシステムはどうだろう……。
音は聴いていないから、そこについては語らないけれど、どこかしら弱々しい印象を見たときに感じてしまう。

このことについて書いていくと、長々と脱線してしまう。
話をピストニックモーションにもどそう。
http://audiosharing.com/blog/?p=7456


Date: 5月 20th, 2012
現代スピーカー考(その27)
http://audiosharing.com/blog/?p=7704

スピーカーの振動板を──その形状がコーン型であれ、ドーム型であれ、平面であれ──
ピストニックモーションをさせる(目指す)のは、なぜなのか。

スピーカーの振動板の相手は、いうまでもなく空気である。
ごく一部の特殊なスピーカーは水中で使うことを前提としているものがあるから水というものもあるが、
世の中の99.9%以上のスピーカーが、その振動板で駆動するのは空気である。

空気の動きは目で直接捉えることはできないし、
空気にも質量はあるものの普通に生活している分には空気の重さを意識することもない。
それに空気にも粘性があっても、これも、そう強く意識することはあまりない。
(知人の話では、モーターバイクで時速100kmを超えるスピードで走っていると、
空気が粘っこく感じられる、と言っていたけれど……)

空気が澱んだり、煙たくなったりしたら、空気の存在を意識するものの、
通常の快適な環境では空気の存在を、常に意識している人は、ごく稀だと思う。

そういう空気を、スピーカーは相手にしている。

空気がある閉じられた空間に閉じこめられている、としよう。
例えば筒がある。この中の空気をピストンを動かして、空気の疎密波をつくる、とする。
この場合、筒の内径とピストンの直径はほぼ同じであるから、
ピストンの動きがそのまま空気を疎密波に変換されることだろう。

こういう環境では、振動板(ピストン)の動きがそのまま空気の疎密波に反映される(はず)。
振動板が正確なピストニックモーションをしていれば、筒内の空気の疎密波もまた正確な状態であろう。

だが実際の、われわれが音を聴く環境下では、この筒と同じような状況はつくり出せない。
つまり壁一面がスピーカーの振動板そのもの、ということは、まずない。
http://audiosharing.com/blog/?p=7704


現代スピーカー考(その28)
http://audiosharing.com/blog/?p=7812

仮に巨大な振動板の平面型スピーカーユニットを作ったとしよう。
昔ダイヤトーンが直径1.6mのコーン型ウーファーを作ったこともあるのだから、
たとえば6畳間の小さな壁と同じ大きさの振動板だったら、
金に糸目をつけず手間を惜しまなければ不可能ということはないだろう。

縦2.5m×横3mほどの平面振動板のスピーカーが実現できたとする。
この巨大な平面振動板で6畳間の空気を動かす。
もちろん平面振動板の剛性は非常に高いもので、磁気回路も強力なもので十分な駆動力をもち、
パワーアンプの出力さえ充分に確保できさえすればピストニックモーションで動けば、
筒の中の空気と同じような状態をつくり出せるであろう。

けれど、われわれが聴きたいのは、基本的にステレオである。
これではモノーラルである。
それでは、ということで上記の巨大な振動板を縦2.5m×横1.5mの振動板に二分する。
これでステレオになるわけだが、果して縦2.5m×横3mの壁いっぱいの振動板と同じように空気を動かせるだろうか。

おそらく無理のはずだ。
空気は押せば、その押した振動板の外周付近の空気は周辺に逃げていく。
モノーラルで縦2.5m×横3mの振動板ひとつであれば、
この振動板の周囲は床、壁、天井がすぐ側にあり空気が逃げることはない。
けれど振動板を二分してしまうと左側と振動板と右側の振動板が接するところには、壁は当り前だが存在しない。
このところにおいては、空気は押せば逃げていく。
逃げていく空気(ここまで巨大な振動板だと割合としては少ないだろうが)は、
振動板のピストニックモーションがそのまま反映された結果とはいえない。

しかも実際のスピーカーの振動板は、上の話のような巨大なものではない。
もっともっと小さい。
筒とピストンの例でいえば、筒の内径に対してピストンの直径は半分どころか、もっと小さくなる。
38cm口径のウーファーですら、6畳間においては部屋の高さを2.5mとしたら約1/6程度ということになる。
かなり大ざっぱな計算だし、これはウーファーを短辺の壁にステレオで置いた場合であって、
長辺の壁に置けばさらにその比率は小さくなる。
http://audiosharing.com/blog/?p=7812


Date: 11月 3rd, 2012
現代スピーカー考(その29)
http://audiosharing.com/blog/?p=8337

筒とピストンの例をだして話を進めてきているけれど、
この場合でも筒の内部が完全吸音体でなければ、
ピストン(振動板)の動きそのままの空気の動き(つまりピストニックモーション)にはならないはず。

どんなに低い周波数から高い周波数の音まで100%吸音してくれるような夢の素材があれば、
筒の中でのピストニックモーションは成立するのかもしれない。

でも現実にはそんな環境はどこにもない。
これから先も登場しないだろうし、もしそんな環境が実現できるようになったとしても、
そんな環境下で音楽を聴きたいとは思わない。

音楽を聴きたいのは、いま住んでいる部屋において、である。
その部屋はスピーカーの振動板の面積からずっと大きい。
狭い狭い、といわれる6畳間であっても、スピーカー(おもにウーファー)の振動板の面積からすれば、
そのスピーカーユニットが1振幅で動かせる空気の容量からすれば、ずっとずっと広い空間である。
そして壁、床、天井に音は当って、その反射音を含めての音をわれわれは聴いている。

そんなことを考えていると、振動板のピストニックモーションだけでいいんだろうか、という疑問が出てくる。

コンデンサー型やリボン型のように、振動板のほぼ全面に駆動力が加わるタイプ以外では、
ピストニックモーションによるスピーカーであれば、振動板に要求されるのは高い剛性が、まずある。

それに振動板には剛性以外にも適度な内部損失という、剛性と矛盾するような性質も要求される。
そして内部音速の速さ、である。

理想のピストニックモーションのスピーカーユニットための振動板に要求されるのは、
主に、この3つの項目である。

その実現のために、これまでさまざまな材質が採用されてきたし、
これからもそうであろう。
ピストニックモーションを追求する限り、剛性の高さ、内部音速の速さは重要なのだから。

このふたつの要素は、つまりは剛、である。
この剛の要素が振動板に求められるピストニックモーションも、また剛の動作原理ではないだろうか。

剛があれば柔がある。
剛か柔か──、
それはピストニックモーションか非ピストニックモーションか、ということにもなろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=8337


Date: 8月 15th, 2013
現代スピーカー考(その30)
http://audiosharing.com/blog/?p=11560

スピーカーにおけるピストニックモーションの追求は、はっきりと剛の世界である。

その剛の世界からみれば、
ジャーマン・フィジックスのスピーカーシステムに搭載されているDDD型ユニットのチタンの振動板は、
理屈的に納得のいくものではない。

DDD型のチタンの振動板は、何度か書いているように振動板というよりも振動膜という感覚にちかい。
剛性を確保することは考慮されていない。
かといって、コンデンサー型やリボン型のように全面駆動型でもない。

スピーかーを剛の世界(ピストニックモーションの追求)からのみ捉えていれば、
ジャーマン・フィジックスの音は不正確で聴くに耐えぬクォリティの低いものということになる。

けれど実際にDDD型ユニットから鳴ってくる音は、素晴らしい。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットは、
1970年代にはウォルッシュ型、ウェーヴ・トランスミッションライン方式と呼ばれていた。
インフィニティの2000AXT、2000IIに採用されていた。
2000AXTは3ウェイで5Hz以上に、2000IIは4ウェイで、10kHz以上にウォルッシュ型を使っていた。

1980年代にはオームから、より大型のウォルッシュ・ドライバーを搭載したシステムが登場した。
私がステレオサウンドにいたころ、伊藤忠が輸入元で、新製品の試聴で聴いている。
白状すれば、このとき、このスピーカー方式のもつ可能性を正しく評価できなかった。

ジャーマン・フィジックスのDDD型ほどに完成度が高くなかった、ということもあるが、
まだ剛の世界にとらわれていたからかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=11560


Date: 8月 15th, 2013
現代スピーカー考(その31)
http://audiosharing.com/blog/?p=11569

ステレオサウンドは以前、HI-FI STEREO GUIDEを年二回出していた。
そのとき日本市場で発売されているオーディオ機器を、アクセサリーをふくめて網羅した便利な本だった。

しかも70年代の、この本の巻頭には、沢村亨氏による「カタログデータの読み方」というページがあり、
その中にウォルッシュ・ドライバーの解説もあった。

そのおかげで大ざっぱにはどういうものか知っていたけれど、
それだけではやはり不充分だったし、オームのスピーカーシステムを、
すこし変った無指向性スピーカーというぐらいの認識のところでとまっていた。

このころアメリカ(だったと記憶している)からBESというメーカーのスピーカーシステムが入ってきていた。
これもステレオサウンドの新製品紹介のページで取り上げている。
薄型のパネル状の外観のスピーカーシステムだった。

外観からはマグネパンと同類のスピーカーなんだろう、という理解だった。
ただ輸入元からの資料を読むと、どうもそうではないことはわかったものの、
それでも、それがどういうことなのかを理解できていたわけではない。

このBESのスピーカーシステムも、ステレオサウンドの試聴室で聴いている。
でも、記憶を溯っても、ほとんど思い出せない。

BESのスピーカーシステムもベンディングウェーヴのひとつだったのか、と気づくのは、
もっとずっと後、ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いたあとだった。

それほどスピーカーの理想動作は、ピストニックモーションである──、
このことから離れることができずに、ものごとを捉えていたのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=11569


Date: 8月 17th, 2013
現代スピーカー考(その32)
http://audiosharing.com/blog/?p=11586

ピストニックモーションだけがスピーカーの目指すところではないことは知ってはいた。
そういうスピーカーが過去にあったことも知識としては知ってはいた。

ヤマハの不思議な形状をしたスピーカーユニットが、いわゆる非ピストニックモーションの原理であることは、
あくまでも知識の上でのことでしかなかった。

このヤマハのスピーカーユニットのことは写真で知っていたのと、
そういうスピーカーがあったという話だけだった。
ヤマハ自身がやめてしまったぐらいだから……、というふうに捉えてしまったこともある。

1980年ごろから国内メーカーからはピストニックモーションを、より理想的に追求・実現しようと、
平面振動板スピーカーがいくつも登場した。
そういう流れの中にいて、非ピストニックモーションでも音は出せる、ということは、
傍流の技術のように見えてしまっていた。

それに1980年代に聴くことができた非ピストニックモーションのスピーカーシステム、
BESのシステムにしても、オームのウォルッシュドライバーにしても、完成度の低さがあり、
それまで国内外のスピーカーメーカーが追求してきて、あるレベルに達していた剛の世界からすれば、
非ピストニックモーションの柔の世界は、
生れたばかりの、まだ立てるか立てないか、というレベルだった、ともいえよう。

それに聞くところによると、
ウォルッシュ・ドライバーの考案者でウォルッシュ博士も、
最初はピストニックモーションでの考えだったらしい。
けれど実際に製品化し研究を進めていく上で、
ピストニックモーションではウォルッシュ・ドライバーはうまく動作しないことに気づき、
ベンディングウェーヴへと考えを変えていったそうだ。

当時は、ベンディングウェーヴという言葉さえ、知らなかったのだ。
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Date: 5月 13th, 2014
現代スピーカー考(その33)
http://audiosharing.com/blog/?p=13694

リボン型、コンデンサー型、その他の全面駆動型のスピーカーユニットがある。
これらは振動板の全面に駆動力がかかっているから、振動板の剛性は原則として必要としない、とされている。

駆動力が振動板全体に均一にかかっていて、その振動板が周囲からの影響をまったく受けないのであれば、
たしかに振動板に剛性は必要ない、といえるだろう。

だがリボン型にしろコンデンサー型にしろ、一見全面駆動のように見えても、
微視的にみていけば駆動力にムラがあるのは容易に想像がつく。
だいたい人がつくり出すものに、完全な、ということはない。
そうであるかぎり完全な全面駆動は現実のモノとはならない。

ボイスコイルを振動板にプリントし、振動板の後方にマグネットを配置した平面型は、
コンデンサー型よりももっと駆動力に関しては不均一といえる。
そういう仕組みを、全面駆動を目指した方式だから、
さも振動板全体に均一に駆動力がかかっている……、と解説する人がいる。

コーン型やドーム型に対して、こうした方式を全面駆動ということは間違いとはいえないし、
私もそういうことがある。だが完全なる全面駆動ではないことは、ことわる。

もし全面駆動(つまり振動板全体に駆動力が均一にかかっている状態)が実現できていたら、
振動板の材質の違い(物性の違い)による音の差はなくなるはずである。
現実には、そうではない。ということは全面駆動はまだ絵空事に近い、といえる。

ただこれらの方式を否定したいから、こんなことを書いているのではない。
これらのスピーカーはピストニックモーションを追求したものであり、
ピストニックモーションを少しでも理想に近付けるには、振動板の剛性は高さが常に求められる。

剛性の追求(剛の世界)は、力まかせの世界でもある。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを聴いてから、頓にそう感じるようになってきた。
http://audiosharing.com/blog/?p=13694


Date: 1月 30th, 2015
現代スピーカー考(その34)
http://audiosharing.com/blog/?p=16134

柔よく剛を制す、と昔からいわれている。
これがスピーカーの世界にも完全に当てはまるとまでは私だっていわないけれど、
柔よく剛を制すの考え方は、これからのスピーカーの進化にとって必要なことではないか。

これに関連して思い出すのは、江川三郎氏が一時期やられていたハイイナーシャプレーヤーのことだ。
ステレオかオーディオアクセサリーに発表されていた。
慣性モーメントを高めるために、中心から放射状にのびた複数の棒の先に重りがつけられている。
重りの重量がどのくらいだったのか、放射状の棒の長さがどれだけだったのかはよく憶えていない。
それでもガラス製のターンテーブルとこれらの組合せは、写真からでも独特の迫力を伝えていた。

ターンテーブルの直径も30cmではなく、もっと大きかったように記憶している。
トーンアームもスタックスのロングアーム(それも特註)だったような気がする。

慣性モーメントを大きくするという実験のひとつの記録かもしれない。
メーカーも同じようにハイイナーシャのプレーヤーの実験は行っていただろう。
だからこそターンテーブルプラッター重量が6kgから10kgのダイレクトドライヴ型がいくつか登場した。

慣性モーメントを高めるには、同じ重量であれば、中心部よりも外周部に重量が寄っていた方が有利だし、
直径の大きさも効果的である。
その意味で江川三郎氏のハイイナーシャプレーヤーは理に適っていた、ともいえる。

