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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100437
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100437.html
[番外地8] 三橋貴明先生は嘘が大嫌いだそうですが、三橋貴明先生の歴史の話は全部嘘八百です
三橋貴明先生は嘘が大嫌いだそうですが、三橋貴明先生の歴史の話は全部嘘八百ですね。特に

日本人が縄文人の子孫だとか
アイヌ人は先住民ではないとか
神武天皇の東征は紀元前だったとか
天皇家は万世一系だとか
南京大虐殺は無かったとか
従軍慰安婦は売春婦だとか
国際金融資本家・ユダヤ資本家は共産主義者だとか
左翼は新自由主義者・グローバリストだとか
近衛文麿は共産主義・国際金融資本のエージェントで、絶対に勝てない太平洋戦争を開戦させた

はすべて悪質な嘘です。例えば

最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無文土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。
縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無文土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語
というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族浄化

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

そもそも縄文人は日本全体で僅か10万人、西日本はほぼ無人、しかも山奥にしか住んでいなかったので日本人と混血なんかしないのですね。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/480.html

[番外地8] 従軍慰安婦は売春婦として認可されない 13才、14才から働き始めているので売春婦では有り得ない

全部右翼の流した悪質な嘘だよ。
従軍慰安婦は売春婦として認可されない 13才、14才から働き始めているので売春婦では有り得ない

従軍慰安婦は 13才、14才から慰安所で働き始めている。
18才以下の売春婦は法的に認可されていないから、例え本人や親が承諾していたとしても悪質な法律違反になる。
従って、従軍慰安婦は売春婦ではあり得ない。


いいかげん慰安婦募集の新聞広告を持ち出すことはやめるべき - 法華狼の日記

実際には、日本の歴史学者も以前から従軍慰安婦問題の重要な資料としてあつかっている。韓国政府固有の問題であるかのような主張は、勉強不足と告白しているようなもの。

そして問題は、事実上の拘束であった「前借」だけではない。

両方の広告によく目をこらしてほしい。一方は17歳以上から23歳まで、もう一方は18歳以上から30歳までの年齢を募集している。そう、売春が合法であった当時でも、未成年であれば違法だった。

どうして年齢についての記述を無視できる人がこれほどいるのか、私には理解できない。たとえ当時に未成年売春が合法であったとしても、対外的に誇らしげに見せられる内容でないことは、歴史にくわしくなくても明らかだろう。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120823/1345735929


▲△▽▼

従軍慰安婦は売春婦か?

日本の戦争責任資料センターの声明では

「未成年の少女の場合、慰安所での使役は強制でなく本人の自由意志による、と主張することは、当時日本が加盟していた婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約に照らしても、困難である」

となっています。 又日本国内から慰安婦を徴募する場合は21歳以上の経験者にかぎるという法律があったと思います。

未成年を慰安婦として渡航されたことが確認できる公文書は、米三機密第353号「支那渡航婦女の取扱に関する件」と「渡支事由証明書等の取寄不能と認められるる対岸地域への渡航者の取扱に関する件」などでした。年齢がそれぞれに「15・16・17歳」と「14・15・16・18歳」になっています。

研究書に収録された元慰安婦の証言データ(1)c ho usen 人慰安婦


出典:「日本の軍隊慰安所制度とc ho usen人軍隊慰安婦」表2−1,4−16,4−19,4−30より全42人43件(文玉珠は2回慰安婦になっている)

注:徴集年は19XX年、徴集形態は尹明淑の記述による(拉致:暴力による連行、就業詐欺:いい仕事があると騙して連れ去るもの、強制は命令された・逆らえなかったなど、徴集地で特記なきはすべてc ho usen。

名前 年齢 年 徴集形態 徴集人 徴集地 慰安所の場所

崔イルレ 15 1931 拉致 軍人 霊岩 満州

陳キョンベン 16 1939 拉致 軍人 狭川 基降(台湾)

鄭学珠 14  1938 拉致 軍人 釜山 ハルピン

文玉珠1 16 1940 拉致 軍人 大邸 東安省(中国)

姜ムジャ 13 1941 拉致 軍人 新馬山 パラオ諸島コロール

林グマ 16 1939 就業詐欺 民間業者 漢口(中国) 漢口(中国)

李相玉 14 1936 就業詐欺 民間業者 京城 パラオ

金春子 16 1939 就業詐欺 民間業者 清津 東安省(中国)

洪愛珍 14 1942 就業詐欺 民間業者 統営 上海

李玉粉 11 1937 誘拐・詐欺 民間業者 蘆山 台湾

金ブンソン 15 1937 就業詐欺 民間業者 漆谷 台湾

金ボットン 15 1941 詐欺・強制 民間業者 梁山 広東


*1朱徳蘭はこういう項目では分類していないが本文中で、日本人警察官により雑益に強制的に徴集された後、毎日性の相手を無理させられる様になったことが記述されている。
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs/15?from=1

▲△▽▼

c ho usen での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。

現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。

もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。


慰安婦の徴集のやり方について、間に c ho usen 人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。

しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/481.html

[番外地8] 日本は当時の未成年者の売春を禁止する国際条約に加盟していたから、未成年者を売春婦にしたら死刑相当の重罪だったんだよ
日本は当時の未成年者の売春を禁止する国際条約に加盟していたから、未成年者を売春婦にしたら死刑相当の重罪だったんだよ。
それで終戦直後に、死刑にならない様に慰安婦関係の書類をすべて焼却したんだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/482.html
[番外地8] アメリカ合衆国の歴史教科書では、 最大で30万人もの14-20歳の女性たちを 強制的に徴集して性行為を強要した
こういうのは売春とは言わないんだよ:
東京裁判に提出された慰安婦関係資料に基づいた歴史学の定説

アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、

最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている。

さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/483.html

[番外地8] アメリカ合衆国の歴史教科書では、 最大で30万人もの14-20歳の女性たちを 強制的に徴集して性行為を強要した 中川隆
1. 中川隆[-10852] koaQ7Jey 2020年10月14日 20:44:42 : qeoz4h8Nwg : dm1xMUg1aTVyQWc=[25]
​ @Sony Toyota
こういうのは売春とは言わないんだよ:
東京裁判に提出された慰安婦関係資料に基づいた歴史学の定説

アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、

最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている。

さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは k ankoku と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が k ankoku 出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/483.html#c1

[番外地8] 日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書

だから東京裁判への提出資料で慰安婦が強制連行されていたのが明らかになったんだよ:
日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。


 東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。

 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。

 オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。

 彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」

 46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。

 44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。

 「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」

 フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。

 中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、

「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」

と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、

「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」

と認定している。

 一連の資料について林教授は

「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」

と話している。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/484.html

[番外地8] 東京裁判は昭和天皇の戦争犯罪を陸軍軍人に肩代わりさせる為にやったんだよ
東京裁判は昭和天皇の戦争犯罪を陸軍軍人に肩代わりさせる為にやったんだよ
南京大虐殺や慰安婦強制連行や731部隊の生体実験は昭和天皇の命令でやったものだから、表立って取り上げなかったんだ。
日本国憲法も昭和天皇を死刑にしなくてもいい様に、天皇を国家の象徴にしたんだ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/485.html
[番外地8] c housen からの渡来人の天皇は平安時代まで百済語で話していた。宮廷語は8母音で日本語は5母音だから全然違うよ。
c housen からの渡来人の天皇は平安時代まで百済語で話していた。宮廷語は8母音で日本語は5母音だから全然違うよ。
そもそも万葉仮名とかカタカナは漢文を日本人が使っている日本語に翻訳する為に開発されたんだよ。:
飛鳥〜平安時代頃、日本には各地域の方言の外に「宮廷語」があった。
『万葉集』『記紀』はこの「宮廷語」によって書かれ、作者は漢字を自在にあやつることができる宮廷の知識層、朝廷にかかわって働くエリートであった。
大和朝廷で働いていた人たちの生活の本拠地は「飛鳥」で、『続日本紀』『姓氏録』によれば、飛鳥地方の住民の80〜90%はxx人であったという

飛鳥地方を中心に活躍していた聖徳太子は蘇我氏(xx人―当時の実質天皇)の一族で、妻も蘇我氏の人である。

日本で最初に建てられた寺院「飛鳥寺」は蘇我氏の氏寺で創立者は蘇我馬子である。

明日香村にある日本最大級の横穴式古墳「石舞台古墳」の埋葬者は蘇我馬子ではないかとされている。有名な「高松塚古墳」は明日香村にあり、中に描かれた彩色壁画の婦人像の着衣は古代xx人の服装そのままである。

なぜ「飛鳥地方で使われていた言葉はxx語(主に百済語)であった」と言われているか、下記に列挙した研究者の言葉を見れば一層その信憑性に気づくのではないだろうか。

※「飛鳥における政治の実権は蘇我氏(xx人)の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」 (亀井勝一郎他)

※「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であ
った。宮中では百済語が使われていた。古事記・日本書紀は百済の学者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。
(金容雲 日韓文化交流会議の韓国側代表)

※ 日本書紀は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。 (上田正昭らの対談集)

※ 飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)

※ 平安時代までの日本文化は外国のもの。日本の王朝文化は百済と同じ。
(司馬遼太郎・丸谷才一 他)

※ 半島からのエリート集団の集中的移住が宮廷文学を開花させた。
(国弘三恵)

※ 唐への留学僧は百済人であった。当時の僧侶の言葉は百済語であった。
(金達寿 司馬遼太郎 上田正昭らとの対談集)

司馬遼太郎は「平安時代までの日本の文化は外国のもの、日本らしくなったのは鎌倉時代になってから」と述べている。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/486.html

[近代史5] 中央銀行による金融緩和と政府による現金給付を紙幣印刷で無理矢理支えるために金融市場に膨大な資金を流し込めば、噴き上がるのは株式だけではない
中央銀行による金融緩和と政府による現金給付を紙幣印刷で無理矢理支えるために金融市場に膨大な資金を流し込めば、噴き上がるのは株式だけではない


金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰
2020年10月14日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801


新型コロナウィルスへの対応のために日本やアメリカの政府は現金給付を行なっているが、金融の専門家たちはこの対応が物価の高騰を生むのではないかと心配している。

アメリカの実体経済にその気配が現れたことは先日記事にした通りである。

米国経済、個人消費が鈍化、インフレは止まらず
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11782


しかし実体経済を先読みすることの多い金融市場では状況は更に進んでいる。今回の記事では世界の金融市場がインフレをどう考えているのかを見てゆきたい。

新型コロナで企業利益が落ち込んでいるにもかかわらず、株式市場は息を吹き返した。以下は米国株のチャートである。


その原因は中央銀行による金融緩和と政府による現金給付にある。しかしGDPが5%も落ち込むと推計されている大不況を紙幣印刷で無理矢理支えるために金融市場に膨大な資金を流し込めば、噴き上がるのは株式だけではないはずである。

コモディティ市場の高騰

まず上がったのはゴールドである。株式はようやくコロナ前の水準まで戻ったが、金相場はコロナ前の水準を大きく超えて上昇している。


金の値段が上がったために歯科治療に大きな支障が出ている。しかしここまではまだ良いだろう。金は実用されるケースが少なく、ほとんどは投資用として保有されるだけで、歯科治療など一部の例外を除けば社会の大半には影響を与えることはないと言える。

しかし仮に5%もの景気後退(リーマン・ショック時でさえその半分程度だった)を紙幣印刷で無理矢理支えられてしまうとすれば、その資金は株式と金を噴き上がらせるだけに留まることがない。

他のコモディティも上昇開始

原油価格も回復した。金ほどの噴き上がりではないが、いまだ飛行機もほとんど飛んでいない中でここまで回復したことが奇跡と言える。


しかしこれはまだ序章である。次は銅価格のチャートである。


ここまで来ると実体経済に影響を与え始める。銅は電線や建設資材に使われるからである。ホテル業などがまだ低迷しているため不動産市況は悪化しているが、建設費用が高くなることになる。他の金属も上がっており、建設業と住宅購入者はますます厳しくなるだろう。

更に日常生活に身近なコモディティを挙げてみよう。砂糖である。


次はコーンである。


次は大豆である。


ここまで来れば投資家ではない素人でも危機感を覚えるのではないか。米国政府と日本政府による現金給付が日用品の価格を上げ始めている。株式市場のバブルが金相場だけにとどまらず、普段人々が使うような品物の価格までも上げ始めているということである。

結論

最大の問題はバブルが日用品に波及してインフレになっても人々は困窮し、バブルが崩壊して株式と日用品の価格が暴落しても人々は困窮するということである。行くも地獄、帰るも地獄ということになる。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473


ざっくりとした言い方になるが、2021年はかなり酷い年になるのではないか。投資家の読者のみならず、投資をしていない読者にも警戒することをお勧めしたいものである。浪費は禁物ということだろう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/332.html

[番外地8] アイヌ文化は縄文人とトビニタイ文化が融合しただけというのが定説

アイヌ文化は縄文人とトビニタイ文化が融合しただけというのが定説だよ。 樺太からの移住なんかなかった:

アイヌ民族・文化の形成過程は、日本列島だけでなくアジア北東部を対象とする歴史学や人類学にとって主要な研究課題の一つとなっています。この問題に関しては、これまで考古学・歴史学・民族学・自然人類学などさまざまな分野において取り組まれてきました。アイヌ民族の起源に関しては、縄文時代の集団に直接的にさかのぼり、アイヌ民族は北海道「縄文人」の「直系」で「純粋な子孫」である、というような説が、一般層に浸透しているだけではなく、学界でも一定以上の支持を得てきました。しかし、こうしたアイヌ民族・文化の起源に関する言説は、遺伝学や自然人類学などにより今では否定されています。中世併行期の北海道には、遺伝的にも文化的にも異なる系統の集団によって担われていた、擦文文化とオホーツク文化が並存していました。これらの文化の考古資料の性格はひじょうに異なり、それぞれの担い手の集団も遺伝的に異なっていた、とすでに1930 年代には指摘されていました。そのため、これらの異系統集団・文化が、中世併行期以降のアイヌ民族・文化の形成にどのように関連しているのか、注目されてきました。

擦文文化とオホーツク文化は、700〜900年頃に北海道で並存していましたが、それぞれ異なる生活圏に分布し、基本的には相互交流などの接触関係はひじょうに限定的でした。しかし、10世紀頃に両文化は急激に接触融合していきます。また、こうした接触融合は、北海道の東部と北部で別々に進展した、と考古資料から確認されています。本論文は、資料的にも豊富で研究の蓄積が進んでいる、トビニタイ文化と考古学的に設定された北海道東部の事例に焦点を当てています。トビニタイ文化は、オホーツク文化が擦文文化から人工物や生産・生業技術や居住パターンや生計戦略などの数々の要素を段階的に受け入れ、最終的に擦文文化に吸収・同化されていく移行段階と推定されています。たとえば、トビニタイ文化集団は、最初期のトビニタイ土器を、オホーツク文化の製作技術を用いて、擦文式土器の模様・装飾・器形を模倣して製作していましたが、最終段階ではその技術を完全に習得し、擦文式土器そのものとしか判断できないものを製作するようになります。同様の現象は、住居構造や道具組成などでも確認されています。これらの事例から、トビニタイ文化は、最終的には少なくとも物質文化側面では、擦文文化そのものと区別がつかないものになります。


 一方、擦文文化の側には、オホーツク文化と接触融合し、トビニタイ文化を形成する証拠や動機は確認されていません。そのため、トビニタイ文化は、オホーツク文化側が積極的に擦文文化に同化吸収された過程と想定されています。遺伝学でも、考古資料から導かれたオホーツク文化集団の擦文文化集団への同化吸収が確認されており、現在のアイヌ民族はオホーツク文化集団の遺伝子を相当な割合で継承している、と明らかになっています(関連記事)。北海道東部におけるオホーツク文化と擦文文化の接触融合が起きた理由として、環境変動や政治社会的影響などが提示されています。しかし、そうした仮説の大部分は、具体的かつ充分な考古学的証拠に基づくものではない、と指摘する本論文は、考古資料から両文化の接触融合の要因を検証できる対象として、トビニタイ文化の鉄器を挙げています。

 まずトビニタイ文化の鉄器に関しては、その形態的特徴に基づいて、オホーツク文化から擦文文化に類似するものに置換した、と指摘されています。つまり、トビニタイ文化における鉄器の供給源は、アムール河流域を中心とする北方経路から、本州以南からの南経路に移行した、と推測されます。またオホーツク文化の分布圏は、本州以南の鉄器供給経路と直接的には接していないため、擦文文化を介して鉄器を入手していたと推測されます。もしそうだったなら、北海道東部のオホーツク文化集団は、日常生活を営む上で不可欠な鉄器の安定供給を確保するため、擦文文化との関係性の構築が不可避となり、両文化集団の接触融合が進んだ、と考えられます。こうした接触融合は、オホーツク文化の期間よりも遥かに多くの量の鉄器をトビニタイ文化集団に安定的に供給し、その結果として、日々の社会生活を維持するために不可欠な道具のほとんどを石器から鉄器に置き換えることができた、と推測されます。

 こうした歴史展開を踏まえると、北海道におけるオホーツク文化集団もまた、アイヌ文化形成の潮流に関与している、と理解できます。なぜならば、「原アイヌ期」とされる擦文文化期から中世アイヌ期への移行は、「本土」における交易ネットワークと地域分業への統合過程に起因すると想定されるからです。つまり、遺伝的・文化的に擦文文化集団と異なる系統とされるオホーツク文化集団の消長もまた、アイヌ文化形成の展開のなかの一潮流に統合される、という理解が可能となるわけです。

 本論考は最後に、アイヌ文化形成におけるオホーツク文化の役割について考察しています。オホーツク文化のなかには、中世以降のアイヌ文化形成において重要な関与を果たし、現在までのアイヌの文化遺産として引き継がれている要素が少なからず指摘されています。その最も顕著な事例の一つとして、イオマンテと呼称されるクマの送り儀礼が挙げられます。この儀礼は、アイヌ社会において最も重要な文化的実践とみなされています。しかし、現在まで擦文文化には、クマ送り儀礼の痕跡と言えるような考古資料はきわめて限定的にしか確認されていません。これに対してオホーツク文化の遺跡からは、クマなど動物の送り儀礼に関連すると推察される遺物や遺構が数多く検出されています。この他、アイヌ民族・文化の言語や象徴実践などにも、オホーツク文化に由来すると推察される痕跡が少なからず指摘されています。

 こうした事例から、オホーツク文化集団は、遺伝的にも文化的にもアイヌ民族・文化のもう一つの源流である、と理解できます。この見解は、従来、縄文文化・時代から直接的かつ単線的に語られてきたアイヌ集団の歴史に対する再考と新たな展望を開くものとなるだろう、と本論文は指摘します。さらに本論文は、資料的に限定された先史考古学にとっても、時間的に限定された民族誌調査にとっても、アプローチが困難な異系統集団の接触・融合の仮定と要因を追究する上で、擦文文化とオホーツク文化は有用な参照事例となるだろう、との見通しを提示しています。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_24.html
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/487.html

[番外地8] c housen からの渡来人の天皇は平安時代まで百済語で話していた。宮廷語は8母音で日本語は5母音だから全然違うよ。 中川隆
1. 中川隆[-10851] koaQ7Jey 2020年10月14日 23:12:47 : qeoz4h8Nwg : dm1xMUg1aTVyQWc=[26]
とにかく、奈良時代と平安初期までの皇族の言葉は8母音なので日本語ではないです。
奈良時代の東言葉は5母音だし、アイヌ語・琉球語も5母音なので、皇族は日本人ではないんですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/486.html#c1
[番外地8] 秦氏の Y-DNA は O1 で長江稲作民だし 中国のキリスト教(景教)はペルシャ人が伝えたものだし
秦氏の Y-DNA は O1 で長江稲作民だし
中国のキリスト教(景教)はペルシャ人が伝えたものだし
秦の政治体制はペルシャと同じだし
中国にはペルシャのソグド人やアーリア人(R1a)は入っていたけど、ユダヤ人(J2, E1b) は入っていません。

そもそも農耕民のユダヤ人が中国に来る訳ないですね。 アラブ人はユダヤ人と遺伝子が全く同じなので、来るとしたら遊牧民のアラブ人ですが、その形跡もゼロですね:

中国人にも日本人にもユダヤの血は全く流れていません

ユダヤ人の(Sephardi)のY-DNAは
E1b : 19.2%(ラテン人), I : 11.5%(クロマニヨン人), J : 28.2%(セム人), R1b : 29.5% (ゲルマン人)

中国人の Y-DNAは
O2 53.3% : k an民族系 、O1 24.5% : 長江系稲作民 、C2 7.8% : 満州人・モンゴル人、 N 6.9% : トルコ系

日本人の Y-DNAは
D1a2a–32% :焼畑農耕民、O1b2-32% :長江系稲作民、O2—20%(旧表記O3):k an 民族系、C2—-6% :縄文系、C1—-5% :縄文系


従って、日本人にも中国人にもユダヤの血は全く流れていません


田中英道先生は埴輪の飾りがユダヤ起源だとか、またレベルが低い妄想を垂れ流していますね(呆れ)

ユングの集合的無意識の研究で今はもう常識になっていますが、無意識はどんな民族でも同じなので、同じイメージが全く関係無い民族でも出て来るんですね:

「集合的無意識」という概念

これは、私たちの無意識の深層に存在するもので、国や民族を超えて人類全体に共通して存在するものだと考えられています。普遍的に存在する「無意識」全ての人類に共通して存在すると言われている「集合的無意識」。

でも、ユングはなぜ、「人類に共通して」と言い切る自信があったのでしょうか? その答えの一つが、「マンダラ」です。

マンダラは、仏教の世界観を表現した円形の絵。祈祷の道具に使われたりもしますので、みなさんも1度くらいは目にしたことがあるのではないでしょうか?

そのマンダラと、ユング自身が描いていた絵との間に大きな共通点があったのです。この発見を機に、ユングは東洋哲学の研究にのめり込んでいきます。

また、西洋と東洋それぞれに伝わる神話や伝説には共通したテーマを扱った物も多いことから、洋の別を問わず人類の心の奥深くには「共通した何か」があると考えたのです。

例えば、「太陽を崇拝する」というテーマや自然に「母性」を見出すというテーマ…etc。

これらのテーマを生みだす根底にあるもの、それが「集合的無意識」なんですね。

意識や個人的無意識よりもさらに深いところにある層で、民族や国家、人種を問わず普遍的に存在しています。

集合的無意識の役割とは?ユングによれば、私たちが「自分」を認識できるのもまた、この「集合的無意識」が存在するからなのだとか。

確かに、無意識・普遍的に共有できる「何か」がなければ、自分が生きる価値を見いだすこともできないでしょうし、他人と話をしても通じないような気がしますよね。

遠い昔の民話や伝説から学ぶことが多いのも、世代が違う人と会話できるのも、国籍が違う人との間に会話が成立するのも、(言語の壁をクリアすれば、の話ですが…)普遍的に共有できているものがあるからなのかもしれません。 そういったベースがなければ、会話は全く噛み合わないでしょう。

「集合的無意識があるからこそ、人は自分自身とも他者とも対話・理解し合えるのだ」
と言うユングの説はごもっともですね。

▲△▽▼
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日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか? 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/488.html

[近代史4] 醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった? _ アメリカはわざと日本人を飢えさせた
醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった? _ アメリカはわざと日本人を飢えさせた


2020年10月15日
醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?

空襲でホームレスになり上野駅に避難した人達

引用:http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/d/3df4faa4-s.jpg

アメリカはわざと日本人を飢えさせた

テレビや映画や小説では「戦後」は美しいものの同義語で語られていて、まるで理想郷のように描かれている。

そこでは貧しいながらも人々は協力して生き、戦後の復興をなしとげたとされている。

またGHQは困窮した日本人に食料を支給して助け、民主主義を与えたとも言われている。

こうした物語は映画やドラマの中だけで十分であり、事実とは程遠いか、正反対だった。

GHQは日本人に食料を与えるどころか奪い取ってわざと飢えさせて、日本人を従わせる手段に用いていた。

戦争前後は食糧難だったのはよく知られているが、戦時中に日本国内で(朝鮮台湾でも)飢えて亡くなった人や、その危険はなかった。


都会の人は空襲で疎開したが、農村には食べるものがあり、十分ではなかったが飢餓状態などではなかった。

それが戦争が終わって平和になり、アメリカ軍が占領したら食料が足りなくなり、「来年は1000万人が食糧不足で亡くなる」と総理大臣が警告する事態になった。

多くの要因があるが最大のものはアメリカ合衆国自体で、戦争の報復としてわざと日本人を飢えさせていました。


占領軍による妨害で日本は食糧の輸入ができなくさせられ、生産活動も制限され、経済破綻しました。

農業も経済の一部なので、国が経済破綻すると農業生産が停止して、食糧不足に陥ります。

終戦の昭和20年から昭和25年まで、日本はほとんどの工業生産を禁止され、前近代社会になりました。

経済破綻するように仕向けた

戦前から存在する設備を更新することは出来ず、農業生産に支障を来たし、外地に出兵した男達は中々帰ってきませんでした。

「戦争が終わって平和になった」と書いたが、そのこと自体が日本経済を破綻させる原因を作り出しました。

戦争中はあらゆる兵器をフル生産していたが、それが8月15日を境に全面停止になり、一切の生産活動が停止した。


困った日本政府は紙幣を印刷して「金融緩和」したが、激しいインフレを引き起こしました。

物を生産していないのにお金だけばらまいたからだが、当時の日本政府は他にどうする事もできなかった。

あらゆる工場が全て操業停止、鉄道は空襲で破壊しつくされ交通網が分断され、労働者たる男達は外地に居るか戦犯として逮捕されていた。


空襲によって東京など都市部の多くの人は家を失ってホームレスになっていて、路上や公園などで生活していました。

この頃アメリカ本国では、日本人のこうした窮状を伝えては「楽しんでいた」のが分かっています。

自分たちが倒した敵が飢えて苦しんでいるのを見て面白がっていたのが、本当の戦後の世界でした。


一例として占領軍は広島や長崎の被爆者を診療したが、治療をせずに「治療するふり」をして、どのように悪化するか観察しました。

生産活動が禁止され輸入も禁止されているので、復興が進まずホームレスが溢れているのも、無論そうなるように仕向けていました。

さらに占領軍は日本人同士が憎み会うように、心を破壊する政策を実行していました。


アメリカは日本人の食料を絞り上げた上で、自分の手で少し援助した。
援助を受け取った人達はアメリカに感謝し日本を憎むよう仕向けられた。
enjo
引用:http://blog.nihon-syakai.net/blog/wp-content/uploads/img2011/enjo.jpg

美しくない戦後

NHKというラジオ放送局(当時唯一のラジオ)で「真相はこうだ」という日本軍や戦前の日本の暴露番組を放送させました。

内容は日本軍がいかにアジア人や欧米人に酷い事をしたかという物だったが、内容は全て嘘だったのが分かっています。

だが当時の日本人はこうした「真相」を信じ、日本人同士で憎みあったり攻撃するようになりました。


愚かなことに「こんな酷い日本を倒してくれて有難う」「原爆を投下してくれて感謝します」とアメリカ軍に感謝する連中すら大勢居た。

人々は最初アメリカ軍を鬼畜だと思っていたが、食料を恵んでくれるので、感謝するようになっていった。

実は占領軍はわざと食料を絞り、日本人を飢えさせてから、犬を手なずけるように「餌」を与えていきました。


学校では子供たちに「日本は悪の国」「アメリカは正義の国」と教え込み、拒否する教師は戦犯として逮捕しました。

じゅうたん爆撃や原爆で数百万人が犠牲になり、本来なら犯人であるアメリカ人を憎むべき所なのだが、次第に日本のせいだと思い込むようになった。

終戦時に外地には日本軍数百万人が存在したが、ソ連や中華民国の捕虜になった日本兵は、洗脳した順番から帰国を許された。


集団学習や反省、謝罪(今日使われるような軽い意味ではない)などで日本は悪の国と教え込み、拒否したものは永遠に帰国できなかった。

アメリカ軍の捕虜になると多少ましだったが、戦犯として裁かれ、やはり徹底して「日本は悪の国」と教え込んだ。

こうして「日本に原爆を落としてくれて有難う」などと言う日本人が大量生産され、この人達が現在の左翼になっていきます。


この状況が1948年まで続き、1950年に朝鮮戦争が勃発して、急にアメリカは日本の工業力や日本軍の軍事力を必要とするようになります。

ここから日本側の発言力が強まって復興へと繋がっていくのだが、戦後数年間の占領が長く日本を蝕むことになります。
http://www.thutmosev.com/archives/72011631.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1104.html

[近代史4] 醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった? _ アメリカはわざと日本人を飢えさせた 中川隆
1. 中川隆[-10850] koaQ7Jey 2020年10月15日 09:01:32 : O4DetySqsQ : ZG9KcVZaVUpyTEE=[2]
敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者


2017-06-20
朕はたらふく食っていた ― 食糧メーデー当時の宮中の献立
https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427

敗戦前まではいなかった内地日本人の餓死者

意外に思われるかも知れないが、アジア太平洋戦争の後半、補給を無視した無謀な作戦により各地で日本軍兵士が続々と餓死(戦病死=栄養失調死)していった一方で、確かに食糧不足に悩まされていたとはいえ、敗戦に至るまで内地の日本人からは一人も餓死者は出なかった。占領地域から略奪した米などが大量に入ってきていたからだ。[1]

 日本内地の一人あたりカロリー消費量は1931〜40年を100として、44年86、45年66と低下した。公定価格を数十倍から100倍以上上まわる闇取引が横行した。
 しかし敗戦までに日本内地で、餓死した日本国民は一人もいない。日本人の主食は、外米を確保することで少なからず補われた。その外米の主要な供給地の一つは仏印(ベトナム)であり、先にみたように日本による米の略奪が主因となって、死者100万〜200万人という大飢饉が発生した。餓死者100万〜200万人対ゼロという両者の隔絶と因果関係を見落としてはなるまい。

日本人は、200万人のベトナム人の命の米を、「外米」「南京米」などと呼び、「まずい」「臭い」と文句を言いながら食っていたのだ。

1946年の食糧危機
しかし、こうした収奪は降伏の瞬間から不可能になる。

敗戦の翌年、1946年に入ると、日本の食糧事情は急速に深刻さを増していった。1945年の米の収穫高は3916万石(587万4千トン)と、前年の2/3しかない凶作だった上、海外からの引揚者や復員兵で必要量は増える一方だったからだ。年明けから食糧事情は急速に悪化し、配給は遅配・欠配が続いた。闇では金さえ出せば食料は手に入ったが、45年10月時点で既に米1升が70円と、普通の労働者(月給数百円程度)が買えるような価格ではなくなっていた。[2]

結果、都市部では餓死者が続出した。最も悲惨だったのは戦災孤児、ついで空襲による被災者たちだ。食料を確保するには田舎に買い出しに行くしかないのだが、家を焼かれた彼らには食料と交換できる金も品物もなかったからだ。東京都世田谷区にあった旧陸軍砲兵隊の兵舎を転用した戦災者住宅では、「栄養失調で毎日のように一人、二人と死者が出た。兵舎のゲタ箱をこわして、お棺をつくり、仏サマをみんなしてリヤカーで火葬場に運ぶのが、町会役員の日課みたいになっていた」という。[3]

 戦災者住宅の周囲には、ヘビ一匹、カエル一匹いない、といわれた。だれかがとって、食べてしまうからだ。雑草もセリ、ヨモギなどはもちろん、アカザ、カンゾウ、スべリヒユ、ヨメナなど手当たりしだいに食用にされた。飢えにせっつかれる子供たちが、他人の家のゴミ箱をひっかき回して残飯をあさったり、果ては、家庭菜園の種イモまで掘り出して盗み食いすることすらあった。
(略)
「ビロウな話ですが、戦災者住宅の便所にはいったら、中の便が青い。みんな雑草ばかり食べていて、便までそんな色になっちゃってたんですね」
(略)
「私どもの戦災町会では、毎日一人、多いときは三人が栄養失調で死んでいます。きのうもオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら、一人の子供が死にました。(略)」

そんな中、1946年5月19日、皇居前広場に25万人が結集した「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が開催され、ここで「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げた松島松太郎氏(田中精機労組委員長)が「不敬罪」で逮捕されるという事件が起っている。

画像出典:昭和毎日「食糧メーデー」

朕はたらふく食っていた
この食糧メーデーの一週間前にあたる5月12日、前記の戦災者住宅を会場に、「米よこせ世田谷区民大会」が開かれた。約1,200〜1,300名が集まったこの大会では、(1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など18項目の要求を決議し、天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択した後、二手に分かれて抗議デモに移り、その一隊は皇居に向かった。[4]

 午後二時半、演壇に使われていたトラック二台に分乗して、皇居デモ隊が出発した。社会党本部を経由して、午後四時過ぎ、坂下門前へ。
「戦前、戦時の皇民意識から、まだ意識が百八十度変わってないころでしたからね、天皇の人間宣言のあととはいえ、天皇のイメージは、なお“雲の上の人”という感じでした。とにかくエライ人にわれわれの窮状を知ってもらうんだ、貧乏人を代表してテンノウへイカに直訴するんだ、という佐倉宗吾のような必死の思いで行ったんですね」
 と、山田※1はそのときの自分の気特を語る。(略)

(略)戦災者住宅住民からは、男たちでなく、かなりの数のオカミさんたちが、しかも子供連れをまじえて参加したのだが、その人たちの意識は、といえば、「デモのリクツなんか分からなかったけど、これでいいんだろうかという思いひとつでしたね。皇居の中の生活はどうなんだろうか、見られるもんなら見てみたい、という気持もあったし……皇居へ行けば、へイカがなにかくださるんじゃないか、というモノ欲しさで夢中でついて行った人も多かったみたいでした」 (有井※2)

※1 山田展吾(東宝撮影所労組委員長 当時29歳)
※2 有井タケ(戦災者住宅住民 主婦 当時26歳)

皇居坂下門に到着したデモ隊113名は、押し問答の末、皇居内に進入する。皇居にデモ隊が入るという空前の事態が実現したのだ。デモ隊は宮内省当直高等官室で「人民の声」を読み上げた後、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求する。



案内されたのはデモ隊が要求した「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省の職員食堂だったのだが、それでもそこに積み上げられた食料の豊富さは、被災者たちのど肝を抜くものだった。[5]

(略)五十坪ほどの調理場には、百二十人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ十五匹、スズキ一匹、サケ四匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ三、四十尾、大ブリ五、六尾、牛肉五、六貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ三つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。
(略)
 すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。

このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。[5]

お通しもの
平貝
胡瓜
ノリ
酢のもの
おでん
鮪刺身
焼物
から揚げ
御煮物
竹の子
フキ

このデモ隊に参加していた、ある主婦のその後を、有井氏が次のように語っている。[6]

 皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した鵜飼という姓の主婦がいた。戦災者住宅の住人だった。やせていた。皇居デモの時は、青白い顔でよたよたと、だがいちずに歩いた。デモのあと半年ほどして、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、生前の鵜飼が一日千秋の思いで復員を待っていた夫について、数年遅れの「戦死公報」が届いた。家族五人の死。有井タケから聞いた話である。

戦地で、また戦後の焼け跡で、「天皇の赤子」たちが続々と餓死していく中、その事態を招いた最大の責任者は、まさに「朕はたらふく食っていた」のだ。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.420
[2] 吉田健二 『松島松太郎氏に聞く(2)』 大原社会問題研究所雑誌535号 2003年6月 P.58
[3] 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社 1976年 P.10-12
[4] 同 P.12-13
[5] 同 P.15
[6] 同 P.17

https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/06/20/235427
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1104.html#c1

[近代史4] 東南アジアで日本は何をしたのか 林博史
東南アジアで日本は何をしたのか 林博史 
http://hayashihirofumi.g1.xrea.com/paper01.htm     

この原稿は、高校日本史教科書の出版社でもあった自由書房が高校教員や高校生向けに出していた月刊誌『時事教養』に2年間20回で連載を頼まれて書いたものです。ところが最初の1年間10回の連載が終わった時点で、『時事教養』が休刊(廃刊)になってしまったために、残りの10回分が宙に浮いてしまいました。ここに20回分全部を掲載します。毎回、短いコラムだったので参考文献も何も書いていません。ただこれがあったので『キーワード 日本の戦争犯罪』を書くときに役に立ちました。(10回分の掲載は、『時事教養』第692号、1994年4月〜第701号、1995年2月)   1999.4.1

  

1 東南アジア侵攻から始まったアジア太平洋戦争
2 近代の日本と東南アジア
3 マレーシア・シンガポール(上)
4 マレーシア・シンガポール(下)
5 インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)
6 タイ
7 ビルマ(ミャンマー)
8 泰緬鉄道
9 オーストラリア
10 資源の収奪と経済生活の破壊
11 インドネシア(上)
12 インドネシア(下)
13 フィリピン(上)
14 フィリピン(下)
15 「従軍慰安婦」
16 太平洋諸島
17 インド
18 日本の敗戦と各国の独立
19 賠償―解決されていない戦争責任
20 今日の日本と東南アジア


1 東南アジア侵攻から始まったアジア太平洋戦争

 

 日本の海軍機動部隊がハワイの真珠湾を攻撃したのは、一九四一年一

二月八日の朝三時二〇分(日本時間)だった。普通は、真珠湾攻撃によ

って太平洋戦争が始まったと言われている。しかし、本当にそうだろう

か。実は陸軍の精鋭部隊はマレー半島の東北部のコタバル沖に到着し、

この日の一時三五分に舟艇に乗って発進し、イギリス軍との戦闘の中を

二時一五分上陸を開始した。真珠湾攻撃に先立つこと一時間余り、この

マレー半島上陸作戦によってアジア太平洋戦争の口火が切られたという

のが、歴史の事実なのである。

 では、なぜ東南アジアのマレー半島なのか。日本は中国への侵略戦争

に行き詰まっていた。そして、中国から撤退せよというアメリカの要求

を拒み、石油や鉄の供給を止められてしまった。日本はあくまで戦争を

続けようとし、そのために必要な資源を確保するために東南アジアに目

を付けた。石油をはじめスズ、ニッケル、ボーキサイト、ゴムなど重要

な資源の宝庫だったからだ。ここを占領すれば、資源に困ることなく戦

争を続けられると日本の軍部や政府は考えた。

 ところが、フィリピンはアメリカ、マレー半島やビルマはイギリス、

インドネシアはオランダの植民地だった。これらの国々と戦わずに東南

アジアの資源を手に入れることはできない。ここに日本がアメリカやイ

ギリスを相手に戦争を始めた理由があった。つまり東南アジアを占領し

そこから資源を獲得することこそがアジア太平洋戦争の最大の目的だっ

た。

 東南アジアの軍事経済のかなめがシンガポールであり、まずここを占

領する必要があった。しかし、シンガポールには強力なイギリス軍がお

り、難攻不落の要塞といわれていたので、日本軍はマレー半島の背後か

ら攻撃することにした。そのためにマレー半島の東北部から上陸したの

だ。他方、真珠湾を攻撃したのは、米海軍に打撃を与え、アメリカが東

南アジア方面に出てこれなくするためだった。

 日本軍は半年のうちに東南アジア全域を占領した。一九四三年五月御

前会議は、現在のマレーシアとインドネシアの地域を「帝国領土」とし

「重要資源の供給源」とすることを決定した。もちろんこの決定は国内

外の人々には秘密だった。表向きは「アジアの解放」を唱えながら、実

際には日本の領土にするか、形ばかりの「独立」を与えて実質的に日本

が支配することを考えていた。

 日本が東南アジアで何をしたのか、ということは、アジア太平洋戦争

が一体何だったのかを理解するうえでもっとも重要な問題なのである。

この連載では、このことを歴史の事実に基づいて考えていきたい。

 なお最近では、中国や東南アジアへの侵略戦争であることを重視する

立場から、アジア太平洋戦争という呼び方が広まってきている。ここで

もそれを採用したい。

 

2 近代の日本と東南アジア

 

 東南アジアには各地に王国が繁栄していた時代があったが、一九世紀

後半にはタイを除くほとんどの地域がイギリス・フランス・オランダ・

アメリカの植民地にされた。明治の日本の指導者たちの目に映ったのは

、植民地にされた東南アジアの人々の姿だった。明治の初め、岩倉具視

を代表とし、伊藤博文、木戸孝允、大久保利通などその後の日本政府を

担う人物たちによる使節団が欧米諸国を回り、その途中、東南アジアに

も立ち寄った。その使節団の報告書には、欧米を日本のモデルとする考

えとともに、東南アジアは文明と無縁の怠惰な人々がいる所という見方

、日本の富強のために東南アジアの資源に着目する見方が示されていた

。言いかえると、東南アジアの資源を利用して日本の近代化(富国強兵

)を進め、怠惰な東南アジアの人々を蹴落として、欧米のような帝国主

義国にのしあがっていこうという考え方である。つまり「脱亜入欧」の

考え方である。

 一方、明治期は、貧しくて日本ではやっていけない庶民が行商人、雑

貨屋や「からゆきさん」と呼ばれる売春婦として、どんどん東南アジア

各地に出ていった時代だった。その人たちは、相手を見下すのではなく

、土地の人々と同じ庶民として付き合いながら生活を築いていった。

 ところが第一次世界大戦が始まってから、日本の工業製品、特に綿製

品や雑貨が東南アジアに輸出されるようになり、重要な輸出市場として

注目されるようになった。また東南アジアの石油や鉄鉱石などの資源も

日本へ輸入されるようになってきた。それにともない日本の商社員たち

が東南アジアに進出していった。新しく来た彼らは、前からいる庶民の

日本人を日本の恥のように扱い、同時に地元の人々を見下していった。

 アジア太平洋戦争の時に南方に向かう兵士たちに読ませるために陸軍

が作った『これだけ読めば戦は勝てる』というパンフレットがある。こ

の中には、「土人は懶けものが多く、……全く去勢された状態にあるか

ら之をすぐに物にしようとしても余り大きな期待はかけられぬ」と決め

つけている。「土人」という言い方は東南アジアの人々を見下したもの

だが、こうした見方が兵士たちに植えつけられていった。

 こうして明治の指導者たちが抱いた東南アジアへの見方は、日本の大

国化、軍国主義化につれて増幅されていった。日本の利益のためには、

勝手に占領し資源を奪い、そこに住む人々を酷使し虐待しても何とも感

じない、そういう感覚が日本人の中に広まっていった。東南アジアの人

々はそれぞれが独自の文化、宗教、芸術などを育てていたのだが、日本

人にはそうした豊かな文化を理解することができなかった。そういう意

味で、アジア太平洋戦争は、明治以来の日本の歩んだ道の行き着いた先

だったと言ってよいかもしれない。

 

3 マレーシア・シンガポール(上)

 

 一九四二年二月一五日シンガポールの英軍が降伏し、日本軍はマレー

半島全土を占領した。そしてすぐにシンガポールを昭南島と改名した。

マレー半島には、マレー人、中国人(いわゆる華僑)、インド人など多

くの民族が住んでいた。この中で華僑は祖国の中国が長年にわたり日本

に侵略されてきたことから、日本への反感が強かった。そこで日本軍は

華僑に対して最初から厳しい態度でのぞんだ。

 軍司令官の命令で、シンガポールの一八歳から五〇歳までの華僑の男

子が集められ、憲兵による検問がおこなわれた。二〇〜三〇万人はいた

と見られる人々をかんたんな質問や人相だけで「反日」的かどうかを判

断した。財産のある者や教師など学歴のある者はそれだけで「反日」的

と見なされた。「反日」と見なされた者はトラックに載せられ、海岸や

沼地に連れていかれて機関銃で射殺された。こうして虐殺された人は、

日本軍が戦後に弁明のために作った資料でも約五千人、シンガポールで

は約四〜五万人と言われている。

 このシンガポールの粛清に続いて、三月から四月にかけてマレー半島

全土でも華僑の粛清がおこなわれた。都市では、シンガポールと同じよ

うに成年男子が選ばれて殺された。しかし農村では、抗日ゲリラが潜ん

でいるとの理由で、村の人々が女性や子供も含めて皆殺しにされたケー

スが多い。たとえば、マレー半島の山の中の村イロンロンでは、三月一

八日に日本軍がやってきて村の人たちは学校に集められた。そこから二

〇〜三〇人ずつ連れ出され、銃剣で刺し殺された。当時八歳だった蕭招

□さん(女性)は、家族らと一緒に並ばせられたところを日本兵に銃剣

で刺された。おかあさんが彼女をかばって上にかぶさってくれたおかげ

で左足を刺されただけで生きのびることができた。しかし両親と弟妹三

人を殺され、家族では彼女一人しか残らなかった。このイロンロンでは

約一千人近い人が殺された。ゲリラは実際にはイロンロンの奥のジャン

グルの中にいたのだが、日本軍は村人みんなを反日的とみなして殺した

のである。

 マレー半島のいたるところでこうした粛清=虐殺がおこなわれ、その

犠牲者数は、数万人あるいは一〇万人以上になると推定されている。

 その後も日本軍と憲兵は、疑いをかけた人々を逮捕しては拷問を加え

、「ケンペイ」と聞いただけで人々はこわがった。また泥棒などの犯人

を裁判にもかけずに首を切り、街角にさらし首にしたことも人々に衝撃

を与えた。

 アジア太平洋戦争の開始直後におこなわれたこうした残虐行為は、華

僑を抗日運動に追いやっただけでなく、他の民族にも日本軍は残虐だと

いうイメージを植えつけてしまった。力で抑えつければ住民は従うだろ

うと考えていた日本軍は、初めから見通しを誤ったのである。

 

4 マレーシア・シンガポール(下)

 

 マレー半島の華僑の反発を招いたのは、残虐行為だけでなく、五千万

ドルの献金を強制したことにもある。現在のお金に換算すると数千億か

ら数兆円にもなるかもしれない多額のお金を各地の華僑団体に割り当て

た。献金を拒めば殺されるかもしれないという恐怖心を抱きながら、華

僑は財産を提供させられた。

 日本軍への反感をつのらせた華僑を中心にして、マラヤ共産党がマラ

ヤ人民抗日軍というゲリラを組織して、抗日活動をおこなった。家族や

友人を日本軍に殺された青年たちがこれに加わっていった。

 一方、マレー人に対してはどうだったのか。日本軍は初めは独立をめ

ざすマレー人の民族運動を支援した。しかし占領後しばらくするとそれ

を解散させてしまった。マレー半島を日本の領土にするつもりだった日

本軍にとっては、英軍と戦う時には民族運動を利用したが、終わると邪

魔になったからだ。その後、戦局が日本に不利になってくると、日本軍

はその民族運動の指導者たちを使って義勇軍を組織し、日本軍に協力さ

せようとした。しかし彼らは表向きは日本軍に協力しながらも、背後で

はマラヤ人民抗日軍や英軍と連絡を取り、連合軍がマレー半島に進攻し

てきた時には、それに応じて日本軍と戦う準備も進めていた。一度裏切

った日本軍をけっして信用しようとしなかったのである。

 また日本軍は華僑を抑えるためにマレー人を警察官などとして使った

。そして粛清の時の道案内をさせたり、実際に処刑までさせたりした。

中国人とマレー人の民族対立を利用しようとしたのである。しかしその

ことが悲劇を招くことになる。華僑は、マレー人が日本軍の手先となっ

て同胞の虐殺に手を貸していることに怒り、復讐のために華僑のゲリラ

がマレー人を襲った。そのことは逆にマレー人の反発をかい、マレー人

が華僑の村を襲う事件が起こるようになり、血で血を洗う流血事件が戦

後にかけて頻発した。両者の対立は尾をひき、現在のマレーシアにとっ

ても重大な問題になっている。日本軍が支配のために民族の違いを利用

しようとしたことが、何十年にもわたる負の遺産を残してしまった。

 もう一つ、マレー半島の重要な民族としてインド人がいる。彼らは主 

にゴム園の労働者としてインド南部から来た人が多かった。日本軍は、

インドをイギリスから解放すると言って、インド人にインド国民軍を組

織させ、日本軍のインド侵攻に利用しようとした。しかし実際には多く

のインド人は東南アジアや太平洋の島々に連れていかれ労務者として働

かされ、多くの犠牲を出した。

 アジアの指導者だとうぬぼれていた日本人には、それぞれの民族の気

持ちや願いを理解できなかった。一度、引き裂かれてしまった民族間の

関係の修復が難しいことは、世界の現状を見ればよくわかる。現在、シ

ンガポールもマレーシアも多様な民族が共存する国家を目指して努力し

ているが、私たち日本人はそれに無関心ではいられない。

 

5 インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)

 

 日本軍のインドシナ侵略はアジア太平洋戦争の前にさかのぼる。イン

ドシナ(フランス領インドシナを略して仏印)を支配していたフランス

が一九四〇年六月にドイツによって占領された。これを絶好の機会と考

えた日本は、九月に強引に軍隊を進駐させた(北部仏印進駐)。当時、

中国への援助物資の約半分が仏印ルートで来ていたので、これを絶つこ

と、また東南アジア侵攻の拠点を確保すること、この二つが目的だった

。さらに翌四一年七月には南部仏印進駐を強行し、インドシナ全土に日

本軍を駐留させ、東南アジア侵攻の足場を固めた。しかしこのことがア

メリカに日本への石油輸出禁止などの対抗措置を取らせ、アジア太平洋

戦争に突入する大きな原因となった。

 インドシナは日本軍と仏印当局の二重支配の下におかれた。仏印当局

は民族運動を厳しく弾圧してきたが、日本軍はその仏印当局を利用して

住民からの食糧や労働力の供出をやらせ、軍事費も負担させた。インド

シナの米は日本に送られ「臭い」と言われながらも日本人の胃袋に入っ

ていった。四五年三月に日本軍が仏印当局を攻撃し、単独支配にするま

で、二重支配は続いた。

 こうした中で一九四四年末から四五年にかけて、ベトナム北部で大飢

饉が発生した。農村でも都市でも人々は次々と餓死し、ハノイなどの都

市でも餓死者がころがっていたというほどだった。タイビン省だけの調

査でも人口百万人余りのうち約二八万人が犠牲になった。ベトナム全体

で一〇〇万〜二〇〇万人が餓死したと見られている。

 なぜこうした大飢饉がおきたのか。大型の台風や洪水などの自然災害

による不作があったがそれだけでは説明できない。第一の原因は米の強

制的な供出である。当時、仏印にいた数万人の日本軍は二年分の食糧を

蓄えていたと言われ、仏印当局も農民から強制的に供出させた大量の食

糧を持っていた。四五年三月以降はこれらの膨大な食糧を日本軍が独占

していたが、人々には提供されなかった。第二の原因として、水田など

を潰して軍事物資であるジュート(黄麻)を植えさせたことがある。第

三に戦況の悪化などによりベトナム南部からの米が入ってこなくなった

ことが指摘されている。こうした原因を見ると、戦争遂行を第一として

いた日本軍の責任が大きいことがわかる。

 こうした惨状の中で、ベトナム独立連盟(ベトミン)は「敵のモミの

倉庫を破壊して人民を救おう」と呼びかけ、日本軍の倉庫を襲い人々に

米を与えようとした。独立のための戦いが全土に広がっていった。これ

に対し日本軍は武力で鎮圧しようとしたが押しとどめることはできなか

った。日本の敗戦後、このベトミンの指導者ホーチミンによってベトナ

ム独立が宣言されるが、その後フランス、アメリカとの戦争を経て、ベ

トナムの完全独立を実現するのは、一九七五年を待たなければならなか

った。

 

6 タイ

 

 一七八二年に始まったラタナコーシン朝の下でタイは英仏の圧力を受

けながらも近代化をはかり、東南アジアでは唯一独立を維持した。そし

て一九三二年の立憲革命により絶対王政が終わり、立憲制に移行した。

 一九三九年に第二次世界大戦が始まりアジアでも戦争の気配が濃くな

る中でタイは中立を維持し、戦争に巻き込まれないように努めていた。

 すでにインドシナに進駐していた日本軍は、マレー半島やビルマに攻

め入るためにタイを通過する必要があった。タイは独立国なので事前に

タイ政府の承認が必要だが、そのための交渉を早くおこなうと開戦の意

図が連合国に漏れてしまい、奇襲でなくなってしまう。そこで日本は開

戦前夜の一二月七日夜にピブン首相らを招き、日本軍の通過を認めさせ

ようとしたが、ピブン首相は姿をくらませてしまった。そのため日本軍

はタイ政府の承認なしにタイに侵攻し、迎え撃ったタイ軍と激しい戦闘

をおこなった。しかしタイ政府はまもなく日本軍の要求を認めて停戦し

た。

 日本軍と戦っては勝ち目はないが、中立国として日本軍の要求をかん

たんに認めることはできないという意地がタイにこのような行動を取ら

せたと言えるだろう。戦後、日本軍と戦ったタイ兵士のために立派な記

念碑が建てられ、現在でも彼らの戦いは高く評価されている。

 こうしてタイは実質的に日本軍の支配下におかれ、日本軍はマレー半

島やビルマへの侵攻の基地として利用した。占領地のように振る舞う日

本兵は、敬虔な仏教徒であるタイ人が敬う僧侶を侮辱するなどして反発

をかい、怒ったタイ人たちが日本軍を襲うというバンボン事件までおこ

った。こうした中で、タイ政府は日本軍に表面的には協力する形をとっ

たが、一方政府や軍、警察関係者らは密かに「自由タイ」という抗日組

織を結成した。アメリカやイギリスにいた外交官や留学生が自由タイの

国外組織を作り、国内ではプリディ摂政やピブンの後を継いで首相にな

ったクウォンら政府首脳らもそのメンバーだった。抗日的として逮捕さ

れタイ警察に引き渡されたタイ人は、警察内の自由タイによって密かに

釈放されていった。自由タイは海外の組織とも連絡を取り、連合軍の援

助を受けてゲリラ部隊も組織して、いざという時には日本に対して蜂起

する準備も進めた。日本軍はこの自由タイの動きを察知していたが、う

かつに手を出すことができなかった。結局、自由タイが表面に出る前に

日本が降伏した。

 戦後、連合国は日本に協力したタイ政府を責めたが、タイは日本軍の

侵攻によってやむなく協力したこと、政府首脳を含む自由タイ運動によ

って連合国のために努力したことが認められて、敗戦国とは扱われず、

寛大な扱いを受けた。

 周辺諸国が次々に西欧の植民地にされていく中で独立を守り通した小

国の智恵が、最小限の被害でアジア太平洋戦争を切り抜けることにつな

がったと言えるかもしれない。

 

7 ビルマ(ミャンマー)

 

 現在、ビルマの軍事政権は、選挙で勝った野党に政権を譲ることを拒

否して、今なお強権政治を続けている。その実質的な指導者はネウィン

である。一方、民主化運動の指導者の一人が、自宅軟禁されているアウ

ンサン・スーチー女史である。ネウィンとスーチー女史の父親アウンサ

ンとは日本軍のビルマ占領と深い関係がある。

 イギリスの植民地だったビルマでは一九二〇年代から民族運動が高ま

り、その中でタキン党(主人を意味する)が台頭してきた。第二次世界

大戦が始まるとイギリスへの協力を拒否したタキン党は弾圧された。そ

の時、日本軍の謀略機関だった南機関がタキン党の青年三〇人を脱出さ

せ、海南島で軍事訓練をおこなった。そのリーダーがアウンサンであり

、ネウィンもメンバーの一人だった。

 アジア太平洋戦争が始まると、南機関はビルマを独立させると約束し

て三〇人を中心にしてビルマ独立義勇軍を結成させ、日本軍とともにビ

ルマに進攻させた。このビルマ独立義勇軍とともに入ってきた日本軍を

人々は歓迎したのである。ところがビルマを占領した日本軍は、独立を

与えずに日本軍自らが統治する軍政を開始し、二万人以上になっていた

独立義勇軍を解散させて三千人ほどのビルマ防衛軍に縮小改編させた。

独立を与えると約束していた南機関は解散させられた。タキン党を始め

とするビルマの人々が裏切られたと反発したのは当然だった。

 日本軍の下で、特にタイとビルマをつなぐ泰緬鉄道の建設のために多

くのビルマ人がロウムシャとして動員され多数の犠牲者を出した(次回

くわしく紹介)。これらの犠牲者を含めて、日本軍支配下の死亡者は約

一五万人、身体障害者になった者二〇万人とも言われている。

 一九四三年八月日本は形だけの独立をビルマとフィリピンに与えた。

バモーを首班とする政府が作られ、アウンサンは国防相としてビルマ国

軍を指揮したが、実権は日本軍が握ったままだった。アウンサンは地下

で抗日運動を続けるグループとも連絡をとり、ビルマ国軍、共産党、人

民革命党などとともに一九四四年八月ファシスト打倒連盟(後に反ファ

シスト人民自由連盟パサパラと改称)を組織した。翌四五年三月インド

からビルマに進撃してきた連合軍に呼応して、ビルマ国軍やパサパラに

参加した抗日グループがビルマ全土で蜂起して日本軍を攻撃し、日本軍

を次々に敗退させていった。こうして五月にはビルマ国軍の手で、日本

軍から首都ラングーンを取り戻した。

 このパサパラは、戦後イギリス植民地の復活を許さず一九四八年に独

立を勝ち取った。しかしアウンサンはその直前に暗殺された。内乱に悩

まされる中で軍を掌握したネウィンが台頭し一九六二年の軍事クーデタ

ー以来、政府の実権を握っている。日本政府はこの軍事政権に好意的で

ある。ネウィンの中には、青年期にたたき込まれた日本軍の精神がその

まま生きているのではないかと推測するのは考えすぎだろうか。

8 泰緬鉄道

 

 泰緬鉄道とは、タイのノンブラドックからビルマのタンビュザヤまで

の四一五キロ(ほぼ東京。大垣間)に及ぶ鉄道である。この建設計画は

一九四二年六月大本営によって決定され、ただちに着工、翌年一〇月完

成した。ビルマへの海上輸送路が連合軍の攻撃を受け不安定であったの

で、日本軍は陸上輸送路を必要と考えたからだ。

 人跡未踏のジャングルの山岳地帯であり、マラリアなど伝染病の多発

地帯に短期間でこれだけの鉄道を建設するために多くの連合軍捕虜やア

ジア人ロウムシャが動員された。このことが悲劇を生み出した。

 イギリス、オーストラリア、オランダなどマレー半島やインドネシア

などで捕まった捕虜約五万五千人(または六万二千人)がこの建設に投

入された。途中までは汽車で送られたが、工事現場が奥地の場合には数

百キロのジャングルの中の道なき道を歩かせられ、工事現場に着いた時

には多くが病気にかかっていた。乏しい食糧、時には一日百グラムの米

しか配給されない時も続いた。薬も乏しく、少しけがをすると熱帯性潰

瘍になって手足が腐っていく。マラリアやコレラも蔓延した。そうした

中で鉄道建設を至上命令とする日本軍によって工事に駆り立てられてい

った。そのため約一万二千〜三千人の捕虜が犠牲になった。特に奥地に

送られたFフォースでは七〇六二名中三〇九六名(四四%)が犠牲にな

った。

 この泰緬鉄道だけでなく、日本軍は連合軍捕虜に強制労働をさせ、極

端に劣悪な環境においた。そのため東京裁判の判決によると、日本軍の

捕虜になった連合軍兵士一三万人余りのうち三万五千人(二七%)が死

亡した(中国軍や植民地軍を除く)。ドイツ軍の捕虜になった英米将兵

の場合の死亡率が四%だったことに比べ、日本軍の捕虜の扱いが極めて

ひどかったことがわかる。捕虜になることを認めず必ず玉砕することを

強制する人命軽視の体質、捕虜を人道的に扱うことを定めた国際法の無

視などに原因がある。

 泰緬鉄道の建設には、捕虜以外にもビルマ、タイ、マレー半島、ジャ

ワなどからたくさんのロウムシャを連れてきた。その数は二〇万人以上

と言われている。ビルマをはじめ各地では地方ごとに人数が割り当てら

れて集められた。日本軍による強引なロウムシャ狩りもおこなわれた。

あるいは金になる仕事だとだまされて応募した人も多かった。鉄道の建

設現場でのひどさは捕虜と同じか、あるいはもっと劣悪だった。その犠

牲者は少なく見積もっても四万二千人、イギリスの史料では約七万四千

人と推定している。マレーシアにいる宋日開さんの場合、一緒に行った

七八〇人のうち戦後、一緒に帰ってこられたのは四九人だけだった。

 こうして枕木一本に一人と言われるぐらい犠牲を出した泰緬鉄道は「

死の鉄路」と呼ばれるようになった。現在、鉄道は平地の一部が使われ

ているだけで、多くはジャングルの中に飲み込まれてしまっている。

 

9 オーストラリア

 

 日本の侵略戦争を裁いた東京裁判にあたって、昭和天皇を被告として

訴追するように主張したのはオーストラリアだけだった。また東京裁判

の裁判長を務めたウェッブはオーストラリア人であり、天皇を免責した

ことを批判した意見書を出している。オーストラリアが天皇の戦争責任

を厳しく追求しようとした背景を考えてみよう。

 オーストラリアの北の町ダーウィンは一九四二年二月一九日日本軍機

の空襲を受け、二四三人の犠牲を出した。これはオーストラリア本土が

外国の軍隊によって攻撃された史上唯一の経験である。

 また実際にはおこなわれなかったが、日本軍の中央はシドニー、メル

ボルンなどをペスト菌で攻撃することを検討していた。

 日本との戦争でのオーストラリアの犠牲は、戦死・行方不明九四七〇

名、ほかに捕虜二万二三七六名中八〇三一名が死亡、計一万七五〇一名

である。ダーウィン空襲の犠牲者はこれには含まれていない。

 捕虜の犠牲者の約三分の一は泰緬鉄道でのものだが、もう一つ忘れて

はならないのが、サンダカン「死の行進」である。一九四三年九月ボル

ネオ島東北の町サンダカンにはオーストラリア兵千八百名と英兵七百名

、計二千五百名の捕虜が集められおり、日本軍の飛行場建設に使われた

。しかし途中から食糧の配給が大幅に減らされ、栄養失調と病気による

犠牲者が相次いだ。四五年に入り、米軍の上陸の可能性が高まると日本

軍は捕虜をボルネオ島の西海岸に移すことを決定した。しかし海も空も

米軍に握られていたため、道のないジャングルと湿地帯の地域約四百キ

ロを歩かせることにした。三つのグループに分けて移動させたが、日本

軍は歩けなくなった捕虜を次々に銃殺していった。特に第三グループは

病弱者ばかりだったので、ジャングルの中で全滅した。西海岸にたどり

ついた者もそこで強制労働によって次々に死に、一方サンダカンに残っ

た重病者たちは全員処刑された。こうして二千五百人のうち戦後まで生

き残ったのはわずか六人だけだった。

 実はこの行進で日本兵の中からも多くの犠牲を出している。「敵国」

の人間の命をないがしろにする日本軍は同時に自国の兵士の命をも軽視

していたことがはっきりと示されている。

 こうした戦争体験はオーストラリア人の中の対日観にある影響を与え

ており、最近の日本人によるオーストラリアの土地の買占めなどに対す

る反発とオーバーラップしてくることがある。

 ところでオーストラリアはかつて人種主義をとり、白人中心の国だっ

た。しかし最近はアジアの人々を受入れ、様々な民族が共存できる国を

めざしている。日本軍に虐待された捕虜たちは、住民から食糧を分けて

もらったり、脱走を助けられたり、様々な助けを受けた。そうしたアジ

アの人々の優しさへの感謝が、オーストラリアの変化の原点にあるので

はないかと指摘されている。

 

10 資源の収奪と経済生活の破壊

 

 東南アジアはイギリス、フランス、オランダなど植民地宗主国とアメ

リカとの間で世界的な貿易のネットワークを作っていた。たとえば英領

マレーでは、ゴムとスズをアメリカに輸出し、タイから米を、イギリス

から工業製品を輸入するという貿易構造だった。基本的に東南アジアか

ら原材料を輸出し、欧米から工業製品を輸入する構造だが、宗主国との

二国間ではなく多角的な構造になっていた。

 ところが日本の占領により、このネットワークが寸断された。日本は

東南アジアの原材料を受け入れるだけの工業力はなく、工業製品を提供

できる能力もなかった。英領マレーでは、ゴムとスズの生産は減少し、

一方米の輸入が途絶えて食糧不足になった。工業製品が入ってこなくな

り物不足が深刻化した。そうした中で日本軍は軍票(占領地で発行した

紙幣)を流通させた。普通、紙幣には番号が付けられ、経済状況にあわ

せて発行量が調整されるが、軍票には番号がない。そして必要な物資の

買い付けのために軍票を乱発したのですさまじいインフレが襲った。シ

ンガポールの物価指数は、開戦時の一九四一年一二月を一〇〇とすると

、翌年一二月には三五二、四四年一二月には一〇七六六、四五年八月に

は三五〇〇〇と三五〇倍になっている。特に米は開戦時、六〇キロが五

ドルだったのが、四五年六月には五千ドルと一千倍になっている。

 経済が破綻して職を失い、食糧が不足する中で、人々は庭や空き地を

耕してさつまいもやタピオカを作った。タピオカはキャッサバ(いも)

から作ったでんぷんであり、マレーシアの人々は、日本占領時代を「タ

ピオカ時代」と呼んでいる。

 さらに各地で日本軍によって、ロウムシャとして強制的にかり出され

働かされた。働き手である青壮年の男子が奪われたことも人々に大きな

打撃だった。

 一方、日本軍とともに日本の商社や企業も次々と東南アジアに進出し

、欧米の企業が持っていた鉱山や施設を自分たちのものにしていった。

日本はそこで得られた資源を獲得することが目的だったが、戦況の悪化

によって日本への船が沈められ、期待通りには行かなかった。しかし、

地元の住民が苦しんでいる中でも、日本兵や日本人は支配者としての生

活を謳歌していた。戦争末期のシンガポールでは「ビルマは地獄、昭南

天国」と言われ、将校や商社員たちが日本料亭に入りびたり、軍慰安所

には兵隊たちが行列をなしていた。

 日本軍による住民虐殺・虐待、憲兵による拷問などと経済生活の破綻

などがあいまって、「大東亜共栄圈」の実態が人々にはっきりとわかっ

てしまった。「大東亜共栄圈」は、一握りの日本人の刹那的な繁栄だけ

を意味する虚妄にすぎなかったのである。

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11 インドネシア(上)

 

 日本が東南アジアを占領した大きな目的が「重要国防資源」の獲得だ

ったことはすでに紹介したが、その中で最も重要視されていたのが石油

だった。その石油の最大の供給地がオランダ領インド(蘭印)、現在の

インドネシアだった。インドネシアにはほかにもボーキサイト、ニッケ

ル、マンガンなど資源がたくさんあった。

 インドネシアを占領した日本軍は、すべての政党を解散させ、民族旗

・民族歌を禁止し日の丸と君が代を強制した。さらに「アジアの光ニッ

ポン、アジアの守りニッポン、アジアの指導者ニッポン」という3A運

動を組織した。オランダが民族運動を徹底して弾圧していたので、初め

は日本軍を歓迎した人々も日本軍のやり方に失望させられた。その後、

日本は一九四三年五月の御前会議でジャワ、スマトラ、セレベスはマラ

イ、ボルネオとともに「帝国領土」にすることを決定した。もちろんこ

の決定は極秘だった。独立させる気などなかったのだ。

 インドネシアの中では、スマトラが石油の供給地とされ、人口が多く

食糧が豊富なジャワは米と労働力の供給地にされた。

 ロームシャという言葉はインドネシア語になっている。行政機関を通

じて強制的に徴用されたロームシャはジャワ島内だけでなくマレー半島

やビルマ、太平洋の島々にまで連れていかれた。泰緬鉄道をはじめ過酷

な労働や病気、飢えなどにより多くの犠牲を出した。約四〇〇万人がロ

ームシャにされたと言われている。

 インドネシアでよく知られている詩を紹介しておこう。

 ロームシャは何処へ

 ロームシャは何処へ行ってしまったのだろう

 多くの若者が狩り立てられていった

 網にかかった魚のように

 兵補になったものも、ロームシャになったものも、看護婦になったものも

 すべては皆同じ、何処かへ消えてしまった(以下略)

 (後藤乾一『近代日本とインドネシア』より)

 ここに看護婦とあるのは、その名目でだまして連れていかれ「従軍慰

安婦」にさせられた女性たちのことを指している。彼女たちはマレー半

島やボルネオに連れていかれた。特に戦争の末期になり、朝鮮から「慰

安婦」を連れてこられなくなるとジャワの女性が東南アジア各地に送り

込まれた。

 村々には青年団、警防団、婦人会などの組織を作らせ、日本軍に協力

させた。一〇〜二〇軒ごとに隣組が作られ、相互監視の下でロームシャ

や食糧の供出が強行された。こうして人も物もすべて日本軍の戦争遂行

のために動員されていった。

 

12 インドネシア(下)

 

 日本にとって戦況が悪化し、サイパンが米軍の手に落ち、次はフィリ

ピンという段階になるとインドネシアは完全に後方に取り残される形と

なった。日本本土との連絡も難しくなってきた。

 そうした中で日本軍は人員不足を補うために兵補の制度を作った。兵

補は一応軍人だが、実際にはロームシャと同じように使われた。その数

は四〜五万人と見られているが、敗戦とともに放り出され、賃金の三分

の一は強制貯金させられたまま返らなかった。またインドネシアの防衛

のためという名目で郷土防衛義勇軍(ペタ)を作り日本軍を補助させよ

うとした。

 インドネシアの人々の協力を得るために一九四四年九月になってよう

やく日本は近い将来インドネシアに独立を与えることを表明した。日本

軍はスカルノなどの民衆に人気のある民族運動の指導者を利用しようと

し、一方スカルノなどは表面的には日本軍に協力しながら、その影響を

広めようとした。

 その一方、連合軍の反撃の前にインドネシア住民が連合軍に通じてい

るのではないかと疑心暗疑になった日本軍は、ポンティアナ事件やババ

ル島事件のような住民虐殺を引き起こしていった。ボルネオ島西海岸の

ポンティアナでは、独立国家建設を計る抗日陰謀事件だとして、一九四

三年から翌年にかけて約一五〇〇名を検挙し、処刑した。チモール島の

東のババル島では、食糧やタバコの強制的な供出を強いられ、横暴な日

本軍に耐えかねた島民が蜂起し、山に立てこもった。日本軍の呼びかけ

に山を下りてきた島民を日本軍はまとめて射殺した。犠牲者は七〇〇人

とも四〇〇人とも言われている。

 日本軍の過酷な占領に対する激しい抵抗も次々に起きた。その代表的

な事件が、一九四五年二月に起きたブリタル(東部ジャワ)の郷土防衛

義勇軍による反乱である。日本軍による食糧やロームシャの厳しい徴発

、横暴な態度に怒ったブリタルの義勇軍が反乱を起こしたが、数日後に

日本軍に鎮圧された。日本軍に訓練されたこの義勇軍の反乱はインドネ

シアでは高く評価されている。反乱の指導者スプリヤディは行方不明に

なったが、その栄誉を讃えて独立したインドネシア共和国の初代国防大

臣に任命された。このように日本軍の支配の矛盾が各地で噴き出してい

った。

 日本軍の下で独立の準備を進めていたスカルノなどの指導者は日本の

敗戦後の八月一七日に独立宣言を発表し、オランダとの独立戦争に備え

ることになる。

 インドネシアのあるジャーナリストは次のように言っている。「日本

人の中には、いまだにインドネシアの独立は日本の援助によってなされ

たのだ、と公言してはばからぬ人がいる。違う!私達は自ら闘ったのだ

。あらゆる障害と闘って、独立を克ち得たのだ。」(ヘラワティ・ディ

ア)

 

13 フィリピン(上)

 

 一六世紀から始まるスペインによる植民地支配に対して、一八九六年

フィリピン革命が始まり九九年にはフィリピン共和国を樹立した。しか

しスペインにかわって介入してきたアメリカ軍によって鎮圧され、アメ

リカの植民地にされてしまった。しかし植民地を持つことについてアメ

リカ国内でも批判が強く、アメリカはフィリピンのアメリカ化を進める

一方、一九三五年フィリピン・コモンウェルス政府(独立準備政府)が

樹立され、一九四六年に独立することが約束された。

 そうしたところに日本軍が侵攻したのである。ケソン大統領はいち早く

脱出してアメリカに亡命政府を建てた。またフィリピンとアメリカの軍

隊の連合隊である米比軍(ユサッフェ)司令官マッカーサーも「私は必

ず帰るI shall return」という有名な言葉を残して脱出した。

 一九四二年四月バターン半島、五月コレヒドール島の陥落により主な

戦闘は終わった。この時日本軍は約七万六千人を捕虜にしたが、彼らに

ろくに食糧や水を与えないまま炎天下を歩かせ、収容所に着くまでに約

一万七千人が死亡した。これは「バターン死の行進」と呼ばれ、日本軍

の残虐さを表す象徴的な出来事とされている。

 しかしその後、各地でユサッフェ・ゲリラが組織されその数は三〇数

万人にのぼった。ほかにフィリピン共産党が組織したゲリラ組織フクバ

ラハップがあった。ルソン島中部を拠点として日本軍追放と農地解放を

掲げて住民を組織し、常備軍二万人、在郷軍三万人と言われる強力なゲ

リラ活動をおこなった。

 フィリピンを占領した日本軍は政党を禁止し代わりにカリパピ(新生

フィリピン奉仕団)を組織させ、地域の末端には隣組を作らせて、住民

相互に監視させた。憲兵による拷問・虐待はフィリピンでも恐れられた

。日本兵による強姦掠奪などの非行も頻繁におこった。このことは陸軍

中央の会議でも「比島方面においても強姦多かりし」と東南アジア方面

では最も日本軍による強姦事件が多いとくりかえし問題にされるほどだ

った。ただ「支那事変に比すれば少い」とされており、中国でのひどさ

が推測される。

 ところでフィリピンは重要な資源が少なく、日本軍にとっては東南ア

ジアへの中継地として軍の行動の自由が確保されればよかった。またす

でにアメリカによって独立が約束されており軍政を続けることは都合が

悪かった。そうしたことからフィリピンの独立を認め、一九四三年一〇

月にフィリピン共和国が成立した。しかし「帝国軍隊の為一切の便宜を

供与」させられ、日本軍による支配に変わりはなかった。フィリピン独

立準備委員会(PCPI)は、「どうぞフィリピンの独立を取り消して

くださいPlease Cancel Philippine Independence」と皮肉られるほどだった。

 

14 フィリピン(下)

 

 米軍の来襲に備えて、一九四四年夏より日本軍が増強された。それま

で警備用の部隊しかいなかったのに米軍に決戦を挑むために五〇万人を

超える大部隊が配備された。ところがこれらの部隊による強姦事件が頻

発し、さらにゲリラ討伐の名によって住民を虐殺する一方で若い女性を

拉致して強姦し「従軍慰安婦」にしていくことが相次いだ。

 米軍は四四年一〇月にレイテ島、翌四五年一月にルソン島に上陸し、

それに呼応して各地のゲリラも立ち上がった。フィリピンのゲリラは強

力であり、日本軍の被害も大きかった。そのため米軍とゲリラに挾撃さ

れた日本軍にとってはフィリピン人すべてが敵に見えたのだろう。ルソ

ン島南部のバタンガス州などでは、ゲリラの協力者も粛清せよとの命令

が出され、各地で村民を集め虐殺していった。リパでは、米軍に協力し

ている疑いのある村の男子を通行許可書を渡すという理由で集め、一〇

人ずつ銃剣で刺して崖の上から突き落とし、約八〇〇人を虐殺した。戦

後におこなわれた戦争裁判の史料によるとリパで虐殺された人は一万二

千人以上にのぼるとされている。

 四五年二月米軍が迫ってきたマニラでは、海軍部隊が住民を教会や大

学に集めてダイナマイトで爆破したり、機関銃で撃ち殺した。これらは

マニラの大虐殺として知られている。

 米軍の前に日本軍は敗退していった。しかし日本兵は敗北が決定的に

なりながらも降伏を許されず、補給も受けられなかったため、敗走しな

がら住民から食糧を奪ったり虐殺をおこなった。日本兵が山に逃げてき

た民間の日本人を襲うこともあった。パナイ島では、足手まといになる

と老人や女性子どもら数百人が、日本軍の手によって手榴弾や機関銃に

よって殺害されることさえあった。

 フィリピン民衆に対して残虐行為をおこなう一方、日本軍も約五〇万

人近い犠牲を出した。日本軍にとって東南アジア戦線で最大の犠牲だっ

た。フィリピン人の生命を軽んじた日本軍は、日本人の兵士や民間人の

生命をも軽んじた軍隊だった。

 フィリピン政府の調査によると、戦争による犠牲者は一一一万一九三

八人(戦前の人口約一六〇〇万人)、戦争被害の総額は一六一億五九二

四万八〇〇〇ペソ(一九五〇年価格で約八〇億八〇〇〇万ドル)にのぼ

っている。フィリピンは全土が日米両軍の戦場になったために被害が大

きいが、虐殺や強姦などによる犠牲者は東南アジアでは最も多いのでは

ないかと見られる。

 フィリピンの小学校の歴史教科書の中で「フィリピンの歴史における

暗い時代は私たちの国を日本国が占領した時です」と書いてある。スペ

イン、アメリカ、日本のフィリピンを支配した三国の中で日本時代は最

もひどい時代と記憶されている。

 

15 「従軍慰安婦」

 

 日本は一九三一年満州事変を起こすと翌年に上海にも戦線を拡大した

。この時、上海に日本軍慰安所が開設されたのが最初である。その後、

一九三七年に中国への全面的な侵略戦争を開始し、まもなく南京大虐殺

をひきおこした。この過程で日本軍はすさまじい強姦事件を続発させ、

軍内部でも問題にされた。そこで日本軍は部隊の移動に応じて中国の各

地に慰安所を開設し、将兵の性の処理をさせた。

 「従軍慰安婦」として日本人も連れていかれたが少なすぎることと日

本人女性を大量に慰安婦にすると社会問題になることを恐れて、朝鮮女

性を多く集めた。当時の朝鮮は長年の植民地支配の下で疲弊しており、

かんたんに貧しい家の少女を集められる状況だった。朝鮮総督府や警察

の協力の下に軍から依頼を受けた周旋業者がだましたり脅したりして少

女たちを集め、中国の慰安所に送っていった。中には強引な人狩りのよ

うな手段も用いられたと見られている。慰安所へ連れられる途中、ある

いは着いてから、少女たちはまず強姦されたうえで慰安婦にさせられた

。また中国の各地でも日本軍は地元の女性を慰安婦にしていった。そこ

では朝鮮以上に軍によって暴力的に女性が集められた。

 アジア太平洋戦争が始まり東南アジアを占領した日本軍は各地に慰安

所を設けた。陸軍省自らも開戦前から慰安所の設置を計画しており、占

領した地域にはすぐに慰安所が開設された。東南アジアの慰安所には、

日本や朝鮮、さらに中国・台湾の女性も連れてこられたが、地元の女性

も多数が慰安婦にさせられた。その女性の出身地は、フィリピン、マレ

ーシア、シンガポール、インドネシア、タイ、ベトナム、ビルマ、イン

ド、太平洋の諸地域、インドネシアにいたオランダ人などほぼ日本軍の

占領地全域に及んでいる。

 その際に地元の有力者に慰安婦集めを強要したり、ウェイトレスや事

務員だと言ってだまして集め強姦して慰安婦にしたりしている。また特

にフィリピンをはじめ、日本軍が各家に押し入り、女性を暴力的に拉致

し輪姦してから慰安婦にするケースが多数報告されている。インドネシ

アでは日本軍に抑留されたオランダ人女性の中から二〜三百人が慰安婦

にさせられている。

 残されている断片的な史料や関係者の証言から、東南アジア地域での

「従軍慰安婦」は地元の女性が最も多かったと推定される。

 慰安婦たちは軍の管理の下で、時には一日に何十人もの相手をさせら

れ、いやがると暴行を受けた。慰安婦の状況は性奴隷といっても過言で

はなかった。慰安所制度とは、軍による組織的な強姦輪姦の制度だった

。元「従軍慰安婦」だったことがわかると白眼視される社会のもとで、

東南アジアの元慰安婦の人たちの実態はあまりわかっていない。もちろ

んその犠牲に対して何ら償われていないままである。

                           TOPに戻る

16 太平洋諸島

 

 ミクロネシアの島々は戦前は南洋諸島と呼ばれ、日本の統治下におか

れていた。これらの島々にも日本軍が配置されていた。島民はロームシ

ャとして駆り立てられ、食糧を供出させられた。特に日本の戦況が悪化

すると外部との連絡が途絶え、多くの日本兵が駐屯していたため食糧難

に陥った。また米軍に通じているとして疑いをかけられ、殺された人も

多い。これらの島々はかつてのスペイン統治の影響でカトリック教徒が

多く、グアムやロタでは白人の神父がスパイ容疑で処刑されている。

 グアム島はアメリカ領だったので、地元のチャモロ人は日本に反感が

強かった。一九四四年七月米軍が上陸する直前にメリーソン村で、米軍

に通報したという理由で一六人が捕らえられ、手榴弾で殺された。さら

に三〇人も同じようにして殺された。その一方、村にいた日本兵と在留

邦人たちが村の男たちを監禁したうえで若い女性を一人ずつ連れ込み泊

まらせた。その直後にメリーソン村の日本人は、地元民に荷物を担がせ

て避難を始めたが、その途中、地元民に襲われ一一人が殺される事件が

おきた。

 マーシャル諸島のミリ環礁のルクノール島では、島民が逃げ出して米

軍に情報を漏らすことをおそれて厳しく監視されていたが、その中で一

人が逃亡した。そのため同じ防空壕に住んでいた家族など約二〇人が処

刑された。チェルボン島では食糧の強制的な供出に抗議した首長が日本

軍に殺されたため、島民は朝鮮人軍属と一緒に反乱を起こしたが、鎮圧

され朝鮮人約六〇人と島民三〇〜四〇人が殺されるという事件が起きた

。ミリ環礁全体では五つの島で虐殺があり二〇〇人近くの犠牲者が確認

されている。

 日本軍が占領していたニューギニア島北側のティブンケ村では、住民

がオーストラリア軍に通じているとみなした日本軍が住民を集め、その

中の男たちを銃剣や軍刀でさらに機関銃で殺していった。現在九九人の

犠牲者の名前が確認されている。さらに日本軍は、親日派の他の村の男

たちにティブンケ村の女性たち約六〇人を集団で強姦させた。何人かの

少年は初めは男たちと一緒に紐でつながれたが幸い釈放され、彼らが虐

殺の目撃者となった。

 日本軍が駐留していた各地の島々で、敵に通じているという疑いや食

糧を盗んだという理由で住民が拷問・処刑され、時には集団虐殺される

事件がたくさん起こっていたと推測される。さらに米軍が上陸してきた

場合には、激しい爆撃や艦砲射撃、地上戦により住民にも多くの犠牲が

出た。サイパンやテニアンなどでは、降伏を許されず、追い詰められた

在留邦人が絶壁から身を投げたり手榴弾で「自決」したことは有名だが

、こうした太平洋の島々の人々に日本軍が与えた被害については、ほと

んど忘れられたままである。

 

17 インド

 

 インドはイギリスにとって最も重要な植民地だった。一九三九年に第

二次世界大戦が始まるとインドもイギリスの下で戦争に加わり、イギリ

ス軍のために膨大な兵士を提供した。また北アフリカから西アジアのイ

ギリス植民地に食糧を供給する役割をはたした。その一方でビルマが日

本軍に占領されたためビルマからの米の輸入が止まり、食糧難になりイ

ンフレが進行した。

 日本との戦争が始まると、インド領であるベンガル湾のアンダマン・

ニコバル諸島が一九四二年三月日本軍に占領された。最前線のこの島々

は連合軍の工作の対象となり、そのため住民がスパイを働いているとい

う疑いをもった日本軍による住民への拷問、虐殺がおこなわれた。

 さらに日本軍はセイロンのコロンボ、南インドのヴィサータパトム、

コークーナーダー、マドラス、東インドのカルカッタ、チッタゴン、マ

ニプールなどの都市に対して無差別爆撃をおこない、住民に多数の犠牲

者を出した。こうした爆撃に対して、インドの人々から厳しい批判がお

こなわれた。

 一九四三年から四四年にかけて、日本軍占領によりビルマからの米輸

入が途絶えたこと、イギリス軍が日本軍の侵攻に備えて牛車や小舟など

の輸送手段を徴発する一方で食糧輸送の手立てを行わなかったことなど

からベンガル地方で大飢饉が起きた。これにより一五〇万人(一説には

三五〇万人)とも言われる人々が餓死した。日本がおこなった戦争とイ

ギリスの植民地支配が増幅して被害を生み出した飢饉だった。

 日本軍はマレー戦線などで捕虜にしたインド人兵士を再組織してイン

ド国民軍を編成した。さらにドイツに亡命していた元会議派の指導者ス

バス・チャンドラ・ボースを潜水艦でマレー半島に呼び寄せ、彼を首班

とするインド仮政府を作り、イギリスの植民地当局をゆさぶった。そし

て一九四四年のインパール作戦にインド国民軍も参加させたが、インド

の人々はこの動きに呼応することなく、日本軍は敗退していった。

 一方、インド国内ではガンジーやネールなどを指導者とする国民会議

派などのによる強力な民族運動が展開されていた。会議派は一九四二年

八月、反ファシズムの戦争に勝利するためにもイギリスはインド植民地

支配を終わらせるべきだというインド退去要求決議をおこない、日本の

侵略に反対する姿勢とともに即時独立を要求した。会議派は、日本によ

る侵略に苦しめられてきた中国と友好関係を深めており、反帝国主義反

ファシズムの立場をとっていた。ただその姿勢はイギリスに対しても向

けられたためイギリス当局の弾圧を受けた。しかし戦争中を通しての独

立運動を続け、戦後、イギリスはインドの独立を認めざるをえなくなっ

たのである。

 

18 日本の敗戦と各国の独立

 

 八月一五日の日本の敗戦をむかえて、日本人のあいだでは虚脱感が広

がっていた。戦争に批判的だった一部の知識人の中には日本の敗北を予

想し、それを歓迎していた人々もいたが、それは一部にすぎなかった。

 中国の重慶に日本の敗戦が伝えられると群衆が街にあふれ、爆竹が鳴

り響き、抗日戦争勝利の歓声が続いた。中国でも朝鮮・韓国でも八月一

五日は「光復」の日、つまり暗黒の世界から解放され光が戻ってきた日

とされている。

 シンガポールでは日本の降伏が人々に知らされたのは一七日のことだ

った。人々はカタカナを消して店の看板を書き直し、日の丸を投げ捨て

た。中国、アメリカ、イギリス、など連合国の旗が町になびき、歓喜に

わいた。イギリス軍がシンガポールに上陸した九月五日には港からイギ

リス軍司令部が入るキャセイビルまで五キロにわたって歓迎の人々であ

ふれ、「祖国万歳」「連合国万歳」などと書いた旗やのぼりを持ってパ

レードをくりひろげた。

 日本軍に支配されていた人々にとって八月一五日は解放の日だった。

もちろんそれはすぐに独立を意味していない。インドネシアでは、八月

一七日に独立宣言を出して、その後四年にわたるオランダとの独立戦争

をへて一九四九年に独立をかちとった。

 ビルマでは、ビルマ国軍が日本軍に反旗を翻して連合軍とともにビル

マを解放していた。イギリスは植民地復活をあきらめ一九四八年にビル

マは独立した。

 ベトナムでは八月一三日ベトミンが全国総決起をよびかけ、自力で全

土を解放し、九月二日ベトナム民主共和国の独立を宣言した。そして独

立戦争をへて一九五四年ついにフランスを敗北させたが、今度はアメリ

カが介入してきたため、完全独立はベトナム戦争でアメリカを破った一

九七五年になった。

 インドネシア、ビルマ、ベトナムでは日本軍の占領下で、表面的に日

本軍に協力したり、あるいは明確に抵抗した民族運動が力をつけ、日本

軍と戦い、さらに植民地復活をねらう宗主国と戦って独立をかちとって

いった。これらの地域では宗主国の復帰は歓迎されなかった。

 一方、マレー半島とフィリピンではイギリス軍やアメリカ軍は歓迎さ

れた。ここでは宗主国が話し合いで独立を認めたので独立戦争を経るこ

となく独立をかちとった。

 日本の侵略戦争に対し、時にはそれを利用し、最後には正面から戦っ

て独立を導いた民族運動こそが独立の主体だった。

 シンガポールの小学校の教科書は次の言葉で日本支配時代の章を閉じ

ている。「占領はすべての人にとって大きな苦難であった。しかし、そ

れはある貴重な教訓をもたらしてもくれた。(中略)これによって日本

の支配より西洋の支配の方がまだましだが、自主独立の方がもっとすば

らしいであろうということを、彼らは悟ったのである。」

 

19 賠償―解決されていない戦争責任

 

 日本を占領した連合国は、日本を徹底的に非軍事化民主化しようとし

た。ところが冷戦が始まるとアメリカは日本の戦争責任をあいまいにし

、反共のために日本の経済力を利用する政策に転換した。その結果、サ

ンフランシスコ平和条約では、連合国は原則として賠償を放棄し、ただ

例外的に日本軍に占領され損害を受けた国が希望する時は、日本は「役

務」の提供という形で賠償を支払うことが決められた。

 この条項に従って、日本は一九五四年ビルマ、五六年フィリピン、五

八年インドネシア、五九年南ベトナム、とそれぞれ賠償協定を結んだ。

カンボジア、ラオスは賠償請求権を放棄し、その代わりに無償援助を受

けた。タイ、マレーシア、シンガポール、韓国、ミクロネシアへは賠償

に準ずる無償援助や経済協力がおこなわれた。台湾、中国、ソ連、イン

ドなどは賠償を放棄した。北朝鮮とはまだ国交がなく賠償問題も解決し

ていない。

 これらの賠償・準賠償については多くの問題が含まれていた。日本側

には侵略戦争への反省がまったくなかった。特に東南アジアの人々に深

刻な被害を与えたという認識はほとんどなかった。財界では賠償を日本

製品の輸出、日本企業の経済進出の機会に利用しようとした。「賠償か

ら商売へ」という言葉が流行るほどだった。

 賠償の内容を見ると、たとえばビルマに対しては、水力発電所の建設

と四大プロジェクトつまり大型自動車、小型自動車、農機具、家庭電器

の工場の建設運営に使われた。日本企業は国内の工場からこれらの工場

に部品を提供し、それらの製品の市場が開拓されていった。

 さらに賠償が政治的に利用された。たとえばベトナムは当時南北に分

断されており、アメリカは南の反共政権を後押ししていた。日本軍によ

る被害は北に集中していたが賠償は南に対してのみなされた。しかも賠

償のほとんどが水力発電所の建設に使われた。この計画は実は日本のコ

ンサルタント会社が計画を作り、南ベトナム政府を通じて、日本政府に

要求したものだった。日本企業が自らの利益のために事業計画を作り、

相手政府を通じて日本政府に資金の供与を求めるという方法がとられた

。この方法はその後の政府開発援助(ODA)に引き継がれている。

 また賠償の一部が日本と受入れ国の政府要人にリベートとして流れて

いる疑惑がある。

 賠償は実際の戦争犠牲者にはまったく渡らなかった。少なくとも侵略

戦争を償う賠償としてはふさわしくなかった。

 賠償を受けたアジア諸国は独立後まもなく、それぞれ困難な状況にあ

り、人々の自由は制約されていた。そのため被害者たちの声は賠償交渉

に反映されなかった。日本は冷戦を利用して真の賠償を避け、日本の経

済成長のために「賠償」を利用してきた。そのことが冷戦が終わった今

日、あらためて問題にされているのである。

 

20 今日の日本と東南アジア

 

 いよいよこの連載も最終回を迎えた。日本の東南アジア侵略の負の面

ばかりを見てきたという印象があるかもしれない。しかし侵略戦争とは

まさにそうしたものでしかないことをまず理解する必要がある。もちろ

ん歴史はダイナミックなもので意図と結果が異なることはいくらでもあ

る。東南アジアを日本の支配下に置こうと意図して始めた戦争が、結果

として西欧の宗主国の力を弱め、さらに日本も敗北したことにより、独

立に有利な条件を生み出したと言える。しかしそれは結果論にすぎない

。比喩的に言えば、力の弱い人が、二人の強盗(宗主国と日本)のけん

かを利用して両者の力を弱め、自らの力を蓄え、ついに二人の強盗を追

い出して独立したということだろう。もちろん強盗のうち日本の方が残

虐だったことも忘れてはならない。東南アジアの人々の主体的な努力こ

そが独立をかちとる原動力だった。日本が独立を与えたという議論は、

東南アジアの人々は自力で立ち上がれない劣った人々だという、ごうま

んな意識の表れではないだろうか。東南アジアの人々を見下した意識は

、侵略戦争への反省がないまま克服されずに残ってしまっている。

 日本企業の進出、観光旅行など日本人が東南アジアへ出かける機会は

急速に増えているし、東南アジアの人々も日本にたくさんくるようにな

った。こうした中で二つの傾向があるように思う。

 一つは日本の経済大国化をバックに優越感とごうまんさが増長される

傾向である。東南アジア諸国の一部の経済発展が注目されているが一方

で貧困、内戦など汚い暗いイメージも強くある。カンボジアの内戦をめ

ぐって日本では「国際貢献」が議論されるようになったが、そこでは大

国の力を借りなければ自立できない人々というイメージがふりまかれ、

平和で豊かな日本がかわいそうな人々のために何かしてあげなければ、

という議論が主流だった。相手を見下しているのではないか。

 こうした傾向とは別の流れも育ってきている。バングラデシュで活動

をしているシャプラニール=市民による海外協力の会の次の言葉は印象

的だ。「(バングラデシュの)農民と接していく中で、若者たちは、彼

らが本当に欲しているものは同情や哀れみや、それを起点とする“援助

”ではないことに気づく。“援助をする”というのは豊かな国に住む者

の奢りでしかない、との反省にたどりつくまでに、そう多くの時間を必

要としなかった。」(『NGO最前線』)

 一九八〇年代から広がってきたNGOの活動、戦争責任・戦後補償や

日本のODA、熱帯雨林問題などアジアと日本にかかわる様々な問題に

取り組む人々が増えてきた。それらの人々には、国家の威信をバックに

するのではなく、相手を見下すのでもなく、同じ人間として理解しあい

共感と信頼を育て、共に生きていこうとする姿勢が見られる。近代以来

の東南アジアへの歪んだ関わり方を克服し、平和と人権をベースにした

人間関係を築いていこうとする人々の努力に期待したい。

http://hayashihirofumi.g1.xrea.com/paper01.htm
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1105.html

[近代史4] 政府紙幣発行政策の誤解 経済コラムマガジン
政府紙幣発行政策の誤解 経済コラムマガジン


大西つねき : 政府通貨の疑問に答える
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/764.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1106.html

[近代史4] 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落する 中川隆
10. 中川隆[-10849] koaQ7Jey 2020年10月15日 09:11:45 : O4DetySqsQ : ZG9KcVZaVUpyTEE=[3]
中央銀行による金融緩和と政府による現金給付を紙幣印刷で無理矢理支えるために金融市場に膨大な資金を流し込めば、噴き上がるのは株式だけではない


金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰
2020年10月14日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801


新型コロナウィルスへの対応のために日本やアメリカの政府は現金給付を行なっているが、金融の専門家たちはこの対応が物価の高騰を生むのではないかと心配している。

アメリカの実体経済にその気配が現れたことは先日記事にした通りである。

米国経済、個人消費が鈍化、インフレは止まらず
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11782


しかし実体経済を先読みすることの多い金融市場では状況は更に進んでいる。今回の記事では世界の金融市場がインフレをどう考えているのかを見てゆきたい。

新型コロナで企業利益が落ち込んでいるにもかかわらず、株式市場は息を吹き返した。以下は米国株のチャートである。


その原因は中央銀行による金融緩和と政府による現金給付にある。しかしGDPが5%も落ち込むと推計されている大不況を紙幣印刷で無理矢理支えるために金融市場に膨大な資金を流し込めば、噴き上がるのは株式だけではないはずである。

コモディティ市場の高騰

まず上がったのはゴールドである。株式はようやくコロナ前の水準まで戻ったが、金相場はコロナ前の水準を大きく超えて上昇している。


金の値段が上がったために歯科治療に大きな支障が出ている。しかしここまではまだ良いだろう。金は実用されるケースが少なく、ほとんどは投資用として保有されるだけで、歯科治療など一部の例外を除けば社会の大半には影響を与えることはないと言える。

しかし仮に5%もの景気後退(リーマン・ショック時でさえその半分程度だった)を紙幣印刷で無理矢理支えられてしまうとすれば、その資金は株式と金を噴き上がらせるだけに留まることがない。

他のコモディティも上昇開始

原油価格も回復した。金ほどの噴き上がりではないが、いまだ飛行機もほとんど飛んでいない中でここまで回復したことが奇跡と言える。


しかしこれはまだ序章である。次は銅価格のチャートである。


ここまで来ると実体経済に影響を与え始める。銅は電線や建設資材に使われるからである。ホテル業などがまだ低迷しているため不動産市況は悪化しているが、建設費用が高くなることになる。他の金属も上がっており、建設業と住宅購入者はますます厳しくなるだろう。

更に日常生活に身近なコモディティを挙げてみよう。砂糖である。


次はコーンである。


次は大豆である。


ここまで来れば投資家ではない素人でも危機感を覚えるのではないか。米国政府と日本政府による現金給付が日用品の価格を上げ始めている。株式市場のバブルが金相場だけにとどまらず、普段人々が使うような品物の価格までも上げ始めているということである。

結論

最大の問題はバブルが日用品に波及してインフレになっても人々は困窮し、バブルが崩壊して株式と日用品の価格が暴落しても人々は困窮するということである。行くも地獄、帰るも地獄ということになる。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10473


ざっくりとした言い方になるが、2021年はかなり酷い年になるのではないか。投資家の読者のみならず、投資をしていない読者にも警戒することをお勧めしたいものである。浪費は禁物ということだろう。

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1039.html#c10

[近代史4] インドはコロナによってアジアで最も大きなダメージを受けて二度と立ち上がれなくなった
インドはコロナによってアジアで最も大きなダメージを受けて二度と立ち上がれなくなった


最初にどん底(ボトム)に落とされるのも、最後まで取り残されるのも貧困層だ
2020.10.15
https://blackasia.net/?p=20676

どん底(ボトム)に落ちれば落ちるほど、その克服は思った以上に困難となる。絶対貧困にまで落ちると、這い上がることもできないほど悲惨な状況になってしまうのだ。この現象はインドだけではない。すべての国でそうなのだ。(鈴木傾城)


貯金や資産は危機の緩衝材

インドはコロナによってアジアで最も大きなダメージを受けている国だ。2020年9月の段階で500万人の感染者と言われていたのだが、それから1ヶ月経った10月11日には感染者が累計約700万人を突破したとインド政府は発表した。

すでに欧米やブラジルを超えて、アメリカに次いで世界第二位のコロナ汚染国となってしまった。死者も10月11日の報告の時点で10万人を超えている。

コロナの拡大は鈍化しているのだが、11月には「ディワリ」というインド最大の祭りが行われることになっており、これによってコロナは再び拡大してしまうのではないかという危惧がある。(ブラックアジア:ディワリ。インドが一年で最もロマンチックになる「光の祭り」)

これによって、2020年のインドの経済成長は絶望的なまでに悪化してしまい、マイナス9%になるのではないかとアジア開発銀行は予測している。

2021年にはコロナのワクチンが開発されて出回ることになるはずなので、来年からは再び経済成長の軌道に戻ることが期待されるが、先のことは誰にも分からない。

分かっているのは、せっかく貧困層が這い上がることができる環境ができていたのに、再び遠のいてしまったということだ。インドはまだまだ極度の貧困が残っており、カースト制度のような不平等な社会的因習も残っていて不平等の極みだ。

コロナによって大ダメージを受けているのも、ボトムの中のボトムにいる人々である。格差はまた大きく開いていく。

言うまでもないが、不況が襲いかかった時、何も持たない人たちは、大きな資産や貯金を持つ人たちよりも先にどん底に落ちる。貯金や資産は危機の緩衝材である。金持ちは、ある程度の不況でも保有する資産や貯金で助かることができる。

しかし、何も持たない層は一瞬で危機に落ちる。食費にも事欠き、光熱費も家賃も払えなくなる。追い出され、路頭に迷い、打つ手がなくなる。危機に対するダメージは貧困層の方が富裕層よりも数十倍も大きいのである。

最貧困の弱者を助けることはできるのか?

どん底(ボトム)にのたうち回っている弱者を、社会は助けることはできるのか。最貧困の弱者は、危機の中で助かることができるのか。これは東南アジアのスラムに沈没していた時、私がいつも感じていた疑問だった。

必死で働いていても、どん底から抜け出せない人もたくさんいる。その日を生き抜くことすらもできないほど貧しい中で、自助努力は限られている。

こうした人たちを救うことができると信じて尽力するNGO団体もあれば、行政機関もある。しかし、どん底の人々は彼らを救おうとする人たちに比べてあまりにも膨大であり、その状況も深刻だ。

インド圏の貧困は先進国に住む私たちの想像を超えるものだったのである。

日本は「相対的貧困」で深刻さを議論している。相対的貧困も確かに深刻な問題である。しかしインドでは、日本の貧困など「お遊びにしか過ぎない」と思わせるような超貧困、すなわち絶対貧困がそこに満ち溢れていた。

家族が路上に寝て、子供がゴミを漁って食べられるものを探し、通路で排便し、夜の路上で静かに性行為をするような人々が数千万人、数億人単位で放置されている国、それがインドだったのである。

私が著書『絶対貧困の光景』で書いた物乞いの女性たちは、10年経っても物乞いだった。(アマゾン:絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち)

この10年、インドは新興国として発展し続けて中産階級も増えてきたが、路上を見ると、10年前と何一つ変わらない絶対貧困で暮らしている人たちが群れをなして存在していたのだ

インドは今や世界で最も児童労働が放置され、人身売買が放置されている国である。未だに人身売買で連れてこられたセックスワーカーたちが売春宿の前に立ち、未成年の少女の売春も存在する。インドは強烈なまでの貧困がそのまま野放しにされている。

では、こうした「どん底の弱者」は、やがてそこから抜け出すことができるようになるのだろうか……。

インドの貧困層の女性たちを扱った『絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち』の復刻版はこちらから

自分で抜け出すための行動ができたか?

