1. 中川隆[-10925] koaQ7Jey 2019年4月05日 11:31:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1103]
日本の官僚やアメリカへの留学生はこういう手口でアメリカのエージェントにされる
2. 外務官僚 小和田雅子の場合
知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけた(?)小和田雅子の正体
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
雅子様の学歴ロンダリング
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
雅子様の子弟枠を使ったインチキ外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93
▲△▽▼
雅子様の優秀伝説 まとめ
雅子さまは元々何もできないアホ女だったんだよ、学歴も全部インチキだったしね:
田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。
アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達への
インタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。
東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。
華々しくエリート外交官なんて報道されたが実際はただの外務省職員。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。
職場でのあだ名はコピー番長。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に不倫の噂多数有り。
中国系学生と半同棲、トップレスの写真も存在する。
結婚一歩手前の日本人もいた。
浩宮の妃内定なるとダイアナ妃も受けたブライダルチェックを頑なに拒否。
つまり処女ではなかったと言うこと。一方の浩宮は。。
雅子は、デンフタに何度も落ちたくらい頭がよくない。面接で「妹がうかったのにこの子だけ」と、優美子が泣いて見せ、お情けでいれてもらったのは有名な話。しかしながら、面接で母親が泣いてみせて同情で受かるほど御受験は甘くはないはず。裏では人と結構なお金が動いたんじゃないのかと疑惑がのこる。
・雅子の成績はどこに行っても常にボーダ―ラインだった可能性が高い。学力も知恵遅れの徳仁と変わらないレベルで、とてもとても「日本一の御優秀な女性」にはなれなかった。
英語も話せない雅子様
・渡米し、レベルの低い公立高校に転入した雅子。しかし成績は悪かった。
・雅子のあだ名は「ブレイン」。頭でっかちといういみではなく、ノータリンという意味にちかいそうな。
・雅子を大学に入学させるため、父の恒をアメリカ大学の教授にしてもらう。このとき、某財閥の金が動いたといわれているが、真偽は不明。
・大学は父のコネで「無試験で」女子大に入学。後年、その大学がハーバート大に吸収されたため、「ハーバート大卒業の雅子様」とのデマに利用した。
・卒業論文は、父のコネで要人にインタビューしたものをまとめたもの。しかし、優は取れず。
・雅子は中国系アメリカ人デビット・カオと同棲。また、白人男性と付き合っていたというリークもある。カオ氏に、トップレス写真を撮られる。後日、カオ氏は写真を宮内庁に買い取らせようとしたらしいが、そのせいなのか、偶然なのか、ギャングに殺されてしまう。
・大学を卒業した雅子は、東大に「無試験で」編入したものの、ひとつも単位をとれず。
・雅子を外務省にいれるため、小和田恒を外務省の次官にする。
・雅子は父のコネで子弟枠で「無試験で」外務省に入省。外交官試験には合格できなかったとのリークあり。最初から雅子は、雑用用の事務員としての入省だったのではないのか。
マスコミ、週刊誌をつかって雅子を売りだし開始
・マスコミには、しつこく皇太子妃候補に雅子の名前が挙がる。
・「運命の出会い・スペインのエレナ王女のパーティー」の招待客名簿には、鉛筆で小和田雅子の名前が書き加えられていた。本来なら呼ばれなかった客だった可能性が高い。なんらかの圧力が直前までかかったと思われる。
・さらに、「運命の出会い・スペイン王女エレナ王女のパーティー」の数年前に、皇太子と雅子はコルマールで同宿している。
・父のコネで外務省から英国に国費留学。雅子一人だけ修士をとれず帰国。留学中、越智孝雄なる福田の甥と交際しており、結局、婚約まで進むが、雅子が皇太子妃になれそうな卦がでてきたので、破棄された。
・外務省では仕事が出来なくて有名だった雅子。菓子パンを買い占め、出来る仕事はコピー取り。通訳すらできない雅子のついたあだ名は「コピー番長」。
・有名人のおっかけもしていたらしい。
雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。
本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。
・社内では上司と不倫をし、参事官になった上司は中東で不審死をした。あの時期あの場所で、実弾にあたるのは考えられないという。
雅子様が体調・及び精神のバランスを崩されて、ご静養されていますが、それは2003年に起きた、イラクでの奥克彦参事官がゲリラに殺害されたのが、引き金と聞きました。
奥参事官の殺害は、ゲリラではなく、米軍の誤射ではなかろうかとされています。
乗っていた車はすぐに米軍が押さえ、日本に返されたのは、かなり時間が経過した後でした。
そのため、誤射どころではなく、狙い撃ちだったのではなかろうかとの憶測まで流れたものです。
宮内庁は、徳仁皇太子と久邇晃子さんとの婚約を内々に内定。あとは発表だけという段階に。
・しかし、旧宮家の本物の姫が嫁になることを嫌った美智子が、自分と似たような出自の小和田雅子を徳仁の嫁にするよう協力する。
・美智子と組んだ小和田側は、アメリカのマスコミに「皇太子妃に小和田雅子」の一報を流して出し抜くことに成功。これも美智子の時のマネ。まんまと皇太子の妻にするのに成功。
お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?
誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
要するに、知恵遅れの皇太子をハニートラップにかけて、生きていると都合が悪い恋人には事故死してもらって皇太子と結婚した可能性が高い
しかし、知恵遅れの二人が野合して餓鬼作ったらやっぱり知恵遅れの餓鬼しか生まれないんだよな
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asd********さん 2013/10/21 5:18:02
雅子様って実際、学力あるんでしょうか?
記事で雅子様の学歴は、お父様の小和田恆さんによるものが
大きいと見たのですが。
でも、お父さんの力で裏口入学はできても
外務公務員採用I種試験には学力がなければ合格しないのでは?
ベストアンサーに選ばれた回答
sai********さん 2013/10/22 2:00:15
田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。
アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。
東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。
だそうです。
私の従兄弟でも帰国子女枠で東大に入りその後父親のコネで某政府機関に入った者がいますが、特別に優秀ではありません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114349020
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2010年10月 8日
雅子さんという人121
雅子妃殿下、外務省時代は通訳にも使えなかった。
本当の通訳を後ろに用意して、雅子さんを全面に出して、いかにも
雅子さんが通訳している様なフォトオプを父親が用意させた。
小和田恒氏と大鳳会は、この写真を皇室入内宣伝に使い、メディアに流した。
同じ時期、外務省の天下り外郭団体「国際交流基金」に勤めていた高円宮が、外務省・大鳳会の意向を受けて、国際交流イベントに外務省から雅子さんを抜擢して出席させ、皇太子の位置の近くに配置して、皇太子の目に止まる様に仕向けた。
雅子さんの皇室入りは、大鳳会と国際交流基金、雅子さんのエセ通訳写真、創価学会を通じての女性週刊誌利用、高円宮のフル利用などによって計画的に進行された。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-9f6b.html
2010年10月 1日
雅子さんという人118
お后教育の時、雅子さんは 「天照大神」 「日本武尊」を
「テンテルダイジン」 「ニッポンブソン」と読んだそうな。
講師が早々に教育をやめたのは馬鹿すぎてお手上げだったから?
誰だよ、こんなのを皇室に入れたのは?
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-34e7.html
2013年4月16日
雅子さんの父親の小和田恒という人。
外務官僚や国際司法裁判所の判事を務める等、経歴や学歴は誠に立派だが、実際には社民党の党首、土井たか子(帰化朝鮮人)と共に土下座外交を日本の外交に定着させた創価学会員の売国奴。
外交機密費の使い込み疑惑もあったが、雅子の皇太子妃決定で疑惑追及は立ち消えになった。
現在も外務省内に大きな影響力を持っているといわれている。
外務省には大鳳会と呼ばれる創価学会の売国グループが存在している。
http://verde419.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-eb76.html
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2018年12月09日
アメリカの有名大学では金で合格を買える
太子党子弟は無試験でアメリカ名門校に入学し、4年間遊びまわって卒業している
金で入学枠を売る名門校
日本の医学部入試で男子を優遇し女子を厳しくしていたニュースで、不思議なことに欧米から批判されませんでした。
いつもの”日本たたき”のパターンでは埋めてあった骨を見つけたシェパードのように吠えまくるのに、沈黙したままだった。
それもその筈でアメリカを始め「一流大学」とされる大学ほどコネ入学や裏口入学が横行しています。
アメリカの最高峰はハーバード、イギリスはケンブリッジ大だがどちらも試験より人物本位で入学者を選考している。
人物本位というと聞こえは良いが教授や学長の推薦や、有力者のコネが効くのです。
特に悪質なのがアメリカのハーバード大学で、一般の受験生とは別に「金を払えば入学できる」枠が存在している。
数年前中国で太子党事件というのがあり、共産党幹部の子弟たちが無試験でアメリカの超名門校に入学しました。
彼らは入学してからも勉強せず、毎日パーティや豪遊に明け暮れて高級車を乗り回し、その様子をSNSで自慢しました。
中国からは欧米のSNSを見れないが、さすがに本国でも話題になり批判が強まった。
太子党は江沢民や毛沢東や習近平など有力者の子弟や縁者で、帰国すれば共産党幹部になるのが決まっている。
噂では大学に莫大な寄付をしていて、アメリカの名門校は金で入学枠を販売している。
金のない一般の受験者は彼らの枠の分だけ合格者が減るので、なおさら狭き門となっている。
富裕層の子供は受験せず入学できる
同じハーバード大学卒と言っても、掛け算すらできない人間も居れば本当の天才もいる。
大富豪が大学に寄付する金額は数億円から数百億円にも達し、高額寄付者の縁者は推薦入学できる。
ナイキの創業者はオレゴン大学に5億ドル(約560億円)を寄付したが、もし彼の息子や孫が受験したら大学は不合格にできるだろうか?
驚くのはアメリカではこれが合法なことで、みんな知っているし堂々とやっている。
英誌「エコノミスト」米経済紙「フォーブス」などでもコネで入学できると指摘されているが、悪びれもせず続けている。
アメリカには共通一次試験がなく、入学試験そのものも必ずやる義務はない。
ハーバード大学は約4兆円もの資産を持っているが、こうした入学枠の販売は美味しいビジネスになっている。
さらに美味しいのは大学への寄付金が非課税になる点で、寄付した金額の最大50%が富裕層の所得から控除される。
例えばハーバードに10億円を寄付すると、バカ息子をエリート大学に入学できるうえに、所得から5億円を控除され節税になる。
アメリカにはこうした裏口(合法なので表口だが)仲介業者もあり、巨大ビジネスになっている。
有名な例では映画監督のスティーブン・スピルバーグの娘を入学させたデューク大で、願書の締め切りを過ぎていたのに入学させた。
もちろん無試験のうえに大学理事がスピルバーグの自宅まで出向いて「面接」をしている。
こうした例は枚挙にいとまがないほどあるので、日本の大学で男子を優遇したくらいでは「なんで問題になるのか?」という認識でしかない。
http://www.thutmosev.com/archives/78373072.html
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中国共産党の幹部の子弟がみんなアメリカ、カナダに留学する理由
2018.12.13
ソフトバンク通信障害B アリババ=江沢民=ゴールドマン・サックス
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html
さて、昨日スパイ会社ファーウェイの幹部が釈放されたそうです。
保釈金は8億だったとか。
保釈と言っても足首にGPS信号をつけさせられての保釈のようです。
そりゃスパイされまくったら困りますからね。
中国の報復の以下、カナダ元外交官を拘束が効いたのでしょうか。
中国というのはやることがエゲツない。
ちなみにこのファーウェイの幹部、孟晩舟さんがカナダで捕まった場所はバンクーバーです。
バンクーバーと言えば中国共産党の子弟が大挙して留学してる場所です。
他に、中国人留学生が多いのはアメリカのカリフォルニア州です。
知らないかもしれませんが、中国共産党の幹部の子弟達は大挙してアメリカ、カナダに留学してるのですね。
その数約100万人。
だいたい習近平の娘ですらハーバードに留学してるのですから。
それで10月に、トランプさんは中国の留学生はほとんどスパイだ!
と言ったのですたね。
中国、米国留学禁止を通達…米中貿易摩擦で米国による人質化を懸念、機密情報が中国に流出か
「Gettyimages」より
中国共産党指導部はこのほど、トランプ米大統領が「米国に来るほとんどすべての学生はスパイだ」との内容の発言を行ったことを受けて、北京や地方の党・政府組織に対して、「幹部子弟の米国留学の禁止および留学中の幹部子弟の年内帰国に関する通達」と題する内部文書を伝えたことが明らかになった。
米中貿易摩擦が激化し、両国関係が日増しに悪化するなか、党政府幹部子弟が「人質」化することや、 スパイの嫌疑をかけられて拘留されることなどを危惧するとともに、留学費用などで米国を経済的に利することを嫌ったためとみられる。
●留学生による機密情報の国外流出を懸念
米国国務省教育文化局などの調査によると、昨年6月末現在、米国の中国人留学生は前年比6.8%増の約35万人で、11年連続で増加中だ。
2016-2017年度における米国の大学の留学生数は前年比3.4%増の107万8800人だが、そのうち中国大陸部からの留学生の比率は32.5%を占めており、大半は中国における特権階級である党幹部の子弟とみられる。
同筋は「習近平国家主席の一人娘の習明沢さんがハーバード大学に留学していたのは有名だ。
で、昨日のジャック・マーさんの続きですが。
ジャック・マーさんは英語教師ですから、通訳としてアメリカに渡ってたのですね。
1995年。ジャック・マーさんはアメリカでヒントを得て、中国初の中国版イエローページを開設した。
それがアリババの始まりです。
で、ジャック・マーさんは留学中のあの江沢民のお孫さん江志成(こうしせい)さんと仲良しだったのですた。
以下が江志成(こうしせい)さんです。
確かに江沢民に似てる。
江志成さんは、2010年にハーバード大を卒業後、ゴールドマン・サックスで勤務していました。
ちなみに、父親の江綿恒さんもゴールドマン・サックスの幹部です。
で、その後、江志成さんは、香港で博裕キャピタルを設立しました。
ここには香港最大の金持ちの李嘉誠(リー・カシン)も出資した。
アリババにはこの江志成さんの博裕キャピタルが出資したのですた。
ちなみに共産党の常任委員劉雲山の子の国開キャピタルも出資しました。
つまり、ソフトバンクの孫さんがどこの馬の骨とも分からない英語教師の熱意にほだされて20億をポンと出資した。
という訳は全然なく。
ゴールドマン・サックス一派=江沢民が裏にいる。
同じ仲間だから20億をポンと出したのですた。
それにしても、なぜ中国共産党幹部の子弟がこんなにもアメリカに留学してるのでしょうか。
その理由が以下です。
中国高官たちはアメリカ移住がお好き 経済界
さて、中国高官(党・政府・国有企業で高位の人たち)や中国人大富豪は住みにくい中国大陸を捨て、移住先として、北米、特に、アメリカを目指す。 前者は、他の国・地域へ逃亡した人数を含め、計約1万8000人も及ぶという。
後者は、しばしば中国高官と関係が深い。
アリババ(阿里巴巴)のジャック・マー(馬雲)はその好例で、江沢民の孫、江志成、温家宝前首相の子、温雲松らに近いと言われる。
中国では政権が交代したら、その途端、今までの政策が一挙に変わることがある。
だから、中国高官らの地位・財産はもろくて危うい。また、大気・水・土壌・食品等の環境問題も深刻である。
そこで、中国高官や中国人大富豪は巨額のカネを入手した暁には、真っ先にアメリカへの移住を考える。
そのやり方は、
@弟を当地へ留学させる。
A愛人を当地の「愛人村」に住まわせる。
B妻が妊娠したら、当地の「出産センター」(「妊婦村」ともいう)へ送り、当地で子供を産ませる、などが考えられる。将来、自分と家族・親戚一同が移住するためである。
第1に、もし子供が米国籍を取得すれば、その両親は米国へ移住しやすい。
例えば、習近平は、彭麗媛との間の娘、習明沢を米ハーバード大学へ留学させている(2012年秋、習近平が総書記になる直前、明沢は帰国したと伝えられたが、実際は、大学卒業まで米国に滞在したようである)。また、李克強首相も娘を米国へ留学させていた。このように、党最高幹部子弟の大半が米留学している。
第2に、「愛人村」で有名なのは、米カリフォルニア州ロサンジェルス郊外のローランドハイツだろう(カナダではバンクーバー郊外にも同じような「愛人村」が存在する)。
中国高官らは、米国の永住権取得目的で豪邸を購入する。そして、愛人に財産管理をさせ、いざという時には、そこへ逃亡する算段である。 近年、中国では、愛人生活を送る若い中国人女性の暮らしぶりを描いた、薛曉?監督、湯唯主演の「北京遇上西雅図(Finding Mr.Right)」(邦題「北京ロマンinシアトル」)が人気を博した。
第3に、中国高官や中国人大富豪は、妻が妊娠して臨月間近になったら、旅行と見せかけて米国へ送り込む。そして、ロサンジェルスやニューヨークなどの大都市にある、中国人医師・看護師の待つ「出産センター」で子供を産ませる。出生地主義の米国では、その子供は必ず米国籍が取得できる。当然、その親も将来、米国籍を取得する権利が生じる。
中国共産党は、少なくても表向きは、アメリカを“敵視”している。同時に、共産党は、西側の価値観(自由や民主主義等)を明確に否定している。だが一方では、自分や家族・親戚が米国移住するための準備を着々と整えている。日本人には、この中国人の“現実主義的な考え方”がよく理解できないかもしれない。
ただ、習近平政権が誕生してから、「キツネ狩り」と称し、捜査官を米国へ派遣し、汚職高官を摘発、逮捕するよう努めている。しかし、現時点では、米中間に犯人引き渡し条約がない。中国共産党はオバマ政権に汚職高官の「ブラックリスト」を渡しているというが、その引き渡しに関しては、米国の高度な政治的判断がまたれる。
これも酷い。
日本で例えるなら自民党の幹部の子息、子女がみーんな米国留学してるってことです。
共産党の中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学とあります。
同紙は中国の特権階級が米国へ押し寄せる現象を「中国人の米国教育への憧れ」と指摘した。米国留学する中国人学生は過去15年で4倍に急増。中でも共産党高級幹部の子供たちは州立大など公立校へは行かず、ハーバード大など学費の高い有名私立大を目指すのが一般的。党の最高意思決定期間である中央政治局の常務委員9人のうち、少なくとも5人の子や孫が米国留学しているという。
過去の党最高指導者のうち、趙紫陽元総書記、江沢民前国家主席の孫がハーバード大に留学。留学費用の出所について唯一公開しているのは、先日失脚した薄煕来(ボー・シーライ)前重慶市党委員会書記の息子。薄前書記の正式年収は2万ドル(約160万円)足らずなのに対し、ハーバード大の学費は年約7万ドル(約560万円)だが、「奨学金と母親の貯蓄でまかなっている」と説明している。
さらに、次期最高指導者に決まっている習近平(シー・ジンピン)国家副主席の娘もハーバード大に留学中。中には仏パリで社交界デビューした高級幹部の娘もおり、世間からは「口では米国をののしりながら、子供は米国の奴隷になっている」と痛烈な批判も出ている。(翻訳・編集/AA)
まぁ、とにかくファーウェイ幹部がタイーホされ、ソフトバンクが通信障害になる。
同時期にフランスでデモが激化する。
それは中国子弟の留学組が作ったIT企業=アジアのロスチャイルド別動隊がやられてる。
経緯を知ればぜーんぶつながってると分かるというものでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-softbank-alibaba3.html
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2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。
学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。
学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう
語学力 日本語が不自由
帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした
音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。
クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、
言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。
テレビ朝日 スーパーモーニング
工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」
しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。
語学力 英語が不自由
雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。
本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。
ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。
日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、
英語では、Autographs。
signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。
音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。
2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。
※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。
http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
マサグリッシュとは、
雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が
“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。
『English Journal』2008年11月号
Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら
「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」
と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。
804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。
804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。
『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg
Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より
A Royal Stir(やんごとなき珍事)
2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら
But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.
アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」
略
マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった
…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。
転載以上
雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」
・signサイン 書類にする署名
・autograph 署名、(有名人の)サイン
ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。
語学力 ロシア語・フランス語は問題外
釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。
ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。
雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??
雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ
・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。
・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。
・高校2年生のとき、親とともに渡米。
この渡米も退学も意味が不明だとか。
大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。
アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。
紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。
アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。
双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。
ハーバート大卒
実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。
しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。
卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。
東大
面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。
外務省入省
父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。
省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。
当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。
ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。
レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。
2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。
オックスフォード大
外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。
毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。
この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。
もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
知られざる高円宮家の真実 狙われた皇室
高円宮憲仁親王とワールドメイト
ワールドメイトという団体。神道をベースにした新興宗教らしい。
規模は小さく、表立って大きな問題を起こした事はないがこの団体はかなりあやしい。この団体に所属すると霊体のおでこ?に菊のご紋が現れるらしい。神霊界の皇族?となるとのこと。(知人からの受け売り)とにかく、あやしい。
新興宗教を信じるのも所属するのも個々の自由。
その是非をここでとやかく言うつもりはない。
許せないのは、紀子様の悪口を言いふらしていること。
知人が洗脳されている。
得意げに「紀子が…」と呼び捨てにし、ののしっている目は逝っている。そしてしめくくりは雅子さまおかわいそう。最終しめくくりはF先生は明治天皇の生まれ変わり(だからF氏のいうことに間違いはないということらしい)??………
F氏は、雅子さんが流産された時に、紀子様の親族が稲荷信仰をしていて呪いをかけたと言ったという。紀子様が御懐妊された今、組織ぐるみで紀子様の悪口を言っている。
同じようなことはもっと巨大な某宗教団体でもやっている。しかももっと巧妙な手口で紀子様や秋篠宮家の悪口を広めているとの事。どう考えても、皇室という組織に順応し、祭祀を真摯にこなしているのは紀子様の方。その方がなぜ誹られなければならないのか。今の東宮夫妻はおかしな勢力に利用されやすそうな危うさがあり、その結果、皇室が破壊されるのではないかと心配。
F氏は故高円宮殿下の知り合い。
高円宮殿下は生前紀子さまの悪口を言っていた。
高円宮殿下は外務省の外郭団体勤務。
外務省と言えばあの父娘。そっちにつながるのか。
2006-07-07
紀子様の悪口や根拠のないうわさ話を撒き散らしている集団は他にも○○学会があるが あちらは、皇室を破壊したいという目的が見えているがワールドメイトの目的は…一体何なのだろう。
高円宮殿下と教祖深見氏の仕事関係のつながり。
高円宮殿下は、秋篠宮家創設によって公務に呼ばれる回数が激減したので紀子様を快く思っていなかったこと。高円宮殿下は、外務省とも接点があり、雅子擁護だということ。だから紀子様の悪口を言い続けていたし、いじめてもいたとのこと。その悪口に乗ったのが、権力にすりよりたい深見氏だったのでは…という話もある。
高円宮様が若くしてお亡くなりになったのは日本を守っている神様からの罰?今現在、親王様誕生について深見氏が会員にどのように言っているのかはわからないがおそらくよい受け止め方はしていないだろうと思う。
呪詛なんかしていなければいいけど。
でも呪詛したところで効果はないという気もする。
平成13年からおかわいそうなマサコサマのために豆木とやらでお祈りしているようだが マサコさんってこの頃からおかしくなりはじめたのではないだろうか(もともとおかしいという話もあるが)
このあと愛子さんは生まれたけれど、こんなことを言ってはなんだがワールドメイトの目論見通りの子ではないだろう。
2006-09-16
高円宮憲仁親王と久子妃
1984年4月23日 カナダ大使館のレセプションパーティーでカナダに留学経験のある憲仁親王と鳥取久子嬢が出逢う。同年5月6日 三笠宮殿下が鳥取久子嬢に「うちの憲仁をどう思うか?」とご質問、既に鳥取久子嬢の経歴と家系を調査済みでお妃候補に入っていたようだ。5月20日 憲仁親王が英語でプロポーズ「Will you marry me?」「Yes」。久子嬢の父は鳥取滋治郎(当時は東邦物産専務)、母二三子さんの祖母君・曾我晃子さんは元貴族議員・曾我祐邦子爵夫人、晃子さんの父君は鷹司熙通公爵。結婚後に高円宮家が創設された。
三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で、三笠宮の通訳・助手を務めたことがあり、そこから白羽の矢が立った模様。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は「恒久子」という名前の名刺を使っていた。恒という文字が雅子妃の実父の小和田恒の名前と関係があるのかどうかは不明だが、久子妃は雅子妃の実母、小和田優美子とは旧知の間柄。当然、皇太子の結婚前から小和田家とも面識や交流があったと推測される。
憲仁親王は、1978年に学習院大学法学部卒業後、同年から1981年までカナダのクイーンズ大学に留学。帰国後は外務省の外郭団体である国際交流基金(現在は独立行政法人)で嘱託として働いていた。国際交流基金は完全に外務省のテリトリーであり、高円宮は国際交流基金を通じて外務省とつながっていた。当時、外務省の高官だった小和田恒にとっては、まさしく娘を皇太子妃として送り込むための千載一遇の好機が揃っていたわけである。
雅子妃入内の手引きをした高円宮憲仁親王
『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年) p65-66より引用
入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。
・・中略・・
話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。
『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下 p25-26より引用
キューピッド説の根拠は、皇太子さまがネパールなど三ヶ国旅行から帰国後の一九八七年四月二十五日、高円宮ご夫妻がお二人を自邸に招き、ホームパーティーを開いたことにある。高円宮さまは、「殿下にご旅行の話を聞こうとお招きし、小和田さんは有望な女性外交官でもあり(注:まさにこの年、全く同じ月の1日付で小和田雅子が外務省に入省したばかりである)、話題も合うと思って、一度ご一緒の機会を作りました」と明かされる。
が、宮家関係者によると、ご夫妻が雅子さんを宮邸に招き、そこへ皇太子さまが訪問されるという形をとったが、実際は皇太子さまが一足早く着き、雅子さんを出迎えられ、雅子さんは驚いた様子だったという。
四人は夕食をともにし、食後、皇太子さまは数日前から用意、宮邸に持参された三ヶ国旅行や留学時のアルバムを見せて、思い出などを語られた。その際、皇太子さまは主に高円宮さまと話されたため、宮妃の久子さまが雅子さんの相手を務める形になったが、雅子さんが自分の将来や外交官としての抱負をハキハキと答えるのを見て、英国留学で現地の学生が自分の意見をはっきり主張している点に感銘を受けていた皇太子さまが、雅子さんに強い印象を持たれたという。
「実は久子さまが雅子さんの母親と旧知の間柄で、娘が女性外交官を目指しているのを知り、一度ぜひ、皇太子さまに紹介したいと思われていたようです」(宮家関係者)この日は話がはずみ、雅子さんが帰宅したのは午前一時を過ぎていたともいう。
だが、高円宮さまとお二人の関係は、実はもっと古くからだったのである。「お二人の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女歓迎パーティーですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」 こう明かすのはある皇室関係者。
・・中略・・
高円宮さま自身、「小和田さんほど皇太子妃にピッタリの素敵な女性はいないんじゃないか」と度々、漏らされている。
雅子妃入内には、高円宮だけでなく、小和田、外務省(創価学会)、マスコミによる執拗な工作も行われた。
参考サイト
ドス子の事件簿 マコオタ画像集(雅子関係)
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1
http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b2
1992年8月16日には、皇太子と小和田雅子の5年ぶりの再会デートが、柳谷謙介・元外務次官宅で突然セッティングされるという奇妙な事態も起きる。雅子妃との結婚を反対していた昭和帝の崩御を待っていたかのようなタイミングだった。何かが動いていた。
小和田、高円宮、外務省、創価学会
参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/takamado.txt
ある皇室記者
昭和帝の御意志や雅子妃の背後の事情を無視し、皇太子殿下と雅子妃の仲を、自宅を提供してまで取り持った高円宮殿下(故人)と、佳子さまをご出産された後の秋篠宮紀子妃殿下に、出産を控えるように圧力を掛けたとされる久子妃に対して、自分は全く敬意を払っていないし、好意的な考えも持っていない。
秋篠様を貶める記事に苦情を言っても「しかるべき筋からの話だから」と出版社が取り合わなかったそうだ。しかるべき筋=高円宮だと考えられる、とのこと
高円宮様は、秋篠宮様ご成婚時、自分たちがいるから彼らに公務の依頼は殆どないのじゃないか?と発言
秋篠宮様に仕事を獲られるのが怖くてあらぬ噂を流していたとも言われている。
新しく皇族に入った人に対する言葉ではない、一緒に皇室を支えて行こうというのではなくて「オレ様より目立つな、青年皇族はオレ様」的発言という解釈をした人も中にはいた。
(新聞記者証言)
秋篠宮ご一家の創作悪口を内外に言いふらし、媒体で嫌味な発言連発したのは高円様。高円宮様が皇太子を取り込んでから皇太子と秋篠宮家は疎遠になった。
なにより、雅子さま入内を推していたのは高円宮様。高円宮様が亡くなって皇太子夫妻がおかしいのが表面化したのを考えると、彼が皇太子サイドで相当動いていたんだろうと想像出来る。
皇室関係者
紀子様の都市伝説関係が浮上したのは雅子さんが結婚する1,2年前 流していたのは創価、外務省、高円宮さま
雅子さんの不出来を薄めるため、あるいは紀子様になすりつけるという目的があったといわれている。その後渋谷氏(のちに雅子妃の妹節子さんと結婚)を通じて医療関係者に噂を広げた。各地で医学部教授等が偽の噂を得意気に吹聴する姿が目撃されている。
故人と交流のあった人間
高円宮様は一見気さくそうに見えて 実は最も階級意識の強い人だったらしい。紀子様のご実家をバカにしきっていた。高円宮様は皇太子には媚びて 秋篠宮様のことは悪口言いまくっていた。
M氏
高円宮様はもともと外務省と関係の深い人。宮家といえど台所事情は楽じゃなかったから仕事もしていた。だから恒が取り込みやすかった。しょせん世間知らずの宮様なんて、海千山千にかかったらちょろいもの。
K氏
小和田恒氏と鳥取久子さん(高円宮久子)の噂は?高円宮様は国民と皇室の架け橋などと言っていたけど、基金集めでは色々黒い噂もあった。高円宮様がお亡くなりになってからは秋篠夫妻の誹謗中傷が止んだ。
H氏
あのお方が皇太子を応援していたのは「皇太子」だからでしょう。雅子さんとあのお方で秋篠夫妻の文句でも言っていたことも。
ある記者
承子さんの成人コメントでも紀子妃懐妊については無視だった。高円宮様が紀子様を貶める発言を広めていた。あることないことまで噂を言いふらしていた。高円宮様がお亡くなりになってから、あきらかに流れが変わった。(小和田家親族や学会がらみの擁護派からの古い捏造話の蒸し返し以外はなくなった)秋篠宮様ご成婚時の、特別報道番組内で「秋篠宮ご夫妻が担われるお仕事は、殆どないだろうと発言。…テープカットとか、シャンパン片手に乾杯とか、その手の公務そういう、華やかな場面の公務は自分達が請け負っているから、秋篠宮ご夫妻には、殆ど回らないと。蓋を開けたら、秋篠宮ご夫妻は大忙し→気に食わないという流れがあったことは確かです。
他
小和田雅子さんが皇太子妃候補として名前が出てくるきっかけを作ったのは、高円宮様。未来の天皇の皇太子夫妻にはおべっかつかって持ち上げていた。必要以上に庶民派ぶっていたが実はプライドは高く腹黒い面もあった。皇太子と雅子を結びつけたのは高円宮。それに優美子さんと久子様は知り合い。高円宮様亡きあと、久子様があの2人の相談相手に引き続きなっていても良いだろうに、全然でてこない。
森下洋子と高円宮様の対談番組を見たことがあるけど、なんというか、相手に対する物言いが、高飛車で傲慢。どことなく意地悪さを含んだ感じだった。高円宮様は、「皇居、赤坂御所には農薬や除草剤のせいで虫一匹いない」などと平然と嘘をつく人。高円宮様は、頭の構造がちょっとおかしい人みたいだが雅子さんのことは自分サイドの人間だと思っていた。外国通で、賢いデキル女だと。これを皇太子殿下にくっつけておけば、皇太子は安泰。雅子さんと同じサイドにいる自分も安泰。という発想。
率直に言うと秋篠宮殿下はたいした事ない男だと見くびっていた
成人していざ蓋を開けてみたら良い妻を娶り、祭祀も公務も研究にも熱心で両陛下の信頼もあつく、男性皇族として申し分ないお方になった。これらは両陛下をはじめ良識派の皇室の方々にとっては大変喜ばしく、一方で勝ち馬に乗った筈の人間にとっては大誤算で痛恨の出来事だった。
皇太子夫妻の結婚式当日、微妙な表情の各皇族方と一人得意げな高円宮。その視線の先は・・・
謎に満ちた高円宮憲仁親王の突然死
2002年5月末に夫妻で韓国を公式訪問し、日韓W杯の開会式に出席した。日本の皇族の韓国への公式訪問は戦後初だったが、同年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習を行っていた最中に心室細動による心不全で倒れた。
直ちに慶應義塾大学病院に搬送されるも、すでに心肺停止の状態だった。蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化。久子妃の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく死亡が確認された。 享年47歳。
あの国のあの法則なのか、事故なのか、天罰なのか、今となっては分からないが、皇族としてはあまりにも早すぎる死であった。
(コメント)
今回の記事を書いて、自分の中では雅子妃入内の陰謀の解明については一段落付いたように感じている。外務省の中には、大鳳会という400人以上の創価閥があり、外務省=大鳳会という場合も少なくない。
故・高円宮憲仁親王はその外務省と外郭団体を通じてつながっており、皇室の内部から様々な工作を行っていたようである。久子妃は小和田家とつながっており、高円宮家は雅子妃入内のために働いてもらうには打って付けの皇族だったのだろうと思う。
高円宮憲仁親王(以下高円宮)の逆恨みと利害の一致による協力も加わり、マスコミ、外務省(創価学会)、小和田家の工作と併せて、昭和帝の崩御後、雅子妃の入内がまんまと成功したのだろうと推測している。
生前の高円宮の暗躍ぶりには興味があるが、やったことが裏目に出てしまい、本人も早逝し、事ここに到っては悪名を残すばかりである。スポーツ振興に貢献した宮様として、ウィキペディアなどでは持ち上げられているが、少なくともこのブログで褒め称えることはまずないだろう。皇室に対する功罪を相殺すれば、あきらかに罪の方が多いように感じられるからである。
高円宮家の長女である承子女王は、成人を迎えた際の記者会見で、紀子さま御懐妊と紀宮様のご結婚について感想を求められて華麗に無視したが、家で秋篠宮家の根も葉もない悪口を吹き込まれていたので答える気にならなかったのだろう。要領の良い人間なら、もう少し思慮深い行動をすると思うが、ブログ騒動の件を見ても分かるように、母君の薫陶が良く行き届いていると言うべきだろうか。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-746.html
http://blog-imgs-19-origin.fc2.com/o/o/y/ooyasimaneko/20090927085845fae.txt
2017.12.02
雅子様➄@皇太子妃雅子様と後藤組と創価学会の素敵な関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805
続きです。
親王妃の学歴が低くても、ご本人の気質が真面目で素晴らしければいいのではないのか、と思われる方も多いかもしれませんが、祭祀王の家系たる皇室に嫁ぐ方は、皇室とその信仰に適応していただかなくてはならないと思います。それができないなら、最初から皇室に嫁がなければよく、嫁いだ後も適応できないのなら、離婚されて同じ信仰のかたと再婚されればいいだけの話。
今更ですが、小和田雅子は創価学会員です。
創価の三色旗が振られるパレード。君が代が排除された異様な皇太子の成婚式でした。
今更ですが、小和田雅子は池田大作の落胤と言われています。
ほかにも池田大作の落胤と言われている人もいます。あくまで噂ですが。
Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)
p232〜
国連大学本部ビル前で聞いた話
皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。
国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
(中略)
ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。
※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。
異教徒どうしの結婚は認めないはず。皇太子徳仁は、創価学会に改宗している疑惑がありますね。
今更ですが、雅子は鳥居がくぐれない人。当然、祭祀は不可能。
天皇家は神道の祭祀王の家系ですが、天皇家に嫁いでおきながら、鳥居がくぐれません。
神武天皇陵参拝時の雅子。嫌悪感まるだし。
白人王族を前にした雅子
幸せいっぱい、歓喜にみちた雅子様のお顔
「、、、、、、、、、、、、、」
今更ですが、小和田雅子は北朝鮮系です。
三代前から家系が遡れません。北朝鮮の不法移民が新潟の朝鮮部落に住み着き、日本人に背乗りしたと思われます。
当時、朝鮮は日本領でしたから普通に行き来が出来ましたし、半島民にも戸籍が与えられていました。学校にも通えましたし、選挙権もありました。にもかかわらず、わざわざ、新潟までながれてきて日本人に背乗りするには、小和田家の先祖には、それなりの事情があったのではないのでしょうか。
※詳細はこちら
もちろん、雅子が朝鮮系であることは、南朝鮮人も知っています。愛子が生まれたときは大喜びで,ハワイの記念館に銅像を作りました。
今更ですが、小和田雅子とその夫は北朝鮮の将軍様の配下の工作員ではないのか
忠節と奉公の報酬に、朝鮮の犬珍島犬を下賜されました。
2に匹の犬は、大切に御所で飼われていました。
創価学会・池田大作会長は、朝鮮系であるといううわさが絶えない。
某掲示板のレス
1.朝鮮(東京都大田区大森北)出身
2.子供時代に父から朝鮮語を習った
3.父と母の氏名が不明確と言われている
4.成長とともに在日朝鮮人と多くであった
5.ところどころで朝鮮語風の発音をする。例えば、大臣をデージンと言う。
6.朝鮮人を擁護する発言が多い
以上
学会の上層部は、東大卒の在日もしくは朝鮮系が占めており、学会員を支配しているという。
こうした支配層の学会員は、出世にはばかるので、学会の名簿に名前が載らないそうです。小和田恒もその一人でしょう。
今更ですが、今は解散した後藤組は、創価学会の暴力装置でした。
世界的な映画監督を自殺に見せかけて殺害を実行したのは、この後藤組ではないかといわれています。
さらには、後藤組組長は、池田大作から、亀井静香元議員の殺害も依頼されたとか。
#114 2017/02/11 15:24
おまけ(笑)
877 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/02/11(土) 13:59:28.34 id:jSCd/Ep1
創価学会本部 発砲事件
暴力団「後藤組」と決裂した創価学会は、
後藤組を解散させるため公明党を利用して警視庁・県警に圧力を掛けたという。
その後、管轄内に「暴力団対策本部」が設置された。
組の事務所は捜索され、組員はマナー違反など微罪ともいえない理由で逮捕され不当な扱いを受けたとしている。
教団に裏切られたと判断した組員は、創価学会本部で発砲事件を起こし、
池田会長が入院している病院の先々でも組員が発砲事件を起こしたという。
組長は「池田は相当ビビっただろうな」と自身の著書で振り返った。
創価学会との抗争については、後藤組組長の著書「憚りながら」をお読みください。
今更ですが、雅子は後藤組と何らかのつながりがあった可能性があります
※皇室掲示板より
無題 Name 名無し 17/04/13(木)20:53 id:tjAzK1fQ No.1966533
ここから髪の毛をどんどん伸ばし始めたんだよね。
何があったのだろう。
オウムみたいで気味が悪かった。
… 無題 Name 名無し 17/04/14(金)10:22 id:B2HIUCzg No.1966955
そりゃああのアヘ顔写真が出たからでしょ。
無題 Name 名無し 15/05/17(日)20:01 id:xpeiLuZU No.1335226
>誰が流失させたの?
隠し撮りされたのだから、流出元は分からないかも?
雅子のお相手が自ら流出させるとも思えないし…。
国連大学に隠しカメラを仕掛けたヤツが犯人では?
無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:28 ID:r.Oh9U8E No.1335346
こんな写真を入手できるのは普通の人間じゃないでしょうね。
解散させられた後藤組関係者じゃないの?
マイバッハ、国連大学、六本木夜遊び、一連の流れは悠仁親王誕生後から。
親王誕生で雅子ブチギレはある程度容認されたが、おかしな交際が度を越したんで後藤組解散まで行ったんじゃないの?
後藤忠政は雅子さんが出入りしていた六本木ヒルズに住んでたんだよね。
雅子さんが六本木ヒルズの会員制クラブに出没していたのは当時の御一行に書かれていた。
>529 :名無しさん@13周年:2013/04/07(日) 20:45:32.86 id:f1vvl+lj0
>雅子マイバッハに乗車 ←マイバッハ後藤組所有
>雅子六本木ヒルズ入り浸り←六本木ヒルズ地上げ+後藤組最上階居住
>東宮夫妻+小和田家煎餅疑惑 ←後藤組煎餅と癒着
… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:42 ID:r.Oh9U8E No.1335410
>後藤組は山口組内の「武闘派」という半面、「経済ヤクザ」としても知られ、大きな資金力を背景に山口組内での発言力も大きかった。
これが突如解散。
よほどのことがあったとしか思えない。
皇室絡みなら納得。
… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:r.Oh9U8E No.1335437
2007年の週刊現代
>・六本木ヒルズ最上階の会員制クラブでも知人と一緒のところを目撃されている
「外出が「治療目的」と言われればそうかもしれないが、伝統的な皇室の姿とは乖離している。治療方針を国民にわかりやすく説明すべき」(皇室ジャーナリスト)
後藤組解散 2008年秋
… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:0UHg8zgc No.1335441
やっぱ相手は組長なんすか?
そんな疑念を持たれる皇太子妃とかないわ
(以上)
後藤組と雅子さまの疑惑
・後藤組という暴力団があったそうな。
・創価学会の暴力装置だったそうな。
・ある時期、創価学会・池田会長の落胤「皇太子妃」雅子はしきりに後藤組に関連する場所に出没していたそうな。
・さらには、後藤組の所有と思われるマイバッハに乗っていたそうな。
・後藤組の組長が創価の「なんらかの」弱みを握り、学会を恐喝したそうな。
・失敗したそうな。
・組長はカンボジアに逃亡し、組は解散したそうな。
・組長は、カンボジアで伯爵になったそうな。
2005年 愛知万博
2006年08月 皇太子一家オランダ静養
2006年10月
東宮夫妻、第58回正倉院展鑑賞(奈良国立博物館)、京都御所視察 (宮内庁HP)
髪の長さから見て、これが雅子だとしたら、2005年あたりでしょうか。
2008年10月、後藤組解散
後藤組組長。6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退
雅子の男たち
雅子の元カレたちは、顔長い、眼鏡、大鼻、長身、戸籍上の父・小和田恒に似ている男ばかり。
後藤組長は、雅子の好みかな??
