http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100108.html
15. 中川隆[-10741] koaQ7Jey 2018年4月20日 16:42:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11551]
これで縄文系日本人の現在の生活ぶりが大体わかったのではないですか
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html#c15
16. 中川隆[-10752] koaQ7Jey 2018年4月20日 17:52:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11563]
因みに、縄文人は元々は近親婚は避けていた様ですね。
エタ部落に隔離されて部落外の人と結婚できなくなってから近親相姦する様になったのですね:
縄文人や弥生人は、近親婚なのか?
ID非公開さん 2017/7/15 19:43:30
kii********さん 2017/7/15 20:39:10
いえ、違います。
縄文人の集落の骨をストロンチウムの同位体含有比で分析すると、男女ともに約半数が他地域、時には数百キロ離れた遠隔地から来ていることがわかりました。
それは、集落の半分が流入人口でできていることを示します。
縄文人は、成人すると村を離れ、他地域で暮らす人々が少なくとも半数はいた。
また、同じ村の同じ区域に、明らかに食生活が違う個体が混在していたこともわかっています。
大まかには「海の幸系」と「山の幸系」に分かれ、魚介類中心の食生活の個体と、木の実や肉を中心とする個体が一緒の場所で暮らしていたのです。
これは、縄文人の個々の生活は多様で、各個体が若い頃の食習慣を終生変えなかったことを示します。
わかりやすく言うと、男は森林系部族だがその妻は海洋系部族で、別々の食生活を送っていた、という可能性が考えられるわけです。
これは、現在のような一夫一婦制では難しいことですから、2つの可能性が考えられます。
一つは、男女ともにパートナーは複数持ち、女性は女性だけで固まって暮らしつつ、そこに複数の男性が同時に通って乱行的な性生活を営む男女別棲の生活パターン。
このパターンは世界中の部族に類例があります。
もう一つは、一人の男性が複数の女性を占有し、自身は栄養価の高い山系の食材を独占し、女性には貝の採取など簡便な食事で自給自足を強いた、というハーレム型のパターンです。
いずれにせよ、近親婚ではなかったことは確かです。
kii********さん 2017/7/16 04:03:18
弥生時代の婚姻は、正確なところはわかりませんが、魏志倭人伝や万葉集の記述からおおよその形を推測できます。
1一夫多妻制。身分が高い人間は5〜6人の妻を持つ。
2親と子供は別々の場所で暮らす(この類例は世界中にあり、有名なのはスパルタです)。
3結婚は妻問制を経て独立する(若い男性が妻の元に通う。夜の営みを終えると自分の家に帰宅する期間を一定年数経て、経済力などがついたら独立、自分たちの家を建てる)。
生まれた子供は共同施設に預け、一緒に暮らすことはない。(家を持てない若い男性が集まって共同で暮らす寮施設の存在が推察されるが、まだそれを証明できる発掘証拠はない。)
4近親婚はタブーではなかった。弥生人は土地に縛られるため、移動が困難であるとともに農作業の労働力確保が優先されていたと推測される。ただし土器の分布から、近親婚を避け、友好的な村に「嫁入り」が行われていた可能性も指摘されている。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10176697465
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html#c16
17. 中川隆[-10757] koaQ7Jey 2018年4月20日 18:18:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11569]
縄文人に学ぶ (新潮新書) 上田 篤
https://www.amazon.co.jp/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%8A%E7%94%B0-%E7%AF%A4/dp/4106105241
縄文人は母系集団で妻問い婚であった 〜縄文人に学ぶ 上田篤著
実現論「採取時代の婚姻様式」
>採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した。・・・・
その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
の記述があります。
「縄文人に学ぶ 上田篤著」には、同類闘争圧力が高まった後、婚姻様式「交叉総偶婚」の変形型「妻問い婚」を縄文人は行っていたのではないかとの試論です。
縄文時代は、他集団との緊張緩和としての「妻問い婚」によって物資(加工されたヒスイ等)や情報が流通し、竪穴住居に始まり石器や土器などを含む多くの生活物資、土偶や石棒の呪物など驚くほど似かよったものになっていった、と考えたものである。
以降「縄文人に学ぶ 上田篤著」より
__________________________
【縄文人はどんな集落・社会をもったか】
考古学者は一般に、縄文人の居住地を村とみる。血縁社会でなくて、今日の村にも似た地縁社会である、と考えている。
しかしわたしは、それはアメリカ北西海岸のハイダ族やオーストラリアのアボリジニなどのように苛烈な大平原での部族の生き残り策だったろう、山海の幸により超長期の定住を可能にした縄文人にはそんな必要性はなかったのではないか?
とういのも、そういう地縁社会そのものにいろいろ疑問があるからだ。たとえば五、六戸の家からなる「村」があったとしたら、始めのうちの三十年、五十年はともかく、それらが他人同士の家々からなる村だったら、三百年,五百年もたったらどうなるか?当然そこに家どうしの競争・格差・貧富・不和・離散などが起きてとうていいつまでも元の形をとどめることなどできないだろう。
ところが、縄文人の集落は何百年、何千年と続いているものが多く、そこにはあまり変化がない。抗争などの跡もなく、ずっと「平和な村」だったようなのだ。つまり、超長期間つづくがほとんど変化のない集落を「村」と言っていいのか?とういう疑問があらからである。
そこでわたしはアメリカ先住民、いわゆるアメリカインディアンの社会を調べたいとおもい、十九世紀の人類学者ルイス・モーガンの著作を仲間達と翻訳した。
その結果わかったことは、アメリカ東海岸で森林生活をしていたイロクォイ諸部族は文明時代の一歩手前、未開時代の前期の状態にあったが、その居住地はすべてクラン(氏族)という血縁で構成されていた事である。
クランはわかりやすくいうと親族社会で、祖母・母・兄弟姉妹だけでなく、おじ・叔母・大おじ・大おば、いとこ又いとこなどを含む血縁の家だ。しかも百人を超すような大集団である。そこには他の氏族に属する嫁や婿もいたが、彼らには一時的に滞在するよそ者にすぎず「市民権」を持たなかった。そこではなにもかもその家の女達が取り仕切った。本格的な農業はおこなわれなかったが、トウモロコシをはじめとする食糧は潤沢で、縄や土器などの文物の発展も素晴らしかった。そしてそういうクランはイロクォイ族に限らず、その他のインディアン部族にも共通していたという。
といったような事を知ると、わたしは「縄文時代も同様ではなかったか」と思う。おそらく縄文集落もイロクォイ族のような血縁集落だったろう。そうでなかったら、先ほど述べたほどの長期間の持続などとうてい起こりえまい。
じっさい、先に述べた沖縄では十三世紀ごろまで縄文的な生活がつづいたが、集落という地縁社会でなく、たいていはマキョとよばれる親族集団だった。モーガンのいうクランである。
ところでそのイロクォイ族の社会には、実は問題があった。
彼らは自立自営の生活を送っていて不自由する物はあまりなかったが、血縁社会であるために家のなかに若い男女の互いの伴侶がなかったことだ。
そこで男達は、しばしば他の家の女たちのところに求婚に出かけた。中には長期に女性の家に泊まる男もいたが、そこは今述べたようにその家の女性が支配していて男性の関与する余地はほとんどなかった。男は働きが悪いと、子供が何人いようと直ちに追い出された。そして生まれた子供はすべて女の家に帰属した。
縄文の男達も、同様に他の家の女達への妻問い、つまり求婚にでかけたことだろう。そしてそのとき見過ごせぬことがあった。というのは、男達は食糧をはじめ石器や土器さらにヒスイ玉などをお土産として持参したと思われることだ。
ずっと後のこと、雄略天皇というから今から千五百年ほど前のことだが、彼が恋人の所に尋ねていく途中で白い犬を手に入れ、彼女の家へ行ったとき、此れは今日、道で授かった珍しい物で妻問いのお土産である、といってプレゼントをしている。(古事記)そういう風習は縄文の昔からあって、天皇のツマドイにも引き継がれたのだろう。
しかもその縄文人のプレゼントは単なる物ではなく、魂だったと思われる。というのも、今日、日本人の贈答品に多く熨斗(のし)がつけられるからだ。ノシはノシアワビの略だが、アワビは美味である上に栄養があり、加工すると保存も利くから、昔から祭りのとき神さまに供える神饌とされた。そのアワビが縄文土偶にしばしばみられるからである。
土偶というものは魂、すなわちタマを持つものの偶像である。タマとは、さきの沖縄のセジとおなじで超自然力をいう。だからイノシシの土偶はあるあが、シカの土偶はない。縄文人は強いイノシシにはタマがあるが弱いシカにはタマはないと見たのだろう。ところがアワビはしばしば土偶にされた。タマをもつからである。
人類学ではこのタマのことをマナといい、そういう行動様式をマナイズムという。南太平洋のメラネシア人の中に広くみられた生活習慣で、人類学者ロバート・マレットによって文明社会に紹介された。今日。それは「万物に命がある」とするアニミズムより古い人類の宗教観念とされる。
それをわかりやすく言うと「宝石のように自由に受け渡しができる霊力ないし超自然力」である。それを身につけていると物凄いパワーが得られる、とされた。いわば効力のあるお守りと言っていい。そうして縄文時代に「男女の愛の交流」がおこなわれたとき、タマとされるような物資の流通も進み、又情報の交換も行われたことだろう。おかげで辺ぴな所に立地していた家々もみな孤立せず互いに結ばれ、縄文社会なるものが出来上がったとおもられる。
そういう物資や情報が流通した結果、竪穴住居に始まり石器や土器などを含む多くの生活物資、土偶や石棒の呪物など驚くほど似かよったものになっていった、と考えられるのである。
もち社会が発達するにつれて分業や交易もすすんだろうが、それらの背後にこういう男女の愛の交流があっただろうことは十分考慮されていい。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=285545
「日本婚姻史1〜その2:日本人の原型を形作った縄文人を取り巻く環境」
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000749.html
約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。
縄文時代(約16,500年前(紀元前145世紀)から約3,000年前(紀元前10世紀))の日本人も採集部族でその部族は母系性の氏族集団(血縁集団;共通の祖先を持ち何らかの血縁関係のある人々による集団)と考えられます。
一方で縄文時代を現代的な一対婚家族の集団による他縁集団とする方々も居ます。
">「縄文時代の集団規模は、共同性規範が行き渡る範囲で決まる」
http://bbs.jinruisi.net/blog/2006/10/000028.html
に引用された鷲田豊明さん著作の「環境と社会経済システム」第5章 日本社会システムの起源
http://eco.genv.sophia.ac.jp/book/system/sys-5.html#back_13
によれば、
核家族が数単位集まることによって単位集団が形成されていたのである。単位集団という概念には、この核家族まで分解されず、かといって「20〜30人を大きく超える」ような大集団ともならない集団規模が、集団の構成単位として選好されたことを意味している。
(中略)
そして、集団の規模が増大にするにしたがって、全体的な共同性を維持することの困難もまた増大する。そして、原始社会の状況のなかでは、共同性を持続できる規模の上限がちょうど単位集団の規模だったと考えられる。
「縄文時代の集落が小規模のままであり続けたという事実から読み取るべきことは、社会的な格差や個人の権威の突出を拒否し、平等性原理にもとづいた社会関係を維持しようとする確固たる姿勢である。彼らにとっての集落の理想像は、より大きな集落を作ることではなく、少人数でしか維持できない人間関係が維持されることにあったのだろう。」
西田氏は、ある程度高い水準の共同性が集団内の平等性を確保するための必要条件とみている。
これらの説は本当でしょうか?疑わしいのは大きく以下の3点であると思います。
@縄文時代の集団規模が20~30人とする点
A集団内の構成単位が一夫一婦制の核家族であるとする点
B集団規模の抑制が平等性という共同性にあるとする点
●縄文集落の集団規模
これらを検証する為に集団規模について検討します。
社会実情データー図録 人口の超長期推移サイト名
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1150.html
縄文時代・弥生時代の人口数は遺跡数等からの推計によっているが、単純な増加ではなく、早期(8100年前)・前期(5200年前)から中期(4300年前)にかけて急増した後、後期(3300年前)・晩期(2900年前)にかけて急減し、その後、弥生時代(1800年前、西暦200年頃)に入って、再度、急増している。
(中略)
こうした温暖化により東日本を中心に日本の人口は急増したといわれる。
4500年前から気候は再度寒冷化しはじめ、2500年前には現在より1度以上低くなり(ピーク時より3度低くなり)、日本の人口の中心であった東日本は暖温帯落葉樹林が後退し、人口扶養力が衰えた。
この推計の根拠は、文化人類学者 小山修三氏による推計のようです。
こちら日本人の源流を探して
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_12.html
に紹介されています。
遺跡数を集計し1遺跡当り24人として全人口を計算された様ですが、1遺跡(1集落)の人数が多くなれば全人口も多くなります。
縄文遺跡とはどのようなものだったのでしょうか?
Wikioedia縄文時代より引用します。
鹿児島市にある加栗山遺跡(縄文時代早期初頭)では、16棟の竪穴住居跡(略)
加栗山遺跡とほぼ同時期の鹿児島県霧島市にある上野原遺跡では46棟の竪穴住居(略)
東京都府中市武蔵台遺跡では24棟の竪穴住居と多数の土坑が半環状に配置されて検出されている。
同じくWikipedia三内丸山遺跡より引用します。
遺跡は約40ヘクタールの広大な範囲に広がっている。集落は住居・墓・捨て場・住居・大型掘立柱建物・掘立柱建物・貯蔵穴・土坑墓・粘土採掘穴・盛り土・道路などが、計画的に配置されている。
(略)
遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴住居、高床式倉庫の他に、大型竪穴住居が10棟以上、約780軒にもおよぶ住居跡、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。
(略)
最盛期の縄文時代中期後半には500人の居住者がいたのではないかとの発言があったが、異論も出た。
16棟から46棟、三内丸山では780棟の住居跡が発見されています。1棟に一人しか居ないということは考え憎いので20〜30人と言う規模は小さすぎるのでしょう?
更に遺跡数について検討します。
縄文遺跡の立地性向(枝村俊郎・熊谷樹一郎)
http://www.gisa-japan.org/dl/17-1PDF/17-1-63.pdf
によれば、
%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%90%84%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%88%A5%E9%81%BA%E8%B7%A1%E6%95%B0.JPG
縄文中期に全国で507の遺跡が有ります。一つの遺跡(集落)の人数を24人とすると僅か12,168人にしかなりませんので、先の人口推計とは異なります。
更に面的分布も図示されていますが、20平方km(東京都港区とほぼ同じ大きさ)の範囲で3〜13個しか無い地域も有れば229個以上ある地域も有り、地方によるばらつきはかなり大きいものとなっています。
%E7%B8%84%E6%96%87%E9%81%BA%E8%B7%A1%E5%88%86%E5%B8%83%E3%80%80%E9%9D%A2%E7%9A%84%E8%A1%A8%E7%8F%BE.JPG
このような密度の違いにより、集落ごとの人数もかなりばらつきが生じる=20〜30人という想定はかなり荒っぽいのではないかと思われます。
加えて先の核家族的見方の中に、20〜30人という規模は平等性という共同性の維持のため、と言う主張も有りましたが、何故平等性=共同性となるのでしょうか?外圧が緩んだとは言え、集団である以上成員には能力や経験などによるヒエラルキーが存在すると考える方が自然です。全くの平等など現代人の架空の観念でしかないと思います。
結局は核家族的な見方によって全ての推論に狂いが生じるのだと思います。核家族とは一対の男女が結婚、出産を行い子育ても行うもので全く集団的では有りませんし、事実として現代社会にしか存在しない婚姻様式です。
敢えて一対婚を選択する理由は、縄文時代には全く無かったというしか有りません。
●縄文集落は血縁集団による集落
当時の集落はどの様な人々によって構成されていたでしょうか?
密度の低い集落では、族外婚はほぼ不可能で殆ど全員が族内婚=血縁集団となります。密度が高い地域でも近隣集団との交叉総遇婚で、やはり結果として氏族血縁が殆どではなかろうかと思います。
集団内に構成員に他縁のものが混入するのは、異民族が流入する弥生時代以降ではないかと思います。
更には、こうした縄文時代の婚姻は、様式といえるほど制度的、儀礼的的なものはなく生殖のみの全員婚であったのでは無いでしょうか?それは、婚姻を制度化する必然性が薄い※婚姻の制度化は、異民族が流入し婚姻関係を結ぶことで異部族集団と連合する、或いは部族の長の系統を重んじる、などによって必要となってくるように思います。
●まとめ
縄文時代とは、これまでの過酷な自然外圧に対して、気候が温暖化し比較的採集による生存が容易になった時期で、かつ異民族の侵入が無く同類闘争も余り無かった時代と考えられます。そうすると上位集中婚が崩れた族内婚か、周辺集落との交叉総遇婚であったと言えるでしょう。結果として集団内はほぼ血縁の氏族集団となっていた、と考えられます。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2013/12/001181.html
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html#c17
8. 中川隆[-10762] koaQ7Jey 2018年4月20日 19:01:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11575]
「糖質制限」で末期がん患者の8割が改善 衝撃の研究結果
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161122-00000020-pseven-life
週刊ポスト2016年12月2日号
「三大治療」と呼ばれる手術、抗がん剤、放射線によるがん治療は日進月歩だが、「末期がん患者の8割が改善された」という衝撃の研究結果が発表された別の治療法がある。意外なことにそれは、最新技術とは一切無縁の食事療法だった。
主食のご飯やパン、麺など炭水化物に多く含まれる糖質の摂取量を減らす食事法「糖質制限」は、糖尿病患者などに効果があることで知られるが、がん患者への効果を示すエビデンスはこれまで存在しなかった。
そんな中、糖質の摂取量をゼロに近づける“究極の糖質制限”になると、がん治療にも効果が見られたという臨床研究データが発表された。大腸がんや乳がんなどステージIVの末期がん患者を対象に、世界初の臨床研究を行なったのは多摩南部地域病院外科医の古川健司氏(医学博士)である。古川氏が語る。
「がん細胞は炭水化物から合成されるブドウ糖を栄養源としています。しかも正常細胞の3〜8倍のブドウ糖が必要。ならば、それを断つことでがんの進行を抑制できないかと考え、2015年1月に研究を開始しました。
19人の末期がん患者に抗がん剤などの既存の治療と、糖質制限による食事療法を3か月続けたところ、予想以上の効果が出た。がんの症状が消失した完全寛解が5人、がんが30%以上消失した部分奏効が2人、進行を制御した例が8人、一方で病状が悪化した例は3人という結果でした。完全寛解率28%、部分奏効や進行制御も含めた病勢コントロール率(治療効果のあった患者割合)は実に83%に達しました」
患者の大半は三大治療では治る見込みが薄かった末期患者であることを考えると、驚異的な数字といっていいだろう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/731.html#c8
44. 中川隆[-10761] koaQ7Jey 2018年4月20日 19:02:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11575]
「糖質制限」で末期がん患者の8割が改善 衝撃の研究結果
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161122-00000020-pseven-life
週刊ポスト2016年12月2日号
「三大治療」と呼ばれる手術、抗がん剤、放射線によるがん治療は日進月歩だが、「末期がん患者の8割が改善された」という衝撃の研究結果が発表された別の治療法がある。意外なことにそれは、最新技術とは一切無縁の食事療法だった。
主食のご飯やパン、麺など炭水化物に多く含まれる糖質の摂取量を減らす食事法「糖質制限」は、糖尿病患者などに効果があることで知られるが、がん患者への効果を示すエビデンスはこれまで存在しなかった。
そんな中、糖質の摂取量をゼロに近づける“究極の糖質制限”になると、がん治療にも効果が見られたという臨床研究データが発表された。大腸がんや乳がんなどステージIVの末期がん患者を対象に、世界初の臨床研究を行なったのは多摩南部地域病院外科医の古川健司氏(医学博士)である。古川氏が語る。
「がん細胞は炭水化物から合成されるブドウ糖を栄養源としています。しかも正常細胞の3〜8倍のブドウ糖が必要。ならば、それを断つことでがんの進行を抑制できないかと考え、2015年1月に研究を開始しました。
19人の末期がん患者に抗がん剤などの既存の治療と、糖質制限による食事療法を3か月続けたところ、予想以上の効果が出た。がんの症状が消失した完全寛解が5人、がんが30%以上消失した部分奏効が2人、進行を制御した例が8人、一方で病状が悪化した例は3人という結果でした。完全寛解率28%、部分奏効や進行制御も含めた病勢コントロール率(治療効果のあった患者割合)は実に83%に達しました」
患者の大半は三大治療では治る見込みが薄かった末期患者であることを考えると、驚異的な数字といっていいだろう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/585.html#c44
4. 中川隆[-10760] koaQ7Jey 2018年4月20日 19:09:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11575]
B&W Signature 800 \3,600,000(2台1組、2001年11月発売)
B&W創立35周年記念モデルとして開発されたNautilus800のスペシャルバージョンであるフロア型スピーカーシステム。
定格
方式 3ウェイ・4スピーカー・バスレフ方式・フロア型
ユニット
低域用:25cmコーン型×2
中域用:16cmコーン型
高域用:2.5cmドーム型
出力音圧レベル 91dB/2.83V/m
公称インピーダンス 8Ω(最低3.0Ω)
クロスオーバー周波数 350Hz、4kHz
推奨パワーアンプ出力 50W〜1,000W
外形寸法 幅450×高さ1,197×奥行645mm
重量 125kg
http://audio-heritage.jp/BandW/speaker/signature800.html
49.オーディオ/音楽・ネタ / 蔵 2011/10/25(Tue) 09:05
しかし昔のアルテックやJBL、エレボイの技術力は高かったですよね。
局長曰く
「JBLとアルテックはWEの直系、子どもだから」
だそうです。それに比べると ウィルソンやB&W、アヴァロンなどはゴミに等しいとも言われましたが、同感ですね。
と、嘗て一時期JBLを離れ、B&Wの800シグネイチュアーに走った私は語ります。いえ、それを使ったが為、逆にJBLやアルテックの素晴らしさを再認識した次第です。
1: テツオ 2011/10/25(Tue) 09:16
>蔵さん
ダメですよ、800シグネイチュアーに走っては。(笑)
きんどーさんが
「アンプ依存症のスピーカーなんて欠陥商品だ」
と明言しましたが、その通りだと思います。
http://ppp.atbbs.jp/jbl4344jp1623/mode/all/49/0
6: 蔵 2011/11/15(Tue) 08:45
友人宅へ。何でも94年に690万円で発売されていたクレルのKASを導入した為です。その友人は私が譲ったB&W800シグネイチュアーを使っていますが、そのKASで真価を発揮。
しかしA級動作、8Ωで350Wのモンスター・アンプでやっと真価を発揮するスピーカーって何か解せません。
7: テツオ 2011/11/15(Tue) 09:23
B&Wの800シグネイチュアーですか。
記憶違いでなければ、ノーチラス801が出た頃、アビーロード・スタジオでノーチラス801を鳴らすアンプとして、クラッセのオミクロンが大量にあったのを覚えています。
ああいう超弩級のアンプでしか鳴らないものなのか、とびっくりしたものです。
こういうスピーカーは果たして本当に正しいスピーカーなのか疑問ですね。ウィルソンもですが。
http://ppp.atbbs.jp/jbl4344jp1623/page/35
54.音楽&オーディオ・ネタ / きんどーちゃん 2011/11/15(Tue) 21:33
>蔵さん
蔵さんはいつも800シグネイチュアーの話になると話題を変えようとしますよね(笑)。
何かトラウマでも?
蔵さんは800にパスのX600やクラッセのオミクロンMKUを使用なさったそうですが、それでもご不満だったようですね。
クレルのKASで鳴ったのですか。これは、そういうスピーカーは欠陥商品としか言いようがないですね。
2: 蔵 2011/11/16(Wed) 09:18
いえ、何と言ったら良いのか。やはりトラウマでしょうか。
800シグネイチュアー。(苦笑)
800シグネイチュアーを鳴らしきる為に、クラッセのオミクロンMK2まで導入しました。
それでなる鳴るようになったのですが、クラッセ、私の嫌いな音でした。(笑)
それで完全に鳴らなくともいいや、と思いレビンソンの336Lに換え、数年後、こちらに来た次第です。
それまではアルテックの自作スピーカー、JBLの4435のマルチと来て、何故、B&Wに走ったのか、自分でもよく解りません。
多分、新鮮な音に聞こえたんでしょうね。
でも紆余曲折を経て、今のJBLとオートグラフに出会え、嬉しく思っています。
3: マロン 2011/11/17(Thu) 07:57
>蔵さん
クラッセのオミクロンMK2って、評論家の三浦某が使っていた重量100キロ以上のアンプですよね。
すごいですね。
5: 蔵 2011/11/18(Fri) 09:42
>マロンさん
そうです。ただ三浦某氏がウィルソンを鳴らしていたのはMK2化される前のモデルですが。
800シグネイチュアーか・・・・・。私のオーディオ・ライフにおける最大の汚点だな。
http://ppp.atbbs.jp/jbl4344jp1623/page/30
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c4
5. 中川隆[-10759] koaQ7Jey 2018年4月20日 19:22:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11575]
音はスピーカーで決まる?
オーディオにも基本があります。これは外してはならないもの、知っていなくてはならない事柄と言えます。
その最たるものがスピーカーを替えた場合とアンプを替えた場合の音の変化の違いです。
皆さんは音を良くしようと思ったら先ず、スピーカーに一番お金をかけませんか?
アンプによる音の違いはスピーカーを替えた場合に比べると音の変化は小さいと思っていませんか?
昔は雑誌を読むとよく、こんな記事を目にしました。
「音の半分以上はスピーカーで決まる、アンプは全体の15%〜20%でカートリッジが10%ぐらいスピーカーケーブルやピンコードなどが10%ぐらいになる。」
変化の比率はその文章を書いた人によって異なってはいましたが、おおむねこんな比率が多かったでしょうか。その当時、私はこんな記事を読むたびに違和感を感じて、イライラしたのを憶えています。
あのオーディオ産業が華やかだった頃、私は音楽中毒で、一日に3時間以上音楽を聴かないと夜眠れませんでした。私のアパートの6畳間にはフロアー型のスピーカーが3組、ブックシェルフスピーカーが2組置かれていました。本当に狂っていましたね。
毎日スピーカーを切り替えて、アンプのパーツを交換して良い音を捜し求めていた私は、スピーカーを替えた場合とアンプを替えた場合とで、音の変化の質が違うことに気がつきました。そうですね、トータルすれば、10種類ぐらいスピーカーをとっかえひっかえして音楽を聴いてみても、演奏の上手い下手はほとんど変化しませんでした。けれども良いアンプにすると演奏の上手い下手がわかるようになってくるのです。音の変化はスピーカーを替えた時の変化より、はるかに小さくても同じ演奏とは思えないほど、演奏の質が変わって聴こえるのです。
そこでその道の大先輩であるUさんにこの質の違いのことをお聞きしたら、こう説明してくれたのです。そうですね、喩えて言えば、
スピーカーは人間で言えば主に、外観です、太っているとかやせているとか、美しいとか醜いとかです。
アンプは主に、人間の内省面で性格を表わすと考えて良いんじゃないでしょうか。
この説明が簡潔明瞭だったので、それ以来私も同じ説明を使わせてもらっていますが、さらに説明を付け加えたいと思います。
音は、大雑把に言うと振動系等メカニカルな物による音の変化と電気系による音の変化に分けられ、この二つの音質変化は質が異なっているということです。
スピーカーを人、理想の女性なり男性なりに喩えるとします。
その理想の人に表情の変化を与えるのがアンプになります。
良くないアンプは表情の変化に乏しいのです。何時も同じ表情をした人はどんなに美男美女でもすぐに飽きてしまいます。音の変化の質が違うと言うことは、比率で表現できることではないということです。音が良いとされるスピーカーを持っていても、スピーカーと同じ概念で設計されたアンプでは、外観のバランスや美醜にとらわれていて肝心の表情の変化を引き出すことに注意を払っていないので、綺麗な音はするがすぐに飽きてしまいます。見方を変えるとスピーカーの設計でも同じことが言えます。表情の変化により敏感なスピーカーという概念がないと綺麗な音はしても、鈍いだけのスピーカーが出来上がってしまいます。
私は20年間メーカーの設計者としてアンプの設計をしてきましたが、私が知る限りにおいてこの概念をはっきり認識してアンプやスピーカーの設計をしている人はごく少数です。帯域が広く、音色も美しく、かつ定位や音場の再生に優れている、でも能率が低く生命感や表情の変化に乏しいスピーカーばかり流行しているのは寂しいことです。
私は能率の低いこのようなスピーカーの良さも否定はしませんが、本当に表情の豊かさを表現できるスピーカーが追いやられて誰にも知られることなく消えていくのが残念でなりません。能率の低いスピーカーではアコースティックな楽器の豊かな表情は引き出せないことが多いのです。オーディオが好きな方は、この基本的な音の変化の違いを忘れないようにして下さい。さもないと、あなたの考えている方向とは違った方向に進んでしまうのではないでしょうか。
私のオーディオ仲間で小さなオーディオ店を経営している人なんですが、"100dB以上の能率がないとスピーカーとは認めない"とかなり過激なことを言っている人がいます。面白いのは、そのお店に通うようになると、あらゆる高級機器を使ってきた人達が、今まで持っていたオーディオ機器を手放してしまうことが多いんですね。シンプルなフルレンジスピーカーを管球アンプで鳴らすようになり、音はこれで十分と言うようになってきます。つまり、音の変化ではなく、音楽の表情の豊かさを引き出す組み合わせが、自然と判ってくるんだと思います。
この認識の有無がオーディオ機器の評価が分かれる原因に深くかかわっている事実を、一例として挙げたいと思います。それは瞬間切り替えによる比較試聴のことです。アンプの比較試聴する場合、瞬間切り替えでないと音が比較できないと主張する人がいます。また、じっくりそれぞれのアンプで音楽を聴いてからでないと評価できないと言う人がいます。当然の事ですが、瞬間切り替えによる比較は音のバランスとか音色の違いとかを聞き分けるのに有効ですが、音の表情が微妙に変化していくのは分かりにくいのです。この瞬間切り替えによる比較試聴の手法は日本の技術系のオーディオ雑誌やドイツのオーディオ雑誌でも標準の試聴方法でした。スピーカーを替えた場合とアンプを替えた場合とで、音の変化の質が違うことに気がついていない人達がいかに多いかということです。そう言えば、"安物のアンプを売りたい場合、瞬間切り替えによる比較だと大半の人はアンプの音の違いが判らない。だから安物のアンプを数多く売りたい場合は、瞬間切り替えで高級品と比較するとよく売れますよ。”と言っていた販売店の人がいました。アンプの良し悪しはじっくり音楽を聴かないと本質的なものは判断できないのです。
http://www.ne.jp/asahi/solanon/non/audio/audio2.html
振動系は軽く帯域を欲張っていないスピーカーが良い
部屋の大きさやスピーカーの能率によって必要なアンプの出力が違ってくることは当然です(スピーカーの能率が10dB/m違えば、同じ音量を得るのにアンプの出力は10倍違う)
昔のスピーカーは、振動系が軽く、低音を出すためには大きなエンクロジャーに入れないといけないようなものが多かったのですが、同じ口径のユニットであっても、今日のユニットは振動系を重くしてボイスコイルのインピーダンスを下げること、ストロークを大きく取ることで、小容積のエンクロジャーでも、ある程度しっかりした低音が出てくるような設計が多くなっています。
その結果、アンプの駆動力に寄りかかるようなスピーカーが多くなりました。まず、能率が低いこと、インピーダンスが低いこと、ネットワークが複雑化しその結果、周波数−インピーダンス曲線のうねりの大きいものが増えて、ダンピング・ファクタが大きくても10程度で出力が10W程度の管球シングルアンプでは充分にドライブしきれず、スカスカの音でしか鳴ってくれないものがあり、大出力で低インピーダンス負荷に強く、ダンピングファクタも大きなソリッドステートアンプの方が鳴りっぷりが良いスピーカーが多くなっています。
アルテック604−8Gのような古いユニットでは、低音を充分伸ばすためにはバスレフでもかなり大きな箱が必要で、38cm口径のユニットが入るエンクロジャーも必然的に大型となります。
自作620Aもどきに入ったアルテック604−8Gウーレイ仕様
ミスマッチの状態では、良い音は得られない
管球アンプが好きでいろいろおやりになっているのに、使っているスピーカーが管球アンプに不向きな機種だったら、それこそ泥沼です。でも、そういう人をみかけます。アンプとスピーカーのマッチングは重要です。アルテック/ウーレイ604−8Gの入った620Aもどきのスピーカーは、わずか2W程度の出力しかない6EM7ロフティン・ホワイトアンプでも充分な音量が得られ、もっとグレードの高いアンプと聴き比べさえしなければ、結構満足のいく音で鳴ります。
しかし、この6EM7ロフティン・ホワイトアンプは、能率が90dB/mもないソナス・ファベール コンチェルティーノを充分に鳴らすことはできません。ソナス・ファベール コンチェルティーノは、もっとドライヴ能力があって出力の大きなアンプが欲しいです。
10W弱の出力の自作300Bシングルで何とか鳴る感じで、30W程度の出力がある三栄無線845シングルや自作F2a11プッシュプルだとそのウーハーが一回り口径が大きくなったような低音が出て、かなり鳴りっぷりが良くなります。
逆に、アルテック/ウーレイ604−8Gの入った620Aもどきのスピーカーは能率が高いので、出力が小さくてもS/Nが良く高品位な音のするアンプのほうがマッチングが良く、残留雑音が2mV程度ある三栄無線845シングルでは、深夜に至近距離で聴くのにはハムが気になって音楽を楽しめません。
アルテック/ウーレイ604−8Gの入った620Aもどきでは、至近距離で使う場合にはアンプの残留雑音の許容は0.7mVぐらいまででしょう。
http://www.geocities.jp/asd2251sxl2001sax2251/speakerfortubeamp.htm
スピーカーの能率
■能率の低いスピーカーは鈍感でボロいものしかありませんから、騙されてはなりません。
■80dB台の低能率の「ボロい」スピーカーなどに数十万円も支払っていてはなりません!
■高能率スピーカーはレンジが狭いなどというデタラメがあちこちに書き込まれています(要注意!)。
■スピーカーの能率(最重要・基本中の基本)
スピーカーの能率は、オーディオの最も重要な基本事項であって、まず最初に知るべきことです。スピーカーには、「能率」という表示がされています。それは、「dB」という単位で表示されています。
ごく普通の能率のスピーカーは、その能率は、90dBくらいでしょう。ヤマハのNS1000MやNS10Mあたりのスピーカーで、能率90dBです。
年齢50代以上の経験豊かなマニアのかたの大半は、スピーカーの能率につきましては、知っておられます。30代以下のかたのほどんどは、その逆で、何も知らないことが大半であることが分かりました。ごく初歩の基本すら知らないということは、非常に危険です。
■スピーカーの能率の計算方法(最重要)
能率が3dB違いますと、音量が、2倍違います。87dBの能率のスピーカーは、能率90dBの、NS1000Mに比べて、同じワット数を入れても半分の音量しか出ません。逆に、能率93dBのスピーカーは、同じワット数を入れても、能率90dBのYAMAHA NS1000Mあたりのスピーカーの、2倍の音量が出ます。
さて、ここから先が重要です。能率が6dB違っていますと、2×2=4倍違います。9dB違いますと、2×2×2=8倍の音量の差になります。
アルテック(Altec)A7、A5というような往年のプロ用スピーカーを例にします。世界中のコンサートホール、映画館用のスピーカーで、今も、あちこちのホールで使われているものです。アルテックA7、A5の能率は、105dBにも及びます。90dBと比較すると、15dBも違いますから、3dBが5回分です。能率90dBのスピーカーとの音量差は、32倍です。能率の計算は、2×2×2×2×2です。
32倍も音量が違うということは、能率90dBのスピーカー、YAMAHA NS1000Mで、100Wのアンプを使わなければ鳴らせなかった場所でも、能率105dBのスピーカーさえあれば、たったの3W程度で、同じ音量で鳴るということを意味します。
スピーカーの品質、能率は、時代とともに、どんどん落ちているかのようです。ひどいスピーカーですと、能率がたったの84dBしかない小さなスピーカーが、50万円や100万円近い値段であったりします。その84dBという能率と、105dBという能率で、再計算してみます。
2×2×2×2×2×2×2=128倍の音量差です。
能率84dBのスピーカーで普通に聞くのに、50Wのアンプが必要だとします。能率105dBのアルテック A7、A5というようなスピーカーには、たったの、0.4Wのアンプがあれば十分です。1Wもいらないです。
さて、この話には先があって、さらに面白くなります。1930年代頃のWE(ウェスタンエレクトリック)の38センチや46センチ口径などのフィールドスピーカーというような類のスピーカーの能率は、実に、115dBもあります。こればかりは、あまり知られていません。
115dBー84dB=31dBの能率差です。
2を10回かけた数字より上ですから、1024倍よりも上で、1200倍くらいでしょうか。仮に、3万ワット×2のステレオアンプがなければ、84dBのスピーカーでは、武道館でのコンサートは出来なかったとします。しかし、能率115dBのフィールドスピーカーを持ってくれば、たったの25W×2のステレオアンプで、つまり、クラウンD45で、武道館ですら鳴らせるということを意味しています。コンサートホールだから大きなアンプが必要なわけではなく、スピーカー次第、全くもって、スピーカーの能率次第です。
数字が大きすぎて分かりにくいかもしれません。能率84dBのスピーカーに100Wのアンプをあてがうとします。115dBのフィールドスピーカーに、0.083Wのアンプをあてがうのと、全く同じ音量です。0.1Wもいらないことになります。
このことを知っているか知らないかによって、アンプの選択は、根底から変わってしまうと思います。スピーカー次第で音量が簡単に100倍以上、場合によっては、1000倍以上も違ってしまうのですから、50Wのアンプか100Wのアンプかなどという選択など、まったく無意味であることは、誰にでも分かることです。
また、能率90dBのスピーカー、ヤマハのNS1000Mなどで10Wもあれば十分過ぎるほど十分な爆音が出ます。したがって家庭での使用に300Wや500Wなどのアンプなどは、全く不要であり、音も悪いので、使う意味があるとは思えません。
ただし、能率115dBというような、WE(ウェスタンエレクトリック)のフィールドスピーカーの本物は、あまりにも高性能過ぎて、非常に危険なものであるうえ、非常に高額です(誰が本物のF1マシンを運転できましょうか?)。絶対に近づかないでください。あまりにも鋭く敏感であるゆえ、セッティングできるはずがありません。この種のものを使い切るには、クラウンD45など、プロ用の中でも、小型の、超高性能アンプが、まず第一に必要ですが、それだけでうまくいくとは思えません。近づかないほうが無難です。
オーディオやスタジオモニターには、100dBくらいの超高性能ではあるが、危険というほどでもないという程度のスピーカー、100dBというのは、そのギリギリのラインですが、そのあたりこそが理想的でしょう。
ボロくて高額というようでは、お話にならないのです!!
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これより先は、「お客様の声」とします。
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Aさんのコメント: WE社の本当の技術力!
Subject: WE社の技術力
貴社のサイト上にて度々紹介されている「ウエスタン・エレクトリック」という会社がいかなるものか、非常に興味が出て来た為に調べてみましたら○○○○○○○で以下の様な記述を発見致しました。
「1929年ごろ、ウェスタン・エレクトリックは映画館の音響システムの製造も行っていた。ウェスタン・エレクトリックの Universal Base は、サイレントの映写機しかない映画館でトーキーを上映できるようにするシステムであった。また、映画館用広音域ホーン・スピーカーも設計している。これは効率が高く、3ワットのアンプで映画館全体に音を響かせることができた。当時、高出力のオーディオ用真空管はほとんどなかったため、この開発は重要だった。」
・・・ハッとしました。
「3ワットのアンプで、映画館全体に音を響かせることができた」
ウエスタン・エレクトリック社のスピーカーの能率がいかに高かったものか、心底思い知らされました。また、それと共にプロケーブル様がおっしゃる「スピーカーの能率の重要性」が「基本中の基本」であるかも再認識致しました。「まったくもってスピーカーの能率次第」・・・まさにおっしゃる通りです。
現状のオーディオメーカー各社のホームページにてどのスピーカーを調べても、せいぜい高くて能率は90dB程度にとどまっています。
それに対し、貴社のサイト上で見かける記述では「ウエスタン・エレクトリックのスピーカー能率は115dB」(アルテック?間違いでしたらすいません)音量差は500倍以上です。
アンプの増幅デバイスが真空管からトランジスタへと変わり出力ワット数が飛躍的に高まりました。本来それはそれとしてスピーカーの能率は下げるべきでは無かった所を、アンプの高出力化=アンプの高性能化という「勘違い」もしくは「メーカーにとっての、都合の良い解釈」により、コストダウンの為スピーカーの能率は下げられてしまったとしか考えられません。
結果、高額なだけの「ボロいゴミスピーカー」ばかりが溢れかえってしまっているのが現代なのでしょうね。
「デジタルは音質劣化が無い」という文句と同等に、「アンプは出力が高ければ高いほど性能が良い」という様な文句もオーディオメーカー内では「邪教の念仏」としてはびこってしまっているのではないかと推測している次第です。
「アンプのワット数の違い=使用用途の違い」であり、アンプのクオリティの差では無いという事をメーカー各社は再認識すべきではないかと考えます。
耳に届く音量は能率の高い低い関係無く同じにする事は出来るかと思いますが、その出音の「内容」はやはり能率が高い方が有利なのでしょうね。
プロケーブル注:)素晴らしいコメントをいただきました。まさにこの通りです。
90dBと115dB、この数字はおそらく300倍くらいと思います。
80と115ですと、もうとんでもない事になって、3000倍!くらいの違いになります。
1Wのアンプと3000Wのアンプで同じ音量??
誰だって、「ふざけるな!!」とまで言いたくなるような、そこまでの事でしょう。
しかし同時に他のページでも書かせていただいている通り、能率の高過ぎるスピーカーは扱うのが非常に危険でデリケートです。そこまで高くては普通は扱えませんので、多くとも100dB前後を限度にしたほうが安全と感じています。アルテックともなると100を完全に越えますので、すでに完全なる危険領域です。
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Aさん再登場!:
Subject: サイト掲載御礼
我々の世代は、自分で金銭を稼いで自分でオーディオ機材を買える様になった頃、アンプの増幅デバイスは既にトランジスタ全盛。アンプの高出力化をいい事に民生オーディオメーカーがスピーカーの性能を既に下げてしまった時代です。
私個人の見解としては真空管はごく一部のもの好き(失敬)な人向けの物くらいの認識でした。
またアンプの出力は2ケタワットで当たり前、スピーカーの性能は再生可能な周波数範囲で決まる、という価値基準でした。それらを高らかに謳っているオーディオメーカーのカタログしか見た事なければ、誰もが間違いなく同じ様な認識となって しまう事は無理の無い事かと。これがまさしく、知識のない消費者へのメーカーによる「洗脳」ですね。
プロケーブル様が推奨される「SR用スピーカー」ですが、以前お伝えした様に私は かつてバンド活動を盛んに行っておりまして、ライブハウスなんかではその類のスピーカーを良く目にしており、また、その出音も知っていたつもりでした。
「音楽を流していない時は常に「サー」という音がする、ノイズの多いスピーカー」
と捉えていました。 今にして思えば、スピーカーの個体差もあったかも知れませんが、この様なノイズは
「感度が高い故に、わずかな電気信号のノイズまでも耳に届くレベルにまで拡大していた」
という事なのでしょうね。もちろん、その他の機材のアナログケーブル・電源ケーブルから伝わってくるノイズなど複合的要因の結果が「サー」音の原因と思われますが。
だからこそ、オーディオにはまずもって「電源」「電源ケーブル」が大事という事であると今では認識しております。電源類の重要性は「電気信号を忠実に再生する、性能の高いスピーカー(言わば、スピーカーとしての本来あるべき役割を果たせるスピーカー)」・・・高額なだけのオモチャではない「真のスピーカー」に対してこそ、 活きてくる事でありましょう。
能率の低いスピーカーでは「わずかな」電気信号のノイズを感知する事自体が夢の また夢で至難の業=音声信号に対しても鈍感、なのですね。
プロケーブル注:)ミキサーの使い方を一つ間違えると、コンサートホールやライブハウスなど大音量で鳴らす場所では、このかたの言われるような「サーッ」というノイズが入ります。結局、SN比が悪い場合です。このかたの言われている要因もあるでしょうが、まずは、SN比です。
これはミキサーの0dB管理を徹底して行う事により、かなり静かになります。
が、家庭ではそこまで大音量にしませんので、SN比が悪くとも気付かないケースが多いのです。で、最良の音になっていないケースが発生します。ミキサーを購入されたかたは、まずは説明書を読まれて、0dB管理、つまりミキサーに付いているメーターの使い方をしっかり覚えられてください。
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プロの中のプロのレコーディングエンジニアが低能率スピーカーを斬る!
これは鬼門コーナー61番、マイクの使い方の最終回答(検証中に)登場してこられた熟練のレコーディングエンジニア、関井さんというかたから低能率スピーカーをモニターに使った際の現象などの実例を報告いただいたものです。
プロケーブル様
○○○のスピーカーはモニターには不適切です。
音の輪郭は出ていますが音楽の表現が薄い状態です。
理由は簡単で能率が88dbのスピーカーでは音楽の微妙なニュアンスは表現出来ておりません。
その具体的な例を書きます。
高能率のスピーカーでは例えばリバーブの消えて行く様子が最後まで聞き取れますが、低能率のSPではあるレベルまで小さく成るとストンと消えてしまいます。
そうとう大きな音で再生しなければ繊細で微妙な弱音まで聴こえず、大きな音は部屋の影響も大きく、多くのその他の問題が生じます。
○○○の持ち主は皆さん大きな音で聴いています。
決して悪い物ではありませんが、値段を考えると、全面的に無条件に相談を受けた場合に推薦するとは限りません
個人的な意見としては私はモニターとして使用しません
ただニアフィールドモニターはあまり能率にこだわる必要はありません、距離が近いので解像力が高ければ能率が低くても上記の問題は生じません。
今回、貴殿に送ったCD「b-flat」高能率のSPと低能率のSPでは聴こえ方が全く違います。ぜひ同じ音量で聞き比べして下さい。
Moon Cold Studio 関井久夫
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Bさんのコメント: 能率88dBのスピーかーでは、本当にダメだった!
メールのタイトル:「能率の違い」これほどとは…。
実は、小型スピーカーを「○○○○sch ○○-51?」に買い替えまして能率の違いに驚いているところです。
今までは88dbでしたが、今度は92db。
その差は4db。
音量の差もさることながら音の濃さが全然違う。
88dbでは「リバーブが消える。」と書いてあった記憶がありましたが、まさにそうですね。
ネットで見た「スピーかーの能率の差」という事で面白かったのが、低能率のスピーカーでは「さっきの音は無かった事にしておこう。」とありました。
つまり、その情報に音として反応出来ない。
低能率スピーカーはまさに鬼門ですね。
聞き比べると、全く面白くない。全然音楽じゃないです。ゴミというのがよくわかります。
スピーカーの能率が90dbを超えないとアンプの性能の比較は出来ないんじゃないでしょうか?
88dbという低い能率のスピーカーですと音が薄くて判別が難しい。92dbあると細かい音がよく出ます。
非常にリアルで、分解能力にアンプの限界すら感じます。
個人的には「○○○○sch ○○-51?」は良いスピーカーのように思えます。
と言うのも、慣らし(エージング)が2.3時間も鳴らせば十分だからです。とにかくウーファーが軽い。
とにかく、出てくる音が段違いで楽しいです。
これは非常に貴重な体験でした。
○○ ○○
プロケーブル注:)当店もスピーカーの性能差を分ける基準は、90dB以上か、未満か、というところで、ラインを引いています。そのあたりが、高性能とゴミとを分ける基準でしょう。
ただ、小型スピーかーのところで、当店が記述している通り、音楽というのは、ラジカセ的、AMラジオ的に楽しむということが、本当に貴重な体験として、貴重な趣味として、あるのです。むしろそのほうが良かったりもするくらいですので、分かっていたうえで、88dBのスピーかーを使われるには、それでいいでしょう。
http://www.procable.jp/setting/03.html
エジソンが出た直後から米国には、「WE」(ウェスタン・エレクトリック)という会社が登場しています。途中で社名をルーセント・テクノロジーに変えており、米国では、一種の謎めいた、帝国的な存在になってしまいましたが、今もそれは伝説的に、「WE」(ウェスタン・エレクトリック)と呼ばれています。
50年も60年も前の「WE」(ウェスタン・エレクトリック)の真空管アンプは、とてもタフで、今も映画館などで現役で使用されており、それが放出されると、200万円だの、状態の良いものですと、それ以上の値段で取引されている代物です。勿論、音が素晴らしく良いから、その値段が付くものですが、60年前の骨董品のようなプロ用アンプに、民生用のどれを持って来ても、到底かなわないという事実が、面白いと思います。それは、スピーカーケーブル一つとっても、全く同じ現象が起きています。
http://www.procable.jp/products/replica_we18.html
■WE(ウェスタンエレクトリック)の、最高峰の真空管アンプにつきまして
60年から70年前の、WEの真空管アンプが、今でも、どのような民生用アンプをも越えていることは事実です。なぜそうなのかは、それが往年のプロ用のアンプだったからに他なりませんが、その後トランジスタアンプが出現し、最初にそれを使ったプロのかたがたは、トランジスタのものは使えないと、結論づけてしまいました。
「WE」(ウェスタン・エレクトリック)の音とはなんぞや、ということについては、実態が良く分からないかたもおられると思います。
それは、ハイエンドオーディオの世界とは全く別の次元の世界であり、レースで言えば、F1級の世界であり、そこにおられるかたがたは、まさしく「僧侶の修行」というような様子を呈しておられるかたがたが多いと、証言させていただきます。それは悟りにも近い世界であるがゆえ、我々凡人では、まかり間違うと、人格さえ崩壊しかねない世界ですので、その種の次元のかたにしか存在できない世界であると言えます。したがって、おおざっぱではありますが、どなたにでも、こう言えます。
「WEの世界には近づかないほうがいいです。」。
それは刀で言えば、戦国時代の妖刀さながらの危険なものです。「妖刀」は、使い手次第では、己自身を斬ってしまいます。
「フィールドスピーカー」というWEの1930年頃のスピーカーは骨董品どころか、現代のスピーカーなど、おもちゃ同然で全く問題にもならないほどの、F1級のものです。スピーカーだけは、昔のもののほうが圧倒して優れていて、能力が、「月とすっぽん」というほどに、高いのです。このことは、どなたも知っておかれたほうがいい事実です。ただしそれはスピーカーだけです。
アルテックのオールドスピーカーあたりから先が「F1」の世界であり、それを鳴らすには、とんでもないレベルのアンプが必要です。
オーディオ界で名機と呼ばれているアンプはいくらでもあります。プレミアムが付いているほど、非常に高額なものもあります。しかし、「名機」では、妖刀クラスのスピーカーは扱いきれません。力不足もはなはだしいのです。このことこそが、アルテックやWEのスピーカーを(アルテックはWEの技術部門が独立して出来たメーカーですのでWEの一部と言えます)、一生涯かけてもオーディオマニアのかたが鳴らしきれず、「泥沼」に陥ってしまわれる最大の理由です。
「名機」と、それらのアンプとでは、実力があまりにも遠く、隔たっています。その距離感、隔たりの度合いが分かりにくいです。「名機」のアンプを使って「化け物」を鳴らすことが、どういうことを意味しているのか、分かりやすく、極めて正確に表現するよう、言葉を選びます。
「F1マシンに、ゴーカートのエンジンを乗せて、無理矢理走らせようとする、愚行」
驚かれるかたもみえるかもしれません。「実態」は、その表現で、適正です。
ですから、生涯にわたってそれを続けても、得られるものは何もないことは明らかです。それどころか、F1マシンが走らない理由も分からず、次々に高額でぼろい「名機」ばかり買い集めなくてはなりません。それは泥沼です。
これは「オーディオ地獄」の最も代表的なものであり、あちこちで、非常に多く見受けられるパターンの一つです。悩み抜いても打つ手が分からなければ、巷で聞く噂、デタラメの真似ごとに終始するしかなく、それこそ「フランケンシュタイン症候群」の重度障害になってしまいます。
したがって、WEチームのかたがWEレベルのアンプを必要とされているのは当たり前のことであって、いたって自然なことです。
そうかといって、それでは、F1のエンジンを乗せたF1マシンが、ここにあるとします。そんな大それた代物を、誰がいったい操れましょうか。それができるのはプロフェッショナルだけです。
アンプがいかに優れていても、いや、優れていればこそ、それは本物のF1になってしまいますから、我々は、やはりそのような化け物には、近づかないほうがいいのです。
さて、「化け物」「妖刀」などという表現をしなくてはならない種類のスピーカーとはうってかわって、WEのアンプのほうは、全く違う顔を持っています。とても優しい顔をしているうえ、高性能スピーカーが秘めている危険性とは180度違って、非常に安全です。それは文字通り「刀」ではありません。
■理想のパワーアンプ
自宅利用で、理想のパワーアンプは、スピーカーの能率さえ高ければ、25W〜50Wほどのアンプです。真空管アンプをお使いのかたは、このあたりの事情は良く分かっておられると思います。
シングルエンド回路の3Wのアンプ、5Wのアンプ、プッシュプルでも8W 程度のアンプこそが、最も音が良いことを、体で理解されてきておられることと思います。
アンプというものは、最大出力の60%ほどを出している時こそが、最も性能を発揮します。最大が5Wのアンプの、3Wを使えば(自宅ではせいぜい3Wくらいの使用です)最も良い音になるという事実、このことは、メーカーのエンジニア、電気に詳しいエンジニアのかたならば、誰でも知っている周知の事実です。
パワーが大きいほうが余裕がある・・・・、そのような真っ赤なデタラメが、呪文のように繰り返されて、価格だけが、どんどん吊り上がっていったということです。
プロ用には、とことん大きなアンプも存在します。1000W×2などというものもありますが、それは、屋外ホール、野球ドームなどを鳴らさなければならないからであって、音の良さのためのものではありませんので、家庭使用には全く不向きです。レコーディングスタジオとて、それは全く無意味どころか逆効果で、最近の1000Wのアンプ内蔵モニターなどというものではいけません。
能率90dBのスピーカーで、爆音で鳴らして、約10W使用です。それを基準にされてください。その10Wの爆音は耳が痛いほどであり、近所の苦情が集中するほどであり、普段は、オーディオの場合、2Wか3Wしか出していないのが、実態です。
http://www.procable.jp/products/s_75.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c5
18. 中川隆[-10758] koaQ7Jey 2018年4月20日 19:39:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11575]
>「縄文時代はよかった。」で?どうやって縄文時代のいい所を取り入れるのか?
>投稿者 ワヤクチャ
>彼は、権力の廃絶を訴えられております。
>縄文時代には権力は無かった。
>昔にできていた事ならこれから努力してできる事では無いか?
>とおっしゃりたいのだと推察致します。
これに対する答えも書いておきますね。
現代日本人は
縄文人の末裔
弥生人の末裔
朝鮮から渡来した漢民族
アイヌ人
在日朝鮮人
から構成される
日本を支配していた天皇家や武家は朝鮮から渡来した漢民族(Y染色体O2系統)で、
縄文人・弥生人系の日本の一般民とは殆ど混血していない。
現代の日本の政治家や資産家は殆どが渡来漢民族:Y染色体O2系統(旧 O3系統)
地主や自作農は 弥生系: Y染色体O1b系統(旧 O2系統)
貧農や小作人やエタ部落民は 縄文系「D2」
日本は古墳時代以降ずっと厳格なカースト制(氏姓制)の国で
差別の実態は家柄による結婚相手の選別だった
穢多・蝦夷・アイヌ・琉球人:縄文人の子孫で Y-DNA は D と C
小作人・貧農:縄文人と長江の稲作漁労民の混血民の子孫で Y-DNA は DとO1: 乱交で父親が誰かわからない、財産無し
豪農、地主:長江の稲作漁労民の子孫で Y-DNA は O1、百姓、家柄で結婚相手を選別する
支配階級:渡来人(朝鮮に住んでいた古代漢民族)、O2, 苗字を持つ、家柄で結婚相手を選別する
______
縄文人は乱交制、フリーセックスで、生まれてきた子供の父親が誰か、母親にすらわからないのですね。
従って、自分の子供に世襲財産を残すのは不可能です。
はっきりした跡継ぎがいないので、いくら頑張って働いて財産を作っても、死んだら部落の人全員に同額づつ分配する事になります。
これでは何千年経っても資本が蓄積されず、貧富の差も階級もできないのです。
原始共産制というのはこういう物なのです。
2. 中川隆[-10757] koaQ7Jey 2018年4月20日 19:50:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11575]
これが今起きていること。
@マスコミが倒閣を扇動
A野党が動員
B日本語のおかしい活動家が騒ぐ
マスコミと野党と活動家が三位一体となって日本の破壊に動いている。朝から晩まで安倍政権の攻撃だけしかやっていない。自分たちが倒閣工作をしているのに「市民の総意だ」とすり替え。
マスコミはすでに中国・韓国・北朝鮮の反日勢力に乗っ取られているのだが、そうであればマスコミが気に入らない政権は「国益を考える政権」であり、逆に気に入る政権は「売国する政権」であるのは自明の理だ。
だから、マスコミは売国する政治家ばかりを賞賛して国益を考える政治家を叩きのめすことになる。意図的にそのようにしている。朝から晩まで、そのような傾向の記事を大量に流す。そして、世論を誘導したり操作したりする。
今までマスコミはやりたい放題だった。だから、第一次安倍政権はマスコミの連日の世論誘導によって破壊されてしまったし、そのしばらく後に日本史上最悪の政党「民主党」が政権を取るというところにまでエスカレートした。
マスコミは今も世論誘導に明け暮れている。安倍政権に対する激しい攻撃や倒閣工作はその一例だ。
マスコミがアジビラを発行して扇動を行い、反日野党がそれに乗って倒閣デモの人間どもを動員し、反日工作員とそのシンパがデモでわめく。
それをマスコミが取り上げて人数を誇張して「安倍政権は駄目だ、終わりだ」と報道する。偏向した報道を通して世論を歪め、支持率を無理やり引き下げている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/04/20180417T1510050900.html
マスコミのバックには財務省とCIA, アメリカ金融資本がいるんだ
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/368.html#c2
1. 中川隆[-10765] koaQ7Jey 2018年4月20日 20:43:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11584]
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
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1. 中川隆[-10770] koaQ7Jey 2018年4月20日 21:47:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11590]
野党や左翼マスコミの安倍政権への攻撃は、とうとう愛媛県職員のメモまで矮小化している。それにしてもメモの「首相案件」という言葉が引っ掛かる。官邸では「首相」ではなく「総理」という言い方をするという。おそらく新たに創られる国家戦略特区の制度では、この議長に首相が就く仕組に変わるという話であったろう。
もちろん新しい制度の元でも、ステップを踏んで物事を決めるのだから首相が決めるという話ではない(むしろ首相の議長としての権限は多分に形式的で、首相は最後に上がってきた案件に承認を与えるだけ)。愛媛県職員は新たに始まる国家戦略特区の制度をよく理解しないまま、このメモを作成した可能性がある。対応者は、親切心で事細かく説明したと思われる(これまで15回も申請をハネられたことに同情し、これにめげず今回も申請してほしいと言いたかった)。
しかし対応者は、自分の説明したことがこのような誤解を招くメモになるとは思わなかったであろう(捉え方によっては首相が全てを決めるといった表現)。しかも最悪なことにこの奇妙なメモを持って愛媛県職員が各省庁に陳情に向かったと思われる。どうもこのメモが加計学園騒動の元になった可能性がある。もしこのストーリが本当なら大笑いである。官僚の総理への忖度といった話などは、まさに的外れなことになる。
____
◆「首相案件」の何が“違法”なのか?
総理が違法な賄賂や便宜供与をしていたというのなら問題ですが、政治家が有権者や支持者の要求を行政に働きかけるのは政治家本来の仕事であり、それだけ仕事熱心な政治家ということになる。
このような事を延々と1年間も貴重な予算委員会で追求し続けていますが、印象報道に終始して安倍内閣の支持率を下げることには貢献しても、総理を辞任に追い込むことは不法行為でなければ不可能だろう。それが総理が関与したかしないかは不法行為でなければ何の問題もない。
記事でも、『本件という意味が「加計学園ありきの獣医学部設置案件」(=特定)なのか、「首相肝いりで進めていた国家戦略特区」(=全体)なのかで全く意味が違ってくる。』というように、関与したかしないかでも定かではない。加計学園の獣医学部も国家戦略特区構想の基づくものであり、もともと首相案件でもあった。
だから加計学園から賄賂をもらっていたのなら違法行為であり犯罪だから総理退陣に追い込めるが、単なる働きかけは政治家の仕事であり当たり前の行為だ。おそらく賄賂を貰っているに違いないという思い込みが、マスコミや野党を動かしているのだろう。
これといった証拠もなく、メモからの推測だけで総理の関与を勝手に想像しているだけで、賄賂などの犯罪に結びつくものではない。国家戦略特区制度は安倍総理の中心的な政策の一つだから「首相案件」であることには変わりがない。違法性はないのだから政府側も開き直ったほうがいいのではないかと思う。
北朝鮮や米中貿易摩擦などの問題をほったらかしにして、野党はモリカケ問題の追求に終始している。いずれも思い込みによる推測による追求であり、朝日新聞は大阪地検からのリークで報道しているようですが、文部科学省からもメモがリークされて、財務省では決済文書が改竄された。
このような霞ヶ関内部からのマスコミへのリークは公務員の守秘義務違反であり、決済文書改ざんは禁固10年の重犯罪なのに、訴追は見送られるようだ。やってはならないことをやっても、罰せられなければならないことをやっても霞ヶ関はお咎めなしであり、メモをばらした前川前文部次官や朝日にリークした大阪地検の女検事は処罰できなのだろうか。
http://2013tora.jp/kabu406.html
最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。
本当に恐ろしい世の中です。
既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。
まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。
これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。
本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。
安部先生は反安部運動の黒幕が CIA と官僚だというのがわかっているからね。
官僚の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう:
官僚はCIAの指示通りに動いただけだから黒幕はCIAなんだ
アメリカは安部さんを解任したいから、スキャンダル情報を官僚に流してマスコミを使って日本人を操作したんだ
官僚は安部さんに都合の悪い自民党のスキャンダルをマスコミに流させた
都民はマスコミに扇動されて官僚の流した嘘を信じた
安部さんは官僚とそのバックのCIAとの闘争に負けた
アホ日本人にはそういう背景が全くわからない
スキャンダル情報はCIAが官僚とマスコミに流していた:
日本のジャーナリズムを監視する米軍組織
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
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日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題も財務省がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/373.html#c1
32. 中川隆[-10775] koaQ7Jey 2018年4月20日 22:43:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11596]
2018年04月19日 最強官庁の傲慢と「女」使うマスコミの時代錯誤
最強官庁「財務省」の事務方トップである次官による女性記者へのセクハラがほぼ認定された。福田氏は強く否定していたが、テレビ朝日が19日未明に記者会見を開き、同社の女性記者がセクハラ被害を受けていたと発表した。この問題で改めて明らかになったのは財務省の傲慢さ、そして今も「女」を武器にネタをとろうするマスコミの浅ましさだ。
初めてこの騒動の報道を目にしたときは驚いた。今時こんなに酷い官僚がいるのかと。記者時代に多くの官僚を取材したが、さすがにここまで酷い言動は見たことも聞いたこともない。政治家と違って、官僚は結構ちゃんとしている。特に財務省の官僚は「この国を背負っているのは自分たちだ」というエリート意識が強く、その分、自分の身もしっかり律している人が多い。ネットなどでは音声データの「捏造説」が飛び交っていたが、私も「そうなのかな」と信じかけたくらいだ。
ただ、セクハラが事実だったと仮定すると、福田氏及び財務省の対応はあまりにも酷い。福田氏は「そんなやりとりはしていない」と全面否定して法廷で争う姿勢を示し、接客業の女性との会話だった可能性を示唆。財務省はセクハラを受けた女性記者に名乗り出るよう求め、麻生財務相は「名乗り出ないと認定できない」と言い放った。「財務省と対立してまで名乗り出る記者(会社)はいない」と考えたからだろう。
事実、被害を受けた女性記者はテレビ朝日の上司に、記事にするよう求め、却下されている。テレビ朝日は「二次被害を防ぐためだった」と言い訳しているが、実際には財務省との対立を避けるためだったのだろう。
「第四の権力」とも称されるマスコミがそこまで恐れるほど、財務省の力は強大だ。ほかの役所は基本的にすべて横並びだが、財務省だけは違う。各省庁が何か政策を実行するには必ず「予算」が必要で、その予算を握るのが財務省だ。財務省がうんと言わなければ各省庁は何もできない。政治家も頭が上がらない。だから権力が集中するし、いわゆる首相官邸や内閣官房、内閣府といったこの国の中枢も、事務方の主要ポストの多くを財務省出身者が占めている。
仮に財務省及び財務省出身の官僚がすべて取材を拒否すれば、政治・行政に関するまともな報道はできなくなる。テレビ朝日が「ビビった」のも無理はない。
ただ、テレビ朝日にも非難されるべきことがある。1年半にもわたって女性記者がセクハラを受けていたにも関わらず、それを見過ごし、守ろうともしなかったことだ。恐らくその記者が「福田氏からそれなりのネタをとっていた」からなのだろう。少なくともキャップや先輩記者たちは女性記者の取材方法を知っていたはず。つまり、会社側は記者が「女」を武器に取材していたことを黙認していたことにほかならない。
実際に永田町・霞が関には若い女性記者が多い。そして多くの女性記者は男性記者の努力をよそに、どんどん取材先に「食い込んで」いく。そりゃあ、官僚だって政治家だって人間だ。福田氏ほどのセクハラ男でないにしても、おっさんと話すより若い女性と話した方が気分いいだろう。記者はネタをとるのが仕事なのだから、持てる武器はすべて使おうとするのが当然だ。悪いのは記者が女を武器にして取材するよう仕向ける会社である。
モリカケ問題とは異なり、財務次官のセクハラ騒動は安倍政権の傲慢さとは関係がない。政権打倒に「利用」するのではなく、財務省やマスコミの体質改善に「活用」すべきである。
http://blogos.com/article/291595/
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/103.html#c32
24. 中川隆[-10774] koaQ7Jey 2018年4月20日 22:44:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11596]
2018年04月19日 最強官庁の傲慢と「女」使うマスコミの時代錯誤
最強官庁「財務省」の事務方トップである次官による女性記者へのセクハラがほぼ認定された。福田氏は強く否定していたが、テレビ朝日が19日未明に記者会見を開き、同社の女性記者がセクハラ被害を受けていたと発表した。この問題で改めて明らかになったのは財務省の傲慢さ、そして今も「女」を武器にネタをとろうするマスコミの浅ましさだ。
初めてこの騒動の報道を目にしたときは驚いた。今時こんなに酷い官僚がいるのかと。記者時代に多くの官僚を取材したが、さすがにここまで酷い言動は見たことも聞いたこともない。政治家と違って、官僚は結構ちゃんとしている。特に財務省の官僚は「この国を背負っているのは自分たちだ」というエリート意識が強く、その分、自分の身もしっかり律している人が多い。ネットなどでは音声データの「捏造説」が飛び交っていたが、私も「そうなのかな」と信じかけたくらいだ。
ただ、セクハラが事実だったと仮定すると、福田氏及び財務省の対応はあまりにも酷い。福田氏は「そんなやりとりはしていない」と全面否定して法廷で争う姿勢を示し、接客業の女性との会話だった可能性を示唆。財務省はセクハラを受けた女性記者に名乗り出るよう求め、麻生財務相は「名乗り出ないと認定できない」と言い放った。「財務省と対立してまで名乗り出る記者(会社)はいない」と考えたからだろう。
事実、被害を受けた女性記者はテレビ朝日の上司に、記事にするよう求め、却下されている。テレビ朝日は「二次被害を防ぐためだった」と言い訳しているが、実際には財務省との対立を避けるためだったのだろう。
「第四の権力」とも称されるマスコミがそこまで恐れるほど、財務省の力は強大だ。ほかの役所は基本的にすべて横並びだが、財務省だけは違う。各省庁が何か政策を実行するには必ず「予算」が必要で、その予算を握るのが財務省だ。財務省がうんと言わなければ各省庁は何もできない。政治家も頭が上がらない。だから権力が集中するし、いわゆる首相官邸や内閣官房、内閣府といったこの国の中枢も、事務方の主要ポストの多くを財務省出身者が占めている。
仮に財務省及び財務省出身の官僚がすべて取材を拒否すれば、政治・行政に関するまともな報道はできなくなる。テレビ朝日が「ビビった」のも無理はない。
ただ、テレビ朝日にも非難されるべきことがある。1年半にもわたって女性記者がセクハラを受けていたにも関わらず、それを見過ごし、守ろうともしなかったことだ。恐らくその記者が「福田氏からそれなりのネタをとっていた」からなのだろう。少なくともキャップや先輩記者たちは女性記者の取材方法を知っていたはず。つまり、会社側は記者が「女」を武器に取材していたことを黙認していたことにほかならない。
実際に永田町・霞が関には若い女性記者が多い。そして多くの女性記者は男性記者の努力をよそに、どんどん取材先に「食い込んで」いく。そりゃあ、官僚だって政治家だって人間だ。福田氏ほどのセクハラ男でないにしても、おっさんと話すより若い女性と話した方が気分いいだろう。記者はネタをとるのが仕事なのだから、持てる武器はすべて使おうとするのが当然だ。悪いのは記者が女を武器にして取材するよう仕向ける会社である。
モリカケ問題とは異なり、財務次官のセクハラ騒動は安倍政権の傲慢さとは関係がない。政権打倒に「利用」するのではなく、財務省やマスコミの体質改善に「活用」すべきである。
http://blogos.com/article/291595/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/773.html#c24
2. 中川隆[-10779] koaQ7Jey 2018年4月20日 23:17:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11596]
今の安倍降ろしはアメリカの指示で財務省がやってるんだよ:
財務省が自爆攻撃で財務省の敵 安倍を引き摺り降ろして、その後 財務省の手先の石破茂、岸田文雄に置き換える予定なんだな:
第1次安倍内閣は、厚生労働省による「年金自爆テロ」の責任を取って、総辞職していきます。
当時は、年金の記録が消えていることなどは、日本金融村のプロフェッショナルの間では、有名な話でした。でも一般国民は知りませんでした。
当時は、国家公務員改革に着手した安倍政権を、霞が関の官僚たちはたいへん疎ましく思っていました。
そこで、厚生労働省が、霞が関官僚を代表して、「消えた年金記録」という「自分のスキャンダル」をマスコミにリークして、安倍政権を退陣に追い込みました。
「この国では、公務員改革なんてものは行えない」ということを、多くの改革派が再認識した瞬間でした。
公務員改革だけではありません。様々な既得権益に省益が絡んでいて、この日本では、改革を推し進めることは、とても難しくなっています。今では、どんな改革でも、最大の抵抗勢力が「霞が関」なのです。
http://www.mag2.com/p/money/408991
第一次安倍内閣は、官僚のマスコミへのリーク作戦で辞任に追い込まれましたが、第二次安倍内閣も財務省の自爆テロで辞任に追い込まれるのだろうか。モリカケ問題も籠池氏への用地売却問題から端を発していますが、近畿理財局内部からのリークから始まっているのだろう。
森とも学園問題も発端は朝日新聞へのリークがあったことですが、財務省の決済文書書き換え問題も朝日新聞へのリークから発している。つまり財務省内部から朝日新聞へのリークが度々行われているというものだ。これは第一次安倍内閣が倒れたのと同じ構造が今もあるということだ。
このような構造がある事を一番知っているのが、元財務官僚で官邸にもいた高橋洋一氏であり、高橋氏によれば大臣への想定問答集を、一番肝心な部分を抜き取るといった嫌がらせを、高橋氏は暴露している。財務相は決済文書を改ざんしたり、重要な部分を抜き取ったり書き換えたりして、内閣を揺さぶってきた。
安倍内閣は、このような財務省を解体しなければ、同じことが何度も行われることだろう。財務官僚は、信じられないことだが消費税増税のためなら何でもするのであり、それで財務省が解体されても消費税増税だけはやりぬくつもりらしい。だから何が何でも安部総理を引きずり下ろして、消費税増税に賛成の総理に代えるという使命感があるのだろう。
だから度々朝日新聞へのリークは財務省からのものであり、財務省はマスコミを使って内閣を動かし世論を動かしてきた。財務省においては高橋洋一氏は異端者であり裏切り者であった。だから財務省は警察を動かしてロッカー事件で高橋氏を失脚させた。財務省は検察と一体であり、政治家のスキャンダルをリストアップして、適時にリークして政治家を失脚させている。
モリカケ問題はまさに安倍内閣と財務省の死闘であり、財務省はモリカケで安部総理を辞任に追い込むことができず、ついには決済文書書き換え暴露で自爆テロに打って出た。問題の中心人物は佐川元理財局長ですが、安倍総理が例の発言の前からの答弁ミスから起きている。
佐川局長の答弁ミスは15日であり、安部総理の発言は17日だ。高橋氏は、「この安倍首相の発言は、佐川氏の答弁の後だ。佐川氏の答弁があまりに頼りなかっただので、安倍首相がやや強めの答弁をしたような印象である。」と書いているが、マスコミはこの前後関係を指摘していない。
佐川局長は「価格交渉はなかった」と答弁したため、そこを野党につけ込まれてしまったそれで財務省は決済文書を書き換えて隠そうとした。佐川氏は財務省内部でも部下から恐れられていた人物だそうですが、テレビのワイドショーでは普通の人物として報道している。しかし高橋氏の言うように恐れられていたことは物的な文書で証明されている。
決済文書書き換え問題は、朝日に暴露されましたが、これは財務省が解体されるほどの大スキャンダルですが、誰が暴露したのだろうか。これは近畿理財局か大阪地検しかありえない。財務省はマスコミを使って安倍降ろしをしていますが、国民はネットで情報を得ているので上手く行っていないようだ。
http://2013tora.jp/kabu405.html
2018年03月21日
財務省決裁文書改ざん事件の本質は何か - 森永卓郎
http://blogos.com/article/285184/?p=1
財務省の決裁文書書き換え事件について、私は大きな危機感を抱いている。その不安をさらに大きくする記事が、3月18日の朝日新聞に掲載された。3月17日、大阪府高槻市内で行われた集会での辻元清美立憲民主党国会対策委員長の発言だ。
「昨夜、首相官邸前で雨の中、ものすごい数の人が集まっていたが、『官僚頑張れ!』のコールが出てきた。普通、決裁文書の改ざんが起きれば『官僚は何なんだ』となるが、『今回は違う。誰かを守っている』とみんな見抜いている」
私は、今ごろ、財務省は高笑いをしているのではないかと、感じているのだ。
財務省が国会に提出した決裁文書から昭恵夫人の名前が消えていたことで、野党やマスメディアは、安倍総理の関与を再び追及する構えをみせている。もちろん、それはやらなければならないことだが、今回の決裁文書で、安倍総理の関与を示す証拠は出てきていないのだから、そこに力を注ぐより、財務省の責任をきちんと追及することのほうが、優先順位が高いと、私は考えている。それどころか、安倍内閣が弱体化することは、逆に財務省の思うつぼになる可能性が高いのだ。
財務省は、国会に改ざんした決裁文書を示して、それに基づいて1年間も国会審議がなされてきたのだから、改ざんは国会への冒涜に他ならない。しかも、ミスによって誤った文書が出されたのではなく、悪意をもって、組織ぐるみでやったのだから、再発を防ぐためにも、厳罰を下す必要があるのだ。
ノーパンしゃぶしゃぶ事件の教訓
ここで再確認しておくべきことは20年前の不祥事だ、財務省の前身の大蔵省は、いまから20年前に、いわゆるノーバンしゃぶしゃぶ事件を起こした。金融業界から過剰接待を受けて、内部情報を漏らしていたとされる事件だ。このときの大蔵省へのペナルティは、4つの方法で行われた。
まず、刑事責任の追及だ。6人の大蔵官僚(OBを含む)が逮捕され、全員に執行猶予付きの有罪判決が下された。第二は、大蔵省としての処分だ。停職1人、減給17人など112人に対する処分が行われ、局長クラスも複数が辞任した。第三は、政治責任だ。当時の三塚博大蔵大臣は、この事件の責任をとって辞任した。そして第四は、大蔵省という組織へのペナルティだ。この事件をきっかけに、大蔵省から金融庁を切り離すことになり、そして大蔵省という名称自体も財務省に変更されることになったのだ。
今回の決裁文書改ざんは、罪としては、ノーバンしゃぶしゃぶ事件よりもずっと重いだろう。有印公文書偽造は、最高刑が懲役10年の重罪だ。
ところが、第一の刑事責任の追求に関して、いまのところ検察の具体的な動きがみられない。証拠固めをしているのかもしれないが、改ざんに関わった官僚は、すべて逮捕すべきだろう。
そして、第二の財務省としての処分も動きがみえない。麻生太郎財務大臣は、決裁文書の改ざんは、3月11日になって初めて知ったのであり、自分は一切関与していないと断言している。もしそうだとすれば、財務省は、国会をだましただけでなく、自省のトップをも欺いていたことになる。それによって、国会を空転させ、内閣を窮地に追い込んだのだから、私は、改ざんを実行した財務官僚は、懲戒免職に相当すると思う。いまのところ、改ざんに関わった具体的な官僚の名前は出てきていないが、それが判明したときに、もし手ぬるい処分が下されることになったら、麻生大臣の関与が改めて疑われることになるだろう。
第三の政治責任だが、麻生財務大臣の辞任は避けられない。仮にまったく知らないところで改ざんが行われたのだとしても、監督責任は大きいからだ。
そして、第四の財務省という組織に対するペナルティだ。麻生大臣は、問題を起こした理財局の分離を示唆しているようだが、それでは意味がない。私は今回こそ、国税庁の切り離しをすべきだと思う。財務省がなぜ日本の支配者として振る舞う強大な権力を持ってきたのかといえば、国税庁を抱えているからだ。財務省を批判したり、逆らったりすると、税務調査や国税の査察を受ける。だから、怖くて財務省批判ができないのだ。国税庁を分離すれば、財務省は普通の役所になり、国会や国民を欺いてまで、自らの政策を強行することができなくなるのだ。
なぜ国有地は8億円引きで払い下げられたのか
以上で述べた財務省へのペナルティをきちんと行ったうえで、次に追及すべき問題が、そもそもなぜ財務省が森友学園に国有地を8億円もの値引きをして払い下げたのかということだ。ある元経済産業官僚は、私に、「官邸での地位低下にあせった財務省が、安倍総理にこびを売るためだったのではないか」と語った。安倍政権発足前は、財務官僚は官邸で圧倒的な地位を占めていた。
ところが、安倍総理は政界のなかで唯一の「反財務省」の政治家だ。だから官邸内の主要ポストを経済産業省出身者で固めた。日本の支配者である財務省としては、当然面白くない。そこで、安倍総理の歓心を引こうと、昭恵夫人肝いりの森友学園に便宜を図ったというものだ。確かに、その可能性は十分ある。しかし、私は財務省にもう一つの思惑があったのではないかと思う。
実は、一昨年の秋ごろから、安倍総理に「消費税引き下げ」の動きがみられた。昨年1月号の「文藝春秋」には、安倍総理の参謀である浜田宏一内閣官房参与が、「アベノミクス私は考え直した」という論文を寄稿し、減税の必要性を訴えた。その後、安倍総理自身も、官邸にイギリスのアデア・ターナー金融サービス機構前長官を招き、会談している。ターナー氏は、ヘリコプターマネーの提唱者として有名で、日本がデフレから脱却するためには、減税が必要と主張している。
来年10月からの消費税率引き上げを控えて、安倍総理がこうした動きをすることは、財務省にとっては看過できない事態だ。そこで、財務省は安倍総理に取り入ることができなかった場合には、安倍総理を失脚させても構わないという含みをもたせて、8億円引きを行ったのではないか。
3月16日の参議院予算委員会で、財務省の太田充理財局長が、「政府全体の答弁は気にしていたと思う」と述べて、安倍総理が「自分と昭恵夫人が、払下げに関与していたら、総理も議員も辞める」と発言した国会答弁が、決裁文書改ざんに影響したことを否定しなかった。この期に及んでも、財務省が安倍総理退陣を目論んでいることを示唆する答弁なのではなかろうか。そして、その財務省の戦略は、内閣支持率の急低下やメディアの論調をみていると、思惑通りに進んでしまう可能性が高まっているようにみえるのだ。
私は、働き方改革や原発の新増設、憲法改正といった安倍政権の政策には反対だが、もし安倍政権が崩壊したら、来年10月の消費税引き上げが予定通りに行われて、景気が失速するだろうと考えている。ポスト安倍の面々は、例外なく親財務省だからだ。
財務省はウソツキ
今回の決裁文書改ざん事件で、明白になったのは、財務省はウソツキだということだ。そして、財務省がついてきた一番大きなウソは、「日本の財政は先進国のなかで最悪の状態にあり、財政の持続可能性を考えたら、消費税引き上げ以外に方法がない」というものだ。40年も前から始めたこの財務省のキャンペーンは、いまでも多くの国民が信じ込んでいる。
しかし、財務省が作成している「国の財務書類」という統計をみると、連結ベースで国が抱えている債務は1400兆円となっている。しかし、同時に国は950兆円という世界最大の資産を保有している。差し引きすると、国が抱える純債務は450兆円にすぎない。これは、先進国の普通のレベルだ。しかもアベノミクスの金融緩和は、日銀が保有する国債を大幅に増やした。日銀が保有する国債は、事実上返済や利払いが不要なので、借金ではなくなる。経済学では、通貨発行益と呼ぶ。
いま、日本の通貨発行益は450兆円にも達している。通貨発行益と純債務を通算すると、ちょうどゼロだ。つまり日本政府は、現時点で無借金経営になっているのだ。もちろん消費増税の必要性など、かけらもない。
国民が、この財務省が作り出した最大のウソに、一日も早く気付くことが、今回の決裁文書改ざん事件から受け取る最大の教訓なのではなかろうか。
_____
【西田昌司が財務省にブチ切れる】予算委員会にて『なんで報告しなかったんだよ!!!!』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zajkdRLdh_I
2018年3月29日【小浜逸郎】財務省VS総理官邸
https://38news.jp/politics/11762
3月27日、森友学園への
国有地払い下げにともなう
財務省の有印公文書
書き換え問題で、
前理財局長・佐川宣寿氏の
証人喚問が行われました。
筆者は、朝日新聞が書き換えの事実を
公表した時点で、いかにも傲慢な
一省庁の体質を象徴するミステイクで、
重大ではあるものの、それ以上のもの
ではないと思っていました。
しかしこれを反日野党やマスコミが
大々的に取り上げて、安倍政権攻撃・打倒の
恰好の材料とし、その支持率が急激に
下がるに及んで、その背景などを
自分なりに整理しておく必要を
感じるようになりました。
ちなみに筆者は、森友学園問題
そのものが発覚した少し後に、
自分のブログで、これはひょっとすると、
財務省の緊縮財政路線の前に
立ちはだかる安倍をつぶすための
陰謀の可能性もあるという
憶測を述べています。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/f5b4219a93999f39267870a90b100ba4
これはあくまで憶測ですので、
確証は何もありません。
しかし、書き換えが明らかになった
現時点でも(かえって現時点だからこそ)、
この説が成り立つ余地があります。
理由は次の二つです。
1財務省と総理官邸との間には、
長く続く暗闘があり、その熾烈さを
国民はあまり知らされていません。
これについては、筆者は信頼のおける
複数の筋から情報を得ています。
この暗闘は、上記のような、財務省の
緊縮財政路線をめぐる確執だけ
ではありません。
2014年5月に内閣官房に設置された
内閣人事局が、事務次官、局長、審議官
など役員クラス約600名の人事権を
握ることになり、これまでの官僚主導の
行政から、政治家主導の行政に
シフトさせることが
ある程度可能となりました。
これが実効性を示すようになると、
財務省としては、自分たちの力で
財政を動かすことが難しくなります。
つまり財務省には総理官邸を
恨むだけの十分な理由があるのです。
2財務省がこのたびの書き換えを
行なった決済文書の書き換え前の
部分には、貸付料について
平沼元経済産業大臣や鳩山元総務大臣の
秘書などから財務省などに対し
「高額であり、なんとかならないか」
などと相談があったこと、安倍総理夫人の
昭恵氏が学園を訪問して講演したこと
などが書かれていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/moritomo_kakikae/
ご存知のように、昭恵氏は、
森友学園の名誉校長でした。
ここには、自民党政治家および
その周辺人物の関与をにおわせよう
という意図がありありと読み取れます。
決裁文書のなかで、交渉経過を記す
部分(調書)に、なぜ自民党政治家
およびその周辺人物を貶めるような
(しかも昭恵氏の講演などは、
価格交渉経過に何の関係もありません)
記述をわざわざ入れる必要があるのでしょうか?
破格の安値で払い下げたことによって
疑惑が生じた場合、その責任は、
自分たちではなく、政治家および
その周辺人物にある、という
こすっからい印象操作が感じられますね。
書き換え後は、これらは
もちろん削除されています。
書き換える前にこの文書の存在は
中央政界の一部に漏れていたのでしょう。
それが国会で問題視されると、
自省の方針貫徹のためなら
何でもするという財務省の
陰謀的体質を突かれます。
そのことに配慮を巡らせた部内の
何ものかが、あわてて書き換えを
執行したと考えれば、
つじつまが合うわけです。
これは、「安倍政権への忖度」
などという「美しい」話とはとても思えず、
単に、陰謀がばれることを恐れた
組織防衛意識のわざではないか
と推測されます。
以下の動画で、自民党の中では
数少ない積極財政派である
西田昌司参議院議員による、
財務省攻撃の鋭さを見ると、
これまで述べてきた財務省と、
安倍首相自身を含む積極財政派との
確執のありさまがよくわかると思います。
口調だけを聞いても、西田議員と
安倍首相との間には、財務省に
対抗するための連携が
成り立っている様子が感じられますね。
ところで、左派系野党は前々から
安倍政権を倒すことだけを
自己目的にしており、その後
どうするかなど何も考えていません。
そこにめぐってきたこの書き換え問題を
倒閣の絶好のチャンスと見て勢いづき、
財務省攻撃ばかりでなく、
昭恵氏の証人喚問を要求しています。
財務省問題を、政局の転換に
結び付けたくて仕方がないのですね。
愚かとしか言いようがありません。
彼らが目先の問題にばかりとらわれて、
日本国民のためなど少しも
考えていないことは、次のように
政局を見通すことで明らかとなります。
自民党が与党であり続けることが
当面変わらないのだとすれば
(変わるはずがありませんが)、
もし安倍政権が倒れると、
代わって立つ自民党の首班候補は、
ほとんど財務省に尻尾を
振るやからばかりです。
岸田氏、石破氏、野田毅氏、
野田聖子氏、小泉氏、石原氏、二階氏など、
自民党有力議員を思い浮かべてみても、
財務省に対抗して、デフレ脱却を
果たせるような力量と経済知識を
持ち合わせる人が一人としていません。
これでは財務省の思うつぼです。
国民の貧困化は一層進むでしょう。
書き換え問題は、財務省オンリーの
責任問題であり、政権全体にも、
ましてや国民生活にも
何の関係もないことです。
国民生活に関係のないことで
連日国会審議の貴重な時間と
金を空費している暇があったら、
生活に直結する消費増税問題や
PB黒字化問題や移民受け入れ問題について
(いずれも経済の悪化に結びつきます)、
なぜ国会で問題にしないのでしょうか。
与野党議員たちの志の低さが際立ちます。
むしろ書き換え問題は、財務省が
これまでまき散らしてきた悪を
もっぱら象徴している問題であり、
ここを突破口として、財務官僚の
横暴を打ち砕くべきなのです。
財務省と暗闘を繰り広げてきた
官邸側にとっては、禍を転じて
福と為すチャンスです。
国民は、何よりも、安倍政権打倒で
勢いづいている野党やマスコミの
口車に乗せられて、財務省と
政権全体とを一体化して考えるという
発想を捨てなくてはなりません。
国民は、選挙などになると何党が
何人当選したなどと興奮しますが、
本当に日本の政治を動かしている
のがどんな勢力なのかということを、
もっと正確に把握すべきです。
このたびの問題が意味しているのは、
「民主主義の危機」などではなく
(そんな危機ならとっくに続いています)、
ただ財務省という腐った
官僚組織の危機なのです。
この事件を安倍政権がうまく利用して、
財務省がこれまで取ってきた
「デカい面」を、コントロールできる
ように舵取りを行なう必要があります。
これが成功すれば、6月に控えた
「骨太の方針」の閣議決定で、
これまで財務省主導で採用されてきた
PB黒字化という最悪の政策を
破棄することも不可能ではありません。
それにしても、財務省の書き換えを
朝日新聞にリークしたのは誰なのか。
まったく推測の域を出ませんが、
これは二つ考えられます。
一つは、検察です。
この場合、検察は野党と同じように、
その後のことなどまったく考えていず、
硬直した正義感で行ったのでしょう。
あるいは、アジアの反日国家が
検察内部に手を伸ばしている
のかもしれません。
もう一つは、官邸自らがリークした
という推測も成り立たない
わけではありません。
政権基盤を脅かすリスクを冒してまで、
そんなことをするはずがないだろうと、
ふつうは考えますね。
ごもっともですが、
これまで述べてきたように、
中央政権内部に
財務省VS総理官邸という
暗闘が存在する事実、
そしてどちらに軍配が上がるか
という成り行きこそ、日本のこれからを
決定づける非常に
重要なポイントなのです。
陰謀には陰謀を。
もし官邸側に、そうした
「肉を切らせて骨を切る」だけの
覚悟と気概があったとしたら、
ちょっと希望が持てる
ではありませんか。
https://38news.jp/politics/11762
森永卓郎 財務省は安倍引き降ろしの為に自爆攻撃した
安倍総理は、一昨年の秋頃から、消費税率の引き下げを画策していた。それは、財務省にとって許しがたい蛮行だ。そこで財務官僚が、安倍総理を失脚させるために、自らの危険をも顧みず、あえて決裁文書の改ざんをしたのではないだろうか。
昭恵夫人の名前を削除しておいて、後からそれが発覚すれば、世間は安倍総理の関与を疑い、自民党総裁選での敗北、あるいは総理辞任が期待できるからだ。だから、いまの安倍総理の責任追及の動きは、まさに財務省の思惑通りということだ。
財務省が起こした前回の大きなスキャンダルといえば、大蔵省時代の'98年に起きた「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」だった。大蔵官僚が過剰接待を受けていたのだが、その後始末として大蔵省は、金融庁を分離させられ、大蔵省という名前自体も捨てざるを得なくなった。
今回は、それ以上のスキャンダルなのだから、財務省にそれ以上の制裁を与えなくてはならない。
一つのアイデアは、国税庁を分離して歳入庁として独立させることだ。いままでは、財務省に逆らうと国税が査察に入ってくる恐れがあるので、誰も財務省に逆らえなかった。しかし、国税庁を分離してしまえば、財務省は普通の官庁のひとつになる。日本の政治をコントロールしようなどという妄想は抱かなくなるはずだ。
ただ私は、最も望ましい制裁は、消費税率の引き下げだと思う。財務省が一番嫌がることだからだ。
また、安倍政権の発足以来、国民の大部分が景気回復を実感していないのは、実質賃金が安倍政権発足後の5年間で4%も下がっている点だ。
そして、その実質賃金減をもたらした大部分の原因が、消費税率の引き上げなのだから、消費税を元に戻せば、デフレからの完全脱却が可能になる。安倍総理が、支持率回復のため、今回の事件を利用して消費税引き下げに踏み切る可能性は、十分あるだろう。
https://wjn.jp/article/detail/2247680/
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/376.html#c2
2. 中川隆[-10784] koaQ7Jey 2018年4月21日 06:35:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11602]
野党や左翼マスコミの安倍政権への攻撃は、とうとう愛媛県職員のメモまで矮小化している。それにしてもメモの「首相案件」という言葉が引っ掛かる。官邸では「首相」ではなく「総理」という言い方をするという。おそらく新たに創られる国家戦略特区の制度では、この議長に首相が就く仕組に変わるという話であったろう。
もちろん新しい制度の元でも、ステップを踏んで物事を決めるのだから首相が決めるという話ではない(むしろ首相の議長としての権限は多分に形式的で、首相は最後に上がってきた案件に承認を与えるだけ)。愛媛県職員は新たに始まる国家戦略特区の制度をよく理解しないまま、このメモを作成した可能性がある。対応者は、親切心で事細かく説明したと思われる(これまで15回も申請をハネられたことに同情し、これにめげず今回も申請してほしいと言いたかった)。
しかし対応者は、自分の説明したことがこのような誤解を招くメモになるとは思わなかったであろう(捉え方によっては首相が全てを決めるといった表現)。しかも最悪なことにこの奇妙なメモを持って愛媛県職員が各省庁に陳情に向かったと思われる。どうもこのメモが加計学園騒動の元になった可能性がある。もしこのストーリが本当なら大笑いである。官僚の総理への忖度といった話などは、まさに的外れなことになる。
____
◆「首相案件」の何が“違法”なのか?
総理が違法な賄賂や便宜供与をしていたというのなら問題ですが、政治家が有権者や支持者の要求を行政に働きかけるのは政治家本来の仕事であり、それだけ仕事熱心な政治家ということになる。
このような事を延々と1年間も貴重な予算委員会で追求し続けていますが、印象報道に終始して安倍内閣の支持率を下げることには貢献しても、総理を辞任に追い込むことは不法行為でなければ不可能だろう。それが総理が関与したかしないかは不法行為でなければ何の問題もない。
記事でも、『本件という意味が「加計学園ありきの獣医学部設置案件」(=特定)なのか、「首相肝いりで進めていた国家戦略特区」(=全体)なのかで全く意味が違ってくる。』というように、関与したかしないかでも定かではない。加計学園の獣医学部も国家戦略特区構想の基づくものであり、もともと首相案件でもあった。
だから加計学園から賄賂をもらっていたのなら違法行為であり犯罪だから総理退陣に追い込めるが、単なる働きかけは政治家の仕事であり当たり前の行為だ。おそらく賄賂を貰っているに違いないという思い込みが、マスコミや野党を動かしているのだろう。
これといった証拠もなく、メモからの推測だけで総理の関与を勝手に想像しているだけで、賄賂などの犯罪に結びつくものではない。国家戦略特区制度は安倍総理の中心的な政策の一つだから「首相案件」であることには変わりがない。違法性はないのだから政府側も開き直ったほうがいいのではないかと思う。
北朝鮮や米中貿易摩擦などの問題をほったらかしにして、野党はモリカケ問題の追求に終始している。いずれも思い込みによる推測による追求であり、朝日新聞は大阪地検からのリークで報道しているようですが、文部科学省からもメモがリークされて、財務省では決済文書が改竄された。
このような霞ヶ関内部からのマスコミへのリークは公務員の守秘義務違反であり、決済文書改ざんは禁固10年の重犯罪なのに、訴追は見送られるようだ。やってはならないことをやっても、罰せられなければならないことをやっても霞ヶ関はお咎めなしであり、メモをばらした前川前文部次官や朝日にリークした大阪地検の女検事は処罰できなのだろうか。
http://2013tora.jp/kabu406.html
最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。
本当に恐ろしい世の中です。
既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。
まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。
これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。
本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。
安部先生は反安部運動の黒幕が CIA と官僚だというのがわかっているからね。
官僚の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう:
官僚はCIAの指示通りに動いただけだから黒幕はCIAなんだ
アメリカは安部さんを解任したいから、スキャンダル情報を官僚に流してマスコミを使って日本人を操作したんだ
官僚は安部さんに都合の悪い自民党のスキャンダルをマスコミに流させた
都民はマスコミに扇動されて官僚の流した嘘を信じた
安部さんは官僚とそのバックのCIAとの闘争に負けた
アホ日本人にはそういう背景が全くわからない
スキャンダル情報はCIAが官僚とマスコミに流していた:
日本のジャーナリズムを監視する米軍組織
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
____
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題も財務省がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/385.html#c2
2. 中川隆[-10783] koaQ7Jey 2018年4月21日 06:36:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11602]
野党や左翼マスコミの安倍政権への攻撃は、とうとう愛媛県職員のメモまで矮小化している。それにしてもメモの「首相案件」という言葉が引っ掛かる。官邸では「首相」ではなく「総理」という言い方をするという。おそらく新たに創られる国家戦略特区の制度では、この議長に首相が就く仕組に変わるという話であったろう。
もちろん新しい制度の元でも、ステップを踏んで物事を決めるのだから首相が決めるという話ではない(むしろ首相の議長としての権限は多分に形式的で、首相は最後に上がってきた案件に承認を与えるだけ)。愛媛県職員は新たに始まる国家戦略特区の制度をよく理解しないまま、このメモを作成した可能性がある。対応者は、親切心で事細かく説明したと思われる(これまで15回も申請をハネられたことに同情し、これにめげず今回も申請してほしいと言いたかった)。
しかし対応者は、自分の説明したことがこのような誤解を招くメモになるとは思わなかったであろう(捉え方によっては首相が全てを決めるといった表現)。しかも最悪なことにこの奇妙なメモを持って愛媛県職員が各省庁に陳情に向かったと思われる。どうもこのメモが加計学園騒動の元になった可能性がある。もしこのストーリが本当なら大笑いである。官僚の総理への忖度といった話などは、まさに的外れなことになる。
____
◆「首相案件」の何が“違法”なのか?
総理が違法な賄賂や便宜供与をしていたというのなら問題ですが、政治家が有権者や支持者の要求を行政に働きかけるのは政治家本来の仕事であり、それだけ仕事熱心な政治家ということになる。
このような事を延々と1年間も貴重な予算委員会で追求し続けていますが、印象報道に終始して安倍内閣の支持率を下げることには貢献しても、総理を辞任に追い込むことは不法行為でなければ不可能だろう。それが総理が関与したかしないかは不法行為でなければ何の問題もない。
記事でも、『本件という意味が「加計学園ありきの獣医学部設置案件」(=特定)なのか、「首相肝いりで進めていた国家戦略特区」(=全体)なのかで全く意味が違ってくる。』というように、関与したかしないかでも定かではない。加計学園の獣医学部も国家戦略特区構想の基づくものであり、もともと首相案件でもあった。
だから加計学園から賄賂をもらっていたのなら違法行為であり犯罪だから総理退陣に追い込めるが、単なる働きかけは政治家の仕事であり当たり前の行為だ。おそらく賄賂を貰っているに違いないという思い込みが、マスコミや野党を動かしているのだろう。
これといった証拠もなく、メモからの推測だけで総理の関与を勝手に想像しているだけで、賄賂などの犯罪に結びつくものではない。国家戦略特区制度は安倍総理の中心的な政策の一つだから「首相案件」であることには変わりがない。違法性はないのだから政府側も開き直ったほうがいいのではないかと思う。
北朝鮮や米中貿易摩擦などの問題をほったらかしにして、野党はモリカケ問題の追求に終始している。いずれも思い込みによる推測による追求であり、朝日新聞は大阪地検からのリークで報道しているようですが、文部科学省からもメモがリークされて、財務省では決済文書が改竄された。
このような霞ヶ関内部からのマスコミへのリークは公務員の守秘義務違反であり、決済文書改ざんは禁固10年の重犯罪なのに、訴追は見送られるようだ。やってはならないことをやっても、罰せられなければならないことをやっても霞ヶ関はお咎めなしであり、メモをばらした前川前文部次官や朝日にリークした大阪地検の女検事は処罰できなのだろうか。
http://2013tora.jp/kabu406.html
最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。
本当に恐ろしい世の中です。
既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。
まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。
これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。
本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。
安部先生は反安部運動の黒幕が CIA と官僚だというのがわかっているからね。
官僚の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう:
官僚はCIAの指示通りに動いただけだから黒幕はCIAなんだ
アメリカは安部さんを解任したいから、スキャンダル情報を官僚に流してマスコミを使って日本人を操作したんだ
官僚は安部さんに都合の悪い自民党のスキャンダルをマスコミに流させた
都民はマスコミに扇動されて官僚の流した嘘を信じた
安部さんは官僚とそのバックのCIAとの闘争に負けた
アホ日本人にはそういう背景が全くわからない
スキャンダル情報はCIAが官僚とマスコミに流していた:
日本のジャーナリズムを監視する米軍組織
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
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日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
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●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題も財務省がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/384.html#c2
27. 中川隆[-10800] koaQ7Jey 2018年4月21日 07:02:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11614]
上の階級の人間が理想とする光の世界とは
今、地球の「アセンション」が始まろうとしています。
これから世界人類は、地球環境に優しい人口11億人を目指して、57億人が淘汰され地獄へと落ちて行きます。そして、残された行い正しい11億人だけが光の世界へと上昇できるのです。
「アセンション」の時代を生き延びた勝者には こういう楽園が待っています:
181 :山師さん:2008/10/11(土) 14:33:21 ID:6hzLlhXv
バブル崩壊時のソープはいまにして思えば信じられないよーな世界だったな。
なにしろ美人でなければソープ嬢になりたくても一次面接で落とされまくった時期だ。
吉原しかしらないが、在籍嬢の容姿が最低レベルでAV女優、 平均レベルでいまのアイドルクラスなんて店もけっこうあった。
素人や新卒が多かったからサービスはぎこちなかったし、そーゆー店はそれでも込みで6マソくらいとったけどな。それでも納得できたものだ。
しかしあれも一瞬の夢だったな・・・世の中の人々が夢を取り戻すと同時に終わる奇妙な夢だよ。
彼女らが一般の社会生活に戻って行くのに合わせて吉原から足が遠のいていった俺だが・・・
いまふたたび聞こえてきたんだよ、夢の足音が!
そこまで来てる〜♪ よーな気がするんだよ!
20 : VIPがお送りします :2010/05/08(土) 23:20:32.85 ID:NGkmykzt0 (10 回発言)
初めて行ったときは、お嬢さんの質の高さに驚いた。
若くて綺麗で。
多少は化粧とか髪型で騙されてる部分はあると思うんだけど、それでも子供の頃から学年で上位に入る美少女だったんだろうと想像する。
なんでなの?
http://logsoku.com/thread/yutori7.2ch.net/news4vip/1273327589/
110 : ハマグリ(コネチカット州)[]:2008/11/25(火) 20:01:46.85 ID:f9Wqvy/L
今の風俗はマジ可愛い子がいるからびびるぞw
素人と風俗嬢の境なんかほとんどなくなってるからw
342 :聖なる客 :2009/01/27(火) 09:12:38 ID:zO785ZiX0 (3 回発言)
人気風俗嬢モノにするって男の勲章なんだよ。
フードルはネット動画にもでてるアイドルだし。
一流の嬢を恋人・妻にしたいって、成功者なら当然だろ。
今の人気嬢は芸能人以上の美形だし。
真面目な話し、風俗嬢が美人じゃなかったら、妻にしようとは思わない。
でも今の風俗嬢って、凄い美人だらけなんだよね。
http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/nuki/1232543945/
★フィリピンパブはなぜ男を狂わせる?
全身火だるま状態でフィリピンパブに突入――。こんな派手な事件が愛知県で起きた。
被害に遭ったのは西尾市の「ショーパブ ズー」。13日午後11時50分ごろ、男性が
灯油をかぶって火だるまになり、店内に飛び込んで死亡した。鉄筋2階建ての1階部分
140平方メートルのうち100平方メートルが焼けたという。
(中略)
客がフィリピン女性にメロメロになるケースが多い。いったい、何がいいのか。
「一番の魅力は性格です」とはフリーライターの出町柳次氏だ。
「フィリピン女性はラテンのノリがあり、屈託のない明るさで接客するんです。しかも
優しくてフレンドリー。頼みもしないのに“疲れてるでしょ”と手のひらのマッサージを
してくれ、毎朝“おはようメール”で起こしてくれたりもします。思い込みの強い客は
相手が自分にホレていると錯覚してしまうのです」
セックスでも献身的だ。
「スペイン系の血が流れている女性は肌が白く、見事なモデル体形。カトリックの教えも
あって、とことん男に尽くします。ベッドでは“もういいよ”と言うまでフェラや全身
ナメをたっぷりしてくれるし、感度も抜群。事後は靴下をはかせ、髪をとかしたりして
くれる。ヘソのそうじまでする女性もいます。ほかの国のホステスと奉仕の精神が違う
のです」(風俗ライターの蛯名泰造氏)
一度、付き合ってみたいものだ。
日刊ゲンダイ - 2013/2/16 7:00
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20130216-00000003-a_aaac
タイ女性は白人の女奴隷であることが嬉しい
仏教や王室に対する侮辱にヒステリックに反応して見せるタイ人だが、自国の娘たちが白人の女奴隷として扱われることには何の抵抗も感じない。
現にまったく抗議しないのだ。 嫌だという意思表示も一切しない。
だから白人側も安心して、後に載せるような文章をタイ女ポルノの商売のコピーに使うことができる。
タイ人自身、どうせ自分たちは「土人」だと思っているからである。
それが土人の土人たるゆえんでもある。
そして、白人の前で他の有色人種がタイ人より勝って評価されないようにその足を引っ張ることにのみ専念する。
「日本人もヨーロッパに行くときには往復航空券が要るよね」
「日本人の女の子もファラン(白人)が好きだよね」
タイ人が日本人に対する決め手として出してくるのはだいたいこんなとこである。
次のようなことをヨーロッパの堂々たるサイトに書かれていても、タイ人は白人には一切文句を言わない。彼らは白人からはどんな扱いを受けても平気なのである。
次の文章はhttp://www.apenstaart.be/という立派なサイトのerotiekというカテゴリーからスッと入れるページにある。日本人女性のポルノもあるがここまでひどい能書きはついていない。
Join us as we assault Thailand's incredible talent pool of whores, and fuck one of them who will hold still long enough for us to bust a nut! This site is not for the feint-hearted and we apologize for none of it. It is raw, rude, uncut and downright immoral at times.