そのころの私は、江川三郎氏はさらにハイイナーシャを追求されるだろうと思っていた。
けれど、いつのころなのかはもう憶えていないが、ハイイナーシャプレーヤーは処分されたようであるし、
ハイイナーシャを追求されることもなくなった。

なぜなのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=16134


Date: 1月 30th, 2015
現代スピーカー考(その35)
http://audiosharing.com/blog/?p=16146

江川三郎氏がどこまでハイイナーシャプレーヤーを追求されたのかは、私は知らない。
想像するに、ハイイナーシャに関してはやればやるほど音は変化していき、
どこまでもエスカレートしていくことを感じとられていたのではないだろうか。

つまり飽和点が存在しないのではないか、ということ。

静粛な回転のためにターンテーブルプラッターの重量を増す傾向はいまもある。
10kgほどの重量は珍しくなくなっている。
もっと重いものも製品化されている。

どこまでターンテーブルプラッターは重くしていけば、
これ以上重くしても音は変化しなくなる、という飽和点があるのだろうか。

10kgを20kgにして、40kg、100kg……としていく。
アナログディスクの重量は、重量盤といわれるもので約180g。
この一万倍が1800kgとなる。
このへんで飽和点となるのか。

それにターンテーブルプラッターを重くしていけば、それを支える周辺の重量も同時に増していく。
1.8tのターンテーブルプラッターであれば、プレーヤーシステムの総重量は10tほどになるのだろうか。

だれも試せないのだから、ここまでやれば飽和点となるとはいえない。
飽和点に限りなく近づいていることはいえるが、それでも飽和点といえるだろうか。

江川三郎氏も、飽和点について書かれていたように記憶している。
ようするに、きりがないのである。
http://audiosharing.com/blog/?p=16146


Date: 7月 22nd, 2018
現代スピーカー考(その36)
http://audiosharing.com/blog/?p=26490

この項は、このブログを書き始めたころは熱心に書いていたのに、
(その35)を書いたのは、三年半ほど前。

ふと思いだし、また書き始めたのは、
ステレオサウンド 207号の特集が「ベストバイ・スピーカー上位49モデルの音質テスト」だからだ。

ステレオサウンドでの前回のスピーカーシステムの総テストは187号で、五年前。
ひさびさのスピーカーシステムの総テストであるし、
私もひさびさに買ったステレオサウンドだった。

49機種のスピーカーシステムの、もっとも安いモノはエラックのFS267で、
420,000円(価格はいずれもペア)。
もっとも高いモノは、YGアコースティクスのHailey 1.2の5,900,000円である。

どことなく似ているな、と感じるスピーカーシステムもあれば、
はっきりと個性的なスピーカーシステムもある。

使用ユニットもコーン型は当然として、ドーム型、リボン型、ホーン型、
コンデンサー型などがあるし、
ピストニックモーションが主流だが、ベンディングウェーブのスピーカーもある。

これら49機種のスピーカーシステムは、
いずれも半年前のステレオサウンドの特集ベストバイの上位機種ということだから、
人気も評価も高いスピーカーシステムといえる。

その意味では、すべてが現代スピーカーといえるのか、と思うわけだ。

いったい現代スピーカーとは、どういうものなのか。
それをこの項では書こうとしていたわけだが、過去のスピーカーシステムをふり返って、
あの時代、あのスピーカーは確かに現代スピーカーだった、といえても、
現行製品を眺めて、さぁ、どれが現代スピーカーで、そうでないのか、ということになると、
なかなか難しいと感じている。
http://audiosharing.com/blog/?p=26490


Date: 7月 24th, 2018
現代スピーカー考(その37)
http://audiosharing.com/blog/?p=26534

ステレオサウンド 207号の特集に登場する49機種のスピーカーシステム。
いま世の中に、この49機種のスピーカーシステムしか選択肢がない、という場合、
私が選ぶのは、フランコ・セルブリンのKtêmaである。

ペアで400万円を超えるから、いまの私には買えないけれども、
予算を無視した選択ということであれば、Ktêmaを、迷うことなく選ぶ。

このスピーカーならば、こちらがくたばるまでつきあっていけそうな予感がある。

49機種のスピーカーシステムで実際に、その音を聴いているのは半分もない。
Ktêmaは聴いている。

仮に聴いていなかったとしても、207号の試聴記だけでの判断でもKtêmaである。

207号の特集では四つの価格帯に分けられている。
それぞれの価格帯から選ぶとしたら、
80万円以下のところでは、ハーベスのSuper HL5 PlusかタンノイのEaton。
130万円以下のところでは、フランコ・セルブリンのAccordo。
280万円以下のところでは、JBLの4367WXかマンガーのp1、それにボーニック・オーディオのW11SE。
280万円超のところでは、Ktêmaの他にはJBLのProject K2 S9500。

8/49である。
これら八機種のうちで、現代スピーカーと考えられるモノは……、というと、
まずKtêmaは真っ先に外れる。
同じフランコ・セルブリンのAccordoも、外れる。

ハーベスも現代的BBCモニターとはいえても、現代スピーカーなのか、となると、
やはり外すことになる。Eatonも旧Eatonと比較すれば部分的に現代的ではあっても、
トータルでみた場合には、現代スピーカーとはいえない。

マンガーのユニットそのものは非常に興味深いものを感じるが、
だからといってシステムとしてとらえた場合は、やはりこれも外すことになる。

ボーニック・オーディオは数ヵ月前に、とある販売店で鳴っているのを偶然耳にした。
それまで気にも留めなかったけれど、
そこで鳴っていた音は、自分の手で鳴らしてみたらどんなふうに変るのか、
それをやってみたくなるくらいの音がしていた。

JBLを二機種選んだが、現代スピーカーということでは4367WXのほうだし、
ドライバーとホーンは現代スピーカーのモノといえるかも、ぐらいには感じている。
それでも、システムとしてどうなのか、といえば、やはり外す。

となると、八機種の中で、これが現代スピーカーだ、といえるモノはない。
では、残りの41機種の中にあるのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=26534
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c94

[近代史5] 伝説のスピーカー 中川隆
24. 中川隆[-5717] koaQ7Jey 2021年4月14日 19:30:13 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[40]
audio identity (designing) 宮ア勝己 現代スピーカー考
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1168.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/414.html#c24
[近代史4] イギリスのスピーカー 中川隆
22. 中川隆[-5716] koaQ7Jey 2021年4月14日 19:31:39 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[41]
audio identity (designing) 宮ア勝己 現代スピーカー考
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1168.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/111.html#c22
[番外地9] 現在のアイヌ人は大卒も殆ど居ないし、所得も日本人より遥かに安い
現在のアイヌ人は大卒も殆ど居ないし、所得も日本人より遥かに安い
アイヌ人差別を恐れてアイヌだとわからない様にしている人が多い
中国のウイグル人と同じ待遇だよ
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/303.html
[番外地8] 二流小説家 三島由紀夫の格好付け人生 中川隆
5. 中川隆[-5715] koaQ7Jey 2021年4月14日 19:57:02 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[42]
ネトウヨに文学は理解できない
二流小説家 三島由紀夫のカッコ付かなかった格好付け人生
三島由紀夫は19歳の時に徴兵され、軍の入隊検査を受けるが軍医から「肺浸潤」と診断され即日帰郷となった。彼が入るはずだった部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、戦闘でほぼ全滅した。これは軍医の誤診だったとも、仮病を使って兵役逃れをしたとも言われている。何れにせよここで三島は死ではなく、生き延びることを選んだわけだ。しかし後に彼は自衛隊に体験入隊したりした挙句の果て、自ら組織した民兵組織「楯の会」隊員4名と自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり、割腹自殺を遂げる。享年45歳だった。
戦争で死に損ない、そのことを恥じていた三島は〈美しい死〉〈英雄的な死〉に魅せられていた。彼は若い頃から(老化で体が醜くなる直前の)45歳で死ぬと周囲の人に公言しており、割腹自殺は長年に渡る綿密な計画に基づいていた。「豊饒の海」4部作を書き上げた日に自決しているのがその証である。また31歳(1956年)からボディービルディングに勤しんだのも〈完璧な肉体〉を希求していたことを示している。1960年には映画「からっ風野郎」に主演した。
映画監督の大島渚は「政治オンチ克服の軌跡=三島由紀夫」という文章で次のように述べている。

対談の時に三島さんは私の『無理心中・日本の夏』をわからないと言われた。それは無理もない。三島さん的な美意識からは絶対にわかる筈はないからである。そして三島さんは何故美男美女を使わないのかと言われた。このあたりが三島さんの美意識の限界なのである。つまり三島さんの美意識は大変通俗的なものだったのだ。そしてそれだけならよかったのだが、三島さんは一方で極めて頭のよい人だったから、おのれの美意識が通俗的なものだということに或る程度自覚的だったのである。そこから三島さんの偽物礼讃、つくられたもの礼讃が生まれたのだった。そして自分自身をもつくり上げて行ったあげく、死に到達してしまったのである。

▲△▽▼

本多勝一は三島由紀夫については、彼が自爆する2年前の文章が載っていて、

「定向進化の道を歩み始めた生物はもはや手遅れのガン細胞となる」
と予言している。勝手に滅びればいいが、困るのはナチのように、「神々の黄昏」に多くの人を巻きこもうとすることである、とも書いている。


殺す側の発起人たち 本多勝一 1971年

名を口にするのも不快な一小説家が、江戸時代の職業用心棒としての武士階級の真似をしてハラキリ自殺をしたとき、新聞、週刊誌、月刊誌の多くはたいへんな紙数をこの事件のために費やした。(中略)あの小説家は芸能人的な要素があったようだから、一般的週刊誌がこれに飛びついて、何週間にもわたって洗いざらい書きまくることについては、私も大して違和感を覚えない。ところが、日常的にはそういうゴシップ雑誌として通用しているのではない雑誌(特に月刊誌)までが、いつまでたってもこの小説家のことに洪水のごとく紙面を提供しているのは、いささかうんざりさせられた。(中略)


そうした中で、一つだけ私の興味をつよく引いたのは、「三島由紀夫追悼集会」のための発起人名簿であった。そのまま写せば次の通りである。


発起人総代 林房雄

代表発起人 川内康範、五味康祐、佐伯彰一、滝原健之、武田繁太郎、中山正敏 藤島泰輔、舩坂弘、北條誠、黛敏郎、保田與重郎、山岡荘八
発起人 会田雄次、阿部正路、伊藤桂一、宇野精一、大石義雄、大久保典夫、大島康正、桶谷繁雄、小野村資文、川上源太郎、岸興祥、倉橋由美子、小林秀雄、小山いと子、坂本二郎、佐古純一郎、清水崑、杉森久英、曽村保信、高鳥賢司、多田真鋤、立野信之、田中美知太郎、田辺貞之助、中河与一、中村菊男、萩原井泉水、林武、平林たい子、福田信之、水上勉

こうしてみると、さもありなんというひとがもちろん多いけれど、おや、と思わせられるような意外な人も見受ける。いろんな義理もあったのだろう。(中略)しかし、その「意外な人」も含めて、やっぱり私は問いたいのだ。日本が朝鮮や中国などを侵略したこと、これを否定することは、発起人の方々もできないであろう。そのとき、それらの国々で、何万とも知れぬ一般民衆を虐殺(中国での三光政策はその典型)したこと。これもまた否定できないであろう。そして、それらすべてが、最終的に「天皇」の名のもとに行われたこと、これもまた議論の余地はないであろう。背景は少しも「複雑」ではないし、侵略側の事情を「理解」して弁護することはない。

発起人の方々よ、右のような事実に対して、あなた方はどう思っているのだろうか。

あのハラキリ小説家が、日本列島に住む一億の人々の、どの層と関連、或いはどの層の意識の中に生きていたかは、もはや説明するまでもあるまい。逆から言うと、庶民、民衆、人民、大衆(何分様々な表現と歴史がある)とは無縁の、いい気な男の一人であって、別にこういう人も多数の中の一人として、他の人々と同じ意味で存在してもいいけれども、その存在は、あくまで「それ相応のもの」でなければならない。侵略する側、すなわち庶民、民衆、人民、大衆を殺す側によって利用され続けてきた天皇制を、またしても利用しようという男、そんなものを、あたかも大思想家や大芸術家であるかのごとく扱うことに、戦後日本の民主主義なるもののいかさま性を暴露する以上の意味はない。

彼の破滅も、このような意味、つまり「殺す側」と「殺される側」のどちらに立つ人間かをはっきりさせるための踏み絵となってくれた点においてだけは、無駄ではなかった。私にとっては意外に思われる人が、この踏み絵事件で「感動」や「衝撃」の反応を示し、それによって当人が「殺す側」に立つものであることを、庶民、民衆、人民、大衆及び虐殺された中国人、朝鮮人そのほかのアジア人たちに示してくれた。(アジア人の眼には、この発起人名簿は、「殺し屋名簿」に見えるだろう。)

▲△▽▼

三島先生は自己顕示欲が肥大化した人格障害者という事でしょうね:
三島由紀夫に関する病跡学的試論
https://www.shukugawa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2013/11/bulletin201203_6.pdf
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/322.html#c5

[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
118. 中川隆[-5714] koaQ7Jey 2021年4月14日 21:00:08 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[43]
audio identity (designing) 宮ア勝己 QUAD・ESLについて

Date: 11月 21st, 2008
QUAD・ESLについて(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=249

QUADのESL(旧型)を使っていたときに、山中先生にそのことを話したら、
「ESLをぐんと上まで持ちあげてみるとおもしろいぞ。
録音スタジオのモニタースピーカーと同じようなセッティングにする。
前傾させて耳の斜め上から音が来るようにすると、がらっと印象が変るぞ!」
とアドバイスをいただいたことがある。

やってみたいと思ったが、このセッティングをやるための、
壁(もしくは天井)からワイヤーで吊り、脚部を壁からワイヤーで引っ張る方法は、
賃貸の住宅では壁に釘かネジを打ち込むことになるので、試したことはない。

山中先生は、いちどその音を聴かれているとのこと。
そのときの山中先生の口ぶりからすると、ほんとうにいい音が聴けそうな感じだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=249


QUAD・ESLについて(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=251

QUADの旧型のESLを、ESL63とはっきりと区別するために、ESL57と表記するのを見かける。

ESL63の末尾の「63」は、発売年ではなく、開発・研究が始まった1963年を表している。
なのに、ESL57の「57」は発売年を表しているとのこと。
ESLが発表されたのは1955年である。