カンボジアで伯爵になった後藤元組長。低身長ではなさそう。眼鏡かけてますね。
雅子は、主治医の大野医師とも関係があったといわれてますね。
組長も一緒に並べてみましょ。
眼鏡かけているし、顔が長いし鼻も大きいし、違和感なし。どうしよう。
掲示板のコメントにもありましたが、これが国連大学の池田大作が用意した部屋で、相手が現役の暴力団組長だったら笑いますね。
そういえば、雅子の母方の祖父は、写真家のユージン・スミスや水俣の被害者さまたちをヤクザを使って暴行させた鬼畜でした。つまりは江頭は経営者に化けたヤクザだったということです。雅子と後藤はヤクザ同士なので、同種なので引き合ったのかも。
雅子様はご病気ではなく、ただ畜生化しているだけのはなし
人間を人間たらしめているもの、知性、理性、思いやり、向上心、努力、道徳、、、これらを放棄しながら、ただ欲望のままに生きてた雅子。
病んでいるという言葉は使いたくないわ。本当に病を得ている方に失礼だもの。
雅子は、人間を人間たらしめているものを放棄しながら生きた末に、動物化しただけ。それだけの話だと思う。
週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号
近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。
日本も皇室も変らなければ」
以上
大切なのは雅子ではなく皇室なのですが、、、
公私のケジメのなさ、泥棒癖、水俣病問題にみられる残忍性、、江頭家も、日本人ばなれしたところがめだちますね。母親の小和田優美子(旧姓江頭)の実家の江頭家に関しては、雅子の本家筋の芸人が「部落なんだ」とカミングアウトしているそうです。
が、日本の部落にルーツがあっても、やはり日本人は日本人としてのケジメやモラルを吸収しながら成長すると思います。
半島にも昔からの階級があり、個人もそれぞれ個性があり、善悪賢愚、いろんな方がいますので一概にいえませんが、もしかしたら、小和田家だけではなく、江頭家も「半島の最下層・犯罪層」からきた背乗り家系かもしれないと疑う余地があります。
皇太子のツマ、親王妃という究極の公人には、公私のケジメがなく、というかそれ以前に、「公」という観念がかけている人は相応しくないでしょう。
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805
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小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html
雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。
母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)
佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。
母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。
会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。
1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。
こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。
江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。
父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。
小和田家の血筋もかなり怪しい。
なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。
売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。
さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、
出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。
さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
許さないでは、
外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。
渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。
その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。
よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。
小和田雅子をめぐる噂
さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。
「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
雅子の相手をした男
長崎選手
デビットカオ
カルロス
奥参事官
外務省上司
外務省同僚
大野医師
国連大学総長
皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
雅子は床上手?
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。
「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」
いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。
91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。
「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。
その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)
たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。
二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。
そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。
ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」
・・・・・皇室に対する復讐か
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html
▲△▽▼
それにしても雅子という女は凄い女です。
気に入った相手とは手当たり次第という感じです男性経験は20人は超えている
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/68610e019843f20695a65523fb7823aa
それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです
白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。
2018年4月26日 木曜日
◆【雅子妃】男性遍歴B婚約直前まで行った福田元総理の孫;越智隆雄現自民党衆議院議員 2015年4月3日 伏見顕正の政経塾と四柱推命
皆さんお元気ですか?
また出来てきました雅子の昔の男(笑)たたけば埃の出る女ならず、【たたけば昔の男が出る女】です。
越智隆雄という男は、福田赳夫元総理の娘が大蔵官僚の越智道雄に嫁ぎできた子で、孫に当たります。
同じく福田赳夫の孫で、チノパンの夫となった横手真一と同じく、慶應の幼稚舎から慶應義塾大学の経済学部までというコースは全く同じです。
就職も横手真一は三菱銀行(のちゴールドマンサックス)越智隆雄は住友銀行(後父越智道雄の秘書)というのも似ています。
祖父の赳夫が小和田恒を可愛がっていたこともあり、幼少の頃から小和田家と越智家は家族ぐるみの付き合いをしていました。
小和田家と越智家は一緒にスキーに行ったり、雅子の母の小和田優美子が、着物に「福」の字を入れて、福田家に忠誠を誓うようなこともしていました。
その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。
特に雅子がイギリスのオクスフォード大学に留学中に、隆雄も「フランスのエセック大学に留学したいと言い出し、父親の道雄から「なんでフランスなんだ?」と聞かれて「好きな女がイギリスにいるから」と答えたそうです。
そして二人は、ドーバー海峡をお互い行ったり来たりして逢瀬を楽しみます。
わざわざ、イギリスから海峡を渡って隆雄に会いに来て、「お茶と食事がすんだらさようなら〜」なんてことは常識的に考えて無いでしょう。お互い愛を確認しあったことは想像に難くありません。
しかし、気になるのはこの英国留学中の雅子の男関係です。
オクスフォードに一緒に留学したT氏と深い関係に落ちていました。
また白人男性との交際もありました。
少なくても三股はかけていたことになりますね(驚)
凄い女です。性欲が強いのはよくわかりますが、三人の男とのスケジュール管理もしっかりダブルブッキングしないようにやっていたのでしょう。
一人とSEXしているときに他の二人にばれないように完璧にやっていたんですね。
確かにこの時期男同士がかち合ってトラブルという話は聞きませんでした。
こういう能力はあるんですね(笑)
こんな雅子でも越智隆雄は真剣に愛していました。
二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。この辺の事情は、雅子入内後に、落ちとの関係を週刊文春や写真誌が掲載してたたいていました。
なぜなら、ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。
皇室に食い込み権力と権勢欲を握りたい小和田恒がそのチャンスを逃すわけはありません。
また1988年当時に大勢いたお妃候補も、皇太子のちびで不細工な容貌で、早々と他の男と婚約したり、結婚したりして逃げ、残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。
最終時点で残っていたのは、雅子と久邇(くに)晃子さんとタレントで皇太子のアイドルだった柏原好恵の三人でした。
柏原は早々に逃げるために「ヌード写真集」などを出して、自分が候補から抜けるように工作しました。
最後は雅子と久邇(くに)さんでした。
宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、そこに皇族の小和田のトロイの木馬の高円宮夫妻が出てきて、自宅で皇太子と雅子を合わせたり、外務省の小和田の後輩の柳谷謙介が自宅を提供して二人を合わせたりして、水面下の工作をやり、女性経験のない皇太子は雅子にころっとつかまってしまいました。
久邇(くに)さんの方も着物まで準備して、待っていたところに、皇太子側が勝手に雅子内定記者会見を開いて、宮内庁と両殿下を出し抜きました。
小和田―高円宮―創価学会―外務省の連携工作にしてやられた【朝鮮女雅子入内事件】です。
それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです
今も白人国家の元首があいさつに来たら出迎えに出ますが、黒人国家の元首が来たら絶対に出てきません。アメリカ時代に、黒人の子供を堕胎した経験がトラウマになっていて、出てこれないそうです。
名前が出た男だけでかなりの人数がいますから名前やイニシャル、白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。
雅子は、祖父から水俣病患者の怨念父から創価学会関係の邪気を受け継いで皇室に入りました。逆に言うと婚約を破棄された越智隆雄は変な悪霊を持ち込まれずラッキーだったかもしれません。
それでは越智隆雄の命式を見てみましょう。
(私のコメント)
たまたま「雅子妃 男性遍歴」でググると多くの記事が出てきます。皇室を侮辱するようなすざましい記事なのですが、名誉毀損で消されることもなくネットで読むことができます。本当の話かどうかは私にはわかりませんが、このようなことはマスコミで報道されることはないようだ。
最近では、眞子さまの相手の小室圭氏との話題がありましたが、小室氏にもいろいろと良からぬ噂話があるようで、成り行きが注目されます。皇太子と雅子妃が結婚されたのは1993年であり、インターネットは普及しておらず、情報はマスコミがほとんどコントロールしていた。だから雅子妃の男性遍歴が広まる事はなかったようだ。
「株式日記」でも雅子妃のことは何度か書きましたが、外務省と創価学会関係に関してであり、男関係のことはまだ知らなかった。ネットでこのような事が書かれても名誉毀損で消されないのは、明らかな事実もあるからであり、越智隆雄現自民党衆議院議員との仲は公然の事実だったようだ。
記事にもあるように、「その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。」という事ですが、しかし、「二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。」という事です。
相手としては、今は国会議員をしている福田元総理の孫なのだから相手に不足はないはずだ。つまり小和田家としては最初から皇太子の嫁の座を狙っていたわけだ。そして、「ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。」ということで小和田恒の野望はかなった。
私は当時はテレビで報じる程度のことしか知らなかったが、ネット化社会になって雅子妃や小和田恒の良からぬ噂を「株式日記」で何度か書くようになった。気の毒なのは皇太子であり、20人もの男性遍歴のある雅子にしてみれば皇太子を手玉に取ることは簡単だっただろう。
記事では、「残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。」とありますが、スキャンダルの巣窟とも言える雅子が残り、多くの他の候補が創価学会にスキャンダルを捏造されたとありますが、本当なのだろうか。
皇太子妃ともなれば、マスコミの注目の的となりますが、テレビでは一切このような事が報道されなかったのは、やはり創価学会の影響があるのだろうか。雅子妃は結婚後はひきこもり状態となり公務ができない状況ですが、やはり後ろめたい過去があるからだろうか。皇太子はこの事をどこまで知っているのだろうか。
皇室に雅子妃が入ったことで、天皇家は亀裂が入って影が差しているような感じですが、皇太子が女を見る目がなかったことが原因なのだろう。「宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、」とありますが、そのほうがよかったように思える。顔つきからして皇太子と合いそうの思える。
一番悪いのは小和田恒であり、強引に雅子を皇室に送り込むことに成功した。それができたのも創価学会などのバックがあったからでしょうが、皇太子が天皇に即位した後の日本はどうなるのだろうか。雅子皇后が本性を表してくるかもしれない。
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/68610e019843f20695a65523fb7823aa
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2018-04-23
皇太子殿下と雅子さま ご成婚の裏にあったもの
https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000
平成の世もあと一年余りになった。
来年4月30日をもって天皇皇后両陛下は、皇太子ご夫妻に天皇の地位を譲位され、上皇陛下、上皇后陛下となられる。
新しい時代が始まるわけだが、今の若い方々は、次期天皇皇后陛下となられる皇太子ご夫妻のことを、どれくらいご存知だろうか。
昭和の時代は、皇室の話題はごく普通にそして頻繁にテレビなどで取り上げられ、今の天皇陛下が皇太子殿下時代は、家族全員でのお写真も動画も頻繁に撮られ、お茶の間に流れていた。皇太子殿下、秋篠宮殿下、今は降嫁された黒田清子さんの学校行事や卒業式での様子、夏休みをお過ごしになるご一家の自然なご様子なども、しっかり写真や映像として納められ、実にオープンに披露されていた。そのため国民皆、当時の皇太子ご一家を「ふつうの家庭と変わらないご家族」という親しみを感じていた。当時は皇室に妃殿下も多くおられたので、ロイヤルファッションチェックの番組や週刊誌報道もとても多かった。
そんな華やかでオープンな皇室報道は、今はすっかりなくなってしまった。原因はおそらく、長い療養生活を送られる雅子さまを慮ってのことだと思われる。
皇室との縁組を熱望していた小和田家
平成の時代がもうすぐ終わるいま現在でも、ごく一般に言われていること。
『雅子さまは、皇太子殿下の熱烈なプロポーズに折れる形で、外務省でのキャリアを泣く泣くお捨てになった。しかし皇室は、雅子さまの高い能力や国際感覚を十分に発揮するにはあまりに旧態依然としたところで、外国育ちのキャリアウーマンであった雅子さまは適応障害を起こされた』
この流布は、ほぼ、真っ赤な嘘である。
雅子さまは、泣く泣く外務省でのスーパーキャリアを捨てて、皇室に嫁がれたのではない。外務省と当時外務省次官だった父、小和田恒氏を中心とした人々の猛烈な後押しによって、皇室に嫁いだのである。
1993年当時、皇太子婚約についての報道は、国内では報道協定が結ばれていた。しかし、その協定外にあったアメリカ合衆国の新聞『ワシントンポスト』が、同年1月6日に、日本の皇太子御婚約をスクープした。
このスクープを流したのは、ワシントンポストの日本人記者・東郷茂彦氏である。東郷茂彦の祖父・東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時及び終戦時外務大臣、父・東郷文彦は戦後、外務省事務次官と駐米大使を務めている。茂彦の双子の弟・東郷和彦も、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長などを務める外交官だった。
雅子さまと皇太子殿下と婚約の報道は、当時の外務省を中心とした関係者が熱烈にその縁組を望み、全力でサポートし、見切り発車的にスクープを飛ばしたものなのである。
ワシントンポストのスクープを受けて、同日夕、日本の報道機関もなし崩し的に、皇太子妃内定の速報を一斉に流した。
1月6日に皇太子妃内定の速報が出ても、当事者であるはずの宮内庁は数日間、完全に沈黙していた。宮内庁はおそらく、婚約スクープに関して完全に蚊帳の外に置かれていて、この騒動をどう収拾させるか苦悶していたと思われる…。
外務省とマスコミが作り上げたお妃候補 小和田雅子さん
時代がまだ昭和だった頃、1960年生まれの浩宮徳仁親王殿下の結婚は、いつも注目の話題だった。そんな中、1980年後半頃から、外交官の娘、ハーバード大学卒の才媛、小和田雅子さんの名前がまるで何かのキャンペーンのように、たびたびマスコミで喧伝されていた。東京大学在学中に外交官試験に合格したというニュースは、NHKや新聞でもとても大きく取り上げられた。
当時は海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンなどとという言葉が大ブームで、雅子さんはそのすべてを持ち合わせている女性として、マスコミに盛んに取り立てられていたのである。
皇太子殿下と雅子さまは、1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプションで、初めて運命的な出会いをしたと言われている。しかし本当はそのずっと以前より、お二人はかなり親密な知り合いだったのではないかと、まことしやかに言われている。
1984年、浩宮徳仁殿下と小和田雅子さんは、欧州・ドイツ国境に近いフランス・アルザス領コルマールという都市を、お忍びで旅行に行ったという話がある。お二人がその時、意気投合したのか、それともそのまま交際は自然消滅したのかは分からない。
しかし、運命の出会いとされる1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプション開催直前には、徳仁親王殿下本人の記事が掲載された写真週刊誌「FOCUS」10/17号に、まるで狙い定めたように、『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さんのグラビアがデカデカとねじ込んであったことを見ると、小和田家とその周辺の人々が引き続き必死になって、雅子さんを殿下に売り込んでいたことが分かる。
エレナ王女のレセプション当日には、出席者名簿に手書きで、小和田雅子さんの名前が急遽書き加えられた。
小和田家、外務省、マスコミ、+αの人たちにとって、宮内庁が選ぶ良家出身のお妃候補には決して加えられない小和田雅子さんという女性が、とても重要な人物だったのは間違いないのだ。
昭和天皇は反対対されていた
当時まだご存命だった昭和天皇は、徳仁親王殿下と小和田雅子さんとの縁組は反対されていたと伝えられている。また当時の宮内庁が、小和田家の家系や雅子さんの異性関係を調査し、雅子さんとの縁組は断念するよう浩宮徳仁親王を説得したと言われている。
しかし、昭和天皇は1989年1月にご崩御。時代は昭和から平成に変わり、皇太子となった徳仁親王殿下の周辺がようやく落ち着いて来た頃に、小和田家とその周りの人々は、まだ独身だった皇太子殿下に、また猛烈なアタックを仕掛けてくるのである。
時にはご両親である天皇皇后両陛下や、宮内庁職員の目を欺いてまで、雅子さんとの密会の機会を作ったりしていたようである。
一度は破談になった雅子さん本人は、一時他の男性との結婚を考えていたとも言われているが、父親の小和田恒氏が、娘を皇太子妃にするという野望を、決してあきらめることはなかった。そして雅子さんも、結局は父親がひいたレール以外は歩いたことのないひとである。結婚も、親の言う通りの道を進んだのであった。
雅子さまの背景にあるもの
1月6日のスクープから約2週間後の1月19日、皇室会議が開かれ、雅子さまは皇太子殿下の婚約者として内定した。この時、全会一致ではなく、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王殿下は婚約反対の意思を出されたとされている。
そして6月9日、お二人は晴れて夫婦となられた。皇族の結婚式が行われる賢所での、十二単に身を包んだ雅子さまは、非常に険しい表情をされていたが、白のローブデコルテに着替えられると、明らかに幸せいっぱい、喜色満面の笑みを浮かべられていた。皇太子殿下の方が、これからの苦難の日々を何となく予感されてのことなのか、どこか神妙なお顔をされる場面が多かった。
1993年の世紀のロイヤルウエディングがあった当時は宮沢内閣、河野洋平氏が内閣官房長官、そして、外務省次官が皇太子妃の父となった小和田恒氏だった。
ロイヤルウエディングより2か月後の同年8月、その後、長期にわたって日本を苦悩させ、日韓関係を狂わせるあの「河野談話」が発表されるのである。
当時、新聞社は既に斜陽産業だったが、朝日新聞などの左派メディアの勢いはまだまだすさまじかった。マスコミの号令で時の政権を操作することは十分可能な時代であった。
いまから25年前、様々な人々の思惑を背負って皇室に嫁がれた雅子さま。来年の新天皇御即位を控え、今年の6月9日には皇太子殿下と銀婚式を迎えられる。
https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000
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反日「部落の輪」か 雅子さま入内 2015/12/9
https://blogs.yahoo.co.jp/wood72046/36951533.html
BBの覚醒記録さんより転載します。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/d6f72bd3542021db465fc1ee0e2edb80
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2017.12.05
雅子様A@家系(1)部落解放同盟との関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4260
結論からいうと、
父方・小和田家=隠れ朝鮮人の背乗り家系
母方・江頭家=旧被差別民の家系
のようです。
徳仁皇太子と小和田雅子さんに決定の一報から、マスコミから発せられる「小和田雅子」さん像は、
@父は東大卒の外交官、二人の妹も名門校を卒業した。
A高学歴の一族で、本人はハーバート大、東大、オックスフォード大学を出た才媛。
B本人は才色兼備のバリバリのキャリアウーマンで、将来の女性大使候補だった。
C英語、フランス語、ロシア語に堪能。
➄父方は、新潟の村上藩士の家系で、母方は海軍で成功した人が多い。
E皇太子とのなれそめは、スペインの王女が来日時のパーティーで。皇太子の一目ぼれ。
F日本で一番優秀な女性。
これ、@以外は皆、ウソだったんですね。
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まず、家系ですが、皇太子妃に内定した「小和田雅子」に関する家計調査について、部落解放同盟が「差別を増長させる」という理由で、抗議していました。何故でしょうか。それは、雅子さんの家系を正確にさかのぼると、旧被差別民につながるからでしょう。
転載させていただいてます。
部落解放同盟が、小和田雅子さんへの家計調査に対して抗議
東京読売新聞朝刊
1993年1月9日
1ページ
「確かに五年前、小和田さんの調査をしました」
皇室関係一筋の老調査員が都内の事務所で重い口を開いた。
宮内庁から直接、調査依頼を受けたのは東京・丸の内に事務所を構える大手興信所。
(略)小和田雅子さん(29)に関する分厚い調査報告書は、作成にまる一か月かかった。
直系は四代前までさかのぼり、大祖父、祖父の兄弟姉妹まで徹底的に調べた
両親については交友関係、勤務先、近所の評判も。肝心の本人は、さらに詳細をきわめた。
経歴、性格、趣味、素行、健康状態……。
結論は「優秀な家系に驚いたのを覚えています。もちろんご本人も申し分ありません
でした」。このベテラン調査員が手掛けたお妃候補は、実は雅子さんだけではない。
この五年間で十人以上にのぼる。雅子さんの調査書はその中でひときわ鮮明に記憶に残っているという。
部落解放同盟中央本部よりマスコミへ
皇室報道に対する抗議と申し入れ
1993年2月18日
「皇太子妃内定」いらいの皇室報道について、
部落解放同盟中央本部は、マスコミ・報道各社に、2月18日、抗議し申し入れた。
————————————————–
日頃よりの、マスコミ・報道関係者各位の人権尊重、差別撤廃のための取り組みに敬意を表します。