Watch these young Thai whores fuck, suck, beg us to give them babies, act stupid and take loads of cum on their faces and up inside their super tight Asian pussies... all just to survive in The City of Angels and Orgasms!
What can we say about Ae? We were chilling out at a go-go bar drinking a few beers when when we first saw her.
She doesn't speak much English, but once she understood what we wanted, she smiled knowingly & said "we go." Her sexy young body plus a heavenly wet & bald pussy called for a huge messy load from DiscoFly. A top notch whore!
Lek was found walking the streets outside Nana Disco at 2am as everything was closing. We quickly saw BSW potential and stepped to her doing our usual "we're American talent scouts" song and dance.
She was dumb and desperate so of course she went with us and didn't bat an eye when the cocks came out, she simply asked if she was supposed to "smoke" it.
This shy whore claimed she was down for whatever until she got a peek of Mr. Kincade's 9 1/2 inch cock. She then desperately tried to talk her way out of getting fucked but as soon he shut her up by stuffing his cock in her mouth, the peace talks were over.
Then he split her wide open! We all know that Kincade brings the pain, but damn she's bleeding!
http://www.bangkokstreetwhores.com/1/bangkokwhore1.html
これが白人男がアジア女に求めているものである。
When it comes to sex, well I'm still submissive and I prefer a man to do just do anything he wants to me. I love being thrown around like the little rag doll I am. I'm what many men call an Asian Fuck Doll because I like to dress up in really sexy and colorful Go Go outfits and then show them off to my boyfriend. He can't help but want to fuck me in all the positions imaginable.
http://asianbutterflies.com/galleries/8/th/001_01/th/1060318.html
http://www.apenstaart.be/
http://www.apenstaart.be/erotiek.php
日本が白人を歓迎すればするほど、白人からも他のアジア人からも舐められ軽蔑されるようになるという事実は軽視すべきではない。
Youtubeに白人による人種差別的な反日侮日動画がひしめいていることは私も知っている。
アジア女を使った私製ポルノみたいなのもあるだろう。
白人に「自由な表現」を許すと何が出てくるかがよくわかる。
しかし上の文章は、ポルノとはいえ立派なサーバーで堂々たる業者の営業として運営されているサイトの商業コピーであって、個人が好き勝手に人種差別的な表現をしているものとは性質が違うと思う。
なお、グーグルは「差別を嫌う」などと能書きを垂れているようだが、今の世界でもっとも人種差別的な表現を垂れ流す手助けをしているメディアはYoutubeを所有するGoogleにほかならない。Googleは現代の白人の偽善の象徴のような会社である。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/08/post_eecb.html
"The Sleeping Dictionary"(セックスする辞書)マレーシアの映画 2006年8月 1日
なんとも情けない話である。
イギリスの植民地になった国々は、旧宗主国に対する尊崇の念が自己のアイデンティティの一部になっていることは確かなようだ。
準植民地だったネパールでもそうだし、ミャンマーでもアメリカは嫌われているのにイギリスはそれほどでもない。
イギリスの場合は「植民地経営」と呼ばれたりするが、日本の場合は必ず「植民地支配」と呼ばれるのは納得がいかないが、長く支配した者の勝ちという教訓だろう。
植民地支配は、
十分な実力を背景に容赦なくやること、
被支配者を人間と思わないこと(言葉らしいものをしゃべる猿と人間との中間的な存在ぐらいにみなすこと)、
被支配者同士を戦わせ争わせること、
支配者の言語を複数の被支配者の共通語にすること、
そして、
とにかく長く支配を維持すること
が重要であるようだ。
他者をモノとみなすこと、あるいは本当に見下すことは、日本で思われているほど簡単なことではない。
これは訓練を要する心の技術であり、少年時代からの教育と修練が必要である。
"The Sleeping Dictionary"という映画がマレーシアのテレビで放送されるらしい。
ここで"Sleeping Dictionary"というのは、「引かないで眠ったままになっている辞書」のことかと思いきや、そうではなかった。
sleepを英和辞典で引くと・・・「((略式))(異性と)寝る((together/with ...)). ▼「性交する」の婉曲(えんきょく)表現」とある。
サラワク(現在マレーシア領のボルネオ島の一部)の"Sleeping Dictionary"とは、イギリス人の植民地役人にあてがわれた、「寝床の辞書代わり」つまり「現地語教材かつ召使を兼ねた性処理用の土人女」のこと。
つまり「イギリス人殖民役人に寝物語で現地語を教える女奴隷」という意味である。
そしてこの物語は、高邁な精神を持つイギリス人役人が、あてがわれた土人売春婦とヤってるうちに愛が生まれたという世にもまれなる御伽噺のようである。
また、イギリス人に女をあてがったのは地元の土人側が勝手にしたことで、土人の未開な悪習からそうしただけであって、イギリス側が求めたわけではないという立派な結構にもなっている。
forbidden loveとあるのは、「土人側にはよくても文明国のイギリスからは禁じられた関係だった」という、まことによくできたお話である。
なお、この女の出身母体である土人は、サラワクの非ムスリムのIban族ということになっている。
あるツーリストは「ボルネオはタイの次に白人崇拝がひどかった」といっていたが、マレーシアの「土人売春国家」的な面が、非ムスリム少数民族との関係で噴出するということだろうか。
マレーシアも、ムスリムの少ないボルネオでは白人向け土人売春ツーリズム・レンタルワイフツーリズムを、タイ並みに振興したいのかもしれない。
なお、サラワクは、Brookeという白人のゴロツキが私的に占領して「白人王」(White Raja)を名乗っていたという歴史のある土地でもある。
誰か志のある人が、大川周明の「英国東亜侵略史」でも英訳して七つの海の国々に配布してくれると良いと思う。
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(記事全文 NEW STRAITS TIMES, AUGUST 1, 2006 より)
A tale of forbidden love By Hizreen Kamal
Set in the 1930s in Malaysia's rainforests, The Sleeping Dictionary tells the story of the tempestuous and forbidden love affair between a young, idealistic Englishman and a beautiful Iban tribeswoman.
When John Truscott (Played by Hugh Dance) takes up a job in the British colonial outpost of Sarawak to "civilise" the Malaysian natives, he is taken aback when he is presented with a native servant Selima (played by Jessica Alba) as his "sleeping dictionary", a local term used for women given to settlers to teach them the local language as well as sleep with them.
Although this unorthodox practice is a readily accepted custome in the local comunity, the pair is monitored closely by Governor Bullard - John's crusty superior - and Bullard's wife Aggie (played by Brenda Blethyn) to ensure that no romantic attachments result from the liaison.
(土人側には喜んで受け入れられた習慣だったが、イギリス植民当局は渋い顔をしただと。
ただの肉便器辞書女の関係なら良いが、「恋愛」に発展するのはまずいと。)
John and Selima soon fall passionately and openly in love.
(普通は同国人の素人娘でも簡単にやれてしまうと急速にさめてしまうのが男の性だと思うが・・・・・
確かに、通常の恋愛とはまったく異質の「南国コロニーでの女奴隷遊び」という「特別な分野」に夢中になる白人は今も少なくないようである)
The colonial authorities and the native population soon turn against the lovers, setting off a chain of events that test their resolve to the limit.
(ローカルに受け入れられたのは「肉便器関係」だけであって「恋愛」ではなかったと。)
Filmed in Malaysia, the bettersweet love story directed by Guy Jenkin boasts spectacular cinematography, featuring the lush rainforests of Sarawak and rich colours of the exotic 1930s (including architecture and traditional custumes).
The Sleeping Dictionary premieres on Asian television on Aug 27 at 10pm (Cinemax, Astro Channel 41).
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サラワク原住民Iban族の野蛮性を良く表現した映画であるといえる。
ぜひとも「野蛮」の存在を確認し、野蛮の中に神秘的な美を見出すとともに、それによって自己を確認したい白人にとっては垂涎の物語であるということになるのだろう。
はっきりいって、こういう白人に媚びた土人オリエンタリズムは迷惑である。
これを見た毛唐は「ああ、アジアはやっぱりそういうところか。そうかそうか」と納得して喜ぶだろう。
サラワクへの土人買春白人ツーリストが増えることは間違いない。
「非ムスリムのアジア・土人のアジアは、白人にとって都合のいい便利な所だ」という白人ツーリズム振興目的の宣伝は、ムスリムのマレー人のプライドは一向に傷つけない。
ネイティブ(土人)でない移民系にも関係ない。だからマレーシアでこういう映画が抵抗なくまかり通ることになるのだろう。
なにより"The Sleeping Dictionary"というタイトルが下品というほかない。
いっそのこと日本も「肉便器」というタイトルの映画を作って、「アジア女にカネ使うなんて、よっぽどもてない不細工な白人なんだろうね」というキャンペーンをはってみたらどうだろう。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/the_sleeping_di_33a7.html
"Sleeping Dictionary" 再考
聞くところによれば、日本語を習得したいと思っている白人男性がまずなすべきことは「日本人のガールフレンドを作ること」というのが、日本語学習を志す白人たちの「教科書的な答え」になっていて、そのとおりに活字にもなっているそうである。
彼らの日本語テキストには「日本語を覚えるために日本人のガールフレンドを作りました」とか「作りましょう」という話題が平然と出てくるのだとか。
白人にとってはいまでも、日本人を含めた「アジア女」は、望めばいつでも自由に手に入るもの、コンビニで買えるものという感覚なのだろう。
その意味で彼らにとってタイの売春婦も日本の英会話学生も変わるところはない。
(違いがあるとすれば、
タイでは多少なりともカネがかかるのに対して、日本ではカネが入る、
ただし、タイではハゲデブ60過のオヤジでも白人ならOK、
日本ではそれはちょっと難しいかもしれない、というぐらい)。
この関係は、当事者の主観的な認識には左右されない「客観的な枠組み」として確立しているものであり、彼らが仮に主観的にまじめであったとしても、この枠組みから外に出ることはできない。
彼らがそれを意識しなかったとしても、世界的には、当然のようにその枠組みの中で人々に扱われる。
それは、タイの上品な高級ホテルで白人男性とアジア人妻のカップルが歓迎されないのと同じく自然なことであり、タイの有名高級ホテルで白人客がつねに優先されるのと同じように揺るぎがたい、確立した枠組みである。
もし彼らが果敢に、その枠から「外に出よう」と努力するなら、その「努力」という行為自体によって、あらためて彼らの関係の「特殊性」が再規定されることになるだろう。したがって、世界に広がるこの枠組全体を壊してしまう以外に、個別にこの枠から自由になる方法はないということになる。
昔「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画があったが、そこでも簡単に手に入ってしまうチベットのローカル女性と白人との「模範的な関係」が表現されていた。
そこでは、チベット女性をモノにすることは(よっぽど歪んだ性格の白人でない限り)ちょっと色目を使えばすぐに落ちてくるような容易なことなのだが、珍しい素材としての彼女を磨いて付加価値を付けるのは白人の嗜みである。
彼女の文化にすり寄ってみるのも白人の風流な遊びであり、趣味の類である。
彼女の携える文化は一見異質そうに見えても、実は白人に容易に「理解可能な」ものばかりである。
白人にとって「異文化との出会い」は「深刻な葛藤」ではありえず、選択肢がひとつ増えたという素朴な喜びにすぎない。
そこで彼らが出会うのは決して白人に理解不可能な、アクセス不可能な「他者」ではない。
もしそのようなものだったとすれば、それは断固として根こそぎにすべき野蛮だということになる。
「異文化との出会い」とか「異文化コミュニケーション」という気持ち悪い言葉が日本に流布するようになって久しいが、その「出会い」が少しでも「まじめ」なものであるならば、当事者の内面に「深刻な葛藤」を生ずるのが自然だと思う。
「異文化」は「厄介なもの」なのである。
この認識は、英語だとか英会話だとか言って喜んでいる多くの日本人にも欠けているように思う。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/sleeping_dictio_51bf.html
タイで雇った売春婦を連れて東南アジアを旅して周るというのは白人セックスツーリストが好むバカンスである。
彼ら偽善白人は、互いに「ボーイフレンド」「ガールフレンド」と称し、本当の恋人同士のように振る舞い、彼らの援助交際の売春性を糊塗しようとする。
白人にとって「売春」とは、売春宿でケモノのように動物的なセックスをすることであり、麻薬と密接な関係のある行為である。白人が「日本人のセックスツーリズムを批判するときも、そのような行為のイメージが前提とされているといってよい。
彼らは、しばしば売春婦と結婚さえする。
もちろん別れるのも簡単である。自国に帰ってしまえば、タイにいる売春婦に賠償請求や扶養請求の裁判を起こされるようなことはまずない。
それはバカンス中の遊びの一環で、多くの場合タイや他の国に二人で長期滞在するための手段であって、書類上のことにすぎず、日本人のように「戸籍が汚れる」という観念もないから簡単である。
http://journal-ibrahim.blogspot.com/
タイでは都会はもとよりよほどの田舎町でも、ごろつき白人が奴隷女を囲って貴族滞在している風景を普通に見ます。
そういう「白人のいる風景」を毎日見ていて平気でいられる、それが普通なのだと思っている、というのがタイ人です。
これほど白人を受け入れている国民はアジアでも他にはあまりないと思います。
自国民の女をクズ白人爺が奴隷女のように囲って自分の町や村に滞在している、そんな「白人のいる風景」をタイでは普通に自分の生活空間の中で、屋台でも喫茶店でもモールでも、毎日のように目にしなければならない。
つまり、ごろつき白人はタイ人の生活の一部になっているわけです。
これがもしネパールだったら、と考えてみると、カトマンドゥのタメル地区(ツーリスト地区)には土人女連れ毛唐をたまに見ますが、女奴隷連れで旅行している白人で、女はネパールで調達したのではなくタイなど外国から連れてきたのが多いように見える。
ネパールでは契約売春婦の調達は簡単ではないようです。
ネパールの田舎町だったら、仮にその毛唐が囲っているのが自分とは無縁のカーストの女であったとしてもネパール人は黙ってはいないと思います。
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ヨーロッパ人はタイのバービア嬢やゴーゴー嬢と安易に結婚して(短期間=結局破綻するので)本国に連れ帰る例が多いようですね。
白人ツーリズム=買春拠点であるチェンマイではそんな話をよく聞きました。
ヨーロッパで暮らしたことがあるというのを自慢にしている売春婦(自称「ガールフレンド」、「支払われるガールフレンド」を稼業にしている女)のも少なくないような。
そんなタイ女がヨーロッパにいっぱい住んでいるのだから、タイ人の場合、先進国で差別されて当然というほかないような気がします。
ごろつき白人がタイでだらだら暮らすために売春婦と結婚して本国にも連れて行くという例も非常に多いのですが(係累のない孤児のような女を必死で探すのだとか=それは納得ですが)、堅いイギリス人などで育ちの良いのがちょっとタイに来て売春婦につかまってしまう例も少なくないと聞きました。
タイに来ただけで「アジア」がわかってしまったと思い込むタイプの白人が多いようです。
まじめなヨーロッパ人男が初めてのアジア旅行でタイに来て、自分が教えられてきたヨーロッパの価値観や美意識とはまったく違うものがまかり通っていて、しかもそれで結構楽しい思いができたことにショックを受け、
「これだ!これでいいんだ!これがアジアなんだ!」
とか思い込み、売春婦と本気で結婚してしまうこともあるのではないかと思います。
実際、人身売買、児童売買、海外移送の手先として国際的に活躍しているタイ女が非常に多いので、タイ女が国際社会で胡散臭い目で見られるのはむしろ当然でしょう。それはタイが国策として長年やってきたことの当然の結果です。
タイの「ガールフレンド産業」のせいでタイ人以外のアジア女性全体が「ガールフレンド」や「レディー」のような目で見られている面が相当あるのだから、タイ人が差別されるのは自業自得というほかありません。
私は日本の入管もタイ女だけは極力入れないようにすべきだと思います。
フィリピン女よりたちが悪い。
彼女らが売春するだけならまだしも、そのかげではるかに弱い立場にいる少数民族などの少女が売買され搾取されている可能性が非常に高い。
白人の児童性的虐待のカバーとして、児童の母親役のタイ女と偽装カップルになるというのはタイではごくありふれたことです。
児童とも母親役の女とも・・・ということがあるかどうかまではわかりません。 これでは偽装親子○ですね。
これだと目立ちにくいので、それによってタイが「児童買春支援国家」として国際的非難を浴びることもないから、タイ国内では白人がやってる分にはほぼ野放しのようですね。
しかし(どうでもいいことですが)こういう悪い遊びをするにはある程度ネットワークが必要です。
児童の調達はもとより、母親役の女の調達など、現地人の支援と白人同士の助け合いが必要になります。
日本人買春オヤジはこういう組織性が必要な遊びは苦手なように見えます。
たしかに、白人同士はアジアでよく助け合っているように見える。
「野蛮人の地では助け合う」というのは、数百年にわたる経験で白人が得た知恵かもしれません。
在外日本人たちのようにいつも互いに足を引っ張り合っているよりは麗しいことかもしれません。
ちょっと下品になりましたがタイの現実を包み隠さず語ろうとすれば下品にならざるを得ません。
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-category-10.html
最初にタイに行ったころ、そこでの白人たちがやっていることや振る舞いを見たときは本当にカルチャーショックでした。ここはまだ列強の植民地時代だとしか思えないところでした。
売春婦やレンタルワイフを白昼堂々と連れまわす白人オヤジが大量にいるだけでなく、それ以外の白人も圧倒的に多く、植民地の主人然として振舞っている。
いつもキレイごとを言う白人たちだが、だれも買春白人オヤジを批判しない。
買春白人があまりにも堂々としているので、しばらくそういうところにいると、彼らの旅の仕方やバカンスの楽しみ方(レンタルワイフを雇って同棲)のほうがここでは正しいのではないか、彼らは正しく人生をエンジョイしているだけなのではないかという気すらしてくる。
こういう国を長期旅行する人は、どこに行っても買春白人たちが偉そうにのさばっているので、まともな感覚の人でもいちいち気にしていられない。次第に無感覚になっていくし、自分の倫理的な防波堤も危うくなってくる。
このように、タイなどに長くいる人は、白人の振る舞いにどんどん無感覚になっていく。そうならないといられない。
また、白人のセックスツーリズムはレイシズムと不可分だと思いますが、タイなどに長く滞在している日本人は、白人の堂々たるセックスツーリズムに無感覚になると同時に、白人のレイシズムにも無感覚になってしまう。
タイ人による人種差別、白人優遇も強固なルールになっているので、それにいちいち反発してもしかたがない。結局、どんどんまともな感覚が鈍磨していきます。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/post_1d2e.html
道端に女の子のパンツがいっぱい干してあるようなのどかな村に、西洋式生活を全部入れた巨大なバックパックを背負っておしかけ、欧米直輸入のギラギラした眼差しで、女の子が水浴びしている姿やおばさんが昼寝している姿をノゾキ歩くというのが、白人ツーリズムである。
白人ツーリズムの目的はつねに、征服感なのである。
未知のものを暴き出し、未知の領域を踏破し、その空間に白人が滞在できるシステムを設置したという、征服および空間の支配の感覚こそ白人ツーリズムがあくことなく求め続けているものである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/12/post_ba4e.html
白人ツーリズムの本源は、十字軍ツーリズム、大航海ツーリズム、植民役人ツーリズムであり、その実相はまず持って、レイプツーリズムにはじまり、幼女姦ツーリズム、人買い・児童買いツーリズム、すなわちゴーギャン鬼畜ツーリズムを基本とするものである。
ゴーギャンこそ児童ポルノのパイオニアである。
このように、白人ツーリズムは「セックスツーリズム」と不可分である。
しかし、この「セックス」は本国におけるセックスと同じではない。「隠されたもの」を暴き出し、「未踏の地」を白人の30センチのビブラムソールで踏みにじり踏破する。
目に付いた処女の脚を開かせてその日常における処女膜の様態を確認し、さらにその断裂の様態をも観察する。これもまた人種分類をうちたてた白人人類学に属する。
重要なことは、これら一連の破壊行為が白人にとってはたんなるエネルギーの消費ではないということである。彼らは「野蛮人」の文化の収奪、有色人種の文明的なエネルギーの収奪という意味を持つようなシステムを確立した上で、この破壊行為に及んでいるのである。
ツーリズムは多かれ少なかれ伝統文化の破壊を将来するが、白人ツーリズムの特徴はやはりその宣教師的な性格、すなわち、熱心な「破壊+宣教」活動にある。
つまり、白人(セックス)ツーリズムは、「破壊」であると同時に「宣教」もあるのである。それは次のようなシステムを持つ。
白人ツーリズムはセックスツーリズムと不可分であるだけでなく、「男女関係」にかんする規範の破壊を必ず将来し、旧来の規範に変わる新しい規範を強要する(恋愛ツーリズム)。
ところが、この「男女関係に関する規範」こそ、あらゆる伝統文化の「形」を維持する堤防なのであり、文化の要(かなめ)なのである。
白人ツーリズムによって「男女関係に関する規範」を破壊された土地は、いわば堤防を壊された「輪中」部落のようなものである。
そこには何の歯止めもなくなり、新しい規範たる白人消費文化と(キリスト教を含む)白人イデオロギーとが無制限に流れ込むことになる。
このように、白人ツーリズムは、たんなる「恋愛ツーリズム」によってさえ、白人世界による非白人ローカル文化の破壊と宣教、その文化的なエネルギーの収奪の尖兵となり、その文化破壊と「新規範の注入」を敢行していくのである。
白人ツーリズムの動因は今も昔も「セックス」(これは「破壊と宣教」でもある)である。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/12/post_1ade.html
白人の性犯罪がニュースになるのは、起訴されたり判決が下ったりしたときだけです。それも全部報道されている保障はない。報道されるのは氷山の一角のまた一角。
白人は、ごろつき滞在者やいわゆるセックスツーリストだけでなく、「地元に根付いて」「地元に貢献し」ている実業家など、堅気に暮らしているように見える者も、ほとんどこの範疇に入ると思ったほうがいい。
なぜなら、これはもともと白人にとっては「普通のこと」だからである。
彼らが何百年間アジア太平洋で普通にやってきたこと、地道にやってきた騒ぐほどでもないこと、アジア太平洋(というより世界中の非白人世界)における「白人の権利」であったことだからである。
何度でも言うが、白人世界でゴーギャンが非難されたことが一度もないように、白人のこの種の「特権」概念がラディカルに批判されたことは一度もない。彼らがそれを自己批判する道理もない。
彼ら白人にとって、アジアはもともと「それをやっていい土地」だったのだ。
いつから「いけない」ことになったのか腑に落ちないくらいなのである。
彼らがアジアを見る目は、「最近ちょっと金持ちになってお澄まししているが中学生のときからずっと誰とでも寝て金をせびっていた女」に対して男たちが投げかける視線のようなものである。
「どうせ・・・・」
「条件次第ではいまだっていくらでも・・・・」
「警察さえ何とかすれば・・・・」
という感覚である。
「アジア」に来ればあたり構わず女に声をかけ代金を示して交渉する、年齢にかまわずスキのある女児男児に付け入ろうとする、というのが白人の常態である。
外国人犯罪抑止のためにもこの事実は正しく知らなければならない。
「エイズ以前」の東南アジア、とくにタイを中心とするインドシナのセックスツーリズムなど今よりさらにひどいものだったので、それを考えるとエイズは天罰というほかありません。
「セックスが安全」なら大量のセックスツーリストが「貧しくてタブーの少ない」地域に押しかける。
体力のある若い男なら(むなしさを感じる感性もなければ)、一日4回でも5回でもセックスが出来る。貧しくタブーがなく住民のすれていない地域で誘惑すれば、一人のツーリストが一日4人でも5人でも買春または「恋愛」できるということ。
「タダで、生で、処女で、何人やった」ことを誇る白人ツーリストは、いまでもタイ北部ではあとを絶たないのである。そういう話は容易に立ち聞きすることができる。
性的本能として、妊娠の可能性の高い行為からより強い刺激を得ることが出来る。
男にとって安全(死ぬほどの病気にならない)であれば本能のままにやり放題になる。
実際にこういう白人ツーリストが大量にやってきて、貧しい地域を中心に大量の売春婦を創出した。
売春によって初めて貨幣経済の洗礼を受けた山岳少数民族などにとっては、経済(お金)=売春・娘(幼女)売りということになる。
いったん貨幣経済の洗礼を受ければカネなしで生活できない、しかし売春以外にカネを得る方法を知らない。また、売春婦は遠隔地からもどんどん集まってくる。地元で売春をする者は少ない。
セックスツーリストは時に大量にやって来て、売春婦不足を起こす。
売春婦はある意味で慢性的に不足している。
客はすぐに今までの売春婦に飽き、売春ズレした女に飽きる。
白人客がアジアに求めるものは「ゴーギャンのような体験」なのであり、未踏の地の桃源郷に咲くだれも見たこともない花を摘み、独占するというイメージである。
新たな付加価値のある売春婦が大量にリクルートされることになる。
若い売春婦、幼女、処女などが農山村から常にリクルートされる。
しかし客が大量に来る時期は限られている。来ないときは来ない。
同じ売春婦を繰り返し買う者も少ない(タイの売春バー、レンタルワイフバーは、同じ売春婦を継続的に買わせる制度という面もある)。
いったん売春生活に入って「近代生活」に入ってしまった者は、客が来ない間以前と同じ生活に戻るわけにはいかない。第一、あまりに若い時期に村を出て、売春婦またはレンタルワイフとしての生活を始めた者は近代生活しか知らない。
売春婦はツーリストの少ない間も何とか貨幣を得ていなければならない。
それゆえにまた、売春婦の慢性的な供給過剰が生じる。
売春市場においては、同地域においても、需要過剰と供給過剰とが同時に起こりうるのである。
すなわち、売春においては供給過剰の中でも供給不足がおき、さらに売春婦がリクルートされることになり、さらなる供給過剰を惹起する。そして供給過剰は買春客の創出を引起せざるをえないし、また「自由な市場」においてはすることができる。これが売春力商品の特殊性の第一である。
「自由な」売春市場の隆盛は、売春への倫理的ハードルを低くし新規参入者による供給を創出することにより売春価格を押し下げ全般的に売春婦を抑圧すると同時に、新鮮で若い売春婦の参入は、よりエキセントリックで狂気じみた楽しみの分野を開拓する。
「マジメな場所」や「清純な場所」にセックスを持ち込むことがセックスの大きな刺激であってみれば、(というのは男性の性欲は多かれ少なかれ「破壊」のイメージと不可分であるから)、これは伝統文化、倫理規範の破壊自体を楽しみとするものとなり、同時に多くの児童幼女少年たちを犠牲にしていくことになる。
供給上の都合からも需要からも、両面からの要請により、売春婦は限りなく低年齢化に向かうことになる。
このようなプロセスを経て売春価格は慢性的に下落し、売春婦は安い値段で回数人数をこなさなければならなくなり、売春施設・売春産業の拡大、ツーリスト以外の顧客層、ローカル客の開拓が要請されることになる。
タイは「豊かな国」であるにもかかわらず、タイの売春価格がもっと貧しい国より安く抑えられていることの理由のひとつはここにある。(奴隷労働者に近い少数民族や外国人労働者、広範な家内奴隷的使用人の存在と、大量の貧乏白人ツーリストとが、サービス業一般の物価を低く抑えているという背景もある)。
売春ツーリズムおよび売春産業は、「自由」に放任しておけばこのように爆発的に膨張するとともに、地場に根を張り伸ばし、地域の伝統的な性的倫理規範を猛然と破壊していくことになる。
倫理規範という「ハードル」を失った社会においては、売春市場は、先にも述べたとおり、「売春婦の創出」と「顧客の創出」の両輪をフル回転させながら膨張していくのであるが、必ずしも単線的に膨張するわけではない。
売春市場は常に不安定な市場である。この不安定に対応するために、売春市場の巨大化と成熟は、売春システムに一種の柔構造を与えることになる。
すなわち、それは売春の慢性化と普遍化であり、これは言い換えれば社会全体のの「売春宿」化である。
社会の売春宿化とは、とりもなおさず社会のタイ化にほかならない。
具体的にいえば、次のような現象である。ごく普通のホテルのフロントで事務の仕事をしている女の子が宿泊客の求めに応じてごく普通に売春し、終わるとまた仕事に戻っていく。
ゲストハウスの下働きの少女が若い白人客に押し倒される(北タイならミャンマー籍タイヤイだったり少数民族だったりする、イサーンならラオス籍だったりする)、「やや強引な恋愛」だと思っていた白人客は意外にも直後に純朴そうだった少女から3000バーツを請求され、いくらなんでもそれは高すぎるだろうといって交渉して1500バーツにしてもらう(それでも「素人」となまでやれたから彼にとっては結構いい思い出である)。
少女は何もなかったかのようにまた普通の仕事に戻るが、また遠からず別の客に「押し倒される」だろう。これは「普通の仕事をしながら押し倒される」という形式の売春である。
タイマッサージについてはあらためていう必要がない。
タイマッサージは健全なものである。しかし、タイマッサージをしながら恋愛に至ることもある。
生活が大変であることを理解してもらい援助してもらうだけである。
1時間でも2時間でも恋愛は恋愛である。
きわめて健全なタイマッサージを普通に行っている女性が、ときどき客を選んで売春するのである。
この客を選ぶというモメントが、売春力商品の性質を曖昧にし、その商品性を隠蔽する。
これが売春力商品の特殊性の第二である。
売春婦が客を選ぶというモメントが、売春に過ぎないものにあたかも自由恋愛のような情緒とカバーを与える。
白人は恥知らずにも自分が買った売春婦を「ガールフレンド」と呼ぶ。
日本人男たちは売春婦に「嫌われないこと」に躍起になって卑屈に立ち回る。
白人男たちの中には、レッドネックバー(おもに白人用の売春バー)で女の取り合いをして喧嘩を始める者もいる。売春の慢性化、社会の売春宿化、社会のタイ化は、売春に対する社会全体のマトモな感性を麻痺させる。
上等なところに売春婦丸出しの女が白人ジジイを連れて入ってきても平気である。
一方で、10歳前後の少女少年が白人バーを回って薔薇を売る。
客が売春婦にやるためだが、白人客の中には必ず少女少年たちを買おうとするものがいる。実際に買っていく。
それを見ている他の客も、ローカルも何もいわない。
やってるのはどうせ山岳民族の子である。
白人がいっぱいいる中で白人がすることには、アメリカの全面的な精神的バックアップを受けるタイ国家の警察はよほどのことがない限り手を出さない。
アメリカとは実は、「白人世界」の利益を代表する権力のことである。。
タイ人と結婚して定住している白人に、彼らは平然と「少女の紹介」を頼む。
男のほうも怒らないらしい。これは白人から直接聞いた話である。
また、山奥定住白人が、自分が経営しているゲストハウス(単に自分の家の離れのバンガローに白人ツーリストを泊めてやっているというだけの、看板も何もないところだと思う)に「母親役」のタイ人女性と小学生くらいの女の子という偽装家族で泊まりに来た白人男を追い払ったことがあるという話も当人から聞いた。
追い払われた偽装家族は、別の白人が経営するバンガローに泊まり、部屋に篭って顔も見せず少女をscrewしていたという。
白人は「個人主義」のせいか、自分のポリシーは守っていても他人のやることには口出ししたりしないようだ。特にアジアにいる白人同士で密告することは白人世界のタブーのようである。
私もタイの田舎を回っているとき、不自然な3人家族を見かけた。
「父親」の白人とタイ人の「母親」、そして白人にはまったく似ておらず母親とも口を利かない娘が、黙ったままホテルに泊まり、すぐに移動していく。
白人にとってこれらのことは、東南アジアを植民地にしていたときにはごく普通の白人の権利としていくらでもやれていたことだ。
植民地支配を一度も自己批判したこともなく、それを迫られたこともない白人たちがアジアを見る視線は、当時と何も変わっていない。
むかしはゴーギャンも堂々と植民地で子供とセックスをして立派な芸術を残した。
さらに、キリスト教ミッショナリーによる子供の性的搾取がある。
現実には、子供とセックスをしたい者がミッショナリーになって辺地に出て行くことが多いと思われる。キャリアにもならずマラリアの危険もあり白人女と仲良くなれるわけでもない辺地に定着し、現地の子に英語を教えたり聖書を読ませたり、子供に英語名をつけて民族名を捨てさせ西洋風の習慣を仕込む仕事をするミッショナリーにあえてなろうとする若者には、それ以外の強い動機がなければならない。真に敬虔なものは理屈抜きでこのようないかがわしい仕事は避けるだろう。
ミッショナリーは白人キリスト教徒の寄付も多く、かなり儲かる事業のようである。
経営者側も、ミッショナリー志願者が来ないよりは子供とセックスをしてもたくさん集まったほうがいいのである。
アメリカやヨーロッパから彼らに金を出している人たちは、アニミズムの未開の村の子供たちが洗礼を受けて英語名をもらい英会話を覚え賛美歌を歌い先祖崇拝などの「野蛮な風習」を捨てているいうことだけで「良いことをした」と満足するのである。
彼らの活動にはアメリカ大使館の支援もあり、アメリカ言いなりの「仏教国w」タイ政府も山岳少数民族の村でのミッショナリーの活動には大いに協力的なようである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6835141/index.html
少女の調達先
1)タイ娘
東南アジアにおける「買春」といえば日本人だと思ってる人も多いかもしれない。日本はなぜか児童ポルノ・児童買春が「野放しになっている」と「国際社会」から批判を受けているそうだ。日本ではそういう報道が多いから、アジアでの児童買春の犯人も日本人ばかりだと思っている人もいるかもしれない。
しかし東南アジアの売春大国にしばらく滞在して観察してみれば、セックスツーリズムに関する欧米の日本人非難がいかに根拠のないインチキなものか分かるはずである。
そういう国でまずもって目立つのはレディーバー、レッドネックバーにたむろしアジア女を連れまわす白人であり、日本人ではない。
アジア女の「レンタルワイフ」を雇って一緒にのんびり滞在するというのが、東南アジアにおける白人ツーリストの一つの典型的な「型」になっていて、そのための女性紹介業者もある。
タイの英字のフリーペーパーなどを見るとそのような広告―いい女紹介します―を容易に見つけることができる。
日本の駐在員は都会で生活しているので農山村に長期滞在することはないが、バカンスの白人長期滞在者は地元の女を囲って田舎に滞在することも多い。
現地ガイドを雇ったり自分で現地語を覚えたりして、いい女をさがすのにも熱心である。
タイの農山村から、貧しい「処女」や「児童」を掘り出してきてこっそり同棲する白人は跡を絶たない。
彼らは相手を「ガールフレンド」「ボーイフレンド」と称し他人にも堂々と紹介するが、「援助交際」が売春ならばこれらもれっきとした売春であろう。
私もタイのチェンマイで「17歳まで数年間白人の『ガールフレンド』として同棲していた」という山岳民族の少女に会ったことがある。
もちろん「支払われるガールフレンド」である。男に捨てられたあとはNGOのようなところに保護されて売春婦にはならなかったようだが、白人に使い捨てにされた心の傷は浅くないように見えた。
若い娘を囲う男は若いから好きなのであり、トウが立ったら捨ててしまう。たいていの子の「その後」はより厳しい売春の道しかないようだ。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6065804/index.html
一回20-50バーツで売春していた小六少女等を保護
記事:「タイの地元新聞を読む」より
http://thaina.seesaa.net/article/22822059.html
国立行政開発大学院校(NIDA)のスパンニー教授は25日開かれたセミナーの席上で、ウタラディット県内の複数のコミュニティー内で一回20バーツから50バーツで売春をしていた小六から中一くらいの年齢の少女達が保護されていた事を明らかにした上で、その少女達の多くが家庭内不和や両親の離婚、更には母親も同じく売春をしていたという問題を抱え、また中にはエージェントが学校にまで迎えに行き中心部で売春をさせていたケースがあったことを明らかにしました。
ウタラディットはタイ北部。タイ北部ほど売春が堂々とまかり通っていて、買春白人が堂々としている地域も世界に少ないのではないかと思う。
地域の人びとも売春には無関心で、むしろレンタルワイフ連れ白人客を歓迎する態度である。
それは彼ら北部タイ族住民が、売春婦やレンタルワイフたちをはなから「同胞」とは思っていないからである。同胞でない者を外国人に売り払うことにはなんの抵抗感もない。この感性こそ、タイ北部の文化である。
• タイ南部はビーチなどの特別の場所(白人用リゾート)を除けば、住民の目は白人に対して冷ややかであることが多いと思う。イスラム教徒も多い。
• 貧困といえば東北部が有名である。バンコクで働いている売春婦にも東北部出身は多い。
バーで雇ったレンタルワイフを連れて女の故郷に遊びに行く白人も多い。これは「恋愛」ではなくタイでの「定番の遊び」の一つである。
日本人もたまにやっているが、コミュニケーション能力と長期休暇が必要なので数は少ない。圧倒的に白人の市場である。
また、こういうのを素人の日本人が真似すると、泥沼にはまったり容易に手玉に取られたりすることが多いようである。
白人もタイに慣れている人は北部で身寄りのない少数民族の娘を探して同棲したがることが多いようである(売春婦と書類上の「結婚」さえするが、離婚も容易である)。
ただ、東北部は全体的に貧しい地域であり、北部ほど、貧富の差、固定した身分の差、少数民族(クメール系、クイ族など)に対する差別、等は顕著でないように見えた。
• タイ北部には、身分的に固定した貧富の差が存在し、少数民族や合法非合法の越境外国人の身分の不安定と貧困が慢性的に存在している。ここには目に見えない奴隷制があり、人身売買類似行為への抵抗感も少ない。
女奴隷としての売春婦を供給する構造が伝統的に存在するといえる。
1バーツは3円ぐらいだから、20バーツは60円、50バーツは150円。1回1j以下の売春。
この価格から考えて、客はタイ人だったように思われる。外人相手に小学生を売るとやばいことになるという感覚が生まれているのだとすれば、それは結構なことといえるだろう。
しかし、本当は特別価格で外人にも売っていたのだが、それは当局も表に出したがらないので、永久に隠蔽されたという可能性も高い。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat6065804/index.html
イギリスで人身売買組織摘発、タイ人9人を逮捕 借金を背負わせ売春を強要
「人々の優しさと・・・ゆったり流れる時間・・・物質文明に縛られず」の「微笑みの国」タイ王国の・・・・これが嗣業! 相当悪質なもののようである。
【タイ】英国のロンドン首都警察は22日までに、ロンドン市内でタイ人を中心とする女性約30人に売春を強要していた人身売買組織を摘発し、少なくとも9 人のタイ人を含む15人を逮捕したことを明らかにした。過去に英国で摘発された人身売買組織としては最大規模。この組織はインターネットなどで英国への渡航希望者を探し、1人2万8000ポンド (約170万バーツ)の借金を背負わせて密入国させ、売春を強要していたもようだ。
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2) ミャンマー娘
数年前から急激に増えたミャンマー娘、一時期はカトリーヌやラデフォンスなどのマッサージパーラーに多数在籍していたが、度重なる手入れによってほとんど一掃された。
(この2店は警察のコネが弱め)いったいどこに雲隠れしたのだろうと思ったら、現在は何とアムステルダム、ノア、V2に多数潜伏中という話である。(前者2店はコネが強い)
この娘たちの中には未成年も多く、通常の店では働けないので、ほとんどがエージェントの庇護の下でかなりのパーセントを搾取されながら働いている。
未成年の場合は、店のマネージャーにもパーセントを搾取される。 働かせてやる見返りである。
この娘たちの中にはすでに死亡したタイ人のIDを5万バーツ払って取得し、タイ人に成りすます娘もいる。
市の職員が金銭目当てでそういうことをやっている。 従って、IDカードだけでは見分けがつかない。
現在はかなり締めつけが厳しくなって18歳未満のタイ娘は以前よりも減った。
エージェントも、未成年は厄介なので庇護することに消極的だ。
ところが、ミャンマー娘かラオ娘は驚くほど若年の場合がある。
警察に捕まっても娘だけが処罰されるだけだからである。
もし、未成年のタイ娘がいたらIDを誤魔化して働いているか、店も承知で働いているだけである。
日本では考えられないが、田舎の親元から離れてバンコクや、外国人観光客の多い都市でブラブラしている未成年もたくさんいる。仕事ではなくて、金の必要から何らかの“活動”をしようと思ったら、ここタイでやることは限られている。
そこに法律などほとんど意味がない。ちなみにタイ人は15歳未満にはIDカードは発行されないから所持していない。
従ってIDカードを持っていない娘は15歳未満であるか、IDカードを絶対に見せない娘は所帯持ち(女性だけ既婚者は敬称がちがう)か、実はタイ国籍ではない、いずれかの可能性が濃厚である。
http://hage.momo-club.com/news/mp-ura.html
3) タイ山地民
タイ北部に広がる標高500メートル〜1500メートルの山岳地帯には、アカ族、ラフ族、リス族、モン族、ヤオ族、カレン族など十数部族、約75万人の少数民族が生活しています。
多くは中国南部やミャンマー、ラオスからここ1〜2世紀の間に移住してきた人々で、どの民族も独自の言語と高度な手芸技術による民族衣装をもち、焼畑農業にともなう数年〜十数年ごとの集落移動を繰り返しながら、伝統的な世界観と文化を保持してきました。
しかし、今、彼らの生活や文化が脅かされつつあるのです。
タイ政府による森林保護政策により、森林の伐採、焼畑が禁止され、定住を余儀なくされた彼らは、生活の基盤を根こそぎ失いつつあります。
かつてのように肥沃な土地を求めて自由に移動することができず、かぎられた土地で連作を繰り返さなければならないため、地味のやせた山の傾斜地では収穫量が極端に低下し、収量を上げるには高価な肥料や危険な農薬に頼らざるをえなくなるのです。
今では主食の米でさえ自給できなくなっている村も多く、人々は貧困にあえいでいます。
かつて唯一の現金収入の手段だった違法のケシ(阿片)栽培は、近年厳しい取り締まりをうけ、逮捕者も続出しています。
一方でタイ経済の急速な発展と近代化の流れの中で、貨幣経済や物質文明への誘惑から、村の若い人々は現金収入を求めて労働者としてバンコクやチェンマイといった都会に流れて行きますが、タイ語の教育を受けていないことから不当な差別や低賃金で苛酷な労働に甘んじねばならず、若い女性たちの中にはことば巧みにだまされて売春組織に連れ去られるといった例もあります。
村は過疎化が進み、共同体意識は衰退し、農業に期待が持てなくなった男たちは阿片やヘロイン、覚醒剤などに手を出すようになり、村の中にも麻薬中毒者や覚醒剤の売買による逮捕者が急増しています。
親がわずかばかりの借金のかたに娘を売春宿に売り渡し、帰ってきた娘がエイズに感染していたなどという悲劇は今でも枚挙にいとまがありません。
http://chmai.loxinfo.co.th/~sakura/hilltribes.htm
かつてケシ(阿片の原料となる植物)栽培は山地民の唯一の現金収入であり、民族衣装に使われる銀や美しいビーズなどを他の人々と交換する手段でした。それに阿片を他国に売ることが外貨獲得にもつながるため、タイ政府が山地民のケシ栽培を奨励していたのも事実です。
しかし、第2次世界大戦後辺りから、次第にタイが阿片供給国として国際的非難をあびるようになりました。国の発展のために各国と外交を結ばなければいけない政府は、この非難を抑えるためにケシ栽培を禁止しました。
それからというもの、山地民の村も厳しい取り締まりをうけ、逮捕者も続出しています。
ケシ栽培が禁止された今、村人たちは昔のように簡単に阿片を手に入れることができず、高額で買い取る必要があります。
しかし、そのようなお金を得ることは特に中毒に陥ってしまった人々には難しく、子どもが町で稼いだわずかばかりのお金を親が麻薬や覚せい剤を得るために使ってしまうということもしばしば起こっています。
このような負のサイクルの繰り返しのなかで、親がわずかばかりの借金のかたに現金収入をもとめ、娘を売春宿に売り渡してしまうということもおこっています。
そして、帰ってきた娘がエイズに感染しているということも起こりえるのです。
http://www.mirrorartgroup.org/japan/opium.htm
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子供らの誘拐多発、3年で755人=人身売買や臓器摘出目的
2007年4月19日16時0分配信 時事通信
【バンコク19日時事】タイで子供などを狙った誘拐が多発している。2004年以降の被害者は755人に上り、その大半が行方不明のまま。人身売買や売春、臓器売買が主な目的とみられ、子を持つ親たちを不安に陥れている。
タイ警察と社会・人間開発省によると、事件は全国的に発生しており、被害者の多くは18歳未満の男児。ワゴン車で連れ去られるケースが多い。
被害児童は無給で働かされたり、臓器移植が必要な人のために肝臓や腎臓などを摘出されたりしている。また、売春や物ごいを強要されるケースがあるほか、子供がいない外国人の「養子」にさせられる被害者もいるという。
バンコクで薬を飲まされ意識を失った少年2人がそれぞれ1万バーツ(約3万5000円)で売られ、漁船員として働かされていた事件もあった。
深刻な事態を憂慮した労働省のパドンサク労働保護福祉局長は18日、全国の保護者に対し子供がさらわれないよう注意を呼び掛けるとともに、誘拐の疑いがあったり、幼い子供が重労働をさせられている現場を目撃したりした場合、警察などに通報するよう求めた。
保護者のあるタイ族の子供はタイ警察も保護するだろう。しかし、山岳少数民族や陸路で拐取移送される隣国民の子供の人身売買・児童買春については、無視、容認がタイの伝統である。
外で重労働をしていないとしても、北タイに行けば山岳少数民族やミャンマーから来ている「家内奴隷」のような女の子をしばしば目にすることができるだろう。
借金のかたに売り飛ばされるのはもちろん子供だけではない。タイ南部の町でもナイトクラブの前にたむろしているお姉さんたちにちょっとインタビューしてみれば、北部から来ている子や山岳民族らしい子が非常に多いことを実感するはずである。うちはチェンマイなどといっても、チェンマイの街中でも南部でも聞いたことのないような発音だったりする。
恒久的IDカード取得も難しくタイ国民としての地位も明確でない山岳民族の女性が、陸路南部まで拘束移送され、マレーシアを経てシンガポールなどの置屋に売られるという事例が後を絶たないようである。
最近もそのような事件が報道されている。
事件になったのは、シンガポール人の男が置屋にいたその彼女と出来て結婚しようとした(シンガポールではそういうことがよくあるのだろうか)らしいのだが、シンガポール当局は不法入国者として逮捕し、追放しようとしたりして裁判になっているという話。
バンコクポストは、シンガポールでひどい目にあっていた女性がたまたまタイ国民だっただけの、「置屋の恋」みたいな感じで取り上げている。しかし、英語はもちろんタイ語さえ満足に話せない女性だという。
タイ北部の山の中で拐取され深南部まで拘束移送された過程における「タイ人の関与」などまったくなかったかのごとくである。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/04/3755_6018.html
チェンマイで逗留してる際に聞いた話ですが、現地じゃ日本円で2万も出せば小学生児童(少女でも少年でも)の買春が市内各所、どこでもできるそうです。
もちろんタイでも建前上、人身売買や児童買春は禁止されていますが、収賄により官僚や警察も「シンジケート」に取り込まれている状態で、法律は機能不全です。
梁石日の「闇の子供たち」という映画でこの問題がとりあげられてましたが、人身売買どころか臓器売買も横行しています。
10数年来現地にロングステイしている方々と会食中、自分は肝炎を患ったことがあり、あまり酒が飲めないと話したところ、「500万円ほど用意すりゃ、肝臓だろうが腎臓だろうが、角膜だろうが、なんでも’新品’に交換してやるよw」と言われ背筋が凍りつきました。
この’新品’ってのがミソです。つまり、タイ東北部の貧農や少数民族、カンボジアやミャンマーなど周辺国から子供を買い付け、解体して臓器売買するルートがある、ってのは都市伝説でもなんでもない、現実だということです。
さらに驚いたのは、子供の買取価格、つまり「原価」ですね。
地域やブローカーによって幅があるとのことですが、日本円にして4、5万円も出せば十分とのことです。なんせ山岳民族には算数すら習っておらず金勘定ができない、今だ貨幣価値や相場がわからない人も多くいるわけです。上手くやれば家電品との交換で交渉成立なんてのもザラだそうで、これが人間1人、「命」の値段です。
市場経済においては人間ですらモノとして流通され、生命に対する畏怖の念もクソもありません。まして人身売買ビジネスというのは、最短1、2ヶ月で数100倍という桁外れのリターンが望めるわけですから、これに資本が投下され一大産業と化すというのも当然の成り行きです。
結局、資本主義というイデオロギーは貨幣物の神化現象であり、「資本の利回りを最大化せよ」という啓示においては、奴隷商人や臓器ブローカーですら、神官や司祭に通ずるということです。
http://www.asyura2.com/10/senkyo90/msg/905.html
1 :名無しさん@入浴中:2010/10/15(金) 23:28:13 ID:ul/rf1yF0
昔はソープ嬢はプロ意識・職人気質が強く、サービス中にキスをしない者が多く
これは「体を売っても、心までは売らない」という意志を象徴していたそうです。
しかし最近はバイト感覚の素人系ソープ嬢が増え、恋人系サービスが向上して濃厚な接吻をしてくれるのが当たり前のようになりました。
いい時代になりましたね
http://qiufen.bbspink.com/test/read.cgi/soap/1287152893/l50
77 :名無しさん@ピンキー:2010/10/21(木) 12:25:55 ID:FjuYYyZ60
風俗嬢さんに質問があります。
今彼、元彼にするよりも激しくて長いディープキスやフェラをお客さんに対してしたことがありますか?
また、それはなぜですか?
78 :名無しさん@ピンキー:2010/10/21(木) 12:29:58 ID:TCxqNFJUO
>>77
地雷客以外には、大半のプレイがプライベートより濃厚ですが?
そういう仕事だから、サービス業だから
http://qiufen.bbspink.com/test/read.cgi/club/1284649538/
97 :86 :2010/02/06(土) 22:52:19 ID:kTie03qSi (2 回発言)
行ってきた
サービス満点で感動した。こんなにサービスしてくれるんだね
顔も、可愛くて安心した
てか、あなたモテるよねって何回も言われた。
これが営業トークというやつか
あと、こっちが責めてるときに
「あっ気持ちい。やら、いきそう。上手ー」
等の発言してた。 これか、営業トークってやつねって思いながらプレーした
すんげー興奮したけどw
http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/nuki/1265201734/
ロリコンは正常 _ 男は放っておくと必ずこうなる
1 ボボタン 2006/04/03(Mon) 15:09
安徽省の中国人から、9歳の少女を養うという約束で5万円で引き取りました。
学校行かせてますが1年間の学費が2000元。。。
夜は、一緒に寝て性教育をしています。
中国北部には、2万人以上が女の子の養育に困っています。
少女を養育してやると言えば、数万円で手放す親がいくらでもいますよ!
どうですか? 一人ぐらい飼ってみるのは。。。。
______
中国の南部では少女買春が盛んです。
これは、「処女とセックスすると長生きできる」という迷信ゆえ、宗教思想によってもともとそうしたマーケットがあったようです。
それに拍車をかけたのが経済的発展を遂げた西欧諸国、そして日本からの買春ツアーのお歴々です。
1980年代末、児童売買シンジゲートは香港で暗躍し、一部の山岳民族などが
貧困のため、小学校入学前の子供を売りに出したのである。
その少女を買うために、世界から中国・タイなどに集まっています。
いまだに、少女売春が出来るのも発展途上国の少女達のおかけです。
香港でも、同じようなことをやっているよっ!
年齢からすると、まだ10歳にもならないだろう少女が親に手を引かれ外国人(主にアメリカ人と日本人)相手に、
「私の娘を買ってくれ。私の娘はこの辺では一番安い。」
などとまとわりついてくるよっ!
貧しい国は、風俗もすごい!
未成年はもちろん、まだハイハイしてるような女の子(赤ちゃんだね)もいる。
香港での幼女の値段は確か5万円くらいのはずだ!
大卒のサラリーマンの月給が5000円程度だから、向こうではかなりの高額だといえるのかもしれない。
「金があればなんでも出来る。」と中国人が言っていたのは、嘘では無いようだ。
俺が勤めている会社の社長は、
「もうやりたいことは全てやってしまった。
だから今度はもっとすごい事がやってみたい。」
って言ってますよ!!
貧しい国ではなんでもあり。 幼女を買ったり売ったりなんて、日常茶飯事です。
僕は中国しか知らないので、両国とも日本円で2万あれば一日中OKですよ。
15位になるとこれよりも安くなりますよ。
僕は5〜10位の娘が目的なもので、5歳の娘に口内発射した時は最高でしたよ。
飲む姿よりゲボゲボする姿が最高に興奮するのです。
5歳の娘のフェラなら20〜30で楽しめますよ!
月に一度は、18時間かけて国境近くまで遊びに行ってます。
場所は、詳しく言えないけど此処はまだ5〜10位の娘と遊べます。
俺が買ったのは恐らく7歳(言葉通じないんだよ)で、内容は日本円5万で2日間貸切!
その間は傷つけたり、殺さなければ何でもOKでした。
まぁ、俺の場合最初の24時間は舐めさせ続け
二日目は、挿入プレイ(もち、中出し・顔射もあり)
使いこまれてはいないが痛がる気配無し
ほのかに感じた顔が余計に性欲を掻き立てる
日本円で+5万出せば本物の幼女処女も手に入る
しかし、泣き喚いてウザイので俺は2回しか買った事がない
あ、あとオプションのドラッグ入れてのセックスやったけどあれはダメだ!
日本に帰りたくなくなる
_____
中国の小学生だったら充分できるよ。
さすがに初めは処女だっていうのもあって大変だったけど、濡れヅライ部分はローションでカバーしてる。
やっぱり中国の小5でも体格は、日本の2・3年ぐらい体格です。
中学にもなると体も少し発達してるし、年頃で色気づいてるからそういう所をくすぐれば結構簡単にできるかも。
俺が遊んでいる子は、小5だけど生理もないし、体格も3年生ぐらいです。
恥じらいも無いので、人差指と中指でちょっと大きくなってるクリトリスを皮ごと挟んでしごくように愛撫した。
たまに中指を薬指に変えて、クリトリスの皮を剥いて自由になった中指でちょん、ちょん、と触ってやるだけで濡れます。
時々体がビクンってなって、乳首も堅くなります。
それからは中指でクリトリスを回すようにしてみたり、親指と人差指で摘むようにしてみたりして、クリトリスをコリコリしてやると驚く程肥大してくる。
いつもより一段と堅くてデカくなってるペニスをおまんこにあてがってゆっくり入れていこうとしてもかなり締まっててなかなか入っていかない。
だからほんの少し入れてそこでユックリと出し入れをしてやってる。
入ってく時はムリュって感じで押し入る感じが最高です。
そうしてると結構濡れてきて、亀頭くらいは入るようになるけど、それでもかなり窮屈。。。
ちょうど半分くらい入っていった時に、一度目の射精をしてやると体を震わせてしがみ付いてくる。
それからも少し時間をかけてゆっくり奥まで入れてやり、ヌルヌル度が増して入れ易くなってくるから、時間をかけて根元まで挿入してやる。
後は出し入れするのを速めたり遅くしたりして、充分キツキツの小学生のおまんこを味わっています。
「小学生の」「小学生の」って思うとすぐにイきそうになっちゃったから実はできるだけそう思わないようにしてたんだけどね。
小学生とやると理性崩壊して中に出してしまいますよ。
かなり興奮しているから絶え間なくドクドクと出てきて自分でも驚くくらいの量の精子がでますね。
後は、しゃぶらせているけど、セックスのおぼえがいいみたいでかなりうまくなってきています。
俺も小学生相手にやりすぎかもしれないけど最高のペットですね!
4歳にもなると、朝おむつを替えてやると恥ずかしそうにして可愛いですよ!
でも、オマンコにチンポを入れても痛がらずに腰を振りますからね。
遊ぶには最高です。 おむつっ子は8枚〜10枚ってとこが相場です!
俺が、いまハマッテるのが失神セックス。。。
首の頚動脈を軽く押さえて失神させるやつ!
絞め技と同じように少女をおとすのよ。
ただでさえ狭い少女の膣が、失神する前に断末魔の締りをするんだよ。
これが、数分続くから最高だね!
この辺の相場は、赤7枚ってとこだね。
_____
アナルベイビーという言葉を知っているかな?
アナルベイビーとは男女問わずアナルを犯されるために取引されている赤ちゃんのことです
もちろん買う人や赤ちゃんの性別によってアナルだけではすまないことも多々ありますが…
男女に共通しておかされるアナルからとってアナルベイビーという名がついたようです
買う人間はたいていが香港大富豪の変態のようです
でも、2〜3万元と言うから買えない金額じゃないと思うけど、買っても育てるのが大変だから…
中国って売ってない物は無いって感じだね!!
ちっちゃいおんなの子のアナルって良いよね!
5歳位までのちっちゃい子のアナルに萌える人集いましょう!
蛇口で買った、少女の後ろから勃起したペニスを肛門に入れてアナルセックスを楽しみました。
アナルセックスは初めてらしく、最初は痛がって逃げようとしてましたよ!
グッボッォとチンポが入ると「ぎぃぃぁぁぁぁぁ…」と叫び声をあげて失神。
腰を少しづつ突き上げてゆっくりとチンポを入れてやった。
後ろから抱きしめながら少女を引き付け腰を沈めこんでやると気が付いたらしく。
チンポを出そうと力んで肛門が閉める。
これが最高に気持ちが良く少女は泣きながら腰を突き出しくるから、腰を一旦引くと勢いをつけて押し出して中に出してやった。
最高のアナルセックスが楽しめたよ!
これで、6枚なら安い買い物だと思うよ。
_____
先月、買った女の子とアナルで遊びましたよ!
アナルを使って射精して! 射精して萎えないのでとっても嬉しい!
二発目が終わってチンポを抜くと不気味に膨れ上がったアナル。
次の瞬間、拡張されまくったアナルから、極太の一本糞。。。。。
俺のチンポの数倍の太さがあって凹みました。
あの齢で、あれだけの太さの一本糞をするのだから、フィストも出来そうですよ!
やっぱり、女の子のアナルは最高ですよ。
少女とアナルセックスをしている人って多いんですね!
年令によっては、アナルの方が入れやすいよ!
詳しくは、ヤバくて書けないが経験者ならわかる事です。
パカッと開かす事も可能です。
それに決してキツくは無いので入りますよ
南京で3歳と7歳のアナルに入れたことがあるよ!
結構きつかったけど気持ちよかった。
征服感が凄くて興奮したよ!
ハァハァ・・・た、たまらないよねぇ・・・
幼女の子宮にピュッピュッって射精
征服感と満足感が最高だねぇ・・・
いやがる幼女のアナルに無理矢理入れて犯すのがやめられないねぇ・・・
可愛いマンコがこれ以上無いくらいに汚くなる瞬間が最高だよ!!
深夜の1時から始めて終わったのが明け方6時を回っていたのよ!
これで5時間くらいやりっぱなしで、それで挿入したまま爆睡。。。
気づいた時は、夕方の4時を回っていたよ。
そのときは、2才児だったから挿入されたままオネショしていたね!
私は、起きて直ぐに幼女を連れてお風呂に連れて行きアナルにしてやったよ!
勿論、挿入したままは出来ないから、抜いてポッカリ開いたアナルにめがけてしやった。
結構感じたらしくオシッコを漏らしながら痙攣してイッタみたいだった。
アナルは、初めてでもすんなり入る子が多いからねっ。
今付き合ってる床屋の12才は初めてでもあまり痛がらなかった。
むしろマムコの方が入らない・・・
だから仕方なくアナルに挿入してる。。。
何度もアナルセックスを繰り返しているうちに挿入のコツを掴んだので小柄だった小6の子を置屋で買った時、あっさりと挿入する事ができました。
本当に「すんなり」っていう感じでした。
肛門の伸縮は凄いですよね。
もちろん4歳児だった3人目もあっさりと入れる事が出来ました。
先月の初めに、蛇口で買った8歳のアナルバージンは腰枕の体勢で正常位(ブス顔を見ながら)と冒険しました。
でも、締まりは最高でしたね!
_____
中国では一人っ子政策で女の子が生まれると捨てられます。
男の子と女の子なら当然男のこの方がたよりになるからです。
そして、そういう子はマフィアや拾い主によって売春になります、
だいたい8歳ごろからはじまります。
15歳ごろまでは女の子は顔が日本人とあまり変わらないので多分それぐらいまでやらされることでしょう。
ぶっちゃけすごくかわいいですよ。まあ、ロリですけど・・
ヤミで売買される幼女1人の価格は『健康』な6歳以下の幼女ならば5万リンギ(約160万円)以上が相場。
美少女中学生にはその半額から7倍程度が支払われていたと見られている。
7 (><)ゞ 2003/11/05(Wed) 18:10
これ知ってる、と言うか買わないかと言われた、
この人たちからじゃないけど農村に行ったときに、断ったんだけどね
31 名無しさん 2006/04/02(Sun) 23:25
中国の赤ちゃん事情は、幼姦のための売買ですね!
1歳〜3歳の処女で、3000元〜5000元ですよっ!
中国の平均月収の2ヶ月分ですから、凄い高価な遊びです。
4歳〜6歳の処女で、2000元〜3000元で、
7歳〜の処女が1500元ぐらいです。
俺が、買った幼稚は3歳の処女! 2700元の掘り出し物でした。
1晩で、次の昼過ぎには自分でチンポにオマンコを擦り付けて来るほどの淫乱になっていました。
最高でしたよ!!
いろんなタイプの女と いろんな体位で とことんやりこんできた。
そして あらゆる経験をすることで ようやくわかってきた。
この世の究極の快楽はロリだということが。
全身 身震いするほどの絶頂感!
もう普通の女は臭くて抱けん。
ロリと一度も経験しないで死んでいくなんてそんなつまらない人生を送っていいのだろうか。
中国人の幼女が最高の絶品名器でございまする。
中国幼女 >カンボジア、ベトナム幼女 >タイ、日本女児
ただし中国で幼女貫通がチクラレルと、麻薬系犯罪と同じように死刑にもなりかねませんので、こころしてヤッテくださいネ。
6歳ならすんなり入るが、3歳女児はやっぱりすっごく大変。
てかうまくいってないんだけど。
上記のコピペ元は
深セン夜遊び情報
http://www.p-shanghai.com/megabbs/shinsen/index.html
上海夜遊び情報
http://www.p-shanghai.com/megabbs/shang/index.html
上の掲示板はつい最近まではこういう記事で賑わっていたのです。
日本人は南京大虐殺の時から何も変わっていないんですね。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/177.html#c27
5. 中川隆[-10805] koaQ7Jey 2018年4月21日 07:49:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11620]
>>4
>中国は日本の親である。その証拠。
全然わかってないな(呆れ)
北九州の都市国家は漢民族が日本と朝鮮の交易の拠点として作ったものだから
当時朝鮮を支配していた中国と関係するのは当然だろ
鑑真は単に仏教関係者として来日しただけで、そもそも仏教と中国は関係ないしね
6. 中川隆[-10804] koaQ7Jey 2018年4月21日 07:55:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11620]
日本の天皇一族は元々ソウルに居た漢民族だから、朝鮮との関係は深いけど中国本土とは関わっていない
仏教も朝鮮文化として受け入れただけさ
飛鳥時代の奈良に住んでいたのは百済系渡来人ばかりだったからね
中国とは関係ない
7. 中川隆[-10821] koaQ7Jey 2018年4月21日 08:09:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11632]
>>4
鑑真は日本へ来ようとして何度も渡航に失敗して盲人になっている
当時はそれ程、日本と中国の行き来は困難だったんだ
中国が日本に影響力なんか持てる筈ないんだよ
8. 中川隆[-10820] koaQ7Jey 2018年4月21日 08:14:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11632]
中国人は全員 嘘吐きで無知蒙昧な詐欺師
中国人とは一切関係を持たない方がいい
http://www.asyura2.com/17/china12/msg/673.html#c8
9. 中川隆[-10831] koaQ7Jey 2018年4月21日 08:25:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11644]
日本も遣唐使を送って中国から文化を移入した時期が有ったけど
唐の支配階級は鮮卑人でコーカソイド
杜甫も鮮卑人でコーカソイド
漢民族は底辺の被支配階級だった
当時の日本人はコーカソイドの文化に憧れて世界都市 長安に留学生を送ったんだよ
http://www.asyura2.com/17/china12/msg/673.html#c9
53. 中川隆[-10836] koaQ7Jey 2018年4月21日 08:52:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11650]
2018年04月21日
米中貿易戦争は中国の一方的な敗戦に終わる
中国がなくなってもアメリカは困らないが、アメリカがなくなると中国は困る
引用:https://www.newsweekjapan.jp/stories/assets_c/2017/04/reuters20170407112705-thumb-720xauto.jpg
打つ弾がない中国側
トランプ大統領は米国の貿易赤字を問題視し、特に巨額赤字を抱える対中貿易を問題視した。
2018年3月から矢継ぎ早に鉄鋼・アルミ関税、つづいて広範囲な輸入関税とIT製品への制裁関税も発表した。
最初は小さなものだったが中国が「同等の報復措置」を宣言するたびに制裁品目を拡大した。
すべて発動されると総額20兆円の中国からの輸入品に高額な関税が課せられ、中国からの投資や中国への投資も制限される。
対する中国の「報復」は今のところ3000億円規模にとどまっていて、5兆円規模の追加制裁をほのめかしている。
だが習近平主席は国内市場の開放や自由化、米国からの輸入拡大を約束すなど「アメリカに許しを請う」態度もとっている。
米中双方の貿易状況はアメリカが5000億ドル輸入しているのに対し、中国は1300億ドルしか輸入していない。
これはアメリカは中国貿易を50兆円制裁できのに対し、中国は最大15兆円しか制裁できないのを意味する。
しかも中国のほうが輸出依存度が高いので、双方が最大限の制裁を課したら、中国は10倍ものダメージを受ける。
アメリカは中国に輸出しているが15兆円程度なら他の国、たとえば日本などに「もっと買え」と押し付ける事ができる。
中国からの輸入50兆円は東南アジアや日本やインドなどからいくらでも調達できる。
輸出先と輸入元をうまく中国から振り替えれば、アメリカ経済は何も打撃を受けないかもしれない。
アメリカは中国がなくなっても困らない
輸出や輸入以上に経済に影響があるのは投資で、中国はアメリカからの投資によって工場を作り、発展してきた。
近年の中国は外資依存から国内投資に転換しているが、西側先進国やアメリカからの投資は依然として大きい。
アメリカは実は中国以上に外国からの投資に依存し、実に全世界の余剰資金の50%を引き受けている。
日本などがアメリカに投資した金を、アメリカ人は中国や世界中に投資して利益を挙げ、世界各国が成長している。
アメリカが「中国への投資も、中国からの投資も禁ずる」としたら中国はこのシステムから除外されてしまう。
中国は「米国債を売ればアメリカは大打撃を受ける」というが、米国債を売ったら安定した外貨準備がなくなり、中国が打撃を受ける。
中国が米国債保有ゼロにしたら、人民元が高騰するか逆に暴落するか、交互に繰り返すかのどちらかになる。
中国の米国債保有額は1兆1800億ドル(約125兆円) 、米国債総発行額は約20兆ドルなので、全体の6%でしかない。
中国が米国債を全て売り払っても、米国は日本などに「もっと買え」と言えばいいだけで、ほとんど打撃は受けない。
中国ができるのは軍事的な脅しだが、ロシアのようにより強い制裁を招く可能性がある。
http://www.thutmosev.com/archives/75816474.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/105.html#c53
1. 中川隆[-10835] koaQ7Jey 2018年4月21日 08:53:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11650]
野党や左翼マスコミの安倍政権への攻撃は、とうとう愛媛県職員のメモまで矮小化している。それにしてもメモの「首相案件」という言葉が引っ掛かる。官邸では「首相」ではなく「総理」という言い方をするという。おそらく新たに創られる国家戦略特区の制度では、この議長に首相が就く仕組に変わるという話であったろう。
もちろん新しい制度の元でも、ステップを踏んで物事を決めるのだから首相が決めるという話ではない(むしろ首相の議長としての権限は多分に形式的で、首相は最後に上がってきた案件に承認を与えるだけ)。愛媛県職員は新たに始まる国家戦略特区の制度をよく理解しないまま、このメモを作成した可能性がある。対応者は、親切心で事細かく説明したと思われる(これまで15回も申請をハネられたことに同情し、これにめげず今回も申請してほしいと言いたかった)。
しかし対応者は、自分の説明したことがこのような誤解を招くメモになるとは思わなかったであろう(捉え方によっては首相が全てを決めるといった表現)。しかも最悪なことにこの奇妙なメモを持って愛媛県職員が各省庁に陳情に向かったと思われる。どうもこのメモが加計学園騒動の元になった可能性がある。もしこのストーリが本当なら大笑いである。官僚の総理への忖度といった話などは、まさに的外れなことになる。
____
◆「首相案件」の何が“違法”なのか?
総理が違法な賄賂や便宜供与をしていたというのなら問題ですが、政治家が有権者や支持者の要求を行政に働きかけるのは政治家本来の仕事であり、それだけ仕事熱心な政治家ということになる。
このような事を延々と1年間も貴重な予算委員会で追求し続けていますが、印象報道に終始して安倍内閣の支持率を下げることには貢献しても、総理を辞任に追い込むことは不法行為でなければ不可能だろう。それが総理が関与したかしないかは不法行為でなければ何の問題もない。
記事でも、『本件という意味が「加計学園ありきの獣医学部設置案件」(=特定)なのか、「首相肝いりで進めていた国家戦略特区」(=全体)なのかで全く意味が違ってくる。』というように、関与したかしないかでも定かではない。加計学園の獣医学部も国家戦略特区構想の基づくものであり、もともと首相案件でもあった。
だから加計学園から賄賂をもらっていたのなら違法行為であり犯罪だから総理退陣に追い込めるが、単なる働きかけは政治家の仕事であり当たり前の行為だ。おそらく賄賂を貰っているに違いないという思い込みが、マスコミや野党を動かしているのだろう。
これといった証拠もなく、メモからの推測だけで総理の関与を勝手に想像しているだけで、賄賂などの犯罪に結びつくものではない。国家戦略特区制度は安倍総理の中心的な政策の一つだから「首相案件」であることには変わりがない。違法性はないのだから政府側も開き直ったほうがいいのではないかと思う。
北朝鮮や米中貿易摩擦などの問題をほったらかしにして、野党はモリカケ問題の追求に終始している。いずれも思い込みによる推測による追求であり、朝日新聞は大阪地検からのリークで報道しているようですが、文部科学省からもメモがリークされて、財務省では決済文書が改竄された。
このような霞ヶ関内部からのマスコミへのリークは公務員の守秘義務違反であり、決済文書改ざんは禁固10年の重犯罪なのに、訴追は見送られるようだ。やってはならないことをやっても、罰せられなければならないことをやっても霞ヶ関はお咎めなしであり、メモをばらした前川前文部次官や朝日にリークした大阪地検の女検事は処罰できなのだろうか。
http://2013tora.jp/kabu406.html
最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。
本当に恐ろしい世の中です。
既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。
まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。
これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。
本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。
安部先生は反安部運動の黒幕が CIA と官僚だというのがわかっているからね。
官僚の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう:
官僚はCIAの指示通りに動いただけだから黒幕はCIAなんだ
アメリカは安部さんを解任したいから、スキャンダル情報を官僚に流してマスコミを使って日本人を操作したんだ
官僚は安部さんに都合の悪い自民党のスキャンダルをマスコミに流させた
都民はマスコミに扇動されて官僚の流した嘘を信じた
安部さんは官僚とそのバックのCIAとの闘争に負けた
アホ日本人にはそういう背景が全くわからない
スキャンダル情報はCIAが官僚とマスコミに流していた:
日本のジャーナリズムを監視する米軍組織
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
____
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題も財務省がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/390.html#c1
1. 中川隆[-10834] koaQ7Jey 2018年4月21日 08:54:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11650]
野党や左翼マスコミの安倍政権への攻撃は、とうとう愛媛県職員のメモまで矮小化している。それにしてもメモの「首相案件」という言葉が引っ掛かる。官邸では「首相」ではなく「総理」という言い方をするという。おそらく新たに創られる国家戦略特区の制度では、この議長に首相が就く仕組に変わるという話であったろう。
もちろん新しい制度の元でも、ステップを踏んで物事を決めるのだから首相が決めるという話ではない(むしろ首相の議長としての権限は多分に形式的で、首相は最後に上がってきた案件に承認を与えるだけ)。愛媛県職員は新たに始まる国家戦略特区の制度をよく理解しないまま、このメモを作成した可能性がある。対応者は、親切心で事細かく説明したと思われる(これまで15回も申請をハネられたことに同情し、これにめげず今回も申請してほしいと言いたかった)。
しかし対応者は、自分の説明したことがこのような誤解を招くメモになるとは思わなかったであろう(捉え方によっては首相が全てを決めるといった表現)。しかも最悪なことにこの奇妙なメモを持って愛媛県職員が各省庁に陳情に向かったと思われる。どうもこのメモが加計学園騒動の元になった可能性がある。もしこのストーリが本当なら大笑いである。官僚の総理への忖度といった話などは、まさに的外れなことになる。
____
◆「首相案件」の何が“違法”なのか?
総理が違法な賄賂や便宜供与をしていたというのなら問題ですが、政治家が有権者や支持者の要求を行政に働きかけるのは政治家本来の仕事であり、それだけ仕事熱心な政治家ということになる。
このような事を延々と1年間も貴重な予算委員会で追求し続けていますが、印象報道に終始して安倍内閣の支持率を下げることには貢献しても、総理を辞任に追い込むことは不法行為でなければ不可能だろう。それが総理が関与したかしないかは不法行為でなければ何の問題もない。
記事でも、『本件という意味が「加計学園ありきの獣医学部設置案件」(=特定)なのか、「首相肝いりで進めていた国家戦略特区」(=全体)なのかで全く意味が違ってくる。』というように、関与したかしないかでも定かではない。加計学園の獣医学部も国家戦略特区構想の基づくものであり、もともと首相案件でもあった。
だから加計学園から賄賂をもらっていたのなら違法行為であり犯罪だから総理退陣に追い込めるが、単なる働きかけは政治家の仕事であり当たり前の行為だ。おそらく賄賂を貰っているに違いないという思い込みが、マスコミや野党を動かしているのだろう。
これといった証拠もなく、メモからの推測だけで総理の関与を勝手に想像しているだけで、賄賂などの犯罪に結びつくものではない。国家戦略特区制度は安倍総理の中心的な政策の一つだから「首相案件」であることには変わりがない。違法性はないのだから政府側も開き直ったほうがいいのではないかと思う。
北朝鮮や米中貿易摩擦などの問題をほったらかしにして、野党はモリカケ問題の追求に終始している。いずれも思い込みによる推測による追求であり、朝日新聞は大阪地検からのリークで報道しているようですが、文部科学省からもメモがリークされて、財務省では決済文書が改竄された。
このような霞ヶ関内部からのマスコミへのリークは公務員の守秘義務違反であり、決済文書改ざんは禁固10年の重犯罪なのに、訴追は見送られるようだ。やってはならないことをやっても、罰せられなければならないことをやっても霞ヶ関はお咎めなしであり、メモをばらした前川前文部次官や朝日にリークした大阪地検の女検事は処罰できなのだろうか。
http://2013tora.jp/kabu406.html
最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。
本当に恐ろしい世の中です。
既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。
まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。
これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。
本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。
安部先生は反安部運動の黒幕が CIA と官僚だというのがわかっているからね。
官僚の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう:
官僚はCIAの指示通りに動いただけだから黒幕はCIAなんだ
アメリカは安部さんを解任したいから、スキャンダル情報を官僚に流してマスコミを使って日本人を操作したんだ
官僚は安部さんに都合の悪い自民党のスキャンダルをマスコミに流させた
都民はマスコミに扇動されて官僚の流した嘘を信じた
安部さんは官僚とそのバックのCIAとの闘争に負けた
アホ日本人にはそういう背景が全くわからない
スキャンダル情報はCIAが官僚とマスコミに流していた:
日本のジャーナリズムを監視する米軍組織
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
____
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
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●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題も財務省がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/389.html#c1
166. 中川隆[-10845] koaQ7Jey 2018年4月21日 08:59:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11662]
ニュータウンの末路 希望持てる街と廃墟化する街の差異は
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180421-00000010-pseven-life
NEWS ポストセブン 4/21(土) 7:00配信
多摩ニュータウン(時事通信フォト/朝日航洋)
日本が経済成長を遂げた1960年代から1980年代にかけ、住宅需要の急激な高まりから全国各地に造成され、人気を博した「ニュータウン」。だが、街や人の高齢化に伴い、その役割は薄れつつある。住宅ジャーナリストの榊淳司氏がニュータウンの現状を報告する。
* * *
「また抽選に外れてしまった」──。そう言って、お父さんががっくりと肩を落とす。それを見た家族が暗い顔になる。それは今から40年以上前に、日本中のどの街でも見られた情景だった。
1960年代から1970年代の高度成長期。日本の住宅は絶対数が不足していた。政府は都市の郊外へ新たな鉄道路線を敷き、新駅を作り、その周りに勤労者用の集合住宅を建設する政策を進めた。いわゆる「ニュータウン」の造成である。
大規模なものとしては、関西圏では1960年代に千里ニュータウンの開発が始まった。首都圏における多摩ニュータウンは1970年代が開発の最盛期ではないか。
ニュータウンは人気を集めた。その分譲住宅には申し込みが殺到。何十倍という抽選になることも珍しくなかった。先着順で募集すると、何日も前から行列ができた。都会を職場とするサラリーマンにとって、ニュータウンに住むことは憧れ以外の何ものでもなかったのだ。一種のニュータウンブームと言っていい現象。それは10年以上も続いたのではなかろうか。
終息したのは、1980年代の半ばかと思われる。総務省が行っている「住宅・土地統計調査」によると、総住宅数が総世帯数をはっきりと上回ったのは1973年から。空家率が5%を超えたのも同じ時期。終戦直後は圧倒的に不足していた住宅数が、その頃から数の上では「足りている」状態となった。
しかし、大都市居住者の住宅への飢餓感まで満たしてくれる状態ではなかった。ニュータウンで集合住宅が分譲されると、申し込みが殺到する状態は1980年代の前半まで続く。
もちろん、今でも「ニュータウン」と呼ばれる街での分譲で、抽選になるケースはある。しかし、かつての熱狂とは程遠い。人気の物件、住戸に申し込みが集まる程度。「住宅への渇望」といった情景ではない。
あの熱狂が終わって30年以上が経過した。現在、ニュータウンが何かの話題になるとすれば「廃墟化への危機」ではないだろうか。住む人が少なくなった築40年以上の集合住宅は、今や文字通り廃墟化の危機を迎えている。なぜ、そんなことになってしまったのか?
問題を整理しよう。
まず、ニュータウンと呼ばれるのは郊外型の住宅地。規模は1000戸以上が基準とされている。集合住宅が主流だが、戸建て住宅も混在しているケースが多い。あるいは、戸建てだけでニュータウンを形成しているところもある。
そういったニュータウンに住む人が少なくなっている。その理由は、当初の入居者が高齢化したからだ。40年前に35歳で入居していれば、現在は75歳。すでに多くの方が鬼籍に入っている。あるいは高齢者施設に移ったのかもしれない。
かつて公団が開発したニュータウンで、賃貸が主流の場合はほとんど問題化しない。古くなった建物は住人に立ち退いてもらい、取り壊して再生すればいい。現に、URの賃貸住宅団地では再生が日々進んでいる。
深刻なのは分譲住宅だ。所有者が個人なので、強制的に再生することはできない。各人の財産権が守られているからだ。
特に問題なのは、資産価値が見いだせなくなった住宅。例えば東京都港区の麻布あたりのマンションだと、最初の入居者が高齢化して住まなくなっても、他に誰か住む人が必ずと言っていいほど現れる。相続した子どもであったり、新たに購入したニューカマーであったり、賃貸募集に応じた賃借人などだ。
しかし、東京都八王子市で駅から徒歩17分、築40年以上の集合住宅の場合、当初の入居者が何らかの事情で住まなくなっても、次に住む人は容易に見つからない。子どもがいたとしても、そこには戻ってこない。大学を卒業してIT企業に勤めていれば、湾岸エリアあたりのタワーマンションに住んでいるだろう。
誰も住まないので、相続した子どもが売ろうとしても買い手は容易に現れない。賃貸募集しても借り手は見つからない。その結果、放置される。放置される住戸が多くなると、まるで廃墟のようになる。それが「廃墟化」である。
この廃墟化の問題は、多摩ニュータウンのような集合住宅が中心の街よりも、戸建て住宅ばかりのニュータウンでより深刻だ。木造の戸建て住宅は人が住まなくなると、短期間で見る影もなく朽ちていく。見た目にも廃墟化するのだ。
これが大都市の都心から1時間以上の通勤圏で進行しつつある。首都圏なら埼玉県や千葉県の駅からやや離れた場所で30年以上前に開発された戸建てのニュータウンが、軒並み廃墟化の危機を迎えている。
ニュータウンの廃墟化。これは現在進行形の深刻な社会問題だ。今後、さらに深刻化することは目に見えている。老朽化は日々進行しているからだ。
今のところ、抜本的な解決策はない。それぞれの所有者が個人的に何とかしなければならない。戸建て住宅なら、家屋を取り壊して更地にしてしまうと倒壊などは防げる。しかし、そこには半年もすれば雑草が茂る。年に何度も草むしりに行くことになる。
集合住宅の場合は、各住戸の区分所有者に出来ることは少ない。誰も住まないにもかかわらず、きちんと管理費や修繕積立金を払わないと、どんどん廃墟化が進む。今の我々に出来ることも少しはある。未来に自分や子どもたちが廃墟化の当事者にならないために、ニュータウン的な住宅を買わないことだ。
実のところ、ニュータウンの開発はまだ現在進行形で続いている。首都圏なら千葉ニュータウンや港北ニュータウンで、このままだと40年後には廃墟化の危機を迎えそうなマンションが堂々と分譲されているのだ。
大阪の場合、千里ニュータウンの再々開発が進んでいる。古くなった建物を建て替えたり、まだ開発されていない場所で新たにマンションを建設しているのだ。
とはいえ、まだ千里ニュータウンには希望がある。なぜなら、千里ニュータウンは大阪で最もメジャーな地下鉄路線である御堂筋線と直結している。通勤や通学に便利だ。資産価値を見出せる。だから、あのエリアではあまり廃墟化を心配しなくてもよい。
しかし、東京の多摩ニュータウンはそこで育った人々が戻ってこないほど交通利便性が悪い。少子高齢化に人口減少が進む未来に希望を持てないエリアだ。
遠隔郊外にあるニュータウンの未来は暗い。そこにある住宅を相続する予定があるのなら、早めに対策を考えるべきだ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c166
15. 中川隆[-10844] koaQ7Jey 2018年4月21日 09:25:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11662]
ギリシャ神話(オルフェウス)と日本神話、そして新海誠「君の名は。」の構造分析
以前、新海誠監督のアニメーション映画「君の名は。」には日本神話からの引用があると詳しく解説した。
•【考察】神話としての「君の名は。」〜その深層心理にダイブする。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-0824.html
上記事でイザナミとイザナギの物語がギリシャ神話と非常に類似していることにも触れた。そこで今回は社会人類学者レヴィ=ストロースの手法を用いて、両者の構造分析をしてみたい。
•レヴィ=ストロース「野生の思考」と神話の構造分析
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-af4b.html
•何故ひとは、二項対立で思考するのか?その根源に迫る。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-685e.html
これは僕にとって、構造主義をどれだけ理解しマスター出来たかを試す応用問題だと位置づけている。まずはギリシャ神話から見ていこう。
オルペウス(オルフェウス)の妻エウリュディケーはある日、毒蛇に噛まれて死んだ。妻の不在に耐えられなくなったオルペウスは冥府に下り、竪琴を奏でてエウリュディケーの返還を求めた。
悲しい琴の音に涙を流すペルセポネ(春の女神、ハデスの妻)に説得され、冥界の王ハデスは、「ここから抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケーをオルペウスの後ろに従わせて送った。
目の前に光が見え、あと少しというところで不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それは一瞬のことですべては霧のように消え去ってしまった。
一方、古事記に書かれた日本神話はこうなっている。
イザナギとイザナミは国産み・神産みにおいて本州・四国・九州などの島々、海・山・風など森羅万象を創った。火の神カグツチを産んだ際、イザナミは陰部に火傷を負い亡くなった。
これは火の起源を物語っている。火は料理や土器づくりに繋がり、自然→文化への移行を象徴していている。ギリシャ神話では以下の通り。
人類に火をもたらしたプロメテウスは大神ゼウスから火を奪った罰を受け、30年間鷲に臓腑をえぐられ続けた。
料理(火でものを焼く)という文化を人類に与えたプロメテウスは生肉を喰らうもの(鷲)にいたぶられる罰を受ける。ここに二項対立が出現する。
•火を通したもの(文化)↔生のもの(自然)
•地上に下った火↔空高く舞う鷹【垂直方向の差異】
なおインドの神話「リグ・ヴェーダ」によると、マータリシュヴァンは天界からアグニ(火の神)を奪い、人間にもたらした。このエピソードはプロメテウスとそっくりだ。プロメテウスもマータリシュヴァンも言うまでもなく境界を超えて活躍するトリックスター(二項対立を取り結ぶ/仲介する第三項)である。
ギリシャ神話と日本神話には次のような変換関係を認める。
•人類に火をもたらしたプロメテウスはゼウスから罰を受けるという代償を払う。→火の神カグツチを産んだイザナミは命を落とす。【自然→文化というプロセスの危険性】
古事記の続きを見よう。
イザナギがイザナミの遺体にすがって泣いていると、彼の涙からナキサワメ(泣沢女神)が生まれた。
ナキサワメは水の女神であり、火の起源に続き、水の起源が描かれる。
イザナギはイザナミにもう一度逢いたいという気持ちを押さえきれず、黄泉の国に旅立つ。しかしイザナミは黄泉の国の竈(かまど)で炊いた食べ物を既に食べてしまったから帰れないと彼に告げる(黄泉戸喫:よもつへぐい)。
古代では埋葬の際に食べ物を一緒に埋めていた。これを食べることで、死者は蘇ることが出来なくなると当時の人々は考えていたのである。つまり「同じ釜の飯を食う」という帰属意識だ。ギリシャ神話でも、ハデスに無理やり連れ去られ死者の国の食べ物(ザクロの実12粒のうち4粒)を食べさせられたペルセポネは、1年のうち4ヶ月は冥界で暮らさなければならなくなってしまった。
「決して覗いてはいけない」というイザナミとの約束を破り、イザナギは髪に挿していた櫛を折り、火をつけてイザナミの寝姿を見る。彼女の体は腐敗して蛆にたかられていた。
驚き逃げるイサナギ。恥をかかされて怒り、追いかけてくるイザナミと8人の泉津醜女(ヨモツシコメ)。イザナギは髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実を投げつけて撃退した(ヨモツシコメたちはそれらを食べた)。そしてあの世とこの世の境である黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に辿り着くと大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。
ここに幾つかの二項対立が認められる。
•腐ったもの(イザナミ・死者)↔新鮮なもの(葡萄、筍、桃)
•蛆(自然)↔火・松明(文化)
•あの世↔この世【大岩で完全に分離】
では、オルペウスの竪琴に対応するアイテムは日本神話においては何だろう?
ここでイザナミ・イザナギの息子・須佐之男(スサノオ)が登場する。
彼が所持していた三種類の神器があり、内訳は
@生太刀(いくたち):生命の宿る剣、これで切れば病や傷が治るといわれる
A生弓矢(いくゆみや):生命の宿る弓矢、これで射れば死者さえも甦るといわれる
B天詔琴(あめののりごと):神のお告げに使う琴
•オルペウスは竪琴で死者を黄泉から帰らせようとする↔須佐之男の三種の神器
高天原を追放された須佐之男は出雲の国に向かい、そこで八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の生贄にされようとしていた、美しい少女・櫛名田姫(クシナダヒメ)を助け出し、八岐大蛇を退治する。
•オルペウスはニンフ・エウリュディケーを蛇の襲撃から守れない↔須佐之男は大蛇を倒し姫を救う
その結果として、
•冥界から帰還した後、女性との愛を絶ったオルペウスから見向きもされなかったトラキアの娘たちは怒り狂って彼の手足を裂き、頭と竪琴をヘプロス河へ投げ込んだ↔須佐之男は櫛名田姫と夫婦になり、末永く幸せに暮らした
ここに逆転による変換関係が認められる。さらに次のような変換も含まれている。
•須佐之男は八岐大蛇を八つ裂きにした↔トラキアの娘たちはオルペウスを八つ裂きにした
•須佐之男が退治した大蛇の尾を切ると、中から大刀が出てきたので、彼はそれを天照大神に献上した↔引き千切られたオルペウスの首は歌を歌いながら竪琴と共にヘプロス河を流れくだった。最終的にレスボス島に流れ着き、オルペウスの死を偲んだアポローン(異伝ではゼウス)によって竪琴は天に上げられ、琴座となった
トラキアの娘達がオルペウスを八つ裂きにしたのはディオニュソス(豊穣とブドウ酒の神)の祭りの時で、彼女たちは酩酊していたという。つまり”貪欲な口(口唇の欲望)=節度なき消化器”を表している。一方、須佐之男は姉・天照大神のいる高天原(たかまがはら)に居座り、神殿に糞を撒き散らすなど狼藉を働いたため、天照大神は天の岩屋に身を隠した。このエピソードは”粗放な肛門(肛門による漏出)=節度なき消化管”を表している。ここにも変換関係がある。
こうして分析を進めていくと、ギリシャ神話と日本神話が全く同じ構造を持っていることがご理解頂けただろう。両者を貫く主題は【生と死の分離】である。何故ひとは、永遠の命(連続)を有さず、有限(不連続)なのか?果たして我々が生きる意味はあるのか?その矛盾を少しでも解消・緩和すべく神話は存在する。
距離的にギリシャと日本は遠く隔たっている。構造が同じだからといって神話が伝播したわけでは当然ない。同時に発想されたと考えるべきだろう(共時態)。つまり人間の根源的思考様式(野生の思考)は万国共通なのである。これをユングは普遍的(集合的)無意識と呼んだ。
しかしたとえ構造が同じでも、文化の違いによる差異は当然ある。ギリシャ神話において、オルペウスが妻奪還に失敗したのは、ハデスとの契約を破ったためである。故にペナルティを課された(罪と罰)。プロメテウスが罰されたのも、神々の掟を破るという罪を犯したためである。
一方、イザナギが失敗したのは、イザナミに恥をかかせたからである。しかし約束を反故にしたからといってイザナギが罰されたわけではなく、あの世とこの世の境を塞いだのはあくまで彼の意志なのだから、責任の所在が曖昧な、いかにも日本的な解決策であると言えるだろう。【恥をかかされたものが身を引く(恥をかかせた者への責任は問わない)】というパターンは「鶴女房(鶴の恩返し)」「狐女房」「見るなの座敷(うぐいす長者/うぐいすの里)」などの日本昔話でも見られる。ところが西洋の童話「青ひげ」では、見るなと言われた部屋を覗いた新妻は青髭に殺されそうになる。やはり罪と罰なのだ。
•罪の文化/契約社会(西欧)↔恥の文化/なあなあの社会(日本)
これが神話で明かされる両者の差異である。
次に映画「君の名は。」の構造分析をしよう。まず瀧↔三葉には、
•男↔女【変換可能!】
•都会生活↔田舎暮らし
(日照時間長い↔短い)
•父と同居、一人っ子↔父は家を出た、妹がいる
•大雑把↔几帳面・器用
•生者↔死者
•水平方向の隔たれた距離↔3年という時間のズレ
•半月Half Moon(一人ぼっちの瀧)↔満月(瀧+三葉)
•扉・襖(ふすま)が閉じる(回路閉鎖)↔開く(回路開放)
•(ラストシーン)須賀神社の階段を上る(通時的)↔下る(遡及的)
といった二項対立がある。他に
•三葉(神に仕える巫女)↔父(人に命令を下す行政の長)
•三葉(ミズハノメ=水の女神)↔繭五郎の大火・神社で燃える松明
•ティアマト彗星↔地上【垂直方向の差異】
•第1回隕石落下:山頂のクレーター(御神体)↔第2,3回目:糸守湖形成【垂直方向の差異】
•この世↔カクリヨ(隠り世)=あの世
•三葉・テッシー・さやちん↔瀧・司・高木【親友】
•三葉・テッシー・さやちん↔松本・桜・花(意地悪)【敵対】
•朝日(スマホのアラームが鳴る/室内)↔かたわれ時(日没/屋外)
では二項対立を仲介しようとする第三項は何か?次のようなアイテムが挙げられるだろう。
•「来世は東京のイケメン男子にしてくださ〜い!!」という鳥居下での三葉の叫び
•組紐・ムスビ(一葉の台詞「水でも米でも酒でも、人の身体に入ったもんが、魂と結びつくこともまたムスビ」)
•電車(東京と糸守を結び、ラストシーンも並行して走る電車の窓越しにお互いを見つける)
•この世と隠り世の間を流れる三途の川【水】
•口噛み酒(男女を結合させる精液/膣分泌液の暗喩)【水】
•天と地を結ぶ隕石(ティアマト彗星の破片)→それは同時に瀧と三葉の結合を切断する刃でもある。【矛盾】
•巫女舞の髪飾りに描かれた竜(龍)→彗星の暗喩であり、「瀧」も〈さんずい(水)+龍〉→精子の暗喩でもある。瀧が御神体の中で見た夢(幻想)では彗星が地球(卵子)の表面に衝突して受精し、細胞分裂を経て三葉が生まれる。
•三葉ともう一度入れ替わるために山頂の御神体を目指して瀧が登ってゆく際に、しとしとと降る雨(天と地を結ぶ水)→ラストの再会の場面も雨上がりである(水がふたりを結ぶ)。
水が媒介する(第三項)という意味ではギレルモ・デル・トロ監督「シェイプ・オブ・ウォーター」の構造に近い(勿論、「シェイプ…」の方が後発)。
•アカデミー賞受賞「シェイプ・オブ・ウォーター」2回目の鑑賞で大発見!
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/2-2405.html
ではオルペウスの竪琴に相当するものは「君の名は。」の中で何か?
それは組紐だろう。組紐は細い絹糸や綿糸を束ねて編む。竪琴は複数の弦を張り、音を編む(紡ぐ)。やはり構造は同じである。
神話としての「君の名は。」のテーマは、オルペウスやイザナギの物語と同様に【生と死の分離/離別】という矛盾の解消・緩和にある。そこには東日本大震災(3・11)という出来事が大いに絡んでいる。
http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-42ac.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/663.html#c15
110. 中川隆[-10843] koaQ7Jey 2018年4月21日 09:34:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11662]
縄文関係の記事はこちらに纏めました:
「縄文時代はよかった。」で?どうやって縄文時代のいい所を取り入れるのか?
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c110
19. 中川隆[-10842] koaQ7Jey 2018年4月21日 10:42:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11662]
沖縄の離島ではまだ縄文時代の祭りがそのままの形で残されているみたいですね:
新城島(パナリ)
http://www.youtube.com/watch?v=-0p9BHXUbmA
http://www.youtube.com/watch?v=lVAmBAq_Wz4
http://www.youtube.com/watch?v=1Ehez1XIhIg
http://www.youtube.com/watch?v=aL5Fj-Iv63o
http://www.youtube.com/watch?v=Nt_0KxEgZBM
新城島 豊年祭
http://www.youtube.com/watch?v=B9eVG7kOPP4
秘祭 (新潮文庫) 石原慎太郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%98%E7%A5%AD-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E5%8E%9F-%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4101119082
人口わずか十七人の南西諸島の孤島をリゾート化しようと、観光会社の青年、敏夫が島に赴任する。前任者が事故死した為だ。
島の和やかな雰囲気や、島唯一のいい女、タカ子に魅了され島に惚れ込む。タカ子も敏夫が気にいったようで、二人は即、獣のように愛を交わすようになる。社命で赴任したとはいえ、仕事らしい仕事はせず、タカ子とセックスばかりしている敏夫だが、島で生活していく内に、段々と島のタブーが見えてきた。
まずおかしいのは、檻に入れられている男、ミノルの存在。
言葉は発っせず、原始人のような風貌で獣のようにウーウー吠えているだけ。島の人は
「ミノルは頭が弱くて乱暴することがあるのでね」
とあっさり言うが、明らかに異常な光景だ。
さらにある晩、漁に出た敏夫が見たのはタカ子が他の男と交わっている姿。
タカ子に問い質すと、「嫌なら私を島から出して」と懇願する。
どうやらタカ子は島の男全員と寝ているらしい。このことから、段々とこの島の異常性が露わになっていく。
乱婚、近親相姦、暴力、拷問、殺人…。
近親による性交の歴史により、この島は狂人パラダイスと化していたのだった!
前述した、檻の中の男は島の秘密を漏らさないよう、舌を切られていたのだ。
敏夫の前任者もこの秘密を知って殺されたらしい。そして、知りすぎてしまった敏夫は、タカ子を連れて島を出るため島の老人たちに、「訴えることもできるんだぜ」と脅す。老人たちは
「わしらが島を出ます。だからあんたもこのことは黙っておいてくれんかね」
と、屈伏したように見せかけるが、結局、敏夫は別れの酒と称した杯に毒を盛られて眠らされ、ボコボコに拷問された揚句殺されてしまう。
時は流れ、何も知らない敏夫の後任の青年がまた島に赴任して来た。木の下に不自然に土が盛り上がった土饅頭が二つある。「あれは何ですか」と、島の人に聞いてみると、
「ああ、あれは昔から人魚の墓と言われておってな…」
…それが敏夫とその前の前任者の墓であり、
いずれ自分もそこに葬られることになるとは思いもしないであろう…。
http://hojomatsugoro.blog41.fc2.com/blog-entry-982.html
123 : 天之御名無主 : 05/01/18 16:20:48
石原慎太郎の「秘祭」は、アラグスクの豊年祭ですよね。
アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/
2013-02-14
ある学術雑誌の紹介本に「乱交」の研究書があって、その中に石原慎太郎著「秘祭」の名前があったので興味を持ち、そちらを読み始めた。
研究所にあるように石垣島の先、八重山諸島のある島には、祭りの時に何代にもわたり、近親相姦もある乱交の習慣があり、それはある意味必要不可欠のものだと言う学説であった。
「秘祭」は昭和59年新潮社刊行
石原の内容は、その島には17人しか住んで無く、その島を買収し観光地として売り出すために、東京から派遣された社員が事故死したため、次の社員が派遣されると言う処から始まる。
どのように親しくしても、その島の人間になると言う事は全く受け入れず、全てを知った事で殺害されてしまうのだった。それを口外した事で舌を切られ、動物のように鎖に繋がれてしまった島の人間も居る。
石原は八重山に想を得たが、島と人物には係りないとしている。
研究書では、その秘祭は事実に書かれている。
安易に言ってはならないが、八重山に限らず、日本の祭り(盆踊り等含め)の原点はそのようなものかと思われる。
http://higashinum.exblog.jp/19994498/
▲△▽▼
奇祭アカマタ・クロマタ 美女が洞の中で男衆と妖しい儀式
アカマタ・クロマタは、八重山列島の新城島、西表島の古見集落、小浜島、石垣島の宮良集落で行われている。場所ごとに開催日はずれているが、それぞれの期間は3日間。開催日時は島民と関係者以外には知らされない。
アカマタ・クロマタに関する文献や写真は極端に少ない。中でも新城島に関しては、さらに厳しいかん口令が敷かれて、外部にはまず漏れない。
漏れ伝わる話によると、新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われるという。
「ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという」
あくまで噂の域を出ないが、島の人たちが観光客などの行動を異常に警戒しているのは秘議にまつわるタブーを暴かれることを恐れているのかもしれない。
2011.8.5 東京スポーツより
http://sky.ap.teacup.com/f45362/1674.html
その祭りは通称「種子取り祭」と呼ばれ、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない秘祭らしい。運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事があるとか。
表向きは豊年祭と呼ばれる神を讃える祭りだが、裏では「種子取り祭り」と呼ばれてるらしい。毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女がこの祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うんだとか。
もし島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しの目に遭い五体満足の体では本島には帰って来れないんだそうな。
・高校生くらいの男女が選ばれてセクロスするんだ。それも初めてで
・お前達に警告しておく これ以上この島に関わるな
http://sexynews24.blog50.fc2.com/blog-entry-6597.html
↑
日本の祭りでは乱交するのが普通だったので、新城島だけそこまで秘密にする理由は無いのですね。 それにこれでは人魚神社に葬っている遺体との繋がりも無いですね。
昔、実際に行われていた儀式に近いのはこれでしょうか:
612 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 02:16:21 ID:hyL3kHcH0
今テレビのニュースでやってる島根の殺人事件ってさ、山口と島根の県境にあるN倉集落の秘祭に似すぎてないか?
あの祭って、今は稲藁で作った娘神を解体してるみたいだけど、100年前までは、「ヨツタ」って呼ばれてた10〜20代の女でやってたって話だよな?
