★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100252
 
g検索 koaQ7Jey   g検索 3bF/xW6Ehzs4I
 前へ
中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100252
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100252.html
[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
192. 中川隆[-12314] koaQ7Jey 2019年2月09日 06:31:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

北海道の歌登で氷点下30度 今季全国初
2/9(土) 3:44配信 tenki.jp


きょう(9日)未明、北海道宗谷地方の歌登で氷点下30度3分を観測し、今シーズン全国で初めて気温が氷点下30度を下回りました。
.

北海道で氷点下30度以下を観測

きょう(9日)も北海道の上空には強烈な寒気が流れ込んでいて、各地で冷え込みが強まっています。午前2時24分に、北海道宗谷地方の枝幸町歌登で氷点下30度3分を観測し、全国のアメダス観測地点で、今シーズン初めて氷点下30度を下回りました。


寒さの尺度で確認してみますと・・・

氷点下4度  水道管の凍結が始まる
氷点下6度  窓霜(水蒸気が窓の表面で凍る)が見られる
氷点下10度  ビールが凍る
氷点下14度  日本酒が凍る
氷点下15度  ダイヤモンドダストが見え始める(晴天・風が弱いなどの条件が揃えば)
氷点下20度  まつ毛や眉毛に霜がついて真っ白になる
氷点下30度  凍裂(大木が凍って裂ける現象)が起こる

北海道は、このあと日中も広く気温が氷点下のままで、全道的に真冬日になる見込みです。
.
日本気象協会 本社 日直主任

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c192

[リバイバル3] 厳寒が人体に与える影響 中川隆
28. 中川隆[-12313] koaQ7Jey 2019年2月09日 06:50:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

玄関までわずか数十センチで凍死…北海道「ホワイトアウト」で視界奪われたか
[ 2019年1月20日 05:30 ]


 北海道地方が連日激しい風雪に見舞われる中、札幌市の北側約25キロに位置する当別町で、66歳男性が自宅玄関までわずか数十センチのところで倒れているのが見つかり死亡が確認された。北海道警が、17日午後10時25分ごろ同町の無職古市栄治さんが自宅玄関前で倒れているのを警察官が発見したと発表。死因は低体温症による凍死だった。

 現場付近は当時、吹雪で視界が遮られ、周囲が真っ白になる「ホワイトアウト」状態だったとみられる。古市さんは歩いて自宅に向かい、玄関前で倒れたとみられる。そばには玄関の鍵が落ちていた。古市さんは一人暮らしだった。

 道警札幌北署によると17日午後4時20分ごろ、古市さんから「車が雪山に突っ込んだ」と通報があった。「自力で脱出できる」と話していたが、その後、連絡が途絶えた。署員が捜索に出発。午後10時すぎ、自宅から約120メートルの路上で雪山に突っ込んだ車を発見した。自宅に向かったところ、玄関前で倒れている古市さんを発見した。

 札幌管区気象台によると当時の当別町の気温は不明だが、隣接する石狩市は氷点下11・2度まで下がっていた。積雪は約65センチだった。札幌市でも今季一番の冷え込みとなる氷点下12・3度を記録していた。

 ホワイトアウトは、暴風雪や降り積もった雪が強風により舞い上げられる地吹雪などによって起こる現象。視界が真っ白になり自分とそれ以外のものの位置関係が認識できなくなる。方向感覚がなくなり上下の感覚も鈍くなることで、どの方向に進めばいいのか判断することが非常に難しくなる。古市さんはホワイトアウトで視界を奪われ、雪山に突っ込んだ車を捨てて、徒歩で自宅に向かって歩きだしたとみられる。

 ○… ホワイトアウトに見舞われた際には、どう対応するべきなのか。事故の救出に当たった北海道・当別消防署は、一般論として今回のような場合には「携帯のGPS機能などをオンにした状態で、一酸化炭素中毒にならないように換気を行って車内で救助を待つ方法が良い」とした。自動車を運転している際にホワイトアウトに遭遇したときには「前の車のテールランプや道路境界を示す標識を目印にして、止まらずに走行をしてほしい」と話した。歩いている場合はどうだろうか。日本登山インストラクターズ協会は「吹雪が終わるまで動かないでほしい。一瞬でも視界が開けるときが必ずあるので、その間に自分のいる位置を把握して風の当たらない場所を探して逃げてほしい」とアドバイスした。


____


厳寒の札幌 玄関ドアとカギも凍る…「パパ開かない」 −12℃でトラブル続々 北海道
2/8(金) 13:40配信 北海道ニュースUHB


凍ってしまった玄関ドアとカギ=札幌市豊平区、2019年2月8日午前9時ごろ撮影


 強烈な寒気の影響で、午前9時41分に氷点下12.5℃を観測した札幌市。トラブルが続出しています。

 2月8日午前9時ごろ、札幌市豊平区平岸の築30年ほどの住宅で、6歳の子どもが「パパ開かない」と声をあげました。外出しようと準備をしていた父親(30代)が玄関へ行くと、結露した水が凍りつき、玄関のドアとカギが開けられない状態になっていました。

 父親は急きょ、ポータブルの電気式のファンヒーターを玄関付近に移動し温風をあて、ドライヤーも持ってきて鍵穴を温めること約5分。ようやく外へ出られる状態になりました。

 気が付くと、同じアパートの他の住民の部屋からも同様の声が聞こえたということです。

 8日の札幌市は午前0時すぎに氷点下10.1℃を観測してから気温は下がり続けていて、午前9時41分には氷点下12.5℃まで下がっていました。日中も気温があがらず、午後1時でも氷点下12℃と厳しい寒さが続いています。

 この男性が帰宅した時に、部屋に入ることができるのか…不安は募るばかりです。
.
UHB 北海道文化放送





▲△▽▼

北海道の歌登で氷点下30度 今季全国初
2/9(土) 3:44配信 tenki.jp

きょう(9日)未明、北海道宗谷地方の歌登で氷点下30度3分を観測し、今シーズン全国で初めて気温が氷点下30度を下回りました。
.

北海道で氷点下30度以下を観測

きょう(9日)も北海道の上空には強烈な寒気が流れ込んでいて、各地で冷え込みが強まっています。午前2時24分に、北海道宗谷地方の枝幸町歌登で氷点下30度3分を観測し、全国のアメダス観測地点で、今シーズン初めて氷点下30度を下回りました。


寒さの尺度で確認してみますと・・・

氷点下4度  水道管の凍結が始まる
氷点下6度  窓霜(水蒸気が窓の表面で凍る)が見られる
氷点下10度  ビールが凍る
氷点下14度  日本酒が凍る
氷点下15度  ダイヤモンドダストが見え始める(晴天・風が弱いなどの条件が揃えば)
氷点下20度  まつ毛や眉毛に霜がついて真っ白になる
氷点下30度  凍裂(大木が凍って裂ける現象)が起こる


北海道は、このあと日中も広く気温が氷点下のままで、全道的に真冬日になる見込みです。
.
日本気象協会 本社 日直主任


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/795.html#c28

[リバイバル3] 北海道民が教える「雪道の歩き方」5カ条 中川隆
6. 中川隆[-12312] koaQ7Jey 2019年2月09日 06:50:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

玄関までわずか数十センチで凍死…北海道「ホワイトアウト」で視界奪われたか
[ 2019年1月20日 05:30 ]


 北海道地方が連日激しい風雪に見舞われる中、札幌市の北側約25キロに位置する当別町で、66歳男性が自宅玄関までわずか数十センチのところで倒れているのが見つかり死亡が確認された。北海道警が、17日午後10時25分ごろ同町の無職古市栄治さんが自宅玄関前で倒れているのを警察官が発見したと発表。死因は低体温症による凍死だった。

 現場付近は当時、吹雪で視界が遮られ、周囲が真っ白になる「ホワイトアウト」状態だったとみられる。古市さんは歩いて自宅に向かい、玄関前で倒れたとみられる。そばには玄関の鍵が落ちていた。古市さんは一人暮らしだった。

 道警札幌北署によると17日午後4時20分ごろ、古市さんから「車が雪山に突っ込んだ」と通報があった。「自力で脱出できる」と話していたが、その後、連絡が途絶えた。署員が捜索に出発。午後10時すぎ、自宅から約120メートルの路上で雪山に突っ込んだ車を発見した。自宅に向かったところ、玄関前で倒れている古市さんを発見した。

 札幌管区気象台によると当時の当別町の気温は不明だが、隣接する石狩市は氷点下11・2度まで下がっていた。積雪は約65センチだった。札幌市でも今季一番の冷え込みとなる氷点下12・3度を記録していた。

 ホワイトアウトは、暴風雪や降り積もった雪が強風により舞い上げられる地吹雪などによって起こる現象。視界が真っ白になり自分とそれ以外のものの位置関係が認識できなくなる。方向感覚がなくなり上下の感覚も鈍くなることで、どの方向に進めばいいのか判断することが非常に難しくなる。古市さんはホワイトアウトで視界を奪われ、雪山に突っ込んだ車を捨てて、徒歩で自宅に向かって歩きだしたとみられる。

 ○… ホワイトアウトに見舞われた際には、どう対応するべきなのか。事故の救出に当たった北海道・当別消防署は、一般論として今回のような場合には「携帯のGPS機能などをオンにした状態で、一酸化炭素中毒にならないように換気を行って車内で救助を待つ方法が良い」とした。自動車を運転している際にホワイトアウトに遭遇したときには「前の車のテールランプや道路境界を示す標識を目印にして、止まらずに走行をしてほしい」と話した。歩いている場合はどうだろうか。日本登山インストラクターズ協会は「吹雪が終わるまで動かないでほしい。一瞬でも視界が開けるときが必ずあるので、その間に自分のいる位置を把握して風の当たらない場所を探して逃げてほしい」とアドバイスした。


____


厳寒の札幌 玄関ドアとカギも凍る…「パパ開かない」 −12℃でトラブル続々 北海道
2/8(金) 13:40配信 北海道ニュースUHB


凍ってしまった玄関ドアとカギ=札幌市豊平区、2019年2月8日午前9時ごろ撮影


 強烈な寒気の影響で、午前9時41分に氷点下12.5℃を観測した札幌市。トラブルが続出しています。

 2月8日午前9時ごろ、札幌市豊平区平岸の築30年ほどの住宅で、6歳の子どもが「パパ開かない」と声をあげました。外出しようと準備をしていた父親(30代)が玄関へ行くと、結露した水が凍りつき、玄関のドアとカギが開けられない状態になっていました。

 父親は急きょ、ポータブルの電気式のファンヒーターを玄関付近に移動し温風をあて、ドライヤーも持ってきて鍵穴を温めること約5分。ようやく外へ出られる状態になりました。

 気が付くと、同じアパートの他の住民の部屋からも同様の声が聞こえたということです。

 8日の札幌市は午前0時すぎに氷点下10.1℃を観測してから気温は下がり続けていて、午前9時41分には氷点下12.5℃まで下がっていました。日中も気温があがらず、午後1時でも氷点下12℃と厳しい寒さが続いています。

 この男性が帰宅した時に、部屋に入ることができるのか…不安は募るばかりです。
.
UHB 北海道文化放送





▲△▽▼

北海道の歌登で氷点下30度 今季全国初
2/9(土) 3:44配信 tenki.jp

きょう(9日)未明、北海道宗谷地方の歌登で氷点下30度3分を観測し、今シーズン全国で初めて気温が氷点下30度を下回りました。
.

北海道で氷点下30度以下を観測

きょう(9日)も北海道の上空には強烈な寒気が流れ込んでいて、各地で冷え込みが強まっています。午前2時24分に、北海道宗谷地方の枝幸町歌登で氷点下30度3分を観測し、全国のアメダス観測地点で、今シーズン初めて氷点下30度を下回りました。


寒さの尺度で確認してみますと・・・

氷点下4度  水道管の凍結が始まる
氷点下6度  窓霜(水蒸気が窓の表面で凍る)が見られる
氷点下10度  ビールが凍る
氷点下14度  日本酒が凍る
氷点下15度  ダイヤモンドダストが見え始める(晴天・風が弱いなどの条件が揃えば)
氷点下20度  まつ毛や眉毛に霜がついて真っ白になる
氷点下30度  凍裂(大木が凍って裂ける現象)が起こる


北海道は、このあと日中も広く気温が氷点下のままで、全道的に真冬日になる見込みです。
.
日本気象協会 本社 日直主任


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/679.html#c6

[近代史3] 横溝正史 霧の山荘(TBS 1985年)
テレビドラマ 1985年版


原作 横溝正史
脚本 江連卓
音楽 菅野光亮


動画
https://www.youtube.com/watch?v=ctTZ4rrUWcw

『名探偵・金田一耕助シリーズ・霧の山荘』は、TBS系列の2時間ドラマ「月曜ロードショー」(毎週月曜日21時 - 22時54分)で1985年5月27日に放送された。


キャスト

金田一耕助 - 古谷一行

紅葉照子 - 岡田茉莉子

水木健二 / 岡部達彦 - 冨家規政

上条監督 - 織本順吉
岡崎平太 - 山本昌平
山本武彦 - 西田健
江馬容子 - 松本留美
等々力警部 - ハナ肇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E3%81%AE%E5%B1%B1%E8%8D%98


霧の山荘(1985)


原作が反映されているのは最初の方だけ。すぐ変更・・と言うか、暴走・迷走し始める。

信州のホテルに滞在中の金田一。等々力のゴルフに付き合っていた時見かけた往年の大スター、紅葉照子(岡田茉莉子さん)に亡き母の面影を見、心引かれる。彼女の姪容子(松本留美さん)が金田一に会いにくる。彼なら20年前に身辺で起きた殺人事件の真相解明をしてくれる・・と照子は思い込んでいるらしい。迎えの車を寄こすというのを断り、散歩がてら出かけた金田一だが、霧の中で迷ってしまう。往生していると使いだという、うさんくさい男が現われ・・

ここから殺人事件が起きたと思わされた金田一が警察を呼んで赤っ恥をかくまでは原作と同じだが、それ以降は全然別の流れ。

原作では殺される照子も、使いの男平太(山本昌夫氏)も死なない。
もっとも照子は最後に死ぬけど。何しろ岡田さんなので、彼女が犯人というのは見え見え。


原作では容子と武彦(西田健氏)が犯人で、照子と平太を殺し、照子の姉房子に罪をなすりつけようとするのだが、こちらでは容子も武彦も殺されてしまう。房子は出てこず・・。

照子は20年前「死の接吻」という映画で水木と共演するが、彼が事故とも自殺ともつかない死を遂げたため、映画は未完成に終わる。その後半年ほど失踪した照子は、現われたと思ったら引退宣言。その後実業家の田島と結婚するが、その彼が病死。死の間際に自分が命じて水木を殺させたと告白。それが誰なのかは不明だが、水木の死の直前一緒に酒を飲んでいた監督の上条(織本順吉氏)、カメラマンの渡瀬、会社の宣伝部長秋葉(田中明夫氏)のうちの誰かに違いない。三人とも水木に自分をあきらめさせようとしていたし。

照子は三人を別荘へ呼び寄せ、カムバック宣言。自分が資金を出し、「死の接吻」を完成させる・・と、水木そっくりの達彦まで出してくる。で、撮影が始まり、途中で容子が崖から転落死、武彦は銃の暴発で死ぬ。上条達は撮影中止を言い出すが、照子は時間がないと続行を主張。これで彼女が不治の病なのは確実と。

映画は人妻と海軍将校の悲恋か。怒り狂った夫が恋人を撃ち殺し、傷心のヒロインは毒をあおって美しく死ぬと。情事のシーンが何度か出てくるが、照子はしっかり着ているので不自然。後で彼女は乳ガンが再発し、余命六ヶ月とわかる。脱がないのはそのせいとか、何かいい持っていき方があっただろうに。


霧の山荘2


途中で金田一は旅に出る。半年の失踪は出産のためとなぜか気づいたらしい。生まれたのが達彦で、水木にそっくりなのはそのせい。

死期を悟った照子が、昔のマネージャーに育ててもらっていた達彦に遺産を相続させるため、今回のことを仕組んだのだ。

武彦と容子は田島の甥、姪なので、照子が死ねば遺産は二人に行く。あのでもだからって邪魔だ殺してしまえとなります?母親の愛と言われても困るんですけど。それに・・田島の財産でしょ?あんたのじゃなくて。大女優だったのなら自分のもあるはずで、それを残せばいいじゃん。

いや〜それにしても岡田さんの若作りと言うか、ヒロインなり切り演技見るには忍耐が必要です。演技とは言え母親が息子とラブシーン演じるのは異常だし、シャワーシーンはおぞましくさえある。何じゃあのシーンは(後ろ姿は吹き替えらしいが)。この時点では達彦は照子が母親だとは知らないはず。知っていたらいくら何でもあんなことしないでしょ。ラスト近くまで達彦はほとんどセリフもなく、何を考えているのかよくわからない。いや、作り手にもわからないんでしょ?死んだ恋人への恋情と、息子への愛情と、映画を完成させたいという女優根性といくら何でも欲張りすぎ。

一番呆れるのは金田一も等々力も照子のやったことを犯罪だと認識していないらしいこと。容子も武彦も遺産は当てにしているが、それは血縁だから当然のこと。だからこそ照子の面倒を見、わがままに付き合ってきた。今回だって素人だけど映画に出てくれるなど協力的。原作のような悪人では決してない。それをあなた問答無用で殺しちゃうんですぜ。

このようにひどい内容なのだが、出演者のおかげで何とか見ていられる。西田氏は「帰ってきたウルトラマン」がよかった。金田一が話を聞く佐久間役三谷昇氏もよかった。異様じゃない役は珍しい。

ところで達彦役の人は誰かしら・・冨家規政・・ええ〜ッ、若い!あたしゃ「イチから住」とかいう番組でちらっと見ただけですけど。達彦がうつる度にちょっとのっぺりしてるけど美形だし、体格もいいし・・と感心していましたの。何度か上半身裸でうつるけど、全然いやらしさがなくて肌のきれいさとか均整の取れた美しさがすばらしくて。達彦は人を殺してまで用意された遺産なんて欲しくないはず。そこらへんちゃんと描写して欲しかったけど。岡田さん持ち上げるのに気を取られ、他はお留守になってたな。
https://sites.google.com/site/darklymama/home/ya/yokomizo2


▲△▽▼


原作粗筋

「霧の山荘」は「講談倶楽部」昭和33年11月号が初出で、加筆のうえ昭和36年1月に単行本化された作品で、K高原で避暑兼静養をしていた金田一耕助がM原での事件に巻き込まれる。

K高原は軽井沢、M原は南原とされる。横溝氏は初長篇の「呪いの塔」で舞台を軽井沢にとり、のちには毎夏に軽井沢の別荘で過ごしていたから軽井沢にも愛着が深く、戦後では「香水心中」や中絶を挟んで完成させた「仮面舞踏会」など多くの軽井沢ものともいえる作品を書いている。

この「霧の山荘」は事件発生から解決まで軽井沢(作中ではK高原)だけが舞台で、「悪魔の降誕祭」同様にこの時期の作品としては、トリックを中心に据えた本格的な作品だ。

K高原で避暑を兼ねて静養していた金田一耕助を訪ねてきた女性は江馬容子と名乗った。容子は戦前に活躍した女優紅葉照子の姪で、照子もまたK高原M原の別荘に滞在していた。
夏も終わり照子は東京に引き揚げることになり、容子はその手伝いのために来ているのだった。その容子に照子が重大な話を打ち明けた。

30年前に起きた未解決の殺人事件の犯人と思われる人物に、ごく最近会ったのだという。ついては、そのことで金田一耕助に相談したいので、至急会ってくれないかというのだった。

結局、その日の夜8時に耕助はM原の西田別荘を訪ねることになった。M原の入口で迎えの人間が待っているという。耕助は、容子に教えられたとおりにM原の入口で車を降りたが誰も出迎えておらず、気の短い耕助は自分で別荘を探し始めた。

ところがその夜は霧が深かったうえ、鬱蒼とした森の木立が邪魔をし、たちまち迷ってしまった。そんなときに懐中電灯を持ったアロハを着た男に行きあった。聞けば耕助を迎えに行った男だという。

男に案内され西田別荘にやってきた耕助だったが、なにか男に違和感を覚えないではなかった。照子の知合いの御用聞きと名乗ったが、服装といい態度といいチンピラのようだったからだ。

西田別荘の様子もおかしかった。時間を指定しておきながら扉は閉ざされており、いくら呼んでも誰も出てこなかった。アロハの男はたまりかねて家の周囲を調べはじめ、間もなく耕助を呼んだ。

居間のカーテンの隙間から中が見通せるのだが、様子が変だというのだ。耕助もカーテンの隙間から中を覗くと、そこには血にまみれた浴衣姿の女が横たわっていた。どうも照子のようだった。

居間のガラス戸も中から錠がかかっているらしく開かず、耕助はアロハの男に助けを呼ぶように頼んだ。ところがアロハの男は駈け出そうとした途端に石につまずき生爪を剥がしてしまう。

仕方なく耕助は男を見張りに立てて、自分が別荘の管理人の所に走った。管理人に警察への連絡を頼み、管理人とともに西田別荘に取って返した。

管理人は気を利かせ、近所の若者数人を連れて来てくれた。ところが西田別荘には血まみれの女はおろかアロハの男もいなかった。

変わりにいたのは照子の姉でマネージャーでもあった川島房子という老女とコリー犬のジュピター。照子は知合いの別荘に遊びに行っており、アロハの男も知らないと言う。
念のためということで居間を見せてもらったが、そこには血の跡一つなかった。警察もやってきたが、耕助が幻でも見たのだろうという取り合ってくれない。

だが、耕助は玄関先にある石に血が付いているのを見逃さなかった。アロハの男が躓いて生爪を剥がした石である。翌朝11時、耕助のもとに警察から電話が入った。照子の死体が見つかったというのである。

照子の死体は左胸を一突きにされ、下着一枚で西田別荘の裏手に転がっていた。それにもまして金田一耕助は、強烈な違和感を覚えていた。
前夜、女の血まみれな姿を見た別荘と、今見ている別荘が違うような気がしてしょうがないのである。前夜からK高原に来ている等々力警部とともに耕助は付近を調べてみることにした。


「霧の山荘」は最初に案内された別荘は西田別荘ではなく、近くのよく似た別荘であり、死体も含めて全て照子の狂言であった。もちろん30年前の未解決事件も照子の創作で、照子が耕助を騙して笑うために仕組んだものだった。

その裏にはシナリオライターがいて、これが真犯人。照子の演じる狂言に乗じて殺してしまうのだ。狂言に協力したアロハの男も口封じのために殺されることは言うまでもない。よく似た別荘がご都合主義かも知れないが、一応の説明はされており許せる範囲だろう。それよりもつまずいて生爪を剥がした石などの
http://roadsite.road.jp/mystery/ys/yokomizo113.html

〈横溝正史「霧の山荘」を読みました。或いは、「Pホテル」とは本当に「軽井沢プリンスホテル」のことなのか?〉 [日々の思い・独り言]

 小説家は自分のよく知る土地を舞台にする。横溝正史とて例外ではない。むしろ横溝はよく知った土地を事件発生の舞台に、積極的に採用し続けた作家として最右翼に連なる人物ではないか。岡山県然り、世田谷周辺然り。そうして此度は信州を……。

 中編「霧の山荘」の舞台は戦後別荘を構えた軽井沢である。横溝正史と信州地方のつながりは古く、昭和8年の大喀血により転地療養を余儀なくされた頃に遡れる。富士見高原や上諏訪などを転々としていたことが、かれとこの地方の馴れ初めとなり、創作の上では短編「鬼火」や長編『犬神家の一族』といった憎悪劇に結実し、実生活に於いては戦後、軽井沢へ別荘を構えるに至ったが、「霧の山荘」はまさしくその軽井沢、就中別荘のある中山道(や北陸新幹線、しなの鉄道線)を跨いで広がる南原という地を舞台に据えた。

 もっと絞りこめば本作の舞台となる別荘地は中山道の南側一帯で、晴山ゴルフ場や軽井沢ゴルフ倶楽部を擁す地域。作中の記述に従えば、6万坪の敷地に40軒ばかしの別荘が建つのみの、「K高原でもちょっと別天地になって」(P222)いる場所だ。ちなみにこの界隈、現在では企業や大学の寮や保養所といった施設が集まるが、なお周囲に古くから所有されている別荘も散見される。

 さて、わたくしことみくらさんさんかはワクワクしながらこの中編を読んでいる最中、ふと疑問に思うたのだ。金田一耕助が事件の依頼を受ける前から滞在するホテルについて、である。

 金田一が泊まる「Pホテル」は軽井沢プリンスホテルであろう、というのが横溝ファン、金田一ファンの間では通説らしい。それに疑いを持つ向きはないようだ。

 プリンスホテルとは西武資本のホテル・チェーンだが、「霧の山荘」が『講談倶楽部』に発表された昭和33/1958年当時、西武資本のホテルがその名称に「プリンスホテル」と冠していたのは高輪と赤坂のみであった。

 軽井沢プリンスホテルの前身は昭和25/1950年開業の晴山ホテルといい、軽井沢プリンスホテルが開業するのは昭和48/1973年。両者が経営統合を果たすのは更に下って昭和52/1977年のことだ。その際晴山ホテルは軽井沢プリンスホテル晴山館へ改称された(現在は「軽井沢プリンスホテル ウェスト」として営業中)。

 従って本作の発表当時は「軽井沢プリンスホテル」なる名称のホテル、この地に存在しないはずなのだが、──

 されど「Pホテル」は執筆当初からの称であった。初出誌を披見する機会こそなかったものの、改稿前の原型作品を集めた『金田一耕助の新冒険』(光文社文庫)には「霧の別荘」という、「霧の山荘」のオリジナル・ヴァージョンが入っている。『講談倶楽部』昭和33年11月号初出のそれには既に金田一の滞在先として、「Pホテル」の名称がたしかに明記されており。

 となると、「Pホテル」とはやはり現在の軽井沢プリンスホテルを指すのか、それとも他に斯く記されるホテルが軽井沢には他に存在したのか。わたくしにはその点こそが本作に於ける最大級の<ミステリ>である。よって不肖わたくしも探偵に身をやつして調査し、近日中にその結果報告を別途一稿を草して読者諸兄にご報告する予定だ。それがたとい無残な結果になろうとも、……。

 ……ああ、「霧の山荘」でしたね。忘れていました(おい)。では以下、簡単に(おい!)。

 深い霧の底にへばりついたような別荘地の一角で、金田一耕助は途方に暮れていた。30年前の未解決事件について相談したいから、と招待されたサイレント時代のスター女優、紅葉照子の山荘に赴こうとしていた途中の迷子である。やがて到着した依頼人の別荘でかれは、案内役のアロハ・シャツと共に紅葉照子の刺殺体を発見する。すわ、とばかりに別荘の管理人の許へ走って戻った金田一は目を疑った。別荘のなかにあった依頼人の死体も怪我で動けなくなっていたアロハ・シャツの男の姿もそこにはなく、殺害現場となった別荘は小綺麗にされているばかりか依頼人の妹と名乗る老婦人が住んでおり。そうして翌日、別々の場所で紅葉照子とアロハ・シャツの男の死体が発見される。

 ……金田一耕助は考える、どうして紅葉照子の死体は別荘内から屋外へと移動されただけでなく着物を脱がされていたのか、紅葉照子の本当の殺害現場はどこなのか、どうしてアロハ・シャツの男まで殺されなくてはならなかったのか、30年前に紅葉照子の身辺であったという未解決事件とはなんなのか、そうして勿論、真犯人は誰か、殺害の動機と手段は、単独犯なのか共謀者があるのか……金田一耕助は例によって例の如く、スズメの巣のようなもじゃもじゃ頭を引っ掻き回しながら、等々力警部や地元警察と共に事件の真相にゆっくりと迫ってゆく。徐々に判明してゆく事件の顛末や如何に──。

 ネタバレという程のことではあるまいから書いてしまうと、金田一が目撃した紅葉照子の死体があった別荘と彼女の実妹が住んでいた別荘は別々の建物である。そのあたりは正直なところ、読んでいれば薄々察しのつく話だ。事実が判明しても、ああやっぱりね、と頷くのが関の山。むしろ問題となるのは、どうして他人の別荘で紅葉照子は殺されていなくてはならなかったのか、という点だ。

 じつはこれこそが犯人の動機や殺害方法につながる<謎>であり、同時に金田一を巻きこむきっかけとなった30年前の未解決事件の真実を探る<突破口>でもあるのだ。TBS系列で放送された本作の長編ドラマ(いわゆる2時間ドラマですな)ではこの未解決事件をクローズアップしているが、原作ではほんの添え物程度でしかないことに「霧の山荘」を読み終えた方は或る種の拍子抜けを覚えるかもしれない。

 要するにこの事件、紅葉照子の芝居っ気と茶目っ気、加えて悪戯心が引き金となって起こったのだが、子供のような彼女の虚栄心へ巧みに働きかけた犯人の才智が警察は勿論、金田一耕助の推理も狂わせてしまったのだ。

 されど悪事はかならず露見する。捜査の過程で金田一は小さな綻びを幾つか見出す。そうして或る推論の下に罠を仕掛ける。というよりも、敢えて置きっ放しにして置いた<餌>に犯人が喰らいつくのを待つ。

 当然犯人はその<餌>に引っ掛かり、見事御用となるのだが、思わずぞくりとする場面がそのあとに待っている。自白のあと共謀者のヘマを詰って詰ってまるで反省の色もなく、あたかも自分が法に触れる事件を引き起こしたとはつゆ思うていない素振りだ。21世紀の今日でもお馴染みな場面だろうが、なんだかやるせない思いに暗くなることである。と同時に本作に於いていちばん気に入っている場面であることも、備忘のように書き留めておこう。

 もし可能であるならば本作を読み終えた方は、前述した短編集に収録される原型短編や古谷一行主演の同題ドラマを鑑賞されては如何でしょう。有意義かは別にして、なにか思うところある時間は過ごせると思います。
https://sketchbookrf044.blog.so-net.ne.jp/2018-04-30



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/227.html

[近代史3] 横溝正史 ミイラの花嫁(TBS 1983年) 中川隆
2. 中川隆[-12311] koaQ7Jey 2019年2月09日 09:56:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

横溝正史(2時間ドラマ)
https://sites.google.com/site/darklymama/home/ya/yokomizo2

悪魔が来りて笛を吹く(1992)、
悪魔が来りて笛を吹く(2018)、
悪魔の仮面(1998)、
悪魔の唇(1994)、
悪魔の手毬唄(1990)、
悪魔の花嫁(1995)、
悪霊島(1999)、
犬神家の一族(1990)
神隠し真珠郎(2005)、
仮面舞踏会(1986)、
霧の山荘(1985)、
黒い羽根の呪い(1996)、
香水心中(1987)、
獄門岩の首(1984)、
獄門島(1990)、
獄門島(1997)、
獄門島(2003)、
殺人鬼(1988)、
死仮面(1986)、
死神の矢(1989)、
女王蜂(1994)、
女怪(1996)、
真珠郎(1983)、
人面瘡(2003)、
水神村伝説殺人事件(2002)
トランプ台上の首(2000)、
呪われた湖(1996)、
白蝋の死美人(2004)、
病院坂の首縊りの家(1992)、
不死蝶(1988)、
本陣殺人事件(1983)、
本陣殺人事件(1992)
魔女の旋律(1991)、
ミイラの花嫁(1983)、
三つ首塔(1993)、
迷路荘の惨劇(2002)、
迷路の花嫁(1993)、
八つ墓村(1991)、
幽霊座(1997)


▲△▽▼


悪魔が来りて笛を吹く(1992)

いくら原作がよくても、これじゃあどうしようもないですな。他にも二度ほど2時間ドラマで作られてるらしい。横溝正史シリーズのがよかったせいで、西田敏行氏主演の映画版も何じゃこりゃだった。と言うか、あの映画はテレビではなぜかあまりやってくれないな。原作は昭和22年の設定だけど、こちらは25年。東京、銀座の天銀堂で起きた毒殺魔による宝石盗難事件。椿英輔元子爵(石濱朗氏)が事情聴取を受けるが、容疑が晴れて釈放。それなのになぜか失踪し、信州霧ヶ峰で死体で発見される。金田一のところへ美禰子(西村知美さん)が現われ、父英輔は生きているのではと言い出す。彼女は信州まで行って父親の遺体の確認をしたが、母秌子(金沢碧さん)らが死んだはずの英輔を目撃したというのだ。金田一はその晩行なわれる占いに出ることに。秌子の主治医目賀博士が砂占い・・コックリさんのようなもので、英輔の生死を占うのだ。その夜、秌子の伯父、玉虫元伯爵(根上淳氏)が殺される。しかも密室殺人。次に秌子の兄、新宮利彦(清水章吾氏)が殺される。だいたい原作通りの流れだが、見ていてアレレなことばかり。英輔の死体の手の指が全部切断されてるってのは原作にはなし。それじゃあ自殺にならないじゃん。指紋が・・って天銀堂の犯人は手袋していて指紋残してないぞ。指のこと金田一が知らないってことは、新聞などで公表されてないってこと。殺人かもしれないとなれば警察が捜査しているはずで。そもそも他殺をにおわせて、捜査が飯尾に行き着いたらどうするんだよ。あと、モンタージュ写真が証明写真みたいにはっきりしてるのは変。もっと合成っぽくしなきゃ。金田一の前に座ってる美禰子は・・膝が丸見えだ。スカート短すぎるんじゃないの?原作と違い、椿家は生活には困っていないようだ。屋敷はりっぱだし、庭の手入れも行き届いている。戦争や華族制度の廃止の影響はほとんどなしか。原作と一番違うのは東太郎。何と美禰子の兄になってる。英国に15年留学していたという設定だが、戦争中は日本に・・ってずいぶんアバウト。それに英国で何勉強してたんだ?働いていないみたいだし。もちろん小夜子との悲恋とかは出てこない。

悪魔が来りて笛を吹く2

美禰子にも違和感がある。彼女は不器量で、絶世の美女である母親とは全然似ていない。まわりの影響を受けやすく、誰かに頼ってばかりの秌子とは違い、困難の中を自力で生きていこうとするタイプ。髪は短くカットし、服装も地味。少々意固地だが、けなげな女性。髪が長くていかにもいいとこのお嬢さんといった服装のこちらの美禰子じゃ違うのだ。西村さんの出番を多くするため、金田一の須磨行きにもついてくる。謎の怪人に殺してと頼むし、何か知ってるのに隠すし。兄が犯人と知って苦悩しているはずなのに、犯人暴きの席ではすました顔で立ち会ってるし、何じゃこりゃの連続。子供の頃「ザ・ガードマン」とか「キイハンター」を見ていて、何でこんなに筋がメチャクチャなのかと不思議で仕方なかった。ここでこうなったのに、次のシーンではああなってるのはなぜなんだ?あのシーンやった意味がないじゃないか。最初から入れる必要ないじゃないか。あれからウン十年たつけど、やっぱりおんなじことやってるんだわ。入れたせいで前後が繋がらなくなってる。秌子役の金沢さんは洋装で出てくる。彼女は情欲に弱い狂い咲きの妖花というイメージじゃない。それにしてもなぜ東太郎の設定を変えたのだろう。彼は秌子と利彦の間にできた子供。英輔のためにと飯尾を使って宝石を盗ませたけど、受け取りは拒否された。そりゃそうでしょ。罪もない人10人も殺して手に入れた宝石なんか受け取るわけがない。それに英輔は金に困ってるわけじゃないし。それに・・何で実行犯に父親そっくりの飯尾を選ぶんだ?さすがに警察に密告したのは東太郎から利彦に変更されている。東太郎が密告したのではますます話がおかしくなるからね。彼が自分の犯行を利彦や秌子のせいにしていたのは潔くないですな。天銀堂事件のこと何とも思ってないのがすごい。ラストの美禰子の「わたくし生きてていいのでしょうか」というセリフにも引っくり返りそうになったな。生きていたくなくなるくらいショック受けたのは、利彦の妻華子や息子一彦も同様でしょ。でもそういうのは全く無視される。西村さんだけ目立たせておけばいいってか?しかもちょっと金田一に励まされるとコロッと態度変わるし・・。違うでしょ、美禰子は華子や一彦を励まし、新しい生活に踏み出すんでしょ。

▲△▽▼

悪魔が来りて笛を吹く(2018)

NHKBSでも金田一物やり始めたのか。今回はアララなシーン多かったな。NHKも変わったな。金田一は吉岡秀隆氏。下宿代に困ってるところなどかわいかったけど、部屋はもう少し狭くて足の踏み場もないって感じの方がよかった。下宿のおかみ、せつ子が倍賞美津子さん。椿家はなかなかりっぱで、洋館と日本家屋がくっついているような感じ。「百年名家」に出てきそう。登場人物では信乃とお種が省略されている。あと、秌子が姉で利彦が弟になっている。さあこれから謎解きというところで1時間8分くらいか。ずいぶんすっ飛ばしてきている。椿役は増岡徹氏、須磨の旅館のおかみが山村紅葉さん。山村さんは大きな目が小錦に似てるな。淡路島の慈道が火野正平氏。知ってる人はそれくらいか。この作品はキャストが難しい。美禰子が前髪垂らした鬱陶しい感じで出てきたとたん、ああこりゃだめだ・・と予想つく。異様でも美しくもない秌子が出てきた時点で、こりゃ完全にアウトだ・・と覚悟する。菊江役の人は美人だ。華子は変なことになってる。彼女はもっとまともなキャラのはず。気になったのは旅館の女中おすみ。子爵、子爵と呼び捨てで、普通は「子爵さん」とか「子爵はん」とか言うんじゃないの?謎解き部分は早送りしたくなるほど長い。秌子は睡眠薬でも飲んだのか。彼女は自殺なんか絶対するタイプじゃないのだが。しかも命は取りとめて、「えッ、じゃあ助かるの?」とびっくり。また、東太郎が自分の素性知らないことにも驚く。アザのこと知らないのにもびっくりだ。軍隊に行ったのなら酒を飲まされる機会あったはず。風呂場で体があったまってアザが浮き出たのを、まわりに指摘されたはず。金田一が現場に一同を集めるのはすべてが組み立て終わったからで。東太郎にアザがあることは金田一は確認ずみでなければならないはずだが。東太郎と秌子の死もねえ・・何じゃこりゃ。東太郎が秌子殺すの誰も止めようとしてなかったような。飯尾が椿のフリして出没するシーンも見せなかったな。謎解き部分で金田一が引き延ばしたりあいまいな態度取ったりするのはおかしいし、みんなを救えたのにと後悔するところもおかしい。本当にそう思うのなら東太郎を容疑者として連行させれば、少なくとも秌子は死なずにすんだ。まあ別にいいんですけどさ。

▲△▽▼

悪魔の仮面(1998)


これは短編の「神楽太夫」と「薔薇の別荘」が元になっているらしい。と言っても、前者は神楽太夫が出てくるってことだけしか関係ない。後者は、何かの理由で集められた一族、殺された当主と思いがけない跡継ぎ、それくらい。ほとんどオリジナル。昭和32年、岡山の田舎。大金持ちの仁礼竜之助が親戚を集める。なぜか金田一も同席。金に困っている者、竜之助、鶴子(真野響子さん)夫婦に子供がいないので、自分の息子を養子にとかいろいろあるが、どれも不成功。竜之助の身の回りの世話をしている可南子を籍に入れるというのでみんな仰天。彼女は30年前竜之助が女中に生ませた子。その身元調査を依頼されたのが金田一。で、間違いなしとわかったのでみんなに披露したわけ。もちろんみんなは納得しない。村はちょうど祭の最中で、お神楽をやっている。で、竜之助が殺される。凶器は鎌だ。次に可南子。蛇の抜け殻が残されていた。竜之助の妹涼子の時は鎖。それにしても竜之助が殺された時点で、何で可南子に警護を付けないのか。莫大な財産が見も知らぬ小娘に行くとみんなが騒ぎ立てているのだ。次に狙われるとしたら彼女でしょ。また、警察が何もしないから、鶴子は琢馬(羽場裕一氏)と密会できる。琢馬は女癖の悪い兄の竜之助にじっと耐えている鶴子への同情が、いつしか愛に変わっていたのだった。冒頭うじゃうじゃ出てくるのは「神隠し真珠郎」と同じだが、写真付きの系図が何度も出てくるので、そこはわかりやすくてよかった。いつものことだが金田一は何もできない。まあ彼は殺人を防ぐのが仕事じゃないからね。誰がどういう理由でどうやってというのを明らかにするのが仕事で。結局竜之助が昔集中豪雨にまぎれて隣りに住んでいた家族三人を殺したというのが発端で。それも酒造りに適した水を手に入れたいからという水っぽい理由で!生き残った鶴子と弟史親が、仇の竜之助を殺したってのはわかる。でも、可南子や涼子まで殺すのは・・はずみがついちゃったからってアンタそんな軽はずみな理由で・・。真野さんはじっと押し黙っている表情が印象的だ。大昔テレビで芸能レポーターに囲まれて質問されても(たぶん柴氏との交際についてだったと思う)、一言もしゃべらず黙り続けていたのが印象に残ったけど、その時と同じ表情。


▲△▽▼


悪魔の唇(1994)

原作は「悪魔の百唇譜」。感想を書くため読み返した。前半はほぼ原作に忠実だが、舞台は京都に変更してある。それと原作は昭和35年だが、こちらは32年。妻をなくした河合警部(谷啓氏)にお悔やみを言うため京都へ立ち寄った金田一。そのまま山陰へ旅するつもりが、ちょうど殺人事件が起きたと引っ張り回される。あまり深く関わらないうちに出発しようとするが、そのうち興味がわいてきて本腰を入れることに。被害者朱実と、次に見つかった若い男園部は、嫉妬にかられた朱実の夫小島(天田俊明氏)が殺したのではないか。朱実の夫は中国人から日本人に変更してある。血染めのトランプカードもなし。売り出し中の女優ユカリ(吉川十和子さん)と、小島の部下坂巻(田中実氏)が出てくるが、何やら秘密がありそう。謎の男のカゲもちらつく。ユカリが朱実の身元確認に来て涙を流したり、”シャボン玉飛んだ”などと歌うシーンがあって、その後の展開は予想がつく(思いやられるとも言う)。原作のユカリは清純派で売っているものの、実際は世間ずれしたしたたか者。でもそうやっちゃうと、見ている者の同情を得られない。だからあくまでも美しく清らかで薄幸で。京都の暑い夏を感じさせる小道具がいい。そうめん、枝豆、スイカ・・あら、食べ物ばっか。冒頭からヌードを出してきてサービス。身元確認の時も胸を出したままなのは不自然。それにしても朱実役の人は偉いな。服を着ていてさえ死体役は難しいのに、裸でぴくりとも動かない。途中京都キネマが出てくるが、太秦かな。金田一が撮影をぶち壊しにして怒られるのはお約束。謎の男・・藤野役は火野正平氏。今じゃ「こころ旅」で好感度ばつぐんの氏だが、この頃はこういううさんくさい役もやっていたんだな。後半になると変更が目立つ。原作をそのまんまやれとは言わないが、創作を加え始めると話にだんだんまとまりがなくなる。シャボン玉の歌で感じたいや〜な予感があたり始める。重苦しい感じのクラシックの某曲が何度となく流れる。作り手のどっちつかずかげんを表わしているかのようだ。

悪魔の唇2

歌手くずれの都築は女性をたらし込み、薬で眠らせ、唇紋を取って収集。それだけではなく写真もとってゆすっていた。この都築が、絶対に女性を虜にしなさそうな容姿なのが致命的。その彼が殺され、彼に手ほどきを受けた園部が、あとを継いで脅迫を続けていたと。朱実もユカリも被害者であると。園部はある家の土蔵を借りて住んでいたが、契約の時一緒に来た白石なる人物が藤野らしいと。ここらへんは原作通りだ。ただ、原作では都築殺しは九ヶ月前、こちらでは五年前になってる。ユカリが都築の子供を身ごもったことや、それが原因で芸能界から消え、最近ようやくカムバックしたこと、坂巻とは幼なじみなどというのは原作にはなし。藤野が六人も殺し、土蔵の近くに埋めていたというのもなし。彼がいかに異常で残酷な性格かというのを強調し、ユカリが彼を殺しても仕方のないことだったというふうに持っていく。志村刑事は、藤野に首を絞められ、殺されるところだったのだから、ユカリのやったことは正当防衛だと思っている。しかし・・藤野は何回刺されたんだ?正当防衛にしては刺しすぎでしょ。すべては藤野の仕業・・となって、事件は解決と思われたが・・金田一が引っくり返す。小島が朱実の浮気を疑い、男に会いに行けるよう、急に東京出張を言い出したのを知っていたのは、朱実とお手伝いのナツ子と坂巻だけ。だから朱実を殺したのは坂巻。その頃ユカリのそばにいたのは園部。ユカリは彼を薬で眠らせ、殺す。二人が一緒に死体で見つかれば、疑われるのは小島。都築を殺したのもユカリ。同じ被害者である朱実を殺すのは一見筋が通らないように見えるが、園部にゆすられ続けてせっぱつまった朱実は、今度はユカリを脅して金や宝石を要求。言うことを聞かなければ都築殺しをばらすぞと言われ・・。「ああするより他になかった」とお決まりのセリフ。そのわりには小島に濡れ衣着せて平気ってどういうことよ。とにかく見ている者の涙をしぼろうとあの手この手。”シャボン玉飛んだ”・・ゲッ、いいかげんにしろ!早く終わってくれ〜!何じゃこりゃ〜!お尻がムズムズする〜!

▲△▽▼

悪魔の手毬唄(1990)

昭和27年・・原作より三年ほど早い設定。磯川警部(藤岡琢也氏)オススメの岡山の湯治場亀の湯を訪れた金田一(古谷一行氏)。磯川はここの女将リカ(有馬稲子さん)に密かに心を寄せている。20年ほど前、リカの夫源治郎は、詐欺師恩田に殺されたが、顔は判別できないほど焼けていた。磯川は、殺されたのが恩田で、殺したのは源治郎なのでは・・という疑惑を捨て切れない。原作だとリカへの思いは秘めたままだが、こちらは表に出す。リカの秘密を握っている放庵をゲス野郎に描くが、原作ではそこまでいかない。恩田の詐欺も結果的にそうなった・・と、原作では弁護している。まあとにかくリカにとっては、磯川がいつまでも事件ほじくり返すのをやめないのは迷惑だったろう。何となくクリスティーの「スリーピング・マーダー」思い出す。いつものように金田一は、あらかた殺されるまで何もできない。犯人リカは美しくはかなく死ぬ。同じ毒で死ぬにしても、放庵の死に様とはえらい違いだ。この作品でよかったのは、泰子、文子、ゆかり(伊藤つかささん)、里子(浅野愛子さん)の四人の仲がいいこと。泰子と文子はリカの息子歌名雄(石黒賢氏)をめぐるライバルだが、文子は友情の方が大事だと思ってる。里子はゆかりのために命を投げ出す。事件のきっかけは恩田と源治郎が同一人物で、四人とも彼の娘であること。歌名雄とは異母兄妹だから結婚させるわけにはいかない。歌名雄と泰子は愛し合っているが、リカは反対するにしても理由が言えない。何しろ源治郎(恩田)を殺したのは自分。リカの苦悩はわかるが、夫殺しがばれず、迷宮入りになった頃を見計らって、この地を去ることもできたはず。元々彼女はよそ者なんだし。そうすりゃ今頃になって四人も追加で殺さずにすんだのに。まあ他の三人は美しいのに自分の娘里子だけ生まれつき全身にアザがあるのが悔しい・・とか、ゆかりが大スターになって故郷に凱旋したのが妬ましい・・とか、そのうち復讐してやる・・とかいろいろあるのだろうが。もちろんテレビの方は悲しい運命に翻弄された気の毒な・・を強調。出演者では泰子の母役江波杏子さんと、里子役浅野さんが印象的。有馬さん、石黒氏は印象薄い。特に石黒氏は若い娘にモテモテのキャラなのに・・。


▲△▽▼


悪魔の花嫁(1995)

原作は短編で、金田一は出て来ない。新聞記者の三津木俊介が謎解きをするのだが、テレビでは少しは痕跡を・・とでも思ったのか、同じく新聞記者の宇津木恭兵を出してくる。金田一は恭兵の妹香織からの手紙で京都へ赴くが、指定された料亭で待っていても現われない。あきらめて河合のところへ向かう途中、夜道が物騒で・・と同道を頼んできたのが鶴田弓枝(高橋ひとみさん)。途中、霧の中で悪魔のようなものが浮かび上がるが、金田一はそういうものは信じないたちらしく、誰かのいたずらだと思っている。鶴田家は京都でも有数の資産家らしい。当主は弓枝の姉で、故人の澄枝の夫菊雄(古尾谷雅人氏)。彼は婿で、澄枝の財産を元手に事業を拡大。ホテル業にも乗り出そうという勢い。菊雄には鮎子という幼い娘がいる。弓枝は奈良にいたが、姉の死で鮎子の世話をするため三年前に戻ってきた。恭兵と婚約していたが、彼は澄枝と旅館で服毒心中。後で金田一は香織を訪ねるが、彼女は手紙は出していないと言う。しかし彼女は兄の死には強い疑問を抱いている。菊雄には忠雄(沢向要士氏)という弟がいる。空襲で足が不自由。原作ではせむしだが変更してある。知り合った翌日金田一は再び鶴田家へ。菊雄の誕生パーティに招待されたからだが、どうやら弓枝は金田一の初恋の女性に似ているらしい。それとあの悪魔の正体も気にかかる。転んだ忠雄を助けるというシーンもあるが、ここで彼が体が不自由だということを印象づけておくわけだ。仮装パーティの途中、悪魔のような仮装をした人物が現われる。停電もあって、何が何やらわからないうちに近藤と立野が刺し殺される。後でみんなして男と言っていたけど、仮装をしていたのだから女性かもしれないじゃん・・と私なんかは思ったんだけど。家政婦の村木の仕業かも・・って。ずっと澄枝の世話をしてきて、菊雄のことを嫌っているところなんか「レベッカ」のデンヴァース夫人みたいだ。また、仮装パーティで浮かれる人々の間を歩くまがまがしい悪魔は、「赤死病の仮面」を連想させ、なかなかよかった。

悪魔の花嫁2

近藤と立野は小豆相場に手を出して失敗し、菊雄に穴を埋めてもらおうとしたが断られる。菊雄とこの二人、執事の笹野(六平直政氏)、後で出てくる室戸らは、戦争中一緒に地獄を見た仲間らしい。近藤と立野は菊雄を脅していたらしく、当然警察に疑われるが動じない。そのうち弁護士の宅間も墜落死する。死者は増やしてあるし、途中で洋一郎が神隠し・・なんて出てくるので、こりゃ話はどこへ行き着くのかいな・・と心配になる。原作と違い菊雄はいつまでたっても死なないので、生かしておくため(←?)あれこれ出してくる。弓枝や忠雄が菊雄を殺さないのは、洋一郎の生死が不明だから。洋一郎は両親が晩年になってからできた跡継ぎで、澄枝や弓枝にとっては年の離れた弟。それがある日突然行方不明に。溺愛していた両親は悲しみのあまり死んでしまう。もちろん菊雄の仕業で、それもこれも財産を一人じめするため。まず澄枝をたぶらかして結婚し、心中に見せかけて始末し、遺産を相続。その後弓枝に手を出し、近く結婚するつもり。洋一郎がいなくなったため、財産は姉妹二人がそれぞれ持ってるが、彼が生きて帰ってきた場合はすべて彼のものになる。菊雄は戦時中恩を売った室戸に洋一郎の始末を命じたが、彼は手を下せず、山伏として暮らしながら子供を育てる。室戸が病死すると、山伏仲間で事情を聞いて知っている木田(佐川満男氏)が引き続き面倒を見る。へたに姿を現わすと菊雄に殺されてしまうので隠れていると。・・警察は当てにできないってか?これらがわかったのは恭兵が残しておいたメモのおかげ。彼が澄枝と旅館でしばしば密会していたのは不倫ではなく、洋一郎のことを相談していたからなのだ。ただ、その旅館は宅間が愛人にやらせていた関係で、菊雄の知るところとなり、毒を飲まされ殺されたと。木田と笹野は相討ちのような形で死亡。金田一は洋一郎を連れて鶴田家へ。菊雄と対決するが、彼がすべての黒幕という確実な証拠は何もない。笹野は死んでしまったし、澄枝達に毒を飲ませたのは旅館のおかみ。


悪魔の花嫁3

この後やっと(←?)弓枝が菊雄を刺し殺し、例の・・悪魔の仕業と言い立てるが、これは今逮捕されては困るからだ。鶴田家の存続や洋一郎の将来・・財産相続・・を確実なものとするには法的手続きが必要。彼が本物なのは間違いなく、自分達がいなくなった後は村木が洋一郎や鮎子を守ってくれるだろう。金田一もあえて黙っている。ずっと存在感の薄かった忠雄がようやく前に出てくる。彼の障害は実はそう重くもなかった。でも、容疑者からはずれるためには体が不自由とまわりに思わせておく必要があった。悪魔の仮装をしたのは彼。う〜ん、でもなぜ近藤と立野を殺すんだ?洋一郎のことを何か知っていないかくらいは聞くのでは?菊雄と違ってすぐ口割りそうだし。金田一は自首を勧めるが、二人にその気がないことはわかっている。忠雄が弓枝のことを思っているのは原作通りだが、弓枝の方は・・彼の気持ちに気づいていたのかな?ラスト・・すべてが片づき、二人は毒入りワインを飲んで美しく死ぬ。ネットで調べると酷評されているが、私はそうひどい出来でもないのではと思っている。ただ、菊雄の言動につじつまの合わないところがあるのは確か。自分のまわりで次々に人が死んでいるのに、誰の仕業なのか全然気にしてないみたいなのはおかしい。誰かが自分を陥れようとしている。それはいったい誰?普通少しは疑うでしょ?洋一郎のことがほったらかしだったのもおかしい。室戸がちゃんと言う通りにしたのか確認するでしょ?弓枝のことはいちおう心から愛していたようで、結婚しても殺す気はなかったと思われる。だから彼女に刺された時は、信じられない様子。と言って彼に同情する人はいまい。澄枝にしたことを思えばね。と言うか、直前に金田一にあれだけ暴かれて、それでもなお弓枝が彼を信じて結婚すると?弓枝は浮草のように頼りなげな、はかなげな感じだが、一回だけ強いところを見せる。菊雄の戦友仲間を訪ねて回っている金田一を襲おうとしたチンピラどもを退けるシーン。ここは意外でよかった。澤向氏は知らない人だが、その後澤向要進と改名したようだ。

▲△▽▼

悪霊島(1999)


金田一は祈祷師のはるから手紙をもらい、岡山県の下津井へ。しかし彼女は殺されていた。手紙には具体的なことは何も書かれていなかったが、はるの手には刑部神社のおみくじが。で、刑部島へ。途中青木という男を引き上げるが、「鵺の鳴く夜に気をつけろ」とか言ってこときれる。島では刑部大膳(神山繁氏)を始めとする刑部家と、貿易商として成功している越智竜平(峰岸徹氏)を始めとする越智家があって、昔から仲が悪い。宮司の守衛(清水綋治氏)と巴(山本陽子さん)の娘真帆(中本奈奈さん)は、竜平の甥拓郎(中村俊介氏)と恋仲で、駆け落ちしようとするが止められる。両家の仲の悪さを思えば当然だが、巴と竜平は昔恋仲だったのを引き裂かれた。若い二人を応援してくれてもよさそうなものだが・・と金田一は思う。見ている我々は、そりゃ二人が兄妹だからに決まってるじゃん!と思う。拓郎は養子・・の時点で決まりでしょ。金田一は依頼人となるはずのはるが殺され、報酬の当てもないのに調べ回る。しかし殺人を止められない。99年というと山本さんは50代後半で、43歳の巴はちと無理がある。20年前の若い巴もやるが、見ている方が恥ずかしくなる。中村氏はやさしそうな顔立ちで、私は見たことないが浅見光彦シリーズを長く務めたらしい。巴と竜平の間に生まれた双子の兄妹・・と知らされた二人は、当然ショックを受ける。金田一はこの二人がまだ関係を持っていないという前提で接しているが、そうじゃなかったらどうするのかね。原作での巴は多情で甘ったれで、竜平でさえアイソつかすが、こちらはそうはいかない。あくまでも美しく悲しく、(何人殺そうが)彼女は悪くありません、仕方なかったんです状態。例によってマーラーの曲がじょうじょうと流れ、時にはうるさいほど鳴り響く。まあ原作とは全く別の話と考えれば、余計なものを切り捨て、巴を中心としたストーリーにうまくまとめ上げてあり、わかりやすいとは思う。でも原作のファンは磯川警部と幻の息子とのめぐり合いを期待するわけで。一番心に残るのはあの部分なのであって。何でいつも女性連続殺人犯を薄幸な美女に仕立て上げるのかね。男性が犯人ならこんな変更しないと思うが。


▲△▽▼



犬神家の一族(1990)


中井貴一氏が金田一やってたとは知らなんだ。2時間以上あって、劇場用映画ですと言ってもいいくらい。細かいところをちょこちょこ変えてあるが、一番よかったのは犯人松子(岡田茉莉子さん)の動機。佐兵衛(若山富三郎氏)の霊に支配されて・・みたいな描写にはうんざりしていたので、こちらのズバリ遺産目当てというのは非常にいい。「愛情をくれなかった父親に何をもらいますか」・・いいですなあ正直で。今までの「犬神」と違うのは三姉妹の背景にスポットをあてていること。ただの意地の悪さ、冷たさではなくて、彼女達をそういう性格に追い込んだ佐兵衛の所業を強調する。三姉妹の母親だけでなく、古舘(小林桂樹氏)は恋人と引き裂かれ、徳島警部補(荒井注氏)、佐川刑事(柳沢慎吾氏)も家族のことで佐兵衛を恨んでいる。その佐兵衛が生涯でただ一度純粋に愛したのが菊野・・なんて言われてもねえ。何と身勝手な。ちなみに菊野は古舘の元恋人という設定。そっちを強調するためか、珠世(財前直見さん)が佐兵衛の孫という設定はなし。単に佐兵衛の大恩人の孫ということにしてある。そのせいで遺言状で珠世が重んじられていることに説得力がない。今回松子の琴の師匠香琴(結城しのぶさん)の設定もひねってある。原作では菊野だが、こちらでは菊野の妹はる。松子のアリバイ作りに協力していると見せかけて、後で事実を申し立てて松子を窮地に追いやる。もちろん姉の復讐だ。また、佐清(石黒賢氏)と静馬の協力関係はなしとか、松子が最初から本物の佐清じゃないとわかっていたとか、妙なことになっている。それでいいのかな・・とも思うが。何度もうるさいくらい「よきこときく」がくり返される。全体的にスピード感がなく、停滞した感じ。三姉妹の中では次女竹子役三ツ矢歌子さんもいいが、三女梅子役結城美栄子さんがすばらしい。怨念のこもったしゃべり。謎解きのシーンで、珠世の後ろに猿蔵(丹古母鬼馬二氏)の顔だけがうつっているのが、深刻なシーンなのに笑える。他に若林が辰巳琢郎氏、奉納手形のことを言い出す朝子が浅野ゆう子さん、金田一の助手池田が松本伊代さん。個人的に感心したのは人力車夫役桜金造氏。老婆にぶつかりそうになった後の表情・・目つき、口元、頭の振り方がすばらしい。洋装にメガネの中井金田一も悪くはないが、印象は薄い。今にも「サラメシ!」とか言いそう。

▲△▽▼

神隠し真珠郎(2005)

1977年のテレビ版は原作の香りをよく伝えていたけど、こっちは・・。舞台は信州ではなく、岡山。時代は不明だが、テレビの形を見るとやや古めかしい。それでいてカラーコンタクトレンズがあったりして。椎名は出て来ず、乙骨(勝村政信氏)が金田一連れてくる。鵜藤と由美の二人暮らしのはずが、ぞろぞろうじゃうじゃ。作り手の方も心得ていて、家族構成図を出したり、いちいち顔をうつしたり。初めは誰が誰やら状態だが、そのうち見分けがつくようになる。困るのは何にでも女がくっついていること。〇〇の母、〇〇の妻、〇〇の愛人。で、これら女性達が揃ってどうでもいいような存在で。普通これに子供達が加わるはずだが、そっちは一人だけ。この子供・・誠司がまたウロウロしているだけの存在で。鵜藤(神山繁氏)には、それぞれ母親の異なる三人の息子がいる。本当はもう一人末の真珠郎がいるが、18年前3歳の時、神隠しにあって行方知れず。この真珠郎と思われる男が、長男の雄一、次男の研二(乙骨)、三男の幸三を惨殺。なぜ真珠郎だとわかるかと言うと、彼は金髪で青い目をしているからなのだった。ここで見てる人全員思う・・本当に鵜藤の子?もちろんそんなことは無視される。金田一でさえ遺伝的におかしいのではないかと疑わない。みんなしてウロウロしているだけで時間がたっていく。誰がどうなろうと、どうでもよく思えてしまうのがまずい。河合警部の谷啓氏、鵜藤の神山氏、金田一の古谷一行氏・・演技がどうのより、健康の方が気になる。寒そうだし走ってるし。原作の面影はうっすら程度。洞窟の中や部屋の中に、恨む相手の名前が書かれた紙がいっぱいぶら下がっているところ、真珠郎が写真をナイフでブスブス突くところなど、いいシーンもある。真珠郎役山崎勝之君もなかなかいい感じで、興味が持続するとしたら彼のおかげ。由美役田中美里さんもいいが、鵜藤に暴行されるとかそういう原作での設定はなし。子供の頃鵜藤によって両親を半殺しにされ、兄と弟を殺された恨みということになっている。終わりの30分くらいは、延々説明・回想。どんなに頭悪くてもこれなら理解できるでしょ・・と言わんばかり。由美の母親役は吉田日出子さんかと思ったら泉晶子さんだった。ラスト流れる音楽はなぜか夏の終わりの、ひとけのなくなった海辺を思わせるような・・おフランスの恋愛映画ででも流れそうな曲だった。まあ・・予想したほどひどくはなかったけど、相手がわかっているのだから、あんな手間と時間のかかる、成功率の低い復讐の手段は取らないだろう・・ってどうしても思っちゃう。

▲△▽▼

仮面舞踏会(1986)

小野寺昭氏の金田一を見るのは初めて。ちょっと髪の毛が多すぎて不自然な感じがするけど、大人しくて控えめな性格なのはいい。2時間ドラマなので駆け足気味。1時間を少し過ぎたあたりでゴルフのシーン。あら、もう美沙(松原千明さん)の色盲がわかっちゃうの?今回残念だったのは、メインの千代子役松尾嘉代さん、飛鳥役鈴木瑞穂氏に魅力がないこと。大女優と大物実業家の豪華カップルにはとても見えない。千代子は大根女優、飛鳥は千代子に振り回される小物にしか見えない。荒木道子さんの篤子は、古谷版の乙羽信子さんに比べると憎たらし度は薄め。美沙が殺すのは泰久(佐原健二氏)だけで、槇と津村(清川新吾氏)は篤子が殺す。二人とも美沙の出生の秘密を知り、篤子に大金を要求する悪党に描かれる。他に謎の女・・槇を千代子に取られた元妻(白川和子さん)が出没。作り手は千代子の方も謎めいた魔性の女に描きたいようだが、謎の女は一人でたくさんだ。二人というのは欲張りすぎ。舞台は軽井沢ではなく、山中湖畔に変更。泰久の死も去年ではなく、今年(←?)。もう一人の夫阿久津は省略され、田代の存在も都合よく扱われる。篤子も美沙も戦争の被害者として・・気の毒な存在として描かれる。その上なぜか美沙は金田一に思慕の念を抱いている。しかし泰久によってすべてを踏みにじられてしまう。罪は篤子が全部かぶってくれたけど、もう生きる気力はない。原作のような、突然変身する邪悪さはなく、最後までひたすら悲しく美しい。特に2時間ドラマはこういうの念入りに描くのが好き(常套手段)だから、こんなに早く種明かししちゃって残りの時間どうするの?と思っても、大丈夫ちゃんと埋まるのよ。今回もなぜか金田一と美沙は小舟を浮かべ・・これじゃ「真珠郎」みたいだ・・と思っていたら・・案の定美しく服毒死。今回は、泰久がバンガローに落書きしていたSASUKEのことがちゃんと説明されていて、そこはよかったけど、全体的にはダメダメムード。大げさな演技や、一部の人のへたくそな演技が作品の質を落としていた。松原さんは古風な美しさがよかった。原健策氏がお父さんだそうで、これにはびっくり。小野寺氏のは他に「真珠郎」とか「三つ首塔」、「夜歩く」があるようで、放映されたら見るつもり。

▲△▽▼

霧の山荘(1985)


原作が反映されているのは最初の方だけ。すぐ変更・・と言うか、暴走・迷走し始める。信州のホテルに滞在中の金田一。等々力のゴルフに付き合っていた時見かけた往年の大スター、紅葉照子(岡田茉莉子さん)に亡き母の面影を見、心引かれる。彼女の姪容子(松本留美さん)が金田一に会いにくる。彼なら20年前に身辺で起きた殺人事件の真相解明をしてくれる・・と照子は思い込んでいるらしい。迎えの車を寄こすというのを断り、散歩がてら出かけた金田一だが、霧の中で迷ってしまう。往生していると使いだという、うさんくさい男が現われ・・ここから殺人事件が起きたと思わされた金田一が警察を呼んで赤っ恥をかくまでは原作と同じだが、それ以降は全然別の流れ。原作では殺される照子も、使いの男平太(山本昌夫氏)も死なない。もっとも照子は最後に死ぬけど。何しろ岡田さんなので、彼女が犯人というのは見え見え。原作では容子と武彦(西田健氏)が犯人で、照子と平太を殺し、照子の姉房子に罪をなすりつけようとするのだが、こちらでは容子も武彦も殺されてしまう。房子は出てこず・・。照子は20年前「死の接吻」という映画で水木と共演するが、彼が事故とも自殺ともつかない死を遂げたため、映画は未完成に終わる。その後半年ほど失踪した照子は、現われたと思ったら引退宣言。その後実業家の田島と結婚するが、その彼が病死。死の間際に自分が命じて水木を殺させたと告白。それが誰なのかは不明だが、水木の死の直前一緒に酒を飲んでいた監督の上条(織本順吉氏)、カメラマンの渡瀬、会社の宣伝部長秋葉(田中明夫氏)のうちの誰かに違いない。三人とも水木に自分をあきらめさせようとしていたし。照子は三人を別荘へ呼び寄せ、カムバック宣言。自分が資金を出し、「死の接吻」を完成させる・・と、水木そっくりの達彦まで出してくる。で、撮影が始まり、途中で容子が崖から転落死、武彦は銃の暴発で死ぬ。上条達は撮影中止を言い出すが、照子は時間がないと続行を主張。これで彼女が不治の病なのは確実と。映画は人妻と海軍将校の悲恋か。怒り狂った夫が恋人を撃ち殺し、傷心のヒロインは毒をあおって美しく死ぬと。情事のシーンが何度か出てくるが、照子はしっかり着ているので不自然。後で彼女は乳ガンが再発し、余命六ヶ月とわかる。脱がないのはそのせいとか、何かいい持っていき方があっただろうに。


霧の山荘2


途中で金田一は旅に出る。半年の失踪は出産のためとなぜか気づいたらしい。生まれたのが達彦で、水木にそっくりなのはそのせい。死期を悟った照子が、昔のマネージャーに育ててもらっていた達彦に遺産を相続させるため、今回のことを仕組んだのだ。武彦と容子は田島の甥、姪なので、照子が死ねば遺産は二人に行く。あのでもだからって邪魔だ殺してしまえとなります?母親の愛と言われても困るんですけど。それに・・田島の財産でしょ?あんたのじゃなくて。大女優だったのなら自分のもあるはずで、それを残せばいいじゃん。いや〜それにしても岡田さんの若作りと言うか、ヒロインなり切り演技見るには忍耐が必要です。演技とは言え母親が息子とラブシーン演じるのは異常だし、シャワーシーンはおぞましくさえある。何じゃあのシーンは(後ろ姿は吹き替えらしいが)。この時点では達彦は照子が母親だとは知らないはず。知っていたらいくら何でもあんなことしないでしょ。ラスト近くまで達彦はほとんどセリフもなく、何を考えているのかよくわからない。いや、作り手にもわからないんでしょ?死んだ恋人への恋情と、息子への愛情と、映画を完成させたいという女優根性といくら何でも欲張りすぎ。一番呆れるのは金田一も等々力も照子のやったことを犯罪だと認識していないらしいこと。容子も武彦も遺産は当てにしているが、それは血縁だから当然のこと。だからこそ照子の面倒を見、わがままに付き合ってきた。今回だって素人だけど映画に出てくれるなど協力的。原作のような悪人では決してない。それをあなた問答無用で殺しちゃうんですぜ。このようにひどい内容なのだが、出演者のおかげで何とか見ていられる。西田氏は「帰ってきたウルトラマン」がよかった。金田一が話を聞く佐久間役三谷昇氏もよかった。異様じゃない役は珍しい。ところで達彦役の人は誰かしら・・冨家規政・・ええ〜ッ、若い!あたしゃ「イチから住」とかいう番組でちらっと見ただけですけど。達彦がうつる度にちょっとのっぺりしてるけど美形だし、体格もいいし・・と感心していましたの。何度か上半身裸でうつるけど、全然いやらしさがなくて肌のきれいさとか均整の取れた美しさがすばらしくて。達彦は人を殺してまで用意された遺産なんて欲しくないはず。そこらへんちゃんと描写して欲しかったけど。岡田さん持ち上げるのに気を取られ、他はお留守になってたな。


▲△▽▼

黒い羽根の呪い(1996)

原作は「鴉」という短編。読み返してみたが、兵藤家は出て来ないし、犯人も違っている。まあ、佐久間良子さんが出てきた時点で予想つくけど。珠生(とよた真帆さん)は蓮池の養女に変更されているが、由良(佐久間さん)が実母なのも予想つく。昭和32年岡山県の矢神村。ネットで調べていたら、BSTBSの紹介文で失神村になっていたのには笑ってしまった。いがみ合う蓮池家と兵藤家。珠生と兵藤の長男泰輔は愛し合っていたが、仲を裂かれる。珠生の婿、貞之助は放蕩者。三年前突然失踪したが、書置きには三年後に戻るとあって、その日が迫っている。紋太夫役中丸忠雄氏は映画「電送人間」が印象に残るが、テレビでは「37階の男」というのがあった。調べてみたら1968年。高層ビルとして話題になった36階建ての霞が関ビル。実は37階があって、主人公はそこに住んでいるという設定。泰輔役の人は見覚えがある・・渋谷哲平・・そうそうこんな人もいたっけ。兵藤の妻役佐野アツ子さんは昔ポーラテレビ小説に出ていたな。その頃は厚子だったけど。幾代役は沖直美さん。原作とは違い、とんでもない悪女に変更されている。幾代は貞之助と関係を持っている。だから珠生と泰輔の駆け落ちを邪魔するのはおかしいが(むしろ駆け落ちしてくれた方が好都合のはず)、結婚後も不倫を見せつけ、苦しめてやれという魂胆か。由良は珠生の不幸に心を痛める。貞之助のひどい仕打ちに思い余って殺そうとした珠生が失敗すると、代わりに由良が彼を殺す。その秘密を嗅ぎつけた直次郎、和哉、幾代も殺す。だいぶ殺人を増やしてある。貞之助の失踪を三年と区切ったのは、モンダミン・・じゃない、紋太夫の余命の関係。彼も発作を起こして死亡。はい、また一人死人追加。この設定だと、最初から由良が実の母と名乗り出て、蓮池家を出ていればこんなことにはならなかったのに・・となる。やっぱり蓮池の財産を珠生に継がせたかった?原作だと珠生は女性として欠陥があるが、恥ずかしさもあって表沙汰にしたくない。貞之助と相談して失踪したことにする。離婚という手段を取ると、また次の婿を取らされ、同じ恥をかくだけ。三年の間には紋太夫も死ぬだろうし・・(珠生は紋太夫の孫という設定)。まあこういう理由はテレビではムリ。例によって由良は人を殺す時も、自殺した後も美しい。


▲△▽▼

香水心中(1987)


原作はさほど長くないので、登場人物を増やし、死人も増やしてある。そのわりには停滞感が漂うが、ただくっつけただけじゃだめなのだということがよくわかる。昭和35年の初春、金田一は香水会社の社長常盤松代に呼ばれ、伊豆の別荘へ。理由は使いで来た営業部長省三にも不明。途中で車のトランクがパカッと開くので、中に死体があるってのは予想つく。松代には三人の孫がいて、後継者のことを言い出すので、こりゃ殺人の始まりだな・・と思う。こういうの言い出すとろくなことはない。まわりには真面目で通っている松樹は人妻百合子と不倫している。その彼は山荘で首吊り、そばには百合子の絞殺死体が。現場にはなぜか気分が悪くなるほど香水の匂いが・・。だったら山荘に近づいたあたりで匂い始めるとか・・。省三と同じく松代の血縁で、彼女に世話になってる美代子がおなかを押さえるので、松樹の子を宿しているのだと予想つく。途中捜査会議では一同の顔写真つきで状況を説明してくれるのが親切。最初のうちは、は?松樹?は?松彦?と混乱してるから。原作では省三があっさり遺書を残して終わってしまうので、拍子抜けする。第一香水をまいたりしてごまかしても、百合子と松樹を解剖すれば死亡時刻のずれなんてすぐわかるわけで・・。原作では美代子は自殺、省三も後を追うが、こちらの美代子は死なない。松代役は高峰三枝子さん。数年前の「本陣」より若く美しく見えるのは洋装のせいか。松樹は山下規介氏、松彦が田中隆三氏。松子がカツラをかぶっていたことや、別荘番市助(ストロング金剛氏)との関係は何だったのか。まあこういうのをくっつけないと、松子の出番はないのだが。市助の死や、百合子の夫青野(草薙幸二郎氏)の死はおまけ。松代の主治医で穂積隆信氏、解剖医で菅貫太郎氏がちょこっと。美代子役高樹澪さんはサラサラの髪が気になる。ああいうの見ると縛りたくなる。等々力がハナ肇氏。露天風呂でお尻見せるのは・・本人?この作品で一番印象に残るのは省三役河原崎建三氏。原作とは年齢も性格も違う。こちらの省三は出てきた時から怪しいが、それでいてそれが気にならない。ちょっとした表情やセリフが非常にうまいからだ。メイドのふみ役の人もうまい。ちょっとその場で足踏みしてから走り出すなど芸が細かい。

▲△▽▼


獄門岩の首(1984)


金田一は休養を取るため岡山県の合田村という、山間にある熊の湯へ。出迎えた日和は下心があるらしく、金田一を滝へ案内する。300年前、百姓一揆があって、名主の十右衛門の首が滝に突き出した岩にさらされる。そのせいでこの岩は獄門岩と呼ばれるように。滝は名主の滝、胴体が浮かんだところは首なしの淵とそれぞれ呼ばれるように。一年前に熊の湯の養子達夫の首が岩の上にさらされていたが、犯人はわからずじまい。日和は金田一に解決してもらおうという魂胆らしい。ところが投宿していた考古学者里村(西沢利明氏)が同じ手口で殺されてしまう。村人はたたりと恐れるが、江戸時代ならともかく現代では通用しない。まあ前半はほぼ原作の流れに沿っているが、後半になると原作部分を使いきってしまったという感じで、水増し感がつのる。原作では里村は映画監督だが、こちらでは考古学。学生四人のうち、土井(加納竜氏)がいかにもな感じなので、犯人はすぐわかる。里村のせいで命を落とした恋人の復讐というのは原作通りだが、恋人が千代の姉と言うのは違う。また、彼が玄蔵(夏木勲氏)に殺されるというのも違う。せっかくハンサムな加納氏が出ているというのに、ろくに存在感も示せないまま退場。こちらでは土井の悲しい復讐ではなく、熊の湯のおかみ、幾代(久保菜穂子さん)と玄蔵との悲恋に焦点しぼりたいからね。そのせいでいろいろ無理が生じるんだけど。こちらでは玄蔵は十右衛門の子孫、幾代は十右衛門を裏切った蓮池の子孫ということにしてある。その仇どうしの家に生まれた二人が駆け落ちまで考えるほどの仲に。当然引き裂かれるが、幾代の腹には子供が・・。それが達夫の妻道子。その道子は達夫が殺された後、自殺。原作では達夫を殺したのは道子で、死体の始末にたたりを利用しようと首を切ったのは幾代。でもこちらでは達夫、土井、産婆を殺し、金田一の命まで狙ったのは玄蔵ということに。玄蔵をかばおうと幾代まで金田一を撃とうとする。私は達夫を殺したのは(もちろん正当防衛だ)原作通り道子の方がよかったと思う。それを知った幾代が玄蔵に死体始末の協力を頼み、そのせいで道子が出生の秘密に気づき、加えて夫を殺したという罪の意識に耐えきれず自殺・・と。暗い内容なので、芸者の桃太郎(西川峰子さん)を出してきて明るいムードを出す。印象に残ったのは久保さんの目の演技。今ではあまりお目にかからない。

▲△▽▼

獄門島(1990)


これが片岡鶴太郎氏の金田一、一作目だとか。金田一は戦友の千万太に頼まれて獄門島へやってくる。千万太は自分が死ぬと三人の妹が祖父の嘉右衛門(平幹二朗氏)に殺される、それを止めてくれと死に際に頼んでいた。ところが嘉右衛門はすでに病死したと聞いて、金田一は一安心。死者には何もできない。千万太のいとこ、一は無事帰ってくるらしい。おめでたいことだが、それにしては一の妹早苗(遥くららさん)の様子は少しおかしい。金田一は千万太の葬式が終わったら島を離れるつもりだったが、通夜の晩花子が殺される。次に雪枝が殺され、その度に金田一は自分の無力さを悔やむこととなる。原作では三人姉妹はまるで狂い咲きのような、色気違いのような感じだが、こちらではそれほどでもない。特に月代は牧瀬里穂さんが演じているので、かなりまとも。しかも金田一に思慕を寄せている。姉妹の性格の変更が吉と出たとは思えない。彼女達の奇矯ぶりがこの作品の特色なのだ。彼女達は自分の世界に生き、いつもケラケラと笑い、ある意味幸せそうだ。月代は金田一に行かないでと懇願するが、彼は山狩りへ行ってしまう。その際おまじないと称して月代のおでこにキスするのである。こういうシーンで見ている者が胸キュンするとでも?たぶんみんないっせいに心の中で「ぶわっかじゃないの〜!!」と叫んだはずだ。最後に残った月代のそばにいてあげないなんて!この時点では彼は犯人は復員兵姿の男と思い込んでいたわけだ。結局彼は千万太の頼みをかなえることはできなかった。無能ぶりばかりが目立つわけだが、ある程度は仕方のないこととも言える。何しろ彼は詳しい事情がほとんどわからないまま事件に巻き込まれたのだから。それに早苗のようにウソをついている者もいるし。片岡氏の金田一は適役だと思う。無理にもじゃもじゃ頭にせず、すっきりした髪なのもいい。いいと思うけど・・作品の出来はまた別の話。ラストで彼は早苗に島を出るよう勧めるが、断られる。これは原作通りで、このことから彼女は金田一が好意を持った、数少ない女性のうちの一人として知られる。ところがこの作品では月代との心の交流を美しくうたい上げておきながら、ラストでは本命は早苗だった・・となるのである。これじゃ月代も浮かばれませんてば!

▲△▽▼

獄門島(1997)

昭和21年、呉の病院で知り合った千万太(ちまた)の遺骨を抱いて瀬戸内の小島、獄門島へ渡った金田一。島の網元、鬼頭の家では、肇が復員するという、うれしい知らせがもたらされたばかり。金田一が危惧するのは、今はの際に千万太がくり返していた言葉・・自分が戻らないと妹達が殺されてしまう・・。腹違いの妹月代、雪枝、花子の三人は、揃いも揃って頭のネジのゆるんだ、狂い咲きの花のような姉妹。兄の恐れた通り、次々に殺されてしまう。見る前は、長い原作をどう2時間にまとめるのかな・・と思っていたが、1時間を過ぎる頃にはあらかた終わってしまっていた。ずいぶんスイスイと来たなあ。謎解きの時間がたっぷりあるってことは、これからどんどん原作からはずれていくのだろう。さて今回はどんな余計な設定くっつけることやら・・。男手のない鬼頭家を守っているのは、肇の妹早苗(秋吉久美子さん)。島をまとめていた嘉右衛門(金田龍之介氏)が死に、その息子与三松はヒロポン中毒で座敷牢に。その息子千万太が死んだとなると、財産は三姉妹へ。姉妹が死ねばいとこの肇に渡る。肇が密かに島へ渡り、姉妹を殺して回っているのか。怪しい復員兵も目撃されているし。原作と違うのは、肇の戦死が三長老にすでにわかっていること。早苗は復員詐欺に会ったのだ。住職了然(名古屋章氏)、漢方医幸庵(織本順吉氏)、村長荒木(北村総一朗氏)は、嘉右衛門から、財産が三姉妹へ渡らぬよう頼まれていた。与三松の後妻で三姉妹の母お小夜とは憎み合っており、千万太、肇がだめなら早苗に家を継がせるように・・早苗は実は嘉右衛門の娘で・・あれれ?そうきたか。本作はなるべく早苗を前面に出そうとあの手この手。でも秋吉さんのはかなげな・・すっぱいような顔が大うつしになる度、お尻がむずがゆくなってしまって・・。早苗が兄と間違える復員服の男は、あれじゃあ正体不明のままだ。冒頭河合警部がちゃんと、海賊退治に追われていると言っているのに。原作ではすでに死んでいるお小夜を出してくるが、あんまり意味がない。本家乗っ取りの道具にされ、最後は分家の志保(宮下順子さん)に捨てられる鵜飼(藤木直人氏!)。島を去る金田一と同じ船にしょんぼりと乗る。船を見送り、頭を下げる早苗。ラストシーンはなかなかよかった。


▲△▽▼

獄門島(2003)


上川隆也氏の金田一は見るの初めてかと思ったら、「迷路荘の惨劇」も彼だった。どこと言って特徴はなく、しゃべり方とか石坂氏に似ていて、個性が感じられない。でも、古谷氏のような大げさなところはなく、大人しくて控えめなので、終わり頃には好感持ってた。金田一役はこの二作だけらしいのがちょっと残念。昭和21年、戦友千万太の死を伝えるため獄門島へ渡った金田一。死の間際三人の異母妹・・花子、月代、雪枝のことを頼まれたのに、何もできない金田一。次々に殺される三姉妹。前半の1時間で事件はあらかた起き、後半はひんぱんにCMが入り、みんなを集めて謎解きし、やらなくてもいいどんでん返し。この作品のキモは、亡くなった嘉右衛門の狂人じみた遺言が、住職の了然(神山繁氏)、村長の荒木、医者の村瀬(寺田農氏)に殺人を実行させること。出征した千万太にもしものことがあったら、三姉妹を殺せ。なぜなら彼女達の母親小夜はどこの馬の骨ともわからぬ旅回りの女役者。あんなのに家を継がせてなるものか。早苗役は高島礼子さん。年齢の関係で、一(ひとし)は弟に変更してある。三姉妹も年子ではなく三つ子に。一番の変更は嘉右衛門がまだ生きてること。だから了然達三人が死の床にある嘉右衛門に懇願されて・・というキモが生かされない。死ぬかと思ったら、ボケながらもしぶとく生き延び、それで恐ろしくて・・ということにしたかったらしいが、世話をしているのが早苗なので、話がおかしくなってしまった。三つ子役は三倉茉奈、佳奈嬢。双子を三つ子に増量した(←?)わけだが、合成シーンには全く違和感がない。逆に違和感ありありなのが早苗の衣装。戦後まもなくなのに・・喪中なのに・・着物も帯もりっぱで、しかも一着だけじゃない。まるで着物のCMだ。こんな生活はいや、島を出たいと金田一に迫ったのに、結局すっぽかすのもわけわからん。バカ正直に待ってる金田一に胸キュン。彼だって早苗に全面的に頼られても困るはずで、現われなくてかえってホッとしたのでは?原作では磯川警部が出てくるが、こちらは等々力警部(中村梅雀氏)に変更されている。

▲△▽▼

殺人鬼(1988)

これはだいぶ前に一度見たが、ちゃんと全部見たのかどうかは覚えていない。最初にうつる絵は文庫本のカバー絵で、これじゃあ犯人が女性だってのがわかってしまうのでは?お化け屋敷から始まるので、あれれ?闇ブローカーの死体が見つかるが、大金が入っていたはずの財布がなくなっている。金田一は榊原という金持ちの家の留守番をしている。ある晩暗い夜道で同道を頼んできたのが加奈子(藤真利子さん)。お化け屋敷の近くで古着屋をやっている菊江という女性とそっくりだが、違うらしい。原作では探偵作家の矢代というのが出てきて、加奈子達と関わる。金田一が出てくるのは、賀川(清水綋治氏)が殺されてから。加奈子には亀井(笹野高史氏)という戸籍上の夫がいるが、夫婦と言っても一晩限り。出征前に好きでもない相手と結婚させられた女性は他にもいたんだろうなあ。死ぬかもしれないからせめて・・という親ごころはわかるけど、そのせいで一生縛られた人もいると思う。加奈子は疎開先で妻子持ちの賀川と親しくなり、夫婦同然に暮らしている。死んだと思っていた亀井が片目、義足になって現われ、復縁を迫るが、加奈子はまっぴらだ。途中で賀川の本妻、梅子(星由里子さん)も登場。お化け屋敷は別として、あとはほぼ原作に忠実。賀川が殺され、加奈子が首を絞められた状態で見つかるが、金田一は現場のカーテンのシワが気になる。原作だとカーテンの後ろにくぼみがあって、人が隠れるのに都合がいいが、テレビではすき間がなく、隠れるのは無理に思える。二人のブローカー殺しは金目当て。賀川に生活能力がないからだ。菊江と加奈子が同一人物ではないかと金田一がすぐ調べないのは変。賀川の家が焼けるのは余計だし、金田一が命狙われるのも唐突。加奈子が菊江としてそのまま暮らしているのも変。奪った金でどこかへ逃げるはずだが。とは言え、全体的にはよかった。原作ではごつい梅子も、星さんなので上品。テレビでは加奈子は死なないで逮捕される。あのままだと彼女と賀川の犯行は明るみに出、家名を守るための梅子の自殺も無駄になってしまうだろう。


▲△▽▼

死仮面(1986)


感想を書くため原作を読み返した。他の作品に比べると読む回数は少ない。内容や登場人物に深みがない印象受ける。解説によれば、一部が欠落していて、いろいろ捜したものの見つからず、いつも文庫の解説書いている中島河太郎という人が代わりに書いたのだそうな。読んでいても全然わからないのはさすが。岡山の美術品店で女性の腐乱死体が見つかる。顔は見分けがつかないが、そばにデスマスクがあって。店を借りた野口という男性は姿を消している。身元を特定するため、復顔術の権威がいる東京へやって来た等々力達。ついでに金田一にも事件のあらましを説明する。そんな金田一の事務所へ美しい女性が訪ねてくる。川島学園の理事長夏代(加茂さくらさん)の妹で、秘書をやってる里枝(萬田久子さん)である。夏代あてにデスマスクが送られてきたのだが、どうもそれが末の妹君子のもののようで。心臓の弱い夏代は発作を起こす。復顔の結果、例の死体は男を刺して逃げ、手配中のダンサー、葉山京子とわかる。君子が京子らしいが、学園では君子らしい女性が目撃されている。片足が不自由で黒メガネの不審な男も目撃されるが、野口が京子・・君子に同情し、夏代達にいやがらせをしているのか。それはともかく金田一は幽霊など信じない。岡山で死んだのが君子なら、幽霊のふりをしている誰かがいるはずで。原作では金田一の事務所が描写される。三角形で狭くて、書類や新聞の切り抜きで足の踏み場もないほど散らかっている。金田一本人も、訪れた人が必ず後悔するほど貧相で薄汚れている。でもテレビはそこまでいかない。窓があって明るい。展開はほぼ原作通りだが、そのうち逸脱してくる。里枝が萬田さんなので、悪女にするわけにはいかない。同情票が集まるようになっている。その分夏代が憎々しげに描かれることに。三姉妹の母親静子役は初井言榮さん、圭介が速水亮氏、夏代の隠し子澄子が小林聡美さん、山口刑事が江藤博利氏。ラスト、里枝が全く罪に問われないのも、問われる気がない(←?)のも不思議だ。君子に化けて夏代に発作を起こさせ、死に追いやったのアンタですぜ。

▲△▽▼

死神の矢(1989)


原作は片瀬・・ということは神奈川だろうが、こちらは琵琶湖から始まり、古舘の屋敷は京都といった具合。金田一と等々力がのんびり釣りをしていると、矢が飛んでくる。人がいるのに矢を射るなどありえないが、ありえないことは他にもたくさん。高見沢、神戸、伊沢の三人が、考古学者古舘の娘早苗と結婚するため、弓の腕前を競うわけだが、こちらはほんのお遊び。加納が省略され、そのせいで早苗の存在は限りなく薄い。ひょんなことから古舘の屋敷に泊まることになった金田一の、「竜宮城へ来たみたい」というセリフがいい。確かにりっぱな洋館だ。まず伊沢が矢で殺され、彼を脅していた元ボクサー、駒田が疑われる。等々力は彼が犯人と決めつけ、金田一が何か言っても無視。そのうち神戸が同じく矢で殺され、駒田は自殺。あらら・・原作では死なない彼が死んじゃったぞ。金田一は文代という女性の自殺が今回の事件に関係しているのではと思っている。古舘は彼女と結婚するつもりでいたらしい。自殺の原因となった三人を早苗の婿選びというエサで呼び集め、復讐したのでは?もちろん最初に登場した時から家政婦立子があまりにも怪しいので、文代が彼女の娘なのは予想がつく。ただ仲が良かったなんていうのは、テレビでは許されないのだ。どうしても血が繋がっていなければならないのだ。途中金田一は若狭へ。海辺の寒村、荒れる海、強い風・・お決まりの三点セット。今回は誰の依頼も受けていないから、自費で行ったのか。古舘役は山口崇氏。「天下御免」とか「新書太閤記」とかよく見ていたけど、なぜか水谷良重さん(当時)と共演した東芝日曜劇場か何かの作品が印象に残っている。高見沢役嵯峨周平氏は「殺人鬼」で見たばかり。早苗役は長山洋子さんだが、とてもバレリーナには見えん。鶴子役が汀夏子さん、立子役が松尾嘉代さんで、この二人が犯人なのだが、金田一が「善良で思いやりのある人」と二度も言うので、引っくり返りそうになった。立子はともかく、何の関係もない駒田を崖から突き落として犯人に仕立て上げようとした鶴子は善良とは言えないでしょ。と言うか、高見沢殺しは誰の仕業にするつもりだったの?バレエの最中いきなり現われた何とかマンみたいなのにはびっくりした。それが山本刑事・・草薙幸二郎氏だったのにはもっとびっくりした。こういうありえない・・は許す!!

▲△▽▼

女王蜂(1994)

最初沢田亜矢子さんが出てきて、彼女が智子役?って一瞬思ったのよ。ちょっと年齢的にアレだけど、智子はほら、絶世の美女ってことになってるから、それなりにきれいな人でないと。映画版の中井貴恵さんも、テレビシリーズ版の片平なぎささんも、絶世にはほど遠い(すみません)。そしたら沢田さんは神尾秀子役で。それはいいんだけど、智子役の人は・・。腫れぼったい顔でふくれっつらで・・墨田ユキさん・・知らんなあ。何かイメージ違うんですけど。真っ赤な口紅が毒々しくて・・。智子の母、琴絵としてフィルムにうつっている時は古風な美貌の持ち主に見えてよかったけど。金田一が呼ばれたのは脅迫状のせいか。いえ実はこれ、ちょうど東京へ出かけようかという時に放映されていて。電車の時間が迫っていたせいで、ラストの10分くらいは見ることができなかったんですの。でもほら原作は読んで何がどうなるのかは知ってるし。秀子が欣造(原田芳雄氏)の罪をかぶって・・あら?何だか妙なことになってるぞ。女王蜂じゃなくて女郎蜘蛛になってるぞ。智子の見合い相手三人は次々に殺されるけど、三人とも秀子と関係があった(ええ〜ッ!?)。秀子は欣造とも関係があった(ギョギョッ!)。何と昔は秀子と欣造と琴絵の三人が・・(ウゲゲ)。びみょーに秀子は仲間はずれにされとりますが。秀子は見合いの相手三人を殺したのは誰か突き止めるために、下男の印南に色じかけで迫り(オヨヨ)。で、欣造は10年前智子をレイプしていたと(〇☓△・・)。秀子は私の人生を捧げたのだから欣造と結婚するのだと。大道寺の財産は私のものよと。自信たっぷりだし隠してないしケタケタ笑うし、そのうち欣造に殺されるし。それに輪をかけてトンマなのが金田一で、あなたが犯人と欣造に迫るけど、証拠はあるのかと逆に居直られてしまう。それから若狭へ出かけていって、旅の一座に裏を取る。順番が逆だろッ!どう見たって若狭まで行くの面倒だから、欣造にゆさぶりかけて、それでゲロしたらラッキーって感じ?そんなことしてるから欣造は殺され、智子は自殺し(この部分は見てないんだけど、ネットの情報によるとね)。いや〜原作から宇宙の果てまでワープしたような内容。奥様お昼の愛の劇場(激情でもいいけど)。着物のスソが割れて白い脛が見えると男どもはメロメロ。どこからともなく流れてくる「ベニスに死す」と同じマーラーのアダージョ。沢田さんのりんとしたたたずまいに期待したんだけどねえ。


▲△▽▼


女怪(1996)

これは「女怪」と「霧の中の女」が元らしいが、後者は読んだことないと思う。長谷川という男が殺され、なじみのホステス、ユキが逮捕される。血のついたコートなど証拠は揃っているが、彼女は無実を主張。金田一(片岡鶴太郎氏)は、足しげく通っているクラブのママ、虹子に心引かれているが、次の一歩が踏み出せない。虹子がそれとなく心のうちを明かしても、温泉旅館で夜中に身を投げ出しても、何もしない。岡山にある虹子の亡夫持田の墓が暴かれ、死体から首が持ち去られる。跡部という修験者が目撃されており、怪しい。持田の死因は脳溢血とされているが、実は殺されたのだ。長谷川の次には男娼のテツちゃん、続いて跡部も死ぬ。無反応の金田一に見切りをつけた虹子は、賀川という男性と知り合い、やっと心から愛せる相手にめぐり合えたと喜ぶが、実は賀川と跡部は同一人物。ここらへんは原作のように、賀川がぱったり姿を見せなくなって虹子が混乱するというふうにした方がよかったと思うが。虹子役は古手川祐子さんで、きれいなのはいいが、例によって彼女は悪くないんですの大合唱にはいささかうんざり。持田はサディストで、さんざん私を苦しめたひどい夫だったんです。しょうがないから殺したんです。死亡診断書に脳溢血と書いてくれた長谷川は、私を脅迫し始めたんです。おまけにユキとも関係を持ち、ユキは私の店を乗っ取るつもりだったんです。長谷川を殺して逃げ出す時、ばったり出会ったのがテツちゃんだったんです。私は男装していたけど、見破られたかも。跡部は持田の首を盗み、死因を知り、私を脅迫したんです。そればかりか跡部は賀川だったんです。あいつは片方で私を幸せにし、片方で私を苦しめたサディストだったんです。ついでに言うと金田一さんが何もしなかった・・私に手を出さないからこういうことになったんです。私の本命は金田一さんだったんです。・・ちなみに私こういうのを「だったん人の踊り」と呼んでおります。硯川とかいう作家役でフランキー堺氏が出ているが、病気のせいかやせて痛々しい。等々力警部役は石黒賢氏だが、金田一とコンビを組むわけでもなく、終わり頃になると出てこない。食堂で金田一が等々力に食事をたかるシーンはおかしい。それとなくねだって、いつの間にかおごらされている・・みたいな。あと、子猫がかわいかった。

▲△▽▼

真珠郎(1983)


終戦から少したって、金田一は乙骨と信州へ出かける。乙骨は私立大学の講師で、一ヶ月ほど前に知り合ったばかり。実は金田一はまわりに信用される、事件の目撃者として選ばれたのだが、そんなことは知るよしもない。行き先は鵜藤の家。以前乙骨は鵜藤の姪、由美の家庭教師をしていたらしい。鵜藤は知られた学者だったが、悪行のせいで世間から攻撃され、すっかり人間嫌いに。しかも二年前に脳溢血を起こし、今では半身不随。原作では「おつこつ」だが、ここでは「おとぼね」。「おとぼけ」みたいで違和感感じる。また、原作では金田一は出て来ず、由利麟太郎。もちろんそれだと話にならないので、語り手椎名耕介と由利の役どころを金田一が受け持つ。今回はわりと原作に忠実で、突拍子もない変更はされていない。ただ、金田一役小野寺昭氏にさっぱり魅力がないのが見ていて残念。あの髪型は不自然だし、かきむしり方もよくない。顔がアップになる度に、アブラ取り紙が欲しい!と思ってしまう。原作では後半舞台は東京へ移るが、こちらは信州から動かない。見どころは何と言っても由美役真野響子さんの美しさ。原作だとワンピーススタイルだったりするけど、こちらでは浴衣。白い肌に黒い髪がすがすがしい。悲鳴をあげるシーンが何度も出てくるが、この悲鳴も上手(←?)。真珠郎の方はあまり印象に残らない。テレビシリーズとどうしても比べてしまうせいか。乙骨の動機は戦争での体験が影響しているようだが、原作通り鵜藤の財産狙いでもよかったのでは?ところで鵜藤は蔵の二階へどうやって上がったのかな。また、鵜藤、由美、真珠郎は蔵の二階からどうやって外へ出たのかな。乙骨は夏木勲氏、岡田英次氏はテレビシリーズでも鵜藤やってた。駐在の木村は渡辺篤史氏。他の連中は揃って血みどろ、欲望まみれだが、この木村だけは正常な世界にいる感じ。そこが何だか印象に残った。鵜藤の首や逃げ水の淵に投げ込む時の由美の体が張りぼて見え見えなのが残念だった。

▲△▽▼

人面瘡(2003)

これは1時間ですむような内容なので、引き延ばすためあれこれくっつけてある。外務省の事務次官斎藤(内田勝正氏)は隠し金が3億といううわさがある。急死した彼のお守り袋を手がかりに薬師の湯旅館へやってきたのが斎藤の運転手田代と、芸者の麻美(三原じゅん子さん)。一年前近くで入水自殺を図ったところを旅館のおかみお柳(淡路恵子さん)、使用人万造に助けられたのが松代(斉藤由貴さん)。今では仲居として働き、お柳は彼女を息子貞二(倉田てつを氏)の嫁に・・と願っている。松代は妹の由紀子が突然現われ、驚愕する。金田一は足にヒビが入ったとかで湯治中。まず田代が殺され、続いて由紀子、麻美が殺される。お柳をひんぱんにうつすので、原作読んでない人でも彼女が怪しいとわかるはず。松代には人に言えない秘密がある。右肩にできた不気味な人面瘡に悩まされる。火事の記憶も彼女を苦しめる。彼女は老舗の和菓子店の長女で、譲治という婚約者がいたが、由紀子に取られてしまう。由紀子は昔から姉のものを奪ってばかり。松代は気がついたら血まみれの包丁を手にしていた。譲治を殺したのは自分では?由紀子も殺そうとしたのでは?殺してなくても火事の中、見殺しにした罪は消えない。現われた由紀子は早速貞二を横取り。由紀子が死ぬと今度は麻美がつきまとう。彼女の場合は3億円目当て。田代を殺したのは彼女らしい。でも薬師神社には何もなかった。お守りをよく見ると薬師乃湯神社だ。今は旅館の一部として台所に神棚が祀ってある。金はその下に埋められているに違いない。貞二と結婚して、おかみにおさまり、神棚の下を掘るのだ・・遠大な計画だなあ・・。3億円や貞二の出生の秘密などは原作にはなし。死体の数も増量サービス。松代は夢遊病の代わりに二重人格みたいになってる。お柳は原作と違い病気で死なず、万造と共に逮捕される。犯行の動機は旅館を潰したくないため。由紀子や麻美じゃだめ、貞二と結婚するのは松代でなくちゃ。エゴイストすぎるという批判ももっともだ。人面瘡は見せれば見せるほどばかばかしいが、作り手はそう思わないらしい。動かしたり声を出したり余計なことやっております。出演者では仲居のウメ役あき竹城さんがよかった。

▲△▽▼

水神村伝説殺人事件(2002)


これは「車井戸はなぜ軋る」が元になってる。原作と違い、戦争は関係ないようで。冒頭、水神ダムの建設に反対している秋月善太郎(西沢利明氏)が鎧武者に斬り殺される。その10年後、岡山県知事に当選した横尾(大和田伸也氏)は、ダムの建設を中止する意向を示す。土木会社の本位田大三郎の自殺は、そのせいと思われた。金田一が水神村へ来たのは、大三郎の娘鶴代(坂口良子さん)に、自殺ではないと証明してくれと依頼されたから。本位田家と秋月家は仲が悪い。秋月家は酒造りを生業としていたが、ダムのせいでだめになってしまった。善太郎を殺したのも本位田家の仕業と恨んでいる。善太郎の死体は見つかっていないが、地蔵が彼の血で染まっていた。秋月凛子(田中美奈子さん)は横尾の秘書だが、全然仕事してない。と言うか横尾も冒頭だけであとは出てこない。そのうちアメリカで事故死したはずの大助が本位田家に戻ってくる。顔が焼けただれ、声も変わっている。一方秋月家の者は、大助ではなく伍一だと思っている。伍一と大助は顔がそっくりで見分けがつかない。伍一もアメリカへ行って10年になる。設定には無理やり感が漂う。梨枝は大助の婚約者だったが、今は弟の慎吉と婚約している。祖母の槇子は慎吉や梨枝の気持ちも無視して、大助と結婚させると言い出す。梨枝の家は本位田家に大恩があり、抗議もできない。頼みの慎吉は、元々は兄さんと結婚するはずだったんだしとか、家業も兄さんに・・と、まあおまえそれでも男かよと呆れるくらいじれったい。祝言の夜は家から車で2時間もかかるほど離れた山の現場で仕事している。誰がどう見たって”逃げた”としか思えない。梨枝があきらめているのが気の毒で。その梨枝が殺され、別の場所で大助も死体で見つかる。神社に奉納された手形から、大助は本人だったとわかる。となると大助の手形を取りに行った女中のお杉の死は何だったのか。大助本人なら手形を奪う必要ないはずで。でもこのことはスルーされる。他の出演は谷啓氏、尾見としのり氏、泉晶子さんなど。金田一は金詰まりらしく、腹をすかせている。トイレが近いのは年のせいか。

▲△▽▼

トランプ台上の首(2000)


昭和30年代・・東京隅田川。夕方になると惣菜を満載したモーターボートがやってくる。コロッケ、豚カツ、ハンバーグ、オムレツ、野菜サラダ・・これらを買ってくれるのは、新しくできたアパート、聚楽荘の若奥様方だ。四階建てで一階あたり15世帯・・しめて60世帯あるから、いい稼ぎになる。以前は・・アパートができるまでは、水上生活者が主なお客だった。ひじきに油揚げの煮つけ、こんにゃくに里薯の煮ころがし、うずら豆の甘辛煮・・アパートでひと商売した後は、それらを待っていてくれる古くからのお客の方へ回る。宇野はアパートの一階に住むストリッパーのアケミが顔を見せないのをいぶかしく思う。惣菜や服装のことでいろいろ宇野にアドバイスしてくれたのが彼女。彼女の部屋の窓のあたりを見た彼は、血が垂れているのを見て不安になる。管理人のおばさんと一緒に調べてみると・・。トランプが散乱したカードテーブルの上にアケミの生首が!・・原作はこんな感じで始まる。普通なら見つかるのは首なし死体。それなのに、アケミの場合は胴体が見つからないのだ。なぜだろう。読む者をぐいぐい引き込む手際のいい流れ。でもテレビの方は題名こそ「トランプ台上の首」だが、なかみは「黒猫亭事件」。しかも原作には出てこないマジックが題材に。「トランプ」の模様がついた「台」の「上」で、人体切断のマジックが行なわれる。金田一は「首」と胴体が別々の人間というトリックを見て、一人二役、あるいは二人一役のからくりに気づく。と言うか、気づいてないのは金田一だけ、見ている我々はとっくにわかってる。金田一が親しくなったマジシャンのマヤと、黒猫亭のマダム繁子は同一人物だった。二人の女が糸島という男をめぐって三角関係と思われたが、実際は・・。黒猫亭が注目されたのは、隣接する蓮正寺の僧、日兆が見つけた頭蓋骨のせい。これが繁子のものだと思われ、姿を消した糸島が疑われた。しかし糸島も死体で見つかる。見ていて思う。いったい話はどこへ行き着くのか。ふらふらだらだら、ゆるい展開。首なし死体のようにさ迷い歩く。なぜコロッケやひじき、ストリッパー、音符模様のガウン、カードテーブル、おなかに張りついた大きなクモ・・にしなかったのか。


トランプ台上の首2


黒猫亭で賄いをしていたお君の話によると、繁子は松田花子という逃亡犯らしい。花子は17歳の時養父・・叔父を殺して出奔。17歳、養父と来ればあとは予想がつく。奇術師だった父の死後、花子は怠け者の養父に稼ぎをしぼり取られる日々。それだけではなく凌辱も。そういう、くみ取るべき事情は警察も知っていたのだから、自首していれば今頃は償いもすんでいただろうに、なまじ逃げたせいでいつまでたっても過去から逃れられない。次から次へとゆすられ、脅され、殺人を重ねるはめに。マジックだけが生きがいとか、くれなゐ座で風間に出会って真実の愛を知ったとか、見ている者の目をそらそうとあの手この手。「養父を殺した後、潔く自首するべきでした」などとは口が裂けても言わない。もちろんそれだと映画にならないんだけどさ。いつもなら9死タイム・・「私のせいじゃナインデス」があって、ヒロインは美しく死ぬけど、今回は金田一がこの先の人生みたいなことを言うので、あれれ?と思った。17歳の頃ならともかく、今は何人も殺している。よくて無期懲役だろ?と私なんかは思うんですけど。金田一の口ぶりだと数年で出てこれそうじゃないの。つかまる前にもう一度・・と、風間と二人で舞台でマジックをする。お客は金田一だけ。音楽もなし。どうせ途中で花子は血を吐いて美しく死ぬに決まってる。スローモーションで美しく倒れ、美しく花が散らばる。「あッ、しまった」と金田一がわざとらしく叫び、河合達が駆けつける。でも・・死ななかったな、珍しく。青いライトの中で無言で続くマジック。ゆっくり近づいていく河合達。このラストシーンはなかなかよかった。花子役は古手川祐子さん、風間役は三浦浩一氏。糸島役は石山葎雄氏。昔は石山律、あるいは律雄、現在は石山輝夫らしい。昔時代劇等でよく見かけた。やさしそうな顔と声でわりと好きだった。悪役で見たのは初めて。日兆役出光秀一郎氏は夏樹静子さんの息子らしい。他に高畑淳子さん。それにしてもどうして千代子の首を切断したのかな。胴体がないから指紋の照合はできないけど、歯の治療記録で花子じゃないとばれちゃったし、生首にする意味がない。

▲△▽▼

呪われた湖(1996)

こちらは犯人を変更してある。死体数も増やしてある。昭和30年、金田一はなぜか鳥取砂丘にいる。そこで見かけた美しい女性と、なぜか岡山県の鬼頭(おにがみ)村で再会する。村では昔干ばつがあって、その時の水争いのせいで、いまだに北神家と西神家がいがみ合っている。北神の当主龍蔵(室田日出夫氏)は県会議長も務めた有力者だが、今は病がち。毎日通って世話をしているのが保健婦の秋子(多岐川裕美さん)で、金田一は思いがけぬ再会にびっくり。龍蔵の息子浩一郎は、短大出の才媛由紀子と婚約しているが、その由紀子が失踪。龍蔵が呼びつけたのが河合で、金田一はその後を追ってきたと。由紀子を水車小屋へ呼び出す浩一郎の手紙を見つけたのが母親の八重(鰐淵晴子さん)。しかし浩一郎には覚えがない。後で、西神の当主で村長の順三の息子、康雄が書いたものとわかる。由紀子の死体が見つかったのは九十郎の小屋。原作では由紀子は義眼だが、こちらは熱病のため髪がなく、カツラをかぶっていたという設定にしてある。原作での秋子は村長恭平の後妻で、浩一郎をたぶらかし、由紀子との婚約を妬んで康雄にニセ手紙を書くようそそのかす。由紀子に惚れている康雄に傷物にさせてやれという魂胆。大変な悪女なのだが、金田一が村へ来た時にはすでに失踪。後で死体で見つかる。つまり原作では生きている秋子は出てこないのだ。恭平はこちらでは村長ではなく、龍蔵の弟に変更してある。原作では九十郎が犯人だが、こちらは秋子。例によって彼女には悲惨な過去がどっさりくっつけられる。幼い頃両親は相次いで首吊り自殺。姉のかをりは鳥取へ養女に出され、秋子は浩一郎の子守として働く。両親の自殺は例の水争いのせい。水番だった父親は龍蔵のごり押しでうんたらかんたら。龍蔵に引き取られてからはいいようにこき使われる。戦争中は従軍看護婦としてルソン島へ。戦後は姉と二人、ストリッパーとして旅から旅へ。一緒に暮らせるのはうれしく、村へ戻る必要はないのだが、それでも戻ってきたのは・・。いつもの通り金田一は途中で鳥取へ。今回は浩一郎が疑われたため龍蔵が彼を雇ったから、お金の心配はなし?

呪われた湖2


そこでわかったのは、かをりが一週間前に亡くなったこと。鳥取砂丘で会った時、秋子は姉の遺灰と形見のレコード一枚を持っていて。金田一が河合達に秋子が犯人と話しても、その時点ではやや説得力に欠けるが、自首を勧める金田一に秋子が思いを話すうちに説得力が出てくる。いつもならお涙ちょうだい物語にうんざりする私だが、今回は感心しながら見ていた。秋子の中で何かが変わったのは、偶然恭平に出会い、思いがけない話を聞いた時。徴用されたのは龍蔵の娘なのに、龍蔵と恭平で手を回し、秋子に書き換えたというのだ。秋子が戦争を生き延び、行かずにすんだ娘が空襲で死んだのは皮肉な話・・と、恭平にすればただの笑い話だが、秋子にとっては・・。両親の死は元はと言えば龍蔵のせいだし、姉と別れ別れになったのもそのせい。人間として扱われず、物扱い。それでもすぐには行動起こさずにいたが、姉の死で一気に復讐モードに突入と。ここらへんは説得力がある。ただ、由紀子を殺すのは・・。赤ん坊の頃から世話をしている浩一郎といつしか愛し合うようになり、由紀子に嫉妬したのはわかるが、それだけでは弱い。なぜストレートに龍蔵に向かわないのか。恭平を殺したのは龍蔵に協力していたから、九十郎を殺したのは由紀子殺しを気づかれ、金をゆすられたため。秋子は浩一郎に、「オレとのことはみんなウソやったんか、オレはアンタのオモチャやったんか」となじられるが、これもおかしい。浩一郎の方こそ秋子がいるのに何で由紀子と婚約するのかいな。龍蔵に反抗した様子もないし・・。龍蔵は心臓発作でも起こして秋子の復讐完了となるかなと思っていたが、死ななかったな。いつもなら秋子も金田一が河合に待ってもらっている間に美しく自殺するところだが、今回は死ななかった。うん、だっていつも自首の勧めと言うより自殺の勧めにしか思えないんだもの。由紀子の死体を湖に沈めた浩一郎が何のおとがめもなしなのはちょっと不自然。まあ今回は多岐川さんの信じられないくらいの若さ、美しさに驚嘆して、たいていのことはどうでもよく思えるんですけどね。1951年生まれで1996年の作品だから当時45歳くらい?・・ひぇ〜信じられない!