さて、私たち部落解放同盟は、部落差別はもとより、あらゆる差別を撤廃するために、
「部落解放基本法」制定をはじめ、「国際人権規約」「人種差別撤廃条約」の早期批准、世界人権宣言の具体化や、「国際先住民年」など、国内外において、さまざまな取り組みをすすめてきました。
しかしながらこうした平和と人権を守る取り組みの拡がりにもかかわらず、今日においてもなお、結婚差別によって、自らの命を絶つという悲惨な差別事件を起きています。
また行政書士や社会保険労務士などによる戸籍謄本等不正入手横流し事件のほか、パソコン通信を利用して、「部落地名総鑑」の一部や、差別文書を大量に送りつけるなど、いまだに差別事件が続発し、悪質な差別調査ともいえる身元調査がおこなわれていることが明らかになっています。
この間、私たち部落解放同盟は、大きな社会問題ともなった「部落地名総鑑」差別事件をはじめ、こうした悪質な身元調査による人権侵害の問題を取り上げ、戸籍閲覧制限や身元調査おことわり運動などに取り組み、大阪においては、興信所や探偵社の差別調査を法的に規制する、部落差別調査等規制等条例が制定されるなどの成果をあげています。
しかしながら、本年1月6日の「皇太子妃内定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立の立場から看過できない内容の報道が繰り返されています。
とくに、小和田家の家族の掲載や「家柄」賛美などの過熱ともいえる報道内容、さらには、「皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が
4代前まで徹底調査などと、公然と身元調査が行われていることが報じられています。
こうした報道内容は、人権尊重というマスコミ、報道本来の使命に反するものであるばかりでなく、差別を助長するものであり、強く抗議するものであります。
私たち部落解放同盟は、昨年、全国水平社創立70周年を迎え、これまで取り組んできた国内外の反差別共同闘争を大きく発展させるとともに、「貴族あれば、賤族あり」として、生涯、部落差別撤廃と人間解放に取り組んできた、故・松本治一郎元委員長の取り組みに学び、差別なき社会の実現にむけて戦いをすすめていくことを誓い合いました。
いうまでもなく、私たちは、こうした人権確立の取り組みをすすめるにあたって
マスコミ・報道関係者各位の果たされる役割に、大きな期待を寄せるものでありますが、今回の一連の皇室報道の内容は、差別撤廃、人権尊重の姿勢に逆行するものであることを指摘せざるを得ません。
私たち部落解放同盟は、マスコミ・報道関係者各位が、今後の皇室報道において、
差別を助長する、これまでの過剰な報道を改め、差別撤廃と人権尊重の立場を明確にして報道に取り組んでいただくように、強く要望します。
(解放新聞 93.3.8)
以上
部落解放運動と「同和」行政の動き
解放同盟、抗議文書「皇太子妃報道差別助長する
1993.2.18
部落解放同盟中央本部(上杉佐一郎委員長は)は「一連の皇太子報道は人権尊重という報道の使命に反し、差別を助長する」との18日付の抗議・申し入れ文書を全国の新聞、通信、テレビ各社に送った。
近く雑誌出版社にも申し入れるという。
文書は「解放同盟は部落差別撤廃に向け、戸籍閲覧制度や身元調査おことわり運動に取り組んできた。
その中で、家系図が掲載され家柄を賛美する報道が繰り返され、
公然と身元調査が行われている事が報じられている」と指摘。
過剰報道を改め、人権尊重の立場を明確にするよう、要望している。
(朝日 93.2.25)
皇太子妃決定にかかわる身元調査等の差別助長行為に対する抗議と申し入れ
1993.3.16
(抜粋)
本年一月六日の「皇太子妃内定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。小和田雅子さんの「家系図」の掲載や「家柄」賛美などの過剰ともいえる報道内容、そして「皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査」などと、宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています。
いうまでもなく、すべての国民は法の下に平等であり(憲法第一四条)、婚姻は両性の
合意のみに基いて成立する(憲法第二四条)ものです。
したがって、私たちは、こうした宮内庁の身元調査の指示というものが、差別を助長・拡大させるものであるばかりでなく、憲法違反という重大な問題であると考え(略)強く抗議するものです。
転載以上
東京読売新聞朝刊
1993年3月20日
部落解放同盟(上杉佐一郎委員長)は十九日までに、「皇太子妃決定に際し、身元調査が行われたことは結婚差別を助長する」として、皇室会議のメンバーである宮沢首相や衆参両院の議長、最高裁長官の三権の長と宮内庁長官あてに抗議文書を送った。
1993年04月21日
第126回国会 大蔵委員会 第10号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/126/0140/12604210140010a.html
上田(卓)委員 ぜひとも前向きに検討していただきたい、このように思います。
次に、皇太子の結婚にかかわって身元調査のことが新聞などで今までにいろいろ報道されておるわけです。
(略)
結婚や就職の際の身元調査や家系調査は差別につながるということで、我々は法務省や労働省あるいは地方自治体、民間企業、宗教界の皆さんとともに身元調査お断り運動というのですか、全国的に展開しておるわけでありまして、大阪などでは部落差別を目的とした興信所や探偵社による身元調査を規制する条例もできておるわけであります。
ところが、先ほど申し上げましたように、一月六日の皇太子妃内定以来、新聞、雑誌、テレビなどでは江戸時代にまでさかのぼる小和田家の家系図を掲載して、家柄や家族などについて過剰な報道をしておるわけでありまして、皇太子妃を選ぶに当たっては皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査、こういうような報道もあるわけでございまして、宮内庁みずからがそういう民間調査機関に指示して調査しておったのかどうか、その点についてお聞かせをいただきたい、このように思うわけであります。
その前に、法務省と労働省の方がお見えでございますが、一般的な身元調査についてどういう見解を持っているのかお答えいただきたい、このように思います。
『部落解放』1993年6月号
「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」記事
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4260
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2017.12.05
雅子様A@家系(2)母方・江頭家は高祖父、父方・小和田家は曾祖父までしか遡れない
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4296
続きです。
父方・小和田家
河原敏明著(平成5年4月)
小和田家の系譜
ここで小和田家の戸籍系統図をみよう。本家は小和田岩夫氏といい、現在東京都下の小平市に住んでいる。
岩夫氏の5代前の群蔵から分かれた兵五郎が、雅子さんの直接先祖になる。
つまり 兵五郎―道蔵(匡利)―金吉―毅夫―恒―雅子の流れである。
その祖先が眠るという西真寺(さいしんじ)を訪ねた。西真寺は村上市にある浄土真宗の寺で、元和4年以来、ここで370年の歴史を持つ。住職本荘長弘師はその小和田家の墓について、毅夫氏が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した、という話をしてくれた。
ゆえにいま西真寺にある小和田家の墓には、兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻とその子供だけで(夫の道蔵の墓は新潟に)二基の墓石が並んでいる。
高さが70cm、近隣のものと比べて極端に小さく墓域にも余裕がない。
「なぜ祖父の妻と子、および曽祖父夫妻の墓を残していったのか。
ふつう移すときはそっくりもっていくものなんですがねえ」と住職夫妻も不審気だった。
昭和61年11月、恒氏が外務省官房長のとき、恒、毅夫の両氏夫妻が村上市にきたが、そのときも祖父、曽祖父が眠っているにもかかわらず墓参していないことにも、理由をはかりかねていた。
そこで小和田毅夫氏が村上から墓を移したという新潟市の泉性寺に聞くと住職の広沢誠師が、
「小和田家の墓は明治七年よりうちにあるが、ただ金吉と兵五郎の墓はない。匡利(道蔵)の墓だけがあります。外務省の小和田家にとって初代に当たる兵五郎の墓は寺にはありません。
私の父が死んでいるので、その辺の詳細は分かりませんが。三十年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません」
と西真寺の住職の話とはだいぶ食い違いがある。
しかも泉性寺が明治十三年の大火で類焼しているので資料が乏しいという。
昭和五十五年に毅夫氏が、この泉性寺にある墓の台座だけを、よりよいものに直している。
先の61年11月に新潟を訪ねた恒氏は夫人、両親とここの寺には墓参のため立ち寄っている。
以上
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母方 江頭家
江藤淳『一族再会』
祖父
木原村
肥前国佐賀郡北川副村木原は、現在の佐賀市大字木原で、国鉄佐賀線の南佐賀駅にほど近い農村地帯である。
明治四十三年ごろ、祖父に連れられてはじめて佐賀に行った父は、市中に田圃があるのにおどろいたのを今でも印象にとどめている。
そのとき祖父は、小学生だった父にむかって、
「おれの生まれた家はこの田圃のはるか向うのほうだった」といったという。
つまりそれが木原である。
それから三年後に祖父は死んだ。
父の記憶にないところをみると、祖父はこの佐賀滞在を利用して生家のあった木原を訪ねようとはしなかったらしい。
それが何故であったかは私にもよくわからない。当時木原にはすでに近親の残存者は皆無で、裁判官になっていた祖父の兄も遠く東北の任地にあった。
しかし海軍少将で佐世保鎮守府参謀長の職に在った祖父が、久しぶりの帰郷にあえて生家の跡をおとずれようとしなかったのは、やはり彼に故郷に対する根強い嫌悪感があったからではないかと思われる。
彼はおそらく「錦を飾る」などというにはほど遠い心境だったのである。
以上
母方・江頭家は高祖父、父方・小和田家は曾祖父までしか遡れない
高原氏
小和田雅子さんの母方・江頭家は高祖父の江頭嘉蔵までは遡れます。
父方の小和田家は、曽祖父の小和田金吉までしか系譜は分かっていません。
3代前までしか遡れない小和田家の4代前を、その調査員の方はどうやって調査したのでしょうか?
また、4代前まで遡って調査したはずなのに、マスコミに公表された家系図の小和田金吉には職業や経歴は一切記されていないし、金吉以前の系図が記されていないのは何故ですか?
消えたお妃候補たち 指摘されたいくつかの問題点
小田桐誠
宮内庁は小和田について弁護士や興信所を通じ、直系三代に汚点がないか、両親の評判、本人の健康状態などを徹底的に調べ、独自にチェックしたといわれる。その結果は首相官邸にも報告されていたという。報告にはいくつかの問題点が指摘されていた。
一つは八七(昭和六十二)年暮れから八八(昭和六十三)年初めに発売された一部週刊誌が指摘していたように、小和田雅子の母方の祖父・江頭豊が、日本興業銀行の銀行マンから転じたとはいえ、代表的な公害企業・チッソの社長や会長を務めていたこと。
「お妃とともに全国を回らなければならぬ立場にある浩宮さまの訪問先で、水俣病の患者のムシロ旗が立つようなことがあっては」と宮内庁幹部は懸念したのである。
(中略)
母方の親戚に江口朴郎東大名誉教授(故人)のような左翼系の学者がいることをマイナス要因にあげる者もいたという。
(中略)
ただハーバード時代にボーイフレンドがいたことも一つのネックになっているのでは、とみるマスコミ関係者もいた。
小和田雅子の母方の祖父に難点ありとして、富田宮内庁長官は浩宮に
「(小和田さんには)こういう問題が付随しますからね」と伝えた。
「難しいですか」
「はい」
「ああ、そう。それなら仕方ないですね」
二人の間でこのようなやりとりがあったといわれる。
当時のことを富田は『週刊朝日』(九三年一月二十二日号)でこう答えている。
「私が(小和田さんに)反対したことはありません。ただ、当時は、いわゆる『チッソ問題』の被害者の方がまだ大勢おられました。加えて、批判勢力というか、社会運動派の人たちが(チッソの)東京本社に、押し掛けたりもしていた。そういう状況でしたから、もう少し様子をながめたほうがいいのではないかと、そう殿下に申し上げた。殿下はそれを『わかった』といわれたのです。
『おやめなさい』といったのではなく『みつめましょう』といったのです」
以上
毎日グラフ 1993年1月31日号
新潟県・村上市 慶祝ムード 小和田家のルーツ・系譜に論議わく
恒さん夫妻は87年11月22日、毅夫さん夫妻とともに、郷土資料館を訪ねている。
当時の館長、前田健さんは「士族の血を引く人物らしいエピソード」として、その模様を日記にこう書き残している。
「お父様(毅夫さんのこと)は足がお悪いとのことで車に残られ、お母様と奥様と恒さんをご案内した。
おしゃぎり(村上市の祭りで使われる山車)の説明を終えて、二階へ階段をのぼられる時、恒さんはお母様をおんぶされてのぼられたのには敬服した。なかなかの人だと思った」
小和田家と同じ村上藩士の子孫で、郷土史研究家の村上城跡保存育英会の竹沢盛夫理事長(77)も、小和田家のルーツ探しに追われる日々だ。
竹沢さん自身、雅子さんの父方の曽祖父、金吉さん以前の祖先がつかめていない。
「ご婚約は同じ士族の子孫として大変喜ばしいこと。
下級武士であったために小和田家のルーツは記録が少ないが、これで系譜を解きあかす興味が増えた」といきいきとした表情で語った。
以上
皇太子妃・雅子を生んだ小和田家の犯罪ルーツを徹底追跡!
噂の真相1993年4月号
現地水俣でも異変が……
それにしても、かつて自分たちを苦しめた加害者の孫娘が皇太子妃に選ばれたことを、
被害者である水俣の人々はどう感じているのだろうか。
マスコミは内定直後、宮内庁の言い分をあれだけたれ流しながら、
肝心の患者たちの生の声をほとんど取り上げようとしなかった。
「自主規制ですよ。わずかに共同通信熊本支局がきわめて当たり障りのない患者の声を配信しましたが、それとて掲載した新聞はほとんどなかった」(大手紙・社会部記者)
そして、驚いたことにそうした自主規制のムードは水俣病の患者自身にまで広がっている。
実際、取材をしてもほとんどの患者たちはこの件については、何もしゃべりたがらないのだ。
「何をいっても慶事に水を差すととられかねない、という恐れをいだいてるんですよ」
と語るのは地元支局の記者。
ある患者がマスコミにコメントを求められ、ごく素直なお祝いの気持ちを話したらしいんです。
ところが、それが掲載されたとたん、右翼と称する人物から『結婚を台なしにするつもりか』との脅迫電話がはいったらしい」
今なお残っている水俣病患者に対する差別構造。そして、その構造は天皇制という差別のシステムによって、さらに増幅されていく。しかし、ひとりの患者がようやく重い口を開き、本音を語ってくれた。
「正直いって、江頭については今も怒りの感情は消えていない。が、だからといってあの男の孫がお妃になることをどうこういうつもりもない。これはほとんどの患者がそう考えていると思う。
「ただ−」呼吸をおいて患者はこう続けた。
「許せないのは宮内庁だ。五年前、あの男の孫がお妃になれなかったのが水俣のせいだといわれて、我々が周囲からどれだけ白い目でみられたか、ところが、宮内庁は今度はまるで水俣病の問題が解決したようなことをいう。宮内庁にいったい水俣の何がわかるというんだ」
以上
美智子皇后と雅子さんのルーツ 三代前にニアミス
週刊朝日1993年1月29日号
佐賀 早逝した明治のエリート将軍
雅子さんが皇太子妃になって、天皇家には“佐賀の血”がさらに濃くなる。
美智子皇后の母の故正田富美子さんも、雅子さんの母の優美子さんもルーツは
佐賀だからだ。
正田富美子さんの実家は、佐賀県多久市の副島家。
優美子さんの祖父は、肥前国佐賀郡北川副村木原(現在は佐賀市内)出身の江頭安太郎海軍中将である。
安太郎は、慶応年間の生まれ。
中学、海軍兵学校、海軍大学と常に首席で、日露戦争の際は大本営参謀。海軍中枢の軍務局長に昇進し、海軍大臣を嘱望されたが、肺病のため、一九一三(大正二)年、四十七歳で亡くなった。
安太郎一家は東京に出て、佐賀には、安太郎の長女の嫁ぎ先の親類がいるくらいだ。
その一人、古賀治男さん(八一)は、こういう。
「新聞に出た系図に叔父の名前があって、驚いたとです」
佐賀市内の遠縁の女性も、「親戚づきあいもないのに、ある新聞に遠縁と書かれて迷惑でした」と、話すのである。
以上
「皇后美智子さま秘録」「正田家」と「小和田家」
ノンフィクション作家・工藤美代子
週刊新潮2014年10月9日号
(略)
雅子さんの父・小和田恆の血脈を遡行すれば、越後村上藩(現・新潟県村上市)藩士の流れを汲むとされる。
江戸中期、元文5(1740)年以降、村上藩の町同心や下横目(しもよこめ)といった職に小和田家が就いていたことが判明している。ただし、俸禄は石高ではなく、わずかな金銭・穀物を藩から支給されて暮らしていたようだ。
(略)
幕末期の当主・小和田道助は、郡方懸(こおりがたかかり)というやや上級の職に抜擢されるが、それは捕縛術に秀でていたためだった。
制剛流(せいごうりゅう)という独自の捕手(捕り方、および捕縛術を指す)の極意を体得した小和田道助は、村上藩公認の免許皆伝の腕前として知られたが、それでも俸禄は乏しかった。
村上市郷土資料博物館館員の説明を聞いてみよう。
「明治元(1868)年の村上藩士籍分限で、小和田家は二人扶持二両という年収になっていますね。
一人扶持が一日米五合ですから、二人扶持は一日一升。つまり年間で三百六十五升と二両という給料でした。
これは、おそらく日本でもっとも貧乏だった幕末の村上藩主内藤家に仕えている藩士の中でも、最低賃金労働者だったと思われます」
道助は町同心として優れた能力がありながらも、生活はかなり苦しかったようだ。
恆の父祖は、道助の弟・兵五郎が立てた分家で、その嫡男・道蔵匡利が跡を継いだとされている。
古史料「村上城下絵図」(村上市郷土資料館発行)を見れば、兵五郎の名は同心組が住む城下の足軽屋敷の一角に確かに見出すことができる。
ところが兵五郎と道蔵匡利が維新後に相次いで亡くなったため、道蔵匡利の次の世代があいまいなのだ。
現在分かっているのは、どういう出自かは判然としないものもの金吉という人物が現れ、税務署勤務をしながら小和田姓を継いだということである。
多くの系図資料を検討しても道蔵匡利と金吉を実線で繋ぐものはなく、点線でしか繋がっていない
(『週刊朝日』増刊号、1993年3月25日号ほか)。
いずれにせよ、小和田恆の祖父がこの金吉ということになる。金吉は、高田税務署に勤務していた
明治30(1897)年、熊倉竹野と結婚し、長男・毅夫、長女・ミヨシの二児をもうけるが、明治33に早世してしまった。
金吉に先立たれた竹野は苦労して助産婦の資格を取り、女手ひとつで子供を養育した。
長男・毅夫は当時としては最高学府といわれる広島高等師範学校を卒業、教員の道を歩む。
新潟県立旧制高等女学校の教員、校長を経て、戦後には新潟県立高田高校校長を長らく務め、地元では篤実な教育者として名が残っている。
毅夫は村上藩士の血を引く田村静を妻に迎え、五男三女に恵まれた(長女・節子は夭折)が、子供たちは全員が秀才・才媛ぞろいだった。
恆の兄弟五人の男子はすべて東京大学を卒業、二人の姉妹も旧制奈良女子高等師範(現・奈良女子大)、お茶の水女子大といった名門を卒業している。
この秀才一家の次男(第四子)として生まれたのが、雅子さんの父・恒である。
雅子さんからみれば、毅夫が父方の祖父で、金吉が曽祖父ということになる。
(略)
その雅子さんが東宮妃と内定したのは、平成5年1月19日に行われた皇室会議だった。
同年6月9日に予定されている結婚の儀とご成婚パレードを前にした4月17日、恆と妻・優美子は雅子さんとともに新潟市の菩提寺・泉性寺にある墓を詣で、テレビや新聞で大きく報じられた。
ただし、小和田家の墓はかつて村上市と新潟市で三ヵ所に分散されており、各寺の住職でさえ家系を辿るのは難しいと語っている。
墓碑の取り壊しやご遺骨移動の事情も絡み、小和田家代々が泉性寺に祀られているかどうかは不明なのだ。それだけ江戸時代から明治にかけて、小和田家先祖の苦節が偲ばれるわけだが、
墓の件にこれ以上分け入るのは今回は避けたい。
父祖の苦渋に満ちた歴史があればこそ、雅子さんが皇太子妃として入内し、恆が国連大使に就任したことで、家郷へ錦を飾った一家の誇らしい気持ちが溢れ出たのはうなずける。
そんな小和田家の高揚感の表れのひとつだろうか、新発田市の歴史を偲ばせる。
旧新発田藩下屋敷の庭園「清水園」の一角に、一つの木札(高さ百二十センチ、幅五十センチほど)がある。
恆の生誕地から至近距離にあるその木札は、雅子さんのご成婚記念として平成5年11月に市の職員の手によって
建てられたものである。
雅子さんの「お印」であるハマナスが側に植えられた木札には、次のような文言が記されている。
雅子妃殿下御父上誕生の地
樹種 ハマナス
寄贈 北蒲原郡聖籠町
平成五年十一月十三日
新発田市皇太子殿下御成婚記念実行委員会
「清水園」を管理する職員に話を聞いてみた。
「何度か、小和田さんご夫妻がお見えになっていますよ。最初は細長い木簡のような札に書いて建てたのですが、奥様から『なんだかお墓みたいね』と言われたので、市のほうであわてて現在の形に作り変えました」
これまで、東宮妃の父親り生誕の地が、わざわざ顕彰される事例はあまりなかっただろう。
平成10(1998)年10月23日のこと、新潟駅では駅長以下総出で皇太子妃殿下の父・小和田恆のお出迎えに奔走していた
新発田市の市民会館で、地元の敬和学園大が主催する小和田国連大使による特別講演会が開かれるためである。
新潟駅では駅長の先導で特別通路を通り、JR東日本新潟支社の正面玄関から用意された車で新発田市へ向った。
駅や道中での警備陣の対応も、地元民によれば「まるで天皇陛下並み」の緊張ぶりであったという。
また、平成21年2月に小和田恆が国際司法裁判所所長に就任した夏である。
恆はオランダから夏休みを兼ねて帰国すると、山形県にある山辺町を妻とともに訪れた。天童市に隣接する
この寒村に足を運んだのは、この地出身で日本人初の常設国際司法裁判所(国際司法裁判所の前身)所長となった安達峰一郎(1869〜1934)の生家を訪ね、同時に山形市で記念講演を行うためだった。
なにしろ皇太子妃の父の来訪とあって、地元での歓迎ぶりはいやが上にも盛り上がった。
この日、恆は国際司法の先達の生地に自らの手形と署名を残した。
翌年、生家前には黒御影石の立派な記念碑が建立された。石碑に刻まれた文字は、
「山辺町来町記念 国際司法裁判所所長 小和田恆」
とあり、中央に実物大の右手形が刻印されている。名前も自らの直筆文字を彫ったものだ。
もちろん、恆が申し出たわけではなく山辺町の役場やロータリークラブの発案で製作されたのであろう。
しかし、生誕の地の木札も、来町記念の石碑も本人の許可を得て建てられたものである。
個人の感覚はそれぞれ違うが、人前で自分の印象を強めるような振る舞いを極力避けてきた
正田英三郎との差異は歴然だといえる。
一方、ご成婚前に、小和田家の系図を遡って用意しようとしていた宮内庁は、部落解放同盟から思わぬ抗議を受けた。雅子さんの父方、三代前の金吉以前が繋がらず、調査に行き詰っていたときである。
今の時代、出自で人を云々することは、もとより許されない。だが、一般とは違う立場の歴代の皇太子妃はこれまで厳密な系図が準備されてきた。
「身元調査は差別である」との抗議が、部落解放同盟中央本部の機関誌『部落解放』(平成5年6月号)に掲載された。
抗議文から、一部引用しておこう(部分引用)。
「本年一月六日の『皇太子妃内定』の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。とくに、小和田雅子さんの『家系図』の掲載や『家柄』賛美などの過剰ともいえる報道内容、そして、『皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査』などと、宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています」
抗議文は3月16日付で、宮沢喜一皇室会議議長(内閣総理大臣)、衆議院議長、参議院議長、宮内庁長官にも送付された。
個人情報の管理が以前よりはるかに厳しくなっている時代に、「身元調査」は確かに差別といわれるのも当然である。
しかし、家柄や血筋と、家風や伝統は異質のものだ。子供にどのような教育をほどこすかは、
それぞれの家の価値観によって異なる。
(略)
続きます。
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4296
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2017.12.05
雅子様A@家系(3)小和田雅子の家系のトリック
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4300
続きです。
小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う
あるホームページから syutuji.htm
江戸時代、山屋家は代々俸禄二人扶持の下級藩士であったてことでこれはこれで間違いではないけれど俸禄二人扶持は厳密に言うと武士ではない
扶持取りは原則非戦闘員なので戦の時は雑用係。平時は中間か小者だったはず
壬申戸籍(明治5年制定・昭和43年に封印)には「士族」ではなく「卒族」となっているはず
小和田金吉(宮内庁が隠蔽する小和田家の歴史)
まず、小和田新九郎と小和田新六匡安と小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡)が、
兄弟であることには間違いない。
新六の息子が小和田郡蔵。匡春(道助)の息子が勝治であることも間違いない。
勝治の弟が兵五郎であることも間違いなし。
小和田兵五郎の息子が小和田匡利(道蔵)であることも間違いないのである。
さて、問題はその先、小和田匡利(道蔵)の3男となっている小和田金吉。
こいつがクセものである。
雅子様の父が小和田恒。祖父が毅夫。
曽祖父が小和田金吉であるが、この金吉、1867年生まれのあたりの人になるが
この人の代に村上を離れ新潟に移住した。
だが、この人が村上を離れた年もわからない。村上にいるとき何してた人かもわからない。(足軽ということになっている)
どうも金吉の父は小和田匡利(道蔵)となっているがそうではないらしい。
宮内庁が隠蔽してるのはこの金吉の父の名前がわからないということと、半島出身という点らしい。
小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う
※1868年時点で(もし生きていたら)
・小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡) 74歳
・匡春(道助)の次男 勝治 48歳?