ヨツタは風紀紊乱を起こした女が選ばれ、左乳房に「キ」の刺青を彫られた後、祭で体をバラバラにされる。
それはヨツタの汚れた魂と汚れた肉体を部分に分解し、山の神のもとに返し、再生を待つ魂にして村を守ってもらうっていうそういう伝説のもとにやられたはず。
667 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/11/12(水) 21:09:08 ID:7fUxuA0K
>>612
あそこの集落の人らって基本的に獣肉食べなかったんだよねー
あれだけ山深い所で、食料になる動物も多いのに解体を嫌うらしい
なのにキ(忌)の入れ墨の女に対してだとちょっと異常なくらいにそういう抵抗感なくなる不思議
6 : 本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 01:39:26 ID:V9n20/EE0 [1/1回(PC)]
あれはネットで作り上げられた都市伝説
http://darknarice.jugem.jp/?eid=1264
#59 2013/05/01 10:32
此の島では少女は13歳になると、貝殻で出来たブラと腰ミノを着け、大人の仲間入りをします。
#62 2013/05/01 13:52
少女は13歳になると体中に蜜を塗られ、野外に放り出されます。
虫が体中に集りますが、それに耐えることがまず大人への第一歩となります。
#63 2013/05/01 14:05
>>62
蜜は自生しているハイビスカスから作るのですねw
#64 2013/05/01 14:43
>>62
虫が集まる前に男共が舐めまくるので、心配無用です。
#65 2013/05/01 18:46
虫に耐えた少女たちは、自分の身長ほどの穴を掘ってその中に入り、首から上だけを外に出して土に埋まります。
食事は与えられますが、彼女たちは5日間穴に埋まって過ごします。
#68 2013/05/08 18:45
>>65
そして別の穴に飢えた腐れナイチャーが表れ墓穴を掘ってしまい、食事は与えられますが、鉄格子と言う名の穴に閉じ込められて過ごしてしまうのです。
#81 2013/05/14 00:08
>>65
穴の中で5日間過ごした少女たちは、ザーシンカと呼ばれる霊的な力を帯びた男性の左臀部に口付けをすることでこの修行が終了となり、一人前の女性とみなされます。
http://bakusai.com/thr_res/acode=11/ctgid=104/bid=6/tid=2262413/
奇形児を食べていた日本の集落… おぞましい奇習とは?=山陰地方
先日、大手メディアがアフリカ・タンザニアで古くから行われているという、アルビノ狩りについて報じていた。だが、実はこうしたある種の遺伝子異常や、奇形にまつわる儀式・奇習というのは海の向こうの出来事ではなく、我が国にも存在していた時期がある。
「そりゃあもうね、当時は大層珍重したものですよ。なにせ、見た目がああいう感じでしょう? それこそどんな奇形でも、有難がったものですよ」
我々の取材に対してそう語りはじめたのは、かつて山陰地方のある海沿いの集落で暮らしていたという山鹿義美さん(仮名・78)。
山鹿さんの話によると、今を遡ること約70年前までは、当地に奇形を珍重する何とも不可思議な習慣が存在していたという。
「奇形がね、村に生まれると、まず、殺すんです。そう、赤ん坊のうちにね。
要はそれをね、みんなで食べるんですよ。薬になるもんだから。
知恵遅れも、手足の奇形も、真っ白なのも全部そう。
そういう子がね、生まれると、村は大騒ぎでしたよ」
たしかに、古今東西、その見た目が奇異な印象を与える遺伝子異常や奇形の類というのは、珍重されてきた歴史がある。とりわけ、動植物については、その物珍しさから、不老長寿の秘薬とされたり、どんな病にも効く特効薬として認識されるなどしてきた。
効能は不確かであるものの、それを自らの体内に取り入れることで、何らかの効果を期待するという向きがあったのは事実だ。しかし、それがこと人間を対象としたものであるとなると、途端にオカルト的な臭いを放ち始める。
「生まれて奇形だってわかると、すぐにムシロをかけましてね、その上から石臼を乗せてね、大人が体重をかけて殺すんです。
それで死んでしまったら、そのままむしろごと藁縄で縛りましてね、井戸の中に吊るす。
でも、水には漬けちゃいけない。宙ぶらりんで吊るすんです。
それで7日間ばかし吊るしたあとで、今度は天日に干すんです。
そこから2週間くらいですかね、生渇きになったら、鉈や何かでバラして、家格ごとに切り分けていくっていう。
この作業はね、村はずれの川っぺりに住んでて、四つ足の屠殺なんかをやっていた人らがね、金をもらって村人の代わりにやっていましたよ」
山鹿さんの話によると、アルビノはもとより、手足の本数が異なる奇形、さらには今で言うところのダウン症まで、この地域で生まれた者は、すべて秘密裏に殺害され、“秘薬”として村人たちに振舞われていたという。
「とにかくね、なんにでも効く薬だっていう話でしたよ。
嫁さんが産気づくと精がつくからって煎じて飲ませたりね。年寄りが具合悪くなったら重湯に混ぜて飲ますとか。
本当に効果があるのかはね、わからないけれども、当時はみんなそうしたものです」
無論、当時に比べ、格段に医学や生物学に関する知識が豊富となった今では、こうした奇形嗜食はなんら科学的な根拠を持たぬ迷信の類に過ぎない、なんともおぞましい行為として考えられることだろう。しかし、ミイラ薬や胎盤食など、非科学的な類似行為が全世界に存在しているのもまた事実だ。その奇異な外見が抱かせる神秘的な特徴に魅せられる人々は、洋の東西を問わず、いつの時代も存在しているのである。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/04/post_9153_entry.html
138 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:07:45
沖縄、八重山諸島、新城島の秘祭、豊年祭が、先週の木〜金にかけて行われたそうです。
この祭りは島民以外の見学がかなり制限され、撮影、筆記など一切禁止、
カメラをもったよそ者が見つかったらリンチされたりと事件が起こってる位、
秘密で行われている日本民俗学最大のタブーとされてる祭りです。
ここまで徹底的に秘密にするので、人魚と称して子供の肉を食ってるとか、
女を監禁して神様が生まれる儀式として輪姦してるだのおどろおどろしい噂が出てるんです。
僕の調べた民俗学者などの資料の限りだと観光客には見せないアカマタ、クロマタ誕生の儀式は男役と女役の島民が性交をする真似をする儀式があるらしく、それで神が誕生するとなってるのが見せない、秘密にするので女を監禁して輪姦という噂になったんじゃないかなと思います。
実際、ここで生まれるアカマタ、クロマタという神はポリネシアの神々に非常に近く、また東北のなまはげの原型とも言われ、南方〜日本と繋ぐ文化のルーツとしてオカルトとしてじゃなく学術的にも興味深いのですが、 見せない事で幻想を守り、興味を引くって意味ではモザイクみたいなものかもしれませんね。
31 :本当にあった怖い名無し 2008/04/20(日) 18:33:30 ID:mWNN8fQx0
田舎の性に関する話は怖いときがあるね。
国内の某島に旅行に行ったとき、赤ちゃんを抱いた10代前半くらいの女の子をやたら見かけた。
歳の離れたきょうだいが多いんですね、とガイドの人に言ったら
風習で女の子は初潮が来たら即嫁入りさせてて、今でもそれが続いているんだとか。
若い事実婚夫婦が自立するまで集落で面倒みるんだって。
今は法的に問題あるから大きな声じゃ言えないんだけどね、と含み笑いされてちょっとゾッとした。
どこだろうこの島
39 :本当にあった怖い名無し 2008/04/24(木) 06:01:33 ID:wqfKSEIoO
スレ読んでて『ウィッカーマン』ていう名の映画を思い出しました。去年リメイク版でニコラス・ケイジが出たのをやっていたけど。
まさにこのスレの内容の様なお話で、島のタブーにゾッとする。
41 :本当にあった怖い名無し 2008/04/25(金) 17:38:56 ID:XViIM4BXO
>>31
聞いたことがありませんがとても興味深いですね…
昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。
そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。
島では無く本土の何処かにあった因習と聞きましたが、今では似たような擬似の儀式が残ってるだけです。
http://yakimashi.doorblog.jp/archives/6350112.html
沖縄県の池間島という島では、50歳以上の老人が死ぬとその肉を親族で食べたそうです。
しかもつい最近(一説によると50年前まで)肉を親族が食べ、骨だけにすることで、魂を肉体から解放する。
沖縄 食人の習慣? 2007-01-10
与那国の歴史 池間 栄三 より
池間 栄三 与那国の歴史 (1972年)
P38
与那国の葬儀に獣肉料理を喰べる風習は、上代に死人の肉を食べていた風習の名残だといわれている
南島古代の葬儀(民族第二巻第五号) より
昔は死人があると親類縁者が集まってその肉を食った。
後世になってこの風習を改めて人肉の替わりに豚肉を食うようになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マシシウヤクワ)というのはこの風習から来ている。
何と石垣島では近年まで、親類に死人の出たことを老人に告げると
「アンスカ・ムム・ファリンサカメ」
↑それではまた皆で食べられるね
といわれたのだという。宮古島には今もなお
「葬儀に行こう」
という代わりに
「骨を齧りに行こう」
という言葉が残っているという。
*1959年の話である。大昔のことではない
http://ameblo.jp/horror/entry-10023187967.html
私の知っている限りでは、沖縄が 他の国の歴史に登場したのは西暦610年、隋の役人が探検に来て帰国後に報告したのが最初です。
「流求人は勇敢であり、戦いに負けると和を乞い、戦死した仲間は収容して生き残ったものでその肉を食べる。」
と言うような内容でした。
その事を、遣隋使が聞いて大和朝廷に報告したのが日本に伝わった最初の沖縄に関する情報です。
そんなわけで最初に朝廷に届いた内容は、「流求は食人国」であると言うようなものでした。
ここで言われている流求という国名が現在の沖縄を指すものか、それ以外の地域を指すものかにも諸説があり、確定的ではありません。どちらにしても誤解しないでほしいのは、
死んだ者を食べると、その人は食べた人の中で永遠に行きつづけると言う信仰は世界各地で見られ、古代中国、台湾でも有った習慣です。
ですから、単純に食人が野蛮な行為だったと言う事ではないので、念のために誤解の無き様。
http://www.okinawainfo.net/rekisi/yuusiizenn.htm
アイヌ民族と縄文文化、そして鬼退治 2010年04月18日
縄文からアイヌへ―感覚的叡知の系譜縄文からアイヌへ―感覚的叡知の系譜
著者:町田 宗鳳 せりか書房
まあこれですね。
縄文文化とそれを受け継いだと考えられるアイヌ文化の話が中々面白かったです。
贈り物を贈ることがアイヌ文化の根底にあるという話や、アイヌ民族は狩猟採集民族ではありますが、交易を広く行っており、それも生活を支える大切な要因の一つであったことなどのことについて知ることができました。
一番気になったのは、イオマンテから始まる食人文化への話。
イオマンテというものは、アイヌ民族のお祭りです。まあせいぜい
「熊を殺して神の世界(カムイモシリ)へ送り返す」
ということしか知らなかったんですが、この本によると、丸太で熊の首を挟んで殺した後、熊の体を解体し、その部位を食べるそうです。
しかし血を飲んだり、脳みそまで食べるとは知りませんでした。しかも生食。きっとまだ生暖かいんだよな……スプラッターですね。
おそらく食べることによって熊の力と一体になるという意味もあるのでしょうが、なかなか壮絶なお祭りです。
しかしながら、この本の筆者も書いている通り、そういう文化を野蛮だとか判断し下に見ることは間違っています。(ちなみにイオマンテは最近まで野蛮な行為だとして禁止されていた)
日本人のイルカ漁だって海外から見るときっとこういうふうに見えているのかもしれません。
現代人からみれば、凄惨なように感じても、その根底にはカムイから得た恵みを再びカムイの世界に返すというしっかりとした理由が存在するのです。
このイオマンテですが、この本ではこの祭りを縄文文化の名残なのではないかという観点から考えています。
その縄文文化を考える上で、例示として出てくるのが沖縄県の池間島という島につたわる食人文化の話です。
この島では、50歳以上の老人が死ぬとその肉を親族で食べたそうです。
しかもつい最近(一説によると50年前までという話もある。本当か?)肉を親族が食べ、骨だけにすることで、魂を肉体から解放する。
アマゾンのとある部族は死んだ仲間を食べるのですが、その理由が
「冷たい土に眠るよりは、暖かい仲間の中にいた方が良いだろう」
という理由だそうな。
同様の風習は沖縄県に多く点在しているそうで、よく考えると洗骨葬なども肉体から魂を解放するという考え方では共通しています。
かつて、貝塚から見つかった人骨にいくつかの人為的な傷がついていたために、モースは日本にはアイヌとは別の食人文化をもつ民族が住んでいたと考えたそうですが(プレ・アイヌ説というらしいです)、どうやら縄文人はこの風習のように食人を行っていたらしい。
普通生物は同族を食べたりはしません。まあ腹が減ったなら話は別ですが、種の反映のためには仲間を大切にする。
しかしチンパンジーが敵対するグループの子をさらって食べてしまうのは有名な話です。このように敵対するものを倒して食べるということは人間が猿の時代から行われていたようです。
食人文化を持つ部族の中にはこのように「憎しみによる食人」を行っているグループもありますが、沖縄の食人文化はそれとは違い言うなれば「愛情による食人」まあある意味人間らしいっていえば人間らしい。
この本では、アイヌ民族の伝承に
「かつてアイヌの先祖はお互いに食いあいをするなどしていたが、カムイが道具を与え食人を禁止した」
という伝説に注目し、南方からやってきた食人文化を持つ縄文人達の生き残りがアイヌではないのかと考えています。
そして、イオマンテと沖縄の食人文化は根底は同じではないのかとも推測しているのです。
おそらくイオマンテの祭りに近いものは縄文時代には多く行われていたのではないかと考えられます。しかし渡来人がやってきて弥生文化を作り、やがてヤマト政権によって大陸の文化が入ってくる。
すると今までの文化を続けていた人々は「野蛮」と言われ迫害の対象になります。しかし、ヤマト朝廷の勢力が届きにくかった辺境でその風習はほそぼそと残った。それが食人文化であり、イオマンテであると言うのです。
なるほど、と納得してしまいました。
ちなみにこの本を読んだ後、ネットで縄文文化について調べていたら、
「鬼=縄文人説」
というものを発見しました。鬼の顔は隆起が激しく、眉毛は太い。髪の毛は縮れていて体は毛深い。たしかにこうしてみると、縄文人の特徴を抑えていることに気がつきます。
ひょっとしたら鬼というものは朝廷に従わなかった縄文系の人々ではなかったのだろうか。
大陸系の支配者に追いやられ次第に北へ、山奥へと追いやられる。蝦夷と呼ばれた人々はおそらく縄文系だったと考えられます。
もし彼らがイオマンテに近い文化を持っていたらとしたら、おそらく獲物を殺し、皮をはぎ、血を回し飲みし、脳を生食する猛々しい祭りを持つ彼らは、鬼にしか見えなかったことでしょう。
そして鬼は人を食います。ひょっとしたら食人文化に近いものを持っていたのかもしれません。
少なくとも漂着した外人よりはありそうな話です。だいたい鬼って平安時代にはすでにあんな感じだったし。
古い風習をまもり続ける彼らは朝廷にとっては憎い敵でした。そのため自分たちとは違う「野蛮」な「怪物」としての鬼伝説が生まれたのではないかとも考えられます。昔話では鬼退治が語られますが、アレは実は民族紛争ではなかったのか。
頭の角も気になります。鬼が虎のパンツに牛の角なのは、鬼門の考え方から来ているそうですが、ひょっとしたら蝦夷の中にはシャーマンのような角をつける人々がいたのではないでしょうか。
北海道のフゴッペ洞窟の壁画には角をもつ異形の人々が描かれています。おそらくシャーマンではないかと考えられているそうですが、フゴッペ洞窟を描いた人々の風習が当時の日本に残っていたのかもしれません。(もっとも角をつける祭りを僕は知らないのでこの考えも随分怪しいものですけれども)
とまあこのように想像は膨らむのですが、こう言った説ってやっぱり食人というショッキングな内容からかあまり聞きません。
モースの食人説も、当時は反発を受けたそうですし(我々の祖先が食人なんてやっていたワケがない!ということもあるんでしょうけど)やはり現在ではタブーとされていることは受け入れがたいものがあるでしょう。
しかし、この本の冒頭で断られているように、「文化を野蛮とみなし拒絶する」ことは愚かなことであるといえるのです。(まあかといって僕はカニバリズムしようとは思わないけれどね!)
作者は冒頭でこうも断っています。
「アイヌの文化を考えるにあたって、近年見られるような自然と調和して生きるというようなステレオタイプな見方は捨てるべきだ」と。
あるところでは猛々しく、血生臭い風習があったとしてもそこを無視して話を進めることはできないのです。それも含めて文化なのですから。
彼らがもしかつて鬼と呼ばれた人々の末裔だとしても(こんなこと書くと怒られそうだけど、決して鬼が悪いわけじゃない)、その部分を拒絶するようじゃ、イルカ漁を責める外人と一緒になってしまいますよ。と考えてみたり。
http://blog.livedoor.jp/takaike_sora/archives/1457911.html
琉球の「食人」風聞の歴史的構造 弘末 雅士:天理大学国際文化学部
東南アジア島嶼部の歴史を専門とする筆者は,北スマトラやニコバル・アンダマン諸島,ニアス島,ケダー,カリマンタン,モルッカ諸島など,交易上貴重な産品を産出したりあるいは東西交易路の要衝であった地に,しばしば古くから「食人」の風聞が存在したことに注目している。
「食人」風聞は,自文化と異文化とを分化する際の重要なメルクマールとなるばかりでなく,誰がその風聞を流布させたのかを考察することで,そこでの交易活動のあり方に,貴重なデータを提供してくれる。この意味で,琉球の「食人」風聞も興味深い事例を提示してくれているように思われる。
琉球の「食人」風聞は,7世紀の『隋書流求伝』に登場して以降,13 世紀までしばしば中国側,日本側の文献に登場した。この「流求」が今日の沖縄かあるいは台湾であるかをめぐり論議されたことがあるが,日本側には9〜14 世紀始めにおいて南島に「人喰い」が居住するという一般的イメージが存在していた。
筆者は,「食人」が実際に慣行として存在したのかどうかには,直接的関心を払わない。
多くが風聞で実証が困難であるし,「人喰い」風聞が存在したという事実の方が,より重要であると考えるからである。そして14 世紀後半になり,琉球の王国が明朝に朝貢し始め,自らが海洋王国を自認し東南アジアや東アジアとを介在する役割を果たし始めると,「食人」風聞は消滅する。
7〜13 世紀の間の沖縄は,日本や中国からは異域とみなされていたが,日本や中国との交渉がほとんどなかったことを意味するわけではない。むしろ日本と中国,あるいは東南アジアと東アジアとを介在する地としての役割が生じ始めた時期である。『日本書紀』『続日本紀』によれば,7・8世紀頃に琉球の一部を含む九州以南の島々の住民がヤマト国家に挨拶にやって来ている。また遣唐使もしばしば九州以南の島々に漂着した。12 世紀以降南宋の時代になると,東シナ海の海洋交易活動は一層活発となるとともに,中国人商人が南シナ海やインド洋にも赴くようになり,琉球に立ち寄った商人数は増加したことが容易に推測される。沖縄は11〜13 世紀には,グスク時代とよばれる水田耕作が普及し始め,交易も活発となり,権力者が出現する時代を迎えている。
12〜13 世紀に東アジア海域世界において中継地として重要な役割を果たし始めていた琉球に対し,むしろ日本人は「人喰い」島のイメージをいだき続けていたといえる。沖縄は食糧を供給でき,また造船用建材となる木材を産し,金,銀,銅そして硫黄を豊富に産する日本と近接し,かつ東アジアと東南アジアとを介在しうる位置にあった。日宋間,日元間のあるいは東アジアと東南アジアとの間の貿易を支配的に司っていた中国人を主とする私貿易商人にとり,重要な中継地となりつつあった琉球は,日本人や他の外国人商人を介在させたくない地であった。「食人」風聞はこのコンテクストにおいて,重要な役割を果たす。
1243 年に五島から船出して宋をめざした船が,琉球国に漂着して,食人されるかもしれぬ恐怖を記した『漂到流球国記』や,商人が訪れないとされた黄金の島チパング諸島で食人が一般的に行われていることを記したマルコ・ポーロの『東方見聞録』を読むとき,こうしたイメージ作りがきわめて効果的になされていたことがわかる。
「食人」風聞は,決して交易活動が無秩序で行えない状態を示したものではない。むしろ,現地人と一部の人々との独占的関係が形成されていることを示す場合が多い。琉球の「食人」風聞もこの点で,きわめて興味深い事例を提示してくれているように思われるのである。
http://www.okinawa.oiu.ac.jp/okinawa-cgi/cgi-bin/pdf/5122.pdf
▲△▽▼
古からの秘祭・土着信仰が残る島
1 :本当にあった怖い名無し:2008/04/08(火) 04:24:03 ID:keQmaNWf0
沖縄の八重山諸島の1つに新城島と言う島があります。その島には古くから人魚伝説があり、人魚神社や御獄(ウタキ)大御獄(オオウタキ)と言う場所には
「この道は『神の道』につき一般の人の通行を禁止する。」
と書かれた看板が数多くあります。
そして、謎の秘祭(豊年祭)には『アカマタ・クロマタ』と呼ばれる二体の奇妙な神が豊年を祈り踊ります。しかしこの祭りは撮影禁止で、以前、隠し撮りした人への暴行事件も起きました。
他にも、鹿児島の甑島には『クロ』と呼ばれる土俗信仰集団があり、人喰いや強力な呪術を使うなどの噂があります。
御獄
http://www.youtube.com/watch?v=-LFlqS1OIxQ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=-LFlqS1OIxQ
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=zkS_jmB0-NY
http://www.ajkj.jp/ajkj/okinawa/chinen/kanko/sefautaki/sefautaki.html
http://gurukun.jugem.jp/?eid=1339
10 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 12:37:02 ID:GBiBAvZIO
ガチで沖縄出身のボクですよ。大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですが、いつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です。
儀式には幻覚作用のある薬物を(ガンジャやある植物の根を絞り発酵させた酒など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うのが儀式のやり方です。
祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますが、それも現在日本の法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末のタブーなどが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。
しかし、1番の原因は話題に上がっている島の多くは売春が島の収入源となっている様な事も多く、最近では、本土から借金を抱えて出稼ぎに来ている女性も少なくありません。そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。
後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが、「神の〜」等が書かれた看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし、他にも・・・血が濃すぎるためのタブー
タブーを神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。
興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない振りして知らない振りしておくのが一番です。そうすれば島の住民は友達で居てくれます。純朴で優しい人達ですよ。
12 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 22:36:33 ID:dghEXJ+6O
>>10
さらに詳しい話を聞きたいけどやっぱり島の人にしかわからないことがあるでしょうしね
13 :10:2008/04/10(木) 01:50:14 ID:R9PnKYsJ0
>>12
そうですね、やはり話の核心に迫るのは難しかったです。僕は運良く地元の人間と言う事もあり、かなり深い所まで行けたと思いますが・・・。
インターネットがこれだけ普及した世の中になっても表沙汰にならない所を考えると
地元の人間にとってどれだけ重要な神事なのかは想像できます。今、改めて当時のレポートを読み返していますが、以前からどうも解せない所があって又沸々と探究心が湧いてしまっています。
>>1に記載されているクロに関しては結局何も分からず仕舞いですし・・・
確かにクロと呼ばれる集落は存在していたのですが、近隣の住人もクロの話になると固く口を閉ざし怪訝な顔をします。しかし伝承通りにクロの集落中に高い壁が立てられ異様な雰囲気を醸し出していたのは事実です。
アカマタクロマタの秘祭についても石原慎太郎の小説のイメージが強烈で歪んだイメージが強すぎるのだと思います。実際は荘厳で美しい祭りでした。島が抱える悲しい事情による悪いイメージも強いのだと思います。
41 :本当にあった怖い名無し:2008/04/25(金) 17:38:56 ID:XViIM4BXO
昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。
島では無く本土の何処かにあった因習と聞きましたが、今では似たような擬似の儀式が残ってるだけです。
http://unkar.org/r/occult/1207596243
不思議ナックルズにアカマタ、クロマタの秘密が載っていたよ!
その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でSEXさせられてアカマタ、クロマタが生まれるらしい
アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで
それで生まれた子供を人魚の肉として食ってるだって。
麻薬をやりながら、女を監禁して輪姦って・・・
メスのおサルさんみたいに発情してあそこがまっかっかな若い女がアカマタを、
男性と交わりすぎてあそこが真っ黒な10代から40代くらいの淫乱な女がクロマタを
演じる、というのが慣わしです!
何でここまで秘密にするかというと
女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食ってるのでばれるとまずいからです
http://unkar.org/r/tropical/1163308866
728:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30
そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。
逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。
そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。
放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。
多分そんな神秘の祭りなんだろう。
737:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30
アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、処女が選ばれる。だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。
そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。
アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。 そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきでよそ者を冷たくあしらい続ける。
一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。
そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。 驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。
少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。
その内一人がこっちを見つけ
「静かに!君たちを助けてあげるから!」
といっても
「うおああああぁぁぁ!!!」
と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。
65:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0
お前達に警告しておく
これ以上この島に関わるな
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001
627:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:08:50 ID:Ekuzm5Le0
祭の内容見ると、やっぱ
献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな↓
海で監視をしている西泊さんと目が合う。そろそろ上がらないといけない時間だった。すると
「佐野さん?あなたのシンカはどこ?」
と尋ねられた。これは嬉しい島言葉だった。冒頭に書いた、この島で島民と旧島民だけで行われる秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。
そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。
「シンカ」、そうかここではきっと家族っていう意味なんだろう。瞬時にそう判断して「あそこにいます。呼んできますね」と返事をしていた。 海から上がり、シャワーを浴びて着替えたあとは、約束どおり人魚神社(アーリィウガン)を案内してくれるという。その時には他のツアーのお客さんも加わり、我々はまだ見たこのない人魚神社だけ見て、そこで別れ船を待つことになった。
人魚とはザンと呼ばれたジュゴンのことである。ジュゴンの肉は不老不死の霊薬とされ、琉球王府の王様に献上されるのだが、パナリは毎年、そのことが義務付けられ、必死に捕獲していたらしい。そして捕獲したジュゴンの頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社にはジュゴンの頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。
鬱蒼とした緑の奥にたたずむ鳥居は神秘的で、とても勝手に入れるような雰囲気はなかったが、西泊さんが、我々も含めたツアー客に
「この神社は、昔、王様に献上したジュゴンを祭った場所です。ジュゴンの肉というのは美味しいものだったそうです」
と語ったとたん、2人の女子高生風の化粧バッチリの女の子2人が間髪いれず「入っていーの?」と質問した。西泊さんが
「ここはダメです。私たち島の人間も勝手に入れません」
というと「どーして?」。このやり取りが続いて噴出しそうだった。なんだか屈託がなくて微笑ましい。
鬱蒼とした緑に覆われた立入禁止のアーリィウガン
我々はそこで案内から外れ、珊瑚の塀で覆われた美しい村の集落を抜け、港で船を待つ。目の前には大きな西表島、遠くには高い山をいだいた石垣島、その中間になだらかな小山を持つ小浜島が見える。翡翠の海に幾重にも重なる島影。この美しさは八重山ならではだ。
パナリ集落
一週間前にはここでその豊年祭が行われていた。400人以上の人が訪れ、3日かけて儀式が執り行われるという。
一昨年、案内してもらったナハウガンと呼ばれる神社の奥にあった赤い太陽と月のマークを描かれた真っ白なアーチ上のワーと呼ばれる門から、稲を島にもたらした神であるアカマタとクロマタの2神が現れる。
アカマタは男の神で、旗には太陽が描かれその先に剣がついている。
クロマタは女の神で、旗には月が描かれ先には二股の槍。その体は野ぶどうの葉で覆われ手や足は見えず、それぞれ赤と黒に塗られた怪異な仮面をつけ、頭には大きな葉をいただき、大きさは2m半を超えるという。
目は夜光貝なので暗闇でも光り、その圧倒的な存在感はまさに神、村人は声を限りに神に出会えた喜びの唄を歌い、神は家を一軒一軒訪ね歩いて踊る。明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟
(シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)
へ帰っていくのだが、アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。
この祭りは、以前、村人の招待があれば見られた時期から、撮影、録音からメモを取ることまで禁止され、禁を破った者はシンカから何をされるか分からない厳しい掟がある。このパナリのアカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。
このアカマタ・クロマタはパナリだけでなく、最初に始まったという西表の古見、西表島の向かいにあるここパナリと小浜島、そして小浜島の住民が移り住んだ石垣島の宮良の4ヶ所の部落のみで行われているが、どこでもいつ行われるかも公表していない秘祭であることは変わりがない。勝手に見ようとするとシンカに阻止され排除される。
昔出版されたある雑誌に、西表島の豊年祭の写真が掲載されていたが、ここではアカマタ、クロマタ、シロマタの3体の神が現れるのだが、パナリのそれとはまったく違う姿をしていた。小浜と宮良は似た姿だそうだが、パナリのものはこれも違う姿かたちだという。
そしてパナリだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。
子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われているため、みな必死で逃げるのだそうだ。
このようにそれぞれの島で違う形で伝え続けられてきた。 私はこの祭りを見ることが、ギアナ高地に降り立つことと並ぶ一生の夢であり、見られないだけにここ何年、国会図書館まで行って僅かに記述された文献を調べている。知識はあっても一度も見ていないのだから、ただの頭でっかちである。いつかその「許し」は出るのだろうか...。
http://www.webvanda.com/2010/08/post_31022839.html
沖縄県のA島では、なんとも奇怪な祭りが行われている。それは通称「種子取り祭」と呼ばれ、若い男女の営みを参加者に公開する、セックス祭りである。
沖縄県は八重山で最も人口が少ない島”A島”。
ここでは、島出身者以外の旅行者では絶対に参加できない秘祭が行われている。それは豊年祭と呼ばれ、表向きは神を讃える祭りなのだが、特に見物人に対しての制限は難しい。
運良く見物人として参加できても、写真撮影禁止、そして決して祭りを口外にしてはいけないという固い厳守事がある。
一体なぜなのか? それには驚愕の真実が隠れているからである。この祭り、実は裏では「種子取り祭り」と呼ばれる、いわば公然セックス鑑賞会なのだ。
毎年、過疎化を防ぐために島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。
首里王朝に伝わる古の書物には「風俗の乱れこれあり…」と書かれた一説があり、島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。
ちなみにもし、島外の者がその場を見物していることがバレると、島中の男たちから半殺しに遭い、五体満足の体では二度と本島には帰って来れないという。
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001
354:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:57:17 ID:GlCJiGQk0
こういうのはよその種を入れて血が濃くならないようにするのが主目的なんじゃないのか?
夜伽とかと同じで。
361:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:12:19 ID:yAysof1uP
>>354
これはそうした風俗とは根本的に違う
祭の夜に降臨するのは神であり、その神が儀式として行う性行為
多くの島では演じるだけだが、今も実際に行われる島があったとしてもおかしくはない
天皇の大嘗祭における真床追衾も、実際に行われているのかどうかを知ることは難しい
40:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:13:20 ID:DiGDdkMF0
国内で人口の少ない島はそれこそ1世帯〜数世帯レベル
成り立つかどうかが疑問
それに凄まじい近親婚になるので、障害児出生リスクも高い
他の地域の人と縁を持ち、島を維持してきたと考えるのが妥当
753:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 08:12:56 ID:7YIgrshr0
地元にも無人島があるんだけど、
昔住人が50人ぐらいいたけど、みんな血が濃くなりすぎて、そのせいでほとんど女子しか生まれず、その女子が本土へ嫁ぐに行ってしまい無人島になった。
434:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:14:32 ID:HuT7wwke0
昔はどこも人の出入りが少なくて部落単位だから小さな集落はみんな親戚になってだんだん血が濃くなってくる
ときどき少し遠く血を入れないとまずいので暗黙の了解として祭りの時に利用したってよく言われている
おそらくこれも同じで 全くの部外者の血を入れるのはいやだけど今では遠くにいる同じ島の出身者くらいの血は入れたいってことだと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001
136:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:58:13 ID:dwr85dTX0
子孫繁栄のためならば、血が濃くなって奇形児が生まれることを防ぐために
部外者の参加大歓迎になるはず。 モンゴルあたりの遊牧民は、お客を自分の奥さんとか娘でもてなすらしいぞ。
64:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:17:58 ID:M0iRyq910
大正時代まで全国的にあったらしいぞ。
秋祭りの夜はフリーセックス=>5〜6月に生まれる。
人間の収穫。
107:名無しさん@11倍満:2010/09/18(土) 10:40:34 ID:rfOqN35a0
江戸時代に農村等で行われていたヤツの名残だね。
111:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:43:31 ID:B57FBblw0
>>64
万葉集の時代から、祭りの夜はフリーセックスだったしな
人妻とやりあったというのが残ってるw
かつて柳田を師と仰いだ宮本常一氏もまた、村の古老たちの夜這い談義を忠実に
再現した名作「名倉談義」(『忘れられた日本人』の内)を遺しています。
いきなり「夜這い」を持ち出さずとも、日本の村祭は密接に「性」と結びついています。 古来、祭の夜はフリーセックスが公認されており、それが若き村の男女の秘めやかにして最大の娯しみでありました。
160:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:10:00 ID:Kyus9N6V0
祭りと言えば乱交という地方は昔多かったらしいな。
今じゃ、離島にしか残ってない日本の伝統の絶滅危惧種。
むしろ保護されるべき。
191:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:27:38 ID:Kyus9N6V0
天皇家の跡継ぎ問題じゃないけど、
一夫一婦制の妊娠ってのは結構難しいんだよ。
昔は貞操うんぬんよりも子供を産まない事こそ絶対悪。
だから妊娠チャンスとしての夜這いや乱交が当然の事としてあったんだよ。
貞操を叫んで、少子化で滅ぶ方が馬鹿な社会だと俺は思うがね。
450:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:38:03 ID:WYcf1F3L0
乳幼児死亡率が今と違ってものすごく高かったんよ。
生まれた子供の半分以上は、5才の誕生日を迎えず死んでいくような状態。
その前に死産もあったから、受精卵から成人まで育つのは、3割程度かね。
だから、とにかく産むのよ。
成人まで成長するのが数少ないから、産んで産んで産みまくって…
とやっていかないと、途切れちゃう可能性があるんよ。
441:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 16:24:04 ID:tDXPC+zJ0
昔は過疎化という言葉は無かったかも知れないが、貧困と乳幼児の高死亡率で
どんどん子供を産まなきゃならんかった。ガンガン産まなきゃ貧困と過疎高齢化に
対応できない。
それは本土の農民も同じ。沖縄なんて国そのもののレベルが東北以下だったんだから
なりふり構わずやりまくって産まなきゃならない。昔、子供は地域の宝っていう概念があったけど、それは地域で育てて地域を守るって表の意味と、乱交状態で誰の子供か分からないって裏の事情もあったわけ。だから村の子供は村で育てるわけ。
貞操とか秩序とか道徳っていういわゆる日本人的な美徳があったのは貴族や武家だけ。
220:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:42:46 ID:XryklFOc0
夜這い・乱交は百姓の話。 百姓は多いほうが良いから黙認していた。
百姓には氏素性は不要だからな。
支配者階級では許されるはずも無く、養子縁組で家を保った。
663:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 00:28:03 ID:he1UONG30
祭りの日の夜、家柄のいい地主だか商人だかは、自分の娘を蔵に閉じ込めて鍵をかけた。 男衆が女を目を血走らせてあさりに来るからだ。
女は蔵の中でガクガクプルプル震えて祭りが終わるのを待つ。
女を閉じ込めた親父は、時には若い男衆にボコボコにされても娘を守らなければならない。
245:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:54:15 ID:ek3jx5xm0
ムラの盆踊りに一人で行かせてもらえなかったって80歳のうちのばっちゃがいってた。 みんなセックスしてるからと。昔はどこのムラ祭りでもそうだった。
結婚はとなりムラの農閑期の慰安会の手伝いにいかされて、婿候補のじっちゃにこっそり見せられて後に結婚。今の俺があります41歳独身。昔はいいですな
178:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:20:19 ID:yAysof1uP
岡本太郎が墓暴きをやったせいで久高島では風葬が廃止され
貴重な秘祭であるイザイホーの伝統も絶たれてしまった
>>1が事実であろうとなかろうと、その土地の人が大切に守ってきた文化を
よそ者が踏みにじる行為は絶対に許せないと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001
77 : 天之御名無主 : 04/07/15 05:25
風葬は1970年代までは確認されている。
1979年の久高島でのイザイホーのとき、芸術が爆発するバカが風葬場所を撮影するという冒涜を行って大問題になった。
つまり、当時はまだそこに人骨がおかれていたのだそうだ。
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/
194:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:28:05 ID:8JgCPlKC0
先島の方の神事って、本島の進行役のユタと少し違って「系譜」があるそうで
その人を検挙されると祭事ができないので秘密の神事にしたところもあるそうですね。
戦後に、男性・女性のシンボルを模った面や神事に用いたものを米軍が押収していった
そうです。 アンガマのウシュマイ・ウミーも現在のモノとは随分と違うって本土復帰前の琉大の調査に証言してた高齢者もいたそうです。
174:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:18:00 ID:hqxwwBTu0
沖縄、八重山諸島、新城島の秘祭、豊年祭は島民以外の見学がかなり制限され、撮影、筆記など一切禁止、カメラをもったよそ者が見つかったらリンチされたりと事件が起こってる位、秘密で行われている日本民俗学最大のタブーとされてる祭りです。
ここまで徹底的に秘密にするので、人魚と称して子供の肉を食ってるとか、女を監禁して神様が生まれる儀式として輪姦してるだのおどろおどろしい噂が出てるんです。
まあ、都市伝説みたいなものなんでしょうけど、そこまで隠すからそういう噂が出るんでしょうね。
僕の調べた民俗学者などの資料の限りだと観光客には見せないアカマタ、クロマタ誕生の儀式は男役と女役の島民が性交をする真似をする儀式があるらしく、それで神が誕生するとなってるのが見せない、秘密にするので女を監禁して輪姦という噂になったんじゃないかなと思います。
実際、ここで生まれるアカマタ、クロマタという神はポリネシアの神々に非常に近く、また東北のなまはげの原型とも言われ、南方〜日本と繋ぐ文化のルーツとしてオカルトとしてじゃなく学術的にも興味深いのですが、見せない事で幻想を守り、興味を引くって意味ではモザイクみたいなものかもしれませんね。
215:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0
大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です
儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。
祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。
そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。
僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。
後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし
他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。
興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。
でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。
僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。
293:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:38:04 ID:DYrKD13LP
新城島のアカマタクロマタは部外者に対して禁忌というより琉球の古代から続く秘祭は多くが文字通りの秘祭だった
だが、今でも部外者秘を守ってるのはこの新城島のアカマタクロマタ
宮古島のパーントゥプナハくらいのもんだろ。
ちゅらさんで有名になった小浜島でもアカマタクロマタは部外者秘というが、今でもそうなのかどうか
アカマタクロマタは八重山一帯で広く信仰されてる、王国の支配が及ぶ以前からの
土着の信仰だ。ただし琉球王国のニライカナイ信仰同様、異界から現世に来る来訪神だから、ニライカナイ信仰に含められてるけどな
724:名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:08:19 ID:kAp5lM6HP
アカマタ・クロマタ(地域によってはシロマタというものもある)は八重山一帯に琉球王国の支配が及ぶ以前あるとされる古代祭祀、信仰なんだが、秘祭として執り行っている地域が現在もまだあるというところが重要
アカマタという神が性交に関わる神だというのは広く知られている上に特に新城島のものは島外人秘で極めて排他的で実態が全くわからない
定期船もろくに無い離れ小島で古代の性的儀式を行っている疑惑があるからここまで話題になる
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001
154 : 天之御名無主 : 2007/03/22(木) 09:34:22
宮良出身です。
・アカマタクロマタは夫婦。
アカマタは農作業で日焼けして赤い。クロマタは炊事の時の煤で黒いらしい
・アカマタクロマタは、もともと宮良にあるものではなく、明和の大津波の後、新城(?)から強制移住させられた人達が持ち込んだ風習らしい。 その大元の発祥については詳しく知らないけど、海賊避けのハッタリって話しも聞いた事ある
・あのお面は、ある家系が代々保管してる。
体の部分は神聖な意味を持つ、特定の種類の蔦を編んで作成。
214 : 天之御名無主 : 2010/04/23(金) 00:07:10
17年前に2回ほど石垣島宮良に見に行ったことがありますが、規制などは思ったよりは、緩いのですが、アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます
私は知り合いの家が在り、見れたのですが、一般の人が見るのは難しと思います。
祭り自体は、怖くはないのですが、アカマタ、クロマタは、草か葉っぱで覆われていて、意味のわからない言葉でその家々に言葉を残していきます、
アカマタクロマタに入っているのは、地元の青年団で、意味のわからない言葉も古くから伝わる言葉らしく、絶対教える事はできないらしく、地元の人もこの事自体あまり話したがりません、特に地元青年団など、深く関わった人は一切話すことはタブーらしです、
祭りに対してのもともとの由来など、地元の人でもあまり解っていないと思いますが、厳しい掟などは守られているのは罰が当たったりとか、そうゆうことを恐れてではないかと思います。
県民性から言うと、お盆とか、しぃーみぃー(清明祭)などを大事にしているのと一緒だと思います。 私も6年石垣に居ましたが、沖縄の人から(個人的には)見ると、石垣の人は変わっています。
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/min/1051345690/
ナビン洞の中ではどんな儀式が行われていたのか?
アカマタ・クロマタの儀式に関する噂を纏めておきます。
昔は本当にこういう事をやっていたというのではなく、以下の内容を象徴化・抽象化した、同じ心理的効果を持つ儀式を考案したというだけでしょう。 くれぐれも事実だとは思わないで下さい:
・新城島ではなんとも奇怪な祭りが行われている。 毎年、島で選ばれた若い男女が、この祭りの時に、島中の人々が集まる場でセックスを行うのである。 島では若い女性たちは半ば強制的にセックスさせられ、種付けをさせられるという。
・ザーシンカと呼ばれる男性による祭祀集団がナビン洞の前に並ぶと、30代後半の美しい女性が介添え役の女性に連れられてやって来る。この美しい女性は、ナビン洞の中に入るとアカマタ・クロマタを生むためにザーシンカの男衆たちと妖しい儀式をするという
・豊年祭も2回あって、小さい豊年祭と呼ばれていてアカマタ・クロマタの子供が現れます。
・新城島では1日目の夜にアカマタ・クロマタを生む際に秘儀が行われる。
・アカマタ、クロマタは、明け寅の刻にヘビが皮を、蟹がからを脱ぐように生まれる。 ザーシンカは仮面に「すで水」を注ぐことによって、秘儀的に来訪神を再生させる。つまり、八重山の来訪神儀礼は、死と再生によって特徴付けられている。
・その儀式の為に幽閉されてる女がいて、洞窟でアカマタ、クロマタを生む
・秘密の祭りは近親相姦で柱にくくりつけて…
・アカマタ系の豊年祭には、何か近親相姦に関する意味合いがあるとか…
・新城島では近親婚の為に、生まれる子供は女子ばかりだった
・近親相姦で生まれた畸形の子供や集落でトラブルを起こした女性が神への捧げ物とされた。
・儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。
・ナビンドウと呼ばれる洞窟でアカマタ・クロマタが生まれるが、シンカ以外の島民はその場所も知らない。丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われ、その間、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もる
・アカマタ、クロマタは地下あるいは土中から出現すると考えられている。 そして儀礼的には、ナビンドゥ(鏡のような凹状の洞穴の意味)から出現する、という形式を取っている。
・アカマタ、クロマタが来る時に、家の中に入っていないと、めちゃくちゃ怒られます
・新城島の豊年祭でだけはアカマタ、クロマタが現れる前に子供のアカマタ・クロマタも現れる。子供のアカタマ・クロマタは鞭を持っていて、それに叩かれると1年以内に必ず死ぬと言われている。
・外部の人間はアカマタが出てきてから踊る所だけしか見られない。 洞窟で何が行われてるか調べようとした研究者は石で眼球を潰された。 石垣警察署に問い合わせると、あまり深入りしないようにと意味深な注意を受ける
・何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民が平然と芋煮会をする。
放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。
・人魚神社の秘密は島最大のタブー
・アカマタ・クロマタの儀式は乱交パーティーで それで生まれた子供を人魚の肉として食べている。
・何でここまで秘密にするかというと、女を監禁し輪姦が祭りの儀式で、人魚と称して子供の肉を食べているのでばれるとまずいからだ
・昔、何処かの集落に初潮を迎えた女の子を人柱とし、村の男性一人を神の寄代に選んで民衆の前で儀式的にヤルと言うものがありました。儀式と言えど実際に入れます。そして事が終わったあとは女の子は川に流すと言う因習です。
・人魚は、漁師達にあなたたちの島に連れていって下さいと頼みました。人魚に夢中になっている島の人達は津波が押し寄せて来るのに、気づきませんでした。ようやく気がつくと人々は慌てて島の一番高い所に先を争って逃げました。人魚だけはうれしそうな顔で、おいでおいでと津波を手招きして、沖の方に向かって泳いでいき、やがてその姿は津波に飲まれて姿が消えました。津波が襲ったのは、人魚が歩き回った所ばかりだったそうです。
・人魚とはザンと呼ばれた〇〇のことである。〇〇の頭蓋骨をこの人魚神社に奉納していたため、今も神社には〇〇の頭蓋骨が残っているそうだが、立ち入り禁止である。島人も必要な時以外は入れないのだという。
・「神の〜」等が書かれた看板が立入禁止になっている場所は埋葬場
・祭の内容見ると、献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな
___________
4) 神食いの儀式 _ 麻薬を吸い 人肉を食べ 乱交する狂宴
アステカの聖体拝領
神人合一のイメージを、信者をして強化せしめる方法として聖体拝領があるが、キリスト教のミサによるそれと、16世紀のアステカで行なわれていたそれが類似した儀式であったことを見ると、アステカの宗教は、観想を主力とするどちらかというとクンダリーニ・ヨーガ型の宗教であったように思う。ミサの聖体拝領は観想を補完するセレモニーと考えられる。
キリスト教のミサは、次のように執り行われる。
1.パン(ホスチア)の奉納
2.カリス(ワイン・聖杯)の準備
3.カリスを挙げる
4.奉納物の聖別(十字切り)と祭壇の献香
5.エピクレーシス(聖霊の降下を求める祈り)
6.聖別(パンとワインが主の肉体と血に転換する)
7.大奉挙(聖別されたパンとワインを会衆に向け高く掲げる。)
8.聖別後の祈り(聖別されたパンとワインを奉献する祈り)
9.奉献文の結び
10.挿入祈祷とフラクチオ(ホスチアがカリスの上で二つに割られる)
11.コンシグナチオ(ワインに対して、ホスチアのかけらで十字を切る)
12.混和(ホスチアとワインのカクテル)
最後は霊肉の一致のシンボル化ですね。
これに対してスペイン人修道士サアグンが1529年メキシコで目撃したアステカの儀式は、モクテズマ王や大祭司の前で行なわれた。
1.芥子粒の練粉でもって、ウイツィロポチトリ神の像を造る。
2.ケツァルコトアル役の祭司が、ウイツィロポチトリ神の像の心臓を火打石の槍で突き刺す。
3.死んだウイツィロポチトリ神の練り粉の肉体を細切れにする。心臓はモクテズマ王のものとなり、他の骨のようになっているバラバラの円筒状のパーツは列席する者に分配された。
この儀式は毎年行なわれ、神を食べることは「神食い」と呼ばれ、神を食べた者は「神の番人」と呼ばれる。
(参考:心理学と宗教/C.G.ユング/人文書院)
この儀式が隆盛なままキリスト教の布教を続けても、キリスト教のミサの方がアステカの儀式のパクリだと言われかねないので、サアグンは焦ったに相違ない。
どちらの儀式も、もともと個人と神が別である意識があることを大前提にスタートしているので、儀式の本質も神人一如を強調する形となっている。むしろアステカ民衆の意識が、西洋人に近い意識であったこと、つまり東洋的な意識(もともと神と人に隔たりはないという先入観)ではなかったことがひとつの驚きだと思う。
似た意識の大衆に対して、適切な宗教を移植すれば、非常によく似た儀式が出来上がる訳である。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/1a0c53a42e22a8266206417a54646457
ユングの観点から宗教改革の意味を考える場合、重要な焦点になるのがこのサクラメント、ミサ(聖餐)の問題です。
ミサの中心観念は、パンとぶどう酒の「聖変化」にあります。
これは、イエスが最後の晩餐の席で弟子たちにパンを裂いて与え、また杯を与えて、これを自分の身体と血であると語った伝承に由来します。パウロが語る次の言葉は、聖餐におけるこの「聖変化」を極めてリアルに伝えています。
「だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである」
(?コリント11:27)。
ミサにおいては、祭司がイエスの聖別の言葉を唱えることによって、パンとぶどう酒はキリストの身体と血に変化するものとみなされるのです。これを聖変化とか化体(実体変化)transsubstantiatioといいます。パンとぶどう酒の実体substantiaつまり「本質」が、霊的なキリストの身体と血に変化するという意味です。
中世キリスト教には、この解釈をめぐって、二つの考え方がありました。一つは9世紀のラドベルトウス以来の考え方で、化体説の源泉となった考え方です。
彼は、聖別されたパンとぶどう酒は、天上にあるキリストの霊的な身体および血と〈同一〉であると言ったのです。
これに対して11世紀のベレンガリウスに代表される考え方は、パンとぶどう酒はキリストの血肉の〈象徴〉figuraであるとしたのです。
http://akitanarayama.blog10.fc2.com/?mode=m&no=309
キリスト教会に魔女たちが告発されたのはこの人肉嗜食の罪に問われたのが、いちばん多かった。しかし、キリスト教信仰のまさにその中核こそ聖餐なのである。救いも、罪のあがないも、永遠の生も、何もかもこの聖餐にすべてがかかっているのである。
聖餐というものは、「象徴的な」人肉嗜食ではなく、神学上の原理説明によると、まったく現実に嗜食することなのである。
神を食するということは、文明が始まって以来、全世界的に見られる風習であった。しかし、文明の初期は、人肉を実際に嗜食する祝祭がつねに行われていたのである。
「生贄になる者は」神の化身として「殺されるばかりでなく、自分を祀る者たちにその肉を食べられ、血を飲まれる。そうすることによって彼の生命は、彼らの生命に乗り移り、両者は結ばれて共生するのである」。
神の化身である生贄を食べる目的は、そうすることによって神の肉体の肉になって、神の聖なる肉体が再生するときに自分も同じく再生できるようにするためであった。初期キリスト教時代の秘教というものは、すべて、カニバリズムまがいの聖餐を行えば、祀る者は祀られる者(神)と一体となれるという信念をその中心に持っていたのである。
「宗教の初期の段階には、聖餐という形で神を食べることによって、自分も神の一部になれるという固い信念があった。これは疑いないことである。
例えばトラーキアのディオニューソスの秘儀においては、そうした食事にあずかった人々は神の聖なる生命を自分たちも分かち持つことができるとされ、そのためにその神の名で自分たちも呼ばれることになるのである」
キリスト教の聖餐は、他の秘儀のと同じく、こうした考えを下敷きとしている。エルサレムのシリルは、
「キリストの肉と血を食するのは、そうすることによってキリストと一体となり、血のつながりを得られるようになるからである。キリストの肉と血がわれわれの手足に入って、われわれは『キリスト担体』になる」
と語った。聖メトディオスは、
「信者はすべて、キリストの血肉にあずかることによって、キリストのような人間に生まれ変わる……キリストが人間として姿を現したのは、われわれ人間が神になるようにするためであったのだ」
と教えた。しかし、同じ聖餐でも、他の宗教のものとなると、それは悪魔の儀式とされた。
「悪霊は供物を食べて力をつける、だからあなたがたが供物を捧げると、あなたがた自身の手で悪霊を体内に引きいれることになる。悪霊は長い間ひそんでいて、そしてあなたがたの霊魂と一体となる」。
真のカニバリズムは、7世紀まではなお、明らかにチベットの供犠と関連があった。しかし、その後は、それに代わって聖なる秘儀が演じられるようになり、そのためにカニバリズムはシンボリックなものになった。
練り粉で生贄を作って、それを引きちぎり、「内臓」を皆に配って食べた。
ときには、死刑囚の死体の肉をその練り粉で作った像の中に入れた。
贖罪の祭典のときには、「宗教の聖なる王」と呼ばれる雄ウシの仮面をかぶった聖職者が、その生贄の像を突き刺して、手足をばらばらに切り離し、胸を切り開いて人工の肺や心臓や腸を引き出した。残った遺体は動物の仮面をかぶった踊り手たちによってばらまかれた。
それは、古代、ウシル〔オシーリス〕やその他の救世主-神たちの遺体が地上にばらまかれたのと同じであった。
そうした踊り手たちというと、『エゼキエル』の第24章に出てくるサバの住民たちのことが思い出される。彼らは「血を流す女たち」と呼ばれ、死者の喪に服するために黄金の冠と腕輪をつけ、「人肉のパンを食べた」という。
同じような送葬の踊り手として、エジプトには、女神メウト〔ムート〕、あるいはネヘベト〔ネフベト〕(死者を食べる女神)を擬人化するために、ハゲワシvultureの羽根を身につけたムーmuu(=母親たち)という人々がいた。
最近まで、フランスの一部で、最後に刈り入れた小麦の束から取った小麦粉で人形を作って、それで人間の生贄を表す習慣があった。その人形は村長marie(昔は一族の母親の添え名)によって引きちぎられ、人々に与えられて、食べられた。
メキシコでも同様に、人間の生贄が廃止されてから、練り粉の人形の胸に火打ち石の先がついた槍が射こまれた。
こうした行事は、「神の肉体を食べるために神を殺す」行事だと言われた。「神を食べる」torqualoという儀式では、神の像が粉々にされて、人々に配られたという。
これは、明らかに、アステカ人の宗教思想の遺物であった。生贄になる人は神の擬人であって、崇拝され、病気を癒し、人々に祝福を与え、つねに、そのそばには彼の世話をする弟子たちがいた。それから彼は殺され、彼に与えられていた特別な家(calpulliと呼ばれていた)でばらばらに解体された。育児中の母親たちは、その血を子どもに含ませるために、乳首にその血を塗りつけた。
ギリシア人の言う「生食」wjmofagivaというのは、本来、人肉を食べる狂宴orgiaであって、そのときは料理も何もしないで食べた。生贄となる者は、その狂宴に参加した人々の歯や手で引き裂かれ、生のまま食べられた。ギリシアの古典作家たちは、つとめて「生食」を忘れようとした。
彼らは、野蛮人は乱交をし、家族の者を食べると言って軽蔑した。
「バーベキュー」というのは、本来、人肉を食べる饗宴であった。barbecueの語源はbarbricotで、カリブ・インディアンが人肉を焼くために用いた葉のついた枝で作った焼き網のことである。古い本を見ると、古代の人々には人肉を食べる習慣があったことがわかる。
古北欧の神々、あるいは巨人たちのことをヨツンjotunnと言ったが、「食べる人」という意味のインド・ヨーロッパ語を語源とする。血を飲んで、その骨でパンを作ったという英国のジャックの巨人と同じように、彼らも人間を食べたと信じられていた。
聖王や救世主を食べることと、家族の者を食べることとの間には、どういう関係があったのだろうか。この答えは、人食い人種自身がしてくれた。つまり、
人が死ぬと、女性がその肉を食べ、そして、新しい子どもとしてその死者を再生させるのである。
原始時代の人々は、再生するためには女性の肉体の中に入らなければならないと考えた。そうするためには、女性に食べてもらうことがいちばん手っ取り早い方法であった。これが再生輪廻という、文字どおり肉体を再び身にまとうという、世界中に見られる教義の根源であったのである。
どうやって懐妊するのかがまだよくわからなかったころ、死に瀕している人は、同じ種族の母親たちの誰かから自分がまた生まれてくるものと思っていた。自分の肉や血をその母親が新しい赤ん坊に移し替えてくれると思っていたからである。マッサゲタイ人は部族の母親たちに食べられることが唯一名誉ある死だと考えた。母親の肉体の肉となって、再生できると信じていた。大地と同じように、何度も何度も子どもを生む女性こそ、神秘の呪術によって自分を再生させてくれるものと思っていた。
オーストラリア原住民の女性は、乳児が死ぬとそれを食べ、骨は赤く塗って自分の身体にぶら下げたという。こうしたまぎれもない呪術というものは、死んだ子を子宮にもどして、そして子を生む母親の血をその子の骨にまたまぶしてやることを目的としたものであった。
ビビンガ族の女性は、自分たちは死者を食べて、それで彼らを再生させてやるんだと、淡々と語った。ニューギニアでは、子どもが生まれるとその子に、殺されて母親にその肉を食べられた人の霊魂-名前を与えたという。
1852年、ハブシュ博士はニアム・ニアム族というアフリカの部族のことで、次のように報告した。
「部族の誰かが死ぬとすぐに、縁者たちは、その死者を埋めないで、死体を切り刻んで賞味するのである。そのため、この地には墓地というものはない」
バガンダ原住民の話によると、女性たちはときに非常に空腹を覚え、乳児の耳を食いちぎることがあったという。おそらくこれは、子どもを食い殺してもまたその子を産めると信じて、全部食べてしまったということを、婉曲に表現したものであろう。
妊娠するのは人肉を食べたためであるという考えは、未開人の間に広くある考えである。食べ尽くすことを表す語と、みごもることを表す語とは、同じであることが多い。古代バビロニアの諺に、
「誰しもみごもって初めて腹がふくらむ。誰しも食べて初めて腹一杯になる」
というのがある。フロイトは性的ドラマこそ本当の原風景であると仮定したが、ホラティウスによると、
「残忍な魔女がその腹から胎児を引きずり出して再生させる」
場面こそ、原風景であった。聖書では生誕を表すのに「身(bowels=腸)から出る」としている(『創世記』第15章4)。それというのも、子どもたちと同じように、古代の人々は、生殖と消化の区別がまったくつかなかったからであった。
サンヒドリン〔71人からなるユダヤの最高議会。紀元前5世紀から西暦70年まであった〕は、死体を洗った水を飲んだり浴びたりすると、女性はみごもるとした。これは、明らかに、死者の霊魂が新たに母親の胎内に入るという原始時代の考えの遺物である。
殷の時代の中国は、生誕と再生は同じであると考えた。「霊魂」と「再生」を意味する鬼の絵文字は胎児であった。
ヤノマモ族の言うところによると、彼らは、昔、母神マモコリヨマが死んだ親や子どもを食べてもよいと言ったからと言って、人肉嗜食をしたという。しかし、その後、彼らはその母神を崇拝しなくなり、人肉嗜食は罪だとして、死者を火葬にすることにした。それでも、今なお、彼らは死者の灰を食べ物に混ぜて食べている。祖先の灰を皆でいっしょに食べることは、縁者のきずなを強めると思われる聖なる儀式なのである。
アフリカの南東部では、もし女性が別の縁者のグループのところに嫁いでいくときには、死んだ祖先の頭蓋骨に穀粒を盛ってそれを食べなければならない。
彼女が子どもを産むと、長老たちは死者とその子の間によく似た点があるかどうか見る。穀粒はウシル〔オシーリス〕のミイラの上でも、またベツレヘムBthlehem(=パンの家)で生まれたアドーニスの身体の上でも、同じように、栽培された。そしてその穀粒はウシル〔オシーリス〕やアドーニスを崇拝する人々が、厳粛な霊的交感のうちに、食べた。
そうすることによって自分が神と同じような者になり、神同様、自分も再生できると思ったからであった。
ハワイの原住民もウシル〔オシーリス〕によく似た神を持っていた。その神は身体を切り刻まれて、方々の大地-子宮に埋められた。彼の身体のいろいろの部位から食べ物が実った。
ほとんどすべての宗教にはカニバリズムが見え隠れしている。神を食べる聖餐はキリスト教にも異教にもあったが、それとは別に、初期キリスト教教会は、本当に人肉嗜食をしたと言われた。
ローマ人の言うところによると、キリスト教徒は子どもを殺して食べ、その血の中に供犠を司る人を漬けたという。正当派キリスト教会側の人々(パウロ使徒団)はこうした非難に対して否定はしなかった。しかしそうした非難に値することをしたのは、ただ、グノーシス派の人々だけであると主張した。
殉教者聖ユスティヌスは、マルキオン派の信徒たちは実際に近親相姦や人肉嗜食をしたと言った。カイサリアのエウセビオス(263?-340。神学者、歴史家)は、カルポクラテス派の人々もやったと言った。エピファニウスは、モンタノス主義者や拝蛇教徒たちもやったと言った。アレクサンドリアのクレメンス、イレナエウス、5世紀の初期キリスト教会の長老サルビアンといった人々はすべて、異端者が食人種の行うような儀式をやって教会の名誉を汚したと言って非難した。
厳しいタブーであったにもかかわらず、ヨーロッパでは中世になっても人肉嗜食が行われていた。飢えに瀕し、疫病が流行すると、ヨーロッパの町々では、多くの者が行き倒れになったが、ときにはある人の姿が突然消えてしまうことがあった。1435年、ガロウェイのソウニィ・ビーン家の人々は、何代にもわたって人肉を嗜食してきたといって告訴された。彼らはエディンバラの法廷で拷問にかけられて死んだ。しかしその死に方を考えれば、彼らが自白したとしても、その内容は疑わしいものである。
1661年、スコットランドで4人の魔女が拷問にかけられて、フォーファーの教会墓地から、洗礼を受けなかった子どもの死体を掘り起こして、それを食べたと自白した。しかし、そんなことはありえないのである。洗礼を受けない子どもが教会墓地に埋められることなどなかったからであった。
魔女に次いで、人肉を嗜食したといって頻繁に告訴されたのはユダヤ人であった。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/cannibalism.html#1
▲△▽▼
215 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:40:43 ID:hqxwwBTu0
大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
あの辺の島は確かに独特の土着信仰があったり奇祭や妙な儀式が存在します。
ルーツを辿ると台湾からの流れを組んでいる儒教がベースなのですがいつの頃からか仏教や密教などが混ざり合い唯一無二のスタイルが出来上がった訳です
儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャや植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。
祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。
そんな事から島の住民はカメラ、マスコミ等に過剰な反応を示すのです。
僕も卒論の取材中に何度か危ない目に合いました。
後、これは確認できなかったので僕の憶測ですが
>>108 の看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。
鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし
他にも・・・血が濃すぎるための畸形を神の使いとする地域も有り、神への捧げ物とされると言う話も有ったり。
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。
興味が有る方も多く調べてみたいと思う方も居るかも知れません。
でも正直、これ以上は掘り下げないのが良いかな?と思います。
僕等から見て異様な光景でも彼等には受け継がれた文化ですから見ない知らない振りしておくのが一番です。
812 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:49:12 ID:4TJCDtnS0
秘祭「アカマタ・クロマタ」(豊年祭)は、男子の集団による「シンカ」と呼ばれる秘密結社的集団で執り行われる。
そのシンカは入団してからの年齢によっていくつかの階層に区分されるのだが、覚える祭りの歌や決まりごとはこの祭りに合わせた年に1回しか教えられず、メモも録音もできないのでその場で聴いて覚えないといけない厳しいものだという。
かつては入団の際にはそれまでの品行を問われ、島の意中の女性も告白しなくてはならず、不相応な女性ならダメ出しを食うなどというまさに血を分けた家族のような存在なのだそうだ。
アカマタ・クロマタは昭和30年代に撮影された写真があり、今でも2冊の本で
見ることができるが、その姿に一目ぼれしてしまった。
威厳と怖さに溢れ、まさに神の姿であった。
627 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:08:50 ID:Ekuzm5Le0
祭の内容見ると、やっぱ献上する赤ん坊を生む儀式&犠牲になってくれた
赤ん坊への鎮魂の儀って感じだな
↓
http://www.webvanda.com/2010/08/post_31022839.html
明け方には2神が生まれたナビンドウと呼ばれる洞窟(シンカ以外の島民はその
場所も知らない。
丸1日かけてこの中で2神が生まれる儀式が執り行われるそうで、島民は雨戸を閉め、家の中で1日中忌み籠もるのだという)へ帰っていくのだが、
アカマタ・クロマタと島民の別れは、声を限りに涙にくれながら惜別の思いを歌う村人と、何度も振り返りながら消えていく2体の神、
見た人によると、この現代にこんな荘厳で幻想的な祭りがあるのかと、震えるような感動に包まれたという。
734 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:38:46 ID:15i/Z9a20
昭和時代の大衆雑誌には、半ばお約束のように
こういう話がいっぱい載っているよ。
805 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:02:11 ID:he1UONG30
日本の少子化対策に種付けの儀式を新設してはどうか?
祭りの時に、まず20代の未婚女性を子孫繁栄の為に、たとえ彼氏が居ても強制徴用。
神社の賽銭箱とか置いてある高台に全裸で観衆にあそこを向けて縛り上げて、両足を縛って上に伸ばして並べて吊るす。
そもそもこういう風習は一部のイケメンとかに女の人気が集中して男があふれるからある訳だから、童貞の未婚男性(年齢制限無し)を集めて、さらに人数が多すぎたら、女と付き合ったことがないやつ、より醜男、より臭い奴が選ばれる。
石段の下の広場で選りすぐりの童貞醜男が集まり、お清め前の一斉放尿による奉納をした後に、荒縄で両手を後ろでに縛られた全裸の女たちは V字バランス状態にされてわかめ酒を振る舞い男たちが列をなす。
そしてクライマックスでは石段の下の広場をしめ縄になんかお祓いの棒についてるような白い紙の束ついたもので囲んで観衆が囲み、その中で選りすぐりの童貞醜男が全裸で待ち構える。
女たちは両腕は縄で拘束されたままそこへ突き落とされて逃げ惑うがブ男たちがもみくちゃになって襲いかかる。
例え縄の外に逃げても観衆から突き戻される。
この儀式の見物は女人禁制。女が観衆に混じっていたら例えそれが金髪外人であろうとも全裸にされて広場へ放り出される。
こういうの良くない?
806 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:16:26 ID:uAsAObrM0
何この中1の妄想w
810 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 18:37:00 ID:kAp5lM6H
>>806
妄想でもない
ポリネシア系の習俗が八重山には渡ってきている
それは南方系土器の伝播などで傍証できる
それに性交を祭祀とする古代信仰は別段珍しいものでもない
アカマタ、クロマタは琉球王府の統治以前の信仰だ
238 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:52:55 ID:oVr1su960
そういや以前、この島へシーカヤックで遊びに行った30代の母親と10代の娘が行方不明になったな・・・
一緒に行ったガイドも行方不明 そのまま捜査も打ち切られた・・・
256 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:05:04 ID:leNq0J4g0
>>238
なんで行方不明になったのだろうな? もしかして現地警察もグルなんだろうか。
263 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:12:35 ID:oVr1su960
>>256
http://www.y-mainichi.co.jp/news/689/
手がかりが無かったから1週間くらいで打ち切ったんだって
1人乗りカヤックだけ見つかったと
消えたカヤックは2隻、消えたのはガイド1人と母娘2人
2人乗りカヤックは見つからなかった
253 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:01:14 ID:leNq0J4g0
これマジでやばい島なんじゃないか?
http://2chnull.info/r/tropical/1163308866/1-1001
パナリ島(新城島)ってどうYO
:名無しさん@天国に一番近い島:2006/11/23(木) 12:08:25 ID:Mtq5BB6G
私の親友は五年前の祭の際、興味本位で島に向かい島民に拉致され翌日の朝まで監禁されました。
その時、誓約書へのサインまで強要されました。以上、紛れも無い事実です。島の実行者は拉致、監禁、強要、脅迫の罪に
問われると思います。一発懲役確定ですな。
530:名無しさん@天国に一番近い島:2007/08/11(土) 13:13:26 ID:pEqYa0Wq
1970年以降、複数の部外者が豊年祭を見学後にパナリ内で行方不明となっているみたいですが、その点はどう説明されるのですか?
596:名無しさん@天国に一番近い島:2008/04/20(日) 15:33:06 ID:aXvII+ce
2004年だか2005年だかの夏に行方不明になっている客はどうなったんですか? 確かカヌーかなんかに乗って行方不明ってことになってましたよね
258 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:08:20 ID:oVr1su960
生きてたら、娘は今15歳くらい
種付け時ではあるな・・・
257 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:07:22 ID:1xCrZcVM0
>平成17年:上地島5人 下地島2人
>平成18年:上地島6人 下地島2人
>平成19年:上地島9人 下地島2人
>平成20年:上地島8人 下地島2人
>平成21年:上地島10人 下地島3人
平均年齢考えたら40歳まで若い男女なんだろ。
277 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:19:41 ID:oVr1su960
>>257
平成17年、2005年というとさっき言った母娘が行方不明になった年だな・・・
605 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 22:21:06 ID:apzodXA30
母娘行方不明以降、何故か島の人口が殖えているね
280 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:21:58 ID:leNq0J4g0>>277
あっホントだ あんたすごいな
つか、それって監禁されて・・・・ということになるのか?
警察が踏み込めよ・・・・。
261 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:09:59 ID:0otTP23y0
今時ある訳ねえじゃんwww
634 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 23:35:30 ID:azUfGyGt0
民俗学の研究じゃよく聞くよ
島外から駐在所に家族連れで赴任した警官の記録とか
すべて立件することも可能だけどそれだと島民全員が云々って。
728 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:29:16 ID:he1UONG30
そこで生まれ育った女が同類と変態儀式してるならどうでもいいが、
島の外の都会から引越しして来た女の子が、突然島民が怪しい仮面とかかぶって取り囲む中、 高台で四つん這いにさせられて涙を流して叫びながら、ぶっさいくなゴリラみたいな体型の猿みたいな性欲の男にパンパン突かれてたら興奮するな。
逃げ出そうとしても、ドンドコドンドコ太鼓の音の中、無表情で無感情な島民が取り押さえて高台へと連れ戻される。
そして何人かの若者によるレイプが終わったあとにまんぐり返し状態で神輿に載せられてワッショイワッショイと神殿に連れてこられて鳥居にV字開脚状態の全裸で、精液を垂らしながら荒縄で縛って吊るされ、その下で島民がオバハンとかですら平然と芋煮会をする。
放心状態の娘が深夜の祭り終了時にようやく下ろされて、神社の中の開かずの間に入れられると、そこには1年早く同じ都会からここへ引越ししてきて、音信不通の行方不明になってた友達の少女がボテ腹で発狂して笑い続けている。
多分そんな神秘の祭りなんだろう。
737 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 06:47:14 ID:he1UONG30
アカマタ(股から赤い血を垂らしている。つまり処女)の信仰の為の儀式だから、
処女が選ばれる。
だが古くから居る島民はもう乱交夜這いしつくしていて処女がいない。
そこで若い衆の中で女騙すのが上手い奴が、都会で可愛い子を物色するという仕組み。
アカマタの巫女にされた少女の母親が必死で娘の消息を追って訪ねて回っても島民は皆しらを切る。
そしてある時、記者が謎の儀式の噂を聞いて、取材のために島で聞き込みするが、皆血が濃くて薄気味の悪い顔つきで よそ者を冷たくあしらい続ける。
一人だけ陽気で気さくに質問に答えてくれた、なぜか指の間に水かきがあって左右の目の色の違う農民が、ちょっとお参りに行ってくる。
と言うが島民じゃない人はダメだと同行を拒絶、
隠れて跡をつけると山奥で大声を上げても通らない奥地の神社にはいっていく。
そこで記者が覗いたのは、豹変した農民が少女をダッチワイフのように乱暴に足を掴み上げながら凶暴に腰を振りまくる姿だった。
驚愕した記者が裏手に回ると赤ん坊の鳴き声やら女の笑い声、すすり泣く声がいくつも聞こえる。
少し戸を開けてみると、この島にそぐわない整った顔立ちの美人、可愛いかったであろう真っ白な肌の少女たちが何人もそろって脱力して寝転んでうわ言を言っている。
その内一人がこっちを見つけ
「静かに!君たちを助けてあげるから!」
といっても
「うおああああぁぁぁ!!!」
と既に人語を忘れて叫び声を上げ、神社に鎌や鍬をもったたくさんの人影が忍び寄る。
764 :名無しさん@十一周年:2010/09/19(日) 09:25:57 ID:wbNvqeLZ0
村ぐるみで小学6年生の姉妹を数年間常習的に集団性暴行
http://www.chosunonline.com/article/20040919000028
未成年精神障害者の10代姉妹 村の老人グループに数年間強姦され続ける
これ思い出したな
64 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:17:58 ID:M0iRyq910
大正時代まで全国的にあったらしいぞ。
秋祭りの夜はフリーセックス=>5〜6月に生まれる。
人間の収穫。
107 :名無しさん@11倍満:2010/09/18(土) 10:40:34 ID:rfOqN35a0
江戸時代に農村等で行われていたヤツの名残だね。
324 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:13:58 ID:B57FBblw0
日本の田舎には江戸時代まで普通にあった慣習だよ
327 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:16:15 ID:pV1XbKvz0
離島レベルの隔離具合だとこういうのも残ってるのか。面白いね。
160 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:10:00 ID:Kyus9N6V0
祭りと言えば乱交という地方は昔多かったらしいな。
今じゃ、離島にしか残ってない日本の伝統の絶滅危惧種。
むしろ保護されるべき。
279 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 12:21:43 ID:IxTP7PTe0
キリスト教が入ってくる以前の欧州でもそういう祭りがあったんだよね。
後にサバトととして悪魔的行為として位置づけられた。
354 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 13:57:17 ID:GlCJiGQk0
こういうのはよその種を入れて血が濃くならないように
するのが主目的なんじゃないのか?夜伽とかと同じで。
361 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:12:19 ID:yAysof1uP
>>354
これはそうした風俗とは根本的に違う
祭の夜に降臨するのは神であり、その神が儀式として行う性行為
多くの島では演じるだけだが、今も実際に行われる島があったとしてもおかしくはない
天皇の大嘗祭における真床追衾も、実際に行われているのかどうかを知ることは難しい
383 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 14:45:09 ID:r37G5ytM0
明治時代始まったのが150年前くらい、江戸幕府が400年前だぞ
昔は外国だった上に僻地の離島なんだから妙な風習の名残くらい残ってるんしょ
今も続いてたとしても爺さん婆さんが当時の真似事やってるくらいだと思うよ
65 :名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 10:18:20 ID:z2MmBJ8N0
お前達に警告しておく
これ以上この島に関わるな
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1284771591/
▲△▽▼
111:本当にあった怖い名無し:2012/08/21(火) 22:15:22.40 ID:1AwEnXOY0
そういや沖縄の土葬ってこっちの土葬と違って
産めてから3年後にもう一度掘り出すんだってね
112:本当にあった怖い名無し:2012/08/21(火) 23:07:15.88 ID:lOYeC1G90
>>111
石垣島だろ。
この島では、埋葬後3年目に遺体を掘り出して洗骨する風習があった。
洗骨しないと次の死者が埋葬できないしきたりだったので、次の死者が出ると、埋めて数か月の生々しい遺体でも掘り起こし、包丁や鎌で腐乱した肉をそぎ落として、薄めた酒で骨を洗ったそうだ。
これらは、すべて島の女たちの役目。
女には、呪術的で神聖な力が宿っていると信じられていたんだね。
昭和の初め、この光景を目撃したことのある島の老翁が学者の聞きとり調査に応え、
「その残忍さと死臭は目をおおわんばかりに凄惨を極めた」
と語っている。
が、遺体を分断する風習は琉球に限らず、古くは日本各地にあったようだ。
目的は、主に悪霊祓い。
地方名を出すのは控えるが、
妊婦が分娩中に死亡すると、村の老婆が死亡した妊婦の腹を鎌で裂いて胎児を取り出し、妊婦と胎児をバラバラに裁断して葬る(地域によっては野山に撒く)ところもあった。
古代の日本では、物を斬り裂くことも、人間を葬ることも、同じく「ハフリ」と呼ばれた。
悪霊封じのために遺体を分断して埋めることは、 一種の宗教的儀式、あるいは呪術として広く行われていたらしい。
115:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 13:01:07.48 ID:h87uH8+M0
>>111
本島北部ですが、戦後数年はあったとのこと。
私が聞いた話では、三回忌や七回忌の年が重なる故人を、まとめて数名洗骨したそうです。あと、墓の骨壷密度からも、頻繁にはしなかったようです。三十三回忌が済んだお骨を、一つの壺にまとめるか何かして、洗骨、墓に納骨の流れだったような。
洗骨(風葬)を止める時には、三回忌じゃなくても洗って納骨したんですかね?
113:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 00:17:47.02 ID:V4OBIq7S0
かまいたちの風ハフリ波ハフリ(漢字失念)神社思い出した。
114:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 01:50:22.49 ID:8JWI3E9O0
>>113
神社の漢字は知らないが、「祟神記」に出てくる漢字は「波布理」。
その他、古文書には「屠り」「葬り」「散り」「祓り」などの文字が見られる。
これは、斬ること=葬ること(場合によっては撒き散らす)=悪霊を祓うこと、
という概念の表れなのかもしれない。
125:本当にあった怖い名無し:2012/08/28(火) 00:16:04.08 ID:XNF6Y/d70
>>114
「風はふり」は「風祝」じゃないかな。諏訪大社に存在した神職名。
116:本当にあった怖い名無し:2012/08/22(水) 17:41:11.68 ID:JV2PMZFe0
洗骨は今もやってる島があるよ。
島民の子に聞いたら、火葬の方が可哀そうなんだって。
与論島 洗骨 NHK でググれ。
118:本当にあった怖い名無し:2012/08/23(木) 19:39:55.01 ID:RmDA6Q7U0
>>116
そんじゃうちの会社の人って与論島の人だったのかな
実家で骨掘り起こさないといけないからっつって有給とって実家(沖縄)に1週間ばっかり戻ってたから
掘り起こすってどんな土葬だよとビビッたw
ちなみにうちの地方も普通の土葬やってる地域だわ
自分は新興住宅地の引っ越し組だから
最初地元の人にその話を聞いたときはにわかには信じられんかった
つか法律違反じゃね?と思った
ちなみに死体を埋葬する場所は内緒だから各地区の人しかしらんので
夜とか迂闊に知らない道を通ると急に卒塔婆ばっかりの場所に行き当たって怖い目に遭うw
卒塔婆行列も各地域でいろいろあるけど 一番びっくりした風習は
「その親族で一番若い(幼い)女の子が行列の先頭を裸足で歩く」って奴かな
http://inazumanews2.com/archives/19959433.html
沖縄の八重山諸島のA島は、K島とS島の二つの島からなる離島で、住民は両島を合わせてわずかに十数人に過ぎない過疎の島である。
この島は、古来より人魚を祀る島という伝説が残っており、人魚を守る神社や、神が通るとされる道が今でも信仰として生きている。
八重山諸島に伝わる御嶽信仰は神に仕える女性を中心に行われるもので、かってに神を拝むことも戒められている。
住民でも女性以外は、信仰のすべてを知ることができないという、極めて特殊な土俗信仰が生きるこの島でもっとも謎めいているのが、旧暦の6月に行われる「アカタマクロタマ」と呼ばれる奇祭である。
この祭りの期間、普段は過疎の島は村の出身者などが帰島してきて、滞在者は数百名あまりに膨れあがる。
同時に、島に血縁のある者以外はすべて上陸を禁止されるのだ。
この神を下ろす儀式の実態はまったく不明だが、おそらくは御嶽で神下ろしの儀式が行われ、かぶり物をした巫女が、神の依り代として村の中をめぐるようだ。
http://gekiyabaaa.blog.fc2.com/blog-entry-38.html
という事で、新城島の「秘祭」では
遺体を掘り出して解体・洗骨・再埋葬するのではなく
儀式で殺したばかりの女性や奇形の赤ちゃんを解体・再埋葬する
という事でしょうか。
人魚神社に祭られているのは儀式で殺した女性や奇形の赤ちゃんなのでしょう:
263 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/09(火) 17:50:18.81 ID:uZN5nJC2.net
新城島(パナリ)の豊年祭「アカマタ・クロマタを生む儀式」
美しい女がナビン洞(洞窟)連れられて来る。
そこでザーシンカと呼ばれる男たちとアカマタ・クロマタを生むための儀式をする。
女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。
そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。
さらに儀式では人魚の肉と称して、子供の肉を食べる。
島では近親相姦や近親婚で血が濃いため女児が多く産まれ、畸形の子やトラブルを起こした女が神への捧げ物にされた。
食べられた子供の頭蓋骨は人魚神社に奉納され、幾つもの頭蓋骨があるが立ち入り禁止になっている。
儀式の後、輪姦された女は全裸で縛られ神殿の鳥居に吊るされ、その下で島民が平然と飲み食いする。
洞窟で何が行われてるか調べた研究者は、島民に石で眼球を潰された。
これは新聞報道され、八重山警察署も事実と答えた。
豊年祭の儀式は、強制集団レイプ・近親相姦・人肉食・薬物乱用・暴行等、隠された秘祭である。
265 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/06/15(月) 17:45:22.23 ID:krstyRX5.net
だいたい合ってる
そんなもんだよ
270 :名無しさん@天国に一番近い島:2015/10/01(木) 12:07:25.93 ID:Df8LvUm0.net
>>263
それでだいたい当たってる。
御嶽の先に行けないのは、多くの人骨が捨ててあるからだよ。
警察に通報すれば一発でアウトなんだけれど誰もやらないというwww
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/tropical/1292412995/
>女は男たちと強制的に輪姦させられ、その儀式は丸1日行われる。
>そして幻覚作用のある薬物でトランス状態になり、神を体に宿し恍惚を感じる。
>儀式には幻覚作用のある薬物(ガンジャ(マリファナ)や植物など)用い人為的にトランス状態を作り出し神を体に宿し恍惚を感じると言うやり方です。
>祭の様子を撮影して暴行を受けたと言う話がありますがそれも現在法律で規制されている上記の幻覚剤の使用や閉鎖された島特有の近親結婚を繰り返した末の畸形などが記録され広まる事を嫌ってだと思われます。
大麻を吸うとこうなる! [大麻講座その1・入門編]
https://www.youtube.com/watch?v=7AEzwat-LgM
女性には危険なトランス状態
白痴の同義語{大乗仏狂の坊主ども}と、門外漢の西洋心理学者=精神科医どもはサマタ(禅定)やヴィパッサナー(観法)で到達するのは、トランス状態=忘我状態とかヌカしとる。
チャラリ〜 鼻から牛乳〜
精神科医どもは知りもせんことに首を突っ込む前に、一人でも精神疾患の患者さんを救ってみせろ。
日本の精神科医どもが、患者の治療に成功したことなんか、無いやんけ。
(;-_-)=3
西洋心理学者=精神科医どもの無能ぶりを暴く“サイクバスター”さん
http://blog.m.livedoor.jp/psyichbuster/?guid=ON&sso=e24514c42780de681f3b69635b018463c2b86b46
サマタで到達するんは、《サマーディ》の境地。
ヴィパッサナーで大事なんは《サティ》やけど、ヴィパッサナーは本来、色界を脱し〈無色界〉(悟りまでイーシャンテ)にまで上がった者しか修道したらアカン行法。
両方共、トランス状態とは全く別の境地に到達する行法や。
某府綾部市の阿呆や、未熟なスリランカ坊主どものように、サマタを廃してヴィパッサナーだけ修道するとかワケの解らんことするから、誰一人として上の境地に到達出来ひんのや。
トランス状態=忘我状態とは、変性意識状態のことで、{ウリは全知全能ニダ!}とか{ウリは全宇宙と一体になった聖者ニダ!}とかカンチガイし、理性も判断力も無くなった状態。ケモノ・モード。
別名、おバカ・モード。
薄暗い場所や暗い場所で音楽を演奏したり、シンキング・ボウル(印金)を演奏しながら瞑想(邪定)に耽ったり、リズミカルにマントラ(梵呪)やお題目(ご宝号)を唱えると、素人でも簡単にトランス状態に入れる。
或いはケミカルドラッグ(痲薬)をキメれば、トランス状態に入るんは簡単。(別名、ラリパッパ状態)
ライブ・ハウスやクラブに行くか、嗜好大麻解放団体のアジトに行けば、トランス状態に入った人間だらけや。
トランス状態そのものが悪いわけやないが、前述のようにトランス状態になると、理性も判断力も無くなる。
男は性獣化(チ○ポ猿化)するし、女性はこの状態で強姦されたり、輪姦されたりする。
ライブ・ハウスやクラブの便所で輪姦なんざ、日常茶飯事過ぎてニュースにもならんくらいや。
ホンで、華厳宗、(南山)律宗、臨済宗、曹洞宗の四宗派を除く大乗仏狂の宗派は、トランス状態に入る邪行を重視して実践する。
大乗仏狂の坊主どもの隠語で輪姦のことを{念仏講}て言うように、屍那畜でも腸賤半唐でも、また日本でも大乗仏狂の坊主どもは日常的に輪姦を繰り返しとった。
このように、女性にとってトランス状態とはとても危険なモノ。
当然、テーラ・ワーダ佛教(真正佛教)でも、トランス状態に入るミッチャー・サマタ(邪定)は厳禁や。
禁止されてへんのは、在家(一般人)がトランス音楽を演奏ないし聞くことだけや。
http://blog.livedoor.jp/vijaya-ghanja/tag/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8A%B6%E6%85%8B
大麻は麻の花首や葉を乾燥させて作る。麻という植物は、人類と深いかかわりがあった。麻の衣類は絹や獣の毛よりも古くから衣類に使用されてきた。また、強靭な繊維を持っているため、綱やロープなどにも使われてきた。横綱の真っ白な綱も麻である。
今、産業用に使われる麻は品種改良によって、陶酔成分が出ないような品種になっている。形状も大きく違う。
しかし、昔の麻の茎は、葉や花ほどではないが、陶酔成分が含まれていた。山伏は神社やお寺の前で護摩を炊いたが、この中にしめ縄を投げ入れた。縄は麻でできている。山伏はこの煙を吸ってトランス状態になったようだ。また巫女なども麻の煙を吸って陶酔状態になり、託宣を下したりしたようだ。
そういう意味では大麻は、人々の生活に深く結びついていたといえよう。
http://59s-hibikor.doorblog.jp/archives/20995762.html
マリファナ:最終セックスドラッグ
性的なマリファナ使用の起源は、初期の農業に伴う豊穣儀式に密接に結びついていた。
その肥沃を促すために、農民は空-神と地球女神の受精を儀式として再現した。それはセックスを通して行われた。後に儀式化され、王と配偶者の間で、または聖職者と尼僧の間で洗練されていった。大規模なお祭り騒ぎ(乱交パーティ?)。
大麻は通常、最も早く栽培されたうちの1つであると考えられ、強力な催淫効果(性欲促進)があり、これらの飲めや歌えのお祭り騒ぎの慣習が大麻を育て、使用した人の中で始まったことは本当らしい。したがって、古代人の最初の宗教行為の1つはpot fieldsでfuckingしていた。
古代の「大麻カルト」の起源は近東に由来し、小アジアの母権制社会でハシシの大規模使用が行われてきた。Semetic女神アシェラーの崇拝者たちは神聖な香として大麻を燃やし、大麻の聖油(モーゼと古代ユダヤ人の予言者と王によって使われた)を使用した。
聖書のSex&Loveでは、アシェラー(エホバの昔の妻)はセクシュアリティと豊かさを象徴する自然神であると言及されている。旧約聖書の一節にも、木の柱(カルト的な献身のオブジェクト)としてのアシェラーへの言及があり、これは明らかに、シヴァ神の寺院のヒンズー・リンガに似た男根のシンボル。
世界構築の描写としての古代の神と女神の一組のように、信者たちは一種の模倣の魔術として性的に結合し、彼らの種をフィールドにこぼした。酔わせるもの(麻酔剤)と「不-判別式」性行動の乱交パーティ?はこれらのカルトで重要な役割を果たした。
カルトのエキゾチックな特徴は、はるか古代の神秘的なルーツと非常に官能的な楽しみと共に魅力的なタイプの宗教的な経験をするために組み合わされた。近代社会のどんな寺院も、多くの信者を引きつける際の困難さに遭遇しないだろう。
ソロモン王が作ったといわれる古典的な聖書のエロチカ(雅歌4:8-14))にも大麻が出てくる。もっと露骨な性描写(雅歌5:4-6)では、アシェラーの娘と対応するアシュタルテの崇拝者も儀式セックスと大麻使用にしばしば関係した。そしてシュメールの女神の一組「イナンナ/イシュタル」への豊かさ賛歌も同様のもの。そのうえユダヤ人のq'aneh bosm(大麻)にも更に関係がある。
ソロモンの雅歌とイシュタルへの賛歌は、インドでまだ行われている性的な大麻儀式との類似を現している。プレヴェーダの「二輪戦車のフェスティバル」はプーリのJaganathカルトによってまだ実行されている。
英語の"juggernaut"「巨人」「絶対的な力」「圧倒的破壊力」は「Jaganath」から来ていて、その意味は式典で使われる二輪戦車の巨大なサイズに由来する。Jagannath(ジャガナート?)フェスティバルは部外者は立入禁止だけれども、ベールで覆われた一つが巨大なリンガ(ペニス)であると考えられている。大きな二輪戦車と取り巻きは、ソロモンのベッドとイシュタルの車両の行列に類似している。
Jagganathへのフェスティバル中に、寺院売春婦は「神-王の妻」の役割を果たし、季節の雨をもたらすために王(あるいは聖職者)とセックスをした。同様の役割は雅歌中の「シュラムの女」、およびシュメールの儀式ドラマの中で「イシュタル」を実行する尼僧によって引き受けられた。他の類似性はあらゆる点ですべての3本の儀式ドラマの服装倒錯の役割や、大麻使用のように起こる。
http://cocorofeel.exblog.jp/iv/detail/?s=9916936&i=200811%2F22%2F62%2Fb0086362_2271364.jpg
マリファナ使用は、シヴァ神とカーリーのヒンズータントラ崇拝の一部を作る。インドの儀式と大麻のエロチックな用法は、明らかにカナンで、そして地中海中で実行された。シヴァ神と大麻の強い関係は、神聖な作物をまき収穫する場合、信者がまだ払う厳密な遵守の中でプラントに関する彼の古代の神話の中でも明白に実証される。
カーリーとシヴァ神のタントラ崇拝者は、クンダリニーとして知られる中枢神経系エネルギーを刺激するために、彼らは千年紀の間そうやって、マリファナを吸う。そしてそれは性衝動に強い関連がある。
タントリックの実行は先史時代までさかのぼることができ、現代のタントリックに用いられるシンボルのいくつかは、西ヨーロッパから中国までの旧石器時代の洞穴(20.000年前)で見つかったものと類似している。カルトの必須要素が世界の主な宗教のどれよりも多分古いと思われるタントラ教の原始の特色である。
初期の豊穣信仰の信者はソロモンの時代により洗練されて、グノーシス派とタントラ信者の間で更に育った。人間がより哲学的になり、豊穣神崇拝儀式の神聖な結婚は二元的思考が廃止され、対象と物の結婚になり、信者は生命自体の初期の創造的な源と接触した。
グノーシス主義とタントラ教のケースでの大麻を使ったセックスとドラッグ儀式は、脳から背骨のつけ根に及ぶ中枢神経系の蛇行するエネルギーを上げることに集中した。この強力な性的なエネルギーは脊柱の上へ脳に上げることができ、逆さにされることができるということだった。松果体はこのエネルギーの主要なターゲットだった。
松果体は本能の席と考えられ、このパワーを呼び出すためにとてもよく作用する大麻の使用と同様、グノーシス主義とタントラ教の範囲内で、飲めや歌えの崇拝の多くを説明する性衝動の本能的な力の強い関係である。
As the turn of the century mystic Gnostic pot-head Aleister Crowley noted, "When you proved that God is merely a name for the sex instinct, it appears to me not far to the perception that the sex instinct is God."
http://cocorofeel.exblog.jp/iv/detail/?s=9916936&i=200811%2F22%2F62%2Fb0086362_2274086.jpg
Cannabis (drug)
http://www.reference.com/browse/wiki/Cannabis_%28drug%29
マリファナの歴史
大麻吸引の証拠は、現在ルーマニアの古代埋葬地での儀式の火桶で発見された炭になった大麻種に示されるように、新石器時代まで遡って紀元前10.000年ごろに始まったと考えられる。大麻の最も有名なユーザーは、インドとネパールの古代のヒンズー教徒で、ハーブはサンスクリット語のganjikaと呼ばれた。(現代のインド言語の大麻)ヴェーダで神聖な酔わせる幻覚剤として知られる古代の薬剤ソーマは時々、大麻と関係した。
大麻は古代アッシリア人にも知られて、アッシリア人はアーリア人を通してその精神状態を変える特性を発見した。若干の宗教的な式典でそれを使った。彼らは「qunubu」(「煙」を生じる方法を意味する)と呼んだ。現代の語『大麻』のつながりそうな起源。
大麻はアーリア人によって、スキタイ人とトラキア人/ダキア人にもたらされもした、シャーマン(煙/雲を歩く人)は、催眠(恍惚)状態を誘導するために大麻の花を焼いた。
ディオニュソス(トラキア(ブルガリア、ギリシャとトルコ)から始まったと思われる)のカルトのメンバーは、大麻の煙を吸入したとも考えられる。2003年に中国の北西部新疆維吾爾自治区で、大麻の葉の断片と種子でいっぱいの革製バスケットが、次に2500〜2.800才のミイラのシャーマンが発見された。
大麻は儀式使用の古代史を持ち、世界中の薬学カルトで見つかる。パジリク古墳群で発見された麻の種は、5〜2世紀BCEに起きたスキタイ人によって食べられた早い儀式習慣を示唆する。
何人かの歴史家と語原学者が、ヘブライ語qannabbos(大麻)とヘブライの句qenéの間の類似点により、大麻が宗教の聖礼として古代ユダヤ人および初期のキリスト教徒により使われたと主張する。それはまたたとえば、カランダルによるマムルーク朝人期間の早い時期に様々なスーフィー教の指示でイスラム教徒により使われた。
KANEH BOSM
http://www.cannabisculture.com/backissues/mayjune96/kanehbosm.html
モーゼとマリファナ、雲の中の神、神はハーブが欲しい、天使を食べること、変装したシャーマン、聖書の禁止令、ヘビを壊すこと、大麻とキリスト?・・・面白そうなタイトルがいっぱいあって余裕があるときに訳してみます。
http://cocorofeel.exblog.jp/9916936
大麻でトランス状態になり神託をしていた
伊勢神宮の「大麻(たいま・おおぬさ)」と呼ぶお神札(ふだ)や暦(こよみ)を奉製する年初めの祭典「大麻暦奉製始祭(たいまれきほうせいはじめさい)」が1月8日、神宮司庁頒布部(伊勢市中村町)内の斎場で行われた。
毎年伊勢神宮の「御用始め」となるこの日に行われる同祭は、大麻第1号に最初の奉製作業となる印を押す祭典で、1年間の奉製作業の安全と頒布が滞りなく行われるように祈願するもの。この日は、鷹司尚武大宮司を始め神職や職員と奉製員ら計約120人が参列し祭典を 見守った。
http://uramiharasu11.blog.fc2.com/img/1420775105_b.jpg/
「大麻(神宮大麻)」とは神棚などに祭る伊勢神宮の神札のこと。大麻には大きく分けて、神宮で直接授与する「授与大麻」と全国の神社に頒布される「頒布大麻」の2種類があり、頒布大麻の神号名には「天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)」と書かれ、「皇大神宮御璽(ぎょじ)」の印が押されている。
「神宮暦」とは、「神宮大暦(たいれき)」と「神宮暦(小暦)」の2種類があり、科学的データに基づき天体・気象の詳細な情報、全国各地の神社の例祭日などを記載した暦・カレンダーのこと。
もともと大麻や暦は御師(おんし・おし)が全国に頒布していたものを、御師制度が廃止された1872年から神宮が同部での奉製・頒布を行い、 神社本庁を通じて全国各地の氏神を祭る神社に頒布され、そこから各家庭に届けられている。
http://uramiharasu11.blog.fc2.com/img/1420774966_b.jpg/
近年、さまざまな要因(住宅事情、格家族化など)が重なり、神棚を祭らない家庭が増えているため、頒布大麻の頒布数は微減を続けている。 一方、遷宮効果などの要因もあり伊勢神宮への参拝者数の増加とともに授与大麻も増加。さらに昨年は、神棚を受ける人が急増し追加奉製 したという(同部担当者)。
同部では1年間に、大麻954万体(大麻=900万体、中大麻=50万体、大大麻=4万体)、神宮暦7万7000部(小暦=7万部、大暦=7000部)を奉製し、9月17日に行われる「大麻暦頒布始祭」の後、全国に頒布する。奉製員らは作業開始のたびごとに潔斎(身を清める)し作業に臨む。
http://iseshima.keizai.biz/headline/2223/
福井県の鳥浜遺跡という1万年前の縄文時代の遺跡からは、大麻の種が発見されている。
食料や燃料に利用されたようだ。
まだ縄文土器の模様も麻縄でつけられたものらしく先史時代から日本人と麻は赤い関係にあった。
奈良時代は税金を大麻の布で支払うこともできた。
麻の布はそれほど貴重品と見られていたわけだ。
奈良県の当麻寺(たいまでら)は7世紀後半に創建された豪族・ 当麻(たいま)氏の氏寺であるが、 この当麻氏は大麻栽培に関わる豪族だったという。
昔から日本では神主が振る大幣には大麻の繊維が使用され、 秋の収穫祭で担ぐ神輿の上にも大麻の繊維が垂らされていたりと、 大麻には「悪を祓う力」があるとされてきた。
では「悪を祓う力」とは何か?
大麻を吸引する事による鎮痛、滋養強壮、疲労緩和作用だろう。
田舎の神社では御札には大麻が巻き込んであって、 疲れたときや腹痛に襲われたときには、火をつけてその「煙を吸って」いた。
現在でも浅草の浅草寺や川崎大師などでは本堂の前にもうもうと香を炊いており、その煙を頭や体にこすりつけては、 病気が治るというまじないを行っている信者たちの姿が見られる。
あれは昔は実際に境内で大麻を燃やし、その煙で信者を酔わせていた名残だという。
というのも、昔から日本では宗教と大麻は深い関係にあるからだ。
宗教と幻覚剤が結びつくのは世界的に見れば何ら珍しい事ではなく、 太古からシャーマンや僧侶、踊り子たちが 幻覚作用のある植物や茸を使ってトリップしていた。
そうして見た幻覚を「神のお告げ」として託宣していた。
アメリカ先住民のシャーマンはアヤワスカという飲料やサボテンのペヨーテから取った幻覚剤を使い、メキシコではマジックマッシュルームを宗教儀式や治療に用い、アマゾンのシャーマンはアヤワスカから作った幻覚剤を用い、アフリカでは幻覚成分を含むイボガを宗教儀式に用いた。
古代インドではシロシビンを含むキノコから作ったソーマという飲み物を飲んで霊感を得ていたという。
古代ギリシャでは毎年秋に、リゼルグ酸を含む麦角菌からくる幻覚作用によるエレウシスの秘儀が行われ、この狂騒状態の祭は1000年以上も続いていた。
インドの様々な煩悩を齎す根源である「マーラー」という悪霊の概念を輸入した際、 翻訳の上で中国で「鬼」(悪霊の事)という文字に「麻」をつくっつけた「魔」という文字を新たに作ったのも、 大麻を吸引する事で快楽が得られる事が知られていたためだろう。
日本でも『今昔物語集』の中でキノコを食べた途端多倖感に包まれ、 笑いが止まらなくなって踊りだすというエピソードがあり、
以後この茸はマイタケと呼ばれるようになったとあるが、 これは今日のマイタケではなく幻覚作用のあるワライタケと思われる。
山伏の修行にとっても大麻は欠かせない。
なぜなら彼らが祈りながら焚く「護摩」はもともとは大麻で、その煙を吸って意識変容をもたらし、宇宙の神秘を悟っていのだという。
これは密教僧たちにとっても同様であったろう。
いわば人類の歴史は幻覚剤とともに歩んできたもので、 それが後世作られたタブーで隠されているだけであるのだ。
http://uramiharasu11.blog.fc2.com/blog-entry-57.html
NO.2909153 2013/10/27 07:00
新城島の儀式ってなに?
詳細を知っている人は教えて下さい
#26 2013/11/07 16:10
キチ害によるキチGUYの為のキチガイ染みた宗教的な儀式w
キチガイ島民が多いからこんなキチガイ伝統行事が今だに残ってるんだなw
こんな島が近場にあるエーマンチュは恥ずかしいよw
#22 2013/10/31 02:48
乱交パーティーだろ。
#1 2013/10/28 07:20
誰にも言うな
生け贄だよ…
#2 2013/10/28 09:19
雄山羊の頭を被るやつ?
#3 2013/10/28 09:44
全裸の女を縛り付けて、鶏の血をぶっかけるの?
#4 2013/10/28 10:34
誰にも言わない事を約束して下さい。
絶対に誰にもです 誰にも・・・・・・
先ず、ヤモリの黒焼きと山羊の睾丸、水牛の角、 豚の脳ミソと米、塩、酒を神に捧げます。
そして、初潮を迎えた娘を全裸にして柱に縛り付け、神に仕える者が神降ろしをします。
処女の娘が米を噛んで吐き出したのを発酵させて作った米噛み酒を回し飲みし、トランス状態になりながら祭りは三日三晩続けられます。
種の保存の名の下、乱交が繰り広げられ、産まれた子は島の宝として大切に育てられ、将来は島の長として島を治めます。
といった事実は有りません。チャンチャン!(笑)
#13 2013/10/29 00:12
丑三つ時の月夜の晩にヤモリとバラを蝋燭で焼いて潰して粉にしてスプーン一杯舐めるのさぁ
そして呪文を唱えれば
世にも不思議な……になるよ〜
#16 2013/10/29 09:21
>>13
ホロレチュチュパレロチュチュ何でも願いが叶っちゃうホロレチュチュパレロチュチュ大人の知らない不思議な言葉
ウフッ
http://bakusai.com/thr_res/acode=11/ctgid=104/bid=6/tid=2909153/
276名無しさん@天国に一番近い島2016/08/13(土) 05:15:11.36ID:Ic6FmCqs
英語文献で見ると結構詳しく書いてあるのね。
まあ、要は男どもを年齢別に分けて、薬やって乱交するって事だろう。
流石に薬や乱交の事は文献には書いてないがwww
でも、秘密結社とやらの年齢別構成も書いてあるし、
英語ならばれないから研究者もガンガン英語で書いてんだなwww
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/tropical/1292412995/
82. 中川隆[-10841] koaQ7Jey 2018年4月21日 10:56:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11662]
「縄文時代はよかった。」で?どうやって縄文時代のいい所を取り入れるのか?
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/466.html#c82
20. 中川隆[-10846] koaQ7Jey 2018年4月21日 10:59:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11668]
秘祭
540 :本当にあった怖い名無し :2012/06/18(月) 18:24:33.55 ID:bdzkjPNW0
私が育った集落は、小さな田舎町だけどそれなりの歴史があって、古くから続いている数年に一度のお祭りがある。仏教や神道とは違う感じだから、おそらく民間信仰の一種なのかな。
別に、特別オカルトな事がある訳でもなく、神聖な場所と言われる所に、お婆さんがお供え物と依代の木を持って行って、毎年選ばれる”神様の子”の役目の子供達が数人で歌を歌うだけなんだ。
ただ、その儀式の行われる日は、その場所に集落以外の人間は入っちゃいけないと言われてて、それは、祀られている神様が依代に移る時に落ち着かないからだと教わってきた。
実際、夏休みや年末の帰省時期とは全然ずれてるから、なんの観光もない田舎に部外者が来る事はないんだけど、どこからか、こういう民間の秘祭(?)に興味を持ってやってくる人がいるんだよね。
それで、わざわざその祭りの日に、東京から来たっていうオッサンがビデオカメラを持って入ろうとしてきて、大人達が止めに行ったんだけど、大声でわめき散らして大騒ぎになった。
「なんで見せられないんだー!ヤバイ事でもやってるんだろー!!」
とか大声で叫んでケンカみたいになってて、最終的には駐在さんに連れて行かれた。パトカーに乗せられる時に、その男が血管が浮き上がるくらい真っ赤な顔して
「ここで巫女を村中の男がレイプしてるって本当だったんだな!
だから見せられないんだろ!!」
って叫んでた光景がものすごく異様で怖かった。
祭りがゴタゴタになった事とは関係ないと思うけど、その年に集落に繋がる場所の道路工事で崖崩れが起きて亡くなった方が出たり、高校生が1人、心筋梗塞で亡くなったりしたので、もっぱら「あの騒ぎのせい」っていう噂も多くて、ますます私の中で東京=怖いイメージが固まってしまった^^;
実際、上京してみたら親切でまともな人が多くて、なーんだ普通だと思ったけど、上京するまでは怖くて仕方がなかったな・・・f^^;
http://gnosis.blog64.fc2blog.net/blog-entry-7617.htmlhttp://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1338006880/l50
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html#c20
174. 中川隆[-10851] koaQ7Jey 2018年4月21日 11:22:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11674]
グローバリズムとは「モノ」「サービス」「ヒト」「カネ」の国境を越えた移動の自由化を「善」とする「イズム(教義)」でございます。
本来的には、グローバリズムは「政府の関与を小さくする」という意味であり、国境を越えたモノ、カネ、ヒトの移動に対する「国家の制御」を無くすことを志向します。
とはいえ、落ち着いて考えてみてください。
「自由貿易です! グローバリズムです!」
と叫びつつ、自国の国内は完全に「ビッグブラザー」のコントロール下に置き、他国に対しては国境を引き下げ、モノ、サービス、ヒト、カネの流入を妨げる規制の撤廃を要求する国があったとしたら?
第零次グローバリズムの時代、イギリスは当初はインドからの綿製品(キャラコ)の流入を規制したにも関わらず、産業革命で自国の綿製品の生産性が上がったと思ったら、途端にインドに対し、
「自由貿易をやろう!」
と、綿製品の完全引き下げや輸入規制の禁止を強要しました。
「自由貿易」の結果、世界最大だったインドの綿産業は壊滅。
それまで綿布産業で繁栄を極めていたインドのダッカ、スラート、ムルシダバードなどの街は貧困化の一途をたどり、当時のイギリスのインド総督が、
「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例を見ない。木綿布工たちの骨はインドの平原を白くしている」
と嘆くに至ります。
1882年、インドは綿布の関税を「撤廃」させられ、完全な自由貿易の国になりました。
さらに、イギリスはインドに「鉄道」を建設していきます。理由は、インド住民の生産性向上では「もちろん、なく」、インドの綿花を速やかに港に運び、逆にイギリス産綿製品を速やかにインド市場に売りつけるためでした。
インドのみならず、当時のビルマ、マレーシアもまた、イギリスの「自国の利益」を目的とした帝国主義により、悲惨な状況に陥ります。マレーシアでは、森林が焼き払われ、ブラジル原産のゴムの木が植えられました。マレーシアの森林を基盤としたコミュニティは崩壊状態に陥ります。
ゴムの木を植え、インド人労働者にゴムを採取させ、アメリカのデトロイトに送る。マレーシアの森林は「ゴム」に化け、デトロイトで自動車のタイヤになり、イギリスのシティの投資家の懐に配当金をもたらしたのでございます。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12370009469.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c174
55. 中川隆[-10850] koaQ7Jey 2018年4月21日 11:23:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11674]
グローバリズムとは「モノ」「サービス」「ヒト」「カネ」の国境を越えた移動の自由化を「善」とする「イズム(教義)」でございます。
本来的には、グローバリズムは「政府の関与を小さくする」という意味であり、国境を越えたモノ、カネ、ヒトの移動に対する「国家の制御」を無くすことを志向します。
とはいえ、落ち着いて考えてみてください。
「自由貿易です! グローバリズムです!」
と叫びつつ、自国の国内は完全に「ビッグブラザー」のコントロール下に置き、他国に対しては国境を引き下げ、モノ、サービス、ヒト、カネの流入を妨げる規制の撤廃を要求する国があったとしたら?