なぜ、こう中途半端な数字をつけるのだろうか。

ところで、ESLだが、おそらくこれが仮想同軸配置の最初のスピーカーだと思う。
中央にトゥイーター・パネル、その左右にスコーカー・パネル、両端にウーファー・パネル。
ESLを90度向きを変えると、仮想同軸の配置そのものである。

ESLを使っていたとき、90度向きを変えて、鳴らしたことがある。
スタンドをあれこれ工夫してみたが、安定して立てることができず、
そういう状態での音出しだったので満足できる音ではなかったが、
きちんとフレームを作り直せば、おもしろい結果が得られたかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=251

QUAD・ESLについて(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=252

ウェスターン・エレクトリックの555ドライバーの設計者のE.C.ウェンテは、1914年に入社し、
3年後の1917年にコンデンサー型マイクロフォンの論文を発表している。
555の発表は1926年だから、コンデンサー型マイク、スピーカーの歴史はかなり長いものである。

コンデンサー型スピーカーの原理は、1870年よりも前と聞いている。
イギリスのクロムウェル・フリートウッド・ヴァーリィという人が、
コンデンサーから音を出すことができるということで特許を取っているらしい。
このヴァーリィのアイデアを、エジソンは電話の受話器に使えないかと、先頭に立って改良を試みたが、
当時はアンプが存在しなかったため、実用化にはいたらなかったとのこと。

ウェンテのマイクロフォンは、0.025mmのジュラルミン薄膜を使い、
その背面0.0022mmのところに固定電極を置いている。
11年後、改良型の394が出て、これが現在のコンデンサー型マイクロフォンの基礎・基本となっている。

このことを知った時にふと思ったのは、可動電極がジュラルミン、つまり金属ということは、
コンデンサー型スピーカーの振動板(可動電極)にも金属が使えるのではないか、と。

いまのコンデンサー型スピーカーは、フィルムに導電性の物質を塗布しているか、
マーティン・ローガンのCLSのように、導電性のフィルムを使っている。
金属では、振幅が確保できないためだろう。
しなやかな金属の薄膜が実現できれば、コンデンサー型スピーカーに使えるし、
かなりおもしろいモノに仕上がるはず、と思っていた。

だから数年前にジャーマン・フィジックスのDDDユニットを見た時は、やっと現われた、と思っていた。
DDDユニットに採用されているのはチタンの薄膜。触ってみるとプヨプヨした感触。
これならば、そのままコンデンサー型スピーカーに流用できるはず、という予感がある。

いま手元に要修理のQUADのESL63Proが1ペア、押入れで眠っている。
初期型のものだ。

純正のパネルで修理するのが賢明だろうが、いずれ、かならず、また修理を必要とする日が来る。
ならばいっそチタンの薄膜に置き換えてみるのも、誰もやってないだろうし、楽しいはず。
ただ、あれだけの面積のチタン薄膜がなかなか見つからない。
http://audiosharing.com/blog/?p=252


QUAD・ESLについて(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=254

QUAD・ESLの2段スタックは、1970年代前半、
香港のオーディオショップが特別につくり売っていたことから始まったと言われている。

ステレオサウンドでは、38号で岡俊雄先生が「ベストサウンド求めて」のなかで実験されている。
さらに77年暮に出た別冊「コンポーネントステレオの世界’78」で山中先生が、
2段スタックを中心にした組合せをつくられている。

38号の記事を読むと、マーク・レヴィンソンは75年には、自宅で2段スタックに、
ハートレーの61cm口径ウーファー224MSを100Hz以下で使い、
高域はデッカのリボン・トゥイーターに受け持たせたHQDシステムを使っていたとある。

山中先生が語っておられるが、ESLを2段スタックにすると、
2倍になるというよりも2乗になる、と。

ESLのスタックの極付けは、スイングジャーナルで長島達夫先生がやられた3段スタックである。

中段のESLは垂直に配置し、上段、下段のESLは聴き手を向くように角度がついている。
上段は前傾、下段は後ろに倒れている格好だ。
真横から見ると、コーン型スピーカーの断面のような感じだ。
上段と下段の角度は同じではないので、写真でみても、威容に圧倒される。

この音は、ほんとうに凄かったと聞いている。
山中先生の言葉を借りれば、3段だから3乗になるわけだ。

長島先生に、この時の話を伺ったことがある。
3段スタックにされたのは、ESLを使って、疑似的に球面波を再現したかったからだそうだ。

繊細で品位の高い音だが、どこかスタティックな印象を拭えないESLが、
圧倒的な描写力で、音楽が聴き手に迫ってくる音を聴かせてくれる、らしい。

その音が想像できなくはない。
ESLを、SUMOのThe Goldで鳴らしていたことがあるからだ。

SUMOの取り扱い説明書には、QUADのESLを接続しないでくれ、と注意書きがある。
ESLを鳴らすのならば、The Goldの半分の出力のThe Nineにしてくれ、とも書いてある。

そんなことは無視して、鳴らしていた。
ESLのウーファーのf0は50Hzよりも少し上だと言われている。
なのに、セレッションのSL6をクレルのKMA200で鳴らした音の同じように、
驚くほど低いところまで伸びていることが感じとれる。
少なくともスタティックな印象はなくなっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=254

QUAD・ESLについて(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=255

ステレオサウンドの弟分にあたるサウンドボーイ誌の編集長だったO氏は、
QUADのESL63が登場するずいぶん前に、スタックスに、
細長いコンデンサースピーカーのパネルを複数枚、特注したことがあって、
それらを放射状に配置し、外周部を前に、中心部を後ろに、
つまり疑似的なコーン型スピーカーのようにして、
長島先生同様、なんとか球面波に近い音を出せないかと考えての試作品だった、と言っていた。

結果は、まったくダメだったそうだ。
だからO氏も、ESL63の巧みな方法には感心していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=255


Date: 12月 16th, 2008
QUAD・ESLについて(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=307

QUADのESLを、はじめて聴いた場所は、オーディオ店の試聴室でもなく、個人のリスニングルームでもなく、
20数年前まで、東京・西新宿に存在していた新宿珈琲屋という喫茶店だった。

当時のサウンドボーイ誌に紹介されていたので、上京する前、まだ高校生の時から、この店の存在は知っていた。
ESLを鳴らすアンプは、QUADの33と50Eの組合せ。記事には場所柄、電源事情がひどいため、
絶縁トランスをかませて対処している、とあった。
CDはまだ登場していない時代だから、LPのみ。
プレーヤーはトーレンスのTD125MKIIBにSMEの3009SII、
オルトフォンのカートリッジだったように記憶している。

新宿珈琲屋の入っていた建物は、木造長屋といった表現のぴったりで、2階にあるこの店に行くには、
わりと急な階段で、昇っているとぎしぎし音がする。
L字型のカウンターがあり、その奥には屋根裏に昇る、階段ではなく梯子があって、
そこにはテーブル席も用意されていた。

ESLは客席の後ろに設置されていた。
濃い色の木を使った店内にESLが馴染んでいたのと、パネルヒーター風の形状のためもあってか、
オーディオに関心のない人は、スピーカーだとわかっていた人は少なかったと、きいている。

鳴らしていた音楽は、オーナーMさんの考えで、バロックのみ。LPは、たしか20、30枚程度か。
そのなかにグールドのバッハも含まれていた。

この装置を選び、設置したのは、サウンドボーイ編集長のOさん。
Mさんとは古くからの知合いで、相談を受けたとのこと。

新宿に、もう一店舗、こちらはテーブル席も多く、ピカデリー劇場の隣にあった。
ふだんMさんはこちらのほうに顔を出されることが多かったが、
ときどき西新宿の店にも顔を出された。
運がよければ、Mさんの淹れたコーヒーを飲める。

ふだんはH(男性)さん、K(女性)さんのどちらかが淹れてくれる。
Kさんとはよく話した。

よく通った。コーヒーの美味しさを知ったのはこの店だし、
背中で感じるESLの音が心地よかった。

いまはもう存在しない。
火事ですべてなくなってしまった。

その場所の一階に、いまも店はある。名前が2回ほど変っているが、基本的には同じ店だ。
ただMさんはもう店に出ないし、HさんもKさんもいなくなった。

オーディオ機器も、鳴らす音楽も、他店とそう変わらなくなってしまった。
http://audiosharing.com/blog/?p=307

Date: 7月 18th, 2009
QUAD・ESLについて(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=743

KEFのレイモンド・E・クックは、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーシステムは、
「1954年、QUADのエレクトロスタティック・スピーカー」だと、
1977年のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」のインタビューで、そう答えている。

ただ当時は、位相の測定法が確立されていなかったため、まだモノーラル時代ということもあって、
ESLがフェイズリニアであることに気がついていた人は、ほんのひとにぎりだったといっている。
そして、QUADのピーター・J・ウォーカーに、そのことを最初に伝えたのはクックである、と。

このインタビューで残念なのは、そのとき、ウォーカーがどう答えたのかにまったくふれられていないこと。
KEF社長のクックへのインタビューであるから、しかたのないことだとわかっているけれども、
ウォーカーが、フェイズリニアを、ESLの開発時から意識していたのかどうかだけでも知りたいところではある。
http://audiosharing.com/blog/?p=743


QUAD・ESLについて(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=744

フェイズリニアが論文として発表されたのは、1936年で、
ベル研究所の研究員だったと思われるジョン・ヘリアーによって、であると、クックはインタビューで答えている。

ウーファーとトゥイーターの音源の位置合わせを行なっていた(行なえる)スピーカーシステムは、
QUADのESL以前にも、だからあった。
有名なところでは、アルテックのA5だ。
1945年10月に、”The Voice of The Theater”のAシリーズ全10機種のひとつとして登場したA5は、
低音部は515とフロントロードホーン・エンクロージュアのH100と15インチ・ウーファーの515の組合せで、
この上に、288ドライバーにH1505(もしくはH1002かH805)ホーンが乗り、
前後位置を調整すれば、音源の位置合わせは、できる。
ほぼ同じ構成のA7は1954年に登場している。

クックは、A5、A7の存在は、1936年のアメリカの論文の存在を知っていたくらいだから、
とうぜん知っていたであろう。
なのに、クックは、ESLを、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーだと言っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=744


QUAD・ESLについて(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=745

アルテックのA5、A7で使われていたネットワークは、N500、N800で、
12dB/oct.のオーソドックスな回路構成で、とくに凝ったことは何ひとつ行なっていない。

QUADのESLのネットワークは、というと──かなり以前に回路図を見たことがあるだけで、
多少あやふやなところな記憶であるが──通常のスピーカーと異り、
ボイスコイル(つまりインダクタンス)ではなく、コンデンサーということもあって、
通常のネットワークが、LCネットワークと呼ばれることからもわかるように、
おもなパーツはコイルとコンデンサーから構成されているに対し、
ESLのネットワークは、LCネットワークではなく、RCネットワークと呼ぶべきものである。

低域をカットするためには、LCネットワーク同様、コンデンサーを使っているが、
高域カットはコイルではなく、R、つまり抵抗を使っている。

アンプのハイカットフィルターと同じ構成になっている。
このRCネットワークの遮断特性は、6dB/oct.である。
http://audiosharing.com/blog/?p=745

QUAD・ESLについて(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=746

QUADのESLのほかに、遮断特性(減衰特性)6dB/oct.のカーブのネットワークを採用したスピーカーとして、
井上先生が愛用されたボザークが、まずあげられるし、
菅野先生愛用のマッキントッシュのXRT20も、そうだときいている。

これら以外にもちろんあり、
ダイヤトーンの2S308も、トゥイーターのローカットをコンデンサーのみで行なっていて、
ウーファーにはコイルをつかわず、パワーアンプの信号はそのまま入力される構成で、やはり6dB/oct.である。

このタイプとしては、JBLの4311がすぐに浮ぶし、
1990年ごろ発売されたモダンショートのスピーカーもそうだったと記憶している。

比較的新しい製品では、2000年ごろに発売されていたB&WのNSCM1がある。
NSCM1ときいて、すぐに、どんなスピーカーだったのか、思い浮かべられる方は少ないかもしれない。
Nautilus 805によく似た、このスピーカーのプロポーションは、
Nautilus 805よりも横幅をひろげたため、ややずんぐりした印象をあたえていたこと、
それにホームシアター用に開発されたものということも関係していたのか、
多くの人の目はNautilus 805に向き、
NSCM1に注目する人はほとんどいなかったのだろう、いつのまにか消えてしまったようだが、
井上先生だけは「良く鳴り、良く響きあう音は時間を忘れる思い」(ステレオサウンド137号)と、
Nautilus 805よりも高く評価されていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=746


Date: 7月 27th, 2009
QUAD・ESLについて(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=758

少し前に、あるスピーカーについて、ある人と話していたときに、たまたま6dB/oct.のネットワークの話になった。
そのとき、話題にしていたスピーカーも、「6dBのカーブですよ」と、相手が言った。
たしかにそのスピーカーは6dB/oct.のネットワークを採用しているが、
音響負荷をユニットにかけることで、トータルで12dB/oct.の遮断特性を実現している。

そのことを指摘すると、その人は「だから素晴らしいんですよ」と力説する。

おそらく、この人は、6dB/oct.のネットワークの特長は、
回路構成が、これ以上省略できないというシンプルさにあるものだと考えているように感じられた。
だから6dB/oct.の回路のネットワークで、遮断特性はトータルで12dB。
「だから素晴らしい」という表現が口をついて出てきたのだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=758

QUAD・ESLについて(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=760

スピーカー用のLCネットワークの減衰特性には、オクターブあたり6dB、12dB、18dBあたりが一般的である。
最近ではもっと高次のものを使われているが、6dBとそれ以外のもの(12dBや18dBなどのこと)とは、
決定的な違いが、ひとつ存在する。

いまではほとんど言われなくなったようだが、6dB/oct.のネットワークのみ、
伝達関数:1を、理論的には実現できるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=760


Date: 8月 10th, 2009
QUAD・ESLについて(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=782

この「伝達関数:1」ということが、「だから素晴らしい」と力説した人の頭の中にはなかったのだろう。

では、なぜ彼は、6dB/oct.のネットワークがいいと判断したのだろうか。
彼の頭の中にあったのは、
「思いつき」と「思いこみ」によってつくられている技術「的」な知識だけだったように思えてならない。

そこに、考える習慣は、存在していなかったとも思っている。
考え込み、考え抜くクセをつけていれば、あの発言はできない。

いま、彼のような「思いつき」「思いこみ」から発せられた情報擬きが、明らかに増えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=782


QUAD・ESLについて(その14)