・勝治の弟兵五郎(5男として) 42歳?
・小和田兵五郎の息子(3男)が匡利(道蔵)15歳?
・匡利(道蔵)の次男金吉 1才
金吉の戸籍がないのは明治30年代に金吉が死亡し(若死)
死亡から80年たって雅子様が嫁いだ頃戸籍は処分されたからではなくて初めから存在しなかった。
(明治19年式戸籍ならどんな役所でも取り寄せ可能だし、19年式戸籍を廃棄している自治体はほとんどない。)
以上
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小和田雅子の系図のトリック
部落解放同盟系の研究者である上杉聡
マスコミが発表した小和田家の「優秀な家系図」の欺瞞性を指摘
『戸籍解体講座』
上杉聰
次の応用問題にいきたいと思います。お手元の資料の中に小和田雅子さんの系図が載っています。
この小和田雅子さんの系図が掲載された時、これは『朝日新聞』からとってきたんですけども、海軍大将なんかのりっぱな家系の娘さんだということが盛んに言われました。
これに対して部落解放同盟が抗議をしました。
宮内庁が四代前まで徹底的な調査をすると言っていたことに対して抗議をしたということは、やはり解放運動のおかげだというふうに思うんですけども。この系図を見て、うっかりすると唸ってしまうといのもまた我々の性なんですね。
そこで、これまでの予備知識を踏まえて、私もちょっと動揺を押さえながら、これをじっくり見てみました。
そうすると問題点がだんだん見えてきたんですね。一番上を見ていただきますと、
小和田金吉、田村又四郎、江頭安太郎、山屋他人、この人たちは聖母マリア様でもあるまいし、一人で子どもを生んでるという恰好になるんですね。
その下の段階になると男、女が確実に書かれてあるんですが、一番上の四人は配偶者なしなんですね。
一人で子どもを生んじゃってるんですね。
これ、「処女懐胎」じゃなくて「童貞懐胎」っていうやつですかね(笑)。
これは何だ、というふうに考えれば、やはり先ほどの、女は家系図から除かれる傾向を代表しているんだろうというふうに思うわけです。
それともう一つ。
二段目になってきますと、右の方に静さんという人と、
それと一番左に寿々子さんという人がいますね。これ、肩書きがないんですよ。
さらに寿々子さんの下に優美子さんという人がいますが、この人は外務省のキャリア・ウーマンということで、鳴り物入りで宣伝されたのもかかわらず、肩書きがないですね。
女性は一人として肩書きがないんですよ。
これも問題ですね。みんな専業主婦だったのか。
まさかそうじゃないですね。
これはやはり、女性は肩書きを除く傾向にある。
肩書きを除くまでして何で載せているのかと言えば、どうもそれは、海軍大将の山屋他人から雅子さんまで引っ張ってこようとすると、寿々子、優美子という二人の女性を経由してしかもってこれないわけですね。そのために肩書抜きで載っけているわけです。
それからもう一つ思いますことは、たとえば山屋他人さんには配偶者がいるはずなんですが、その子は一人っ子なのかということですね。
さらにその下のチッソの社長と寿々子さんの間にできた優美子さん、
これも一人っ子になっているんですね。
それから右の方の田村又四郎さんも一人っ子で静さんを生んでいる。
小和田金吉さんも一人っ子の家庭だったのか、と。
どうもおかしいんですね、これね。
これ、除かれているんだと思うんですよ。
まず女性は徹底的に除いたんだろうと思います。
そして肩書きがとるに足りないと考えられた男性も。
たとえば江頭安太郎さんの息子さんは三人おります。
隆さんと古賀博さんと豊さん。
豊さんが元チッソ社長というのが誇らしげな肩書きなのかどうかは問題がありますが、それはおいておきまして、この中で隆さんは肩書きがないんですよ。
何でかなと思ってよく見ると、その下にですね、評論家の江藤淳がおるんですね。
この江藤淳をもってきたいために隆さんを載っけてるんですが、
隆さんには肩書きがないんです。
書くに足らないような肩書きだと判断したんだろうと思うんですね。
この系図から除かれた男、女性も惨めですが、名前だけ書かれて肩書きを除かれた男も惨めだと思うんですね。
女性差別は必ず男性差別にもつながるという典型的な例だろうと思います。
そうすると、果たしてこれでも系図と言えるのか、ということがだんだん見えてくるわけですね。
要するに、何とかして雅子さんと海軍大将とか江藤淳とかを関係づけたいために、つないでみせたにすぎないわけですね。これはものすごい宣伝文書です。
彼女の血筋、家系がいかに立派かということを宣伝するための図です。家系図でも何でもないんですね。
それなのについ「なるほどね」と、私も含めて思いたくなるということです。
本来なら笑ってしまってもいいようなものが、大新聞に堂々と載せられて、我々も抗議すらしない。
我々の感性がいかに鈍ってしまっているのか、ということを思うわけです。
続きます。
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4300
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2018.04.25
雅子様A@家系(4)小和田家は朝鮮人密入国者の家系の可能性あり
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4349
ざっとまとめますと、、、、
・小和田家は村上藩士の小和田家とは無関係。
・小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う、つまり嘘っぱち。
・宮内庁が公表している小和田家の家系図は、小和田雅子の血筋、家系がいかに立派かということを宣伝するための捏造家系図であり、家系図とはいえない。
・家計調査が入ったら、部落解放同盟から「差別を増長させる」として抗議がきた。
以上の事柄からみて、父母どちらかがかつての被差別階級につながる血筋であること、宮内庁から公表されている家系図がうそっぱちであることがわかります。
今は旧社会の階級制度からは解放されている時代です。仮に推測や指摘通り、最下層の階級の出身でもいいんじゃないのか、と思われる方もおおいとおもいますが、問題は、一族ぐるみで、日本国にたいする破壊活動に与していること、日本の国や国民を裏切っている可能性が高いところにあります。
話を家系にもどしますが、小和田家の先祖が、どこから来たのか、それは、小和田家の過去の行動や経歴からみていくと大方推測は可能です。
結論をいうと、北朝鮮からきた工作員の家系と思われます。
テーブルに置かれた、北朝鮮にゆかりのある花。
ハワイの韓国軍の記念施設に「コリアン プリンセス ベビー像」を設置
雅子さんが、愛子さんを生んだら、韓国人が大喜び。
なぜコリアンなのか、プリンセスなのか、という問い合わせが殺到したあと、「これは李方子さん」とごまかして、像を撤去。
東宮御所で飼われていた珍島犬の存在
時期的にみて、韓国大統領が北朝鮮の金正日におくった2頭のつがいの犬の子孫と思われ。
犬を飼い始めたときの宮内庁からのコメントは、
・東宮御所にメスの野犬が紛れ込んだ。
・犬は10匹の子供を産んだ。
・2匹を残してあとの子犬は職員で分けた
とか言ってましたが、
・東京に野犬はいない。
・中型犬が生む子犬の数としては10匹は多すぎ。ありえない。
・厳重な警備と張り巡らせれた柵を突破して犬が侵入することは不可能。
北朝鮮から下賜された犬かどうかは推測ですが、見た目からみて珍島犬なのは間違いないでしょう。
そして、よど号ハイジャック犯との関係
第67代総理大臣福田 赳夫
・雅子の父、小和田恒は福田首相(父)の秘書だった。
・秘書仲間に小泉純一郎がいた。
・小泉の父は鹿児島の朝鮮部落の出身であり、小泉の母は横須賀の朝鮮系ヤクザの娘だった。当然、小泉自身も、一滴も日本人の血を引いていない朝鮮系である。嫁も在日なので、3人の息子も当然、純朝鮮人である。
・よど号ハイジャック事件が起こった。
・莫大な身代金を与え、世界から非難された。犯人は北朝鮮へ亡命した。
・よど号ハイジャック犯が、新潟の朝鮮部落に居住していたころの小和田家と近所であった。
・よど号ハイジャック事件後、北朝鮮による拉致がはじまった。
・政府(自民党)は長い間、拉致事件に取り組まなかった。
横田めぐみさんの父「政府は、北朝鮮に弱みを握られているのではないのでしょうか」
・小泉が首相になった時、突然、北朝鮮を訪問。5人の拉致被害者を連れて帰った。
・仲立ちしたのが、総連の実力者だった。日朝に交流がない状態では、パイプがないと成立しない会談だった。
・噂によると、金日正は、小泉を別部屋につれていき「あなたの父祖の国へようこそ」といったとか。
マスコミは、小泉の手柄のように書いていたが、小泉が朝鮮人であることを自ら暴露したことでもある。
ここから、単純な推測が成り立ちますね。
・福田、小泉、小和田は、朝鮮系あるいは部落のつながりの仲間であり、代々、北朝鮮の工作員。
・よど号事件は福田と北朝鮮の共謀したヤラセだった。
・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。
・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。
あくまで推測ですが。
さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。
・福田家は、群馬の部落の家。
・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。
・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。
なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。
しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。
まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。
大日本帝国時代の朝鮮
小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。
併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。
このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、
・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。
・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。
・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。
・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。
などが考えられます。
故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。
小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。
母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。
雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。
さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。
つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。
続きます。
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4349
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2017.11.18
雅子様A@家系(5)小和田家の家業は犯罪?
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4435
今は江戸時代の階級制度から解放された時代であり、仮に皇太子の妻が、朝鮮系でもあるいは被差別階級につながる家系でも問題ないのではないか、と思われる方も多いと思います。親王妃になる方のご性質やご家族が立派な方であるなら、管理人も何代か前の先祖の境遇は問題にならないとは思います。
しかし、ご本人やその家系が皇族になるにふさわしくない場合、犯罪性があった場合、あるいは、国家破壊を目的としてて活動している家系である場合は、最下層からきた方であっても、あるいは名門であっても問題にしなくてはならないと思います。
こちらからの続きです
この写真一枚でも、不思議が一杯ですね。
・コスプレ感満載の、サングラスをしたお寺さん。
・数珠を持たないのは何故。
・つぎはぎだらけの墓石。
そして、この感覚感性、恥も遠慮もありません。自らをなんだと思っているのでしょう。まともな日本人なら恥ずかしくてできないことです。
小和田恒の石碑
なんじゃこりゃ?
小和田家の人々は自らを「宮家のようなもの」「準皇族」と称し、けじめのなさが非難を集めています。
・雅子が出席するはずの場に、出席できない雅子のかわりに妹がやってきた。
・東宮御所に住み着き、公使のケジメなく私物化している。
・東宮家の御静養に、妹の家族が一家ぐるみで同行する。東宮家の御静養は、ディズニーランドを貸し切り、スキー静養のおりにはホテルも貸切っての「御静養」です。新幹線も車両は貸し切り、莫大な費用が生じます。警備に動員される警備の費用も同じく税金から出されます。それに便乗して恥るところをしらないのが小和田家です。
・集まる大衆に向かって雅子の妹が、皇族になりきって手を振る、あるいはカメラを向けるなど、けじめのない行為が目立ちます。
・小和田雅子の母親が御所に来ては、調度品や美術品を持ち帰るという噂もあります。こうした噂が本当臭いのは、小和田優美子がつけているブローチを堂々とつけていることなどで、その性質を察することができます。
皇族女性の宝飾品は皇室財産であり、国家財産であり、所有権は国にあります。結婚などで、皇族女性がなんらかの事情で皇室を去る場合はおいていく決まりです。小和田母子がしていることは、国家財産の横領に値します。
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小和田恒@ 二重スパイ疑惑
2015年11月30日 MI6コードネーム「ムツヒト」皇太子の義理の父、小和田恒はソ連との二重スパイだった、今も怪しい
※転載させていただいてます。
皇太子妃父の小和田恒は、旧ソ連では有名なスパイでミトロヒン文書にも明記されています。
KGBスパイとして活動した駐ソ連日本大使館勤務経験のある外交官たちがいる。ミトロヒン文書では「OVOD」(2回もハニートラップに引っ掛かった)、「MARCEL」などの存在が明記されています。
モスクワ時代、誘惑したのはロシア語教師で2回も行為を撮影され工作員にされた。(コードネームアナグラム)
レフチェンコが実名を明らかにしたのは、自民党の石田博英氏(フーバー)、社会党の勝間田清一氏(ギャバー)、伊藤茂氏(グレース)、佐藤保氏(アトス)である。
その他、レフチェンコ・メモに実名が記載されている人物に上田卓三氏がいる)サンケイ新聞編集局次長の山根卓二氏(コードネームは「カント」)、読売新聞の外山四郎記者(トマス)、テレビ朝日の三浦甲子二専務(ムーヒン)、『インサイダー』の山川暁夫氏(バッシン)の実名が明らかにされている。
実名は不明ながら、サンケイ新聞東京版記者で山根編集局次長を補強しうる「デービー」(コードネーム・以下同)、韓国問題専門家の東京新聞記者「カミュ」、共同通信記者の「アレス」、大手新聞元モスクワ特派員の「アギス」、フリージャーナリストの「ドクター」外山四郎氏、三浦甲子二氏。
東京新聞記者の「コーチ」、朝日新聞の「BLYUM」、読売新聞の「SEMIYON」、産経新聞の「KARL」(あるいは「KARLOV」)、東京新聞の「FUDZIE」、社名不詳大手新聞の「ODEKI」、社名不詳ジャーナリストの「ROY」
自民党関係者にさらに2人のエージェントがいたと指摘されている。
自民党議員の「KANI」と、田中角栄の側近の「FEN」は「フェン・フォーキング」と同一人物?
一部週刊誌(新潮)にも記載されていましたし、ジャーナリストからの情報ですか ら情報は確かだと思います。
民主党政権時に公安情報がかなり紛失・消失したとのことです。
(民主党政権時の国家公安院長の名前を思い出してみてください)
再構築しなければならないので、情報を提供してほしいと古屋議員から言われま した。
以上
続きます。
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4435
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2017.12.05
雅子様A@家系(6)小和田家の家風 ソ連文書からみるスパイ小和田夫妻
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4439
続きです。
1967年モスクワ
※こちらより転載させていただいたうえに、編集しています。
【武器輸出三原則違反】犯罪人的発想
雑誌正論2008年1月号 佐々淳行
カンボジア総選挙国際監視団に日本の文民警察を派遣するとき、装備として拳銃と若干の小銃、それに防弾チョッキを持たせようと提案したら、外務省の小和田恒が、
「丸腰で行け! 装備をもたせると、帰るときに売っぱらい、武器輸出三原則に違反するから」と言い放った。
日本の警察をバカにしたような発言に驚いた。
以上
※帰るときに売っぱらい、、、その発想は堅気の日本人にはない(管理人)
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【論文紛失】国費留学しつつも、博士号はとっていない。
ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトP8
ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。
ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。
そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。
いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、その時はもう日本に戻らなければならなかったから。
当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。
それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。
トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。
以上
※博士号をとっていないいいわけが、陳腐すぎる気がする。(管理人)
機密費横領
防衛省OB太田述正メルマガ「小和田恆さんいい加減にしなさい。」
皇太子殿下の嫁の実父という立場にある君は恐れ多くも、皇太子殿下を利用し、次から次と悪事を働いて来ましたね。
ある時は、後藤田正晴氏と組んで想像も付かないような恐ろしい悪事を企てましたね、
元日銀総裁の三重野康氏を使って実行した事は日本国の信用を著しく損ねたのみならず、皇室の尊厳を著しく傷つけました。
それに懲りずに今度は武藤敏郎日銀副総裁(当時)、飯島勲(元小泉総理秘書)、等と組んで小泉純一郎氏を巻き込み某国の大統領にまで手を延ばして、恐ろしい事をしましたね、その時も恐れ多くも、皇太子殿下を欺いて利用しましたね。
【日銀総裁の座を狙っていた小和田恆氏】
何故小和田氏は日銀総裁の座を狙ったのか、それは国連大使、オランダハーグの国際司法裁判所判事と歩んできた最後の仕上げであった。
今、小和田氏は武藤総裁を実現して最後の賭けに出ようとしている、
これは皇室に災難をもたらす、あまりにも無謀な恐ろしい暴挙であると言わざるを得ない。小和田氏自身のみならず皇太子殿下にも災難が及ばないとも限らない。
このうえは天皇陛下の御英断を煩わせる他にないのか?
小和田氏はかねてソヴィエットロシアの大使館に勤務していた時、北朝鮮の工作員と接触しましたが、その時利益供与を受けたという疑いが某国の諜報機関に持たれています。
いづれにしても、小和田氏の信用と評価はアメリカでは最悪であり、EU諸国に於いても最低だと言われています。
自らの立場を猛省されて身を処されたらよいのではないか。
以上
ソ連共産党日本人工作員のなかに、小和田夫妻の名前が??