第零次グローバリズムの時代、イギリスは当初はインドからの綿製品(キャラコ)の流入を規制したにも関わらず、産業革命で自国の綿製品の生産性が上がったと思ったら、途端にインドに対し、
「自由貿易をやろう!」
と、綿製品の完全引き下げや輸入規制の禁止を強要しました。
「自由貿易」の結果、世界最大だったインドの綿産業は壊滅。
それまで綿布産業で繁栄を極めていたインドのダッカ、スラート、ムルシダバードなどの街は貧困化の一途をたどり、当時のイギリスのインド総督が、
「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例を見ない。木綿布工たちの骨はインドの平原を白くしている」
と嘆くに至ります。
1882年、インドは綿布の関税を「撤廃」させられ、完全な自由貿易の国になりました。
さらに、イギリスはインドに「鉄道」を建設していきます。理由は、インド住民の生産性向上では「もちろん、なく」、インドの綿花を速やかに港に運び、逆にイギリス産綿製品を速やかにインド市場に売りつけるためでした。
インドのみならず、当時のビルマ、マレーシアもまた、イギリスの「自国の利益」を目的とした帝国主義により、悲惨な状況に陥ります。マレーシアでは、森林が焼き払われ、ブラジル原産のゴムの木が植えられました。マレーシアの森林を基盤としたコミュニティは崩壊状態に陥ります。
ゴムの木を植え、インド人労働者にゴムを採取させ、アメリカのデトロイトに送る。マレーシアの森林は「ゴム」に化け、デトロイトで自動車のタイヤになり、イギリスのシティの投資家の懐に配当金をもたらしたのでございます。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12370009469.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html#c55
1. 中川隆[-10855] koaQ7Jey 2018年4月21日 12:31:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11680]
これが今起きていること。
@マスコミが倒閣を扇動
A野党が動員
B日本語のおかしい活動家が騒ぐ
マスコミと野党と活動家が三位一体となって日本の破壊に動いている。朝から晩まで安倍政権の攻撃だけしかやっていない。自分たちが倒閣工作をしているのに「市民の総意だ」とすり替え。
マスコミはすでに中国・韓国・北朝鮮の反日勢力に乗っ取られているのだが、そうであればマスコミが気に入らない政権は「国益を考える政権」であり、逆に気に入る政権は「売国する政権」であるのは自明の理だ。
だから、マスコミは売国する政治家ばかりを賞賛して国益を考える政治家を叩きのめすことになる。意図的にそのようにしている。朝から晩まで、そのような傾向の記事を大量に流す。そして、世論を誘導したり操作したりする。
今までマスコミはやりたい放題だった。だから、第一次安倍政権はマスコミの連日の世論誘導によって破壊されてしまったし、そのしばらく後に日本史上最悪の政党「民主党」が政権を取るというところにまでエスカレートした。
マスコミは今も世論誘導に明け暮れている。安倍政権に対する激しい攻撃や倒閣工作はその一例だ。
マスコミがアジビラを発行して扇動を行い、反日野党がそれに乗って倒閣デモの人間どもを動員し、反日工作員とそのシンパがデモでわめく。
それをマスコミが取り上げて人数を誇張して「安倍政権は駄目だ、終わりだ」と報道する。偏向した報道を通して世論を歪め、支持率を無理やり引き下げている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/04/20180417T1510050900.html
マスコミのバックには財務省とCIA, アメリカ金融資本がいるんだ
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/392.html#c1
1. 中川隆[-10854] koaQ7Jey 2018年4月21日 12:32:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11680]
安部総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った
戦後、アメリカと中国は日本には永遠に独立した軍隊を持たせない事を決めた:
1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。
米中密約の内容
1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない
この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
しかし、アメリカが侵略戦争をやる場合にはアメリカ人の代わりに日本人に戦死してもらった方がいいので自衛隊を作った。
一方、中国としては日本が核武装すると困るので
CIA系の在日工作員を使って安保法案と反原発運動のオルグをさせた
阿修羅原発板はCIA系の在日工作員の巣窟になっている
2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。
日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。
財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。
財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。
___
日本の政治家・官僚・学者とジャーナリズムを監視する米軍組織
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。
さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。
「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。
*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。
このCIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。
現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。
相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49609103.html
安部総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った
日本では自前の核武装が、国内の権力構造の根本的な転覆につながる。
戦後日本の権力を握ってきたのは官僚機構であるが、彼らは、本来なら自分たちより上位なはずの政治家(国会)を牛耳るため、対米従属(日米安保体制)の国家戦略を必要としている(日本の官僚機構が勝手に米国=お上の意志を代弁して日本を支配する構図)。
日本が核武装すると、米国は、日本を核の傘から外して対米自立させるので、官僚が権力を詐取し続けられなくなり、政治家(国会)に権力が移る。
対米従属による権力維持の永続を望む官僚機構は、日本独自の核武装に反対している。
対米従属型の官僚独裁を主導してきた日本外務省とその傀儡「専門家」たちは、核武装論になると、急に平和主義者として振る舞い、核武装に強く反対する。
https://tanakanews.com/170910japan.htm
2018-03-14
「モリカケ報道→倒閣→日本破壊」がマスコミのシナリオだ
安倍首相は別にモリカケに関与したわけではないのだが、マスコミと野党はまるで安倍首相が賄賂を受け取ったか強権を発動したかのように印象操作をし続けて倒閣を画策している。
モリカケ問題は「マスコミ・野党による倒閣運動」である。それがすべてだ。
なぜマスコミと野党が「モリカケ=倒閣運動」をしているのかというと、マスコミ自体が、中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパに乗っ取られて、日本破壊に動いているからだ。
モリカケ報道→倒閣→日本破壊
この流れに持っていきたいというのがマスコミと野党の野望であり、だから今この瞬間にもマスコミは総力を挙げてモリカケ倒閣アジビラ報道に突き進んでいる。日本破壊のためだ。
『スイス民間防衛』では、侵略国が工作チームを送り込むとしたら、「政府当局、行政組織、輸送、新聞出版、ラジオ、テレビ企業に潜り込ませる」と明確に書いている。
マスコミを掌握すればその国の世論を混乱させたり操作したり洗脳したりすることができるからだ。中国・韓国・北朝鮮は忠実にそれを行っているのである。
http://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/03/20180314T1620280900.html
中国も韓国も北朝鮮は外から恫喝するだけでなく、内側からも日本に侵略して工作員とそのシンパたちによる工作活動を行っている。
日本人拉致に関わった北朝鮮の工作員、辛光洙(シン・ガンス)を見ても分かる通り、日本には数十万人にものぼる工作員がうごめいている。
日本人ではないのになぜか日本人の名前を持ち、日本を嫌っているのになぜか日本で暮らす。その日本嫌いの人間がネットワークを組み、互いに相手を引き上げる。そして、テレビやマスコミに露出して、執拗に日本を貶める。
彼らは日本の政治、マスコミ、財界、教育、行政に潜り込み、日本が内部崩壊するように仕立てあげている。私たちの隣の人が反日国家の「なりすまし」かもしれないというのは冗談でも何でもない。
この工作活動は今や公然と行われているのだが、マスコミ自体が乗っ取られているので、これは決して表沙汰になることはない。表沙汰になるどころか、むしろ隠蔽されるだけだ。
日本の政治界は、民主系(民進党・立憲民主党・希望の党)の議員を見て分かる通り売国奴の集まりである。国籍が分からない人間や、日本に帰化したのを隠している議員が大勢いる。
自民党の内部にも何食わぬ顔で売国奴が潜り込んで、中国や韓国や北朝鮮の工作員やそのシンパとして動いている。
日本のマスコミもその多くが中国・韓国・北朝鮮に取り込まれており、もはや救いようがないレベルにまで到達している。
そして、マスゴミに属する多くの記者が中国・韓国・北朝鮮寄りの歪曲記事を日本人に押しつけて、自虐史観や世論操作や倒閣工作を今も行い続けている。
安倍政権は、中国・韓国・北朝鮮の侵略から日本を守り、日本を取り戻そうとしている。しかし、日本を侵略したいと思っている中国・韓国・北朝鮮のような国にそれは都合が悪い。
だからこれらの反日国家は、気が狂ったかのように安倍政権に反対している。
さしずめ、安倍政権が倒れれば日本侵略が成功できると考えている工作員は、安倍政権のやることなすことをすべて反対して日本を混乱させている。
活動家が街で騒ぎ、マスコミがそれを取り上げる。野党が国会で安倍首相に退陣を迫り、マスコミがそれを取り上げる。マスコミ自身もありとあらゆる機会を捉えて安倍政権を攻撃する。
たとえばモリカケ問題でも、安倍首相は関与もしていないのは事実なのに、あたかも関与したかのように印象操作を繰り返して安定した政権を崩壊させようと画策している。
活動家と野党とマスコミが三位一体となって倒閣工作を進めているのだ。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/04/20180403T1512440900.html
28. 中川隆[-10865] koaQ7Jey 2018年4月21日 12:45:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11692]
この世の地獄。エイズに罹ったら若い処女を抱けば治る?
未成年のセックスワーカーは厳しく取り締まられて存在しない? 今は法が守られている? そんな話はすべて嘘だ。
未成年の少女は世界中どこでも売春地帯でビジネスをしている。10歳前後の少女から16歳のミドルティーンまで、ペドフィリアたちは好きな年代の少女を手に入れている。
東南アジアではタイが厳しくなっているのだが、ミャンマーでもカンボジアでもフィリピンでも少女売春は「蛇の道は蛇」の男たちには探し出すのは造作もないことだ。
最も開けっぴろげで無法なのはインド圏の売春地帯である。10代の少女はどこにでもいる。その中にはインド人ではなくネパール人の少女も多い。
「こんな小さな少女をいったい誰が抱きたいと思うのか」と思っていると、中年の男がまるで果物でも買うように彼女を手に入れて荒んだ建物の奥に消えていく。
警察は何をしているのかと思うかもしれない。腐敗した警察官は賄賂や無料セックスを享受して犯罪を黙認している。では、NGO団体は何をしているのか。NGO団体は逮捕権限を持っていない。
何かできるとしても警察に通報するだけだ。どのみち何もしない警察に……。かくして、インドの暗部はひどく荒んだ有様の中にある。では、ネパール政府は自国の少女が隣国インドの売春地帯に放り込まれているのを知っているのか?
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180421T0217520900.html#QpmoSFl.google_plusone_ninja_m
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/177.html#c28
1. 中川隆[-10870] koaQ7Jey 2018年4月21日 13:01:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11698]
安部総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った
戦後、アメリカと中国は日本には永遠に独立した軍隊を持たせない事を決めた:
1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。
米中密約の内容
1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない
この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
しかし、アメリカが侵略戦争をやる場合にはアメリカ人の代わりに日本人に戦死してもらった方がいいので自衛隊を作った。
一方、中国としては日本が核武装すると困るので
CIA系の在日工作員を使って安保法案と反原発運動のオルグをさせた
阿修羅原発板はCIA系の在日工作員の巣窟になっている
2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。
日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。
財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。
財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。
___
日本の政治家・官僚・学者とジャーナリズムを監視する米軍組織
神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。
小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。
さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。
「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。
*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。
このCIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。
現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。
相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49609103.html
安部総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。
NHKはアメリカの指示で護憲反核番組を作った
日本では自前の核武装が、国内の権力構造の根本的な転覆につながる。
戦後日本の権力を握ってきたのは官僚機構であるが、彼らは、本来なら自分たちより上位なはずの政治家(国会)を牛耳るため、対米従属(日米安保体制)の国家戦略を必要としている(日本の官僚機構が勝手に米国=お上の意志を代弁して日本を支配する構図)。
日本が核武装すると、米国は、日本を核の傘から外して対米自立させるので、官僚が権力を詐取し続けられなくなり、政治家(国会)に権力が移る。
対米従属による権力維持の永続を望む官僚機構は、日本独自の核武装に反対している。
対米従属型の官僚独裁を主導してきた日本外務省とその傀儡「専門家」たちは、核武装論になると、急に平和主義者として振る舞い、核武装に強く反対する。
https://tanakanews.com/170910japan.htm
2018-03-14
「モリカケ報道→倒閣→日本破壊」がマスコミのシナリオだ
安倍首相は別にモリカケに関与したわけではないのだが、マスコミと野党はまるで安倍首相が賄賂を受け取ったか強権を発動したかのように印象操作をし続けて倒閣を画策している。
モリカケ問題は「マスコミ・野党による倒閣運動」である。それがすべてだ。
なぜマスコミと野党が「モリカケ=倒閣運動」をしているのかというと、マスコミ自体が、中国・韓国・北朝鮮の工作員とそのシンパに乗っ取られて、日本破壊に動いているからだ。
モリカケ報道→倒閣→日本破壊
この流れに持っていきたいというのがマスコミと野党の野望であり、だから今この瞬間にもマスコミは総力を挙げてモリカケ倒閣アジビラ報道に突き進んでいる。日本破壊のためだ。
『スイス民間防衛』では、侵略国が工作チームを送り込むとしたら、「政府当局、行政組織、輸送、新聞出版、ラジオ、テレビ企業に潜り込ませる」と明確に書いている。
マスコミを掌握すればその国の世論を混乱させたり操作したり洗脳したりすることができるからだ。中国・韓国・北朝鮮は忠実にそれを行っているのである。
http://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/03/20180314T1620280900.html
中国も韓国も北朝鮮は外から恫喝するだけでなく、内側からも日本に侵略して工作員とそのシンパたちによる工作活動を行っている。
日本人拉致に関わった北朝鮮の工作員、辛光洙(シン・ガンス)を見ても分かる通り、日本には数十万人にものぼる工作員がうごめいている。
日本人ではないのになぜか日本人の名前を持ち、日本を嫌っているのになぜか日本で暮らす。その日本嫌いの人間がネットワークを組み、互いに相手を引き上げる。そして、テレビやマスコミに露出して、執拗に日本を貶める。
彼らは日本の政治、マスコミ、財界、教育、行政に潜り込み、日本が内部崩壊するように仕立てあげている。私たちの隣の人が反日国家の「なりすまし」かもしれないというのは冗談でも何でもない。
この工作活動は今や公然と行われているのだが、マスコミ自体が乗っ取られているので、これは決して表沙汰になることはない。表沙汰になるどころか、むしろ隠蔽されるだけだ。
日本の政治界は、民主系(民進党・立憲民主党・希望の党)の議員を見て分かる通り売国奴の集まりである。国籍が分からない人間や、日本に帰化したのを隠している議員が大勢いる。
自民党の内部にも何食わぬ顔で売国奴が潜り込んで、中国や韓国や北朝鮮の工作員やそのシンパとして動いている。
日本のマスコミもその多くが中国・韓国・北朝鮮に取り込まれており、もはや救いようがないレベルにまで到達している。
そして、マスゴミに属する多くの記者が中国・韓国・北朝鮮寄りの歪曲記事を日本人に押しつけて、自虐史観や世論操作や倒閣工作を今も行い続けている。
安倍政権は、中国・韓国・北朝鮮の侵略から日本を守り、日本を取り戻そうとしている。しかし、日本を侵略したいと思っている中国・韓国・北朝鮮のような国にそれは都合が悪い。
だからこれらの反日国家は、気が狂ったかのように安倍政権に反対している。
さしずめ、安倍政権が倒れれば日本侵略が成功できると考えている工作員は、安倍政権のやることなすことをすべて反対して日本を混乱させている。
活動家が街で騒ぎ、マスコミがそれを取り上げる。野党が国会で安倍首相に退陣を迫り、マスコミがそれを取り上げる。マスコミ自身もありとあらゆる機会を捉えて安倍政権を攻撃する。
たとえばモリカケ問題でも、安倍首相は関与もしていないのは事実なのに、あたかも関与したかのように印象操作を繰り返して安定した政権を崩壊させようと画策している。
活動家と野党とマスコミが三位一体となって倒閣工作を進めているのだ。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/04/20180403T1512440900.html
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/513.html#c1
1. 中川隆[-10869] koaQ7Jey 2018年4月21日 13:04:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11698]
「膿を出し切る」というのは財務省を解体しないといけないという事だよ:
今のマスコミ総動員での安倍降ろしも財務官僚の指示でやってるんだ
2018年4月18日
デフレの原因ここにあり 〜福田氏「醜聞」騒動が示す財務省の虚偽隠蔽体質〜
From 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)
https://38news.jp/economy/11841
今、世論を賑わせている「福田財務省事務次官」の醜聞騒動。
これについて今・・・・
「財務省が福田淳一次官のセクハラ疑惑を巡って
報道各社の女性記者に調査への協力を要請し、
麻生太郎財務相が被害申告のない場合のセクハラ認定は難しいと発言」
したことへの批判が拡大しています。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201804/CK2018041802000133.html
「野党にとどまらず、
与党幹部や閣僚もこぞって声を上げ、
安倍政権の土台を揺るがしている。」
とのこと。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201804/CK2018041802000133.html
実際・・・
「こっちから辞めるべきではないか、
とわざわざ助言するというより、
本人や財務省が考えるべきことだ。」
(自民党の二階俊博幹事長)
「記者から協力を得るというのは違和感がある。
被害を受けた人に『出てきてください』というのは、
ちょっと違うのではないか」(公明党の石田祝稔政調会長)
等、与党からも批判が相次いでいます。
https://mainichi.jp/articles/20180418/k00/00m/010/100000c
メディアからの批判も激しく、
左派系の朝日新聞や東京新聞は、
「恫喝に等しい」
https://www.asahi.com/articles/ASL4K578TL4KULFA01W.html
「人権感覚が問われる事態」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201804/CK2018041802000133.html
と報じ、保守系の産経新聞も
「財務省は醜聞の擁護者か」
https://www.sankei.com/column/news/180418/clm1804180001-n1.html
との論説を公表しています。
そして、ハラスメントの音源を公表した当事者の新潮は、
今回の財務省の対応の根源に、
「組織防衛を最優先」
する態度があると断じています。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/04170600/?all=1&page=4
今、政権に対しては、福田氏醜聞騒動のみでなく、
公文書改竄問題や首相案件メモ問題、防衛省日報問題等
について、様々な批判が集中する状況です。
これらの諸問題にはもちろん様々な組織や人物が関わっており、
その原因を「一つ」に特定できません。
しかし、今回の福田事務次官の「醜聞騒動」の
最大の直接的原因は財務省の「虚偽・隠蔽」体質にある
と言わざるを得ません。
それは、まさに、森友問題に関わる「公文書改竄問題」と同様。
要するに、最強官庁とも言われる財務省の
「強力な公権力に基づく嘘ツキ体質」が、
(1)佐川理財局長の国会でのウソを誘発し、
(2)そのウソを隠蔽するための「公文書改竄」を誘発すると同時に、
(3)福田事務次官に自身の醜聞を「事実と異なる」と断定させた、
との解釈が十二分に成立してしまうわけです。
無論、この(3)については、
福田氏側がそれをウソだとは認めてはいませんが、
今日の福田氏・財務省に対する激しい種々の批判は、
「お前ら、いつまでそんなバレバレのウソ、言い続けてんだ?」
という趣旨のものである事は論を待ちません。
さらに恐ろしいのは、
これらの「ウソ」や「隠蔽」がいずれも、
行政の強力な「公権力」を活用する形で行われているという点です。
行政権を駆動せしめる力を持つ公文書の改竄は、
行政権の濫用そのものですし、
今回の福田氏醜聞についての財務省側の対応は、
「記者や報道機関等への公権力をかざした圧力」そのものです。
財務省には強大な公権力が付与されていますが
その公権力は「予算編成権」と「徴税権」。
そして「納税者」である報道機関はその「徴税権」者である財務省に、
「弱み」を握られている基本構造が厳然とあるのです。
したがって、財務省側が各報道機関の幹部に、
「お前ら、もしバラしでもしたら、
俺たちは “徴税権”を使って、税査察くらいいつでもできるんだから、
後でどうなっても知らないぞ?」
という「雰囲気」を醸し出すだけで、
納税者である報道機関は震え上がり、
さらなるセクハラを告発できなくなる―――
という「圧力」がかかることになるわけです。
ここで重要なのは、その圧力を産み出すには、
「雰囲気」だけで十分であって、
直接「ばらすな!」と命ずる必要は何も無い、という点にあります、
実際、筆者が現場の記者達を対象に行った、
「メディア忖度実証研究」によれば、
そうした圧力が、とりわけ「財務省」においては強烈であることが、
「学術的」な視座から明らかにされています。
https://policy-practice.com/db/3_181.pdf
とりわけ今回のように、
「財務省の記者クラブ各社に、
セクハラ被害にあった女性記者に名乗りを上げるよう依頼する」
という、
「恫喝的」
https://www.asahi.com/articles/ASL4K578TL4KULFA01W.html
とすら言われる態度を目にすれば、
萎縮する報道機関が出てきたとしても致し方ありません。
・・・・
ところで筆者は、
この財務省の今回の反応を目の当たりにしたとき、
戦慄を覚えざるを得ませんでした。
筆者の主観を申し上げればこうです。
『なんと・・・・
財務省とは、科学的に福田氏本人である確率が
極めて高いと判断される「音源テープ」を公開しているにもかかわらず、
「それはウソだ!」と断定するような組織なのか・・・
だとすれば、
「消費増税で景気が悪くなり税収が減る」と言うデータや、
「PBを無理に改善すると、さらに財政が悪化する」というデータや、
「財政拡大をすると、景気が拡大し、税収が増える」というデータや、
「累積債務がどれだけ増えても金利=破綻リスクは増えない」というデータ・・・
そういった「データ=事実」をどれだけ公開しても、
「なるほど、そうなんですね」と言う筈はないだろう、
彼らはきっと、こちら側こそが「ウソだ」と言い続けるのだろう。
だとすれば、事実に基づいた政策を提言する学者達は、
一体何を、どうすればいいというのか・・・」
つまり今回の騒動に筆者は戦慄を覚えると同時に、
「絶望」にも似た気分に苛まれたのでした。
言うまでも無く、デフレを終わらせ、
豊かな成長ある日本を実現するためには、
財務省の皆さんのお力が何としても必要です。
にも関わらず、肝心のその財務省が、
重大な事実や真実を隠蔽し続けるのだとすれば、
豊かな日本が実現することはもう、あり得ない、
ということになるのでしょうか・・・・
もちろん、官邸や他の省庁や報道機関に問題がないとは言いません。
しかしそうした他の関係者に瑕疵があるからといって、
財務省が「免罪」されることにはならないのです。
一見、単なる下らない下世話なスキャンダル騒動に見えますが、
この問題は、日本国家にとって、
本当に深刻な問題を浮き彫りにするものなのです。
まずは本メルマガの読者だけでも、
その「構造」を俯瞰的立場からご認識いただきたいと思います。
追伸1:財務省の体質故に継続し続けるでデフレ。結果、我が国は「衰退途上国」と化しました。ご関心の方は是非、「週刊ラジオ表現者」、ご覧下さい(「チャンネル登録」もよろしく御願いします!)。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=347&v=hGG9RjxS7JY
特定政府組織による組織防衛のための「公文書偽造」は、相当に「野蛮」な犯罪です。2018.03.12
From 藤井 聡(表現者criterion編集長・京都大学教授)
(1)今回の財務省の公文書書き換えは、相当恥ずかしい話
今回の森友問題におきます「財務省による公文書偽造」問題を耳にしたとき、心の底から残念な気持ちになりました。
そして、その「疑惑」が、
「学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書が書き換えられたとされる疑惑で、財務省は10日、書き換えを認める方針を固めた。」
森友文書 財務省書き換え、佐川氏が指示 12日国会報告
―――という形で事実と「確定」した今、日本人として心の底からホントに恥ずかしい、と感じました。
一言でその理由を言うと、そんな事をする政府を持つような国は、野蛮な国だ、と言われてしまうからです。
これがまだ、中国やロシアや北朝鮮なら、そういうこともあるだろう、と言うコトになるでしょう。
なぜなら、そんな「全体主義的な国」では、政府のこういう横暴がまかり通るのは、世の常だからです。
いわば、学校のクラスの札付きのワルがそんなコトしても、まぁ、あいつだからなぁ、と言う話。そもそもそのワルは、クラスの秩序それ自身にケンカを売り続けているような奴です。
ところが日本はそんな「札付きのワル」とは正反対。
むしろ日本は、センセの言うことに対して何も文句をいわず、優等生としてお利口さんに振る舞おうとしている、目立たない、田舎から来たマジメ生徒、のような存在。
そんなマジメ生徒の取り柄はマジメであることだけな訳ですが―――その生徒がナント、札付きのワルのような滅茶苦茶ワルイことしてた、というのが、今回の事件です。
このクラスの常識からいって、「政府自らが、自分が権威付けている公文書を、自分自身の保身のために書き換えちゃう」なんて振る舞いは、札付きの超不良しかやらないような、スゴイ極悪行為。
それは財務省が「偽札」を勝手に印刷して政府財源にしちゃうようなものです。
いわばブッチャーやタイガー・ジェット・シンもびっくりの、リングに果物ナイフを持ち込むようなド反則。
しかもそんなド反則やったのが、今までセンセ達に媚び売りまくってきた「チョードマジメ君」な訳ですから、こいつは「うわっ、キッモーーッ」と評判激オチになるのは必至なのです。
この問題を「たいしたことないよ」とあまり気にしていない国民も多いようですが、そういう皆さんにはまず第一にこれがどれくらい恥ずかしいことなのか、ということをしっかりとご認識して頂きたいと思います。
(2)強烈な国家権力を発動させる「公文書」を、偽造するのは重罪です
じゃぁ、なぜ、これがそれほど酷い反則なのか、ということについて、簡単に解説しておきたいと思います。
そもそも「公文書」というものは、時に「暴力的」とも言いうる程の「物理的な権力」を発揮させる強力なパワーを持つもの。
例えば「逮捕状」という公文書は、警察を動かし、一人の人間の自由を拘束し、場合によって死刑にすることすらできる強烈なパワーを持っています。
「日本円」という(日本銀行が作成した)公文書があれば、売ってるものなら、モノであろうとサービスであろうと、何でも手に入れることができます。
言うまでも無く、そのパワーの源は「政府」。
つまり公文書は「政府という強力な実力組織を動かす命令書」の様なものなのです(PS3)。
だから、そんな公文書を「偽造」するということは、「政府という恐竜を騙して、自分の好きなように動かしてしまう」という様な恐ろしい詐欺行為なのです。
したがって、公文書を偽造すれば、「1年以上10年以下」の懲役というとても重い罪を負うことになるわけです(これは、実態的にはおおよそ「窃盗」や「殺人未遂」とおおよそ同水準です)。
(3)財務省による公文書偽造は、とりわけ重い犯罪
さて、公文書偽造は通常、「個人」が国家権力を私益のために利用する、というものです。
が、今回の場合は「公文書を発行する主体の、財務相自身が偽造した」という罪ですから、通常の公文書偽造とは比較にならない程に、罪深いものです(ちなみにその場合の罪名は「虚偽公文書作成罪」となります)。
そもそも、この偽造(書き換え)がバレずに成功していれば、「財務省」は世論や国会、場合によっては司法当局からの批判や捜査をかわすことができていた訳です。
つまり財務省は実際に、この公文書の偽造を通して、「省としての利益」を得たと解釈せざるを得ません。
だとすると財務省は国益ではなく、自らの組織の利益を得るために、国家権力を使って公文書を偽造したと疑われる状況なのです。つまり、超強力な行政権限を持つ財務省自身が、自分たちの「組織」のために、自身の権力を使って詐欺を行った、ということになるわけです。
だからもしこれが本当だとすれば、それは法律など度外視して、気に入らない人物の暗殺や粛清をやってのける金正恩やプーチンと何ら変わらない、恐ろしい政治暴力行為だと言うことも可能となります。
それくらいに本件は、凄まじく重い犯罪なのです。
今回の事件に関わった財務省職員が一人、自殺されていますが、それは、「行政のプロからすれば、今回の公文書偽造がどれほどに凄まじい重罪なのか」を、間接的に証明している可能性も十分考えられるのです。もし、その罪がさして大きなものでないなら、その職員は自殺せずとも済んだかも知れないのですから―――。
(4)野蛮でありたくないなら、「常識」を取り戻すことが必要です。
だとするならわれわれ日本人は、なぜそんなことが起こったのかを考える責務があります。
この組織的犯罪の根はやはり「財務省固有の組織風土」にあるのかそれとも他にあるのか、もしそうならその風土を形成している構造は一体何なのか(例えば、政府内における財務省への権力の一極集中構造等)、そしてそれを是正するにはどうすべきなのか―――そういった事を考え始めることが必要でしょう。
・・・ただしそれ以前に、今回の事件がどれほど重罪なのかということを、そして、それが国際的な常識に照らして考えたとき、凄まじく恥ずかしいことなのだということを、日本国民がしっかりと認識することが必要です。
さもなければ、日本は本当に「野蛮な国」なのだということになってしまいます。
日本が「野蛮」の誹りを受けることを防ぐための第一歩は、「思想」ないしは「常識」の次元において、一人ひとりがそうした当たり前の認識を形成することなのです。
PS1:この問題はまさに、「クライテリオン=規準」の問題なのです。こうした問題を深く考えるためにも、是非、「表現者クライテリオン」に手に取ってみて下さい。
https://www.fujisan.co.jp/product/1281687591/
PS2:今日の「週刊ラジオ表現者」は、まさにこのメルマガの問題と同じテーマ。ブルーハーツの『イメージ』を紹介しつつ、今の日本人が如何に、いろんな下らないものの「奴隷くん」になっているのかを―――お話します。
https://the-criterion.jp/category/radio/(←明日までにはこちらにアップロードします)
PS3:今回偽造されたのは、「直接の命令文書」というよりは、「政府の正当性を明らかにする証明書」という趣旨のものでした。ですがその「証明」ができなければ実力組織が動かせなくなる、のですから、それもやはり「間接的な命令書」の意味を持っていると解釈可能です。
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180312/
「保守思想」があれば、「改竄事件」の中に「日本の危機の本質」が見えてきます。2018.03.19
From 藤井 聡(表現者criterion編集長・京都大学教授)
昨今、世間をにぎわせている「公文書改竄」問題。
これは「先進国」として相当恥ずかしい話―――
というのは、先週お話差し上げたとおり。
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180312/
しかも本件、今後の話の展開如何によっては、
消費増税の行方や財務省の組織の見直し、
安倍内閣の存続、ひいては、「日本の将来」を左右する可能性すら
考えられる状況に今、至りつつあります。
何といっても今の日本、
「内閣支持率」(というか世論)なるものが政局を決定づける力を持ち、
かつ、その「内閣支持率」が暴落しつつあるからです。
https://mainichi.jp/articles/20180318/k00/00e/010/193000c
―――とはいえ、それはいかに「政局」に結びつこうとも、
やはり、こんな話は下世話で下らない話に過ぎず、
「崇高なる保守思想」とは何の関係もないじゃないか、
と思う方も多いのかもしれません―――
が、それは完全な間違い。
むしろ、「保守思想」で考えるからこそ、
この改竄問題は「下らない話」などでなく、
見過ごしてはならない「重大な問題」であることが明確になります。
そもそも「保守思想」の本質は、「危機との対峙」。
どんな生命も精神も共同体も、
「迫りくる危機」を無視していれば瞬く間に滅び去り、
「保守」できなくなるからです。
そして、そんな「危機」と対峙するために絶対必要なのが、
「状況把握」能力。
動物だって虫だって、はたまた崇高な精神だって国家だって、
「状況の正確な認識」ができなければ、
「危機」を知ることができず、
早晩、滅び去るほかありません。
したがって、「保守思想」が板についてくれば、
「状況把握」に長けていくことになります。
そして、「状況を把握する」ために絶対必要なのは、
「できるだけ、大きな視点から、ものごとを見つめよう」
という態度。
つまり、保守思想には「大局観」が必須なのです。
同時に、「状況把握」のためには、
「どういう風に、動いているか、その動き方を考えよう」
という態度も必要です。
つまり、保守思想は常に、物事の「ダイナミズム」(動態性)を捉えようとします。
・・・・などと書くと少しややこしく思えてきますが、これは要するに、
「生き残りたいと思う奴は、『本能的』に
物事がどうやって動いていくのかを、
大きな視点で捉えようとし続ける」
という話。
そして、これこそが、保守思想の神髄、なのです。
ちょうど、山火事になったら、
山の動物が一斉に逃げ出す、ようなものですね。
彼らは本能的に危機を察知できるのですが、それは、
彼らが常に、「動態」としての「大局」を、
モニタリング(=監視)し続けているから、なのです。
つまり今回の「改竄問題」を「下らない話」と無視するようでは、
他の動物なら気が付く「小さな山火事の兆候」を見過ごし、
逃げ遅れて死んでしまうことになる―――というお話なわけです。
・・・
ということで、今回の「改竄事件」をじっくりと考えていきますと、
まず見えてくるのが、
「財務省には、とにかく組織防衛のために情報操作をする体質がある」
という現実。
何といっても、組織防衛(今回は、佐川答弁の弁護)のために、
「公文書改竄」という悪質な法律違反さえやっちゃうのですから、
その情報操作体質たるや、尋常なものではありません。
(この体質を思想的に深く把握したい方は、下記書籍を参照ください
https://bookmeter.com/books/9709348 )
同時に、より「大局的」な視点から眺めれば、
「財務省の情報操作が、今の日本のデフレを導いている」
ということも見えてきます。
そもそも財務省はとにかく、
「安定財源の消費増」の「増税」を行い
「あらゆる予算をカット」することを
「最も重要な、組織的な目的」としています。
そして彼らにはすさまじい「情報操作」体質がある以上、
そんな重要な組織目的である「増税や予算カット」のためなら、
間違いなく、情報操作をしています。
そして実際、そんな情報操作が成功し、
「増税」と「予算カット」が行われ、
その必然的帰結として、日本のデフレ不況が続いているのです。
つまり、「財務省の情報操作が、今の日本のデフレを導いている」というわけです。
(この構図に「ホンマか?」と疑いを感ずる方は、
例えば下記書籍をしっかりとお目通しください。
https://www.amazon.co.jp/dp/4594077323 )
・・・そして最後に、
「今の日本のあらゆる「危機」は、デフレによってもたらされている」
というのは周知の事実。
貧困も格差社会も、地方消滅も、
日本の技術力や国防力や外交力や政治力や財政力の低下、
さらには、「日本の自主独立性」の低下もまた、
「デフレ」が導いているのです。
(この構図にご関心の方は是非、下記書籍を参照ください
https://goo.gl/xkQukg )
以上をまとめると、次のような話が見えてきます。
・財務省は「増税と予算カット」を目的とする組織。
・同時に、彼らはすさまじい情報操作をやる。 (←今回の改竄事件で検証済み)
↓
・だから、財務省は増税と予算カットのために情報操作をしている。
↓
・結果、現実に、「増税と予算カット」が進行。
↓
・結果、デフレが進行。
↓
・で、そのデフレのせいで、日本にあらゆる危機が生じている。 (←今ココ)
・・・ということで、
最強の力を持つ財務省の「情報操作」体質が、
今の日本の危機を導いている、
という「大局」が存在しているのです!
もちろん、財務省の情報操作ごときに
皆が騙されなきゃ危機にはなってないわけですから、
全ての危機の責任が財務省にあるとまでは言いません。
ですが、もしも財務省にこんなに激しい「情報操作」体質が無ければ、
日本の危機はここまで深刻でなかったこともまた、間違いないのです
・・・・じゃぁ、なぜ、財務省に、
そんな恐ろしい「情報操作」体質がはびこり、かつ、
そんな情報操作ごときに騙される程に
国民が劣化しているのかと言えば・・・
「日本が戦争に負けて反植民地になって、
男どもが皆、『虚無主義』=『ニヒリズム』になったから」
という構図があるからです。
つまり、戦争に負けてニヒリズムが広がったから
(つまり、男どもの「やる気」が何かにつけて失せたから)
今の危機が広がっている、という次第なのですが―――
この点については、また別の機会にお話ししたいと思います。
(ちょうど今、浜崎さん中心に進めている
表現者クライテリオン・文学座談会シリーズ「対米従属文学論」は、
それをテーマに対話を重ねています。乞うご期待!)
いずれにせよ、今日はたった「2000字」程度で、
マクロ経済学と組織社会学と全体主義論がつまったお話をいたしましたので、
細部で納得いただけない方もいるかもしれません。
が、そういう方は是非、
要所要所で紹介した書籍を
じっくりご覧いただきたいと思います。
そしてそういう「細部」にこだわり続けることも必要なのですが、
「大局的」に考えることは何よりも大切なのであり、
それこそが「保守思想の神髄」なのです。
で、その「大局的」に考えるというのが一体どういうことなのかについて―――その雰囲気だけでも、本メルマガを通して知ってもらえると有難く思います。
詳しくは、「表現者クライテリオン」をご購読くださいw
https://www.fujisan.co.jp/product/1281687591/
https://the-criterion.jp/
PS 今週の「週刊ラジオ表現者」は、まさに、本日描写した「危機」から、日本が抜け出す鍵、についてお話しています。題して 「日本人、『勇気』がないと、一生奴隷です。」 是非、御聴取ください(ちなみに今週の一曲は「紅蓮の弓矢」です!)。
https://the-criterion.jp/category/radio/ (←明日までにはこちらにアップロードします)
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180319/
今回の「公文書改竄」事件は、デフレを放置しながら改革しまくった必然的な帰結です。2018.03.26
From 藤井 聡(表現者criterion編集長・京都大学教授)
過日、縁あって、「陸上自衛隊高等工科学校」の
卒業式に出席いたしました。
この学校は、現存する唯一の「正式」の自衛隊の高等学校。
生徒は高校生であると同時に、
公務員として給与が支給される「自衛隊員」でもあります。
その卒業式は実に2時間にも及ぶもので、
「防衛大臣」や「陸上自衛隊幕僚長」、
「与党幹事長」や数々の国会議員が臨席し、
「内閣総理大臣」からも長文の祝電が届く、
おそらくは日本で最も厳かな、
(某来賓の言葉を借りるなら)
まさに「日本一の高校の卒業式」。
この学校の生徒は、
中学卒業と同時に親元を離れる事を決意し、
完全寮制で盆と正月の短い帰省以外は全て、
24時間、徹底的に管理され、訓練された者達。
日本中の高校生が、
「高度大衆社会の一消費者」として
膨大な時間と若者の精力をスマホやゲームなどの
「商業的消費行為」に費やしている現状に鑑みれば、
そこはまさに「月の裏側」の様な別世界。
式の最後の卒業生の長い長い「答辞」で、
「この三年間、つらいことしか無かった筈なのに、
思い出されるのは、同期達の笑顔しかありません」
との言葉を耳にした時、
壇上で臨席されている防衛大臣以下、
多くの来賓が感涙にむせいでおられたように見えたのは―――
恐らく見間違えではなかったと思います。
そんな式典が終わり、
生徒達はそれぞれのクラス(というか、彼ら曰く「区隊」)に戻り、
指導官達からの次のような「最後の訓示」が
申し伝えられる席にも立ち会いました。
「大切なことは三つだけだ。
一つに上司を敬え、
二つに同僚を大切にしろ、
三つに後輩のしりは全てお前達がふいてやれ。」
「どんなにつらい仕事も、
お前達の役に立たないことなど一つも無い。
現場で役に立たない経験なんて、何一つない。」
「どんな時も、
自分には一体何が差し出せるかを、
常に考え続けろ。」
それを耳にした部外からの同席者達は
「何と立派な・・・」と感嘆していましたが、
本来なら、これらの言葉は、
自衛隊に限らずどんな世界でも守るべき、
当たり前の話ばかり―――とも言い得るもの。
実際、少し前の日本なら、
これらは全て「常識」として皆に共有されていた
「規準=クライテリオン」だった筈、です。
・・・・で、そんないくつもの訓示の中に、
次のようなものもありました。
「自衛隊で何よりも大切なのは、規律だ。」
この訓示を申し述べた指導員はこの後にすぐに、
その理由を次のように説明しました。
「自衛隊は武器を持っている。
そんな組織で規律が無くなれば、
とんでもないことになるのは分かるだろ。」
なんと当たり前な話(!)。
ただ、この言を耳にしたとき、
即座に思いが至ったのが、
今回の財務省の公文書の偽造/改竄事件です。
財務省には強大な権力があります。
その権力は、日本経済を活性化させることも
衰退させることもできる程の強大なもの。
だからその強力な力が暴走し、
国家や国民生活を破壊するような事があってはならないのであって、
だからこそ彼らには「規律」が絶対必要なわけです。
故に、今回の「下らない」文書改竄/偽造事件は、
「恐ろしい」話なわけですが・・・
「規律の重要性」はもちろん、
自衛隊や政府に限った話ではありません。
政治家だって強大な力を持つわけですから、
規律・規範は絶対必要。
学者やジャーナリズムにしても、
その発言には「実際の政治的影響力」が宿り得るのですから、
規律・規範は絶対不可欠。
そんなの当たり前―――ですが、
その「当たり前」が溶け始めているのが、現代日本、
だという次第です。
ちなみにこういう、規律や規範が溶けてしまった状況は、
学問の世界では「アノミー」状況と呼ばれています。
「無規範状態」「無規制状況」などと言われますが、
シンプルに言うならそれは「何でもあり状況」。
で、今の日本は、
(最強官庁が公文書を改竄したり、
政治家がウソを言っていることがばれた後でも、そのウソをつき続けたり、
世界最先端と言われる科学者がデータを改竄して学術誌に投稿する程までに)
酷い「アノミー=何でもあり状況」に陥ってしまった、
というわけです。
なんでこんな事になっちゃったのか・・・・
それこそ、「アノミー=何でもあり状況」という概念を提唱した、
社会学者エミール・デュルケームの重大な関心事でした。
彼は、「経済危機」や「急激な社会変動」があると、
世間は「アノミー=何でもあり」に陥っちゃうと論じていますが・・・
これはいずれもモロ、今の日本に当てはまりますね。
戦争に負けて米軍に占領されてから一貫して、
日本社会は激しく変わり続けてきましたが、
とりわけここ20年は、「改革」の嵐が吹き荒れ、
社会変動が急激に進んでいます。
同時に20年もデフレ不況が続いています。
ですから、デュルケームの理屈から言うなら、
今の日本が止めどなく「アノミー=何でもあり」化しちゃうのも当然だ、
と言うことになるわけです。
ですから、今回の「公文書改竄問題」を考える時、
第一に
それは「恥ずかしい話だ」という事でもありますし、
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180312/
第二に
「そんな恥ずかしい状態があるから、
今の日本は衰え続けている」ことも見えてくるのですが、
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180319/
第三に
「こうなっちゃったのは、
20年間アホみたいに改革やりまくって、
デフレ不況放置し続けた結果、
社会が『アノミー=何でもあり状況』になっちゃったからだ」
ということも、
あわせて認識する必要があります。(←今回のポイント)
何と言ってもそれが分かれば、
今、必要なのは、
とっとと財出やってデフレ脱却して、
馬鹿馬鹿しい改革なんて全て辞めちゃうことだという「処方箋」が、
即座に見て取れることになるからです。
それができれば今の日本も、
かの「陸上自衛隊高等工科学校」の百分の一や千分の一程度には
「非アノミー」な空気になって、
随分よい国になる筈なんですが―――
なかなかそうならないのがホントに、残念です。
なので、地道にこういう「思想戦」「言論戦」を
一歩ずつ重ねる以外に、道はない、
ということになるわけですが、
だからこそ、私達は今、一人でも多くの日本の方々に、
本メルマガや、表現者クライテリオンを、読んでもらいたい―――と、
心から祈念している、という次第です。
ついては是非、周りの方にも『表現者』、紹介して差し上げて下さいね。
http://fujisan.co.jp/pc/web-hyogensya
・・・・ということで、
三回にわけてお話した
「ホント、アホらしい『公文書改竄』問題を、
じっくりと考えてみるシリーズ」を、
一旦これで区切りにしたいと思います。
次週はまた、別のネタ、お話したいと思います。
ではまた、来週!
追伸1:表現者クライテリオン、是非、定期購読御願いします!http://fujisan.co.jp/pc/web-hyogensya
追伸2:最新のラジオ表現者、「日本人、勇気がないと、ずっと奴隷です」は、下記からお聴き頂けます。是非、ご覧下さい!
https://www.youtube.com/watch?v=et6T_6sQC3A
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180326/
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/395.html#c1
29. 中川隆[-10868] koaQ7Jey 2018年4月21日 13:16:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11698]
インドに流行る「レンタル妻」
妻を月極レンタルする夫たち―印 2006.06/21(水)
インド西部のグジャラート州では、夫が自分の妻を他の男性に月極めで貸し出すという蛮行がまかり通っている。
グジャラートでは男女の人口比率が著しく男性寄りで、男性たちは結婚適齢期を迎えても、結婚相手となる未婚女性を見つけるのに苦労しているのである。自分の妻を他の男性に貸し出している男達はここに目をつけたというわけである。
インドタイムズ紙は、同州に住む農場労働者Atta Prajapatiが、妻Laxmiさんを地主に月175ドルで貸し出しているとの情報を匿名警察官から入手したと伝えた。
同紙によれば、Laxmiさんはその地主と生活を共にすることを余儀なくされ、地主の世話や家事全般はもちろんのこと、寝床も共にしなければならないという酷い境遇に置かれているという。
しかしこれは何もLaxmiさんに限ったことではなく、グジャラート州では他にも自分の妻を貸し出している男が何人もいるということだが、このことについてグジャラート州役員はコメントを拒否している。
インドでは男女の人口割合が男性寄りに傾いてきている。その理由は単純明快で、おなかの中の子が女の子だとわかると堕ろしてしまう夫婦が多いからである。
インドでは、結婚した女性は男性方の家へ嫁ぐことになるのだが、その際、新婦の両親は新郎の家族にお金や贈り物を渡さなければならないという風習がある。これが新婦方の家計に大きな負担となるため、インドでは女の子の出産を避ける傾向にあるのである。
この習わしは悪しき風習として1961年に禁止されたが、実際にはほとんど守られておらず、現在もごく一般に行なわれているというのが現状である。
インドにおける男女の人口比率は、91年の時点では男1000人に対して女945人であったが、2001年に行なわれた国勢調査では、927人にまで減少を見せていたため、現在はさらに少なくなっていると想定されている。
しかし裕福なグジャラート州においてはこの比率はさらに傾き、男1000人に対して女828人とかなり厳しい数字となっているが、州役員の話によれば、地区によっては更にひどい所もあり、男1000人に対して女がたったの700人ほどしかいないところもあるという。
インドの裕福な家庭では家政婦を雇うことは珍しいことではないが、売春行為は違法とされている。夫が妻を貸し出すことが法律上どういった行為と認められるかは定かではないが、道徳的には許されざる行為であることに疑問を呈す者はいまい。
結婚対象となる女性が少ないグジャラート州では、妻のレンタルのほかにもその土地特有のビジネスが存在している。ブライドブローカーなるものが、結婚を希望する男性の依頼を受け、相手となる女性を探してその報酬を受け取るというビジネスである。
しかもお金を受け取るのはブローカーだけでなく、女性つまり新婦方の家族もブローカーを通してお金を受け取るというシステムなのである。
ブローカーが受け取る額は最高で1520ドル、そのうち新婦方の家族が受け取る最高額は435ドルだそうだ。
家族ぐるみの人身売買のような気もするが、娘を嫁がせてお金を受け取る家族にもその家族なりの事情があるだろうし、明日の生活に心底困窮することもない私達には理解できないことなのかもしれない。
http://kkeita5129.blog8.fc2.com/blog-entry-412.html
このところ、インドでは既婚男性が自分の妻を貸し出すことが流行しているそうです。
この 「レンタル妻」 はインドのなかでもとりわけ貧しい西部に住む男性たちの間で行われているもので、農場経営者などの富裕者に対し、相手の家に住まわせて家事をさせ、夜の相手も務めさせ、一ヶ月あたり8,000ルピー(約2万円)を得るというもの。
もともとインドでは、貧しい人々が女児をグジャラートなどの富裕層に売り飛ばしたり、娘を嫁がせるときに持参金をもたせる風習が今でも根強く残っているところから胎児が女の子だとわかると中絶したりで、地方によっては男女の比率がかなりちがうそうなんですね。 で、運よく結婚できた男性は女性の少なさに乗じて、大人になってまでも女性を酷使するという訳なのだそう。
もちろんこの 「レンタル妻」 には仲介業者も絡んでいて、こちらは月に20万ルピー(約50万円)も儲ける輩もいるそうです。
理由がどうあれ、完全な売春なのですから警察が動くと思いきや、インドには売春防止法があるにはあるのですが、例のカースト制度が邪魔をして、「誰も不平を言わないから、警察ではこの問題に立ち入ることができない」 などと宣う始末。 地方によっては、こうした被差別カースト(ダリット)に属する人々が宗教の名の下に聖職者にレイプされることがあるそうですからとんでもない国ですよね。
http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-1582.html
インドで「1カ月婚」事実上の売春
17歳のインド人女性が、事実上の売春行為にあたる「1カ月婚」の実情を明かした。
14日付の英デーリー・テレグラフ紙電子版によると、女性はインド南部ハイデラバードに在住。スーダン人男性(44)との1カ月間限定の結婚を強いられ、1200ポンド(約18万円)の報酬を得たという。しかし男性との性行為を拒否し、先月に家出。現在は国の施設で保護されている。
「私が知らないうちに結婚の契約をされた。私の年齢も24歳にされていた。主催者は少女たちを利用している」
と訴えた。
中東やアフリカのイスラム圏の富裕層が「セックスツアー」でインドを訪問。1カ月で母国に戻るという。
インドの貧困家庭が生活費の足しにするため、少女を1カ月婚に差し出す現状がある。さらにイスラム教では売春が禁じられているため、ツアー参加者が短期結婚を望むという。
[2013年4月16日8時22分 紙面から]
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp1-20130416-1113096.html
インドではこの種の短期結婚が禁止されており、イスラムの側からも非難の声が上がっている。しかも、家族関係を証明する書類そのものが偽物なのだ。
インドでは18歳未満の女性は結婚できない。
書類によれば、離婚はスーダン人のインドでの休暇期間の終了に合わせて定められていた。
少女の両親はこの件を警察から隠していた。児童の自由を制限し、その「羞じらう心を貶めた」として告訴がなされる。
http://japanese.ruvr.ru/2013_04_16/110837153/
日本では、普通のソープはクロンボや変な臭いのアラブは女の子は嫌がる。
竿が30cmもあれば即座に拒否。
アジアの風俗女も、黒いのは軽蔑の対象。
連中もわかっているんだろう
だからインドへ・・・・・。
2013年3月。スーダンのナイル石油に勤務する45歳のある男がインドのハイデラバードで17歳のインドの女性と結婚する決意をした。最底辺のカーストの未成年の娘だった。
ただし、この男は彼女と一生を添い遂げるつもりはまったくなく、「1ヶ月だけでいい」と言った。
彼女は結婚する意思はまったくなく、そして彼女の両親も最初は消極的だったが、スーダンからやってきたこの男は1万ルピーをこの両親に支払う約束をすると両親は折れた。
娘は最後まで反対で友人たちに助けを求めていたが、もうどうにもならず、前日には男に殴られて無理やり結婚を強いられることになった。
やがて彼女は逃げ出して警察に助けを求めて、この結婚は無効となった。
今、インドで何が起きているのか。実は、豊かなイスラム教徒がインドにやってきて、美しい女性を見つけると「1ヶ月のレンタル妻」にしているのである。
人権団体がそれを明るみにしている。しかし、本当はもっとひどいことが裏で起きている。これは私が体験したものだ……。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130417T2313010900.html?a=l0ll
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/177.html#c29
30. 中川隆[-10885] koaQ7Jey 2018年4月21日 13:19:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11716]
中東のメイドの仕事とは
若い女性が金持ちの家にメイドで雇われて、性的被害に遭う話は、それこそ膨大にある。
ある女性が中東にメイドで雇われたが、仕事は老人の性介護(セックスの相手)であり、そのうちその家の息子たち全員の性の玩具にされてしまったという凄惨な話があった。
中東の出稼ぎはフィリピン人も多いが、やはりホスト・ファミリーにレイプされたり、性的ないやがらせを受けたり、虐待されたりしている。
ブラジャーだけやトップレスで掃除することを強要されたり、レイプされそうになって雇い主を刺殺したら、正当防衛に関わらず死刑の判決が下ってフィリピン全土が大騒ぎになったりした。
マレーシアでもインドネシアの女性が凄まじい虐待を受けた例もある(ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされていく現代のメイドたち)。
インドネシアと言えば、最近はサウジアラビアで起きた事件でメイドとしてサウジに働きにいくことを禁止するほどの大事件が起きているのはご存知だと思う。
雇い主に追いつめられたインドネシア人のメイドが雇い主のサウジアラビア人を殺したのだが、政府は彼女に死刑を宣告し、インドネシア政府に何も知らせないまま断首刑を執行した事件である。
サウジアラビアで母を勝手に断首刑にされて嘆く娘
ユドヨノ大統領は激怒してサウジアラビア政府に最大限の抗議を行っている。
インドネシアの女性が国外で虐待に遭う事件が続出していて、メイドがいかに危険な仕事なのかを国民はもう知っている。しかし、それでも出稼ぎに行かなければ食べていけないのがインドネシア国民の悲哀でもある。
虐待を受けたメイドがどんな状況になっているのか、以下を見ればその深刻さが分かるだろう。
これは今、私が愛してやまないインドネシアやフィリピンの女性に起きている現実である。
雇い主に暴行(というよりも拷問)を受けたインドネシア人メイド
自国の女性に振るわれる暴力に抗議する人たち
平和が消滅すると女性の人権も消滅する
貧困国・貧困家庭の子どもや若い女性は、どこの国のどんな地域でも、必ず人身売買や性的搾取のターゲットとなっている。人種、宗教、地域問わず、すべてそうだ。
女性の時代というのは、「平和」と「豊かさ」と「教育」が維持されているときだけに囁かれるものであり、そのいずれかが消え去ると同時に女性の時代も簡単に消し飛ぶ。
特に「平和」は、「女性の時代」という幻想を築く上ではなくてはならないものである。
平和でなくなった瞬間、女性の時代もなくなる。女性の時代どころか、女性の地獄が出現するだろう。
人身売買の横行する貧困国を見ているとそれはよく分かる。戦争や内乱がそれに加わると、どうなるかはコンゴの例を見ればいいかもしれない(戦争とレイプ(3)コンゴのレイプ地獄から逃げて国境でも輪姦)。
今年に入ってからはリビアもカダフィ政権もまた中東民主化の波で内乱状態のようになってしまっているが、政権側は反政府側の女はレイプしても構わないとする「レイプ戦術」を執ったとも言われている。
15人に集団レイプされたと訴える女性
これはもちろん反カダフィ側(つまり欧米側)のプロパガンダである可能性もあって何とも言えないところでもある。
しかし、エジプトでもCBSの女性記者だったララ・ローガンがレイプされているのも周知の事実なので、リビアの女性が無事であるとは私には到底思えない。
内乱の際、レイプは暴徒にとっての最大の「楽しみ」になっているという醜い事実は隠しようがない。
http://www.bllackz.com/2009/12/blog-post_26.html
ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされる現代のメイド
http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_18.html
フィリピン女性に限らず、インド女性も、インドネシア女性も、中東にメイドとして出稼ぎに行く。
以前にも「上半身裸で働かされた」「レイプされ続けた」「父親からその息子たちにまで、みんなにレイプされた」「棒で叩かれ、小屋に閉じ込められ、食事を与えられなかった」と、様々な虐待がメイドたちに対して行われていることを書いているが、そういった虐待はなかなか収まることはない。
なぜなら、アラブ人は昔から「奴隷(スレイブ)」という存在に慣れていて、「奴隷は人間ではない」「動物と同じだ」「自分に所有権があるのだから、自分のものには何をしてもいい」という意識が根底にあるからだ。
アラブ人がという言い方をすればもしかしたら語弊があるかもしれない。イスラム社会の一部では、という言い方のほうが穏当だろう。
マホメットも奴隷を「所有」していたし、アラブ社会で続いていた戦争や略奪の中では、戦争捕虜は戦利品であり「奴隷」だった。奴隷の売買もあった。
またアフリカは奴隷の草刈り場だったので、アラブ人の多くがアフリカに南下して「人狩り」をしていた。当然、略奪されて集められた女性たちは「セックスの奴隷」とされるわけである。
ソマリアの村人大虐殺事件やレイプ事件でもアラブ人の民兵が容赦なくキリスト教徒を標的にしていることが知られている。
アラブの裏の世界でよく知られているのは「ハーレム」という女性の集められたシステムだ。
権力と金を持ったアラブ人はハーレムを作って、片っ端から女性を集めて、女性たちを好きに性処理の役目をさせていたが、彼女たちの面倒を見て、なおかつ好きなときに主人のセックスの相手までしていたのが「奴隷」である。奴隷に拒否権はない。
マホメットからアッバース朝、そしてオスマン帝国に到るまで、そのようなシステムは維持されていたが、そういった歴史があるので、アラブ人は「奴隷」について西洋人とは同じ観念を共有していない。
「人権」という概念そのものが社会に定着していないという言い方もできるかもしれない(もちろん、すべてのアラブ人がそうだというわけではないのは断っておきたい)。
一般に中東やイスラム社会というのは、奴隷や召使いの存在を当然のものとして、自分たちと対等の人間であると認める精神的構造がないことも多い。
これは彼らが冷酷非情なのではなく、そういう文化の中で育ってきたからである。アラブでの暴力の概念は非常に冷徹かつ直接的であり、、私は特別な関心を持ってそれを見つめている。
この暴力の概念が世界に及ぼす影響は大きいはずだ。何しろ、キリスト教徒が対立しているのが彼らなのだから。
〓 虐待に次ぐ虐待の記録
日本ではまったく報道されないので知らない人も多いと思うが、フィリピンのみならず、インドネシアでもメイドとしてマレーシアやサウジアラビアに向かった先で、凄まじい虐待に遭って国際問題になっている。
マレーシアで起きた虐待のほうは罵る、叩く、熱湯をかける、棒で殴打する、ベルトで鞭打つ、熱したアイロンを押しつけるような虐待をしていて、それが裁判沙汰になると、「あれはメイドの自作自演だ」と平然と主張した事件だった。
サウジアラビアのほうも凄惨だ。私の読んだ記事では事件の詳細には触れられていないのだが、「嫉妬した妻がインドネシア人のメイドに激しい虐待をした」と書かれている。
しかし、彼女は殴られ、蹴られ、罵られ、鉄の棒で焼かれ、はさみで身体と言わず顔と言わず、切り刻まれていた。
あまりにもショッキングな虐待にインドネシアの新聞では、彼女の切り刻まれた口唇にぼかしをかけるなどして報道している。
写真を見てわかる通り、これはもはや虐待の域を超えた制裁であり、インドネシアのユドヨノ大統領は激怒して「異常な拷問だ!」と叫んだという。
ただちにサウジアラビア大使を召喚して、これを外交問題化することを宣言し、いったい何が起きたのか調査団を派遣することに決めた。
サウジアラビアでも事態を重く見ており、この拷問の虐待者を非難しているようだ。
もしイスラム法で処罰するのであれば、虐待者の口唇も切り刻む必要があるが、そのような処罰は行われていないという。
しかし、今回の事件は稀な事件ではなく、氷山の一角であることをインドネシア国民は指摘している。
マレーシアの件でもサウジアラビアの件でも、インドネシア政府は救済に動くことを約束しているが、虐待もレイプも密室で行われる。後手後手の対応になるのは目に見えている。
また出稼ぎ先である中東との決定的対立もできないという弱味もあってインドネシア政府のできることと言えば、女性の「駆け込み機関」を作るくらいが精一杯ではないだろうか。
これとは別に、スリランカの女性もまた虐待されていて、スリランカで大問題になっていた。
彼女は雇い主に明け方から深夜まで休みなく働くことを強制され、睡眠時間を取ることも許されず、休みももらえず、疲れきって動けなくなると、熱した釘を腕に打たれたという。
その数は23本だった。
http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_18.html
「誘拐してセックスの奴隷にする」人身売買の世界のこと
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_24.html
人身売買された子供たちを救う運動をしているフィリピンのシンディ・ロマイン氏が ABS-CSN NEWS 紙で語っている様々な話題のひとつに、興味深い話が載っていた。
人身売買を扱う悪人たちもフェイスブックを見ながら子供たちの情報を集めてキッドナップ(拉致)しているというのがインタビューの主旨である。
ウィリアム・ヒラーの事件
長い記事なので全部は紹介できないが、この記事の後半にあった娘を誘拐された父親の話は壮絶だった。要約しつつ書くと、話としてはこういうものだ。
子供を誘拐された父親の名前はウィリアム・ヒラー。アメリカ陸軍特殊部隊の大佐だった。
彼の娘はふたりの友人と共にバンコクを出発した列車の中で誘拐された。
24時間以内に、すでに彼女たちはクアラルンプールで無理やりセックス奴隷にされていたという。
誘拐された娘を見つけるために、ヒラーは友人を仲間に入れて、誘拐された娘の足取りを半年間追い続けた。
その捜査のために、彼はクアラルンプール、バンコク、カンボジア、香港、マカオ、そしてフィリピンと渡り歩くことになる。
そして最後に、ボルネオの倉庫で32人の少女が閉じ込められているところまで突き詰めた。そこで彼は娘の友人のひとりを見つけて、「俺の娘はどこだ」と尋ねた。
「ああ……。一週間前、彼女はここを脱出したの。でも警察に見つかって、警察は彼女をここに連れ戻して売った。彼女は他の子と同じように拷問されて死んでしまったわ」
子供たちが商品のごとく売られていく。
今、私たちが生きているのは、そのような異様な世の中である。
人身売買の映画「96時間」
ヨーロッパでリュック・ベッソン制作、リーアム・ニーソン主演の映画「96時間」というものがある。
この映画はウィリアム・ヒラーに起きた悲劇とよく似ている。このウィリアム・ヒラーのことをモデルに映画化されたのだとも言われている。
映画のほうはアルバニアの人身売買業者が犯人になっているのだが、アジア中を移動させられたウィリアム・ヒラーの娘と、アルバニアの人身売買業者は立場的によく似ているので、変更されたのだろう。
アジアの人身売買の出来事を、ヨーロッパの映画監督が舞台を置き換えてヨーロッパの物語にしたのである。
いずれにしても、どこの地域のどこの少女に置き換えても、この物語が成立することに、人身売買の根深さがある。
ちなみに10年前はロシア女性がカンボジアのホテルに監禁されてセックス奴隷にされていた事件があった。
彼女たちを買った客は政府関係者だったと言われているが、状況はうやむやにされて闇の中に消えてしまった。
「味をしめた」中東の男たち
人身売買が驚くほど広範囲で広がっている。フィリピンの子供で言えば、もうずっと前から中東に売り飛ばされて性奴隷にされていることが確認されている。
以前から何度も書いているが、フィリピンと中東の結びつきは非常に深いものがあって、中東にはフィリピン女性の多くがメイドとして中東に「輸出」されている。
アラブ一帯では昔から大勢の女性をひとりの男が独占するハーレムの様式とは別に、ひとりの女性を一家の男たち(祖父、父親、そしてその息子たち全員)が「共有」するのに抵抗がない裏事情がある。
メイドでやってきたフィリピン女性が、父親にレイプされたあと、日を置いて息子たちにも次々とレイプされ、最後には11歳だか12歳の男の子の性処理までさせられたという話も「ごく普通に」あって驚く。
上半身裸でメイドの仕事をさせられて最後には虐待死した女性もいるし、レイプされそうになったメイドが主人を殺して正当防衛が成立せずに死刑になりかけた事件もあった。
多くのフィリピン女性がレイプや性的嫌がらせ、そして虐待に耐えかねてNGOのシェルターに逃げ込んでいるのだが、表沙汰になるのは氷山の一角である。
・ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされる現代のメイド
・貧困・戦争がやってきたとき、女たちの人権はまったくない
そうやってフィリピン女性は犯罪の犠牲者にされているのだが、「味をしめた」中東の男たちにとっては、こういう発想を持つ男も出てくる。
「メイドではなく、フィリピンの幼い女の子を金で買って、永遠にセックスの奴隷にしてしまえばいい」
需要があれば供給があるのは裏世界でも同じで、そこで両国の人身売買業者がせっせと性奴隷にするフィリピンの幼女をアラブに送り込むことになる。
用済みになったら(あるいは虐待死してしまったら)、どうするのか。アラブでは特に慌てることもないようだ。そこには広大な砂漠が広がっている。
人身売買という世界があることを啓蒙するポスター。
売られていくのは、貧しい家庭の子供たち。
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_24.html
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/177.html#c30
31. 中川隆[-10890] koaQ7Jey 2018年4月21日 13:42:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11722]
コイズミが代議士になってから、10年近くも通いつめてた六本木のSMクラブは、今はなくなっちゃったけど、当時は東京のSMクラブの老舗で、コイズミ以外にも、何人もの政治家や財界人たちがメンバーになってた。
でも、ほとんどの政治家がマゾだったのに対して、生粋のサディスト、コイズミは、SMクラブのコースメニューにある通常のプレイでは満足できずに、毎回、特別料金を払って、相手の女性が失神するまで、何時間でも責め続けたそうだ。
当時、何度もコイズミの相手をしたことがあると言う女性は、
「小泉先生のお相手をすると、(激しく痛めつけられるため)2〜3日は
クラブに出勤できなくなるので、そのぶんのお手当てもいただいていました」
と語っている。また、この女性によると、コイズミは、さんざん痛めつけた
最後に、女性を大の字に寝かせ、両方の二の腕を両足で踏みつけ、仁王立ち
して、笑いながら女性の顔面に放尿したそうだ。この女性は、その時の
高笑いをするコイズミの顔は、今でも決して忘れることはできないと言っている。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20050115
「小泉という男がいる。この男、極度のハードS(サディスト)というのは政治家の間では有名な話である。なんでも、『小泉部屋』なるSMルームを作らせ、日夜励んでいるとか。このハードSの小泉という男は、女の子のクビを絞めながらプレイするのが好きなんだそうだ。なんでも『締りがよくなるから』らしいのだが、全くもって噂どおりの変人、変態である」(「噂の真相」、ジャーナリストの二階堂豹介氏の公開日記、2003.10.3)とある。
「都内の有名SMクラブ『M』に、郵政大臣時代の小泉が足繁く通っていたとの情報がある。首相に就任した後も総理公邸にSM嬢が“出張”していたともいわれる。(中略)
本誌はこのSM嬢を特定、その女性と親しい人物と接触することに成功したのだ。このSM嬢と親しい人物が語る。『彼女から小泉のことを聞いたことがあります。彼女は女王サマではなく、小泉の方がSだと聞いた』。
そこで彼女にも連絡を取ってもらったが、『まだ仕事をしているし、しゃべることはできない』との返事。(後略)」(「噂の真相」2004.4別冊)。
「小泉純一郎さんは7、8年前から、高級SMクラブ目黒ラビリンスの常連として有名よ。なんでもハードSらしいわ」
92年5月号特集4「SMの女王様が語る有名人たちの赤裸々な性癖事情」
「SMの女王様が語る有名人たちの赤裸々な性癖事情」
●匿名座談会・女王様サトミ(ビジネス派)宮城県出身の19歳。元ホステス。
仕事では女王様とM女の両方をこなす。
ここの場所は目黒であるが、歩いて30分以内なら自宅出張するシステムがある。
この目黒ラビリンスと五反田の小泉首相の仮公邸は、歩いて30分以内の距離にある。
その他に、SMホテルとして目黒ラビリンスが使うホテルである。
お部屋の紹介を見ると「奴隷市場」や『サド侯爵』とある。
そしてオールナイトという出張システムがあり、15万円するという。
うわさの真相最終号に小泉氏は首相公邸にSM嬢を出張させているという
話がのっていた。
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/224.html
目黒ラピルス出張SM嬢との品川仮公邸での爛れた日々ーあの夜もそうだったー
目黒ラビリンス・目黒倶楽部
http://www.labyrinth.cc/
http://www.smclub.jp/
3人の日本人若者人質事件の夜、小泉レイプ魔は品川区にある仮公邸で高級SMクラブ目黒ラビリンスの出張SM嬢と朝までプレイ
婦女暴行魔・小泉の記事がある。
「小泉純一郎さんは7、8年前から、高級SMクラブ目黒ラビリンスの常連として有名よ。なんでもハードSらしいわ」
92年5月号特集4「SMの女王様が語る有名人たちの赤裸々な性癖事情」 (スコア: 46)
著者: 不明 日付: Mon, 13 Sep 1999 15:15:38920504「SMの女王様が語る有名人たちの赤裸々な性癖事情」●匿名座談会・女王様サトミ(ビジネス派)宮城県出身の19歳。元ホステス。仕事では女王様とM女の両方をこなす。
ここの場所は目黒であるが、歩いて30分以内なら自宅出張するシステムがある。
この目黒ラビリンスと五反田の小泉首相の仮公邸は、歩いて30分以内の距離にある。
その他に、SMホテルとして目黒ラビリンスが使うホテルである。
http://www.hotelalphain.com/
お部屋の紹介を見ると「奴隷市場」や『サド侯爵』とある。
そしてオールナイトという出張システムがあり、15万円するという。噂の真相最終号 に小泉は、首相公邸にSM嬢を出張させているという話がのっていた。
(小泉首相が、日本人人質問題で緊急の一報が入ったとき、通常、首相公邸にいくべきところを、予定通り、品川区にある仮公邸に直行。翌朝までそこから出てこなかった。→
一体何をやっていたのか?>(似たような事例では、森前首相は、趣味のゴルフのプレイを続行していた。)
「アサヒ芸能4・22」P.32〜33の「小泉「仮公邸引きこもり」で決断丸投げ:「事件一報にもワイン宴会を続行した」」より:
「3人の人質に関する情報がアルジャジーラから外務省に入ったのが18日の午後6時20分でした。午後7時に川口順子外相が外務省に駆けつけたほか、午後8時20分には福田官房長官が官邸入り。さらに石破防衛庁長官、外交、防衛、警備担当の主要官僚が勢ぞろいして、慌ただしい対応に追われていた。しかし、そこに、小泉首相の姿はありませんでした」
小泉首相の耳に外務省からの第一報がもたらされたのは午後6時45分。そのとき、小泉首相は東京・紀尾井町にある高級ホテルへ向かう車中にあった。
「マスコミ関係者4人との酒席が予定されていたんです。小泉首相は、ビールやワインのグラスをぐいぐいと空け、ステーキを平らげていた。赤ら顔で上機嫌そうに熱弁を振るっていたといいます。会食の途中で、外務省幹部が同席した自民党幹部に『男性2人、女性1人が拘束され、まもなく、ビデオの模様も放送される』と、緊迫した状況を伝えていたが、小泉首相が(中略)促され退席したのは、さらに1時間後。
第一報から約2時間もたった午後8時41分でした」しかも、あろうことかホテルを出た小泉首相はそのまま、品川区にある仮公邸に直行。翌朝までそこから出てこなかったのだ。翌朝までそこで何をしていたかは、想像に難くない。
予約してあったSMの館:目黒ラピルスの出張サービスを受ける為に、3人の日本人の若者の人質の救出のために鳩首の対策会議が開かれていたのを中座して、品川の仮公邸に引きこもって、そこで翌朝の朝までその予約してあったSMの館「目黒ラピルスの出張嬢」と共に閉じこもっていたというのだから、そこでこの最低の人間の屑が中で何をしていたのかは、全国民のご想像の通りである。
このような最下層の劣等な婦女暴行魔の男を、支援して来た、売国奴マスコミが「日本の癌」であろう。
http://www.asyura2.com/0505/senkyo10/msg/143.html
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/177.html#c31
33. 中川隆[-10901] koaQ7Jey 2018年4月21日 14:14:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11734]
毛沢東はセッ○ス狂
毛沢東の私生活 李志綏 著
「もし私が殺されてもこの本は生きつづける」の言語を残し、著者は本書が発売された3カ月後、シカゴの自宅浴室で遺体となって発見された。また北京政府は「事実無根の書」として、事実上発禁扱いにした。
http://www.amazon.co.jp/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1%E3%81%AE%E7%A7%81%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%8E-%E5%BF%97%E7%B6%8F/dp/416730970X
『毛沢東の私生活』は、毛沢東付きの専任医師であった李志綏が、1980年代にアメリカ移住後に書いた回想録。1994年に世界各国で同時出版された。この本は中国大陸本土では出版が認められていない。
李医師はこの著作で、毛沢東の権力絶頂期から死に至るまでの二十数年に渡る私生活を日常的に目撃観察している。毛の堕落した私生活(とりわけ性生活)、文化大革命期を中心とした中国共産党内部の権力闘争、プロパガンダのすさまじい運用(大躍進政策など)、1972年のニクソン大統領訪中前後の毛の興奮などが詳細に述べられている。
また李は、文化大革命が自身の家族に及ぼした影響、医師として診た毛自身の独特な生活態度(風呂には一切入らないなど)も具体的に述べている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1%E3%81%AE%E7%A7%81%E7%94%9F%E6%B4%BB
イギリスのBBC放送が毛沢東生誕百年を期して作成した「中国叢談」は、一九五四年から毛沢東が死去するまで二二年間にわたって侍医を務めた李志綏の証言をもとに「裸の毛沢東、最晩年の孤高と絶倫」を完膚なきまでにえぐっている(浜本訳、『THIS IS 読売』九四年四月号)。
「無法無天」の形容句に恥じないセックスライフについて巷間のウワサは絶えなかったが、今回は侍医の証言だから信憑性がきわめて高い。固有名詞として登場するのは、謝静宜(文革期に北京市委員会副書記)、張玉鳳(生活秘書)、孟錦雲(生活秘書)の三人だが、性関係をもった「教養の低い」女性は「非常に大勢」であった。
「普通の人間ならあれほどの年齢になれば性欲もなくなるのだが、毛の場合は性欲を自分の生命力を測る尺度にしていた。性欲がなくなれば生命力がなくなったも同じ」
と考えてセックスに励んだというから、好色爺そのものだ。
李志綏は「毛が本当に悲しみ、涙を流す姿」を見たことがないという。
陳毅元帥の葬儀で涙を流したという有名な話を李志綏は否定する。
「あの時私は毛のそばにいたからわかるが、泣いてなどいなかった」。
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc/sk940403.htm
上巻p156
歳月を経るにしたがい、こうしたダンスパーティー、そしてパーティーに参加した女性の役割は私にしてからが思わず目をおおいたくなるほど露骨なものになっていった。
1961年に毛沢東の専用の特製ベッドのひとつがダンス開場に隣接する一室に移され、主席がダンスの途中で「ひと休み」できるように配慮されたのであった。私はいくども、主席が若い女の手をとり、その部屋につれこんで後ろ手にドアをしめる光景を目撃している。
上巻p167
張は、主席の歯なみに固着した歯苔の分厚い膜や、歯の隙間にたまった食べかすを取り除くことで口中の掃除をした。
「主席、毎日ブラシで歯をおみがきになる必要があります。苔がたまりすぎです。」
「いやだ」毛は、反発した。
「私はお茶で口の中をすすぐ。みがいたことなんかないぞ。虎はけして牙をみがかない。それなのに虎の牙は、なぜするどいのか」
毛沢東の理屈は、しばしばこんな調子で飛躍する。こちらは返すべき言葉もなかった。
奥さんの江青は、ヒステリーで、お付きの人を虐め抜くし・・
上巻 p429
私は、まだ毛沢東の過剰な性欲に気がついていなかったし、毛沢東が自分を捨てるのではないか、と心配する江青に対し、そんなことはないと 安心させたという主席の話を思い出しただけであった。また、その時点で、かかる問題についていえば、江青の方が私よりもずっとはっきり「現実を見抜いている」ことを 私はまだ気づいていなかった。
毛沢東の性欲は けたはずれであり、セックスと愛情は、彼にとって別ものだった。
上巻 p481
上海会議のあいだ、毛沢東は、専用列車のなかですごした。豪華なハードーン旧邸は居心地が悪かったのと、列車付きの若い看護婦とまだ関係が続いていたからだった。
相変わらず大胆に夜ごと看護婦を「錦江倶楽部」に同行した。
公安当局者は、地元のもっと有名な女優や女歌手との接見を手配したが、毛沢東は、当局の選択に少しも関心を示さなかった。女たちは、年をとりすぎているうえ口が達者で世間ずれしすぎていた。
もっと年若く、世間知らずの娘が毛沢東好みであった。そのほうが 御しやすかったのである。
http://blogs.yahoo.co.jp/naomi_shararan1998/25584225.html
毛沢東のエッチ [スペインのハエ (R-18)]
緊張に包まれた毛沢東主席の宮廷!で無学!無教養なのにいつもちょろちょろしていた人がいたそうです。
その葉子龍と名乗る男は主席の執事が表の顔!
裏の仕事は女性調達係でもあったそうな。
農村地方のあちこちから若い少女が無邪気に寝室にやってきたそうです。
主席は並外れた性欲の持ち主。ま!王様になったら食欲や性欲や殺人欲が解き放たれますわな。
しかし!絶倫の割りにはそんなに立派なモノを持っている訳ではなかったようです!?
長年!主治医だったリ(李)医師は「毛沢東の私生活」(新庄哲夫訳)に書いています!
性器の包皮が異常にかたくてめくれず入浴はしないから感染症の心配があり左側の睾丸は通常より小さく右側の睾丸にいたっては腹腔内のまま!いんのうまで下降していなかった云々。
おそまつ!の部類だったようです!
この世で主席の恐れるものはただひとつ!
インポテンツだったそうです。
それだけにはなりたくない!
なぜなら!そうなると仙人になれない!?
結局!
中国古代の帝王「黄帝」の「多接」「少泄」「易女」「御少女」で100歳まで生きて仙人になった伝説!に行き着くのでしょうか!?
権力者の夢は誰も!復活と!永遠の命!
「御少女」とは14歳から19歳までの娘らしい!?
だから!主席には多くの少女が必要だった?!
葉子龍は彼女たちに謝礼として数百人民元からせいぜい2千人民元を渡していたといいます。今でもわずかな額ですが多分!昔は日本円でいえば100円にも相当しなかったのでは?!
永遠の命を買おうとする大金持ちにしちゃあケチですね!
彼女たちは主席への忠誠心からお金には関係なく喜んでいたのかも!?
歴史は寂しい、、、ですねぇ。
http://audrey-hotaru.blog.so-net.ne.jp/2007-10-09
『毛沢東の私生活』というこの本は、毛沢東の傍に長年付き添った主治医の回想録である。革命後の中国で何万人と餓死する人間がでようと、豪奢な暮らしを続けた党幹部たち。その実体がいかほどであったかが暴露されている本だ。
これを読むと、一体「人民のための革命」とは何だったのか? と思う。
あの文化大革命で、あらゆるものが“ブルジョア的”“反革命”と標的に合い、攻撃され破壊されたというのに、なんと! 毛沢東の屋敷の中ではアメリカ映画の上映会が開かれ、「ダンス・パーィー」が毎週のように開かれていたとある。
『将軍様の踊り子』という北朝鮮には金正日に仕える美女軍団がいるということだが、まさにそれと同じ、中国全土各地から選ばれた美女達がその「ダンス・パーティー」で毛沢東の相手をするために集められるのだ。ダンスのみではない、気に入った女性を毛沢東は別室に連れ込んだとある。
それが毛沢東の日常だったのだ。なんということだろう! 由々しきことだ。信じられないことだが、しかしこれは四六時中毛沢東に付き添い仕えた主治医の手記なのだ。
党幹部達はみな見て見ぬふりをしていたとある。
「オウム真理教」でも教祖が気に入った女性信者をイニシエーションと称してセックスを行っていた。自分の欲望を教義に組み込み、教祖とセックスを行えば一段と高いところへと昇華できると信じ込ませていた。熱狂的信者であれば、それも厭わない。 こと性に関しては毛沢東とて同じだった。
「ダンス・パーティー」に集められた若い女性たちは、国家主席のために身を捧げることを厭わなかったのだ。彼女たちだってそれを承知で集められていたのであり、その「ダンス・パーティー」の目的を知っていたのだ。
『英雄色を好む』とは、昔から言われてきた言葉です。しかし、古代の皇帝や江戸時代の大奥の話しでもなく、まがりなりにも「共産主義」の“人民の国”中国で、餓死で国民が死んでいる最中です。「右派反対闘争」と言って、資本主義の悪を駆逐する共産化運動が進められ、容赦なく粛清が行われていた時です。山水画までブルジョア的と標的に合い、大量に焼かれた時代です。最も高潔、人民の模範、清廉潔白、聖人君子であらねばならぬはずの指導者毛沢東の私生活がこれなのですね。
勿論この高潔・清廉潔白というのは「公人」としてであって、相方合意の上の男女がどれだけ性的な関係を持とうと、とやかく言うことではないと思うのです。政治家であろうとプライベートでの生活、趣味の領域に立ち入るべきではなく、愛人がいようと、何人の女性と性行為を持とうと、強姦のような犯罪行為でないかぎり、それはかまわないことです。毛沢東とてとやかく言われることではないでしょう。
しかし、公邸内で公金で行われているとしたら、それは問題です。しかも何万という人が餓死している中で、宴会が開かれ、楽隊が呼ばれ、雑伎団の余興があり、隣りに特製のベッドルームがしつらえてあるということは問題だと思うのです。
「人民のため」「国民のため」と、腐敗や堕落を許さない「共産革命」を起こしたところで結局コレなんですね。国民は給料もなく「現物支給」という制度で、公平に大食堂で食事が取れるということになっていても、その支給される現物も限られ、食べるものがない。しかし高級幹部は豪邸に住み、別荘を持ち、豪華な暮らしをして色情に溺れる。
毛沢東は視察を好み、中国各地に出向くことが多かったようですが、「大躍進」という毛沢東が打ち出した生産増大スローガンはまったく機能していなかったのが実体で、農作物の不作を訴える地方の幹部に、『何故一毛作で、二毛作をしないのか』と叱咤したという。温暖な日本でも米の二毛作などできる所は限られている。しかし生産が上がっていない地域は“やり方”が悪いということになって、それは幹部の責任となる。生産性が低いということは、「反革命」とされたのだ。
そのため正しい情報は上げられなくなり、獲れてもいないのに“大躍進”しているという偽の報告書が出され、そのために農民は益々苦しい生活に追い込まれていくのだ。日本が戦争に負けているのに、決して劣勢であるとは言わず「大進撃」と嘘の発表をしていた大本営と同じだった。
「大躍進」政策の最中には、「裏庭煉高炉」といい、名ばかりの“鉄高炉”が各地区に作られたが、それは農民達の鍋釜を溶かして再び再生するという、「鉄高炉」とはとても言えない代物だった。「鉄」の生産どころか、単に作り直しをしていただけで、そのため人民は鍋釜が家庭からなくなり、白湯も飲めなかったとある。貴重な石炭や燃料がこのために浪費されただけであった。
毛沢東が地方巡業すれば、1万5千人もの護衛が召集され、行く先々の鉄道の沿線、駅、すべてに配置され、何万という人が餓死している最中でも、その歓迎のセレモニーが毛沢東のために催されるのだ。 貧しい村に訪れたとき、空調もない部屋に毛沢東夫人である江青が怒って、最新の空調設備がすぐ取り寄せられ備えられたとか、シャワー設備を整えたという話しがあります。
毛沢東が泳ぎたいと急に言い出したから5キロに渡って川周辺が警備されたとか、その大旅団のために鶏2000羽が食料として集められたとか、何度もくどいように書きますが、あくまでも人民が餓死している中で、こうした視察が繰り返されていったということです。
これをどう考えたらいいのでしょう。モラルというものは、上に立つモノだからこそ律しなければシメシがつきません。範を示すというのが上に立つモノの勤めです。しかし毛沢東はじめ党幹部はその特権にあぐらをかき、人民だけに過酷な労働と規律を求めていました。 毛沢東は生産向上のため「大躍進」という政策を打ち出しますが、【『毛沢東秘録』】にも書かれていたように、その政策を批判した劉少奇は毛沢東に恨まれ粛清されていきます。毛沢東の政策に異を唱えるものは、共産革命の同士でさえ「反革命」だったのです。
さすが餓死するものが何万人と増え続けると、毛沢東は「肉」を口にしなくなったと言いますし、身内が特権的な扱いを受けることを嫌ったとありますが、こと自分となるとそれも違ったのでしょうか。それを一番の回春剤と考えてか、若い「人肉」、女性の肉体だけは求め続けたようなのです。
今問題になっている、税務調査会長の官舎に愛人を住まわせるなどいう公私混同はカワイイ事なのかもしれません。毛沢東は公邸の中に売春宿を作っていたようなものです。
結局、こうした「権力者」のあまりにも国民から乖離した意識構造、「金」と「女」と「地位(権力)」への欲望は、共産主義社会であれ資本主義社会であれ、同じなのですね。
この本では、毛沢東の乱れた女性関係、ワンマンで言うことを聞かない独裁者としての身勝手な行状ばかりが描かれている。後世まさかこれほど悪し様に自分の私生活が暴露されるとは思いもよらなかったであろう。どの『英雄伝』であろうと“私生活”が暴かれたら形無しだ。
もともとフルッショフがスターリン批判をしたことに端を発し、右派(修正主義者)撲滅運動が中国で始まる。それが文化大革命にまでつながっていくのだが、党の機能がしなくなるほど、党内でも粛清の嵐が吹きまくる。その後毛沢東が取った路線はアメリカや日本との国交回復、資本主義社会との提携だった。フルッショフを毛嫌いしソ連と国交断絶した毛沢東は、支援の相手国に日本やアメリカを選んだのだ。
中国はまだ「共産党」と名称は変わっていないが、実体は資本主義経済と同じ、今や世界の物資不足を引き起こすほどの大躍進を遂げている。そうなると、一体「共産主義革命」は何だったのだろうと思う。ブルジョア的・修正主義と批判され、何万といった人々が吊し上げにあい、拷問され、「反革命」と落胤を押され死んでいった。
http://saturniens.air-nifty.com/sennen/2006/12/post_2143.html
毛沢東はセッ○ス狂
毛沢東は自室で思いのままにメモを取っていたようだ。その時々の気分であったり、政治的な事柄であったりもした。それらはゴミ箱の中から側近が拾い集め、密かに保管していたらしい(李鋭談)。また自分自身の個人的な記録も取っており、その内容は性的なものまでも含んでいた(中南海医師、李之随談)。李は「毛沢東をセックス狂だ」とみなしていたという。(『ニューエンペラー上』第六章 注釈17)
幹部の一人康生は、毛沢東の春画集めに多大な貢献をした。康生は江青を毛沢東に引き合わせた人物であり、その後も毛沢東の踊り子達を調達し続けた人物でもある。江青が10代の頃、康生の邸宅で下女として働いていたという噂がある。
「彼のベッドは若い女でいっぱいだった」
(ルイ・アレイ、ソールズベリインタビュー:1987年10月21日北京)
康生は毛沢東の性癖を満たすのに大いに活躍したが、彼自身も旺盛で次のようなエピソードがある。
紅衛兵によって通りに放り投げられた古い手稿や絵画の山を漁り、焼き捨てられてしまう前に、なかから貴重な春画を見つけだしては自分の懐に入れた。
http://a340.oops.jp/mao/mao03.html
ユン・チャン、ジョン・ハリデイ著、土屋京子訳『マオ(上・下巻)』(講談社、2005年)は、合計1119頁もにわたり、新たな資料と綿密なインタビューによる証言に基づいて毛沢東の生涯を検証した意欲溢れる大著である。「人間」としての毛沢東を描写すること自体、現代中国において重大な禁忌であるので、極めて勇気のある行為である。日本で言えば、「天皇制」を論ずる程に困難、重大、それに果敢な行為である。『マオ』の大胆な仮説の面白さと骨太な筆致に思わず引き込まれて一気に読了した。また、実際読んでみて新しく学んだ事実や「人間」としての毛沢東の生々しい描写から大いに触発を受けた。
小生は毛沢東研究の専門家ではなく、このような膨大な大著から専門家のように広大かつ深淵な読み込みはできない。しかし、素人なりにこれまでに読んできた数冊の著作を頼りに学んで得る事のできた『マオ』の読後感を述べたい。
なお、『マオ』からの引用については、以下(上巻、323頁)のように記す。
まず、「人間」毛沢東を冷静に見る上で役立った著作に高島俊男著『中国の大盗賊・完全版』(講談社、2004年)がある。第1章の陳勝(ちん しょう)・劉邦(りゅう ほう)にはじまり、朱元璋(しゅ げんしょう)、李自成(り じせい)、洪秀全(こう しゅうぜん)、そして、第5章の毛沢東からなる。盗賊の側からの歴史として中国史上、有名な人物を面白く紹介している。1989年に『中国の大盗賊』が出版されたが、紙面数の制限と当時、「社会主義中国」を信じる人が多かったという背景から「毛沢東」の部分を廃棄して出版した。その後、読者から「毛沢東」の部分も読みたいとの要望が多くあり、完全版の出版となった経緯をたどった著作である。
「盗賊皇帝」としての視点に反発を感じる人もいるかもしれない。しかし、悠久なる中国史を視点を変えてみた時、中国の歴代皇帝としてのスケールの大きさを毛沢東にみてとることが可能である。20世紀の中国は、100年以内に2度も統一政権が革命によって交替したという中国史上初の経験を経た。そこで、前世紀における蒋介石と毛沢東を比較してみる。
前者は杜月笙(と げっしょう)、後者は康生(こう せい)(毛沢東の第四番目の夫人、江青(こう せい)とは別人)というマフィアのリーダー出でスパイをはじめ、裏の汚い仕事を請け負う人物を暗躍させていた点では、共通項がある。小生は蒋介石と毛沢東の大きな違いの一つにカリスマ性の大小があると考える。前者は「蒋・宋・孔・陳」のいわゆる「四大家族」による開発独裁の国の独裁者水準であったが、後者は個人崇拝を強固に推進し、周恩来が宰相役を演じ、輔弼(ほひつ)するような状況であり、さながら、歴代王朝の皇帝を彷彿させる。『マオ』には「蒋介石は最初から最後まで私情に従って政治や軍隊を動かした。そして、そのような弱点とはまったく無縁の毛沢東という男に負けて中国を失った。」(上巻、524頁)との指摘があるが、小生は共感する。
高島氏の平易で要領を得た著作からは『マオ』を理解する上で大いに役立った。例えば、井岡山に関しては、「井岡山の道」(2)の章にある古来の盗賊のしきたりからの解説で納得できた。後で、毛沢東と女性たちとの関わりのところでも触れるが、毛沢東は家族に対してさえも非情であった。例えば、高島氏は敗走した劉邦が、背後から敵の騎兵が迫ってきた際、車を軽くするために同乗していた子供たちを次々と車から突き落としたことが紹介されている。(3)毛沢東も我が子に対し、愛情が酷薄だったという『マオ』での指摘がある。非情さにおいても皇帝級の人物だったという印象を小生は得た。そして、中国史上で稀有な存在ではなく、これまでも類似した傑物が存在したとして落ち着いて『マオ』について、考えられるようになった。
毛沢東と女性たちとの関わりについて感想を述べる。鋭く厳しく批判的に描写されており、『マオ』を読んでいて最も印象的なテーマであった。特に、楊開慧(よう かいけい)に関する新発見には驚いた。小生は、毛沢東は生涯最も愛していたのは楊開慧であったとばかり思ってきた。そう思ってきた理由は次のとおりだ。エドガー・スノーらアメリカ人ジャーナリストが、革命に殉じた素晴らしい女性として印象的に語っていた。また、楊開慧との間に生まれた長男、毛岸英(もう がんえい)が朝鮮戦争で戦死した時の司令であった彭徳懐(ほう とくかい)をその時は許したものの、後に大躍進政策に反対したことを理由に罷免し、不遇な境地に追い込んだ。その理由の一つには、やはり長男に関する復讐であると小生は思っていた。
しかし、『マオ』には、「毛沢東は悲しい表情ひとつ見せず、不幸があったことを疑わせるような一瞬の陰りさえ見せなかった。それどころか、毛沢東は、まるで岸英が生きているかのように、彼について冗談を飛ばしたりしていた。」(下巻、90頁)とある。岸英のことを自分の後継者とばかりに期待していたと、小生は想像していたことがあったので、非常に驚いた。あえて周囲に対する芝居をしたのではなかったのかと、『マオ』の記述を疑いたくなる程驚いた。
さらに、「第七章 さらなる野望、妻の刑死」を読んだ時に得た衝撃は大きかった。楊開慧は毛沢東を愛していたものの、毛沢東の共産主義思想には懐疑的であった。そして、上巻の156〜159頁の楊開慧の文章からの引用にあるように、毛沢東に無視された挙句、見殺しにされていた。「救おうと思えば、容易に救えたはずだ」(上巻、159頁)の言葉に著者の怒りを感じた。女性を弄んだ挙句、捨て去るといったものだ。
そうした女性軽視の毛沢東の姿勢は、毛沢東の第三番目の夫人、賀子珍(が しちん)(ホー・ツーチェン)についての記述でも著者の怒りの姿勢は如実に出ている。賀子珍にとって毛沢東は人生最大の後悔ともいえる存在だった。下巻の213〜215頁にあるように毛沢東の気まぐれのために回復不可能な精神異常をきたすに至る悲惨な人生だった。
毛沢東の漁色と形容できる女性に対する執着については、彭徳懐の回想録に相当する 彭徳懐 著、田島淳 訳『彭徳懐自述』(サイマル出版会、1984 年)や『マオ』の中でも、彭徳懐が毛沢東を厳しく批判していることが詳しく紹介されている。京夫子(チン・フーズ)著、船山秀夫編訳『毛沢東 最後の女』(中央公論新社、1999年)で紹介されている張毓鳳(ちょう いくほう)という毛沢東の側近であり、看護師だった女性からみた毛沢東像も貴重である。そして、李志綏(り しすい)(リ・チスイ)著、アン・サーストン協力、新庄哲夫訳『毛沢東の私生活(上、下巻)』(文藝春秋、1994年)には、著者が毛沢東の侍医だったので、書名どおりに詳細に記されている。
例えば、毛沢東の第四番目の夫人、江青について、『マオ』では、「何よりも、江青は夫を恐れていた。」(上巻、452頁)、と指摘しつつも、どんなに汚いことも実行できる悪女として描写している。江青悪女観は今日の中国人の考えとしては一般的である。李志綏は江青の権力基盤は毛沢東の権威であり、毛沢東に捨てられることをひどくおびえていた、と鋭く指摘し、江青もまた、毛沢東の犠牲者として分析している。看護師と医者が出てきたところで、次に毛沢東の健康状況について触れる。
李志綏の前掲書は毛沢東の健康状態を詳細に紹介している。それについて、要約している著作がある。小長谷正明(こながや まさあき)著『ヒトラーの震え 毛沢東の摺(す)り足』(中央公論新社、1999年)である。「神経内科からみた20世紀」というサブタイトルにあるように、著者は神経内科の専門で、読みやすく毛沢東の病気について紹介している。
毛沢東は筋萎縮性側索硬化症(ALS)だった。この病気は「脳からの命令が伝わる通りみちである側索と、その命令を中継して伝達する前角神経が、ゆっくりと機能しなくなり、運動神経からの支配を喪失した筋肉がやせて萎縮してしまう。手足は麻痺することをはじめ、食事や言語障害を生じ、ついには呼吸障害まで引き起こし、死に至る病である。今日でも治療法は存在せず、毛沢東の医者たちは30年間の臨床経験でわずか2例しか診たことがなく、ちなみに日本では10万人に5人ぐらいの頻度の難病中の難病である。」(4)
『マオ』の中では、毛沢東の性欲をはじめ、異常なまでの猜疑心、被害妄想や心気症などの精神異常を指摘している。また、仕事を始めると、昼夜を問わないほど不規則で周囲の秘書や医師団らは大変であったことも指摘している。
また、林克(リン・クオ)・凌星光(リン・シンクワン)共著、凌星光訳『毛沢東の人間像』(サイマル出版会、1994年)でも夜行性で気ままな日常だった、と記されている。この著作は元毛沢東の秘書だった林氏と、中国社会科学院で日本経済などを研究し、福井県立大学など日本の教壇に立たれた凌氏との対話形式で、毛沢東の人間像を語っている。『マオ』と読み比べれば、抑制がきており、遠慮している部分もある。それでも、非常にバランスのとれた意見であり、偏りが目立つと批判のある『マオ』と読み比べると、『マオ』が根拠薄弱のものではないことがわかるともに、毛沢東の人格の多面性と非凡な魅力について別な角度から知りうる好著である。
『マオ』を読んでみて正直のところ、一番抵抗のあったのは、日中戦争期の記述である。例えば、「日本語版によせて」で「日本軍による侵略が毛沢東の政権奪取を助けたのは確かです。」(上巻、4頁)とある。ちなみに中国共産党軍が日本軍とあまり熱心に戦闘しなかったという記述は、ピョートル・ウラジミロフ著、高橋正訳『延安(えんあん)日記』(サイマル出版会、1975年)にある。著者はコミンテルンから派遣されたロシア人記者で、延安における凄惨な権力闘争に関する記述では、『マオ』との共通項が多い。
しかし、それでは日本軍は一体誰と戦っていたのか? 中国の国民政府の抗戦力については、石島紀之著『中国抗日戦争史』(青木書店、1975年)で実証研究がなされている。実際、蒋介石は共産党との戦争に備えて兵力を温存していた。付言すると、アメリカは当初、国民政府と共同で中国大陸から日本軍を撃退することを考えていた。しかし、国民政府が消極的態度であったため、アメリカが単独で太平洋の群島づたいに日本軍を撃退する方針に転換した。
一方の日本軍は「八路軍(はちろぐん)(バロー:日本軍の蔑称)狩り」と称して残虐な掃討作戦を展開するほど八路軍を恐れていた。そして、八路軍や中共が恐ろしかったと語る旧日本軍人は少なくない。著者の記すように、国共軍が抗日戦争(中国語では、一般に日中戦争をこのように表現する)にあまり関与していないのならば、100万人もの日本軍はなぜ、南方の戦線に行けずに足止めのように中国大陸で戦闘を継続せざるをえなかったのか。例えば、アヘン戦争後の平英団のような民兵組織が日本軍に対し、強い抵抗をしていたのならば、少しは首肯できる。また、皖南(かんなん)事変(ワンナン事変)に関する記述(上巻、394頁)で共産党が国民党に比べて宣伝がたくみであったと指摘している。しかし、正直の所、今でも信じられないという感想を有する。
また、第26章の「革命的阿片(アヘン)戦争」(上巻、458頁)で共産党が農民に阿片を栽培させていたという記述にも驚かされた。日本軍が中国で阿片の製造・販売していた事実は江口圭一著『日中アヘン戦争』(岩波書店、1988年)で知っていたが、それに共産党が本当にかかわっていたとしたら、中国でのアヘン事情に関する研究に大きな波紋を投げかけることになる。
日中戦争期に関し、最近出版された著書に、劉震雲(りゅう しんうん)(リュウ・チェンユン)著、竹内実監修、劉燕子(りゅう えんし)訳『温故一九四二』(中国書店、2006年)がある。この著書は日本軍が中国の農民から略奪した食料を河南省で日照りとイナゴの大群で被災した農民に対し、食料を分け与えたという史実を小説にしたものだ。当時の国民政府は被災者を救援するどころか、農民から厳しく食料を取り立てていた。そんな折の救援に恩義を感じた農民は国民政府に歯向かった。著者は飢餓と戦争で苦しんだ当時の農民と成長に取り残された現代中国の農民と姿が重なるという。
『マオ』もそうだが、異なった視点で歴史をとらえることは重要である。しかし、一方で日本が行った侵略戦争の免罪符のように扱われることがあってはならない。現在の日本では、「自由主義史観」と称し、歴史の歪曲を謀る集団がいる。例えば、Iris Chang “Rape of Nanking” PENGUING BOOKS, 1997.のように日本人に対する差別や偏見があるなど不適切さが目立つとはいえ、この著書をもとに南京大虐殺を中国人のでっち上げとして悪用されたことがある。ちなみに、アイリス・チャン氏への批判については、J・A・フォーゲル氏の論文(5)が詳細で理解しやすい。同様な事が今後も発生する虞(おそれ)があり、警戒して注視しなければならない。
朝鮮戦争に関する『マオ』の記述には、「スターリンと毛沢東という共産主義独裁者の世界的野望に金日成(キムイルソン)の地域的野望が加わって、一九五〇年一〇月十九日、中国は朝鮮戦争の地獄に放り込まれたのであった。」(下巻、65頁)とある。
正直のところ、それは言い過ぎではないかと考えた。例えば、朱建栄(しゅ けんえい)著『毛沢東の朝鮮戦争』(岩波書店、1991年)がある。この著書はサブタイトルの「中国が鴨緑江(おうりょっこう)をわたるまで」にあるように、中国国内外の多様な資料をもとに、多角的視点から毛沢東の朝鮮戦争参戦する経緯を実証研究している。端的に述べると、当時の中国は国共内戦で疲弊しており、建国間もない時期においては、戦後復興をはかりつつ、権力基盤を安定させ、内政を充実させる必要があった。また、対外参戦に伴う重大な負担をかけることは、中国の経済発展を遅らせ、深刻な経済問題を引き起こす虞があった。故に、毛沢東は参戦したくなかった。しかし、国家建設にあたり、ソ連の協力は重要だった。また、国民政府時代にソ連に事実上与えてしまった中国・東北部の権益を取り戻すためにも参戦は必要だった。さらには、米軍主体の国連軍が中国国境にまで迫ってきており、中国領内にまで戦線が拡大する虞があった。そうした諸事情があったこそ、「援朝抗美戦争」(中国語で朝鮮戦争のこと)になったのであり、毛沢東個人の野望に参戦理由の重点を置いた『マオ』での扱いに対し、小生は賛成できない。なぜならば、参戦した主な理由を中国は東西冷戦に巻き込まれたために、朝鮮戦争に参戦せざるを得なかったと見るからである。
中国経済史に関心のある小生にとり、「第31章 共産中国ただひとりの百万長者」の中にある土地改革をめぐる記述(上巻、547頁)にも驚いた。これまでは、結果として、土地改革に関しては、国民党は不徹底なために失敗し、共産党は徹底したので成功したという真剣な議論を聞いてきた。例えば、長岡新吉・西川博史編著『日本経済と東アジア −戦時と戦後の経済史ー』(ミネルヴァ書房、1995年)はそれぞれの土地改革に関し、要領を得た説明がなされている。それが共産党の土地改革が宣伝から来る美名であり、実際は農民から土地を収奪するのみの行いであり、しかも、凄惨なリンチ殺人込みの地獄絵図であったのには心底驚かされた。ところで、丁抒(てい じょ)(ディン・シュー)著、森幹夫訳『人禍』(学陽書房、1991年)には、山西省において興味深い次のような事実が紹介されている。
「初級合作社が成立したとき、農民たちはあれこれためらったが、結局、協同化にもある程度の利点があるはずだと信じた。ましてや土地や農具はまだ自分の名義のままで、そこからも配当を受けられるし、そのうえ共産党はいつでも自由に退社する権利を保証していたので、最終的には加入を申し出たのである。ところが、わずか一、二年後に、地区によっては数ヶ月も経たないうちに、上級から高級合作社を組織せよ、と指示された。そこで農民たちは、遅ればせながら、為政者の約束はあてにならないことに気づいたのである。
彼らには高級合作社に参加しない権利が認められなかったばかりか、初級合作社を脱退する自由さえも失ったのである。衆人環視の中で脅したり、大会で名指ししたり、三日三晩眠らせなかったりしたのでは、どんなに意志の強固な男でもがんばり通せなくなった。こうして農民たちは屈服し、自分の土地や農具・役畜に対する所有権を放棄して、毛沢東の社会主義を受け入れたのである。」(6)
『人禍』は1958〜1962年の大躍進政策にともなう2000万人もの餓死者を出した悲劇を記した著書である。『マオ』の下巻、「第40章 大躍進ー国民の半数が死のうとも」とも合致している凄惨な記録である。一方、『人禍』の中にある加々美光行氏の解説「人禍の悲劇と現代史の画期としての中国革命の評価」と『マオ』を比較すると興味深い意見の違いがある。
例えば、前者は1970年代に対米接近を晩年の毛沢東が図ったことについて、「毛という人物が、他のいかなる指導者にもまして、国際世界への視野をもちつづけていたことを知ることも、現代中国の理解のためには不可欠である。」(7)と毛沢東を擁護する内容が顕著である。しかし、『マオ』では、「毛沢東主義の宣伝は、インドシナでも世界でも行き詰まった。が、機略縦横の毛沢東は、脚光を浴びるための新しい計画を思いついた。アメリカ合衆国大統領の訪中である。」(下巻、421頁)と冷ややかな評価である。事実を認めつつも、毛沢東を否定しきれないのは、加々美氏のみではなく、中国をはじめとする世界中の多くの人々に言える。小生も同様である。
『マオ』と並んで注目すべき著書に北海閑人(ほっかい かんじん)著、寥建龍(りょう けんりゅう)訳『中国がひた隠す毛沢東の真実』(草思社、2005年)がある。北京在住の中国共産党の古参幹部がその統治手法と毛沢東の実像を紹介している。淡々とした調子(リズム)で記されているが、率直な表現であり、説得力がある。今日の中国共産党の統治手法を批判するのみならず、毛沢東時代を生きてきた人々の声を後世に残そうとする姿勢は、『マオ』と同様である。『マオ』とともに一読の価値がある。
毛沢東の人間像を正視することは、重要である。なぜならば、毛沢東の権威を悪用し、中国人民をはじめ世界の人々を欺き、時として害をなす虞があるからである。例えば、『マオ』のエピローグには、「今日なお、毛沢東の肖像と遺体は首都北京の中心部にあって、天安門を威圧している。現共産党政権は自らを毛沢東の後継政権と位置づけ、全力で毛沢東神話の不朽化をめざしている。」(下巻、512頁)と、記されている。また、1970年代のカンボジアのポルポト政権や、今日では、ネパールやインドの農村部などで暗躍する「マオイスト」が存在する。彼らは目的遂行のためには、虐殺に至る暴力をも辞さず、それを正当化する論拠として毛沢東像を歪曲し、悪用している。それは毛沢東を冒?することにもつながる。さらに、日本のように負の歴史を直視することを避けることで同じ過去の過ちを繰り返す虞がある。中国においても過去の歴史を直視することは中国のみならず、世界平和のためにも必要である。特に将来、若い世代に正しい歴史を伝える義務がある。
蛇足ながら、小生の毛沢東像に関する浅薄な考察を述べる。実は、井波律子著『破壊の女神』(新書館、1996年)から着想を得た考察である。この著書はサブタイトルの「中国史の女たち」にあるように、中国史上、有名な女性の物語をわかりやすく、興味深く記している。特に、西太后に関して興味を抱いた。
毛沢東は部分的に西太后と重なる要素がある。
1) 経済に関する概念の欠如。前者の大躍進政策時の土法高炉(どほうこうろ)に象徴されるような大規模な浪費と後者の宮中での奢侈(しゃし)による浪費。具体的には、前者は人民から鍋、釜、鍬、鎌といった鉄製の日用品を供出させ、大量のグズ鉄を生産させた。後者は宮廷での衣食住はもちろんのこと、頤和園(いわえん)をはじめとする豪華な庭園の造成、豪華列車での旅などの贅沢である。こうしたことから推察しても、おおよそ当時の人民の生活のことは念頭になかった。
2) 非情な性格。毛沢東については『マオ』で詳細に記されているので割愛する。後者はライバルだった東太后を陥れるために自ら産み落とした嬰児を殺めたり、些細なミスでも死刑にしてしまう態度。しかも、死ぬ間際まで権力に固執した。
3) 本来なら限定される範囲での権力闘争に人民全体を巻き込んだこと。前者は延安、後者は宮中にとどめるべき範疇の争いを、戦争及びその賠償金支払いを引き起こし、その挙句、重税を課したことで、人民を巻き込んだ。もっとも、毛沢東は、ケ小平の言うところの晩年における三割の過ちにあたる大躍進政策や文化大革命があるので、西太后よりもはるかに人民を苦しめた。逆に権力闘争を人民にまで拡大させなかった例として、前漢の時代について述べる。高祖・劉邦の后だった呂氏の専横が宮中にとどまり、当時の人民にはほとんど影響せず、武帝の頃までに経済力を蓄えることができた。宮中での闘争はさながら、「コップの中の争い」のようなものであり、その間、安定した経済成長を遂げることができたので、漢王朝が長い繁栄を誇った要因となった。「安居楽業(あんきょらくぎょう)」の語のように、社会が平和で、暮らしは安定し、人々は生業にいそしめる状況は重要である。
4) 両者とも極力遠方への旅を避けたこと。権力に対する拘泥から来る用心深さに起因するからである。前者はソ連に行ったのみ、後者は義和団事件で列強に北京を追われ、西安に行ったのが一番の遠出だった。瑣末(さまつ)ながら、両者とも側近に英語を学ぼうとして結局、挫折している。前者は林克・凌星光の前掲書で、後者は徳齢(とく れい)著、実藤恵秀(さねとう けいしゅう)訳『西太后秘話 ― その恋と権勢の生涯』(東方書店、1983年)で紹介されている。
前者は世界に対する一定の関心を有していた。そのために、英語のできる国際秘書として林氏が任用された。英語を学習する熱意はあったものの、多忙な合間を縫っての学習だったので落ち着いた学習は不可能であった。実際、発音がうまくいかなかったり、毛沢東自身の希望で文法を重視したことから日本の英語学習者に多く見られる結果に終わった。後者はイギリスのビクトリア女王への関心と当時、幽閉されていた光緒帝が英語の読み書きををマスターしたというので、その賢明な皇帝への対抗心から英語を学習しようとした。しかし、2時間で頭が痛くなり挫折した。以上の証言を残した著者について、触れる。徳齢は外交官の父を持ち、フランスで教育を受けた後、妹の容齢とともに2年近く西太后に仕えた。宮廷の厳しい掟に従いつつも、西太后について様々な角度から分析し、批評している。それでも、暴露本ではなく、客観的かつ冷静な観察眼からなる筆致なので、当時の清朝宮中を知る上で、貴重な資料である。
ちなみに、徳齢著、井関唯史訳『西太后汽車に乗る』(東方書店、1997年)という興味深い著書もある。この著書は、奉天(現在の瀋陽(しんよう)市)への豪華な汽車の旅について紹介されている。それは宮廷を汽車に移したような豪勢な旅であった。今日で言えば、北朝鮮の金正日国防委員長の豪華列車での旅も、いかに豪勢であるのだろうかと想像してしまう。つまり、両者とも海外に関する関心はあったものの、海外に関する知識は実は豊かではなかった。例えば、前者は核兵器を「はりこの虎」と称し、後者は「異を以って、異を征する」とばかりに、義和団を支持し、列強に宣戦布告した点からも実証できる。逆を言えば、中国の事情や中国人の心情については、鋭い洞察力があった。前者は、文学や歴史書から知識を涵養していた。後者は、歴史書や「筆帖式(ひっちょうしき)」の参考書から知識を涵養(かんよう)した。筆帖式とは、「満州旗人(まんしゅうきじん)に限定された一般事務職で、公文書を作成したり満(まん)漢訳(かんやく)をする書記官である。科挙を合格した官僚から見れば、ノンキャリアに相当する。だが、北京の中央官庁で働くため、要路の人物に顔を覚えてもらいやすく、出世が早い。」(8)つまり、両者とも中国人の人情の機微をわきまえていた。
それでも歴史上の評価は、前者は建国の英雄、後者は亡国の女帝と両極端である。
『マオ』の著者の毛沢東像を一言で言えば、「婬逆暴戻(いんぎゃくぼうれい)」の皇帝と言ったところだろう。中国人民から今でも敬愛されている彭徳懐や劉少奇(りゅう しょうき)といった直言極諫(ちょくげんきょっかん)之(の)臣(しん)を「直躬証父(ちょっきゅうしょうふ)」、とばかりに排斥した独裁者としての一面はある。しかし、夏(か)の桀(けつ)や殷(いん)の紂(ちゅう)のような亡国の王ではなく、建国の英雄であったという事実を、幻想だったとは一概には言えない。例えば、悪逆非道さも顕著な秦(しん)の始皇帝が中国史において貢献したことに関し、始皇帝に変わって同様な事業をなしうる可能性のある人物が当時ありえなかったように、毛沢東以外に中華人民共和国を建国し、統治しうる可能性のあった人物を想像するのは難しい。なによりも国民党政府のままで当時の中国人民は幸福であったとは考えられない。
毛沢東の歴史上果たしてた役割の全てを否定するつもりは小生にはない。ドイツの劇作家、ブレヒトの「ガリレイの生涯」の中には「英雄を必要としている国が不幸なのだ」というガリレイのせりふがある。激動の20世紀においては中国も例外なく、英雄は不可欠であった。問題が多々あっても毛沢東に対する一定の敬意は持ちたい。
21世紀になり、中国においても英雄待望論に頼らなくても問題ないくらい、民主主義国として立派に独り立ちできるほどの大国となった。『マオ』の謝辞の中で筆者は「中国本土の方々については、ここでお名前を紹介できないことをほんとうに悲しく思います。こんな状況がいつか変わる日が来ることを望んでいます。」(下巻、514頁)と記している。小生の知る限り、中国人は本来、陽気で議論好きの性格であるという印象が強くある。
中国人が毛沢東時代を中国人同士にとどまらず、世界の人々と自由に議論できるようになるならば、世界史研究における大いなる発展に貢献することになると考える。それが中国におけるよりよい民主主義への歩みとなるからだ。日本人の一人として小生も、中国人が歴史認識に対して、真摯に直視しようとしている態度を見ならいたい。
『マオ』については、学会を揺るがしかねない程の刺激的内容が豊富であった。だが、全体的に大雑把な記述であり、実証の面で容易に首肯できない。今回の大著はインタビューにより、貴重な毛沢東時代の証言を残すためという性格上、やむを得ないし、また、よくまとめられた労作である。しかし、ユン・チャン氏には気になる発言がある。「批判するなら、その論拠を示さなければ、不公平。知らないものは口に合わないのでしょう。」(9)と。そのインタビューを見た時、正直の所、残念に思った。世界には、毛沢東について語りたくても語れない人や別の視点から毛沢東を知っている人はまだ大勢いるはずである。そうした方々との議論を閉ざすことになりはしないかと憂うからである。むしろ、世界に向けて様々な批評に対し、新著なりでより実証的に答えて欲しいと衷心(ちゅうしん)願っている。勿論、『マオ』を批判する以上、その論者は感情論ではなく、実証的に批判することをせねばならない。そうすることで、より毛沢東研究が促進されるからである。毛沢東は語りつくされたのではなく、これから議論されるべきテーマである。今後の研究を注目したい。
http://www3.ocn.ne.jp/~ishotaru/mao.htm
毛沢東の愛読書
大学生の頃、私は一時日本共産党の党員だったが、組織の指導的立場にいるAさんの家を訪れたとき、彼の書架にマルクス・レーニン全集と並んで山岡荘八の「徳川家康」があったのに驚いた。聞いてみると、それが彼の愛読書だということだった。
私が学生時代に感じたのと同様の違和感を、李志綏(リ・チスイ)もまた毛沢東の愛読書が歴代王朝の歴史を紀伝体でしるした「二十四史」だと知って感じている。驚くべきことに、毛沢東がもっとも賛嘆を惜しまなかったのは、悪名高い殷王朝の皇帝紂王(ちゅうおう)だったという。
<毛の歴史観は大多数の中国人とはなはだしく異なるものであった。彼の政治観には道徳など入りこむ余地はなかった。その毛沢東が中国の歴代皇帝におのれを擬すばかりか、最高の敬意を史上最悪の無慈悲残忍な暴君のためにとっておいたことを知って、私は非常な衝撃を受けた。目的を達するためならば、どんな冷酷かつ専制的な方法も辞さない気だった>「毛沢東の私生活」
毛沢東の最大のお気に入りのもう一人の皇帝は、秦の始皇帝だった。ほかには則天武后や随の煬帝、西欧ではナポレオンが毛沢東のお気に入りだったという。いずれも多くの民衆に無慈悲な死をもたらした絶対権力者たちである。李志綏は著書の中で、次のように書いている。
<中国古代の宮廷における権謀術数は、マルクス・レーニン主義よりもはるかに強い影響を彼の思想におよぼしたのではないかと私は信じて疑わない。たしかに毛沢東は革命家であった。中国を作り替えてふたたび富国強兵の国家にするのが目的だった。ところが、どうやって統治すべきかの教えを、つまり最高指導部にはびこる謀議をどう操作したらよいかというガイダンスを過去に求めたわけである>
こうした思想を持つ毛沢東だからこそ、「自分は3億の人民を失うことも辞さない」と演説することができたのだろう。じっさい、毛沢東が権力を握っていた時代、「反革命分子」として処刑されたのが、87万3000人余になることが中国共産党の公式記録路して残っている。
<後年の大躍進になってはじめて、つまり数百万の同胞が餓死しはじめたときになって、毛沢東が日ごろ賛嘆した無慈悲な皇帝たちにご当人がいかに酷似してきたかを、私はやっと思い知らされることになるのだ。主席は人民が数百万も餓死しつつあるのを知っていた。毛はそんなことを少しも意に介さなかったのである>
<文化大革命の絶頂期、天安門広場が熱狂的な大群衆であふれ、市街が混乱をきわめていたときでさえ、毛沢東は皇帝ばりの生活をむさぼりつづけ、大会堂のなかでも中南海の城壁の内側でも、女たちを相手に楽しんでいたのである>
このように主治医としていつも身近に仕えていた李志綏は書いている。なお、もう少し統計を補足しておこう。「大躍進」での餓死者は2215万人、「文化大革命」では13万5000人が処刑、172万人が異常な死を遂げたという。
異常な死を遂げた中には、国家主席であった劉少奇その人までが含まれている。明日の日記で、劉少奇が紅衛兵たちにどのようなひどい待遇を受け、なぶり者にされたか報告しよう。現場を目撃した李志綏の文章を読むと、その非道さが実感される。
毛沢東の主治医が書いた「毛沢東の私生活」という本のなかに、権力者たちの意外に幼く女々しい幼児的な振る舞いが描かれている。たとえば、毛沢東は特性の木のベッドで一日のほとんどを過ごし、不安でそこから離れることができず、不眠症のあまり極度の薬物依存に陥っていた。妻の目を盗んで若い女をベッドに呼び込み、ときには若い男性の護衛兵にまで自分の性欲の処理をまかせている。
そして文化大革命を遂行し、毛沢東に続くNo2として粛正恐怖政治を実行し、後には毛沢東暗殺未遂まで企てた林彪は、歯が痛いといってベッドですすり泣いて、妻に子供のようにあやされている。周恩来でさえ毛沢東の前ではいつくばり、毛が危篤だと聞いて失禁したりしている。李博士はこれらの様子を見て、国家の将来に暗澹たる不安を覚えたという。
http://www.owari.ne.jp/~fukuzawa/moutaku.htm
毛沢東は毎晩幼女とセックスやり放題だったらしいな
64 :名無的発言者:04/12/24 00:54:06
毛沢東は一生歯を磨かず、いつも性病だったと、侍医が書いている
7 :名無的発言者:04/12/21 16:56:56
主治医の李先生によると、毛主席は「トリコモナス」だったそうだ。
トリコモナスはピンポン感染をする性病だから、 少女たちもみんなトリコモナスだ。
31 :名無的発言者:04/12/22 05:53:01
愛液でち○ぽを洗っていた毛沢東
35 :幼女大好き♪ ◆YOUJOeb8h6 :04/12/22 15:41:34
>>31
幼女のでか?!