▲△▽▼

白蝋の死美人(2004)


これは「蠟美人」と「雌蛭」がベースになってるらしい。銀幕の妖花マリ(杉本彩さん)は作家の信造と結婚するが、名門伊沢家の家風に合わない。そのうち信造が殺され、マリが疑われるが出奔。その後男女の黒焦げ死体が発見され、法医学の権威畔柳(清水絋治氏)が彫刻家の瓜生と共に女の方を復顔すると、何とマリの顔で。畔柳は過去信造の母加寿子(岡田茉莉子さん)と何かあったようで。その彼も殺され・・。大筋は「蠟美人」の方からいただいている。金田一が忘れ物を取りに行って欲しいという妙な依頼を受け、男女の死体を発見する部分は「雌蛭」。それにあれこれ・・凄まじい嫁いびり、不義密通・・マリが実は加寿子と畔柳の間にできた子供だった、徹郎(信造の弟)が亀井の妻福美と不倫していた、信造がお手伝いの小百合をはらませていた・・、事件の起きる三年前金田一は偶然マリと出会っていたなどなど。まあこれでもかというくらいドロドロです。こういうのの常として加寿子やマリには運命にもてあそばれた、自分ではどうしてみようもない、ささやかな幸せさえ許されない、みんな私のせい、私は罪深い女・・そういったものもくっつけられます。要するに同情要求モード。金田一がいるのは鎌倉か。仕事がないらしく、旅館でうだうだ。せっせと隣りの洋館・・伊沢家・・を覗き見。見ていてちょっとかんべんして欲しいなあ〜と思ったのが岡田さん。目とか首とか、もう年齢がモロに出てるのに、上からすっぽりかぶせたようなヘアスタイルがちぐはぐで。最後は全部自分のせいと自殺するけど、海辺のシーンで流れるのがどこかで聞いたようなメロディー。「ベニスに死す」のマーラーの曲か。もう死ぬって見え見えで。伊沢家に残されたのは長女の早苗一人。母や兄の相次ぐ死、婚約破棄のせいで発狂か?腹ボテの小百合はこれからどうするのか。マリは瓜生の出所を待つと言う。死刑にはならずにすむのか。徹郎(岸本祐二氏)と福美を殺したのは亀井だし、信造と畔柳は向こうからナイフで襲ってきたんだし。ところでこの瓜生と徹郎がそっくりで。あたしゃてっきり二役だと。瓜生が加寿子の不義の子だと。そしたらマリの方でした。だからマリと信造は兄妹なのに結婚しちゃったわけ。まあ橋本さとし氏の瓜生は大人しくてやさしくてまともでよかったです。

▲△▽▼

病院坂の首縊りの家(1992)

昭和28年、法眼一族の持ち家・・戦後は廃屋になっている・・での奇妙な結婚式。その後見つかった生首。ストーリーは映画と似ている。原作だと20年ほど間があく。殺された由香利の身代わりとして法眼家に入った小雪は、弥生のもとで研鑽を積み、見事経営手腕を発揮するのだが、映画もテレビも昭和20年代だけですませる。そのせいで、原作にはない弥生の母を出してくる。映画では冬子が弥生の娘、こちらでは敏男が弥生の息子になっている。遺伝子組み換え操作(←?)があっちゃでもこっちゃでもされているので、何が何やらわからなくなる。でもそんなことは実はどうでもいいのだ。これでもかというくらい悲劇見せて、見る者の涙を誘おうという魂胆(成功してないけど)。何だか聞き覚えのある荘重な音楽が流れてきて・・「八つ墓村」もそうだったけど・・。「ベニスに死す」で使われたマーラーの曲だ。20年ほど前の作品だから、古谷氏も、弥生役山本陽子さんもまだ若い。等々力警部役故ハナ肇氏、本條役梅津栄氏も元気そう。由香利と小雪役は川上麻衣子さん。映画での桜田淳子さんが印象に残っているせいか、川上さんはちょっと物足りない。敏男役宇梶剛士氏は原作のイメージに近くていい。全体的に原作のドロドロ感やギリギリ感、どぎつさやなまなましさ・・そういうのが希薄。ちょこっと頭打って死ぬし、すぐ自殺するし。後半になると、だんだん道がそれてくる。法眼病院の現院長の滋(河原崎建三氏)が出てくるので、原作通り彼が犯人か・・ここで映画と差をつけるのかと期待したら・・何やらぐずぐずで終わってしまった。あの状況で、弥生が夫である滋を助けないのはおかしいな。自分が真犯人なんだし、彼は妻をかばおうとしてるんだし。原作では滋は由香利(小雪)の夫。弥生の亡夫琢也が冬子(あいはら友子さん)を囲い、生まれたのが小雪。で、テレビでは琢也は由香利が弥生と継父五十嵐との間の子と疑って、由香利に冷たく接したとか何とか。でも、その由香利と小雪はうりふたつで。もし由香利が五十嵐の子なら、小雪にそっくりなわけないはずで。いや、ここらへん家系図でも書かないと・・文章読んでも何が何やらでしょうな。全体的にふにゃっとした感じで、出来はよくないけど、法眼家の豪華な内装・・廊下も全部畳とか・・はよかった。画面はきれいでくっきり。廃屋がミニチュアっぽいのと、生首がモロ張りぼてなのはバツ。

▲△▽▼


不死蝶(1988)

昭和23年頃・・金田一は矢部杢衛(内田朝雄氏)からの依頼で信州の射水へ。今射水には町に多大な寄付をしたブラジルのコーヒー王の養女マリ(有森也実さん)が、母親君江、家庭教師河野、カンポ(ウガンダ・トラ氏)と共に玉造家に滞在中。杢衛は、23年前次男英二を殺し、底なし井戸に身を投げて自殺したと思われている玉造の朋子が、君江に違いないと思い込んでいる。射水署の神崎警部(矢崎滋氏)をせっついても相手にしてくれないので、金田一を呼び寄せたというわけ。朋子は杢衛の長男慎一郎(清川新吾氏)と恋仲だったが、彼には親が決めたいいなずけ、峯子(宮下順子さん)がいた。慎一郎の娘都は玉造の康雄と恋仲だ。康雄、由紀子兄妹の両親はすでに亡くなり、原作では祖母の乙奈は杢衛と恋仲だったが、家のために結婚できず・・。つまり三代続いてロミオとジュリエット状態なわけ。ストーリーはさほど原作から逸脱せず、普通だが、全体的にはもたついた感じ。鍾乳洞の中とか、全然そんな感じがせず、張りぼて感が漂う。神崎の部分でコメディー色を出すが、浮いた感じ。ちょっとびっくりするのは、ウガンダ氏が身軽なアクション見せること。ブラジルだからカポエイラ、他に金田一とマリがパーティでタンゴを踊る。踊っているうちにマリは金田一こそ私の運命の人・・と思い込み、ラストでは何と一緒にブラジルへ行って欲しいと言い出す。一度思い込むと猛進するのは杢衛譲りか。もちろん金田一にはその気ゼロで、大きな瞳に涙を浮かべる有森さんがきれいだ。冒頭汽車の中で金田一が話を聞く土地の男性は、藤木悠氏なので、絶対また後で出てくるだろうと思ったのだが・・。峯子の兄宮田役は神山繁氏、古林役が勝部演之氏、清川氏はいつもなら悪役だが、今回はいい人役。昔は二枚目役やってたんだよな、確か。それにしても・・テレビシリーズの方もそうだったけど、パーティのシーンって盛り上がらないんだよな。昭和23年の田舎町じゃ洗練もへったくれもないけど。あと、パーティに出ていた何人かは素人って丸わかりだし、康雄の演技もひどかったな。お尻がムズムズしちゃう。

▲△▽▼


本陣殺人事件(1983)


「名探偵・金田一耕助シリーズ」一作目だが、出来はトホホ。もっとも、出てくる人が皆若く、それだけでも貴重。特に金田一は若い。髪の毛もそんなにもじゃもじゃじゃないし、まっすぐっぽい。性格も控えめで、逆立ちもしない。原作では事件が起きてから久保に呼び寄せられるが、こちらでは結婚式から出ている。花嫁克子には叔父の久保しか出席者がいないから、せめてもう一人くらいは・・というのはわかる。事件ではいろいろな音が手がかりになるが、こちらでは悲鳴と琴の音くらい。中国街道の本陣、一柳家の跡取り、賢蔵が克子と共に殺され、しかも現場の離れは内側から戸締りがしてある。つまり密室殺人。日和警部はあたりをうろついていた三本指の男を犯人だと思い込むが・・。賢蔵の弟三郎の態度が怪しいので、原作を知らなくても・・。まあ彼は殺人はしてなくて、協力者なんだけどね。見ていてがっくりくるのは、彼らの母親糸子の扱い。演じているのが高峰三枝子さんだから、普通の未亡人てわけにいかないのよ。子供五人のうち二人は省略。賢蔵がなかなか結婚しなかったのも、今回のような計画立てたのも、三郎が協力したのも、母親の奔放な性格を憎んでのこと。彼女は義弟の伊兵衛と不倫を重ねていたが、夫に見つかった時は別の男と一緒だったようで、オヨヨ。賢蔵は克子にあやまちを告白されると、母だけでなく彼女にも裏切られた・・とプッツン。と言って表には出せない性格なので、克子を殺して自分も自殺・・という方向へ。原作と違うのは三郎のマザコンぶり。愛してるが故に憎しみもつのると・・。で、こんな家族だから呪われた血ということになる。可憐な鈴子も暗い運命からは逃れられず、脳腫瘍で長くはない。全体的にテレビシリーズとそっくり同じ流れで、これじゃ何のために作ったのかわからないなという感じ。トリックは別として、一作目ならもっと目新しい部分押し出すんじゃないの?よろめき母さんとマザコン息子じゃ芸がない。賢蔵が西岡徳馬氏、三郎が本田博太郎氏、克子役山本みどりさんがきれいだ。克子の親友白木が大塚良重さん、久保が下条正巳氏、日和がハナ肇氏、鈴子が牛島千恵さん。


▲△▽▼

本陣殺人事件(1992)


「本陣」は「犬神家」や「獄門島」よりは感想書きやすい。登場人物さほど多くないし、こみいった人間関係もなし。ところがまあこの作品、ドッロドロにしてあるんですよ。私、頭の中で「そんなバカニャ!」とか「「ニャンですって!?」とか猫語で叫んでおりました。よく猫の本買うので、ついついこういう言葉遣いになるんですニャ。今回久保は病気ということで出てこない。婚礼の間に金田一と克子が散歩するなど、克子の出番多くしてある。たいていの「本陣」の克子はほとんどセリフもなく、殺されるためだけに出てくる。克子は自分が一柳家の者に歓迎されてないことを知っている。しかし一柳家の一員となることによって、古くさい家風を変えていきたいと決心している。明るく積極的。長女の妙子(古手川祐子さん)は当主糸子(佐久間良子さん)から家を継ぐよう言われたが、そんなのまっぴらだ。ここで見ている者は思う。両者とも一柳家の因習的な考えを変えたい、あるいは嫌っているのだ。なぜ二人で力を合わせて立ち向かわないのだろう・・って。原作での妙子はもっと年がいってて、すでに嫁いでおり、上海にいて、事件には無関係。秋子も分家の嫁で、事件には無関係だが、こちらでは重要な役回り。驚いたことにクライマックスは金田一の謎解きではない。謎解きがなされる時点で、まだたくさん時間が残っているのを見て、いやな予感にかられる。古谷版「本陣」のように、糸子は伊兵衛によろめいたりしない。しかしやはり一柳家の呪われた歴史を強調する。ところが糸子のやったことと言えば・・。呪われた歴史にピリオドを打つどころか、さらに血でドッロドロにしていくのだ。もちろん彼女はそれもこれもあれもみんな一柳家のためと弁解するのだ。しかも延々と。長すぎるニャ。いいかげんにして欲しいニャ。賢蔵や三郎がどういう性格であれ、一人の生きた人間であって、道具ではない。一柳家の存続に必要かどうかで生死を決定されていいわけがない。そう、彼らは生まれる時点ですでに操られているのである。子供を産めない糸子に代わって、跡継ぎを産まされたのは秋子。その秋子まで糸子と一緒になって・・もう信じられニャ〜い!!糸子は離れに火を放ち、美しく自殺。それはいいけど、秋子はあの後どうなったのかニャ?秋子役は吉行和子さん、白木が牧瀬里穂さん、鈴子が小田茜さん、田谷が赤井英和氏。


▲△▽▼

魔女の旋律(1991)

「空蝉処女」という短編が元らしい。横溝正史の作品は時代小説なんかは別としてほとんど持っているのだが・・これは持ってないな。昭和26年の倉敷、市会議員朝倉精一郎(河原崎次郎氏)邸が全焼。父親(穂積隆信氏)は司法解剖を拒否。精一郎は表向きは失火による焼死で片づけられる。岡山から倉敷へ移った等々力は、精一郎と結婚することになっていた水島珠生(伊藤かずえさん)による殺人放火と確信し、独自に捜査を続けている。京都で偶然ヴァイオリンを弾く女性を見かけた金田一は、12歳で病死した妹弥生のことを思い出す。記憶を失っているというその女性は、ハンカチの刺繍から珠生という名前だけはわかっていた。金田一は彼女の記憶を取り戻す手助けをすることになる。朝倉は珠生を息子の仇と恨んでいる。妾腹の次男精四郎(萩原流行氏)は珠生と関係を持ち、子供も生まれたらしい。それを精一郎に知られてしまい・・。その頃珠生の父親が死に、彼女は莫大な遺産を継ぐことに。精四郎は珠生と結婚し、朝倉の財産と水島の財産両方を手に入れようとする。金田一の直感では、珠生はとてもそんな悪女には見えないのだが・・。妹の記憶のせいで自分の目が曇っているのか。見ていても誰が誰だか、どういう関係なのかよくわからない。伊藤さんのヘアスタイルも変な感じ。結局珠生と思われた女性は、実は瑞穂という貧しい女性だったとわかる。血の繋がりはないが、瓜二つというくらいそっくりで、しかも二人ともヴァイオリンの名手だったという設定。珠生は生活に困窮していた瑞穂を助けるフリをして近づき、精一郎殺しの犯人に仕立て上げ、自分は瑞穂として生きていこうと企む。水島家の莫大な財産のことはどうするつもりだったのかな。瑞穂は貧乏なんですぜ。精四郎と組んでいたっていうのなら話はわかるが。ラストの心中は余計だ。赤ん坊の安否がわかったからいいってか?珠生・・実は瑞穂に心を寄せる啓一役は沖田浩之氏、長内美那子さんはどこに出ていたのだろう・・啓一の母親?他に石山律雄氏。珠生と瑞穂のヴァイオリンの先生の家はなかなかよかった。和洋折衷と言うか。そんなところしか印象に残らないほどストーリーは何じゃこりゃ。

▲△▽▼

ミイラの花嫁(1983)


原作では鮎沢は大学教授だが、こちらでは京都の織物関係。心当たりのない結婚式の招待状を受け取り、京都へやってきた金田一。しかし花嫁京子(根本律子さん)の父鮎沢(田村高廣氏)には招待してないと、冷たくあしらわれてしまう。せっかく礼服に着替えたのにねえ。ところが式の最中、天井から血がしたたり落ち、天井裏へ上がってみると男の死体。顔や手足の指は硫酸で焼かれていたが、京子に求婚していた緒方(速水亮氏)が、様々ないやがらせや脅しのあげく自殺したのでは・・となる。この騒ぎのせいで式は延期。京子は琵琶湖湖畔の別荘へ。世話をしてくれるのは佐和子(茅島成美さん)だが、生け花の先生がここまでやるのは不自然。もちろん彼女は鮎沢と結婚したいのだが、鮎沢の頭の中は京子のことでいっぱい。原作読んでなくったって犯人は見え見え。出没するミイラ男が鮎沢と書生の栗田なのも。式の延期がおもしろくない鷲尾(三ツ木清隆氏)が京子に迫ると、ミイラ男が現われて首を絞め・・。あら?その後どうなったの?鷲尾は生きてるの?死んじゃったの?この後全く描写されないなんて・・ありえな〜い!京子は緒方の方が好きだったみたいだし、これじゃあ踏んだり蹴ったり絞められたり・・ですな。やっぱ殺されちゃったのかな。原作では金田一は出てこない。湖畔で由利麟太郎に声をかけられた鷲尾が、決心して相談に行くということになっている。こちらの後半部の繭の谷がどうとかいうのは原作にはなし。鮎沢が横恋慕して硫酸かけた女性を、結婚式の夜切り殺したら赤ん坊が生まれたという、何が何やらの設定。その赤ん坊が成長するにつれ母親そっくりになったので、またまたよこしまな恋情をいだくようになったという・・。繭の谷の洞窟には花嫁、出席者達のミイラ、緒方の死体があって。招待状を金田一に出したのは緒方なのだが、相談や依頼の手紙でないのは変だ。20年前の生き残りの老人(天本英世氏)が声を失っていることを考えれば。また、金欠の金田一がわざわざ汽車賃使って京都まで来るのもありえない。よかったのは棺から花嫁のミイラが起き上がるところ。鮎沢に近づき、くたりと倒れるところ。緒方の妹八重子の芝居とわかっていてもゾクゾクする。

▲△▽▼

三つ首塔(1993)


昭和25年京都の丹波、金田一は黒川弁護士の代理で法師村の座光寺家へ。アメリカへ渡って成功した玄蔵が死に、遺言状を公開するために来たのだ。集まったのは玄蔵の長男で当主の雷蔵(鶴田忍氏)、雷蔵の長女音禰(安永亜衣さん)、次女由香里(武田京子さん)、玄蔵の長女蝶子(山口美也子さん)、蝶子の内縁の夫島村。しかしまだ二人いると聞いて彼らは不審がる。現われたのは宮本薫(大谷直子さん)と息子の俊作(高川裕也氏)。座光寺家は以前宮本家の小作をしていたが、今では逆転し、座光寺家の方が羽振りがいい。なぜ仲の悪い宮本家が呼ばれるのか。遺言状には遺産の大半・・6億5千万が俊作と音禰に行くことになっていた。条件は二人が結婚すること。俊作と由香里は慕い合っている仲なので、ショックを受ける。音禰に異存はない。後でわかるが、彼女は養女で、昔から由香里のものを欲しがり、奪うところがある。美人だが、冷たく打算的で、何を考えているかわからない不気味なところがある。ここらへんでわかるが、原作とは全くと言っていいほど違う流れで、犯人も違う。原作の誠也にあたる人物が出て来ず、大谷さんが出てきた時点で、展開の予想はつく。薫は音禰との結婚には反対する。由香里ともだめだ。しかしはっきりとした理由は言わない。座光寺家とは関わりたくないだけでは、俊作が納得するはずもない。見ている我々は、由香里か音禰が俊作と兄妹なのだろうと想像する。「悪魔の手毬唄」と同じだ。遺言状のところでは「犬神家の一族」みたいに、由香里が「あたしのこと何にも書いてない!」と叫び出すかと思ったし。公開の後の宴会で、薫が突然苦しみ出す。吸い物に仕込んであったトリカブトのせいだが、幸い致死量ではなく、大事に至らずにすむ。吸い物は元々は俊作が飲むはずだった。と言うことは遺産相続をめぐっての犯行か。しかし、何が書いてあるかわからない遺言状の公開から宴会までの間に毒を用意するなど、普通はできない。事前に内容を知っていた者の犯行のはず。金田一が黒川弁護士に問い合わせないのはおかしい。見ている我々は、薫が助かった時点でこりゃ怪しい・・と思う。毒殺を企む者が毒を少なめにしておくはずがない。一度被害者になっておいて、容疑からはずれようという魂胆なのは見え見え。

三つ首塔2

その後由香里が首なし死体で見つかる。続いて雷蔵も。由香里は俊作と駆け落ちしようとして、音禰に縛られて倉に閉じ込められる。スキを見て逃げ出し、俊作の元へ急ぐ。バスに飛び乗ってやれやれとなるが、バスは違う道へ。この流れを見ると、音禰は少なくとも直接には手をくだしていない。閉じ込めた由香里をどうするつもりだったのかは不明。バスがタイミングよく通りかかるのも不思議だ。いつどこで由香里が現われるか、犯人にはわからないのだから。雷蔵の時も、音禰は俊作と一緒なので、直接手をくだしていないのは明らか。通夜の席から俊作を連れ出し、誘惑しようとするなど音禰は異常だが、そのうち俊作も彼女と結婚する気になる。途中で音禰に変化が現われ、見ているこっちも、もしかしたら彼女、そんなにひどい性格でもないのかも・・と思い始める。途中金田一に、自分は養女であることや、雷蔵が三つ首塔のことを口走っていたと話す。と言うか、金田一に話す前に警察に言うのが筋だろ。蝶子によると、三つ首塔は玄蔵が雷蔵に命じて作らせた供養塔らしい。金田一が行ってみると、由香里と雷蔵の生首が据えられていて。塔内にはクモの巣一つなく、ホコリも枯葉もなし。生首からは異臭がしているはずだが、金田一は気づかない。ハエも飛んでいない。その後蝶子が殺され、やはり首が塔で見つかるが、警察は見張りとかしていなかったようで。島村も殺されるが、こちらは首ありで、座光寺家の人々とは明らかに扱いが違う。蝶子が殺される時、犯人は駐在の古坂(岡本信人氏)だとわかる。その前に金田一に映画の「無法松の一生」の話をするので、彼が映画と同じく人妻・・この場合薫・・に密かな恋心を抱いているのがわかる。自首した古坂はすべては自分の犯行と主張。一方薫は音禰の本心を問いただす。音禰は金と名誉だけが目的で、俊作のことは愛していないとうそぶく。一時好感度がアップした音禰だが、ここで一気にダウン。薫は音禰を刺し殺す。せっかく古坂が罪をかぶってくれたのに、これじゃだいなしだ。と言うか、音禰は座光寺家の者が殺され、残されたのが自分一人になったのに、全然用心していないじゃん。その後はこれでもかというくらい大量の不幸を薫にくっつける。山盛り大盛りてんこ盛り、お代わり自由、今から30分オペレーターも増員だ!(何のこっちゃ)

三つ首塔3

薫は目の前で玄蔵が父親を殺すのを目撃してしまう。しかも玄蔵はその場で彼女をレイプ。金も盗み、殺人と強盗の罪を武内に着せ、自分はアメリカへ高飛びする。武内は刑務所で自殺、その息子が古坂。てことは薫は武内が無実の罪で刑務所へ入れられるのを黙って見てたのかいな。その後玄蔵は罪を悔いて供養塔を作らせ、遺産相続でも薫に有利なように計らう。ここでも武内のことは無視かよ。座光寺家との関わりを薫がいやがる理由がこれで明らかになる。遺産なんかもらっても恨みが晴れることはない。それ以上に問題なのは、音禰との結婚という条件。ひどい経験をした彼女を癒してくれたのが宮本。俊作も生まれ、一時は幸せだったが・・。実は音禰は玄蔵の子、俊作にとっては異父姉。二人を結婚させるわけにはいかない。島村が殺されたのは、レイプの現場を目撃していて、それをネタにゆすり、関係を強要していたから。薫は音禰には何も話さない。実は私はあなたの母親で、俊作とは異父姉弟なのよと言えば、少しは結末も違ったのでは?殺してから「こうするしかなかった」ってアンタ。座光寺家の三人にしても、玄蔵の家族っていうだけで、直接にはアンタに何もひどいことしてないでしょうが。これで薫に同情しろなんて、いくら何でも無理ですがな。いつも通りマーラーの曲が流れ、「ベニスに死す」モード。いつも通り金田一は何もできずウロウロするだけ。別に音禰は殺さず、真実を知った彼女がこの先俊作とどう生きていくのか、そっちの方を描いて欲しかったが。音禰のキャラをここまで変更するのなら、その先の世界へ挑戦して欲しかったが。そんな期待も空しく、いつもの通り、犯人は悲劇のヒロイン、世の不幸を一身に背負い、何人殺そうが罰せられず、美しく死んでいく。この既定路線をはずす勇気は作り手にはないようで。それにしても2時間ドラマでの金田一物はどれもこれもはずれだ。いったいどうしてなんだろう。作り手の考えと見る側の求めているものが違うんだろう。全作品を見たわけではないが、大物女優が出てくると、あ、この人を中心に内容が変更されているのだな・・とわかる。キャラも変えられ、犯人も変更される。あとはいかに見ている者の涙をしぼるか。見ている方は涙どころか、笑いをこらえるはめになるのだが。

▲△▽▼


迷路荘の惨劇(2002)


いつもより長いのは横溝正史生誕100年記念だからか。前に見た時は何じゃこりゃ〜!だった。今見るとわりに原作に忠実な流れ。もちろんあれこれ変更してある。昭和25年、原作は富士の裾野だがこちらは京都。南禅寺やら琵琶湖疏水やら祇園祭やらがはさまれる。実業家篠崎(六平直政氏)のキャラが、成り上がりのゲス男なのか、妻の倭文子(羽田美智子さん)にぞっこんの純粋な男なのか。どっちも強調しようとしてかえってとっちらかってる。辰人(宇梶剛士氏)が元妻倭文子にやさしい言葉をかける穏やかな性格なのか、義母加奈子をレイプしようとし、それを止めた使用人静馬を恨んで惨劇を起こさせた悪党なのか、これもはっきりしない。人間にはいいところも悪いところもあると言いたいなら話は別だが。ちょっと残念なのは、金田一が風呂に入っている時聞こえる柳町のフルート演奏。実はこれが大きな意味を持つのだが、スルーされている。入浴剤の方はちゃんとやってる。静馬が糸(野際陽子さん)の息子というのは原作と違う。柳町の自殺あたりからストーリーはそれ始める。何たって倭文子を気の毒な、でも誇り高い美女に仕立て上げなければならない。タバコを手に取った時、絶対これに毒が仕込んであって・・と、見ている人全員思ったはず。でも死にませんでしたな。代わりに糸を自殺させなければならないから。糸の自殺も原作にはなし。いつでもどこでも糸が出てきて、野際さんの独演会になっていましたな。変にみんなのキャラをいじくり、そのせいで変に芝居がかった感じになり、また京都観光映画にもなっていた。まあ原作はしっかりしてるし、入浴剤とか地下迷路とか小道具も生かされ、前回見た時よりは出来はまともに思えた。最初に地下へ下りる時、見下ろす糸の表情に金田一が不審を感じるところは原作通り。その一方で女中のタマ子の髪型が気になった。ちゃんと縛れ!上川隆也氏の金田一はもっと見たかったが・・。今からでも遅くないからまたやってちょ。等々力警部は中村梅雀氏、運転手奥村が新井康弘氏、井川刑事が火野正平氏、天坊元子爵が長門裕之氏。知ってる人はそれくらいか。


▲△▽▼

迷路の花嫁(1993)


原作は売り出し中の作家、松原が主人公で、金田一はあまり出てこない。推理小説をよく読む人なら、途中で犯人はわかるだろう。今回何度目かの読み直しをしながら、これって人情時代劇だよな・・って思ってた。ろくに仕事してないくせに、いやに金回りのいい色男の遊び人がいて、殺人事件に巻き込まれる。女性を食い物にしている悪人がいて、何とか毒牙から逃れようとあがいている女達がいて。そのうちの一人薄幸の美女は色男によって救い出され、またある女はやはり彼のおかげで所帯を持つことができる。またある大店の娘は自分の身を悪人に投げ出す寸前に救われ・・とにかく色男は次々に人助けをし、悪人の鼻を明かすのだ。彼にはプラトニックな関係のままで終わった女性がいる。彼女は悪人の毒牙にかかって自殺したのだ。だから彼には明るくふるまっていてもどこかカゲがある。最後はたぶん長屋のみんなに囲まれ、息を引き取る。外では同心や岡っ引きが彼の死を悼んで黙祷する。江戸時代だと私立探偵は・・??善と悪がはっきりしていて、悪人はあくまでも憎たらしく、女はあくまでも薄幸で、ヒーローの行動はあくまでも痛快。そして涙をそそるラスト。・・妄想はそれくらいにして・・原作は昭和29年くらいだが、テレビは35年。本堂(佐川満男氏)は戦傷ではなく痛風のせいで足が不自由。息子の蝶吉も白痴じゃまずいので普通の子に。原作で一番心にしみるのは、実はこのおでんの串を持ってぽかんとしている蝶吉の描写なのだが。金田一はほとんど松原の役回りなのだが、それだと誰か別の人を犯人にしなきゃならない。ねちっこくしゃべる建部(中尾彬氏)が出てくるので、彼が犯人かなと思ったが違った。金田一は重い結核であと数日の命という綾子(赤座美代子さん)を助けるが、ちょっと目を離したスキに殺され、責任を感じる。うわごとに出てきた「いずし」「きょうこ」を頼りに、兵庫県の出石を訪ねる。泊った滝川旅館(原作では呉服屋)では五日後に一人娘恭子(荻野目慶子さん)の婚礼がある。綾子が気にかけていたのはこのことか。ちなみに綾子は原作には出てこない。


迷路の花嫁2

ここまでは順調だったが、後はみんなして隠し事ばかりするので、なかなか前に進まない。霊媒の薬子(くすりこ)が殺され、現場を見た恭子は逃げ出すが、その際血のついた手袋を落としてしまう。それを拾ったのが原作では松原、こちらでは金田一。薬子の死体のまわりに血まみれの猫がわんさかというのは原作通りだが、出演した(←?)猫にとっては迷惑だっただろう。風呂好きならともかく。恭子は薬子を訪ね、死体を発見したことは認めたものの、訪ねた理由は言おうとせず、自分から婚礼中止を申し出る。「なかったことにしてください」・・って当日にキャンセルするなよ!婚約者の欣之助(宮川一朗太氏)は納得せず、金田一に調査を頼もうとしたり、恭子の身を案じて夜も見張っていたりする。結局恭子が口をつぐんでいたのは、犯人が父親(小坂一也氏)だと思い込んでいたため。あの日父親は薬子と会うことになっていて。ところが父親は足止めを食って会いに行けなかったことがわかる。父は犯人ではなかった。彼女は現場に落ちていた凶器のナイフを持ち帰って隠していたが、それには父親ではない誰か・・真犯人の指紋がついているわけだ。小細工せずちゃんと警察に渡していれば、次の犠牲者は出ずにすんだのだが。本堂とタバコの箱の件も原作通り。彼は妻の死は建部が原因と信じている。恭子の方は継母が毒牙に。とにかくどの女も建部の思い通りになってしまう。原作の建部は非常に下卑た印象で、何でこんなのに女性達が虜にされるのかいな・・と思うが、テレビの方は中尾氏なので、少しは説得力がある。深みのある声や表情がいい。ただ、もう少し祈祷所がにぎわっている感じを見せた方がよかったのでは?原作では松原のせいで、こちらでは金田一のせいで、建部は次々に女達に逃げられてしまう。原作では最後に残った女に、顔に硫酸をかけられ、失明してしまう。その女はその後橋から線路に飛び降り自殺する。時代劇なら柳の木の下をフラフラ歩いてきたと思ったら川に飛び込み・・ってところかいな。

迷路の花嫁3

テレビでは欣之助は実は建部の息子ということになっている。雑司ヶ谷で五年前に霊媒殺しがあったが、この被害者が実は建部の妻で、二人の間にできたのが欣之助。彼は実の母を殺したわけだが、それを目撃してしまったのがそこに住み込んでいた綾子。彼女も建部のせいで出石を出奔、東京に出てきていた。その時はそれですんだが、つい最近綾子は偶然欣之助が友人と話しているのを聞いてしまう。何と自分の娘恭子が殺人犯欣之助と結婚するという。こりゃいかん止めなきゃ・・と出石へ向かおうとするが、病気と欣之助のせいで・・。いつの間にか欣之助のことを調べ上げた金田一。一見爽やかな好青年欣之助は、実は金遣いが荒く、しかも殺人鬼だったと。ナイフについている指紋は彼のものだと。もちろん欣之助は自分は犯人じゃないと否定しまくるが、そのうち自分のせいじゃない・・と、責任転嫁し始める。欣之助の母親・・養母だが・・はナイフを恭子からひったくると、建部を刺し、自分は自殺。一瞬の出来事なので、誰も止められない。あの〜何ですか、この流れ。最初は実は真犯人はこの母親で、欣之助を助けようとして行動を起こしたのかと。元凶である建部を道連れに・・でも、それならちゃんと自白してからだよな。欣之助をかばおうと・・自分が罪を背負う気なら、やはり欣之助がしらばっくれてる間に自分が・・と言い出すはず。建部殺しにナイフを使えば、元の指紋はわからなくなるだろうし。でも、そういうの全然なしで、いきなり行動するからこちとらわけがわからんわけよ。一番考えられるのはオマケでもう二人ほど死人を追加しよう・・と、作り手が考えたってこと。理由なんかどうでもよろし。荻野目さんは何か腫れぼったいような顔をしていたな。奈津女役吉川十和子さんはきれいだ。松原が出ていないので、彼女は薬子のところの書生、河村と結ばれる。小坂氏が出ていたのにはびっくりした。この頃にはまだ生きていたんだ。ハナ肇氏はこの作品が最後の等々力警部役。原作はみんな東京だが、こちらは出石焼とか出石そばとか名物の他に、観光名所らしきものも出てきて、何となく寅さんシリーズぽい。

▲△▽▼


八つ墓村(1991)

「八つ墓村」と言えば1977年の映画が代表的なんだろうけど、私は大昔NHKで見たのが印象に残ってる。と言ってもほとんど覚えていないんだけど。キャストは山本耕一氏(辰弥)、水野久美さん(美也子)、川口晶さん(典子)で、金田一は出てなかったようで。こちらは1991年の2時間ドラマ。鶴見辰吾氏(辰弥)、夏木マリさん(美也子)、浅田美代子さん(春代)、金田一は古谷一行氏。長編を2時間にまとめたため、かなりそぎ落としてあり、辰弥と結ばれる典子はカットされ、辰弥と美也子がくっつく。際どいシーンがいくつかあり、家族揃って見ていると、えらいことになる。強調されるのは辰弥と美也子の恋で、特に美也子は呆れるくらい悲劇のヒロインに仕立て上げられている。原作だと彼女は慎太郎にプロポーズして欲しいが、落ちぶれた彼は尼子残党の財宝捜し出し、金持ちになってから・・と思っている。で、美也子は手っ取り早く財産を彼に継がせようと、田治見家の者を殺しにかかるのである。ばれないよう無関係な者も殺し、カムフラージュ。それがこちらではあれやこれやいっぱいくっつけて、こういう悪いことしたのも無理ないのよ、やむにやまれぬ事情があったのよ、ほらかわいそうでしょ、さあ同情しろこら・・となってる。慎太郎に財産継がせたいけど、美也子自身は彼と結婚したいわけでも、お金欲しいわけでもない、ただ恨みを晴らしたかったと。そのせいで慎太郎のキャラはあいまいもこ。原作では見つかる財宝も、こちらではなし。美也子に比重かかってるせいで、春代の辰弥への恋情も描写不足。英泉が辰弥を殺人犯呼ばわりした時に、食ってかかるのは(美也子ではなく)春代でなくちゃ。死の直前に春代が辰弥に思いを打ちあけるシーンは、もっと感動的になったはずなのに。それにしても今回の金田一は役立たずで、何のためにいるのかわからん。とらえられた美也子を前に得意になってペラペラ謎解き。そんなことしてるから美也子は小指の傷から入った毒が体中に回り、のたうち回る。見ている方も辛いですぜ、バカバカしくて。また、「アルビノーニのアダージョ」とやらが、やたら深刻なムードぷんぷんさせながら流れるのもイタイ。あたしは慎太郎さんの体と、田治見家の莫大な財産両方とも欲しいのよ、文句あっか!・・で、いいと思うんですけど。


▲△▽▼

幽霊座(1997)

昭和32年、岡山の久賀村。鎮守の森の樫の木は首くくりの木と言われていて、今朝も心中死体がぶら下がっていた。今年に入って三件、いや四件目だ。ところが死亡時間に1時間のずれがある。こりゃ心中に見せかけた殺人だ!着いた早々河合警部に引っ張り出される金田一。今回は彼が岡山を訪れた理由さえ省略されている。わざわざ東京から呼ばれたとは思えんが。死体を発見したのは蔵元の娘と、奉公人の牧野喜久雄。死体は水木京三郎と乙女。金田一はここへ来る途中、偶然雷車鶴之丞(十朱幸代さん)らと知り合う。鶴之丞のあでやかな美貌に見惚れる金田一。彼女は夫の死後、座長として旅回りの一座を率いている。四年前、息子の鶴之助は「鯉つかみ」の途中で姿を消し、行方知れずに。水木と乙女も座員で、乙女は一座の立女形紫虹(井上純一氏)の妻だが、水木と浮気。嫉妬にかられた紫虹が水木を殴るなどもめていて。結局水木は破門されるが、腹の虫がおさまらない紫虹は、弟子の音丸を折檻するなどいびりまくる。原作だと東京の稲妻座が舞台。歌舞伎では珍しく、個人所有の劇場。「鯉つかみ」の途中で鶴之助が姿を消すというのは原作通りだが、あとは変更しまくり。旅回りの一座というのは、まあ仕方ないと思う。劇場での本格的な歌舞伎を見せるのは難しいから。でも十朱さんが出てきた時点で、内容変更、犯人変更は予想がつく。ゾッとするほど冷たい美貌の女形紫虹への期待なんか、するだけ無駄。十朱さんの見せ場がたっぷりあり、それはまあいいとして、そこだけ浮いているような気も。紫虹が音丸をいじめまくるのに、鶴之丞は全く感知していない。それとお客はもっと・・とんぼを切れば喝采するとか、反応があるはずで。そのうち紫虹が殺される。金田一は四年前に起きた、座付きの作家坪内の溺死に興味を持つ。アル中だったらしいが、事故死なのか殺人なのか自殺なのかはっきりせず、結局迷宮入りに。坪内の死が「鯉つかみ」の初日で、鶴之助の失踪が千秋楽。これは偶然だろうか。鶴之丞は、舞台の途中でいなくなるなんて・・と、腹を立てているようで、もう鶴之助のことは死んだと思っている。失踪からひと月ほどして遺書めいた手紙が来たが、焼いてしまったと言う。続けて三人も死者が出たことで、座員は不安がり、騒ぎ立てるが、皮肉なことに小屋は大入り。

幽霊座2

普通ならここでお客に何か言わせる。だって彼らが押しかけるのは芝居のことより、また何か起きるのではないかという期待のせいだ。途中音丸が血を吐き、そのまま死んでしまう。毒殺だ。彼が死んでしまうのは意外だった。紫虹がいなくなり、彼が女形として一座をしょって立つのだと思っていたから。今まではいじめられて不幸だったけど、やっと苦労が報われる日が来たのだと・・。そしたらあっけなく死んじゃった。金田一は喜久雄の過去を調べ、彼が実は鶴之助なのを知る。ここからは少々ややこしい。「私は悪くないんです」タイムの始まりだ。鶴之助が実は坪内の子だというのは大して意外ではない。昔は坪内にも夢を持つ純粋な時期があって、鶴之丞もそこに惚れた。座付き作家で終わる気はないと、小説を書いては出版社へ送った。でも、書いても書いてもボツになる。そのうち心がすさみ、酒や博打に溺れるように。その日も金を持ち出そうとして、鶴之丞と争いになった。母親が頬を切られたのを見た鶴之助は逆上して坪内に向かっていき、二人して「鯉つかみ」用の水槽に落ちてしまう。気がつけば坪内は溺死。息子を救うため、鶴之丞は死体を移動。でも、坪内がアル中だってのはまわりにも周知のことで。酔って足を滑らせ、水槽に落ちた事故死で、誰も疑わないと思うが。と言うか、死体を大阪の道頓堀までどうやって移動させたんだろう。父親殺しは重罪だからと言っていたが、鶴之助が坪内の子だというのは、この時点では誰も知らないのでは?鶴之助自身も知らないし。水木や乙女、紫虹が殺されたのは、鶴之助が喜久雄として生きていることを知り、ゆすり始めたため。なぜ彼らが鶴之助の居どころを知り、坪内殺しのことも知っていたのかは後でわかる。音丸が告げ口したのだ。彼は水槽の掃除をしていて、坪内の時計が落ちているのに気づく。その時は意味がわからなかったが・・。車の免許を取ろうと、本名の牧野喜久雄で書類を取り寄せたところ、誰かが自分の名前を使って存在している!住所を頼りに確かめに行くと、何と鶴之助がいて。水木や乙女はともかく、憎い紫虹を自分の代わりに始末してくれたのは都合がよかった。これからは自分を立女形にしろ。さもなくば鶴之助のことをばらすぞ。

幽霊座3

何だか紫虹にいびられているうちに、音丸自身が紫虹と同じ性格になっていたというのが・・いかにもありそうなことで、そこはとてもよかった。よかったけど、それが発展しないのがこのシリーズの宿命。いかにヒロインを美しく悲劇的に描くかが大事で、あとは付け足し。息子を守るためなら何人殺してもオッケー。見ているこっちは口あんぐりだ。鶴之助に音丸の経歴使わせるのがまず理解に苦しむ。そのうち必ず気づかれるに決まってるじゃん!坪内の死体を動かしたのも裏目に出た。時計が水槽で見つかったって、溺れてあがいているうちにはずれて底に沈んだのだと思われるだけ。あっちで溺れて死んだはずなのにこっちで時計が見つかるから音丸が不審に思うのだ。せっかく坪内の死をうまくやり過ごし、鶴之助の失踪計画もうまくいったのに、一年に一回、巡業に来た時会えるよう近くの蔵元に入り込ませる。絶対居どころを知られたくないなら会いたくてもがまんし、遠く離れているはず。座員に見られたらそれっきり。ましてや座員の経歴を使うなんてありえな〜い!しかも!鶴之助は心中の第一発見者にわざわざなるのだ信じられな〜い!警察と関わり持つなんて!鶴之丞側だけではない。水木達も、鶴之丞ゆすったってろくな金ないことくらい、自分達が一番よく知っているでしょうに。でも見ていて一番呆れるのは、これだけは言っておかないと・・と、鶴之助の出生の秘密明かすこと。実の父親を殺したと知った鶴之助は大ショック。普通は金田一には言っても鶴之助には言わないでしょうが。秘密を胸におさめ、罪を全部かぶって、一人死んでいくのが母親じゃないの?今回に限っては心中で始まったから終わりも心中で・・と、母子二人の道行き。気の毒に・・って思わなきゃいけないのかな。私には「バッカじゃないの?」としか思えませんでしたとさ。鶴之助役は大沢健氏、音丸役は井田州彦氏。座員香織役は渋谷琴乃さんだが、この香織は存在がちょっとうるさい感じ。小屋主役は穂積隆信氏。鶴之丞に惚れ込み、貸した金の半分しか返してもらえなくても、その金を祝儀だと渡すようなきっぷのよさ。鶴之丞をくどくなど本性あらわすかな・・と思ったが、そのまんま。珍しくいい人の役。他に小島三児氏、なぜかパンチ佐藤氏。1997年と言えば十朱さんは50代半ばだが、とてもそんなふうには見えない美しさだ。

https://sites.google.com/site/darklymama/home/ya/yokomizo2
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/219.html#c2

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
3. 中川隆[-12310] koaQ7Jey 2019年2月09日 10:16:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

amazon の「正論」、「Will」と「月刊Hanada」のカスタマーレビューに
777 のペンネームで 何処が間違いか書いたら、次々に削除されました。

右翼はやる事が えげつないですね。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c3

[リバイバル3] 車中泊向けの軽バン、ホンダ「N-VAN」の実用度 中川隆
95. 中川隆[-12309] koaQ7Jey 2019年2月09日 10:23:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019年02月09日
ソロキャンプブーム 都会疲れやSNS疲れに効果あり


森にかこまれて星を見ながら過ごす。実際は虫が飛び回るしうるさい


画像引用:【ソロキャンプを始めたい人の】疑問点、必要な道具、楽しみ方、総まとめ | キャンプ初心者向け総合情報ブログ Hyper Camp Creatorshttps://camp-in-japan.com/wp-content/uploads/2016/09/image-22-680x453.jpeg

2018年はソロキャンプがブームだった

2018年の流行の一つにソロキャンプブームがあり、1人でキャンプする人が増えた。

従来のキャンプはキャンプファイヤーのようにみんなで集まって騒いだりバーベキューするのが楽しみとされていた。

最近は一人になるために一人でキャンプ場などに行き、静かにひっそり過ごす人が多い。



例えば芸人のヒロシは YouTubeでソロキャンプを実践する動画チャンネルを開き登録者30万人も集めています。


ヒロシキャンプ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97&sp=mAEB

日本オートキャンプ協会によればキャンプ人口が増加し始めたのは2013年以降、アベノミクスが始まったころからでした。

2012年以前の超円高、スーパーデフレ、1億総リストラ社会が一息ついて、各自が余暇を楽しみ始めました。


といってもあまりお金が無いので、比較的安く済むアウトドアがブームになりました。

自転車、ハイキング、軽登山、ジョギング、ジムや公園で体を鍛える人、バードウォッチングなど様々な人を見かけます。

お金をかけようと思えばいくらでもかけれるが、これらは安く抑えることも可能です。

都会の喧騒から離れて自分を取り戻す

中高年のハイキングや登山もすっかり定番レジャーになり、釣りや秘境駅、温泉めぐりなどアウトドアの範囲は非常に広い。

そんなアウトドアの一つがソロキャンプだったのだが、なぜグループではなく一人なのでしょうか?

理由のひとつと考えられるのは職場や都会生活、インターネットなどでのつながり過ぎです。


会社ではパワハラやブラック労働、わずらわしい社内関係があり、ネット上でも情報過多になっています。

SNSをやっている人に多いのがSNS疲れで、ラインでの既読疲れなどもあります。

あまりにも過剰な情報や対人関係に疲れてしまい、1人で静かにキャンプしてリフレッシュしたい人が多い。


かつての登山ブームでは何日も一人で縦走してテントやキャンプする人が居たが、そこまで冒険的ではない。

連休などで都会から離れたキャンプ場に行き、テントを張って一人で煮炊きをして自然の中で眠ることで自分を取り戻すような事です。

ソロキャンプをする人は都会の人が多く、逆に田舎の人は都会に遊びに行きたがる傾向がある。


キャンプ場でもソロキャンプで利用しやすいように手ぶらで来れる施設なども増えています。
http://www.thutmosev.com/archives/78966267.html



▲△▽▼


ヒロシちゃんねる - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UC_ak3ZurSDtT3Kv1RFdrgiA

ヒロシキャンプ - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97&sp=mAEB

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/865.html#c95

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
148. 中川隆[-12308] koaQ7Jey 2019年2月09日 10:42:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

国内企業、業績が急ブレーキ=中国需要落ち、減益修正相次ぐ〔深層探訪〕
2/9(土) 8:32配信 時事通信


 国内の企業業績に急ブレーキがかかっている。米中貿易摩擦の激化で中国経済の減速が鮮明になり、電機メーカーを中心に需要が急減。業績予想の下方修正も相次いだ。英国の欧州連合(EU)離脱など世界経済をめぐる不透明感は増しており、業績の先行きに暗い影を落としている。


 時事通信社が7日までに決算を発表した東証1部上場874社(全体の約67%、金融を除く)を対象に集計したところ、2018年4〜12月期の純利益は前年同期比3.0%減。通期予想を下方修正した企業は117社に上り、上方修正の72社を大幅に上回った。


 ◇最高益予想から一転
 「11月に入り、顧客の投資が止まってきた。スマートフォン向けの設備に使うモーターがかなり落ち込んだ」。パナソニックの梅田博和常務は厳しい表情で語った。

 中国ではスマホ販売が減少し、高級機種を中心に展開する米アップルなどメーカー各社が苦戦。部品や設備の供給を担う日本企業に影響が及んでいる。パナソニックの4〜12月期の連結純利益は13.2%減の1737億円となり、通期予想の下方修正を余儀なくされた。

 三菱電機も、10〜12月の中国での売上高は2割減と失速した。皮籠石斉常務は「顧客のプロジェクトの凍結、延期が確実になってきた」と声を落とす。

 中国の自動車市場も低調だ。「地場ブランドや米国車が減少している」(ホンダ)といい、部品メーカーにも打撃だ。

 日本電産では車向けモーター事業が急速に悪化。19年3月期の連結純利益は従来の最高益予想から一転、6年ぶりの減益となる見通しだ。4〜12月期の中国での売り上げが前年同期比マイナスとなった日立製作所は「自動車の落ち込みが大きかった。この状況は続く」(西山光秋執行役専務)とみる。

 ◇広がる先行き懸念
 先行きへの懸念は増益企業や非製造業にも広がる。半導体製造装置の東京エレクトロンは19年3月期に増収増益を見込むが、河合利樹社長は中国の半導体メモリー需要について「貿易摩擦の影響が出ている。顧客が(設備投資を)見直すところもある」と指摘。ANAホールディングスの福沢一郎執行役員は「旅客事業で大きな影響は出ていないが、19年度を見据える上で気を付けないといけない」と強調する。

 商船三井の丸山卓専務は「旧正月明けは(中国向け)荷物が減る。貿易摩擦の影響で通常以上に落ち込むようであれば減便しないといけない」と身構える。

 みずほ証券の三野博且シニアストラテジストは「先行き不安はすぐには解消しない。投資を手控える動きから、19年度前半は減益基調が継続する。ただ、年度後半には半導体需要などが底入れし、業績は持ち直してくる」とみている。


 ◇中国経済に関する発言

パナソニック      梅田博和常務    11月に入り、顧客の投資が止まる
三菱電機        皮籠石斉常務    顧客のプロジェクトが凍結、延期に
日立製作所       西山光秋執行役専務 自動車の落ち込み大きい
日本電産        永守重信会長    欧州車メーカーに中国減速の影響
東京エレクトロン    河合利樹社長    顧客に(投資)見直しの動きも
ホンダ         倉石誠司副社長   中国車、米国車の販売減少
ANAホールディングス 福沢一郎執行役員  19年度見据える上で気を付ける
商船三井        丸山卓専務     通常以上に落ち込めば減便も

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c148

[近代史02] 知らぬが仏 _ FX は『ネットパチンコ』 _ 金はすべて胴元に取られる 中川隆
24. 中川隆[-12307] koaQ7Jey 2019年2月09日 11:29:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
ドル円の大暴落…正月に続き、GW10連休も!? 日本人の長期休暇が狙われる
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190209-01548791-sspa-bus_all
週刊SPA! 2/9(土) 8:40配信

《1月3日に起きたフラッシュクラッシュ》ニューヨークの取引所が閉まってから30分後にドル円が急落。時間にしてわずか5分ほどの間に108円から104円になるという瞬間的暴落が起きた


 今年の円相場は波乱の予感が漂う。1月3日早朝にドル円が3.5円も暴落し、多くの個人投資家が損失を抱える事態に。SNSには「生きる希望がない」「老後の資金が…」という投資家の悲痛な声で溢れ返えった。だがこれで終わりではない。今年の10連休のGWに、再び日本の個人投資家が狙われるというのだ。

◆瞬間的暴落・フラッシュクラッ シュは10連休中に起こる!

 のどかな正月休みの早朝。為替相場の急変で、個人投資家たちは阿鼻叫喚の地獄へ突き落とされた。

「箱根駅伝を走る母校を応援するため早起きしたんです。こたつに入って『そういえばドル円はどうなってたかなぁ〜』とスマホを取り出してみたら、一瞬なにか見間違ったかなと思ったんです。でも見間違うワケもない。とんでもないドル円の下げっぷり。もう頭の中は真っ白ですよ。正月気分が一気に吹き飛びました」

 そう語るのは、九州の実家に妻と子供を連れ里帰りをしていた山下巧さん(仮名・45歳)。個人投資家として長いキャリアを持っていたが、年始の暴落はとても予想できなかったという。

「年末に確認したときは110円台。だからすっかり油断してました。スマホの下がり続けるチャートを見て、ヤバイこのままでは証拠金が足りずに強制ロスカットされると思ったんですが、メインの銀行は休みでネット振り込みはできない。

 とっさに現金をかき集め、最寄りのATMのあるコンビニまで車を走らせたのにド田舎のため20分はかかる。今から冷静に考えれば間に合うはずもなかったのですけどね」

 結局、努力も虚しく山下さんのスマホにロスカットの通知メールが届く。この間わずか数十分に満たない出来事だった。

「落ち着いて口座を確認したら、900万円以上あった残高は70万円まで減っていました。一瞬で800万円以上が吹き飛んだんです。FXで儲かっていたので親戚の子供にお年玉を奮発し8万円ほど配ってたんですけどね……」

 お年玉の100倍以上をふんだくられた山下さん。どうやら散々な年明けとなったようだ。

◆ミセスワタナベ狩りは何度も繰り返されてきた

 投資にリスクはつきものだが、今回のフラッシュクラッシュ(瞬間暴落。わずかな時間で株価や通貨が暴落すること)は、海外のヘッジファンドが日本の個人投資家を狙い撃ちにした可能性があると指摘する金融関係者は少なくない。日本の個人投資家は、海外の投資家からミセスワタナベと呼ばれ、カモにされている現実がある。元シティバンクの為替部門チーフトレーダーであり、海外の著名投資家とのつながりも深い西原宏一氏は、今回の大暴落の舞台裏について、こう語る。

「典型的なミセスワタナベ狩りです。日銀のゼロ金利政策が続いているので、個人投資家にできる目ぼしい投資は、株以外では日本円で外貨を買うことぐらい。高金利の外貨を買い、金利差で利益が入ってくるキャリートレードという手法を好みます。

そこを狙われ、過去にはNZドル、南アフリカランド、トルコリラの暴落で被害が発生しています。今回もそれと似たケースです」

 つまり日銀のゼロ金利が続く限り、ミセスワタナベは海外ヘッジファンドに狙われ続ける悲しい宿命を背負っているのだ。

「金利が高いのは主に新興国通貨なので、これまでのミセスワタナベ狩りは新興国通貨を狙ってきました。今回のように米ドルを海外のヘッジファンドが狙うのは珍しいのですが、アメリカは政策金利が2.5%まで上昇。日本円からすれば高金利ですし、レバレッジをかければ利益も十分に大きくなるので、日本人投資家からの人気は高かったのです」

 だが、いくらヘッジファンドが狙ったからといって、そう簡単に主要通貨のドル円の相場を崩せるのだろうか。

「昨年のトルコリラショックと同じ、“魔の時間帯”が狙われました。日本時間の早朝7時から8時は薄商い。ニューヨーク市場は7時に終わり、東京が始まるのは9時。開いているのはシドニー市場ぐらいですから、取引が少なく相場が動きやすい。

ヘッジファンドはこの時間帯をよく狙ってきます。トルコリラのほかに、’16 年の南アフリカランド、東日本大震災直後の米ドルの急変も、この“魔の時間帯”が狙われています」

《過去に起きた通貨の急騰急落》

2011年3月17日 米ドル……東日本大震災直後の混乱の最中、シドニー市場では前日よりも5円近く円が値上がり、ドル/円が76円まで急落した

2015年1月15日 スイスフラン……スイスフラン/円は115円台から162円台まで一気に急騰、しかし、その後すぐに30円ほど急落する乱高下となった

2016年1月11日 南アフリカランド……わずか20分間で南アフリカランド/円は、前日の7.2円から6.2円まで暴落。約13%の下落率である。その後すぐに上昇に転じ、取引終了時には7円付近まで反発

2016年6月24日 ポンド……イギリスのEU離脱国民投票の結果が判明し、ポンドが大暴落。ポンド/円は133円まで急騰、下げ幅が27円近くに達した

2018年8月13日 トルコリラ……8月10日時点ではトルコリラ/円は20円台だったが、13日早朝には15円台まで下落。下落率は20%超え

◆大暴落は再び起こる!? 10連休のGWが危ない

 海外のヘッジファンドは、日本人投資家の習性を分析し、幾度となくミセスワタナベ狩りでおいしい思いをしてきた。そんな彼らは、虎視眈々と次の狩りのタイミングを窺っていたのである。

「海外投資家は、日本のカレンダーを熟知しています。日本では1月3日は正月ですが、欧米は1月2日から平日です。しかもクリスマス休暇でしっかり休み、やる気十分なんですよ。

そこにアップルの業績悪化のニュースが流れ、時間外取引で米国株は急落。これを材料にし、海外ヘッジファンドは日本人投資家の損切りラインに揺さぶりをかける。

損切りやロスカットでドルが売られれば、ドル円の下落に拍車がかかり、今回のフラッシュクラッシュにつながったと推測できます」

 さらに、最近はミセスワタナベ狩りの手法もより巧妙になっていると西原氏は指摘する。

「ヘッジファンドはAIと高頻度取引を駆使し、急落させた後、すばやく買い戻して利益を確定。もちろん仕掛けるのはヘッジファンドですが、今回のスピード感は生身の人間には難しい。まさにAIにミセスワタナベが屈したとも言えます」

 フラッシュクラッシュは証拠金が吹っ飛ぶだけではなく、証拠金を上回る損失が発生するケースも。今回はFX会社の未収金は過去3番目の規模に及ぶ。西原氏によれば、この大惨事がGWに再来するかもしれないという。

「実は昨年から今年のGWを、私は警戒していました。関係者内ではGWに何かが起こるのではないかと大きな関心があったのです。でも逆説的に考えれば、年末年始は1月4日(金)を休めば9連休だったわけです。GWに目が惹きつけられていた。意表を突かれた形ですね。

さすがに今回の暴落で、個人投資家は、今年のGWをかなり注意しているので発生確率は下がっています。でも依然として可能性は高い。特に今年は円高ドル安が予想されます。警戒は怠らないでください」

 それでは前代未聞のGW10連休を前に、個人投資家にできる備えはあるのだろうか。

「ロスカットを防ぐには、レバレッジを低く設定すること。最高の25倍にしていると、外貨が数パーセント下落しただけでロスカットになることもあります。また連休前には決済しポジションを持たないことも自衛策としては有効です」

 大荒れの相場が懸念される今年。長期のバカンスを満喫中に、全財産がすっからかんという事態だけは避けたいものだ。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/892.html#c24

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
11. 中川隆[-12306] koaQ7Jey 2019年2月09日 15:13:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

施工不良で揺れるレオパレス、かつて存在した会員制度が不満だらけの建物を許した
櫻井幸雄 | 住宅評論家 2/9
https://news.yahoo.co.jp/byline/sakuraiyukio/20190209-00114122/


 レオパレス21の施工不良問題が波紋を広げている。1996年から2001年までに施工した建物で、仕切り壁や外壁、天井部分に建築基準法に違反する施工不良などの問題が見つかったという。それは、レオパレス21が大きく業績を伸ばしていた時期に重なる。

 1980年代後半から2005年まで、レオパレス21の賃貸住宅は特殊な会員制度をとっていた。

 それは、敷金、礼金、仲介手数料が不要で、保証人もいらない。その代わり、入居者はレオパレス21の会員となり、会員カードを取得することを条件とするもの。会員カードには、クレジット機能が付き、会員になるためには審査が必要になる。この審査で、個人の信用度をはかって、部屋を貸す仕組み。だから、保証人が不要となっていた。

 会員になるためには、入会金と年会費が必要。その額は、私が取材した2003年当時で入会金15万円から20万円、年会費は2万数千円だった(北海道や一部地域はもう少し安かった)。

 入会金と年会費を払い続けることで、敷金・礼金は不要。レオパレス21の賃貸から他のレオパレス21物件に引っ越すときは、新たな入会金は不要。年会費を払い続けることで、賃貸暮らしを続けることができる、という制度だ。

 つまり、レオパレス21の賃貸物件を渡り歩いている限り、敷金・礼金を払うことはなくなる。その代わり、年会費を払い続けるというシステムである。

 入会金と年会費は、退会するときも返還されないため、レオパレスから他社の賃貸への変更がしにくくなっていた。

 これは、レオパレス21の賃貸物件に住み、居住性に不満が出たときに大きな問題となった。つまり、住み心地がわるいからといって、簡単には“抜ける”ことができないシステムができあがっていたわけだ。

 そして、実際にレオパレス21物件には、居住性の不満が多かった。

隣の「屁の音」で目が覚めた、という人も

 隣の音がよく聞こえる、狭いといった不満の声は以前から多く聞かれていた。なかでも、不満の声が大きかったのは、遮音性の問題。とにかく、隣の音が筒抜けになるというのだ。

 「隣に住んでいる人が朝必ず屁をこく。その音で、毎日目が覚めてしまう」という人も居た。それは、最悪の目覚めだろうと同情した。隣よりも上下の音のほうがよく聞こえる、という声もあった。

 今回、隣の住戸との壁や天井に不適切な施工が行われていた可能性が指摘されている。壁や天井部分の防火性能が劣れば、遮音性能も落ちる。つまり、隣や上下の音がよく聞こえることで、居住者は以前から施工不良を体感していたことになる。

 といっても、「隣の音がよく聞こえる」という問題は、賃貸住宅全般でよく起きるもの。賃貸から分譲に移り、最初に驚くのは「隣や上下の音が聞こえないこと」という人は多い。それだけ「音が筒抜けになる賃貸」が蔓延しているわけだ。

 だから、レオパレス21に住み、音の問題に悩まされた人は、「賃貸の集合住宅は、そんなもの」と諦めていた。実際には、音の問題だけでなく、延焼の危険性も高かったので、諦めてはいけなかったのだが……。

 レオパレス21は、敷金・礼金が必要という旧態依然とした日本の賃貸システムに一石を投じた変革者だった。有名タレントを次々に起用したCMも画期的だった。それだけに、今回の騒動に唖然としている人は少なくない。このような裏切りはして欲しくなかった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sakuraiyukio/20190209-00114122/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c11

[リバイバル3] 月山スキー場 中川隆
10. 中川隆[-12305] koaQ7Jey 2019年2月09日 15:26:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
月山朝日観光協会
http://gassan-blog.sblo.jp/


2019年02月08日
「月山スキー場」オープン日のお知らせ(山形県・西川町)


2019年度の月山スキー場のオープン日は 2019年4月10日(水)を予定しています。

昨年同様、スキー場開き当日は「当日特別料金」で、

一日券大人通常4,600円を2,700円で、
同じく小人通常3,300円を1,300円でご利用いただけます。

また、翌日11日から4月26日まで、「初滑り特別料金」で
一日券大人3,300円、小人1,700円でご利用いただけます。

2019年もたくさんのスキーヤー・ボーダーの皆様のご利用を祈念し、お待ちしています。

月山スキー(見開き・さくらのブログ用).png



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/867.html#c10

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
231. 中川隆[-12304] koaQ7Jey 2019年2月09日 17:05:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

>>52, >>53, >>64, >>66, >>74, >>77, >>85, >>129, >>186, >>195, >>204, >>210, >>221, >>223 の続き


千葉県の人間はみんな頭がおかしい(15)

東京・鶯谷のホテルで何が… タイ人女性が死亡 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZLci3zf1oko

2018/12/19 に公開

東京・台東区にあるホテルの部屋で、女性が頭から血を流して倒れているのが見つかりました。女性はその後、死亡しました。この部屋の窓から飛び降りたとみられる20歳の男子大学生は、病院で手当てを受けています。男子大学生は意識があるということで、警視庁は大学生の回復を待って事情を聴くことにしています。

 12月18日午後8時半ごろ、JR鶯谷駅の近くにあるホテルの従業員から「部屋から女性の悲鳴がする」と通報がありました。警視庁によりますと、部屋からキャーという女性の悲鳴とともに、ドンドンという物をたたくような音が聞こえたということです。そして、警察官が駆け付けると、部屋の中から男性の声で「待って」という言葉があったということです。その後、警察官が部屋の中に入ると、女性が頭から血を流して倒れているのが見つかりました。

 女性は風俗店に勤務するタイ国籍の19歳で、服を着ておらず、額には殴られたとみられる傷がありました。女性は意識不明の重体となっていましたが、19日午後5時すぎに死亡しました。

 また、この部屋の窓から飛び降りたとみられる下着姿の20歳の男子大学生がホテルの敷地のすぐそばで見つかりました。大学生は頭の骨を折る重傷だということです。

 警視庁は2人の間に何らかのトラブルがあったとみて調べています。

▲△▽▼


【社会】女性殺害容疑で医大生逮捕「「棒を使って強くたたき過ぎて女性が亡くなった。」殺意は否認
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1549684675/

1砂漠のマスカレード ★2019/02/09(土) 12:57:55.33ID:nRctxhef9

ホテルで女性を殺害したとして、警視庁は9日、昭和大医学部2年、四十宮(よそみや)直樹容疑者(20)=千葉県船橋市前貝塚町=を殺人容疑で逮捕し、発表した。

「棒を使って強くたたき過ぎて女性が亡くなった。殺すつもりはなかった」と殺意を否認しているという。

下谷署によると、容疑は昨年12月18日午後8時半〜同55分ごろ、
東京都台東区根岸1丁目のホテルの一室で、タイ国籍の派遣型風俗店アルバイト、セーンネ・パニダさん(当時19)=同区=に暴行を加え、殺害したというもの。
四十宮容疑者は暴行を加えた直後、ホテルの窓から飛び降り、入院していた。

現場に残された四十宮容疑者のリュックから、セーンネさんの血がついたトルクレンチが発見されていた。
四十宮容疑者は、大学を出て雑貨店でトルクレンチを購入し、ホテルに向かっていたという。
署は、トルクレンチでセーンネさんの頭部を殴るなどしたとみて、動機とともに調べている。


324名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:55:44.96ID:/KEp/Kha0>>351

昭和大医学部2年、四十宮直樹容疑者(20)=千葉県船橋市前貝塚町
実家暮らし
台東区根岸1丁目のホテルの5階から飛び降りる


4名無しさん@1周年2019/02/09(土) 12:59:42.38ID:6miWGteM0

あれ?これ鶯谷の事ではなく?


240名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:39:26.55ID:0hU42LP00
>>4
鶯谷駅のすぐそば
鶯谷という地名はない
周辺は根岸


83名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:14:02.72ID:qi3BsLi80

根岸一丁目は鴬谷のラブホ街やね

505名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:18:34.06ID:dH/8qGLD0

私立医大は卒業までに1億は掛かる。
実家は金持ちなんだろう。
あーあ人生最悪だね


237名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:38:42.89ID:FjAwhhxb0>>255

昭和大医学部か 私立だから6年で1億以上かかるぞ
親御さんの総資産は10億円はくだらないのは確実
ちっちゃな棒だけの方が安くついたのにな

432名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:10:00.26ID:e7OX3+gR0>>458>>515

偏差値35でもインター経由で海外留学
昭和医学部
その時あーこういうルートが
開業医の馬鹿娘息子に作られているのを知った


458名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:12:18.95ID:hNUSz7aS0
>>432
海外留学からの入学はあるね
笑うわ


287名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:48:34.22ID:o0Y7tq6J0>

勤務医を雇うより息子を私立医に行かせる方が安くつくのよ
開業医なら跡継ぎいないと大変

俺も聖マリとか行って、若葉マークでポルシェ乗り回して、頭の悪そうな金髪に染めた陰毛真っ黒のお姉ちゃんに高速でカプリコンしてもらえるような馬鹿息子に生まれたかったわ


101名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:17:22.90ID:ETzHPYxW0
>>1
>昭和大医学部2年、四十宮(よそみや)直樹容疑者(20)=千葉県船橋市前貝塚町=を殺人容疑で逮捕

また昭和大学の医学部か。
OBの有名な先生が「勝手口入学」を告白されていましたから、そういう医学部なんでしょうね。

それにしても、千葉県民は、凶悪犯や、変な奴が多いな。

271名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:45:08.43ID:sREUBMsK0

また千葉の医大生かよ。


516名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:20:02.29ID:YKebPalzO

森田健作知事の千葉 年明けから飛ばしてるな〜 一月は落武者が女子大生殺し、二月は医大生がタイ人風俗嬢殺害か


147名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:23:20.25ID:xki3W51k0

千葉、茨城は頭おかしい奴多いからな


153名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:24:20.65ID:dFmYShBK0

千葉の犯罪多すぎ

229名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:37:06.11ID:BDxFjxC50

またまた千葉ww
修羅千葉ww


310名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:52:23.64ID:dFmYShBK0>>318

千葉キチガイだらけ
オレも県民だが近所でマトモなのおらん、自分ふくめ


319名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:54:33.69ID:WHmo6mDO0>>340

感覚的に千葉県民と千葉大生の凶悪犯罪関与数がやばい気がする

340名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:57:52.22ID:b+1E2DXd0
>>319
千葉って
あ…あの事件も

431名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:09:59.43ID:ZvuKjF520

千葉なら普通のこと

923名無しさん@1周年2019/02/09(土) 15:31:23.51ID:VUMN3UZ20

然し千葉県民っておかしい人多いの?
千葉県民の事件多過ぎ

934名無しさん@1周年2019/02/09(土) 15:32:36.55ID:MI6e7GSV0

千葉県、地味に悪目立ちしすぎ 巨大地震の前触れ?


968名無しさん@1周年2019/02/09(土) 15:39:35.83ID:rZJpqUhe0

また千葉か


230名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:37:07.38ID:6/BBsoS40

SMプレイ中の事故か


370名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:02:24.25ID:cHmFx6CR0

過激なSMプレイの果てに殺めてしまったのか


546名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:23:25.78ID:teMNo6lR0

SMプレイ中のよくあるやつですね。オモチャは大切に扱いましょう


876名無しさん@1周年2019/02/09(土) 15:20:42.85ID:KZHpIg3K0

SM系のイベント行くけど
普通に血だらけだよ
だいたい過激なプレイを求めるのはMの男だけど

393名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:05:51.36ID:rsUqKxFR0

なんだ。浣腸プレイで我慢させすぎてショック死とかじゃないのか。


412名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:08:06.66ID:jnvzYnKT0

実家が金持ちで大金払ってある程度無茶なプレイをOKしてもらってたけど
それがある日やり過ぎて死亡みたいな


541名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:22:57.61ID:6iyKYnAp0

いままでも、何をやっても許されてきたから、これからもって思ったんだろうな
医大だったら、金さえ積めばテストをしなくても入学できるからね


956名無しさん@1周年2019/02/09(土) 15:38:05.62ID:dXcJhwhI0

何度もやっててこれくらいなら大丈夫って思ってたなら怖いな


345名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:58:47.26ID:ZiHRnHgj0

デリでハードSMまでやるのか


278名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:47:23.35ID:X8TYlKGa0

S趣向があったにしても「ムチ」使うよね、普通。
なぜそんな武器でやったんだろ。

こんな人が医者になったら
好みの患者に「治療」と称して痛いことしそうで怖い。


149名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:23:31.24ID:hyVtQ2E60

SMっていちおうSM専用の道具があって熱くないろうそくとかなんですけどー

なんで市販のトルクレンチ?を買うかな


292名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:49:33.19ID:MTwTIjCa0

トルクレンチを使うプレイってどんなんよw


299名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:50:51.19ID:t+jWmZUw0
>>292
規定トルクで締めるんだろう
カチは一回な


215名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:34:03.78ID:LnfmSdNV0>>238

トルクレンチを買ったという事は女性にネジがついていたのだろうか?


87名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:14:17.60ID:I+rSvu5s0

何Nで乳首を回すと痛い→ちぎれるの実験かな?
熱心な医学部生だな


354名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:59:45.97ID:YUWAQdGH0

犯人「お前の乳首をこのトルクレンチで20Nmで締め付けてやるぞ!」


96名無しさん@1周年2019/02/09(土) 13:16:14.11ID:+Uen8X6F0

オマンコの締め付けが不十分だったのかな


364名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:01:34.57ID:bZZeD9b10

身体の皮を針でさして引っ張り毟ったり
棍棒でアザだらけにする人もいるらしいよ


383名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:04:22.75ID:Vvf7rckK0

釘うったり乳首切り落としたりもあるからなあ

554名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:24:28.38ID:QvVCdz+B0

僕らの知らない生活をする人たちスレでS医者に麻酔無し開腹させたM嬢居たが
S役が暴走しないよう店のスタッフ複数人が見張る中で行ったとか書いてたなあ…
金積んだらそういう趣味をある程度満たせる店見つかったと思う

437名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:10:10.60ID:C0+SF1eb0

棒って何かSMプレイみたいなのをしたのかと思ったら
トルクレンチって暴行目的じゃないか
これをプレイには使わないだろう


496名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:17:35.05ID:sb5nxE4s0
>>437
ソッケトの部分が出っ歯てるので
マジでメイスです

401名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:06:29.67ID:YUWAQdGH0>>411>>436>>440

トルクレンチをバイブみたいに嬢に突っ込もうとして、キレられたから頭殴ったんだろ。

440名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:10:11.63ID:YKebPalzO
>>401
それしか考えられん 騒がれたと思うよ、咄嗟に殺意 逃げるように窓開けたら5階だったと


881ネトサポハンター2019/02/09(土) 15:21:36.25ID:pDK0l4JY0

トルクレンチじゃ、「ああん♥」とはどうやってもならねえじゃん
「うげえ!」とか「ぎゃあっ!」しか反応しようがない


942名無しさん@1周年2019/02/09(土) 15:34:53.40ID:eMXwqYM+0
>>881
途中まではソフトSMレベルで軽く突っついたり、ぺしってくらいだったのが、変態の性癖に火がついて、被害者が拒み始めて逆上とかでは?


399名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:06:20.36ID:324sd1LA0

こういう記事読むと同棲してから結婚しないと
怖いなと思う
こんな性癖はただのお付き合いじゃ分からんわ


528名無しさん@1周年2019/02/09(土) 14:21:31.84ID:ewqiMteY0
>>399
結婚相手にはそういう性癖はひた隠すから大丈夫
風俗嬢にしかキツいプレイはしないよ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1549684675/
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c231

[お知らせ・管理21] 2019年02月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
20. 中川隆[-12303] koaQ7Jey 2019年2月09日 17:41:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

ここでも中国の工作員が必死で中国に都合が悪いコメントを排除させようとしているね

それより赤かぶの投稿を1日3つに制限した方が阿修羅は良くなる
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/546.html#c20

[お知らせ・管理20] 世間の噂 _ 阿修羅はCIAに乗っ取られた? 中川隆
31. 中川隆[-12302] koaQ7Jey 2019年2月09日 20:40:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

赤かぶはCIA工作員ではなく中国の工作員グループだと判明

そもそも 日本で活動している 電通工作員や自民党ネットサポートは極少数
日本で活動している 中国のネット工作員は 4万人
人数のオーダーが全然違うのです

ただ、CIA は中国と関係が深く、工作する方向が同じなので区別が難しいのです

南京大虐殺や慰安婦強制連行で騒いでいるのも CIA の指示で中国がやらされている事

護憲や反原発や反安倍も アメリカと中国の国益が一致しているのです:

1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。

米中密約の内容

1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない

この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976


中国は何時から日本でマスコミ工作・ネット工作をしているのか?


阿修羅掲示板で毎日毎日嘘八百のデマを垂れ流している自称赤かぶ氏は明らかに中国の工作員グループですね。


赤かぶ=中国の工作員グループ

は真実を隠蔽し埋没させる為に毎日毎日必死の工作活動をしているのです

僕が最近 阿修羅掲示板で中国関連スレにすべてウイグルでの民族浄化の話をコメントしていたら、中国関連のスレが殆ど投稿されなくなりました。
つまり、阿修羅で中国関連のスレを投稿していたのは殆どが中国の工作員だった訳です。

阿修羅の全投稿の9割以上を投稿している自称赤かぶ氏も中国の工作員グループでしょう。

阿修羅で反安倍とか護憲とか反原発の投稿をしているのも殆どが中国の工作員ですね。

だから、阿修羅では僕みたいな反中の人間が嫌われて投稿妨害されるのです。

IQ が低いアホは 平和、友愛、多民族共生とかいう言葉に弱いから、すぐに中国の工作員に騙されて洗脳されてしまいます。

▲△▽▼


馬渕睦夫 日本では5万人の中国人が工作活動に従事している:

河添恵子#8-1 ゲスト:馬渕睦夫★リアルに存在するスパイ&工作員の実態 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ukhGim45GB0


河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Pxqk80onq6I

収録日:2018年9月11日

今回のテーマは「スパイ(工作員)」映画やドラマの中だけじゃない、リアルスパイのお話をお送りします。

 

・スパイ(工作員)の存在

・トランプ大統領の21世紀の赤狩り

・馬渕大使のスパイ体験談

・スパイ3要素:1.接触 2.取込 3.操作

・海外駐在のあるある→有能な秘書は当局と通じている

・ソ連時代のモスクワ、ウズベキスタン、トルクメニスタンでのエピソード

・<中国・統一戦線工作部の幹部養成用教材について>
教材にはその手口について「団結できそうな勢力を欠かさず取り入る」「相手に友好、寛容の態度で接する」。
一方「海外の敵対勢力に対しては冷血無情に完全孤立させる」と明記されている
英フィナンシャルタイムズ紙 2017年12月20日より

・日本には中国のスパイ(工作員)が5万人

・あなたの隣にいるスパイ

・一皮剥いた世界の現実に対応する力

・『Silent Invasion: China's Influence in Australia』
(静かなる侵略:オーストラリアへの中国の影響)
著:クライブ・ハミルトン(チャールズ・スタート大学教授)

・中国は 民主主義を利用して 民主主義を破壊する 

・中国の民主主義的破壊活動

・日本人は「金・名誉・異性」に対する免疫力を持て

・国民一人一人の免疫力が重要

・民主主義を利用して民主主義を潰す、それが共産主義のやり方

・日本の左翼も同じ方法論を採用している(知ってやってる人と知らずにやっている人がいる)

・共産主義国家の作り方・・・平和(自由・平等)を唱える→内戦・革命にもっていく→共産党政権を作る

・それは中国だけではなく、世界各地、そしてアメリカ内でも起こっていること

・ディープ・ステート(Deep State)
米国内の影の政府、背後にいる権力者のこと トランプ氏はそれらと
戦っている人物であると右派評論家等が定着させた言葉
同タイトルで英FOX製作MI6・CIA関連のドラマも人気

・ディープ・ステートが操るアメリカ
 大統領任命、議会、司法省、FBI、メディア、全てがディープ・ステートの手足になっている

・トランプ批判記事の狙い
・トランプ VSディープ・ステートの戦い真っ最中
・ロシア革命以降、百年の歴史を改める
・「ユダヤ系の大資本家が左翼のバックにいる」ことを自覚しましょう

Q. スパイ(工作員)の見分け方

▲△▽▼


【馬渕睦夫 河添恵子】「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露! NHK内部にまで浸透済みだ! 2018年12月17日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=SGKFLrySAHs

2018/12/16 に公開
馬渕睦夫 河添恵子氏の解説から

「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露!
NHK内部にまで浸透済みだ!
朝日、毎日をはじめとする新聞、NHK、TBSといった地上波テレビなど、既存メディアは、真実を見せなくなっているのではないでしょうか?
___

馬渕睦夫★日本のテレビから外国人スパイを淘汰しろ!
なぜ天皇陛下が農業するのか?その意味と譲位日程の秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DPaPO66OWBk&app=desktop

2017/12/07 に公開

▲△▽▼

中国というディストピア。日本のすぐ隣で生まれ育っている超監視社会 2018.12.24
https://blackasia.net/?p=10665

中国は世界中から国家主導でハイテクの知的財産権を窃盗して自国のハイテク産業を成長させている国だ。政府主導で「知財窃盗・技術移転・ハイテク強国」の流れを生み出している。

中国共産党は一党独裁であり、中央集権的であり、なおかつ超権威主義国家である。そのため、盗んだハイテク技術は中国共産党に都合の良い使われ方もする。たとえば、「市民監視」がそれに当たる。

中国は徹底した「市民監視国家」になっている。それを代表するのが「監視カメラ」の存在と「個人信用スコア」制度である。

監視カメラは街のいたるところに設置されており、国家が24時間365日に渡って監視の目を光らせている。交通ルールを守らせるとか、交通事故を検証するとか、犯罪の記録というような目的もあるのだが、別の目的もある。

それは、中国共産党に都合の悪い抗議デモや反政府運動が起きそうになっているのを早い段階で見つけて潰すとか、反政府運動をしている人間や、中国にとって危険な少数民族を監視する目的がある。

監視カメラでの「市民監視」は、中国共産党に楯突かないようにさせるための道具なのである。ウイグルでも街中に監視カメラが張り巡らされてウイグル人を監視し続けている。(鈴木傾城)


政府による「不良市民摘発システム」

「個人信用スコア」制度とは何か。これは建前上では市民の遵法精神を培うためのものであると言われているのだが、実際のところは政府による「不良市民摘発システム」である。

交通ルールなどで市民が取った行動を逐一監視し、それを数値化して評価できる形にし、社会の規則に従順であればあるほど高い行政サービスが受けられるようにするシステムである。

間違えてブラックリストに乗るとどうなるのか。その人間は「素行不良の人間である」と告知される。

そのため、移動や起業や就職で「この人は個人信用スコアが低い危険人物である」として排除され、乗り物にも乗れなくなれば、銀行から金を借りることもできなくなれば、就職することすらもできなくなる。

「素行不良な人間が排除されるのだから自業自得ではないか」「政府が不良な人間を最初から教えてくれるのだから便利ではないか」という声もある。しかし、そう単純な話ではないのが中国である。

どういうことか。

この「個人信用スコア」は、たとえばインターネットで中国共産党を批判したり、都合の悪いことを書き込んだりしても、「デマ扱い」されて、ブラックリストに載ってしまう危険性があるのだ。

「習近平政治を許さない」とか「チベットやウイグルを解放しろ」というようなことを書くと、たちまちにしてブラックリスト入りだ。

あからさまな詐欺や犯罪も政府監視で捕捉できるのかもしれないが、そうではなくて政府に反抗的な人間もまた捕捉されてブラックリスト入りになる。

つまり、政府は「市民に法を守らせる」という建前で、政府に反抗的な市民を摘発しようとしている。それが「個人信用スコア」制度の正体なのである。


中国共産党の都合の良いように発展している

中国は「ハイテク産業が異様なまでに成長している」と言われるようになっているのだが、それは中国共産党が国を挙げてそれを推し進めているからである。

ただし、その動機になっているのは、「中国人民をハイテクで豊かな生活ができるようになって欲しい」というものではない。「中国人民をハイテクによって監視できるようにしたい」というものである。

だから「中国はハイテクが進んですごい」と驚嘆する無邪気な外国人を見て、中国の人権派は「そうではない」と訴えている。


「ハイテク産業が進んでいるのは、監視するためなのだ。ハイテクが進めば進むほど市民監視は強固なものになる」

中国では今や現金を使っている人は少数派になってしまった。すべてはスマートフォンで決済を行っている。どこの国よりも早く、凄まじいまでのスピードでキャッシュレスが突き進んだ。(マネーボイス:中国政府に見られてるぞ。日本人が知らない「QRコード決済」の闇=鈴木傾城 )

このキャッシュレスもまた市民監視に都合が良いから中国共産党政府が積極的に推し進めたものでもある。キャッシュレスはスマートフォンのQRコードによって成し遂げられる。

この部分を押さえているのがアリババやテンセントである。この2つはすでに中国共産党が党員を潜り込ませており、サーバーに蓄積されるデータは中国共産党政府がいつでものぞけるようになっている。

つまり、政府は自分たちの政権に楯突く人間が見つかったら、このサーバーに蓄積された決済情報をのぞくことによって、その人間の居場所や消費活動や経済動向を立ちどころにつかむことができるようになる。

いつ、どこで金を使い、誰と会い、何をしたのかが金の流れで読める。そして、いつでも決済ができないようにすることもできるし、弱みを握ることもできる。中国のハイテクはそうやって政府の都合の良いように発展している。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

狂気のような「ディストピア」が生まれ育つ

凄まじいビッグデータがサーバーに流れ込み、それをAI(人工知能)が解析し、政府に都合の悪い人間を瞬時に発見し、ブラックリストに載せて通常の市民生活ができないようにする。

そうしたハイテクによる超絶的な市民監視が中国では刻々と進んでいる。このハイテク重視はさらに進んでいくので、市民監視の網はより細かく徹底的になっていくのは確実だ。

個人のプライバシーは政府に徹底的に押さえられて、もはや政府に反旗を翻すことは不可能になる。それが「中国」で起こっていることだ。

この監視社会はまさに「ディストピア」である。ディストピアとは理想郷(ユートピア)の反対にある世界のことであり、悪夢の世界を指す。反ユートピア=ディストピア。絶対的な存在が個人を徹底的に監視し、支配する世界。

今まで「ディストピア」はSFの世界だけの話なのかと人々は考えていた。しかし、そうではなかった。現実の世界だった。それが中国だったのである。

独裁政権が自分たちの政権を維持し、統治するためにハイテクを使うようになると、それは常に市民監視の部分が異様に発展していくことになる。

監視があまりにも効率的になると、人々はもはや逆らうことができないと絶望して、まるで羊のように巨大権力者に従うことになる。

作家ジョージ・オーウェルは小説『1984年』でその巨大権力者のことを「ビッグブラザー」と呼んだ。

ビッグブラザーの監視があまりにも強大になってしまうと、人々はやがて考える自由さえも奪われて、ビッグブラザーの言いなりになっていく。ビッグブラザーが黒いものが赤いと言えば、それは赤だと市民は信じ切る。

そんな狂気のような「ディストピア」が日本のすぐ隣で生まれ育っていることに、日本人はもっと危機意識を持つべきだと思わないだろうか。私は何があっても中国共産党が支配する「ディストピア」には足を踏み入れたくない。(written by 鈴木傾城)


監視があまりにも効率的になると、人々はもはや逆らうことができないと絶望して、まるで羊のように巨大権力者に従うことになる。そんな狂気のような「ディストピア」が日本のすぐ隣で生まれ育っていることに、日本人はもっと危機意識を持つべきだと思わないだろうか。
https://blackasia.net/?p=10665

▲△▽▼

日本がファーウェイを締め出す本当の理由 家計にやさしい格安スマホのリスク
2018.12.27  サイバーディフェンス研究所・分析官 遠藤 淳人 PRESIDENT 2019年1月14日号

世界シェア2位の何が危ないのか

米国政府の大号令の下、同盟各国は中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)の締め出しにかかっている。


米国の要請でカナダ当局に逮捕され、その後保釈された、ファーウェイの孟晩舟副会長。各国は同社の締め出しを本格化している。(時事通信フォト=写真)

日本政府は情報漏えいや機能停止の懸念がある情報通信機器を調達しないよう、重要インフラを担う民間企業・団体に要請。電力、金融、情報通信など14分野が対象で、一部報道では、政府はファーウェイとZTEの製品を事実上排除する方針だと報じている。

NTTドコモ、KDDI(au)、ソフトバンクの大手キャリア3社も、次世代通信「5G」の基地局などに中国製品を使わない方向で調整しているという。オーストラリアやニュージーランドでも日本と同様の対応を取ることが発表されている。

特に、締め出しをくらっている会社の1つ、ファーウェイは、売上高925億ドル(約10兆4000億円)を誇る超巨大企業だ。同社が手掛けるスマホ端末は現在、世界シェアでは韓国のサムスンに次ぐ2位。日本でも2018年にシェアが2位になり、かなり消費者に浸透してきている。米・アップルのiPhoneなどに比べて低価格なスマホを販売しており「端末代を抑えたい」ユーザーから支持されてきた。

ファーウェイやZTEの通信機器はどう危ないのだろうか。両社の格安スマホ端末を持っていても問題はないのだろうか。航空自衛隊出身で、現在はサイバーディフェンス研究所(東京)で分析官を務めている遠藤淳人氏に詳しく話を聞いた。

グーグルも情報を集めている

まず、日本政府がファーウェイやZTEの製品を締め出しにかかっているという報道についてですが、これは同盟国である米国や、安保協力が進む英国、オーストラリアなどと足並みをそろえる必要があるため、このような行動を取っていると見られます。

米国では以前から、中国は米国の機密情報を入手している、と指摘していました。

たとえば18年6月、中国が米海軍の下請け業者から、新たな潜水艦発射型の対艦ミサイル開発の秘密計画を含む、大量の機密データを盗んだと米紙・ワシントンポストなどが報じました。これまで米国が“軍事技術を新たな用途に適応させる”としか発表せず、詳しい内容がわかっていなかった「シー・ドラゴン計画」に関連する情報も含まれていたといいます。

オーストラリアの末端の防衛産業でも、中国と見られる攻撃者によりシステムに侵入され、米国の最新戦闘機「F−35」の情報が盗まれたこともありました。同様の事例が多発しています。

これだけではファーウェイやZTEが漏えいに関わっているとまでは断定できないようにも見えますが、米国は「ファーウェイやZTEは中国政府や軍と密接につながっている」とのレポートを出しています。同盟国であり、米国と機密情報を共有する立場である以上、日本も他国と同様に両社の商品を排除するしかないのが現状です。


今回の締め出しは、「機密情報が中国などに漏れるよりは同盟国に集まったほうがベターという苦渋の判断」。(時事通信フォト=写真)

というのも、日本はかつて、イージス艦に関する機密情報を自衛官が持ち出し、中国側に漏えいしたと疑われました。こういったことから、米国は「日本は情報セキュリティーが甘い国」と認識しました。そんな事情などから、日本はステルス戦闘機「F−22」を米国から輸入できなかったのです。

各キャリアが、5Gに関連する通信機器で中国勢の製品を使わないことを決めたのも、米国側の要請によるものです。5GはIoTなどにも広く活用される予定で、現在主にスマホが使用している4Gよりも重要かつ膨大な情報が扱われることになるからです。

それでは、アップルやサムスンの通信機器を使っていれば情報を収集されないのかというと、そういうわけでもありません。

米・グーグルはかつて、提供している無料サービス「Gmail」でユーザーのメールの内容を読み取り、広告営業などに生かしていました。

米国では犯罪行為やテロを防ぐ手段として合法的に情報を傍受しています。ただ、この合法的傍受も定義や範囲が曖昧です。

07年のIWC・国際捕鯨委員会の総会について、日本での水面下でのロビー活動は、電話やネットの傍受によって、反捕鯨国側に筒抜けになっていたと、米・中央情報局(CIA)元職員、エドワード・スノーデン氏の極秘ファイルを入手したNHKが報じました。

日本政府がファーウェイ、ZTEを排除しようとしている理由は、単に両社が情報を不正に傍受しているからではなく、繰り返しとなりますが、安全保障上の理由がとても大きいのです。

本当は国産の技術を基盤にするべきなのですが、残念ながら今の日本にはその能力がありません。そうすると、せめて同盟国に情報が集まるほうがベターです。当然米国に収集された情報は日本との外交取引に利用されてしまう可能性もあるので、ベストではないのですが、中国などに漏れるよりはいいだろう、という苦渋の判断なのです。

格安スマホを持つといたずらの危険高まる

次に、一般に出回っているファーウェイやZTEのスマホについてです。

まずこれは、今回の政府やキャリアによるファーウェイ・ZTE排除とは全く別問題です。政府の要人などでない限り、中国政府が一般人のスマホから情報を入手して、その持ち主を攻撃する、とは考えにくいためです。

しかし、たしかにファーウェイなどが取り扱う格安スマホ端末は、情報漏えいのリスクが高額なスマホより格段に高いとはいえるでしょう。これはファーウェイというよりは格安スマホ端末全般にいえる話です。が、結局、市場に出回っている格安スマホ端末は中国メーカーの商品が多いのです。


写真=iStock.com/WoodyAlec

格安スマホ端末はその低価格を実現するためにセキュリティーが脆弱な部品を使っている可能性が高いとされています。ある米国の研究では、末端価格が約3万円以下のスマホはバグなどが多く、情報漏えいのリスクが高いと報告されています。また、スマホから不正に収集したデータを販売して、低価格販売による収益の減少分を補っている、という見方もあります。

それでは、政府ではなく、個人レベルでセキュリティーが脆弱なスマホを使うとどんな危険性があるのか。簡単にいえば、ハッカーの“いたずら”対象になりやすくなってしまいます。

セキュリティーの穴が見つかってしまえば、そこから、メッセージアプリの会話履歴、他人に見られたくない写真、GPSの位置情報などを、第三者に見られてしまうかもしれません。

格安スマホ端末は、高額なスマホに比べて、処理速度など性能は劣るものの、ラインや通話など最低限の利用しかしないユーザーにとっては、たしかにコストパフォーマンスはいいのでしょう。ただ、常にこういったリスクがある、ということを認識したうえで使用するべきと、私は考えます。

逆にハッキングが身近に起きていることを知らずに、安いという理由だけで格安スマホ端末を使うのはやめたほうがいいでしょう。

先日、日本経済団体連合会(経団連)の中西宏明会長が、歴代会長として初めて執務室にパソコンを導入したことが報じられ、これまでの会長がパソコンを使っていなかったことが大きな話題となりました。

しかし、セキュリティーの観点から見れば、これまでパソコンを使ってこなかったことで免れた危機もあったかもしれません。「財界総理」とも呼ばれる経団連会長は、悪意あるハッカーの攻撃対象になりうるからです。組織のトップもサイバー攻撃の動向を把握しておくべきです。

さて、最近は働き方改革が叫ばれるようになり、私用のスマホや情報端末を使い、自宅など会社外で仕事ができるよう取り組む企業が増えてきています。ただし、私用の端末でも業務で使う以上、セキュリティー処置やアクセス権の制御などを行うのは企業として当然の業務です。

格安スマホ端末を巡るセキュリティーの問題は、何年も前から指摘されてきたことですが、日本ではあまり知られていません。しかし、仮に格安スマホ端末を使っていたがために情報漏えいしてしまったら、場合によっては個人や企業では責任を取りきれない深刻な損害になるでしょう。格安スマホ端末は、本当にその値段に見合っているものなのか、リスクを考慮して使用することをおすすめします。
https://president.jp/articles/-/27107


阿修羅掲示板等で危険人物を探してブラックリストに載せ、スマホで24時間監視するという手口でしょうね。

▲△▽▼


馬渕睦夫 日本では5万人の中国人が工作活動に従事している:

米国、「共産主義宣伝」有名大学は相次ぎ孔子学院閉鎖「スパイ防止」2018年12月13日


中国と謀略戦術は切っても切れない関係にある。世界に共産主義を広めるためには、スパイ活動が不可欠と信じ込んでいるようだ。孔子学院が、その恰好な手段になっている。米国では、その手口に警戒感が強まっている。

『大紀元』(12月12日付)は、「米ミシガン大学、孔子学院の閉鎖を決定」と題する記事を掲載した。

(1)「米ミシガン大学は10日、中国共産党のプロパガンダ機関とも言われている孔子学院の来年度閉鎖を発表した。さらに、学内すべての中国文化プロジェクトを再編するという。これまで9つの大学が孔子学院の閉鎖を決定した。ミシガン大学は2009年に孔子学院を設置した。孔子学院は表向きでは中国教育部の資金提供を受けて中国語及び文化を波及させる教育機関だが、中国共産党の掲げる社会主義を浸透させる道具となっていると専門家に非難されてきた。米国議会の中国委員会や超党派議員はこれまで、全米の孔子学院を閉鎖するよう求めている」

共産主義の宣伝をしなければならない。放っておけば、共産主義が消えてしまう、という危機感からだろう。共産主義で利益を得るのは幹部だけ。民衆収奪の暴力的な機関である。反論があれば、中国で選挙制度を導入すればよい。その自信がなければ、宣伝しないことだ。

(2)「ノースフロリダ大学も今年8月、2019年に満期を迎える孔子学院との契約を延長しないことを決定した。『過去4年間の教室活動と資金援助活動を審査したところ、学校の目標や使命と矛盾していることが分かった』と大学は当時、コメントを発表した。これまでに米国ではシカゴ大学、ペンシルベニア大学、ウエストフロリダ大学、ノースカロライナ州立大学、アイオワ大学など9つの大学が孔子学院の閉鎖を発表した」

かつて、シカゴ大学が孔子学院閉鎖の弁が出色であった。自由主義の殿堂とも言えるシカゴ大学に、その対極にある共産主義宣伝機関を置くことは学問への冒涜である、と。この主旨から言えば、全米の大学から一掃すべき存在だろう。

(3)「2017年に孔子学院について調査報告を発表した全米学識者協会ディレクターのレイチェル・ピーターソン氏によると、孔子学院の教材には、中国共産党が敏感話題と位置付ける事件や事案について取り上げていない。1989年の学生運動弾圧・六四天安門事件や、迫害されている法輪功、地下教会、ほかチベット、新疆ウイグル自治区の人権侵害問題に触れていない。また、台湾や香港の両岸関係にも言及はなく、共産党政権の政策を全面的に正当化する内容だという」

中国の宣伝機関である以上、中国の欠陥を隠すのは当然。そういう、学問の府にふさわしくない機関は学内に置くべきでない。

(4)「調査によると、孔子学院の契約にあたり、中国側は大学事務局長や著名な教授を中国に招き接待して、米国大学の会計にプラスとなる中国人留学生の募集を手伝ったりする。その後も、米国大学の研究所と共同研究や協定を結び、関係を深め、米国の技術力や知識を吸収する。全米学識者協会は米大学に対して、設置する孔子学院の資金提供源や財務状況の透明性を高めるよう要求している。また、同学院を外国代理人に登録することで、国家の安全保障を守ることにつながるとしている」

このパラグラフに、孔子学院設置の目的が現れている。中国側は大学事務局長や著名な教授を中国に招き接待して、米国大学の会計にプラスとなる中国人留学生の募集を手伝ったりする。こうやって、コネをつくり大学へ潜り込む。スパイ活動を始めるのだ。大学の教員は、「人を疑わない」天性の善人が多い。それだけに、百戦錬磨の孔子学院担当者には、狙いやすい「スポット」であろう。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.com/archives/14265854.html

▲△▽▼


中国、「共産党宣伝工作」米大学教授へ美人にカネを持たせて「協力要請」2018年12月13日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.com/archives/14279785.html

中国は、世界中で共産党宣伝工作への協力者を求めている。大学教授と言えば、知識人の代表のように見られている。それを利用して、中国共産党を褒めた記事を執筆したり、TVで発言してくれれば、金銭を払うという申入れをしている実例が分った。日本でも、この種の例に出会う。歯の浮いたような「中国賛美論」の裏には、金銭授受か中国人女性を絡めさせている。注意が必要だ。

『大紀元』(12月13日付)は、「カネと名声、美女で誘惑、中国共産党のプロパガンダ工作、米教授が実体験明かす」と題する記事を掲載した。

米フルブライト大学教授でブルームバーグ評論員のナイブ・バルディング氏は12月12日、自身のSNSアカウントで、中国滞在中に持ち掛けられた当局側のプロパガンダ協力要請や、美女の接近など、海外の専門家を取り込む手法を暴露した。

(1)「中国政府の対外プロパガンダ工作について、バルディング氏はこの度、自身の体験を明かした。中国滞在中、同氏は何度も中国当局者から収賄を持ち掛けられたという。「中国について声高に積極的に良い話を広げれば広げるほどお金が入る、名声も得られる」と聞かされていた。バルディング氏は、共産党党紀や習近平主席を礼賛するようにとの要請を拒否したという」

カネを払って言論を買う。中国共産党は実態悪をカネで隠す。落ちぶれたものだ。

(2)「中国側は、同氏の米大学教授という西側の知識層という点を強調して工作に協力するよう誘われていた。『国営メディアに出ることで、米国ワシントンから来た専門家が党を称える言論を広げれば、あなたは共産党や宣伝部から信を得るだろう』。『私は、シンクタンクや名門大学の博士たちが、中国官製メディアに出演したり執筆活動に忙しくしている背景に、何が起こっているのか知っている』バルディング氏は書いている。また、中国当局は言論操作のために、『頻繁に不透明な形で』多くの資金をふるまっている」

日本では、8割が中国に「良い感情」を持ってない。これは、中国の実態を熟知しているからだ。私の古い知り合いが、「中国絶賛論」をやっている。彼も相当の金品を貰っているのだろうか。昔は、誠実な人間だったが、どこで狂ってしまったのか。残念である。

(3)「バルディング氏は一度、政府系の会議に参加したことで謝礼金を受け取ることになった。同氏は電子送金を想定していた。しかし、思わぬ送金手段に唖然としたという。『美女が現金の入った封筒を持ってホテルの私の部屋を訪れて、必要なものがあれば言ってほしい、と申し出た』。接待の誘惑を察したバルディング氏は『事態を把握して、彼女に礼を言って扉を閉めた』。さらに、バルディング氏が中国から離れるための飛行機に搭乗する直前まで、何らかの形で数人の美女が同氏に接近した。同様に外国から中国で仕事をする関係者の噂では、より高待遇を受けた例を聞いたという」

女性を絡ませるスパイ行為は、中国の十八番である。ハニートラップだ。こういうことに加担する女性は、よほどカネに窮した家庭の生まれか、共産主義を広める信念か。

(4)「中国共産党政府は、世界中の新聞社に多額な資金支援を通じて『中国について良い話を伝える』メディア工作を行っている。英ガーディアンが12月、調査報道で明かした。同報道によると、共産党は当初、中国国内のみ厳格な言論統制を行っていた。世界的に中国の影響力を拡大させるために、海外メディアが中国共産党の政策や非人道犯罪を追及するのを封じ込める必要性が高まった。このため、高額を支払い広告記事を海外新聞社に掲載し、間接的に言論を封鎖し『中国について良い話を伝える』プロパガンダ工作を講じている。同記事によれば、日本では毎日新聞が中国共産党のプロパガンダ紙660万部を受け入れている」

中国共産党は、マスメディアにも的を絞っている。多額の広告料を払って「買収」するのだ。日本でもそれに該当する新聞社があるという。信じがたい話である。8割の読者は、中国へ良い感情を持っていない日本で無駄金になる。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.com/archives/14279785.html

▲△▽▼


中国、「対米世論操作」中間選挙狙い前例ない大規模「米当局証言」2018年10月11日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12779086.html


ニールセン米国土安全保障長官とレイ米連邦捜査局(FBI)長官は10日、上院国土安全保障委員会で証言した。中国は11月の米中間選挙を前に全米世論の操作を画策し、前例のない活動を展開しているほか、米国は諜報防止において最大の脅威に直面しているとの認識を示した。ロイターが10日伝えた。

中国は、米国への「内政干渉」を一切していないと否定している。米国当局者の議会証言であるから、虚偽とは思えない。平然と技術窃取をしている中国のことだから、「火のない所に煙は立たない」の喩え通り、何か仕掛けているのだろう。事実とすれば、「断交」ものであろうが、米国はどのように対応するつもりか。

『ロイター』(10月10日付)で、「中国、米世論操作狙い前例ない活動米当局者ら最大の脅威と証言」と題する記事を掲載した。

(1)「ニールセン米国土安全保障長官とレイ米連邦捜査局(FBI)長官は10日、上院国土安全保障委員会で証言した。中国は11月の米中間選挙を前に全米世論の操作を画策し、前例のない活動を展開しているほか、米国は諜報防止において最大の脅威に直面しているとの認識を示した」

(2)「ニールセン長官は中間選挙に向け、1)世論操作、2)投票者登録リストや投票機器など選挙インフラの障害や不正侵入──といった脅威が存在するとした上で、『中国が全米世論の操作に向け前例のない取り組みを行使していることは間違いない』と断言。『中国による選挙インフラへの不正侵入を狙った行為はこれまでのところ確認されていない』とも述べた。 レイ長官は、『中国に関し、米国は多くの点で最も広範かつ複雑で、長期的な諜報防止の脅威に直面している』とさらに踏み込んだ発言を行った。この問題を巡っては、トランプ大統領も9月下旬、『中国は私や共和党に勝利してほしくない』と述べ、同国が中間選挙への介入を画策していると非難していた」

事の真偽について書く資格はないが、次のような記事が報じられている。

『ブルームバーグ』(10月10日付)は、「中国ハッキング用チップで新たな証拠、米通信大手のネットワークでも」と題する記事を掲載した。

この記事では、米大手通信会社のネットワークで、スーパーマイクロ・コンピューターが供給したハードウエアの中にハッキングを可能にするチップが見つかったというもの。発見者が写真入りで名乗り出ている。ハッキング用チップであれば、通信過程でいかようにも情報が操作されるわけで、米当局の議会証言は、このハッキング用チップと関係があるのだろうか。

しかも、この種の「工作」は中国の下請け業者が行えるということだから、現場の特定は困難という。こうなると、一切、中国へ仕事を出さないことが最善の防御策となる。トランプ大統領が、米国の安全保障は中国と疎遠になることだと発言しているが、不幸な事態が起こったものだ。

(3)「米大手通信会社のネットワークで、スーパーマイクロ・コンピューターが供給したハードウエアの中にハッキングを可能にするチップが見つかり、8月に除去されたと、この通信会社から委託を受けたセキュリティー専門家が明らかにした。米国向けに生産されたテクノロジー部品が中国で不正に手を加えられたことを示す新たな証拠となる」

(4)「ブルームバーグ・ビジネスウィークは今月、スーパーマイクロの中国下請け業者が2015年までの2年間、中国情報当局の指示により、サーバー向けマザーボードに問題のチップを埋め込んでいたと報じている。通信会社から委託されたヨッシ・アップルバウム氏はこのほど、チップ発見に関する文書や分析、その他の証拠を提供した」

(5)「アップルバウム氏はかつてイスラエル軍情報機関のテクノロジー部隊に所属、現在は米メリーランド州に本拠を構えるセピオ・システムズの共同最高経営責任者(CEO)を務める。同社はハードウエアのセキュリティーを専門とし、通信会社の大型データセンター数カ所の調査に起用された。アップルバウム氏は顧客と秘密保持契約を結んでいるため、ブルームバーグは問題が見つかった企業の名称を明かさない方針。アップルバウム氏によると、スーパーマイクロ製サーバーで異常な通信が見つかり、サーバーを綿密に調査した結果、ネットワークケーブルをコンピューターに接続するサーバーのイーサネットコネクタに問題のチップが埋め込まれているのを発見した」

(6)「同氏は、別の複数企業が中国の下請け業者を使って製造したハードウエアの中にも、同じように手が加えられているのを見たことがあるとし、スーパーマイクロの製品だけではないと述べた。『スーパーマイクロは犠牲者だ。どの企業もそうだ』と同氏は語った。ハッキング用チップを仕込むことができる中国国内のサプライチェーンは数え切れないほどあり、発生カ所を特定するのはほぼ不可能な点が懸念だと指摘。『中国のサプライチェーンはそこが問題だ』と続けた」

中国が、ここまで執念を燃やして「米国打倒」に立ち向かっているとすれば、空恐ろしさを覚える。中国4000年の歴史は、陰謀と裏切りの4000年であった。人間を信じられない。裏切ることしか生きる術のない中国。最近の習近平氏の政敵追放のすさまじい振る舞いを見ていると、漢族の裏切りがDNA(集合的無意識)となって受け継がれているにちがいない。こういう「種族」とは関わりを持たない。接近しない。これも一つのサバイバルであろう。


▲△▽▼


中国、「スパイ・スカウト」パソコン・女性・学費支給「3大接近法」2018年11月06日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13343988.html
映画で見るスパイには、必ず女性が登場する。男をスパイの手先にするには、これが、古典的手法のようだ。このほど、米司法省が相次いで逮捕した中国スパイの3大手口では、女性のほかに、パソコン供与と学費支給で学生をスパイに一本釣りした様子が分るという。


『大紀元』(11月5日付)は、「米ジャーナリスト、中国のスパイ・スカウトの手法を分析」と題する記事を掲載した。


(1)「正式な接触の前、「スポッター(spotter)」と呼ばれる中国の調査員が、ターゲットについて調査・評価を行う。そして、その結果を情報機関の幹部に提出する。幹部らは、正式なスカウトに値するかを再評価する。スポッターの多くは、シンクタンク、大学、企業幹部であり、スカウトに直接関与していない」


(2)「ターゲットになった米技術者をスパイ活動に駆り立てるため、さまざまな手段で動機づけをする。金品の供与、イデオロギーの宣伝、脅迫、またはスパイ生活のスリル感を味わせるなどなど。中国当局は、中国人をスカウトする場合、脅迫や愛国心の利用などの手段を多用している。欧米人に対しては、金品の提供が多い」


(3)「中国の工作員はターゲットとなった欧米人に、直ちに祖国への反逆を求めることはない。まず気づかれないように良好な関係づくりに腐心する。米中央情報局(CIA)ブレナン前長官は、「(スパイになった米国人が)気づいた時点ですでに時遅し」とその手口は巧妙だと述べた」


(3―1)「2001年中国に留学し、その後中国上海に移り住んだバージニア州出身の大学生、グレン・シュライバー(Glenn Shriver)氏は04年、諸外国の貿易白書の作成スタッフを募集する新聞広告を見て、応募した。広告を掲載した中国人が、シュライバー氏に120ドル(約1万3537円)の論文作成費を支給し、同時に2人の男性を紹介した。学生と2人の男性は親しくなるにつれ、男性らは学生に対して、米への帰国、米の国務省またはCIAでの就職を薦めた。中国の情報機関は、大学生に採用試験の参加費として、3万ドル(約338万円)を与えた。大学生は2回採用試験を受けたが、2回とも失敗した。2007年、CIAの秘密プロジェクトの採用試験にも応募した。中国情報機関はその際、学生に4万ドル(約451万円)を渡した。大学生はその後、逮捕された。米諜報当局は大学生をモデルにした啓発ビデオを作成した。海外に留学している米国人学生に対して、中国人工作員からの誘惑に警戒を高めるよう呼び掛けた」


(4)「ターゲットとなる人に対して、中国情報部員は時にストレートにスパイ行為の強要を切り出す。2017月2月、CIA元幹部のケビン・マロリー(Kevin Mallory)氏がソーシャルメディアのリンクトインで、中国の上海社会科学院の職員と自称する人物からリクエストを受け取った。FBIは、中国国家安全省は、中国社会科学院と連携して活動していると指摘した。社会科学院の職員と名乗る中国の工作員は多く存在するという。マロリー氏はその後、電話を通じてこの上海社会科学院の職員と連絡を取り、17年4月に中国で2回面会した。そこで、マロリー氏は特別な電話機を受け取り、 安全なメッセージ機能を使って中国の「顧客」に連絡する方法を教えられた。マロリー氏は中国の対米政策白書の作成に2回協力した」


FBIは、中国国家安全省が中国社会科学院と連携して活動していると指摘した。社会科学院の職員と名乗る中国の工作員は多く存在するという。中国社会科学院といえば、哲学及び社会科学研究の最高学術機構であり、総合的な研究センターだ。研究所31、研究センター45、研究者4200人を擁し、中国政府のシンクタンクとして大きな影響力をもつ。また世界80ヵ国のシンクタンク、高等研究機関200余りと日常的に交流する。政府直属事業である。


この中国社会科学院が、中国のスパイ活動の一端を担っているとは驚きである。学術研究に名を借りてスパイに誘い込むとは、恐るべき国家である。ここまでスパイする意図は何か。相手国を出し抜き、陥れる謀略を秘めているのだろう。この地球上に、このような国家が存在すること自体、恐怖である。後進国が、先進国へのし上がろうという謀略である。労せずして甘い汁を吸う策略だ。「中国製造2025」は、まさに謀略のシンボルであろう。


中国が、ここまで謀略に長けているのは、中華帝国の戦略そのものを受け継いでいる証拠だ。こうした手練手管を駆使し、中国の版図を拡大してきたに違いない。


(5)「スパイとその指令役(handler)の連絡方法は以前の直接会うことから、現在暗号化された通信機器の利用に変わった。FBIは今年1月、中国情報機関の指示を受けて米国内でスパイ行為を繰り返していたとして、CIA元職員の李振成(英語名、Jerry Chun Shing Lee)氏を逮捕・起訴した。起訴状によると、2010年4月李氏は中国の工作員2人に会った。工作員は李氏に金品の供与を約束し、その見返りとしてCIAに関する情報の提供を求め、密かに連絡するために、李氏に複数の電子メールアドレスを提供した」


▲△▽▼

中国、「ファーウェイ」当局にアクセス・コードを提供「スパイ支援」2018年11月07日

中国政府は、表向きは「ニーハオ」と言って愛嬌振りまきながら、裏にまわれば公然とスパイ活動を行なう。まさに、「ジキルとハイド」の国家のようである。次々と明らかにされる中国のスパイ活動は、止まるところを知らない。


『大紀元』(11月6日付)は、「中国通信大手ファーウェイ、当局にアクセス・コードを提供―豪メディア」と題する記事を掲載した。


(1)「オーストラリア政府関係者が入手した機密調査報告書はあらためて、中国通信大手の華為技術(ファーウェイ)と中国当局が緊密的な関係にあることを指摘した。同報告書によると、中国情報機関は海外で浸透工作を展開するため、ファーウェイの社員に海外のインターネットのアクセス・コードを提供するよう要求していた。豪メディア「ウィークエンド・オーストラリアン」電子版が3日報じた」


オーストラリアは、中国の政治的浸透の対象にされていたことが判明以来、中国に対して極度に神経を払っている。その点では米国並みだ。華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)は、中国政府の別働隊とさえ見なされている。これは、もはや国際的な常識になっている。日本の警戒心は薄いようだ。


(2)「オーストラリア通信電子局のマイク・バーガス局長は10月29日、キャンベラで開催されたサイバーセキュリティの関連イベントで、ファーウェイとZTEが「危険性の高い企業」であると指摘した。また、5G技術の整備は国民生活に関わる重要な通信インフラであるため、豪国内のサイバーセキュリティを考慮して5G構築から2社を除外することを支持する考えを示した」


日本では、次世代通信網5Gをめぐって、ファーウェイとZTEの扱いについて結論を発表していないが、一部報道では排除するとしている。米国や豪州が排除しているのに、わざわざ日本が危険な選択をする必要はない。国家の安全保障確保が第一である。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13363589.html


▲△▽▼

僕に真実を明らかにされて阿修羅の中国工作員も迷惑してるみたいだね。
中国政府は必死に情報統制してるから、阿修羅の中国工作員にも同様の指示がされたという事だ:


中国、「報道規制」経済ニュースも検閲対象へ貿易戦争「敗れたり」 2018年11月15日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/13551950.html

中国も随分と落ちぶれたものだ。習近平氏は、経済ニュースまで検閲対象に加えたという。悪いニュースは報道させない。国民の目と耳をふさぐ戦法に出てきた。経済の実態が極めて悪化しているのだろう。戦時中の日本が経験したように、「報道規制」は実態経済の悪化を示す証拠である。


今さら悔いても始らないが、習氏は民族主義者の煽動に乗ってしまい、この始末である。米国と戦って勝てると見た習氏の力量の限界を示している。貿易戦争に入る前、中国の改革派は署名入りで反対論を打ち上げている。中国は、貿易紛争で米国と互角に対抗する力はない、というものだった。結果は、その通りになっている。習氏の権威は、これでかなりの「ディスカウント」になろう。


『フィナンシャル・タイムズ』(11月14日付)は、「中国、景気減速で経済ニュースも検閲対象に」と題する記事を掲載した。


(1)「中国の経済成長が減速し、米国との貿易戦争が消費者心理や株式市場に打撃を及ぼすなか、中国政府は国内メディアの統制をさらに強めている。共産党は数十年来、力強い経済発展を自らの正統性のよりどころにしてきただけに、景況感が下向きになってきたこの時期、経済ニュースは政治ニュースと同様に検閲の対象になっている。『こんなに厳しい検閲はこれまでなかった』と、20年のキャリアを持つ経済記者は打ち明ける。『今年後半に大きな方針転換があった』。中国の有力メディアの記者・編集者十数人が匿名を条件にフィナンシャル・タイムズ紙に語ったところでは、中国の中央宣伝部の当局者が数カ月前、中国経済を中傷するような報道をしないよう指示したという」


日本の戦時中の情報検閲の経験を聞くと、それは厳しいものだったという。私の勤めた『週刊東洋経済』では、毎号のゲラ刷りで検閲を受けるのだが、遠回しに書いても検閲官は敏感に対応したという。「負け戦」とは、こういうものだ。中国が、ここまで経済ニュースに敏感なのは、「敗戦」による責任回避を始めているのであろう。習近平氏も、ミソをつけたものだ。


(2)「メディア関係者によると、消費者の支出減や地方政府による債務返済の苦闘ぶり、破産した民間企業の人員解雇、国有企業の非効率経営といった話題の報道は日を追って認められなくなっている。報道機関は『貿易戦争』という語句の使用を禁じられ、貿易摩擦が中国経済減速につながるといった解説も避けるよう命じられている、と複数の記者が証言した。世界の企業や投資家が製品の販売先、株式・債券市場への投資先として中国との関わりを深めるなかで、独自の経済報道に対する弾圧も強まっている」


もともと、官製メディアはただの宣伝機関であるから記事に信憑性がない。となると、外国メディアの情報が唯一の信頼性ある情報と言うことになる。この状態が、この先「何十年」も続くのか。中国経済に「朗報」が期待できない以上、情報の解禁は困難であろう。購読を止めた方が良いのかも知れない。


(3)「ある有力誌の編集者は、経済報道への規制がこれまで政治報道にだけ向けられていたのと同じ程度に厳しくなっていると話し、『いまや経済が政治問題化している』と言い放った。関係筋によると、報道規制当局は編集者に対し、経済問題を題材にしたりネット上で拡散したりしないよう電話で指示している。『今年は電話がかかってくる回数がかなり多くなった』と、1日に何度も電話を受けるという編集者が明かした。関係者によると、中国の大半のメディアはここ数年、広告収入の減少で採算ぎりぎりの経営状態にあり、(当局から)一時閉鎖でも(命令を受ければ)財務的に大打撃になり得るという」


大半のメディアの広告収入が減ったと指摘している。この事実こそ、中国経済の末端は、不景気風に見舞われている証拠だ。中国経済の「落城」は近い。習近平氏は、全権を一手に握って、もはや逃げ場がなくなった。どうする積もりだろうか。

2018年11月20日
中国で「景気悪化」ニュースが報道禁止になった
株価が暴落しているなどの報道は禁止されている


画像引用:https://portal.st-img.jp/detail/02a5d08c046dde236df1235018362356_1535075707_2.jpg


景気悪化は報道禁止

中国で最近経済ニュースへの締め付けが厳しくなり「景気が悪い」などの表現が禁止されたという。

英紙フィナンシャルタイムズによると、中国経済にマイナスの印象を与える報道をするなという指示がされている。

ここで説明すると中国のあらゆるメディアは国家資格をもつ記者が執筆していて、無資格で記事を書くと違法になる。

政府は記者を選別することが出来、指示に従わない記者は記者免許をはく奪されたり「失踪」することになる。

記者にとって政府は親会社のようなもので、意識としては公務員に近い。

さらに新聞やテレビ、ラジオ、大手ネットメディアはすべて国営か公営企業、良くて共産党傘下で民間の報道メディアは存在していない。


もし個人や私企業が中国政府の許可を得ずに出版や報道をしたら、香港の書店のような目に合う。

(失踪した香港書店関係者 中国公安に拉致されたと告発http://www.thutmosev.com/archives/61948260.html)参照

2018年になって報道規制当局は貿易戦争や経済減速などの文字の使用を禁止し、後ろ向きの報道をしないよう指示した。


当局担当者が一日に何度も編集者に電話してきて、細かい指示を出しているという。

こうした干渉はネットメディアにも及び、ネットだから自由だというのは中国では通用しない。

2017年から中国では、サイトやブログ開設には政府発行の許可証が必要になり、政府指定の検査官の承認が必須になった。


インターネットにも自由はなし

むろん政府に都合が良いサイトやブログしか許可証は発行されないので、膨大なサイトが閉鎖され今も消え続けている。

匿名ブログなど存在せず政府が執筆者を把握しているので、経済悪化のニュースを書かないよう指示を出している。

スマホのニュースアプリも同様に政府の支配下にあり、毎日政府の担当者から電話があり削除命令や指導がある。


中国ではSNSも実名登録制でネット上には表示されないが、政府はIDで個人を識別できる仕組みになっている。

中国版ツイッター(この呼び方は不適切だが)の微博(ウェイボ)では数千人の公安部隊が世論誘導のためにネットに書き込んでいるのが分かっている。

だれかが政府批判を書き込むと即座に別の誰かが否定し、最後に政府称賛になるのはこのためです。


政府批判の書き込みはAIが監視して即座に削除され、隠語などで書き込んでも公安部隊が手動で削除します。

このように中国では紙メディアでもネット媒体でもSNSでも、政府批判を書くこと自体が不可能になってきています。

外国のサイトに書き込むのも困難で、中国からツイッターなど外国の「反中国サイト」への接続ができない。


迂回手段だったVPNも中国では遮断されたので、たとえばこのブログも中国からは閲覧できません。

中国人が海外旅行好きなのは、国外に出れば自由に外国のネットが使えるからというのもあります。
http://www.thutmosev.com/archives/78193321.html



▲△▽▼

管理人さん、赤かぶのデタラメ投稿をいつまで放置するのですか。
http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/534.html
投稿者 SOBA 日時 2011 年 1 月 29 日 21:58:29: LVbi13XrOLj/s
 

管理人さん、赤かぶのデタラメ投稿をいつまで放置するのですか。


↓以下3投稿はどれも、ブロガー「まるこ姫の独り言」さんのエントリリーをコピペではっただけです。

1、議論板は板違い。

2、この「まるこ姫の独り言」さんの紹介でもそうですが、他の政治板への赤かぶ投稿を見ても、赤かぶのはブログの固定URLを末尾で紹介しています。まるで赤かぶが自分で投稿したかのようなスタイルです。
 阿修羅に初めて来た人は錯覚します。それ以上にブロガーに対してまったく失礼な話しだ。最初にURL紹介し、ブログを見て下さいくらいの気持ちがあってもいい。

菅首相言いも言ったり!”与謝野氏起用は改革の大義”(まるこ姫の独り言)
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/371.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 1 月 27 日 21:53:44: igsppGRN/E9PQ

宮城県、性犯罪前歴者のGPS監視検討に思う(まるこ姫の独り言)
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/364.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 1 月 23 日 23:45:31: igsppGRN/E9PQ

菅首相、政治主導を軌道修正す!(まるこ姫の独り言)
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/361.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 1 月 22 日 20:35:50: igsppGRN/E9PQ  


▲△▽▼

モリカケ問題等の政治家のスキャンダルはすべて CIA が官僚を通してマスコミに流したもの

阿修羅掲示板でモリカケ問題のマスコミ記事を24時間毎日、毎日流し続けていたのは『赤かぶ』氏


という事は

『赤かぶ』氏 は CIA系のネット工作員という事ですね。

僕みたいに『赤かぶ』氏 の記事の間違いを指摘するとすぐに非表示にされるというのは わかり易過ぎて何かなー

▲△▽▼


阿修羅掲示板で どうでもいいモリカケ問題みたいな話だけで何か月も大騒ぎしている CIA, 中国・朝鮮の工作員が必死で隠そうとしている事実とは:


日本人の殆どが安倍首相に永遠に総理をやって欲しいと思っている


安倍先生は歴代で断然 No.1 の総理大臣

日本を救った安倍先生の偉大な業績

アベノミクスで日本政府の借金はゼロになった

超円高から超円安に変わって輸出企業の業績はバブル期並みになった

安倍は財務省に逆らって民主党が決めた消費税上げを二回も延期した

財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できていた

財務省は安倍が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ

____


経済コラムマガジン 2018/4/30(984号)
「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の顛末

財務官僚は反安倍勢力

文書改竄に続き、事務次官のセクハラ事件が起り財務省は世間の批難を受けている。しかし筆者は、財務省に関しては別の方向での批難があってしかるべきと思い今週号を書いている。ただ話を進める前に、安倍総理を攻撃する勢力について述べる必要がある。

安倍総理を攻撃する勢力の一つは、安保法制改定に反対し憲法改正を警戒する人々である。端的に言えば左翼である。左翼系メディアや労働組合など野党を支持する勢力である。これまで安倍政権は、野党の猛反対にも拘らず安保法制の改定など安保関連の法改正を着々と実現してきた。またこれらを実現しなが高い支持率を維持し、国政選挙でも連続して勝ってきた。左翼勢力は、ついに本丸である憲法が改正されると危機感を持ち、安倍総理への攻撃を最大限に高めている。


もう一つの反安倍勢力は、財政再建派とか財政規律派と呼ばれる人々である。消費税の再増税を2度も安倍総理に阻止され、彼等の総理個人への反感は最高潮に達している。

17/7/24(第948号)「加計問題と日本のマスコミ」
http://www.adpweb.com/eco/eco948.html

で取上げたように、自民党の中の反安倍と目される全ての政治家は、財務省に繋がっている財政規律派と見て良いであろう。またポスト安倍と見なされている政治家もほぼ全員財政規律派である。

このように役所の中ではっきりと反安倍のスタンスなのが財務省である。消費税の再増税を阻止され、総理に対しては恨み骨髄と思われる。しかし組織の上では総理は上司であり、財務官僚も表向きには総理に従っている。いわゆる面従腹背という接し方を行っている。

財務官僚の反安倍を示す信じられない話が伝わっている。以前、財務官僚数名が評論家の屋山太郎氏を訪れ「アベノミクスに反対してくれ」と申入れたという(4月14日付ZAKZAK)。これが本当ならとんでもない話であるが、十分有りうると思われる(もちろんアベノミクスが万全ではなく、問題があることは筆者も承知しているが)。筆者は、この前代未聞の出来事は文書改竄やセクハラよりずっと大きな問題と見なす。

ところが今日の財務官僚の一連の不祥事を、安倍政権の責任と日本のメディアは報道する。財務官僚が強硬な反安倍勢力であることを指摘するのは一部のメディアに限られる。ほとんどのメディアはこのことを承知しながら、卑怯にも今日のような偏向報道を続けているのである。


筆者は、昔から大蔵省や財務省、そしてこれらの官僚を動きをずっと観察してきた。時には

16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」
http://www.adpweb.com/eco/eco883.html

で述べたたように、元大蔵事務次官の相沢英之衆議院議員(当時)のような有力な大蔵官僚OBの何名かに直接お会いし話をしたこともある。この結果を元に、筆者は大蔵官僚と財務官僚は考え方が違う二つのグループに別れると認識するに到った。

一つが「柔軟派」であり、もう一つが「規律派」である。「柔軟派」は財政だけでなく銀行行政にも柔軟に対処する官僚であり、財政に関しても必要に応じ積極財政を是認する柔軟性を持ち合わせている。後者の「規律派」は、今日の財政規律派と見てもらって良い(銀行行政が金融庁に移管したので、規律と言えば財政に関する規律)。大蔵省時代の官僚は、これら二つのグループに別れる。ただ福田赳夫総理のように、大蔵大臣時代は「規律派」と目されていたのに、総理になって積極財政派(柔軟派)に転向するケースもあった。


しかしこれは大蔵省時代の話であり、今日の財務官僚には「柔軟派」がいない。今日の財務官僚は全員が「規律派」である。それは98年に大蔵省接待汚職事件が起り、「柔軟派」の有力官僚のほとんどが大蔵省を去ったからである。大蔵省と財務省の決定的な違いは、大蔵省では「柔軟派」と「規律派」が対抗勢力として省内で拮抗していたのに対し、財務省では「規律派」の独裁体制になったことである。

ただし追出された「柔軟派」の有力官僚の全てが汚職事件に関与したのではない。しかし汚職事件の捜査の過程で、これらの官僚が過剰な接待を受けていたことが問題になったのである。特に「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が話題になり、一連の出来事を「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件と一括りにされている。しかしこれは適切な表現ではないと筆者は思っている。ましてやこれが今日のセクハラ事件と同じ扱いを受けていることは完全に間違っていると見る。


追出された柔軟派の官僚

「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が問題になり大蔵省を退官した官僚の言い訳を筆者は聞いたことがあり、以下、これを記す。たしかに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待されたが、これは仕事の合間を抜けて陳情を聞くためだったという。当時、目立たないところで陳情を受けながら食事(夜食)するとしたなら、この「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいな所しかなかったと言う。陳情を聞きながらの食事が終わると、さっさと役所に戻り朝まで仕事を続ける毎日であったという。この官僚の言い分を信じるかどうかは読者の方にお任せする(筆者は信じても良いと感じる)。

陳情していたのは銀行のMOF担(大蔵省担当)だったと思われる。当時、不良債権が社会問題になり検査官の検査がどんどん厳しくなっていた。マスコミの論調はおかしくなり、不良債権が大きく悪い銀行は潰せという「空気」を作っていた。しかし問題の根源は土地などの資産価格が下がり続けていることであった。

たしかに平時なら、問題の金融機関の検査を厳しくすることは意味がある。しかし当時はバブル崩壊後、担保に取っていた土地の価格が下がり続けていた異常な時代であった。ましてや橋本政権の緊縮財政(消費増税など)で経済がマイナス成長に転落したこともあった。また構造改革派の観念論者が跋扈し、この非常時に企業の株の持合いを禁止したり、時価会計まで導入した。地価下落は一旦止まりそうになった場面もあったが(橋本緊縮財政の直前)、これらによって資産(土地や株)の投売りは止まらなくなった。


それにも拘らず、銀行の検査は強化され続けた。検査マニュアルは現実離れしたほど厳しいものに改定された。検査を強化し、銀行が隠している不良債権をあぶり出し、悪い銀行を破綻に追込むことが正義という風潮が作られた。

この「空気」を作ったのは、日経新聞など大蔵省の規律派の息の掛ったメディアと筆者は認識している。銀行を追詰めそこに公的資金を注ぎ込むことによって金融機関の健全化を行うという発想である。当然、これを警戒する銀行で貸し渋りや貸し剥がしが起り、銀行から融資を受けていた企業は資産(土地や株)を安値で売り急ぐことになった。

銀行に対する甘い対応は否定され、検査が異常に強化された。検査先の銀行で出されたお茶を飲むことさえ憚れ、自分でポットにお茶を用意してくる検査官がもて囃されたといった笑い話のようなことになった。結果的に、不良債権を巧みに隠した銀行だけが生残ることになった。


このため資産(土地・株)価格は下がり続け、適正価格を大きく下回るケースが出てきた。収益力がある土地にも買手が現れないので、資産価格は極限まで下がった。それらを買ったのが外資である。外資は、10分の1まで下がった銀座の一等地を買ったり、また企業の株の持ち合い解消に伴い放出された安値の株や、これによって連れ安した株を大量に買った。この頃から外資が日本の株式市場での売買の過半を支配するようになった。

銀行にとって、この危機的状況で頼るのは現場をよく知っている柔軟派の大蔵官僚だけになった。この官僚は仕事の合間に「ノーパンしゃぶしゃぶ」に呼び出され、陳情を聞くことになった。しかし結果的に、このような銀行に甘い官僚や閣僚は追出された。


ところが銀行局が金融庁に変わって10年以上が経ち、今日、銀行行政は様変わりしている。リスクを取らず貸出しが伸びない銀行の方が、むしろ指導を受けるという風になった。金融庁は立上がってしばらくは規律派の天下であった。しかし今日に到り、金融庁は現実を重視した柔軟派に転向したと言える。ただ昔の貸し渋りや貸し剥がしを知っている企業は、簡単には銀行からの借入を増やそうとはしない。

ちなみに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待を受けたとされる柔軟派の官僚は、夜中に仕事をする時は自分の机を廊下に出しそこで仕事をしていたという。それは盗聴を恐れたからである。仮に盗聴器がないとしても「盗聴されているのではないか」と感じられることがプレッシヤーになったという。

筆者は、当時、日米が保険で揉めていたことがこれに関係しているのではないかと憶測する。日本の国益を守るため盗聴を警戒していた柔軟派の大蔵官僚と、籠池氏や女性記者に簡単に会話を録音されている今日の規律派の財務官僚とは好対照である。
http://www.adpweb.com/eco/


●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…

●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?

●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?

____


安倍先生以外の政治家は全員財務省の手先で日本を滅ぼそうとしている。


『財政規律派 復活の芽は? 自民総裁選の争点に

総裁3選をめざす安倍晋三首相は就任5年半で、消費税率10%への引き上げを2度先送りした。「ポスト安倍」を狙う他の候補は首相との違いを意識して、財政規律に関わる発言を始めた。

「次の時代の方に、ものすごい借金を負わせていいはずはない」。

自民党の石破茂元幹事長は3日の講演で力説した。最近は憲法に財政規律を明記するよう主張する。

岸田文雄政調会長は財政再建に関する特命委員会で政府への提言をまとめる。国・地方をあわせ債務は1000兆円超。それをどうするかが焦点だ。

 なぜポスト安倍候補の2人がそろって財政問題に関わるのか。総裁選への布石とみられる。

首相は消費税率10%への引き上げを2回延期し、いまの実施予定は19年10月。政府は総裁選前の今年6月ころに新たな財政健全化の計画を定めるが、国と地方を合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化を20年度にめざす目標も先送りが確実だ。』


「次の時代の方に、ものすごい借金を負わせていいはずはない」

 などと主張するのであれば、石破元幹事長は「過去の全ての政治家」を批判しなければなりません。何しろ、日本政府の負債は(2015年時点)は、名目の金額で1872年の3740万倍! 物価の上昇分を除いた実質でも1885年の546倍!に増えているのです。(※島倉原氏の試算)


 そもそも、経済成長とは「資産と負債」が共に増えていくことです。


 特に、経済成長の肝である「投資」の蓄積足る生産資産は、何らかのおカネの「調達」によって積み上がったものです。


 企業が設備投資を決断し、銀行からおカネを借りると、その時点で「銀行預金」という「銀行にとっての負債」が創出されます。当然、企業のバランスシートの貸方には「銀行からの借入金」という負債が計上されます。


 過去の日本の経済成長によって、銀行(=金融機関)の負債は3000兆円を増える水準にまで膨れ上がっているわけですが、そもそも資本主義とはそういうものなのです。


 誰も、銀行の負債(主に銀行預金)について、
「全額返済しろ!」
 などとは言い出しません。


 それにも関わらず、なぜ「政府」の負債の増加を過度に問題視するのか。しかも、相変わらずの超低金利が続き、さらに日本銀行が国債を買い取り続けているため、政府の実質的な負債が減り続けているこの状況で。


 もちろん、政治家が、
「その方が、自分の支持率が上がる」
 と考えているためなのでしょう。そして、緊縮を叫ぶことで支持が高まる「空気」を、すでにして財務省やマスコミによって作られてしまっています。


 この状況を打破するためには、一人でも多くの国民に、
「日本に財政問題などない」
「現時点で緊縮を主張する政治家は、国民を貧困化させる愚か者」
 であるという現実を理解してもらうしかありません。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12372575605.html


【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ


◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本

パネリスト:
 安藤裕(衆議院議員)
 高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
 田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
 藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
 松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
 三橋貴明(経世論研究所所長)
 渡邉哲也(経済評論家)

▲△▽▼


阿修羅で工作員が大騒ぎしているモリカケ問題等のスキャンダルはすべて CIA がマスコミやネットに流したものだった:


日本のジャーナリズムとネット掲示板を監視する米軍組織
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html


 神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。

さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。

 「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。

*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。


日本の金融をボロボロにして乗っ取ったのは1992年からのクリントンの対日戦略でした。日本を自分たちが自由に操れる国にしたのです。ロバート・ルービンとローレンス・サマーズを実施部隊の司令官にして、何かあるとサマーズが来日して大使公邸で怒鳴りつけるのです。

  当時、首相だった橋本龍太郎はさすがに行かなかったのですが、幹事長以下の実力者が全員呼びつけられて、「アメリカに逆らうな」と怒鳴りつけられる。そういう政治が行なわれてきました。今もそうです。そのことを知っている日本の新聞記者たちが、なぜかまったく書かない。ここに問題があるのです。

  1998年10月からの“金融ビッグバン”も、橋本龍太郎が無理やり約束させられたものです。当時は、「金融自由化だ」「ビッグバンだ」とあれほど騒がれたのに、今は誰も口にしない。なぜなら、「金融自由化」の掛け声とはまったく逆で、結果的にできあがったのは「金融統制」の体制でした。

  日本は騙されたのです。あの時に外資すなわちニューヨークの投機マネーが自由に日本に入ってこれるようにした。そして少額で日本の大銀行を乗っ取れるようにした。

  この1998年2月、“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”を起こし、大蔵官僚たちを計画的に叩きのめしたのです。日銀官僚の福井俊彦(現日銀総裁)もあのリストに入っていました。名刺があった連中は皆さらし者にされ、官僚として出世が止まったのです。

  CIAはこの名簿をインターネット上に流し、さらに愛国派官僚たちが引きずり降ろされる不祥事に発展しました。いわゆる“大蔵落城”です。マスコミはCIAの尻馬に乗って、日銀と大蔵官僚叩きをやったのです。

  この時、すでに自民党の政治家たちは一人ひとり弱みを握られてアメリカの軍門に下っていたのですが、日本の官僚たちはアメリカの言うことを聞かないで抵抗していました。その結果、叩きつぶされたのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi013.html


日本のジャーナリズムやネット掲示板を監視する米軍組織 _ 2
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html

 神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。

さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。

 「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。

*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。


このCIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。

小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。

現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。

相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49609103.html


▲△▽▼


モリカケ問題等の政治家のスキャンダルはすべて CIA が官僚を通してマスコミに流したもの

阿修羅掲示板でモリカケ問題のマスコミ記事を24時間毎日、毎日流し続けていたのは『赤かぶ』氏


という事は

『赤かぶ』氏 は CIA系のネット工作員という事ですね。

僕みたいに『赤かぶ』氏 の記事の間違いを指摘するとすぐに非表示にされるというのは わかり易過ぎて何かなー


▲△▽▼

赤かぶ の正体と 管理人のコメント欄安定化への思い!
http://www.asyura2.com/17/senkyo228/msg/495.html
投稿者 天橋立の愚痴人間 日時 2017 年 7 月 03 日 11:35:56: l4kCIkFZHQm9g k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A


赤かぶ氏が登場したのは、2010年、政治板NO90のころからです。
それから2012年 政治板No 120のころまでは、ほとんど目立つことはなく、投稿数も全体の1割にも満たない程度です。
このころは私も阿修羅に来ていて、コメント欄でも結構お騒がせし管理人ともやりあった経験があります。
この後、赤かぶ氏の投稿は徐々に増えて行き、2015年 政治板 NO 187では、総スレッド数650のうち赤かぶ氏によるものが460となっています。
現在は、それ以上でしょう。
この間、阿修羅掲示板からはスレッドを立てられる人が減っていきました。
減った分、赤かぶ氏が補填したのか、赤かぶ氏がでしゃばるから減ったのかはわかりません。

毎日の投稿するをみますと、7月2日の政治板での赤かぶしは31のスレッドを立ち上げています。たの板も合わせると50を超えます。

日曜祭日を含めて年間通して毎日50以上のスレッドを立ち上げるなど、とても個人でできるものではありません。
ヤフーの検索でも阿修羅掲示版の赤かぶとは誰かと言う話題もあります。
私も以前からいぶかしく思いながら見ていたのですが。最近になって赤かぶ氏がコメントの非表示をするようになり、その事を管理人に問い合わせなどをしているうちに赤かぶ氏の正体が解りました。

先に言いましたように、2012年ころは、私も阿修羅掲示版に投稿していました。
当時の管理人はコメント欄があれないようにするために気を使っていたようですが、すでに巨大掲示板、一人ではどうにもならず、お知らせ板を作っていても実際は板違いにペナルティを課す程度でした。
そのご管理人も考えたのでしょう。
掲示板の監視人を複数雇って監視することです。
これは大きなサイトではどこもやっています。
赤かぶと言うHNは監視人(5〜6名以上と思う)が使う共通のHNであると思います。
管理の姿勢としては、ここまでは全く問題ないと思います。
監視人が赤かぶのHNで話題を集めて転載することも、阿修羅の情報が、どこよりも多いと言う信頼を受け、阿修羅の繁栄に寄与していることも認めます。

最近になって管理人は監視人グループにコメントの非表示権を託しました。
これも肯定します。
問題は、非表示権得た監視人グル―プが、それを乱用し始めたことです。
権力と言うものの魅力は使うことで解ります。
現在の監視人グループは、それを使う事に有頂天になり、適正とか公平の観念がない試行錯誤の時期と好意的にみることもできあます。
アメリカ大統領も就任後100日は見守られているようです。
監視人グループも、非表示権の行使について反省し改める時期ではないでしょうか。

それと、もう一つ、
管理人は監視人に非表示権を耐えると同時に一般のスレ主にも非表示権を与えました。
民主的と言う意味でしょうが、これは大きな間違いと言えます。
我々が個人のブログでコメントをする場合、ブログ主の思いに気遣って遠慮して意見を述べることがあります。
阿修羅掲示版のスレッドが、その様な事になっては掲示版の掲示板たる特徴がなくなります。
スレ主により自分のスレッドの安定には役立っても、阿修羅掲示版が受ける打撃は大きなものとなるでしょう。
以前から問題となっている阿修羅の論客が減っていくことに拍車をかけることになります。
また、権力者にすり寄るポチはどこにもいて、権力者が見え隠れするようになると彼らが動き始めます。
それも醜いことです。
一般のスレ主に非表示権を与えるのは無条件に好ましくないとおもいます。

最後に監視人さん方へ
このスレッドを板違いとして削除することはまさかないでしょうね。
このスレッドは、主に政治板、そのものに対する意見であり、全投稿者、読者にあてたものですよ。


コメント


7. 2017年7月03日 12:49:45 : Ptg6BqGwWY : HWRi1vTNLnM[2]

私も赤かぶ さんの投稿の姿勢には疑問を持っています。

たとえば最近 record china の引用が多くなっています。

赤かぶ さん達の 意図がここからうかがえるように感じています。

阿修羅に依存している私たちにも責任があると思います。

ぜひこれを機に、第二阿修羅のようものを作り、阿修羅が独善的にならないようにしませんか

33. 天橋立の愚痴人間[500] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年7月03日 16:11:50: cJ5ln2Bgjw : id432x4aDns[108]

赤かぶは他のスレッドで、私(天橋立の愚痴人間)の名がつくコメントをすべて削除し始めた。
赤かぶ、ならば、ここも徹底的に削除してみろ。
削除しやすい様に罵声を浴びせたろうか。

赤かぶ、お前は何を目的で削除を始めた。
お前を非難する俺が憎いのか。

そのような了見で掲示板を管理しているのか。
好いぜ!