東南アジアに関して言えば、ここ最近は「助かる人」の方が増えていた。それはNGO団体や行政が何かしたというよりも、経済成長がゆっくりとインド社会を潤し始めたからだと言える。

インドは資本主義を意識するようになり、「経済成長こそが現代社会の基礎」であることを悟って政治が変わり、そこから徐々にではあるのだが、最貧困の人たちにも「運」が回ってくるようになった。

今までインドの貧困層はまともな仕事がなかったが、そこに賃金を得られる仕事が生まれるようになって、人々は継続的に収入を得られ続けられるようになった。そんな社会的な変化が人々の社会全体を底上げした。

経済成長によってインドの貧困層にも夢も希望も生まれ、絶望から抜け出せるようになった。経済発展は、間違いなくどん底(ボトム)に生きる人たちを広く浅く助けることにつながっていく。

しかし、貧困からの脱却には「順番」がある。

資本主義の世界では、田舎よりも都会の方が仕事にありつける確率が高い。そして怠惰な者よりも勤勉な者の方が仕事にありつける確率が高い。さらに無学な者よりも学がある者の方が仕事で出世しやすい。

分かりやすく言うと、田舎で暮らす最貧困の人々よりも、都会に暮らす最貧困の人たちの方が先に貧困から抜け出せる可能性が高い。

また、その中でも雨が降っても風が吹いてもきちんと働きに来て、長く働ける体力や能力や勤勉さを持った人たちから先に貧困に抜け出せる可能性が高い。

そして、字が書けたり読めたり、計算できたりできる人の方が先に貧困から抜け出せる確率が高い。さらに節約して生きるとか、将来のために貯金するという資本主義的な知識が備わっていくと希望が生まれる。

そう考えると、最初にどん底(ボトム)から抜け出せるかどうか、あるいは最終的にどん底から脱することができるかどうかは、運と共に、資本主義的な行動ができて、勤勉で、向上心のあるかどうかも大きく影響することに気づく。


地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

この現象はインドだけではない

問題がある。あまりにもどん底(ボトム)の生活が長すぎると、「勤勉で向上心のある人が先に助かる」ということに気づくのに時間がかかるのだ。

自分の身のまわりで勤勉で向上心がある人がいても助からなかったケースを数多く見てきているし、それが重要だと言って教育してくれる人間はどん底に生きる人たちの世界では少ない。

そのため、最も深い貧困に堕ちている人たちほど、それに気づかない。すでに夢も希望も失い、自分たちの生活を良くすることなど不可能だと思い込んでいれば、どうしても勤勉や向上心に結びつかない。

勤勉と言っても、栄養状態も生活環境も悪ければ、その勤勉を維持するのも大変だ。病気になりやすく、身体が弱りがちで、精神的にもダメージを繰り返し受けて勤勉から遠ざかる。

また、学校で勉強して字も読めるようになった方が最終的には得すると気づいても、最貧困の家庭ほどそれに対応するのに遅れる。

なぜなら、「学校で字を覚えるよりも街で物乞いして稼ぐ方が先だ」という切実な生活にあるからだ。そうしないと生活が成り立たないのであれば、向上心よりも経済サバイバルの方が優先されても仕方がない。

勤勉で向上心のある人が先に助かるというのは、どん底に堕ちれば堕ちるほど気づきにくくなり、気づいてもそれを実行することができない。

世の中が豊かになる過程で、常にどん底の人たちが取り残されてしまうのは、こうした諸々の事情が足を引っぱってしまうからでもある。

自助努力は必要なのだが、自助努力ではどうしても限界があるのがどん底の人たちの生活環境だ。落ちれば落ちるほど、社会が見えなくなる。その結果、何が自分たちを救うのかも分からなくなり、取り残される一方と化す。

どん底(ボトム)に落ちれば落ちるほど、その克服は思った以上に困難となる。絶対貧困にまで落ちると、這い上がることもできないほど悲惨な状況になってしまうのだ。この現象はインドだけではない。すべての国でそうなのだ。

コロナによって真っ先にどん底に落ちたのは、世界中どこでもどん底(ボトム)の人たちである。そして、事態が収束しても最後まで取り残されるのもどん底(ボトム)の人たちである。

https://blackasia.net/?p=20676
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1107.html

[近代史4] アメリカの上流階級の人間はユダヤ人の家族に囲まれている

アメリカの上流階級の人間はユダヤ人の家族に囲まれている


2020年10月10日
ジョー・バイデンはユダヤ人の家族に囲まれている
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827463.html

ユダヤ人との姻戚関係が増える

Ivanka & father 1Ivanka & Jared Kushner 3

(左 : トランプ大統領と娘のイヴァンカ / 右 : イヴァンカと夫のジャレッド・クシュナー )

  来月には次の合衆国大統領を決める選挙が行われるが、再選を目指すトラン大統領や、対抗馬となったジョー・バイデン前副大統領の家族を見ると、「あれっ !」と思うことがある。それは両者の子供達がユダヤ人と結婚していることだ。トランプ大統領の娘であるイヴァンカ・トランプがジャレッド・クシュナーと結婚したのはよく知られている。当ブログでも以前、彼について述べたことがあるので、興味がある方は過去の記事を参照してもらいたい。(記事Aと記事B)

  日本人の中には、「子供の結婚相手がユダヤ人で何が悪いのか?」と反撥する人もいようが、もし、国会議員や有名企業の重役、テレビ局や新聞社の大株主を父に持つ青年が朝鮮人と結婚していたり、経団連の重要な地位を占める人物や自民党を牛耳る重鎮、与党への大口献金者、財務省や内閣法制局などの高級官僚が帰化鮮人、あるいはその子孫だった場合、我々はどう思うのか? たぶん、「えっ ! 何だそれ !」と驚き、眉を顰めることだろう。想像したくもないが、日本社会の中枢を占める人物の大半が、朝鮮人の配偶者か3世とか4世といった子孫だなんてゾッとするじゃないか。将棋じゃないけど、同級生や同僚の「歩(あゆむ)」君が、実は裏の名前を持っており、「金」君だったら「と金」みたいだ。日本人と思っていた「桂」さんが、朝鮮人の「桂(けい)」さんならビックリするだろう。(昔、「桂銀淑(けい・うんすく」という鮮人の演歌歌手がいた。) ちょっと笑ってしまうが、高利貸しで裕福になれば、これこそ「成金」だ。

  既に、我が国でも“素性”の怪しい議員がいて、本当に朝鮮人とか支那人の血が混ざっていない「日本人の祖先を持つ人物なのか?」と疑いたくなる国会議員がいる。例えば、意味不明な言葉を発した菅直人がそうだし、「鮫島(小泉)純也」を父に持つ小泉純一郎。純ちゃんの父親は小泉家の娘婿で、防衛庁長官になったことがある。後に小泉の姓を名乗る鮫島氏は、鹿児島の田布施村に生まれたということで、朝鮮部落と何らかの関係があるんじゃないかと疑われている。この件に関しては、インターネットで様々な偽情報が流れているので、根拠も無く信用し鵜呑みにするのは危険だ。やはり、プロの探偵が調べないと、実際どんな家系なのか判らない。ただ、機密情報を扱う防衛大臣や総理大臣になる議員には、三代前くらい血筋を遡って厳格な身元調査が必要だ。

  話を戻す。デラウェア州選出の上院議員、ジョー・バイデン(Joseph Robinette Biden, Jr.)は、一応カトリック教会に属するキリスト教徒になっている。父親のジョセフ・シニアはイギリス・アイリス・フランス系の人物で、母親のキャサリン・ユージニアもアイリス系であった。それゆえ、彼がカトリック信徒らなっても一向におかしくはない。ただ、1960年代までのアメリカでは、カトリック信徒の社会的地位は高くなかったから、プロテスタントのアメリカ人はイタリア人やアイリス人を見下すこともあったし、謂われなき偏見を持たれることもあったようだ。日本でも知られているように、上院議員だったジョン・F・ケネディーが大統領選挙に出馬した時、世間からローマ教皇への忠誠心を問題にされたことがある。青年時代のバイデンも多少苦労したようで、ネイリア・ハンター(Neilia Hunter)と交際した時、彼女の両親はカトリック信徒の婚約者を厭がったという。それでも、バイデンはネイリアと結婚し、乗り気でなかった両親も渋々認めたそうだ。

  ジョセフとネイリアの間には、長男のジョセフ3世(通称「ボー(Beau)」)と次男のハンター(Robert Hunter)、娘のナオミ(Naomi Christina)が生まれたが、この幸せは長く続かなかった。若い頃から野心家だったバイデンは、まだ州議員や下院議員にもなっていないのに、30代で連邦上院議員を目指していたのだ。幸運なのか偶然なのか分からぬが、ひょんなことからバイデンに上院へのチャンスが訪れた。1972年、彼は共和党の現職議員であるジェイムズ・カレブ・ボッグス(James Caleb Boggs)を相手に上院選挙へと出馬する。というのも当時、大統領だったリチャード・ニクソンがボックスに全面的な支持を表明したので、民衆党の有力候補だったピート・デュポンらは「勝ち目が無い」と悟り、及び腰になっていた。民衆党の劣勢が濃くなり、誰もが負け犬になると予想したので、「それなら一丁、“ダメもと”でバイデンの若造に任せるか !」となった訳である。ところが、政界は賭場でもあるので、駄馬と見なされていたバイデンに軍配が上がってしまった。

Beau Biden & family 3Hunter & Jose Biden 1

( 左 : ボー・バイデンとその家族 / 右 : 息子のハンターと父のジョー・バイデン)

  結果的には当選となった訳だが、選挙中のバイデンには悲劇が訪れていた。1972年12月18日、ネイリア夫人が子供達を連れてクリスマス・ショッピングをしたところ、彼女が乗っていたステーションワゴンが追突事故に遭ってしまい、運転していたネイリアと娘のナオミは亡くなってしまう。同乗していたボーとハンターは怪我をしたものの、命だけは取り留めた。突然の訃報にバイデンは激しいショックを受けたという。この哀しみにより、彼は選挙から撤退しようと考えたが、上院総務のマイク・マンスフィールド(Mike Mansfield)が説得したので、気を取り戻して選挙を続けることにしたそうだ。(このマンスフィールド議員は民衆党の大物で、1977年から1988年まで駐日米国大使を務めたことで有名だ。) 夫人を亡くしたことにより同情票が集まったのかどうか分からないが、バイデンは僅差でボックスに勝つことができた。

Joe & Neilia Biden 1Joe & Naomi Biden 1

(左 : ネイリア・ハンターとジョセフ・バイデン / 右 : バイデンと 娘のナオミ)

  30歳という若さで上院議員となったバイデンは、五年後にイタリア系アメリカ人のジル・トレイシー・ジェイコブズ(Jill Tracy Jacobs)と再婚する。彼女との間にはアシュリー(Ashley)という一人娘が生まれた。一方、成長したボーは父と同じく政治の路を歩み、デラウェア州の司法長官になった。弟のハンターはロー・スクールに通って弁護士の資格を得ると、ビジネスの世界へと入って行く。彼は叔父のジェイムズ・バイデンと共にヘッジ・ファンドの「パラダイム・グローバル・アドヴァイザーズ(Paradigm Global Advisors)」を買収するが、この会社はいかがわしい詐欺商売をしていたので、2010年、彼らは自主的に会社を清算してしまったそうだ。その後、ハンターは名門ハインツ家の御曹司、クリス・ハインツ(Christopher Drake Heins)とタッグを組み、共同で投資会社の「ローズモント・セネカ・パートナーズ(Rosemont Seneca Partners)」を設立した。

Jill Biden 2Joe & Jill Biden 1

(左 : 若い頃のジル・バイデン / 右 : ジル夫人とジョセフ・バイデン )

  このクリスはジョン・ケリー元国務長官にとっては義理の息子に当たる。というのも、クリスの母であるマリア・テレサ・T・シモエス・フェレイラが実父の死後、ケリー議員と再婚したからだ。ポルトガル系移民のマリアは、上院議員だったヘンリー・ジョン・ハインツ3世と結婚してアメリカに帰化した。ところが、1991年、夫のヘンリーは飛行機事故で亡くなってしまう。丁度その頃、テレサはジョン・ケリーと出逢っており、やがて二人は交際を始め、1995年に夫婦となった。それにしても、副大統領の息子と元国務長官の息子が一緒に商売を始めるんだから、アメリカの上流階級は色々な人脈で繋がっているものだ。

Christopher Heinz 1Teresa Heinz & John Kerry 2Henry John Heinz 1


(左 : クリス・ハインツ / 中央 : テレサ・ハインツ夫人とジョン・ケリー / 右 : ヘンリー・ジョン・ハインツ )

  オヤジの地位を利用して金儲けに走る息子は珍しくない。2014年、ハンターはウクライナの大手企業、「ブリズマ・ホールディングス(Brisma Holdings)」の重役となった。この会社は天然ガスの生産と販売を手掛けているそうだ。ハンターの強欲ぶりは、主要メディアで報道された通り。右から左へとガスを動かしているだけなのに「濡れ手に粟」なんだから、「有力者のお坊ちゃん」というのは羨ましい。一方、この「ブリズマ」は、ウクライナでオリガルヒ(Oligarch / 新興財閥)となったミコラ・ズロチェフスキ(Mykola V. Zlochevsky)ーが創設した会社である。一応、彼は元資源・環境大臣という肩書きで、「ウクライナ人の実業家」と呼ばれているが、もしかすると「隠れユダヤ人(crypto Jew)」なのかも知れない。名前だけでは断定できないが、以前、当ブログで紹介したように、ロシアやウクライナで幅を利かせるオリガルヒは、“ほとんど”がユダヤ人。西歐のユダヤ人が起こしたカラー革命は有名だが、ウクライナでも現地人の振りをしたユダヤ人は結構多い。

  米国でウクライナ系の有名人と言えば、映画監督のスティーヴン・スピルバーグや俳優のシルヴェスター・スタローンだ。スピルバーグの父親はウクライナ系ユダヤ人の家系である。一方、スタローンの父フランクはイタリア系だが、母親のジャクリーヌ・ラボフィッシュ(Jacqueline Labofish)は、ウクライナ系ユダヤ人の血筋に連なっている。したがって、「イタリアの種馬」と呼ばれたロッキーも、現実の世界では「ユダヤの英雄」で、ハリウッドよりもイェルサレムのスターが相応しい。日本人には知られていないけど、スライ(彼の渾名)の母親は強烈なインパクトを持つ女性で、怪しげな星占いが得意で、女子プロレスのプロモーターでもあった。ホント、ユダヤ人には凄い人物が多い。

Jackie Stallone 2Stephen Spielberg & father 1


(左 : ジャクリーヌ・スタローン / 右 : 父親と一緒のスティーヴン・スピルバーグ )

  コメディアンからウクライナ大統領になったヴォロディミル・ゼリンスキー(Volodymyr Zelinsky)もユダヤ人である。ところが、彼は選挙前、自身の家系を明らかにせず、曖昧なままにして、“わざと”隠していたのだ。(Cnaan Liphshiz, "Jewish comic who plays Ukraine president on TV leads Ukraine's presidential race", The Times of Israel, 13 March 2019.) イスラエルや歐米のユダヤ人なら、ゼリンスキーを一瞥しただけで「同胞だ !」と判るのに、日本のニュース番組ときたら脳天気で、アリバイ作り程度の報道でお茶を濁し、彼の素性や思想には一切触れなかった。この漫才師は「国民の公僕」を“売り”にしていたが、腐敗が常習化するウクライナで誰がそんな戯言(たわごと)を信じるのか? 当選後、彼は自分の家系を明らかにし、「私にはユダヤ人の血が流れている」と公言していた。("I have Jewish blood and I am a President", Religious Information Service of Ukraine, 20 January 2020.) この新大統領によれば、「ウクライナは世界中で最も反ユダヤ主義が少ない」国となっているが、それなら“どうして”選挙中に隠していたのか? 本当は根強い反ユダヤ感情が残っているから言いたくなかったんじゃないか? ちなみに、第二次世界大戦でドイツに占領された時、ウクライナではナチスに協力する者が多く、警官や軍人、ナショナリストが積極的にユダヤ人を迫害していたそうだ。やはり、祖国から不愉快な民族を一掃できると思ったから、喜んで協力したのだろう。フランス人やオランダ人と同じだ。

Volodymyr Zelensky 3Mykola Zlochevsky 1


(左 : ヴォロディミル・ゼレンスキー / 右 : ミコラ・ズロチェフスキ )

Hallie Biden 4(左 / ハリー・オリヴェール )
  脱線したので、バイデン家の話に戻す。地元のデラウェア州で政治に邁進していたボー・バイデンは、2002年にユダヤ人のハリー・オリヴェール(Hallie Olivere)と結婚し、娘のナタリーと息子のロバート・ハンター・バイデン2世をもうけていた。(Irene Connelly, "Everything you need to know about Joe Biden'sJewish Relatives", The Jewish Daily Forward, August 20, 2020.) しかし、2015年、彼は脳腫瘍が原因で亡くなってしまう。享年46。ところが、同情が愛情に変わったのか、弟のハンターは兄貴の未亡人と恋仲になり、2016年から2019年くらいまで付き合っていたそうだ。でも、彼が1番目の妻と離婚する間際だったから、何とも微妙な関係である。元々、ハンターは既婚者で、1993年、キャサリーン・ボール(Kathleen Buhle)と結婚し、娘のナオミ、フィネガン、メイシーの三人をもうけていた。2017年、ハンターはキャサリーンと正式に離婚し、ハリーを経て南アフリカ出身のメリッサ・コーエン(Melissa Cohen)と交際するようになった。英国との関係が深い南アフリカにはユダヤ人が多く、名前からも判るように、メリッサも同胞の一人だ。彼女は映画の制作に携わっていたという。二人の間には息子が一人生まれている。ただし、彼女も離婚経験者で、元の亭主はロサンジェルスに住むユダヤ人のビジネスマンであったらしい。

Hunter Biden & Kathleen 1Melissa Cohen 3

( 左 : ハンター・バイデン / 中央 : キャサリーン・ボール / 右 : メリッサ・コーエン )

  父親のジョセフとジルの間には、「アシュリー」という娘がいて、彼女もユダヤ人のハワード・クレイン(Howard Krein)と結婚した。("Why Did All of Joe Biden's Children Marry Jews?", Christians for Truth, October 24, 2019.) この娘婿は耳鼻咽頭科の医者らしいけど、普通の親でカトリック信徒なら、「またユダヤ人かぁ〜」と嘆きたくなる。でも、金銭と権力を愛するバイデンは違う。セム種族の息子は力強い味方となる。たとえ、「義理(法律上)」であっても、ユダヤ人の家族を持てば大富豪や権力者のユダヤ人から「仲間」と見なされるから都合がいい。建前上、ユダヤ人は「世界市民」を理想とするが、私生活となれば踵(きびす)を返した「身内贔屓」で、同じ種族の利益を優先する。ただし、西歐系白人となれば話は別で、彼らはチャンスを摑むと喜んで結婚する。ところが、黒人だと知らんぷり。というより、最初から問題外で、黒い赤ん坊なんて真っ平御免みたいだ。第一、両親が猛反対するから、黒人や茶色いアジア人には興味が無い。たぶん、自然と避けるというか、性的な魅力を感じないんだろう。やっぱり、いくら嫌われようが、残酷なアーリア人が大好き。

Ashley Biden & husband KreinChelsea Clinton 3Marc Mezvinsky 01


(左 : アシュリー・バイデンとハワード・クレイン / 中央 : チェルシー・クリントン / 右 : マルク・メツヴィンスキー )

  とにかく、近年の東部エスタブリッシュメントはユダヤ人との婚姻を嫌っておらず、むしろ歓迎しているようだ。例えば、ビル・クリントン元大統領とヒラリー・クリントン元国務長官の一人娘であるチェルシー・クリントンが結婚したのもユダヤ人であった。かつてはNBCで特別記者を務めていたチェルシーは、両親が設立した「クリントン財団」や「クリントン・グローバル・イニシアティヴ」を引き継いでいる。そして、彼女が結婚相手に選んだのは、「TPG Capital」を運営する投資家のマルク・メツヴィンスキー(Marc Mezvinsky)だ。彼は以前、有名な「ゴールドマン・サツクス」に勤めたことがあり、その後、「Social Capital」の副会長を経て、「3 P Capital」の上級パートナーとなっている。また、彼はヘッジ・ファンドの「Eaglevale Partners」も運営しているそうだ。

  クリントン政権で副大統領を務めたアルバート・ゴアとティッパ夫人にも娘がおり、長女がユダヤ人の亭主を持っていた。長女のカレンナ・ゴア(Karenna A. Gore)は、1997年にアンドリュー・シフ(Andrew Newman Schiff)と結婚し、2010年に別れている。このアンドリューは日本でも有名なジェイコブ・シフの子孫だ。アンドリューは如何にもユダヤ人らしく、様々な分野の知識を持つ。彼はブラウン大学で神経学を専攻し、コーネル大学の医学校に通って医師免許を得た。さらに、コロンビア大学にも通い、M.B.A.(経営学修士号)を取得している。学業を終えると、彼は様々な団体や製薬会社の顧問となり、現在は投資会社の「アイリング・キャピタル(Aisling Capital)」の運営に携わっているそうだ。二人には子供が三人できている。長男がワイアット・ゴア・シフで、長女はアンナ・ハンガー・シフ。次男がオスカー・アチソン・シフとなっている。

Karenna Gore & Andrew Schiff0002Al Gore & Kristin & Tippa

(左 : カレンナ・ゴアとアンドリュー・シフ / 右 : アル・ゴア元副大統領とティッパ夫人、娘のクリスティン)

Edward Emmett Kaufman 2(左 / エドワード・エメット・カウフマン )
  バイデンの家族ではないが、側近のエドワード・エメット・カウフマン(Edward Emmett Kaufman)もユダヤ人である。バイデンが副大統領に就任した時、長年持っていた上院議員の席が空いたので、カウフマンがバイデンの後釜となっていた。この後継者はロシア系ユダヤ人の父を持つが、母親のヘレンがアイリス系カトリック信徒なので、幼い頃からカトリック教会に通って成長したそうだ。彼は若い頃、ボランティアの身分でバイデンの選挙を手伝い、その後、一旦は別の仕事に就いたが、1976年に戻ってきてバイデンの選挙参謀となったそうだ。そして、1995年まで親分に仕えていたという。2008年、バイデンが副大統領になったので、デラウェア州知事のルース・アン・ミナーは、カウフマンを後任として指名し、彼は2009年から2010年まで代理の上院議員を務めていた。任期が切れてもカウフマンは出馬せず、クリス・クーン(Chris Coon)が当選して新たな上院議員となった。

  一般の日本人にはピンとこないが、アメリカにおけるユダヤ人の地位向上は本当に著しい。50年くらい前まではユダヤ人の台頭は好まれていなかったし、名門の組織で脚光を浴びることはなかった。例えば、1973年12月14日のウォール・ストリート・ジャーナル紙は、ユダヤ人のアーヴィング・シャピロ(Irving Shapiro)が有名企業の「デュポン(DuPont)」社で経営者になったことを“わざわざ”報じていた。("Boss-to-Be at DuPont Is an Immigrant's Son Who Climbed Hard Way"という見出し。) もちろん、1973年以前にも裕福なビジネスマンはいたけど、老舗の有名企業とかワスプ(WASP)が君臨する大会社のトップには立てなかった。名門企業の幹部となれば、アイヴィー・リーグを出たオールド・ボーイズの人脈を持ち、同じような環境で育った紳士というのが定番だ。下品さが滲み出るユダヤ人などは、いくら勉強が出来ても仲間はずれである。第一、食事を共にするだけでも不愉快だ。ましてや、自宅に招いて親睦を深める間柄にはなれない。

  今や、政財界のみならず、官僚組織やエンターテイメント業界、アカデミズム、インターネット業界、ジャーナリズム界などではユダヤ人が主流を占めている。しかし、彼らがアメリカの総人口の中で占める割合は小さく、3%から4%くらいだ。これは驚くべき現象である。ユダヤ人というのは仲間同士で助け合い、タカリ先の支配階級になってしまうのだ。彼らの性質を眺めていると、本当に危険な種族であることが誰にでも解るだろう。もし、日本の政官財やメディア界、教育界を帰化鮮人が支配したらどんな事態になることか。各業界を牛耳る朝鮮人は、同胞同士で団結するが、決して日本人の為に働く事はない。彼らは心の底から日本を恨んでおり、「自分達を侮蔑した日本人を見返してやりたい !」と密かに思っている。子供の頃にイジメられたことがある朝鮮人だと、「あいつらを顎でこき使ってやる !」と鼻息が荒くなる。賤民として蔑まれてきた朝鮮人は、日本の皇室に対して1gの敬意も無い。あるのは無関心と敵愾心だけ。日本の伝統も彼らにとっては異邦人の慣習に過ぎない。天皇陛下に謁見するよりも、ジャニーズ事務所の歌手に会った方が感動するんだから。

  アメリカのユダヤ人も帰化鮮人と同じで、アングロ・サクソンの伝統文化などには関心が無く、たとえ、僅かな憧れがあっても、自分の文化じゃないから、必死で守ろうとする気概は無い。ユダヤ人に本当の保守派がいないのは、住み着いたアメリカが彼らの「祖国」ではないからだ。そのかわり、「心の祖国」であるイスラエルには特別な思いがある。熱心なシオニストや親イスラエル派のユダヤ系アメリカ人は、「裏切り行為」となるのに、イスラエルのエージェントに協力したり、政界工作や諜報活動に携わって「愛国心」を満たそうとする。建前上、ジャレッド・クシュナーはトランプ大統領の助言者となっているが、実質的にはベンジャミン・ネタニヤフ首相の代理人みたいだ。

Steven Mnuchin 1Edward Lampert 1

( 左 : スティーヴ・ムニューチン / 右 : エドワード・ラムパート )

  ちなみに、トランプ政権で異彩を放つのは財務長官のスティーヴ・ムニューチン(Steven Mnuchin)である。国防長官や国務長官は別の人物に代わっているのに、財務長官はずっと同じユダヤ人。スティーヴは元ゴールドマン・サックスのビジネスマンで、彼の父親であるロバートも同社に勤めていた。曾祖父はこれまたユダヤ人らしく、ロシア出身のダイヤモンド商人。ゴールドマン・サックスを辞めたスティーヴは、投資会社の「ESL Investment」に勤めるが、ここはイェール大学でルームメイトだったエドワード・ラムパート(Edward Lampert)が所有する会社で会った。この友人もユダヤ人。「類は群れる」というが、ユダヤ人には先天的な磁石があるみたいだ。

  バイデン家にユダヤ人が増えたのは偶然なんだろうが、支配階級に異人種が増殖するのは、どことなく不安だ。やはり、同種族の政治家や官僚でなきゃ安心できない。これは日本でも同じで、国会議員や高級官僚の名簿を見て、「金」「朴」「鄭」「李」といった名前がズラリじゃ目眩がしてくる。藝能界にも朝鮮人がウジャウジャいるから何となく気分が悪い。帰化鮮人の娘である「都はるみ」(日本名 : 北村春美/ 本名 : 李春美)は、政治家と違って無害だけど、ヒット曲の「北の宿」を改めて聴けば、「北鮮にある民宿なのかなぁ〜」と思えてくるし、1965年の曲「涙の連絡船」を聴けば「万景峰号」かな、と勘違いしそうだ。都はるみは、1973年に「遠くへ船で行きたいの」や「国盗り物語」という曲を唄っていた。これがもし「朝鮮人の日本乗っ取り物語」だと、戯(ざ)れ歌じゃなく叙事詩に聞こえてしまうよねぇ〜。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827463.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1108.html

[近代史4] キッシンジャーがやった事
キッシンジャーがやった事


キッシンジャーがやった事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/141.html

中曽根康弘とキッシンジャー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/736.html

日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1109.html

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
60. 中川隆[-10848] koaQ7Jey 2020年10月15日 11:19:53 : O4DetySqsQ : ZG9KcVZaVUpyTEE=[6]

2020.10.15
苦境に陥ったサウジとトルコを米国が操り、戦乱を拡大させる動き
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010150000/


 シオニストの一派であるネオコンが描く世界制覇の絵図に乗ったサウジアラビアとトルコが苦境に陥り、中東の不安定要因になっている。アメリカはその状況を利用しようとしているようだ。

 サウジアラビアで実権を握っているモハメド・ビン・サルマン皇太子はアメリカのドナルド・トランプ大統領やイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と近く、政治経済の政策は新自由主義の影響を強く受けている。その政策が失敗、国は破綻の危機に直面している。

 新自由主義を導入したことが失敗だが、直接的には石油相場の大幅な下落が大きい。相場が大きく下がり始めたのは2014年の半ばだが、これはアメリカとサウジアラビアが仕掛けた結果。バラク・オバマ政権はロシアと中国に対する戦争を開始、2013年から14年にかけてウクライナでネオナチを使ったクーデターを実行し、14年から15年にかけて香港ではイギリスと「佔領行動(雨傘運動)」を仕掛けている。

 ソ連消滅の時に石油相場の下落が効果的だったという記憶があったようで、同じことをしようとしたのだろう。WTI原油の場合、2014年5月には1バーレル当たり110ドルを超す水準にあったが、年明け直後には50ドルを切る。2016年1月には40ドルを割り込んだ。

 値下がりが始まって間もない2014年9月11日にアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王は紅海の近くで会談、それから加速度的に下げ足を速めたことから原油相場を引き下げる謀議があったとも噂されている。

 ところが、原油価格の下落はロシアでなくサウジアラビアやアメリカの経済にダメージを与えることになった。ロシアの場合、石油相場と同じようにロシアの通貨ルーブルも値下がりしたことからアメリカ支配層が望んだような効果はなかった。

 2014年にサウジアラビアは約390億ドルの財政赤字になり、15年には約980億ドルに膨らんだという。2020年におけるサウジアラビアの財政赤字は500億ドルと予想されていたが、これは1バーレル当たり60ドル強という前提での話。COVID-19(新型コロナウィルス)の影響で経済活動が急減速、その影響で石油相場は40ドルあたりで推移している。このまま進むと、​サウジアラビアの財政赤字は500億ドルを大きく上回る可能性​が高く、金融資産が底をつくとも見られている。

 そうした状況の中、サウジアラビアのサルマン国王は2017年10月にモスクワを訪問、ロシア製防空システムのS-400を購入したいという意向を伝え、ロシア側は受け入れる姿勢を示し、その半月ほど後にロシアのウラジミル・プーチン大統領がサウジアラビアを訪問した。それに対し、ビン・サルマン皇太子はその翌月に王族、閣僚や元閣僚、軍人などを大量に拘束して資産を取り上げる。

 ビン・サルマン皇太子による粛清で皇太子にものを言える人物が激減したが、例外的なひとりが国王の個人的な警護責任者だったアブドル・アジズ・アル・ファガム少将。国王が絶対的な信頼を寄せていた人物で、皇太子にとって都合の悪い情報も伝えていた。そのファガム少将が昨年(2019年)9月28日に射殺された。

 その2週間前、9月14日に18機のUAV(無人機。ドローンとも呼ばれる)と7機の巡航ミサイルでイエメンのフーシ派はサウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設を攻撃、大きな損害を与える。サウジアラビアの支配層が動揺したことは言うまでもない。その翌日、フーシ派はサウジアラビアの3旅団を壊滅させたと発表していた。

 そこでサウジアラビアの内部にイランとの関係を修復しようと考える人が現れても不思議ではない。実際、イラクを仲介役として緊張緩和に関する話し合いが始まった。イラン側のメッセンジャーがイスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われているコッズ軍を指揮してきたガーセム・ソレイマーニーだ。

 サウジアラビアの自立はアメリカの支配システムを揺るがす。そこでドナルド・トランプ政権はイスラエルの協力を得て今年1月3日、ソレイマーニーをイラクのバグダッド国際空港で暗殺した。イスラエルから提供されたソレイマーニーに関する情報を利用し、アメリカ軍がUAV(無人機、ドローン)で攻撃したと言われている。国家テロだが、「国際世論」は沈黙した。

 イラクのアディル・アブドゥル-マフディ首相によると、緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていた。これはイランへの宣戦布告行為であると同時に、サウジアラビアに対する警告でもあったのだろう。

 そして2月20日にアメリカのマイク・ポンペオ国務長官はサウジアラビアの国王と皇太子に会い、2月24日にはサウジアラビア国王は宮殿へイスラエル人ラビを迎え入れた。ソレイマーニー暗殺はアメリカやイスラエルにとって中東における和平の流れを断ち切る重要な作戦だったと言えるだろう。

 8月4日にはレバノンの首都ベイルートで大きな爆発があり、インターネット上に流れている映像には核爆発を思わせるキノコ雲や衝撃波が映っている。保管されていた硝酸アンモニウムが爆発したという話が流されたが、その一方でミサイルを目撃したとする証言や複数の映像も伝えられている。最初の爆発はイスラエルが発射した対艦ミサイルガブリエル、2度目の爆発はF16が発射した核弾頭を搭載したデリラだとする説もある。爆発の様子やクレーターの存在などから小型核兵器、あるいは核物質を使った新型兵器だとも言われている。

 その爆発から9日後にアラブ首長国連邦とイスラエルが国交を「正常化」するとトランプ大統領が発表。バーレーンがそれに続いた。アラブ首長国連邦もバーレーンも9月15日に調印したが、いずれもアメリカ、イギリス、そしてサウジアラビアの影響下にある国。この調印をサウジアラビアは承諾したと見られている。

 その​サウジアラビアは自国の戦闘部隊を8月26日にシリア北東部、ハサカにあるアメリカ軍の基地へ入れた​と伝えられている。戦闘部隊は約20名で編成され、石油を盗掘するため、その1週間前に現地入りしたサウジアラビアやエジプトの専門家を守ることが目的だという。昨年12月にはユーフラテス川沿いにあるシリアの油田地帯、デリゾールへ数十名のサウジアラビア兵がヘリコプターで到着したとも伝えられている。

 一方、トルコは経済が行き詰まっただけでなく、自らが使っていたジハード傭兵の扱いに苦しんでいる。アメリカの場合、士官クラスは救出したが、末端の戦闘員は放置しているようだ。そうした戦闘員は食べるために徒党を組み、中東を荒らし回ることになるだろう。

 中東や北アフリカの制圧に失敗したアメリカはプランBとして破壊と殺戮で「石器時代」にしようとするはず。雇い主を失った傭兵はそうした計画を実現することになる。

 しかし、トルコの場合、殺戮や破壊だけでなく略奪で稼いでいた傭兵はイドリブからトルコへなだれ込む可能性がある。そこで新たな行き先としてリビアやナゴルノ・カラバフへ流れ込んでいるようだ。

 アメリカの情報機関CIAはジョージアのパンキシ渓谷でチェチェンの反ロシア勢力を訓練してきた。シリアへ入っていたチェチェンの戦闘員だけでなく、稼ぎ場を求めて別の戦闘員がカフカスへ入ってきていると言われているが、これはロシアにとって好ましいことではない。トルコとアメリカとの間で何らかの話し合いが行われた可能性もある。セルゲイ・ショイグ露国防相がレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に電話で抗議したようだが、当然だろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010150000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c60

[番外地8] (緊縮財政+消費税)の方が(赤字国債大量発行+財政出動)より望ましい政策である理由 中川隆
4. 中川隆[-10847] koaQ7Jey 2020年10月15日 12:07:28 : O4DetySqsQ : ZG9KcVZaVUpyTEE=[8]
(緊縮財政+消費税)は(赤字国債大量発行+財政出動)よりも格差拡大を防ぐ優れた政策だった
利子付き国債は資本家へ所得を再分配する為に考えたシステムです:
国債を持っている銀行や資本家は政府に借金させてこれだけボロ儲けしているんですね:
利子付き国債の発行はこれだけ貧富の差を拡大する
バブル崩壊で勝ったのは国債だけだったという事実
最も「勝ち組」の投資は日本国債だった
1990年台バブル崩壊で「1円も損をせず」「元金が7倍以上になった」のは日本国債を買った人だけだった。
バブルの頃は色々な投資がブームで、金銀、土地、ゴルフ会員権、株やピカソの絵、ハワイや湯沢の別荘が人気でした。
これらの投資はその後のバブル崩壊で全て損をした筈で、保険や年金商品ですら政府の方針でカットされていました。

そんな中で唯一バブル崩壊の影響をまったく受けなかった投資商品が「日本国債」で、日本国債が危ないという定説とは真逆の結果です。


バナナ売りみたいな投資アナリスト達は毎日毎日「あぶないよあぶないよ、さあ国債が破綻するよ」と道端で「国債が危ない」と言い続けています。

彼らがそう言っている理由は国債以外の投資商品を売って稼いでいるからで、国債が売れたら困るのです。

日経先物とかFXとか株とか土地とかピカソの絵を売って初めて「カモ」から金を取れるので、日本国債が売れたら儲からなくなるのです。


1980年に日本国債を購入した人は、30年後の2010年に7倍に増えていて、もし最初に1000万円なら7000万円、100万円でも700万円に増えていたのです。

バブル崩壊も阪神大震災も福島原発もリーマンショックもすべて無関係で、1980年台に買っていさえすれば誰でも7倍になったのです。

では日本国債を買う以外でこの30年間に投資で資産を7倍にした人がどれだけ居たか、聞くまでもなくほとんど居ないはずです。

日本国債より危険な投資に手を出す人々

「そんなのウソだ。日本国債はゼロ金利じゃないか」というもっともな意見がありますが、それでも30年間毎年金利が付くことで、5倍とか7倍に増えるのです。

考え方を変えれば本当に「金利ゼロ」だったとしても、デフレで物価が下がると実質的にお金が増えるのです。

「経済専門家は皆日本が破産すると言っている」というもっともな意見もあるが、逆に日本政府が破産した後に残る安全な物って何なんでしょう?


例えば土地は消えませんが、戦前日本最大の資産家だった本間家(ローソク足を発明した本間宗久の子孫)は敗戦でアメリカ軍に土地を没収され、ただの釣具屋になり今は中国に買収されて消滅しました。

有名企業の株を保有しても日本政府が倒産するほどの事態なら、三菱や三井やトヨタだって倒産するでしょう。

金などの貴金属は物質として目減りしませんが、あの手のものは長期的には必ず物価上昇率より価値が目減りしていきます。


日本国債がデフォルトするほどの危機なら、どんな資産も無価値になる可能性が高く、それらより危険ではありません。

例えば沖縄県知事のアホは「中国に統一してもらって日本から独立しよう」と言っていますが、中国は共産国家で個人の土地所有が認められていません。

米軍基地が中国軍基地にかわり、土地は政府の所有になり、住民は政府から借りた借地に住む事になります。(中国人民はそうしている)

日本国債より安全な投資って何?

日本国債が無効になるほどの衝撃というのはこれほどの事が起きると推測でき、こんな事を考えるよりは自衛隊に税金を払ったほうが幾らかマシです。

「日本国債がアブナイから他に投資しよう」という考えは一見合理的にみえて、相当におかしいのが分かると思います。

例えていえば「巨大隕石が地球に落下するから地球の裏側に逃げよう」みたいな話で、恐竜より頭の働きが鈍いです。


日本国債ではなく米国債など外国政府に投資しようという人も居て、こちらの方は理にかなっています。

円高が進んでも日本よりアメリカの金利が高いので、最終的に日本国債を買うよりも、数十年後に元本が増える可能性は高いです。

だがしかし日本の証券会社から米国債を買って、日本政府が倒産したときにその証券会社は存在し、銀行は投資した元本を保証してくれるのか甚だ疑問です。


日本が破産したとき自分が買った証券会社が倒産していて、資産保全しているメガバンクも倒産したら、買っておいた米国債も消滅するでしょう。

アメリカの証券会社から米国債を買うという方法もあるが、おそらく日本からだと余計なコストを取られたり不利になるかも知れません。

このように考えると「日本国債があぶない」から色々な投資を試みるのは、結局どれも日本国債そのものより危険な投資に手を出すハメになります。
_______

銀行や生命保険会社は日本国債の利子でなんとか資産運用しているんですね。
アベノミクスで日本国債を日銀に売らされた銀行や生命保険会社はその金でアメリカ国債を買っています。
株やハイリスク債は投機性が高いので、資産運用はどうしても国債の利息に頼るしかないのです。
そして、銀行や生命保険会社の儲けは資本家の利益になります。つまり、日本政府の金を資本家にばら撒いています。

デフレの原因は労働者の購買力の低下ですから、財政出動ではデフレから脱却できません。
いくら財政出動しても大企業と資本家が儲かるだけで、労働者の賃金は上がりません。
従って、政府がいくら金融緩和や財政出動しても大資本家を富ませるだけで、デフレからは脱却できません。
そもそもルーズベルト大統領のニューディール政策も大失敗で、政府が財政出動に使った膨大な金は労働者には回らず、すべて大資本家に行ってしまったのです。 戦争以外の公共事業ではデフレから脱却できなかったのです。それがその後もアメリカが年がら年中、世界のどこかで戦争を起こしている理由です。

国債発行すると貨幣価値が段々下がって紙屑になっていきます。日本円も為替でドルと連動しているので、ドル同様に紙屑になっていきます:

政府の財政出動の為に金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801

紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/366.html#c4

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 渡部篤郎・飯豊まりえ パパ活 (フジテレビ 2017年)
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 渡部篤郎・飯豊まりえ パパ活 (フジテレビ 2017年)




脚本 - 野島伸司
主題歌 - Beverly「Unchain my heart」
音楽 - グランドファンク
配信期間 2017年6月26日 - 2017年11月29日(8回)
制作 エイベックス通信放送 フジテレビジョン



2017年10月12日 (11日深夜) より毎週木曜0時55分 - 1時25分 (初回のみ1時25分 - 1時55分) 地上波で放送。


『パパ活』(パパかつ)は、2017年6月26日から毎週月曜0時にdTV・FODで配信開始された日本のインターネットテレビのドラマ。主演は渡部篤郎。脚本は野島伸司。


視聴者の好評に応え、同年10月12日(11日深夜)より毎週木曜0時55分 - 1時25分 (初回のみ1時25分開始) にフジテレビにて地上波放送開始[1]。2018年2月23日にエイベックス・ピクチャーズよりDVD-BOXを発売予定。


言葉の由来はユニバース倶楽部がマーケティング戦略として生み出したとされている。


エイベックス通信放送の映像配信サービスdTVとフジテレビのタッグによるオリジナルドラマの2作目[2]。


女性が男性から金銭的支援を受けることを目的に交際をする、現代の新たな男女関係「パパ活」を題材にした野島伸司のオリジナル脚本のラブストーリー[3]。物語の中心となるのは女子大生の杏里と大学教授の航である[4]。


野島によると、本作においてパパ活は「入り口のモチーフ」として使われており[5]、物語は「年の差恋愛」のみをテーマとしてはいない[4]。ヒロインである杏里がパパ活を開始するのは生活費を稼ぐためであり[5]、背景にある「貧困女子」という現代の社会問題や、航の抱える心の闇をも描いている[4]。



あらすじ


20歳の大学生・杏里は母親の再婚により家から追い出され、航は10年前に10歳の娘を亡くしていた。利害の一致した2人は「パパ活」サイトを通して出会い、疑似親子として生活する。しかし次第に「禁断の恋」に落ちていく。[6]


キャスト


栗山航〈45〉
演 - 渡部篤郎
フランス文学を教える大学教授。杏里と同年代の娘を亡くしている。


赤間杏里〈20〉
演 - 飯豊まりえ
女子大生。母親が離婚ののち再婚し、家に居場所をなくして「パパ活」を始める。


柿沢実〈23〉
演 - 健太郎
コック見習い。杏里に想いを寄せながら、複数の女性と遊んでいる[6]。


栗山菜摘〈44〉
演 - 霧島れいか
航の妻。夫婦関係は破綻しており、芳樹と不倫している[6]。


入江芳樹〈44〉
演 - 橋本さとし
レストランのオーナー。航の旧友で、菜摘と不倫している[6]。



キャスティング


本作のヒロイン・赤間杏里を演じるのは飯豊まりえ。飯豊によれば、自分とは正反対の性格で強めの口調の今風の「イケイケな女の子」を演じること[7][8]や、「パパ活」のテーマ、自身の父親と同年代の男性との恋愛を理解するのは困難で、脚本を読んだ当初は「できないと思いました」と語っている[9]。


しかし飯豊は10代のうちに大人の男性との恋愛を演じる経験を前向きに捉え、年の差恋愛を意識せず「普通に恋をする気持ち」を表現しようと出演を決意。のちにプロデューサーから「逆に恋愛をあまり知らない人、恋愛体質じゃない人に演じて欲しかった」と聞かされたことで不安は軽減されたという[9]。


さらに飯豊は、ヒロインの「すべてを投げ出しても飛び込みたい」気持ちに共感したい一方で理解できない葛藤を抱えながら演じるうちに、絶望の中で寂しさを抱え込む女の子が1人の男性の存在により希望を取り戻す、という杏里の役柄に「リアルさ」を感じるようになったという[10]。


レビュー


宮田文久によると本作は、「パパ活」のもつスキャンダラスなイメージの裏側にある、"理解者"を求めているにもかかわらず周囲と"想像したような関係"になれない焦りや寂しさを描こうとしている。野島が1994年のドラマ『家なき子』の脚本で見せた「強烈なエモーションごと、切迫したリアリティーをぶつけてくる野島節」は本作でも発揮されており、20年前も現在も"現代社会"の人間関係の苦悩を描き続けてきた野島らしい作品であると評した[11]。


成馬零一によると、本作はタイトルから想像される「ちょっとHなラブコメ」ではなく、「愛と性を正面から描く」野島らしい作品である。そのうえで1993年の野島脚本ドラマ『高校教師』と同様に過激な題材を扱っていながら、本作では以前よりも「純粋な作家としての力量は洗練されて」いると評価した。そして2010年代の地上波テレビドラマに求められる穏やかな作風に合わせるのでなく、作品発表の場を有料配信動画に移すことで、野島は変わらず「青臭く尖っ」た作品を作り続けているとした[12]。



各話リスト


今夜泊まる所がないの
私はあなたのペット
淋しがりやの飼い主
恋したら契約違反
実の娘の身代わり
パパに抱かれる夜には
忍び寄る破局の予感
命短し恋せよ乙女


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%91%E6%B4%BB

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1026.html

[近代史4] 野島 伸司(1963年3月4日 - ) 中川隆
8. 中川隆[-10846] koaQ7Jey 2020年10月15日 14:25:09 : O4DetySqsQ : ZG9KcVZaVUpyTEE=[10]
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 渡部篤郎・飯豊まりえ パパ活 (フジテレビ 2017年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1026.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/998.html#c8
[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ いしだ壱成・酒井法子 聖者の行進 (TBS 1998年) 中川隆
16. 中川隆[-10845] koaQ7Jey 2020年10月15日 15:19:59 : O4DetySqsQ : ZG9KcVZaVUpyTEE=[11]
水戸事件を忘れちゃいかん!!!
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/archives/1272717022/


1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/01(土) 21:30:22 ID:XXynkv0t.net

あのTBSの「聖者の行進」の元になった水戸事件。
知的障害者等を雇っていた赤須正夫が障害者に強姦や暴行を加えた事件で
この極悪人赤須正夫に刑務所に送らずに執行猶予とし、
しかもその判決に激怒した被害者を逮捕して長期の勾留にして
加害者よりも重い実刑判決をした当時の水戸地裁(現在横浜地裁)の裁判官鈴木秀行。東京高裁の佐藤裁判官
検察のいいなりになり人を不幸にさせる悪質な裁判官どもを許しちゃいけないし、忘れてはいけない。

ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

水戸事件ホームページ
http://www.iris.dti.ne.jp/~globe/


4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/10(月) 23:05:04 ID:mziVUuby.net

この事件は衝撃的だったな。確か被害者の一人は死んだんじゃないか?
なんか脱走した障碍者がどっかの商店で赤須に取り押さえられその場で
商店の主人が唖然とするほど殴る蹴るの暴行を加えたとか。その時赤須は
「こいつらは動物のようにカラダで覚えさせないと」と、主人にぬかしたらしい。
こいつはもはやケダモノだ。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/10(火) 22:01:52 ID:???.net
赤須まさおって、すごい美男子だったからこの事件覚えている

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 11:43:40 ID:0qnfSETv.net
>>22
そんなに美男子なの?
そんな人がなんで障害者を強姦したり、いじめたりしたんだろう。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 13:37:48 ID:???.net

たしか、アナルセックスを強要された少女の告発から始まったんだよな。
どっかの局が、インタビューを放送していたよ。
「お、オシリの穴にチンポを突っ込まれたんです。痛かったですぅ。。」
放送するか普通。。。


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 22:19:25 ID:0qnfSETv.net

概括的にはこんな感じだ。
 茨城県水戸市に(有)アカス紙器というダンボール加工工場があった(1996年4月に「有限会社 水戸パッケージ」と商号変更し、
社長が交替した)。この工場は赤須正夫社長とその親族の「一族企業」で全寮制。そこの労働者30人のうちほとんどは知的障害者(精薄)だった。
ここの社長、地元では「大勢の知恵遅れを雇うなんてできる人は他にいない、赤須さんは神様のように素晴らしい」と絶賛され、数々の福祉表彰を受けている。
しかしその実態はと言えば、従業員に「おまえらは一人前の人間じゃない。国が認めたバカだ!」などと言い、また腐りかけたバナナを大量に食べさせて「こいつらはバカだから何でも食べる」
と言ってせせら笑っていたともいう。この会社では「殴る・蹴る・食事をさせない」といったものは言うにおよばず、「手錠をかけて長い時間放置し、固い板を膝にはさみ石を抱かせて正座させる」
といった、時代劇に出てきそうな拷問も日常化していたという。このような事実が露呈して以来、「水戸パッケージ」は、今や知能障害者福祉問題に興味を持つ人の間では、
知らない人はいないと言っても過言でないほどの悪名が轟いている。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 22:24:41 ID:0qnfSETv.net
障害者を雇うと1年にわたって国が賃金の半分を補助するという「特定休職者雇用開発助成金」制度がある。
この会社は一人に月10万円ぐらい賃金を支払ったことにしてこの助成金を受け取っていたのだが、
実はこの会社、2重帳簿をつけていて、実際に支払われていたのは3000-5000円。しかもそこから食費だの何だのと名目をつけて
、実際の支払いはほとんどゼロだったという。親にしても「一般企業に働かせてもらっている」
という負い目があるので、なかなか文句が言えなかった。1995年10月にこの事実が明るみに出され、
1996年6月には社長が詐欺容疑で逮捕されている。立件されただけでも、一年半に年間に渡って848万円ぐらい騙し取っていたという。

 さて、この助成金は基本的に一年半までの間しか支給されないため、この期間が過ぎた障害者ははっきり言って「邪魔なだけ」だ。
今でも水戸の近くの那珂港の魚市場に行くと、汚れ仕事が「イラン人」なんかに押し付けられている実態があるが、
労働生産性から考えると、知能障害者よりもイラン人でも使った方がなんぼかマシなのは言うまでもない。
 ということで、赤須社長、障害者が「自主的に辞める」ように仕向けることを考えた(障害者を解雇すると、
一定期間は助成金が降りなくなるので、クビにはできなかったのだ)。そこで上に書いたような拷問を行なったという訳。
千葉・茨城ローカル企業社長の悪辣さについては、地元の土建行政関係者などから話を聞いたこともあるのだが、
これぐらいのことなら平気でやる奴がいても不思議はないぐらいエゴイズムが強いようだ。


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 22:28:05 ID:0qnfSETv.net
この裁判の判決は1997年3月28日に水戸地裁で出されている。判決は懲役3年だが、「被告は知的障害者の雇用に貢献した」という理由で
執行猶予4年がついている。これに怒った被害者と家族・支援団体が、裁判所帰りの赤須正夫の乗車した車を取り囲み、
被害者の前で謝罪することを要求。具体的には、「地裁から出ようとした元社長と弁護士が乗った乗用車のキーを投げ捨て、
ほかの支援者と乗用車を取り囲み、約1時間半にわたって地裁構内に監禁した。大河内、小嶋の両被告はこの間、
元社長や弁護士のネクタイや衣服をつかんだり、乗用車を破損させる暴力行為を働いた。」とされている。
 これが「器物破損」「共同暴行」「監禁」にあたるとして、茨城県警は被害者の支援者の中心メンバーを逮捕・起訴。
赤須正夫は逮捕後1月で保釈になったのに対して、「支える会」の平島事務局長は13ヶ月に亘って拘留されている。ま
た裁判途中で病気となった大海日出子さんは、27回に渡り保釈請求を却下され、立証過程が終了するまでの約2年間、
国立水戸病院に身柄を拘束されている。一説では「訴訟妨害」目的で行なわれたともいう。


28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/12(木) 22:33:37 ID:0qnfSETv.net
この裁判は1997年7月以降、35回の公判が行なわれ、1999年12月13日に
地裁判決が出た(「障害者支援団体の3被告に有罪判決 水戸地裁」 毎日991213)。
大海日出子さんは懲役1年8月、平島武文事務局長は懲役1年4月。いずれも実刑判決である。
鈴木秀行裁判長は「動機、目的、社会的影響を考えると極めて悪質」と述べているが、
どう考えても「極めて悪質」なのは赤須の方で、
むしろ強引に事件を「でっち上げた」という感の方を強く受ける。


29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/13(金) 09:53:25 ID:SP8kSoYN.net

取引先の相手に売春(障害者の女性を)強要させたりと無茶苦茶な会社だったな。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/13(金) 13:31:15 ID:2nzl09v0.net
っていうかこの
赤須って今なにやっているの?
さすがに地元じゃ名前変えても会社やっていくの無理でしょう。


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/16(月) 10:09:32 ID:RVY4sCGk.net
20回も保釈却下はすごいね。
なにがなんでも出さないつもりだね。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 20:23:32 ID:jvgUIp38.net
鈴木秀行っていうのは結構被告人に暴言を吐いたり
2ちゃんでスレが立ったり、問題のある裁判官みたいだね。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/19(木) 21:55:30 ID:41DT8FXU.net
この事件のびっくりするところは、控訴して赤須に対して示談金を100万払って
示談しても実刑だったということ。
実際、初犯でこういった事件で示談が完了した場合、
ほぼ99%執行猶予なんだけどね。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/21(火) 06:07:14 ID:???.net

俺、当時この事件で署名を集めて送ったことがある。

あるニュースで赤須に犯された知的障害のある女性が
「オマンコされたんです」とインタビューに答えてて直接的な表現に驚いた

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 20:45:28 ID:gl8LXPMv.net
障害者雇うっていうのはどんなに覚悟していてもすごい大変な事でしょう。
なんの障害もない一般の人だってパワハラやセクハラなどトラブルは絶えないんだし。

赤須って確か障害者を雇ってくれている企業として地元の名士として
いろんな所から表彰されたみたいだね。
そうゆう人って表ではいい顔している分、すごいストレスがたまって
社内でストレスを発散するというタイプが多い。

強姦までやったり補助金を詐欺したり、ここまでひどいことはする奴はまれだけど
こういったタイプの経営者は非常に多いわな。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/04(月) 21:57:10 ID:sxUmFoeu.net

この事件で、障害者の人達に異例の実刑判決をした
当時水戸地裁の鈴木秀行裁判官、その後横浜地裁に異動になり
今年の4月から東京高裁の裁判官に出世しました。
やはり、検事の意に沿うような判決を出す裁判官は出世できるいい例ですね。

鈴木秀行異動履歴
http://www.e-hoki.com/judge/1536.html?hb=1


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/09(土) 11:43:16 ID:Aw/xRknW.net
★任意聴取の男性 「暴行され、自白迫られた」
他人の財布を横領した疑いで大阪府警から任意で取り調べを受けた30代の男性が、警察官
から暴行され、自白を迫られたとして8日、告訴すると発表しました。

 「お前、警察なめたらあかんぞ、お前」(警部補・会見で披露された録音)
 「知らんなんかで済まんぞ、お前」(警部補・会見で披露された録音)
 「殴るぞ、お前」(警部補・会見で披露された録音)
 「手ださへん思たら大まちがいやぞ、こるぁあ」(警部補・会見で披露された録音)
 「お前、大まちがいやぞ、こるぁあ」(警部補・会見で披露された録音)
 「座れ、こるぁあ」(警部補・会見で披露された録音)
 「やめてください」(男性・会見で披露された録音)
 「わからんのやったらわからんで勝負せいや、警察と」(警部補・会見で披露された録音)

男性の弁護団によりますと、先月3日、大阪府警東署などで7時間にわたって行われた取り調べ
の一部で、疑いがもたれている男性がICレコーダーで録音しました。

8日、大阪地検に提出する告訴状などによりますと、男性は会社員の女性が駅で落とした財布を
横領した疑いで警察の任意の取り調べを受けましたが、その際、刑事課の34歳の警部補ら2人
から太ももなどをたたかれたり、「シャブ中以上の嘘つき」などと暴言をはかれたということです。

これに対し、大阪府警は警部補らは暴言については認めているものの暴行については否定しています。
http://newsplus.jp/~mcqueen/uploader/src/up0587.jpg
(動画)http://www.mbs.jp/news/kansai_asx/GE101007172700395370.asx (WMP)
MBSニュース:http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE101007172700395370.shtml

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/09(土) 12:01:33 ID:HUu3h2eH.net
俺地元だけど、タイホされた会社社長の一家はどこかに引っ越して、茨城にはいないみたいだよ
さすがに地元には居られないでしょ


51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/09(土) 15:16:49 ID:???.net
>>50さん 有限会社クリーン水戸としてはまだ続いてる?また名前
変わったんですか?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/09(土) 21:24:13 ID:Aw/xRknW.net
でも、お金もたくさん稼いだだろうから
他の地域に引っ越して隠居しているでしょう。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/09(土) 22:55:27 ID:???.net
>>52
元社長はまあ引っ越してるでしょう クリーン水戸自体はどうなってるか
知りません? 2006年度の時点では、まだいくらか障害者いたような・・・違っ
たかな。1回見に行こうと思ってたんですが・・・

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 22:23:13 ID:2Fbt0srU.net
この事件、民事では勝ったんだよな。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 10:21:13 ID:???.net
水戸事件ページ内で紹介されていた浦安事件 これも水戸事件並みに悪質
ttp://www.iris.dti.ne.jp/~globe/saiban/urayasujiken1.htm
ttp://www.iris.dti.ne.jp/~globe/saiban/urayasujiken2.htm
ttp://www.iris.dti.ne.jp/~globe/saiban/urayasujiken3.htm
ttp://www.iris.dti.ne.jp/~globe/saiban/urayasujiken4.htm
ttp://www.jca.apc.org/praca/takeda/sosho_no/030521chinjutusho.htm

民事裁判では勝訴したみたいだね
ttp://www.ken-ohashi.com/katte%20sasaeru.html
https://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/society_kiji.php?i=nesp1270008211

犯人は依願退職して退職金不当にせしめ、自作写真販売のネットショップ開業
ttp://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1114654184
>小学校教諭古川明弘被告(45)(休職中、千葉県八千代市ゆりのき台)

http://ime.nu/www.akane07.jp/hpgen/HPB/shop/business.html
ショップ名, 明香寧(あかね)
販売業者, 古川 明弘
販売責任者, 古川 明弘
所在地, 276-0042 千葉県 八千代市 ゆりのき台 5-25-10
Domain Information: [ドメイン情報]
[Domain Name] AKANE07.JP
Contact Information: [公開連絡窓口]
[名前] 古川 明弘
[Name] Kokawa Akihiro
[Email] postmaster@akane07.jp
[Web Page]
[郵便番号] 276-0042
[住所] 千葉県八千代市 ゆりのき台5-25-10
[Postal Address] 5-25-10 , Yurinokidai Yachiyo-shi, Chiba-ken

こいつが作成している別サイト
http://store.shopping.yahoo.co.jp/akane07sellphoto/info.html
http://twitter.com/AkeyC
http://jo1ekm.blog.so-net.ne.jp/
http://blog.auone.jp/jo1ekm/
http://pixta.jp/@Akey/

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 23:11:07 ID:MOUz4s20.net
浦安事件か、初めて聞いた。
障害者が被害者だよね、やっぱり。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 22:14:47 ID:???.net
こんな酷い事件なのに初めて知った・・・
きっかけの事件からして酷いが、司法までが腐りきってる事件だったんだな・・・

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 19:33:29 ID:J3uQ2d5o.net
司法は本当に糞だよね。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 11:42:10 ID:zUbclt15.net
鈴木秀行という裁判官、異動遍歴見たら検事をやっていた職歴が
あるんだね。
そりゃあ、検事寄りの判決になるわな。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 20:50:37 ID:YZt3+vSW.net
司法まで腐っているね。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 07:02:29 ID:598DanQD.net
障がい者が食い物にされている事例って、表に出ないだけでたくさんあるんだろうな…
以前軽度の知的障がいがある若い女性を風俗嬢にするルートがあるって話を聞いたことがあるんだけど、実際にそういう子専門にナンパしてしばらくしたら顔見知りのジジイに援交させて金を巻き上げたり、自分たちの趣味の乱交要員にしているらしき奴を知ってる。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 16:19:02 ID:UHVQmxgB.net
あるでしょう。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 18:50:26 ID:2/l9xOdo.net
ドラマの題材にもなった事件

詳細
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/03(金) 00:07:21 ID:NS9EUABQ.net

赤須の「接待」で女性社員をレイプした得意先の連中は
当然、合意の上じゃ無いことを承知でやってる訳だよな

そいつらは無実なんだよね
尤も地元の連中からは簡単に特定されてるか

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/04(土) 22:49:44 ID:XYV0xrOP.net
>>72
ただ、今回の事件は赤須に対しての事件だから、取引先はそんなに問題視されてないんじゃないかな・・・
それに障害者の人達が取引先の人達の顔や名前も全て覚えていたとは考えれないかもしれないし。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/13(月) 22:59:14 ID:XOSzh9ap.net

取引先とやらされていたのか、すんごい醜いね。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 16:00:34 ID:w29bGx6r.net
今赤須は何してる

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/03(月) 19:03:51 ID:dFddHeI9.net
大阪地検特捜部のの村中孝一検事は大阪府警東署で起きた
7時間にも及ぶ脅迫等の事件で任意での被疑者を怒鳴り続け
罵声を浴びせた事件で高橋和也警部補を罰金刑の量刑が明らかに不当な略式起訴で
済まそうとし、高橋の共犯者の巡査部長は不起訴にしました。

村中検事は、自身も拷問的な取調べをして裁判所で問題になり
調書の証拠採用を却下された検事である。
最高検察庁や大阪地検特捜部に対して一人でも多くの人が
抗議をしたり懲戒請求をして責任追及をしましょう。
メールや電話などでも構いません。

最高検察庁
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/supreme/supreme.htm
大阪地検
http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/osaka/osaka.shtml
警官暴言略式「不相当」 大阪簡裁、通常公判に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101229-00000091-san-soci
大阪府警警部補任意聴取で自白強要
http://www.youtube.com/watch?v=_UD_Cqp0Y14

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/30(日) 23:02:37 ID:qzb3m/3+.net
裁判官「刑務所に入った人間と友達、考えられない」
2009年1月14日22時22分

 横浜地裁の鈴木秀行裁判官が公判で傷害罪に問われた被告に対し、「刑務所に入った人間と友達というのは、
考えられない」などと発言していたことが弁護士への取材でわかった。被告を弁護していた
弁護士らが14日、この裁判官は人権感覚に欠けるとして、横浜地裁に対し、懲戒手続き開始を
東京高裁に求めるよう請求する文書を提出した。

 弁護士によると、この被告は傷害罪で起訴された横浜市内の自営業男性(32)=8日に
懲役1年6カ月の実刑判決、東京高裁に控訴中=。この男性は昨年10月の逮捕後、共犯とされた
友人男性(32)が事件当時、仮出所中だったため、共犯関係を黙秘してかばい、傷害罪で起訴された。

 この裁判官は昨年12月の被告人質問で、被告に対し「刑務所に入った人間とね、友達というのは普通、
考えられない話なんだけどね」「弁護士でも刑務所に入った人間いるけどね、私の知り合いで。
当然つきあいはなくなりますよね」などと発言したという。

 弁護士は「刑務所から出所した人の立ち直りは期待できないと言っているようなもの。裁判官としての
立場からは許されない暴言だ」と話す。横浜地裁は「現段階でコメントすることはない」としている。

asahi.com社会
http://www.asahi.com/national/update/0114/TKY200901140342.html


83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 03:43:11 ID:uAAdVYtI.net
ドラマ聖者の行進は当時見てたが
実話だったんだな、全く知らんかった

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 09:15:57 ID:Q52UVI9Z.net
>>83
自分も当時観ていたが、途中からあまりにも酷い描写に観るのを止めた。
脚本家が勢いづいてたから、この人のオリジナルと思ってたんだよなぁorz

85 :水戸事件で障害者に実刑を食らわした鈴木秀行裁判官:2011/02/05(土) 15:54:03 ID:uKYomPvr.net
裁判官「刑務所に入った人間と友達、考えられない」
2009年1月14日22時22分

 横浜地裁の鈴木秀行裁判官が公判で傷害罪に問われた被告に対し、「刑務所に入った人間と友達というのは、
考えられない」などと発言していたことが弁護士への取材でわかった。被告を弁護していた
弁護士らが14日、この裁判官は人権感覚に欠けるとして、横浜地裁に対し、懲戒手続き開始を
東京高裁に求めるよう請求する文書を提出した。

 弁護士によると、この被告は傷害罪で起訴された横浜市内の自営業男性(32)=8日に
懲役1年6カ月の実刑判決、東京高裁に控訴中=。この男性は昨年10月の逮捕後、共犯とされた
友人男性(32)が事件当時、仮出所中だったため、共犯関係を黙秘してかばい、傷害罪で起訴された。

 この裁判官は昨年12月の被告人質問で、被告に対し「刑務所に入った人間とね、友達というのは普通、
考えられない話なんだけどね」「弁護士でも刑務所に入った人間いるけどね、私の知り合いで。
当然つきあいはなくなりますよね」などと発言したという。

 弁護士は「刑務所から出所した人の立ち直りは期待できないと言っているようなもの。裁判官としての
立場からは許されない暴言だ」と話す。横浜地裁は「現段階でコメントすることはない」としている。

asahi.com社会
http://www.asahi.com/national/update/0114/TKY200901140342.html


91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 16:54:20.66 ID:5f/rzwjj.net
赤須正夫 大阪で柳健一と言う自動車販売業の男とペットショップ経営中


94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 21:38:10.85 ID:FXmYSyIB.net
検察や警察の不当な逮捕や自白の強要などの違法な取調べがあっても
平気で無視して有罪や実刑判決を出す横浜地裁の鈴木秀行,村井壯太郎,深見玲子裁判官は
辞職せよ。検察の犬になって判決を出す裁判官に税金で飯を食わせる必要はない。
わざと裁判を遅くして弁護士に抗議され、また、警察に自白の強要をされたと被告人が言えば
「あなた、この調書にはこうゆうふうに書いてあるよ」などと検察の方を持ち、不利益な発言を強要するバカ裁判官はいらない。

正直迷惑で、税金の無駄だから今すぐ辞職して下さい。

水戸事件:鈴木秀行によって不当に収監された被害者の障害者達。
http://www.iris.dti.ne.jp/~globe/keiji/hanketsu_2.htm
http://www.iris.dti.ne.jp/~globe/
「刑務所に入った人間と友達とは考えられない」と本心を発言し懲戒請求され新聞にのった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/jiken/news/20090115k0000m040133000c.html
鈴木秀行裁判官異動遍歴
http://www.e-hoki.com/judge/1536.html?hb=1

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/09(日) 11:04:35.59 ID:LLkLab1H.net

水戸事件の平島事務局長をツイッターにて発見。

被災地にストーブ送る活動してる。

どうしてこの人は・・・ こんな生き方をするんだろう。

既に私財400万円以上ぶち込んでる様子。

つか、応援することにした。

興味のあるやつヨロ。

http://twitter.com/#!/T_HIRASHIMA

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/09(日) 11:09:26.98 ID:???.net

ホームぺージはこれ。

http://okuribito.exblog.jp/

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 05:27:50.97 ID:???.net
昔の2chならこういう事件のスレが立ったら犯人や司法に対するバッシングになってたと思うが
今はニュー速+でも被害者叩きしかなんないからね。被害者が障害者なら尚更だろう

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 23:21:51.47 ID:dT5DeThm.net
水戸事件で障害者達に有罪実刑判決を出した現在鈴木秀行は埼玉地方裁判所 家裁越谷支部長 越谷簡易裁判所判事のようだね。
鈴木秀行裁判官異動遍歴
http://www.e-hoki.com/judge/1536.html?hb=1

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/13(木) 03:38:56.01 ID:???.net
この裁判官も酷いんだよな
いろんな事件で被告に有利な不可解な判決している
金もらってるのかと疑いたくなるくらいだ

赤須は死ぬべきだろ

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/15(土) 11:08:23.59 ID:???.net
医者と同じで裁判官には頭おかしい奴が多いんだよ。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/16(火) 22:08:38.67 ID:NKVLvbKG.net
>>124
鈴木秀行は「刑務所に行った人間と友達は考えられない」と発言して
被告の弁護士から懲戒請求され新聞にのったからだよ。
それと横浜地裁時代まで検察の主張をほぼ全て認めて冤罪とか自白の強要とか
関係なく有罪にして減刑もほとんどせず罷免請求されたりしていたからだよ。
とんでもない裁判官なのは事実。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/23(火) 04:48:34.87 ID:???.net
【深刻】 女性障害者 3人に1人が性的被害経験 (^p^)>28
実刑を含めて有罪は当たり前。
裁判所は私的紛争を解決する場で日本を含めて先進国等は私的制裁をみとめていない。
どんなひどい話でも私的紛争は裁判所で処理するというのが法治国家というもの。

私的制裁を正当化する連中は江戸時代と勘違いしてるんじゃないのか。
普通に考えれば、極めて悪質な行為といわざるえない。

これを軽い刑にして、他に裁判所外で私的制裁に走る連中が後に続いたらどうするよ。
裁判所外で原告被告間で暴行をはたらいても初犯なら執行猶予だよって他の奴がやりだしたら大変なことになる。
裁判所としては絶対に認めるわけにはいかないんだよ。
後に続く奴がでないために実刑なんだろうよ。

143 :名無し募集中。。。:2014/08/17(日) 23:49:15.68 ID:w/vOSdkw.net
>>142
いや、有罪はしょうがないとして、実刑はやりすぎだよ。
初犯なのに。
ここは赤須と同じで懲役3年執行猶予4年にすれば
十分抑止力になる

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/19(火) 03:14:37.48 ID:???.net
>>143
抑止力というか判例の問題。
こういう私的制裁に関して甘い判例になると今後同様の行為にも同じような量刑になってくる。
一般的に国家から私的紛争を一任されている裁判所を否定するような行為に裁判所は甘くない。
これを実刑にしなかったら、刑事事件での被告原告間の暴行監禁が半ば認められることになりかねない。
どの裁判官でも実刑だろう。

この事件自体はよくしらないが、おそらく障害者の証言能力の問題が大きいと思う。
なら障害者の不確かな証言を採用したとして、それでそういう判例ができたなら、
今後、別の事件でもそういう証人を用意してくることになる。
刑事事件で検察が毎回どこかの障害者で被告に不利な証言を用意し採用されたら大変なことになる。

そういう意味でおそらくこの事件は妥当な判決なのだろう。
立件は詐欺罪、暴行、傷害のみなのだから。
大企業ですら障害者を雇用せずカネで解決しているのが多い現状では雇用が評価されてるのも不思議はない。

二つの事件は全く別の事件なのに、本事件と私的制裁の事件の量刑を同じで抑止力とか気は確かか?
>>143は法学が社会科学ということを理解していないではないか。
裁判所はあくまで法に照らしての紛争解決の場で原告の感情を満足させるための場じゃない。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/19(火) 20:24:31.94 ID:hmmU1w/b.net
水戸地裁は法に照らした判決なんて
出さない。
栩木有紀が良い例。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/19(火) 22:29:13.32 ID:???.net
>>145
どこの地裁も数年で人事異動なのに、水戸地裁がって何いってるのって感じ

147 :名無し募集中。。。:2014/08/19(火) 23:30:14.56 ID:Vu+HnyiC.net
>>144
逆に言うと、確かに被害者が加害者に報復するのはあってはならないけど
この赤須がやってきた事が執行猶予になってるけど
赤須が障害者を食い物にして、何年も障害者に暴行したり
食い物にする行為は許されることなの?

148 :名無し募集中。。。:2014/08/19(火) 23:31:43.00 ID:Vu+HnyiC.net
それと実刑判決を下した鈴木秀行は、
被告人に暴言を吐いて、懲戒請求や罷免請求されて
新聞にのった問題のある裁判官だから、この実刑判決も
問題があると思う。

149 :名無し募集中。。。:2014/08/19(火) 23:32:28.19 ID:Vu+HnyiC.net
それと実刑判決を下した鈴木秀行は、
被告人に暴言を吐いて、懲戒請求や罷免請求されて
新聞にのった問題のある裁判官だから、この実刑判決も
問題があると思う。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/20(水) 08:46:46.42 ID:???.net
>>147-149
立件は詐欺罪、暴行、傷害ってわかってる?
執行猶予が十分ある事件なんだが。
当然のことながら、裁判所は事件になっていない内容に関して扱わない。

公判の詳細な内容はしらないが、何年もというが、いつどこでどのようななどの
継続的に行われた詳細な記録等はあるのか。
そういうものがないならば、何年といったところで第三者の裁判官は証拠採用しないよ。

>懲戒請求や罷免請求

何をいっているのか不明だが、裁判官への懲戒請求はできないし、罷免要求は弾劾裁判所
の審査だが、内容からしてそれもないだろう。
裁判官は憲法でその立場を保証されており、判決の内容で処分されることもなく、給料が
下げられないことさえ保証されている。
裁判官分限法に関係するほどの行為とも思えないし、単に被告が騒いだだけの話では。

151 :リュカ:2014/08/20(水) 09:05:49.36 ID:k5pjgUVd.net
そもそも犯人よりもキチ市民何とかした方が良いと思うロリとかどうでも良いから続く

152 :リュカ:2014/08/20(水) 09:08:31.14 ID:k5pjgUVd.net
言っちゃ悪いけどもう犯人捕まえない方が良いと思うよ?その捕まると馬鹿がすぐ図にのるし…………………………………………………………………………………………謝った所で許す程一般市民は頭良くないから馬鹿やるからやめた方が良いよ?捕まえるのはもう「続く」続く

153 :リュカ:2014/08/20(水) 09:10:14.95 ID:k5pjgUVd.net
むしろもう犯人より市民の方気をつけた方が良い特に近所の婆とか特に注意した方が良い続く

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/20(水) 20:23:46.33 ID:???.net
後、私的制裁の事件は逮捕・監禁罪で逮捕されているようだが、おそらくそちらでの起訴だろうから
逮捕・監禁罪は3月以上7年以下の懲役で、執行猶予はなく、実刑のみ。
最初から実刑か無罪の事件で、当然、無罪はありえないから、最初から実刑のみ。

この事件は刑事なので、弁護人は不可欠だが、第三者の弁護人も被害にあっている。
これでは法治国家を揺るがす挑戦的な行為と見なされても仕方がない。
「動機、目的、社会的影響を考えると極めて悪質」というのは間違ってると思えないが。

158 :名無し募集中。。。:2014/08/20(水) 21:08:45.85 ID:EJgH+nAl.net
>>157
お前は事案読んで、ちゃんと法律調べて発言しろ。
バカすぎて疲れるわ。
逮捕監禁罪は、執行猶予の可能性は十分あるわ。
このブログを見てみろ。http://blog.goo.ne.jp/hanninmae_1976/e/9f2163987f8fae40d570a2c41576b870

それと懲戒請求したのは弁護士だ、バカ。
それもこれがソースhttp://blogs.yahoo.co.jp/mangogoat527/28510478.html

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/21(木) 00:23:46.11 ID:???.net
>>158
十分にはない。
少なくともこの件は無罪主張なのに、何で情状酌量って話になるんだ?
被告が十分に反省している等ならあるが、そうでないのに、十分あるというのがよくわからないね。

記事の被告はおそらく反省しているし、もっといえば示談でカネを払っている可能性もある。
同じように考えるのは間違ってるだろう。

弁護士は上申書でも抗告でも何でもするが、裁判所が却下すれば終わり。
おそらくこの件は何も動いていないでしょう。
裁判官を簡単に処分できると思ったら大間違い。
裁判官を処分するというのは考えているより、相当大変なことなんだよ。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/21(木) 00:32:39.67 ID:???.net
>>158
あと、上申書の事件は単なる推測に過ぎないけど、単なる先延ばしの可能性がある。
被告が傷害事件、友人が仮出所なら被告が執行猶予中の可能性がある。
その場合、結審、確定を先延ばしにして執行猶予期間の判決を避けるためにいろいろと先延ばしに
している可能性がある。
こういうもの提出すると最終的に却下にしても結構時間が稼げるのよ。

断言はできないけど、そんな感じだけどなあ。。。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/21(木) 07:23:01.47 ID:???.net
>>160
この先延ばしは別記事によると、控訴中とあるため、取り消します。
上申書で忌避も兼ねていたのかと思ったけど、そうでもないようなので。

それとこの記事では懲戒処分の申立のみのようなので、>>148の懲戒請求と罷免請求は
どちらもないけど、おそらく懲戒処分の申立のみだと思われる。

しかし、懲戒処分の申立の理由がいまひとつわからない。
普通の人間なら前科者になったら友人の多くは去るし、肉親さえ縁を切ることがある。
申立を出されるほどの発言とも思われない。
某弁護士も似たような感想をもっているようだし。

http://ameblo.jp/fben/entry-10194670787.html

懲戒処分の裁判が開かれたとしても戒告か一万円以下の過料のみ。
鈴木裁判官の経歴からして戒告とも思えないし、そもそも裁判が開かれたと思えない。
普通に考えれば却下だろう。

この裁判は一回の公判で結審したようで、上申書は第一審での判決より後である。
事件としては裁判官が一人で一回で結審したことからしてシンプルな傷害事件と思われるが、
実刑であるので、判決に不満をもって逆恨みでの申立か一回で結審したことへの恨みが動機のようである。
ただ普通は弁護士が実効性もないし、やらないと思うのだがなあ。

もうひとつわからないのがこの事件がなぜ当日に報道されているかということ。
毎日と朝日を確認したが、分限事件の裁判が開かれたというわけでもなく、単に申立を出した
というだけで記事になるのもよくわからない。
大事件ならともかく国民のほとんどがこの傷害事件はしらないだろうし。

この弁護士か所属の法律事務所か傷害事件の当人に報道各社にコネがあったのだろうが、
報道する意味がよくわからない。
変な申立なんて山のようにあるわけだし。
罷免に関わる戦後9件の弾劾裁判が開かれたなどとは訳がちがうし、謎だな。。。

162 :名無し募集中。。。:2014/08/21(木) 22:37:42.62 ID:Cdc6IOMr.net
>>159
あんたさ、長文書いて発狂してないで事件の内容を読んでから
書き込んでみな
あんたの考えている事は素人の妄想だから
事件の事知ったかぶりして書いているが、全然違うから

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/21(木) 22:58:17.08 ID:???.net
>>162
妄想云々と批判するのなら論理的に反論しなさい。
普通に考えれば他人の自動車を破損、暴行、監禁をやっていて無罪などとは考えないはずだがね。

この事件の障害者側には狭山事件に似たものを感じるがね。
被害者意識と徒党を組んでの運動で不当判決と騒ぎ立てる。
本事件の主張にはそれなりの正当性があると思われるが、それ以外はただの不法行為の正当化にすぎないよ。

君が関係者なのかただのしったかぶりかしらないが、何の根拠もなく事実は違うといったところで誰も信用しない。

164 :名無し募集中。。。:2014/08/22(金) 23:26:13.82 ID:Z1vTnVW+.net
>>163
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1290248349/
も水戸事件の書き込みだから書き込んで

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/23(土) 01:50:40.51 ID:???.net
>>164
二つもスレあるんだな。
甲山事件はスレもないのに。

水戸事件自体にたいして興味がないからね。
何の事件と思い見てみたら、あまり偏りがあるので書いただけで。
私的制裁の事件は実刑二人以外のもうひとりの起訴は何だったかのしらないが、
実刑と書かれてないということは罪状が軽かったのか、賢明な判断をしたのだろう。

あと、気になったのが聖者の行進と混同させてる人が少なからずいること。
野島伸司は取材をしないので有名な脚本家だし、あれはドラマに過ぎないし。
もう一つのスレタイとか現実とドラマが同じになってるしなあ。
タイトルからしてちょっとなあのドラマだし。
無罪主張での負け戦に弁護士は何をやってたのだろうかとも思うが、実刑二人は罪状からして
弁護士の忠告を無視したんだろうな。

166 :名無し募集中。。。:2014/08/23(土) 10:58:16.58 ID:9uHtozbN.net
>>165
別のスレにも書いてあげてよ
その事実無根の変な意見をwww

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/24(日) 01:16:42.85 ID:???.net
>>166
何が事実無根なんだよ。
3人起訴で二人は無罪主張で有罪で残りは執行猶予だよ。

有罪の連中は不当判決といってるが、執行猶予の奴も不当判決なのかよ。
裁判官を逆恨みせず、そういう事実をちゃんと直視しろよ。
黒人並みの暴動起こしておいて、訴訟妨害とかさ、だったら最初から暴動おこすなよw

そもそも地裁の裁判官逆恨みしてるが、高裁でも有罪で確定してるのも無視してるし。
普通に考えればただのおバカさんだろ、こいつら。
裁判所と検察をわざわざ敵にするようなことして訴訟妨害、不当判決ってw
馬鹿な訴訟戦術で第一審で当然の有罪で、控訴後あわてて100万って最初からやっておけってw
高裁は最初から審議し直すところじゃないんだよw

同様のおバカさんのお前には普通の事件としてみたら、変な意見になるんだろうがな。
こんな犯罪者が悲劇のヒーロー、ヒロインじゃなきゃ気が済まないんだから。

170 :名無し募集中。。。:2014/08/26(火) 22:32:31.76 ID:5+5o5Lln.net
>>169
不当判決じゃないって理由を教えて

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/26(火) 23:32:06.81 ID:???.net
>>170
何度も書いてるのに、何をいまさら。
そもそもさ、正当な判決って何と考えてるの?
まさか、無罪とでも?

豊田商事の会長を刺殺した鉄工所の二人もいわゆる弱者側だが、彼らも英雄か?
彼らの実刑も不当判決なんだろうな。

172 :名無し募集中。。。:2014/08/26(火) 23:43:16.25 ID:5+5o5Lln.net
>>171
豊田商事の事件と今回の事件とどう一緒なの?

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/27(水) 00:14:58.18 ID:???.net
>>172
いわゆる弱者側がいわゆる加害者側に私的制裁を加えた。
刑事裁判開始前、途中の違いはあるが、判決の確定前に私刑を与えたという点で同じ。

私的制裁を加えた逮捕者が直接の被害者でないのも共通。
どちらも現行犯で、実刑。

まあ、鉄工所の二人は当初頼まれたという話だったが、実際には義憤というか、
自分たちの不満のはけ口が永野会長だったわけだが、水戸事件の方も直接の
被害者でない奴が裁判か日常かの不満をぶつけたのは共通。
まあ、黒人が差別がとかいって商店から略奪するわなw

鉄工所の主犯は確か初犯じゃなかったかな、もう一人は前科者だったと思うが。

174 :名無し募集中。。。:2014/08/27(水) 23:07:35.49 ID:VZbvyXan.net
>>173
水戸事件の監禁事件と、豊田商事の殺人事件どう関係あるの?
初犯で社会的弱者?以外関連性なんてほとんどないが・・・
殺人なんて初犯でも執行猶予なんてほとんどないよ
量刑も全然違うし

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/28(木) 00:08:09.33 ID:???.net
>>174
いや、弱者側の反撃なら現行犯、無罪主張でも執行猶予って奴がいるからさ、
豊田商事のときだって、懲役10年は重すぎだろ。
なんせ弱者側なんだから懲役1年とかだろw

しかも、マスコミの教唆があったと再審請求しているんだぞ。
いよいよ減刑にしなきゃいけないヒーローじゃないかw
豊田商事は公判や逮捕前なんだし、公判中の水戸事件よりも司法の仕事の邪魔をしてないし。

水戸事件の連中は地裁判決で怒ったんだよ、まだ確定もしてないのに。
豊田商事の主犯は詐欺じゃ死刑にならないから、義憤で法定刑を超える死刑を私刑したんだぞw
弱者の無念をはらしたんだし、私刑肯定で褒め称えるべきだろ、このスレの流れならw

176 :名無し募集中。。。:2014/08/29(金) 22:54:39.77 ID:CT5qVtsD.net
>>175
言っている意味がわからないけど
水戸事件は殺してもいないし、事件内容も違うんじゃない?

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/30(土) 03:27:14.22 ID:???.net
>>176
殺したのは結果に過ぎない。
私的制裁は個人によるものだから、法定刑は関係なく、個人の裁量によって決定する。
制裁をうける側も納得しているわけでもなし、予想外の反応や本人も予期しない結果となることも十分にある。
具体的にいえば、殺そうとしていなくても殺すこともあるし、返り討ちにあうこともある。

豊田商事の事件でも主犯の飯田は当初は被害者よりカネはいらないから殺してくれと頼まれたと
いう話だったが、虚言だったし、後に教唆の再審請求より実際に殺意があったのか不明。

水戸事件は当初の予定は不明だが、集団で自動車破壊、暴行、監禁を行っており、現行犯逮捕が
なければどこまでいったかわからない。集団でのもみあいで赤須が転倒、それによる死亡や
樺美智子のようなこともありうる。

私刑というのは国家による刑罰とは違うから当人も思わぬ結果になることはありうる。
特に集団での暴動は殺す予定でなかったのに、殺してしまったという例がいくらでもある。
私的制裁を肯定するということはそこまで含めての肯定になると理解する必要がある。

179 :名無し募集中。。。:2014/08/31(日) 23:33:49.77 ID:SMIt78kO.net
>>178
いや、それはどんな事件でも最悪死まで行く可能性のある事件なんていくらでも
あるよ。
それとこれとはまた別じゃない?

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/01(月) 01:55:34.57 ID:???.net
>>179
結果が死亡でないなら私的制裁が許されるっていうのか?
それなら裁判所も検察も何もいらないよ。
殺さないって条件で密室にいれて気の済むまで暴力的制裁をお互いやればいい。

かつて限られたケースではあるが、海外では決闘、日本では仇討ち、切捨御免などが認められていた。
ガロアやマックス・ウェーバーもやっているし、日本は江戸時代の話だからそれほど昔の話ではない。
私的制裁がそんないいものでないのはこのあたりの実情をしれば少しはわかるだろう。

182 :名無し募集中。。。:2014/09/03(水) 23:36:04.84 ID:+hMuZUpX.net
>>181
いやいや、暴力も犯罪なんだが・・・・

183 :名無し募集中。。。:2014/09/07(日) 18:21:23.92 ID:nRDbAGR2.net
豊田商事と比較する事自体が間違っている

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/08(月) 22:48:21.07 ID:???.net
確かに赤須は障害者雇用の貢献もあるしな

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/12(金) 23:26:04.70 ID:???.net
http://yurukashikoi.com/taigatame/

186 :名無し募集中。。。:2014/09/14(日) 08:34:03.85 ID:FVDwUZDi.net
確か、どっかのあれで書いてあったけど
赤須は警察とかにも仕事の関係で貢献していて、そういったのもあって
捜査がなかなか行われなかったっと聞いている。

187 :名無し募集中。。。:2014/09/14(日) 08:35:08.45 ID:FVDwUZDi.net
>>178
私的制裁関係なく、犯罪は万引きみたいな微罪でも
絶対にあってはならない事なんだが・・・

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/14(日) 17:56:22.01 ID:???.net
>>186
まあ、騒いでほしいのと騒いでほしくないのもいるしな。
赤須の会社も甲山事件の施設も騒いだ結果、結局潰れてしまった。

神仏じゃあるまいし、普通、何の見返りもなく、この手の収容施設を運営したいとは思わない。
赤須はそういう意味では一部の人間にはありがたい人間だったろう。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 22:16:04.08 ID:???.net
まあ元々、水戸ではちょっとした名士的なポジションだったしな。

もちろん赤須を擁護するつもりなんて更々ないんだが、
誤解を恐れずに書くと、赤須自身も最初は障がい者雇用を純粋に行いたかったのだろうか…?

何度も書くが赤須一派の行った犯罪は極めて残虐非道である。
ただ最初から虐待するためにわざわざ雇用するとも思えない。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/19(日) 21:48:29.75 ID:+vGHf3ne.net
>>192
それは認める。
でも、経営者でも人間って言うのは権力を握るとダメになる。
歴史が証明している。


207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/04/06(木) 23:35:53.27 ID:z/WEQ7Hg.net
うちの近所にも障害者をたくさん雇用してる会社があってバイトに行ったこともあるけど、
そこも結構ヒドイもんでした。

臨時バイトに向かって「うちの○○(軽度の知的障害者?)ですらできるのに。アンタ負けてるね?」
って社長自らがその常勤の障害者の人をバカにした発言してたりね。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/04(日) 20:31:03.04 ID:nQBCjKML.net
>>207
そんなもんだろうな。
中小零細の社長なんてその程度の人格を持っている奴しかいないのよ

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/13(火) 10:24:29.16 ID:???.net
そうだ
http://tokutoku777.bbs.fc2.com/

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/07(金) 10:50:19.75 ID:CIrS2o48.net
一族は名前を変えて茨城潜伏

http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/archives/1272717022/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1020.html#c16

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ いしだ壱成・酒井法子 聖者の行進 (TBS 1998年) 中川隆
17. 中川隆[-10844] koaQ7Jey 2020年10月15日 15:23:21 : O4DetySqsQ : ZG9KcVZaVUpyTEE=[12]
77名無しさん@お腹いっぱい。2015/02/06(金) 08:05:32.71ID:S6lAFqvN

この事件 悲惨だったよなぁ 経営者は十数億儲けて資産を隠しているみたいだよ
今は海外で悠々自適だという話 近場のねw
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/archives/1290248349/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1020.html#c17

[番外地8] 日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報 米国はそれを解読していた。

日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報
米国はそれを解読していた。


電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。

少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」


ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。

この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に


「南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。

http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3

当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」


と記述している。
※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)

http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html


南京陥落の日、天皇裕仁は、皇后の大おじで陸軍参謀長の閑院宮に、

「極めて満足」

と表現し(143)、また、閑院宮は、松井大将に祝電を送り、

「これほどの目覚しい軍事的進展は歴史上かってない」

と述べ(144)、さらに、一月末、ファシスト的な皇后のいとこ賀陽宮は、南京から戻って天皇に、その地で見てきたことの全面的報告をし、そして、ひと月後の2月26日、天皇裕仁は、葉山の御用邸に、熱のある松井、王侯然たる朝香宮、そして熱血漢の柳川を迎え入れ、それぞれに銀の台に菊の紋を浮き出させた一対の勲章を授与した、ということである(145)。

 裕仁は、これらの戦争犯罪人のいずれにも、名誉を与えこそすれ、その一人をも処罰せず、今日まで、血縁、朝香宮とともに、温情厚く、生きてきている。

 そのすべての責めを一身に担ったのが、結核病みの小男、松井大将であったのは、南京における最大の逆説である。

http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_1c.htm
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/489.html

[近代史4] 酒は飲んではいけない 中川隆
5. 中川隆[-10843] koaQ7Jey 2020年10月15日 17:12:02 : 0dFRbRirNU : SnNqODB0QmZIQm8=[1]
大腿骨頭壊死リスク4.4倍 毎日お酒を飲む人は歩けなくなる!?
2013年11月6日 日刊ゲンダイ
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/190.html


 毎日お酒を飲んでいる人は、将来歩けなくなるかもしれない。

「ビール大瓶1本相当のアルコールを16年間摂取し続けた人は、大腿骨頭の骨細胞が壊死(えし)して骨折を起こし、歩行困難になる『大腿骨頭壊死』の発症リスクが、休肝日を設けている人より4.4倍高くなるのです」

 こう言う日産厚生会玉川病院股関節センター・松原正明センター長に、大腿骨頭壊死について話を聞いた。

 ビール大瓶1本相当のアルコールは、水割りなら1杯、日本酒なら1合、焼酎なら120C.C.だ。

「大腿骨頭壊死は難病指定されていて、原因がはっきり分かっていません。しかし有力な説として、長期間のアルコール摂取で肝臓の機能に何らかの変化が生じたため、脂質代謝など本来の役割を通常通りに果たせなくなり、大腿骨頚部の動脈に血栓ができるのではないかと考えられています」

 血栓によってその先に血液が流れなくなり、骨細胞が壊死すると、壊死した部分と、生きている骨の境目にヒビが入り、骨折に至る。これが、大腿骨頭壊死だ。30〜50代の働き盛りに多い。

「症状はまず、階段の上り下りや立ち上がった時などの膝周辺の痛み。半年から1年ほどたつと、股関節も痛くなります」

 初期の段階では、レントゲンで異常が見つからない。股関節の痛みが生じてきた時点でもレントゲンでは異常が見つかりにくいが、MRIを撮れば、大腿骨の骨折部分が写る。

「大腿骨頭壊死は毎日アルコールを摂取している人ならだれでも発症する可能性はあります。もし、膝痛から始まって股関節も痛むようになり、レントゲンで異常が見つからない時は、股関節の疾患が専門の整形外科医を受診し、MRIを受けることを勧めます」

 大腿骨頭壊死はもともと整形外科の領域の疾患だが、整形外科にはさらにさまざまな専門分野があるためだ。

<好発年齢は30〜50代>

 大腿骨頭壊死の治療はいくつかあり、どこの骨細胞が壊死したか、その範囲はどれくらいかで決まる。

「大腿骨は胴体と脚の継ぎ目として体を支えています。つまり、上半身の体重がかかる部分のうち、どれくらい壊死してしまったかで、治療が変わってくるのです」

 ほぼ壊死していれば、体をちょっと動かすだけでも痛みが走り、歩けない。そこで、股関節を人工のものに取り換える人工関節置換術を行う。

「ただし、患者の多くは30〜50代と若いので、人工関節がどれくらいもつかという疑問もあります。そのため、関節近くの骨を切り、体重がかかる場所を調整したりする大腿骨頭回転骨切り術を行うこともあります」

 壊死部分が少なければ、治療は特に行わず、経過観察になる。

「この場合、症状は<痛い>というより<重苦しい><違和感>といった程度です。痛みや歩行困難の症状が出てきたら手術を検討します。また、健康な人に比べて変形性股関節症をこの先起こすリスクが高くなるので、それもチェックします」

 大腿骨頭壊死を予防する方法はただひとつ。「毎日飲酒」はやめ、休肝日を設けることだ。今日から始めるか。

<成人喘息の人も要注意>

 膠原(こうげん)病やリウマチの治療に使うステロイドも、アルコールと並ぶ大腿骨頭壊死の危険因子だ。1日16.7ミリグラム以上の使用を1回でも経験すると、発症リスクは28.6倍と高くなる。成人喘息(ぜんそく)や突発性難聴の治療でもステロイドが使われる。これらの病気で、大腿骨頭壊死を発症する人が近年増えているという。


コメント

01. 2013年11月08日 12:55:53 : SFB6e5PgNo

美空ひばりも大腿骨骨頭壊死で晩年は満足に歩けなかった。
世紀の大スターがアルコール依存症だったという衝撃的事実はなぜか報道されることはなかったが、過度の飲酒が寿命を縮めたことは間違いない。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/330.html#c5

[リバイバル3] 酒を飲むとバカになる 中川隆
47. 中川隆[-10842] koaQ7Jey 2020年10月15日 17:12:34 : 0dFRbRirNU : SnNqODB0QmZIQm8=[2]
大腿骨頭壊死リスク4.4倍 毎日お酒を飲む人は歩けなくなる!?
2013年11月6日 日刊ゲンダイ
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/190.html


 毎日お酒を飲んでいる人は、将来歩けなくなるかもしれない。

「ビール大瓶1本相当のアルコールを16年間摂取し続けた人は、大腿骨頭の骨細胞が壊死(えし)して骨折を起こし、歩行困難になる『大腿骨頭壊死』の発症リスクが、休肝日を設けている人より4.4倍高くなるのです」

 こう言う日産厚生会玉川病院股関節センター・松原正明センター長に、大腿骨頭壊死について話を聞いた。

 ビール大瓶1本相当のアルコールは、水割りなら1杯、日本酒なら1合、焼酎なら120C.C.だ。

「大腿骨頭壊死は難病指定されていて、原因がはっきり分かっていません。しかし有力な説として、長期間のアルコール摂取で肝臓の機能に何らかの変化が生じたため、脂質代謝など本来の役割を通常通りに果たせなくなり、大腿骨頚部の動脈に血栓ができるのではないかと考えられています」

 血栓によってその先に血液が流れなくなり、骨細胞が壊死すると、壊死した部分と、生きている骨の境目にヒビが入り、骨折に至る。これが、大腿骨頭壊死だ。30〜50代の働き盛りに多い。

「症状はまず、階段の上り下りや立ち上がった時などの膝周辺の痛み。半年から1年ほどたつと、股関節も痛くなります」

 初期の段階では、レントゲンで異常が見つからない。股関節の痛みが生じてきた時点でもレントゲンでは異常が見つかりにくいが、MRIを撮れば、大腿骨の骨折部分が写る。

「大腿骨頭壊死は毎日アルコールを摂取している人ならだれでも発症する可能性はあります。もし、膝痛から始まって股関節も痛むようになり、レントゲンで異常が見つからない時は、股関節の疾患が専門の整形外科医を受診し、MRIを受けることを勧めます」

 大腿骨頭壊死はもともと整形外科の領域の疾患だが、整形外科にはさらにさまざまな専門分野があるためだ。

<好発年齢は30〜50代>

 大腿骨頭壊死の治療はいくつかあり、どこの骨細胞が壊死したか、その範囲はどれくらいかで決まる。

「大腿骨は胴体と脚の継ぎ目として体を支えています。つまり、上半身の体重がかかる部分のうち、どれくらい壊死してしまったかで、治療が変わってくるのです」

 ほぼ壊死していれば、体をちょっと動かすだけでも痛みが走り、歩けない。そこで、股関節を人工のものに取り換える人工関節置換術を行う。

「ただし、患者の多くは30〜50代と若いので、人工関節がどれくらいもつかという疑問もあります。そのため、関節近くの骨を切り、体重がかかる場所を調整したりする大腿骨頭回転骨切り術を行うこともあります」

 壊死部分が少なければ、治療は特に行わず、経過観察になる。

「この場合、症状は<痛い>というより<重苦しい><違和感>といった程度です。痛みや歩行困難の症状が出てきたら手術を検討します。また、健康な人に比べて変形性股関節症をこの先起こすリスクが高くなるので、それもチェックします」

 大腿骨頭壊死を予防する方法はただひとつ。「毎日飲酒」はやめ、休肝日を設けることだ。今日から始めるか。

<成人喘息の人も要注意>

 膠原(こうげん)病やリウマチの治療に使うステロイドも、アルコールと並ぶ大腿骨頭壊死の危険因子だ。1日16.7ミリグラム以上の使用を1回でも経験すると、発症リスクは28.6倍と高くなる。成人喘息(ぜんそく)や突発性難聴の治療でもステロイドが使われる。これらの病気で、大腿骨頭壊死を発症する人が近年増えているという。


コメント

01. 2013年11月08日 12:55:53 : SFB6e5PgNo

美空ひばりも大腿骨骨頭壊死で晩年は満足に歩けなかった。
世紀の大スターがアルコール依存症だったという衝撃的事実はなぜか報道されることはなかったが、過度の飲酒が寿命を縮めたことは間違いない。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/723.html#c47

[リバイバル3] 孫正義の詐欺の手口 中川隆
25. 中川隆[-10841] koaQ7Jey 2020年10月15日 18:05:46 : 0dFRbRirNU : SnNqODB0QmZIQm8=[4]
2020/10/15
ソフトバンクの上場廃止予測と特別買収目的会社の設立 
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2654.html
 

■ ソフトバンクが上場廃止? ■

ソフトバンクが上場廃止を目指しているのでは無いかとの憶測が流れています。

ソフトバンクは携帯電話の会社では有りません。投資企業です。携帯電話事業は高い通信費によって独占的に利益を稼ぎ、投資の元でを作り出す装置です。

将来有望と思えるハイテク企業の未公開株に投資して、上場時にガッポリ利益を上げるという投資スタイル。アリババの上場で8兆円の利益を上げ、やり手の投資家として世界から資金を集めるまで投資会社となった。

しかし、最近は上場株のデリバティブ取引で巨額の利益を上げるなど、「ソフトバンクはいつから上場株式の投資家になったのか?」と揶揄されています。コロナショックの株価の乱高下で利益が出る投資をしていた様です。

ソフトバンクの運用する資金は巨額ですから、相場にも影響を与えます。投資家達はソフトバンクの投資の手の内を知り違っています。一方、ソフトバンクの大口出資者達も、運用内容を知り違っています。極端にリスクの高い投資をしていないか心配なのでしょう。

「冒険的投資家」の孫さんは、大口株主や出資者が投資戦略に口出しする事を嫌っている様で、過去に何度か、上場廃止を口にした事が有る様です。今回も、その流れで、上場廃止を検討している様です。「冒険的投資」にはインスピレーションと独断が不可欠だと考えているのでしょう。

■ ハイテク企業のIPOで儲からなくなる? ■

ソフトバンクがここに来て、ハイテク企業株などの資産を整理し、上場株にシフトしているのは、株価維持の為に自社株買いの資金が必要だからとも言われています。一方、自社株買いが進めば、残りの株式に占める孫氏の比率は高くなり、上場廃止のハードルが下がって行きます。

しかし、ソフトバンクの投資戦略の変更をもう少し陰謀論的視点で観ると、市場の予測とは違った側面が現れて来ます。

ソフトバンクが将来的なIPOで利益が上げる為には、投資した企業の価値が高まっている事も大切ですが、IT企業の株価が高く維持されている必用が有ります。現在、アメリカのIT株はバブルだとも言われていすが、これが近々崩れるとするならば、ソフトバンクの戦略が根底から覆る事になります。実際のWeWorkの様な失敗例が出始めています。

ARM株の売却も、「高値で売れた」と言われていますが、売却額の一部はARM株でソフトバンクに支払われる様なので、その実態は果たして・・・。これで株価が下落したら損が出るかも知れません。

いずれにしても、ソフトバンクの経営戦略の変更は、IT株市場の将来的な危機を予想したものだと私は妄想しています。そして、その結果、ソフトバンク自身の株価も下落しますから、乗っ取りを防ぐ意味でも、上場廃止を急ぐ必要が有るのかも知れません。


■ 特別買収目的会社(SPAC)の設立を目指すソフトバンク ■

ソフトバンクは「ブランク・チェック」と呼ばれる特別買収目的会社(SPAC)の設立を急いでいる様です。

1) 買収する会社などの詳細が決まっていないのに、
   取り合えず買収目的の会社を立ち上げ、そこに投資社から資金を集めます。

2) 非上場の有望な会社を買収して、予め買収目的で設立していた会社のIPOで利益を出す


従来はプライベート・エクイティ・ファンドなどが、これに近い投資で利益を上げていましたが、それを、さらにスピーディーにし、早期に利益を上げる方法として注目を集めています。

ただ、出資者は「ブラックボックス」に投資をする様なもので、とにか投資をしてリターンが得られれば良い・・・そんな危うさも感じます。

ソフトバンクがSPACの設立を急ぐ理由を陰謀論的に妄想すると、近い将来、ハイテク市場が崩壊して、多くのベンチャー企業が資金難から、二束三文で売りに出されるのでは無いか・・・・。そこで、今の内に資金を集めておいて、ゲットしちゃおうって戦略。


1929年の世界大恐慌の原因となったNY株式市場の暴落では、アメリカの土着企業が二束三文で金融資本家の手に渡っています。日本のバブル崩壊でも、日本企業の株式の多くが、外国人投資家に買い占められました。


バブル崩壊は「仕掛け人の収穫祭」なのです。


尤も、ソフトバンクは収穫される側にも成り得る。だから、上場廃止を急ぐ必要が有るのでは無いか・・・。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2654.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html#c25

[番外地8] 日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報 米国はそれを解読していた。 中川隆
1. 中川隆[-10840] koaQ7Jey 2020年10月15日 19:09:41 : 0dFRbRirNU : SnNqODB0QmZIQm8=[5]
石射猪太郎『外交官の一生』

満州事変時の吉林総領事、上海事変直後の上海総領事、そして日中戦争勃発時の東亜局長と、悪化の一途を辿った日中関係の最前線にあって、軍部独走に抗しつつ和平の道を模索しつつも、最後は敗走のビルマ大使として終戦を迎えた外交官が、日記をもとに綴った第一級の記録。


「私は三省事務局長会議で度々陸軍側に警告し、広田(弘毅)大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛清を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量な暴行なので、手のつけようもなかったのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した、国際安全委員なるものから、日本側に提出された報告書には、昭和十三年一月末、数日間のでき事として、七十余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。」


など南京事件が社会的な問題になる前から南京事件についても触れている。
http://blog.livedoor.jp/sekainotakachan/archives/68825154.html
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/489.html#c1

[番外地8] 日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報 米国はそれを解読していた。 中川隆
2. 中川隆[-10839] koaQ7Jey 2020年10月15日 19:15:49 : 0dFRbRirNU : SnNqODB0QmZIQm8=[6]
石射猪太郎『外交官の一生』 安倍政権の官僚「必読書」かも
 城山三郎の『落日燃ゆ』を読むと、元首相・広田弘毅に同情心がわく。戦争拡大に消極的だったのに、東京裁判で文官として唯一死刑になったのは気の毒だったと。

 ところが、その広田に深く失望し、厳しく批判していた部下がいたという。それが本書の著者、石射猪太郎(いしい・いたろう、1887〜1954年)だ。

半世紀にわたって繰り返し刊行

 石射の名を聞いて、すぐにピンとくる人は少ないのではないか。戦前の外交官。戦争拡大に抗して、和平工作に尽力したが、成功しなかった。著書『外交官の一生』は戦後、彼が書き残した貴重な外交裏面史だ。本人の弁によれば「深刻な追憶」=悔恨の記録でもある。

 本書は1950(昭和25)年に読売新聞社から出版された。その後、絶版。72年、評論家の橋川文三氏の解題付きで太洋出版社から再刊される。これも入手が難しくなり、86年、歴史学者の伊藤隆氏の解説付きで中公文庫に。さらに2007年、中央公論新社のBIBLIO20世紀文庫の一冊として改版されて収められた。

 半世紀以上にわたって何度も、関係者の尽力で繰り返し出版されている。それだけ、内容に価値にあるとみる専門家が多いということだろう。

 20世紀文庫版で解説しているのは、日本政治外交史が専門の戸部良一・防衛大学校教授(当時)。ロングセラー『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』の共同執筆陣の1人だ。戸部氏はあとがきで、本書が何度も再刊された紀緯をたどりながら、こう語る。

「日本の外交官の回想録の中から最も面白いものを選べと言われたら、迷わず本書を挙げる」
「信念と勇気を持って、昭和初期の日本外交を正道に戻そうと戦った外交官の、第一級の回想録である」
https://books.j-cast.com/2017/08/13005895.html


石射猪太郎『外交官の一生』
満州事変時の吉林総領事、上海事変直後の上海総領事、そして日中戦争勃発時の東亜局長と、悪化の一途を辿った日中関係の最前線にあって、軍部独走に抗しつつ和平の道を模索しつつも、最後は敗走のビルマ大使として終戦を迎えた外交官が、日記をもとに綴った第一級の記録。


「私は三省事務局長会議で度々陸軍側に警告し、広田(弘毅)大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛清を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量な暴行なので、手のつけようもなかったのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した、国際安全委員なるものから、日本側に提出された報告書には、昭和十三年一月末、数日間のでき事として、七十余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。」


など南京事件が社会的な問題になる前から南京事件についても触れている。
http://blog.livedoor.jp/sekainotakachan/archives/68825154.html
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/489.html#c2

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年)

昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年)

リング(RING) -最終章- 第1話 動画
http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=2tomchan&prgid=34230378&page=1&categid=32074078&orderby=prg_index

Ring: The Final Chapter 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Ring%3A+The+Final+Chapter+Ep.

