1. 中川隆[-13691] koaQ7Jey 2020年2月20日 10:36:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-223]
差別されるセックスワーカーの悲哀を見てきた
タイは寛容な国として知られているのだが、この国には差別がないのか。
タイ人はとても柔軟で、誰でも受け入れる包容力があって、流れ者にはとても居心地が良い。あまりの優しさと包容力の深さに、抜け出せなくなるような安心感が社会にある。
しかし、このタイでも差別意識はある。私は売春に従事する膨大な女性に出会ってきたが、彼女たちはそのビジネス故に、そして貧しさ故にあまり良く思われていないのは、部外者である私も徐々に知るようになった。
タイは階層社会だ。上流階級と貧困階級はまったく違う世界に生きている。その中で夜の女というのは、最底辺のそのまた下のクラスに見られているというのは、一緒にいる私でさえも肌感覚で分かるようになった。
そしてタイは学歴社会でもある。学歴のある人間とない人間の差はあまりにも明確に線引きされており、学歴のない人間はどれだけ有能でも出世できないという社会でもある。
現在のシンガポールは多民族国家だが、それでは差別がなかったのだろうか。私はあるスリランカ女性が好きになって、彼女としばらく一緒にいたことがある。
(ブラックアジア:リーパ。ゲイランの街に立つ女の凶悪な目付きに惹かれた)
https://blackasia.net/?p=3262
ところが、私の泊まっていたホテルの中国系シンガポール人は、彼女のことを「ダーティー・ブラック・スキン」の女だと言って侮蔑した。「薄汚い黒い肌の女」だというのである。
そして、「そんな女をこのホテルに連れ込むな」と私に言い放った。客の私にそのようなことを言い放つのだから、その差別感情に私はショックを受けるしかなかった。
カンボジアではどうだったか。カンボジア人は昔から激しい差別感情をベトナム人に持っているのは有名な話だ。
そのカンボジアの売春地帯では、貧しいベトナム女性が大量に売られて売春していたのだが、それがまたベトナム人差別を増長させていた。
私が売春で生きているベトナム女性と一緒にプノンペンの街を歩いていたら、あるカンボジア人の老人が彼女にツバを吐きかけた。街を歩いているだけの女性に向かって、ツバを吐くという行為にその拒絶感の強さが窺い知れた。
理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった
貧しいというのは差別につながる。売春ビジネスもまた差別につながる。だから貧しいセックスワーカーが置かれている立場というのは、どこの国でも激しい差別の渦の中にある。
バングラデシュでも貧しいセックスワーカーは激しい差別の中にあって、彼女たちが病気になっても医者は診察を拒絶し、彼女たちが死んでも葬儀屋は葬儀を拒み、共同墓地での埋葬すらも断られる。
スリランカで私が売春する貧しい女性と一緒に店に入ったら、私たちの目の前にいたテーブルのスリランカ人は彼女を見て途中で席を立って消えていった。
普通のスリランカ人が彼女を見る侮蔑の表情、そして一緒にいる私に対する嫌悪の表情はとても深い断絶に思えた。スリランカ社会が彼女を見る「冷たい目」はすべて真実である。恐ろしほどの冷たさであった。
彼女たちは、そういった拒絶感を朝から晩まで受けている。どこの国に行っても、私が好きになった夜の女たちの99%は社会から嫌われ差別されていた。
理解? 配慮? そんなものはどこにもなかった。ある時は陰湿に、ある時は露骨に、差別感情がそこに見出された。それが現実だ。
アジアの底辺で、社会から拒絶されながら生きている女性たちの姿を見て感じたのは、人間は「違い」に対する拒絶感をどうしても克服できないという冷徹な現実だったのである。
人は多様であり、人種も、人生も、考え方も、非常に大きな違いが存在する。その「違い」の中に対立や拒否感が生まれると、それが差別という感情になって育っていく。どうあがいても、人間はそこから逃れられない。
この「違いを排除する」という人間社会にある感情は、やがては深い対立を生み出すことになる。現代社会はこの感情を消す処方箋を持っていない。
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