ソ連共産党・日本人工作員
70年2月26日に、ソ連共産党政治局は、日本社会党とその機関紙に助成金を支給 するために、合計10万ルーブル(当時、3571万円)の支出をKGBに承認し た。類似した助成金は、毎年払われたようだ。
たとえば、72年に支払われた10万ルーブルのうち、6万ルーブルは政治資金とし て各議員個人に渡された。
1万ルーブルは日本社会党とソ連共産党の交流資金、2万ルーブルが日本とアメ リカおよび中国との関係に打撃を与えるアクティブ・メジャーズ工作資金、1万 ルーブルが日本社会党に公明党や民社党など他の野党と提携させないためのアク ティブ・メジャーズ資金として使われた。
社会党最高幹部と自民党大物議員
▽勝間田清一コードネームはGAVR。
彼は66年の日本社会党書記長選挙の次点者で、74年 にその党内地位を強化するために400万円をKGBから受け取っている。 KGBでは社会党中道派のリーダーと評価されていた。
(※ミトロヒン文書に勝間田氏の名前はないが、後にレフチェンコ氏が GAVR=勝間田氏と断定した)
▽佐藤保 コードネームはATOS。
社会党左派(マルクス主義派)のリーダーで、4つ の党刊行物の責任者だった。KGBファイルには、佐藤氏が日本社会党機関誌に 記事を掲載するための資金として73年10月に40万円をKGBから渡した記録がある。
(※ミトロヒン文書に佐藤氏の名前はないが、これも後にレフチェンコ氏が ATOS=佐藤氏と断定)
▽ALFONS(実名不明)
社会新報に記事を書いていた。72年に250万円受け取っている。KGBファ イルには、社会新報に記事を書くために15万円が支払われた記録もある。
▽DUG(実名不明)
日本社会党委員長に非常に近かった社会党員。選挙資金として72年に39万円を 渡された。
▽DIK(実名不明)
選挙ビラとポスター制作費として72年に20万円を支給された。
――それ以外にも、社会党でKGBエージェントとファイルされていたのは以下の 通り。
▽JACK(キリル文字でDZHEK/実名不明)
73年からエージェント。社会党議員。
▽伊藤茂コードネームはGRACE。
社会党議員で党中央委員会のメンバー。おそらく 75年よりエージェント。
(※ミトロヒン文書に伊藤氏の名前はないが、これも後にレフチェンコ氏が断 定。レフチェンコ氏はその他に、ミトロヒン文書に出てこない2人の社会党員 「RAMSES」と「TIBR」の存在も断定している)
▽DENIS(実名不明)
江田三郎・社会党書記長の親しい側近。
▽KING(実名不明)
後に日本社会党の幹部となった。
▽KERK(実名不明)
勝間田派議員。KGB東京支部と日本社会党執行部のコネに重要な役割を果たした。
▽上田卓三・社会党議員
親ソ派の学者で「山本」という人物が、KGBの協力者として議会で影響力を行使したという。「山本」がリクルートされたのは77年。以後、彼はKGBの意に 沿うような国会質問が出るように議員に働きかけた。
▽石田博英・元労相(自民党幹部)
▽「HOOVER」自民党幹部の石田博英・元労相
石田氏は73年2月に「日ソ友好議員連盟」(コードネームはLOBBY)の代表 になり、同年の8月〜9月の訪ソ団の団長となった。この訪ソ団は17年ぶりの日 本国首相の訪ソとなる田中角栄首相訪ソの直前に行なわれた。石田氏がソ連中央 で重く扱われるようにKGBが裏で支援した。
石田博英氏は70年代を通じて日ソ友好議員連盟を足がかりに、「影響力のエー ジェント」として使われ続けた。
77年には、KGBの要請に基づき、彼は個人的に福田赳夫首相に意見した。
※福田赳夫は小和田恒の親分
モスクワの日本大使夫妻がソ連反体制派と接触し、「歓迎されざる人物」になっ たから、日本に呼び戻すようにということだった。
※モスクワの日本大使夫妻=小和田恒で間違いないと思います(笑)
09 Jun 1993 — PRESS CONFERENCE WITH THE PARENTS OF MASAKO OWADA — Image by © HARUYOSHI YAMAGUCHI/CORBIS SYGMA
▽田中角栄の側近だった「FEN」
角栄秘書『フェン・フォーキング』はこの中に?
曳田照治 榎本敏夫 山田泰司 田中利男 遠藤昭治 田中勇 高鳥修 佐藤昭 子 早坂茂三 麓(ふもと)邦明 古藤昇司 朝賀昭 工藤節子 中村喜四郎
本間幸一 小長啓一 桜井新 小谷兄弟 樺沢 城谷 片岡憲男 井上孝
高橋国一郎 下河辺淳 小野吉郎 西村尚治 長田裕二 山下元利 林義郎
大村襄治 両角良彦 小長啓一 後藤田正晴 秦野章
政治家『フェン・フォーキング』はこの中に?
木村武雄 西村英一、橋本登美三郎。二階堂進、小沢辰男、久野忠治
愛知揆一、木村俊夫 江崎真澄、小坂徳三郎 後藤田正晴 山下元利
小沢一郎 小沢辰男 渡辺紘三 高島修 西村英一 橋本登美三郎
木村武雄 植木庚子郎 足立篤郎 原田憲 亀岡高夫 前田正雄
金丸信 竹下登 橋本龍太郎 小渕恵三 田村元 小坂徳三郎
林義郎 大村襄治 羽田孜 梶山静六 渡部恒三
奥田敬和 高島修 佐藤恵 石井一 綿貫民輔
斎藤滋与史 中山利生 佐藤守義 稲村利幸 野中英二
有馬元治 浜田幸一
▽自民党議員の「KANI」→金丸信?
マスコミの記者
日本社会党機関紙以外に5人の一般マスコミの記者が特定。
・朝日新聞の「BLYUM」
・読売新聞の「SEMIYON」
・産経新聞の「KARL」(またはKARLOV)
・東京新聞の「FUDZIE」
・社名不明な主要新聞社の上級政治部記者の「ODEKI」
▲ジャーナリストの「ROY」=「ARES」(同一人物)
日本の防諜機関上級幹部の「KHUN」をリクルートするのに役立った。 KHUNはとくに中国に関する機密情報を提供した。
▲「FET」(あるいは「FOT」)
この人物については具体的な情報はない。
▲山川暁夫・インサイダー編集者
▲サンケイ新聞の編集局次長だった山根卓二氏
(コードネームはKANT)
▲三浦甲子二・テレビ朝日専務
▲杉森康二・日本対外文化協会事務局長
MADE IN RUSSIA―ロシアは何をつくったか 単行本 – 1997/11
森本 忠夫 (著), 江南 和幸 (著), 杉森 康二 (著)
2人の日本外交官
■「RENGO」
RENGOはまた、自ら新たなエージェントのスカウト
■「EMMA」
EMMAには、彼女がエージェントになったまもなく、運営者によってハンド バッグが与えられ外交文書の写真を複写するためのミノックスカメラが仕込まれていた。
■「OVOD」→小和田恒
合計6年間のモスクワ勤務の間に2回、ハニートラップに引っかかり、それをネ タにエージェントに仕立て上げられた。
彼へのハニートラップのうち2回目のほうは、MARIANAというコードネー ムのKGBエージェントによって実行された。彼女は、OVODのロシア語教師 として雇用されたが、まもなく男女関係となり、その性交渉時の写真が撮影さ
れ た。OVODはいやいやながらも、KGBに協力することを承認した。
■70年代前半にモスクワに駐在していた電信官「MISHA」
LANDYSHというコードネームのKGB工作員が誘惑したケースだった。
MISHAは、70年代後期に「NAZAR」というコードネームでKGBに運営 されていた東京の外務省本省に勤務する電信官と同一人物である。
■「MARCEL」
MARCELの協力で、「KONUS」というコードネームの自衛隊の駐ソ連の 防衛駐在官もリクルートされた。
KGBの科学技術情報スパイ
70年代に日本のハイテク産業と研究所の幹部職にある日本人エージェントは合計16人
◎東京地域のハイテク会社の社長で、「TONDA」
米国の空軍とミサイル部隊のための新しいマイクロ・エレクトロニクスのコン ピュータ・システムに関する重要な機密資料をKGB東京支部に提供した。
◎半導体製造会社オーナーの「TANI」
日米の半導体の機密情報やサンプルを提供した。
◎「LEDAL」日本の大学の半導体研究の責任者。
◎日本のハイテク産業と研究所の幹信技術研究者の「ARAM」
◎通信技術者の「ARGUS」
◎東京大学の科学者である「BRAT」
◎宇宙研究者の「EYR」
◎微生物学者の「KANDI」
◎物理学者の「KARI」
◎宇宙学者の「KISI」
◎日立社員の「RIONI」
◎三菱社員の「SAK」
◎技術専門家の「SOT」、
◎赤外線分光学者の「TAIR」、
◎電子技術者の「TONI」
◎核科学者の「UTI」
などである。
グレーゾーン工作員
※ソ連通でスパイではない?
自民党:鳩山一郎、河野一郎、赤城宗徳、田中角栄、中川一郎。
社会党:成田和巳、石橋正嗣、勝間田清一、飛鳥田一雄、土井たか子、五十嵐広 三、高沢寅男、山本政弘、岡田春夫、岩垂寿喜男、伊藤茂。
その他:三浦甲子二、杉森康二、堤清二、松前重義(東海大総長)、池田大作 (創価学会名誉会長)、千田恒(元サンケイ新聞記者)、秦正流(元朝日新聞編 集局長)、白井久也(朝日新聞記者)、中村曜子(画廊「月光荘」経営者)、長
谷川千恵子(画廊「日動画廊」経営者)、柴野安三郎(札幌日ソ友好会館オー ナー)、岡田茂(東映社長)(以上、肩書きは同書のまま)
ソ連崩壊後、中国共産党、北朝鮮のスパイに転向したものも多いのではないか。
コードネームをつけられているものは、KGB側が認めているスパイ。
続きます。
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4439
▲△▽▼
お笑い「小和田家」家系図 2018-10-15
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/f0ffe3a0cf6cc2088255576c74fa4848
ここ、結構笑えるので息抜きにたまに拝読させていただくのですが、今回はまた吉本的お笑い家系図の掲載。
遂に小和田家家系図完成!! だって。
http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2312.html
突っ込もうかどうしようかと迷っていたら、トド子さんがいち早く目に止めて記事にしていらっしゃいました。
雅子卑のカレ〜なルーツニダ♪
なので、わざわざこちらで追求する必要もなくなり手間が省けて助かったのですが、それにしても「遂に小和田家家系図完成!!」って、雅子さまが入内されていったい何年経過しているのやら、即位直前になった今頃「家系図完成」とか。本家分家の区別も解らないまま、ずさんなこと。
それに無関係なはずの素人さんがわざわざ新潟まで出かけて調査、自費で「小和田家の家系」を調べます?
次男三男に養子がいたことにするとか・・・・嘘ももっとリアリティを持たせなくては。
武士の系譜という触れ込みですが、武家に「金吉」などという名前はありません。
後記 コメ欄にご指摘を頂きました。
>有馬藤吉、有馬彦吉、有馬静吉(有馬姓が並んでいたので一族でしょう)伊集院兼吉や、伊集院末吉もいます。
以上ですが、単に語感の問題なのかもしれませんが「金吉」に未だ違和感。
なぜなのだか?
最近はブログ仕様が異なって「いいね」ボタンがなくなりましたが、以前はコメントがどっさりある割に「いいね」がゼロという、不思議なブログでした。
と指摘されてから、仕様を変えたかな? コメントを書き込んでみたら、数分後にブロック。仕事、早いです。
秋篠宮殿下、妃殿下、悠仁親王殿下を悪し様に罵っているブログです。返す刀で皇后陛下を斬りまくり(まるで雅子妃が姑を見る目線で)、その一方高円宮家は褒めそやし・・・・という解りやすさで、どういう立ち位置の「身内」か見えて来るような? 文章にはそこはかとなく加齢臭。
即位を目前に、疑惑が再燃、吹き出すのを怖れて相当焦っていらっしゃるような。
こんな、すぐ見破られるような家系図を持って来たら、小和田家の家系のいかがわしさが、逆に見えて来るでしょうに。
いとこ(男)さんが大阪の精神病院に長く入っていらっしゃることなど、通名屁カテさんはどのように、今後は言いくるめるか楽しみなことです。外務省入省は、当時あったVIP子弟採用枠5人のうちの一人で縁故採用だとか、奥参事官との不倫とか。
ついでに言っておけば、雅子妃が精神に変調を来たしたのは皇室のせいなどではありません。元々ご家系にその因子をお持ちでした。
出自云々や精神を病んだ方への誹謗でも差別でもありません。あくまでも、宮中には入るべきご家系の方ではなかったという論旨です。江頭家も含めて。
I write my will across the sky in starsは、I write my lie across the earth in shit.
と書き換えたほうがよさげ。
トド子さんが紹介していらっしゃるけれど、こちらのブログさんが通名屁カテ様の基本的嘘の論破となりそうです。
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/syutuji.htm
台所婆は有名ですが、もう一つ身内臭がするサイトがこちらです。
h ttps://blog.goo.ne.jp/index2013/e/668bb73fc657778f7d78fe29e96604d3
これに対しても、上記のブロガーさん記事でその嘘がばれるでしょう。
しかし、あちら必死です。身内勢とあのワールド***という新興宗教勢でしょう。
情報をいくら操作しても無意味だと思います。即位されてからの雅子妃はより目立つようになり、それと共にいかがわしさも表に出ます。東宮の在位期間は短い、最長10年と思っていますが、それは単なる直感に過ぎません。
ついに小和田家【出自】の秘密
2018-03-22 17:44:30
被災地訪問にも出る、品格の差。
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/f0ffe3a0cf6cc2088255576c74fa4848
まず小和田恒氏「ごときが」という言い方も、
当日小和田氏の出版記念パーティに出席したメンツを見れば、
妥当ではないでしょうか。
イメージ 1
*1994年9月 小和田国連大使の出版記念パーティー。
7日、帝国ホテルで行われた小和田国連大使の出版記念パーティー。
政・官・財界などから、
福田赳夫、宮沢喜一、瀬島龍三氏をはじめとする
約二百五十名が出席する華麗な会となった。
弱小出版社からたかだか2千部を出したに過ぎない自著(部数から推して自費出版の可能性?)のパーティを帝国ホテルで開く・・・・・・田舎趣味。
本人は華やかな場が嫌い、とのたまってますが、
それなら何も出版記念パーティなど開かなければよいわけだし、
招待状を元総理2名に出す如きことは、控えれば良いだけでしょうに。
田舎者の屈折した、目立ち好みだと思います。
いやいや、いやと舞台から去りながら、
でも首はスポットライトのほうに突き出してる、みたいな?
「目立ちたくない人」がこの恥ずかしい立て札放置?
イメージ 2
放置どころか、令夫人が「これじゃあ、お墓みたい」とクレームをつけて、
大きく作り変えさせたのですってよ。
たった2千部で帝国ホテル!!
今、出版に詳しい知人に問い合わせたらやはり、自費出版っぽいとのこと。
コミケの壁サークル(コミケの大手)なら、5千部出るって笑ってました。
それも1日間で。3日間で万を刷りますって。
イメージ 3
¥566 より 14 中古品の出品
¥ 5,033 より 1 新品
カスタマーレビュー皆無。
コミケに敗けた皇太子妃父。
礼子さんが、お得意の自作自演で褒めてあげればよいのにねえ。
(自著を、Amazonのビックレビューで、自分で褒めまくり、
その時自らの洗礼名を使って、ばれちゃった事件があるのです)
宮沢喜一、福田赳夫、そして本人。このメンツで何が解りますか?
共通キーワードは「売国奴」
そして「部落」ではないでしょうか。
宮沢喜一
イメージ 4
内閣官房長官時代には、歴史教科書の検定基準に「 近隣諸国条項 」を設けさせ「中韓の感情を害してはいけない」という基準を作り、中韓2国の意向に沿った
『日本を貶めるために創作した自虐史』でないと
教科書検定で合格させないようにした。
内閣総理大臣になってからは、 《 朝日新聞のねつ造記事 》 にのっかり
『 従軍慰安婦 』の存在と『 日本軍による強制 』を認め、韓国で謝罪。
河野洋平官房長官と共謀、「 河野談話 」を発表させ、
世界に向かって「日本は悪い国」と宣言した。
ちなみに、皇太子の考える新たな天皇の姿とは
「国連大使のような仕事をする」です。
売国官吏、小和田恒氏の影響を受けての愚かしいご発言です。
影響というより考える能力がないので、口走っただけ。
国連大使のような仕事をする皇太子や天皇って、どんなのですか?
天皇家の視座はあくまでも、日本でございます。
ローマ法王と肩を並べることの出来るのは世界でもエリザベス女王と
天皇陛下のみであり、その天皇陛下に訪れて頂くことで、
支那は天安門における非人道的行為に対する
世界からのバッシングを緩和させることに成功したのです。
福田赳夫は、やはり媚中で「雅子ちゃんを皇太子妃にする」と
雅子妃の少女期から口にしていた男です。部落出身者の権勢広げか?
小和田夫妻は、福田赳夫の子分であり、
妻の優美子さんは高円宮と通じていました。
お膳立ては整っていたわけです。
イメージ 5
父子で、影に日向に東宮にひっつき虫でコントロール。
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ごく最近の福田康夫の言葉。
「中央日報
http://japanese.joins.com/article/386/209386.html?servcode=A00§code=A10
日本の福田康夫元首相は「韓日関係は離婚できない夫婦のような特殊関係」としながら「相手に対する配慮と信頼、 忍耐力が必要だ」と話した。
・・・・・・・
気色悪いこと言う売国奴でしょう? 国交断絶とまで国民は願い始めているのに。あの韓国に「配慮と信頼」ってw 忍耐は70年間たっぷりさせて頂きました。
こういう手合が総理をやっていたとはね。
こんな韓国ヨイショの父子が
小和田と密着していた事実を忘れないようにしましょう。
美智子さまと雅子さまの入内共通項は、
いずれもマスコミ先行で情報が漏れ、というより意図的に漏らされ
既成事実化されたこと。
美智子さまの時は、海外にまずリークするという手段が取られました。
「ニューズウィーク」当時の日本はアメリカさまの雑誌で言うことですから、
一もニもなく信じこみ、いつの間にか既成事実化。
初の民間からの入内という驚天動地も、
アメリカでまず報道されることで緩和されました。
それ以降の、ミッチー・ブームとやら、
今思えば韓流と同じで仕込みの構造が見え見えです。
反日に転じたマスコミがこぞって皇族を芸能人化。
人気という名のもとに、格を果てしなく落としていきます。
某ワイドショーの方に聞いた言葉。「昔、雅子さんのお母さんって、すごかった。
週刊誌のグラビアで女優の裏に雅子さんが載っているとねじ込む。
雅子を女優ごときの裏にして、貶めないでくださいませ、と。
そして、皇太子妃を、女優、ホステスなどと同等に扱わないでくださいませ、と。
女優とホステスが、優美子さんの中では同格の賤業らしいけど、
雅子さんがあれ上品なの?」
「女優もホステスも努力と才能で自力で懸命に生きてるじゃないの。
たった20メートルしか歩かない皇太子妃と比べたら、
女優とホステスが怒るんじゃないの?」
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皇室会議の議長である岸信介が、
内閣総理である岸信介に通知する形式ですね。
思えば日本の半世紀に及ぶ、これが悪夢の始まりだったのです。
安倍晋三皇室会議議長の名で、廃太子廃妃の通知を
安倍晋三内閣総理宛てに出して頂きたいものですね。
内部で強固な反対論者が多数いたのに、
皇室会議ではあっさり全員一致という不可解も、美智子さま雅子さま共通でした。いえ不可解ではなく、双方ある勢力により初めから仕組まれていた成婚であり、
テニスコートでの出会いも、どこぞのレセプションでの出会いも
フィクションだった、ということです。
雅子さまは、フランスの地方都市コルマールで皇太子と同宿しています。
レセプションで出会ったとされる、遙か以前にです。
はっきり言えば密罠仕掛けなんじゃないですか?
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皇太子妃決定の報道が出る前から、
あちこち出回った小和田雅子嬢絶賛記事の不可解。
抱き合わせでさりげなく、小和田恒氏の持ち上げも。
なんだかねー。
何もかもが嘘。でっち上げ。誰かが書いたシナリオ通りに、
美智子さまと雅子さま、希代の皇室伝統壊し妃たちは宮中に仕込まれました。
お二人共に結局は、GHQの流れに現れた異人(エイリアン)なのだと思います。
正田家、小和田家と皇室からの打診を辞退したり、渋ったりしていますが、
娘を好条件で売りつけるための駆け引きです。「ストラグル」w
いずれも買い手のほうの息子たちが目の色変えて夢中ということを
心得ていての、駆け引き策謀です。
でも双方背後に組織がついていての入内なので、
どのみち決定事項に等しいことでした。
正田は娘が15歳の時からエリート富裕狙いの男が集まるパーテイに出して
婚活させていた家、小和田家では福田赳夫元総理の頃から入内に虎視眈々、
高円宮家ともそのためにつるんでいます。
もっとも雅子さんのほうには、結婚を意識した相手(自民党代議士)がいたので、個人的には渋る気持ちがあったかもしれず、その為に「来てやった」意識は
強いかもしれません。国民には全く関係のない、
迷惑千万な来てやった意識ですが。
実態は異常なまでに上昇志向、権力欲の強い父親に「売り飛ばされた」のです。父親には、娘を使ってのし上がった藤原道長が
理想像としてあったかと思われます。
江頭某という芸人が、雅子妃の母方江頭と縁戚関係だというのが事実なら、
雅子妃の母方実家・江頭家は被差別部落の出です。同じ佐賀の出身。
江頭某が、かつて東郷健という市民運動家の家で
「オレは部落出身者だ」とカミングアウトしたのを、その場にいた人が聞き、
拙ブログ主はその方から個人的に証言を得ています。
その方に失礼ながら幾つも質問を重ね、
その証言の信憑性を確信するに至りました。
筆名江藤淳(評論家 本名江頭)は江頭家について調査しますが、
“手明鑓(てあきやり)”という平時は無役、戦時に槍や具足を携えての身分と
推定しますが、確定的家系図と資料は皆無です。
鮮人と多分ハーフの布袋寅泰を登場時のBGMとして使ったり、
パチンコ業界とも密なので、ある想像をしますが、決定的資料はありません。
某暴露系雑誌の記者に、江頭某が身の上を語ったら
「そんなもの、とても書けません」と言われたいう逸話。
暴露系雑誌に「書けない」といわしめる内容とは、皇室以外に何かあるでしょうか。雑誌名は失念しましたが、拾おうと思えばソースは見つけられます。
時間がないので、さぼります、ごめんなさい。
Wikiにあるはずなので、興味のある方はどうぞ。
ちなみに、江頭某というタレントは佐賀県の出身ですが、
むろん雅子妃の母方江頭も佐賀。
面白いことに、皇后陛下の母上も佐賀の副島家なんです。
いったい、どういう因縁なのか。
副島家も、江頭家も確たる家系図は存在していません。
初代宮内庁長官が「副島は、興信所ではなくもっと調査の必要があった」と、
書き記しているのは、どういう意味なのでしょうね。
おそらく、そういう意味なのではないかと、想像していますが。
在日は在日を地下水脈で実にあっさり嗅ぎ分け、裏でコミュニティを形成します。思うに、部落もそうなのではないですか?