原作:鈴木光司
脚本:蒔田光治、高山直也
音楽:渡辺俊幸
制作:フジテレビ、共同テレビ
主題歌「STARS」(歌:ORIGINAL LOVE)

連続ドラマ版が『リング〜最終章〜』のタイトルで、1999年1月7日から3月25日までフジテレビ系の木曜劇場枠で放送された。全12話。平均視聴率19.9%。連続ドラマになったため、物語のヴォリュームアップが図られており、1話で1日分を描くという図式で製作されている。映画『リング2』公開と同時期に放送されたが、映画版や過去のドラマスペシャル版との繋がりはない。同年7月からは本作の設定や登場人物を引き継ぐ連続ドラマ『らせん』が続編として放送された。

作品設定
呪いのビデオの映像は松崎ナオの楽曲「白いよ。」のビデオクリップであり、作中でも松崎ナオのビデオクリップが呪いのビデオという設定である。最終話では松崎ナオが本人役で出演している。なお「白いよ。」はオリジナル・サウンドトラックに収録されていない。
ビデオのタイムリミットも放映話数に合わせて「見たら13日目に死ぬ」と改訂された一方、呪いを解く方法も「まだ見たことのない者2名にビデオを見せる」とされており、劇中では「この計算だと、1年で人類の4分の1が見て死ぬことになる」と説明され、人類滅亡を示した危機的なアレンジとなった。
物語のアレンジ
物語後半では『らせん』の要素が加わってオリジナルの結末を描き、以降の原作への派生はない、独立した物語となっている(但し、フジテレビが同年に製作した連続ドラマ版『らせん』とは接続)。映画版の設定や影響も所々に見られ、ホラー要素以上に連続ドラマならではの謎解きサスペンスの複雑化や、登場人物の人間関係の大幅な変更(登場人物にも『らせん』の要素が加わる)が特徴である。
登場人物について
中央新聞整理部の浅川和行は単発ドラマ同様、原作通り男性で描写されるが、子供は原作の娘の陽子ではなく映画版と同じ息子の陽一となっており、妻の静とは死別。同僚の吉野明子(原作の吉野賢三の女性版)とは恋人未満のような存在であり、原作『らせん』の関係者宮下理恵子(宮下の女性版)は静の友人となる。高山竜司は23歳で35歳の浅川より若い人間で文化人類学者となり、貞子の血を引く超能力者とされているなど、設定も大幅に異なり、高野舞との関係も恋愛感情を持つ義理の兄妹となっている。

キャスト
浅川和行:柳葉敏郎
高山竜司:長瀬智也
宮下理恵子:黒木瞳
吉野明子:京野ことみ
長尾城太郎:山本圭
高野舞:矢田亜希子
浅川陽一:深川雄太
河村健:加藤隆之
柏田健二:渡辺哲
三井刑事:須永慶
浅川の母:市川千恵子
浅川の父:田村元治
山村貞子 / 山村志津子:木村多江(二役)
伊熊平八郎:上杉祥三
伊熊夫人:佐々木すみ江
大石智子:岡本綾
八木久美子:鈴木砂羽
金田裕二:小日向文世
阿部:池内万作
森山修平:河原崎建三
有馬:小林勝也
松崎ナオ:松崎ナオ
山村志津子(老婆):進藤幸
山村敬一郎:稲垣昭三
八木マネージャー:高杢禎彦
吉瀬美智子
最終回ゲスト出演
綾子 - 新山千春
新井 - 山崎裕太
教授 - 津嘉山正種

各話 放送日 サブタイトル 脚本 演出 視聴率 備考
第1回 1999年1月7日 封印は今解かれた 蒔田光治 福本義人 21.1% -
第2回 1999年1月14日 ビデオに殺される 20.4%
第3回 1999年1月21日 誰かが見ている… 蒔田光治・高山直也 西谷弘 17.7%
第4回 1999年1月28日 沈黙のウイルス 蒔田光治 福本義人 21.0%
第5回 1999年2月4日 蘇った死者 西谷弘 20.0%
第6回 1999年2月11日 新たなる超能力者 福本義人 20.3%
第7回 1999年2月18日 今夜貞子が現れる 西谷弘 20.8%
第8回 1999年2月25日 呪いを解くと誰かが死ぬ 松田秀知 19.2%
第9回 1999年3月4日 仕組まれた記憶 福本義人 18.1%
第10回 1999年3月11日 貞子復活 西谷弘 20.0%
第11回 1999年3月18日 高山竜司、死す 松田秀知 20.4%
最終回 1999年3月25日 呪いは解けていなかった。13日目、新たな死者が世界を滅ぼす 福本義人 19.7%


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0_(%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%85%89%E5%8F%B8%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html

[近代史4] 中川隆 _ ホラー映画関係投稿リンク 中川隆
10. 中川隆[-10838] koaQ7Jey 2020年10月15日 20:02:47 : 0dFRbRirNU : SnNqODB0QmZIQm8=[8]
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/193.html#c10
[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
1. 中川隆[-10837] koaQ7Jey 2020年10月15日 20:56:43 : 0dFRbRirNU : SnNqODB0QmZIQm8=[9]

リング(RING) -最終章- 2話
http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=2tomchan&prgid=34213874&page=1&categid=32074078&orderby=prg_index


Ring: The Final Chapter Ep. 02 Eng Sub





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c1
[番外地8] MMTは政府に金を出させて稼ごうとしている金融資本が推進しているんだよ 中川隆
7. 中川隆[-10836] koaQ7Jey 2020年10月16日 06:38:44 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[3]
MMTは政府に金を出させて稼ごうとしている金融資本が推進しているんだよ
MMTというのは単にいくら国債を発行してもいいというだけの話さ
中央銀行は貨幣発行権があるんだから当たり前だろ
MMTは理論といえるものじゃない
貨幣はいくらでも発行できるけど、貨幣発行量によって貨幣価値が変わるだけだからね
実際、日銀の異次元金融緩和で 1ドル70円から120円まで円の価値が暴落しただろ
貨幣量を増やせば貨幣価値が暴落するのが証明されてるんだ
そもそも金融緩和は江戸時代に金貨に含まれる純金を減らしたのと同じだろ
貨幣価値が下がるに決まってるんだよ
MMTとかは関係ない、単に貨幣を増やしてるだけだ

MMTというのは要するに、貨幣を大量発行して貨幣価値を下げ、政府負債を目減りさせるのが目的なのさ。
貨幣が完全に紙屑になって、政府負債もゼロになった所で新通貨を発行して金融をリセットするんだ

GHQが戦時国債を返したくないからやった意図的インフレ策と同じさ

日銀の異次元緩和で円は紙屑化している:

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

江戸時代の一両金貨に含まれる純金の量を半分に減らせば、一両で買える製品の量が半分になるのと同じさ。
円紙幣を倍に増やせば1万円で買えるゴールドや穀物やマクドナルドの量が半分になるに決まってるだろ。
三橋さんは消費者物価の事を誤解しているんだ。
旧来の消費者物価の計算では買うものの価値は考慮していないんだよ

100円ショップで売っている傘はすぐに壊れるけど、既に淘汰されて手に入らなくなった日本製の傘と同じ傘としてカウントされている。
野菜の値段が昔と同じだとしても、今買える野菜は水銀・鉛入り、農薬まみれの中国産だけだ。
中国の年収10万円の農民とおなじ物を食べさせられているんだ。

海外から安物の粗悪品が沢山入ってきて日本製の高品質のものと入れ替わったから、旧来の消費者物価の計算法が見当外れになっているんだよ。
昔と値段が同じでも買っているものの価値が下がっているんだ

中国からの安物粗悪品を使えない分野ではハイパーインフレになっているよ:
マイホームとマイカーと子供2人を維持するには20年間で1億円かかる

日本では昭和期にはちょっとした会社に就職すれば(もちろん正社員)、車や一戸建ての家を購入できました。

それが今新車と新築の家を持ち、結婚して子供2人を大学まで入れるには20年間で1億円が必要です。
内訳は高級車が年100万、新築住宅が4000万円、子供を1人大学まで入れるのに2000万円です。
これだけで最低年収手取り500万円が必要で、生活費も必要なので手取り700万円が必要になります。
サザエさん的な生活をするには年収税込み900万円は必要だが、これは一部上場の勝ち組社員の年収です。

要するにバブル崩壊以降は労働者が搾取されているから子供を作れなくなったんですね。
どうやって搾取しているかというと、国債の利子でマネーストックを増やして貨幣価値を下げるという手口です。貨幣価値が下がっても中国から安物製品が大量に入ってくればインフレだというのが認識できなくなる。

それで物価が上がっていないという事にされ賃金も30年間上げない。しかし実質賃金だけは上がって子供を大学に行かせる金が労働者には出せなくなっている。
これが少子化とデフレの原因です。  
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/460.html#c7

[番外地8] 南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言 中川隆
10. 中川隆[-10835] koaQ7Jey 2020年10月16日 07:32:24 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[4]
欧米人や元日本兵が言っている事は事実でしょう:

南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言
貴重資料『南京事件U』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yrLPTGCXPr0
南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm

▲△▽▼

一 般 市 民 虐 殺 命 令 
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
http://kk-nanking.main.jp/mondai/gyakusatu.html  

▲△▽▼

1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

本多勝一 中国の旅 (朝日文庫) が朝日新聞に連載された時の読者の批判は

今更そんな昔の事を掘り起こさないで欲しい
戦争というのはああいうものなんだ
みんな覚醒剤を飲んで異常な精神状態でやった事で、仕方なかったんだ
古傷をタワシでゴシゴシ擦る様な事を書くのは止めて欲しい

というのが大半だった。

連載当時はまだ実際に南京で戦った日本兵が沢山生存していたのですね。
本多勝一 中国の旅 が嘘だと反論する元日本兵は一人も居ませんでした
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/445.html#c10

[番外地8] 鬼頭久二(1916年8月生まれ) 第16師団歩兵第33連隊 第1大隊 中川隆
2. 中川隆[-10834] koaQ7Jey 2020年10月16日 07:33:10 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[5]
欧米人や元日本兵が言っている事は事実でしょう:

南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言
貴重資料『南京事件U』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yrLPTGCXPr0
南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm

▲△▽▼

一 般 市 民 虐 殺 命 令 
鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
http://kk-nanking.main.jp/mondai/gyakusatu.html  

▲△▽▼

1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。

このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

本多勝一 中国の旅 (朝日文庫) が朝日新聞に連載された時の読者の批判は

今更そんな昔の事を掘り起こさないで欲しい
戦争というのはああいうものなんだ
みんな覚醒剤を飲んで異常な精神状態でやった事で、仕方なかったんだ
古傷をタワシでゴシゴシ擦る様な事を書くのは止めて欲しい

というのが大半だった。

連載当時はまだ実際に南京で戦った日本兵が沢山生存していたのですね。
本多勝一 中国の旅 が嘘だと反論する元日本兵は一人も居ませんでした
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/454.html#c2

[近代史3] 中曽根康弘とキッシンジャー 中川隆
9. 中川隆[-10833] koaQ7Jey 2020年10月16日 08:19:41 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[7]

2020.10.16
CIAとつながり、新自由主義を日本へ持ち込んだ中曽根康弘
 グランドプリンスホテル新高輪で10月17日に行われる中曽根康弘の内閣・自民党合同葬は、政府の予備費から約9600万円が投入されて行われるという。中曽根が101歳で死亡したのは昨年11月29日。1982年11月27日から87年11月6日にかけて内閣総理大臣を務めたが、その間に国鉄を分割するなど私有化を進めるなど新自由主義を日本へ導入している。つまり日本の破壊を本格化させた人物だ。その経歴を振り返ってみよう。

 彼は東京帝国大学を卒業した後、1941年4月に内務省に入るが、それから間もなくして海軍経理学校に入学、海軍主計少佐として敗戦を迎えた。敗戦から間もない1945年10月に内務省へ戻り、翌年9月には警視庁警視になるのだが、その年の12月に依願退職。1947年4月に衆議院議員選挙に出馬、当選して政界入りを果たした。

 政治家になった中曽根は河野一郎の配下へ入り、そこで右翼の大物とされていた児玉誉士夫と知り合うが、その児玉がCIAの手先だったことがロッキード事件の際に判明している。

 中曽根が権力の階段を登り始めるのはMRA(道徳再武装運動)と関係するようになってから。この団体はCIA系の疑似宗教団体で、日本人としては岸信介や三井本家の弟、三井高維が参加していた。(グレン・デイビス、ジョン・G・ロバーツ著、森山尚美訳『軍隊なき占領』新潮社、1996年)

 MRAで中曽根はヘンリー・キッシンジャーなどCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合い、1950年6月にはスイスで開かれるMRAの世界大会に出席している。

 ハーバード大学を卒業した直後、キッシンジャーは「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールの責任者になるが、1953年のセミナーに中曽根は参加した。セミナーのスポンサーにはロックフェラー財団やフォード財団のほか、「中東の友」といった団体も含まれていたが、この「中東の友」はCIAが隠れ蓑に使っていた団体だと言われている。

 そして1954年3月、中曽根が中心になって2億3500万円の原子力予算案が国会に提出された。予算案は修正を経て4月に可決されている。言うまでもなく、こうした動きの背景には1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。

 中曽根は旧制静岡高校から東京帝国大学へ進んだのだが、高校時代の友人に東郷民安という人物がいた。東郷は殖産住宅の創業者だ。その会社の株式が1972年10月に上場されたが、その際に中曽根は東郷に「株式公開を利用して政治資金をつくりたい」と持ちかけている。公開時の株価操作で儲けさせてくれというわけだ。

 この上場を取り仕切ったのは業界最大手の野村証券。中曽根によると、当時の野村証券社長、北裏喜一郎は中曽根のスポンサーのひとりだというが、この上場でトラブルが発生、児玉誉士夫が出てくる。結局、東郷は1973年6月に所得税法違反の容疑で逮捕され、有罪判決を受けるのだが、冤罪だと考える人もいる。(東郷民安著『罠』講談社、1986年)

 リチャード・ニクソンが1974年8月にウォーターゲート事件で辞任した後、ジェラルド・フォードが副大統領から大統領に昇格するが、このフォード政権で台頭してきたネオコンは好戦的な政策を打ち出す。

 民主党のジミー・カーター政権ではズビグネフ・ブレジンスキー国家安全保障補佐官がアフガニスタンで秘密工作を実行、ソ連軍を戦争に引き込み、ロナルド・レーガン政権は1983年11月には戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備している。

 そうした流れに中曽根も乗る。首相に就任して間もない1983年1月、彼はアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語った。

 それから間もない1983年4月から5月にかけてアメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施、3空母を集結させた。エンタープライズ、ミッドウェー、コーラルシーを中心とする機動部隊群が集まって挑発手金が軍事演習を実行したのだが、この重大な出来事を日本のマスコミは報じなかった。

 そして1983年8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯するという事件が引き起こされる。この旅客機はアンカレッジを離陸して間もなく航路を逸脱、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切ってソ連軍の重要基地の上を飛行、ソ連側の警告を無視して飛び続けた末にサハリン沖で撃墜されたとされている。航路を逸脱してソ連へ向かう旅客機にNORADは何も警告していない。この事件には不可解なことがいくつもあるのだが、今回は割愛する。

 この事件を利用してアメリカ政府は大々的な反ソ連キャンペーンを展開、その年の11月にはNATO(北大西洋条約機構)軍が軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。1981年の段階で西側からの全面攻撃を想定していたソ連のKGBはこれを「偽装演習」だと疑い、全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒、その準備を始めている。

 大韓航空機の事件から2年後の8月12日、羽田空港から伊丹空港へ向かっていた日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落した。乗員乗客524名のうち520名が死亡している。

 運輸省航空事故調査委員会はボーイング社の修理ミスで隔壁が破壊されたことが原因だと主張しているが、医学的にありえず、全く説得力はない。再現実験でも調査委員会のストーリーは無理だということが確認されている。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、墜落から10年後の1995年8月、アメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙は日本航空123便に関する記事を掲載した。墜落の直後に現場を特定して横田基地へ報告したC-130の乗組員、マイケル・アントヌッチの証言に基づいているのだが、その記事は自衛隊の責任を示唆している。

 123便が墜落した頃、兜町では1987年に「完全民営化」する予定の日本航空の株価が暴騰していた。株価を上昇させ、大蔵大臣名目で保有されていた4090万株を高値で売却、1988年には700万株の時価発行増資を行うというシナリオだった。

 2000円台の前半で推移していた日本航空の株価が急騰し始めたのは1984年のことで、「中曽根銘柄」と呼ばれていた。1985年の夏に株価は8000円を突破、そこで123便が墜落したわけだ。

 株価は5000円を切るまで下落、日航株の仕手戦は終わったと考える人は少なくなかったが、内情を熟知している人は値上げさせなければならない事情があるので、絶対に値上がりすると断言していた。実際、1987年には2万円を突破している。

 その頃、日本航空は超長期のドル先物予約をしている。証券関係者から「クレージー」と言われていたが、これは株価操作による資金調達の代償だった可能性がある。

 日本航空123便が墜落した翌月、ニューヨークのプラザ・ホテルで開催された先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議で「ドル高是正」で合意しているが、その前からドルが安くなる、つまり円高になることは確実視されていた。ドルを保有したくない日本の金融機関にとって超長期のドル先物予約をした日本航空はありがたい存在だったはずだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010160000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/736.html#c9

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 中曽根康弘 中川隆
3. 中川隆[-10832] koaQ7Jey 2020年10月16日 08:22:29 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[8]
2019.11.30
中曽根康弘とキッシンジャー

 中曽根康弘は日本へ原子力や新自由主義を導入した政治家である。「右翼」と見なされているが、アメリカの支配層と深く結びついていた。

 東京帝国大学を卒業した後、中曽根は1941年に内務省へ入省したが、それから間もなくして海軍経理学校へ入学、海軍主計少佐として敗戦を迎えている。1945年10月に内務省へ戻り、翌年9月には警視庁警視に昇進するが、その年の12月に依願退職。1947年4月には衆議院議員選挙に出馬、当選して政界入りを果たした。

 政治家となった中曽根は河野一郎の配下に入り、そこで児玉誉士夫と知り合う。中曽根は児玉の子分になったと言う人もいる。その児玉は右翼の大物として知られていたが、ロッキード事件の際にCIAの手先だったことが判明している。この事件では中曽根の名前も出たが、検察は動かなかった。

 中曽根と児玉との関係を浮き上がらせる事件が1972年にあった。中曽根と旧制静岡高校からの友人だった東郷民安が創業した殖産住宅の株式が上場を巡るスキャンダルだ。この上場を利用して中曽根は一儲けを目論み、児玉が絡んでくる。このふたりが東郷を破滅へと導くことになった。

 その頃、中曽根は政治家の中でも「大物」になっていたが、彼が権力の階段を登り始めるのはMRA(道徳再武装運動)と関係するようになってからだ。この団体はCIAとの関係が深い疑似宗教団体で、岸信介や三井高維も参加。そこで中曽根はヘンリー・キッシンジャーを含むCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合い、1950年6月にはスイスで開かれるMRA世界大会へ出席している。

 ちなみに、その3年後、内閣調査室の初代室長だった村井順がMRAの大会へ出席するためにスイスへ向かっている。村井はボンでアレン・ダレスCIA長官と会い、できて間もない内閣調査室に関する助言を得ることになっていたと言われている。

 しかし、ボン空港に到着すると村井はイギリスの情報機関員と思われる人物につきまとわれ、ロンドンの税関では腹巻きの中に隠していた闇ドルを発見されてニュースになった。

 ところで、中曽根は1953年にキッシンジャーが責任者だった「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加している。このセミナーはロックフェラー財団やフォード財団をスポンサーにしていたが、CIAともつながっていた。

 その当時、キッシンジャーはハーバード大学の大学院で学んでいた。1954年に博士号を取得、その翌年にネルソン・ロックフェラーがスポンサーについたキッシンジャーはCFRの核兵器・外交政策研究グループの責任者に選ばれる。

 キッシンジャーが支配層に取り立てられる切っ掛けは1942年にアメリカ陸軍でフリッツ・グスタフ・アントン・クレーマーという人物に目をかけられたことにある。ドライバー兼ドイツ語の通訳を探していた第82歩兵師団のアレキサンダー・ボーリング司令官にクレーマーはキッシンジャーを紹介した。

 ほどなくしてキッシンジャーは情報分隊(後の対敵諜報部/CIC)に配属され、1946年までそこに所属。そこでアレン・ダレスに誘われ、創設の準備段階だった極秘の破壊工作機関OPCで働くようになる。最初の仕事はハーバード大学で新組織のために働く外国人学生をリクルートすることだった。彼が「ハーバード国際セミナー」の責任者になった理由のひとつはそこにあるのだろう。

 一方、1954年3月に中曽根は国会に原子力予算を提出し、修正を経て予算案は4月に可決された。その背景には、1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。

 中曽根は1982年から内閣総理大臣を務めることになった。1976年に逮捕された後も政界で大きな影響力を持っていた田中角栄の懐刀、後藤田正晴が内閣官房長官になったこともあり、マスコミは「田中曽根」と揶揄していたが、その実態は「岸影内閣」だとジャーナリストの山川暁夫は看破していた。後藤田は中曽根のブレーキ役だった。実際、後藤田の追い落としを狙ったと思われるスキャンダルが浮上している。

 首相になった中曽根が目論んだのは新自由主義の導入だった。私有化の促進と規制緩和だ。その象徴が国鉄の分割と私有化。最強の労働組合を潰すことだけでなく、国の運営を国家機関から私的権力へ移そうというわけだ。その後、支配層が目論んだ通りに日本の労働環境は急速に悪化、貧富の差が拡大していくのだが、同時に日本経済の地盤も崩れていく。それは社会の崩壊でもあった。その新自由主義的な政策を引き継いだのが小泉純一郎、菅直人、野田佳彦、安倍晋三たちだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201911300000/  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1054.html#c3

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 中曽根康弘 中川隆
4. 中川隆[-10831] koaQ7Jey 2020年10月16日 08:26:45 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[9]
中曽根康弘死去であらためて振り返る従軍慰安婦 中曽根の「慰安所つくった」証言と「土人女を集め慰安所開設」防衛省文書(リテラ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo267/msg/697.html

2019.11.29 中曽根康弘「慰安所つくった」証言と「土人女を集め慰安所開設」文書 リテラ

     
左・中曽根元首相の“手記”が収録されている『終りなき海軍』(文化放送開発センター)/右・中曽根元首相が慰安所を設置させたことを示す資料


 中曽根康弘元首相が、101歳で死去した。メディアでは、国鉄民営化や日米安保体制強化などを功績として振り返っているが、負の側面も非常に大きい政治家ある。

 たとえば、現在の日本社会にもつながる右傾化・歴史修正主義の台頭や新自由主義路線の端緒となり、日本の戦後民主主義政治を歪めた張本人だ。こうした功罪の罪の部分も検証されるべきだが、なかでも本人が一度は告白しながら途中からダンマリを貫いたこの問題はきっちり検証するべきだろう。

 そう、日本軍の従軍慰安婦問題だ。

 中曽根元首相が戦時中、海軍主計士官(将校)の地位にあったことは有名だが、その当時、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたことを、戦後に自分の“手記”の中で自ら書いているのだ。

 しかも、これは中曽根元首相の思い違いでも妄想でもない。防衛省にも中曽根元首相の“慰安所づくり”証言を裏付ける戦時資料が存在している。

 本サイトでは、2014年夏、朝日新聞の慰安婦記事バッシングが盛り上がり勢いづいた右派の、慰安婦の存在や日本軍の関与までなかったことにしようという歴史修正主義の動きに抵抗するため、この中曽根“慰安所づくり”証言とそれを裏付ける戦時資料について詳しく報じた。(ちなみに、フジ産経グループの総帥だった鹿内信隆にも中曽根元首相と同様に、慰安所づくりへの関与発言があり、やはり本サイトが記事にしている(https://lite-ra.com/2014/09/post-440.html)。

 中曽根元首相の証言は、従軍慰安婦に日本軍が組織的に関与していたことを物語る重大な証言だったが、手記出版から30年ほど経ってからこの記述がクローズアップされると、中曽根元首相は一転否定、その後ダンマリを通してきた。

 中曽根元首相には、従軍慰安婦問題とりわけ日本軍の関与について、自らの口で明らかにする歴史的責任があったはずだが、それはかなわなくなってしまった。

 中曽根“慰安所づくり”証言とそれを裏付ける戦時資料から、従軍慰安婦の存在と日本軍関与が事実であることを報じた記事を再録する。「慰安婦は存在しなかった」というデマが大手を振って罷り通るいま、あらためてご一読いただきたい。
(編集部)

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●中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が

 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

■中曽根が手記で「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と自慢

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」

 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

■防衛省に、中曽根「慰安所づくり」証言を裏付ける客観的証拠が!

 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。

「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

■インドネシアで民家だった場所を、日本軍が接収し慰安所に作り変え!

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。

(エンジョウトオル)

▲△▽▼


中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が(リテラ)
http://www.asyura2.com/14/senkyo170/msg/574.html

中曽根元首相の“手記”が収録されている『終りなき海軍』(文化放送開発センター)


中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
http://lite-ra.com/2014/08/post-413.html
2014.08.29 リテラ


 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」

 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」
 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。

「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。

(エンジョウトオル)


▲△▽▼


「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り(リテラ)
http://www.asyura2.com/14/senkyo171/msg/138.html
 『いま明かす戦後秘史 下』(サンケイ出版)


「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り
http://lite-ra.com/2014/09/post-440.html
2014.09.07 リテラ


 朝日新聞の慰安婦報道の失態で勢いづいている右派・保守陣営だが、中でも、一番大はしゃぎしているのが産経新聞だろう。産経は慰安婦が政治問題化した1990年初頭から、慰安婦の強制連行はなかったと否定し、河野談話や村山談話を批判、慰安婦を記述した教科書を糾弾するキャンペーンを展開してきた。

 さらに同紙の社説にあたる「主張」や月刊オピニオン誌「正論」では、強制連行の否定だけでなく、慰安婦は「民間業者が行っていた商行為」で、「自ら志願した娼婦」。日本軍は従軍慰安婦に「性病予防対策などで関与していた」だけ、「公衆衛生面で関与していた」にすぎないという主張を繰り広げてきた。

 そして今回、朝日が「吉田証言」の間違いを認めた事で、こうした自分たちの主張がすべて正しかったと勝ちどきをあげているのだ。

 97年に結論が出ていた「吉田証言」の虚偽を朝日が今になって認めたというだけで、どうしてそういう結論になるのかさっぱりわからないが、とにかく産経は自信満々で、日本軍に慰安婦の責任はまったくないかのような論調を繰り広げている。

 だが、彼らは自分たちの会社で中興の祖とあおがれている人物が、その「軍は公衆衛生面で関与していただけ」という主張をくつがえすような衝撃的発言をしていたことを知っているのだろうか。

 その人物とは元産経新聞社長で、フジサンケイグループ会議議長だった故・鹿内信隆。鹿内は日経連専務理事からニッポン放送、フジテレビを開局して社長を歴任した後、産経新聞の経営権を握り社長に就任。現在、フジサンケイグループの原形を築き上げた人物だ。その権力と政治力は絶大なものがあり、1990年になくなるまで、事実上のオーナーとして同グループを独裁支配。経営方針だけでなく、現在の同グループのタカ派的な姿勢もすべて鹿内がつくりあげたものだ。

「鹿内さんは産経新聞社長に就任時するや同紙を反共タカ派の拠点にする方針を掲げ、自分にさからうリベラルなスタンスの社員のクビを片っ端から切っていった。800人に及ぶそのリストラの凄まじさは当時、マスコミ界でも“産経残酷物語”といわれたほどです。こういうことがあって、産経は今のゴリゴリの右派一色に染まった訳です。この鹿内さんのDNAはもちろん、現在の経営陣、編集幹部にも引き継がれています」(産経新聞OB)

 その鹿内は戦中、陸軍経理部に招集されていたのだが、産経新聞社長就任後に桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)を出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。

「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
 桜田  そう、慰安所の開設。
 鹿内  そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった」

 鹿内は召集後、1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハウを学んでいたのだが、そのときに、慰安所の作り方も叩き込まれたというのだ。しかも、その内容は今、右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の管理だけ」というようなレベルではない。鹿内の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが、「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達するという意味。つまり、これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。

 さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか(中略)といったことまで決めなければならない」という発言だ。当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし、どんな女がいいのかを品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。

 断っておくが、この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。靖国神社の一角に靖国偕行文庫という図書館があるのだが、そこにこの鹿内発言を裏付ける一冊の本が所蔵されている。

 300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書だ。
 
 表紙はハードカバーで、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」という文字。その9ページ目、第一章総説に、師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されているのだが、その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。

1 酒保ノ開設
2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演藝會ノ開催
3 恤兵品ノ補給及分配
4 商人ノ監視

 ようするに、陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。軍が関与したのは衛生面の管理だけという保守派の主張が、明らかな嘘だということがよくわかるだろう。

 もちろん、こうした事実を産経新聞をはじめとする右派、保守派が知らなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が「土人女を集め慰安所開設」していたという戦時記録を紹介したが、今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で軍の組織的な関与を認めていたのだ。

 しかも、中曽根元首相の証言でも明らかになったように、軍は現地で娼婦でない女性たちも徴収している。これでほんとうに、従軍慰安婦のことを「自ら志願した高級娼婦」などと信じているとしたら、どこかおかしいとしか思えない。

 ようするに、保守系メディアはこうした事実を知っていながらそれをネグり、あらかじめ強制連行の定義を「軍が銃剣を慰安婦に直接突きつけて連行した」という非常に狭いものに限定し、それを否定することで、巧妙に情報を誘導してきたのである。朝日が歴史を捏造したというなら、産経をはじめとする保守メディアもまったく同罪なのだ。

 しかも、中曽根首相、今回の鹿内信隆フジサンケイグループ元議長の発言でもうひとつはっきりしたことがある。それは、彼らが従軍慰安婦に対していささかも自責の念を抱いていない事だ。それどころか、まるで笑い話のように、「慰安所をつくってやった」「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとかまで決めなきゃならない」と語っている。

 狂気のるつぼだった戦中ならともかく、戦後20年以上たってもこんな発言を嬉々としてできるというのは、そのベースに「女性はセックスのための使い捨ての道具」という差別意識が横たわっているという事に他ならない。そして、このメンタリティは、従軍慰安婦像に紙袋をかぶせるような性差別ギャグを嬉々としてほめたたえる今の右派メディアや嫌韓本、百田尚樹などの右派言論人にもしっかりと引き継がれている。
 
 彼らの姿が今の日本人を代表するものだと思われているとしたら、それこそが「日本の恥」ではないか。

(エンジョウトオル)


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経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/310.html

中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が(リテラ)
http://www.asyura2.com/14/senkyo170/msg/574.html


『報道特集』 がついに中曽根元首相の「土人女を集め慰安所開設」文書を報道! 息子の弘文が慰安婦否定の責任者ってなんの冗談
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/423.html


TBS 報道特集 「インドネシアでの戦時性暴力」  慰安所設置に関わった中曽根元首相 インドネシア元慰安婦の辛い証言
http://www.asyura2.com/15/senkyo189/msg/448.html


八代弁護士、河村たかし、松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ
https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html
2019.08.06 八代弁護士が「慰安婦問題は史実に基づかない」とネトウヨ並みデマ リテラ
    
    ネトウヨなみのデマ!  (『ひるおび!』より)


 安倍政権による韓国への輸出規制と「ホワイト国」除外、あいちトリエンナーレでの「平和の少女像」などの展示中止……。国交正常化以来最悪と言われる日韓関係のなか、日本中がグロテスクな嫌韓ムードと歴史修正主義に染まっている。

 それは安倍政権周りの政治家やネット、右派メディアだけではない。地上波のワイドショーでもネトウヨとなんら変わらないヘイトや歴史修正主義が堂々と語られるようになった。

 5日放送の『ひるおび!』(TBS)でも、慰安婦問題など含む作品を展示した「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた件をとりあげるなか、八代英輝弁護士がこんな発言をしていた。

「当然、この社会的風潮のなか、この慰安婦像。この慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものであること。あるいはこの慰安婦像に対して嫌悪感、反感をもつ方っていうのは多くいるってことは、当然認識した上での展示ですから。ある程度の反感というのは想定されたんでしょうけど、それが、私は『想定を超えてしまった』って認識は甘いんでないかというふうに思うんですよね」

 八代弁護士は「表現自体をさせないという風潮は危険だなと思う」などとエクスキューズをいれつつも、「私自身はこれ(少女像)を置いて、こんなものあってはならないと議論するということはアリだと思いますけどね」と続けるなど、嫌韓煽りを剥き出しにしていた。

 さらには、落語家の立川志らくも、いつもの物知り顔でこうコメントした。

「結局、こういうことをやると、日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果が出た。これを『平和の少女像』って言う人がいることが、私は不思議でしょうがない。平和の少女像って言うなら、日本人の誰もが見て、これは平和だなって思えるならいいんだけれども。そりゃ韓国の人はそうかもしれないけど、日本人にとっては多くの人が反日の像だと思ってるわけでしょ? 本来、芸術ならば、これを反日像だと思っている人が見ても、思わず感動して涙を流す、そういうものを私は展示してほしい」

 本サイトでも解説した(https://lite-ra.com/2019/08/post-4880.html)ように、「平和の少女像」が「反日」だというのは完全にネトウヨの論理であり、歪曲した解釈だ。それを「みんなが思ってるんだから反日に決まってる」と言い張り、表現の自由を踏みにじる卑劣なテロ予告者ではなく、議論を換気しようとした展示や作品のほうを問題視する。その倒錯ぶりと付和雷同には、呆れ果てるしかない。

 とくに聞き逃せないのは、八代弁護士が発した「慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものである」とのセリフだろう。八代弁護士は、つい先日も朝日新聞を韓国の中央日報、ハンギョレ新聞と並べて「反日三羽ガラス」と揶揄するなど、テレビの全国放送ネトウヨぶりを全開していたが、今度は慰安婦それ自体がなかったかのような発言をしたのだ。

はっきり言っておくが、慰安婦の存在は捏造でもなんでもなく。歴史的な事実だ。弁護士の資格を持つ人間が、地上波の昼間の番組で、保守派の学者でさえ言わないような歴史修正主義丸出しのデマを口にしていいのか。

 いや、八代弁護士だけではない。「平和の少女像」展示に圧力をかけ、「表現の不自由展」への攻撃を煽った河村たかし名古屋市長も、今日の会見で「やっぱり慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られる」などと発言していた。つまり、河村市長も慰安婦は存在しないと信じ込んでいるのだ。

 さらに、日本維新の会代表の松井一郎・大阪市長からはもっととんでもないデマ暴言が飛び出した。松井市長は5日会見で「事実ではない慰安婦の像」「日本人を蔑み貶める、誹謗中傷」「慰安婦問題というのは完全なデマ」「朝日新聞自体が誤報だと謝罪しているわけですから」「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」などと語り、慰安婦は完全なデマと言い放ったのである。

■中曽根康弘元首相が海軍主計長時代に「土人女を集め慰安所を開設」の記録

 こうした連中の妄言の根拠は、2014年、朝日新聞が慰安婦関連記事の虚偽を認め、訂正・謝罪したことだ。朝日が訂正したのは、とっくのとうに虚偽であることが分かっていた吉田清治証言に関するものだけだったが、当時、ネトウヨや極右メディアがこの謝罪を意図的に拡大解釈し、あたかも戦中に「慰安婦」自体の存在がなかったのようなデマを喧伝しまくった。意図的かどうかは知らないが、八代弁護士や河村市長らはこのネトウヨ歴史修正の詐術に丸乗っかりしているということだろう。

 だとしたら、本サイトとしては何度でも、その欺瞞と詐術を明らかにしておく必要がある。戦中の日本軍が各地に慰安所をつくり、現地の女性たちや朝鮮半島の女性たちを慰安婦にして、兵士の性暴力の相手にさせられたのは客観的事実だからだ。

 日本軍が侵略したアジアの各地に慰安所をつくったことは残された軍の記録や通達からも明らかであり、歴史学的にも議論の余地はない。軍が斡旋業者を使って騙して女性を連れ出した証拠や、現地の支配者や村長に命じて女性を差し出させた証拠もいくらでもある。そして、慰安所で現地の女性や朝鮮半島から連行した女性を軍が性的搾取したことは、多くの被害女性だけでなく、当時の現地関係者や元日本兵、元将校なども証言していることだ。

 たとえば、海軍出身の中曽根康弘元首相は、回想記『終りなき海軍』のなかで、当時、設営部隊の主計長として赴任したインドネシアで〈原住民の女を襲う〉部下のために〈苦心して、慰安所をつくってやった〉ことを自慢話として書いている。この中曽根証言は、防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センターが所蔵している当時の文書「海軍航空基地第2設営班資料」において、〈気荒くなり日本人同志けんか等起る〉ようになったところで〈主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり〉と記されているように、歴史事実として裏付けされたものだ。

■産経の総帥も自著で軍時代の慰安所設立を自慢「女の耐久度とか消耗度も決めていた」

 また、陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長は、桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)のなかで、慰安所と慰安婦が軍主導であった事実をあけすけに語っていた。

「(前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋(引用者註:慰安所のこと)が……」
「調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」
 
 実際、靖国偕行文庫所蔵の『初級作戦給養百題』(1941年)という陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書の記述にも〈慰安所ノ設置〉が業務のひとつとされており、この鹿内証言も軍の資料と完全に一致する。

 朝鮮半島の女性たちを慰安婦にした証拠も枚挙にいとまがない。

 日本はアジア・太平洋戦争で東南アジア各国を侵略、傀儡政権を樹立したり、軍の統治下に置くなどの支配を進めていったが、たとえばシンガポールでは現地の華僑を粛清した後に、日本軍の宣伝班の下で刊行された新聞に“慰安婦募集の広告”が出ている。そうした慰安所に大勢の朝鮮人女性も動員されたことは「16歳の時にシンガポールの慰安所に連れて行かれた」という朝鮮人元慰安婦の証言だけでなく、近年発見されたビルマ(現・ミャンマー)とシンガポールの慰安所で帳場の仕事をしていた朝鮮人男性の日記からも明らかになっている。また、独立自動車第四二大隊にいた元日本軍兵士も「トタン塀」と呼んでいた慰安所には「娼妓は朝鮮人が多かったが、マライ人もいた」と証言している。

■米朝会談の舞台となったセントーサ島では朝鮮人女性が騙されて慰安婦に

 昨年、米朝会談の舞台となったシンガポール南端のセントーサ島(旧称・ブラカンマティ島)でもまた、朝鮮人女性たちが慰安婦として働かされていた。しかも、彼女たちは別の仕事だと騙されて連れてこられたのだ。

 当時、東南アジアで通訳として従軍していた永瀬隆氏が証言している。永瀬氏は、日本が戦中につくらせたタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道で陸軍の通訳をしていたことで知られる日本人男性だ。日本軍による泰緬鉄道建設にあたっては、数万人のアジア人労働者や連合国軍の捕虜が非人道的な扱いを受け犠牲となっている。永瀬氏は戦後、反戦平和の立場から個人でその慰霊と償いの社会活動を続け、2011年に亡くなった。

 その永瀬氏が生前、月刊誌「MOKU」(黙出版)1998年12月号での高嶋伸欣・琉球大学教授(現・名誉教授)との対談のなかで、セントーサ島での体験を語っていた。シンガポールでも数か月の間、陸軍の通訳として勤務しており、その時、慰安所の女性たちや軍の部隊長と話をしたことをこのように振り返っている。

「(セントーサ島には1942年の)十二月中旬までいました。十一月になって隊長が僕を呼んで、『実は朝鮮の慰安婦がこの部隊に配属になってくるんだが、彼女たちは日本語がたどたどしいから、日本語教育をしてくれ』というんです。僕は『嫌なことをいうな。通訳はそこまでしなきゃいけんのか』と思ったけど、その隊長はもう島の王様気取りでおるんです。仕方がないから、慰安婦の人たちに日本語を三、四回教えました」

 永瀬氏は「そのうちに、僕は兵隊じゃないから、慰安婦の人も話がしやすいんだな」と思ったという。そして、朝鮮人女性たちに慰安所にきた理由を聞くと、騙されて連れて来られたというのだ。

「それで僕も『あんたたちはどうしてここへ来たんだ』と聞いたら、『実は私たちは、昭南島(シンガポール)の陸軍の食堂でウエイトレスとして働く約束で、支度金を百円もらって軍用船でここへ来たんだけど、着いた途端に、お前たちは慰安婦だといわれた』というんです」
「それを聞いて、ひどいことをするなと思った。いま考えてみても、強制的に連行して慰安婦にするよりも、そうやって騙して連れてきて慰安婦にするほうが、僕は罪は深いと思います。
 とにかく、それから島の中に慰安所ができたんですが、隊長が慰安所の兵隊にくだしおかれる前に、慰安婦を毎晩代わりばんこに次から次へ味見しているという話を聞きました」

■「慰安婦は存在しなかった」の嘘が堂々とまかり通る恐ろしさ

 つまり、日本軍は、彼女たち朝鮮人女性に性的労働をさせることを告げず、まして嘘の説明で騙して慰安所に連れて行ったケースが明らかに存在した。そして、前述した中曽根元首相らの証言や当時の軍資料のように、日本軍が従軍慰安婦に積極的に関与していたことも歴史的な事実なのである。

 八代弁護士が言うような「慰安婦問題は史実に基づかない」というのが、いかにフェイクであるかが分かるだろう。歴史修正主義者たちは、こうして慰安婦問題を矮小化しているのだ。

 恐ろしいのは、こうした歴史的な事実を否認する発言が、当たり前のようにワイドショーで飛び出し、他のマスコミが検証を放棄した結果、少なからぬ視聴者が何ら疑念をもたないでいることだ。実際、八代弁護士の発言の嘘を検証したり、批判的に取り上げるマスコミは、いまのところ皆無。それどころか、Twitterでは「よくぞ言ってくれた!」というような賞賛まで受けている。

 繰り返すが、安倍政権が煽動する“嫌韓”を、応援団やマスコミが増幅し、それがごく当たり前のように社会に蔓延しているのが、いまの日本社会だ。その結果起きたのが、平和の少女像などの展示に対する異常なバッシングであり、放火テロまでほのめかす脅迫だった。歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない。

 しかも、こうしたメディアの扇動によって、国民の世論じたいもどんどん冷静さを失っている。

 政府が先月実施した「ホワイト国除外」に関するパブリックコメントには、寄せられた4万666件の意見のうち、「除外」に賛成が実に約95%で、反対はわずか約1%だったという。これは、安倍応援団やネトウヨの組織票の可能性が濃厚だが、他方、FNNと産経新聞が3、4日に実施した世論調査でも、「ホワイト国除外」を「支持する」が67.6%に登り、「支持しない」は19.4%にすぎなった。

 ワイドショーをはじめとするマスコミには、自分たちが取り返しのつかない状況を作り出しているという自覚はないのだろうか。

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終戦記記念日にあらためて言いたい!「慰安婦はデマ」こそデマだ! 日本軍関与、強制連行…歴史修正主義者たちはこの証拠を見よ
https://lite-ra.com/2019/08/post-4903.html

2019.08.15 終戦記記念日にあらためて言いたい!「慰安婦はデマ」こそデマだ! リテラ
   
   
 74年目の終戦記念日を迎えた今日、やはり、取り上げておくべきは日本軍「慰安婦」問題だろう。第二次安倍政権の誕生とともに、右派政治家やネット右翼による歴史修正主義は一気に勢いづき、「反日バッシング」の大号令のもとで大日本帝国賛美への傾きを増している。その象徴が、戦中の日本軍による「慰安婦」問題だからだ。

「平和の少女像」が展示された「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」は、脅迫や政治家の圧力によって中止に追い込まれたが、ネトウヨだけでなく、いまや政治家たちもが剥き出しの歴史修正発言を平然と繰り出しており、かたや、それを批判・検証する動きは鈍い。

「慰安婦問題は完全なデマなんだから。軍が関与した強制連行はなかったわけだから。それは一報を報じた朝日新聞自体が誤報と謝罪しているわけだから」「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」(松井一郎・大阪市長)

「名古屋市と愛知県は認めたのかと、国の補助金も入っているような(芸術祭で)国も韓国の主張を認めたのかと。やっぱり従軍慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られるじゃないかと」(河村たかし・名古屋市長)

 言っておくが、「慰安婦はデマ」「慰安婦はなかった」という発言こそ、はっきりとしたデマだ。そもそも、2014年に朝日新聞が訂正・謝罪したのは「慰安婦狩り」を創作した吉田清治証言にかんするもののみ。戦中の日本軍がアジア各地に慰安所をつくり、女性たちを「慰安婦」にして、兵士の性暴力の相手にしたのは事実である。

 まず、軍が慰安所づくりに主体的に携わったことを示す公的文書や元日本軍人の証言はいくらでもある。先日の記事(https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html)でも触れたが、たとえば、海軍出身の中曽根康弘・元首相は回想のなかで、インドネシアで「苦心して、慰安所をつくってやった」ことを自慢話として書いている。陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長はある対談で、「調弁する女の耐久度とか消耗度」などを含む慰安所の設置方法を経理学校で教わったと語っている。これらの証言は防衛省などが保持する当時の軍の史料でも裏付けされており、つまり、慰安所と「慰安婦」が軍主導であった事実を示している。

 アジアへの侵略戦争のなか、日本軍は戦地または占領地に軍直営や軍専用の慰安所をつくり、あるいは民間の売春宿を指定するかたちで慰安所にした。たとえば、防衛省の防衛研究所が所蔵する史料「常州駐屯間内務規定」(1938年3月16日、独立攻城重砲兵第二大隊が作成)では、中国現地の〈慰安所使用規定〉として部隊ごとに使用する曜日が決められていたほか、〈使用時間ハ一人一時間ヲ限度トス〉とあり〈支那人 一円○○銭〉〈半島人 一円五十銭〉〈内地人 二円○○銭〉とされている。軍が慰安所をつくり、朝鮮や現地の女性を「慰安婦」にしていたのは客観的にも議論の余地がないのだ。

 そこで、歴史修正主義者たちは「軍が関与した強制連行を示す証拠はない」などと言って「慰安婦問題はデマだ」と嘯くわけだが、しかし、これも問題を矮小化する典型的手口としか言いようがない。

 だいたい、歴史修正主義者たちは「軍がトラックで村に乗り込んできて、娘たちを連れ去って慰安婦にした」というようなケースだけを「強制連行」とするが、「強制」とはそもそも「本人の意思に反して無理矢理行わせること」だ。

 朝鮮人元慰安婦の証言で多いのは、「工場で働かせる」「稼げる仕事がある」などと甘言を弄して「慰安婦」にすることを隠し、騙して慰安所へ連行するケースだ。軍が直接的に連行せず業者を使っていても、元締めの業者は軍が選定し、慰安所では軍人の相手を強制されたのだから、当然、軍の責任は免れない。

■「いい仕事がある」と騙され貨車に詰め込まれ日本憲兵から「逃げようとしたら殺すぞ」と

 たとえば、朝鮮人元「慰安婦」の朴永心さんは1939年、17歳のとき、騙されて南京の慰安所へ連れていかれた。当時務めていた洋品店に、腰にサーベルをつけた日本人の巡査がやってきて、「お金が稼げるいい仕事がある」と誘われ、どういった仕事かはわからなかったが親孝行になると思い、ついていったという。

〈巡査は、私たちを憲兵に引き渡すとそそくさと姿を消してしまいました。私たちは屋根のついた貨車(有蓋貨車)に詰め込まれました。真夏だというのに貨車には窓がなく、風が通らないので中は蒸し風呂のような暑さでした。ブラウスが汗で肌にべったり張りついていたのを覚えています。
 一緒に乗り込んできた憲兵は「逃げようとしたら殺すぞ」と私たちを脅し、娘たちが互いに話すことも禁じました。トイレに行きたくても外に出してもらえず、我慢ができなくなると恥ずかしいなんて言ってられない。貨車の中で用を足さねばなりませんでした。本当につらかった。
 私たちは黙ったまま、暗い貨車の中で身を寄せ合って座っていました。「帰りたい」と泣き叫んでも殴られるだけで、どうすることもできなかったのです。「だまされた」と気がついたときにはすでに手遅れでした。〉【脚注1】

 明らかにそこには日本の官憲の「関与」があり、女性たちは「慰安婦」になることを「強制」されていたわけだが、さらに、東南アジアでは直接的に日本軍によって連行されたという証言も多い。

〈1943年のある夜、日本兵がやってきて、家々から若い女性を引きずり出しました。私は腕から乳飲み子をもぎとられ、むりやりトラックに押し込まれ、トンロックホテルで降ろされました。そこは陸軍専用の慰安所でした。〉(ロザリン・ソウさん/マレーシア・ペナン島生まれ)【脚注2】

〈日本軍の占領下、オランダ人は抑留所に入れられました。1944年2月、抑留所に日本軍の将校がきて、若い女性を広場に整列させ、「慰安婦」にする女性を選びました。私をふくむ16人の娘が「七海亭」に連行されました。私たちは恐怖で身を寄せあって祈りましたが、ひとり、またひとりと寝室に連れていかれました。私は日本刀をつきつけられて強かんされました。私はこの最初の夜を決して忘れません。翌日からは日本兵が列をつくってやってきました。2カ月後、慰安所は突然閉鎖され、私たちはボゴールの抑留所に移されました。日本兵は「慰安所のことを話したら、家族ともども殺す」と脅しました。私は沈黙するしかなく、周囲から「日本の売春婦」とよばれて、つらい思いをしました。〉(ジャン・ラフ=オハーンさん/オランダ領ジャワ島生まれ)【脚注2】

 安倍首相は第一次政権時に「言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかった」(2007年3月5日参院予算委員会)と答弁したが、これは真っ赤な嘘なのである。

■日本軍によって両親を虐殺され、慰安婦にされたフィリピン女性

 目の前で日本軍によって肉親を虐殺され、「慰安婦」にさせられたケースさえある。フィリピン人元「慰安婦」のルフィーナ・フェルナンデスさんの証言だ。1942年に日本軍がフィリピンを占領したとき、フェルナンデスさんは14歳だった。場所を移しながら避難生活を送るなか、マニラ郊外の家に日本軍が入ってきた。

〈この家に戻るとすぐ私たちの家に日本軍が入り込んできました。彼らは私の父を当時強かった反日ゲリラの容疑者ということで、逮捕しようとしていました。父は前から山に行ったり、マニラに行ったりしていて、反日運動など何ひとつ行っていません。そのことを日本軍の兵士に言いました。しかし、兵士はいっこうに耳をかそうとせず、父を殴りつけました。そして、私は避難生活の間に一五才になっていましたけれど、私を見つけて日本軍の兵士が連れて行こうとしました。それをみた父が逆上して、私を連れ戻そうと日本軍の兵士に抵抗した時に、父は私の見ている前で日本軍の兵士になぐり殺されました。そして次は母の番でした。母も私をかばおうと日本兵の前に立ちはだかると、兵士が何度も何度も母のおなかを殴りつけ、母はそのまま死んでしまいました。兄弟は私の目の前で殴られ続けました。私は止めようとしましたが、私も頭をひどく殴られ意識を失った状態で車の中に連れて行かれました。遠ざかる意識の中で泣き叫ぶ兄弟の声が聞こえなくなりました。おそらく彼らも殺されたのだとその時思いました。
 私の家族はこうしてすべて殺されました。これは私にとって、とてもつらい信じられない出来事でした。そのことだけでも私は五〇年間日本人と日本軍に対する怒りで苦しみ続けてきました。〉【脚注3】

 そして、慰安所での女性たちの境遇は「凄惨」や「壮絶」という言葉ではとても言い表せないほどのものだった。数々の証言からは、虐待や暴行は日常茶飯事であり、まさに兵士たちが女性を「モノ」扱いしていたことが伺える。

■日本兵から「皇軍のため」「一〇〇人でも二〇〇人でも入ってくるだけ奉仕をしろ」と

 たとえば、朝鮮人元「慰安婦」の李桂月さんはこう証言している。15歳になった年に、村の区長に「仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言われ向かった先で日本の軍人に引き渡され、ハルピン近くの慰安所に連れて行かれた。

〈日本軍は「慰安婦」たちが言うことを聞かないとひどく殴りました。ある日、私は部屋に入ってきた将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、将校は「皇軍の言うことが聞けないのか」とどなり、連続びんたを食らわせました。あまりの痛さに目がくらみ、あごががくがくしました。将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は完全に気を失ってしまいました。〉
〈また、ある日、「タナカ」が部屋に入って来たときに私が横になったまま起き上がらないので靴で触り、「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。たばこを押し付けられてやけどをしたところは水ぶくれになり、化膿してしまいました。〉
〈日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「一〇〇人でも二〇〇人でも入ってくるだけ奉仕をしろ」と命令しました。それで、日曜日にはご飯を食べる時間も、便所に行く時間もなく「奉仕」させられました。一日中数十人もの日本兵に犯されると、指を動かす力もなくなり、失神するほどでした。一緒に連行されて来たヨンジャとイ・プニは、日本兵の暴行で殺されました。ヨンジャは病気になって腹が膨れ上がりましたが、日本兵はにんしんしている女は不必要だと言って軍刀で彼女のお腹を切り裂きました。しかし、胎児はおらず、水みたいなものがあふれ出ただけでした。ヨンジャは腹水の病気だったと思います。〉【脚注1】

 彼女たちは騙されたり、暴力によって無理矢理に「慰安婦」にさせられただけではない。慰安所では、兵士の性暴力の相手を拒めず、居住も強制され、監視によって外出や逃亡もできなかったという証言がほとんどだ。また当時の日本は、女性や児童の売買を禁じる国際条約や、満21歳未満の女性を国外へ連れて行くことを禁じる国際条約に加入しており、これらにも違反していた。なにより、戦争遂行のために女性の自由を奪い、強制的に男性の性暴力に晒すのは、深刻な人権侵害にほかならない。

 冒頭に述べたように、敗戦から74年を迎えるこの国では、「慰安婦」の存在を否定するデマが勢いづいている。女性の人権を擁護し、被害と惨禍を繰り返すまいと決意することが「反日」などと呼ばれ、バッシングや脅迫の対象となってしまう社会。そうした歪んだ状況を正さない以上、同じことが繰り返されないという保証はない。そのことを決して忘れないでほしい。

(編集部)

■引用元と主な参考文献
【1】アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編/西野瑠美子、金富子責任編集『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集1』明石書店
【2】アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『フィールドワーク 日本軍「慰安婦」』平和文化
【3】アジア・フォーラム編『元『慰安婦』の証言──五〇年の沈黙をやぶって』皓星社
【他参考】日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編/吉見義明、西野瑠美子、林博史、金富子責任編集『Q&A「慰安婦」・強制・性奴隷』御茶の水書房

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秦郁彦 VS 吉見義明
https://www.nicovideo.jp/watch/sm24444064

2013-07-03
慰安婦問題の討論・秦郁彦vs吉見義明、秦郁彦は歴史家の名を利用するのやめたらどうだろう
https://dj19.hatenadiary.org/entry/20130703/p1

6/13、TBSラジオ番組で秦郁彦氏と吉見義明氏による「従軍慰安婦」問題についての15、6年ぶりの討論があった。取り上げるのが遅くなったが秦郁彦氏の誤魔化しや詭弁があまりに酷いので批判しておこうと思う。


●2013年06月13日(木)「秦郁彦さん、吉見義明さん、第一人者と考える『慰安婦問題』の論点」(対局モード)- 荻上チキ・Session-22
http://www.tbsradio.jp/ss954/2013/06/20130613-1.html



■ポッドキャスティングで聴く
http://podcast.tbsradio.jp/ss954/files/20130613main.mp3

■Youtubeで聴く
https://www.youtube.com/watch?v=3ANBEo8Ju14


まず視聴した感想を書くと、「慰安婦」として動員された女性たちは貧しいのが通例であり、経済的にも社会的にも弱い立場にあったわけだが、こうした女性たちに対する秦郁彦氏の蔑視と冷淡さは相変わらずひどいものだった。
彼女たちが被った慰安所での性暴力、強制売春といった犯罪被害は少しも顧みられることはないし、史料の都合のいいつまみ食いと、それを全体の問題にすり替えた粗雑な否定論も目立つ。

公娼については「家族のため」にやったこと、慰安婦については「売った親が悪い」と、家父長制や昔の家制度の論理で個人の自発性や自己責任に落とし込み消化されるだけなのだ。

まぁそんな秦郁彦氏でも、吉見義明氏に従軍慰安婦の被害の実態をツッコまれると、言葉の言い換えや詭弁で誤魔化そうとしてだいぶボロが出ていた。

以下は、ラジオ番組から人身売買や性的奴隷に関する発言の一部を文字起こしたもの(時間はYoutubeによる)。


19:05 〜
秦郁彦
内地の公娼制をね、これ、奴隷だということになってくると、そうすると、現在のオランダの飾り窓だとか、ドイツも公認してますしね、それからアメリカでも連邦はだめだけれどネバダ州は公認してるんですよ。これは皆、性奴隷ということになりますね。

吉見義明
それは、人身売買によって女性たちがそこに入れられているわけですか?

秦郁彦
人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか?志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。

吉見義明
セックスワークをどういうふうに認めるかということについてはいろいろ議論があって難しいわけですけれど、少なくとも人身売買を基にしてですね、そういうシステムが成り立っている場合は、それは性奴隷制というほかはないじゃないですか。

秦郁彦
自由志願制の場合はどうなんですか?

吉見義明
それは性奴隷制とは必ずしも言えないんじゃないでしょうか。
秦郁彦
公娼であっても?

吉見義明
それは本人が自由意志でですね、仮に性労働をしているのであればそれは強制とは言えないし、性奴隷制とも言えないでしょうね。

20:15 〜
秦郁彦

日本の身売りというのがありましたね。それで身売りというのは人身売買だから、これはいかんということになってるんですね、日本の法律でね。

吉見義明

いつ、いかんていうことになってるんですか?

秦郁彦

人身売買、自体はマリア・ルス(マリアルーズ)号事件の頃からあるでしょ、だから。

吉見義明

それはあの〜確かにあるけれど、それは建前なわけですよね。

秦郁彦

建前にしろですね、人身売買ってのは、だいたい親が娘を売るわけですけれどね。売ったという形にしないわけですよね。要するに金を借り入れたと、それを返済するまでね、娘が、これを年季奉公とか言ったりするんですけどね、その間、その〜、性サービスをやらされるっていうことなんでね。
それで、娘には必ずしも実情が伝えられてないわけですね。だからね、しかし、いわゆる身売りなんですね。

荻上チキ
(着いてみたら)こんなはずじゃなかった、という手記が残っているわけですね。

秦郁彦

う〜ん騙(だま)しと思う場合もあるでしょう。ね。
(中略)
だからね。これは、う〜ん、なんていうかな、自由意志か、自由意志でないかは非常に難しいんですね。家族のためにということで誰が判定するんですか。

吉見義明

いや、そこに明らかに金を払ってですね、女性の人身を拘束しているわけですから、それは人身売買というほかないじゃないですか。

荻上チキ
ちょっと時期は違いますけれどもね、『吉原花魁日記』とか『春駒日記』とかっていう、昔の大正期などの史料などでは、親に「働いてこい」と言われたけど、実際に働いてみるまでそのことだとは思わなかったケースもあったりすると。

秦郁彦
うん、そうそう。

荻上チキ
それは、親も敢えて黙っていたかもしれないし、周りの人も「いいね、お金が稼げて」と誉のように言んだけども、内実を周りは知らなかったっていうような話は色いろあったみたいですね。
吉見義明
実際にはあれでしょ、売春によって借金を返すというシステムになってるわけでしょ?

秦郁彦
今だってそれはあるわけでしょ。

吉見義明
それは、それこそ人身売買であって、それは問題になるんじゃないですか?

秦郁彦
じゃぁ、ネバダ州に行って、あなた、大きな声でそれは弾劾するだけの勇気がありますか?

吉見義明
もしそれが人身売買であれば、それは弾劾されるべき。

秦郁彦
志願してる場合ですよ、自発的に。自発かね、その〜どこで区別するんですか?

吉見義明
何を言ってるんですか、あなたは?

秦郁彦
え?


これは当時の公娼制度に関連したやり取りだが、秦氏が当時の日本での人身売買を基礎にした公娼制度と、現在の様々な法令によって女性の人権がある程度、保護されたうえで公認されている売春を同列に語っていることにまず驚く。このやり取りを聴いただけでも、秦郁彦氏が「自由売春」と、犯罪である「強制売春」の区別がついていないことは明らかだろう。いや、わかっていてわざとそこに触れないよう回避していると見るべきか。

そもそも秦氏は1999年の著書『慰安婦と戦場の性』のなかで、公娼制度とは「まさに「前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題」(廓清会の内相あて陳情書)にちがいなかった(同書p.36)」と公娼制度が奴隷制度であることを認めていた。
さらに同書では、「「慰安婦」または「従軍慰安婦」のシステムは、戦前期の日本に定着していた公娼制の戦地版として位置づけるのが適切かと思われる。(前書p.27)」と述べていた。

この論理なら、「公娼制度の戦地版」である慰安婦制度も同様に奴隷制度という認識になるはずである*1。ところが今回の吉見義明氏との討論では、最後まで公娼制度や慰安婦制度が奴隷制度であることを認めることはなかった。

とはいっても秦氏はこの後(後段の文字起こし部分)で、朝鮮半島から慰安婦として動員された女性たちの「大部分」が「誘拐や人身売買」の被害者であることまで認めた。そして、身売り=人身売買の被害者は「借金を返す」までの期間、身体を拘束され性行為を継続的に強要される状況にあったことも認めている。これは暗に奴隷状態であったことを認めているに等しい。

国際的な定義では、こうした他者の支配下に置かれ、自分のことを自由に決定する権利が奪われ所有物として扱われる地位や状態は奴隷状態であり、こうした状況で継続的に性行為を強要される状態を性的奴隷状態と定義しているのだから。(こちらを参照:性奴隷の定義を無視し「慰安婦は性奴隷ではない」と叫んでも反論になってない - Transnational History 性奴隷の定義を無視し「慰安婦は性奴隷ではない」と叫んでも反論になってない - Transnational History)



36:26 〜
荻上チキ
前提としてそういったふうに(連れて行かれた女性が慰安所での性行為を拒否し)イヤだイヤだといった場合は、帰る自由といったものはあったんですか?
秦郁彦
借金を返せばね。借金を返せば何も問題ないわけですよ。

吉見義明
え〜つまり、借金を返すまで何年間かそこ(慰安所)に拘束されるわけです。
それが性奴隷制度だっていうこと。

秦郁彦
そうすると親がね、返さなきゃいけんのですよ。親が売ったのが悪いでしょ。
吉見義明
秦さんがわかってないのそこですよ。
秦郁彦
どうして?
吉見義明
借金を返せば解放されるというのであれば、それは人身売買を認めてることになるじゃないですか。


53:35

吉見義明
先ほど言いましたように略取とか誘拐とか人身売買で連れて行くのがほとんどだったわけですよね。
そうして朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは、え〜、秦さんも認めておられるわけですね。

秦郁彦
当然ですよ。それが大部分ですよ。

吉見義明
それでたとえ業者がそういうことをやったとしても、その業者は軍に選定された業者である。で実際に被害が生じるのは慰安所ですけど、その慰安所というのは軍の施設である。軍がつくった軍の施設であるわけですね。そこで女性たちが誘拐とか人身売買で拘束をされているわけですね。
当然、軍に責任があるということになると思う。


このやり取りでは吉見氏が、人身売買により身体を拘束された女性たちが借金を返すまでは解放されず性行為を強制されるシステムは性的奴隷制度であると指摘するが、秦氏は「親が売ったのが悪い」と親の責任にして話を逸らしている。
しかしこの後で秦氏は朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めており、そうであるなら貧困により生活が困窮し娘を売った親も、その多くは偽りの説明を告げられ騙されていたと推測するのは難しいことではないだろう。

ビルマでの尋問調書『日本人捕虜尋問報告 第49号』には次のように記述されている。


1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南 アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵 を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明 を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。

日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日
http://a777.ath.cx/ComfortWomen/proof_jp.html


長くなるので文字起こしの引用は省略するがYouTubeの40分(http://youtu.be/3ANBEo8Ju14?t=40m)ごろから、秦氏は呆れたことに上のビルマでの捕虜尋問調書を持ち出し、慰安婦がどれだけ楽だったかを力説している! しかし吉見氏にその解釈の間違いをことごとく反論され、みごと撃沈しているが(その討論の文字起こしはこちら)。


最後に秦氏の詭弁を批判しておこう。

今回の討論では秦氏は慰安婦の問題に直接絡めて言及したわけではないが、このエントリの冒頭部分の文字起こしにあるように「秦:人身売買がなければ奴隷じゃないわけですか?志願した人もいるわけでしょ。高い給料にひかれてね。」だとか、吉見氏の発言「人身売買であれば、それは弾劾されるべき。」に対し「秦:志願してる場合ですよ、自発的に。自発かね、その〜どこで区別するんですか?」などと、「志願」や「自発的」な側面があれば人身売買や奴隷に当たらないとの認識を披露している。そしてつい最近も産経新聞への寄稿で慰安婦募集の広告に「応募者は少なくなかったろう」などと述べているぐらいだから*2、「自発」や「志願」なら人身売買や奴隷とは呼べず軍の責任も免責されると考えているのだろう。
しかしこの「自発的」なのか「志願」なのか、といった問題設定自体が、初めから問題を否認するための偽りの問題設定、あるいはすり替えと言わざるを得ない。


日本政府も署名している国連の「人身取引(人身売買)補足議定書」の定義は次のようになっている。


人身取引(人身売買)の定義
Protocol to prevent, suppress and punish trafficking in persons, especially women and children, supplementing the United Nations Convention against Transnational Organized Crime
和訳:国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書
英語原文:http://www.unodc.org/documents/treaties/UNTOC/Publications/TOC%20Convention/TOCebook-e.pdf
外務省 和文テキスト:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty162_1.html
(日本政府はtraffickingを人身売買ではなく人身取引と和訳している。)


Article 3. Use of terms
第3条
(a) “Trafficking in persons” shall mean the recruitment, transportation,transfer, harbouring or receipt of persons, by means of the threat or use of forceor other forms of coercion, of abduction, of fraud, of deception, of the abuse of power or of a position of vulnerability or of the giving or receiving of payments or benefits to achieve the consent of a person having control over another person, for the purpose of exploitation. Exploitation shall include, at a minimum, the exploitation of the prostitution of others or other forms of sexual exploitation, forced labour or services, slavery or practices similar to slavery, servitude or the removal of organs;
(a) 「人身取引」とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得(募集)し、輸送し、引き渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務(サービス)の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。
(b) The consent of a victim of trafficking in persons to the intended exploitation set forth in subparagraph (a) of this article shall be irrelevant where any of the means set forth in subparagraph (a) have been used;
(b) (a)に規定する手段が用いられた場合には、人身取引の被害者が(a)に規定する搾取について同意しているか否かを問わない。
(c) The recruitment, transportation, transfer, harbouring or receipt of a child for the purpose of exploitation shall be considered “trafficking in persons” even if this does not involve any of the means set forth in subparagraph (a) of this article;
(c) 搾取の目的で児童を獲得し、輸送し、引き渡し、蔵匿し、又は収受することは、(a)に規定するいずれの手段が用いられない場合であっても、人身取引とみなされる。
(d) “Child” shall mean any person under eighteen years of age.
(d) 「児童」とは、18 歳未満のすべての者をいう。

(強調は引用者による)


一読してわかるように、搾取の目的で、暴力、誘拐や詐欺、同意を得る目的で行われる金銭の授受、弱い立場に乗ずるなどの手段が用いられている場合、自発的どころか、たとえ本人が同意している場合であっても人身売買に該当 (b項)することに変わりはないのである。

また、「自発的」や「志願」といった事実が一部にあったとしても、それによって女性たちが「慰安婦」になることを「同意」していたと見なすことはできない。なぜなら朝鮮半島からの動員では職種を偽ったり明かさずに甘言で騙して国外へ連れて行く誘拐や就業詐欺(人身売買を含む)といったケースが数多く報告されており*3、秦氏も朝鮮半島では「誘拐や人身売買」のケースが「大部分」だったことを認めているのだから。

まぁ日本軍の場合、上記の人身売買の定義にある、獲得(募集)、輸送、収受といった3つの過程すべてにおいて組織的に関与・介入しており、国家責任が問われないよう見せかけるには秦さんもこうした詭弁を弄するしか選択肢がないのだろう、とは思うが。


*1:秦郁彦氏は慰安婦制度を公娼制度へと一般化させようと差異を無視している。一例をあげるなら、公娼制度では建前上とはいえ法規定(娼妓取締規則)により「廃業の自由」が保障されていた(もちろん実態は違っていたのだが)、しかし慰安婦制度にはそうした廃業の自由を保障する法規定すら存在しなかった。

*2:こちらを参照:秦郁彦氏は従軍慰安婦の話題になるとバカになる - 誰かの妄想・はてな版 秦郁彦氏は従軍慰安婦の話題になるとバカになる - 誰かの妄想・はてな版

*3:誘拐、詐欺、人身売買の数多くの事例はこちらを参照:日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History 日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History。他にも、元朝鮮人慰安婦19人による証言集でも、甘言に騙され連れて行かれたケース(人身売買を含む)が最も多くを占める。参照『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』明石書店 ,1993年


https://dj19.hatenadiary.org/entry/20130703/p1


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2019.12.01
中曽根康弘が首相に就任した頃、米国とソ連は全面核戦争の寸前だった

 中曽根康弘が内閣総理大臣に就任してから1年後の1983年11月、ロナルド・レーガン政権は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツに配備した。NATOがこのミサイルを西ヨーロッパに配備すると決めたのは1979年12月であり、ソ連は警戒を強めていた。

 ソ連は西側が先制核攻撃を準備していると疑い、1981年5月にソ連はKGB(国家保安委員会)とGRU(参謀本部情報総局)は合同してRYAN(核ミサイル攻撃)作戦を始動させる。

 そうした中、内閣総理大臣となった中曽根は1983年1月にアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで日本を「巨大空母」と表現して問題になる。

 同紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。

 この「不沈空母」という表現を誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。中曽根は日本をアメリカの空母、つまりソ連を攻撃する拠点にするという宣言したのだ。その時にソ連はアメリカからの攻撃に神経をとがらせていた。そうした情勢を知らなかったとするならば、日本政府に情報を収集する能力がないことを意味し、もし知っていたそうした発言をしたなら戦争を始めるつもりだったということになる。

 中曽根の挑発的な発言から3カ月後の1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加した。3空母の終結は尋常でない。

 演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したともされている。

 米ソ両軍は一触即発の状態になったのだが、この演習を日本のマスコミは無視した。後に筆者は著名な「軍事評論家」にこの演習について質問したのだが、その演習について質問することは「政治的だ」として回答を拒否された経験がある。

 この艦隊演習の4カ月後、8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯している。NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切っているが、NORADは反応していない。

 その後、航空機はカムチャツカを横切るのだが、その直前にアメリカ空軍の偵察機RC-135とランデブー飛行したと言われている。カムチャツカではソ連側の重要な軍事基地の上を飛行したが、ソ連側の交信記録によると、カムチャツカを横断する際に機影が一時レーダーから消えている。

 さらに領空侵犯機はソ連側の警告を無視して飛び続けした末にサハリン沖で撃墜されたとされている。通信の傍受記録を読むと、ターゲットになった航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットから報告されているのだが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。この撃墜を利用してレーガン政権は大々的な反ソ連キャンペーンを展開した。

 軍事的な緊張はその後、さらに高まる。その年の11月にNATO軍は軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていたのだが、これをKGBは「偽装演習」だと疑い、ソ連へ全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒したのだ。ソ連側は応戦の準備を始めた。

 この時期、アメリカはソ連に対する攻勢を強めていたが、その始まりは1979年7月にエルサレムで開かれた会議だと考える人もいる。出席したのはアメリカとイスラエルの情報機関に関係した人びとだ。

 会議の主催者はイスラエルのシンクタンクで情報機関との関係が深いとされているジョナサン研究所だが、その名称は1976年7月、ウガンダのエンテベ空港襲撃の際に死亡したイスラエルの特殊部隊員、ヨナタン・ネタニアフに由来している。

 ちなみに、ヨナタンの弟は現在の首相、ベンヤミン・ネタニヤフ。ふたりの父親であるベンシオンはウラジミール・ジャボチンスキーの秘書だった人物である。

 その会議が開かれた頃、ジミー・カーター大統領の国家安全保障補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンで秘密工作を始めていた。アフガニスタンを不安定化させ、ソ連軍を誘い込み、そのソ連軍をサウジアラビアやパキスタンの協力で編成したジハード傭兵と戦わせようとしたのだ。その目論見通り、1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻した。

 こうしたアメリカの戦争に中曽根は日本を引きずり込もうとしたのだ。核戦争が始まらなかったのは運が良かったからにすぎない。

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最終更新日 2019.12.01 00:34:28


2019.11.30

中曽根康弘とキッシンジャー

 中曽根康弘は日本へ原子力や新自由主義を導入した政治家である。「右翼」と見なされているが、アメリカの支配層と深く結びついていた。

 東京帝国大学を卒業した後、中曽根は1941年に内務省へ入省したが、それから間もなくして海軍経理学校へ入学、海軍主計少佐として敗戦を迎えている。1945年10月に内務省へ戻り、翌年9月には警視庁警視に昇進するが、その年の12月に依願退職。1947年4月には衆議院議員選挙に出馬、当選して政界入りを果たした。

 政治家となった中曽根は河野一郎の配下に入り、そこで児玉誉士夫と知り合う。中曽根は児玉の子分になったと言う人もいる。その児玉は右翼の大物として知られていたが、ロッキード事件の際にCIAの手先だったことが判明している。この事件では中曽根の名前も出たが、検察は動かなかった。

 中曽根と児玉との関係を浮き上がらせる事件が1972年にあった。中曽根と旧制静岡高校からの友人だった東郷民安が創業した殖産住宅の株式が上場を巡るスキャンダルだ。この上場を利用して中曽根は一儲けを目論み、児玉が絡んでくる。このふたりが東郷を破滅へと導くことになった。

 その頃、中曽根は政治家の中でも「大物」になっていたが、彼が権力の階段を登り始めるのはMRA(道徳再武装運動)と関係するようになってからだ。この団体はCIAとの関係が深い疑似宗教団体で、岸信介や三井高維も参加。そこで中曽根はヘンリー・キッシンジャーを含むCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合い、1950年6月にはスイスで開かれるMRA世界大会へ出席している。

 ちなみに、その3年後、内閣調査室の初代室長だった村井順がMRAの大会へ出席するためにスイスへ向かっている。村井はボンでアレン・ダレスCIA長官と会い、できて間もない内閣調査室に関する助言を得ることになっていたと言われている。

 しかし、ボン空港に到着すると村井はイギリスの情報機関員と思われる人物につきまとわれ、ロンドンの税関では腹巻きの中に隠していた闇ドルを発見されてニュースになった。

 ところで、中曽根は1953年にキッシンジャーが責任者だった「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加している。このセミナーはロックフェラー財団やフォード財団をスポンサーにしていたが、CIAともつながっていた。

 その当時、キッシンジャーはハーバード大学の大学院で学んでいた。1954年に博士号を取得、その翌年にネルソン・ロックフェラーがスポンサーについたキッシンジャーはCFRの核兵器・外交政策研究グループの責任者に選ばれる。

 キッシンジャーが支配層に取り立てられる切っ掛けは1942年にアメリカ陸軍でフリッツ・グスタフ・アントン・クレーマーという人物に目をかけられたことにある。ドライバー兼ドイツ語の通訳を探していた第82歩兵師団のアレキサンダー・ボーリング司令官にクレーマーはキッシンジャーを紹介した。

 ほどなくしてキッシンジャーは情報分隊(後の対敵諜報部/CIC)に配属され、1946年までそこに所属。そこでアレン・ダレスに誘われ、創設の準備段階だった極秘の破壊工作機関OPCで働くようになる。最初の仕事はハーバード大学で新組織のために働く外国人学生をリクルートすることだった。彼が「ハーバード国際セミナー」の責任者になった理由のひとつはそこにあるのだろう。

 一方、1954年3月に中曽根は国会に原子力予算を提出し、修正を経て予算案は4月に可決された。その背景には、1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。

 中曽根は1982年から内閣総理大臣を務めることになった。1976年に逮捕された後も政界で大きな影響力を持っていた田中角栄の懐刀、後藤田正晴が内閣官房長官になったこともあり、マスコミは「田中曽根」と揶揄していたが、その実態は「岸影内閣」だとジャーナリストの山川暁夫は看破していた。後藤田は中曽根のブレーキ役だった。実際、後藤田の追い落としを狙ったと思われるスキャンダルが浮上している。

 首相になった中曽根が目論んだのは新自由主義の導入だった。私有化の促進と規制緩和だ。その象徴が国鉄の分割と私有化。最強の労働組合を潰すことだけでなく、国の運営を国家機関から私的権力へ移そうというわけだ。その後、支配層が目論んだ通りに日本の労働環境は急速に悪化、貧富の差が拡大していくのだが、同時に日本経済の地盤も崩れていく。それは社会の崩壊でもあった。その新自由主義的な政策を引き継いだのが小泉純一郎、菅直人、野田佳彦、安倍晋三たちだ。

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最終更新日 2019.11.30 05:28:12


2019.11.29

米軍が占領しているシリアの油田で盗掘された石油の輸送車をシリア軍が破壊

 アメリカのドナルド・トランプ大統領はシリア北東部の石油を盗み続けるために自国軍によるシリア占領を続けると公言している。アメリカ軍を撤退させるという宣言は事実上、撤回されたと言える。占領を継続する理由として、アメリカの国防総省はダーイッシュ(イスラム国、IS、ISIS、ISILとも表記)から油田を守るためだと11月7日の記者会見で主張した。

 それに対し、記者の中から装甲車も航空機も保有しないダーイッシュから油田を守るためにアメリカ軍がいる必要はないという指摘が出た。さらに記者はシリア軍が油田に近づいたら攻撃する許可を得ているのかと質問、それに対して国防総省の広報官は敵対行為に対する「自衛権」は持っていると答えた。

 言うまでもなく、シリア政府の承認を得ずにアメリカ軍はシリア領内を攻撃し、地上部隊を侵攻させた。つまり侵略軍にほかならない。自分たちには侵略を続ける権利があると言っているわけである。

 油田地帯をアメリカ軍は占領しつづけられるだろうが、盗掘した石油の輸送は誰かに頼まざるをえないだろう。シリアのメディアSANAによると、盗掘された石油をクルドがタンク車を使い、イラク北部を経由してトルコ領へ運び出している。そのタンク車と仮設の石油精製施設をシリア政府軍が11月26日に空爆で破壊した。

 ダーイッシュがイラクからシリアにかけての地域を支配するようになったのは2014年に入った頃だが、そうしたことが引き起こされると​2012年8月の段階でアメリカ軍の情報機関DIAは警告​していた。その時のDIA局長がトランプ政権の最初の国家安全保障補佐官であるマイケル・フリン中将だ。

 その報告書はシリアで政府軍と戦っている武装勢力の中心がサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、アル・カイダ系とされるアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の存在も記述している。ちなみに、アル・ヌスラの主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団だ。

 これも繰り返し書いてきたが、ダーイッシュとアメリカとの関係は深く、その事実はさまざまな人に指摘されてきた。例えばアメリカ空軍の​トーマス・マッキナニー中将​は2014年9月、アメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで語っている。

 また​マーティン・デンプシー​統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言、10月には​ジョー・バイデン​米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語っている。2015年には​ウェズリー・クラーク​元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べた。

 そして2015年8月、アル・ジャジーラの番組でダーイッシュの勢力を拡大させた責任を問われた​マイケル・フリン​元DIA局長は自分たちの任務について、情報の正確さをできるだけ高めることにあると反論。その情報に基づいて政策を決定するのはバラク・オバマ大統領の役目だと指摘している。

 アメリカは自分たちが作り出した怪物を口実にしてシリア占領を続けようとしている。「マッチポンプ」だ。​2005年に故ロビン・クック元英外相は「アル・カイダ」について、CIAが訓練したムジャヒディンの登録リストだと書いている​。

 アラビア語で「アル・カイダ」とはベースを意味し、データベースの訳としても使われる。その中からピックアップされた戦闘員を中心として編成されたのがアル・カイダ系の武装勢力で、その主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。ジハード傭兵と言うこともできるだろう。ダーイッシュも基本的に同じだ。

 少なくともシリアの場合、ジハード傭兵の雇い主はアメリカだけでなく、イギリス系、フランス系、トルコ系など複数存在している。その雇い主が2016年に分裂し、必然的に傭兵集団も分裂した。分裂した最大の理由は2015年9月末にロシアがシリア政府の要請で軍事介入したことにある。ロシア軍はジハード傭兵を敗走させ、その支配地域を縮小させた。そこでアメリカが新たな手先としたのがクルドだ。

 壊滅状態になったダーイッシュは油田地帯をクルドへ明け渡した。油田地帯の中でもデリゾールを含むユーフラテス川沿いをアメリカは重要視、バラク・オバマが大統領だった2016年9月には近くに迫ったシリア政府軍を空爆して80名以上の兵士を殺害している。勿論、負傷者も多数出た。

 その1年後、デリゾールの近くで作戦を指揮していたロシア軍のバレリー・アサポフ中将が砲撃で殺されている、アメリカ側からアサポフ中将の位置に関する正確な情報が戦闘集団側へ伝えられていた可能性が高い。

 ところで、トルコ政府が雇っているジハード傭兵の主力はムスリム同胞団だと言われている。オバマ政権は傭兵を使った侵略計画PSD-11を作成したのは2010年8月だが、その主力はムスリム同胞団だった。そこで、それを快く思わないサラフィ主義者がムスリム同胞団を攻撃するという事態も生じている。

 トルコは2016年の前半にアメリカ主導の侵略軍から離れてロシアへ接近、7月13日には外相がシリアとの関係正常化を望むと示唆、その2日後にアメリカはクーデターでレジェップ・タイイップ・エルドアンを倒そうとした。

 この軍事放棄が失敗したのは事前にトルコ政府へロシアから警告があったからだ言われている。トルコ政府はクーデターはフェトフッラー・ギュレンの一派が実行したと主張、アメリカでCIAに保護されている同派の指導者、ギュレンを引き渡すようにアメリカ政府へ求めているが、拒否されている。トルコ政府はクーデター計画の背後にアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとも主張している。


 このクーデター失敗でトルコ政府とアメリカ政府との関係は決定的に悪くなったが、ムスリム同胞団が両国の関係修復で動く可能性もある。トランプ政権としても、エルドアン政権を再び自分たちの陣営へ引き戻したいだろう。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201912010000/


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2019-12-01
中曽根康弘が(ようやく)死んだ

10月29日、中曽根康弘が死んだ。101歳だったという。

■ 中曽根の葬儀こそ「民営化」すべき

この中曽根もそうだし、岸信介(1987年、90歳没)や奥野誠亮(2016年、103歳没)もそうだが、社会に悪をなすロクでもない政治屋ほどしぶとく長生きして天寿を全うするパターンが多くて嫌になる。

政府は国葬や国民葬を検討しているそうだが、「日本のサッチャー」中曽根の葬儀は「民営化」して徹底的にコストカットすべきだろう。それこそがこの男にはふさわしい。

■ 中曽根、インドネシアに「慰安所」を開設
中曽根の悪行は数え上げたらきりがないが、この男が政治家としてやらかしたことはとりあえず脇に置いて、ここでは海軍時代の中曽根が慰安所(レイプセンター)の設営に直接関与していたことを取り上げる。
なぜそれが分かったかというと、出世した旧海軍出身者の自慢話を集めた本(松浦敬紀編著『終りなき海軍』)の中で、まるでいいことでもしてやったかのように自分で書いていたからだ。[1]


 われわれの船団が、第三の上陸地バリクパパンに進入したときのことである。そのとき突然、オランダ、イギリスの駆逐艦と潜水艦が襲撃してきた。(略)
 三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。(略)
この本の出版は1978年。この当時は、まさか日本軍性奴隷制度が重大な戦時性暴力事件として世界から非難されることになるとは思いもしなかったのだろう。また、中曽根がバリクパパン(インドネシア)に作った慰安所は海軍直営であり、これは「業者が勝手にやった」式のウソを吹き飛ばす貴重な証言でもある。
■ 問題が大きくなると慰安所での性行為強制を否定
ところが、日本軍性奴隷制度が国際問題化し、バリクパパンの事例についても注目が集まるようになると、中曽根は、自分の作った「慰安所」は他とは違って強制売春施設ではなかったと言い出した。2007年に日本外国特派員協会で行った記者会見では、「彼ら(注:設営隊作業員ら)が集まったりあるいは碁・将棋をやったり、そういう彼らが娯楽をやる場所が欲しいと。そういう彼らの話もあって、そういうことをやったわけであります」などと述べている。
しかし、これがウソであることは、2011年に防衛省資料の中から中曽根が主計長を務めていた設営部隊の資料が見つかったことで明らかになった。[2]
 今回見つけたのは「海軍航空基地第2設営班資料」。当時の第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたものです(26ページ)。第2設営班の主計長が中曽根氏です。
 資料には班の編成や装備、活動内容とともにバリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場整備が終わり、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いています。バリクパパン上陸前の地図と上陸後、民家を接収し垣やトイレをつくり慰安所にした地図もあります。


画像出典:女たちの戦争と平和資料館Wam
中曽根の「慰安所」が碁や将棋を打つためのただの集会所だったなら、どうして「土人女を集め」る必要があるのか?
さらに、この中曽根の慰安所で性行為を強制された被害者の証言もある。この女性は被害当時まだ15歳で、処女だった。これだけでも明白な戦争犯罪である。
吉川春子『アジアの花たちへ』(かもがわ出版 2008年)P.53-54:
 私は東ジャワで生まれました。村長・副村長が私の家にきました。「各村長に日本軍から指示がでて、どういう女の子がいるか調査するように言われた」とのこと。そして、「壮年はロームシャ(労務者)に、青年はへイホ(兵補)に、女の子は遠いところで事務の仕事をさせる」と言われたので、二人でやってきたということでした。(略)一五歳の時でした。そこに集められた少女たちは、スラバヤ行きのトラック二台に乗せられました。そのとき母が、「おまえともう一度会えるのか、会えないのか」と叫びました。(ここでスハルティさんは涙をぬぐいました)
 スラバヤ港から船に乗せられて出航しましたが、一昼夜の後、船は連合軍から攻撃され撃沈しました。気がついたら木の机にしがみついていました。どれくらい漂流したかはわかりませんが、日本の軍艦に助けられてバイフアカン港に上陸しました。軍艦の上で身体検査をされて、オーケーが出た者から下船させられました。名前を呼ばれ、グループごとに別れました。私のグループは一八人でした。
 石油会社の幹部の住んでいるところに長屋があって、慰安所になりました。病院に連れてゆかれ、一八人の女性と身体検査を受けさせられました。小野という男が私を連れてゆき、彼から暴行を受けました。……中曽根のつくった長屋の慰安所に行くことになると小野に言われました。そこでは、五時間に五人に「奉仕」しなければなりませんでした。一人の男が三回犯す場合もありましたが、平均二回でした。夕方五時が 「労働」 の始まりです。
 連合軍がどんどん爆弾を落とし、中曽根の部隊は誰もいなくなりました。「今日からここで働かなくてもいい。別の町に行ってもいい。自分で選択してくれ」と言われましたので、「ジャワに返してほしい」と要求しました。戦争なので山の中を通って逃げました。
TBS報道特集『インドネシアでの戦時性暴力』(2015/7/25放映):
ナレーション:スハルティさん。15歳のとき、学校に入れると誘われて、ジャワ島からこの街に連れてこられたという。
スハルティ:昔の日本人はすべて悪かったです。良い人はいませんでした。 よく殴って殺していました。殴って、水に入れて。
 無理やり慰安所に連れてこられて、私には何もできないですよ。ジャワから連れてこられて、逃げるにしても、どこに行けばいの?
 涙があふれるばかりでした。死にたくなるほど後悔しました。学校に入れると言ったのに、あんなことになって。
 私の処女を奪ったのは、オノという人でした。
金平:もしよかったら、その時に慰安所で起きたことを話してください。
(略)
金平:医師はどのようにチェックをしましたか?
スハルティ:女性は7人で、みんな新品だと言われました。検査したのはインドネシア人の役人と、日本人の医者です。
 みんな新品だ、と役人が言いました。全員処女だったということです。
ナレーション:日本軍は、性病と縁のない、インドネシアの少女たちに目をつけたのだ。
TBS「報道特集」は、取材結果に基づいて中曽根に質問状を送り、自身の開設した慰安所の性質や、インドネシアの少女たちを集めた目的などを聞いている。しかし、中曽根事務所が電話で回答してきた内容は、「以前、外国特派員協会で申し上げたとおりで、それ以上でもそれ以下でもない」というものだったという。
結局、中曽根はその後も自分の作った「慰安所」について何も語らず、説明責任さえ果たすことなく死んだ。

[1] 松浦敬紀編 『終わりなき海軍』 文化放送開発センター出版部 1978年 P.91-98
[2] 『「土人女を集め慰安所開設」 中曽根元首相関与示す資料 高知の団体発表』 しんぶん赤旗 2011/10/28
https://vergil.hateblo.jp/entry/2019/12/01/142525


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2017-05-21
「大勲位」元首相に中曽根康弘主計中尉の慰安所設営を思い出させてあげよう
https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/05/21/105237

「大勲位」中曽根康弘が今月27日に99歳になるとかで、これを祝う会が開かれたそうだ。

27日に99歳を迎える中曽根康弘の白寿を祝う会が開かれ、安倍晋三ら約230人が集まった。 
読売新聞の渡辺恒雄・グループ本社主筆は、改憲をめぐり「いよいよ安倍内閣で実現の運びとなれば、中曽根さんにとって非常にハッピー」と述べた。https://t.co/Dxuap7P3i1
— BARA (@BARANEKO) 2017年5月15日


■ 慰安所設営を自慢していた中曽根康弘
岸信介や奥野誠亮もそうだったが、ロクでもない政治屋ほどしぶとく長生きするのにはうんざりだ。
それはともかく、中曽根といえば軍隊時代にインドネシアで慰安所設営に関与し、しかも自分でそれを自慢げに書いている[1]。
二十三歳で三千人の総指揮官
(略)
 まず私は、海兵団に兵隊をもらいにいき、部隊を編成した。また、呉の海軍建設部に集結しつつあった三千人の徴用工を組織する任務もあった。そして、必要な糧食、資材、弾薬、それに零戦や一式攻撃機を飛ばす莫大なガソリン、爆弾を調達して、これをわずか七日間に、四隻の輸送船に満載したのである。これはまさに大事業であった。
(略)
 われわれの船団が、第三の上陸地バリクパパンに進入したときのことである。そのとき突然、オランダ、イギリスの駆逐艦と潜水艦が襲撃してきた。(略)
 三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。(略)
この本の出版は1978年だから、やがて日本軍性奴隷(いわゆる「従軍慰安婦」)制度が大問題になるなどとは思ってもみなかったのだろう。だから気軽に書いたわけだ。
■ 言い訳を否定する「第2設営班資料」
問題が大きくなり、この文章についても指摘されるようになると、自分の作った「慰安所」は強制売春施設ではない、と言い訳を始めた。2007年、外国特派員協会での記者会見では、「海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」と述べている[2]。
だが、2011年、民間団体「平和資料館・草の家」が、防衛省所蔵の資料から中曽根と同じ「第2設営班」の工営長だった海軍技師宮地米三氏のメモを発見したことで、この言い訳も成り立たなくなった[3]。
 資料には班の編成や装備、活動内容とともにバリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場整備が終わり、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いています。バリクパパン上陸前の地図と上陸後、民家を接収し垣やトイレをつくり慰安所にした地図もあります。
 中曽根氏は『終りなき海軍』の本で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と書くなど慰安所建設は認めていました。しかし、外国特派員協会の記者会見でも「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」と、いわゆる「慰安婦」を置く慰安所設置は否定していました。
碁を打って休息するような施設を作るのに、どうして「土人女を集め」る必要があるのか?
最近では「もう記憶にない」とか言っているようだが、以下の資料[4]を見れば自分が何を作ったのか思い出せるのではないだろうか。
《第2設営班編成表》 主計長中曽根康弘の名がある

《設営後の状況》 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設

《1942年3月11日》 慰安所(設営班)開設

《322基地(バリクパパン)地図》 設営班慰安所

[1] 松浦敬紀編 『終わりなき海軍』 文化放送開発センター出版部 1978年 P.91-98
[2] 廣川高史 『中曽根元首相:旧海軍時代に慰安所つくった記憶ない−慰安婦問題』 Bloomberg 2007.3.23
[3] 『「土人女を集め慰安所開設」 中曽根元首相関与示す資料 高知の団体発表』 しんぶん赤旗 2011.10.28
[4] 日本政府未認定の日本軍「慰安婦」関連公文書リスト#70 『海軍航空基地 第2設営班資料』 女たちの戦争と平和資料館Wam

https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/05/21/105237


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中曽根が設営した慰安所で性暴力を受けた被害者の証言
https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/05/28/131932

中曽根「大勲位」元首相の慰安所関与を取り上げた前回記事に、こんなコメントがついた。
慰安所というのは売春のための施設でしょうか?そういうもと決めつけて資料を読んでいませんか?