何でもやってみろ。
阿修羅掲示板に見切りをつけるだけだ。
言っておくが、掲示板には多くの読者もいるのだぜ。

こんな掲示板から、ますます良識のある投稿者が減っていくことだろう。
安倍と同じ様に読者(国民)をなめるんじゃないよ。

34. 天橋立の愚痴人間[501] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年7月03日 16:19:19: cJ5ln2Bgjw : id432x4aDns[109]

阿修羅掲示板は実際はこのように変わってきている。
このスレッドは、一投稿者として管理人に意見を述べているだけ。
その対応は、私の名のつくコメントを片端から削除すると言うもの。
全くのファシズムである。

安倍の独裁を非難するならば、足元の阿修羅のあり様にも目を向けられることである。

こんな事なら、皆さんがそしっておられる、2ちゃんのほうが、よほど民主的と言えるだろう。

36. 天橋立の愚痴人間[502] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年7月03日 16:25:10: cJ5ln2Bgjw : id432x4aDns[110]

知る大切さ氏
細かいことをごちゃごちゃ言っているが、この大きな事態を、どのように思う。
個人的な憎悪を離れて、私の投稿が、中川氏と同じように片っ端から削除される内容か。

まあね、こんなことをしていれば、阿修羅の終わりの始まりと言うことか。

112. 罵愚[5261] lGyL8A 2017年7月05日 16:58:09: AoProhtSOY : voey6Luap2I[28]
 「赤カブ」のハンドルの数人のグループの秘密警察が、このボードを支配してるってのが結論か…



3. 中川隆[-13347] koaQ7Jey 2018年12月29日 11:30:05: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210] 報告
▲△▽▼

僕は以前は赤かぶ氏が電通か CIA系の工作員だとばかり思っていたのですが、中国の工作員だったらしいですね。

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html
投稿者 中川隆 日時 2012 年 4 月 06 日 19:08:59: 3bF/xW6Ehzs4I


どうしてこういう誤解が生じるかというと、馬渕睦夫さんが明らかにしていますが

CIA も電通も中国共産党も元々は 体制側=グローバリズム側 の一員で関係が深かったからなのです。 つまり、


左翼=リベラル=グローバリズム=親ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、FBI、マスコミ、ソ連共産党、中国共産党、天皇一族、日本の官僚
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、レーニン、スターリン、ボリス・エリツィン、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、ヒトラー、サダム・フセイン、カダフィ、アサド、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なのですね。


安倍晋三は調整型の政治家で権力基盤が弱く、IQ も随分と低いので、官僚や自民党のグローバリストに引き摺られているのですが、本来はプーチンやトランプと同じナショナリストなのです


マスコミはトランプやプーチンや安部政権の事を常に有る事無い事ボロクソに書いていますが、それはマスコミが 体制側=グローバル勢力側 のエージェントだというだけの事です。


▲△▽▼


馬渕睦夫『グローバリストが恐れる日本の底力』
◉講演「新嘗のこころ」第2部(グローバリズムとは共産主義である) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YoH3GG3WiAc&index=2&list=PL7MaEu9i584cGqauRwWXCapXVTxom8dDT


▲△▽▼


「古事記に学ぶ日本のこころ」 馬渕睦夫 〜天と地を結ぶ日本人の力〜 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=xcQ1sp6fV2g


2018/12/01 に公開

いつもの馬渕大使とは一味違う、ライブ感あふれるメッセージ!
物質欲、金銭欲で支配されるグローバリズム的な生き方を、私たちは祓い除け、伝統的な日本人の生き方を取り戻す必要があるのではないでしょうか。世界の人々もそこに注目しています!
そして、グローバリズムとナショナリズムを共存させる知恵とは何か?日本人の力が問われています。

 
▲△▽▼


【日いづる国より】馬渕睦夫、フィデル・カストロと日本人の幸福論[桜H27-5-8] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eoq6pRXoBBA&app=desktop

2015/05/08 に公開

日本の伝統と文化を尊重し、真に国益を考える数多くの志士達が、自らが国政に臨むことで日本再生に懸けようと奮起している。その志と問題提起を、じっくりとお聞きしていく対談番組。偉大な作曲家にして真の愛国者・すぎやまこういちによるプロデュースでお送りします。

聞き手:中山恭子(参議院議員)・すぎやまこういち(作曲家)
ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


▲△▽▼


アメリカは日本へのキリスト教布教には失敗したが、戦争犯罪者という原罪を植え付けるのには成功した

【日いづる国より】馬渕睦夫、現代の「三国干渉」を打破せよ![桜H27-5-1] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=YxGqLyB3rmQ


2015/05/01 に公開

日本の伝統と文化を尊重し、真に国益を考える数多くの志士達が、自らが国政に臨むことで日本再生に懸けようと奮起している。その志と問題提起を、じっくりとお聞きしていく対談番組。偉大な作曲家にして真の愛国者・すぎやまこういちによるプロデュースでお送りします。

聞き手:中山恭子(参議院議員)・すぎやまこういち(作曲家)
ゲスト:馬渕睦夫(元ウクライナ兼モルドバ大使)


▲△▽▼


ノンフィクション作家・河添恵子#4-1
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」前編・グローバリスト&共産主義勢力 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z7syO3BhDdQ

ノンフィクション作家・河添恵子#4-2
「馬渕睦夫氏と語る最新世界情勢」後編・北朝鮮問題の行方 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z4Ot9KiWPV8

収録日:2018年4月25日


▲△▽▼


deep state と中国共産党

河添恵子#8-1 ゲスト:馬渕睦夫★リアルに存在するスパイ&工作員の実態 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ukhGim45GB0


河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Pxqk80onq6I

収録日:2018年9月11日

"ディープステート"
この世界を操り、歴史を作ってきたとされる影の政府、真の実力者、アメリカの"奥の院"の存在が明らかに・・・。

▲△▽▼


【平成30年 新春特別対談】馬渕睦夫氏に聞く[桜H30-1-2] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=UiH6n-vvsnI&app=desktop


▲△▽▼


馬渕睦夫×水島総 「世界を統治する者との最終戦争が始まる!」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=L06Zs03T2D0


▲△▽▼


【秋の特別対談】馬渕睦夫氏と語る - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=BU4nkKMmVfo&app=desktop


▲△▽▼


平成30年・春の特別対談「世界は現在(いま)」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=F7PsBGGmEE4&app=desktop


▲△▽▼


【大道無門】馬渕睦夫と国難の正体を暴く[桜H25-5-24] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Rl7oyG4ebwk&app=desktop

2013/05/24 に公開

司会:渡部昇一(上智大学名誉教授)
ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使)


東西冷戦も朝鮮戦争もユダヤ金融資本が仕組んだヤラセだった
ユダヤ金融資本がヤラセの冷戦体制を終わらせようとしたケネディを暗殺した


【馬渕睦夫】ケネディを暗殺したのは誰か〜トランプ大統領の真実 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=iATaiNPdMJw


2018/11/03 に公開
【馬渕睦夫】ケネディを暗殺したのは誰か〜トランプ大統領の真実


▲△▽▼


ひとりがたり馬渕睦夫 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL7MaEu9i584fGdp78r27h-eH0rmWLioEC

2018/06/22 に公開
待望の馬渕睦夫大使の新番組がスタート!激動する世界、今の日本に必要なのは何か?どんな危機が訪れているのか?マスメディアでは伝えられない世界の真実と、馬渕睦夫の「眼」をお届けいたします。
 

▲△▽▼


馬渕睦夫さんが明らかにしたのは

・ロシア革命を行ったレーニン、スターリン、トロツキー等は全員ユダヤ人とそのシンパだった

・ロシア革命に資金援助や支援していたのはアメリカやイギリス・ドイツの金融資本家だった


・毛沢東と中国共産党を支援していたのもアメリカ金融資本家だった

・ルーズベルトとその周辺の人間は全員社会主義者でスターリンと同盟関係にあった

・GHQ は戦後の日本を共産化しようとした

・ボリス・エリツィンはソ連崩壊後に国有財産を民営化して、すべてユダヤ資本に二束三文で払い下げた


要するに、ユダヤ資本は

昔は共産化によって世界各国のグローバル化を進めようとした

現在は移民を大量に受け入れさせて世界各国のグローバル化を進めようとしている


▲△▽▼


馬渕睦夫さんは唯の国際化とグローバリズムとは全く違う概念だと何度も言っています。

馬渕睦夫さんがグローバリズムと言っているのは

ユダヤ国際金融資本はユダヤ教の精神に基づいて、世界を国境の無い文化も同じ一つの国にしようとしているという事ですね。

ユダヤ教は人類で最後に救われるのはユダヤ人だけで、他民族はすべて滅ぼされるという教義です。

すべて滅ぼすのは無理なので、ユダヤ人が目指す現実性のある理想の社会は
1%のユダヤ人が資産や権力を独占して、99%の他民族は被支配者として搾取される世界なんですね。

北朝鮮みたいな共産国家なら大体その通りになっていますよね。

それから中国では都市籍の人間が農民籍の人間を支配搾取する体制になっていますよね。
中国の経済発展は都市籍の人間が農民籍の人間をタダ同然で働かせる事ができたからだというのが定説ですね。


マルクス主義で言う平等というのは 99% の被支配者の間では階級差別が全く無いというだけの話です。

竹中平蔵さんが、

派遣社員と正社員と待遇が違うのは平等の精神に反するから、正規社員も非正規社員と同待遇にしろ

と言っているのも 99% の被支配者の間では階級差別が有ってはいけないという主張ですね。


だから、ユダヤ人は最初は共産化で 1% 対 99% の世界を作ろうとしたのです。


▲△▽▼

馬渕睦夫さんが何度も言っていますが、国際化とグローバリズムとは全く違う概念なのですね。
それは航空機で欧米に数時間で行ける時代だから、海外との輸出入も旅行も技術交流や留学も簡単になった。
コカコーラやネスカフェやマクドナルドは世界中どこでも手に入る様になった。

しかし、それはあくまでも国際化であってグローバリズムとは関係ない

移民を入れたらチャイナタウンとかモスクを中心とするイスラム人居住区みたいな国家内に別国家ができてしまうので、唯の国際化とは次元が違うものなんですね。

ユダヤ資本は利潤を最大化したいだけなので、

・言語はすべて英語に統一して、それ以外のローカルな諸言葉はすべて廃止する
・民族ごとに違う習慣や伝統はすべて止めさせて、世界標準の生活様式に統一する
・賃金は民族によらず、すべて同一作業同一賃金にする

という環境を作りたいのです。


グローバリズム=共産主義

というのは、どちらも 1% 対 99% の世界を作って、

99%の中では民族による賃金や福祉等の差別はしない、中国人でも日本人でも賃金はすべて同一にする(賃金は安い方に統一する)

という事なのですね。

それで、レーニンやスターリンやトロツキーの様な反民族主義のユダヤ系のグローバリストが共産革命を起こし、ユダヤ資本が共産国家を支援した

馬渕睦夫さんはそういう歴史的事実を信頼できる資料と客観的事実に基いて具体的に指摘したというだけです。


▲△▽▼


グローバリズムというのは19世紀の帝国主義と同じものだというのが定説
国家より金融資本の力が上になっている状態の事

19世紀と今の違いは、植民地を作って直接支配するのを止めて、傀儡政権を作って経済支配だけする方向に変わった事

民主主義は国家がないと成り立たないから、グローバリズムは民主主義とは相容れない
それでマスコミ操作で単純な一般人を洗脳して騙す手口を実行しているんだ

アホは平和、友愛とか多文化共生という言葉に弱いから、騙すのが簡単なんだ:


【馬渕睦夫】メディアは「意図的」に洗脳している。マスコミの正体を暴露しよう - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1UVE71XxbHk
___

【馬渕睦夫 河添恵子】「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露! NHK内部にまで浸透済みだ! 2018年12月17日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=SGKFLrySAHs

2018/12/16 に公開
馬渕睦夫 河添恵子氏の解説から
「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露!
NHK内部にまで浸透済みだ!
朝日、毎日をはじめとする新聞、NHK、TBSといった地上波テレビなど、既存メディアは、真実を見せなくなっているのではないでしょうか?
___


馬渕睦夫★日本のテレビから外国人スパイを淘汰しろ!
なぜ天皇陛下が農業するのか?その意味と譲位日程の秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DPaPO66OWBk&app=desktop

2017/12/07 に公開

▲△▽▼


マスコミは何時からフェイクニュースを流す様になったのか


現代のグローバリズムは19世紀の帝国主義の進化したものです。

昔は植民地を直接軍事支配して搾取していたのを、傀儡政権を作って経済支配してスマートに収奪する手口に変えたのですね。

国際金融資本は利潤を最大化する事だけが指導原理なので、国家や民族文化や民族ごとに違う言語・生活様式等はすべて非関税障壁になります。

また、民主主義は国家がないと成り立たないので、グローバリズムは民主主義とは相容れません。

それで国際金融資本はマスコミ操作で単純な一般人を洗脳して騙す手口を実行しているのです。

アホは平和、友愛とか多文化共生という言葉に弱いから、騙すのが簡単なんですね。

マスコミの正体は馬渕睦夫さんが明快に解明しています:


▲△▽▼


ひとりがたり馬渕睦夫 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PL7MaEu9i584fGdp78r27h-eH0rmWLioEC

2018/06/22 に公開
待望の馬渕睦夫大使の新番組がスタート!激動する世界、今の日本に必要なのは何か?どんな危機が訪れているのか?マスメディアでは伝えられない世界の真実と、馬渕睦夫の「眼」をお届けいたします。
 
______


【馬渕睦夫】メディアは「意図的」に洗脳している。マスコミの正体を暴露しよう - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=1UVE71XxbHk


___


【馬渕睦夫 河添恵子】「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露! NHK内部にまで浸透済みだ! 2018年12月17日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=SGKFLrySAHs

2018/12/16 に公開
馬渕睦夫 河添恵子氏の解説から

「NHKは人事まで中国大使館の支配下にある」と馬渕睦夫 河添恵子氏が暴露!
NHK内部にまで浸透済みだ!
朝日、毎日をはじめとする新聞、NHK、TBSといった地上波テレビなど、既存メディアは、真実を見せなくなっているのではないでしょうか?
___

馬渕睦夫★日本のテレビから外国人スパイを淘汰しろ!
なぜ天皇陛下が農業するのか?その意味と譲位日程の秘密 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DPaPO66OWBk&app=desktop

2017/12/07 に公開
 


▲△▽▼


馬渕睦夫さんが明らかにしていますが

体制側=リベラル・グローバリズム・左翼=親ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、FBI、マスコミ、ソ連共産党、中国共産党、天皇一族、日本の官僚
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、レーニン、スターリン、ボリス・エリツィン、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


反体制側=反リベラル・反グローバリズム・民族主義・右翼=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、ヒトラー、サダム・フセイン、カダフィ、アサド、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。

マスコミは国際金融資本が経営しているので、当然体制側(グローバリズム)に都合の悪いニュースは絶対に流しません。

というより、改竄・捏造してでっち上げたニュースをあたかも事実であるかの様に流布させています。 間違いを指摘されても絶対に訂正しません。


反ユダヤ、反グローバリズム、反共、反リベラルのヒトラーやサダム・フセイン、カダフィは今迄ずっと極悪人扱いされてきましたが、

ユダヤ資本が支配しているマスコミが現在でもシリア毒ガス兵器の様な悪質な捏造ニュースばかり流している事を考えると、ヒトラーやサダム・フセイン、カダフィについても、有る事無い事 根も葉も無い嘘とデマを撒き散らした可能性が高いです。

そうでなければ、ドイツ女性の熱狂的なヒトラー崇拝やサダム・フセイン、カダフィの自国民からの圧倒的支持を説明できないのです:


第一次湾岸戦争時の「ナイラ証言」

アメリカ政府もメディアも、イラク攻撃の世論作りのために露骨な捏造と情報操作をおこなった。世界が、みごとに嵌められてしまった。

「ナイラ証言」というのは、完璧な捏造であることがはっきりしている。ナイラというクウェートの少女が、米公聴会で「イラクの兵士がクウェートの産院の乳飲み子を保育器からだし、次々と床に叩きつけて殺したのを見た」と涙ながらに証言した。

しかし、後にこの少女は、駐米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいたことが分かった。つまり、証言は真っ赤なウソだった。この証言は、アメリカの広告代理店がシナリオを作り演出したものだった。リハーサルもきちんとしていた。もちろん、スポンサーはアメリカ政府以外にない。ただし、捏造がニューヨークタイムズで暴かれたのは、1年3ヶ月後のことだ。

この「ナイラ証言」が出るまでは、アメリカの世論は反戦が多数を占めていた。しかし、この証言で世論は一気に会戦へと転じた。周到に準備された、たったひとつの捏造が、世論を完璧に逆転させてしまった。しかも、素人の少女のウソ泣きによって。


クウェートから逃げてきたとされる少女の証言だ。そのクウェート人少女は、アメリカ議会の公聴会でこう証言した。

「サダム・フセインの軍隊が病院に乱入して、保育器から赤ん坊を取り出し、床に叩きつけて殺した。私はこの目で目撃した」

 と、少女は涙を流しながら証言した。

 ところが、この公聴会での少女の証言は、真っ赤なウソだった。
 事前にアメリカの広告代理店が綿密なシナリオをつくり、何度もリハーサルをした上での証言だった。当の少女が後に暴露した。
http://www.asyura2.com/08/lunchbreak13/msg/753.html


▲△▽▼


馬渕睦夫
日本では5万人の中国人が工作活動に従事している:


河添恵子#8-1 ゲスト:馬渕睦夫★リアルに存在するスパイ&工作員の実態 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ukhGim45GB0


阿修羅掲示板で毎日毎日嘘八百のデマを垂れ流している自称赤かぶ氏は明らかに中国の工作員グループですね。


赤かぶ=中国の工作員グループ

は真実を隠蔽し埋没させる為に毎日毎日必死の工作活動をしているのです


▲△▽▼


関連投稿

世界を救うトランプ _ ディープステート vs. ドナルド・トランプ
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/347.html

ヒラリー・クリントンの正体
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/324.html

アメリカが中国を世界の工場にして、日本の競合メーカーを壊滅させた手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/321.html

プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html

命を賭して悪の帝国と闘ったサダム・フセイン
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/298.html

意図的な世論誘導報道で悪魔呼ばわりされているシリア アサド大統領
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/816.html

J・F・ケネディ-は何故暗殺されたのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/325.html





▲△▽▼

2017-08-22 反日工作を放置しておくと、やがて日本人の人権も抹殺される

中国・韓国・北朝鮮は、今やなりふり構わず、日本を貶める動きを全方位に、徹底的に、執拗に、展開している。

すでにこの特定アジア三ヶ国は、日本を明確に敵として認定し、日本を叩きのめそうと悪意を持って仕掛けてきている。これは、戦争行為と言っても良い。

中国・韓国・北朝鮮は、すでに日本に敵対しているのである。

これらの反日国家は日本を敵として認識して動いているのだが、逆に日本人には中韓友好や自虐史観を押し付けて敵対させないようにしている。

このような現実は、ここ数年で多くの若者がインターネットで知るようになった。

インターネットでは、すでに反日国家に乗っ取られたメディアによる露骨な偏向報道はさんざん指摘されている。そして、いよいよこの偏向報道に対抗する動きも出てきた。

たとえば、「放送法順守を求める視聴者の会」などは、その先頭に立っていると言える。

(「放送法順守を求める視聴者の会」)
http://housouhou.com/


高齢層が反日メディアに操られて洗脳されていく

「放送法順守を求める視聴者の会」は、いかにマスコミが偏向しているのかを意見広告を新聞に載せて、日本のマスコミの偏向ぶりを世に知らしめようとしている。

これは非常に重要な動きであると言える。偏向が為されていることを、新聞に情報を頼っている高齢層に届けようとしているからだ。

何としてでも、インターネットを使うことのない高齢層に、情報が届かなければならないのだ。

テレビや新聞は、今やインターネットが使えない高齢層の御用達のメディアとなっている。長い時間をかけて中国・韓国・北朝鮮の工作員がこのメディアを押さえてしまった。

だから日本のテレビや新聞は「反日メディア」と化してしまい、反日の記者が跋扈し、反日のコメンテーターが毒々しいコメントを垂れ流し、反日の知識人がうろつくような吐き気を催すような世界と化したのだ。

そして、世界でも類を見ない超高齢化社会の日本で高齢層が洗脳されたままとなっており、偏向報道にやられっぱなしになっている。

一部の賢明な高齢層はもちろん、マスコミが安っぽいアジビラみたいになってしまったのに気付いているが、ほとんどの高齢層は、まだ何も気付いていない。

未だにテレビや新聞が中立だと思っているし、まして中国・韓国・北朝鮮が敵国になったという自覚もない。子供のように素直にテレビや新聞を信じている。

韓国の工作員どもに乗っ取られたテレビ局は、繰り返し繰り返し韓流だとかいう韓国礼賛を高齢者に見せて洗脳させ続けてきた。

洗脳を甘く見てはいけない。いったん洗脳されると、自分が洗脳されたと気付いても抜けられないのである。

(17年経っても消えないマインド・コントロールの恐ろしい手口)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/06/20120621T1717000900.html


そのため、根深い洗脳から脱することができない手遅れの高齢者もいる。


今の日本は、敵を敵と言うことすらもタブーだ

こういった害悪のあるメディアに洗脳された高齢者が、中国・韓国・北朝鮮が敵対化した危険な国家であるという認識がすっぽりと抜ける。

そして、「隣国だから仲良くしないといけない」とか「相手が納得するまで謝り続けなければならない」みたいなことを言う人間に誘導されて、本当にそう思い込んでしまうのである。

中国・韓国・北朝鮮が、日本を敵と認定して激しい反日工作を仕掛けているのに、それを自覚していない高齢者が山ほどいる。これがどれだけ危険なことなのか分かるはずだ。

今の状況では、中国・韓国・北朝鮮の工作員の誘導するがままに高齢層が操られる。

このような状況の中、反日国家に対抗しようとする日本人はまだまだ少ない。彼らが日本にとって危険な存在になっていることに気付いても、どうしていいのか分からずに右往左往しているだけだ。

それに比べて、中国・韓国・北朝鮮の反日は、国そのもので組織的に動いている。日本人がまったく組織化されていないにも関わらず、彼らは徹底的に組織化された効率的なグループで動いているのだ。

客観的に状況を見ると、今の「烏合の衆」のままでは、日本人は中国・韓国・北朝鮮の反日工作に飲まれて負けていくのは確実だ。

日本人は政治的な民族ではない。これは民族的な気質だから仕方がないのだが、その弱点を突かれ、どんどん日本の中枢を食い荒らされるがままになっている。

本来であれば、日本は反日言動をする中国・韓国・北朝鮮とは国交断絶をしなければならない時期にきている。

それなのに、政財界やジャーナリストを見て欲しい。まだ、誰ひとりとして「国交断絶」を訴える人間がいない。

これは異様なことではないだろうか。誰も正論を「言えない」のである。誰も守ってくれないからだ。叩かれるからだ。干されるからだ。孤立してしまうからだ。

今の日本は、敵を敵と言うことすらもタブーにされている。


「日本人に人権はない」ということになるのだ

日本人ひとりひとりが覚醒しなければならないときがきているのに、まったく覚醒できていないと言っても過言ではない。その結果、日本は追い詰められていく。

このまま放置していくと、侵略は静かに進み、日本の領土は奪われ、日本人は全員が反日国家に戦争犯罪者として認定され、「日本人に人権はない」ということになる。

これは日本人の誰もが他人事ではない。日本人すべてが当事者だ。私たちは日本人だというだけで、激しい憎悪にさらされて、どんどん追い詰められていく。

2012年の反日暴動で、中国人が「日本の男を見たら、すぐに殺せ! 日本の女を見たら、すぐに犯せ!」と煽っていたのはよく知られている。

(「日本の男を殺せ、日本の女を犯せ」と、中国で煽られている)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/09/20120918T1545000900.html

実際に、「日本人か?」と確認して、日本人だと分かったら殴ったり蹴ったりするような暴力を振るうようなケースも山ほどある。

大阪では、「生粋の日本人ですか?」と確認して高齢者を殺す狂った男まで出現した。

(「日本人を殺せ!」が、いよいよ実際の行動として表れてきた)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130523T1644000900.html


2017年8月22日には、東京世田谷区三軒茶屋のコンビニエンスストアで金輝俊(キム・フィジュン)という40歳の男が包丁を日本人女性の首に突き立てて殺そうとする事件があったのだが、この男はツイッターで「日本人を大量虐殺する」と宣言する気の狂った人間のクズだった。(「金輝俊(キム・フィジュン)・ツイッター」で検索)

言うまでもなく、反日という感情は妥協のない憎悪なのである。それは日本人を差別し、日本人を殺すことを正当化する。対馬から仏像を盗んでも、靖国神社に小便を垂れ流しても、仏像を叩き壊しても、すべて正当化される。

これほどまで危険が目に見えているのに、まだ何も知らないフリをするつもりなのだろうか?

敵を敵と客観的に認識すらもできないのだから、このまま推移すると、どれほど日本人の立場が悪くなっていくのか想像するのも恐ろしい。


言うまでもなく、反日という感情は妥協のない憎悪なのである。それは日本人を差別し、日本人を殺すことを正当化する。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/08/20170822T1800270900.html
 

▲△▽▼


スイスが警戒する「国家乗っ取り」
スイスは永世中立国として有名だが、中立を保つのは日本の左翼が言うほど簡単ではありません。

中立を保つという事はいかなる大国が侵略してきても、全国民が玉砕覚悟で戦って、独立を保つという事です。

中立とは実は平和とは正反対で、非常に好戦的で戦争を厭わない覚悟が無い国にはできません。


スイスは人口837万人の小国に過ぎず、ここに例えば人口13億人の中国人と、14億人のインド人の0.1%が移住しただけで、25%を占めてしまいます。

隣りのドイツ人やフランス人が少し移住しただけでもう過半数が移住者になってしまい、あっけなく植民地になります。

スイスは国家乗っ取りを警戒し、乗っ取り防止マニュアルなるものも作成しています。


第一段階は政府の中枢に工作員を送り込む。最近ニュージーランドの国会議員に中国諜報部で訓練を受けたスパイが居るのが分かり、大騒ぎしています。

第二段階はマスコミを掌握し大衆を誘導する。フジテレビ、NHK、テレビ朝日などは韓国や中国に不都合なニュースを絶対に放送しないようにしています。

第三段階は教育に浸透し、国家意識を破壊する。「愛国心はナチズムや帝国主義だ」等というのが常套手段です。


第四段階は抵抗意識の破壊で、平和主義や平等などの概念を植えつける。心が弱い人間ほど「平和を支持します」などの言葉に弱い。

第五段階はメディアによって考える力を奪う。東京都民はなぜか、テレビで人気キャスターが褒めている候補者に投票し、自分で考えていません。

最終段階は狙った国の人々が無抵抗になったのを見計らい、大量に移住し植民地にする。


西洋帝国主義や中国王朝などは数千年に渡って、こうして狙った国を植民地にしてきました。
http://www.thutmosev.com/archives/72673897.html




5. 中川隆[-13051] koaQ7Jey 2019年1月13日 08:34:25: b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22222] 報告
▲△▽▼

米国、「中国渡航者に警告」中国通信アプリで事件に「巻き込まれる」2019年01月13日
   

中国政府は、昨年から米国籍者の中国渡航に厳重注意をしてきたが、新年に入っても警告を続けている。中国は、カナダでファーウェイ副会長が逮捕(現在、保釈)された報復として、カナダ人二人を拘束している。「人質」という意味だ。

米国政府は、中国政府が「恣意的」に外国人を拘束するケースが多いので、米国籍保有者に中国渡航のリスクを告知しているもの。まだ、被害者は出ていないが、中国政府は何をするか分らない不気味さがある。米カリフォルニア大が、中国渡航者に次のような警告を出している。

『共同通信』(1月12日付)は、「米大学、中国で通信アプリ自粛要請 教授らに警告」と題する記事を掲載した。

(1)「米カリフォルニア大が学術交流などで中国に渡航する教授や学生らに対し、滞在中『ワッツアップ』や中国の『微信(ウェイシン)』などの通信アプリを使わないよう警告するメールを12日までに送っていたことが判明した。やりとりが当局に悪用される恐れがあるためとしている。米CNNテレビなどが報じた。カナダ当局が米国の要請で中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の女性幹部を拘束して以降、米国内で中国による報復に警戒が強まっている実態が改めて浮き彫りになった形」

中国へ渡航する学者や学生が、中国アプリを使用する場合、その通信内容はすべて当局に監視されていると見なければならない。その際、中国を批判するような通信記録があれば、それを理由に拘束され、中国のスパイにさせられる危険が高い。

日本人記者でも、中国の落し穴に引っかけられるリスクがあるので、中国旅行中でも手荷物は手元に置いているという。網棚に上げて居眠りでもしていると、その間に機密資料を鞄に入れられ、それを理由に逮捕・拘留される危険性が高いのだ。要するに、専制国家ゆえに危険な国であることを認識すべきである。


(2)「同大学はロサンゼルス、バークリー、サンフランシスコなどにキャンパスを持つ全米最大規模の研究機関。ほかの大学などでも同様の措置を取っている可能性がある。報道によると、メールは7日、大学のリスク対策部門の担当者が送信。米国務省も3日、中国に渡航する米国民向けの安全情報を更新し、中国当局による『恣意的な法執行』に注意が必要だと警告した」

米国務省は、昨年12月1日、華為技術(ファーウェイ)副会長がカナダで逮捕された問題を受け、中国に渡航する米国民への新たな注意喚起を検討してきた。昨年1月に更新された最新の国務省の海外渡航情報によると、中国の注意レベルは4段階で下から2番目。中国への渡航者は、「恣意的な法の運用や、米・中国の二重国籍者への特別な制限があるため、十分な注意」を求めていた。

米国務省は1月3日、正式に中国への渡航者に安全情報を提供し、同国内での恣意的な取り締まりへの警戒を強めるよう呼びかけた。渡航に伴う危険度の区分は、「普段以上の注意」が必要なレベル2で従来通りとなっている。

日本でも、中国への渡航は要注意である。中国人で日本へ帰化した人の場合は、特に中国でマークされている。日本で教師を務める「某氏」は、帰化しており日本名になっている。中国の親族に会うため中国へ帰ったところ、二度も「中国名」で呼び止められたという。中国渡航情報が、完全に中国側へ漏れているのだ。日本側に、中国へ通報する「協力者」がいるのだ。


中国を批判する投稿やメールを送っている人は、絶対に中国へ行ったら危険である。かく言う私は、最も危険な立場におかれているので、海外旅行を控えている。中国でなくても、どこに「その筋の人間」が隠れているか分らないのだ。中国は、それほど危険な国に堕している。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.com/archives/14959669.html


http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/582.html#c31

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
149. 中川隆[-12301] koaQ7Jey 2019年2月09日 21:10:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
不安を煽ったのは誰?
「2020年景気後退」「2019年バブル崩壊」説は大きく後退へ=藤井まり子 2019年2月7日
https://www.mag2.com/p/money/634079


グローバルマーケット、特に米国株式市場では、むちゃくちゃ強気が蘇っています。「2020年景気後退」「2019年バブル崩壊」説が大きく後退しているのです。

シーゲル博士「2019年の米国株は10〜20%の上昇」と上方修正

アメリカ株式市場では既に強気が蘇っている!

グローバルマーケット、特にアメリカ株式市場では、既にむちゃくちゃ強気が蘇っています。

昨年2018年秋から12月にかけて、「アメリカ株式市場はバブル崩壊」なんて言ってた人は誰でしょう?投資銀行では、モルガンスタンレーが弱気(=アメリカのバブル崩壊)の論陣を張っていたような記憶があります。日本国内では、日経新聞さんがじっくり1年くらい時間をかけて、極度の弱気の論陣を張っていたような記憶があります。経論家では山崎元氏、学者さんではアンチリフレ派の小幡績氏などが、弱気派の筆頭でしたね…。

彼ら「2018年から2019年にはバブル崩壊」派の論陣の中身は、
・イールドカーブがフラット化している
・アメリカの失業率が3%台にまで下がったら、アメリカの景気後退は近い
などと、危機前の高インフレ時代に使い古された旧態依然の経験則で弱気の論陣を張っていました。

バカを言ってはいけません!

サブプライム危機後の今は、アメリカでもユーロ圏でも(もちろんこの日本でも)、「多くは望まないけれども、せめて日本経済のようなデフレやディスインフレ状態に陥るのを回避して、2%前後のインフレ率を長期間維持してゆく」ということが、最優先課題になっているんです。

「労働分配率の低下」「格差の拡大」が深刻な問題に

危機「前」ならば、(日本を除けば)世界経済では2%インフレはらくらく達成できました。ところが、危機「後」は、その2%もの比較的低めのインフレ率でさえ、あのアメリカでも達成し続けることが危うくなりかけているのです。

しかも、あの中国は2011年からず〜っと経済のソフトランディングに四苦八苦し続けていて、周期的に世界中に「デフレ圧力」をまき散らし続けているんです。

「トランプの大型減税がノイズ」になって分かりにくくなっていますが、FRBもECBもそして日銀も「金融緩和の継続」のほうが長くなってしまいがちなんです。

しかも、今は、賃金上昇率がグローバル規模で安定し過ぎていて、なかなか上昇しない状態。IT化やロボット化やAI化やグローバリゼーションが賃金上昇率に歯止めをかけています。

直近では、優良企業でさえも渋ちんになってきて(アマゾンなんかがその代表例ですね)、いくらバカスカ稼いでも単純労働者の賃金を上げなくなっているんです。労働分配率が下がっているんです(悲しいことに、この労働分配率の低下は株式市場にとっては朗報です)。



マクロ的には、労働者が二極分解してしまって、中間層がどんどん下層へ落ちて行ってしまって、グローバル規模で高い成長率を維持できなくなってしまっています。格差が拡大しているんです。

ですから、アメリカ政治でもヨーロッパ政治でも「ポピュリズムのうねり」がどんどん大きくなっていっているんです。

2016年にはイギリスでは国民投票でブレグジットが選択されて、トランプ政権の誕生を許してしまいました。2018年にはドイツではメルケルが失脚、フランスではパリが燃え、ヨーロッパ各地で極左・極右政党が躍進しているわけです。

この「労働分配率の低下」「格差の拡大」は本当に深刻な問題です。

こういう時代こそは政治家が頑張って、せめて日本並みくらいには、税制を「中間層に手厚く行き渡るようにする」流れが欧米でもぜひとも必要なんですが、

アメリカっていう国はどうしようもないですね…。

あのアメリカでは、トランプ大統領の「お金持ちと大企業に超甘の大型減税」が成立して、労働者階級がトランプ大統領にすっかり騙されてしまっているわけです…。


「2020年景気後退」「2019年バブル崩壊」説は大きく後退へ

話をもとに戻しましょう。こういった「インフレ率」が低い時代は、昨年12月からお伝えしておりますように、1970年代から2008年までの「高インフレ時代のイールドカーブの経験則」では将来は予測できません(きっぱり)。

さらには、昨年夏以来ずっとお伝えしておりますように1970年代から2008年までの「高インフレ時代のフィリップス曲線の経験則」では、将来は予測できません(きっぱり)。

あのアメリカでも、失業率が下がっても、「将来不安」を理由に、あるいは「長生き時代の生きがい」を求めて、高齢者を中心に再び労働市場に戻ってくる人々が増えています。かくして失業率がどんどん低下して「人手不足」になっても、続々と参入する労働者が増えるので、労働市場がひっ迫しません。労働市場がひっ迫しないので、賃金がたいして上昇しません。

ですから、あのアメリカでも、失業率が3%台に下がっても賃金上昇率が勢いよく上昇しないので、インフレは落ち着いたままです。すなわち、「従来型のフィリップ曲線の理論」が通用しなくなっているのです。

昨年夏からいや、1年以上前から繰り返しお伝えしておりましたように、
・2019年1月にはパウエルFRBは利上げを先送り
・2019年1月にはパウエルFRB議長は金融緩和策へと大転換
となったわけです。

ただし、これには大前提があります。アメリカの長期金利が上昇しないことです。

かくして、モルガンスタンレーや日経新聞さんや一部の識者の方々が声高に唱えていた「2020年のアメリカ経済の景気後退入り」説や「2019年のバブル崩壊」説の可能性は、目下のところ、大きく後退しています。

シーゲル博士「2019年の米国株式市場は10〜20%の上昇」

ジェレミー・シーゲル博士もアメリカ株式市場について強気を強めています(ちなみに、ロバート・シラー博士も、JPモルガンをはじめとする投資銀行たちも、一斉に強気へと転じています)。

昨年2018年末には、シーゲル博士は、他の強気派の投資銀行やシンクタンクたちと同様に、「2019年のアメリカ株式市場は5%〜15%上昇する」と予測していました。

しかし、2月1日発表の「絶妙とも言えるアメリカの1月の雇用統計」を受けて、シーゲル博士はこの予想を上方修正します。同じく、2月1日の雇用統計を受けて、JPモルガンも「アメリカ株式市場は2018年の最高値を超える可能性が出てきた」と予測を修正しています。

では、その「1月の雇用統計」の中身はどんなだったのでしょうか?

シーゲル博士曰く、


◾目下のところ、最大のリスクは、「インフレが予想以上に高進してFRBが引き締め過ぎる」ことだが、明らかにこういう話は出ていない。
◾1月30日のFOMCで、マーケットはパウエルFRB議長とFOMCから「これ以上ない贈り物」を受け取った。利上げを停止するだけでなく、「バランスシート縮小」も当初予想より小幅になるという内容の「ハト派スタンスの贈り物」だ。これで、「金利上昇への心配」だけでなく「流動性逼迫の心配」も後退した。
◾合わせて2月1日発表の「アメリカの雇用統計」も「完全にすばらしい数字」だった。特に、労働参加率の上昇は良かった。労働参加率は6年ぶりに高水準だったことは、株式市場にとってはとても朗報だ。これで、労働市場のひっ迫が少なくなり、「労働市場のひっ迫から賃金上昇へ、賃金上昇からインフレ上昇への波及」の心配が小さくなった。
◾これは、労働市場に戻って来る人たちが多いので、労働市場がひっ迫せずに、賃金が急騰しない。結果、インフレ昂進が起こらないといった「株式市場にとっては絶妙に好ましいバランスだ。

インフレを恐れる必要のないFRBは、当面はハト派的なスタンスを継続できることでしょう。

その結果、シーゲル博士は、昨年末、「2019年のアメリカ株式市場は5%から15%上昇する」との予想を「2019年のアメリカ株式市場は10%から20%の上昇をするだろう」と上方修正しました。

(アメリカ株式市場は今年に入ってからすでに7〜8%上昇していますから、差し引いてもまだまだ「2〜3%から12〜13%」前後は上昇する可能性が残っているわけです。)


ワイルドカードは「米中貿易協議」

シーゲル教授も、やはり、たとえトランプが国家非常事態宣言を発動して政府機関のシャットダウンを再開させようとしても、裁判所がこれを却下するので、「シャットダウンが再び起こることはない」と見ているようです。

一方で、博士は、米中貿易協議は「ワイルド・カード」だとしています。米中貿易協議の今後の進展次第では、上方リスクも下方リスクもあるとしています。

「3月1日のタイムリミットまでに米中の貿易交渉がうまくゆけば、そして、その時のアメリカの長期金利がまだ低ければ、アメリカ株式市場はまだまだ5%くらいの上昇が期待できるだろう。」としています。

「長期金利の上昇」が米国株式市場の最大の敵

2018年のアメリカ株式市場は、長期金利の上昇が壁になっていたことは、皆様ご存知の通りです。2018年10月の下落は、長期金利が3.25%にタッチしたときに始まりました。

やはり、2019年においても、長期金利の上昇がアメリカ株式市場の「最大の敵」になるようです。

シーゲル予測やJPモルガン予測は、あくまで「アメリカの長期金利が安定している」ことが前提の予測ですが、今のアメリカ株が2019年にはうまくゆけば10%〜20%の上昇を示すことでしょう。

ということで、今年もアメリカの長期金利の上昇には要注意です。

当メルマガでは、ラガルドIMFなどの通貨マフィアたちから、黒田日銀は、アメリカの長期金利の上昇を抑え込むためにも、3月か4月には「外債購入」という「追加の金融緩和策」を求められている可能性が高いと、予測しています。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c149

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
36. 中川隆[-12300] koaQ7Jey 2019年2月09日 21:18:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

不安を煽ったのは誰?
「2020年景気後退」「2019年バブル崩壊」説は大きく後退へ=藤井まり子 2019年2月7日
https://www.mag2.com/p/money/634079


グローバルマーケット、特に米国株式市場では、むちゃくちゃ強気が蘇っています。「2020年景気後退」「2019年バブル崩壊」説が大きく後退しているのです。

シーゲル博士「2019年の米国株は10〜20%の上昇」と上方修正

アメリカ株式市場では既に強気が蘇っている!

グローバルマーケット、特にアメリカ株式市場では、既にむちゃくちゃ強気が蘇っています。

昨年2018年秋から12月にかけて、「アメリカ株式市場はバブル崩壊」なんて言ってた人は誰でしょう?投資銀行では、モルガンスタンレーが弱気(=アメリカのバブル崩壊)の論陣を張っていたような記憶があります。日本国内では、日経新聞さんがじっくり1年くらい時間をかけて、極度の弱気の論陣を張っていたような記憶があります。経論家では山崎元氏、学者さんではアンチリフレ派の小幡績氏などが、弱気派の筆頭でしたね…。


彼ら「2018年から2019年にはバブル崩壊」派の論陣の中身は、

・イールドカーブがフラット化している

・アメリカの失業率が3%台にまで下がったら、アメリカの景気後退は近い

などと、危機前の高インフレ時代に使い古された旧態依然の経験則で弱気の論陣を張っていました。

バカを言ってはいけません!

サブプライム危機後の今は、アメリカでもユーロ圏でも(もちろんこの日本でも)、「多くは望まないけれども、せめて日本経済のようなデフレやディスインフレ状態に陥るのを回避して、2%前後のインフレ率を長期間維持してゆく」ということが、最優先課題になっているんです。

「労働分配率の低下」「格差の拡大」が深刻な問題に

危機「前」ならば、(日本を除けば)世界経済では2%インフレはらくらく達成できました。ところが、危機「後」は、その2%もの比較的低めのインフレ率でさえ、あのアメリカでも達成し続けることが危うくなりかけているのです。


しかも、あの中国は2011年からず〜っと経済のソフトランディングに四苦八苦し続けていて、周期的に世界中に「デフレ圧力」をまき散らし続けているんです。

「トランプの大型減税がノイズ」になって分かりにくくなっていますが、FRBもECBもそして日銀も「金融緩和の継続」のほうが長くなってしまいがちなんです。

しかも、今は、賃金上昇率がグローバル規模で安定し過ぎていて、なかなか上昇しない状態。IT化やロボット化やAI化やグローバリゼーションが賃金上昇率に歯止めをかけています。

直近では、優良企業でさえも渋ちんになってきて(アマゾンなんかがその代表例ですね)、いくらバカスカ稼いでも単純労働者の賃金を上げなくなっているんです。労働分配率が下がっているんです(悲しいことに、この労働分配率の低下は株式市場にとっては朗報です)。

マクロ的には、労働者が二極分解してしまって、中間層がどんどん下層へ落ちて行ってしまって、グローバル規模で高い成長率を維持できなくなってしまっています。格差が拡大しているんです。

ですから、アメリカ政治でもヨーロッパ政治でも「ポピュリズムのうねり」がどんどん大きくなっていっているんです。

2016年にはイギリスでは国民投票でブレグジットが選択されて、トランプ政権の誕生を許してしまいました。2018年にはドイツではメルケルが失脚、フランスではパリが燃え、ヨーロッパ各地で極左・極右政党が躍進しているわけです。

この「労働分配率の低下」「格差の拡大」は本当に深刻な問題です。

こういう時代こそは政治家が頑張って、せめて日本並みくらいには、税制を「中間層に手厚く行き渡るようにする」流れが欧米でもぜひとも必要なんですが、

アメリカっていう国はどうしようもないですね…。

あのアメリカでは、トランプ大統領の「お金持ちと大企業に超甘の大型減税」が成立して、労働者階級がトランプ大統領にすっかり騙されてしまっているわけです…。


「2020年景気後退」「2019年バブル崩壊」説は大きく後退へ

話をもとに戻しましょう。こういった「インフレ率」が低い時代は、昨年12月からお伝えしておりますように、1970年代から2008年までの「高インフレ時代のイールドカーブの経験則」では将来は予測できません(きっぱり)。

さらには、昨年夏以来ずっとお伝えしておりますように1970年代から2008年までの「高インフレ時代のフィリップス曲線の経験則」では、将来は予測できません(きっぱり)。

あのアメリカでも、失業率が下がっても、「将来不安」を理由に、あるいは「長生き時代の生きがい」を求めて、高齢者を中心に再び労働市場に戻ってくる人々が増えています。かくして失業率がどんどん低下して「人手不足」になっても、続々と参入する労働者が増えるので、労働市場がひっ迫しません。労働市場がひっ迫しないので、賃金がたいして上昇しません。

ですから、あのアメリカでも、失業率が3%台に下がっても賃金上昇率が勢いよく上昇しないので、インフレは落ち着いたままです。すなわち、「従来型のフィリップ曲線の理論」が通用しなくなっているのです。


昨年夏からいや、1年以上前から繰り返しお伝えしておりましたように、

・2019年1月にはパウエルFRBは利上げを先送り

・2019年1月にはパウエルFRB議長は金融緩和策へと大転換

となったわけです。

ただし、これには大前提があります。アメリカの長期金利が上昇しないことです。

かくして、モルガンスタンレーや日経新聞さんや一部の識者の方々が声高に唱えていた「2020年のアメリカ経済の景気後退入り」説や「2019年のバブル崩壊」説の可能性は、目下のところ、大きく後退しています。

シーゲル博士「2019年の米国株式市場は10〜20%の上昇」

ジェレミー・シーゲル博士もアメリカ株式市場について強気を強めています(ちなみに、ロバート・シラー博士も、JPモルガンをはじめとする投資銀行たちも、一斉に強気へと転じています)。


昨年2018年末には、シーゲル博士は、他の強気派の投資銀行やシンクタンクたちと同様に、「2019年のアメリカ株式市場は5%〜15%上昇する」と予測していました。

しかし、2月1日発表の「絶妙とも言えるアメリカの1月の雇用統計」を受けて、シーゲル博士はこの予想を上方修正します。同じく、2月1日の雇用統計を受けて、JPモルガンも「アメリカ株式市場は2018年の最高値を超える可能性が出てきた」と予測を修正しています。

では、その「1月の雇用統計」の中身はどんなだったのでしょうか?

シーゲル博士曰く、


◾目下のところ、最大のリスクは、「インフレが予想以上に高進してFRBが引き締め過ぎる」ことだが、明らかにこういう話は出ていない。

◾1月30日のFOMCで、マーケットはパウエルFRB議長とFOMCから「これ以上ない贈り物」を受け取った。利上げを停止するだけでなく、「バランスシート縮小」も当初予想より小幅になるという内容の「ハト派スタンスの贈り物」だ。これで、「金利上昇への心配」だけでなく「流動性逼迫の心配」も後退した。

◾合わせて2月1日発表の「アメリカの雇用統計」も「完全にすばらしい数字」だった。特に、労働参加率の上昇は良かった。労働参加率は6年ぶりに高水準だったことは、株式市場にとってはとても朗報だ。これで、労働市場のひっ迫が少なくなり、「労働市場のひっ迫から賃金上昇へ、賃金上昇からインフレ上昇への波及」の心配が小さくなった。

◾これは、労働市場に戻って来る人たちが多いので、労働市場がひっ迫せずに、賃金が急騰しない。結果、インフレ昂進が起こらないといった「株式市場にとっては絶妙に好ましいバランスだ。


インフレを恐れる必要のないFRBは、当面はハト派的なスタンスを継続できることでしょう。

その結果、シーゲル博士は、昨年末、「2019年のアメリカ株式市場は5%から15%上昇する」との予想を「2019年のアメリカ株式市場は10%から20%の上昇をするだろう」と上方修正しました。

(アメリカ株式市場は今年に入ってからすでに7〜8%上昇していますから、差し引いてもまだまだ「2〜3%から12〜13%」前後は上昇する可能性が残っているわけです。)


ワイルドカードは「米中貿易協議」

シーゲル教授も、やはり、たとえトランプが国家非常事態宣言を発動して政府機関のシャットダウンを再開させようとしても、裁判所がこれを却下するので、「シャットダウンが再び起こることはない」と見ているようです。

一方で、博士は、米中貿易協議は「ワイルド・カード」だとしています。米中貿易協議の今後の進展次第では、上方リスクも下方リスクもあるとしています。

「3月1日のタイムリミットまでに米中の貿易交渉がうまくゆけば、そして、その時のアメリカの長期金利がまだ低ければ、アメリカ株式市場はまだまだ5%くらいの上昇が期待できるだろう。」としています。

「長期金利の上昇」が米国株式市場の最大の敵

2018年のアメリカ株式市場は、長期金利の上昇が壁になっていたことは、皆様ご存知の通りです。2018年10月の下落は、長期金利が3.25%にタッチしたときに始まりました。


やはり、2019年においても、長期金利の上昇がアメリカ株式市場の「最大の敵」になるようです。

シーゲル予測やJPモルガン予測は、あくまで「アメリカの長期金利が安定している」ことが前提の予測ですが、今のアメリカ株が2019年にはうまくゆけば10%〜20%の上昇を示すことでしょう。

ということで、今年もアメリカの長期金利の上昇には要注意です。

当メルマガでは、ラガルドIMFなどの通貨マフィアたちから、黒田日銀は、アメリカの長期金利の上昇を抑え込むためにも、3月か4月には「外債購入」という「追加の金融緩和策」を求められている可能性が高いと、予測しています。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c36

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
150. 中川隆[-12299] koaQ7Jey 2019年2月09日 21:26:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

宮田直彦 2019 年2 月6 日


【ダウ工業株平均・S&P500】

(S&P500 は第(5)波の上昇入りの可能性)

S&P500 は09 年安値(666)以来、サイクル第T波の上昇局面にあるとみている。

第T波はプライマリー級の5波構成─(1)-(2)-(3)-(4)-(5)─であり、18 年1 月高値(2872)からの調整はプライマリー第(4)波に位置づけられる。

この第(4)波のパターンは拡大フラット(A-B-C)とみられ、18 年12 月26 日安値(2346)─それは200 週MA 上で付けた─を以て終了し、プライマリー第(5)波に入った可能性がある。

そうであれば、S&P500 は今年から来年に3000 に上昇してもおかしくない。


テクニカル分析メモ《米国株:10 年前と同じ底打ちパターン》(1/30)より

米株式相場は底打ちの可能性高い

リーマンショックで市場が激しく動揺した08 年9 月から10 月の間、VIX 指数(恐怖
指数)は急上昇した。同年10 月24 日には一時89.53 という空前の高値を付け、結果
的にこのときがVIX 指数の天井だった。一方S&P500 はその後の4 ヵ月間でさらに
20%以上も下落した。S&P500 が底打ちした09 年3 月6 日、この日のVIX 指数の上
昇は51.95 までにとどまった。


昨年12 月26 日にS&P500 は1 年8 ヵ月ぶり安値を付けた。しかし同じ日のVIX 指
数高値は36.2 と、昨年2 月の高値(50.3)に対して水準を切り下げた。

つまりVIX 指数の天井が株価の底に先行した、という点で10 年前と今回は同じパタ
ーンだった。昨年のクリスマス急落のときの安値を以て、米株式相場は底打ちした
可能性が高い。


図表3:S&P500 とVIX 指数


米国長期金利

FRB のハト派転向を市場は既に織り込んだとみられる 1月30 日のFOMC 声明文は市場に大きな驚きを与えるものだった。その内容が、利上げ打ち止めの可能性だけでなく、FRB の資産拡大の可能性にさえ踏み込むものだったからである。

予想を超えるハト派的な声明を受けて、すぐさま株式相場は大幅高で反応し、米10 年長期金利(以下、長期金利)は低下、ドル安となった。

もっとも翌31 日には、長期金利低下とドル安の流れが早くも一巡した。ドルインデ
ックスは一段安どころか、1 月10 日の安値さえ下回らず足元では反発している(チャートは200 日MA で下げ止まった格好)。長期金利も1 月4 日安値(2.5412%)には届かずに(31 日安値は2.6168%)、2 月4 日には2.7%を回復した。

FRB のハト派転向は、そのインパクトの大きさに比べ、ドルと長期金利にほとんど
影響を及ぼさなかったわけだ。市場は今回のサプライズさえも既に織り込んでしま
ったといえるだろう。

長期金利は第(2)波の低下局面を終了した可能性

逆にいえば、今回以上のサプライズがない限り、長期金利の一段の低下を想定しづ
らくなったということである。

おそらく長期金利は第(2)波の金利低下局面を、1 月4 日に終了したのだろう。そう
であれば今後は徐々に、長期金利は上昇することになるだろう。


図表6:第(2)波の金利低下は終了した可能性
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c150

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
37. 中川隆[-12298] koaQ7Jey 2019年2月09日 21:27:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

宮田直彦 2019 年2 月6 日

【ダウ工業株平均・S&P500】

(S&P500 は第(5)波の上昇入りの可能性)

S&P500 は09 年安値(666)以来、サイクル第T波の上昇局面にあるとみている。

第T波はプライマリー級の5波構成─(1)-(2)-(3)-(4)-(5)─であり、18 年1 月高値(2872)からの調整はプライマリー第(4)波に位置づけられる。

この第(4)波のパターンは拡大フラット(A-B-C)とみられ、18 年12 月26 日安値(2346)─それは200 週MA 上で付けた─を以て終了し、プライマリー第(5)波に入った可能性がある。

そうであれば、S&P500 は今年から来年に3000 に上昇してもおかしくない。


テクニカル分析メモ《米国株:10 年前と同じ底打ちパターン》(1/30)より

米株式相場は底打ちの可能性高い

リーマンショックで市場が激しく動揺した08 年9 月から10 月の間、VIX 指数(恐怖
指数)は急上昇した。同年10 月24 日には一時89.53 という空前の高値を付け、結果
的にこのときがVIX 指数の天井だった。一方S&P500 はその後の4 ヵ月間でさらに
20%以上も下落した。S&P500 が底打ちした09 年3 月6 日、この日のVIX 指数の上
昇は51.95 までにとどまった。


昨年12 月26 日にS&P500 は1 年8 ヵ月ぶり安値を付けた。しかし同じ日のVIX 指
数高値は36.2 と、昨年2 月の高値(50.3)に対して水準を切り下げた。

つまりVIX 指数の天井が株価の底に先行した、という点で10 年前と今回は同じパタ
ーンだった。昨年のクリスマス急落のときの安値を以て、米株式相場は底打ちした
可能性が高い。


図表3:S&P500 とVIX 指数

米国長期金利

FRB のハト派転向を市場は既に織り込んだとみられる 1月30 日のFOMC 声明文は市場に大きな驚きを与えるものだった。その内容が、利上げ打ち止めの可能性だけでなく、FRB の資産拡大の可能性にさえ踏み込むものだったからである。

予想を超えるハト派的な声明を受けて、すぐさま株式相場は大幅高で反応し、米10 年長期金利(以下、長期金利)は低下、ドル安となった。

もっとも翌31 日には、長期金利低下とドル安の流れが早くも一巡した。ドルインデ
ックスは一段安どころか、1 月10 日の安値さえ下回らず足元では反発している(チャートは200 日MA で下げ止まった格好)。長期金利も1 月4 日安値(2.5412%)には届かずに(31 日安値は2.6168%)、2 月4 日には2.7%を回復した。

FRB のハト派転向は、そのインパクトの大きさに比べ、ドルと長期金利にほとんど
影響を及ぼさなかったわけだ。市場は今回のサプライズさえも既に織り込んでしま
ったといえるだろう。


長期金利は第(2)波の低下局面を終了した可能性

逆にいえば、今回以上のサプライズがない限り、長期金利の一段の低下を想定しづ
らくなったということである。

おそらく長期金利は第(2)波の金利低下局面を、1 月4 日に終了したのだろう。そう
であれば今後は徐々に、長期金利は上昇することになるだろう。


図表6:第(2)波の金利低下は終了した可能性

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c37

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
151. 中川隆[-12297] koaQ7Jey 2019年2月09日 21:33:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

S&P500のエリオット波動 2019 年 1月 9日 宮田直彦


現在は

supercycle (X)波, cycleT波, primary (4)波

(S&P500 は primary(4)波を終了か ⇒ primary (5)波は最高値を更新へ)

_____


NYダウ (NYダウ) 【0800】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0800

NASDAQ (NASDAQ) 【0802】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0802

S&P 500 Stock - Yahoo Finance
https://finance.yahoo.com/chart/%5EGSPC#eyJzaG93QXJlYSI6ZmFsc2UsInNob3dMaW5lIjpmYWxzZSwibXVsdGlDb2xvckxpbmUiOmZhbHNlLCJzaG93Q2FuZGxlIjp0cnVlLCJib2xsaW5nZXJVcHBlckNvbG9yIjoiI2UyMDA4MSIsImJvbGxpbmdlckxvd2VyQ29sb3IiOiIjOTU1MmZmIiwibWZpTGluZUNvbG9yIjoiIzQ1ZTNmZiIsIm1hY2REaXZlcmdlbmNlQ29sb3IiOiIjZmY3YjEyIiwibWFjZE1hY2RDb2xvciI6IiM3ODdkODIiLCJtYWNkU2lnbmFsQ29sb3IiOiIjMDAwMDAwIiwicnNpTGluZUNvbG9yIjoiI2ZmYjcwMCIsInN0b2NoS0xpbmVDb2xvciI6IiNmZmI3MDAiLCJzdG9jaERMaW5lQ29sb3IiOiIjNDVlM2ZmIiwibGluZVR5cGUiOiJjYW5kbGUiLCJyYW5nZSI6IjF5IiwiYWxsb3dDaGFydFN0YWNraW5nIjp0cnVlfQ%3D%3D


2019 年 1月 9日 宮田直彦 《当面の底値に達した米国株》

現在は

supercycle (X)波, cycleT波, primary (4)波

(S&P500 は primary(4)波を終了か ⇒ primary (5)波は最高値を更新へ)


S&P500 は今後2-3 ヵ月で底値を固め、新たな強気トレンド入りを見込む
S&P500 は 2018 年1 月高値を起点とする primary 第(4)波の調整にあり、パターンは「拡大フラット」(A-B-C)とみられる。

12 月に付けた安値は、A 波とC 波が下げ幅において黄金比(1:1.618)をほぼ反映しており、これも底入れ見通しをサポートしている。

このように、水準面で S&P500 は底入れした可能性がある。しかし波動構成上、C 波すべてが終わったとはいえない。その理由は 2018 年 9 月から12 月までの下落が 3波構成にとどまっていることにある。

拡大フラットにおける C 波 は 5 波構成になる。

おそらく今後 2-3 ヵ月の間はリバウンドと下落を交えながら、徐々に底値を固める展開ではないか。しかし早ければ春先から、S&P500 は primary 第(5)波の上昇トレンドに入る可能性がある。

また今年は、フィラデルフィア半導体株指数(SOX 指数)の第 5 波上昇入りが想定さ
れる。投資家の期待が著しく低下した半導体セクターだが、その復活にも注目して
みたい。


マーケットは韻を踏む

「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」というのはマーク・トウェインの
言葉だが、それはマーケット動向にも当てはまる。1960 年代後半から80 年代前半にかけての supercycle 第(V)波 cycle 第W波「拡大三角形」の後には、ダイナミックかつ長期にわたる強気相場が続いた。

また 2000 年から09 年にかけての supercycle 第(W)波「拡大フラット」は、その後の強気相場に先行するものだった。

それぞれの時代背景・調整の規模は異なるが、S&P500 が拡大型の調整パターンの後に上昇したという点では同じだった。今回の「拡大フラット」も「韻を踏む」動きとなるかを注目している。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c151

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
38. 中川隆[-12296] koaQ7Jey 2019年2月09日 21:33:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]


S&P500のエリオット波動 2019 年 1月 9日 宮田直彦


現在は

supercycle (X)波, cycleT波, primary (4)波

(S&P500 は primary(4)波を終了か ⇒ primary (5)波は最高値を更新へ)

_____


NYダウ (NYダウ) 【0800】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0800

NASDAQ (NASDAQ) 【0802】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0802

S&P 500 Stock - Yahoo Finance
https://finance.yahoo.com/chart/%5EGSPC#eyJzaG93QXJlYSI6ZmFsc2UsInNob3dMaW5lIjpmYWxzZSwibXVsdGlDb2xvckxpbmUiOmZhbHNlLCJzaG93Q2FuZGxlIjp0cnVlLCJib2xsaW5nZXJVcHBlckNvbG9yIjoiI2UyMDA4MSIsImJvbGxpbmdlckxvd2VyQ29sb3IiOiIjOTU1MmZmIiwibWZpTGluZUNvbG9yIjoiIzQ1ZTNmZiIsIm1hY2REaXZlcmdlbmNlQ29sb3IiOiIjZmY3YjEyIiwibWFjZE1hY2RDb2xvciI6IiM3ODdkODIiLCJtYWNkU2lnbmFsQ29sb3IiOiIjMDAwMDAwIiwicnNpTGluZUNvbG9yIjoiI2ZmYjcwMCIsInN0b2NoS0xpbmVDb2xvciI6IiNmZmI3MDAiLCJzdG9jaERMaW5lQ29sb3IiOiIjNDVlM2ZmIiwibGluZVR5cGUiOiJjYW5kbGUiLCJyYW5nZSI6IjF5IiwiYWxsb3dDaGFydFN0YWNraW5nIjp0cnVlfQ%3D%3D


2019 年 1月 9日 宮田直彦 《当面の底値に達した米国株》

現在は

supercycle (X)波, cycleT波, primary (4)波

(S&P500 は primary(4)波を終了か ⇒ primary (5)波は最高値を更新へ)


S&P500 は今後2-3 ヵ月で底値を固め、新たな強気トレンド入りを見込む
S&P500 は 2018 年1 月高値を起点とする primary 第(4)波の調整にあり、パターンは「拡大フラット」(A-B-C)とみられる。

12 月に付けた安値は、A 波とC 波が下げ幅において黄金比(1:1.618)をほぼ反映しており、これも底入れ見通しをサポートしている。

このように、水準面で S&P500 は底入れした可能性がある。しかし波動構成上、C 波すべてが終わったとはいえない。その理由は 2018 年 9 月から12 月までの下落が 3波構成にとどまっていることにある。

拡大フラットにおける C 波 は 5 波構成になる。

おそらく今後 2-3 ヵ月の間はリバウンドと下落を交えながら、徐々に底値を固める展開ではないか。しかし早ければ春先から、S&P500 は primary 第(5)波の上昇トレンドに入る可能性がある。

また今年は、フィラデルフィア半導体株指数(SOX 指数)の第 5 波上昇入りが想定さ
れる。投資家の期待が著しく低下した半導体セクターだが、その復活にも注目して
みたい。


マーケットは韻を踏む

「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」というのはマーク・トウェインの
言葉だが、それはマーケット動向にも当てはまる。1960 年代後半から80 年代前半にかけての supercycle 第(V)波 cycle 第W波「拡大三角形」の後には、ダイナミックかつ長期にわたる強気相場が続いた。

また 2000 年から09 年にかけての supercycle 第(W)波「拡大フラット」は、その後の強気相場に先行するものだった。

それぞれの時代背景・調整の規模は異なるが、S&P500 が拡大型の調整パターンの後に上昇したという点では同じだった。今回の「拡大フラット」も「韻を踏む」動きとなるかを注目している。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c38

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
232. 中川隆[-12295] koaQ7Jey 2019年2月09日 21:49:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

タイ人風俗嬢殺害か 5階から飛び降り逃走の医大生
2/9(土) 20:09配信 日刊スポーツ


東京都台東区のホテルで昨年12月、タイ国籍の19歳の女性の頭を金属製のレンチで殴って殺害したとして、警視庁下谷署は9日、殺人の疑いで昭和大医学部生の四十宮直樹容疑者(20)を逮捕した。容疑を否認している。

捜査関係者によると、タイ人女性はビザ免除(在留期限15日間)の観光目的で昨年12月に来日。直後にタイ人女性専門の派遣型風俗店に入店し、被害に遭っており、署は来日の経緯などについても調べる。

下谷署によると、四十宮容疑者は「棒を使って強くたたきすぎたら、女性が亡くなった。殺すつもりはなかった」と容疑を否認しているという。

署によると、昨年12月18日午後8時半ごろ、ホテルの別の客から「男女の争うような声がする」と連絡を受けたホテルの従業員が、5階の部屋から女性の悲鳴とドンドンという音を聞き、通報した。

署員が部屋のドアをノックすると、室内から「ちょっと待って」という男の声がしたという。合いカギで入ると、着衣を身に着けていない女性が、あおむけで、頭から血を流して倒れていたという。女性は翌19日、死亡した。

室内に男の姿はなかったが、窓が開いており、署員がホテル周辺の路上で倒れている四十宮容疑者を発見した。同容疑者は頭蓋骨と腰骨の骨折で入院していたが、退院した9日、殺人容疑で逮捕された。

部屋に残されたリュックサックには、秋葉原で購入した長さ36センチ、重さ835グラムの金属製のトルクレンチが入っており、血液が付いていた。署は凶器とみて調べている。

捜査関係者によると、死亡したセーンネ・パニダさんは、昨年12月5日に来日。直後に台東区根岸のタイ人専門派遣型風俗店に入店し働いており、その中で被害に遭ったとみられる。タイ国民は日本への入国の際、観光目的などではビザが不要で15日間の短期滞在が認められている。セーンネさんは20日までが在留期限だった。未成年のため渡航には親の許可が必要で、母親には旅行で訪日すると伝えていた。母親は「旅行で日本に行っていると思った」と話しているという。

捜査関係者によると、この風俗店は事件後、閉店した。署は入管難民法違反(不法就労助長)の疑いもあるとみて、経緯を調べる。【村上幸将】

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c232

[近代史3] チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ

チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ

チャンネル桜 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E6%A1%9C

チャンネル桜 番組紹介『日本よ、今...「闘論!倒論!討論!」』
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1655

___


林原チャンネル - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9E%97%E5%8E%9F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

___

amazon.co.jp 正論 本
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E6%AD%A3%E8%AB%96&rh=n%3A465392%2Ck%3A%E6%AD%A3%E8%AB%96


amazon.co.jp HANADA 本
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=HANADA


amazon.co.jp will 本
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=will&rh=n%3A465392%2Ck%3Awill


▲△▽▼
▲△▽▼

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html

従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html


▲△▽▼


櫻井よしこ はその時点で一般大衆に受けそうな意見を受け売りしてるだけの無知蒙昧・無定見なオバサン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/217.html


▲△▽▼


田中英道のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/213.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html


▲△▽▼

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

保守論壇の重鎮・渡部昇一の「昭和史」のデタラメを読み解く。
http://www.asyura2.com/10/senkyo91/msg/261.html


▲△▽▼


吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/132.html


▲△▽▼

ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html


▲△▽▼


詐欺師 曽野綾子と池田信夫に騙されるな
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/491.html

池田信夫の逝かれっぷり _ 数学も英語もできないで経済学の教科書を理解できたの?
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html


▲△▽▼

日本人を憎む被差別同和部落出身者 1 _ 橋下徹
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/114.html

「最も危険な政治家」橋下徹研究_ 橋下先生は上下同時責め3Pハーレムコースが大好き
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/452.html

▲△▽▼


石原慎太郎の人生
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/478.html


▲△▽▼


副島隆彦は本当にアホだね(嘲笑い)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/343.html

副島隆彦先生は英語の達人 _ 日本語も少しは理解できる様になってね
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/366.html


▲△▽▼


勝又壽良 _ 中国・朝鮮ヘイトでグローバリズム礼賛のアホ経済評論家
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/142.html


小笠原誠治 _ トランプの様な反グローバリストを必死で叩く元財務官僚のアホ経済評論家
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/143.html


▲△▽▼


日本人を憎む被差別同和部落出身者 2 _ 竹中平蔵
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/115.html

竹中平蔵物語
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html

平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html

御用学者 吉川洋が流した悪質な嘘とデマ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/144.html

天下りをやらせて文科省をクビになった前川喜平が騒いでいる理由は「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/150.html


▲△▽▼

馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html


馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html

馬渕睦夫さんのユダヤ陰謀論はかなり説得力が有るのですが、実際には

金の亡者のユダヤ人が 今さえ、金さえ、自分さえ で一人一人独立に金儲けに走った結果が あたかも全員が示し合わせて陰謀している様に見えるだけでしょう。


 


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/228.html

[近代史3] チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ 中川隆
1. 中川隆[-12294] koaQ7Jey 2019年2月10日 10:08:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

チャンネル桜や正論はパラノイアや統合失調症患者の評論家が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい


パラノイア・統合失調症患者の症状


妄想というのは,強固な信念で,明らかに間違っているのに決して訂正されず,
本人が確信しているものをいいます。私たちが,「あの人は私のこと嫌ってて
イジワルしているのかもしれない...」などと半信半疑に思っているのは妄想とは
言いません。

例えば,

「○○が自分の才能を妬んで様々な嫌がらせをしてきている。
電話は盗聴されているし,電子メールも全てハックされている。
このままでは私の発明は全て盗まれて先に特許をとられてしまうに違いない」,

こういうことを言っている人に「そんなことあり得ませんよ,大丈夫ですよ」

と忠告してあげると,

「いや,これは確実なことだ。証拠もある。さてはお前も〇〇の回し者だな!」

などと言われた場合,これはかなり妄想に近いと言えるでしょう。
http://www2f.biglobe.ne.jp/~yasuq/schizophrenia2.htm#14


パラノイアの例

ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日 - 1957年11月3日)は、
オーストリア・ハンガリー帝国のガリチア・ドブジャニツァ出身の精神分析家。
学生時代から精神分析について学び、敬愛するジークムント・フロイトからも指導を受けた。


オーストリア生れの精神分析学者。

ウィーン大学卒業後、ウィーン精神分析診療所で、精神分析とマルクス主義の統合を目ざして活躍する一方、精神分析技法ゼミナールを主宰して、研究と指導に専念した。

患者の態度やふるまいに現れる性格抵抗 (主要な抵抗) に注目した〈性格分析〉の理論と技法とを追求して、 《性格分析》 (1932) を発表し、古典的精神分析から現代の自我心理学的精神分析への発展の端緒を切り開いた。

社会学的見地に立ち、社会適応を重視した性格形成論、性を社会的抑圧から解放し、〈性器性欲の優位性〉を確立して、健康なオルガスムの体験能力を獲得することこそ健康の基盤であるとする性革命理論などが知られている。

著書はほかに《衝動的性格》 (1925)、 《ファシズムの大衆心理》(1933)、《セクシャル・レボリューション) 》(1945) など多数にのぼる。
 
ライヒは子供時代に関してあまり語らない人間だった。その理由として、父と母が共に自殺している点があげられる。

13歳の時、母・セシーリアが自分の家庭教師と性交している現場を目撃してしまう。ライヒはそのことを父・レオンに告げた。

精神バランスを崩した父は母を自殺に追いやった。そして自身は、わざと真冬の凍った池に何時間も立ち続け肺炎で死んだ。両親が自殺したのは自分のせいではないかと、ライヒは後悔し続けることになる。

こうした中で、全ての人間は「性欲」(リビドー)に支配されているというフロイトとの出会いは衝撃的であった。やがてライヒはユングが抜けた後の精神分析学会で精力的に活動を行う。

しかし晩年のフロイトも、さすがに「性欲理論」は無理があるとして放棄しつつあった。またユングはリビドーを「性」ではなく生命エネルギーと定義し、右脳と左脳のメカニズムにまで迫ろうとしていた。

 

しかしライヒは時代に逆行する形で、性欲理論を補強していった。

「全ての人間はオルガスム(性的快感)を求めて生活している」

彼は、神経症で悩むオールド・ミスの患者にマスターベーションを勧めた。自虐癖のある患者に「では実際に打ってみようか」と臨んだ。どれも確かに症状は好転した。

そして、性の解放と称し

・未成年の避妊教育の実践
・堕胎の権利の確立

遂には、性の全面的な解放を行えば、神経症や性倒錯、そして犯罪の一切存在しない理想郷が誕生すると主張した。

ライヒの思想は進歩的ともいえるが、いささか過激すぎる点も多い。

 

・・・ライヒの思想は禁欲を重んじる20世紀初頭のヨーロッパ社会で、当然受け入れられるような内容ではなかった。師匠フロイトも、この「明らかに行き過ぎた理論」に不信感を抱きつつあった・・・
 
 

共産主義者としても積極的に活動していたが、 33 年ドイツ共産党から、 ついで 34 年国際精神分析学会から除名され、ストックホルムやオスロ を経て、39 年アメリカに亡命した。ライヒが主張する「性の解放」を全ての人間が嘲笑したのだ。

そのころから精神に変調をきたし、「オルゴン(オルガスムの)・エネルギー」と名付ける宇宙エネルギーの存在を信じこれに熱中するようになった。

世界には至るところに「オルゴン・エネルギー」が満ちている。それが細胞を動かしているのだ。愛するものと別れるとオルゴン・エネルギーが不足して病気になる。しかし休養すればオルゴン・エネルギーが充電されて再び健康になるのだ・・・

このエネルギーを集める力を持った〈オルゴン・ボックス〉に入ると、すべての性障害が治ると称して、ライヒは金属箱を販売した。しかし、これがアメリカの薬事法違反に問われることになる。

それまでのライヒは、思想は別として精神科医として極めて優秀な評価を受けており、裁判に負ける可能性は低かった。しかし、ライヒは陪審員達にこういった。

「オルゴンエネルギーを暴発させて大洪水を引き起こしてやるぞ」

ライヒは裁判中、法廷侮辱罪で投獄され、不遇のうちに獄死した。

 

尚、ライヒの心身相互作用に着目した療法は、今日の心身医学やボディワークの始まりとされている。

http://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/kora9.htm

初期フロイトの路線を強調した上で、精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。性的エネルギーの社会による抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動が嫌われ、後に精神分析協会からも共産党からも除名された。

1934年ナチス・ドイツのドイツ国からノルウェーに亡命、オスロ大学で性科学を
研究中滅菌した肉汁中の小胞バイオンと1939年バイオンの研究中オルゴンを発見、
アメリカ合衆国のテオドール・ヴォルフ博士の招きで渡米、ニューヨークに住む。

1940年メイン州レーンジュエリーに転居、支援者によりオルゴン研究所
「オルゴノン」でロバート・マッカローらとともにオルゴンの研究に取り組んだ。

1941年にはアルベルト・アインシュタインにオルゴノスコープ(オルゴン拡大鏡)
でオルゴンを見せている。よく知られている物としては、オルゴン蓄積器
(オルゴン・アキュムレーター、蔑称としてオルゴン・ボックス、セックス・ボックスなどとも呼ばれた)という箱と1951年にラジウムとオルゴンの研究中発生したというオラナーとデッドリーオルゴンの雲をなくすため発明したオルゴン放射器のクラウド・バスターなども作成していたことがあげられる。

1954年、UFOを目撃DORを利用した侵略者の宇宙人の宇宙船と直感しクラウド・バスターで撃墜の必要を訴える。1954年にFDAにオルゴン・アキュムレーターの販売が、がん治療機を不法製造販売にあたると裁判を起こされ、裁判所の命令に従わなかったため、有罪判決を受け1957年投獄された。

精神分裂病(統合失調症)の可能性が疑われ、精神鑑定が行われた。オルゴンに
まつわるいくつかの妄想的な言動がみられるが、その他の点では正常だったと
いわれる。出獄することなく、1957年11月3日コネチカット刑務所で心臓発作で死亡した。
http://musical7.org/83948342838B8377838B83808145838983438371/

身近に観察できるパラノイアの例


宇野正美講演会・傍聴記「反ユダヤ伝道師」かく語りき

7月20日(1995年)に、神田の日本教育会館・一ツ橋ホールで開かれた、
宇野正美氏の「1996年 国家存亡の危機が来る」という講演会を聴きに行った。

そうか。この人物が、H氏やA氏やY氏と並んで、「ユダヤによる世界支配の陰謀」
を唱えて、日本の言論界の一角で、異様な気炎をはいてきた宇野正美氏か。

この人が「ユダヤの陰謀」という恐ろしいテーマをひっさげて,もう二十年も言論
活動をやっている人なのか。もし本当に氏が「陰謀」なるものを暴いてしまった人
だったら、とっくの昔に殺されていないのはなぜだろうという疑問が脳裏をかすめた。

 宇野氏ら陰謀評論家は、世界の一般民衆を操る支配階級の人びとの、さらにそのまたごく少数の限られた人びとの秘密クラブの存在を確信することから、自分たちの言論活動を開始する。

「1990年にバブル経済が破裂したあとの5年間で、世界で、日本で、〇〇、〇〇の事件がありましたね。

これは、〇〇が〇〇して、〇〇になったものでした。その背後に、世界を操る〇〇〇〇の存在があるのです」。

要約するならば、宇野氏の話は、このスタイルに終始している。

「〇〇という事実がありました。これは、皆さんもご存知のとおり〇〇〇〇だったのですが、これも実は〇〇〇〇がからんでいるのです」。

 この語り口調は、なかなか小気味よいのである。そうか、あの事件も、この事件
も、やっぱり裏に秘密があったのか。自分もヘンだな、と思っていたんだ。

聴衆は、宇野氏の推理いつしかのめり込んでいく。開場は静まり返って、みんな真剣に聴き入っている。

いろんな厳しい人生経験を積んでそれなりの生き方をしてきたあとでも、人間はこの程度のホラ話に一気のめり込むことができるのである。


「この1月17日の関西大地震は、人工地震の可能性が、1%はあります」

「3月のオウム事件は、地下鉄サリン事件は、北朝鮮が裏で糸を引いているのです」

「最近起きたソウルのデパートの倒壊事件。奇妙でしょ。ビルの中央部分だけが、
一気に崩れ落ちるなんて。これは、低周波兵器でズーンと低周波をかけると、起こるのです」

 この三年ほどで、宇野氏の考えは二つの点で大きく変化している。かつて文芸春秋系のネスコ社から出していた本では、単純素朴な、ユダヤの秘密組織による日本征服説が説かれていた。これは、若い頃からの氏の聖書研究と愛国感情が混じり合った産物だった。

最近は、

「ユダヤ人には、アシュケナージ・ユダヤ人というニセものがおり、スファラディ・ユダヤ人という本物のユダヤ大衆を抑圧するためにイスラエルを建国したのだ。

そしてこのイスラエル建国主義者たちがシオニストであり、国際陰謀をめぐらす諸悪の根源である」

という考え方をしている。

 かつての論調ではフリーメーソン、ビルダーバーグ、イルミナティ、TC(米欧日三極会議)、CFR(外交問題評議会)などの秘密結社や国際機関と、ユダヤ人の秘密結社との関係がどうなっているのかはっきりしなかった。ところが、今回の講演では、「ザ・クラブ・オブ・アイルズ」というヨーロッパの旧来の王侯貴族達の裏結社が、これらすべての秘密クラブの上に君臨し、序列を作りそのずっと下の方で使われているのがユダヤ人たちである、という簡単な理論になっていた。


フリーメーソンやイルミナティなどの秘密結社の存在はさておくとして、TC
(トライラテラル・コミッション、米欧日三極会議)は公然と存在する。

私は、「陰謀」の存在自体は否定しない。世の中に「陰謀」の類はたくさんあると
思っている。世界覇権国であるアメリカ合衆国の、政治・経済の実権を握っている支配層の人びとの間に、多くの「陰謀」があるのは当然のことだと思う。

 そして、1990年以来の、日本のバブル経済の崩壊によって深刻な不況に陥っている現状は、やはりニューヨークの金融界が、日本の経済膨張を抑え込むために陰に陽に仕組んで実行したものであると信じないわけにはいかない。薄々とだが、ビジネスマン層を中心にこのような話は語られ広まっている。

 私の友人のなかに銀行員が何人かいる。昔、いっしょに『ニューヨーク・タイムズ』紙の早朝読み合わせ会という勉強会をやっていた友人のひとりは、ニューヨーク駐在勤務から帰ってきた後に、私にははっきりと語ってくれた。

「ニューヨークの金融センターは、ユダヤ系の人びとに牛耳られており、彼らの意思に逆らうと商売ができない恐ろしいところだ」

 彼は、宇野理論のような直接的なユダヤ陰謀論は説かないが、そのような傾向が
存在することを信じている。株式の大暴落を引き起こし、ついで地価の下落、そして円高による波状攻撃で日本の大企業の力を弱体化させ、日本国民の金融資産の
3分の1は、ニューヨークで解けて流れて、消失してしまった。日本の資産の運用先の大半は、その金利の高さゆえに、アメリカの政府債(TB、トレジャリー・ビル)や社債で運用されてきたからである。それが、円高で元金の方がやられてしまった。
http://soejima.to/souko/text_data/wforum.cgi?room=0&mode=new_sort

怪文書の宝庫!
 
 あ、そうそう。yahooの方で出くわした怪文書も一つ、ご紹介しましょう。sinobu_10という、静岡県にお住まいの男性の方がお書きになったものです。挙げられているURLもオススメ度大です。「神が推薦するパソコン…」なんて、もお、死にます。
 
      *
 
目を覚ませよ、国際連合の地下に核爆弾情報
投稿者: sinobu_10 (男性/静岡県)
メッセージ: 113695 / 116578
アメリカの精神の支柱である基督教の神であるヤーベ(八百重)は、
日本にいる事をアメリカの人達に伝えて欲しいのです。
以下の文書を真剣に考えて読んで下さい。そして、国際都市である
ニューヨーク市にある国際連合の地下に核爆弾情報が流れているの
です。爆発する前に友人や知り合いに伝え、引っ越すか警察に真剣に
取り扱う様に伝えて欲しいです。
 
初めまして、忍と申します。

現代科学のタブーである霊界の存在を考慮して、
今、現実問題として、イルミナティ共産主義問題を考えて置きたい
です。其れは、約2億人の虐殺があったのでは無いかという問題で
す。其れは、遠く遡れば、バビロンの時代まで遡れます。

近代は、イルミナティ教団が出来、フランス革命から始まって
一連の共産主義革命を起こした国際金融グループに対して何も
罪を問わない現状になっているのです。其れもユダヤ系列のマ
スコミと歩調を合わせて行動を執っているのです。但し此れは
戦略で行っているので、頃の見境を考えながらの行動であるか
ら、注意深く年数掛けての戦いなのです。

後、もう一つ大きな問題点はスカラー波の技術開発による武器
開発です。其れに関連してインターネットの通信問題も深く考
えなければならないのです。今、一番大きい
問題は、未だ科学が未完成の状態(物理学上の問題)を
解決しないで、それを前提とした意見が権威を持って発
表している所が問題なのです。

現実問題としては、テスラ波による武器開発です。別名「スカラー波」又は「気」
とも言っていますけれど、このテスラ波は物質の根源に
なすもので磁気的な性質を持っています。宇宙の構造
は、磁気法則で全てが成り立っているのです。

磁子の活動が電流を生み、そして力を発生するのです.「テスラ
波(スカラー波)」は、磁子の縦方向に振動している状
態を指しているのです。その悪用は、宇宙そのものがバ
ランス(平衡性)が無くなり、太陽系そのものが崩壊す
る危険性があり、又、精神作用にも動作するので、「洗
脳」にも使われる可能性があるのです。そしてDNAに
も作用するので、奇形児が出来る可能性があるのです。

又、マイクロ波の衛星通信の拡大は、電子レンジの中に
地球が入るという恐ろしい結果が待っているのです。それらの
問題をマスコミは真剣に考えていないのが現状なのです。
そして、環境問題の考え方も対処療法的で、物理療法的
に問題を考えていないのです。それが欠点なのです。
つまり、公害の原因を全て化学化合物で説明し、化学反応
の物理的説明を含んでいないのです。そこに免疫の問題を
考慮する事が出来ないのです。

 
神の言葉
http://page.freett.com/syouhou/kaminokotoba1.html
最後の審判の理由
http://page.freett.com/syouhou/reason_of_last_judgement.html
正しい性道徳とは
http://www.musesworld.co.jp/web2/syouhou/index.html
この侭だと本当に地球が崩壊する
http://page.freett.com/syouhou/index.htm
神が推薦するパソコンPC9821
http://page.freett.com/syouhou/suisennPC.htm
 
これらの問題を真剣に考えないと、やはり異星人は自衛の為に
最期の手段を使用されるのです。

 日本人が中心になって、神の言葉を、お伝えてこの問題を
解決する方向に考える必要があるのです。

神のいる場所
エルアール出版
〒150-0046 東京都渋谷区松濤1−4−9 サンエルサビル101号
TEL 03-5453-1870
 
アメリカ国内
HORKOM International Corp.
P.O.Box 282713
San Francisco, California 94128-2713
 
「人が全世界を儲けても、自分の命を損したら、何の得になろうか。又、
人はどんな代価を払って、其の命を買い戻す事が出来ようか。
邪悪で罪深いこの時代にあって、私と私の言葉とを恥じる者に対しては、
人の子も又、父の栄光の内に聖なる御使達と共に来る時に、
其の者を恥じるであろう。
(マルコ福音書第8章34節〜38節)」
http://www.ch-sakura.jp/oldbbs/thread.html?id=17590&genre=sougou

電波系というのは、つまりまあ頭の中で電波がささやくのでしょうから、分裂症か薬物中毒の系統になりましょう。sinobu_10さんの方は「パラノイア」系のように思われます。思考にまとまりがありますからね。
もっとも、「症例:G・W・F・ヘーゲル」などのレベルになりますと分裂症と見分けがつかなくなってまいりますが。

 チマタで見かける「ユダヤ陰謀史観」みたいなのと一緒で、いちおうの一貫性はあるのですね。ただその、決定的な証拠は? と言われると「ない!」となって、ならなんで? と言われると「証拠がないのも陰謀だ!」という形で無事に着陸。

こうなるともう誰が何を言っても聞き入れるもんじゃありません。
 
 実は、sinobu_10氏に関しては「教祖様」ではないのです。
「教祖様に疎んじられている一信者」らしいのです。彼が掲示板上で開いたトピックは、「千乃先生」なる教祖様の意を体したと称する信者各位がsinobu_10氏の信条の矛盾を突きまくり、それも彼らの「教義」に基づいてのことですから、さながら宗教戦争の様相を呈し、そこへ「ウォッチャー」を名乗る一般人が面白おかしくチャチャを入れるという展開になっておりまして、なかなかに楽しめる一大エンターテイメントになっておりました。
http://ime.st/members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/past-log/spring/log00000118.html

たこさんご紹介のサイトをちょこちょこ見て回った印象では明らかに病的、すなわち初期の分裂病もしくは妄想を伴う躁鬱病、痴呆などの傾向が感じられるのに対して、sinobu_10さんのはソノ分野に浸かっているヒトなりに理路整然に近く、文章の構成もしっかりしています。

一括りにして良いものかどうか。臨床精神病理は難しくて、実はまだ余り勉強してない分野です。
 
 電波受けるヒトを実際知っております。仕事ができ、礼儀正しく義理堅く、言葉使いが綺麗で、想像力・情緒・感性も豊かで、発明の才もあり、倫理観もしっかりしていて、善意に溢れている。難を言えば少しまじめ過ぎる。

そういう誠に好ましい人望のあるヒトなんですけど、電波が入るんですね。それを普通の事のように言うので、こちらも普通の事のように受け答えしております。

 随分昔からその状態のまま変化がないようで、さらに聞こえるのはドク電波ではなく、善意の宇宙人からの助言が中心だったりしますので、ま、様子を見ています。数年前まではサイババが夢枕に立って「来い」と言ったからというのでインドに行く計画を立てていましたが、現在はモンゴルの平原でUFOとコンタクトする計画を楽しげに語ってくれます。

まじ。ホントに聞こえてるらしいのです。それを蔭で笑う奴がいるのも自覚しているようなのです。

「目を覚ます」という類の話じゃなくて、これ、はっきり言って症例なのです。しかし長年進行してないし、生活に支障がある訳でもないから、無闇にいじらない方が良いのです。


じつは、stomachmanは見積書作成要領の見本を作ったんですが、うっかり本物と間違えられて無用の混乱を起こすことが絶対ないようにと思い、
 
「荒矢田産業株式会社」発行の「重力遮断板セット」の見積書
 
って見本にしまして、発注先に配布したんですよ。そしたら彼がやってきて「あなたなら理解してくれると思う」と語りだした訳でして…
 
理解はすれども、同意はせず。得意の奴で対応しております。


目を醒まさせてあげなくていいの?
念力も自分だけで使ってるぶんにはいいんだけど・・・
自分だけでとどまってないとこが厄介だぁ―!
もうそろそろ、目を細めて笑って見てるばかりでもいられない。

テレビが俺の悪口を流している!
あのCMは俺の事をあざ嗤うのが目的…
 
てのが、典型的な公共電波系電波系さんですが、こちらは公共デンパでナンパするのが怪しからんという、これもまた、割合論から言って、別物ですな。
 
最近、街ですれちがう美女という美女が皆、秋波を送ってくるので困っているstomachmanです。


症例ってのは、夢を壊さないで、みたいなアマイ話ではないんですよ。
 
この彼の場合には、多分初期で停滞している分裂病だと思われます。悪化させないように、stomachmanとしても注意を払っておる訳です。もちろん、症状に悪化が認められたら直ちに治療を開始するよう促す積もりでいます。すなわち、確かに聞こえる電波が、彼の集中力を乱すようになってくると、本当に生活に支障をきたしはじめ、ついには外部とのコミュニケーションが取れなくなってしまう。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/228.html#c1

[近代史3] チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ 中川隆
2. 中川隆[-12293] koaQ7Jey 2019年2月10日 10:10:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]


陰謀論やパラノイアの妄想は伝染病として感染する

チャンネル桜や正論で流行しているアホ陰謀論は憑依型の感応精神病 フォリ・ア・ドゥ folie à deux


1.精神病の感染

 果たして、精神病というのは伝染するものなのだろうか。

 人の心を操る寄生虫が出てくる小説(ネタバレになるのでタイトルは言えない)を読んだことがあるが、実際に見つかったという話は聞かないし、たとえ存在したとしてもそれはあくまで寄生虫病であって、「伝染性の精神病」とは言いがたいような気がする。

 実際には、たとえば梅毒のように伝染性の病気で精神症状を引き起こすものはあるけれど、純粋な精神病で細菌やウィルスによって感染する病気は存在しない。精神病者に接触しても、感染を心配する必要はないわけだ。

 しかし、だからといって精神病は伝染しない、とはいえないのである。

 精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。

 妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。

もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。

これを感応精神病、またはフォリアドゥ(folie a deux)という。

Folie a deuxというのはフランス語で「ふたり狂い」という意味。

最初に言い出したのがフランス人なので、日本でもフランス語で「フォリアドゥ」ということが多い。もちろん妄想を共有するのは2人には限らないので、3人、4人となれば"folie a trois"、"folie a quatre"と呼ばれることになる。なんとなく気取った感じがしてイヤですね。

 AとBの間には親密な結びつきがなければならないわけで、当然ながらフォリアドゥは家族内で発生することが多いのだけど、オウム真理教などのカルト宗教の場合も、教祖を発端として多数の人に感染した感応精神病と考えることもできるし、以前書いたことのあるこっくりさんによる集団ヒステリーも広義の感応精神病に含めることもある。

 この感応精神病、それほどよくあるものでもないが、昔から精神科では知られた現象で、森田療法で知られる森田正馬も1904年に「精神病の感染」という講演をしている(この講演録が日本での最初の文献)し、その後も今に至るまでいくつもの論文が発表されている。


フォリアドゥの治療

 この例でもわかるように、実はフォリアドゥには、鉄則といってもいい非常に簡単な治療法がある。それは、2人を引き離すこと。もちろん最初に妄想を抱いた人物(発端者)は、多くの場合入院させて薬物などによって治療する必要があるが、影響を受けて妄想を抱くようになった人物(継発者)は、発端者から引き離されただけで治ってしまうことが多いのだ。

 ただし、引き離す、という治療法は多くの場合有効だが、そうすれば絶対に治るとはいえない。

 私がまだ研修医だったころのことだ。隣の家の朝鮮人が機械で電波を送ってくる、という妄想を抱いて入院しているおばあさんの治療を先輩医師から引き継いだことがある。「自分が治してやろう」という意気込みは精神科ではむしろ有害なことも多い、ということくらいは知っていたが、まだ駆け出しだった私には、どこかに気負いがあったのだと思う。

必死に薬剤を調整してみてもいっこうに妄想は改善しない。万策尽き果てた私が、永年同居生活を送っている兄を呼んで話をきいてみると、なんと、彼の方も「隣の家の朝鮮人からの電波」について語り出したではないか。

2人は同じ妄想を共有していたのだった。


 これはフォリアドゥだ! 私は、珍しい症例に出会ったことと、そして先輩医師が気づかなかった真実にたどりついたことに興奮し、さっそく「鉄則」の治療法を試みた。兄の面会を禁止したのである。

しかしこれは逆効果だった。面会を禁止してもおばあさんの妄想はまったく改善せず、それどころか2人とも私の治療方針に不信を抱くようになり、治療はまったくうまくいかなくなってしまったのだ。私は2人を一緒に住まわせるのはまずいと考え、兄のところ以外に退院させようと努力したのだが、2人とも態度を硬化させるばかりであった。

 今考えれば私の方針の間違いは明らかである。私は、妄想が残ったままであろうと、彼女を兄のところに退院させるべきであった。それが彼女の幸せであるのならば。私は「鉄則」にこだわるあまり、老人の住居侵入妄想はなかなか修正しにくいことを忘れてしまい、そして何よりも、永年2人だけで暮らしてきた兄に突然会えなくなった彼女のつらさに考えが及ばなかったのであった。


古いタイプの感応精神病

 続いて、古いタイプの感応精神病の例を紹介してみよう。最近の感応精神病は「宇宙語」の例のように、都会の中で孤立した家族で発生することも多いのだが、かつては圧倒的に迷信的な風土の村落で発生することが多かった。例えばこんな例がある。

 昭和29年、四国の迷信ぶかい土地の農家での話である。

あるとき、父親が幻覚妄想が出現し興奮状態になった。

そのさまを熱心にそばで見ていた長男は2日後、父親に盛んに話しかけていたかと思うと、次第に宗教的誇大的内容のまとまりのない興奮状態に発展し、互いに語り合い感応し合いながら原始的憑依状態を呈するに至った。

父親は妻、娘など一家のもの6人を裏山に登らせ裸にさせて祈らせ、大神の入来を待った。長男は家に残り夢幻様となって家に放火。一同は燃え崩れる我が家を見ながら一心に祈りつづけた。父親、長男以外も一種の精神病状態にあった。


 悲惨な話だが、どこかゴシック・ホラーの世界を思わせないでもない。

 これがさらに拡大すると、村落全体が感染するということもある。青木敬喜「感応現象に関する研究(第1報)」(1970)という論文に載っている例だが、これはフォリアドゥというよりむしろ、以前書いた


こっくりさん
http://homepage3.nifty.com/kazano/kokkuri.html


の例のようなヒステリー反応とみなすのが適当かもしれない。


 昭和11年、岩手県北部にある戸数40程度の集落での話である。

 発端となったのは35歳の農家の妻Aである。昭和11年5月、夫の出稼ぎ留守中、頭痛や喉頭部の違和感を感じるようになり、また身体の方々を廻り歩くものがあるような感じがするようになった。あちこちの医者を回ったがなんともないといわれるのみで一向によくならない。どうも変だと家人がいぶかしんでいる間に、患者はときどき

「鳥が来る。白いネズミのようなものが見える」

などといったり、泣いたり騒いだりするようになった。家人はこれは変だと患者の着物を見ると、動物のものらしい毛がついている。

これはイズナに違いない、と12キロほと離れた町の祈祷師K に祈祷してもらったところ、たちまち発作状態となり、さらに発作中に自分は集落の祈祷師Tのもとから来たイズナであると言い出したのである。その後もこの患者は発作を繰り返すようになり、多いときには一日のうちに数回起こすようになった。

 さてAの近所に住む農家の妻BとCも、昭和11年5月頃から喉の違和感を覚えるようになる。12月にはBの夫がBに毛が付着しているのを発見している。BとCは例の祈祷師Kのもとを訪れ祈祷してもらったところ、祈祷中に2人は急に騒ぎ出し、「Tから来たイズナだ。Tで育ったものだ」と言い出す。

 こうして昭和12年4月までの間に続々と同様の患者がこの集落に発生、ついにその数は10名にのぼった。事件は集落をあげての大騒ぎとなり、

「集落は悪魔の祟りを受けた。なんとかして悪魔を滅ぼさねば集落は滅んでしまう」

と不安と緊張が集落にみなぎるにいたる。

 こうしたなか、本当にTの祈祷のせいなのか確かめようじゃないか、という動きになり、昭和12年8月20日午後3時ごろ、集落の共同作業所に患者10名を集め、集落の各戸から1名ずつ、合計四十数名の男たちの立ち会いのもと、TとKのふたりの祈祷師の祈祷合戦が繰り広げられることになった。

まず疑いをかけられているTが祈祷をするが患者は何の変化も示さない。

次にKが祈祷すると、約10分くらいして患者たちはほぼ一斉に異常状態となり、

「Tから来たTから来た」と叫ぶもの、

「お前がよこした」と激昂してつかみかかるもの、

「命をとれといわれたが恨みのないものの命をとることができないからこうして苦しむのだ。苦しい苦しい」と泣き喚くもの、

ものもいえず苦しげにもがいているもの


など憑依状態となり、まったく収拾のつかない大騒ぎとなった。

このため、これは確かにTの仕業に違いないと集落のものは確信を抱き、Tに暴行を加え、T宅を襲って家屋を破壊した上、村八分を宣言したのである。

 さらにその約1ヶ月後のことである。集落の各戸から1人ずつ男たちが出揃ったところで副区長が

「イズナが出ないようにするにはイズナ使いの家に糞便をふりかければイズナは憑くことができないという話をきいた。どうであろう」

と提案した。すると、一同は一も二もなく賛成し、そのまま四十数名が暴徒と化し、大挙してT宅に押しかけ、雨戸を叩き壊して座敷になだれ込み、糞便をかけ、Tをはじめ家族の者を殴打、重傷をおわせてしまった。

 これまたものすごい事件である。ただ、「宇宙語」の家族は隣にいてもおかしくないように思えるが、こちらはわずか60年前の事件とは思えないくらい、私には縁遠く思える。集落全体が外部から遮断された緊密な共同体だった時代だからこそ起こった事件なのだろう。こうした共同体が減ってきた今では、このような憑依型の感応精神病はほとんど見られなくなっている。


家庭内幻魔大戦


 さて今度はまた篠原大典「二人での精神病について」(1959)から。家庭内の騒動が、宇宙的規模での善悪の戦いにまで発展していってしまうという、興味深い物語である。

 昭和31年5月、Kという呉服商が相談のため京大精神科を訪れた。

 彼の話によれば、昭和23年に妻と長女、三女が彼と口論をしたあと家出。しばらくして帰宅したが帰宅後はことごとく彼と対立、離婚訴訟を起こした上、妻と長女は前年から二階の一室にこもり、ときどき外出して彼の悪口を言い歩くが、一見正常に見えるから始末に困るという。なお、別居中の義母も妻とは別に彼を悪者扱いしているという。

 そこでこの論文の著者らはただちに母と娘を閉鎖病棟に収容した。現在の常識からすればこれくらいのことでなぜ、と思えるが、当時はそういう時代だったのだろう。入院後も2人が協力して反抗してくるのでただちに分離したという(「鉄則」の通りである)。

 さて母子の入院後、2人の部屋からは数十冊にも及ぶ膨大なノートが発見される。そのノートには、驚くべき母子共通の妄想体系が詳細に記されていたという。その記述によればこうだ。

 宇宙外にある「大いなるもの」から一分子が月に舞い降り、さらに地球に来て母の肉体に宿った。太陽を経て地球にきた分子は長女に、ある星を経て来た分子は三女に宿った。彼女らは肉体は人間の形をしているが、魂は大いなるものの一部であり、月や太陽の守護のもとに人類を救済する使命をもち、「宇宙外魔」の援助を受けて彼女らをおびやかす悪の根源である夫Kを撃滅せねばならない!

 家庭内幻魔大戦というか、家庭内セーラームーンというか、とにかくそういう状態なのである。ここで、仮に母を月子、長女を陽子、三女を星子と呼ぶことにし(実際、論文にそう書いてあるのだ)、2人が書いた手記をもとに、この妄想体系が完成されるまでの経過をたどってみる(以下斜体の部分は手記の記述による)。

 Kは苦労人で丁稚奉公のあと、月子と見合い結婚すると暖簾をわけてもらい東京で呉服店を開いた。一方月子は貿易商の長女で甘やかされて育ったせいもあり、派手でだらしなく浪費癖があり、夫とは常に対立していた。2人の間には4人の子どもが生まれる。長女陽子、長男、次女、三女星子の4人である。

 長女陽子は自然が好きな子どもだったが、人間は嫌いで、幼稚園の頃は太陽の絵ばかり描いていた。

「父は些細なことで怒り赤鬼のようになって母を叩き、耐えている母をみて母の尊いこと」を知った。

父と母の争いにまきこまれ、成績があがらず落胆し、学校も家庭も憎み、

「よく裏庭に出て月や星を仰いで」いた。5年生のときにH市に疎開、終戦までの1年間は父のいない楽しい生活を送ったが、終戦後父もH市で商売を始め、再び母との争いに巻き込まれることになった。

 しかも、中学から高校にかけては父の命令で、妹たちとは別に祖母のいる離れで寝なければならなかった。祖母は向かい合っていても何を考えているかわからない人で、

「父が悪事を企んでいる」と真剣な顔で陽子に告げるのであった。この祖母も分裂病だったと思われる。陽子の手記によれば

「父から物質的恩恵を受けながら父を愛せませんでした。そのことを深刻に苦しみましたが、誰も理解してくれませんでした。知らず知らず孤独を好み、しかし一方では自分が頼りなく誰かに頼らねば生きていられませんでした」。そして高校1年のときある事件が起き、それ以来彼女ははっきりと父を敵とみなすようになるのである。

 その事件については陽子の母月子の手記をもとに見ていこう。

 昭和25年、月子と陽子はKの弟の家で軽い食中毒を起こす。このとき月子の心に最初の疑惑が生じる。昭和27年、月子は夫の甥が陽子の部屋に無断ではいるのを発見し、夫に告げるが「夫は全然取り合わないのである。私は夫の仮面を見たような気がした」。

 昭和28年1月、陽子は腎臓疾患にかかり、月子は離れで陽子を看病するが、Kが離れに出入りしたあとは必ず容態が悪化することに気づいた。「ここに至っては夫が陽子に危害を加えていることは明らかである。私は夫と甥に警戒の目を向けた。家の中は自ら疑心暗鬼、一家をなさず私と陽子対夫と甥の目に見えない対立が生じ、間に入ったほかの子どもたちはおろおろするばかりである」。長男は中毒事件までは母についていたが以後父に従い、次女は最初から父の側、三女星子はほとんど母についていたが、終始母に批判的であったという。

 28年3月、月子は飼い犬のえさのことで夫とひどい口論をしたときに夫に「何か一種の妖気を感じた。私は今までの夫にないものを見たのだ。以後奇怪な事件は連続して起こっていった。私たちは身体に異常を感ずるが、くやしいことにその根源を科学的に実証できなかった。しかし害を加えられるところにとどまることはできない」

 彼女たち3人は家を出て警察などに訴えまわり、3ヶ月後に帰宅した。

「家に帰ると陽子は身体がしびれて動けぬという。奇怪だ。しかしある夜、私はその正体の一部を見た。私が陽子を看病していると、といっても病気ではない。

見守っていると、はなれとの境目の板塀の節穴からさっと私たちに向かって青白い閃光が走った。私も陽子もしびれるような異常を感じた。相手は見えざる敵である。あるときは右隣、あるときは左隣から来た」

 やがて29年になる。「私は陽子を連れて二階に引きこもることにした。疑いを持った人とともに生活することは無意味だからである。そしてこの不可解な事件をどう解決するかということに専念した」

 家出前後の事情は娘陽子の手記にも書かれている。

「腎臓炎になってから不思議なことが次々と起こり、布団が非常に重く感じられ、時計の音が大きく響きました」

「父が薬を飲ませたとき、味が妙だと思いましたが、あとで毒を入れられたのでそれで病気が治らなかったのだとわかりました」

「父に殺されるといったのは私で、家を出ようといったのは母です」

「隣の家から光線が出て2人とも気持ちが悪くなったこともあります」

「H先生(遠縁にあたる絵の先生で、彼女の片想いの対象)に何度も危険を訴え、殺されたら裁判所に訴えてくれと頼みました」。

 笑っちゃいけないのだが、月子の手記がなんだか妙にB級ホラーサスペンスタッチなのがおかしい。母子と父の戦いはいったいどうなるのか。

 昭和29年になると、母月子と長女陽子は2人で2階で暮らすようになる。陽子の手記によるとこうだ。「母と2階で生活し、父が来ると追い返し塩を撒きました」「私が買い物に出て家の周りのことを母に伝え、対策を考えてはノートで敵を攻撃しました」

 「ノートで敵を攻撃」というのがどういうことかというと、つまり呪文による攻撃なのである。母のノートには「神不可抗、我等と敵魔外魔との反発源を白光通像の中へ密着入せよ」などとあり、娘のノートには「さしもかたき暗黒の魔星、四方に砕けて、たちまち無くなれり。彼方より尊き神の御光、仰げ白光たえなる神を」とあった。

また、「敵撃滅敵撃滅敵撃滅……」という呪術的文句も延々と繰り返されていたという。ここにきて、事態は家庭内呪術戦争の様相を呈する。

 昭和30年、ついに2人は「大いなるもの」と接触する。

「『ご自身の世界に一度顔を出してください』と太陽から聞こえたり、大いなるものから『来たければおいで』と知らせてくれました。体がしびれたとき、目を閉じるとダイヤモンドのようにきらきら光るものが見え、母に話したら大いなるものだといいました」。

 きのう書いたとおり、困り果てた父親が精神科を訪れたのが昭和31年5月。そして2人は入院することになる。入院3日目より陽子は

「壁の後ろから父に命令されたものが電波をかける」

と訴え、母の名を叫びながらノートにも

「お母さんお月さんはありますね」

「お母さんを離れては私はありません」

「お母さんの心は私の心、一心同体とお母さんは言いましたね」


などと書いた。母と会わせると抱き合って

「月と太陽が……あいつと宇宙外魔が……」

と語り合っていた。


 入院第1週から月子は「私の伝記」を書き始める。これが今まで引用してきた手記である。

 第2週、娘は

「新しい素晴らしい世界ができる。その主となるのは私」

「地球も宇宙も月も捨ててしまう」

「月も太陽も出ない。宇宙を逆転させて、しめたといったのは誰だ」


と緊張病性興奮をきたし、父と面会させると

「あれは亡霊です人間ではありません」

と逃げ出した。主治医はつとめて妄想を肯定するように対応したが、すると彼女は主治医とH先生(きのうの記述にも出てきた、陽子が片想いしている絵の先生である)を人物誤認し、

「太陽は自由だった。太陽に飛んでいきたい。しかし地上にも幸福はある。それはH先生」

と書いている。この頃から興奮は鎮まり、第3週から手記を書き始めている。


 母の症状はなかなか改善しなかったが、第6週には娘は父の住む家に外泊、父は案外やさしい人だといい、逆に母を説得さえするようになった。

「入院はいやだったが、病気が治りかえって自由になった」

と書いている。第8週に母はなんら改善されずに退院。第10週に娘も母と別居し父と暮らす約束で退院した。

 しかし、話はここでは終わらない。陽子は1ヶ月ほど父と生活したが、H市の母のもとに手伝いに行ったのをきっかけに、ふたたび母と二階の一室で暮らすようになる。ときどき帰る父と母の緊張、H先生への恋を母に禁止されたことなどが誘引となり、10ヶ月後、再び陽子の症状は悪化してしまう。

 昭和32年4月、陽子は京都にH先生に似ているというある俳優の撮影を見に来ていたが、その俳優が殺されるシーンになると不安になり、ハンドバッグから持ち物を出し、次々と太陽にすかし池に投げ込んだ。かけつけた父を罵りますます興奮するので、主治医が呼ばれて行った。

「よい月が出ているから安心しなさい」

と主治医が言うと一応鎮まり、

「二次元と三次元の世界のどちらを選ぶべきですか」

と質問したという。

 かくして陽子は再入院。第1週には

「人間なんか信用できないから地球に未練はない。あの汚らわしいやつ。人間のできそこない、あいつは絶対に許されない。神でもないのに神のつもりでいるのだ。あいつは物質的恩恵を与えたつもりでいるけれど、太陽によって成り立った物質はあいつのものとはいわせぬ」

「私の元の世界は宇宙の外にある。お母さんが帰らなければ私だけH先生を連れて帰ってしまう」

などと話していたが、2週目以降はやや現実的になり、母親と離れることの不安やH先生への思いを語るようになっていった。


 入院2ヶ月後にLSDを服用させて妄想を発現させたところ(驚くべきことに、昔はそういう治療法があったのである)、1時間後強迫的に笑い出し、

「ケセラ・セラの歌は私がお母さんに頼っていたことに対する警告だと思います。お母さんを捨ててH先生と結婚します」

といい、2、3時間後には

「先生! オールマイティになってください」

と主治医に寄りかかる。一人で立たないといけないと突き放すと不安がつのり

「空に飛びたい。元の世界に帰る」と机の上に乗って飛ぼうとする。しかし飛べずに興奮し始め、「過去も現在もなくなってしまえ」

と叫びながら主治医にH先生になってくれと懇願する。主治医がうなずくと次第に静まっていったという。

 念のため言っておくが、これは今じゃとても考えられない荒っぽい治療法である。

 ともかく、入院4ヶ月目に陽子は退院。以来京都で父と暮らし洋裁学校に通うようになったという。

 論文の著者はこう結んでいる。

「母からH先生へ、そして主治医へ、退院の頃には主治医から父へと陽子の依存性は次々と移され、その程度も弱まり遂には精神的独立を決意するに至っている。かくて主治医を通じて父との新しい人間的結合を生じ、母から分離したのである」。

 つまり主治医は、陽子の分離不安をいったん自分で引き受けることによって治療を成功させたわけなのだけど、これも下手をすれば主治医が妄想に取りこまれないとも限らないわけで、けっこう危険を伴なう治療法だと思うんだけどなあ。ま、結果よければすべてよしですが。
http://homepage3.nifty.com/kazano/folie.html


という訳で、


創価学会による電波攻撃とか、

地震兵器、ムサシによる不正選挙とか

放射能汚染による病気の激増とか

相対性理論が間違っていたとか


阿修羅で実しやかに語られている陰謀論がどういうものか大体わかって来ましたね。

阿修羅掲示板は中世の人里離れて隔離された山奥の村落と同じで、すぐに憑依型の感応精神病が猛威をふるってしまうのです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/228.html#c2

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
6. 中川隆[-12292] koaQ7Jey 2019年2月10日 10:14:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

馬渕睦夫さんのユダヤ陰謀論はかなり説得力が有るのですが、実際には

金の亡者のユダヤ人が 今さえ、金さえ、自分さえ で一人一人独立に金儲けに走った結果が あたかも全員が示し合わせて陰謀している様に見えるだけでしょう。

参考

チャンネル桜や正論で大活躍中のアホ右翼・アホ陰謀論評論家 まとめ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/228.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c6

[近代史3] 財務省は何故日本を滅ぼそうとしているのか? 中川隆
6. 中川隆[-12291] koaQ7Jey 2019年2月10日 11:13:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

安倍政権が統計詐欺政権である現実 2019-02-10


 先日、「政府、賃金マイナス公表へ 」で、政府が18年の実質賃金について「共通事業所」による統計を公表する(恐らく▲0.3%)と報じられていましたが、

「やっぱ、や〜めた。だって、消費税増税できなくなっちゃうじゃん(想像)」

 とすることにしたようです。


『実質賃金、12月は1.4%増 18年は0.2%増、毎月勤労統計
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL07HQP_07022019000000/

 厚生労働省が8日発表した2018年12月の毎月勤労統計調査(速報、従業員5人以上)によると、物価変動の影響を除いた実質賃金は前年同月比1.4%増加した。18年の実質賃金は前年比0.2%増と2年ぶりの増加となった。(中略)

 毎月勤労統計は500人以上の事業所をすべて調べることになっているが、東京都では抽出調査となっていた。厚労省は問題となった東京都に関して、統計的に処理して全数調査に近づける復元加工した数値を使用している。また、統計不正問題を巡って野党が求める17年に調査対象となった共通の事業所を比較した参考値ベースの実質賃金の伸び率は公表しなかった。』


 というわけで、共通事業所の実質賃金伸び率(というか下落率)は公表されませんでした。先にも書きましたが、推定値は▲0.3%。12月の名目賃金(共通事業所)も、公表値よりは0.1%低かったので、ほぼ間違いないと思います。


 上記の何が問題かと言えば、

「実際には実質賃金が対前年比マイナスになってしまったにも関わらず、プラスで公表された」

 という点です。


 例えば、+0.5%が+0.6%で出た、といった話であれば「誤差」と説明することはできます。とはいえ、▲0.3%を+0.2%と発表しているわけですから、まさに統計詐欺です。


 完全にソ連、あるいは中共と化しています、最近の安倍政権は。理由はもちろん、消費税増税を実現するため。


 日本国民は「全員」がいい加減に認めなければなりません。安倍政権は「統計詐欺政権」なのでございます。


「いや、そんなことない。実質賃金は上がった、安倍政権マンセー」
 とかやっている連中は、揃いも揃って財務省の飼い犬です。何しろ、消費税増税をサポートするわけですから。


 しかも、

「2018年で実質賃金は(+0.2%)上昇した! 安倍政権の経済政策の成果だ!」

 などと主張することは、まさに朝三暮四。というか、朝三暮四のサルに劣るというのが、現実なのでございます。



【日本の実質賃金指数の推移(2015年=100)】




http://mtdata.jp/data_62.html#Choki


 日本の実質賃金は、1997年1−3月期をピークに下落を始めました。理由はもちろん、消費税増税や公共投資削減といった橋本緊縮財政により、日本経済がデフレ化したためです。


 第二次安倍政権発足後、消費税増税や円安による輸入物価上昇の影響で実質賃金は大幅下落。2018年の「詐欺統計値」を用いても、実質賃金は対2012年比▲3.5%超です。


 3.5%以上も実質賃金を引き下げられておきながら、18年に+0.2%になり、
「実質賃金は上昇している! 三橋ザマアwww」
 などとやることは、まさしく朝三暮四のサル以下でございますよ。


 ちなみに、上記は現金給与総額ですが、「きまって支給する給与」で見ると、2018年は詐欺統計値でも▲0.3%でした。共通事業所に絞ると、▲0.8%前後でしょう。恒常所得は、相変わらず大きな落ち込みが続いています。


 明らかに国民の貧困化は続いているわけですが、さすがに、
「国民が貧しくなっていますが、消費税を増税します」
 とは説明できないため、サンプル変更詐欺を活用し、何とかプラスの数値をでっち上げた。野党に統計詐欺を指摘されておきながら、詐欺統計値で押し通す。


 これが、安倍政権の現実なのです。


● GDP目標詐欺:技術投資をGDPに加算し(これは別に構わない)、名目GDPがいきなり28兆円増加したにも関わらず、GDP目標600兆円はそのまま据え置き(これは問題)。


● 公共事業の当初予算に社会資本特別会計(6千億円)を上乗せし、民主党政権期よりも当初予算が増えたように見せかけた


● 2014年4月以降(15年末まで)のヒストリカルDIの凄まじい落ち込みをスルーし、景気後退と認定せず、「いざなぎ超えの景気拡大」と詐欺発表


● 18年1月に毎月勤労統計調査のサンプルを変更し、「給料が高い企業が入ったサンプル」と「給料が低い企業が残ったサンプル」を比較し、「対前年比+0.2%」と発表


 本ブログで繰り返し取り上げた統計詐欺だけで、上記の通りです。平均概念の潜在GDPや、厚生労働省の不正統計は、安倍政権から始まったわけではないため、省きました。


 ちなみに、統計詐欺を見破るためには、統計数値を日常的に扱い、分析、アウトプットするという「訓練」が必要です。蓄積がない初心者に、統計詐欺を見抜くことはできないのです。


 そして、残念ながら、日本の政党(自民党含む)には統計が「分かる」人材が、政治家本人、ブレーンを含めていません。


 野党が実質賃金の統計詐欺を問題視してくれたのは、厚生労働省の不正統計が問題視され、「安倍政権を攻撃できる!」と色めき立ち、外部から人材を招いたおかげでです。


 本来であれば、野党は我々が実質賃金のサンプル変更を問題視した2018年9月時点、せめて10月時点で騒ぐべきでした。そうすれば、第197回秋の臨時国会の審議を止められ、移民法や水道民営化を止められたかも知れません。


 とはいえ、日本には統計が分かるというか、そもそも「統計の重要性を理解している政党」がほとんどありません。一番、理解してそうなのが共産党、という体たらくです。


 というわけで、今回の一連の詐欺統計を受け、つくづく思いました。日本には統計を理解し「大切にする」政党が必要なのです。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12439042530.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/151.html#c6

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
233. 中川隆[-12290] koaQ7Jey 2019年2月10日 11:19:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

>>221 千葉県の人間はみんな頭がおかしい(13)

の続き

2019.02.10
心愛さん虐待を動画で撮影、首つかみ執拗に顔に放水し肺から水、周囲の評判は「温厚な人」と典型的なサイコパス
https://rondan.net/15200


虐待風景を動画に撮影

千葉県野田市の栗原心愛さん(10、小学4年生)が両親から虐待を受けて自宅浴室で死亡した事件ですが、各誌報道によれば、なんと父親の虐待現場を母親が動画で撮影していたとのことです。さらに肺から水が検知されるなど、死因の特定も進んでいるようです。

まず、動画撮影にについて産経新聞は次のように報道。


千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅浴室で死亡し、傷害容疑で両親が逮捕された事件で、心愛さんが父親の勇一郎容疑者(41)とみられる人物に暴行される様子を撮影した動画が見つかったことが9日、捜査関係者への取材で分かった。
産経新聞(2019.2.9)千葉女児死亡 虐待を撮影 動画見つかる 
朝日新聞では動画の具体的内容にまで踏み込んでいます。


捜査関係者によると、動画データは父親の勇一郎容疑者(41)が所有していた記録媒体に保存されていた。県警が確認したところ、1月にスマートフォンで撮影された可能性が高いことがわかった。心愛さんが勇一郎容疑者とみられる人物から暴行を受ける様子や、ぐったりしている姿などが映っていたという。県警は勇一郎容疑者か母親のなぎさ容疑者(31)が撮影したとみており、映像の解析などを進めている。
朝日新聞デジタル(2019.2.9)心愛さん虐待の様子、動画で撮影 父親の記録媒体に保存
毎日新聞によれば水を強引に飲ませた可能性に言及しています。


県警は父勇一郎容疑者(41)が冷水のシャワーを掛けたと説明しているが、何らかの方法で鼻や口から水を強引に飲ませた可能性もあるとみて、調べている。
毎日新聞(2019.2.9)千葉女児虐待 暴力や立たせた場面の動画見つかる スマホで撮影か
肺から水


また「肺から水」が検出されたとのことです。


捜査関係者によると、勇一郎容疑者は「(心愛さんの)髪をつかんで浴室に連れて行った。もみ合いになり、シャワーで水をかけたら、呼吸や意識が止まった」などと供述。母親のなぎさ容疑者(32)は「夫を止めなかった」などと供述しているという。県警は、勇一郎容疑者が心愛さんの首や肩の周辺を手で強くつかむなどしながら、顔に水をかけ続けたとみて、調べている。
朝日新聞デジタル(2019年2月10日)心愛さんの肺から水 容疑者、首つかみ執拗に顔に放水
その他にも虐待の様子が報道されています。


「勇一郎は心愛ちゃんを長時間立たせたり、冷水でシャワーを浴びせたりしたほか、首近辺を鷲掴みにして髪を引っ張るなどした。死因は不詳だが、心愛ちゃんの身体には服で隠れる部分に集中して複数の痣があり、胃にはほとんど内容物がなかった」(捜査関係者)
『週刊文春』2019.2.14

母なぎさ容疑者(31)は「冬休み中に(娘が)夫に暴行されて体の見える部分にあざができ、ばれないように1カ月間、外に出さないようにしていた」と供述。事件直前の数日間は食事も与えていなかったという。
毎日新聞(2019.2.10)父が女児虐待の動画 スマホで撮影か 県警押収
なお、取り調べに対して、父親は「しつけ」だったと開き直っており、母親は夫が怖くて娘を差し出していたそうです…。恐ろしい。


勇一郎は取り調べに対して、「躾であって暴力ではない。悪いことをしたとは思っていない」と主張。いまだ反省の弁は口にしていないという。
『週刊文春』2019.2.14
外では良い顔

この鬼畜な良心ですが、元凶である父・雄一郎氏は、外面は良い典型的なサイコパスなようです。朝日新聞には次のように。


友人らによると、勇一郎容疑者は2011年、那覇空港の店で働いていた。父親と同じ空港関係の仕事にあこがれていたという。元同僚は「愛想が良かった」。同僚に出産祝いを贈る気配りも見せた。16年9月には沖縄の観光振興を担う財団法人に就職。17年8月、千葉への転居を機に退職したが、昨年4月に同法人の東京事務所の嘱託職員に。勤務態度は真面目で、無遅刻無欠勤。後輩にパソコンの操作や電話対応を丁寧に教え、沖縄旅行を勧めた客から「満足した」との声も寄せられた。家族の話も頻繁にし、同僚は家族仲が良いと思っていたという。
朝日新聞デジタル(2019年2月6日)心愛さん父「穏やか」「威圧的」 周囲に見せた異なる顔
『週刊文春』にはより具体的な証言が載っています。


「勇一郎さんは車で実家に帰っていて、久々に会いました。奥さんは初めて見ましたが、華奪で大人しそうで、小さな赤ちゃんを抱いていました。勇一郎さんは『沖縄に行ってたんです。沖縄はいいですよー。今度、旅行のパンフレットを持ってきますよ』とニコニコ話していた。心愛ちゃんはその場にはおらず、奥さんは後ろでペコペコと頭を下げていました」(近隣住民)
『週刊文春』2019.2.14

「沖縄の観光地を案内したり、観光関連のイベントを運営したりする接客の仕事が主でした。温厚な性格で、コミュニケーション能力も高いので向いていましたね。『沖縄に長く住んでいて、土地の人や空気、ゆったりした雰囲気が好き』と話していました。どんな人にも敬語で接していて、他の従業員とも仲が良かった。懇親会などでお酒を飲んでいましたが、豹変することもなく終始穏やかで、泥酔もしなかった。熱心な広島カープファンで、選手や順位の話はしていたかな。上の子の運動会があったとか、授業参観に行ったとか、子供の学校行事の話もよくしていました」(職場の上司)
『週刊文春』2019.2.14
結婚前は優しかったのに、結婚後にDV夫に豹変したの証言もあります。


「旦那さんは結婚前は優しかったのに、結婚すると豹変したそうです。暴力がひどくて、それが原因でなぎさは精神科に通院するようになった。束縛が激しく、友達と会おうとしても携帯電話やメールを常にチェックされ、外出も制限されていた。“冷水シャワー”もやられたと聞いています。同級生の間では『旦那にDVで洗脳されている』と噂されていました」
『週刊文春』2019.2.14
この様に考えると、今回逮捕された母親もかなりDVされていて正常な判断ができていなかった可能性があります。にしても娘を差し出している時点で情状酌量の余地は中々ありませんが…。

せっかく栗原心愛さんが勇気を振り絞ってSOSを発信したのに、児童相談所や野田市教育委員会の信じられないような対応のせいで、悲劇を止めることができませんでした。ニュースを知った多くの人が、やるせない気持ちと怒りに打ち震えているものと思います。
https://rondan.net/15200


2019.02.10
10歳少女虐待死、両親とも逮捕で思うこと
https://rondan.net/15159


Contents


1 10歳少女虐待死という現実
2 母親は悪くない?
3 行き届かない福祉
4 家庭という閉鎖空間
5 「虐待サバイバー」


10歳少女虐待死という現実

千葉県野田市で、小学4年生の女の子が死亡した事件。テレビ、ネットニュースなどでは連日、報道が続いています。

各所で繰り返し報道されている事件なので既にご存知の方が多いと思います。

この事件で死亡した10歳の女の子は学校でのいじめに関する秘密厳守のアンケートで、外部に助けを求めるなどSOSを発信していた事がニュースで明らかになっています。

しかし、その秘密であったはずのアンケートは最悪なことに、暴力行為を働いていた父親の手に渡ってしまいました。

今同じような状況で苦しむ子供たちはこの報道を見て、大きな絶望を感じたに違いありません。

この事件で、4日に母親も逮捕。父親の暴行を止めなかったとして、傷害容疑での逮捕でした。

母親は悪くない?