己の知識から曖昧さを、できるだけなくしていきたい。
誰もが、そう思っているだろうが、罠も待ち受けている。

曖昧さの排除の、いちぱん楽な方法は、思いこみ、だからだ。
思いこんでしまえれば、もうあとは楽である。
この罠に堕ちてしまえば、楽である……。
http://audiosharing.com/blog/?p=784


QUAD・ESLについて(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=785

「思いこみ」のもつ力を否定しているわけではない。
思いこみ力が、いい方向に作用することだってあるのは、わかっている。

ただ「思いこみ」で、だれかにオーディオの技術や方式について、
そのことを音に結びつけて、オーディオ、オーディオ機器について説明するのは、
絶対にやってはいけないことだ。

これは害以外の何ものでもない。
けれど「思いこみ」の人は、そのことにまったく気づかず、害を垂れ流しつづけるかもしれない。

「思いこみ」の人のはなしをきいている人が、よくわかっている人ならば、こんな心配はいらないが、
そうでない人のことの場合も、案外多いと思う。

「だから素晴らしい」と語る、その人の仕事の詳細を、私は知らないが、
それでも、オーディオに明るくない人のシステム導入のことをやっているのは、本人からきいている。
彼は、ここでも、思いこみだけの技術的説明を行なっているのだろう、おそらく……。
http://audiosharing.com/blog/?p=785


Date: 11月 10th, 2009
QUAD・ESLについて(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=972

最近のオーディオ誌では、ほとんど伝達関数という言葉は登場しなくなったが、
私がオーディオに興味をもち始めた1976年ごろは、まだときどき誌面に登場していた。

チャンネルデバイダーがある。
入力はひとつで、2ウェイ仕様なら出力は2つ、3ウェイ仕様なら3つあるわけで、
通常なら、それぞれの出力はパワーアンプへ接続される。

このチャンネルデバイダーからの出力を合成したとしよう。
当然、入力信号と振幅特性、位相特性とも同じになるのが理想だが、
これができるは、遮断特性が6dB/oct.だけである。つまり伝達関数:1である。

12dB/octのカーブでは振幅特性にディップが生じ、位相特性も急激に変化する。
18dB/oct.のカーブでは振幅特性はほぼフラットでも、位相特性はなだらかにシフトする、といったぐあいに、
6dB/oct.カーブ以外、入力と合成された出力が同じになることは、アナログフィルターを使うかぎり、ありえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=972

QUAD・ESLについて(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=973

チャンネルデバイダーを例にとって話をしたが、スピーカーのネットワークでも同じで、
ネットワークの負荷に、負荷インピーダンスがつねに一定にするために、
スピーカーユニットではなく、8Ωなり4Ωの抵抗をとりつけて、その出力を合成すれば、
6dB/oct.のカーブのネットワークならば、振幅特性、位相特性ともにフラットである。

他のカーブでは、伝達関数:1は実現できない。
ただし6dB/oct.のカーブのネットワークでも、実際にはスピーカーユニットが負荷であり、
周波数によってインピーダンスが変動するために、決して理論通りのきれいにカーブになることはなく、
実際のスピーカーシステムの出力が、伝達関数:1になることは、まずありえない。

ただインピーダンスが完全にフラットで、まったく変化しないスピーカーユニットがあったとしよう。
それでも、現実には、スピーカーシステムの出力で伝達関数:1はありえない。
スピーカーユニットの周波数特性も関係してくるからである。

ひとつひとつのスピーカーユニットの周波数帯域が十分に広く、しかもそのスピーカーユニットを、
ごく狭い帯域でのみ使用するのであれば、かなり伝達関数:1の状態に近づけることはできるが、
実際にはそこまで周波数帯域の広いユニットなく、
ネットワークの減衰特性とスピーカーユニットの周波数特性と合成された特性が、
6dB/oct.のカーブではなくなってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=973


QUAD・ESLについて(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=974

この項の(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=758

で書いたスピーカーシステムは、
6dB/oct.のネットワークとスピーカーユニットに音響負荷をかけることで、
トータル12dB/oct.の減衰特性を得ているわけだが、
これまでの説明からおわかりのように伝達関数:1ではない。

スピーカーシステムとしての出力の合成は、位相特性は急激に変化するポイントがある。
つまり6dB/oct.ネットワーク採用の技術的なメリットは、ほぼないといえよう。
もちろん12dB/oct.のネットワークを使用するのとくらべると、ネットワークのパーツは減る。
ウーファーのハイカットフィルターであれば、通常の12dB/oct.では、
直列にはいるコイルと並列に入るコンデンサーが必要になるのが、コイルひとつで済むわけだ。

パーツによる音の違い、そして素子が増えることによる、互いの干渉を考えると、
6dB/oct.のネットワークで、
12dB/oct.のカーブが、スピーカーシステム・トータルとして実現できるのは意味がある。

けれど、事はそう単純でもない。
http://audiosharing.com/blog/?p=974


QUAD・ESLについて(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=975

目の前にオーディオのシステムがある。
パワーアンプは? ときかれれば、「これ」と指さすわけだが、
スピーカーシステムから見たパワーアンプは、そのスピーカーシステムの入力端子に接がっているモノである。

つまりパワーアンプとともに、スピーカーケーブルまで含まれることになる。

そしてスピーカーユニットから見たパワーアンプは? ということになると、どうなるか。
スピーカーユニットにとってのパワーアンプとは、信号源、駆動源であるわけだし、
スピーカーユニットの入力端子に接がっているモノということになる。

つまりスピーカーユニットにとっての駆動源(パワーアンプ)は、
パワーアンプだけでなく、ネットワークまで含まれた系ということになる。

ということは、パワーアンプの出力インピーダンスに、
ネットワークの出力インピーダンスが関係してくることになる。
このネットワークの出力インピーダンスということになると、
6dB/oct.カーブのネットワークよりも、12dB/oct.仕様の方が有利となる。
http://audiosharing.com/blog/?p=975


QUAD・ESLについて(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=976

ウーファーのハイカットフィルターは、6dB/oct.だとコイルが直列にひとつはいる。
この場合、ウーファーユニットにとってのパワーアンプ(駆動源)の出力インピーダンスは、
パワーアンプの出力インピーダンス+コイルのインピーダンスとなる。

コイルは、高域になるにしたがってインピーダンスが上昇する。
この性質を利用してネットワークが構成されているわけだが、
つまりカットオフ周波数あたりから上の出力インピーダンスは、意外にも高い値となっていく。

これが12dB/oct.だとコイルのあとにコンデンサーが並列に入るわけだから、
パワーアンプの出力インピーダンス+コイルのインピーダンスとコンデンサーの並列値となる。
コンデンサーは、コイルと正反対に、周波数が高くなるとインピーダンスは低くなる。

つまり6dB/oct.と12dB/oct.のネットワークの出力インピーダンスを比較してみると、
そうとうに違うカーブを描く。
18dB/oct.だと、さらにコイルが直列にはいるし、24dB/oct.だとコンデンサーがさらに並列にはいる。

6dB/oct.、18dB/oct.の奇数次と、12dB/oct.、24dB/oct.の偶数次のネットワークでは、
出力インピーダンスが異り、これはスピーカーユニットに対するダンピングにも影響する。
http://audiosharing.com/blog/?p=976


QUAD・ESLについて(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=977

スコーカー、トゥイーターのローカットについても、同じことがいえる。
6dB/oct.だと、コンデンサーがひとつ直列にはいる。
コンデンサーは、高域になるにしたがってインピーダンスが下がるということは、
いうまでもないことだが、低い周波数になればなるほどインピーダンスは高くなる。

12dB/oct.だと、コイルが並列にはいる。コイルは低域になるにしたがってインピーダンスは低くなる。
パワーアンプの出力インピーダンス+コンデンサーとコイルのインピーダンスの並列値が、
スコーカー、トゥイーターにとっても、駆動源のインピーダンスとなる。

カットオフ周波数よりも、ローカットフィルターならば低い周波数、ハイカットフィルターならば高い周波数は、
できるだけきれいに減衰させたいわけだが、その部分で駆動源のインピーダンスが上昇するとなると、
ダンピングファクターは低下する。

ダンピングファクターは、スピーカーのインピーダンスを、
駆動源(パワーアンプ)の出力インピーダンスで割った値である。
http://audiosharing.com/blog/?p=977


QUAD・ESLについて(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=978

ダンピングファクターによってのみ、スピーカーのダンピングが決まるわけでもないし、
必ずしもダンピングファクターの値が高い(つまり出力インピーダンスが低い)パワーアンプが、
低い値のパワーアンプよりもダンピングにおいて優れているかというと、そんなことはない。

現代アンプに不可欠なNFBを大量にかけると、出力インピーダンスは、けっこう下がるものである。
NFBを大量にかけるために、NFBをかける前のゲイン(オープンループゲイン)を高くとっているアンプは、
ひじょうに低い周波数から高域特性が低下していく。

良心的なメーカであれば、ダンピングファクターの値のあとに、(20Hz)とか(1kHz)と表示している。
つまり、そのダンピングファクターの値は、括弧内の周波数におけるものであることを表わしている。

ダンピングファクターの値が、200とか、それ以上の極端な高いパワーアンプだと、
たいていは数10Hzあたりの値であり、それより上の周波数では低下していくだけである。

つまりごく狭い周波数においてのみの、高いダンピングファクターのものがあるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=978


QUAD・ESLについて(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=979

にもかかわらず、ダンピングファクターの、単に表面的な数値のみにとらわれて、
このパワーアンプはダンピング能力が高い、と誇張表現しているサイトが、どことは名指しはしないが、ある。

いまどき、こんな陳腐な宣伝文句にだまされる人はいないと思っていたら、
意外にそうでもないようなので、書いておく。

ダンピングファクターは、ある周波数における値のみではなく、
注目してほしいのは、ダンピングファクターの周波数特性である。
つまり、そのパワーアンプの出力インピーダンスの周波数特性である。
何Hzまでフラットなのか、その値がどの程度なのかに注意を向けるのであれば、まだしも、
単に数値だけにとらわれていては、そこには何の意味もない。

ダンピングファクターから読み取れるのは、そのパワーアンプの、NFBをかける前の、
いわゆる裸の周波数特性である。

それにどんなに可聴帯域において、高い値のダンピングファクターを維持しているパワーアンプだとしても、
奇数次のネットワークが採用されたスピーカーシステムであれば、
カットオフ周波数以下(もしくは以上)の帯域では、ダンピングファクターが低下する。
http://audiosharing.com/blog/?p=979


QUAD・ESLについて(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=980

カットオフ周波数以下(もしくは以上)の帯域こそ、すみやかに、そしてきれいに減衰させたいわけだから、
むしろこの帯域こそダンピング能力が、求められるのではないだろうか。

なぜ、マルチウェイのスピーカーシステムで、その周波数より上(もしくは下)をカットするのか、を考えれば、
ごく低い周波数近辺だけでの高い値のダンピングファクターは、ほぼ無意味であるといっても言い過ぎではないし、
この点からのみネットワークを判断すれば、12dB/oct.、24dB/oct.といった偶数次のものが有利である。

ただ偶数次の場合、たとえば2ウェイならばトゥイーターの極性を、
3ウェイならばスコーカーの極性を反転させなければ、フラットな振幅特性は得られない。
しかも、この部分で安易にスピーカーユニットの極性を、他のユニットと反対にしてしまえば、
音場感の再現力に関しては、大きなマイナスになってしまう面ももつ。

それに位相特性を重視すれば、6dB/oct.しかないともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=980

QUAD・ESLについて(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=981

それに6dB/oct.以外のネットワークでは、並列にはいるコンデンサーなりコイルの存在があり、
サイズ項の(その37)、(その38)、(その39)、(その40)、(その41)でふれた、
信号系のループの問題が発生してくる。

ネットワークはフィルターであり、そのフィルターの動作をできるだけ理想に近づけるためには、
アース(マイナス)線を分離していくことが要求される。

スピーカーのネットワークは、基本的にコンデンサーとコイルで構成される、さほど複雑なものではないのに、
スロープ特性だけをとりあげても、けっこう端折った書き方で、これだけある。

なのに、この項の(その11)でふれた人のように、「だから素晴らしい」と断言する人が、現実にはいる。

なぜ、その程度の知識で断言できるか、そのことについて考えていくと、ある種の怖さが見えてくる気がする。
http://audiosharing.com/blog/?p=981


Date: 11月 15th, 2009
QUAD・ESLについて(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=982

オーディオの技術的知識について問われれば、
中途半端なレベルであれば、むしろ持っていないほうがいいように思っている。

もちろんオーディオ機器を正しく接続するための知識は必要なのは言うまでもないことだが、
それ以上の技術的知識となると、人によるとわかっていても、
知識を吸収している段階の、ある時期は、真摯に音を聴くときの害になる。
中途半端な技術的知識が、耳を騙す。

「だから素晴らしい」と語った人は、私の目にはそう映ってしまう。

耳が騙された人は、本人も気づかぬうちに、だれかを騙すことになる。
あるサイトの謳い文句に騙された人も、同じだ。
悪気は無くても、同じ謳い文句を口にしては誰かを騙している。

そういう人のあいだから発生してきた、まともそうにきこえても、じつはデタラメなことがらが流布してしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=982


Date: 12月 27th, 2009
QUAD・ESLについて(その27)

技術的知識は「有機的に体系化」できなければ、
害をもたらすことが多いということを肝に銘じてほしい。
http://audiosharing.com/blog/?p=1061


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c118

[リバイバル3] QUAD ESL57 が似合う店 _ 喫茶店 荻窪邪宗門 中川隆
21. 中川隆[-5713] koaQ7Jey 2021年4月14日 21:00:42 : FQrGsP3YVY : VUVVL3ZhT3JrRms=[44]
audio identity (designing) 宮ア勝己 QUAD・ESLについて

Date: 11月 21st, 2008
QUAD・ESLについて(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=249

QUADのESL(旧型)を使っていたときに、山中先生にそのことを話したら、
「ESLをぐんと上まで持ちあげてみるとおもしろいぞ。
録音スタジオのモニタースピーカーと同じようなセッティングにする。
前傾させて耳の斜め上から音が来るようにすると、がらっと印象が変るぞ!」
とアドバイスをいただいたことがある。

やってみたいと思ったが、このセッティングをやるための、
壁(もしくは天井)からワイヤーで吊り、脚部を壁からワイヤーで引っ張る方法は、
賃貸の住宅では壁に釘かネジを打ち込むことになるので、試したことはない。

山中先生は、いちどその音を聴かれているとのこと。
そのときの山中先生の口ぶりからすると、ほんとうにいい音が聴けそうな感じだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=249