慰安というのは日本語で何を意味していますか?例えば女性にお酌をしてもらってお酒を飲める場所は、慰安施設言い換えれば慰安所と言えますよね?
慰安は売春だけを指すものですか?
なら、そうであったという証拠をだすべきでしょう、できなければ下世話な想像しかできない阿呆のたわごとにすぎません
ひとつ下の「99」さんのコメントの画像を見ろ、としか言いようがないのだが、何の根拠もなく自らの願望を書き散らしていればいいのだからネトウヨは気楽なものである。
この画像の番組(TBS報道特集「インドネシアでの戦時性暴力」2015年7月25日放映)でも証言しているスハルティさんは、元参議院議員の吉川春子氏に、次のように具体的に中曽根の作った慰安所での経験を語っている[1]。
 私は東ジャワで生まれました。村長・副村長が私の家にきました。「各村長に日本軍から指示がでて、どういう女の子がいるか調査するように言われた」とのこと。そして、「壮年はロームシャ(労務者)に、青年はへイホ(兵補)に、女の子は遠いところで事務の仕事をさせる」と言われたので、二人でやってきたということでした。(略)一五歳の時でした。そこに集められた少女たちは、スラバヤ行きのトラック二台に乗せられました。そのとき母が、「おまえともう一度会えるのか、会えないのか」と叫びました。(ここでスハルティさんは涙をぬぐいました)
 スラバヤ港から船に乗せられて出航しましたが、一昼夜の後、船は連合軍から攻撃され撃沈しました。気がついたら木の机にしがみついていました。どれくらい漂流したかはわかりませんが、日本の軍艦に助けられてバイフアカン港に上陸しました。軍艦の上で身体検査をされて、オーケーが出た者から下船させられました。名前を呼ばれ、グループごとに別れました。私のグループは一八人でした。

 石油会社の幹部の住んでいるところに長屋があって、慰安所になりました。病院に連れてゆかれ、一八人の女性と身体検査を受けさせられました。小野という男が私を連れてゆき、彼から暴行を受けました。……中曽根のつくった長屋の慰安所に行くことになると小野に言われました。そこでは、五時間に五人に「奉仕」しなければなりませんでした。一人の男が三回犯す場合もありましたが、平均二回でした。夕方五時が 「労働」 の始まりです。
 連合軍がどんどん爆弾を落とし、中曽根の部隊は誰もいなくなりました。「今日からここで働かなくてもいい。別の町に行ってもいい。自分で選択してくれ」と言われましたので、「ジャワに返してほしい」と要求しました。戦争なので山の中を通って逃げました。
ついでに、上記の報道特集から、当時インドネシアで「慰安所」を体験した元日本兵の証言も紹介しておこう。
金平:軍の慰安所とかにね、何回かやっぱり行かれたんですよね? そのときの気持ちって、どういう気持ちだったんですか?
元日本兵:要するに突撃一番ですよ。なにしろ、男としての遊びだけですよ。公衆便所と似たような感じ。ただ公衆便所は、ついた朝顔のとこにふっかけるんだけど、見たこともない女性の服をこうしてやるわけだから(笑いながら)要するに、コンドームは必ずつけてですね。
金平:突撃一番っていうのは、軍から支給された?
元日本兵:支給してたんですよ。コンドームを。
このインドネシアのようなケースの場合、「慰安所」で行われていたのは売春などではなく、日本軍による未成年の少女たちの組織的監禁・強姦だろう。性病の心配のない処女を狙って集めたのだ。阿呆のたわごとはいい加減にしてほしい。

[1] 吉川春子 『アジアの花たちへ』 かもがわ出版 2008年 P.53-54

https://vergil.hateblo.jp/entry/2017/05/28/131932
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1054.html#c4

[近代史5] 1985年8月12日 日本航空123便墜落事故は自衛隊がミサイルで撃墜した? 中川隆
2. 中川隆[-10830] koaQ7Jey 2020年10月16日 08:38:49 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[10]
2020.10.16
CIAとつながり、新自由主義を日本へ持ち込んだ中曽根康弘
 グランドプリンスホテル新高輪で10月17日に行われる中曽根康弘の内閣・自民党合同葬は、政府の予備費から約9600万円が投入されて行われるという。中曽根が101歳で死亡したのは昨年11月29日。1982年11月27日から87年11月6日にかけて内閣総理大臣を務めたが、その間に国鉄を分割するなど私有化を進めるなど新自由主義を日本へ導入している。つまり日本の破壊を本格化させた人物だ。その経歴を振り返ってみよう。

 彼は東京帝国大学を卒業した後、1941年4月に内務省に入るが、それから間もなくして海軍経理学校に入学、海軍主計少佐として敗戦を迎えた。敗戦から間もない1945年10月に内務省へ戻り、翌年9月には警視庁警視になるのだが、その年の12月に依願退職。1947年4月に衆議院議員選挙に出馬、当選して政界入りを果たした。

 政治家になった中曽根は河野一郎の配下へ入り、そこで右翼の大物とされていた児玉誉士夫と知り合うが、その児玉がCIAの手先だったことがロッキード事件の際に判明している。

 中曽根が権力の階段を登り始めるのはMRA(道徳再武装運動)と関係するようになってから。この団体はCIA系の疑似宗教団体で、日本人としては岸信介や三井本家の弟、三井高維が参加していた。(グレン・デイビス、ジョン・G・ロバーツ著、森山尚美訳『軍隊なき占領』新潮社、1996年)

 MRAで中曽根はヘンリー・キッシンジャーなどCFR(外交問題評議会)のメンバーと知り合い、1950年6月にはスイスで開かれるMRAの世界大会に出席している。

 ハーバード大学を卒業した直後、キッシンジャーは「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールの責任者になるが、1953年のセミナーに中曽根は参加した。セミナーのスポンサーにはロックフェラー財団やフォード財団のほか、「中東の友」といった団体も含まれていたが、この「中東の友」はCIAが隠れ蓑に使っていた団体だと言われている。

 そして1954年3月、中曽根が中心になって2億3500万円の原子力予算案が国会に提出された。予算案は修正を経て4月に可決されている。言うまでもなく、こうした動きの背景には1953年12月にドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言がある。

 中曽根は旧制静岡高校から東京帝国大学へ進んだのだが、高校時代の友人に東郷民安という人物がいた。東郷は殖産住宅の創業者だ。その会社の株式が1972年10月に上場されたが、その際に中曽根は東郷に「株式公開を利用して政治資金をつくりたい」と持ちかけている。公開時の株価操作で儲けさせてくれというわけだ。

 この上場を取り仕切ったのは業界最大手の野村証券。中曽根によると、当時の野村証券社長、北裏喜一郎は中曽根のスポンサーのひとりだというが、この上場でトラブルが発生、児玉誉士夫が出てくる。結局、東郷は1973年6月に所得税法違反の容疑で逮捕され、有罪判決を受けるのだが、冤罪だと考える人もいる。(東郷民安著『罠』講談社、1986年)

 リチャード・ニクソンが1974年8月にウォーターゲート事件で辞任した後、ジェラルド・フォードが副大統領から大統領に昇格するが、このフォード政権で台頭してきたネオコンは好戦的な政策を打ち出す。

 民主党のジミー・カーター政権ではズビグネフ・ブレジンスキー国家安全保障補佐官がアフガニスタンで秘密工作を実行、ソ連軍を戦争に引き込み、ロナルド・レーガン政権は1983年11月には戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備している。

 そうした流れに中曽根も乗る。首相に就任して間もない1983年1月、彼はアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべき」であり、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語った。

 それから間もない1983年4月から5月にかけてアメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施、3空母を集結させた。エンタープライズ、ミッドウェー、コーラルシーを中心とする機動部隊群が集まって挑発手金が軍事演習を実行したのだが、この重大な出来事を日本のマスコミは報じなかった。

 そして1983年8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便がソ連の領空を侵犯するという事件が引き起こされる。この旅客機はアンカレッジを離陸して間もなく航路を逸脱、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切ってソ連軍の重要基地の上を飛行、ソ連側の警告を無視して飛び続けた末にサハリン沖で撃墜されたとされている。航路を逸脱してソ連へ向かう旅客機にNORADは何も警告していない。この事件には不可解なことがいくつもあるのだが、今回は割愛する。

 この事件を利用してアメリカ政府は大々的な反ソ連キャンペーンを展開、その年の11月にはNATO(北大西洋条約機構)軍が軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。1981年の段階で西側からの全面攻撃を想定していたソ連のKGBはこれを「偽装演習」だと疑い、全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒、その準備を始めている。

 大韓航空機の事件から2年後の8月12日、羽田空港から伊丹空港へ向かっていた日本航空123便が群馬県南西部の山岳地帯に墜落した。乗員乗客524名のうち520名が死亡している。

 運輸省航空事故調査委員会はボーイング社の修理ミスで隔壁が破壊されたことが原因だと主張しているが、医学的にありえず、全く説得力はない。再現実験でも調査委員会のストーリーは無理だということが確認されている。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、墜落から10年後の1995年8月、アメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙は日本航空123便に関する記事を掲載した。墜落の直後に現場を特定して横田基地へ報告したC-130の乗組員、マイケル・アントヌッチの証言に基づいているのだが、その記事は自衛隊の責任を示唆している。

 123便が墜落した頃、兜町では1987年に「完全民営化」する予定の日本航空の株価が暴騰していた。株価を上昇させ、大蔵大臣名目で保有されていた4090万株を高値で売却、1988年には700万株の時価発行増資を行うというシナリオだった。

 2000円台の前半で推移していた日本航空の株価が急騰し始めたのは1984年のことで、「中曽根銘柄」と呼ばれていた。1985年の夏に株価は8000円を突破、そこで123便が墜落したわけだ。

 株価は5000円を切るまで下落、日航株の仕手戦は終わったと考える人は少なくなかったが、内情を熟知している人は値上げさせなければならない事情があるので、絶対に値上がりすると断言していた。実際、1987年には2万円を突破している。

 その頃、日本航空は超長期のドル先物予約をしている。証券関係者から「クレージー」と言われていたが、これは株価操作による資金調達の代償だった可能性がある。

 日本航空123便が墜落した翌月、ニューヨークのプラザ・ホテルで開催された先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議で「ドル高是正」で合意しているが、その前からドルが安くなる、つまり円高になることは確実視されていた。ドルを保有したくない日本の金融機関にとって超長期のドル先物予約をした日本航空はありがたい存在だったはずだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010160000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/311.html#c2

[番外地8] 高橋洋一は安倍・菅応援団論客として様々なメディアで安倍政権擁護、政権批判叩きをしてきたことで有名

高橋洋一は財務省隠れ工作員
高橋洋一は安倍・菅応援団論客として様々なメディアで安倍政権擁護、政権批判叩きをしてきたことで有名。

「ついにあなたの賃金上昇が始まる」などとアベノミクスを礼賛していた高橋洋一氏が内閣官房参与。ちなみに実際の賃金は2000年を起点にして名目も実質もマイナス。政権の不祥事を徹底擁護してきた忠勤ぶりが認められたのだろうが、ここまで露骨だと乾いた笑いしか出ない。
高橋洋一は、デマとフェイクの総合商社のような人物で、悪質なデマ「日本学術会議は千人計画に協力する反日組織」を叫んでいた人物だ。そしてこんなデマも

高橋
>学術会議は一部の貴族のようなもの。引退間際の豪華なポストでお小遣い付き

ちなみに、自民党甘利もたいがいデマを飛ばしていたが、政府によって否定されて、こっそり・ひっそりブログを修正している。

必死で菅政権を擁護していたと思ったら、やっぱり「内閣参与」の餌付きだったか。

苦節8年頑張ったおかげで、ようやく政権の中枢へ。

しかし、デマやフェイクが専門職のような人間を政権の中枢に入れたらどうなるか。。。

そのほかにも、岡部や村井、岡部はPCR検査抑制派だそうだし、熊谷は「ウィズコロナ」の政策支持だそうで、国民のためのコロナ対策をやってくれなさそうな人選だ。

菅の周りに、菅を喜ばせる人間ばかり配置した格好だ。

知性もなければ良識もない人間ばかり集めてこの国を潰す気か。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/490.html

[番外地8] 高橋洋一は安倍・菅応援団論客として様々なメディアで安倍政権擁護、政権批判叩きをしてきたことで有名 中川隆
1. 中川隆[-10829] koaQ7Jey 2020年10月16日 09:25:49 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[12]
高橋洋一は財務省隠れ工作員
高橋洋一は安倍・菅応援団論客として様々なメディアで安倍政権擁護、政権批判叩きをしてきたことで有名。

「ついにあなたの賃金上昇が始まる」などとアベノミクスを礼賛していた高橋洋一氏が内閣官房参与。ちなみに実際の賃金は2000年を起点にして名目も実質もマイナス。政権の不祥事を徹底擁護してきた忠勤ぶりが認められたのだろうが、ここまで露骨だと乾いた笑いしか出ない。

アメリカが日銀に異次元金融緩和させた目的は日本の銀行と大企業の乗っ取り
アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。

アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow

2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。


高橋洋一は、デマとフェイクの総合商社のような人物で、悪質なデマ「日本学術会議は千人計画に協力する反日組織」を叫んでいた人物だ。そしてこんなデマも

高橋洋一
>学術会議は一部の貴族のようなもの。引退間際の豪華なポストでお小遣い付き

ちなみに、自民党甘利もたいがいデマを飛ばしていたが、政府によって否定されて、こっそり・ひっそりブログを修正している。

必死で菅政権を擁護していたと思ったら、やっぱり「内閣参与」の餌付きだったか。

苦節8年頑張ったおかげで、ようやく政権の中枢へ。

しかし、デマやフェイクが専門職のような人間を政権の中枢に入れたらどうなるか。。。
菅の周りに、菅を喜ばせる人間ばかり配置した格好だ。
知性もなければ良識もない人間ばかり集めてこの国を潰す気か。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/490.html#c1

[番外地8] 皇族の小児性愛=犯罪者の終焉が近い 中川隆
5. 中川隆[-10828] koaQ7Jey 2020年10月16日 09:32:33 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[13]
今上天皇が中国に逆らえなくなった理由
プチエンジェル事件 (中国政府が日本の皇族・政治家・官僚・マスコミ関係者・経済人をハニートラップにかけた事件)
今から16年前の2003年、小学6年生の女子児童を渋谷でスカウトして赤坂のウイークリーマンションに監禁した、
小児買春組織の事件。この組織の顧客リストに、当時皇太子だった徳仁氏の名前があった。

皇室全般画像掲示板を読んでたら、
『プチエンジェルの顧客名簿に名前が載ってたのって秋篠宮だよ!』
などと、東宮擁護工作員が騒いでいた。ヤフコメでも言ってるらしい。
とのこと。
これではっきりした。顧客リストに徳仁氏の名前があったというのは間違いないということだ。
しかも、秋篠宮文仁様に罪をなすりつける必要まで出てきた、ということだ。
あんた15年前、小学生買ってたの?、最低ね皇太子役だったくせに。
君だって国連大学にヤリ部屋持って六本木の白人買ってたでしょ、雅子さん。
この時、どうやって女子児童をマンションにおびき寄せたかというと、
「事務所の掃除をしてほしい。学校でやってる掃除と同じ。1万円払う。」
そう言って誘った。
女子児童は、掃除ごときで1万円がもらえるならと騙され、監禁された。
その後は、「同じように女子児童をスカウトして来い、そうしないと児童ポルノに出演させる。」と
脅し、被害者を加害者側に引きずり込んだ。
被害女児は、犯罪に加担してしまった罪悪感を植え付けられ、なかなか警察に通報することができなかった。
あれから15年。彼女たちの心の傷は癒えたのだろうか。
*監禁された四人の少女は、まだ若いのになぜか皆異なる死因で命を落としていた。
たとえもし被害者である彼女たちが、生きていて発言できる立場であったとしても、
日本人なのだから、ch ousen 人と違って「金になるから売春してたことを名乗りでろ」なんて
言われたとしても、決して出てこられなかっただろう。
そういう国民性に付け込まれた事件でもある。
もみ消すのが宮内庁の仕事です。
犯人は、練炭自殺(練炭自殺は、南ch ousen でポピュラーな自殺法)←不審な点が多い
宮内庁も皇太子も、コメント無し。
真実は闇の中。
小児性愛は、欧米では大物政治家であっても、バレたら一発アウト。
大臣であっても即辞職に追い込まれ、敗者復活は無い。
PCに、ポルノ画像や動画があったという事で発覚する。
日本の警察、検察が、皇太子のPCを調べるなんて思えない。
ハッキング?そんな事、スパイ防止法もない日本で出来る訳がない。
この疑惑を残したままで、天皇に即位するのは、国際常識として極めて難しい。
だから、15年たった今、徳仁皇太子側の反日勢力は、事件を必死に風化させた。
でも、15年の年月が、情報環境を変えた。
さあ、プチエンジェル事件を再び蒸し返そう、国民の手で。

なお、反日国である中国や北ch ousen、ka nkoku は、小児性愛者が極めて多く
小児ポルノも多く出回っている。
https://naruzu3.exblog.jp/29341158/
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/447.html#c5

[番外地8] 高橋洋一は安倍・菅応援団論客として様々なメディアで安倍政権擁護、政権批判叩きをしてきたことで有名 中川隆
2. 中川隆[-10827] koaQ7Jey 2020年10月16日 09:56:11 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[16]
高橋洋一は財務省隠れ工作員
高橋洋一は安倍・菅応援団論客として様々なメディアで安倍政権擁護、政権批判叩きをしてきたことで有名。

「ついにあなたの賃金上昇が始まる」などとアベノミクスを礼賛していた高橋洋一氏が内閣官房参与。ちなみに実際の賃金は2000年を起点にして名目も実質もマイナス。政権の不祥事を徹底擁護してきた忠勤ぶりが認められたのだろうが、ここまで露骨だと乾いた笑いしか出ない。

アメリカが日銀に異次元金融緩和させた目的は日本の銀行と大企業の乗っ取り
アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。

アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow

2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。


高橋洋一は、デマとフェイクの総合商社のような人物で、悪質なデマ「日本学術会議は千人計画に協力する反日組織」を叫んでいた人物だ。そしてこんなデマも

高橋洋一、橋下徹も……日本学術会議を攻撃する言説は菅政権を擁護するためのフェイクだらけ(リテラ)
http://www.asyura2.com/20/senkyo276/msg/556.html

高橋洋一
>学術会議は一部の貴族のようなもの。引退間際の豪華なポストでお小遣い付き

ちなみに、自民党甘利もたいがいデマを飛ばしていたが、政府によって否定されて、こっそり・ひっそりブログを修正している。

必死で菅政権を擁護していたと思ったら、やっぱり「内閣参与」の餌付きだったか。

苦節8年頑張ったおかげで、ようやく政権の中枢へ。

しかし、デマやフェイクが専門職のような人間を政権の中枢に入れたらどうなるか。。。
菅の周りに、菅を喜ばせる人間ばかり配置した格好だ。
知性もなければ良識もない人間ばかり集めてこの国を潰す気か。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/490.html#c2

[近代史4] ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
ロシア革命を支援したユダヤ金融資本


キャピタリストがタッグを組むコミュニスト

  第21世紀に入ると、奇妙な連携が起こる。以前なら対立していた国際金融資本家と市場経済を憎む左翼が手を結んでいるのだ。一見すると不自然な組み合わせに思えるが、両者の本質を考えれば、それほど異常な組み合わせじゃない。なぜなら、ロンドンのシティーやウォール街のグローバリストは、邪魔な国境を壊して全世界を単一市場にしたいと考えている。一方、共産主義や社会主義に憧れた左翼も、ナショナリズムを撲滅して、世界政府と地球市民を実現したいと望んでいるのだ。そもそも、レーニンのボルシェビキはロスチャイルド家やウォーバーグ商会などの支援を受けていたから、共産主義国家と自由主義国家の提携があっても不思議じゃない。第二次世界大戦前から、ユダヤ人の資本家と革命家がグルになっていることは明らかで、アメリカの国務省は1918年11月13日附で『Bolshevism and Judaism』という報告書(861.00 / 5339)を作っていた。

  このファイルに載っていた名前を見れば、誰でも裏の癒着が理解できる。リストに載っていた人物を紹介すれば以下の通り。(Anthony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution, New York, Arlington House, 1974, pp.186-187.)

  (1) ヤコブ・シフ(Jacob Schiff)
(2) クーン・ローブ商会(Kuhn, Loeb & Comapny)
経営者 ヤコブ・シフ
         フェリクス・ウォーバーグ(Felix Warburg)
         オットー・H・カーン(Ott H. Kahn)
         モーティマ・L・シフ(Mortimer L. Schiff)
         ジェローム・J・ハナウアー(Jerome J. Hanauer)

(3) グッゲンハイム(Guggenheim)
(4) マックス・ブライトゥン(Max Breitung)
(5) アイザック・セリグマン(Isaac Seligman)

Jacob Schiff 0021Felix Warburg 1Otto H Kahn 001Mortimer Schiff 1


( 左 : ヤコブ・シフ / フェリクス・ウォーバーグ / オットー・H・カーン / 右 : モーティマ・L・シフ )

  日本でも有名なヤコブ・シフに加え、ドイツの有名な金融業者であるウォーバーグ商会や、アメリカの「シュペイヤー社(Speyer & Company)」、ストックホルムの「ナヤ・バンク(Nya Banken」もレーニンやトロツキーを財政的に支援していたのである。ちなみに、「シュペイヤー社」はドイツからやって来たユダヤ移民のフィリップ・シュペイヤー(Phillip Speyer)が創業した銀行で、元は「Philip Speyer & Co.」という社名であった。「ナヤ銀行」はロシア系ユダヤ人のオロフ・アシュバーグ(Olof Aschberg)が設立した金融機関で、彼は前々から共産主義に親近感を抱いていた。1917年、オロフはストックホルムで開かれた社会主義者の大会に参加し、ドイツの共産主義者で政治宣伝に長けたウィリー・ミュンツェンバーグ(Wilhelm Münzenberg)と会っている。

Max Breitung 01Isaac Seligman 01Olof Aschberg 001Willi Munzenberg 02


( 左 : マックス・ブライトゥン / アイザック・セリグマン / オロフ・アシュバーグ / 右 : ウィリー・ミュンツェンバーグ )

さらに、ボルシェビキに理解を示していたのが、ラビのジュダ・レオン・マグネス(Judah Leon Magnes)だ。この改革派ユダヤ人は、米国ユダヤ人委員会(American Jewish Committee)とも親しく、パレスチナのユダヤ人入植者を支援していたシオニスト。彼は同胞愛に満ちていたから、「米国ユダヤ人共同配布委員会(American Jewish Joint Distribution Committee)」の設立に尽力した。歐米諸国にあるユダヤ人組織を説明すると長くなるので省略するが、日本の三流評論家が口にする「ユダヤ人の陰謀」というのは娯楽妄想に過ぎない。実際のユダヤ人は同胞意識を基礎にして、国際組織を活用しながら民族の利益を図っている。

Judah Leon Magnes 001Trotsky 2Lenin 3

(左 : ジュダ・レオン・マグネス / 中央 : レオン・トロツキー / 右 : ウラジミール・レーニン)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68832351.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html

[番外地8] 本多勝一は虐殺の証明をしようとした訳じゃないよ。 歴史学者じゃないんだからそんな事をやっても仕方ないだろ。 中川隆
3. 中川隆[-10826] koaQ7Jey 2020年10月16日 12:05:52 : MefENnyG0k : MFp6bUhHZmVvSmc=[17]
間違いが無い報道なんか存在しないんだよ。
一カ所でも間違っていたら他の部分もすべて信用できないと言ったら、世の中のニュースも歴史もすべて信用できないという事になる。
古事記や日本書紀もすべて嘘、聖書もすべて嘘、としたら歴史書に書かれている事もすべて嘘という事になる。

しかし実際は

1971年、朝日新聞に連載された本多勝一記者の長編ルポルタージュ『中国の旅』は、大変な反響を巻き起こしました。


このルポによって初めて、中国戦線で旧日本軍が行ってきた数々の凄まじい蛮行が、被害者である中国人自身の証言という生々しい形で徹底的に暴露されたからです。出征した兵士たちは、ごく少数の例外を除いて自分たちが行った残虐行為については一切口をつぐんでおり、教科書や一般の歴史書も抽象的に戦争の経過や背景を説明するだけだったため、戦後世代の日本人の多くは、かつて自国が行った侵略戦争の実態がどのようなものだったのか、具体的には何も知らないも同然でした。『中国の旅』は、いわば無知ゆえに安穏としていられた戦後世代を過酷な歴史的事実に目覚めさせる冷水のような役割を果たしたのです。

それだけに、このルポに対する右派勢力からの攻撃にもすさまじいものがありました。本多氏や朝日を黙らせようとする直接的脅迫はもちろん、氏の人格を中傷する捏造記事や、『中国の旅』に書かれている膨大な事例の一つでも否定しよう(そしてそれを宣伝することでルポ全体の信用性を貶めよう)とするあらゆる試みが行われました。

本多勝一 中国の旅 (朝日文庫) が朝日新聞に連載された時の読者の批判は

今更そんな昔の事を掘り起こさないで欲しい
戦争というのはああいうものなんだ
みんな覚醒剤を飲んで異常な精神状態でやった事で、仕方なかったんだ
古傷をタワシでゴシゴシ擦る様な事を書くのは止めて欲しい

というのが大半だった。

連載当時はまだ実際に南京で戦った日本兵が沢山生存していたのですね。
本多勝一 中国の旅 が嘘だと反論する元日本兵は一人も居ませんでした
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/461.html#c3

[番外地8] 徳仁「もういやだ」「離婚したい」涙の疑惑事件 中川隆
3. 中川隆[-10825] koaQ7Jey 2020年10月16日 16:04:47 : MaruuMBSVI : UkJDRVQ3cm11djI=[1]
今上天皇が中国に逆らえなくなった理由 2
小和田家は三代前は遡れない家系。本当に日本人なのかも分からない。
徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早く、雅子さんというハニートラップを仕掛けられていた。
ドス子Wikiコルマール

その結婚後、「もういやだ」「離婚したい」と涙を流す出来事があったそうな。

ドス子wikiさんより
2004年4月佐賀県吉野ヶ里公務にて徳仁が泣き出す事件目撃情報(他スレからの転載)

Part44-535 名前: 可愛い奥様 04/04/25 11:43 ID:E3sMe2/9
昨日佐賀に皇太子が来たんだよ
吉野ヶ里ってとこがあるんだけど、そこで式典があって、その最中に鼻をすすりだし、突然涙をぬぐい出した。
理由はもちろんわかんね。鼻炎とかかもしれないけど、突然泣き出したから、まわりは驚いてた。

536 名前: 可愛い奥様 04/04/25 11:45 ID:E3sMe2/9
660 :名無しさん@4周年 :04/04/25 11:34 ID:GHTsS4cY
いまさら学生時代や外務省時代のデキなんてどうでもいいだろ。

そんなことよりよ、おまいら知らねえと思うけど、昨日の公務ですごいことがあったぞ。
なんと、皇太子が突然泣き出すハプニングがあったんだよww
泣き出したと言っても軽くだけどな。でもびっくりしたよ。
俺はそばで見てたんだけどさ。さすがにまわりがどよめいたよ。


2004年4月は、雅子が愛子を連れて軽井沢小和田家別荘に立て篭もっていた時期。その頃両陛下との夕食会後にも徳仁が母美智子さまの手をとり涙を流したという事件が発生したともマスコミ記事になっている。
参考:『週刊新潮』2005/5/4号<雅子さま深夜の帰宅事件と皇太子殿下が御所で泣いた夜>
参考:徳島新聞2009年2月27日<共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演 平成皇室の光と陰『公あっての私』考え方の違い 両陛下ら苦悩>記事

徳仁「もういやだ」「離婚したい」涙の疑惑事件
Part373-374 名前:可愛い奥様 :2006/02/17(金) 23:38:34 ID:Ac69Mvpj
彼が「もういやだ」と泣いたのは本当

   「離婚したい」と言ったのも事実

その後の流れは全てここから始まっている
泥酔状態での発言だが


創価学会の信者  
雅子さんが元々信者だったことから改宗させられたのか、k ankoku に「歴史を学ぶ人として、過去を反省した上で良い関係が築かれることを願う」(2018年3月19日) 


k ankoku 首相、日本皇太子に会って「韓半島の変化」への支持求める
ⓒ 中央日報日本語版2018.03.20 09:31
https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=239728&servcode=A00§code=A10&cloc=jp

などと、皇族でありながら、政治に口出し、日本を売る発言をしてしまう。赤い皇族である。

中共、創価の操り人形のようです。


(徳仁さん事件)
・泌尿器疾患で、プチエンジェル事件の小児性愛顧客名簿に名前があって、ヤフオク事件の犯人疑惑(ほぼ確定)で、創価信者の徳仁さんは、天皇をご辞退ください。菅総理応援しています。
https://nipponwomamoru.at.webry.info/201901/article_4.html
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/448.html#c3

[番外地8] ユダヤ人は元々メソポタミアに居たセム人 J だよ。
DE系統が分かれたのは凄い昔の話だよ:
ホモサピエンスが出アフリカ後、中近東あたりで原ホモサピエンスと中近東型ネアンデルタール人が交雑。
Y-DNAはYAP型「DE」と非YAP型「CF」に分化。

ユダヤ人は元々メソポタミアに居たセム人 J だよ。
E はフェニキア人だ

それから最新のDNA解析は核DNAだよ。
Y_DNA も ミトコンドリアDNAも情報が少なすぎて使い物にならないんだよ。

君は10年以上時代に遅れているんだな。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/491.html

[番外地8] 日本では戦前から一貫して、天皇・保守政治家・官僚はグローバリスト、民族主義者・国粋主義者は共産主義者だった 中川隆
2. 中川隆[-10824] koaQ7Jey 2020年10月16日 18:26:44 : MaruuMBSVI : UkJDRVQ3cm11djI=[5]
日本では戦前から一貫して、天皇・保守政治家・官僚はグローバリスト、愛国者・国粋主義者・反米勢力は共産主義者だった。
現在でも保守反動政党は日本共産党だけで、皇族や自民党は新自由主義・グローバリストですが、それは戦前からの伝統です:
1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。
 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。

 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて緊密な関係にある。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。

西洋諸国は世界恐慌を受けて保護主義的に動いた。結果として日本の輸出は半減することとなり、日本経済は壊滅的な打撃を受けた。日本はこのタイミング(1930年)で金本位制への復帰を試みるが、貿易赤字を垂れ流している状態で通貨と金を結びつけたため海外に金が大量に流出、翌年には金本位制を再び停止する運びとなった。

こういう状況で国家は金の流出か為替レートの暴落か、どちらかを選ばなければならないということである。

景気後退による極右と極左の台頭


こうした経済状況の深刻化と貧富の差の拡大は政治的には右派と左派の対立に繋がった。

世界各国が政治的に不安定となったが、日本も例外ではなかった。1932年には海軍の青年将校らによって当時の犬養首相が暗殺される五・一五事件が発生し、その後の首相に海軍大将(海軍の中では穏健派だったと言われる)斉藤氏が就任することになった。軍が首相を殺して身内を新首相に据えるという現在では考えられない事態が起こった。


軍事侵攻によって必要な資源を確保するという道は、日本にとっては最良の選択肢だったということは言えるかもしれない。普通の貿易と経済活動では日本は必要なものを調達することが出来なかっただろうからである。

軍国主義化した日本

どちらにしてもこの事件を契機に正式に軍国化した日本は、海軍関係者を首相に据え、ここから外側に向かって猛烈に駆け上がることとなる。

日本は1931年に満州を侵略し、その後中国とアジアで勢力を拡大して原油や石炭、ゴムなどの天然資源や強制労働などの人的資源を確保しようとした。

一方で、アメリカはまだヨーロッパとアジアの戦争に対する姿勢を決めかねていた。1940年にはルーズベルト氏が戦争とは関わらないことを公約に3期目の当選を決めたが、中国の蒋介石政権に戦闘機を提供するなど、米国は海外の情勢に一切関わっていないわけではなかった。

実際にルーズベルト大統領はその後も戦争との関わりを拡大してゆく。1940年には日本への鉄の禁輸を決め、日本が必要な物資を入手できなくなることで既に進出したエリアからの撤退を強いられるように手配した。

1941年にはレンドリース法の制定によりイギリス、ソ連、中国に対する大規模な軍需物資の提供を決め、ダリオ氏は「このレンドリース法は、実際の宣戦布告ではないとしても、米国の中立性を終わらせた」と書いているが、それはもっと早くに失われていただろう。

日本の領土拡大は米国の太平洋における目論見に対する脅威となり、日本との対立は激化していった。1941年にはルーズベルト大統領は米国にあるすべての日本の資産の凍結を行い、日本の船舶がパナマ運河を通行できないようにし、日本に対するエネルギー資源の輸出を禁止した。

結果として日本は貿易の4分の3と原油の80%を失うこととなった。日本は2年で原油備蓄が底をつくことを計算していた。このことにより、日本は自壊するか米国を攻撃するかのどちらかを選ばなければならなくなった。

そして1941年の真珠湾攻撃に繋がってゆくのである。
 日本では戦後も天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。
______

関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。
関東軍第三方面軍情報参謀・少佐・志位正二はKGBのスパイ。日本共産党委員長の志位和夫は甥である。また瀬島龍三中佐、朝枝繫晴中佐、種村佐孝大佐、松村知勝少将、池田純友少佐、橋本欣五郎(参謀本部ロシア班長・中佐)あげたらきりがないが「赤い軍人」「クレムリンの犬」がうごめいていたのです。
帝国陸軍の社会主義化・共産主義化はひどく、敗戦で軍が解体されるやこれら陸軍のエリート将校が大挙して日本共産党に入党している。

戦争中、軍部に協力し反米を鼓吹した人間が戦後たちまち革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきた。
日本赤軍派の重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。

3. 中川隆[-10867] koaQ7Jey 2020年10月13日 22:31:41 : UueT1jQfEI : bC80RkREdVgwOE0=[29] 報告
▲△▽▼
三橋貴明は歴史を知らない
日本では戦前から一貫して、天皇・保守政治家・官僚はグローバリスト、愛国者・国粋主義者・反米勢力は共産主義者だった。
現在でも保守・反動・愛国政党は日本共産党一つだけで、皇族や官僚・自民党は新自由主義・グローバリストですが、それは戦前からの伝統です:
1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。
 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。

 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて緊密な関係にある。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。

西洋諸国は世界恐慌を受けて保護主義的に動いた。結果として日本の輸出は半減することとなり、日本経済は壊滅的な打撃を受けた。日本はこのタイミング(1930年)で金本位制への復帰を試みるが、貿易赤字を垂れ流している状態で通貨と金を結びつけたため海外に金が大量に流出、翌年には金本位制を再び停止する運びとなった。

こういう状況で国家は金の流出か為替レートの暴落か、どちらかを選ばなければならないということである。

景気後退による極右と極左の台頭


こうした経済状況の深刻化と貧富の差の拡大は政治的には右派と左派の対立に繋がった。

世界各国が政治的に不安定となったが、日本も例外ではなかった。1932年には海軍の青年将校らによって当時の犬養首相が暗殺される五・一五事件が発生し、その後の首相に海軍大将(海軍の中では穏健派だったと言われる)斉藤氏が就任することになった。軍が首相を殺して身内を新首相に据えるという現在では考えられない事態が起こった。


軍事侵攻によって必要な資源を確保するという道は、日本にとっては最良の選択肢だったということは言えるかもしれない。普通の貿易と経済活動では日本は必要なものを調達することが出来なかっただろうからである。

軍国主義化した日本

どちらにしてもこの事件を契機に正式に軍国化した日本は、海軍関係者を首相に据え、ここから外側に向かって猛烈に駆け上がることとなる。

日本は1931年に満州を侵略し、その後中国とアジアで勢力を拡大して原油や石炭、ゴムなどの天然資源や強制労働などの人的資源を確保しようとした。

一方で、アメリカはまだヨーロッパとアジアの戦争に対する姿勢を決めかねていた。1940年にはルーズベルト氏が戦争とは関わらないことを公約に3期目の当選を決めたが、中国の蒋介石政権に戦闘機を提供するなど、米国は海外の情勢に一切関わっていないわけではなかった。

実際にルーズベルト大統領はその後も戦争との関わりを拡大してゆく。1940年には日本への鉄の禁輸を決め、日本が必要な物資を入手できなくなることで既に進出したエリアからの撤退を強いられるように手配した。

1941年にはレンドリース法の制定によりイギリス、ソ連、中国に対する大規模な軍需物資の提供を決め、ダリオ氏は「このレンドリース法は、実際の宣戦布告ではないとしても、米国の中立性を終わらせた」と書いているが、それはもっと早くに失われていただろう。

日本の領土拡大は米国の太平洋における目論見に対する脅威となり、日本との対立は激化していった。1941年にはルーズベルト大統領は米国にあるすべての日本の資産の凍結を行い、日本の船舶がパナマ運河を通行できないようにし、日本に対するエネルギー資源の輸出を禁止した。

結果として日本は貿易の4分の3と原油の80%を失うこととなった。日本は2年で原油備蓄が底をつくことを計算していた。このことにより、日本は自壊するか米国を攻撃するかのどちらかを選ばなければならなくなった。

そして1941年の真珠湾攻撃に繋がってゆくのである。
 日本では戦後も天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。
______

関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。
関東軍第三方面軍情報参謀・少佐・志位正二はKGBのスパイ。日本共産党委員長の志位和夫は甥である。また瀬島龍三中佐、朝枝繫晴中佐、種村佐孝大佐、松村知勝少将、池田純友少佐、橋本欣五郎(参謀本部ロシア班長・中佐)あげたらきりがないが「赤い軍人」「クレムリンの犬」がうごめいていたのです。
帝国陸軍の社会主義化・共産主義化はひどく、敗戦で軍が解体されるやこれら陸軍のエリート将校が大挙して日本共産党に入党している。
戦争中、軍部に協力し反米を鼓吹した人間が戦後たちまち革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきた。
日本赤軍派の重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。

ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】
@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。
A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。

昭和天皇がマッカーサーに依頼して憲法第九条を作らせたのは、陸軍軍人が反米共産主義者ばかりで何時革命を起こすかわからなかったからなのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/438.html#c2

[番外地8] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨
天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨

従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江人、後期は漢民族系 c hous en 人で、完全に別民族です。

天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作り c hous enとの交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論漢民族系 c hous en人です。

漢民族の天皇一族が日本を乗っ取った手口

天皇一族は c hous enを追われて日本に移民して以降

中国華北 → k anko kuソウル
→ 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹後 → 北九州、瀬戸内、畿内
→ 沖縄、北海道・東北北半分を除く日本全土

の順に支配地域を広げて行った様です。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して c hous en から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けて、遂に日本人(縄文人・弥生人)は少数民族となってしまいました。

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には c hous en半島で勝利を得たりしているが、必ず c hous enの統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる c hous en民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/492.html

[番外地8] 古代史でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った専門家の話を受け売りしているだけだよ。
古代史でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った自称専門家の話を受け売りしているだけだよ。
内容は正確には理解していないし、自分で文献を調べる事もない。
それ位ネットで検索すればすぐにわかる事なのに、三橋貴明は自分では一切調べない。
三橋貴明は歴史だけでなく専門の経済でも自分では何も調べない、何も勉強しないで、他人の受け売りだけやっているんだよ。

そもそも経済の専門知識がゼロで微積分すらできない三橋貴明が経済学者の学説を否定するのが逝かれているんだよ。

三橋貴明が世紀の大理論みたいに宣伝している MMTは単に政府は自由に貨幣を発行できるという当たり前の事しか言っていない。
MMTは政府に金を出させて稼ごうとしている金融資本が推進しているんだよ

金融緩和は江戸時代に金貨に含まれる純金を減らしたのと同じだろ
純金の量を半分にして金貨を倍の枚数発行したら貨幣価値が半分になるに決まってるんだよ

貨幣を沢山発行すればハイパーインフレになるに決まってるよ。
実際、今はタイでもラーメン一杯が1000円、スイスの最低賃金は4500円になってるよ。

三橋貴明は消費者物価の事を誤解しているんだ。
旧来の消費者物価の計算では買うものの価値は考慮していないんだよ

100円ショップで売っている傘はすぐに壊れるけど、既に淘汰されて手に入らなくなった日本製の傘と同じ傘としてカウントされている。
野菜の値段が昔と同じだとしても、今買える野菜は水銀・鉛入り、農薬まみれの中国産だけだ。
中国の年収10万円の農民とおなじ物を食べさせられているんだ。

海外から安物の粗悪品が沢山入ってきて日本製の高品質のものと入れ替わったから、旧来の消費者物価の計算法が見当外れになっているんだよ。
昔と値段が同じでも買っているものの価値が下がっているんだ

中国からの安物粗悪品を使えない分野ではハイパーインフレになっているよ:
マイホームとマイカーと子供2人を維持するには20年間で1億円かかる

日本では昭和期にはちょっとした会社に就職すれば(もちろん正社員)、車や一戸建ての家を購入できました。

それが今新車と新築の家を持ち、結婚して子供2人を大学まで入れるには20年間で1億円が必要です。
内訳は高級車が年100万、新築住宅が4000万円、子供を1人大学まで入れるのに2000万円です。
これだけで最低年収手取り500万円が必要で、生活費も必要なので手取り700万円が必要になります。
サザエさん的な生活をするには年収税込み900万円は必要だが、これは一部上場の勝ち組社員の年収です。

要するにバブル崩壊以降は労働者が搾取されているから子供を作れなくなったんですね。
どうやって搾取しているかというと、国債の利子でマネーストックを増やして貨幣価値を下げるという手口です。貨幣価値が下がっても中国から安物製品が大量に入ってくればインフレだというのが認識できなくなる。

それで物価が上がっていないという事にされ賃金も30年間上げない。しかし実質賃金だけは上がって子供を大学に行かせる金が労働者には出せなくなっている。
これが少子化とデフレの原因なんだ。

MMTポリテクスというのは貨幣を増やし、ハイパーインフレにして政府の負債額を目減りさせるのが目的さ。

国債金利が上がっていないからハイパーインフレでないとか
三橋貴明は詭弁だけなんだ。
企業や民間銀行は国債の利子で資産運用しているから、国債価格は下がらない、金利も増えない
ハイパーインフレになっても事情は変わらないのさ。

民間銀行の貸し出しが増えないで、マネーストックの増加分をすべて国債で負担しているのが今の日本経済だ。
これ以上のどんどん額が増えているマネーストックの増加分をすべて国債では支払えないというのが緊縮財政の考え方だ。

資本主義経済で銀行預金・国債・社債の金利分だけ毎年マネーストックが増え続けているんだから
それをすべて国債では賄えなくなっているんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/493.html

[番外地8] 古代史でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った専門家の話を受け売りしているだけだよ。 中川隆
1. 中川隆[-10823] koaQ7Jey 2020年10月17日 01:33:49 : MaruuMBSVI : UkJDRVQ3cm11djI=[6]
歴史の話でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った自称専門家の与太話を受け売りしているだけだよ。
内容は正確には理解していないし、自分で文献を調べる事もない。
それ位ネットで検索すればすぐにわかる事なのに、三橋貴明は自分では一切調べない。
三橋貴明は歴史だけでなく専門の経済でも自分では何も調べない、何も勉強しないで、他人の受け売りだけやっているんだよ。

そもそも経済の専門知識がゼロで微積分すらできない三橋貴明が経済学者の学説を否定するのが逝かれているんだよ。

三橋貴明が世紀の大理論みたいに宣伝している MMTは単に政府は自由に貨幣を発行できるという当たり前の事しか言っていない。
MMTは政府に金を出させて稼ごうとしている金融資本が推進しているんだよ

金融緩和は江戸時代に金貨に含まれる純金を減らしたのと同じだろ
純金の量を半分にして金貨を倍の枚数発行したら貨幣価値が半分になるに決まってるんだよ

貨幣を沢山発行すればハイパーインフレになるに決まってるよ。
実際、今はタイでもラーメン一杯が1000円、スイスの最低賃金は4500円になってるよ。

三橋貴明は消費者物価の事を誤解しているんだ。
旧来の消費者物価の計算では買うものの価値は考慮していないんだよ

100円ショップで売っている傘はすぐに壊れるけど、既に淘汰されて手に入らなくなった日本製の傘と同じ傘としてカウントされている。
野菜の値段が昔と同じだとしても、今買える野菜は水銀・鉛入り、農薬まみれの中国産だけだ。
中国の年収10万円の農民とおなじ物を食べさせられているんだ。

海外から安物の粗悪品が沢山入ってきて日本製の高品質のものと入れ替わったから、旧来の消費者物価の計算法が見当外れになっているんだよ。
昔と値段が同じでも買っているものの価値が下がっているんだ

中国からの安物粗悪品を使えない分野ではハイパーインフレになっているよ:
マイホームとマイカーと子供2人を維持するには20年間で1億円かかる

日本では昭和期にはちょっとした会社に就職すれば(もちろん正社員)、車や一戸建ての家を購入できました。

それが今新車と新築の家を持ち、結婚して子供2人を大学まで入れるには20年間で1億円が必要です。
内訳は高級車が年100万、新築住宅が4000万円、子供を1人大学まで入れるのに2000万円です。
これだけで最低年収手取り500万円が必要で、生活費も必要なので手取り700万円が必要になります。
サザエさん的な生活をするには年収税込み900万円は必要だが、これは一部上場の勝ち組社員の年収です。

要するにバブル崩壊以降は労働者が搾取されているから子供を作れなくなったんですね。
どうやって搾取しているかというと、国債の利子でマネーストックを増やして貨幣価値を下げるという手口です。貨幣価値が下がっても中国から安物製品が大量に入ってくればインフレだというのが認識できなくなる。

それで物価が上がっていないという事にされ賃金も30年間上げない。しかし実質賃金だけは上がって子供を大学に行かせる金が労働者には出せなくなっている。
これが少子化とデフレの原因なんだ。

MMTポリテクスというのは貨幣を増やし、ハイパーインフレにして政府の負債額を目減りさせるのが目的さ。

国債金利が上がっていないからハイパーインフレでないとか
三橋貴明は詭弁だけなんだ。
企業や民間銀行は国債の利子で資産運用しているから、国債価格は下がらない、金利も増えない
ハイパーインフレになっても事情は変わらないのさ。

民間銀行の貸し出しが増えないで、マネーストックの増加分をすべて国債で負担しているのが今の日本経済だ。
これ以上のどんどん額が増えているマネーストックの増加分をすべて国債では支払えないというのが緊縮財政の考え方だ。

資本主義経済で銀行預金・国債・社債の金利分だけ毎年マネーストックが増え続けているんだから
それをすべて国債では賄えなくなっているんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/493.html#c1

[番外地8] ゴンドラやロープウェイに乗ると長生きできないよ。
ゴンドラやロープウェイに乗ると長生きできないよ。
みつまたスキー場は駐車場までの下山コースを平日も開ける事にしたので、そっちで降りてね。

米疾病予防管理センター(CDC)は新型コロナウイルスは
換気の悪い室内では2メートル以上離れた状態でも相手を感染させる威力があると発表した。

日本の研究チーム「新型コロナウイルス、人体の皮膚に
9時間“生存”」…「インフルエンザの5倍」



http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/494.html

[番外地8] DNA鑑定しない限り皇位継承の正当性の議論は意味無いよ 中川隆
1. 中川隆[-10822] koaQ7Jey 2020年10月17日 02:16:08 : MaruuMBSVI : UkJDRVQ3cm11djI=[7]
DNA鑑定しない限り皇位継承の正当性の議論は意味無いよ:
明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)


鬼塚英昭さんは本を沢山書いていて、その結論をビデオで紹介しているんですね:

鬼塚英昭さんの著書
https://www.amazon.co.jp/%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/e/B004LVD7MC/ref=dp_byline_cont_book_1

こういう話もありますが、マスコミではタブーになっています:

世間の噂
皇室がDNA公開を厳禁し、死後は火葬にする事にした理由

秋篠宮文仁  
みなさんこんにちは 

もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください

「万世一系」  秋篠宮様の種は誰ですか?  美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw

[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI

美智子の不倫  33333    美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8

美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk

美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s

美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ

80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k

「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w


美智子様の実子は1人だけ??? 2013年3月4日月曜日

ベルギー大使館のパーティーに行った時に、
イスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」

と自慢げに話していた。

その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。


ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。

なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確立は高い。

ちょっと「美智子様の子供は一人だけ」とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは、

「秋篠宮の父親が違う」

という驚きの情報だった。と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供で、しかも、父親は天皇陛下ではないと言う話になる。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/455.html#c1

[番外地8] DNA鑑定しない限り皇位継承の正当性の議論は意味無いよ 中川隆
2. 中川隆[-10821] koaQ7Jey 2020年10月17日 02:47:50 : MaruuMBSVI : UkJDRVQ3cm11djI=[8]
​ @yattayo2
僕はこういうコメントを沢山書いているから、顔を出したらすぐに ko ro されるんだ:

DNA鑑定しない限り皇位継承の正当性の議論は意味無いよ:
明治天皇も昭和天皇も天皇家の血筋ではなかった

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)


鬼塚英昭さんは本を沢山書いていて、その結論をビデオで紹介しているんですね:

鬼塚英昭さんの著書
https://www.amazon.co.jp/%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/e/B004LVD7MC/ref=dp_byline_cont_book_1

こういう話もありますが、マスコミではタブーになっています:

世間の噂
皇室がDNA公開を厳禁し、死後は火葬にする事にした理由

秋篠宮文仁  
みなさんこんにちは 

もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください

「万世一系」  秋篠宮様の種は誰ですか?  美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw

[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI

美智子の不倫  33333    美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8

美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk

美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s

美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ

80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k

「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w


ミテ子さんのカッコウ(鳥)疑惑はかなり前から一部で噂になっていましたが、もっと凄いのがありまして盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。(たぶん婚活パーティーの仲間)それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。

表面上は流産だが実は…喜久子妃の言葉が苛めの一つとして伝わっていますが、皇太子以外ミテ子にされた仕打ちは知っていた。

ミテ子はヒステリーで発狂して手の施しようがなく別荘に篭って落ち着くのを待った。

真相は…若くして二度と子を産めなくされたこと。

______

美智子様の実子は1人だけ??? 2013年3月4日月曜日

ベルギー大使館のパーティーに行った時に、
イスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」

と自慢げに話していた。

その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。


ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。

なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確立は高い。

ちょっと「美智子様の子供は一人だけ」とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは、

「秋篠宮の父親が違う」

という驚きの情報だった。と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供で、しかも、父親は天皇陛下ではないと言う話になる。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/455.html#c2

[番外地8] 古代史でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った専門家の話を受け売りしているだけだよ。 中川隆
2. 中川隆[-10820] koaQ7Jey 2020年10月17日 03:03:47 : MaruuMBSVI : UkJDRVQ3cm11djI=[9]
歴史の話でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った自称専門家の与太話を真に受けて受け売りしているだけだよ。
内容は正確には理解していないし、自分で文献を調べる事もない。
それ位ネットで検索すればすぐにわかる事なのに、三橋貴明は自分では一切調べない。
三橋貴明は歴史だけでなく専門の経済でも自分では何も調べない、何も勉強しないで、他人の受け売りだけやっているんだよ。
そもそも経済の専門知識がゼロで微積分すらできない三橋貴明が経済学者の学説を否定するのが逝かれているんだよ。

三橋貴明が世紀の大理論みたいに宣伝している MMTは単に政府は自由に貨幣を発行できるという当たり前の事しか言っていない。
MMTは政府に金を出させて稼ごうとしている金融資本が推進しているんだよ

金融緩和は江戸時代に金貨に含まれる純金を減らしたのと同じだろ
純金の量を半分にして金貨を倍の枚数発行したら貨幣価値が半分になるに決まってるんだよ

貨幣を沢山発行すればハイパーインフレになるに決まってるよ。
実際、今はタイでもラーメン一杯が1000円、スイスの最低賃金は4500円になってるよ。

三橋貴明は消費者物価の事を誤解しているんだ。
旧来の消費者物価の計算では買うものの価値は考慮していないんだよ。

100円ショップで売っている傘はすぐに壊れるけど、既に淘汰されて手に入らなくなった日本製の傘と同じ傘としてカウントされている。
野菜の値段が昔と同じだとしても、今買える野菜は水銀・鉛入り、農薬まみれの中国産だけだ。
中国の年収10万円の農民とおなじ物を食べさせられているんだ。

海外から安物の粗悪品が沢山入ってきて日本製の高品質のものと入れ替わったから、旧来の消費者物価の計算法が見当外れになっているんだよ。
昔と値段が同じでも買っているものの価値が下がっているんだ

中国からの安物粗悪品を使えない分野ではハイパーインフレになっているよ:
マイホームとマイカーと子供2人を維持するには20年間で1億円かかる

日本では昭和期にはちょっとした会社に就職すれば(もちろん正社員)、車や一戸建ての家を購入できました。

それが今新車と新築の家を持ち、結婚して子供2人を大学まで入れるには20年間で1億円が必要です。
内訳は高級車が年100万、新築住宅が4000万円、子供を1人大学まで入れるのに2000万円です。
これだけで最低年収手取り500万円が必要で、生活費も必要なので手取り700万円が必要になります。
サザエさん的な生活をするには年収税込み900万円は必要だが、これは一部上場の勝ち組社員の年収です。

要するにバブル崩壊以降は労働者が搾取されているから子供を作れなくなったんですね。
どうやって搾取しているかというと、国債の利子でマネーストックを増やして貨幣価値を下げるという手口です。貨幣価値が下がっても中国から安物製品が大量に入ってくればインフレだというのが認識できなくなる。

それで物価が上がっていないという事にされ賃金も30年間上げない。しかし実質賃金だけは上がって子供を大学に行かせる金が労働者には出せなくなっている。
これが少子化とデフレの原因なんだ。

MMTポリテクスというのは貨幣を増やし、ハイパーインフレにして政府の負債額を目減りさせるのが目的さ。

国債金利が上がっていないからハイパーインフレでないとか
三橋貴明は詭弁だけなんだ。
企業や民間銀行は国債の利子で資産運用しているから、国債価格は下がらない、金利も増えない
ハイパーインフレになっても事情は変わらないのさ。

民間銀行の貸し出しが増えないで、マネーストックの増加分をすべて国債で負担しているのが今の日本経済だ。
これ以上のどんどん額が増えているマネーストックの増加分をすべて国債では支払えないというのが緊縮財政の考え方だ。

資本主義経済で銀行預金・国債・社債の金利分だけ毎年マネーストックが増え続けているんだから
それをすべて国債では賄えなくなっているんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/493.html#c2

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
3. 中川隆[-10819] koaQ7Jey 2020年10月17日 03:42:19 : MaruuMBSVI : UkJDRVQ3cm11djI=[10]
Ring: The Final Chapter 4話



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c3
[番外地8] アメリカが日銀に異次元金融緩和させた目的は日本の銀行と大企業の乗っ取り
国債金融資本が日本政府に要請したのは、日銀が金融緩和して作った金でアメリカ国債を買う事。
日本の景気が良くなったら日本国内で使ってしまうから困るんだよ。

アメリカが日銀に異次元金融緩和させた目的は日本の銀行と大企業の乗っ取り

アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。

アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow

2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/495.html

[番外地8] 古代史でもそうだけど、三橋貴明はチャンネル桜で知り合った専門家の話を受け売りしているだけだよ。 中川隆
3. 中川隆[-10818] koaQ7Jey 2020年10月17日 09:36:24 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[2]

桜華
MMTで金融資本が稼げるなら、日本は緊縮財政なんてやめて言いなりになってると思うけどw

江戸時代とか金貨の話を出してるけど、今のお金は日銀の借用証書だよw関係ないじゃん。

3


Jose Ortega
別に三橋貴明絶対論者でもなんでもないですが、せっかく批判なさるなら誤った論説をしている具体例を出していただけると、後学のためにはありがたいです。

あと、私の記憶ではMMTは、広い意味でのケインズ学派はインフレ率上昇への対策という点で弱い、策がないという一般的評価への回答という形で形成されてきたということをどこかで読んだのですが、違うのでしょうか?MMTにおいてはインフレ率のコントロールのために租税を用いる旨が主張されていますが…。

77 7
@桜華
>MMTで金融資本が稼げるなら、日本は緊縮財政なんてやめて言いなりになってると思うけどw

国債金融資本が日本政府に要請したのは、日銀が金融緩和して作った金でアメリカ国債を買う事。
日本の景気が良くなったら日本国内で使ってしまうから困るんだよ。

アメリカが日銀に異次元金融緩和させた目的は日本の銀行と大企業の乗っ取り

アベノミクスで日本が米国債を買いまくった為に、1ドルが70円以下になると日本の対外純資産はマイナスになり、日本の資産はすべて外資に乗っ取られる。特に日本国債を日銀に売って、その金でアメリカ国債を買った日本の銀行はすべて債務超過になって欧米資本に乗っ取られる。

アベノミクスとは何だったのか(Live配信2020/9/1) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZMZjUkBPow

2018.5.28「安倍首相の売国政策を糾弾する」大西つねきの週刊動画コラムvol.28
https://www.youtube.com/watch?v=VFEBdHhOv5A

資金不足を続けている対外純債務国(10兆ドル;1,100兆円)が発行する米国債は、ゼロ金利の日本・欧州の金利と、2%から2.5%の金利差(イールド)があるという理由から、売れていきました。

しかし今は、コロナショックからのFRBの緊急利下げで、米国債も金利ゼロです。ゼロ金利のドル国債を買うと、日本、欧州、中国からはドル安のリスクを、金利ではカバーできません。

短期で投機的なドル先物買いの動きは別ですが、2年単位の中期では、債務国の通貨のドルに金利差がない時は、基軸通貨とは言っても「円に対してドル安」の材料になります。

77 7
@Jose Ortega
>MMTにおいてはインフレ率のコントロールのために租税を用いる旨が主張されていますが

今は日銀の異次元緩和で超円安になっているので、輸入価格が暴騰しています。
消費税をいくら上げてもインフレは止まらないですね。

77 7
@Jose Ortega
>別に三橋貴明絶対論者でもなんでもないですが、せっかく批判なさるなら誤った論説をしている具体例を出していただけると、後学のためにはありがたいです。

三橋さんの間違いは少し前にここに書いておきました:

【三橋貴明総合スレッド】其の19
>>422 以降に詳細に解説した様に、
三橋貴明の経済の話はすべてデタラメ、

>>449 以降に詳細に解説した様に、
三橋貴明の歴史の話はすべてデタラメ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/eco/1592864274/
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/493.html#c3

[近代史4] 銀行準備制度「銀行は(発行した)預金貨幣の・%の日銀当座預金を保有しなければならない」

銀行準備制度「銀行は(発行した)預金貨幣の●%の日銀当座預金を保有しなければならない」


財政赤字の神話
2020-10-17 三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12632025722.html

『政府の財政赤字は、民間部門の貯蓄によってファイナンスされているのではない。政府の財政赤字は、それと同額の民間部門の貯蓄を生み出す。したがって、民間部門の貯蓄の量が制約となって、財政赤字が拡大できなくなるということは、あり得ない。(中野剛志)』

 何か、冒頭の箱の文章がやたら格好良かったので、こちらでも引用。まさに、ステファニー・ケルトン教授の新刊のタイトル「財政赤字の神話」そのものです。

 というわけで、中野先生の寄稿。

『日本は借金まみれだが…多くの国民に知らされない、1つの真実
 驚かれたかもしれません。しかし、これ(三橋注:冒頭の引用)は、貨幣の正しい理解から導き出される当然の結論なのです。

 ただし、信用貨幣論は、貸出しには資金量の制約はないけれども、「借り手の返済能力という制約はある」としていました。そうでなければ、銀行は借り手の審査もせずに、乱脈融資をやり放題という話になってしまいます。

 ということは、政府の借金も同じ話になるはずです。つまり、政府の財政赤字は、確かに民間部門の貯蓄量には制約されてはいない。しかし、政府の返済能力の制約はあるのではないか。

 では、政府の返済能力の限界は、どこにあるのでしょうか?(後略)』

 すでにご理解頂いているでしょうが、変動為替相場制の国家が「自国通貨建て負債」の返済不能になることはありません。いわゆる、財政破綻は「財務省も認めている通り」、日本では起きません。


 過去の例を見る限り、財政破綻になるケースは、以下三つ。

1.外貨建て国債(アルゼンチン、レバノンなど)
2.共通通貨建て国債(ギリシャ)
3.固定為替相場制の国の自国通貨建て国債(ロシア)

 かつてのロシアのように「対ドル固定為替相場制」を採っていると、例えばルーブル建て国債も「ドル建て国債」と同じになります。


 さて、中野先生の寄稿を読み、さらに昨日のZUU onlineの講演後の最初の質問により、ちょっと思いついたといというか、「考えて頂きたい」ことが出てきました。


 中野先生の冒頭の引用部分、「政府の財政赤字は、民間部門の貯蓄によってファイナンスされている」という誤解、あるいは「神話」がなぜ生じるかと言えば、人類の多くが「貨幣の量には一定の限界がある」と信じ込んでいるためです。すなわち、貨幣のプール論です。


 とはいえ、現実には貨幣は債務と債権の記録、すなわち「貸借関係」であるため、発行に際して「物理的な制約」はありません。

 無論、政府の国債発行という「貨幣発行」には、インフレ率という制約があります。(この辺りは、中野先生の寄稿の後半で解説されています) 


 では、銀行預金は? 論理的には、銀行は借り手がいる限り、「無限」に貨幣を発行することが可能ですが、もちろん「借り手の返済能力」すなわち「与信」が制約になります。

 それでは、なぜか日本国内に優秀な借り手、つまりは与信が十分な借り手が溢れかえっており、銀行に融資依頼が殺到する状況だったら?


 その場合でも、制約はあります。すなわち、銀行準備制度です。(90年代以降はBIS規制もありますが)

 銀行準備制度とは、日本の場合、

「銀行は(発行した)預金貨幣の●%の日銀当座預金を保有しなければならない」
 というものです。●%のことを預金準備率と呼びます。


 例えば、準備率が1%で、A銀行が1兆円の日銀当座預金しか持っていない場合、発行可能な預金の最大額は100兆円。つまりは、A銀行の貨幣発行は、与信や借り手の存在と無関係に「量的制約」があることになります。

 銀行が貸し出せる貨幣(預金)に量的制約がある、となると、貨幣のプール論が(民間では)成立することになります。与信が十分で、融資を受ける意欲が満々の企業が溢れかえっている状況で、銀行預金に量的制限が付くとなると、普通に金利は上がります。(銀行は、金利が高い、つまりは高く買ってくれる企業に貨幣を発行する(=貸し出す)ため)


 もちろん、現在は量的緩和の影響で日銀当座預金が膨れ上がり、銀行準備制度は有名無実化しています。いわゆる、超過準備が巨額で、金利は超低迷しているにも関わらず、そもそもデフレで企業の資金需要が乏しいため、銀行は苦しんでいるわけです。


 いずれにせよ、「貨幣のプール論」からなかなか抜けきれない理由の一つは、銀行準備制度が機能し、国内の資金需要が充分であった時代(バブル期まで?)の名残があるのではないのか? というのが、昨日、考えた仮説です。皆様のご意見をお寄せくださいませ。


 ところで、中野先生が寄稿で取り上げた「アメリカ連邦政府の債務上限」にしても、銀行準備制度にしても、共に「インフレ対策」であることは注目点です。

 ついでに、経済学の出鱈目な「クラウディングアウト論」も、同じく出鱈目な「財政赤字は民間の貯蓄でファイナンス」も、共にインフレ抑制効果があるわけですね。
 貨幣のプール論も、財政破綻論も、「ハイパーインフレーション!」も、全てインフレ抑制効果があります。

 要するに「人類」は、「インフレとデフレは真逆の経済現象である」ということを理解し、インフレ抑制が目的となっている各種の言論、そして「制度」を「人類」として修正する必要があるのだと思います。(この辺りの話は、次の経営科学出版のコンテンツ「真・貨幣論」でやるつもりです)


 そういう意味で、ケルトン教授の「財政赤字の神話」の帯にあるように、「経済学のパラダイムシフト」が起きている、あるいは起きつつあるのは間違いないのだと思います。 


 とにもかくにも、日本は早急に狂った「財政赤字の神話」を捨てさらなければなりません。さもなければ、我々に繁栄の未来はあり得ないのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12632025722.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1111.html

[近代史4] 読書能力の起源
読書能力の起源

2020年10月17日
下側頭葉皮質のリサイクルがもたらしたヒトの読書能力
https://sicambre.at.webry.info/202010/article_22.html


 ヒトの読書能力と下側頭葉皮質のリサイクルの奸計についての研究(Rajalingham et al., 2020)が報道されました。ヒトが読み書きのシステムを開発し始めたのは、過去数千年以内のことです。ヒトの読書能力は他の動物種と一線を画すものですが、数千年はヒトの脳が特に読書に専念する新しい領域を進化させるにはあまりにも短い時間枠です。読書能力の発達を説明するために、一部の科学者は、元々他の目的のために進化した脳の部分が読書のために「リサイクル」された、と仮定しました。たとえばオブジェクト認識の実行に特化した視覚システムの一部が、正字法と呼ばれる読書の主要なコンポーネント、つまり書かれた文字や単語を認識する機能に転用された、と示唆されています。この研究は、その仮説の証拠を提供します。この研究では、読む方法を知らない非ヒト霊長類であっても、下側頭葉皮質(inferotemporal cortex)と呼ばれる脳の一部が、意味のない単語と単語を区別したり、単語から特定の文字を取り出したりするなどのタスクを実行できる、と示唆しています。

 読むことは複雑な過程で、単語を認識し、それらの単語に意味を割り当て、対応する音に単語を関連づける必要があります。 これらの機能は、ヒトの脳のさまざまな部分に広がっている、と考えられています。機能的磁気共鳴画像法(fMRI)の研究により、脳が書かれた単語を処理するときに点灯する、視覚的単語形式領域(VWFA)と呼ばれる領域が特定されました。この領域は正字法の段階に関与し、乱雑な文字列や未知のアルファベットの単語から単語を区別します。VWFAは視覚皮質の一部で、オブジェクトの識別も行なう下側頭葉皮質にあります。

 2012年の研究では、ヒヒが単語と非単語の区別を学べる、と報告され、その後、単語認識の背後にある神経メカニズムに関心が抱かれました。以前の研究では、fMRIを使用して、オブジェクトや顔に反応する下側頭葉皮質の一部が、ヒトが読むことを学ぶと、書かれた単語を認識するのに非常に特化する、と明らかになっています。しかし、ヒトのイメージング手法の制限を考えると、これらの表現を個々のニューロンの解像度で特徴づけ、これらの表現が正射投影処理をサポートするために再利用できるのかどうか、またどのように再利用できるかを定量的に検証することは困難でした。

 この研究らは、霊長類の脳の一部がテキストを処理する素因がある場合、単語を見るだけで非ヒト霊長類の神経活動にそのパターンを見つけることができるかもしれない、と仮定しました。この仮説を検証するため、マカクの下側頭葉皮質全体の約500の神経部位からの神経活動が記録されました。その中には約2000の文字列があり、その一部は英語の単語で、一部は無意味な文字列でした。この方法論は、何かをするために動物を訓練する必要がない点で効率的です。

 その後、神経データは線形分類子と呼ばれる単純なコンピューターモデルに送られました。このモデルは、500の各神経部位からの入力を組み合わせて、その活動パターンを引き起こした文字列が単語か否か、予測することを学習します。動物自体はこのタスクを実行していませんが、神経データを使用して行動を生成する「代替手段」としてモデルが機能します。そのニューラルデータを使用して、このモデルは、単語と非単語を区別したり、特定の文字が単語の文字列に存在するのかどうか判断したりするなど、多くの正射投影タスクの正確な予測を生成できました。単語と非単語を区別するさい、このモデルの正確さは約70%でした。これは、2012年のヒヒに関する研究で報告された割合とひじょうによく似ています。さらに、このモデルにより作成されたエラーのパターンは、動物によって作成されたものと同様でした。

 また、視覚皮質の一部であるV4である下側頭葉皮質にも供給される、異なる脳領域からの神経活動も記録されました。V4活動パターンを線形分類子モデルに供給した場合、モデルは正射投影処理タスクでのヒトまたはヒヒのパフォーマンスを、下側頭葉皮質と比較して充分に予測できませんでした。この調査結果は、下側頭葉皮質が読書に必要なスキルに転用されるのに特に適していることを示唆しており、読書のメカニズムの一部はオブジェクト認識の高度に進化したメカニズムに基づいている、という仮説を支持しています。今後の計画として、正射投影のタスクを実行するために動物を訓練し、動物がタスクを学ぶにつれてその神経活動がどのように変化するのか、測定することが計画されています。


参考文献:
Rajalingham R. et al.(2020): The inferior temporal cortex is a potential cortical precursor of orthographic processing in untrained monkeys. Nature Communications, 11, 3886.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-17714-3

https://sicambre.at.webry.info/202010/article_22.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1112.html

[リバイバル3] コンサートホールの音響ランキング
コンサートホールの音響ランキング
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1585741833/l50


2020年 10月 17日
オーケストラを部屋に持ち込む
https://tannoy.exblog.jp/31773802/


生のオーケストラを部屋に持ち込む、そんな大それた事を思いだしたのはいつ頃からのことでしょう。小学生の頃から工作は好きで、戦前からの古い真空管でラジオを作っていました。中学生になりたてのころ、担任の先生が16mmフィルムの映写機で「青少年の為の管弦楽入門」という映画を見せてくれました。それは新鮮で驚きに満ちた体験でした。その映画でオーケストラに興味を持った私が幸運だったのは、荻窪の杉並公会堂で、渡邉暁雄さんの指揮で日本フィルの演奏会がテレビ収録されていたのです。それに何度か潜り込みました。それが生のオーケストラとの出会いでした。今思えば幸運でしたね。自分たちの街にオーケストラがあったのですから。

そうした経験が積み重なり、73年からの4回に渡る文化会館でのムラヴィンスキー体験、78年のムジークフェラインにはじまり、80年代から90年代の初めにかけて世界中の名高いホールを訪れるようになりました。中でも、ムジークフェラインとコンセルトヘボウは格別のホールトーンがしていたのです。ウィーンの音は聞き慣れたDECCA・Londonの明快な音とは違い、美しい生の楽器の柔らかな音が混然としてハーモニーを作っていましたし、アムステルダムのコンセルトヘボウ(コンサートホール)で聞いた響きは、まさしくPHILIPSのレコードと同じ音がしておどろきました。

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31773802&i=202010%2F17%2F99%2Ff0108399_06381597.jpg


このコンセルトヘボウでの体験中に、後ろの席の音なら、ひょっとしたら自分の部屋の中で、この音そのものを、再現できるかもしれないと感じたのです。そう思ったきっかけは、SD05で鳴らしたGRFから聞こえてきたあのホールの響きだったのです。ブラームスのセレナーデ、マーラーの第四番など、一連のPHILIPS録音のアナログレコードとデジタル録音の初期盤のCDでした。初期盤と断るのは、再発盤や同じ盤でも後年の発売の盤は、細部の柔らかさ、繊細さ、そして安定性が無くなっていくからです。

SD05は、無帰還アンプです。NFBが掛かっていると、SP自身がマイクになって拾った部屋の音を、アンプの入り口までフィードバックして、その部屋の特性が強調されてしまいます。今でも、戦前からの無帰還アンプが愛用されている理由の一つです。SD05は、アンプ内でアナログ信号を扱いません。通常、電圧増幅段を通る間に、左右の音がクロストーク(交差)して起きる、左右の音の混合がないのです。

左右のクロストークがない音とは、右と左にセパレートする音ではありません。今まで薄かった中央部の音が充実して聞こえてくるのです。モノラル的と言っても良いほどです。左右にセパレーションがいい音がクロストークが少ないと思っていた観念をSD05が正してくれたのです。クロストークがなくなった音は、センタースピーカーがないと中央から音が聞こえないと思っているマルチチャンネルのイメージを払拭してくれました。いままでクロストークで音が打ち消されていた中央の音場に、木管楽器が浮かび上がり、ヴィオラやチェロの旋律の低音楽器のパートが聞こえ始めて、一気にオーケストラの音が出てきたのです。

その時ならしていたGRFのタンノイ・モニターゴールドは、1950年代に設計され60年代に作られた、同軸型のスピーカーで、低音はバックロードホーンで、高音のホーンとバランスが取られ、同軸状に展開した二つのスピーカーは、極めて聴き心地のよい音がしてきました。コーナーに置かれて、ぴったりと45度づつ内向きに置かれて、前方で90度に交差された音像は、立体的な音像を再現したのです。それは、今までのアンプでは聞いたことのない音場でした。その時聴いたコンセルトヘボウの音場の経験が、10年後のTroubadour とTW3で花が咲くのです。

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31773802&i=202010%2F17%2F99%2Ff0108399_06400372.jpg


SD05でならしたGRFは、それまでのタンノイのイメージを一新する物でした。

これがGRFの音?
https://tannoy.exblog.jp/2878185/


その驚きは私だけでは無く、石田さんご自身もタンノイの音を見直すぐらいでした。しっかりとバックロードがかかり、ブーミーな低音はすっかりと消えたGRFは、タンノイのアルニコスピーカーが本来持っていた、バランスの取れた音でなり始めたのです。同じタンノイでも、フロントホーンとバックロードを組み合わせた「オートグラフ」では、低音が膨らみ、中音もフロントホーンで膨らんだので、フロントホーンのないGRFのような音場は出せませんでした。

GRFを幅二間半の間隔でコーナーに置くと、充分に広い音場が現れます。壁から二間近く離れたところで、交差した音場は、大きな直角三角形を構成して、立体的に部屋に飛び出してくるのです。交差法の名前の由来ですね。音場は、前に飛び出してくるばかりでは無く、SPの後方にも奥深く展開します。GRFは左右と高さの二次元では無く、前後も再現する三次元の音、正確には三次元の音を再現していました。左右からぴったりと合い、低音のかぶりも無く再現されると、そこにステレオ本来の立体音像が再生されていたのです。

コンセルトヘボウで聴いてきた音の半分ぐらいは出現したと思える瞬間でした。その時点でGRFを使い始めてから30年を迎えていました。大事に使ってくれば、この様な展開にもなると驚いていました。ステレオ再生は、しっかりとした低域に支えられ、高域の焦点が合ってくると、そこに広大な演奏会場が浮かび上がってきて、我が家がコンセルトヘボウになれるという確信を得たのです。その頃、SD05を通じて知り合った横浜のMさんご夫妻がお見えになって、奥様から褒めていただいたのは嬉しかったです。

https://tannoy.exblog.jp/31773802/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1089.html

[近代史4] コンサートホールの音響ランキング

コンサートホールの音響ランキング
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1089.html

原音とは何か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/890.html

ラジカセでクラシックを聴いている清貧の音楽ファンには音楽はわからない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html

音楽はこういう部屋で聴きたい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/655.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1113.html

[近代史4] 共産主義の時代 中川隆
30. 中川隆[-10817] koaQ7Jey 2020年10月17日 12:20:39 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[4]
・資本主義 世界で相次ぐ”異変” 成長は続くのか〜TJ教授「否・資本主義の原動力だった植民地等のフロンティアの喪失」
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/420.html
 投稿者 仁王像 日時 2016 年 10 月 17 日 22:00:00: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 

・米国の大富豪たちは巨額の献金で国家の行く末を左右〜一方、資本主義とは異なる「共有型経済」もすでに世界で急速に広がっている
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/424.html


 投稿者 仁王像 日時 2016 年 10 月 24 日 20:26:35: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
・資本主義 国家vs超巨大企業〜富をめぐる攻防〜これまでにない動きも〜スペインの小村では衣食住に競争制限/Nスペ
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/423.html


 投稿者 仁王像 日時 2016 年 10 月 23 日 08:52:45: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc

・マネー・ワールド〜資本主義の未来〜第1集 お金が消える!?〜仮想通貨、地域通貨の出現/Nスペ 
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/636.html
 投稿者 仁王像 日時 2018 年 10 月 10 日 20:03:10: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc


・マネー・ワールド〜資本主義の未来〜第3集〜新たな経済への模索 ”身の丈”資本主義/Nスペ
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/637.html
 投稿者 仁王像 日時 2018 年 10 月 15 日 20:01:35: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc

 (再掲)
 ロボットやAIで作る生産様式で得られた商品は、剰余価値を生み出さない。資本家は、原料費とロボットやAIの損料を回収できるに過ぎない。つまりかかった費用しか回収できない。労働者の肉体労働が介在しないと新たな価値(剰余価値)を商品に上乗せして利益を生み出すことは出来ない。これはマルクスの学説である。

 従って、このような生産様式が一般化すれば、資本主義はオワということになる。

http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/902.html#c1

【マルクスの労働価値説は、広い意味の物理現象だろう】
 マルクスの労働価値説は正しいだろうことはわれわれの日常感覚とも一致する。これは経済学以前の自然現象あるいは広い意味の物理現象とみることもできる。

 この広い意味での物理現象を経済学に取り入れるのは良い事である。だからと言って、この一事を持って、これを取り入れた経済学は正しいということにはならない。他の多くの自然界を支配する諸物理法則をことごとく無視した(外れた)経済学では、現実の人間活動・生活に役立つはずがなく、虚構の学問になってしまう。

【ロボットが人の労働をすべて肩代わりする時代は資本主義は終わる?】
 さて話を変えて、最近、ロボットが人間の労働力に代わってしまうとの憶測が盛んだが、ロボットが人間の労働力を盗ってしまえば、「資本主義」は成り立たず終わるだろう。

 人間の労働だけが剰余価値を生み出すのであって、ロボットの労働は、通常の機械の摩耗分の損料と同じく製品に加算されるだけである。

 ロボットがつくる製品と同じ製品の大半がまだ人の手で並行的に作られていれば、その間はロボットの効率は高いので、実質的な剰余価値とみなせるものを生む出す(資本主義は成立)。だが、製品の大半をロボット労働が生み出す時代では、剰余価値は発生せず資本主義は終わる。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html#c30

[近代史4] アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人

アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人

アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人といわれている。
世界で2000万人しかいないユダヤ人が世界経済の9割を仕切っている。

GAFAの経営者も、全員ユダヤ人である。
フェイスブックやグーグルを運営しているのはユダヤ人である。

このことを、どのメディアが指摘してきたのか? 羽鳥Mショーの玉川徹ですら一切触れない。

今やGAFA・MSをはじめ、電通も含めて世界のメディア権力の大半がユダヤ人によって支配されている


共和党はプロテスタントが多いのだが、よく調べてみると、大半が「福音派」と呼ばれる「クリスチャンシオニズム」であり、共和党にはユダヤ人=ユダヤ教徒の影響が大きい。
 
クリスチャンシオニズム=福音派は、教義でも実質的な思想性でも、事実上、ユダヤ教と変わりがない。エホバやモルモン教も同じだ。

 これはアメリカ人の三割近くを占めているといわれる。


ユダヤ教徒は、幼いころから旧約聖書の暗誦を命じられる。13才までに、ラビの前で、トーラー五書を暗誦してみせねば一人前と認められない。これがユダヤ元服式である。

 この体験が、ユダヤ人の頭脳を凄まじく鍛え、ノーベル賞の3割がユダヤ人であり、2000万人しかいないユダヤ人が世界の9割の資産を保有する現実を支えている。

 MSもGAFAも、ロックフェラーもベクテルもデュポンも、モンサントも、ゴアもすべてユダヤ人によって経営されている。アメリカという国そのものが、実はイスラエルの属国である。

 ユダヤ人の信じられない成功物語は、ユダヤ教徒に巨大な互助組織があるからだとも噂されている。それがなければMSやGAFAの成功があるはずがない。

 ユダヤ人の企業は、アメリカという国家権力の保護を受けているのだ。

 イスラエル、「嘆きの壁」の北には広大なロックフェラーの土地がある。世界の金融は、ロスチャイルドとロックフェラーに支配されている。

 足のつま先から頭のてっぺんまで旧約聖書漬けにされたユダヤ人たちは、創世記に描かれた「約束の地」を回復することこそ、ユダヤ教徒が、人生のすべてをかけて実現しなければならない義務であると洗脳され、信仰させられるのだ。
 「シオンに帰れ」これをシオニズムと呼んでいる。

 欧州ユダヤ人は、その頭脳ゆえに社会的に高い地位につき、豊かな経済力にどっぷりと浸かっていたため、シオン(エルサレムの丘)に帰依するというユダヤ教徒としての歴史的使命を忘れてしまった。

 だから、シオニストたちは、ホローコストの恐怖により、無理矢理イスラエルに帰還させる陰謀を実行したというわけだ。

もう一度書くが、アメリカはユダヤ人の国である。アメリカ最大のキリスト教=福音派は、シオニストであり、ユダヤ教そのものだ。

 トランプはユダヤ教徒であり、歴代米国大統領も、ユダヤ人の血を引いている可能性が高い。つまり、アメリカ国家はシオニズムのための道具にすぎないのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1282.html


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世界を動かす“ユダヤ人”創業企業--次なるGAFAMを生み出すヒントは「イスラエル」に
寺田彼日(Aniwo Ltd. Founder & CEO)2019年10月15日
https://japan.cnet.com/article/35143822/


 Google創業者のラリー・ペイジ氏や、Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグ氏ーー。誰もが知る著名人だが、彼らに共通しているのはユダヤ系であるということだ。

 ここでは、5年前からイスラエルに拠点を置いて活動している筆者が、世界を動かすIT業界の巨人と、次期GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)の座を狙うユニコーンスタートアップ郡を、ユダヤ人/イスラエル人という切り口で分析する。


 ただし、特定民族および宗教に対する信奉や啓蒙をする目的は一切なく、ファクトベースで実行可能なビジネス戦略策定の方向性を提示することを目的としていることをご理解いただきたい。


世界的巨大企業とユダヤ人の関係

 一般的な定義として、人種を問わず(ユダヤ人の母親を持つ非異教徒および改宗した)ユダヤ教徒を「ユダヤ人」と呼び、全世界のユダヤ人人口は約1460万人(Jewish Virtual Library 2018)。その大半はイスラエルと米国に分布する。

 誰もが知る歴史上のユダヤ人を挙げるなら、イエス・キリストやアインシュタイン、映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏、マクドナルド創業者のレイ・クロック氏など。ユダヤ系企業についてもゴールドマン・サックスやロスチャイルドなど枚挙に暇が無い。

 世界における時価総額トップ5 (2019年8月末時点) の企業は以下の通りとなっているが、この中でユダヤ人創業企業はAlphabet(Google親会社)とFacebookの2社。加えて、Microsoftの前CEOであるスティーブ・バルマー氏は創業初期からビジネスサイドの責任者として活躍し、現在も同社の筆頭株主となっている。

 また、Apple現会長のアーサー・D・レビンソン氏は、2000年から同社の取締役を務め、現在も経営に携わっていることから、GAFAMの5社中4社の創業および成長にユダヤ人が深く関わっていると言って差し支えないだろう。

 Forbesの長者番付「THE RICHEST PEOPLE IN THE WORLD 2019」では、トップ10にOracle創業者のラリー・エリソン氏、Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグ氏、Bloomberg創業者のマイケル・ブルームバーグ氏、Google創業者のラリー・ペイジ氏と、テクノロジー企業の創業者が名を連ね、トップ20の30%、トップ50の20%、トップ200の19%がユダヤ人という結果になっている。

 ちなみに、全世界のユダヤ人人口は世界人口の0.2%に満たず、米国への資本の偏りなどを差し引いても高い割合を示していると解釈できる。

ユダヤ人創業ユニコーンの実力

 シリコンバレーのPayPalマフィアに代表されるように、多くのタレントが同時期に特定の組織に集中し、その後の大きなムーブメントを生み出す現象が見られる。その系譜をユダヤ人という切り口で見ると興味深い事実が浮かび上がる。

 シリコンバレーのスタートアップ黎明期、まだベンチャーキャピタル(VC)が一般的ではなかった頃に、ニューヨーク出身のユダヤ人であるアーサー・ロック氏は、半導体メーカーFairchild Semiconductorの設立支援などを経て、1961年に最初期のVCであるDavis & Rockをサンフランシスコで設立。IntelやAppleの初期投資家となった。

 1970年代以降、Oracle、Dell、SanDiskなどのWeb 1.0時代を牽引する世界的IT企業をユダヤ人が起ち上げ、1990年代末から2000年代のWeb 2.0時代の中心的な役割を果たすGoogle、Facebook、PayPal、Salesforceのような企業がそれに続く形で次々に生み出されたことが上図から見て取れる。

 また、ユダヤ人創業企業間で人材が動いている点も興味深い。例えば、20億9000万ドルの企業価値評価のFinTechユニコーンAffirmは、PayPalマフィアのCTOマックス・レヴチン氏が創業した。Salesforce創業者のマーク・ベニオフ氏はOracleで13年間マーケティング・営業に従事した後独立した。また、FacebookのCOOシェリル・サンドバーグ氏はGoogleでセールス部門を大きく成長させた実績を持ち、2007年にマーク・ザッカーバーグ氏と出会って引き抜かれた経緯がある。

 直近の例では、Facebookのブロックチェーン技術を用いたクリプトカレンシー「Libra」のウォレット開発を行うCalibra COOのトメール・バレル氏は、PayPal IsraelのGMや本社のExecutive VPを務めたイスラエル人であるのは知る人ぞ知るところである。

 このように、シリコンバレーにおけるユダヤ人の密なネットワークは、2010年代以降も脈々と引き継がれ、次世代のユニコーン創出に貢献している。2019年9月現在のイスラエル人創業ユニコーン企業一覧は以下の通りである。(WeWorkのバリュエーションについては直近調達ラウンドのもの)

出典:TechAviv (2019)

 領域的にはAIとFinTechが2大トレンドとなっている。また、日系投資家としてはソフトバンクが目立っており、WeWork、Compass、Lemonade、Cybereasonに大型出資を行っている。ユダヤ人という切り口で言えば、孫正義氏に多大な影響を与えた日本マクドナルド創業者の藤田田氏は、“銀座のユダヤ人”と呼ばれ「ユダヤの商法」の著者としても知られる点も興味深い。


次なるGAFAMを生み出すには

 ここまで、ユダヤ人が世界を変えるテック企業を次々と生み出してきたという事実を述べてきた。では、どうすれば次なるGAFAMを生み出せるのだろうか。最もシンプルな答えは、次のマーク・ザッカーバーグ氏やラリー・ペイジ氏を見つけ出すことだ。

 今日の時価総額世界ランキングを見ると、明らかにユダヤ人創業・経営企業に偏りが見られ、日本企業として最高位に位置するのはトヨタ自動車の43位。直近20年の傾向と今後のメガトレンドとしてのWeb 3.0への移行や、中国、インド、東南アジアの成長を鑑みると、日本国内に留まり事業を展開するよりも、事業拠点や創業者・経営者という“可変的パラメーター”を動かしにいくのが、汎用的かつ現実的な戦略と言えるだろう。


 何より、成功するスタートアップに欠かせないのは「人」である。企業の成功確率を飛躍的に高めるのは優れた起業家、経営者、投資家であり、どんなに大きな組織も、結局は人間が経営判断、投資判断をして運営しているため、人にフォーカスするのは自然な流れと言えるだろう。


 以上を踏まえて、日本企業や日本人として、次なるGAFAMを生み出す確率を高めるにはどうすればいいか。そのヒントはイスラエルにあると筆者は考える。具体的には以下の3つの手法を挙げたい。


1.イスラエルでスタートアップに投資する

 なぜ、イスラエルで投資すべきなのか。理由は、世界で成功しているユダヤ人創業のスタートアップの原点はイスラエルにあるからだ。イスラエル人創業のユニコーン企業の多くは、サンフランシスコかニューヨークに本社を置いているが、R&D拠点はイスラエルにあることが多く、創業者もイスラエルで生まれ育った、あるいは現地に家族が居るケースが大半である。

 その“根っこ”の部分に投資するのは、米国で成長した企業に投資するのとは訳が違う。実際、米国には多数の日系企業を含む、世界中の投資家が集まっており、日本人としての存在感を出しづらい。一方で、イスラエルでアクティブに投資する日系投資家はまだまだ少ないのが実情である。だからこそ、イスラエルに根を下ろし、現地のシード、アーリー期から投資することが、ユダヤ人の原点であるイスラエルのインナーサークルに入り込む近道と考える。


2.イスラエル人/ユダヤ人を経営に招く

 GAFAM規模の企業を作るには、ビジネスモデルと技術の両輪を高速で回転させる必要がある。そこにユダヤ人の頭脳は大きく貢献すると考えられる。金融、政治の世界でプレゼンスの高いユダヤ人を仲間に招けば、強固なビジネスモデル構築、ロビイングにも強い影響力を発揮するだろう。また、数理学、コンピュータサイエンスなどに長けたユダヤ人を巻き込むことで、プロプライエタリな技術をベースとした競争優位性の構築が可能になる。

3.イスラエルで教育を受ける

 もし、創業者としてスタートアップを起ち上げたいのであれば、イスラエルで教育を受けるというのも有効な戦略となるだろう。学ぶ内容もさることながら、多くのユダヤ人の仲間ができるというのが最も大きな利点だ。

 ここまで、やや突飛にも見える戦略の方向性を示してきたが、現代日本の社会システムや世界経済のトレンドを前提とすると、戦後日本で創業され世界中に価値を届けたソニー、ホンダ、アシックスのような企業が、これから日本から生まれる可能性は低いと言わざるを得ない。

 だからこそ、これまでとは全く異なる打ち手を試すべきだと筆者は考える。今を生きる日本人として、より良い未来を創造するために取り得る戦略を考え、ぜひ実行に移して欲しい。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1114.html

[近代史3] 東海アマ 陰謀論
 陰謀論 2020年10月17日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1282.html


 毛布一枚では寒くて震えがくるほどの「冬の始まり」がやってきた。
 外は強雨で出られない。あわてて石油ストーブを点火しようとしたら灯油がない。エアコンをつけようとしたらコントローラーがない。

 というわけで、久々に着込んでネットを見始めたら、最初に視野に飛び込んできたのが「陰謀論」。
 「もしかしたら、自分のブログも陰謀論にくくられているのか?」
 これを読んでいると、体が冷えた上に、心まで凍結しそうだ。

 Qアノン関連動画を禁止へ、ユーチューブが陰謀論対策強化
 https://news.yahoo.co.jp/articles/6f233416defc3da44645ff553c8ef2e38a9c3574

 15日 ロイター] - 米アルファベット<GOOGL.O>傘下の動画投稿サイト「ユーチューブ」は15日、ヘイトスピーチや嫌がらせに関する指針を拡充し、「Qアノン(QAnon)」や「ピザゲート」などの陰謀論に関連するコンテンツを禁止すると発表した。

 個人のほか、宗教・民族などの団体を標的とするコンテンツが対象となる。

 2019年6月にヘイトスピーチに関する指針を刷新して以降、数万件に上るQアノンに関連する動画や数百件のQアノン関連チャンネルを削除したという。

 フェイスブック<FB.O>やツイッター<TWTR.N>も同様の措置を講じている。フェイスブックは先週、Qアノンを危険と認定し、同集団を代表するグループやページ、インスタグラム上のアカウントの削除を開始した。

 Qアノンは陰謀論の展開で知られ、トランプ大統領が民主党有力者やハリウッドのセレブを含む小児性愛者の巨大な犯罪ネットワークの取り締まりを秘密裏に主導していると主張する。米連邦捜査局(FBI)によって、国内のテロの発生源になり得ると認定されている。
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「Qアノン」とは何か?
https://www.bbc.com/japanese/video-54473743

 ピザゲートとは何か?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B6%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88#:~:text=%E3%83%94%E3%82%B6%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%88%E8%8B%B1%E8%AA%9E%3A%20Pizzagate%EF%BC%89%E3%81%AF,%E3%81%A8%E8%A8%BC%E6%98%8E%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

 いずれも、共和党員が民主党を誹謗中傷する目的ででっちあげた、子供じみた妄想なのだが、共和党というグループは、トランプ自身がそうであるように、実は、いわゆる「科学的方法論」を拒絶し、徹底的に自身の思い込み妄想を信奉する人々が多い。

 「地球平面説」を信じる人が急増している その要因は......
  https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11751.php

 この地球平面説というのは、一種の科学的真理に敵対するカルトグループで、レーガンやブッシュ、トランプも一定の支持を表明しているほどだが、実は本質的な意味では日本人も負けていないのだ。

 それは、幸福の科学とか創価学会とか、統一教会とか、日本会議とかの妄想系宗教団体が、今の自民党政権を支えているという意味では、アメリカも日本もどっこいどっこいだろう。

 そこには検証に支えられた科学的真理という価値観が存在せず、「こうあって欲しい」という妄想・虚構を共有するカルト価値観がある。
 大半の右翼知識人が信奉する「天皇万世一系統治説=皇国史観」など、その典型で、「だから日本は凄い」という優越感を共有するナルシズムを目的にしている集団である。

 かつて、太平洋戦争敗戦後、日本人が渡航して開拓民となった南米などでは、「勝ち組」という固陋な妄想集団がいて、「戦争に負けた」と事実を受け入れようとした人々を虐殺して回った。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E3%81%A1%E7%B5%84

 これなど、私の子供時代=1960年代ですら、日本人開拓民仲間での殺し合いが頻繁に報道されていたほどだ。それどころか、太平洋戦争に「敗戦」という言葉を使うのは売国奴であり、「終戦」にせよ、とメディアが強要された結果、本当に日本のメディアの大半が1980年代以降、敗戦という言葉を使わなくなってしまったことは、「勝ち組」が日本社会の核心部にまで浸透している現実を示している。
 「敗戦」という言葉を追放したのは、谷口雅春や笹川良一率いた日本会議だといわれている。

 もう一度、アメリカ「陰謀論」に戻るが、ピザゲートは、ワシントンのピザ屋で、ヒラリーの仲間たちが小児人身売買を行っているというもので、民主党は、一種の悪魔教崇拝者の団体だという誹謗中傷であり、Qアノンも似たような内容である。
 実は、こうした陰謀空想が出回る衝撃的な根拠があった。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-date-20180914.html

 2014年頃、アイルランドやカナダのカトリック教会付近で、大量の少年少女の遺骨が掘り出されたことがあった。
  https://mizu888.at.webry.info/201406/article_26.html

http://2012nasu.blog.fc2.com/?mode=m&no=10147

 ドイツでも、カトリック教会で神父たちが数千名の子供たちに性的虐待を繰り返していた事実が暴露された。
 https://www.bbc.com/japanese/45505322

 上のリンクは氷山の一角で、世界的に、カトリック教会で子供たちに対する性的虐待や、大量殺人が行われていたことは、ほぼ間違いのない事実のようだ。
 こうした事実に尾ひれがついて、「悪魔教」という妄想の怪物が育ってゆき、共和党による民主党弾圧に利用されるようになった。

 これは伝統的に噂されてきたもので、キリスト教の闇の世界で、子供たちを生け贄にして殺害する「悪魔信仰」がはびこっているという噂を証明する証拠とみられている。
 「悪魔信仰による子供の殺害」
 というのは、中世〜近世、欧州ユダヤ人が「ボグロム」という集団虐殺に遭っていた理由にされた陰謀論でもある。「ユダヤ人はキリスト教徒の子供を殺している」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%82%B7#:~:text=%E8%A1%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%82%B7%EF%BC%88%E3%81%A1%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%82%85%E3%81%86,%E3%81%82%E3%82%8A%E3%80%81%E5%84%80%E5%BC%8F%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0#:~:text=%E3%83%9D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0%EF%BC%88%D0%BF%D0%BE%D0%B3%D1%80%D0%BE%D0%BC%20%E3%83%91%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%AF,%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E3%83%BB%E5%B7%AE%E5%88%A5%EF%BC%89%E3%82%92%E8%A8%80%E3%81%86%E3%80%82
 
 一説では、ボグロムを逃れるために、欧州ピューリタンを装っていたユダヤ教徒たちが、メイフラワー号の渡航成功を受けて、一斉に欧州から新大陸アメリカに脱出を始めたともいわれている。

 これまでカトリック教会における、おぞましい児童虐待殺戮の現実を証明する痕跡が現れても、カトリック教会側は、「陰謀論」と決めつけていればすんだわけだが、ここまで事態が深刻で恐ろしすぎると、もはや隠蔽は不可能だ。
 世界は、一斉にカトリック=バチカンに対する攻撃を始めた。
 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47315445

 こうした恐ろしい事実の上に、ヒラリー民主党陣営が、子供を虐待する悪魔崇拝の組織を持っていると決めつけて宣伝したのがQアノンと呼ばれる陰謀論である。
 民主党は、ケネディ以来、カトリック信者が多い。だから子供虐殺と結びつけられたのだろう。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF

 逆に、共和党はプロテスタントが多いのだが、よく調べてみると、大半が「福音派」と呼ばれる「クリスチャンシオニズム」であり、共和党にはユダヤ人=ユダヤ教徒の影響が大きい。
 クリスチャンシオニズム=福音派は、教義でも実質的な思想性でも、事実上、ユダヤ教と変わりがない。エホバやモルモン教も同じだ。
 これはアメリカ人の三割近くを占めているといわれる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人といわれている。世界で2000万人しかいないユダヤ人が世界経済の9割を仕切っている。
 GAFAの経営者も、全員ユダヤ人である。このことを、どのメディアが指摘してきたのか? 羽鳥Mショーの玉川徹ですら一切触れない。
 https://japan.cnet.com/article/35143822/

 ユダヤ人には陰謀論がつきまとい、私も、ユダヤ人=陰謀説を拡散している張本人の一人なのだが、冒頭の記事に書かれているとおり、今後、Qアノンなどの陰謀とともに、陰謀論をメディアから排除するとグーグルやフェイスブックが公言している。
 フェイスブックやグーグルを運営しているのはユダヤ人である。つまり、「世界の陰謀の根源にユダヤ教徒がいる」と書きまくっている私などは、今後、彼らから排除される運命である。

 もし、私のようなことを社会的地位のあるメディアが書いたり、羽鳥MSがユダヤ人問題を取り上げたなら何が起きるのか?
 それは、マルコポーロ事件を見れば分かる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 このことで、文春、マルコポーロは、完膚なきまでに叩き潰された。

 私はユダヤ人ばかりを不当に攻撃する「人種差別主義者」であり、あらゆるメディアから排除されることになっている。幸い、私の東海アマブログは「素人のゴミブログ」と見られているから、マルコポーロのように相手にされないだけだ。

 だが、それでも私はとっくに排除されている。私のブログなど、グーグルの検索で見つけ出すのは困難なのだ。まず、私のブログを高く評価してくれるサイトなど、万に一つもない。
 リピーター読者が、日、数千を超えたあたりから、私へのブログへの風あたりが強くなった。今では1万を超えることもあるが、知名度はほとんどない。
 グーグルは、私のブログをできるだけ見せないように細工している。

 ツイッター社から、安楽死助長発言をしたという理由で、2018年3月に永久凍結を食ったまま、未だに復活が許されない。実際には、原発の危険性を告発したため追放されたとしか考えられないのだが。私は、ユダヤメディアから、どんどん遠ざけられてゆく。
 そして、ユダヤ系メディアの権力支配を恐れるメディアからも一切相手にされない。
 ついでに書いておくと、日本のメディアを強権支配する電通もまた、ルシファーを神と崇めるユダヤ系機関である。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1148.html

 今やGAFA・MSをはじめ、電通も含めて世界のメディア権力の大半がユダヤ人によって支配されている。とりわけネット時代に、グーグルに排除されたなら影響は凄まじく大きい。
 排除されないようにするには、ユダヤ人について書くことを控えなければならないわけだ。
 だが、私はユダヤ人とユダヤ教カルトについて、書かないわけにはいかない。世界の重大事件の9割にユダヤ教徒の影が見えているからだ。

 まず、ナチスのユダヤ人ホローコスト。
 これは1930〜40年代に、欧州のユダヤ人が、ナチスの設営したゲットーという収容所に集められて、大虐殺が起きた。600万人のユダヤ人がガス室で殺戮されたというものだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88#:~:text=%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%EF%BC%88%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%AA%9E%3A%20Holocaust%E3%80%81,%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%B5%B6%E6%BB%85%E6%94%BF%E7%AD%96%E3%83%BB

 この事件は、基本的にゲルマン民族によるユダヤ民族の迫害ジェノサイドと評価されているが、後に明らかになった事実として、ヒトラー自身がユダヤ人の血を引いていた。
 しかし、ホローコストを調査していた歴史学者たちは、驚くべき結論に達した。

 ナチスのホローコストを実現した真実の犯人は、実はユダヤ人自身、シオニストだったというものだ。
 https://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd300.html

 ユダヤ教徒は、幼いころから旧約聖書の暗誦を命じられる。13才までに、ラビの前で、トーラー五書を暗誦してみせねば一人前と認められない。これがユダヤ元服式である。
 この体験が、ユダヤ人の頭脳を凄まじく鍛え、ノーベル賞の3割がユダヤ人であり、2000万人しかいないユダヤ人が世界の9割の資産を保有する現実を支えている。

 MSもGAFAも、ロックフェラーもベクテルもデュポンも、モンサントも、ゴアもすべてユダヤ人によって経営されている。アメリカという国そのものが、実はイスラエルの属国である。
 ユダヤ人の信じられない成功物語は、ユダヤ教徒に巨大な互助組織があるからだとも噂されている。それがなければMSやGAFAの成功があるはずがない。
 ユダヤ人の企業は、アメリカという国家権力の保護を受けているのだ。
 イスラエル、「嘆きの壁」の北には広大なロックフェラーの土地がある。世界の金融は、ロスチャイルドとロックフェラーに支配されている。

 足のつま先から頭のてっぺんまで旧約聖書漬けにされたユダヤ人たちは、創世記に描かれた「約束の地」を回復することこそ、ユダヤ教徒が、人生のすべてをかけて実現しなければならない義務であると洗脳され、信仰させられるのだ。
 「シオンに帰れ」これをシオニズムと呼んでいる。

 欧州ユダヤ人は、その頭脳ゆえに社会的に高い地位につき、豊かな経済力にどっぷりと浸かっていたため、シオン(エルサレムの丘)に帰依するというユダヤ教徒としての歴史的使命を忘れてしまった。
 だから、シオニストたちは、ホローコストの恐怖により、無理矢理イスラエルに帰還させる陰謀を実行したというわけだ。

 2011年にアメリカで発生した911テロも同じだ。その真犯人はシオニズムなのだ。
 すでに、この事件は、イスラエル・モサドによって実行された証拠が山ほどある。
 
 陰謀論とは何か? 2018年09月17日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-481.html

 なんで、イスラエルが、911テロを行ったのか? ブッシュ大統領も米軍も完全に組み込まれていた。(ブッシュ・チェイニーのコンビもユダヤ人だった)
 それは、「グレーターイスラエル」という大シオニズムを理解できなければ、全体像を知ることはできない。
 グレーターイスラエルとは何か?