被差別部落への差別がいいとは思わないし、
部落だからどう・・・・と短絡はしません。
けれど、暴力団の6割が部落、3割が朝鮮人、
日本人は1割というごとき現実はあるわけです。
在日利権と同様に部落利権も巨大です。
副島家が佐賀で家系図不詳ということと、
同次元に考査しなければならないのは、群馬正田家の家系図でしょう。
拙ブログの読者間では意見が二分されていて、
部落説、名家説と両方ありブログ主はいまだ結論を出し得ないでいます。
仮に白山神社と、部落エリアに実家があったことを論拠に
「そうだ」と仮定するなら、部落円環がきれいに閉じますけどね・・・・・。
念のため再度申しますが、部落だからどう、ということではないのです。
そのお血筋にあるからいけない、と短絡もしていません。
皇族に部落の血が混じるのも厭いません。
朝鮮人は困りますが。
ただ、言動に不審がある場合出自を探ると半島であったり、
部落であったりすることは多いと言わざるを得ません。
天皇皇后、東宮擁護の頭脳硬直・思考停止連中が判で押したように言う、
皇室はいかなる理由があろうと批評してはならぬという言い方も
理解は出来るのです。それは正しい。
皇室の権威を保つには、守られなければならぬ鉄則です。
但し、皇居の中の人々が最小限の則を保ってくださることを
前提での了解事項です。
外れる人がいるからこそあった、廃太子の制度です。
日本弱体化を目的になされたGHQの政策は、
祭祀を「天皇の私的行為」としてランク下げを行い、
その弊害が日々現れて、終戦後この方現在に至ります。
祭祀や神事を軽んじる皇太子の誕生、忌避する姿勢すら見せる妃殿下の出現。いずれも、GHQの皇室弱体化施策の結実というべきでしょう。
竹田某なる者は皇太子の祈りが真剣である、とのたまいますが、
真剣な皇太子が両陛下の剣璽動座による伊勢参内の時
スキーに一家で遊びに出掛けますか?
お慎みの日に遊びほうけていますか?
大震災の命日に御所でお楽しみ会を開きますか?
さて皇室典範です。
*第三條 皇嗣に、拐~若しくは身体の不治の重患があり、
又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、
前條に定める順序に從つて、皇位継承の順序を変えることができる。
重大な事故に該当する要素はあると思いますけどね・・・。
しかし、皇室会議の委員長である時の総理は、
誰も皇室問題には手を触れたくありません。
触れれば命取りになりかねない、デリケートな問題だからです。
まして時の総理が売国政権の者である時は、放置です。
現在の両陛下、皇太子と皇太子妃殿下のありようは、皇室解体、
日本国の国体の弱体化には、いたって都合のいいお方たちです。
例の朝鮮カルト教団が東宮夫妻に肩入れし、秋篠宮ご夫妻に関わるデマを
流していることからしても皇太子夫妻は反日勢力にとって都合よいのです。
また利用しやすい存在であることは、反日韓国の要人潘基文(パン・ギムン)、
韓 昇洙(ハン・スンス)らの皇太子への接触と交流で解ります。
皇太子も進んで彼らや小和田恒氏の喜ぶことをやります。
人民解放軍少将であり、習近平の妻である彭 麗媛(ほう れいえん、
ポン・リーユアン)への接触。
創価イベントへの出席。池田大作の息子との食事会など。
それでも、擁護連中は現実を見ようとはせず、
皇室批判をするは不敬という原則論に縛られて自らに盲目を強いています。
皇太子と反日潘基文を結びつけたのは小和田恒氏です。
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今や雅子妃入内以来20年間の居座りで、小和田王朝完成。
以外に頭が悪く使えない皇室弱体化乗っ取り要員ではありましたが、
居座ることで小和田反日王朝が宮中に完成しました。
天皇陛下にタイで「謝罪させた」のが小和田恒氏。
河野談話の影の人物、また「韓日」ワールド・カップの影の推進者でもあります。
イメージ 11
イメージ 12
なんで、嫁ぐ数日前の小和田家に北朝鮮の金正日の花が飾られているのかと、拙ブログでは執拗に問い続けています。
仮説の域は出ませんが、江頭が部落なら小和田は北朝鮮ですか?
あくまでも「もし、そうだったら」雅子妃は朝鮮と部落との掛け合わせで、
鳩山幸さんと同じような境遇です。
擁護派は(ひょっとしたら)朝鮮人の即位を認めるのでしょうか。
その論調の拙さからして、「皇室は批判すること能わず」であるなら、
皇室の定義を述べよ、その定義に逆らう者でも皇族と呼べるのか。
皇族の資格を有せぬ者すら、
批判してはならぬというロジックによって成り立つ典拠を述べよ、
と突き詰めても答える能力は有してはいないように見受けます。
論というのは美称なのであって、擁護派の語彙はいかにも貧しく、
ツイッターで呟くか、語彙乏しい連中が寄り集まった掲示板で
主語述語すら定かならぬ、未熟な日本語で数行書きつけるのがせいぜい。
こちらでも、理路整い語彙も備えた反論なら来なさい、
お相手しますと言っているのに、ちょろちょろと嫌がらせが来る程度。
擁護論にロゴス化出来るほどの根拠が無いからです。
東宮夫妻という擁護に実は値しない方たちの擁護は、
しょせん数行が限度だということなのでしょう。
小和田雅子という、記者を指さし恫喝し、
差し出された名刺を記者の前で破り捨て、
また自らを撮ったカメラマンを追いかけ胸ぐらをつかんで
フィルムを廃棄させるごとき荒いヤンキーもどきの気性の女性、
婚約寸前の男性がいた女性、つまり非処女、堕胎の噂さえ根強くあります、
というより・・・・元皇室担当記者から具体的なことを聞いています。
学歴職歴共に著しい疑惑を指摘されている女性が、
一歩皇居の敷居をまたいだだけで皇族となれるのか、なれるなら
そのロジックはいかなる言語で構成され得るのか、答える能力もない者たち、
それが擁護派の頭脳と教養のレベルです。
この酷いアトピー肌も、露出の多い夜会服を考えれば妃失格だと思いますね。
*ここに雅子さんのアトピーの画像があるのですが、
こちらでは、反映されませんので、
転載元様の記事をご覧下さい。
イメージ 13
婚姻により単に皇族という「地位」を得ただけで、そ
の内実が反日性を著しく帯びて、皇室と日本の国体を蔑ろに、
毀損する存在になっていたら、それらをお守りする事こそが反皇室、
反日本となるという論理も理解できぬ痴呆の群れが擁護派です。
雅子妃とその背後の小和田家、それにひきずられる皇太子殿下というのは、
前代未聞の異常な存在たちです。
「自虐史観左翼」小和田恒氏が仕切る東宮。
*ここでも、画像があるのですが、反映出来ないので、
転載元様の画像をご覧下さい。m(_ _)m
何やら老舗の批判論者につきまとい、またこちらのコメ欄にも
犬の立ちションよろしく、短文訪問で数行の批判文をひっかけて行く、
稚拙な擁護論者もいますが、現在までおびただしい時間と費やして、
皇太子と皇太子妃がいかに、皇族という名に値しないか、そ
れ以前に人間としてどうなのか、膨大に記事を積み上げ、提示してきました。
ツイッターの数行で批判した気になるとは笑止です。
語彙とロジックに対しては、語彙とロジックで向き合いなさい、
と申し上げておきます。
焦眉の急は、反日であると言わざるを得ない
皇太子と皇太子妃との廃太子廃妃です。
東宮夫妻は、皇室と国家に害を与える存在になりつつあられます。
皇太子に天皇に即位されたら、韓国に趣き「皇室と朝鮮との濃い関わり」など
述べられ謝罪などされかねず、そうしたら一巻の終わりです。
あり得ない? いいえ、反日左翼勢力が天皇を政治利用可能なのは、
天安門事件以降の天皇皇后両陛下の中国訪問が現実にありました。
訪れても何の効果もなかった、どころか天安門事件への目眩ましの役割を
天皇皇后両陛下が押し付けられた格好です。
こうした状況に加え、皇太子殿下は皇太子妃の実父小和田恒氏の自虐史観にどっぷりと影響を受け、またその手引きで反日韓国人代表、
潘基文や韓昇洙と接触していますから「売る気まんまん」です。
両陛下の支那行きは、教科書の「近隣条項」を作った反日宮沢喜一元首相の
政権下で企まれ、小和田雅子嬢入内は、あたかもそのどさくさにまぎれての
ゴリ押しが見て取れることに留意してください。
そして以後の日本を傷つけ苦しめ続ける河野談話の発表も、
この宮沢政権下であったことに注目。
イメージ 14
「雅子さま」にヘコヘコする、宮沢喜一元総理。
そして河野談話発表に寄与した、時の外務事務次官は誰あろう小和田恒氏であることを、腹に叩き込んでください。天皇陛下訪中に寄与したことも。
池田大作の外遊に便宜をはかったことも。
その「反日左翼男」の娘がなぜ入内出来たのですか?
雅子妃の父親 小和田恒氏の反日思想
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/813fa021b780fc44dc3b10f0ea7a4eec
皇陛下に国辱謝罪させた「皇室使い」の国賊/小和田恒 【保存・拡散希望】
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ec86f08a22b5d6d8c431e44bd6a4c7b5
小和田恒氏を喚問せよ 【拡散希望】
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/0d31e664a65cd09bcd2a054bd2635040
雅子さま入内を素直に喜んだこともありました・・・・(遠い眼差し)
雅子さん入内は、天皇皇后両陛下の訪中に尽力のあった
小和田恒氏への論功行賞であったという見方があります。
(全ての要因ではありません。
他に福田赳夫元総理、そして無論高円宮の暗躍あっての入内です。
小和田優美子氏は福田家、高円宮家と双方へ通じていることに留意)
小和田氏の自虐反日的思想と言い、昭和天皇の反対と言い、
あり得べからざる入内の影には謀略あり。
福田赳夫元首相(媚中)が、雅子さんの少女期に「雅子ちゃんは、
将来皇太子妃にする」と言い放った逸話は有名。
小和田氏は福田元総理の秘書。伏線は昔からあったわけです。
小和田優美子氏は帯に「福」の字を染め抜くほど、福田氏には忠誠を誓った人。
そして高円宮久子妃とも旧知。
マンデラ元南アフリカ大統領の逝去に際して,
追悼式御参列のため南アフリカ共和国へ出向いた皇太子に付き添ったのが、
誰あろう福田赳夫の息子福田康夫(親中)元総理大臣です。
更につながりましたね。
点と点を結べば現れる「売国の輪」。部落の輪。
「韓日ワールドカップ」は、世界のサッカー界にとっても
日本単独開催にすべきでしたが、
ここでも暗躍したのが高円宮と小和田恒氏です。
ちなみに、その天安門広場に弾圧粛清側の人民軍少将としていたのが、
皇太子が自らの意志で会ったと指摘されている彭 麗媛で、
皇太子のこの行動は内閣には無断、反日韓国要人たちとの接触と併せて、
民間なら公安の追尾がつくほどの、反日色の強い行動です。
池田大作関連のイベントに出席なさったことと併せて、ご本人にその反日性を
自覚するだけの知力がおありなのかどうか、そこが心許ない点です。
擁護の連中は、反日行動が皇太子であるゆえに許される、
という論理の根拠を示しなさい。
潘基文と韓昇洙に操られ水の総裁として国費を使い、
国連を訪れ続けている皇太子。
これは昨年の画像ですが、一国の皇太子への扱いではありません。
粗末な部屋で、お座なりなレセプション。
スペインを訪問したときも、どうでもよさげな扱いが露骨でしたね。
海外のほうが正直に、「次期が誰か」を知っています。
*ここの画像もこちらでは、反映されませんので、
転載元様をご覧下さい。
皇太子を取り込むことに腐心している潘基文は名うての反日です。
【韓国】潘基文 国連内で「反日ビラ」ばら撒き
反日国連
https://www.youtube.com/watch?v=pYtsgvEtmSg
あの気色悪い売国怪物、小沢一郎がなぜ国連を愛していたのか。
大反日組織だからですよ。そことパイプのある小和田恒とは何者なのか。
国連には雅子妃の妹も噛んでいたはず。
*池田 礼子は、 国際機関職員であり、
皇太子徳仁親王妃雅子の実妹として知られる。
国際連合職員、国連ユニセフ駐日事務所(東京事務所)副代表などを歴任。
反日組織国連と国連大学に入り浸る皇太子とその妃。
次期大統領候補、超反日・潘基文がなぜ、皇太子と親密なのか。
皇太子妃の母親、小和田優美子氏と
日本ユニセフとの関わりも看過できません。
なにゆえ、池田大作と密着のアグネス・チャンを看板とする
組織に皇太子妃の実母と妹がからむのか。
こちらにはまた半島利権の宮家高円宮家の承子さんが、就職して
ここでもまた、いかがわしいひとかたまりをなしています。
日本ユニセフは鳩山由紀夫の母方祖母が創設者です。
小和田家の関わるところ、朝鮮中国の気配が色濃いのはなぜ。
大体韓国と支那に褒められるって、鳩山や村山富市と同列売国奴。
・・・・・あ、天皇陛下皇后陛下も韓国から絶賛なんでしたっけ。 http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0162.gif
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長年、妃をやっているというのに、
浅く腰をずらしてから立つという知恵すら身につかぬままの粗末な脳。
痩せこけた脳に引き比べ体は膨満。
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年間1700万円、「式服費」の名目で受け取っているのに、
一体、そのお金、何にお使い?
雅子さまの「学歴」の底上げはだいぶ知られてきましたが、
小和田恒氏も疑惑のお方ではあります。
小和田恒氏修士論文盗難事件
本人が語った(要旨)
ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。
ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、
もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。
そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。
いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、そ
の時はもう日本に戻らなければならなかったから。
当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、
私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。
それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。
トランクは二度と見つからず、
ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで
あのー、船便って現代でも紛失ありますよ。飛行機でさえトランク紛失はあります。大切な学術論文を「衣類と一緒に」トランクに入れます?
普通、肌身離さず自分で持って帰りませんか?
だって、船便到着が遅いのですもの。
論文を仕上げる時間がなくなっちゃいますから。
普通、自分の手で持ち帰ると思います。・・・・・それを船便で盗られた、ねえ。
雅子さまも、国民のお金でオックスフォードに派遣されて、
単位取れずにお帰りになったのでしたね。
はいはい、はい。あ、天皇も落第。皇太子は政治学科に入る学力なし。
あーあ、多いですね。賢くないお方たち。
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祓い給い 清め給え
機能不全に陥って久しい東宮。皇太子と皇太子妃の廃太子・廃妃を望みます。
秋篠宮殿下妃殿下への移譲を。
◆宮内庁へ意見
information@kunaicho.go.jphttp://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%CF%A1%BC...
(http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Universityの“Views of Harvard”2パラグラフ目にも、ハーバード大学のgrade inflationにつき記述がある)
ハーバード大成績評価について
上述のように、ハーバード大学が学部生に甘い成績をつけることは有名で、以前からかなり問題になっている。平均的な成績がAなので、普通に履修していればGPAは限りなく4に近づける。このBoston Gloveの記事だと91%がHonor(Cum Laude, Magna Cum Laude, Summa Cum Laude)で卒業らしい。
Harvard asks faculty to justify grading methods
By Patrick Healy, Globe Staff, 10/23/2001
SPECIAL REPORT | Oct. 7
At Harvard, it's honors all around Harvard University has a dirty little secret: a grade inflation culture that allows 91 percent of students to graduate with honors, rendering the distinction virtually meaningless.
For the first time, professors at Harvard University have been asked to justify the grades they give students as the university launches its toughest examination yet of grade inflation.
Susan Pedersen, dean of undergraduate education, gave faculty members a January deadline to explain their grading practices in writing. A committee will review the data and recommend whether changes to grading should be considered.
The plan was announced at a private faculty meeting last week, following a Globe study revealing that decades of grade inflation have made it much easier to graduate with honors.
More than half of Harvard's grades last year were A's and A-minuses, and a record 91 percent of students graduated with honors in June. Yale, Princeton, and other Ivy League and nationally ranked universities had far lower rates of honors, the Globe found.
マグナ・クム・ラウデについて
英語版Wikipediaの「Latin honors」のページによると、
Harvard College first awarded final honors to its graduates in 1869. From 1872 to 1879, cum laude and summa cum laude were the two Latin honors awarded to graduates. Beginning in 1880, magna cum laude was also awarded:
The Faculty then prepared regulations for recommending candidates for the Bachelor's degree, either for an ordinary degree or for a degree with distinction; the grades of distinction being summa cum laude, magna cum laude, and cum laude. The degree summa cum laude is for those who have attained ninety per cent on the general scale, or have received Highest Honors in any department, and carries with it the assignment of an oration on the list of Commencement parts; the degree magna cum laude is for those who have attained eighty per cent on the general scale, or have received Honors in any department, and carries with it the assignment of a dissertation; and the degree cum laude is to be given to those who attain seventy-five per cent on the general scale, and to those who receive Honorable Mention in any study together with sixty-five per cent on the general scale, or seventy per cent on the last three years, or seventy-five per cent on the last two.... [Annual Reports of the President and Treasurer of Harvard College, 1877-78]
だそうなので、GPA3.2ならMagna Cum Laudeとなれる。すなわち、成績の8割がBで2割がAなら取れるということ。前述の通り平均の成績がAである以上、かなり出来の悪い人間でも取れるということになる。
もうひとつ、雅子妃がMagna Cum Laudeということは、当然Summa Cum Laudeではなかったということだ。この英語版Wikipedia によるとハーバード大学では9割以上Aの成績を獲ればSumma Cum Laudeとのことなので、GPAは3.6以下だったと推察される。ハーバード大学のような成績インフレ学校で GPA3.6以下とは、特に優秀でもなんでもない。中の中ぐらいの成績だと結論付けられる。
小和田恒とハーバード大学
実父小和田恒氏がハーバード客員教授(1979-1981)として勤めていた。
小和田雅子卒業論文執筆に協力した人々
たかだか一学部生の卒業論文なんぞに普通関わらないような財界人3人が、小和田雅子の卒論作成の手助けをしている事実が存在する。言うまでもなく父小和田恒のコネクションがなければ得られない人脈である。
『素顔の雅子さま』主婦と生活社(1993年)p.76より引用
小和田雅子ハーバード大学経済学部卒業論文
EXTERNAL ADJUSTMENT TO IMPORT PRICE SHOCKS : OIL IN JAPANESE TRADE「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」
Acknowledgments(謝辞)
This thesis is the product of work carried out in both Tokyo and in Cambridge.
I should like to acknowledge the financial assistance of the Japan Institute and the Center for International Affairs of Harvard University which provided me with summer grants to collect data and interview people in Japan during the summer of 1984. I am grateful for the help given to me in Tokyo by Mr. Kazuo Nukazawa, Directer of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations, Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo, and Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
In the process of analyzing this material after my return to Harvard I should like to give special thanks to my thesis advisor, Professor Jeffrey D. Sachs for his careful guidance, and to his research assistant Mr. Warwick Mckibbin for help with the computer work.
『THIS IS 読売』1993年4月号pp.51-53、小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事より引用
小和田雅子さんのハーバード大学卒業論文(英文九十九ページ)は、一九八五年三月に提出されたものだが、前書きに小生(当時経団連理財部長)と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)の協力への謝辞が述べられている。
前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。
Mr. Kazuo Nukazawa, Director of the Financial Affairs Department,The Federation of Economic Organizations,
糠澤和夫 経済団体連合会参与 (元)ハンガリー大使、外務省大臣官房文化交流部長。
Mr. Teruhiko Mano, Genearal Manager of Economic Research Division, Bank of Tokyo,
真野輝彦 東京銀行参与(当時)、三菱UFJリサーチ&コンサルティング客員研究理事。
Mr. Eisuke Sakakibara, Advisor to the President and Director, Genaral Plannning and Administraion Department, Japan Center for International Finance.
榊原英資 (元)大蔵省財務官、慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター教授。
繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。
東京大学法学部について
日本の一般学生より条件が有利な学士入学
学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。
僅か1年の在籍後、即中退
「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。
昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。
東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。
→【母校】も参照のこと。
外交官試験について
→「外交官試験」参照
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93
オックスフォード大学留学について
国費留学
オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。
『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。
しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。
修士論文を提出できなかった件
小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。
また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。
いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。
外務省員留学コース
彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校〜大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。
実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について
名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。
しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。
実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。
外交官試験
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93
平成12年まで行われていた外務公務員I種試験の通称。かつて外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく、外務省独自に行うこの試験によりキャリアを採用していた。これに合格して入省した外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命されていた。小和田恒・雅子父娘は、いずれもこの試験の合格者である。
「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、外務公務員採用I種試験に合格した者は、大学を中退して入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。雅子妃が東大を中退しているのも、3年次に合格を果たしたからである。
またかつては、そのブランドより、在外公館へ他省庁から出向した者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、外務公務員採用I種試験は廃止され、平成13年(2001年)より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。
(以上、ウィキペディア『キャリア(国家公務員)』『公務員試験』の項より。一部加筆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3...