これに関して、ネットで「恐怖でどうにもならなかったのだから、母親を責めるのはおかしい」と言うような意見を見かけ、疑問に思いました。それはどうなのだろうか?

10歳の少女が、学校のアンケートに助けてほしいと書く勇気。敷居の高さ。それをまず考えてみてほしい。暴力の標的にされ、恐怖の真っ只中にいたのは誰だったのか。

もし、止めに入れば次は自分が標的になる。だから仕方なかった。

それがまかり通るなら、学校内でのいじめを遠巻きに見ている人間と何も変わりはないですね。10歳の子供をスケープゴートに利用して、自己保身に走ったのです。

母親なら子供を守れ!とか、そんな薄い話をしているわけではありません。自分の保身のために子供を生贄に差し出すな。という話です。

子供を差し出して、自分を守る。子供を飾りにして、自分のステータスにする。そういう人間が居るのです。

女の子は自分のできる精一杯の範囲でSOSを発信したのだと思います。大人なら、もっとたくさんの助ける道を知っていたはずです。命をかけて助けてと書くより、もっとずっと良いやり方を、大人は選択できる。

それを、しなかったのです。

母親を責めるわけではありません、大人のずるさを感じています。

行き届かない福祉


各市町村の役場には「福祉課」の窓口があり、様々な相談を受け付けています。

しかし、私も経験があるのですが「福祉課」へ相談に行っても大体が全く話を理解してもらえず、動かず、何もかもを出し渋られ、何も収穫のないまま帰宅することになるのです。

全ての市町村の全ての福祉課の職員がそうだとは思いたくはありませんが、今回の事件をニュースで見た時、「ああ、どこも同じか」と思ったのを覚えています。

「福祉」は「儲からない」。お金のない地方の町などは建前としてしか福祉が存在しません。

お金があれば、職員を増やせる。虐待に関しての勉強会も開けるのでしょう。そうすれば、助けられる人が増える。

ものすごく簡単に考えればそうなのかもしれません。

生活に困窮し、生活保護を求めても「福祉課」で断られ、生きる事ができなくなってしまう。そんなニュースがあっても、同じような事が繰り返されるのは、一体何故なのでしょう。

今回は、10歳の子供です。10歳の子供が見つけた助かるための小さな窓口が「アンケート」だったと思うと、言葉が出なくなります。

家庭という閉鎖空間

信じられない方もいるかもしれません、家族ぐるみで地獄のような仕組みを作り、暮らす家庭は見えないだけで確実にあるのです。何の気なしに、平和そうに暮らしています。表向きの話はですが。

家庭内の理不尽な仕組みは、各家庭様々。しかし、どのようであれ子供が苦しんでいます。

パートナーや他の家族、同居者などの暴力から、自分を守るために子供を差し出す親というものは存在します。

家という狭い空間の中、社会でのモラルや常識、良識といったものがすっかり失せて、暴力による支配が当たり前に行われる。

子供が外で何か言おうものなら、その後家に帰って更にひどい目に遭う。

だから家の状態を言えない、両親はとてもいい人と言わざるを得ない。助けを求めるなんて、リスクが高すぎる。

この事件の真相が解明され、両親がどれだけの罰を受けても、もう10歳の女の子は戻ってはきません。

今後、このような事が起きないために、どうしたらいいのか。学ぶ事がたくさんあります。

「虐待サバイバー」

虐待サバイバー、これは子供の頃の虐待をなんとか生き抜いた、奇跡的に今生きている、そんな人たちを指す言葉です。

まず「虐待」をなくす事が何よりも大事なのは明白ですが、今、渦中にいる子供たちに向けて、NHKニュースでこのような記事が作られていました。(下記リンク記事)

ひらがなと、わかりやすい言葉で、このような時、どうすべきなのかを説明してくれています。後半は大人へ向けた記事になっており、大変わかりやすいです。

もし、今、何かに気がついているのなら

https://rondan.net/15159
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c233

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
234. 中川隆[-12289] koaQ7Jey 2019年2月10日 11:41:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

千葉県野田市の心愛さん虐待事件はこの映画に似ていますね:


#56 デッドウォーター - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=GzFK3Fxd-w8

ロケ地 千葉県館山市

監督 旭正嗣
脚本 光伸春

出演者

緑川静香
石塚みづき
亜矢乃
今泉ちえこ


販売元: インターフィルム
発売日 2018/09/05


1955年に三重県津市の海岸で36人の女子中学生が溺死し、大々的に報じられた集団水死事件をモチーフにした作品。


ストーリー:

OLの莉乃は、夜毎に海で溺れる

女学生達の夢を見て、うなされていた。

休日、会社の同僚5人で泊まり掛けで千葉県館山市の海沿いの宿に旅立つ彼女に、姉は御守りを渡すのだった。

同じ職場のOB・由衣の実家でもある

その館山の宿は、客も少なく、婚約者の国見と二人で経営しているらしい。

莉乃は、そこでモンペ姿の少女を見かけ

驚くが、仲間達には、その姿が見えない。

翌日、海に出掛けた5人は、

地元の漁師から立ち入り禁止だと怒られ、

かつてこの海で、

大勢の少女が溺れ死んだ話を聞かされるが…
https://ameblo.jp/sniper-custom/entry-12409015966.html


『デッド・ウォーター』2018年作品。
実際に起きた海難事故にインスパイアされたホラー。
https://ameblo.jp/gurosuki/entry-12405199371.html

-あらすじ-

OLの莉乃は、夜毎に海で溺れる女学生達の夢を見て、うなされていた。休日、会社の同僚5人で

泊まり掛けで海沿いの宿に旅立つ。莉乃は、そこでモンペ姿の少女を見かけ驚くが、仲間達には、

その姿が見えない。翌日、海に出掛けた5人は、地元の漁師から立ち入り禁止だと怒られ、かつて

この海で、大勢の少女が溺れ死んだ話を聞かされるが…。

-感想-

よくあるタイプの低予算で地味な邦画ホラーであまり怖くは無かったですね。

お話は実は招待してきた会社の先輩は恋人ごと変態兄貴に殺されていました。

殺されてなお変態に縛り付けられ言いなりとなり来た客を殺していました。

主人公達も同期以外の3人の先輩が殺され変態に操られて主人公達に襲ってきます。

逃げようにも元の場所に戻ってしまい脱出できません。

そこに海難事故の被害者の幽霊が現れ案内してくれたおかげで脱出できます。

呪いの砂浜に出られますが変態達や悪霊もそこに追いついてきます。

主人公は悪霊を説得しようとしますが失敗して襲ってきます。

そこに被害者の幽霊が助けに入り変態を含めてみんな海に引きずり込まれてしまいます。

主人公達は何とか助かり幽霊となった先輩達も変態から解放された所でエンドです。

たびたび現れていた霊は悪霊じゃ無く主人公達に危険を伝えようとしていたようですね。

被害者が死んだ10年後の海難事故も襲っているのでは無く救おうとしていたようですね。

悪党には容赦ないですが基本的には凄くいい霊で怖さは無いですね。

変態側も悪霊も何故操れるのか説明が無く肝心なところの描写が無いのは残念ですね。

結構な数操るのだから説明が無いと意味不明さしか無く面白みを感じることは出来ません。

幽霊もメイクはどっちも白めの顔で目の周囲だけ黒いだけで見た目は普通の人間です。

舞台も汚い宿泊先とその周辺の海岸のみでメイクも含めてかなり低予算ですね。

特に有名な俳優も出ておらず全体的にインパクトは欠けていますね。

致命的な駄作って感じじゃ無いですが地味に面白くないと言うネタにならない作品でした。

そんな感じでこれと言った物も無い作品だったので暇な方は見てみてください。
https://ameblo.jp/gurosuki/entry-12405199371.html


監督の旭正嗣さんからも裏話を。

ロケ地は館山だったそうです。


2015年10月07日にニュースになりました📰

10〜20代若手グラドル約100人が海に入ると、

そのうち70人が、一斉に悲鳴を上げて

陸に避難したという。

水着姿のグラドルを襲ったのは

20cmほどの手のひらサイズの

クラゲの大集団だった。


十分に安全を確認して撮影したらしいが

前日の海の動きでクラゲの大集団が

海岸の方に寄せられたみたいだと。
https://ameblo.jp/sniper-custom/entry-12409015966.html


今から60年前の7月、

三重県津市の中河原海岸で

信じられないような海難事故が

実際に起きているのだ(※)。

その夏、地元の中学生およそ200人が、

波も穏やかな遠浅の海岸で

水泳実習を行っていた。

しかも、

しっかりと足が着くような浅瀬の海岸で、

なぜか子供たちが突然溺れだし、

次々と沖へ引きずり込まれるという

謎の怪現象が起こったのだ!

結果、死者36名という

日本最悪の水難事故が実際に起きている。


本作は、

その水難事故にインスパイアされ

今も立ち入り禁止となっている

“死の海=デッド・ウォーター” をテーマに

企画・制作された。


※「橋北中学校水難事件」または

 「津海岸集団水難事件」

1955年7月28日に三重県津市の

津市立橋北中学校の女子生徒36人が、

同市中河原海岸(文化村海岸)で

水泳訓練中に溺死した水難事件。


この日は全学年600人以上が参加していたが、

女子グループの43人が高波にさらわれた。

7人は意識が回復したが

36人が帰らぬ人となった。


岸から約10メートルのところで

ジャブジャブやっていたところ、

突然高波が襲いかかり、

足を波に奪われてあわてて救いを求め、

先生の身体にしがみつくもの、

手をあげて沈んでゆくもので修羅場となり、

他の組で泳いでいた先生もかけつけて

次々に救い上げた。

(朝日新聞1955年7月28日・東京版夕刊

 「女生徒36名絶望か

  津市 水泳講習中おぼる」)


その後の生き残った少女からの証言。


私たちがいる場所から、

20〜30m沖のほうで泳いでいた友だちが

一人一人、吸いこまれるように、

波間に姿を消していくのです。

すると、水面をひたひたとゆすりながら、

黒いかたまりが、こちらに向かって

泳いでくるではありませんか。

私とSさんは、ハッと息をのみながらも、

その正体をじっと見つめました。


黒いかたまりは、まちがいなく

何十人という女の姿です。

しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ

防空頭巾をかぶり、

モンペをはいておりました。

夢中で逃げようとする私の足を

その手がつかまえたのは、

それから一瞬のできごとでした。


(女性自身1963年7月22日号

 「恐怖の手記シリーズ(3)

  私は死霊の手からのがれたが...

  ある水難事件・被害者の恐ろしい体験」)


この事故をきっかけに

全国の中学校にプールの建設が決められ、

実際に造られたそうです。


当時の新聞記事や資料を見ると

高波が直接の原因ではなく

離岸流が原因と思えた。


「離岸流」とは、海浜流系の一種で、

海岸の波打ち際から沖合に向かってできる

流れのこと。

幅10mから30m前後、

長さ数十mから数百m前後で生じる、

局所的に強い沖方向の波。

主に、海岸に打ち寄せた波が

沖に戻ろうとする時に発生する強い流れ。


高波は

「海が静穏だったにも関わらず、

 突然大きな波が襲い」

という記述もあったので

「幅10mから30m前後、

 長さ数十mから数百m前後で生じる、

 局所的に強い沖方向の波。」

を指していたのかも。


昔からあった現象だけど

こういう事故があったから

知られるようになったのかも。
https://ameblo.jp/sniper-custom/entry-12409015966.html


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c234

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
235. 中川隆[-12288] koaQ7Jey 2019年2月10日 12:13:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

デッド・ウォーター RE-2869
https://akishige777.xsrv.jp/dead-water/


あらすじ

OLの莉乃は夜毎に海で溺れる女学生たちの夢を見てうなさられていた。

そんなある日、莉乃は会社の同僚5人で泊まりかけで海沿いの宿にやって来ると、そこでもんぺ姿の少女を見かけるも他の人たちは見えない。

翌日、海に出かけた5人は地元の漁師から立ち入り禁止だと怒られ、かつてこの海で大勢の少女が溺れ死んだ話しを聞くのだった。

登場人物&出演者

・リノ(演:緑川静香)

主人公。東京で働く新人のOL。姉と同居して旅行前に悪夢を見て、お守りを手渡される。

緑川静香は代表作に『小人探偵/多羅小伴内』、『リュウセイ』などがあります。
悪夢を見ていたせいで気を落としていたが、同期のマユに励まされて少し元気になる。

旅館に到着すると、青白い顔をした女学生を見て驚くが、他の人は何も見ていないという。

マユが目の前で死に、ユイも幽霊だと気付くと、過去がフラッシュバックされて知る。

最後はユイの兄と幽霊から浜辺へ逃げ、姉のお守りで身を守って女学生たちに助けられた。


・マユ(演:石塚みづき)

リノと同じ新入社員。天真爛漫な性格。悪夢を見て気が沈んでいた莉乃を元気づけていた。

石塚みづきは代表作に『きみとぼくのせかい』、『かがり糸』などがあります。
話しを聞いていたユイが結婚できない事を聞いて、マユとその理由を小声で話していた。

一番調子が良く、何かとリノに甘えたり、平然と失礼な事を言ったりして注意される。

いなくなったマユやハルカを探しに行くが、旅館から出られないと知って棒立ちしていた。

最後はリノと一緒にユイの兄と幽霊たちから浜辺まで逃げ、女学生の幽霊に助けられた。


・ハラダ(演:亜矢乃)

リノたちを旅行に引き連れる先輩。昔の同期だったユイに誘われて古い旅館にやって来た。

亜矢乃は代表作に『丘のうえから』、『ナチュラル・ウーマン2010』などがあります。

4年前に寿退社したはずのユイが未だに結婚できない事に、相手のタクヤを注意していた。

実はユイとは同期というだけで詳しく知らず、今回誘った事に違和感を持っていた。

婚活バーベキューも中止になって機嫌を損ない、同僚が帰って来ない事で仕方なく探す。

最後は暴走したユイの兄に捕まり、湯船に何度も顔を付けられて結局は溺れ死ぬ事に。

・マユ(演:山田聖子)

ハラダ先輩が引き連れた女子旅行に参加した一人。ハラダとユイの関係性を知っていた。
山田聖子は代表作に『サンタクロースズ』などがあります。

旅館でハラダとユイが再会するが、まだ結婚していない事を聞いて邪推するマユと話した。

マユが一人だけ暴走して失礼な事を言っても、特に注意せずマイペースな感じで過ごす。

飲み物を買いに行こうと一人で出て行くが、ユイに出会って脅されるが強引に外へ出た。

最後は白い手に掴まれ、倒れたところでペットボトルの水を口に入れられて溺れ死ぬ。


・ハルカ(演:末広ゆい)

ハラダ先輩が引き連れた女子旅行に参加した一人。喫煙者。ユイについてハラダに聞いた。

末広ゆいは代表作に『力道山』、『スノープリンス/禁じられた恋のメロディ』があります。

女子全員で風呂に入っていると、ユイについて質問が飛び交っていた中で納得する。

デリカシーのない発言をするマユを注意して、ユイがいなくなっておでこを叩いていた。

突然目が覚めた取り乱していたリノをビンタして、正気を取り戻させる男前な行動をする。

最後は幽霊の仕業というリノの言葉に呆れるが、洗面所の台で溺れ死んでしまう。

・タクヤ(演:村上剛基)

ユイの婚約者。4年前に寿退社したユイと結婚するはずが、未だに結婚できずにいた。
村上剛基は代表作に『赤い糸』、『真白の恋』などがあります。

色々と立て込んでいて結婚ができず、ハラダも踏み込めない事情を抱えるという。
実は過去にユイの兄によって殴り殺されていて、今の姿はなぜか物理的な事ができる幽霊。

最後は真実を知ったリノによってユイの兄が海へ引きずられ、結果的に解放された。

・ユイ(演:今泉ちえこ)

後輩たちを引き連れて女子旅行を計画する。旅館の女将となったユイに誘われて計画した。

今泉ちえこは代表作に『世界最後の日々』、『ヌイグルマーZ』などがあります。
4年前に寿退社したはずだったが、色々とワケがあって未だに籍も入れてないという。

ハラダとの再会に喜んでいたが、実際は会社の同僚時代ではあまり素性を知られていない。

実はずっと兄が結婚をしたがっていたが、当然のように両親から拒否されてタクヤと結婚。

最後は兄に逆らえなかったが、リノが女学生たちに助けられた結果、解放される事になる。

・ユイの兄(演:幸将司)

旅館に人知れず住んでいる。過去に妹であるユイと結婚をしようとしていた。
幸将司は代表作に『アルビノ』、『虜/TORIKO』などがあります。

旅館で働く女性従業員に3分以上の息止めを強要するが、結局できずに殺してしまう。

それでも次の女を見つけると、またしても同じ事を繰り返し、死んだユイの代わりを探す。

ついにその魔手はリノたちに伸びると、幽霊となったユイたちを使って試していく。

最後はリノとマユを追い詰めるが、女学生たちの幽霊により海へ引きずられて消滅した。

感想

個人的な評価

本作は1955年7月28日に三重県津市で起きた『女子中学生集団水死事件』からインスパイアされた作品となります。

当時は水泳訓練をしていた女子中学生49人中36人が溺死するという事故が発生した。

本作ではその事件をベースにして、女学生だけじゃなく、男子学生もいる事になっている。

女性だけの旅行という事で華やかであり、それぞれが個性を引き出させようとみんな違う性格をしていました。

これで分かりやすくしていますが、その中でも主人公となるリノは最初から特別扱いとなっています。

当然のように一人だけ見えないモノが最初から見えていて、旅行を楽しむ他のメンバーがバカみたいに見えてしまう。

物語が進んでいくと一人ずつ丁寧に死んでいくが、二人目がペットボトルの水をムリヤリ飲ませて殺す演出がギャグかと思いました。

まだ洗面台に溜まった水、湯船の水なら分かるけど、いくらなんでもムリがありました。

あとは肝心の女学生の幽霊も白塗りにパンダみたいなメイクで、登場した時も笑いそうになるぐらいでした。

このようにまったく怖くないですが、途中からいきなり旅館の女将の兄が出てくるが、実は一番ヤバイ人間だったというオチ。

女将はすでに殺されて死んでいるはずだが、なぜか普通の人間として対応して、ターゲットとなった人間を物理的に殺していきます。

まったく説明がないので途中で混乱してしまうが、兄の下にいる幽霊と、海で溺れた幽霊は別のモノだというオチでした。

結局、その海で溺れた幽霊は女将の兄から主人公を助け、なぜか解放されるという意味不明なハッピーエンドになりました。

ただし、殺されてしまった会社の同僚たちは生き返る事なく、一番の被害者で救われない可哀想な人たちでした。

もちろん、本作は低予算どころのレベルじゃないぐらい内容が薄く、数日だけで撮影したので中身がほとんどありません。

あとは情報がマトモにない不親切さで、鑑賞する時間よりも調べている時間の方が多かったという作品でした。
https://akishige777.xsrv.jp/dead-water/
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c235

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
12. 中川隆[-12287] koaQ7Jey 2019年2月10日 12:43:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
建築不備で1.4万人転居 レオパレス21“悪質経営”の実態
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247285
2019/02/10 日刊ゲンダイ


記者会見するレオパレス21の深山英世社長(C)共同通信社

「レオパレスのセキュリティーみたいに俺が守る」と男性が見えを切る広瀬すずのテレビCMで知られる単身者向けアパート建設大手のレオパレス21(東京都、深山英世社長)。レオパレスは2月7日、全棟調査の進捗状況について、法令違反の物件が延べ1324棟あったと発表した。

 建物オーナーから指摘を受けて社内調査を実施、延焼防止のための天井裏の仕切り壁が設置されていないなどの問題物件を所有するオーナーは1163人に及び、最大で1万4000人あまりに転居を求める事態に。引っ越し、住み替え、改修中の賃料保証などをレオパレスは実施するというが――。同社を取材してきたフリーライターの村上力氏は話す。

「レオパレス21は土地持ちの人にアパート経営投資をもちかけ、建築請負して一括借り上げによる賃料保証までやった。サブリースというオーナーにとってリスクの低い投資で業績を伸ばしてきました」

 空室が出ても賃料保証することは、賃料収入がオーナーへの支払いを下回れば逆ザヤになる。そしてまさに世界で不動産バブルがはじけた2008年のリーマン・ショック後、同社は10年3月期に790億円、11年3月期には408億円の巨額赤字を抱えて経営危機に陥る。

「11年にレオパレス21はサブリース契約解除を一方的に通告する『終了プロジェクト』を強行しました。考案したのは同社のメインバンクである三井住友銀行と関係の深い山田コンサルティングといわれています。しかし、神戸のオーナーからはサブリース契約解除無効訴訟を起こされた。その時にオーナーは違法建築も裁判の争点にしていたんです」(村上力氏)

 その結果、把握された違法建築は複数に及んだが、レオパレスは秘密裏に改修し続ける。昨年放送されたテレビ東京の「ガイアの夜明け」が内部文書を暴露した。レオパレス21は賃料契約と建設という2つのセールスポイントでオーナーを裏切ったが、それだけではないと村上氏は言う。

「巨額赤字を抱えたレオパレスは13年に320億円の公募増資を実施した。幹事会社はSMBC日興証券。問題は当時存在した違法建築や訴訟について投資家に開示しなかったということです。経営陣がこれらの重要情報を知らなかったはずはない。一般投資家までだまそうとしたのかと言いたい」

「理想の土地活用」という宣伝文句が寒々しい。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c12

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
13. 中川隆[-12286] koaQ7Jey 2019年2月10日 12:49:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
レオパレス大量施工不良、業界で有名だった“脱法体質”と営業手法…他社で同様事例か
https://biz-journal.jp/2019/02/post_26635.html
2019.02.09 構成=長井雄一朗/ライター Business Journal


レオパレス21(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)


 賃貸アパート大手のレオパレス21は7日、建築基準法の規定を満たしていない施工不良物件が1324棟確認されたと発表された。問題物件の入居者は1万4443人に達し、特に天井の耐火性能が不足する641棟の7782人に速やかに転居を要請する。また、他の問題物件の入居者全員にも退去を促すという異例の対応に踏み切る。

 同社は補修工事費用を特別損失として計上するため、2019年3月期の連結純損失が388億〜400億円に拡大する見通しだとしているが、同社では昨年も206棟で住戸間を仕切る屋根裏の「界壁」に施工不備が発覚していた。

 なぜ、このような大規模な施工不良問題が起きたのか。不動産ジャーナリストの榊淳司氏に話を聞いた。

――今回の問題には、レオパレス21特有の企業体質が影響しているのでしょうか。

榊淳司氏(以下、榊) 「ついに発覚したか」というのが感想です。レオパレス21はもともと問題の多い会社です。同社の物件の建設スタイルは、建材が現場に大量に輸送され、工務店は指示されるがまま現場で組み立てるというイメージです。施工段階で工務店側も違法の事実を薄々と感じながらも、なれ合いがあった可能性もあります。

1324棟での施工不良は、あまりにも多過ぎます。単なる施工だけの不備とは思えません。施工の前段階である設計図書や仕様書の段階から、踏み込んで調査すべきです。会社ぐるみで不正を行っていた可能性も想定すべきです。現段階では証拠がないので断言できませんが、建築住宅の業界では姉歯事件以来の事案といえます。

――なぜ、これだけ多くの物件で違法行為が行われたのでしょうか。

榊 通常、建築許可の申請に対しては、自治体の委託を受けた検査機関は建築基準法に基づき、建築物などの建築計画が建築基準法令や建築基準関係規定に適合しているかどうかを着工前に審査します。着工後は、これらの規定に適合しているかを検査する完了検査がありますが、適合していなければ使用許可が下りません。実際には書類だけ基準を満たした内容にして脱法行為を行うことも可能性なのです。

 ただし、自治体によりますが、たまに職員が現場に来ることがあります。自治体側が現場で不備を指摘した場合、現場監督が「すいません。直します」と言ったまま、そのままにするケースも考えられます。自治体職員も暇ではないですから、再度、現場を訪問することはなかったでしょう。それで現場は逃げ切っているケースも多いと思います。

■「サブリース契約」に要注意

――レオパレス21には建築士や建築施工管理技士はいますが、チェック機能は働かなかったのですか。

榊 彼らは、上にモノを申せる立場にいません。それよりもコストや利益を重視する構造があるのかもしれません。

――建築基準法違反の建物を建てるというのは、ほかのアパートブランドでもあり得るのでしょうか。

榊 サブリース契約を行っていて、ビジネスモデルが似通っている会社で思い当たるところはあります。もし、その会社がコスト・利益を徹底して優先している姿勢を貫いているのであれば、レオパレス21と同じ構造を抱えているので、可能性はあります。しかし、旭化成系や大和ハウス工業のような大手メーカーはコンプライアンスがしっかりしているので、可能性はほとんどありません。

――なぜ、レオパレス21でこのような事態が起きたのでしょうか。

榊 レオパレス21はアパート建築を地主に提案し、その地主がオーナーとなった物件を一括借上げして30年間家賃収入を保証する「サブリース契約」を武器に成長してきました。その営業スタイルは、まずはアパートが建設できる土地と地主を探し、猛烈なアプローチを仕掛けるというもので、首都圏などの土地情報に強く、地元の不動産業者との間で強い関係を築いてアンテナを張っています。営業担当者が不動産業者から「あそこの土地はアパートが建設できるよ。地主はAさん」などという話を仕入れています。

 ビジネスモデルとしては、オーナーから建築費をもらい、次に建築してアパートの管理を一括して行います。初年度はさすがに借り手を確保しますが、それが3年や4年もたつと、借り手も引っ越し、だんだんと去っていきます。そのタイミングでオーナーに家賃減額を求めていきます。もともとレオパレス21でアパートを建設すると、地元の工務店に発注するよりも安くすむといわれています。特にリーマンショックの頃に建てられた物件は、レオパレス21は倒産寸前まで追い込まれていた時のものなので注意が必要です。

――地元の工務店に直接依頼すれば、違法な建物が建てられにくいのでしょうか。

榊 それはそうです。地元の工務店は地域に根差していますから、違法建築物を建てれば地元で評判が悪くなり、依頼が来なくなります。レオパレス21に頼むと建築費が安いということもあり、オーナーがサブリース契約を結んだケースもありました。ただし、レオパレス21側からその後に何度も契約改定をさせられたりするので、オーナー側の不満が多いのは事実です。

――今回はアパートでしたが、マンションでもあり得る話ですか。

榊 それは考えにくいです。たとえば、デベロッパーがマンション建築を発注し、設計会社が設計し、ゼネコンが建てることが一般的です。まず工事完了後、ゼネコン、設計会社、デベロッパー、自治体のそれぞれのチェックがあります。自治体もアパートと異なり、一定規模のマンションであれば完了検査では現場に行くことが多いです。さらにお客が内覧会に行く際、建築士とともに訪問し、このマンションはしっかりしているかをチェックする人もいます。これを内覧同行といいます。ですからマンションは幾重にもチェックが張り巡らされます。今回のケースは、レオパレス21やそれに類する会社ならではのことです。

■アパート経営は難しい時代に突入

――レオパレス21の施工不良は、1324棟ですみますか。

榊 これは同社の企業体質と構造的問題に端を発する事案であるため、詳しく調べれば増える可能性があります。そもそも昨年5月にも賃貸アパート206棟で「界壁」に施工不備が発覚しましたが、こんなところでコスト削減しても、たかがしれています。ですから、界壁で不備が見つかったことで、ありとあらゆるところでコスト削減を行っていると疑われます。

――一番の被害者は、不良物件をつかまされたオーナーです。

榊 まず、地主をはじめとするオーナーは、業者の甘い言葉に乗らないことが一番です。これはどのビジネスにもいえます。ただ、一般的に不動産営業担当者は、一回ターゲットにするとなかなか引かない。それに今、地主には高齢者が多い。高齢者をターゲットにした詐欺事件が横行していますが、高齢者の寂しさを悪用したケースがとても多く、不動産の世界でも同様のことがいえます。営業担当者が高齢の地主の家にあがりこんで、日頃から「おばあちゃん、お土産買ってきたよ」などと親切な言葉を投げかけていれば、高齢者も騙されてしまいます。ただ、これだけは言っておきたいのは、これからはよほど良い立地でなければ、アパート経営は難しい時代に突入したということです。

――その「よほど良い立地」とは、具体的にどのあたりでしょうか。

榊 「借り手がいるような場所」ということにつきます。たとえば駅から20分離れていても世田谷ブランドにあこがれる人は一定数いて、世田谷区には借り手はいます。しかし、埼玉の奥のほうで駅から20分であれば、その物件には借り手がつきにくい。その意味からすると、首都圏全般でいえば借り手がつくアパートというのは、すでにほぼ建てられています。

――借り手サイドが注意すべき点を教えてください。

榊 レオパレス21のアパートは、一見すると見栄えはいいです。よくしないと借り手がつきませんから。住まいで重要なことは快適性です。見栄えよりも快適性を重視したアパートを借りたほうがいいです。その意味では、レオパレス21のようなサブリース契約を用いる形態をとっている業者を選択することには、相当慎重になったほうがいいでしょう。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c13

[近代史3] 風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由 中川隆
13. 中川隆[-12285] koaQ7Jey 2019年2月10日 13:12:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

沖縄病から覚めても… 2016 年 6 月 13 日

「54才、独身男性、
大阪のミナミでスナックとラウンジを経営、1日の売上げは60〜100万円、
バブル崩壊後は経営が悪化し資金繰りに苦しむ、
胃潰瘍や十二指腸潰瘍になる、マンションを売却してローン完済、

住み込み派遣工となり 1年で100万円貯めて那覇に移住、

炭火焼き店オープン時の残金は2万円、
客単価1人1500円、1日6人で売上げが1万円、25日間店を開けて25万円、
利益が6割とすれば月収15万円」

売上げは大阪でのピークに比べて100分の1と想定しています。

「那覇に移住したときは天国だと思った土地は、ありきたりの地方都市。
価値観の違いは、本土から移り住んだ人には醜くも映る」

沖縄病から覚めてみると、パラダイスは幻想です。

が、体調は回復し薬の服用もなくなっています。
ストレスから解放されて寿命が延びたようです。

※沖縄はまだ中国沖縄省ではありませんが、筆者の感覚ではアジアに括られます。
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/672.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html#c13

[近代史3] 風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由 中川隆
14. 中川隆[-12284] koaQ7Jey 2019年2月10日 13:14:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
恩納村 希望ヶ丘前のビーチ
https://www.youtube.com/watch?v=aCI7YOhBg6g
https://www.youtube.com/watch?v=nqIs5u2ID0s
https://www.youtube.com/watch?v=D5QJ9kLESnQ

沖縄 恩納村 売一戸建て 物件一覧 沖縄の不動産情報雑誌 うちなーらいふ
http://goohome.jp/search_area/search/inspection/proplist?md=22&rtby=2&rttyp=&prptp=3&use=000&pref=47&city=007&area=&rtprmax=&rtprmin=&rtspc=&exvmax=&exvmin=&lndmax=&lndmin=&lytgp=&lyt=&lytmax=&lytmin=&bltyr=&stwk=&img=&updt=&sprht=&sploc=&spctr=&spstrct=&bldgstr=&spcnd=&spprk=&spgs=&spbth=&spair=&spclst=&spntwk=&spsec=&spoth2=&spuse=&spstat=&spoth=&odr=20&ct=20&pg=1&hd=

恩納村(沖縄県)の中古マンション
http://myhome.nifty.com/chuko/mansion/kyushu-okinawa/okinawa/kunigamigunonnason/

廃墟の街に変貌した「沖縄の高級リゾート地」2016.07.18


沖縄・恩納村
坪単価30万円のリゾート地が一転、廃墟の街に変貌

【希望ヶ丘】

 サーファーや観光客でにぎわうリゾート地として名高い沖縄本島中央部の恩納村であるが、その中の「希望ヶ丘」に、廃墟が立ち並ぶ一帯がある。

 かつては、高級住宅地と呼ばれ別荘が並び、バブル経済の全盛期には坪単価30万円にまで跳ね上がっていたというが……。

「お金持ちが住んでいるということで、地元のやんちゃなヤツらが強盗しにきて、住人に大けがをさせる事件もありましたよ。もちろんその頃は管理会社もあったから、警備員がすぐに来て取り押さえてくれたけどね」(地元住民)

 この場所が高級別荘地になった経緯は、住民のA氏が希望ヶ丘のある一角を遺産相続したことに始まる。A氏は、目の前にビーチが広がるこの場所を有効活用しようと別荘を建て、友人や知人に貸し出すビジネスを始めた。A氏の別荘から見える海や水平線に沈む夕日はとても美しく、口コミから噂が噂を呼び、マネする者が増え、あっという間に豪華な別荘が立ち並ぶようになったという。

 しかし寂れていくのも早かった。まず、目の前の某ビーチが数年前、大手ホテル建設のために閉鎖。海で遊べるという強みをなくしたためデベロッパーは早々に手を引き、管理会社も後を追うように撤退すると辺りは荒れ放題になり、現在のような姿になってしまったのだ。周辺に人の姿は少ない。

「住居として貸し出しているところもあるみたいだけど、そこは犬を20匹ほど放し飼いにしていて迷惑だよ」(地元住民)

 大手観光業者に振り回される地元の哀愁が漂う場所である。

― 没落する[セレブタウン]の今 ―
http://nikkan-spa.jp/1129478


「夢の沖縄移住生活」のまやかし…8割は本土へ戻る、生活コスト高く地元住民とトラブルも
http://biz-journal.jp/2016/11/post_17224.html
2016.11.20 文=鉾木雄哉/清談社 Business Journal


 近年、東京など都市部での暮らしに見切りをつけ、地方に移り住む「地方移住」が人気を集めている。低成長時代を迎え、お金を稼ぐことより自然と触れ合う人間らしい生活を重視する人が増えたことや、人口減少に頭を悩ませる地方自治体による手厚い地方移住支援などが背景にある。

 毎日新聞とNHK、明治大学地域ガバナンス論研究室の共同調査によれば、2014年度の地方移住者は09年度にくらべて4倍以上に増えたという。

 また、地方移住や田舎暮らしの各人気調査で上位となっているのは、長野、山梨、静岡などだが、Jタウン研究所が15年に「あなたが住みたい『都道府県』はどこ?」というテーマで行ったアンケートでは、沖縄が2位にランクインしている。「亜熱帯地方特有の美しい海と自然に囲まれながら、スローライフを送りたい」というのが、人気の理由のようだ。

 しかし、地方に移住すれば誰もが平穏な日常を約束されるわけではない。特に、沖縄の場合は地域社会になじめず、逆にストレスが増して本土に戻る人も少なくないという。


■沖縄の最低賃金、県民所得は全国最下位

 1万人以上の沖縄移住者を支援し、本土に戻るサポートも行っている沖縄移住支援センター代表の阿部由明氏は「移住者の8割は、3年以内に本土に戻ります」と定住の難しさを語る。

 総務省の「住民基本台帳人口移動報告」によれば、15年の沖縄への転入者数は2万5441人で、転出者数は2万5425人。この全員が移住者ではないとしても、転入者とほぼ同数の人たちが県外に流出しているわけだ。

 なぜ、こんな現象が起きているのか。そこには、まず沖縄の経済的な問題がある。沖縄の最低賃金は714円で、内閣府経済社会総合研究所の「平成 25 年度県民経済計算について」によれば、1人当たり県民所得は約210万円。これはともに全国最下位であり、1人当たり県民所得は全国トップの東京都の約451万円の半分以下だ。完全失業率も全国トップクラスである。

 もちろん、移住者もこの状況を知らなかったわけではないだろうが、もうひとつの問題は、住んでみて初めてわかる物価にある。沖縄には物価が安いイメージがあるかもしれないが、総務省の「平成25年平均消費者物価地域差指数」によると、全国主要都市の平均を100とすると沖縄県那覇市は101.2と、全国平均と比べて高い。

 また、本土の都市部のように交通インフラが整備されていないため、沖縄では車が必需品となる。車を所有すれば駐車場代やガソリン代など固定の維持費がかかり、車そのものも輸送コストを考えると本土より割高になるケースが多い。

 さらに、海沿いの地域では塩害の問題もある。エアコンの室外機や給湯器など、屋外に設置する設備機器は割高な塩害対策製品を購入しなければならないのだ。「低賃金でも、ぜいたくしなければ暮らしていけるだろう」と甘く考える人が多いが、実際の生活は想像以上に苦しくなることが予想される。


■移住者と地元住民の間でトラブルも

 それに加えて、一筋縄ではいかないのが地元住民との人間関係だ。

「戦後の復興とともに本土の人たちが沖縄でビジネスを始めたのですが、地元住民をだまして土地を奪うなどのトラブルが多く発生しました。また、昔は東京の店などで『沖縄の人はお断り』といった差別的な扱いもあったため、地元住民のなかには本土の人を嫌っている人もいます」(阿部氏)

 このため、地元住民のなかには、本土の人に部屋を貸さないアパートのオーナーや就職の面接を断る経営者など、露骨に嫌悪感を表す人も少なからず存在するという。もちろん、そんな人ばかりではないが、歴史的な経緯や文化の違いから、移住者と地元住民の間でトラブルになることもあるようだ。

 自然に囲まれてスローライフを満喫するどころか、生活苦に陥った上に人間関係のストレスに悩まされることにもなりかねない。

「移住者の9割は、近くに美しい海がある生活に憧れて沖縄に移住しますが、だいたい半年ほどで海に近づかなくなります。どれだけ魅力を感じていたとしても、3年もたてば見慣れてしまい、飽きてしまう人がほとんどです」(同)

 もちろん、地方移住の対象は沖縄だけではないが、人気が高い一方で負の側面も存在することは覚えておいたほうがよさそうだ。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html#c14

[近代史3] 風俗嬢に沖縄出身女性が多い理由 中川隆
15. 中川隆[-12283] koaQ7Jey 2019年2月10日 13:15:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2016年11月21日
夢の沖縄移住 成功パターンと多くが失敗する原因


沖縄には高収入な良い仕事はないので、低収入に適応できるか、ネットなどに収入源を持つ人が成功しやすい
引用:http://blog.peakpine.com/data/original/0/17/4154934ce4fcd4ff7783c7e5f789b4c47419c137.jpg?1427453180


沖縄移住が人気だが

地方や田舎へ移住するのが人気で、沖縄には本土から年間2万人以上が移住しているという統計があります。

平成27年に沖縄に住民票移転した人は2万5千人で、沖縄から他県に移転したのも2万5千人と全くの同数でした。

一説には移住者の8割が出て行くと言われているので、本当に沖縄に定住するのは5千人以下だと考えられます。


逆に沖縄から他県に移住して沖縄に戻る人も居るはずなので、移住者の中の定住者は3千人以下なのかも知れません。

最近芸能人で沖縄に移住する人が多いですが、彼らは東京に拠点があって仕事をしている筈で、本当の意味の移住とは違います。

月に10日とか20日とか、行きたいときだけ沖縄に行き、行きたくなれば東京の家に居るわけで、別荘とか別宅に近いです。


同じように会社経営とか高収入のクリエイターの移住も、本土を仕事の拠点に、沖縄には遊びに行くわけで例外といえます。

そうではなく自宅も仕事も含めて丸ごと沖縄に移住する人の中には、うまく行かずに出て行く人が多い。

失敗する理由の多くは経済的なことで、沖縄に行けば仕事はあると考えて、先に移住だけしてしまう人が居る。


沖縄は本土と繋がっていないので観光と基地しか産業はなく、工場の派遣とかビル掃除とか駐車場整理などはありません。

農業もないし米軍基地の仕事は(出て行けと言っているくせに)沖縄県人の既得権益になっていてよそ者は入れません。

ハローワークや求人サイトには仕事があるが本土より低収入なので、本土で食いっぱぐれる人は収入がさらに下がります。


現実に適応できるかどうかが分かれ目

失業率は最大で賃金水準は最低なので、住んでから仕事を見つけようとしても月収10万円程度の仕事しか見つかりません。

それでは生活費が赤字なので楽しい沖縄生活どころか、働いて最低限の暮らしをするだけで、預貯金が尽きて借金が増えたところで本土に撤退します。

沖縄への移住で成功しているのは、芸能人のように沖縄に収入を依存せず、本土で金を稼いでいる人です。


今はネット上で完結する仕事があったり、定期的に東京に出向けば良い仕事も多いので、そうした人たちが多い。

収入を沖縄に依存すると、仕事上の対人関係で問題が起きやすくなり、本土より選択の余地が無いので逃げ場もない。

田舎や地方全般に言えるが、自分にあった仕事など田舎には無いし、あったとしたら良い仕事は地元の人が独占する。


仮に良い仕事があったらその仕事は地元の人が争奪戦を展開するはずで、役場の職員とか郵便局員とかは、生まれたときから誰がなるかで競争しています。

よそから移住してきた人に「良い仕事」を譲ったりしないし、かりに移住者に良い仕事を取られたら深刻な対立を招くでしょう。

よそに仕事を持っていてお金を稼いでいる人は、受け入れないまでも対立関係になり難いので、移住が成功しやすいとみられます。


沖縄で仕事をして収入を得ている人はだいたい沖縄の悪い印象を話すが、仕事自体が良い仕事ではないので、どうしても悪い印象しか受けないでしょう。

長続きする人は、最初は沖縄に特別な思いなどは無いが、なんとなく住み着いて適応している人が多い。

逆に沖縄への思い入れが強すぎて理想に燃えているような人は、うまく行かないと挫折する事が多いという。


沖縄に限らず地方や田舎への移住には、しっかりした収入を持っている人か、逆に仕事がなくても低収入でやっていける人が長続きしているようです。
http://thutmose.blog.jp/archives/67430477.html



▲△▽▼

沖縄移住応援WEBマガジン おきなわマグネット
http://okinawa-mag.net/

「おきなわマグネット HP」より


「定時」の概念なき残業地獄で退職→地方ののんびり企業転職で「人間の生活」取り戻す人多数
http://biz-journal.jp/2016/12/post_17381.html
2016.12.06 文=鈴木領一/ビジネス・コーチ、ビジネス・プロデューサー Business Journal


「日本は長時間労働のブラック企業だらけですよ」

 ある人事労務コンサルタントはそう語る。規模の大小にかかわらず、どこの会社にも「社員が残業するのは当たり前」といった企業風土があるという。

 東京に本社がある某企業の元社員で、残業のストレスで体調を崩し、退職せざるを得なくなったA氏は、当時のことをこう振り返る。

「社員には、もはや『定時』の概念はありませんでした。終電前まで仕事をするのが当たり前の雰囲気が充満しており、上司が帰らないと帰ることができず、社員は無駄に残業し続けるのです。私は一体何をやっているのだろう、という感覚すらなくなっていきます。

 今思うと、あの上司も一体なんの仕事をしていたのか不思議です。パソコンと何時間もにらめっこして、夜11時を過ぎてようやく帰る準備をするというパターンを繰り返すだけ。それに部下が付き合わされているのです。プライベートなんてない、仕事漬けの毎日です。

 会社を辞めて実家のある田舎に戻り、比較的のんびりした会社に再就職して、ようやく当時の異常さに気付きました。仕事の時間は減ったのに、今のほうが気力は充実し、仕事の効率もはるかに上がっています」

 11月、大手広告会社の電通に厚生労働省が強制捜査を行った。昨年末に24歳の女性新入社員が過労によって自殺した問題は、連日マスコミが報道するほど社会問題となった。一流企業で行われていた違法な長時間労働の実態に、多くの人が驚いたに違いない。しかし、これも氷山の一角である。

 10月に公表された「過労死等防止対策白書」によると、過労死ラインとされる「月80時間超の残業」があった企業は23%に上るという。電通のように正確な数字を出していない企業があることを考えると、現実にはさらに多くの企業が過労死ラインを越える残業をさせている可能性がある。

 先のA氏は、残業ストレスに晒されていた大企業を辞め、地元に帰ることで自分本来の「働き方」を取り戻した。強制的に環境を変えない限り、残業が当たり前という洗脳を解くことはできない。


■沖縄移住で自分本来の生き方を取り戻す

 そこで今回は、環境を積極的に変え、自分本来の生き方を取り戻すというプロジェクトを紹介しよう。「おきなわマグネット」(http://okinawa-mag.net/)という沖縄移住を応援する情報サイトだ。

 このサイトには、沖縄で希望の仕事を見つけるための秘訣や、最適な住居の探し方、さらには安い自動車の借り方など、沖縄に住まなければわからない情報が満載だ。ウェブマガジン風に編集されているため、読み物としても面白く編集されている。記事の中には「沖縄のゴキブリとの対決」「台風の時の沖縄流過ごし方」など、沖縄ならではのユニークな内容もある。

 夫婦で都会から沖縄に移住し、レストランを開業した人の体験など、移住することで成功した成功者たちのインタビュー記事など情報が満載だ。

 この「おきなわマグネット」を運営するのは、沖縄の人材派遣会社ヒューマンサポート(http://humansupport-okinawa.co.jp/)と、静岡のエンジニア派遣会社リツアンSTC(http://ritsuan.com/)だ。

 ヒューマンサポート社の粟國英雅社長は、「おきなわマグネット」を立ち上げた理由をこう語る。

「沖縄はここ最近、経済的に盛り上がってきています。観光客が増えたことによって県全体の経済が上向いていて、さまざまな業界が活況となっています。都会から移住してくる方も増えていて、沖縄で成功する人も続出しています。

 移住されて成功された方は、もともと都会でストレスを抱えてリフレッシュするつもりで沖縄に来られた方も多いですね。『沖縄に来て、自分の可能性を見つけた』との声をよく耳にします。

 しかし、沖縄からの情報発信力が弱すぎて、沖縄の良さを伝えきれないことがずっと残念に思っていました。逆に沖縄に関するネガティブな情報ばかりが伝わっています。

 それなら自分たちでやるしかないと思い、リツアンさんと一緒に今年の8月にサイトを立ち上げたのです。立ち上げ直後から大きな反響があり、逆に私たちも驚いています。沖縄に関心を持つ人が潜在的に多いことがわかりました。サイトの沖縄情報は今後どんどん増やしていきます。沖縄で自分の働き方を見つけたい人のお役に立ちたい、それが私たちの思いです」

 粟國氏が言うように、実際、沖縄からの情報というと「基地問題」ばかりだ。翁長雄志沖縄県知事の苦々しい表情や、基地反対派との衝突がニュースで流れることはあっても、沖縄の魅力を伝える情報は極めて少ない。

 沖縄県の2015年の観光客数は、過去最高の776万3000人を記録した。今年8月の完全失業率は1993年以来、23年ぶりに3%台を記録し、沖縄経済は好調である。

 公益社団法人日本経済研究センターによると、20年までの経済予測では沖縄の実質経済成長率は東京を抑え全国1位となっている。日本で最も経済成長が期待できるのが沖縄県である。

 粟國氏に「沖縄の魅力を一言で表現すれば何か」と質問すると、「それは、おもてなしです」と即答された。筆者も取材で沖縄を訪れた時に、想像を超えるおもてなしを受けて驚いたことがある。おいしい食事だけでなく、こちらが欲しているだろうとの情報を想定して積極的に提供していただくなど、温かいコミュニケーションがそこにはあった。

■沖縄で働くことがトレンドになる?

「おきなわマグネット」を共同運用するリツアンの野中久彰社長は、このプロジェクトの意義をこう語る。

「弊社はエンジニアの派遣業を営んでいますが、エンジニアはストレスに晒されることの多い仕事といえます。弊社は派遣業としては日本一高いレベルの給料を実現していますが、それでもやはりストレスの課題は残ります。

 ヒューマンサポートの粟國社長と出会い、沖縄の可能性を知った瞬間、『これだ!』と思いました。私も何度も沖縄に行っていますが、行くたびに仕事のインスピレーションを得ていたことを思い出したので、沖縄がこれからトレンドになると直感したのです。

 今後、都会から沖縄に移住することを希望する弊社社員(派遣社員)には、積極的に沖縄に移住するよう支援していきます。沖縄にそのまま移住してもいいですし、また戻りたいという社員にも受け皿として働く場所を確保しておく体制を整えていきます。このプロジェクトによって働き方の選択肢が増えると思います。独立や転職のきっかけになるでしょう。地方と都市部の雇用流動化が促進され、地域活性につながっていくとうれしいです。弊社は、働く人のための『踏み台』企業で良いと思っています」

 このプロジェクトを推進する2人の社長は、共に30代の若き経営者だ。これまでの概念にとらわれず、働く人を中心とした考え方ができる新しい世代といえる。

 残業が当たり前、社員は酷使するのが当たり前という旧来の労働観は、新しい世代の経営者によって変革していくだろう。


▲△▽▼


沖縄移住生活:沖縄への移住を希望されている方へ
http://www.okinawaiju.net/

沖縄県移住応援サイト|おきなわ移住の輪 - 結 -
https://okinawa-iju.jp/

沖縄移住支援センター
http://www.ryuukyuu.com/

【なるほど】沖縄県に移住したいなら是非とも知っておきたいこと! - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2137588789043072401

沖縄へ移住する費用はいくら?移住した体験者が語る現状!
http://okanenokyuukyuusha.com/okinawa-ijyuuhiyou/

【憧れの沖縄移住生活@】11歳の頃からの夢を実現した移住者に“移住生活の実情”を聞いた!
http://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00195/

【憧れの沖縄移住生活A】移住に向いている人、向いていない人の違いは?! 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【HOME'S PRESS】
http://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_00197/

沖縄移住ライフハック
http://okinawa-iju.info/

IT Career 沖縄 U・Iターン総合情報サイト
http://www.uiokinawa.jp/

30歳で沖縄移住した話し - 30歳で沖縄移住した話し
http://okinawaiju.jimdo.com/

沖縄に移住して1年が経過した感想。仕事について。 Last Day. jp
http://www.lastday.jp/2014/05/23/been-in-okinawa-one-year


_______


日本国内の賃金格差は、東京と沖縄を比較すると2倍の格差がありますが、2020年頃には中国の賃金水準が沖縄と同水準になる勢いです。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/224.html#c15

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
147. 中川隆[-12282] koaQ7Jey 2019年2月10日 13:54:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

ズバリ解説!ゴーン問題の本質[桜H31-2-9] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=giEhTJbn4JA


2019/02/08 に公開

出演:渡邉哲也(経済評論家)
テーマ:ゴーン問題の本質

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c147

[昼休み54] カルロス・ゴーンは所得税をゼロにする為に世界各地の日産所有豪邸を転々としていた 中川隆
24. 中川隆[-12281] koaQ7Jey 2019年2月10日 13:54:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

ズバリ解説!ゴーン問題の本質[桜H31-2-9] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=giEhTJbn4JA


2019/02/08 に公開

出演:渡邉哲也(経済評論家)
テーマ:ゴーン問題の本質

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/333.html#c24

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
14. 中川隆[-12280] koaQ7Jey 2019年2月10日 14:00:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

レオパレスで新たに違法建築部材使用が発覚に、「組織的な不正」の疑い声
https://gansokaiketu-jp.com/newsindex4-naiyou-3.htm#2019-02-09-%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%80%80%E5%A4%96%E5%A3%81%E3%81%AB%E9%81%95%E6%B3%95%E9%83%A8%E6%9D%90%E3%80%80%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E5%89%8A%E6%B8%9B%E7%9B%AE%E7%9A%84%E3%81%8B%E3%80%80%E3%80%8C%E7%B5%84%E7%B9%94%E7%9A%84%E3%81%AA%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%A3%B0%E3%82%82

レオパレス 外壁に違法部材 コスト削減か 「組織的な不正」の声も
https://mainichi.jp/articles/20190208/k00/00m/040/324000c

賃貸アパート大手「レオパレス21」(東京都中野区)の物件で施工不良が新たに見つかった問題で、同社が施工不良の物件で使用した外壁などの部材が、建築基準法で認められていないものだったことが国土交通省などへの取材で判明した。コスト削減のため耐火性に劣る違法な部材を使っていた可能性があり、業界では「組織的な不正」を指摘する声も出ている。


同社はアパートの外壁の内部に使う部材について、自治体などにはガラスを溶かして繊維状にした「グラスウール」などを用いると申請していたが、実際には「発泡ウレタン」を用いていた。グラスウールは断熱性・耐火性が高く、建築基準法で使用が認められているが、発泡ウレタンは耐火性が劣り、外壁への使用は認められていない。

 同社は発泡ウレタンを使った理由について「価格は安くないが、作業効率が高い。法令違反の認識はなく、現場の施工管理体制が不十分だった」と説明する。しかし、現場監督経験のある建築関係者は「ありえない話だ。現場は設計図と部材が異なることに気付いていたはず。施工不良は長期にわたり件数も多く、うっかりミスなどではない。組織的に行われていた可能性が高い」とみる。

 不動産コンサルタント会社「さくら事務所」の長嶋修会長は「発泡ウレタンの方がグラスウールより価格が安い。コスト削減のため意図的に安い部材を使っていたのではないか。そうでなければ、わざわざ部材を変える必要はない」と指摘している。【川口雅浩】
 

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c14

[近代史3] 憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない

憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない


憲法と自衛隊 - 内田樹の研究室 2019-02-08
http://blog.tatsuru.com/2019/02/08_1343.html


元陸将の渡邊隆さんと憲法と自衛隊をめぐって対談した(MCはかもがわ出版の松竹伸幸さん)。

自衛隊制服組の人とはこれまで何度か話をしたことがある。防衛研究所で2012年から14年まで3年連続で講演を頼まれたのである。

依頼があったのは防衛研究所教育部から。特別課程研修での講演を頼まれた。演題は日本の安全保障についてということだった。

特別課程研修に参加するのは陸海空自衛隊の一佐たち。

「今後、行政部局で中心となるであろう将官直前の自衛官 等に資質涵養的な講演をして頂けないか、との希望です」と依頼書にあった。

幹部自衛官たちの前で安全保障についての私見を述べてもいいというお話である。こちらからすがりついてお願いしたってできるはずもないことを先方から「やって」と言ってきたのである。二つ返事で引き受けた。

それにしても、どうして私のような安全保障のど素人に講演を依頼してきたのか・・・とちょっと考えたのだけれど、考えても仕方がないので、とりあえず防衛研究所に行った。
そして、所長(シビリアン)と教育部の方たち(制服組)と講演の前にちょっとだけお話して、自衛官にはできるだけ広い視野でものを見るように教えているという説明をうかがった。

ならばここを先途と、日本はアメリカの軍事的属国であり、自前の安全保障構想を持っていないので、アメリカからの自立、主権の奪還が国家的急務である・・・というような「いつもの話」を2時間話して、ぴゅんと逃げ帰った。

僕を呼ぶことを提案した教育部の方は「なんであんなのを呼んだんだ。責任とれ」とか言われてひどい目に遭っているんじゃないかと心配したけれど、どうすることもできない。

ところが、驚くべきことにその翌年も講演依頼があった。

今度は所長が替わっていて、名刺交換のときに「前任者はどうしてこんなのを呼んだのだろうか・・・」といささか懐疑的なまなざしでみつめられたけれど、終わったあとに所長室でお茶したときに、破顔一笑して「いや、面白かったです。来年も来てください」と言われた。

そして翌年も講演をした。

このまま続くのかなと思ったけれど、2015年の夏にはお呼びがかからなかった。
たぶんその頃に官邸に知れてしまったのであろう(よう知らんけど)。

というわけで、制服組(元ですけど)の方とお話するのは5年ぶりということになる。
渡邊さんは最初のカンボジアPKOの大隊長だった方である。はなばなしい累進を遂げて東北方面総監をして退職されたエリート自衛官である。

自衛官というのは徹底的に「現場の人」であって、机上の空論には興味を示さないし、「正解」にも興味を示さない。彼らはいまここにある具体的なトラブルにどう対処し、どうやって被害を最小化するかということに優先的に知的資源を投じる。

だから、「論争的な自衛官」というのは、基本的にいないはずなのである(時々いるけれど、あれはかなり例外的な存在だと思う)。だって、「争い」をどうさばくかを本務とするテクノクラートが自分で問題を起こしたり、問題に火を注ぐということは定義上ありえないからである。

渡邊さんは案の定まったく論争的なタイプの人ではなかった。

言うべきことは言うけれど、決してそれが論争的なマターにならないように最大限の注意を払っている。みごとに紳士的なマナーだと思った。

対談とはいえ、せっかくの機会なので、専門家にあれこれと訊いてみたいことを訊いてみた。

自分から投げたトピックは一つだけ。

それは「憲法九条の規定と現実の自衛隊の存在の間に齟齬があるということが改憲運動の第一の理由としてあげられているが、憲法の規定と現実の間に齟齬があることなんて、当たり前のことなので、うるさく論じるには当らない」というちゃぶ台返しのような話である。

渡邊さんへの名刺代わりに、「憲法と自衛隊に齟齬があることに何か問題でも?」という話を振った。

改憲派の人々は憲法九条と自衛隊の存在の間に齟齬があることを耐え難いと感じているようであり、しばしば「こんな国は日本以外にない」と言い立てるけれども、それは違う。

私が知る限り憲法の規定と軍隊の存在の間にもっとも深刻な乖離を抱え込んでいる国はアメリカ合衆国である。

アメリカ合衆国憲法はそもそも常備軍の存在を認めていないのである。
憲法第8条「連邦議会の立法権限」の第12項にはこうある。

「陸軍を召集(raise)し、これを維持(support)する権限。ただし、この目的のための歳出の承認は2年を超えてはならない」

第13項「海軍を準備(provide)し、これを保持(maintain)する権限」

陸軍は必要なときに召集されるべきものであって、常備軍であるべきではないというのは建国の父たちの揺るがぬ確信であった。

それは常備軍は必ず為政者に従い、抵抗権をふるう市民と敵対するということを経験的に知っていたからである。

私たちが忘れがちなのは、アメリカは独立戦争を戦って宗主国から独立をかちとった植民地だということである。

アメリカの建国の正統性を保証するのは「抵抗権」であり、「革命権」なのである。
だから、市民の抵抗権、革命権の行使を妨げるはずの常備軍を持たないことを憲法に定めたのである。

これと市民の武装権を規定した修正第二条はいわば「コインの裏表」の関係にある。
常備軍は持たない。必要な武力はそのつど武装した市民を「民兵(militia)」として召集することで備給する。というのが建国の父たちの陸軍についての基本的なアイディアであった。

海軍については、そういう訳にはゆかない。特殊な技能育成と、長期にわたる組織的な訓練がないと帆船は動かせなかったからである。だからやむなく海軍については「準備し、保持する」ことを認めたのである。

それに海軍の場合、抵抗する市民たちは艦砲射撃の射程から外にいれば何の被害も受けないし、市民を弾圧するためには、海軍は陸に上がって陸戦を戦わなければならない。
だから「海軍は常備軍でもそれほど市民にとってリスクはない」という判断が下されたのである。

軍隊についての考え方がぜんぜん違うのである。
この憲法はその後改定されないまま今に続いている。

常備軍を持たないことを規定した憲法を持ちながら、アメリカは世界最大の軍事力を誇っている。

ここには致命的な齟齬があるのだけれども、「現実と合っていないから憲法を改定しろ」というアメリカ市民はいない。

それはこの齟齬を感じるたびに、「そもそもわれわれは何を実現しようとしてこの国を建国したのか?」という起源の問いに立ち戻ることができるからである。

「アメリカというのは一つのアイディアなんだ」とアメリカの友人に言われて、深く納得したということを柴田元幸さんがどこかに書いていた。

アメリカは何のために存在する国なのか、ということをアメリカ人はひとりひとり自分に問う義務があり、権利がある。

そのときの手がかりになるのが憲法であり、独立宣言である。
そこにこめられた「アイディア」がいまここでの現実と乖離している。
それをどう調整するべきなのか、それをアメリカ人は自分に問うのである。

日本国憲法も同じである。

そこには1946年時点で日本を占領していたGHQのニューディーラーたちの「アイディア」が込められている。

彼らは「天皇制を持っている以外はアメリカみたいな国」を制度設計した(のだと思う)。

だから、九条二項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という条項を書いたときに、彼らの脳裏にあったのは合衆国憲法第8条第12項、13項だったというのはありそうな話である。

ポツダム宣言第6条にはこうある。

「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。」

憲法起草者たちは、もしかすると「軍国主義者」を「常備軍」もろともに排除したあとには「平和主義者」と「抵抗権をもつ市民」がそれに取って代わると思っていたのかも知れない。

自分の国が「正しい国」だと思っている人たちは、「自分の国で起きたこと」は他の国でもあたかも自然過程のように起きるはずだと思い込みがちである。そして間違いなく、日本を占領したアメリカ人たちは自国が「正しい国」だと信じていた。

だから、彼らは軍国主義を排除したあとに「天皇制以外はアメリカみたいな国」ができるのではないかと無根拠に信じた。

権力に盲従する「常備軍」が廃絶されたあとに、自衛のために武装する市民たちがそれにとって代わるのではないか、と。

日本的なmilitiaができて、それがやがて準―軍隊的な組織になってゆく・・・と。
そういうようなことをGHQの人々は漠然と夢想していたのではないか。

起きなかったことの多くは、過去のある時点では「もしかするとそうなるのではないか」と思われていたことである。そして、その「蓋然性の高い未来」を勘定に入れて、人々はそのときに判断し、行動していた。でも、その予測は現実化しなかった。だから、その頃の人々がどうして「あんなこと」を言ったり、してたりしていたのかが、後から見ると理解できなくなる。

私は憲法と自衛隊の齟齬は、「憲法起草時点でアメリカ人が日本の軍事について夢想していたこと」と、その後の現実の齟齬として理解すべきではないかと思う。

「常備軍のない国を守る武装した民兵」は間違いなくアメリカ人にとっての軍事の理想である。そして、おそらく彼らは日本にも「アメリカ人にとっての軍事の理想」を適用できると思っていた。

民兵たちは自分たちの市民としての生命自由財産を守るために、権力者に抵抗して戦うのであって、他国との戦争に駆り出されることはない。

市民は交戦権を持たないし、そもそもそのようなものを持とうと望むこともない。
市民が求めるのは抵抗権である。

日本国憲法と現実の齟齬は、「どのような国をつくろうと願ったか」ということと「こんな国ができました」ということの間の隔たりとしてクールかつリアルに計測されるべきものだろうと思う。

その隔たりはわれわれに理想と現実のあいだの葛藤を絶えず主題化することを求める。それを踏まえて具体的な「次の一手」について論議し、合意を形成してゆくこと。それが「隔たりの功徳」ではなかろうか。

と言うような話をまず冒頭に渡邊さんに振ってみた。

渡邊さんは「合衆国憲法には常備軍の規定がない」というところで深く頷いて、合衆国憲法が「理想と現実のあいだを揺れ動くアメリカの歴史」をそのまま可視化したきわめて示唆に富んだ文書であることを指摘してくれた。そして、実際にアメリカは陸軍については「できるだけ常備軍を持たない」というルールを第二次世界大戦まではなんとか守ってきていた。いまのように常備軍化したのは、ここ50年のことだと渡邊さんは教えてくれた。

そこから話は地政学的な話題に展開してゆくのだけれど、私としては、憲法と現実の齟齬は「起草時点でどのような未来を望見していたか」を繰り返し遡及的に主題化するための重要な装置であるというアイディアを渡邊さんに認知してもらったので、それだけで深く満足したのである。
http://blog.tatsuru.com/2019/02/08_1343.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html

[近代史3] 月刊シロ アイヌと自然

月刊シロロ創刊号 アイヌと自然


今月の絵本1「スズメの恩返し」(川上まつ子さん伝承)
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/201503.html#02

 文:安田益穂

(毎月一話、「アイヌと自然デジタル図鑑」に収めた絵本をご紹介します)


アイヌ絵本1「スズメの恩返し」 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ePAyWH-fXEQ

語り手:川上まつ子さん(1912-1988)

  絵:小笠原小夜
朗 読:今津朋子
音 楽:千葉伸彦


録音年月日:1985年5月7日
録音場所:アイヌ民族博物館
調査者:伊藤裕満(アイヌ民族博物館学芸員)
資料番号:34600A


語り手について


 物語の語り部、川上まつ子さんは日高地方の平取町荷負生まれの伝承者で、アイヌ語をはじめ多くの研究者の調査に協力しました。アイヌ民族博物館では1983年から勤務し、聞き取り調査などに協力、146本の録音テープを遺しました。

 この物語もその中の一つで、鳥のアイヌ語名や伝承についての調査の中で、「スズメが人間に祭られたウウェペケレ(節をつけずに語る物語)」として紹介しています。物語をまずアイヌ語で語った後、日本語で再び語り直しています。どちらも約12分の語りです。

川上まつ子さん
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/denshosha/?denshosha_id=D002

ストーリー


 この物語の特徴を一言で言えば、ストーリーの面白さ。シナリオ学校の教材になっても良いぐらい(?)よく出来たストーリーです。しかもこの絵本の脚本は、川上まつ子さんの日本語語りほとんどそのままです。あえてドラマの構成にあてはめてみると、


【設定】 名もなく親もない平凡な主人公(子スズメ)が

【対立】 未知の世界(アイヌの村)へ冒険

〜美しい人間の娘に出会い、助けられる
〜娘の死(暗転)
〜悪役登場

【解決】 ユーモアで危機を解決
〜平凡な主人公が一躍ヒーローに
〜ハッピーエンド。

 12分の短編ですが、笑いあり涙あり、ドラマに必要な要素がコンパクトに詰まった名作です。

設定について


 主人公の子スズメは孤児で姉に育てられていて、アイヌの村に穀物を拾いに行きたいのですが、姉が許してくれません。

 姉に育てられている孤児というのはユカラ(英雄の物語)でお約束の設定ですし、ウイマム(和人の住む町へ交易に行くこと)に行きたがる若者を親が許してくれないというのはウウェペケレ(人間の物語)によくある設定です。これも一種のアイヌ文学のテクニックでしょう、スズメの世界を人間と等身大に置き換えて、違和感なくスズメの物語世界に聞き手を誘っています。


テーマ


 この物語のテーマのひとつは、スズメたちが穀物を拾っていて村人たちに追い払われた時、アイヌの娘が言った次のセリフだろうと思います。(以下、川上まつ子さんの日本語語り原文のまま)。


「うちの中からきれいな娘出てきて、『スズメでも何でも生きていくために餌拾うのに働きに出てきているのに、こんな小さいスズメらがたくさん食べれるもんであるまいし、おまえらのこぼしてるやつ拾っただけでも余るだけ拾って食べたり持って帰れたりするのに、何でそんな意地の悪いことするんだ』って、その物搗いてる人たちに怒りつけながら、たくさんのヒエをとって、杵振り回したり足踏みしたりする女達から離れたとこに空けて、『スズメ、ここへきてたくさん食べたり拾って背負って帰ったりしなさい』って言ってくれた。」


 静内地方(現在の新ひだか町)の織田ステノさんも同様に次のように語っています。「スズメが穀物を食べてしまっても、全て食べるわけではないからといって好きに食べさせていました。」(自然図鑑「スズメ」の項参照)

 アイヌの動植物に対するやさしいまなざしを感じると同時に、「生きていくために働きに出てきているのに」というところに、川上まつ子さんの生きてきた道のりを重ね合わせて考えてしまいます。


挿入歌


 この絵本では、途中にトンコリ伴奏の挿入歌が入っています。魔物を笑わせようとスズメが大活躍する山場で、オリジナルの物語では「歌を歌いながら跳ねたり踊ったりして笑わせようとした」というだけで、特定の歌が入っていたわけではありません。今回使用した挿入歌は樺太アイヌの伝承歌で、音楽担当の千葉伸彦さんによるもの(厳密には、千葉伸彦さんの歌をいつも聞いていた朗読担当今津朋子夫人の発案)。これが実にピッタリはまっていて、今津朋子さんのノリノリの歌、小笠原小夜さんのかわいらしい絵と相まってこの絵本の魅力のひとつになっています。

スズメ2

 以下は千葉伸彦さん自身の解説です。


 歌詞はいくつかの言い方があるようで、私もふだんはちょっと違った言い方をしたりしていますが、今回は公のものということで、『アイヌ伝統音楽』(日本放送協会、1965)から取りました。歌っている歌詞と意味は、伝統音楽から抜き出せば、以下のものです。


エトゥクマ カラ ウ ウ カラ
etukuma kara u u kara お前の身体 動かせ それ 動かせ
エテケナ カラ ウ ウ カラ
etekena kara u u kara お前の手 動かせ それ 動かせ
エウフクナ カラ ウ ウ カラ
euhukuna kara u u kara  お前の尻 動かせ それ 動かせ


 『伝統音楽』では、身体、足、手、頭、尻、となりますが、そのうち身体と手と尻を使いました。……
 子供の踊りで、ちょっとラジオ体操みたいなニュアンスを感じます。この系統の歌のより古い記録を山本祐弘が記しており、そこでは家族の中で親の歌に合わせて幼い子供が踊るようすとして、「その動作がおかしく、可愛いもので座にいる人達はたまらなくなって腹をかかえて笑い転げる」と書いているので、まさしくちょうど良いのではないかと思います。

※この曲の詳細は、千葉伸彦「藤山ハルのトンコリ演奏法について(1)」「藤山ハルのトンコリ演奏の内容について」(『北海道東部に残る樺太アイヌ文化I』(常呂町樺太アイヌ文化保存会、1996)に詳しい。(当館ミュージアムショップにて購入できます)

ペウタンケ(危急の叫び)


 物語の中で、美しい娘さんが死にかけた時、男たちは神へ祈り、女たちは「フォーイ、フォーイ」と、「災いを知らせる女の叫び声」をあげます。これは今で言えばサイレンのようなものです。川上まつ子さん自身はアイヌ語で「ペウタンケ」、日本語では「遠吠え」と呼んでいます。


 これについて知里幸恵は次のように解説しています。


「マッリミムセ matrimimse(女の叫び声)……何か急変の場合またはウニウェンテuniwenteの場合、男はホコクセ hokokse(フオホホーイ)と太い声を出しますが、女はほそくホーイと叫びます。女の声は男の声よりも高く強くひびくので神々の耳にも先にはいると云います。それで急な変事が起こった時には、男でも女の様にほそい声を出して、二声三声叫びます。

ペウタンケ peutanke……リミムセ rimimseと同じ意ですが、これは普通よく用いられる言葉で、リミムセ rimimseの方は少し難しい言葉になっています。(知里幸恵『アイヌ神謡集』岩波文庫 pp.46-47。アイヌ語のカナ表記は筆者による)

(やすだ ますほ)

(次回は第二話「クモを戒めて妻にしたオコジョ」を紹介します。お楽しみに)

▲△▽▼

シンリッウレシパ(祖先の暮らし) 第1回

文・絵 北原次郎太(北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授)

http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/images/201502/sinrit_urespa.png

(1)
 アイヌ民族が暮らしてきた土地は本州に比べて寒冷で、夏が短く冬が長いところです。伝承によれば、この世界はコタンカラカムイという神様が丹精込めて創った世界、言ってみれば美しい庭園のような場所です。そこはたいへんに風光明媚で、神界に暮らすカムイ達でさえ感銘を受けるほどです。アイヌモシリを訪れたカムイの話を聞き、他のカムイたちも一度は訪れてみたいと願うというのですから、まるでリゾート地のようですね。北海道よりも南に暮らしてきた人々からすれば過酷な荒地に見えるかもしれませんが、寒い土地だからこそ手に入る産物もあり、工夫ひとつで快適に暮らすことができる楽園なのです。

 アイヌ民族は、この土地で、採集や狩猟、漁労と農耕を組み合わせた、複合的なライフスタイルを選びました。農耕や牧畜は、はじめに目標とするライフスタイルがあり、それに合わせて環境を変えていく暮らし方です。アイヌが選んだのは、農耕もある程度行いつつも、基本的にはそこにある物に応じた暮らしを組み立てるという方法でした。もっとも、採集の文化は、程度の違いこそあれ地球上の多くの民族にみられるものです。「米の文化」、「農耕民族」といわれる日本の暮らしにも、豊かな採集文化があります。それが、ムリのない暮らし方であり様々な環境に適応しやすいからこそ世界中に広がっているのでしょう。

 葛野辰次郎というエカシ(長老)は「タシロ(山刀)とマキリ(ナイフ)だけあれば山の中で何日でも過ごせる」とおっしゃっていました。ほかに何も持たずとも、刃物と知識さえあれば、手早く家を建て、燃料を調達し、余裕を持ちながら思うままに動きまわることができるのです。もちろん食べる物もあります。アイヌ語では、自然の中から食糧を得ることを「カムイが作った食糧庫にはしごをかける」と表現します。山を良く知っていた先人達の目には、林野は食べ物に満ちており、庫から物を出す感覚でそれを得られると感じられていたのですね。山は、まさに庭であり畑でもある、そんな場所でした。

木下写真より
プ(食糧庫)の前で臼と杵で穀物をつく女性たち。右では女性が箕(み)を振るう(木下清蔵遺作写真より)

(2)農耕

 それでは、季節ごとにアイヌモシリでの暮らしを見てみましょう。アイヌモシリにもパイカラ「春」、サク「夏」、チュク「秋」、マタ「冬」の四季があり、また大まかにサクパ「夏の年」、マタパ「冬の年」の2つに分けてとらえることもあります。樺太のアイヌ民族は、夏の年の間は海浜近くに住み、冬の年は山すそに移り住むという季節移動をしていました。北海道では年間を通して定住しますが、サクコタン「夏の村」やリヤコタン「年越しの村」などの地名から、かつては季節移動の習慣があったことが伺えます。

 月の満ち欠けによって、1年を12ヶ月に分けていましたが、他にも季節を知らせる自然からのメッセージがあります。例えば鳥の声がその一つです。カッコーはアイヌ文化においては美声の代名詞となっている鳥であり、種まきの季節を知らせる鳥でもあります。毎年カッコーの鳴き声が響くようになると、人々は種まきの季節が来たことを知るのでした。

 アイヌモシリでは擦文文化(7〜12世紀)の頃から農耕が行われていたことが知られており、ヒエ、キビ、アワ、ソバ、カブ、後にはカボチャやジャガイモなどが栽培されました。農耕の規模はそれほど大きくありませんが、文化的には大変重要なものです。たとえば、穀物から作られる団子と酒は、神事の際の最も重要な捧げ物となります。

 また、農機具は道具の神の中でも力の強い神とされ、鎌は魔物や苦しみを断ち切る力があり、杵は地震をしずめるのに用い、臼は大風から家を守り、また出産を助ける神だとされています。今ではあまりなじみのない道具かもしれませんが、殻と実を分離するのに用いるミという農具があり、これに赤ん坊を乗せて揺すると、丈夫な子になるといいます。(臼、杵、箕は上の「木下写真」参照)

 ジャガイモは、ヨーロッパからジャカルタを経由して本州に運ばれ、アイヌモシリには18世紀の間にもたらされたと考えられています。初めてジャガイモがもたらされた時の驚きと喜びを表現した歌が伝わっていますが、それほど愛されたジャガイモは、わずか200年ほどの間にアイヌの食生活の中に深く浸透していきました。また、ペネイモ、ポッチェイモなどと呼ばれる保存食があります。これは、冬季の冷え込みを利用し、凍結と解凍を繰り返すことで水分を抜く保存法ですが、面白いことにジャガイモの原産地アンデスにもよく似た保存食があります。ジャガイモが、温暖な南方を回って伝わったことを考えると、おそらくこの保存法は北海道に渡ってから考案されたのでしょう。(北原次郎太)

ペネイモ油で焼いたペネイモ(アイヌ民族博物館カフェリムセ提供)

(次回のシンリッウレシパは「採集」「漁労」です。ご期待下さい)

▲△▽▼

図鑑の小窓1「アカゲラとヤマゲラ」

 冬は葉が枯れ落ち、キツツキなどの鳥たちを観察するのには絶好の季節です。アカゲラもヤマゲラも留鳥なので一年中その姿を見るチャンスがありますが、普段から人前に比較的よく姿を見せるアカゲラに対し、ヤマゲラはあまり姿を見せません。しかし冬になると山から人里近くにおりて来るので、姿を見る機会がより多く訪れるのです。

アカゲラ

アカゲラ(エソクソキ/ニトクトキ等) (2012/11/24 苫小牧 安田千夏撮影)

クマゲラ

ヤマゲラ(シルシチリ) (2013/6/28 白老 安田千夏撮影)


 アイヌ民族博物館のデジタル絵本「アカゲラになった女の子」は、こんなお話です。「あるところにおばあさんとふたりきりで暮らす女の子がいました。でもその女の子は家の仕事をするのが嫌になり、『きれいな着物を着せてくれなければ水汲みに行かない』と言いました。そこできれいな着物を着せてもらうと、今度は水汲みに行っても水鏡に映る自分の姿に見とれて遊んでばかり。そのうちにおばあさんは年老いて水を飲むこともできずに死んでしまいました。神様はそんな女の子に罰を与え、アカゲラにして水を飲むことをできなくしてしまいましたとさ」。

アカゲラになった女の子

 沙流地方の川上まつ子さんも、若い頃「アカゲラはきれいな着物を着ていてうらやましいなあ」と思ったと語っておられ、このお話とはきれいな着物を着ているという印象が共通しています。なるほどアカゲラは黒と白のシックな色あいをベースに、さし色に赤をあしらったなかなかおしゃれな着物を着ています(写真1)。ところが静内地方の葛野辰次郎さんは、アカゲラについて「この鳥を鉄砲で撃つと、一生あのようなボロボロの着物を着なくてはならなくなる」とおっしゃっています。そう言われてみると、今度は穴が開いたぼろをまとっているように見えて来ますね。アイヌ文化では人によって色々な想像力を働かせながら鳥を観察していたことがわかります。

 さて静内地方の伝承者である織田ステノさんは、ヤマゲラについてアカゲラとよく似た話をされています。「ヤマゲラはもともと人間の子供だったのですが、祖母の言うことを聞かず水汲みを怠けたために、罰を受けてヤマゲラにされてしまいました。そしてさらに鳥になってからも水場に降りて水を飲むことを許されず、葉にたまったつゆを飲み、虫をつついて食べることしかできないのです。もし万が一水場に降りて水を飲んでいるところを見かけたらすぐに神様にそのことを告げ口しなければ、それを見た人間の方に災いが及ぶのです」。

 昨年の夏のこと、私が白老の森を歩いていると突然水辺から飛び立った鳥がいました。見るとそれはまぎれもなくヤマゲラで、織田さんのお話にある通りこっそりと水辺で水を飲んでいたのでした。そしてその後ヤマゲラは飛び去ることはなく、近くの木にとまってしきりとこちらの様子をうかがっていました(写真2)。まるで私が神様へ告げ口をしないかどうかを見張っているかのようで微笑ましかったものです。うろたえた様子がかわいそうだったので告げ口はやめておきましたが、幸いなことにその後私が災難に見舞われるということもありませんでした。

 博物館のデータを見る限りでは、最大のキツツキの仲間であるクマゲラについては罰を受けるという類の話は採録されていませんし、小型のコゲラやキバシリについても然りです。ヤマゲラとアカゲラが特にこうした話の主人公となっている理由は何でしょうか。そんなことを考えながら鳥との出会いを求めて厳冬期の森を歩くのも楽しいものです。(安田千夏)

▲△▽▼


「月刊シロロ」とは

「月刊シロロ」はアイヌと自然をテーマにしたWEB雑誌です。シロロ sirorとはアイヌ語で「自然」という意味。主要なアイヌ語辞書にも出て来ない言葉ですが、葛野辰次郎というエカシ(長老)が自ら出版した『キムスポ』という本には繰り返し(65回)登場し、エカシ自身が「自然」「大自然」と訳をつけています。シロロというアイヌ語ともども誌名を覚えていただき、末長くご愛読いただければ幸いです。

キムスポ

 アイヌと自然、カムイたちが主役だった時代、この北の大地には私たちの知らない豊かな暮らしがありました。

「その昔、この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は真に自然の寵児(ちょうじ)、なんという幸福な人だちであったでしょう。

 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎(カモメ)の歌を友に木の葉の様な小舟を浮かべてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(フキ)とり蓬(ヨモギ)摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼(ああ)なんという楽しい生活でしょう。……」(知里幸恵『アイヌ神謡集』序より)


知里幸恵

 1922年、この美しい文章を書いた18歳のアイヌ女性・知里幸恵は、そのまなざしを過去から未来へ転じ、アイヌ神謡を後世に残す意志をこう続けました。


「けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、滅びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。」

 アイヌ民族博物館もまた設立以来、同じ志をもって各地のエカシ(長老)やフチ(おばあさん)の話を録音し、後世に残すべく努めてきました。話を録音させてくれたエカシやフチたちもまた、同じ気持ちで私たちに協力してくれたに違いありません。「アイヌと自然デジタル図鑑」では、古老たちが残した録音をもとに、アイヌと自然に関する口述や物語をまとめ、データベース化しました。またアイヌと自然を語る上で欠かせない労作、知里幸恵の弟にあたる知里真志保の『分類アイヌ語辞典 植物編・動物編』も併せて収録しました。

 古老たちの思いに比して不十分な点の多い創刊となりますが、今後この図鑑が皆さんに愛され、号を重ねるなかで、北の大地に生きる先住民族アイヌと自然に理解を深め、また未来を担う若きアイヌ民族のアイヌ文化継承活動の一助となることを願います。
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/201503.html#02
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/230.html

[番外地6] コンビニオーナーは使い捨て 中川隆
4. 中川隆[-12279] koaQ7Jey 2019年2月10日 17:14:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019年02月10日
コンビニが仕掛けるブーム クリスマス、恵方巻、バレンタイン


コンビニはテレビで流行を作り「買わなくてはならない」気にさせる


画像引用:https://pbs.twimg.com/media/B82RuUGCcAA6fin.jpg

次々ブームを仕掛けるコンビニ

コンビニ発の流行が全国的に拡大し、テレビやマスコミの影響で多くの人が同じ商品を購入するようなことが増えています。

コンビニ大手はテレビ局の大スポンサーなので番組制作にも大きな影響を与えています。

バラエティや旅行番組、ドラマでもそれとなく「恵方巻を食べないのは日本人とはいえない」のように印象付ける。




視聴者は「絶対に恵方巻を買わなくてはならない」と思い込み、旨くもない太巻きを買って少し食べて捨てる。

こうしたコンビニ行事を数えて見ると1月は正月、2月は恵方巻とバレンタインと受験、3月はホワイトデーと卒業式

4月はエイプリルフールと花見と入学・入社式、5月はGWと母の日、6月は父の日というペースが年末まで続きます。


平均して毎月2回以上は「絶対に外せない行事」があり、そのたびにコンビニはテレビを通じて何かを買わせようとします。

自分にとって必要だったり自分に関係あるなら、ブームに乗っかるのも良いでしょうが、関係ないことに金を払うのはバカらしいです。

恵方の方角を見て太巻きを食べる「恵方巻」については、迷信ですらないでっち上げです。


安倍晴明が生きていた頃の陰陽道が起源と思われるが、そんな事をした記録が残っているだけで「伝統」でもなんでもない。

バレンタインやハロウィーンについてはキリシタンの習慣なので異教徒には関係ない。

恵方巻については売れ残る廃棄食材が話題になっていて、無駄をなくすべきだと意見があります。

ブームのためにノルマや買取

もう一つの問題はコンビニ本部が店舗に課している販売ノルマで、店舗ごとに販売本数を決めている。

コンビニのシステムは表向きは各店舗が必要に応じて仕入れるとなっているが、実際には本部が決定権を持っている。

店舗オーナーにも僅かな裁量権はあるものの、全国すべての店舗で同じ商品を並べるため、必ず仕入れなくてはならない商品が大半です。


例えば日本中どこのコンビニに行っても弁当が棚一杯に並んでいるが、あれは仕入れノルマを課しているからです。

もし売れる数しか仕入れなかったら棚はいつもガラガラで、ほとんどの商品は売り切れているので集客力が落ちてしまう。

売れても売れなくても毎日棚一杯に弁当を並べることで、コンビニチェーンは全国均一のサービスと集客力を維持しています。


恵方巻やクリスマスケーキも同様に仕入れノルマがあり、コンビニの仕入れ品は店舗の買取です。

売れた分の仕入れ代金だけ払うのではなく、仕入れた時点で全商品を店舗が買い取り本部の利益になります。

このため店舗では店員やバイトに販売ノルマを課し、ノルマ未達成なら強制買い取りをさせています。


完全な違法行為で事実上コンビニ本部が主導しているが、警察はまだ取り締まっていない。

コンビニが生み出したイビツなブームとその結末は、バイト店員に強制買い取りさせる事で成り立っている。
http://www.thutmosev.com/archives/78944164.html
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/776.html#c4

[リバイバル3] 起業するより多国籍企業に投資する(現物株を買う)方がギャンブル度は遥かに低い 中川隆
9. 中川隆[-12278] koaQ7Jey 2019年2月10日 17:16:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
「コンビニオーナーは使い捨てか」元経営者が実名で語った実態 季節商品の「圧力」、断れない24時間営業
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170324-00000001-withnews-bus_all
withnews 3/26(日) 7:00配信


「便利さの裏で犠牲」元オーナーが語るコンビニ経営

 「恵方巻き予約1人20本のノルマを課された」「大量に捨てられている」。2月上旬、コンビニエンスストアでアルバイトしている高校生や大学生のSNSへの書き込みが話題を呼びました。なぜ、こんなことが起きるのか。元コンビニオーナーの男性は、無理に売り上げを伸ばそうとする本部の「圧力」が、現場を苦しめていると指摘し、「便利さの裏で犠牲になっているものがあることを知ってほしい」と語ります。(朝日新聞社会部記者・仲村和代)

■コンビニオーナーは「名ばかり経営者」

 体験を語ってくれたのは、横浜市の近藤菊郎さん(54)。2013年まで、横浜市内でコンビニを経営していました。

 元々は会社員。「定年のない働き方をしたい」と、コンビニ経営に興味を持ちました。複数のコンビニチェーンで店員として経験を積んだ後、38歳で独立。神奈川県内の二つの店の経営に関わりました。

 仕事にはやりがいを感じていたという近藤さん。ただ、経営は思っていたよりずっと大変でした。

 「コンビニオーナーは『名ばかり経営者』。経営者としての責任は負わされるのに、経営判断する自由度がなく、かといって労働者として守られているわけでもない。逃げ場がないんです」

■「強制」ではない「圧力」

 コンビニの多くは、外部から店主を募るフランチャイズ方式。会社側は商品や運営のノウハウを提供し、オーナーは売上総利益の数十%程度の対価(ロイヤルティー)を支払う仕組みになっています。本部の社員は店を巡回し、仕入れる商品や運営の仕方を「指導」します。

 力を入れている商品の一つが、恵方巻きのような季節商品。本部にとっては、お店に多く仕入れてもらえば利益が上がるため、オーナーに仕入れ数を増やすよう「圧力」がかかります。といっても、証拠が残る形で「強制」されたわけではありません。

■ノルマでなく「従業員の戦力化」

 開業した年、近藤さんは本部の社員から、恵方巻きを数十本仕入れるように提案されました。まだ何もわからない時期だったため、提案通り仕入れたものの、結局、半分も売れませんでした。

 翌年は、前年売れた数に応じて、発注を減らすつもりでした。ところが、本部の社員からは前年の仕入れ実績に基づき、前年仕入れた数にさらに上乗せして仕入れるよう求められました。社員は、ノルマという表現は使いませんでしたが、「従業員の戦力化」を提案。パートも「戦力化」し、目標を設定して、みんなで売り上げアップを狙うよう求められました。近藤さんが「本部の命令ですか」と聞くと、「そうではない」という答えでした。

 近藤さんはあくまで、「前年売れた数+10%」を仕入れたいと突っぱねました。節分が近づくに連れ、社員は切羽詰まった様子に。「お願いです」「私も10本買いますから」と懇願するように。本部の社員も板挟みで苦労していることを悟り、近藤さんは「昨年売れた数+20%」で妥協しました。

 「普通のオーナーなら、本部の言うままに仕入れるでしょう。努力するといっても、できるのはレジでチラシを配るくらい。あとはバイトに割り振って『ノルマ』とするか、自分で買い取るか、もしくは廃棄にするか。本部の担当者も、ある意味では被害者なんだと思います」と近藤さん。

 同じようなことは、クリスマスケーキやおせち料理、お歳暮やお中元などの季節のたび、繰り返されました。

■24時間営業も悩みの種

 もう一つの悩みの種が、24時間営業。深夜に働く人材を確保するのも大変でしたが、安全面も課題でした。この店では、近藤さんが経営を引き継ぐ前に2度強盗に入られ、引き継いだ後も、深夜に1人でいた従業員が暴漢に襲われる事件がおきました。

 近藤さんは、無理をして売り上げを伸ばすより、食べていける程度の収入があればいいと感じていました。深夜は売り上げがさほど多くはないため、24時間営業を辞めたいとなんども申し出ましたが、「契約だから」と認められませんでした。

■コンビニ40年、加盟店とトラブルも

 1974年、コンビニ1号店が誕生してから40年あまり。コンビニは社会になくてはならないインフラになりました。一人暮らしの高齢者向けの宅配、災害時の支援など、公的な役割も担っています。

 一方、加盟店側とのトラブルもしばしば問題になってきました。契約時の説明が不十分だったとして、加盟店が本部を訴えて訴訟になった例もあります。2009年には、弁当などの値引き販売を会社側が制限していたことについて、公正取引委員会が独占禁止法違反で排除措置命令を出しました。

■「便利さの裏で犠牲」

 近藤さんは、全国のフランチャイズ店のオーナーたちで作る「全国FC加盟店協会」の副会長を務めています。協会では、経営者の理念や方針を尊重することを訴え、「24時間営業」を一律で求めることなどに反対してきました。協会のホームページでは、「このまま24時間型社会がどんどん進むことが、健康な社会のあり方なのか」と問いかけています。

 相談に来るコンビニオーナーの中には、無理な販売量を押しつけられ、拒否すると「次の契約はありませんよ」などとちらつかされた経験のある人や、人手不足を補うために長時間働き、疲弊している人がいます。中には、自殺したり、過労死と思われる亡くなり方をしたりした人もいます。

 「消費者にも関心を持ってほしいけど、中年のコンビニオーナーが働き過ぎて死んでも、話題にならないんですよね。便利さの裏で犠牲になっているものがあることを知ってほしい」

 近藤さんの店は契約期間の切れた2013年、本部が撤退を決め、閉店しました。再契約を希望していましたが、本部に断られました。「フランチャイズのオーナーは、使い捨ての労働力なのだろうか」。今も無念さは消えません。
 
 




  拍手はせず、拍手一覧を見る


▲△▽▼

なぜセブンイレブンは、コンビニ業界内で圧倒的にスゴいのか?完成された経営システム
http://biz-journal.jp/2017/08/post_20316.html
2017.08.25 構成=小野貴史/経済ジャーナリスト Business Journal

「国内5万店限界説」が指摘されてきたコンビニ業界だが、店舗数が約5万8000店となった今でも、業界は成長し続けている。「コンビニ生みの親」といわれた鈴木敏文氏のセブン&アイ・ホールディングス会長電撃退任劇、ファミリーマートとサークルKサンクスの運営母体である旧ユニーグループ・ホールディングスとの経営統合、そしてそれによるローソンの業界3位転落など、ここ数年だけをみても激しく変化するコンビニ業界は、今後どこへ向かうのか。

           
『コンビニの傘はなぜ大きくなったのか ―コンビニファンタジスタ 知れば話したくなる、あなたの知らないコンビニ活用術26―』(著:渡辺広明/編集:森中航/good.book)

 今回は8月に出版された『コンビニの傘はなぜ大きくなったのか ―コンビニファンタジスタ 知れば話したくなる、あなたの知らないコンビニ活用術26―』(NextPublishing)の著者で、 ローソンのバイヤーとして約600品の商品開発に携わった経験を持つ流通アナリストの渡辺広明氏に話を聞いた。

――セブンイレブンがインドネシアからの撤退を発表しました。酒類販売の禁止措置や日本本社との連携の支障などが撤退の背景と報道されています。地場のコンビニエンスストアがいくら台頭しても、現時点でセブンイレブンを撤退に追い込むほどの競争力があるとは思えません。真相はなんでしょうか。

渡辺広明氏(以下、渡辺) 現時点で真相はわかりません。酒類の売上構成比が大きかったのであれば、販売禁止は大きなダメージになります。それから、たぶんエリア本部となった現地企業の力が弱かったのではないでしょうか。自国の企業を育成するために外資を規制するケースは珍しくありません。小売業の場合、たとえば出店地の規制です。良い条件の立地への出店は自国の企業を優先させ、外資は収益性を期待できる立地に出店できないわけです。現地でトップランクの企業なら政府とのパイプが太いので、外資規制に対して特別な措置を受けられるでしょうが、そうでない企業は、外資規制で一気に追い込まれてしまいます。

 また、陣取り合戦でもあるコンビニで、インドネシア国内企業のアルファマートとインドマレットが1万店以上の店舗を展開していて、すでに好立地を押さえていたこともあり、進出が遅きに失したのも撤退の大きな理由かもしれません。

――コンビニに日本国内の出店余地はまだあると思いますか。

渡辺 全国のコンビニ店舗数は約5万8000店です。今後の需給関係を予想するうえで鍵になるのは、買物弱者が増えていくことです。経済産業省は買物弱者を「流通機能や交通網の弱体化とともに、食料品等の日常の買物が困難な状況に置かれている人々」ととらえ、その数は過疎地や高齢者が多く暮らす団地などを中心に約700万人と推計しています。

 買物弱者の多数を占める高齢者は日常の買い物で700メートル以上歩かないと言われています。たとえば私の母は76歳になりましたが、10分歩いたところにある総合スーパーよりも、たとえ1品につき10円や20円高くても近所のコンビニに行くようになりました。しかも東日本大震災以降、各コンビニともPB商品の品揃えを増やしたので、「コンビニは案外安い」という評判が浸透してきています。

 買物弱者の増加とともに、日常の買い物については、コンビニと「まいばすけっと」などの食品ミニスーパーの需要が高まっていくでしょう。したがって、店舗数の伸びが鈍化しても、1店舗当たりの売上が増える可能性はあります。

■イートインコーナー併設店

――渡辺さんはご著書でイートイン併設店の成長性を取り上げています。併設店の業績は従来型の店舗に比べると、かなり上回っているのでしょうか。

渡辺 いえ、イートインコーナーの併設効果はまだ検証されていません。複数の商品を購入した来店客が、どの商品を通常通り持ち帰って、どの商品をイートインで食べたのか。イートインコーナーで飲食する目的で来店した客は何人か。イートインコーナーで飲食される商品の単価はいくらか。今のところ、こうした分析はされていません。

 ただ、イートインコーナーの需要はどんどん高まっています。郊外のコンビニでは、若者だけでなく高齢者がイートインコーナーを集いの場に活用している光景もたくさん見られます。都心のコンビニでは、ビジネスパーソンが打ち合わせ場所として利用する機会が増えています。打ち合わせ費用が1人当たりコーヒー代の100円で済むので、コンビニを利用すれば安上がりなのです。

 現状で新規出店のほとんどがイートインコーナー併設型で、コンビニ全店の50%が併設可能とみられ、3年後の店舗数を6万店と仮定すれば、約3分の1の2万店前後が併設型に転換している可能性もあります。

――他にも新しい出店形態で注目している事例はありますか。

渡辺 ローソンがオフィス向けに始めた「オフィスグリコ」のような方式でセルフレジを活用して軽食などを販売する「プチローソン」は、伸びると見ています。これを店舗数にカウントすれば、店舗数は相当な勢いで増えていくのではないでしょうか。

――ローソンの発表によると、7月30日時点でITや金融など39企業の57カ所に導入が完了。また、導入が決定している拠点は65企業101カ所で、当初計画通りという状況だそうです。セブンイレブンが参入して、シェアを奪ってしまうことも想定できますか。

渡辺 あり得ると思います。コンビニ淹れたてコーヒーを最初に導入したのはサンクス・サークルKですが、その後セブンイレブンが導入して一気に展開したことで、いつのまにかセブンイレブンが最初に手がけたようなイメージが世間に広まりました。同じことがオフィス設置型のコンビニで起きることは、十分に考えられます。

■セブンイレブンの強さの秘密

――昨年のことですが、ファミリーマートを数店経営していた元オーナーに取材したら、こんな話をしていました。「ファミリーマートの店舗に入った途端、セブンイレブンとの品揃えのギャップにガッカリしてしまう」と。セブンイレブンと他社との決定的な違いはなんでしょうか。

渡辺 端的に言って、セブン&アイ・ホールディングス元会長の鈴木敏文氏が在籍していたか、在籍していなかったか。その違いです。鈴木氏は天才であって、他社の経営者がどんなに優秀でも太刀打ちできません。

 鈴木氏に限らず、小売業を立ち上げて大企業に育て上げた経営者は、ほとんどが天才です。ファーストリテイリングの柳井正氏、ダイソーの矢野博丈氏、ドン・キホーテの安田隆夫氏、ヨドバシカメラの藤沢昭和氏、アマゾンのジェフ・ベゾス氏、皆さん天才ですよ。天才ゆえに、経営の話を聞いていても、時折何を言っているのか理解できない面もあります。

――ローソン時代の渡辺さんから見て、鈴木氏の手腕はどんな局面に表れていましたか。

渡辺 徹底力です。ファミリーマートとローソンで、新商品の販売など新しい施策が全店舗に周知徹底される割合が60%程度の場合でも、セブンイレブンではあっという間に80%の店舗に周知徹底されていました。それだけの差がありました。軍隊のようにトップの命令直下で即座に動く組織風土が形成されているからですが、これは鈴木氏の手腕の賜物でしょう。

――大物創業経営者の後を誰が継いだところで、同様のリーダーシップは発揮できません。鈴木氏は正確には創業者ではありませんが、日本におけるセブンイレブンの創業者ですね。退任して1年がたちましたが、セブンイレブンの今後をどう見ていますか。

渡辺 鈴木氏の指導を直々に受けた人たちが経営幹部で在籍している間は、とくに不安材料はないのはないでしょうか。しかもセブンイレブンの場合、経営全体のシステムの完成度が相当高いので、天才が退任しても、そう簡単にはぐらつかないと思います。ただし、神通力が完全に消えるであろう5年後にはわかりません。

――メーカーやベンダーとの関係も、他社に比べて強固に固めているのでしょう。

渡辺 メーカーもベンダーも、当然のことですが、より多く販売してくれるチェーンとの取引を優先します。戦略商品の納品も、より多く販売してくれるチェーンを優先して生産や物流の体制を組んでいます。一方、メーカーやベンダーに対しては、意欲を引き出すかかわり方も極めて重要です。

――どんな方法で意欲を引き出すのですか。

渡辺 たとえばメーカーが提案してきた新商品を手に取って、バイヤーが「何これ? こんな美味しくない物が売れるわけがないだろう」とはねつけるような態度を取ったら、メーカーの担当者は意欲を失うでしょう。どのメーカーでも「こんな商品をつくりたい」という思いを持っています。その思いをどうすれば商品化して、コンビニで売れるようにするかという視点で、いっしょに取り組む姿勢が不可欠です。

■コンビニのこれから

――昨今は、コンビニには宅配便やネット通販の受取拠点として機能することが期待されています。しかし、荷物を保管するスペースの確保や、従業員の手間を考えると簡単ではないと思います。

渡辺 荷物の保管スペースなら、棚最上段から天井までのスペースを活用する方法が考えられます。床に置くことにとらわれる必要はありません。従業員の手間については増員すれば解決しますが、そのためには受取手数料を上げることが必要でしょう。現在の手数料は1個につき50〜140円前後といわれていますが、人件費を確保するには2倍に引き上げたいところだと思います。

 日本フランチャイズチェーン協会の調査によると、コンビニの平均客単価は614円です。粗利益率は30%前後なので、これに宅配便の受取手数料をどれだけ加えられるか。その額次第では人件費を確保できて、宅配便の受取事業を安定的に運営できるようになるでしょう。要は知恵の勝負です。

――コンビニの新たな機能には、地域ケアの拠点機能もあると思います。ローソンが介護事業所との複合店舗を出して話題になりましたが、地域ケアの拠点としてコンビニを機能させる路線は有効でしょうか? 自治体を取材すると、コンビニを有力な地域資源ととらえて、訪問介護などケアの拠点として期待する意見が多いですね。

渡辺 ケアの拠点にすることが目的ならば、介護事業所が店舗を併設するなどして、コンビニ経営を手がけるほうがうまくいくでしょう。逆に、コンビニが介護事業も手がけるというパターンはうまくいかないと思います。

――どんな機能を付加するにしても、従業員の確保がハードルになるのではないでしょうか。

渡辺 今後 人手不足が深刻化するのは間違いありません。さらにコンビニ経営で勘違いしがちなことは、オーナーや店長が従業員を部下として扱い、定着率が下がり、従業員不足に拍車をかけることです。企業の管理職経験者が独立してコンビニのオーナーになると、前職の感覚で従業員を部下として扱おうとする傾向が強いのですが、従業員はアルバイトなので、嫌なことがあれば、すぐに辞めてしまいます。

――いまや中小企業では、雇用主よりも“退職”という切り札を持った従業員のほうが、立場が強くなったケースも増えています。従業員にはどんな接し方をすればよいのですか。

渡辺 コンビニの従業員にはフリーター、主婦、外国人、学生などいろいろな立場の人がいます。店の方針を上から降ろしたところで、素直に従ってくれるとは限りません。フランチャイズオーナーには、それぞれの立場の人たちの心に寄り添うことが求められます。企業の管理職出身者は従業員を一律に「部下」として見る感覚が身についているので、なかなか一人ひとりに寄り添うことができないようです。コンビニ経営には向いていないといえるでしょう。

――かりに渡辺さんがセブンイレブンか、ファミリーマートか、あるいはローソンから経営指導を依頼されたら、どんな戦略を提言しますか。

渡辺 セブンイレブンは先ほど申し上げたようにシステムの完成度が高く、石橋を叩いて新規案件を実施する企業風土のため、ドラスティックな提案で外部のコンサルタントが思い切って切り込む余地はあまりありません。ローソンは総体的に見てコンビニ業界3位というポジションに落ち着いてしまったので、おもしろいコンサルティングができないのではないかと思います。

 私が手がけてみたいのはファミリーマートです。ファミリーマートはドン・キホーテと提携して共同店舗の出店や共同で用品開発を仕掛けていくと報じられていますが、機会をいただけるなら、私は両社共同のPB商品開発をやってみたいと思っています。どのジャンルで、どんな商品を開発してみたいかはまだイメージしていませんが、両社の経営資源を活用すれば、革新性の高い商品を開発できるのではないかと思います。

――ところで、渡辺さんは消費者としてはどのコンビニが好きですか。

渡辺 ローソンに22年勤務したので、やはりローソンに愛着はあります。ただ、弁当だけは苦手で、あまり食べたいとは思いません。ローソンに限ったことではありませんが、コンビニ弁当のレンジで温めたあとの、ラップ・フィルム・容器のかすかな匂いが嫌なのです。私はローソン時代に直営店の店長を3年半務めたことがあり1人で3店舗の掛け持ちをしたりの環境で、25年前当時の直営店のコンビニ店長は今と違って、残業時間が毎月100時間をゆうに超えていて、いつ過労死しても不思議ではない労務環境に置かれていました。ラップなどの匂いからは、その時代の過酷な環境を思い出してしまうので、コンビニ弁当は好きになれないんです。

――ありがとうございました。

(構成=小野貴史/経済ジャーナリスト)





▲△▽▼

“コンビニは現代の奴隷制度”大手コンビニ元社員らが衝撃の内部告発! マスコミが報じない惨状と卑劣な手口
http://lite-ra.com/2017/09/post-3432.html
2017.09.04 

 セブン-イレブンをはじめとするコンビニチェーン本部のブラック体質については、本サイトでも何度も追及記事を掲載してきたが、ここにきて、衝撃の内部告発が収録されたドキュメンタリーが発表された。

 そのドキュメンタリーとは、PARC(特定非営利活動法人アジア太平洋資料センター)から発売された土屋トカチ監督の『コンビニの秘密 ―便利で快適な暮らしの裏で』(リンク)。

 この作品には、複数のコンビニチェーン店オーナーやアルバイト、さらには“加害者”サイドである大手コンビニチェーンの法務担当の元社員までが登場。各コンビニ店がいかに悲惨な状況に陥っているか、そしてコンビニチェーン本部がどんな手口で各店舗を奴隷のように支配しているか、その実態と手口を赤裸々に“暴露”しているのだ。

 現在、日本国内の店舗数5万5000店以上、総売上高約10兆5700億円を超える巨大業界に成長したコンビニだが、そのほぼすべてが「フランチャイズ・チェーン方式」の個人オーナー店舗だ。だがコンビニ本部とフランチャイズ店の関係はまさに奴隷支配のように不平等なもので、オーナーたちの多くが苦境に陥っているという。本作品ではコンビニチェーンのひとつ「ファミリーマート」フランチャイズ店オーナーの高橋義隆氏がその悲痛な状況を実名で赤裸々な告白をしている。
 
 高橋氏の両親は宮崎県で酒屋を経営していたが、1996年2月、4600万円を投資してコンビニをスタートさせた。しかし激務だったのだろう。父親はオープンからたった半年後の翌年9月に過労で急死する。享年42。当時、高校生だった高橋氏は、店を手伝わざるを得なくなった。

 そして、借金を返すために家族総出で働いたのだが、いっこうに借金は減らない。しかも、6年後、突然訪れた本部の部長にこう告げられたという。

「売り上げが悪いのはわかっている。採算が合わないのもお互いわかっている。私が来た以上、今月いっぱいで閉店してもらう」

 代わりに別の店舗を用意されたが、しかし移転先店舗は“本部から借りる”というこれまでとは違った契約。そのためロイヤリティーは跳ね上がったという。しかも売り上げも1日17万円程度。高橋氏はその生活を「地獄でした。働けど働けど利益は出ない」と振り返っている。

■コンビニオーナーの借金が増えるほど本部は儲かる、恐怖のシステム

 その後母親が懇願した末、再び駅前の店舗へ移転し、売り上げこそ上がったが、苦しい状況は変わらない。忙しくなってもオーナー負担の人件費など経費がかさむだけで、利益は上がらないのだ。そして3年前、母親も逝去してしまう。現在でもコンビニ店を営む高橋氏のもとには、いまも2000万円もの借金が残されているという。

「働けど働けど実入りは減っていく」。高橋氏のように、店舗オーナーの苦境にはいくつもの理由があるが、そのひとつが“コンビニ会計”だ。大手コンビニの平均ロイヤリティ(上納金)は60%。普通なら、販売価格から仕入れ値を引いた収益を分配するはずだが、しかしコンビニの場合は違う。売れ残った商品は仕入れ値に含まれず、オーナーの負担とされるからだ。つまりおにぎりやお弁当の売れ残り数によっては、オーナー側が簡単に赤字になってしまうし、処理費用もかかる。そういう契約、システムなのだ。

 そのためオーナーは見切り販売、つまり賞味期限が近づいた商品を値引きして売りたい。しかしそれを本部は認めない。なぜなら廃棄分は店舗負担だから、店舗が食品を捨てれば捨てるほど、本部は儲かるからだ。“食品ロス”で儲けるという、まさに異様なシステム。

 もうひとつオーナーたちを苦しめるのが特定地域に同じコンビニ店を集中させる「ドミナント」戦略だ。狭い地域に同じコンビニが乱立しているのを見たことがあると思うが、この戦略は同一のコンビニを集めることで、地域のシェアを高め支配的な(ドミナント)立場にできる。また、店さえつくっていれば本部は儲かるという構図もある。しかし、これはオーナーにとっては死活問題となる。ライバル店が増え、売り上げが減るだけだからだ。

 作品では「ドミナント」で店を奪われた形となった千葉県「セブン-イレブン」の元オーナー・佐々木則夫氏がこれを告発している。県内でも有数の売り上げを誇った店舗オーナーだった佐々木氏だが、本部が行ったドミナントはあまりに非道だった。

「本部から何の連絡もなく、来週オープンしますと。私にとっては死活問題じゃないですか」
「ドミナントされた途端、うち人手不足になったんですよ。コンビニで働く人間なんて限られるじゃないですか。私はお客さん取られるより、それがつらかった」

■「借金漬けで逃げられないように…」大手コンビニ元社員が“奴隷制度”のやり口を告発

 その後、売り上げも激減、そのため佐々木氏は見切り販売に踏み切る。しかしそれを認めない本部からの妨害にあい、追い詰められた佐々木氏は公正取引委員会に訴えるまでに至る。そして2009年、公取はセブン-イレブンに対し独占禁止法違反に当たると認め、排除措置命令が出された。が、しかしその後、セブン-イレブンは佐々木氏との契約を更新しなかった。つまり佐々木氏を廃業に追い込み、仕事を奪ったのだ。

 こうした問題は、オーナー側からの告発だけではない。冒頭に記したように “加害者”とも言える元本部社員からもそれは訴えられているのだ。登場するのは大手コンビニチェーンで法務担当をしていた鈴本一郎氏(仮名)だ。

 鈴本氏は本部の姿勢に異議を唱えたため、その職を追われたという経歴をもつ。

「あちこちでコンビニが散らばっている。あんなことありえないわけで。そうすると1店舗あたりの売上が下がってくる。下がっても良しとする、正当化する論理がドミナント・エリアという考えなんです。店さえつくっていれば儲かるのは加盟店に貸勘定が増えるからです」

 鈴本氏によれば、オーナーは“食品ロス”“ドミナント”で苦境に陥るだけでなく、システム上、借金も背負わされるという。コンビニ店舗には常にたくさんの商品を並べておく必要がある。そのためには仕入れのための資金が必要となるが、足りない場合は本部から借金をすることになるからだ。

「要は借金漬けにするんだよね。逃れられないように」
 
 鈴本氏は、コンビニのフランチャイズ契約は“奴隷制度”“人身御供システム”そのものだとまで言い切っている。しかも、こうしたコンビニの企業体質は店舗オーナーだけに向けられるものではない。それに疑問をもてば、本部社員だろうと容赦はない。

「およそ倫理観だとか正義感だとか、こんなことでいいんだろうかと思う人間は辞めてしまう」(鈴本氏)

 まさにブラック企業、そしてブラック業界そのものだが、元セブン-イレブン見切り妨害事件弁護団団長の中野和子弁護士は、「日本の一番悪いところは中小企業を守る法律がない」としてその問題店をこう指摘している。

■スポンサータブーでマスコミはコンビニ業界の問題点を報じず

「日本のコンビニは本部が強欲すぎる。コンビニの秘密は契約にあると考えています。365日24時間は運営するためにオーナーが働き続けなければならない。しかしそれは(契約書に)直接は書いていない。何時間かも書いていない。しかし契約書やマニュアルのなかで、これをやりなさいと定めている。その仕事量をこなすための従業員給料は極々限られている。従業員給料を捻出すると自分の取り分はなくなる。生きていくためには働かなくいけないが、契約書には明確に書いていない。これがコンビニの秘密」

 本作品では他にも自腹購入を強いられたアルバイト、「コンビニ加盟店ユニオン」関係者など、数多くの関係者が赤裸々な実情を訴えているが、確かに、コンビニ業界のさまざまな問題はこれまでも指摘されてきた。本サイトも、加盟店オーナーの“奴隷労働”の実情や、その挙げ句に自殺者にまで追い込まれたオーナーが数多く存在することも紹介してきた。また、2015年にはコンビニ業界最大手のセブン-イレブンが「ブラック企業大賞2015」に選ばれている。

 当然、社会問題化してもおかしくない事態だが、多くのメディアはこうした問題を取り上げることはなく、沈黙を守ったままだ。なぜならコンビニ業界、特にセブン-イレブンはマスコミタブーとなっているからだ。

 これも本サイトでも何度も指摘してきたことだが、コンビニ各社はテレビCMをはじめ、マスコミに巨大広告費を出稿している。つまりマスコミにとってコンビニ業界は貴重な大スポンサー様なのだ。また、スポーツ紙、週刊誌、新聞にとっては、コンビニはいまや書店に代わって最有力の販売チャンネル。なかでもセブン-イレブンに置いてもらえるかどうかは死活問題となっている。

 こうした状況下、新聞、テレビ、そして週刊誌までもがコンビニ業界に都合の悪い報道はできない状態なのだ。

 そう考えると、店舗オーナーの奴隷労働の実態や、ましてやコンビニ業界の生命線ともいえるブラック契約をえぐった本作品『コンビニの秘密』も、マスコミにスルーされるのは確実だろう。

 だが、私たちに身近な存在であり、また子どもも含む多くの人がアルバイトとして関わるかもしれないコンビニだからこそ、その実態を広く知らせる必要がある。YouTubeに予告編もアップされているようなので(リンク)、一人でも多くの人にこのドキュメンタリーを見てほしい。





▲△▽▼

2019年02月10日
コンビニが仕掛けるブーム クリスマス、恵方巻、バレンタイン

コンビニはテレビで流行を作り「買わなくてはならない」気にさせる


画像引用:https://pbs.twimg.com/media/B82RuUGCcAA6fin.jpg

次々ブームを仕掛けるコンビニ

コンビニ発の流行が全国的に拡大し、テレビやマスコミの影響で多くの人が同じ商品を購入するようなことが増えています。

コンビニ大手はテレビ局の大スポンサーなので番組制作にも大きな影響を与えています。

バラエティや旅行番組、ドラマでもそれとなく「恵方巻を食べないのは日本人とはいえない」のように印象付ける。


視聴者は「絶対に恵方巻を買わなくてはならない」と思い込み、旨くもない太巻きを買って少し食べて捨てる。

こうしたコンビニ行事を数えて見ると1月は正月、2月は恵方巻とバレンタインと受験、3月はホワイトデーと卒業式

4月はエイプリルフールと花見と入学・入社式、5月はGWと母の日、6月は父の日というペースが年末まで続きます。


平均して毎月2回以上は「絶対に外せない行事」があり、そのたびにコンビニはテレビを通じて何かを買わせようとします。

自分にとって必要だったり自分に関係あるなら、ブームに乗っかるのも良いでしょうが、関係ないことに金を払うのはバカらしいです。

恵方の方角を見て太巻きを食べる「恵方巻」については、迷信ですらないでっち上げです。


安倍晴明が生きていた頃の陰陽道が起源と思われるが、そんな事をした記録が残っているだけで「伝統」でもなんでもない。

バレンタインやハロウィーンについてはキリシタンの習慣なので異教徒には関係ない。

恵方巻については売れ残る廃棄食材が話題になっていて、無駄をなくすべきだと意見があります。


ブームのためにノルマや買取

もう一つの問題はコンビニ本部が店舗に課している販売ノルマで、店舗ごとに販売本数を決めている。

コンビニのシステムは表向きは各店舗が必要に応じて仕入れるとなっているが、実際には本部が決定権を持っている。

店舗オーナーにも僅かな裁量権はあるものの、全国すべての店舗で同じ商品を並べるため、必ず仕入れなくてはならない商品が大半です。


例えば日本中どこのコンビニに行っても弁当が棚一杯に並んでいるが、あれは仕入れノルマを課しているからです。

もし売れる数しか仕入れなかったら棚はいつもガラガラで、ほとんどの商品は売り切れているので集客力が落ちてしまう。

売れても売れなくても毎日棚一杯に弁当を並べることで、コンビニチェーンは全国均一のサービスと集客力を維持しています。


恵方巻やクリスマスケーキも同様に仕入れノルマがあり、コンビニの仕入れ品は店舗の買取です。

売れた分の仕入れ代金だけ払うのではなく、仕入れた時点で全商品を店舗が買い取り本部の利益になります。

このため店舗では店員やバイトに販売ノルマを課し、ノルマ未達成なら強制買い取りをさせています。


完全な違法行為で事実上コンビニ本部が主導しているが、警察はまだ取り締まっていない。

コンビニが生み出したイビツなブームとその結末は、バイト店員に強制買い取りさせる事で成り立っている。
http://www.thutmosev.com/archives/78944164.html

▲△▽▼

【予告篇】DVD コンビニの秘密〜便利で快適な暮らしの裏で〜 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YivzYAEGgNM



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/826.html#c9

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
143. 中川隆[-12277] koaQ7Jey 2019年2月10日 17:31:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
プーチンは礼儀正し過ぎるのか?
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-2ad2.html
2019年2月 9日 マスコミに載らない海外記事


2019年2月4日
Paul Craig Roberts

 下記のギルバート・ドクトローの記事は、とんでもない挑発に対する、プーチンの並外れた自制について、私自身が表明してきた懸念と同じ意見だ。私は欧米指導者連中に全く欠如している自制ゆえにプーチンを称賛していする。にもかかわらず私は、戦争を阻止しているこの自制が、戦争に導いているかもしれないという懸念を表明した。第二次世界大戦に関する多くの歴史家が、断固とした態度を取るより、対立状況を沈静させようとしたイギリスのチェンバレン首相の善意が、ヒトラーに戦争するよう元気づけたと結論している。

 ソ連のどの指導者に対して、あるいは彼らについて、プーチンにするように話をした欧米政治家は皆無だという点において、ドクトローは確かに正しい。状況は、イギリス政府がロシアとの戦争に準備をしていると宣言する極端な無謀さの極みに達している。ソビエト時代、イギリス政府は決してこれほど不合理に挑発的なことを発言したことがないはずだ。ロシアは数分でイギリスを地表から消し去ることができるのに、イギリス防衛大臣は、イギリスは対ロシア戦争を準備していると宣言しているのだ!

 プーチンは、欧米には彼と同種の人物がどこにも存在しない、知的な、礼儀正しい、親切な、道理をわきまえたリーダーだ。彼ははぐらかさず、メモも、耳に答えをささやく補佐もなしで、全ての質問に答えて、何時間も、しばしば敵対的な記者たちの前に立つことができる唯一の政治指導者だ。プーチンは皆の敬意に値する。その代わり、彼はロシアとともに、画策された悪魔化キャンペーンを受ける。これがどのように平和を促進するだろう? 理解できないほど強力な核兵器の時代に、欧米のこのような無責任な行動がどうして正当であり得よう?

 ドクトローはプーチンが、並外れた自制心の道理をわきまえた人で、誰も彼の感情を害することを恐れないほどだと言う。状況は不安定だ。遅かれ早かれ、プーチンは断固として譲らない態度に出るか、ロシアの主権を失うか、ロシア人の間での彼の支持を失わねばならなくなるだろう。もしプーチンが余りに長い間待てば、彼の足は、彼らが沈黙させられることができないという点に至るまで、「欧米指導部」を構成する政治家が持っているばか者が戦争の太鼓を叩くポイントで低下することができる。

 ワシントンの愚かさはもう一つの理由で異常だ。ワシントンは、プーチンのロシアを制裁し、悪者にし、村八分にすれば、プーチンを排除できるだろうと考えている。その可能性はあるだろうが、傷つけられたロシア人と軍の愛国心は、プーチンの代替物としてワシントンの操り人形を作り出しはするまい。彼らは中傷する連中を懲らしめるため、ロシアの威力を使う、プーチンほど控え目でないロシア国家主義者を産み出すだろう。

どちらの結果も、戦争と我々全員の死をもたらすのだ。

ウラジーミル・プーチン、欧米に語る。「我々はあなた方を埋葬する!」

ギルバート・ドクトロー

 私は正当な理由から、このエッセイに「フェイク・ニュース」風題名をつけた。彼にとっても、我々のためにも、ロシア現職大統領は余りに優しすぎるという事実に皆様の注目を引くためだ。彼は1956年にしたような、かつてのソ連党実力者風脅迫をしない。彼は国連会議で演説する際、ニキタ・フルシチョフがしたように、目の前の机に靴を打ちつけはしない。そのおかげで、現在、我々欧米人は、ロシアを窮地に追い詰める外交政策を追求して、ロシアとの熱い戦争の危険を冒していることに気付かない。誰も戦争を欲していないなどと自分に言い聞かせたとて、戦争が我々の心から遠ざかることはないのだ。

 上述した彼の行動や、初のスプートニク打ち上げや、政権転覆目的のソ連軍ハンガリー侵略や、我々に戦争をするため製造していた非常に強力な水素爆弾の大気圏内実験のおかげで、フルシチョフは攻撃的で、無作法な人、危険な国のトップとして、欧米の大衆にも政治支配層にも強い印象を与えた。

 フルシチョフは、欧米がソ連を受け入れないのは、地球の生活がなくなるのと同じことだと我々が理解するのを可能にし、我々に「平和共存」政策を提案した。従って、フルシチョフと彼の国を、わが国は常に敬意と恐れを抱いて扱った。我々は彼を失礼な人物だと考えたが、誰も彼のことを、今政治家やマスコミが、ウラジーミル・プーチンを表現する際に、いつも言うような、凶悪犯やジャーナリスト殺人犯とは呼ばなかった。当時は、世界が欲しがるものを何も生産しない国ロシアを「国でなく、ガソリンスタンドだ」とか、ただひどい行動をする地域大国だと誰も言わなかったが、何十年も昔、キューバ・ミサイル危機後、冷戦状態に多少の安定性と予測可能性に与えるべく確立された連絡回線さえ含め、全ての関係を切断し、この「のけもの」ロシアを孤立させるのを正当化するのにバラク・オバマはこの全ての口実を使った。

 フルシチョフやソビィエト社会主義共和国連邦の他の政府指導者と比較して、プーチン大統領は、非常に文明的な方法で行動し、語る。現在でさえ、新冷戦での欧米との永続する対立で、ロシアには厳しい経済制裁が課され、未曾有の規模の挑発的NATO軍事演習がロシア国境で行われる中、プーチンは平和を保持し、彼の考えでは、あっと言う間に武力衝突に至りかねない緊張のエスカレーションを避ける狙いで、欧米を、まだ「同僚」や「パートナー」として語っている。

 プーチンの手腕は何に由来するのだろう? KGBでの勤務より、彼の過去が多くを意味しているのを理解しなければならない。1990年代、彼はサンペテルブルグのリベラルな市長アナトリー・サブチャクの市庁で働いた。海外投資担当副市長として、多数のヨーロッパやアメリカらの実業家や政治家に会ったのだ。彼は市長の親欧米派取りまきの一員で、1999年に大統領の職についた際、リベラルな僚友の多くを側近においた。彼らは今も、クレムリン政治で影響力ある党派を構成している。

 大統領の座についた初日から、プーチンは、NATO、より一般には欧米に、ロシアが統合されることを望んでいた。ワールド・トレードセンター攻撃後、プーチンはジョージ・W・ブッシュに電話をかけた最初の国家指導者で、アメリカがアフガニスタンでタリバンに対して開始するであろう作戦の後方支援のため、アメリカ軍に快く中央アジアにおけるロシアの裏庭を開放し、多いに助力した。

 不幸にして、プーチンの互恵的な暖かい関係や統合への希望は拒否された。今ワシントンは、ロシアを長期凋落している、取るに足りない力しかない国と見なしている。2002年、安定性と透明度に対するロシアの関心にへの無視し、戦略上の兵力の均衡をアメリカに優位に変える政策を追求し、1972年から始まった、最初の画期的武器制限条約の一つ、弾道弾迎撃ミサイル制限条約からアメリカは脱退した。この後、現在まで続く、ロシアと欧米間の関係悪化の進展を我々は目にしている。これに続いて、2018年3月1日、連邦議会に対する施政方針演説で、最先端技術を使った「非対称」と呼ばれるロシアの新兵器システム開発をプーチン大統領がとうとう公式に語るのを目にしたのだ。当時、彼は完ぺきな明快さで、しかし冷静な威嚇的でない言葉で、これらの兵器がアメリカが、自国に対する先制核攻撃無力にする可能性を保証するため適所に配置している全兵器を突き抜けることが可能だと述べた。ロシアはアメリカの12分の一しか軍事予算がないにもかかわらず、アメリカと、もちろんNATOとの、全面的な戦略的均衡を取り戻したと彼は主張した。

 2018年3月1日のプーチン演説は、大統領選挙運動のさ中で、ロシア国民に向けたものだった。それは同様に、アメリカ政界と軍に対するものでもあった。残念ながら、アメリカやヨーロッパ国民に対して、フルシチョフがかつてしたように、ぶっきらぼうに語ったわけではなかった。それで我々は、うたた寝状態を許されている。

 現在、ロシアが30分以内に、アメリカおよび/またはヨーロッパを灰燼と化すことが可能な世界唯一の国である事実を我々は無視する傾向がある。シリアで、ウクライナで、もしかすると間もなベネズエラで、ロシア軍や彼らの代理部隊近辺でのアメリカ軍による作戦から生じうる戦争の危険の感覚が我々には欠如している。アメリカでは、民間と軍の指導者間には信頼性の高いコミュニケーションが欠如しており、あらゆる当事者間の相互信頼が全体的に欠けている。

 旧冷戦の間は、大陸間弾道ミサイルあるいは爆撃機による攻撃の誤報は、誤報と判断するための一定時間があった。現在は、警報から飛来する完全破壊まで、15分しかないのだ。国家指導部を殺害する可能性がある先制攻撃を予知した場合、迎撃ミサイル発射は自動化されており、「デッド・ハンド(死者の手)」原則で作動する。結果的に、60年代の映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』でスタンリー・キューブリックが見事に描いた最後の審判の日のシナリオが、大衆には全く見当がつかなくとも、現在機能しているのだ。

 読者の皆様!アメリカやヨーロッパの人々と開かれた外交をせず、我々を適度に怖がらせないので、我々が正気に返り、我々の政治家やメディアに同じように行動するよう強いないので、ウラジーミル・プーチン大統領はロシア国民にも、我々にも、ひどい仕打ちをしていると私が申し上げている理由はこれなのだ。

https://russia-insider.com/en/putin-soft-he-should-learn-scare-west-khrushchev-did/ri26105

出典:GilbertDoctorow.com

 ギルバート・ドクトロウは゛1965年以来、ロシア事情評論家。ハーバード大学(1967年)を極めて優秀な成績で卒業し、元フルブライト奨学生で、コロンビア大学(1975年)の優等な成績の歴史博士号を保有。研究終了後、ドクトロウは、ソヴィエト社会主義共和国連邦と東ヨーロッパを中心に企業経営経験を積んだ。25年間、彼は地域担当マーケティング、一般経営担当として、アメリカとヨーロッパの多国籍企業で働いた。1998年-2002年、ドクトロウはモスクワでロシア・ブッカー文学賞委員長を勤めた。

 ニコライ2世下のロシア憲法の歴史に関する彼の学位論文に基づく多数の学術的論文はいまも出版されており、オンラインで入手可能。ドクトロウはまた、ズヴェズダー(サンペテルブルグ)や、ロシアの文化、政治的生活の問題に関するルスカヤ・ムイスリ(La Pensee russe、パリ)や、コンティネント(アレクサンドル・ソルジェニツィンが後援した雑誌)を含めロシア・マスコミに良く寄稿していた。彼はベルギーの日刊紙 La Libre Belgiqueのポータルで、国際問題に関する分析記事を定期的に寄稿している。

 ドクトロウの現在の研究の関心は、アメリカ地域研究の傾向。2010-2011年度のコロンビア大学ハリマン研究所客員教授。

 Paul Craig Robertsは元経済政策担当財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼 の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c143

[近代史3] 日本人はこうやって千島アイヌを民族浄化した _ とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化

日本人はこうやって千島アイヌを民族浄化した


とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化―日本人が自ら葬り去った異文化―
http://www.tobunken.go.jp/info/sympo02/abstract/abstract34.html

 日本列島に三つの異なった文化があることは存外知られていない。ひとつはいうまでもない、天皇を中心とした国家が育んだ「日本文化」であり、ひとつは琉球国王を中心とした琉球王国が育んだ「琉球文化」であり、いまひとつが北辺でアイヌの人びとが育んだ「アイヌ文化」である。これらは広い意味での「日本文化」ともいいうるのであるが、そうした扱いはなされてこなかったといっていい。

 それでも、狭義の「日本文化」と深くかかわる「琉球文化」については、近年、新たな視点からの研究・紹介がなされはじめている。しかるに、アイヌ文化は広義の「日本文化」の枠内には容れられないままなのである。

 アイヌ文化には三つの文化圏がある。すなわち「北海道」島に栄えた北海道アイヌ、樺太(ロシア領サハリン)島南部に栄えた樺太アイヌ、そして、中部千島・北千島(ロシア領クリール諸島)に栄えた千島アイヌである。

 このなかで、千島アイヌはそのひとを含め、文化・言語は今日にまったく伝わらないのである。国際交渉の陰で、しかもきわめて平和裡に、日本人は地上から一つの文化を葬り去ったのである。

 いまひとつの文章がある。主題とも深く関わるので一瞥してみよう。

「1884年の日露両国間の協定によって、樺太はロシアに、千島列島は日本に帰することになった。その後、日本は総人口わずか九七人のものが群島の各地点に分散している極北の新しい国民の憐れな状態に憐憫の情をもよおし、彼らを絶滅から救うことを願った。そのため、彼ら全員を、はるかに豊で気候も温暖なシコタン島へ移住させた。ここは蝦夷の根室地方とクナシリ島の間にあり、千島列島の最南端に位置する。しかし、憐れな彼らにとってそこが楽園となったであろうか。否、無益であった…」(鳥居竜蔵『千島アイヌ』序)。

 日露間で締結された「樺太千島交換条約」によって、樺太はロシアに割譲され、全千島列島が日本の版図となった。このとき、日本政府は先住民であるアイヌの人びとをも同時に自らの民に加えた。樺太アイヌは北海道に強制移住させられ、当初は樺太に程近い稚内のメグマに居住地が定められたが、じきに札幌近郊の対雁(ツイシカリ、現在の江別市内)に移された。

 シムシュ島、ホロムシリ島などに住む千島アイヌが移された先が、鳥居の序文にあるシコタン島である。

 このいずれもが、かれらがロシア人と通交をおこなって、結果的に日本に不利となる行為を働くことを危惧してのものであった。

 明治36年の戦争の結果、樺太アイヌはそれでも故郷に帰りえた。しかし千島アイヌは、そこが日本領土であったにもかかわらず、帰ることはできなかった。望郷の想いにかられながらも、かれらは北海道とその付属島嶼(島々)のなかで、みずからの文化を放棄せざるを得なかった。今日、千島アイヌの文化を伝えるひとはただのひとりも存在しない。

佐々木 利和(ささき としかず)

東京国立博物館
主著等:
『アイヌ文化誌ノート』(吉川弘文館 2001年)
『アイヌの工芸』(日本の美術354号 至文堂 1995年)
「東京国立博物館のアイヌ民族資料(上)」『北海道立アイヌ民族文化研究センター研究紀要』3号(1994年)
『アイヌ語地名資料集成』(草風館 1988年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/231.html

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
4. 中川隆[-12276] koaQ7Jey 2019年2月10日 20:59:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019.02.10
産経新聞と朝日新聞の「ネトウヨ用語」頻度の比較
――「ブーメラン」「反日日本人」「WGIP」「コミンテルン」……
https://rondan.net/15276


Contents

1 苦境の産経新聞
2 ネトウヨ用語が大好きな産経新聞
3 ブーメラン
4 反日日本人
5 WGIP
6 コミンテルン
7 まとめ


苦境の産経新聞

経営状態が悪化しまくっている「産経新聞」。ネトウヨは購買意欲が高いようですが、所詮、人数が多くないので全国紙を維持するためには今一つ勢いが足りないようです。

一方、ネトウヨから目の敵にされているリベラルの牙城「朝日新聞」は、部数低下に悩まされながらも、不動産業などによる収入が盤石のため、依然として産経新聞よりはるかに健全な経営状況です。

保守最後の希望である「産経新聞」を救うために、ネトウヨは積極的に二部三部とまとめ買いし、販売店に「押し紙」を強制させ国益を守るべきではないでしょうか?