 ひとつのフィクション、ではあるが…… 2020年06月10日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-date-20200610.html

 ベイルート巨大爆発とグレーターイスラエル 2020年08月08日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1211.html

 イスラム国を作ったのは、イスラエルであること 2020年02月07日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1022.html

 グレーターイスラエルを簡単に言うと、旧約聖書創世記に描かれた「約束の土地」をユダヤ教徒は、回復する義務を負っていることだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%84%E6%9D%9F%E3%81%AE%E5%9C%B0

 それは、ナイル川とユーフラテス川に囲まれた中東の核心部にある広大な土地であり、現在は、イスラエル以外に、シリア・レバノン・イラクなどが含まれている。
 この先住民を追い出して、イスラエルに帰属させるという論理が、シオニズムの核心である。

 この土地をイスラエルにしてしまうために、イスラム国を作って、先住民に凄まじい残虐な迫害を加えて追い出し、難民に仕立て上げた。
 イラクやシリアの人々は命からがら欧州に逃げている。レバノンでは、首都が吹っ飛ばされた。
 おそらく、ベイルート巨大爆発のような事件は、グレーターイスラエル圏内で、先住民を追い出す目的で、次々に行われるにちがいない。

 911テロでは、もっとも邪魔な武装勢力だったイラクのフセイン政権を、「大量殺戮兵器を持っている」と真っ赤な嘘を言って破壊した。ビンラディンが911の主犯という嘘を捏造して、アメリカが中東に軍事侵攻し、住民たちの生活をめちゃくちゃに破壊した。
 これらは、すべてシオニズムの手段と考えれば、何一つ矛盾なく説明可能である。

 もう一度書くが、アメリカはユダヤ人の国である。アメリカ最大のキリスト教=福音派は、シオニストであり、ユダヤ教そのものだ。
 トランプはユダヤ教徒であり、歴代米国大統領も、ユダヤ人の血を引いている可能性が高い。つまり、アメリカ国家はシオニズムのための道具にすぎないのだ。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-690.html

 そして、次に行われることは、中東でイスラエルに敵対する最大の勢力、イランを破壊することであり、イランを支援する最大の国、中国を破壊することである。
 イランでは、致死率が10%を超える猛毒の新型コロナウイルスが蔓延した。現在のところ、もはやイランにイスラエルを攻撃できる余裕はない。

 イスラエルは、今年の4月段階で、すでに新型コロナワクチンを数ヶ月以内に完成させると発表した。ワクチンの完成には、いかなユダヤ人であろうとも、最低2年以上かかる。
 だから、私は新型コロナウイルスを世界に放ったのはイスラエルだと確信した。
 
長くなりそうなので、そろそろ切り上げたいが、世界で「陰謀」と呼ばれるものは、すべて連関があると思った方がいい。
 世界中の重大事件の9割は、イスラエル=ユダヤ人が引き起こしているものと、私は考えている。
 だが、そのことを理解できる者は、ほとんどいないのだ。

 私のイスラエルに関するブログを、「その通り」と共感してくれる人は、残念ながらこれまではいなかった。
 それは、世界政治の本質が、すべて旧約聖書とタルムードにあることを理解できる人がいないということだ。
 私自身も、世界を動かしている本質が「宗教」であることは、半世紀前に岡村昭彦に指摘されるまで気づかなかった。

 だが、気づいた瞬間に、世界政治と戦争の流れの本質が、手に取るようにくっきりと浮かび上がってきた。世界の問題は、イスラエルの問題であることが分かってきた。
 だが、本当は、この先に、もっと桁違いに恐ろしい悪魔が隠れている。
 それは、イスラエルの国家プロジェクト=アミシャーブだ。

 私は、911やイスラム国の陰謀を見ていると、アミシャーブが求める「天皇家のシオンへの帰還」も、実際に空前の巨大な陰謀として行われるような気がしている。
 その第一弾が東日本大震災と東電の原子力災害だった。
 これは、また別項で詳しく書くことにしよう。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1282.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1028.html

[近代史4] アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人
アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人


アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1114.html

アメリカの上流階級の人間はユダヤ人の家族に囲まれている
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1108.html

ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html

「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html

イスラエル建国
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1024.html

ユダヤ人とは関わらない方がいい理由
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/562.html

ユダヤ教
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/365.html

アシュケナージ系ユダヤ人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/296.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1115.html

[近代史4] ロシア革命を支援したユダヤ金融資本 中川隆
1. 中川隆[-10816] koaQ7Jey 2020年10月17日 15:12:06 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[6]
「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人


2020年09月13日
同胞の革命を支援するユダヤ人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827456.html

ロシア革命の裏側

  「王朝潰し」と言ったら、ロシア革命がその典型だ。日本ではボルシェビキによる「ロシア革命」と言われているが、実際はユダヤ人極左による政府転覆、あるいは「ユダヤ人革命」と呼ぶべき殺戮行為だ。というのも、革命を実行した者、それを支援した者を調べると、矢鱈とユダヤ人が目立つことに気づくからだ。一般的に、レーニンは「ロシア人」と思われるが、実際はゲルマン系ユダヤ人とテュルク系ロシア人との混血で、ユダヤ人との自意識がどれほどあったのか判らないが、ユダヤ人はロシア人よりも優秀と見なしていた。共産主義者にはユダヤ人が実に多く、メンシェビキを率いたユリウス・マルトフ(Julius Martov)、永久革命を説いたレオン・トロツキー(Leon Trotsky)、カール・ラデック(Karl Radek)、レオニード・カシン(Leonid Krasin)、レフ・カーメネフ(Lev Kamenev)、グリゴリー・ジノヴィエフ(Grigory Zinoviev)などが有名だ。例外はスターリンで、彼は「ヨセフ・ジュガシヴィリ(Ioseb Jughashvilli)」というグルジア人だった。

Leon Trotsky 4Karl Radek 3Leonid Krasin 1Grigory Zinoviev 4

(左 : レオン・トロツキー / カール・ラデック / レオニード・カシン / 右: グリゴリー・ジノヴィエフ )

Lenin 2( 左 / レーニン )
  所謂「ロシア革命」を検証する際に注目されるのが、ユダヤ人革命家と金融資本家との関係だ。なぜ、レーニンやトロツキーをウォール街の金持ち連中が支援したのかイマイチ解らない。社会主義政権の誕生となれば、民間企業の所有物だって政府に没収されるか政府の管理下に置かれるわけで、富裕層なら真っ先に反対するはず。そもそも、官僚による計画経済だから、市場経済の扼殺となってしまうじゃないか。したがって、私有財産を重視する大企業の大株主や経営者なら、たちどころに激怒するはずだ。でも、どうして裕福なユダヤ人は敵であるはずの共産主義者を金銭的に支援したのか? 例えば、ドイツ系ユダヤ人で投資金融家のポール・ウォーバーグ(Paul Moritz Warburg)やその兄弟であるフェリックス(Felix M. Warburg)やマックス・ウォーバーグ(Max M. Warburg)、「クーン・ローブ社(Kuhn, Loeb)」のヤコブ・シフ(Jacob H. Schiff)とその相棒であるオットー・カーン(Otto Hermann Kahn)、武器商人のアレクサンドル・パルヴス(Alexander Parvus / 本名 Israel Lazarevich Gelfand)は、革命家の新政府を助けていた。

Paul Warburg 002Felix Warburg 1Alexander Parvus 01Otto Hermann Kahn 1

( 左 : ポール・ウォーバーグ / フェリックス / アレクサンドル・パルヴス / 右 : オットー・カーン )

Jacob Schiff 8(左 / ヤコブ・シフ )
  西洋史の授業を取る日本の高校生や大学生は、思考能力や批判精神が欠落しているので、やっていることは受験勉強の延長だ。羅列された年号や人物名を暗記したり、内容抜きで条約や法令、社会制度の説明を受ければ満足する。一方、世間知らずの学校教師は、実社会に存在する裏取引とか銭の受け渡しなんか解らないから、外人学者が述べたことを紹介し、罪悪史観を刷り込むことで精一杯。どうして日露戦争の時、ヤコブ・シフが劣勢の日本へ資金を提供したのか、そして同じ人物が今度は、日本の敵となるボルシェビキに2千万ドルもの大金を譲与したのかを説明する事はない。貧しいプロレタリアを助けようとするトロツキーが、米国の資本家から財政的支援を受け、1917年にペトログラードに帰った時は、1万ドルの旅費を持っていたのだ。(当時の1ドルは現在のドルに比べ約20倍強もの価値があった。)

  第一次世界大戦中、ロシアと組んでいたブリテンは、レオン・トロツキーの動きを監視していて、トロツキーがカナダで逮捕された時、ブリテン政府は直ぐさま彼を釈放するようカナダ政府に働きかけていた。カナダ側はトロツキーをドイツのスパイと考えていたので、ブリテン政府の意向を理解できない。なぜなら、トロツキーはロシアにおける内乱を画策する不逞分子で、ブリテンにとったら「邪魔者」となるはず。それなのに、なぜか「釈放せよ」との命令が来る。しかも、米国のウッドロー・ウィルソン大統領がとても“親切”で、トロツキーがすんなりとロシアに帰国し、革命に奔走できるようパスポートを渡していたのだ。これはブリテン経由でロシアに入国できる米国旅券であったという。(Anthony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution, Arlington House, New York,1974, p.25.)

  ここで興味深いのは、ブリテン諜報部の米国支局長を務めていたウィリアム・ワイズマン卿(Sir William Wiseman)で、彼が住んでいたアパートには、ウィルソン大統領の補佐官であるエドワード・マンデル・ハウス(Edward Mandel House)が住んでいた。ちなみに、このハウスは軍人ではないが「大佐(Colonel)」と呼ばれ、まだニュージャージーの州知事だったウィルソンをスカウトし、ホワイトハウスに送り込んだ側近(導師)として有名だ。合衆国大統領というのは側近に操られることが多く、フランクリン・ローズヴェルト大統領を思い出せばよく分かる。FDRに囁くハリー・ホプキンス(Harry L. Hopkins)は有名で、ユダヤ人の取り巻きがゴマンと居た。ウィルソン大統領にも仕えた補佐官のバーナード・バルーク(Bernard M. Baruch)、ソ連のスパイだった補佐官のハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)、財務長官のヘンリー・モーゲンソー・ジュニア(Henry Morgenthau, Jr.)、最高裁判事のフェリクス・フランクファーター(Felix Frankfurter)、ポール・ウォーバーグの息子であるジェイムズ・ウォーバーグ(James Paul Warburg)などがズラリ。

Edward Mandell House 2Bernard Baruch 5James Paul Warburg 11Henry Morgenthau 22


(左 : エドワード・マンデル・ハウス / バーナード・バルーク / ジェイムズ・ウォーバーグ / 右 : ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア )

  一般の歴史家はユダヤ人富豪が資金提供をした理由として、「ロシアで迫害を受ける同胞を助けるため」としているが、本当はユダヤ人がロシアを支配し、そこから米国の同胞が巨額の利益を得るためだろう。かつてデイヴィッド・ロックフェラーが喝破した通り、財閥系ビジネスマンや国際資本家にとって「競争は悪で、独占は善」である。例えば、石油業界に10社ないし20社が参入し、薄利多売の競争をすれば各社の利益は思ったように伸びず、ヘタをすれば「共食い状態」となってしまうだろう。消費者が「得」をするなんて我慢できない。それよりも、「スタンダード・オイル社」が競争相手を叩き潰し、1社で市場を独占すれば巨万の富が手に入る。油田のある原産国と流通経路、それに加えて消費地域を支配すれば、価格設定は思いのままで、他の石油会社を探せない一般人は独占価格に従うしかない。これは穀物市場やレア・メタルの業界でも同じ。歐米の石油メジャーが中東アジアとロシアを牛耳れば、日本は手も脚も出ず、官民揃って土下座となり、「売って下さい !」と頼むしかない。

  グローバリストの冒険商人は独裁国が大好きだ。なぜなら、交渉の窓口が1つであり、独裁者とだけ合意に達すれば、後で厄介な問題は持ち上がらないからである。もし、ロスチャイルド家やロックフェラー家の番頭がロシアの石油や鉱物に目をつけ、独占的に採掘しようと考えれば、レーニンやスターリンとサシで話をつければいい。独裁者にとっては金銭と権力の維持が最優先なので、莫大な利益が転がってくるなれば食指が動く。一旦交渉が纏まれば、後はシメたもの。採掘による環境破壊なんて心配ないし、労働組合のストライキも無いから、歐米の資本家はやりたい放題だ。民衆政で選ばれた大統領でも、暴君の如き書記長でも、所詮「金に弱い俗人」だから、ユダヤ人ビジネスマンは「札束ビンタ」で相手を支配できる。ところが、世襲の義務に忠実な王侯貴族だと、この「札束ビンタ」が効かないことがあり、逆に猜疑心を招いてしまう。場合によったら、追い出される虞(おそれ)もあるのだ。ニコライ2世のような専制君主は狡猾で用心深いから、「旨い話」で近づいてくるユダヤ人を警戒し、彼らの魂胆を即座に見抜く。そもそも、皇帝や国王は成金の外人が自国にやって来て、先祖伝来の領土を好き勝手に荒らすことを好まない。国家と自分が一体となっているので、売国は売春と同じことになってしまうのだ。

Armand Hammer 01(左 / アーマンド・ハマー)
  ウォール街の野心家を知っているレーニンは、革命に資金を流すユダヤ人の狙いを解っていた。だから、レーニンはその強欲さを利用して自分の基盤を固めようとしたのだろう。この共産主義者はロシア系ユダヤ人のビジネスマンであるアーマンド・ハマー(Armand Hammer)と面会したことがある。ハマーは自伝を書いているが、レーニンと面会した時のエピソードは実に面白い。ちなみに、ハマーは元々医学部卒の青年であったが、父親の出身国であるロシアの惨状を知り、医療や食料の支援を決心したそうだ。この慈善行為にソ連の外務局が注目し、ロシア系アメリカ人の共産主義者でソ連に住むボリス・レインスティンが仲介者となり、ハマーはレーニンと会うことになったらしい。

  1928年当時のソ連は経済的に疲弊したので、「ネップ(NEP / 新経済政策)」を導入し、国民経済の蘇生を図っていた。1921年にハマーが訪れた時のソ連は目も当てられぬほどの状態で、貧困や飢餓で国民生活はボロボロだ。街の中心部でも人通りが少なく、時折、荷車や古い馬車が通る程度。自動車なんか稀である。人々はボロを着ており、靴下や靴を履いている者はほとんどいなく、薄汚れた布で足をくるんでいるだけ。中にはフェルトのブーツを履いている者もいたが、大半の子供は裸足だった。社会主義の理想郷が出現したというのに、街では一人として笑顔の者は見当たらず、みんな意気消沈。ただし、通行人の中には、皮のコートに膝下の半ズボン、編み上げ靴と軍服姿の人物がいたそうだが、それは共産党の役人だった。(アーマンド・ハマー 『ドクター・ハマー / 私はなぜ米ソ首脳を動かすのか』 広瀬隆訳、ダイヤモンド社、昭和62年、p.93) 青白いロシア人に驚くハマーがエカチェリンブルクを訪れた時には、恐ろしい飢餓が蔓延しており、大勢の国民が苦しんでいた。

ハマーは色々な地域を廻ったそうで、ウラル地方で出逢ったある老人は、黙々と松の木材をノコギリで挽いていた。彼が「何をやっているんだ?」と爺さんに尋ねると、この老人は「自分の棺桶を作っているところだ」、と答えたそうだ。なぜなら、あと三週間の食料しか残っていないから、自分が死んだ時、犬っころみたいに土の中へ直に埋めらるのは真っ平御免。だから、こうやって今、自分用の棺桶を作っているんだ」と述べたらしい。(上掲書、p.108.) こうした惨状を目にしたハマーは、米国で安くなっていた小麦を取り寄せることにした。後日、百万ドル相当の穀物がウラル港に届けられると、これを目にしたロシア人は感動し、ハマー青年に拍手喝采だった。

  ソ連の赤い皇帝は、このユダヤ人青年(23歳)に着目し、彼に会うことにした。たぶん、ハマーを梃子(てこ)にして、アメリカの資本家を導こうとしたのだろう。ハマーによれば、レーニンはアメリカとロシアが助け合うことを強調したそうだ。レーニン曰わく、

   本当に我々が必要としているのは、ロシアの車輪をもう一度回転させるための、アメリカの資本と技術援助なのです。(上掲書、p.118.)

  新経済政策(ネップ)でロシアの経済的潜在能力を引き出したいレーニンは、アメリカ商人へのインセンティブを考えていた。きっと強欲な外国人には「旨い汁」が必要と考えていたのだろう。レーニンは言う。

   我々は外国人に商業や工業の営業許可を与え、ネップを迅速に進めたいのです。(上掲書、p.119)

  歐米の金融業者や貿易商にとって独占的営業権は垂涎の的である。ハマーが指摘したように、ロシアには世界最大級の鉱物資源が眠っており、天然ガスや石油はもちろんことこ、プラチナ、エメラルド、石綿、銅などの宝庫である。現在でもロシアの天然資源は魅力的で、パラジウム、ニッケル、マグネシウム、ボーキサイト、ウラン、コバルト、黒鉛、珪藻土、ゴールドに目を奪われるビジネスマンは結構多い。だから、外国で青い鳥を求めるアメリカの富豪連中が、あれやこれやと共産党政府を支援し、金の卵を産む赤い鳥を独占したいと思うのは当然だ。後に、大手石油会社のオキシデンタル・オイル」を所有するハマーも、ソ連との人脈を大切にし、米ソを結ぶ政商として活躍する。

  「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人について説明すると長くなるので、ここでは省略する。(ユダヤ人の活躍については、別の記事で紹介したい。) とにかく、グローバリストは大金を使って政治家を手懐け、子飼いにされた政治家は有権者ではなく御主人様のために働く。主要メディアは貯金箱から10ドルを献金した少女の話を美談にするが、現実の政治は1億ドルを寄附したパトロン、あるいは100億ドルの裏献金をした大富豪が操る。10ドルや20ドルといった端金(はしたがね)を100口集めたって、下院議員や上院議員は動かない。せいぜい、新聞記者やテレビ局員を呼んで、子供達と笑顔の記念写真を撮るくらいだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68827456.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html#c1

[近代史4] 「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人 中川隆
1. 中川隆[-10815] koaQ7Jey 2020年10月17日 15:13:25 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[7]
ロシア革命を支援したユダヤ金融資本


キャピタリストがタッグを組むコミュニスト

  第21世紀に入ると、奇妙な連携が起こる。以前なら対立していた国際金融資本家と市場経済を憎む左翼が手を結んでいるのだ。一見すると不自然な組み合わせに思えるが、両者の本質を考えれば、それほど異常な組み合わせじゃない。なぜなら、ロンドンのシティーやウォール街のグローバリストは、邪魔な国境を壊して全世界を単一市場にしたいと考えている。一方、共産主義や社会主義に憧れた左翼も、ナショナリズムを撲滅して、世界政府と地球市民を実現したいと望んでいるのだ。そもそも、レーニンのボルシェビキはロスチャイルド家やウォーバーグ商会などの支援を受けていたから、共産主義国家と自由主義国家の提携があっても不思議じゃない。第二次世界大戦前から、ユダヤ人の資本家と革命家がグルになっていることは明らかで、アメリカの国務省は1918年11月13日附で『Bolshevism and Judaism』という報告書(861.00 / 5339)を作っていた。

  このファイルに載っていた名前を見れば、誰でも裏の癒着が理解できる。リストに載っていた人物を紹介すれば以下の通り。(Anthony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution, New York, Arlington House, 1974, pp.186-187.)

  (1) ヤコブ・シフ(Jacob Schiff)
(2) クーン・ローブ商会(Kuhn, Loeb & Comapny)
経営者 ヤコブ・シフ
         フェリクス・ウォーバーグ(Felix Warburg)
         オットー・H・カーン(Ott H. Kahn)
         モーティマ・L・シフ(Mortimer L. Schiff)
         ジェローム・J・ハナウアー(Jerome J. Hanauer)

(3) グッゲンハイム(Guggenheim)
(4) マックス・ブライトゥン(Max Breitung)
(5) アイザック・セリグマン(Isaac Seligman)

Jacob Schiff 0021Felix Warburg 1Otto H Kahn 001Mortimer Schiff 1


( 左 : ヤコブ・シフ / フェリクス・ウォーバーグ / オットー・H・カーン / 右 : モーティマ・L・シフ )

  日本でも有名なヤコブ・シフに加え、ドイツの有名な金融業者であるウォーバーグ商会や、アメリカの「シュペイヤー社(Speyer & Company)」、ストックホルムの「ナヤ・バンク(Nya Banken」もレーニンやトロツキーを財政的に支援していたのである。ちなみに、「シュペイヤー社」はドイツからやって来たユダヤ移民のフィリップ・シュペイヤー(Phillip Speyer)が創業した銀行で、元は「Philip Speyer & Co.」という社名であった。「ナヤ銀行」はロシア系ユダヤ人のオロフ・アシュバーグ(Olof Aschberg)が設立した金融機関で、彼は前々から共産主義に親近感を抱いていた。1917年、オロフはストックホルムで開かれた社会主義者の大会に参加し、ドイツの共産主義者で政治宣伝に長けたウィリー・ミュンツェンバーグ(Wilhelm Münzenberg)と会っている。

Max Breitung 01Isaac Seligman 01Olof Aschberg 001Willi Munzenberg 02


( 左 : マックス・ブライトゥン / アイザック・セリグマン / オロフ・アシュバーグ / 右 : ウィリー・ミュンツェンバーグ )

さらに、ボルシェビキに理解を示していたのが、ラビのジュダ・レオン・マグネス(Judah Leon Magnes)だ。この改革派ユダヤ人は、米国ユダヤ人委員会(American Jewish Committee)とも親しく、パレスチナのユダヤ人入植者を支援していたシオニスト。彼は同胞愛に満ちていたから、「米国ユダヤ人共同配布委員会(American Jewish Joint Distribution Committee)」の設立に尽力した。歐米諸国にあるユダヤ人組織を説明すると長くなるので省略するが、日本の三流評論家が口にする「ユダヤ人の陰謀」というのは娯楽妄想に過ぎない。実際のユダヤ人は同胞意識を基礎にして、国際組織を活用しながら民族の利益を図っている。

Judah Leon Magnes 001Trotsky 2Lenin 3

(左 : ジュダ・レオン・マグネス / 中央 : レオン・トロツキー / 右 : ウラジミール・レーニン)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68832351.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html#c1

[近代史4] ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった 中川隆
1. 中川隆[-10814] koaQ7Jey 2020年10月17日 15:30:52 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[8]
東海アマ 陰謀論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1028.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/739.html#c1
[近代史4] ユダヤ陰謀論の起源 中川隆
1. 中川隆[-10813] koaQ7Jey 2020年10月17日 15:32:31 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[9]
東海アマ 陰謀論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1028.html

東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/487.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1018.html#c1

[番外地8] 「右翼」の定義
「右翼」の定義

アメリカの共和党というグループは、トランプ自身がそうであるように、実は、いわゆる「科学的方法論」を拒絶し、徹底的に自身の思い込み妄想を信奉する人々が多い。

 「地球平面説」を信じる人が急増している その要因は......
  https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11751.php

 この地球平面説というのは、一種の科学的真理に敵対するカルトグループで、レーガンやブッシュ、トランプも一定の支持を表明しているほどだが、実は本質的な意味では日本人も負けていないのだ。

 それは、幸福の科学とか創価学会とか、統一教会とか、日本会議とかの妄想系宗教団体が、今の自民党政権を支えているという意味では、アメリカも日本もどっこいどっこいだろう。

 そこには検証に支えられた科学的真理という価値観が存在せず、「こうあって欲しい」という妄想・虚構を共有するカルト価値観がある。

 大半の右翼知識人が信奉する「天皇万世一系統治説=皇国史観」など、その典型で、「だから日本は凄い」という優越感を共有するナルシズムを目的にしている集団である。

 かつて、太平洋戦争敗戦後、日本人が渡航して開拓民となった南米などでは、「勝ち組」という固陋な妄想集団がいて、「戦争に負けた」と事実を受け入れようとした人々を虐殺して回った。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E3%81%A1%E7%B5%84

 これなど、私の子供時代=1960年代ですら、日本人開拓民仲間での殺し合いが頻繁に報道されていたほどだ。それどころか、太平洋戦争に「敗戦」という言葉を使うのは売国奴であり、「終戦」にせよ、とメディアが強要された結果、本当に日本のメディアの大半が1980年代以降、敗戦という言葉を使わなくなってしまったことは、「勝ち組」が日本社会の核心部にまで浸透している現実を示している。
 「敗戦」という言葉を追放したのは、谷口雅春や笹川良一率いた日本会議だといわれている。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/496.html

[番外地8] 「右翼」の定義 中川隆
1. 中川隆[-10812] koaQ7Jey 2020年10月17日 15:51:03 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[10]
「右翼」の定義

アメリカの共和党というグループは、トランプ自身がそうであるように、実は、いわゆる「科学的方法論」を拒絶し、徹底的に自身の思い込み妄想を信奉する人々が多い。

 「地球平面説」を信じる人が急増している その要因は......
  https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11751.php

 この地球平面説というのは、一種の科学的真理に敵対するカルトグループで、レーガンやブッシュ、トランプも一定の支持を表明しているほどだが、実は本質的な意味では日本人も負けていないのだ。

 それは、幸福の科学とか創価学会とか、統一教会とか、日本会議とかの妄想系宗教団体が、今の自民党政権を支えているという意味では、アメリカも日本もどっこいどっこいだろう。

 そこには検証に支えられた科学的真理という価値観が存在せず、「こうあって欲しい」という妄想・虚構を共有するカルト価値観がある。

 大半の右翼知識人が信奉する「天皇万世一系統治説=皇国史観」など、その典型で、「だから日本は凄い」という優越感を共有するナルシズムを目的にしている集団である。

 かつて、太平洋戦争敗戦後、日本人が渡航して開拓民となった南米などでは、「勝ち組」という固陋な妄想集団がいて、「戦争に負けた」と事実を受け入れようとした人々を虐殺して回った。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E3%81%A1%E7%B5%84

 これなど、1960年代ですら、日本人開拓民仲間での殺し合いが頻繁に報道されていたほどだ。それどころか、太平洋戦争に「敗戦」という言葉を使うのは売国奴であり、「終戦」にせよ、とメディアが強要された結果、本当に日本のメディアの大半が1980年代以降、敗戦という言葉を使わなくなってしまったことは、「勝ち組」が日本社会の核心部にまで浸透している現実を示している。
 「敗戦」という言葉を追放したのは、谷口雅春や笹川良一率いた日本会議だといわれている。  
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/496.html#c1

[番外地8] ロシア革命は y uday a 革命だという妄想を誰が広めたのか?
ロシア革命は y uday a 革命だという妄想を誰が広めたのか?
ロシア革命の指導者の多くは y uday a 人であり、革命を資金支援したのも米英の y uday a 系金融機関だった。しかしロシアの y uday a 人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持する y uday a 人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、 y uday a 人陰謀説を否定している。

一般の歴史家は y uday a 人富豪が資金提供をした理由として、「ロシアで迫害を受ける同胞を助けるため」としているが、本当は y uday a 人がロシアを支配し、そこから米国の同胞が巨額の利益を得るためだろう。かつてデイヴィッド・ロックフェラーが喝破した通り、財閥系ビジネスマンや国際資本家にとって「競争は悪で、独占は善」である。

例えば、石油業界に10社ないし20社が参入し、薄利多売の競争をすれば各社の利益は思ったように伸びず、ヘタをすれば「共食い状態」となってしまうだろう。消費者が「得」をするなんて我慢できない。それよりも、「スタンダード・オイル社」が競争相手を叩き潰し、1社で市場を独占すれば巨万の富が手に入る。油田のある原産国と流通経路、それに加えて消費地域を支配すれば、価格設定は思いのままで、他の石油会社を探せない一般人は独占価格に従うしかない。これは穀物市場やレア・メタルの業界でも同じ。歐米の石油メジャーが中東アジアとロシアを牛耳れば、日本は手も脚も出ず、官民揃って土下座となり、「売って下さい !」と頼むしかない。

  グローバリストの冒険商人は独裁国が大好きだ。なぜなら、交渉の窓口が1つであり、独裁者とだけ合意に達すれば、後で厄介な問題は持ち上がらないからである。もし、ロスチャイルド家やロックフェラー家の番頭がロシアの石油や鉱物に目をつけ、独占的に採掘しようと考えれば、レーニンやスターリンとサシで話をつければいい。独裁者にとっては金銭と権力の維持が最優先なので、莫大な利益が転がってくるなれば食指が動く。一旦交渉が纏まれば、後はシメたもの。採掘による環境破壊なんて心配ないし、労働組合のストライキも無いから、歐米の資本家はやりたい放題だ。民衆政で選ばれた大統領でも、暴君の如き書記長でも、所詮「金に弱い俗人」だから、 y uday a 人ビジネスマンは「札束ビンタ」で相手を支配できる。ところが、世襲の義務に忠実な王侯貴族だと、この「札束ビンタ」が効かないことがあり、逆に猜疑心を招いてしまう。場合によったら、追い出される虞(おそれ)もあるのだ。ニコライ2世のような専制君主は狡猾で用心深いから、「旨い話」で近づいてくる y uday a 人を警戒し、彼らの魂胆を即座に見抜く。そもそも、皇帝や国王は成金の外人が自国にやって来て、先祖伝来の領土を好き勝手に荒らすことを好まない。国家と自分が一体となっているので、売国は売春と同じことになってしまうのだ。

  ウォール街の野心家を知っているレーニンは、革命に資金を流す y uday a 人の狙いを解っていた。だから、レーニンはその強欲さを利用して自分の基盤を固めようとしたのだろう。この共産主義者はロシア系 y uday a 人のビジネスマンであるアーマンド・ハマーと面会したことがある。

  ソ連の赤い皇帝は、この y uday a 人青年(23歳)に着目し、彼に会うことにした。たぶん、ハマーを梃子(てこ)にして、アメリカの資本家を導こうとしたのだろう。ハマーによれば、レーニンはアメリカとロシアが助け合うことを強調したそうだ。レーニン曰わく、

   本当に我々が必要としているのは、ロシアの車輪をもう一度回転させるための、アメリカの資本と技術援助なのです。(上掲書、p.118.)

  新経済政策(ネップ)でロシアの経済的潜在能力を引き出したいレーニンは、アメリカ商人へのインセンティブを考えていた。きっと強欲な外国人には「旨い汁」が必要と考えていたのだろう。レーニンは言う。

  歐米の金融業者や貿易商にとって独占的営業権は垂涎の的である。外国で青い鳥を求めるアメリカの富豪連中が、あれやこれやと共産党政府を支援し、金の卵を産む赤い鳥を独占したいと思うのは当然だ。後に、大手石油会社のオキシデンタル・オイル」を所有するハマーも、ソ連との人脈を大切にし、米ソを結ぶ政商として活躍する。


http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/497.html

[番外地8] 中共はマルクス主義ではなく純然たる儒教国家です
上島嘉郎 さんは完全に誤解されていますが、中共はマルクス主義ではなく純然たる儒教国家です。
そもそも毛沢東は資本論なんか読んだ事はないし、最初から自分は中国皇帝だと宣言していました。
自称共産国家は国名に民主主義共和国とか付けて民主主義国みたいに装っているのと同様、実際には民主主義国でも共産主義国でもないのです。

世界で本当の共産社会に近かった国はバブル前の日本だけです。

それは、終戦後、共産主義者・ニューディ−ラーばかりだった GHQ が農地改革したり、意図的にインフレを起こして資産家の財産を取り上げて日本を無階級社会にしたからなのです。

日本共産党や労働組合もGHQが合法化しました。
一方、自称共産国家の中国はそんな事はしていません。

本来の共産主義国には、現在の中国みたいな階級も極端な貧富の差は絶対に存在しません。つまり、 中国共産党員は共産主義者ではなく正統派の儒教者なのです。

そもそもこの現代に左翼なんか存在しません。

日本共産党は典型的な保守反動政党だし、現在の中国・北朝鮮・韓国は古来の儒教思想が現在まで続いている国です。 習近平も毛沢東も昔ながらの中国皇帝ですしね。

グローバリズムは左翼思想だとか、チュチェ思想が共産主義だと言っているアホがいるけど、

・グローバリズムは21世紀型の帝国主義で典型的な資本主義思想

・チュチェ思想は天命を受けて統治している天子をみんなで支えなければいけないという儒教思想

儒教というのは、人間活動の原理に身分差別を置くもので、「序列が下の者は、上の者に従う」という単純明快な原理で、人間社会のすべてを管理しようとする思想です。

 それは儒教の最大教書、「論語」にある「知らしむべからず、依らしめるべし」とともにあって、序列が上の者は、知識や財産を独占して、下の者に分け与えることで権威を維持するというシステム。

儒教社会では、人々に、「生まれながらにして人間には貴賤の超えがたい格差がある」と教えてきた。だから国民は、社会の支配秩序に従う義務があるという理屈を強要するのです。
 だから金王朝が存在し、中国共産党支配体制が存在するのです。

なぜ、中国が、共産党思想宣伝の柱として孔子を持ち出しているのかといえば、それが秩序と権威を絶対視し、人間に序列をつけて、「下の者は上の者に黙って従え」という長幼秩序が共産党支配に非常に都合が良いからである。

 孔子の思想的核心
  「民はこれによらしむべし。これを知らしむべからず。」(泰伯)

 これが儒教朱子学の最大骨子である。儒教が権力宗教と批判される核心論理でもある。
 権力者だけが何でも知っていればいい、民衆には何も教えず、無知のまま置くのが支配に都合が良いという意味であり、まさに愚民政策である。
 中国共産党もまた、民衆に真実は教えない。都合の悪い事実は、すべて隠して、民衆を無知蒙昧に置いてコントロールしようと考えているわけだ。
 中国共産党が孔子を持ち上げて、世界に強要しようとしている本質でもある。

  「女子と小人とは養い難し。」(陽貨)

 孔子は男尊女卑の人だった。生涯、五回ほど妻を得たようだが、すべて、「食事が気に入らない」という理由で、ちゃぶ台をひっくり返して追い出している。
 彼に必要なものは性奴隷であり、妻ではなかったのだ。

 忠・孝・仁・義・礼・智・信・恕・譲・恭・敬・悌

 @主君に忠節を尽くせ
 A長幼序列を守り、親に忠孝を尽くせ
 B人に仁(思いやり)を持て
 C義理を重んぜよ
 D礼が秩序の本質
 E智謀が大切
 F信義、誠実を持て
 G恕は「おのれの欲せざるところ、人に施すなかれ」
 H譲は、しゃしゃり出るな
 I恭は、目上の者に素直に従え
 J敬も、目上の者を尊敬せよ
 K悌は、年長者に従え

 孔子が広く支持されてきた理由は、なかなか意味の深い人生訓がたくさん含まれているところだが、その骨子は、上に示したように、年長者、権力者に都合の良い社会にせよと諭しているものだ。
 孔子の思想体系からいえば、社会のなかで、もっとも価値の高いものが国家権力であり、それは人々の生活や命よりも上だ、ということになる。
 だから国家権力は、大喜びで民衆に広く儒教を宣伝洗脳しようとしてきた。


中共はマルクス主義ではなく純然たる儒教国家


●中共は儒教国。儒教は徳治主義。
●徳治主義は「徳のある」人には「良い結果」が訪れるという理屈。
●もしもお金を騙し取られた場合、騙されたのは「徳が無い」からとなる。

●もしもお金を騙し取り、うまく逃げおうせたら、それは「徳がある」から、お金を手に入れたとなる。

●よって騙されるより、嘘をついて騙す方が得。嘘がバレたらケンチャナヨ(まぁいいか)となる。

●嘘をつくというよりは、嘘のハードルが低い。


徳治主義について

中共は儒教の国です。儒教は徳治主義です。徳治主義というのは「徳のある人が統治者になると国が栄える」というものです。これは統治者に関わらず、国民全体に浸透しています。よって中共ではこの徳治主義が倫理の基礎となっています。

それで庶民にとっての徳治主義をというのは、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったからということになります。逆に悪い結果があれば、その人に徳がない、つまり、悪い人であるか、もしくはバカということになります。
この理屈をよく覚えておいてください。

騙す人と騙される人はどちらが悪いか

さて。
ここで問題です。

Aさんがいます。

このAさんが、騙されてBさんにお金を取られたとします。
このとき、AさんとBさんはどちらが悪いでしょうか?

普通の国ならBさんが悪い

普通の国ならノータイムで悪いのはBさんになります。
Bさんが騙しているからです。

事実と異なることを言って、誤解させてお金をせしめているからです。Bさんが嘘をついているから、Aさんは悪くないということです。

まぁ、場合によっては、「よくそんな嘘に騙されたな」ということもありますが、ほとんどの法治国家ではAさんに非は無く、Bさんの犯罪ということになります。


儒教の徳治主義に照らすとAさんが悪い

でも儒教ではそう簡単にはいきません。

「悪い結果があったのは、その人に徳がないから」

という原則があるからです。

この原則に照らすと、Aさんが悪くなります。
お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのはAさんに徳が無いからです。


騙す人の論理

ではBさんの側で考えてみましょう。

Bさんは普通の国では問答無用で「悪い」のですが、儒教では「嘘をついた時点で悪」というわけではありません。

儒教では警察に捕まるなどしないと、「悪い結果」と受け取られません。

もしも、うまく逃げおうせたら、単に「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけとなり、なぜBさんがお金を手に入れることが出来たのかというと、それはBさんに徳があるからということになります。つまりBさんはうまくやった立派な人であり、徳のある正しい人となります。


無論、中韓以外の国では警察に捕まろうと捕まらなくとも嘘をついた時点で「悪人」なのですが、儒教ではこういった結論と成ります。バレなければOK。バレたらケンチャナヨ精神です。

参考:儒教には神がいない。だから嘘に罪悪感を抱かない。
https://nihonsinwa.com/page/881.html
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/498.html

[番外地8] ロシア革命は y uday a 革命だという妄想を誰が広めたのか? 中川隆
1. 中川隆[-10811] koaQ7Jey 2020年10月17日 17:12:17 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[11]
林千勝さんの学説(?)はすべて嘘八百のデタラメですね:
ロシア革命は y uday a 革命だという妄想を誰が広めたのか?
ロシア革命の指導者の多くは y uday a 人であり、革命を資金支援したのも米英の y uday a 系金融機関だった。しかしロシアの y uday a 人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持する y uday a 人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、 y uday a 人陰謀説を否定している。

一般の歴史家は y uday a 人富豪が資金提供をした理由として、「ロシアで迫害を受ける同胞を助けるため」としているが、本当は y uday a 人がロシアを支配し、そこから米国の同胞が巨額の利益を得るためだろう。かつてデイヴィッド・ロックフェラーが喝破した通り、財閥系ビジネスマンや国際資本家にとって「競争は悪で、独占は善」である。

例えば、石油業界に10社ないし20社が参入し、薄利多売の競争をすれば各社の利益は思ったように伸びず、ヘタをすれば「共食い状態」となってしまうだろう。消費者が「得」をするなんて我慢できない。それよりも、「スタンダード・オイル社」が競争相手を叩き潰し、1社で市場を独占すれば巨万の富が手に入る。油田のある原産国と流通経路、それに加えて消費地域を支配すれば、価格設定は思いのままで、他の石油会社を探せない一般人は独占価格に従うしかない。これは穀物市場やレア・メタルの業界でも同じ。歐米の石油メジャーが中東アジアとロシアを牛耳れば、日本は手も脚も出ず、官民揃って土下座となり、「売って下さい !」と頼むしかない。

  グローバリストの冒険商人は独裁国が大好きだ。なぜなら、交渉の窓口が1つであり、独裁者とだけ合意に達すれば、後で厄介な問題は持ち上がらないからである。もし、ロスチャイルド家やロックフェラー家の番頭がロシアの石油や鉱物に目をつけ、独占的に採掘しようと考えれば、レーニンやスターリンとサシで話をつければいい。独裁者にとっては金銭と権力の維持が最優先なので、莫大な利益が転がってくるなれば食指が動く。一旦交渉が纏まれば、後はシメたもの。採掘による環境破壊なんて心配ないし、労働組合のストライキも無いから、歐米の資本家はやりたい放題だ。民衆政で選ばれた大統領でも、暴君の如き書記長でも、所詮「金に弱い俗人」だから、 y uday a 人ビジネスマンは「札束ビンタ」で相手を支配できる。ところが、世襲の義務に忠実な王侯貴族だと、この「札束ビンタ」が効かないことがあり、逆に猜疑心を招いてしまう。場合によったら、追い出される虞(おそれ)もあるのだ。ニコライ2世のような専制君主は狡猾で用心深いから、「旨い話」で近づいてくる y uday a 人を警戒し、彼らの魂胆を即座に見抜く。そもそも、皇帝や国王は成金の外人が自国にやって来て、先祖伝来の領土を好き勝手に荒らすことを好まない。国家と自分が一体となっているので、売国は売春と同じことになってしまうのだ。

  ウォール街の野心家を知っているレーニンは、革命に資金を流す y uday a 人の狙いを解っていた。だから、レーニンはその強欲さを利用して自分の基盤を固めようとしたのだろう。この共産主義者はロシア系 y uday a 人のビジネスマンであるアーマンド・ハマーと面会したことがある。

  ソ連の赤い皇帝は、この y uday a 人青年(23歳)に着目し、彼に会うことにした。たぶん、ハマーを梃子(てこ)にして、アメリカの資本家を導こうとしたのだろう。ハマーによれば、レーニンはアメリカとロシアが助け合うことを強調したそうだ。レーニン曰わく、

   本当に我々が必要としているのは、ロシアの車輪をもう一度回転させるための、アメリカの資本と技術援助なのです。(上掲書、p.118.)

  新経済政策(ネップ)でロシアの経済的潜在能力を引き出したいレーニンは、アメリカ商人へのインセンティブを考えていた。きっと強欲な外国人には「旨い汁」が必要と考えていたのだろう。レーニンは言う。

  歐米の金融業者や貿易商にとって独占的営業権は垂涎の的である。外国で青い鳥を求めるアメリカの富豪連中が、あれやこれやと共産党政府を支援し、金の卵を産む赤い鳥を独占したいと思うのは当然だ。後に、大手石油会社のオキシデンタル・オイル」を所有するハマーも、ソ連との人脈を大切にし、米ソを結ぶ政商として活躍する。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/497.html#c1

[番外地8] 一カ所でも間違っていたらすべて間違いだというのはアホ右翼の論理だろ
一カ所でも間違っていたらすべて間違いだというのはアホ右翼の論理だろ。
本多勝一さんが写真1枚誤用しただけで、本多勝一のルポすべてが嘘だとか、
慰安婦が大昔の事を記憶違いしていただけで、慰安婦の話はすべて捏造だとか、

右翼は今迄ずっとそういう手口で南京大虐殺や慰安婦強制連行を否定してきただろ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/499.html

[近代史3] ソフトバンク 孫正義は日本人の敵 中川隆
26. 中川隆[-10810] koaQ7Jey 2020年10月17日 17:44:00 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[13]

2020年10月17日
ソフトバンクファンド、資金難で第2弾立ち上げ出来ず

常勝将軍を演じたい孫氏

画像引用:https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2009/15/news038.html 強まる“投資会社”色 見えにくいソフトバンクグループの成長戦略 - ITmedia NEWS


新たに少額ファンドを立ち上げる理由

ソフトバンクの孫社長が鳴り物入りで始めた10兆円ファンドは、今のところ利益が上がっていないようです。

孫社長は株主説明会で「大儲けしている」と説明したが、それは含み益の話でした。

投資をやった事がある人は誰でも知っている通り、含み益には何の価値もありません。

現金を手にして初めて勝利と言えるのであり、紙に書いた文字は紙切れでしかない。

ソフトバンク第1弾ファンドの成績は公開されていないが、出資した投資者は知っている筈です。

孫社長は「10兆円なんかすぐ使い切る」「次は100兆円ファンドだ」と第2弾ファンド立ち上げを予告した。


だが今に至るまでソフトバンク以外から出資の申し込みは無く、コロナ騒動で事実上凍結状態になっている。

ソフバンクGのビジョン・ファンドは2020年10月中にも、特別買収目的会社(SPAC)の設立計画を公表すると発表しました。

2020年に多くのSPACが米株式市場で400億ドル(約4兆2100億円)を調達したが、10兆円や100兆円といった話ではない。

10兆円ファンド失敗を認めたくない孫正義

ソフトバンクのSPACは新規株式公開(IPO)で資金を集め、非公開企業に投資して利益を得る。

SPACにはソフトバンク自身も投資するが、今さらこんな小規模事業を立ち上げる意味は分からない。

ただ第一弾ファンドは出資した投資家を満足させることが出来ず、第2弾ファンドへの出資者はゼロに留まっている。


つまりソフトバンクファンドは新たな投資が無く資金難に陥っており、自らの資産を売却したりして凌いでいる。

2020年にソフトバンクは4.5兆円の資産売却を行い、タコの足切りのように保有企業を売却した。

Tモバイル、アーム、アリババ株の一部を売却し、表面上は利益を得ている。


孫社長は「負けた」と言えない性格で、いつでもどんな時でも「俺は勝った」と言わないと気が済まない。

要するに含み利益が出ているものだけを売却し、損失が出たものを非公開とすれば、孫氏の常勝伝説は守られる。

事実はソフトバンクの第一弾失敗によって第二弾の出資者が集まらず、やむを得ない代替手段としてSPACという小さなビジネスを始める。


孫社長は「失敗しました」と言いたくないがために、損失は隠してカッコいい発表だけを続けるでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/84154285.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/549.html#c26

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
4. 中川隆[-10809] koaQ7Jey 2020年10月17日 18:30:31 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[14]
Ring: The Final Chapter 5話




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c4
[リバイバル3] タンノイで まともな音が出るのはモニターシルバーを入れた小型システムだけ 中川隆
34. 中川隆[-10808] koaQ7Jey 2020年10月17日 19:25:42 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[15]
2020年 10月 17日
オーケストラを部屋に持ち込む
https://tannoy.exblog.jp/31773802/


生のオーケストラを部屋に持ち込む、そんな大それた事を思いだしたのはいつ頃からのことでしょう。小学生の頃から工作は好きで、戦前からの古い真空管でラジオを作っていました。中学生になりたてのころ、担任の先生が16mmフィルムの映写機で「青少年の為の管弦楽入門」という映画を見せてくれました。それは新鮮で驚きに満ちた体験でした。その映画でオーケストラに興味を持った私が幸運だったのは、荻窪の杉並公会堂で、渡邉暁雄さんの指揮で日本フィルの演奏会がテレビ収録されていたのです。それに何度か潜り込みました。それが生のオーケストラとの出会いでした。今思えば幸運でしたね。自分たちの街にオーケストラがあったのですから。

そうした経験が積み重なり、73年からの4回に渡る文化会館でのムラヴィンスキー体験、78年のムジークフェラインにはじまり、80年代から90年代の初めにかけて世界中の名高いホールを訪れるようになりました。中でも、ムジークフェラインとコンセルトヘボウは格別のホールトーンがしていたのです。ウィーンの音は聞き慣れたDECCA・Londonの明快な音とは違い、美しい生の楽器の柔らかな音が混然としてハーモニーを作っていましたし、アムステルダムのコンセルトヘボウ(コンサートホール)で聞いた響きは、まさしくPHILIPSのレコードと同じ音がしておどろきました。

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31773802&i=202010%2F17%2F99%2Ff0108399_06381597.jpg


このコンセルトヘボウでの体験中に、後ろの席の音なら、ひょっとしたら自分の部屋の中で、この音そのものを、再現できるかもしれないと感じたのです。そう思ったきっかけは、SD05で鳴らしたGRFから聞こえてきたあのホールの響きだったのです。ブラームスのセレナーデ、マーラーの第四番など、一連のPHILIPS録音のアナログレコードとデジタル録音の初期盤のCDでした。初期盤と断るのは、再発盤や同じ盤でも後年の発売の盤は、細部の柔らかさ、繊細さ、そして安定性が無くなっていくからです。

SD05は、無帰還アンプです。NFBが掛かっていると、SP自身がマイクになって拾った部屋の音を、アンプの入り口までフィードバックして、その部屋の特性が強調されてしまいます。今でも、戦前からの無帰還アンプが愛用されている理由の一つです。SD05は、アンプ内でアナログ信号を扱いません。通常、電圧増幅段を通る間に、左右の音がクロストーク(交差)して起きる、左右の音の混合がないのです。

左右のクロストークがない音とは、右と左にセパレートする音ではありません。今まで薄かった中央部の音が充実して聞こえてくるのです。モノラル的と言っても良いほどです。左右にセパレーションがいい音がクロストークが少ないと思っていた観念をSD05が正してくれたのです。クロストークがなくなった音は、センタースピーカーがないと中央から音が聞こえないと思っているマルチチャンネルのイメージを払拭してくれました。いままでクロストークで音が打ち消されていた中央の音場に、木管楽器が浮かび上がり、ヴィオラやチェロの旋律の低音楽器のパートが聞こえ始めて、一気にオーケストラの音が出てきたのです。

その時ならしていたGRFのタンノイ・モニターゴールドは、1950年代に設計され60年代に作られた、同軸型のスピーカーで、低音はバックロードホーンで、高音のホーンとバランスが取られ、同軸状に展開した二つのスピーカーは、極めて聴き心地のよい音がしてきました。コーナーに置かれて、ぴったりと45度づつ内向きに置かれて、前方で90度に交差された音像は、立体的な音像を再現したのです。それは、今までのアンプでは聞いたことのない音場でした。その時聴いたコンセルトヘボウの音場の経験が、10年後のTroubadour とTW3で花が咲くのです。

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31773802&i=202010%2F17%2F99%2Ff0108399_06400372.jpg


SD05でならしたGRFは、それまでのタンノイのイメージを一新する物でした。

これがGRFの音?
https://tannoy.exblog.jp/2878185/


その驚きは私だけでは無く、石田さんご自身もタンノイの音を見直すぐらいでした。しっかりとバックロードがかかり、ブーミーな低音はすっかりと消えたGRFは、タンノイのアルニコスピーカーが本来持っていた、バランスの取れた音でなり始めたのです。同じタンノイでも、フロントホーンとバックロードを組み合わせた「オートグラフ」では、低音が膨らみ、中音もフロントホーンで膨らんだので、フロントホーンのないGRFのような音場は出せませんでした。

GRFを幅二間半の間隔でコーナーに置くと、充分に広い音場が現れます。壁から二間近く離れたところで、交差した音場は、大きな直角三角形を構成して、立体的に部屋に飛び出してくるのです。交差法の名前の由来ですね。音場は、前に飛び出してくるばかりでは無く、SPの後方にも奥深く展開します。GRFは左右と高さの二次元では無く、前後も再現する三次元の音、正確には三次元の音を再現していました。左右からぴったりと合い、低音のかぶりも無く再現されると、そこにステレオ本来の立体音像が再生されていたのです。

コンセルトヘボウで聴いてきた音の半分ぐらいは出現したと思える瞬間でした。その時点でGRFを使い始めてから30年を迎えていました。大事に使ってくれば、この様な展開にもなると驚いていました。ステレオ再生は、しっかりとした低域に支えられ、高域の焦点が合ってくると、そこに広大な演奏会場が浮かび上がってきて、我が家がコンセルトヘボウになれるという確信を得たのです。その頃、SD05を通じて知り合った横浜のMさんご夫妻がお見えになって、奥様から褒めていただいたのは嬉しかったです。

https://tannoy.exblog.jp/31773802/
 
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1085.html#c34

[リバイバル3] ウェスタンエレクトリック伝説 中川隆
199. 中川隆[-10807] koaQ7Jey 2020年10月17日 20:33:33 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[17]
晴耕雨聴 2020年10月17日
WE13aシステムにもアイソレーショントランスを使用する事にしました
https://91683924.at.webry.info/202010/article_6.html


 (ラックの右側に設置したのがアイソレーショントランスです。医療用に作られた物です)
https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/000/160292857306724749933-thumbnail2.jpg.html


 (フィリップスの銘が入っていますが日本光電製です。WE124A、124J、それらのバッファーアンプの電源を取っています)
https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/000/160292857696148302302-thumbnail2.jpg.html


 少し前にロンドンWEシステムにアイソレーショントランスを使用して、エアコンやシーリングファン由来のノイズが消え、音が澄んできたことを書きました。
 アイソレーショントランスにはノイズを消す以上の効果がある事が判りましたので、WE13aシステムにも使ってみる事にしました。

 入手したトランスは、写真の様にフィリップスのロゴが入っていますが…
https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/000/160207069482715720915-thumbnail2.jpg.html


 実は先日手に入れた日本光電のアイソレーショントランスと同じ物です。実は出品された方も同じ方で、中身のトランスも外装も日本光電製で、銘だけが違うと明示されていました。
 同じトランスですから安心ですね。昔、日本光電とフィリップスは業務提携していたのかもしれません。医療機械メーカーでは良くある事です。

 この際、ラックの位置も少し変えました。
 今までは4550箱の間に3台のラックが並んでいて、ラックの裏に回って配線替えをするときは、右側の4550を前に出し、次にラックを前に引き出して配線替えをしていました。
 実は、古いアンプなので仕方が無いのですが、左側の415ウーハーをドライブするWE124Jアンプに何度か接触不良が起きて、このところ頻回にラックの裏に回る羽目になりました。そのたびに4550から動かして…は大変です。
 スピーカーを動かさずにラックの裏に回れるようにセットしてみました。

 WE124A、WE124Jを入れたラックが前に来て、見た目が五月蠅いかなと思いましたが、そうでもないですね。
 この機会に415、WE555、K597の励磁電源とK597用のパワーアンプ(是枝Lab.1619p.p.)の電源はタスカムのパワーディストリビューターから取る事にしました。

 こちらは音が変わるか否かは不明ですが、配線がスッキリしましたね。

 セッティングを済ませてSACDでベームのバイロイトライブの「さまよえるオランダ人」、LPでロリンズの「アルフィー」を聴いてみましたが、ロンドンWEの時と同じ様に音が澄んできましたね。
 アイソレーショントランスは効果がありますな。赤穂のような田舎でも効くのですから、都会(電源に外来ノイズ乗りやすい)でオーディオをしている人にはもっと効果があるのでは。

 さて日本光電とフィリップスのアイソレーショントランス二台で、お国から「頑張った医療関係者に給付されたコロナ慰労金20諭吉」は使い切りました。
 ウヘヘ、経済を回さないとねw

https://91683924.at.webry.info/202010/article_6.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c199

[近代史4] 電源・電源ケーブルの世界 中川隆
6. 中川隆[-10806] koaQ7Jey 2020年10月17日 20:34:34 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[18]
晴耕雨聴 2020年10月17日
WE13aシステムにもアイソレーショントランスを使用する事にしました
https://91683924.at.webry.info/202010/article_6.html


 (ラックの右側に設置したのがアイソレーショントランスです。医療用に作られた物です)
https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/000/160292857306724749933-thumbnail2.jpg.html


 (フィリップスの銘が入っていますが日本光電製です。WE124A、124J、それらのバッファーアンプの電源を取っています)
https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/000/160292857696148302302-thumbnail2.jpg.html


 少し前にロンドンWEシステムにアイソレーショントランスを使用して、エアコンやシーリングファン由来のノイズが消え、音が澄んできたことを書きました。
 アイソレーショントランスにはノイズを消す以上の効果がある事が判りましたので、WE13aシステムにも使ってみる事にしました。

 入手したトランスは、写真の様にフィリップスのロゴが入っていますが…
https://91683924.at.webry.info/upload/detail/013/416/33/N000/000/000/160207069482715720915-thumbnail2.jpg.html


 実は先日手に入れた日本光電のアイソレーショントランスと同じ物です。実は出品された方も同じ方で、中身のトランスも外装も日本光電製で、銘だけが違うと明示されていました。
 同じトランスですから安心ですね。昔、日本光電とフィリップスは業務提携していたのかもしれません。医療機械メーカーでは良くある事です。

 この際、ラックの位置も少し変えました。
 今までは4550箱の間に3台のラックが並んでいて、ラックの裏に回って配線替えをするときは、右側の4550を前に出し、次にラックを前に引き出して配線替えをしていました。
 実は、古いアンプなので仕方が無いのですが、左側の415ウーハーをドライブするWE124Jアンプに何度か接触不良が起きて、このところ頻回にラックの裏に回る羽目になりました。そのたびに4550から動かして…は大変です。
 スピーカーを動かさずにラックの裏に回れるようにセットしてみました。

 WE124A、WE124Jを入れたラックが前に来て、見た目が五月蠅いかなと思いましたが、そうでもないですね。
 この機会に415、WE555、K597の励磁電源とK597用のパワーアンプ(是枝Lab.1619p.p.)の電源はタスカムのパワーディストリビューターから取る事にしました。

 こちらは音が変わるか否かは不明ですが、配線がスッキリしましたね。

 セッティングを済ませてSACDでベームのバイロイトライブの「さまよえるオランダ人」、LPでロリンズの「アルフィー」を聴いてみましたが、ロンドンWEの時と同じ様に音が澄んできましたね。
 アイソレーショントランスは効果がありますな。赤穂のような田舎でも効くのですから、都会(電源に外来ノイズ乗りやすい)でオーディオをしている人にはもっと効果があるのでは。

 さて日本光電とフィリップスのアイソレーショントランス二台で、お国から「頑張った医療関係者に給付されたコロナ慰労金20諭吉」は使い切りました。
 ウヘヘ、経済を回さないとねw

https://91683924.at.webry.info/202010/article_6.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/121.html#c6

[番外地8] ハイパーインフレーションの種々の定義
また見当外れの事言ってる(呆れ)
ハイパーインフレーションの種々の定義
アメリカ合衆国の経済学者、フィリップ・ケーガン(英語版)は、ハイパーインフレーションは「インフレーション率が毎月50%を超えること」と定義している。毎月のインフレ率50%が継続すると、一年後には物価が129.75倍に上昇することになる。すなわち、インフレ率12875%である。

一方で、国際会計基準の定めでは「3年間で累積100%以上の物価上昇」をハイパーインフレの定義としている。

要するに、戦争で供給能力がゼロになった場合を想定したハイパーインフレーションと、通常時に単に供給が減った場合のハイパーインフレーションの定義は違うんだよ。
三橋さんみたいに今の日本でインフレ率12875%以上をハイパーインフレーションと定義するのが逝かれているんだ。

今の日本では日本製の日曜品や食べ物を買えなくなって、中国から年収10万円の農民が使っている日曜品や食べ物を輸入しているんだから、普通の用語法ではハイパーインフレーションなんだよ。

三橋さんは消費者物価の事を誤解しているんだ。
旧来の消費者物価の計算では買うものの価値は考慮していないんだよ

100円ショップで売っている傘はすぐに壊れるけど、既に淘汰されて手に入らなくなった日本製の傘と同じ傘としてカウントされている。
野菜の値段が昔と同じだとしても、今買える野菜は水銀・鉛入り、農薬まみれの中国産だけだ。
中国の年収10万円の農民とおなじ物を食べさせられているんだ。

海外から安物の粗悪品が沢山入ってきて日本製の高品質のものと入れ替わったから、旧来の消費者物価の計算法が見当外れになっているんだよ。
昔と値段が同じでも買っているものの価値が下がっているんだ

中国からの安物粗悪品を使えない分野ではハイパーインフレになっているよ:
マイホームとマイカーと子供2人を維持するには20年間で1億円かかる

日本では昭和期にはちょっとした会社に就職すれば(もちろん正社員)、車や一戸建ての家を購入できました。

それが今新車と新築の家を持ち、結婚して子供2人を大学まで入れるには20年間で1億円が必要です。
内訳は高級車が年100万、新築住宅が4000万円、子供を1人大学まで入れるのに2000万円です。
これだけで最低年収手取り500万円が必要で、生活費も必要なので手取り700万円が必要になります。
サザエさん的な生活をするには年収税込み900万円は必要だが、これは一部上場の勝ち組社員の年収です。

要するにバブル崩壊以降は労働者が搾取されているから子供を作れなくなったんですね。
どうやって搾取しているかというと、国債の利子でマネーストックを増やして貨幣価値を下げるという手口です。貨幣価値が下がっても中国から安物製品が大量に入ってくればインフレだというのが認識できなくなる。

それで物価が上がっていないという事にされ賃金も30年間上げない。しかし実質賃金だけは上がって子供を大学に行かせる金が労働者には出せなくなっている。
これが少子化とデフレの原因です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/500.html

[近代史4] ハイパーインフレとは
ハイパーインフレとは


ビットコインが円の代わりにならないたった1つの理由(三橋貴明)
2020/10/17




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1116.html

[近代史4] お金とは何か? 三橋貴明氏に教わる 中川隆
3. 中川隆[-10805] koaQ7Jey 2020年10月17日 21:00:28 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[19]


ビットコインが円の代わりにならないたった1つの理由(三橋貴明)
2020/10/17





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1002.html#c3
[番外地8] 金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰

ドル自体が紙屑化している、ドル-円は超円安なので円は更に紙屑化が進んでいるんだよ:

金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰
2020年10月14日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801

新型コロナウィルスへの対応のために日本やアメリカの政府は現金給付を行なっているが、金融の専門家たちはこの対応が物価の高騰を生むのではないかと心配している。

アメリカの実体経済にその気配が現れたことは先日記事にした通りである。

米国経済、個人消費が鈍化、インフレは止まらず
しかし実体経済を先読みすることの多い金融市場では状況は更に進んでいる。今回の記事では世界の金融市場がインフレをどう考えているのかを見てゆきたい。

新型コロナで企業利益が落ち込んでいるにもかかわらず、株式市場は息を吹き返した。以下は米国株のチャートである。


その原因は中央銀行による金融緩和と政府による現金給付にある。しかしGDPが5%も落ち込むと推計されている大不況を紙幣印刷で無理矢理支えるために金融市場に膨大な資金を流し込めば、噴き上がるのは株式だけではないはずである。

コモディティ市場の高騰

まず上がったのはゴールドである。株式はようやくコロナ前の水準まで戻ったが、金相場はコロナ前の水準を大きく超えて上昇している。


金の値段が上がったために歯科治療に大きな支障が出ている。しかしここまではまだ良いだろう。金は実用されるケースが少なく、ほとんどは投資用として保有されるだけで、歯科治療など一部の例外を除けば社会の大半には影響を与えることはないと言える。

しかし仮に5%もの景気後退(リーマン・ショック時でさえその半分程度だった)を紙幣印刷で無理矢理支えられてしまうとすれば、その資金は株式と金を噴き上がらせるだけに留まることがない。

他のコモディティも上昇開始

原油価格も回復した。金ほどの噴き上がりではないが、いまだ飛行機もほとんど飛んでいない中でここまで回復したことが奇跡と言える。


しかしこれはまだ序章である。次は銅価格のチャートである。


ここまで来ると実体経済に影響を与え始める。銅は電線や建設資材に使われるからである。ホテル業などがまだ低迷しているため不動産市況は悪化しているが、建設費用が高くなることになる。他の金属も上がっており、建設業と住宅購入者はますます厳しくなるだろう。

更に日常生活に身近なコモディティを挙げてみよう。砂糖である。


次はコーンである。


次は大豆である。


ここまで来れば投資家ではない素人でも危機感を覚えるのではないか。米国政府と日本政府による現金給付が日用品の価格を上げ始めている。株式市場のバブルが金相場だけにとどまらず、普段人々が使うような品物の価格までも上げ始めているということである。

結論

最大の問題はバブルが日用品に波及してインフレになっても人々は困窮し、バブルが崩壊して株式と日用品の価格が暴落しても人々は困窮するということである。行くも地獄、帰るも地獄ということになる。

世界最大のヘッジファンド: 政府が金融危機から守ってくれると思うな
ざっくりとした言い方になるが、2021年はかなり酷い年になるのではないか。投資家の読者のみならず、投資をしていない読者にも警戒することをお勧めしたいものである。浪費は禁物ということだろう。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/501.html

[番外地8] 金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰 中川隆
1. 中川隆[-10804] koaQ7Jey 2020年10月17日 21:25:53 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[20]
​ @ゆーま
ドル自体が紙屑化している、ドル-円は超円安なので円は更に紙屑化が進んでいるんだよ:

金融市場にインフレの兆し: 金、原油、穀物価格が高騰
2020年10月14日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11801

新型コロナウィルスへの対応のために日本やアメリカの政府は現金給付を行なっているが、金融の専門家たちはこの対応が物価の高騰を生むのではないかと心配している。

アメリカの実体経済にその気配が現れたことは先日記事にした通りである。

米国経済、個人消費が鈍化、インフレは止まらず
しかし実体経済を先読みすることの多い金融市場では状況は更に進んでいる。今回の記事では世界の金融市場がインフレをどう考えているのかを見てゆきたい。

新型コロナで企業利益が落ち込んでいるにもかかわらず、株式市場は息を吹き返した。以下は米国株のチャートである。


その原因は中央銀行による金融緩和と政府による現金給付にある。しかしGDPが5%も落ち込むと推計されている大不況を紙幣印刷で無理矢理支えるために金融市場に膨大な資金を流し込めば、噴き上がるのは株式だけではないはずである。

コモディティ市場の高騰

まず上がったのはゴールドである。株式はようやくコロナ前の水準まで戻ったが、金相場はコロナ前の水準を大きく超えて上昇している。


金の値段が上がったために歯科治療に大きな支障が出ている。しかしここまではまだ良いだろう。金は実用されるケースが少なく、ほとんどは投資用として保有されるだけで、歯科治療など一部の例外を除けば社会の大半には影響を与えることはないと言える。

しかし仮に5%もの景気後退(リーマン・ショック時でさえその半分程度だった)を紙幣印刷で無理矢理支えられてしまうとすれば、その資金は株式と金を噴き上がらせるだけに留まることがない。

他のコモディティも上昇開始

原油価格も回復した。金ほどの噴き上がりではないが、いまだ飛行機もほとんど飛んでいない中でここまで回復したことが奇跡と言える。


しかしこれはまだ序章である。次は銅価格のチャートである。


ここまで来ると実体経済に影響を与え始める。銅は電線や建設資材に使われるからである。ホテル業などがまだ低迷しているため不動産市況は悪化しているが、建設費用が高くなることになる。他の金属も上がっており、建設業と住宅購入者はますます厳しくなるだろう。

更に日常生活に身近なコモディティを挙げてみよう。砂糖である。


次はコーンである。


次は大豆である。


ここまで来れば投資家ではない素人でも危機感を覚えるのではないか。米国政府と日本政府による現金給付が日用品の価格を上げ始めている。株式市場のバブルが金相場だけにとどまらず、普段人々が使うような品物の価格までも上げ始めているということである。

結論

最大の問題はバブルが日用品に波及してインフレになっても人々は困窮し、バブルが崩壊して株式と日用品の価格が暴落しても人々は困窮するということである。行くも地獄、帰るも地獄ということになる。
ざっくりとした言い方になるが、2021年はかなり酷い年になるのではないか。投資家の読者のみならず、投資をしていない読者にも警戒することをお勧めしたいものである。浪費は禁物ということだろう。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/501.html#c1

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
5. 中川隆[-10803] koaQ7Jey 2020年10月17日 22:16:03 : 7wy0AmJgxc : alByS1ZDbVFJS3M=[21]
Ring: The Final Chapter 6話



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c5
[番外地8] (PartD)生産性を向上させる理由 資本主義経済ならではの搾取の仕組みをマルクスを基に解説! 白井聡の「武器としての「資本論」」
賃金は基本的には生活できる必要最小限の金額になります。更に安く働く人が出て来たら、その人の方を雇うので、これ以上下げると生きていけないという価格まで下がります:

【PartD】生産性を向上させる理由 資本主義経済ならではの搾取の仕組みをマルクスを基に解説! 白井聡の「武器としての「資本論」」
動画
https://www.youtube.com/watch?v=V-hoVI_qfB4&feature=emb_title

資本主義経済ならではの搾取の仕組みをマルクスを基に解説! 


本日取り上げるのは、
白井聡さんの「武器としての「資本論」」という本で、
カール・マルクスの資本論の概念を紹介した本になります!

内容としてはまず労働力の価値は
どのようにして決定されるかを解説します!
つまりサラリーマンの年収はどのようにして
決定されるのかということです!

そして今日のようにIT技術が明らかに進歩して
生産性が向上しているのにもかかわらず、
200年前の江戸時代と同様に1日に
8時間も労働をしなくてはいけないのかを
絶対的剰余価値と相対的剰余価値、特別剰余価値という
3つのマルクスが定義した
概念を用いて解説をしていきたいと思います!

この概念を理解することで、
・なぜ東京の最低賃金は1013円なのか
・なぜ労働者はなぜ長時間労働をしなくてはならいのか
・なぜイノベーションによる機械化は労働時間の削減にならないのか

といった理由を理解することができるので、
過労死ラインまで働くことがいかにばかげているかがわかります!

<動画の流れ>
@労働力の価値はどのようにして決まるのか
A絶対的剰余価値と相対的剰余価値
B生産性を向上させる理由
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/502.html

[番外地8] 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
ゴールド価格でも穀物価格でもビックマック価格でもすべて毎年毎年上がっています。
日本円だけでなく世界中の貨幣価値がすべて毎年毎年下がっています:

世界最大のヘッジファンド: ドルが下落したらアメリカは終わり
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11762

紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/503.html

[番外地8] 今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば生活に必要な物がすべて作れる時代です。
今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば生活に必要な物がすべて作れる時代です。
言い換えると、日本人の 3/4はやるべき仕事が無いんですね。
それでみんな、風俗とかパチンコとかヤクザとかラーメン屋とか喫茶店とかやってもやらなくてもいい仕事をしているのです。
公共事業をやれば日本人の 3/4のやる仕事ができる訳ではないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/504.html
[番外地8] 今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば生活に必要な物がすべて作れる時代です。 中川隆
1. 中川隆[-10802] koaQ7Jey 2020年10月18日 00:57:42 : 2ei4y87Suq : RVlGVWNpWHN6d0U=[1]
今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば生活に必要な物がすべて作れる時代です。
言い換えると、日本人の 3/4はやるべき仕事が無いんですね。
それでみんな、風俗とかパチンコとかヤクザとかラーメン屋、喫茶店、スナック、コンビニ、ガソリンスタンド、薬局、歯医者とか、やってもやらなくてもいいサービス業をしているのです。
公共事業をやれば日本人の 3/4のやる仕事ができる訳ではないですね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/504.html#c1
[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
6. 中川隆[-10801] koaQ7Jey 2020年10月18日 01:53:55 : 2ei4y87Suq : RVlGVWNpWHN6d0U=[2]
Ring: The Final Chapter 7話



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c6
[近代史4] 日本の財政赤字は先進国最小
日本の財政赤字は先進国最小


2020年10月18日
世界の公的債務GDP比が100%、日本の公的債務は世界平均より少ない

財務省はIMFに職員を送り込み、IMFを騙って「日本は増税しなさい」と言い続けている。
「日本の財政赤字」など実際には存在しません


公的債務のGDP比は低成長率で起きる

国際通貨基金(IMF)は10月、2020年はコロナ対策などによって世界の公的債務がGDPの100%に達するという報告を発表しました。

2020年春ごろから全世界でコロナウイルスが流行し、外出や飲食店の営業規制などが行われた。

人々は外出や消費できなくなり、それどころか一部の都市では労働や散歩すら禁止されました。

コロナが拡大した国では景気が急速に悪化し失業者が増加したので、各国政府は補助金や支援金を急場しのぎに配りました。

それだけでは足りないので政府系金融機関は大規模な緊急融資を実施し、打撃を受けた業界には救済策を講じました。

こうした政府の経済対策は急速に財政を悪化させ、例えば日本政府は57兆円もの緊急補正予算を組んだ。


当初105兆円だった日本の2020年予算は2度の補正予算で160兆円に膨れ上がったが、GDPはマイナス5%ほどが予想されている。

政府がこれほどの支出をすれば大幅なプラス成長になる筈ですが、コロナによる経済縮小で差し引きマイナスとなります。


世界各国の事情も同様で、欧米では日本の何倍もコロナが流行し、経済対策を実施しても成長率は大幅マイナスが予想されている。


公的債務が増えてGDPはマイナスなので、「公的債務のGDP比率」が急速に悪化しました。

だがIMFは来年以降成長率が回復すればGDP比率は低下するとしている。

そしてこの事はIMFが長年つき続けてきた嘘を、自ら暴露することとなった。

嘘の発表を繰り返したIMF

各国はコロナ対策に迫られて支出を急増させ公的債務を増やしたが、IMFは「成長率が回復すれば元に戻る」と言うのです。

IMFが日本に対して長年、「公的債務GDP比が上昇したから増税しなさい」と言ってきたのとはまるで違う。

日本に対してだけ「増税しなさい」と言い、日本以外の国には「放置すれば治る」と言っています。


IMFは最近「日本は世界最悪の公的債務」と言わなくなっているが、もう恥ずかしくて口にできないのでしょう。

公的債務の計算方法は各国で異なり、日本は世界最悪になるように民間債務を公的債務に含めています。

例えば旧道路公団などの民間道路企業、特殊法人という民間営利組織、公的年金や公的保険も外国では民間団体にしています。


年金が100兆円赤字だったとしても、民間団体にしておけば民間債務であり政府となんの関係もないという訳です。

道路や年金や保険や福祉を公的債務から外して「健全財政だ」と大威張りしているのがドイツやアメリカなどです。

ドイツとアメリカは合衆制や連邦制で、例えばアメリカの「公的債務」はアメリカ合衆国発行国債だけを指している


ドイツも公的債務を民間に付け替え、国の債務を地方に付け替えてウヤムヤにする手口で負債を隠しています。

日本だって日本国発行長期国債だけを公的債務とすれば、GDP比100以下で完璧な健全財政です。

そんな事は誰でも知っているのだが、IMFは「日本の借金だけが多い」と言っています。


この理由は実はIMFの日本担当が財務省職員だからで、IMFには人材も居ないし調査能力もありません。

アメリカの分はアメリカ政府の職員が、ドイツや中国の公的債務は各国の政府職員が出向して担当しています。

要するに自分のテストの点数を自分でつけるようなもので、米中などは甘く採点し、日本の財務省だけが「世界最悪!」と喚いていたのです。


財務省が「日本の財政赤字は世界最悪」と言いたい理由は増税する為で、税金によって政府を支配し自分が権力を握るためです。

「世界最悪の財政赤字だ」と言い続ける限り財務官僚は総理大臣や天皇より地位が上になります。

もし「日本の財政赤字は先進国最小」という真実がバレたら、誰も財務官僚なんか相手にしなくなってしまいます。
http://www.thutmosev.com/archives/84158801.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1117.html

[近代史4] 日本の借金は欧米の計算ではGDP比90% 中川隆
3. 中川隆[-10800] koaQ7Jey 2020年10月18日 08:58:19 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[1]

2020年10月18日
世界の公的債務GDP比が100%、日本の公的債務は世界平均より少ない

財務省はIMFに職員を送り込み、IMFを騙って「日本は増税しなさい」と言い続けている。
「日本の財政赤字」など実際には存在しません


公的債務のGDP比は低成長率で起きる

国際通貨基金(IMF)は10月、2020年はコロナ対策などによって世界の公的債務がGDPの100%に達するという報告を発表しました。

2020年春ごろから全世界でコロナウイルスが流行し、外出や飲食店の営業規制などが行われた。

人々は外出や消費できなくなり、それどころか一部の都市では労働や散歩すら禁止されました。

コロナが拡大した国では景気が急速に悪化し失業者が増加したので、各国政府は補助金や支援金を急場しのぎに配りました。

それだけでは足りないので政府系金融機関は大規模な緊急融資を実施し、打撃を受けた業界には救済策を講じました。

こうした政府の経済対策は急速に財政を悪化させ、例えば日本政府は57兆円もの緊急補正予算を組んだ。


当初105兆円だった日本の2020年予算は2度の補正予算で160兆円に膨れ上がったが、GDPはマイナス5%ほどが予想されている。

政府がこれほどの支出をすれば大幅なプラス成長になる筈ですが、コロナによる経済縮小で差し引きマイナスとなります。


世界各国の事情も同様で、欧米では日本の何倍もコロナが流行し、経済対策を実施しても成長率は大幅マイナスが予想されている。


公的債務が増えてGDPはマイナスなので、「公的債務のGDP比率」が急速に悪化しました。

だがIMFは来年以降成長率が回復すればGDP比率は低下するとしている。

そしてこの事はIMFが長年つき続けてきた嘘を、自ら暴露することとなった。

嘘の発表を繰り返したIMF

各国はコロナ対策に迫られて支出を急増させ公的債務を増やしたが、IMFは「成長率が回復すれば元に戻る」と言うのです。

IMFが日本に対して長年、「公的債務GDP比が上昇したから増税しなさい」と言ってきたのとはまるで違う。

日本に対してだけ「増税しなさい」と言い、日本以外の国には「放置すれば治る」と言っています。


IMFは最近「日本は世界最悪の公的債務」と言わなくなっているが、もう恥ずかしくて口にできないのでしょう。

公的債務の計算方法は各国で異なり、日本は世界最悪になるように民間債務を公的債務に含めています。

例えば旧道路公団などの民間道路企業、特殊法人という民間営利組織、公的年金や公的保険も外国では民間団体にしています。


年金が100兆円赤字だったとしても、民間団体にしておけば民間債務であり政府となんの関係もないという訳です。

道路や年金や保険や福祉を公的債務から外して「健全財政だ」と大威張りしているのがドイツやアメリカなどです。

ドイツとアメリカは合衆制や連邦制で、例えばアメリカの「公的債務」はアメリカ合衆国発行国債だけを指している


ドイツも公的債務を民間に付け替え、国の債務を地方に付け替えてウヤムヤにする手口で負債を隠しています。

日本だって日本国発行長期国債だけを公的債務とすれば、GDP比100以下で完璧な健全財政です。

そんな事は誰でも知っているのだが、IMFは「日本の借金だけが多い」と言っています。


この理由は実はIMFの日本担当が財務省職員だからで、IMFには人材も居ないし調査能力もありません。

アメリカの分はアメリカ政府の職員が、ドイツや中国の公的債務は各国の政府職員が出向して担当しています。

要するに自分のテストの点数を自分でつけるようなもので、米中などは甘く採点し、日本の財務省だけが「世界最悪!」と喚いていたのです。


財務省が「日本の財政赤字は世界最悪」と言いたい理由は増税する為で、税金によって政府を支配し自分が権力を握るためです。

「世界最悪の財政赤字だ」と言い続ける限り財務官僚は総理大臣や天皇より地位が上になります。

もし「日本の財政赤字は先進国最小」という真実がバレたら、誰も財務官僚なんか相手にしなくなってしまいます。
http://www.thutmosev.com/archives/84158801.html  


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/904.html#c3

[リバイバル3] ソニー プリアンプ TA-2000・TA-2000F 中川隆
14. 中川隆[-10799] koaQ7Jey 2020年10月18日 09:12:17 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[3]

Mr.トレイルのオーディオ回り道
SONYのアンプは50年前のモノ 2020年10月18日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e6906c076c8331b1945ffe1a9d329785

SONYのアンプは50年前の代物なので、使われてきた経緯が違い、眠っていた時間も違うので、不具合の内容も1台1台すべて違う。
例えば、1分で分かる不具合が2分で消える場合も有るが、5時間鳴らして初めて出て来る症状も有る。電源ケーブルをグレードアップした途端に「ノイズ」が出だして、3ヶ月経ってもいくらかノイズの大きさは小さくなったが、まだ出ている機台も有る。・・・と云う風に11台購入したが、そのどれもが一癖持っている。

これらの機器が正常になるには「修理」も必要だが、「鳴らし込み」も必要だ。1年くらい「鳴らし込み」をしないと安定しないと思っている。その間、「音質」どころではない。

従来のサブシステムからすれば「大幅な音質ダウン」をしている。それをまた2年以上かけて「音質アップ」をさせようとしている。何だか「無茶な事」(無駄な事)をしている様な・・・。この鳴らし込みには時間がかかるのです。その間は「苦行」になります。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/e6906c076c8331b1945ffe1a9d329785


なかなか思うように進まない 2020年10月17日

SP-2005マルチアンプシステムもまだ初期段階。新着のTA-3120A(低域用)とTA-3130F(中域用)のアンプの鳴らし込み不足で、まだ安定して使える状況にない。途中で片ch音が出たりでなかったりと不安定である。こんな状況では「音を出し続ける」事でしか安定化はしない。

50年前の中古品アンプは安定化するまでは油断できない。自分がその部屋にいる時しか鳴らせない。何故なら「燃える事」も有るからだ。

安心して使える様になるまでは最低1ヶ月間は、まともに音が出る状況にならないと安心できない。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/f3a9580f5f816cf895e2bdf925d7ccdb

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1066.html#c14

[番外地8] レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る

ドルや円が紙屑化しているのは1980年代からずっとだよ
株価やGDPが増えているというのは貨幣価値が下がっているという事だよ:

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
2020年3月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645


世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運用するレイ・ダリオ氏が学生の頃にウォール街でインターンをしていた時のことをLinkedInのブログで話している。ダリオ氏はその頃にニクソンショックに遭遇したらしい。

1971年ニクソンショック

ダリオ氏は現在70歳なので、これは50年ほど前の話である。

当時アメリカはまだ金本位制を維持していた。つまり貨幣を金と交換することができた。紙幣とはそもそも金塊を持ち歩くのが大変だという理由で金の代わりに流通する目的で作られたものであり、いわば中央銀行に金を預けているという証明書のようなものだったので、紙幣を中央銀行に持っていけば当然金を返してもらうことができた。

ニクソンショックとはアメリカのニクソン大統領が急にこれを取りやめたという話である。その当時ダリオ氏はウォール街で夏のインターンをしていたらしい。彼は次のように語っている。

1971年8月15日の夜、ニクソン大統領はドル紙幣と金を交換するという約束を取り消すと発表した。これによってドルは急落した。ニクソン氏の話すのを聞いている内にアメリカ政府がデフォルトし、いわゆる「お金」としてわれわれが知っていたものが存在しなくなったのだと悟った。

当時、アメリカはベトナム戦争の戦費などがかさみ、財政赤字が拡大していた。戦後のアメリカは本土が戦地にならなかったこともありヨーロッパ諸国への経済支援なども行う立場だったが、1960年代後半にはアメリカ経済も疲弊し始めていた。当時のアメリカの経済成長率のチャートは次の通りである。


1970年には景気後退となっている。

アメリカ政府にはお金がなかった。それで預かっていたはずの金を返せなくなった。返せなくなったので、返さないということにしたわけである。ダリオ氏はこう続ける。

これは良いことであるはずがない、とわたしは思った。だから月曜の朝、株が暴落して地獄絵図になっていると予想しながらニューヨーク証券取引所のトレーディングフロアに入っていった。株は下落する代わりに4%上昇していた。わたしはショックを受けた。それは通貨の切り下げというものをそれまで見たことがなかったからだ。

学生だったダリオ氏が見逃していたのは、貨幣の価値が下がるということはものの値段が上がるということだということである。1,000円で買えていたものが2,000円出さなければ買えなくなる。1円の価値が下がったからである。

「現金はゴミ」発言の真意

ダリオ氏が何故この話を今持ち出したかと言えば、ここにはダリオ氏が年始に言った「現金はゴミ」発言の真意がある。

「現金はゴミ」発言のレイ・ダリオ氏、リスクオフできず新型コロナ株安で20%損失
紙幣とはもともと金を預けている預かり証のようなものだった。だから紙幣には価値があり、人々はそれを使って買い物をすることができた。しかしニクソンショックによってドル紙幣は正真正銘の紙切れとなった。誰も気付いていないが、それには何の価値もない。政府側の人々は紙幣には「政府の保証」があると口々に言うが、「政府の保証」とは中央銀行が株価を上げるために紙幣を次々に印刷することだろうか。それは価値を下げているのであって上げているのではなく、何の保証にもなっていない。

もう少し分かりやすくするために現代風に言い換えて例え話をするとこういうことになる。

あなたはA君に100万円を貸し出した。A君は借用書を書いてあなたに渡し、将来100万円を返すと約束した。ところがある日突然A君がやってきて、100万円は返さないことにしたと言って去っていった。

借用書はまだ手元にあるが、これを持っていても100万円は返ってこないらしい。あなたはA君に対して憤るのも良いだろうし、裕福ならば100万円のことは忘れてしまうのも良いかもしれない。しかし無意味になった借用書を後生大事に持ち続けるという選択肢はない。それを持っていても何も返って来ないからである。しかし実際には世界中の大半の人がその無意味になった借用書を後生大事に持ち続けており、そのおかしさに誰も気付いていない。それが紙幣というものの現実なのである。

現金はゴミ

ビットコインを否定しながら財布に紙幣を入れている人がいるが、ビットコインよりも紙幣の方が信頼できるというのは完全なまやかしである。どちらも何の保証もないという点で一致している。どちらも同じものなのである。

ビットコインがバブルならば、紙幣は人類史上最大のバブルである。チューリップは鑑賞できるが紙幣は鑑賞できない。本当に何の価値もないのである。ただ、トイレットペーパーがなくなった時には役に立つかもしれない。

ダリオ氏が言いたいのは、この紙幣バブルの行方、つまり量的緩和バブルの行方はただでは済まないということである。政治家が支持率を上げるために紙幣を刷りまくったつけが全人類に降り掛かってくる。

しかし一部の経済学者が言うように、先進国の量的緩和の結果がインフレとは限らない。むしろデフレと経済恐慌がその結末であるのかもしれない。ドラッケンミラー氏の言っているのはそういうことである。

ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶
さて、この話の一番の落ちは市民は政府にいつの間にか金塊を盗み取られているということなのだが、それに気付いた読者はどれだけ居るだろうか?
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/505.html

[番外地8]  平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

1985年のプラザ合意でドル-円が半値になって、日本は輸出で稼げなくなったので内需拡大する為に金融緩和してお金をばら撒いたのです。つまり、輸出企業の仕事が無くなったので内需振興で国民の仕事を増やそうとしたのです。

その段階で日本政府は三橋さんが何時も言っている財政出動・公共事業で国内需要を増やしました。
そしてその結果、円の貨幣価値が暴落して、日本のGDP,、日経平均と日本の不動産価格は暴騰し、労働者の実質賃金は暴落したのです。

円の貨幣価値が暴落したのを見てCIAは日本経済を完膚無きまでに破綻させる為にバブル崩壊を仕掛けました:

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。
 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。
 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。
 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。
 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/506.html

[番外地8] 貨幣価値が下がったから今迄1000円で買えていた株券が2000円払わないと買えなくなったんだよ。

>「株価やGDPが増えている」から「紙屑化している」のですよね?

違うよ、
貨幣価値が下がったから今迄1000円で買えていた株券が2000円払わないと買えなくなったんだよ。
貨幣価値が下がったから商品価格が上がって、GDPも増えたんだよ。
バブルというのは貨幣価値が下がるから起きるんだ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/507.html

[番外地8] (PartD)生産性を向上させる理由 資本主義経済ならではの搾取の仕組みをマルクスを基に解説! 白井聡の「武器としての「資… 中川隆
2. 中川隆[-10798] koaQ7Jey 2020年10月18日 13:00:50 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[5]
新自由主義は資本の側からしかけた戦争

階級闘争は時代錯誤の概念ではなく、現実の問題。
労働者階級がそのような言辞にまどわされているあいだに富裕層は階級闘争を強力におし進めてきた。

 それは、資本の側が労働力の価値を引き下げるために、これまでの労働者の既得権をはぎとる形でおこなわれてきた。この間の非正規・不安定雇用はもとより、生産拠点の海外移転や、外国人労働力の輸入もひとつながりに見えてくる。

 高度成長期の生産性向上・福利厚生政策のもとで、労働組合を通じた労働者の要求が一定程度受け入れられたのは、資本にとって労働者を生かす(労働力の再生産を成り立たせる)必要があったからで、それは労働者への人道的な慈愛というものではなかった。そして、それに安住していた労働組合や「労働者の利益」を掲げる党も、新自由主義にとり込まれざるをえなかった。

 そのような資本の剰余価値の追求(=搾取)によって「1%vs99%」という未曾有の経済格差が生まれた。

自由・平等・人権」はあくまでたてまえであり、資本による労働者の支配の現実は「過去の奴隷制とつながっている
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/502.html#c2

[近代史4] 菅総理のブレーン 国際金融資本の代理人デービッド・アトキンソン 中川隆
4. 中川隆[-10797] koaQ7Jey 2020年10月18日 13:56:29 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[7]
【イギリス版竹中平蔵】財務省がアトキンソン氏を歓迎する理由
2020/10/18





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1085.html#c4
[近代史3] 藤井聡先生は 「日本人は生産性が低い」というデマを撒き散らしているデービッド・アトキンソンが完全なバカだと言い切ってくれ… 中川隆
13. 中川隆[-10796] koaQ7Jey 2020年10月18日 13:57:18 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[8]
【イギリス版竹中平蔵】財務省がアトキンソン氏を歓迎する理由
2020/10/18





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/694.html#c13
[近代史5] 北京政府の情報操作の実態 中川隆
12. 中川隆[-10795] koaQ7Jey 2020年10月18日 15:16:16 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[10]

2020年10月18日
インターネット人口の2割が中国人、中国のネット事情とは

中国のネットにはネット公安数万人が張り付いていて、常に監視している


世界のネット住民の2割は中国人

中国インターネット情報センター(CNNIC)によると中国のネット利用者は9億4000万人に達している。

全世界のネット利用者の約20%が中国人という事だが、この数字は本当なのだろうか。

おそらく中国の9.4億人はスマホ利用者で、PCを使う人も同時にスマホを使っているでしょう。


するとスマホ利用者=ネット人口とも言えるわけで、フォーブス紙によると世界の50億人がモバイル端末を持っている。

同紙によるとモバイル端末の50%以上はスマホなので、世界で25億人以上がスマホを使っている。

世界のスマホ利用者が30億人として中国が9億人なら、世界のスマホ利用者の30%が中国人という事になります。


欧米はパソコン所有率がアジアより遥かに高いので、ネット利用者全体の2割が中国人は妥当かも知れません。

そんな中国のネット世界は欧米や日本と異なり、「政府の所有物」で個人の所有物ではない。

中国では土地の個人所有は今もなく、土地や家は国家からレンタルして借地権を買っているだけです。


インターネットもそのような概念であり、国家の所有物を個人がお金を払って使わせてもらうイメージです。

中国のネットショッピング

先ほどのCNNICによると中国のネットショッピング人口は7億4900万人、ネット人口の約8割がネットで買い物をしている。

中国のネットショップ人口は2020年に入って約4000万人増加したが、その分実店舗で買い物する人は減った。


湖北省や武漢では外出禁止令が出され商店が閉まったので、人々はネットショップでしか買い物ができなかった。


ネットを利用しない人も近所が集まってネットで集団購入し、日用品や食料を購入していました。

スーパーや商店は政府の指示で閉まっていて、空いていたとしても許可を得た人しか購入できなかった。

ネットショッピングで最も伸びたのはライブコマースで、分かりやすく言うとネット上の実演販売、高田社長が得意としていたアレです。


オンラインゲームとデリバリーサービスも大きく伸び、今や中国人は世界最大で圧倒的なネット消費者になっている。

だがその分実店舗販売は縮小しているわけで、巨大ショッピングモールのような場所の廃墟化も起きています。

中国で必ず直面するのが政府による干渉で、個人情報保護もプライバシーも人権もなにもない。

中国のインターネットは政府の監視下

中国のインターネットはすべて実名制で、匿名で何かをするのは一切許されていない。

と言ってもネット上で公開されるわけではなく、政府機関に実名登録し、警察や公安のモニターにだけ実名表示される。

例えばSNSで習近平や共産党を批判すると、軽いものなら公安のネット部隊に注意されて終わる。


「中国の景気が悪いのは国のせいだ」などと書くと、すかさず誰かが「そうではない」と反論するが、反論するのはネット工作部隊です。

中国の公安はこうしたネット工作部隊数万人(数十万人という説もある)を抱えていて、SNSに常時参加し世論誘導を行っている。

こうした警告に従わず政府批判をすると、次にその人物のネット利用を遮断します。


ネットカフェやスマホも実名で事前登録が必要なので、該当人物はもうネット利用できなくなります。

それどころか全人民はIDで管理されているので、要監視人物になってしまいバスや電車の利用、進学や就職もできなくなる。

パスポートを没収されるので外国に逃亡もできず、一生涯公安の監視下で生きる事になります。


これらはテロ対策と説明されているが、実際には共産党や習近平に反抗する人間を社会から隔離しています。

中国のインターネットはこのような監視下の自由だが、9億人の人々は不満にも思わず従っています
http://www.thutmosev.com/archives/84159455.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/217.html#c12

[近代史4] リカード、マルサスの古典派経済学の世界 中川隆
2. 中川隆[-10794] koaQ7Jey 2020年10月18日 17:08:18 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[12]
経済原論概説 記事案内
ト・アペイロン 2020/03/25
https://note.com/scienta_est/n/n9e262ce878b0/edit

現代経済学における「経済原論」の位置づけ

 現在の大学教育等における(狭義の)「経済学」は、多くの場合「近代経済学」を指す。近代経済学とは、「ミクロ経済学」及び「マクロ経済学」の総称である。ミクロ・マクロ経済学とは、極めて近代的な学派の一つであると換言してもよいだろう。

 近代経済学以前の経済学はアダム・スミスやデービット・リカードウ、トマス・ロバート・マルサス、J.S.ミルなどに代表され、「古典派」と呼称される。古典といっても彼らの時代は18世紀後期から19世紀の中頃である。その後、メンガ―、ジェボンズ、ワルラス等の理論から、近代経済学の基本理論が構築されていく。沢山の人物が出てきて混乱を招きかねないのは恐縮だが、要するに近代経済学は百数十年程度の歴史しかないのである。

 更にスミス以前の経済学(であると解釈される)理論も存在するが、これは「経済学史」及び「経済思想」の範疇なので、これ以上の記述はここでは控えることとする。

 さて、古典派の経済理論を受け継ぎ発展してきた近代経済学だが、近代経済学が産声を上げたのと同時代に、全く別の系譜が発展していくことになる。それすなわち「経済原論」である。経済原論はカール・マルクスが『資本論』において記述した理論を枢軸としている。日本においては宇野弘蔵が『経済原論』の中で『資本論』の理論を分析したことは有名である。

 以前は近代経済学と同等に学習されていた原論も、現在の大学のカリキュラムとしては経済学部の選択科目として設置されていて、経済学部の人間でも学ばずに卒業することもあり、経済学部以外の学部では(たとえミクロ・マクロ経済学を学習した人でさえも)その存在を知ることはあまりないように見受けられる。しかしながら、経済という不可視的なシステムを分析するに当たり、その理論前提を比較検討することは重要な営みである。

記事の目的と方針
 マルクス=社会主義=共産主義=革命=危険思想であると断定するのはあまりにも短絡的に過ぎるだろう。マルクスは資本主義社会を批判的に書いてはいたが、それは必ずしも共産主義への転換を意味するものとは限らない。資本主義の抱える問題を指摘し、より良い社会へと人々を導こうという試みのもと書かれた『資本論』だが、これは未完成の内に終わっている。彼が思い浮かべていた理想世界を完全に知ることはできないのである。それでも、マルクス経済学につて学ぶことは有意義なことである。

 上記の通り、近代経済学とは現在最も主要な経済学であるに過ぎず、普遍的・絶対的な視点であるとは言えない。それに対して真に批判的な視点は不可欠である。経済に対する視点の相対化というアプローチは、上述した「経済学史」及び「経済思想」が大いにその役割を果たしているが、一方で、近代以降の、かつ近代経済学とは抜本的に異なる思想系譜を体系的に学ぶこともまた、非常に効果的な方法であろう。

 第1回から第5回で経済原論の成立および基本的な理論を概説し、第6回以降は戦後の日本経済び世界経済を経済原論的な視点で概観していく(全9回)。最後に番外編として、専門性の高い記事を用意している。

 さて、先ほどから「概」という文字が多用されている。この記事はアマチュア(つまりは経済学で生計を立てていない人間)によって書かれており、その対象は経済原論に触れたことのない方、あるいは経済(学)に興味はあるがあまり詳しくない方を想定している。つまりは初学者向けに書かれたものであり、煩雑な説明を避けてなるべく平易な内容にすることを心掛けている。無論、原論やその他近代経済学についての記事なので、最低限の専門用語の登場は避けられないが、その都度できるだけわかりやすい解説を行おうと考えている。

 この記事はあくまでも今日の社会構造を理解する方法論の一つとして経済原論を多くの人に知ってもらうことが目的であり、特定思想への誘引を目的としたものではない。むしろ、経済原論・近代経済学の両方を批判的な目で見ることが望ましいと私は考えている。そして何よりもこの記事によって読者の教養がより深いものになることを望んでいる。

https://note.com/scienta_est/n/n9e262ce878b0/edit
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/914.html#c2

[近代史4] ト・アペイロン 経済原論概説

経済原論概説 記事案内
ト・アペイロン 2020/03/25
https://note.com/scienta_est/n/n9e262ce878b0/edit

現代経済学における「経済原論」の位置づけ

 現在の大学教育等における(狭義の)「経済学」は、多くの場合「近代経済学」を指す。近代経済学とは、「ミクロ経済学」及び「マクロ経済学」の総称である。ミクロ・マクロ経済学とは、極めて近代的な学派の一つであると換言してもよいだろう。

 近代経済学以前の経済学はアダム・スミスやデービット・リカードウ、トマス・ロバート・マルサス、J.S.ミルなどに代表され、「古典派」と呼称される。古典といっても彼らの時代は18世紀後期から19世紀の中頃である。その後、メンガ―、ジェボンズ、ワルラス等の理論から、近代経済学の基本理論が構築されていく。沢山の人物が出てきて混乱を招きかねないのは恐縮だが、要するに近代経済学は百数十年程度の歴史しかないのである。

 更にスミス以前の経済学(であると解釈される)理論も存在するが、これは「経済学史」及び「経済思想」の範疇なので、これ以上の記述はここでは控えることとする。

 さて、古典派の経済理論を受け継ぎ発展してきた近代経済学だが、近代経済学が産声を上げたのと同時代に、全く別の系譜が発展していくことになる。それすなわち「経済原論」である。経済原論はカール・マルクスが『資本論』において記述した理論を枢軸としている。日本においては宇野弘蔵が『経済原論』の中で『資本論』の理論を分析したことは有名である。

 以前は近代経済学と同等に学習されていた原論も、現在の大学のカリキュラムとしては経済学部の選択科目として設置されていて、経済学部の人間でも学ばずに卒業することもあり、経済学部以外の学部では(たとえミクロ・マクロ経済学を学習した人でさえも)その存在を知ることはあまりないように見受けられる。しかしながら、経済という不可視的なシステムを分析するに当たり、その理論前提を比較検討することは重要な営みである。

記事の目的と方針
 マルクス=社会主義=共産主義=革命=危険思想であると断定するのはあまりにも短絡的に過ぎるだろう。マルクスは資本主義社会を批判的に書いてはいたが、それは必ずしも共産主義への転換を意味するものとは限らない。資本主義の抱える問題を指摘し、より良い社会へと人々を導こうという試みのもと書かれた『資本論』だが、これは未完成の内に終わっている。彼が思い浮かべていた理想世界を完全に知ることはできないのである。それでも、マルクス経済学につて学ぶことは有意義なことである。

 上記の通り、近代経済学とは現在最も主要な経済学であるに過ぎず、普遍的・絶対的な視点であるとは言えない。それに対して真に批判的な視点は不可欠である。経済に対する視点の相対化というアプローチは、上述した「経済学史」及び「経済思想」が大いにその役割を果たしているが、一方で、近代以降の、かつ近代経済学とは抜本的に異なる思想系譜を体系的に学ぶこともまた、非常に効果的な方法であろう。

 第1回から第5回で経済原論の成立および基本的な理論を概説し、第6回以降は戦後の日本経済び世界経済を経済原論的な視点で概観していく(全9回)。最後に番外編として、専門性の高い記事を用意している。

 さて、先ほどから「概」という文字が多用されている。この記事はアマチュア(つまりは経済学で生計を立てていない人間)によって書かれており、その対象は経済原論に触れたことのない方、あるいは経済(学)に興味はあるがあまり詳しくない方を想定している。つまりは初学者向けに書かれたものであり、煩雑な説明を避けてなるべく平易な内容にすることを心掛けている。無論、原論やその他近代経済学についての記事なので、最低限の専門用語の登場は避けられないが、その都度できるだけわかりやすい解説を行おうと考えている。

 この記事はあくまでも今日の社会構造を理解する方法論の一つとして経済原論を多くの人に知ってもらうことが目的であり、特定思想への誘引を目的としたものではない。むしろ、経済原論・近代経済学の両方を批判的な目で見ることが望ましいと私は考えている。そして何よりもこの記事によって読者の教養がより深いものになることを望んでいる。

https://note.com/scienta_est/n/n9e262ce878b0/edit
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1118.html

[近代史4] ハイエク、フリードマンのマネタリズムの世界 中川隆
2. 中川隆[-10793] koaQ7Jey 2020年10月18日 17:32:27 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[13]

経済原論概説 記事案内
ト・アペイロン 2020/03/25
https://note.com/scienta_est/n/n9e262ce878b0/edit

現代経済学における「経済原論」の位置づけ

 現在の大学教育等における(狭義の)「経済学」は、多くの場合「近代経済学」を指す。近代経済学とは、「ミクロ経済学」及び「マクロ経済学」の総称である。ミクロ・マクロ経済学とは、極めて近代的な学派の一つであると換言してもよいだろう。

 近代経済学以前の経済学はアダム・スミスやデービット・リカードウ、トマス・ロバート・マルサス、J.S.ミルなどに代表され、「古典派」と呼称される。古典といっても彼らの時代は18世紀後期から19世紀の中頃である。その後、メンガ―、ジェボンズ、ワルラス等の理論から、近代経済学の基本理論が構築されていく。沢山の人物が出てきて混乱を招きかねないのは恐縮だが、要するに近代経済学は百数十年程度の歴史しかないのである。

 更にスミス以前の経済学(であると解釈される)理論も存在するが、これは「経済学史」及び「経済思想」の範疇なので、これ以上の記述はここでは控えることとする。

 さて、古典派の経済理論を受け継ぎ発展してきた近代経済学だが、近代経済学が産声を上げたのと同時代に、全く別の系譜が発展していくことになる。それすなわち「経済原論」である。経済原論はカール・マルクスが『資本論』において記述した理論を枢軸としている。日本においては宇野弘蔵が『経済原論』の中で『資本論』の理論を分析したことは有名である。

 以前は近代経済学と同等に学習されていた原論も、現在の大学のカリキュラムとしては経済学部の選択科目として設置されていて、経済学部の人間でも学ばずに卒業することもあり、経済学部以外の学部では(たとえミクロ・マクロ経済学を学習した人でさえも)その存在を知ることはあまりないように見受けられる。しかしながら、経済という不可視的なシステムを分析するに当たり、その理論前提を比較検討することは重要な営みである。

記事の目的と方針
 マルクス=社会主義=共産主義=革命=危険思想であると断定するのはあまりにも短絡的に過ぎるだろう。マルクスは資本主義社会を批判的に書いてはいたが、それは必ずしも共産主義への転換を意味するものとは限らない。資本主義の抱える問題を指摘し、より良い社会へと人々を導こうという試みのもと書かれた『資本論』だが、これは未完成の内に終わっている。彼が思い浮かべていた理想世界を完全に知ることはできないのである。それでも、マルクス経済学につて学ぶことは有意義なことである。

 上記の通り、近代経済学とは現在最も主要な経済学であるに過ぎず、普遍的・絶対的な視点であるとは言えない。それに対して真に批判的な視点は不可欠である。経済に対する視点の相対化というアプローチは、上述した「経済学史」及び「経済思想」が大いにその役割を果たしているが、一方で、近代以降の、かつ近代経済学とは抜本的に異なる思想系譜を体系的に学ぶこともまた、非常に効果的な方法であろう。

 第1回から第5回で経済原論の成立および基本的な理論を概説し、第6回以降は戦後の日本経済び世界経済を経済原論的な視点で概観していく(全9回)。最後に番外編として、専門性の高い記事を用意している。

 さて、先ほどから「概」という文字が多用されている。この記事はアマチュア(つまりは経済学で生計を立てていない人間)によって書かれており、その対象は経済原論に触れたことのない方、あるいは経済(学)に興味はあるがあまり詳しくない方を想定している。つまりは初学者向けに書かれたものであり、煩雑な説明を避けてなるべく平易な内容にすることを心掛けている。無論、原論やその他近代経済学についての記事なので、最低限の専門用語の登場は避けられないが、その都度できるだけわかりやすい解説を行おうと考えている。

 この記事はあくまでも今日の社会構造を理解する方法論の一つとして経済原論を多くの人に知ってもらうことが目的であり、特定思想への誘引を目的としたものではない。むしろ、経済原論・近代経済学の両方を批判的な目で見ることが望ましいと私は考えている。そして何よりもこの記事によって読者の教養がより深いものになることを望んでいる。

https://note.com/scienta_est/n/n9e262ce878b0/edit  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/913.html#c2

[近代史4] ト・アペイロン 経済原論概説 中川隆
1. 中川隆[-10792] koaQ7Jey 2020年10月18日 17:53:13 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[14]
経済原論概説 第1回 理論構成
ト・アペイロン 2020/03/28
https://note.com/scienta_est/n/n7bc473f8d65d