QUAD・ESLについて(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=251

QUADの旧型のESLを、ESL63とはっきりと区別するために、ESL57と表記するのを見かける。

ESL63の末尾の「63」は、発売年ではなく、開発・研究が始まった1963年を表している。
なのに、ESL57の「57」は発売年を表しているとのこと。
ESLが発表されたのは1955年である。

なぜ、こう中途半端な数字をつけるのだろうか。

ところで、ESLだが、おそらくこれが仮想同軸配置の最初のスピーカーだと思う。
中央にトゥイーター・パネル、その左右にスコーカー・パネル、両端にウーファー・パネル。
ESLを90度向きを変えると、仮想同軸の配置そのものである。

ESLを使っていたとき、90度向きを変えて、鳴らしたことがある。
スタンドをあれこれ工夫してみたが、安定して立てることができず、
そういう状態での音出しだったので満足できる音ではなかったが、
きちんとフレームを作り直せば、おもしろい結果が得られたかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=251

QUAD・ESLについて(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=252

ウェスターン・エレクトリックの555ドライバーの設計者のE.C.ウェンテは、1914年に入社し、
3年後の1917年にコンデンサー型マイクロフォンの論文を発表している。
555の発表は1926年だから、コンデンサー型マイク、スピーカーの歴史はかなり長いものである。

コンデンサー型スピーカーの原理は、1870年よりも前と聞いている。
イギリスのクロムウェル・フリートウッド・ヴァーリィという人が、
コンデンサーから音を出すことができるということで特許を取っているらしい。
このヴァーリィのアイデアを、エジソンは電話の受話器に使えないかと、先頭に立って改良を試みたが、
当時はアンプが存在しなかったため、実用化にはいたらなかったとのこと。

ウェンテのマイクロフォンは、0.025mmのジュラルミン薄膜を使い、
その背面0.0022mmのところに固定電極を置いている。
11年後、改良型の394が出て、これが現在のコンデンサー型マイクロフォンの基礎・基本となっている。

このことを知った時にふと思ったのは、可動電極がジュラルミン、つまり金属ということは、
コンデンサー型スピーカーの振動板(可動電極)にも金属が使えるのではないか、と。

いまのコンデンサー型スピーカーは、フィルムに導電性の物質を塗布しているか、
マーティン・ローガンのCLSのように、導電性のフィルムを使っている。
金属では、振幅が確保できないためだろう。
しなやかな金属の薄膜が実現できれば、コンデンサー型スピーカーに使えるし、
かなりおもしろいモノに仕上がるはず、と思っていた。

だから数年前にジャーマン・フィジックスのDDDユニットを見た時は、やっと現われた、と思っていた。
DDDユニットに採用されているのはチタンの薄膜。触ってみるとプヨプヨした感触。
これならば、そのままコンデンサー型スピーカーに流用できるはず、という予感がある。

いま手元に要修理のQUADのESL63Proが1ペア、押入れで眠っている。
初期型のものだ。

純正のパネルで修理するのが賢明だろうが、いずれ、かならず、また修理を必要とする日が来る。
ならばいっそチタンの薄膜に置き換えてみるのも、誰もやってないだろうし、楽しいはず。
ただ、あれだけの面積のチタン薄膜がなかなか見つからない。
http://audiosharing.com/blog/?p=252


QUAD・ESLについて(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=254

QUAD・ESLの2段スタックは、1970年代前半、
香港のオーディオショップが特別につくり売っていたことから始まったと言われている。

ステレオサウンドでは、38号で岡俊雄先生が「ベストサウンド求めて」のなかで実験されている。
さらに77年暮に出た別冊「コンポーネントステレオの世界’78」で山中先生が、
2段スタックを中心にした組合せをつくられている。

38号の記事を読むと、マーク・レヴィンソンは75年には、自宅で2段スタックに、
ハートレーの61cm口径ウーファー224MSを100Hz以下で使い、
高域はデッカのリボン・トゥイーターに受け持たせたHQDシステムを使っていたとある。

山中先生が語っておられるが、ESLを2段スタックにすると、
2倍になるというよりも2乗になる、と。

ESLのスタックの極付けは、スイングジャーナルで長島達夫先生がやられた3段スタックである。

中段のESLは垂直に配置し、上段、下段のESLは聴き手を向くように角度がついている。
上段は前傾、下段は後ろに倒れている格好だ。
真横から見ると、コーン型スピーカーの断面のような感じだ。
上段と下段の角度は同じではないので、写真でみても、威容に圧倒される。

この音は、ほんとうに凄かったと聞いている。
山中先生の言葉を借りれば、3段だから3乗になるわけだ。

長島先生に、この時の話を伺ったことがある。
3段スタックにされたのは、ESLを使って、疑似的に球面波を再現したかったからだそうだ。

繊細で品位の高い音だが、どこかスタティックな印象を拭えないESLが、
圧倒的な描写力で、音楽が聴き手に迫ってくる音を聴かせてくれる、らしい。

その音が想像できなくはない。
ESLを、SUMOのThe Goldで鳴らしていたことがあるからだ。

SUMOの取り扱い説明書には、QUADのESLを接続しないでくれ、と注意書きがある。
ESLを鳴らすのならば、The Goldの半分の出力のThe Nineにしてくれ、とも書いてある。

そんなことは無視して、鳴らしていた。
ESLのウーファーのf0は50Hzよりも少し上だと言われている。
なのに、セレッションのSL6をクレルのKMA200で鳴らした音の同じように、
驚くほど低いところまで伸びていることが感じとれる。
少なくともスタティックな印象はなくなっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=254

QUAD・ESLについて(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=255

ステレオサウンドの弟分にあたるサウンドボーイ誌の編集長だったO氏は、
QUADのESL63が登場するずいぶん前に、スタックスに、
細長いコンデンサースピーカーのパネルを複数枚、特注したことがあって、
それらを放射状に配置し、外周部を前に、中心部を後ろに、
つまり疑似的なコーン型スピーカーのようにして、
長島先生同様、なんとか球面波に近い音を出せないかと考えての試作品だった、と言っていた。

結果は、まったくダメだったそうだ。
だからO氏も、ESL63の巧みな方法には感心していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=255


Date: 12月 16th, 2008
QUAD・ESLについて(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=307

QUADのESLを、はじめて聴いた場所は、オーディオ店の試聴室でもなく、個人のリスニングルームでもなく、
20数年前まで、東京・西新宿に存在していた新宿珈琲屋という喫茶店だった。

当時のサウンドボーイ誌に紹介されていたので、上京する前、まだ高校生の時から、この店の存在は知っていた。
ESLを鳴らすアンプは、QUADの33と50Eの組合せ。記事には場所柄、電源事情がひどいため、
絶縁トランスをかませて対処している、とあった。
CDはまだ登場していない時代だから、LPのみ。
プレーヤーはトーレンスのTD125MKIIBにSMEの3009SII、
オルトフォンのカートリッジだったように記憶している。

新宿珈琲屋の入っていた建物は、木造長屋といった表現のぴったりで、2階にあるこの店に行くには、
わりと急な階段で、昇っているとぎしぎし音がする。
L字型のカウンターがあり、その奥には屋根裏に昇る、階段ではなく梯子があって、
そこにはテーブル席も用意されていた。

ESLは客席の後ろに設置されていた。
濃い色の木を使った店内にESLが馴染んでいたのと、パネルヒーター風の形状のためもあってか、
オーディオに関心のない人は、スピーカーだとわかっていた人は少なかったと、きいている。

鳴らしていた音楽は、オーナーMさんの考えで、バロックのみ。LPは、たしか20、30枚程度か。
そのなかにグールドのバッハも含まれていた。

この装置を選び、設置したのは、サウンドボーイ編集長のOさん。
Mさんとは古くからの知合いで、相談を受けたとのこと。

新宿に、もう一店舗、こちらはテーブル席も多く、ピカデリー劇場の隣にあった。
ふだんMさんはこちらのほうに顔を出されることが多かったが、
ときどき西新宿の店にも顔を出された。
運がよければ、Mさんの淹れたコーヒーを飲める。

ふだんはH(男性)さん、K(女性)さんのどちらかが淹れてくれる。
Kさんとはよく話した。

よく通った。コーヒーの美味しさを知ったのはこの店だし、
背中で感じるESLの音が心地よかった。

いまはもう存在しない。
火事ですべてなくなってしまった。

その場所の一階に、いまも店はある。名前が2回ほど変っているが、基本的には同じ店だ。
ただMさんはもう店に出ないし、HさんもKさんもいなくなった。

オーディオ機器も、鳴らす音楽も、他店とそう変わらなくなってしまった。
http://audiosharing.com/blog/?p=307

Date: 7月 18th, 2009
QUAD・ESLについて(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=743

KEFのレイモンド・E・クックは、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーシステムは、
「1954年、QUADのエレクトロスタティック・スピーカー」だと、
1977年のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」のインタビューで、そう答えている。

ただ当時は、位相の測定法が確立されていなかったため、まだモノーラル時代ということもあって、
ESLがフェイズリニアであることに気がついていた人は、ほんのひとにぎりだったといっている。
そして、QUADのピーター・J・ウォーカーに、そのことを最初に伝えたのはクックである、と。

このインタビューで残念なのは、そのとき、ウォーカーがどう答えたのかにまったくふれられていないこと。
KEF社長のクックへのインタビューであるから、しかたのないことだとわかっているけれども、
ウォーカーが、フェイズリニアを、ESLの開発時から意識していたのかどうかだけでも知りたいところではある。
http://audiosharing.com/blog/?p=743


QUAD・ESLについて(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=744

フェイズリニアが論文として発表されたのは、1936年で、
ベル研究所の研究員だったと思われるジョン・ヘリアーによって、であると、クックはインタビューで答えている。

ウーファーとトゥイーターの音源の位置合わせを行なっていた(行なえる)スピーカーシステムは、
QUADのESL以前にも、だからあった。
有名なところでは、アルテックのA5だ。
1945年10月に、”The Voice of The Theater”のAシリーズ全10機種のひとつとして登場したA5は、
低音部は515とフロントロードホーン・エンクロージュアのH100と15インチ・ウーファーの515の組合せで、
この上に、288ドライバーにH1505(もしくはH1002かH805)ホーンが乗り、
前後位置を調整すれば、音源の位置合わせは、できる。
ほぼ同じ構成のA7は1954年に登場している。

クックは、A5、A7の存在は、1936年のアメリカの論文の存在を知っていたくらいだから、
とうぜん知っていたであろう。
なのに、クックは、ESLを、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーだと言っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=744


QUAD・ESLについて(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=745

アルテックのA5、A7で使われていたネットワークは、N500、N800で、
12dB/oct.のオーソドックスな回路構成で、とくに凝ったことは何ひとつ行なっていない。

QUADのESLのネットワークは、というと──かなり以前に回路図を見たことがあるだけで、
多少あやふやなところな記憶であるが──通常のスピーカーと異り、
ボイスコイル(つまりインダクタンス)ではなく、コンデンサーということもあって、
通常のネットワークが、LCネットワークと呼ばれることからもわかるように、
おもなパーツはコイルとコンデンサーから構成されているに対し、
ESLのネットワークは、LCネットワークではなく、RCネットワークと呼ぶべきものである。

低域をカットするためには、LCネットワーク同様、コンデンサーを使っているが、
高域カットはコイルではなく、R、つまり抵抗を使っている。

アンプのハイカットフィルターと同じ構成になっている。
このRCネットワークの遮断特性は、6dB/oct.である。
http://audiosharing.com/blog/?p=745

QUAD・ESLについて(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=746

QUADのESLのほかに、遮断特性(減衰特性)6dB/oct.のカーブのネットワークを採用したスピーカーとして、
井上先生が愛用されたボザークが、まずあげられるし、
菅野先生愛用のマッキントッシュのXRT20も、そうだときいている。

これら以外にもちろんあり、
ダイヤトーンの2S308も、トゥイーターのローカットをコンデンサーのみで行なっていて、
ウーファーにはコイルをつかわず、パワーアンプの信号はそのまま入力される構成で、やはり6dB/oct.である。

このタイプとしては、JBLの4311がすぐに浮ぶし、
1990年ごろ発売されたモダンショートのスピーカーもそうだったと記憶している。

比較的新しい製品では、2000年ごろに発売されていたB&WのNSCM1がある。
NSCM1ときいて、すぐに、どんなスピーカーだったのか、思い浮かべられる方は少ないかもしれない。
Nautilus 805によく似た、このスピーカーのプロポーションは、
Nautilus 805よりも横幅をひろげたため、ややずんぐりした印象をあたえていたこと、
それにホームシアター用に開発されたものということも関係していたのか、
多くの人の目はNautilus 805に向き、
NSCM1に注目する人はほとんどいなかったのだろう、いつのまにか消えてしまったようだが、
井上先生だけは「良く鳴り、良く響きあう音は時間を忘れる思い」(ステレオサウンド137号)と、
Nautilus 805よりも高く評価されていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=746


Date: 7月 27th, 2009
QUAD・ESLについて(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=758

少し前に、あるスピーカーについて、ある人と話していたときに、たまたま6dB/oct.のネットワークの話になった。
そのとき、話題にしていたスピーカーも、「6dBのカーブですよ」と、相手が言った。
たしかにそのスピーカーは6dB/oct.のネットワークを採用しているが、
音響負荷をユニットにかけることで、トータルで12dB/oct.の遮断特性を実現している。

そのことを指摘すると、その人は「だから素晴らしいんですよ」と力説する。

おそらく、この人は、6dB/oct.のネットワークの特長は、
回路構成が、これ以上省略できないというシンプルさにあるものだと考えているように感じられた。
だから6dB/oct.の回路のネットワークで、遮断特性はトータルで12dB。
「だから素晴らしい」という表現が口をついて出てきたのだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=758

QUAD・ESLについて(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=760

スピーカー用のLCネットワークの減衰特性には、オクターブあたり6dB、12dB、18dBあたりが一般的である。
最近ではもっと高次のものを使われているが、6dBとそれ以外のもの(12dBや18dBなどのこと)とは、
決定的な違いが、ひとつ存在する。

いまではほとんど言われなくなったようだが、6dB/oct.のネットワークのみ、
伝達関数:1を、理論的には実現できるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=760


Date: 8月 10th, 2009
QUAD・ESLについて(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=782

この「伝達関数:1」ということが、「だから素晴らしい」と力説した人の頭の中にはなかったのだろう。

では、なぜ彼は、6dB/oct.のネットワークがいいと判断したのだろうか。
彼の頭の中にあったのは、
「思いつき」と「思いこみ」によってつくられている技術「的」な知識だけだったように思えてならない。

そこに、考える習慣は、存在していなかったとも思っている。
考え込み、考え抜くクセをつけていれば、あの発言はできない。

いま、彼のような「思いつき」「思いこみ」から発せられた情報擬きが、明らかに増えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=782