ネトウヨ用語が大好きな産経新聞

朝日新聞や読売新聞と違って、不動産などの資産を持たない産経新聞は、新聞の部数が伸びないと経営状況は回復しません。部数減少率は善戦しているものの増えてはいないので、このままでは倒産してしまいます。

この回復のカギはネトウヨ路線の放棄にあると思います。先ほども言いましたが、ネトウヨは数自体それほど多くないので、今のようにトンデモ記事ばかり書いていたら、良識ある一般市民はドン引きするだけだということです。

アホ相手に商売していると、気が付かない間に自分までアホになってしまっているということはよくあります。産経新聞の方々はよくよく社会常識に基づいた記事を書いていただきたい。

ブーメラン

幾つか典型例な用語を比較します。

まずは「ブーメラン」。ネットスラングでよく使われます。民主党(民進党)を攻撃する際によく用いられますね。

この語が何回使われているか検索したところ…。

産経新聞(政治) 283
朝日新聞(全体) 17
【参考】読売新聞(全体) 6

圧倒的な産経新聞のクォリティ(笑)


反日日本人

「反日日本人」とはネトウヨが大好きな言葉。

反日は中国・韓国だけではなく国内にもいるという妄想を手助けしている用語です。

これを比較すると…

産経新聞 12
朝日新聞 2
【参考】読売新聞 0

なお、朝日新聞でヒットした2件は、いずれもネトウヨ思考を批判する記事です。一方、産経新聞はマジで「反日日本人」というカテゴリーが存在すると妄想してしまっている記事です。読売新聞は華麗にスルー(笑)

ほんと産経新聞スゴイ。

WGIP

ネトウヨや保守が大好きなWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プラン)。何と我々はGHQ政策によって洗脳されているそうです。

先に大ベストセラーになった百田尚樹『日本国紀』においても、戦後史で大きく扱われました。こんな単純な陰謀論を信じれるということ自体が、自虐思想なのですが(笑)


これを比較すると…

産経新聞 75
朝日新聞 4
【参考】読売新聞 0

なお、朝日新聞でヒットした4件は、いずれもこのWGIPが妄想であると批判する記事です。一方、産経新聞はマジでWGIPによって我々が洗脳されているというという記事です。

ここでも読売新聞は華麗にスルー(笑)

コミンテルン


「コミンテルン」とは戦前に実際に存在した共産主義組織です。今ではもう存在しません。ゆえに都合がいいのか「コミンテルン陰謀説」が今では大人気です。

「日本が戦争に巻き込まれたのはコミンテルンの陰謀だ!」

というのがそれです。多くの国々と人々が複雑に絡み合って起きた現象の発端を、たった一つの原因に帰することなど不可能です。その不可能を単純に解決してしまうのが陰謀論でし。フリーメーソン陰謀論などと大同小異のもので、あと20年もすれば口に出すことすら恥ずかしくなるようものです。

さて、この語を比較すると…

産経新聞 105
朝日新聞 2
【参考】読売新聞 0

産経すごすぎ!

なお朝日新聞の1例はコミンテルン陰謀論を非難する記事です。そしてやはり読売新聞は華麗にスルー(笑)

まとめ

いかがだったでしょうか?

産経新聞がどれだけぶっ飛んでいるのかがよく解ったと思います。

その対極にある朝日新聞は産経新聞などが垂れ流す妄想にしっかり反論し、一方。両者の中間やや右寄りにいる読売新聞はこんな馬鹿げた妄想に最初から付き合わないという態度です。

こんな面白い産経新聞を、みんな優しい眼差しで見守ってあげましょう!

https://rondan.net/15276
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c4

[近代史3] 櫻井よしこ はその時点で一般大衆に受けそうな意見を受け売りしてるだけの無知蒙昧・無定見なオバサン 中川隆
12. 中川隆[-12275] koaQ7Jey 2019年2月10日 21:06:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く
―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた(小学館文庫) – 2002/8/1
櫻井 よしこ (著)
https://www.amazon.co.jp/GHQ%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%81%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%93%8D%E4%BD%9C%E6%9B%B8%E3%80%8C%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E7%AE%B1%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%91%AA%E7%B8%9B%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E2%80%95%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%A6%B3%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E6%AD%AA%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%AB%BB%E4%BA%95-%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%93/dp/4094028862


内容紹介

これは一体「真相」か「洗脳」か!?

敗戦後、GHQ占領政策の一環として制作されたラジオ番組「眞相箱」。歴史の真実に巧妙に虚偽を散りばめながら日本の“犯罪"を日本のお茶の間に告発し続け、“帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した"という観念を植え付けた。

本書は「眞相箱」を採録した貴重な本を復刻し、GHQの巧妙な操作を櫻井よしこ氏が詳細に解析する。

戦後日本人の歴史観を紐解き、戦争とは何か、日本人はどうあるべきかを問う問題作。戦後日本人の歴史観はこうして歪められた! 文庫書き下ろし。


これは「真相」か、それとも「洗脳」か!?
敗戦直後、GHQは占領政策の一環として「太平洋戦争の真相を日本国民に知らせる」ためのラジオ番組を作った。それは「真相はかうだ」「真相箱」「質問箱」と名称を変えながら、三年にわたりお茶の間に日本の犯罪を告発し続けた。

真実の中に虚偽を巧妙に散りばめ“帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した”との観念を植え付けるGHQの思惑は成功し、いつしか日本人の歴史観や戦争観を規定した。

「真相箱」の原作本を復刻、戦後日本の混迷を招いた「問題の書」を白日の下にさらし、桜井よしこ氏が徹底解析する。

▲△▽▼


2019.02.09
【トンデモ】小さな真実を重ねて大きな空想を信じさせる
(櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002)
https://rondan.net/301


Contents

1 はじめに
2 『真相箱』の何を批判するのか
3 「真相箱」の持つ役割への過剰な評価
4 「真相箱」やWGIPを糾弾して何を訴えたいのか

はじめに

終戦後、GHQによって「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)と巷で言われるところの、アメリカ主導のプロパガンダ活動があったことはよく知られています。多くの保守の方々は、このWGIPを、戦後日本諸悪の根源であるかのように攻撃します。

たとえば江藤淳氏は、このWGIPを「戦後日本の歴史記述のパラダイムを規定するとともに、歴史記述のおこなわれるべき言語空間を限定し、かつ閉鎖した」(『閉ざされた言語空間』文芸春秋, p. 228)と評価したり、高橋史朗氏は「日本人の美しい心が破壊され、内的自己崩壊が謀られた」(『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在』宝島社, p. 13)と評価しています。もしこれが本当ならば、とてつもない陰謀がGHQによって実行されたことになります。

もちろんこれとは逆の見解もあり、数少ない信頼できる保守論客として高名な秦郁彦氏は、上記の陰謀論に対して「果してそんな大それたものだったのか」と述べています。また、近年刊行されました研究書、賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム:GHQ情報教育政策の実像』(法政大学出版, 2018)も、GHQの対日情報教育は、江藤淳氏らが主張するような陰謀論の類ではない点を指摘しています。

ところで本記事で検討していく、保守界の女王である櫻井よしこ氏は、前者の立場に立ち、このWGIPが日本人を洗脳する謀略(!)であると理解しています。しかし、不思議な現象がここで起こります。アメリカがこのような洗脳謀略によって日本を自虐史観に陥れたのであれば、当然アメリカに対して謝罪と補償を求めるべきところです。しかし、櫻井氏は慰安婦問題についてアメリカの新聞に広告記事を載せてしまうほど精力的にもかかわらず、なぜかこのWGIPについてはアメリカ側に苦情を言ったという話は聞きません。

此れと同じ矛盾は他の保守論客にも確認されます。たとえば、WGIPの第一人者(?)である高橋史朗氏も、その著書の中で散々WGIPによる洗脳を糾弾しておきながら、非難の矛先はアメリカではなく、なぜか朝日新聞・南京事件・慰安婦問題に向かいます。

このように保守本で取り上げられるWGIPには奇妙な論理構造が確認されます。そこで本記事では、WGIPの一貫として実施されたラジオ放送をまとめた書籍版『真相箱』に対する保守論客の理解を検討したと思います。具体的に取り上げるのは、櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002)です。

『真相箱』の何を批判するのか

1945(昭和20)年12月9日から、GHQ主導の下、ラジオ番組「真相はかうだ」が放送され、その後も「質問箱」「真相箱」と名前を変えながら1948年まで再放送され続けました。これらの放送をまとめて刊行されたものが、『真相箱 : 太平洋戦争の政治・外交・陸海空戦の真相』(コズモ出版社, 1946)です。この放送を通じてGHQが力を入れて訴えたかったことは次の六点であると指摘されます。


・戦時中の日本軍大本営発表は嘘ばかりだった。

・捕虜になった日本兵は連合軍の待遇がよいことに驚き、自由のみに感謝の日々を送った。

・ポツダム宣言はこの上なく人道的で寛大かつ非懲罰的な幸福条件である。

・原子爆弾の投下は、膨大な破壊を被るという連合軍側の予告を、日本の指導者が無視し、何ら回答しなかったために実行されたのだ。

・戦時中の軍指導者たちが戦争犯罪人の指名を受けるのは当然である。

・日本国民はこれまでの過ちを反省して、青年たちは世界に他れる新日本の建設に立ち上がるべきだ。


 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 17
すなわち、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)での大本営発表の嘘を暴きつつ、連合国側が把握している真実を伝えるというストーリーです。これに対して櫻井氏は次のように指摘します。


確かに、当時の日本軍の大本営発表が虚偽に満ちていたことは疑うべくもない。ただ、GHQの放送が巧みなのは、…中略…連合軍側は正直で日本軍の大本営発表はまったく嘘八百だったと繰り返すことだ。大本営発表の嘘について実感がある分、日本国民は米国側の「正直」を信じ込まされていくのだ。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 21

歴史の真実に巧妙に虚偽を散りばめながら日本の”犯罪”を日本のお茶の間に告発し続け、”帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した”という観念を植え付けた。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, 書籍紹介
つまり、「大本営発表の嘘を暴くことでアメリカ側の信頼度を高めさせ、歴史の真実を忠実に教えているふりをしながら、その中に巧妙な虚偽を散りばめて、GHQの都合のいいように思想誘導を図った」というようにまとめられるでしょうか。「虚偽」という言葉が相応しいかは解りませんが、GHQ謹製のラジオ番組ですから、アメリカ側の思惑に都合のいいように編集されている事実は否定できません。この点について櫻井氏の批判は正しいと言えます。

「真相箱」の持つ役割への過剰な評価

しかし、この「真相箱」によって、「日本人が洗脳された」という言説は余りにも大げさです。話を面白おかしく針小棒大にするのは保守の悪い癖です。櫻井氏は、洗脳された日本人の影響が現代まで続いていると主張します。


この種のラジオ放送を三年余も継続して聞かされれば、ある時点から嘘や歪曲やすり替えを正していくのに疲れて、ふと根気を失うのではないかという気がした。
欺瞞の洪水に逆らうのを諦めてしまうのだ。諦めれば流れの中に身を沈めるか、一緒に流されていく。説明するのに疲れた大人たちが沈黙を守る間に、新しい世代がその欺瞞に染まっていく。その先に出現したのが、現在の日本の姿である。米国の対日再教育、洗脳というべき検閲と情報操作によって、私たちの考え方や価値観は無意識のうちに日本断罪の影を引いているはずだ。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, pp. 440-441
この様な言説は、あまりにも「真相箱」やWGIPの効力を過激に評価しています。

というのも終戦直後、GHQ統治が始まる前の世論調査の段階で、人々の間に、軍部に対する責任追及の言説が起こったことや、戦争の重圧から解放されて民主主義的色彩が徐々に強くなってきていることが日本側資料に残っています(萩野富士夫『「戦意」の推移』校倉書房, 2014, pp. 145-157)。

このように「真相箱」やWGIPが始まる以前から、日本人の間で、軍国体制に対する断罪意識が自発的に芽生え、民主主義の新たな未来を主体的に択ぶ動きがあったのです。したがって今現在の日本はこうある責任は、紛れもなく日本人にこそ責任があるのであり、「真相箱」やWGIPに責任転嫁するのは無責任と言うものでしょう。

「真相箱」やWGIPを糾弾して何を訴えたいのか

確かに櫻井氏が指摘するように「真相箱」はWGIPの一環として行われた対日プロパガンダです。櫻井氏の持つ価値観ならば、WGIPが洗脳工作の一環であり、「真相箱」は真実の中に虚実を混ぜてアメリカの望む方向に思想誘導する欺瞞だと思えてしまうことも理解できます。

しかしながら櫻井氏と必ずしも見解の一致しない私にとって、この『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』こそ思想誘導の欺瞞を感じてしまいます。つまり、小さな真実を重ねて、櫻井氏の抱く大きな「空想」を読者に信じさせようとしているということです。例えば次のような一文に、櫻井氏が信じ込まさせたい「空想」の一端を感じずにはいられません。


第二次世界大戦での日本の戦いは、一面でアジアでの植民地主義の一掃に力を貸したとか、アジアの幾つかの国々の独立を促したなどとの考えは、軍国主義として排斥された。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 44
https://rondan.net/301
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/217.html#c12

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか?

戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか?


GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く―戦後日本人の歴史観はこうして歪められた(小学館文庫) – 2002/8/1
櫻井 よしこ (著)
https://www.amazon.co.jp/GHQ%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%81%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%93%8D%E4%BD%9C%E6%9B%B8%E3%80%8C%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E7%AE%B1%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%91%AA%E7%B8%9B%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E2%80%95%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%A6%B3%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E6%AD%AA%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%AB%BB%E4%BA%95-%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%93/dp/4094028862


内容紹介

これは一体「真相」か「洗脳」か!?

敗戦後、GHQ占領政策の一環として制作されたラジオ番組「眞相箱」。歴史の真実に巧妙に虚偽を散りばめながら日本の“犯罪"を日本のお茶の間に告発し続け、“帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した"という観念を植え付けた。

本書は「眞相箱」を採録した貴重な本を復刻し、GHQの巧妙な操作を櫻井よしこ氏が詳細に解析する。

戦後日本人の歴史観を紐解き、戦争とは何か、日本人はどうあるべきかを問う問題作。戦後日本人の歴史観はこうして歪められた! 文庫書き下ろし。


これは「真相」か、それとも「洗脳」か!?
敗戦直後、GHQは占領政策の一環として「太平洋戦争の真相を日本国民に知らせる」ためのラジオ番組を作った。それは「真相はかうだ」「真相箱」「質問箱」と名称を変えながら、三年にわたりお茶の間に日本の犯罪を告発し続けた。

真実の中に虚偽を巧妙に散りばめ“帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した”との観念を植え付けるGHQの思惑は成功し、いつしか日本人の歴史観や戦争観を規定した。

「真相箱」の原作本を復刻、戦後日本の混迷を招いた「問題の書」を白日の下にさらし、桜井よしこ氏が徹底解析する。


▲△▽▼


2019.02.09
【トンデモ】小さな真実を重ねて大きな空想を信じさせる
(櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002)
https://rondan.net/301


Contents

1 はじめに
2 『真相箱』の何を批判するのか
3 「真相箱」の持つ役割への過剰な評価
4 「真相箱」やWGIPを糾弾して何を訴えたいのか


はじめに

終戦後、GHQによって「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)と巷で言われるところの、アメリカ主導のプロパガンダ活動があったことはよく知られています。多くの保守の方々は、このWGIPを、戦後日本諸悪の根源であるかのように攻撃します。

たとえば江藤淳氏は、このWGIPを「戦後日本の歴史記述のパラダイムを規定するとともに、歴史記述のおこなわれるべき言語空間を限定し、かつ閉鎖した」(『閉ざされた言語空間』文芸春秋, p. 228)と評価したり、高橋史朗氏は「日本人の美しい心が破壊され、内的自己崩壊が謀られた」(『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在』宝島社, p. 13)と評価しています。もしこれが本当ならば、とてつもない陰謀がGHQによって実行されたことになります。

もちろんこれとは逆の見解もあり、数少ない信頼できる保守論客として高名な秦郁彦氏は、上記の陰謀論に対して「果してそんな大それたものだったのか」と述べています。また、近年刊行されました研究書、賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム:GHQ情報教育政策の実像』(法政大学出版, 2018)も、GHQの対日情報教育は、江藤淳氏らが主張するような陰謀論の類ではない点を指摘しています。

ところで本記事で検討していく、保守界の女王である櫻井よしこ氏は、前者の立場に立ち、このWGIPが日本人を洗脳する謀略(!)であると理解しています。しかし、不思議な現象がここで起こります。アメリカがこのような洗脳謀略によって日本を自虐史観に陥れたのであれば、当然アメリカに対して謝罪と補償を求めるべきところです。しかし、櫻井氏は慰安婦問題についてアメリカの新聞に広告記事を載せてしまうほど精力的にもかかわらず、なぜかこのWGIPについてはアメリカ側に苦情を言ったという話は聞きません。

此れと同じ矛盾は他の保守論客にも確認されます。たとえば、WGIPの第一人者(?)である高橋史朗氏も、その著書の中で散々WGIPによる洗脳を糾弾しておきながら、非難の矛先はアメリカではなく、なぜか朝日新聞・南京事件・慰安婦問題に向かいます。

このように保守本で取り上げられるWGIPには奇妙な論理構造が確認されます。そこで本記事では、WGIPの一貫として実施されたラジオ放送をまとめた書籍版『真相箱』に対する保守論客の理解を検討したと思います。具体的に取り上げるのは、櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002)です。

『真相箱』の何を批判するのか

1945(昭和20)年12月9日から、GHQ主導の下、ラジオ番組「真相はかうだ」が放送され、その後も「質問箱」「真相箱」と名前を変えながら1948年まで再放送され続けました。これらの放送をまとめて刊行されたものが、『真相箱 : 太平洋戦争の政治・外交・陸海空戦の真相』(コズモ出版社, 1946)です。この放送を通じてGHQが力を入れて訴えたかったことは次の六点であると指摘されます。


・戦時中の日本軍大本営発表は嘘ばかりだった。

・捕虜になった日本兵は連合軍の待遇がよいことに驚き、自由のみに感謝の日々を送った。

・ポツダム宣言はこの上なく人道的で寛大かつ非懲罰的な幸福条件である。

・原子爆弾の投下は、膨大な破壊を被るという連合軍側の予告を、日本の指導者が無視し、何ら回答しなかったために実行されたのだ。

・戦時中の軍指導者たちが戦争犯罪人の指名を受けるのは当然である。

・日本国民はこれまでの過ちを反省して、青年たちは世界に他れる新日本の建設に立ち上がるべきだ。


 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 17
すなわち、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)での大本営発表の嘘を暴きつつ、連合国側が把握している真実を伝えるというストーリーです。これに対して櫻井氏は次のように指摘します。


確かに、当時の日本軍の大本営発表が虚偽に満ちていたことは疑うべくもない。ただ、GHQの放送が巧みなのは、…中略…連合軍側は正直で日本軍の大本営発表はまったく嘘八百だったと繰り返すことだ。大本営発表の嘘について実感がある分、日本国民は米国側の「正直」を信じ込まされていくのだ。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 21

歴史の真実に巧妙に虚偽を散りばめながら日本の”犯罪”を日本のお茶の間に告発し続け、”帝国主義の悪が民主主義の正義に屈した”という観念を植え付けた。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, 書籍紹介
つまり、「大本営発表の嘘を暴くことでアメリカ側の信頼度を高めさせ、歴史の真実を忠実に教えているふりをしながら、その中に巧妙な虚偽を散りばめて、GHQの都合のいいように思想誘導を図った」というようにまとめられるでしょうか。「虚偽」という言葉が相応しいかは解りませんが、GHQ謹製のラジオ番組ですから、アメリカ側の思惑に都合のいいように編集されている事実は否定できません。この点について櫻井氏の批判は正しいと言えます。

「真相箱」の持つ役割への過剰な評価

しかし、この「真相箱」によって、「日本人が洗脳された」という言説は余りにも大げさです。話を面白おかしく針小棒大にするのは保守の悪い癖です。櫻井氏は、洗脳された日本人の影響が現代まで続いていると主張します。


この種のラジオ放送を三年余も継続して聞かされれば、ある時点から嘘や歪曲やすり替えを正していくのに疲れて、ふと根気を失うのではないかという気がした。
欺瞞の洪水に逆らうのを諦めてしまうのだ。諦めれば流れの中に身を沈めるか、一緒に流されていく。説明するのに疲れた大人たちが沈黙を守る間に、新しい世代がその欺瞞に染まっていく。その先に出現したのが、現在の日本の姿である。米国の対日再教育、洗脳というべき検閲と情報操作によって、私たちの考え方や価値観は無意識のうちに日本断罪の影を引いているはずだ。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, pp. 440-441
この様な言説は、あまりにも「真相箱」やWGIPの効力を過激に評価しています。

というのも終戦直後、GHQ統治が始まる前の世論調査の段階で、人々の間に、軍部に対する責任追及の言説が起こったことや、戦争の重圧から解放されて民主主義的色彩が徐々に強くなってきていることが日本側資料に残っています(萩野富士夫『「戦意」の推移』校倉書房, 2014, pp. 145-157)。

このように「真相箱」やWGIPが始まる以前から、日本人の間で、軍国体制に対する断罪意識が自発的に芽生え、民主主義の新たな未来を主体的に択ぶ動きがあったのです。したがって今現在の日本はこうある責任は、紛れもなく日本人にこそ責任があるのであり、「真相箱」やWGIPに責任転嫁するのは無責任と言うものでしょう。

「真相箱」やWGIPを糾弾して何を訴えたいのか

確かに櫻井氏が指摘するように「真相箱」はWGIPの一環として行われた対日プロパガンダです。櫻井氏の持つ価値観ならば、WGIPが洗脳工作の一環であり、「真相箱」は真実の中に虚実を混ぜてアメリカの望む方向に思想誘導する欺瞞だと思えてしまうことも理解できます。

しかしながら櫻井氏と必ずしも見解の一致しない私にとって、この『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』こそ思想誘導の欺瞞を感じてしまいます。つまり、小さな真実を重ねて、櫻井氏の抱く大きな「空想」を読者に信じさせようとしているということです。例えば次のような一文に、櫻井氏が信じ込まさせたい「空想」の一端を感じずにはいられません。


第二次世界大戦での日本の戦いは、一面でアジアでの植民地主義の一掃に力を貸したとか、アジアの幾つかの国々の独立を促したなどとの考えは、軍国主義として排斥された。

 櫻井よしこ『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』小学館, 2002, p. 44
https://rondan.net/301
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
1. 中川隆[-12274] koaQ7Jey 2019年2月11日 08:00:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

本多勝一の東京裁判史観・自虐史観(?)は GHQ やマッカーサーとは全く何の関係も無かった

本多勝一 週刊金曜日 応援、侵略を考えるサイト
http://honkatu.blog24.fc2.com/

本多勝一を応援する読者会のページ
http://www1.odn.ne.jp/kumasanhouse/hod/


1971年、本多勝一が中国において日本軍の足跡の取材を行った際(「中国の旅」)、南京において、日本軍に虐殺された様子をさめざめと泣きながら語ってくれたそのご家族の方に対し、取材のお礼のあいさつを兼ねて語った言葉です。

”「 南京大虐殺が行われていた当時、私はまだ幼児でした。おっしゃるように、たしかに”一般人民”としての幼児の私には、この罪悪に対して直接の責任はありません。

本質的には、中国の民衆と同じく、日本の民衆も被害者だった。ですから私は、同じ日本人の罪悪であっても、私自身が皆さんに謝罪しようとは思いません。

問題は過去より現在なのです。日本の一般人民は、日本敗戦後二十数年を過ぎた今なお、中国で日本人が何をしたかという事実そのものを知らされていません。

日本がまた侵略戦争への道を歩んでゆく危険があるとき、それを私たちがもし何もしなしで傍観しているとしたら、こんどは私たちに直接責任があることになるでしょう。過去の軍国主義を ”おわび” したところで、何にもなりません。現在の軍国主義への危険を阻止することこそ、真の謝罪になるのです。

今度取材した日本軍のツメあとの報道は、このような意味で現在の軍国主義の進行を阻止するための、ひとつの闘いになるものと信じます。」 ”

朝日文庫 『殺す側の論理』 ”「反省なき民族」のために”より  



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c1

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
151. 中川隆[-12273] koaQ7Jey 2019年2月11日 08:07:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]


松井石根は花山信勝に何を語ったか Jodorowsky 2008-07-26
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/touch/20080726


巣鴨拘置所の教誨師として、処刑直前までA級戦犯らと過ごした花山信勝さん。

そんな花山さんがその体験をまとめ、処刑直後に出版された

『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』。*1
https://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B%E2%80%95%E5%B7%A3%E9%B4%A8%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%A8%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E8%8A%B1%E5%B1%B1-%E4%BF%A1%E5%8B%9D/dp/4894800551

この本は、A級戦犯最後の24時間を再現したというブル聯隊長水島総監督が製作した映画『南京の真実』のほぼ唯一のネタ本です。

その中から松井石根大将に関わる部分を書き出してみました。通読したのはかなり前なので、モレがあるかも知れない点はご容赦を。

映画は1/3くらいは寝ちゃったような気がするんで、正直どの程度(正確に)引用されてるかは覚えてません。因みに厳格に最後の24時間に限定するとP349〜352以降ということになります。

 

因みに映画『南京の真実』は8/1〜8/31の間、遊就館で上映予定です。まだの方はどうぞ♪

http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/news/whatsnew.php

 

参照:映画『南京の真実』が語らせた松井大将の科白

 

当然かなり長いです。

P277〜288


・・・・・・

松井石根


七十一歳。愛知県出身。元陸軍大将。陸士九期(安部信行、真崎甚三郎、荒木貞夫、本庄繁と同期)を主席で卒業、恩賜の銀時計をうけた。陸大卒業の時は二番の軍刀組。参謀本部部員、歩兵第三十九体長、ウラヂオ派遣軍参謀、関東軍司令部附、歩兵三十五旅団長、参謀本部ニ部長、十一師団長、軍事参謀官、台湾軍司令官を歴補し、この間昭和六年ジュネーヴで開かれた軍縮会議には陸軍代表として松平恒雄、永野修身両全権と共に出席、昭和十二年九月日華事変に際し、上海方面派遣軍最高指揮官として、呉淞上陸依頼南京攻略まで半ヵ年出征、同十三年二月帰国後は大日本興亜会総裁、興亜総本部統理、内閣参謀などを歴任した。現在静岡県熱海市伊豆山八ニ九に妻文子(五十六)が住み、実子でないが養女久江がいる。家の上の山の中腹に興亜観音を建てた。これは南京、上海等の土を持って来て焼き、その下に両国戦死者の遺骨を埋めた。高木陸郎氏が世話をしておられる。その観音さんの開眼には、増上寺の大島僧正をたのみ、その後今の増上寺の椎尾弁匡博士がニ、三回来て供養をした。また中山理々氏がいろいろ世話をしている。家は父の時代から神道、明治以前は禅宗である。

 第一回の面会は十一月十七日(水)午前十時から十一時まで。この日は、尾家元大佐の遺言を中心にお話をした。

 第二回は同二十三日、午前九時五十五分から十時三十五分まで。前には眼鏡をしておられなかったが、この日は眼鏡を許されてかけて来られた。

「この前差し入れておいた書物で、どういうものをお読みになっておられますか」

とたずねたところ、金子大栄の『月愛三昧』沼波政憲の『帰依道』の二冊を読んでいる、ということであった。

「あなたのお寺は・・・・・・」と、私の住所と名前をたずねられたので、私の寺は金沢にあること、現在は久留米村で、寺ではないことをいった。また、私は大谷光瑞師から、三年間六甲山の上で特別教育を受けたことなど、をお話した。ところが、松井さんは光瑞師が中央アジア探検旅行の際に北平に滞在しておられたとき、常に一しょであったと、又その後の関係についても申された。そこで、大谷光瑞師の入寂されたことを、お互いに話し合って、ともに感慨にふけった。

「何か、お書きになりましたか」

「今日、手紙を家内あてに、花山先生に連絡をするように、頭髪や爪なども取ってもらうから・・・・・と書いた」

「奥さんの御宗旨は」

「家内の里は浄土宗です。その父などは、増上寺さんのお世話になった。私は、すでに覚悟はしておるが、家内は気の立った女だから、自分の死後に、自決でもしないかと心配をしておる。子供がないから、三十年来使って来た女中を、私がここへ来る時、養女として世話をするようにはして来たけれども」

「そのことは、ぜひ御心配ないよう、微力をいたします。今朝も、実は、奥様の方へハガキを差し上げて、来週の日曜日には在宅しますから、おいで下さいますように、と書きました」

「どうか、お願いいたします。それだけが気にかかる。自分のことはもう何でもないので、あなたからそういうふうにしていただければ、まことに結構です」

といわれた。そして、私の久留米村の家への道のりや行き方などについてたずねられたが、そのことはすでにハガキの中にも帰しておいたことをつげた。後で、夫人にお会いしたとき、松井さんから聞かれた道筋の筆記が、私のいったこととすこしもまちがっていなかったのを見て、その記憶が確かであったことに驚いた。

 二十三日午後だったと思うが、松井文子、松井とり、信雄(甥)、久江(養女)、岡田尚の五人が面会に来られたことを知り、私は終連の事務室で帰りを待った。そこで松井夫人に初めてお会いしたのである。そして二十八日の日曜日に松井夫人は私の家においでになった。すでに午前中から土肥原実、武藤初子、広田正雄さんの三人がみえていたので、みなさん尾家さんの遺書や、土肥原さんとの問答、福原勲(元大尉死刑囚)の父に当てた手紙などを読んだ。

 やがて三人の方は帰られたが、特に松井夫人に残っていただき、大将の御心配になっている点について、念を入れてお話をしたところ、夫人は「決して早まったことはしない」といわれ、歌ニ首を示して帰られた。この時、夫人から依頼を受けたことはこういうことであった。

 一つは、観音さまをお守りして、そして自分が死んだら、今の屋敷を観音さまに寄付をするということ。第二には、現在の生活は少しも心配がない。自給自足の道を講じている。野菜を作ったり、鶏を養ったり、裁縫などをしたりしているから、決して心配をしてくれないように。第三には、主人の亡くなった後で、時を見て、これまで講演されたもの、あるいは東京裁判の記録なりを印刷して知人に分けたいということ。第四には思召に従って神道から仏教に帰るということ。第五には、どうか早くお浄土へ行けるように迎えに来てくれるように。第六には、これまでは神道であったために、十日目十日目のお祭りをして来たのであるが、これからは仏教の方式に従って七日目毎の法会を営みますということ。第七には、皆さんが亡くなられた後では、熱海の無畏庵に御家族の方に集ってもらい、私(花山)から直接いろいろの模様を聞くということ。第八には、現在耕している畑は、取られないで作ることになったから御心配されませんようにということであった。

 第三回の面会、十一月二十九日(月)午後一時から二時まで。

 この日は、松井さんは、広田さんとつれ立って仏間に出られた。

「広田君とは、明治四十年から中国公使館で一しょだったので、それ以来の因縁があるのです」

といわれた。私は夫人から受取った和歌を読んで上げた。

  はりつめし心も今はくづ折れてあやめわからぬ心地こそする

  色あせて梢に残る花よりは散りても香る蘭の花から

 この二首の歌は、夫人が私の家においでになる電車の途中で考えついたといわれたもので、私のところへ来るなりお書きになったものである。

「この蘭の花というのは、あなたのお気持ちを申されたのでしょうな」と私がたずねたところ「ああ、そうでしょう」と松井さんはいわれた。

「何か、後に遺される辞世か遺言のようなものを、どうか今晩までにお願いします」

というと、松井さんも、これが最後と思ってか、仏前でていねいに礼拝をし、あいさつをして出て行かれた。

 第四回、十二月九日(木)午後一時二十分から二時二十分まで。

 松井さんは、この日もいつものように、米兵が着る作業衣の上に、紫のガウンを着て、下駄ばきで飄々と入って来られた。いくらか中風気があると見えて、いつでも、少しふるえていられるようだ。私は礼拝を終って、向き直ってから、ふと気がついたことだったが、松井さんはガウンを脱いで坐っていられた。この寒いのにと、そのお気持ちを尊く感じた。

「御機嫌よろしゅう。新聞はいかがですが、ごらんになっていますか」

「昨日は新聞が入りました。アメリカの大審院でとりあげたというのですね。結局、同じことですよ。いっそ早ければ、よいと思いますがね」

「そうでしょうね」

「折角覚悟をしたところを・・・・・・」

「あなたへのお手紙が一通来ておりますが、長州の善光寺の光永諦雄という方からです。御記憶がおありでしょうか」

「はい、それは、私の方の観音様の分身をまつっておられる人ですが・・・・・・」

「そうです、では読んで差上げましょう」

 その手紙は次のようなものだった。


 別紙松井氏へと認めたる要点を、御本人在命中に御伝言下さるをえば、有難き至極の因縁と存じ上げます。かつて上海方面から帰還された松井氏が、興亜観音を、発願建立し、彼我の英霊を永久に供養せんとする悲願に感激し、その分身を勧請して、拙寺供養塔の本尊といたして居るものでございます。松井氏には、唯一度御面会申上げたのみ、真に一期一会とはこの事でございました。弥陀の誓願に乗托して、私共は此度浄土の彼我にて倶会一処の果報に住せんのみ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

別紙には、親鸞御作の三首の和讃をかかげ、


 松井様、愚僧の生命のある限りあの観音様を礼拝し、あなたの悲願を憶念し、世界の平和を祈ります。観音音即阿弥陀仏、阿弥陀仏即観世音、さらば事実報土にて御再開申上げましょう

「まことに、坊さんのお気持ちの通りでおるから、安心して下さいといってやって下さい」

「承知しました。なお、先日、あなたには特に関係の深い中山理々さんが、三七日間も断食して、斎戒沐浴をして三誓偈を極めて丹念に、大きな唐紙に立派な楷書で書き、それに長い手紙を添えて、七人の方に下さったが、渡されないとのことで、そのまま持ち帰り、御家族の方々へ差上げておきました」

「それはまた・・・・・・。どうぞよろしく」

「全国から、いろいろの方々のお手紙も来ています」

「未知の方の手紙も、三通みました」

「はあ?手紙を入れてくれますか」

「はい。最近は差入れてくれてます。・・・・・・処刑にあうのは、観音さまの御慈悲だと心得てるから。大審院で終身刑にでもなったら、まことに困る」

「そうでしょうね。一度覚悟なさった以上は・・・・・・」

「ここの将校さんも大分同情的で、やさしく感ずるようになりました」

「そうでしょう」

「書いたものを、あなたに差上げることは、できないですかね。部屋の中に置いてあるが・・・・・・」

 オニロ大尉に頼むと、一枚の紙に、歌ニ首と詩を書いたのを持って来てくれた。

 ここで松井さんは、めずらしく長く、中国を中心とするアジア諸国の性格、について論じられた。*2それから、

「日本人の反省はむろんのことだが、こちらが少しやさしくいうと、媚びるというふうにとる向うの国民感情もよくない。お互いに反省しなければならぬ。張群という人は、旧友で、困っている時分ずい分世話をしたことがあり、家内も、向うの夫人をよく知っているので、家内からこの間ぜひ興亜観音に詣ってくれといったが、なかなか明答はしなかった。しまいには行きますといい、私のことについて「御同情にたえない」とも・・・・・・」

などと語られた。

 宗教を通じての精神的つながりによらねば、十年、二十年の間には、ほんとうの親善はむずかしいともいわれた。

 なお、法廷でものべておられたように、「こうなってみると、日本は大きな犠牲を払ったことになる」といい、また「私に生命があれば、仏印の安南へいってみたい」ともいわれた。

 それから、あの南京事件について、師団長級の道徳的堕落を痛烈に指摘して、つぎのような感慨をもらされた。

「南京事件ではお恥ずかしい限りです。南京入場の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当たり前ですよ」とさえいった。従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。」

「まことに、尊いお言葉ですね・・・・・・」

「家内にもこの間、こうして往生できるのは、ほんとに観音さまのお慈悲だ、感謝せねばならんといっときました」

「あなたのお気持は、インド判事の気持と一しょですね」

「ああ、あのインド判事の書いたものを見せてくれたが、大へんよくいっておる。われわれのいわんとするところを、すっかりいっておる。さすがにインド人だけあって、哲学的見地から見ている。あの人たちは多年・・・・・・経験しているので・・・・・・」

「では、また来週・・・・・・。風邪などめさぬようにお気をつけ下さい」

 松井さんは、ガウンを将校から着せてもらい、仏に向って礼をして、下駄をカラカラ曳きずって、いつもの通りそろそろと去られた。戸口に出られる時「ご機嫌よう」と声をかけると、振り向いてあいさつされた。

 

P336*3


・・・・・・

 次に松井さんと武藤さんが出て見えた。松井さんは手紙三通ほどを持って、手には念珠をかけていられた。私は、明日お部屋の方へたずねるから、手紙は部屋に持ち帰られるようにといった。武藤さんは紫と少し赤味がかった例のガウン、それにはU・Sの印が小さく胸についていた。これはいつものように寒い時に着るガウンである。少し風邪を引いているのを用心されたらしい。下駄をはいて、手にはやはり念珠をかけていられた。

・・・・・・

 

P349〜352*4


・・・・・・

 松井石根。午前十一時から十一時五十分まで。

 大審院のことをたずねられ、それを説明すると。

「まあそうだろうと思います。この間の腰折の歌を受取られましたか」

「いただきました。あれは奥様にもお見せしました。写して帰られました」

「あなたも、大勢のお世話で、なかなかたいへんですね」

「いいえ、できるだけのことは・・・・・・」

 それから夫人と久江さんの手紙を読むと、しっかりと落着いて、いちいち聞いておられた。

「私の郷里のもので荒尾精という人がいた。中尉の時に陸軍をやめ貿易のことについたが、それが東亜同文会を興した。川上さんあたりの感化を受け、中国の同士と一苦労したのです。日清戦争の時には通訳として働き、日本人を養成していた。三十二、三歳の時台湾で殺された。この人が私の郷里の先輩である。それで私もその方に志すようになった。陸軍に入ると同時に、中国のことに注意するようになった。大陸問題を研究した川上、福島、青木、宇都宮等の先輩についてやった。軍国主義となった最近の陸軍のように、斬取強盗式のことは先輩にはなかったですよ。さすがに陸軍の先輩は、明治天皇の精神を体してやっておったから。国が変って、若い者が血気にはやって、とうとうこうなったと思うのです。中国では副総統の李宗仁という人が、蒋介石氏がやめたらなってもよいと言ったと新聞で見た。この人を私は知っているが、道徳的の人で衆望も高い。蒋氏が下野するなら、李氏が出て、共産党と一時的に妥協するのではないかと思っておったが、共産党には全く反対の人だ。むしろ日本的の人だ。中国国民の信望はあるし、この際国民党を代表して、共産党と提携するには、一番理想的な人と思う。全く中国のことは困ったことですが、今の中国の共産主義なら、ロシヤのものとはよほど違う。中国の道徳などに加えて、政治形式を整えればやってゆけると思うが、それだけの人がいないですね」

「そうですか。中国の共産党とロシヤの共産主義とは、よほど違いますかね」

「違います。実行したことは、土地を全部取上げて民衆に分配したということですが、やり方はロシヤよりもむしろ穏やかなやり方をしております。中国人の個人的な精神というものは根強いのですが、国民党といっても、共産党といっても、結局は個人のためにやっているから、心配がある。蒋介石氏は、南京を取って最初の一年くらいはよくやったけれども・・・・・・。どうしても思想、精神が指導しなければならん。これと相まって、仏教と提携して宗教家が助けてやらなければやって行けないですね。中国どころでない。日本がいま問題になっているのですからね」

 それから伊豆山の合掌観音の由来について語られ、それが終ってから、ガウンに手を通して出て行かれた。松井さんは、仏間に入るときは必ずガウンのソデを脱いで話をされ、終った時にガウンを着て帰られるのが習慣だった。洒脱だが、謹直な観音信者だった。観音の慈悲を、ひとしくアジヤの民衆に及ぼすことを信念とされていた。

・・・・・・

 

P367〜370*5


・・・・・・

 松井石根。午後七時半から八時まで。

 持って来られた手紙の内容、それも夫人宛のものであるが、それを読まれた。


 「昨二十一日夜、マッカーサー元帥の命令により、明二十三日午前零時当監獄内において絞首刑執行の旨、宣告せらる。かねて期せしところなれば、何ら驚くところなく、謹聴せり。余は武家に生れ、家職をついで陸軍武官となり、累進、大将に進み、正三位に叙せらる。更に勲一等功一級の栄勲を辱うし、一身の光栄にして、切に皇恩の無窮に感激しあり。今南京虐殺事件の犠牲となり、この責任を負つて連合軍の処刑に付せらる。いわんや余は先に上海、南京の戦いに多数の日華両国軍民を失いしものあなれば、その責任上、あま多の英霊のあとを追つて殉ずることは当然なり。

 太平洋戦争は直接余の責任の外にあれども、これまた日華事変の延長と見るべく、余の地位、経歴上責任を免れるべきに非ず。今や敗戦日本の醜態を暴露せることに関し、責任を自覚し、一死、謝することは、又自然なりというべし。顧みて思えば、余はこの度の死に関し、毫も未練あることなく、これ天地神仏に対しても罪を恥じることなし。ただ多年心と身を賭して志したる日華の提携とアジアの復興をとげず、却ってわが国家百年の基を動揺せしめたることは遺憾の極みにして、余の心霊は永く伊豆山の興亜観音山にとどまり、一心観音経に精進し、興亜の大業を奮守すべし。

 文子、久江はじめ、余と志を同じくするものはよくこの意を体し、相共に平等無畏の真理を信じ、安心立命、おもむろに後途をはからむことを希う。余の一家は現在の文子、久江の後断絶せしむべし。よって余及び余の家の後事については、かねて申し聞かせある通り、今において何らいうべきもなし。余の葬祭、遺品の処分、すべて文子の裁量に委ぬ。松井家の祖廟に関しても、既に申述べたるが如く処置すべく、名古屋の墓所は永代供養の方法を講ずることを望む。伊豆山の興亜観音堂は現在の奉讃会の外に、内外有志にはかりて一講社を設立して、永久に供養に弁ぜむことを希望す。なしうれば、一切を熱海市に寄付し、将来の保持を安全ならしむることを望む。但しその名は、あくまでも興亜観音と呼びたく、将来やむなき故障ありて改名することを要する時は、東亜観音と呼称すべし。右観音堂将来の方途については、高木陸郎、岡田尚、花山両師とはかり、何分の善処法を祈念す。

 天地も人もうらみず一すじに無畏を念じて安らけく逝く

 いきにえに尽くる命は惜しかれど国に捧げて残りし身なれば

 世の人に残さばやと思ふ言の葉は自他平等の誠の心

 衆生皆姑息 正気払神州

 無畏観音力 普明照亜洲 

遺品としては、五枚の手紙と入れ歯、眼鏡、爪、判決文、マッカーサー元帥の声明がある。子供もなく、財産もなし、今更ら何も・・・・・・」

といっておられた。

 このあとで、私は、この手紙以外は、全部受取って来たために夫人にお渡しした。

・・・・・・

 

P382〜385


・・・・・・

 三 往相から還相へ

 かくてもう十一時半にもなったので、私は大急ぎで一回にかけ降りて、再び仏間の用意をし、コップにブドー酒をつぎ、水を入れたりして七人の到来を待った。まもなく三回から処刑第一組として土肥原、松井、東条、武藤の四人の順で、列をつくって降りて来られた。それぞれ二人の看視につきそわれていた。両手には手錠がかけられ、さらにその手錠は褌バンドで股に引っかけられていた。極めて不自由な姿である。着物はいつも着ていられた米軍の作業衣であった。しかしシャツは見えた。クツは編み上げの日本クツであた。係官から時間が七分しかないということをいわれたので、取敢えず仏前のローソクの火に線香をつけて、一本ずつ手渡し、私が香炉を下げて手もとに近づけて立てていただき、それから仏前に重ねておいた奉書に署名してもらった。それからコップいっぱいのブドー酒を口につけてあげて飲んでもらう。さらに水のコップを私が少しずつ飲んでは、みなさんに飲んでいただいた。東条さんの「一ぱいやりたい」も、どうやらこれで果され、大変な御機嫌であった。

 その後、まだ二分あるというので、『三誓偈』の初めの三頌と、最後の一頌を声高らかに私は読んだ。四人は頭を下げて、静かに瞑目して聞いておられ、終った時、

「非常に有難うございました」

とお礼をいわれた。それから誰というとなく「万歳」という声が出て、たぶん東条さんと思うが

「松井さんに」

というので、松井さんが音頭をとって「天皇陛下万歳」を三唱、さらに「大日本帝国万歳」三唱を共に叫ばれた。

 ブドー酒のあとで「お菓子はどうですか」といったが、みな入れ歯を取っていられたので、歯がないからと遠慮されたが、松井さんに、やわらかいビスケットを一つ口の中に入れてあげたら、もぐもぐとたべられた。

 以上の行事は、仏間ではせまくて、すべて廊下で立ったまま行われた。この時、東条さんから、約束通り念珠を受取った。松井さんも、手にかけておられたので、

「これを、奥さんに差上げましょうか」

といったら、

「そうして下さい」

といわれ、受取った。他の二人は、部屋(独房)の袋に残して来られたという。やがてチャプレン・ウォルシュ師及びニ、三の将校にあいさつをして、それぞれしっかりと握手を交わされた。私も、いちいちみなの手を握って、最後のあいさつをかわした。いずれの方も非常に喜んで、長い間の労苦を感謝され、また、

「あとの家族のこともよろしく」

と頼まれた。時間は、刻々と迫ってきた。

 出口の鉄の扉が開いた。当番将校先導で、その後にチャプレンと私がつづき、そのうしとに土肥原、松井、東条、武藤の順で並び、両脇には看視、あとに将校がニ、三名つづいて、静かに中庭を歩んでゆく。その間、約二分ぐらいかかったが、念仏の声が絶えなかった。とくに東条さんの声が・・・・・・。

 刑場の入口(コンクリート塀)で、私は隊列を離れ、さらに四人とまた一人一人手を握って最後の「御機嫌よろしゅう」といったところ、

「いろいろ御世話になって、有難う。どうか、また家族によろしく願います」と、みなにこにこ微笑みながら、刑場に消えられた。あとで聞いたところ、台上では四人とも、最後の南無阿弥陀仏を称えていられたということだ。急いで仏間に帰る途中、ガタンという音をうしろに聞いた。時計をみると、午前零時一分だった。

・・・・・・

 

 


*1:本エントリーで使用したのは中央公論社から出された文庫版『巣鴨の生と死―ある教誨師の記録』

*2:参照用

*3:12月21日午後

*4:12月22日午前

*5:12月22日午後
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/touch/20080726
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c151

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
2. 中川隆[-12272] koaQ7Jey 2019年2月11日 08:15:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

松井石根の東京裁判史観・自虐史観(?)は GHQ やマッカーサーとは全く何の関係も無かった


松井石根は花山信勝に何を語ったか Jodorowsky 2008-07-26
http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/touch/20080726

あの南京事件について、師団長級の道徳的堕落を痛烈に指摘して、つぎのような感慨をもらされた。

「南京事件ではお恥ずかしい限りです。

南京入場の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。

私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。

政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。

ところが、このことのあとで、みなが笑った。
甚だしいのは、或る師団長の如きは「当たり前ですよ」とさえいった。

従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。」


陸軍に入ると同時に、中国のことに注意するようになった。大陸問題を研究した川上、福島、青木、宇都宮等の先輩についてやった。

軍国主義となった最近の陸軍のように、斬取強盗式のことは先輩にはなかったですよ。

さすがに陸軍の先輩は、明治天皇の精神を体してやっておったから。国が変って、若い者が血気にはやって、とうとうこうなったと思うのです。

夫人宛の手紙

「昨二十一日夜、マッカーサー元帥の命令により、明二十三日午前零時当監獄内において絞首刑執行の旨、宣告せらる。

かねて期せしところなれば、何ら驚くところなく、謹聴せり。余は武家に生れ、家職をついで陸軍武官となり、累進、大将に進み、正三位に叙せらる。更に勲一等功一級の栄勲を辱うし、一身の光栄にして、切に皇恩の無窮に感激しあり。

今南京虐殺事件の犠牲となり、この責任を負つて連合軍の処刑に付せらる。
いわんや余は先に上海、南京の戦いに多数の日華両国軍民を失いしものあなれば、その責任上、あま多の英霊のあとを追つて殉ずることは当然なり。

 太平洋戦争は直接余の責任の外にあれども、これまた日華事変の延長と見るべく、余の地位、経歴上責任を免れるべきに非ず。今や敗戦日本の醜態を暴露せることに関し、責任を自覚し、一死、謝することは、又自然なりというべし。

顧みて思えば、余はこの度の死に関し、毫も未練あることなく、これ天地神仏に対しても罪を恥じることなし。ただ多年心と身を賭して志したる日華の提携とアジアの復興をとげず、却ってわが国家百年の基を動揺せしめたることは遺憾の極みにして、余の心霊は永く伊豆山の興亜観音山にとどまり、一心観音経に精進し、興亜の大業を奮守すべし。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c2

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
3. 中川隆[-12271] koaQ7Jey 2019年2月11日 08:38:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

陸軍中将 藤田茂の東京裁判史観・自虐史観(?)は GHQ やマッカーサーとは全く何の関係も無かった


もと陸軍中将、第59師団(衣部隊)の師団長だった藤田茂氏は、八路軍と
戦った自分自身の体験から次のように述べています(季刊『中帰連』第16号)

俺は衣部隊の師団長をやっていたが、山東省の解放地区では八路軍にほとほと手を焼いた。当時の判断を言うと、俺はあと一年と山東地区では日本軍はもつまいと思っていた。衣部隊全滅を覚悟していた。

討伐に行くと八路軍は逃げてしまって、こちらの損害ばかり積み童なってゆく、とうとう旅団長一人は狙撃されて戦死だ。

(中略)実際問題として、ソ連相手の北進を命じられた時、私はほっとした。ゲリラ戦で次第に戦力を消耗させられるよりも、満蒙で大いに戦った方がすっきりするという感じだった


藤田氏は、八路軍と日本軍の違いについて、こう述べています:

日本軍に昔から苦しめられてきた住民にとっては八路軍はまるで後光がさしている軍隊に見えるわけだ。

家を出てゆく時には、瓶に水を一杯くんで、全部掃除をし、塵ひとつ残さんようにしてゆく、昨晩の泊まり賃も置いてゆく、食物代もいくらいくらと精算してゆく、子供はいたわる、老人は大切にする。

こんな軍隊を私は見たことがないわけだ。日本軍が行けば、銃剣で脅かして、
米を出せ、麦を出せ、薪を出せ、出さぬと家に火をつける、女は強姦する、
手がつけられない。当然、八路軍さまさまになってしまう。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/nicchuu-hachiro.htm


▲△▽▼


「太原・撫順の奇跡」と呼ばれているものとは? 杉浦公昭
https://dai9jo.ti-da.net/e6710815.html

8/26付け北京日報に掲載された「改造日本战犯纪实:中国人的宽容让世界惊叹」を私の友人・近藤氏が日本語に全訳して下さました。

 「太原・撫順の奇跡」と呼ばれているものの実態を、可なり詳細に知ることが出来ました。

やや長文ですが、日中関係を知る上で大変重要と考えますので、以下に全文を掲載させて頂きます。

 世界情勢の違い、大国となった中国の立場から本来比較は困難と思いますが、当時の中国政府がとった人道的な処遇を、今の習近平政府が取れるかどうか疑問です。

習近平政府が今回「太原・撫順の奇跡」と呼ばれているものを、北京日報に公開したのは、日本だけでなく、中国人民にも学習させることに有ったと考えられます。

うかうかしていると日本人民も真実を学ばない遅れた人々にされてしまうと思います。

  しっかり学んで、立派な民族として近隣諸国とお付き合い出来るようにしたいものです。


日本戦犯改造のドキュメンタリー:世界を驚かせた中国人の寛容さ
(责编:刘戈、陈建军)[編集責任:劉戈・陳建軍]
2014年08月26日08:33 来源:北京日报2014年8月26日原文:北京日報


1956年,日本战犯站上了最高人民法院特别军事法庭被告席。前排右一为铃木启久,右二为藤田茂。

1956年、日本戦犯が最高人民法院特別軍事裁判所の被告席に立つ。前列右端が鈴木啓久、右から2人目が藤田茂。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


@ 撫順戦犯管理所:“再生の地”

国家档案局(資料保管部門)が7月3日から毎日一人ずつ45名の日本戦犯の中国侵略の罪業供述書を公表してきた。一人目の鈴木啓久は、日本軍第117師団中将師団長だった。彼の供述書の一節はショッキングなものだ。“私の記憶では、中国人5470人を殺害し、焼き払い破壊した中国人民の家屋は18229戸、実際はおそらくもっと多い。”

1956年、鈴木等45名の重罪戦犯は中国の裁判所で正義の判決を受けた。この判決では一人も死刑判決を受けなかった。他に1017名は起訴されず、釈放され帰国した。中国人の寛容さは世界を驚かせた。

さらに、戦犯の表現は驚異だった。全ての戦犯は余すところなく犯罪を認め、法に服し、中には主体的に死を以て償うことを望んだ。第2次世界大戦後の日本戦犯を裁いた裁判で、このような全ての罪を認め、罪を悔いた戦犯は他にはいなかった。

1964年3月、全ての日本戦犯は釈放され帰国した。1000余名の新中国による改造を経た戦犯は、“中国帰還者連絡会”をつくり、まれに見る勇気と誠実さで侵略戦争の罪悪を暴露し、“中日永久の不再戦”のために奔走し呼びかけた。
あの時日本戦犯を収容し改造した管理所は“再生の地”と称された。かつて、日本軍国主義によって仕立て上げられた悪魔は、新中国で良心をとりもどし、それぞれ戦争のロボットにされていた精神は人間性を回復した。

A “一人も逃げず、一人も死なず”

1950年7月19日、ソ連から来た有蓋列車が中国辺境の小都市・綏芬河駅に入った。ふつう、国際列車はこの駅でレール変更する。ソ連の鉄道は1529センチ、中国のは1435センチだった。しかし、この列車で交換されたのはレールではなく“乗客”だった。光を遮断した有蓋車の中には969名の日本戦犯が積まれていた。

中国側の収容専用列車が、ホームのもう一方に止まって、これらの戦犯を撫順戦犯管理所に運ぶために待っていたのだ。

1945年8月、ソ連赤軍は中国東北に進軍し日本関東軍を潰滅させ、一挙に60万余りの捕虜を確保した。ソ連の統計によると、あわせて577567人を日本に返し、ほぼ10分の1の捕虜が気候・病気等によりソ連で死んだ。新中国成立後間もなく、毛沢東はモスクワを訪問し中ソは友好同盟相互援助条約を結んだ。同時に協議し、ソ連は日本戦犯と傀儡満州国の戦犯を中国に引き渡し中国の法律に照らして処理し新中国の地位と権威を世界に示すことを取り決めた。

中国に引き渡された969名の日本戦犯はソ連が認定した“中国人民に対する重大罪業を犯した″者だった。

引き渡しの儀式は、綏芬河鎮(現在は市となっている)の役所の広間で行われた。書類上の手続きが終わり、中国側はソ連の責任者を宴席に招待した。中国側代表のひとり、東北公安部政治保衛所執行科科長・董玉峰の記憶では、当時は正に“中ソ友好万歳”の時期で、特に親しく乾杯を重ね、飲まされて酔いつぶされた。同行の幹部は、ソ連拘留管理局のクラトフ中将はほろ酔い機嫌で“こいつら戦犯は皆極度の反動・頑迷な悪者でどうしようもない奴らだ、殺すしかない。”と言ったのを覚えている。

これらの評判は、酒場の話であれ、本当の気持からであれ、中国側の日本戦犯への態度に影響することはなかった。中国側の戦犯受け取りの要請は、“一人も逃げず、一人も死なず”であり、これは、周恩来総理が特に言い渡したものであった。

B ソ連側のデマ:“お前たちはダモイ”

董玉峰は監視・管理の責任を負い、任務を受け取った時この要請を考えた。“一人も逃げず”はやさしい、“一人も死なず”は難しい、今後予想外のことが発生するかも知れない。

ソ連側では、はっきりとこのことを考えていた。あるひとつの嘘で、中国に渡す前に日本戦犯をおとなしくさせていた。一人ならず、日本戦犯は記憶している。ソ連人は彼らを有蓋車に乗せる時、“中国を経て日本に帰る”と通告していた。

ソ連の有蓋車車両が、20日開けられ、日本戦犯をひとりひとり点呼した。中国側は、ホームのもう一方で再度彼らの名前を呼び、日本戦犯はそれに答え、実弾を装填した中ソの兵士が監視する下で、中国の収容専用列車に乗り込んだ。

元撫順戦犯管理所看護士長・趙毓英も中国側の隊列にあって、日本戦犯が恐れてホームで躊躇するのを見ていた。彼女は思い出して話した。戦犯たちはひとりひとりちじこまって頭を下げ、きょろきょろ周りを見て、とても緊張して取り乱していた。それに、あの時は最も暑いときで、ソ連の有蓋車はサウナ状態で、戦犯は服装も乱れ、汗にまみれ、汚れきって、惨めななりだった。幾人かは、乗馬靴を履いた高級幹部がいて、威張った面持ちだったが、軍服は汚れ破れていた。汗が浸み出して正に身なりには合わない惨めな風だった。

C 中国医科大学卒業して、戦犯管理所勤務

趙毓英は、傀儡満州国の瀋陽生まれ、彼女は、自分は“亡国奴の子ども”だったという。中国を侵略した日本の鬼が捕らわれの身となったのを見て、“恨みは解け、貴方がたも今日がある!”

趙毓英は、その時瀋陽の中国医科大学を卒業したばかりで、高級介護専門科を学び、これまで、監獄や囚人との関わりは全くなかった。しかし、卒業の前日、学校の通知は、もう一人の優秀で品性の高い卒業生と一緒に東北戦犯管理所で3ヶ月の秘密の任務に就くことだった。管理所について彼女はこの任務が日本戦犯に対応することだとわかった。当時、彼女は、それから日本戦犯と数十年のつながりがもたれようとは思いもよらなかった。

趙毓英等専門の医療看護チームの随行は、中国が日本戦犯を接収する安全準備のためである。彼らは周到な準備をしていた。

日本戦犯を接収した汽車は東北鉄道局が配備した専用列車だった。ソ連の有蓋車ではなく、客車用車両が選定され、各人に座席があり、とても気持ちのいいものだった。窓は全てしっかりと閉じられ新聞紙が貼られていた。これは、戦犯が跳び出すのを防ぎ、また、彼らが襲われるのを防ぐためでもあった。もし、侵略・迫害を受けた東北の群衆が“乗客”を見つけたら、どんな行動に出るかわからない。

各車両には1名ずつ監視員が配置されたが武器は携帯していない。全ての指揮所には電話が設置され、突発的な事態に備えていた。

D “米飯と東北煮込み料理”

日本戦犯に用意された食物は、ハルビンで購入された数千斤の白パンと数百斤のソーセージ・塩卵だった。ソ連の担当員は、これらの食べ物を見てとても欲しがり、彼らの黒パンよりよっぽどいいとして、すべて交換した後、直接持ちかけ彼らの塩干し魚と交換して数箱のパンをもっていった。

中国の汽車で、戦犯が最初に食べたのは米飯と東北煮込み料理だった。趙毓英は記憶している。戦犯たちは見境なく一挙に食べ尽くした。一人の戦犯は彼女に“もう5年、こんな食事はしていない。”と言った。多くの者は、ソ連で厳しい肉体労働をして毎日、ただ1斤の黒パンと塩スープだけだった。飢えて、山菜・蛇・鼠を食べた。

おいしい食べ物、看守は厳しいが優しい態度であり、日本戦犯は落ち着いてきた。途中で唯一意外にも、一人の戦犯が急性盲腸炎になり、趙毓英等は牡丹江駅で降り、病院に運び応急手当てをした。

丸2日で、専用列車は早朝3時に撫順に着いた。管理所では準備万端、途中の道は短時間の戒厳体制がとられ、将校級戦犯と病人が車に乗る以外は、集団で歩いて管理所に送られた。

暗闇の中、撫順東北戦犯管理所の二階建ての本館は黒々とした輪郭を浮かび上がらせていた。戦犯たちは突然さわぎだし、この建物が、かつて人を震撼させ恐怖に陥れたものであることが分かった。

E そこは“撫順典獄”(てんごく)だった

戦犯たちの前に屹立する管理所は、彼らはもともと“撫順典獄”(撫順てんごくー天国)と呼んで、1936年関東軍が建てたものだ。14年前の建造者は、14年後の囚人となり、歴史の巡り合わせは一つの風刺のようである。なんと、この中には大村忍というかつて10年典獄長を務め、ここの恐怖と血のにおいをよく知っている者がいた。

撫順戦犯管理所は大村忍の供述書を保管し、彼の所業の部分は“私はかつて自ら尋問し拷問を加え、手かせ足かせ・竹刀などを使って・・”“1945年6〜8月、病死56名、死体処理では部下を好く監督せず、埋め方が浅かったので死体は犬に掘り出され・・“などと書かれている。

大村の経験では、ここに留置された者は残酷な扱いをされ最後には多くが死んだ。

F “終わった、一生石炭掘りだ”

ここに来たことのない戦犯にも撫順が重要な石炭産地であることはよく知られていて、ソ連で苦役を受けた者は“終わりだ、ここで一生石炭掘りだ。”と憶測した。

元管理教育担当の劉家常は記者に語った。ずっと後になって、戦犯はここに入った時の激烈な心理動転を吐露した。“彼らはいろいろ考えた。” 劉家常は笑いながら回想し、管理所はもともと撫順典獄として選ばれたのであり、彼らを侮辱する意思はなく、苦役をさせる考えもなく、逆に、彼らにさらに良い留置条件を提供するものだった。

しかし、もし撫順典獄のいわれを考えると、これらの戦犯はさらに泣くに泣けず笑うに笑えないであろう。正に、日本人が管理所をつくったその名目によって,正しく留置したのは違法な日本人だった。

日本は傀儡満州国の成立を図った後、満鉄を伴う行政権を傀儡満州国に渡し、日本の治外法権を撤廃した。これは、傀儡満州国政権成立のためのお芝居にすぎなかったが、日本侵略者はとても周到で、撫順典獄が示すように、日本人が傀儡満州国で法を犯したら、治外法権の庇護は受けられず、監獄に入れられる。そこで、日本は当時の“模範監獄”、建築・牢獄は一般より素晴らしいものを建てた。典獄長・大村忍は、ここに留置された数千人の中で、“日本臣民”は幾人もいなくて、ほとんどは中国抗日の志士だったとはっきり示している。“模範監獄”の外面の下で、掛け値なしの人間地獄であった。

その面積は6600u、そのうち3分の1は刑罰・尋問に充てられ、倉庫は100平方メートル余り、尋問室・絞首刑室・実験室・“鎮静部屋”等次々と。

G 改築された管理所:暖房・医務室・浴室・理髪室・運動場

日本戦犯を受け取る前、東北人民政府司法部は約40万元を投じてこの監獄の改築を行い、暖房設置、窓の拡張、講堂・医務室・浴槽などの新設をし、清掃をして、形状は運動場に改築し抗日軍民を攻めた“鎮静部屋”は理髪室と浴室に変わり・・獄中に図書室と映写室をつくった。

管理所に入った戦犯は、元の職階に基づいて各監房に分けられた。

全部で七棟の官房があり、第5・6棟には将校級以上が6人で1つの部屋。第3・4棟には将校以下が12人で1部屋、第7棟には病人、第1・2棟は同じくソ連から来る傀儡満州国の戦犯のために確保された。1か月後、溥儀と“皇族”・“大臣”たちがそこに入った。

ソ連からの戦犯意外に、地方公安機関からの4人、1956年には太源で判決を受けた9人が加わった。この他、100名あまりの解放戦争と新中国成立直後に逮捕した日本戦犯が太源戦犯管理所に収容された。新中国は、合わせて計1113名の日本戦犯を収容した。

管理所での初めての夜は、長旅の疲れと知らない環境・不確かな前途への恐れが入り混じってはいたが、まずまず静かに過ぎていった。夜が明け壁に貼られた通告を見て、戦犯たちは大騒ぎとなった。

H 戦犯かそれとも捕虜か?

通告の内容は管理条例と活動時間表で、特にどうというものではなかったが、戦犯をあわてさせたのは、公告の名義:戦犯管理所であった。

中国語を全く理解しない者でも“戦犯”の2文字は分かる。1945年に捕虜にされてから戦争捕虜として収容され労役が課された。

ソ連は1949年、ハバロフスク裁判で、12名の細菌戦を実施した日本戦犯に審理判決を下したが、中国に送ったものについては及ばなかった。直接、中国に入った彼らは、依然として自分は捕虜だと認識していた。

捕虜と戦犯、これは同じではない。まったく異なる運命。

捕虜は犯罪ではなく、戦後には釈放・送還されるべきで、ソ連人も承諾した。戦犯は戦争犯罪者で裁判にかけられ断頭台に送られる可能性がある。

一字の違いだが、生死にかかわる。ある者はすぐ引きちぎって“抗議”するとわめいた。あるものは、扇動しそそのかし情緒不安になった。すぐに騒動が起こり、監房内は騒然とし、ハンストさえ始まった。管理所はすぐに対応し、見張り台には機関銃が設置され、警備担当者は銃を携行し、刀も持った。巡視は5分に1回と頻度を高め、軍靴を履き、“カッカ”と音を立て、威嚇の態勢をとった。実際は、日本戦犯に見せるだけで、兵士の銃は脱獄か暴動など極端な時に使われるものだった。実際の懲戒は、自由活動時間の短縮、少数の騒ぎの首謀者が独房に収容されるというものだった。

情況はすぐに落ち着いたが、決して簡単に自分の身分を受け入れたわけではない。戦犯と捕虜は未来を分けるだけでなく過去を決める。彼らは中国侵略時の全ての行為は犯罪ではないとした。

自己の罪業の否定・心理は同じとはいえない。ある者たちは、自己の犯したことをはっきり分かっているが、全てを国家と戦争のせいにし、自己を免れようとした。さらに多くの者は、日本軍国主義がつくり出した悪の花であり、根本的に中国を侵略し中国人を虐殺したのは犯罪であるとは認識しない。彼らはいかなる悔恨もなく、捕虜の身分に対しても不満で不当であり“武士道”にそぐわないと考え、改造を拒み、逆らうことが“武勇”であると勘違いした。

騒ぎはすぐに収まったが、抵抗は続いた。


I “文の武部、武の藤田”、“毛主席に会わせろ。”

ある日、元59師団中将師団長・藤田茂は管理教育幹部・金源のところに来て、所長・孫明齋に会わせろと迫った。金源は流暢な日本語で2人の通訳に当たった。

藤田茂は戦犯の中で階級が最も高い一人であるばかりか、ゴリゴリの軍国主義文死だった。ソ連から撫順に来た時、彼と、長年傀儡満州国“太上皇”にあった武部六臓は一貫して日本戦犯の中心的人物で“文の武部、武の藤田”と言われていた。

金源の回想によると、藤田茂は長い間、軍国主義分子の象徴である仁丹髭を保っていた。孫明齋と会った時、藤田茂の態度は尊大で、“俺は毛主席に会いたい、手配しろ。”と言った。

孫明齋穏やかに笑いながら、気持ちを押さえて“話があるなら私に言いなさい。”と述べた。

藤田が言うには、収容されているのは全て捕虜だ、戦争は終わった、釈放して帰還させるべきだということだった。

孫明齋は彼に告げた。“ここには捕虜はいない、戦犯だ。あなたは罪業が重大な首謀者の一人だ”。藤田は当然不承知で2人はやり合った。孫明齋は、道理と威厳を以てしばらく諭したが藤田は全く聞き入れない。最後に孫明齋は起ちあがって、半ば命令、半ば鄭重に“あなた、《帝国主義論》をよく読めば、帝国主義がどんなものか、自分の思想に照らしてあなたが戦犯かどうかがはっきりわかる。”と言った。

藤田は去った。別の重大人物がやってきた。彼は傀儡満州国高等法務官を担当し、“法律の権威”を自認し、“国際法”・“国際公約”を大いに語り、いろいろ引用、筋道を立て、彼らが捕虜であり戦犯ではないと証明しようとした。

戦犯たちはもう大規模な騒ぎを起こさず、転換して連名で《抗議書》を書き、それを国連に渡そうとして、自分達は“不法な待遇”を受けていると称した。

J 国際法に照らして

劉家常は言う。戦犯が“国際法”の概念を持ち出して来た時、管理所は本当にいささか焦った。誰も“国際法”なるものを知らなかった。そこで、手を尽くして関係資料を取り寄せ、まず、幹部に学習させた。

“国際法を学んで、多くの幹部はとても腹が立った。” 劉家常は言う。

“あの戦争に対する罪・戦犯の定義、一つ一つがこれらの日本戦犯に当てはまるのに、彼らはまだ国際法を敢えて論じるのか?”

日本戦犯が国際法の定義を持ち出すからには、国際法で反撃しよう。

管理所は集団学習を組織し、特に戦後の戦犯を裁いたときに制定・応用された一連の法律条文を学ばせた。

ニュルンベルク裁判より適用された《国際軍事裁判所憲章》は、初めて戦争に対する罪の種類とランクを規定し、A級戦犯とは、平和に対する罪を犯した戦争指導者であり、日本のA級戦犯は既に極東軍事裁判で判決を受けていた。撫順に収容された戦犯はB/C級に当たる。

“戦争罪“この1条についてだけでも、誰も逃れられない。戦争放棄と慣例に違反し、占領した国あるいは占領地の一般民衆の謀殺、虐待、奴隷労働またはその他の目的のための拉致・追放、捕虜や海上にいる人に対する謀殺・虐待、公私財産の略奪、非軍事施設の破壊…。

本当は、あの国際法を持ち出してきた戦犯はしらばっくれているだけだと見られ、これでは彼らの態度を変えられない。しかし、多くの下級の戦犯は、もともと国際法の戦争罪と戦犯の定義を知らない。これらの学習は彼らに自分の行為を反省させた。戦犯は逃れられないもので、その身分を受け入れることが正に罪を認める始まりであった。

K 徳を以て怨みに報いる

日本の戦犯は、戦犯と捕虜の身分で混乱していたが、管理所のスタッフは別の内心葛藤を経験していた。これらの日本人は仇なのかそれとも犯人なのか?

管理所出発時、全部で145名のスタッフがいた、多くは軍人出身、抗日戦争の経験があり、日本軍との生死を分かつ闘いを経験していた。初代所長・孫明齋、副所長・曲初は歴戦の革命家で、孫明齋のおじさんは日本軍のシェパードにかみ殺され、曲初の脚の傷痕は日本軍から賜った、その他の者もそれぞれ日本兵の“血涙の記録”を書ける。最も極端な例は、王興という看守員で10歳の時7人の親族が日本軍に刺し殺されるのを目撃した。

最も若い趙毓英等であっても、日本の侵略をわが身で体験していた。彼らが日本戦犯に対応する眼差しは憎しみを伴った。しかし、スタッフとしては、個人の深い怨みは差し置いて、無条件で命令に服し、戦犯に対し“3つの保障”即ち人格を侮辱しない保証・生活条件の保障・身体の健康保障を実施する。孫明齋所長はみんなに思想教育をしたが、自分に説得するようだった。“私はみんなが納得していないことを知っている、実は私も初めは納得していなかった、

しかし、周総理は言った。゛20年後我々の仕事を振り返った時その意義・価値がわかる゛″。当時のスタッフは皆、孫明齋が言った例えを覚えている。“我々は今抑制し自分の感情を犠牲にしている、これも戦闘だ、あの時は戦場で日本兵と刺しあった。当時は武装し何も怖くなかった、今、彼らを改造するのに何の難しいことなどあるものか?”撫順戦犯管理所は、判決前の戦犯を収容するところで、“監獄”とはいえない監獄だ。監獄というと、暗く、冷たく、残酷で、怖いイメージがある。ここでは、自由がない以外、本当の囚人よりもずいぶん優遇されている。
最初の数日、提供した食事は雑穀を混ぜた高粱飯・饅頭が主だった。当時の中国人の水準から言えば、これはミドルより上のものだった。管理所の職員が食べていたのもこんなものだった。

それでも戦犯には我慢できなくて、まず拒絶し、食事を家畜用の桶に投げ捨て、続いてハンストに進んだ。

幹部は怒って言った。“彼らは食べなくても飢えない。この雑穀を食べなければ、次もこうしてやれ。”

ある者は“桶には餌があり、驢馬は死なない、数日はいいことだ。”と言った。

しかし、数日たっても、頑迷分子はずっと絶食した。どんな原因であれ、管理所で戦犯が餓死したら悪い影響があるので、すぐに状況を上級に報告した。

間もなく東北公安部は周恩来総理の指示を伝えてきた。戦犯を将校・少佐・将官以下の3ランクに分け、小・中・大の3種類の待遇をすること、全て白米と小麦粉を出すこと。

具体的な食事ができると、多くの幹部は理解できなかった。これらの戦犯の食費は最低0・42元、最高1・54元だった。これは何ということか?当時最良の東北米は1斤0・1元、豚肉は1斤0・3元した。最低ランクの戦犯の食事でも、管理所職員のレベルをはるかに上回った。このような“牢飯”(監獄の食事)はおそらく世界のどこにもなかっただろう。

戦犯は、食べ物もよかったが、たばこを吸うものは毎月紙巻きたばこが支給され、毎週風呂に入り、毎月散髪し定期健診を受けた。春と秋には、運動会が開かれ、祝日には会食した。医務室には、中級医院を超す設備があり、後遺症がある者は義肢を作ってもらった。


L “真冬にトマトがあるものか!”

趙毓英は高級介護の専門を学んだ。さらに“栄養看護士”の任務は戦犯にメニューを作り栄養のバランスを保証することだった。

毎日、趙毓英がメニューを作り、裏方で買い出し担当の高震が伝票を見て買ってきた。高震は後に趙毓英の夫になった。(2人は結婚した。)“あの時、2人でよく喧嘩したものよ、彼は私に不満たらたらで、゛あんたのつくるメニューの注文は季節を考えていない゛、真冬なのにどこにトマトがあるんだ?゛鮒がほしいと言った時、漁師は日本人に食べさせると聞いて、俺を裏切り者だとひとしきり罵ったよ。”趙毓英は思い出して笑いながら言った。

怨みを抱けば恨みで返される、高震はやはり手を尽くして買いそろえた。炊事担当者も気持ちは同じで、食材を洗う時わざときれいに洗わないで鍋に入れた。これはすぐに発見され指導部の厳しい批判を受け止まった。

趙毓英は言う。毎回の会議で指導者たちは“3つの保障”、規律厳守を強調した。私達もしだいに理解し、戦犯を優遇した。人道主義の実践だけではなく、彼らを改造するやり方だった。中国人がどのように彼らに対応するかを見せること、反省させどう中国人に接したらいいかをわからせることであった。

中国人の徳を以て怨みに報いるは、日本戦犯がなくしていた良心に問いかけるものだった。

M“母親のように私の面倒を看てくれた。”

“文の武部”と言われたのは、日本戦犯を明示する人物、武部六臓である。彼は1940〜1945、傀儡満州国国務院総務長官を任じ、植民地統治の首謀者で、特に頑迷で一貫してすべて“満州国建設を助けた“と宣言した。

1952年、彼は脳血栓を発生、医療看護チームの昼夜にわたる救急治療で助かったが、寝たきりになった。彼を世話するため、管理所は焦桂珍を派遣し専属看護士とした。

武部六臓の1日3食全て焦桂珍は一掬い一掬い口に運んだ。彼が大小便を失禁すれば、焦桂珍はおむつを替え毎日洗った。1956年になって、仮出所するまで彼は4年間床を離れることができなかったが、床ずれ一つできなかった。

審判を受ける前、武部は六臓は最後には全ての罪業を供述した。60数歳の武部六臓は、30数歳の焦桂珍のことを“母親のように私の面倒を看てくれた。”と形容した。


N 石さえもうなずく

朝鮮戦争の勃発により、安全のために管理所はハルビンに移した。

1952年、撫順に戻った後、中央は新しい指示を出し、戦犯に対し罪を認め批判する教育を始めさせた。

それはこの間ずっと進められてきたもので、例えば、集団的理論学習、帝国主義・軍国主義の本質への理解等。これらの教育の主なやり方は発表・罪の告発であり、各人の具体的な罪に及んだ。

戦犯は必ずしもおとなしく告白したわけではない。ある者は罪を認めることは懲罰を招くと恐れ、ある者は軍国主義の亡霊から脱していなくて、ある者は隠蔽し、ある者は直接抵抗した。

この局面を打開するため、管理所は、“大和魂の手本”と称する鹿毛繁太を突破口とした。

鹿毛繁太は元傀儡満州国錦州市警察局警務長で、在任中、無人区を作り、抗日人士を殺害・・その罪業は山のようだった。管理所に入った後も鹿毛繁太は規律を守らず、管理に服さず、看守に挑戦し、罪を認めた者を脅し、騒ぎを起こした。

看守を公然と侮辱した後、鹿毛繁太は独房に収容された。

劉家常は記者に語った。管理所がもし優遇懐柔政策だけを採ったら、強行分子は更に居丈高になるだろう。我々は肉体的刑罰を採らなかった。しかし懲罰がないというわけではない。独房収容はある種の懲罰である。

鹿毛繁太は独房の常連で、当初は意味をなさず、2・3日で出されるだろうと思われた。しかし、今回の出る前提は、自己点検と罪を認める文書を書くことである。

独房拘禁2日後、鹿毛繁太は10数文の自己批判書を渡し、金源によって書き直しを命じられ、4回書き直してやっと通過した。これだけでは終わらず、管理所は全体の前で自己批判することを要求した。鹿毛繁太はあわてて、“考えさせてくれ”と願い出て、7日後、鹿毛繁太の悔恨の声が拡声器から流れてきた。“私は自分の誤りと罪業を検討し…”

O “大和魂の手本”

このように懲罰を通したものは極めて少なく、多くの者は各種の教育によって、また無言の感化によって、侵略戦争中の自らの行為を注視した。良心はよみがえり、邪悪から脱した。

“直接、間接に手にかけ、殺した中国人は少なくとも6000人、いや、はるかに多い・・”かつて傀儡満州三江省警務総局特務所調査課長を歴任した島村三郎は《中国から帰った戦犯》の中で書いた。管理所の日々、彼はかつて迫害した人の顔をひとつひとつ頭に浮かべ、

“自分が指揮し凍りつく大地で30名の抗日戦死を殺害した、捕虜を生き埋めした、無辜の一般民を切り殺した、生きたまま焼き殺した時の叫ぶ声、トラックに押し込んで731部隊の生体実験に送り込んだ…”

日本軍国主義は彼らを戦争ロボットと血に飢えた鬼に造り替え、鮮血と暴行が彼らの興奮剤だった。戦争が終わり、軍国主義の亡霊は消え、一つ一つこれらの罪業を思い出すのは苦しみではあるが、これは懲罰であろうか。

古海忠之、傀儡満州国総務庁次長、“太上皇2号”と称され、武部六臓が倒れた後、彼は戦犯中の文官職代表となった。“文の武部”は“文の古海に変わった。そして戦犯たちは見た。古海は心から後悔し、“私の過去は完全に人の顔をした獣の鬼だった、私は千万中国人の尊い生命を奪い、億万の財産を略奪した重大責任は逃れようがない″“いくら死してもその罪悪は洗い流せない。”

“武の藤田”の藤田茂も罪を認めた。彼は広島の出身で、原爆が故郷で爆発し広島の惨劇を見た、それは何と管理所で見た日本映画《原子爆弾》だった。この頑迷な戦犯は考え始めた。

“日本の悲惨はどのようにつくりだされたのか?中国の以前の惨状は誰がつくり出したのか?”

彼は自分の戦争中の暴虐を思い出した。゛全体教育で語った。兵を戦場に慣れさせるには、殺人が手っとり早い、肝試しだ、これには捕虜を使うのがいい。刺すのが撃ち殺すより効果的だ。“彼は自分の罪業に量刑を科して、もし私の罪を論じるなら何回死刑にしても万分の1も償えない。”

1950年から1955年まで、撫順と太源の両管理所で1113名の戦犯全てが反省し罪を認めた。それぞれ自ら自分の罪の供述を書き、最後の審判の時を待った。多くの者が自分は“死をまぬかれない”と思った。


P “一人も殺さない”

筆舌に尽くしがたいとの形容は日本が中国に対して犯した罪悪にぴったりだ。

1954年3月、最高人民検察院は拘禁した日本戦犯に対して“犯罪追及処分”の決定を出した。この後2年間の内に、700人で組織された調査尋問団が撫順と太源両管理所にやってきて、全ての日本戦犯の罪業について審査・尋問・事実確認を行った。

この千名以上の戦犯の罪業を報告書にまとめたが、驚くべきことに“彼らが直接殺害した中国民衆と捕虜は857000人に上り、焼き払い・破壊した家屋は78000か所、略奪した食糧3700万トン、石炭2.22億トン・・かつて“武勇”“忠孝”の行為とみなされていた、現在では良心の呵責と反省となった。深く反省した戦犯は自分が“死んで謝罪する”しかないと思い、28名は調査団に処刑願書を渡し、主体的に死刑を申し出た。

藤田茂も死を自認した戦犯のひとりだった。彼は当時の内心を回想録に書いている。“《ポツダム宣言》により、捕虜虐待は重刑。国際法廷の審判ですでに1200名以上の日本軍官が処刑されている。しかるに私は、一戦で86名の捕虜を殺害した。分かっている。これだけでも死刑だ。”

血の債務は血で償う。情も法もこれらの日本戦犯にはその末路は決まっている。しかし、最高人民検察院は彼らの犯罪事実と態度により寛容な処理の原則を採った。最初、中央に報告した公訴方針案では、多くは起訴を免れ、起訴は105名、そのうち70名が極刑だった。

これは既に寛大な処理の公訴方針案であったが中央に否定された。周恩来は報告を訊いて指示を出した。“日本戦犯の処理では一人も死刑にしてはならない、また一人も無期懲役に処してもならない、懲役刑も極力少なくすること。起訴状は基本的罪業をはっきりさせ、罪業確定後起訴し、一般的罪業は不起訴とする。”

“殺さず、判決は少なくする”(死刑はなし、起訴を少なくし、量刑を少なくする)の中央決定の精神に基づいて、最高人民検察院は繰り返し検討縮小し、最後に起訴人数は45名のみとした。

Q 被告は裁判官席と傍聴席に向かって跪いた

1956年6月19日、戦犯を裁く特別軍事裁判所が瀋陽で開廷された。鈴木啓久が最初に被告席に上がった。彼は最も重大なひとりで、かつて6回の虐殺事件に関わり毎回全村壊滅、これらの事件の生存者が証人として出廷し、鈴木は法廷で跪いて罪を認めた。

7月1日、島村三郎が被告席に上がった日。《中国から帰った戦犯》の中で、彼は“罪を悔いてから、長いことこの日を待った。私は死刑の形で自分の人生を終了することを願った。”と書いている。

夏の蒸し暑い法廷では、氷が用意されてはいたが、島村の衣服はぐっしょり、全神経が固まり、汗をふくことさえなかった。

裁判長が公訴書を読み上げ、島村の当該陳述になった時、彼は突然両膝をつき、声を押し殺して泣きながら、“抗日鎮圧の行動中、私は警察に命じて、厳しく拷問させ、極刑に処し・・私はこの絶叫をきいても動かされず、それを楽しみとさえして・・私はその時、鬼であり人間性を失った鬼、私はこんなにも多くの善良な人の子どもを惨殺し一滴の涙も流さなかった・・”

戦争後、世界では戦犯に対して10数か所で国際法廷・軍事法廷が開かれ、審理は延べ数千回に至ったが、新中国最高人民裁判所特別軍事法廷のようなことは見られなかった。45名の戦犯は裁判所が指摘したすべての罪業を認め、弁解はなし、逃れることもなかった。被告席の多くの戦犯は涙を流し激しく泣き、膝を屈し、裁判官席に向かって、また傍聴の中国民衆に向かって跪いた。

傍聴の外国人記者は、“中国の裁判は、検察官と戦犯・被害者と戦犯・証人と法務官と戦犯・裁判官と審判を受ける者それぞれ立場は異なるが、厳粛な法廷で、戦犯と全ての人がそれぞれ日本軍国主義の暴虐を暴露した。これは国際裁判史上例がない。”と論評した。


R 死刑なし、最高でも懲役20年・刑期はソ連抑留から算定

7月20日になって、瀋陽と太源の特別法廷は、4回に分けて判決を行った。起訴された戦犯は死を以て謝罪することを想定したが、中国の裁判官は一人の死刑も出さなかった。鈴木啓久・武部六蔵・藤田茂等罪業の最も重い者でも懲役20年、且つ、刑期はソ連抑留時から計算された。更に意外だったのは、45名以外、その他の戦犯は全て起訴免除、2回に分けて釈放し日本に送還された。

判決後、刑が確定した戦犯は撫順戦犯管理所に集められ、服役改造に臨んだ。ここは以後、撫順戦犯監獄と改められた。武部六蔵は重病のため、判決後間もなく仮釈放され帰国した。もう一人は獄中で病死した。

1964年3月、最後の3名が繰り上げ釈放された。この時、彼らが新中国の拘禁改造された時間は合わせて14年だった。1931年九一八事変から1945年日本の投降まで、日本が中国を侵略したのも14年間だった。


S 帰国の航路で “中帰連”誕生、その遺産

天津塘沽港から船で舞鶴まで4日かかる。これが日本戦犯の帰国の航路だった。
1956年6月21日、1000余名の戦犯は新中国政府の起訴免除を受けて、日本の客船“興安丸”に乗り込んだ。4日の航行中、“中国帰還者連絡会”と名付けられた組織が誕生した。“興安丸”が舞鶴港に到着し、多くの者は撫順管理所が支給した服、それは中山服を着ていた。日本の当地の政府機関が彼らのために“大日本帝国”時代の軍服と軍靴を渡そうとしたが、一人も受け取らなかった。2日目、“中帰連”は《日本国民に告げる書》を発表し“自ら犯した過ちを認識したなら、どうして再び過ちを犯すことがあろうか?我々は絶対に戦争に反対する、戦争に向かう軍国主義に反対すると述べた。


帰国後初めて登場したのは、文芸報告の形式だった。1956年10月14日、千代田区公会堂には《団結こそ力》・《東方紅》など中国革命歌が響き渡った。


○21 “赤色分子”・“過激分子”・“洗脳”

ソ連と中国に10余年拘禁されていたので、奇異な目で見られ、自分の生活を作ろうとすると多くの干渉を受けた。警察が常に思想調査し、ソ連・中国の情報を提供することを迫られた。会社や社会では、“赤色分子”・“過激分子”のレッテルをはられた。

島村三郎は《中国から帰ってきた戦犯》で書いている。“我々が帰ってきたとき、新聞・雑誌には”洗脳“の新語があらわれ、自己改造に対して、風刺・嫌がらせの限りを尽くした。”

実際は、彼らに対して“洗脳”したのは日本軍国主義であり良心を捨て去り邪悪を注いだ。新中国の彼らに対する改造は、それを“洗脳”というなら、邪悪を洗い流し良心を喚起したのである。

戦争の罪悪を暴露し世界平和を守るため、“帰還者”たちは、彼らが中国で拘禁されていた時に書いた《懺悔録》の中から15編を選んで、15枚の写真をつけて《三光》を出版した。これは10日の内に6刷が増刷され、戦後の売上高第2位となった。


○22歴史を忘れない〜“中帰連”から“奇跡を受け継ぐ会”へ〜

1963年、藤田茂は繰り上げ釈放を得た。彼は帰国後“中帰連”の会長となった。このかつては、熱狂的な軍国主義分子、“武士道精神”の忠実な信徒は、60歳にして日本の平和人士の旗印となった。彼は不断に会員を伴って各地を講演して回り、中国政府の戦犯に対する人道主義的な対応を紹介し自分の経歴を使って、民衆に戦争への反省を説いた。

“中帰連”成立後、中国労工の遺骨を探す活動を提起し、日本に連れてこられた中国労工の遺骨を収集し、募金を集め、遺骨を中国に返した。藤田茂は6回中国を訪れ、また管理所のスタッフの来日を招請した。しかし、ついにこの後者(来日)を実現することはできなかった。1984年、元所長・金源、第1代所長・孫明齋等が団体で訪日したが、藤田茂をはじめ“中帰連”の多くの老兵はすでにこの世を去っていて、親族が遺骨を持って出迎え、これら老兵の願いを果たした。藤田茂はこの世を去る時、1972年周恩来総理が彼に贈った中山服を身に着けていた。

1988年、“中帰連”会員は22万元を集め、撫順戦犯管理所内に純白大理石の謝罪の碑を建て、背面には中日両国の文字で次のように刻印されている。:日本軍国主義の中国侵略中、我々は放火・殺人・略奪など人を激怒させる罪業を犯した。収容期間中、中国共産党・政府と人民の革命的人道主義の待遇を受け良心を回復し・・ここに碑を建て、抗日殉難烈士に心からの謝罪を表明し再び侵略戦争を許さないことを誓い、平和と日中友好のために貢献する。

時の流れと共に、ますます多くの“帰還者”が世を去った。2002年、生存者はわずかに100人余りとなり、その多くも風前のともしびとなった。この1年、最後の会長・富永正三も逝去し、“中帰連”は解散の運命に臨まざるを得ない。
実態は消滅させても精神は続く。“中帰連”が解散したその日、“撫順の奇跡を受け継ぐ会”が成立を宣言した。そのメンバーは“中帰連”会員の次世代の子どもたちと中日友好に尽力する青年である。彼らは侵略戦争の証拠を記録し季刊《中帰連》を編集し、反戦老兵の遺志を継承している。

歴史は特別な人たちが消えても忘れ去られるということはない、“撫順の奇跡を受け継ぐ会”は、このことを証明している。

○23《謝罪の碑》とアサガオ

撫順戦犯管理所の謝罪の碑の傍らには、アサガオの花が咲き誇っている。

この花の種は副島進という戦犯によってもたらされた。彼が釈放され帰国する前に、中国のスタッフが彼に一握りのアサガオの種を送り、告げた。“あなたは中国に来た時、武器を持ってきたけれど、日本に帰る時はこの花の種を持って行って。今度中国に来る時は花を持ってきてくださいね。”

帰国後、副島進は自宅の庭にその種を播き、大事に育て、できた種を近所に贈った。2007年、副島は世を去ったが、夫人が新しく育てたアサガオの種を撫順戦犯管理所に贈った。日本戦犯の謝罪の碑の傍らにはこのアサガオが旺盛に生長している。
https://dai9jo.ti-da.net/e6710815.html


▲△▽▼


撫順戦犯管理所


1950(昭和25)年7月、スターリンと毛沢東の間で交わされた取り決めによって、私は中国に対する戦犯として、969名の仲間と共にソ連から中華人民共和国へ身柄を移されました。拘留された撫順監獄の正門には、「日本人戦犯管理所」と大書されていました。それでも未だ自分が「戦犯」であるなどとは思ってもみませんでした。「戦犯とは、戦争を発動した天皇をはじめとする一連の指導者たちだ」とばかり思い込んでいたからでした。

 この監獄は、昔日本人が「反満」「抗日」分子をぶち込み、拷問や虐殺を行っていた所と聞きましたが、今や巨額の資金をつぎ込んで改修された、清潔で、明るく、スチームなどを整えた近代的な監獄でありました。そして不思議にも、ここでは「強制労働」はなかった。

 米の飯をたらふく食わせて、勝手に遊ばせておくのです。日本人戦犯が傲慢な、侮蔑するような言葉を投げかけても、看守たちは軽く受け流す。中国の工作員たちは、彼らにとっては正にその「敵」であるこの我々を罵りもしなければ、殴りもしないぱかりか、食事、運動、入浴、理髪、看護など生活のすみずみまで、皆一様に世話をしてくれるではありませんか。皆、その真意を疑いながらも、頭を下げざるを得ませんでした。


「撫順戦犯管理所」の生活の中で、最初に私の心を強く打ったものは、私たちに接する中国の工作員たちの「人間的な偉さ」だった。彼らは唯の一度も我々を罵ったり、手を振り上げたりなどはしなかった。そして親身になって世話をしてくれた。衣食住は、至れり尽くせりだった。労働はなかった。

 伝え聞くところでは、工作員の殆どが日本軍によって肉親を奪われたり、家を焼かれなどしている被害者だったという。孫所長は叔父を、呉指導員は父と叔父を、また看守の一人は自分以外の家族全員を、日本軍によって殺害されたという。その彼らにとって、我々は当然「憎むべき敵」である筈だ。にもかかわらず、彼らは私たちにこのように献身的な奉仕をしているではありませんか。私は、日本軍が捕虜など人間と思わず、拷問したり、虐殺したりした仕打ちを思い浮かべて、大和民族と自己とを深く恥じ、彼らの偉大さに心から敬服した。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/01/ebato_taiken_hansei.htm


戦犯管理所の思い出


▼資料解説 

座談会が開かれたのは1956年6月22日、戦犯たちに不起訴の決定が通知され、第一次の釈放のあった日の翌日に開かれた座談会ということになる。

日本への引き揚げ船に乗る前、天津市の恵中ホテルで開かれた。

出典は『人民中国』56年8月号である。


編集部 

みなさんは、まもなく中国を離れて日本にかえられます。中国にいられたあいだのいろんな状況やこんどの釈放をめぐる御感想をきかせていただけるなら、『人民中国』の読者の方がたも―もちろん読者のなかにはみなさんの御家族、親類の方やお友だちもいらっしゃると思いますが―ひじょうによろこんで下さると思います。そこで今日はとくにみなさんに集まっていただいて座談会をもよおした次第であります。


大澤剛(司会) 

座談会にはいる前に中国人民に感謝します。きのう私たちは中国人民政府から、自分たちの過去おかした罪からみて、考えもしなかった寛大な処理をうけ、間もなくなつかしい親兄弟のいる日本に帰ろうとしています。中国をはなれるにあたり、六年間のさまざまなことが思い出されます。昨日寛大な処理を聞いたときのことからまず感想をのべあって見たいとおもいます。


中島宗一 

そうですなぁ、わしや偽満州国の警察に長くおったんですが、あの昨日の自分たちに対する処理を宣告された時、検察員先生の方が、ここにいる戦争犯罪者は人道主義に反し、国際法に反した罪行を犯した者と言われました。私もひとつの例をあげてみるならば、日本が東北を侵略した時、これに反抗して立ち上がった抗日軍を指揮した趙尚志将軍を道案内したというたったひとつの理由でオロチョンの方をとらえ、日本刀で首をきり、さらにその上脳味噌を取り黒やきにして薬だといってのんだ、人間では考えられない行爲をした自分が、だんだん人間としての気もちをもつようになり、私のやった事が本当に悪いことであることを知り、当然中国人民に厳重な処罰をうけなくちゃならないというふうに考えていました。それがこのような寛大処理の恩典によくして、あの時の自分は電気にうたれたようになりました(一同同感の声)。あの時の感謝と感激は一生忘れられません。

伊東恒 

私はあの日撫順で釈放を言い渡されたときのあの廣間にはいった時、私が待っていた裁判が始まったと考えていたのです。だが私はあの検察員の方から中国政府の私たちにたいする起訴免除の決定発表をいわれた時自分の事のような感じはしませんでした。何か私にはピンとこなかったのです。そのうちに名前がよばれたんですが、私の名前があった、その時の気持は何と表現してよいか分かりませんでした。私が過去やったことが走馬燈のようにぐるぐると頭をかけめぐり、複雑な感じでいつの間にか涙がぽろぽろ出るのを禁じられませんでした。

過去陸軍士官学校を出て日本軍の指揮官、教育者としての日本の農村漁村の、本当に純朴な年を東洋平和の為だとか聖戦だとかでだまし、中国へ侵略にかりたてて来たのです。皆さんもごぞんじのように杭州湾上陸につづいて侵入し、杭州一帯の地域で砲兵を指揮し、何のつみとがもない住民まで砲弾で射ち殺し、平和な部落や寺院を破壊したり放火したりしました。そのご憲兵に変りましてからも一生懸命あの兇悪な憲兵の下士官兵を3000名近く教育しました。そしてこれらの者は中国全土アジア全地域にわたり世界歴史上例のない、野蛮残酷な罪行を行って来ました。こうした私に対する決定をきいた時、ただ本当に申しわけなさでもう私は何とおわびしてよいか分かりません。あの時の感激は一生を通じて忘れることは出来ません。


久保田源次郎 

わしも年より役として一言いわしていただきます。私は過去25年の長い間日本軍隊の將校として多くの部下を教育し、また部隊長として戦争に出て行きました。こういうことは国家の為だ人民の為だとか日本はますます国力が大きくなるのだとか、あるいは結局のところ自分の名誉であるとさまざまなことを考えてましてあまたのいくさを行いました。その上、東北では十年の間偽満州国、ことに偽蒙古軍官学校に勤めまして、蒙古の純朴な年を日本軍の軍隊の手先として中国人をもって中国人と戦わすというように、皆さまとちがったあくらつな考えのもとに多くのことをやって参りました。また師団司令部管区の参謀長として偽蒙古軍の司令官を傀儡と致しまして、その人たちの名前のよって私が自分勝手な命令を出して多くの部下や部隊に多くの人民を惨殺する行為をおこなわせました。

いま申しましたように自分の罪行のことを考えると、私は当然死刑もしくは重い刑に処せられ、撫順の管理所において死を待ち、日本に帰れないと考えていましたが、撫順であまたの中国人民の方々の傍聴されている前で起訴を免除されて釈放されるということを聞いた時、まったく夢ではないかと考えました。被害者の方々にまことに済まなかったと、胸がいっぱいです。(同感の声)


岡本鉄四郎 

私は過去大隊本部情報係下士官として抗日軍を120名も逮捕し、椅子にしばりつけ竹刀で殴ったり革で殴ったりして取調べたあと、小さい薄暗いしかも最も不衛生な廟の中に押し込んで、たったアンペラ一枚を与えるだけで、布団もなにもやらず、一日1人たった200グラム、高粱の饅頭を支給しただけで虐待して来ました。長い間、こうして虐待したために多くの人が栄養失調になり、本当に骨と皮ばかりになった人が多くありました。

そのうちの2名の人を医療手当もせず、ついに殺してしまいました。しかも捕虜の家族の方が監禁している廟の近くに来られたことがありましたが、そのときの私は自分の部下に命じてその婦人を縛らせ、さんざん罵倒し、ぶんなぐったあげく、差入れをしようと持って来た饅頭と南京豆をかっぱらって追返してしまいました。また捕虜の方々を後手にしばり、早く歩かないといって、けっとばし、軍刀のサヤで殴り、暴虐の限りをつくし、この方々を鄭州の捕虜収容所に送りました。そうした人々は、東北の昔の偽満に送られ、軍事工場の建築に使
われ、次から次へと殺されてゆきました。

 私は捕虜を虐待殺害したこの罪行を見ただけでも、国際法規と人道主義に違反したことがあまりにも明らかです。それなのに、今日このような寛大なお許しを得たのですが、なんとおわびしてよいか分かりません。


司会 同感です。私自身も東北の憲兵として、中国人民の土地の上に陸軍官舎とか軍事基地を設け、演習場を作り、中国の平和な農民が自分の土地を歩いていただけで、とっつかまえて拷問し、そのあげく、私自身二階の窓から突き落とすようなことまでしてきました。これが自分の過去の姿であり、このような自分の罪行をふりかえってみる時に涙なくしてはおられません。

 私たち戦争犯罪者は、誰を問わず皆このように罪深い罪行を犯したものなのです。こんな事を国のお父さんお母さんが聞いたら、どんなに嘆くか知れません。


一同 まったくそうですね。


司会 

供を育てて人殺しに仕立てようとは親逹は考えていなかったのです。戦争を起して儲けた者は、ほんの一部の者で、私達にはなんの利益もありませんでした。中国の人びとは戦争で、どれだけ多くの人びとが、そのお父さんを殺され夫を殺されていったことでしょう。それを思うとこうして、お許ししていただいたことをまことに申し訳なく思います。


久保田 

傍聴席の人のなかには、肉親を殺され、現在この世に居られない方の遺族がおられたことと思います。平頂山事件で三千名の中国人民が殺害されたときたった一人生き残った方素栄さんのような人もいたでしょう。私はそのことを考え、泣かされて来ました。


石田傳朗 

私はあの釈放を言い渡された廣間にはいった時、それとなく二階の傍聴席を見たら政府機関の人、市民の方がおられました。その方々の前であの起訴免除の言渡しを聞いた時、背中にあたたかいものを感じて来ました。現にあの撫順の土地では、日本軍は平頂山事件の大殺戮をやったし、それには私も加わったのであります。その被害者よりあの寛大な処理を受ける時、私はほんとうに中国人民の寛大なあたたかい心を感じました。私は東北でどのような事をやったのか、ただ申し訳ない泣きたい気持でいっぱいでした。


司会 

まったくです。このことは一生涯を通じて忘れることは出来ません。このことは自分達ばかりでなく家族の者も中国人民に感謝していると思います。


白井藤代 

私は過去を考えれば許せない人間なのに寛大な言渡しをうけて心から泣いたのです。そればかりか私は貧しい漁師の息子で、生まれて三十七年間、軍靴以外クツをはいたこともなかったのに、こんど立派な革靴をもらいました。そのとき私は過去の自分を考えざるをえなかったのです。私は中国にお客様として来たのでしょうか、そうではありませんでした。私は中国におしわたり、本当に罪のない平和な労働者や農民の方々を殺害したり拷問したりした許すことのできぬ罪人ですのに、その私を許して下さいまして私は感激せずにはおれませんでした。


岡本 

そうです。自分はあの寛大赦免の言渡しを聞いたのちいよいよ帰国するというので、所長さんはじめ管理所の皆さんから見送りをうけるばかりか、考えてもいなかった送別の宴会までしていただいた時、胸がいっぱいになってどんなに感謝してよいやらわかりませんでした。私は所長さんの手を握りました。そしてこれからあやまった道には進みません、必ず人間としての道を進みますと誓って来ました。


司会 

そうです。私も昨日管理所を出る時、工作員の方々や班長さんや看護婦さんの顔を見ているうちに、まったく家を離れるような気持がしました。


久保田 

わしも別れるとき、ついとりこんで御厄介になった看護婦さんやお医者さんに会ってお別れ出来なかったのが残念でした。一目でも会ってお別れしたかった。病気をしてお薬や注射をうってもらったり、どれだけお世話になったかわかりませんから・・・・(同感の声)


中島 

本当にやさしい人達ばっかりでしたねぇ。わしやみんなが『おじいちゃん』となつこく呼んでいたあの年輩の工作員の方が見当らなかったけど、ぜひ一目会いたかった。何とか一目会ってお礼をいいたかったんだが見つからなかった。いよいよ管理所を出る時は、むしように管理所がなつかしくなって来て・・・・皆もうしろをふりかえりふりかえり名残り惜しそうに見ていたけれど、これは私達の本当の気持でしょうねぇ。(全員同感の声)


石田 

そうです。夜なんか、寝冷えさせないようにフトンかけて下さったり、日本から手紙や写真が来ると、お父さんや兄さんは丈夫かと写真や手紙をいっしょに見て自分のことのように喜んで下さった。その工作員さんにとうとうお礼のことばもいわずに残念でした。私はあたたかい身内と別れるようなつらさでした。


伊東 

そうですねぇ、私もお世話になった李班長さんを血まなこになって捜したのですがどうしても見えなくてお別れ出来なくて残念だったのですが、崔先生や趙先生に元気で発ちましたとくれぐれもよろしく伝えてくださいとおたのみしたら『必ずお伝えします』といわれたので安心しましたが、まったく名残りおしいことでした。


司会 

本当にこの六年の間に肉親のようなつながりが出来ていたのですねぇ。ふりかえってみると六年前に新中国に来たとき、私達の間にはどんな考えがあったのでしょう。思い出してみましょう。


若月金治 

それですがねぇ、管理所に来た当時は殺されるのではないかとオドオドしていました。自分でもおかしいくらいですが、最初散髪にいった時ヒゲをそってもらいながら、もしかしたら首を切られるのじゃないか(笑声)と思いましたが、無事に終ってホッとしましたよ・・・・。またあの大きな煙突ができたとき、私達が過去やったことを思い出して、俺達もあの下でこっそり殺されて、焼かれてしまうのではないかと思いましたが、あの煙突が出来上って見ると、入浴場にはマンマンとお湯を送ってもらうし、冬は暖かいスチームを通してもらうし、みんなわれわれのためにやってもらったのです。


久保田 

そうですよ、入浴場一つ見ても分かりますねぇ、過去われわれは、真冬に中国人民に水浴させたのに・・・・


中島 

わしは昔、中国人民を散々侮辱してきたので、中国に渡されたとき、今度は俺がやられる番だと考えていたが、部屋はキレイで廣いし、ご飯の時などは『たりたか、たりないか』とかならずきいてくれたものです。私はまたこの事から、俺達は日本人だから恐れられているのだ・・・・(笑声)こんなところにおっても日本人は恐れられているのだと思っていましたが、こんな考え方が変ったのは、朝鮮戦争が停戦になった時からです。はじめのうちは、米軍が東北にはいって来て俺達を出してくれると思っていました。


司会 

アメリカ軍が『解放』してくれると考えていたわけですね・・・・(笑声)


中島 

そうですよ。所長さんは最初から、かならず中国と朝鮮の人民が勝つといっておられたが信じられなかったのですよ。それが現実のなかから段々わかって来ました。それからもうひとつ。私は過去中国の人を欺瞞して使用するということをやって来ましたので、管理所で工作員の方々が色々してくれるのを見て、ハハアこの裏には何かあるわい、政策だ、手だと考えて、やってくれることすべてを有難いとは感じられなかったです。

ところが末梢神経炎にかかって動けなくなりましてねぇ、夜も眠れませんでした。そのとき毎晩お医者さんが廻ってきて診て下さったり、また工作員さんがしょっちゅう部屋に来て要求があったら、どんなことでも言ってくれ、すぐ解決するからといわれ、わしらの考えていることをいうと何でもすぐ解決してくれました。注射を四、五十本も打ってくれました。


司会 

このような現実からだんだん中国を信頼するようになったのですね。


白井 

私はですね、一昨年の四月頃でした、歯がいたくて運動室で休んでいた時、管理所のパン工場で働いている人がいつものように室の前までパンを運んで来ました。ところがその人が休んでいた私に『あんたは白井さんではないですか、私を忘れましたか』というんです。私は不思議に思った。私に中国の知人はいないはずだ、それで私もその人の顔をよくみてみたが、どうしてもはっきり思い出せない。しかしふッと思いあたるふしがあって身体中の血がいっぺんに下ったように感じました。きいてみるとやっぱり私が兵隊として駐屯していた山東省のある村の少年でした。

そのころは十四、五歳の少年でした。私は何度もこの少年を丸太やその他でなぐり、また小さい身体にいっぱいまきを背負わせ、歩くのがおそいといっては蹴とばしたもんです。それからまたあの人たちが汗水たらしてつくった穀物を全部取り上げてしまったこともあります。そのごあの人の両親は亡くなり、たった一人生き残ったあの人は東北に来たんです。これはそのとききいてわかったのです。私はそのとき、これはただごとではすむまいと覚悟しました。しかし私の考えとは反対に、その人は私に『早くよくなりなさい』といって出て行きました。その後もずっとパンをもって来てくれる度に私に会うと『元気ですか』とたずねてくれます。私はこれをきくたびに私の過去と、またあの人たちの家族のことを思わずにはいられませんでした。


石田 

中国の人をどう見るかということですが、私もはじめのうちは復讐されるとおもっていました。ある日あたりちらしてやるつもりで工作員の人に面談を求め、づけづけといろんなことを言ったことがあります。私は怒られるにちがいないと考えていたのですが、先方は、『食事はまずくないか。夜はよくねむれるか。まあ身体を大切にして下さい。君の問題は私も考えてみましょう』とやさしくさとしてくれました。このようなことは一度や二度のことではないのです。むちゃくちゃなこともよく聞いてもらえることから、私の考えが間違いだ、どうもおかしいと考えはじめ、度を重ねるうちに罪を考えはじめました。


若月 

私も色々ありますが、私は寝ぞうが悪いんです。(笑声)背中をおっぽり出してうとうとしていると班長さんがはいって来て布団をなおしてくれました。だまっていると、次の人の布団をなおしてそっと出て行かれました。また国慶節の時でした。御馳走を腹いっぱい食って、トランプをやり、大ダブラをやっていると、そこへ皆さんの知っている班長の『おじいちゃん』がはいって来て、にこにこしながら落花生を机の上においてゆくのです。あの人は頭がすこしはげているんですが、思わず私は背中に水をぶっかけられたような気がしました。

それにはわけがあるんです。大体あの人は三東の人なんです。私はその三東にいたとき、ある日行商人をつかまえ後に廻って、側にあった石をその行商人の頭にたたきつけ、頭を割ったことがあります。そしてその人がかついでいた籠のなかから落花生をとったんです。ところがその行商人が頭のはげた班長さんによく似ているんです。そのときはっとして、それから自分のやった事を真剣に考えるようになりました。自分のやった事が人間のやる事じゃなく、戦争とはどんなものかを考えるようになりました。


中島 

あるとき私は飯をたくさん貰って、のこったのを便所へすてたことがあります。叱られると思っていたら、工作員さんは『お百姓さんの苦労を知っているでしょう、このようにめしを捨てることは、人間のやることではない。』といわれ、私もやっぱり百姓の子ですから、悪い事がすこしわかりました。


司会 

いろいろ工作員さんが実際的に示すことのなかから、過去やった事は悪いと自分でさとるようになって来ましたが、これは戦争についての考え方のうえでも同じで、はじめは戦争の悪いことがなかなかわからなかった。それがやはりだんだんわかってきたといったようなことがあると思います。


若月 

戦争の問題が出て来ましたが、中国の各地を参観させてもらい、中国の発展している姿をこの目で見たときは、戦争がなければこんなに発展するものかと、戦争の悪いことをはっきると知ることが出来ました。ハルピンの亜麻工場で工場長さんがいわれたとおり、戦争がなければ、人間の生活は豊かになります。ハルピンに参観に行ったときに、赤いネッカチーフをつけた女の子が小さい弟をつれていて、その弟が『この人たちは誰?』と姉さんにたずねました。私はなんと言われるかと、好奇心を持って聞いておりますと、『この人達は働いている人民を学習に来られているんです』とやさしく弟におしえていました。私は働いている人を殺すなんて、どんなに悪いかがわかりました。私はこの幼い少女におしえられました。


司会 

中国人民の、やさしい態度の中から、人間はどうあらねばならないかが分かって来たのですね。その裏には、いろいろな、6年来の生活全体があった訳ですね。どうですか、生活のことを話しましょう。


中島 

私はいま16貫あまりあります。敗戦時は14貫少々でしたからね、家族が見たら見違えると思いますね。


若月 十年間に二貫目ふえた・・・・


岡本 そのうえ若返って帰るとは変だねぇ。


中島 

家族がいちばん喜ぶのは、私が健康でかえることだと思います。よく薬を飲んだ私が、いまこんなに元気になっているのは管理所の人たちのおかげです。例えていうと、ヘントウ腺がはれて、うがい薬でももらいたいと医務室に行くと、すぐ注射室へつれていってペニシリンをうってくれるんです。病気をさせないように、消毒や身体の検査など、みんな大きな努力を拂って下さいました。だから、私がこんなに元気なのも決して奇蹟ではありません。


司会 白井さん、どうですか療養所は?