36 :名無的発言者:04/12/22 15:55:40
風呂に入らないことを主治医に注意されたら、
俺は女のマソコの中でチンコを洗ってる
って嘯いたんでしょ?
67 :名無的発言者:04/12/24 13:01:36
一生歯を磨かないっていうのが信じられん
68 :名無的発言者:04/12/24 16:10:53
風呂に入らんわ、歯は磨かんわ。
年端も行かない少女が、こんな奴の夜伽をさせられるとは、喜び組より悲惨だな。
69 :名無的発言者:04/12/25 02:02:54
即尺はチンコ洗わないですると感動するよねー
70 :名無的発言者:04/12/25 03:03:24
12,3歳くらいの女の子にナマ尺してもらったらイッパツでいきそう
95 :名無的発言者:05/01/03 21:51:20
毛沢東は、中国のことよりも幼女のことで頭がいっぱいでした。
ロリコンは、究極の生きがいだと豪語した鬼蓄。
110 :名無的発言者:05/01/04 21:32:41
毛沢東は、中国の政治よりも幼女の方が大好き。
「今日は、8才の乳をシャブリました。」
やっぱり毛沢東は、鬼蓄だ!
96 :名無的発言者:05/01/03 22:08:01
12,3歳くらいの胸のふくらみはじめた少女たちの陰部や乳首をしゃぶり上げたんだろうなあ
毛沢東
101 :名無的発言者:05/01/04 02:21:15
12,3歳くらいの生理が始まったばかりの少女たちにナマ中出しして妊娠なんかさせたのかな
そういう少女が1000人くらいいるんじゃないかな
少女が痛がっているのに太いマラを入れたり出したりしたのかな
115 :名無的発言者:05/01/05 13:30:53
いや、中出しはしていなかったそうだ。接して漏らさずだ。
若い女性から精気を吸い上げる目的で毎晩やっていた。
彼は中国の古典から仙人の養生法を学びそれを実践した。
いわゆる「毛沢東の実践論」だ。
16 :名無的発言者:04/12/22 00:13:00
中国人って処女とやると若さを保てると思ってるんでしょ!
東南アジアでも高い金払って処女買う人は中国人ばっかみたいあるね
28 名前: 転載氏 投稿日: 02/02/16 01:51 ID:DhwpEfGi
晩年、毛沢東は、夜な夜な10代の処女の少女と交わったという。中国では、処女の少女と交わることで、若さをすいとるという信仰がある。別に毛沢東がロリコンというわけでない、長生きしたいだけである。
なお、 東南アジアでは、ロリコン日本男性と華僑の男性が、少女売春のお得意様である。日本男性の場合は、ロリコンであり。華僑の場合は、回春であり、処女に大金をかけている。民族性がでていて、実におもしろい。
97 :あ:05/01/03 22:56:47
ロリコン教教祖毛沢東
信者13億
105 :名無的発言者:05/01/04 17:53:19
まとめると
一生歯を磨かず、風呂にも入らず、性病持ちで、その体で幼女と姦りまくりで、
自国民を数千万人虐殺したのが建国の父ですか。
支那人にはふさわしいですねw
98 :名無的発言者:05/01/03 23:09:24
ロリコン云々より、自分の好みの女で周りを固めるって、支配者のやることじゃないな
114 :名無的発言者:05/01/05 12:42:09
中国の国家主席は独裁者だから何をしても誰も咎めない。
毛は側近に付く女性に毎晩性処理をさせていたし。
73 :名無的発言者:04/12/25 13:49:25
毛沢東の私生活を本に書いた侍医はどうなったのかな。消されちゃったの?
毛沢東が地方に行くと必ずダンスパーティーがあり、会場に隣接したベッドルームに気に入ったパートナーとしけこむのが例だったそうです。
84 :名無的発言者:04/12/27 14:29:33
>>73
>毛沢東の私生活を本に書いた侍医はどうなったのかな。消されちゃったの?
発売日の前日に、厳重な警備の中、北アメリカの自宅で変死したんだろ。
全身に指先か棒で点穴したような痣があり、検死でも原因不明だったらしいね。
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男の性欲は「支配欲」
心理学者 エ−リッヒ・フロムの愛と性欲の説についてご紹介いたしましょう。
性欲は愛によってかきたてられることもあるが、孤独や不安や、征服したいとか征服されたいといった願望や、虚栄心や、傷つけたいという願望や、時には相手を破滅させたいという願望によっても、かきたてられる。
性欲はどんな激しい感情とも容易に結びつき、どんな激しい感情によってもかきたてられるようだ。愛はそうした激しい感情の一つにすぎない。
たいていの人は性欲と愛を結びつけて考えているので、二人の人が肉体的に求めあうときは愛し合っているのだと誤解している。もちろん、愛が性欲をかきたてることもある。ただしその場合の肉体関係には、貪欲さも、征服したいという願望も征服されたいという願望も欠けており、そのかわり優しさがある。
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性衝動とは怒りや破壊の衝動とも結びついているのです。
カップルは大喧嘩のあとベッドの中で仲直りします。
また、戦場においては銃撃戦のあと血まみれの兵士が、SEXの行為にいたることはよく知られているようです。
怒りは性的反応とも結びついているのです。
これについて脳の観点からサラッと書きます。
怒りと性的反応はともに、古皮質(動物脳)で起こります。
怒りの感情は、大脳辺縁系と視床下部に影響を及ぼし、刺激により視床下部支配下の自律神経系の交換神経が活発になります。
そして性欲は大脳辺縁系、視床下部の影響を受けています。
すなわち、怒りと性欲はともに同じ脳機能の影響下にあるのです。
また、男性性器の勃起は自律神経系の支配下にあり、怒りで自律神経系に影響が及ぶと勃起にも影響が及びます。
かつ、怒りは男性ホルモン、アンドロゲンの活発化を促すものとも思われます。
男性の性欲の凄まじさ、お分かり頂けましたでしょうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1034993530
■ T.暴力的映像や行為と性欲の関係
暴力的な映像や行為が直接性欲を刺激するという説は、一般的に広く普及している説だが、この説は極端に怪しい説だと言える。なぜならば、
暴力的行為を見る = スポーツを見て権力欲(勝った負けたなど)を発散させる
と同様の効果を与えるものである。だとすれば、スポーツ(サッカーや野球)を見て性欲が刺激されるだろうか。
それは、しないといっていい。
ただ、スポーツを見て、アドレナリンが出て興奮状態になれば、より積極的な行動を取らせる事もある。
しかし、それも個人的に出る反応が、多種多様(フーリガンの暴動が代表的な例)であることから、性欲に直接つながりを持つものとは思えない。ただ、パブロフ犬のように、暴力行為と性欲を刺激するものをセットにして見続ければ、その映像(暴力的行為)が刺激要因となって、性欲(パブロフ犬で言うよだれ)を刺激する。
つまり、性欲的なものと暴力行為を一緒に見せないことが、そのような反応を抑える事に繋がると思われる。
■ U.権力と性欲
性行為が女性を支配する男性の権力的欲求を満たしてくれると感じる(記憶が)ならば、それは性欲ではなく権力欲を刺激し権力欲から暴力に発展する事は考えられる。
逆に性行為が女性が男性を支配するもの(または、権力的事例と切り離せる)と考えているなら、その行為も男性にとっては権力獲得行動に余り意味を持たない。
これもパブロフ的関連付けの事例と言えるであろう。
(ただ、これは、性行為が権力欲を刺激するものであって、暴力的映像事例とは直接的関連性を持たない。)
■ V.関連付けの事例
眼鏡を盗んで掛ける事で、ものすごく興奮して幸せな気持ちになって眼鏡の窃盗を繰り返す犯罪者がいた。
その思いは、過去の記憶が刺激するからで、その理由は、昔友達に借りた眼鏡を借りてよく見えたことが非常に快感?であったらしい。
これもパブロフの関連付けと同様な反応で、過去の記憶がそれを刺激すると言うことである。
■ W.性欲と攻撃(Zillman,1971)
きわめて官能的な映画で何か暴力に関わるシーンが無いのに、それが怒りの状態にある被験者では、攻撃色を強めていたのである。
攻撃性は、性的な映画が興奮を喚起するものだとした。
この話が元で性的な映画が攻撃性を喚起すると言われるきっかけになったと思われる。
■ X.性欲は攻撃性を喚起しない(Baron,1974a,1974b,1977)
性的に興奮した被験者で攻撃性が低下することを見出している。
私もこの説側に立つもので、性欲は攻撃性を喚起しないと考えている。
http://www.geocities.jp/sinrigaku2204/E3-01.htm
フロムの「自由からの逃走」においては、マゾヒズムと同じように、サディズムについて、その心理的な意味が解説されております。
マゾヒズムが、自分自身の無力感の自覚・・・何も行動できない自分、何も判断できない自分・・・そんな無力感を味わうものでした。
逆に言うと、そんな無力であるがゆえに、何もしなくてもいい安寧を感じることができるわけ。自我を否定し、捨て去ることによる、自我の桎梏からの解放のようなもの・・・それがマゾヒズムの真髄のようです。
それに対し、フロムによると、サディズムの本質は、「支配欲」であるそう。
サディズムというと、「その手のプレイ」においては、縄で縛って、ムチでバシバシ「する側」の方の心理になるわけですが、相手に痛みを与える悦び・・・が、あるんでしょうね。
しかし、フロムは、相手に与える痛みは副次的なものである・・・むしろ、サディズムの本質は「相手を支配しようとする欲求である。」と書いております。
相手を支配するために、一番効率的なものは、痛みを持って支配すること。
「痛み」と「支配」が直結しているなんて、誰でもわかること。かと言って、本質なのは「支配欲」の方であって、「与える痛み」は、その手段に過ぎないわけ。支配する手段は痛みばかりとは限らない。
それこそ、世の中には「アメとムチ」なる言葉もありますよね?
相手を意のままに操縦するためには、ムチを使って操縦する方法もあるけど、アメを使う方法もある。アメを使った操縦となると、このメールマガジンで頻繁に言及しておりますボランティアの連中が、その典型と言えるでしょう。
フロムによるサディズムの考えを取り入れると、ボランティアはサディストの集団ということになります。このように書くと極端な考えと思われる方も多いでしょうが、ボランティアの人たちの行動なりサポートは、決して「相手の自立」・・・別の言い方をすると「相手の尊厳」に向けたものではないでしょ?
自分たちが支配しやすい「弱い立場」や「弱い判断力」の人間に寄って行って、アメによって手なずける・・・
そうして、援助している先の人間が、自分で考え、精神的に自立しようとすると、
「アナタたちは悪くないわ!」
「みんな○○が悪いのよ!」
と弁護してやる。だから自立できない状態が温存されることになる。あるいは、自分たちが支配できる人間の数を増やそうとする。それこそ後進国に出かけて行って、「子供を沢山つくれよ!」なんてやるわけ。そうなると、後進国の人々も、経済的な依存関係がより強くなり、まさに支配から脱却できなくなる。軍事によるムチの支配ばかりではなく、「暖かい言葉や援助」のようなアメを使った支配も現実としてあるわけ。
アメとムチは、外見的には大きな違いはあっても、心理的にはほとんど同じ。だから、アメを使った「優しい」支配においても、ちょっとした場面においては、ムチを使った攻撃性が発現することになってしまう。
ボランティアや市民団体は、何かと言うと「つるし上げ」をやりたがるでしょ?
個人レヴェルにおいても、色々と「くれたがる」人は、ちょっとのことで逆上したりするものでしょ?
まさに
「こんなに色々としてやったんだから、文句を言わずに、オレの言うことを聞け!」
となったりするもの。それこそドメスティック・ヴァイオレンスのボランティア団体なんて、「加害者」の男性をつるし上げることによって、事態を解決させようとしたりしますが、これって、まさにアメとムチを使うサディズムそのものですよ。「人を見る眼」のない女性を、自分たちの支配下に置くとともに、加害者の男性をつるし上げることによって、その男性も支配しようとするわけ。
極端な見方と思われる方もいらっしゃるでしょうが、そのように思われる方は、現実のボランティアの行動をよく観察したり、その手の団体の人と実際に話をしてみて御覧なさいな。ボランティアの連中は、フロムの言う「○○からの自由」とまり。だから、そのための運動には熱心。しかし、「○○をする自由」は持とうとしない。だから他者の問題に首を突っ込んで、自分自身の「○○をする自由」から逃避するわけ。
本来なら、他者を支配しても、だからと言って、自分のやりたいことが達成できるというものではないでしょ?
しかし、「○○からの自由」を持っていても、「○○をする自由」から逃避してしまっている人間にしてみれば、まさに「○○からの自由」の一環として、他者を犯人認定して、つるし上げをするくらいしか能がないわけ。
そして、その自分の支配欲を合理化することになる。フロムが言うように、本質となる支配欲を、「他人に対する過度の善意や過度の配慮の結果として覆い隠されることになる。」わけ。
フロムが書いている合理化の具体例としては、
「私がオマエを支配するのは、お前にとって何が重要なのか、私が知っているからだ。お前の利益のために、オマエは私に従うべきだ!」
あるいは、
「私は人から傷つけられた。人を傷つけようとする私の願いは復讐にほかならぬ。」
「最初に殴りつけたのは、私や私の友人が傷つけられる危険を防ぐためだったのだ。」
まあ、そんなセリフは実際によく見聞きするでしょ?
そのような合理化によって、自分が目指している支配を合理化するわけ。
まさに、ダメダメ家庭においても、親の側は
「オマエのために、言ってやっているんだぞ!」
などと「善意」を強調したりするでしょ?善意が前面に出てくる状況においては、その深層に支配欲があるわけ。善意を強調することで、
「だから、オマエはワタシの言うことに従うべきなんだ!」
という理屈にしてしまう。それこそボランティアの連中がそうですし、まさにナチの連中も、典型的にそのパターンでしょ?
ユダヤ人をつるし上げても、だからと言って、何が達成できるの?
他者を支配することに留まってしまうと、まさに「他者を支配する」という関係性に自分が支配されることになってしまうわけ。結局は、個人としての自分自身の精神的自立・・・つまり「○○をする自由」からの逃避なんですね。
サディズムもマゾヒズムも、「○○をする自由」を考える、主体的な自分自身からの逃避の形態であるわけ。あるいは、フロムは
「マゾヒズム的、サディズム的な努力のいずれもが、耐え難い孤独感と無力感とから個人を逃れさせようとするものである。」
と書いています。
他者を支配することしか能がない人は、結局は自分自身を支配できないわけ。というよりも、
「自分自身を支配することから逃避する方法として他者の支配があるわけですし、その心理的傾向が、まさにサディズムである。」
フロムはそのように言っているわけですし、サディズムの解釈はともかく、このメールマガジンでも、同じことは頻繁に書いております。
自分自身の「○○をする自由」からの逃避の手段として、マゾヒズムもサディズムもある。結局は、自分の存在価値を「相手との関係性に依存」しているわけ。だからこそ、相手の自立を阻み、支配関係を維持構築しようとすることになる。暴力的なサディズムも、平和的なサディズムも、心理的には同じなんですね。
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このメールマガジンでは、今回配信した文章だけでなく、ボランティアの連中のことを好意的に書いてはおりません。もちろん、人を助ける気持ちは、いいことですよ。
ただ、助ける側の気持ちはともかく、助けられる側が、
「自分はこのような人間で、このようなことを達成したくて、今のところではこの点をサポートしてほしい。」
と明確に頼んできたら、その時に、ちゃんと助けるのが人間の姿でしょう。しかし、ボランティアの連中は、そのように明確に言えない、言おうとしない人の元だけに寄っていって、自分の都合で援助しているでしょ?
助けられる側が、自分の希望を明確に言えないのなら、まずは、明確に言えるようにするのが、サポートする側が最初にしなくてはならないことですよ。
先日、またボランティア絡みで事件がありましたが、あのような事件が起こるたびに思うのが、あの手の方々って、マトモな社会にいたら、まさに「陸に打ち上げられた魚」のようなものなんだなぁ・・・ということ。
魚はもともと水の中の生き物なんだから、しょうがないけど、人間だったら、ちゃんと陸上で精神的に自立することが先でしょ?しかし、その自立が怖いがゆえに、スグに水の中に逃げ込んでしまう。そうして、養殖に励むだけ。そうして、エサをもらわないと生きてはいけない人間を増殖させるだけ。
厳しいことを書いていますが、疑問に思われる方は、実際のボランティアをご自身の目で見てみてくださいな。
(10年11月7日 追加)
本文において、サディズムの本質は支配欲であり、そして、支配しようとする相手を凝視することにより、自分自身を見つめることからの逃避となっていることについて言及しております。
支配欲という点で考えれば、援助などのアメを使った優しい支配欲も、ムチを使った強圧的な支配欲も、その心理においては基本的には同類となっているわけ。それと同じように、自己逃避状態において、「どこに逃避するのか?」には、大きな違いはないわけ。あくまで「どこから逃避するのか?」という点が重要になるわけです。そして、その「どこから」が、自分自身となっているわけです。ただ、自分自身から逃避しているがゆえに、自分は自分自身から逃避しているという自覚が起きない・・・これは論理的に当然のこと。だから、自分を騙すような行為をして、自分に確認させるようなことをすることになる。
そして、自分を騙すためには、その行為は儀式的で大掛かりな方がいい・・・これは当然のこと。だからこそ、できるだけ、自分以外の存在を凝視できる大義名分がもっともらしいことが重要になる。
いわゆるイジメ行為を考える際には、まさに道具立てとしての攻撃性・・・まさにムチを使った攻撃性が印象付けられるわけですが、その本質としての支配欲なり、もっと本質としての自己逃避の方が重要になるわけです。
だって、イジメている側に、当人自身にとって本当にやりたいことがあって、周囲の大人も、子供の希望の実現にサポートしている状態だったら、何もイジメ行為などはやりませんよ。
そんなことをやるよりも、自分の好きなことをバンバンやっていった方が楽しいでしょ?
それこそ、スポーツでも、漫画を描くでも、あるいは勉強でも、その子供の好きなことは何なの?
イジメがそんなに大好きなの?
「ボクは、将来は立派なイジメ人間になりますっ!」
と覚悟を決めているの? そんなわけないでしょ?
イジメをしている子供は、逆に言うと、自分がやりたいことなり、好きなことがないわけ。そんな家庭では、子供が何かをしようとすると、親から「余計なことをして親に面倒をかけるな!」と言われるだけ。だからこそ、子供としては家庭内で自分自身を抑圧するようになってしまう。
自分自身を抑圧しているんだから、そんな自分自身について考えることもイヤ。そしてどうしても不満がたまってしまう。
そうなると、まさにその不満の捌け口として、そして、自分自身から目をそらすために、イジメ行為に「逃避」してしまうわけ。
イジメ行為をしている子供に対し、「イジメをやめなさい!」と指導しても効果はない。それよりも、
「アナタたち自身の好きなこととか、やりたいことは何なの?」
と聞いてごらんなさいな。きっと回答は返ってきませんから。あるいは、
「アナタとしては、将来は、どんな大人になりたいの?」
と聞いて御覧なさいな。まあ、回答があるとすれば、コレ。
『ふつう』
イジメ行為そのものが問題というよりも、好きなこととか、やりたいことが何もない子供であることこそが大問題でしょ?
そして、そんな子供にしてしまっている家庭ということが大問題と言えるわけ。
サディズムも、マゾヒズムも、所詮は表層であって、その本質は自己逃避。そして、子供を自己逃避にしてしまう、家庭の問題に目を向けない限り、トラブルの先送りは出来ても、事態の解決はありえないわけです。
http://space.geocities.jp/estrelladelsur010/08-08/08-08-28.htm
セックスと暴力。このふたつが密接に結びついている理由
2014年3月27日木曜日
(ヒューマン・ライツ・ウォッチが、ソマリアでもレイプが蔓延していることを報じています。ソマリアと言えば、国全体が無法地帯と化して暴力に満ち溢れている国です。暴力とセックスが結びつきを書いた記事を再度トップに上げたいと思います。)
この地球上で、最も女性にとって危険な場所は「コンゴ」であると言われている。コンゴでは殺戮とレイプが吹き荒れていて、未だ止まらない。(戦略的に女性をレイプ。史上最悪の暴力国家コンゴ)
アフリカでは、コンゴの他にもスーダンや中央アフリカでも女性が戦略的にレイプされている。
そして、最近では無法地帯ソマリアでも、レイプが恒常的に行われていることがヒューマン・ライツ・ウォッチによって報告されている。レイプの被害者の3分の1は、18歳未満の未成年である。
戦場では殺戮とレイプがしばしば密接に結びつく。つまり、殺戮という究極の暴力と、レイプという究極のセックスが、そこに結びついている。
もっと端的に言うと、セックスと暴力は、切り離せないものになっている。
セックスと暴力の相性
セックスと暴力は、いったいどうして結びつくのだろうか。様々な要因があって、たとえばセックスというのは元々肉体的なものであり、その肉体性が暴力を喚起するという説がある。
セックスは本能であり、本能は動物的であり、動物的なものは暴力性が垣間見える。だから、セックスと暴力は相性がいいと一般的には言われている。
科学者は別の見方をしていて、たとえば、セックスと暴力の相性は、脳の仕組みに関連していると考えているようだ。
・性ホルモンの中枢
・性行動の中枢
・攻撃性の中枢
この3つの中枢が、人間の脳の非常に狭い部分に隣接している。
性ホルモンの中枢と性行動の中枢は同じ間脳の視床下部付近にあるのだが、攻撃性の中枢は間脳に近くの扁桃核にある。
性的な刺激を受けると、その刺激は攻撃性をも誘発する。逆に、攻撃性の刺激を受けると性行動をも誘発する。恐らく刺激が強ければ強いほど、その刺激が放射状に別の中枢に拡散していくのだろう。
だから、セックスと暴力は一体化することもあるのだというのが科学者の説明だ。
動物の交尾でも同じ
セックスが暴力と結びついているというのは、人間社会ではレイプやボンデージやサディズムやネクロフィリアなどがすぐに挙げられる。
売春女性を殺しまくる連続殺人鬼は、たいていはレイプしてその後に殺すのではなく、殴って蹴って刺して食いちぎって血まみれになった女を見て興奮しているのが損壊した死体を見ても分かる。(娼婦49人殺しロバート・ピックトン。典型的な死体加虐者)
レイプという犯罪がバレないように殺して証拠隠滅するのではなく、殴り殺しながらレイプするのが目的なのである。死体の処置に困ったら、今度は切り刻んで食べてしまったりする。
脳の中では、食欲の中枢も実は暴力の中枢に近い。これは、狩りで動物を殺したら、そのあとは食べるという一連の行動が、本能によっても強化されているということでもある。脊椎動物はほとんどがそのような脳の作りになっている。
ネクロフィリアがネクロサディストになって、さらにはカニバリズムにまで行き着くのは、すべて本能の為せる業だったのかもしれない。
動物の交尾も、オスがメスを攻撃する形で始まることが多いのだという。アカゲザルの場合でも、猫の場合でもそうだ。
また、オスは他のオスにメスを取られないように、攻撃性を剥き出しにしながら交尾に入る。
あるいは、一匹のメスを巡って最初にオス同士で闘いあって、勝ったほうがメスと交尾するというスタイルを取る。そこでも暴力が関わっている。
根源的な「本能」の結びつき
平和な時代が続いていると、なぜ暴力が存在するのか忘れてしまうし、誰でも暴力を振るわれるのは嫌なので先進国になればなるほど暴力を封じ込める。
そうすると、余計に暴力が縁遠いものになって、暴力とセックスが結びつくというのが犯罪的だとすら思うようになる。
しかし、アメリカ兵がどこででも敵地で女性をレイプしていたり、アフリカの暴力闘争には必ずスレイブ(奴隷)にされる女たちの姿があったりするように、暴力の現場には必ずセックスがそこに見え隠れする。
どんな時代の、どこの国の戦争でも、必ず暴力の現場には、レイプがある。
売春地帯でも同じだ。最初から暴力を振るうために来ている男の存在もある。レイプも罵倒も、売春地帯ではごくありふれた犯罪だ。
今でも暴力とセックスは切り離せない現状がそこにある。
暴力とセックスは根源的な「本能」の結びつきだった。
ボスニアでは戦略的レイプが行われた
相手を殴りつけて勝敗を決める
人間の三大欲望というのは「食欲」「性欲」「睡眠欲」とよく言われている。
「三大欲望」とはよく言われるが、「三大本能」とは言われない。三大本能という言い方をすると、恐らくこうなる。
食欲、性欲、暴力欲。
かつては獲物を採るにも暴力が必要だった。かつては女を取り合うにも暴力が必要だった。
食欲と性欲は密接に暴力と結びついていたので、脳も暴力を本能として格上げしているのである。
暴力を否定するのはまっとうな社会人としては当然だ。それは人間社会ではあってはならないものである。
スポーツも暴力の代償みたいなものだから、本当であればあんなものは禁止すべきなのかもしれない。
ボクシングや格闘技を見れば分かるが、相手を殴りつけて勝敗を決める残酷なものである。ボクシングはスポーツであるが、同時に暴力行為でもある。
しかし、ルールを決めて行っているのだからそれはいいと人々は言う。そこに暴力があるというのは奇妙なことに、人々の頭からすっぽりと抜けている。
ボクシングや格闘技を見て喜ぶ人は大勢知っているが、「格闘系のスポーツ反対」と国会で訴える人は見たことがない。
レイプ。傷害。私生活も暴力まみれだったマイク・タイソン
人々は暴力に飢えている
人間が本当に暴力が嫌いだと思っているのであれば、スポーツは絶対に流行しない。暴力を見たいから、暴力がベースになっているスポーツを見る。
どう見ても、スポーツは暴力の代用か、暴力そのものであり、それを見て人間は喜んでいる。
映画でも暴力とセックスに溢れている。ホラー映画でもゾンビ映画でも暴力が主題になっているではないか。それをカネを払って見たいと人々は思っているのである。
客観的に言うと、人々は暴力に飢えているのだ。
あなたがスポーツをするのが好きだったり、スポーツを見て楽しんでいたり、人が死ぬ映画を見たりしていることがあったりするのであれば、あなたも本能で暴力を求めているということだ。
それでいて暴力はいけないと、したり顔で否定しているのかもしれない。それは、あなたの本能とは違う建前を口にしているだけかもしれない。
あなたは、食欲という本能を持ち、性欲という本能を持っている。あなたもそれを否定しないだろう。
では、なぜもうひとつの本能である「暴力」が自分からすっぽり脳から抜けていると思うのだろう。暴力は、間違いなくあなたの体内にも眠っている。
ここが、人間の恐ろしい部分である。
http://www.bllackz.com/2011/09/blog-post.html
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/177.html#c33
34. 中川隆[-10906] koaQ7Jey 2018年4月21日 14:23:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11740]
すべての女性から慕われる池田大作先生のお姿
131 名前: 大作の午後 投稿日:2003/03/04 12:38
大作が女学会員をレイプを始めたので、コンドーム係、バイブ係、ティッシュ係が
そそくさと部屋の中に入ってきた。
「んもー、チンポが勃たない!」
神崎はうやうやしく「高麗人参赤マムシドリンク『淫乱日顕三号』」を差し出す。
「おい!フェラチオ係!フェラチオ係を呼べ!
全力で先生の魔羅を勃起させるのだ!」
15:35 三十は過ぎているがまだまだイケてるコンパニオン風の係員到着
「フェラチオ係です、
あら、先生、今日もご立派、
もー、わたしなんかお呼びにならなくともよろしいんですよほほほ
まっ、でもぉ、せっかく呼んでいただいたことですからお勤めさせていただきますわ」
さすがフェラチオ係、口がうまかった。
16:02 どうにか半立ちまで勃起
「さあ、この立派な肉マラでレイプを…もとい、幸せの儀式を! 」
女子学会員は藤原紀香にちょっと似た所がある若い人妻だった。
「ふへへ…」
「や、やめてください! 」
「なにをやめるのかな?
フェラチオならやめてもらったがほれ、ここはビンビン…」
フェラチオ係らは噴出しそうになるのをこれからレイプされる人妻のことを思ってこらえた
老人の性は哀れと諧謔を含んでいるもの…そう思えば人妻にも余裕ができるのだろうが…それに池田大作の慰み者になった女にはずっしりと重い茶封筒が渡されるのが通例なのだ。そうでなければとっくの昔に獄中の人になっていたに違いない
「ああ〜やめて、そ、そんなところっ!」
「ムニャムニャ…」
得意のクンニで人妻を喘がせる大作! レイプ魔の面目躍如
「そ、そんなところ、あぁ…」
「そんなところでは、よくわからないよ…」
脂ぎった顔に笑顔を浮かべながら、大作が言う。
「おい、例のものを…」
「はっ」
バイブ係がカリ高3号を手渡す。ちなみにバイブ係も副会長だった
「もう、許してください…」
「ばかなことをいっちゃいかんよ、まだなんにもしてないじゃないか おい!」
ティッシュ係が先ほどのペーパーナイフをちらつかせるので、若妻はしかたなく、両足をV字型に広げていった。
16:03 大作の一物、充填率75%
16:04 80%
バイブ係「…おい、早くしてくれよ、電池が持たないよ(内心の声)」
君(バイブ係)もっと効く強性剤はないのか?
糖尿でもビンビンになる薬は!←犬柵
わははワシのティムポは文字通り甘いぞ甘いぞアリもむらがる甘さだぞ
早く味見しなさい!糖度100%
若妻は犬柵の先端を恐る恐る口に含んだ・・・
甘い!甘すぎる!くどい甘さだ。
我慢できずそれを吐こうとした時、犬柵からありがたい聖水じゃと小便まで口に出されてしまい、糖分を摂りすぎた為に体がだるくなる人妻であった・・
_______
今日も今日とて池田大作の寝起きは悪かった。
「おい、アキヤ!」
秋谷はうやうやしく「花和尚印絶倫ドリンク」を差し出した
大作はその生臭い液体を一気に飲み干し「次!」と怒鳴った
秋谷は聖教新聞特別編集版を差し出した。
特別編集版は池田の好みに合わせて編集してある特別バージョンで一般のニュースや「我が友に送る」は省略してある。
「寸鉄」が「寸」どころですまない大記事なのはご愛敬だ。
「ふはは〜今日も聖教新聞にはいい記事が一杯だな」
聖教新聞特別編集版を見て満足しきった池田は朝食の食卓に
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1033356504/
羨まし過ぎるけどこれ本当?
池田大作率いる創価学会が、その本家本元である日蓮正宗宗門から破門されて以来、すでに三年目を迎える。
その間、日蓮正宗を憎悪する学会では、日蓮正宗の管長である阿部日顕上人はじめ、同宗の高僧や有力信徒らに対し、「よくぞ、ここまで」というほど、さまざまなスキャンダルを材料に、名誉毀損に当たる中傷記事や怪文書を作成しては攻撃し続けてきた。しかも創価学会側では、どうやら、宗門は裁判の煩わしさから、これらの名誉毀損事件を告訴(もしくは提訴)してこないだろう_との見通しを持っていたと見えて、
機関紙上に「日顕側がどこまでも学会報道を虚偽と言い張るのであれば、行き着くところは、名誉毀損を巡る裁判しかあるまい。日顕が堂々と裁判所で自分の"潔自"を証明し、学会報道のどこがウソなのか、主張すればよい」「この恥ずべき事件は、日顕という最低男の正体を余すところなく示しております。これが、全人類を幸福に導く偉大な宗教の頂点に立つキングであっていいのでしょうか。もしも、この記事が虚偽、デッチ上げだと主張するなら、名誉毀損で訴え、法廷で堂々と争い、身の潔自を証明すべきです。それができないのであれぱ、残された道はただ一つ、『退座』の二字のみです」等々とブチ上げてきたのである。
ところが日蓮正宗側では、これらのいわれなき誹謗中傷を打ち払うべく、じっくりと調査や証拠収集を重ねた上で、相次ぎ法的措置に踏み切った!その代表的なものが、いわゆる偽造写真事件(※学会が写真を合成したり変造して、"日顕上人が芸者と邪淫・淫乱にぷけっていた"などという提造報道を行なった事件)であり、シアトル事件(※学会が"日顕上人は三十年前にシアトルで売春婦とトラブルを起こした"と報道したもので、すでにロスにおける裁判では学会側が敗訴した事件)である。
この他にも、学会から怪文書攻撃を受けた宗門信徒が学会幹部ら十数名を名誉毀損で訴えた事件_等々誹諸中傷を浴びせていた時のカラ元気はどこへやら、一転、被告人となってしまった創価学会であるが、ここで、どうしても忘れることのできない問題が、もう一つある。
学会の支配者・池田大作自らの膨大なスキャンダル間題である。池田のスキャンダルといえば、それを報じた『月刊ペン」に対する名誉毀損の裁判が記憶に蘇ってくるが、池田創価学会が名誉毀損で訴えたのは、わずかにこの一件だけ。しかも、その顛未はといえば、原告側である学会が、陰で、被告の『月刊ペン』社に三千万円もの大金を支払ったり、結果として、池田スキャンダルは立証できなかったものの、"そうとうに疑わしい"旨の判決が出るなど_真っ黒に近い灰色であった。 それ以外に、各マスコミ等で大々的に報じられてきたスキャンダルについては、まったく訴えることすらできず、沈黙を決め込んでしまっているが、それこそ、「これらの恥ずべき事件は、池田という最低 男の正体を余すところなく示している。これが、"世界の指導者・広布の最高指揮者・宗教界の王者"などであっていいのだろうか。もしも、これらの報道を、池田側がどこまでも虚偽・デッチ上げだと言い張るのなら、これらを名誉毀損で訴え、法廷で堂々と争い、自分の潔自を証明すべきであった!それができなかった以上、池田は、これらの報道が事実であったと認めたことになる」本書は、これら、池田大作が暗黙のうちに「事実と認めた」数々のスキャンダル報道を、"池田大作「破廉恥行状記」"として、一冊に収録してみた。
池田は昭和三年生まれ、老体となりつつあるばかりか、糖尿病も患っているそうだから、今後は女性スキャンダルもあまり聞かれなくなるかもしれない。
その意味でも、池田がいかなる行状をなしてきたのか、一冊にまとめて記録に残すことには、大きな意義があるものと考えられるのである。
また、本書を読むと、昨今、学会が日蓮正宗を攻撃してきたスキャンダル報道や怪文書の中味、表現が、ほとんビ、池田に対する世間からの非難・指弾を、ただ相手を変えて浴びせてきたものにすぎない、ということがわかる。
つまり、池田大作を絶対無謬の存在として崇める創価学会が、悔やしまぎれの意趣返しの心理で、日蓮正宗に低俗攻撃を仕掛けてきたことが歴然としているのである。そうした、学会の手口を知る上でも、本書の刊行には意義があるも少々長くなったが、本書刊行にご協力くださった皆様方に御礼を申し上げ、「まえがき」に替える次第である。
http://www.toride.org/hrenti/hremae.html
1.池田大作乱行の動機
例の"三畳間証言"の小沢ヨネも、池田からミカンの食べかけと、ビールの飲みさしのお下げ渡しを受けるよう強制されている。(中略)池田の女性醜聞もお下げ渡しと同様、考え方として二分類できるのではないか。
一つは相手の女性が心から名誉と考え、女性の方から積極的に近づく場含である。(中略)現に中年の一女性学会員は、こう放言してはばからなかった。「仏様に抱かれるなら、結構なことじやない。ふつうの男に傷ものにされてから嬢ぐより、どんなにいいことか。」ここにいう仏様とは池田のことである。
もう一つは、池田が忠誠心を試す場合である。まず迫って、その女性がイエスかノーか試される。次いで女性が独身なら、池田の手のついたその女性を妄ることを求められる男性が試される。飲食物に似た文字通りのお下げ渡しである。
女性に夫がいるなら、夫が、お手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。これはトウガラシを、目に火の玉カが飛ぶほど掛けられたウドンに似ている。夫には苛烈な体験である。《『創価王国の野望』103頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre1.html
2.池田の手口と、女性信徒の信心利用して造った「奥の院」
池田は、女子部大幹部たちや本部の女子職員に、身の回りの世話をやらせた。亭主持ちも独身も関係ない。相手はとにかく別格の会長先生。女性の側の気持ちは純粋である。不純なのは池田大作だけだ。
最初は背広をかけさせる程度の用をいいつけ、狙らった相手の表情をうかがいながら肩を揉ませ、裸の胸をさすらせる。これが池田の女性攻略の手口である。
若い頃からそうだったが、池田大作は他人から軽蔑されることを極度に恐れる。だから女性の場合も、目的を遂げられる相手かどうかを、用心深く見極める。その見極めのつかないうちは、実際行動には出ない。創価学会三代会長という立場を利用して、憤重に策謀をめぐらし、だんだん屈服させていく手を使うのだ。
この手で、三十才前後から女性学会員を相手に醜い欲望を満足させてきたのが、池田大作という男である。(中略)このように、気に入った女性に目をつけると、家族ぐるみ創価学会職員としてかかえこみ、第一庶務や女子部幹部にとり立てる。そして多少あきてくると側近幹部に下げわたし、それでも気がむけば呼びつけて、身辺の世話をさせる。その夫は議員にしたり、幹部にして取り立てる、というのが池田のやり方なのである。
世間の人たちには、単に池田個人の猟奇や好色話として映るかもしれないが、池田大作の女性関係は、欲望を充たすことであると同時に、人をして精神的に屈服させ、支配するための手段なのだ。(中略)彼女たちは池田の目にとまりたいと願い、池田との親しさを競いあい誇示する。「お手付きになりたい」との声まで出る始末だった。あげくに、その念願をはたした当人たちは池田会長との特別な関係をほのめかして他に威張り、周りは「いいですねぇ」と羨ましがった。いってみれぱ人気スターと熱狂的ファンの関係、世間流にいうとそうなる。そして、池田は女性会員たちの倒錯した心理を悪用し「奥の院」をつくりあげた。それが一連の下半身スキャンダルを生んだ背景だったわけである。《『池田大作の素顔』210頁〉
http://www.toride.org/hrenti/hre2.html
3.池田の〃乱行〃の仕組みと具体的手口
池田氏は風呂好きで、一日に何回も入る人で、そ の時は午後でしたが、部屋の隅に浴衣、下着の類が置かれていました。その浴衣のすそに、赤い紅のようなものがついているのが見えました。女性の名前は出しません。
そのあと、下へおりてからU現副会長が、私に「おい、見たか、見たか」と非常に興奮していうのです。私は、「いったい、なんのこと?」と聞くと、「赤い紅がついていたろう。あれは口紅なんだ」といいました。それで私も「あれは確かに血ではない、紅だ」と思いました。私は当時、結婚はしていましたが、そういうことはうぷで、フェラチオも知りませんでした。Uさんは、不良出身で、「あれはフェラチオだ。前からあんなふうなことやっているんだ」といい、私が「まさか」というと、「いや本当なんだ」といって、十数名の女性の名前をあげました。
そして、第一庶務には、いわゆる第一庶務と、本当の第一庶務がある。本当の第一庶務とは、池田大作と肉体関係のある人たち。いわゆる第一庶務は肉体関係のない人たちで、特別施設などへ池田氏が行く場含、本当の第一庶務の人に、いわゆる第一庶務の人を組み合わせてカムフラージュしているのだ、ということをいいました。
第三に、池田先生はここ十年間、暴力団の襲撃を防ぐために家に帰らないといっているが、本当は地方の各地にそれぞれの女性がいる。
第四に、女性に胸のあたりをさすらせ、次いで腰をもませ、さらに男性の重要な部分を握らせて、そうして(心理的に)乗り越えさせるのだ、と、以上のことをUは話しました。「元創価学会教学部長・原鳥嵩氏の証言」《『池田大作の素顔」132頁》
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4.妾を認め、超絶的オスとして振る舞い、男性幹部を屈服
池田の私生活も、私人的な言動も、創価学会=旧公明党の首領であるという自意識から、けっして離れられなかった。彼は戸田の率直さだけは受け継がずに圧殺し、自ら立てた浅ハカな大義名分によって厚化粧した。
彼は女性との関係に関しては、
「法治国の国民としては、それ(一夫一婦制)に従うべきだ。ただし_ただしですよ、(笑い)_もし、それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認めます」(『宝石』44年1月号掲載)との、まことに融通無礙の見解を持ち、今ではそれを実地に試みたと報じられている。
『週刊新潮』(五十五年六月十二日号)によれば、池田と〃ただならぬ間柄〃の女牲は、公明党参議院議員・Wさん、中国担当副会長・U氏の夫人、創価大学図書館長Yの夫人、第一庶務の女性たち、東海研修道場の女子職員、山陰地方のある幹部の夫人、と多数に上っている(創価学会は同誌に対し55年6月5日、記事の即時全面取り消しを求め抗議したが、同誌は6月19日号で逆に「当誌を〈誹謗・中傷〉する目的で書かれた〈許し難い〉文章」だとして取り消しを拒否、その後、現在=56年4月=に至るまで同誌記事は黙認されている。中略)池田に信仰者の慎しみは無縁である。彼はおそらく平均的な成人男子以上に、女性を快楽の道具とだけしか見ていず、会内における彼の超絶的な権力者の地位を、超絶的なオスの位置にもスライドさせて、一部女性会員に臨んだ形跡がある。
そればかりか彼は、妻との情交をその夫に承認させることで、幹部会員の全生活面に及ぶ権力を確認すると同時に、その夫たる幹部の自尊心をくじき、人間性を損ない、自立的な判断を放棄させて池田の命令に絶対服従する人間に造りかえることにも用いたとみられる。池田の行ないはうじゃじゃけたものとはいえ、夫たる会員にとっては極限状況的な試練なのだった。
ちょうど一睡もさせずに総括して人間改造を図る訓練法のように、彼には己の性器を幹部の「人問革命」に用いたことが疑われる。《『堕ちた庶民の神』237頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre4.html
5.欲望は女性会員に向け、芸者には言葉だけで止どめる
池田はせいぜいのところ、三菱銀行の宴席に侍る芸者には、
「"お前気に入ったから、身請けしてやろう"とか"外国に連れていってやろう"とか"ダイヤを貰ってやる"とか"マンション買ってやろう"なんてカンタンに」
(石井孝子談、「週刊新潮」昭和45年4月18日)いい、もっぱら(※芸者に対しては)言葉の浮気に控えていたようである。もっとも彼は、会内での気散じには不足しなかったようで、好きこのんで外に危倹を求めるまでもなかったのかもしれないし、また芸者は彼の好みでもなかつた。
《『池田大作権力者の構造』245頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre5.html
6.温泉つき熱海研修所の女王・OS子の場合
学会の東海研修所道場(熱海研修所)で管理人を務めるカップル。といっても、並の管理人夫婦ではない。妻のS子は旧姓の高橋名の時から、池田に見そめられ、両親ぐるみで管理人に起用された。一着が三十万円とか四十万円もする高価なドレスを池田から買い与えられ、"熱海の女王"として孔雀のように華麗に振る舞った。
「ウチの娘にホトケ様の御手がついた」
と両親が自慢するだけでなく、本人自ら「池田先生との特別な関係」とノロケてみせる。風呂好き人間の池田は、温泉のある熱海研修所に入りびたりだった。二人の親しい仲の噂が広まるのを警戒した側近の中西治雄が、聖教新聞記者のOとS子を結婚させ、新任地の栃木県へと隔離した。
しかし、人妻となったS子のサービスが忘れられず、池田はO夫妻をともども熱海研修所の管理人として呼び戻した。夫の光明にしてみれば、屈辱的な人身御供であろう。
屈辱感を弱める狙いがあって、池田は一管理人に過ぎない光明を学会の総務、副会長に抜擢した。副会長といっても、全部で百二十五人もいるのだから、池田にとっては何の負担増にもならない人事サービス。口封じを図り、造反を防止したつもりだろう。
だが皮肉なことに、なんのキヤリアもないO副会長の誕生で、かえってスキャンダル疑惑を深めた。
そういう事情を知らずに熱海研修所に泊まったY副会長が、普通の管理人に頼む調子で布団敷きを気軽に命じたため、後で池田から怒鳴りつけられたとのエピソードもある。
O夫妻は研修所の管理人といっても、その実態は、池田の愛用する"温泉付き別荘"で、池田にのみ仕える身辺世話係である。別荘で待機するメ第二夫人モと表現した方が正確かもしれない。『スキャンダル・ウオッチング』66頁
http://www.toride.org/hrenti/hre6.html
7.温泉つき熱海研修所の女王・OS子の場合
63年5月、創価学会は大々的な人事刷新を行ない、いっぺんに副会長が25人も新たに誕生した。この役員人事にちょっとした異変が起こった。従来、副会長は、会社でいえば取締役に当たる「学会総務」の中から、功労や序列によって任命されてきた。ところが今回、一般の幹部から総務に昇格したその日に副会長になった男がいた。O新副会長である。事情通の間では、
「ハハア、また池田の病気が出たな」
と話題になった。Oには、今回、副会長になるほどのキャリアも力量もない。その見方は衆目の一致するところであった。それでは、なぜ、学会関係者も驚く「前代未聞の二階級特進」となったのか。O夫人は、学会内では「熱海研修所の女王」といわれた、旧姓・Tさんさんである。池田大作のお気に入りとして、「月刊ペン」裁判などでも名前の出た女性だ。池田好みの容姿で、池田に見染められて、両親ぐるみ熱海研修所(後に東海研修道場と改称)の管理人として召しかかえられた。そうしておいて、熱海研修所の岩風呂つきの豪華な専用施設に、池田は入りびたりになった。
この「女王」はアッケラカンとしたところがあって、同僚だった女子部の幹部に、池田との親しい関係を話したり、池田から贈られた高価な衣類や装身具をみせびらかしたりしたので、噂が次第に広まっていってしまったのである。やがて「創価学会会長の浮気」スクープを狙った週刊誌記者が熱海研修所のそばに張り込んだり、カメラマンが近くのクリーニング店の屋上に望遠カメラをすえつけるようになつた。そこで池田は、大蔵商事時代からの側近で、ずっと私設秘書的な仕事をやらせていたNに、対策を命じた。中西は、聖教新聞記者だったOとS子さんを結婚させて二人を新任地の栃木県へ引っ越しさせることにした。
ところが池田は、人妻の身となったS子さんに相変わらず御執心で、ほとぼりがさめると、彼女を熱海に呼び戻したのである。これには中に入ったNも周囲にボヤいた。
「せっかくうまいこと処理したのに、また呼び戻して同じことをされたんでは、なんのために苦労したのかわからない。Oも可哀想ですよ。」
彼女は、熱海の広大な「温泉付き池田別荘」ともいえる研修所で、普段は、職員を従えてクジャクのように振る舞っていた。池田がきた時は、もっぱら彼女が身の回りを世話するが、それだけが仕事で、あとは何もすることがなかったからである。もっとも、たまに池田から、箱根の専用施設に呼ばれることがあった。夜遅く、運転手をつとめる職員を呼び出して、車中で浮き浮きとはしやいでいた。これには職員も苦がり切っていたという。(中略)
昭和56年から始まった「月刊ペン」差し戻し裁判でも、彼女のことは法廷に持ち出され、また週刊誌等でも取り上げられた。それから6年たち、隈部大蔵氏も死亡して裁判は立ち消えとなり、ほとぼりもさめたと思ったのだろう。池田は63年初めから「勝った、勝った」と騒ぎだし、O新副会長の大抜擢など、当時、苦しい思いをさせた者への論功行賞をやった。
この男の頭には、組織を守ることより、自分の地位を固め、権力を思うままにふるえることの方が大きかった。だから池田は、私の自尊心をへし折ろうとし、プライドを捨てた部下が何でもいうことを聞くかどうか、踏み絵を繰り返すのである。
女房でも差し出すか、それこそ逆立ちでも、三遍回ってワンと吠える犬の真似でもやって見せるような部下しか、重用しない。要するに自分の下につく者は、人間として最低のプライドまで捨てさせ、反抗の牙を完全に抜く。そうしないと安心できない。それが日本最大の宗教法人、創価学会名誉会長・池田大作の偽りのない素顔である。《『池田大作の素顔』221頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre7.html
8.子供の顔にマジックインキ塗られた吉田章子の場合
池田が得意の絶頂期にあった昭和40年代前半、学会の第一庶務室に三人の目立つ美女がいた。Aさん、Hさん、Mさんの三人。いずれも池田好みの容姿端麗派。池田は三人を特に可愛がり、同じく池田の側用人として仕える三人の男子若手有望幹部とのカップリングを思いついた。
相手の男性は特別書籍部(池田の代作・代筆グループ)の原島嵩、桐村泰次、上田雅一の三羽烏である。原島、桐村両人は既に結婚を約束した他の女性がおり、結局、池田の思惑通りに結婚したのは、上田雅一・京子夫妻だけに終わった。桐村夫人になり損ねたHさんは学会本部職員のY氏と結婚し、Y姓となった。一躍、その名が知られたのは、マジック写真流出事件以降である。Y夫妻の間に生まれた長女を、池田は自分の子供であるかのように異常に可愛がり、学会幹部の間で、誰の子供かと噂されるようになった。そして池田が、その長女の顔にマジックインキを塗りたくって、弄んだ。
その写真が聖教新聞社のカメラマンによって撮影され、外部に流出した。「自分の子供に何をしても構わないだろう」との池田の意図が、裁判で間題にされた。
弁護側 マジックインキを塗ったことは?
池田 あります。
弁護側 この写真のいきさつは?
池田 Yさんの家は私の家から二、三分のところにあり、この子をとても可愛がっていた。四十七年頃と思う。私が三時の休み時間に、皆がなごやかになるであろうとイタズラした。
弁護側 度がすぎるのでは?
池田 子供があんまり可愛いので。聖教新聞の前には子供がよく遊んでいた。
裁判官 誰が面白がるのですか?
池田 自分も喜ぶ。子供も大人も。
要するに池田は、近所の学会施設に住むY夫妻とその娘を、「文句がいえるか」とばかりにいたぶったのである。Y氏は当時、「聖教」資料室長。
マジック写真流出後は創価学会の図書館長を務め、生活費支給を池田に頼る身。何をされても、文句一ついえない立場である。
《『スキャンダル・ウオッチング』68頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre8.html
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9.一家ぐるみで口説かれた上田K子の場合
池田のお手つき女と結婚したために破格の出世をした、髪結いの亭主No.1が、U氏だ。二人は池田の命令で結婚した仲。しかし、結婚後、U氏は妻との結婚生活がうまくいかず、友人によく悩みを打ち明けた。K子はもともと大手出版社に勤めていた。彼女を女子部の会合で一目みた池田は「あれを本部に入れろ。第一庶務勤務だ」と北条浩に命令。北条はさっそくK子に会い、会社をやめて本部に入るように説得した。が、会社でも大事にされていたK子は、なかなか会社をやめるといい出さない。そこで、北条は池田の指示によりK子の父に会った。「会館の管理人として家族ぐるみ一生、いや、孫子の代まで面倒を見る」と奥の手を使って口説いた。結局、一家は池田の世話になることとなった。
やがて、彼女は池田のメガネに適ったU氏と結婚。U氏は若くして副会長、壮年部長とトントン拍子に出世した。だが、こんな夫掃の関係がうまくいくわけがなかった。結婚したあと半年間はギクシャクした関係が続いた。その頃、U氏は友人に悩みを訴えている。U氏が友人に「○○も池田先生と関係がある」と女性の名前を挙げたところ、その数は十余人に及んだ。友人は「キミの奥さんもか」とU氏に尋ねると、U氏は苦渋に満ちた顔で否定しなかつた。
K子は結婚後、第一庶務室兼白雲寮管理人になった。白雲寮は学会本部のすぐそぱにある。池田はよくこの寮を使った。U氏は昼間は本部にいて、夜遅く帰ってくる。池田は、U氏のいない間に白雲寮にやってくるのだ。U氏の悩みの一つに、自分の妻が池田の体液が付いている下着を洗濯させられることがあった。U氏は、一時は真剣に離婚を考え、友人たちに池田への恨みをぶちまけた。
K子はその後、夫に悪いと思ったのか自分から折れて、やっと正常な夫婦関係になった。そうなった後でも、池田はK子に自分の身辺の世話をさせる。今度は、K子の方が池田に嫌気がさしてきた。
他の女性の口紅の付いたパンツを洗濯させられるのは、さすがに我慢しきれなかった。U氏にグチをこぽすようになる。
夫婦そろって池田に嫌気がさしたことになる、この二人。今のところ、アンチ池田の旗を掲げる気配はない。結局、自分たちの生活、学会内での地位、名誉、そういったものの総てが、池田におんぶにだっこで成り立っていることを知っているからだ。池田にしてみれば、K子とは単なる男女関係であるだけではない。同時に、側近であるU氏の忠誠度を試し、プライドをへし折って自分に従わせるための、池田特有の人心操縦手段なのである。《『スキャンダル・ウオッチング』74頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre9.html
10.池田にもてあそばれ議員となった渡部M子の場合
数ある大作スキャンダルの中でも、大作・M子の関係はやはり別格的意味合いをもつ。夫の一郎はそれを知りつつ、あえてM子と結婚した。
そして生まれた一人息子に、名付け親の大作から、大作の次男と同じ城久の名を有難く頂戴した。「先生のお子さんと同じ名前を戴けて、私、夢を見ているような思い。幸せだわ」とM子は有頂天になったものである。
夫の一郎の心境は複雑だった。生まれた子が、自分の血を引いているのか大作の子なのか、疑っていたからである。
お産のため入院したM子の見舞いにも行かなかったし、男児が無事誕生の知らせに接しても、喜ぶどころか、知らせの使者、M子の姉の藤原郁子にモノを投げつける荒れようであった。このおどろおどろしい話は、いずれも大作スキャンダルが表面化されるよりずっと以前のことである。
池田はお手つき女性のお下げ渡しをする際の常套手段として、夫の一郎を衆院兵庫一区から立候補させ、すでに八回の当選を重ねる代償を与えた。そして、妻のM子にも、衆院東京一区の名門区から立候補のチャンスを与えた。
M子は四万五千余票を集め堂々当選、ここに目出たくメオシドリ議員モが誕生した。昭和44年12月のことである。
その後、47年の総選挙で落選すると、今度は一郎と同じ兵庫県から参院に立候補させ、当選させている。まだ、池田スキャンダルが周知の事実となる以前のこと。
M子は池田との仲を隠すどころか、誇示してみせた。「池田先生に随順しなさい。そうすれば、私たち夫婦のようにオシドリ国会議員にもなれるのだから。」
同じ姉妹でも、姉の郁子は先生の意に添わなかった"罰当たり"としていじめられ、妹のM子は身も心も棒げつくした模範人間として用いられる。学会内では知る人ぞ知る事実だったのである。
ただし、噂が学会内にとどまっていれば、オシドリさんはずっと幸せだったし、夫の一郎は書記長、委員長コースを歩けたかもしれない。
五十五年、池田スキャンダルが外部に徹底的に暴き出され、事情は一変した。
M子は、一期限りで参院議員を辞めさせられた。党の婦人局長というポストも、婦人代表としてはイメージが悪すぎるだろうとの判断で、生活局長に左遷された。
ダメージを受けたのは、夫の一郎も同じである。陽の当たるポストに就けば、なにかと池田スキャンダルの格好のタネにされる。後は飼い殺し、使い捨ての道が残されるだけ。《『スキャンダル・ウオッチング』77頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre10.html
11.池田にもてあそばれ議員となった渡部通子の場合
あの裁判「月刊ペン事件」における池田の偽証工作の実態については、私の身内の証言だけで立証可能だが、ここで少し明かしておきたい事実がある。
それはほかでもない。池田から通子(渡部・国会議員)に醜悪な誘いがあったのは本当だった。そして、もし誘いを受けた通子が池田をハネつけていたら、逆に池田のいやがらせを受けて、彼女が国会議員になる道は閉ざされていただろう、それだけはまぎれもない事実である。
大人の男と女だ。世間によくあるような恋愛なら、第三者が口出しすべき筋合いのものではないと、私も思う。
しかし、池田大作と女性学会員とのふしだらな関係は、恋仲などと呼べる代物ではない。池田は創価学会会長という立場を利用して、人妻であれ、結婚前の独身女性であれ、見境なし。
女性を自分の権力誇示のために弄んできただけのことなのだ。
《『池田大作の素顔』43頁 》
http://www.toride.org/hrenti/hre11.html
12.池田にもてあそばれ議員となった渡部通子の場合
渡部一郎も、M子と池田の仲を承知のうえでプロポ−ズしたのであり、当時、同じ部隊の幹部に再三、「俺は通子を、必ず池田から取り返してみせる」と宣言していた。だが、婚約後も、M子の気持ちは池田の方を向いていた。池田も、戸田先生やかね夫人の目を盗んで、M子と逢瀬を重ねた。二人の仲は学会内部で周知の事実であった。
《「池田大作の素顔」199頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre12.html
13.池田にもてあそばれ議員となった渡部M子の場合
渡部M子が池田の裸の胸をさすっている現場へ行き合わせたことがある。創価学会が日本共産党との間に協定締結をした時期だから、昭和49年暮れだった。その時、池田は私の顔色をうかがいつつ弁解した。
「いや、藤原君、オレね、気管支が悪くて胸が痛いんだけど、M子がさすってくれると不思議に治るんだけど。だから、つい頼んじゃうんだよなあ。」
《「池田大作の素顔」225頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre13.html
14.スプーンでメロンを「アーン」の多田T子の場合
T子は女子部時代、池田と特別の仲だった。池田の泊まる先々で池田の脇腹をさすったり、スプーンでメロンを食べさせたりといったことが、側近によって何十回となく目撃されている。
S氏と結婚後も、池田と特別な関係を続けたのかどうか分からない。しかし結婚前は、デパートに池田夫人気取りで豪華な買い物にでかけたりしている。昭和四十年頃は、特に本部の女子職員の間で池田との特別な関係が取り沙汰され、羨ましがられたものである。渡部通子が月刊ペン裁判で池田の女性スキャンダルを否定する証人として出廷したのに対して、T子は出廷を断わったことで学会内では有名になった。
当時、会長の北条浩は「T子は証人になりたがらない。T子は弱いんだ」と周囲に喋った。これは、暗に北条がT子と池田との関係を認めたことになる。T子は当時、婦人部の会合では「私は(池田との関係は)ありません。あったら、ありがたいんですけど」と発言している。
事実を隠蔽するつもりが、逆に本心をさらけ出した格好だ。T子は現在、藤原行正の妻の郁子を、婦人部の会合でメッタクソに罵倒し続ける役目を負っている。
悪口をいわせるのは、明らかに池田の差し金である。そのご褒美か、T子は最近、全国総合婦人部長に返り咲きを果たした。また、T子が郁子を罵倒すれぱするほど、夫の方も公明党で重用される。
《『スキャンダル・ウオッチング』79頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre14.html
15.池田の子を中絶した笠貫由美手の場合
旧姓をSという。S女子部長といった方が、学会内ではわかりやすい。現在は結婚し、姓が変わった。学会活動の方は相変わらずで、世田谷区の総含婦人部長をしている。
凡人のSが女子部長になれたのは、本人に力量があったからではなく、池田の寵愛を受けた女だったからにすぎない。
池田はよく、「由美子はバカだ、バカだ」と周囲に喋った。笠貫は、女子部時代、第一庶務室に長く務めていた。いつも池田のそばにいて、池田がいる部屋の隣で、手を前に付き、半かがみになって待機する。
池田が「オイ!」と呼んだり、手を叩くだけで、直ちに池田の許に飛んでいく。その素早さが、池田に評価され、バカといわれても女子部長になれた所以である。
笠貫は、池田が目を真っ赤にしながら「目がいたい、目がいたい」というと、傍らに坐って本を読み聞かせたりした。読むのをつっかえると、ここでもまた「バカ」とどやされた。
それでも、池田先生の側にいることをこよなく好んだ笠貫は、自分を罵る池田の態度などいっこうに気にしなかった。
笠貫の女子部での活動歴は浅い。それが、たちまちにして全国女子部長になった。抜擢の背景には、池田に対する笠貫の思い入れがあるのはもちろんだが、
池田から見れば、笠貫の「尽くしに尽くすタイプ」を側に置いておきたかったのである。やがて、笠貫は池田の子を身寵った。
その子の中絶を手配したのが、横浜日赤で外科部長をしている、学会ドクター部幹部の森田修平だった。
このことについては、藤原行正が、「何代か前の女子部長」という匿名の表現で、中絶の件を暴露した。池田は、それに対して過剰反応を示した。
池田夫人・香峯子をして、笠貫の妊娠を否定するアリバイ作りに加担させたのである。
池田夫人から婦人部の最高幹部が直接指導を受ける記事が、『聖教新聞』紙上に掲載された。このようなことは、普通では、まずありえない珍事である。
今年2月11日の『聖教新聞』7面には、次のようぬな笠貫の記事が載った。「優しい妻に 強い母に 力ある婦人に_これは婦人部進出にあたり、先生の奥様からいただいた指針です。」池田は、女性スキャンダルのカムフラージュに夫人まで使って恥じるところがない。
《『スキャンダル・ウオッチング』90頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre15.html
16.「一緒に寝た」とノロケた故・S斉藤の場合
Sさんは年に二、三度は必ず日本に出向き、池田と会う。帰国後、その特別な関係を自慢し、会合でノロケて見せる。それによって「Sさんは池田先生に近い方だ」との評判を獲得し、組織を私物化する。
いってみれば、ミニ池田大作のブラジル版なのである。(中略)Sさんが日本から帰ってくると「先生の招待で日本へ行ってきました」と池田との特別な関係を自慢し、派手な洋服、飾り物を身にまとい、得意顔。
側近に
「○○で一緒に過ごした」
「夜中ふと目を覚ましたら、先生が横に寝ていた」
「先生と手をつないで歩いた」
「もったいないので、先生の手を懐ろに入れてあげた」
といった類の低級なノロケ話をして悦に入ったりもする。
だから現地では「Sさんは池田さんの妾だ」といわれる。
そして池田さんの妾(?)が現地の学会組織を牛耳っているのだから、トラブルが続発するのは当然だ。(中略)
また、かつてNSBには「Sにプレゼントする会」というのがあった。各支部が持ち回りで担当した。これも、長谷川重夫副会長によって推進された「池田先生直結運動」と同じものである。
《『スキャンダル・ウオッチング』180頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre16.html
17.池田との異常な関係で離婚されたHさんの場合
自分の手の付いた女性を他の男に分け与える。考えただけでもおぞましい行為が、今なお信仰指導の名の下に行なわれる。
かつて、原島嵩、山崎正友らによって証言・暴露された、池田と取り巻きの側近女性の異常な関係。
それらの女性の男性幹部へのお下げ渡し事実。Hさんという一学会婦人部幹部の二回目の結婚にまつわる騒動は、それらの事実をまた一つ裏付けることになつた。
Hさんは昭和31年の入信。43年に34歳で本部職員となった。婦人部から学会本部に採用されるのは、異例中の異例。池田の大抜擢があったのは確かだ。Hさんには二回の結婚歴がある。その二回目の結婚でHさんは、新婚旅行から帰った翌日に早くも離縁された。いったい、何が起きたのか。
Hさんと夫のAの結婚は五十五年、Aが五十七歳、Hさんが五十歳の時だった。Aが後に遇刊誌で告白したところによれば、結婚披露宴で挨拶をした多田省吾の祝辞が、じつに珍妙だったという。
「池田先生が誰それと関係があるとか、いろいろ書かれていますが、相手の女性にはそれぞれ主人がいる。そんなことはあり得ませんよ。いいかげんな週刊誌が多いんです。」
Aは、結婚披露宴のめでたい席で、どうしてそんなはしたないことをいうのかと、疑問に思った。
騒ぎが起こったのは、一週間ほどの新婚旅行を済ませた翌日だった。妻が「池田先生に挨拶に行こう」といい出したのだ。かつて第一庶務室に勤務した経験のあるHさんは、池田が自宅にいることをしっかり確認し「今行けば、会ってくださるかもしれない」と池田家に夫を連れていった。
が、玄関口に現われた池田夫人は「主人は寝巻姿なので出られない」と、冷たくいい放ってとドアを閉ざした。
そのまま自宅に戻ったAが「家にいるのに出てこないなんておかしいじゃないか」というと、Hさんはいきなり怒りだした。「池田先生のことを悪くいうなんて許せない」と叫びながら、手当たり次第に物を投げつける、ヒステリー状態に陥った。
Aはこれにびっくり。こんな女とではとても一緒に暮らせないと、すぐ離婚を決意、実行に移した。これだけなら、確かに異常ではあるが、どこにでもある、単なる夫婦喧嘩に過ぎないかもしれない。
問題は、Hさんが出ていった後しばらくしてからAに届いた、一枚の手紙だ。中身は便箋一枚の簡単なもの。週刊誌の切り抜きのような文字が貼られてあった。
「(池田大作と関係のあった女性)七、八ニンノナカニアナタノオクサンモイマス 五月号ノシュウカンシンチョウニ、貞子ト名入リデノッテイマシタダイサクノツカイフルシヲイタダイタノデスカ」
いったい、誰がこの手紙を出したのか、定かではない。しかし、池田がこの夫掃の新婚旅行直後の挨拶に出てこなかったのは、自分のお下げ渡し女をもらった亭主と顔を合わせる気になれなかったのではないか、とAは後に述懐している。Aは今、三人目の女性に恵まれ、平穏な日々を送っている。池田のお手つき女を黙ってもらい、心ならずも池田に平身低頭してみせる学会幹部のその後の苦悩と比べ、Aの悠々自適な生活は対照的だ。
《『スキャンダル・ウオッチング』71頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre17.html
18.副会長が「お手つき」と告白した松岡M子の場合
M子は第一庶務出身。やはり、池田とのスキャンダルがウワサにのぽる。上田雅一副会長もかつて、友人に「M子は先生のお手つき女」と告白したことがある。(中略)資は、かなりのエリートコースを歩んでいる。
だが、これも髪結い亭主の例を免れない。M子は結婚後も、第一庶務付きだった。あまり表面には出てこないが、「池田先生に近い女性」ということだけで、学会内では知る人ぞ知る特別な存在である。吉田章子、上田京子、そして松岡M子。言論問題が表面化し、池田が世間から隠れるようにしていた時、こういった女性たちはいつも池田のそばに侍っていた。
今、学会内には紅梅会という婦人部人材育成グループがある。『聖教新聞』紙上にも最近、このグループの活動が報道されるようになった。
婦人部の人材育成といっても、メンバーは第一庶務出身の婦人が殆ど。やはり、苦しい時には「お手つき女」を集めるのが池田のいつも変わらぬやり方である。 《『スキャンダル・ウオッチング』80頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre18.html
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19.結婚後も身を差し出した浅野香世子の場合
結婚の時には池田に祝福され、結婚後には「子供を作るな」と妙な注文をつけられた学会幹部夫婦がこの人たち。(中略)K子の入信は比較的新しく昭和三十九年。四十五年にはもう女子部長になっているのだから、これは例によって何かあるハズと勘ぐられた。
やはり、この女性も池田の寵愛を受けていたのである。結婚当時、Kは一日も早く子供を欲しがった。夫婦にとって、ごく自然な願いである。が、そんなKを池田は叱りつけた。「子供をつくるなんて、甘いことだ。女房をもっと本部に近づけなければダメだ。自分の女房と思ったら間違いだ。本部に差し上げる気持ちがなければいかん」。(中略)結婚は池田の意向一つで左右され、しかも「女房を差し出せ」といい出す始末だ。
Kがどういう気持ちで自分の女房を差し出したかはさておき、A夫婦は池田とともに訪中したこともある。だが、夫の方はどことなく影が薄く、最近ようやく、「一二五人中の一人」の副会長になった。
《『スキャンダル・ウオッチング』84頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre19.html
20.「池田の子を・・・」と噂されるHさんの場合
昭和50年代初め、第一庶務室長のMと部下であるHさんの不倫が持ち上がった。オフィスラブなんて、どこの会社にもあること。だが、そこは何せ、池田の目が光る第一庶務での出来事だから、大変だった。
Hさんは池田の好みのタイプ。Mとの不倫の結果、Hさんのおなかが大きくなった。池田は激怒して、その子を堕ろさせた。
学会副会長の原田稔は、友人に「MがHさんを妊娠させたぞ。(ドクター部の)森田修平に頼んで堕ろさせたよ」と漏らした。
51年のことである。だが、妙なことに、その後、Hさんはまた子供を二人生んでいる。Hさんの戸籍謄本によれば、父親の名は空白のまま。彼女を知る人は、その後の彼女のやつれた姿に驚いている。
Mは表向き、黙して語らない。しかし、身近な人間には「オレがそんなことをすると思うか」と漏らしている。じつは、この二人の子供こそ、池田とHさんとの間にできた子供とウワサされているのだ。
とやがて、Mは第一庶務の任を解かれ、神奈川県長に転出させられた。しかし、ウワサは空気伝染するもの。今度は、神奈川の学会組織に不倫のウワサが広がった。いたたまれなくなったMは一時期、組織から行方不明になり、県長を辞任。その後も再三、行方不明になる。今は学会系外郭企業・鳳書院の重役に取まっている。重役とは名だけで、仕事は何もない。池田の私物である第一庶務の女性と関係したM、今でも池田に用いられてはいる。
これも池田のやり方。自分に歯向かってこないかぎりは、学会の恥部隠しと口封じを優先して、飼い殺しにするのである。
《『スキャンダル・ウオッチング』85頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre20.html
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21.池田に身も心も捧げたげた高橋Hさんの場合
旧姓・Hさん。聖教文庫制作局出身で、熱烈な池田狂。花の女子部長も経験した。池田に、身も心も棒げた彼女は、女子部時代から一貫して「結婚しない」と公言していた。夫は高橋英明。第一庶務に勤務していた。英明は学生時代からHさんにべ夕惚れで、何度となく交際を申し込むのだが、Hさんに「今はそんな時期じやないと思います」とかわされて、相手にされなかった。にもかかわらずHさんが英明の求婚を受けたのは、Hさんの両親に会ってまでの池田の一言があったからだ。結婚式の当日、集まった女子部幹部たちは「これでHさんさんが女子部からいなくなる」と涙を流す光景が見られた。
花嫁自身も、ちっとも嬉しそうな顔をしていなかつた。Hさんは女子部時代、第一庶務も兼務して、池田のそばから離れなかった。池田が「サカエ!」と呼ぶと、すぐ駆けつけ、用を果たす。女側小姓そのもの。やがては、池田の代わりに聖教新聞の記事をHさんがチェックした。「池田先生に近い」ということで周りの職員に恐れられ、本部職員もHさんには頭が上がらなかった。現在、Hさんは婦人部書記長。今の婦人部長・坂口幾代の次の婦人部長間違いなし、といわれる。英明は第一庶務兼務のSGI欧州書記長。日本とフランスの間を行ったり来たりの日々だが、日本を離れている間、妻の行状がさぞかし気懸かりなことだろう。
《『スキャンダル・ウオッチング』87頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre21.html
22.九州の女帝として振る舞うTさんの場合
ご多分にもれず、Tさんもまた、池田大作のお手つき女の一人であった。Tさんは本当は信子だったが、池田の『人間革命』の主人公・山本伸一の伸をとってTさんと改名したほどの池田教信者。池田の威を借りて、九州では女帝のごとく振る舞っている。夫の昭二が代議士になれたのは、渡部一郎と周じく、お手付き女と知って信子と結婚した論功行賞による。可もなく不可もなしの政治家生活。本人は当然、七期、八期と定年まで代議士を続けられるものと考えていた。ところが、五十八年の総選挙の直前に、何の相談もなしに候補者を引きずり降ろされた。代わって福岡一区に舞い降りてきたのが、神崎武法。検事総長になるのを目指して、"隠れ学会員検事"の秘められたコースをひた走ってきた男だ。
同じ法曹仲間の山崎正友弁護士から「現職検事の電話盗聴事件関与」を暴露されて、検事辞職に追い込まれた。
「よろしい。それでは検事総長を指揮監督する法務大臣になれるよう、キミを国会議員にしてあげる。十万以上の学会票があり、当選が確実視される福岡一区から出たまえ。」
池田の"鶴の一声"で田中昭二が侯補を降ろされ、神崎武法が新人候補に指名された。新人ながら、神崎は十四万票を得て堂々のトップ当選。(中略)田中を降ろすにあたって、池田はTさんを九州総合婦人部長に昇格させた。九州婦人部の最高責任者に登用することで、夫婦の間のバランスをとったわけだ。昭二は愚痴の一つもいわず、女房の尻に敷かれた。(中略)Tさんは「九州の女帝」として振る舞い、男性幹部といえどもTさんの機嫌取りに汗を流す。男を尻に敷くのが、よほど好きで性に合っているらしい。 《『スキャンダル・ウオッチング』96頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre22.html
23.夫よりも池田を愛した女王蜂・Aさんの場合
池田は常々説いてやまない。
「夫婦よりも親子の方が関係は深くて強い。そして親子よりさらに大切なのが、師弟の関係だ。」
池田のいいたいのは、夫婦や親子の情に流されるよりも師匠である私を大切にせよとの、師弟関係最優先論である。その教えを文字通り実践したのが、婦人部長のAさんである。そういう妻をもつ亭主がいかに苦労し悩むかを地で示したのが、秋山Tである。あげくに、病院で死ぬことさえ許されず学会施設に隔離され、監視されて五十九歳の呆気ない最期を迎えた。死期の近いことを悟ったTが、妻と池田とのスキャンダルを暴露するのを学会から警戒されたのである。
「池田名誉会長の専用施設で、ご本尊に見守られながら死ぬなんて、最高の栄誉。」
まことしやかな"美談"が婦人部幹部の間で伝えられたが、実際には池田スキャンダル情報の流出防止のため、死の2、3週間前に病院からムリヤリ連れ出されたのだった。
Aさんは、夫のTよりも師匠の大作を愛し、かつ大切にした。
しかも、そのことを学会内で誇示する始末だった。池田は栄子を学会婦人部長に起用し、長い間"女王蜂""女大作"として振る舞わせた。
《『スキャンダル・ウオッチング』25頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre23.html
24.池田をしのび、思いにふけったYさん
57年4月、中国総合婦人部長に抜擢されたYさんについては、池田が彼女に宛てたという手紙も、彼女が池田を「しのび、思いにふけった」とする文章も公表されており、関係は事実ではないかと疑っている。元四国総支部婦人部長による「寝間でのオシボリ」云々の目撃証言もあり、池田が彼女の夫である元参院議員・Y氏に
「Tさんはかわいいな。Tちやんには恩があるよ。Yさんを大事にしろよ」
といった内部文書も存在する。(中略)なお噂の女牲たちの多くが、池田との親密さを会員に語り、部外秘の文書とはいえ、幹部用の『前進』などに記していることをどう考えればよいのか。常識的には関係の明示はきわめて危険である。だが、女性幹部といえども、末端会員からは、池田との近さにおいて彼女の偉さが量られる。そのため、外向的で権力志向の強い女性の場合には、秘すことの必要性と、公表したいとの欲望の相克に常に悩む。公表しすぎれば池田の機嫌を損じる。どうしたらいいのか。(中略)思いのたけをぶちまけるやり方では、Yさんの次の文章などが好事例になるはずである。
「題目を唱えていると、時として"先生"(注・池田のこと)と思わず叫んでしまうこともあった。…先生を求め抜いていく情熱で戦っていけば、その人こそ最も先生に近い人といえるであろう。…先生のお話が聞きたい。だれでもよい、"先生にお目にかかった"と聞けば、"先生はお元気だった?どんなお話をされたか"とむしゃぶりつく思いで聞いた。そして少しでも、先生のことをしのび、思いにふけった。…
『池田先生に嫌われてるのでは…』そういう、必要以上に自分を卑下する心が、どうしても出てくる」
(『前進』44年10月号)なるほど、こうまで一方的に表現すれば、池田に迷惑をかけずにすむ。(中略)Yさんの文章に、信仰的情熱より、むしろ池田への恋情を読みとるのは難しいことではない。
《『創価王国の野望』107頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre24.html
25.池田の食べかけのアイスを食べた辻K子の場合
"蒲田三羽烏"の一人・T氏。昭和29年頃の序列は、T青年部長、U男子部長、池田参謀室長の順だった。(中略)T副会長は、再婚した婦人のK子さんのことでも学会内では陰口され、有名である。
旧姓を鈴切K子といい、池田のお気に入り女性の人であった。辻との結婚が決まったあとも池田は一緒に連れ歩き、人前をかまわず「K子、K子」と拝び捨てにし、クツ下をはかせたり食べかけのアイスクリームを食べさせたりして、睦まじいことを誇示した。
因みに、大橋敏雄代議士を除名処分にした統制委員長の鈴切康雄代議士はK子の実兄。学会組織内部では「妹の七光で国会議員にしてもらえた」と評判になつた。
「先生から『学会組織を利用して遊んでいるね』と厳しく指導された。この先生の一言こそが、私の一生涯の支えになった」
一鈴切から辻姓へと変わった後も「先生」への想いを捨てられないK子が学会機関紙に寄せた告白である。
《『スキャンダル・ウオッチング』20頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre25.html
26.池田の身体の汗を拭く美人通訳・矢倉涼子の場合
どこの大学を卒業し、いつから学会員になったか、過去の経歴が誰にも分からない謎の女である。
年齢は三十五歳前後。一おそらく独身だろう」と噂される。(中略)外国人との対談では、相手が英語圏の場含、彼女が通訳を一手に引き受ける。
池田が喋らない言葉までを、その場の雰囲気に応じて臨機応変に通訳してしまう。内容のない話しかできない池田を補佐する力のある才女だ。(中略)
池田の世話、面倒をどこまで担当するかは謎であり。ただ、常に池田により添い、汗っかきの池田が洋服を脱いだ時など、ごく自然に身体の汗を拭いているのを目撃されたことはある。どこまでのサービスをするかはともかく、
「今、池田から最も寵愛を受けている妖艶な美人通訳」との評価は定まった。
《『スキャンダル・ウオッチング』82頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre26.html
27.池田をマネて婦人会館に君臨したHさん弓子の場合
Hさんの名を有名にしたのは、なんといっても、の悪名高い新宿集団替え玉投票事件である。Hさん、この事件の中心人物の一人だった。郵便受けに放置されたままの投票入場券を抜き取り、学会組織である総ブロックの拠点に集めた。入場券の本来の持ち主の生年月日、本籍などを住民票の閲覧で確認、投票は投票日当日だと本人とかち合う危険があるため、それぞれ適当な理由をつけて不在者投票で行なったというもの。
本来なら、この事件が発覚した際、摘発の手は当然、首謀者の一人、Hさんに及ぶはずだった。
しかし、学会と党の必死のモミ消し工作の結果、摘発は末端幹部にとどまった。池田自身、『社長会全記録』の中で「新宿の選挙違反事件等は、絶対にいけない。Hさんは、アブノーマルな点が心配だから、絶対にいけない」と"きれいごと"をいっている。
弓子は婦人部長の時代が長く続いた。弓子が婦人部長だった頃、信濃町に創価婦人会館ができた。弓子は婦人部長として、この会館の中で女帝のごとく振る舞っていた。
全国の婦人部幹部に地方の産物を持ってこさせたり、自分の机から物が落ちるとそれを拾わせたり…。一部には「ありゃ、大作のマネだ」との話がもちあがった。《『スキャンダル・ウオッチング236頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre27.html
28.女子部特代に池田の世話をした北川M子の場合
M子は白雲寮の管理人をしていた。離婚後、その任を解かれた。
Mさんは、池田のゴーストライターの集団である聖教新聞社内の特別書籍にいた。野崎勲が全盛時代に集めた、いわゆる野崎コレクションの一人。
池田の講演の原稿などが主な代筆のジャンルだったが、川田洋一とともに大作の『生命を語る』などもMさんの代作。もともと関西の人間で、関西の学生部長だった。池田がわざわざ東京に呼び戻して特別書籍に入れ、野崎勲とともに学生部の二本柱にした。M子と結婚後、白雲寮の管理人となり、一時は池田家ファミリーの一員になりつつあったが、結局、離婚でオジャンになった。M子と池田のスキャンダルについては、その事実があるかどうかハッキリしない。彼女が女子部時代に池田の身辺の世話をし続けたことは確かである。
そのことと離婚は、何か関係があるかもしれない。自分のお手つき女を学会幹部にお下げ渡しして、その夫を管理人とか国会議員にして餌い殺しにする、池田のワンパターン的常套手段から逆類推すると、この二人のカップルもまた、と噂が広まっているのである。《『スキャンダル・ウオッチング』70頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre28.html
29.深夜、密室でマッサージしていた女性達の場合
池田は朝に弱い男である。朝はたいてい十時過ぎまで起きてこない。やっと床を離れても寝起きが悪く、必ずグズグズいう。
ところが、東京でも地方でも夜十時過ぎには寝室へ引っ込むのである。マッサージが好きでよく頼んだ。夜は、時に女性が一緒だった。その女性達たちは信仰熱心な婦人部幹部のケースもあれば、本部勤務の女子職員のケースもあった。大人の男女が二人で何をしているのか、おおよその想像はついたが、私は知らん顔で通した。《『池田大作の素顔』90頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre29.html
30.池田のデタラメな行状を目撃した側近の場合
池田は自分の国会喚問をなんとしても阻止するために衆参両院の七十人近い国会議員を総動員し、各党の懐柔策を命じた。(中略)池田大作は一人で逃げた。公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、自分は2月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していたのである。(中略)その側についていたのが一番弟子・原島嵩教学部長(当時)ら子飼いの若手側近数人だった。
原島はのちに月刊ペン裁判の証人に立った際、逃避行時の池田のデタラメな行状について自分の目撃談を明かしている。
「45年の言論出版問題の時は、会長になってはじめての経験で(池田氏は)狂乱状態のような時もありました。時には、午前4時(ごろ)にある女性が靴下もはかないまま、私たちを呼びにきたこともございました。非常に度を失っていた時期だったので、そうした場面にも遭遇したのではないかと思っています。」
《『池田大作の素顔』130頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre30.html
31.池田の恥部を隠してきたドクター四人組の場合
学会員の医者で組織されるグループにドクター部というのがある。その中でも特に有名な四人について取りあげる。
S氏は、最近、副会長になった、ドクター部長。妻のKさんは、第一庶務出身で、池田とのスキャンダルがウワサされた人。Sの父は、東京・柳橋で開業医を経営。親子とも耳鼻咽喉科。
佐藤玄二は潤一の弟。元学会ドクター部長。やはり耳鼻咽喉科。
M氏。副会長、前ドクター部長。元学術部長。
横浜日赤病院の外科部長であり、池田の主治医でもある。
Iさん。学会副ドクター部長。東京・大塚に新生クリニック(通称・Iさん病院)を経営。産婦人科医。池田の下半身スキャンダル隠蔽に大きく貢献。
(中略)
まず池田が、周りに医者を侍らせる際に重視することは、自らの秘密の保持に大きなウェイトを置く、という点だ。学会員に優秀な内科医・外科医がいないわけではない。ただ池田は、秘密を守れる医者、安心できる医者を選び、自分のそばに置く。産婦人科のIさんは、池田の数多くの下半身スキャンダルを常に隠し続けてぎた。Wさんも、よくIさんの病院に通ったものである。
このように、池田のみっともない秘密を隠し続けられる神経を持った医者は、そうざらにいるわけではない。世間に知られては困るトラブルの処理に、Iさんをはじめとする、口の堅い医者を当ててきたわけだ。
Mさんも、そういった意味での貢献度は高い。第一庶務室長でありながら部下の女子職員と不倫を起こしたM・TさんとYさんが、中絶のため出向いたのも、森田のところだった。
下ネタの他にも、池田が人目を忍んで医者を侍らせる理由がある。「病気になるのは信心がないから」と池田がおかしな指導をし続け、「病は信心不足から」と自分がいっている以上、まさか、その本人が病気がちで薬漬けだと世間に知られては、恥をかく。池田は体の強い方ではない。しょっちゆう、学会本部4階の池田専用室に医者を呼んで注射をさせる。
池田は注射が大好きである。ただ、池田の血管は細く、また贅肉がぶ厚いため、なかなか針が血管に入らない。医者が、汗だくになった池田の腕に、針を刺そうとする。池田はいい気なもので「早くしろ、早く!」と急ぎ立てる。また、池田はしょっちゆう目の痛みを訴える。耳鼻咽喉科の佐藤を呼びつけるのだが、目の痛みに耳鼻科の医者とは、はてさて?
明らかに、病気を世間に知られたくないためといわざるをえない。
《『スキャンダル・ウオッチング』239頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre31.html
32.「イメルダ夫人」と呼ばれていた池田香峯子の場合
子育てを卒業する頃に夫婦関係が逆転し、女房の発言権が強まることは、どこの家庭でもありがちだが、池田家にあっては、この時期と夫のスキャンダル露呈とが重なった。
暴君亭主に対し、耐えに耐えてきた貞淑妻の忍耐が限界に達したのだろう。
が、今さら夫の不貞、乱行を責めても、詮ないことである。
香峯子はその怒りを亭主に向けず、学会組織に発散させた。「創価学会の女帝・イメルダ夫人」の登場である。「先生」に加えて「奥様」が君臨するようになった。世間感覚の先生、奥様と違って、学会では「先生」「奥様」は二人とあってはならない。「先生」は名誉会長ただ一人であるのと同様に、「奥様」の称号も香峯子夫人一人だけに対し用いられる。
「奥様」は今や、女子部長、婦人部長の上に位置づけられるにとどまらず、副会長、会長を凌ぐ権威、権力をもち始めた。
人事に口を出す程度の生易しさではない。池田一族で学会の全てを所有し、世襲制を推進しようとする点では大作以上に熱心なのが、香峯子・イメルダである。最近では表情まで権力者然とし、おとなしかった「かねちゃん」を知る人々をして、嘆き悲しませるのだ。
夫・マルコスの国外亡命で運命が大逆転したイメルダの二の舞を、池田香峯子が踏むかどうか。長くかかっても、結論が出るだろう。
《『スキャンダル・ウオッチング』95頁》
http://www.toride.org/hrenti/hre32.html
池田大作レイプ事件
平成8年2月、創価学会の元婦人部大幹部・信平信子さんは「三度にわたって池田大作に強姦された」と告発し、同年6月東京地方裁判所に損害賠償請求の訴えを起こした。
以下は被害者・信平さんの手記より──
創価学会が、大沼国定公園(北海道)の中に、総面積2万坪という広大な敷地をもつ「大沼研修道場」を作ったのは、昭和46年のこと。
そして、池田大作がここに避暑に来るようになったのは、昭和48年6月からでした。
大沼研修道場の本館での池田の世話は、私が全部やることになっており、それが上からの指示でした。
本館の三階は桧(ひのき)風呂もある池田の専用施設で、関係者以外、たとえ大幹部であっても立ち入ることができません。昭和48年当時は、私以外、誰も三階に昇ることは許されていませんでした。
■1回目の暴行
池田が大沼に初めてやってきた日から三日目、6月27日の夜のことでした。 それから起こる恐怖と屈辱の体験など、察知する由もなく、私は、自分の仕事として、それまでどおり午後9時に、池田の布団を敷くため三階に上がっていきました。 すると、初日も二日目もその時間には部屋にいなかった池田が、寝室隣の執務室にいて、何か、書きものをしていたのです。ステテコとクレープのシャツ、という姿でした。
私は、「失礼します」といって中に入り、邪魔をしてはいけないという思いから、寝室と執務室の間のふすまを閉めようとしました。ところが、池田は、
「そのままでいいよ」 と言うのです。
私が、池田に背を向ける形でシーツを整えていた時です、池田は、前かがみになった私の背後から、いきなりのしかかってきたのです。アッという間のできごとでした。
池田は、私を押さえつけたまま、肩の方から手を伸ばし、私のブラウスのえりとスリップのひもを一緒に引っ張りました。 夏物の薄いブラウスですから、ひとたまりもありません。ボタンがバラバラとちぎれ落ちました。
スカートもビリビリに破られました。
池田は、「ハッ、ハッ」と荒い息を吐き掛けながら、「下着は一枚だね」
と言って、私の下着の中に手を入れてきました。
ものすごい力で押さえつけられた上に、恐怖で声も出せないでいる私に、池田は後ろからグッと突いてきたのです。あがき、もがいて、抵抗を続けていた私は、目の前が真っ暗になり、うつぶせになったまま、失神してしまいました。
どれほど時間が経ったでしょうか。気を失った時はうつぶせだったはずなのに、寒さを感じて気がついた時、私は、仰向けで布団の中に寝ていたのです。
私が這(は)ってドアまで行こうとすると、池田はしつこく追いかけてきました。ドアに頭をぶつけ、心臓はドキドキして、ここで殺されるのではないかと、本当にそう思え、大変な恐怖でした。
ようやくドアを開けて、二階にかけ降りると、トイレに飛び込みました。激しい吐き気に襲われ、それはしばらく続きました。 そして、気持ちを鎮め、下腹あたりについている体液を何度も何度も拭きました。皮膚が赤くなっても、なお拭き続けました。
■「体臭のきつい池田」
昭和49年には、池田に呼ばれて二階に行くと、誰もいない部屋でいきなり抱きつかれ、顔を引き寄せて口を押し付けられました。また、「散策に行こう」と言われ、戸外なら大丈夫だろうと思ってついて行くと、本館の裏につれて行かれ、そこでも同じようなことをされたのです。
抵抗し、幸いにもそれ以上のことはありませんでしたが――。
その後も再三にわたって、同じようなことが繰り返されました。
ちなみに、池田は、体臭がものすごくきついのです。とくに夏場だったせいもあるかもしれませんが、ニンニクが腐ったような臭いとでもいうのでしょうか、それが身体中から発散されていて、たまらない感じでした。
■「池田の下半身」
二回目に私が池田から犯されたのは、昭和58年8月19日のことでした。
早朝、私はいつもどおりに一人で、大沼研修道場の敷地内にあるプレハブ建ての喫茶「ロアール」の掃除をしていま した。
大沼の夏は、もやが深く立ち込め、数メートル先も見えなくなります。
入口を背にして、テーブルを拭いていた私に、いきなり池田が後ろから抱きついてきました。
池田は、毛むくじゃらの腕で私をはがいじめにし、脚をかけて、私を押し倒しました。 倒れる瞬間、私はテーブルで左脇のあたりを強く打ちました。また、ブラウスはボロボロに破かれ、スカートも靴下も無理やり外(はず)されてしまいました。
のしかかってきた池田を押し退けようとするのですが、脚も腰もオモリを付けたように重く、はねのけることなど、とてもできないのです。
池田は、まるで、狙った獲物に向かって一直線に進む、ケダモノそのものでした。
目的を果たし終えた池田は、外に人の気配を感じたらしく(結局、外には誰もいなかったのですが)、力をゆるめ、私はようやく解放されました。
このとき、一瞬ではありましたが、私は初めて池田の裸の下半身を見ました。池田の下半身は異常に毛深く、まるで黒いパンツでもはいているかのようでした。
トレーナーのズボンをずり上げながら逃げる体制の池田は、私の方を振り向き、「二号さんの顔を見にきたんだよ」 と、下品に顔を崩して笑いました。
その笑いは、本当にこの世のものとも思えない不気味さでした。
■最後は平成3年
大沼研修道場で三回目に私が池田から暴行を受けたのは、平成3年8月17日の早朝でした。 朝7時半頃、食料の補充をするために、私は、研修道場の敷地の中を歩いていました。
その朝も、大沼研修道場は深い霧に包まれていました。
敷地の路上を歩いていた私に、突然、池田が左後方から飛びついてきたのです。私は引き倒され、後ろからすごい力で抑え込まれてしまいました。
逃げよう、逃げようとするのですが、全体重でのしかかられた上に、押さえ込まれ、地面には掴まるところもなくて、どうすることもできません。声を出そうにも、「アー」とか「ウー」としか出ないのです。
池田は荒々しく私の衣服をはぎ取り、前の時と同じように「ハッ、ハッ」と息を荒げて、私を犯したのです。衣服はボロボロになりました。
とにかく、その間も逃げることしか考えなかった私は、無我夢中で池田の手を引っかいたり、かみつき、池田の力が一瞬、ゆるんだすきに、私はようやく身体を引き離すことができました。
池田は、また、あの不気味な笑いを見せ、霧の中を逃げていきました。
以来、このできごとを誰れに話すこともできず、どれだけ思い悩み続けてきたことか――。
ようやく私は、意を決して、池田の責任を問うために、池田が私にした行為を提訴いたしました。
池田を法廷に引っ張り出すことが、池田大作という人間の真の姿を、だまされている学会員の皆さん、国民の皆さんに知っていただくことにもつながる、と思っています。
最後に、池田の習性・性癖を垣い間見た私としては、全国に、私のような被害者が、まだいるはずだ、と思います。その方達が、真の勇気を持ってくださるよう、期待しております。
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/754.html
35. 中川隆[-10905] koaQ7Jey 2018年4月21日 14:31:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11740]
>実質的に世界を動かしている勢力は何をやろうとしているか
>投稿者 taked4700
結論として、金儲けとアレ以外は何も考えていない
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/177.html#c35
21. 中川隆[-10916] koaQ7Jey 2018年4月21日 15:30:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11752]
2011年02月01日
縄文探求シリーズ【縄文時代のまつり】 その充足パワーで超集団=社会を統合
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
大湯環状列石
・「祭り」ということばには、踊ったり騒いだりすることのほかに、神・精霊を祀る、マツリゴトをする、さらには男女が交わるという意味もあります。縄文時代の祭りとは、それらを包摂したまつりの起源ともいうべきものです。縄文人は何のために、どんなまつりをしていたのでしょうか?