QUAD・ESLについて(その14)

己の知識から曖昧さを、できるだけなくしていきたい。
誰もが、そう思っているだろうが、罠も待ち受けている。

曖昧さの排除の、いちぱん楽な方法は、思いこみ、だからだ。
思いこんでしまえれば、もうあとは楽である。
この罠に堕ちてしまえば、楽である……。
http://audiosharing.com/blog/?p=784


QUAD・ESLについて(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=785

「思いこみ」のもつ力を否定しているわけではない。
思いこみ力が、いい方向に作用することだってあるのは、わかっている。

ただ「思いこみ」で、だれかにオーディオの技術や方式について、
そのことを音に結びつけて、オーディオ、オーディオ機器について説明するのは、
絶対にやってはいけないことだ。

これは害以外の何ものでもない。
けれど「思いこみ」の人は、そのことにまったく気づかず、害を垂れ流しつづけるかもしれない。

「思いこみ」の人のはなしをきいている人が、よくわかっている人ならば、こんな心配はいらないが、
そうでない人のことの場合も、案外多いと思う。

「だから素晴らしい」と語る、その人の仕事の詳細を、私は知らないが、
それでも、オーディオに明るくない人のシステム導入のことをやっているのは、本人からきいている。
彼は、ここでも、思いこみだけの技術的説明を行なっているのだろう、おそらく……。
http://audiosharing.com/blog/?p=785


Date: 11月 10th, 2009
QUAD・ESLについて(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=972

最近のオーディオ誌では、ほとんど伝達関数という言葉は登場しなくなったが、
私がオーディオに興味をもち始めた1976年ごろは、まだときどき誌面に登場していた。

チャンネルデバイダーがある。
入力はひとつで、2ウェイ仕様なら出力は2つ、3ウェイ仕様なら3つあるわけで、
通常なら、それぞれの出力はパワーアンプへ接続される。

このチャンネルデバイダーからの出力を合成したとしよう。
当然、入力信号と振幅特性、位相特性とも同じになるのが理想だが、
これができるは、遮断特性が6dB/oct.だけである。つまり伝達関数:1である。

12dB/octのカーブでは振幅特性にディップが生じ、位相特性も急激に変化する。
18dB/oct.のカーブでは振幅特性はほぼフラットでも、位相特性はなだらかにシフトする、といったぐあいに、
6dB/oct.カーブ以外、入力と合成された出力が同じになることは、アナログフィルターを使うかぎり、ありえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=972

QUAD・ESLについて(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=973

チャンネルデバイダーを例にとって話をしたが、スピーカーのネットワークでも同じで、
ネットワークの負荷に、負荷インピーダンスがつねに一定にするために、
スピーカーユニットではなく、8Ωなり4Ωの抵抗をとりつけて、その出力を合成すれば、
6dB/oct.のカーブのネットワークならば、振幅特性、位相特性ともにフラットである。

他のカーブでは、伝達関数:1は実現できない。
ただし6dB/oct.のカーブのネットワークでも、実際にはスピーカーユニットが負荷であり、
周波数によってインピーダンスが変動するために、決して理論通りのきれいにカーブになることはなく、
実際のスピーカーシステムの出力が、伝達関数:1になることは、まずありえない。

ただインピーダンスが完全にフラットで、まったく変化しないスピーカーユニットがあったとしよう。
それでも、現実には、スピーカーシステムの出力で伝達関数:1はありえない。
スピーカーユニットの周波数特性も関係してくるからである。

ひとつひとつのスピーカーユニットの周波数帯域が十分に広く、しかもそのスピーカーユニットを、
ごく狭い帯域でのみ使用するのであれば、かなり伝達関数:1の状態に近づけることはできるが、
実際にはそこまで周波数帯域の広いユニットなく、
ネットワークの減衰特性とスピーカーユニットの周波数特性と合成された特性が、
6dB/oct.のカーブではなくなってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=973


QUAD・ESLについて(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=974

この項の(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=758

で書いたスピーカーシステムは、
6dB/oct.のネットワークとスピーカーユニットに音響負荷をかけることで、
トータル12dB/oct.の減衰特性を得ているわけだが、
これまでの説明からおわかりのように伝達関数:1ではない。

スピーカーシステムとしての出力の合成は、位相特性は急激に変化するポイントがある。
つまり6dB/oct.ネットワーク採用の技術的なメリットは、ほぼないといえよう。
もちろん12dB/oct.のネットワークを使用するのとくらべると、ネットワークのパーツは減る。
ウーファーのハイカットフィルターであれば、通常の12dB/oct.では、
直列にはいるコイルと並列に入るコンデンサーが必要になるのが、コイルひとつで済むわけだ。

パーツによる音の違い、そして素子が増えることによる、互いの干渉を考えると、
6dB/oct.のネットワークで、
12dB/oct.のカーブが、スピーカーシステム・トータルとして実現できるのは意味がある。

けれど、事はそう単純でもない。
http://audiosharing.com/blog/?p=974


QUAD・ESLについて(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=975

目の前にオーディオのシステムがある。
パワーアンプは? ときかれれば、「これ」と指さすわけだが、
スピーカーシステムから見たパワーアンプは、そのスピーカーシステムの入力端子に接がっているモノである。

つまりパワーアンプとともに、スピーカーケーブルまで含まれることになる。

そしてスピーカーユニットから見たパワーアンプは? ということになると、どうなるか。
スピーカーユニットにとってのパワーアンプとは、信号源、駆動源であるわけだし、
スピーカーユニットの入力端子に接がっているモノということになる。

つまりスピーカーユニットにとっての駆動源(パワーアンプ)は、
パワーアンプだけでなく、ネットワークまで含まれた系ということになる。

ということは、パワーアンプの出力インピーダンスに、
ネットワークの出力インピーダンスが関係してくることになる。
このネットワークの出力インピーダンスということになると、
6dB/oct.カーブのネットワークよりも、12dB/oct.仕様の方が有利となる。
http://audiosharing.com/blog/?p=975


QUAD・ESLについて(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=976

ウーファーのハイカットフィルターは、6dB/oct.だとコイルが直列にひとつはいる。
この場合、ウーファーユニットにとってのパワーアンプ(駆動源)の出力インピーダンスは、
パワーアンプの出力インピーダンス+コイルのインピーダンスとなる。

コイルは、高域になるにしたがってインピーダンスが上昇する。
この性質を利用してネットワークが構成されているわけだが、
つまりカットオフ周波数あたりから上の出力インピーダンスは、意外にも高い値となっていく。

これが12dB/oct.だとコイルのあとにコンデンサーが並列に入るわけだから、
パワーアンプの出力インピーダンス+コイルのインピーダンスとコンデンサーの並列値となる。
コンデンサーは、コイルと正反対に、周波数が高くなるとインピーダンスは低くなる。

つまり6dB/oct.と12dB/oct.のネットワークの出力インピーダンスを比較してみると、
そうとうに違うカーブを描く。
18dB/oct.だと、さらにコイルが直列にはいるし、24dB/oct.だとコンデンサーがさらに並列にはいる。

6dB/oct.、18dB/oct.の奇数次と、12dB/oct.、24dB/oct.の偶数次のネットワークでは、
出力インピーダンスが異り、これはスピーカーユニットに対するダンピングにも影響する。
http://audiosharing.com/blog/?p=976


QUAD・ESLについて(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=977

スコーカー、トゥイーターのローカットについても、同じことがいえる。
6dB/oct.だと、コンデンサーがひとつ直列にはいる。
コンデンサーは、高域になるにしたがってインピーダンスが下がるということは、
いうまでもないことだが、低い周波数になればなるほどインピーダンスは高くなる。

12dB/oct.だと、コイルが並列にはいる。コイルは低域になるにしたがってインピーダンスは低くなる。
パワーアンプの出力インピーダンス+コンデンサーとコイルのインピーダンスの並列値が、
スコーカー、トゥイーターにとっても、駆動源のインピーダンスとなる。

カットオフ周波数よりも、ローカットフィルターならば低い周波数、ハイカットフィルターならば高い周波数は、
できるだけきれいに減衰させたいわけだが、その部分で駆動源のインピーダンスが上昇するとなると、
ダンピングファクターは低下する。

ダンピングファクターは、スピーカーのインピーダンスを、
駆動源(パワーアンプ)の出力インピーダンスで割った値である。
http://audiosharing.com/blog/?p=977


QUAD・ESLについて(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=978

ダンピングファクターによってのみ、スピーカーのダンピングが決まるわけでもないし、
必ずしもダンピングファクターの値が高い(つまり出力インピーダンスが低い)パワーアンプが、
低い値のパワーアンプよりもダンピングにおいて優れているかというと、そんなことはない。

現代アンプに不可欠なNFBを大量にかけると、出力インピーダンスは、けっこう下がるものである。
NFBを大量にかけるために、NFBをかける前のゲイン(オープンループゲイン)を高くとっているアンプは、
ひじょうに低い周波数から高域特性が低下していく。

良心的なメーカであれば、ダンピングファクターの値のあとに、(20Hz)とか(1kHz)と表示している。
つまり、そのダンピングファクターの値は、括弧内の周波数におけるものであることを表わしている。

ダンピングファクターの値が、200とか、それ以上の極端な高いパワーアンプだと、
たいていは数10Hzあたりの値であり、それより上の周波数では低下していくだけである。

つまりごく狭い周波数においてのみの、高いダンピングファクターのものがあるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=978


QUAD・ESLについて(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=979

にもかかわらず、ダンピングファクターの、単に表面的な数値のみにとらわれて、
このパワーアンプはダンピング能力が高い、と誇張表現しているサイトが、どことは名指しはしないが、ある。

いまどき、こんな陳腐な宣伝文句にだまされる人はいないと思っていたら、
意外にそうでもないようなので、書いておく。

ダンピングファクターは、ある周波数における値のみではなく、
注目してほしいのは、ダンピングファクターの周波数特性である。
つまり、そのパワーアンプの出力インピーダンスの周波数特性である。
何Hzまでフラットなのか、その値がどの程度なのかに注意を向けるのであれば、まだしも、
単に数値だけにとらわれていては、そこには何の意味もない。

ダンピングファクターから読み取れるのは、そのパワーアンプの、NFBをかける前の、
いわゆる裸の周波数特性である。

それにどんなに可聴帯域において、高い値のダンピングファクターを維持しているパワーアンプだとしても、
奇数次のネットワークが採用されたスピーカーシステムであれば、
カットオフ周波数以下(もしくは以上)の帯域では、ダンピングファクターが低下する。
http://audiosharing.com/blog/?p=979


QUAD・ESLについて(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=980

カットオフ周波数以下(もしくは以上)の帯域こそ、すみやかに、そしてきれいに減衰させたいわけだから、
むしろこの帯域こそダンピング能力が、求められるのではないだろうか。

なぜ、マルチウェイのスピーカーシステムで、その周波数より上(もしくは下)をカットするのか、を考えれば、
ごく低い周波数近辺だけでの高い値のダンピングファクターは、ほぼ無意味であるといっても言い過ぎではないし、
この点からのみネットワークを判断すれば、12dB/oct.、24dB/oct.といった偶数次のものが有利である。

ただ偶数次の場合、たとえば2ウェイならばトゥイーターの極性を、
3ウェイならばスコーカーの極性を反転させなければ、フラットな振幅特性は得られない。
しかも、この部分で安易にスピーカーユニットの極性を、他のユニットと反対にしてしまえば、
音場感の再現力に関しては、大きなマイナスになってしまう面ももつ。

それに位相特性を重視すれば、6dB/oct.しかないともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=980

QUAD・ESLについて(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=981

それに6dB/oct.以外のネットワークでは、並列にはいるコンデンサーなりコイルの存在があり、
サイズ項の(その37)、(その38)、(その39)、(その40)、(その41)でふれた、
信号系のループの問題が発生してくる。

ネットワークはフィルターであり、そのフィルターの動作をできるだけ理想に近づけるためには、
アース(マイナス)線を分離していくことが要求される。

スピーカーのネットワークは、基本的にコンデンサーとコイルで構成される、さほど複雑なものではないのに、
スロープ特性だけをとりあげても、けっこう端折った書き方で、これだけある。

なのに、この項の(その11)でふれた人のように、「だから素晴らしい」と断言する人が、現実にはいる。

なぜ、その程度の知識で断言できるか、そのことについて考えていくと、ある種の怖さが見えてくる気がする。
http://audiosharing.com/blog/?p=981


Date: 11月 15th, 2009
QUAD・ESLについて(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=982

オーディオの技術的知識について問われれば、
中途半端なレベルであれば、むしろ持っていないほうがいいように思っている。

もちろんオーディオ機器を正しく接続するための知識は必要なのは言うまでもないことだが、
それ以上の技術的知識となると、人によるとわかっていても、
知識を吸収している段階の、ある時期は、真摯に音を聴くときの害になる。
中途半端な技術的知識が、耳を騙す。

「だから素晴らしい」と語った人は、私の目にはそう映ってしまう。

耳が騙された人は、本人も気づかぬうちに、だれかを騙すことになる。
あるサイトの謳い文句に騙された人も、同じだ。
悪気は無くても、同じ謳い文句を口にしては誰かを騙している。

そういう人のあいだから発生してきた、まともそうにきこえても、じつはデタラメなことがらが流布してしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=982


Date: 12月 27th, 2009
QUAD・ESLについて(その27)

技術的知識は「有機的に体系化」できなければ、
害をもたらすことが多いということを肝に銘じてほしい。
http://audiosharing.com/blog/?p=1061


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/214.html#c21

[リバイバル3] audio identity (designing) 宮ア勝己 QUAD・ESLについて
audio identity (designing) 宮ア勝己 QUAD・ESLについて

Date: 11月 21st, 2008
QUAD・ESLについて(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=249

QUADのESL(旧型)を使っていたときに、山中先生にそのことを話したら、
「ESLをぐんと上まで持ちあげてみるとおもしろいぞ。
録音スタジオのモニタースピーカーと同じようなセッティングにする。
前傾させて耳の斜め上から音が来るようにすると、がらっと印象が変るぞ!」
とアドバイスをいただいたことがある。

やってみたいと思ったが、このセッティングをやるための、
壁(もしくは天井)からワイヤーで吊り、脚部を壁からワイヤーで引っ張る方法は、
賃貸の住宅では壁に釘かネジを打ち込むことになるので、試したことはない。

山中先生は、いちどその音を聴かれているとのこと。
そのときの山中先生の口ぶりからすると、ほんとうにいい音が聴けそうな感じだった。
http://audiosharing.com/blog/?p=249