講座案内

理論の背景
 学問的、及び歴史的な経済原論の始まり、すなわちマルクス経済学の始まりは、マルクス著『資本論』(1867)である。本書は資本主義を批判的にとらえ、解説したものであり、その批判は現代にも通ずるものがある。

 マルクス経済学は、物事の本質は「物」であると考える唯物論の下、資本主義を科学的な見地から見直している。(ヘーゲルの)弁証法により、経済の発展法則を解明し、社会構造に当てはめて考えた。生産力水準が低い狩猟採集社会から、農耕社会へと発展(歴史学的、特にマクロヒストリーの学説においては必ずしもそうではないということを付しておく)し、やがて農耕技術の発展によって必要な労働時間が短縮したり、コミュニティのなかで食料生産に従事する必要のない人口が増加する。更に手工業が発展し、産業革命を経て大規模工場による生産が開始され……といった具合だ。このような歴史に興味を持たれた方は、経済史を学習することを推奨する。マルクスは(残念ながら未完である)『資本論』において、資本主義社会の次にもたらされるべきより発展した社会の姿を描こうとした(それは必ずしも社会主義的な要素に満ち溢れているとは限らないだろう)。

 また、マルクスは社会の下部構造である経済(生産関係)の変化が、思想や文化などの上部構造に変化をもたらすと考えたのである。方法論としては、抽象的な物から具体的な物へと発展させていく上向法が採用された。例えば資本の価値を分析する場合、まずは商品交換の価値から分析し、それを踏まえて貨幣を分析し、資本に関する価値分析を行うのである。

近代経済学との相違

 近代経済学とマルクス経済学は、その基礎となる価値論から異なったものとなっている。近代経済学の価値論は、消費者の視点に立った主観的価値説を基にしている。消費者の効用(満足度)を指標として、効用を最大化させることを目的に理論を樹立した。これに対するマルクス経済学に批判は、効用という主観的な物を価値判断の基準にしてよいのだろうか、というものだ。マルクス経済学は、古典派経済学の労働価値説を発展させ、生産者側の立場から経済を分析している。近代経済学のように、効用の基数(a+b=c)的計測を行うことを不可能であるとし、序数(a<b<cだがa+bの値は問わない、1st,2nd,3rdの世界)的計測を行うにとどまっている。


 更に、マルクス経済学が利潤の源を労働であると考えている(労働価値説と呼ばれる)ことには特に注目したい。近代経済学では、労働はある意味売買され「投入」される生産要素に過ぎない。これは生産者的な視点から見れば当然の帰結であろう。それではなぜマルクスが労働が利潤を生み出すという考えに至ったのを、次回以降上記のマルクス的手法を用いて物々交換の段階から弁証法的に解説する。

https://note.com/scienta_est/n/n7bc473f8d65d
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1118.html#c1

[近代史4] リカード、マルサスの古典派経済学の世界 中川隆
3. 中川隆[-10791] koaQ7Jey 2020年10月18日 18:25:41 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[15]
経済原論概説 第1回 理論構成
ト・アペイロン 2020/03/28
https://note.com/scienta_est/n/n7bc473f8d65d

講座案内

理論の背景
 学問的、及び歴史的な経済原論の始まり、すなわちマルクス経済学の始まりは、マルクス著『資本論』(1867)である。本書は資本主義を批判的にとらえ、解説したものであり、その批判は現代にも通ずるものがある。

 マルクス経済学は、物事の本質は「物」であると考える唯物論の下、資本主義を科学的な見地から見直している。(ヘーゲルの)弁証法により、経済の発展法則を解明し、社会構造に当てはめて考えた。生産力水準が低い狩猟採集社会から、農耕社会へと発展(歴史学的、特にマクロヒストリーの学説においては必ずしもそうではないということを付しておく)し、やがて農耕技術の発展によって必要な労働時間が短縮したり、コミュニティのなかで食料生産に従事する必要のない人口が増加する。更に手工業が発展し、産業革命を経て大規模工場による生産が開始され……といった具合だ。このような歴史に興味を持たれた方は、経済史を学習することを推奨する。マルクスは(残念ながら未完である)『資本論』において、資本主義社会の次にもたらされるべきより発展した社会の姿を描こうとした(それは必ずしも社会主義的な要素に満ち溢れているとは限らないだろう)。

 また、マルクスは社会の下部構造である経済(生産関係)の変化が、思想や文化などの上部構造に変化をもたらすと考えたのである。方法論としては、抽象的な物から具体的な物へと発展させていく上向法が採用された。例えば資本の価値を分析する場合、まずは商品交換の価値から分析し、それを踏まえて貨幣を分析し、資本に関する価値分析を行うのである。

近代経済学との相違

 近代経済学とマルクス経済学は、その基礎となる価値論から異なったものとなっている。近代経済学の価値論は、消費者の視点に立った主観的価値説を基にしている。消費者の効用(満足度)を指標として、効用を最大化させることを目的に理論を樹立した。これに対するマルクス経済学に批判は、効用という主観的な物を価値判断の基準にしてよいのだろうか、というものだ。マルクス経済学は、古典派経済学の労働価値説を発展させ、生産者側の立場から経済を分析している。近代経済学のように、効用の基数(a+b=c)的計測を行うことを不可能であるとし、序数(a<b<cだがa+bの値は問わない、1st,2nd,3rdの世界)的計測を行うにとどまっている。


 更に、マルクス経済学が利潤の源を労働であると考えている(労働価値説と呼ばれる)ことには特に注目したい。近代経済学では、労働はある意味売買され「投入」される生産要素に過ぎない。これは生産者的な視点から見れば当然の帰結であろう。それではなぜマルクスが労働が利潤を生み出すという考えに至ったのを、次回以降上記のマルクス的手法を用いて物々交換の段階から弁証法的に解説する。

https://note.com/scienta_est/n/n7bc473f8d65d
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/914.html#c3

[近代史4] ハイエク、フリードマンのマネタリズムの世界 中川隆
3. 中川隆[-10790] koaQ7Jey 2020年10月18日 18:26:05 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[16]
経済原論概説 第1回 理論構成
ト・アペイロン 2020/03/28
https://note.com/scienta_est/n/n7bc473f8d65d

講座案内

理論の背景
 学問的、及び歴史的な経済原論の始まり、すなわちマルクス経済学の始まりは、マルクス著『資本論』(1867)である。本書は資本主義を批判的にとらえ、解説したものであり、その批判は現代にも通ずるものがある。

 マルクス経済学は、物事の本質は「物」であると考える唯物論の下、資本主義を科学的な見地から見直している。(ヘーゲルの)弁証法により、経済の発展法則を解明し、社会構造に当てはめて考えた。生産力水準が低い狩猟採集社会から、農耕社会へと発展(歴史学的、特にマクロヒストリーの学説においては必ずしもそうではないということを付しておく)し、やがて農耕技術の発展によって必要な労働時間が短縮したり、コミュニティのなかで食料生産に従事する必要のない人口が増加する。更に手工業が発展し、産業革命を経て大規模工場による生産が開始され……といった具合だ。このような歴史に興味を持たれた方は、経済史を学習することを推奨する。マルクスは(残念ながら未完である)『資本論』において、資本主義社会の次にもたらされるべきより発展した社会の姿を描こうとした(それは必ずしも社会主義的な要素に満ち溢れているとは限らないだろう)。

 また、マルクスは社会の下部構造である経済(生産関係)の変化が、思想や文化などの上部構造に変化をもたらすと考えたのである。方法論としては、抽象的な物から具体的な物へと発展させていく上向法が採用された。例えば資本の価値を分析する場合、まずは商品交換の価値から分析し、それを踏まえて貨幣を分析し、資本に関する価値分析を行うのである。

近代経済学との相違

 近代経済学とマルクス経済学は、その基礎となる価値論から異なったものとなっている。近代経済学の価値論は、消費者の視点に立った主観的価値説を基にしている。消費者の効用(満足度)を指標として、効用を最大化させることを目的に理論を樹立した。これに対するマルクス経済学に批判は、効用という主観的な物を価値判断の基準にしてよいのだろうか、というものだ。マルクス経済学は、古典派経済学の労働価値説を発展させ、生産者側の立場から経済を分析している。近代経済学のように、効用の基数(a+b=c)的計測を行うことを不可能であるとし、序数(a<b<cだがa+bの値は問わない、1st,2nd,3rdの世界)的計測を行うにとどまっている。


 更に、マルクス経済学が利潤の源を労働であると考えている(労働価値説と呼ばれる)ことには特に注目したい。近代経済学では、労働はある意味売買され「投入」される生産要素に過ぎない。これは生産者的な視点から見れば当然の帰結であろう。それではなぜマルクスが労働が利潤を生み出すという考えに至ったのを、次回以降上記のマルクス的手法を用いて物々交換の段階から弁証法的に解説する。

https://note.com/scienta_est/n/n7bc473f8d65d
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/913.html#c3

[近代史4] ト・アペイロン 経済原論概説 中川隆
2. 中川隆[-10789] koaQ7Jey 2020年10月18日 18:29:58 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[17]
経済原論概説 第2回 貨幣論
ト・アペイロン 2020/03/30
https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8


物々交換から貨幣へ

 マルクス経済学における労働価値説を巡って、「価値」というものを考える。なぜ貨幣に価値を見いだすのか、資本とはいかなるものか、経済の主体が商品→貨幣→資本へと"発展"していったプロセスを辿りながらマルクスの思想になぞらえて解説する。


 物々交換では、商品と商品を直接交換するため、例えばある商品a100gを別の商品bと交換するときは、aを100g生産するために必要な労働量で生産できる量のbと交換することになる。ここで仮にaを100g生産する労働力で、bを200g生産できるとするならば、a100gはb200gと交換されることになる。商品が二つだけならば問題は無いが、無数の商品をこの方法で交換する場合、無数の交換比率が存在する。(n個の商品にはn(n-1)/2個の交換レートが存在する。)そこで、取引を容易にするために商品貨幣として一般的等価物が使われるようになった。実例としては米や家畜、塩などがこれにあたり、これを基準としてその他の商品を交換するようになった。般的等価物の条件として、耐久性、保存性、等質性、希少性があり、分割や結合、移動に便利であることが挙げられるが、これを満たしているのは貴金属である。貴金属の中でもイオン化傾向が最も低く、王水以外には溶けず、展性、延性に優れる金が貨幣という形で役割を果たすようになった。 

貨幣には三つの役割がある。@商品の価値を図る価値尺度としての機能、A交換機能、B腐敗や劣化がないことで可能となった価値保存の機能である。また、貨幣の登場により、生産と消費が統一されるようになった。

 ここで貨幣(金貨)をG、商品をWとする。

a) G → W¹
b) W¹ →  G → W²
      c)W² → G


aはW¹をGで買ったことを意味する。bはW¹をGで売り、そのGを用いてW²を購入したことを意味する。cはW²をGで売ったことを意味する。

画像1
https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8


そうすると、黒い線の左側を生産面、オレンジ色の線の右側を消費面であるということになる。中心のG、貨幣に着目すれば、2回の取引に必要となったGは、取引一回分のGのみである。これを流通必要貨幣量と呼ぶ。具体的な数値を当てはめると、Gが10ポンドならば、この10ポンドで20ポンド分の取引が行われたことになる。つまり、流通必要貨幣量は10ポンドである。

 ここで、価格をP、商品の量をq、流通速度(回数)をF、必要貨幣量をMとすると、P×q/F=Mということになる。必要な貨幣量(右辺)は、流通するものの価格と量(P×q)が増えれば増加するが、貨幣が還流する速度(別の人の手に渡る速度,F)が早ければ減少するという意味である。

 マクロ経済学では、価格をP、取引量をT、貨幣残高をM、回数(速度)をVとして、P×V/T=M、整理してMV=TPとなる。これはフィッシャーの交換方程式と呼ばれる。これを基に、物価を上昇させるには通貨量を増やせばよいといったような貨幣数量説も唱えられた。
 他にも、貨幣量と国民所得の関係を唱えたマーシャルのケンブリッジ現金残高方程式や、貨幣量は物価水準に影響するだけで所得水準には影響を与えないという貨幣ヴェール観という考え方もあるが、本旨からそれるためここでは名前だけの紹介に留める。

 さて、金が貨幣として扱われるようになると、流通によって金が減少していくという問題が発生し、貨幣の持つ価値と減少を考慮した実際の価値との分離が起こるようになった。例えば、金10g分の貨幣が実際は摩耗して8gしか無い、といった具合である。そこで金の代替物として、金80%、鋼20%で造られた鋳造貨幣が使われるようになった。これがさらに発展して、無価値な紙幣を国家紙幣として流通させるに至った。国家紙幣として、金との交換が保証された金券を流通させることで、金本位制を樹立したのである。金本位制の下では、紙幣の発行量は金の保有量内に制限されていた。金の保有量を超えて紙幣を発行した場合、紙幣は信用を失い、インフレーション(物価高、紙幣価値の下落)が発生してしまう。

 貨幣取引、商品交換の発展により、信用取引も発展した。その一例として、取引で建て替えを為すという意味の為替制度が誕生した。ある商品の代金を支払うときに、その金額分の送金依頼を記した銀行券を渡すことで、遠隔地で商売をする負担が軽減された。期日に支払うことを約束する約束手形や、銀行へ持参することで当座預金から金額が支払われる小切手も、信用通貨の一種である。また日本銀行券も信用通貨の一種である。紙幣とは、政府が発行したものを指す言葉である。

https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1118.html#c2

[近代史4] マルクスの貨幣論
マルクスの貨幣論


経済原論概説 第2回 貨幣論
ト・アペイロン 2020/03/30
https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8

物々交換から貨幣へ

 マルクス経済学における労働価値説を巡って、「価値」というものを考える。なぜ貨幣に価値を見いだすのか、資本とはいかなるものか、経済の主体が商品→貨幣→資本へと"発展"していったプロセスを辿りながらマルクスの思想になぞらえて解説する。


 物々交換では、商品と商品を直接交換するため、例えばある商品a100gを別の商品bと交換するときは、aを100g生産するために必要な労働量で生産できる量のbと交換することになる。ここで仮にaを100g生産する労働力で、bを200g生産できるとするならば、a100gはb200gと交換されることになる。商品が二つだけならば問題は無いが、無数の商品をこの方法で交換する場合、無数の交換比率が存在する。(n個の商品にはn(n-1)/2個の交換レートが存在する。)そこで、取引を容易にするために商品貨幣として一般的等価物が使われるようになった。実例としては米や家畜、塩などがこれにあたり、これを基準としてその他の商品を交換するようになった。般的等価物の条件として、耐久性、保存性、等質性、希少性があり、分割や結合、移動に便利であることが挙げられるが、これを満たしているのは貴金属である。貴金属の中でもイオン化傾向が最も低く、王水以外には溶けず、展性、延性に優れる金が貨幣という形で役割を果たすようになった。 

貨幣には三つの役割がある。@商品の価値を図る価値尺度としての機能、A交換機能、B腐敗や劣化がないことで可能となった価値保存の機能である。また、貨幣の登場により、生産と消費が統一されるようになった。

 ここで貨幣(金貨)をG、商品をWとする。

a) G → W¹
b) W¹ →  G → W²
      c)W² → G


aはW¹をGで買ったことを意味する。bはW¹をGで売り、そのGを用いてW²を購入したことを意味する。cはW²をGで売ったことを意味する。

画像1
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そうすると、黒い線の左側を生産面、オレンジ色の線の右側を消費面であるということになる。中心のG、貨幣に着目すれば、2回の取引に必要となったGは、取引一回分のGのみである。これを流通必要貨幣量と呼ぶ。具体的な数値を当てはめると、Gが10ポンドならば、この10ポンドで20ポンド分の取引が行われたことになる。つまり、流通必要貨幣量は10ポンドである。

 ここで、価格をP、商品の量をq、流通速度(回数)をF、必要貨幣量をMとすると、P×q/F=Mということになる。必要な貨幣量(右辺)は、流通するものの価格と量(P×q)が増えれば増加するが、貨幣が還流する速度(別の人の手に渡る速度,F)が早ければ減少するという意味である。

 マクロ経済学では、価格をP、取引量をT、貨幣残高をM、回数(速度)をVとして、P×V/T=M、整理してMV=TPとなる。これはフィッシャーの交換方程式と呼ばれる。これを基に、物価を上昇させるには通貨量を増やせばよいといったような貨幣数量説も唱えられた。
 他にも、貨幣量と国民所得の関係を唱えたマーシャルのケンブリッジ現金残高方程式や、貨幣量は物価水準に影響するだけで所得水準には影響を与えないという貨幣ヴェール観という考え方もあるが、本旨からそれるためここでは名前だけの紹介に留める。

 さて、金が貨幣として扱われるようになると、流通によって金が減少していくという問題が発生し、貨幣の持つ価値と減少を考慮した実際の価値との分離が起こるようになった。例えば、金10g分の貨幣が実際は摩耗して8gしか無い、といった具合である。そこで金の代替物として、金80%、鋼20%で造られた鋳造貨幣が使われるようになった。これがさらに発展して、無価値な紙幣を国家紙幣として流通させるに至った。国家紙幣として、金との交換が保証された金券を流通させることで、金本位制を樹立したのである。金本位制の下では、紙幣の発行量は金の保有量内に制限されていた。金の保有量を超えて紙幣を発行した場合、紙幣は信用を失い、インフレーション(物価高、紙幣価値の下落)が発生してしまう。

 貨幣取引、商品交換の発展により、信用取引も発展した。その一例として、取引で建て替えを為すという意味の為替制度が誕生した。ある商品の代金を支払うときに、その金額分の送金依頼を記した銀行券を渡すことで、遠隔地で商売をする負担が軽減された。期日に支払うことを約束する約束手形や、銀行へ持参することで当座預金から金額が支払われる小切手も、信用通貨の一種である。また日本銀行券も信用通貨の一種である。紙幣とは、政府が発行したものを指す言葉である。

https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html

[近代史4] 信用貨幣論に基づく信用創造 中川隆
4. 中川隆[-10788] koaQ7Jey 2020年10月18日 19:04:44 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[18]
マルクスの貨幣論


経済原論概説 第2回 貨幣論
ト・アペイロン 2020/03/30
https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8

物々交換から貨幣へ

 マルクス経済学における労働価値説を巡って、「価値」というものを考える。なぜ貨幣に価値を見いだすのか、資本とはいかなるものか、経済の主体が商品→貨幣→資本へと"発展"していったプロセスを辿りながらマルクスの思想になぞらえて解説する。


 物々交換では、商品と商品を直接交換するため、例えばある商品a100gを別の商品bと交換するときは、aを100g生産するために必要な労働量で生産できる量のbと交換することになる。ここで仮にaを100g生産する労働力で、bを200g生産できるとするならば、a100gはb200gと交換されることになる。商品が二つだけならば問題は無いが、無数の商品をこの方法で交換する場合、無数の交換比率が存在する。(n個の商品にはn(n-1)/2個の交換レートが存在する。)そこで、取引を容易にするために商品貨幣として一般的等価物が使われるようになった。実例としては米や家畜、塩などがこれにあたり、これを基準としてその他の商品を交換するようになった。般的等価物の条件として、耐久性、保存性、等質性、希少性があり、分割や結合、移動に便利であることが挙げられるが、これを満たしているのは貴金属である。貴金属の中でもイオン化傾向が最も低く、王水以外には溶けず、展性、延性に優れる金が貨幣という形で役割を果たすようになった。 

貨幣には三つの役割がある。@商品の価値を図る価値尺度としての機能、A交換機能、B腐敗や劣化がないことで可能となった価値保存の機能である。また、貨幣の登場により、生産と消費が統一されるようになった。

 ここで貨幣(金貨)をG、商品をWとする。

a) G → W¹
b) W¹ →  G → W²
      c)W² → G


aはW¹をGで買ったことを意味する。bはW¹をGで売り、そのGを用いてW²を購入したことを意味する。cはW²をGで売ったことを意味する。

画像1
https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8


そうすると、黒い線の左側を生産面、オレンジ色の線の右側を消費面であるということになる。中心のG、貨幣に着目すれば、2回の取引に必要となったGは、取引一回分のGのみである。これを流通必要貨幣量と呼ぶ。具体的な数値を当てはめると、Gが10ポンドならば、この10ポンドで20ポンド分の取引が行われたことになる。つまり、流通必要貨幣量は10ポンドである。

 ここで、価格をP、商品の量をq、流通速度(回数)をF、必要貨幣量をMとすると、P×q/F=Mということになる。必要な貨幣量(右辺)は、流通するものの価格と量(P×q)が増えれば増加するが、貨幣が還流する速度(別の人の手に渡る速度,F)が早ければ減少するという意味である。

 マクロ経済学では、価格をP、取引量をT、貨幣残高をM、回数(速度)をVとして、P×T/V=M、整理してMV=TPとなる。これはフィッシャーの交換方程式と呼ばれる。これを基に、物価を上昇させるには通貨量を増やせばよいといったような貨幣数量説も唱えられた。

 他にも、貨幣量と国民所得の関係を唱えたマーシャルのケンブリッジ現金残高方程式や、貨幣量は物価水準に影響するだけで所得水準には影響を与えないという貨幣ヴェール観という考え方もあるが、本旨からそれるためここでは名前だけの紹介に留める。

 さて、金が貨幣として扱われるようになると、流通によって金が減少していくという問題が発生し、貨幣の持つ価値と減少を考慮した実際の価値との分離が起こるようになった。例えば、金10g分の貨幣が実際は摩耗して8gしか無い、といった具合である。そこで金の代替物として、金80%、鋼20%で造られた鋳造貨幣が使われるようになった。これがさらに発展して、無価値な紙幣を国家紙幣として流通させるに至った。国家紙幣として、金との交換が保証された金券を流通させることで、金本位制を樹立したのである。金本位制の下では、紙幣の発行量は金の保有量内に制限されていた。金の保有量を超えて紙幣を発行した場合、紙幣は信用を失い、インフレーション(物価高、紙幣価値の下落)が発生してしまう。

 貨幣取引、商品交換の発展により、信用取引も発展した。その一例として、取引で建て替えを為すという意味の為替制度が誕生した。ある商品の代金を支払うときに、その金額分の送金依頼を記した銀行券を渡すことで、遠隔地で商売をする負担が軽減された。期日に支払うことを約束する約束手形や、銀行へ持参することで当座預金から金額が支払われる小切手も、信用通貨の一種である。また日本銀行券も信用通貨の一種である。紙幣とは、政府が発行したものを指す言葉である。

https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/919.html#c4

[近代史4] ト・アペイロン 経済原論概説 中川隆
3. 中川隆[-10787] koaQ7Jey 2020年10月18日 19:09:11 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[19]
経済原論概説 第3回 貨幣から資本への転化
ト・アペイロン 2020/04/01
https://note.com/scienta_est/n/n747c2214cbd3?magazine_key=m75824ff6e6c2

貨幣によってもたらされる商品交換のプロセスは

W - G - W - G - W - G -…

となり、商品Wを売って貨幣Gと交換し、その貨幣で新たな商品を購入することが可能となった。このような形式が発展すると、

G-W-G* G*=G+ΔG  (Δは増加を表す)

例えば、G=100円、W=100円、ΔG=20円とすると、上記式は100円で仕入れたWを120円で販売していることになる。つまり、購入時よりも高値で売ることで利潤が生まれているということである。この時Gは元手=資本として機能することになるのである。

 しかし、全ての人が安く買って安く売ることは不可能である。そんなことをすれば商品の値段は際限なく高騰してしまうし、そもそも高すぎる商品は売れない。これは日常的な感覚で考えればわかりやすいだろう。

 では、利潤はどこから発生するのだろうか。式を見ると、最終的にGが増加しているが、Gそのものの価値がひとりでに上昇したわけではない。そこに置いておいた100円が何もしないのに120円に増えるのはおかしな話である(このような考え方は唯物論的であると言えるだろう)。

 また原論的な考えに則せば、単純な物々交換や買った商品に高い値段を付けて販売する方法では、社会の利潤は恒久的に0である(20円高く売りつけて得をした人がいても、20円損する人がいるため、社会全体の利潤は相殺される)。

 価値が上昇したのはWの過程においてであると考えるのが合理的であろう。つまり、商品に付加価値が加えられたと解釈するのである。生産(過程)Pを考慮に入れて上記式を書き直すと次のようになる。

G - W ⋯ P ⋯ W' - G' G'=G+ΔG

 先の例と同様に考えると、G=100円、W=100円だが、ここでWに生産活動=労働が加わることで、100円のWがW'となり、その価値を金額で測ると120円となった結果として、ΔG=20円が創出されると考えることができる。

 ΔGの部分を、マルクス経済学では剰余価値と呼び、これが利潤の源であると考える。WにPを加えること、つまり生産的労働によって商品を加工あるいは創造することによって、価値を高めることが可能になるのである。ΔGは、貨幣の価値尺度機能を用いてその価値を金額で測ったものに過ぎないのである。このようにマルクス経済学は、価値を生み出すものは労働であるという、労働価値説に基づいていのである。

次回は労働(P)に着目し、資本主義社会の解析を行う。

https://note.com/scienta_est/n/n747c2214cbd3?magazine_key=m75824ff6e6c2
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1118.html#c3

[近代史4] マルクスの貨幣論 中川隆
1. 中川隆[-10786] koaQ7Jey 2020年10月18日 19:10:22 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[20]
経済原論概説 第3回 貨幣から資本への転化
ト・アペイロン 2020/04/01
https://note.com/scienta_est/n/n747c2214cbd3?magazine_key=m75824ff6e6c2


貨幣によってもたらされる商品交換のプロセスは

W - G - W - G - W - G -…

となり、商品Wを売って貨幣Gと交換し、その貨幣で新たな商品を購入することが可能となった。このような形式が発展すると、

G-W-G* G*=G+ΔG  (Δは増加を表す)

例えば、G=100円、W=100円、ΔG=20円とすると、上記式は100円で仕入れたWを120円で販売していることになる。つまり、購入時よりも高値で売ることで利潤が生まれているということである。この時Gは元手=資本として機能することになるのである。

 しかし、全ての人が安く買って安く売ることは不可能である。そんなことをすれば商品の値段は際限なく高騰してしまうし、そもそも高すぎる商品は売れない。これは日常的な感覚で考えればわかりやすいだろう。

 では、利潤はどこから発生するのだろうか。式を見ると、最終的にGが増加しているが、Gそのものの価値がひとりでに上昇したわけではない。そこに置いておいた100円が何もしないのに120円に増えるのはおかしな話である(このような考え方は唯物論的であると言えるだろう)。

 また原論的な考えに則せば、単純な物々交換や買った商品に高い値段を付けて販売する方法では、社会の利潤は恒久的に0である(20円高く売りつけて得をした人がいても、20円損する人がいるため、社会全体の利潤は相殺される)。

 価値が上昇したのはWの過程においてであると考えるのが合理的であろう。つまり、商品に付加価値が加えられたと解釈するのである。生産(過程)Pを考慮に入れて上記式を書き直すと次のようになる。

G - W ⋯ P ⋯ W' - G' G'=G+ΔG

 先の例と同様に考えると、G=100円、W=100円だが、ここでWに生産活動=労働が加わることで、100円のWがW'となり、その価値を金額で測ると120円となった結果として、ΔG=20円が創出されると考えることができる。

 ΔGの部分を、マルクス経済学では剰余価値と呼び、これが利潤の源であると考える。WにPを加えること、つまり生産的労働によって商品を加工あるいは創造することによって、価値を高めることが可能になるのである。ΔGは、貨幣の価値尺度機能を用いてその価値を金額で測ったものに過ぎないのである。このようにマルクス経済学は、価値を生み出すものは労働であるという、労働価値説に基づいていのである。

次回は労働(P)に着目し、資本主義社会の解析を行う。

https://note.com/scienta_est/n/n747c2214cbd3?magazine_key=m75824ff6e6c2
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html#c1

[番外地8] 今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば生活に必要な物がすべて作れる時代です。 中川隆
2. 中川隆[-10785] koaQ7Jey 2020年10月18日 19:27:16 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[21]
三橋さんは昭和脳ですね。
今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
言い換えると、日本人の 3/4はやるべき仕事が無いんですね。
政府が公共事業で需要を増やしたところで大して変わりません。
それで日本人の 3/4 は、風俗とかパチンコとかヤクザとかラーメン屋、喫茶店、スナック、コンビニ、ガソリンスタンド、薬局、歯医者とか、やってもやらなくてもいい生産性がゼロに近いサービス業をして何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 3/4 のやる仕事ができるという訳ではないですね。

現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:
(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。
三橋さんは緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

セブンイレブン、業績好調なのに大量閉店の闇〜月収26万円で疲弊するオーナーたち=栫井駿介
2019年10月24日
https://www.mag2.com/p/money/798181

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。

________

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない
起業家の厳しい実態

10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。

個人事業主より会社設立の方が、より速いペースで廃業しているのが分かります。

理由は自分ひとりでやるよりも、他人に給料を払えば余計なコストが発生するからだと考えられます。


会社を設立する人はだいたい、会社員として仕事がデキる人で、自信満々で部下を引き抜いたりして開業する。

いわば人生のピークで勝負をかけて起業するのだが、統計からは例外を除いて失敗に終わっています。

「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。


現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。

既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。

それでも起業して数ヶ月の間は、会社員だった頃のツテやコネから仕事を得られる場合があるが、それも無くなります。

最先端のビジネスほど続かない

起業する人には何かアイディアがあり「これが世の中に必要とされる筈だ」というような構想があると思います。

ところが革新的なアイディアの99%は、短期間で社会から不要になる事が多いです。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。


自分が住んでいる地域で30年続いている会社は、不動産とか床屋とか食堂とか、平凡で代わり映えしない業種しかないと思います。

まわりで10年続いている会社を見ても、喫茶店とかコンビニとか薬局、設計事務所や大工など「パッとしない」業種ばかりだと思います。

これが意味するのは新しいアイディアほど早く陳腐化している事で、生き残ったのは平凡で「ダサい」ものだったのでした。


中でも手堅いのは食堂で、味が良くて固定客が多くついていたら、店主の体力が続くまで営業が続けられます。

人気食堂が閉店する理由の多くは、親父が病気になったとか代替わりで息子が継がなかったなどです。

社会が変わっても人間はメシを食うので、30年後も家の近所で食べ物屋は存在している筈です。


日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。

月商はもちろん売上げであって、そこから様々な経費を差し引いたのが収入になります。

仮に月商の50%が利益になるとしても月収15万円未満な訳で、起業した人の家計が非常に苦しくなるのが分かります。

10年続いたら成功者

良く不動産ビジネスで「年商1億円」のように言う人が居ますが、不動産の利益は良くて年10%以下と言われています。

しかもこれは借金が無い場合なので、利子の支払いなどがあれば年商1億円でも「年収」は500万円以下かも知れません。

起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。


起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。

会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。


設計の仕事で起業したとしても、膨大な雑事が発生してやりたい仕事になかなか取り掛かれないでしょう。

顧客の獲得や対応、宣伝、値引き要求や代金不払い、理不尽なクレームなどありとあらゆるトラブルを1人で処理しなくてはならない。

一時的に成功しても、流行の業種ほどすぐに陳腐化して仕事と売上げが減るのが普通です。


時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

________

失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら資産家の資産が目減りして所得再分配になるし(インフレ税)

超円安になったら日本の輸出企業の一人勝ちで、海外の競合メーカーはすべて倒産するし

日本政府が貧困者にいくらお金をばら撒いても大企業や資本家の資産が減るだけです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/504.html#c2

[番外地8] 現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて… 中川隆
3. 中川隆[-10784] koaQ7Jey 2020年10月18日 19:28:02 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[22]
三橋さんは昭和脳ですね。
今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
言い換えると、日本人の 3/4はやるべき仕事が無いんですね。
政府が公共事業で需要を増やしたところで大して変わりません。
それで日本人の 3/4 は、風俗とかパチンコとかヤクザとかラーメン屋、喫茶店、スナック、コンビニ、ガソリンスタンド、薬局、歯医者とか、やってもやらなくてもいい生産性がゼロに近いサービス業をして何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 3/4 のやる仕事ができるという訳ではないですね。

現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:
(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。
三橋さんは緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

セブンイレブン、業績好調なのに大量閉店の闇〜月収26万円で疲弊するオーナーたち=栫井駿介
2019年10月24日
https://www.mag2.com/p/money/798181

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。

________

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない
起業家の厳しい実態

10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。

個人事業主より会社設立の方が、より速いペースで廃業しているのが分かります。

理由は自分ひとりでやるよりも、他人に給料を払えば余計なコストが発生するからだと考えられます。


会社を設立する人はだいたい、会社員として仕事がデキる人で、自信満々で部下を引き抜いたりして開業する。

いわば人生のピークで勝負をかけて起業するのだが、統計からは例外を除いて失敗に終わっています。

「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。


現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。

既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。

それでも起業して数ヶ月の間は、会社員だった頃のツテやコネから仕事を得られる場合があるが、それも無くなります。

最先端のビジネスほど続かない

起業する人には何かアイディアがあり「これが世の中に必要とされる筈だ」というような構想があると思います。

ところが革新的なアイディアの99%は、短期間で社会から不要になる事が多いです。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。


自分が住んでいる地域で30年続いている会社は、不動産とか床屋とか食堂とか、平凡で代わり映えしない業種しかないと思います。

まわりで10年続いている会社を見ても、喫茶店とかコンビニとか薬局、設計事務所や大工など「パッとしない」業種ばかりだと思います。

これが意味するのは新しいアイディアほど早く陳腐化している事で、生き残ったのは平凡で「ダサい」ものだったのでした。


中でも手堅いのは食堂で、味が良くて固定客が多くついていたら、店主の体力が続くまで営業が続けられます。

人気食堂が閉店する理由の多くは、親父が病気になったとか代替わりで息子が継がなかったなどです。

社会が変わっても人間はメシを食うので、30年後も家の近所で食べ物屋は存在している筈です。


日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。

月商はもちろん売上げであって、そこから様々な経費を差し引いたのが収入になります。

仮に月商の50%が利益になるとしても月収15万円未満な訳で、起業した人の家計が非常に苦しくなるのが分かります。

10年続いたら成功者

良く不動産ビジネスで「年商1億円」のように言う人が居ますが、不動産の利益は良くて年10%以下と言われています。

しかもこれは借金が無い場合なので、利子の支払いなどがあれば年商1億円でも「年収」は500万円以下かも知れません。

起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。


起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。

会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。


設計の仕事で起業したとしても、膨大な雑事が発生してやりたい仕事になかなか取り掛かれないでしょう。

顧客の獲得や対応、宣伝、値引き要求や代金不払い、理不尽なクレームなどありとあらゆるトラブルを1人で処理しなくてはならない。

一時的に成功しても、流行の業種ほどすぐに陳腐化して仕事と売上げが減るのが普通です。


時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

________

失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら資産家の資産が目減りして所得再分配になるし(インフレ税)

超円安になったら日本の輸出企業の一人勝ちで、海外の競合メーカーはすべて倒産するし

日本政府が貧困者にいくらお金をばら撒いても大企業や資本家の資産が減るだけです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/439.html#c3

[番外地8] 1985年のプラザ合意でドル-円が半値になって、日本は輸出で稼げなくなったので内需拡大する為に金融緩和してお金をばら撒いたのです
日本政府が三橋さんが何時も言っている様な大規模財政出動や公共事業をやっていた時代も有りましたが、結果は大失敗に終わり、日本は二等国になってしまいました:
1985年のプラザ合意でドル-円が半値になって、日本は輸出で稼げなくなったので内需拡大する為に金融緩和してお金をばら撒いたのです。つまり、輸出企業の仕事が無くなったので内需振興で国民の仕事を増やそうとしたのです。

その段階で日本政府は三橋さんが何時も言っている財政出動・公共事業で国内需要を増やしました。
そしてその結果、円の貨幣価値が暴落して、日本のGDP,、日経平均と日本の不動産価格は暴騰しました。
しかし労働者の実質賃金は全く上がらなかったのです。

円の貨幣価値が暴落したのを見てCIAは日本経済を完膚無きまでに破綻させる為にバブル崩壊を仕掛けました:

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。
 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。
 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。
 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。
 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。  
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/508.html

[近代史3] プチエンジェル事件の深すぎる闇 中川隆
82. 中川隆[-10783] koaQ7Jey 2020年10月18日 20:23:35 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[24]
アメリカには各国の有力者をコントロールする仕組みが存在する。昨年7月6日にその一端が露見した。未成年の男女を世界の有力者に提供し、寝室などでの行為を映像などで記録して脅しに使っていたジェフリー・エプスタインが逮捕されたのである。エプスタインの妻だったギスレイン・マクスウェルも共犯関係にあると言えるだろう。

 ギスレインの父親はイギリスのミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェル。は1960年代からイスラエルの情報機関と関係が深いと言われていたロバートの死体が1991年11月、カナリア諸島沖で発見された。

 イスラエル軍の情報機関ERDに所属、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経験のあるアリ・ベンメナシェによると、3名ともイスラエル軍の情報機関(AMAM)に所属していた。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)

 つまり、イスラエルの情報機関に弱みを握られた有力者は世界中にいるということ。その仕組みの中で重要な役割を果たしていたエプスタインの「友人」としてドナルド・トランプ、ビル・クリントン、イギリスのアンドリュー王子が有名だが、JPモルガンの重役だったジェームズ・ステイリー、財務長官を務めたローレンス・サマーズ、COVID-19問題で重要な役割を果たしてきたビル・ゲイツなど親しい。そのほか著名な学者やジャーナリストも親しくしていた。

 ニューヨーク・タイムズ紙によると、​エプスタインはニューメキシコの牧場で自分のDNAによって複数の女性を妊娠させる計画を持っていた​という。ノーベル賞を受賞したような著名な科学者をエプスタインが招待していることから、エプスタインを含むグループは優生学的な実験を行おうとしていたのではないかという疑いもある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010180000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html#c82

[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
67. 中川隆[-10782] koaQ7Jey 2020年10月18日 20:24:17 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[25]
アメリカには各国の有力者をコントロールする仕組みが存在する。昨年7月6日にその一端が露見した。未成年の男女を世界の有力者に提供し、寝室などでの行為を映像などで記録して脅しに使っていたジェフリー・エプスタインが逮捕されたのである。エプスタインの妻だったギスレイン・マクスウェルも共犯関係にあると言えるだろう。

 ギスレインの父親はイギリスのミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェル。は1960年代からイスラエルの情報機関と関係が深いと言われていたロバートの死体が1991年11月、カナリア諸島沖で発見された。

 イスラエル軍の情報機関ERDに所属、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経験のあるアリ・ベンメナシェによると、3名ともイスラエル軍の情報機関(AMAM)に所属していた。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019)

 つまり、イスラエルの情報機関に弱みを握られた有力者は世界中にいるということ。その仕組みの中で重要な役割を果たしていたエプスタインの「友人」としてドナルド・トランプ、ビル・クリントン、イギリスのアンドリュー王子が有名だが、JPモルガンの重役だったジェームズ・ステイリー、財務長官を務めたローレンス・サマーズ、COVID-19問題で重要な役割を果たしてきたビル・ゲイツなど親しい。そのほか著名な学者やジャーナリストも親しくしていた。

 ニューヨーク・タイムズ紙によると、​エプスタインはニューメキシコの牧場で自分のDNAによって複数の女性を妊娠させる計画を持っていた​という。ノーベル賞を受賞したような著名な科学者をエプスタインが招待していることから、エプスタインを含むグループは優生学的な実験を行おうとしていたのではないかという疑いもある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010180000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html#c67

[近代史4] 昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした 中川隆
12. 中川隆[-10781] koaQ7Jey 2020年10月18日 20:27:56 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[27]

 第2次世界大戦の終盤、CIAの前身であるOSSはドイツの科学者やエンジニア1500名以上を雇い、アメリカへ連れてきた。ペーパークリップ作戦だ。当時、OSSや軍の反ソ連勢力はフランクリン・ルーズベルト大統領を無視する形でナチスの元高官らを逃がすラットラインを作り、その元高官たちを保護、雇用している。ブラッドストーン作戦だ。

 本ブログで何度も書いたことだが、アメリカの金融資本は大戦の前からファシズムに傾倒、国務省は親ファシスト派の巣窟だった。第2次世界大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領は各国の首脳と会談しているが、そうした会談に同行させたのは基本的に軍人。外交官を信用していなかった。同行した非軍人はルーズベルトが個人的に信頼していたハリー・ホプキンスだけだった。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010180000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html#c12

[近代史5] 天皇一族は反日売国奴でアメリカ金融資本のエージェントだった 中川隆
3. 中川隆[-10780] koaQ7Jey 2020年10月18日 20:29:24 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[28]

 第2次世界大戦の終盤、CIAの前身であるOSSはドイツの科学者やエンジニア1500名以上を雇い、アメリカへ連れてきた。ペーパークリップ作戦だ。当時、OSSや軍の反ソ連勢力はフランクリン・ルーズベルト大統領を無視する形でナチスの元高官らを逃がすラットラインを作り、その元高官たちを保護、雇用している。ブラッドストーン作戦だ。

 本ブログで何度も書いたことだが、アメリカの金融資本は大戦の前からファシズムに傾倒、国務省は親ファシスト派の巣窟だった。第2次世界大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領は各国の首脳と会談しているが、そうした会談に同行させたのは基本的に軍人。外交官を信用していなかった。同行した非軍人はルーズベルトが個人的に信頼していたハリー・ホプキンスだけだった。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010180000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/105.html#c3

[番外地8] 的場 光昭は アイヌ語方言が8つの完全に違う言葉の総称、アイヌ人は 8民族の総称 とか言ってるけど、単なる方言差だよ
アイヌという複数の部族というのは妄想だよ
アイヌ人のY-DNAも全地域で殆ど同一で、縄文人と全く変わらない
日本人の Y-DNA は縄文人とは全く違う

的場 光昭は
アイヌ語方言が8つの完全に違う言葉の総称、アイヌ人は 8民族の総称
とか言ってるけど、単なる方言差だよ


アイヌ語の方言差は
アイヌ語と日本語、アイヌ語とニブフ語、アイヌ語とツングース語の差に比べると無視できる程度なんだよ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/509.html

[番外地8] 北海道には強制連行で連れて来られた z ainichi が多いんだ。

北海道には強制連行で連れて来られた z ainichi が多いんだ。
内地の z ainichi は同和braku に住んでいるから、アイヌと同和braku が繋がるんだよ。 両方共、日本人から迫害されているからね。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/510.html
[番外地8] アイヌ人は考古学的に縄文時代からずっと繋がっているのが確認されている
アイヌ人は考古学的に縄文時代からずっと繋がっているのが確認されているんだよ
日本人は c house n から渡来したのがわかっている。

アイヌ人は鎌倉時代までは大規模農業をやっていたけど、日本人から鉄製農具の供給を止められたから狩猟民に戻ったんだ。 その際にシベリアの狩猟文化を取り入れたのさ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/511.html

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
7. 中川隆[-10779] koaQ7Jey 2020年10月18日 22:12:22 : WKyPV5eFRY : WDdzVVpPcGZjT1U=[29]
Ring: The Final Chapter 8話



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c7
[番外地8]  平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベル… 中川隆
1. 中川隆[-10778] koaQ7Jey 2020年10月19日 06:28:31 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[1]
日本政府が三橋さんが何時も言っている様な大規模財政出動や公共事業をやっていた時代も有りましたが、結果は大失敗に終わり、日本は二等国になってしまいました:
1985年のプラザ合意でドル-円が半値になって、日本は輸出で稼げなくなったので内需拡大する為に金融緩和してお金をばら撒いたのです。つまり、輸出企業の仕事が無くなったので内需振興で国民の仕事を増やそうとしたのです。

その段階で日本政府は三橋さんが何時も言っている財政出動・公共事業で国内需要を増やしました。
そしてその結果、円の貨幣価値が暴落して、日本のGDP,、日経平均と日本の不動産価格は暴騰しました。
しかし労働者の実質賃金は全く上がらなかったのです。

円の貨幣価値が暴落したのを見てCIAは日本経済を完膚無きまでに破綻させる為にバブル崩壊を仕掛けました:

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。
 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。
 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。
 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。
 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。

ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。

 彼等は、この二つの研究から面白い現象に気付きます。それは日経平均株価(日本経済新聞社が、東京証券取引所一部上場の代表的な225銘柄について算出し、発表しているダウ式平均株価)が単純平均(相加平均のことで、算術平均ともいわれ、n個の数を加えた和をnで除して得る平均値のこと)で作られた「指数」から出来ている事と、もう一つはこれらの指数の分析から、品薄な銘柄を意図的に買うと、少ない資金で日経平均株価を持ち上げることができるという経済現象に気付いたのです。

 こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。

 この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街で展開していました。
 1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/506.html#c1

[近代史5] 日本人の遺伝子の地域差 _ 近畿と四国は漢民族に近い
日本人の遺伝子の地域差 _ 近畿と四国は漢民族に近い

雑記帳 2020年10月18日
都道府県単位の日本人の遺伝的構造
https://sicambre.at.webry.info/202010/article_25.html


 都道府県単位の日本人の遺伝的構造に関する研究(Watanabe et al., 2020)が報道され、話題になっているようです。日本語の解説記事もあります。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文では、日本人の遺伝的構造を解明するため、47都道府県単位と、さらに大きな9地域区分(北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州・沖縄)単位で遺伝的データが分析されました。この区分は、以下の本論文の図1で示されます。

画像
https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs10038-020-00847-0/MediaObjects/10038_2020_847_Fig1_HTML.png


 日本列島には、アイヌと主に沖縄の琉球人という二つの小集団と、その他の大多数を占める「本土」日本人という大集団が存在します。日本人の人口史については、変容・置換・交雑という3モデルが提示されており、現在有力なのは、交雑モデルの一つである「二重構造モデル」です。このモデルでは、現代日本人は先住民である「縄文人(縄文文化関連個体群)」とアジア東部大陸部からの移民との混合により形成された、と想定されます。頭蓋形態に関する以前の研究では、アイヌと琉球人が「本土」日本人より「縄文人」に近く、東北地方の人々は形態的にアイヌに近い、と示唆されています。遺伝学的にも、アイヌと琉球人は「本土」日本人よりも「縄文人」の遺伝的影響を強く受けており、とくにアイヌではその影響がひじょうに高い、と推測されています(関連記事)。

 これまでの遺伝学的研究で、「本土」日本人と沖縄県民との間の遺伝的差異は示されていますが、「本土」日本人の都道府県間の遺伝的差異はよく理解されていません。以前の研究で、主成分分析から東北地方の人々が沖縄県民に近く、「縄文人」の遺伝的影響が強い、と示唆されています。しかし、東北地方の全県の人々が遺伝的に沖縄県民に近いのか不明で、さらに四国・中国地方の人々は対象とされていませんでした。本論文では、47都道府県全ての11069人のゲノム規模一塩基多型データが分析され、都道府県水準での日本人の遺伝的構造が明らかにされます。これは、ヤフー株式会社が提供するゲノム解析サービス「HealthData Lab」の顧客11069名の138688ヶ所の常染色体一塩基多型遺伝子型データに基づいています。その地域的内訳は、本論文の表1で示されています。

 まず、個体水準で主成分分析が行なわれ、琉球人(おもに沖縄県民)と「本土」日本人(おもに沖縄県以外の46都道府県民)が遺伝的に明瞭に分かれる、と確認されました。なお、本論文で用いられたデータにアイヌは含まれていないと考えられます。常染色体上の138688ヶ所の一塩基多型遺伝子型データから各個体の主成分得点が求められ、プロットされました。次に、47都道府県のそれぞれから50名ずつ無作為抽出されて各一塩基多型のアレル(対立遺伝子)頻度が計算され、中華人民共和国の北京の漢人も含めてペアワイズにf2統計量(2集団間の遺伝距離を測る尺度の一つで、一塩基多型データに対するf2統計量は、一塩基多型ごとにあれる頻度の集団間差の2乗を計算し、それらの平均値として与えられます)を求めてクラスタ分析(多数の変数、つまり多次元データからデータ点間の非類似度を求め、データ点をグループ分けする多変量解析手法の一つで、グループ分けが階層的になされる階層的手法と、特定のクラスター数に分類する非階層的手法があり、本論文では階層的手法の一つであるウォード法が用いられました)が行なわれました。

 日本人11069人と103人の漢人を対象とした主成分分析では、漢人に近い個体を除くと、日本人は沖縄県民を中心とする「琉球クラスタ」と本土日本人を中心とする「本土日本クラスタ」に大きく二分されました(図1)。本土日本クラスタ内では、東北の個体群が沖縄県民と、近畿および四国の個体群が漢人と比較的近い、と明らかになりました。以下、日本人と漢人を対象とした主成分分析結果を示した本論文の図2です。

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https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs10038-020-00847-0/MediaObjects/10038_2020_847_Fig2_HTML.png


 ADMIXTURE分析(K=2からK=5まで)では、系統の割合が沖縄県民と他の都道府県民との間でかなり異なっていました。K=2では(図3)、青色成分が沖縄県民の系統の大半を占めています。沖縄県を除く都道府県では、青色成分の割合が近畿と四国で比較的低く、東北・関東・九州で比較的高い、と明らかになりました。以下、K=2の場合のADMIXTURE分析結果を示した本論文の図3です。

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https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs10038-020-00847-0/MediaObjects/10038_2020_847_Fig3_HTML.png


 都道府県単位のクラスタ分析では、沖縄県民が他の全都道府県民と大きく異なり、沖縄県民を除く都道府県民は大きく3クレード(単系統群)に区分されました。クレード1は東北の全県、クレード2は四国と近畿の全府県、クレード3は中国と九州の全県を含みます。したがって、これら5地域(東北・四国・近畿・中国・九州)は比較的遺伝的には均質と考えられます。f2統計に基づくと、九州、とくに鹿児島県民が遺伝的には沖縄県民に最も近い、と明らかになりました。

 47都道府県単位での主成分分析では、同じ地域の都道府県が近くに位置づけられました(図5)。PC1軸では、沖縄県が他の都道府県から離れており、東北と九州の諸県は沖縄県と比較的近くに位置します。沖縄から最も遠いのは、近畿と四国の諸府県です。PC2軸は緯度および軽度と強く相関しており、各都道府県の地理的位置が反映されていることを示します。以下、47都道府県単位での主成分分析結果を示した本論文の図5です。

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https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs10038-020-00847-0/MediaObjects/10038_2020_847_Fig5_HTML.png


 主成分分析結果を示す上記の図2は、近畿と四国の人々が他の都道県民よりも遺伝的に漢人に近いことを示唆します。これを確認するためf2統計が行なわれ、近畿と四国の人々が他のほとんどの都道県民よりもかなり漢人に近い、と明らかになりました。本論文の分析では、47都道府県民のうち、漢人と遺伝的に最も近いのは奈良県民です。

 これらの分析結果を踏まえると、以前の研究と同様に、日本列島の現代人集団は遺伝的に沖縄と本土日本に区分される、と改めて確認されました。ただ、上述のように本論文ではアイヌは含まれないと考えられるので、アイヌを含めると二分ではなく三分されるでしょう。上述のように、以前の研究で本土日本人よりも琉球人の方が遺伝的には縄文人と近い、と示されていました。つまり、本土日本人は琉球人よりも、アジア東部大陸部からの(おそらくは弥生時代以降の)移民に遺伝的に近いことになります。これは、上記の図3で示されたK=2のADMIXTUREにおいて、青を縄文人由来、橙を弥生時代以降の移民に由来すると仮定した場合に確認されます。

 アジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民は、遺伝的に漢人に近いと予測されます。上記の図5で示された主成分分析のPC1軸で沖縄から最も遠い近畿と四国の府県は、他のほとんどの都道県よりも漢人に近い、と明らかになりました。図5のPC1軸は、縄文人とアジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民という二つの祖先集団との遺伝的類似性を反映しているようです。遺伝的に、東北と九州の個体群は他地方よりも縄文人に近く、一方で近畿と四国の個体群はアジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民に近いようです。アイヌは北海道の在来集団ですが、現代の北海道民のほとんどは明治時代以降の本土日本からの移民の子孫です。したがって、アイヌは遺伝的に本土日本人よりも琉球人の方と類似していますが、現代の北海道民は琉球人と類似していません。縄文人系統の地域差が、現代日本人集団の遺伝的構造の主因かもしれません。

 主成分分析では、地理的位置が本土日本人の遺伝的構造に関わる主因の一つであることも明らかになりました。上記の図5のPC2軸と緯度もしくは経度との有意な相関は、隣接する都道府県間の移動によるものと考えられます。この結果は予測できましたが、ゲノム規模の一塩基多型遺伝子型データを用いて都道府県水準で大規模な分析を行なった本論で初めて示されました。

 本論文は、四国の住民が本土日本人の中では比較的漢人に近いことを始めて示しました。上記の図2では、四国の人々はわずかしか漢人クラスタと本土日本人クラスタとの間に位置づけられないので、四国の現代人は、中国人や朝鮮人とあまり混合していない可能性があります。したがって、アジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民の遺伝的構成は四国でよく保存されている、と考えられます。アジア東部大陸部からの移民により導入された水稲耕作は九州北部で始まったので、この移民はまず九州北部に到来した可能性が高そうです。もしそうならば、アジア東部大陸部から四国への移住には、中国や九州を経由して瀬戸内海を渡る必要があります。それにも関わらず、四国は中国や九州よりも遺伝的に漢人に近く、弥生時代以降の渡来系統の程度がアジア東部大陸部からの移民の移動経路と必ずしも一致しない、と示唆されます。四国の人々のゲノムに関する将来の研究では、弥生時代以降におけるアジア東部大陸部からの移民の遺伝的背景が解明されるかもしれません。しかし、近畿の現代人と漢人との遺伝的類似性に関しては、図2の2集団間で位置づけられた個体群のように、最近の混合に由来するかもしれません。

 上記の図5で示される主成分分析では、東北だけではなく九州も沖縄県に近くなっています。これは図2の主成分分析により支持され、九州の一部個体が本土日本クラスタと沖縄クラスタの間に位置づけられます。その一因は、九州と沖縄の地理的近さで、最近になって九州に沖縄県から移住した人々や、沖縄県出身の両親がいるからです。九州の各県では鹿児島県が沖縄県に最も近くなっています。これは、鹿児島県に属する奄美群島が、かつて沖縄本島に存在した琉球王国の支配下にあったからと考えられます。九州と沖縄の遺伝的近縁性は、上述のように地理的近さが一因と考えられますが、九州北部の3県(福岡・佐賀・長崎)も沖縄に遺伝的に近くなっています。上述のように、アジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民は九州北部にまず到来したと考えられますが、九州北部の現代人よりも四国や近畿の現代人の方が遺伝的には漢人と近くなっています。この結果は、アジア東部大陸部からの移民が、弥生時代に九州北部に存在した縄文人とあまり混合しなかったことを示唆しますが、これは将来解決されるべき問題です。

 また、日本人のさまざまな疾患に関連する多型を特定するため、遺伝的関連研究が行なわれてきました。偽陽性を回避するため、症例と対照の遺伝的背景はできるだけ一貫している必要があります。ゲノム規模関連研究では、ゲノム拡張係数もしくは主成分分析スコアの使用により、集団階層化による偽陽性は回避できるかもしれません。しかし、原因となる一塩基多型が被験者の遺伝的不均質に寄与している場合、こうした調整が偽陰性を引き起こすかもしれません。これらの問題に完全に対処することは困難ですが、本論文の結果は、患者と対照群は、上述の各クレード(クレード1〜3および沖縄)内の都道府県から募集する必要がある、と示唆します。

 まとめると、本土日本人は遺伝的に不均一で、これは、各地域で縄文人とアジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民との間の混合の程度と、近隣の都道府県間の限定的な移住によりもたらされた可能性があります。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は都道府県単位での日本人の遺伝的構造を示しており、ひじょうに有益だと思います。ただ、日本列島の現代人集団の遺伝的構造の地域差がどのように形成されてきたのか解明するには、やはり日本列島全域での通時的な古代ゲノムデータが必要となります。その意味で、現代日本人、さらにはその地域差の形成過程を、本論文から過剰に読み取ってはならない、とは思います。あくまでも、本論文はそうした問題に関して重要な基礎的情報を提供した、と考えるべきでしょう。

 本論文が提示する現代日本人の遺伝的構造の地域差は興味深く、今後の研究でより詳細に解明されていく、と期待されます。本論文では、日本列島の現代人のうち本土集団と琉球集団が取り上げられています。どちらも、日本人起源論で以前から提示されている「二重構造モデル」で説明されます。上述のように、縄文人とアジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民との混合により、日本列島の現代人集団は形成された、というわけです。ただ、本論文で取り上げられていないアイヌ集団に関しては、上述のように縄文人の遺伝的影響が本土集団および琉球集団よりもずっと高く、本土集団との混合が前近代より進行していたとはいえ(関連記事)、アジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民の遺伝的影響は本土集団および琉球集団よりもはるかに低いでしょう。

 このアジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民と遺伝的構成が最も類似していると推測されるのは、現時点で確認されている古代人では新石器時代黄河流域集団となります(関連記事)。このモデルでは、新石器時代黄河流域集団は出アフリカ現生人類(Homo sapiens)集団の中で位置づけられます。出アフリカ現生人類は、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐し、ユーラシア東部系統は南方系統と北方系統に分岐します。ユーラシア東部南方系統に位置づけられるのは、現代人ではパプア人やオーストラリア先住民やアンダマン諸島人、古代人ではアジア南東部狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)集団です。一方、ユーラシア東部北方系統からはアジア東部系統が分岐し、アジア東部系統はさらに南方系統と北方系統に分岐します。アジア東部北方系統は新石器時代黄河流域集団、アジア東部南方系統は新石器時代の福建省や台湾の集団(おそらくは長江流域新石器時代集団も)に代表され、オーストロネシア語族現代人の主要な祖先集団(祖型オーストロネシア語族集団)です(関連記事)。

 現代において、日本列島本土集団や漢人やチベット人などアジア東部現代人集団の主要な遺伝的祖先はアジア東部北方系統ですが、漢人は北部から南部への遺伝的勾配で特徴づけられ、それはアジア東部北方系統とアジア東部南方系統との混合により形成された、と推測されます。チベット人はアジア東部北方系統とユーラシア東部南方系統との、日本列島本土集団はアジア東部北方系統と縄文人との混合により形成されましたが、いずれもアジア東部北方系統の遺伝的影響の方がずっと高くなっています(80%以上)。縄文人は、ユーラシア東部南方系統(45%)とアジア東部南方系統(55%)との混合と推定されています。

 本論文では、日本列島の現代人集団のうち本土集団と琉球集団は、先住の縄文人とアジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民の混合と指摘されていますが、後者は基本的に新石器時代黄河流域集団に代表されるアジア東部北方系統と考えられます。ただ、稲作の北上に伴って黄河流域でも後期新石器時代にはアジア東部南方系統の割合の増加が指摘されているように(関連記事)、アジア東部大陸部から日本列島への弥生時代以降の移民も、アジア東部北方系統を基本としつつ、アジア東部南方系統の遺伝的影響を受けている、と推測されます。

 本論文の結果を踏まえると、沖縄県民ではアジア東部北方系統の遺伝的影響が他の都道府県民(本土集団)よりも低く、本土集団でも地域差がある、と言えそうです。本論文が指摘するように、アジア東部大陸部からの弥生時代以降の移民はまず九州北部に到来したと考えられるのに、その遺伝的影響は九州よりも近畿と四国で高くなっています。本論文はこれに関して、アジア東部大陸部からの移民が、弥生時代に九州北部に存在した縄文人とあまり混合しなかった可能性を示唆します。ただ、ヤマト政権成立後に、アジア東部北方系統の遺伝的構成の人々が朝鮮半島から日本列島に到来し(いわゆる渡来人)、畿内に優先的に居住したことを反映している可能性も考えられます。弥生時代だけではなく、古墳時代以降の混合も地域差を形成したかもしれない、というわけです。四国に関しては、近畿との歴史的なつながりを反映しているかもしれません。また関東の現代人がクレードを形成しなかったことについては、近代以降の各地からの移住の影響が大きいかもしれません。これらの問題の解明には、やはり広範囲で通時的な古代ゲノムデータが必要で、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Watanabe Y, Isshiki M, and Ohashi J.(2020): Prefecture-level population structure of the Japanese based on SNP genotypes of 11,069 individuals. Journal of Human Genetics.
https://doi.org/10.1038/s10038-020-00847-0


https://sicambre.at.webry.info/202010/article_25.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/333.html

[番外地8] 大西さんみたいに経済効率を優先するのが新自由主義
だから大西さんみたいに経済効率を優先するのが新自由主義なんだよ
大西さんはギャンブルとかスポーツは何も生み出さないから無意味だと言ってるだろ
そういう考え方が新自由主義なんだよ
そもそも大西さんは
現代は1日に2,3時間働けば十分
だと言ってるんだから、それ以外の時間は無意味で無駄な仕事をしているという事だろ。
経済効率とか考えるのが間違っているんだよ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/512.html
[番外地8] コロナ禍、超富裕層の総資産額は過去最高に 7月末で1080兆円

政府が財政出動しても株価と不動産価格が上がるだけだからね。
国際金融資本は相場のプロだから、バブルを作ってから潰してボロ儲けしてるんだ。
政府が財政出動すると、そこで使ったお金はすべて国際金融資本に持って行かれるだけだよ:

コロナ禍、超富裕層の総資産額は過去最高に 7月末で1080兆円 AFPBB News 2020/10/08
各国ビリオネア(超富裕層)の、2019年と2020年の資産額を比較した図解(2020年10月7日作成)。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%82%b3%e3%83%ad%e3%83%8a%e7%a6%8d%e3%80%81%e8%b6%85%e5%af%8c%e8%a3%95%e5%b1%a4%e3%81%ae%e7%b7%8f%e8%b3%87%e7%94%a3%e9%a1%8d%e3%81%af%e9%81%8e%e5%8e%bb%e6%9c%80%e9%ab%98%e3%81%ab-7%e6%9c%88%e6%9c%ab%e3%81%a71080%e5%85%86%e5%86%86/ar-BB19P9Aq?ocid=ientp&fullscreen=true#image=1


【AFP=時事】保有資産が10億ドル(約1060億円)を超える資産家、いわゆるビリオネア(超富裕層)の総資産額は今年、世界的な新型コロナウイルス危機をよそに、過去最高を記録した。スイス金融大手UBSと国際監査法人プライスウォーターハウスクーパース(PwC)が7日、報告した。

 報告書によると、世界のビリオネアは7月末時点で2189人で、総資産額は約10兆2000億ドル(約1080兆円)。これまで最高額だった2017年の8兆9000億ドル(約940兆円)を上回った。

 今年の特徴として、イーロン・マスク(Elon Musk)氏を代表格に、テクノロジー、ヘルスケア、製造といった業界の「イノベーター(革新者)やディスラプター(破壊者)」の超富裕層が増えており、エンターテインメントや不動産といった従来の超富裕層を数で上回りつつあると報告書は指摘している。この流れは、新型ウイルス危機によって加速しているという。

 しかし、パンデミック(世界的な大流行)による経済的困難に見舞われる人が多い中で、報告書の内容には激しい非難の声も上がった。

 英労働党のアンジェラ・レイナー(Angela Rayner)副党首はツイッター(Twitter)に、「ビリオネアは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックで大もうけしている。庶民が借金をし、企業が倒産し、失業率は急上昇し、人々が苦しみ大きな犠牲を払う一方で、世界の超富裕層はもうかりすぎて笑いが止まらない!」と投稿した。

______

2020年10月14日
アメリカで貧富の格差が最大 50人が下位半分と同等の資産
働く人はどんどん貧しく、働かない人がどんどん豊かになっている

アメリカで貧富の格差が最大
最近のニュースでアメリカの金持ち50人の資産が、米国民の下位半分と同等だったという調査結果がありました。

ブルームバーグによると米連邦準備制度理事会(FRB)の2020年上期データでこのような結果が出ている。

同レポートでは上位1%の合計純資産額34兆2000億ドル(約3620兆円)、下位50%(約1億6500万人)の資産額は合計2兆800億ドルだった。


また下位50%(上位1%と同額)の資産額は全米の家計資産の1.9%、上位49%の人が96%を保有している事になります。

ブルームバーグの独自調査では上位50人の資産は、2020年だけで3390億ドル増え、約2兆ドルだった。

2020年はコロナ流行による経済縮小であらゆる労働者が大打撃を受けたが、「働いていない」富裕層の資産は激増した。


このカラクリはFRBや各国が行ったコロナ支援や金融緩和にあり、大量のお金を発行したり配ったりした。

例え政府が貧困者にお金を渡しても、貧困者はすぐに使ってしまい最終的に金貸し屋や富裕層の資産になります。

これを象徴するのがGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)等のIT企業で、アメリカで成長しているのは巨大IT企業だけです。


米下院司法委員会議員は巨大IT企業分割を求めた演説の中で、「石油王や鉄道王が支配した時代のような独占を得てしまった」と表現した。

日本ではスマホ料金を巡って政府と巨大通信企業が対立しているが、これもIT企業の独占支配を巡る問題です。

IT企業の創始者やオーナーは昔の王や大名のような資産を手にし、労働者は働けば働くほど貧しくなっている

働くほど貧しくなる時代

資本主義理論では働けばお金を得られ生活が豊かになる筈だが、現実には働くほど貧困になっている。

この秘密は資産の増加にあり、世界の資産増加ペースが労働賃金増加を遥かに上回っている。

日本では最近30年で実質労働賃金がほとんど増えていないが、個人資産は今や2000兆円に達しようとしている。


バブル崩壊した1991年の家計資産は約1000兆円だったのに、2020年現在は約1900兆円と倍増している。

この30年間汗水たらして働いた人の給料は実質1円も増えず資産は減り、一切働かず金利収入だけを得た人の資産は倍増しました。

これでやる気が出たら凄いハングリー精神ですが、そのうち人類みな無気力になるでしょう。


経済学者によると現代は中世暗黒時代以上に貧富の差が大きく、人類史上最大の格差が生まれようとしている。

すると民主主義だの平等な権利だのは無意味になり、数人の超資産家が政治や経済を牛耳るようになる。

この社会が将来どうなるのかは不透明で、ある日マネー経済のシステムは破綻するのかも知れません。
http://www.thutmosev.com/archives/84127049.html

http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/513.html

[昼休み52] 何も知らない普通の人をドラッグの世界に引きずり込む手口 中川隆
92. 中川隆[-10777] koaQ7Jey 2020年10月19日 08:42:03 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[6]
◆女性から理性を奪って「消耗品」扱いし、身体と金を徹底的に絞り取る手口

新宿歌舞伎町は覚醒剤が大量に出回っている街なのだが、覚醒剤と言えばヤクザやチンピラの男性がやっているだけのように見える。私たちはあまり「覚醒剤依存の女性」というのを意識しない。

しかし、警察庁の統計では刑務所に入っている女性のは20%〜30%は覚醒剤取締法違反の逮捕となっており、その割合は年齢が若くなればなるほど多いことが統計で見えてくる。

少し古いのだが、平成20年〜24年の累計で見ると覚醒剤取締法違反で受刑している女子の統計を年代別に見るとこのようになっているのだ。

29歳以下:52.4%が覚醒剤取締法違反で受刑。
30歳代:53.9%が覚醒剤取締法違反で受刑。
40歳代:44.4%が覚醒剤取締法違反で受刑。

つまり、女性の性的な活動が活発な40代までの時期の女子受刑者は、覚醒剤が大半なのである。それ以後は窃盗が半分以上を占めるようになって覚醒剤依存の割合が減っていく。

統計は何も語っていないが、私には覚醒剤でボロボロになった女性がもはや「身体を売る」ようなビジネスもできなくなって見捨てられ、そこから貧困に堕ち、窃盗で逮捕されている姿が目に浮かぶ。

何が言いたいのかというと、覚醒剤依存の女性はあまり私たちは存在を意識しないが、それなりの数がいて刑務所は覚醒剤依存者でひしめいているということだ。

ところで、その覚醒剤だが、これはコンビニやスーパーで売っているわけがない。普通の女性は手に入らないし、手に入れようと思ったら必ず「男」が介在している。覚醒剤の売り手はほぼ「男」がやっているからだ。

では、彼女たちは「覚醒剤が欲しいから10グラムちょうだい」とか注文を出していたのだろうか。いや、そうではないはずだ。男がそれを覚醒剤と言わなかったり、騙したりして依存させていったはずだ。

なぜか。若い女や美しい女を自分に縛りつけ、アンダーグラウンドの世界に縛りつけ、裏の世界から抜けさせないようにするために、覚醒剤は便利なツールだからだ。覚醒剤に依存させて、女性の人生を破壊するまで身体と金を絞り取るのである。
https://blackasia.net/?p=20748
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/902.html#c92

[近代史3] ヤクザは女性に言う事をなんでも聞かせる為に刺青をしている 中川隆
17. 中川隆[-10776] koaQ7Jey 2020年10月19日 08:42:32 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[7]
◆女性から理性を奪って「消耗品」扱いし、身体と金を徹底的に絞り取る手口

新宿歌舞伎町は覚醒剤が大量に出回っている街なのだが、覚醒剤と言えばヤクザやチンピラの男性がやっているだけのように見える。私たちはあまり「覚醒剤依存の女性」というのを意識しない。

しかし、警察庁の統計では刑務所に入っている女性のは20%〜30%は覚醒剤取締法違反の逮捕となっており、その割合は年齢が若くなればなるほど多いことが統計で見えてくる。

少し古いのだが、平成20年〜24年の累計で見ると覚醒剤取締法違反で受刑している女子の統計を年代別に見るとこのようになっているのだ。

29歳以下:52.4%が覚醒剤取締法違反で受刑。
30歳代:53.9%が覚醒剤取締法違反で受刑。
40歳代:44.4%が覚醒剤取締法違反で受刑。

つまり、女性の性的な活動が活発な40代までの時期の女子受刑者は、覚醒剤が大半なのである。それ以後は窃盗が半分以上を占めるようになって覚醒剤依存の割合が減っていく。

統計は何も語っていないが、私には覚醒剤でボロボロになった女性がもはや「身体を売る」ようなビジネスもできなくなって見捨てられ、そこから貧困に堕ち、窃盗で逮捕されている姿が目に浮かぶ。

何が言いたいのかというと、覚醒剤依存の女性はあまり私たちは存在を意識しないが、それなりの数がいて刑務所は覚醒剤依存者でひしめいているということだ。

ところで、その覚醒剤だが、これはコンビニやスーパーで売っているわけがない。普通の女性は手に入らないし、手に入れようと思ったら必ず「男」が介在している。覚醒剤の売り手はほぼ「男」がやっているからだ。

では、彼女たちは「覚醒剤が欲しいから10グラムちょうだい」とか注文を出していたのだろうか。いや、そうではないはずだ。男がそれを覚醒剤と言わなかったり、騙したりして依存させていったはずだ。

なぜか。若い女や美しい女を自分に縛りつけ、アンダーグラウンドの世界に縛りつけ、裏の世界から抜けさせないようにするために、覚醒剤は便利なツールだからだ。覚醒剤に依存させて、女性の人生を破壊するまで身体と金を絞り取るのである。
https://blackasia.net/?p=20748
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/194.html#c17

[昼休み54] 相場に失敗すると奥さんとお嬢さんにはこういう運命が待っている 中川隆
2. 中川隆[-10775] koaQ7Jey 2020年10月19日 08:43:04 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[8]
◆女性から理性を奪って「消耗品」扱いし、身体と金を徹底的に絞り取る手口

新宿歌舞伎町は覚醒剤が大量に出回っている街なのだが、覚醒剤と言えばヤクザやチンピラの男性がやっているだけのように見える。私たちはあまり「覚醒剤依存の女性」というのを意識しない。

しかし、警察庁の統計では刑務所に入っている女性のは20%〜30%は覚醒剤取締法違反の逮捕となっており、その割合は年齢が若くなればなるほど多いことが統計で見えてくる。

少し古いのだが、平成20年〜24年の累計で見ると覚醒剤取締法違反で受刑している女子の統計を年代別に見るとこのようになっているのだ。

29歳以下:52.4%が覚醒剤取締法違反で受刑。
30歳代:53.9%が覚醒剤取締法違反で受刑。
40歳代:44.4%が覚醒剤取締法違反で受刑。

つまり、女性の性的な活動が活発な40代までの時期の女子受刑者は、覚醒剤が大半なのである。それ以後は窃盗が半分以上を占めるようになって覚醒剤依存の割合が減っていく。

統計は何も語っていないが、私には覚醒剤でボロボロになった女性がもはや「身体を売る」ようなビジネスもできなくなって見捨てられ、そこから貧困に堕ち、窃盗で逮捕されている姿が目に浮かぶ。

何が言いたいのかというと、覚醒剤依存の女性はあまり私たちは存在を意識しないが、それなりの数がいて刑務所は覚醒剤依存者でひしめいているということだ。

ところで、その覚醒剤だが、これはコンビニやスーパーで売っているわけがない。普通の女性は手に入らないし、手に入れようと思ったら必ず「男」が介在している。覚醒剤の売り手はほぼ「男」がやっているからだ。

では、彼女たちは「覚醒剤が欲しいから10グラムちょうだい」とか注文を出していたのだろうか。いや、そうではないはずだ。男がそれを覚醒剤と言わなかったり、騙したりして依存させていったはずだ。

なぜか。若い女や美しい女を自分に縛りつけ、アンダーグラウンドの世界に縛りつけ、裏の世界から抜けさせないようにするために、覚醒剤は便利なツールだからだ。覚醒剤に依存させて、女性の人生を破壊するまで身体と金を絞り取るのである。
https://blackasia.net/?p=20748
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/250.html#c2

[番外地8] 大西さんの貨幣論は18世紀の貨幣中立論そのものだ

論破王山根
論破王山根
9 時間前
@77 7 大西さんは「又貸し論」を信じているわけではなく、説明の便宜のために言っています。

他の動画では、きちんと「実際は原資がなくても信用創造はできる」と言っていましたよ。

論破王山根
論破王山根
9 時間前
「利子ゼロの又貸しで資金供給するなら、」

↑このコメントで大西さんの話が理解できていない人って分かる。

論破王山根
論破王山根
9 時間前
流し読みしただけでも、曲解が酷すぎる。

介護が無駄な仕事なんて、大西さんはいつどこで言ったんだよ。

そういう発言が出るということ自体、自分がそう思っている証拠。

77 7
77 7
4 時間前
@論破王山根
>「利子ゼロの又貸しで資金供給するなら、」

>↑このコメントで大西さんの話が理解できていない人って分かる。

大西さんが準拠しているエンデや地域通貨論というのは「利子ゼロの又貸しで資金供給する」のが正しいという経済論なんだよ。

論破王山根
論破王山根
3 時間前
@77 7 大西さんは「利子ゼロの又貸しで資金提供する」という政策論者ではなく、政府紙幣の発行を主張しています。信用創造そのものを否定しておりますので。

エンデを引用しているのは、利子やそれが時間泥棒に繋がっているといいう点においてのみです。

77 7
77 7
2 時間前
@論破王山根
政府紙幣は公共事業にしか使わないよ

論破王山根
論破王山根
2 時間前
@77 7 はい、それによって信用創造で発行されたお金を、時間をかけて償却する形をとります。

MMTを含む信用創造の仕組みそのものを破壊しようとしています。

77 7
77 7
2 時間前
@論破王山根
今は国債金利がマイナスになっているから政府紙幣発行と変わらないだろ

論破王山根
論破王山根
37 分前
@77 7 それについては
「MMTについて」という動画で説明されていますよ。

2つ問題があります。1つは「今まで発行されたお金の金利は残っていること」、2つめは「借金である以上、貸出時と償却時の価値が変わること」の2点をあげておられるます。

このことからMMTについても、根本的な問題解決において不十分とおっしゃっています。詳しくは動画を見てください。

論破王山根
注目の返信
論破王山根
33 分前
まーたぶん、見ないんでしょうけどねw

こういう自分勝手な解釈で批判する人って、他人を批判することが目的だから、理論の正当性とかどうでもいいんでしょう。

大西さんの話を聞いて、緊縮派とかありえないですw

77 7
77 7
53 秒前
@論破王山根
利子なしでリスクを無視して貸す銀行なんかないだろ
大西さんの貨幣論は18世紀の貨幣中立論そのものだ。
しかも、貨幣中立論ではマネーストックと物価は比例するとしている。
大西さんは物価高騰を心配しなければいけないのに、国債発行量が増えるのを心配している。
大西さんは経済知識がゼロなんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/514.html

[番外地8] 大西さんの貨幣論は18世紀の貨幣中立論そのものだ 中川隆
3. 中川隆[-10774] koaQ7Jey 2020年10月19日 12:28:01 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[12]

論破王山根
論破王山根
2 分前
@77 7はぁ ???
それを高いと思うなら、日本で生活すればいいよね?虫歯の治療費が高いのは、それはその国の問題でしょ?

あと大西さんはむしろ内需拡大派なので、円高推進派だと思いますが、、、
明言は聞いてないですが。

77 7
77 7
53 秒前(編集済み)
@論破王山根
海外だけでなく日本もハイパーインフレになっているよ、経済がわからない大西氏が気付いていないだけさ:
日銀の異次元緩和で円は紙屑化している:

東京金(ゴールド)の上場以来の約38年間のロングチャート
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/commodity/lineup/gold/long_chart.html

【日本のマネタリーベース、マネーストック(左軸、兆円)、貨幣乗数(右軸、倍)】
http://mtdata.jp/data_71.html#MBMS

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000786.jpg

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。

https://golden-tamatama.com/wp-content/uploads/2020/09/WS20200707AZCLOPUY000788.jpg

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

江戸時代の一両金貨に含まれる純金の量を半分に減らせば、一両で買える製品の量が半分になるのと同じさ。
円紙幣を倍に増やせば1万円で買えるゴールドや穀物やマクドナルドの量が半分になるに決まってるだろ。
大西さんは消費者物価の事を誤解しているんだ。
旧来の消費者物価の計算では買うものの価値は考慮していないんだよ

100円ショップで売っている傘はすぐに壊れるけど、既に淘汰されて手に入らなくなった日本製の傘と同じ傘としてカウントされている。
野菜の値段が昔と同じだとしても、今買える野菜は水銀・鉛入り、農薬まみれの中国産だけだ。
中国の年収10万円の農民とおなじ物を食べさせられているんだ。

海外から安物の粗悪品が沢山入ってきて日本製の高品質のものと入れ替わったから、旧来の消費者物価の計算法が見当外れになっているんだよ。
昔と値段が同じでも買っているものの価値が下がっているんだ

中国からの安物粗悪品を使えない分野ではハイパーインフレになっているよ:
マイホームとマイカーと子供2人を維持するには20年間で1億円かかる

日本では昭和期にはちょっとした会社に就職すれば(もちろん正社員)、車や一戸建ての家を購入できました。

それが今新車と新築の家を持ち、結婚して子供2人を大学まで入れるには20年間で1億円が必要です。
内訳は高級車が年100万、新築住宅が4000万円、子供を1人大学まで入れるのに2000万円です。
これだけで最低年収手取り500万円が必要で、生活費も必要なので手取り700万円が必要になります。
サザエさん的な生活をするには年収税込み900万円は必要だが、これは一部上場の勝ち組社員の年収です。

要するにバブル崩壊以降は労働者が搾取されているから子供を作れなくなったんですね。
どうやって搾取しているかというと、国債の利子でマネーストックを増やして貨幣価値を下げるという手口です。貨幣価値が下がっても中国から安物製品が大量に入ってくればインフレだというのが認識できなくなる。

それで物価が上がっていないという事にされ賃金も30年間上げない。しかし実質賃金だけは上がって子供を大学に行かせる金が労働者には出せなくなっている。
これが少子化とデフレの原因です。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/514.html#c3

[番外地8] 大西 つねきさんの新自由主義的価値観は基本的に間違っている 医療費削減の先にある恐怖…アメリカのパンデミックが収束しない… 中川隆
1. 中川隆[-10773] koaQ7Jey 2020年10月19日 12:57:50 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[15]
大西 つねきさんの新自由主義的価値観は基本的に間違っている
そもそも学生時代にアメリカに留学した方がいいとか逝かれてるんだよ
バイリンガルを目指すと日本語も英語もできなくなる。
特に日本文化がわからなくなるんだ。
バイリンガルは国際人ではないというのが大西さんには理解できないんだ。
日本の歴史や文化も知らない日本人は欧米の中流階級には相手にされないよ。

医療費削減の先にある恐怖…アメリカのパンデミックが収束しない理由を内田樹と岩田健太郎が指摘
2020.9.30

 コロナ・パンデミックは、「医療は商品である」という原理の無効性を可視化させた。そう語るのは、思想家の内田樹さんと医師の岩田健太郎さんだ。二人の対談が収められた『コロナと生きる』(朝日新書)から、なぜアメリカのパンデミックは収束しないのか、その背景について紹介する。
*  *  *
■コロナが晒した新自由主義の限界

内田:医療費の増加は、ここ20年ぐらい日本が抱える財政上の最大の問題とされてきました。国家財政を逼迫させているのは医療費である、だから医療費削減を達成することが焦眉の課題なんだと、政府も経済評論家も口を揃えて言い続けてきた。その結果、病床数を減らし、保健所を減らし、医薬品や医療器材の備蓄を減らすことになった。そうやって医療体制が十分に脆弱になったところに、今回のコロナのパンデミックが到来した。どう考えても医療費を削減させながら感染症に対応することはできません。

岩田:そうですね。

内田:国民の健康という点では何のプラスももたらさないはずの医療費削減政策がさしたる国民的な抵抗もなしにこれまですらすらと通って来たのは、新自由主義的な「医療とは商品である」という発想が国民の間に浸み込んでいたからなんじゃないかと僕は思います。医療は市場で金を出して買う商品である。だから、金があれば良質の医療を受けることができるけれど、金がなければ身の丈にあった医療しか受けることができない。不動産や自動車と同じで。そういうふうに考える人がいつの間にか多数派を占めるようになった。だから、「すべての国民が等しく良質の医療を受ける権利がある」と考える人は、今はむしろ少数派になったんじゃないでしょうか。

 金のある人、あるいは社会的有用性の高い人、生産性の高い人は医療を受ける権利があるが、そうでない人の治療のために公金を投じるべきではない。ちゃんとした治療を受けられないのは当人の自己責任だ、という冷たい考え方をする人がほんとうに増えた。一般の疾病でしたら、そういう理屈も通るかもしれませんけれど、感染症にはこれを適用することができない。医療を受けられない人たちが感染源となっていつまでも社会のなかにとどまる限り、感染症は永遠に制御不能だからです。


岩田:まさにアメリカはそのせいで無保険の人々が大量に生まれ、所得が低い人は医療サービスを受けられなくなりました。

内田:アメリカには今、無保険者が2750万人いるそうです。この人たちは病気になってもまともな医療を受けることができない。それで重症化しても、死んでも、「自己責任」でこれまでは済んだかもしれません。でも、感染症ではそうはゆかない。貧しくて治療を受けられない人たちがコロナウイルスに感染して、感染源を形成することになれば、感染症はいつまでも終息しないからです。

「自己責任で医療を受けろ」というルールを押し通せば、社会機能が止まったままになる。感染症は「すべての国民が等しく良質な医療を受ける権利がある」という原理を採用しないと制御不能です。でも、アメリカは「医療は商品である。金がないやつは医療を受けられなくても文句を言うな」という原理でこれまで押し通してきたので、急には方向転換できない。だから未だに感染症拡大を制御できないでいる。これまでの考え方を棄てないと、アメリカのパンデミックは収束しないと思います。

岩田:まさに同感です。

内田:日本の医療費削減のロジックも、アメリカと同じく新自由主義的な発想です。医療行為や医薬品をすべて「マーケットで売り買いされる商品」として扱うようになってきた。だから、「命の選別」という話になったときに、「社会的有用性の多寡」を比較しようというような発言が出てくる。「医療資源は強者に優先配分すべきである」というのは「医療は商品だ」ということの言い換えに過ぎません。でも、そうやって社会的弱者から医療機会を奪ってみても、それはただ公衆衛生的環境を悪化させることにしかならない。

「医療は商品である」という原理そのものの無効性を今回のコロナ・パンデミックははっきり可視化したと思うんです。医療に関しては新自由主義的な発想は適用できないということがよくわかった。それはたぶん他の領域についても同じだと思うんです。グローバル資本主義は「必要なものは、必要なときに、必要なだけ、市場で調達することができる」ということを不可疑の前提に組み上げられたシステムですけれど、今回の各国の医療資源の奪い合いで、いくら必要でも市場で調達できないものがあるという当たり前のことを人々は思い知らされた。ジャストインタイム生産方式とか、「在庫ゼロ」とかいうのがいかに机上の空論に過ぎないか、思い知らされた。医療資源の戦略的備蓄が十分であれば、感染症を早い段階で抑え込むことができる。一方、医療資源を「在庫ゼロ」にして「コストカットができた」と喜んでいると、簡単に医療崩壊が起きる。それで経済が停止したら、「コストカット」で浮いた分なんか一瞬で吹き飛んでしまう。それくらいの損得の算盤は誰でも弾けるはずなんです。


 新しいウイルスによる感染症はこれからも数年おきに必ず起こります。ウイルスから社会を守ろうと思ったら、「医療は商品ではない。すべての人は等しく良質の医療を受ける権利がある」という原理を「世界の常識」として採択するしかない。アメリカの現状を見れば、誰でもそう考えるはずです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/456.html#c1

[近代史4] ト・アペイロン 経済原論概説 中川隆
4. 中川隆[-10772] koaQ7Jey 2020年10月19日 13:08:45 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[16]
経済原論概説 第4回 資本主義社会
ト・アペイロン 2020/04/05
https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8

生産の細分化
労働価値説に基づいて資本主義社会の解析を進める為に前回の式

G - W ⋯ P ⋯ W' - G'

を労働力A、生産手段Pmを用いて細分化する。生産手段とは生産に用いる原料、機械などを指す。

画像1
https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8


W’=W+ΔW  G’=G+ΔG 

 ここではG=100円、A=30円、Pm=70円、ΔW=20円と考える。上式におけるAとは、労働者に支払われる賃金と同義である。また、期末(取引の最後)におけるGは元手あり、G’から元手100円を差し引いたΔGが利潤である。生産者の立場から見ると、利潤はWに生産的労働がなされたことで発生している。よってマルクス経済学では、A(賃金)とΔGの部分を付加価値と捉える。

 近代経済学においての付加価値はΔG部分のみである。なお、近代経済学においてはこれらの記号は使用されておらず、全要素生産性(技術力)をA、労働をL、資本をKとしてこれらの関係式から生産量をYを導出する。総生産高から総費用を引いた金額を利潤と捉えるのである。

 話が少しそれたが、ここで一歩引き返してまた別の道に寄り道をしよう。仮に、元手の100円を貨幣資本家、投資家に借りた場合、元手の返済と共に利潤のうち一部を合わせて支払う。これが利子である。例えば上記の例の場合、借りた元手の100円の70円で生産手段を購入し、30円を労働者に支払うことで120円分の価値を有する商品が生産される。その商品を売ると120円が手に入るが、貸し手に102円(2円の利子を付けて)返すと18円が生産者に残る。その生産を借りた土地で行なった場合、更に土地代を払うことになるだろう。地主は自分の土地を一定期間貸し出すだけで金銭をせしめることが可能になるのである。先ほどと同様、生産者の立場から見ると利潤はWに生産的労働がなされたことで発生しているが、貸し手や地主の視点のみを考えれば、貨幣や土地(資本)が利潤を生みだしたように見える。近代経済学に労働価値説が継承されなかった大きな原因がここにある。

労働の細分化
 労働と生産の関係を詳細に見るため、労働力(A)部分を、量的変化(人をどれだけ雇うか、どの位働かせるかの調整)が可能であり、(価値の)創出効果のある可変資本(v)とし、ΔG部分を可変資本(v)によって生み出された利潤(m)と呼ぶ。一方でPmを量的変化のない、創出効果を生み出さない不変資本(c)とする。すると、

付加価値生産=v(可変資本)+m(利潤)

となる。

 ここで、労働者に支払われる賃金はvであるためvを必要労働(生産物)、mを剰余労働(生産物)と解釈することが可能である。技術が発展するほどm/v(賃金に対する剰余労働の割合)が大きくなる、つまり剰余生産物が多くなると考えられる。原始時代には自分が生きていくための生産で手いっぱいだったが、農耕の発達により剰余生産物が増えることで、農奴制や封建社会を維持することが可能になったのである。産業革命が起こり、生産技術が飛躍的に向上したことでmも飛躍的に増加したことによって、資本主義社会が形成されるようになったのである。m/vについては、次回より詳しく説明する。


 さて、先ほどの生産者が自分のお金でW’を生産し販売すると、G’(120円)を獲得する。原論では120円の中に元本の100円が含まれていると考えるが、とにもかくにも生産者は新たに獲得した貨幣を使うことで再び生産活動をすることができる。このようなGの循環を資本循環という。Aは労働者に対する賃金として支払われているが、労働者はAをG(30円)という形で受け取っている。労働者はGを用いて生活必需品を消費することになる。労働者が受け取った賃金を用いて消費活動をすることでもGは循環している。このような循環を賃金労働循環と呼ぶ。

 このような労働と資本の循環による再生産によって社会は存続しているが、貨幣交換で成立している社会では本来社会を維持しているはずの生産労働が見落とされ、貨幣や資本によって社会が維持されているという考え方に陥りやすい。さらにそれが進むと、貨幣や資本が神格化され、貨幣や資本ですべてを解決できるというような、物神性論に陥ってしまう。
 商品価値をwとおくと、

w=c+v+m

と表すことが出来る。本来mは、vがcを用いて生み出した、換言すると、人が労働によって生み出したものである。しかしながら表象(経営)的には、c+vというコストで利潤mが生みだされたと捕らえられる。mを増加させることばかりを重要視すると、利潤第一主義や拝金主義に陥り、さらにそれが進めば社会的モラルは退廃してしまう。    

次回は必要労働と剰余労働の関係について詳述する。

https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1118.html#c4

[近代史4] マルクスの貨幣論 中川隆
2. 中川隆[-10771] koaQ7Jey 2020年10月19日 13:09:13 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[17]
経済原論概説 第4回 資本主義社会
ト・アペイロン 2020/04/05
https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8

生産の細分化
労働価値説に基づいて資本主義社会の解析を進める為に前回の式

G - W ⋯ P ⋯ W' - G'

を労働力A、生産手段Pmを用いて細分化する。生産手段とは生産に用いる原料、機械などを指す。

画像1
https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8


W’=W+ΔW  G’=G+ΔG 

 ここではG=100円、A=30円、Pm=70円、ΔW=20円と考える。上式におけるAとは、労働者に支払われる賃金と同義である。また、期末(取引の最後)におけるGは元手あり、G’から元手100円を差し引いたΔGが利潤である。生産者の立場から見ると、利潤はWに生産的労働がなされたことで発生している。よってマルクス経済学では、A(賃金)とΔGの部分を付加価値と捉える。

 近代経済学においての付加価値はΔG部分のみである。なお、近代経済学においてはこれらの記号は使用されておらず、全要素生産性(技術力)をA、労働をL、資本をKとしてこれらの関係式から生産量をYを導出する。総生産高から総費用を引いた金額を利潤と捉えるのである。

 話が少しそれたが、ここで一歩引き返してまた別の道に寄り道をしよう。仮に、元手の100円を貨幣資本家、投資家に借りた場合、元手の返済と共に利潤のうち一部を合わせて支払う。これが利子である。例えば上記の例の場合、借りた元手の100円の70円で生産手段を購入し、30円を労働者に支払うことで120円分の価値を有する商品が生産される。その商品を売ると120円が手に入るが、貸し手に102円(2円の利子を付けて)返すと18円が生産者に残る。その生産を借りた土地で行なった場合、更に土地代を払うことになるだろう。地主は自分の土地を一定期間貸し出すだけで金銭をせしめることが可能になるのである。先ほどと同様、生産者の立場から見ると利潤はWに生産的労働がなされたことで発生しているが、貸し手や地主の視点のみを考えれば、貨幣や土地(資本)が利潤を生みだしたように見える。近代経済学に労働価値説が継承されなかった大きな原因がここにある。

労働の細分化
 労働と生産の関係を詳細に見るため、労働力(A)部分を、量的変化(人をどれだけ雇うか、どの位働かせるかの調整)が可能であり、(価値の)創出効果のある可変資本(v)とし、ΔG部分を可変資本(v)によって生み出された利潤(m)と呼ぶ。一方でPmを量的変化のない、創出効果を生み出さない不変資本(c)とする。すると、

付加価値生産=v(可変資本)+m(利潤)

となる。

 ここで、労働者に支払われる賃金はvであるためvを必要労働(生産物)、mを剰余労働(生産物)と解釈することが可能である。技術が発展するほどm/v(賃金に対する剰余労働の割合)が大きくなる、つまり剰余生産物が多くなると考えられる。原始時代には自分が生きていくための生産で手いっぱいだったが、農耕の発達により剰余生産物が増えることで、農奴制や封建社会を維持することが可能になったのである。産業革命が起こり、生産技術が飛躍的に向上したことでmも飛躍的に増加したことによって、資本主義社会が形成されるようになったのである。m/vについては、次回より詳しく説明する。


 さて、先ほどの生産者が自分のお金でW’を生産し販売すると、G’(120円)を獲得する。原論では120円の中に元本の100円が含まれていると考えるが、とにもかくにも生産者は新たに獲得した貨幣を使うことで再び生産活動をすることができる。このようなGの循環を資本循環という。Aは労働者に対する賃金として支払われているが、労働者はAをG(30円)という形で受け取っている。労働者はGを用いて生活必需品を消費することになる。労働者が受け取った賃金を用いて消費活動をすることでもGは循環している。このような循環を賃金労働循環と呼ぶ。

 このような労働と資本の循環による再生産によって社会は存続しているが、貨幣交換で成立している社会では本来社会を維持しているはずの生産労働が見落とされ、貨幣や資本によって社会が維持されているという考え方に陥りやすい。さらにそれが進むと、貨幣や資本が神格化され、貨幣や資本ですべてを解決できるというような、物神性論に陥ってしまう。
 商品価値をwとおくと、

w=c+v+m

と表すことが出来る。本来mは、vがcを用いて生み出した、換言すると、人が労働によって生み出したものである。しかしながら表象(経営)的には、c+vというコストで利潤mが生みだされたと捕らえられる。mを増加させることばかりを重要視すると、利潤第一主義や拝金主義に陥り、さらにそれが進めば社会的モラルは退廃してしまう。    

次回は必要労働と剰余労働の関係について詳述する。

https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html#c2

[近代史4] ハイエク、フリードマンのマネタリズムの世界 中川隆
4. 中川隆[-10770] koaQ7Jey 2020年10月19日 14:15:01 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[18]
経済原論概説 第2回 貨幣論
ト・アペイロン 2020/03/30
https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8

物々交換から貨幣へ

 マルクス経済学における労働価値説を巡って、「価値」というものを考える。なぜ貨幣に価値を見いだすのか、資本とはいかなるものか、経済の主体が商品→貨幣→資本へと"発展"していったプロセスを辿りながらマルクスの思想になぞらえて解説する。


 物々交換では、商品と商品を直接交換するため、例えばある商品a100gを別の商品bと交換するときは、aを100g生産するために必要な労働量で生産できる量のbと交換することになる。ここで仮にaを100g生産する労働力で、bを200g生産できるとするならば、a100gはb200gと交換されることになる。商品が二つだけならば問題は無いが、無数の商品をこの方法で交換する場合、無数の交換比率が存在する。(n個の商品にはn(n-1)/2個の交換レートが存在する。)そこで、取引を容易にするために商品貨幣として一般的等価物が使われるようになった。実例としては米や家畜、塩などがこれにあたり、これを基準としてその他の商品を交換するようになった。般的等価物の条件として、耐久性、保存性、等質性、希少性があり、分割や結合、移動に便利であることが挙げられるが、これを満たしているのは貴金属である。貴金属の中でもイオン化傾向が最も低く、王水以外には溶けず、展性、延性に優れる金が貨幣という形で役割を果たすようになった。 

貨幣には三つの役割がある。@商品の価値を図る価値尺度としての機能、A交換機能、B腐敗や劣化がないことで可能となった価値保存の機能である。また、貨幣の登場により、生産と消費が統一されるようになった。

 ここで貨幣(金貨)をG、商品をWとする。

a) G → W¹
b) W¹ →  G → W²
      c)W² → G


aはW¹をGで買ったことを意味する。bはW¹をGで売り、そのGを用いてW²を購入したことを意味する。cはW²をGで売ったことを意味する。

画像1
https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8


そうすると、黒い線の左側を生産面、オレンジ色の線の右側を消費面であるということになる。中心のG、貨幣に着目すれば、2回の取引に必要となったGは、取引一回分のGのみである。これを流通必要貨幣量と呼ぶ。具体的な数値を当てはめると、Gが10ポンドならば、この10ポンドで20ポンド分の取引が行われたことになる。つまり、流通必要貨幣量は10ポンドである。

 ここで、価格をP、商品の量をq、流通速度(回数)をF、必要貨幣量をMとすると、P×q/F=Mということになる。必要な貨幣量(右辺)は、流通するものの価格と量(P×q)が増えれば増加するが、貨幣が還流する速度(別の人の手に渡る速度,F)が早ければ減少するという意味である。

 マクロ経済学では、価格をP、取引量をT、貨幣残高をM、回数(速度)をVとして、P×V/T=M、整理してMV=TPとなる。これはフィッシャーの交換方程式と呼ばれる。これを基に、物価を上昇させるには通貨量を増やせばよいといったような貨幣数量説も唱えられた。
 他にも、貨幣量と国民所得の関係を唱えたマーシャルのケンブリッジ現金残高方程式や、貨幣量は物価水準に影響するだけで所得水準には影響を与えないという貨幣ヴェール観という考え方もあるが、本旨からそれるためここでは名前だけの紹介に留める。

 さて、金が貨幣として扱われるようになると、流通によって金が減少していくという問題が発生し、貨幣の持つ価値と減少を考慮した実際の価値との分離が起こるようになった。例えば、金10g分の貨幣が実際は摩耗して8gしか無い、といった具合である。そこで金の代替物として、金80%、鋼20%で造られた鋳造貨幣が使われるようになった。これがさらに発展して、無価値な紙幣を国家紙幣として流通させるに至った。国家紙幣として、金との交換が保証された金券を流通させることで、金本位制を樹立したのである。金本位制の下では、紙幣の発行量は金の保有量内に制限されていた。金の保有量を超えて紙幣を発行した場合、紙幣は信用を失い、インフレーション(物価高、紙幣価値の下落)が発生してしまう。

 貨幣取引、商品交換の発展により、信用取引も発展した。その一例として、取引で建て替えを為すという意味の為替制度が誕生した。ある商品の代金を支払うときに、その金額分の送金依頼を記した銀行券を渡すことで、遠隔地で商売をする負担が軽減された。期日に支払うことを約束する約束手形や、銀行へ持参することで当座預金から金額が支払われる小切手も、信用通貨の一種である。また日本銀行券も信用通貨の一種である。紙幣とは、政府が発行したものを指す言葉である。

https://note.com/scienta_est/n/n452b753965e8


▲△▽▼


経済原論概説 第3回 貨幣から資本への転化
ト・アペイロン 2020/04/01
https://note.com/scienta_est/n/n747c2214cbd3?magazine_key=m75824ff6e6c2
貨幣によってもたらされる商品交換のプロセスは

W - G - W - G - W - G -…

となり、商品Wを売って貨幣Gと交換し、その貨幣で新たな商品を購入することが可能となった。このような形式が発展すると、

G-W-G* G*=G+ΔG  (Δは増加を表す)

例えば、G=100円、W=100円、ΔG=20円とすると、上記式は100円で仕入れたWを120円で販売していることになる。つまり、購入時よりも高値で売ることで利潤が生まれているということである。この時Gは元手=資本として機能することになるのである。

 しかし、全ての人が安く買って安く売ることは不可能である。そんなことをすれば商品の値段は際限なく高騰してしまうし、そもそも高すぎる商品は売れない。これは日常的な感覚で考えればわかりやすいだろう。

 では、利潤はどこから発生するのだろうか。式を見ると、最終的にGが増加しているが、Gそのものの価値がひとりでに上昇したわけではない。そこに置いておいた100円が何もしないのに120円に増えるのはおかしな話である(このような考え方は唯物論的であると言えるだろう)。

 また原論的な考えに則せば、単純な物々交換や買った商品に高い値段を付けて販売する方法では、社会の利潤は恒久的に0である(20円高く売りつけて得をした人がいても、20円損する人がいるため、社会全体の利潤は相殺される)。

 価値が上昇したのはWの過程においてであると考えるのが合理的であろう。つまり、商品に付加価値が加えられたと解釈するのである。生産(過程)Pを考慮に入れて上記式を書き直すと次のようになる。

G - W ⋯ P ⋯ W' - G' G'=G+ΔG

 先の例と同様に考えると、G=100円、W=100円だが、ここでWに生産活動=労働が加わることで、100円のWがW'となり、その価値を金額で測ると120円となった結果として、ΔG=20円が創出されると考えることができる。

 ΔGの部分を、マルクス経済学では剰余価値と呼び、これが利潤の源であると考える。WにPを加えること、つまり生産的労働によって商品を加工あるいは創造することによって、価値を高めることが可能になるのである。ΔGは、貨幣の価値尺度機能を用いてその価値を金額で測ったものに過ぎないのである。このようにマルクス経済学は、価値を生み出すものは労働であるという、労働価値説に基づいていのである。

次回は労働(P)に着目し、資本主義社会の解析を行う。

https://note.com/scienta_est/n/n747c2214cbd3?magazine_key=m75824ff6e6c2


▲△▽▼


経済原論概説 第4回 資本主義社会
ト・アペイロン 2020/04/05
https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8


生産の細分化
労働価値説に基づいて資本主義社会の解析を進める為に前回の式

G - W ⋯ P ⋯ W' - G'

を労働力A、生産手段Pmを用いて細分化する。生産手段とは生産に用いる原料、機械などを指す。

画像1
https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8


W’=W+ΔW  G’=G+ΔG 

 ここではG=100円、A=30円、Pm=70円、ΔW=20円と考える。上式におけるAとは、労働者に支払われる賃金と同義である。また、期末(取引の最後)におけるGは元手あり、G’から元手100円を差し引いたΔGが利潤である。生産者の立場から見ると、利潤はWに生産的労働がなされたことで発生している。よってマルクス経済学では、A(賃金)とΔGの部分を付加価値と捉える。

 近代経済学においての付加価値はΔG部分のみである。なお、近代経済学においてはこれらの記号は使用されておらず、全要素生産性(技術力)をA、労働をL、資本をKとしてこれらの関係式から生産量をYを導出する。総生産高から総費用を引いた金額を利潤と捉えるのである。

 話が少しそれたが、ここで一歩引き返してまた別の道に寄り道をしよう。仮に、元手の100円を貨幣資本家、投資家に借りた場合、元手の返済と共に利潤のうち一部を合わせて支払う。これが利子である。例えば上記の例の場合、借りた元手の100円の70円で生産手段を購入し、30円を労働者に支払うことで120円分の価値を有する商品が生産される。その商品を売ると120円が手に入るが、貸し手に102円(2円の利子を付けて)返すと18円が生産者に残る。その生産を借りた土地で行なった場合、更に土地代を払うことになるだろう。地主は自分の土地を一定期間貸し出すだけで金銭をせしめることが可能になるのである。先ほどと同様、生産者の立場から見ると利潤はWに生産的労働がなされたことで発生しているが、貸し手や地主の視点のみを考えれば、貨幣や土地(資本)が利潤を生みだしたように見える。近代経済学に労働価値説が継承されなかった大きな原因がここにある。

労働の細分化
 労働と生産の関係を詳細に見るため、労働力(A)部分を、量的変化(人をどれだけ雇うか、どの位働かせるかの調整)が可能であり、(価値の)創出効果のある可変資本(v)とし、ΔG部分を可変資本(v)によって生み出された利潤(m)と呼ぶ。一方でPmを量的変化のない、創出効果を生み出さない不変資本(c)とする。すると、

付加価値生産=v(可変資本)+m(利潤)

となる。

 ここで、労働者に支払われる賃金はvであるためvを必要労働(生産物)、mを剰余労働(生産物)と解釈することが可能である。技術が発展するほどm/v(賃金に対する剰余労働の割合)が大きくなる、つまり剰余生産物が多くなると考えられる。原始時代には自分が生きていくための生産で手いっぱいだったが、農耕の発達により剰余生産物が増えることで、農奴制や封建社会を維持することが可能になったのである。産業革命が起こり、生産技術が飛躍的に向上したことでmも飛躍的に増加したことによって、資本主義社会が形成されるようになったのである。m/vについては、次回より詳しく説明する。


 さて、先ほどの生産者が自分のお金でW’を生産し販売すると、G’(120円)を獲得する。原論では120円の中に元本の100円が含まれていると考えるが、とにもかくにも生産者は新たに獲得した貨幣を使うことで再び生産活動をすることができる。このようなGの循環を資本循環という。Aは労働者に対する賃金として支払われているが、労働者はAをG(30円)という形で受け取っている。労働者はGを用いて生活必需品を消費することになる。労働者が受け取った賃金を用いて消費活動をすることでもGは循環している。このような循環を賃金労働循環と呼ぶ。

 このような労働と資本の循環による再生産によって社会は存続しているが、貨幣交換で成立している社会では本来社会を維持しているはずの生産労働が見落とされ、貨幣や資本によって社会が維持されているという考え方に陥りやすい。さらにそれが進むと、貨幣や資本が神格化され、貨幣や資本ですべてを解決できるというような、物神性論に陥ってしまう。
 商品価値をwとおくと、

w=c+v+m

と表すことが出来る。本来mは、vがcを用いて生み出した、換言すると、人が労働によって生み出したものである。しかしながら表象(経営)的には、c+vというコストで利潤mが生みだされたと捕らえられる。mを増加させることばかりを重要視すると、利潤第一主義や拝金主義に陥り、さらにそれが進めば社会的モラルは退廃してしまう。    

次回は必要労働と剰余労働の関係について詳述する。

https://note.com/scienta_est/n/n610b9a00d9a8
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/913.html#c4

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
8. 中川隆[-10769] koaQ7Jey 2020年10月19日 17:37:26 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[22]
Ring: The Final Chapter 9話




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c8
[番外地8] 被差別部落民と在日韓人

被差別部落民と在日韓人  −社会経済史的視点−

    河 明生(かわ めいせい 社会経済史、経営史)
友常 勉(聞き手=ともつね つとむ・地域研究

(『現代思想 特集 部落民とは誰か』第27巻第2号所収、平成11年2月、青土社)
http://www.jita.jp/kawa/text/hyouron-1.html

<友常> 従来、韓人が住居を被差別部落や、その周辺に定着したことはよく知られていましたが、それも韓人の特性とみなしてよいのでしょうか。

<河> はい。一般の日本人下層労働者は、被差別部落には定住しなかったと思います。住所が被差別部落やその近隣だと部落民とみなされ差別される可能性があるからです。ただ、移民間もない韓人の場合は事情が異なります。日本の社会事情に疎いというか、被差別部落がどういう状況におかれているのかを知りませんでした。被差別部落やその周辺に定着することについて、一般の日本人よりも、抵抗感が少なかったと思います。たとえば、中央融和事業協会が、1925年から1935年まで、大阪府内の九ヶ所の被差別部落への新規移住者・約1千2百人の出身地を調査したところ、その七割強が朝鮮でした。
 被差別部落に移住した韓人古老に対して聞き取り調査を行ったのですが、自分は被差別部落だとは知らないで住んでしまった、気付いてみたら白丁がたくさん周りに住んでいた、というんですね。認識に若干ずれがありますが。(笑)だからといってそこを離れるわけではありません。その古老も、今日まで60年以上、そこに定住しています。

被差別部落には、韓人を新規の住民として呼び寄せる理由がありました。低廉な家賃です。日雇い労働に一日従事すれば払っていける額でした。しかも権利金も保証人もいりませんでした。被差別部落には、又借りや又貸しの習慣がありました。たとえば、六畳一間の賃貸物件を借りている部落民が、その中の三畳だけを他人に貸したり、納戸を貸していたのです。それは正常な労働市場から疎外されていた部落民が、低額所得者であったことと関係があります。部落民は又貸しすることにより家賃支出を軽減したのです。権利金や保証金が要求されなかったのはそのためです。また、被差別部落に住んでみるとスラムとは異なり食料品の物価が安いのも韓人にとっては魅力でした。商業者が部落民の低所得に合わせたからでしょう。味噌、醤油、塩などの小売の量も低く設定されていたようです。さらに、被差別部落の周辺に屠場がある場合、日本人が食べなかった牛や豚の内臓をただ同然で譲ってもらえたと考えます。焼き肉のホルモンの語源が、ほおるもん、つまり捨てるものからきているという説もあります。このような経緯により韓人は被差別部落に移住しました。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/515.html

[近代史4] 冷蔵庫保管する ぬか漬け 中川隆
7. 中川隆[-10768] koaQ7Jey 2020年10月19日 19:06:56 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[23]
雪日記
ぬか漬けポテトサラダ。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3875.html

本日の主役はこちら。

もう定番となったゆで卵のぬか漬けですが、
今回はこちらをポテトサラダに調理してみます。

もう一人の主役はもちろんジャガイモ。

良く洗ったジャガイモを茹でます。

ぬか漬けゆで卵の味をシンプルに味わいたいので、
トッピングは玉ねぎのみで。
ジャガイモを茹でている間に切り分けて軽くレンジでチンします。

皮を剥いたジャガイモをつぶしていきます。

具材はシンプルだけど、味付けは色々入れてみる。

ぬか漬けゆで卵を投入。

おぉ、いい感じに仕上がりました。

さいこ〜!!