・単一集団で暮らしていた当初段階と、人口が増加し集団が拡大・分化していく中期以降では、まつりの意味も様相も大きく変わっていきます。その様子を追っていきます。
●単一集団内の日常的なまつり
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:祭祀に使われたと思われる道具の数々(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)
・人類は、縄文時代の前期あたりまでは30人程度の集団で生活し、それが世界のすべてでした。
・そこでのまつりは、歩行訓練の延長上に生まれた踊り→トランス状態、そして性(男女の和合)。その過程で強化した精霊への祈りでした。そのような解脱充足と可能性収束先があったからこそ、人類は飢えの圧力に晒されながらも生き延びることができたのです。
●豊かになり、死を対象化しはじめた土偶祭祀
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図:縄文時代を通じて祭祀に使われた土偶たち(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)
・精霊信仰→観念進化によって、生存力を強化し、日本列島において定住・狩猟採集をはじめたのが初期の縄文人です。飢えの圧力が緩和されると、次なる不全として死(の悲しみ)が登場します。その不全を克服すべく、精霊への祈りを強化するために土偶を使った祭祀が行われました。
●単位集団を超えて男・女が交わるまつりへ
図:大湯環状列石(秋田県) BBっといー東北についてより
・縄文の中期ごろになると温暖化とともに人口増加→集団規模を拡大させ→分化していきます。
・縄張り確保や生産の協働、出産可能な女性を維持するための移籍など、部族の維持存続のため、単位集団間の結束力(求心力)を高めることが必要でした。
・そこで用いたのが、集団間の婚姻制(交叉婚)です。
定期的に男たちが他集団を訪れて、女たちと交わり合います。
性という根底的な充足と婚姻規範によって集団の結束力を維持しようとしたのです。
・これは集団の存亡が懸かった重要な行為であり、厳格に運用する必要があります。その資格や相手を明らかにするしるしとして登場したのが抜歯だと思われます。そこには肉体的苦痛を伴う強力な共認形成を図る意味もあったでしょう。
図:抜歯の風習 街角散歩さんより
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・一方で、その解脱充足性をより高めるためにさまざまな儀式や行動様式、場のしつらえなどが工夫されていきました。
・その痕跡を今に伝えるのが環状集落や環状列石です。
・まずは集落の中心に広場や墓域がつくられます。さらに集団が拡大・分化すると、集落から離れた領域に集いのための領域=環状列石がつくられます。そこでは、精霊や祖霊に祈りをささげる儀式や踊り、クライマックスは男たち・女たちの交わりあいが行われたと考えられます。
・環状列石や送りの場と言われる場に付随して置かれるのが掘立柱建物です。これは居住に用いたものではありません。そこでの儀式に必要だったのです。そこで行われたのが、男女の和合だったのではないでしょうか。和合に没頭できる安全域を形成したのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:三内丸山の掘立柱建物(復元) zhangshiさんのフォトライフさんより
・そのような非日常的なまつり場の代表的なものが下の3つの遺跡。
左から大湯遺跡(秋田)、大野遺跡(長野)、西田遺跡(岩手)
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縄文時代における墓の変遷と祭り・親族・地域より
・まつり場と性の関係を指摘する研究者は多い。その代表が梅原猛氏。
あの細長い石を横に放射状に並べ、その真ん中に直立する細長い石を置いた形は明らかに男女の性器の結合の姿を示している。
ストーンサークルは、そういう縄文人の生と死の哲学を見事に造形的に示したものであるといえる。
大集落は中期の末に姿を消し、その後は小規模な集落が増えて行きます。これは大集落が分散して、小集落化したことを示すと考えられ、その原因は気候の寒冷化による食料の減少、ムラが大きくなり過ぎたことによる環境衛生・社会面での破錠、であると推定される。この頃から環状列石等の大規模な記念物が出現するのです。
分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。
人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。縄文時代の遺跡にはセックスを象徴しているものが沢山あるが、ストーンサークルは、まさに男性器と女性器が結合している状態を表している。即ち生産を表しているのではないかと思う。
死という行為で、一旦あの世へ行った魂が再びセックスによって、子供を作って、この世に生まれ代わってくるようにいう、死と生の象徴、死という事実の中で、やはり再生を願う縄文人たちの心が、ストーンサークルになったのだと思う。
そして、ストーンサークルの周辺の土は、非常に固くなっており、何度も何度も踏み固められたとしか思えないという説を聞いた事があるが、恐らく、縄文人は魂を迎えたり、送ったりする時に、ストーンサークルの広場で、カガリ火を焚き、踊りを踊ったに違いない。それが恐らく、縄文の宗教だったのであろう。
東北の遺跡ストーンサークルさんより
・ストーンサークルには踊りを踊ったと思われる痕跡も見出せるのです。
●充足を基盤に大集団を統合した縄文人
・縄文のまつりは、日常的な性や踊り、精霊への祈りといった行為を基盤として、単一集団の日常的な営みにから、単位集団を超えた非日常的な営みへと発展していきました。集団の拡大は共認充足の低下を伴います。これは現代社会にも通じる肥大社会の宿命でもあります。
・縄文人は、ともすれば薄れていく集団関係を性・踊りや精霊・祖霊にまつわる充足感・仲間意識を紐帯として、拡大していく“社会”を結束させていきます。
・遠方からの遺跡(婚姻)の形跡などからもその結束力は日常行動圏を超えた相当広範囲に至っていたことがうかがえます。
●現代社会も充足を基盤にした社会統合が求められている
・翻って、現代。私権と個人主義が集団性を悉く解体され、バラバラで孤独な個人ばかりが存在している。現代社会は、ひとびとの充足力→結束力が衰弱し、新たな紐帯としてのまつり場が求められています。
・そのためには、家族や企業という単位集団を超えた“社会”の次元での充足の場が必要。そのような場がいまネットに形成されようとしています。
・ただ、それだけでは成立しません。基盤となる単位集団(の再生)→日常的(対面上・肉体的)な充足基盤も同時に必要です。
・その維持・発展という目的意識が「社会」への参加を促進するのではないでしょうか。つまり、身近な単位集団の再生と社会のまつり場の再生は相乗的に再生されていくのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html#c21
22. 中川隆[-10921] koaQ7Jey 2018年4月21日 16:18:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11758]
2007年04月10日 日本の婚姻通史
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000156.html
出自規則の転換要因のマードック説
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000153.html
は大変面白かったです。このあたりを検証する意味でも、日本の婚姻史は参考になります。というのも世界の中でも日本は、群婚から母系氏族、そして父系制にダイナミックに転換した歴史が精緻に追跡できる、非常に希で興味深い民族だからです。どのようにして転換していったのか、シリーズでレポートしたいと思います。
今日は婚姻通史を示します。
参照:高群逸枝著『日本婚姻史』
原始(無土器・縄文)・族内婚―――――――┬―【群婚】群
原始(縄文・弥生)・・・族外婚―――――――┘ 母系氏族
↓
大和〔古墳〕・・・・・・妻問婚 ――――┬―【対偶婚】父系母所
飛鳥奈良平安(初)・前婿取婚 ――┬婿取婚┘
平安(中)・・・・・・・純婿取婚―――┤
平安(末)・・・・・・・経営所婿取婚―┤
鎌倉南北・・・・・・・擬制婿取婚 ――┘
↓
室町安土桃山江戸・・嫁取婚―――――――【一夫一婦(蓄妾)婚】父系
↓
明治大正昭和・・・・・・寄合婚―――――――【純一夫一婦婚】双系
日本の婚姻史は、群婚、婿取式(母系型)、嫁取式(父系型)、寄合式(個人型)の4段階に大別される。
群婚は、族内婚(いわゆる兄妹婚)と族外婚(交叉婚)の二期に分かれる。
婿取式婚姻は、対偶婚――1対1の結合であるが、この結合は弱く、離合不定である。群婚の延長または遺習ともみなすべき多夫多妻的現象の並存を見ることが多い――に比定され、群婚とともに原始婚の範疇に入る。
婿取婚は、古典での代表的婚姻語である「ツマドイ」(奈良ごろまでに支配的に見られる)と、「ムコトリ」(平安から鎌倉ごろまでに支配的に見られる)の二語によって表される妻問婚と婿取婚の二期に分かれる。
妻問婚=通いで夫婦別居のたてまえ。その背後にはヤカラと称する族的共同体が想定される。
婿取婚=狭義の婿取婚で妻方同居のたてまえ。その背後には両親世帯が成立する。
狭義の婿取婚は、以下の4つに細分される。
前婿取婚:大化後平安初までの過渡期における母による婿取り
純婿取:摂関政治の盛行時代、婿取儀式が中央でも地方でも見られる段階で、妻方の父が婚主
経営所婿取:院政期。自家以外のところに経営所と称する婚礼の場所を設けて妻方の手で婿取婚が行われる。その後新夫婦は新居に移って単婚世帯をいとなむ
擬制婿取:鎌倉から南北朝ごろまで。夫方の親が別宅へ避居したあとを、妻方の、または妻自身の家として擬制して婿取をするたてまえの婚姻形態。この期間の各世帯は、前の経営所婚からひきつづいて単婚世帯が多い
嫁取式婚姻は、室町ごろに表面化して確立する。「ヨメトリ」という婚姻語がこの期にあらわれる。この期で妻は完全に夫方同居となる。だから前代の単婚世帯をすてて、夫方の家父長の族中に同居する俗となる。嫁取式は夫方の家父長の手によって行われ、夫方が貰い手、妻方が呉れ手という取り引き観念のもとに、嫁は死装束を身につけ、一個の物件と化して略奪される形となる。
寄合婚は、明治維新に萌芽し、昭和憲法後に表面化してくる、近代社会の男女同権的単婚制。
本来ならば大化前の氏族制末期に表面化されなければならない嫁取婚(家父長婚)が、日本では約10世紀もおくれて室町期に表面化した。その約10世紀間、太平洋諸島や東南アジア、台湾等に見られるような原始婚を保持し、しかもそれを徐々に終局へと規則正しく経過させた。(筆者注:妻問いから前婿取→…→擬制婿取へと、妻方居住から夫方居住へ大転換していく様は、連続していて実に見事です。)
この間、女性の地位は原始的な高さ(財産、祭祀、恋愛等の諸権利において)をもち、また女性を取り巻く社会環境も、原始的な諸関係を示していた。例えば、氏族制は崩壊していたが、原理は残っており、それが嫁取婚や家父長制の顕現をおさえており、だから夫婦は別産で別墓だった。同氏でさえあれば離別した夫婦でも同じ墓地に葬られ、同じ氏寺のある隠居地に余生を送り得たが、形影相伴う相愛の夫婦でも異氏のばあいは、隠居地を異にし、墓地を異にした。
最も不思議なのは、系は父系であるのに、婚姻や家族は母系型である点で、なにかの故障で成員の分家がちょっと妨げられると、たちどころに母系型の大家族が顕現した。これに反して父系型大家族は一例もない。父系系譜と母系型家族の複合は、「父系母所型」といわれ、母系型族制の上に父系系譜がたどられている。
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000156.html
日本婚姻史2 族内婚
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html
日本の婚姻通史の続きで、一つづつ婚姻様式を紹介してゆきます。最初は群婚(族内婚と族外婚)のうち族内婚から。族内婚を明らかにするのは記録がなく難しいが、遺跡や遺物、遺語、招婿婚(婿入婚)から類推できる。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
共食共婚
原始の家は後代の固定的なそれと違って、移動的な群単位の血縁集団の段階だったと考えてよかろう。縄文早期の遺跡は数個の竪穴からなり、その一つは面積約25u、5〜6人程度の収容能力で、まだ炉の跡もなく、移動性が濃厚に見られる。
群は必然的に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろう。つまり同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた。共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグイは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。
神前婚
原始的集団は、協業や防衛等の必要から、必然的に成員の団結を求めて祭治集団化していく。自然物の豊穣を祈り、人口の増加を願い、成員の血縁性への自覚による親和を念じて、その象徴としての「生む」母神像を創作して祭り、その神前で共食共婚の例祭を執行することを不可欠の行事とした。(右写真は「縄文のビーナス」)
族内共婚の遺習は、後代では村内共婚として見られる。
例えば、美濃国郡上郡東村大字祖師野の氏神の秋祭りでは、村じゅうの老若男女が夕刻から神殿に集まり、太鼓に合わせて輪を作って乱舞した。
それがすむと、人妻と処女の別なく、入り乱れて共婚神事をいとなんだ。
万葉集にも「人妻に吾もまじらむ、吾妻にひとも言問へ」といって神前共婚が演じられたとある。
トツギ祭というのがある。その多くは大漁とか、豊年とかを祈って行う共婚神事であって、これにはザコネ式や闇まつり式などがあり、個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示しているが、帰着するところは、食と性に対する共産共有の意識を象徴した原始的共同体的な祭りの一種であろう。
大和国磯城郡まき向(ムク)というところでは、毎年旧正月10日に、網掛神事というのが行われていた。田一反分のわらで男根の形をつくり(これをスサノヲ神という)、同じ分量で女根をつくり(これを稲田姫神という)、神官氏子が立ち合って、トツギ神事を執行したというが、もとは氏子同士がいとなんだものを、男女の性神に委託して象徴化したものであろう。
女性発情の告知方式
月経をめぐって女性の生理は躍動し、それを身振りにあらわして男性を挑発したであろう。これが舞踏(尻振り踊り)のはじまりであったろう。
踊りは「雄取り」(ヲスの鳥などをとらえるときメスの鳥をいわゆるオトリに使うのに同じ意)から来た語であろうという説があるが、女性発情の告知方式が上のような尻振り踊りなら、この踊りが雄取りに通ずることはうなずける。(後の族外婚ではもっと誇張された雄取方式になる。)
女性自身による告知方式は第一義的に尊重されたろうが、群が発達して共同体運営の関係から祭治制が発明され、食も性も神前における規律下にいとなまれるようになると、群は女性の発情期をトして(うらなって、判断して)、一定の祭礼を行うようになったらしい。それはたぶん戸外で、共食共婚をともなう舞踏会(女性の尻振り踊りに男性も同化して)として催されたであろう。
族内婚図
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html
原始時代の族制は、いわゆる類別組織で、性別と年齢階級が基本となっている。(「我」を中心として直系親から傍系親へ、近親から遠親へ叙述していく等親的な個別組織の後代の属性とは対照的である。)
(一)原初型
年齢階級
性 セ(チ)――┬コ(幼児)
別 イモ(ハ)―┘
性別のイモとセには、長幼の意味はない。単に族内婚の意味、つまり後の言葉でいえば兄弟姉妹で同時に夫婦であるという意味だけである。幼児のコから成年男子をチ、同女子をハと呼んだろう。どちらも族の長老の意味にもなった。ハには母の意味が生理的にも濃厚だったろう。イモをオモと転じても母となり、接頭語のイをのぞいてモといっても母のことになった。
(二)その進んだ型
年齢階級や性別の呼称が分化して複雑となり、群内の族制が秩序だってくる。神前婚が起こったのもこの段階であろう。
年齢階級
<オヤ> <コ>
性 セ オチ(大父)/ヲチ(小父)―― ヲノコ(ヲヒ)―┬マコ
別 イモ オハ(大母)/ヲハ(小母)―― メノコ(メヒ)―┘
オチ・オハ=後代転化して母系および父系の祖父母をいう
ヲチ・ヲハ=後代転化して母系および父系の伯叔父母をいう
ヲヒ・メヒ=実母子族の発展後転化して甥・姪の義となると想定
(三)内部の実母子族
イロハ(実母)―┬―イロセ(実兄弟)
└―イロモ(実姉妹)
内部に実母子族(母子小家族)が認識されて、はじめて禁婚観念が族内にめばえてくる。世界的には、親世代と子世代の禁婚が第一に行われ、次に実母子族の禁婚が行われるというが、日本では親世代と子世代(つまり異世代間―おぢとめい、おばとおいなど)の禁婚は行われず、実母子族の禁婚のみが著明に見られる。これは南北朝頃まで維持された。
日本は原理的には、実母子族禁婚を除いて他に禁婚がない。この点で日本の婚姻制は族内婚型といえる。後に父系が貫徹してから、父系中心の近親婚が禁じられてくるが、それでも従兄弟姉妹は禁婚されてない。非常に強く原始の族内婚型が影響しているのである。
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html
日本婚姻史3 族外婚
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html
日本婚姻史2 族内婚 に続いて、もう一つの群婚である族外婚です。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
群の定着と族外婚
縄文前期ごろから群は定着し、生産力の増大、人口の増大から、かつては別れ去った分枝群もいまは隣り合って集落を作るようになる。この段階で群は族内婚から、隣群との族外婚に進む。
(筆者注:氏族単位で集団分割した上で集団統合力強化のため、氏族間で交じり合う婚姻制に転換する。交叉婚ともいう。)
族外婚の典型はオーストラリアに見られ、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というもの。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則。
ところが日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。(筆者注:拡大族内婚とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。
「日本の交叉婚の特殊性」参照。)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=22267&pgh=3
通婚関係にある男女は、各自別群に所属している。だから子は当然母の群に生まれ育ち母の族員になることにより、母系氏族制がはじまる。群は氏族になり、氏族は母系によって継承されることになる。そして族員たちは互いにハラカラ(同母族)と呼び合うようになった。
クナド方式
クナグという古語は性交を意味する。
(『トツグ、マク、クナグ』参照)
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などとみえる。だからクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所の意味。
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。
クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもある。原始段階では性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。大国主神の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのもこの理由に他ならない(後日詳解の予定)。
・猿田彦神話では、国堺のヤチマタに異国人の猿田彦が立ちはだかっていると、ウズメという女神が乳房と陰部を露出してこれに立ち向かい、両者唱和して交通がひらけたとある。だから猿田彦は交通の神でもあり性の神でもあり、ウズメは雄取式舞踏(カグラ踊り)の祖神となった。
・女が性器を出して先駆すれば必ず敵軍を軟化させ得るという俗言から、沖縄の軍陣ではサキパリ(先張り?)というウズメ式巫女が用いられたという。
交通の要所に立つチマタの神や、道祖神や、村境にあって外からの害悪を防ぐサヘの神、これらが複合して同時にクナドの神とされ、いまも性の神とされているのは、その場所で神前集団婚が行われたからで、市場における定期的な集団婚カガヒ(歌垣)のことは、「万葉」にも謡われている。
CAO4KP4V.jpgカガヒは掛け合いの義。歌を掛け合うという意味で歌垣ともよばれる。カガヒは筑波(右の写真)や杵島などの入会山でも行われた。歌垣山という名の山も各地にみられる。歌を掛け合い踊りを踊ってそれを婚交の前奏曲としたことは、つぎの招婿婚(婿入婚)段階にもひきつがれて、ヨバヒの場合の唱和や相聞歌となり、平安期には文使いの儀式となったりした(文の方式は、村には明治ごろまで遺存して、若者たちの通い婚の序曲となっていた)。和歌など文学の起源はここにある。
(筆者注:歌垣は、東南アジアや中国南部の雲南地方など、照葉樹林文化圏に広くみられる。)
クナドでの族外婚では、それが集落婚姻圏を超えて広域的なものとなればなるほど、男性略奪(雄取り)と同じ観念、つまり子ダネをとるという観念が第一義となったろうが、それだけでなく外族との和平や政治的、経済的ブロックの拡大への動機がからんでいた。原始部落の女性たちは、胸乳をあらわしホトを露出したウズメ式の身振りの尻振り踊りによって他部族の男性を誘惑した。
・この段階が過ぎて個別婚の時代になると、この雄取式形態は、神社の巫女によって相続者をうる手段とされ、または娼婦によって歪曲化されて受け継がれた。
・平安時代には遊女(アソビメ)という娼婦がいたが、外来者とみれば取り囲んで歌舞し男客を誘惑した。
・沖縄の娼婦ズリの起源も外来者との婚交にあり、まれ人(客人)に仕える神の妻(め)にあるようだ。
・人妻と処女の別なく、外客を迎えて枕席にはべった鎌倉期の俗、とくに長者制の俗(長者の家での外客への饗応にはじまった娼婦制)も同じ原始の雄取婚からの遺制にちがいない。
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html
『トツグ、マク、クナグ』から見えてくるもの
「日本婚姻史」(中山太郎)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=132490
という本を読み始めました。(詳しくはこちらをどうぞ)
第一章「共同婚」の中の、第一節「共同婚を偲ばせる二三の古語」の中から、“とつぐ、まく、くなぐという古語の内容”がなかなか興味深かったので、ご紹介します。
著者の中山太郎氏は、
共同婚(乱婚とも雑婚とも称し、部落中の男女が共同的に婚姻するものをいう)時代が在ったか否か。換言すれば我国に女子共有の時代が在ったか否か。
という問題意識から古語を調べ、その存在を証明しています。ただし、この本が書かれた昭和初期にも、学者たちの抵抗があったらしく、
土俗を軽視した従来の学者は悉く否定説を採っている。就中、かかる事象の存在を国家の威厳でも傷けるものと誤解していた所謂国学者流の人々や、又は支那の儒教かぶれした学者達は、恰も臭いものに蓋をするが如き態度で、殆ど故意とも思われるまでに此の事象を或は否定し或は黙殺したのである。
と記しています。
さて、共同婚(⇒兄妹婚や総遇婚を指すようです)の存在の証拠の一部として、次のような内容が記されています。
★琉球石垣島の皿濱地方では、女にはプトモツ(夫を持つ)という結婚を表す言葉があるが、男には全く無く、露骨に「交合」という言葉を使っている。それと同じ用語例があり、それが「トツグ、マク、クナグ」の三語である。
★現在では、それぞれ「嫁ぐ、覔く、婚ぐ」という字を当てるが、古くはどれも「交合」の意味に用いられた。
その具体的事例を、少し長くなりますが引用しますね
トツグの語義は橘守部によれば『とつぐは陰接なり』と断定され。
宇都保物語(蔵開上)に
そのむすめ、とつぎ時になり給しかば、みかどをさして、人かよはざでありしに、天皇、みこ、みや、とのばらのみ、よばひのつかひはあけたてはならめぐりてあれど、こともえつけでぞ侍りし云々。
これ等の例証から見るも、トツグの原義は交合であって、これが嫁娶の意に用いられるようになったのは、後世の第二義的の分化であることが知られるのである。
マクの語義に就いては『倭訓栞』に『日本紀に覔をよめり、古事記に求をよみ眞來と書けり、もとむる義なり云々。女を犯す事をまくといふも妻をまくより出たるなり云々。伊豫にてはまぐといふ、伊勢にてはまけなといふも同語なるべし』とあるが、これは谷川士清にも似合わぬことで、前に述べたマクの国語に覔または求の感じを当てたために誤られた解釈であって、古くは単なる交合の意であったことは、伊豫や伊勢の用語が示している如くで、現に琉球の宮古島や大隈の徳ノ島では交合の意にマクの語を使用している。
クナグの語義にあっては、諸冊二尊に合交(まぐわい)の事を教えた鶺鴒の和名を、古く『にはくなぶり』とも『とつぎをしへとり』とも言うた一事から見るも。この語が交合の意味を有していたことは明白である
然して以上列挙したトツグ、マク、クナグ等の言語を使用した古代人の思想は、交合することが直ちに婚姻であること、猶お琉球の皿濱地方におけると同じであった。反言すれば、婚姻とは即ち交合の意に外ならぬのであった。交合を『見る』とも『逢ふ』とも言い、婚姻を『よばふ』と言うようになったのは、この次の時代であって、多少とも婚姻に式礼を加えるようになってからの発明である。
霊の結合に重きを置かなかった古代にあっては、肉の結合が直ちに婚姻の総てであった。然もそれを最も露骨に最も勇敢に実行したのが私共の遠い祖先だちである。
一対婚が実は日本では数十年の歴史しかないことを、社会人になってから初めて知った のですが、そういう事実は、日本の古典からも読み取れるんですね。
古文の授業で、「逢う=結婚」と習って、 って感じだったのですが、もともと「交合」であったと考えればスッキリします。
著者は、古代は「霊の結合に重きを置かなかった」と書いていますが、そうではなくて、その時代は「霊の結合」と「肉の結合」は一体で、区別する必要なんて無かったんだと思います
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
日本の交叉婚の特殊性
>族外婚(交叉婚)の段階になると、実母氏族間(つまり兄妹間)の禁婚が厳密に守られたという事実がないと、後の母系氏族制の確立…、ひいては、それを基盤とした婿取婚が南北朝時代まで続いたことに整合性ある説明がつかないのではないでしょうか。 (小寺さん、21980)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21980
まず禁婚については、世代間と兄弟姉妹に分けて考える必要があります。細田さんが
21655
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21655
で、中国貴州省の山地に住む少数民族、苗族(ミャオ族)の例から、
>最初の段階の制約は、世代の異なる人同士は結婚できないという年齢の制約である。次に現れた制約は兄弟姉妹や母方平行イトコ間では結婚できないことだ。三つ目の制約は、同一宗族内の者が通婚できないことで、このような制約も地域によって、どの制約がなされているかは異なるようだ。
とまとめられていますが、この点でも日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。
子は母親の群で育てられるのは原始以来そうですから、ずっと母系氏族制であったと考えていいのではないでしょうか。集団分割も血縁を基準に分割するしかなく、必然的に母系氏族集団になったと思います。交叉婚の男女も各自生まれた群に属しています。
妻問婚→婿取婚は、弥生人or大和人が持ち込んだ婚姻制で、当初支配層のみで行われていたものです。男が忍んで好みの女のもとを訪れる妻問婚も、男を母系集団に迎え入れる婿取婚も、母系氏族制を基礎にしていますが、同時に崩壊をも意味しています。群同士の婚姻制が崩れ、さらに生まれた群を離れるという形で変質していきます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=22267&pgh=3
採取時代の婚姻様式
観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、約1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。とは言え採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していた。
しかし、外圧が低下すると集団統合力が低下し、規範収束力も低下してゆく。同時に、外圧の低下につれて解脱収束(中心は性充足の欠乏)が強まってゆく。更に、集団規模が拡大したこともあいまって、原モグラ以来1億年に亙って踏襲してきた首雄集中婚を維持することが困難になっていった。こうして約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、
部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した
(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。
ここでの採集・漁労部族における女の役割は、注目に値する。
採集部族では、弓矢を持った男たちが防衛する(狩猟もするが、獲物は少ない)安全域で、女たちが主要な食糧を採集する。もちろん、闘争過程の主役はあくまでも男たちの防衛であって、女たちの採集は従役である。
それにしても、食糧の過半を女が採ってくるというのは、外圧の強い極限時代には考えられなかったことであるが、皆=集団の期待(食糧の採集という役割)に応えて、採集部族の女たちはよく働いた。
しかし、それでもなお男たちの期待の中心は性であり、従って女たち自身にとっても、自分たちの中心的な役割は性役(男たちに性的充足を与えること=自らの性的充足を得ること)であった。
役割欠損ゆえに性的存在となった女にとって、集団=全ての男たちの期待(=性役という女の役割規範)に応えることほど、自らの存在理由を充足させるものはない。
従って、タヒチをはじめ採集部族の女たちは、極めて積極的に集団の期待=性役規範に応え、更に性機能を磨いていった。
(近世になって西欧人が侵略の目的でやって来た時でさえ、タヒチやカリブの女たちは、彼らを性的に歓待した。
これは、採集部族の人たちがいかに心を開いていたか=いかに警戒心が無かったか=いかに完全に自我を封印していたかの証明であり、また女たちが、集団の性役規範にいかに積極的に応えていたかの証明である。)
それに対して、ヨーロッパの森林地帯に留まった白色人(コーカソイド)をはじめとする狩猟部族は、その狩猟という生産様式から、まだまだ強い闘争圧力を受けて強い集団統合力を維持し続けており、その結果、首雄集中婚の規範が長く残り続ける。
しかし、外圧の低下によって次第に解脱収束が強まり、集団規模も拡大してゆく。そこで狩猟部族は、首雄集中婚を踏襲しつつ、首雄=族長という資格を一段下に拡張した勇士集中婚を形成していった
(これは、女長老が采配する母系氏族の姉妹たち全員が勇士を迎え入れる、勇士婿入り婚とも言える)。
だが、ここに大きな落とし穴があった。首雄は、原モグラ(哺乳類)以来の自然な存在であり、かつ唯一人である。それに、皆が評価し共認した族長に対して不満などあろう筈がない。仮にもし不満があったとしたら、直ちに皆が認める新たな族長に替わるだけである。しかし、勇士は一人ではなく何人もいる。しかも、勇士の資格は人工的に作られた資格である。従って、男たちの相対性と各々の正当化から自我を発生させて終う余地が大きい。
何より問題なのは、首雄集中婚や総偶婚では集団規範によって性(婚姻)の相手は決まっており、従って娘たちは12歳前後で、思春期を迎えるや否や直ちに性関係に入ってゆく事ができる(=女の最大欠乏たる性的役割欠乏が充足される)のに対して、人工的な勇士婚では相手は決まっておらず、勇士が決まり婚姻が決まるまで、娘たちの性欠乏=存在理由欠乏は宙に浮いてしまうことである。
もともと首雄集中婚の下でも、外圧が低下して解脱収束を強めた男たちの性欠乏は宙に浮いていた。
しかし、モグラ以来、首雄以外の男の性は封鎖されてきたし、性の主役は女なので、女の性の相手を定めた婚姻規範が有る限り、問題は起きなかった。
ところが、勇士婚規範によって、その女の性が宙に浮いてしまった。
こうなると、規範破りの性関係が発生してくるのは避けられない。
とは言え、狩猟生産の段階ではまだまだ闘争圧力⇒集団統合力が強く、規範破りの不倫は殆ど発生しなかっただろうし、万一発生したとしても、部族を捨てて逃げるほど反集団的には成れず、従って(恐らく男が)処刑されて一件は落着しただろう。
しかし、牧畜生産に移行すると一気に闘争圧力が緩み、集団統合力も低下する(牧畜は、一般には採集部族と同様に女の仕事であり、従って牧畜部族に働く外圧は、採集部族に働く外圧レベルにまで低下したと考えられる)。
そこでは勇士の資格が更に下に拡張され、規範破りの不倫も、時折は発生したに違いない。しかし、やはり氏族(親や兄弟や仲間)を捨てて逃げるほど、反集団的な意識には成り得なかった
(集団を捨てて逃げる為には強固な反集団の自我収束が必要だが、そこまで強く自我収束し得る場が、狩猟部族や牧畜部族には見当たらない)。
だが、彼らが遊牧へと移行していった時、彼らは遂に開けてはならないパンドラの箱を開け、集団を破壊する性闘争を顕現させてしまうのである。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=8
日本婚姻史シリーズ1〜その3:縄文時代の婚姻制を探る
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html
先ずは、新石器時代(=採集・漁労生産時代)、東アジア諸部族の婚姻様式を俯瞰してみます。
『実現論(採取時代の婚姻様式)』
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した
(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
『実現論勉強会(採取時代の婚姻様式・図解)』
交叉総遇婚とは、同じ集団内(母方の親族)の婚姻関係をタブーにし、決められた集団に男が通う形態となります。
集団が閉鎖性を帯びないように、A集団の男たちはB集団の女たちと、B集団の男たちはC集団の女たちと、というように相手を決めていくのが普遍的。父親は別集団で生活しているので、母方の兄弟が養育することになります。
では、縄文期の日本列島も、上記の交叉総遇婚であったといえるのか? このことについて、縄文集落の埋葬形態から婚姻様式を探る記事を紹介したいと思います。
るいネット『集落内墓地の埋葬形態から婚姻様式を考える』
田中良之氏の研究によると、縄文〜5世紀後半までは男女問わず、同じ集落内でも近い血縁関係にある死者を近くに埋葬する傾向が強いようです。縄文期は(母系・父系の特定はできない)兄・弟・姉・妹・従兄弟・従姉妹が同じ場所に埋葬されていることが多く、近親関係が無い(薄い)配偶者と思われる女性の人骨が、父系の墓地の近くに埋葬されるようになるのは古墳時代以降だということです。
こうして双系の兄妹を近くに葬る縄文の埋葬形態は、未開時代のタヒチなどポリネシア原住民に近いようにも思われます。以上から、日本古代の婚姻について以下の2つの仮説が考えられます。
・1つ目は、「兄妹婚」「従兄妹婚」などのように単位集団(氏族)内に婚姻関係が内包されており、婚後も男女双方が集団内に留まっていた。
・2つ目は、婚姻関係は単位集団(氏族)を超えて結ばれたが、男女どちらかが相手の集団に移動して一緒に住まうような固定形態ではなく、その都度移動して交流していた。
以上、縄文時代の交叉総遇婚について探ってみました。但し、東アジアをはじめ、採集・漁労部族に見られる交叉婚と日本の交叉婚は、婚姻規範の中身が異なったようです。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html
日本婚姻史1〜その4:日本の交叉婚の特殊性
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
前々回と前回にわたって、縄文時代の婚姻制【兄妹総偶婚⇒交叉総偶婚】の流れを、気候風土や集団内墓地の埋葬形態などから解明してきました。
【総偶婚】
集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式。
約1万年前、採集・漁労部族はこの総偶婚によって(期待・応合充足を破壊する)性闘争を完璧に解消し、自我回路をほぼ完全に封印していた。日本においては村内婚(夜這い婚)の形で、昭和30年代頃まで農村部で存続していた。
前回、世界の交叉総偶婚を婚姻形態を図解でも紹介しましたが、日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。
今回は、日本の縄文時代の交叉総偶婚とはどういったものだったのか?その特殊性について紹介したいと思います。
★日本の交叉総偶婚【クナド婚】とは?
■クナドとは?
クナグという古語は性交を意味します。
(『トツグ、マク、クナグ』参照)
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などという表現があります。つまりクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所を意味します。
■クナド婚とは?
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっています。
クナドは文字通り神前共婚の場所ですが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもあります。原始段階では性交は同族化を意味します。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあったようです。
詳しくは、
『日本婚姻史3 族外婚』
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html
を参照
祭事の折など、数ヵ村共有のヒロバ(広場)に集まり、男達と女達が分け隔てなく交わりあう交叉総偶婚という婚姻形態を取っていたようです。
★海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度
交叉総偶婚(族外婚)の典型はオーストラリアのアボリジニ先住民族に見られます。、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というものです。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則です。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
上図のように、海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度となっています。
★なぜ交叉総偶婚という厳格な規範化がなされたのか?
ここは仮説ですが、日本と違い他民族や他人種との同類闘争の中で、集団統合の観点から軋轢を避け厳格が規範化がなされたのかも知れません。
日本の場合、弥生時代に入るまで、他民族との接触がなかったため、日本独自の交叉総偶婚が成立したのかもしれません。
★日本の独自の交叉総偶婚【クナド婚】は、おおらかな婚姻制度
日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられます。
日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。
それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。
(るいネット「日本の交叉婚の特殊性」より引用)
日本の交叉総偶婚は兄妹婚黙認の【拡大総偶婚】とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。
集団の人数が増えても、充足・集団統合から婚姻形態が決められ、縄文人の共同性や期待応望によるみんなの充足に重きが置かれていた事がわかります。
******************************
以上が、縄文時代の婚姻制度でした。
しかし、渡来人が入ってきた弥生時代は、【拡大総偶婚⇒対偶婚(一対一の関係)】へ劇的に変わって行きます。この変化には、私有意識や私権観念が流入してきた事を意味すると思われます。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/430.html#c22
6. 中川隆[-10926] koaQ7Jey 2018年4月21日 17:44:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11764]
ウエスタン・エレクトリックという迷路
欧米のハイエンド製品を手にしても満足が得られなかったユーザーは、次に禁断の世界に入り込みます。
ご承知の通り米国の頂点、ウエスタン・エレクトリック(WE)の扉を開くことになります。
この時、この道を歩む人は冷静さを失っていました。なぜならば、WEの機器を使用している環境や背景を全く考慮していなかったからです。
この時代の米国には優れた業務用の機材がたくさんあります。1920年以降米国の優れたエンジニアは通信や映画産業に関わりをもちます。その結果WEのみならずRCAやランシング、アルテック等がすばらしい製品を生み出しました。しかしこれらのポテンシャルが如何に優れていても映画館や大きいホールで発揮されるものです。
少なくとも50畳以上の部屋があればある程度本来の能力を発揮するとは思いますが、こうした恵まれたリスニングルームを所有できる人は例外中の例外ではないでしょうか?
私もかつては、音楽再生ではWE594Aを上回る最高級ドライバーといわれるランシングのドライバーに、ウーファーの最高傑作の一つであるRCAのユニットをダブルで使用しました(もちろんフィールド型ユニットです)。 ベートーベンのシンフォニーをかけると30m離れた隣地のテニスコートで、街の雑音に打ち消されることなく明確に聞こえ驚きました(駆動アンプは300Bシングルで最大出力は7Wです)。
なんと家の中よりはるか離れた外の方がしっかり聞こえるのです。ここにWEの業務用機器の本質があるのではないでしょうか?
多量の空気があって初めて素晴らしく聞こえるのです。
また、現存するこれらの機器で良品は少なく、その上相当高額です。家一軒分をつぎこんでも多くの人はオーディオのターミナル(終着駅)とは感じないようです。 日本人特有の舶来信奉とWEという究極のブランドがそうさせるのかも知れません。
http://www.rrltd.co.jp/rrplaza/episode/vol04.html
個々の機器は小さな原子核反応炉のようなものであり、それが相互に結びつくと、大きな反応体として動作していると想像してみてください。 私自身の体験からいって、反応炉どうしが反応し合わなければ、いかに大型フロアスピーカーでも、ラジカセ並みの音しか出ません。
デッカアーク型スピーカーを例に挙げてみましょう。 キャビネットに組み込まれているグッドマン社製20cmフルレンジユニットのマグネットは、500円硬貨より少し大きい位で一見非力なスピーカー。 それに極めて小さな出力(1Wそこそこ)のパイ社製ブラックボックスアンプリファイアーを接続すると、50畳あまりのオフィスいっぱいに良質な再生音で満たされるます。 それを一度聴いていただければ、たちどころに反応力というものを理解していただけます。 現代の数百ワット出力アンプリファイアーを使用して低能率スピーカーを駆動するのとは、まったく異なったスタイルで動作しているとしか考えられません。
ここに電気信号再生の本質的な問題の根源があります。 ヴィンテージオーディオの時代、電気信号の伝達に使われる電流の量は、質的なものを伝える為だけ有れば十分でした。 電気信号という船を浮かべ進めるだけの水量があれば、それ以上必要はなく、それ以上あると、かえって反応力を損なってしまうのでした。 それゆえにむやみな大出力アンプは製造されませんでしたし、必要もなく、当時のスピーカーに接続しても良い成果は決して得られません。 例をあげてみましょう。 今日のヴィンテージオーディオファンであればどなたでも御存じである、WEのトーキー用スピーカーで説明してみます。
WEシアターサプライスピーカーは、基本的に低域、高域にホーンロードをかけています。 そのため巨大なものになり、初期の555レシーバーをフルレンジに使ったシステムでも長大なホーンロードと開口部が必要です。 のちのTA4181Aと594A型ユニットを搭載したミラフォニックシステムは、さらに巨大な仕掛けのものになります。
スピーカーは大きいのに、アンプリファイアーの出力はとりわけ大きなものではなく、555レシーバー専用アンプリファイアーであった41、42、43アンプリファイアーでも、今日のトランシスターアンプ出力から考えれば、特別大きな出力ではありません。 そうした比較的小出力で劇場での使用に耐え、なおかつ効果的な広告が可能です。
WEのトーキーシステムの中で働いている、電気信号自体の性質が、現代のオーディオとは全く別の力を保持しているのです。 それこそが核反応的な連鎖であり圧縮、拡張と言うやり取りの後に、再生結果として提示されるのです。 ただアンプリファイアーが連結して圧縮、拡張を行っていっても、そのままでは核反応を発生させることは出来ません。 問題は電気信号の圧縮と拡張が、何のために行われているかです。
今日のオーディオでは、この圧縮と拡張は利得を得る為であるとか、アンプリファイアーの出力の増大として解釈されていますが、この時代のシアターシステムはそうではありません。 それは電気信号の加工に使われたのです。 加工され、可変された電気信号は、アンプリファイアーの出力という船に乗って、スピーカーに送り届けられ確実に爆発します。 しかしこれだけでは核反応爆発力を長続きさせることは難しい。 確実に誘爆させ、それを連続的爆発に導くには、スピーカーを臨界に保ち、いったん電気信号が入ったらそのまま臨界点に達する様にしなければなりません。
そこでコンシューマーユースホームオーディオとは、全く別の仕掛けを持った機材が必要になってきます。 WEのアンプリファイアーがその大きさの割に出力が小さいのは、ここに仕掛けが施されているからです。 出力より反応力の方に重きを置いたアンプリファイアーだったのです。 アンプリファイアーに限らず、光学式サウンドトラックフィルムの入力から、終段のスピーカーシステムに到るまで、あらゆる個所に反応する仕掛けが仕込んであります。 つまりWEのトーキーシステム全体が反応体の固まりであり、そのシステムブロックの一個一個が原子核反応炉みたいなものです。 こうした仕掛けがあるからこそ、小さな出力であっても大規模な拡声が可能です。 逆にいえばWEのスピーカーシステムの優秀さの証しでもあります。
およそWEのトーキーシステム全体を見渡し、その反応力の値を考えた場合、もっとも強力な力を示すのはスピーカーです。 WEに関わらずRCAやヴァイタヴォックス、BTH、アルティック等のシアターシステムのスピーカー能率は大変高く、標準的には1W入力あたり105〜110 dbほどになります。 これはコンシューマーユースのものと比べればかなりの高能率であり、音圧も出るのですが、それはあくまで1W入力時の話です。 劇場で使用する際は、もちろん1Wで済むはずがありません。 当然もっと多くの入力信号を送ることになりますが、さて、ここで能率と音圧の秘密をお話ししなければなりません。
WEのトーキースピーカーは、入力信号の上昇に対してリニアに追従して働きます。 入った分だけ音圧が大きくなるのです。 なんだそれは当り前ではないかと思われるかもしれませんが、失礼ですがそう思う方は真のトーキー用スピーカーの何たるかを知らず、ちゃんと聴いたことが無い方です。 何故ならWEだけでなく真のトーキー用システムが、圧縮、拡張、反応力の三つの力を総動員して、核反応力を発生させたなら、人間はそのすさまじい音圧にリスニングルームに座っていることすら不可能です。 トーキーシステムとはその様なものです。
スピーカー自体の入力信号に対する変換効率、能率がコンシューマーユースのものとはまったく別物であることを意味しています。 WEトーキーシステムにとってスピーカーの能率とは、再生音における最低保証値であり、1W入力−105/110dbという値は、アイドリング時のエンジン回転数と同じ状態にあるのです。
ところがこの値はコンシューマーユースにあってはこの値はむしろ、最大音圧レベルに近いものであり、これを考えると両者のIW入力−105−110dbという値は業務用の場合は最低値を示し、コンシューマーユースは最高値であると言うことになります。 そして反応力という立場からみると、両者の能率、音圧レベル特性値とは、1W入力に対する反応力の値であるということに思い当たります。 これがマジックです。
私達はこのことを知らずに来てしまった。
確かに能率という面から見ればシアター用スピーカーは1Wでも鳴ります。 しかしそれは反応力がなければ、ただ鳴っているだけです。 シアタースピーカーシステムを鳴らすには、たとえ1Wでも確実に核反応を発生させるアンプリファイアーでなくては、シアタースピーカーの真の能力を示すことは出来ません。 しかしシアタースピーカーを家庭で使用する場合、そのほとんどが核反応力が殺されているのが現実です。 そうでなければ、すさまじい音圧レヴェルでレコードを鑑賞することになり、これは劇場かそれに準じるスペースを確保されている方にのみ許されることです。
たとえ、そうした空間で映画を上演するならまだしも、レコードを再生するとなると、それは家庭で鑑賞するために制作されたレコード本来の音質とは程遠いものであるのは、ユーザーご自身が良くわかっていることでしょう。 それでは反応力で動くスピーカーが、他の様式で動作して生み出される再生音は、どうでしょうか。
シアターサプライ用システムを開発した会社は、家庭での音楽の繊細な表現に用いるためのコンシューマーユースも研究開発しました。 シアターシステムを家庭でそのままレコード再生に使用するとなると単なるPAにすぎなくなり、ホームユースオーディオシステム全体が難聴患者のための拡声機となってしまいます。 したがって転用するにあたって、シアター用とはまた異なる仕掛けが必要になってきます。 特にフォノイコライザーとその後のラインプリに重きを置き、多種多様な可変機能を付属させていきます。 それはレコードという音楽媒体に対して反応させるものです。 一時流行した入力信号を可変させないプリアンプが、大出力パワーアンプと組み合わされた時、拡声機的な再生音となることを思い出していただきたいのです。
こうした拡声器的再生音は、ヴィンテージ時代のハイフィデリティではまずありえないものでした。 信号とは可変されるもの、というのがポリシーだったからです。
それではここでシアターシステムスピーカーを汎用転用して、ホームユースとして製造されたモデルについて書いてみましょう。 これらの品は生まれはPAですが、ホームユース品として販売され、なおかつ評判も良いスピーカーシステムです。 米国JBL・ハーツフィールド、パラゴン、エレクトロヴォイス・パトリシアン、英国ヴァイタヴォックスコーナーホーン型等がざっと思い当たります。 アルテック、A7、A5を入れなかったのは、これらは完全なPAであるためです。 又独オイロダインもPAの部類に入るので書きません。
上記のスピーカーシステム群における共通点は、クリップシュ型の変形コーナーホーンを採用していることです(パラゴンはフロントロードですが。 これらのスピーカーシステムは、一見1Wあたりの入力をコンパクトなボディで、シアターシステム並の音圧レベルを得る為のものにみえますが、実際にPAとして使うと問題が生じます。 PAにとって必要欠かさざる音の到達距離がより短いのです。 確かに家庭用としては他の形式のものより、格段に音は飛びます。 しかし、純粋なシアターPAと比べるとかなり落ちるのです。
私はこれを試したことがあります。 アルテック1570Bアンプリファイアーで音圧レベルは小さな劇場並みで実験したのですが、10mまではヴァイタヴォックスコーナーホーンもロンドン・ウエストレックスホーンシステムも、音圧と浸透力いずれも変わりません。
15mを過ぎると途端にヴァイタヴォックスの方が落ちてきて、20mを過ぎると完全にウエストレックスによる再生音が到達してきます。 これは1570Bの入力ボリューム目盛6くらいのポジションでのことで、ゲインをもっと開放するとその差はさらに広がります。 これがクリップッシュ型コーナーホーンの特性で、ハーツフィールド、EVパトリシアン、英ヴァイタヴォックス各社が、コーナー型クリップッシュホーンを用いたのは、業務用機のPA臭を取り除き、ホームユース用に仕立てる為、絶妙なる仕掛けを仕込んだからです。
これらはいずれもコーナー型である為、中高音用ホーンがリスナー正面に向くことはなく、中高域を反射させてきつくなるのを避けています。 それでもコンプレッションドライバーの再生音は、他のコンシューマーユースのモデルと比較すれば相当エネルギーは強いのです。 そこで製作者は、中高音ホーンをキャビネットでカバーしたのです。
ヴァイタヴォックスコーナーホーンや、EVパトリシアンの中高音ホーンがキャビネットに内蔵されているのは、ただ全体としてのデザインを考慮しただけではなく、それなりの理由があります。 ヴァイタヴォックスコーナーホーンの中高音カバーを取り去ると、再生音は途端にPAくさくなります。 そして低音ホーン開口部面積と、中高音ホーンの開口面積比率にも念入りに計算された意味があります。 中高音ホーン開口面積に対し、低音ホーンの開口面積はかなり大きくなっており、それはとりもなおさず、ホームユース的に豊かな低音再生を狙ったがゆえなのです。
反応力という観点から見れば、反応力自体をコントロールしていることにもなります。
それは事実であり必要なことでもあります。 ホームユースは最大音圧というものが限定されているからです。 それは慎重に製作者側の意図する所によって音響デザインされており、シアター用スピーカーをホームユースに使われる方がしばしば陥る音優先のシステムとは異なるのです。 なぜなら、これらのスピーカー群はレコード再生に必要な音色とゆたかな音楽性を備えています。 全ては有能なエンジニア達が音楽の為に考案製造したシステムであり、反応力の抑制は音楽の女神へ捧げられた供え物でもあったのです。
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/51748646.html
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/51749181.html
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/51749261.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c6
7. 中川隆[-10925] koaQ7Jey 2018年4月21日 17:59:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11764]
我が、蹉跌のオーディオファイル#01. 現装置 ヴァイタボックス・システム にたどり着くまで
終戦直後、まだ音楽など聴く余裕は我々国民には無かったが、当時レコードといえばSP、若い諸君にはピンと来ないかもしれないが、78回転でぶんぶん回るレコード盤に竹や鉄の針で音を拾い、ザーザーいう雑音の中から音楽を聴き分ける。超アナログの世界しかなかった。
片面の演奏時間はせいぜい5分だから、頻繁に裏返したりレコードを換えたり、とてもじゃないが落ち着いて音楽を聴いては居られないのだが、この時代にはこれしかないのだから、それを特に不便とも煩わしいとも思わず、音楽鑑賞の妨げになるものは何も感じなかった。適応とはそういうもので、より便利なものを知りさえしなければかなりラフな 環境にも人間はちゃんと順応するように出来ている。
アマゾンやボルネオの密林深く住み着いた人々を不幸と思うのは文明(と云っても多寡が知れているが)の中に居る我々 の思い上がりと勘違いでしかない。
我家にも数枚のSPと電蓄があった。
ワインガルトナー指揮する第9もその中にあり、8枚組だから第9一曲聴き終わるまでに16回立ったり座ったりしなければならなかった。
だから滅多に聴くことはなく、その分聴いたときの感動は何時も新鮮だった事を覚えている。
その後 SP から LP時代に移行した
レコードは一気にステレオの世界に突入した。
巷ではコンソール型ステレオが発売され、やがてコンポーネントステレオで自由に機器を組み合わせることが出来るよう になった頃から今迄は極限られた少数の音キチという奇妙な人種が次第に一般化し始め、互いの持ち物に羨望の眼差しを向け合い、電機メーカーと提灯持ちのオー ディオ評論家達の巧みな話術に乗せられ、悲惨な出費をする者が多発した。僕がこの人たちに担がれてこの世界に巻き込まれたのは昭和48年だった。
オーディオ評論家を信用しなくなったのは彼らが異口同音に誉めちぎる JBL のがさつな音に起因するが、それはさておき、その1年後にはVITAVOX(ヴァイタヴォック ス)CN191、Machintosh(マッキントッシュ)C-22、MC-275、MARANTZ(マランツ)10B,TEACのオープンデッキに換わった。
昼はレストランで御飯だけ頼み、塩をかけて食べた。
やがてマッキンのブワブワした音が気になり始め、色々物色したけれども、これといったものに当たらず、ものは試に本郷の小さな新藤ラボラトリーに飛び込んで実情を話すと、答えは明快で、C-22 と MC-275はそういう音なのだと云う。
VITAVOX CN191もオリジナルその儘では低音がぶわつく傾向がある。
「だからお前は悩むべくして悩んでおるのだ。お気のどくなことだ」だと。
そう云うかい。ならば買おうじゃないか。ということになってこの新藤ラボラトリーの アンプを買った。
それにプレイヤー装置は Garrard(ガラード) 301とOrtofon(オルトフォン)RMG309と SPU-A。
ご飯が小盛りになった。それから35年このシステムを持ち続けた。
このシステムで鳴らすレコードの音は一つの完成をみている事は確かで、大概何処の音を聴いても羨ましいと思ったことは無かった。
この35年の間に、オーディオ界はデジタル時代に突入していて今やレコードなどはすっかりCDに駆逐された。しかし断言してもよいが、その現在にあってまだ、CDの音はレコードの音に遠く及ばない。
我家にあったSPの第九をCD化したものがあったので過日買い求めたが、雑音だらけのSPの方が 遥かに音楽的なのに吃驚したことがある。それ以来CDはずっと敬遠してきた。
http://audio-file.jugem.jp/?month=201007
40年前、オーディオの世界ではJBLが半ば神話の世界に入っていた。
そしてマランツとマッキントッシュ。
オーディオファンの間ではこれらでなければ世も日も明けない一時代があった。アルテックも、JBLと並ぶ大ブランドだった。
一度ブランド品として名が売れて仕舞うと後は楽チンで、一定期間は黙っていても売れてゆく。音楽などは二の次で「何を聴くか」よりも「何で聴いているか」が一義的な問題であったようだ。
VANジャケットが自分に似合うか否かは二の次であったように
「何で聴いてるんですか」
と聴かれて
「JBLです」
と小鼻を膨らませて答えなければ格好にならなった。加えて
「アンプはマッキンです」、
「私はマランツです」
と答える事が出来れば大得意の満点であったのである。そう、マークレビンソンという腐れアンプもあったが、今日では「LINNです」と答えねばならんのだろうか。
今、「JBLです」と答えるマニアは随分減ったのかもしれない。でも換わりに「LINNです」と答えなければならないのなら心理的レベルは進歩していない事になる。どうあれ、カリスマ的な目玉商品を人々に印象付ける事が出来れば流行を造る事が出来る。
2007年以来、LINNはネットオーディオを引っ張ってきたというから、ならば日本の業者や提灯持ちの評論家がカリスマに祭り上げたということかもしれない。そのこと自体ちっとも悪い事ではないし、ネットオーディオも面白いから寧ろ歓迎すべきだが、アンプ一個が数百万円、プレイヤーも数百万円。何から何までLINNで揃えたら軽く1000万円を超えるという事になると、ウェスタン並みのバカバカしさである。
35年前、僕はぷっつりオーディオ雑誌を読まなくなった。
参考にならないからであったが、余りに過激な人達が登場して、全員揃ってパイプを咥えている姿が気持ち悪くて見るのが嫌になったのである。
表現が違っていても云う事が全員同じであるところも気に食わなかった。一人が誉めると全員が誉め、貶すと全員が貶す。そいう事なら評論家など一人で充分だったと思うが、当時はこの仕事が金になったのかゴロゴロいた。
一人の評論家がJBLを誉めると数人の評論家が異口同音に誉めちぎり、其れを読んだ読者が揃って JBLを求める。僕も私もJBLという構図が簡単に出来上がる。斯く云う僕だって僅か半年の間だったとはいえ、一度はJBLを手にした事がある。
今年の7月になって、僕は35年ぶりにオーディオ雑誌を読んだ。評論家のメンバーはすっかり代って往年のパイプオジサン達は一人も登場して来ない。代って彼らの子供か孫くらいの年齢と思しき若者達が評論家として登場している。
それにしても、昔も今も評論と云うのは何故あんなに表現が難しいのだろう。まどろっこしいと云うか、解読には随分な苦労を強いられる。うっかりすると結局何を言っているのか解らない事もある。権威付けでもしたいのなら阿呆な話だ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=27
その昔、RCAに
フラワーボックス
http://www.youtube.com/watch?v=iG3w-mh5Z9c
http://budjazz.blog82.fc2.com/blog-entry-11.html
http://www.eniwa.co.jp/umeya/audio.html
という一寸素敵なスピーカーがあった。マグネットを使用する現代のスピーカーではなく駆動電源を必要とする所謂フィールドスピーカーというタイプである。
箱の全面と側面に貼られた布に大きく花柄の刺繍がしてあることからこの名が付いたが、正式には、RCA Loudspeaker 106という。
1950年代のモノーラルLPを鳴らすと実に艶っぽい音がする。
これを、GEのバリレラを使って真空管アンプで鳴らすのである。
この時代のアメリカ録音のレコードを聴くには断然バリレラが良い事を、僕はこのフラワーボックスで始めて知ったが、オルトフォンを始め全く他の追随を許さない。普段使う事が無くて引き出しの奥に転がっていたバリレラが敢然と息を吹き返し、フラワーボックスは恰も其処に歌手が居るかのように現実味を帯びて鳴ったのである。再度云うが実に艶っぽい。
こんなものを造る国と日本は戦争をした。端から勝てる相手ではなかったと今更ながらつくづく思った。
モノーラルのレコードの魅力は何と言ってもこの艶っぽさと生々しさにあり、ステレオLPでは終ぞ味わえぬものだ。こうした超アナログ世界の音を貴方が聴いた時、どんな気持ちになるだろう。
言い方を換えるなら、これ等の機器は音は鳴るが、音楽が鳴ってこない。無論、鳴ってくる音にはメロディーがあってリズムがあるから音楽には違いないけれども音から連想するものが違うのである。音楽の価値はそこから何を連想させるかで決まるのだ。
フラワーボックスが奏でる音楽には、つまりアナログ音には血が通っている。だから、連想するものにも血が通っているのである。
PCのサイトでVenetor Soundを検索すると、50年〜60年代のアメリカのレコードを不思議な事に見事なアナログ音で聴く事が出来る。
Venetor Sound Web
http://venetor-sound.com/main/
PCなどという超デジタル機器でどうしてこのような音が出てくるのか解らないが、間違いなく出てくる音は古き良き時代のアメリカンポップスのアナログ音である。この時代のアメリカという国の一端を知る事が出来る。
音楽には常にその音楽が生まれた背景があるから、それを聴き採る事が出来るかどうかがオーディオの評価につながる。
スペックを評価してもオーディオの価値は解らない。オーディオは決して主役ではなくて「主役は飽くまでも音楽にある」という事もこのサイトが教えてくれる。
Venetor Soundという会社は、言ってみれば今モノクロフィルムに注力するローライの姿に良く似ている。人の心に訴える本物の音造りをめざす数少ない会社の一つである。ローライと違う所は老舗ではなくベンチャー企業だという所だが、これからの我が国に必要なのは、中身の腐った某光学機器会社や紙屋の様な企業ではなく、こうした本物を追求してゆく会社である事に間違いない。
一度彼等の造る音を聴いてみる事をお勧めしたい。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=28
40年ほど前、オーディオ界ではどう云う訳かオーディオをネタにして金を盗る人達をオーディオ評論家と呼び、メーカーや出版社そして販売店が重宝し、確かな耳を持たなかった当時のオーディオファンは彼らを神の様に崇め、云われるままに辺りを徘徊して金をばら撒いた。
音を知らないという意味では実は彼らが僕らと変わるところは全くなかったのだが、何でも自信を持って言い切る所に拠所を持たない多くの読者(オーディオファン)が振り回された。
自信の源がメーカーや商社の広報室に有り、マスコミのバックアップにあるのは云うまでもあるまい。彼らの進みたいところに提灯を向ければ良いので、彼らが何を抱えて歩いているかと云う事はどうでもよかったとしか言いようのない発言が続いた。
この人たちは今どうしているのだろう。僕はこの人たちを無視し、オーディオ関係誌も読まなくなって35年になるから現在の姿は解らない。が、少なくとも当時はこういう風だった。
趣味の問題は100%自己責任だから、それで泣いたって本人が悪いに決まっている。僕を含めた多くの彷徨える人々の散財はだから評論家の所為ではない。それは解っているが、35年前彼らに担がれた不快感は未だに払拭されないでいる。
聞いた話で本当かどうか知らないが、ある大金持ちの超マニアが部屋にカーテンを引き、後ろで交響楽団のメンバー数人に演奏してもらい、評論家達を呼んでオーディオ機器の当てっこをして貰ったら、皆口々にこれは何、あれは何としたり顔だったという。おまけにもうちょっと音の粒立ちが良ければ、とか低音を締めたらもっと良くなるだろうとか、色々注文もあったという。
おそらく嘘だろう。だがこの逸話は彼らのあり様を良く物語っている。本当にやったらさもありなんと思う。
僕がヴァイタボックス・コーナーホーン(Vitavox CN-191)を見付けたのは、当時良く通っていたオーディオ店の小部屋であった。まるで隠すように置いてあったのを目敏く見付け「これを聴かせて欲しい」と云ったら何となく渋っていた。
値段を聴いたら156万円だとどういう訳か渋々答え、「買う」と云うと値が張るのでローン会社の信用がつくかどうか、とまた渋った。
僕の誤解かもしれないが、余り売りたくない様子が見て取れ、ローン会社の信用が付くととても残念そうだった。どうしてだか解らなかったが、このVitavox CN-191は最後のUKオリジナル品と後でわかった。
が、兎も角このVitavox CN-191が僕の部屋に安置された。
素晴らしい音だ、とは残念ながら云えなかった。原因がこのスピーカーを鳴らすアンプやカートリッジその他のレベルが低すぎるところに有ることは解っていた。
色々探した結果、最終的に選んだのはマッキン(Mcintosh C22、MC275)だった。当時最高のアンプだと各誌が誉め讃え、評論家も挙ってこれ以上のアンプは無いと絶賛しているから間違いは無かろうと思ったのである。当時の趨勢はとっくにトランジスタに換わっていたのと、このアンプを手放す人が少なかったのか市場には殆ど出回る事が無く、探すのには時間が掛ったが。
何とか見付けて欣喜雀躍音を出したがそれは酷いものだった。
LAXの真空管アンプよりはスケールが大きかったが音質は大差ない。
僕が評論家に疑問を持ったのはこの時である。
プレイヤーはこれも彼らが絶賛するトーレンス(THORENS TD124)。
アームは矢張り先生方ご推薦のSME3012,
カートリッジはエンパイア(EMPIRE 1000ZEX)。
低音がぶかぶかで、音は出たが音楽にならなかった。
プレイヤーが悪いかと思ってマイクロの、巨大なターンテーブルを空気で浮かし、糸で回す奴に買い替えたが、これは一段と酷い物で空気が漏れてターンテーブルが傾きシャーシーに触れて一周毎にゴトゴト音がした。アフターサービスも最悪で新品の欠陥品は結局治らないまま、正常なものとの交換も無かった。当時力は滅法あったので海に投げ込んだ。売るにも売れないし、付け物は家では付けて居なかったし、バーベルなら持っていたのでもういらない。第一見るのも嫌だった。
だが、音の悪い原因がプレイヤーに有る訳ではなかった様だから、ならば原因はアンプしかない事になる。買ったばかりのマッキンを買い替えねばならんとは不愉快の極みだが駄目なんだから仕方あるまい。
とは云うもののどんなアンプがあるか知っているわけではないし、当てがあるわけでもなかった。しょうがないから当時出版されていたオーディオ機器の総目録を隅から隅まで読んだ。巻末のスペック集は論評なしだったから、そこばかり何回も読み直したが、本から音が出る訳でなし決定打が打てる筈も無かったが、藁おも掴む思いで印象に残ったものを拾い出し、それを何回も見比べて最後に残ったものの音を聴いて確認することにした。
最後に残ったのは「RA1474」 とメインアンプの「124D」だった。
メーカーは新藤ラボラトリーとある。聞いたことが無い。
どうせ碌でも無かろうが音が悪けりゃ買わなければいい。
兎も角行ってみることにした。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=4
救世主、新藤ラボ
新藤ラボラトリー
http://www.shindo-laboratory.co.jp/Front/indexj.html
小さな扉を見付けるのに苦労し、やっと探し当てて開けると狭い階段があって、登り切った所が新藤ラボだった。
音が鳴った。素晴らしかった。
RA1474はフォノ専用のイコライザーアンプ。
124DはWE-350Bプッシュプルのメインアンプで迫力満点、加えて繊細でもあるからVitavox CN-191を鳴らすのには理想的だろうとこの時半ば確信していた。
数日後再度新藤ラボを訪ねた時、体中の全ての輪郭が猛烈にはっきりした人物が入ってきた。その人が新藤さんだった。
新藤さんは好人物であった。嘘を言わず、云った事はやり、出来ない事は云わない人だった。この時の印象は35年たった今でも変わることは無い。メーカーや販売店に有り勝ちな虚飾が一切なく、右だと云ったら左でも中間でもなく徹底して右だから解り易くもあった。
Mcintosh C22,MC275に関してはぼろ糞で、そもそも音全体に締りのないアンプだから、音のバランスを期待する方が間違っている。
「あそう、買っちゃったの」・・・・
「お気の毒」・・・
の一言でちょん。もう少しやさしい言葉はねーのかい。ねーんだなこれが。
RA1474 と124Dはキットで買うことになり週2度程此処に来て自分で組み立てることになった。キットと云っても部品は既に取り付けられており、配線だけすれば良い状態だったから不器用な僕にも出来たのだが、半田鏝と机が用意され、それから一ヶ月半程通った間新藤さんとは随分色々な話をした。
常に明快な人だから解りやすく、物事に対する考え方は良く理解できて、音造りと云うのは要するに人柄だということがこの時良くわかった。
僕は写真をやるが、写真は撮り手の性格が出る。怖いほど出る。
撮った被写体の影に自分が映っているのである。
音造りもやはり造り手の音が鳴っているものだ。
日本人の美に対する感覚は欧米人とはちょっと違って、音でいえば水琴窟や鼓、といった単音に感じ入る様な繊細さを持っている。反面グランドキャニオンの巨大な静けさやナイアガラの爆音の様なスケール感に欠けるところがある。
環境が違うから当り前のことだが、音楽にはこの二つの要素が必要で、新藤さんの音はそれに近かった。最近では新藤アンプは寧ろ海外で注目されているというところが、何やらこんなところにも国情が反映されているようで悲しい。65年の間に我々日本民族が失ったのは、こうした無形の心に拘わる感性ではなかったか。
Vitavox CN-191は見違えるような音で鳴り出した。
結構僕は満足していたが、新藤さんはVitavox CN-191の欠陥を二つばかり挙げ、これだけは直しておこうという事になった。
中高音用S-2ドライバーの裏蓋がプラスティックなので此処で音が死んでいる、従ってこれをステンの削り出しで造り直す。
ネットワークがチャチでここでも音が死んでいるのでしっかりしたものに造り直す。
という2点だった。特性のコイルとオイルコンデンサーを使って造り直し、この2か所の改良で夢の様な音に変身した。
序にスピーカーの内部配線も良質の物に換えた。
これで僕は充分満足だった。有難うを僕は連発したが、まだあった。
これはスピーカーの欠陥ではなく、我家の普請の問題だった。
このスピーカーは部屋のコーナーに嵌めこむように造られていて、裏から見るとだから骨組みだけでがらんどうである。
従って壁が低音ホーンの一部を代用するように出来ているので、理想的な低音を出すには壁がしっかりしている必要がある。我家は2×4の安普請だから、建てるときに気を使って壁に木の板を張り付けていたが充分ではないとのことで、裏蓋を付ける事になった。
これで低音はぐっと締りが付いて、音全体のバランスがぴったりとれた。
序にウーハーを外し、エッジに何やら塗り、乾くとこれで孫の代までエッジがへ垂れることは無いという。
Vitavox CN-191に施した改良は以上である。おそらくこれでVitavox CN-191コーナーホーンの持つ可能性の殆ど全てを引き出すことに成功したと僕は思っている。
新藤さんは何も言わなかったが、おそらく同様に思っていることだろう。それ以降スピーカーについては発言が無い。
これをRA1474と124Dで鳴らし、プレイヤーはGarrard 301のセンタスピンドルを改良してでかいターンテーブルを乗せ、アームにOrtofon RF297に厳選したSPU-Aをチューンアップした眼も眩むようなカートリッジ, という組み合わせが出来上がった。
それから35年僕はこのシステムで音楽を聴いた。オーディオには幾つか頂点があるが、このシステムも一つの頂点だったと思っている。
当然、これ以上の音が存在することを僕は知っているが、果たして家庭に持ち込むに相応しいかどうか聴いてみて疑問を感じたことがあった。
ウェスタンの15Aホーン である。
某所で聴いたがこれは凄かった。
ピアノがピアノよりピアノらしかった。もう桁違いで比較対象の問題ではなかった。
15Aホーンは御承知の通り劇場や映画館用であり、客席は20〜50メートル以上離れたところにあり、且つ天井はビルの数階分の高さがあることを想定して、観客に如何に心地よくしかも巨大なスケール感を味あわせるかという事がコンセプトだったろうから桁違いは寧ろ当然の性能と云ってよいが、それをこの時は距離約4メートル程、天井高2.5メートル程の所で聴いたのだから、それは腰も抜けよう凄まじさだった。
この時ハスキルは正しく男だった。「げー」と僕はのけ反った。僕の大好きなハスキルが。
家に帰っていそいそと僕は同じレコードをVitavox CN-191で聴いた。
紛れもなくハスキル はエレガントな女流ピアニストだった。
ハスキルのモーツアルト、これ程無心で典雅な音楽は無い。Vitavox CN-191ならずともこれがちゃんと聴けるなら、スピーカーは何だっていい。
新藤ラボの音造りは要するにハスキルのピアノをハスキルのピアノで聴かせてくれるのである。
この人に出会わなかったら、僕は未だに迷い続けていただろう。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=5
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c7
8. 中川隆[-10924] koaQ7Jey 2018年4月21日 18:17:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11764]
我が、蹉跌のオーディオファイル #28.欲しかったスピーカー
http://audio-file.jugem.jp/?eid=34
オーディオに興味を持ち始めてから約40年程経つが、当初最も欲しかったスピーカーにクラングフィルム、(後にシーメンス)オイロダインがある。
引き出しを整理していたらシーメンス当時のカタログが出てきて、オイロダインのスペックが載っていた。
ちょっと驚くのは再生周波数で、何と50Hz〜15,000Hzとあった。
今時数万円のスピーカーだって人間の可聴範囲20Hz〜20,000Hz付近をカバーしている。
そこで、スピーカーの再生周波数に付いて一寸調べてみたら、どうやらこういう事らしい。
スペックがどの様な数字であるかは兎も角、
「実際にスピーカーから出る低音の60Hz以下は音というよりも風圧として肌で感じるもので、強烈なドラムやベースの唸りの様な低音は大概80Hz〜100Hzくらいである」
という。だから、60Hzが出れば通常僕らが聴いているオーディオの低音に何ら不足を感じるものではなく、まして50Hzが出るなら映画館などの大鉄桟を巨大な大砲の発射音や炸裂音で揺るがすに実は充分な低音が出る事をオイロダインのスペックから読み取る事が出来るのだそうだ。
そして高音は「4KHz〜6KHz以上の純音の音色を判別する事は非常に難しく」この辺りで音程に対する判断は鈍って来るものらしい。
僕らが聴く「スピーカーの音(無論録音前の原音も)を決定づけるのは純音ではなく倍音であって、倍音は整数倍で膨らんで、大体13〜14KHzほど先からは殆ど聴こえてこない」ものらしい。
だから、オイロダインの50Hz〜15KHzという周波数帯域はこれらの条件を低音で10Hz、高音で1KHzばかり其々上回っており、従ってオイロダインで聴けない音は無いといってもよいという事になるらしい。
だから、2〜3万ながら矢鱈に周波数帯域の優秀なスピーカーが量販店などに出回っているのは、要するに僕ら消費者が悪いという事になるようだ。
つまり、食紅で真っ赤な蛸しか買わないとか、胡瓜や大根や長芋も真直ぐなものしか買わないとか、そうした次元と同じ事で、本質よりも見た目を重視する発想と同じ理屈になると考えてよいだろう。
生産者は売れなければ困るから、食紅が体に毒だろうが薬だろうが兎も角真赤っかに塗りたてちまう。流石に近頃では暮れの御徒町でもこんな蛸は滅多に見掛けないが、一昔前は真っ赤っかが常識だった。
食の安全が叫ばれる現在でも、野菜などは相当にいかがわしい色付けや型の細工、或は遺伝子の組み換え、延命処置などをしてあるものが出回っているようだ。
そういうものでなければ、僕らが買わないから、言い換えるなら、音が良かろうが悪かろうが最低でも20Hz〜20KHz出る事にしなければ買う人が居ないから、メーカーは無理してでもこういうものを造るし、測定の仕方で再生周波数表示などどうとでも云える事でもあるから、何が何でもこれ以下の数字は発表すまいとする。
基より、こんな数字は音質には何の係わりもない事で、それは曲った胡瓜も真っ直ぐな胡瓜も味や栄養価に変わりが無いどころか寧ろひん曲った胡瓜の方が(自然栽培)数段勝るというのと同じ事であるようだ。
従って周波数50Hz〜15KHzのオイロダインのスペックは、実質的に巨大空間における再生音に何の不足もないということを示しているのだが、既に各メーカーの宣伝文句に毒されてしまっている僕らは、この数字に目を疑い「そんな程度のものか」と吃驚して「大したこと無い」と見下してしまう。
でも評判は最高だから、それを僕らが住むマッチ箱の中の更に小さな書斎で鳴らそうと思う人もいる。結果的に手にはしなかったが自分がそうだった。
マッチ箱の中で鳴らすオイロダイン、実際は劇場の体積分の部屋の体積程度の実力も出せないのではあるまいか。
第一天井高が違い過ぎる。一般的な家庭用のスピーカーだって100%の実力を発揮させるには本当は5メートル以上の天井高を必要とするが、我々の住むマッチ箱の天井高は多寡だか2m半程度が通常の高さである。
単なる大音響ならば出そうと思えば出せるのかもしれないが、音楽としてはとても聴けたものではあるまい。今更ながらこんなものを買わなくてよかったと再度カタログを見直してそう思った。オーディオ関係者の誰もが口をつぐんで決して口外しないのは部屋と音響の関係に付いてである事は知っておいた方が良いだろう。
本当の事を言ってしまうと、メーカーも評論家も雑誌も売れなくなって都合が悪いから口外しないのである。当時本気で購入を考えていた事が「阿呆なことだった」とはそれを知った今だから言うことが出来る。
「クラングフィルム」、ただの社名だそうだが何とも響きがいい。これだけで部屋中に心地よい音楽が広がってくるような錯覚すら覚える素敵な名称である。
僕はドイツの映画館で映画を見た事が無いから、オイロダインの本当の実力は知らない。
旧日劇には確かWEの巨大なホーンが入っていて、解体時に誰がかっぱらうかと話題になったらしいから、日劇で観劇した人達は知らぬ間にWEの劇場音を聴いていた事になるが、クラングフィルムを使っていた劇場や映画館となるとまず聴いた事がない。少なくとも僕は知らない。
そのオイロダインを今頃になって某所で聴いた。
まあ、一般家庭ではあまり望めない広さの部屋にデンと置かれたオイロダインは壮観であり、愛想もこそもない如何にもドイツ的な武骨さが却って、変な例えだがローライの写りの良さの様な、カメラの武骨さとは真逆の効果を期待させるのと同様、見ているだけで素晴らしい音が聞こえてくるような気さえしたものだ。
期待に胸を膨らませていざ鳴りだしたこの時の落胆はだから筆舌に尽くしがたい。
音はか細く、妙に高音ばかりがガラスを引っ掻くような音でキーキー鳴りだした。
おそらく原因はオイロダインそのものではなく他に有ったのだろう。配線間違いとか、プレイヤー周辺、或いは真空管・コンデンサー不良、等々、そして何よりも部屋。
それにしても酷かった。
ドイツスピーカーが如何に優れたものかは日常聴いているつもりだから、その遥か上位機種のオイロダインがこのていたらくである筈が無い。いや、このような音で許される筈が無いと思ったが、これはオイロダインが悪いのではなくて、映画館の大空間に向けて、且つスクリーンの後ろに置いて鳴らすように出来ているスピーカーを書斎に持ち込むこと自体が間違いだと云うべきなのだろう。
ここで聴いたか細い音を完璧主義のドイツ人が母国の映画館で鳴らして、経営者も観客もそれで満足する筈はなかろうとも思った。
あの若かった頃、首尾よく入手出来ていたら僕のオーディオ人生は悲惨なものに変わっていたことだろう。
何時か本当のオイロダインの音を聴いてみたいが、何処で聴く事が出来るのか今のところ当てが無い。
一昔前FMファンという雑誌があった。その創刊号のグラビアに野口さんという方のオーディオルームが掲載されていたが、この人は桁違いな人でコンサートホール程の広さのオーディオルームに有名どころのスピーカーがごろごろしており、壁にオイロダインが嵌めこんであったと記憶している。もしかしたら此処で聴く事が出来るかもしれないと思うが、とっくに物故されたのでどうにもならない。
カタログでオイロダインには2m×2mという平面バッフルを指定しているがこのサイズはどう考えても「最低これだけ必要ですよ」ということであって、何に依らず無限大を理想とするのが平面バッフルならば、オイロダインのバッフルが2メートル四方で充分というものではないにまっている。
然るに、その最低限の寸法だって家庭に持ち込むにはかなりの無理がある事が容易に想像できる。バッフルを左右の隙間なくピッタリくっ付けて置いても横幅4メートル必要である。
勿論これでは何かと不便だから実際は最低でも5メートル必要になるし、天井高は通常2.3メートルと考えて、部屋に入れるだけなら何とかなるだろうが、これもぎりぎりでは何かと苦しいだろうから少し余裕を持たせるとして3メートルほどは必要になるだろう。そしてバッフルの後ろにも最低2mほどの空間が必要になるし、今度はスピーカーから何メートル離れたところで聴くかを考えなければならない。最低でも8mほど必要とすれば、部屋の縦方向は10メートル以上必要になるだろう。
長手10メートル、横幅5メートル、天井高3メートルが、オイロダインの最低条件のバッフルを置くスペースとして必要という事になる。
そしてこれは最低条件だから此処までやったからといって満足に鳴ってくれる保証はないのである。
メーカーも発売元も売れるものなら売りたいから、家庭用として組み上げる最低限の規格を無理やり発表した事を恰も証明するように、某所の音は再度云うが酷い音だった。低音など出てこなかった。
オイロダインはドイツスピーカーの代表格だから、ドイツスピーカーは劃して、つまりこういう物を家庭に持ち込ませようとしたから評判を落とし、我が国で普及しなかったのではないかと思われる。これは実に残念なことだ。
シーメンスにはコアキシャルという25センチウーハーの同軸上に9センチツイーターを装備した小劇場用のスピーカーがあるがこれを1メートル四方の平面バッフルに付けたものも他所で聴いた事があるが、オイロダイン同様Tメートル四方のバッフルでは音にならないのだろう、これも酷いものだった。
カタログにはもう一つスタジオモニターの「オイロフォン」とかいうスピーカーも載っていた。
W460,H1050,D310、2WEY,7スピーカー、アンプ内蔵密閉箱。
中高音は口径の記載はないが8pほどの物を拡散方向を変えて4個、低域用も口径の記載はないが20センチ程のコーンスピーカーを3個、という構成である。
「透明な音質は苛酷なまでに音源の判断を可能にします」とあるから、音という音は細大漏らさず再現しますよ、と云っているわけで、だからこそアンプ内蔵なのかと推察するが、「高域、低域共3db、6ステップの調整が可能」とあるし、「壁面に接近して使用できます」とあるから、敢えて業務用のスピーカーを家庭に持ち込もうというなら、大空間を要しないスタジオモニターの此方の方が扱いやすいかもしれない。尤も今でも発売しているかどうかは知らないが、カタログに記載されているくらいだから日本の何処かに存在するものと思われるので、何方か探してみられては如何だろう。
ヴァイオリンを弾く友人T君はELACの何とかいうスピーカーを使っているが素晴らしいとべた誉めである。僕は聴いていないから何とも言えないが、ELACのSTS322というMMカートリッジを愛用しているので、同様の音造りであればべた誉めも当然かと推察する。ドイツの音造りにはイギリス、アメリカとはまた違った如何にもドイツらしい堅めの哲学の様なものを感じさせる。
WEに代表され、JBLやアルテックで一般化したアメリカスピーカーも僕らを魅了するに充分な魅力を持っているが、イギリスのタンノイやヴァイタボックスは音の品性に於いて遥かにアメリカ系を上回る。全てそうだという訳ではないが、概してアメリカ系のスピーカーはジャズ、ロック系の音楽に適しており、其れ程の品性を必要としないのは云ってみればお国柄かもしれない。
どうあれ、ドイツスピーカーの胸を張ったようながっちりした、且つ繊細な音造りの魅力が正しく紹介されていない事は、オーディオ大国日本として画竜点睛を欠くと云うべきだろう。
4、5年前、捨てられていたラジオから外したような、ボロボロのドイツスピーカーがネットオークションなどで出回ったが、こうした事を積み重ねた結果がドイツスピーカーの評判を落としてしまったのではあるまいか。
あの手の8pほどのスピーカーはおそらくラジオから外したものと推察され、もしそうなら所詮人の声さえ満足に聴く事が出来れば事足りるので、其れなりの性能にしか造られていないだろう。それを50円か100円か或いは1000円か知らないが塵の山から安く拾って来て、オーケストラを鳴らし「フィールドスピーカーで御座い。付いては20万円頂きます。此方は上等のテレフンケンなので100万円頂きます」、これでは評判が落ちるのも無理はない。
スピーカーで一番難しいのは箱だという事は今更めく話で、とうに皆様御承知の通りである。
ただ造るだけなら大工仕事でも出来るが、ユニットの実力を実力通りに鳴らす事はそう簡単に出来ることではない。
指定の寸法で造ったから音になるかといっても、まずまともな音になった例を僕は知らない。無論素人仕事でも偶然の大当たりが無いとは言えないが、エンクロージャーの自作ばかりは決してお勧めできるものではない。
尤も、どう造ったって、音は出るに決まっているので、願望から僕らはつい錯覚する、出来たてのほやほやの時は「なんて良い音だ」と思いたいのである。
そして、JBLやアルテックのユニットを使っているんだから良い音に決まっているというブランドに対する先入観がまた僕らの耳を錯覚させる。
回路図通りに組み上げれば一応回路図通りの音が出るアンプなどとはわけが違って(これだって部品配置や配線方法等で俄然音は違ってくるが)目に見えない空気の振動に関する計算と現実の音の間には大きなギャップがあるようだ。
だが逆の事もあるだろう、コーラルのスピーカーユニットだって、箱を旨く造れば素晴らしい音に仕上がるかもしれない。今も云った通り偶然の産物が成功をおさめないとは云えないから、つい期待するし箱造りに嵌るのである。
この事は自作エンクロージャーに限った事ではなく、他社製造の箱つまり指定寸法に依る本職の仕事だってユニットがまともな音を出した例を聴いた事が無い。
まして、他社独自の設計によるエンクロージャーをや、である。
タンノイ然り、JBL,アルテック然りオリジナルとの音質の差は歴然としている。
古くはヴァイタボックスのコーナーホーンに物凄い奴があった。大メーカーともあろうものがよくぞここまでやってくれたものだとほとほと愛想が尽きて、以来このメーカーの物は何によらず買った事が無い。こういう音造りを平気でやる音響メーカーを信用出来ないのである。指定寸法という触れ込みながら、どう造ったってここまで酷い音にはなるまいと思うが、それがちゃんとそうなっているのだから驚く。
件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。
僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。
会社の大小を問わず、どういうものを造るかというメーカーのコンセプトは、要は経営の先見性に加えて教養とセンスとモラルを根本とする筈だから、これが無いメーカーは気楽なものである。何でも有りなのだ。要は「だからこのスピーカーは良いのですよ」という話を造ってしまえば良い。
僕らはだから自分の耳をしっかり信じて、良い悪いもさることながら、好きか嫌いかをしっかり耳で判断したら良いのだろう。JBLだから好きなのではなくて、眼をつぶって聞けば自分の好き嫌いは誰に教えてもらわずとも基よりはっきりしている筈だ。
その耳で是非ともちゃんと整備されたドイツスピーカーの音を聞いてみては如何だろう。
ただし、どうしてもオイロダインをというなら、閉館した映画館を買ってしまうのが早道だろうから相当の費用も必要になるに決まっている。だが、価値はあると思う。
勇者の出現を期待して、是非とも聴かせて頂きたいものだ。
コメント
部屋とスピーカーの関係をごまかし続けたからオーディオをやる人が減ってしまったのは確かでしょうね。
目先で物を売るために将来を潰してしまった。
その反動か最近はルームチューニングを試みる人が出てきたのは興味深い現象ですね。
とりごん 2013/01/05
http://audio-file.jugem.jp/?eid=34
3. 中川隆[-10923] koaQ7Jey 2018年4月21日 18:25:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11764]
日本を救った安倍先生の偉大な業績
アベノミクスで日本政府の借金をゼロにした
民主党の超円高政策を超円安政策に変えて輸出企業の業績をバブル期並みにした
安倍は財務省に逆らって、民主党が決めた消費税増税を二回も延期し日本経済壊滅を阻止した
財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できてバブル期並みの好景気に沸いていたんだ
財務省は安倍先生が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ
____
●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…
●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?
●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?
【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ
◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本
パネリスト:
安藤裕(衆議院議員)
高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
三橋貴明(経世論研究所所長)
渡邉哲也(経済評論家)
http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/403.html#c3
47. 中川隆[-10922] koaQ7Jey 2018年4月21日 18:34:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11764]
シアターサプライ用システムを開発した会社は、家庭での音楽の繊細な表現に用いるためのコンシューマーユースも研究開発しました。 シアターシステムを家庭でそのままレコード再生に使用するとなると単なるPAにすぎなくなり、ホームユースオーディオシステム全体が難聴患者のための拡声機となってしまいます。 したがって転用するにあたって、シアター用とはまた異なる仕掛けが必要になってきます。
ハーツフィールド、EVパトリシアン、英ヴァイタヴォックス各社が、コーナー型クリップッシュホーンを用いたのは、業務用機のPA臭を取り除き、ホームユース用に仕立てる為、絶妙なる仕掛けを仕込んだからです。
これらの品は生まれはPAですが、ホームユース品として販売され、なおかつ評判も良いスピーカーシステムです。
個々の機器は小さな原子核反応炉のようなものであり、それが相互に結びつくと、大きな反応体として動作していると想像してみてください。 私自身の体験からいって、反応炉どうしが反応し合わなければ、いかに大型フロアスピーカーでも、ラジカセ並みの音しか出ません。
デッカアーク型スピーカーを例に挙げてみましょう。 キャビネットに組み込まれているグッドマン社製20cmフルレンジユニットのマグネットは、500円硬貨より少し大きい位で一見非力なスピーカー。 それに極めて小さな出力(1Wそこそこ)のパイ社製ブラックボックスアンプリファイアーを接続すると、50畳あまりのオフィスいっぱいに良質な再生音で満たされるます。 それを一度聴いていただければ、たちどころに反応力というものを理解していただけます。 現代の数百ワット出力アンプリファイアーを使用して低能率スピーカーを駆動するのとは、まったく異なったスタイルで動作しているとしか考えられません。
ここに電気信号再生の本質的な問題の根源があります。 ヴィンテージオーディオの時代、電気信号の伝達に使われる電流の量は、質的なものを伝える為だけ有れば十分でした。 電気信号という船を浮かべ進めるだけの水量があれば、それ以上必要はなく、それ以上あると、かえって反応力を損なってしまうのでした。 それゆえにむやみな大出力アンプは製造されませんでしたし、必要もなく、当時のスピーカーに接続しても良い成果は決して得られません。 例をあげてみましょう。 今日のヴィンテージオーディオファンであればどなたでも御存じである、WEのトーキー用スピーカーで説明してみます。
WEシアターサプライスピーカーは、基本的に低域、高域にホーンロードをかけています。 そのため巨大なものになり、初期の555レシーバーをフルレンジに使ったシステムでも長大なホーンロードと開口部が必要です。 のちのTA4181Aと594A型ユニットを搭載したミラフォニックシステムは、さらに巨大な仕掛けのものになります。
スピーカーは大きいのに、アンプリファイアーの出力はとりわけ大きなものではなく、555レシーバー専用アンプリファイアーであった41、42、43アンプリファイアーでも、今日のトランシスターアンプ出力から考えれば、特別大きな出力ではありません。 そうした比較的小出力で劇場での使用に耐え、なおかつ効果的な広告が可能です。
WEのトーキーシステムの中で働いている、電気信号自体の性質が、現代のオーディオとは全く別の力を保持しているのです。 それこそが核反応的な連鎖であり圧縮、拡張と言うやり取りの後に、再生結果として提示されるのです。 ただアンプリファイアーが連結して圧縮、拡張を行っていっても、そのままでは核反応を発生させることは出来ません。 問題は電気信号の圧縮と拡張が、何のために行われているかです。
今日のオーディオでは、この圧縮と拡張は利得を得る為であるとか、アンプリファイアーの出力の増大として解釈されていますが、この時代のシアターシステムはそうではありません。 それは電気信号の加工に使われたのです。 加工され、可変された電気信号は、アンプリファイアーの出力という船に乗って、スピーカーに送り届けられ確実に爆発します。 しかしこれだけでは核反応爆発力を長続きさせることは難しい。 確実に誘爆させ、それを連続的爆発に導くには、スピーカーを臨界に保ち、いったん電気信号が入ったらそのまま臨界点に達する様にしなければなりません。
そこでコンシューマーユースホームオーディオとは、全く別の仕掛けを持った機材が必要になってきます。 WEのアンプリファイアーがその大きさの割に出力が小さいのは、ここに仕掛けが施されているからです。 出力より反応力の方に重きを置いたアンプリファイアーだったのです。 アンプリファイアーに限らず、光学式サウンドトラックフィルムの入力から、終段のスピーカーシステムに到るまで、あらゆる個所に反応する仕掛けが仕込んであります。 つまりWEのトーキーシステム全体が反応体の固まりであり、そのシステムブロックの一個一個が原子核反応炉みたいなものです。 こうした仕掛けがあるからこそ、小さな出力であっても大規模な拡声が可能です。 逆にいえばWEのスピーカーシステムの優秀さの証しでもあります。
およそWEのトーキーシステム全体を見渡し、その反応力の値を考えた場合、もっとも強力な力を示すのはスピーカーです。 WEに関わらずRCAやヴァイタヴォックス、BTH、アルティック等のシアターシステムのスピーカー能率は大変高く、標準的には1W入力あたり105〜110 dbほどになります。 これはコンシューマーユースのものと比べればかなりの高能率であり、音圧も出るのですが、それはあくまで1W入力時の話です。 劇場で使用する際は、もちろん1Wで済むはずがありません。 当然もっと多くの入力信号を送ることになりますが、さて、ここで能率と音圧の秘密をお話ししなければなりません。
WEのトーキースピーカーは、入力信号の上昇に対してリニアに追従して働きます。 入った分だけ音圧が大きくなるのです。 なんだそれは当り前ではないかと思われるかもしれませんが、失礼ですがそう思う方は真のトーキー用スピーカーの何たるかを知らず、ちゃんと聴いたことが無い方です。 何故ならWEだけでなく真のトーキー用システムが、圧縮、拡張、反応力の三つの力を総動員して、核反応力を発生させたなら、人間はそのすさまじい音圧にリスニングルームに座っていることすら不可能です。 トーキーシステムとはその様なものです。
スピーカー自体の入力信号に対する変換効率、能率がコンシューマーユースのものとはまったく別物であることを意味しています。 WEトーキーシステムにとってスピーカーの能率とは、再生音における最低保証値であり、1W入力−105/110dbという値は、アイドリング時のエンジン回転数と同じ状態にあるのです。
ところがこの値はコンシューマーユースにあってはこの値はむしろ、最大音圧レベルに近いものであり、これを考えると両者のIW入力−105−110dbという値は業務用の場合は最低値を示し、コンシューマーユースは最高値であると言うことになります。 そして反応力という立場からみると、両者の能率、音圧レベル特性値とは、1W入力に対する反応力の値であるということに思い当たります。 これがマジックです。
私達はこのことを知らずに来てしまった。
確かに能率という面から見ればシアター用スピーカーは1Wでも鳴ります。 しかしそれは反応力がなければ、ただ鳴っているだけです。 シアタースピーカーシステムを鳴らすには、たとえ1Wでも確実に核反応を発生させるアンプリファイアーでなくては、シアタースピーカーの真の能力を示すことは出来ません。 しかしシアタースピーカーを家庭で使用する場合、そのほとんどが核反応力が殺されているのが現実です。 そうでなければ、すさまじい音圧レヴェルでレコードを鑑賞することになり、これは劇場かそれに準じるスペースを確保されている方にのみ許されることです。
たとえ、そうした空間で映画を上演するならまだしも、レコードを再生するとなると、それは家庭で鑑賞するために制作されたレコード本来の音質とは程遠いものであるのは、ユーザーご自身が良くわかっていることでしょう。 それでは反応力で動くスピーカーが、他の様式で動作して生み出される再生音は、どうでしょうか。
シアターサプライ用システムを開発した会社は、家庭での音楽の繊細な表現に用いるためのコンシューマーユースも研究開発しました。 シアターシステムを家庭でそのままレコード再生に使用するとなると単なるPAにすぎなくなり、ホームユースオーディオシステム全体が難聴患者のための拡声機となってしまいます。 したがって転用するにあたって、シアター用とはまた異なる仕掛けが必要になってきます。
特にフォノイコライザーとその後のラインプリに重きを置き、多種多様な可変機能を付属させていきます。 それはレコードという音楽媒体に対して反応させるものです。 一時流行した入力信号を可変させないプリアンプが、大出力パワーアンプと組み合わされた時、拡声機的な再生音となることを思い出していただきたいのです。
こうした拡声器的再生音は、ヴィンテージ時代のハイフィデリティではまずありえないものでした。 信号とは可変されるもの、というのがポリシーだったからです。
それではここでシアターシステムスピーカーを汎用転用して、ホームユースとして製造されたモデルについて書いてみましょう。 これらの品は生まれはPAですが、ホームユース品として販売され、なおかつ評判も良いスピーカーシステムです。 米国JBL・ハーツフィールド、パラゴン、エレクトロヴォイス・パトリシアン、英国ヴァイタヴォックスコーナーホーン型等がざっと思い当たります。
アルテック、A7、A5を入れなかったのは、これらは完全なPAであるためです。 又独オイロダインもPAの部類に入るので書きません。
上記のスピーカーシステム群における共通点は、クリップシュ型の変形コーナーホーンを採用していることです(パラゴンはフロントロードですが。 これらのスピーカーシステムは、一見1Wあたりの入力をコンパクトなボディで、シアターシステム並の音圧レベルを得る為のものにみえますが、実際にPAとして使うと問題が生じます。 PAにとって必要欠かさざる音の到達距離がより短いのです。 確かに家庭用としては他の形式のものより、格段に音は飛びます。 しかし、純粋なシアターPAと比べるとかなり落ちるのです。
私はこれを試したことがあります。 アルテック1570Bアンプリファイアーで音圧レベルは小さな劇場並みで実験したのですが、10mまではヴァイタヴォックスコーナーホーンもロンドン・ウエストレックスホーンシステムも、音圧と浸透力いずれも変わりません。
15mを過ぎると途端にヴァイタヴォックスの方が落ちてきて、20mを過ぎると完全にウエストレックスによる再生音が到達してきます。 これは1570Bの入力ボリューム目盛6くらいのポジションでのことで、ゲインをもっと開放するとその差はさらに広がります。 これがクリップッシュ型コーナーホーンの特性で、ハーツフィールド、EVパトリシアン、英ヴァイタヴォックス各社が、コーナー型クリップッシュホーンを用いたのは、業務用機のPA臭を取り除き、ホームユース用に仕立てる為、絶妙なる仕掛けを仕込んだからです。
これらはいずれもコーナー型である為、中高音用ホーンがリスナー正面に向くことはなく、中高域を反射させてきつくなるのを避けています。 それでもコンプレッションドライバーの再生音は、他のコンシューマーユースのモデルと比較すれば相当エネルギーは強いのです。 そこで製作者は、中高音ホーンをキャビネットでカバーしたのです。
ヴァイタヴォックスコーナーホーンや、EVパトリシアンの中高音ホーンがキャビネットに内蔵されているのは、ただ全体としてのデザインを考慮しただけではなく、それなりの理由があります。 ヴァイタヴォックスコーナーホーンの中高音カバーを取り去ると、再生音は途端にPAくさくなります。 そして低音ホーン開口部面積と、中高音ホーンの開口面積比率にも念入りに計算された意味があります。 中高音ホーン開口面積に対し、低音ホーンの開口面積はかなり大きくなっており、それはとりもなおさず、ホームユース的に豊かな低音再生を狙ったがゆえなのです。
反応力という観点から見れば、反応力自体をコントロールしていることにもなります。
それは事実であり必要なことでもあります。 ホームユースは最大音圧というものが限定されているからです。 それは慎重に製作者側の意図する所によって音響デザインされており、シアター用スピーカーをホームユースに使われる方がしばしば陥る音優先のシステムとは異なるのです。 なぜなら、これらのスピーカー群はレコード再生に必要な音色とゆたかな音楽性を備えています。 全ては有能なエンジニア達が音楽の為に考案製造したシステムであり、反応力の抑制は音楽の女神へ捧げられた供え物でもあったのです。
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/51748646.html
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/51749181.html
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/51749261.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/710.html#c47
9. 中川隆[-10933] koaQ7Jey 2018年4月21日 19:07:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
Western Electric Amprifireについて
このページはアメリカWestern Electricのアンプ情報を掲載しています。私が現在使用しているアンプの数々です。
WE20B,WE46C,WE49,EW62,WE118,WE124,WestrxRA1474,RA1479等
WE46Cの詳しい写真があります。
http://www.yasunaga.co.jp/WE/WE46C.html
Inside ofWE46C Power Amp 205D PPpage
This WE46C is so nice sound in Push Pull amprifire.
WE49 (264C X 2 ) Line Amp
49の電源
WE62 (262A X 1) Line Amp
WE118 para pushpull amp
WE124 amp
WE118 amp para push pull ( 6J7x2,6L6x4,274Ax1)
WE124 amp ( WE348Ax2,WE350Bx2,WE274B )
WE124 amp ( WE348Ax2,WE350Bx2,WE274B )
Altec 1569 para pushpull amp. (6CA7x4,5U4Gx2,6CG7x2)
Westrex RA1474 X 2, RA1479 power supply. このプリアンプはAシェルのレコード用に使用しています。マーリック*のLC付き。*現エルタス社の社長が昔作ったトランス。
Westrex RA1474D X 2, RA1479 power supply. これはOrtofonトランス付きのGシェルに使用。前段のトランスはパスして使用。
このリアイコライザーはLCRでまぼろしのマーリック製です。音がいい カートリッジの最高はときかれたら迷わずOrtofon トランス付きのGシェルと答えます。当然古いやつ!
最高の電源、ただしWE300A,WE274A刻印,WE348AメッシュWE351,WE313CAなどすべてWEの球を使用しないと最高の音は望めません。特にWE300Aの音がきめて! だれかWE300Aを譲ってください。
24V Tungar power supply バルブ電源 WE288A Tungar Bulb. Trans is made by Hiroshima Trans. This was made by Mr.Izummi live in Hiroshima. WE20B電源、年代違いで2台あります。140Vから300VのB電源が取りだせます。
Western のアンプの最高は?
Westernのアンプの最高はWE59,60,61,62だと言われています。
WE59に使用されている出力管はWE252Aです。この球は1930年より1978年まで製造、57A,59A,59B,67A アンプに、10A,11A,15A,16A, RTE; D-96566 Navy RTE、309A Police Radio等に使用されました。つい最近TUBE WORLDで数千ドルで売っていましたが、買いそびれてしまいました。残念!ただし1949年当時は252Aは20.00ドル、300Bで6.95ドル、350Bが15.20ドルでした。
http://www.yasunaga.co.jp/WE/WEamp.html
WEのトランスのデータです。
http://blogs.yahoo.co.jp/fareastern_electric/62006702.html
1937年ということでWEの映画システムのトランスがほとんど載っています。
特に91アンプは入力トランスの285Aも出力トランスの171Aも、ともに100〜6000Hzの再生帯域なのでその間にどんなに広帯域の高NFBアンプを持ってこようと特性はトランスによって決まってしまいます。
Western Electric Amplifier の周波数帯域
WE86 : 40〜10000 Hz
WE91 : 50〜 8000 Hz
なにせ入力トランスも出力トランスも100〜6000 Hz ですから。
http://n-nobo.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/1-eeb8.html
WE91Bの魅力は、音が良いだけではない 2013年02月04日
https://blog.goo.ne.jp/8417chiharu/e/7a917c08cf2dcbe96220681fbe10f7dc
WE91Bが普通のアンプになってしまった!!
入力を618Bのトランス結線をするにあたって幾つか実験を試みてみました。
自作をされる方々や、真空管の先輩方に前から言われていたことですが
310の二段増幅ではゲインが高すぎる!
二段増幅は必要がない!
310一本の一段増幅にすれば音がピュアになる
あんなに深くNFBが掛かっていて音が良いわけがない、
NFBは音が死ぬ
Etc
私も言われた時はもっともなご意見だと思った
一度試して見たかったがなかなか機会が無かったので
トランス入力を試すにあたって、ついでなので
初段を外してNFBのかからない状態で310一本の一段増幅で音出しをしてみた、
が、
う〜ん音は良い、すばらしい〜
本当に音がピュアになった
なるほど
でもつまらない!
スピーカーに音がへばりついている
レンジは広くなったように感じるがエネルギー感はない
音色もきれいだが、ウエスタン特有のコクが無いし全然楽しい音がしない、
これではただの音の良いシングルアンプ
ジャンルを変えて一応数曲聞いてみるが結論は同じ
世間一般の音の良い300Bシングルアンプである
なるほど
同じWE300Bを使ったシングルアンプでもこんなに音作りが違うんだ
これではいろいろな店や記事で見る一般的な91型のアンプがあのような評価なのはうなずける
ほかにも入力を試したが、結論は
310を2本使った二段増幅でNFBをたっぷりかけないと
あの張りのある前に押し出す音の濃い音色は聴けない
そう、音が濃いのだ
618Bの入力トランスを入れるとそれに輪をかけてコクと張りが出る
貴重な体験をしたもんだ同じアンプで同じ球で同じ部品で回路をちょっと変えただけなのに入力回路をシンプルにして、球を減らして、NFBもかけないでいわゆる、シンプルIsベストの状態にしたのに、ウエスタンの世界では違うんだ
このアンプで聞いていると今まで出会ったアンプとは基本線が違うような気がしてきた
単に技術や発想だけでは語れない
音色ずけ、音作り
このアップは劇場で聴き手が
泣いたり
笑ったり
驚いたり
それを演出するため
音によって聴き手に映像以上に感動を与えるための演出装置としてのアンプ
それがWE91Bなのかもしれない
そんな気がしてきた
http://blog.goo.ne.jp/8417chiharu/e/7a917c08cf2dcbe96220681fbe10f7dc
WE86 解剖 2012年10月11日
https://archive.fo/iBbb4
ひょんな事から、あの有名なWesternElectricのアンプWE86を入手する事になりました。
WEのマニアの方の多くは、最終的に86に落ち着かれると聞いていますが、その良さは何処にあるのか?又あまり発表されない測定値なども含めて何回かに分けて解剖してみたいと思っています。
なお、この86はOPTが159Bなので、正式にはWE86-Cと思われます。
とりあえず外観はこんな感じで、ボックスはオリジナルではありません。
とりあえず表側の撮影・・・・これまでいくら探しても見つからないパーツ類が、当然とは言えずらりと並んでいます。
261B(Input)-264C(Int)-159B(Output) D96970(PT)-197A(RET)-179A(RET)
続いて、シャーシ内部の写真・・・予想以上に古い〜・・・・手が付けられない感じ。
もっとも1935年前後に作られたことを思うと、残っている事が不思議なくらいです。
WEの修理に詳しい方に聞くと、この配線が解かれていないのは素晴らしいそうです
真空管の構成は
WE262A - WE262A - WE262A - WE300A/PP
ですが、このままだとゲインが96dbにも達し、SNの面でも不利であり、前オーナーもInputtranceとWE262Aの一本をジャンプさせてられました。
私の場合はプリの出力は250Ωであり、自作の他のアンプもほぼ55db程度はあるのでまずはInputtranceの復活を目指すことに・・・とは言えこんな配線で分かるのかと心配しましたが、素晴らしい事にワイヤー類は一切触ることなく、基盤にある番号を確認しジャンパーさえすれば、色々な配線が出来るような作りになっていました。
インプットトランスはシャーシ内部に、厳重なシールドをして鎮座しています。
AC電圧を規定の117Vにして、当時の真空管WE300Aにていよいよ測定開始。
まずヒーターが交流点火なので、気になる残留ノイズに関しては予想以下の 3mVで問題なさそうです。
次に歪み率とパワーは5%クリップで楽に18W以上でありこちらもOK。
さて、いよいよ周波数測定ですが、どうもInputTranceを通過させると10KHz時点で既に6db以上の減衰が見られるので、ゲインは若干下がりますがやはりPassする事にします。
上記がその結果ですが、癖の無いきれいなカーブです。
10Hz〜13KHzまでが1db以内と、予想以上に優秀です。
また、この低域特性の良さはPP用にも関わらずEE型コアにギャップを設けた珍しい構造の成果なのかもしれません。
なお、フィールドスピーカーを使用するならあまり意味はありませんが、ダンビングファクターは1.33で、問題は無さそうです。
実は、もっと遥かに悪い結果を予想していましたが良い意味で裏切られました。
参考までに1KHzの矩形です。
次回はヒアリングと思っていますが、ACに使用しているステップアップトランスの容量が小さいので、200Vからのステップダウントランスが届いてからにします。
それにしても特筆すべきは、出力の安定性(左右のゲインも含め)です。
また、カップリングコンデンサー(230A)などはオリジナルのままですがこの測定値は立派な物だと自画自賛しています。
WE300Aの残り2本が到着。楕円型とおむすび型なので若干製造年は異なりますが TV-7Uではほぼ同じ値なので問題なさそうです。
早速取り付けていよいよ自作アンプと聞き比べに入りましたが、どうもどちらともこれまでの雰囲気と違う(濃厚さが無くなりアッサリ)感じの音です。
何故だろうと考えてみるに、それぞれに同じ作業をしたのを思い出しました。
今回、WE86アンプを鳴らすにあたって元々InputTranceを外してあったので、自作品も外したのです。
プリアンプ自体のラインは300Ωですので、インプットがハイインピーダンスでも原理的には問題は無いのかもしれませんが、何かが変です。
これが原因かどうかは分かりませんが、とりあえずどちらもInputTranceを付け直してみたいと思います。
自作のアンプはInputTranceにWE618Cを装着。
実は当初46アンプに使用されているWE247Aを使ってみたが、電源との干渉か、唸り音がかなり残る。ちなみに距離を離すと聞こえなくなる・・リンケージフラックス?