白井 

私の療養所行きは、変っているんですよ。まったく自覚症状がなかったのに、ある日工作員さんから療養所に行くようにといわれて、びっくりしたのです。自分で自分の病気に気がつかないうちに管理所では、定期のレントゲン透視でチャンと私の身体が悪いことを知って、療養所にやって下さったのです。療養所は林を背にした小高い山の中腹にあって、ひじょうに見晴らしのよい公園のようなところです。療養所の部屋には真白な敷布をしいたベットがあり、手箱、魔法瓶、看護婦さんを呼び出す呼びリンまでついています。療法には、空気療法、滴入療法、体育療法があり、科学的に検査され、一人一人療法がちがうのです。私は体育療法だったわけです。療養所では付添いの人が一切をわが事のように面倒を見て下さるのです。そのために、私はこんなに元気な身体になったのです。


司会 

そうですね、療養所に行った人もひじょうに元気になってかえって来ましたね。


岡本 

いま医療の話が出ていますが、私なんか六年間これという病気もせず、本当に元気で過して来たんですが、私の隣に寝ていた岡田豊君なんか、三年半近くも胃が悪くて、ハルピン以来入院していたんですが、この人の話を聞くと、入院中婦長さんが岡田君に、これからはなんでも貴方の好きなものを作って上げますからと言われたそうです。すると岡田君は、私はカステラとサツマ薯のキントンが食べたいと言ったそうです(笑声)。ところがカステラはわかるが、サツマ薯のキントンは一体どうして作るのか中国の人にはわからないのです。


司会 そうですね、中国にはないんですから。


岡本 

それでも本人が食べたいというものだから婦長さんは作り方を教えて下さいといわれたそうです。それで岡田君はキントンを作るには、こうやって、ああやってと作り方を書いて、婦長さんに渡すと、婦長さんは夕食の時に『言われた通りには出来なかったけれど、ひとつ食べて下さい』といって持って来られた。そのとき岡田君は夢中で食ってしまったそうです。昔、お母さんが作ってくれたキントンとおなじようにうまいので、ひじょうに喜んでパクパク食ったそうですよ。

婦長さんは、いままで何を食っても嘔吐をもよおしたり、食べなかったのにたくさん食べるのを見てひじょうに喜んで、これからは毎日でも作るから、いちどに沢山食べ過ぎて、体をこわさないようにといわれたそうです。このようにして岡田君の病気は、だんだんよくなってゆき、今ではすっかり元通りに元気になって、われわれと一緒に帰れるようになりました。


司会 

岡田君も日本に帰ってお母さんからキントンを作ってもらう度に思い出すでしょうねぇ。


岡本 

その時に、婦長さんが『私は中国人民にあなた方の病気を治すように依託されているだけでなく、あなた方の家族の方々にも、あなた方の病気を治す責任を負っているのです』とこのように言われたので、岡田君はひじょうに感激し、自分が過去中国人民にたいしておこなった行為を、ふり返らざるを得なかったといっていました。


司会 

そうでうねぇ、いまの岡本さんのような話はどれだけ多くの人々が経験したかわかりませんねぇ。


白井 

本当にお世話になりました。今もうすっかりよくなりましてねぇ。バレーやバスケットのことをいうと、昔はボールなんかいじったことはありませんでした。中国に来てはじめてバスケットやバレーボールが出来るようになりました。そればかりか今ではみんなのなかから選ばれてバレーの選手にもなっています。


中島 

いやぁ、わしもねぇ、あのスケート場が出来た時なんか五十ツラさげていまさらスケートなんか、ころんで腰の骨を折るのが関の山と思っていたところが、多くの、はじめてだという同僚がたった二、三日位ですべれるようになるのを見ると俺もやってみたくなり、やってみると面白くてやめれぬようになり、すべったりころんだりしたけれど、人並に滑れるようになりましたよハハ・・・・。実をいうとねぇ、私は長野県の諏訪湖というスケートの盛んなところに生まれたんですがねぇ・・・・そのわしは中国ではじめてスケートをおぼえるなんて、まったく・・・・


岡本 

僕はねぇ、チョット運動のほうは苦手なんだけどネ、しかしそれでもねぇ、パン食い競争とか魚釣とか、宝捜しとか、クス玉割りとか、玉入れとかあまり走らないのは得意でねぇ・・・・(全員爆笑)。俺はあまり競技に出なかったが、たったひとつ競技に出て賞品をもらったことがあるよ。それはピンポンの試合に出たんだ。マサカここでピンポンなんて出来ると思っていなかったんだが。


久保田 

私もこんな年寄りだけどネ、半日運動をやらせてもらって、けっこう若い者とおなじように丈夫ですよ。


中島 

わしやね、昔、中国の人を捕えて留置場に一年近くもホウリ込んでいたことがあります。その間運動どころか、散歩すらさせず、いれッ切りでした。そのためその人達は青白くやせこけ、外へ出た時なんかちょっと歩くとフラフラしてぶッ倒れるという有様でした。このことと中国政府が自由に運動させてくれたことと思い合わせて、何と感謝してよいかわかりません。


司会 

全く私達は自由な運動が充分出来、飯の腹一杯食わせてもらいました。こんどは自分達の食生活をふり返ってみましょう。


久保田 

まったくわしみたいな年寄りは、腰が曲ったり、あちこち体が惡いもんだから班長さんはひじょうに心配されて『飯が食べられるか』とか『かめないのではないのか』とか『お菜はたべられるか』とか、いろいろ心配されて年寄りには年寄りに似合った食事を作って下さったり、患者食には三品も四品もいろいろ変ったものを手数をいとわず作って下さった。いつも昔のことを引合いに出すようですが、いぜん私が東北にいた当時、中国の人たちに対したのとはまったくちがっています。


司会 それから、私たちは日本人好みのもを沢山たべて来ましたねぇ。


若月 

そうですよ、私も年が若いものですからね、正月や旧正月になると、きっと炊事に餅つきのピンチに行きましたよ。向う鉢巻きで皆が威勢よく気合いをかけて餅をついてね。ほんとうに日本に住んでいると同じように紅白の餅が食べられるとは考えてもみなかったことですよ。そして、工作員の方も汗をかいて餅つきを手伝ってくれましたね。


中島 

日本人好みの食事というと、すしも食べましたね。わしはここで巻ずしが食べれる、ちょっと考えていなかったですよ。


岡本 

そうですよ、わしも、もともとすしが好きだったもんですからね、六本も七本も巻ずしを食べて皆に笑われましたよ(一同笑声)


白井 すしもそうですが、大福餅、おはぎ、ぜんざいなんかもね。


司会 

私らは山の中で育って、まったく味噌と漬物しか食べて来なかったんですがねぇ、それが中国では毎日白米飯に美味しい副食を食べて来ました。その他こうした民族の習慣や好みをよく尊重して配慮してくれましたね。


中島 

真冬にキウリ、ホウレン草、これをみただけでもどんなに私たちのビタミンの吸収、栄養の攝取を考えておられたかよくわかりますよ。


司会 食事の面でもそうでしたが、衣類の面でもやはりそうでしたね。


伊東 

そうですね、衣服など毎年新しい物をもらって、とても着つくせるものではなかったし、すべてこんな調子だからせっかく日本から小包で送ってくれたものに少しも手を通す必要がなく、今度それを背負って歩いているというわけですよ。


中島 イヤー、私もそうですよ。


石田 そうでしたね、破れた物などひとつも着ることがなかったですね。


司会 

私たちは食う物、着る物いずれも恵まれた生活をして来ましたが、もっとまだ樂しいことがありましたね。


若月 

そうそう、踊りとか劇とか、わしはどうも人から手をたたいてもらうのが好きでしてねぇ(笑声)。踊りなど何百とやったですね、日本民謡、朝鮮舞踊、中国のヤンコー、腰鼓、それにあの茶摘の踊りや蓮の花の踊りなどね、それからソ同盟の踊りもね、大がかりな芸能祭は、みんなで三十回以上もやったですよ。


中島 久保田さんも芸能祭に出られたんですね。


久保田 

ハイ、私も過去は号令かけることしか知らなかったのですが、年寄りも若い人に見せてばかりもらっていてはだめだと思って、一度舞台に立ったんですが、とたんに拍手されて、あがってしまってね、観客の誰が誰だか見分けもつかなくなってしまってね、それでも合唱が終ると、またもアンコールでしたよ。この禿頭が舞台に上ったのに同情してくれたせいもありましたでしょうがね、アハハハ・・・・(笑声)


中島 

そうそう、久保田さんはあれからずうっと舞台に立っていましたね。今度はお孫さんと一緒に大いに踊りや歌もやるんですなァ。


久保田 ええ、やりますとも。


司会 踊りの時は『ムスメ』さんもおおぜい出て来ましたね。


若月 

そうそう、あの『ムスメ』さんの衣裳造り、かつら造り、化粧、あれはなかなかたいへんでしたよ。


司会 

いつか日本から来た代表団が私たちの芸能祭を見て、『この管理所には日本人の女もいるんですか』と聞いたことがあったそうですよ。


中島 

劇がちょっとでも遠のくと、もうありそうなものだがなァと、ちょっと淋しくなることもありましたからね。いざ劇だ芸能祭だとなるととたんに張りきり方がちがってね。それに私たちが踊りや劇をやるとなると所長先生から工作員の方、それに家族の方、看護婦さんなどみんな見物に来られたですね。日本人民の状態を描いた劇には涙を流して、もうとても観ていられないと言われ、こんなに真剣に中国の人びとは私達の芸能祭を観てくれたんですよ。 


若月 

管理所の工作員の方々はよく子供を連れて来られるんで、子供の声が聞えるとやっている者はとても張り切ったんですよ。


司会 映画も沢山みましたね。


若月 

私が記憶している範囲でも、三百本以上でしたよ。日本の映画も沢山みましたね。『太陽のない街』『二十四の瞳』など、ああした映画は感銘が深かったですねぇ。それからわれわれの間では、インド映画が好評をよんだですね。


岡本 イタリアの映画『自轉車泥棒』もそうでしたね。


中島 

管理所では、あの楽団も、ずいぶん私達を楽しませてくれましたね。こんど帰るときはその楽器までもらったりして・・・・。


石田 

樂団が最初出来たときは、スカスカラッパであったんですが、とても上達しましたね。最近では、あの『ウィリアム・テル』や『黄河合唱の歌』なども立派にやりこなしていましたからね。私は納涼会で音楽を聞き、踊りを見るのが、なによりの楽しみでした。


白井 

いや、まったくそうでしたね。あの音楽会では『さくら』『越後獅子』、踊りでは『八木節』『安来節』など、ほんとうにこんな美しい文化遺産が私達の祖国にもあったのだと思うと、とても祖国が懐しくなることがありましたよ。


若月 

たしかに、私達の文化活動は、大きな力をもつようになりましたね。そればかりでなく、昔は譜を読むのに大変だった人が、いまでは作曲できるようになったんですからねぇ。


岡本 

作曲ができるようになったばかりでなく、絵を描く人も、六年のうちに沢山出てきましたよ。私自身も昔からぼつぼつ絵を描いていましたが、中国に来たときは、もう自由に絵を描けまいと思い、悲観していました。ところが、絵をかきなさいと油絵具や其他の道具など全部そろえてくれました。この六年間のうちに、大型の油絵など私一人だけで百点も描きました。そのほか水彩画、ポスター、スケッチなど全部合わせれば、私だけで、八百点ぐらい描きましたよ。(ホーと一同びっくり)


若月 岡本さんの『チベットの豊収』、あの絵は大したもんですね。


岡本 

いやー、そのほか全然絵の描けなかった人で、絵が描けるようになった人がたくさんいますよ。さきほど若月さんがいわれたように、作曲のできない者が出来るようになり、絵の描けない者が描けるようになったり、私達は、個人の才能と趣味を生かすことができました。


中島 

本当ですね。岡本さんがいわれたように、趣味を生かすということは、大きな事ですよ。碁も今では誰でもうてるようになっていますよ。


司会 私も管理所に来てから、碁をうちだしましたよ。


岡本 私達はそのようなことを通じて、人間らしくなって来たのですね。


司会 いま人間らしいといわれたが、人格が尊重されておりましたね。


中島 

私は警察にいて、人をたたくなどは何とも思はず、当り前だと考え、街頭でも中国の人をずいぶんなぐり、また警察にひっ張りこんでなぐりました。中国に来てからは、わたしたち一同一度もなぐられたことはないですが・・・・。


伊東・久保田 まったくそうです。


司会 

それでは最後に参観について話しましょう。岡本さんは、中国の11の省を見てまわって、どう考えられましたか。


岡本 

参観のことですが、6400キロの旅行をさしていただき、私はこの中から何処へ行っても感じることは、ひじょうに、まあ中国の景色が美しいということを今度程感じたことはありませんよ。私は昔は戦争の絵などかいていたのです。中国の町や村が爆撃で廃墟になったその景色をかいていました。しかしそのような景色がこんど参観したあの美しい景色とくらべてどんなに醜悪なみにくいものであったか、このようなものを美しいと感じていた自分を反省することが出来ました。

揚子江の両岸の菜種の花の咲いたところ、また漢口から杭州にかけてどこにも咲いているアンズや梨の花など、本当にきれいな景色だと感じました。鉄道沿線の町や村や住宅やまたハゲ山が植林されているのを見て、皆さんも美しいと感じられたと思います。これは誰がつくったのでしょうか。もとから美しくはなかったのです。中国の人が戦争の廃墟の中から建設して出来たものであることを私はしみじみ感じました。この中から私は、平和な環境のなかで美しい心をもった人があってはじめて美しい景色が出来ることを学んだのです。このような美しい町や村をふたたび廃虚にしてはならない、これこそ最大の罪惡であると本当に強く感じました。この村や町に中国の人の尊い血が流され骨がうずめられたことを考えるとき、過去の行為を反省せずにはおられませんでした。


伊東 

杭州は私は前にいたことがあるのでとても印象が深いものがありました。日本兵がバリケードをきずき、銃剣をつきつけて通行人を検査した所も、いまは平和建設の工事がすすんでいました。西湖や霊隠寺などの名勝地もあの頃は日本の軍隊ががんばっているので、中国の人で遊びにゆくものは誰一人いなかったところですが、今では農民らしいおじいさんやおばあさんがお寺まいりしているのを見ました。私はすべてのものが中国人の手にもどったことを強く感じました。そして名所古跡もいまさかんに修築されていました。


司会 

参観といえば瀋陽市郊外の大村に行ってあのおばあさんからあたたかい気持で会ってもらった。しかし実際には、いまさらこちらから顔を出せた義理じゃないんです。こういう中国の人たちの寛大な気持についてどうですか。


若月 

私は養老院で老人の方がきれいな部屋に住み、植木いじりや玉突きを愉快そうにしているのを見て、ふとおふくろはどうしているだろうかということを考えました。老人の方は、日本の人にも自分たちとおなじように老後のたのしい生活をさせたいと言っていました。私は老人の方が、私たちの親のことをも考えて言ってくれたのだと、そんな気持がしました。


司会 

私たちは長い間中国の人びとの配慮をうけて来ました。このなかから、わたしたちは中国の人たちが世界の平和をつよく願っていることを知りました。私たちに対する態度、日本人民への友情もここから出ているとおもいます。私たちは過去の罪悪を知り、ふたたび中国の人に銃をむけることは出来ないと強く感じています。

第二次世界大戦に苦痛がアジアの人びと、世界の人びと、わたしたち日本人自身のなかに強く残っているのです。自分たちの行く道は平和の道だし、この道こそ自分たちのすすむべき道だと思います。今日天津に集まって間もなく日本に帰ろうとしていますが、今後私たちは二度と前のような道は歩まず、平和のために努力しなければならないと思います。(全員同感の声)


 中国の皆様から受けたあたたかい配慮に心から感謝し、中国の皆様への最後の言葉としましょう。それから『人民中国』編集部の方がわざわざこの座談会をひらいて下さったことにも感謝したいと思います。


編集部 

たいへん長いこと、どうも御苦労さまでした。かさねてお礼申し上げます。みなさんは、いよいよ中国をあとにして、みなさんの祖国日本にかえられ、家族の方がたと一家だんらんの楽しい日をお迎えになります。どうか日本にかえられてから、平和で幸福な生活をお送りになりますよう心からお祈りしております。では、みなさん御元気で。どうも有難うございました。 


【出席者】

大澤剛 1922年岐阜県生まれ。公主嶺憲兵分隊特高係憲兵軍曹。故人。
中島宗一 1909年長野県生まれ。竜江省警務庁特務課地下工作班長。故人。
伊藤恒 1911年佐賀県出身。関東軍憲兵司令部教育隊教務課長憲兵少佐。故人。

久保田源次郎 1888年東京生まれ。「満州国」軍第九軍管区副指令少将。故人。
岡本鉄四郎 1915年愛媛県生まれ。117師団389大隊伍長。故人。
石田傳郎 1907年三重県生まれ。間島憲兵分隊長憲兵少尉。故人。

白井藤代 1920年千葉県生まれ。59師団45大隊第2中隊分隊長兵長。故人。
若月金治 1924年山梨県生まれ。59師団41大隊5中隊一等兵。故人。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c3

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
4. 中川隆[-12270] koaQ7Jey 2019年2月11日 08:43:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

元憲兵 大沢雄吉の東京裁判史観・自虐史観(?)は GHQ やマッカーサーとは全く何の関係も無かった


父の遺言 倉橋綾子


 憲兵だった私の父・大沢雄吉(1915年群馬県生まれ)は、1986年に肝硬変を患い、71歳で亡くなりました。その直前に私は父から紙切れを手渡されました。鉛筆書きのふるえる字で、次のように書いてありました。

「旧軍隊勤務十二年八ケ月、其ノ間十年、在中国陸軍下級幹部(元憲兵准尉)トシテ天津、北京、山西省、臨扮、運城、旧満州、東寧等ノ憲兵隊ニ勤務。侵略戦争ニ参加。中国人民ニ対シ為シタル行為ハ申訳ナク、只管オ詫ビ申上ゲマス」

 父はこれを墓標に刻んでくれと言い残しました。しかし様々な事情により、その願いをかなえることができないでいます。(昨年、羽生市の翁抗日反戦美術館に、父の遺言文と写真を置かせていただき、ほっとしました。)

 父は祖父の道楽のため貧しい少年時代を送り、中学校には行けませんでしたが、猛勉強して憲兵試験に合格したとのこと。高い給料が欲しかったのだと思います。敗戦を旧満州で迎え、二度逃亡して帰国できたそうです。ゼロから始めた洋品店を大きくすることに心血を注ぎ、働きづくめでした。従軍看護婦だった母もまたよく働きました。父は枕元にいつも「中央公論」を置き、林芙美子の「放浪記」、深沢七郎の「風流夢タン」などがお気に入りでした。五味川純平の「人間の條件」を読んで泣き、その映画を私たちに見に行かせました。田舎には珍しく進歩的、合理的な人間で、尊敬されたり煙たがられたりしていました。

 私は父に可愛がられ、人生観、世界観にその影響をもろに受けました、やたら正義感がつよくて突っ走ってしまうのは、父そっくりです。私は子供の頃から、父があの戦争に加わったことを悔やんでいたのは知っていました。しかし一度も、父が実際には何をやったのか聞いたことはありませんでした。

 父の死後、謝罪の遺言を残すほど悩み抜いたことを思うにつけ、父があわれでなりません。その苦しみを分かちあってやれなかった自分が情けなくもありました。そこでせめて、父の戦友からどんな事があったのか、話を聞いてみようと思いたちました。

 戦友を探すのには大変苦労をしましたが、最終的には、憲友会の厚い名簿から、最後の任地・東寧で同じだった方をピックアップして電話をかけるやり方で成功しました。

 敗戦直前の東寧のS分遣隊で父の部下だった方は、東北の田舎町に生きていましたが、アルコール依存症で、喋れないとのことでした。その方が分遣隊長の住所を知らせてくれたので、私は東海地方の隊長さんのお宅へうかがいました。御夫婦で涙を流しなつかしがって下さいましたが、父の謝罪文に対しては何も触れず、対ソ諜報活動だけで何もなかったと言い、あとは引揚の苦労話でした。

 不本意な結果となりましたが、今は中帰連の方たちのお話や著書で深く学ばせていただいております。また南京虐殺をめぐる裁判でがんばっておられる、東史郎さんのお姿にも大変励まされています。

 父も皆様方のように勇気を出して叫びたかったのに、それができませんでした。その分を私自身ががんばらねばと、あちこちとかけずりまわっております。戦争二世の私たちの世代はもっと手をつなげばと、心から思います。

 中帰連の皆様どうぞこれからも人間の良心をともし続けて、後の世代を導いで下さいませ。

(くらはし あやこ 50 埼玉県在住・元教員)
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/03/kurahasi_yuigon.htm

▲△▽▼


日本軍憲兵のやっていた仕事


拷問の光景を見てみよう。

  土地の者ではないということが、怪しいとみた理由だが、功名心にはやる土屋にとっては、それで十分だった。抗日分子なら大手柄だ。「オレが張った綱にかかった」のである。名前を張文達といった。三十三歳の近くの農村の農民で、「この街に買い物に来ただけ」と、おびえた目で話した。「いやいや、これは怪しい。この男は抗日軍の物資調達係だろう。貫禄から見て班長級だな」ど、士屋は決め込んだ。「何としても本拠地を吐かせ一網打尽にしたい」「これは大変な功績になるぞ」。思いだけは駆け巡るのだが、土屋は実際の取り調べをしたことがなかった。それて先輩格の伍長に取り調べを頼んだ。・・・
 
 まず、伍長が命じたのは、「こん棒を持ってこい。それも生木の丈夫なのだ」。これで殴りつけろ、という。土屋の頭に浮かんだのは、「何も生木のこん棒でなくても。相手は人間なのだから、せめて竹刀ででもいいではないか」という思いだった。だが、伍長の、それも実務を教えてくれようとする上官の命令だ。士屋ど同僚の上等兵とで、こん棒を振り回した。男は殴りつけるたびに、「ウッ」「ウッ」と声を立てたが、何も言わなかった。着ている綿衣からほこりだけはあがった。

 効果がないのが分かると、伍長は、机を二列にして、積み重ねさせ、上に棒を渡した。いわば器械体操をする鉄棒のような形だ。この棒に、両手足を麻縄で縛った男を後ろ手にしてつるした。体の重みを不自然な形の両腕で支えるのだから、苦しい。それも一時間、二時間の単位だ。はじめ真っ赤になった男の顔は、青ざめていき。脂汗をにじませてきた。だが、何もいわない。「こんちくしょう」と、伍長は十キロもある石を軍馬手に持ってこさせ、浮いていた男の足に縛りつけた。両肩の関節がゴクッとなった。「ウーン」とうなり、男は気絶した。舌打ちをした伍長は「今日はもういい、明日は必ず吐かせてやる」と言い残して自分の部屋に戻ってしまった。・・・

 二日目もひどい拷問が続いた。指南役の伍長は、どこからか焼きゴテを探して持ってきていた。これをストーブで焼け、という。「赤くなるまでだ」と、次の場面を予想して躊躇する土屋に付け加えた。男を留置場から引き出し、上着をはがし、背中をむき出しにした。赤く焼けたコテを男に見せて脅し、自白を強要するのか、と士屋は思った。ところが違った。伍長はいきなり背中に押しつけた。ジューッという音と、煙、それに激痛に思わず口をついた男の叫び声があがった。と同時に、何ともいいようのないにおいが部屋にも充満した。

 「お前の本拠はどこだ。仲間は?言え!言わないか!」。伍長は、怒鳴りながら何回となく男の背中を焼いた。「苦しい」を繰り返し、男はついに、「話す。話すからやめてくれ」といった。伍長は手を休めたが、相手は、肩で大きく息をするだけで、結局、何もいわない。伍長が再び赤く焼かせたコテを使った。部屋には鼻をつく臭気がこもり、断続的な男の低いうめき声が床をはった。・・・

 拷問は、さらに続いた。逮捕して二日間というもの、男に何も食べ物を与えていなかった。水すらも飲ませなかったと思う。それが三日目は水責めだった。弱り果てた男を裸にし、長椅子にあおむけに縛りつけた。そして、水を入れた大きなやかんで口と鼻に水をジャージャーと注ぎ込んだ。絶え間ない水のため、息ができず男は口をパクパクさせて水をどんどん飲み込む。みるみる腹が膨らんでいった。すると、拷問指南役の伍長は、「腹に馬乗りになって水を吐かせろ。そして、また注ぎ込め」という。この繰り返しだった。何回やっても同じだ。相手は気絶している。自白を得るという効果はなかった。・・・

 三日目は水責めで終わり、四日目は、いわゆるソロバン責めだった。「丸太を三本持って来い」と、伍長がいい、軍馬手に三角柱になるように削らせた。三本並ペ、その中でも鋭角の部分を上にし、男を座らせた。足はズボンを脱がせ素肌である。いわゆる弁慶の泣きどころに角が当たり、体重がかかる。男はこれまでの苦痛とは別の痛みで、悲鳴をあげた。その上だ。伍長は、男の上に乗っかれ、という。しかも土屋と同僚二人一緒にだ。そして、体を揺すれ、といった。ゴキッと音がし、男はうなるような声を立てた。もはや、脂汗も出ないほど弱っていた。男のすねの状態を、どう表現したらいいか。「生ぬるい。足に板をはさみ、両端に重石をのせろ」。すでに別の世界にいたのか、伍長は、さらに命令した。・・・

 足を痛めつけた翌日、伍長は、何を思ったか、太い針を買って来いと命じた。通訳が布団針を四、五本求めてきた。この針を男の手の指に刺せという。指といっても爪と肉の間にだ。映画でみたか、話に聞いたか、そんな拷問があるとは知っていたが、自分がやることになるとは思いもしなかった。ためらっていると、ほおのこけた伍長が病的な目でにらんだ。やらなければならない。男はこれから何をされるのかを察し、腕を縮めた。この腕を同僚に押さえつけてもらい、土屋は、右手中指の爪の間に針を刺した。だが、実際はろくに刺さらなかった。相手はあれだけ痛めつけられていたのに満身の力で手を引こうとした。それに、土屋はおっかなびっくりだった。それで、腕を押さえるのに伍長も加わった。だが刺さらない。男も自白らしいことは、むろん何も言わない。そのうち血やら汗やらで針がすべり出した。それでも刺そうとすると、針を持つ土屋の指のほうが痛くなってきた。

 男はすでに死を覚悟していたらしく、悲鳴もあげなくなった。ただ、ものすごい形相で土屋たちをにらんでいた。足がすくむような思いに襲われながらも、伍長の命令で続けた拷問だったが、ついに伍長もあきらめた。「張文達三十三歳、近くの農村から買い物に来ただけ」ということ以外、何の自白も得られなかった。班長格の軍曹は、すでに男を抗日分子としてハルビン憲兵隊に報告していた。だが、拷問の限りを尽くしても、本拠地の所在など肝心なことは何一つ聞き出せなかった。かといって、拷問によって半死半生になっている男を、このまま釈放するわけにはいかなかった。男の処分はどうするのか、土屋にはわからなかった。

 こういう時の処分で悩むのは、土屋のような新米憲兵ぐらいである。土屋が初年兵時に公主嶺で経験したように、仕掛けがあった。針の拷問から二日後だった。平陽鎮にいた満州国軍歩兵十五師団の日系軍官である中尉が訪ねてきて、男を連れて行った。「日本刀の試し斬りに」だった。男が墓地で首を落とされるのを土屋も見た。(p.81-86)
http://www.ne.jp/asahi/kuma/radical/dokusyo/special/kenpei_kiroku.htm


広東州の中央憲兵隊へ補助憲兵として私は派遣された。野戦補助憲兵といって、憲兵と同伴の時だけにかぎって憲兵の資格を有していた。主な任務は、保全地区(駐留日本軍の勢力圏内)での治安維持であった。特に、思想犯に目を光らせた。思想犯を捕え、拘留し、洗脳するのであったが、そのやり方は目を覆うものであった。

 コンクリートの上に、真っ赤に焼けた木炭を敷きつめ、その上に裸にした“囚人”を転がした。喚き、のた打つ“囚人”は隅へ隅へと転がってくるが、周囲には日本兵がいて、それを蹴飛ばして再び中央へ戻した。“囚人”の反応の仕方は、もはや人間のものとは思えなかった。多くの“囚人”は三日目を境に死んでいった。

 女に対してもその残虐度は同様であった。やはり全裸にして、獣のように四つん這いにさせ、丸太で打ちのめした。

私は、そればかりはどうしてもできなかった。すると、

「これしきのこと、できんのかッ」

 一人の憲兵が私を蹴飛ばしてから、丸太で渾身の力を込めて女を打ちすえた。

中国人は人間に非ず、否、生き物にさえ非ずとでも思っているような拷問であった。彼らの抵抗は死以外の何ものでもなかった。
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/www.sokagakkai.or.jp/sokanet/HBK/Heiwa/hansen-7.html


日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口

 1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。

1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、

鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、

あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。

http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html

洗脳して人間性を失わせないと一人前の兵士にはなれない


一般兵士は軍紀などまとまって教えられず、初年兵が軍隊に入って最初に叩き込まれたのは、

「上官の命令は絶対」
「死んでも捕虜になるな」
「天皇陛下からいただいた三八歩兵銃は死んでも離すな」

の三つだったと言われます


水木しげる先生がラバウルに出発するまでがマンガで描かれています。本書の後半では新聞配達員をクビになった水木先生に突然、召集令状がきて鳥取連隊に入隊するわけですが、そこから水木マンガでおなじみの初年兵教育と称する上等兵殿のビンタとの戦いが始まるわけですね。*3

(ミッドウェー海戦)その頃ぼくは毎日なぐられていた、のみこみが悪いというのか、平気というのか、気にしなかったのがいけなかった。毎日ビンタがさくれつした。


軍隊では畳と兵隊は叩けば叩くほどよくなるという信仰があり、ビンタは終わることがなかった。


軍隊で一番軍隊らしいのが分隊です。十人の中に分隊長がおり、その下に古兵(こへい)と称する上等兵がいます。これは普通カミサマといわれ、初年兵をなぐるだけで靴下はもちろんフンドシまで洗濯させる者もいます。

ぼくは分隊に新入りがこなかったため万年初年兵でした。古兵どのの無理難題に日々苦しめられるのです。ぼくは今でも初年兵の頃の夢をみます。これほど情けなく苦しいものは世界にまずないでしょう。(水木二等兵がこぶしを握りしめ歯を食いしばっている描写)


二等兵
初年兵と称され一年中、毎日なぐられる

一等兵
いくらからくになるがウカウカしてられない

上等兵
普通にカミサマといわれもっぱらなぐる係りである

兵長
上等兵の上で早い人は分隊長となる、これもカミサマ


「はァじゃねえよ きさまだよ」

ビビビビビン


「はァとはなんだ!」

ビビビビビ の ビビビビビン


「ばっかやろぅ〜!」

ビビビビビン ビビビビビーーーン☆


ラバウル戦記にはラバウルにいたころ初年兵同士で「敵よりもこの古兵にやられてしまう」と話し合ったことや、「初年兵はすべてノイローゼ気味だった」ことが書かれています。


【追記】

みなんさん「兵隊やくざ」という1965(昭和40)年に制作された映画を知ってました?

舞台は1943(昭和18)年、満州北端の孫呉に駐屯する関東軍部隊にヤクザあがりの初年兵・大宮貴三郎(勝新太郎)が入隊してきて次々にトラブルを起こす、という内容らしいんですが、封建的な軍隊内での私的制裁(ビンタ、鉄拳、足蹴りなど)の様子がけっこうリアルに描かれいるんですよ。これがまた。

http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080527/1211981896


陸軍の内務班生活については下記の本が詳しいです。

兵隊たちの陸軍史 (新潮文庫)
伊藤 桂一 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4101486123/

海軍が兵隊をバッターで殴るのであれば、陸軍は革製のスリッパで殴るというのは概ね事実のようです。
顔にあまり跡が残らないが、非常に苦痛を与えたようです。

また、「精神的な屈辱と肉体的な苦痛を同時に与える私的制裁」として様々なものが考案されていたのも上記の本に書かれています。水が一杯に入ったバケツを両手に持って各内務班を回って班長に「ビンタをして頂き」、少しでも水をこぼすとまた殴られる・・・と言った類のものです。

そして、新兵を私的制裁以上に苦しめたのは、同じ内務班の「古兵」 (新兵より少しでも前に入営した兵隊) に対し、奴隷のように無限の奉仕を強いられたことのようです。新兵は、寝る時間を削って古兵の洗濯物を洗い、靴や銃などの手入れをし、内務班(兵隊が生活をする場所)を磨き上げねばなりませんでした。新兵は3時間寝れれば上等だったと伝えられています。

そのような苦しい生活に耐えかねて自殺する新兵が絶えず、各連隊には必ず「新兵の幽霊が出る場所」が存在したそうです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1129979156


陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書に「俘虜殺害の教育指示」というのがあった。部下全員を集めて次の如く談話し、教育したというものである。

 「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」

 「此には銃殺より刺殺が効果的である」

鬼になる洗礼−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場からさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。

「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。

上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示した。

男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。

内地からきたばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。

 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。

 首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。

そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。
 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。
・・・


・・・
「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもしていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。

 目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手の目も、そうだった。

 恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。・・・
http://hide20.blog.ocn.ne.jp/mokei/2008/03/post_3d8f.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c4

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
5. 中川隆[-12269] koaQ7Jey 2019年2月11日 08:47:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

元日本兵の東京裁判史観・自虐史観(?)は GHQ やマッカーサーとは全く何の関係も無かった


南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて
元兵士102人の証言
松岡 環 編著 社会評論社 p269〜273


男を殺し、女を徴発するのは兵隊の習いや

鬼頭久二
一九一六年八月生まれ
南京戦当時 第十六師団歩兵第三十三聯隊第一大隊
一九九九年十月、二〇〇〇年九月取材


当時、家には両親と兄弟十一人で、私は大阪にいました。私は、下から二番の息子でね、両親は田舎の人なので、父はとても怖かったですよ、本業は農業で、当時私を含め四人の兄弟が現役から軍隊に人り、皆無事に帰ってきました。


●現役の軍隊生活


現役は昭和十二年一月十日に久居の三十三聯隊に入りました。戦争に行く前はずっと軍隊の生活で朝早く起床して、点呼して帰ってきたら、班内の掃除をする。土足で上がる所を雑巾かけをしなあかん。面会に母は巻き寿司を二本持って来ました。一つは同僚に上げ、一つは私に食べさせた。私は母と話している間に全部食べてしまってね。そして床拭きであか切れができ、血が流れている私の手を見て母は泣いていました。当時、軍隊で出てくる食事を全部食べてもお腹がまだすいて、皆と飯カン〔バッカン=飯バケツのこと〕の所に行って、罐に付いた残りのご飯粒を取って食べた。もうその時は、食べ物を見ると目がないほどでね。お腹がすいていました。


当時、いじめられるのは決まっていて、これも仕事だと思うしかなかった。別に悪いことしなくても殴られました。昔の軍隊では殴って殴って一人前になる記憶しかないですよ。具体的に言うと、とにかく点呼がすんで、班長が下士官室に行き部屋にいなくなると二年兵に殴られる。班内には上等兵がいて廊下の両側に部屋があり、その通路を通るたびに殴られる。こんなありさまでした。


一等兵の戦友は、私が夜間演習から帰ってくると酒保〔兵の憩いの場〕でいつもパンとかを買って枕の下に置いてくれましてね。毎日枕の下に手を入れて、食べ物があるかどうか確認するのが楽しみでした。あったら皆が寝てからベッドの中で音を出さないように食べた。それもあまりの疲れで食べながら寝てしまう。朝起きたら残したパンくずがあったり、お饅頭の餡がついたり、今も思い出したら涙が出ますわ。


私は体が大きいので良く目立った。教官が訓練を指導する時も、よく一番前に立っている私を模範として呼びましてね。教官は初めは上等兵を呼んだけど、後からは初年兵だった私ばかり呼んだので、結局教官に目がとまると皆からは憎まれるんやな。


昭和十ニ年八月に戦争が始まり、現役のまま九月に中国に行きました。句容に行って、湯水鎮経由で南京に到着したやけど、南京まで行く道で一番印象に残ったのは友軍にやられたことやったね。これは指揮者の間違いか日本の戦略が間違いか、連絡が不充分であったのか分からんけど、向こうは敵だと思ってボンボンやってきました。


中隊長があまりにもおかしいと思い、砲弾を拾ってこいと命令し、拾ってきて調べてみたら日本の昭和の文字が人っていましたんで、友軍だと判断して連絡をとって攻撃が止んだな。


南京まで行く途中で、家は一軒も残さず朝出発前には火をつけました。火の煙で前の部隊が出発していると分かり、自分たちも準備に入り、また火をつけて次の部隊に知らせた。あまりにも家を焼き尽くしたので、後続部隊が雨の日には泊まる所もなかったそうでな。燃やす理由は、中国の住民と兵隊が戻ってきてまた反抗するかも分からないので焼いたということや。


●生きている者は全部殺せ


無錫は結構大きな町だった。戦争中は言ったら悪いけど、我々、大きな町に入ると、徴発できるから皆楽しみにしていました。砂糖もあり、食料もあり、女もいるから徴発するのが兵隊の楽しみやった。町に入ったら自由で、掃蕩と命令される。中国という国は、親が生きている間に大きな棺おけを買って、家の入り口の角に置いとくのが親孝行だったそうで、掃蕩に入ったらまず入り口に置いてある棺桶の蓋を開き、中の物を持っていくことでした。詳しくは覚えていないけど、中にはよそ行きの着物とか、長く置ける大事な物とか宝石などの宝物もあった。金の器もあった。鍵も閉めてない通気性がいい外に置いてあったんや。


町に入って掃蕩の一番の目的は女の人を探すことで、女を徴発するのが一番楽しかった。例えば、南京でも暇があったら女を捕まえて強姦してたな。落ち着いてくるとな、南京ではお金がいるから、代わりにお米を持って行ってやったの。食料を持って行くのが一番良かったみたいやね。


南京を一番に落としたのは脇坂部隊で、我々中隊は、有名な脇坂の後を引き継いで、ずっと光華門の警備にあたってたんや。詳しい時間は覚えていないけど、脇坂の後なんで十二月末ぐらいだったと思うな。


南京は太平門か下関からか分からないけど、結構大きな門から入った。門に土嚢が積んであった。紫金山に行ったことは覚えているけど記憶はない。当時はまだまだ初年兵で、星一つしかない。南京に入ってから上等兵をもらったのであんまり場所とかは記憶がないな。


揚子江の河の岸まで行ったことがあるけど、具体的には覚えてない。ただ揚子江で逃げている人に向かって撃った記憶はあるな。その時は無我夢中で中隊全員が中国兵を追っ駆けに行ったし、その時また無我夢中でどれくらいの中国人を殺したか詳しい状況の記憶がないんや。私がいた所は確かに南京城内で、光華門の近くにいたと思う。南京戦の時、、時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。


十二月二十八日の上海軍の発表では、八万四千人の中国兵を殺したとのことやけど、当時は突撃なので実際どれぐらい殺したかは分からんな。私らは、とにかく砲弾によって先に大勢の人を殺して、その後、歩兵が入って突撃し、生き残っている人を殺すんでな。


南京の手前で、私は捕虜二人を殺す命令を受けたことがあります。銃剣で胸の所を一人ずつ刺したんや。冬で皆・綿入れの厚い服を着ていたので、剣が入るかどうか迷ってる時、中国人が自分からボタンを外して胸を出した。初めての殺人経験なので、私の方が緊張して心臓が止まりそうで、タバコを吸っても動悸は止まらんかった。もちろんやりたくなかった。顔と目をはっきり見ながらやったので記憶がある。軍人の死者が八万四千人というけど、もっとあると思う。掃蕩する時は、一人ではなく分隊に分かれて、二、三人か五、六人で行動した。中国人を見つけたら殺したからな。


攻撃は五、六の軽機関銃分隊が時によって、機関銃でやる。そして捕虜たちを捕まえて、郊外の田圃みたいな場所に連れて行って、バリバリと機関銃で掃射して殺した。掃射した後は死んだか生きているかひっくり返して確認して、まだ生きている人はまた殺した。日本兵二、三十人ぐらいでやった。


●女を見つけるとその場で強姦


掃蕩する時、家を一軒一軒まわり女の子を見つけるとその場で強姦した。女の子はだいたい床の下かカーテンの後ろとかに隠れていたな。見っかった時、怖いかどうか分からないけど、反抗しなかったな。憲兵から止められたりしなかったので、やり放題やった。女たちは皆顔に墨などを塗っていた。何人ぐらいしたか覚えていないけど、印象に残るのは迷げている母と娘を捕まえた時、母親は我々に娘は小さいから自分をやってと頼んだ事だった。我々は「アホカー」と母をふりはらった。やる時は二、三人で行ってやる。もちろんやる時悪いと思ってたし、逆に日本がやられ自分たちの子ども、あるいは女性がやられたらどうなるかを考えたこともある。それでも、自分もいつ死ぬか分からない状況なので、生きている間に、天皇の命令とかは関係なくて自分がやりたいことをした。そんなことは当たり前になった。

私ももちろん南京で強姦を経験した。場所はどこでもいい、いくらでも空家があり、そんな家の寝台の上とかでやった。平時の時はお米を持って行って、母親に娘をちょうだいと頼んだこともある。また、難民区から女性たちが自ら出てきて、お米と自分の体を交換した人もいる。お米は私たちが食べるお米で、一回に靴下片方満タン〔五合ぐらい〕のお米を上げた。南京城内ではなく郊外では、憲兵に見つかったらうるさいから女の人を殺したりした。自分は掃蕩戦の時だけ城内に入り人を殺したことがある。


こんなことから南京大虐殺はあったと思う。悪いことしたと思っている。
https://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/468.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c5

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
6. 中川隆[-12268] koaQ7Jey 2019年2月11日 08:53:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

元日本兵の東京裁判史観・自虐史観(?)は GHQ やマッカーサーとは全く何の関係も無かった _ 2


松岡 環氏の聞き取り調査 1 最終更新日:2018/10/20 10:10


前項目と同様第16師団ですが、今度は同じの元兵士達からの聞き取り調査を掲載します。

小学校教員の松岡 環さんは仕事のかたわら膨大な証言記録を集めました。

他の証言と重複するところもあるかと思いますが、第16師団を中心に証言をいくつか転載します。

証言内容は3回に分けて書きます。

「福田治夫」 

1915年10月生まれ  第16師団の歩兵第9連隊第2大隊 1997年10月取材  

◎南京近くでは    

1週間ほどして南京からいくらか離れた南西方向の裕渓口に駐屯しました。・・・・

子どもとか年いったお婆さんまで、抗日排日の教育で手榴弾かくして持って、

宿舎に入ってきたのが子どもですやろ、こっちは油断しますわな。

寝ているところに放り込まれるのが再々あってね。

「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」と連隊長の命令が出ました。

ぐるりにいる人間を見れば発砲して殺しました。

2人とか3人とかの百姓を捕まえてきて、

「そこらに兵隊はおるんかおらんのか」などの尋問をして地形を聞いて、後は殺してしまうんです。

クリ-クの縁に連れ出して、そこに座らせてました。

将校は、めったに刀で首切りなんてできへんのやから、軍刀持ってるさかいに試し切りするんです。

私ら兵隊は突き殺しました。

鉄砲の弾できるだけ使うなといわれてました。・・・・・

そのときは気がたってますわな。ということは気が狂ってるということですな。

戦争は誰もかなわんけど、行け言われたら行かなしゃあないことですわな。

侵略戦争で何もかも侵略したんですわ。

私も戦闘の直後は何くそっと突いたりできますけど。

1日か2日たつと、後で普通になってああいうことは絶対できへんのですわ。

そやから人を突いたことはなるべく思い出さんようにしていました。・・・・

でも、今でもちょっとした機会に殺した場面が思い出されます。 

                    

「町田義成」

1913年生 第16師団歩兵第33連隊第3大隊  1997年8月、99年4〜5月取材

◎敵襲の報復に近くの部落の母子を射殺

・・・・韓家頭ではやられたので、部隊本部から「韓家頭の部落を攻撃する。部落に入ったら、

猫の子でもいいから生きとる者は、男でも女でも全部殺せ」と命令が出ました。・・・・

粗末な一軒の農家の中のアンペラがコソコソ動くのでめくり上げると、

40歳位の妊婦が2人の幼児を両脇にだきしめて隠れていました。

コノ−と引きずり出すと、子どもは泣き叫び母親の後ろにしがみついている。

母親はもう一人の子をクリ−クの中につっこんだ。

××伍長がこれこそ戦友の仇と、即座に銃で3人を撃ち殺してしまった。

そのときは気が立っていたというか、女子どもなのにひどいことをしました。・・・・

◎揚子江に逃げる無数の中国人を殺す

・・・・もう抗戦する力もなく銃も持たず、小さな木っ舟や筏や材木を拾って、

それに掴まって揚子江を下っていく。

5〜8人乗っている小さい舟も、30人くらいの船もあってね。

船には女や子どもの姿も見られ、こちらに向かって抵抗することはありませんでしたな。

すぐ目の前の2〜30メ-トル先に逃げる敗残兵を、

こちらにいる日本兵は、みんな機関銃や小銃でバリバリと一方的に撃つんや。

舟や筏には、普通の服を着た中国人が、小さくじいっとして乗れるだけ乗ってどんどん河を流れていく。

命中すると舟はひっくり返って、そこらの水は血で赤く染まっていました。

舟の上の人間は撃たれて河に飛び込み落ちるのもありますわな。

銃声に混じってすさまじいヒャ-ヒャ-という断末魔の叫び声が聞こえてな。

水の中でもがき浮き沈みする人が流れていきます。

自分の機関銃分隊は、他の中隊と共に撃ちまくった。・・・・

◎当時町田氏が故郷の婦人会に送った手紙

・・・特に12月13日午後、敗残兵が逃げる途なく、小舟に乗って揚子江を流れのままに降りる事 

その数実に5万 我が軍、機を逸せずこれを全滅 

思はず万歳を高唱致し候   

◎難民収容所から屈強な男を引出し殺す

・・・・部隊からの命令では「敵兵とわかったら容赦なく突き殺せ」と命令が出ていた。・・・

目つきの悪い奴とかちょっと足の裏を見て丈夫やったら兵隊で。

そういう不確かなことをしてひっぱりましたんでな、それにひっかかった者は運が悪いわな。・・・・

いい加減な方法でした。

オイッオイッと指で指し示し瞬時のうちに怪しそうな者を選び出してね。・・・・

それぞれの分隊は、男たちを収容所から外へ引き出してみんな突き殺しました。

殺されるかどうかは運ですな。   

◎城内で死体の片づけ 

15〜6日ごろ、挹江門を入った所の大きな道路、中山北路付近の死体の片づけをしました。

先に他の部隊が沢山作業をしていてすでにほとんど片付けがすんでいました・・・・

死体を持ち上げトラックに積み込むと、他の部隊がどこかへ運びまた戻ってきました。

多分死体を河に流したんでしょうな・・・・

南京城内でも城外でも、徴発はよくやりました。

食べ物を盗りに行くんですわ。

分隊で2〜3人で固まって行きました。

ついでに女の子を捕まえるんです。女の子の徴発ですな・・・・

「平山仁三郎」

1914年10月生 第16師団歩兵第33連隊第3大隊 1998年取材

・・・・南京の下関では、日本兵がいっぱいいて、2大隊も3大隊もいたわ。

揚子江を河一杯に中国人が筏や戸板につかまって流れていく。

大きいのには60人位かな、数人のもあったな。

目の前を通る度に、バリバリ撃つんや。

筏に乗っている人には黒い服を着ているのもいたから、城内から逃げていった支那兵やろ。

揚子江には日本の軍艦もいて撃っていたな。

我々が陸上からバリバリ撃つし、軍艦からは砲撃するし、2〜3時間は撃ってたかな、

流れる血で揚子江は血の色やった。

南京が陥落して、すぐに掃討に入った。

13日14日と城内掃討をやった。

挹江門から入った時、死体をようけ見た。

死体が5〜6尺に重なっていて、。・・・・

私らの一個分隊だけで、一日目の掃討戦で・・・・700人捕まえたな。・・・・

重砲を積んだ馬車がその上を通る。

わしら兵隊も死体をグシャっと踏んで城内へはいった、ぎょうさんやで。

すごい数や。・・・・

「古川康三」

1912年12月生まれ 第16師団歩兵第33連隊第2機関銃中隊 1998年11月取材

◎下関で捕虜を集団虐殺した    

紫金山から下りてきた中隊は南京へ集結して一応落着いて、2〜3日してから、

「使役」と言う敗残兵の整理の任務を命じられました。

重機関銃を担いで行ったんです。    

下関の揚子江の端の貨物駅でね、

ずらっと並んでいた貨車の中へ中国の兵隊を貨車に詰め込んでいましたんや。

貨車の扉を開けるとあまりに人を詰め込みすぎたんですやろな、

冬の極寒の時なのに、皆暑くて息苦しくて自分の衣服を脱ぎ捨てて素っ裸になっていました。

それが記憶にありますな。

フラフラに弱った裸の兵たちを下ろして揚子江に流れていく筏に載せ、

それを重機関銃で射撃したんですわ。・・・・

至近距離で機関銃撃つんだから必ず当ります。

それで、撃った時に苦しみで河に落ちると思いますわ。

筏は誰が作ったものかわからんが、

大隊本部から私らの第2機関銃中隊に命令が来て、中隊長の命で使役に出たまででした。・・・・

使役は2〜3回ありましたが、どれも貨物車から引き出した敗残兵を筏に載せ、

河に流してから自分が小隊を命令して重機関銃で撃ち殺しました。・・・・

機関銃で撃ち殺した敗残兵は、兵隊であるか民間人であるか区別はつかなかったです。

裸になっておるし、・・・・敗残兵であるか農民であるかはっきり分からなかったですな。

けど、一応はもう敗残兵という格好で処分したんでしょうな。

「吉川定国」

1915年9月生 第16師団歩兵第33連隊第1機関銃中隊 1998年4月取材

・・・・上陸のとき命令受領に行ったら「普通の男も殺せ、皆敵や」と言われていたで、

家を焼けとの命もあって、うちの中隊でも放火班があったで・・・・。

「佐藤睦郎」

1914年12月生 第16師団歩兵第33連隊第1機関銃中隊 1999年1月取材

・・・・下関の手前まで来た時は、もう鎮江やら紫金山やらから逃げてきた中国兵が右往左往していました。

中隊長の「掃蕩にかかれ!」で数人で組になってな、

歩兵も機関銃も砲兵も小銃やごんぼ剣持って大きな道を通って下関に向うんですわ。

攻め込んでいくと、大きな道路に飛び出してきた中国兵が群れになってまた逃げて行くんです。

わしら、日本兵は撃たなしゃあない。逃げるのは兵隊だけやない。

男の子もおれば女の人もおる。若い衆もおる。

そんなものお構いなしにめくらめっぽうに連続発射で流すんやから、

角度を決めて左右にス-を流すんやから。

もう前方で人間を見たら、重機をパッと組み立てて全部殺すんや。・・・・

エンジンのないような櫓でこぐような舟が揚子江をドンドン流れていくんや。

いっぱい人が乗っててね、それを撃つんですわ。中には普通の服着てる良民もいる。

それを全部ダダ-と撃った。・・・・

向う岸へ逃げ切れなくて人間の固まりとなって岸壁に集まってきていますんや。

もう何千という人の数や、そこに向けて今度は、誰彼なしに92式機関銃を撃ちこんだんです。

押しまくりました(注:押すと発射する)。

港にぎっしりと集まった大勢の人は、女も子どもも年寄りもいましたわ。

400〜500メ-トル向うにいる中国人たちに射撃の角度を考えて、範囲を決めて撃ちました。

人の固まりが崩れていくんですわ。・・・・

我々はただちに小隊長から「撃て」との命令を受けたけど、

(中国人なら誰でも殺すという)命令は、師団長が出したですやろな。・・・・

その次の日、松井司令官が来るというので、こんなに殺したらあかんという規則があるのか、

たくさんの死体を今度は隠さないとあかんというようになりましたんや。

死体を埋めることになりました。

焼くということもありました。・・・・

南京陥落の次の日でしたけど、南京城内の倉庫がいっぱいある所でした。

兵隊が中国兵をいっぱい連れてきてね、倉庫に詰め込んでるんです。

中国人を殺すのに「もう弾が足りない」言うてね、

ぐるりに燃える物持ってきて積み上げて火をつけたんです。

煙が充満してきてね。中国兵が屋根を突き破って必死になってる。

それをまた、日本兵が撃ち殺すんですわ。そんなのを見ました。・・・・

「田中次郎」

1908年2月生 第16師団歩兵第33連隊第1大隊 1998年3月取材

◎田中日記より    

12月14日     

・・・・一小隊が200名位の敗残兵を捕虜にした。

彼らは南京陥落を知らずに逃げてきたものであろう。

之をいかに処置するか大島副官に聞きに行った。

「200あろうと、500あろうと適当なところへ連れて行って殺してしまえ」と言われて

駅の空貨車に詰め込んでしまった。

小隊は重機と協力して捕虜の処分を揚子江岸でやることになった。・・・・

貨車倉庫から皆引き出してしまった。

膝を没する泥土の中に河に向かって座らせた1200人、

命令一下、後ろの壕に秘んでいた重機で、一斉に掃射を浴びせた。

将棋倒し、血煙肉片、綿片、飛び上がる。

河に飛び込んだ数十名は桟橋に待っていた軽機の側射によって全滅し濁水を紅に染めて斃れてしまった。

ああ、何たる惨憺たる光景ぞ。

かかる光景が人間世界に又と見られるであろうか・・・・   

◎南京城内での掃蕩    

12月14日、揚子江岸で捕虜を1200人いっぺんに処分しました。

日記に書いているように惨い事ことでした。・・・・

遺棄された手榴弾も武器もざらに落ちていて、拾っていたんですわ。

手榴弾は信管を引き抜き、掃討する家の中に次々と手当たり次第投げ込みました。・・・・

捕虜狩りの時は人数を数える暇もなく、どんどん捕まえました。

捕虜と言っても中国服着た男ばっかりでしたよ。

掃蕩をやる時は中隊長の指揮によってです。

注意事項と言うものはなく「戦争に耐えると思えるような者は全部殺してしまえ」と

上部の命令として言われていました。・・・・

実際、男を敵兵として捕らえ、一人一人を調べることなどしませんでした。

おとなしく投降しても、中国人は全部殺してしまう。

手榴弾は家の中に放り込むだけでなく、捕虜の処分にも使っていました。

城内あちらこちらで手榴弾の爆発音がしていました。・・・・

たくさん倉庫に詰め込まれた捕虜はどうなったのかわかりませんが、

最初自分たちがあんなたくさんの捕虜を全員撃ち殺したことから考えたら、捕虜は処分されたのだと思います。
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_%ef%bd%8a/13573/


松岡 環氏の聞き取り調査 2 最終更新日:2018/10/27 10:40


「林豊」 

1915年3月生まれ  第16師団歩兵第36連隊第1大隊  1999年10月取材

捕虜をつかまえたらまず、武器を鹵獲しました。

記憶にあるのは鹵獲した武器には小銃や機関銃、擲弾筒などがあった。

鹵獲活動は中隊単位でやりました。

数は小銃が300丁ぐらいで、機関銃が小銃の3分の1位だったね。

捕まえた捕虜は百人ぐらいでした。

皆男でした。兵隊もいたし、兵隊らしくない者もいたな。

捕まえた捕虜は1ケ所に集めて兵隊が何人か見張りに立っていました。

南京場内は昼過ぎに入りましたな。

すぐ掃蕩です。次から次へと支那兵がいたね。

他の中隊もいて捕まえたり殺したりしていました。

わしらの中隊はただ集めるだけで、武器を取り上げて武装解除をしたんです。

次の日も掃蕩したと思う。

武装解除して、それから支那兵をどうしたかは分かりませんな。

わしらはしてませんのでな・・・・

「岡崎茂」  

1915年5月生まれ 第16師団歩兵第38連隊第1大隊 2001年4月取材

・・・・南京では一番先に堕ちたのが和平門ですよ。

その和平門から最初に入城したのは私らですよ!

日の丸の旗を振って入りましたんや。

それを知らずに門の外から千人位の支那兵が軍旗を持って四列で入城してきました。

この支那兵を捕まえましたんや。

それで捕虜にしトラックに積んで下関まで連れて行って四列に並べて発砲し殺しましたんや。・・・・

南京で5人の首を切りました。

ハエを殺すのと同じ感覚ですよ。

首の前の皮を残して切るのがコツですわ。

あぐらをかかせ腕を組ませてるから首を切ったとき前屈みに倒れるんですわ。

そうしたら紫金山の方向へ倒れるから日本では皇居へ向けて倒れるのと一緒ですわ。

家を焼いて残った柱に中国人を縛って、部下に銃剣で突かせて殺させたこともありますよ。・・・・

「松崎二郎」 

1916年11月生まれ 第16師団歩兵第38連隊第3機関銃中隊 2001年3月取材

◎1個旅団に近い捕虜を護送    

紫金山はわしら麓から登った。

その時わしは射手してたんでな。

上から下を見たら鉄道が谷みたいな所を走ってるわけ。

それでそこに機関銃据えるわけでんねん。

ここに敗残兵が尭化門から鉄道沿いに逃げてくるわけや。

敗残兵が来たら撃てっちゅうわけや。

上官の命令で上から撃て言われたら撃たなあかん。

そやけどな、やっぱり良心があるさかいな。

ここで逃げられんかった敗残兵を南京まで連れて行ったわけや。

何千人の捕虜やな。南京まで護送するけど、日本兵の方が少ないし、夜やし、そら恐いわな。

武装解除してないしな。

捕虜の人数は1旅団(注:1万人位)ぐらいあって、尭化門門から南京城まで連れて行った。

捕獲前向うは投降して白旗挙げてた。・・・・

それから城門の中に入った。

捕虜は飯食わさなあかんが、炊く物がない。

それで砲弾の薬きょうでお粥炊いて食べさせた。

捕虜を座らせたら、田んぼ2反ぐらいの面積になった。・・・・

その後、捕虜はどないなったかわからん。・・・・   

◎わしら清掃を命じられたんや。・・・

中国の兵隊の服着てる者、普通の服着てる者、女の人もいる。

兵隊ばかりじゃない、輜重兵が大八車引っ張ってくるんや。

それに死体を乗せて、自分の手で乗せました。

南京陥落してすぐや。

松井石根の入城式が17日にあるから狭い路地もやりました。

片づけをどんどんやらなあいかん。すごい死体の数やった。

歩兵も工兵もみんな入城式までやりました。・・・・

やっぱり人を1人でも殺したら戦犯やな。

息子にも戦争のことは聞かさへん。・・・・

「大窪寛三」 

1908年6月生まれ  第16師団歩兵第38連隊第3大隊 1999年8月取材

◎南京入城で残敵を掃蕩

わしらが城内に入る時、残敵が逃げ遅れていっぱいいました。・・・・

捕虜がたくさん投降してきました。

やっぱり食べさせなならんし、釈放したらまた悪いことするんで、わしらも捕虜に疲れて、

揚子江にどんどん連れて行って銃殺しましたな。

毎日機関銃の音がしました。

トラックに捕虜をいっぱい乗せて行って。トラックはまた空で帰って来ましたな。・・・・

陥落4日目に揚子江に一番近い挹江門を通った時、近くに死体が山ほど積んでありました。

高さは2メ−トルぐらいで道路の横の空き地に累々といくつもいくつも積んでいました。・・・・

広さは場所によって違うので、20〜30人ぐらいの固まりもあるし、2メ−トルぐらいのもあるし

それより高いのもあるし、とにかく積み上げられる所まで積み上げたと思います。

あれは後で、もうすぐ入城式なので日本軍が邪魔になるから整理したと思います。

入城式の時は整然としてそんなものはなかったですね。

死体は埋めたのか、揚子江に持って行って流したか、どちらかだと思います。

「中山理」 

1915年7月生まれ 第16師団歩兵第38連隊第1大隊本部付  2000年7月取材

・・・・わしらが入城した時には、生きている支那兵は前の部隊がみな掃蕩してたんであまりおらんかったな。

しかし輜重が入城した時には人の死体を踏んで入った。

歩兵が出て掃蕩して、それから入城しとるんや。

中国人の死体なんかみなそこら辺に放ったんとちがうけ。

揚子江にみんな放ったよ。

支那人は城内から城壁の外に連れ出して、外でみんな殺したわ。

埋めるなんてそんなんせえへんで。

何人やったかなんて知らんけどな。

鉄砲で撃って殺したけど、歩兵隊に比べたらわしらの殺した人数はしれとるわ。

掃蕩は南京に入った時、勝手にやって何人か捕まえたわけや。

そこが問題やな。

民間人と兵隊とよう見分けがつかんで。

それが問題やと思う。・・・・

「長浜太」 

1914年3月生まれ  第16師団の野砲兵第22連隊  2000年11月取材

◎山積みの死体を見に行った 

撃ち方やめて翌日13日の昼すぎ、中山門から南京へ入った。

砲も馬で引いてな、入ってすぐの城内の中は死体がころがっていた。

掃蕩は歩兵と工兵がやったので、わしらはやらなんだ。

南京に入ったあと、紫金山の掃蕩へは、砲は持たずに38式歩兵銃とゴンボ剣を持っていった。

敗残兵が壕のなかに4人か5人いたので、そこへ手榴弾放り込んで来ました。

掃蕩の後、陥落が終って落ち着いたとき、

兵隊が「死体が下関に山と積んである。見に行こう」というので見に行った。

門の内側に死体が背丈より高く、小山のように固めて積んであった。

積んでいる人間は、生焼けで、まだ煙が出ていた。

だいぶ臭かったので、近くへ寄らなんだ。

死体がわしらの身長より高く積んであった。

燃やした跡があり、半焼けになっていた。

煙がぶすぶす出ていた。

そこら中、城壁の内外は死体だらけだった。

別の日に揚子江の河岸にも浮いているのを見ました。

南京陥落後しばらくして、「揚子江に死体がようけ浮いとる。どんだけあるか、見にいこうか」

と部隊内で話になったので、下関まで5〜6人で1時間ぐらい歩いて見に行った。

実際見たときは、それほど浮いていなかった。・・・・

「山川裕美」 

1916年8月生まれ 16師団の輜重兵第16連隊 1999年4月取材

◎入城したら死体を目撃    

・・・・初めて南京に入った時、松井大将が入る門から入ったな。

駐屯した所は城外の民家なので、歩いて城内に入ったな。

その時、外側の道の両側に死体がずっと並べていたのが見えた。・・・・

入城式の1〜2日前やったかな、男ばかり7人捕まえたんや。

班長は「どないなとせい」言うて、わしら分隊の者は、支那人を突き殺したろかと、

銃剣を胸元に突きつけたんや。

弾をあまり使うなと言われてたからな、銃を撃つと難儀やさかい、突き殺そうと言って、

そいつらみんな後ろを向かせたんや、けど「1発の弾で何人殺せるやろ」と言うた者がおってな。

それで、それで、7人を全部同じ方向に向かせて、腹の辺りを銃でうったんや。

7人全部貫通したわ。

みんな倒れたで。小銃の威力はすごいもんや。・・・・   

◎下関で死体処理    

入城式の後すぐ、下関に行ったら、クリ−クの際にたくさんの死体があったのを見た。

大勢の兵隊が、揚子江に死体を流しているのを見たわ。

38連隊の部隊が作業していたな。

そこにわしの友人がいたので38連隊と分かったんや。

手とか足とかを括ってずるずる引っ張ってな、揚子江に放り込んでいたな。

その引っ張って投げる作業は支那人の苦力でのうて、日本の兵隊が引っ張っていたんや。・・・・

皆死んでいた。死体が膨らんで臭かったな。

死体がそこらじゅういっぱいあった。

死体の中に子どもや女性がいるかどうかは注意したことがないね。

臭いから早くそこを通らならんし、・・・・

南京の太平門の入り口にもいっぱいあったな。

太平門の所から引っ張って壕の中に放り込んでいた。だいぶ深かったと思う。

死体が逆とんぼになっているようにどこが頭か手足か分からないぐらいいっぱいあったな。・・・・

隠れていた女の子を引っ張り出して、

日本軍が好き勝手にやるのを見て、手榴弾でも放り込もうと思ったこともあったな。

将校は休憩に入ったらまずク−ニャン探しに行ったな。

支那に行ったら、墓があって、あそこに寝棺が置いてあってな、

兵隊は寝棺の上で強姦をよくやっていた。・・・・

日本軍はあんまり金を使わなかった。

ただの鶏捕まえて殺したり、豚捕まえて殺して料理して食べたね。

こういう徴発はよくやったな・・・・

「小竹巌一」 

1915年12月生まれ  16師団の輜重兵第16連隊 2000年11月取材

・・・・南京では掃蕩で敗残兵を見た。

制服着てるもんもおるし、民間服着てるもんもおる。

民間服着てたらわからんけどなあ。

銃でたたいてたたき殺したり、撃ってころしたり、殺さんかったら向うへ行かれへん。

少ないときで5から6人、多いときは50人から100人ちかいときもある。

どこの部隊かわからんくらいあっちこっちで掃蕩しとる。

捕まえても殺してしまう。残しといたら今殺さないと後の人が殺されるからなあ。

わしは輜重やったから歩兵とはちょっと違うけどな。

歩兵が第一線やからそのすぐあとに行くんや。

徴発のとき女を見つけたら兵隊によっては追いかけまわすもんもおった。

兵隊の半分はやっとる。

やるときは外も中もあらへん。

路上でもどこでもやる。

南京では一般の家の中へどんどん弾をぶちこんで中を覗くと、家の中ですくんで隠れとる。

草むらの中にも壁の裏にも。動いとるもんあったらパ−ンと撃つ。

中国人が逃げたら撃つんや。

オイ!と声かけてポンと撃つ、ポンコロや。

路上には死体が重なり合ってころがっている。

死体を踏まないと前に進んでいけんのや。

捕虜を処理しているのをみたこともある。

いっぱいかたまっとった。

揚子江は死体でいっぱいやった。・・・・

「三上翔」

1919年6月生まれ 支那方面第3艦隊第11戦隊第24駆逐艦隊 1997年12月取材

◎南京城内で見る無残な死体の山

12月13日・・・・その後、砲撃戦とかの戦闘状態は終っていたのですが、

見ると上流から中国人らしい死体を整然と積んだ筏が、いくつも流れて来ました。

その死体の高さは1メ−トル半か2メ−トルくらいもあり、

その積み方絵に描いたようにがっちりと幾何学的で、あまりにも整然としていましした。

それを怪しく思い、中に何か変造物があって何かを隠して流しているという予測の下に、

甲板にいた全員が小銃で目前の目標に向って腰だめで、しばらく撃って撃って撃ちまくりました。

腰だめというのは特別に目で照準するのではなく、おおよその目標が目前にある場合、

手で支えながら腰につけたまま発射することをいいます。・・・・

私たちは、そこから入って入城式の閲兵場所にさらに何百メ−トルか行って待機しました。・・・・

そこには必ずといっていいほど、山のように積まれた遺体がありました。

その人々は中国兵かあるいは市民化さっぱりわかりませんが、

裸で殺されている人、あるいは数珠つなぎの人、縄で数人ずつつなぎ合わせた者を射殺、

或は銃剣で刺した痕が、物々しく残っておったりしました。

またどうしてなのか不思議に思いますが、積み上げられた死体の中には、

真冬なのに裸の死体がたくさんありました。   

◎17日の入城式が終って船に戻りました。

その翌日あたりから、船で見張りについていると、毎日毎日、朝から晩まで繰り帰し繰り帰し、

トラックで捕虜とも中国人とも区別のつかないひとびとを運んで来ては、中山埠頭から川のへ追い落とす。

それを機関銃でもって射殺するところを目撃しました。・・・・

毎日のように続いていたのですが、

たまに夜になると、何かうごめくような叫ぶような声が向う岸からわいわいと聞こえてきました。

炎が揺れてス−ッと横に走り、よく見れば人間が焼き殺されているという状態でした。・・・・
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_%ef%bd%8a/13608/


松岡 環氏の聞き取り調査 3 最終更新日:2018/11/03 10:20


「境昌平」

1916年11月生まれ 第16師団歩兵第33連隊第3大隊 2000年7月取材

◎まず物を取る 火をつける    

まぁ言われるがままに戦争をしてきたわけ。

当時私らが思ったのは、敗残兵を処分するのは当たり前だだと、そういう観念でいたね。

今思うとあんなことは非道だと思うけどね。

私らは捕虜を人道的に処遇することを定めた国際法なんか教えてもらったことがないんでな。・・・・

食べていくのにみな略奪ばかりですわ。みな現地調達だったんでね。

指揮班も何かあったら物探しに行ってたわな。・・・・

朝の出発時、今まであたっていた焚き火にその辺の机とか椅子とか家財を積み上げて出て来るわけ。

すると我々が集合してる後ろで燃え上がった。

これは点け火ですわな。

つまり自分らが世話になった家を焼いて出てくるわけ。

無錫の手前で、「後続部隊が困るからやるな」と命令が出ました。   

◎支那人は人間ではなく、品物ですな    

・・・・日記に書いてるように、捕虜になったら処分するのは当たり前やと思ってたね。

だから下関で見たように、海軍の仕官が日本刀で支那人の首を切るのを希望すると、

歩兵が「どうぞ」と言って「今やってますから」と、支那人の捕虜を差し出すんだが、差し出す方も無神経や。

その時の支那人は人間ではなく、品物だね。   

◎ガス弾の使用    

中山陵の手前でガス弾を使った。私らは催涙弾ばかり使ってた。

南京では常熟の手前でも催涙弾を使ったね。

河に飛び込んだ裸の6〜7人いたので、その時は発炎筒を使った。

ト-チカが落ちないので川上から催涙ガスを投げてト-チカから追い出したことがある。

向こうでは訓練で使ったようなイペリットとかルイサイトは使ってない。催涙弾だけ。

催涙弾は緑色ですわ。

大別山では赤筒(くしゃみ性)を使いましたけどね。

「上西義雄」

1914年11月生まれ第16師団歩兵第33連隊第2大隊 2000年9月取材

◎中隊長が「捕虜にした者は全部殺せ」と指令    

・・・・中隊で南京城内を20日間ぐらい毎日掃蕩しました。・・・・

民間人と便衣兵との差は、手のマメなどでで見分けました。あとはだいたい若いとか。

とにかく男ならひっぱりました。連行したあとに査問などはしていません。

後ろ手で数珠つなぎにして、中隊で配られた紐を持っていって、つなぎました。

それでも始末がつきませんで、手漕ぎの舟に乗せて転覆させて沈めました。

1回にだいたい54〜55人ぐらい乗せました。翌日もしました。

他にも、こうやって河辺に並ばせといて、計機関銃でバババッと撃っていました。

それで死体が山のようになっていました。・・・・

捕虜の処分は師団命令です。

実際に私ら兵隊に命令を下したのは中隊長で「捕虜にした者は全部殺せ」と言って指令されました。

◎実際に死体に油をかけて焼いた

私らも、実際に死体に油をかけて焼いたということもありました。

南京城外のクリ-クではそうしていました。

中国の民間の人を使ってしていました。

その辺にころがっている死体にそのまま油をかけて焼きました。

12月20日ごろ、掃蕩をやっているときに、別の部隊が死体を焼いていたりしたのも毎日見ました。

沖に死体を運ぶ船も30ぐらいあり、2週間ぐらい毎日見ました。

私たちは陸上で処理していましたが、船を動かしたていたのは工兵隊でした。

鉄舟で死体をひいていました。木造船もありました。

紐で結んで、ひっぱっている死体もたくさん見えました。

死体を焼いていた理由は、死体が大体1週間で腐ってきて、腹が膨れてきまして、臭くなるからです。

マスクもせずにそのまま、燃やしていました。脂がのっていますから、燃えますよ。

分隊でやりました。かなりの数でした。

まず掃蕩をしました。

剔出して、処分もしました。死体処理もしました。

中国人を使って死体を河に流したり、油をかけて焼くというのもしました。

それは中隊長からじきじきに「死体の処理をせよ」という命令でした。

各小隊は全部出ました。

掃蕩も中退で3個小隊の6個分隊が交代で出ました。・・・・

「内村和郎」

1915年10月生まれ 中部第38部隊第2碇泊所 2000年11月取材

◎橋の下一面の死体   

南京陥落の翌年、昭和13年、支那事変の後始末に行きました。・・・・   

南京はすごかった。臭いやもん。

人間が腐っとんや。臭いの臭くないの、その場にいられないくらいやった。

南京城外付近のクリ-クに橋がかかっとって、水がなくなってカラカラになっている。

その下一面に死体が放ってあった。腐っているのもあったが、まだ生々しい死体がようけあった。

目を光らしたのもあった。まだ骨もでてなくて、殺して1ケ月くらいたった程度やないのかな。

「しっかり見とれよ」と言われたよ。でも死体は見ない方がいい。

びっくりして卒倒した人もいたわ。百メ-タ-くらいの橋だったから何百人という死体の数や。

中隊くらいの人数ですわ。ほとんど支那人や。

日本人の死体は戦場処理しますからな。

命令以外では自由に出歩いたらいかんと言われているので、

その後その死体がどうなったかは知らんな。

戦いはもう市民も女も子どもも考えていないもん。もうめちゃくちゃやもん。

「男であろうが女であろうが生かしておくな、みんな銃殺や」と、

隊長が言うたとその時、南京にいた歩兵から聞いた。

「鬼頭久二」

1926年8月生まれ 第16師団歩兵第33連隊第1大隊 1999年、2000年取材

◎生きている者は全部殺せ   

無錫は結構大きな町だった。

戦争中は言ったら悪いけど、我々、大きな町に入ると、徴発できるから皆楽しみにしていました。

砂糖もあり、食糧もあり、女もいるから徴発するのが兵隊の楽しみやった。

町に入ったら自由で、掃蕩と命令される。

中国という国は、親が生きている間に大きな棺桶を買って、

家の入り口の角に置いとくのが親孝行だそうで、

掃蕩に入ったらまず入り口に置いてある棺桶の蓋を開き、中の物を持っていくことでした。

詳しくは覚えていないけど、中にはよそ行きの着物とか、

長く置ける大事な物とか宝石などの宝物もあった。・・・・

町に入って掃蕩の一番の目的は女の人を探すことで、

女を徴発するのが一番楽しかった。

例えば、南京でも暇があったら女を捕まえて強姦してたな。・・・・

南京戦の時、当時の宮さん(注:朝香宮)から命令があって、

その命令は小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きているものは全部殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。

12月28日の上海軍の発表では、8万4千人の中国兵を殺したとのことや。・・・・

◎女を見つけるとその場で強姦   

掃蕩する時、家を一軒一軒まわり女の子を見つけるとその場で強姦した。

女の子はだいたい床の下かカ-テンの後ろとかに隠れていたな。

見つかった時、怖いかどうか分からないけど、反抗しなかったな。

憲兵から止められたりしなかったので、やり放題やった。女たちは皆顔に墨などを塗っていた。

何人ぐらいしたか覚えていないけど、・・・・

南京城内ではなく郊外では、憲兵に見つかったらうるさいから女の人を殺したりした。

自分は掃蕩戦の時だけ城内に入り人を殺したことがある。そんなことから南京大虐殺はあったとおもう。

悪いことをしたと思っている。

「井戸直次郎」

1914年7月生まれ 第16師団歩兵第33連隊第3大隊 2000年5月取材

◎死体の山じゃ   

・・・・南京陥落の日じゃった。城内に入る時、城壁の外側が死体の山じゃった。

足下がフワフワするんで、マッチをつけて見たら、筵を敷いたように一面に死体がぎっしりじゃった。

ず-と死んどったんじゃ。どの部隊がやったか知らんが、突き殺したんやな。

兵隊やなしに、女も子どももおった。爺さんも婆さんもおった。兵隊やないもんばっかりじゃ。・・・・

新聞でよう言う”南京の虐殺”って全く本当のことじゃが、

そんなこと言えんもんで、「嘘」や言うとるんじゃ。

16師団が一番悪いことしよったようやと新聞にも書いとったが、

わしら京都の師団のそこら中の連中が悪いことしよったんじゃ。・・・・ 

◎掃蕩して強姦、徴発して強姦   

(強姦は)そこら中でやっとった。つきものじゃ。

そこら中で女担いどるのや、女を強姦しとるのを見たで。

婆さんも見境なしじゃ。

強姦して殺すんじゃ。

もう無茶苦茶じゃ。

陥落して2日ばかりたったころじゃ。下関あたりに徴発に出たときじゃ。

民家のあるとこに米や食べ物を徴発にでたときじゃ。そんな時に女も徴発するんじゃ。

家の長持ちの蓋を開けると中に若い嫁さんが隠れとったんじゃ。

纏足で速く逃げられんで、そいつを捕まえて、その場で服を脱がして強姦したんじゃ。

ズボン1つでパンツ見たいな物は穿いておらんで、すぐにできた。

やった後、「やめたれ」て言うたんやけどな、銃で胸を撃って殺した。

暗黙の了解やな。

後で憲兵隊が来て、ばれると罪になるから殺したんじゃ。

それを知っとるさかい、やった後、殺すんじゃ。・・・・

ほとんど女ばっかりの難民区にも行って、部屋に入ったらこれとこれ、指差して、女は選び放題やった。

その場でやってしまうんや。

わしの部隊でだれやったか、やってる最中に中国の敗残兵に頭を殴られたもんがあったので、

見張りをつけて強姦やった。

昼夜お構いなしじゃ。だいたい1個分隊で行った。

十数回は行ったやろうかな。各分隊がみんなそんなもんじゃった。  

◎死体は何千と見たな   

川の方ではあまり見なかったけど、城壁ではぎょうさん見たな。ほとんど突き刺した死体やった。

死体を焼くのは川の辺りで見たわな。陥落してしばらくしてからやな。

夜、飯盒で飯焚こうとしたとき、クリ-クの水が真っ赤になっとった。

死体を放り込んだからやろな。そのまま炊いたらご飯が赤こうなったんじゃ。

それを食ったんじゃ。

朝見たらクリ-クは死体だらけで、水が真っ赤になっとった。

倉庫のような部屋に中国人を詰め込んで機関銃で殺しよった。

部屋の中やさかいどれかに当るわな。

何百人も入れてやったんじゃ。

小さいところで300人くらいやった。わしらが捕まえた奴をこうして殺したんじゃ。

男という男は捕まえて倉庫に放り込んだ。兵隊も何も関係なかった。

処分した後はどうしたかは知らんわ。30分かかるかかからんかじゃ。

中から凄まじい叫び声聞こえて来た。

こんなこと、部隊がそこらじゅうでやっておった。

手榴弾はあまり使わんかった。

投げ損ねると破片が飛んでくるよって。

南京大虐殺はあったんじゃ。

むちゃくちゃやったんや。・・・・

「田所耕太」

1916年3月生まれ 第16師団歩兵第38連隊第1大隊 2000年6月取材

◎33連隊が撃った死体が揚子江を流れてきた   

・・・・12月13日かなあ、城内へ入って逃げた敵を追って翌日には揚子江まで行った。

ず-と死体が流れていて30メ-トル以上むこうまで河の水が見えんかった。

ごつかったんやで。

いっしょに流れてくる中には生きてる人もいたから、

わしら小銃やったから、軽機関銃でみな打ちましたよ。

部隊の重機関銃はその時分までまだ南京に着いてなかった。

33連隊が撃った死体が流れてきてた。昼ごろから2〜3時間撃ってた。

河岸は38連隊の兵隊でいっぱいやった。

下関ではクリ-クの中に入り込んで逃げていた人たちも撃った。

土民みたいな黒い綿入りの服装の人で、もう正規兵みたいな服装はしてなかったな。

女の人は見んかったな。男ばっかりやった。・・・・

「三木本一平」

1913年9月生まれ 第16師団歩兵第33連隊第2大隊 2001年11月取材

◎朝香宮を護衛の最中に部隊でク-ニャンの徴発    

南京の手前の句容というところに朝香宮さんが来られたので、

わした1個小隊は、中隊長とともに夜中に護衛についたで。

南京〜句容は、何十キロも離れていて大砲の音もせん所や。

戦線の後ろで隠れていても、「朝香宮さんは第一線を視察 大本営発表」と新聞に書く。

中隊長の天野郷三中尉は、野田連隊長より成績が上で陸軍大学を首席で出た人やったらしいで、

そのため、中尉であっても野田大佐の言うことを聞かんのや。

宮さんの警護というこんな時でも女の子を抱いて寝ていたんやから。

ここにいる時、天野はわしら兵隊に「強盗、強姦、放火、殺人、何でもやれ」と言ったんやで。・・・・

16師団が南京を離れる時、分隊全員が足止めをくって調べられたそうや。

天野はそれで軍法会議に問われたと思う。

南京を離れる時、中隊長であった天野の姿は見なかったもん。・・・・         

注:天野中尉のあまりにも非道な戦争犯罪は

  軍の内部や南京在住の外国人にも知れ渡り、軍法会議にかけられた。

◎クジ引きで女の子を輪姦    

・・・・ク-ニャン捜しは分隊で数人で行くことが多いな。

見つけるとな、分隊の何人もで押さえつけたんや。それで女の子を強姦する順番をくじで決めた。

1番のくじを引いた者が、墨を塗っている女の子の顔をきれいに拭いてからやった。

交代で5人も6人も押さえつけてやったら、そらもう、泡を吹いているで。・・・・

わしもしたけど、こんなんしても何もええことなかった。

日本中の兵隊がこんなことをいっぱいしてきた。

言うか言わんだけのことや。

男やもの、分隊10人のうちみんなやっとる。

戦争が長引くから女の子が恋しくて、他の部隊でも同じことをやっていたんや。

人間だったらみんな同じことをやる。

現役の兵隊は、あまり経験ないからおとなしいけどな。

召集兵ほどひどかった。妻帯して女を知っとるから、寝たいんや。

赤紙1枚で天皇陛下の御ために、騙されてみな戦争に行ったわけや。   

◎揚子江の河岸で集団虐殺を見た    

南京陥落後、2日たって、宮さんといっしょに城内へ入った。

護衛の任務を解かれて部隊復帰で、本隊を追求して、南京に入ってまた悪いことをたくさんしたわ。

南京を守っていた中国の兵隊は一杯おってな、捕虜になった兵隊は、みんないなくなったんや。

そりゃそうやで、中国の兵隊は捕虜になって殺すのは当たり前やんか。

捕虜に飯食わすのは、もったいないさかい。

「南京を守っておった兵隊はどこへいったんや」と嘘を言ったって、

実際いたのを全部殺してしまったんやから。

南京大虐殺はあった。ワシはこの目で見たんや。

わしらはどういうわけで戦争してるんかわからんで、

一銭五厘で召集されて「チャンコなんて殺してしまえ」と言っていたんやから、

あの時は、中国人をなめてかかっていたな。

揚子江の港、下関に行った時やった。港とは名ばかりでな、河に桟橋がつき出ていた。

捕虜を収容している倉庫のような建物から、50人くらいの捕虜を引っ張り出し、

幅があまりない桟橋に並ばせてた。

そこを重機関銃でドルルル−と水平になでていた。

やられた中国人はみんなそのまま河に落ちよった。

河のそば、桟橋があるところにわしは行ってのぞいて見たんや。

河底からすぐ足下の岸まで人間が積み重なっていた。

大きな船の着く桟橋や、そうとう深いのと違うやろか。

ちょうど河に浮いているボラの死体のようにぷかぷか浮いて流れて行った。

始末することはないわな。

南京大虐殺はあった。自分がこの目で見てきたことや。
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_%ef%bd%8a/13717/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c6

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
7. 中川隆[-12267] koaQ7Jey 2019年2月11日 09:29:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

真面目で優しい日本兵が平気で強姦殺人や猟奇的残虐行為をしたのは覚醒剤が原因だった

あなたは知っていますか?日本の軍隊は太平洋戦争で心の高揚に『ヒロポン』を常用させていました

覚せい剤服用

日本は、1941年大日本製薬メタンフェタミン製剤「ヒロポン」(覚醒剤)武田長兵はアンフェタミン製剤「セドリン」(覚醒剤)を海軍、陸軍に大量に納入しました。


特効薬として特攻隊員に菓子袋に入れてカジュアルに支給しました。
製品は、「ヒロポン」の周りをチョコレートで包み『菊のご紋章』を付けて納入していました。


出撃前に注射やチョコレートを特攻隊員に食べさせていました。それを食べた若者は、意気揚々と戦地に出撃し散っていきました。むごい、悲しいことです。これを書くと、涙がでます。


九州の基地では、1036人の特攻隊員に「アンプル」を投与。国を守るため計6000人が玉砕していきました。悲しい事実です。
精神を高揚させ、人間性を失くす「ヒロポン」は慰安婦問題や、南京事件を起こした悲しい現実があります。


日本政府は、大日本製薬 武田長兵商店に、覚醒剤の製造中止を勧告、昭和26年(1951年)覚醒剤取締法が制定されました。
西堀貞夫の父、西堀孝一は軍医として特攻隊のヒロポン支給の恐ろしさを知り、軍上層部に進言、ニューギニアの戦地アインで戦死しました。


この想いが私たちの原点です。患者の会には、この真実を知るたくさんの遺族の方がお見えになります。
映画「永遠の0」では明かせなかった特攻隊員の死の真実。彼らはヒロポンで人間性を失くし玉砕しました。
http://www.onkyo.tokyo/guntai.php


ドーピングを誘発しやすい社会だから覚醒剤が浸透していく


1945年、日本の敗戦の後、どさくさに紛れて売られていたのが「ヒロポン」と呼ばれる薬だった。

ヒロポンというのは、文字通り「疲労がポンと取れる」という意味で付けられた安易なものだったが、その内容は今で言うところの「覚醒剤」だった。

戦時中は兵士や特攻隊の士気を鼓舞させ、労働者や女工たちに眠気防止で武器弾薬を作るために使われていて、大日本製薬の主力の薬のひとつだった。

この当時はヒロポンの成分であるメタンフェタミンが強い依存性を持つことが知られていなかったので違法ではなかった。新聞にも、堂々と「除倦覚醒剤」と銘打って売られていた。

「除倦覚醒剤」とは要するに「疲れを除き、覚醒する薬」という意味で、このメタンフェタミン系のドラッグを「覚醒剤」というのはここから来ている。

戦中は軍民共に戦争に駆り立てられていたので、「疲れた」などと言っている場合ではなかったのである。

だから、軍需企業・民間企業共に、ヒロポンを大量にストックしていたのだが、敗戦後、この薬が闇市を通して社会に大量流通するようになった。


終戦後の作家は、みんなドラッグ漬けだった

ヒロポンは社会の底辺で広がっただけではない。有名人でもみんなこの薬を使っていた。何しろそれは違法ではなかったのである。

漫才トリオの正司歌江、ミヤコ蝶々、中村八大、桂文楽、六代目笑福亭松鶴等はみんなこのヒロポン中毒になっていた。作家で言えば、『堕落論』で知られている無頼派の坂口安吾もヒロポン中毒だった。

無頼派と言えば、織田作之助も田中英光も同じジャンルに入るのだが、この2人もまた坂口安吾と同じくヒロポン中毒だったと言われている。

織田作之助などはヒロポンを注射しているところを写真を撮られて、それが出回って話題になったという。

何か物を書くというのは孤独で単調な作業だ。そして、集中しなければならないので、精神的にも激しい疲労が蓄積する。当時の作家は、それをヒロポンで乗り切っていたのである。

芥川龍之介は小説『歯車』で幻覚を描いているのだが、この幻覚はヒロポンから来ているという説と、睡眠剤から来ているという2つの説がある。

そこには、歯車が見えたとか、銀色の翼が見えたとか、黄色いタクシーが見えたとか、過去の罪の残像が繰り返し現れるとか書かれていて、その幻影に主人公が怯えている。

ストーリーもなく、ただ意識の変容を揺れ動いているだけなので、どちらかと言えば睡眠剤のような雰囲気がある。詳しくは分からないが、精神的には相当追い詰められていたことが窺い知れる。

この小説の最後は、誰か自分が眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはいないか」となっている。実はこの小説は芥川龍之介が服毒自殺した後に発表されたものだった。その「死にたい」という述懐は本心であったと思われる。

荒正人という小説家もいたのだが、この人は自分だけでなく妻にもお手伝いさんにもヒロポンを飲ませて、一家総ヒロポン依存症になっていたという。

萩原朔太郎はヒロポン中毒ではなかったが、コカイン中毒だった。しかし、ヒロポンでの幻影は小説『猫町』で触れている。

私たちが今、日本の戦後文学としてありがたく詠んでいる文学は、その多くが覚醒剤で「ドーピング」された精神状態の中で書かれていた可能性がある。


無頼派作家、坂口安吾。執筆はヒロポンと共にあった。


ヒロポンがもたらす集中力は凄まじい効果だった

ヒロポンが意識集中のために使われていたというのは、覚醒剤依存者が48時間ずっと麻雀をやっていたとか、賭け将棋をしていたという逸話からも読み取ることができる。

凄まじい集中力が得られるので、ヒロポンが合法だった時代の学生は、東大受験のためにヒロポンを使うのが当たり前だったという。

この「受験のためにヒロポンを使った」というエピソードを聞くたびに私が思い出すのは、タイで知り合ったあるレディーボーイのことだ。

英語を流暢に話す彼はいったいどうやってその英語力を磨いたのか。もちろん、そこには仕掛けがあった。アンダーグラウンドでは、記憶力でさえも金で手に入ったのである。

(記憶力でさえ金で手に入れる。危険な方法が裏で流行している)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131023T0342460900.html


別にこのレディーボーイのやっていることはおかしなことではない。欧米のエリートたちも、スマートドラッグを使って同じようなことをやっている。

アスリートはドーピングで最強の身体的パフォーマンスを手に入れるが、エリートたちもまた「スマートドラッグ」というドーピングで最強の頭脳を手に入れていたということだ。

言うまでもないが、このスマートドラッグも覚醒剤とよく似た成分(アンフェタミン系)が入っているので、言ってみればヒロポンの現代版である。

副作用はもちろんある。しかし、副作用があったとしても、現役時代に最高のパフォーマンスが発揮できれば、地位も収入も約束されるわけで、これで人生を逃げ切ることができると考える人たちもいる。


ヒロポン錠。「疲労の防止と恢復に!」と堂々と宣伝されていた。この薬は1951年に覚醒剤取締法が制定されるまでは「合法」だった。


覚醒剤には潜在的に巨大な需要があるとも言える

戦後の混乱期にヒロポンを使っていた人は、どちらかと言えば快楽が欲しいというよりも、もっと労働したい、疲労を取りたい、馬力が欲しい、という切実な発想から摂取されたので、皮肉なことに真面目な人であればあるほど依存地獄にハマっていった経緯がある。

そして、ヒロポン依存になると、虫が身体を這い回るような幻覚や、わけの分からない幻聴に悩まされるようになり、暴れ回るような異常行動を引き起こす。

そのため、1951年には覚醒剤取締法が制定され、警察が大々的な摘発を行ったので、乱用者は激減していった。

しかしヒロポンは覚醒剤として生き残り、現代でも有名な歌手や野球選手が次々と覚醒剤依存に堕ちて逮捕される姿が繰り返されている。

今後も、「大物」が逮捕されるような流れが続くだろう。

覚醒剤はいったん地下に潜ることはあっても、絶対に廃れることがなく歴史を刻むのである。欧米でも、覚醒剤は「メス」「スピード」「アイス」と言われて依存者が減るどころか増え続けている現状がある。

覚醒剤はそれ自体に快楽があるというよりも、自分がこれからやりたいことを猛烈な集中力で取り組める「ドーピング作用」が強い。それが、恐ろしい魔力なのである。

自分の潜在的な能力を、一瞬にして最強フルマックスの状況に持っていけるのが覚醒剤である。そんなものを覚えてしまったら、覚醒剤のない人生など考えられなくなる。

現代社会は、常に人々に最高のパフォーマンスを求める時代である。そうしたプレッシャーは誰にでもかかる。言ってみれば、ドーピングを誘発しやすい社会なのだ。

そのプレッシャーは坂口安吾や芥川龍之介の時代よりも、はるかに強いと言える。だから、覚醒剤は今でも潜在的に巨大な需要がある。覚醒剤の流行はこれからも起きていく。


いかにも作家という雰囲気を醸し出している芥川龍之介。晩年は睡眠薬のベロナールやらジアールを大量に飲んでおり、結局は服毒自殺に追い込まれた。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160316T0122080900.html

______


2008.03.11 覚醒剤「ヒロポン」の時代
http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html


昭和十八年 新聞広告

秋田魁新報に掲載された中枢神経刺激薬、いわゆる覚醒剤の広告である。今では考えられないことだが、当時の覚醒剤に対する認識は「効果抜群の栄養ドリンク」程度のもので、薬局に行けば簡単に購入することができた。

広告の商品は大日本製薬から発売されていた「ヒロポン」錠剤、「倦怠感、憂鬱感を除去して爽快活溌となし、又眠気の防止あるいは除去に偉効があり、医界各方面に異常なる注目を喚起しております」とのこと。

しかし「ヒロポン」の実態は、一時的に「疲労倦怠感を除き、活力が増大」したように脳に錯覚させるだけで、薬が切れたときは何倍もの疲労感に襲われる傾向があり、長期間の乱用により幻覚作用が現れ、人格の崩壊につながる、きわめて危険な薬であることは言うまでもない。

大正八年に日本の科学者が合成したメタンフェタミンを用いた覚醒剤「ヒロポン」が市販されたのは昭和十六年(1893)、それと前後して、武田薬品工業「ゼドリン」、参天製薬「ホスピタン」、富山化学工業「ネオアゴチン」など、二十社を超える製薬会社から同様な処方の薬品が発売された。

なかでも「ヒロポン」の名が覚醒剤の代名詞のように使われたのは、そのユニークかつ覚えやすいネーミングのゆえだろう。


脳力・体力の覚醒賦活剤「アゴチン錠」甘糟商店
昭和十七年 雑誌広告


昭和十八年 雑誌広告

はじめは医療従業者の疲労回復や学生の試験勉強の際に使われていた覚醒剤、それに目を付けたのは軍部であった。夜を徹して働く軍需工場の作業員の眠気防止・疲労回復に使われ、視力向上効果があることから夜間監視の戦闘員、夜間戦闘機搭乗員などに支給され、「突撃錠」「猫目錠」などと呼ばれていたという。

こうして覚醒剤は時局に沿って「国策薬」としての役割を負わされることになるが、これはなにも日本に限ったことではない。米英をはじめドイツも兵士たちに覚醒剤を支給し戦意の高揚を図った。米国では第二次世界大戦以後も、ベトナム戦争、湾岸戦争を通じて、デキストロ・アンフェタミン製剤「デキセドリン」(通称・スピード)を一部の兵士に処方し続けた。


「ヒロポン」500錠入り

覚醒剤の弊害が表面化するのは戦後の混乱期のこと。敗戦の精神的虚脱にともなう刹那的享楽主義が蔓延するなか、軍部がストックしていた「ヒロポン」が大量に流出し闇で安価に販売された結果、乱用による中毒者が全国的に広がりはじめる。流出したのは純度の高いアンプル剤。ヒロポン中毒は「ポン中」と呼ばれ、「ヒロポン」は「国策薬」から一転「亡国への魔手」と称されるようになる。

一般市民のほかに芸能人、文筆家、芸術家などアーティストの多くが「ヒロポン」におぼれた。小説家では織田作之助、坂口安吾の常用が有名で、「ヒロポン」の登場する作品を残している。


‥‥前略‥‥ヒロポンを用いて仕事をすると、三日や四日の徹夜ぐらい平気の代りに、いざ仕事が終って眠りたいという時に、眠ることができない。眠るためには酒を飲む必要があり、ヒロポンの効果を消して眠るまでには多量の酒が必要で、ウイスキーを一本半か二本飲む必要がある。原稿料がウイスキーで消えてなくなり足がでるから、バカげた話で、私は要するに、全然お金をもうけていないのである。

坂口安吾『反スタイルの記』より(昭和22年「東京新聞」)


 役者も踊り子も食えない。二日ぐらいずつ御飯ぬきで、ヒロポンを打って舞台へでる。メシを食うより、ヒロポンが安いせいで、腹はいっぱいにならないが、舞台はつとまるからだという。‥‥後略‥‥

坂口安吾『安吾巷談 ストリップ罵倒』より 昭和25年「文藝春秋」


昭和二十六年、「覚醒剤取締法」が制定され、覚醒剤の輸入、製造、譲渡、所持及び使用が原則として禁止されたが、勢いは止まらず、ピークにあたる昭和二十九年の検挙者は五万五千人を超え、潜在的な乱用者は五十五万人、中毒による障害者は二百万人と推定されていた。同年の県内に於ける検挙者は八十三人、この年大館市では、ポン中の青年が母親に「ヒロポン」を買う金を執拗にせびり、暴力をふるうのを見かねた兄が、弟を絞殺するという悲惨な事件も発生した。

その後の取り締まりの強化と経済復興により、約十年にわたる国内のヒロポン禍もようやく下火になるが、昭和四十五年頃から、今度は朝鮮・韓国ルートによる覚醒剤密輸入が徐々に増加しはじめる。
http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html

2009年12月18日
ただのビタミン剤じゃ
◎昭和20年代半ばのヒロポン流行の背景と、対応法令の乖離について
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50969121.html


第009回国会 参議院 厚生委員会 第7号 昭和25年12月9日
○藤原道子君 私は厚生大臣にお伺いいたしたいのでございますが、先日来大きな社会問題となつておりまするヒロポンの問題でございますが

(略)

或いはまた聞くところによると賠償等の問題も起るから強い処置ができないというようなお言葉も私たちは聞いているのでございます。

(略)

その中毒患者を見ますときに、17歳から23歳の者が83%もいるということでございます。(略) 若しこのままで参りましたならば、ヒロポン亡国とさえ言われる大きい危險があると思いますので、これに対して、大臣はどういうふうな方法でこれを喰止めようとしておいでになるか(略)

医者の証明書がなければ売つてはいけないということになつているのです。けれども(略)警視庁の報告を見ましても(略) 一つのグループに対して一つの薬局から石油カン一ぱいのアンプルの殻があつた。それは一つの薬局から売られている。

(略)

そこで私は厚生当局に対しまして今製造を禁止する意思があるかないかということ、(略) ヒロポンを、モルヒネのようにアンプルに番号を打つて、一つの製造会社なら製造会社を指定いたしまして(略)必要なところだけに必要なものを流すというような方法を採つたらこの被害が防げるのではないか。(略)

○国務大臣(黒川武雄君)※厚生大臣、虎屋15代目当主
製造禁止のことは現在の法律ではできないのでございますが(略) 早急に思い切つた処置を講ずる必要があることを痛感しております。(略)

○藤原道子君 痛感いたしておると言われまするがどうも頼りないんです。(略)
罰則規定がありながらこれの適用が非常に軽いと思うんでございます。この書類を見ましても富山化学ですか、その他の会社二件がこれに引つかかつているゆですが、たかが十五日の営業停止なんです。

(略)

このヒロポンはもともと戰時中に軍が労働者を酷使いたしますために、労働強化をいたしますため、眠くてはできない、そういうところからヒロポンを使つて労働強化をやつたということを私は聞いておる。

(略)

このヒロポンのこれだけに被害が殖える前にこのヒロポンの害毒というようなものを国民に周知させるためのパンフレットが作成されるとかいろいろな方法が講ぜられなければならなかつたと思いますが、今までにどういう方法をおとりになつて来たか。医師会等にはどういうふうな御協力をお願いされたか(略)

○国務大臣(黒川武雄君) 私としては真劍に考えております。断乎としてやることは藤原君に誓います。細かいことは局長からお答えいたさせます。

○政府委員(慶松一郎君)※厚生省薬務局長
(略)私どもがたとえ行政処分をいたしますにいたしましても、或いは司法上の処分をいたしますにいたしましても、これは十分なる証拠その他がはつきりしませんことにはできませんことは改めて申すまでもございません。

(略)

ときどき新聞等に私どもから申しておりますし、又医師会に対しましても協力方を求めておる次第でございます。

○藤原道子君 新聞等ということでは駄目なんです。もつと真劍にヒロポンの被害の如何に恐ろしいかということ、それからこういう社会に起つておるあらゆる悲劇等々をわかりやすく書いてパンフレツト等にしてこういうことをやられて来たか、

(略)

一昨日でしたか読売新聞ではヒロポンの問題を騒いでおることを阿諛しておる記事が出ておる。ヒロポンの害ということが書かれるよりも、ヒロポンによつて小説家がその仕事が進行するとか、或いはヒロポンを打つことによつて眠くないからやれるのである。

興味本位のことのほうが大衆の眼には映りやすいのです。ですから今新聞に報道したということは、当局のとられた態度とは受取れない。医師会にはどういう協力をお求めになつたか。

○政府委員(慶松一郎君) 医師会に対しましては、たびたび覚醒剤に対しまする指示、その他についての協力方を求めておる次第でございます。

○藤原道子君 それから私は素人でわからないのですけれども、医者の証明書というようなものはどういう病気のときにヒロポン使用の証明書が出るのでございましようか。

○政府委員(慶松一郎君) これは非常にむずかしい点がございます。その点につきましていささか御了解を得たいと存じます。

旧薬事法の第41條によりまして医師の処方箋又は指示によつて使うべき薬といたしまして指定されております、若しくはペニシリン或いは、ズルフアミン剤がございまして、それに昨年(略)ヒロポン等の覚醒剤も同様なものとして扱われるようなふうにいたしたのでございますが、

(略)

この指示という意味は、それは処方箋に準ずるものでございまして(略)

最近地方庁から医師が、この覚醒剤に対しまする指示といたしまして一ヵ月分であるとか、或いは一年分であるとかというような指示書をまま出しておるのでございます。それはすべてこの法の精神に合しておらない

(略)

従いましてこれは全く医師の良識の問題にも関する次第でございますが(略) 法的にはどうも違反であるとは言えない点、むずかしい点がございます。

(略)

この問題の解決は何らかの独立的な法規を作らない限りは非常に困難であるということになります。(略)

医者はそれはかわいそうであるということでまあやられるかやらないか、或いは脅迫されてやられるかということは一応別にいたしまして、そういう指示なり処方箋を渡すことも、これは法的に申しますれば違反ではございません。

(略)

例えば今日素人のものがこれを持つておりましても何ら罰則がございません。又密造されましたものを所持しておりましても、これを所持するだけでは罰することができませんのです。

(略)

そういうような立法的な措置が行われない限りは拔本的にはこれを取締ることに極めて難点があるということを御了解願いたいであります。


<以上引用>

◆ヒロポンは大日本製薬(現大日本住友製薬)の商標ですが、大日本以外にも
 同種のおクスリを作って売っていた会社があったということですね。
 (密造というのもあったようですが)

 上記議事録に名前が挙がった会社の沿革 
 昭和20年代はスルーです。

 旧大日本製薬の沿革
 昭和3年から昭和24年の間はスルー。

上記議事録から分るのは、この昭和25年末の時点では、処方箋さえ出ていれば、ヒロポンの所有・売買は犯罪ではないということ。(1年分という真実味のない処方箋も当時は問題なかった) せいぜい、街中の薬局が処方箋なしに売ったものくらいが摘発の対象になる程度。

「医者は(略)或いは脅迫されてやられるかということは一応別にいたしまして」
とあることから、反社会的な人たちから処方箋の発行を強要されていた部分もあったと想像されます。

▼また、この頃は医療報酬に「技術料」的なものが含まれておらず、医者は「各種のクスリを売る/処方箋を発行する」ことで生計を立てていた部分が大きかった様子。

参考:日本医師会 - 戦後50年のあゆみ 1950年
昭和24年秋から本格化した強制医薬分業をめぐる医師会と薬剤師協会の対立は,強制医薬分業の実施を願うGHQのサムス局長(公衆衛生福祉局)のあからさまな介入もあって,日本医師会を揺るがせた。

(昭和25年)4月の定例代議員会で選出された田宮猛雄会長,武見太郎副会長は,サムス局長の不信任通告を受けて辞意表明に追い込まれ,8月には後継会長に谷口弥三郎が選出された。

田宮会長は,4月にサムス局長に面会した際,強制医薬分業の実施に反対して,「日本人には医師の無形の学識,労力に報酬を支払う観念がなく,医師の診療報酬に技術料が含まれていない」との申し入れをしたが,この点にサムス局長が理解を示し,新医療費体系の検討が始まった。

<以上引用>


▼関連リンク
ドラえもん ねむくならない薬 の検索結果

ヒロポン関連の画像

20世紀ひみつ基地 より 覚醒剤「ヒロポン」の時代

中国人民解放軍が3日間眠くならない薬を開発(2011年)


前掲議事録のほぼ1年前のもの

第006回国会 参議院予算委員会 第10号 昭和24年11月30日

○説明員(慶松一郎君) 只今お話になりました覚醒剤でございますが、これは大体戰争中に陸軍、海軍で使つておりましたのは、すべて錠剤でございまして、飛行機乗りとか、或いは軍需工場、軍の工廠等におきまして工員に飲ましておりましたもの、或いは兵隊に飲ましておりましたのはすべて錠剤でございまして、今日問題になつておりますような注射薬は殆んど当時なかつたと私は記憶いたしております。

そうしてその終戰当時ございましたそれらの薬は、外の医薬品、或いは衛生材料と同様に、占領軍当局、進駐軍当局から厚生省に渡されまして、そうして外の薬と同じような方法によりまして各都道府県に配給いたしたと存じております。

併し私、当時から全体の薬の配給等に関係いたしておりましたが、当時におきましては余りそのことが問題になつておりませんでしたので、果してどういうふうに配給されたか、ちよつと今分らないと思います。併しいすれにいたしましても、今日問題になつておりました製薬は当時殆んどなかつたということが言えると思います。
<以上引用>

 ※この当時流行したヒロポンは、旧軍物資が市場に流出したものではなく、
  当時の製薬会社が当時せっせと作っていたものであることが想像される。

類似品 パンプロン (小野薬品工業、昭和24年) 
photoplay-6

メチルプロパミンとはメタンフェタミンのこと。
要はヒロポンと同じもの。
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50969121.html

_____

覚醒剤については

経験者としての意見です。
http://www.asyura.com/0310/dispute13/msg/131.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c7

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
8. 中川隆[-12266] koaQ7Jey 2019年2月11日 09:47:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

東京裁判は日本人に東京裁判史観・自虐史観を植え付ける為ではなく、皇族の戦争犯罪をすべて陸軍軍人に肩代わりさせる為に行われた

正直者は馬鹿を見る


おまけにこの連中 命令は全て口頭で記録は一切残さなかったらしい。

この代わりに命令の記録を残した連中が東京裁判で責任とらされたようだ。

東京裁判というのは関係者の皆さん全てご存知の上での猿芝居ではなかったのかとも思う:

48. 2013年10月03日 01:18:26 : ZsffPrh7kg

聞いたところでは遠縁にあたる親類の叔父さんは南方方面の物資補給艦に乗っていて潜水艦からの魚雷攻撃を喰らって死にました。

_物資の補給というキーポイントにいたから海軍の話は色色と聞いているよ。
戦況は完全に駄目だと相当前から云っていたようだ。

上官の程度が悪すぎるというのは日本海軍での通説のようだ。
今も同じで責任は一切とらないで逃げ回るだけなのがどうも伝統らしい。


大和がどうした以前の第一の問題として大本営発表の連中とこの上司の誰かさんが相当変なように思うよ。

おまけにこの連中命令は全て口頭で記録は一切残さなかったらしい。

この代わりに命令の記録を残した連中が東京裁判で責任とらされたようだ。

東京裁判というのは関係者の皆さん全てご存知の上での猿芝居ではなかったのかとも思う。

例えば大本営発表の連中とこの上司や予科練の指導官や神風突撃隊の指導官や憲兵の連中はほとんど生き残っているんでしょう。
従ってこんな馬鹿らしいタラレバの投稿を見るとムカムカするだけだよ。
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/813.html#c48


負けると分かった戦争に突き進み、いくら負けてもやめることはせず、原爆投下になって無条件降伏をした。45年2月、吉田茂などが関わり近衛文麿の天皇への上奏文がある。それは、米英は国体を守ってくれること、もっとも恐るべきことは敗戦にともなって起こる人民の革命だというものであった。

天皇とその側近がもっとも心配していたのは、国体が護持されるかどうか、自分たちの地位が守れるかどうかだけであった。だまされて死ににいかされた兵隊たちが返ってきたら、反乱を起こし、自分たちの支配の地位が剥奪されるという不安であった。

日米戦争に突き進むとき、すでに中国で打ち負かされており、戦死者は20万人近くになっていた。ここで支配勢力が心配したことは、中国撤退となると、天皇の権威が崩壊することであり、反乱・革命が起きることであった。そして日米戦争に突き進んだ。

天皇を頭とする政治家、財閥などは、原爆投下を絶好のチャンスとして、アメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争に駆り立て犠牲を強いた人人には何の償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう道を選んだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/beikoukanngagenbakutoukaseitoukawohatugen%20nihonsukuuzihibukaikouito.htm

私が会った皇室家族の二人は、私との会話に、1926年からの日本の支配者、裕仁天皇についての、いくつもの物語を滑り込ませていた。こうした物語は、印刷物として報じられたことはなく、私は最初、皇室内のゴシップとして聞き流した。
しかし、後にその全体の文脈で見ると、そこには取り上げるべき重要さが潜んでいた。

たとえば、真珠湾攻撃の夜、裕仁がマラヤからの短波放送を聞いていたとか、
彼はかって、息子をもつため、人工授精による出産をおこなっていたとか、
彼の誕生は、一般に言われているより一年早かったとのうわさがある、などなどである。


 こうした話から私が確信することは、裕仁が、少なくとも、そのように見せようとしているような、素直な歴史の被造物なぞでは決してないということである。

彼の侍従の話では、彼は、強力な独裁制の主唱者として登場してきたという。

彼は、卓越した知性の持ち主とも言われている。

1945年までは、彼は、政府のあらゆる詳細に明るく、すべての分野の官吏と逐一協議しており、常時、世界情勢についての全体的視野を保持していたという。

彼の、民事、軍事、宗教上の力は、絶対的なものと受け止められておりながら、
彼はそれをただ儀礼的に、かつ国務大臣の推奨を追認するのみで執行していたとも言われている。

また、どの話の中でも、彼は常に大臣の構想に遅れを取らずに助言を与え、
そして、彼が受け入れられるような推奨案へと舵取りしていたことが次々と語られている。

また、時には、反対する見解をも採用し、少数意見も受け入れ、あるいは、
ひとつの推薦案を丸々無視したとすらも認められていた。

裕仁天皇は、米国との戦争の布告に署名をしていた。それは、彼の意思にはそわずにされたものと言われていたが、戦争開始数ヶ月後の、近衛首相の退陣までに作成された記録には、そうした記述は残されていない。また、もし彼が戦争を差し止めようとしたならば、暗殺されたかもしれないとも言われている。しかし、こうした主張は、こじつけのようである。というのは、兵士も将校もすべて、天皇のために死ぬ備えをしており、彼を暗殺するほどにかけ離れた日本人は、戦争に反対の西洋化した銀行家や外交官だけであったからである。

 裕仁天皇は、1937年、軍隊を華北へ送る命令に判を押した。これも後に、意思にそわずに行われたものと言われ、また、その二ヵ月後には、華中、華南へ出兵する命令にも判を押した。

彼は参謀本部の躊躇した「軍国主義者」の忠告に従い、華南の命令の執行を不本意に延期した。彼は、戦局を自ら掌握できるよう、皇居のなかに、大本営を設置した。

当時の首相が天皇のあまりな傾倒に苦言を呈しているように、彼は戦争計画に没頭するようになった。

そして遂に、彼の伯父は、中国の首都、南京攻撃の命令を引き受け、南京のあるホテルに居を移し、彼の軍隊が、10万人を超える無防備の軍民双方の捕虜を殺しているのを傍観していた。それは、第二次大戦でおこなわれた最初の集団虐殺で、この伯父が東京に戻った時、裕仁は、自らでかけて、伯父への名誉の勲章を与えた。

 それをさかのぼる1931年から32年、裕仁は、満州領有に許可を与えた。これも後になって、不承々々のものとされたが、彼は、自らが代表する天皇の統帥機関により生じた企ての全的責任を負うことに躊躇していた、と当時の記録は明確に記録している。そしてふたたび、この領有が完了した時、彼はその実行者たちに勲章をあたえ、その大将を自分の侍従武官兼軍事輔弼〔ほひつ:天皇への助言者〕の主席にさせている。

 こうした明白な諸事実より、天皇裕仁の行為と、後年、彼について語られた言葉との間には、大きな食い違いがあると結論付けうる。

私は、資料文献を読みながら書き留めたノートのすべてを見直しかつ再考察し、日本の近世の歴史は、第二次大戦以来提起されているように、一部、参謀本部の逆諜報専門家や、一部、皇室取巻きの上層部によって、戦争末期に捏造された幻想に巧に由来している、と確信するようになった。

 こうした日本の表向きの物語は、何度も、すでに生じていたことがその結果にように引き合いに出され、論理的に逆転している。偶然な出来事や自然発生した大衆行動が、高官レベルで、それに先立つ数ヶ月あるいは数年前に、実際に議論されていたことを、その時々の資料は、一度となく示している。天皇の主席政治輔弼、内大臣(訳注)は、慣例のように次期首相を任命し、現職首相の職が危ういような政府の危機の際には、それに先立つ数週間ないし数ヶ月間は、「彼の特務期間」と呼ばれた。そのやり取りは記録として残されてもおり、その中で内大臣は、続く二代の政府の組閣構成やその成果を、正確に見通している。

終戦時、オーストラリア、ニュージーランドそして中国の高官はすべて、裕仁天皇は日本の君主であり、日本の戦争責任者のリストの先頭におかれるべきであることに同意していたことを、キャンベラの書庫で発見して、私には心をやわらげられるものがあった。彼らは、その後、マッカーサー将軍の決定――天皇を国際法の下の戦争犯罪人とするより日本の復興のために用いる――(私自身、これは賢明な決定と思う)に従った。

私の調べた確証から浮かび上がる天皇の姿は、公式の伝記にあらわれる姿とは、まるで写真のネガとポジのように異なっていた。

私の見方では、裕仁は、献身的で、衰えを知らず、利巧かつ細心で、そして忍耐力を備えた、卓越した戦争指導者だった。

彼は、アジアから白人を追放するというその使命を、大祖父から引き継いでいた。だが、国民は無関心かつ後進的であったので、人々をそうした役務にかりだすため、戦争の20年前から、心理的、軍事的に準備を重ね、巧みにあやつっていった。

公式の人物像は、これとは逆に、裕仁を、魅力に乏しいところの多い、文化的な隠居した生物学者で、自らの公務は将官や総督にゆだね、そのすべてのエネルギーをおだやかに、きのこや小さな海洋生物につぎこむ人、と描いていた。

その年の一月、私の調査が終わろうとしていた時、原書房という東京の小さな出版社が、戦時中の陸軍参謀総長、杉山元〔はじめ〕大将が1940年から44年に書きとめた備忘録〔『杉山メモ』〕を出版した。これは、日本国家の最高位の軍事将校による歴然たる手書き資料である。杉山は日本が降伏した1945年に自殺しており、彼の記録を装飾する機会はなかった。記録のほとんどは、無味乾燥な軍事的詳細か、さらに単調な軍事用語で満たされていた。しかし、そのうちのいくつかは、裕仁との会話の言葉どおりの記述である。

それらは、裕仁が、真珠湾攻撃の数ヶ月前、軍事的、経済的計画について、詳細な質問をしていることを記していた。

それは、マッカーサー将軍が語ったという、裕仁が戦後将軍に告白した――1941年にはすべての軍事的、経済的事柄については無知であった――という発言と真っ向から食い違っていた。

 最も驚くべきことは、1941年1月、対米戦勃発の11ヶ月前、裕仁が独自に、真珠湾への奇襲攻撃のフィジビリティー調査を命じていることを、『杉山メモ』が記録していることである。

それ以前では、欧米の歴史家は、少なくとも1941年11月までは、裕仁は真珠湾奇襲攻撃計画については何も知らなかった、と信じていた。1941年当時の侍従長、鈴木貫太郎は、戦後、裕仁は真珠湾攻撃計画については、それが実行されるまでは知らなかった、とはばかることすらなく記している。

 『杉山メモ』はまた、裕仁は、真珠湾計画に、彼の公式軍事輔弼がそれを告知される丸六ヶ月前の段階で、参加していたことを明らかにしている。極東国際軍事法廷の連合軍判事たちに提示され、また、宣誓のもとでの目撃証言や緻密な調査によって検証された証拠は、裕仁を戦争にまで引きずり込んだとされる「軍国主義者」の誰もが、1941年8月まで、真珠湾計画を知らなかったと結論ずけている。


国際軍事法廷は、日本人指導者に「侵略戦争への陰謀」との判決を下し、1928年から1936年の間の日本を運命付けた少なくとも八件の主要陰謀を明白とさせた。また、陰謀は、日本文化においては、古くから、由緒ある地位に置かれてきた。戦前の日本の領土軍〔植民地配属軍のことか〕は、公式に「謀略部」と称する参謀チームを設けていた。

私は、その連合国判事が判明させたリストに、さらに六件の陰謀を加え、それらのすべてを、裕仁を中心とする皇室がからむ陰謀とした。裕仁は、秘密裏に少数派に働きかけ、最初は日本を欧米との戦争に導き、そしてそれに敗北すると、その記録を隠蔽した。

欧米の歴史家は、日本人をえがくにあたって、集団ヒステリーの産物という考えでもってあまりに懲り固まっているようだった。

日本経済の記録は、そうした思い込みが誤りであることを示している。わずか一世紀昔の1868年、日本の経済発展は、1485年にヘンリー七世が王座にあった英国に相当すると見られていた。

過去一世紀の変貌は、常軌を逸した不可解な人々によって成し遂げられたのではなく、もっとも勤勉で知的な人々によってなされたのである。

私は、これまでの生涯、日本人に畏敬とそれを知ることの喜びを感じてきた。日本の指導者たちが、欧米の指導者たちと同様に、極めて賢い人たちであるということは、この著作の基本的前提である。

1945年、連合軍がドイツを制圧した際、何百万ページもの国家文書が発見された。これに対し、連合軍が取り決められた日本の占領を始めた時、戦争終結からまだ2週間しかたっていないにもかかわらず、アメリカ人の手に入ったもので、何らかの重要性をもつ文書は、日本人によって自発的に提供されたものであった。

1937年より1945年まで皇居において天皇が議長を勤めて行なわれた天皇本部の会議議事録は、すべて焼却されたと言われている。陸軍参謀本部、海軍参謀本部、特高警察のファイル類の大半も、同様であった。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm


天皇の7人の最も「忠実な下僕」が絞首刑に、18人が占領の間中の投獄、そして、天皇自身は皇位から退位もせず、「立派な自由主義的な紳士」となった。

1948年12月22日、絞首台に向かおうとする東条、松井ほか5名の男たちは、全員で天皇に「万歳」――裕仁朝廷の永世を誓う――を唱和した。

その処刑に立合う責を負った連合軍の外交代表は一列となって、死刑判決を受けた者らの冷徹なユーモアとも映る行動を、深い印象と共に目撃していた。

裕仁のみが生き長らえ、そして記憶にとどめられていた。

戦争後の四年間、彼は戦前からの擦り切れた背広のみを着て、人々とみじめさを共有する姿勢を表した。

そして1949年、アメリカの新聞が彼をぼろを着て散歩していると報じたと家臣が告げたことを契機に、彼は、彼の結婚25周年を記念して、背広を新調することを受け入れた。

その数年後、作家、小山いと子が、皇后良子について小説を書いた時、その新しい背広について書いて話を終わらせていた。

天皇はイソップやアンデルセンを好み、この作家は、彼女の「天皇の新しい服」という喩えが、彼の好感をさそうだろうことを予期していた。

 「天皇の新しい服」は、喩え話として、1950年代を飾った。1940年代の西洋の判事と報道記者の執拗な疑念は忘れ去られた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


大本営は兵隊をわざと死なせるような作戦をやった

まともな戦争ではなかった――ほとんどが餓死か病死だった

武器も食糧も持たせず死ぬとわかった輸送船に乗せて送り出した

敗戦したとたんに、天皇も財界も官僚、政治家も平和主義者のような顔をした

そして日本はアメリカの属国になった


あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。

日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。

だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。精神主義とかいっているが、その気じゃないのだ。マッカーサーが日本に上陸するのが8月15日から2週間後の30日だ。司令官がすぐ乗り込めるのだ。


丸ごと米単独占領 支配階級・日本を米国に売る

占領軍には1発も銃弾は飛ばなかった。

あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。

マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。

ドイツの場合は行政機構は壊滅しており、官僚機構も軍隊も解体したが、日本は軍隊は解散させるが、官僚機構はすべてそのまま残した。日本は空襲でも官庁がやられていない。国会議事堂はそのままきれいに残った。大蔵省や日銀も戦前からの建物がそのままだ。

ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった。日本は違った。悪かったのは軍部だけで、天皇はじめ、官僚機構がそうだし、独占企業、マスコミ、全部が元元平和主義者のような顔をして生き残った。それが単独占領を保障したわけだ。みなアメリカに協力して民族的な利益を売り飛ばしていった。

アメリカは日本占領に50万人の兵力を用意していた。しかし20万人でよいといって削った経緯がある。戦前の体制がそっくりアメリカの配下になったからできたことだ。いかに日本の支配階級が売国的かがわかる。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm

日本は海外に巨大な権益を持つ帝国主義国であるがアメリカの屈辱的な植民地的隷属下にあるという特質を持っている。

 このような日本社会のさんざんな崩壊状況は第二次大戦に根源がある。
あの戦争では320万人が犠牲となった。あらゆる家族で親類に戦死者がいないところはないというほど殺された。

あの戦争は天皇を頭とする独占資本集団が、国内をさんざんに搾取収奪して、
狭隘な国内市場から海外に求めて侵略につぐ侵略、戦争につぐ戦争を繰り返し、
最後に中国への全面侵略戦争を引き起こし、米英仏蘭列強の植民地争奪戦に突入して敗戦となったものであった。

 ところがアメリカの対日参戦は、アジアをファシズム国の侵略から解放するためでも、社会主義ソ連とともに日独伊ファシズムとたたかって民主主義の世界を実現するためでもなかった。

アメリカは中国市場を奪う野望とともに、日本をたたきつぶし単独で占領するという明確な計画を持って臨んだものであった。

 そして天皇をはじめとする独占資本集団、政治家や官僚、大新聞など、戦争を指導してきた支配層は、人人には「鬼畜米英」「一億総玉砕」などとあおり立てながら、実際には「国体の変革」すなわち人民の革命を恐れ、米英に救いを求めていった。

自らすすんでアメリカによる日本支配を担うこと、日本の民族的な利益のすべてを売り飛ばすことによって、自分たちの支配の地位を守ってもらう道を進んだ。


現在むき出しにあらわれた日本社会の植民地的隷属状態は、日本の政財官界から新聞界などあらゆる支配勢力が、アメリカの利益のために自ら進んで日本の民族的利益を根こそぎ売り飛ばしてきたことによって進行した。

かつて旧満州を統治するのに六〇万余の軍隊を必要とした。

かつてマッカーサーは「天皇は一〇〇万の軍隊に匹敵する」といったが、
四万人ほどの米軍で日本を隷属支配しているのは、アメリカの意向をくんで自分から進んで働いて地位を得るという売国的な支配勢力の存在があるからである。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/anpokaiei50nensengo65nenwotyokusi.html


昭和天皇の身代わりになって処刑された東条英機


御文庫といって天皇の宮殿の地下深くに御文庫を作り

そこに大本営を置いて天皇が参謀たちを集め図面を置いて

毎日毎日、今度はここ行けここ行けと指図をするわけ

それを指図ができると東条英機が受けてですねやるわけです

だから参謀たちが天皇を大参謀に、参謀たちが戦争計画を作り、それを東条に渡すわけです

東条英機は大文庫に、御文庫の中には入れないわけです

他の連中も

そういうシステムで戦争が進んでいく訳です
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes


東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2

1947年の12月、戦時中の首相、東条は自らを弁護して証言台に立った。
彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は
限度を越えていた。

中には、天皇自身が、東条の命令不服従の不実を非難しているとさえ報じられていた。あるいは、日本の新聞は、東条が自決しようとして、刀ではなく拳銃を使ったことを、臆病者と呼んでいた。東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた

1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人
ログマンはこう質問した。

「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、
あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」

 東条 そういう事例はもちろんありません。私が知る限りにおいてはありません。
のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。 いわんや、日本の高官においておや。


ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。

裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、
よく理解できるはずである。

 まさしく、それは誰もが知っていたことだった。

そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。

だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で
天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。次いで松平は、同僚の
側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。

東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。
彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。

木戸はまた、
刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。 小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。

二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。

彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、

自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


内閣特別顧問の石原莞爾――退役した満州戦略家――は、敗戦の説明をおこなうため、全国の津々浦々を行脚した。

彼の話す内容は、戦争を始めたのは元首相東条であり、彼以外に責任はない、という単純なものであった。

1930年代初め、石原と東条は、天皇の支持を取り付けるため互いに争っていた。だが東条が勝利していた。今、東条を犠牲者に祭り上げるにあたり、石原ほど詳細を知るものはいなかった。

出身地東京で一年以上の退役生活を送っていた東条は、その中傷を冷徹に受け入れ、戦争の責任を全面的に負うのが自分の意思であると、友人たちには内々に語っていた。

友人たちは彼の意思を尊重したが、以前の部下や下僕たちはそれに反発した。たとえば、官邸に20年間使えてきた給仕は、東条を、もっとも人間的で思慮深い人物であると述べていることが幾度も取り上げられていた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_3a.htm


マスコミ報道等では、第二次世界大戦は日本の軍部が独走し、
天皇は仕方なくそれに引きづられた・・という事になっている。

そのため戦争中首相であった東条英機は戦争犯罪者として処刑され、
天皇は「罪を問われなかった」という事に「なっている」。


1944年7月20日、天皇の東条英機あての勅語。

「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下に
十分職務を果たした。」・・()内部、筆者の注。

ここで天皇自身「が」主体となって戦争を行っている事、つまり軍部に引きづられて
戦争が行われているのでは無い事、

東条が「天皇の指導の下」にその命令通りに戦争を行って来た事を、天皇自身が証言している。

天皇は、自分の行った戦争の責任を全て東条に押し付け、東条を処刑させ、
自分だけ生き延びたのである。

戦争中、東条は1日に3回天皇を「御機嫌うかがい」のため訪問し、
政界では「ゴマすり東条」と批判されていた。

東条を始めとした政界軍部が「強引に戦争を行い」、天皇がそれに引きづられる等という事は、
この東条と天皇の「力関係」から見て有り得ない。

天皇は東条に全責任を押し付け、自分だけ生き延びたのである。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49704032.html

キーナンは、自分が技巧的に追及してきたその判決を聞いた日の夜、
彼の切り札証言人、田中隆吉と一杯飲みに外出した。彼は酔いにかまけつつ、

「馬鹿げている、まったく馬鹿げた判決だ」と口にした。彼が最も反対してきた判決は、
松井――南京攻略の際、その命令が悪用された痛ましい小柄な大将 松井石根――の死刑だった。

 公正は私に、被告に有罪を決定する際、天皇の免責について再考するよう、求めている。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c8

[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
9. 中川隆[-12265] koaQ7Jey 2019年2月11日 09:56:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

東京裁判は日本人に東京裁判史観・自虐史観を植え付ける為ではなく、皇族の戦争犯罪をすべて陸軍軍人に肩代わりさせる為に行われた _ 2


昭和天皇はGHQ やマッカーサーとどういう取引をしたのか?

東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。

東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?