当時の外交官試験がいかに不透明なものであったかは、外務官僚・外交官の傲慢さ、いいかげんさ、横柄さ、ずさんさを痛快に暴いたテリー伊藤著『お笑い!外務省機密情報』(飛鳥新社)にも詳しい。
「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はT種)の国家公務員試験で選抜されている。
外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。
最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。
したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)
(中略)
あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。
このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」
(pp.121-123)
「テストといえば、外交官の血族社会が時代の変化に負けずに、延々と続いている大きな理由のひとつは、『外交官試験』にある。外交官試験の問題は、『ヨーロッパ篇 その1』でも問題提起して、廃止を訴えた。ここで、もうひとつの側面を指摘し、重ねて廃止をアピールしたい。
中央官庁のキャリア組のなかでも外交官だけ別扱いにして、特別に『外交官試験』を行う。つまりは、外交官以外の目で、次世代の外交官を選ぶ機会がないということである。
しかも、試験官と受験生が実は血のつながりがあったり、そうでなくとも『世話になった、かつての上司の息子さん』が受験生――ということは頻発している。
コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。
これを壊す。すなわち外交官試験を廃止して、外務官僚以外の人間が外交官の採用、不採用を決める改革を今すぐ、断行するしかない。」
(pp.221-222)
未だに雅子妃優秀伝説を信じている人々が多いのは、同氏が指摘する「日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込み」が残っているからではないかとも思われる。
ちなみに、週刊新潮(2004年12月23日発行)に高山正之・帝京大学教授が執筆された「変見自在」によると、「外交官試験には大使の子が5人に1人合格していたが、橋本龍太郎元首相(編者注;故人)が外交官試験を国家公務員採用T種試験に一本化してからは、大使の子の合格者はゼロである」とのことである。
https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93
小和田恒氏、その重大な罪 2018-07-01
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1
まず「軟禁」と「監禁」の差を知らねばなりません。
小和田恒氏のバーゼルにおける軟禁を、監禁と取り違えて国際裁判所に
出ていたから軟禁などされていない、という擁護をする人たちがいますが、
軟禁とはそもそも、監視付きではあるがある範囲内の自由は認められています。
小和田氏の不祥事に拠る軟禁は事実です。
国際裁判所に出ていたのは事実ですが、おそらく軟禁開始の時期とかぶるかと思うのですが、裁判所を「我々にも把握できない突発事で欠席」と、裁判所がステイトメントを出した一件があり、これは過去記事で述べました。記事を探すのが億劫なので、裁判所の文言は、概略であり当時出された文言そのままではありません。
東京にいったん戻ったとされる情報もありましたが、その時すでに軟禁が解かれたのか、あるいは特例としての一時帰国が叶ったのかそこは解りません。(某所と某所からの数回に及ぶ救出作戦が功を奏したのか、あるいは小和田氏が当局の要求に応えてあるケジメをつけたか・・・・現在では軟禁は解かれて帰国、ある一件で動き始めるまではコンクリート御殿に蟄居していらっしゃいました)
情報を収集していた時の時系列がもはやうろ覚えで、過去記事に遡って検証する時間がなく申し訳ありません・・・・が過去記事には正確に記録があるので、今回は駆け足の概略で失礼します。
小和田氏(及び協力者)はひょっとしてフェイク画像使用ないしは、これは明らかに日時を捏造なさるお方です。
この画像、(6月)6日とされていますが、ありえません。なぜなら、この日付の時小和田氏は東京にいました。情報を得ています。詳細は割愛しますが、やや書けば小和田氏はその時、供も連れず一人で電車移動でした。
この画像自体が合成ではないか、という指摘も複数得ましたが、そこはブログ主には判断できません。ただ、日時に関してははっきり、「あり得ない」と断言できます。6月中、小和田氏は一歩も日本を出てはいません。
これは調査すれば足跡は知れることなので、ブログ主が当てずっぽうを書いているわけではありません。
また付随的におかしな点は、6月6日に裁判所の一室にいた設定なのに、小和田氏はハーグにおける新旧判事交代式にすら出ていらっしゃいません。考えられない非常識と非礼。(6月7日に正式退任)
以下はネットの片隅ではすでに早くから出ている情報なので、BBも書きやすいのですが・・・・隔靴掻痒ではあります・・・・。
たとえばこちら。
https://blogs.yahoo.co.jp/s_kengokeiko/28434890.html
古い記事のせいでもあるのか、上記の情報は・・・・当たらずと言えども、遠からず・・・・というレベルです。↑
事実はもうちょっと、入り組んでいる・・・・かもしれません。(”知恵”の回る小和田氏が、何のバックもなく単独で違法をやらかすような幼い真似はしません・・・・)
しかし、聞こえてくる小和田氏の最近のちょこまかした動きについては小和田氏のなした以下の、重大な日本国毀損行為に比べれば、まだましなほうかもしれません。
以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。
・・・
結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。
河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。
ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。
◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。
◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。
◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。
つまり・・・・
日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。
にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。
◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。
◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。
日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。
東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。
ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。
なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?
日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。
小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。
1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。
2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)
3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定
4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。
5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)
6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html
7 竹島に関連しての韓国寄り発言。
「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。
(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)
8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。
戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。
昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。
▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。
「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。
その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」
それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。
9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。
10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。
・・・・・・・・・・・・・
実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。
何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。
小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。
池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。
擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。
小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。
安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。
それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。
小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。
日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。
しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。
【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・
衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)
「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。
BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。
従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」
十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、
大橋武夫法務総裁(当時)は
「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は
「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」
と答弁している。
以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。
また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで
下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来
それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。
画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環
第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。
福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)
【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。
日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。
・・・・・ここまで
南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。
福田家と小和田家との密着の関係。小和田雅子入内の発端。
http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%BD%A5%E9%A5%DE%A5%E1
福田赳夫氏の孫娘と親密だった雅子妃。(スキー写真)
1988年3月20-21日 福田赳夫元首相の孫娘横手香代子さんと北海道スキー旅行、滝川市のホテル三浦華園に小川東洲夫妻が合流
左画像:左から小川東洲夫人、小和田雅子、ホテル女将の三浦夫人、福田元首相孫の横手香代子さん/右画像:ホテルの三浦社長、小和田雅子、横手佳代子さん
福田家に忠誠を表す帯。「福」の字が染め抜かれこれは
福田夫人とお揃い。
」」
婚約の記者会見に皇居に入るときも、大将福田氏への忠誠の福の帯。
娘入内の「感謝」のつもりか。世間が信じこまされているように
無理やり入内させられたということではなく、
以前から周到に仕組まれていた婚姻です。
雅子妃も周囲の仕組みに積極的に応えていらっしゃる。
2006年4月2日、元フジテレビ女子アナのチノパンこと千野志麻氏が福田赳夫の孫・横手真一氏結婚、その挙式披露宴に小和田優美子氏が出席。国賊級元大臣に、忠誠の小和田夫妻。
小和田氏売国の発端
福田赳夫首相の政務秘書官に迎えられて、最初に立ち会ったのが日中平和条約締結。それ以来の外務省人脈が連綿。
小和田恒ssiと福田康夫氏は官邸の秘書官室で机を並べていた。以降家族ぐるみのつきあい。
小和田ssiは東京・代沢の福田邸に雅子さんをたびたび連れて行き、福田赳夫元首相に可愛がられていた。
福田・小和田という水面下の、「もう一つの」結びつきの可能性にも留意!!
小和田・江頭の結びつきと同様に。
鳩山・・・ブリジストン創業者の娘と、その嫁との共通項・・・は。
一官僚の出版記念に、駆けつけた福田赳夫氏と宮沢喜一氏。売国2人組。
マンデラ氏の追悼式で皇太子殿下に付き添ったのは福田赳夫氏の息子の康夫氏。
↑左が韓国首相として始めて竹島に不法上陸した韓昇洙。
右が潘基文。
潘基文夫妻と。
竹島(独島)に碑文を打ち立てた韓 昇洙。
皇太子と親しく食事。
ご成婚に現れた、創価三色。
日付の嘘に準じる「虚言癖」に属することなのか? 小和田恒ssiの論文紛失事件。
外務省からオックスフォードに国費を使って研修に行ったものの、一人だけ修士号を取れずすごすご帰国した娘、雅子妃の過去と何となくかぶる、うろんさ。
何度も検証してみたことですが、雅子妃の英語力でハーバードをまともに受講は出来ません。出たことは出ています。卒論のバックにこちらも仕掛けあり。東大は出てませんので。いまだに盛り学歴の印象操作に惑わされている人たちがいますが。小泉進次郎氏の、ありえない偏差値高校からプリンストンでしたっけ、あれも
笑っちゃいますけどね・・・。要するに庶民の常識の外では「そういうこともあるげな」よ、でしょうか。饒舌な進次郎氏ですが、そう言えば英語を聞いたことがないですねえ・・・・? 雅子妃の、sigunature とautographの区別すらつかない尻尾の出し方はまだしてませんが。
後記 ⇒進次郎氏、関東学院大(1年留年)卒業後に、コロンビア大学大学院に留学。
TOEFLiBTでスコア100以上のレベルが求められるコロンビア大、大学院に?
偏差値44留年の人が?
◆小泉進次郎氏は本当に英語がしゃべれるのか検証してみた!
https://ameblo.jp/don1110/entry-11918266596.html
さて肝心の小和田ssiですが“ 船便で送った学位論文の原稿が入ったトランクが紛失したため ” 、博士号を取る機会を失った・・・・そうな。
小和田恒 | Dosuko Wiki |
http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92
ぎっくり腰妃の母方ご実家である江頭家の、企業犯罪ともいうべき水俣病への関わりは読者さんご紹介のこのサイトが、まとまっているかも。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.html
“ 船便で送った学位論文の原稿が入ったトランクが紛失したため ” 、博士号を取る機会を失ったそうで、こちらに載っています。
http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92
替えのきかない大事な論文を手元から離して船便? あり得ないでしょう。カーボン紙しかコピーが出来なかった時代に、しかも提出期限のある論文を時間のかかる船便で、トランクの中に詰めて送る?
・・・・・長過ぎましたね、記事。2つに分けるべきでした。
このところ、いよいよ時間が取れなくなっていて、書ける時間に書いておこうと合間を縫ってバンバン打って構成も考えず、すみません。
余計なこと書きついでに、最近ネットの片隅で流れている皇后陛下の御陵問題・・・・は要するに多摩御陵(武蔵野陵墓地)はお嫌だと。だから、よそにお墓が欲しいと。従来の御陵(みささぎ)忌避は理由不明。神道色をなくべく排したいお考えからか、天皇家への反感なのか・・・? 天皇陛下の御陵のそばの小さな祠でいい、などと・・・・おっしゃっていたのに(口はおきれい、なさることエグい)・・・・開発用の山を某地にお狙い、その取得のお使いにちょこまか動きまわっているのが小和田ssiだ・・・・そうで・・・・・。
バーゼルでの不祥事で顔向けできなくなったことへの挽回なのかもね・・・・ってことで。
この方「法の正義」がどうかって、退任にあたってぶち上げていなかった?
嫁の父も二枚舌、姑も・・・・。あー・・・・・孫はまた遅刻早退、欠席のスパイラルだそうで・・・・ご優秀報道のマスコミも二枚舌(sigh)これだけ学業から遠ざかっていて、ご優秀なら本当にご優秀なんでしょうね。(wry smile):-}
祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え
無記名Unknown は読まぬままハネます。
内容要約のタイトルを入れ他とかぶる可能性のないHNを記名の上、ご参加ください。
文章の一部をHNに代用すること禁止。「匿名」「通りすがり」など
極力受け付けません。
異論反論歓迎、しかし一定の知的レベルに満たないコメントは、最初は極力公開しますが、それ以降は読まぬままハネます。
コメント (15)
小泉進次郎氏 (美しい日本)2018-07-01 13:10:33
ケアレスミスの指摘になりますが、
小泉進次郎氏は
プリンストン→コロンビア大学大学院
だと思います。
関東学院大(1年留年)卒業後に、コロンビア大学大学院に留学。
小泉進次郎氏は本当に英語がしゃべれるのか検証してみた!
https://ameblo.jp/don1110/entry-11918266596.html
美しい日本さま (BB)2018-07-01 13:31:16
時間の不自由を口実に、チェックをあちこち怠っていて、すみません。時間が出来た時の記事アップに気が急いて、細部検証を怠っています。
情報は追加しておきました。
ありがとうございます。
刑罰法規不遡及の原則 (茶どら)2018-07-01 14:06:33「平和に対する罪」は事後法では。
事後法で遡及的に処罰することは禁止されています。
それを安易に受諾するとは国益に反します。
また、元首相が南京大虐殺記念館に訪問するとは。
どいつもこいつもアチラの操り人形みたい。
望月記者? (ななしでごめんなさい)2018-07-01 16:49:51学生相手に何を話すのでしょうね。
http://www.samasemi.net/2018/special_03.html
BBさま、ありがとうございます (5)2018-07-01 22:38:05
オワッダー氏はとにもかくにも朝鮮人そのもの、と感じます。
顔 (会社員)2018-07-02 12:57:38 小和田恒の顔貌を見るにつけ、この世に悪魔がいるのだと実感する。
宮沢、小沢、鳩山、習、、正田美智子、盆暗、小和田雅子に連なるものだ。その生涯をかけて悪巧みをしている者どもの動きを、普通の暮らしをしている者が知る由もない。
それら悪魔を 寄せ付けないようにするのが、大神主の天皇であったはずが、今の体たらく。
しかし、案外、悪魔退治は簡単かもしれない。
本物の大神主が、真の祈りをささげることが鍵、と 思う。
秋篠宮殿下よ、天皇陛下になってほしい!
又、そして、3000年も遡れば、日本人は全員天皇家筋なのだ。 これは強いだろう。
悪魔ども、死霊の顔小和田恒、日本人を舐めるなよ!
恐ろしい (はれ)2018-07-02 15:55:48
こんな輩が跋扈する日本。 恐ろしい。
ただ知らなかっただけでずっとそうだったとは。
少しずつ小和田氏の悪行が見えてきました。
このブログのおかげでしょう。ブログランキングで
小和田氏の事に言及したものがあったでしょうか。
(トップ入りで)
コンパクトにまとめてしかもキチンと壺を押さえている。
ひとりでも二人でも覚醒者が増えますね。
ブログ主はこんなに日々奮闘しているのに
他の保守の方は知らないのでしょうかね。
皇室とサヨク、共産、在日、創価のつながりを探って欲しい。
「パチンコの・・・」さんのブログで韓国肥料男、シンジロウのことを顔のいいだけの石破、と
言っていたのに吹きました。
他のブログでは被っていることも多いのに、
皇室のことはあまり言わないんですよね。???
個々に特色があるから読まれるのかもしれないなぁ。
???
はれさま (BB)2018-07-02 19:46:17
>他の保守の方は知らないのでしょうかね。
知っているな・・・・と感じるブロガーさんはいらっしゃいます。知っていて、口をつぐんでいる。
どうしようもないなあ、と思うのはただ「皇室を批判している」というそのことだけで、拙ブログを「保守分断」とか謗る人。
こちらは是々非々で営んでいるので、支持している安倍総理も違うと思う点は批判してきました。
するとこれも「保守分断」と来る。
脳細胞の配列がシンプルなのでしょう。
決まり文句で斬った気になるのではなく、こちらが提示する事実がもし間違っているなら、理由を添えて明示してください、と何度も呼びかけているのですが、要するに「答えられない」のです。
欺瞞の系譜 (伊藤知昭)2018-07-03 10:30:01
BB様、皆様
救国のブログ、有り難う御座います。
ハル・ノートの張本人はノーベル平和賞。
戦前から国連が何だったのかこれで明白。
伏魔殿と言われた外務省の主軸小和田恆。
コーデル・ハルの末裔であり国政操縦者。
関連記事をウィキペディアから貼らさせていただきます。
ネットでは様々な資料が得られますが、考察の起点として使わせていただきました。
[ コーデル・ハル ] ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB
[ Cordell Hull ] From Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Cordell_Hull
[ ハル・ノート ] ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
[ Hull note ] From Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Hull_note
[ 小和田恆 ] ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%86
[ Hisashi Owada ] From Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Hisashi_Owada
ハル・ノートから極東国際軍事裁判を経由して美智子妃と雅子妃の入内までは一続きの流れ。
そしてコーデル・ハルの役回りは小和田恆と相似形であり、GHQ の末裔にとって、代わりは幾らでも居た様に見えます。
[ 戦時国際法 ] ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95
[ Law of war ] From Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Law_of_war
[ ハーグ陸戦条約 ] ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B0%E9%99%B8%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84
[ Hague Conventions of 1899 and 1907 ] From Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Hague_Conventions_of_1899_and_1907
[ 極東国際軍事裁判 ] ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4
[ International Military Tribunal for the Far East ] From Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/International_Military_Tribunal_for_the_Far_East
GHQ にしてみれば、福田赳夫と福田康夫親子は諸々の執行人であり、後々の小和田恆は忠実な執事だったのではないでしょうか。
元正田美智子嬢と元小和田雅子嬢は、コーデル・ハルと戦後も優遇された戦前の反日サボり駐米日本国大使館外交官の系譜に繋がる、その延長に見えます。
例えば、米国が画策した国際紛争で、福田家に関係した越智通雄と越智隆雄親子が元小和田雅子嬢を介してイラク戦争と全く無関係ではないでしょう。
イランやアフガニスタンですら、米国の GHQ に連なる勢力は、成功体験の日本で味をしめた結果で同じパターンを繰り返した様に見えます。
小和田恆の学歴や外務省での闇の部分。
GHQ の末裔にしてみればエージェント。
度々恐れ入りますが、入力ミス等は後日対応させてください。
日本大事、天皇大事、万世一系の秋篠宮御一家による宮中祭祀が大事。
ただし、このままでは眞子内親王を除く。
文仁親王と悠仁親王の御代を目指して。
御多忙中、大変失礼致しました。
軟禁 (まほろば)2018-07-03 12:06:41誰が軟禁してるのかな?政府かな?それだと内閣ぶっ飛ぶなぁ
まほろばさん (芝山)2018-07-03 18:01:05
>誰が軟禁してるのかな?政府かな?それだと内閣ぶっ飛ぶなぁ
読解力ゼロ。どころかマイナスかな。
他コメントも、以下同文。
皇室の闇 (はれ)2018-07-04 17:11:11
BBさま
>知っているな・・・・と感じるブロガーさんはいらっしゃいます。知っていて、口をつぐんでいる。
皆が周知の事実に、確証を持てばきっと言及してくれるのでは。 噂ではなく現実に起こったこと、実証されていると考えたら気が楽になるかな。まさかどこからかの圧力、負荷はかかっていないと思いますが。
BBさまが積み上げているのは事実や報道されている事、でそれ以上でもそれ以下でもないです。それが
分かるとき、持続して現在も実を結んで行っているのはないかと思います。きっと。
はれさん・・・・ (BB)2018-07-04 18:40:01
>確証を持てばきっと言及してくれるのでは。
でもないでしょう。
確証もなにも、たとえば天皇陛下の皇室の祖先は朝鮮人ご発言は客観的事実ですが、そこは知っていて踏み込みません。
天皇陛下のご発言に狂喜した韓国人の勘違いをたしなめる形で、先祖は朝鮮人説を検証的に否定はしても、その否定形を天皇陛下ご自身に向けることに、激しい抵抗感があるように見受けます。
日本人のDNAに「畏れ多いこと」という感受性が刻印されていることに加え、天皇陛下及び内廷皇族なかんずく次期天皇でいらっしゃる皇太子殿下の、これも客観的に拾える反日発言と報道があっても、見ぬふり聞かぬふりするのは、自らの価値体系が根こそぎひっくり返されるという一種の恐怖心と共に、保守は例外なく憲法改正主義ですが、他ならぬ天皇と次期天皇が憲法改正に反対なさっている現実に直面せざるを得ないというジレンマに陥るのです。
だから、触らず。
あと改正後の憲法では、天皇を元首として仰ぐ保守が大半なのです。
が、現状天皇陛下と皇太子殿下はGHQ価値観に基づく自虐史観、いわば左翼でいらっしゃいます。
左翼の元首では、憲法改正が現在よりワースの結果を呼びます。だから触らずにいます。
が、拙ブログのスタンスは、肝心のところを覆い隠して憲法改正になった暁、日本の国体は現状よりも危うくなる。だからその危険を避けるため、皇室の暗部と腐敗部分は、今のうちに・・・・傷が深くならぬ内に、一人でも多く知らしめ、日のもとにさらしたいのです。
>噂ではなく現実に起こったこと、実証されていると考えたら気が楽になるかな。
上記の理由で、気は楽にはなりません。
噂レベル以上の情報も、見ぬふり聞かぬふりですが。
「解っている」「知っている」ブロガーさんは、BBブログは放置・・・・です。知らんぷり。
「保守分断」の「反皇室」のといじっている人たちが、無知であるし、また自ら真実を知ろうともしないレベルであり、これは北の将軍や新興宗教の教祖への盲拝と同種の心理です。
>BBさまが積み上げているのは事実や報道されている事、でそれ以上でもそれ以下でもないです。それが
分かるとき、持続して現在も実を結んで行っているのはないかと思います。きっと。
ありがとうございます。
ただBBの発信程度で、世の中も皇室も変わることなどありません。ただ、100年後に真実を知る人が今より多く、200年後にはもっと広まるように、と願いつつ営んで来ました。
人は、いつまでも美しい勘違いのもとに、真実の埒外に放置されているべきではありません。
闇で嘲笑っている人達がいます。それを許したくないのです。たとえ、数百年の時が必要だとしても、真実は知らねばなりません。
皇太子と皇太子妃が天皇皇后に即位されたら、さすがに隠しきれない状況は出てくるので、皇室に疑問を持つ人は今に比べれば、相当数増えるかと思います。
小和田氏? (男塊世代)2018-08-14 12:54:21
動画「ポルポト・知ってるつもり」
https://www.youtube.com/watch?v=VGRNEnc4YvY
上記、動画後半(26分過ぎ)の中山太郎外務大臣の左手にいるのは小和田氏?
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/a672698e97b9e288783b63bf979afce1
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/322.html#c1