86アンプではInputTranceがシャーシ内部に、しかも厳重なシールドをしてある理由が良く分かった。
さて、いよいよパスしてあったWE86アンプの入力トランスも復活。
さすがに強烈なゲイン(57db)の為に300ΩラインにはATT(40db)が必須。
自作の339A/PPも同じくハイゲイン(54db)なので、瞬時に切り替えて聴いても違和感が無くちょうど良い(5%クリップで出力18W)
実はこの実験はどちらが勝っても微妙な気分です。
自作アンプに勝ってほしいような気もしますが「さすがオリジナル」となってほしい気持ちも大きいからです。
若干WE86にハンディーがあるとすれば、周波数レンジの高域に限界があるのと、AC点火でこのゲインはさすがに静寂時に聞こえる若干のノイズがある事です。はたしてこのハンディーを乗り越えてでも優位に立てるか興味ある所です。
まずはコルトレーン・エディーヒギンス・MJQあたりから・・・
自作アンプはきっちりと音階を刻み、迫力も十分。やや奇麗な鳴り方、勿論レンジは広くどの楽器も問題なし。
次に86アンプに切り替えたとたんに何か別の世界!!
非常に押し出しが強く、「これが86」だと言わんばかりです。
ピアノもベースも管楽器も強烈で、遠くに居た演奏者が目の前に来たイメージと言えば大げさかもしれませんが、もう高域が低域がどうのと言うのがばかばかしい。かと言って決して荒々しく無く、繊細な表現もまったく問題無し。
次にHERT'S TO BENからSTARDUST
もともとライブの臨場感たっぷりのアルバムではありますが過去に聴いたどのアンプより、雰囲気抜群・・・かといって決して甘いだけの音でもありません。自作アンプに切り替えると、かなりあっさり系となり、一番大きな差がでそうなソースと思われます。
疑いの余地なく過去に多くのWE愛好家の方が書かれていますように、いつまでも聴いていたい気持ちが続き、この場所を離れたく無い気分です。
現代オーディオの音とは異質かとも思いますが、正直これほど人間の感性や魂に入ってこれる現実がWEの真骨頂と言えるのだと思います。
この不思議な音は、WE300Aの球なのか、WE86の設計なのか、トランスなのか、パーツなのか(多分全部)・・・理由はまったく不明です。
さて、次に期待できるのはWE59アンプですが、とりあえず模造品でも作って懲りずにまた聴き比べでもやってみようと思います(^-^;
最初から少し気になっていたノイズが結構ひどくなってきました。
一段目の262Bのシールドケースあたりと思われましたが、どうもはっきりしません。
自作アンプなら思い切り組み立て直しで直ると思われますが、折角のオリジナルWE86でもありここは専門家にと思い、以前からの知り合いで、管球王国にも登場されました OM Laboratory 青木さんにヘルプメールを出した所、快く引き受けていただき早速送り、昨日無事帰還しました。
原因は、心配されたトランスの不良などでは無く、一番大きな原因はシールド管をシャーシに固定 するリベットが長年の疲労でゆるみ、そこにホコリなどが付着して、接触不良を起こしていたようです。
そこで、リベットの打替えと、その他の怪しい接触箇所の半田固定をやり直していただきました。
また、一番悩んでいました、インプットトランスの扱いについて良いアイデアを教えていただく 事が出来ました。トランスを通すとゲインが非常に大きくなりノイズが多いのと、やはり帯域の 縮小が欠点ですが、教えていただいた方法は、まずトランスの一次側は使用せず、二次側を グリッドリークとして使用する方法です。これにより、一気に悩みは解決しました。
もう一つ、これは私も気がついていたのですが、一本目のWE262Bのプレート負荷抵抗(70KΩ) に本来は使用されている38式抵抗が見当たりません。かわりにWEの初期のL型抵抗(写真)が 付いているのを指摘頂きました。ただラッキーにも以前に購入していたものがあり早速取り替える事にしました。
これらの変更により、更に良い音になり、底知れないWEの凄さに感動しています。
WE300Aの良さもあるかもしれませんが、あらゆる回路や極上のパーツを使用した 自作アンプも、大きく水をあけられてしまって、やや困った状況です。
話はOM Laboratory青木さんに戻りますが、あらゆるWEの機器の修理の経験が豊富で WEのショップさんも依頼されています。このブログをご覧の方で修理やレストアに困られたら是非相談してみられると良いと思います。
OM Laboratory
http://sky.geocities.jp/cafesphinx/SPHINX/OM_Labo.html
年末はWE86に嵌ってしまい、あまり制作に身が入りませんでしたが、また新たに色々な事が分かってきました。
86の音の良さはインターステージトランスにあるのでは無いかと思っています。
勿論クラーフ結合ですが、そのトランスのクオリティーの良さで二次側に抵抗をシャントしなくても低域や高域に妙なピークもなく非常に素直なカーブを描いています。(以前のブログに特性表)
ところがこれまで、あまり良いトランスではない為に常に抵抗でカーブ調整を行っていた事で生き生きとした音の感じが失われていたようです。
いろいろな記事を見ると、実は基本中の基本のようで、今更ながら素人らしさを感じました(^-^;
そこで、手持ちのトランスから一番性能の良さそうなエクセルを使用して再度シングルアンプを組んでみました。
WE310A(3結)-WE310A(3結)-Inter-WE300A(WE252A)
完璧です。躍動感・雰囲気申し分ありません。CR結合はまったく眼中に無くやはりトランスをうまく制御すれば、こんな音がでるのですね。
自作もWE86に負けない音が出始めたので無事年が越せそうです。
https://archive.fo/iBbb4
情熱のオーディオ WE 124A (Lengevin108A) 9/3/2004
http://mikami.a.la9.jp/audio/we124/we124.htm
Western Electric からライセンスを受けLengevin 社が製造した108型アンプ-回路は、WE124に忠実である。
Langevin 108A
Langevin 108Aは、同社がWestern Electricから、ライセンスを受けて生産し、レコーディング・スタジオや放送局等の業務用システムに使用されていたもので回路は有名なWE124に忠実である。108型は拙宅に輿入れして初めて知ることとなったが、この108型はA,B,C,Dと4機種あり、それぞれWestern Electric 124のAからDに対応している。WE124の回路は、今日に至る近代的プシュプルアンプの原点を見る思いの回路構成になっている。すなわちトランスによらず、ドライバー段の真空管による位相反転であるが、その手法はPG帰還位相反転?という、ムラードやPKに慣れた私たちから見ると超古典型の回路である。恐らくは耳で煮詰めた回路ではと思われる。古典アンプは、どうしてこんなことをするのか良く分からない回路が随所に登場して興味深い。2段増幅のゲインの不足は、インターステージ・トランスを最初において5倍程度の利得を稼いでいるようだ。124D(108D)型の場合は、このインターステージの場所に618型のイントラと1612による増幅段があり、3段の構成になる。この108Aは、6SJ7-6L6が使用してあり、1946年製である。
甦るビンテージの音
まずもって、1940年代の製品が現存し、そして動作するということに敬礼しなければならない。歴史を生き抜いてきたビンテージには真摯な姿勢で向かわなければならない。電源を入れずに数日間回路と実装を十分に調べる、不明部分は実物から回路を起こしなおす。かかる作業の間は人間様のほうはアルコールは禁物である。アルコールは清掃が必要なときに使用する。
電気的性能は、近代的な真空管アンプに比べて落ちているのは致し方ない。残留雑音、歪、周波数特性は、経年変化により劣化している。動作点もずれている。しかし60年を経過して、実用に十分以上の電気特性を維持しているのは、驚嘆に値する。基本設計の秀越さが伺い知れる。自作モノの"高性能アンプ"などは、60年も生き長らえることはないだろう。
さて肝心の音であるが、負帰還ペントードの音のよいところを存分に引き出したもので、音が十二分に煮詰められており、すばらしくバランスがとれている。あらゆるソースと使用環境で、破綻をきたさないプロの音作りだ。常日頃無帰還トライオードで、レーシング・マシンのようなピーク性能重視の不安定?で、大袈裟で危なっかしい装置を聴きなれている者にとっては、実に安心して聴ける音である。私には、このようなアンプの音は永遠に作れないだろうと思った。人格の陶冶が必要である。ある意味で大成した音である。出力トランスもWestern 117Cでないのが良いのかもしれない。あえて聴かそうとりきまないのが好感が持てる。
改造
このまま聴きつづけるか改造するかは難しいところだが、1台をそのままにしておき、もう1台を音のバランスをくずさないように注意しながら、電気特性的なレベルを引き上げてみようかと考える。初段のインターステージ・トランス(400D)での受けが気になっているのでまずここらへんからになるだろうか。変更などは、後日このページに追加しよう。ご経験のあるかた興味のある方、ご教示くだされば幸いです。
http://mikami.a.la9.jp/audio/we124/we124.htm
10. 中川隆[-10932] koaQ7Jey 2018年4月21日 19:28:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
ウェスタン・エレクトリックの装置の最終目標は蓄音機クレデンザと同じ音を出す事
皆様「CREDENZA」という蓄音機をご存知ですか。
1920年代にアメリカのベル研究所が設計し、ビクトローラ社が製作致しました78回転盤レコード専用の蓄音機です。
この蓄音機は世界で最も再生音の美しい蓄音機と言われており、世界ではじめて逆三角関数の数式に基づいた理論によるホーンの設計がなされた蓄音機、と言われております。
その図体は蓋をあけると背丈よりも大きなものでかの有名なウェスタンエレクトリック社のホーンの設計の原型となったモデルとも言われております。JBL社、ALTEC社などのホーンもこの蓄音機のホーンが原型となっているそうです。
またサウンド・ボックス内のアルミ製の振動板についてもすべての高級ドライバーと言われるものはこの形状を踏襲致しております。
気品のある音色はこの振動板から出てくるのです。
http://www1.odn.ne.jp/~cbz49420/credenza.htm
ウェスタンサウンドを考えるとそれ以前のサウンドは蓄音機のサウンドであり、かの有名なビクトローラ・クレデンザがウェスタンの原点ではなかろうか、
実際クレデンザのホーン構造を見ますとウェスタンの12A、15A、のカールホーンに良く似た構造をしています。
(蓄音機の音等は良い音ではない)と思われがちですが、本当に良い音とは電気臭くない音ではないだろうか、
生の音を良く聴きますと電気の音はしません、(エレキギター、シンセサイザーは別物)
生の音こそ自然な音です。音はすべてに生が基準になります。
クレデンザのサウンドボックスを外してウェスタンの555ドライバーを実装して試聴した経験から不思議とクレデンザの音に非常に近い音になります。
その時の印象ではアコースティクな響で現代の音とはかけ離れた音に脅威を感じました、これこそ電気臭くない自然な音なのかも知れません。
アルテック、JBLはウェスタンから分かれた会社ですが、ウェスタンサウンドを聴きますと両者ともあきらかに音の違いが認められます。永い間アルテックやJBLでオーディオを楽しんでこられた方は最終的にはウェスタンに(はまる)方が沢山お見えでそれだけの魅力があるのがウェスタンかも、
過去のビンテージスピーカーでアルテック、JBLに限らずタンノイ、グッドマン、ヴァイタボックス、などの初期型のスピーカーはウェスタンの音色と音作りに一脈通じる気がします。
皆さんもタンノイのスピーカーをお持ちの方が沢山お見えですがこのスピーカーも原点はウェスタンになります。タンノイでもモニターシルバー実装のオートグラフを私の友人宅で聴きますとウェスタンの香りが漂ってきます。このように書きますとウェスタンこそがオーディオの源流かも知れません。
写真の左側がウェスタンのスピーカーシステムになります。
右側のホーン付きのドライバーがかの有名な555Wです。
このドライバーは励磁型と呼ばれています。ホーンは12A,15Aとは違うストレートホーンの25Aです。
555Wのドライバーユニットのアップ写真でウェスタンエレクトリックとシールが貼ってあります。右側のスロートは15個の口がありこの部分へアタッチメントを取り付けて555Wドライバーを実装します。
写真の右側がウェスタンの25Aマルチセラーホーンです。材質は鉄かダイキャストで出来ていると思います。ホーンの長さは約1mでこのスピーカーが劇場で使用されていたと思うと凄い
低音はウェスタンのTA−4181ウーファでサイズは46cmの巨大スピーカーです。クロスオーバーは500Hzで使用しています。右側の写真はこのシステムの所有者でM月氏です。これを見ますとウェスタン25Aのホーンの巨大さが理解できると思います。
http://www.kit-ya.jp/product_info.php?cPath=86_87&products_id=667
555コンプレッション・ドライバーを色々と聴いてみると、その完成度と技術水準の高さを超えたところに、造り手の意図を感じ取ることができるような気がする。このドライバーは、あきらかにホーンと一体で使用することを前提に設計されている。
そしてターゲットにしている音は、蓄音機が表現できる生の音楽のプレゼンスである。
蓄音機は、機械振動から直接音波を作りだしているので同じ系のなかで音を処理している。
これに対し、スピーカーを使用すると機械振動、すなわち機械系から電気系に変換し、これを増幅して機械系に再変換を行っている。
一般に、系の変換を行うと、何らかの情報が失われる可能性がある。
私は、プレゼンスではないかと直感している。このプレゼンスこそ、生の音の肌触りであり、そこに演奏家がいるという佇まい感であり、さらには再生装置が消え、そして演奏家さえ意識させず、ただ音楽のなかに包まれる世界への到達がある。
http://homepage3.nifty.com/western/audio/expr2023/expr2023.htm
オーディオシステムの音を過去から現代まで沢山のマニアの音を聴かせて頂きましたが一つの共通点が見えくる、その共通点とはオーディオを長くやっている人ほど音はけして高音質、大音量ではなく音楽を聴かせる音になっている。しかも真空管を採用したデバィスがほとんどで半導体アンプや今流行のデジアンプで鳴らした音は良かったことは一度もない、
「電気臭い音の代表」半導体アンプは音が平板になりスピーカーの回りでしか音が鳴らない、
音に関して熟成したマニアの音は低域も高域も欲張らずバランスの取れたサウンドを聴かせてくれます。家庭の部屋でコンサートホールと同一の音などは再現することは不可能に近いが真空管アンプを使用すると不思議とコンサートホールの雰囲気感が出てくる、
ウェスタンエレクトリックのサウンドは現代から見れば特性は悪いはずですが真空管アンプで鳴らすと音楽を心地よくリラックスして雰囲気感を大切に聴かせてくれる響きを持っている。確かに(生の音)とは違う音ですが独特なサウンドで中域に密度がありコクのあるサウンド、現代の上も下も伸ばした中域の薄い貧弱なスピーカーとは方向性が違う、
名器と名の付くスピーカーは「音楽を美味しく聴かせてくれる」楽器の要素が秘められている、英国のヴィンテージスピーカーもウェスタンに共通した部分が多少感じ取れる。
オーディオを追求して行くと最終的にはクレデンザ、HMVなどの蓄音機などの電気臭くない音を意識するのではないだろうか
http://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-009.html
Western Electric 551 Driver
マグネチック方式最後のドライバー トーン・ポリシーは555に引き継がれている
551のトーンは、蓄音器のもつ絶妙のプレゼンスを彷彿させる。
この551以降ウエスタンのドライバーは、有名な555に引き継がれるが、555ドライバーの音はこの551のトーン・ポリシーを受け継いでいる。すなわち血脈の音である。
生、原音のプレゼンスを求めた蓄音器、
それを目指した551、
その血を受け継ぐ555ドライバー
と世代が変わってもその求めるところは変わらない。技術革新という意味では、この551と555の間には飛躍的なものがある。そして近代ハイファイの原点であり到達点となるの594Aドライバーに引き継がれる。
555と594Aの世界は全く異なるが、いずれもが到達点であり双璧である。
蓄音器、551、555、594Aと聴いてみると人類の音楽芸術と音響技術の歴史的変遷と融合を理解できる。
551は、約500オームのインピーダンスとして扱い、真空管式の500オームの二次インピーダンスのトランスがついたアンプで鳴らさなければいけない。低い周波数をカットするために0.1u程度の品質のよいキャパシターを直列につないで使用する。魂に浸透するような音の世界が現出する。
マヘリア・ジャクソンやバッハのパルティータを深夜に静かに鳴らす。
こうなると蓄音器に近い世界で、555も594Aもタジタジである。
もうHMV203を持ち出すしかない。SPの復刻をこのドライバーで架けるとそこらの蓄音器ではとても追いつかないものがある。
http://homepage3.nifty.com/western/audio/551/551.htm
実は、ウエスタンは、555迄の時代と、594A以降の時代で、世界が異なっている。
555は、蓄音器からマグネチックを経た時代の集大成の作品であるのに対し、
594Aは、新しい挑戦の時代の製品なのだ。
594Aは、いわゆるハイファイの原点、開始点、そして実は到達点でもある。
そう。到達点が555と594Aの二つあるのだ。
どちらもがウエスタンの究極であるが、それぞれが時代の分水嶺になっている。
そのようなわけで、ウエスタンを極めるためには、555だけ、594Aだけでは、すまされず、双方のシステムが必要となる。どちらが優れるということはない。歴史上の双璧がここに極まっているのだ。
http://homepage3.nifty.com/western/audio/we555_r1/we555_r1.htm
▲△▽▼
手回し蓄音器を越える音が絶対に出せない理由
金沢蓄音器館では、「蓄音器聴き比べ」を1日3回行っている。
来館された方々にどちらからお越しになられたか、初めて蓄音器の音を聞かれるのか、また終りにはどの蓄音器の音色がお好きか、聴いた感想はいかがかとお尋ねすることにしている。皆さん、ニコニコと話していただける。
話もなく、ただSPレコードをかけているだけでは、寝てしまわれる方が多い。
あのシャーシャー(パチパチか?)という針とレコードが擦れる音が、眠気を誘うのである。
大阪から来たという産婦人科の医師が言っていたが、この音は人間が母親の羊水のなかにいたときの音だそうである。観光疲れで、椅子でゆっくりできるので、つい寝てしまうこともあるだろう。でも、その考えかたより、母の中に抱かれた安心感からリラックスできると思った方がずっと素敵だ。
実際、来館者の方でこのシャーシャー音がなんとも言えず心地いいと話す人は、一人や二人ではない。
同じ曲でも蓄音器を変えると、音色は異なる。
同曲、同蓄音器でも天候や湿度が違うと乾いて軽やかに感じられたり、しっとりとした落ち着いた感じで聞こえることがある。
こんな体験をすると蓄音器は正に楽器ではないかと思うのだ。
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金沢蓄音器館での「聴き比べ」は、10台くらいの蓄音器の音色の違いを聞くことができる。その中の1台に、明治・大正時代につくられたラッパ型蓄音器を入れてある。
SPレコードをかけてから、わざとラッパを取り外してみる。すると、音がずっと小さくなる。また、ラッパを取りつけると音は大きくなる。
ラッパは、音を大きくする働きがあることがすぐ理解できる。
大きい音を得るにはラッパを大きくすればよいのだが、外づけではその重量を支えたり動かしたりするのがたいへんになる。そこで、ラッパを内蔵するようになった。
その代表格が「蓄音器の王様」と言われる米国ビクター社のビクトローラー・クレデンザ(大正14年〜昭和5年)である。 外からは見えないが、トーンアームの根元で二股にわかれ、中はじゃばらのようになっており、ラッパを大きくしてある。
これを1本にし、まっすぐ伸ばしてやるとなんと9フィート(約2m70cm)にもなるという。 6万7千台以上作られ、ビクターの名前を不動のものにした蓄音器である。
これによって中音、低音の響きと小さな音から大きな音までが素晴らしくよくなる。とても電気を使っていない音量とは思えない。王様と呼ばれる所以である。
初めてこの蓄音器の音を聞いた東京からの若い男性は、思わず「CDよりいい音だ!」と唸った。これも「聴きくらべ」られる。
http://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/hitorigoto.html
レーザーターンテーブルでのSPの再生はどうだったか
確か、まだエルプになる前のフィニアル・テクノロジーという名前の頃だった筈なので、おそらく現行の製品とは多少違うと思われるが、実際に78rpm盤をレーザーで聴いた時の印象をちょっと書いてみよう。
某レコード会社で78rpm盤から復刻する際に少しでもスクラッチノイズを拾わずに音源を作れないかということで、わざわざ編集スタジオまでデモに来て頂いた時に実際の音を聴かせて貰った。
どんな音が出るのか興味津々だったが、レコード盤をセットし再生ボタンを押した後にスタジオに設置されたモニタースピーカーから出てきた音は低域のボンついた、何かゴロでも拾っているような感じのものだった。盤の傷に関しても思った程の低減効果が無く全体的に芯のない甘い感じの音で、これなら針でトレースした方がよいという結論になり結局採用はされなかった。
あれから随分と時間が経ち光学技術やサーボ系も飛躍的に進歩した筈で、現在の製品は相当改良されているだろうから、改めてもう一度じっくりと聴いてみたいものである。
http://www6.atpages.jp/omat/pages/grammophon.html#Model_104
これは蓄音機の心臓部です。 サウンドボックスと言いますが、これはビクトローラー、クレデンザについている物です。
最初期型2枚ドアだけに付いている貴重なものなのです。
下の写真の機種は4枚ドアで初期のものですが、この機種に付いているサウンドボックスは、裏がアンチモニーで出来ているため80年の間には、膨れて割れたものが多いのです。
最初の物は真面目にブラス、銅で出来ているので今でもしっかりしています。僅かな期間だけ作られ、コスト削減のためかアンチモニーになったと思われます。
3年間でアメリカで6万7000台も造られています。
エジソンが蓄音機を発明したのは、1877年だったか、微かに錫箔に音が録音された瞬間だった。それから、物凄いスピードで改良されてきた。しかし、機械的に録音される「音の振動を直接、盤に刻む」も1920年代には終わろうとしていた。
ベル研究所の改良の結果、蓄音機史上、最高の音を再生できる機械が出来上がった。1925年ビクターは、クレデンザと言う名の名器を発表した。それがこの機械です。
電気で録音、再生できる、時代に入ったにも関わらず、この機械はその再生能力は抜群だった。いまでも、2007年現在でもその音には、感心するのです。
最近33回転のレコードが見直されてきましたが、その前の78回転ですから、知らないわけですよね。
どこに電気が入っているのと聞かれますが、動力は4本のゼンマイなのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/chikuonki/7004
要するにクレデンザはオーディオ機器ではなく、楽器そのものなのですね。 通常の楽器との対応関係は
ヴァイオリンの弦 → サウンドボックス
ヴァイオリンの共鳴胴 → 長さ1.8m のホーン
オーディオ機器が手回し蓄音器を越える音を出せない理由はもう明らかですね。 サウンドボックスの振動音そのものを電気的に増幅させるより、サウンドボックスの振動を木のホーンで共鳴させた楽器音の方がいいに決まっていますから。
▲△▽▼
クレデンザ:蓄音機の音と音楽
「蓄音機の音」は「電気再生の音」とは全く異なる。
前者はアコースティックな音「生の音」、後者は「電気の音」である。
何が異なるかというと、一言に言って、「生きた音」(実音)と「死んだ音」(虚音)である。「生きてる」か「死んでるか」か、この差は大違いである。
SP盤は米ヴィクトローラ、英HMVの大型の蓄音機で鳴らすと素晴らしい感動的な音と音楽が再生される。蓄音機で往年の名演奏を聴く音楽ファンはこのことをよく知っている。そして、名盤SPを収集する。
私は3台のヴィクトローラ「クレデンザ」を所有している。1台は4枚扉のトロント工場製、1台は4枚扉のキャムデン工場製、1台は2枚扉のキャムデン工場製、である。その他、米コロンビアのクレデンザ級の大きさの蓄音機「ヴィヴァトナール」(これも素晴らしい音が鳴る)を1台所有している。
クレデンザに限ると、部屋で常用しているのはトロント工場の「クレデンザ」である。サウンドボックスも最高の音が出るのを使っている。 並級のクレデンザ何十台と比較しても、太刀打ちできないだろう。まず、木材の材質の差はもとより、何と言ってもサウンドボックスの実力が並品とは丸で違うからだ。
1920年代のアメリカ民謡のSP名演奏を私のクレデンザで聴くと涙がでるほどの感動を覚える。生演奏のように生き生きした感動的な音と音楽が再生される。
しかし、SP盤そのものを電気再生しても決して、この「感動」は鳴らない。LP復刻盤、CD復刻盤、を電気再生したところで、クレデンザが鳴らす感動的な音と音楽は決して鳴らない。
特にCD復刻盤は致命的、クレデンザの音楽表現の片鱗さえも再生できない。
電気再生でクレデンザの音を再生することは「不可能」とされている。
オーディオ史上、誰も成功したことはない。
電気でそのような音を鳴らすオーディオ技術は在り得ないこととされている。
http://vitalsound.exblog.jp/4369786/
クレデンザで聴くSP原盤と「倍音」再生
電気オーディオを語る時、「倍音」を正しく理解しておかなければならない。
ここで、78回転SP盤、Gid Tanner and His Skillet Lickers(ギド・タナーとスキレット・リッカーズ) のストリング・バンドの名演奏、「Turkey in the Straw」(「藁の中の七面鳥」)を聴いてみよう。Colombia のオリジナル原盤を聴いてみよう。
1926年4月17日、ジョージア州アトランタでの録音である。一人一人の名人が構成するグループが奏でるもの凄い演奏だ。Gid Tanner のフィドル、 Riley Puckettのギターとリード・ヴォーカル、が奏でるオールド・タイム・マウンテン・ミュージックの素晴らしい感動の名演奏である。
この盤を私のクレデンザで再生させて聴くと、正に当時の生演奏を彷彿とさせる感動の音と音楽が再生される。聴き手である私の心に躍動のリズムが生まれ無我夢中の感動の連続の中で曲が終わる。
周波数はせいぜい上限5000ヘルツ程度の音である。しかし、その周波数の上限詰まりを感じることはまったくない。感動の音楽の世界へと引き込まれてしまう。
何故だろう?
その原因は、倍音(ハーモニー)が充分に出ているからである。
今度は、オリジナル復刻CD盤で電気オーディオで聴いてみよう。バイタル化しないオーディオで聴いてみよう。
なんだ、一体どうした?
駄目だ、さっぱり駄目だ。
出ない、出ない、倍音が無い。
もはや、音楽ではない、単なる音の世界だ。
いわゆる「虚音の世界」(電気の音)だ。
http://vitalsound.exblog.jp/4652767/
蓄音機の雄「ビクトローラ・クレデンザ」
蓄音機というのは、その黎明期、あるいは電気録音以前にはユニークな形や機能を持った様々なタイプがあって、博物館などに行けば現在の私たちの眼や耳を楽しませてくれます。 そして当時のメーカーや技術者が、いかに良い音を再現しようかと努力していたことを知ることが出来ます。 その努力がやがて電気録音レコードを開発することになり(1925年)、外部で存在感を示していたホーンもケースに内蔵されるようになり、レコードも規格統一が進んで「ユニーク過ぎる」蓄音機というのは少なくなりますが、それでも見えないところで様々な工夫が重ねられていたのです。
しかし…と、ある人が言いました。
「蓄音機って、結局最高に音の好い1台を持ってればそれでよくなっちゃいますよね」と。
そしてその最高の1台とは何か…。
その多くの場合がビクトローラ・クレデンザなのです。
この蓄音機に関しては様々な書物で取り上げられ、例えば「図説 世界の蓄音機」(三浦玄樹著:星雲社)などでは他の機種とは別に特集ページが組まれているほどです。 また
「傑作機」
「希代の名機」
「最高峰」
「耽美な音色」
等々の多くの讃辞も寄せられています。 実際、電気録音レコードへの対応として生まれたクレデンザは多くの工夫が詰め込まれていまて、その詳しくは前述の書を参考にしていただくこととしても、「100回にも及ぶ試作回数」「キャビネットに折りたたまれて収納されたホーンの長さ1.8メートル」と聞いただけでも「お〜凄いではないか」と思わされてしまいます。
では実際に聴いてみるとどうなのか。
まずプレーヤーの蓋を開けたときにすでに「お〜」なのです。
蓋のステー(支え棒)が空気を使った「エア・サポート式」なので、バッコンとかガチャンとかで開くのではなく、フワ〜と持ち上がって行くからです。 そしてプレーヤー部の金属が金メッキされていて、これもまた「コレハコレハ」の楽しさです。
そうそう、肝心なのは音ですがまずはその音量に驚かされます。 ホーン開口部の扉を全開にすると電気増幅をしているわけでもないのに、つまりアンプを使用しない生音なのに、人によっては耳を塞ぎたくなるほどの音の大きさです(開口部蓋を閉めれば音量は小さくなる)。ピアノの演奏レコードをかければ、その音量は実際のピアノに負けないでしょう。
音質はレコードの録音状態にもよりますが、クリアで明瞭、それでいてまろみがあって柔らかです。女性ヴォーカルやヴァイオリン演奏でそれを強く感じるかもしれません。
低音はさすがにアンプとスピーカーの威力はありません。しかしアコースティック・ベースなどは本来こちらが正しいのじゃないかい、といった音色です。
音量、音質、音色、どれをとってもアナログの再生装置としては申し分ありません。
そしてレコードが1曲を終えると(当時はシングル盤しかなかった)自動的に止まります。
お〜、オートストップなのです。
かようにビクター社(日本のではない)のビクトローラ・クレデンザは、実に多くの「お〜っ」があって、聴いてみれば多くの人たちが「最高の1台」に推す理由がわかります。 その理由については、針を落とせばクレデンザが語ってくれるでしょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/dolittle1890/35334281.html
皆様「CREDENZA」という蓄音機をご存知ですか。
1920年代にアメリカのベル研究所が設計し、ビクトローラ社が製作致しました78回転盤レコード専用の蓄音機です。
この蓄音機は世界で最も再生音の美しい蓄音機と言われており、世界ではじめて逆三角関数の数式に基づいた理論によるホーンの設計がなされた蓄音機、と言われております。その図体は蓋をあけると背丈よりも大きなものでかの有名なウェスタンエレクトリック社のホーンの設計の原型となったモデルとも言われております。JBL社、ALTEC社などのホーンもこの蓄音機のホーンが原型となっているそうです。
またサウンド・ボックス内のアルミ製の振動板についてもすべての高級ドライバーと言われるものはこの形状を踏襲致しております。気品のある音色はこの振動板から出てくるのです。
オーディオ界の最長老に君臨しておられました今は亡き「池田 圭」先生のスタジオにWestern Electric社製の巨大ホーンが左右に鎮座しており、その中央に「CREDENZA」が設置してありました。
私がたまたま先生とお会いし、お話をしていたところ、私が「CREDENZA」でSP盤を聴くのが趣味です、と申し上げたところ、先生は目を輝かせて君の「CREDENZA」はどんな音がするのかい、何年製のものかね、聴かせてもらえないだろうか、と言われました。そんな訳で池田先生とのお付き合いが始まり、何年もの間亡くなられるまで本当に親しいお付き合いをさせて頂きました。
私が「クレデンザ」を修理、調整するに当たりましては、私が持っております音色を改善するためのピアノのボディーの木工修復技術の手法を用いました。私の所有致しておりますクレデンザは他のクレデンザに比べ、「周波数特性」「音色のまろやかさ」「音量」「楽器が持っている旨みと香り」どれをとっても驚くほど秀でております。
マルセル・モイーズの演奏するフルートなどは息遣いまで聞こえてまいります。ヴァイオリン、声楽に至ってはまるでそこで演奏しているかの錯覚にとらわれるほどです。池田先生も私のクレデンザの音色には舌を巻いておられました。
長野県伊那市に於ける「クレデンザ」蓄音機によるSPレコード鑑賞会風景
旧型 前面すべての開閉型 1925年製 所蔵品
上記写真の鑑賞会を予告する記事が政治欄を押しのけ、第一面トップに掲載されました。「幻の名器」とは驚きました。「想像を絶する音」は事実です。
http://www1.odn.ne.jp/~cbz49420/credenza.htm
HMV蓄音機の魅力
アメリカのビクターとイギリスのHMV(正式にはグラモフォン社だが、HMVといくのが一般的)、 この2つがディスク型蓄音機を代表するブランドだ。
両社とも同じトレードマークを用い、ほとんど同じデザインの製品を発売していたこともあり、 また、共通する部品も多い(実際HMVはビクターからパーツを取り寄せていた時期もある)。 しかし出てくる音にははっきりとした違いがある。 今回は電気吹き込み時代のHMVの製品に焦点を当ててその特徴を述べてみたい。
音の特徴
音の印象は主観的なものだということを承知でHMVの音にはある共通点があると 思っている。それは音に躍動感と新鮮さがあるということだ。 出てくる音の凛とした感じはHMVならではのものだと思う。
あとは大型になるに従って、音に余裕が生まれ、スケール感が増し、気品すら漂ってくる。
http://umeya.bz/miryoku.html
9 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2006/02/22(水) 10:44:33 ID:sd+h1Inl [1回発言]
まあオーディオの原点だ。音楽を保存するメディアの再生機器の原初的形態だ。
それで 結構バイオリンとか歌声とかのおいしい部分をいい具合に聴かせるのである。妙に現実感 があってぞくぞくっとするのであります。
とはいえ盤に刻まれた情報すべてを再生するにはちょいとつくりが荒っぽすぎる。
36 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2006/07/14(金) 02:49:43 ID:JvHTf9+b [1回発言]
蓄音機の音の反応(立ち上がり)のよさに注目している。伝えるのが機械と空気だから早いと思う。真空管だと風呂桶の水を焚き木温めているようなものだといわれ、確かに機械式の蓄音機の方がガリッと角がある音が出ている気がする。
CDも早い筈だけどその後に続く音は重厚さに欠けると思う。LPの音が丸っこい気がしています。ちなみにクラシック党です。
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/pav/1140065288/
Victrola グレデンザを聴く
山村サロンさんで、「Victrola・グレデンザ」を聴かせていただいた。アルフレッド・コルトーによるオールショパンのプログラムで曲目は下記の通り。
ショパン:ワルツ 第1番、 第2番、第3番(日・ビクター盤)
ショパン:ポロネーズ 第6番「英雄」(英・HMV盤)
ショパン:ピアノ・ソナタ 第2番「葬送」(日・ビクター盤 以下、同じ)
ショパン:ノクターン 第2番 op.9-2
ショパン:バラード 第1番、第3番
ショパン:ワルツ 第17番、4番「華麗なワルツ」、第5番、第6番「小犬のワルツ」、第12番
再生装置で音楽を再生する場合に、最もセンスの出るのがその人のボリュームの設定である。言うまでもなくグレデンザは、手巻き式のモーターとサウンドボックスによるSPの再生機であるのでアンプによる電気的な増幅は無い。ボリュームはいわば固定である。しかし、この音量はどうだ。通常、われわれが聴く最も適切な音量が、ちゃんと出ているのにまずビックリさせられる。それは、音楽再生にあたって、これくらいの音量が適切だと教えてくれているようなものだ。
出てくる音は、日・ビクター盤と英・HMV盤とでは若干違うが、意外に日・ビクター盤が良かった。「葬送ソナタ」、「ノクターン変ホ長調」、「バラード」の美しさは比類が無く、グレデンザは、電気蓄音機のデコラより一枚上手である。
帰宅して、早速、「あらえびすSP名曲決定盤・第1集」からCDへの復刻の出来具合を聴き比べてみた。QUAD 67CDから送り出して、QUAD・QCII+QUADII経由、EMI711AとQUAD ESL-57での再生である。トーンコントロールを調整して耳の記憶からグレデンザに近づけてみる。同じコルトーのピアノで、曲はショパンの「ワルツ第7盤」、「ノクターン第7番」、それに当日は演奏されなかったが、シューマン「子供の情景」など。こちらのソースSPは英・HMV盤である。その特徴は、ポロネーズ 第6番「英雄」(英・HMV盤)と同じ傾向がはっきり出ていて、当日の日・ビクター盤の方がよい。そして全体として復刻はかなりいい線までいっているが、やはりグレデンザ特有の芯の強いホーンの音は本物でないと無理である。それに復刻版は、針音がかなり強い。
源流の音を聴くことは大切である。これで英デコラの音とグレデンザの音を掴んだので、自宅での音楽再生には計り知れない指針が得られた。次次回くらいには、シューマンの「子供の情景」のコンサートもあろうが、「あらえびすSP名曲決定盤・第1集」の同曲は、当日の音に近い状態で鳴っていて大変楽しめるのは嬉しいことだ。グレデンザの音は、中高域が鋼のように強く比類のない美しさで鳴る。また、左手のアタック音がズーンと下に響くのは、あのF氏宅で聴いたTANNOYと同じ体験であった。自宅でアンプを通ると低域は若干ふくらんで、よりLPに近い音とはなるが、やはり電気的なものを通さない方がずっとよい。
http://www2.nkansai.ne.jp/sch/kayo-net/av29.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c10
108. 中川隆[-10931] koaQ7Jey 2018年4月21日 20:09:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
2018-04-21
金正恩は戦争を決断したアメリカに蒼白になり核開発を放棄
トランプ大統領は戦争準備を着々と行っていた。2018年5月に行われる予定になっている金正恩との会談についても、トランプ大統領はそれがうまくいこうが破綻しようがどちらでもいいというスタンスにある。
何しろ、北朝鮮は「アメリカを核兵器で火の海にする」と公然と脅してくる国だ。それならば「核兵器を使うという相手には核兵器で対応する」という大義名分は充分に成り立つ。
会談がどちらに転んでもトランプ大統領は困らない。どちらに転んでもいいように準備しているからだ。
一方で北朝鮮の側は悲惨だ。会談が失敗したら戦争になる。戦争になったら北朝鮮は攻撃され、軍が壊滅するばかりか独裁政権国家の崩壊も確実となる。
最初に核を落とされるのか、それとも粘ったら落とされるのか分からないが、いずれにしても最後は北朝鮮の人民はひとり残らず死に絶える。
そして金正恩も状況次第で爆殺されるか斬首、もしくは捕らえられて拷問専門家のCIA長官ジーナ・ハスペルに拷問される運命が待っている。
だから、金正恩は蒼白になり、必死になって生き残り策を考え、命乞いをするために中国の習近平と会談して助けを求め、必死であがいていたのだ。
さらに極秘でマイク・ポンペオ氏とも会っている。その結果、4月20日には「核実験や大陸間弾道ミサイルの発射実験を中止する」と発表するまでに至っているのである。
金正恩は今の状況に震え上がっている。一歩間違うと自分の生命が吹き飛ぶ瀬戸際にあるのだから必死だ。
今まで「核兵器の所有は民族の悲願だ」「核兵器大国に邁進する」と偉そうなことを言っていたのだが、急に「朝鮮半島の緊張緩和と平和」とか「核実験の全面中止のための国際的な努力に合流する」というのだから、いかに追い込まれているのか分かるはずだ。
「北朝鮮が核実験や大陸間弾道ミサイルの発射実験を中止する」というのは、今までの北朝鮮の戦略はすべてゼロになるということを意味している。
これは「核開発も中止して大陸間弾道ミサイルの発射もしないから助けてくれ」という金正恩の土下座にも等しい。それでも、それを選択せざるを得ないほど金正恩は恐れおののいていたのである。
http://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/04/20180421T1439040900.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/906.html#c108
1. 中川隆[-10930] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:44:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
日本人を絶滅させたくなかったら、日本政府が直ちにやるべき事は
1.中国と合弁企業を作った日本企業を直ちに中国から引き上げさせる
2.中国在住の日本人を全員日本に帰国させる、日本在住の中国人を全員追い出す
3.中国と国交断絶する
_____
2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html
技術のない国家の覇権挑戦
革命意識で始めた技術窃取
好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。
だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。
ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。
ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。
@ 科学的発展は、第一の生産力である。
A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。
B 社会主義の中国は誰も動かせない。
C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。
以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。
5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。
このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。
技術のない国家の覇権挑戦
『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。
この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。
その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。
『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。
@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。
1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。
2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。
3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」
上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。
(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」
中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。
(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。
@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。
A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。
B 中国が対象技術製品を輸入する。
C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。
D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。
E インターネットやその他の手段で盗み取る」
中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。
中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。
現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。
(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」
ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。
中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。
革命意識で始めた技術窃取
(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」
中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。
中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。
(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」
中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。
(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」
中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。
(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」
冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。
世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html
中国の社会が間違いなく崩壊してしまうただ1つの理由とは
部下を昇進させる見返りに、莫大な賄賂を要求していた軍の制服組、役人に賄賂を払って環境汚染を見逃してもらっている企業経営者。
村の土地を勝手に売り飛ばして賄賂を受け取っていた村長、犯罪者から大金をもらって犯罪を見逃す警察官、手術の前に金を持っているかどうか確認する医者、手術中に手術代を釣り上げる医者。
そして、権力をかさに着て私腹を肥やし、パナマ経由で莫大な資産を隠し持つ習近平とその一族。自分たちの汚職は無視し、敵対する派閥の汚職だけを摘発するご都合主義。
これらは、すべて中国で起きている「拝金」事件だ。
上から下まで、中国の社会は汚職が蔓延して腐っている。中国では、すべての人間が「拝金主義」に陥っているのだ。
社会は、個人ひとりひとりの意識の総意で成り立っていることろがある。だから、おかしな人間が増えれば増えるほど、社会は成り立たなくなっていく。
凄まじく暴走していく資本主義の中で、社会に最も悪い影響を与えるのは「拝金主義」であることは、中国の現状を見れば誰でも気付くことだ。
人が拝金主義に陥れば、組織も拝金主義に陥る
中国では人が道ばたで倒れていても誰も助けようとしない。
中国人が冷淡だというよりも、被害者が「助けてくれた人を訴えてでもカネをせしめる」という拝金主義が蔓延したからこのようになったのだ。
下手に助けると、助けた本人が訴えられる。善意を見せれば馬鹿を見る。そんなことが続いたら、恐ろしくて誰も人を助けたくなくなる。
そのため、子供が車に轢かれても誰も助けないし、関わろうとしない。殺人事件が路上で起きていても、通行人は知らん顔をして通り過ぎる。
中国の問題の多くは、「カネのためなら何でもする」「自分が儲かるなら何でもする」という薄っぺらい拝金主義から生まれてきたものだった。
中国の社会システムが非常に脆弱なのも、公務員や警官までが率先して汚職や賄賂に染まり、自分だけが儲かればいいという拝金主義が蔓延しているからだ。
中国だけでなく、途上国の権力はそのほとんどが汚職で染まっているのだが、だからこそ社会は停滞し、「金こそすべて」と化して他人を踏みにじるようになるのだ。
拝金主義が蔓延すると、社会の秩序は保てなくなる。誰もが自分のことしか考えなくなるので、「公共」が保てなくなるからだ。社会の規律も保てなくなる。規律よりも、自分の利益が最優先されるからだ。
そのうち中国が、何らかのきっかけで崩壊するのが確実だと言われているのは、こうした「拝金主義」の体質が社会の隅々にまで行き渡っていて、もはや自滅が避けられないからだ。
個人が腐り、組織が腐り、政治が腐り、社会が腐り、すべてが腐りきって全体が崩壊する。そんなことは当の中国人も分かっている。
だから、中国人はカネのある人間から率先して国外に国籍を取って逃げていく。
拝金主義というのは、社会を崩壊させる毒なのだ
考えなければならないのは、組織は人が動かすものであり、人が腐れば組織も自ずと腐るということだ。人が拝金主義に陥れば、組織も拝金主義に陥る。
中国では今も「孫子の兵法」みたいな相手を貶める詐欺マニュアルが聖書のように人々に読み継がれている。
「孫子の兵法」は他人を騙すためのテクニックが満載であり、こんなものが読み継がれてまともな社会になると考える方がどうかしている。
私利私欲のために、「孫子の兵法」で他人を騙すのが中国人なのである。言うまでもないが、私利私欲というのは拝金主義そのものだ。私利私欲に堕ちた人間は、自分の利益のためなら何でもするのだ。
組織の中にこうした拝金主義が蔓延すると、いずれその組織は腐敗し、機能しなくなり、強欲な人間に食い尽くされ、やがて組織は生存が不可能なまでに壊れていく。
拝金主義というのは、社会を崩壊させる毒だ。中国にはその毒がたっぷりと回って、もう治療不可となっている。今さら中国に誠実さを求めても不可能だ。
人間でも組織でも、きちんと生きるためには「頭脳・実行力・誠実」の3点が必要になる。ところが、拝金主義がはびこると、この3点から「誠実」が消されてしまう。
誠実ではない人間に、頭脳と実行力があれば、結果は悲惨なものになる。
これは中国政府に頭脳と実行力があれば、より社会が悪くなるということを意味している。
政府自らが誠実さを失い、とてつもない拝金主義に陥っているので、いくら社会を潔癖にしようとしても、誰も政府を信じない。そのため、改善の一歩も踏み出せない。
中国を覆い尽くす拝金主義は、資本主義が生み出す癌だ。癌が広がって行くと、それはいずれ社会の中核を崩壊させていく。そして、あとは自壊を待つだけとなる。
常識を超えたカネへの執着は、社会悪を生み出す
しかし、これほどの毒薬なのに、ほとんどの中国人は拝金主義を改めようとしない。なぜか。
誰もが心の中で「自分も甘い汁を吸いたい」という黒い欲望が、ふつふつと燃えたぎっているからだ。他人が甘い汁を吸っているのに、自分だけ行儀良く生きて損したくないと思うのだ。
自分が拝金主義に堕ちていると、拝金主義の危険性など、見えるはずもない。見えても止まらない。
警官が拝金主義に走ると、治安はカネ次第になって規律は崩壊する。公務員が拝金主義に走ると、行政はカネ次第になって社会は崩壊する。
企業が拝金主義になると、消費者を騙すようにカネを稼ぐようになるので、信頼が崩壊する。政治家が拝金主義になると、個人の利益のために国を売り飛ばすので、国が崩壊する。
拝金主義が先鋭化している社会や国家ほど、崩壊しやすい環境にある。最も拝金主義が蔓延している中国が、最も崩壊に近い国なのだ。「カネこそすべて」が徹底した中国は、もう助かることはない。
そう考えると、私たち日本人が「カネこそすべて」だと中国人と一緒になって思うのはいかに馬鹿げているのかが分かる。
カネで買えるものは多く、カネで助かることも多く、カネで解決できることも多い。しかし、だからと言って「カネがすべて」ではないのも事実だ。
常識を超えたカネへの執着は、それ自体が社会悪を生み出して、社会を崩壊させてしまう。
拝金主義が蔓延しないためには、自分が拝金主義にならないという決意を持つしかない。「カネこそすべて」ではないことを真剣に考えなければならないということだ。
あなたはどうだろうか。自分の心の中に、もしかしたら拝金主義の芽を育ててはいないだろうか。
中国のようにボロボロになりたくなければ、度を超した拝金主義など捨てなければならない。それが最終的には社会のためになる。
カネで買えるものは多く、カネで助かることも多く、カネで解決できることも多い。しかし、だからと言って、「カネがすべて」ではないのも事実だ。常識を超えたカネへの執着は、それ自体が社会悪を生み出して、社会を崩壊させてしまう。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160802T1749230900
中国は歴史捏造の常習犯
宮脇淳子 『満蒙とは何だったのか 2015.9.5 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r4W-dqMkgp8
これを聞けば中国がよく分かります「真実の中国史」音声講義
宮脇淳子先生 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=resc8aY9Qes
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91%E3%80%8E%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E3%80%8F+
2017/12/14 に公開
あまりに素晴らしい講義なので、音声だけを再編集させて頂きアップしました。
多くの方に知って頂き、中国がどいう歴史を歩んで来たのか?を知る事で、私達の取るべき態度の支えになると思います。
【宮脇淳子】中国美女の正体 [桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0
2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書『中国美女の正体』を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。
______
中国語は秦の始皇帝の時代で進歩を止めてしまったので、感情表現も抽象的思考も全くできない原始言語のままなんですね。
漢文は難し過ぎるので中国人は文章を読み書きする能力が小学生レベルでストップしています。
中国人は損得勘定と どうやって他人を騙すかという事だけしか考えない、空気が読めない、他の人の気持ちが全然わからない、恋愛できない。
それは使っている言語による制約なのですね。
2. 中川隆[-10929] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:46:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
日本人を絶滅させたくなかったら、日本政府が直ちにやるべき事は
1.中国と合弁企業を作った日本企業を直ちに中国から引き上げさせる
2.中国在住の日本人を全員日本に帰国させる、日本在住の中国人を全員追い出す
3.中国と国交断絶する
_____
2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html
技術のない国家の覇権挑戦
革命意識で始めた技術窃取
好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。
だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。
ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。
ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。
@ 科学的発展は、第一の生産力である。
A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。
B 社会主義の中国は誰も動かせない。
C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。
以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。
5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。
このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。
技術のない国家の覇権挑戦
『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。
この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。
その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。
『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。
@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。
1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。
2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。
3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」
上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。
(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」
中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。
(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。
@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。
A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。
B 中国が対象技術製品を輸入する。
C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。
D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。
E インターネットやその他の手段で盗み取る」
中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。
中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。
現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。
(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」
ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。
中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。
革命意識で始めた技術窃取
(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」
中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。
中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。
(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」
中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。
(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」
中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。
(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」
冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。
世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html
中国の社会が間違いなく崩壊してしまうただ1つの理由とは
部下を昇進させる見返りに、莫大な賄賂を要求していた軍の制服組、役人に賄賂を払って環境汚染を見逃してもらっている企業経営者。
村の土地を勝手に売り飛ばして賄賂を受け取っていた村長、犯罪者から大金をもらって犯罪を見逃す警察官、手術の前に金を持っているかどうか確認する医者、手術中に手術代を釣り上げる医者。
そして、権力をかさに着て私腹を肥やし、パナマ経由で莫大な資産を隠し持つ習近平とその一族。自分たちの汚職は無視し、敵対する派閥の汚職だけを摘発するご都合主義。
これらは、すべて中国で起きている「拝金」事件だ。
上から下まで、中国の社会は汚職が蔓延して腐っている。中国では、すべての人間が「拝金主義」に陥っているのだ。
社会は、個人ひとりひとりの意識の総意で成り立っていることろがある。だから、おかしな人間が増えれば増えるほど、社会は成り立たなくなっていく。
凄まじく暴走していく資本主義の中で、社会に最も悪い影響を与えるのは「拝金主義」であることは、中国の現状を見れば誰でも気付くことだ。
人が拝金主義に陥れば、組織も拝金主義に陥る
中国では人が道ばたで倒れていても誰も助けようとしない。
中国人が冷淡だというよりも、被害者が「助けてくれた人を訴えてでもカネをせしめる」という拝金主義が蔓延したからこのようになったのだ。
下手に助けると、助けた本人が訴えられる。善意を見せれば馬鹿を見る。そんなことが続いたら、恐ろしくて誰も人を助けたくなくなる。
そのため、子供が車に轢かれても誰も助けないし、関わろうとしない。殺人事件が路上で起きていても、通行人は知らん顔をして通り過ぎる。
中国の問題の多くは、「カネのためなら何でもする」「自分が儲かるなら何でもする」という薄っぺらい拝金主義から生まれてきたものだった。
中国の社会システムが非常に脆弱なのも、公務員や警官までが率先して汚職や賄賂に染まり、自分だけが儲かればいいという拝金主義が蔓延しているからだ。
中国だけでなく、途上国の権力はそのほとんどが汚職で染まっているのだが、だからこそ社会は停滞し、「金こそすべて」と化して他人を踏みにじるようになるのだ。
拝金主義が蔓延すると、社会の秩序は保てなくなる。誰もが自分のことしか考えなくなるので、「公共」が保てなくなるからだ。社会の規律も保てなくなる。規律よりも、自分の利益が最優先されるからだ。
そのうち中国が、何らかのきっかけで崩壊するのが確実だと言われているのは、こうした「拝金主義」の体質が社会の隅々にまで行き渡っていて、もはや自滅が避けられないからだ。
個人が腐り、組織が腐り、政治が腐り、社会が腐り、すべてが腐りきって全体が崩壊する。そんなことは当の中国人も分かっている。
だから、中国人はカネのある人間から率先して国外に国籍を取って逃げていく。
拝金主義というのは、社会を崩壊させる毒なのだ
考えなければならないのは、組織は人が動かすものであり、人が腐れば組織も自ずと腐るということだ。人が拝金主義に陥れば、組織も拝金主義に陥る。
中国では今も「孫子の兵法」みたいな相手を貶める詐欺マニュアルが聖書のように人々に読み継がれている。
「孫子の兵法」は他人を騙すためのテクニックが満載であり、こんなものが読み継がれてまともな社会になると考える方がどうかしている。
私利私欲のために、「孫子の兵法」で他人を騙すのが中国人なのである。言うまでもないが、私利私欲というのは拝金主義そのものだ。私利私欲に堕ちた人間は、自分の利益のためなら何でもするのだ。
組織の中にこうした拝金主義が蔓延すると、いずれその組織は腐敗し、機能しなくなり、強欲な人間に食い尽くされ、やがて組織は生存が不可能なまでに壊れていく。
拝金主義というのは、社会を崩壊させる毒だ。中国にはその毒がたっぷりと回って、もう治療不可となっている。今さら中国に誠実さを求めても不可能だ。
人間でも組織でも、きちんと生きるためには「頭脳・実行力・誠実」の3点が必要になる。ところが、拝金主義がはびこると、この3点から「誠実」が消されてしまう。
誠実ではない人間に、頭脳と実行力があれば、結果は悲惨なものになる。
これは中国政府に頭脳と実行力があれば、より社会が悪くなるということを意味している。
政府自らが誠実さを失い、とてつもない拝金主義に陥っているので、いくら社会を潔癖にしようとしても、誰も政府を信じない。そのため、改善の一歩も踏み出せない。
中国を覆い尽くす拝金主義は、資本主義が生み出す癌だ。癌が広がって行くと、それはいずれ社会の中核を崩壊させていく。そして、あとは自壊を待つだけとなる。
常識を超えたカネへの執着は、社会悪を生み出す
しかし、これほどの毒薬なのに、ほとんどの中国人は拝金主義を改めようとしない。なぜか。
誰もが心の中で「自分も甘い汁を吸いたい」という黒い欲望が、ふつふつと燃えたぎっているからだ。他人が甘い汁を吸っているのに、自分だけ行儀良く生きて損したくないと思うのだ。
自分が拝金主義に堕ちていると、拝金主義の危険性など、見えるはずもない。見えても止まらない。
警官が拝金主義に走ると、治安はカネ次第になって規律は崩壊する。公務員が拝金主義に走ると、行政はカネ次第になって社会は崩壊する。
企業が拝金主義になると、消費者を騙すようにカネを稼ぐようになるので、信頼が崩壊する。政治家が拝金主義になると、個人の利益のために国を売り飛ばすので、国が崩壊する。
拝金主義が先鋭化している社会や国家ほど、崩壊しやすい環境にある。最も拝金主義が蔓延している中国が、最も崩壊に近い国なのだ。「カネこそすべて」が徹底した中国は、もう助かることはない。
そう考えると、私たち日本人が「カネこそすべて」だと中国人と一緒になって思うのはいかに馬鹿げているのかが分かる。
カネで買えるものは多く、カネで助かることも多く、カネで解決できることも多い。しかし、だからと言って「カネがすべて」ではないのも事実だ。
常識を超えたカネへの執着は、それ自体が社会悪を生み出して、社会を崩壊させてしまう。
拝金主義が蔓延しないためには、自分が拝金主義にならないという決意を持つしかない。「カネこそすべて」ではないことを真剣に考えなければならないということだ。
あなたはどうだろうか。自分の心の中に、もしかしたら拝金主義の芽を育ててはいないだろうか。
中国のようにボロボロになりたくなければ、度を超した拝金主義など捨てなければならない。それが最終的には社会のためになる。
カネで買えるものは多く、カネで助かることも多く、カネで解決できることも多い。しかし、だからと言って、「カネがすべて」ではないのも事実だ。常識を超えたカネへの執着は、それ自体が社会悪を生み出して、社会を崩壊させてしまう。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160802T1749230900
中国は歴史捏造の常習犯
宮脇淳子 『満蒙とは何だったのか 2015.9.5 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r4W-dqMkgp8
これを聞けば中国がよく分かります「真実の中国史」音声講義
宮脇淳子先生 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=resc8aY9Qes
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91%E3%80%8E%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E3%80%8F+
2017/12/14 に公開
あまりに素晴らしい講義なので、音声だけを再編集させて頂きアップしました。
多くの方に知って頂き、中国がどいう歴史を歩んで来たのか?を知る事で、私達の取るべき態度の支えになると思います。
【宮脇淳子】中国美女の正体 [桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0
2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書『中国美女の正体』を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。
______
中国語は秦の始皇帝の時代で進歩を止めてしまったので、感情表現も抽象的思考も全くできない原始言語のままなんですね。
漢文は難し過ぎるので中国人は文章を読み書きする能力が小学生レベルでストップしています。
中国人は損得勘定と どうやって他人を騙すかという事だけしか考えない、空気が読めない、他の人の気持ちが全然わからない、恋愛できない。
それは使っている言語による制約なのですね。
1. 中川隆[-10928] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:51:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
日本人を絶滅させたくなかったら、日本政府が直ちにやるべき事は
1.中国と合弁企業を作った日本企業を直ちに中国から引き上げさせる
2.中国在住の日本人を全員日本に帰国させる、日本在住の中国人を全員追い出す
3.中国と国交断絶する
_____
2018-04-10
中国、「米覇権対抗」ケ小平が86年に「技術窃取」で挑戦開始
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html
技術のない国家の覇権挑戦
革命意識で始めた技術窃取
好々爺であったケ小平(1904〜1997年)は、「韜光養晦」(とうこうようかい)なる言葉で、中国の平和路線を世界に示した。「自らの力を隠し蓄える」、「覇権を求めない」という意味だ。この言葉は、ケ小平の掲げた外交政策のスローガンとして知られている。習近平氏が国家主席就任(2012年)とともにこの「韜光養晦」を投げ捨て、あからさまに「覇権主義」を前面に押し出した。
だが、この覇権主義は習氏が単独で始めたものではないことが分ってきた。ケ小平が生前すでに、この考え方を遺書として残していたと思われる。ケ小平には数人の中国最高幹部しか知らない短い文字数の遺書があるという。これは、元米国務長官のキッシンジャー氏が自らの著書に書いている。キッシンジャー氏も、その内容を知らないと言う。ケ小平は、中国で最初の「米国覇権」への挑戦を指揮した人間である。
ケ小平は、中国初のハイテク計画を指示した人物だ。1986年3月、当時の中国の科学レベルから見て、月に石を投げるように困難なハイテク計画(「863計画」)を指示したもの。科学技術の基盤がない中国で、「技術窃取」する以外に実現不可能なことであった。ここに「863計画」が始動して、現在の技術窃取路線の骨格が生まれた。
ケ小平語録には、いくつか中国の進路を示す注目すべき言葉がある。その中から抜粋した。
@ 科学的発展は、第一の生産力である。
A チャンスを掴み、自己を発展させるカギは経済発展である。
B 社会主義の中国は誰も動かせない。
C 主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない。
以上は、『人民網』(2014年8月21日付「ケ小平生誕110周年」)から引用した。4つを列記したが、ケ小平の指示した「863計画」と組み合わせて見ると、ケ小平が未来の国家指導者に託した夢が何であったかを鮮明にしている。彼は、「社会主義市場経済」なる言葉を使って、党内保守派に市場経済の採用を呼びかけた。それは便法にすぎず、社会主義を実現する上での通過点にすぎなかった。毛沢東革命の神髄を外すことなく、実現するという意味では、忠実な毛沢東主義者だ。習近平氏もこの路線である。
5番目では、「主権問題に関して、中国はいかなる妥協の余地もない。率直に言って、主権問題は議論できる問題ではない」としている。主権は国家主権を指し、領土問題である。南シナ海の90%は中国領海という「噓八百」は、中国の既定路線から言えば、絶対に撤収しないだろう。これをいかに撤退させるか。中国に経済的衰亡を仕掛けることだ。中国をTPP(環太平洋経済連携協定)へ加盟させず、一大経済圏から遮断することに尽きる。北朝鮮が、核放棄へのポーズを取り始めたのは、経済封鎖の結果である。中国についても、この戦術は有効なはずだ。中国が、経済力をつけることは周辺国の安保上、最大の危険を招く。
このように考えると、西側諸国が中国の将来について、民主化されるであろうと考えたことは、西側に好都合な想像を膨らませたにすぎなかった。幻想であったのだ。米国トランプ政権が現在、この幻想から醒めて中国の推し進めてきた「技術窃取」に危機感を強めている段階である。中国と西側との摩擦は今後、本格化する気配に見える。
技術のない国家の覇権挑戦
『大紀元』(4月3日付)は、「共産党、陰に日向に『社会主義の中国モデル普及』目指す」と題する記事を掲載した。
この記事では、中国の技術窃取計画がどのような方法で行なわれたかがハッキリと表れている。日本では、新幹線技術がまんまと盗まれた。しかも、特許まで取得するという図々しい振る舞いをしており、日本社会の信頼を一挙に失った。これ以来、日本企業は中国に対して警戒して、中国にしてやられたという失敗例を聞くことはない。韓国のサムスンには、半導体技術を窃取されている。これは、日本側技術者の「作為」によるもので、密かにサムスンへ出かけて製造ノウハウを直接、教えるという裏切り行為をした。カネに目がくらんだのだ。
その韓国が、中国に虎の子技術を盗まれている。
『中央日報』3月27日付「中国に流出した韓国の国家核心技術は12件」と題する記事を掲載した。
@「韓国の技術の流出が中国の関連産業発展につながるケースが少なからず発生し、警戒心が高まっている。2012年からの6年間に中国に流出した韓国の国家核心技術は12件にのぼる。国家核心技術とは、国家の安全保障および国民経済発展に重大な影響を与える技術をいう。技術の流出には大きく3つの方法が使われる。
1つ目は企業の内部職員と結託したり認可された第三者委託業務を口実に企業に接近し、保存媒体(USBメモリー、ウェブハード、CDなど)を通じて違法に技術を盗み出す行為だ。
2つ目は企業の核心人物を厚い待遇(現給与の5倍以上支給など)で誘引し、情報を持っていく方法だ。
3つ目は合法を装ったM&A(企業の合併・買収)方法を通じて核心技術を奪うケースだ。
韓国の技術の中国流出もほとんどこのような方法が動員された。実例として、今月初め慶南(キョンナム)地方警察庁国際犯罪捜査隊が国内ドラム式洗濯機のモーター設計図面を中国に流出させた事件を摘発したが、上の方法が利用された」
上記の中国による技術窃取は、3つの方法を使っている。純然たる産業スパイ。技術者引き抜きによるノウハウ入手。M&Aで技術を奪う方法。習氏は「中華再興」と叫んでいるがその裏で、韓国に対してこういう汚い手を使っている。
(1)「中国共産党は、スパイ工作、為替操作、サイバー攻撃、知的財産など、米国経済に打撃を与える包括的な戦略を何十年も行ってきた。少なくとも、ケ小平時代の40年前、ハイテク発展計画において、海外から本土への技術移転を促進してきた。3月22日の米国上院財務委員会で、米通商代表部のロバート・ライトハイザー氏は米国技術の重要性について触れ、『中国は米国から強制的に技術移転を行っている』と名指して批判した。通商部は、米国貿易赤字の半分を占める中国による、知的財産権侵害や技術移転強制について7カ月にわたる調査を行ってきた」
中国の技術窃取の起源は、ケ小平時代の40年前に遡る。「863計画」(1986年3月起案)が基本である。これに味をしめ、「中国製造2025」というハイテク産業育成の総仕上げによって、米国経済を打ち負かすという、とんでもない「技術大窃盗計画」を立てるまでにエスカレートしている。この総仕上げ計画が、トランプ氏の豪腕による「技術窃取阻止」でピンチに立っている。
(2)「中国は、欲する外国技術をさまざまな方法で入手している。今年1月、対米外国投資委員会(CFIUS)の専門家を招いた聴聞会では、中国当局による外国技術の入手方法は6つあると指摘した。
@ 外国企業を中国に招き、合弁会社を作らせる。
A 中国企業が海外で対象企業を買収する(M&Aや株式取得を含む)。
B 中国が対象技術製品を輸入する。
C 中国企業や研究機関で、技術力ある外国人を雇う。
D 中国人留学生が技術を学び、帰国するもしくは本国にデータを送信する。
E インターネットやその他の手段で盗み取る」
中国企業が、韓国から技術窃取した方法は前記の6項目中、AとDが該当する。だが、韓国は気づいていないかも知れないが、合弁形式による企業進出で技術が中国側に漏れている。
中国政府は、この合弁形式を相手国企業に強要するのだ。進出企業が技術を提供し、中国側企業が土地や建物などを提供する形式が多い。この方式が現在、米国政府から鋭く衝かれており、中止を求められている。
現代自動車では中国に進出した結果、中国に経営主導権を握られ、食い物にされている例もある。中国は、酢でも蒟蒻でも食えない相手がゴロゴロしている国だ。それに加え、中国政府という「強敵」が後押しする。ほとんどの企業内部に共産党委員会ができている。間接的な共産党支配に陥っているのだ。中国企業の不法行為は、中国政府が絡んでいると見て間違いない。
(3)「中国では、『西側諸国に追いつけ追い越せ』とのスローガンが叫ばれたケ小平時代の80年代の中国で、『ハイテク研究発展計画(863計画)綱要』は科学者4人により建議された。1986年3月に実施が決定したことから、この名がついた。『人民日報』によると、この863計画には生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野に分かれる。ケ小平は、『ハイテクを発展させ、産業化を実現させる』と筆をふるい、政府の各関係組織に指示した」
ハイテク産業の「863計画」は、ケ小平の肝いりで始まっている。生物、宇宙飛行、情報、先進的防衛、オートメーション化、エネルギー、新素材の7分野で成果を出そうというものだ。現状では、宇宙飛行、情報において成果が上がっている。いずれも防衛産業と結びついている。この流れでAI(人工知能)にも力を入れている。
中国最大の弱点は機械工業(精密工業)の発展基盤がないことだ。AIは情報と結びつき、流通業で発展しているが、その段階に止まり、広がりを欠く。産業の発展基盤は機械工業にある。満足な自動車エンジンもつくれない中国が、14億人の個人情報を活用してAIで頑張っても、自ずと発展の限界が画されるであろう。技術盗用では、本格的な工業発展は不可能である。その前に、基盤技術を磨くことだ。こういう地味な取り組みに興味を示さないのが中国である。
革命意識で始めた技術窃取
(4)「米国のスパイ防止活動機関・国家対情報局(ONCIX)の2011年の分析では、中国の863計画には『米国の機密の技術と経済情報を密かに手に入れるために、予算を組み、ガイダンスしている』と指摘している。2014年、米司法省は中国軍サイバー攻撃部隊『61398部隊』の将校5人が米企業の機密情報を奪ったとして、スパイ容疑での起訴を決めた。米国当局は5人の顔をインターネットでもさらし、身柄の引き渡しを求めるという容赦のない態度を見せたが、中国外交部報道官は『米国のでっち上げ』として猛烈に反発した」
中国は、国家ぐるみの技術泥棒を始めている。このことがいかに卑しいことかという自覚を欠くのは、「米国覇権」への挑戦が一種の革命戦争という位置づけに違いない。戦争では、相手を倒すために手段を選ばない。「勝てば官軍」の喩えの通り、戦争に綺麗も汚いもない。ただ、相手を倒せば勝敗の決着がつく。
中国は、この革命戦争の意識で米国を初めとする西側諸国に対抗する気構えなのだ。米国が、「技術窃取は許さない」と絶叫しても、中国は腹の中ではせせら笑いをしているに違いない。中国にとっては、「覇権」を巡る正直正銘の戦争なのだ。先手必勝の意識に染まっているのだろう。残念ながら、まともに話のできる相手ではなくなった。
(5)「この一件で、中国は戦術を変えた。『影なる』ハッカー攻撃ではなく、逆に『陽のあたる』手法に転換した。当局は、中国でビジネスを行う海外企業に技術の引き渡しを求める法改正を厳しく敷いた。2017年8月、海外との合弁会社を含む上場企業およそ3200社に対して『共産党組織を設置し、経営判断を組織の見解を優先させ、最終決定権を与える』との社内規定を盛り込むよう要求した」
中国では、外資企業にも共産党委員会を設置させている。外資企業の情報が自動的に中国共産党に集まるシステムだ。政治と経済の一体化である。中国は、この経営システムが効率的と自画自賛しているが、とんでもない間違いである。企業経営は市場経済システムで動くべきもの。そこへ政治が介入してどうするのか。まさに、ミクロ面でも「社会主義市場経済」を行なう意志である。この「石頭」を柔軟にさせる方法は存在しない。結果において失敗するしか、教訓を得られないところまで突き進んでいる。
(6)「中国戦略に詳しい情報筋は、中国当局は最近『商業と研究による米中パートナシップを確立する』名目で、米国から中国本土に技術を持ち込むために、中国技術者チームを米国に派遣しているという。もし受け入れられているならば、公然のスパイとも呼べる大胆な手法だ。こうした中国の対米戦略は、国防総省などホワイトハウス関係者は認知していたが、米国は対抗措置に積極的ではなかった。中国の技術移転による米国の経済的ダメージについて『非常に明確に米国で起きていたことだ。しかし、我々は眼の前の現実から目をそらしてきた』と、2015年に大紀元の取材に応じた国際戦略研究科リチャード・フィッシャー氏は警告していた」
中国科学者が最近、欧米科学者とジョイントによる研究成果が目立っている。日本メディアは、新たな研究スタイルと報じているが、これは表面的なこと。中国が欧米の研究成果を盗み出すために接近しているスパイ行為である。ともかく、手を変え品を変えて、産業スパイを働いてまでも技術窃取する。研究者倫理はない。そう言えば最近、遺伝子操作によって猿を出産させ話題になった。生命倫理も存在しない国が、世界覇権を狙っている。ゾッとさせられるのだ。
(7)「中国政府は国有企業を優遇し、民間企業を意のままにする計画経済を実行する。共産党におもねる民間企業には投資を促し、分が悪くなれば資産を没収する。社会主義国では民間企業、共産党、軍部の境界線があいまいで、プライバシーポリシーや知的財産の概念も低い。50人以上の従業員をもつ企業は、共産党が会社の内部情報をアクセスするためのシステムを備えるよう要求されている。共産党の目標は、ケ小平の863計画を指示したときと同じままだ。要綱にはこう記されている。『世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す』とある」
冷たい戦争と言われた米ソ対立は、イデオロギー戦争でもあった。民主主義と全体主義の優劣を競うものである。米ソ対立後は、「イデオロギーの終焉」とされ、世界はハッピーとされてきた。その裏で、中国が虎視眈々と「世界の主力である米国にとって代わり、共産主義と全体主義に基づく“中国モデル”普及を目指す」と大真面目に考え始めていた。
世界にとって、民主主義国と中国のどちらが経済面と思想面で優れているのか。結論は、人間はどちらの体制がより自由で幸福であるかに帰着する。中国が、技術窃取を止められた場合、潜在成長力はどの程度落ちるのか。さらに、不動産バブルの重圧がこれから加わる。習氏の「世界覇権奪還論」は非現実的に映るのだ。「技術窃取」という他人の褌で相撲取るのでなく、身の丈に合った国つくりに方向転換すべきであろう。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12366095507.html
中国の社会が間違いなく崩壊してしまうただ1つの理由とは
部下を昇進させる見返りに、莫大な賄賂を要求していた軍の制服組、役人に賄賂を払って環境汚染を見逃してもらっている企業経営者。
村の土地を勝手に売り飛ばして賄賂を受け取っていた村長、犯罪者から大金をもらって犯罪を見逃す警察官、手術の前に金を持っているかどうか確認する医者、手術中に手術代を釣り上げる医者。
そして、権力をかさに着て私腹を肥やし、パナマ経由で莫大な資産を隠し持つ習近平とその一族。自分たちの汚職は無視し、敵対する派閥の汚職だけを摘発するご都合主義。
これらは、すべて中国で起きている「拝金」事件だ。
上から下まで、中国の社会は汚職が蔓延して腐っている。中国では、すべての人間が「拝金主義」に陥っているのだ。
社会は、個人ひとりひとりの意識の総意で成り立っていることろがある。だから、おかしな人間が増えれば増えるほど、社会は成り立たなくなっていく。
凄まじく暴走していく資本主義の中で、社会に最も悪い影響を与えるのは「拝金主義」であることは、中国の現状を見れば誰でも気付くことだ。
人が拝金主義に陥れば、組織も拝金主義に陥る
中国では人が道ばたで倒れていても誰も助けようとしない。
中国人が冷淡だというよりも、被害者が「助けてくれた人を訴えてでもカネをせしめる」という拝金主義が蔓延したからこのようになったのだ。
下手に助けると、助けた本人が訴えられる。善意を見せれば馬鹿を見る。そんなことが続いたら、恐ろしくて誰も人を助けたくなくなる。
そのため、子供が車に轢かれても誰も助けないし、関わろうとしない。殺人事件が路上で起きていても、通行人は知らん顔をして通り過ぎる。
中国の問題の多くは、「カネのためなら何でもする」「自分が儲かるなら何でもする」という薄っぺらい拝金主義から生まれてきたものだった。
中国の社会システムが非常に脆弱なのも、公務員や警官までが率先して汚職や賄賂に染まり、自分だけが儲かればいいという拝金主義が蔓延しているからだ。
中国だけでなく、途上国の権力はそのほとんどが汚職で染まっているのだが、だからこそ社会は停滞し、「金こそすべて」と化して他人を踏みにじるようになるのだ。
拝金主義が蔓延すると、社会の秩序は保てなくなる。誰もが自分のことしか考えなくなるので、「公共」が保てなくなるからだ。社会の規律も保てなくなる。規律よりも、自分の利益が最優先されるからだ。
そのうち中国が、何らかのきっかけで崩壊するのが確実だと言われているのは、こうした「拝金主義」の体質が社会の隅々にまで行き渡っていて、もはや自滅が避けられないからだ。
個人が腐り、組織が腐り、政治が腐り、社会が腐り、すべてが腐りきって全体が崩壊する。そんなことは当の中国人も分かっている。
だから、中国人はカネのある人間から率先して国外に国籍を取って逃げていく。
拝金主義というのは、社会を崩壊させる毒なのだ
考えなければならないのは、組織は人が動かすものであり、人が腐れば組織も自ずと腐るということだ。人が拝金主義に陥れば、組織も拝金主義に陥る。
中国では今も「孫子の兵法」みたいな相手を貶める詐欺マニュアルが聖書のように人々に読み継がれている。
「孫子の兵法」は他人を騙すためのテクニックが満載であり、こんなものが読み継がれてまともな社会になると考える方がどうかしている。
私利私欲のために、「孫子の兵法」で他人を騙すのが中国人なのである。言うまでもないが、私利私欲というのは拝金主義そのものだ。私利私欲に堕ちた人間は、自分の利益のためなら何でもするのだ。
組織の中にこうした拝金主義が蔓延すると、いずれその組織は腐敗し、機能しなくなり、強欲な人間に食い尽くされ、やがて組織は生存が不可能なまでに壊れていく。
拝金主義というのは、社会を崩壊させる毒だ。中国にはその毒がたっぷりと回って、もう治療不可となっている。今さら中国に誠実さを求めても不可能だ。
人間でも組織でも、きちんと生きるためには「頭脳・実行力・誠実」の3点が必要になる。ところが、拝金主義がはびこると、この3点から「誠実」が消されてしまう。
誠実ではない人間に、頭脳と実行力があれば、結果は悲惨なものになる。
これは中国政府に頭脳と実行力があれば、より社会が悪くなるということを意味している。
政府自らが誠実さを失い、とてつもない拝金主義に陥っているので、いくら社会を潔癖にしようとしても、誰も政府を信じない。そのため、改善の一歩も踏み出せない。
中国を覆い尽くす拝金主義は、資本主義が生み出す癌だ。癌が広がって行くと、それはいずれ社会の中核を崩壊させていく。そして、あとは自壊を待つだけとなる。
常識を超えたカネへの執着は、社会悪を生み出す
しかし、これほどの毒薬なのに、ほとんどの中国人は拝金主義を改めようとしない。なぜか。
誰もが心の中で「自分も甘い汁を吸いたい」という黒い欲望が、ふつふつと燃えたぎっているからだ。他人が甘い汁を吸っているのに、自分だけ行儀良く生きて損したくないと思うのだ。
自分が拝金主義に堕ちていると、拝金主義の危険性など、見えるはずもない。見えても止まらない。
警官が拝金主義に走ると、治安はカネ次第になって規律は崩壊する。公務員が拝金主義に走ると、行政はカネ次第になって社会は崩壊する。
企業が拝金主義になると、消費者を騙すようにカネを稼ぐようになるので、信頼が崩壊する。政治家が拝金主義になると、個人の利益のために国を売り飛ばすので、国が崩壊する。
拝金主義が先鋭化している社会や国家ほど、崩壊しやすい環境にある。最も拝金主義が蔓延している中国が、最も崩壊に近い国なのだ。「カネこそすべて」が徹底した中国は、もう助かることはない。
そう考えると、私たち日本人が「カネこそすべて」だと中国人と一緒になって思うのはいかに馬鹿げているのかが分かる。
カネで買えるものは多く、カネで助かることも多く、カネで解決できることも多い。しかし、だからと言って「カネがすべて」ではないのも事実だ。
常識を超えたカネへの執着は、それ自体が社会悪を生み出して、社会を崩壊させてしまう。
拝金主義が蔓延しないためには、自分が拝金主義にならないという決意を持つしかない。「カネこそすべて」ではないことを真剣に考えなければならないということだ。
あなたはどうだろうか。自分の心の中に、もしかしたら拝金主義の芽を育ててはいないだろうか。
中国のようにボロボロになりたくなければ、度を超した拝金主義など捨てなければならない。それが最終的には社会のためになる。
カネで買えるものは多く、カネで助かることも多く、カネで解決できることも多い。しかし、だからと言って、「カネがすべて」ではないのも事実だ。常識を超えたカネへの執着は、それ自体が社会悪を生み出して、社会を崩壊させてしまう。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160802T1749230900
中国は歴史捏造の常習犯
宮脇淳子 『満蒙とは何だったのか 2015.9.5 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r4W-dqMkgp8
これを聞けば中国がよく分かります「真実の中国史」音声講義
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https://www.youtube.com/watch?v=resc8aY9Qes
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%80%90%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91%E3%80%8E%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81%E3%80%8F+
2017/12/14 に公開
あまりに素晴らしい講義なので、音声だけを再編集させて頂きアップしました。
多くの方に知って頂き、中国がどいう歴史を歩んで来たのか?を知る事で、私達の取るべき態度の支えになると思います。
【宮脇淳子】中国美女の正体 [桜H24-4-19] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vwBGh84gvs0
2012/04/19 に公開
東洋史家の宮脇淳子氏をお迎えし、元産経新聞記者のジャーナリスト・福島香織氏と御一緒に著された新著書『中国美女の正体』を御紹介いただきながら、外見からは想像もつかないほどに、精神性も価値観も日本人とは大きく異なる中国人の、中でも"美女達"の繰り出す謀略から、自身と国を守るための術はあるのか、日本人が知っておくべき彼らの本音と思考について、温かい叱咤激励とともに お話しいただきます。
______
中国語は秦の始皇帝の時代で進歩を止めてしまったので、感情表現も抽象的思考も全くできない原始言語のままなんですね。
漢文は難し過ぎるので中国人は文章を読み書きする能力が小学生レベルでストップしています。
中国人は損得勘定と どうやって他人を騙すかという事だけしか考えない、空気が読めない、他の人の気持ちが全然わからない、恋愛できない。
それは使っている言語による制約なのですね。
47. 中川隆[-10927] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:55:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
2011年02月01日
縄文探求シリーズ【縄文時代のまつり】 その充足パワーで超集団=社会を統合
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
大湯環状列石
・「祭り」ということばには、踊ったり騒いだりすることのほかに、神・精霊を祀る、マツリゴトをする、さらには男女が交わるという意味もあります。縄文時代の祭りとは、それらを包摂したまつりの起源ともいうべきものです。縄文人は何のために、どんなまつりをしていたのでしょうか?
・単一集団で暮らしていた当初段階と、人口が増加し集団が拡大・分化していく中期以降では、まつりの意味も様相も大きく変わっていきます。その様子を追っていきます。
●単一集団内の日常的なまつり
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:祭祀に使われたと思われる道具の数々(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)
・人類は、縄文時代の前期あたりまでは30人程度の集団で生活し、それが世界のすべてでした。
・そこでのまつりは、歩行訓練の延長上に生まれた踊り→トランス状態、そして性(男女の和合)。その過程で強化した精霊への祈りでした。そのような解脱充足と可能性収束先があったからこそ、人類は飢えの圧力に晒されながらも生き延びることができたのです。
●豊かになり、死を対象化しはじめた土偶祭祀
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:縄文時代を通じて祭祀に使われた土偶たち(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)
・精霊信仰→観念進化によって、生存力を強化し、日本列島において定住・狩猟採集をはじめたのが初期の縄文人です。飢えの圧力が緩和されると、次なる不全として死(の悲しみ)が登場します。その不全を克服すべく、精霊への祈りを強化するために土偶を使った祭祀が行われました。
●単位集団を超えて男・女が交わるまつりへ
図:大湯環状列石(秋田県) BBっといー東北についてより
・縄文の中期ごろになると温暖化とともに人口増加→集団規模を拡大させ→分化していきます。
・縄張り確保や生産の協働、出産可能な女性を維持するための移籍など、部族の維持存続のため、単位集団間の結束力(求心力)を高めることが必要でした。
・そこで用いたのが、集団間の婚姻制(交叉婚)です。
定期的に男たちが他集団を訪れて、女たちと交わり合います。
性という根底的な充足と婚姻規範によって集団の結束力を維持しようとしたのです。
・これは集団の存亡が懸かった重要な行為であり、厳格に運用する必要があります。その資格や相手を明らかにするしるしとして登場したのが抜歯だと思われます。そこには肉体的苦痛を伴う強力な共認形成を図る意味もあったでしょう。
図:抜歯の風習 街角散歩さんより
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
・一方で、その解脱充足性をより高めるためにさまざまな儀式や行動様式、場のしつらえなどが工夫されていきました。
・その痕跡を今に伝えるのが環状集落や環状列石です。
・まずは集落の中心に広場や墓域がつくられます。さらに集団が拡大・分化すると、集落から離れた領域に集いのための領域=環状列石がつくられます。そこでは、精霊や祖霊に祈りをささげる儀式や踊り、クライマックスは男たち・女たちの交わりあいが行われたと考えられます。
・環状列石や送りの場と言われる場に付随して置かれるのが掘立柱建物です。これは居住に用いたものではありません。そこでの儀式に必要だったのです。そこで行われたのが、男女の和合だったのではないでしょうか。和合に没頭できる安全域を形成したのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:三内丸山の掘立柱建物(復元) zhangshiさんのフォトライフさんより
・そのような非日常的なまつり場の代表的なものが下の3つの遺跡。
左から大湯遺跡(秋田)、大野遺跡(長野)、西田遺跡(岩手)
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
縄文時代における墓の変遷と祭り・親族・地域より
・まつり場と性の関係を指摘する研究者は多い。その代表が梅原猛氏。
あの細長い石を横に放射状に並べ、その真ん中に直立する細長い石を置いた形は明らかに男女の性器の結合の姿を示している。
ストーンサークルは、そういう縄文人の生と死の哲学を見事に造形的に示したものであるといえる。
大集落は中期の末に姿を消し、その後は小規模な集落が増えて行きます。これは大集落が分散して、小集落化したことを示すと考えられ、その原因は気候の寒冷化による食料の減少、ムラが大きくなり過ぎたことによる環境衛生・社会面での破錠、であると推定される。この頃から環状列石等の大規模な記念物が出現するのです。
分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。
人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。縄文時代の遺跡にはセックスを象徴しているものが沢山あるが、ストーンサークルは、まさに男性器と女性器が結合している状態を表している。即ち生産を表しているのではないかと思う。
死という行為で、一旦あの世へ行った魂が再びセックスによって、子供を作って、この世に生まれ代わってくるようにいう、死と生の象徴、死という事実の中で、やはり再生を願う縄文人たちの心が、ストーンサークルになったのだと思う。
そして、ストーンサークルの周辺の土は、非常に固くなっており、何度も何度も踏み固められたとしか思えないという説を聞いた事があるが、恐らく、縄文人は魂を迎えたり、送ったりする時に、ストーンサークルの広場で、カガリ火を焚き、踊りを踊ったに違いない。それが恐らく、縄文の宗教だったのであろう。
東北の遺跡ストーンサークルさんより
・ストーンサークルには踊りを踊ったと思われる痕跡も見出せるのです。
●充足を基盤に大集団を統合した縄文人
・縄文のまつりは、日常的な性や踊り、精霊への祈りといった行為を基盤として、単一集団の日常的な営みにから、単位集団を超えた非日常的な営みへと発展していきました。集団の拡大は共認充足の低下を伴います。これは現代社会にも通じる肥大社会の宿命でもあります。
・縄文人は、ともすれば薄れていく集団関係を性・踊りや精霊・祖霊にまつわる充足感・仲間意識を紐帯として、拡大していく“社会”を結束させていきます。
・遠方からの遺跡(婚姻)の形跡などからもその結束力は日常行動圏を超えた相当広範囲に至っていたことがうかがえます。
●現代社会も充足を基盤にした社会統合が求められている
・翻って、現代。私権と個人主義が集団性を悉く解体され、バラバラで孤独な個人ばかりが存在している。現代社会は、ひとびとの充足力→結束力が衰弱し、新たな紐帯としてのまつり場が求められています。
・そのためには、家族や企業という単位集団を超えた“社会”の次元での充足の場が必要。そのような場がいまネットに形成されようとしています。
・ただ、それだけでは成立しません。基盤となる単位集団(の再生)→日常的(対面上・肉体的)な充足基盤も同時に必要です。
・その維持・発展という目的意識が「社会」への参加を促進するのではないでしょうか。つまり、身近な単位集団の再生と社会のまつり場の再生は相乗的に再生されていくのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
130. 中川隆[-10926] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:56:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
2011年02月01日
縄文探求シリーズ【縄文時代のまつり】 その充足パワーで超集団=社会を統合
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
大湯環状列石
・「祭り」ということばには、踊ったり騒いだりすることのほかに、神・精霊を祀る、マツリゴトをする、さらには男女が交わるという意味もあります。縄文時代の祭りとは、それらを包摂したまつりの起源ともいうべきものです。縄文人は何のために、どんなまつりをしていたのでしょうか?
・単一集団で暮らしていた当初段階と、人口が増加し集団が拡大・分化していく中期以降では、まつりの意味も様相も大きく変わっていきます。その様子を追っていきます。
●単一集団内の日常的なまつり
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:祭祀に使われたと思われる道具の数々(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)
・人類は、縄文時代の前期あたりまでは30人程度の集団で生活し、それが世界のすべてでした。
・そこでのまつりは、歩行訓練の延長上に生まれた踊り→トランス状態、そして性(男女の和合)。その過程で強化した精霊への祈りでした。そのような解脱充足と可能性収束先があったからこそ、人類は飢えの圧力に晒されながらも生き延びることができたのです。
●豊かになり、死を対象化しはじめた土偶祭祀
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:縄文時代を通じて祭祀に使われた土偶たち(日本第四起学会偏「図解・日本の人類遺跡」より)
・精霊信仰→観念進化によって、生存力を強化し、日本列島において定住・狩猟採集をはじめたのが初期の縄文人です。飢えの圧力が緩和されると、次なる不全として死(の悲しみ)が登場します。その不全を克服すべく、精霊への祈りを強化するために土偶を使った祭祀が行われました。
●単位集団を超えて男・女が交わるまつりへ
図:大湯環状列石(秋田県) BBっといー東北についてより
・縄文の中期ごろになると温暖化とともに人口増加→集団規模を拡大させ→分化していきます。
・縄張り確保や生産の協働、出産可能な女性を維持するための移籍など、部族の維持存続のため、単位集団間の結束力(求心力)を高めることが必要でした。
・そこで用いたのが、集団間の婚姻制(交叉婚)です。
定期的に男たちが他集団を訪れて、女たちと交わり合います。
性という根底的な充足と婚姻規範によって集団の結束力を維持しようとしたのです。
・これは集団の存亡が懸かった重要な行為であり、厳格に運用する必要があります。その資格や相手を明らかにするしるしとして登場したのが抜歯だと思われます。そこには肉体的苦痛を伴う強力な共認形成を図る意味もあったでしょう。
図:抜歯の風習 街角散歩さんより
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
・一方で、その解脱充足性をより高めるためにさまざまな儀式や行動様式、場のしつらえなどが工夫されていきました。
・その痕跡を今に伝えるのが環状集落や環状列石です。
・まずは集落の中心に広場や墓域がつくられます。さらに集団が拡大・分化すると、集落から離れた領域に集いのための領域=環状列石がつくられます。そこでは、精霊や祖霊に祈りをささげる儀式や踊り、クライマックスは男たち・女たちの交わりあいが行われたと考えられます。
・環状列石や送りの場と言われる場に付随して置かれるのが掘立柱建物です。これは居住に用いたものではありません。そこでの儀式に必要だったのです。そこで行われたのが、男女の和合だったのではないでしょうか。和合に没頭できる安全域を形成したのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
図:三内丸山の掘立柱建物(復元) zhangshiさんのフォトライフさんより
・そのような非日常的なまつり場の代表的なものが下の3つの遺跡。
左から大湯遺跡(秋田)、大野遺跡(長野)、西田遺跡(岩手)
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
縄文時代における墓の変遷と祭り・親族・地域より
・まつり場と性の関係を指摘する研究者は多い。その代表が梅原猛氏。
あの細長い石を横に放射状に並べ、その真ん中に直立する細長い石を置いた形は明らかに男女の性器の結合の姿を示している。
ストーンサークルは、そういう縄文人の生と死の哲学を見事に造形的に示したものであるといえる。
大集落は中期の末に姿を消し、その後は小規模な集落が増えて行きます。これは大集落が分散して、小集落化したことを示すと考えられ、その原因は気候の寒冷化による食料の減少、ムラが大きくなり過ぎたことによる環境衛生・社会面での破錠、であると推定される。この頃から環状列石等の大規模な記念物が出現するのです。
分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。
人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。縄文時代の遺跡にはセックスを象徴しているものが沢山あるが、ストーンサークルは、まさに男性器と女性器が結合している状態を表している。即ち生産を表しているのではないかと思う。
死という行為で、一旦あの世へ行った魂が再びセックスによって、子供を作って、この世に生まれ代わってくるようにいう、死と生の象徴、死という事実の中で、やはり再生を願う縄文人たちの心が、ストーンサークルになったのだと思う。
そして、ストーンサークルの周辺の土は、非常に固くなっており、何度も何度も踏み固められたとしか思えないという説を聞いた事があるが、恐らく、縄文人は魂を迎えたり、送ったりする時に、ストーンサークルの広場で、カガリ火を焚き、踊りを踊ったに違いない。それが恐らく、縄文の宗教だったのであろう。
東北の遺跡ストーンサークルさんより
・ストーンサークルには踊りを踊ったと思われる痕跡も見出せるのです。
●充足を基盤に大集団を統合した縄文人
・縄文のまつりは、日常的な性や踊り、精霊への祈りといった行為を基盤として、単一集団の日常的な営みにから、単位集団を超えた非日常的な営みへと発展していきました。集団の拡大は共認充足の低下を伴います。これは現代社会にも通じる肥大社会の宿命でもあります。
・縄文人は、ともすれば薄れていく集団関係を性・踊りや精霊・祖霊にまつわる充足感・仲間意識を紐帯として、拡大していく“社会”を結束させていきます。
・遠方からの遺跡(婚姻)の形跡などからもその結束力は日常行動圏を超えた相当広範囲に至っていたことがうかがえます。
●現代社会も充足を基盤にした社会統合が求められている
・翻って、現代。私権と個人主義が集団性を悉く解体され、バラバラで孤独な個人ばかりが存在している。現代社会は、ひとびとの充足力→結束力が衰弱し、新たな紐帯としてのまつり場が求められています。
・そのためには、家族や企業という単位集団を超えた“社会”の次元での充足の場が必要。そのような場がいまネットに形成されようとしています。
・ただ、それだけでは成立しません。基盤となる単位集団(の再生)→日常的(対面上・肉体的)な充足基盤も同時に必要です。
・その維持・発展という目的意識が「社会」への参加を促進するのではないでしょうか。つまり、身近な単位集団の再生と社会のまつり場の再生は相乗的に再生されていくのです。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/02/1192.html
131. 中川隆[-10925] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:57:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
2007年04月10日 日本の婚姻通史
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000156.html
出自規則の転換要因のマードック説
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000153.html
は大変面白かったです。このあたりを検証する意味でも、日本の婚姻史は参考になります。というのも世界の中でも日本は、群婚から母系氏族、そして父系制にダイナミックに転換した歴史が精緻に追跡できる、非常に希で興味深い民族だからです。どのようにして転換していったのか、シリーズでレポートしたいと思います。
今日は婚姻通史を示します。
参照:高群逸枝著『日本婚姻史』
原始(無土器・縄文)・族内婚―――――――┬―【群婚】群
原始(縄文・弥生)・・・族外婚―――――――┘ 母系氏族
↓
大和〔古墳〕・・・・・・妻問婚 ――――┬―【対偶婚】父系母所
飛鳥奈良平安(初)・前婿取婚 ――┬婿取婚┘
平安(中)・・・・・・・純婿取婚―――┤
平安(末)・・・・・・・経営所婿取婚―┤
鎌倉南北・・・・・・・擬制婿取婚 ――┘
↓
室町安土桃山江戸・・嫁取婚―――――――【一夫一婦(蓄妾)婚】父系
↓
明治大正昭和・・・・・・寄合婚―――――――【純一夫一婦婚】双系
日本の婚姻史は、群婚、婿取式(母系型)、嫁取式(父系型)、寄合式(個人型)の4段階に大別される。
群婚は、族内婚(いわゆる兄妹婚)と族外婚(交叉婚)の二期に分かれる。
婿取式婚姻は、対偶婚――1対1の結合であるが、この結合は弱く、離合不定である。群婚の延長または遺習ともみなすべき多夫多妻的現象の並存を見ることが多い――に比定され、群婚とともに原始婚の範疇に入る。
婿取婚は、古典での代表的婚姻語である「ツマドイ」(奈良ごろまでに支配的に見られる)と、「ムコトリ」(平安から鎌倉ごろまでに支配的に見られる)の二語によって表される妻問婚と婿取婚の二期に分かれる。
妻問婚=通いで夫婦別居のたてまえ。その背後にはヤカラと称する族的共同体が想定される。
婿取婚=狭義の婿取婚で妻方同居のたてまえ。その背後には両親世帯が成立する。
狭義の婿取婚は、以下の4つに細分される。
前婿取婚:大化後平安初までの過渡期における母による婿取り
純婿取:摂関政治の盛行時代、婿取儀式が中央でも地方でも見られる段階で、妻方の父が婚主
経営所婿取:院政期。自家以外のところに経営所と称する婚礼の場所を設けて妻方の手で婿取婚が行われる。その後新夫婦は新居に移って単婚世帯をいとなむ
擬制婿取:鎌倉から南北朝ごろまで。夫方の親が別宅へ避居したあとを、妻方の、または妻自身の家として擬制して婿取をするたてまえの婚姻形態。この期間の各世帯は、前の経営所婚からひきつづいて単婚世帯が多い
嫁取式婚姻は、室町ごろに表面化して確立する。「ヨメトリ」という婚姻語がこの期にあらわれる。この期で妻は完全に夫方同居となる。だから前代の単婚世帯をすてて、夫方の家父長の族中に同居する俗となる。嫁取式は夫方の家父長の手によって行われ、夫方が貰い手、妻方が呉れ手という取り引き観念のもとに、嫁は死装束を身につけ、一個の物件と化して略奪される形となる。
寄合婚は、明治維新に萌芽し、昭和憲法後に表面化してくる、近代社会の男女同権的単婚制。
本来ならば大化前の氏族制末期に表面化されなければならない嫁取婚(家父長婚)が、日本では約10世紀もおくれて室町期に表面化した。その約10世紀間、太平洋諸島や東南アジア、台湾等に見られるような原始婚を保持し、しかもそれを徐々に終局へと規則正しく経過させた。(筆者注:妻問いから前婿取→…→擬制婿取へと、妻方居住から夫方居住へ大転換していく様は、連続していて実に見事です。)
この間、女性の地位は原始的な高さ(財産、祭祀、恋愛等の諸権利において)をもち、また女性を取り巻く社会環境も、原始的な諸関係を示していた。例えば、氏族制は崩壊していたが、原理は残っており、それが嫁取婚や家父長制の顕現をおさえており、だから夫婦は別産で別墓だった。同氏でさえあれば離別した夫婦でも同じ墓地に葬られ、同じ氏寺のある隠居地に余生を送り得たが、形影相伴う相愛の夫婦でも異氏のばあいは、隠居地を異にし、墓地を異にした。
最も不思議なのは、系は父系であるのに、婚姻や家族は母系型である点で、なにかの故障で成員の分家がちょっと妨げられると、たちどころに母系型の大家族が顕現した。これに反して父系型大家族は一例もない。父系系譜と母系型家族の複合は、「父系母所型」といわれ、母系型族制の上に父系系譜がたどられている。
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000156.html
日本婚姻史2 族内婚
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html
日本の婚姻通史の続きで、一つづつ婚姻様式を紹介してゆきます。最初は群婚(族内婚と族外婚)のうち族内婚から。族内婚を明らかにするのは記録がなく難しいが、遺跡や遺物、遺語、招婿婚(婿入婚)から類推できる。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
共食共婚
原始の家は後代の固定的なそれと違って、移動的な群単位の血縁集団の段階だったと考えてよかろう。縄文早期の遺跡は数個の竪穴からなり、その一つは面積約25u、5〜6人程度の収容能力で、まだ炉の跡もなく、移動性が濃厚に見られる。
群は必然的に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろう。つまり同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた。共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグイは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。
神前婚
原始的集団は、協業や防衛等の必要から、必然的に成員の団結を求めて祭治集団化していく。自然物の豊穣を祈り、人口の増加を願い、成員の血縁性への自覚による親和を念じて、その象徴としての「生む」母神像を創作して祭り、その神前で共食共婚の例祭を執行することを不可欠の行事とした。(右写真は「縄文のビーナス」)
族内共婚の遺習は、後代では村内共婚として見られる。
例えば、美濃国郡上郡東村大字祖師野の氏神の秋祭りでは、村じゅうの老若男女が夕刻から神殿に集まり、太鼓に合わせて輪を作って乱舞した。
それがすむと、人妻と処女の別なく、入り乱れて共婚神事をいとなんだ。
万葉集にも「人妻に吾もまじらむ、吾妻にひとも言問へ」といって神前共婚が演じられたとある。
トツギ祭というのがある。その多くは大漁とか、豊年とかを祈って行う共婚神事であって、これにはザコネ式や闇まつり式などがあり、個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示しているが、帰着するところは、食と性に対する共産共有の意識を象徴した原始的共同体的な祭りの一種であろう。
大和国磯城郡まき向(ムク)というところでは、毎年旧正月10日に、網掛神事というのが行われていた。田一反分のわらで男根の形をつくり(これをスサノヲ神という)、同じ分量で女根をつくり(これを稲田姫神という)、神官氏子が立ち合って、トツギ神事を執行したというが、もとは氏子同士がいとなんだものを、男女の性神に委託して象徴化したものであろう。
女性発情の告知方式
月経をめぐって女性の生理は躍動し、それを身振りにあらわして男性を挑発したであろう。これが舞踏(尻振り踊り)のはじまりであったろう。
踊りは「雄取り」(ヲスの鳥などをとらえるときメスの鳥をいわゆるオトリに使うのに同じ意)から来た語であろうという説があるが、女性発情の告知方式が上のような尻振り踊りなら、この踊りが雄取りに通ずることはうなずける。(後の族外婚ではもっと誇張された雄取方式になる。)
女性自身による告知方式は第一義的に尊重されたろうが、群が発達して共同体運営の関係から祭治制が発明され、食も性も神前における規律下にいとなまれるようになると、群は女性の発情期をトして(うらなって、判断して)、一定の祭礼を行うようになったらしい。それはたぶん戸外で、共食共婚をともなう舞踏会(女性の尻振り踊りに男性も同化して)として催されたであろう。
族内婚図
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html
原始時代の族制は、いわゆる類別組織で、性別と年齢階級が基本となっている。(「我」を中心として直系親から傍系親へ、近親から遠親へ叙述していく等親的な個別組織の後代の属性とは対照的である。)
(一)原初型
年齢階級
性 セ(チ)――┬コ(幼児)
別 イモ(ハ)―┘
性別のイモとセには、長幼の意味はない。単に族内婚の意味、つまり後の言葉でいえば兄弟姉妹で同時に夫婦であるという意味だけである。幼児のコから成年男子をチ、同女子をハと呼んだろう。どちらも族の長老の意味にもなった。ハには母の意味が生理的にも濃厚だったろう。イモをオモと転じても母となり、接頭語のイをのぞいてモといっても母のことになった。
(二)その進んだ型
年齢階級や性別の呼称が分化して複雑となり、群内の族制が秩序だってくる。神前婚が起こったのもこの段階であろう。
年齢階級
<オヤ> <コ>
性 セ オチ(大父)/ヲチ(小父)―― ヲノコ(ヲヒ)―┬マコ
別 イモ オハ(大母)/ヲハ(小母)―― メノコ(メヒ)―┘
オチ・オハ=後代転化して母系および父系の祖父母をいう
ヲチ・ヲハ=後代転化して母系および父系の伯叔父母をいう
ヲヒ・メヒ=実母子族の発展後転化して甥・姪の義となると想定
(三)内部の実母子族
イロハ(実母)―┬―イロセ(実兄弟)
└―イロモ(実姉妹)
内部に実母子族(母子小家族)が認識されて、はじめて禁婚観念が族内にめばえてくる。世界的には、親世代と子世代の禁婚が第一に行われ、次に実母子族の禁婚が行われるというが、日本では親世代と子世代(つまり異世代間―おぢとめい、おばとおいなど)の禁婚は行われず、実母子族の禁婚のみが著明に見られる。これは南北朝頃まで維持された。
日本は原理的には、実母子族禁婚を除いて他に禁婚がない。この点で日本の婚姻制は族内婚型といえる。後に父系が貫徹してから、父系中心の近親婚が禁じられてくるが、それでも従兄弟姉妹は禁婚されてない。非常に強く原始の族内婚型が影響しているのである。
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html
日本婚姻史3 族外婚
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html
日本婚姻史2 族内婚 に続いて、もう一つの群婚である族外婚です。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
群の定着と族外婚
縄文前期ごろから群は定着し、生産力の増大、人口の増大から、かつては別れ去った分枝群もいまは隣り合って集落を作るようになる。この段階で群は族内婚から、隣群との族外婚に進む。
(筆者注:氏族単位で集団分割した上で集団統合力強化のため、氏族間で交じり合う婚姻制に転換する。交叉婚ともいう。)
族外婚の典型はオーストラリアに見られ、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というもの。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則。
ところが日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。(筆者注:拡大族内婚とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。
「日本の交叉婚の特殊性」参照。)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=22267&pgh=3
通婚関係にある男女は、各自別群に所属している。だから子は当然母の群に生まれ育ち母の族員になることにより、母系氏族制がはじまる。群は氏族になり、氏族は母系によって継承されることになる。そして族員たちは互いにハラカラ(同母族)と呼び合うようになった。
クナド方式
クナグという古語は性交を意味する。
(『トツグ、マク、クナグ』参照)
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などとみえる。だからクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所の意味。
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。
クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもある。原始段階では性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。大国主神の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのもこの理由に他ならない(後日詳解の予定)。
・猿田彦神話では、国堺のヤチマタに異国人の猿田彦が立ちはだかっていると、ウズメという女神が乳房と陰部を露出してこれに立ち向かい、両者唱和して交通がひらけたとある。だから猿田彦は交通の神でもあり性の神でもあり、ウズメは雄取式舞踏(カグラ踊り)の祖神となった。
・女が性器を出して先駆すれば必ず敵軍を軟化させ得るという俗言から、沖縄の軍陣ではサキパリ(先張り?)というウズメ式巫女が用いられたという。
交通の要所に立つチマタの神や、道祖神や、村境にあって外からの害悪を防ぐサヘの神、これらが複合して同時にクナドの神とされ、いまも性の神とされているのは、その場所で神前集団婚が行われたからで、市場における定期的な集団婚カガヒ(歌垣)のことは、「万葉」にも謡われている。
CAO4KP4V.jpgカガヒは掛け合いの義。歌を掛け合うという意味で歌垣ともよばれる。カガヒは筑波(右の写真)や杵島などの入会山でも行われた。歌垣山という名の山も各地にみられる。歌を掛け合い踊りを踊ってそれを婚交の前奏曲としたことは、つぎの招婿婚(婿入婚)段階にもひきつがれて、ヨバヒの場合の唱和や相聞歌となり、平安期には文使いの儀式となったりした(文の方式は、村には明治ごろまで遺存して、若者たちの通い婚の序曲となっていた)。和歌など文学の起源はここにある。
(筆者注:歌垣は、東南アジアや中国南部の雲南地方など、照葉樹林文化圏に広くみられる。)
クナドでの族外婚では、それが集落婚姻圏を超えて広域的なものとなればなるほど、男性略奪(雄取り)と同じ観念、つまり子ダネをとるという観念が第一義となったろうが、それだけでなく外族との和平や政治的、経済的ブロックの拡大への動機がからんでいた。原始部落の女性たちは、胸乳をあらわしホトを露出したウズメ式の身振りの尻振り踊りによって他部族の男性を誘惑した。
・この段階が過ぎて個別婚の時代になると、この雄取式形態は、神社の巫女によって相続者をうる手段とされ、または娼婦によって歪曲化されて受け継がれた。
・平安時代には遊女(アソビメ)という娼婦がいたが、外来者とみれば取り囲んで歌舞し男客を誘惑した。
・沖縄の娼婦ズリの起源も外来者との婚交にあり、まれ人(客人)に仕える神の妻(め)にあるようだ。
・人妻と処女の別なく、外客を迎えて枕席にはべった鎌倉期の俗、とくに長者制の俗(長者の家での外客への饗応にはじまった娼婦制)も同じ原始の雄取婚からの遺制にちがいない。
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html
『トツグ、マク、クナグ』から見えてくるもの
「日本婚姻史」(中山太郎)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=132490
という本を読み始めました。(詳しくはこちらをどうぞ)
第一章「共同婚」の中の、第一節「共同婚を偲ばせる二三の古語」の中から、“とつぐ、まく、くなぐという古語の内容”がなかなか興味深かったので、ご紹介します。
著者の中山太郎氏は、
共同婚(乱婚とも雑婚とも称し、部落中の男女が共同的に婚姻するものをいう)時代が在ったか否か。換言すれば我国に女子共有の時代が在ったか否か。
という問題意識から古語を調べ、その存在を証明しています。ただし、この本が書かれた昭和初期にも、学者たちの抵抗があったらしく、
土俗を軽視した従来の学者は悉く否定説を採っている。就中、かかる事象の存在を国家の威厳でも傷けるものと誤解していた所謂国学者流の人々や、又は支那の儒教かぶれした学者達は、恰も臭いものに蓋をするが如き態度で、殆ど故意とも思われるまでに此の事象を或は否定し或は黙殺したのである。
と記しています。
さて、共同婚(⇒兄妹婚や総遇婚を指すようです)の存在の証拠の一部として、次のような内容が記されています。
★琉球石垣島の皿濱地方では、女にはプトモツ(夫を持つ)という結婚を表す言葉があるが、男には全く無く、露骨に「交合」という言葉を使っている。それと同じ用語例があり、それが「トツグ、マク、クナグ」の三語である。
★現在では、それぞれ「嫁ぐ、覔く、婚ぐ」という字を当てるが、古くはどれも「交合」の意味に用いられた。
その具体的事例を、少し長くなりますが引用しますね
トツグの語義は橘守部によれば『とつぐは陰接なり』と断定され。
宇都保物語(蔵開上)に
そのむすめ、とつぎ時になり給しかば、みかどをさして、人かよはざでありしに、天皇、みこ、みや、とのばらのみ、よばひのつかひはあけたてはならめぐりてあれど、こともえつけでぞ侍りし云々。
これ等の例証から見るも、トツグの原義は交合であって、これが嫁娶の意に用いられるようになったのは、後世の第二義的の分化であることが知られるのである。
マクの語義に就いては『倭訓栞』に『日本紀に覔をよめり、古事記に求をよみ眞來と書けり、もとむる義なり云々。女を犯す事をまくといふも妻をまくより出たるなり云々。伊豫にてはまぐといふ、伊勢にてはまけなといふも同語なるべし』とあるが、これは谷川士清にも似合わぬことで、前に述べたマクの国語に覔または求の感じを当てたために誤られた解釈であって、古くは単なる交合の意であったことは、伊豫や伊勢の用語が示している如くで、現に琉球の宮古島や大隈の徳ノ島では交合の意にマクの語を使用している。
クナグの語義にあっては、諸冊二尊に合交(まぐわい)の事を教えた鶺鴒の和名を、古く『にはくなぶり』とも『とつぎをしへとり』とも言うた一事から見るも。この語が交合の意味を有していたことは明白である
然して以上列挙したトツグ、マク、クナグ等の言語を使用した古代人の思想は、交合することが直ちに婚姻であること、猶お琉球の皿濱地方におけると同じであった。反言すれば、婚姻とは即ち交合の意に外ならぬのであった。交合を『見る』とも『逢ふ』とも言い、婚姻を『よばふ』と言うようになったのは、この次の時代であって、多少とも婚姻に式礼を加えるようになってからの発明である。
霊の結合に重きを置かなかった古代にあっては、肉の結合が直ちに婚姻の総てであった。然もそれを最も露骨に最も勇敢に実行したのが私共の遠い祖先だちである。
一対婚が実は日本では数十年の歴史しかないことを、社会人になってから初めて知った のですが、そういう事実は、日本の古典からも読み取れるんですね。
古文の授業で、「逢う=結婚」と習って、 って感じだったのですが、もともと「交合」であったと考えればスッキリします。
著者は、古代は「霊の結合に重きを置かなかった」と書いていますが、そうではなくて、その時代は「霊の結合」と「肉の結合」は一体で、区別する必要なんて無かったんだと思います
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
日本の交叉婚の特殊性
>族外婚(交叉婚)の段階になると、実母氏族間(つまり兄妹間)の禁婚が厳密に守られたという事実がないと、後の母系氏族制の確立…、ひいては、それを基盤とした婿取婚が南北朝時代まで続いたことに整合性ある説明がつかないのではないでしょうか。 (小寺さん、21980)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21980
まず禁婚については、世代間と兄弟姉妹に分けて考える必要があります。細田さんが
21655
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21655
で、中国貴州省の山地に住む少数民族、苗族(ミャオ族)の例から、
>最初の段階の制約は、世代の異なる人同士は結婚できないという年齢の制約である。次に現れた制約は兄弟姉妹や母方平行イトコ間では結婚できないことだ。三つ目の制約は、同一宗族内の者が通婚できないことで、このような制約も地域によって、どの制約がなされているかは異なるようだ。
とまとめられていますが、この点でも日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。
子は母親の群で育てられるのは原始以来そうですから、ずっと母系氏族制であったと考えていいのではないでしょうか。集団分割も血縁を基準に分割するしかなく、必然的に母系氏族集団になったと思います。交叉婚の男女も各自生まれた群に属しています。
妻問婚→婿取婚は、弥生人or大和人が持ち込んだ婚姻制で、当初支配層のみで行われていたものです。男が忍んで好みの女のもとを訪れる妻問婚も、男を母系集団に迎え入れる婿取婚も、母系氏族制を基礎にしていますが、同時に崩壊をも意味しています。群同士の婚姻制が崩れ、さらに生まれた群を離れるという形で変質していきます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=22267&pgh=3
採取時代の婚姻様式
観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、約1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。とは言え採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していた。
しかし、外圧が低下すると集団統合力が低下し、規範収束力も低下してゆく。同時に、外圧の低下につれて解脱収束(中心は性充足の欠乏)が強まってゆく。更に、集団規模が拡大したこともあいまって、原モグラ以来1億年に亙って踏襲してきた首雄集中婚を維持することが困難になっていった。こうして約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、
部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した
(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。
ここでの採集・漁労部族における女の役割は、注目に値する。
採集部族では、弓矢を持った男たちが防衛する(狩猟もするが、獲物は少ない)安全域で、女たちが主要な食糧を採集する。もちろん、闘争過程の主役はあくまでも男たちの防衛であって、女たちの採集は従役である。
それにしても、食糧の過半を女が採ってくるというのは、外圧の強い極限時代には考えられなかったことであるが、皆=集団の期待(食糧の採集という役割)に応えて、採集部族の女たちはよく働いた。
しかし、それでもなお男たちの期待の中心は性であり、従って女たち自身にとっても、自分たちの中心的な役割は性役(男たちに性的充足を与えること=自らの性的充足を得ること)であった。
役割欠損ゆえに性的存在となった女にとって、集団=全ての男たちの期待(=性役という女の役割規範)に応えることほど、自らの存在理由を充足させるものはない。
従って、タヒチをはじめ採集部族の女たちは、極めて積極的に集団の期待=性役規範に応え、更に性機能を磨いていった。
(近世になって西欧人が侵略の目的でやって来た時でさえ、タヒチやカリブの女たちは、彼らを性的に歓待した。
これは、採集部族の人たちがいかに心を開いていたか=いかに警戒心が無かったか=いかに完全に自我を封印していたかの証明であり、また女たちが、集団の性役規範にいかに積極的に応えていたかの証明である。)
それに対して、ヨーロッパの森林地帯に留まった白色人(コーカソイド)をはじめとする狩猟部族は、その狩猟という生産様式から、まだまだ強い闘争圧力を受けて強い集団統合力を維持し続けており、その結果、首雄集中婚の規範が長く残り続ける。
しかし、外圧の低下によって次第に解脱収束が強まり、集団規模も拡大してゆく。そこで狩猟部族は、首雄集中婚を踏襲しつつ、首雄=族長という資格を一段下に拡張した勇士集中婚を形成していった
(これは、女長老が采配する母系氏族の姉妹たち全員が勇士を迎え入れる、勇士婿入り婚とも言える)。
だが、ここに大きな落とし穴があった。首雄は、原モグラ(哺乳類)以来の自然な存在であり、かつ唯一人である。それに、皆が評価し共認した族長に対して不満などあろう筈がない。仮にもし不満があったとしたら、直ちに皆が認める新たな族長に替わるだけである。しかし、勇士は一人ではなく何人もいる。しかも、勇士の資格は人工的に作られた資格である。従って、男たちの相対性と各々の正当化から自我を発生させて終う余地が大きい。
何より問題なのは、首雄集中婚や総偶婚では集団規範によって性(婚姻)の相手は決まっており、従って娘たちは12歳前後で、思春期を迎えるや否や直ちに性関係に入ってゆく事ができる(=女の最大欠乏たる性的役割欠乏が充足される)のに対して、人工的な勇士婚では相手は決まっておらず、勇士が決まり婚姻が決まるまで、娘たちの性欠乏=存在理由欠乏は宙に浮いてしまうことである。
もともと首雄集中婚の下でも、外圧が低下して解脱収束を強めた男たちの性欠乏は宙に浮いていた。
しかし、モグラ以来、首雄以外の男の性は封鎖されてきたし、性の主役は女なので、女の性の相手を定めた婚姻規範が有る限り、問題は起きなかった。
ところが、勇士婚規範によって、その女の性が宙に浮いてしまった。
こうなると、規範破りの性関係が発生してくるのは避けられない。
とは言え、狩猟生産の段階ではまだまだ闘争圧力⇒集団統合力が強く、規範破りの不倫は殆ど発生しなかっただろうし、万一発生したとしても、部族を捨てて逃げるほど反集団的には成れず、従って(恐らく男が)処刑されて一件は落着しただろう。
しかし、牧畜生産に移行すると一気に闘争圧力が緩み、集団統合力も低下する(牧畜は、一般には採集部族と同様に女の仕事であり、従って牧畜部族に働く外圧は、採集部族に働く外圧レベルにまで低下したと考えられる)。
そこでは勇士の資格が更に下に拡張され、規範破りの不倫も、時折は発生したに違いない。しかし、やはり氏族(親や兄弟や仲間)を捨てて逃げるほど、反集団的な意識には成り得なかった
(集団を捨てて逃げる為には強固な反集団の自我収束が必要だが、そこまで強く自我収束し得る場が、狩猟部族や牧畜部族には見当たらない)。
だが、彼らが遊牧へと移行していった時、彼らは遂に開けてはならないパンドラの箱を開け、集団を破壊する性闘争を顕現させてしまうのである。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=8
日本婚姻史シリーズ1〜その3:縄文時代の婚姻制を探る
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html
先ずは、新石器時代(=採集・漁労生産時代)、東アジア諸部族の婚姻様式を俯瞰してみます。
『実現論(採取時代の婚姻様式)』
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した
(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
『実現論勉強会(採取時代の婚姻様式・図解)』
交叉総遇婚とは、同じ集団内(母方の親族)の婚姻関係をタブーにし、決められた集団に男が通う形態となります。
集団が閉鎖性を帯びないように、A集団の男たちはB集団の女たちと、B集団の男たちはC集団の女たちと、というように相手を決めていくのが普遍的。父親は別集団で生活しているので、母方の兄弟が養育することになります。
では、縄文期の日本列島も、上記の交叉総遇婚であったといえるのか? このことについて、縄文集落の埋葬形態から婚姻様式を探る記事を紹介したいと思います。
るいネット『集落内墓地の埋葬形態から婚姻様式を考える』
田中良之氏の研究によると、縄文〜5世紀後半までは男女問わず、同じ集落内でも近い血縁関係にある死者を近くに埋葬する傾向が強いようです。縄文期は(母系・父系の特定はできない)兄・弟・姉・妹・従兄弟・従姉妹が同じ場所に埋葬されていることが多く、近親関係が無い(薄い)配偶者と思われる女性の人骨が、父系の墓地の近くに埋葬されるようになるのは古墳時代以降だということです。
こうして双系の兄妹を近くに葬る縄文の埋葬形態は、未開時代のタヒチなどポリネシア原住民に近いようにも思われます。以上から、日本古代の婚姻について以下の2つの仮説が考えられます。
・1つ目は、「兄妹婚」「従兄妹婚」などのように単位集団(氏族)内に婚姻関係が内包されており、婚後も男女双方が集団内に留まっていた。
・2つ目は、婚姻関係は単位集団(氏族)を超えて結ばれたが、男女どちらかが相手の集団に移動して一緒に住まうような固定形態ではなく、その都度移動して交流していた。
以上、縄文時代の交叉総遇婚について探ってみました。但し、東アジアをはじめ、採集・漁労部族に見られる交叉婚と日本の交叉婚は、婚姻規範の中身が異なったようです。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html
日本婚姻史1〜その4:日本の交叉婚の特殊性
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
前々回と前回にわたって、縄文時代の婚姻制【兄妹総偶婚⇒交叉総偶婚】の流れを、気候風土や集団内墓地の埋葬形態などから解明してきました。
【総偶婚】
集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式。
約1万年前、採集・漁労部族はこの総偶婚によって(期待・応合充足を破壊する)性闘争を完璧に解消し、自我回路をほぼ完全に封印していた。日本においては村内婚(夜這い婚)の形で、昭和30年代頃まで農村部で存続していた。
前回、世界の交叉総偶婚を婚姻形態を図解でも紹介しましたが、日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。
今回は、日本の縄文時代の交叉総偶婚とはどういったものだったのか?その特殊性について紹介したいと思います。
★日本の交叉総偶婚【クナド婚】とは?