QUAD・ESLについて(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=251

QUADの旧型のESLを、ESL63とはっきりと区別するために、ESL57と表記するのを見かける。

ESL63の末尾の「63」は、発売年ではなく、開発・研究が始まった1963年を表している。
なのに、ESL57の「57」は発売年を表しているとのこと。
ESLが発表されたのは1955年である。

なぜ、こう中途半端な数字をつけるのだろうか。

ところで、ESLだが、おそらくこれが仮想同軸配置の最初のスピーカーだと思う。
中央にトゥイーター・パネル、その左右にスコーカー・パネル、両端にウーファー・パネル。
ESLを90度向きを変えると、仮想同軸の配置そのものである。

ESLを使っていたとき、90度向きを変えて、鳴らしたことがある。
スタンドをあれこれ工夫してみたが、安定して立てることができず、
そういう状態での音出しだったので満足できる音ではなかったが、
きちんとフレームを作り直せば、おもしろい結果が得られたかもしれない。
http://audiosharing.com/blog/?p=251

QUAD・ESLについて(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=252

ウェスターン・エレクトリックの555ドライバーの設計者のE.C.ウェンテは、1914年に入社し、
3年後の1917年にコンデンサー型マイクロフォンの論文を発表している。
555の発表は1926年だから、コンデンサー型マイク、スピーカーの歴史はかなり長いものである。

コンデンサー型スピーカーの原理は、1870年よりも前と聞いている。
イギリスのクロムウェル・フリートウッド・ヴァーリィという人が、
コンデンサーから音を出すことができるということで特許を取っているらしい。
このヴァーリィのアイデアを、エジソンは電話の受話器に使えないかと、先頭に立って改良を試みたが、
当時はアンプが存在しなかったため、実用化にはいたらなかったとのこと。

ウェンテのマイクロフォンは、0.025mmのジュラルミン薄膜を使い、
その背面0.0022mmのところに固定電極を置いている。
11年後、改良型の394が出て、これが現在のコンデンサー型マイクロフォンの基礎・基本となっている。

このことを知った時にふと思ったのは、可動電極がジュラルミン、つまり金属ということは、
コンデンサー型スピーカーの振動板(可動電極)にも金属が使えるのではないか、と。

いまのコンデンサー型スピーカーは、フィルムに導電性の物質を塗布しているか、
マーティン・ローガンのCLSのように、導電性のフィルムを使っている。
金属では、振幅が確保できないためだろう。
しなやかな金属の薄膜が実現できれば、コンデンサー型スピーカーに使えるし、
かなりおもしろいモノに仕上がるはず、と思っていた。

だから数年前にジャーマン・フィジックスのDDDユニットを見た時は、やっと現われた、と思っていた。
DDDユニットに採用されているのはチタンの薄膜。触ってみるとプヨプヨした感触。
これならば、そのままコンデンサー型スピーカーに流用できるはず、という予感がある。

いま手元に要修理のQUADのESL63Proが1ペア、押入れで眠っている。
初期型のものだ。

純正のパネルで修理するのが賢明だろうが、いずれ、かならず、また修理を必要とする日が来る。
ならばいっそチタンの薄膜に置き換えてみるのも、誰もやってないだろうし、楽しいはず。
ただ、あれだけの面積のチタン薄膜がなかなか見つからない。
http://audiosharing.com/blog/?p=252


QUAD・ESLについて(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=254

QUAD・ESLの2段スタックは、1970年代前半、
香港のオーディオショップが特別につくり売っていたことから始まったと言われている。

ステレオサウンドでは、38号で岡俊雄先生が「ベストサウンド求めて」のなかで実験されている。
さらに77年暮に出た別冊「コンポーネントステレオの世界’78」で山中先生が、
2段スタックを中心にした組合せをつくられている。

38号の記事を読むと、マーク・レヴィンソンは75年には、自宅で2段スタックに、
ハートレーの61cm口径ウーファー224MSを100Hz以下で使い、
高域はデッカのリボン・トゥイーターに受け持たせたHQDシステムを使っていたとある。

山中先生が語っておられるが、ESLを2段スタックにすると、
2倍になるというよりも2乗になる、と。

ESLのスタックの極付けは、スイングジャーナルで長島達夫先生がやられた3段スタックである。

中段のESLは垂直に配置し、上段、下段のESLは聴き手を向くように角度がついている。
上段は前傾、下段は後ろに倒れている格好だ。
真横から見ると、コーン型スピーカーの断面のような感じだ。
上段と下段の角度は同じではないので、写真でみても、威容に圧倒される。

この音は、ほんとうに凄かったと聞いている。
山中先生の言葉を借りれば、3段だから3乗になるわけだ。

長島先生に、この時の話を伺ったことがある。
3段スタックにされたのは、ESLを使って、疑似的に球面波を再現したかったからだそうだ。

繊細で品位の高い音だが、どこかスタティックな印象を拭えないESLが、
圧倒的な描写力で、音楽が聴き手に迫ってくる音を聴かせてくれる、らしい。

その音が想像できなくはない。
ESLを、SUMOのThe Goldで鳴らしていたことがあるからだ。

SUMOの取り扱い説明書には、QUADのESLを接続しないでくれ、と注意書きがある。
ESLを鳴らすのならば、The Goldの半分の出力のThe Nineにしてくれ、とも書いてある。

そんなことは無視して、鳴らしていた。
ESLのウーファーのf0は50Hzよりも少し上だと言われている。
なのに、セレッションのSL6をクレルのKMA200で鳴らした音の同じように、
驚くほど低いところまで伸びていることが感じとれる。
少なくともスタティックな印象はなくなっていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=254

QUAD・ESLについて(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=255

ステレオサウンドの弟分にあたるサウンドボーイ誌の編集長だったO氏は、
QUADのESL63が登場するずいぶん前に、スタックスに、
細長いコンデンサースピーカーのパネルを複数枚、特注したことがあって、
それらを放射状に配置し、外周部を前に、中心部を後ろに、
つまり疑似的なコーン型スピーカーのようにして、
長島先生同様、なんとか球面波に近い音を出せないかと考えての試作品だった、と言っていた。

結果は、まったくダメだったそうだ。
だからO氏も、ESL63の巧みな方法には感心していた。
http://audiosharing.com/blog/?p=255


Date: 12月 16th, 2008
QUAD・ESLについて(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=307

QUADのESLを、はじめて聴いた場所は、オーディオ店の試聴室でもなく、個人のリスニングルームでもなく、
20数年前まで、東京・西新宿に存在していた新宿珈琲屋という喫茶店だった。

当時のサウンドボーイ誌に紹介されていたので、上京する前、まだ高校生の時から、この店の存在は知っていた。
ESLを鳴らすアンプは、QUADの33と50Eの組合せ。記事には場所柄、電源事情がひどいため、
絶縁トランスをかませて対処している、とあった。
CDはまだ登場していない時代だから、LPのみ。
プレーヤーはトーレンスのTD125MKIIBにSMEの3009SII、
オルトフォンのカートリッジだったように記憶している。

新宿珈琲屋の入っていた建物は、木造長屋といった表現のぴったりで、2階にあるこの店に行くには、
わりと急な階段で、昇っているとぎしぎし音がする。
L字型のカウンターがあり、その奥には屋根裏に昇る、階段ではなく梯子があって、
そこにはテーブル席も用意されていた。

ESLは客席の後ろに設置されていた。
濃い色の木を使った店内にESLが馴染んでいたのと、パネルヒーター風の形状のためもあってか、
オーディオに関心のない人は、スピーカーだとわかっていた人は少なかったと、きいている。

鳴らしていた音楽は、オーナーMさんの考えで、バロックのみ。LPは、たしか20、30枚程度か。
そのなかにグールドのバッハも含まれていた。

この装置を選び、設置したのは、サウンドボーイ編集長のOさん。
Mさんとは古くからの知合いで、相談を受けたとのこと。

新宿に、もう一店舗、こちらはテーブル席も多く、ピカデリー劇場の隣にあった。
ふだんMさんはこちらのほうに顔を出されることが多かったが、
ときどき西新宿の店にも顔を出された。
運がよければ、Mさんの淹れたコーヒーを飲める。

ふだんはH(男性)さん、K(女性)さんのどちらかが淹れてくれる。
Kさんとはよく話した。

よく通った。コーヒーの美味しさを知ったのはこの店だし、
背中で感じるESLの音が心地よかった。

いまはもう存在しない。
火事ですべてなくなってしまった。

その場所の一階に、いまも店はある。名前が2回ほど変っているが、基本的には同じ店だ。
ただMさんはもう店に出ないし、HさんもKさんもいなくなった。

オーディオ機器も、鳴らす音楽も、他店とそう変わらなくなってしまった。
http://audiosharing.com/blog/?p=307

Date: 7月 18th, 2009
QUAD・ESLについて(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=743

KEFのレイモンド・E・クックは、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーシステムは、
「1954年、QUADのエレクトロスタティック・スピーカー」だと、
1977年のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」のインタビューで、そう答えている。

ただ当時は、位相の測定法が確立されていなかったため、まだモノーラル時代ということもあって、
ESLがフェイズリニアであることに気がついていた人は、ほんのひとにぎりだったといっている。
そして、QUADのピーター・J・ウォーカーに、そのことを最初に伝えたのはクックである、と。

このインタビューで残念なのは、そのとき、ウォーカーがどう答えたのかにまったくふれられていないこと。
KEF社長のクックへのインタビューであるから、しかたのないことだとわかっているけれども、
ウォーカーが、フェイズリニアを、ESLの開発時から意識していたのかどうかだけでも知りたいところではある。
http://audiosharing.com/blog/?p=743


QUAD・ESLについて(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=744

フェイズリニアが論文として発表されたのは、1936年で、
ベル研究所の研究員だったと思われるジョン・ヘリアーによって、であると、クックはインタビューで答えている。

ウーファーとトゥイーターの音源の位置合わせを行なっていた(行なえる)スピーカーシステムは、
QUADのESL以前にも、だからあった。
有名なところでは、アルテックのA5だ。
1945年10月に、”The Voice of The Theater”のAシリーズ全10機種のひとつとして登場したA5は、
低音部は515とフロントロードホーン・エンクロージュアのH100と15インチ・ウーファーの515の組合せで、
この上に、288ドライバーにH1505(もしくはH1002かH805)ホーンが乗り、
前後位置を調整すれば、音源の位置合わせは、できる。
ほぼ同じ構成のA7は1954年に登場している。

クックは、A5、A7の存在は、1936年のアメリカの論文の存在を知っていたくらいだから、
とうぜん知っていたであろう。
なのに、クックは、ESLを、最初に市販されたフェイズリニアのスピーカーだと言っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=744


QUAD・ESLについて(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=745

アルテックのA5、A7で使われていたネットワークは、N500、N800で、
12dB/oct.のオーソドックスな回路構成で、とくに凝ったことは何ひとつ行なっていない。

QUADのESLのネットワークは、というと──かなり以前に回路図を見たことがあるだけで、
多少あやふやなところな記憶であるが──通常のスピーカーと異り、
ボイスコイル(つまりインダクタンス)ではなく、コンデンサーということもあって、
通常のネットワークが、LCネットワークと呼ばれることからもわかるように、
おもなパーツはコイルとコンデンサーから構成されているに対し、
ESLのネットワークは、LCネットワークではなく、RCネットワークと呼ぶべきものである。

低域をカットするためには、LCネットワーク同様、コンデンサーを使っているが、
高域カットはコイルではなく、R、つまり抵抗を使っている。

アンプのハイカットフィルターと同じ構成になっている。
このRCネットワークの遮断特性は、6dB/oct.である。
http://audiosharing.com/blog/?p=745

QUAD・ESLについて(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=746

QUADのESLのほかに、遮断特性(減衰特性)6dB/oct.のカーブのネットワークを採用したスピーカーとして、
井上先生が愛用されたボザークが、まずあげられるし、
菅野先生愛用のマッキントッシュのXRT20も、そうだときいている。

これら以外にもちろんあり、
ダイヤトーンの2S308も、トゥイーターのローカットをコンデンサーのみで行なっていて、
ウーファーにはコイルをつかわず、パワーアンプの信号はそのまま入力される構成で、やはり6dB/oct.である。

このタイプとしては、JBLの4311がすぐに浮ぶし、
1990年ごろ発売されたモダンショートのスピーカーもそうだったと記憶している。

比較的新しい製品では、2000年ごろに発売されていたB&WのNSCM1がある。
NSCM1ときいて、すぐに、どんなスピーカーだったのか、思い浮かべられる方は少ないかもしれない。
Nautilus 805によく似た、このスピーカーのプロポーションは、
Nautilus 805よりも横幅をひろげたため、ややずんぐりした印象をあたえていたこと、
それにホームシアター用に開発されたものということも関係していたのか、
多くの人の目はNautilus 805に向き、
NSCM1に注目する人はほとんどいなかったのだろう、いつのまにか消えてしまったようだが、
井上先生だけは「良く鳴り、良く響きあう音は時間を忘れる思い」(ステレオサウンド137号)と、
Nautilus 805よりも高く評価されていた。
http://audiosharing.com/blog/?p=746


Date: 7月 27th, 2009
QUAD・ESLについて(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=758

少し前に、あるスピーカーについて、ある人と話していたときに、たまたま6dB/oct.のネットワークの話になった。
そのとき、話題にしていたスピーカーも、「6dBのカーブですよ」と、相手が言った。
たしかにそのスピーカーは6dB/oct.のネットワークを採用しているが、
音響負荷をユニットにかけることで、トータルで12dB/oct.の遮断特性を実現している。

そのことを指摘すると、その人は「だから素晴らしいんですよ」と力説する。

おそらく、この人は、6dB/oct.のネットワークの特長は、
回路構成が、これ以上省略できないというシンプルさにあるものだと考えているように感じられた。
だから6dB/oct.の回路のネットワークで、遮断特性はトータルで12dB。
「だから素晴らしい」という表現が口をついて出てきたのだろう。
http://audiosharing.com/blog/?p=758

QUAD・ESLについて(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=760

スピーカー用のLCネットワークの減衰特性には、オクターブあたり6dB、12dB、18dBあたりが一般的である。
最近ではもっと高次のものを使われているが、6dBとそれ以外のもの(12dBや18dBなどのこと)とは、
決定的な違いが、ひとつ存在する。

いまではほとんど言われなくなったようだが、6dB/oct.のネットワークのみ、
伝達関数:1を、理論的には実現できるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=760