ぬか漬けゆで卵、やっぱり間違いない。
味に深みが出ます。
そのままでも美味しいけどちょっとしたアレンジもいいね。

ジャガイモ自体をぬか漬けにして作ってみるのもありかも!?
色々試してみよう。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3875.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1066.html#c7

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
9. 中川隆[-10767] koaQ7Jey 2020年10月19日 19:40:02 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[24]
Ring: The Final Chapter 10話



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c9
[番外地8] 天皇や日本の支配階層には共同体精神なんか全く無かった _ 天皇一族と福沢諭吉は日本女性の人身売買で稼いでいた
天皇や日本の支配階層には共同体精神なんか全く無かった _ 天皇一族と福沢諭吉は日本女性の人身売買で稼いでいた
 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。
英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。


困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。

貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。

天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。

高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。


「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。
アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

<中略>

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。
この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。
詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。

日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」

(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。


娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。


「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」


福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。


至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。 片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。
やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。


男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。


このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/516.html

[番外地8] 日本では戦前から一貫して、天皇・保守政治家・官僚はグローバリスト、愛国者・国粋主義者・反米勢力は共産主義者だった。
三橋貴明は歴史を知らない
日本では戦前から一貫して、天皇・保守政治家・官僚はグローバリスト、愛国者・国粋主義者・反米勢力は共産主義者だった。
現在でも保守・反動・愛国政党は日本共産党一つだけで、皇族や官僚・自民党は新自由主義・グローバリストですが、それは戦前からの伝統です:
1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。
 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。

 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて緊密な関係にある。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。

西洋諸国は世界恐慌を受けて保護主義的に動いた。結果として日本の輸出は半減することとなり、日本経済は壊滅的な打撃を受けた。日本はこのタイミング(1930年)で金本位制への復帰を試みるが、貿易赤字を垂れ流している状態で通貨と金を結びつけたため海外に金が大量に流出、翌年には金本位制を再び停止する運びとなった。

こういう状況で国家は金の流出か為替レートの暴落か、どちらかを選ばなければならないということである。

景気後退による極右と極左の台頭


こうした経済状況の深刻化と貧富の差の拡大は政治的には右派と左派の対立に繋がった。

世界各国が政治的に不安定となったが、日本も例外ではなかった。1932年には海軍の青年将校らによって当時の犬養首相が暗殺される五・一五事件が発生し、その後の首相に海軍大将(海軍の中では穏健派だったと言われる)斉藤氏が就任することになった。軍が首相を殺して身内を新首相に据えるという現在では考えられない事態が起こった。


軍事侵攻によって必要な資源を確保するという道は、日本にとっては最良の選択肢だったということは言えるかもしれない。普通の貿易と経済活動では日本は必要なものを調達することが出来なかっただろうからである。

軍国主義化した日本

どちらにしてもこの事件を契機に正式に軍国化した日本は、海軍関係者を首相に据え、ここから外側に向かって猛烈に駆け上がることとなる。

日本は1931年に満州を侵略し、その後中国とアジアで勢力を拡大して原油や石炭、ゴムなどの天然資源や強制労働などの人的資源を確保しようとした。

一方で、アメリカはまだヨーロッパとアジアの戦争に対する姿勢を決めかねていた。1940年にはルーズベルト氏が戦争とは関わらないことを公約に3期目の当選を決めたが、中国の蒋介石政権に戦闘機を提供するなど、米国は海外の情勢に一切関わっていないわけではなかった。

実際にルーズベルト大統領はその後も戦争との関わりを拡大してゆく。1940年には日本への鉄の禁輸を決め、日本が必要な物資を入手できなくなることで既に進出したエリアからの撤退を強いられるように手配した。

1941年にはレンドリース法の制定によりイギリス、ソ連、中国に対する大規模な軍需物資の提供を決め、ダリオ氏は「このレンドリース法は、実際の宣戦布告ではないとしても、米国の中立性を終わらせた」と書いているが、それはもっと早くに失われていただろう。

日本の領土拡大は米国の太平洋における目論見に対する脅威となり、日本との対立は激化していった。1941年にはルーズベルト大統領は米国にあるすべての日本の資産の凍結を行い、日本の船舶がパナマ運河を通行できないようにし、日本に対するエネルギー資源の輸出を禁止した。

結果として日本は貿易の4分の3と原油の80%を失うこととなった。日本は2年で原油備蓄が底をつくことを計算していた。このことにより、日本は自壊するか米国を攻撃するかのどちらかを選ばなければならなくなった。

そして1941年の真珠湾攻撃に繋がってゆくのである。
 日本では戦後も天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。
____

関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。
関東軍第三方面軍情報参謀・少佐・志位正二はKGBのスパイ。日本共産党委員長の志位和夫は甥である。また瀬島龍三中佐、朝枝繫晴中佐、種村佐孝大佐、松村知勝少将、池田純友少佐、橋本欣五郎(参謀本部ロシア班長・中佐)あげたらきりがないが「赤い軍人」「クレムリンの犬」がうごめいていたのです。
帝国陸軍の社会主義化・共産主義化はひどく、敗戦で軍が解体されるやこれら陸軍のエリート将校が大挙して日本共産党に入党している。
戦争中、軍部に協力し反米を鼓吹した人間が戦後たちまち革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきた。
日本赤軍派の重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。

ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】
@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。
A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。

昭和天皇がマッカーサーに依頼して憲法第九条を作らせたのは、陸軍軍人が反米共産主義者ばかりで何時革命を起こすかわからなかったからなのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/517.html

[番外地8] 小野寺まさるは完全なバカの詐欺師だった
小野寺まさるは完全なバカの詐欺師だった
虎ノ門ニュースでの有本香氏と小野寺まさる氏のアイヌに関するやり取り
有本香「先住民である縄文系の日本人を北方から来た人達が侵略し、男達を中心に殺戮し女を残して混血していったのであれば、当然アイヌの人達には縄文のDNAが多く残っている」

小野寺まさる「この(縄文の)DNAは後天的に獲得したDNAであるのは間違いないと道庁も答えている」

 検索してみると、これは虎ノ門ニュースの今月(2020年7月)16日放送分で、まだ公式動画を閲覧できます(今回取り上げるのは1時間9分00秒〜1時間11分40秒あたり)。じっさいに視聴したところ、このやり取りは、まず有本香氏が、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された「縄文人」のDNA解析に関する研究(関連記事)を取り上げた北海道新聞の記事に、以下のように言及したことで始まります。

日本人の中に縄文人のDNAを持っている人と持っていない人がいますが、普通は10%くらいです。北海道と沖縄はやや異なり、アイヌと言われる人々は70%、沖縄の人々は30%ほど縄文人のDNAを持っているそうです。縄文人は日本において最古の民族なので、アイヌも先住民族という印象操作になっています。

これを受けて小野寺まさる(秀)氏が

鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代から北海道にいた人々を征服しましたが、このアイヌの人々は女性と子供は殺さず、女性たちに自分たちの子供を産ませた結果、アイヌに縄文人のDNAが継承された、という可能性がひじょうに高く、学術的にも、この(縄文人の)DNAは後天的に獲得したのは間違いない、と道庁は答えています。

という趣旨の発言をしており、有本氏が

そうならば、アイヌと言われる人々に縄文人のDNAが多く残っていても不思議ではありません。

とまとめています。まず問題となるのが、船泊遺跡の「縄文人」の研究についての有本氏の理解です。このやり取りからは、(北海道と沖縄を除く)日本人のうち、「縄文人」のDNAを有しているのは10%程度、と有本氏が理解しているように思います。もちろんそうではなく、(北海道と沖縄を除く)日本人のゲノムには、平均して10%(論文では9〜15%とされています)ほど「縄文人」由来の領域があると推定される、ということです。

 次に小野寺氏の発言ですが、鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代以来北海道に居住し続けてきた人々を征服し、女性と子供たちは殺さず、女性たちに子供を産ませたとすると、確かに「縄文人」のDNAが現代アイヌに継承されます。しかし、そもそもこのような見解を提示している専門家は、現在ではまず間違いなくいないでしょう。それに、小野寺氏の想定では、現代アイヌ集団に「縄文人」由来のY染色体ハプログループ(YHg)を継承している人はほとんどいないことになります。しかし、「縄文人」由来と考えられるYHg-D(関連記事)の割合は現代アイヌ集団では81.3%と高く(関連記事)、小野寺氏の想定とは矛盾します。これに対しては、アイヌが(琉球列島を除く本州以南の)日本人(「本土」集団)から婿養子を迎えたためだ、といった「反論」もあるかもしれませんが、そうならば、現代「本土」集団で55.1%(関連記事)と多く見られるYHg-Oの割合が、現代アイヌ集団でもっと多くなるはずです。

 また、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究からも、小野寺氏の想定とは逆だった可能性が高い、と考えられます。「本土」では江戸時代(近世)のアイヌ集団のmtDNAが解析されており、近世アイヌ集団のmtDNAハプログループ(mtHg)では、北海道「縄文人」型が30.9%に対して、オホーツク型が35.1%、「本土」型が28.1%、シベリア型が7.3%と推定されています(関連記事)。これらの知見からは、縄文時代以来の北海道在来の集団が前近代において外部集団からかなり女性を迎え入れつつ、縄文時代以来の父系(YHg)を維持していた、と示唆されます。

 人類史において、交雑しつつ父系を維持・拡大していくような場合、その集団が外部集団に対して優勢であることが多いと考えられます(関連記事)。その意味で、前近代アイヌ集団は、YHg-Dが一定以上の割合で存在する「本土」集団はさておき、オホーツク文化集団や、オホーツク文化消滅後にもアイヌ集団と関係を持っていたと考えられるシベリア集団に対して、優位に立っていた可能性が高そうです。じっさい考古学では、北海道において縄文文化と続縄文文化を継承した擦文文化集団が、10世紀になってオホーツク文化集団に対して優位に立ったのではないか、と示唆されています(関連記事)。

 現代アイヌ集団のゲノムに「縄文人」以外の要素があることは、上述の船泊遺跡「縄文人」の研究でも改めて示されており(約34%)、近世アイヌ集団のmtDNA研究でも確認された、と言えるでしょう。しかし、YHgおよびmtHgの分析と考古学的記録を併せて考えると、アイヌ集団が「本土」の鎌倉時代に南下してきた集団に征服され、本質的には「外来」集団であるというような見解は的外れで、むしろ逆に、縄文時代からの北海道在来集団が、オホーツク文化集団など外部集団に対して優位に立つ傾向にあり、そうした外部集団からの遺伝的・文化的影響を受けつつ、アイヌ集団が形成されていった、と考える方が妥当だと思われます。


 このように、上述の虎ノ門ニュースでの小野寺氏の発言は的外れですが、有本氏は小野寺氏の発言に肯定的なように見えますし、ネットでも、「アイヌの縄文のDNAは後天的なDNA」との上述の小野寺氏の発言には、65も「いいね」がついています。まあ、「いいね」が賛同を表すとは限りませんし、アカウント数は人数の上限を示しているだけとも言えますが。しかし、小野寺氏のようなアイヌ認識は、現代日本社会では無視できないくらいの影響力があるように思います(定量的調査をする気力も能力もとてもありませんが)。小野寺氏の上記のような発言を真に受けた人々は、自分の情報判断力が自己評価よりずっと低いことを自覚し、今後は慎重になってもらいたものです。とはいっても、そのように自省できる人ならば、そもそも小野寺氏の与太話に引っかかる可能性は低いでしょうから、残念ながら今後も、小野寺氏は一定以上の影響力を及ぼし続けるのでしょう。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/518.html

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
10. 中川隆[-10766] koaQ7Jey 2020年10月19日 21:33:55 : wkiRvIykcQ : aFFBREwzUFlhM28=[25]
Ring: The Final Chapter 11話




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c10
[近代史4] 睡眠薬は飲んではいけない
睡眠薬は飲んではいけない


「眠れない」「眠りが浅い」でクスリにハマった中高年の奈落
池谷 敏郎 2020/10/19

生活習慣病のエキスパートとして知られる池谷敏郎医師が、「老い」を止めるための独自のメソッドをまとめた『老いは止められる』(エクスナレッジ)を上梓した。年を取るとともに「眠れない」「眠りが浅い」と悩む人が増えるが、「不眠もどき」に安易な服薬は危険、かえって老化が進行する結果になるというのだが……。(第2回/全2回)

※本稿は、

池谷敏郎『老いは止められる』(エクスナレッジ)
https://www.amazon.co.jp/%E8%80%81%E3%81%84%E3%81%AF%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B-%E6%B1%A0%E8%B0%B7-%E6%95%8F%E9%83%8E/dp/476782804X

の一部を再編集したものです。

睡眠導入剤の処方の前に必要なこと

中高年になると「眠れない」「眠りが浅い」といった訴えが増えてきます。そして、病院でそうした訴えをする患者さんに対して、あっさりと睡眠導入剤が処方されることはめずらしくありません。

しかし、私はそうした患者さんたちに対しては、すぐに薬を出すことはありません。まずは、次のような質問をします。

「コーヒーや緑茶を毎日どれぐらい飲んでいますか?」

「朝起きる時間は何時ですか? 何時に寝ていますか?」

「昼寝はしますか? 何時にどれぐらいしていますか?」

「1日どれぐらい体を動かしますか?」

この質問に答えているあいだに、だんだん患者さん自身にも、眠れない原因が分かってくるようです。

コーヒーや紅茶、緑茶でカフェインを摂りすぎていたり、就寝・起床時間が乱れていたり、昼寝をしすぎていたり、昼間の活動量が少なかったり──そうしたことが複合的に原因になっていることが多々あります。

「ノンレム睡眠」は若い時代の3分の1以下に
これらに当てはまらない場合は、次の質問をします。

「眠れなかった次の日、昼間に眠気やだるさはありますか?」

特に当てはまらない場合は、睡眠がそこそこ足りているということ。たとえ前日に6時間しか眠っていなくても、睡眠中に何度か目が覚めたりしても、翌日に元気なら深刻な問題はありません。

人間は加齢にしたがって、睡眠時間が短く変化するものです。健康な方でも、一晩に1〜2回目が覚めたり、早朝に覚醒したりすることが増えてきます。しかしそれは、自然な加齢変化です。

20代と比べると、70代のトータルの睡眠時間は1時間も短くなって6時間弱になり、さらに脳が休息する深い睡眠状態を指す「ノンレム睡眠」は3分の1以下になっています。

睡眠時間が短くなっても日中の活動に支障がなければOK
「20〜30代のころは、8時間連続してぐっすり眠れたのに、今はとぎれとぎれに6時間睡眠なんです」という高齢者の方もいますが、それは自然な変化によるものだということが、よく分かります。

たとえ睡眠時間が5時間でも、6時間でも、昼間の活動に支障がなければひとまず睡眠がとれていると考えるべきでしょう。

「寝つけなくてつらい」「早朝に目が覚めてしまう」という場合は、眠くなるまで寝床に入らず、朝はダラダラと床で過ごさずに、早めに起床することを一度実践してみてください。

「睡眠時間が短く済むなんて得した」とポジティブにとらえて、早朝の散歩や読書を楽しんでみてはいかがでしょうか。朝からしっかり活動すれば、夜は自然な眠気が現れて寝つきがよくなり、良質な睡眠が得られるので、一石二鳥です。

「眠れる薬」で老化が進む?
このとき「眠れないんです」と病院で訴えると、睡眠薬や抗不安薬が処方されがちなのですが、前述のような「慎重な問診」や「生活改善」をする前に、安易に薬に頼ることはおすすめできません。

私も過去には「眠れない」と訴える患者さんへ安定剤や睡眠薬を処方していた時代もありました。しかし、服用した患者さんがいつもぼんやりとしたままだったり、急に老け込んでしまったりしたケースがあったために、思い切って200人以上の患者さんの安定剤の処方を中止し、生活改善の指導を行うことにしました。

中には、突然目つきが変わって「薬を出して! 先生のイジワル!」とこちらを責めてくる方もいました。おそらく、睡眠薬の依存症になっていたのでしょう。その方は何年も通ってくれていた患者さんでしたが、結局最後までご納得いただけず、他院へ転院してしまいました。

「クスリの前に生活改善」で起こった驚異の変化
一方で、無事に減薬や中止ができた患者さんたちには、素晴らしいポジティブな変化が現れました。目つきがしっかりしてきて、無表情かぼんやりとしていた表情は明るく変わり、言葉も増え、驚くほど若返ったのです。

睡眠薬を服用していたころは足元がおぼつかなくて、診察室までヨロヨロと時間をかけて入ってきていたある人は、服用を中止してからはスタスタとしっかりした足取りで入ってくるようになりました。

先日も、他院で睡眠薬を長年服用していた車椅子の80代女性が、当院の治療で服用を中止してからしばらくして立ち上がれるようになり、自力で歩行ができるようになったことがありました。

さらに、来院当初は何もしゃべらずにぼんやりとしていたのが、診察室にお孫さんも連れてきてくれて、にぎやかなおしゃべりを楽しむまでに変わりました。今ではすっかり家族の中心的存在になっていると聞きました。

睡眠薬は「効きすぎる」
無事に服用を中止できた方には、こうした劇的な変化が数多く見受けられます。

夜に服用した睡眠薬の薬効が、朝起きてからも持続してしまい、1日中うつらうつらとした状態になってしまっている人は多いのです。

睡眠薬を服用した高齢者の転倒もよく耳にします。眠気を引きずったまま生活しているので、当然ながら運動能力も低下してしまっているため、転倒しやすくなります。転倒して骨折をしてしまい、そのまま寝たきりになるケースもなかにはあります。

睡眠薬の副作用には、思考能力や意欲の低下などがありますから、長期間にわたって影響を受けることで、まるで廃人のようになってしまうことはありうること。そうした薬をいったんやめることで、悪影響を脱して状態が改善することは十分に考えられることなのです。

もちろん、本当に睡眠薬の服用が必要な症例はあります。しかし、私は、先の80代女性のように、「必ずしも必要はない」と診断したときには、食事や運動を中心とした生活習慣の実践で、少しずつ睡眠薬を減らすことから始め、徐々に卒業できるように一緒にがんばってもらいます。

時に、依存性の少ない漢方薬に切り替えることもあります。ただ「睡眠薬を止めなさい」とだけいっても、依存してしまっている患者さんには酷ですから、少しずつ切り替えられるようにほかの方法を取り入れながらアプローチすることが大切です。

薬に頼るのは「最終手段」
睡眠薬の処方は10秒で終わりますが、生活改善の指導には10分かかります。だから、私には安易に思えるような睡眠薬の処方が後を絶ちません。

いちばんの問題は、気軽に飲むには、睡眠薬は依存性が強すぎるということです。20代、30代の若い世代の人たちにも、睡眠薬依存に陥っている人が少なくありません。

そうした方々にも、同じアプローチで依存から抜け出すお手伝いをしています。元気いっぱいの時期なのに、昼間にボーっとしているなんて人生大損ですよ、とお話しています。

よい眠りを得るための薬が、多くの方の老化を早めているように思えてなりません。私は、まずは生活指導を行い、患者さんの健全な体の働きを取り戻してもらうことこそが、医療が本当に果たすべき役割ではないかと思っています。

みなさんには、薬に頼る前に、ぜひ最初に生活習慣の見直しをしてもらいたいと思います。薬に頼るのは、最終手段です。

池谷式「老いない快眠メソッド」
中高年の安眠に役立つ、生活改善の具体的指針をいくつかご紹介します。睡眠薬に頼る前に、取り入れやすいものからぜひ実践してみてください。

■快眠メソッド@ 睡眠時間を最優先でスケジュールする

忙しい時期、つい一番に削ってしまうのが睡眠時間、という人は多いようです。お気持ちは分かりますが、医師の立場から言わせてもらうと「忙しいときほど、一番に十分な睡眠時間を1日の中に最優先でスケジュールする」ことを習慣にしてほしいのです。先に睡眠時間を予定に入れ、余った時間で仕事をする、といったイメージです。

睡眠不足は脳のパフォーマンスを下げ、体力も気力も奪います。その状態で多忙なタスクをこなしても、通常よりも時間がかかるし質も下がる可能性が高いでしょう。であれば、しっかりと睡眠をとり、脳によく働いてもらって体力も十分なほうが仕事は早く終わり、量もこなせるはずです。

仕事が立て込む時期や、小さなお子さんの育児で夜に十分な睡眠がどうしてもとれないときもあるでしょう。そんなときは、昼間に10分、15分の仮眠をとることをおすすめします。

平日も週末も起きる時間は一定に
■快眠メソッドA 平日も週末も起きる時間は一定に

「夜の寝つきが悪くて……」という患者さんには、私はいつも「朝、起きる時間を毎日同じに設定してください」とアドバイスしています。

寝つきが悪い人の場合は、起床から睡眠までの体内時計が乱れている可能性があります。そして、その体内時計をセットし直すベストタイミングが、朝の起床時だからです。

人間は朝起きて太陽の光を浴びた時に、体内時計がセットされるようにできています。朝にセットされた起床時間に合わせて、体は眠りを誘うホルモンであるメラトニンを分泌しています。朝起きる時間が遅くなると、当然ながらメラトニンの分泌されるタイミングも後ろへずれ込みます。起きる時間を決めず、コロコロと変わることで、体内時計は乱れていくのです。

特に多いのが、土日の朝寝坊。休みだからと、昼すぎまでのんびり寝てしまうと、体内時計が狂いやすく、睡眠のリズムが乱れてしまいます。月曜日の朝にぼんやりとしてしまう原因にもなります。

■快眠メソッドB 就寝2時間前からはものを食べない

睡眠中は様々な臓器のリセットタイムです。起きているあいだ、何度も消化・吸収という仕事をこなした胃も、睡眠中にさらに大きな仕事を行っています。それは就寝中の「大蠕動」。

就寝中にせっせと収縮を繰り返し、胃に残っていた小さな食べ物の残りカスや古い粘膜をこそぎ落として、胃の中をきれいにしているのです。この働きによって翌朝は胃の中がすっきりきれいに片づき、健全な空腹感を生じさせ、朝食を元気に消化したり、掃除をしたあとのゴミが便として排出されます。

睡眠中に行われる、健康な胃腸を保つための重要な働きを阻害しないため、就寝の2時間前になったら何かものを食べることは控えることをおすすめします。

「コップ一杯の水」は寝る前ではなく、朝起きたときに
■快眠メソッドC 枕は寝返りが打ちやすい高さに

健康な睡眠において、寝返りは自然と起こるもの。一晩のうちに20〜30回、寝返りを打つといわれており、このときに動きを邪魔しないことも安眠のポイントになります。

「眠りが浅い」と訴える人には、高すぎる枕や、頭が沈み込んで固定されやすい低反発枕を使っているケースがよく見られます。もし、眠りに問題がある場合には、枕を見直すことも一案です。

私は寝返りが打ちやすい、低めの枕を推奨しています。新品のバスマットやバスタオルを蛇腹に折って、4センチ程度の高さに調整したものでもよいでしょう。仰向けになってその上に頭を乗せて寝たときに、首や頭に圧迫感がなくて寝返りがラクに打てたらOKです。

■快眠メソッドD 寝る直前の水分は控える

診察室で「眠る前には血液がドロドロにならないように、コップ一杯の水を飲んでいます」と言う方がときどきいます。そういう方のほとんどが、夜中に数回、トイレで目を覚ましています。

私は、「血がドロドロになるよりも、深い睡眠が得られないほうが体に悪いですよ」とお伝えしています。尿意で睡眠が浅くなることもありますが、夜中にトイレに行く途中で寝ぼけて転倒したり、寒い冬の温度差で血圧がスパイクを起こして倒れてしまったりするリスクも高まります。

就寝中に汗をかいて水分が失われるのは事実ですが、就寝前や起床時に排尿があれば、体に害が出るほどの脱水にはなっていないので、安心してください。私たちの体には「ホメオスタシス(恒常性)」という働きがあり、血液中の水分量も一定に保たれるようになっているのです。

もちろん、のどが渇いているのであれば飲んでもかまいませんが、渇きをいやす程度の量に控えたほうが、睡眠の邪魔にはなりません。コップ一杯の水を飲むなら、朝起きたときがいいでしょう。

---------- 池谷 敏郎(いけたに・としろう) 池谷医院院長、医学博士 1962年、東京都生まれ。東京医科大学医学部卒業後、同大学病院第二内科に入局。97年、医療法人社団池谷医院理事長兼院長に就任。専門は内科、循環器科。現在も臨床現場に立つ。生活習慣病、血管・心臓などの循環器系のエキスパートとして、数々のテレビ出演、雑誌・新聞への寄稿、講演など多方面で活躍中。東京医科大学循環器内科客員講師、日本内科学会認定総合内科専門医、日本循環器学会認定循環器専門医。著書に『50歳を過ぎても体脂肪率10%の名医が教える 内臓脂肪を落とす最強メソッド』(東洋経済新報社)、『「末梢血管」を鍛えると、血圧がみるみる下がる!』(三笠書房)、『血管を強くして突然死を防ぐ!』(PHP文庫)などがある。 ----------

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e7%9c%a0%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%84-%e7%9c%a0%e3%82%8a%e3%81%8c%e6%b5%85%e3%81%84-%e3%81%a7%e3%82%af%e3%82%b9%e3%83%aa%e3%81%ab%e3%83%8f%e3%83%9e%e3%81%a3%e3%81%9f%e4%b8%ad%e9%ab%98%e5%b9%b4%e3%81%ae%e5%a5%88%e8%90%bd/ar-BB1a9J4i?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1120.html

[番外地8] 三橋貴明先生は嘘が大嫌いだそうですが、三橋貴明先生の歴史の話は全部嘘八百です 中川隆
1. 中川隆[-10765] koaQ7Jey 2020年10月20日 08:19:11 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[2]
三橋貴明先生は嘘が大嫌いだそうですが、三橋貴明先生の歴史の話は全部嘘八百ですね。特に

日本人が縄文人の子孫だとか
アイヌ人は先住民ではないとか
神武天皇の東征は紀元前だったとか
天皇家は万世一系だとか
南京大虐殺は無かったとか
従軍慰安婦は売春婦だとか
国際金融資本家・ユダヤ資本家は共産主義者だとか
左翼は新自由主義者・グローバリストだとか
近衛文麿は共産主義・国際金融資本のエージェントで、絶対に勝てない太平洋戦争を開戦させた

はすべて悪質な嘘です。例えば

最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無文土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。
縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無文土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語
というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族浄化

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

そもそも縄文人は日本全体で僅か10万人、西日本はほぼ無人、しかも山奥にしか住んでいなかったので日本人と混血なんかしないのですね。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。  

三橋貴明の古代史の話はチャンネル桜で知り合った自称専門家の話を受け売りしているだけだよ。
内容は正確には理解していないし、自分で文献を調べる事もない。
それ位ネットで検索すればすぐにわかる事なのに、三橋貴明は自分では一切調べない。
三橋貴明は歴史だけでなく専門の経済でも自分では何も調べない、何も勉強しないで、他人の受け売りだけやっているんだよ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/480.html#c1

[番外地8] 三橋貴明先生は嘘が大嫌いだそうですが、三橋貴明先生の歴史の話は全部嘘八百です 中川隆
2. 中川隆[-10764] koaQ7Jey 2020年10月20日 08:23:50 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[3]
三橋貴明先生は嘘が大嫌いだそうですが、三橋貴明先生の歴史の話は全部嘘八百ですね。特に

日本人が縄文人の子孫だとか
アイヌ人は先住民ではないとか
神武天皇の東征は紀元前だったとか
天皇家は万世一系だとか
南京大虐殺は無かったとか
従軍慰安婦は売春婦だとか
国際金融資本家・ユダヤ資本家は共産主義者だとか
左翼は新自由主義者・グローバリストだとか
近衛文麿は共産主義・国際金融資本のエージェントで、絶対に勝てない太平洋戦争を開戦させた

はすべて悪質な嘘です。例えば

最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無文土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。
縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無文土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語
というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族浄化

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

そもそも縄文人は日本全体で僅か10万人、西日本はほぼ無人、しかも山奥にしか住んでいなかったので日本人と混血なんかしないのですね。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。  

三橋貴明の古代史の話はチャンネル桜で知り合った自称専門家の話を受け売りしているだけだよ。
内容は正確には理解していないし、自分で文献を調べる事もない。
それ位ネットで検索すればすぐにわかる事なのに、三橋貴明は自分では一切調べない。
三橋貴明は歴史だけでなく専門の経済でも自分では何も調べない、何も勉強しないで、他人の受け売りだけやっているんだよ。そもそも経済の専門知識がゼロで微積分すらできない三橋貴明が経済学者の学説を否定するのが逝かれているんだ。
三橋貴明が世紀の大理論みたいに宣伝している MMTは単に政府は自由に貨幣を発行できるという当たり前の事しか言っていない。
MMTは政府に金を出させて稼ごうとしている金融資本が推進しているんだよ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/480.html#c2

[番外地8] 三橋貴明先生は嘘が大嫌いだそうですが、三橋貴明先生の歴史の話は全部嘘八百です 中川隆
3. 中川隆[-10763] koaQ7Jey 2020年10月20日 08:29:20 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[4]
三橋貴明先生は嘘が大嫌いだそうですが、三橋貴明先生の歴史の話は全部嘘八百ですね。特に

日本人が縄文人の子孫だとか
アイヌ人は先住民ではないとか
神武天皇の東征は紀元前だったとか
天皇家は万世一系だとか
南京大虐殺は無かったとか
従軍慰安婦は売春婦だとか
国際金融資本家・ユダヤ資本家は共産主義者だとか
左翼は新自由主義者・グローバリストだとか
近衛文麿は共産主義・国際金融資本のエージェントで、絶対に勝てない太平洋戦争を開戦させた

はすべて悪質な嘘です。例えば

最新の核DNA解析で
・アイヌは縄文人の直系の子孫
・日本人は半島の無文土器人の直系の子孫
だというのが証明されています。
縄文語はアイヌ語
日本語は半島の無文土器人の言葉
皇室が平安時代まで使っていたのは百済語
というのがわかってきたんですね。

日本語は chousen 無文土器文化人の話していた言葉だった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/geo/1596586891/l50

最新の縄文人ゲノム解析で、本州縄文人はアイヌのクラスターに含まれた。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析と一致し、アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つであることを示している。

2020/08/25 縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
覚張 隆史(金沢大学人間社会研究域附属 国際文化資源学研究センター 助教)
太田 博樹(生物科学専攻 教授)
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/info/6987/

考古学「日本の先住民はアイヌ」
縄文人骨の特徴は、弥生時代に入り本州で失われていった。その一方で、北海道ではオホーツク文化の進入にもかかわらず近代まで維持された
https://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html

言語学「日本の先住民はアイヌ」
東北北部にアイヌ語地名が多くのこっており、また北海道と同じ遺物が出る以上、東北地方にアイヌ語を話す人聞が居住していたことは否定出来ず、「蝦夷もある時代まではアイヌ語を使用していた」という考えを表明する
http://id.nii.ac.jp/1204/00000541/

・倭国大乱 → 畿内の縄文勢力を抹殺

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力を抹殺
・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力を抹殺
・北海道への和人大量入植 → 最後の縄文勢力を民族浄化

が、大まかな流れです。 今の日本で生き残っている縄文人はアイヌ人、琉球人、douwa buraku 民だけです。
douwa buraku 民は日本人との結婚を禁じられていたので純血のままです。

そもそも縄文人は日本全体で僅か10万人、西日本はほぼ無人、しかも山奥にしか住んでいなかったので日本人と混血なんかしないのですね。

遺伝学は日進月歩なので去年の知識でも現在ではもう通用しません。
林原チャンネルやチャンネル桜に出る自称アイヌ専門家の知識は10年は古いんですね。
そもそもチャンネル桜に出演している美術史家、土木技術者、経済評論家、元政治家や普通のお医者さんに遺伝学の専門知識が有る訳ないですね。  

三橋貴明の古代史の話はチャンネル桜で知り合った自称専門家の与太話を真に受けて、そのまま受け売りしているだけだよ。
内容は正確には理解していないし、自分で文献を調べる事もない。
それ位ネットで検索すればすぐにわかる事なのに、三橋貴明は自分では一切調べない。
三橋貴明は歴史だけでなく専門の経済でも自分では何も調べない、何も勉強しないで、他人の受け売りだけやっているんだよ。そもそも経済の専門知識がゼロで微積分すらできない三橋貴明が経済学者の学説を否定するのが逝かれているんだ。
三橋貴明が世紀の大理論みたいに宣伝している MMTは単に政府は自由に貨幣を発行できるという当たり前の事しか言っていない。
MMTは政府に金を出させて稼ごうとしている金融資本が推進しているんだよ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/480.html#c3

[番外地8] フィッシャーの交換方程式 MV=PQ 中川隆
18. 中川隆[-10762] koaQ7Jey 2020年10月20日 08:45:25 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[5]
日本国債を大量発行しても国債金利は上がらないけど、ハイパーインフレになるのは事実だよ:
日本国債を大量発行すると、その金利でマネーストックが増え、増えた金が海外投資されるだけで、労働者の実質賃金は下がり続ける。円は現在も着々と紙屑化している。
この30年間汗水たらして働いた人の給料は実質1円も増えず資産は減り、一切働かず国債の金利収入だけを得た人の資産は倍増しました。経済学者によると現代は中世暗黒時代以上に貧富の差が大きく、人類史上最大の格差が生まれようとしている。
国債を大量発行すると、こういうメカニズムで労働者の実質賃金が下がる:

フィッシャーの交換方程式 MV=PQ

ここで

M はある期間中の任意の時点tにおける流通貨幣(通貨)の総量 (価値保蔵手段としての貨幣は含めない)
V は貨幣の"流通速度"(特定期間内に人々のあいだで受け渡しされる回数:貨幣の回転率のようなもの)売買契約の約定回数
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Q は"取引量" (特定期間内に人々のあいだで行われる取引量(quantity)の合計)

である。

交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。

フィッシャーの交換方程式 MV=PQ は
販売価格総額=購買価格総額
という恒等式だから誰も否定できない。
フィッシャーの交換方程式は取引経済の実態そのものの数式化であり、かならず両辺が一致する。
新古典派経済学の考え方によると、労働供給が飽和する水準で実質GDPは均衡するので(セイの法則)、実質GDPは貨幣量や物価とは関係なく決定される。そこで貨幣量Mが一意的に物価水準Pを決めることになる。
フィッシャーのMが増加すればPも増加するという説明は、昔からある貨幣の中立性を数学的に洗練して叙述したものである。

古典派経済学の貨幣の中立説は貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、中立説によれば、貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はない。経済活動の本質は物々交換であり貨幣はその仲介を行っているにすぎず、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。
貨幣数量説は貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって押さえ込むことができるとする。
フィッシャーは、貨幣の流通速度:Vと1期間における財・サービスの取引量:Qは慣習的に(大きな)変動はないとみなした(実際はVを観測するのは非常に難しく、観測はほぼ不可能である)。だとすると、MV=PQの左辺のV、右辺のQが大きく変動しないのであるから、自明なこととして、この方程式においてMとPは常に比例することになる。そうであるならば、M(貨幣量)を増やせば、P(物価)も上昇することになる。あるいは、M(貨幣量)を減らせば、P(物価)も低下するであろう。そうだとすれば、政策論的に言えば、例えばある経済の物価を上昇させたいのであれば、貨幣量を増やせば物価が上昇させることができるとこの方程式から言えるだろう。あるいは、もし物価が下がっているならば、それは貨幣量が足りないからだということができるだろう。これが古典派の貨幣数量説の基本的な考え方である。

ミルトン・フリードマンに代表されるマネタリストは、Q/Vの構造に長期的な安定傾向を見いだし、短期的には貨幣の中立性が満たされないことはあるが、長期的には満たされるとする。このため貨幣量が増加すると一時的に実質GDPまで拡大することはありうるが、長期的には実質GDPは完全雇用できまる水準に低下し、物価Pの上昇をもたらすだけだと考える。Q/Vは一回あたりの発注ロット数の平均値をあらわすが、フリードマンは経済の期待成長力や期待収益率の多寡によって、1回あたりの受発注量が増減することは短期的に観察できる事実であるが、長期の統計においては安定した関係にあると実証した(この功績でノーベル賞を受賞)。

長期的には貨幣の中立性は成立し、金融政策は実体経済に影響を与えず、ただ名目変数を動かすだけであるという点では、新古典派経済学、マネタリスト、ニュー・ケインジアンの見解は一致している。
__

フィッシャーの交換方程式 MV=PQ を国内と海外で別にすれば正確に現状に当てはまっているよ
日銀が発行したマネーストックのかなりはドルに変えられて海外で流通している

だから超円安になって、スイスの最低賃金は時給4500円、昼食代1万円 になったのさ。

国内金融に対するフィッシャーの交換方程式 MV=PQ
M : 貨幣量 = マネーストックの内、実際に国内市場で流通している金額、ドルに変えられて海外で運用されている金額は含まない
V : 貨幣の国内での取引流通速度
P : 国内物価(基準年度を1とした GDPデフレータ)
Q:1期間における財・サービスの取引量 ≒ 実質GDP
PQ ≒ 名目GDP


ドルを商品、ドル価格を物価P、日銀異次元緩和で増えた円の総額を貨幣量Mとすると

海外金融に対するフィッシャーの交換方程式 MV=PQ
M : 貨幣量 (価値保蔵手段としての貨幣は含めない)V : 貨幣の取引流通速度
P : 物価(基準年度を1としたデフレータ)
Q : 1期間における財・サービスの取引量

が成立して、何故ドルが円ベースで高くなったか説明できる

国内で流通するマネーストックは異次元金融緩和以前と変わらないから国内物価も上がっていない
すべて フィッシャーの交換方程式 MV=PQ で説明できるよ
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/462.html#c18

[近代史4] 強烈な幻覚作用を持つ究極のドラッグ DMT
強烈な幻覚作用を持つ究極のドラッグ DMT


麻薬かお茶か、法廷論争に
“究極のドラッグ”DMT、その作用とは 2020/10/20
https://www.47news.jp/47reporters/5394298.html


販売されていたアカシアコンフサの粉末

 幻覚物質DMTをご存じだろうか。強烈な幻覚作用を持つことから究極のドラッグとも呼ばれ、海外では宗教儀礼や精神疾患の治療に用いられている地域もある。日本では長らく摘発されてこなかったが今年、DMT入りの茶を販売した男性が麻薬取締法違反容疑で逮捕された。しかし茶の原料はありふれた植物であり、裁判で弁護側が「販売したのは茶にすぎない」と無罪を主張し、法廷論争になっている。(共同通信=武田惇志)

 ▽違法性めぐり真っ向対立

 逮捕された青井硝子=本名・藤田拓朗=被告(34)は、雑草を吸ってストレス解消を目指す著書

『雑草で酔う』(彩図社)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9B%91%E8%8D%89%E3%81%A7%E9%85%94%E3%81%86-%E4%BA%BA%E3%82%88%E3%82%8A%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A1%E3%81%AA%E5%83%95%E3%81%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%97%E3%81%9F%E7%A9%B6%E6%A5%B5%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%A7%A3%E6%B6%88%E6%B3%95-%E9%9D%92%E4%BA%95%E7%A1%9D%E5%AD%90/dp/4801304109/ref=asc_df_4801304109/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=342595550532&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=13961456055389690291&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009331&hvtargid=pla-834798974534&psc=1&th=1&psc=1


で知られる。青井氏はこれまで約3年にわたり、自身が主宰するウェブサイト「薬草協会」を通じ、幻覚物質ジメチルトリプタミン(DMT)を含有する樹木アカシアコンフサ(和名ソウシジュ)の飲用粉末(通称「アカシア茶」)を販売してきた。

青井硝子氏の著書
 事件のあらましはこうだ。京都府内の男子学生が昨年7月、青井氏からアカシア茶を購入した。粉末を煮出してDMT入りの茶を作って飲んだところ、意識がもうろうとなって病院に搬送。尿検査でDMTが検出されたことから警察に摘発された。その後、京都府警と厚生労働省の近畿厚生局麻薬取締部は今年3月3日、学生の麻薬摂取をほう助した疑いがあるとして青井氏を麻薬取締法違反容疑で逮捕。DMTを巡る摘発は全国初とみられている。なお、男子学生は事前に大量の風邪薬を服用していたことが判明しており、体調不良とDMT摂取との因果関係ははっきりとしていない。

 捜査機関は約3カ月間、警察署の留置場で勾留し、DMT含有茶の所持や施用など同様の容疑で計7回起訴。青井氏は6月10日に一度保釈されたが、7日後に再逮捕された。留置場に引き戻されることになったが、同月30日、再び保釈されて現在は自由の身だ。

保釈翌日の青井硝子氏、7月1日、大阪市内
 事件の公判は6月から京都地裁で開始。弁護側と検察側は茶の違法性を巡って真っ向から対立している。

 ▽茶=DMT含む水溶液?

 麻薬取締法はDMTを「麻薬」として規制しているが、実は、法的に「麻薬原料植物」と定められていない一般の植物については、たとえ麻薬成分を含んでいても規制対象とはしていない。今回問題となった原料のアカシアコンフサも、「麻薬原料植物」からは除外されている植物だ。事実、沖縄県などでは広く自生し、染料としても用いられている。加えて、DMT自体も人間の血液や尿、レモンやオレンジなど自然界に広く存在している。

 そのため青井氏は「アカシア茶は植物であって、法律上の麻薬には当たらない」として無罪を主張。弁護人の喜久山大貴弁護士も@「植物片を水に付けて茶にしても化学的変化が加えられるわけではないし、DMTの結晶そのものになるわけでもない。これでは自生する植物の所持や利用を禁止しているに等しい」A「DMTは人間の血液など自然界に遍在しているため、アカシア茶のみを麻薬と見なすことは不合理だ。どんな行為が犯罪に当たるかをあらかじめ明確にしておくよう憲法が規定する『罪刑法定主義』にも反している」B「国連の国際麻薬統制委員会の見解では、アヤワスカなどDMTを含む植物やその加工品は規制対象とされていない」と法廷で徹底抗戦の論陣を張った。

沖縄で自生しているアカシアコンフサ(和名ソウシジュ)
 一方、検察側は「アカシア茶はDMTを含有する水溶液であり、水溶液は植物でないから麻薬だ」と反論していたが、7月の公判で裁判長が「反論は弁護側の主張とかみ合っていない」と批判。9月の公判でも「アカシア茶は植物からDMTを分離し抽出した液体であり、植物ではないことは健全な社会常識によって明らかだ」と“常識”を持ち出して再反論するにとどまっていた。

 その間、傍聴者は回を追って増え、10月の公判では法廷が大法廷に変更。そこで検察側は詳細な意見書を提出し、@「国際条約の定義上、麻薬の『製造』には化学的合成が必須の要件ではない」A「アカシア茶はDMTを体内に取り込み、その薬効を享受するために作られるもので、DMTを含有する柑橘類や尿などとは質的に明らかに異なっているから、罪刑法定主義には反していない」B「国際麻薬統制委員会の見解は国際的現状を記載したものに過ぎず、法的拘束力はない」などと反論した。

 ▽究極のドラッグ「アヤワスカ」

 日本ではなじみのないDMTだが、ペルーではDMT含有のツル植物からなる幻覚性の飲料「アヤワスカ(Ayahuasca)」が、先住民の宗教儀礼などで伝統的に用いられてきた。現在は南米を中心に精神疾患や薬物依存症の治療にも活用されており、ペルー政府はアヤワスカを国家文化遺産に指定している。

 先住民の言語ケチュア語で「魂のツル植物」を意味するアヤワスカは、コロンビアでは「ヤーヘ(Yage)」とも呼ばれ、とりわけ強烈な幻覚作用を持つことで知られてきた。米国の作家ウィリアム・バロウズは、自身の麻薬常用の日々をつづった自伝的小説『ジャンキー』(1953年)の終盤、ヤーヘを求めて南米へと渡る決意を語りつつ、“Yage may be the final fix”との一文で作品を終えている。“the final fix”とは最後の、または究極の薬物といった意味だ。元ビートルズのポール・マッカートニーさんもかつてDMTを使用して「神を見た」と新聞のインタビューで打ち明けている。

羽田空港に到着し、法被姿でファンに手を振るビートルズの元メンバー、ポール・マッカートニーさん。右は妻ナンシーさん
 南米以外の地域では、アヤワスカの原料とは別のDMT含有植物を使って類似の幻覚飲料が作られることがあり、それらは「アヤワスカ・アナログ」と呼ばれる。青井氏が販売していたアカシア茶もその一種だ。

 DMT自体は現在、多くの国で規制されている一方、上述したように国連の国際麻薬統制委員会はDMTを含む植物や茶を規制対象とはしていない。加えて、日本ではこれまでブラジルの新興宗教サント・ダイミ教の信者が「ダイミ茶」なるアヤワスカ・アナログを集団で飲用していたことが行政や捜査機関の間で知られていたものの、喜久山弁護士によると、摘発まで至った事例はない。

 ダイミ茶は、16人もの犠牲者を出した2008年の大阪・難波の個室ビデオ店放火殺人事件で逮捕された男が、事件半日前に奈良県内で信者と飲用していたことで話題となった。幻覚作用は2時間しか続かず、事件には影響しないと結論付けられたが、男は捜査段階で「茶を飲んで気分が高ぶって涙が出た」と供述していた。

 この事件を受け、厚労省は「ダイミ茶を飲んだりすることがないようにして下さい」とウェブサイト上で注意喚起したが、それ以上の対応は取っておらず、喜久山弁護士は今回の逮捕を問題視し、「厚労省はいつのまに法解釈を改めたのか」と批判している。

▽「飲んで人生観変わった」体験者は語る

 麻薬かどうかが争われているアカシア茶だが、実際に飲用するとどうなるのだろうか。関係者によると、今回アカシア茶を飲んで摘発された男子学生は、過去に「社交不安障害」の診断を受け、中学時代から不登校で過ごしていた。友人と自殺する計画を立て、「死ぬ前に試してみよう」と思ってアカシア茶を購入したと捜査機関の取り調べで供述した。

 友人とアカシア茶を飲むと、味は「生の木を食べているよう」な、食べ物とは思えないまずさで、トイレに行って吐いた。頭がクラクラし、目をつむると「万華鏡を3Dにしたような」幻覚が見えた上、「世界の真理を分かったような感覚」「全てに対して寛容になれる感覚」を感じた。しかし最後は「二度と元の世界に戻れないんじゃないか」「僕は死んでいるんじゃないか」と非常な恐怖も覚えたという。その後、大学生は声を上げたり手足をばたつかせたりして暴れ、救急隊が到着したときには瞳孔を開いたまま倒れていた。

 取り調べでは、アカシア茶を「当初は合法だと思っていたが、現在は法律に触れる薬物だと理解している」「もう二度と使うことはない」と述べつつ、「茶を飲んで人生観が変わった。前までは自殺したいとばかり考えていたが、今は考えなくなった」「僕以外にもアカシア茶を飲んで救われている人も少なからずいるのでは」とも供述している。

https://www.47news.jp/47reporters/5394298.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1121.html

[近代史4] 中国の人身売買
中国の人身売買


すでに日本も危なくなっている
2020/10/20




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1122.html

[番外地8]  平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベル… 中川隆
2. 中川隆[-10761] koaQ7Jey 2020年10月20日 13:25:55 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[10]
日本政府が三橋さんが何時も言っている様な大規模財政出動や公共事業をやっていた時代も有りましたが、結果は大失敗に終わり、日本は二等国になってしまいました。農産物や工業製品の 供給力が有り余っている日本で財政出動すると必ず相場のプロの国際金融資本に、日本政府が財政出動した金をすべて持って行かれます:
1985年のプラザ合意でドル-円が半値になって、日本は輸出で稼げなくなったので内需拡大する為に金融緩和してお金をばら撒いたのです。つまり、輸出企業の仕事が無くなったので内需振興で国民の仕事を増やそうとしたのです。
その段階で日本政府は三橋さんが何時も言っている財政出動・公共事業で国内需要を増やしました。
そしてその結果、円の貨幣価値が暴落して、日本のGDP,、日経平均と日本の不動産価格は暴騰しました。
しかし労働者の実質賃金は全く上がらなかったのです。

円の貨幣価値が暴落したのを見てCIAは日本経済を完膚無きまでに破綻させる為にバブル崩壊を仕掛けました:

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。
 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。
 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。
 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。
 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。

ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。


 こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。

 この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街で展開していました。
 1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/506.html#c2

[番外地8] 1985年のプラザ合意でドル-円が半値になって、日本は輸出で稼げなくなったので内需拡大する為に金融緩和してお金をばら撒いたの… 中川隆
1. 中川隆[-10760] koaQ7Jey 2020年10月20日 13:29:45 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[11]
日本政府が三橋さんが何時も言っている様な大規模財政出動や公共事業をやっていた時代も有りましたが、結果は大失敗に終わり、日本は二等国になってしまいました。農産物や工業製品の 供給力が有り余っている日本で財政出動すると必ず相場のプロの国際金融資本に、日本政府が財政出動した金をすべて持って行かれます:
1985年のプラザ合意でドル-円が半値になって、日本は輸出で稼げなくなったので内需拡大する為に金融緩和してお金をばら撒いたのです。つまり、輸出企業の仕事が無くなったので内需振興で国民の仕事を増やそうとしたのです。
その段階で日本政府は三橋さんが何時も言っている財政出動・公共事業で国内需要を増やしました。
そしてその結果、円の貨幣価値が暴落して、日本のGDP,、日経平均と日本の不動産価格は暴騰しました。
しかし労働者の実質賃金は全く上がらなかったのです。
円の貨幣価値が暴落したのを見てCIAは日本経済を完膚無きまでに破綻させる為にバブル崩壊を仕掛けました:

1929年10月24日、ニューヨーク・ウォール街では、世界大恐慌の引き金となって、株式大暴落が起こりました。そして、あれから60年後、今度は日本を叩き潰す為に、1990年2月、巨大な経済の逆回転が始まり、平成バブル経済が崩壊しました。

 平成バブルが崩壊するバブル・ピーク時、CIA(Central Intelligence Agency/アメリカ大統領直属の中央情報局)は、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦後の次の敵は、日本だと考え始めていました。

事実、1989年秋から始まった、アメリカ系証券会社の株価動向は不気味な動きをし始めました。バブルと、その崩壊に携わったのは、ユダヤ系の金融機関であるソロモン・ブラザーズ(現在のソロモン・スミスバーニー)という証券会社でした。

 ソロモン・ブラザーズは資本主義の歴史に詳しく、また日本の昭和初期の経済にも精通していて、1989年11月、ニューヨークで「日経平均株価が大暴落したら大儲け」という『プット・ワラント』のデリバティブ商品を機関投資家や大口投資家に大量に売り始めたのでした。それ以来、ソロモン・ブラザーズが中心になって、債券、為替、株価のトリプル安が始まります。これがバブル崩壊の裏側に隠れたメカニズムだったのです。

 バブル崩壊のシナリオは、どのようにして仕組まれたのか、その筋書きを追ってみましましょう。

 バブル絶頂期は、1989年にそのピークを迎え、株価は天井でした。この時、多くの日本人は、株価の高騰(こうとう)並びに地下の高騰に、湧きに湧き、怕(こわ)いもの知らずで、日本の投機家達は今迄になく傲慢(ごうまん)になっていました。そしてこの頃、事実CIAは、アメリカの敵は日本であると考え始めていました。

 CIA経済部門のスペシャリスト達は、アメリカ系証券会社のソロモン・ブラザーズ(現在はソロモン・スミスバーニー)と手を組み、日本経済の崩壊作戦に向けて本格的に動き出しました。これが今日の不況を長引かせる要因を作ったのです。これが日本株式市場に於ける下落のシナリオ「バブル崩壊作戦」でした。


ソロモン・ブラザーズは、1989年当時の沸き立つような好景気も、60年前のアメリカ・ニューヨーク.ウォール街での大恐慌と同一のものであると、そのバブル崩壊を予測したのです。

 かつて、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの配下であったロックフェラーやデュポン(世界最大の化学メーカー)らは、この大恐慌を利用して天文学的な巨富を手にしていました。ソロモン・ブラザーズはこれに因(ちな)み、バブル崩壊を企てる研究に取りかかったのです。
 「どうしたら一儲けできるか」からはじまり、「どうしたら日本経済を徹底的に叩く事が出来るか」という結論を導き出し、日本経済崩壊に向けて模索し始めたのです。

 60年前のウォール街での「暗黒の木曜日」の立役者は、国際金融資本の総帥・ロスチャイルドの息の掛かる東部のエスタブリュシュメント達(ロックフェラーを筆頭に、デュポン、ケネディ、オナシス、アスター、バンディ、コリンズ、フリーマン、ラッセル、ファンダイン、リー・クアンシューの超大富豪十二家)でした。
 この者達は手持ち株を売り捲り、その結果、下落に下落を重ね、二束三文になった株式を買い叩いたのです。それで巨万の富を手にしたのですが、今日とは情況が違うことに気付きます。この難題に、しばらく苦慮しますが、ついに糸口を掴んだのです。

 その糸口とは、「何が株価を暴落させる要因になるか」と言うものでした。つまり株価が暴落する切っ掛けを作ればよいのです。そして、「下落によって、下がった株で大儲けできる商品を持っていればよい」ということに行き当たったのです。それが「デリバティブ」でした。

 デリバティブとは、金融派生商品(通貨・金利・債券・株式・株価指数などの金融商品を対象とした先物取引)のことで、「先物取引」という意味合いを持っています。

次の研究課題は「どうやったら大暴落を人工的に作り出し、然(しか)も、そのタイミングに合わせて、自分達の狙うポイントに、総てを集約することが出来るか」という研究に取りかかったのです。
 人工的に大暴落を作り出す場合、60年前の大恐慌では、アメリカの大富豪達による「大量売浴せ」という手法が使われました。

 大量売浴せとは、売方が買方の買数量より、多量の売物を出して買方を圧倒し、相場を押し下げようとすることで、「売り崩し」とも言われます。
 しかし、それでは巨額な資金が必要であり、当時と違って、それほど経済構造は単純なものではなくなっていました。研究に研究を重ねた結果、巧妙(こうみょう)な手口を考え出します。

 それは、「膨らんだ風船を、更に膨らませる手口」だったのです。
 風船は、空気を送り込んで膨らませれば、それだけ膨らみますが、その実体は「バブル」です。膨らむものは、いつか破裂して、大爆発を起こす物理的法則に制約されます。経済とて、この法則下に制約されているのです。彼等はこれに気付いたのでした。

 彼等はそのシナリオを、綿密なストーリーで組み立てました。徐々に膨らみを見せる風船に、意図的に、頃合いを見計らって、更に膨らませ、次に急激に膨らませるという巧妙なストーリーを演出したのです。風船は、今まで徐々に、周囲の状態に馴染みながら膨らんでいたのですが、これに急激な吹圧を掛け、パンパンの膨張状態を作っておいて、一挙に破裂させるという巧妙な演出を画策したのでした。

 彼等は、この原理を東京株式市場に応用して、バブル崩壊を目論んだのです。
 そして彼等は「デリバティブ」という、風船を一突きにする「針」を手に入れ、膨張し過ぎて破裂状態になったところで、一突きにする演出を手がけたのでした。

ソロモン・ブラザーズは裁定取引を使って、意図的に、無防備な日本経済に先制攻撃を仕掛けたのです。「梃子(てこ)の原理」(レバレッジ)を利用して、なるべく少ない資金で、効果的にバブル崩壊に導く人工爆発の状態を作り上げる研究をしたのです。次に、バブル崩壊に導く為に、彼等は日経平均の株価操作の研究に没頭しました。


 こうして研究の成果を、実行に移した時期が1989年の秋から冬に掛けての事でした。日経平均株価は瞬(またた)く間に膨らみ、バブルは天井へと向かっていました。

 この時、ソロモン・ブラザーズは信じられない事をニューヨーク・ウォール街で展開していました。
 1989年11月、彼等は「東京株式大暴落の図式」に則り、『プット・ワラント』という金融派生商品を売り始めていたのです。この派生商品を、至る処に仕掛けておいて、株価を自由に操ったのです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/508.html#c1

[番外地8] 今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば生活に必要な物がすべて作れる時代です。 中川隆
3. 中川隆[-10759] koaQ7Jey 2020年10月20日 13:37:43 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[12]
三橋さんは昭和脳ですね。
今は技術の進歩で、日本人の1/4が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。
言い換えると、日本人の 3/4はやるべき仕事が無いんですね。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 3/4がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。
その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。

日本人の 3/4 は、風俗とかパチンコとかヤクザとかラーメン屋、喫茶店、スナック、コンビニ、ガソリンスタンド、薬局、歯医者とか、やってもやらなくてもいい生産性がゼロに近いサービス業をして何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 3/4 のやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:
(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。
三橋さんは緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

セブンイレブン、業績好調なのに大量閉店の闇〜月収26万円で疲弊するオーナーたち=栫井駿介
2019年10月24日
https://www.mag2.com/p/money/798181

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。

________

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない
起業家の厳しい実態

10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。

個人事業主より会社設立の方が、より速いペースで廃業しているのが分かります。

理由は自分ひとりでやるよりも、他人に給料を払えば余計なコストが発生するからだと考えられます。


会社を設立する人はだいたい、会社員として仕事がデキる人で、自信満々で部下を引き抜いたりして開業する。

いわば人生のピークで勝負をかけて起業するのだが、統計からは例外を除いて失敗に終わっています。

「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。


現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。

既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。

それでも起業して数ヶ月の間は、会社員だった頃のツテやコネから仕事を得られる場合があるが、それも無くなります。


起業する人には何かアイディアがあり「これが世の中に必要とされる筈だ」というような構想があると思います。

ところが革新的なアイディアの99%は、短期間で社会から不要になる事が多いです。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。


自分が住んでいる地域で30年続いている会社は、不動産とか床屋とか食堂とか、平凡で代わり映えしない業種しかないと思います。

まわりで10年続いている会社を見ても、喫茶店とかコンビニとか薬局、設計事務所や大工など「パッとしない」業種ばかりだと思います。
これが意味するのは新しいアイディアほど早く陳腐化している事で、生き残ったのは平凡で「ダサい」ものだったのでした。


中でも手堅いのは食堂で、味が良くて固定客が多くついていたら、店主の体力が続くまで営業が続けられます。

人気食堂が閉店する理由の多くは、親父が病気になったとか代替わりで息子が継がなかったなどです。

社会が変わっても人間はメシを食うので、30年後も家の近所で食べ物屋は存在している筈です。


日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。

月商はもちろん売上げであって、そこから様々な経費を差し引いたのが収入になります。

仮に月商の50%が利益になるとしても月収15万円未満な訳で、起業した人の家計が非常に苦しくなるのが分かります。

良く不動産ビジネスで「年商1億円」のように言う人が居ますが、不動産の利益は良くて年10%以下と言われています。

しかもこれは借金が無い場合なので、利子の支払いなどがあれば年商1億円でも「年収」は500万円以下かも知れません。

起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。

起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。

会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。


設計の仕事で起業したとしても、膨大な雑事が発生してやりたい仕事になかなか取り掛かれないでしょう。


顧客の獲得や対応、宣伝、値引き要求や代金不払い、理不尽なクレームなどありとあらゆるトラブルを1人で処理しなくてはならない。

一時的に成功しても、流行の業種ほどすぐに陳腐化して仕事と売上げが減るのが普通です。


時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

________

失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら資産家の資産が目減りして所得再分配になるし(インフレ税)

超円安になったら日本の輸出企業の一人勝ちで、海外の競合メーカーはすべて倒産するし

日本政府が貧困者にいくらお金をばら撒いても大企業や資本家の資産が減るだけです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/504.html#c3

[近代史5] 日本列島は欧米の侵略の拠点で日本人は手先。イギリスもアメリカも日本がアジアの国々と友好的な関係を結ぶことを許さない 中川隆
10. 中川隆[-10758] koaQ7Jey 2020年10月20日 14:06:36 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[13]

2020.10.20
日本と台湾を巻き込みながら東アジアの軍事的な緊張と高める米国
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010200000/

 アメリカ大統領の国家安全保障補佐官、​ロバート・オブライエンは10月16日、台湾は要塞化するべきだと語った​。軍事侵攻だけでなく、経済的に台湾を孤立させるような政策を中国に取らせないためだとしている。アメリカ政府が中国に対して行っていることを中国が台湾に対して行うことは許さないということだ。

 その発言の直前、​アメリカ空軍のRC-135S偵察機が60回以上、中国の周辺を飛行​、そのうち41回は南シナ海、6回は東シナ海、13回は黄海だったという。この情報を出したのは中国の南シナ海戦略情勢調査イニシアチブだ。

 アメリカ側の動きを振り返ってみると、​7月4日から2隻の空母、ロナルド・レーガンとニミッツを中心とする空母打撃群が南シナ海に入って軍事演習​を実施。これは中国に対する威嚇以外の何ものでもない。

 8月にはアレックス・アザー保健福祉長官、9月17日にはキース・クラッチ国務次官が台湾を訪問して蔡英文総統と会談しているが、こうしたアメリカ政府の高官が台湾を訪れるのは1979年にアメリカが台湾との関係を絶ってから初めてのことだ。

 これに対し、中国軍は9月18日に18機の軍用機を台湾の防空識別圏近くを飛行させ、19日にはJ-16戦闘機など19機の編隊を派遣、一部は台湾海峡を飛行、台湾軍がF-16を緊急発進させる事態になっている。

 その前、9月16日に中国外務省の汪文斌報道官は、アメリカ軍が偵察飛行の際に虚偽のICAO(国際民間航空機構)の24ビット・アドレスを使い、​フィリピンなど他国の民間航空機を装っていた​と発表している。

 そして10月6日にアメリカの​マイク・ポンペオ国務長官​が東京で日本、インド、オーストラリアの代表と会い、中国との戦いについて話し合った。「4カ国同盟」だという。8日には​岸信夫防衛大臣が横田基地で在日米軍のケビン・シュネイダー司令官と会談​している。

 アメリカ政府が東アジアの軍事的な緊張を高めようとしていることは明かだが、こうした戦略は遅くとも1992年2月にできあがっている。国防総省のポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)などネオコンがDPG草案という形で世界制覇プランを作成したのだ。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。

 ジョセイフ・ナイ国防次官補(同)が書き上げ、1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」は、その戦略を日本へ強要することが目的である。

 1991年12月のソ連消滅でアメリカが唯一の超大国になったとネオコンは認識、そのアメリカに君臨している自分たちが世界の覇者になったと考えたのだ。ソ連の復活を許さないだけでなく、最も警戒すべき潜在的ライバルである中国に矛先を向ける。これが東アジア重視だ。

 21世紀に入ってロシアが曲がりなりにも再独立に成功、2014年にネオコンが仕掛けたウクライナのクーデターや香港の反中国運動が逆効果になって中国とロシアは現在、戦略的な同盟関係にある。アングロ・サクソンは中国とロシア/ソ連を分断し、個別撃破しようとしてきたはずだが、その基本が崩れた。この両国を倒そうとアメリカの支配者たちは必死だろう。

 こうした状況の中に日本も巻き込まれている。首相だった安倍晋三は2015年6月、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「​安保法制は、南シナ海の中国が相手なの​」と口にしたという。一応、彼は自分の置かれた立場を理解していたようだ。こうした状況を理解していない人が安倍を馬鹿にすることはできない。

 南シナ海は中国が進める一帯一路の東端にある海域にあり、重要な海域。アメリカがそこをコントロールすることで中国の交易計画を潰そうとしている。その手先にされようとしているのが海上自衛隊だ。

 こうした動きはウォルウォウィッツ・ドクトリンに基づいているのだが、19世紀から続くイギリスの長期戦略にも合致している。制海権を握っていることを利用し、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧するという計画だ。それをまとめたのが地理学者だったハルフォード・マッキンダー。この理論は1904年に発表されている。大陸を締め上げる三日月帯の西端がイギリス、東端が日本。日本列島は大陸を攻める拠点であり、日本人は傭兵だ。

 一帯一路は陸のシルクロードと海のシルクロードで構成され、今ではロシアの交通網やパイプラインと結びつきつつある。海のシルクロードを潰すために黄海から南シナ海でアメリカ軍は軍事的な緊張を高め、太平洋軍をインド・太平洋軍へ変えた。陸のシルクロードの要衝はいくつかあるが、そのひとつが新疆ウイグル自治区である。

 こうした要衝を攻める場合、アメリカは少数民族を利用してきたが、ここも例外ではない。ウイグル問題で鍵を握る団体のひとつがハッサン・マフスームの創設したETIM(東トルキスタン・イスラム運動)。その政治部門がトルキスタン・イスラム党だという。1990年代にETIMは拠点をアフガニスタンへ据え、そこでマフスームはオサマ・ビン・ラディンらと知り合っている。

 その前、1980年代に新疆で勧誘されたウイグル人がアフガニスタンでジハード傭兵に加わり、戦闘に参加しているが、その傭兵の中心がイスラム同胞団やワッハーブ派だということは本ブログでも書いてきた通り。2013年以降、ウイグル人がシリアで侵略軍の傭兵になり、一時期、1万8000人に達したと推定されていた。そうした経験を経たウイグル人を新疆へ戻っているという。

 2003年にマフスームをパキスタン軍が暗殺、アンワル・ユスフ・トラニが新たなリーダーになり、本拠地をワシントンDCへ移動させる。アメリカで活動できるのはCIAという後ろ盾があるからだろう。

 アメリカをはじめとする西側の有力メディアは「新疆ウイグル自治区に設けられた強制収容所」を宣伝してきた。その発信源は「​人種差別撤廃委員会​」に所属するゲイ・マクドゥーガル。この委員会は国連の人種差別撤廃条約に基づいて設立され、独立した専門家で構成されている。マクドゥーガルの発言は国連と無関係である。

 マクドゥーガルの発言を取り上げたロイターはその根拠を示していないが、中国によるウイグル人弾圧に関する情報として​CHRD(中国人権擁護者)​という団体の主張を引用している。このCHRDの資金の一部はCIAの工作資金を流しているNEDからのものだ。

 ​ドイツの人類学者でキリスト教系カルトの信者としても知られているアドリアン・センス​も中国におけるウイルグル人弾圧の情報源として重宝されている。中国批判は自分が神から与えられた使命だと考えているようだ。

 こうした反中国プロパガンダの背景は明確になってきたが、100万人規模のウイグル人が拘束されているという強制収容所の存在を示す証拠は出てこない。ウイグル問題の根は中国政府による弾圧ではなく、CIAによる浸透にあると言うべきだろう。ここでもアメリカの支配者による情報操作は機能している。明治時代から日本で続く「反亜教育」の効果は絶大だ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202010200000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/136.html#c10

[番外地8] 徳仁「もういやだ」「離婚したい」涙の疑惑事件 中川隆
4. 中川隆[-10757] koaQ7Jey 2020年10月20日 15:23:07 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[14]
今上天皇が中国のエージェントになった理由 2
小和田家は三代前は遡れない家系。本当に日本人なのかも分からない。
徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早く、雅子さんというハニートラップを仕掛けられていた。
ドス子Wikiコルマール
その結婚後、「もういやだ」「離婚したい」と涙を流す出来事があったそうな。

ドス子wikiさんより
2004年4月佐賀県吉野ヶ里公務にて徳仁が泣き出す事件目撃情報(他スレからの転載)

Part44-535 名前: 可愛い奥様 04/04/25 11:43 ID:E3sMe2/9
昨日佐賀に皇太子が来たんだよ
吉野ヶ里ってとこがあるんだけど、そこで式典があって、その最中に鼻をすすりだし、突然涙をぬぐい出した。
理由はもちろんわかんね。鼻炎とかかもしれないけど、突然泣き出したから、まわりは驚いてた。

536 名前: 可愛い奥様 04/04/25 11:45 ID:E3sMe2/9
660 :名無しさん@4周年 :04/04/25 11:34 ID:GHTsS4cY
いまさら学生時代や外務省時代のデキなんてどうでもいいだろ。

そんなことよりよ、おまいら知らねえと思うけど、昨日の公務ですごいことがあったぞ。
なんと、皇太子が突然泣き出すハプニングがあったんだよww
泣き出したと言っても軽くだけどな。でもびっくりしたよ。
俺はそばで見てたんだけどさ。さすがにまわりがどよめいたよ。


2004年4月は、雅子が愛子を連れて軽井沢小和田家別荘に立て篭もっていた時期。その頃両陛下との夕食会後にも徳仁が母美智子さまの手をとり涙を流したという事件が発生したともマスコミ記事になっている。
参考:『週刊新潮』2005/5/4号<雅子さま深夜の帰宅事件と皇太子殿下が御所で泣いた夜>
参考:徳島新聞2009年2月27日<共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演 平成皇室の光と陰『公あっての私』考え方の違い 両陛下ら苦悩>記事

徳仁「もういやだ」「離婚したい」涙の疑惑事件
Part373-374 名前:可愛い奥様 :2006/02/17(金) 23:38:34 ID:Ac69Mvpj
彼が「もういやだ」と泣いたのは本当

   「離婚したい」と言ったのも事実

その後の流れは全てここから始まっている
泥酔状態での発言だが


創価学会の信者  
雅子さんが元々信者だったことから改宗させられたのか、k ankoku に「歴史を学ぶ人として、過去を反省した上で良い関係が築かれることを願う」(2018年3月19日) 


k ankoku 首相、日本皇太子に会って「韓半島の変化」への支持求める
ⓒ 中央日報日本語版2018.03.20 09:31
https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=239728&servcode=A00§code=A10&cloc=jp

などと、皇族でありながら、政治に口出し、日本を売る発言をしてしまう。赤い皇族である。

中共、創価の操り人形のようです。


(徳仁さん事件)
・泌尿器疾患で、プチエンジェル事件の小児性愛顧客名簿に名前があって、ヤフオク事件の犯人疑惑(ほぼ確定)で、創価信者の徳仁さんは、天皇をご辞退ください。菅総理応援しています。
https://nipponwomamoru.at.webry.info/201901/article_4.html
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/448.html#c4

[番外地8] 皇族の小児性愛=犯罪者の終焉が近い 中川隆
6. 中川隆[-10756] koaQ7Jey 2020年10月20日 15:23:58 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[15]
今上天皇が中国のエージェントになった理由
プチエンジェル事件 (中国政府が日本の皇族・政治家・官僚をハニートラップにかけた事件)
今から16年前の2003年、小学6年生の女子児童を渋谷でスカウトして赤坂のウイークリーマンションに監禁した、
小児買春組織の事件。この組織の顧客リストに、当時皇太子だった徳仁氏の名前があった。
皇室全般画像掲示板を読んでたら、
『プチエンジェルの顧客名簿に名前が載ってたのって秋篠宮だよ!』
などと、東宮擁護工作員が騒いでいた。ヤフコメでも言ってるらしい。
とのこと。
これではっきりした。顧客リストに徳仁氏の名前があったというのは間違いないということだ。
しかも、秋篠宮文仁様に罪をなすりつける必要まで出てきた、ということだ。
あんた15年前、小学生買ってたの?、最低ね皇太子役だったくせに。
君だって国連大学にヤリ部屋持って六本木の白人買ってたでしょ、雅子さん。
この時、どうやって女子児童をマンションにおびき寄せたかというと、
「事務所の掃除をしてほしい。学校でやってる掃除と同じ。1万円払う。」
そう言って誘った。
女子児童は、掃除ごときで1万円がもらえるならと騙され、監禁された。
その後は、「同じように女子児童をスカウトして来い、そうしないと児童ポルノに出演させる。」と
脅し、被害者を加害者側に引きずり込んだ。
被害女児は、犯罪に加担してしまった罪悪感を植え付けられ、なかなか警察に通報することができなかった。
あれから15年。彼女たちの心の傷は癒えたのだろうか。
*監禁された四人の少女は、まだ若いのになぜか皆異なる死因で命を落としていた。
たとえもし被害者である彼女たちが、生きていて発言できる立場であったとしても、
日本人なのだから、ch ousen 人と違って「金になるから売春してたことを名乗りでろ」なんて
言われたとしても、決して出てこられなかっただろう。
そういう国民性に付け込まれた事件でもある。
もみ消すのが宮内庁の仕事です。
犯人は、練炭自殺(練炭自殺は、南ch ousen でポピュラーな自殺法)←不審な点が多い
宮内庁も皇太子も、コメント無し。
真実は闇の中。
小児性愛は、欧米では大物政治家であっても、バレたら一発アウト。
大臣であっても即辞職に追い込まれ、敗者復活は無い。
PCに、ポルノ画像や動画があったという事で発覚する。
日本の警察、検察が、皇太子のPCを調べるなんて思えない。
ハッキング?そんな事、スパイ防止法もない日本で出来る訳がない。
この疑惑を残したままで、天皇に即位するのは、国際常識として極めて難しい。
だから、15年たった今、徳仁皇太子側の反日勢力は、事件を必死に風化させた。
でも、15年の年月が、情報環境を変えた。
さあ、プチエンジェル事件を再び蒸し返そう、国民の手で。

なお、反日国である中国や北ch ousen、ka nkoku は、小児性愛者が極めて多く
小児ポルノも多く出回っている。
https://naruzu3.exblog.jp/29341158/


http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/447.html#c6

[近代史4] オリーブオイル・マヨネーズの作り方 中川隆
3. 中川隆[-10755] koaQ7Jey 2020年10月20日 17:23:25 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[16]
オリーブオイル・マヨネーズがうまくできないのは酢が少な過ぎるからです


・卵黄:1個
・塩:少々
・酢:約5ml
・オリーブオイル:80ml

では固まりません。


・卵黄:1個
・塩:少々
・酢:約10ml
・オリーブオイル:80ml

にするとすぐに固まります。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1021.html#c3

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 柳葉敏郎・黒木瞳 リング〜最終章〜 (フジテレビ 1999年) 中川隆
11. 中川隆[-10754] koaQ7Jey 2020年10月20日 17:38:34 : N12qwDPwzU : NVlHMUo4b1p4YjY=[17]
Ring: The Final Chapter 12話



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1027.html#c11
[リバイバル3] 是枝アンプ
是枝アンプ
https://www.audio-maestro.com/products2.html


KOREEDA LAB製 プリアンプ Fascination LLA, Fascination LLAA 電源内蔵
究極の性能を求めて金型製造工場に依頼してジュラルミンブロックから削って作りました。プリアンプを作ることはケースを作る事です。

真空管は振動の影響を受けやすいのですが、かといってケースの強度を上げすぎるとエネルギーがケースに吸い取られて生気のない音になるものです。また外観の優美さも大事です。 本機のケースはジュラルミンの塊を時間をかけて削って作りました。
でもこれに真空管を直接取り付けるといけません。ですからステンレスの薄板に回路を組みそれをケース上面から吊り下げました。

使用真空管 ECC-81 2本、ECC-82 2本

18dBの利得を持ちながらも残留雑音は20μV台です。
音質はまさに究極です。

税込価格:クラロスタットボリウム LLA 240万円

     バーンズのボリウム付 LLAA 260万円
※ LLAA:在庫あり即納

KOREEDA LAB製 プリアンプ Fascination 711 電源内蔵
VU計は伊藤プリアンプに使われている扶桑のFVU-25N
回路はLLAAと同じ

税込価格:価格140万円  ※ 納期20週間

参 考 品
KOREEDA LAB製 プリアンプ PLA-31
内蔵されている電源はアナログ制御のスイッチング電源です。
ケースはステンレスの厚板を溶接して作りそれを研削しています。
使用真空管ECC-81 2本

KOREEDA LAB製 プリアンプ FASCINATION 88
WE-408を6本使ったプリアンプ
音は大変スィートで外観デザインの印象と似ています。

税込価格:60万円  ※ 1台のみ

参 考 品
フォノイコライザを内蔵していますが電源は別です。
ボリウムは電動で2針式VU計を装備しています。
全10球構成の大型機です。

FASCINATION 89
6V6のPPステレオアンプ

税込価格:52万円  ※ 納期12週間

6336B トランス付 パワーアンプ
6336Bのトランス付きパワーアンプです。
2台を電源コントロール盤付きのラックに納めています。
真空管の構成は写真の通りで6336BのB電源は6336Bを使った安定化電源から供給されます。
出力トランスはタムラのF782で出力は40Wです。

税込価格:150万円  ※ 1セットのみ

参 考 品
6082のOTLアンプ
16Ω負荷で120W、8Ω負荷で80W
電源接地型なのでで平衡が崩れたときスピーカに0.5V以上の直流電圧が加わるとメーターリレーで即断します。
ユニットごとの個別電流計

https://www.audio-maestro.com/products2.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1090.html

[リバイバル3] 是枝アンプ 中川隆
1. 中川隆[-10753] koaQ7Jey 2020年10月21日 08:22:29 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[3]
是枝氏設計の管球式ステレオパワーアンプ「PLA87」は、クールな外観と美しい響きが魅力の高コスパモデルだ
2018年3月30日/木村雅人

http://www.stereosound.co.jp/review/article/2018/03/30/66303.html


出力管はエレクトロ・ハーモニクス製「6550EH」

review_180324_koreeda_01-2.jpg 6月29日(金)までの期間限定で受注生産されている、管球式シングルパワーアンプ「PLA87」をご紹介する。クラシカルなのに現代的な雰囲気が漂うクールな外観と、美しい中高音の響きとキレある低音を併せ持った魅力たっぷりな1台だった。では、どんなモデルなのか、詳しく説明していこう。

【関連記事】
・管球式ステレオパワーアンプ「PLA87」が期間限定で受注生産開始。是枝重治氏がエレクトロ・ハーモニクス製6550EHの特性を活かすべく設計

 管球式アンプ(真空管アンプ)は、その名の通り真空管を増幅回路等に用いたアンプのことだ。増幅素子が半導体であるトランジスターに置き換わる1960年代頃まで、家庭用はもちろん映画館や放送局のような業務分野でも幅広く管球式アンプが使われた。

 量産のしやすいトランジスターアンプ全盛の現在でも、独特の形状や半導体アンプにはない色気のある音質に魅入られて愛好しているユーザーは多い。また、自作キットを購入したり、自ら設計したりとハンドメイドしている方が多いのも管球式アンプの特長だろう。

 人によって受け取り方に差はあるだろうが、筆者は真空管のサウンドを「温かみのある親しみやすい音色」、トランジスターを「ソリッドかつ客観的な音色」だと感じている。昨今話題のアナログレコードとデジタルメディア(ファイル)をイメージすると分かりやすいだろうか。

これは、単なる回顧主義ではないと筆者は考えている。科学が発達しても、当時の技術で作ったオーディオ機器でしか出せないサウンドは確かにある。プロの奏者が、あえて昔に作られた楽器を追い求めているのと似ているかも知れない。本機も真空管という時代を超えたデバイスが、現代に生きているのだ。
改良の余地まで練られた設計に感心
 前置きが長くなってしまったが、いよいよ「PLA87」の製品紹介に移りたい。本機はステレオサウンドの刊行物である『管球王国』Vol.87の連載「マイ・ハンディクラフト」で紹介されたステレオパワーアンプである。

 3タイプあり、完成品が2種類、自身で組み立てるパーツキット1種類となる。完成品は前段管が異なり、一つは「6SJ7」(RCA製)が、もう一つは「6AC7」(RCA製)が付属する。パーツキットは前段管が「6SJ7」となり、出力管は付属しない。今回試聴したのは、前段管が「6SJ7」の完成品(頒布価格¥360,000税込)だ。

 設計は『管球王国』執筆陣でお馴染みの是枝重治氏である。出力管はエレクトロ・ハーモニックス製の「6550EH」を採用。同氏いわく「あまりの美しい音」と最近のお気に入りだそうだ。最大出力は12Wで、入力端子はRCAアンバランス一系統。出力が12W+12Wと聞くとちょっと足りない気がするかもしれないけど、管球式アンプならば一般的な試聴環境からするとこれでも多いぐらいなので問題はない。

 注目なのは、パワーアンプながらもRCA入力直後にボリュームが付いている点。是枝氏に聞いたところ、2つの役割があった。一つはハイゲインプリアンプとつないだ時の調整用。もう一つはアップグレードの余地を設けるためで、ボリュームの代わりにMT管を載せれば多段回路にできる。これにより、例えば入力ゲインの低いプリアンプでもマッチングがしやすくなる。

 トランスケースは専用塗装が施されている。カラーリングの淡いグリーンもセンスを感じさせる。このトランスケースを指で軽く叩いてみると程よい減衰力があるのを感じた。これは振動面でも有利なはずだ。是枝氏のこだわりはこれだけではない。ネガティヴフィードバックの抵抗は東京高音電波の特注品を採用し、線材も耐圧に優れた米AWMフックアップワイヤーと上げればキリがない。ゼロから設計するからこそ、できうるこだわりようだ。

 シャーシはステンレス製で前述した淡いグリーンとの組み合わせは、クラシカルかつ現代的な雰囲気を纏っている。試聴機を借用中に、私の試聴室に数人の女性が訪れたので「PLA87」を観てもらった。口を揃えて彼女たちが「可愛らしい」と表現したのは印象的だった。是枝氏の作るモデルは、私が見ても外観の佇まいが洗練されている。官能評価に率直な女性から同様のコメントがもらえて、それが正しいと確認できたとともに、氏の面目躍如たる仕事ぶりに恐れ入った次第だ。

取り付けているのが出力管「6550EH」(エレクトロ・ハーモニックス製)

取り付けているのが出力管「6550EH」(エレクトロ・ハーモニックス製)

前段管の「6SJ7」は背面側の端子に取り付ける

前段管の「6SJ7」は背面側の端子に取り付ける

瀟洒な外観から放たれる、美しい響きとキレ味の良い低音が魅力
 試聴はいつもの通り筆者の部屋で行なった。試聴機は前述のとおり、前段管に「6SJ7」が使われている完成品タイプである。スピーカーは、筆者がリファレンスにしているダイヤトーン「DS-2000ZX」を使用した。30cmウーファーを搭載しており、鳴らしきれるか不安だったが、テストで安定してドライブしていたので、そのまま使うことにした。プレーヤーは、ディスク試聴にパイオニア「BDP-LX88」をデジタルファイル再生には同「N-70AE」を使用している。

 最初に聴いたのはステレオサウンドストアから発売されている、『ワーグナー:楽劇《ラインの黄金》〜ニーベルングの指環 序夜』(SACDシングルレイヤー)の「ヴァルハラ城への神々の入城」が流れるチャプター14からである。このディスクは、1970年代に、英国デッカから日本のキングレコードに送られたセフティ・アナログ・マスターテープからフラットトランスファーによりデジタル化されたものだ。

 メタルスタンパーに不備があったときに使うよう、マスターテープからコピーされたものだが、それ故にほとんど使われていない。オリジナルマスターは幾度となく再生されているので、テープとしての品質は、長く倉庫に埋もれていたこちらの方が良いといえるだろう。詳しくはこちらのページで詳しく紹介されている。

 本機は華やかな響きと、繊細のある表現力で「ヴァルハラ城への神々の入城」を聴かせてくれた。独特の多彩なサウンドは華やかに、そしてワーグナーらしい充実した中低音のキレがいい。ワーグナーは多様の管楽器を使い、奥深いサウンド作り出す作曲家だが、その気持ちいい響きをしっかりと描き出していた。

 次に私がリファレンスにしている大阪市音楽団の「風紋保科 洋作品集」から『風紋』を聴いてみる(44.1kHz/16bit/WAV)。これも実にクールかつ陰影があって、フレッシュなサウンドであった。回路構成がシンプルなのが功を奏しているのだろう。

 「PLA87」は美しい響きとキレ味の良い低音が魅力的のパワーアンプだ。価格を超えたサウンドは、さらに上位の本格的なオーディオシステムと渡り合える実力を備えている。センスの良いデザインも魅力で、書斎やリビングのオーディオスペースに置いても、さりげなく存在を主張しつつ、雰囲気を損なわない。管球式アンプが欲しいけれど、ヴィンテージは不安といった方や、人と違ったオーディオ機器を探しているこだわり派に、うってつけのモデルだろう。なお、本機の受付は6月29日(土)18:00まで。この機会をお見逃しなく。
木村氏の試聴ルーム。スピーカーは、ダイヤトーン「DS-2000ZX」を使用

木村氏の試聴ルーム。スピーカーは、ダイヤトーン「DS-2000ZX」を使用

接続したケーブルの様子。前段管の間にある黒く小さい突起がボリュームつまみ

接続したケーブルの様子。前段管の間にある黒く小さい突起がボリュームつまみ

【製品紹介】
news_180129_PLA87_01.jpgPLA87 [完成品・前段管6SJ7付属] ※試聴したモデル
¥360,000(税込)
●最大出力:12W+12W
●入力端子:LINE1系統(RCAアンバランス)
●入力感度/インピーダンス:800mV/100kΩ
●負荷インピーダンス:4Ω/8Ω/16Ω
●使用真空管:6SJ7(RCA)×2、6550EH(Electro Harmonix)×2
●外形寸法:W330×H150×D215mm/9.5kg

PLA87 [完成品・前段管6AC7付属]
¥380,000(税込)
●使用真空管:6AC7(RCA)×2、6550EH(Electro Harmonix)×2

PLA87 [パーツ一式・出力管なし6SJ7付属]
¥260,000(税込)
●真空管:前段の真空管6SJ7(RCA)×2のみ付属。出力管の6550EH(エレクトロ・ハーモニックス)は付属しません

http://www.stereosound.co.jp/review/article/2018/03/30/66303.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1090.html#c1

[リバイバル3] 是枝アンプ 中川隆
2. 中川隆[-10752] koaQ7Jey 2020年10月21日 08:23:54 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[4]
Fascination 97 (パワーアンプ) [完成品] 【受注生産品・通常納期約100日】 ※メーカー直送
https://www.stereosound-store.jp/fs/ssstore/3313

■受注生産品・通常納期約100日
■申込締切:2021年1月5日(火)

★メーカー直送でお届けいたします。

販売価格250,000円(税込)

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【販売期間:7月22日0時0分〜1月5日23時59分】


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高感度ビーム管50C5で精密かつ生命力ある音を聴かせる。
クラシックカメラのような凝縮美を持つ小型アンプ

●コンセプト
 Fascination97は是枝重治氏が『管球王国』の「マイ・ハンディクラフト」企画で発表したビーム5極管50C5プッシュプルの小型パワーアンプです。是枝氏が16cmフルレンジユニットを使った小型スピーカーを鳴らすコンセプトで設計して出力は3W。現代の大型スピーカーとの組合せでも実体感のある自然な音を聴かせます。

●使用パーツ
 50C5はテレビやラジオに使われたトランスレス用の低圧ビーム管で、電源規模を含めてアンプを小型に設計することが可能です。Fascination97は松下電器産業製50C5を採用し、ビーム管接続で使っています。初段とPK分割型の位相反転段を5極管6028で構成して高感度の50C5を励振します。出力トランスは春日無線変圧器製です。

 シャーシは横幅約20cm、奥行き約16cmと小型に仕上げられています。0.8mm厚ステンレス材の鏡面仕上げで、クラシックカメラのような美観が追求されています。内部配線は是枝氏がボトルシップ(瓶入りの帆船模型)のようと形容するほど稠密です。天板のスピーカー出力端子はアマチュア無線通信機に着想を得てRCA端子を採用し、専用のスピーカーケーブルが付属します。是枝氏の美学が細部まで貫かれた小型アンプです。

●音質について
 Fascination97は大型モニタースピーカーのB&W 800D3との組合せでは、出力3Wの範囲内で現代的な明敏さや分解能を保ちながら実体的な音像を描き出しました。ジャズでも厚みと生命力のある響きを聴かせて、意匠が示す通りの整った精密感で各パートを描出します。外観と音に趣味性が凝縮された魅力を持つアンプです。

写真のCDは是枝氏の愛聴盤『R.シュトラウス:歌劇〈アラベラ〉』ヨーゼフ・カイルベルト指揮、ウィーン国立歌劇場合唱団(Deutsche Grammophon 00289 477 5625)。アンプの大きさが見て取れます。
真空管は手前が4本の前段管Philips ECG製6028。その後方が出力管の松下電器産業製ビーム5極管の50C5です。フロントパネルに電源オン/オフスイッチを装備します。


シャーシは鏡面仕上げ。出力トランスは春日無線変圧器製を採用します。入力端子の右のスピーカー出力端子はRCA端子を採用し、専用スピーカーケーブルが付属します。
内部は是枝氏がボトルシップ(瓶入りの帆船模型)のようと形容する稠密な配線が行なわれます。


専用スピーカーケーブル。アンプ側はRCAピン、スピーカー側はバナナプラグを採用し、4Φバナナプラグ/ジャックで延長することもできる。


製品仕様
型名:Fascination 97 [完成品]
●出力:3W+3W(8Ω)
●入力端子:LINE1系統(RCAアンバランス)
●入力インピーダンス:100kΩ
●負荷インピーダンス:8Ω
●使用真空管:6028×4(Philips ECG)、50C5(松下電器産業)×4
●外形寸法:寸法/重量:W202×H100×D157mm(突起部含む)/3.2kg

* 製作とメインテナンスは是枝氏が担当し、製品は是枝氏より直送されます。本機の納期はご注文確定後、約100日です。
* ヤマトコレクト(代金引換)をご利用いただけません。
* 本機は受注生産品のため、お客様都合によるご注文後のキャンセル/返品は一切お受けできません。
* お客様側の破損による返品・交換はお受けできません。
* 沖縄および離島への送料は別途お見積となりますので、ステレオサウンド販売部までお問合せください。


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オーディオマエストロ 是枝重治
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[リバイバル3] 是枝アンプ 中川隆
3. 中川隆[-10751] koaQ7Jey 2020年10月21日 08:25:56 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[5]
2020年 10月 20日
Hさん別邸訪問記 新たな水平線が : GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/31787987/


Hさんの別邸リスリングルームへお伺いするのは今度で3度目です。先日オーディオとは別の用件でHさんにお電話した時、ちょうどプリもパワーも新しく入れ替えた直後で、「音の変わりようが凄まじい」と興奮気味に仰っていました。そのすぐ後でGRFさんにお電話をしたところ、「Hさんの別邸では持っていった私が驚くほど凄い音になった。うちの音を超えるレベル。兎に角凄いアンプです」との手短なご説明の後アンプの写真を何点か送って下さいました。お二人の異口同音の驚きの言葉をお聞きし、ましてやGRFさんのお宅を超える音とお聞きすると「一刻も早く聴かせて頂きたい」とHさんにお願いし、この度の訪問が実現した次第です。

着いた早々にお聴かせ頂いたのはティーレマン指揮ウイーンフィルのニューイヤーズコンサートですが、これはHさんが実際にムジークフェラインで聴かれていますから、いわば先生のベンチマークとも言えるソースです。1曲目のシェーンフェルト行進曲、3曲目の妖精の踊り、14曲目のエジプト行進曲、そして最後のラデツキー行進曲を聴かせて頂きました。ティーレマンの演奏スタイルは大袈裟にいえば私が聴いた2010年のジョルジュ・プレートルの対極にある演奏スタイルの様に感じますが、両方とも好きな演奏で、とりわけ「妖精の踊り」は本当に感動しました。

前半のピアニシモの部分ではティーレマンの緻密な、それでいてソフトに広がりながらも包み込むような音作りが見事に再現されていました。私はムジークフェラインでティーレマンを聴いたことがなく、サントリーホール(しかもオーケストラはドレスデンですが)の経験しか無いのですが、2015年2月23日の公演では奇跡のような名演奏を聴きました。(曲目はリストのオルフェウスで、ティーレマンはベルリンフィルでもこの演奏をしていますが、全く違う曲に聞こえます)その演奏を聴いた方が「オルフェウスという、ごく普通の曲がティーレマンによって稀有な名曲に化けた」とインターネットに書き込んでいましたが全く同感で、それ以来ティーレマンの名前を聞くとその演奏が真っ先に浮かんできます。

その様な事から、妖精の踊りを聴いた時にウィーンフィルでのティーレマンの名演奏を想像し、それが良く再現されていると感じたのです。そのほか、クラウディオ・アバド-ベルリンフィルのマーラーの交響曲第3番、小澤征爾-トロント交響楽団の武満徹ノーヴェンバー・ステップス、そしてカンターテドミノからは定番の数曲を聴かせて頂きました。

今回の変化で最大の驚きは、極限まで静かさを感じる聴感上のS/N比の良さ、何処までも見渡せる空間の広がり、有り体に言えば物凄く解像度が良く、それ故に全ての音が自然に聴こえるし、どの様な小さい音も楽器の実在感を強く感じさせることで、結果としてピアニシモの時の描写の改善が、私には強く感じられました。

そもそも、こちらのシステムは出発点の段階からGRFさんのノウハウの全てが投入されている音ですから、私にとりましては、クラッシック音楽をコンサートホールで聴くような音の描写ができるオーディオシステムの頂点と認識しており、更なる改善の余地など考えられないシステムでした。今回の改善の原因は一重にアンプの性能に尽きるとは思いますが、もとより文才の乏しい私にはこの驚きの全てを表現する事は不可能と言わざるを得ません。


https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31787987&i=202010%2F19%2F99%2Ff0108399_21333123.jpg


是枝アンプの感想

構想をお聞きしてから約1年、是枝さん製作のプリとメインが到着しました。GRFさんのお陰ですね。ありがとうございました。

当初、置く場所がなかったため是枝アンプを左に置きました。その時は、音像がやや左にシフトしているように思えました。整理して真ん中に移動させました。それで、音像が中心に安定しました。

まずは、ポールデズモンドのライブCD、最初に、バックグラウンドに聞こえるワインの瓶を片付ける音が聞こえて来るけれども、今までは、瓶であることは確認できていましたが、銘柄が見えるほどにシャープには、聞こえませんでした。私にとっての一つのチェックポイントです。曲が進むにつれて、今までは、聞こえていなかった、バックグラウンドの会話が邪魔なくらい聞こえてきます。私も、このポールデズモンドサウンドを出したくて、サックスを習い始めましたが、なかなか、上達しません。しかし、この乾いた、カルフォルニアサウンドは、たまりません。

次に聞いたのは、私のお気に入りのMaurizio Polini のベートーヴェンビアのソナタNo.32。彼のswingは、誰よりもジャズっぽいです。今までも、十分ビアノの存在感はありましたが、彼のダイナミックさと、swing する様は、今までよりも存在感があります。目の前で、弾いています。これ以上の何が必要なのでしょうか。わたしには、これ以上の音楽は、考えられません。

次は、武満徹のノヴェンバーステップス1967年12月トロントでの小沢征爾、トロント交響楽団。尺八の息遣い、音の消え行くさま、琵琶のバチが弦を叩く音、まるで音の幽玄な映像の中にVRで迷い込んだかのような錯覚を覚えさせます。音が消えゆく世界の美しさを感じさせてくれます。

まだまだ、これから、新たな発見をしていくものと楽しみにしております。また、これから、レコード、オープンテープなどを聞く楽しみが、沢山まっています。

一人でも多く、この音楽の世界を知っていだきたいものです。

H


Sさん

早速、あの音をお聞きに行かれたのですね!驚かれたでしょう。私もコーディネートしてても、ビックリですから、Sさんの驚きも良く理解できます。先月のKT-150にも驚きましたが、今回はラックマウントの電源回路にも本来の6336Bを入れて一段と余裕がある音になったところに、是枝さん特製のプリが入りました。その音を聞いて一番驚いたのは私かもしれません。以前聞いていたプリと次元の違う音になっています。ピントとフォーカス、ダイナミクスがぴったりと合い、何時もの双眼鏡のたとえで言うと両方のピントが合い、左右の間隔も合い、立体像が中央に鮮やかに浮かび上がった状態が音で現れたからです。

是枝さんのプリは、左右独立型になっています。あたかも高精度な双眼鏡のピント調整と同じで、合わせる方も技術と経験を要求されます。左の音に、音場の球面体がピッタリと重なったとき、今までの二次元の像では無く、三次元でピントが合い、同時に元の音場の空間が出現します。

お二人ともその光景をご覧になってしまったのです。音の大きさの音量だけでは無く、球面体の音場を合わせるには、左右のボリュームの特性を揃えて、同じカーブで、同じ音色で音が増減しなければ鳴りません。その立ち上がり、立ち下がりのカーブで左右で異なると、音のダイナミクスと背景のS/N比が変わります。

私が驚いてのは、その精度と音色の統一感でした。Hさんのお宅を出ると、車を止めて是枝さんに連絡しました。何が一体、違うのかと!?

