18. 中川隆[-8227] koaQ7Jey 2021年1月16日 09:35:36 : rerJEANHFY : aXNjZy9RLkFCLk0=[4]
負けが込んで追い詰められると、ギャンブラーはよりギャンブラーになっていく
2021.01.16
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ギャンブルには胴元がいてショバ代(手数料)も取られるのだから、参加者がみんな勝っていると胴元が破綻する。基本的に参加者は勝てない構図になっている。勝てても一時的なものであり、それは絶対ではない。にも関わらず、ギャンブルにのめり込む人間は一定数いる。彼らのほとんどは儲からない。それは彼らも薄々気づいている。では、どうして儲からないというのが分かってもギャンブルから離れないのか。(鈴木傾城)
そこは、「カネを稼ぐ場所」ではなく「カネを失う場所」
事業家が金持ちリストに載ることはあっても、ギャンブラーが金持ちリストに載ることは皆無だ。ギャンブルは、それが仮想通貨であれ、FX(為替証拠金取引)であれ、株式の信用取引であれ、かなりのリスクを負っており、なかなか勝てないようにできている。
競馬・競輪にしても、パチンコにしても、カジノにしても、「トータルで利益を出している者はひとりもいない」とよく言われる。「賭場に通う人間は、金持ちよりも貧困層の方が多い」とも言われる。
よくカジノに「超」がつくほどの金持ちがたくさん来ていることや、金持ちがむしろ貧困層よりもカジノ事業を誘致しようと必死になるのは、別に彼らはカジノで遊びたいと思っているわけではない。マネーロンダリングが本音だ。
彼らには表に出せないカネがある。そのカネをカジノで勝ったことにして表側に出す。カジノの経営者にリベートを払って、必ず自分が勝つ出来レース(八百長)を仕掛けるのである。
そうやって裏金をいつでもロンダリングするための仕掛けがカジノなのだ。だから、超金持ちがカジノに群がるのも別に奇異なことではない。彼らは決してギャンブラーではない。
通常、ギャンブルは「カネを稼ぐ場所」ではなく「カネを失う場所」なのである。プロのギャンブラーでさえも、トータルで見たら利益が出ていないというのであれば、素人がギャンブルに手を出してトータルで利益が得られると思う方がどうかしている。
ギャンブルは儲からない。
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脳を変容させるほどの「成功の快感」が刻まれる
ギャンブルでも0.1%くらいは常勝できる人間がいるかもしれない。世の中には何事にも例外がある。
しかし、99.9%は敗退を余儀なくされる。
ギャンブルには胴元がいてショバ代(手数料)も取られるのだから、参加者がみんな勝っていると胴元が破綻する。基本的に参加者は勝てない構図になっている。勝てても一時的なものであり、それは絶対ではない。
にも関わらず、ギャンブルにのめり込む人間は一定数いる。彼らのほとんどは儲からない。それは彼らも薄々気づいている。では、どうして儲からないというのが分かってもギャンブルから離れないのか。
それは、ギャンブラーの多くは全戦全敗ではなく、「何度か大穴を当てている」からである。その時の強烈な高揚感、脳を変容させるほどの「成功の快感」が刻まれて忘れられなくなってしまうのだ。
すべてのギャンブルはそうだ。パチンコでもそうだし、FX(為替証拠金取引)でも、そうだし、株の信用取引でもそうだが、99.9%の人間は無数の取引の中で「成功の快感」を得る。
100万円で10回取引して、1取引10万円ずつ賭けて90万円負けても1回が50万円の儲けだった場合、50万円を勝った「成功の快感」が刻み込まれ、90万円も負けていることは度外視される。
50万円勝っても90万円も負けているのであれば「やる価値はない」と思うのだが、50万円を買ったという「成功の快感」は、もはや正しい損得勘定よりも優先されるようになっていくのである。
それが「ギャンブルにのめり込む」という状態だ。
ギャンブラーはよりギャンブラーになっていく
ところで、この「成功の快感」がいくら強くても、ギャンブルにのめり込んで生活すら破綻しかねない状況に陥ると、もはや「成功の快感」では成し遂げ慣れないほどの不快感を味わうようになる。
「ギャンブルの損はギャンブルで取り返せ」
「相場の損は相場で取り返せ」
このような声に押されて、ギャンブラーはどんどん深みにはまる。ギャンブルから離れられないのに、どんどん苦境に落ちていく。そうなると、どうなるのか。
興味深いことに、ギャンブラーはよりギャンブラーになっていく。
ギャンブルから離れて真っ当になるとか、正業で地道に稼ごうと思うのではない。得した時の快感よりも損した時の不快感が深まっていくと、ギャンブラーはよりリスクの高い取引にのめり込むのだ。
これがギャンブラーが無意識に思う心理状態である。自分が追い詰められてどうしようもなくなった時、ギャンブラーはこのように考えるようになる。
「もう後がない。それなら、最後に大勝負に出てすべてを取り返そう」
損をすればするほど、追い詰められれば追い詰められるほど、リスクの高い選択をするのがギャンブラーであり、人間なのである。この最後の大勝負は確率から見るとどうなのだろうか。
何度も何度も勝負して、そこまで追い詰められてしまったのであれば、確率論から見ると最後の大勝負も負ける可能性は高い。勝てるかもしれないが、勝ってもまぐれでしかない。
実際には「大勝負に出てすべてを取り返そう」と考えている時点で勝負は負けているのだが、負けを認められないでいると最後に自爆することになる。そのような状況に追い込まれている人は、ギャンブラーとしての資質はない。
ひとりよがりな希望であり、夢想であり、願望
普通の人が、サラリーマンを40年続けて10億円を儲けることは確率としてゼロに近いところがある。しかし、ギャンブルで10億円を儲けることができる確率はゼロではない。確率は壮絶的なまでに低いのではないのだが、「ゼロではない」というところがギャンブラーを惹きつける。
大金が稼げる「可能性がある」というのがギャンブルの醍醐味なのだが、大金を稼げない確率の方が途方もなく高いというのがギャンブルの現実である。
宝くじの当たる確率は1000万分の1だとしても買う人がいるのは「大金を稼げる確率が低くてもゼロではない」という部分に賭けているのである。
以前、宝くじを買い続けている人から「宝くじは買わないと当たらないのだから、買わない方が馬鹿ですよね」と言われたことがあった。
宝くじを買わない私は「当たると思うなら貯金を全部はたいて宝くじを買ったらどうですか?」と言ったら「当たらなかったらどうするんですか?」と逆にいさめられた。「当たらないんですか?」と訊ねたら「そう簡単に当たりませんよ」と宝くじを買っている人が買ってない私に言うのだった。
当たらないと言うのであれば買わなければいいのだが、「ゼロではない」というところに心が揺れるのである。「当たるわけがないが、ひょっとして」と思ってやっているのが分かる。
この「ひょっとして」というものの正体は、ひとりよがりな希望であり、夢想であり、願望である。
人間は可能性が低くても「ひょっとして」という心理があれば、そこに望みを託してしまう性質がある。ギャンブラーはこの「ひょっとして」という思い込みがかなり強固に脳に刻み込まれてしまっている人であると言える。
この「ひょっとして」に寄りかかるのは、現実感を喪失する危険な一歩だ。ギャンブルにのめり込み、負けが込んでいる人がやがて現実感を見失っていくのは、そういうところにも理由がある。
『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」(ダン・アリエリー)』
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