天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。
天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね。


▲△▽▼

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。


アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。

____


アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。

だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。

アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」

日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。

三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。

___


ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】

@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。

A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。


ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。
http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm
http://nueq.exblog.jp/20875307/

▲△▽▼


2018.12.03
精算されていない日本の過去(1/2)

 第2次世界大戦中、日本は占領した東アジアの国々で人びとを強制的に動員して働かせた。徴用工だ。日本では1938年に国家総動員法が制定され、翌年に公布された国民徴用令によって厚生大臣は強制的に人員を徴用できるようになった。


 この仕組みを国外で外国人に適用すれば国際問題になる。韓国との問題では1965年の日韓請求権協定で解決したことになっているが、日本側も個人の請求権は消滅していないことを認めている。韓国の大法院もそのように判断、日本の企業に賠償金の支払いを命じたわけだ。


 日韓請求権協定自体の問題を含め、日本の過去は清算されていない。アメリカ支配層の力を借りて封印してきただけである。アメリカの力が弱まったことで、問題が表面化してきたと言えるだろう。韓国は何年も前からロシアや中国との関係を強め、アメリカから離れつつある。アメリカの属国である日本に気兼ねするような状況ではなくなってきたのだ。


 本ブログでは何度か書いたことだが、日本軍は東アジアの占領地で財宝を組織的に略奪している。「金の百合」だ。


 アメリカ人ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、プロジェクトが始まるのは日本軍が南京を攻略した1937年。政府が保有する資産を奪うだけでなく、銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪したという。財宝を探し出すため、憲兵隊は目をつけた家の娘を誘拐することもあったという。娘と引き換えに、隠した財産を差し出すか近所や親戚の財産に関する情報を教えろというわけだ。貧しい家の娘は売春宿に連れて行かれたともシーグレーブ夫妻は主張している。


 この南京攻略戦に参加した少なからぬ日本軍の将兵が陣中日記の中で軍命によって捕虜を射殺したと記録しているが、個人的な略奪、殺戮、レイプなどもあったようだ。


 この作戦当時、特務機関員として活動中だった中島辰次郎は、南京市内で「虐殺」と呼べる出来事があったことは間違いないと明言、総数はわからないとしたうえで、死体が山積みになった光景を見たと話していた。(筆者自身の取材)


 また、支那派遣軍の岡村寧次総司令官が「大暴行があたのは事実」と書き残しているほか、外務省の石射猪太郎東亜局長は「南京に於ける我軍の暴状」の報告に「目もあてられぬ惨状」と書かれていたと日記に記している。中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将は師団長クラスの退廃ぶりを嘆いていた。


 南京攻略は形式上、松井石根が最高指揮官なのだが、実際は朝香宮鳩彦、昭和天皇(裕仁)の叔父にあたる人物だったと言われている。


 スターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、「金の百合」を指揮していたのは天皇の弟である秩父宮雍仁で、その補佐をしていたのが天皇の従兄弟にあたる竹田宮恒徳だという。秩父宮は駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルーと親しい。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812030000/

2018.12.03
精算されていない日本の過去(2/2)


 日本軍が中国など大陸で略奪した財宝はフィリピンに集められ、そこから日本へ運ばれる手はずになっていた。実際、一部の金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)隠し場所として、さまざまな場所の名前が挙がっている。


 ところが戦況の悪化で輸送が困難になり、相当部分がフィリピンの山の中に隠された。日本の日本の敗戦が決まった当時、フィリピンを担当していた日本軍第14方面軍の司令官が山下奉文大将だったことから隠された財宝は「山下兵団の宝物」とも呼ばれている。その山下は1946年2月にマニラで処刑された。


 アメリカの情報機関は戦争中から「金の百合」に関する情報を持っていて、日本が降服するとすぐに回収工作を始める。関係者への尋問は戦時情報機関OSSのエドワード・ランズデール大尉(当時)が指揮した。後に対キューバ工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる人物だ。


 OSSが廃止になるとランズデールはチャールズ・ウィロビー少将が率いるフィリピンのG2(アメリカ陸軍の情報部門)へ配属になり、尋問を続ける。財宝のありかを聞き出したのはランズデールの部下だったセベリーノ・ガルシア・ディアス・サンタ・ロマーナだ。


 その情報は東京やワシントンDCに伝えられる。その際、ランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当していたスタッフにも会っている。


 この報告を受けたヘンリー・スティムソンは財宝をアメリカの国際戦略に利用しようと考える。1945年9月21日までスティムソンは陸軍省(戦争省)の長官で、その下にはジョン・マックロイやロバート・ラベットなどウォール街の大物がいた。


 アメリカの支配層が手に入れた略奪財宝は「金の百合」以外にもあった。ドイツ軍がヨーロッパで略奪した「ナチ・ゴールド」だ。ジョン・ロフタスとマーク・アーロンズによると、ナチスがヨーロッパで略奪した資金はOSS長官だったウィリアム・ドノバンが1946年に設立したWCC(世界通商)でロンダリングされ、タイへ運ばれたという証言もある。(John Loftus & Mark Aarons, “The Secret War against the Jews”, St. Martin’s Press, 1994)


 WCCをドノバンと共同で設立したのはイギリスの対外情報機関MI6の下部組織、BSC(英国安全保障局)の責任者だったウィリアム・ステファンソン。WCCの後ろ盾にはネルソン・ロックフェラー、ジョン・マックロイ、シドニー・ワインバーグ、ビクター・サッスーンも含まれている。(Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010)


 「金の百合」と「ナチ・ゴールド」は統合され、「ブラック・イーグル・トラスト」と呼ばれる秘密の基金が創設されたとも言われている。こうした秘密資金がアングロ・サクソンの世界支配に利用されたということになる。


 「金の百合」に関する情報は1980年代の後半から流れるようになった。切っ掛けはフェルディナンド・マルコスの失脚。1983年8月にマルコスのライバルだったベニグノ・アキノが空港で射殺され、マルコスに対する抗議運動が激しくなり、それを利用してアメリカ軍がマルコスを拉致したのだ。国外へマルコスが出ると財宝に関する裁判が起こされ、情報が漏れ出てきたのだ。


 マルコスは1954年にイメルダ・ロムアルデスと結婚しているが、ふたりを引き合わせたのはランズデールの部下だったロマーナ。ロマーナはイメルダと親しかったようだ。マルコスは日本軍が隠した財宝の一部を掘り出し、それを資金源にして大統領というポストを手に入れたと言われている。


 ロナルド・レーガンが大統領に就任した直後、マルコスはブラック・イーグル・トラストに関して沈黙を守る代わりに援助という名目でフィリピンにカネを回すようにアメリカ政府へ要求した。つまり恐喝だ。当然、アメリカや日本の政府は警戒するようになる。それがマルコス失脚の原因だという。


 詳細は割愛するが、アメリカが日本の過去を封印する手助けをする理由のひとつは略奪財宝にあるだろう。日本の過去を本当に精算しようとすれば、アメリカが大戦後に築いた世界支配の仕組みが明らかになる。日本の場合、薩摩と長州が徳川体制を倒した明治維新から現在に至るまでの歴史も見直さなければならなくなる。本ブログでは何度も書いてきたが、血盟団や二・二六の将校が何を見、なぜ怒ったのかを理解する必要もある。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812030001/

天皇の金塊、金の百合とは?
【天皇の金塊とは】

天皇の金塊とは、「金の百合」といわれているものである。
「金の百合」とは、金塊と財宝は天皇家所有の財産である、として1937年に名づけられた。
宮中の歌会始めのお題をあてた名前だった。

1945年(昭和20年)6月1日深夜、日本陸軍がアジア12カ国から奪った巨万の財宝をフィリピン各地の175ヶ所のトンネル地下サイトに隠し終えた。
最後に爆破した、地下倉庫8号サイト一ヶ所に蓄えられた金塊の量だけでも、たとえば3〜4世紀前に西欧に開設された全銀行が保管した金塊の総量と、第一次世界大戦時に世界一の金塊保有量(公称3千数百トン)を誇ったアメリカの全量の10倍を上回る勘定(数万トン?)であった。
つまり残る174箇所の地下サイトに保管された金塊財宝の総量は計り知れなかった。
175箇所のサイトに秘蔵された推定金塊総量は未確認だが、現地の信頼できる筋からの情報では、アメリカのCIAとイギリスの情報機関MI-6が15年間に推定した全サイトの金塊埋蔵量は合計14万1000トン。その内訳は、バチカンの名義分が1万4000トン、日本皇室の名義分2万4000トン、残りの10万トン余りは名義が特定出来ない(強奪先が不明)とのこと。

財宝を隠すのを現地で指揮していたのは、キムスと呼ばれた竹田宮恒徳(つねのり)(皇族)であった。


【天皇の金塊がどうやって集めら(強奪さ)れたか】
日本陸軍の高級官僚たちは、天皇の名のもとに、日本将兵と日本から呼び寄せた愛国者団体の黒龍会や玄洋社のリーダーや手下の荒くれ者たち、中国の地下組織の構成員たちを使って、アジア12カ国から金銀財宝を強奪した。
 12カ国とは、
 朝鮮半島、満州、中国、インドシナ半島、インドネシア、フィリピンなど。

 各国の政府の金庫や民族の祖先を祭る場所、銀行、博物館、華僑の会社金庫、個人住宅の裏庭など、ありとあらゆる場所にある金銀財宝(「金の百合」)を漁って強奪した。

強奪した金塊財宝類は、朝鮮半島から船と飛行機で日本に運ばれた。
これを軍人や政府官僚たちは「戦利接収品」と呼んだ。
これらの金塊財宝は、日本銀行の本支店、横浜正金銀行や第一銀行、三和銀行、それに何箇所かの博物館などに保管された。
金塊の一部は金貨やインゴッドに鋳造して流通された。
その他の金塊財宝は陸海両軍の倉庫に保管された。
戦後、隅田川の運河に面した東京月島の倉庫からは数十億円規模の金塊を詰めた木箱が、日銀の地下室からは数百億円を優に超えるダイヤモンドがアメリカ兵に押収されている。
占領軍の将校が、「これほど豊富な資金を持ちながら、なぜ日本が戦争に敗れたのか。。。」とつぶやいた、というエピソードが残っている。


【フィリピンの地下に隠された天皇の金塊(の一部)】
アジア諸国から強奪してきた金塊財宝はフィリピンにも集められた。
しかし1943年ごろからフィリピンと日本を結ぶ洋上航路は連合軍の潜水艦に封鎖され、日本に送れなくなった。
そこでやむなくフィリピン各地の地下(175ヶ所のトンネルサイト)に分散退蔵することとなった。

分散退蔵に従事した人々の様子をベン・バルモス・ハーミン(将校の世話係 兼 現地案内)は語っている。
 サン・フェルナンドの前線本部では軍人将兵より多い数の民間の専門家たちがいた。
 ・天然洞穴の空間や地面を掘削してトンネルを通したり、そのトンネルを繋いで地下構造物を拡大新設する民間人。
 ・鉱山技師、地質学者、建築家など。
 ・セラミック塗料で加工して地盤や地肌を偽装する職人、地下施設の随所に爆薬を装置して侵入者を防ぐ破壊専門家、同様に有毒化学物質とシアン化合物が自然粉砕するガラス類と化学薬品の科学者など。
 ・作品の年代や作者、歴史価値を判定する陶磁器専門の人。
 ・金の含有量の検査や鋳造、鉱物資源を分析する人。
 ・青銅製品や書画骨董類、それに歴史遺産に精通する大学教授や博物館の学芸員。
 ・仏像仏具の価値に審美眼を持つ日本の著名な寺院の仏僧。
 ・アジア全域の地形や地理に通じた専門家。
 ・日銀、三井、三菱、住友、第一銀行や横浜正金銀行から出向して、アジア12カ国政府と銀行所有の膨大な数の債権類や紙貨幣、それに財務資料や帳簿類を調べる行員たち。
 彼らは、地下構造物とその空間に退蔵する金塊財宝の鑑定と保存をするために働いていた。
 奴隷として作業させられていたのは、朝鮮人・中国人・フィリピン人、それにイギリスやオランダの捕虜たち。
 管理していたのは”日本人ヤクザ”たちであった。

 各サイトは地中で繋がっており、メインとなる8号サイトの出入り口を爆破してしまえば、他の空間も連鎖的に破壊できる構造になっていた。

 1945年6月1日、その8号サイトを爆発処理したのは、昭和天皇の従兄弟、陸軍中佐 竹田宮恒徳(つねのり)と、フィリピン防衛を指揮した陸軍大将 山下奉文(ともゆき)とベン・バルモス・ハーミン。

地下で繋がったトンネルサイトの所在を示す精密な地図(暗号で示された)は、キムスこと竹田が潜水艦で日本に持ち帰った。


【そして、中盤へ。】
そんな風にして集めた金塊だが、そもそも戦争事業者である世界金融資本家たちの、さらに上位にあるロイヤル・ファミリーの私有物である、と言う。
そして、この構造が明らかにされたのは、「金の百合」資金で大統領の座を買い取った、フェルディナンド・マルコス、の裁判が行われたためである、と言う。

少しだけ書く。
マルコスは地下から天皇の金塊の一部を、地下から掘り出し(これも巨大な量)、換金していた。
そしてマルコス裁判では、その換金の過程が解る、金融世界の大物たちの関わった証拠となる資料が公表された。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=237926



▲△▽▼



竹田恒和の父親は中国で組織的な財宝略奪を指揮した人物
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201901130000/
2019.01.14 櫻井ジャーナル

 日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長を訴追するための予審手続をフランスの司法当局は始めたと伝えられている。2020年に開催が予定されている東京オリンピックの招致に絡む贈賄容疑だという。

 昨年(2018年)11月19日に東京地検特捜部は日産自動車の会長だったカルロス・ゴーンと代表取締役のグレッグ・ケリーを逮捕したが、これと竹田の予審手続を関連付ける見方もあるようだが、フランス当局が捜査を開始したのは2016年だ。

 国際陸上競技連盟(IAAF)の会長だったラミン・ディアクの息子に関係するシンガポールの銀行口座に約2億2300万円の送金があり、IOC委員の買収が目的だったのではないかという疑惑が持たれたとされている。この支払いを認めたのが招致委員会の理事長だった竹田だった。

 竹田恒和の父、竹田恒徳もJOCの委員長だった。任期は1962年から69年、つまり1964年の東京オリンピックを挟んだ時期にあたる。

 竹田恒徳は昭和天皇のいとこにあたり、ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、1937年から敗戦まで秩父宮雍仁の下で組織的な財宝の略奪、いわゆる「金の百合」を指揮していた。この秩父宮と竹田恒徳はジョセフ・グルーと近い関係にある。

 グルーはいとこのジェーンが結婚した相手はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥。グルーの妻、アリスの曾祖父にあたるオリバー・ペリーは海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 こうした背景があるため、グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていた。特に親しかったとされている松岡洋右の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。

 第2次世界大戦で敗北した日本の進む方向を決めたのはウォール街を後ろ盾とするジャパン・ロビーだが、その中心的存在もグルー。日本の戦前レジームと戦後レジームはつながっているのだ。

 金の百合で略奪された財宝はフィリピンに集められ、そこから日本へ運ばれる手順になっていたが、途中で日本への輸送が不可能になり、相当量がフィリピンに隠された。その隠し場所を聞き出すために日本軍の将校を尋問したのがエドワード・ランズデール。表面的には軍人だが、実際は戦時情報機関OSSのオフィサーだった。

 竹田は戦後、邸宅を堤義明の西武グループに売却、そこに建てられたのが高輪プリンスホテルだ。敗戦で資産を失ったという演出だったが、実際は資産を隠していたと言われている。堤義明は1989年から90年にかけてJOCの会長を務めた。

 竹田恒和は日本とアメリカの深層海流とつながっている。フランス支配層はそこを意識しているのだろうか?



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c9

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
5. 中川隆[-12264] koaQ7Jey 2019年2月11日 18:34:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019.02.11
産経記者のネトウヨ性——佐々木類(論説副委員長)がヤバい
https://rondan.net/15289


Contents

1 ネトウヨ御用達「産経新聞」
2 記者の思想性
3 NHKはフェイクニュース
4 文治的報道を罵倒
5 韓国に強硬姿勢が国益につながる
6 WGIPを信じるというスゴさ
7 まとめ


ネトウヨ御用達「産経新聞」


「ブーメラン」「反日日本人」「WGIP」「コミンテルン」といったネトウヨ御用達のスラングを記事でガンガン使ってしまう産経新聞の革新性には驚かされます。朝日新聞や読売新聞などではこういった語は殆ど用いられず、言葉の使い方という点ではよほど保守的です。

産経新聞はいわゆる右向きな保守層やらネトウヨ層をターゲットにした紙面作りに特化しており、それはそれで価値はあると思うのですが、あまりの馬鹿々々しさに心配になるときがあります。

ところで、次のようなことが言われることがあります。産経新聞の記者たちは、読者に喜んでもらうために右寄りな記事を書いているだけで、当人たちはノンポリである、というようなものです。


関連記事産経新聞と朝日新聞の「ネトウヨ用語」頻度の比較――「ブーメラン」「反日日本人」「WGIP」「コミンテルン」……
2019年2月10日
記者の思想性

確かに産経新聞の記者だからと言って、必ず全員が右寄りなはずはありません。また逆に朝日新聞の記者だからと言って、全員が左寄りでないのと同じです。たとえば、長谷川熙氏は元朝日新聞の記者ですが、今では熱心なアンチ朝日になっています。

ですがこの一方で、朱に交わり赤くなったのか、それとも元々そうだったのかは解りませんが、「THIS IS SANKEI」といった記者も存在します。今回はそんな「これぞ産経」な記者である、論説副委員長の佐々木類氏の言説を取り上げたいと思います。出典は『ジャパニズム』47号(2019.2)収載の「新聞記者が一刀両断! 日本の偏向報道」です。

NHKはフェイクニュース

産経新聞の記者らしくフェイクニュースに極めて敏感な佐々木類氏。さすがファクトを重んじる産経新聞といったところでしょうか?

過日騒動となったレーダー照射問題の報道に怒りを覚え、NHKに次のように噛みつきす。


日本放送協会。そう、天下の公共放送にして高給が批判の的となっているNHKのフェイクニュースだ。まるで海自のP1が韓国駆逐艦「広開土王」に異常接近したためにレーダー照射された―と錯覚するような合成写真を垂れ流したのだ。

良いですね。この出だし。「高給が批判の的」とか本筋と全く関係のない僻みが入っているところがツボです。そういえば産経新聞は経営危機で、ボーナスも碌に出ず、早期退職希望者募集中だそうですが、佐々木類氏は大丈夫でしょうか?

で、フェイクだというのは、次の画像のことです。

この写真を見ると自衛隊機が韓国船に異常接近しているように見えるからフェイクだというのです。

……。

考え過ぎだろ(笑)

事実、佐々木氏自身が「素人が見ても合成であることが分かる」とフェイク説を一蹴。


P1はなぜか車輪がすべて出ていて、素人が見ても合成であることが分かるのだが、一瞬騙されそうになるから厄介だ。

「自分でマッチポンプしてて楽しい?」と聞きたくなるレベルの言説ですね。しかしネット掲示板レベルの駄論を全国紙の新聞記者がしてしまうとは…。


文治的報道を罵倒

もちろん産経新聞の記者らしく、韓国に対しては超絶強硬姿勢。先のレーダー照射問題に対する「喧嘩両成敗」「両者ともに落ち付け」的な報道を罵倒。


そして、ニュースキャスターはこう、したり顔でまとめてみせた。「冷静にいきたいですね。日韓関係のさらなる悪化にこの問題、繋がらないか心配です」。
あなたはいったい、どこの国の公共放送でキャスターをしているのか、と聞きたくなるほどの胸くその悪さだ。


(朝日新聞も)NHKと同じ、ケンカ両成敗である。「日韓両政府が言い争いをしている」とはなにごとか。


こういうNHKや朝日、毎日新聞といったメディアが韓国をツケ上がらせてしまうのである。

こういう「先生に叱られない範囲で威張り散らす小学生」みたいなところが産経新聞の良いところです。

韓国に強硬姿勢が国益につながる

しかも佐々木氏の理解では、このレーダー照射騒動の一件は、韓国から銃口を突き付けられ、宣戦布告を受けているようなモノなんだそうです。


100%相手に非があり、自分の息子や娘が銃口を突き付けられて相手を批判しているときに、「言い争いはやめろ」と両者をなだめようというのか。


「今後も隣国ゆえの大小のトラブルは起きるだろう」などと暢気なことを言っている。これは、赤化統一の道を邁進する文在寅政権の形を変えた、わが国に対する「静かなる宣戦布告」なのである。

ここまで言うからには自衛措置で韓国船を沈めろくらい言うのかと思ったら、産経新聞は謝罪の要求しかしていないそうです(笑)


事件の発覚を受け、社説で最初に反応したのが産経新聞だった。12月23日付で「敵性国家の所業である。韓国の政府と海軍は過ちを正直に認めて責任者を処分し、日本に謝罪すべきである」と主張した。

結局、佐々木氏(および産経新聞)が威勢よく「宣戦布告」だの「敵性国家」だの激しい言説をしたからといって、「実際の戦争にはならない」「戦争はして欲しくない」という甘えがあるんですよね。彼らがそれに気が付いているかどうかは解りませんが…。ほんと「先生に叱られない範囲で威張り散らす小学生」でしかない。

本気で「宣戦布告」だの「敵性国家」だのと信じているのであれば、「謝罪の要求」なんてショボイこと言っていないで、「レーダー照射されたら、現場判断で即時、ミサイルを撃ち込め」くらい社説で言ってほしいものです。何を日和見しているのでしょうか(苦笑)


WGIPを信じるというスゴさ

またこのようなマスコミのフェイクニュースや、偏向報道を生み出している原因は、なんとウォー・ギルド・インフォメーション・プラン(WGIP)なんだそうです。


現在のメディアが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による、WGIP(日本洗脳工作)に支配されていることは、今や多くの人が知るところとなっている。今でも当時の連合国や南北朝鮮への批判禁止等々、30に及ぶプレスコードがあり、多くのメディアはそれに縛られている。例えば、大平洋戦争を大東亜戦争と呼ぶことは、歴史修正主義でも右翼化でも、何でもない。当時の人はさきの大戦を大東亜戦争と呼んでいた。
日本のメディアはまず、用語の使い方から見直さねば、染み付いた偏向報道癖を元から断ち切ることは不可能だろう。
以上、自戒を込めて報告する。

今でもプレスコードがあると主張している割には、産経新聞は南北朝鮮批判はするし、「大東亜戦争」って語も使うし、でもアメリカにはポチ犬だしと、好き勝手やってるじゃないですか(笑)

WGIPによってメディアが縛られているなんてのは、考え過ぎ。

まとめ

いかがだったでしょうか?

元々そういったイデオロギーの持ち主だったのか、産経新聞社に入ってから染まってしまったのかどうかは解りませんが、「嫌韓+アンチ朝日+WGIP」とまさにネトウヨそのもの。

こういうスゴイ方が全国紙「産経新聞」の論説副委員長をしてしまっていることが一番のトンデモでしょうか?

最後に、ビックリなオフショットを一つ。


ちなみに、職業柄、すべての日刊紙に目を通す知人の一人はこうした新聞を読むと決まって朝から不快になるから、気付け薬代わりに産経新聞を読んで呼吸を整えるという。

……。

何も語るまい…。

https://rondan.net/15289
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c5

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
6. 中川隆[-12263] koaQ7Jey 2019年2月11日 18:36:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019.02.09
【トンデモ】コミンテルンに操られた朝日新聞が大東亜戦争とモリカケを(略【中西輝政×長谷川熙】
https://rondan.net/709


Contents

1 森羅万象何にでも陰謀を見出す
2 コミンテルンの陰謀
3 仕組まれた戦争
4 モリカケの裏にはコミンテルンと朝日新聞


森羅万象何にでも陰謀を見出す

コミンテルンの専門家・中西輝政氏は、この世で起こる万事の背景にコミンテルンの陰謀があるのではないかと心配しています。同様に、朝日新聞の専門家・長谷川熙氏は、この世で起こる万事の背景に朝日新聞の陰謀があるのではないかと心配しています。

この二人が対談すれば、コミンテルンと朝日新聞のどちらが黒幕かをめぐって議論・討論になるのではなく、この両者の説は調和的に融合します。つまり、この世における現象の背後にコミンテルンと朝日新聞の両者がいるという新たな陰謀論が生まれるのです。

今回は、中西輝政×長谷川熙「国際共産主義に操られる朝日新聞【モリカケも!?】」『Will』(2018.10)を取り上げながら、そんな不可思議な現象を追ってみたいと思います。



コミンテルンの陰謀

お二人の対論は、まず「コミンテルン」問題は歴史研究の禁忌とされていると主張されるところからスタートします。


長谷川 コミンテルンを扱うことが、日本ではまだ禁忌視されていますね。

うーーん。「コミンテルン」ネタって、渡部昇一氏、田母神俊雄氏などをはじめとする、この頃の保守論客がガンガン言及していて、ちっとも「禁忌」ではないような気がするのですが…。


中西 日本の学会、メディアをはじめとする知的空間において、いまだにコミンテルンは「腫れ物」扱い。理性的、実証的に歴史を論じるはずの研究者でさえ、「コミンテルン」を前にすると研究や議論が及び腰になってしまいます。

うーーーーん。むしろ「腫れ物」扱いされている理由は、何でもかんでも「コミンテルン」の陰謀にしようとする保守論客が、そもそも「知的空間」におらず、「理性的、実証的に歴史を論じ」ていない証拠のような気がします。

さらに微妙に秦郁彦『陰謀史観』(新潮社, 2012)を意識した発言まで見られてなかなか興味深い。


中西 日本の一部の歴史家のように、「コミンテルン」と聞くと最初から「陰謀論」と決めてかかるようでは、歴史の真実は見えません。
長谷川 日本の研究者は無知なのか、それとも故意に真実を葬り去ろうとしているのか。
中西 一つは不勉強もあるでしょうが、もう一つは、今も次々に出てくる新資料によって自らが唱えてきた従来の”通説”が覆されてしまうのを、ひどく恐れているからでしょう。

どうやら中西氏は、秦郁彦氏から「コミンテルン陰謀論者」として一笑に付されてしまったことを相当根に持っているようです。しかし中西氏から秦氏への反論があったとは聞きません。ぜひ無知で不勉強の秦郁彦氏に「真実」を示して欲しいものです。(しかし秦氏を捕まえて「不勉強」「無知」とはよく言えたものです)

仕組まれた戦争

これに続いて、日米両政府の内外にコミンテルンのスパイがいたという、よく聞く陰謀論が展開されます。もちろん両国にコミンテルンのスパイもしくはその関係者がいたのですから、大東亜戦争は当然の帰結として、コミンテルンの陰謀と決めつけられます。


長谷川 大東亜戦争は、最初から敗北が解っているような戦いでした。これを「戦争」とよんでいいものか。
中西 近年、ヴェノナ文書やヴァシリエフ文章をはじめとする機密文書が次々と公開され、アメリカ政府内に大戦中から大量のソ連スパイが入り込んでいたことが判明しています。……日本には尾崎秀実とゾルゲを送り込み、日米開戦を策略した。つまり日米開戦はコミンテルンによって三方から仕掛けられた、まさに「仕組まれた」戦争だったということが出来ます。

これが本当だとしたら、両国首脳部はよっぽど無能か、もしくはコミンテルンが超絶有能ということになります。「スパイがいた」と「日米開戦した」という二つの事実の間に、無理やり因果関係を見出し、その他の要因を等閑に付すというのは保守の典型的手法です。まして敵の能力を過大評価して、自らを卑下するのは敗北主義であり、自虐史観そのものでしょう。自虐史観脱却を主張する保守こそが自虐史観に囚われている典型です。

モリカケの裏にはコミンテルンと朝日新聞

ここまでは朝日新聞の話などほとんど出てこないで、記事のタイトル「国際共産主義に操られる朝日新聞【モリカケも!?】」の内容は最後のページに駆け足で述べられているだけです。コミンテルンにまつわる空想力が加速して、二人は次のように主張し出します。



長谷川 …コミンテルンの亡霊が今も尚なお、日本では介しているような気がしてならないからです。
中西 戦後の日本では、憲法改正をはじめとする、国家として再生するための重要な試みがよく解らない不合理な理由で頓挫する、というようなことが度々起こっています。
長谷川 意識してか、それとも無意識かはわかりませんが、「モリ・カケ」という倒閣運動すら、コミンテルンの工作先述の精神が影響しているようにみえなくもありません。……そう考えると、朝日も「アンウィッティング」(註:政治家、文化人、ジャーナリストを動かすことに特化した戦略)のまま、コミンテルンの罠にまんまと嵌っているのかもしれません。

ここでようやく「コミンテルンに操られた朝日新聞が、倒閣運動である森友・加計問題を持ち出して、憲法改正をはじめとする国家再生の試みを頓挫させている」というSF小説の骨子が披見されました…。

妄想と妄想がかけ合わさって更なる妄想が生まれる瞬間を我々は見ました。そして「重要な試みがよく解らない不合理な理由で頓挫する」という中西氏の言葉から、「この世で起こる不都合な事件の裏側に何か理由を求め、架空の敵とストーリーをつくって安易に因果関係を説明してしまう」陰謀論者が姿を確認することができると思います。
https://rondan.net/709

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c6

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
7. 中川隆[-12262] koaQ7Jey 2019年2月11日 18:40:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019.02.09
【トンデモ】朝日新聞陰謀論まとめ
https://rondan.net/400

近年、保守論壇誌の興隆に伴い、世の中の出来事の裏には「朝日新聞」がいるというような調の朝日新聞陰謀論、朝日新聞悪玉論を頻繁に見るようになりました。これまでは従軍慰安婦問題、南京大虐殺(百人斬り事件)、モリカケ問題を中心に朝日新聞陰謀説主張されてきましたが、ここ最近では「バスケ日本代表の未来を潰した朝日新聞」だの、「炎天下の甲子園で高校野球をするのは朝日新聞の商業主義が原因」だの、「朝日新聞の裏にはコミンテルンがいる」だのという俄かには信じがたい陰謀論まで見られるようになりました。以下に、管理人が気が付いた主な陰謀論を列挙しておきます(管理人がこれら陰謀説を信じているのではなく、あくまで「まとめ」です)。


年代 内容

1931-1941 朝日新聞は、コミンテルンに揺り動かされ、日本が対米開戦に踏み切らざるを得ないよう誘導した。
 ⇒朝日新聞戦犯説: 室谷克実[2014]『朝日新聞「戦時社説」を読む』

1938 朝日新聞が、日本軍兵の百人斬りを戦意高揚のために創作して報道する。
 ⇒朝日新聞百人斬事件扇動説・朝日新聞南京大虐殺捏造説: 野田・溝口[2011]『南京「百人斬り競争」虚構の証明』

1939 朝日新聞が、中国新聞市場支配をもくろんで上海に日本語新聞を創刊する。
 ⇒朝日新聞中国新聞市場支配企図説: 山本武利[2011]『朝日新聞の中国侵略』

1945 朝日新聞が策動して、繆斌を送り込み日中単独和平交渉の陰謀をはかるが、昭和天皇に見破られる。
 ⇒朝日新聞日中和平交渉策動説: 池原冨貴夫[2015]『昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか』

1945 戦後、GHQによってプレスコード(検閲)が始まり、朝日新聞はこれに迎合する。
 ⇒朝日新聞GHQ手先説:水間[2010.6]反日歴史認識の「教典」:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた;室谷克実[2014]『朝日新聞「戦時社説」を読む』

1945 朝日新聞社が反日洗脳プロパガンダ放送「真相箱」の制作に関わる。これによって戦後日本の言論空間が閉鎖される。
 ⇒朝日新聞WGIP関与説: 関野通夫[2015]『日本人を狂わせた洗脳工作』

1948 GHQ資料において、朝日新聞がWGIPの尖兵として指定される。
 ⇒朝日新聞WGIP関与説: 関野通夫 [2015.5]=正論[2015.5]「これが「戦後」の元凶だ!米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘」

1971 本多勝一が朝日新聞に連載していた南京大虐殺、および百人斬りを書籍にまとめ刊行し、日本軍の残虐行為を世間に広め、国益が損なわれる。
 ⇒朝日新聞南京大虐殺事件×扇動説朝日新聞百人斬事件扇動説: 野田・溝口[2011]『南京「百人斬り競争」虚構の証明』

1982.9.2 吉田清治の虚偽証言を基に、朝日新聞が従軍慰安婦問題を報道する。これによって国益に被害が出る。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 秦郁彦[1999]『慰安婦と戦場の性』

1989.4.20 WGIPに洗脳された自虐史観の朝日新聞カメラマンが、サンゴに「K・Y」と傷付け、自作自演報道をする。
 ⇒朝日新聞カメラマン珊瑚傷付け自作自演事件WGIP洗脳説: 秦郁彦[1999]『慰安婦と戦場の性』

1991~ ソ連が崩壊すると朝日新聞は、反日の韓国と連携し、日本の防衛能力・産業能力・統合機能の弱体化を狙いとする運動に好意的な論陣を張る。
 ⇒朝日新聞共産主義説: 室谷克実[2014]『朝日新聞「戦時社説」を読む』

1991.5.22 吉田清治の虚偽証言を基に、朝日新聞が従軍慰安婦問題を報道する。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 秦郁彦[1999]『慰安婦と戦場の性』

1992.1.11 朝日新聞が、慰安所に軍関与示す資料を報道し、従軍慰安婦問題のキャンペーンを張り、日本の国際評価を落とし、国益に甚大な損害を与える。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 秦郁彦[1999]『慰安婦と戦場の性』

1992 朝日新聞によって慰安婦がsex slaves(性奴隷)と意図的に誤訳され、これが要因となり国際社会・国連などにおいて「慰安婦=性奴隷」という理解が定着してしまった。これにより、日本の国際評価が暴落し、国益に多大な損害がでる。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 西岡力[2013.8]=正論[2013.8]「この度し難き鉄面皮朝日新聞の頬被り」

1993 朝日新聞の誤報に基づき、河野談話が発表され、自虐史観に拍車がかかった。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 山際澄夫[2014]『すべては朝日新聞から始まった「慰安婦問題」』;西岡力[2014]『朝日新聞「日本人への大罪」:「慰安婦捏造報道」徹底追及』

2012.12 朝日新聞に中国の工作機関の関係者が所属していることが報道される。
 ⇒朝日新聞共産主義説: 大高未貴[2012.12]=正論[2012.12]「朝日新聞にも在籍!中国の「工作機関」で活動するあの元老の曾孫」

2013.10 朝日新聞が被災地復興を阻む。
 ⇒朝日新聞復興阻害説: 櫻井・奈良林[2013.10]=Will[2013.10]「被災地復興を阻む朝日新聞の「不都合な真実」」

2013.11 朝日新聞が言論テロを起こしていることが指摘される。
 ⇒朝日新聞テロリスト説: 酒井信彦[2013]=歴史通[2013.11]「朝日新聞は言論テロ組織!朝日インテリは偽善がお好き」

2014.8.5 朝日新聞が吉田証言の虚偽性を認め記事を撤回するも反省せず。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 山際澄夫[2014]『すべては朝日新聞から始まった「慰安婦問題」』;西岡力[2014]『朝日新聞「日本人への大罪」:「慰安婦捏造報道」徹底追及』

2014.10.7 朝日新聞が、憲法九条にノーベル平和賞を取らせようと画策するが失敗。
 ⇒朝日新聞九条ノーベル平和賞扇動説: 池原冨貴夫[2015]『昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか』

2015.4 朝日新聞が昭和天皇から嫌われていた可能性が指摘される。
 ⇒朝日新聞天皇から嫌われ説: 池原冨貴夫[2015]『昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか』

2017.9.8 朝日新聞大物OBが大学に天下りしているこが明らかになる。
 ⇒朝日新聞大学支配説: 週刊ポスト[2017.9.8]

2017.12 朝日新聞が天皇陛下の訪韓を画策する。
 ⇒朝日新聞皇室支配説: Themis[2017.12]

2018.1 親中の『広辞苑』を朝日新聞が広告に載せる。
 ⇒朝日新聞共産主義説: 大澤正道[2018.1]=Themis[2018.1]「岩波『広辞苑』が振り撒く「台湾は中国の一部」の誤り」;大澤正道[2018.2]=Themis[2018.2]「朝日新聞で堂々宣伝する岩波書店の「親中ぶり」 」

2018.1 朝日新聞はモリカケ報道を通して言論テロを起こしていることが指摘される。
 ⇒朝日新聞モリカケ扇動説×朝日新聞テロリスト説: 小川榮太郎[2017]『徹底検証「森友・加計事件」:朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』;小川・長谷川[2018.1]=Hanada[2018.1]「森友・加計報道は朝日新聞の言論テロ」

2018.6 朝日新聞が、安倍批判を繰り返し倒閣を企てる。
 ⇒朝日新聞政府転覆説: Hanada[2018.6];正論[2018.6]

2018.9.6 朝日新聞がバスケ選手買春を報道したことで、バスケ日本代表の未来を潰す。
 ⇒朝日新聞スポーツ支配説:週刊新潮[2018.9.6]「特集「バスケ日本代表」の未来を潰した「朝日新聞」 そんなに悪いか「ジャカルタ買春」!」

2018.9.13 朝日新聞が甲子園について人命よりも商業利用を優先させたことで、炎天下の過密スケジュールとなっている。
 ⇒朝日新聞甲子園支配説: 週刊新潮[2018.9.13]「特集 全国父兄から怨嗟の声!「猛烈部活」野放しの元凶は「朝日新聞」が人命より大切な「甲子園」」

2018.1 朝日新聞は、小川榮太郎を訴訟提起することで、言論機関としての社会的責任を放棄し、自由な言論を委縮させる。
 ⇒朝日新聞言論弾圧説: Hanadaセレクション[2018.1]『財務省「文書改竄」報道と朝日新聞 誤報・虚報全史』

2018.10 朝日新聞はコミンテルンに操られており、森友・加計学園問題もこれが原因であることが指摘される。
 ⇒朝日新聞共産主義説×朝日新聞モリカケ扇動説: 中西・長谷川[2018.10]=Will[2018.10]「【モリカケも!?】国際共産主義に操られる朝日新聞」


無数ともいえる書籍・雑誌記事が朝日新聞陰謀論を唱えており、それらすべてを列挙することは到底できませんでした。また気が付き次第、追加したいと思います。皆様のあいだで何か陰謀論を発見されましたら、コメント欄などに追記いただければ幸甚です。


https://rondan.net/400
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c7

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
8. 中川隆[-12261] koaQ7Jey 2019年2月11日 18:43:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか 
巨大メディア—— その捏造の歴史 (ベストセレクト) – 2015/4/23
池原冨貴夫 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AF%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%81%8C%E3%81%8A%E5%AB%8C%E3%81%84%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E2%80%94%E2%80%94-%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88-%E6%B1%A0%E5%8E%9F%E5%86%A8%E8%B2%B4%E5%A4%AB/dp/483140196X


2019.02.09
【トンデモ】『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』池原富貴夫|ベストブック, 2015)
https://rondan.net/489


Contents

1 未知の世界と人間の可能性
2 その内容と特徴
3 根本的な認識不足
4 昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか
5 まとめ


未知の世界と人間の可能性

いわゆるトンデモ本というジャンルは、読者に全く新しい世界を見せてくれます。私自身、「まさかそうくるか」と呻らずにはいられないことが幾度もありました。

今回紹介したい本もまさにその一つ、池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』(ベストブック, 2015)です。

朝日批判本は余多出版されていますが、そのほとんどは大同小異です。二、三冊読めばお腹いっぱいで、それ以上呼んでも得られるものは殆どありません。本当にオリジナリティーを出すことが難しい分野です。そのような困難な状況にあって本書は『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』という斜め上の、しかもタイトル出落ちで、ひときわ異彩を放っています。

その内容と特徴

百聞は一見にしかずとも申しますので、ひとまず目次をあげます(誤用)。
序章
第一章 見直される日本とアジアの近代史
第二章 陸軍と国民の尻を叩き続けた朝日新聞
第三章 足かけ「十五年戦争」の中、無視され続けた昭和天皇
第四章 朝日新聞の豹変、昭和天皇の苦悩
第五章 産業革命がもたらした光と彰
第六章 国民が「蚊帳の外」に置かれた新憲法制定
第七章 中国共産党に傳く朝日新聞に、読者離れが止まらない
第八章 朝日は、中国共産党と「運命共同体」
第九章 朝日新聞に、国民の「ご裁断」
第十章 朝日と共に、虚報に躍って散った政治家と「リベラル病」患者たち
第十一章 大手メディアに続く「厳しい環境」
最終章 昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか

つまり、「大東亜戦争は植民地解放戦争の自衛戦争だった。米国との戦争を煽り戦意高揚に朝日新聞は躍起になったが、昭和天皇は開戦に反対だった。終戦後、朝日新聞は豹変して共産党と運命共同体となり、慰安婦問題や南京大虐殺などを報じて国益に損害を与えている」というような(ありきたりの)内容です。果たしてどのように昭和天皇に朝日新聞を批判させるのでしょうか。

根本的な認識不足

昭和天皇に関する結論部の論理性の検証は後にします。それよりなにより、この筆者は、朝日新聞があまりに憎すぎて、ついつい朝日新聞ばかり読んでしまい、他の新聞を読んでいないという皮肉に陥っていますので、その点を指摘したいと思います。

この池原氏は、戦前・戦中の朝日新聞の軍国調の記事を取り上げて、朝日新聞の戦争責任を厳しく問いただします。たとえば戦闘機献納や、ミッドウェー海戦で勝利したと国民を偽ったこと、戦意高揚のための鬼畜米英記事、ヒトラー礼賛記事などが取り上げられます。

このような「朝日新聞の戦争責任」を追及したがる保守論客が時々いますが、これはおかしな話です。というのも、当時は時局下ということもあり当時の新聞各社は厳しく検閲されており、いずれも軍国調でした。今では保守の鑑である産経新聞(当時は産業経済新聞)も、戦前は朝日新聞と同じく軍国調そのもので、事実、その責任を問われ経営者だった前田久吉は戦後に公職追放を受けています。

そしてなにより、大本営発表は嘘八百でしたから、ミッドウェー海戦報道で朝日新聞報道だけが非難されるというのは不可解です。

したがって、朝日新聞の戦争責任だけを追及するのは全く非論理的です。保守論客は、朝日新聞だけはしっかり読ようですが、産経新聞など他のものはあまり読まないという傾向があります。この理由は単純で、朝日新聞は戦前のものから現代のものまで縮刷版が刊行されていて容易に参照可能ですが、産経新聞は戦前の縮刷版を刊行していないため参照が困難だからです。国立国会図書館に行けばマイクロフィルムで戦前・戦中の各紙を参照できますので、せめてそれをしてから朝日新聞を批判して欲しいところです。

昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか

ところで、本のタイトルにもなっている「昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか」という問いへの回答は、もちろん「嫌いだった」ということになりますが、その論拠に妥当性があるとは言い難いものです。『昭和天皇独白録』を根拠としながら次のように述べます。


昭和天皇が独白録で述べている通り、不審の男であり連れてきた朝日も朝日だった。好き嫌いをあまり見せない昭和天皇が不審な「策動」に対し強い不快感を示した。

「繆斌は陸軍の飛行機で日本に来たが、どうして杉山(陸相)がこれを許したか、諒解に苦しむが、彼の来朝は朝日の記者、田村真作という者の薦めで緒方竹虎が策動したものである」(独白録)

 池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』ベストブック, 2015, p. 178


ややこの事件(および著者の理解)には説明が必要です。この繆斌という人物は、親日政権の中華民国臨時政府の要人で、1945年に重慶国民政府の密命を受けて、日中の単独和平交渉を小磯國昭内閣に提案した人物として知られます。この和平交渉に、天皇が不信感を示したのが一節が上記の『独白録』です。

つまり、@昭和天皇は繆斌が持ち込んだ和平交渉に不審を抱いていた、Aその繆斌を連れてきたが朝日新聞記者だった(そして緒方竹虎は元朝日新聞副社長)という、二つの根拠が合わさって、「昭和天皇は朝日新聞が嫌いだった」という結論が導かれます。

滅茶苦茶強引なような気がしますが、著者の自信は揺らないようです。


昭和天皇の決意 @「朝日の策動」を潰して、朝日を徹底的に無視する
池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』ベストブック, 2015, p. 180
と昭和天皇のお気持ちを代弁します。また、昭和天皇が不信感を抱かれた背景として、「朝日の実体は、緒方を筆頭にした「政治結社」そのものだった」とか、「「ゾルゲ事件」の尾崎秀美も上海特派員で、田村真作の先輩だった。朝日は政治ゴロのたまり場のようだ」など陰謀論を展開し、朝日新聞は共産主義の手先だったと言わんばかりの論調で責め立てています。

しかし、これらに朝日新聞社が関係していたからと言って、僅か一文だけを根拠にして、昭和天皇が朝日新聞という会社そのものを徹底的に無視し、嫌っていたことの根拠になるのかは怪しいものです。

まとめ

アクロバティックな解釈で昭和天皇と朝日新聞を結び付けてしまった筆者のテクニックには恐れ入りました。かかる点で、極めて優秀な「朝日新聞陰謀論」を披見したと評価せざるを得ません。

しかし「朝日新聞は、常に儲かる方に動く「便所のドア」だった」とまで難じる池原氏の強弁には、一体何が彼をそうさせたのかと思わずにはいられませんでした…。

https://rondan.net/489
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c8

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
9. 中川隆[-12260] koaQ7Jey 2019年2月11日 18:45:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019.02.09
【トンデモ】「朝日」憎けりゃWGIPも憎い。でもアメリカは憎くない(水間政憲「反日歴史認識の「教典」
:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた」『Voice』2014.6)
https://rondan.net/327

Contents

1 ともかく「朝日新聞が悪い」
2 なんでも「朝日新聞が悪い」
3 この世の諸悪は朝日新聞が根源:朝日新聞陰謀論

ともかく「朝日新聞が悪い」

南京事件や慰安婦問題でともかく叩かれる朝日新聞。昨今、保守勢力の朝日叩きは必要以上のものがあり、非論理的な言動が目立ちます。保守運動を有意義で建設的なものにするためにも、デマ拡散や炎上商法で短期売り上げを狙うのではなく、是非とも意味のある論理的な議論にして欲しいところです。

なんでも「朝日新聞が悪い」

今回取り上げたいのは、水間政憲「反日歴史認識の「教典」:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた」(『Voice』2014.6, pp. 152-157)です。

このタイトルだけ読むと、「GHQのプロパガンダ放送「真相箱」の制作に、朝日新聞が重要な役割を果たしていた」ことが説かれるのかと思いきや、そんな話は出てきません。論文の主題は南京事件の被害者34人説、あるいは0人説の強弁です。「真相箱」と朝日新聞との関係は、冒頭部で次のように関与の可能性が示されるだけです。


戦後、「南京大虐殺」があたかも事実のように認識されてきたものです。1960年代にはきえそうになっていたこの問題を煽ったのも、『朝日新聞』でした。「南京虐殺問題」については、東京裁判開廷前に朝日新聞社が編集に加担した証拠があります。連合国最高司令部(GHQ)政策の日本人洗脳放送『真相箱』(NHKラジオ)で、同裁判の判決を先取りしたような「南京大虐殺」に関する放送をしていたのです。

つまり、水間氏が主張したいことの要点は「朝日新聞が加担したために、ラジオ番組「真相箱」の放送で南京大虐殺の虚報が流された」ということなのでしょう。

しかし、朝日新聞が「真相箱」の制作に協力していたからと言って、どうしてその放送内容の責任が、それを制作したGHQや、放送したNHKではなく、間接関与の可能性が示唆されただけの朝日新聞にあるのでしょうか? 水間政憲の批判の矛先は、なぜか朝日新聞にだけ向けられており、反日番組放送に直接携わったGHQやNHKに対しては苦情の一つも言っていません。

この世の諸悪は朝日新聞が根源:朝日新聞陰謀論

また朝日新聞の関係者が「真相箱」の制作に携わっていたとして、どうして朝日新聞そのものが批判される必要があるのかについても私にとっては謎でしかありません。

水間氏などの一部保守勢力には、朝日新聞は諸悪の根源であると想い込み、何でもかんでも朝日新聞が仕組んだという陰謀論に走ってしまう節があります。

「真相箱」(より広い概念で言えばWGIP)は、確かにGHQのプロパガンダという性格を持っています(洗脳まではいいすぎだと思いますが)。そうであるならば水間氏が責めるべき相手はGHQであり、今のアメリカであって然るべきです。アメリカを責めず、朝日新聞を責めるというのは論理的に不整合であると感じます。

あまり意味のない朝日新聞陰謀論は控えるべきではないでしょうか


https://rondan.net/327
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c9

[近代史3] こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に 中川隆
10. 中川隆[-12259] koaQ7Jey 2019年2月11日 18:47:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019.02.09
【トンデモ】『朝日新聞「戦時社説」を読む』(室谷克実|毎日ワンズ, 2014)
https://rondan.net/543

Contents

1 新聞の戦争責任
2 新聞紙法を完全無視
3 朝日の反軍記事を無視
4 コミンテルンの陰謀
5 まとめ


新聞の戦争責任

戦前・戦中の軍国主義の中、新聞社がいかに国家体制に随従し、戦争賛美してきたかについては数多くの論文・書籍が発表されています。この「新聞と戦争」の問題について、入手しやすいものとして書籍として、例えば次のようなものがあります。
1山中恒『新聞は戦争を美化せよ!:戦時国家情報機構史』小学館, 2001.
2朝日新聞「新聞と戦争」取材班『新聞と戦争』朝日新聞出版, 2008.
3前坂俊之『太平洋戦争と新聞』講談社, 2007.
4今西光男『占領期の朝日新聞と戦争責任:村山長挙と緒方竹虎』 朝日新聞社, 2008.
5読売新聞戦争責任検証委員会『検証 戦争責任』上下巻, 中央公論新社, 2009.
6鈴木健二『戦争と新聞:メディアはなぜ戦争を煽るのか』, 2015.

このように「新聞と戦争」をめぐる書籍は数多く出版されているのですが、これらをほとんど読まずに、朝日新聞の戦争責任だけを執拗に追及する論文や書籍をしばしば見かけます。それら論文・書籍は、あまりに「朝日新聞憎し」が前面に出過ぎて、冷静な判断ができていないものが殆どです。その中でも今回は、室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』(毎日ワンズ, 2014)を取り上げながら、「朝日新聞の戦争責任」論の問題点を逐次紹介したいと思います。

新聞紙法を完全無視

戦前・戦中の新聞は、「新聞紙法」によって国家方針に合致する内容しか報道できませんでした。したがって、戦前・戦中では、いずれの新聞も一様に軍国調であり、国民の戦意を掻きたてました。したがって、この「新聞紙法」を考慮して、当時の主要紙すべてを取り上げてその戦争責任を問わなければなりません。

にもかかわらず「朝日新聞の戦争責任」を追求したがる一部保守論客(つまり本書)は、この「新聞紙法」による検閲があったことを全く顧みず、朝日新聞の軍国調記事だけを取り上げて非難します。

朝日の反軍記事を無視

このように「新聞紙法」のなかにあっても時として反軍的な記事が新聞に掲載されました。その中で有名なのは、1944年2月23日付の毎日新聞が、戦局が思わしくない旨の記事を載せ、陸軍報道部や東条英機がこれを反軍的内容であるとして弾圧した事件でしょう(竹槍事件)。この事件を室谷氏は高く評価し、朝日新聞の報道態度と比較して次のように言います。


ともあれ戦争には賛成しているものの、戦争の実態を伝え、ごまかしでない敗戦回避への提言をした点では、大きな意義があった。
逆に朝日は、戦局の悪化が国民の目にも明らかになり始めた昭和十九年後半から、盛んに叫ばれるようになっていた特攻精神、精神主義を繰り返し煽り、訴えるようになる。
 室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』毎日ワンズ, 2014, p. 218

しかしこれはアンフェアな比較です。というのも、朝日新聞も戦中に反軍的な記事を書き、記事差し止め命令の弾圧を受けています。すなわち、1943年1月1日付の朝日新聞で、東条英機を名指しで批判する「戦時宰相論」が掲載され、記事差し止めの圧力を受けた事件です。(仔細については、辻田真佐憲『空気の検閲』光文社, 2018, pp. 256-260を参照)

このように朝日新聞にも、ごまかしではなく本音を書こうとした事件がありました。このような事件も含めて公平に考察しなければなりませんが、室谷氏は戦中の朝日新聞の反軍記事を等閑に付してしまっています。

コミンテルンの陰謀

ところで、戦後今日に至るまでの朝日新聞批判の要点は、その内容が反日的であるという点に集約されます。しかし、戦前・戦中の朝日新聞が軍国調であることを根拠に戦争責任を追及するならば、戦前・戦中の朝日新聞は国家の方針に忠実に従った極めて愛国的なものであったはずです。当時は、反軍的な記事を書くことこそが反日でしたから。

したがって愛国を自称して戦前回帰を唱える現代保守が、戦前・戦中まったくの愛国であった朝日新聞を批判するというジレンマの構造が生じます。

このジレンマを解消させる有効な解決法が、「朝日新聞の裏にはコミンテルンがいた」という陰謀論です。次のように主張されます。


中村菊男教授が指摘する「朝日新聞戦犯」論も、実は戦中の社説よりも、満州事変から日米開戦に至るまでの朝日新聞の論調を問題視したのだと私は想像している。すなわち、日本が対米開戦に踏み切らざるを得ないよう誘導したと思われる論調だ。ここで見逃せないのが、コミンテルン(ソ連が支配した国際共産主義組織、日本共産党も実は「コミンテルン日本支部」だった)のスパイ活動だ。
 室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』毎日ワンズ, 2014, p. 23

こんな陰謀論は、著者の主観の産物でしかないのですが、主観の産物であるからこそ、まともな考察もせず次のように断言します。


ゾルゲ・尾崎一派が配置していたであろうコミンテルン・スパイ網の暗躍がなかったのか。つまり、対ソ方面(満州)は固定したまま日米開戦に進ませようというベクトルが働いていたのではないかと疑わざるを得ないのだ。
 室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』毎日ワンズ, 2014, p. 33

つまりコミンテルンのスパイ活動によって、朝日新聞が扇動され、その尖兵となった朝日新聞が日本が戦争せざるを得ないように仕向けたというのです。

まとめ

このように、室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』は、朝日新聞「戦時社説」しか読まず、朝日憎しの主観に基づいて、自分の気に喰わないことの原因を何でもかんでも朝日新聞に帰してしまう、典型な陰謀論の一つと評価できるでしょう。


https://rondan.net/543
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html#c10

[近代史3] 朝日新聞陰謀論 _ なんでもみんな朝日新聞が元凶だというアホ右翼の妄想

2019.02.09
【トンデモ】朝日新聞陰謀論まとめ
https://rondan.net/400

近年、保守論壇誌の興隆に伴い、世の中の出来事の裏には「朝日新聞」がいるというような調の朝日新聞陰謀論、朝日新聞悪玉論を頻繁に見るようになりました。これまでは従軍慰安婦問題、南京大虐殺(百人斬り事件)、モリカケ問題を中心に朝日新聞陰謀説主張されてきましたが、ここ最近では「バスケ日本代表の未来を潰した朝日新聞」だの、「炎天下の甲子園で高校野球をするのは朝日新聞の商業主義が原因」だの、「朝日新聞の裏にはコミンテルンがいる」だのという俄かには信じがたい陰謀論まで見られるようになりました。以下に、管理人が気が付いた主な陰謀論を列挙しておきます(管理人がこれら陰謀説を信じているのではなく、あくまで「まとめ」です)。


年代 内容

1931-1941 朝日新聞は、コミンテルンに揺り動かされ、日本が対米開戦に踏み切らざるを得ないよう誘導した。
 ⇒朝日新聞戦犯説: 室谷克実[2014]『朝日新聞「戦時社説」を読む』

1938 朝日新聞が、日本軍兵の百人斬りを戦意高揚のために創作して報道する。
 ⇒朝日新聞百人斬事件扇動説・朝日新聞南京大虐殺捏造説: 野田・溝口[2011]『南京「百人斬り競争」虚構の証明』

1939 朝日新聞が、中国新聞市場支配をもくろんで上海に日本語新聞を創刊する。
 ⇒朝日新聞中国新聞市場支配企図説: 山本武利[2011]『朝日新聞の中国侵略』

1945 朝日新聞が策動して、繆斌を送り込み日中単独和平交渉の陰謀をはかるが、昭和天皇に見破られる。
 ⇒朝日新聞日中和平交渉策動説: 池原冨貴夫[2015]『昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか』

1945 戦後、GHQによってプレスコード(検閲)が始まり、朝日新聞はこれに迎合する。
 ⇒朝日新聞GHQ手先説:水間[2010.6]反日歴史認識の「教典」:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた;室谷克実[2014]『朝日新聞「戦時社説」を読む』

1945 朝日新聞社が反日洗脳プロパガンダ放送「真相箱」の制作に関わる。これによって戦後日本の言論空間が閉鎖される。
 ⇒朝日新聞WGIP関与説: 関野通夫[2015]『日本人を狂わせた洗脳工作』

1948 GHQ資料において、朝日新聞がWGIPの尖兵として指定される。
 ⇒朝日新聞WGIP関与説: 関野通夫 [2015.5]=正論[2015.5]「これが「戦後」の元凶だ!米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘」

1971 本多勝一が朝日新聞に連載していた南京大虐殺、および百人斬りを書籍にまとめ刊行し、日本軍の残虐行為を世間に広め、国益が損なわれる。
 ⇒朝日新聞南京大虐殺事件×扇動説朝日新聞百人斬事件扇動説: 野田・溝口[2011]『南京「百人斬り競争」虚構の証明』

1982.9.2 吉田清治の虚偽証言を基に、朝日新聞が従軍慰安婦問題を報道する。これによって国益に被害が出る。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 秦郁彦[1999]『慰安婦と戦場の性』

1989.4.20 WGIPに洗脳された自虐史観の朝日新聞カメラマンが、サンゴに「K・Y」と傷付け、自作自演報道をする。
 ⇒朝日新聞カメラマン珊瑚傷付け自作自演事件WGIP洗脳説: 秦郁彦[1999]『慰安婦と戦場の性』

1991~ ソ連が崩壊すると朝日新聞は、反日の韓国と連携し、日本の防衛能力・産業能力・統合機能の弱体化を狙いとする運動に好意的な論陣を張る。
 ⇒朝日新聞共産主義説: 室谷克実[2014]『朝日新聞「戦時社説」を読む』

1991.5.22 吉田清治の虚偽証言を基に、朝日新聞が従軍慰安婦問題を報道する。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 秦郁彦[1999]『慰安婦と戦場の性』

1992.1.11 朝日新聞が、慰安所に軍関与示す資料を報道し、従軍慰安婦問題のキャンペーンを張り、日本の国際評価を落とし、国益に甚大な損害を与える。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 秦郁彦[1999]『慰安婦と戦場の性』

1992 朝日新聞によって慰安婦がsex slaves(性奴隷)と意図的に誤訳され、これが要因となり国際社会・国連などにおいて「慰安婦=性奴隷」という理解が定着してしまった。これにより、日本の国際評価が暴落し、国益に多大な損害がでる。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 西岡力[2013.8]=正論[2013.8]「この度し難き鉄面皮朝日新聞の頬被り」

1993 朝日新聞の誤報に基づき、河野談話が発表され、自虐史観に拍車がかかった。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 山際澄夫[2014]『すべては朝日新聞から始まった「慰安婦問題」』;西岡力[2014]『朝日新聞「日本人への大罪」:「慰安婦捏造報道」徹底追及』

2012.12 朝日新聞に中国の工作機関の関係者が所属していることが報道される。
 ⇒朝日新聞共産主義説: 大高未貴[2012.12]=正論[2012.12]「朝日新聞にも在籍!中国の「工作機関」で活動するあの元老の曾孫」

2013.10 朝日新聞が被災地復興を阻む。
 ⇒朝日新聞復興阻害説: 櫻井・奈良林[2013.10]=Will[2013.10]「被災地復興を阻む朝日新聞の「不都合な真実」」

2013.11 朝日新聞が言論テロを起こしていることが指摘される。
 ⇒朝日新聞テロリスト説: 酒井信彦[2013]=歴史通[2013.11]「朝日新聞は言論テロ組織!朝日インテリは偽善がお好き」

2014.8.5 朝日新聞が吉田証言の虚偽性を認め記事を撤回するも反省せず。
 ⇒朝日新聞慰安婦問題扇動説: 山際澄夫[2014]『すべては朝日新聞から始まった「慰安婦問題」』;西岡力[2014]『朝日新聞「日本人への大罪」:「慰安婦捏造報道」徹底追及』

2014.10.7 朝日新聞が、憲法九条にノーベル平和賞を取らせようと画策するが失敗。
 ⇒朝日新聞九条ノーベル平和賞扇動説: 池原冨貴夫[2015]『昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか』

2015.4 朝日新聞が昭和天皇から嫌われていた可能性が指摘される。
 ⇒朝日新聞天皇から嫌われ説: 池原冨貴夫[2015]『昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか』

2017.9.8 朝日新聞大物OBが大学に天下りしているこが明らかになる。
 ⇒朝日新聞大学支配説: 週刊ポスト[2017.9.8]

2017.12 朝日新聞が天皇陛下の訪韓を画策する。
 ⇒朝日新聞皇室支配説: Themis[2017.12]

2018.1 親中の『広辞苑』を朝日新聞が広告に載せる。
 ⇒朝日新聞共産主義説: 大澤正道[2018.1]=Themis[2018.1]「岩波『広辞苑』が振り撒く「台湾は中国の一部」の誤り」;大澤正道[2018.2]=Themis[2018.2]「朝日新聞で堂々宣伝する岩波書店の「親中ぶり」 」

2018.1 朝日新聞はモリカケ報道を通して言論テロを起こしていることが指摘される。
 ⇒朝日新聞モリカケ扇動説×朝日新聞テロリスト説: 小川榮太郎[2017]『徹底検証「森友・加計事件」:朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』;小川・長谷川[2018.1]=Hanada[2018.1]「森友・加計報道は朝日新聞の言論テロ」

2018.6 朝日新聞が、安倍批判を繰り返し倒閣を企てる。
 ⇒朝日新聞政府転覆説: Hanada[2018.6];正論[2018.6]

2018.9.6 朝日新聞がバスケ選手買春を報道したことで、バスケ日本代表の未来を潰す。
 ⇒朝日新聞スポーツ支配説:週刊新潮[2018.9.6]「特集「バスケ日本代表」の未来を潰した「朝日新聞」 そんなに悪いか「ジャカルタ買春」!」

2018.9.13 朝日新聞が甲子園について人命よりも商業利用を優先させたことで、炎天下の過密スケジュールとなっている。
 ⇒朝日新聞甲子園支配説: 週刊新潮[2018.9.13]「特集 全国父兄から怨嗟の声!「猛烈部活」野放しの元凶は「朝日新聞」が人命より大切な「甲子園」」

2018.1 朝日新聞は、小川榮太郎を訴訟提起することで、言論機関としての社会的責任を放棄し、自由な言論を委縮させる。
 ⇒朝日新聞言論弾圧説: Hanadaセレクション[2018.1]『財務省「文書改竄」報道と朝日新聞 誤報・虚報全史』

2018.10 朝日新聞はコミンテルンに操られており、森友・加計学園問題もこれが原因であることが指摘される。
 ⇒朝日新聞共産主義説×朝日新聞モリカケ扇動説: 中西・長谷川[2018.10]=Will[2018.10]「【モリカケも!?】国際共産主義に操られる朝日新聞」

無数ともいえる書籍・雑誌記事が朝日新聞陰謀論を唱えており、それらすべてを列挙することは到底できませんでした。また気が付き次第、追加したいと思います。皆様のあいだで何か陰謀論を発見されましたら、コメント欄などに追記いただければ幸甚です。


https://rondan.net/400



▲△▽▼


2019.02.09
【トンデモ】「朝日」憎けりゃWGIPも憎い。でもアメリカは憎くない(水間政憲「反日歴史認識の「教典」
:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた」『Voice』2014.6)
https://rondan.net/327

Contents

1 ともかく「朝日新聞が悪い」
2 なんでも「朝日新聞が悪い」
3 この世の諸悪は朝日新聞が根源:朝日新聞陰謀論


ともかく「朝日新聞が悪い」

南京事件や慰安婦問題でともかく叩かれる朝日新聞。昨今、保守勢力の朝日叩きは必要以上のものがあり、非論理的な言動が目立ちます。保守運動を有意義で建設的なものにするためにも、デマ拡散や炎上商法で短期売り上げを狙うのではなく、是非とも意味のある論理的な議論にして欲しいところです。

なんでも「朝日新聞が悪い」

今回取り上げたいのは、水間政憲「反日歴史認識の「教典」:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた」(『Voice』2014.6, pp. 152-157)です。

このタイトルだけ読むと、「GHQのプロパガンダ放送「真相箱」の制作に、朝日新聞が重要な役割を果たしていた」ことが説かれるのかと思いきや、そんな話は出てきません。論文の主題は南京事件の被害者34人説、あるいは0人説の強弁です。「真相箱」と朝日新聞との関係は、冒頭部で次のように関与の可能性が示されるだけです。


戦後、「南京大虐殺」があたかも事実のように認識されてきたものです。1960年代にはきえそうになっていたこの問題を煽ったのも、『朝日新聞』でした。「南京虐殺問題」については、東京裁判開廷前に朝日新聞社が編集に加担した証拠があります。連合国最高司令部(GHQ)政策の日本人洗脳放送『真相箱』(NHKラジオ)で、同裁判の判決を先取りしたような「南京大虐殺」に関する放送をしていたのです。

つまり、水間氏が主張したいことの要点は「朝日新聞が加担したために、ラジオ番組「真相箱」の放送で南京大虐殺の虚報が流された」ということなのでしょう。

しかし、朝日新聞が「真相箱」の制作に協力していたからと言って、どうしてその放送内容の責任が、それを制作したGHQや、放送したNHKではなく、間接関与の可能性が示唆されただけの朝日新聞にあるのでしょうか? 水間政憲の批判の矛先は、なぜか朝日新聞にだけ向けられており、反日番組放送に直接携わったGHQやNHKに対しては苦情の一つも言っていません。

この世の諸悪は朝日新聞が根源:朝日新聞陰謀論

また朝日新聞の関係者が「真相箱」の制作に携わっていたとして、どうして朝日新聞そのものが批判される必要があるのかについても私にとっては謎でしかありません。

水間氏などの一部保守勢力には、朝日新聞は諸悪の根源であると想い込み、何でもかんでも朝日新聞が仕組んだという陰謀論に走ってしまう節があります。

「真相箱」(より広い概念で言えばWGIP)は、確かにGHQのプロパガンダという性格を持っています(洗脳まではいいすぎだと思いますが)。そうであるならば水間氏が責めるべき相手はGHQであり、今のアメリカであって然るべきです。アメリカを責めず、朝日新聞を責めるというのは論理的に不整合であると感じます。

あまり意味のない朝日新聞陰謀論は控えるべきではないでしょうか


https://rondan.net/327


▲△▽▼

2018.12.09
【トンデモ】保守による徴用工問題の否定論 _ やはり朝日新聞の陰謀
(西岡力「朝鮮人戦時動員に関する統計的分析」『歴史認識問題研究』2, 2018.3)
https://rondan.net/740


Contents

1 はじめに
2 やはり朝日新聞の陰謀
3 「強制連行」と「徴用」
4 「8割は自らの意志で出稼ぎ」だから「強制連行」ではないという謎理論
5 まとめ


はじめに

燻っていた徴用工問題について、とうとう韓国大法院(最高裁)が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に賠償命令を下しました。今後、個人が日本企業に対して賠償請求する動きが加速するでしょう。

もちろん日本無罪を主張する保守にとってこれほどの屈辱はないわけで、早速、SNS上では日韓断交などを声高に叫ぶ輩が沸いています。議論は個人請求権の問題にとどまらず、徴用工への人格攻撃にまで発展していることは誠に残念なことです。しかし本当に日本の国益を考えるならば、隣国と仲良くすべきなのは明らかです。奇妙なプライドを捨てて良好な信頼関係を築いてさえいれば、このような事態にはならなかったでしょう。

このような動きのなか今回紹介したいのは、2018年3月に『歴史認識問題研究』という学術風雑誌の第2号に掲載された西岡力「朝鮮人戦時動員に関する統計的分析」という論文風文章です。

この『歴史認識問題研究』という雑誌は保守系論調を発表するる傾向が強く、執筆者の西岡力氏も慰安婦問題などで日本無罪論を主張する論客の一人として知られます。

保守というのは不思議な生き物で、保守であれば必ず慰安婦問題も日本無罪論、そしてこの徴用工問題も一様に否定します。そして興味深いことに、慰安婦問題否定論の理論と、この徴用工問題否定論には共通点が見出せます。その点を中心に今回は、本論文の「はじめに」と「第一章 統計から見た朝鮮人「強制連行」説の破綻」を検討していきたいと思います。

やはり朝日新聞の陰謀

慰安婦問題の裏に朝日新聞の陰謀を主張している筆者の西岡氏は、この徴用工問題も朝日新聞が元凶だと冒頭部で宣言します。


韓国の文在寅大統領が2017年8月17日の記者会見で、いわゆる徴用工問題について「強制徴用された者個人が、三菱などをはじめとする相手の会社に対して持つ民事上の権利はそのまま残っている」として、1965年の協定で解決しているという従来の韓国政府の見解を覆した。これに他して日本政府は即時に抗議したし、日本のマスコミも一斉に批判した。歴史問題で韓国に同情的な朝日新聞も、欲18日の社説で「未来志向的な日本との関係を真剣に目指すなら、もっと思慮深い言動に徹するべきだ」と、文大統領を責めた。

しかし、実は文発言はわが国の一部政治家や外務官僚、そして朝日新聞などが誘発したものだった。文大統領は同年8月15日の演説で、以下のように述べている。

〈この間、日本の多くの政治家と知識人が両国間の過去と日本の責任を直視しようという努力をしてきました。その努力が日韓関係の未来的内的な発展に寄与してきました。こうした歴史認識が日本の国内政治の状況によって変わらないようにしなければなりません。〉

文大統領は、河野洋平元外相や朝日新聞らが行ってきた「事実を調べずにまず謝罪し人道的立場という理屈をつけてカネを払う」という対韓謝罪路線を高く評価し、筆者らや産経新聞、そして安倍晋三政権などが「事実に基づき、言うべきことは言う」という対韓是々非々路線を適していることを、非難しているのだ。

朝日新聞は社説で文大統領の徴用工発言を責めているのに、この発言の裏には朝日新聞がいるという謎理論です。しかもその根拠とされる文大統領の8月15日演説では「日本の多くの政治家と知識人が両国間の過去と日本の責任を直視しようという努力をしてきました」と言っているだけで、朝日新聞のことなど一言も言及していません。にもかかわらず、想像力たくましい西岡氏は、「河野洋平元外相・朝日新聞vs筆者ら・産経新聞・倍晋三政権」という有りもしない対立構造を一方的に提示します。しかも後者の立場を「事実に基づき、言うべきことは言う」という対韓是々非々路線と評価しています。ということは、慰安婦問題は事実に基づいて安倍首相は謝罪したということになるのですが、この矛盾に気付いておられるのでしょうか?


「強制連行」と「徴用」


ところで慰安婦問題を論じるうえで、それが「強制連行」であったのかどうかが大きな焦点となります。もちろんこの徴用工問題でも、その連行が強制であったのかどうかが重大な論点となります。

そして当然、保守論客である西岡氏は「強制連行」ではなく「戦時動員」であり、その労働も決して「奴隷労働」ではなかったと主張します。そしてその根拠は、「強制連行」ならば家族と離散しているはずであるが、彼らは家族を連れて日本に移動してきたこと、らしいです。

しかしこの主張は苦しいものです。「徴用」の「徴」の字は「呼び出す」「召し出す」の意味ですから、「自由意思に基づいて応募した」という意味にはなりません。

したがって「徴用」は「強制連行」の意味でも理解し得ます。ただし「強制連行」といっても、「首輪や足枷をつけて連行された」という意味だけに直結するわけではありません。たとえば赤紙によって「徴兵」されたとしても、その人は憲兵に取り押さえられて無理やり徴兵検査や戦場に連行されていくわけではないのと同様です。当時、赤紙配達員は「おめでとうございます」といって赤紙を届けていたそうです。本人はたとえ行きたくなくても、社会的圧力に屈して、自らの意思でそこに行かなければならないのです(喜んで戦地に行った人も少なからずいたようですが)。まして、当時朝鮮半島は植民地支配されており、その宗主国の意向に基づく徴用であったことも重要でしょう。

このような言葉の問題は従軍慰安婦問題をめぐっても確認されます。たとえば、その英訳は「Sex slave」なのか「Comfort woman」なのかという問題です。後者「Comfort woman」がより直訳なのですが、それではその重大性が伝わらないということで前者「Sex slave」の訳語が選ばれる場合もあります。しかし「Sex slave」(性奴隷)という語は意味が強すぎるきらいもあるため、この語が本当に相応しいかどうか非常に難しい問題です。もちろん保守は慰安婦は売春婦で自由意思があったから「Sex slave」(性奴隷)は全くないと主張するのであり、非保守は人権や人道上の問題を考えれば「Sex slave」(性奴隷)が相応しいと主張するわけです。

この様な言葉の選択をめぐる争いは、その問題の全体をイメージ付ける上で極めて重要なのですが、本筋の議論を措いて、時として言葉遊びになってしまってしまう場合もあるように思えます。

「8割は自らの意志で出稼ぎ」だから「強制連行」ではないという謎理論

また西岡氏は、@終戦時の在日朝鮮人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていたこと、A植民地時代の朝鮮で人口が増加したことや、B朝鮮からの不法渡航者が強制送還されていたことなどを根拠に「強制連行」を否定していますが、この主張にはやや問題があります。

まず、@「終戦時の在日朝鮮人人口の八割が出稼ぎ目的で日本に来ていた」ですが、これは明らかにオカシナ主張です。というのも「在日朝鮮人の全てが徴用工として来たわけないこと」は当然の前提です。そして、西岡氏自らが、終戦時の日本内地朝鮮人人口うち二割が動員現場(徴用先)にいたことを統計的に指摘しています。つまり、その二割の人々が今回の徴用工問題の焦点となっているのであり、その他の八割が焦点になっているわけではないのです。このオカシナ主張は、従軍慰安婦問題を論じるときに、「自らの意志で売春婦になった」論にも共通するものです。

そして、A「植民地時代の朝鮮で人口が増加した」、B「朝鮮からの不法渡航者が強制送還されていた」の問題も同様に、徴用された方々の人権とは全く無関係の話です。いくらそうだったからと言って、徴用された人がいるという事実には全く関係のないことです。こういうのを議論のすり替えというのです。日本な朝鮮半島に投資していたから、日本に侵略意思は無かった論とよく似ています。

まとめ

このように西岡氏の徴用工問題否定論は、従軍慰安婦問題否定論と非常に論旨がよく似ています。
1徴用工問題の裏に「朝日新聞」の存在を勝手に錯綜。(⇒慰安婦問題は「朝日新聞」の報道によって生まれた)

2「徴用」であるにも関わらず、言葉遊びで「強制連行」性を否定。(⇒慰安婦は売春婦のこと、性奴隷じゃないから「強制連行」性はない。)
3「在日朝鮮人の八割が出稼ぎで日本に来た」「不法渡航者は強制送還した」と言って話をすり替えて、残り二割の徴用工問題を矮小化。(⇒「あいつらは売春婦で金儲けのために慰安婦になった」「ルール違反で呼び寄せられた慰安婦を親元に返した」)

というようにまとめられるでしょう。また別の論文・記事では、徴用工の待遇について「貯金もできた!」「幸せだった!」という論調も他で見られますが、それもまた「慰安婦は高給取りだった!」と同じ理論です。恐るべき理論の一致と見るべきか。

徴用工がどれだけ悲惨であったのかは「花岡事件」を調べればよく解りますし、中国人徴用工四万人のうち七千人が亡くなった事実からも明らかでしょう。


(野添憲治『企業の戦争責任』社会評論社, 2009を参照)
https://www.amazon.co.jp/%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89-%E9%87%8E%E6%B7%BB-%E6%86%B2%E6%B2%BB/dp/4784513345

*なお私個人の見解としては、「今になって韓国が突然方針転換して個人請求権を認めた」という点については、今後の日韓関係の行く末を考えるうえで憂慮すべき問題であり、その妥当性などについて種々に再検討する必要があると思います。しかし、だからといって徴用工を個人攻撃して、徴用工問題を矮小化するという保守の議論には賛同できません。
https://rondan.net/740



▲△▽▼

2019.02.10
産経新聞と朝日新聞の「ネトウヨ用語」頻度の比較
――「ブーメラン」「反日日本人」「WGIP」「コミンテルン」……
https://rondan.net/15276


Contents

1 苦境の産経新聞
2 ネトウヨ用語が大好きな産経新聞
3 ブーメラン
4 反日日本人
5 WGIP
6 コミンテルン
7 まとめ

苦境の産経新聞

経営状態が悪化しまくっている「産経新聞」。ネトウヨは購買意欲が高いようですが、所詮、人数が多くないので全国紙を維持するためには今一つ勢いが足りないようです。

一方、ネトウヨから目の敵にされているリベラルの牙城「朝日新聞」は、部数低下に悩まされながらも、不動産業などによる収入が盤石のため、依然として産経新聞よりはるかに健全な経営状況です。

保守最後の希望である「産経新聞」を救うために、ネトウヨは積極的に二部三部とまとめ買いし、販売店に「押し紙」を強制させ国益を守るべきではないでしょうか?

ネトウヨ用語が大好きな産経新聞

朝日新聞や読売新聞と違って、不動産などの資産を持たない産経新聞は、新聞の部数が伸びないと経営状況は回復しません。部数減少率は善戦しているものの増えてはいないので、このままでは倒産してしまいます。

この回復のカギはネトウヨ路線の放棄にあると思います。先ほども言いましたが、ネトウヨは数自体それほど多くないので、今のようにトンデモ記事ばかり書いていたら、良識ある一般市民はドン引きするだけだということです。

アホ相手に商売していると、気が付かない間に自分までアホになってしまっているということはよくあります。産経新聞の方々はよくよく社会常識に基づいた記事を書いていただきたい。

ブーメラン

幾つか典型例な用語を比較します。

まずは「ブーメラン」。ネットスラングでよく使われます。民主党(民進党)を攻撃する際によく用いられますね。

この語が何回使われているか検索したところ…。

産経新聞(政治) 283
朝日新聞(全体) 17
【参考】読売新聞(全体) 6

圧倒的な産経新聞のクォリティ(笑)


反日日本人

「反日日本人」とはネトウヨが大好きな言葉。

反日は中国・韓国だけではなく国内にもいるという妄想を手助けしている用語です。

これを比較すると…

産経新聞 12
朝日新聞 2
【参考】読売新聞 0

なお、朝日新聞でヒットした2件は、いずれもネトウヨ思考を批判する記事です。一方、産経新聞はマジで「反日日本人」というカテゴリーが存在すると妄想してしまっている記事です。読売新聞は華麗にスルー(笑)

ほんと産経新聞スゴイ。

WGIP

ネトウヨや保守が大好きなWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プラン)。何と我々はGHQ政策によって洗脳されているそうです。

先に大ベストセラーになった百田尚樹『日本国紀』においても、戦後史で大きく扱われました。こんな単純な陰謀論を信じれるということ自体が、自虐思想なのですが(笑)


これを比較すると…

産経新聞 75
朝日新聞 4
【参考】読売新聞 0

なお、朝日新聞でヒットした4件は、いずれもこのWGIPが妄想であると批判する記事です。一方、産経新聞はマジでWGIPによって我々が洗脳されているというという記事です。

ここでも読売新聞は華麗にスルー(笑)

コミンテルン


「コミンテルン」とは戦前に実際に存在した共産主義組織です。今ではもう存在しません。ゆえに都合がいいのか「コミンテルン陰謀説」が今では大人気です。

「日本が戦争に巻き込まれたのはコミンテルンの陰謀だ!」

というのがそれです。多くの国々と人々が複雑に絡み合って起きた現象の発端を、たった一つの原因に帰することなど不可能です。その不可能を単純に解決してしまうのが陰謀論でし。フリーメーソン陰謀論などと大同小異のもので、あと20年もすれば口に出すことすら恥ずかしくなるようものです。

さて、この語を比較すると…

産経新聞 105
朝日新聞 2
【参考】読売新聞 0

産経すごすぎ!

なお朝日新聞の1例はコミンテルン陰謀論を非難する記事です。そしてやはり読売新聞は華麗にスルー(笑)

まとめ

いかがだったでしょうか?

産経新聞がどれだけぶっ飛んでいるのかがよく解ったと思います。

その対極にある朝日新聞は産経新聞などが垂れ流す妄想にしっかり反論し、一方。両者の中間やや右寄りにいる読売新聞はこんな馬鹿げた妄想に最初から付き合わないという態度です。

こんな面白い産経新聞を、みんな優しい眼差しで見守ってあげましょう!

https://rondan.net/15276

▲△▽▼

2019.02.11
産経記者のネトウヨ性——佐々木類(論説副委員長)がヤバい
https://rondan.net/15289


Contents

1 ネトウヨ御用達「産経新聞」
2 記者の思想性
3 NHKはフェイクニュース
4 文治的報道を罵倒
5 韓国に強硬姿勢が国益につながる
6 WGIPを信じるというスゴさ
7 まとめ


ネトウヨ御用達「産経新聞」


「ブーメラン」「反日日本人」「WGIP」「コミンテルン」といったネトウヨ御用達のスラングを記事でガンガン使ってしまう産経新聞の革新性には驚かされます。朝日新聞や読売新聞などではこういった語は殆ど用いられず、言葉の使い方という点ではよほど保守的です。

産経新聞はいわゆる右向きな保守層やらネトウヨ層をターゲットにした紙面作りに特化しており、それはそれで価値はあると思うのですが、あまりの馬鹿々々しさに心配になるときがあります。

ところで、次のようなことが言われることがあります。産経新聞の記者たちは、読者に喜んでもらうために右寄りな記事を書いているだけで、当人たちはノンポリである、というようなものです。

記者の思想性

確かに産経新聞の記者だからと言って、必ず全員が右寄りなはずはありません。また逆に朝日新聞の記者だからと言って、全員が左寄りでないのと同じです。たとえば、長谷川熙氏は元朝日新聞の記者ですが、今では熱心なアンチ朝日になっています。

ですがこの一方で、朱に交わり赤くなったのか、それとも元々そうだったのかは解りませんが、「THIS IS SANKEI」といった記者も存在します。今回はそんな「これぞ産経」な記者である、論説副委員長の佐々木類氏の言説を取り上げたいと思います。出典は『ジャパニズム』47号(2019.2)収載の「新聞記者が一刀両断! 日本の偏向報道」です。


NHKはフェイクニュース

産経新聞の記者らしくフェイクニュースに極めて敏感な佐々木類氏。さすがファクトを重んじる産経新聞といったところでしょうか?

過日騒動となったレーダー照射問題の報道に怒りを覚え、NHKに次のように噛みつきす。


日本放送協会。そう、天下の公共放送にして高給が批判の的となっているNHKのフェイクニュースだ。まるで海自のP1が韓国駆逐艦「広開土王」に異常接近したためにレーダー照射された―と錯覚するような合成写真を垂れ流したのだ。

良いですね。この出だし。「高給が批判の的」とか本筋と全く関係のない僻みが入っているところがツボです。そういえば産経新聞は経営危機で、ボーナスも碌に出ず、早期退職希望者募集中だそうですが、佐々木類氏は大丈夫でしょうか?

で、フェイクだというのは、次の画像のことです。


この写真を見ると自衛隊機が韓国船に異常接近しているように見えるからフェイクだというのです。

……。

考え過ぎだろ(笑)

事実、佐々木氏自身が「素人が見ても合成であることが分かる」とフェイク説を一蹴。


P1はなぜか車輪がすべて出ていて、素人が見ても合成であることが分かるのだが、一瞬騙されそうになるから厄介だ。

「自分でマッチポンプしてて楽しい?」と聞きたくなるレベルの言説ですね。しかしネット掲示板レベルの駄論を全国紙の新聞記者がしてしまうとは…。


文治的報道を罵倒

もちろん産経新聞の記者らしく、韓国に対しては超絶強硬姿勢。先のレーダー照射問題に対する「喧嘩両成敗」「両者ともに落ち付け」的な報道を罵倒。


そして、ニュースキャスターはこう、したり顔でまとめてみせた。「冷静にいきたいですね。日韓関係のさらなる悪化にこの問題、繋がらないか心配です」。
あなたはいったい、どこの国の公共放送でキャスターをしているのか、と聞きたくなるほどの胸くその悪さだ。


(朝日新聞も)NHKと同じ、ケンカ両成敗である。「日韓両政府が言い争いをしている」とはなにごとか。


こういうNHKや朝日、毎日新聞といったメディアが韓国をツケ上がらせてしまうのである。

こういう「先生に叱られない範囲で威張り散らす小学生」みたいなところが産経新聞の良いところです。

韓国に強硬姿勢が国益につながる

しかも佐々木氏の理解では、このレーダー照射騒動の一件は、韓国から銃口を突き付けられ、宣戦布告を受けているようなモノなんだそうです。


100%相手に非があり、自分の息子や娘が銃口を突き付けられて相手を批判しているときに、「言い争いはやめろ」と両者をなだめようというのか。


「今後も隣国ゆえの大小のトラブルは起きるだろう」などと暢気なことを言っている。これは、赤化統一の道を邁進する文在寅政権の形を変えた、わが国に対する「静かなる宣戦布告」なのである。

ここまで言うからには自衛措置で韓国船を沈めろくらい言うのかと思ったら、産経新聞は謝罪の要求しかしていないそうです(笑)


事件の発覚を受け、社説で最初に反応したのが産経新聞だった。12月23日付で「敵性国家の所業である。韓国の政府と海軍は過ちを正直に認めて責任者を処分し、日本に謝罪すべきである」と主張した。

結局、佐々木氏(および産経新聞)が威勢よく「宣戦布告」だの「敵性国家」だの激しい言説をしたからといって、「実際の戦争にはならない」「戦争はして欲しくない」という甘えがあるんですよね。彼らがそれに気が付いているかどうかは解りませんが…。ほんと「先生に叱られない範囲で威張り散らす小学生」でしかない。

本気で「宣戦布告」だの「敵性国家」だのと信じているのであれば、「謝罪の要求」なんてショボイこと言っていないで、「レーダー照射されたら、現場判断で即時、ミサイルを撃ち込め」くらい社説で言ってほしいものです。何を日和見しているのでしょうか(苦笑)


WGIPを信じるというスゴさ

またこのようなマスコミのフェイクニュースや、偏向報道を生み出している原因は、なんとウォー・ギルド・インフォメーション・プラン(WGIP)なんだそうです。


現在のメディアが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による、WGIP(日本洗脳工作)に支配されていることは、今や多くの人が知るところとなっている。今でも当時の連合国や南北朝鮮への批判禁止等々、30に及ぶプレスコードがあり、多くのメディアはそれに縛られている。例えば、大平洋戦争を大東亜戦争と呼ぶことは、歴史修正主義でも右翼化でも、何でもない。当時の人はさきの大戦を大東亜戦争と呼んでいた。
日本のメディアはまず、用語の使い方から見直さねば、染み付いた偏向報道癖を元から断ち切ることは不可能だろう。
以上、自戒を込めて報告する。

今でもプレスコードがあると主張している割には、産経新聞は南北朝鮮批判はするし、「大東亜戦争」って語も使うし、でもアメリカにはポチ犬だしと、好き勝手やってるじゃないですか(笑)

WGIPによってメディアが縛られているなんてのは、考え過ぎ。

まとめ

いかがだったでしょうか?

元々そういったイデオロギーの持ち主だったのか、産経新聞社に入ってから染まってしまったのかどうかは解りませんが、「嫌韓+アンチ朝日+WGIP」とまさにネトウヨそのもの。

こういうスゴイ方が全国紙「産経新聞」の論説副委員長をしてしまっていることが一番のトンデモでしょうか?

最後に、ビックリなオフショットを一つ。


ちなみに、職業柄、すべての日刊紙に目を通す知人の一人はこうした新聞を読むと決まって朝から不快になるから、気付け薬代わりに産経新聞を読んで呼吸を整えるという。

……。

何も語るまい…。

https://rondan.net/15289

▲△▽▼

2019.02.09
【トンデモ】コミンテルンに操られた朝日新聞が大東亜戦争とモリカケを(略【中西輝政×長谷川熙】
https://rondan.net/709


Contents

1 森羅万象何にでも陰謀を見出す
2 コミンテルンの陰謀
3 仕組まれた戦争
4 モリカケの裏にはコミンテルンと朝日新聞

森羅万象何にでも陰謀を見出す

コミンテルンの専門家・中西輝政氏は、この世で起こる万事の背景にコミンテルンの陰謀があるのではないかと心配しています。同様に、朝日新聞の専門家・長谷川熙氏は、この世で起こる万事の背景に朝日新聞の陰謀があるのではないかと心配しています。

この二人が対談すれば、コミンテルンと朝日新聞のどちらが黒幕かをめぐって議論・討論になるのではなく、この両者の説は調和的に融合します。つまり、この世における現象の背後にコミンテルンと朝日新聞の両者がいるという新たな陰謀論が生まれるのです。

今回は、中西輝政×長谷川熙「国際共産主義に操られる朝日新聞【モリカケも!?】」『Will』(2018.10)を取り上げながら、そんな不可思議な現象を追ってみたいと思います。

コミンテルンの陰謀

お二人の対論は、まず「コミンテルン」問題は歴史研究の禁忌とされていると主張されるところからスタートします。


長谷川 コミンテルンを扱うことが、日本ではまだ禁忌視されていますね。

うーーん。「コミンテルン」ネタって、渡部昇一氏、田母神俊雄氏などをはじめとする、この頃の保守論客がガンガン言及していて、ちっとも「禁忌」ではないような気がするのですが…。


中西 日本の学会、メディアをはじめとする知的空間において、いまだにコミンテルンは「腫れ物」扱い。理性的、実証的に歴史を論じるはずの研究者でさえ、「コミンテルン」を前にすると研究や議論が及び腰になってしまいます。

うーーーーん。むしろ「腫れ物」扱いされている理由は、何でもかんでも「コミンテルン」の陰謀にしようとする保守論客が、そもそも「知的空間」におらず、「理性的、実証的に歴史を論じ」ていない証拠のような気がします。

さらに微妙に秦郁彦『陰謀史観』(新潮社, 2012)を意識した発言まで見られてなかなか興味深い。


中西 日本の一部の歴史家のように、「コミンテルン」と聞くと最初から「陰謀論」と決めてかかるようでは、歴史の真実は見えません。
長谷川 日本の研究者は無知なのか、それとも故意に真実を葬り去ろうとしているのか。
中西 一つは不勉強もあるでしょうが、もう一つは、今も次々に出てくる新資料によって自らが唱えてきた従来の”通説”が覆されてしまうのを、ひどく恐れているからでしょう。

どうやら中西氏は、秦郁彦氏から「コミンテルン陰謀論者」として一笑に付されてしまったことを相当根に持っているようです。しかし中西氏から秦氏への反論があったとは聞きません。ぜひ無知で不勉強の秦郁彦氏に「真実」を示して欲しいものです。(しかし秦氏を捕まえて「不勉強」「無知」とはよく言えたものです)

仕組まれた戦争

これに続いて、日米両政府の内外にコミンテルンのスパイがいたという、よく聞く陰謀論が展開されます。もちろん両国にコミンテルンのスパイもしくはその関係者がいたのですから、大東亜戦争は当然の帰結として、コミンテルンの陰謀と決めつけられます。


長谷川 大東亜戦争は、最初から敗北が解っているような戦いでした。これを「戦争」とよんでいいものか。
中西 近年、ヴェノナ文書やヴァシリエフ文章をはじめとする機密文書が次々と公開され、アメリカ政府内に大戦中から大量のソ連スパイが入り込んでいたことが判明しています。……日本には尾崎秀実とゾルゲを送り込み、日米開戦を策略した。つまり日米開戦はコミンテルンによって三方から仕掛けられた、まさに「仕組まれた」戦争だったということが出来ます。

これが本当だとしたら、両国首脳部はよっぽど無能か、もしくはコミンテルンが超絶有能ということになります。「スパイがいた」と「日米開戦した」という二つの事実の間に、無理やり因果関係を見出し、その他の要因を等閑に付すというのは保守の典型的手法です。まして敵の能力を過大評価して、自らを卑下するのは敗北主義であり、自虐史観そのものでしょう。自虐史観脱却を主張する保守こそが自虐史観に囚われている典型です。

モリカケの裏にはコミンテルンと朝日新聞

ここまでは朝日新聞の話などほとんど出てこないで、記事のタイトル「国際共産主義に操られる朝日新聞【モリカケも!?】」の内容は最後のページに駆け足で述べられているだけです。コミンテルンにまつわる空想力が加速して、二人は次のように主張し出します。



長谷川 …コミンテルンの亡霊が今も尚なお、日本では介しているような気がしてならないからです。
中西 戦後の日本では、憲法改正をはじめとする、国家として再生するための重要な試みがよく解らない不合理な理由で頓挫する、というようなことが度々起こっています。
長谷川 意識してか、それとも無意識かはわかりませんが、「モリ・カケ」という倒閣運動すら、コミンテルンの工作先述の精神が影響しているようにみえなくもありません。……そう考えると、朝日も「アンウィッティング」(註:政治家、文化人、ジャーナリストを動かすことに特化した戦略)のまま、コミンテルンの罠にまんまと嵌っているのかもしれません。

ここでようやく「コミンテルンに操られた朝日新聞が、倒閣運動である森友・加計問題を持ち出して、憲法改正をはじめとする国家再生の試みを頓挫させている」というSF小説の骨子が披見されました…。

妄想と妄想がかけ合わさって更なる妄想が生まれる瞬間を我々は見ました。そして「重要な試みがよく解らない不合理な理由で頓挫する」という中西氏の言葉から、「この世で起こる不都合な事件の裏側に何か理由を求め、架空の敵とストーリーをつくって安易に因果関係を説明してしまう」陰謀論者が姿を確認することができると思います。
https://rondan.net/709


▲△▽▼


昭和天皇は朝日新聞がお嫌いだったのか 
巨大メディア—— その捏造の歴史 (ベストセレクト) – 2015/4/23
池原冨貴夫 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AF%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%81%8C%E3%81%8A%E5%AB%8C%E3%81%84%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%B7%A8%E5%A4%A7%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E2%80%94%E2%80%94-%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88-%E6%B1%A0%E5%8E%9F%E5%86%A8%E8%B2%B4%E5%A4%AB/dp/483140196X


2019.02.09
【トンデモ】『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』池原富貴夫|ベストブック, 2015)
https://rondan.net/489

Contents

1 未知の世界と人間の可能性
2 その内容と特徴
3 根本的な認識不足
4 昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか
5 まとめ


未知の世界と人間の可能性

いわゆるトンデモ本というジャンルは、読者に全く新しい世界を見せてくれます。私自身、「まさかそうくるか」と呻らずにはいられないことが幾度もありました。

今回紹介したい本もまさにその一つ、池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』(ベストブック, 2015)です。

朝日批判本は余多出版されていますが、そのほとんどは大同小異です。二、三冊読めばお腹いっぱいで、それ以上呼んでも得られるものは殆どありません。本当にオリジナリティーを出すことが難しい分野です。そのような困難な状況にあって本書は『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』という斜め上の、しかもタイトル出落ちで、ひときわ異彩を放っています。

その内容と特徴

百聞は一見にしかずとも申しますので、ひとまず目次をあげます(誤用)。
序章
第一章 見直される日本とアジアの近代史
第二章 陸軍と国民の尻を叩き続けた朝日新聞
第三章 足かけ「十五年戦争」の中、無視され続けた昭和天皇
第四章 朝日新聞の豹変、昭和天皇の苦悩
第五章 産業革命がもたらした光と彰
第六章 国民が「蚊帳の外」に置かれた新憲法制定
第七章 中国共産党に傳く朝日新聞に、読者離れが止まらない
第八章 朝日は、中国共産党と「運命共同体」
第九章 朝日新聞に、国民の「ご裁断」
第十章 朝日と共に、虚報に躍って散った政治家と「リベラル病」患者たち
第十一章 大手メディアに続く「厳しい環境」
最終章 昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか


つまり、「大東亜戦争は植民地解放戦争の自衛戦争だった。米国との戦争を煽り戦意高揚に朝日新聞は躍起になったが、昭和天皇は開戦に反対だった。終戦後、朝日新聞は豹変して共産党と運命共同体となり、慰安婦問題や南京大虐殺などを報じて国益に損害を与えている」というような(ありきたりの)内容です。果たしてどのように昭和天皇に朝日新聞を批判させるのでしょうか。

根本的な認識不足

昭和天皇に関する結論部の論理性の検証は後にします。それよりなにより、この筆者は、朝日新聞があまりに憎すぎて、ついつい朝日新聞ばかり読んでしまい、他の新聞を読んでいないという皮肉に陥っていますので、その点を指摘したいと思います。

この池原氏は、戦前・戦中の朝日新聞の軍国調の記事を取り上げて、朝日新聞の戦争責任を厳しく問いただします。たとえば戦闘機献納や、ミッドウェー海戦で勝利したと国民を偽ったこと、戦意高揚のための鬼畜米英記事、ヒトラー礼賛記事などが取り上げられます。

このような「朝日新聞の戦争責任」を追及したがる保守論客が時々いますが、これはおかしな話です。というのも、当時は時局下ということもあり当時の新聞各社は厳しく検閲されており、いずれも軍国調でした。今では保守の鑑である産経新聞(当時は産業経済新聞)も、戦前は朝日新聞と同じく軍国調そのもので、事実、その責任を問われ経営者だった前田久吉は戦後に公職追放を受けています。

そしてなにより、大本営発表は嘘八百でしたから、ミッドウェー海戦報道で朝日新聞報道だけが非難されるというのは不可解です。

したがって、朝日新聞の戦争責任だけを追及するのは全く非論理的です。保守論客は、朝日新聞だけはしっかり読ようですが、産経新聞など他のものはあまり読まないという傾向があります。この理由は単純で、朝日新聞は戦前のものから現代のものまで縮刷版が刊行されていて容易に参照可能ですが、産経新聞は戦前の縮刷版を刊行していないため参照が困難だからです。国立国会図書館に行けばマイクロフィルムで戦前・戦中の各紙を参照できますので、せめてそれをしてから朝日新聞を批判して欲しいところです。

昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか

ところで、本のタイトルにもなっている「昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか」という問いへの回答は、もちろん「嫌いだった」ということになりますが、その論拠に妥当性があるとは言い難いものです。『昭和天皇独白録』を根拠としながら次のように述べます。


昭和天皇が独白録で述べている通り、不審の男であり連れてきた朝日も朝日だった。好き嫌いをあまり見せない昭和天皇が不審な「策動」に対し強い不快感を示した。

「繆斌は陸軍の飛行機で日本に来たが、どうして杉山(陸相)がこれを許したか、諒解に苦しむが、彼の来朝は朝日の記者、田村真作という者の薦めで緒方竹虎が策動したものである」(独白録)

 池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』ベストブック, 2015, p. 178


ややこの事件(および著者の理解)には説明が必要です。この繆斌という人物は、親日政権の中華民国臨時政府の要人で、1945年に重慶国民政府の密命を受けて、日中の単独和平交渉を小磯國昭内閣に提案した人物として知られます。この和平交渉に、天皇が不信感を示したのが一節が上記の『独白録』です。

つまり、@昭和天皇は繆斌が持ち込んだ和平交渉に不審を抱いていた、Aその繆斌を連れてきたが朝日新聞記者だった(そして緒方竹虎は元朝日新聞副社長)という、二つの根拠が合わさって、「昭和天皇は朝日新聞が嫌いだった」という結論が導かれます。

滅茶苦茶強引なような気がしますが、著者の自信は揺らないようです。


昭和天皇の決意 @「朝日の策動」を潰して、朝日を徹底的に無視する
池原富貴夫『昭和天皇は、朝日新聞がお嫌いだったのか』ベストブック, 2015, p. 180
と昭和天皇のお気持ちを代弁します。また、昭和天皇が不信感を抱かれた背景として、「朝日の実体は、緒方を筆頭にした「政治結社」そのものだった」とか、「「ゾルゲ事件」の尾崎秀美も上海特派員で、田村真作の先輩だった。朝日は政治ゴロのたまり場のようだ」など陰謀論を展開し、朝日新聞は共産主義の手先だったと言わんばかりの論調で責め立てています。

しかし、これらに朝日新聞社が関係していたからと言って、僅か一文だけを根拠にして、昭和天皇が朝日新聞という会社そのものを徹底的に無視し、嫌っていたことの根拠になるのかは怪しいものです。

まとめ

アクロバティックな解釈で昭和天皇と朝日新聞を結び付けてしまった筆者のテクニックには恐れ入りました。かかる点で、極めて優秀な「朝日新聞陰謀論」を披見したと評価せざるを得ません。

しかし「朝日新聞は、常に儲かる方に動く「便所のドア」だった」とまで難じる池原氏の強弁には、一体何が彼をそうさせたのかと思わずにはいられませんでした…。

https://rondan.net/489


▲△▽▼

2019.02.09
【トンデモ】『朝日新聞「戦時社説」を読む』(室谷克実|毎日ワンズ, 2014)
https://rondan.net/543

Contents

1 新聞の戦争責任
2 新聞紙法を完全無視
3 朝日の反軍記事を無視
4 コミンテルンの陰謀
5 まとめ


新聞の戦争責任

戦前・戦中の軍国主義の中、新聞社がいかに国家体制に随従し、戦争賛美してきたかについては数多くの論文・書籍が発表されています。この「新聞と戦争」の問題について、入手しやすいものとして書籍として、例えば次のようなものがあります。


1山中恒『新聞は戦争を美化せよ!:戦時国家情報機構史』小学館, 2001.
2朝日新聞「新聞と戦争」取材班『新聞と戦争』朝日新聞出版, 2008.
3前坂俊之『太平洋戦争と新聞』講談社, 2007.
4今西光男『占領期の朝日新聞と戦争責任:村山長挙と緒方竹虎』 朝日新聞社, 2008.
5読売新聞戦争責任検証委員会『検証 戦争責任』上下巻, 中央公論新社, 2009.
6鈴木健二『戦争と新聞:メディアはなぜ戦争を煽るのか』, 2015.

このように「新聞と戦争」をめぐる書籍は数多く出版されているのですが、これらをほとんど読まずに、朝日新聞の戦争責任だけを執拗に追及する論文や書籍をしばしば見かけます。それら論文・書籍は、あまりに「朝日新聞憎し」が前面に出過ぎて、冷静な判断ができていないものが殆どです。その中でも今回は、室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』(毎日ワンズ, 2014)を取り上げながら、「朝日新聞の戦争責任」論の問題点を逐次紹介したいと思います。

新聞紙法を完全無視

戦前・戦中の新聞は、「新聞紙法」によって国家方針に合致する内容しか報道できませんでした。したがって、戦前・戦中では、いずれの新聞も一様に軍国調であり、国民の戦意を掻きたてました。したがって、この「新聞紙法」を考慮して、当時の主要紙すべてを取り上げてその戦争責任を問わなければなりません。

にもかかわらず「朝日新聞の戦争責任」を追求したがる一部保守論客(つまり本書)は、この「新聞紙法」による検閲があったことを全く顧みず、朝日新聞の軍国調記事だけを取り上げて非難します。

朝日の反軍記事を無視

このように「新聞紙法」のなかにあっても時として反軍的な記事が新聞に掲載されました。その中で有名なのは、1944年2月23日付の毎日新聞が、戦局が思わしくない旨の記事を載せ、陸軍報道部や東条英機がこれを反軍的内容であるとして弾圧した事件でしょう(竹槍事件)。この事件を室谷氏は高く評価し、朝日新聞の報道態度と比較して次のように言います。


ともあれ戦争には賛成しているものの、戦争の実態を伝え、ごまかしでない敗戦回避への提言をした点では、大きな意義があった。
逆に朝日は、戦局の悪化が国民の目にも明らかになり始めた昭和十九年後半から、盛んに叫ばれるようになっていた特攻精神、精神主義を繰り返し煽り、訴えるようになる。
 室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』毎日ワンズ, 2014, p. 218

しかしこれはアンフェアな比較です。というのも、朝日新聞も戦中に反軍的な記事を書き、記事差し止め命令の弾圧を受けています。すなわち、1943年1月1日付の朝日新聞で、東条英機を名指しで批判する「戦時宰相論」が掲載され、記事差し止めの圧力を受けた事件です。(仔細については、辻田真佐憲『空気の検閲』光文社, 2018, pp. 256-260を参照)

このように朝日新聞にも、ごまかしではなく本音を書こうとした事件がありました。このような事件も含めて公平に考察しなければなりませんが、室谷氏は戦中の朝日新聞の反軍記事を等閑に付してしまっています。

コミンテルンの陰謀

ところで、戦後今日に至るまでの朝日新聞批判の要点は、その内容が反日的であるという点に集約されます。しかし、戦前・戦中の朝日新聞が軍国調であることを根拠に戦争責任を追及するならば、戦前・戦中の朝日新聞は国家の方針に忠実に従った極めて愛国的なものであったはずです。当時は、反軍的な記事を書くことこそが反日でしたから。

したがって愛国を自称して戦前回帰を唱える現代保守が、戦前・戦中まったくの愛国であった朝日新聞を批判するというジレンマの構造が生じます。

このジレンマを解消させる有効な解決法が、「朝日新聞の裏にはコミンテルンがいた」という陰謀論です。次のように主張されます。


中村菊男教授が指摘する「朝日新聞戦犯」論も、実は戦中の社説よりも、満州事変から日米開戦に至るまでの朝日新聞の論調を問題視したのだと私は想像している。すなわち、日本が対米開戦に踏み切らざるを得ないよう誘導したと思われる論調だ。ここで見逃せないのが、コミンテルン(ソ連が支配した国際共産主義組織、日本共産党も実は「コミンテルン日本支部」だった)のスパイ活動だ。
 室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』毎日ワンズ, 2014, p. 23

こんな陰謀論は、著者の主観の産物でしかないのですが、主観の産物であるからこそ、まともな考察もせず次のように断言します。


ゾルゲ・尾崎一派が配置していたであろうコミンテルン・スパイ網の暗躍がなかったのか。つまり、対ソ方面(満州)は固定したまま日米開戦に進ませようというベクトルが働いていたのではないかと疑わざるを得ないのだ。
 室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』毎日ワンズ, 2014, p. 33

つまりコミンテルンのスパイ活動によって、朝日新聞が扇動され、その尖兵となった朝日新聞が日本が戦争せざるを得ないように仕向けたというのです。

まとめ

このように、室谷克実『朝日新聞「戦時社説」を読む』は、朝日新聞「戦時社説」しか読まず、朝日憎しの主観に基づいて、自分の気に喰わないことの原因を何でもかんでも朝日新聞に帰してしまう、典型な陰謀論の一つと評価できるでしょう。


https://rondan.net/543


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/233.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 皇室関係投稿リンク 中川隆
23. 中川隆[-12258] koaQ7Jey 2019年2月11日 19:18:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

朝日新聞陰謀論 _ なんでもみんな朝日新聞が元凶だというアホ右翼の妄想
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/233.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/458.html#c23
[近代史3] 戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか? 中川隆
10. 中川隆[-12257] koaQ7Jey 2019年2月11日 19:41:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか?_ 2

2019.02.09
【トンデモ】「朝日」憎けりゃWGIPも憎い。でもアメリカは憎くない(水間政憲「反日歴史認識の「教典」
:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた」『Voice』2014.6)
https://rondan.net/327

Contents

1 ともかく「朝日新聞が悪い」
2 なんでも「朝日新聞が悪い」
3 この世の諸悪は朝日新聞が根源:朝日新聞陰謀論


ともかく「朝日新聞が悪い」

南京事件や慰安婦問題でともかく叩かれる朝日新聞。昨今、保守勢力の朝日叩きは必要以上のものがあり、非論理的な言動が目立ちます。保守運動を有意義で建設的なものにするためにも、デマ拡散や炎上商法で短期売り上げを狙うのではなく、是非とも意味のある論理的な議論にして欲しいところです。

なんでも「朝日新聞が悪い」

今回取り上げたいのは、水間政憲「反日歴史認識の「教典」:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた」(『Voice』2014.6, pp. 152-157)です。

このタイトルだけ読むと、「GHQのプロパガンダ放送「真相箱」の制作に、朝日新聞が重要な役割を果たしていた」ことが説かれるのかと思いきや、そんな話は出てきません。論文の主題は南京事件の被害者34人説、あるいは0人説の強弁です。「真相箱」と朝日新聞との関係は、冒頭部で次のように関与の可能性が示されるだけです。


戦後、「南京大虐殺」があたかも事実のように認識されてきたものです。1960年代にはきえそうになっていたこの問題を煽ったのも、『朝日新聞』でした。「南京虐殺問題」については、東京裁判開廷前に朝日新聞社が編集に加担した証拠があります。連合国最高司令部(GHQ)政策の日本人洗脳放送『真相箱』(NHKラジオ)で、同裁判の判決を先取りしたような「南京大虐殺」に関する放送をしていたのです。

つまり、水間氏が主張したいことの要点は「朝日新聞が加担したために、ラジオ番組「真相箱」の放送で南京大虐殺の虚報が流された」ということなのでしょう。

しかし、朝日新聞が「真相箱」の制作に協力していたからと言って、どうしてその放送内容の責任が、それを制作したGHQや、放送したNHKではなく、間接関与の可能性が示唆されただけの朝日新聞にあるのでしょうか? 水間政憲の批判の矛先は、なぜか朝日新聞にだけ向けられており、反日番組放送に直接携わったGHQやNHKに対しては苦情の一つも言っていません。

この世の諸悪は朝日新聞が根源:朝日新聞陰謀論

また朝日新聞の関係者が「真相箱」の制作に携わっていたとして、どうして朝日新聞そのものが批判される必要があるのかについても私にとっては謎でしかありません。

水間氏などの一部保守勢力には、朝日新聞は諸悪の根源であると想い込み、何でもかんでも朝日新聞が仕組んだという陰謀論に走ってしまう節があります。

「真相箱」(より広い概念で言えばWGIP)は、確かにGHQのプロパガンダという性格を持っています(洗脳まではいいすぎだと思いますが)。そうであるならば水間氏が責めるべき相手はGHQであり、今のアメリカであって然るべきです。アメリカを責めず、朝日新聞を責めるというのは論理的に不整合であると感じます。

あまり意味のない朝日新聞陰謀論は控えるべきではないでしょうか


https://rondan.net/327


▲△▽▼


2019.02.11
産経記者のネトウヨ性——佐々木類(論説副委員長)がヤバい
https://rondan.net/15289


Contents

1 ネトウヨ御用達「産経新聞」
2 記者の思想性
3 NHKはフェイクニュース
4 文治的報道を罵倒
5 韓国に強硬姿勢が国益につながる
6 WGIPを信じるというスゴさ
7 まとめ


ネトウヨ御用達「産経新聞」


「ブーメラン」「反日日本人」「WGIP」「コミンテルン」といったネトウヨ御用達のスラングを記事でガンガン使ってしまう産経新聞の革新性には驚かされます。朝日新聞や読売新聞などではこういった語は殆ど用いられず、言葉の使い方という点ではよほど保守的です。

産経新聞はいわゆる右向きな保守層やらネトウヨ層をターゲットにした紙面作りに特化しており、それはそれで価値はあると思うのですが、あまりの馬鹿々々しさに心配になるときがあります。

ところで、次のようなことが言われることがあります。産経新聞の記者たちは、読者に喜んでもらうために右寄りな記事を書いているだけで、当人たちはノンポリである、というようなものです。

記者の思想性

確かに産経新聞の記者だからと言って、必ず全員が右寄りなはずはありません。また逆に朝日新聞の記者だからと言って、全員が左寄りでないのと同じです。たとえば、長谷川熙氏は元朝日新聞の記者ですが、今では熱心なアンチ朝日になっています。

ですがこの一方で、朱に交わり赤くなったのか、それとも元々そうだったのかは解りませんが、「THIS IS SANKEI」といった記者も存在します。今回はそんな「これぞ産経」な記者である、論説副委員長の佐々木類氏の言説を取り上げたいと思います。出典は『ジャパニズム』47号(2019.2)収載の「新聞記者が一刀両断! 日本の偏向報道」です。


NHKはフェイクニュース

産経新聞の記者らしくフェイクニュースに極めて敏感な佐々木類氏。さすがファクトを重んじる産経新聞といったところでしょうか?

過日騒動となったレーダー照射問題の報道に怒りを覚え、NHKに次のように噛みつきす。


日本放送協会。そう、天下の公共放送にして高給が批判の的となっているNHKのフェイクニュースだ。まるで海自のP1が韓国駆逐艦「広開土王」に異常接近したためにレーダー照射された―と錯覚するような合成写真を垂れ流したのだ。

良いですね。この出だし。「高給が批判の的」とか本筋と全く関係のない僻みが入っているところがツボです。そういえば産経新聞は経営危機で、ボーナスも碌に出ず、早期退職希望者募集中だそうですが、佐々木類氏は大丈夫でしょうか?

で、フェイクだというのは、次の画像のことです。


この写真を見ると自衛隊機が韓国船に異常接近しているように見えるからフェイクだというのです。

……。

考え過ぎだろ(笑)

事実、佐々木氏自身が「素人が見ても合成であることが分かる」とフェイク説を一蹴。


P1はなぜか車輪がすべて出ていて、素人が見ても合成であることが分かるのだが、一瞬騙されそうになるから厄介だ。

「自分でマッチポンプしてて楽しい?」と聞きたくなるレベルの言説ですね。しかしネット掲示板レベルの駄論を全国紙の新聞記者がしてしまうとは…。


文治的報道を罵倒

もちろん産経新聞の記者らしく、韓国に対しては超絶強硬姿勢。先のレーダー照射問題に対する「喧嘩両成敗」「両者ともに落ち付け」的な報道を罵倒。


そして、ニュースキャスターはこう、したり顔でまとめてみせた。「冷静にいきたいですね。日韓関係のさらなる悪化にこの問題、繋がらないか心配です」。
あなたはいったい、どこの国の公共放送でキャスターをしているのか、と聞きたくなるほどの胸くその悪さだ。


(朝日新聞も)NHKと同じ、ケンカ両成敗である。「日韓両政府が言い争いをしている」とはなにごとか。


こういうNHKや朝日、毎日新聞といったメディアが韓国をツケ上がらせてしまうのである。

こういう「先生に叱られない範囲で威張り散らす小学生」みたいなところが産経新聞の良いところです。

韓国に強硬姿勢が国益につながる

しかも佐々木氏の理解では、このレーダー照射騒動の一件は、韓国から銃口を突き付けられ、宣戦布告を受けているようなモノなんだそうです。


100%相手に非があり、自分の息子や娘が銃口を突き付けられて相手を批判しているときに、「言い争いはやめろ」と両者をなだめようというのか。


「今後も隣国ゆえの大小のトラブルは起きるだろう」などと暢気なことを言っている。これは、赤化統一の道を邁進する文在寅政権の形を変えた、わが国に対する「静かなる宣戦布告」なのである。

ここまで言うからには自衛措置で韓国船を沈めろくらい言うのかと思ったら、産経新聞は謝罪の要求しかしていないそうです(笑)


事件の発覚を受け、社説で最初に反応したのが産経新聞だった。12月23日付で「敵性国家の所業である。韓国の政府と海軍は過ちを正直に認めて責任者を処分し、日本に謝罪すべきである」と主張した。

結局、佐々木氏(および産経新聞)が威勢よく「宣戦布告」だの「敵性国家」だの激しい言説をしたからといって、「実際の戦争にはならない」「戦争はして欲しくない」という甘えがあるんですよね。彼らがそれに気が付いているかどうかは解りませんが…。ほんと「先生に叱られない範囲で威張り散らす小学生」でしかない。

本気で「宣戦布告」だの「敵性国家」だのと信じているのであれば、「謝罪の要求」なんてショボイこと言っていないで、「レーダー照射されたら、現場判断で即時、ミサイルを撃ち込め」くらい社説で言ってほしいものです。何を日和見しているのでしょうか(苦笑)


WGIPを信じるというスゴさ

またこのようなマスコミのフェイクニュースや、偏向報道を生み出している原因は、なんとウォー・ギルド・インフォメーション・プラン(WGIP)なんだそうです。


現在のメディアが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による、WGIP(日本洗脳工作)に支配されていることは、今や多くの人が知るところとなっている。今でも当時の連合国や南北朝鮮への批判禁止等々、30に及ぶプレスコードがあり、多くのメディアはそれに縛られている。例えば、大平洋戦争を大東亜戦争と呼ぶことは、歴史修正主義でも右翼化でも、何でもない。当時の人はさきの大戦を大東亜戦争と呼んでいた。
日本のメディアはまず、用語の使い方から見直さねば、染み付いた偏向報道癖を元から断ち切ることは不可能だろう。
以上、自戒を込めて報告する。

今でもプレスコードがあると主張している割には、産経新聞は南北朝鮮批判はするし、「大東亜戦争」って語も使うし、でもアメリカにはポチ犬だしと、好き勝手やってるじゃないですか(笑)

WGIPによってメディアが縛られているなんてのは、考え過ぎ。

まとめ

いかがだったでしょうか?

元々そういったイデオロギーの持ち主だったのか、産経新聞社に入ってから染まってしまったのかどうかは解りませんが、「嫌韓+アンチ朝日+WGIP」とまさにネトウヨそのもの。

こういうスゴイ方が全国紙「産経新聞」の論説副委員長をしてしまっていることが一番のトンデモでしょうか?

最後に、ビックリなオフショットを一つ。


ちなみに、職業柄、すべての日刊紙に目を通す知人の一人はこうした新聞を読むと決まって朝から不快になるから、気付け薬代わりに産経新聞を読んで呼吸を整えるという。

……。

何も語るまい…。

https://rondan.net/15289


▲△▽▼

2019.02.10
産経新聞と朝日新聞の「ネトウヨ用語」頻度の比較
――「ブーメラン」「反日日本人」「WGIP」「コミンテルン」……
https://rondan.net/15276


Contents

1 苦境の産経新聞
2 ネトウヨ用語が大好きな産経新聞
3 ブーメラン
4 反日日本人
5 WGIP
6 コミンテルン
7 まとめ

苦境の産経新聞

経営状態が悪化しまくっている「産経新聞」。ネトウヨは購買意欲が高いようですが、所詮、人数が多くないので全国紙を維持するためには今一つ勢いが足りないようです。

一方、ネトウヨから目の敵にされているリベラルの牙城「朝日新聞」は、部数低下に悩まされながらも、不動産業などによる収入が盤石のため、依然として産経新聞よりはるかに健全な経営状況です。

保守最後の希望である「産経新聞」を救うために、ネトウヨは積極的に二部三部とまとめ買いし、販売店に「押し紙」を強制させ国益を守るべきではないでしょうか?

ネトウヨ用語が大好きな産経新聞

朝日新聞や読売新聞と違って、不動産などの資産を持たない産経新聞は、新聞の部数が伸びないと経営状況は回復しません。部数減少率は善戦しているものの増えてはいないので、このままでは倒産してしまいます。

この回復のカギはネトウヨ路線の放棄にあると思います。先ほども言いましたが、ネトウヨは数自体それほど多くないので、今のようにトンデモ記事ばかり書いていたら、良識ある一般市民はドン引きするだけだということです。

アホ相手に商売していると、気が付かない間に自分までアホになってしまっているということはよくあります。産経新聞の方々はよくよく社会常識に基づいた記事を書いていただきたい。

ブーメラン

幾つか典型例な用語を比較します。

まずは「ブーメラン」。ネットスラングでよく使われます。民主党(民進党)を攻撃する際によく用いられますね。

この語が何回使われているか検索したところ…。

産経新聞(政治) 283
朝日新聞(全体) 17
【参考】読売新聞(全体) 6

圧倒的な産経新聞のクォリティ(笑)


反日日本人

「反日日本人」とはネトウヨが大好きな言葉。

反日は中国・韓国だけではなく国内にもいるという妄想を手助けしている用語です。

これを比較すると…

産経新聞 12
朝日新聞 2
【参考】読売新聞 0

なお、朝日新聞でヒットした2件は、いずれもネトウヨ思考を批判する記事です。一方、産経新聞はマジで「反日日本人」というカテゴリーが存在すると妄想してしまっている記事です。読売新聞は華麗にスルー(笑)

ほんと産経新聞スゴイ。

WGIP

ネトウヨや保守が大好きなWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プラン)。何と我々はGHQ政策によって洗脳されているそうです。

先に大ベストセラーになった百田尚樹『日本国紀』においても、戦後史で大きく扱われました。こんな単純な陰謀論を信じれるということ自体が、自虐思想なのですが(笑)


これを比較すると…

産経新聞 75
朝日新聞 4
【参考】読売新聞 0

なお、朝日新聞でヒットした4件は、いずれもこのWGIPが妄想であると批判する記事です。一方、産経新聞はマジでWGIPによって我々が洗脳されているというという記事です。

ここでも読売新聞は華麗にスルー(笑)

コミンテルン


「コミンテルン」とは戦前に実際に存在した共産主義組織です。今ではもう存在しません。ゆえに都合がいいのか「コミンテルン陰謀説」が今では大人気です。

「日本が戦争に巻き込まれたのはコミンテルンの陰謀だ!」

というのがそれです。多くの国々と人々が複雑に絡み合って起きた現象の発端を、たった一つの原因に帰することなど不可能です。その不可能を単純に解決してしまうのが陰謀論でし。フリーメーソン陰謀論などと大同小異のもので、あと20年もすれば口に出すことすら恥ずかしくなるようものです。

さて、この語を比較すると…

産経新聞 105
朝日新聞 2
【参考】読売新聞 0

産経すごすぎ!

なお朝日新聞の1例はコミンテルン陰謀論を非難する記事です。そしてやはり読売新聞は華麗にスルー(笑)

まとめ

いかがだったでしょうか?