夜ご返事が来ました。

今回のLLAAは、ラックマウントのパワーアンプと組み合わせられるので、お送りする前に利得を微細にトリミングしました。18dBに正確に合わせています。左右は0.1dB差で計測器並です。内部のシールに最終値が記載しています。GRFさまのと全く同じなのですがここの抵抗値と種類だけことなっています。左右偏差の少なさを御指摘とは感服しました。β回路を構成する2本の抵抗はここ1年ほど使っているものです。あまり手持ちがありませんがひと月お預かりすればトリミングできます。

やはり、入念に調整されていました。納期が掛かったの理由もわかりました。「β回路を構成する2本の抵抗は」はこの一年ですから、以前と違っているようです。これは、一度岡山に送り返さなければ行けませんね。部品上はわずかな違いですが、調整に掛けている手間や、どんどん深化していく回路は、わずかな違いが大きな差を生むようです。私も驚きました。

Hさん 

どんどん音が進化して、装置の真価が出てきました。先日の第一声が出たときの驚きは、私が一番大きかったかもしれません。スケール、深度とも、家を越えていたからです。

私の中では、「青は藍より出でて藍より青し」と言う言葉が浮かんでいました・・・・

でも、新たな水平線も見えました。一緒にどんどん進んでいきましょう!

https://tannoy.exblog.jp/31787987/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1090.html#c3

[リバイバル3] 伝説のデッカ デコラ 中川隆
16. 中川隆[-10750] koaQ7Jey 2020年10月21日 09:53:41 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[6]
Decca Corner Horn オリジナル

1949年に発売されたエンクロージャです。
ご覧の通り素晴らしいコンディションで70年の歳月は全然感じません。 後ろに向いたスピーカの音はコーナの壁で反射され壁一面から聴こえてきます。
様々なユニットが装着されたものがあるようですが、本機には推奨ユニットのローサPM6をつけています。 1/4波長共振箱なのでローサの弱点の低音不足はなく音はよく溶け合います。効率は高いのですが大変アンプを選びます。
英国家具としても素晴らしいものでしょう。

税込価格:127万円

https://www.audio-maestro.com/products1.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/683.html#c16

[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
82. 中川隆[-10749] koaQ7Jey 2020年10月21日 09:57:46 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[7]
高城重躬、藤田不二共著(オーディオは高城、LPは藤田)の「LP辞典」1953年)などをみると昭和28年にはアンプやスピーカなど ほとんど今日と同じオーディオ環境が出来ていたことが見て取れます。

特にスピーカはウエスタンやタンノイ、アルテック、JBL、ワ−フデール、グッドマン等、今日と何一つ変りません。

部品定価表は壮観です。ウエスタンに例を取ると下記の様になっています。

728B--12インチ--30W--4Ω--60〜10000--35.7ドル
756B--10インチ--20W--4Ω--60〜10000--38.55ドル
755A-- 8インチ-- 8W--4Ω--70〜13000--24.6ドル
713C--トゥイータドライバー---25W--4Ω--800〜15000--97.2ドル
KS-12027--ホーン--67.62ドル
702A--ネットワーク--97.46ドル
757A--スピーカシステム--275.09ドル
JBLでは
D130--15インチ--25W--16Ω--50〜12000--70.4ドル
途中機種は省略
175DLH--トゥイータ--25W--16Ω--1200〜--114ドル
N1200--ネットワーク--16Ω--33ドル

になっていてこれがすべてのメーカに渡って詳述されています。WEがJBLと比較して意外に安価なのが驚きです。

https://www.audio-maestro.com/gleaners1.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c82

[リバイバル3] ウェスタンエレクトリック伝説 中川隆
200. 中川隆[-10748] koaQ7Jey 2020年10月21日 09:58:32 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[8]
高城重躬、藤田不二共著(オーディオは高城、LPは藤田)の「LP辞典」1953年)などをみると昭和28年にはアンプやスピーカなど ほとんど今日と同じオーディオ環境が出来ていたことが見て取れます。

特にスピーカはウエスタンやタンノイ、アルテック、JBL、ワ−フデール、グッドマン等、今日と何一つ変りません。

部品定価表は壮観です。ウエスタンに例を取ると下記の様になっています。

728B--12インチ--30W--4Ω--60〜10000--35.7ドル
756B--10インチ--20W--4Ω--60〜10000--38.55ドル
755A-- 8インチ-- 8W--4Ω--70〜13000--24.6ドル
713C--トゥイータドライバー---25W--4Ω--800〜15000--97.2ドル
KS-12027--ホーン--67.62ドル
702A--ネットワーク--97.46ドル
757A--スピーカシステム--275.09ドル
JBLでは
D130--15インチ--25W--16Ω--50〜12000--70.4ドル
途中機種は省略
175DLH--トゥイータ--25W--16Ω--1200〜--114ドル
N1200--ネットワーク--16Ω--33ドル

になっていてこれがすべてのメーカに渡って詳述されています。WEがJBLと比較して意外に安価なのが驚きです。

https://www.audio-maestro.com/gleaners1.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c200

[近代史4] ウェスタン・エレクトリックのスピーカー 中川隆
5. 中川隆[-10747] koaQ7Jey 2020年10月21日 09:59:46 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[9]
高城重躬、藤田不二共著(オーディオは高城、LPは藤田)の「LP辞典」1953年)などをみると昭和28年にはアンプやスピーカなど ほとんど今日と同じオーディオ環境が出来ていたことが見て取れます。

特にスピーカはウエスタンやタンノイ、アルテック、JBL、ワ−フデール、グッドマン等、今日と何一つ変りません。

部品定価表は壮観です。ウエスタンに例を取ると下記の様になっています。

728B--12インチ--30W--4Ω--60〜10000--35.7ドル
756B--10インチ--20W--4Ω--60〜10000--38.55ドル
755A-- 8インチ-- 8W--4Ω--70〜13000--24.6ドル
713C--トゥイータドライバー---25W--4Ω--800〜15000--97.2ドル
KS-12027--ホーン--67.62ドル
702A--ネットワーク--97.46ドル
757A--スピーカシステム--275.09ドル


JBLでは
D130--15インチ--25W--16Ω--50〜12000--70.4ドル
途中機種は省略
175DLH--トゥイータ--25W--16Ω--1200〜--114ドル
N1200--ネットワーク--16Ω--33ドル

になっていてこれがすべてのメーカに渡って詳述されています。WEがJBLと比較して意外に安価なのが驚きです。

https://www.audio-maestro.com/gleaners1.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/502.html#c5

[近代史4] JBL のスピーカーは買ってはいけない 中川隆
6. 中川隆[-10746] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:00:34 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[10]
高城重躬、藤田不二共著(オーディオは高城、LPは藤田)の「LP辞典」1953年)などをみると昭和28年にはアンプやスピーカなど ほとんど今日と同じオーディオ環境が出来ていたことが見て取れます。

特にスピーカはウエスタンやタンノイ、アルテック、JBL、ワ−フデール、グッドマン等、今日と何一つ変りません。

部品定価表は壮観です。ウエスタンに例を取ると下記の様になっています。

728B--12インチ--30W--4Ω--60〜10000--35.7ドル
756B--10インチ--20W--4Ω--60〜10000--38.55ドル
755A-- 8インチ-- 8W--4Ω--70〜13000--24.6ドル
713C--トゥイータドライバー---25W--4Ω--800〜15000--97.2ドル
KS-12027--ホーン--67.62ドル
702A--ネットワーク--97.46ドル
757A--スピーカシステム--275.09ドル


JBLでは

D130--15インチ--25W--16Ω--50〜12000--70.4ドル
途中機種は省略
175DLH--トゥイータ--25W--16Ω--1200〜--114ドル
N1200--ネットワーク--16Ω--33ドル

になっていてこれがすべてのメーカに渡って詳述されています。WEがJBLと比較して意外に安価なのが驚きです。

https://www.audio-maestro.com/gleaners1.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/493.html#c6

[リバイバル3] チャンネル・デバイダ―は使ってはいけない 中川隆
12. 中川隆[-10745] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:03:01 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[11]
戦後マルチアンプという方式が登場してきました。 LやCを使ってパワーアンプの出力信号を分離するのではなくパワーアンプに入る前に分けてしまう方法です。 むろん戦前から知られていたやり方なのですが広く一般化されるのは第二次世界大戦の終結を待たねばならなかったのです。 これは主としてアメリカで発達してきました。米マランツは1950年代にマルチチャンネルデバイダ-モデル3を発売していますし日本でも1960年代始めには「NF回路設計ブロック」社が製品化しました。 これはGTソケットを利用したプラグイン型で周波数の変更はユニットの差し換え交換で行うものです。 高名なオーディオ研究家、加藤秀夫氏などは1950年台半ばには自作オールホーンスピーカシステムをマルチアンプで駆動されていて来日したマッキントッシュ社のマッキントッシュ氏が驚嘆したことは 有名な話であります。

ホーンスピーカをマルチアンプで駆動することはまことに理にかなったことです。 ホーンスピーカはホーンで適切な負荷が掛かった帯域以外はできるだけ急峻に遮断することが大事ですから正確な遮断特性が得られにくいLCネットワークは問題を生じやすいのです。

1960年代半ばにはこの方式は絶頂期を迎えました。各社からチャンネルデバイダーアンプが発売され普通のステレオ電蓄にも搭載されたことがあります。 それに伴い理論的にもいろいろ研究が進みました。なかでも山根/山中(当時、東京工大機械工学科の学生だった山中文吉氏のこと)論争は有名です。 伝達関数1という命題を巡っての論争でした。デバイダで分けられた信号をスピーカで再生し、もとの波形に戻るかどうかという論争です。 むろんLCネットワークでもこの問題は発生するのですが、もともといい加減で杜撰なカーブのLC型では論争の対象にすらならない論題でした。 伝達関数は一素子の6dB型では1になりますがそれ以外ではなかなか難しいことで、特にホーン型スピーカでは諸問題を円満に満たすことが困難で、結局そのことは決着をみなかったのです。

さてマルチチャンネルアンプの究極の形はトリオサプリーム1アンプに見ることができます。 プリアンプとデバイダアンプ、それに3組のパワーアンプを組み込んだ3チャンネルマルチアンプでした。音はともかくとしても形は秀逸で瀬川冬樹デザインの最高傑作だと考えます。 私はトリオの営業所でボザークスピーカと組み合わせた音しかしりません。厚手のビロードカーテンで吸音された環境で能率が低いボザークですから幾らマルチアンプとはいえ出力不足でした。 低中高それぞれ30W20W10Wですから仕方がありません。これと相性が良いと思われるJBLはサンスイが輸入していました。 これは1967年発売ですが理念としてはこの時点でほとんどいきなり終着点が示されていたわけです。 思想的にこれがなぜ到達点なのかは別項の一体型マルチチャンネルアンプの試作の稿でお話したいと思います。

当時はトリオに限らずソニーにはプリメンアンプTA-1120を中心として大規模なマルチシステムがありましたし、山水電気にも管球機CA303、BA303、BA202を組み合わせた 大掛かりなシステムがあったほどです。でも問題は各社ともチャネルフィルタにありました。

チャンネルデバイダは大きく二つに分類されます。パッシブ型とアクティブ型です。

増幅部を持たないパッシブ型にはCR型とLC型があります。CR型は抵抗とコンデンサーだけで構成するもので遮断カーブはふつう6dBで、12dBが限度です。 インダクタを用いたLC型では12dBになります。それを使うためにはプリアンプはできる限り低インピーダンスで低負荷に耐える強力なものが必要です。 またパワーアンプはできれば500KΩ以上の入力インピーダンスが必要でしょう。つまり半導体プリアンプと真空管パワーアンプの組み合わせが適するのです。

遮断カーブを急峻にするとスピーカのためには良い場合が多く、また不要な音がかぶりにくいので好まれるのですが遮断点付近で鋭いピークが出やすいので一筋縄ではいきません。 ピーク発生は負帰還型などのアクティブ形式だけの現象と思われがちですがそうではありません。LC型でも発生するのです。

増幅素子を使ったアクティブ形はCR型と負帰還を利用したNF型にわかれますがそれぞれに増幅素子に真空管と半導体を使ったものがあります。

1. CR型
真空管回路CR型は出力インピーダンスが低く入力インピーダンスが高いカソードフォロア回路などでCR回路を駆動するのですがこれを2つ重ねれば12dBカーブが得られます。 どうようにこれを半導体に置き換えれば半導体形CR型デバイダになります。

2. NF型
真空管カソードホロア回路の信号ループ内に2素子で構成されたCRを入れると12dBカーブで急峻な遮断特性が得られます。 またこれにパッシブ回路でCR素子を追加すると18dBカーブが実現できるので真空管を使用したチャンネルフィルターは主にこの形式を持つものが多く、 古くはラックスやオーディオリサーチなどから発売されていました。

またトランジスタ回路ではエミッタフォロア回路内にCRを挿入し同様に12dBカーブや18dBカーブを持たせていました。
こういう構成をNF型というのですが遮断点近辺でピークが出やすくまた12dBカーブでの最大減衰量は素子自体の利得で決まるので真空管回路では問題が出やすいものでした。

さてアキュフェーズ社は連綿とマルチアンプ思想を受け継いでいてPA機器メーカ以外ではほとんど唯一といってよいものです。 近年に至ってすべてデジタル処理したフィルターアンプを発売しています。デジタルフィルタこそマルチチャンネルアンプの理想でしょう。 いかなるデジタル嫌いの人間でもデバイダーアンプに限っていえばデジタルを拒絶することは出来ません。

そのことはデバイダアンプを作ってその実体を見れば理解できることなのです。 アナログ回路にとってフィルター回路は困難を極めた鬼門であり遮断特性は無論のこと低雑音低歪み高音質というオーディオアンプに求められる性能を満足させることが大変難しいのです。 特にシンプルイズベストという命題は絶対に実現不可能でありマルチチャンネルシステムの進歩発達が1970年あたりで止まったことが納得できます。 世のオーディオシステムの主流からゴトーユニットやYLが外れ、マルチシステムに適したJBLユニット群もやがて廃れていきました。 今のオーディオ文化は自力でシステムを作り上げる、あるいはどこかに依頼して自分の理想のシステムを作り上げることをすっかり忘れているようで、かろうじてWE趣味にその残照があるのみです。

高城氏のオールホーンシステムはデジタルチャンネルフィルタで、やっとその本来の性能が発揮できるでしょう。 またYLの、超大型ドライバを用いた8m、10mホーンは時間遅延が自由に設定できるデジタルフィルタでないとその片鱗すら垣間見ることは不可能です。 それらの性能が十分に発揮できる今日それに適したユニットがないとはまことに皮肉なことで先人達の不幸に思いを馳せずに居られません。 たとえば五味康祐に例を取るとまだモノラルだった1950年代末頃の芸術新潮にこんな話がでています。 高城さんの指導でコンクリートホーンを作ったが低音が全然でない、部屋の片隅のホーンの近くに行くと盛大な低音が聞こえるが普段聴く位置では出ない、こんな阿呆な話があるか、と。 また私が30年以上前にはじめて小倉の菅野邸で音を聞かせていただいた時、10mホーンから低音がまったく出ていないのです。 菅野さんのお話では低音ホーンだけ鳴らすと凄い音がするが555や597を鳴らすと消えてしまうとのことでした。 次にお伺いした時4181ウーハにされていましたが、イスの近くに置かれた4181は素晴らしく朗々とした音を響かせていたものです。 低音は近くで鳴らした方が良いとも仰っていました。 普通どの装置でも低音は少し早めに鳴らした方が良く、とりわけ長い低音ホーンを使った装置では中高音を低音ホーンの長さ分遅らせることが大事なのです。 10mホーンでは1/34秒ほど遅らせないといけません。これは伝達関数以前の問題であります。このことを実現するにはデジタルチャンネルデバイダの出現を待つ以外に方法はありませんでした。
デジタル方式の利点は時間遅延の自由度のほかにカミソリで切るがごとき急峻な遮断特性が得られることに尽きます。 伝達関数のことは実際の音響空間ではほとんど意味をなさないことかもしれません。

50年のあいだにオーデイオ文化が変化変質していくことは仕方がないでしょう。小林秀雄の指摘通り極限まで便利になり意識せずとも良い音が手に入る時代になると失うものが多いのでしょう。 大事な視点を見落としていてもそれなりの音はでるものです。そういう思いに至ったのは最近ハートレーユニットをマルチアンプで鳴らすようになったためです。 これは今までなにをやっていたのかと思う素晴らしさで1970年代中頃にマークレビンソンがHQDシステム(ハートレー、クワード、デッカ)を完成させ、 これを自社のフラグシップシステムとしていたことが痛切に理解できました。それと併用するLNC-2チャンネルデバイダもたいそう魅力がありました。 いかにも理想主義者マークレビンソンです。でも特性はそれなりのものでしょう。

さて今どきのオーディオマニアの楽しみ方の一つにケーブル交換があります。 確かに本質的な改善も期待できますが単に音のバランスを変えるために大枚を注ぎ込んでされる方も多くて、なんと無駄なことかと思うことが多いものです。 アンプ交換もそうでしょう。低音不足や高域の過剰感を修正するためだけにアンプを変えるかたも多いのです。 本質的な改善ではなく単に音のバランスを変えるためにアンプを交換することくらい馬鹿げたことはありません。 マルチアンプシステムはセンスがよいオーディオフアンが取り組むもので、アンプ交換100万円、ケーブル交換10万円くらいの変化はボリウム一つで簡単に出来るのです。 反面で音楽や理論が良く分からない初心者が不用意に取り組むと無残なことになるでしょう。 ここ30年ほどはマルチアンプシステムは下火でありますが、それはネコも杓子もマルチアンプに走った過去の反動でしょうか。 グラフィックイコライザの活用も最近一部で見直されていますが本当に良いものは皆無だと言うことを肝に銘ずるべきです。 グラフィックイコライザの使用はパワーアンプにとって大きな負担になることもあるので乱用はいけません。 でも個人的には、音質にダメージを与えることは明らかですがチェロ社のパレットには別の意味で魅力があります。

デジタルデバイダを使うことが前提ですが、オーディオ趣味に法外な出費が掛かるいまこそオーディオ趣味の本質を取り戻すために再びマルチチャンネルアンプシステムに取り組むことをお勧めするのです。 小林秀雄いうところの「歴史を取り戻す」取り組みの一つであることは間違いありません。

https://www.audio-maestro.com/gleaners1.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1025.html#c12

[リバイバル3] ウェスタンエレクトリック伝説 中川隆
201. 中川隆[-10744] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:06:44 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[13]
フィールド電源での試み

さてHさんのスピーカはWEの555と4194を中心としたものです。もちろんフィールド型ですからエキサイター電源が必要になってきます。 これに関しては奥のふかい研究が多々なされていますから詳細な言及を避けたいのですがHさんのシステム用にAC-DCコンバータをつかって小型でたいそう格好のよいものを作りました。 云う迄もなく本来はタンガバルブを使うのが最良ですが将来に渡っての安定的な確保は困難でしょうし完成品として合理的かつスマートにまとめる自信はありませんでした。 HPあたりの実験用安定化電源で取りあえずは駆動できますし変なものを作るよりその方がいいものです。

でも励磁電源での音の差は驚くべきものがあることも事実で整流素子ひとつでも変わるものです。御承知のようにごく最近はスイッチング電源が大変良くなりました。ハイファイアンプに使用しても全く問題はないどころかむしろ良いものもございます。良い音のものは極めて限られますが今回はトラコパワー社のものを使いました。

さてフィールド型スピーカの場合はボイスコイルとフィールドコイルが磁気回路を介して結合しているので、あえて云えばこれはトランスの一次巻線と二次巻線の関係にも相当します。 それを上手く断ち切ることが良い音を得るためには必要でしょう。これをどう断ち切るかですが今回はフィールドコイルの電圧の数倍の電圧の電源を用意し、直列に抵抗をいれて所定の電圧を出しました。 いかにも安直ですが実はこれが一番よろしい。出力端には電圧計と電流計を入れて直読出来るようにしています。
https://www.audio-maestro.com/gleaners2.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/208.html#c201

[近代史4] 天才 E.J.JORDAN のメタルコーン ユニットを引き継いだスウェーデン EAD社のドライバー 中川隆
1. 中川隆[-10743] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:08:20 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[14]
四本並列システムのこと

さて私は、と云えばいろんなスピーカを手掛けていますがメインスピーカはやはりアキシオム80の四連装です。 (写真2)がそうなのですがこのスピーカのインピーダンスとQの特性を図5に示します。定電圧駆動と定電流駆動での傾向は変わらずインピーダンス変動もQの変動もたいへん滑らかで全く申し分ありません。 こんなにスムースな特性のスピーカも本当に珍しいでしょう。アキシオム80四連装の音の良さは筆舌に尽くし難いものがありますがその一端はずらされた音軸にあるのだと思います。 何度か実験した上での結論ですが80の複数使用では単純な縦配置でも横配置でもいけません。 軸が一点に集中するように少しずつ角度をずらしたこの配置が想像を遥かに超えるピュアでパワフルなエネルギー感をもたらすのでしょう。 感度の視点からも1.5Wの45シングルで今どきのハイエンドスピーカを1KWのアンプで鳴らすのと同じ音量が出ます。このあたり何度か作った2連装システムなどとは全く別物です。 良く知られているようにスピーカを2本並列に接続すると3dB音圧が上昇します。仮に1Wのアンプで鳴らして一本で97dBの音圧が出たとしますと二本で100dBになるわけです。 ただその2本の並べ方が大事で2本を近接して集中する場合でも単に並べただけとある程度の角度を持たせるのとでは相当異なるように思いました。

昔ジョーダンワッツのモジュールユニットを4本使用したシステムを実験したとき、縦でも横でも一列に並べると2本並列使用と比較してさほど能率が上昇したとは感じられず、 アテネータで1ノッチほどつまりは2dB程度であろうかと思いました。2本と4本では理論上は+3dBですからまあそんなものでしょう。 アキシオム80の二本並列は縦でも横でもさらには角度付き横並列もすべてためしていますが指定箱の角度付き横並びが一番鳴りっぷりは良かったようです。 スピーカが具合良く接近するので相互放射インピーダンス効果がよく働いて、そうなるのかとも感じました。指定箱の角度付き二本横並びと比べると普通の縦二本並列は2dBほど低いような感じがしました。 まあこれはあくまで印象ですし部屋でも変わるでしょう。

さて今回、4本を指定どおりの角度を付けて指定どおりに集中配置したところその効率の良さには腰を抜かすほど仰天しました。 正確な比較ではありませんがアテネータで5〜6ノッチほど絞らないと1本とおなじになりません。効率にして10〜12dBも上がったようです。 スピーカのこのあたりの理屈は良くわからないのですが4本を近接して、あたかも一点から出たように集中配置したときは放射インピーダンス以外の作用が働くのでしょうか。 箱鳴りの問題やアンプの特性も関係するわけですが不思議なことです。カエデの12mm薄板で作りましたから確かに箱は鳴ります。 でも2本では高域が明らかに減衰して聴こえますが4本使用では1本の時よりも更に延びて聴こえますので箱鳴りでは説明がつきにくいのです。

理論とはぜんぜん合いませんが12dB上昇だとするとこのスピーカシステムの効率は110dB程度になります。 でもWE-555に段ボールで大きなメガホンを作って仮に付けたシステムと効率はさほど変わりませんし極めて明解な音は全く不思議と云うほかなく、納得できる理由は思いあたりません。

https://www.audio-maestro.com/gleaners2.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/505.html#c1

[リバイバル3] BGM用にしか使えなかった高額なジョーダンワッツのスピーカー _ 天才 E.J.Jodan は結局何がやりたかったのか 中川隆
42. 中川隆[-10742] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:09:33 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[15]
四本並列システムのこと

さて私は、と云えばいろんなスピーカを手掛けていますがメインスピーカはやはりアキシオム80の四連装です。 (写真2)がそうなのですがこのスピーカのインピーダンスとQの特性を図5に示します。定電圧駆動と定電流駆動での傾向は変わらずインピーダンス変動もQの変動もたいへん滑らかで全く申し分ありません。 こんなにスムースな特性のスピーカも本当に珍しいでしょう。アキシオム80四連装の音の良さは筆舌に尽くし難いものがありますがその一端はずらされた音軸にあるのだと思います。 何度か実験した上での結論ですが80の複数使用では単純な縦配置でも横配置でもいけません。 軸が一点に集中するように少しずつ角度をずらしたこの配置が想像を遥かに超えるピュアでパワフルなエネルギー感をもたらすのでしょう。 感度の視点からも1.5Wの45シングルで今どきのハイエンドスピーカを1KWのアンプで鳴らすのと同じ音量が出ます。このあたり何度か作った2連装システムなどとは全く別物です。 良く知られているようにスピーカを2本並列に接続すると3dB音圧が上昇します。仮に1Wのアンプで鳴らして一本で97dBの音圧が出たとしますと二本で100dBになるわけです。 ただその2本の並べ方が大事で2本を近接して集中する場合でも単に並べただけとある程度の角度を持たせるのとでは相当異なるように思いました。

昔ジョーダンワッツのモジュールユニットを4本使用したシステムを実験したとき、縦でも横でも一列に並べると2本並列使用と比較してさほど能率が上昇したとは感じられず、 アテネータで1ノッチほどつまりは2dB程度であろうかと思いました。2本と4本では理論上は+3dBですからまあそんなものでしょう。 アキシオム80の二本並列は縦でも横でもさらには角度付き横並列もすべてためしていますが指定箱の角度付き横並びが一番鳴りっぷりは良かったようです。 スピーカが具合良く接近するので相互放射インピーダンス効果がよく働いて、そうなるのかとも感じました。指定箱の角度付き二本横並びと比べると普通の縦二本並列は2dBほど低いような感じがしました。 まあこれはあくまで印象ですし部屋でも変わるでしょう。

さて今回、4本を指定どおりの角度を付けて指定どおりに集中配置したところその効率の良さには腰を抜かすほど仰天しました。 正確な比較ではありませんがアテネータで5〜6ノッチほど絞らないと1本とおなじになりません。効率にして10〜12dBも上がったようです。 スピーカのこのあたりの理屈は良くわからないのですが4本を近接して、あたかも一点から出たように集中配置したときは放射インピーダンス以外の作用が働くのでしょうか。 箱鳴りの問題やアンプの特性も関係するわけですが不思議なことです。カエデの12mm薄板で作りましたから確かに箱は鳴ります。 でも2本では高域が明らかに減衰して聴こえますが4本使用では1本の時よりも更に延びて聴こえますので箱鳴りでは説明がつきにくいのです。

理論とはぜんぜん合いませんが12dB上昇だとするとこのスピーカシステムの効率は110dB程度になります。 でもWE-555に段ボールで大きなメガホンを作って仮に付けたシステムと効率はさほど変わりませんし極めて明解な音は全く不思議と云うほかなく、納得できる理由は思いあたりません。

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/859.html#c42

[リバイバル3] 天才 E.J.JORDAN のメタルコーン ユニットを引き継いだスウェーデン EAD社のドライバー 中川隆
5. 中川隆[-10741] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:09:54 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[16]
四本並列システムのこと

さて私は、と云えばいろんなスピーカを手掛けていますがメインスピーカはやはりアキシオム80の四連装です。 (写真2)がそうなのですがこのスピーカのインピーダンスとQの特性を図5に示します。定電圧駆動と定電流駆動での傾向は変わらずインピーダンス変動もQの変動もたいへん滑らかで全く申し分ありません。 こんなにスムースな特性のスピーカも本当に珍しいでしょう。アキシオム80四連装の音の良さは筆舌に尽くし難いものがありますがその一端はずらされた音軸にあるのだと思います。 何度か実験した上での結論ですが80の複数使用では単純な縦配置でも横配置でもいけません。 軸が一点に集中するように少しずつ角度をずらしたこの配置が想像を遥かに超えるピュアでパワフルなエネルギー感をもたらすのでしょう。 感度の視点からも1.5Wの45シングルで今どきのハイエンドスピーカを1KWのアンプで鳴らすのと同じ音量が出ます。このあたり何度か作った2連装システムなどとは全く別物です。 良く知られているようにスピーカを2本並列に接続すると3dB音圧が上昇します。仮に1Wのアンプで鳴らして一本で97dBの音圧が出たとしますと二本で100dBになるわけです。 ただその2本の並べ方が大事で2本を近接して集中する場合でも単に並べただけとある程度の角度を持たせるのとでは相当異なるように思いました。

昔ジョーダンワッツのモジュールユニットを4本使用したシステムを実験したとき、縦でも横でも一列に並べると2本並列使用と比較してさほど能率が上昇したとは感じられず、 アテネータで1ノッチほどつまりは2dB程度であろうかと思いました。2本と4本では理論上は+3dBですからまあそんなものでしょう。 アキシオム80の二本並列は縦でも横でもさらには角度付き横並列もすべてためしていますが指定箱の角度付き横並びが一番鳴りっぷりは良かったようです。 スピーカが具合良く接近するので相互放射インピーダンス効果がよく働いて、そうなるのかとも感じました。指定箱の角度付き二本横並びと比べると普通の縦二本並列は2dBほど低いような感じがしました。 まあこれはあくまで印象ですし部屋でも変わるでしょう。

さて今回、4本を指定どおりの角度を付けて指定どおりに集中配置したところその効率の良さには腰を抜かすほど仰天しました。 正確な比較ではありませんがアテネータで5〜6ノッチほど絞らないと1本とおなじになりません。効率にして10〜12dBも上がったようです。 スピーカのこのあたりの理屈は良くわからないのですが4本を近接して、あたかも一点から出たように集中配置したときは放射インピーダンス以外の作用が働くのでしょうか。 箱鳴りの問題やアンプの特性も関係するわけですが不思議なことです。カエデの12mm薄板で作りましたから確かに箱は鳴ります。 でも2本では高域が明らかに減衰して聴こえますが4本使用では1本の時よりも更に延びて聴こえますので箱鳴りでは説明がつきにくいのです。

理論とはぜんぜん合いませんが12dB上昇だとするとこのスピーカシステムの効率は110dB程度になります。 でもWE-555に段ボールで大きなメガホンを作って仮に付けたシステムと効率はさほど変わりませんし極めて明解な音は全く不思議と云うほかなく、納得できる理由は思いあたりません。

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[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
68. 中川隆[-10740] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:10:44 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[17]
四本並列システムのこと

さて私は、と云えばいろんなスピーカを手掛けていますがメインスピーカはやはりアキシオム80の四連装です。 (写真2)がそうなのですがこのスピーカのインピーダンスとQの特性を図5に示します。定電圧駆動と定電流駆動での傾向は変わらずインピーダンス変動もQの変動もたいへん滑らかで全く申し分ありません。 こんなにスムースな特性のスピーカも本当に珍しいでしょう。アキシオム80四連装の音の良さは筆舌に尽くし難いものがありますがその一端はずらされた音軸にあるのだと思います。 何度か実験した上での結論ですが80の複数使用では単純な縦配置でも横配置でもいけません。 軸が一点に集中するように少しずつ角度をずらしたこの配置が想像を遥かに超えるピュアでパワフルなエネルギー感をもたらすのでしょう。 感度の視点からも1.5Wの45シングルで今どきのハイエンドスピーカを1KWのアンプで鳴らすのと同じ音量が出ます。このあたり何度か作った2連装システムなどとは全く別物です。 良く知られているようにスピーカを2本並列に接続すると3dB音圧が上昇します。仮に1Wのアンプで鳴らして一本で97dBの音圧が出たとしますと二本で100dBになるわけです。 ただその2本の並べ方が大事で2本を近接して集中する場合でも単に並べただけとある程度の角度を持たせるのとでは相当異なるように思いました。

昔ジョーダンワッツのモジュールユニットを4本使用したシステムを実験したとき、縦でも横でも一列に並べると2本並列使用と比較してさほど能率が上昇したとは感じられず、 アテネータで1ノッチほどつまりは2dB程度であろうかと思いました。2本と4本では理論上は+3dBですからまあそんなものでしょう。 アキシオム80の二本並列は縦でも横でもさらには角度付き横並列もすべてためしていますが指定箱の角度付き横並びが一番鳴りっぷりは良かったようです。 スピーカが具合良く接近するので相互放射インピーダンス効果がよく働いて、そうなるのかとも感じました。指定箱の角度付き二本横並びと比べると普通の縦二本並列は2dBほど低いような感じがしました。 まあこれはあくまで印象ですし部屋でも変わるでしょう。

さて今回、4本を指定どおりの角度を付けて指定どおりに集中配置したところその効率の良さには腰を抜かすほど仰天しました。 正確な比較ではありませんがアテネータで5〜6ノッチほど絞らないと1本とおなじになりません。効率にして10〜12dBも上がったようです。 スピーカのこのあたりの理屈は良くわからないのですが4本を近接して、あたかも一点から出たように集中配置したときは放射インピーダンス以外の作用が働くのでしょうか。 箱鳴りの問題やアンプの特性も関係するわけですが不思議なことです。カエデの12mm薄板で作りましたから確かに箱は鳴ります。 でも2本では高域が明らかに減衰して聴こえますが4本使用では1本の時よりも更に延びて聴こえますので箱鳴りでは説明がつきにくいのです。

理論とはぜんぜん合いませんが12dB上昇だとするとこのスピーカシステムの効率は110dB程度になります。 でもWE-555に段ボールで大きなメガホンを作って仮に付けたシステムと効率はさほど変わりませんし極めて明解な音は全く不思議と云うほかなく、納得できる理由は思いあたりません。

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[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
38. 中川隆[-10739] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:11:34 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[18]
四本並列システムのこと

さて私は、と云えばいろんなスピーカを手掛けていますがメインスピーカはやはりアキシオム80の四連装です。 (写真2)がそうなのですがこのスピーカのインピーダンスとQの特性を図5に示します。定電圧駆動と定電流駆動での傾向は変わらずインピーダンス変動もQの変動もたいへん滑らかで全く申し分ありません。 こんなにスムースな特性のスピーカも本当に珍しいでしょう。アキシオム80四連装の音の良さは筆舌に尽くし難いものがありますがその一端はずらされた音軸にあるのだと思います。 何度か実験した上での結論ですが80の複数使用では単純な縦配置でも横配置でもいけません。 軸が一点に集中するように少しずつ角度をずらしたこの配置が想像を遥かに超えるピュアでパワフルなエネルギー感をもたらすのでしょう。 感度の視点からも1.5Wの45シングルで今どきのハイエンドスピーカを1KWのアンプで鳴らすのと同じ音量が出ます。このあたり何度か作った2連装システムなどとは全く別物です。 良く知られているようにスピーカを2本並列に接続すると3dB音圧が上昇します。仮に1Wのアンプで鳴らして一本で97dBの音圧が出たとしますと二本で100dBになるわけです。 ただその2本の並べ方が大事で2本を近接して集中する場合でも単に並べただけとある程度の角度を持たせるのとでは相当異なるように思いました。

昔ジョーダンワッツのモジュールユニットを4本使用したシステムを実験したとき、縦でも横でも一列に並べると2本並列使用と比較してさほど能率が上昇したとは感じられず、 アテネータで1ノッチほどつまりは2dB程度であろうかと思いました。2本と4本では理論上は+3dBですからまあそんなものでしょう。 アキシオム80の二本並列は縦でも横でもさらには角度付き横並列もすべてためしていますが指定箱の角度付き横並びが一番鳴りっぷりは良かったようです。 スピーカが具合良く接近するので相互放射インピーダンス効果がよく働いて、そうなるのかとも感じました。指定箱の角度付き二本横並びと比べると普通の縦二本並列は2dBほど低いような感じがしました。 まあこれはあくまで印象ですし部屋でも変わるでしょう。

さて今回、4本を指定どおりの角度を付けて指定どおりに集中配置したところその効率の良さには腰を抜かすほど仰天しました。 正確な比較ではありませんがアテネータで5〜6ノッチほど絞らないと1本とおなじになりません。効率にして10〜12dBも上がったようです。 スピーカのこのあたりの理屈は良くわからないのですが4本を近接して、あたかも一点から出たように集中配置したときは放射インピーダンス以外の作用が働くのでしょうか。 箱鳴りの問題やアンプの特性も関係するわけですが不思議なことです。カエデの12mm薄板で作りましたから確かに箱は鳴ります。 でも2本では高域が明らかに減衰して聴こえますが4本使用では1本の時よりも更に延びて聴こえますので箱鳴りでは説明がつきにくいのです。

理論とはぜんぜん合いませんが12dB上昇だとするとこのスピーカシステムの効率は110dB程度になります。 でもWE-555に段ボールで大きなメガホンを作って仮に付けたシステムと効率はさほど変わりませんし極めて明解な音は全く不思議と云うほかなく、納得できる理由は思いあたりません。

https://www.audio-maestro.com/gleaners2.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c38

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
8. 中川隆[-10738] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:13:39 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[19]
オーディオマニアからみた青山二郎の電蓄と小林秀雄の「モオツアルト」

2003年は小林秀雄生誕100年で、様々な書物が出ました。 昔から思い出したようには読んでいましたが50歳を過ぎて読むと以前とは受け止め方が全く異なることに気がつきました。どうしてでしょうか。小林は常に現代を語っているように思えてなりません。

さて最近になって新潮社から小林秀雄の様々な講演を入れたCDが出ています。 かつて鎌倉の華正楼で五味康祐が聞き手となった音楽談義があり、ステレオサウンド創刊まもない第2号でそれが巻頭を飾ったことがございました。 1987年になってステレオサウンド社からそれがカセットで刊行され、そして今回は五味さん抜きですがCDとなって店頭に並んでいます。でもCDでの五味抜きの構成はおもしろくありません。 あの五味の小林に対する畏敬と恭順の態度には単に文壇での立場を超えたものがあり、尽きせぬ興味が湧くものです。

:知の巨人:小林秀雄の主たる業績や足跡は私には理解の範囲外でありますが美術論/音楽論に限っては喰い付くことが何とか可能です。 オーディオ論は昭和33年に書いた「蓄音機」などがそれに相当します。 これはその後のオーディオ評論に多大な影響を与えた節がありますし30サイクルの音の再生に執着した五味康祐を親しみと愛情を込めて揶揄していて、たいそう面白い読み物であります。 蛇足ながら「柳生十兵衛の作者のところへ、柳生十兵衛みたいな男が現れ、、、、」との箇所での「みたいな男」とはあのTさんでしょう。

小林がオーディオに対して長いキャリアと恐るべき慧眼を有していることは「蓄音機」に限らずその後の五味との音楽談義でも明らかです。 俯瞰的立場での核心を突く卓見は瀬川、五味といえどもとても及びません。 すでに「蓄音機」で小林はハイファイオーディオ趣味の隆盛とその帰結としての滅亡に至るプロセスを明解に予言しているのですから。

昨年に出た白州信哉(編)の本に小林の最後の頃のステレオ装置が載っていてさすがと思ったものです。 それは以下の構成でした。スピーカは不明ですが、アンプはQUAD22+QUAD、ターンテーブル/ガラード301、カートリッジ/EMT、アーム/たぶんドイツオルトフォン製EMT、であり、 それがさり気なく組み合わさって置かれていました。

小林の名著に御存知の「モオツアルト」がありますがそれを書き始めたのは太平洋戦争が始まった頃です。戦争中を通して折々書いて戦後間もなく上梓されたのです。 一つのまとまった形にはなっていますがそれぞれの時期のそれぞれの思いが複雑にからみ合っています。 あれを読むと小林は理性や理屈で音楽を聴いていたのでは無く、自らの感性を研ぎ澄まし、時に飛躍させて聴いていたのではと思います。
新訂第八巻での江藤淳の指摘の通りこれは詩であって音楽なのでしょう。でも私はむかしからあの時代になぜあのようなモーツアルト論を書くことが出来たのか不思議だったのです。 モーツアルトに限らず日本で演奏される西洋音楽は今日とは異なって想像を絶するほど乏しく劣悪なレベルであったであろうし普通の蓄音機で聴くことができる音の範囲では あのような感性の飛翔ができるとは信じ難かったのです。要するにわたくしは古びた安物の蓄音機で「モーツアルトのポリフォニイが威嚇するように」鳴るかどうかを疑っていたのでした。

すでにお読みになられた方も多々おられると思いますが、その疑問に対する解答は白州正子の「いまなぜ青山二郎なのか」(新潮文庫)と云う本で得られます。そこにはこう記されています。

;林秀雄(小林ではない)の『青山二郎略年譜』によると「昭和17年41歳、五月、小林秀雄、青山宅でモオツアルトをきき感動』としてあるが、この青山宅がどこであったか不明である。  中略  その頃彼は音楽に凝っており、ステレオが発明されるずっと以前に、高音と低音の蓄音機を部屋に置き、拡声器を何ケ所かに据えて、終日聞き惚れていたというのは有名な話である。 小林さんが『モオツアルト』を書いたのは、それから四年後のことであるが、本質的なところでジイちゃんとは、深く関わっていたのである。:

「モオツアルト」を書く直接の切っ掛けとなったその出来事は冬の道頓堀にあったのではなく昭和17年5月のある友人宅の蓄音機の音にあったことは明らかですがそれがどの友人のどんな装置か 全くもって不明でありました。でも「今なぜ青山二郎なのか」を読むと小林がモーツアルトを聴いて感動した装置は青山のものだとわかります。 それが比類なき美意識をもって知られる希代の好事家で、小林にとっても骨董道の大先達である青山二郎が一時期熱中したハイファイ電蓄システムであれば相応の音を出していたに相違なく、 ;決して正確な音を出したがらぬ古びた安物の蓄音機;でその感動を得たのではないことがわかります。 私にとってこれはたいへん大事なことでこれを読んで積年に渡る謎がまたひとつ解けた思いになりました。 白州の言では青山の電蓄のことは有名な話だそうですが迂闊なことにそれまでぜんぜん知りませんでした。 これを読んでわたくしは飛び上がるほどびっくりしたものですが驚く方がやはり不勉強なのでしょう。

白州正子の文章は技術の枝葉に疎い女性のお書きになられたものですから装置の正確な表現には欠けていますが、要するに青山は昭和17年にはマルチウエイのスピーカを、 ステレオ装置のごとく部屋のあちこちに並べて聴いていたのでしょう。または各部屋にスピーカを置いてそこまで線を延ばしていたのかもしれません。 でも当時は5分勝負のSPですからその可能性は無いと私は思います。 スピーカをたくさん並べていただけなのかも知れませんがステレオの発明される以前と言う表現を素直に受け取るとそれらをいっぺんに鳴らしていたと思われます。

三十年前には高橋悠治の「モオツアルト」批判があり、彼は「愛情を持った批判者」とは言えませんがそれなりに傾聴すべき点はあります。 でもこれを含めて後世の論評には知る限りでは青山の電蓄の存在は出ていないようです。全然気が付かなかったのか、知っていても如何に大事なことかが判らないので無視したのか、そのいずれかです。

昨年出版された小林特集本にはこれらの視点を欠いた「モオツアルト」批判がありました。私は「モオツアルト」、「ゴッホの手紙」の序文、「蓄音機」の三部作はそれこそ三位一体を為すものと思いますが その筆者は引用した文献の初出に関する記述から重要な「ゴッホの手紙」はお読みになられていない可能性があると思いました。 むろん小林の絵画や骨董趣味に与えた青山の極めて大きな影響は一顧だにされていないようでした。 総じて音楽の視点からの小林批判では表裏一体であるはずの近代絵画論はすっぽり抜け落ちていて近視眼的な浅さが気になります。

「モオツアルト」をオーディオ的に読むと「疾走する悲しみ」ではなく「威嚇するポリフォニイ」こそ重要であることが判ります。 「海が黒くなり、空が茜色に染まる」ようには鳴らないからこそ小林はそう表現し挑発したのではありませんか。 そんなことを重大視するのはオーディオマニアだけさ、という声がきこえてきそうですがわたくしはそうは思いません。 「僅かばかりのレコオドに僅かばかりのスコア、それに、決して正確な音を出したがらぬ古びた安物の蓄音機、---何を不服を言うことがあろう。 例えば海が黒くなり、空が茜色に染まるごとに、モオツアルトのポリフォニイが威嚇する様に鳴るならば。」、、、昭和17年5月のある朝、青山の電蓄はまさしくそう鳴ったのではありませんか。 そのとき実際に小林が眼にしていたのも吹き荒ぶ風、無気味な空、荒れ狂う波だったかも知れません。 でもその天変の光景に拮抗するに足る音を青山のスーパー電蓄が鳴らしていたのもまた事実でありましょう。 モーツアルトの音楽を抉る衝撃的なその音は天啓として長く小林の「脳味噌」に残り、昭和21年5月の御母堂の死の悲しさと同調し、それを遡る20年前の過去の音楽的記憶と同期して 疾走したのではありませんか。

疾走したのはモーツアルトの音楽であり小林の記憶でもあったわけで、あの朝の劇的なシチュエーションでの青山の電蓄の鮮烈な音の記憶が触媒になったはずです。 五味との音楽談義で発した「蓄音機の音もたった一回の歴史的事件だ」との言葉も青山の電蓄を踏まえると言い様のない重みがあるものです。凄い一言であります。

戦前の雑誌を見ると、ことアンプに関する限り45や2A3や50がロフチン回路やトランス結合さらには凝ったCR結合で使われていて今となんら変わるところはありません。 私はむろん戦後生まれですが戦前になかったものはケータイとデジカメくらいで大画面ビデオプロジェクタも1943年には既にありました。

でもマルチウエイのスピーカを多数個分散配置で鳴らしていたとすれば驚きですが文献で知る限りの天才青山でしたらあり得ない話ではありません。 太平洋戦争が始まった頃に「低音や高音の拡声器を何ケ所かに置いた装置」と言えば今様にいえば超ハイエンドシステムであるでしょう。

生そのままに鳴るという今の機械ならともかく戦前のSP装置で音楽の本質など判るか、と云う人もいるでしょう。オーディオに無縁の人はそう思っていても不思議ではありません。 でも論より証拠、21世紀の今日、一部の超マニアは大金を投じて大戦前の装置に回帰し大戦前のレコードを求めているではありませんか。

小林は46年前にこうも書いています、「それよりも、そういうレコードフアンの天国を、はっきりと思い描き、そうなればどう言うことになるかを考えてみた方がよい。 私達は、元の黙阿彌になるだろう。歴史と言うものを全滅させたハイファイシステムを前にして、私達は、何処で歴史を取り戻すのかがはっきりするであろう」と。 その予言は恐ろしいまでに見事に適中しているのでありますが、なってしまったものは仕方ありません。 歴史の歯車はどうにも出来ないものです。でもあの「モオツアルト」が一台の電蓄の音の啓示によってもたらされたものとしたら、やはりオーディオには一生をかけて取り組む価値がある、と言うべきです。

https://www.audio-maestro.com/gleaners2.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c8

[リバイバル3] 是枝アンプ 中川隆
4. 中川隆[-10737] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:40:24 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[21]
オーディオ・マエストロ

名 称 Audio Maestro (オーディオ・マエストロ)

住 所 岡山市北区津島南2-5-6

営業時間 11:00 〜 18:00
定休日 月曜日、火曜日
TEL/FAX 086-253-3673 / 086-254-7638
E-mail maestro@fine.ocn.ne.jp

地図
https://www.audio-maestro.com/about.html


※ お越しの際は、前もってご連絡ください。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1090.html#c4

[リバイバル3] 是枝アンプ 中川隆
5. 中川隆[-10736] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:41:40 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[22]
About Audio Maestro ご挨拶

1976年創業のオーディオマエストロは長い間海外製品を主とした趣味性の高いオーディオ機器を扱ってきました。

もちろん今でもそうですが、いまはどちらかといえばアンプ工房です。店内に置いているアンプはほとんど当店で作られたものです。

私は5O年以上Goodmans AXIOM-80スピーカとともに歩んできました。AXIOM-80は4本システムと1本システムがございます。 4本システムは滅多に鳴らしませんが1本システムは常用しています。100Hz以下をLCネットワークでつないだハートレィの218HSウーハ(46センチ)で 補強していますが柔らかく先鋭に広がる音は全く類がありません。 これはカンノ製作所のパーマロイコアトランスを使ったWE-300Bシングルアンプで鳴らしています。ご要望があれば AXIOM-80や218HSをeBay等で 調達しエンクロージャを新たに製作してご用意できます。

その他のスピーカはほとんどが英国製です。ビンテージユニットを使って作られたものが大部分で最新のメーカ製品はありません。

アンプ製作に使うAXIOM-80以外の主なスピーカは以下の通りです。

・ Hartley Concertmaster 4
・ B&W SS-25
・ Goodmans Maxim
・ Quad ESL-57

展示しているアンプは「管球王国」誌や「ラジオ技術」誌に発表したものですが未発表のものもあります。 当店は(株)リンジャパン(株)エレクトリの販売代理店です。
https://www.audio-maestro.com/about.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1090.html#c5

[リバイバル3] 是枝アンプ 中川隆
6. 中川隆[-10735] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:44:03 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[23]
About Audio Maestro P r o d u c t s (Speaker System)
https://www.audio-maestro.com/products1.html


KOREEDA LAB製 Stereo Radiogram Meistersinger
1960年代はこういうスタイルのステレオ装置が一般的でした。アンサンブルステレオと言いますが正しくはStereo Radiogramです。 その代表例は英DeccaのStereo Decolaと独TelefunkenのS8です。当店にもステレオデコラはあります。

本機のスピーカ構成は複雑です。正面にはGoodmansの12インチSingle Black、左右側面にはTannyの12インチDirect Radiatorが付いています。 ともに最初期のDeccaのDecola Monauralから外したものです。上側の縦スリットの中にはKelly Ribbnon MkUツィータが入っています。 アナログプレーヤは蓋の中にあり、デジタルプレーヤはLinnのMajik DSを横スリットの中の独立したケースの中に入れています。 ラジオグラムの語源でもあるラジオ受信はDSのネットラジオ機能に痕跡があるのみで FM/AM放送は受信できません。

税込価格:EL-37 PP仕様 235万円
     PX-25 PP仕様 295万円

KOREEDA LAB製 Holton tower WHF
米Hartleyの220MSGを中心として低音に 英Wharfdale の平面振動板ウーハのW-12PSTを、高音に伊Faital社のホーンツィータを追加しています。

税込価格:83万円

Decca Corner Horn オリジナル
1949年に発売されたエンクロージャです。
ご覧の通り素晴らしいコンディションで70年の歳月は全然感じません。 後ろに向いたスピーカの音はコーナの壁で反射され壁一面から聴こえてきます。
様々なユニットが装着されたものがあるようですが、本機には推奨ユニットのローサPM6をつけています。 1/4波長共振箱なのでローサの弱点の低音不足はなく音はよく溶け合います。効率は高いのですが大変アンプを選びます。
英国家具としても素晴らしいものでしょう。

税込価格:127万円

https://www.audio-maestro.com/products1.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1090.html#c6

[リバイバル3] 電蓄の世界 中川隆
9. 中川隆[-10734] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:44:48 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[24]
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KOREEDA LAB製 Stereo Radiogram Meistersinger
1960年代はこういうスタイルのステレオ装置が一般的でした。アンサンブルステレオと言いますが正しくはStereo Radiogramです。 その代表例は英DeccaのStereo Decolaと独TelefunkenのS8です。当店にもステレオデコラはあります。

本機のスピーカ構成は複雑です。正面にはGoodmansの12インチSingle Black、左右側面にはTannyの12インチDirect Radiatorが付いています。 ともに最初期のDeccaのDecola Monauralから外したものです。上側の縦スリットの中にはKelly Ribbnon MkUツィータが入っています。 アナログプレーヤは蓋の中にあり、デジタルプレーヤはLinnのMajik DSを横スリットの中の独立したケースの中に入れています。 ラジオグラムの語源でもあるラジオ受信はDSのネットラジオ機能に痕跡があるのみで FM/AM放送は受信できません。

税込価格:EL-37 PP仕様 235万円
     PX-25 PP仕様 295万円

KOREEDA LAB製 Holton tower WHF
米Hartleyの220MSGを中心として低音に 英Wharfdale の平面振動板ウーハのW-12PSTを、高音に伊Faital社のホーンツィータを追加しています。

税込価格:83万円

Decca Corner Horn オリジナル
1949年に発売されたエンクロージャです。
ご覧の通り素晴らしいコンディションで70年の歳月は全然感じません。 後ろに向いたスピーカの音はコーナの壁で反射され壁一面から聴こえてきます。
様々なユニットが装着されたものがあるようですが、本機には推奨ユニットのローサPM6をつけています。 1/4波長共振箱なのでローサの弱点の低音不足はなく音はよく溶け合います。効率は高いのですが大変アンプを選びます。
英国家具としても素晴らしいものでしょう。

税込価格:127万円

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1073.html#c9

[リバイバル3] 是枝アンプ 中川隆
7. 中川隆[-10733] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:46:42 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[25]
About Audio Maestro
The Gleaners(落ち穂拾い1)
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デコラと電蓄

2ウェイ、3ウェイスピーカではウーハやツィータそれぞれに適した信号を入れる必要があります。 これをマルチウェイスピーカシステムといいますがこの方式は古くから存在したようです。 おそくても1930年までにはあったようでイギリス時代のハートレーは一般家庭用として1931年には46センチウーハと25センチウーハによる2ウェイスピーカを発表していました。 ウエスタンに代表されるトーキーサウンド用途には無論それ以前から取り入れられていました。
マルチウェイスピーカは一台のアンプの信号をネットワークで分離するのですがそれにはコイル(L)とコンデンサー(C)を使うのです。 コイルは低音域では抵抗値が少なく高音域では増えるという性質があります。 コンデンサはその逆の性質をもちます。コイルとコンデンサーを用いたLCネットワークではその性質を利用して高音域と低音域をわけるのです。
Lを一つ、Cを一つ使ってスピーカーと組み合わせた場合を考えましょう。スピーカに直列にLを入れると高音になるに従ってLの抵抗値は増えていきます。 するとスピーカに加わる電圧は高音になればなるほど下がるので音量は低下します。Cを入れれば低音ではCの抵抗値は高いので音量は少なく、高音になればなるほど増大します。
LをウーハにつなぎCをツィータにつなぐとこれでマルチウェイスピーカとして動作するわけですが、LやCの素子が一つだと1オクターブで6dBの変化が生じるわけです。
1オクターブの変化量は6dB 、12dB 、18dBが普通ですが稀に24dB 型も存在します。例えばケリ−のリボンツィータは24dB型ですし一部のスーパーウーハなどにもあります。 不要な帯域を鋭く遮断するには変化量を大きくすればいいのですがそのためにはLやCの数を増やさないといけません。それは音質劣化に繋がることが多いのです。 でもそうしないと帯域外の音が悪影響を及ぼしたりスピーカそのものが破損する可能性が高いので、やむをえずそうしないといけない時もあります。 たとえばリボンツィータでは遮断カーブを緩やかにすると遮断周波数を高くしないかぎり直ちにリボンが破損するのです。

さてクロスオーバ周波数という言葉は御存知でしょう。 ウーハやツィータをクロスさせる周波数をそういうのですがそれぞれのレベルが3dB下がったところを一致させて、そこをクロスオーバポイントといいます。 そこから以降をオクターブ6dBで変化させるものを6db型、18dBで変化させるものを18dB型といいます。 前述のように英ワイアレスワールドをはじめ戦前の「無線と実験」などにも以上のことは出ていますし一部の超マニアの間やWE などではこれは常識でもあったようです。
日本でも一部のスーパマニアは1930年代から楽しんでいたようです。一般書の記述としては白州正子氏の青山二郎伝記書が目を引きます。 氏によると太平洋戦争前にすでに青山二郎は伊豆にあった別邸で低音高音に多数(おそらく10個程度)のスピーカを並べた大型システムを聴いていたようです。 白州正子が指摘しているように戦後書かれた小林秀雄のモオツァルトはこの壮大なマルチウエイの青山電蓄を聴いてその音に触発されたことが切っ掛けの一つになったことは間違いありません。 小林秀雄は戦前からのオーディオファンであり五味康祐や瀬川冬樹に多大な影響を与えたことは良く知られています。 小林秀雄全集にも収録されている評論「蓄音機」では五味の狂人ぶりを優しくからかっており、そのことを五味は大層光栄に思ったようです。 小林は五味のことをバスタオルと渾名し「この種の狂人は嫌いではない」と書いていて、戦中戦後のある時期骨董に狂った自分に五味を重ねて見ていたようです。 大先生に誉められたことがよほど五味は嬉しかったのでしょうかSS誌に書かれた文章には時折そのことに触れておられます。 その経緯を知らないと気付きにくく読んでも何のことか分からない書き方ではありますが。

瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、 という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。 蛇足ながら小林秀雄は評論「蓄音機」でオーディオ趣味が壊滅しつつある50数年後の今を、途中の隆盛の時期を含めてほぼ正確に予想していてその鋭い推論推察に全く脱帽せずは居られません。 瀬川冬樹も五味康祐も自分が滅んだ後にはいずれそうなると分かっていたとおもいます。
脇道にそれると思いますが瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、 1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。 それは瀬川さんも分かっていたようです。お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、 今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、そのために80は8本用意しているんだが、、、と述懐されたそうです。 瀬川さんのピークはJBLの蜂の巣ホーンをお使いになられたマルチアンプ時代の頃まででしょう。Iさんからその話を伺った時、なぜか太宰治を想いました。 氏が癌に侵されていることはそのころは既に衆知のことでした。しばらくしてお亡くなりになったのですが大村一郎としてはS字状結腸にできた腫瘍で亡くなったとしても 瀬川冬樹としてはそうではないと思ったものです。

五味康祐もそうかもしれません。五味のオーディオのピークは1950年代半ばの芸術新潮連載「五味康祐LP帳」のころです。 その時代に散々し尽したからこそ1963年に始まったあの「西方の音」(これは西方浄土からきてきるのでサイホウと読む)では達観の境地に達しているわけです。 オートグラフが最高と仰るのは散々道楽をして来たから言えることでオートグラフはいわば釣り道楽の「ふな釣り」に相当するのではありませんか。 「西方の音」P21にある京都「四明岳」での詩人Yさんの話は、「五味康祐LP帳」では自分のこととしてもっと生々しく赤裸々にお書きになられていました。 東大泉のリスニングルームの「浄」という書はむろん浄土からきているものですが、LP帳からの10年ほどの歳月がいかほどのものかが偲ばれます。 あのリスニングルームは五味にとって西方浄土の地であったのでしょう。連載が始まってしばらく経った頃あの不幸な交通事故があったのです。 その頃中学生だった私はなぜかそれを伝えるニュースを覚えています。たしか日曜日の昼のNHKニュースでした。 氏愛用のいすゞヒルマンミンクスのブレーキはとても効きにくいという後日談もなぜか記憶にあります。あの事故で連載は一時中断されました。 そして事故前と事故後は明らかに変わってきています。事故前はオーディオ的であり事故後は音楽的哲学的であるのです。 単行本「西方の音」は芸術新潮に数年に渡り連載されたものを要約してまとめたもので巻頭はあの「シュワンのカタログ」であります。 でも芸術新潮連載第一回目はテレフンケンS8のことでした。そのことでもお分かりのように単行本では再編集や要約はかなり為されています。 連載の初期はオーディオの側面が強く、単行本では文学的に昇華しているようです。 ですから1963年から65年までの芸術新潮を図書館などで御覧になられたらオーディオ的には新たな大きな発見があるのではと思います。LP帳は単行本化されていません。
「西方の音」で一番どこが五味さんらしいところか、別の言い方をすると、どこが「バスタオル」的かといえばここでしょう。 こういう五味のひたむきで純粋な打ち込み方を小林秀雄はするどく見抜き、評価していたのだと思います。P178

―白状すると、あの交通事故以来、私の経済状態でアンプに四十万円の出費は苦しい。売るものは蔵書しかない。文学を売るにひとしい。 それでも格段に音が良ければ買わざるを得ないのだ。そういう打ち込み方を、つまり、生き方を今日まで私はして来た人間だ。 文学に音楽が必要ないなら、そういう文学は私に必要なかったまでのことだ。―

お亡くなりになる数年前に某青年のことを、気になる点がないではないがと評されたことがあります。文学に音楽が必要ないなら、そういう文学は私に必要なかったまでのことだ。 ぼくはそういう生き方をしてきた。君にそういう覚悟はあるのか と言いたかったのでしょう。音楽を捨てて文学に走る人だと見たに違いありません。 某人の部屋の写真をみると文庫本が山のごとく写っていました。誤解してほしくはありませんが文庫本を否定するものではありません。 私も大抵は文庫本ですが、でもこれは人に見せるものではありません。取材時は隠すものです。文庫本を売ってもジーメンスは買えませんがジーメンスを売ると本物の本は買えます。 でもジーメンスを売ったお金で彼は優れた文学が書けたのでしょうか。日本文学、つきつめれば純文学というものは生半可なことでは書けないことを教えたかったのでしょう。

ほとんど最晩年になりますが、芸術新潮に太宰治のことを書いた文が一部の太宰ファンの間でおおきな問題になったことがあります。 同情と愛情を込めた文であることは明らかですが、神聖視するファンにとってはこれは許し難いことだったのかもしれません。わたくしは文士達の文学修行の厳しさをそこに見ました。 今でもそういう苦労をされている方は多いようです。もう20年近く前になりますがSS社でライターの仕事をしておられた方が見事に芥川賞を取られたことがあります。 HiVi編集人だったある人がことのほか喜ばれ、とても新潮社には及ばないが我が社も一流出版社のハシクレになったと言っていたことが印象に残りました。 芥川賞をとってそれで終わりとなる作家は多いのですがその人は社会現象を捉えた本が大ベストセラーになり流行語にもなって隆々と御活躍です。

さて小林秀雄は1950年代末にはパイオニアの無指向性スピーカと思われるものを使っていてその後はテレフンケンの電蓄(S8ではなくオーパス)を買い、 晩年にはタンノイ3LZをQUADとEMTで鳴らされていました。 小林がテレフンケン電蓄を買った時、文学仲間の大岡昇平が負けじと同じものを買い1963年頃の芸術新潮に「わがテレフンケン」というエッセイを書いていました。 蛇足ながら白州正子氏は女性ながらデッカステレオデコラをお持ちになられていました。入手にあたっては奔走したそうで、青山が付けた渾名の「韋駄天お正」にふさわしいものでしょう。 今それは湘南にお住まいのエンスージャストの手元にあります。女性ではチェンバリストK女史もお持ちだったそうです。 これはアメリカから運んできたそうで送料が高かったと聞き及びますがコラーロは60Hz仕様だったのでしょうか?。 60Hz用コラーロはわたくしも所蔵していますから多分そうだったと思いますが。 新潮社の重鎮S氏が数年前にお亡くなりになられたとき芸術新潮の追悼記事に伝説のそのデコラの全貌が出ていたので実機の様子や部屋の光景を御覧の方も多いでしょう。 プレーヤは相当以前にコラーロから別のものに代わっているのが残念です。この辺りの芸術新潮はまだ古書店でも入手が容易ですし大抵の図書館でも閲覧可能です。 五味の骨折りでS氏入手の後、新品のデコラは5台入ったようです。コラーロ装備のものは全100台製造ですが白州正子所蔵のものはコラーロ付きです。 でもこれがその五台の中の一台かどうかは知りません。ずいぶん古いSS誌別冊には五十嵐さんが「デコラに御辞儀をする」を書かれています。これがデコラをさらに有名にしたのでしょう。 でも記事中の写真の機械は五十嵐さん所有のものではありません。これは記事用にSS社が入手したものですがプレーヤは除外されています。 デッカは100台製造したあとにも少し作ったのでこれはその時期のものです。 でも100台外のものではプレーヤはコラーロ以外のものが多いようでガラード301やガラードオートチェンジャがついているようでした。 それでは純正デコラとはいい難いので外して撮影した、と聞き及びます。これは数年前までSS社の倉庫にあったそうですがいまは某人の手元にあると聞きます。

五十嵐所蔵品だったデッカステレオデコラ。新品として到来した最初の5台の中の1台

デッカステレオデコラの弱点はコラーロの耐久性とプリアンプ初段の真空管8D8にあります。8D8をEF-86や6267で代用することは大いに問題があります。 どうしてかといいますとヒータが6.3V/0.15Aの8D8をEF-86(6.3V/0.2A)で置き換えると出力管EL34のバイアス回路が適切に動かないからです。 デコラではヒータの直流点火回路はEL-34のバイアス回路と共用になっているのです。 そこでバイアス回路の都合にあわせるとこんどは EF-86のヒータ電圧が不足するので本来のデコラの音はしません。 8D8は英STC社(ブランド名ブライマ)だけが作った真空管でもはや市場では入手が極めて困難です。 五十嵐さんは英ベントレーエレクトリックに100本特注したことがあるそうですがノイズの点などで全数使えなかったそうでした。 でもそのベントレー社の8D8は、そのことを聞き付けた東京大学宇宙航空研究所が欣喜雀躍として全部持っていったそうでした。 プリアンプ初段部用途以外では使えたのです。基準を緩めればあるいは全数良品の部類に入っていたのかも知れません。 白州正子由来のステレオデコラは今はヒータ電源部を別にしているそうです。そうするとEF-86でもなんとか使用できます。 音色はどうしても異なるのですがいくら8D8でもノイズが出ると使うことは出来ませんからこればかりは仕方がありません。 カメラ研究家としても高名なオーナはラジオ技術誌でも活躍した方ですのでこの辺りの工夫はお手のものだったと思います。この先達もデコラ以前はオールホーンシステムでした。


それぞれ時期が異なる3つの8D8。ブライマのカタログから消えたのは1970年代初期。

左側は最後期だが右側の最初期と比べてもプリント文字以外はほとんど差はない。

でも同時期のムラードEF-86と比較すると内部構造は相当異なる。本来の用途はわからないが極めて低雑音なのが特徴。 音質はまったく無類。お勧めしないがQUAD22には挿して使うことが出来る。


五十嵐さんはSさんを中心とした五味さん、小林さん、西条卓夫さん、などの交流の生き証人であります。また大村一郎氏の上司でもありました。 つまり瀬川冬樹の育ての親です。1950年代初頭に横浜在住の英国人銀行家がデッカデコラを日本に持ち込んだ時それを取材してラジオ技術誌で紹介しておられました。 これは新潮社のS氏と盛んに交流していた時期でもあります。知られていないことですが、氏によれば五味さんはS家の住込み書生だった時期があったそうです。 そういえばSS誌などにも、輸入LPをいち早く聴ける環境にいたことは幸せだった、との記述があったと思います。 五十嵐君、LPがきたから一緒に聴かないかと誘われて家に行くと、うやうやしく五味さんが斉藤さんを出迎えたそうでした。 ずうっと後になっても、Sさんのことに話が及ぶと、斉藤家は、というのが五味さんの口癖だったそうです。 モノラルデコラを日本人として初めて聞いた人の一人が五十嵐さんですがその話はリアルタイムにSさんや五味さんの耳に入ったことは想像に難くありません。 五十嵐さんはデコラを入手するまでマルチアンプ駆動のオールホーンスピーカでした。 NHKの「美の壺」というテレビ番組で紹介されていましたからHMVロイヤルという機械式蓄音機を御存知の方も居られるでしょう。 クレデンザなどは下々のものでいわば大衆機、HMV202や203こそがSP再生の極致であるとは某エンスージャストの言ですがロイヤルは203や202とは全く比較にならない名器だそうです。 英王室に一台、EMIに一台の世界にたった二つの品です。そのどちらかが20年以上前に銀座某社経由で日本にもたらされ、五十嵐所蔵品になりました。 いまどなたが御所有かは知りません。五十嵐さんはさまざまなペンネームを駆使されておられます。またそれすらもペンネームでもありますがS氏同様に表には全然出てこられません。 御健在の間にさまざまなお話を語られたら、と切に願います。蛇足ながら日本オーディオ協会の初代会長はフランス文学者の中島健蔵です。 中島健蔵は東大仏文で小林秀雄と同期(あるいは前後していたかもしれない)で音楽仲間、オーディオ仲間であったようです。 JASの設立時のくわしい経緯を御存知なのはいまでは五十嵐さんくらいではないでしょうか。

さて高城重躬、藤田不二共著(オーディオは高城、LPは藤田)の「LP辞典」1953年)などをみると昭和28年にはアンプやスピーカなど ほとんど今日と同じオーディオ環境が出来ていたことが見て取れます。特にスピーカはウエスタンやタンノイ、アルテック、JBL、ワ−フデール、グッドマン等、今日と何一つ変りません。
部品定価表は壮観です。ウエスタンに例を取ると下記の様になっています。

728B--12インチ--30W--4Ω--60〜10000--35.7ドル
756B--10インチ--20W--4Ω--60〜10000--38.55ドル
755A-- 8インチ-- 8W--4Ω--70〜13000--24.6ドル
713C--トゥイータドライバー---25W--4Ω--800〜15000--97.2ドル
KS-12027--ホーン--67.62ドル
702A--ネットワーク--97.46ドル
757A--スピーカシステム--275.09ドル
JBLでは
D130--15インチ--25W--16Ω--50〜12000--70.4ドル
途中機種は省略
175DLH--トゥイータ--25W--16Ω--1200〜--114ドル
N1200--ネットワーク--16Ω--33ドル

になっていてこれがすべてのメーカに渡って詳述されています。WEがJBLと比較して意外に安価なのが驚きです。

さて戦後マルチアンプという方式が登場してきました。 LやCを使ってパワーアンプの出力信号を分離するのではなくパワーアンプに入る前に分けてしまう方法です。 むろん戦前から知られていたやり方なのですが広く一般化されるのは第二次世界大戦の終結を待たねばならなかったのです。 これは主としてアメリカで発達してきました。米マランツは1950年代にマルチチャンネルデバイダ-モデル3を発売していますし日本でも1960年代始めには「NF回路設計ブロック」社が製品化しました。 これはGTソケットを利用したプラグイン型で周波数の変更はユニットの差し換え交換で行うものです。 高名なオーディオ研究家、加藤秀夫氏などは1950年台半ばには自作オールホーンスピーカシステムをマルチアンプで駆動されていて来日したマッキントッシュ社のマッキントッシュ氏が驚嘆したことは 有名な話であります。
ホーンスピーカをマルチアンプで駆動することはまことに理にかなったことです。 ホーンスピーカはホーンで適切な負荷が掛かった帯域以外はできるだけ急峻に遮断することが大事ですから正確な遮断特性が得られにくいLCネットワークは問題を生じやすいのです。
1960年代半ばにはこの方式は絶頂期を迎えました。各社からチャンネルデバイダーアンプが発売され普通のステレオ電蓄にも搭載されたことがあります。 それに伴い理論的にもいろいろ研究が進みました。なかでも山根/山中(当時、東京工大機械工学科の学生だった山中文吉氏のこと)論争は有名です。 伝達関数1という命題を巡っての論争でした。デバイダで分けられた信号をスピーカで再生し、もとの波形に戻るかどうかという論争です。 むろんLCネットワークでもこの問題は発生するのですが、もともといい加減で杜撰なカーブのLC型では論争の対象にすらならない論題でした。 伝達関数は一素子の6dB型では1になりますがそれ以外ではなかなか難しいことで、特にホーン型スピーカでは諸問題を円満に満たすことが困難で、結局そのことは決着をみなかったのです。

さてマルチチャンネルアンプの究極の形はトリオサプリーム1アンプに見ることができます。 プリアンプとデバイダアンプ、それに3組のパワーアンプを組み込んだ3チャンネルマルチアンプでした。音はともかくとしても形は秀逸で瀬川冬樹デザインの最高傑作だと考えます。 私はトリオの営業所でボザークスピーカと組み合わせた音しかしりません。厚手のビロードカーテンで吸音された環境で能率が低いボザークですから幾らマルチアンプとはいえ出力不足でした。 低中高それぞれ30W20W10Wですから仕方がありません。これと相性が良いと思われるJBLはサンスイが輸入していました。 これは1967年発売ですが理念としてはこの時点でほとんどいきなり終着点が示されていたわけです。 思想的にこれがなぜ到達点なのかは別項の一体型マルチチャンネルアンプの試作の稿でお話したいと思います。
当時はトリオに限らずソニーにはプリメンアンプTA-1120を中心として大規模なマルチシステムがありましたし、山水電気にも管球機CA303、BA303、BA202を組み合わせた 大掛かりなシステムがあったほどです。でも問題は各社ともチャネルフィルタにありました。
チャンネルデバイダは大きく二つに分類されます。パッシブ型とアクティブ型です。
増幅部を持たないパッシブ型にはCR型とLC型があります。CR型は抵抗とコンデンサーだけで構成するもので遮断カーブはふつう6dBで、12dBが限度です。 インダクタを用いたLC型では12dBになります。それを使うためにはプリアンプはできる限り低インピーダンスで低負荷に耐える強力なものが必要です。 またパワーアンプはできれば500KΩ以上の入力インピーダンスが必要でしょう。つまり半導体プリアンプと真空管パワーアンプの組み合わせが適するのです。
遮断カーブを急峻にするとスピーカのためには良い場合が多く、また不要な音がかぶりにくいので好まれるのですが遮断点付近で鋭いピークが出やすいので一筋縄ではいきません。 ピーク発生は負帰還型などのアクティブ形式だけの現象と思われがちですがそうではありません。LC型でも発生するのです。
増幅素子を使ったアクティブ形はCR型と負帰還を利用したNF型にわかれますがそれぞれに増幅素子に真空管と半導体を使ったものがあります。

1. CR型
真空管回路CR型は出力インピーダンスが低く入力インピーダンスが高いカソードフォロア回路などでCR回路を駆動するのですがこれを2つ重ねれば12dBカーブが得られます。 どうようにこれを半導体に置き換えれば半導体形CR型デバイダになります。

2. NF型
真空管カソードホロア回路の信号ループ内に2素子で構成されたCRを入れると12dBカーブで急峻な遮断特性が得られます。 またこれにパッシブ回路でCR素子を追加すると18dBカーブが実現できるので真空管を使用したチャンネルフィルターは主にこの形式を持つものが多く、 古くはラックスやオーディオリサーチなどから発売されていました。

またトランジスタ回路ではエミッタフォロア回路内にCRを挿入し同様に12dBカーブや18dBカーブを持たせていました。
こういう構成をNF型というのですが遮断点近辺でピークが出やすくまた12dBカーブでの最大減衰量は素子自体の利得で決まるので真空管回路では問題が出やすいものでした。

さてアキュフェーズ社は連綿とマルチアンプ思想を受け継いでいてPA機器メーカ以外ではほとんど唯一といってよいものです。 近年に至ってすべてデジタル処理したフィルターアンプを発売しています。デジタルフィルタこそマルチチャンネルアンプの理想でしょう。 いかなるデジタル嫌いの人間でもデバイダーアンプに限っていえばデジタルを拒絶することは出来ません。
そのことはデバイダアンプを作ってその実体を見れば理解できることなのです。 アナログ回路にとってフィルター回路は困難を極めた鬼門であり遮断特性は無論のこと低雑音低歪み高音質というオーディオアンプに求められる性能を満足させることが大変難しいのです。 特にシンプルイズベストという命題は絶対に実現不可能でありマルチチャンネルシステムの進歩発達が1970年あたりで止まったことが納得できます。 世のオーディオシステムの主流からゴトーユニットやYLが外れ、マルチシステムに適したJBLユニット群もやがて廃れていきました。 今のオーディオ文化は自力でシステムを作り上げる、あるいはどこかに依頼して自分の理想のシステムを作り上げることをすっかり忘れているようで、かろうじてWE趣味にその残照があるのみです。
高城氏のオールホーンシステムはデジタルチャンネルフィルタで、やっとその本来の性能が発揮できるでしょう。 またYLの、超大型ドライバを用いた8m、10mホーンは時間遅延が自由に設定できるデジタルフィルタでないとその片鱗すら垣間見ることは不可能です。 それらの性能が十分に発揮できる今日それに適したユニットがないとはまことに皮肉なことで先人達の不幸に思いを馳せずに居られません。 たとえば五味康祐に例を取るとまだモノラルだった1950年代末頃の芸術新潮にこんな話がでています。 高城さんの指導でコンクリートホーンを作ったが低音が全然でない、部屋の片隅のホーンの近くに行くと盛大な低音が聞こえるが普段聴く位置では出ない、こんな阿呆な話があるか、と。 また私が30年以上前にはじめて小倉の菅野邸で音を聞かせていただいた時、10mホーンから低音がまったく出ていないのです。 菅野さんのお話では低音ホーンだけ鳴らすと凄い音がするが555や597を鳴らすと消えてしまうとのことでした。 次にお伺いした時4181ウーハにされていましたが、イスの近くに置かれた4181は素晴らしく朗々とした音を響かせていたものです。 低音は近くで鳴らした方が良いとも仰っていました。 普通どの装置でも低音は少し早めに鳴らした方が良く、とりわけ長い低音ホーンを使った装置では中高音を低音ホーンの長さ分遅らせることが大事なのです。 10mホーンでは1/34秒ほど遅らせないといけません。これは伝達関数以前の問題であります。このことを実現するにはデジタルチャンネルデバイダの出現を待つ以外に方法はありませんでした。
デジタル方式の利点は時間遅延の自由度のほかにカミソリで切るがごとき急峻な遮断特性が得られることに尽きます。 伝達関数のことは実際の音響空間ではほとんど意味をなさないことかもしれません。
50年のあいだにオーデイオ文化が変化変質していくことは仕方がないでしょう。小林秀雄の指摘通り極限まで便利になり意識せずとも良い音が手に入る時代になると失うものが多いのでしょう。 大事な視点を見落としていてもそれなりの音はでるものです。そういう思いに至ったのは最近ハートレーユニットをマルチアンプで鳴らすようになったためです。 これは今までなにをやっていたのかと思う素晴らしさで1970年代中頃にマークレビンソンがHQDシステム(ハートレー、クワード、デッカ)を完成させ、 これを自社のフラグシップシステムとしていたことが痛切に理解できました。それと併用するLNC-2チャンネルデバイダもたいそう魅力がありました。 いかにも理想主義者マークレビンソンです。でも特性はそれなりのものでしょう。

さて今どきのオーディオマニアの楽しみ方の一つにケーブル交換があります。 確かに本質的な改善も期待できますが単に音のバランスを変えるために大枚を注ぎ込んでされる方も多くて、なんと無駄なことかと思うことが多いものです。 アンプ交換もそうでしょう。低音不足や高域の過剰感を修正するためだけにアンプを変えるかたも多いのです。 本質的な改善ではなく単に音のバランスを変えるためにアンプを交換することくらい馬鹿げたことはありません。 マルチアンプシステムはセンスがよいオーディオフアンが取り組むもので、アンプ交換100万円、ケーブル交換10万円くらいの変化はボリウム一つで簡単に出来るのです。 反面で音楽や理論が良く分からない初心者が不用意に取り組むと無残なことになるでしょう。 ここ30年ほどはマルチアンプシステムは下火でありますが、それはネコも杓子もマルチアンプに走った過去の反動でしょうか。 グラフィックイコライザの活用も最近一部で見直されていますが本当に良いものは皆無だと言うことを肝に銘ずるべきです。 グラフィックイコライザの使用はパワーアンプにとって大きな負担になることもあるので乱用はいけません。 でも個人的には、音質にダメージを与えることは明らかですがチェロ社のパレットには別の意味で魅力があります。
デジタルデバイダを使うことが前提ですが、オーディオ趣味に法外な出費が掛かるいまこそオーディオ趣味の本質を取り戻すために再びマルチチャンネルアンプシステムに取り組むことをお勧めするのです。 小林秀雄いうところの「歴史を取り戻す」取り組みの一つであることは間違いありません。

2009年9月記

https://www.audio-maestro.com/gleaners1.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1090.html#c7

[リバイバル3] 是枝アンプ 中川隆
8. 中川隆[-10732] koaQ7Jey 2020年10月21日 10:47:55 : ycHLX8xZDg : UXNKVlM3dUpybDY=[26]
About Audio Maestro The Gleaners(落ち穂拾い2)
https://www.audio-maestro.com/gleaners2.html


例年ラジオ技術誌の8月号にはいつもやや長めの駄文を書いていますが2004年8月号では青山電蓄などに触れています。 上記の記事と関係していますので御笑覧ください。そのまま転記しています。

ハイエンド映像趣味の現状
オーディオもそうかもしれませんが映像遊びも新しい試みは出来にくくなりました。 オーディオ以上にメーカに依存せざるを得ないビジュアル遊びでは新しいことはなかなか出来ないものです。
そんなことはないだろう、新製品のプロジエクタもテレビも映画音声用アンプも高画質DVDデコーダもたくさん出ているではないか、との声が聴こえてきそうですがそれはあくまで家電レベルの話です。 確かにそれは著しく改善されました。2〜30万でもそれなりに鑑賞に耐えるプロジェクタは売られています。
でも高精細と表示されていても画素数が横1280/縦720あたりでは実は全く駄目なのです。 それは直視型のテレビでも同様でハイビジョンが写ることとハイビジョンの情報を全部表示できることは異なるのです。 趣味としてのハイエンド映像では少なくともハイビジョン映像が真に必要とする1920×1080の表示が全画面領域であらゆる条件下で満足できることが必要ですが メーカはそんなことは口が裂けても言いません。いまでも本当のHiFi画質は大型三管VPでしか得られませんがその三管機がいよいよ無くなってきました。 世間一般での映像趣味はますます盛んになるでしょうがハイエンド映像趣味に適する機材はなくなりつつあるのです。  (そう書いた矢先にシャープがフルパネルの液晶テレビを出しました。 さすがであります、6/15日 追記)CRTが滅び行く昨今では新しい三管機の出現は絶望ですが機能的にいっても三管機でなければいけないことはまだあります。 たとえば球体に多数の画面をくまなく嵌めて、球面全体に一つの映像を投射する場合などは三管機でないと手も足もでないでしょう。 軍用/宇宙航空用途にまだ残っているのはそういうわけです。またメーカの設計とは異なる使い方を強いられる場合でも三管機の方が応用が効くものです。 比較的小ぶりの部屋に高精細な大画面となりますと他に選択肢はありません。

ミラー反射投影システムの実際
昨年の本欄でお話した芦屋のH邸の三管VPを使用したミラーシステムはほぼ1年掛かりましたが昨年末にやっと完成しました。
図1は一般的なVPとスクリーンの関係を上から見たもので図2はそれを横から見たものです。 床置きでも天吊りでも同じことですがミラーを入れることはその光路中に鏡を入れて折り曲げることでもあります。
図3がその概念図でありますがここで大事なことは光路の変更での基本は鏡一枚あたり必ず90度曲げであることです。 90度曲げであれば市販のVPの光学的設計をそのまま生かせるのでインストーラーレベルでもミラーシステムが構築できるのですが90度以外では様々な問題が噴出します。
図3を縦に書き直したものが図4ですが、御覧のようにVPを垂直に設置すると投影面は視聴者からみてかなり上に来てしまいます。これを大きく変更することはなかなか困難なことです。 90度から外れると左右の線が並行にならず台形状に歪み、また上下もピントが全面には結びません。上で合えば下が合わず下で合わせれば上が合わなくなるものです。 ミラーシステムが家庭で採用されないのはこのあたりを解決することが困難だからです。 ここでお気付きのように三管VPでの設置は普通は図1のようにオフセットしていて、スクリーンの真ん中の垂線上にCRTは来ていません。 これはVPを床や天上近くに置いた方が設置に便利なのでそうしているのですが、本来はCRTからまっすぐ延びた線の延長がスクリーンの中心と直交するのが望ましく 軍用や学術用の一部のものにはそういうものもあります。

さて図4で明らかのように光路を90度以上曲げないとスクリーンを下にはもって来れないわけでその場合には十分にティルト補正が効くVPが必要です。 ティルト補正とはスクリーン上下のフォーカスを中心と同じにするもので、これがないと角度をずらせた際にピントが合いません。

三管式では真ん中のレンズは正面から投影する限りは上下だけのティルト修正を考えればいいのですが左右のレンズはそれに加えて水平方向もティルト補正が必要になります。
スクリーンの位置を設計中心値から下げるとミラーの角度は水平に近づきますが折り曲げ角度はかなりきつくなります。つまり設計値から光軸がずれるわけです。 左右袖の垂直線も当然傾きますがこれは電気的に修正するので、その結果CRT蛍光面と実際のラスタ面にデリケートな相関関係が生じます。 ラスタはいかなる場合でもCRTの蛍光面に入っていなくてはならず、このあたりはPD値とも関係するので気が抜けません。
ティルト補正とはレンズとCRT管面の角度をずらす機能のことです。大型蛇腹カメラにはティルトにくわえてシフトが付いていて両方合わせてアオリ機能と言います。 シフト修正とはレンズとピント面を水平に移動させることですが寡聞にしてVPで付いているものは知りません。 4×5や8×10カメラではアオリを駆使することによって厳密な平行性を要する建築写真や商品写真を歪みなく写すことが出来ますがVPではレンズの水平移動はできません。 つまりはティルト機能だけでシフトは出来ませんがカメラにおいてのシフト補正効果はVPにおいては電気的に補正するわけです。
で問題は反射ミラーでこれも一眼レフのミラーと同じ条件が必要です。極度に正確な平面性を要しますしガラスの表面が反射面でないといけません。 そんなわけで普通の鏡は使えないのです。いま入手できるものは重量の関係でプラスチックの表面に金属を精密に蒸着したものですがやはり歪みのこないガラス素材が理想です。 エリートアンプロ社にレトロタイプVPシステム用の大型鏡がありましたのでこれを発注し、枠は精密板金工場に依頼しました。

さて設置や調整は機種ごとに専門的に細分化されたもので一般性はぜんぜんありませんからとくに触れませんが前述のように今回の工事は設置しないと判らない部分も多くて 正確なPD値やCD値(スクリーンとの垂直位置)は出たとこ勝負になりました。VPの光学的諸元が工事出荷位置のままでは床上2m近くに来るスクリーン位置は、 アオリを効かせると最終的に画面下端が床から55cmのところまで下げることが出来ましたしピントは全面で取れました。スクリーンへの入射光を効率良く視聴位置に反射するためと VP自体のイメージサークル(三つのCRTが写し出す合成最大円)の中に確実に画面を入れるためにスクリーンを交換し、最終的にビーム径を絞ってフォーカスが出たのは昨年末で、 最初の絵が出てからほぼ10ヶ月後でありました。これは素晴らしいフォーカス感で最初の絵とは雲泥であります。 クライアントのHさんは大手機械メーカの幹部設計者で、このあたりのことはずいぶんとサポートして戴きましたし機械設備の施工の難しさにも御経験の厚い方でしたのでとても楽しく面白い工事でした。

折角ですから今回痛感したミラー反射システムのカンドコロをお話しておきましょう。 それは、三管VPでは横に3本CRTレンズが並んでいますがスクリーンのどの位置からミラーを眺めても、ミラーのなかに3本とも余裕を持ってバランス良く見えていないといけないのです。 スクリーンの上下左右のどの端からもすべてが余裕を持って見えていることがとても重要です。 一部でも蹴られていると論外ですし余裕を持って見えていないとCRTレンズから出る光がミラー以外の部分に散っているわけで周辺部光量低下とコントラストに問題が出るようです。

フィールド電源での試み
さてHさんのスピーカはWEの555と4194を中心としたものです。もちろんフィールド型ですからエキサイター電源が必要になってきます。 これに関しては奥のふかい研究が多々なされていますから詳細な言及を避けたいのですがHさんのシステム用にAC-DCコンバータをつかって小型でたいそう格好のよいものを作りました。 云う迄もなく本来はタンガバルブを使うのが最良ですが将来に渡っての安定的な確保は困難でしょうし完成品として合理的かつスマートにまとめる自信はありませんでした。 HPあたりの実験用安定化電源で取りあえずは駆動できますし変なものを作るよりその方がいいものです。
でも励磁電源での音の差は驚くべきものがあることも事実で整流素子ひとつでも変わるものです。御承知のようにごく最近はスイッチング電源が大変良くなりました。ハイファイアンプに使用しても全く問題はないどころかむしろ良いものもございます。良い音のものは極めて限られますが今回はトラコパワー社のものを使いました。
さてフィールド型スピーカの場合はボイスコイルとフィールドコイルが磁気回路を介して結合しているので、あえて云えばこれはトランスの一次巻線と二次巻線の関係にも相当します。 それを上手く断ち切ることが良い音を得るためには必要でしょう。これをどう断ち切るかですが今回はフィールドコイルの電圧の数倍の電圧の電源を用意し、直列に抵抗をいれて所定の電圧を出しました。 いかにも安直ですが実はこれが一番よろしい。出力端には電圧計と電流計を入れて直読出来るようにしています。

四本並列システムのこと
さて私は、と云えばいろんなスピーカを手掛けていますがメインスピーカはやはりアキシオム80の四連装です。 (写真2)がそうなのですがこのスピーカのインピーダンスとQの特性を図5に示します。定電圧駆動と定電流駆動での傾向は変わらずインピーダンス変動もQの変動もたいへん滑らかで全く申し分ありません。 こんなにスムースな特性のスピーカも本当に珍しいでしょう。アキシオム80四連装の音の良さは筆舌に尽くし難いものがありますがその一端はずらされた音軸にあるのだと思います。 何度か実験した上での結論ですが80の複数使用では単純な縦配置でも横配置でもいけません。 軸が一点に集中するように少しずつ角度をずらしたこの配置が想像を遥かに超えるピュアでパワフルなエネルギー感をもたらすのでしょう。 感度の視点からも1.5Wの45シングルで今どきのハイエンドスピーカを1KWのアンプで鳴らすのと同じ音量が出ます。このあたり何度か作った2連装システムなどとは全く別物です。 良く知られているようにスピーカを2本並列に接続すると3dB音圧が上昇します。仮に1Wのアンプで鳴らして一本で97dBの音圧が出たとしますと二本で100dBになるわけです。 ただその2本の並べ方が大事で2本を近接して集中する場合でも単に並べただけとある程度の角度を持たせるのとでは相当異なるように思いました。
昔ジョーダンワッツのモジュールユニットを4本使用したシステムを実験したとき、縦でも横でも一列に並べると2本並列使用と比較してさほど能率が上昇したとは感じられず、 アテネータで1ノッチほどつまりは2dB程度であろうかと思いました。2本と4本では理論上は+3dBですからまあそんなものでしょう。 アキシオム80の二本並列は縦でも横でもさらには角度付き横並列もすべてためしていますが指定箱の角度付き横並びが一番鳴りっぷりは良かったようです。 スピーカが具合良く接近するので相互放射インピーダンス効果がよく働いて、そうなるのかとも感じました。指定箱の角度付き二本横並びと比べると普通の縦二本並列は2dBほど低いような感じがしました。 まあこれはあくまで印象ですし部屋でも変わるでしょう。
さて今回、4本を指定どおりの角度を付けて指定どおりに集中配置したところその効率の良さには腰を抜かすほど仰天しました。 正確な比較ではありませんがアテネータで5〜6ノッチほど絞らないと1本とおなじになりません。効率にして10〜12dBも上がったようです。 スピーカのこのあたりの理屈は良くわからないのですが4本を近接して、あたかも一点から出たように集中配置したときは放射インピーダンス以外の作用が働くのでしょうか。 箱鳴りの問題やアンプの特性も関係するわけですが不思議なことです。カエデの12mm薄板で作りましたから確かに箱は鳴ります。 でも2本では高域が明らかに減衰して聴こえますが4本使用では1本の時よりも更に延びて聴こえますので箱鳴りでは説明がつきにくいのです。
理論とはぜんぜん合いませんが12dB上昇だとするとこのスピーカシステムの効率は110dB程度になります。 でもWE-555に段ボールで大きなメガホンを作って仮に付けたシステムと効率はさほど変わりませんし極めて明解な音は全く不思議と云うほかなく、納得できる理由は思いあたりません。

オーディオマニアからみた青山二郎の電蓄と小林秀雄の「モオツアルト」
2003年は小林秀雄生誕100年で、様々な書物が出ました。 昔から思い出したようには読んでいましたが50歳を過ぎて読むと以前とは受け止め方が全く異なることに気がつきました。どうしてでしょうか。小林は常に現代を語っているように思えてなりません。
さて最近になって新潮社から小林秀雄の様々な講演を入れたCDが出ています。 かつて鎌倉の華正楼で五味康祐が聞き手となった音楽談義があり、ステレオサウンド創刊まもない第2号でそれが巻頭を飾ったことがございました。 1987年になってステレオサウンド社からそれがカセットで刊行され、そして今回は五味さん抜きですがCDとなって店頭に並んでいます。でもCDでの五味抜きの構成はおもしろくありません。 あの五味の小林に対する畏敬と恭順の態度には単に文壇での立場を超えたものがあり、尽きせぬ興味が湧くものです。
:知の巨人:小林秀雄の主たる業績や足跡は私には理解の範囲外でありますが美術論/音楽論に限っては喰い付くことが何とか可能です。 オーディオ論は昭和33年に書いた「蓄音機」などがそれに相当します。 これはその後のオーディオ評論に多大な影響を与えた節がありますし30サイクルの音の再生に執着した五味康祐を親しみと愛情を込めて揶揄していて、たいそう面白い読み物であります。 蛇足ながら「柳生十兵衛の作者のところへ、柳生十兵衛みたいな男が現れ、、、、」との箇所での「みたいな男」とはあのTさんでしょう。
小林がオーディオに対して長いキャリアと恐るべき慧眼を有していることは「蓄音機」に限らずその後の五味との音楽談義でも明らかです。 俯瞰的立場での核心を突く卓見は瀬川、五味といえどもとても及びません。 すでに「蓄音機」で小林はハイファイオーディオ趣味の隆盛とその帰結としての滅亡に至るプロセスを明解に予言しているのですから。

昨年に出た白州信哉(編)の本に小林の最後の頃のステレオ装置が載っていてさすがと思ったものです。 それは以下の構成でした。スピーカは不明ですが、アンプはQUAD22+QUAD、ターンテーブル/ガラード301、カートリッジ/EMT、アーム/たぶんドイツオルトフォン製EMT、であり、 それがさり気なく組み合わさって置かれていました。

小林の名著に御存知の「モオツアルト」がありますがそれを書き始めたのは太平洋戦争が始まった頃です。戦争中を通して折々書いて戦後間もなく上梓されたのです。 一つのまとまった形にはなっていますがそれぞれの時期のそれぞれの思いが複雑にからみ合っています。 あれを読むと小林は理性や理屈で音楽を聴いていたのでは無く、自らの感性を研ぎ澄まし、時に飛躍させて聴いていたのではと思います。 新訂第八巻での江藤淳の指摘の通りこれは詩であって音楽なのでしょう。でも私はむかしからあの時代になぜあのようなモーツアルト論を書くことが出来たのか不思議だったのです。 モーツアルトに限らず日本で演奏される西洋音楽は今日とは異なって想像を絶するほど乏しく劣悪なレベルであったであろうし普通の蓄音機で聴くことができる音の範囲では あのような感性の飛翔ができるとは信じ難かったのです。要するにわたくしは古びた安物の蓄音機で「モーツアルトのポリフォニイが威嚇するように」鳴るかどうかを疑っていたのでした。

すでにお読みになられた方も多々おられると思いますが、その疑問に対する解答は白州正子の「いまなぜ青山二郎なのか」(新潮文庫)と云う本で得られます。そこにはこう記されています。
;林秀雄(小林ではない)の『青山二郎略年譜』によると「昭和17年41歳、五月、小林秀雄、青山宅でモオツアルトをきき感動』としてあるが、この青山宅がどこであったか不明である。  中略  その頃彼は音楽に凝っており、ステレオが発明されるずっと以前に、高音と低音の蓄音機を部屋に置き、拡声器を何ケ所かに据えて、終日聞き惚れていたというのは有名な話である。 小林さんが『モオツアルト』を書いたのは、それから四年後のことであるが、本質的なところでジイちゃんとは、深く関わっていたのである。:

「モオツアルト」を書く直接の切っ掛けとなったその出来事は冬の道頓堀にあったのではなく昭和17年5月のある友人宅の蓄音機の音にあったことは明らかですがそれがどの友人のどんな装置か 全くもって不明でありました。でも「今なぜ青山二郎なのか」を読むと小林がモーツアルトを聴いて感動した装置は青山のものだとわかります。 それが比類なき美意識をもって知られる希代の好事家で、小林にとっても骨董道の大先達である青山二郎が一時期熱中したハイファイ電蓄システムであれば相応の音を出していたに相違なく、 ;決して正確な音を出したがらぬ古びた安物の蓄音機;でその感動を得たのではないことがわかります。 私にとってこれはたいへん大事なことでこれを読んで積年に渡る謎がまたひとつ解けた思いになりました。 白州の言では青山の電蓄のことは有名な話だそうですが迂闊なことにそれまでぜんぜん知りませんでした。 これを読んでわたくしは飛び上がるほどびっくりしたものですが驚く方がやはり不勉強なのでしょう。
白州正子の文章は技術の枝葉に疎い女性のお書きになられたものですから装置の正確な表現には欠けていますが、要するに青山は昭和17年にはマルチウエイのスピーカを、 ステレオ装置のごとく部屋のあちこちに並べて聴いていたのでしょう。または各部屋にスピーカを置いてそこまで線を延ばしていたのかもしれません。 でも当時は5分勝負のSPですからその可能性は無いと私は思います。 スピーカをたくさん並べていただけなのかも知れませんがステレオの発明される以前と言う表現を素直に受け取るとそれらをいっぺんに鳴らしていたと思われます。

三十年前には高橋悠治の「モオツアルト」批判があり、彼は「愛情を持った批判者」とは言えませんがそれなりに傾聴すべき点はあります。 でもこれを含めて後世の論評には知る限りでは青山の電蓄の存在は出ていないようです。全然気が付かなかったのか、知っていても如何に大事なことかが判らないので無視したのか、そのいずれかです。
昨年出版された小林特集本にはこれらの視点を欠いた「モオツアルト」批判がありました。私は「モオツアルト」、「ゴッホの手紙」の序文、「蓄音機」の三部作はそれこそ三位一体を為すものと思いますが その筆者は引用した文献の初出に関する記述から重要な「ゴッホの手紙」はお読みになられていない可能性があると思いました。 むろん小林の絵画や骨董趣味に与えた青山の極めて大きな影響は一顧だにされていないようでした。 総じて音楽の視点からの小林批判では表裏一体であるはずの近代絵画論はすっぽり抜け落ちていて近視眼的な浅さが気になります。

「モオツアルト」をオーディオ的に読むと「疾走する悲しみ」ではなく「威嚇するポリフォニイ」こそ重要であることが判ります。 「海が黒くなり、空が茜色に染まる」ようには鳴らないからこそ小林はそう表現し挑発したのではありませんか。 そんなことを重大視するのはオーディオマニアだけさ、という声がきこえてきそうですがわたくしはそうは思いません。 「僅かばかりのレコオドに僅かばかりのスコア、それに、決して正確な音を出したがらぬ古びた安物の蓄音機、---何を不服を言うことがあろう。 例えば海が黒くなり、空が茜色に染まるごとに、モオツアルトのポリフォニイが威嚇する様に鳴るならば。」、、、昭和17年5月のある朝、青山の電蓄はまさしくそう鳴ったのではありませんか。 そのとき実際に小林が眼にしていたのも吹き荒ぶ風、無気味な空、荒れ狂う波だったかも知れません。 でもその天変の光景に拮抗するに足る音を青山のスーパー電蓄が鳴らしていたのもまた事実でありましょう。 モーツアルトの音楽を抉る衝撃的なその音は天啓として長く小林の「脳味噌」に残り、昭和21年5月の御母堂の死の悲しさと同調し、それを遡る20年前の過去の音楽的記憶と同期して 疾走したのではありませんか。

疾走したのはモーツアルトの音楽であり小林の記憶でもあったわけで、あの朝の劇的なシチュエーションでの青山の電蓄の鮮烈な音の記憶が触媒になったはずです。 五味との音楽談義で発した「蓄音機の音もたった一回の歴史的事件だ」との言葉も青山の電蓄を踏まえると言い様のない重みがあるものです。凄い一言であります。

戦前の雑誌を見ると、ことアンプに関する限り45や2A3や50がロフチン回路やトランス結合さらには凝ったCR結合で使われていて今となんら変わるところはありません。 私はむろん戦後生まれですが戦前になかったものはケータイとデジカメくらいで大画面ビデオプロジェクタも1943年には既にありました。

でもマルチウエイのスピーカを多数個分散配置で鳴らしていたとすれば驚きですが文献で知る限りの天才青山でしたらあり得ない話ではありません。 太平洋戦争が始まった頃に「低音や高音の拡声器を何ケ所かに置いた装置」と言えば今様にいえば超ハイエンドシステムであるでしょう。
生そのままに鳴るという今の機械ならともかく戦前のSP装置で音楽の本質など判るか、と云う人もいるでしょう。オーディオに無縁の人はそう思っていても不思議ではありません。 でも論より証拠、21世紀の今日、一部の超マニアは大金を投じて大戦前の装置に回帰し大戦前のレコードを求めているではありませんか。
小林は46年前にこうも書いています、「それよりも、そういうレコードフアンの天国を、はっきりと思い描き、そうなればどう言うことになるかを考えてみた方がよい。 私達は、元の黙阿彌になるだろう。歴史と言うものを全滅させたハイファイシステムを前にして、私達は、何処で歴史を取り戻すのかがはっきりするであろう」と。 その予言は恐ろしいまでに見事に適中しているのでありますが、なってしまったものは仕方ありません。 歴史の歯車はどうにも出来ないものです。でもあの「モオツアルト」が一台の電蓄の音の啓示によってもたらされたものとしたら、やはりオーディオには一生をかけて取り組む価値がある、と言うべきです。

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