Date: 8月 10th, 2009
QUAD・ESLについて(その13)
http://audiosharing.com/blog/?p=782

この「伝達関数:1」ということが、「だから素晴らしい」と力説した人の頭の中にはなかったのだろう。

では、なぜ彼は、6dB/oct.のネットワークがいいと判断したのだろうか。
彼の頭の中にあったのは、
「思いつき」と「思いこみ」によってつくられている技術「的」な知識だけだったように思えてならない。

そこに、考える習慣は、存在していなかったとも思っている。
考え込み、考え抜くクセをつけていれば、あの発言はできない。

いま、彼のような「思いつき」「思いこみ」から発せられた情報擬きが、明らかに増えている。
http://audiosharing.com/blog/?p=782


QUAD・ESLについて(その14)

己の知識から曖昧さを、できるだけなくしていきたい。
誰もが、そう思っているだろうが、罠も待ち受けている。

曖昧さの排除の、いちぱん楽な方法は、思いこみ、だからだ。
思いこんでしまえれば、もうあとは楽である。
この罠に堕ちてしまえば、楽である……。
http://audiosharing.com/blog/?p=784


QUAD・ESLについて(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=785

「思いこみ」のもつ力を否定しているわけではない。
思いこみ力が、いい方向に作用することだってあるのは、わかっている。

ただ「思いこみ」で、だれかにオーディオの技術や方式について、
そのことを音に結びつけて、オーディオ、オーディオ機器について説明するのは、
絶対にやってはいけないことだ。

これは害以外の何ものでもない。
けれど「思いこみ」の人は、そのことにまったく気づかず、害を垂れ流しつづけるかもしれない。

「思いこみ」の人のはなしをきいている人が、よくわかっている人ならば、こんな心配はいらないが、
そうでない人のことの場合も、案外多いと思う。

「だから素晴らしい」と語る、その人の仕事の詳細を、私は知らないが、
それでも、オーディオに明るくない人のシステム導入のことをやっているのは、本人からきいている。
彼は、ここでも、思いこみだけの技術的説明を行なっているのだろう、おそらく……。
http://audiosharing.com/blog/?p=785


Date: 11月 10th, 2009
QUAD・ESLについて(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=972

最近のオーディオ誌では、ほとんど伝達関数という言葉は登場しなくなったが、
私がオーディオに興味をもち始めた1976年ごろは、まだときどき誌面に登場していた。

チャンネルデバイダーがある。
入力はひとつで、2ウェイ仕様なら出力は2つ、3ウェイ仕様なら3つあるわけで、
通常なら、それぞれの出力はパワーアンプへ接続される。

このチャンネルデバイダーからの出力を合成したとしよう。
当然、入力信号と振幅特性、位相特性とも同じになるのが理想だが、
これができるは、遮断特性が6dB/oct.だけである。つまり伝達関数:1である。

12dB/octのカーブでは振幅特性にディップが生じ、位相特性も急激に変化する。
18dB/oct.のカーブでは振幅特性はほぼフラットでも、位相特性はなだらかにシフトする、といったぐあいに、
6dB/oct.カーブ以外、入力と合成された出力が同じになることは、アナログフィルターを使うかぎり、ありえない。
http://audiosharing.com/blog/?p=972

QUAD・ESLについて(その17)
http://audiosharing.com/blog/?p=973

チャンネルデバイダーを例にとって話をしたが、スピーカーのネットワークでも同じで、
ネットワークの負荷に、負荷インピーダンスがつねに一定にするために、
スピーカーユニットではなく、8Ωなり4Ωの抵抗をとりつけて、その出力を合成すれば、
6dB/oct.のカーブのネットワークならば、振幅特性、位相特性ともにフラットである。

他のカーブでは、伝達関数:1は実現できない。
ただし6dB/oct.のカーブのネットワークでも、実際にはスピーカーユニットが負荷であり、
周波数によってインピーダンスが変動するために、決して理論通りのきれいにカーブになることはなく、
実際のスピーカーシステムの出力が、伝達関数:1になることは、まずありえない。

ただインピーダンスが完全にフラットで、まったく変化しないスピーカーユニットがあったとしよう。
それでも、現実には、スピーカーシステムの出力で伝達関数:1はありえない。
スピーカーユニットの周波数特性も関係してくるからである。

ひとつひとつのスピーカーユニットの周波数帯域が十分に広く、しかもそのスピーカーユニットを、
ごく狭い帯域でのみ使用するのであれば、かなり伝達関数:1の状態に近づけることはできるが、
実際にはそこまで周波数帯域の広いユニットなく、
ネットワークの減衰特性とスピーカーユニットの周波数特性と合成された特性が、
6dB/oct.のカーブではなくなってしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=973


QUAD・ESLについて(その18)
http://audiosharing.com/blog/?p=974

この項の(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=758

で書いたスピーカーシステムは、
6dB/oct.のネットワークとスピーカーユニットに音響負荷をかけることで、
トータル12dB/oct.の減衰特性を得ているわけだが、
これまでの説明からおわかりのように伝達関数:1ではない。

スピーカーシステムとしての出力の合成は、位相特性は急激に変化するポイントがある。
つまり6dB/oct.ネットワーク採用の技術的なメリットは、ほぼないといえよう。
もちろん12dB/oct.のネットワークを使用するのとくらべると、ネットワークのパーツは減る。
ウーファーのハイカットフィルターであれば、通常の12dB/oct.では、
直列にはいるコイルと並列に入るコンデンサーが必要になるのが、コイルひとつで済むわけだ。

パーツによる音の違い、そして素子が増えることによる、互いの干渉を考えると、
6dB/oct.のネットワークで、
12dB/oct.のカーブが、スピーカーシステム・トータルとして実現できるのは意味がある。

けれど、事はそう単純でもない。
http://audiosharing.com/blog/?p=974


QUAD・ESLについて(その19)
http://audiosharing.com/blog/?p=975

目の前にオーディオのシステムがある。
パワーアンプは? ときかれれば、「これ」と指さすわけだが、
スピーカーシステムから見たパワーアンプは、そのスピーカーシステムの入力端子に接がっているモノである。

つまりパワーアンプとともに、スピーカーケーブルまで含まれることになる。

そしてスピーカーユニットから見たパワーアンプは? ということになると、どうなるか。
スピーカーユニットにとってのパワーアンプとは、信号源、駆動源であるわけだし、
スピーカーユニットの入力端子に接がっているモノということになる。

つまりスピーカーユニットにとっての駆動源(パワーアンプ)は、
パワーアンプだけでなく、ネットワークまで含まれた系ということになる。

ということは、パワーアンプの出力インピーダンスに、
ネットワークの出力インピーダンスが関係してくることになる。
このネットワークの出力インピーダンスということになると、
6dB/oct.カーブのネットワークよりも、12dB/oct.仕様の方が有利となる。
http://audiosharing.com/blog/?p=975


QUAD・ESLについて(その20)
http://audiosharing.com/blog/?p=976

ウーファーのハイカットフィルターは、6dB/oct.だとコイルが直列にひとつはいる。
この場合、ウーファーユニットにとってのパワーアンプ(駆動源)の出力インピーダンスは、
パワーアンプの出力インピーダンス+コイルのインピーダンスとなる。

コイルは、高域になるにしたがってインピーダンスが上昇する。
この性質を利用してネットワークが構成されているわけだが、
つまりカットオフ周波数あたりから上の出力インピーダンスは、意外にも高い値となっていく。

これが12dB/oct.だとコイルのあとにコンデンサーが並列に入るわけだから、
パワーアンプの出力インピーダンス+コイルのインピーダンスとコンデンサーの並列値となる。
コンデンサーは、コイルと正反対に、周波数が高くなるとインピーダンスは低くなる。

つまり6dB/oct.と12dB/oct.のネットワークの出力インピーダンスを比較してみると、
そうとうに違うカーブを描く。
18dB/oct.だと、さらにコイルが直列にはいるし、24dB/oct.だとコンデンサーがさらに並列にはいる。

6dB/oct.、18dB/oct.の奇数次と、12dB/oct.、24dB/oct.の偶数次のネットワークでは、
出力インピーダンスが異り、これはスピーカーユニットに対するダンピングにも影響する。
http://audiosharing.com/blog/?p=976


QUAD・ESLについて(その21)
http://audiosharing.com/blog/?p=977

スコーカー、トゥイーターのローカットについても、同じことがいえる。
6dB/oct.だと、コンデンサーがひとつ直列にはいる。
コンデンサーは、高域になるにしたがってインピーダンスが下がるということは、
いうまでもないことだが、低い周波数になればなるほどインピーダンスは高くなる。

12dB/oct.だと、コイルが並列にはいる。コイルは低域になるにしたがってインピーダンスは低くなる。
パワーアンプの出力インピーダンス+コンデンサーとコイルのインピーダンスの並列値が、
スコーカー、トゥイーターにとっても、駆動源のインピーダンスとなる。

カットオフ周波数よりも、ローカットフィルターならば低い周波数、ハイカットフィルターならば高い周波数は、
できるだけきれいに減衰させたいわけだが、その部分で駆動源のインピーダンスが上昇するとなると、
ダンピングファクターは低下する。

ダンピングファクターは、スピーカーのインピーダンスを、
駆動源(パワーアンプ)の出力インピーダンスで割った値である。
http://audiosharing.com/blog/?p=977


QUAD・ESLについて(その22)
http://audiosharing.com/blog/?p=978

ダンピングファクターによってのみ、スピーカーのダンピングが決まるわけでもないし、
必ずしもダンピングファクターの値が高い(つまり出力インピーダンスが低い)パワーアンプが、
低い値のパワーアンプよりもダンピングにおいて優れているかというと、そんなことはない。

現代アンプに不可欠なNFBを大量にかけると、出力インピーダンスは、けっこう下がるものである。
NFBを大量にかけるために、NFBをかける前のゲイン(オープンループゲイン)を高くとっているアンプは、
ひじょうに低い周波数から高域特性が低下していく。

良心的なメーカであれば、ダンピングファクターの値のあとに、(20Hz)とか(1kHz)と表示している。
つまり、そのダンピングファクターの値は、括弧内の周波数におけるものであることを表わしている。

ダンピングファクターの値が、200とか、それ以上の極端な高いパワーアンプだと、
たいていは数10Hzあたりの値であり、それより上の周波数では低下していくだけである。

つまりごく狭い周波数においてのみの、高いダンピングファクターのものがあるということだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=978


QUAD・ESLについて(その23)
http://audiosharing.com/blog/?p=979

にもかかわらず、ダンピングファクターの、単に表面的な数値のみにとらわれて、
このパワーアンプはダンピング能力が高い、と誇張表現しているサイトが、どことは名指しはしないが、ある。

いまどき、こんな陳腐な宣伝文句にだまされる人はいないと思っていたら、
意外にそうでもないようなので、書いておく。

ダンピングファクターは、ある周波数における値のみではなく、
注目してほしいのは、ダンピングファクターの周波数特性である。
つまり、そのパワーアンプの出力インピーダンスの周波数特性である。
何Hzまでフラットなのか、その値がどの程度なのかに注意を向けるのであれば、まだしも、
単に数値だけにとらわれていては、そこには何の意味もない。

ダンピングファクターから読み取れるのは、そのパワーアンプの、NFBをかける前の、
いわゆる裸の周波数特性である。

それにどんなに可聴帯域において、高い値のダンピングファクターを維持しているパワーアンプだとしても、
奇数次のネットワークが採用されたスピーカーシステムであれば、
カットオフ周波数以下(もしくは以上)の帯域では、ダンピングファクターが低下する。
http://audiosharing.com/blog/?p=979


QUAD・ESLについて(その24)
http://audiosharing.com/blog/?p=980

カットオフ周波数以下(もしくは以上)の帯域こそ、すみやかに、そしてきれいに減衰させたいわけだから、
むしろこの帯域こそダンピング能力が、求められるのではないだろうか。

なぜ、マルチウェイのスピーカーシステムで、その周波数より上(もしくは下)をカットするのか、を考えれば、
ごく低い周波数近辺だけでの高い値のダンピングファクターは、ほぼ無意味であるといっても言い過ぎではないし、
この点からのみネットワークを判断すれば、12dB/oct.、24dB/oct.といった偶数次のものが有利である。

ただ偶数次の場合、たとえば2ウェイならばトゥイーターの極性を、
3ウェイならばスコーカーの極性を反転させなければ、フラットな振幅特性は得られない。
しかも、この部分で安易にスピーカーユニットの極性を、他のユニットと反対にしてしまえば、
音場感の再現力に関しては、大きなマイナスになってしまう面ももつ。

それに位相特性を重視すれば、6dB/oct.しかないともいえる。
http://audiosharing.com/blog/?p=980

QUAD・ESLについて(その25)
http://audiosharing.com/blog/?p=981

それに6dB/oct.以外のネットワークでは、並列にはいるコンデンサーなりコイルの存在があり、
サイズ項の(その37)、(その38)、(その39)、(その40)、(その41)でふれた、
信号系のループの問題が発生してくる。

ネットワークはフィルターであり、そのフィルターの動作をできるだけ理想に近づけるためには、
アース(マイナス)線を分離していくことが要求される。

スピーカーのネットワークは、基本的にコンデンサーとコイルで構成される、さほど複雑なものではないのに、
スロープ特性だけをとりあげても、けっこう端折った書き方で、これだけある。

なのに、この項の(その11)でふれた人のように、「だから素晴らしい」と断言する人が、現実にはいる。

なぜ、その程度の知識で断言できるか、そのことについて考えていくと、ある種の怖さが見えてくる気がする。
http://audiosharing.com/blog/?p=981


Date: 11月 15th, 2009
QUAD・ESLについて(その26)
http://audiosharing.com/blog/?p=982

オーディオの技術的知識について問われれば、
中途半端なレベルであれば、むしろ持っていないほうがいいように思っている。

もちろんオーディオ機器を正しく接続するための知識は必要なのは言うまでもないことだが、
それ以上の技術的知識となると、人によるとわかっていても、
知識を吸収している段階の、ある時期は、真摯に音を聴くときの害になる。
中途半端な技術的知識が、耳を騙す。

「だから素晴らしい」と語った人は、私の目にはそう映ってしまう。

耳が騙された人は、本人も気づかぬうちに、だれかを騙すことになる。
あるサイトの謳い文句に騙された人も、同じだ。
悪気は無くても、同じ謳い文句を口にしては誰かを騙している。

そういう人のあいだから発生してきた、まともそうにきこえても、じつはデタラメなことがらが流布してしまう。
http://audiosharing.com/blog/?p=982


Date: 12月 27th, 2009
QUAD・ESLについて(その27)

技術的知識は「有機的に体系化」できなければ、
害をもたらすことが多いということを肝に銘じてほしい。
http://audiosharing.com/blog/?p=1061


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1169.html

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