産経新聞がどれだけぶっ飛んでいるのかがよく解ったと思います。

その対極にある朝日新聞は産経新聞などが垂れ流す妄想にしっかり反論し、一方。両者の中間やや右寄りにいる読売新聞はこんな馬鹿げた妄想に最初から付き合わないという態度です。

こんな面白い産経新聞を、みんな優しい眼差しで見守ってあげましょう!

https://rondan.net/15276



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html#c10

[リバイバル3] 起業するより多国籍企業に投資する(現物株を買う)方がギャンブル度は遥かに低い 中川隆
10. 中川隆[-12256] koaQ7Jey 2019年2月11日 19:58:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019年02月11日
おいしいラーメン屋がなくなる理由 ほとんどが3年で閉店


元ラーメン屋だった物件は安く開業できるが、新しい店も数年で閉店する事が多い


画像引用:http://inukibank.com/wp-content/uploads/2017/07/P6290044.jpg


儲かっているのに閉店するパターン

外食店は頻繁に開店と閉店を繰り返しますが、その中でもラーメン屋は入れ替わりの激しさで知られている。

外食店の出店支援事業を行うシンクロ・フードによると、めん類外食店の7割が3年以内に閉店していました。

4割以上は1年以内に閉店していて、出店数が多い分閉店数でも多い。




閉店するラーメン屋にはいくつかパターンがあり、繁盛していて儲かっていても閉店することがある。

ラーメン屋や飲食店には臭いや行列や衛生状態、ゴミ出しなどで苦情が多く、立ち退きを迫られることがある。

有名店になって行列ができると近所迷惑になり、そこが住宅地だったら相当な苦情が出る。


大量のごみによる異臭や汚れ、残飯に集まる虫など、苦情の種は多く存在します。

「ミカジメ料」などを求める周辺のその手の人に目を付けられる場合も多く、繁盛するほどトラブルも増えます。

行列ができる繁盛店というのは客をさばき切れていないので、客は待たされるし従業員も手いっぱいで、あまり良いことではない。


店主や家族が過労で体を壊して閉店というのも多く、無理は長く続きません。

2つめに多いのは計算上利益が出ているがキャッシュフローが少ない場合で、現金がなくて支払いできなくなり閉店します。

開店時には売上ゼロでも半年持ちこたえる現金があるのが理想とされるが、ギリギリで開業する人が多い。


ラーメン屋に限らず仕入れには毎日現金が必要で、仕入れができなくなる日が閉店になります。

新規開店した外食店に固定客がつくのは早くて半年後、軌道に乗るまで1年くらいかかる。

経営に行き詰まるパターン

仮に少しは利益が出ているとしても半年以上はどんどんお金が減る筈で、この期間に現金が尽きる店が多い。

3つ目は単純に売り上げが増えず赤字で閉店するケースだが、美味しくないから閉店する店は少ない。

明らかに不味くて汚い店なのに続いているラーメン屋は多いし、美味しいのにすぐ閉店する場合もある。


これもさっきのキャッシュフローと関係していて、開業する人はギリギリの資金しかない場合がほとんどです。

そういう人は「安く開店できる物件がないか」と目を皿のように情報収集し、結局潰れた飲食店の跡に開店します。

前の店が飲食店なら開店資金が少なく済み、それが同じラーメン屋なら最小の資金で開店可能だからです。


ところがこうした「呪われた場所」はやはり飲食店に向かない事が多いので、また潰れてしまう。

一見すると人通りや交通量が多く、賃貸料は高めだが場所が悪く客がつかない事がある。

駅の近くだが食事する人が少ないとか、橋のたもとで何となく不便だったり、足が向かない場所というのはあります。


カレーのココイチの創業者は500店もの店を開店し、今までに一店しか失敗した事がないそうです。

その一店はオフィス街から歩くには遠く、どんな工夫をしてもどうしても売り上げが増えなかった。

このようにどんなに美味しくて店の評判が良くても、うまく行かない立地はあるようです。


店がその地域に合っているかも重要で、客が求めていないのにマニア向けの「こだわりのラーメン」を出してもしょうがない。

住宅地で家族連れや子供や女性が多いならさっぱり味、労働者が多いならこってり系など変化が必要です。
http://www.thutmosev.com/archives/78985646.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/826.html#c10

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
15. 中川隆[-12255] koaQ7Jey 2019年2月11日 19:59:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019年02月11日
レオパレス、「かぼちゃの馬車」などアパート経営のわな


レオパレスもかぼちゃの馬車と同じサブリース物件だった


画像引用:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/rajincom/20180130/20180130200823.png

不動産がらみの不祥事つづく

2018年からアパート経営会社などの不祥事が続き、今度はレオパレスで全入居者立ち退きに発展している。

スマートデイズが経営するシェアハウス「かぼちゃの馬車」のずさん経営が表面化したのは1年ほど前でした。

同社は女性向けシェアハウス投資としてスルガ銀行に多額の借金をさせたが、入居率は5割以下しかなかった。



実態としては出資者から集めたお金を浪費しては新たなシェアハウスを建設したが、シェアハウスはずっと赤字経営だった。

スマートデイズは経営破綻し社員や経営陣は逃げたが、出資者には数千万から数億円もの借金が残った。

2018年に不動産業界全体で注目されたのが「おとり物件」で、広告を見て問い合わせると店舗に来るよう指示されます。


店舗に行くと必ず「一足違いで入居者が決まりました」などと言われ、もっと家賃が高い物件に連れていかれます。

急いで入居先を決めたい客は、言われるままに希望より高い物件に「入居させられてしまう」のがおとり物件です。

日経ビジネスの『賃貸住宅市場、半分が「おとり物件」の衝撃』では、なんと調査した物件の50%以上が実際には存在しなかった。


2018年の年末にはアパマン店長が消臭スプレー120本を室内で噴霧して爆発させるアパマン事件もありました。

なぜ店長が120本もの消臭スプレーを噴霧していたかが問題で、同社では消臭・除菌費用として1万円から数万円を請求していた。

実態としては消臭スプレーをシュシュっと撒くだけなのだが、ほとんどの店舗ではそれもせずスプレーを空にしては廃棄していた。


本社からはスプレーを購入し必ず使い切るように指示されていて、店長はノルマをこなすために噴射していた。

外でやると近隣の人に不審に思われるので室内でやり、湯沸かし器に点火したところ爆発した。

レオパレスはなにをしたのか

賃貸アパート大手のレオパレス21は33都府県の1324棟で違法建築が見つかり、1万4443人が入居しています。

このうち641棟の7782人は速やかに退去する必要があり、混乱が広がっています。

2月から3月は新入居や引っ越しが多い繁忙期なので、引っ越し業者は対応できないとしてます。


賃貸物件は耐震性、耐火性、遮音性が定められているが、どれも満たしていない物件があった。

レオパレスは壁を薄くしたり天井裏の防火設備を簡素化したり、見えない部分でコストダウンしていた。

レオパレスはアパートオーナーから物件を借り、運営を丸ごと請け負う「サブリース」をしていました。


アパートオーナーからは10年以上前から苦情が出ていたが対応していなかったそうで、長期間常態化していた。

サブリースを巡っては最初に約束した賃料が支払われない、修理費用がオーナー持ちなどで多くのオーナーが赤字になっている。

結局シェアハウスもサブリースも、オーナーに赤字を押し付けて企業が利益を得る仕組みに過ぎませんでした。
http://www.thutmosev.com/archives/78991885.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c15

[昼休み54] 日本の官僚は悪い 中川隆
67. 中川隆[-12254] koaQ7Jey 2019年2月11日 20:55:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
古賀茂明「統計不正で大馬鹿でも極悪人でもない厚労官僚たちがはまった罠」〈dot.〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190209-00000015-sasahi-pol
AERA dot. 2/11(月) 7:00配信


衆院予算委で質問を聞く根本匠厚労相(C)朝日新聞社


 厚生労働省の統計不正で国会は大揺れだ。雇用保険などで、もらうべき金額をもらえなかった人が2000万人超という大事件に発展したのに加え、アベノミクスの評価に直結する労働者の給与に関する統計が信用できないということになったのだから、大騒ぎになっても当然だ。

 過去の間違いだけならまだしも、不正発覚後も、隠蔽、お手盛り調査など、新たな「不正」と言われても仕方のない行為が重なって、厚労官僚への信頼は地に堕ちてしまった。これから先は、彼らが何を言おうと、国民の反応は、「きっとウソに違いない」「まだ何か隠しているだろう」「騙されてはいけない」というものになるのは必至だ。

 一般に、官僚は「優秀」だと考えられている。また、官僚は「信頼できる」という評価が、少なくとも昔はあったし、今でも、企業よりは役所の方が信頼できるという評価をする向きも多い。だからこそ、例えば、水道事業の運営を役所から企業に委ねるというと、「反対」の大合唱という現象が起きるのだ。

 一方、優秀で、ある程度信頼できるはずの官僚たちが、どうして今回のような統計不正や財務官僚の公文書改ざんなどという大スキャンダルを起こすのだろうか。それも、たまたまおかしな個人がやったということではなく、組織として暴走するのはどうしてなのか。

 この頃、官僚とはどんな人たちなのかということをよく質問される。今回は、厚労省の統計不正問題をとおして、このことについてあらためて考えてみたい。

■官僚は本当に優秀か

 官僚、とりわけ、キャリアと呼ばれる官僚たちは、一般に優秀だと言われる。では、「優秀」と言われる根拠は何か。その9割は、一流大学卒だということだろう。

 確かに、キャリア官僚は東大をはじめ、一流と言われる大学卒であることが多い。しかし、一流大学を出た後、幹部になるまで30年以上役所で生活している。30年前に優秀だったから、今も優秀だという保証は全くない。

 しかも、この場合の「優秀」というのは、「試験ができる」という意味でしかない。つまり、官僚が「優秀」だというのは、幹部官僚について言えば、「30年も前のことだが、ペーパーテストはよくできた」という意味しかないのである。

 そして、ここが問題なのだが、幹部に昇格できた理由は、「官僚として国民の役に立つか」というよりも、「所属する役所のためにどれだけ役に立つのか」で評価されたということである。

 つまり、役所から見れば、幹部官僚は優秀かもしれないが、国民から見れば、「優秀とは限らない」のである。

■官僚「性善説」、「性悪説」、そして「性弱説」

 優秀かどうかはさておき、官僚は信頼できるのか、言葉を換えると、「いい人」なのだろうか。

 前に述べた通り、官僚に対しては、一定の信頼が存在している。実際に官僚生活を31年送った経験で言えば、官僚の多くは「いい人」である。友人として、あるいは隣近所の付き合いをするというレベルなら、「性善説」で接しても大丈夫だ。

 一方、財務省の国有地大安売りや公文書改ざんなどを見ると、官僚は極悪人ではないかという印象を持つ人がいてもおかしくない。よほどの悪人でなければ、あんなに手の込んだ悪事は働かないだろうと思えるからだ。官僚は信用できない、すなわち官僚「性悪説」で考えた方が間違いないという考え方もありそうだ。

 私の経験から言えば、官僚は、常に「いい人」であるわけではなく、ましてや「聖人君子」でもない。しかし、他方において、決して信用してはいけない「極悪人」なのかと言えばそうでもないし、質の悪い「嘘つき」というわけでもない。

 では、どういう人なのかというと、実は、「普通の人」だ。もちろん、これは、「性善説」か「性悪説」かという観点から見た話で、そういう角度から見ると、「普通の人」とは、普段は信頼して付き合っても間違いのない「いい人」が多いが、信用し過ぎると、時として裏切られて「悪人」のように思えることもある、というところだろうか。

 では、官僚が「悪人」、時に「極悪人」となるのはどんなときかというと、「自分の出世」がかかるときと「役所の利権」が絡むときである。

 そういう場面になると、役人はどうしても誘惑に負けて、悪い道を選んでしまう。馬鹿ではないから、悪いということはわかりながら、止められないということもあるし、30年の役所生活で、悪いことだという観念すら麻痺してしまっていることもある。

 一般の人でも、同じような傾向はあるのではないだろうか。自分の損得がかかったり、ペナルティが大したことないという場合などに、刑法犯罪などを起こすことは稀だとしても、社会規範や自らの倫理規範を逸脱してしまうことは誰でも経験していると思う。

 同じ環境におかれたとき、ルールから逸脱せず自らを律することができるかどうかが、その人の「強さ」である。

 その意味で官僚は、本来は、「強い人」でなければならないのだが、現実は、そうではなく、「普通の人」並みに「弱い」のである。

 それは、ある意味当然のことかもしれない。なぜなら、各省庁が新卒採用するときに、倫理感が強いかどうかという点を重点的に評価することはなく、そこはほとんどノーチェックであるから、結果としては普通の人並みの集団になるということだ。

■キャリア官僚は「諦めが悪い」
 
 官僚にもいろいろな人がいるが、その中でも多いのは、「人の上に君臨したい、良く見られたい」という「中央エリート官僚型」と、「無難に安定した生活を確保したい」という「凡人型」だ(詳しくは、2018年6月11日の当コラム「安倍総理の消防士を火だるまになってもやる官僚の性」に書いた「官僚の3類型」を参照)。

 もちろん、どこの社会にもそういう人はいる。しかし、官僚の場合、その特性が普通よりも強いというのが私の実感だ。どちらのタイプにとっても、「出世」あるいは、「落ちこぼれない」ということがポイントになる。当然、組織からの評価が気になり、「役所への忠誠心」を普通の人以上に強く示したがる傾向がある。

 役所は特に横並びの意識が強く、組織の中で、突出して正論を言うと、逆に「裏切り者」扱いされることが多い。組織全体として、これは悪いことだから、もうこの辺でギブアップし、謝罪して責任を取ろうという行動の端緒を作ることが非常に難しいのだ。一言で言えば、「諦める」ということができない組織だと言ってもよい。そんな組織では、3類型の中の、「真に国民のために働く」「消防士型」の活躍できる余地はほとんどない。

■「弱い人」が「大きな権力」を持つ怖さ

 官僚が必ずしも悪人ではなく、強い人でもないから大きな問題が出ないかというと、そうではない。「弱い人」が役所にはびこると、どうなるのか。

 役所の場合は、その権力が大きく、予算も社会への影響力も桁外れて大きい。だからこそ、本来は、倫理観のしっかりした人間が官僚になってもらわなければ困るのだが、そうはなっていないし、入省してからそういう人間に教育されるというシステムにもなっていない。

 結果的に、普通の「弱い人」たちが集まって、保身や利権擁護に走ることで、とんでもないことが起きる。被害は、その組織にとどまらず、広く国民の損害につながるのである。

 今回の不祥事では、遅くとも03年に翌04年からの不正調査の計画が作られたとされている(ただし、私は、03年以前から大規模事業所の全数調査は行われていなかったと見ている)。そのときの担当官僚は何を考えたのか。非常に興味があるが、詳しいヒアリングは行われていない。しかし、少なくとも言えることは、これは単独でできることではない。

 一定の手続きを踏んで、少なくとも課長クラスは知ったうえでの判断だったと考えられる。いろいろな議論があったはずだが、結局誰もそれを止めることはできなかった。

 実は、役人が中途半端に「優秀」だから傷が深くなるという面もある。なまじ頭が働くために、複雑な理屈(客観的にはタダの屁理屈)で、自分たちの行為を正当化したり、何とか隠し通すための悪知恵を働かせたりできるのだ。頭が働かなければ、簡単に諦められたのに、ということになる。

■「弱い」から、さらなる深みにはまる

 今回の不祥事では04年から17年の間に何回も不正を正す機会があったはずだ。おそらく毎年のようにこれは問題だという話が担当官レベルでは出ていたのではないだろうか。しかし、「弱い人」の集団では、前例を破って、自分たちの代から正しい道を選ぶという勇気ある決断はできない。官僚の任期、特にキャリア官僚の任期は1年か2年というのが普通だ。その期間だけ何とか無難に過ごせばよいという意識もその判断を後押しする。その結果、10年以上にわたって不正を継続することになったのだ。

 さらに、17年に、18年からの補正(復元)を始めると決めたときも過ちを正す大きなチャンスだったが、それも逸してしまった。

 その後昨年末からの経過を見ても、根本匠大臣への報告を遅らせたり、特別監察委員会のトップに傘下の独立行政法人理事長を置き、さらには関係者のヒアリングを厚労省事務方主導で実施したうえにそれを隠すという失態を演じている。ここまで来たのだから、いい加減諦めて本当のことを明らかにしたらどうかと思うのだが、やはり、諦めきれなかったようだ。表に出て謝罪し、責任を取るという勇気がなかったために、傷口を広げてしまった。これも「弱い人」の悲しい性なのだろう。

■今の厚労省には「性悪説」で臨むしかない 

 上に述べたとおり、「弱い人」の集まりである官僚たちは、一度悪の泥沼にはまると、自力では決してそこから抜け出せない。一度そうなってしまった集団には性善説も性弱説も通用しない。つまり、本件に関する限り、厚労官僚に対しては、残念ながら、「性悪説」で臨むしかないということになる。

 今後は、ようやく参考人招致が認められた前政策統括官のみならず、不正に関与した関係者の徹底的なヒアリングが必要になる。隠蔽を繰り返す厚労省の組織に任せても信用できないということで、統計全般の所管省である総務省に調査を担当させるという動きもある。しかし、困ったことに、その総務省でさえ、基幹統計の小売物価統計に不正があったことを隠蔽したことが判明している。

 こういうときは、政府と離れた立場で国民に代わって真相を究明する組織を作った方が良い。福島第一原発事故の原因究明にあたった国会事故調査委員会のようなやり方も考えられるが、残念ながら、国会では自公が圧倒的多数を持っている。不当な圧力で調査が歪められる可能性を排除できない。

 マスコミと野党がさらなる調査によって、より決定的な事実を明らかにすることが必要だろう。本件では、03年当時の経緯や東京都以外の道府県での毎勤統計の調査状況などを丹念に取材すれば、これまでのスキャンダルに匹敵するような大きな問題が出てくる可能性は十分にあると私は見ている。

 最後に、一人の国民としての立場で勝手なことを言わせてもらえば、政府は信じられないし、国会も信じられない。いっそのこと、日弁連に丸投げして徹底調査してもらったらどうか。もちろん、調査費は厚労省の特別監察委員会に比べれば、何十倍もかかるかもしれないが、それだけの価値はあるのではないだろうか。

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c67

[近代史3] 朝鮮や中国からの徴用工が日本の職場でバタバタと死んでいった理由 中川隆
8. 中川隆[-12253] koaQ7Jey 2019年2月12日 02:50:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019.02.09
当時「徴用工員」は日本国籍だったから慰謝料を払う必要なし!
https://rondan.net/5926

Contents

1 『正論』は正論を語らない
2 日本統治不要論の骨子
3 所詮、国際問題の解決には役立たない
4 所詮、国内消費用


『正論』は正論を語らない

先ほど、雑誌『正論』のツイッター公式アカウントに次のようなツイートが流されました。



大東亜戦争時、朝鮮は大日本帝国領であり朝鮮人は日本国籍だったから、日本の軍需工場で働かせても問題なしという一読するだけでトンデモ説です。

この理論は『正論』(2019.1号)に掲載された、西岡力「奇怪な「日本統治不法論」」を下敷きにしていると思いますので、その理論と問題点について述べていきたいと思います。

日本統治不要論の骨子

この「日本統治不要論」について西岡氏は、次のように述べます。


歴代の日本政府はこれまで、今の価値観から見れば併合条約と統治は、「遺憾であり2度と繰り返さない」という道義的立場を繰り返し表明しつつ、帝国主義時代であった当時の法秩序では併合条約は「国際法上有効」だったという立場を継続して維持してきた。……ところがこの判決はそのような日本の立場は韓国の公序良俗に反すると断定して、統治下で合法的におこなわれた戦時動員を不法な統治下で行われた「反人道的な不法行為」と決めつけ、慰謝料を払えと日本の民間企業に命じた。


先ほど見た、雑誌『正論』のツイッター公式アカウントが呟いたツイートと同趣旨であることが解ります。つまり、当時の帝国主義時代にあっては日韓併合は国際法有効であり、併合された朝鮮人は「日本国籍」であるから戦時動員(≒徴用)は公序良俗に反するものではないということでしょう。さらに徴用工員が好待遇であったこともさりげなく主張。


日本の統治の実態、特に戦時労働が反人道的なものではなく民間企業での好待遇の賃労働だったことなどを、具体的証拠を挙げて反論し、国際広報しなければならないのだ。

所詮、国際問題の解決には役立たない

このような西岡氏の発言は、余りにも日本びいきで、韓国側が受け入れるはずがないのは明らかです。日韓間のこういった政治問題は、両国ともに感情的に如何ともし難い部分があり、そのことを十分に配慮して解決を目指さなければなりません。煽ることは解決に結び付きません。

慰安婦問題の時も保守論壇は「高賃金の売春婦」と強弁して問題を矮小化しようとしましたが、結局、国際世論を味方にできませんでした。それと同じ愚をこの徴用工問題でやろうとしています。

徴用工員を「当時日本人だったし、好待遇の賃労働者」だったなどと主張すればするほど、韓国側の感情を逆立てるだけだということは火を見るよりも明らかでしょう。国際世論も、こんな自分勝手な主張に納得するはずがないことは言を俟ちません。

所詮、国内消費用


なぜ、このような無意味(かつ荒唐無稽)な発言を保守論壇はするのか。それはこのような言説が、国家間の解決や、国際社会に向けられたものではなく、日本国内で消費されることを目的にしたものだからでしょう。

事実、西岡氏の論文の後半では「日本統治不法論」を悪化させた元凶が反日日本人によるものであるという煽り言葉を挟んでいます。WGIP洗脳の恐ろしさを説きながら、アメリカを非難することもく、なぜか朝日新聞を非難する構図とよく似ています

(参考記事)
【トンデモ】「朝日」憎けりゃWGIPも憎い。でもアメリカは憎くない(水間政憲「反日歴史認識の「教典」:『朝日新聞』は日本人洗脳放送『真相箱』に加担していた」『Voice』2014.6)
https://rondan.net/327

この様な馬鹿げた正論に惑わされず、意味のある解決に結びつく議論を期待したいと思います。

https://rondan.net/5926
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/134.html#c8

[近代史3] 朝鮮や中国からの徴用工が日本の職場でバタバタと死んでいった理由 中川隆
9. 中川隆[-12252] koaQ7Jey 2019年2月12日 02:54:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]
>>8 追記

『正論』は正論を語らない

先ほど、雑誌『正論』のツイッター公式アカウントに次のようなツイートが流されました。

雑誌「正論」公式アカウント @zasshiseiron

当時朝鮮は大日本帝国領であり朝鮮人は日本国籍だった。だから、彼らを日本国が戦争遂行のために軍需産業で賃労働させることは合法的な活動で、それ自体が慰謝料を請求されるような不法活動ではない。
【好評発売中!月刊正論1月号「徴用工」というペテン】
https://www.fujisan.co.jp/product/1482/


産経ニュース
✔ @Sankei_news
徴用工判決で新日鉄住金に差し押さえ通告 24日期限 菅長官「韓国政府の対応見極め」https://www.sankei.com/politics/news/181204/plt1812040024-n1.html

→代理人弁護士は、新日鉄住金が韓国内に持つ資産に株式約11億円相当や3千件以上の知的財産権などがあると説明。
→一方、あくまで協議を通じた解決を優先する立場を強調した。

2018年12月5日
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/134.html#c9

[近代史3] “爆買い”から“爆滑り”へ 中国人観光客がスキー場に殺到


“爆買い”から“爆滑り”へ 中国人観光客がスキー場に殺到
2/11(月) 19:53配信 FNN PRIME



ツアーバスの行列が…

週末、兵庫県のとある場所にできた“ツアーバスの行列”。
この日だけでもやってきたツアーバスは19台。

【写真】中国人観光客が殺到!日本のスキー場ではこんな光景が…

中に乗っていたのは、中国や台湾などから来た観光客だった。
.

“爆買い”から“爆滑り”へ

数年前、日本の家電量販店で“爆買い”していた中国人観光客が次に目をつけたのは、日本のスキー場。ゲレンデでも中国語が飛び交っていた。
日本側にとっても、これはビジネスチャンスだ。

どれだけスキー場に中国人観光客が来ているのか。
あるゲレンデでは、17人中15人、8割以上が中国や台湾から来た人たちだった。

さらに、スキー場だけでなく、併設のレストランも、約9割が中国や台湾から来たお客さんだった。

神戸市の六甲山スノーパーク 営業企画・野田修太郎氏は、「(春節は)普段の3倍くらいのお客様に来ていただいている」と話す。
.

なぜ中国人が日本のスキー場に?

ではなぜ、わざわざ日本のスキー場にやってくるのか。
中国からの観光客は「広東で雪を見たことがなかったからです」、「ここの雪は中国の雪より滑りやすいです」などと話してくれた。

中国では、2022年の冬季オリンピックが北京で開かれることが決まり、国策としてウィンタースポーツの人口を増やすと発表。今、空前のブームになっている。将来的には3億人まで増やしたいとしている。

また、中国や台湾は、場所によっては雪がほとんど降らず、雪質の良い日本のスキー場を求めているという。
六甲山スノーパークでは、10年前に約600人ほどしかいなかった外国人観光客が昨年度は約2万人にまで増加した。
.

スキー場側も中国人観光客呼び込み作戦

国内のスキー人口が減っているため、スキー場側も必死だ。
注意事項が書かれた看板は、日本語や英語のほか、中国語でも表記。
更衣室の前にあるモニターも、スノーシューズの履き方を中国語の字幕でレクチャーしている。

さらに、中国語のスキー、スノーボード教室も開催。
この中国語のレッスン目当てに、取材当日だけでも約80人の受講者が集まった。

また、長野県の軽井沢プリンスホテルでは、今月から中国のモバイル決済サービス「We Chat Pay」を導入。

他にも、春節の期間は特別に、スノーバギーなど夜のゲレンデを楽しめるイベントを増やしている。

さらに、この季節は週2回、冬の夜空を彩る打ち上げ花火でホテルの宿泊客を楽しませている。(3月19日まで火曜・金曜に開催)

中国からの観光客にも「花火が大きくて本当にすごかった」と好評だった。

(「めざましテレビ」2月11日放送より)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190211-00010008-fnnprimev-bus_all
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/234.html

[近代史3] “爆買い”から“爆滑り”へ 中国人観光客がスキー場に殺到 中川隆
1. 中川隆[-12251] koaQ7Jey 2019年2月12日 09:45:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

中川隆 _ スキー関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/808.html

中川隆 _ 中国関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/925.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/234.html#c1

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている
世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている


2019.02.09
【トンデモ】世界に比類なき日本文化【和菓子、絵文字、かわいい、etc etc】
https://rondan.net/13727


Contents

1 日本文明スゴイ、日本文化スゴイ
2 記紀は全て事実
3 日本文明は1万2000年前からある
4 emoji
5 かわいいとコスプレ
6 和菓子文化
7 偏見の塊


日本文明スゴイ、日本文化スゴイ

保守論壇の重鎮・加瀬英明氏は「日本スゴイ!」と言ってくれる外国人タレントを発掘する天才として知られます。かのケント・ギルバート氏を育て上げた人物でもあります。つまり、外国人の日本を褒めさせるという市場を開拓した一人と評価できるでしょう。

そんな加瀬氏は、これまで多くの外国の方々との対談・共著本を出していますが、そのいずれも「日本スゴイ!」で埋め尽くされています。

しかし対談相手となっている外国人の「日本スゴイ!」が余りに熱烈かつワンパターンなので、「ほんとにそんなこと言っているのか?」「何か忖度して語っているのか?」と疑いたくなってくるレベルです。

今回は、そんな不思議な加瀬氏と、ヘンリー・H・ストークス氏との共著(実質的には加瀬氏の単著?)である『英国人記者が見た 世界に比類なき日本文明』(祥伝社, 2015)を紹介していきたいと思います。

記紀は全て事実

日本が大好きなH・S・ストークス氏は、『古事記』『日本書紀』(記紀)の記述が全部事実だと考えています。何故か加瀬氏が連れてくる外国人タレントは、必ずと言っていいほど記紀を熱烈に称賛するのですが、H・S・ストークス氏の熱意は特にスゴイものがあります。


私は『古事記』を呼んで、最新の近代科学との近さに、驚いた。今日、物理学者のあいだで定説となっている、「ビック・バン学説」とまったく変わらないことに気づかされた。
p. 52

「最新の現代科学」ではなくて「最新の近代科学」となっているところがミソですね。どういう科学なんでしょうか。

しかし『古事記』の天地開闢のどこをどう読めば「ビック・バン学説」に接近するのか知りたいところです。

まぁH・S・ストークス氏は、母国イギリスのアーサー王伝説は信じないのに、記紀神話の歴史性を確信して神武天皇の実在を信じてしまう変わった方なので、天地開闢くらい信じても不思議ではないか…。

日本文明は1万2000年前からある

そして度が過ぎた尚古主義がちらほら。古代四大文明よりも古くから日本文明があったと主張。


まな板を台形にしたような形の「石皿」は、木の実をすりつぶす時に使われたと思われる。推定年代は、約一万二〇〇〇年前だという。これは聖書の世界である六〇〇〇年前の倍も古い。だが問題は、物的証拠があることだ。

そのような時代に、極東の島国に文明が開化していたと、信じる者はまずいない。世界史で古代四大文明として知られる、エジプト文明(紀元前三〇〇〇年ごろ)やメソポタミア文明(紀元前三五〇〇年ごろ)、インダス文明(紀元前二三〇〇年ごろ)や、黄河文明(紀元前五〇〇〇年ごろ)と比較しても、日本には、より古い文明があったことになる。
pp. 60-61


たかだか「石皿」くらいで、文明扱いかよ!(笑)

と思って調べたところ、アフリカで約28万年前の「石皿」が見つかっているそうです。よって日本文明はたかだか1万2000年、アフリカ文明は28万年となるので日本の圧倒的敗北。(更科功『絶滅の人類史』NHK出版, 2018, 185頁)

emoji

この他にも日本発祥のものがどんどん絶賛。

コスプレ、アニメ、テレビ・ゲームを称賛しつつ、特に絵文字(emoji)について御注進。


emojiが全世界を席捲するようになっているが、アメリカのホワイトハウスのソーシャル・メディアによっても、使われるようになっている。
p. 111


世界に認めれたメイド・イン・ジャパン!

調べましたところ、確かに絵文字(emoji)が積極的に取り入れられたのは、日本の携帯会社の企業努力の賜物だそうです。

しかしこれを日本文化論と結びつけるのは余りに安直というもの。中国の甲骨文字といった象形文字や、マヤ文明のマヤ文字なども絵文字の一種ですから、これは人類普遍のものでしょう。

しかし本書によれば、日本の精神がemojiを生み出したとされます。


海外でも日本語のままemojiと呼ばれており、いまや世界語の仲間入りを遂げているが、きっと俳句のように省略する精神が、生んだものなのだろう。
p. 112


いやいや…俳句とemojiを結び付けるって流石にこじつけでしょ…。ここまで無理して日本文化を褒めだすと、逆に情けなくなります。

きっと、こういう安直な考えの人にとっては「碁」ですらも日本文化になってしまうのでしょうね…。中国では碁(go)とは表記しませんので。

かわいいとコスプレ

また日本文化を称賛しつつも、保守論壇の宿命か、女性差別的要素が頻出します。「かわいい」と「コスプレ」について次のように力説。


西洋では女性はハイティーンになったことから、一人の自立した女――ウーマンwomanになることが求められる。

ところが、日本では女性が成人して中年、高齢となっても、「かわいい」ことが期待される。

日本の女性は歳をとっても、女性的でかわいいところがあって、緊張を和らげてくれるのだ。このようなところも、和の社会をつくるのに役立っている。日本ではこの二〇年ほどのところ、“コスプレ文化”が生まれたのは、日本社会が西欧化してしまって、刺々しくなったことに対する反発だと思う。
pp. 112-113


トンデモ理論であることは言わずもがな、なんなんでしょこの女性蔑視…。


「日本女性は自立した女性になることを求められていない」とでも言いたいのでしょうか。きっと言いたいんでしょうね。加瀬氏の著作にはアナログ的な「男らしさ」「女らしさ」論が頻出します。

もっとも男は褌(ふんどし)を履けば「男らしく」、女は箒(ほうき)で軒先を履けば「女らしく」なるという安直な理論なのですが。

和菓子文化

和菓子文化賞讃に至っては、トンデモ言説が頻出。


世界のなかで、もっとも精緻で美しい菓子といえば、日本の和菓子と、ヨーロッパの洋菓子しかない。
中華料理はフランス料理と並ぶ、世界の二大料理だといわれるが、菓子となると月餅ぐらいしかない。

韓国には米などの粉の生地を油で揚げた、ハングァがあって、高麗朝に生まれたというが、土産に買って帰りたいとは思わない。
東南アジア諸国や、インド、中東にも、感心するような菓子がない。
p. 150

単に嗜好の問題か、それとも日本とヨーロッパのお菓子しか知らないだけだろ(笑)

こんな文章読んで喜ぶ日本人というのは、そんなに名誉白人認定されたいのでしょうか?

しかも日本とヨーロッパで菓子文化が発達した理由がスゴイ。


日本とヨーロッパで、突出した菓子文化が発達したのは、女性が自由だったからだ。
中国では、良家の女性は幼い時から、纏足が施されていたから、自由に行動できなかった。

韓国では、上流社会の両班の妻や娘たちは、墓参り以外には、外出することができなかった。中東では、今日でも女性は、家族の男性にともなわれなければ、家から外へ出られない。
日本とヨーロッパでは、女性が自由に行動することができたから、女どうしの付き合いがあったため、菓子文化が発達した。
pp. 150-151


「日本において女性が自由だった」という虚言は、保守論壇の常套句。しかしその本音は次のようなもの。


ジャーナリズムが、女性の不満を煽り立てて、女性は外へ出るべきだ、という夢物語を、飽きることなく繰り返しているのは、腹立たしいかぎりである。
p. 155


結局、保守論壇が言う所の「女性の自由」というは、所詮この程度でしかないわけです。

偏見の塊

最後の偏見の塊の一文を紹介します。


女だけによって育てられた男は、男らしく育つはずがない。
母親によって独占されて育った男の子は、依頼心の強い人間となる。……不甲斐ない人間に、なるだけのことだ。

p. 160


はぁ…。

片親の家庭の子は、不甲斐ない人間になるとでも言いたいのでしょうか?

この様な偏狭な言説が保守論壇を覆い尽くしている以上、良識ある国民がそれを支持することは決して無いでしょう。

https://rondan.net/13727

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている 中川隆
1. 中川隆[-12250] koaQ7Jey 2019年2月12日 11:00:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

日本すごい! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84%21&sp=mAEB

Cool Japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Cool+Japan+&sp=mAEB
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html#c1

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている 中川隆
2. 中川隆[-12249] koaQ7Jey 2019年2月12日 11:07:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

2019.02.09
【トンデモ】『日本が果たした人類史に輝く大革命:
「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』H・S・ストークス×植田剛彦(自由社, 2017)
https://rondan.net/114


Contents

1 「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ人類史に輝く大革命
2 『日本が果たした人類史に輝く大革命』の目次
3 「人種平等の惑星」の大革命を達成したはずの日本がとる偏狭な態度

「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ人類史に輝く大革命

今回は、


H・S・ストークス×植田剛彦『日本が果たした人類史に輝く大革命:「白人の惑星」から「人種平等の惑星」へ』(自由社, 2017)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%9F%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%8F%B2%E3%81%AB%E8%BC%9D%E3%81%8F%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD%E3%83%BC%E3%80%8C%E7%99%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8C%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B9%B3%E7%AD%89%E3%81%AE%E6%83%91%E6%98%9F%E3%80%8D%E3%81%B8-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4915237990


という自画自賛にも程があるタイトルの書を紹介したいと思います。

本書は、もとは2015年に刊行された『目覚めよ!日本』(日新報道)の改訂版のようで、新たにケント・ギルバート氏の解説を加えたようです。

タイトルからも予想できるようにその内容は、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)を「人類史に輝く大革命」と位置づけ、その大革命によって地球は「白人の惑星」から「人種平等の惑星」になったと主張します。

実際にあった出来事の主語と述語を極限まで拡大解釈して、自身の思想理念を語らせてしまうことは保守界隈の常套手段ですが、本書はその典型例でしょう。本書のタイトルにある内容が事実であれば、大東亜戦争を起こした日本はノーベル平和賞を受賞していてもおかしくないはずなのですが、そのような気配は一向に見られません。どうも保守界隈の認識というものは、世界の常識とはかけ離れているようです。もちろんこの常識を修正することが保守の目標なわけですが、あまりに荒唐無稽な理論を展開してしまうと、かえって目標を達成できなくなってしまうのないかと危惧します。

『日本が果たした人類史に輝く大革命』の目次

まずは目次を確認してみましょう。細目まであげます。


まえがき ヘンリー・S・ストークス

第一章 日本よ、目覚めなさい!連合国戦勝史観の呪縛からの脱却
 東京裁判は勝者の復讐劇≠セった
 ペリーが種を播き、マッカーサーが刈りとった
 反日思潮に惑わされず、歴史の真実を学び、誇りある国へ
 アジアを独立させたのは日本の進攻だった

第二章 「朝日新聞」の売国キャンペーン≠許してはならない
 日本を攻撃する中韓両国と、手を貸す朝日新聞
 韓国は日本の善意を蔑ろにした
 NHKまで中韓のプロパガンダのお先棒をかついでいる
 慰安婦とは売春婦そのものだった
 無責任な平和主義が日本人の背骨を冒している
 慰安婦をなくすのは戦争をなくすのと同じように難しい
 韓国はソウルの国会前とアメリカ大使館前に「慰安婦像」を設置すべきだ
 日本人が日本を貶める醜さ
 謝罪は罪を認めること、認めれば償いが伴う

第三章 日本なしに中国、韓国は近代化はできなかった
 満州国士官学校に血書志願した朴正煕大統領
 朝鮮は日韓併合によって近代国家になった
 日本はアジアを大きな家族と見て、朝鮮を豊かに発展させた

第四章 原爆許すまじ
 裁かれるべきはアメリカだ
 日本国憲法は日本「属国化」のための手枷足枷である
 大東亜戦争によって世界の秩序を変えた日本
 「大東亜戦争」を「太平洋戦争」にすり変えたアメリカの奸計
 日本はイギリスをモデルにして「諜報世界」に強くなる必要がある

第五章 南京大虐殺のウソ
 大東亜戦争は自衛戦争であり、同時にアジアを解放した
 東京裁判は「裁判」の名を偽った復讐劇だった
 東京裁判がデッチあげた南京大虐殺

第六章 三島由紀夫とは何だったのか
 三島由紀夫は「殉教」を選んだ
 三島は日本のダヌンツィオ≠セった
 いつ、三島の心≠ェ理解されるのか

第七章 日本の再生に向けて、過去を脱却し力強い未来を築け!
 世界一の日本文化をもっと発信しよう
 危機にあって、なお光る日本人の「思いやり」 ここが共通するイギリス人と日本人
 ユーモア感覚 イギリスと日本は共通項が多い
 日本は異質なものまで受け入れ、昇華して独自の文化を育んだ
 島国にはハイブリッドの文化が醸成される 日本は日本を取り戻せ

解 説 ケント・ギルバート


目次からも明らかなように、実際には「人類史に輝く大革命」だの「白人の惑星」だの「人種平等の惑星」だのといった大げさな話は殆ど出てきません。むしろ、朝日新聞批判、中韓批判、原爆投下批判、南京大虐殺否定論、慰安婦批判などがコンテンツの大部分を占めています。タイトルが内容がほとんど一致しないという点も、昨今の保守本の傾向の一つです。

「人種平等の惑星」の大革命を達成したはずの日本がとる偏狭な態度

この手の保守本に散見される矛盾が本書にも如実に現れるので、その点を指摘したいと思います。

著者の一人、植田剛彦氏は、黒人のオバマ大統領が登場したのは日本が白人支配を一掃したからだとか、日本人は他のアジア人を身近な兄弟として感じていたとか、日本には民族平等の世界を実現したいという悲願があったとか、日本人がいかに平等を尊び慈愛と思いやりに満ちた善良な存在であるのかを強調しています。

にもかからず中国・韓国については「韓国は日本の善意を蔑ろにした」とか、「中国と、韓国は日本の国際的な評価を傷つけて」いるとか、「韓国は世界最大の売春婦の輸出国」だとか、「日本なしに中国、韓国は近代化はできなかった」とか、「慰安婦は売春婦そのものだった」とか、極めて偏狭な言説をしています。

これらの中韓への発言は、彼らが強調していた日本人の美徳と、全く矛盾しているように思えます。著者の植田剛彦氏は、自身を「品行方正な男性」とまで自画自賛していますが(p. 66)、このような矛盾に全く気がついておられないところに、保守論壇の視野の狭さを感じずにはいられません。


https://rondan.net/114



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html#c2

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている 中川隆
3. 中川隆[-12248] koaQ7Jey 2019年2月12日 11:09:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが…


今週、チャンネル桜で大東亜戦争についての討論会があったけど、出演者の知的レベルがあまりにも低いので驚いた。
とりわけ酷いのは、小堀桂一郎や高山正之、田中英道、岩田温であった。

彼らは大東亜戦争を検討するにあたり、日本の「自存自衛」を強調していたが、これは戦後になってから偽装保守が吹聴した言い訳である。

かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、

「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」

と今なお強弁する人もいるが、もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。

一般の兵卒は、大切な家族、郷里の先輩後輩、親友、祖国、皇室のためなら歯を食いしばって戦うが、見ず知らずの南方土人を救うために、自分の命を「鴻毛」の如く考えることはない。作戦参謀や政治家が、前線の若者に向かって

「可哀想なフィリピン人やビルマ人のために、女房子供、両親兄弟を諦めて命を懸けてください」

と言えるのか?

普通の日本人がアジア人に接すれば、「何だ、こいつらは !」と生理的な拒絶反応を抱いてしまうだろう。
例えば、漢文の教科書に登場する支那人は、君子とか詩人、大人(たいじん)といった立派な人物なのに、大陸で目にする支那人は、詐欺師よりも悪質な嘘つきで、弱者に対して残酷、強者に対して卑屈であったりする。
朝鮮人の場合は、もう救いようがないアカンタレで論外。小便で洗顔し、糞で作った薬を飲むような賤民には、なるべく近寄りたくない。

▲△▽▼

【アホ右翼の討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?[桜H30-8-11] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=mZ0_wOxSUyY

◆もし大東亜戦争の開戦が無かったら?

アホ右翼のパネリスト:
 岩田温(政治学者・大和大学政治経済学部専任講師)
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
 山正之(コラムニスト)
 田中英道(東北大学名誉教授)
 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
 林千勝(戦史研究家)
 宮崎正弘(作家・評論家)
司会:水島総

▲△▽▼


無敵の太陽 高山正之の異常な怨念 - 自存自衛を掲げて隷属国となった日本 2018年08月15日
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68729501.html


チャンネル桜の蛸壺会議
Takayama 1(左 / 高山正之 )

  保守派論客と称される知識人の中には、常識に欠ける人が珍しくない。今週、チャンネル桜で大東亜戦争についての討論会があったけど、出演者の知的レベルがあまりにも低いので驚いた。とりわけ酷いのは、小堀桂一郎や高山正之、田中英道、岩田温であった。彼らは大東亜戦争を検討するにあたり、日本の「自存自衛」を強調していたが、これは戦後になってから偽装保守が吹聴した言い訳である。もし、我が国の自存自衛を考えるなら、東南アジアにある西歐の植民地支配を攻撃せず、満洲を狙うソ連に向かって進撃すべきであった。つまり、「南進」という愚策を捨て去り、真に重要な「北進」へと舵を戻すべきであったのだ。

  ところが、小堀・高山・田中・岩田の四氏は、歐米諸国の人種差別を理由にして、日本軍の南進を正当化していたのである。南進や海軍の害悪については、中川八洋先生が『大東亜戦争と「開戦責任」』(第三章)と『山本五十六の大罪』(pp.225-253)で詳しく述べているから、ここでは立ち入らない。ただ、我々は大東亜戦争の本質を確認すべきだ。先の大戦は日本の独立や安全の為ではなく、祖国を英米とぶつけて疲弊させ、あわよくば壊滅的状態に持ち込み、共産主義革命を実現したいと願う左翼分子の画策であった。日本の軍部や政界、官界、学界などに潜む反日分子は、自分達が司令塔になって社会の隅々までをも支配したい、出来ればソ連の傘下に入って官僚主導の統制経済や全体主義を実現したいと望んでいたのだ。

  現在の日本人からすればアホらしく思えるけど、経済を知らない武闘派軍人や議会を嫌う革新官僚からすれば、自分達の命令通りに動く統制社会は素晴らしい。エリート意識の強い大蔵官僚とか観念型の中堅軍人は、自分の知能・知識で社会を設計できると思い込む。つまり、知的設計主義(intellectual constructivism)に流れる傾向が強い。共産主義に憧れる連中というのは、だいたいが試験秀才で、自惚れ屋というのが定番だ。彼らは「難しい試験に落ちた庶民は、優秀な俺たちの云う事を聞いていればいい!」という傲慢な態度に出やすい。しかし、生身の人間が暮らす社会を理性で設計なんて考えは最初から間違っている。だいたい、莫大な数の材料や商品を、役人が一つ一つ計画し、合理的に生産して流通させて行くことは現実的に有り得ず、失敗するのがオチだ。実際、ソ連の計画経済は破綻し、従った民衆が塗炭の苦しみを味わったじゃないか。

  保守派知識人の議論は本質と周辺部分をごちゃ混ぜにして議論するから、一般国民は何が何だか分からなくなる。日米開戦となった時、なるほど普通の日本人は祖国のためと思って闘ったし、アメリカの理不尽な圧力に対して怒っていたことも確かだ。しかし、その一方で、ソ連とその手先となった日本人が、日本を英米と戦わせ、漁夫の利を得ようと謀っていたのも事実である。近衛文麿や昭和研究会に集まった左翼知識人、「良識派」を装った海軍の極悪人である米内光政、陸軍の松村知勝・作戦部長、浅田三郎・情報課長などを思い出せば察しが付くだろう。本来なら、チャンネル桜に出演する言論人は、政府や軍部に蔓延る赤い人物を炙り出す役目を担っているのに、それを故意に避けているのか、それとも頭が悪くて見抜けないのか、ことさら国民の目を西歐の人種差別に向けさせる。こんな論調は一種の陽動作戦だ。

  外国人工作員にとって、反日左翼とボンクラ保守を操るのはいとも簡単。日本人が好む「エサ」を目の前にばらまけば直ちに食いつき、好きな方角に誘導できるからだ。日本人は本質的に西歐白人に憧れ、彼らと対等になりたいと望むから、その願望が打ち砕かれてしまうと、理性を失った変質者になってしまう危険性がある。戦前の日本人を見ていると、まるで「俺が愛していると告白したのに、あの女め、俺様に肘鉄を喰らわしやがった。おのれぇ〜、刺し殺して家に火をつけてやる !!」と憤慨するストーカーとそっくり。西歐人の白人至上主義とか植民地支配を非難する人ほど、白人に対する横恋慕が強い。だいたい、イギリス人やフランス人がアジアないしアフリカを征服したからといって、なぜ日本人が「解放」の天使になる必要があるのか? 何千、何万もの日本人が失う生命と、だらしないアジア人の独立が釣り合うとは思えない。たとえ、征服されたアジア人が日本の犠牲で白人支配から抜け出せても、我が国が帝國陸海軍を失い、米国の属州になってしまうのなら、何の為の戦争なのか分からなくなる。日本人は武士の伝統があるから「独立不羈」を渇望するが、アジア人は隷属が“自然状態”となっているので、独立しても少し時間が経つと、再び誰かの支配下になって元の木阿弥だ。第一、マレー人やインド人、ビルマ人、フィリピン人が真に自国の独立を望むなら、まず自分自身で強くなってから蹶起すべきで、日本人が流血を伴って支援すべき事柄ではない。

Colonial rule 1Colonial rule 2
(左: 西歐支配下のアジア人 / 右: 帝国時代のアフリカ人 )

  そもそも、安全地帯にいる作戦参謀や政治家が、前線の若者に向かって「可哀想なフィリピン人やビルマ人のために、女房子供、両親兄弟を諦めて命を懸けてください」と言えるのか? 一般の兵卒は、大切な家族、郷里の先輩後輩、親友、祖国、皇室のためなら歯を食いしばって戦うが、見ず知らずの南方土人を救うために、自分の命を「鴻毛」の如く考えることはない。機関銃を知らず鉛筆くらいしか持たない知識人は、勝手な「アジア人像」を拵えて、「アジア解放の大義に基づく聖戦」とか「東亜の新秩序」なる宣伝文句を口にするが、普通の日本人がアジア人に接すれば、「何だ、こいつらは !」と生理的な拒絶反応を抱いてしまうだろう。例えば、漢文の教科書に登場する支那人は、君子とか詩人、大人(たいじん)といった立派な人物なのに、大陸で目にする支那人は、詐欺師よりも悪質な嘘つきで、弱者に対して残酷、強者に対して卑屈であったりする。朝鮮人の場合は、もう救いようがないアカンタレで論外。小便で洗顔し、糞で作った薬を飲むような賤民には、なるべく近寄りたくない。

  日本国内で東南アジアを論じる知識人は、現地人の実態に触れず、もっぱら西歐白人に虐げられた憐れな東洋人と位置づける。しかし、実際に南方へ出向いた日本人には、違う感情が渦巻いていた。例えば、シンガポールには日本企業から派遣されたビジネスマンとか、ひと稼ぎしようと目論む商売人が結構住んでいた。当時の日本人居留者は、主に二つのグループに分かれていたという。一つは、「グダン族」と呼ばれる人々で、三井物産や台湾銀行、横浜正金銀行、日本郵船の支店などに勤めるエリート社員たちだ。もう一つは、「下町族」と呼ばれる人々で、南洋に骨を埋めるつもりでやって来た流れ者たちである。この移住者たちは、これといった学歴も無く、総領事やエリート社員たちとは違った世界に住んでいたようだ。つまり、一流企業に勤める「グダン族」とは口をきくような間柄ではなく、気心の知れた者同士で寄り添い合う庶民である。

  ただし、ほとんどの在留邦人は南洋に移り住んでも、おしなべて「日本的生き方」を貫こうとした。なぜなら、彼らは日本に帰っても幸せになれぬ人を除いて、誰しも日本に帰ることを希望していたからである。特に、エリート社員の日本人は、常日頃から「純粋なる日本人」を心掛けていたそうで、「現地の“土人”とは違うんだ」という意識が強かった。「グダン族」にはカイゼル髭を生やし、西洋帽子を被っていた者もいたらしい。中には、五つボタンが附いた詰襟の洋服を着ていた者まで居たというから驚きである。太陽が照りつけるインドシナの気候で、この服装だとかなり暑かったんじゃないか。現在でも、きちんとした服装を心掛けるサラリーマンは、真夏でも背広を着込んで山手線に乗ったりするけど、日本の気候でイギリス人紳士を真似るなんて馬鹿げている。敬虔なピューリタンでもないのに、ダーク・スーツを身に纏う日本人は滑稽だ。蒸し暑い日本なら、アロハ・シャツの方がよっぽどいい。

  もっとも、「南洋」支店に“飛ばされた”「本土族」の中には、「場末」に左遷されたと歎く者もいたそうで、日本人の見栄をかなぐり捨てて、だらしないステテコ姿になっていた人もいたようだ。しかし、選良族であれ下町族であれ、在留邦人が共通して持っていたのは、華僑や土民とはちがう「一等国民」という矜持(プライド)だった。スポーツを楽しむ時も、エリート社員はテニスやゴルフに興じ、下町族は野球や武道、相撲大会などを開いていたそうだ。確かに、立派な帝國海軍を持つ日本人には、アジア人とは違った上流意識があり、自分の身に何かあれば祖国の戦艦が助けてくれるという安心感と自慢があった。だから、「俺たちはヨーロッパ人の支配に甘んじている南洋土人なんかとは同類じゃない。日本は一等国だ。こんな茶色い連中と一緒にされては困る」と思っていた。こんな調子だったから、いくらインテリどもがアジア人との連帯を叫んでも、現地の日本人には通じなかったのである。

  世界の情勢に直面するとき、日本人の精神は矛盾と欺瞞に悩まされる。西歐列強のアジア支配に危機感を覚えてアジア民族との連携を考えるが、実際のアジア人を見ると、「こんな奴らが本当に頼りになるのか?」と不安になるし、「科学技術や生活水準で劣った民族」にしか思えないから、対等な民族とは考えない。むしろ、日本人にとって「お荷物」になる可能性の方が高いと見なしてしまう。実際、台湾は蛮族が棲息する島国だったし、朝鮮は乞食より貧乏なエタが住む後進国だった。日本の周辺を見渡すと、本当に情けない国ばかり。日韓併合なんて、腐った鶏肉を食べたようなものだ。いざ、朝鮮民族を統治してみると、支配による利益より、民度を高めるために投じた資金の方が大きく、税金の無駄遣いという後悔の方が強かった。今では常識になっているが、朝鮮半島に注ぎ込むお金があるなら、東北地方の日本人に投資した方がよっぽど有意義である。日本の議員や官僚は、幕府側についた日本人を無視するかのように、碌でなしの朝鮮に立派な学校や道路、橋、ダム、発電所など建設するんだから、冷血漢としか言いようがない。また、朝鮮に大量の税金を注ぎ込むことで、南満洲の防禦策が手薄になり、対ロシア戦略にとってマイナスとなった。

白人を憎むコラムニスト

  日本の保守派言論人は、こうした生々しいアジアを語らず、矢鱈と西歐白人に敵意を燃やす人が多い。例えば、ジャーナリストの高山正之は異様なくらいアメリカに憎悪を抱くが、日本の国益を考えればアメリカ人を味方につけた方が賢いはずだ。チャンネル桜の討論会に出演した高山氏は、セオドア・ローズヴェルト大統領が「白人の重荷」となる朝鮮を日本に押しつけたと憤る。(高山正之 / 藤井厳喜、 「新・大東亜戦争肯定論」、『WiLL』8月増刊号p.24) しかし、朝鮮半島を併合したかったのは、伊藤博文や陸奥宗光らを嫌った山縣有朋たちの一派だ。そもそも、なぜ伊藤博文が暗殺されたからといって、あの愚劣な朝鮮を吸収せねばならないのか? それに、伊藤が暗殺されたとき、兇弾の入射角度に疑問が湧き上がったが、なぜか調査は行われずうやむやにされてしまった。これはどう考えてもおかしく、普通なら納得できない。いくら何でも、総理大臣になった元勲が殺されたというのに、科学的検証が中止されたのだから、裏に何かあると思われても仕方ないだろう。筆者は陰謀論に組しないが、こうした“いかがわしい”事件が起きた場合、たいてい内部犯行という線が濃厚だ。(案外、伊藤を邪魔に思っていた山縣の差し金だったりして。)

Theodore Roosevelt 1Ito Hakubun 2Mutsu Munemitsu 1Yamagata Aritomo 1
(左: セオドア・ローズヴェルト / 伊藤博文 / 陸奥宗光 / 右: 山縣有朋 )

  高山氏は米国のフィリピン領有にも怒っていたけど、米国海軍がフィリピンに駐留することで我が国の背後が安全となったから良かったじゃないか。原始的なタガログ族とかイロカノ族を日本が統治したら、税金の浪費にしかならず、日本国民の方が搾取されてしまうだろう。でも、高山氏は日本がフィリピンを占領した方が国益に適うと考えているようだ。アメリカ白人に対し私怨でも抱いているのか、 高山氏は米国がハワイを占領・併合し、フィリピンまでも支配して、日本包囲網を構築したと述べていた。しかし、アメリカ国民に我が国への領土的野心があったのか? 合衆国政府にさえ日本占領の意思はなく、それどころか帝國海軍に対する脅威の方が強かった。日本だって米国との対決は望んでおらず、昭和天皇が英米との友好を望まれていたことは有名だ。日露戦争で苦労した帝國陸軍に至っては、ロシアが一番の敵であり、北進が伝統的な基本方針だったはず。しだかって、日本が英米を敵に回すのは愚の骨頂である。逆に、アメリカやブリテン、オーストラリアと組んでロシアに対抗するのが正論だ。「白人がアジア諸国を蹂躙したから、奴らを叩きのめせ !」というのは幼稚な書生論で、日本の国家戦略を考える大人の意見ではない。

  討論で熱弁をふるっていた高山氏は、西歐白人の植民地支配を激しく非難していたが、インドネシアやビルマ、インド、フィリピンが白人に征服されると、具体的にどんな被害が日本に及ぶのか教えてもらいたい。フランス人がベトナムを支配し、オランダがインドネシアで御主人様になってもいいじゃないか。日本の戦国時代を思い出せば分かると思うが、強い軍隊を持つ武将が他の領地に攻め込むのは当り前だった。現在の日本人は西歐列強の植民地を一方的に非難するが、植民地経営はそれほど儲からず、却って何かと出費が嵩むし、現地人の叛乱が起これば鎮圧部隊を派遣せねばならぬから、ひと苦労だ。日本人は根が真面目だから気付かないが、ビルマ人やインド人に手こずる英国の苦境は日本にとって好都合。中立的な日本が「善意の第三者」を演じて、叛乱軍と話をつければイギリス人に「貸し」を作ることができるし、現地人も非白人の日本人なら面子を保つことが出来るので妥協の余地が生まれてくる。日本の保守派知識人は無邪気にインドやビルマの独立を後押しするが、そうなると日本の重要性が減ってしまうので、我々にとってはマイナスだ。

  韓非子的な考え方になるけど、イギリス人に厄介者を持たせ続けて、「悩みの種」を増やすことは、日本人への依存度を高めることになるから、我々にとっては得策である。異民族支配に多額の税金を使う英国は、極東地域にまで艦隊を派遣する余裕が無くなるので、必然的に我が国と組もうとするはずだ。そこで、一流の諜報組織を持つ英国と昵懇になれば、日本にとって有益な情報が流れてくるから、我が軍の将兵の命が助かる場合も出てくる。また、オーストラリアを攻撃して反日感情を高めるなど暴挙としか言いようがなく、オーストラリアの白人を取り込んで英国社会に浸透する方が得である。西歐の上流社会にはお金を浪費するボンボンが多く、体面を保つためにお金で寝返る奴もいるから、そうした馬鹿を利用して人脈を開拓し、良質な情報を掴んだり、日本側にとって都合のいい情報を流すことも可能となるはずだ。「白人はケシカラン !」と興奮する高山氏は幼稚で、日本の為に友好関係を結ぶ方が遙かに賢明である。

Franklin Roosevelt 1Herbert Hoover 2Hamilton Fish 1
(左: フランクリン・ローズヴェルト / 中央: ハーバート・フーヴァー / 右: ハミルトン・フィッシュ )

  日本人は戦艦や戦闘機の製造・開発になると才能を発揮するが、宣伝戦や心理戦になると極端に能力が低下する。高山氏は合衆国政府の対日政策やアメリカのマスコミ界を糾弾するが、当時のアメリカ国民にはグローバリストが少数派で、自国優先主義に賛成する国民の方が多かった。したがって、日本政府は米国内の社会主義者や介入主義者を標的にした対外工作を実行すべきだった。日本の味方になりそうな保守派議員と民間団体を取り込み、彼らに赤いグローバリストを批判させれば対日戦争は回避できたし、米国内にジャパン・ロビーをつくれたはずだ。日米開戦となって日本兵が大量に死ぬことを考えれば、世論工作に大量の資金を投じた方が安上がりである。日本はローズヴェルト大統領や赤いニューディーラーに反対する保守的な大学生やキリスト教徒を育て、ハーバート・フーバー元大統領やロバート・タフト(Robert A. Taft)上院議員、ハミルトン・フィシュ(Hamilton Fish)下院議員、ジョン・W・ブリッカー(John W. Bricker)上院議員、ヘンリー・スタイルズ・ブリッジ(Henry Styles Bridge)上院議員などの政治家と連携すればよかった。特に、アメリカの内部には保守的な民衆党員が多かったので、ソ連を支援するようなユダヤ人官僚とか共産主義にかぶれたピンク左翼の正体を暴いて、民衆党員同士を反目させることも出来たはずである。

John Bricker 1Henry Styles Bridge 1Robert Taft 1
(左: ジョン・ブリッカー / 中央: ヘンリー・スタイルズ・ブリッジ / 右: ロバート・タフト)

朝鮮人並の感情論

  とにかく、アメリカ人やヨーロッパ人を酷評する高山氏の表情を見ていると、何らかの個人的な恨みでもあるのかと邪推したくなる。「白人だから悪い」とか「アメリカ人は根っからの悪党だ」との前提で国際政治を判断すると、物事の本質が見えなくなる。たとえ、日本人を嫌うアメリカ白人がいたとしても、どんな魂胆で反日言論を展開しているのか分からない。単に挑発的な記事や刺戟的なネタを書いて注目されたい記者かも知れないし、外国からお金をもらって故意に反日論評を書いているのかも知れないのだ。そもそも、日本人を称讃する良識的な記事より、残虐な日本人をテーマにして特集を組んだ方が編集部のウケがいい。また、アメリカの一般国民は驚くほど無知だから、嘘のような記事でも簡単に信じてしまう癖がある。

  高山氏が念頭に置く「アメリカ白人」とは、日本を貶すことで快感を得る下郎のジャーナリストか、地理を勉強したこともない底抜けの馬鹿、白人であること以外に自慢が無いクズ、「日本批判なら問題なし」と思っているリベラル派とかじゃないのか。産経新聞社時代、高山氏はロサンジェルス支局に勤めていたというが、どのようなアメリカ人と接触し、如何なる情報を貰っていたのか? 優秀なジャーナリストであれば、上質なネタを仕入れるために、ワシントンの政界やウォール街に詳しいアメリカ人と個人的に親しくなるはずだが、高山氏には何人くらい現地の友人がいたのか? もし、白人の友人が一人もいなくて、アジア系やヒスパニック、黒人ばかりだとネタが偏ってしまう危険性がある。アメリカで良質な情報を得ようとすれば、やはり上流階級にコネを持つ白人の存在が不可欠で、上院・下院議員はもちろんのこと、連邦政府の高級官僚、ペンタゴン勤務の軍人、政党の中堅職員、国際金融業界や軍需産業に顔が利くビジネスマン、大手シンクタンクの上級研究員などの人脈が必要だ。ジャーナリストが情報源を隠すのは分かるけど、高山氏は過去にどんな人物と会っていたのかを告白すべきだろう。

  これは筆者の勝手な推測だが、高山氏には個人的に親しいアメリカ白人が居なかったんじゃないか。日本での取材なら、仕事を離れた場所でも人脈を築くことができる。それに、いくら口の堅い官僚や議員といえども、長く付き合っていれば情が湧いてくるから、時折、上等なネタをリークしてくれるし、酒場で雑談しながら内部情報を聞き出すことも可能だろう。しかし、アメリカだと日本国内のように簡単ではない。まず、言葉と容姿が違うから、西歐系アメリカ人に近づくのが難しいし、たとえ接触できても親しくなるまでが大変だ。だいいち、高山氏にアメリカ人を籠絡するほどの英語力があるとは思えない。外人訛りの発音だと聞き取りづらいので、日本人と話していると鬱陶しく思うアメリカ人は結構多いのだ。でも、いくら日本人記者だからとはいえ、プロのジャーナリストであれば、「道具」としての英語は身に付けておくべきだろう。最もキツイのは、日本人に興味の無いアメリカ人を振り向かせるために、ユーモアのセンスを磨き、アメリカ人が好みそうな笑い話やジョークを予め仕込まねばならない事だ。落語家のように普段からネタ話を練習し、英語であっても流暢に披露できるよう準備せねばならない。官僚の留学なら気楽だが、民間企業から派遣される日本人は、現地で人脈を広げるために相当苦労する。

Korea old times 9Korea old time 4
(写真 / 貧乏時代の朝鮮人)

  これは言いづらい事だが、白人の植民地支配にケチを附ける高山氏を眺めていると、日本を激しく罵る夜郎自大な朝鮮人に見えてくる。外国の歴史や冷徹な国際政治を知らない朝鮮人は、国内で勝手な意見を吐くことで有頂天になるが、いざ日本に留学してみると、自分の愚かさと視野の狭さに気づくことがある。朝鮮の若者は同胞の教師から「日帝は朝鮮人の国土や文化、名前、言語を奪った。しかも、日本兵は朝鮮の少女を攫って性奴隷にしたんだ」と習う。ところが、先進国の日本に留学し、一次資料を調べてみると、朝鮮人教授の話が嘘っぱちだと分かる。また、アメリの名門校に留学すると、朝鮮人など全く相手にされず、朝鮮が何処にあるのかも知らないアメリカ人が多い事に驚く。朝鮮が「世界五大文明の一つ」という“歴史”は明らかな妄想である。

  日本にやって来て目が覚める朝鮮人はまだマシな方で、日本語が苦手で日本人との交流が少ない朝鮮人は、思い出に残るような喜びを味わえず、日本人の友人すら作れず日本を去ることになるる。こうした朝鮮人は、日本での孤独感や屈辱感を抱いたまま帰国するので、朝鮮に戻ってからも反日言論を繰り返し、冷たかった日本人への復讐に燃えてしまうのだ。もし、憧れの日本で優しい友人を持ち、日本人との親睦を通して朝鮮の過去を調べれば、朝鮮人の不甲斐なさに気付き、一方的な反日史観に疑問を抱くようになるだろう。高山氏はふて腐れた朝鮮人と似たような心情を抱き、邪悪なアメリカ人を主流とする合衆国を思い描いている。確かに、合衆国政府の閣僚や補佐官などには、他国を征服し、裏から操って覇権を握ろうとする連中がいるのも事実だが、その一方で、米国の介入主義と帝国主義に反対する保守派が少なくない。

Robert E. Wood 1(左 / ロバート・E・ウッド)

  とにかく、国際社会は弱肉強食の世界で、認識の甘いボンクラ国家が強国の餌食になってしまうのは常識だ。もし、米国が宣伝工作で日本の権益を脅かすなら、日本も米国社会に(第五列の)工作員を浸透させ、ワシントンの政界を攪乱すればいい。高山氏は支那人を使った反日宣伝を非難するが、それなら我が国も保守的アメリカ人を買収して、民衆党政権に反撃を企てればよかった。

日本の知識人は米国の心理戦を批判するばかりで、積極的な対策や攻撃を提案しない癖がある。1930年代とか40年代には、国際介入を目論むグローバリストに反対する保守派がいたから、日本政府は国内優先主義(アメリカ・ファースト)の勢力を支援すべきだった。

例えば、共和党系の軍人であったロバート・E・ウッド(Robert E. Wood)将軍、シカゴの名門家族出身で「シカゴ・トリビューン」紙の発行者であったロバート・R・マコーミック(Robert Rutherford McCormic)、毛沢東の共産党に反対していたウィリアム・ノウランド(William Knowland)上院議員、「ミスター・リパブリカン」と呼ばれたロバート・タフト上院議員、さらにネバダ州の有力者であったパトリック・マッカラン(Patrick A. McCarran)上院議員、ミシシッピー州の大物ジェイムズ・イーストランド(James Eastland)上院議員などを加えてもいいだろう。

Robert McCormic 1William Knowland 1Patrick McCarran 1James Eastland 2
(左: ロバート・マコーミック / ウィリアム・ノウランド / パトリック・マッカラン / 右: ジェイムズ・イーストランド )

  感情的にアメリカを批判する高山氏は、パワー・ポリテックスを知らない朝鮮人と同じで、もし、高山氏が軍事大学の教授や欧州貴族の外政官を前にして、自説を披露すれば大爆笑間違いなしだ。地政学や核戦略を勉強する日本人が高山氏を見れば、同胞として恥ずかしくなり、「日本では言論の自由があるので、ああいう人も存在可能なんです」と言い訳するしかない。

昭和初期における日本の軍事力や経済力、ソ連の侵掠的脅威、庶民の生活水準を熟知している人は、英米との衝突を避けるべきと考えるはずだ。亡くなった岡崎久彦大使は、若い頃から歴史に詳しく、戦後ケムブリッジ大学で英国の教養人と接触した外政官だから、日英の格差をよく判っていた。しかも、特命全権大使として活躍し、自衛隊の装備や米軍との関係にも精通していたから、アングロ・サクソンとの協調が日本の安全保障になると確信していた。

  戦前もそうだったが、敗戦後の日本人は戦国時代の思考を忘れている。生死を賭けた戦(いくさ)に邁進した大名たちは、決戦はもちろんのこと、小競り合いにまで細心の注意を払い、敵陣の籠絡、情報攪乱、内部分裂の工作活動などにも熱心だった。秀吉や家康は「戦わずして勝つ」ことを狙って、他の武将を自陣に寝返らせたり、スパイを送り込んで偽情報を流していたという。心理戦に長けた秀吉は猜疑心も強く、軍師の黒田官兵衛にさえ疑念を抱き、豊臣家の安泰を考えていた。家康の方も用心深く、自分の軍事力が強大になるまで辛抱を貫いた。若い頃は今川家や織田家に服従していたし、秀吉が天下人になれば、その傘下に入って機会を伺っていたんだから狡猾だ。領地と家臣を守る為に、家康は多くの屈辱に耐え、将来を見据えていたから凄い。中国の覇者だった毛利家も「おしん」の典型で、コ川時代に領地を激減され、萩に暮らす羽目になっても爆発しなかった。コ川家のイジメによく200年以上も堪えたものである。支那事変の頃の日本人も、世界情勢を考慮して、どの国と妥協して、如何なる同盟を組み、誰を敵とするかを考えるべきだった。高山氏が好きな「植民地解放の為に西歐と戦う」という戯言(たわごと)を秀吉や家康が聞いたら、「この、たわけ者 !」と怒るに違い。戦国武将なら必ずや英米を味方につけ、ロシアの東進に対抗しようとするはずだ。戦争は国家の命運を賭けた外政だから、軽率なスローガンで始めてはならない。「歐米諸国の植民地統治を完全にひっくり返したから、政治的に勝ったのは日本だ」(上掲対談 p.21)と発言する高山氏には附ける薬が無い。米軍の補助部隊に零落れた自衛隊を毎日見る自衛官に意見を聞いてみたいもんだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68729501.html

▲△▽▼

「日韓併合」の正当性を唱える人たちへの最終メッセージ 2013年10月28日
松本 徹三

ここ数週間はデジタル教科書問題を書いてきたが、その前の6週間は日韓問題ばかり書いた。その為に今でも私のTwitterではこの関係の議論が多い。

そこでの最も典型的な私への反論は、「日本による韓国の併合は正当なものであり、あの時代に韓国が自らの力で完全な独立を維持する事は元々不可能だったのだから、韓国にとってもむしろ一番良いシナリオだった。だから日本があれは悪い事だった等と認める必要はないし、謝罪等は論外」という趣旨のものだ。


しかし、日本人がこう言い募っている限りは、日韓のわだかまりは永久になくならないだろう。しかも、こういう人たちに限って、当時の韓国人の近代文明への理解の低さをあげつらって、無神経な論調に終始するのだから、反発が収まらないのは当然だ。

いつも申し上げているように、私は歴史問題を議論する時には「事実関係」と「評価(善悪)」を明快に切り分けて議論すべきだと考えている。

「慰安婦問題」などで韓国側が言い立てている事(元を質せば、一人の奇妙な日本人が売名の為に言い出し、朝日新聞などが自らの思惑によって拡散し、最後は宮澤首相—河野官房長官が「臭いものに蓋」の感覚で認めてしまった事なのではあるが)は、「事実関係」が歪められている故に、韓国と韓国人に対して相当強い親近感を持つ私自身でさえも承服し難いのだが、「日韓併合の正当性」という事になると、これは「評価(善悪)」の問題になるから、これを肯定する多くの日本人と私は真っ向から議論したい。

「日韓併合の正当性」を肯定する論者の論点は、
1.遅ればせながら世界の列強の仲間入りをしつつあった日本としては、至極当たり前の行動であり、列強もこれを認めたのだから、今から遡ってとやかく言われる筋合いのものではない(まして「謝罪」を求められるのは筋違い。それなら、欧米各国は、アジア、アフリカ、中南米の各国にそれに数百倍する謝罪を繰り返さなければならない事になる)。

2.当時の日本にもしそうするだけの国力がなかったら、当然ロシアが韓国を支配下に置いたであろうし、自国と合体させて多額の投資を行った日本に比べ、ロシアの場合は単に植民地として収奪の対象としただけだっただろうから、韓国民にとっては遥かに良かった筈だ。そのように考えると、日本による併合は、結果として韓国民の為に良かった筈なのだから、感謝こそされ、恨まれる筋合いはない。
3.日韓併合は、「二国間の条約」に基づいてなされたものであり、国際法に照らしても合法である。韓国の皇帝はハーグの国際司法裁判所に密使を送ってこの非をなじろうとしたが受け入れられず、頼みのロシア皇帝の支援も取り付けられなかったのだから仕方がない。当時の韓国は国際世論から見捨てられていたのだから、その事実を遡って覆そうとしても無理。

上記の何れに対しても、私は、特に「事実関係」が歪められているとは思っていない。しかし、上記に言われていない事が下記の通り幾つかあるので、その事をきっちりと付け加えた上で、あらためて「評価(善悪)」の議論に進みたい。
1.当時の大韓帝国(清の冊封国家だった李氏朝鮮が、日清戦争の結果として清がその地位を失った為、清と同格の帝国となった)の主権者は皇帝の高宗であり、彼と彼を支える人たちは日本の支配を望まず、むしろロシアとの関係強化を望んでいた。

2.しかし、日露開戦を間近に控えた日本にとっては、兵站の輸送経路である韓国が「局外中立」であっては絶対に困るので、武力を背景に威嚇し、日本側が望む形での「議定書」を締結。日露戦争に勝利した後は、欧米諸国の暗黙の了承のもとに、次第に権益を拡大して、遂には「併合条約」の締結に至った。その全ての局面で、韓国政府は常に武力による恫喝の下で交渉せざるを得なかった。
3.「併合条約」締結後は「大韓帝国」は国号を「朝鮮」と改称させられ、朝鮮総督府が支配する「植民地」として運営された。伊藤博文等は、悪質な日本人が善良な韓国人の利益を不当に害する事のないように気を使ってはいたが、実際には悪質な日本人も多かったので、恨みを買う事も多かった。
4.また、この間、日本の歴史学者たちは、「日韓同祖論」をベースに、強引な「同化政策」の推進に加担した。「同祖論」といっても、「神功皇后による三韓征伐(日本書紀)」という真偽も定かでない一つの「伝承」だけをベースに「古来日本は韓国を支配下においていた」と論ずるとか、その時点での経済力のみを比較して「日本は成功した本家で、朝鮮は落ちぶれた分家」と勝手に決め付けたりしての議論であり、際立って公正さを欠いていた。

さて、私は、「日韓併合条約」は「日本が自らの利己的な目的(国益)の為に、独立国であった大韓帝国の主権者の意志に反して、武力による威嚇を背景に強制的に締結したものである」と理解している。この理解が正しくないと考える人は、上記に含まれる「利己的な目的」「主権侵害」「武力による威嚇」の三要素がなかったと主張されるのだろうから、もしそうであるなら、その根拠を示して頂きたい。先ずは、「それが事実だったかどうか」のみに絞って議論して頂き、その上でその事の「善悪」についてのコメントが欲しい。

次に、私は、日韓併合を正当化する論者に、私が追加した上記四点の最終項目である4)と、日韓併合期間中に日本人の多くが持っていたと思われる「日本人の優越意識と朝鮮人蔑視」についてのコメントを聞きたい。先ずは「そういう事実はあったのかなかったのか」についての考えを聞かせて頂き、次に、その事の「妥当性」及び「善悪」についてはどう考えられるかを聞きたい。

そして、最後に、正当化論者が常に挙げる前述の三点についての私の見解を下記の通り申し上げたい。
1.当時は列強による植民地争奪戦が世界の常識だったのだから、日本人がこの事に何等「道義的な罪悪感」を持っていなかったのは当然であり、私もその事を難詰するつもりはない。しかし、もし現時点で、「それが道義的に良い事だったかどうか」と問われれば、控え目に言っても「現時点での道義観から言えば、良い事ではなかったと思う」と答えるのが当然ではないだろうか?

ちなみに、「インカ帝国を滅ぼして大量の金を奪ったスペインの行為をどう思うか」「清国に対してアヘン戦争を仕掛けた英国の行為をどう思うか」という質問も同時にすればよい。肯定であれ否定であれ、この二つの質問に対する答えは、「日韓併合」についての質問に対する答と同じであるのが当然だ。

要するに、これまでの人類の歴史は、「基本的に暴力が全て正当化される歴史」だった訳だが、現代においてはそれが反省され、暴力ではなく「法と正義」「人道と人権」が全ての行動規範となるべきだというのが世界の常識になっている。そうであれば、「日韓併合」を今の時点で論じるに際しては、そのような「現時点での道議的評価」がなされて然るべきだ。

「謝罪」については、「英国やスペインが謝罪していないのだから、我々も謝罪する必要はない」とするのは全く意味をなさない。他者がどうであれ、自らが「謝罪に値する」と考えれば謝罪すればよく、そう思わなければしなければよいのだ。それは自らの認識と評価の問題である。その上で「欧米列強も過去の行為に関しては、日本同様に公式に遺憾の意を表するべきだ」とコメントするのは一向差し支えないし、むしろそうするべきだろう。

(なお、かつての大日本帝国の行いを何とかして正当化し、美化したい人たちの中には、「米英に対する日本の戦争(大東亜戦争)は、アジア人を欧米人の頸から解放する為の戦争だった」と今なお強弁する人もいるが、こんな欺瞞に満ちた綺麗事を言うのはやめてほしい。もしそうなら、蒋介石政府と事を構える必要はなく、そのまま仏印や蘭印に攻め込めばよかった訳だし、韓国には「韓国人による韓国人の為の政府」を作るように促せばよかったのだ。「欧米の真似をして植民地が欲しかった」と正直に言った方が、余程話が簡単になる)

2.当時の日本が韓国を支配下におさめようとしなかったら、ロシアがそうしたであろう事は勿論だろう。しかし、当時の韓国の主権者がそれを望んだのだとしたら、それが結果として韓国の民衆の為になったかどうかは別として、それを尊重すべきというのが道義的には妥当である。
当時は「民主主義」は普遍的な価値観としては未だ確立されていなかったので、「絶対君主が民衆の利益を害している事が明らかなら、周辺国がその事態を正そうとするのは道義的に妥当」という論議は、誰が「民衆の利益」についての判断をするかが明確でないので、容易には受け入れられないだろう。

現在でも、「他国の主権尊重の原則」に優先するのは、「自国の主権に対する侵害」「自国の安全への直接的な脅威」「国際法への明確な抵触」「人道と人権の侵害」「核兵器、生物兵器の拡散の可能性」位である(「民族自決原則の侵害」は微妙なところ)。また、これらの理由があっても、実力行使に至るまでには、国際連合等の場での誠実な協議が求められている。

しかし、この議論に関連してそれ以上に問題なのは、「ロシアの支配より日本の支配の方が良かった筈」という「日本人の立場からの決め付け」をする「独断的な姿勢」である。そんな事は、日本人ではなく、当の韓国人が考える事だ。

成る程、「支配層だけと手を結んで、ひたすら民衆からの収奪だけを考えただろう当時の帝政ロシアの支配」よりは、「資本主義に目覚めつつあった日本の支配」の方が、経済的には韓国にプラスとなったかもしれないが、人間は経済のみによって生きるものではない。

日本人の優越性を露骨に前面に打ち出して、一方的な同化政策を推進し、先祖伝来の姓を捨てさせたり、神社への参拝を強制したりする日本よりは、そんな事には関心のないロシアのほうが、韓国人にとっては「誇りを傷つけられる」事がないだけ良かったかもしれないではないか。

3.これは簡単な問題で、条約の形式的な合法性などには、誰も関心を持っていない。誰がやろうと、外部からの批判を受けぬよう、形式を整えるのは当然の事だからだ。武力による威嚇をもってすれば(場合によれば反対者を事故を装って謀殺したり、或いは決定的な場面に居合わせる事が出来ないように幽閉したりすれば)このような形式を整える事は比較的容易である(アメリカのハワイ併合条約も、反対者だった女王を監禁する事によって締結が実現したと聞いている)。

以上、私がこの問題に殊更熱心なのには理由がある。自己本位で、「相手の心情を推し量ろう」等という考えはさらさらなさそうな「国粋的(国家主義的)な人たち」の、過去を引き摺った「上から目線」の「論の立て方」と「言葉遣い」に、心底辟易しているからだ。この人たちの存在は、日本が「公正で偏らない判断をベースにした是々非々の議論」を行い、近隣諸国との友好関係を確立する事の阻害要因になっている。
http://agora-web.jp/archives/1565424.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html#c3

[近代史3] 世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている 中川隆
4. 中川隆[-12247] koaQ7Jey 2019年2月12日 11:28:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

世界で一番他人(ひと)にやさしい国・日本 (祥伝社新書) – 2016/11/2
マンリオ・カデロ (著), 加瀬 英明 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E4%B8%80%E7%95%AA%E4%BB%96%E4%BA%BA-%E3%81%B2%E3%81%A8-%E3%81%AB%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E7%A5%A5%E4%BC%9D%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%AD/dp/4396114885


商品の説明


内容紹介

来日して40年、サンマリノ大使にして在京各国大使を束ねる「駐日外交団長」として、宮中の公式行事では天皇陛下に御挨拶申し上げる立場にあるマンリオ・カデロ大使と加瀬英明氏による日本文化論。

大使は熱心なカトリック教徒である一方で、日本の神道を高く評価し、サンマリノに欧州初の神社を建立した。神道は宗教ではなく、自然と一体となった「生き方」であるとして、その精神が世界の中でもまったく類を見ない、日本人の他人に対する思いやり、やさしさの元になっていると分析する。この自然と一体となる日本人の独自の世界観を世界中に敷衍することが、世界の将来を救うとまで述べる。

ほかにも、おおらかで臨機応変、柔軟な考え方、美味な料理文化、マザコン文化など、日本とイタリアに多々共通する要素も指摘。一方で、日本の若い世代があまりにも悪しきアメリカ文化に毒されていること、あまりに自国の歴史や文化を知らず、一部のゆがんだ歴史観に犯されていることを嘆く。

出版社からのコメント

日本人のやさしさの源泉をさぐる 来日して40年、サンマリノ大使であると同時に、在京各国大使を代表する「駐日外交団長」として、宮中の公式行事では天皇陛下に御挨拶申し上げる立場にもある著者による、異色の日本文化論。 大使は熱心なカトリック教徒である一方で、日本の神道を高く評価し、サンマリノに欧州初の神社を建立した。神道は宗教ではなく、自然と一体となった「生き方」であるとして、その精神が世界の中でもまったく類を見ない、日本人の他人に対する思いやり、やさしさの源泉になっていると分析する。

内容(「BOOK」データベースより)

来日して40年、サンマリノ大使であると同時に、在京各国大使を代表する「駐日外交団長」として、宮中の公式行事では天皇陛下に御挨拶申し上げる立場にもある著者による、異色の日本文化論。大使は熱心なカトリック教徒である一方で、日本の神道を高く評価し、サンマリノに欧州初の神社を建立した。神道は宗教ではなく、自然と一体となった「生き方」であるとして、その精神が世界の中でもまったく類を見ない、日本人の他人に対する思いやり、やさしさの源泉になっていると分析する。

著者について

マンリオ・カデロ Manlio Cadelo
イタリアのシエナ生まれ。高等学校卒業後、パリのソルボンヌ大学に留学。フランス文学、諸外国語、語源学を習得。
1975年に来日し、ジャーナリストとして活躍。
1989年、駐日サンマリノ共和国領事、2002年、駐日サンマリノ共和国特命全権大使を任命され、2011年5月、駐日各国大使の代表である「駐日外交団長」に就任。イタリア共和国騎士勲章など多くの勲章を受章。著書に『だから日本は世界から尊敬される』(小学館新書)ほか。

加瀬英明(かせ ひであき)
1936年東京生まれ。外交評論家。慶應義塾大学、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。
「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長。1977年より福田・中曽根内閣で首相特別顧問を務めたほか、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任。祥伝社新書に『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』『日本と台湾』ほか。ヘンリー・S・ストークス氏との共著に『なぜアメリカは対日戦争を仕掛けたのか』『世界に比類なき日本文化』。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

カデロ,マンリオ
イタリアのシエナ生まれ。高等学校卒業後、パリのソルボンヌ大学に留学。フランス文学、諸外国語、語源学を習得。1975年に来日し、ジャーナリストとして活躍。1989年、駐日サンマリノ共和国領事、2002年、駐日サンマリノ共和国特命全権大使を任命され、2011年5月、駐日各国大使の代表である「駐日外交団長」に就任。イタリア共和国騎士勲章など多くの勲章を受章

加瀬/英明
1936年東京生まれ。外交評論家。慶應義塾大学、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長。1977年より福田・中曽根内閣で首相特別顧問を務めたほか、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

▲△▽▼

2019.02.09
【トンデモ】女から箒(ほうき)、男から褌(ふんどし)が失われて日本はダメになった説
(マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016)
https://rondan.net/1067

Contents

1 外国人発掘のプロ
2 昔はよかった…
3 「女らしさ」は箒
4 「男らしさ」は褌


外国人発掘のプロ

加瀬英明氏は、外国人保守タレントを発掘する天才。ケント・ギルバート氏やヘンリー・ストークス氏などをプロデュースしたのはまさにこの加瀬氏です。今回取り上げるのはそんな加瀬氏と、マンリオ・カデロ氏との共著『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』です。

本書を一読して驚かされることは、加瀬氏よりカデロ氏のほうが遥にマトモな感覚を持っているということです。もちろんカデロ氏は、イタリアに神社を建てちゃったり、日本の風土や文化を褒めちぎってヨイショしてくれたりして少々痛い奴なのですが、ヘイト要素は少なく、さらに日本製品に外国語表記が少ないだの日本をより良くする常識的なアドバイスもしてくれています。

一方の日本人の加瀬秀明氏は、恐るべきコテコテの保守ぶりを本書でも発揮し、戦前回帰の極みのような発言を繰り返すその姿は、もはや老害といえるレベルです。

昔はよかった…

このような加瀬氏の戦前回帰的妄言を拾い出せばきりがないのですが、その極みともいえるもののひとつを紹介したいと思います。加瀬氏は、老害オヤジのテンプレである「昔はよかった。人と人との温かい結びつきがあった」論を次のよう煽情的に語り出します。


日本は世界で一番、やさしい文化である。……
褌を締めて、暑さを凌ぐために、浴衣の前を大きく広げていた。ときどき、手にした団扇で褌の奥をあおいでいた。
男たちは、ステテコのまま、近所に出かけた。
近所の大人の男女が、片手にセルロイドの石鹸箱と手拭いを持って、銭湯から戻ってくるのに、よくであった。
家の縁側にも、人が集まった。縁側も、社交場だった。
蝉の声のなかで、団扇を使った。子どもたちが、庭先で線香花火を楽しんだ。
人々はいつも気を遣い合った。みんな、顔見知りだった。行き会うと、立ち止まって、ちょっとのあいだ、おしゃべりをした。
今日の日本では、どのような重要な用があるのか、よく分からないが、全員がいつも急いでいる。隣人の顔も知らないし、思い遣る余裕がない。
家族の温もりも、大切にしなくなったから、隣人と親しくしようとしない。

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, pp. 174-175

ホントこういう老人のお言葉には耳にタコができますね…。「人々はいつも気を遣い合った。みんな、顔見知りだった」などという社会はもはや恐怖のディストピアでしかありません。そんな社会に真剣に戻りたいと思っているのは、こういう保守老害だけではないでしょうか。

「女らしさ」は箒

まだまだ老害は続きます。それどころか「女らしさ」「男らしさ」というジェンダー論まで入ってきます。


マンションは「機能的」なことを売り物としているが、周りから謝絶された牢屋のようだ。
私は母が箒で夏座敷を掃いたのを、思い出す。箒は女の心の延長だった。……主婦が、早朝に家の前の路地を掃いて、箒目をつけたから、朝を感じることができた。
醜いアスファルトによって、覆われてからは、箒目をつけようがない。
 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, pp. 175-176
箒(ほうき)が「女の心の延長」って一体…。きっと掃除機とかブロワーじゃダメなんでしょうね。ともかく加瀬氏は現代テクノロジーを否定したがります。テクノロジーの進歩で、時間的束縛から解放されてより創造性のある活動に長時間従事できるようになったという発想は全くないようです。

そして別の箇所では、なんと「紫式部がパソコンを使って、『源氏物語』を書くことが、できたものだろうか?」「和泉式部が、あの胸に迫る恋歌をワープロによって、詠むことができただろうか」とか言っています。どんな状況を想定しているのか解りませんが、もちろん「できた」に決まってるでしょ! もしパソコンがあったら何度も著者校正ができますから紫式部の『源氏物語』はもっと読みやすくなっていたでしょう。それにそもそもワープロは恋歌を「打ち込む」ものであって、「詠む」ものではありません…。

「男らしさ」は褌

そして女の象徴が箒ならば、男の象徴は褌(ふんどし)です…。


褌がなくなってから、日本の男性から男らしさが、失われてしまった。
私は英語遣いを生業としているが、「褌を締めてかかる」を英語で言おうとすると、”Roll up his sleeves.”(袖をまくりあげる)とか、”Pull up his sockes.”(靴下を引き上げる)というから、すっかり間が抜けてしまう。
凛としたところが、ない。やはり手の先や足先では、男の大切なものから遠いからなのだろう。

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 176
褌が無くなったから男らしさが失われたって、「褌を締めさえすれば男らしくなるのかい!」と、突っ込まずにはいられません。

このように加瀬氏は、「日本らしさ」と言うものを定義するにあたって、様式から、形式から、外面から整えようとします。ひとまず外面さえとりあえずソレらしければ、内面は二の次なのかもしれません。ともかく「昔の日本は良かった」系の典型的老害と、その老害の目指すウザ過ぎるコミュニケーション社会の姿が、この加瀬氏の発言から確認できるのではないでしょうか。

https://rondan.net/1067


▲△▽▼

2019.02.09
【トンデモ】スカイツリーは偽りの伽藍(マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016)
https://rondan.net/1072


Contents

1 老害保守は続く
2 スカイツリーは偽りの大伽藍!
3 決めつけは加速する

老害保守は続く

近年の保守・ネトウヨと呼ばれる勢力は、若者ではなく高齢者が中心なんだそうです。前回別の記事では、保守界の重鎮・加瀬英明氏が主張する、男らしさは褌(ふんどし)に、女らしさは箒(ほうき)に象徴され、テクノロジーの進歩とともにそれらが用いられなくなったことで、「男らしさ」「女らしさ」が失われたというトンデモ説を紹介しました。

このような老害発言は何も加瀬氏だけに限るものではありませんが、加瀬氏のそれはともかく話が極端で、その勢いについつい唖然とさせらてしまいます。加瀬氏は、これ以外にも「昔はよかった…」的老害ぶりを存分に発揮していますので、今回はそれを紹介していと思います。

スカイツリーは偽りの大伽藍!

老害による「昔はよかった…」説には、現代のテクノロジーを碌に調査することなく精神論に基づいて批判してしまうという悪い傾向があるかと思います。

この法則に則り加瀬氏は、東京スカイツリーが「何の目的で建てられたのか、さっぱり分からない」にもかかわらず批判しはじめます。


東京スカイツリーという、巨大な建造物が、完成した。
私には、いったい、何の目的で建てられたのか、さっぱり分からないが、港区や、千代田区の離れているところからも、望見できる。完成した頃は、マスコミがさかんに囃し立てた。

 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 192
分からないなら誰かに聞くなりして調べてから批判してくれよ、と言わずにはいられません。

言わずもがな東京スカイツリーは、東京タワーと同じく電波塔として建てられたものです。このような情報は調べれば誰でもすぐに解ることなのですが、加瀬氏は調べもせず、東京スカイツリーの役割を次のように決めつけます。


古代の飛鳥時代から、仏教の伽藍が建つと、人々がそれを話題にして憧れ、心が慰められたに違いない。……
東京スカイツリーは、奇妙な形をしているが、今日の日本人にとって大伽藍に当たるのに、ちがいあるまい。
 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 192


東京スカイツリーには、寺院建築と同じ役割があると勝手に思い込んでいます。この二つが同じものであると想い込める想像力には恐れ入りますが、どこをどう勘違いすれば東京スカイツリーが「大伽藍」になるのかさっぱり分かりません。

決めつけは加速する

更に決めつけは加速します。東京スカイツリーを現代日本人にとって「大伽藍」で決めつけた後、「伽藍」の語義釈を次のように提示します。


人は伽ぎ、磨ぎ、研ぐことによって、成長し、救われるといわれてきた。伽藍はその場だった。
 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 193


まぁこういう通俗語源解釈(ダジャレ)もいいですが、考え過ぎというものでしょう。そしてもちろん、東京スカイツリーは大伽藍に相応しくないと決めつけます。


感謝する気持ちが失われると、焦ら立ちやすく、心が疲れはてる。まさか、東京スカイツリーに昇ったら、心が癒されるのだろうか。
東京スカイツリーが、東京に聳える、偽りの大伽藍になっている。


 マンリオ・カデロ×加瀬英明『世界で一番 他人(ひと)に優しい国・日本』祥伝社, 2016, p. 195

いやいやいやいや。東京スカイツリーを勝手に「大伽藍」と決めつけたのは貴方でしょうとツッコまずにはいられません。にもかかわらず再び勝手に「偽りの大伽藍」になっていると決めつけるなんてどういう自分勝手な理論でしょうか。

「感謝する気持ちが失われると、焦ら立ちやすく、心が疲れはてる」などと感傷に耽りながら、それとは全く無関係の東京スカイツリー批判を繰り広げるその有り様は、まさに老害の鑑と言えるでしょう。

https://rondan.net/1072
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html#c4

[近代史3] 保江邦夫 _ アメリカの調査の結果、日本人の精神は祖先である宇宙人に由来することが明らかになった

保江邦夫 _ アメリカの調査の結果、日本人の精神は祖先である宇宙人に由来することが明らかになった

1.古くからアメリカや日本など地域ごとにUFOがあった。日本にもUFOが来ていた。このUFOがいまも飛んでいる。

2.日本人は霊力が強い。特に昭和天皇のものは非常に強力であった。なぜなら、日本人の祖先は宇宙人であり、その精神を受け継いでいるからである。

3.アメリカは、島国なのにスゴ過ぎる日本を不審に思って、占領下で徹底的に調査した。

4.そのアメリカの調査の結果、日本人の精神は、祖先である宇宙人に由来することが明らかになった。そのため、占領軍は神道を解体して、意味のある祝詞を排除するなどして神道を形骸化した。


_____

ジャパニズム 40 (青林堂ビジュアル)
[対談] UFOが日本人に教える「保守の精神」 佐藤守 保江邦夫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-40-%E9%9D%92%E6%9E%97%E5%A0%82%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%A6%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E-ebook/dp/B0789B6BYL

カスタマーレビュー
富士と桜 2017年12月10日

佐藤守氏と保江邦夫氏の対談「UFOが日本人に教える保守の精神」が面白い。
俄かには信じがたいが、両氏の体験からくる数々のUHO談からもその存在を否定できない気がする。

UFOの霊力が日本古来の神道に結び付くとしており、特にUFOに係る霊能者が佐藤空将を導き、嘉手納基地において日米の慰霊碑を建てたこと、開眼供養の時に現れた幻覚など神国日本の奥ゆかしさを感じさせる。

▲△▽▼

2019.02.09
【スピリチュアル系保守】UFOが日本人に教える「保守の精神」【佐藤守×保江邦夫】
https://rondan.net/976


Contents

1 スピリチュアル系保守
2 日本人は宇宙人の子孫
3 真の保守的精神と、その復活法


スピリチュアル系保守

保守論壇はトンデモ議論がまかり通る不可思議な世界であることを、これまで何度も言及してきました。

「重大事件の背後には共産主義者がいた!」という類のコミンテルン陰謀説が今現在大人気ですが、かつてはユダヤ陰謀説も大人気でした。さすがにフリーメーソン陰謀説とかイルミナティ陰謀説が現れることは稀です。あまりに現実離れしていて、読者の心を掴みにくいのかもしれません。

しかし大人気のコミンテルン陰謀説も、既に飽和状態でネタ切れ状態が続いています。そろそろ次の市場が開拓される時なのではないかと観察しています。

そんな観察の折、突然、目に飛び込んできたのは、佐藤守×保江邦夫「UFOが日本人に教える「保守の精神」」『ジャパニズム』40(2017.9)です。



保守もとうとう来るところまで来てしまったか…と感慨に浸らずにはいられません。稲田朋美氏が「多様性尊重が保守の本来」と仰っていましたが、きっとそれはこういうことなのでしょう。

日本人は宇宙人の子孫

この対談「UFOが日本人に教える「保守の精神」」をまず開くと、地球の高度文明はUFOがもたらしたとか、東日本大震災の時にUFOを六機飛ばして放射能を拡散しないようにしたとか、左足で祠を蹴ったら戦闘機の左エンジンが故障したとか、ぶっ飛んだ話が目につき、流行りの保守本とは一線を画したハイレベルさに圧倒されます(さらに保江邦夫氏は、量子脳理論を専門とする、大学教授だったというので驚きです)。

肝心の「UFOと保守精神」の関係性については余り言及がないのですが、僅かな言葉のなかにも強力なインパクトを残しています。UFOと日本人と占領軍の関係について次のように説いてあります。


保江 アメリカのUFOは本来エリア51にあって、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前からあった異星人のもの、その延長で異星人と協力して作ったものですが、日本上空を飛んでいるものとは種類、概念が違います。もちろんアメリカ政府が宇宙人との密約でつくったものも来ていますが、日本にもともとあったものも飛び続けているんです。

これは日本を守るという意味合いがあります。アメリカ政府も第二次世界大戦の途中から気づき始め、占領下で徹底的に日本のことを調べました。日本人は霊力が強い。特に先帝陛下は非常に強い方でしたから、なぜそこまで強いのかと研究し始めたのです。……

小さな島国にあそこまで手こずったアメリカは何かおかしいと思っていた。そして立ち去っていた宇宙人のようなものが、日本国民の遠い祖先で、現代まで脈々と続き、その精神は神道の世界に隠されている。だから占領軍は神道を解体させて骨抜きにするために、神社庁から意味のある祝詞を全部排除して、意味のない表面的なものだけに作りかえ、神道を形骸化してしまったんですよ。

内容もさることながら、日本語自体が不明瞭なのですが、恐るべき(?)事実を提供しています。次の点が確認できます。


1.古くからアメリカや日本など地域ごとにUFOがあった。日本にもUFOが来ていた。このUFOがいまも飛んでいる。

2.日本人は霊力が強い。特に昭和天皇のものは非常に強力であった。なぜなら、日本人の祖先は宇宙人であり、その精神を受け継いでいるからである。

3.アメリカは、島国なのにスゴ過ぎる日本を不審に思って、占領下で徹底的に調査した。

4.そのアメリカの調査の結果、日本人の精神は、祖先である宇宙人に由来することが明らかになった。そのため、占領軍は神道を解体して、意味のある祝詞を排除するなどして神道を形骸化した。


あまりにもスゴすぎてびっくりしますが、こういうトンデモ日本スゴイ論というのは昔からあり、今も絶えることのない現象のひとつです。たとえば、大本教や真光などは、ムー大陸の直系子孫が日本人だというような説を今でも信じています。「ムー大陸」の代わりに「UFO(宇宙人)」が入れ替わっているだけで、共に論理の構造は大体同じです。

真の保守的精神と、その復活法

日本人が宇宙人の子孫だというトンデモ説を用いて、民族の優位性を説くお二人ですが、その根拠は日本人は「どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない」からだそうです。


保江 おそらく日本人が、唯一向こうから来て残った連中の末裔のような気がします。小野田少尉のように、どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない。日本人でなければあんなことはできません。他の国の兵士はあんなふうには絶対できないと思うんです。


ここで宇宙人の末裔たる理想の日本人として言及される小野田寛郎氏は、終戦を知らず29年間もフィリピンでゲリラ戦を続け、帰国の際に「天皇陛下万歳」と叫び、その後は保守活動に専念された方です。小野田寛郎氏のような旧日本軍兵がいるから、日本人が唯一の宇宙人の末裔に違いないという理論は、あまりにも崩壊しすぎていて逆に頷いてしまいそうな勢い持っています。

ところで、同じく28年間グアムに潜んでいた横井庄一氏がここで言及されないのは、きっと彼が戦後の日本社会になじんでしまったからでしょう。

もちろん今の日本を見渡せば、両氏が思い描いているような理想の日本人が極少数しかいないことは誰の目からも明らかです。この事態について両氏は、現代日本人は社会の乱れにゆえに「気づかない」だけで、それに気付けば「本来あった日本の保守の姿」に戻ると説きます。


佐藤 しかし肝心の現代日本人が気づかない、気づかないようにさせられている。尤もやっと気づいた人たちが出始めていますが、その人たちでさえまだ現代の政治の乱れにまだ惑わされているため、本来あった日本の保守の姿になかなか戻れないだろうと思います。
保江 占領下に作られた現状の社会システムの中で、本来の保守に戻るのは難しいですね。皆さんがわからない間に覚醒させる。ふっと気が付く、今のこの生活じゃだめなんじゃないかと。自発的に気づくようなやり方が必要です。例えば一部の古い神道の祝詞の力とか、読経の音とかです。それらは気がつくと「ああ、そうか」と思える精妙さを持っています。

祝詞や読経の音を聞けば、「本来あった日本の保守の姿」を、つまり宇宙人の末裔たる日本人の精神に気がつくことがあるようです。しかしそれに気づいたところで、小野田寛郎氏のようなコテコテの旧日本軍兵になってしまうのですから、気がつかないままのほうが幸せというものでしょう。
https://rondan.net/976

▲△▽▼

保江邦夫 - Wikipedia

保江 邦夫(やすえ くにお、1951年9月27日 - )は、日本の理学博士。
専門は数理物理学・量子力学・脳科学。
岡山県出身。ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。


量子脳理論の治部・保江アプローチ(英:Quantum Brain Dynamics)の開拓者。
少林寺拳法武道専門学校[1]講師。冠光寺眞法・冠光寺流柔術創始・主宰。大東流合気武術宗範佐川幸義直門。特徴的な文体を持ち、45冊以上の著書を上梓。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。アメリカ数学会会員。身体運動文化学会会員。日本サイマティクス・セラピー研究会顧問。

経歴

1970年 岡山朝日高校を卒業。

1974年 東北大学理学部天文学科を卒業。

1976年 京都大学大学院理学研究科博士課程前期課程を修了。名誉教授だった湯川秀樹が提唱していた「素領域理論」を題材として修士論文を提出し、当時日本唯一の理論物理専門の欧文学術雑誌『Progress of Theoreical Physics』に掲載された(Vol.57,pp.318-328 1977)。

1978年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程後期課程を修了。高林武彦教授に師事。その2年で8編の論文を欧米の数理物理学専門誌に発表。「量子摩擦を含む開放系の量子力学理論」の論文を提出し、理学博士号を取得。

1978年 スイス連邦共和国へ渡欧。ジュネーヴ大学理学部理論物理学科講師。

1982年 東芝総合研究所の研究員。

その後、岡山のノートルダム清心女子大学大学院に教授として勤務し、現在に至る。

研究テーマは、

1.量子場脳理論による脳の基礎的情報処理過程と生命素過程の物理的解明についての理論的研究

2.武術極意における脳機能の役割についての理論的並びに実験的研究

3.確率過程による量子力学の数理物理学的基礎づけ、確率変分学の基礎とその応用[2][3]


2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に日本のこころを大切にする党から比例区で出馬するも落選。

武道の探求

高校時代から武道に憧れを抱いていた保江は東北大学時代、合気道部に所属。先輩である橋本敬三がたびたび合気道部に訪れ、彼から操体法を学ぶ。

ある理由により保江は2年次に退部を申し出る。それでも合気道部の仲間は保江を気遣い籍を残したままとし、4年次には副将の肩書を与えて復部するのを待ってくれていた。

名古屋大学大学院時代には合気道を再開する。また、同大学院にて木村達雄と邂逅。木村の合気道に対する純粋な思いに感銘を受ける。そして木村と共に名古屋大学の合気道部創設に関わり、山口清吾師範に学ぶ。

スイス滞在時において現地の合気道道場へ通う。ところがドイツ山岳地帯出身の大男には保江の合気道の技は通用しなかった。そうした折、たまたまスイスを訪れていた木村達雄から鍛練方法の一つである四股を学んだ。木村からは一日に2000回四股踏みを行えと言われたが、保江は一日300回四股を鍛練した。すると、そのドイツ人の大男を難なく投げれるようになる。

「秘伝日本柔術」(新人物往来社 松田隆智編)大東流篇佐川宗範の項を何度も読み返し、佐川宗範の自然で崇高な姿に魅せられた保江は木村に佐川道場の入門を取り次いでもらうよう懇願する。いったん断られるが「まあ、入門のためにスイスから帰国するくらい覇気のある奴なら許可してもいいだろう」との返事を得て、ようやく手に入れた職を辞し、帰国する決意をする。

1982年、佐川道場に入門するためにスイスから帰国。木村達雄の紹介により佐川道場に入門。佐川幸義直門となり大東流合気武術を学ぶようになる。後に佐門会への参加を許され、100回を越える稽古に参加する。ある時に妻の持病のため岡山へ帰らざるを得ない旨を佐川宗範に告げたところ、特別に10日間にわたる一対一の直伝講習を受けることを許された。これを最後に佐川宗範の直伝講習はなくなる。その後しばらくたって、岡山から東京へ行く機会を得るようになり、また佐川道場の稽古に参加できるようになる。

地元岡山にて戦前天才少女と言われた畠瀬幸枝に薙刀・天道流剣術を学ぶ。加えて、エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父から修道師に伝わる護身技法を学ぶ。その技法が後の冠光寺流柔術の基礎となる。

現在は、合気道星辰館道場(岡山市:責任者 北村 好孝 合気会所属)において、合気道の指導も行っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB


▲△▽▼


amazon.co.jp 保江邦夫作品一覧
https://www.amazon.co.jp/l/B004L58AS4?_encoding=UTF8&qid=1549941494&redirectedFromKindleDbs=true&ref_=sr_ntt_srch_lnk_3&rfkd=1&shoppingPortalEnabled=true&sr=8-3



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/236.html

[昼休み53] 阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい 中川隆
22. 中川隆[-12246] koaQ7Jey 2019年2月12日 13:06:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

保江邦夫 _ アメリカの調査の結果、日本人の精神は祖先である宇宙人に由来することが明らかになった

1.古くからアメリカや日本など地域ごとにUFOがあった。日本にもUFOが来ていた。このUFOがいまも飛んでいる。

2.日本人は霊力が強い。特に昭和天皇のものは非常に強力であった。なぜなら、日本人の祖先は宇宙人であり、その精神を受け継いでいるからである。

3.アメリカは、島国なのにスゴ過ぎる日本を不審に思って、占領下で徹底的に調査した。

4.そのアメリカの調査の結果、日本人の精神は、祖先である宇宙人に由来することが明らかになった。そのため、占領軍は神道を解体して、意味のある祝詞を排除するなどして神道を形骸化した。


_____

ジャパニズム 40 (青林堂ビジュアル)
[対談] UFOが日本人に教える「保守の精神」 佐藤守 保江邦夫
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-40-%E9%9D%92%E6%9E%97%E5%A0%82%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%A6%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E-ebook/dp/B0789B6BYL

カスタマーレビュー
富士と桜 2017年12月10日

佐藤守氏と保江邦夫氏の対談「UFOが日本人に教える保守の精神」が面白い。
俄かには信じがたいが、両氏の体験からくる数々のUHO談からもその存在を否定できない気がする。

UFOの霊力が日本古来の神道に結び付くとしており、特にUFOに係る霊能者が佐藤空将を導き、嘉手納基地において日米の慰霊碑を建てたこと、開眼供養の時に現れた幻覚など神国日本の奥ゆかしさを感じさせる。

▲△▽▼

2019.02.09
【スピリチュアル系保守】UFOが日本人に教える「保守の精神」【佐藤守×保江邦夫】
https://rondan.net/976


Contents

1 スピリチュアル系保守
2 日本人は宇宙人の子孫
3 真の保守的精神と、その復活法


スピリチュアル系保守

保守論壇はトンデモ議論がまかり通る不可思議な世界であることを、これまで何度も言及してきました。

「重大事件の背後には共産主義者がいた!」という類のコミンテルン陰謀説が今現在大人気ですが、かつてはユダヤ陰謀説も大人気でした。さすがにフリーメーソン陰謀説とかイルミナティ陰謀説が現れることは稀です。あまりに現実離れしていて、読者の心を掴みにくいのかもしれません。

しかし大人気のコミンテルン陰謀説も、既に飽和状態でネタ切れ状態が続いています。そろそろ次の市場が開拓される時なのではないかと観察しています。

そんな観察の折、突然、目に飛び込んできたのは、佐藤守×保江邦夫「UFOが日本人に教える「保守の精神」」『ジャパニズム』40(2017.9)です。

保守もとうとう来るところまで来てしまったか…と感慨に浸らずにはいられません。稲田朋美氏が「多様性尊重が保守の本来」と仰っていましたが、きっとそれはこういうことなのでしょう。

日本人は宇宙人の子孫

この対談「UFOが日本人に教える「保守の精神」」をまず開くと、地球の高度文明はUFOがもたらしたとか、東日本大震災の時にUFOを六機飛ばして放射能を拡散しないようにしたとか、左足で祠を蹴ったら戦闘機の左エンジンが故障したとか、ぶっ飛んだ話が目につき、流行りの保守本とは一線を画したハイレベルさに圧倒されます(さらに保江邦夫氏は、量子脳理論を専門とする、大学教授だったというので驚きです)。

肝心の「UFOと保守精神」の関係性については余り言及がないのですが、僅かな言葉のなかにも強力なインパクトを残しています。UFOと日本人と占領軍の関係について次のように説いてあります。


保江 アメリカのUFOは本来エリア51にあって、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前からあった異星人のもの、その延長で異星人と協力して作ったものですが、日本上空を飛んでいるものとは種類、概念が違います。もちろんアメリカ政府が宇宙人との密約でつくったものも来ていますが、日本にもともとあったものも飛び続けているんです。

これは日本を守るという意味合いがあります。アメリカ政府も第二次世界大戦の途中から気づき始め、占領下で徹底的に日本のことを調べました。日本人は霊力が強い。特に先帝陛下は非常に強い方でしたから、なぜそこまで強いのかと研究し始めたのです。……

小さな島国にあそこまで手こずったアメリカは何かおかしいと思っていた。そして立ち去っていた宇宙人のようなものが、日本国民の遠い祖先で、現代まで脈々と続き、その精神は神道の世界に隠されている。だから占領軍は神道を解体させて骨抜きにするために、神社庁から意味のある祝詞を全部排除して、意味のない表面的なものだけに作りかえ、神道を形骸化してしまったんですよ。

内容もさることながら、日本語自体が不明瞭なのですが、恐るべき(?)事実を提供しています。次の点が確認できます。


1.古くからアメリカや日本など地域ごとにUFOがあった。日本にもUFOが来ていた。このUFOがいまも飛んでいる。

2.日本人は霊力が強い。特に昭和天皇のものは非常に強力であった。なぜなら、日本人の祖先は宇宙人であり、その精神を受け継いでいるからである。

3.アメリカは、島国なのにスゴ過ぎる日本を不審に思って、占領下で徹底的に調査した。

4.そのアメリカの調査の結果、日本人の精神は、祖先である宇宙人に由来することが明らかになった。そのため、占領軍は神道を解体して、意味のある祝詞を排除するなどして神道を形骸化した。


あまりにもスゴすぎてびっくりしますが、こういうトンデモ日本スゴイ論というのは昔からあり、今も絶えることのない現象のひとつです。たとえば、大本教や真光などは、ムー大陸の直系子孫が日本人だというような説を今でも信じています。「ムー大陸」の代わりに「UFO(宇宙人)」が入れ替わっているだけで、共に論理の構造は大体同じです。

真の保守的精神と、その復活法

日本人が宇宙人の子孫だというトンデモ説を用いて、民族の優位性を説くお二人ですが、その根拠は日本人は「どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない」からだそうです。


保江 おそらく日本人が、唯一向こうから来て残った連中の末裔のような気がします。小野田少尉のように、どんなときにでも恥を知り、分をわきまえ、役割をきちんとして、暴走することはない。日本人でなければあんなことはできません。他の国の兵士はあんなふうには絶対できないと思うんです。


ここで宇宙人の末裔たる理想の日本人として言及される小野田寛郎氏は、終戦を知らず29年間もフィリピンでゲリラ戦を続け、帰国の際に「天皇陛下万歳」と叫び、その後は保守活動に専念された方です。小野田寛郎氏のような旧日本軍兵がいるから、日本人が唯一の宇宙人の末裔に違いないという理論は、あまりにも崩壊しすぎていて逆に頷いてしまいそうな勢い持っています。

ところで、同じく28年間グアムに潜んでいた横井庄一氏がここで言及されないのは、きっと彼が戦後の日本社会になじんでしまったからでしょう。

もちろん今の日本を見渡せば、両氏が思い描いているような理想の日本人が極少数しかいないことは誰の目からも明らかです。この事態について両氏は、現代日本人は社会の乱れにゆえに「気づかない」だけで、それに気付けば「本来あった日本の保守の姿」に戻ると説きます。


佐藤 しかし肝心の現代日本人が気づかない、気づかないようにさせられている。尤もやっと気づいた人たちが出始めていますが、その人たちでさえまだ現代の政治の乱れにまだ惑わされているため、本来あった日本の保守の姿になかなか戻れないだろうと思います。
保江 占領下に作られた現状の社会システムの中で、本来の保守に戻るのは難しいですね。皆さんがわからない間に覚醒させる。ふっと気が付く、今のこの生活じゃだめなんじゃないかと。自発的に気づくようなやり方が必要です。例えば一部の古い神道の祝詞の力とか、読経の音とかです。それらは気がつくと「ああ、そうか」と思える精妙さを持っています。

祝詞や読経の音を聞けば、「本来あった日本の保守の姿」を、つまり宇宙人の末裔たる日本人の精神に気がつくことがあるようです。しかしそれに気づいたところで、小野田寛郎氏のようなコテコテの旧日本軍兵になってしまうのですから、気がつかないままのほうが幸せというものでしょう。
https://rondan.net/976

▲△▽▼

保江邦夫 - Wikipedia

保江 邦夫(やすえ くにお、1951年9月27日 - )は、日本の理学博士。
専門は数理物理学・量子力学・脳科学。
岡山県出身。ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。


量子脳理論の治部・保江アプローチ(英:Quantum Brain Dynamics)の開拓者。
少林寺拳法武道専門学校[1]講師。冠光寺眞法・冠光寺流柔術創始・主宰。大東流合気武術宗範佐川幸義直門。特徴的な文体を持ち、45冊以上の著書を上梓。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。アメリカ数学会会員。身体運動文化学会会員。日本サイマティクス・セラピー研究会顧問。

経歴

1970年 岡山朝日高校を卒業。

1974年 東北大学理学部天文学科を卒業。

1976年 京都大学大学院理学研究科博士課程前期課程を修了。名誉教授だった湯川秀樹が提唱していた「素領域理論」を題材として修士論文を提出し、当時日本唯一の理論物理専門の欧文学術雑誌『Progress of Theoreical Physics』に掲載された(Vol.57,pp.318-328 1977)。

1978年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程後期課程を修了。高林武彦教授に師事。その2年で8編の論文を欧米の数理物理学専門誌に発表。「量子摩擦を含む開放系の量子力学理論」の論文を提出し、理学博士号を取得。

1978年 スイス連邦共和国へ渡欧。ジュネーヴ大学理学部理論物理学科講師。

1982年 東芝総合研究所の研究員。

その後、岡山のノートルダム清心女子大学大学院に教授として勤務し、現在に至る。

研究テーマは、

1.量子場脳理論による脳の基礎的情報処理過程と生命素過程の物理的解明についての理論的研究

2.武術極意における脳機能の役割についての理論的並びに実験的研究

3.確率過程による量子力学の数理物理学的基礎づけ、確率変分学の基礎とその応用[2][3]


2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に日本のこころを大切にする党から比例区で出馬するも落選。

武道の探求

高校時代から武道に憧れを抱いていた保江は東北大学時代、合気道部に所属。先輩である橋本敬三がたびたび合気道部に訪れ、彼から操体法を学ぶ。

ある理由により保江は2年次に退部を申し出る。それでも合気道部の仲間は保江を気遣い籍を残したままとし、4年次には副将の肩書を与えて復部するのを待ってくれていた。

名古屋大学大学院時代には合気道を再開する。また、同大学院にて木村達雄と邂逅。木村の合気道に対する純粋な思いに感銘を受ける。そして木村と共に名古屋大学の合気道部創設に関わり、山口清吾師範に学ぶ。

スイス滞在時において現地の合気道道場へ通う。ところがドイツ山岳地帯出身の大男には保江の合気道の技は通用しなかった。そうした折、たまたまスイスを訪れていた木村達雄から鍛練方法の一つである四股を学んだ。木村からは一日に2000回四股踏みを行えと言われたが、保江は一日300回四股を鍛練した。すると、そのドイツ人の大男を難なく投げれるようになる。

「秘伝日本柔術」(新人物往来社 松田隆智編)大東流篇佐川宗範の項を何度も読み返し、佐川宗範の自然で崇高な姿に魅せられた保江は木村に佐川道場の入門を取り次いでもらうよう懇願する。いったん断られるが「まあ、入門のためにスイスから帰国するくらい覇気のある奴なら許可してもいいだろう」との返事を得て、ようやく手に入れた職を辞し、帰国する決意をする。

1982年、佐川道場に入門するためにスイスから帰国。木村達雄の紹介により佐川道場に入門。佐川幸義直門となり大東流合気武術を学ぶようになる。後に佐門会への参加を許され、100回を越える稽古に参加する。ある時に妻の持病のため岡山へ帰らざるを得ない旨を佐川宗範に告げたところ、特別に10日間にわたる一対一の直伝講習を受けることを許された。これを最後に佐川宗範の直伝講習はなくなる。その後しばらくたって、岡山から東京へ行く機会を得るようになり、また佐川道場の稽古に参加できるようになる。

地元岡山にて戦前天才少女と言われた畠瀬幸枝に薙刀・天道流剣術を学ぶ。加えて、エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父から修道師に伝わる護身技法を学ぶ。その技法が後の冠光寺流柔術の基礎となる。

現在は、合気道星辰館道場(岡山市:責任者 北村 好孝 合気会所属)において、合気道の指導も行っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B1%9F%E9%82%A6%E5%A4%AB


▲△▽▼


amazon.co.jp 保江邦夫作品一覧
https://www.amazon.co.jp/l/B004L58AS4?_encoding=UTF8&qid=1549941494&redirectedFromKindleDbs=true&ref_=sr_ntt_srch_lnk_3&rfkd=1&shoppingPortalEnabled=true&sr=8-3

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html#c22

[昼休み54] ムスリムは悪い 中川隆
13. 中川隆[-12245] koaQ7Jey 2019年2月12日 13:27:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234]

シリアとイラク、IS支配の傷痕をたどる――ヤズディ教徒の虐殺と拉致
2/12(火) 7:37 配信
https://news.yahoo.co.jp/feature/1227


「ここで70人以上が処刑されるのを見ました。多くが首を切り落とされて殺されました」。シリア北部の都市・ラッカ。その時計台前広場で、住民の男性はこう言った。世界を震撼させた過激派組織「イスラム国(IS)」の「首都」と呼ばれたこの町が陥落して1年。今もいたるところに破壊された建物やがれきが残る。「国家」を名乗り、住民殺戮(さつりく)や異教徒殺害を繰り返したIS。その支配地域で何が起きていたのか。シリアとイラクに入り、傷痕をたどった。(玉本英子/アジアプレス/Yahoo!ニュース 特集編集部)

IS拠点都市だったラッカ


ラッカは、ユーフラテス川の恵みで栄えてきた美しい町だ。その町は、最も悲しい形で世界に知られることになった。


覆面姿の男たちが黒い旗を高々と掲げ、戦車を連ねてパレードする。その様子がメディアで伝えられたのは2014年のことだった。連日のように斬首映像をネットで公開し、国際テロまで呼び掛けた。


その後、クルド勢力主導のシリア民主軍(SDF)との激しい攻防戦でラッカは陥落。敗走したISはシリア南東部の最終拠点で今も抵抗を続けている。


ラッカはISの重要拠点の一つだった。IS掃討作戦の空爆や戦闘で破壊された建物のがれきがあちこちに残っている。空爆では市民も巻き添えとなった(撮影:玉本英子)


ラッカ市内をパレードするIS戦闘員=2015年、IS宣伝映像


ラッカからISが敗走して1年。2018年10月、市内に入った。今も暗殺や自爆事件が相次いでいるため、地区によっては地元の警護が同行してくれた。中心部に近づくにつれ、建物の破壊のすさまじさが増す。崩れ落ちた壁に残る銃弾の痕が戦闘の激しさを物語っていた。


ナイム広場は、ISが戦車や装甲車で軍事パレードをした場所だ。ここで公開処刑は繰り返された。シリア政府軍や自由シリア軍などの捕虜のほか、“スパイ”“犯罪者”も銃殺や斬首で処刑された。


当時、学生だったザハラディーン・アブドゥさん(19)は、処刑の様子を間近で見た。


「政府軍兵士2人が連れてこられた。大ナタで、1人の首はスパッと切れて転がり落ちた。もう1人はなかなか切れず、もがき苦しんでいた。あの光景が忘れられない」


家に帰ると、自分のズボンの裾にいくつもの小さなシミがついていた。そのときに飛び散った血だと分かり、しばらく食事が喉を通らなかったという。


シリア政府軍やイラク軍から奪った戦車や装甲車で、ISは軍事パレードをした。ラッカのナイム広場前=2014年、「ラッカ・メディア・センター」(RMC)映像


「空爆の標的を敵に密告した背教徒スパイ」として斬首される住民。処刑現場を見つめる群衆には大人のほか、子どもたちの姿も=2016年、ラッカ、IS公表写真


ラッカで再開した中学校の女子生徒たち。空爆で家族や親戚を失った生徒もいた。IS支配下では学校の多くが機能停止だったほか、過激主義教育を恐れた親が行かせなかったという(撮影:玉本英子)

「奴隷市場」で売られたヤズディ教徒の女性


ザハラディーンさんは、もう一つの恐ろしい光景について話した。


ある日、ナイム広場を通りかかると、数人の若い女性たちが「奴隷・700ドル」と書かれた大きなカードを胸に付けられ、立たされていた。イラクから連れてこられたヤズディ教徒の女性だった。黒いヒジャブ姿だったが、顔の部分は開いていた。数人の戦闘員がその顔をのぞき込みながら、薄ら笑いをしていたという。


「女性たちは恐怖に脅え、震えていました。かわいそうでならなかった」


IS支配下のナイム広場では、処刑で斬首された首がこの鉄柵の先でさらされた。値札を胸につけたヤズディ女性たちが見せ物のようにして売られた(撮影:玉本英子)


ヤズディ教はゾロアスター教などの影響を受けた少数宗教で、孔雀天使を崇める。このため、過激なイスラム主義者からは「邪教」「悪魔崇拝」などとみなされ、繰り返し激しい攻撃にさらされてきた。


イラク北西部のシンジャルには、10万人を超えるヤズディ住民のコミュニティがあった。


2014年8月、ISはその町や村を襲撃。銃を突きつけてイスラム教への改宗を迫り、逃げようとした住民は殺害された。ヤズディ団体によると、一連の襲撃で死者は1000人以上に達した。さらに女性や子どもら3000人以上が拉致され、シリアやイラクのIS支配地域へ移送されたという。


シンジャル一帯のヤズディ教徒を襲撃したIS。これはISがヤズディ教の聖塔を「悪魔崇拝」などとして爆破する様子=2015年、IS宣伝映像


拉致後、脱出してきた女性たちの証言によると、IS戦闘員は女性を「戦利品」などと呼び、強制結婚という形で分配した。そこには小学生の女児も含まれる。性的暴行を繰り返した揚げ句、戦闘員同士で転売した。男児は軍事訓練施設に入れられたという。


アハメッドさん(42)は、IS支配下のラッカでひそかに拉致女性の救出を手助けしていた。


「ヤズディ女性の拉致は、戦闘の混乱のなかで起きたのではありません。連行後に奴隷として戦闘員で分配するなど、組織的に計画されたものでした」


アハメッドさんはIS幹部宅の周辺で見知らぬ女性たちを見かけるようになり、タイミングを見て声を掛けた。すると女性は「拉致されたヤズディです。助けてください」。ひそかに携帯番号を記したメモを渡すと、何人かが戦闘員の隙をついて電話してきた。彼は車を手配し、IS支配地域から女性たちを脱出させたという。


ヤズディ女性が売られていた「奴隷市場」を探すため、ラッカ南西部へ向かう。ユーフラテス川にかかる橋は破壊され、住民は渡し船で川を越えていた(撮影:玉本英子)


ラッカには拉致女性の「奴隷市場」があったとアハメッドさんは言う。


それを探すため、アハメッドさんの情報を手がかりに、ラッカの南西部に向かった。ユーフラテス川にかかる橋は戦闘で破壊されているため、渡し船に乗る。そこから15分ほど車で走ると、丘の上に堅牢な建物がいくつもあった。内戦前にナイトクラブとして使われていた場所だ。その一つに入ると、ホールのようなフロアが広がっている。壁はピンク色。今は誰もいない建物、ここが「奴隷市場」だった。


近くの雑貨店店主は言う。


「この建物付近は地元民でも近づくことが禁止されていました。ある日、監禁されていたヤズディ女性が何人か逃げ出して、ISが捜索に来た。女性たちはユーフラテス川に飛び込んで逃げようとしたが、溺れて死んだと後で聞きました」


ラッカの南西部にある「奴隷市場」の建物跡。内戦前はナイトクラブとして、富裕層や政府要人が利用していた(撮影:玉本英子)


ISが「奴隷市場」にしたナイトクラブ跡。IS戦闘員はここで女性を「品定め」し、連れ出していったという(撮影:玉本英子)

IS戦闘員が転売、性暴行の日々


この「奴隷市場」でIS戦闘員に売られ、脱出に成功したヤズディ女性がいる。アハラムさん(30)=仮名=。2014年夏、住んでいたイラク、シンジャル近郊の村をISに襲撃され、夫とともに連行された。夫は行方不明となり、彼女はラッカへ移送された。


ラッカの「奴隷市場」で売られたアハラムさん=仮名(撮影:玉本英子)


アハラムさんは今、イラク北部のクルド自治区で避難生活を送っている。


彼女を訪ね、ラッカで撮影した「奴隷市場」の写真を見せると、「たくさんのヤズディ女性とともに自分もここにいた」と証言した。IS戦闘員が次々と「品定め」に来て、気に入った女性を連れ出していった。


ラッカへの移送後、アハラムさんはチュニジア人のIS戦闘員と強制結婚させられた。その後、別の男に転売され、2014年の拉致から3年半で10人の戦闘員に売られた。


「何度も殴られ、凌辱されました。男たちの顔と名前はすべて覚えている。悲しみと恐怖と絶望だけで、もう何かを考えることもしなくなりました」


IS戦闘員が自らSNSにアップしたと思われる携帯動画の画像。「ヤズディの奴隷女を買うんだ。若くて美しい娘ならいくらでも払うぜ」などと仲間同士で話している


シリア民主軍がラッカに大攻勢をかけ、戦況が悪化すると、ISはアハラムさんを軍事訓練キャンプに入れた。2カ月間、武器の扱いを教え込まれ、前線に送られた。ISは彼女に爆弾ベストを着せ、「逃げたらリモコンで爆発させる」と脅した。銃弾が飛んでくるなか、必死で敵陣に向けて撃ちまくったという。


ある日、戦闘員の隙をみてイラク・クルド自治区にいた弟に電話で連絡。地下救出グループが動いて脱出できた。


アハラムさんは帰還後の今も、すぐ激高するなど感情がコントロールできず、心の治療を受けている。この取材中も彼女の手はずっと小刻みに震えていた。


IS戦闘員はSNSで拉致された女性や子どもを売買。画面には「11歳女児 9000ドルで売る」とある。高値を付けるため、肌が露出した服を着せている=写真は一部加工しています(撮影:玉本英子)


ISはヒジャブ姿で戦う女性戦闘員の映像を公開。戦況が不利になると、志願した女性もいた一方、アハラムさんのように脅され、戦わされたヤズディ女性もいた=2018年、シリア、IS宣伝映像

IS元戦闘員と拘置所で


2003年のアメリカ主導によるイラク戦争によって、イラクでは混乱が続いた。


当初、駐留米軍に対する抵抗として始まった反占領闘争は、スンニ派とシーア派の宗派抗争が先鋭化するなか変質していった。フセイン政権時代とは逆に、シーア派が政府内で影響力を拡大し、スンニ派を締め付けた。それに対する反発と不満が渦巻き、IS台頭へとつながっていく。


2015年、イラクのクルド自治区にある治安当局の拘置施設で、イラク人の元IS戦闘員にインタビューしたことがある。


手錠をはめられ、看守に連れてこられたのはモハメッド・イブラヒム元戦闘員(30=当時)。髪を短く整えてある。黒覆面のISの怖いイメージとは違い、どこにでもいそうな普通の男だった。


アメリカのイラク侵攻後、アルカイダ系組織で反米武装闘争をしていた2人の兄は米軍に殺されたという。「あのとき必ず米軍に復讐してやると誓った」。治安当局に拘束された後も、彼は「ISは真理」との思いを変えていなかった。


2015年、イラク、クルド自治区の拘置所で取材したモハメッド元IS戦闘員。2人の兄が米軍に殺された恨みからISに参加(撮影:玉本英子)


彼のように米軍に家族を殺された恨みからISに志願したイラク人は少なくない。


戦争で被害者だった者が、容易に加害者に転じる。ISがもたらした傷痕は、同時にイラク戦争の傷痕でもあった。一方、シリアでは内戦による混乱で生活基盤を失い、わずかながらも給料が出るとの理由でISに加わった者がいた。


そのISがヤズディ教徒の殺害や女性拉致を続けたのである。罪のない住民を殺し、女性を拉致し、凌辱するのは人間として許されるのか――。そう問うと、しばらく間をおいてから、モハメッド元戦闘員は答えた。


「アッラーを信じぬ者たちだ。殺されてもかまわない」

ISの主体だった外国人戦闘員


戦闘員には、シリアやイラク国外から加わった者も多くいたことが知られている。外国人戦闘員はISの中でも中心的な役割を担ってきた。


2018年10月、シリア北部クルド治安当局と交渉の末、ISの外国人戦闘員への拘置所でのインタビューが許可された。この拘置所には外国人戦闘員ら900人以上が拘束されている。その国籍は実に46カ国に及ぶ。


チュニジア生まれで、ドイツで育ったアブ・ムハンマド元戦闘員(撮影:玉本英子)


チュニジア生まれで、ドイツのハンブルクで育ったアブ・ムハンマド元戦闘員(34)は、ドイツ人の妻とともに2014年、ISに加わった。ネットの宣伝映像で、ジハード戦士や真のイスラム国家の姿にあこがれ、シリア入りしたという。


「宣伝映像が伝えるイスラムの“国家”に期待を寄せ、ISに入った。最初、外国人戦闘員の給料は高く、司令官になる者もいた。ところが、組織の異常さに気づいたときには逃げることもできなかった」


生活の不満を口にした者が密告され、IS内の治安機関に拷問されたこともあった。仲間の間では疑心暗鬼が広まっていたという。


「子どもにまで斬首させるのは、ひどいと思った者も多いはずだが、それを口にできるわけもなかった」


彼は「ヤズディ教徒の殺戮までやる必要があるのか」と仲間に漏らしたことがあった。それがIS内の査問機関に伝わり、2カ月間拘置された。


幻想が消えたいま、彼はともに拘束された妻と一緒にドイツへ戻ることを望んでいる。ドイツ政府は、テロへの懸念からIS参加者の帰国に積極的な姿勢を見せていない。


ISは独自解釈した「イスラム法」で支配。プロパガンダ映像では福祉も強調し、「素晴らしい国家」を宣伝したが、実際にはすぐに破綻した=2015年、ラッカ、IS宣伝映像


2018年12月下旬時点のシリア各派の勢力図。ISは一時、面積にして日本の3分の1以上にあたる地域を支配していた。現在はシリア南東部に追い詰められている(地図作成:アジアプレス)

ノーベル平和賞「ナディア」の村


イラク北西部、シンジャルの外れにコジョという小さな村がある。ここは2018年、ISの性暴力を告発してノーベル平和賞に選ばれた女性ナディア・ムラドさんの故郷だ。


2014年8月、村を襲撃したISは、住民を中学校に集め、男女に分けた。男性や年配女性は、空き地で殺害した。地元記者によると、約1600人いた村民のうち、700人近くが犠牲になったという。若い女性や子供は拉致された。


コジョ村の女性ナスリーン・ハリルさん(22)は、母と幼い妹弟とともにバスでイラク北部に移送された。若いヤズディ女性35人が部屋に集められ、なかには12歳の女の子もいた。そしてIS戦闘員は女たちを1人ずつ別室に連れ出していく。


「ロープで手を縛られ、レイプされました。ずっと、自殺することばかり考えていました」


ISに襲撃されたコジョ村。住民は中学校に集められ、男性の多くが殺害、女性や子どもは拉致された。その中学校はIS撤退後も廃墟のままだった(撮影:玉本英子)


彼女はその後、4回も戦闘員の間で転売された。


監禁されながらも電話のチャンスを見つけ、連絡を受けた母親が密輸業者を探す。そして、IS戦闘員が家を空けた隙にナスリーンさんは脱出。業者の手引きで母親の元へ戻った。


彼女はナディアさんのノーベル平和賞に複雑な思いだ。


「受賞はうれしい。でも、私たちにとっては何も終わっていません。あの日の記憶は消えないし、ISも壊滅していない。なにより人々が今も苦しんでいます」


ISが撤退しても、治安の安定しないコジョ村に戻る住民はいないという。


コジョ村で拉致されたナスリーン・ハリルさん。戦闘員に繰り返しレイプされ、4回にわたって転売された(撮影:玉本英子)


コジョ村は今も無人。地元警備兵が虐殺現場を教えてくれた。ここで700人近くの男性や年配女性らが殺害された。取材のときにも人骨が転がっていた(撮影:玉本英子)

ISは終わっていない


ISはシリア南東部に追い詰められ、最終拠点でシリア民主軍の追撃を受けている。


一方、ISのいなくなったラッカでは、潜伏するIS残存兵らによる暗殺事件が多発している。2018年10月には、新たに設置された行政機構の地区長だった男性が、自宅前で男たちに射殺される事件があった。事件後、ISは機関紙で「今後も背教徒を狙う」と宣言している。


拘置所で会った、ドイツ育ちのムハンマド元戦闘員はこんな言葉を残した。


「宣伝映像に感化され、IS思想を信じる者はいまも各国にいる。彼らがISを継ぎ、どこかで次のテロを引き起こすだろう」


過激主義を封じるにはどうすればいいのか。答えはまだ出ていない。


ISが去ったラッカでは、今も残存兵や同調者が潜伏する。この女性は「行政機構で地区長を務めていた父が1週間前にIS暗殺部隊に殺された」と言い、父の写真を見せてくれた(撮影:玉本英子)

[動画]撮影・編集:玉本英子、坂本卓


玉本英子(たまもと・えいこ)
映像ジャーナリスト。東京都生まれ。デザイン事務所勤務をへて1994年からアジアプレス所属。クルド問題など中東地域を中心に取材。アフガニスタンではタリバン政権下で公開銃殺刑を受けた女性を追い、2004年、ドキュメンタリー映画「ザルミーナ・公開処刑されたアフガニスタン女性」を監督。イラク、シリアではIS支配地域やその周辺に生きる人びと、少数宗教ヤズディなどを取材、テレビのニュース特集、新聞、報告会などを通して伝えている。


https://news.yahoo.co.jp/feature/1227
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/106.html#c13

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 中川隆 koaQ7Jey > 100252  g検索 koaQ7Jey

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。