■クナドとは?
クナグという古語は性交を意味します。
(『トツグ、マク、クナグ』参照)
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などという表現があります。つまりクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所を意味します。
■クナド婚とは?
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっています。
クナドは文字通り神前共婚の場所ですが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもあります。原始段階では性交は同族化を意味します。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあったようです。
詳しくは、
『日本婚姻史3 族外婚』
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html
を参照
祭事の折など、数ヵ村共有のヒロバ(広場)に集まり、男達と女達が分け隔てなく交わりあう交叉総偶婚という婚姻形態を取っていたようです。
★海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度
交叉総偶婚(族外婚)の典型はオーストラリアのアボリジニ先住民族に見られます。、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というものです。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則です。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
上図のように、海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度となっています。
★なぜ交叉総偶婚という厳格な規範化がなされたのか?
ここは仮説ですが、日本と違い他民族や他人種との同類闘争の中で、集団統合の観点から軋轢を避け厳格が規範化がなされたのかも知れません。
日本の場合、弥生時代に入るまで、他民族との接触がなかったため、日本独自の交叉総偶婚が成立したのかもしれません。
★日本の独自の交叉総偶婚【クナド婚】は、おおらかな婚姻制度
日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられます。
日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。
それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。
(るいネット「日本の交叉婚の特殊性」より引用)
日本の交叉総偶婚は兄妹婚黙認の【拡大総偶婚】とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。
集団の人数が増えても、充足・集団統合から婚姻形態が決められ、縄文人の共同性や期待応望によるみんなの充足に重きが置かれていた事がわかります。
******************************
以上が、縄文時代の婚姻制度でした。
しかし、渡来人が入ってきた弥生時代は、【拡大総偶婚⇒対偶婚(一対一の関係)】へ劇的に変わって行きます。この変化には、私有意識や私権観念が流入してきた事を意味すると思われます。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
48. 中川隆[-10924] koaQ7Jey 2018年4月22日 06:57:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11770]
2007年04月10日 日本の婚姻通史
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000156.html
出自規則の転換要因のマードック説
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000153.html
は大変面白かったです。このあたりを検証する意味でも、日本の婚姻史は参考になります。というのも世界の中でも日本は、群婚から母系氏族、そして父系制にダイナミックに転換した歴史が精緻に追跡できる、非常に希で興味深い民族だからです。どのようにして転換していったのか、シリーズでレポートしたいと思います。
今日は婚姻通史を示します。
参照:高群逸枝著『日本婚姻史』
原始(無土器・縄文)・族内婚―――――――┬―【群婚】群
原始(縄文・弥生)・・・族外婚―――――――┘ 母系氏族
↓
大和〔古墳〕・・・・・・妻問婚 ――――┬―【対偶婚】父系母所
飛鳥奈良平安(初)・前婿取婚 ――┬婿取婚┘
平安(中)・・・・・・・純婿取婚―――┤
平安(末)・・・・・・・経営所婿取婚―┤
鎌倉南北・・・・・・・擬制婿取婚 ――┘
↓
室町安土桃山江戸・・嫁取婚―――――――【一夫一婦(蓄妾)婚】父系
↓
明治大正昭和・・・・・・寄合婚―――――――【純一夫一婦婚】双系
日本の婚姻史は、群婚、婿取式(母系型)、嫁取式(父系型)、寄合式(個人型)の4段階に大別される。
群婚は、族内婚(いわゆる兄妹婚)と族外婚(交叉婚)の二期に分かれる。
婿取式婚姻は、対偶婚――1対1の結合であるが、この結合は弱く、離合不定である。群婚の延長または遺習ともみなすべき多夫多妻的現象の並存を見ることが多い――に比定され、群婚とともに原始婚の範疇に入る。
婿取婚は、古典での代表的婚姻語である「ツマドイ」(奈良ごろまでに支配的に見られる)と、「ムコトリ」(平安から鎌倉ごろまでに支配的に見られる)の二語によって表される妻問婚と婿取婚の二期に分かれる。
妻問婚=通いで夫婦別居のたてまえ。その背後にはヤカラと称する族的共同体が想定される。
婿取婚=狭義の婿取婚で妻方同居のたてまえ。その背後には両親世帯が成立する。
狭義の婿取婚は、以下の4つに細分される。
前婿取婚:大化後平安初までの過渡期における母による婿取り
純婿取:摂関政治の盛行時代、婿取儀式が中央でも地方でも見られる段階で、妻方の父が婚主
経営所婿取:院政期。自家以外のところに経営所と称する婚礼の場所を設けて妻方の手で婿取婚が行われる。その後新夫婦は新居に移って単婚世帯をいとなむ
擬制婿取:鎌倉から南北朝ごろまで。夫方の親が別宅へ避居したあとを、妻方の、または妻自身の家として擬制して婿取をするたてまえの婚姻形態。この期間の各世帯は、前の経営所婚からひきつづいて単婚世帯が多い
嫁取式婚姻は、室町ごろに表面化して確立する。「ヨメトリ」という婚姻語がこの期にあらわれる。この期で妻は完全に夫方同居となる。だから前代の単婚世帯をすてて、夫方の家父長の族中に同居する俗となる。嫁取式は夫方の家父長の手によって行われ、夫方が貰い手、妻方が呉れ手という取り引き観念のもとに、嫁は死装束を身につけ、一個の物件と化して略奪される形となる。
寄合婚は、明治維新に萌芽し、昭和憲法後に表面化してくる、近代社会の男女同権的単婚制。
本来ならば大化前の氏族制末期に表面化されなければならない嫁取婚(家父長婚)が、日本では約10世紀もおくれて室町期に表面化した。その約10世紀間、太平洋諸島や東南アジア、台湾等に見られるような原始婚を保持し、しかもそれを徐々に終局へと規則正しく経過させた。(筆者注:妻問いから前婿取→…→擬制婿取へと、妻方居住から夫方居住へ大転換していく様は、連続していて実に見事です。)
この間、女性の地位は原始的な高さ(財産、祭祀、恋愛等の諸権利において)をもち、また女性を取り巻く社会環境も、原始的な諸関係を示していた。例えば、氏族制は崩壊していたが、原理は残っており、それが嫁取婚や家父長制の顕現をおさえており、だから夫婦は別産で別墓だった。同氏でさえあれば離別した夫婦でも同じ墓地に葬られ、同じ氏寺のある隠居地に余生を送り得たが、形影相伴う相愛の夫婦でも異氏のばあいは、隠居地を異にし、墓地を異にした。
最も不思議なのは、系は父系であるのに、婚姻や家族は母系型である点で、なにかの故障で成員の分家がちょっと妨げられると、たちどころに母系型の大家族が顕現した。これに反して父系型大家族は一例もない。父系系譜と母系型家族の複合は、「父系母所型」といわれ、母系型族制の上に父系系譜がたどられている。
http://www.jinruisi.net/blog/2007/04/000156.html
日本婚姻史2 族内婚
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000163.html
日本の婚姻通史の続きで、一つづつ婚姻様式を紹介してゆきます。最初は群婚(族内婚と族外婚)のうち族内婚から。族内婚を明らかにするのは記録がなく難しいが、遺跡や遺物、遺語、招婿婚(婿入婚)から類推できる。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
共食共婚
原始の家は後代の固定的なそれと違って、移動的な群単位の血縁集団の段階だったと考えてよかろう。縄文早期の遺跡は数個の竪穴からなり、その一つは面積約25u、5〜6人程度の収容能力で、まだ炉の跡もなく、移動性が濃厚に見られる。
群は必然的に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろう。つまり同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた。共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグイは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。
神前婚
原始的集団は、協業や防衛等の必要から、必然的に成員の団結を求めて祭治集団化していく。自然物の豊穣を祈り、人口の増加を願い、成員の血縁性への自覚による親和を念じて、その象徴としての「生む」母神像を創作して祭り、その神前で共食共婚の例祭を執行することを不可欠の行事とした。(右写真は「縄文のビーナス」)
族内共婚の遺習は、後代では村内共婚として見られる。
例えば、美濃国郡上郡東村大字祖師野の氏神の秋祭りでは、村じゅうの老若男女が夕刻から神殿に集まり、太鼓に合わせて輪を作って乱舞した。
それがすむと、人妻と処女の別なく、入り乱れて共婚神事をいとなんだ。
万葉集にも「人妻に吾もまじらむ、吾妻にひとも言問へ」といって神前共婚が演じられたとある。
トツギ祭というのがある。その多くは大漁とか、豊年とかを祈って行う共婚神事であって、これにはザコネ式や闇まつり式などがあり、個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示しているが、帰着するところは、食と性に対する共産共有の意識を象徴した原始的共同体的な祭りの一種であろう。
大和国磯城郡まき向(ムク)というところでは、毎年旧正月10日に、網掛神事というのが行われていた。田一反分のわらで男根の形をつくり(これをスサノヲ神という)、同じ分量で女根をつくり(これを稲田姫神という)、神官氏子が立ち合って、トツギ神事を執行したというが、もとは氏子同士がいとなんだものを、男女の性神に委託して象徴化したものであろう。
女性発情の告知方式
月経をめぐって女性の生理は躍動し、それを身振りにあらわして男性を挑発したであろう。これが舞踏(尻振り踊り)のはじまりであったろう。
踊りは「雄取り」(ヲスの鳥などをとらえるときメスの鳥をいわゆるオトリに使うのに同じ意)から来た語であろうという説があるが、女性発情の告知方式が上のような尻振り踊りなら、この踊りが雄取りに通ずることはうなずける。(後の族外婚ではもっと誇張された雄取方式になる。)
女性自身による告知方式は第一義的に尊重されたろうが、群が発達して共同体運営の関係から祭治制が発明され、食も性も神前における規律下にいとなまれるようになると、群は女性の発情期をトして(うらなって、判断して)、一定の祭礼を行うようになったらしい。それはたぶん戸外で、共食共婚をともなう舞踏会(女性の尻振り踊りに男性も同化して)として催されたであろう。
族内婚図
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原始時代の族制は、いわゆる類別組織で、性別と年齢階級が基本となっている。(「我」を中心として直系親から傍系親へ、近親から遠親へ叙述していく等親的な個別組織の後代の属性とは対照的である。)
(一)原初型
年齢階級
性 セ(チ)――┬コ(幼児)
別 イモ(ハ)―┘
性別のイモとセには、長幼の意味はない。単に族内婚の意味、つまり後の言葉でいえば兄弟姉妹で同時に夫婦であるという意味だけである。幼児のコから成年男子をチ、同女子をハと呼んだろう。どちらも族の長老の意味にもなった。ハには母の意味が生理的にも濃厚だったろう。イモをオモと転じても母となり、接頭語のイをのぞいてモといっても母のことになった。
(二)その進んだ型
年齢階級や性別の呼称が分化して複雑となり、群内の族制が秩序だってくる。神前婚が起こったのもこの段階であろう。
年齢階級
<オヤ> <コ>
性 セ オチ(大父)/ヲチ(小父)―― ヲノコ(ヲヒ)―┬マコ
別 イモ オハ(大母)/ヲハ(小母)―― メノコ(メヒ)―┘
オチ・オハ=後代転化して母系および父系の祖父母をいう
ヲチ・ヲハ=後代転化して母系および父系の伯叔父母をいう
ヲヒ・メヒ=実母子族の発展後転化して甥・姪の義となると想定
(三)内部の実母子族
イロハ(実母)―┬―イロセ(実兄弟)
└―イロモ(実姉妹)
内部に実母子族(母子小家族)が認識されて、はじめて禁婚観念が族内にめばえてくる。世界的には、親世代と子世代の禁婚が第一に行われ、次に実母子族の禁婚が行われるというが、日本では親世代と子世代(つまり異世代間―おぢとめい、おばとおいなど)の禁婚は行われず、実母子族の禁婚のみが著明に見られる。これは南北朝頃まで維持された。
日本は原理的には、実母子族禁婚を除いて他に禁婚がない。この点で日本の婚姻制は族内婚型といえる。後に父系が貫徹してから、父系中心の近親婚が禁じられてくるが、それでも従兄弟姉妹は禁婚されてない。非常に強く原始の族内婚型が影響しているのである。
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日本婚姻史3 族外婚
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html
日本婚姻史2 族内婚 に続いて、もう一つの群婚である族外婚です。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
群の定着と族外婚
縄文前期ごろから群は定着し、生産力の増大、人口の増大から、かつては別れ去った分枝群もいまは隣り合って集落を作るようになる。この段階で群は族内婚から、隣群との族外婚に進む。
(筆者注:氏族単位で集団分割した上で集団統合力強化のため、氏族間で交じり合う婚姻制に転換する。交叉婚ともいう。)
族外婚の典型はオーストラリアに見られ、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というもの。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則。
ところが日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。(筆者注:拡大族内婚とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。
「日本の交叉婚の特殊性」参照。)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=22267&pgh=3
通婚関係にある男女は、各自別群に所属している。だから子は当然母の群に生まれ育ち母の族員になることにより、母系氏族制がはじまる。群は氏族になり、氏族は母系によって継承されることになる。そして族員たちは互いにハラカラ(同母族)と呼び合うようになった。
クナド方式
クナグという古語は性交を意味する。
(『トツグ、マク、クナグ』参照)
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などとみえる。だからクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所の意味。
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。
クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもある。原始段階では性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。大国主神の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのもこの理由に他ならない(後日詳解の予定)。
・猿田彦神話では、国堺のヤチマタに異国人の猿田彦が立ちはだかっていると、ウズメという女神が乳房と陰部を露出してこれに立ち向かい、両者唱和して交通がひらけたとある。だから猿田彦は交通の神でもあり性の神でもあり、ウズメは雄取式舞踏(カグラ踊り)の祖神となった。
・女が性器を出して先駆すれば必ず敵軍を軟化させ得るという俗言から、沖縄の軍陣ではサキパリ(先張り?)というウズメ式巫女が用いられたという。
交通の要所に立つチマタの神や、道祖神や、村境にあって外からの害悪を防ぐサヘの神、これらが複合して同時にクナドの神とされ、いまも性の神とされているのは、その場所で神前集団婚が行われたからで、市場における定期的な集団婚カガヒ(歌垣)のことは、「万葉」にも謡われている。
CAO4KP4V.jpgカガヒは掛け合いの義。歌を掛け合うという意味で歌垣ともよばれる。カガヒは筑波(右の写真)や杵島などの入会山でも行われた。歌垣山という名の山も各地にみられる。歌を掛け合い踊りを踊ってそれを婚交の前奏曲としたことは、つぎの招婿婚(婿入婚)段階にもひきつがれて、ヨバヒの場合の唱和や相聞歌となり、平安期には文使いの儀式となったりした(文の方式は、村には明治ごろまで遺存して、若者たちの通い婚の序曲となっていた)。和歌など文学の起源はここにある。
(筆者注:歌垣は、東南アジアや中国南部の雲南地方など、照葉樹林文化圏に広くみられる。)
クナドでの族外婚では、それが集落婚姻圏を超えて広域的なものとなればなるほど、男性略奪(雄取り)と同じ観念、つまり子ダネをとるという観念が第一義となったろうが、それだけでなく外族との和平や政治的、経済的ブロックの拡大への動機がからんでいた。原始部落の女性たちは、胸乳をあらわしホトを露出したウズメ式の身振りの尻振り踊りによって他部族の男性を誘惑した。
・この段階が過ぎて個別婚の時代になると、この雄取式形態は、神社の巫女によって相続者をうる手段とされ、または娼婦によって歪曲化されて受け継がれた。
・平安時代には遊女(アソビメ)という娼婦がいたが、外来者とみれば取り囲んで歌舞し男客を誘惑した。
・沖縄の娼婦ズリの起源も外来者との婚交にあり、まれ人(客人)に仕える神の妻(め)にあるようだ。
・人妻と処女の別なく、外客を迎えて枕席にはべった鎌倉期の俗、とくに長者制の俗(長者の家での外客への饗応にはじまった娼婦制)も同じ原始の雄取婚からの遺制にちがいない。
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『トツグ、マク、クナグ』から見えてくるもの
「日本婚姻史」(中山太郎)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=132490
という本を読み始めました。(詳しくはこちらをどうぞ)
第一章「共同婚」の中の、第一節「共同婚を偲ばせる二三の古語」の中から、“とつぐ、まく、くなぐという古語の内容”がなかなか興味深かったので、ご紹介します。
著者の中山太郎氏は、
共同婚(乱婚とも雑婚とも称し、部落中の男女が共同的に婚姻するものをいう)時代が在ったか否か。換言すれば我国に女子共有の時代が在ったか否か。
という問題意識から古語を調べ、その存在を証明しています。ただし、この本が書かれた昭和初期にも、学者たちの抵抗があったらしく、
土俗を軽視した従来の学者は悉く否定説を採っている。就中、かかる事象の存在を国家の威厳でも傷けるものと誤解していた所謂国学者流の人々や、又は支那の儒教かぶれした学者達は、恰も臭いものに蓋をするが如き態度で、殆ど故意とも思われるまでに此の事象を或は否定し或は黙殺したのである。
と記しています。
さて、共同婚(⇒兄妹婚や総遇婚を指すようです)の存在の証拠の一部として、次のような内容が記されています。
★琉球石垣島の皿濱地方では、女にはプトモツ(夫を持つ)という結婚を表す言葉があるが、男には全く無く、露骨に「交合」という言葉を使っている。それと同じ用語例があり、それが「トツグ、マク、クナグ」の三語である。
★現在では、それぞれ「嫁ぐ、覔く、婚ぐ」という字を当てるが、古くはどれも「交合」の意味に用いられた。
その具体的事例を、少し長くなりますが引用しますね
トツグの語義は橘守部によれば『とつぐは陰接なり』と断定され。
宇都保物語(蔵開上)に
そのむすめ、とつぎ時になり給しかば、みかどをさして、人かよはざでありしに、天皇、みこ、みや、とのばらのみ、よばひのつかひはあけたてはならめぐりてあれど、こともえつけでぞ侍りし云々。
これ等の例証から見るも、トツグの原義は交合であって、これが嫁娶の意に用いられるようになったのは、後世の第二義的の分化であることが知られるのである。
マクの語義に就いては『倭訓栞』に『日本紀に覔をよめり、古事記に求をよみ眞來と書けり、もとむる義なり云々。女を犯す事をまくといふも妻をまくより出たるなり云々。伊豫にてはまぐといふ、伊勢にてはまけなといふも同語なるべし』とあるが、これは谷川士清にも似合わぬことで、前に述べたマクの国語に覔または求の感じを当てたために誤られた解釈であって、古くは単なる交合の意であったことは、伊豫や伊勢の用語が示している如くで、現に琉球の宮古島や大隈の徳ノ島では交合の意にマクの語を使用している。
クナグの語義にあっては、諸冊二尊に合交(まぐわい)の事を教えた鶺鴒の和名を、古く『にはくなぶり』とも『とつぎをしへとり』とも言うた一事から見るも。この語が交合の意味を有していたことは明白である
然して以上列挙したトツグ、マク、クナグ等の言語を使用した古代人の思想は、交合することが直ちに婚姻であること、猶お琉球の皿濱地方におけると同じであった。反言すれば、婚姻とは即ち交合の意に外ならぬのであった。交合を『見る』とも『逢ふ』とも言い、婚姻を『よばふ』と言うようになったのは、この次の時代であって、多少とも婚姻に式礼を加えるようになってからの発明である。
霊の結合に重きを置かなかった古代にあっては、肉の結合が直ちに婚姻の総てであった。然もそれを最も露骨に最も勇敢に実行したのが私共の遠い祖先だちである。
一対婚が実は日本では数十年の歴史しかないことを、社会人になってから初めて知った のですが、そういう事実は、日本の古典からも読み取れるんですね。
古文の授業で、「逢う=結婚」と習って、 って感じだったのですが、もともと「交合」であったと考えればスッキリします。
著者は、古代は「霊の結合に重きを置かなかった」と書いていますが、そうではなくて、その時代は「霊の結合」と「肉の結合」は一体で、区別する必要なんて無かったんだと思います
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
日本の交叉婚の特殊性
>族外婚(交叉婚)の段階になると、実母氏族間(つまり兄妹間)の禁婚が厳密に守られたという事実がないと、後の母系氏族制の確立…、ひいては、それを基盤とした婿取婚が南北朝時代まで続いたことに整合性ある説明がつかないのではないでしょうか。 (小寺さん、21980)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21980
まず禁婚については、世代間と兄弟姉妹に分けて考える必要があります。細田さんが
21655
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21655
で、中国貴州省の山地に住む少数民族、苗族(ミャオ族)の例から、
>最初の段階の制約は、世代の異なる人同士は結婚できないという年齢の制約である。次に現れた制約は兄弟姉妹や母方平行イトコ間では結婚できないことだ。三つ目の制約は、同一宗族内の者が通婚できないことで、このような制約も地域によって、どの制約がなされているかは異なるようだ。
とまとめられていますが、この点でも日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。
子は母親の群で育てられるのは原始以来そうですから、ずっと母系氏族制であったと考えていいのではないでしょうか。集団分割も血縁を基準に分割するしかなく、必然的に母系氏族集団になったと思います。交叉婚の男女も各自生まれた群に属しています。
妻問婚→婿取婚は、弥生人or大和人が持ち込んだ婚姻制で、当初支配層のみで行われていたものです。男が忍んで好みの女のもとを訪れる妻問婚も、男を母系集団に迎え入れる婿取婚も、母系氏族制を基礎にしていますが、同時に崩壊をも意味しています。群同士の婚姻制が崩れ、さらに生まれた群を離れるという形で変質していきます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=22267&pgh=3
採取時代の婚姻様式
観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、約1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。とは言え採集部族や狩猟部族は、互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していた。
しかし、外圧が低下すると集団統合力が低下し、規範収束力も低下してゆく。同時に、外圧の低下につれて解脱収束(中心は性充足の欠乏)が強まってゆく。更に、集団規模が拡大したこともあいまって、原モグラ以来1億年に亙って踏襲してきた首雄集中婚を維持することが困難になっていった。こうして約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、
部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した
(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。
ここでの採集・漁労部族における女の役割は、注目に値する。
採集部族では、弓矢を持った男たちが防衛する(狩猟もするが、獲物は少ない)安全域で、女たちが主要な食糧を採集する。もちろん、闘争過程の主役はあくまでも男たちの防衛であって、女たちの採集は従役である。
それにしても、食糧の過半を女が採ってくるというのは、外圧の強い極限時代には考えられなかったことであるが、皆=集団の期待(食糧の採集という役割)に応えて、採集部族の女たちはよく働いた。
しかし、それでもなお男たちの期待の中心は性であり、従って女たち自身にとっても、自分たちの中心的な役割は性役(男たちに性的充足を与えること=自らの性的充足を得ること)であった。
役割欠損ゆえに性的存在となった女にとって、集団=全ての男たちの期待(=性役という女の役割規範)に応えることほど、自らの存在理由を充足させるものはない。
従って、タヒチをはじめ採集部族の女たちは、極めて積極的に集団の期待=性役規範に応え、更に性機能を磨いていった。
(近世になって西欧人が侵略の目的でやって来た時でさえ、タヒチやカリブの女たちは、彼らを性的に歓待した。
これは、採集部族の人たちがいかに心を開いていたか=いかに警戒心が無かったか=いかに完全に自我を封印していたかの証明であり、また女たちが、集団の性役規範にいかに積極的に応えていたかの証明である。)
それに対して、ヨーロッパの森林地帯に留まった白色人(コーカソイド)をはじめとする狩猟部族は、その狩猟という生産様式から、まだまだ強い闘争圧力を受けて強い集団統合力を維持し続けており、その結果、首雄集中婚の規範が長く残り続ける。
しかし、外圧の低下によって次第に解脱収束が強まり、集団規模も拡大してゆく。そこで狩猟部族は、首雄集中婚を踏襲しつつ、首雄=族長という資格を一段下に拡張した勇士集中婚を形成していった
(これは、女長老が采配する母系氏族の姉妹たち全員が勇士を迎え入れる、勇士婿入り婚とも言える)。
だが、ここに大きな落とし穴があった。首雄は、原モグラ(哺乳類)以来の自然な存在であり、かつ唯一人である。それに、皆が評価し共認した族長に対して不満などあろう筈がない。仮にもし不満があったとしたら、直ちに皆が認める新たな族長に替わるだけである。しかし、勇士は一人ではなく何人もいる。しかも、勇士の資格は人工的に作られた資格である。従って、男たちの相対性と各々の正当化から自我を発生させて終う余地が大きい。
何より問題なのは、首雄集中婚や総偶婚では集団規範によって性(婚姻)の相手は決まっており、従って娘たちは12歳前後で、思春期を迎えるや否や直ちに性関係に入ってゆく事ができる(=女の最大欠乏たる性的役割欠乏が充足される)のに対して、人工的な勇士婚では相手は決まっておらず、勇士が決まり婚姻が決まるまで、娘たちの性欠乏=存在理由欠乏は宙に浮いてしまうことである。
もともと首雄集中婚の下でも、外圧が低下して解脱収束を強めた男たちの性欠乏は宙に浮いていた。
しかし、モグラ以来、首雄以外の男の性は封鎖されてきたし、性の主役は女なので、女の性の相手を定めた婚姻規範が有る限り、問題は起きなかった。
ところが、勇士婚規範によって、その女の性が宙に浮いてしまった。
こうなると、規範破りの性関係が発生してくるのは避けられない。
とは言え、狩猟生産の段階ではまだまだ闘争圧力⇒集団統合力が強く、規範破りの不倫は殆ど発生しなかっただろうし、万一発生したとしても、部族を捨てて逃げるほど反集団的には成れず、従って(恐らく男が)処刑されて一件は落着しただろう。
しかし、牧畜生産に移行すると一気に闘争圧力が緩み、集団統合力も低下する(牧畜は、一般には採集部族と同様に女の仕事であり、従って牧畜部族に働く外圧は、採集部族に働く外圧レベルにまで低下したと考えられる)。
そこでは勇士の資格が更に下に拡張され、規範破りの不倫も、時折は発生したに違いない。しかし、やはり氏族(親や兄弟や仲間)を捨てて逃げるほど、反集団的な意識には成り得なかった
(集団を捨てて逃げる為には強固な反集団の自我収束が必要だが、そこまで強く自我収束し得る場が、狩猟部族や牧畜部族には見当たらない)。
だが、彼らが遊牧へと移行していった時、彼らは遂に開けてはならないパンドラの箱を開け、集団を破壊する性闘争を顕現させてしまうのである。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=8
日本婚姻史シリーズ1〜その3:縄文時代の婚姻制を探る
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html
先ずは、新石器時代(=採集・漁労生産時代)、東アジア諸部族の婚姻様式を俯瞰してみます。
『実現論(採取時代の婚姻様式)』
東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した
(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。
なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。
『実現論勉強会(採取時代の婚姻様式・図解)』
交叉総遇婚とは、同じ集団内(母方の親族)の婚姻関係をタブーにし、決められた集団に男が通う形態となります。
集団が閉鎖性を帯びないように、A集団の男たちはB集団の女たちと、B集団の男たちはC集団の女たちと、というように相手を決めていくのが普遍的。父親は別集団で生活しているので、母方の兄弟が養育することになります。
では、縄文期の日本列島も、上記の交叉総遇婚であったといえるのか? このことについて、縄文集落の埋葬形態から婚姻様式を探る記事を紹介したいと思います。
るいネット『集落内墓地の埋葬形態から婚姻様式を考える』
田中良之氏の研究によると、縄文〜5世紀後半までは男女問わず、同じ集落内でも近い血縁関係にある死者を近くに埋葬する傾向が強いようです。縄文期は(母系・父系の特定はできない)兄・弟・姉・妹・従兄弟・従姉妹が同じ場所に埋葬されていることが多く、近親関係が無い(薄い)配偶者と思われる女性の人骨が、父系の墓地の近くに埋葬されるようになるのは古墳時代以降だということです。
こうして双系の兄妹を近くに葬る縄文の埋葬形態は、未開時代のタヒチなどポリネシア原住民に近いようにも思われます。以上から、日本古代の婚姻について以下の2つの仮説が考えられます。
・1つ目は、「兄妹婚」「従兄妹婚」などのように単位集団(氏族)内に婚姻関係が内包されており、婚後も男女双方が集団内に留まっていた。
・2つ目は、婚姻関係は単位集団(氏族)を超えて結ばれたが、男女どちらかが相手の集団に移動して一緒に住まうような固定形態ではなく、その都度移動して交流していた。
以上、縄文時代の交叉総遇婚について探ってみました。但し、東アジアをはじめ、採集・漁労部族に見られる交叉婚と日本の交叉婚は、婚姻規範の中身が異なったようです。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/02/000757.html
日本婚姻史1〜その4:日本の交叉婚の特殊性
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
前々回と前回にわたって、縄文時代の婚姻制【兄妹総偶婚⇒交叉総偶婚】の流れを、気候風土や集団内墓地の埋葬形態などから解明してきました。
【総偶婚】
集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式。
約1万年前、採集・漁労部族はこの総偶婚によって(期待・応合充足を破壊する)性闘争を完璧に解消し、自我回路をほぼ完全に封印していた。日本においては村内婚(夜這い婚)の形で、昭和30年代頃まで農村部で存続していた。
前回、世界の交叉総偶婚を婚姻形態を図解でも紹介しましたが、日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。
今回は、日本の縄文時代の交叉総偶婚とはどういったものだったのか?その特殊性について紹介したいと思います。
★日本の交叉総偶婚【クナド婚】とは?
■クナドとは?
クナグという古語は性交を意味します。
(『トツグ、マク、クナグ』参照)
http://www.jinruisi.net/blog/2006/12/000068.html
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などという表現があります。つまりクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所を意味します。
■クナド婚とは?
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっています。
クナドは文字通り神前共婚の場所ですが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもあります。原始段階では性交は同族化を意味します。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあったようです。
詳しくは、
『日本婚姻史3 族外婚』
http://www.jinruisi.net/blog/2007/05/000164.html
を参照
祭事の折など、数ヵ村共有のヒロバ(広場)に集まり、男達と女達が分け隔てなく交わりあう交叉総偶婚という婚姻形態を取っていたようです。
★海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度
交叉総偶婚(族外婚)の典型はオーストラリアのアボリジニ先住民族に見られます。、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というものです。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則です。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
上図のように、海外の交叉総偶婚とは厳格に規範化された婚姻制度となっています。
★なぜ交叉総偶婚という厳格な規範化がなされたのか?
ここは仮説ですが、日本と違い他民族や他人種との同類闘争の中で、集団統合の観点から軋轢を避け厳格が規範化がなされたのかも知れません。
日本の場合、弥生時代に入るまで、他民族との接触がなかったため、日本独自の交叉総偶婚が成立したのかもしれません。
★日本の独自の交叉総偶婚【クナド婚】は、おおらかな婚姻制度
日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられます。
日本は特殊で、実母子間の禁婚のみが顕著で、父系(父・娘)や兄妹の禁婚は元来なかったとされています。交叉婚は厳密には兄妹婚のタブー(勿論父・娘もタブー)をもって成立しますが(世界史的にはそう)、日本は複数群のヒロバでの共婚ですから、兄妹婚黙認の交叉婚と考えているわけです。
それまでの氏族内兄妹婚からすると、他氏族と交わるわけですから一見兄妹婚タブーと映りますが、厳密に貫徹するためには、兄妹同士が当たる可能性のある共婚にはならないのでは、というのが根拠です。他氏族との交わりが優先されたのは確かでしょうが、何ともルーズな婚姻制だと思います。
(るいネット「日本の交叉婚の特殊性」より引用)
日本の交叉総偶婚は兄妹婚黙認の【拡大総偶婚】とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。
集団の人数が増えても、充足・集団統合から婚姻形態が決められ、縄文人の共同性や期待応望によるみんなの充足に重きが置かれていた事がわかります。
******************************
以上が、縄文時代の婚姻制度でした。
しかし、渡来人が入ってきた弥生時代は、【拡大総偶婚⇒対偶婚(一対一の関係)】へ劇的に変わって行きます。この変化には、私有意識や私権観念が流入してきた事を意味すると思われます。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/03/756.html
4. 中川隆[-10941] koaQ7Jey 2018年4月22日 07:09:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11788]
AUDIO な日々
学生時代
◦AUDIO って
◦目覚めのころ
◦長岡教へのいざない
◦金田式 DC アンプ
◦真空管アンプとの出会い
◦真空管な日々(その1)
◦真空管な日々(その2)
◦真空管な日々(その3)
◦MC ヘッドアンプに挑戦
◦真空管な日々(その4)
QUAD の時代
◦QUAD ESL-63 との出会い(前編)
◦QUAD ESL-63 との出会い(後編)
◦最後のアナログプレーヤー・最初の CD プレーヤー
◦QUAD 44+405 との出会い
◦Super Woofer と QUAD ESL-63
◦QUAD 44 壊れる(その1)
◦QUAD 44 壊れる(その2)
◦QUAD 44 壊れる(その3)
◦さらば、QUAD ESL-63
http://www.schumann.jp/old/audio/au01.html
QUAD ESL-63 との出会い(前編) (98/5/5 記)
大学生活も終わり、私は、初期研修のために親元を離れて八戸にて生活をし始めた。 オーディオ装置やLPをも全て連れていった。 アパートの遮音が良くないので、あまり大きな音で鳴らすことは出来なかったが、オーディオ機器にとってはまずまずの環境であった。 ある日、回りの住人がいないのをいいことに、大音量で鳴らしてみたところ、以前と音が全然違う。 低音が出てこない。 おかしいなぁ。 アンプがおかしいのかしらん? などとアンプを調べるも問題なし。 それではと、スピーカーを調べると・・・
なんと、スピーカーのエッジのウレタンがポロポロになっていて、空気が漏れている始末。 完全密閉型の Fostex A-300 では致命傷だ。 さっそく、メーカーに電話をかけて、修理可能かどうかを問い合わせたところ、修理は可能だが、修理費用は \ 30,000 / ch で、修理期間は未定とのこと。 費用はともかく、修理期間未定というのは困るので、あっさり、あきらめて新しいスピーカー探しに走った。
いくつかのオーディオショップをまわって、試聴したのは、タンノイのスターリング、インフィニティの kappa、ダイアトーンの DS-505、デンオン、カントン(ドイツのメーカー)、ハーベス、リンなど、実売で 300,000 / pair クラスの製品を多数。 心がなびいたのは、タンノイのスターリングとインフィニティという性格の異なるスピーカーたち。 リンと国産メーカーは、一聴して脱落。 カントンは、当初気に入ったのだが、聴くにつれて、音の硬質さと平板さが気になり脱落。 ハーベスは、使いこなしが難しいようで、この時の試聴では、いまひとつだった。 タンノイかインフィニティか? で悩む毎日。
タンノイのスターリングは、何を聴いても安心して身を任せられるというか、とにかく聴いていて楽しい。 音像がシャープにまとまり、定位感がよい。 欠点は、何を聴いても、タンノイサウンドというか、タンノイ流のキャラクタが音についてまわる。 それと、ピアノの響きがよそよそしいこと。 一方、インフィニティは、細やかで神経質な音でありながら、破綻することなく音楽が聴ける。 ピアノの響きがすばらしい。 逆に欠点は、録音のあら捜しが上手なこと。 録音が悪いと、聴いていられないような悲鳴をあげること。 録音モニタには最適だろうけれど、音楽観賞用としては、これは、むしろ欠点だ。 もうひとつは、定位感が悪いこと。 例えば、バイオリンの音の定位が、音程が上がるにつれて、上の方にひっぱられると同時に不明瞭になっていく。 3メートル以上離れて聴けば、このようなことはなくなるが、私のアパートでは不可能だ。
予算枠を超えてしまうが、タンノイやインフィニティの上位のスピーカーも試聴してみた。 値段に値するだけの違いはわかるものの、タンノイとインフィニティとの中庸を求める私の要求とは相いれなかった。 そんなある日、デパートのオーディオ売り場(今にして思うと、何故デパートのオーディオ売り場にこんな製品があったのかが疑問だ。)で、中古の QUAD ESL を見かけた。 さっそく鳴らしてもらった。 残念なことに、片チャンネルは不調で、途中で鳴らなくなてしまったが、この音は非常に好ましかった。 外見は大きいが、ロクハンのシングルを聴くがごとき音像の小ささには驚いた。 この時まで、私は QUAD の音を聴いたことがなかったのだ。 礼を言って、デパートを出て、さっそくオーディオ店に飛び込むが、QUAD の製品なんかはおいていなかった。
さて、どこでなら試聴できるか? 仙台でもおいているところはなかったので、東京まで出るしかない。 オーディオのためだけに東京まで出るのはちょっとと思っていたところ、外科の先生から、盛岡のオーディオ店の広告に、中古の QUAD ESL-63 があるよと聞いた。 運の巡り合わせというのは、こういうことなのだろう。 さっそく電話をかけてみたところ、中古の依頼品があるとのこと。 自分のところで販売した ESL-63 だが、持ち主が、他のスピーカーに熱を上げてしまったので、依頼販売になっているのだという。 現時点では、販売依頼を受けているだけで、現物はお店にはないから、試聴はできないとのこと。 中古といっても、使用歴はわずか6カ月で、新品同様で渡せるとのこと。 新品販売価格の 2/3 程度でどうだろう? と情報を得た。
オーディオ雑誌をみて、ESL-63 についての情報を集めたが、評判はあまりよろしくない。 低音がでない。 箱庭的な音。 かまぼこ型の音。 う〜ん。 唯一の良い情報は、ESL-63 PRO の改造品を、私の大好きな Philips レーベルがモニタスピーカーとして使用しているということだけだった。 1週間ほどして、先のお店から電話がきた。 依頼主が、しびれをきらして、値段を \ 50,000 下げてきたとのこと。 まだ踏み切れなかった私は、オーディオ雑誌の評価記事を引用しながら、試聴していないスピーカーの購入に踏み切れないことなどを話した。 しかし、このお店の常連の外科の先生は、私の音の好みや感じ方から、ESL-63 は良い候補だと考えたようで、店主に「もう大丈夫だから、もう送ってよこせ!」と言い出す始末。 結局、さらに \ 50,000 値引きさせて、試聴もしていないスピーカーを購入してしまった。
3日後にESL-63 が届いた。 まず最初に、大きさに驚いた。 そのくせ 20 kg に満たない。 さっそく適当にセッティングして、DENON PMA-970 でドライブしてみる。 音が出ない! どうして? と思ったら、スピーカーにもコンセントがある。 そうだった、コンデンサ型だった。 電源がいるのだ。 再度、トライ。 第一印象は、購入して正解 であった。 確かに、最低音部が全く出ていないのは確かだが、これは、先に試聴したタンノイ・スターリングや、インフィニティ・カッパでも、充分に出るわけではない。 音楽の再生に大切な、100 Hz 前後の低音は充分だ。 高域については、かまぼこ型と表現した評論家の耳がおかしいに違いない。 第一印象は良かった。 少なくとも、先のタンノイやインフィニティよりは良さそうだ。 しかし、聞き込むにつれて、不満が出始める・・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-09.html
QUAD ESL-63 との出会い(後編) (98/5/19 記)
聴き込むにつれて出てきた不満は、音が固いことだ。 私の大好きな Elly Ameling の声が無機的に聞こえる。 血が通っていないような感じさえ受ける。 それなのに、ピアノの音は、ぼやけて聞こえる。 特に高音域では、音が鈍るような感じだ。 弦楽器の音は重く、響きが沈む。
原因は、私でも容易に想像がついた。 DENON PMA-970 と音色が合わないのだろう。 さっそく、管球アンプの登場だ。 一番手は、6V6GT Single (K-NFB) アンプだ。
真空管な日々(その2)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-05.html
で紹介した 6G-A4 Single に 6V6GTを差しかえて、カソード NFB をかけたものだ。 さすがに、最大出力 0.8 W では、低能率の QUAD ESL-63 では、管弦楽では若干つらいものがあるが、ピアノ曲や室内楽なら、出力の少なさも気にならない。 少なくとも、DENON PMA-970 よりは、良い。
お次は、球を差し替えて、6G-A4 Single で試した。 カソード NFB をかけたまま試してみた。 室内楽曲を聴くと、弦楽器のしなり感はよく表現されるし、ピアノのカチンとした硬質なところもきちんと出る。 まとまりもいいし、なかなかなものだ。 ただ、最大出力がたりないのか、オーケストラでは、トゥッティで、歪み感とまでは言わないが、伸び悩む感じがあった。
手持ちの最後は、6G-A4 Push-Pull。 無帰還アンプらしい、のびのびした音で、ほとんど気になることはない。 あらを探せば、ピアノの音がやや太すぎるか? という程度。 オーケストラでも 6G-A4 Single のように破綻することはない。 ということで、メインアンプの座は、DENON PMA-970 から、6G-A4 Push-Pull へ移った。
QUAD ESL-63 のいいところは、何と言っても、定位感。 セッティングには若干うるさいところがあるが、比較的至近距離で、直接音だけを聴くような聴き方をしても、音場が狂うことはない。 左右のステレオ感のみならず、前後感というか奥行きもよく分かる。 ただ、普通のスピーカーと違って、奥行き感は、スピーカーの後方に広がる感じがする。 その分、近づいて聴くと、今度は、大きなフォルムに圧倒されるかもしれない。 こんなのは慣れてしまえば、それだけのこと。 とはいえ、このスピーカは6畳間で聴くのは、ちょっと厳しい。 最低でも8畳間ぐらいないと、スピーカーと聴き手の後ろのスペースをとれない。 コンデンサスピーカーは、後ろ側にも音が出てしまうので、スピーカーの後ろ側のスペースは重要だ。 場合によっては、吸音材をおくのも良いようだ。 聴き手の後ろのスペースも、けっこう重要なようで、聴き手の後ろがすぐ壁だと、持ち味の定位感が失われるようだ。
音楽にひたっていられるおおらかさを持ちながらも、モニタ的な(オーディオ的な、と言い換えてもよい)聴き方にも耐えうるのもよい。 Phillips がモニタスピーカーに採用しているのも、よくうなずける。 もちろん、最低音域は、原理的にも出るはずがないが、音楽のベースになる 100 Hz 前後は充分だ。 コンデンサ型の欠点は、低音の音量ではなくて、音質だと思う。 軽いコーンのウーファだと、「どすん」と落ちるところが、「ど〜すぅぅぅぅん」と、歯切れが悪くなってしまうのだ。 コントラバスなんかだと、(よく言えば)ゆったりとした感じで悪くないが、ドラムは、いまひとつ。ピアノも同様なのだが、私の場合は、ピアノの好みが Boesendolfer ということもあって、それが必ずしも欠点にはならない。 結局、クラシック向きといわれるのは、こういったところにあるのだろう。 この時にふと思ったのは、質の良いスーパーウーファーと組み合わせたら、楽しいだろうなぁということだ。 機会があれば、やってみたいものだ。
さて、アンプも決まったことだし、6G-A4 のスペアを買っておこうと、学会帰りに秋葉原に直行。 ところが、「置いていない」お店が多い。 唯一あったお店では、なんと ペアで、18,000 円とのこと。 1ペア 1430 円の時代はどこへいってしまったのだろうか? MJ「無線と実験」 の広告で、見かけないのはこういうことだったのだと、やっとわかった。
こうなると、代替えの球を探したほうが良さそうだなぁ(影の声: 他の球に浮気したかっただけでしょ)と思っていたところ、LUX の CL-34 と MQ-70 の出物を発見。 改造してもいいかなぁ、なんて不埒な考えで購入した次第。 6G-A4 Push-Pull と聴き比べると、意外なことに、MQ-70 のほうが、若干クールで腰がしっかりしている(低音が締まっている)感じがするが、それ以外は、よく似ている。 どちらが好きかと言われると、困ってしまう。 すっかり気に入った。 MQ-70 を使う以上、私の次作プリアンプでは、ゲインが足りないので、CL-34 と MQ-70が、常用アンプの座に。 高価な買い物をしたので、当分オーディオ機器は買わないと決めたのだが、そんな私に、物欲大魔王が襲いかかる・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-10.html
最後の LP プレーヤー・最初の CD プレーヤー (98/6/29 記)
スピーカーも買ったし、それに合う管球アンプも買った。 もう買うものはないだろうと思っていた矢先のことだった。 DENON レーベルから、Ingrid Haebler の Mozart Piano Sonata の新録音が CD でのみ発売となった。 昭和 63 年の秋のことだ。 私のなじみのレコード屋(仙台レコードライブラリー)は、世の中が CD 時代に入ってからも、輸入版の LP を提供してくれていたので、私は、CD プレーヤーを買わずとも、事足りていたのだった。 ところが、今回の発売は全世界的に CD のみ。 そういうわけで、私も、世間に遅れること数年で CD プレーヤーを買わないわけにはいかなくなった。
CD プレーヤーのオリジネーターは、皆様ご存知のように Philips と Sony だ。 今までにも書いてきたように、私は、Philips の音作りが好きだから、当然のごとく、Philips の製品を買おうと思ったのだが、調べてみて唖然とした。 業務用(らしい) LHH-2000 が 120 万円、LHH-1000 が 60 万円ぐらい。 高価すぎて、私には手が出ない。 でも、音はいいんですよねぇ。
それなら Sony かと思いきや、こちらは、数分の試聴でパス。 良くも悪しくも 細くて硬い Sony らしい音で、聴いていて疲れる。 機械的な音というか、腺病質で神経質な音に聞こえた。 ああいう音が好きな人もいるのだろう。
販売店の私へのお勧めは、なんと Marantz。 「えっ! どうして?」 と言葉を失った私への答えは、Marantz の製品は、 Philips の OEM (相手先のブランドの名前で、製品を作ること。 この場合は、Philips が実際には製品を作っていることになる)だからだという。 Marantz CD-94 Limited + CDA-94 Limited は、シャンペンゴールドのボディになっているが、ボディ色を除くと Philips LHH-1000 と全く同じデザインだ。 さっそく試聴させてもらった。 LHH-1000 と比較試聴すると、LHH-1000 に軍配が上がることは確かだが、温かめで、つややかな音で、好感が持てた。 同一条件で比較試聴しないと、LHH-1000 との差は、私の耳ではわからないかもしれない程度の差しかない。 でも、値段は半分だから、私にはとてもお買い得。
およそ1週間して、我が家に Malantz CD-94 Limited + CDA-94 Limited が届いた。 大きすぎて、今まで使っていたラックにはいらない! という問題を除けば、とても良かった。 買ってから数ヶ月経つIngrid Haebler の CD が綺麗に響く。 大きな買い物が続いたけど、買って良かったなぁと思っていたところ、MJ 無線と実験にショッキングな記事が。 マイクロ精器のアナログプレーヤが、ほぼ全面的にモデルチェンジし、今後は軽量級の一体型のアナログプレーヤのみになるとのこと。 マイクロといえば、超ど級の糸・ベルトドライブで、オーディオマニアのみならず、音楽マニアにも良く知られている。 こういうものは、無くならないだろうと思っていた。
さっそく、週末に、オーディオ店に行くと、新製品の(マイクロとしては)軽量級のデモをやっていた。 音が悪いわけじゃないけど、物足りないというか、なんというか。 店の奥を覗くと、あった〜〜。 旧製品が。 ベルトドライブで、レコード吸着付きの SX-111FV。 さっそく聴いてみると、やっぱりいいなぁ。 (影の声: 単純に、ココロが満足しているだけで、実際の音の差じゃないだろ! n'Guin:お黙り!) さっそく値段の交渉。 ところが、お店の人曰く 「これは、デモ用に使っていた器械で、売り物じゃないんです。 傷もついているし。 新品はもう無いし、売れません。」とつれない答え。 「その現品でいいから、売ってほしい」と頼み込むも渋い顔。 ちょうどそのときに、顔なじみの社長が通りかかったので、頼み込んだら、「1ヶ月待ってほしい。 オーバーホールに出して、傷も消してお売りしましょう。 値段は新品の 30 %引き」とうれしいお言葉。 社長曰く「1ヶ月といっても、どうせアーム選んでいる間に過ぎちゃうでしょ(笑)。」 実際、その通りで、今度はアーム選びに時間がかかったが、結局、社長のご推薦の Audio Craft AC-3000MC に決定。 50 万弱になるほどの(私にとっては)大きなお買い物でしたが、これは一生モノだと思って自分を納得させた。
購入から、既に 10 年が経過したが、CD プレーヤーの Malantz CD-94 Limited + CDA-94 Limited も LP プレーヤーの Micro SX111FV + Audio Craft AC-3000MC も立派に現役だ。
LP のほうは、さすがに最近出番が減ってきているが、ベルトの交換ぐらいで、元気に働いている。 吸着システムは、やっぱり聴いていて不安を感じなくていい。 若干 LP が反っていても、問題ないのが何より良い。 LP の経験がない方にはわからないだろうが、反った LP だと、音が揺れるし、スピーカーにも負担がかかるし、いいことが無い。 そんな心配をしなくて良いのが、何よりうれしい。
CD のほうは、そろそろ新品を買いたいと思っているのだが・・・。 たまに、新製品の試聴もしているのだが、私が購入できる価格帯の製品では Marantz CD-94 Limited + CDA-94 Limited を明らかにしのぎ、君が欲しいと思える製品には、まだお目にかかっていない。 最近では、Philips の LHH-500 シリーズなんかがよさそうに思えるのだが、ピラミッド型というか、どっしりした音場構成が得られない不満があって、購入にまで至っていない。 予算的に 30 万程度までというのが、原因か・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-11.html
QUAD 44 + 405 との出会い (98/9/20 記)
平成7年の4月に、私達は、現在のマンションに移り住んだ。 およそ 80 m² 弱の居住スペースに、占有できる庭が、25 m²。 仙台の中心部としては、まずまずの広さのマンションである。 リビングのおよそ 14 畳弱のスペースには、オーディオ類とローセットテーブルと食器ダンス2つのみということで、オーディオ鑑賞用には、できるだけのスペースをとったつもり…
ここに引っ越してくるまでは、8畳弱の部屋に、オーディオのみならず、いろいろと押し込めて聴いていた。 引越し後は、やっと ESL-63 も真価を発揮してくれるようになり、喜んでいた。 しかしそれもつかの間。 右チャンネルからの音が、おかしい。 バランスが取れない。 故障だ。 調べてみたら、メインアンプの Lux MQ-70 の右チャンネルの終段の 6C-A7 が駄目になっていた。 さっそく近くのお店から、EL-34 を2ペア入手して、差し替えて調整をしなおした。
調整をしてみて感じたのは、MQ-70 は、そろそろ寿命が近いこと。 今回駄目になったのは、終段球だけであるが、真空管の様子からすると、おそらく、ドライバ段の 6240G も近い寿命が来そうな雰囲気。 真空管マニアの方はご存知のように、6240G は、ラックス独自の球で、代替球がない。 そうなると、完全に改造しなおさないといけない。 以前の私なら、腕を振るう場面がきたと喜んだかもしれないが、時間がない現在の私にはつらい話だ。 そういうわけで、代替アンプを探すことに相成った。
代替アンプとして、候補に上がったのは、Accuphase、LUX の真空管アンプ、A-Class プリメインなどなど・・・。 一度は憧れの高級機 Accuphase とも思ったのだが、細く、腺病質な響きは、好みに合わない。 値段を考えたら割に合わない・・・ということで、試聴一発でパス。 次は、ラックスのアンプ群であったが、??? 感性があわないというか、よく出来たアンプだと思うのだが、食指が動かない。 今にして思えば、リラクセーションの表現が苦手だということに尽きるのだと思うが。
次に、紹介されたのは、LINN のアンプ群。 LINN に惚れこんでいる方が、アンプを自宅まで運んでくれて試聴させていただいた。 高域に癖があって、私の大好きな Ameling がヒステリーのおばさんになってしまう。 アンプを持ちこんだ方にいわせると、カートリッジが悪い、LP プレーヤが悪い・・・ということなので、結局、愛聴盤を持ちこんで、ご自慢の LINN システムを聴かせていただいたが、全く同じ印象である。 あげくは、『 LP が悪い。 演奏が悪い・・・。』とのたまわれる始末。 さすがに、こちらの堪忍袋の緒が切れた。
代替アンプを探す旅は続く。 ここまできて、QUAD のアンプは、どうなのだろう・・・? という疑問。 オーディオ雑誌などの評価は、いつも低い QUAD のアンプではあるが、どんなものだろう。 純正組み合わせという点では、興味深いものがある。 興味はあるが、仙台では試聴できるところもない。
そういうときに限って、中古の良い出物が、無線と実験の広告にでたりする・・・。 保証付きの 44 + 405。 値段は、当初の Accuphase を購入する半分以下。 純正アンプだから、一台持っていても、いいよなぁ・・・ ぐらいの軽い気持ちで購入を決定。 電話を入れると、「すみません。 もう売れてしまいました。」とのこと。 逃がした魚は大きいと思うのが、人の常。 「もうちょっと値段が張りますが、もっといいのがありまっせ・・・」と悪魔が来たりて笛をふけば、踊ってしまうのが私・・・(笑)。
届いて、聴いてみてびっくり! 私にとっては、非の打ち所がないアンプである。 響きの良い、自由闊達な音で、神経質で腺病質な音から最も縁遠いアンプである。 オーディオには興味がないが、音楽には興味のある(ヴァイオリン弾き)の女房も、LUX CL-34 + MQ-70 からの音の変わりようには、驚いたようで、『断然、新しいアンプの方が良い。 安くて良いアンプというのもあるのねぇ。』とご満悦。
驚いたことに、405 の説明書には、回路図までついている。 基本的には、オペアンプ+SEPPで構成されているアンプで、こんな回路からいい音がするはずはない・・・ と思ってしまうのだが、出てくる音には、満足させられてしまう。 回路設計より、耳で作った音作りが重要視されている海外製品らしい出来あがりともいえる。 このときに思い出したのは、是枝重治氏が、ラジオ技術増刊『集大成プリアンプ』(1985年刊)で、次のように述べられていらしたことです。
海外製では QUAD 22, 33 が抜群
1968 年ころに 22 の後継機種として TR 化(トランジスタ化)された 33 型が発売されましたが、これは意外に優秀なプリアンプです。 回路構成はまことに古めかしく頼りない設計なのですが,実に良い音がしました。 聴感上の帯域はとても狭く音場感に乏しい音なのですが,必要な帯域内の再現力は素晴らしく,力感と輝きに満ちていて素敵です。
(中略)
一般的に英国機は小型に作られいて気をてらったような回路とか,豪華さだけの外観とは一切無縁です。 しかしながら,使ってみると,扱いやすく,そして愛着の沸く独特の雰囲気に満ちています。 これは現代の英国機にもいえることです。 いまだに英国は真の大国,いわば大人の国なのでしょう。
ラジオ技術別冊『集大成プリアンプ』(1985)より、
プリアンプ設計の系譜(p.29 - 60 是枝重治 著)
プリアンプ設計の必要条件
プリアンプの設計家というのは独特の人格を形成している人物が少なくありません。 物事に執着し、躁鬱的な気質を有する人が良い作品を造るように思われます。 前述のようにプリアンプというのは回路だけいくら練っていても作れないものです。 熱狂的な音楽愛好家であり、ものごとをシステム的に分析し,機械の存在を人間との有機的な結合として考えることができる人にしかプリアンプは作れません。
(中略)
一般的に雑誌などにプリアンプの製作記事が少ないことは,第一に製作が複雑だという理由のほかにソフト部門を軽視する日本人および日本社会の特性が如実に現れていると私は思います。 ソフトを軽視しているのはコンピュータだけではないのです。 あれほど稚拙な回路のクォード 33 がプリアンプとしてきわめて優秀な理由は、実はここにあるのです。 日本人として優れたプリアンプ設計家だった故瀬川冬樹氏も、そういえば本職は工業デザイナーでした。 氏がかつて『ラジオ技術』誌に発表したプリアンプ論は 1960 年代中期としては、たいへん優れたものでした。
ラジオ技術別冊『集大成プリアンプ』(1985)より、
プリアンプ設計の系譜(p.29 - 60 是枝重治 著)
引用が非常に長くなりましたが、この指摘は、現在の高級オーディオでもあてはまることだと思います。 書かれてから、既に 15 年近くがたっている文章ですが、全く古さを感じさせられないどころか、思い当たるふしが、いくつでも出てきます。 QUAD 44 以降、日本でどれだけのプリアンプが発表されたかわからないほどですが、現在なお名前を挙げられる機種はどれだけあることでしょうか。 時間という最も過酷な評価を経て、なおも現在に残っている機種がいかに少ないか・・・ ということを日本の高級オーディオ界はどうとらえているのでしょうか? もしも瀬川冬樹さんが生きていらっしゃれば、お嘆きになることは間違いありません。
さて、本題の、Quad 44 + 405 に戻りましょう。 満足しているのは、言うまでもないのですが、音が良くなればなったで、欲がでてくるのが、人の常。 若干の難点をあげつらえば、あまりにまとまりすぎているということか。 それと、QUAD ESL などコンデンサ型の欠点でもあるのだが、低域の伸びがちょっと物足りず、後期ロマン派以降の大編成物を聴くのは、ちょっと苦手・・・ ということか。 それなら、良質の Super Woofer を入れたらどうなるのだろうと思ってしまうが、QUAD + Super Woofer なんてあまり聞いたことないなぁ・・・・
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-13.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/840.html#c4
72. 中川隆[-10940] koaQ7Jey 2018年4月22日 07:26:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11788]
2013年3月3日 トルコ系民族考
現在中央アジアの歴史に関して興味を覚えておりその中で重要な要素となるトルコ系民族に関する現時点での見解をまとめておく必要があり記事にした。
語族とは、言語学上同一の起源(祖語)から派生・発達したと認められる言語群の集まりを言います。かつてインドヨーロッパ語族、ウラルアルタイ語族、セム語族を世界三大語族と呼んだそうですがその後研究が進み見直しをされています。
本記事で取り上げるウラルアルタイ語族に関しても、ウラル語族とアルタイ諸語の関連性が否定され別々に扱われているそうです。
アルタイ語族も大きく三つに分類されます。トルコ諸語、モンゴル諸語、ツングース諸語です。これを民族として分ける見方もありますが東洋史家宮脇淳子先生によると言語と人種の分類はあいまいで、遊牧民族の特性として優れた一族に雑多の民族が結集して一つの集団をつくるのですべてが同じ民族集団とは一概には言えないそうなのです。宮脇先生の言では、極論するとトルコ諸語、モンゴル諸語といっても方言のようなものだそうです(苦笑)。
という事で、トルコ系民族といってもトルコ諸語を話すふんわりとした民族集団、一応ルーツはモンゴロイドではあるが西へ行くにつれコーカソイド(白人種)との混血が進んでいると思って下さい。
アジアではアルタイ語族、セム語族の他にシナチベット語族(支那、チベット、ビルマ)やオーストロアジア語族(ベトナム、クメール)、タイ・カダイ語族(タイ、ラオス)などもあります。特にシナチベット語族など支那だけで13億いますから相当な数です。
さてトルコ系民族ですが、学問上はトルコ共和国と区別するためチュルク系民族と表記する場合が多いです。しかし私は突厥(とっくつ、とっけつ)や鉄勒(てつろく)などトルコ系民族を漢字表記した支那人の言語感覚に倣ってあえてトルコ系民族と呼びます。
トルコ系民族の発祥の地はどこなのでしょうか?これにはいろいろな説がありますが同じアルタイ語族に属するモンゴル系、ツングース系民族の発祥の地を同時に考えなければ解決しないと思っています。
古代支那の史書では、トルコ系、モンゴル系、ツングース系民族を総称して北狄という蔑称をもって呼んでいました。中でモンゴル系とツングース系は東胡と総称していたような気がします。これには資料的な裏付けがなくあくまで私の個人的な見解ですが…。
というのもモンゴル系民族の代表である鮮卑族(北魏や隋、唐を建てた)のルーツが東胡にあるとされるのです。東胡はトルコ系と目される匈奴に攻撃され一時滅ぼされます。その生き残りのうち烏丸山に逃れたのが烏丸、鮮卑山に逃れたのが鮮卑と呼ばれるようになったと言われています。
このうち烏丸は長城線からほど近い熱河のあたりだと分かっていますが、鮮卑の場所が分かりません。おそらく興安嶺山脈の西麓当たりではなかったかと想像しています。
私はこの事からモンゴル系民族のルーツは興安嶺山脈西麓からモンゴル高原東部にかけてだったのではないかと考えます。一方、ツングース系民族は旧満州のうち興安嶺の東側から日本海にかけての地域。というのは遊牧に適した興安嶺からモンゴル高原までと違って、公安嶺の東側は森林が多く狩猟民族であったツングース民族に都合のよい地形だったのです。というより地勢によって民族の生態が決まったと言っても良いでしょう。
ここでようやくトルコ系民族の考察に入るのですが、消去法からトルコ系民族のルーツはモンゴル高原西部にあったのではないかと推定されます。そして突厥の発祥の地を考えてバイカル湖周辺もそれに含めて良いでしょう。さらに匈奴がトルコ系民族だったと推定するなら河北省の北辺から西の内モンゴル地区も有力候補地になります。
実は、トルコ系民族は支那本土に入り込んでいたという説があります。というのは史書で登場する狄がトルコ系民族ではなかったか?と言われているんです。赤狄、白狄が匈奴に発展したという説です。
東胡モンゴル系民族説を取れば必然的にそうなりますね。一方、陝西省甘粛省以西にはインドヨーロッパ語族(アーリア人)と推定される月氏がいました。古代世界では印欧語族の広がりは世界的規模だったと言われます。楼蘭王国の遺跡で見つかった若い女性のミイラも明らかにコーカソイドの特徴を持っていたそうですし。
古代においてはトルコ系民族はバイカル湖周辺からモンゴル高原の西半分、支那のオルドス地域(黄河の湾曲部内部)、河北に渡って存在していたと考えます。
そのうち、支那本土では漢民族の数が増えたため追い出されモンゴル高原に本拠を移したのでしょう。これが匈奴です。匈奴は強大化し漢帝国を脅かす勢力になります。
次に台頭してきたのは丁零です。「ていれい」という名前からトルコの漢字表記だと思われます。丁零はバイカル湖周辺から発祥したと言われ、匈奴の勢力が漢の攻撃や内紛で衰えた後勢力をのばします。しかし間もなくモンゴル系の鮮卑がモンゴル高原に進出し丁零を降したそうですから、この時以来モンゴル高原という呼び名は確定したのでしょう。
モンゴル高原がモンゴル族の支配下となったあとトルコ系民族は西遷します。これが高車です。鮮卑が支那本土への侵攻に力を注いだため一時空白になったモンゴル高原を奪い返す事もあったそうですが間もなくモンゴル系の柔然が強大化したため再びこれに服属しました。
東アジアはモンゴル系の鮮卑が建てた北魏と柔然の南北朝時代に突入します。鮮卑は支那本国の南北朝とモンゴル系民族における南北朝を同時に戦っていたのですから面白いですね。
柔然は、555年支配下民族で製鉄奴隷として酷使していた突厥に独立され滅亡します。突厥もトルコの漢訳です。この突厥がトルコ系民族全盛時代でした。
突厥は東では支那の北朝、隋唐と抗争し西では一時中央アジアで猛威をふるったエフタルを滅ぼしササン朝ペルシャを圧迫します。
この突厥も東西に分裂した後、東突厥はモンゴル高原に興った同じトルコ系のウイグルに滅ぼされます。ウイグルは唐朝とは友好関係を保ってシルクロード交易で繁栄しました。西突厥も内紛分裂を繰り返した後一部はウイグルに服属しました。
トルキスタンと呼ばれる地域はこのころトルコ系民族が定着して以降の呼び名でしょう。
ちょうどそのころ西アジアではイスラム教が台頭していました。トルコ系民族でもイスラム教に改宗する者たちが出始めカラハン朝(9世紀中ごろ〜1211年)が成立します。
トルコ人の中には、軍人奴隷としてイスラム諸国に仕える者たちが出現しそのなかで権力を握った者たちはインドの奴隷王朝やエジプトのマムルーク朝のように自分たちの王朝を建てる者たちもいました。
トルコ民族の西遷で一番の大きな流れはセルジューク朝(1038年〜1157年)の成立でしょう。セルジューク朝の時代にトルコ人たちは現在のアナトリア半島(小アジア)まで達します。この中からオスマントルコ(1299年〜1922年)が登場し現在に至るのです。
http://houzankai.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-ee44.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html#c72
2. 中川隆[-10939] koaQ7Jey 2018年4月22日 07:27:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11788]
2013年3月3日 トルコ系民族考
現在中央アジアの歴史に関して興味を覚えておりその中で重要な要素となるトルコ系民族に関する現時点での見解をまとめておく必要があり記事にした。
語族とは、言語学上同一の起源(祖語)から派生・発達したと認められる言語群の集まりを言います。かつてインドヨーロッパ語族、ウラルアルタイ語族、セム語族を世界三大語族と呼んだそうですがその後研究が進み見直しをされています。
本記事で取り上げるウラルアルタイ語族に関しても、ウラル語族とアルタイ諸語の関連性が否定され別々に扱われているそうです。
アルタイ語族も大きく三つに分類されます。トルコ諸語、モンゴル諸語、ツングース諸語です。これを民族として分ける見方もありますが東洋史家宮脇淳子先生によると言語と人種の分類はあいまいで、遊牧民族の特性として優れた一族に雑多の民族が結集して一つの集団をつくるのですべてが同じ民族集団とは一概には言えないそうなのです。宮脇先生の言では、極論するとトルコ諸語、モンゴル諸語といっても方言のようなものだそうです(苦笑)。
という事で、トルコ系民族といってもトルコ諸語を話すふんわりとした民族集団、一応ルーツはモンゴロイドではあるが西へ行くにつれコーカソイド(白人種)との混血が進んでいると思って下さい。
アジアではアルタイ語族、セム語族の他にシナチベット語族(支那、チベット、ビルマ)やオーストロアジア語族(ベトナム、クメール)、タイ・カダイ語族(タイ、ラオス)などもあります。特にシナチベット語族など支那だけで13億いますから相当な数です。
さてトルコ系民族ですが、学問上はトルコ共和国と区別するためチュルク系民族と表記する場合が多いです。しかし私は突厥(とっくつ、とっけつ)や鉄勒(てつろく)などトルコ系民族を漢字表記した支那人の言語感覚に倣ってあえてトルコ系民族と呼びます。
トルコ系民族の発祥の地はどこなのでしょうか?これにはいろいろな説がありますが同じアルタイ語族に属するモンゴル系、ツングース系民族の発祥の地を同時に考えなければ解決しないと思っています。
古代支那の史書では、トルコ系、モンゴル系、ツングース系民族を総称して北狄という蔑称をもって呼んでいました。中でモンゴル系とツングース系は東胡と総称していたような気がします。これには資料的な裏付けがなくあくまで私の個人的な見解ですが…。
というのもモンゴル系民族の代表である鮮卑族(北魏や隋、唐を建てた)のルーツが東胡にあるとされるのです。東胡はトルコ系と目される匈奴に攻撃され一時滅ぼされます。その生き残りのうち烏丸山に逃れたのが烏丸、鮮卑山に逃れたのが鮮卑と呼ばれるようになったと言われています。
このうち烏丸は長城線からほど近い熱河のあたりだと分かっていますが、鮮卑の場所が分かりません。おそらく興安嶺山脈の西麓当たりではなかったかと想像しています。
私はこの事からモンゴル系民族のルーツは興安嶺山脈西麓からモンゴル高原東部にかけてだったのではないかと考えます。一方、ツングース系民族は旧満州のうち興安嶺の東側から日本海にかけての地域。というのは遊牧に適した興安嶺からモンゴル高原までと違って、公安嶺の東側は森林が多く狩猟民族であったツングース民族に都合のよい地形だったのです。というより地勢によって民族の生態が決まったと言っても良いでしょう。
ここでようやくトルコ系民族の考察に入るのですが、消去法からトルコ系民族のルーツはモンゴル高原西部にあったのではないかと推定されます。そして突厥の発祥の地を考えてバイカル湖周辺もそれに含めて良いでしょう。さらに匈奴がトルコ系民族だったと推定するなら河北省の北辺から西の内モンゴル地区も有力候補地になります。
実は、トルコ系民族は支那本土に入り込んでいたという説があります。というのは史書で登場する狄がトルコ系民族ではなかったか?と言われているんです。赤狄、白狄が匈奴に発展したという説です。
東胡モンゴル系民族説を取れば必然的にそうなりますね。一方、陝西省甘粛省以西にはインドヨーロッパ語族(アーリア人)と推定される月氏がいました。古代世界では印欧語族の広がりは世界的規模だったと言われます。楼蘭王国の遺跡で見つかった若い女性のミイラも明らかにコーカソイドの特徴を持っていたそうですし。
古代においてはトルコ系民族はバイカル湖周辺からモンゴル高原の西半分、支那のオルドス地域(黄河の湾曲部内部)、河北に渡って存在していたと考えます。
そのうち、支那本土では漢民族の数が増えたため追い出されモンゴル高原に本拠を移したのでしょう。これが匈奴です。匈奴は強大化し漢帝国を脅かす勢力になります。
次に台頭してきたのは丁零です。「ていれい」という名前からトルコの漢字表記だと思われます。丁零はバイカル湖周辺から発祥したと言われ、匈奴の勢力が漢の攻撃や内紛で衰えた後勢力をのばします。しかし間もなくモンゴル系の鮮卑がモンゴル高原に進出し丁零を降したそうですから、この時以来モンゴル高原という呼び名は確定したのでしょう。
モンゴル高原がモンゴル族の支配下となったあとトルコ系民族は西遷します。これが高車です。鮮卑が支那本土への侵攻に力を注いだため一時空白になったモンゴル高原を奪い返す事もあったそうですが間もなくモンゴル系の柔然が強大化したため再びこれに服属しました。
東アジアはモンゴル系の鮮卑が建てた北魏と柔然の南北朝時代に突入します。鮮卑は支那本国の南北朝とモンゴル系民族における南北朝を同時に戦っていたのですから面白いですね。
柔然は、555年支配下民族で製鉄奴隷として酷使していた突厥に独立され滅亡します。突厥もトルコの漢訳です。この突厥がトルコ系民族全盛時代でした。
突厥は東では支那の北朝、隋唐と抗争し西では一時中央アジアで猛威をふるったエフタルを滅ぼしササン朝ペルシャを圧迫します。
この突厥も東西に分裂した後、東突厥はモンゴル高原に興った同じトルコ系のウイグルに滅ぼされます。ウイグルは唐朝とは友好関係を保ってシルクロード交易で繁栄しました。西突厥も内紛分裂を繰り返した後一部はウイグルに服属しました。
トルキスタンと呼ばれる地域はこのころトルコ系民族が定着して以降の呼び名でしょう。
ちょうどそのころ西アジアではイスラム教が台頭していました。トルコ系民族でもイスラム教に改宗する者たちが出始めカラハン朝(9世紀中ごろ〜1211年)が成立します。
トルコ人の中には、軍人奴隷としてイスラム諸国に仕える者たちが出現しそのなかで権力を握った者たちはインドの奴隷王朝やエジプトのマムルーク朝のように自分たちの王朝を建てる者たちもいました。
トルコ民族の西遷で一番の大きな流れはセルジューク朝(1038年〜1157年)の成立でしょう。セルジューク朝の時代にトルコ人たちは現在のアナトリア半島(小アジア)まで達します。この中からオスマントルコ(1299年〜1922年)が登場し現在に至るのです。
http://houzankai.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-ee44.html
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/622.html#c2
5. 中川隆[-10938] koaQ7Jey 2018年4月22日 07:51:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11788]
AUDIO な日々
QUAD 44 壊れる(その1) (99/5/30 記)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-21.html
QUAD 44 & 405 は、メインシステムから引退した。 しかし、その余生を、Rogers Studio 7 のシステムで送らせることにした。
番外編: Rogers Studio 7 との出会い の記事を書いた時点では、Rogers Studio 7 のエージングが進んでいなかったためか、QUAD 44 + 405 では、うまく鳴ってくれなかった。 ところが、半年のエージングの効果か、1999 年春に再度試したときには、つややかな音色で鳴ってくれた。 めでたし、めでたし・・・・ とはいかないのであった。 QUAD 44 が壊れてしまった。
QUAD 44 のほうが、時々調子がおかしくなったのは、1998 年の秋口からだ。 時折、セレクタスイッチ(入力切り替え)が動作しなくなることがあった。 QUAD 44 のセレクタは機械式ではなく、電子スイッチでの切り替えなのだ。 当初は、電源を入れ直せば、動作していたが、冬ごろから、故障の頻度が増え始めた。 故障したところを見計らって、筐体を開けてチェックしようとすると、たいがい故障が勝手になおってしまうので、どこが異常なのかわからない。
最初に疑ったのは、左の写真に示すセレクタスイッチの基盤につながっているコネクタだ。 接触不良を疑ったのだ。 このコネクタに接点復活剤をたっぷりと吹きかけたところ、QUAD 44 のセレクタスイッチの故障の頻度は激減した。 コネクタか・・・ 特殊なコネクタなので、調子が本当に悪くなればメーカーに送り返して修理してもらわなければならない。 そうすると、少なくとも 2 - 3 万円かかるなぁ・・・と気分は憂鬱であった。
ところが、1999 年 3 月末ごろから、この故障が、再度、頻発するようになった。 今度は、先のコネクタを掃除しようが何しようが、まったく直らない。 もちろん、筐体を開けても、自然に直ってしまうということはない。 先のコネクタはシロだ。 いろいろと調べてみると、セレクタスイッチ部は、汎用の電子スイッチとフリップフロップでできており、これらを含めて、今回の故障箇所については、すべての部品が入手可能と判明した。 汎用アナログスイッチが用いられているあたりに、設計・制作された年代を感じさせられる。
自分で修理をするか、それともメーカーに修理を依頼するか、迷った。 製造コンデンサの製造年月日は 1986 - 7 年であり、既に 12 - 13 年経過している。 そろそろ劣化が著しくなる時期である。 もしメーカーに修理を依頼するなら、それらのメインテナンスも必要と考えられ、その場合の修理費用は、50,000 円をゆうに越えることが予測される。 現在、QUAD 44 の中古市場での価格は、50,000 - 80,000 円程度なので、修理に失敗したところで、中古を買い直せばそれですむ。 そう考えて、私は自分で修理することに決めた。 ついでに電解コンデンサなど、劣化が予測される部品を交換するなどのメインテナンスもいっしょに行うことに決めた。
私の QUAD 44 は、電解コンデンサや各種の半導体には、すべてフェルトでカバーがかけてあり、部品番号や部品定数が読み取れないようにしてあった。 このフェルトは、全く導電性をもたなかったので、隠す以外の働きをしていないと判断して、まず最初に、これらをすべて取り去った。 驚いたことに、アンプ部は、ほとんどが汎用のオペアンプ(左の写真を参照: TL-072CP が用いられている。 左上は、今回の修理で用いられた超小型ブラックゲートで、+−の記号は n'Guin が書き込んだもの)で構成されていた。 日本製のセパレートアンプで、そのような構成のプリアンプは、あまりないだろう。 プリント基盤の回路をおっていくうちに、セレクタスイッチ部の故障の原因は、セレクタスイッチ部に、電源が供給されないことによることが判明した。 そうなると、一番怪しいのは、電源部などの電解コンデンサである。 一番劣化が予測される部品である。 それに違いないと判断して、代替え可能な電解コンデンサを入手することにした。
もうひとつ、必要なものがある。 それは、コンデンサ容量の測定装置だ。 幸い、秋月通商のコンデンサ測定キットが、組み立てられないまま手元にあったので、まずはそれを組み立てることにした。 この測定キットは、非常に安価だが、おおむね 1% の誤差でコンデンサ容量を測定可能だ。 今回の目的なら、10 % 程度誤差があっても十分に役に立つので、まずは、これを作成した。
秋月通商のコンデンサ容量測定キット。 電源込で 3,500 円弱。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-21.html
QUAD 44 壊れる(その2)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-22.html
まずは部品集めから。 電源部のコンデンサは、25 V 1,000μF のチューブラ型であった。 上の写真のようになっているが、写真上部で、基盤上に立っている端子は、各種の入力基盤につながる部分である。 チューブラ型コンデンサを入手できなかったので、場所を勘案して、セラファインを選んだ。 定数は変更していない。 下の写真が交換後だが、基盤上の端子をみてお分かりいただけるように、ぎりぎりの大きさになっている。
修理後(?)の電源部
基盤の端子上には、入力ユニットが差し込まれる。
ぎりぎりの大きさであることがわかる。
修理前の入力ユニットの電解コンデンサ部
アンプ基盤上の電解コンデンサは、電源のパスコンだと思っていたが、これらは、入出力信号系のカップリングに使用されていた。 多くの自作マニアが、信号系にダイレクトに電解コンデンサがはいることを忌み嫌う。 よく考えてみればわかるように、入力信号の帰路となるデカップリング等に電解コンデンサを使用すれば、同じことだ。 メーカー製の製品にはよくあることだ。 ここで、電解コンデンサが選ばれたのは、おそらく小さいわりに容量が大きいことが理由であろう。 使用されていた電解コンデンサは、6.3 V 100μF の小型のものだ。 コンデンサの大きさの点から、代替えできるコンデンサとしては、ブラックゲートの超小型タイプ以外を選択することは困難だ。 下の写真を見ていただいてわかるように、ぎりぎりの大きさだ。
修理後(?)の入力ユニットの電解コンデンサ部
超小型のブラックゲートのほうが、やや大きい。
さて、電解コンデンサの交換で修理完了!!! ならうれしいのだが、実は直らなかったりする。 がっかりして、あせる n'Guin に明日はあるのか。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-22.html
QUAD 44 壊れる(その3) (99/6/28 記)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-23.html
電解コンデンサを交換しても、故障はなおらなかった。 それならば故障はどこだ。 電源ユニットのほうは、きちんと電圧がでているが、セレクタスイッチ部には、電源が供給されない。 そんな馬鹿な。
電源ユニット部から、セレクタスイッチ部にむけて、ひとつひとつの素子ごとに電源電圧を測定していく。 電源電圧が異常になった素子が、異常点だ。 デジタル電圧計で、ひとつひとつ電圧をあたっていく。 素子はどれも問題がない。 あとはジャンパ線だけなんだけどなぁ・・・。 ジャンパ線にデジタル電圧計の測定端子が当てられたとたん、セレクタスイッチ部が正常に動作し始めた。 測定端子を離したとたんに、また動作しなくなった。
あれっ・・・ そうか。 ジャンパ線のハンダづけ部分が接触不良になっているのだ。 アンプの電源を抜いて、ジャンパ線をハンダづけしなおした。 ヤニの焦げるにおいがする。 ここまできて、やっと故障の原因が理解できた。 ヤニいりハンダでハンダづけされていたため、ヤニが回りを侵食して、接触不良になっていたのだ。 QUAD ともあろう会社がヤニいりハンダでの接触不良とは・・・。 あっけない幕切れであった。
故障ポイント: 赤丸で囲んだところがハンダづけ不良となっていた
ところで、交換した電解コンデンサの容量を測定してみた。 10 年以上使用されていた電解コンデンサだから、さぞかしひどい値だろうと思っていたが、測定値は次の通り。
表示容量(μF) 実測容量(μF)
1,000 1,000
1,000 1,020
100 97
47 47
47 48
以上は、電源部の電解コンデンサの値だ。 いずれも定格の範囲内の変化といえる。 すなわち劣化はないと考えられる。 カップリング用に用いられた 12 個電解コンデンサでは、表示容量 = 100 μF にたいして、実測容量は、112, 110, 108, 109, 110, 111, 108, 108, 112, 111, 107, 112 といずれも定格の範囲内であった。 もうひとつのカップリングに用いられていた 2.2 μF の無極性電解のほうは、2 個とも 2.4 μF であり、これまた、定格の範囲内であった。
これは、私にとっては意外な結果であった。 電解コンデンサの寿命は、通常品では、1,000 時間(定格温度にて)とされている。 温度が 10 度下がれば、寿命は2倍に伸びるといわれている。 この QUAD 44 は、製造以来 10 年を超える歳月が経過しており、中古で私が購入してからの使用時間は優に 10,000 時間を超えている。 電解コンデンサは、当然劣化していても不思議はない。 さすがは QUAD と褒めたたえてよいかもしれない。
以上が、QUAD 44 修理の顛末記だが、コンデンサの容量測定キットの作成を含めても、6時間弱で修理が完了した。 総費用は 6,500 円ほどであった。 久々にハンダごてをあたためて、お遊びができたのが、何よりの報酬だったかもしれない。
電解コンデンサの銘柄が変わったわけで、音が変わったと思う人もいることだろう。 しかしながら、はっきりした音質の変化は聴き取れなかった。 定数変化を行ったり、他種類のコンデンサをパラレルにするなどすれば、音も変わるかもしれないが、それは今回の修理の目的にそぐわない。 何より、この QUAD 44 の音質を、私は高く評価しており、それを変えようとは思わない。 はっきりした音質の変化がなかったことにほっとしている。
それにしても、電解コンデンサの容量抜けが故障の原因じゃないって、最初からわからなかったなんて、未熟な腕前ですわねぇ。 セラヴィなら一発よ。 ホホホホホホホ〜
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-23.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/840.html#c5
1. 中川隆[-10937] koaQ7Jey 2018年4月22日 08:08:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11788]
>インバウンドの話も同じで、日本全国あちこちから呼ばれますが、「どうやったら外国から人が呼べるでしょうかね〜」的な質問がほとんどなわけですよ。
そもそも輸出や外人観光客誘致で日本が儲かると思ってるのがド素人の発想なんだよ
ぐっちーさんは経済の基本が理解できていないんだ
ドル札を稼いでも円に換えたら超円高になるから、外国に投資するしか使い道がない
そうすると日本の金が外国だけに投資されて、国内の仕事は無くなり、日本人はどんどん貧しくなっていく
それがこの30年間に起こっていた事
52. 中川隆[-10942] koaQ7Jey 2018年4月22日 08:23:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11794]
>>50に追記
オーディオ仙人の枯れた夢 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2018年04月22日
ここ10年ほどはたっぷりある自由時間をフルに活用し、明けても暮れても「音楽&オーディオ」三昧だったのはこのブログでもご覧のとおりだが、実はこれでもう十分「夢」をかなえた気がしている。
もし「お前は明日死ぬ」と宣告されたとしても「ハイ、わかりました。もう思い残すことはありません。」と従容(しょうよう)として死を受け容れてもいいほど楽しませてもらった(笑)。
まるで達観したような物言いだが、実は先日(15日)の「2018九州ハイエンド・オーディオ・フェア」の影響もこういう気持ちの背景のどこかにある。
なぜかというと、アンプもスピーカーも数百万円もする高級機器群が期待以上の音を出してくれないことにガッカリしてしまった。お値段が高い機器はそれなりの実力を発揮してくれないと困る。もう「夢」がぶち壊し〜。
つくづく「お金」だけではカタがつかないオーディオの限界を思い知らされたわけだが、「夢をもらう」積りで出かけたオーディオ・フェアが逆に「夢を断ち切る」方向に作用したのだからほんとうに困ったことです(笑)。
現実に高級機が期待できないなら自分の価値観に基づいて新たに発掘するしかないが、近年身の回りでどうしても手に入れたいという真空管やオーディオ機器がとみに少なくなってきたのも事実。
現状の音にほぼ満足しているし、いろいろやってみてもこれ以上のドラスティックな改善は望むべくもなく、所詮は五十歩百歩という気配がより一層濃厚になった気がする。
これが進歩か退歩かよく分からないが、オーディオは音に満足した時点で進歩が止まるのが通例で、その代わり音楽の方に専念できるという別の魅力的な世界が開けてくる。
「好きな音楽さえ気持ちよく鳴ってくれれば細かい音質の差なんかどうでもいい」という「オーディオ仙人の枯れた夢」に到達できればそれで良しとしたいが、はたしてこれからどうなることやら(笑)。
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる(芭蕉)
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/5cee74ef0be8f335e96748602da3f0c8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/697.html#c52
11. 中川隆[-10941] koaQ7Jey 2018年4月22日 09:01:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11794]
オーディオの足跡
SONY 製品一覧
http://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/index.html
SONY CDプレイヤー一覧
http://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/player/index.html
SONY SACDプレイヤー一覧 ソニー
http://audio-heritage.jp/SONY-ESPRIT/player/index7.html
PHILIPS 製品一覧
http://audio-heritage.jp/PHILIPS/index.html
PHILIPS CDプレイヤー-CDレコーダー一覧
http://audio-heritage.jp/PHILIPS/player/index.html
STUDER-REVOX 製品一覧
http://audio-heritage.jp/STUDER-REVOX/index.html
STUDER-REVOX プレイヤー機器一覧
http://audio-heritage.jp/STUDER-REVOX/player/index.html
Marantz 製品一覧 マランツ
http://audio-heritage.jp/MARANTZ/index.html
Marantz プレイヤー機器(デジタル)一覧 マランツ
http://audio-heritage.jp/MARANTZ/player/index.html
LUXMAN 製品一覧
http://audio-heritage.jp/LUXMAN/index.html
LUXMAN プレイヤー機器一覧
http://audio-heritage.jp/LUXMAN/player/index.html
LINN 製品一覧
http://audio-heritage.jp/LINN/index.html
LINN CDプレイヤー一覧
http://audio-heritage.jp/LINN/player/index.html
___
QUAD 製品一覧 クォード
http://audio-heritage.jp/QUAD/index.html
螺旋館 QUAD製品
http://www013.upp.so-net.ne.jp/rasenkan/
QUAD 66 + 606 + 66CD _ リモコンにフル対応したQUAD 66シリーズ
http://www013.upp.so-net.ne.jp/rasenkan/audio/66_606.htm
1. 中川隆[-10940] koaQ7Jey 2018年4月22日 09:06:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11794]
日本は近い将来、中国小日本省になる
50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e
1972年2月、当時のニクソン米大統領とキッシンジャー補佐官が北京を訪問し、
周恩来首相と会談した時に、日本に対して三つの密約が交わされた。
米中密約の内容
1.日本に核武装そして単独防衛させない
2.これを防ぐために米軍は日本に駐留する(ビンの蓋論)
3.朝鮮半島および台湾問題で日本に発言権を与えない
この密約は、2002年10月、当時の江沢民中国国家主席が、
テキサスの牧場に当時のブッシュ大統領を訪ねたときにも再確認された。
http://dwellerinkashiwa.net/?p=2976
中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる
中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:
漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。
引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg
ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。
中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。
もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。
その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。
勝てない中国
中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。
モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。
局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。
ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。
台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。
清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。
清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。
だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。
さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。
今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。
黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。
この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。
戦争に勝てなくても領土を増やす方法
そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。
稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。
長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。
漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。
これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。
女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。
チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。
半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。
台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。
このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。
中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html
「外国人参政権」 を認めると沖縄が中国に編入される
なぜ「外国人参政権」を認めると、沖縄が中国に編入されるのか 2017.10.07
by 北野幸伯『ロシア政治経済ジャーナル』
http://www.mag2.com/p/news/287616
かねてから外交政策の観点から安倍政権支持を明言している無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で国際関係研究者・北野幸伯さんですが、希望の党の政策についても一部評価しているようです。
今回は、小池氏が「外国人参政権に反対でなければ希望の党には入党できない」と表明したことについて絶賛するとともに、その理由をわかりやすく解説しています。
小池さん、「外国人参政権反対」を踏み絵に
選挙戦盛り上がっています。私は、「外交が素晴らしい」ということで、安倍続投を願っています。しかし、安倍さんの政策をすべて支持しているわけではありません。
たとえば「消費税引き上げ」に反対しています。小池さんは、「消費税引き上げ凍結」を宣言している。この方面では、是非がんばっていただきたい。もう一つ、小池さん、こんなことを宣言しています。
毎日新聞10月3日から。
◇民進党からの入党希望者に、「政策協定書」署名を義務づけ
希望の党の小池百合子代表は「寛容な保守」「ダイバーシティー(多様性)社会」を掲げている。その一方、民進党からの入党希望者には、外国人への地方参政権の付与に反対する「政策協定書」への署名を義務づけた。
希望の党に入りたければ、「外国人参政権に反対でなければならない」そうです。毎日新聞は、この決定を批判しているわけですが、私は、「素晴らしいじゃないか!」と思います。皆さんはどうですか?
ある国に住む他民族は、独立を目指す
•コソボ
•南オセチア
•アプハジア
•クリミア
•クルド
•カタルーニャ
このリストは、何でしょうか? これは、(ゆっくり、何度も読んでください)
「ある国の特定の地域に、他民族が多数住んでいたので、分離、独立した、あるいは分離、独立を目指している例」
です。例を一つ一つ見てみましょう。
・コソボ
コソボは、セルビアの一部でした。しかし、アルバニア系住民が、圧倒的に多い。それでコソボは08年2月、セルビアからの独立を宣言しました。
・南オセチア
南オセチアは、ジョージア(旧グルジア)の一部。しかし、オセット人が約9割を占めている。1992年に住民投票が行われ、圧倒的多数で「独立派」が支持を得ました。しかし、「事実上の独立」を達成したのは08年8月のロシア―グルジア戦争後です。南オセチアを国家承認しているのは、ロシアを含む4か国だけ。それでも、「事実上の独立国家」である。
・アブハジア
アブハジアもジョージアの一部です。ここは、アブハジア人が、5割強を占めている。1994年に主権宣言しています。しかし、南オセチアを同じく、事実上の独立を達成したのは、08年8月のロシアーグルジア戦争後でした。アブハジアを承認している国は、ロシアを含む4か国だけ。
・クリミア
クリミアは、ウクライナの一部だった。ここは、ロシア系住民が6割を占めている。2014年3月に、住民投票が実施されます。97%がロシアへの帰属を望んだとされ、ロシアに併合されることになりました。
・クルド(イラク)
イラク北部のクルド自治区は、当然クルド人が大半を占めています。ここでは9月25日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。9割が「独立を支持」ということで、緊張が高まっています。
・カタルーニャ
スペインのカタルーニャ州では10月1日、「独立の是非」を問う住民投票が実施されました。結果は、92%が独立支持。カタルーニャ州の人は、「俺たちはカタルーニャ人。スペイン人ではない!」と考えているのですね。スペインも、大混乱が予想されます。
外国人参政権付与で、沖縄は中国に吸収される
というわけで、「ある国のある地域に、他民族が密集して住んでいると、独立の機運が高まる」ことをご理解いただけるでしょう。例えば、外国人参政権が与えられたとしましょう。その後、どんな動きが懸念されるのでしょうか?
たとえば、中国が沖縄南部の〇〇市に狙いをつけます。そこに中国人労働者を集中して住まわせる。市の過半数は、「参政権を持つ中国人」になってしまいました。彼らは、「独立の是非」を問う住民投票を実施。圧倒的多数で独立が承認されました。日本政府は自衛隊を投入して、実力で独立を阻止しようとします。
すると中国政府は、「わが国の同胞が、日本軍国主義に大量虐殺されようとしている。これを座視することはできない! そもそも、日本には沖縄の領有権はない! 日本は、中国固有の領土である沖縄を長年不法占拠してきた。いまこそ、歴史の正義を取り戻す時だ!」と大軍を沖縄に送り込みます。かくして、沖縄は中国に編入されることになりました。
このシナリオ、「米軍は何やってたんだ!」と思いますね。確かに。ただ、長期的に見ると、米軍だっていつまでいるかわかりません。
「ある国のある地域に、他民族がたくさん住んでいると、独立を主張し始める」
これは、世界のあちこちで起こっている事実です。中国人が、ある地域に密集して住み、過半数を超えた。将来彼らが「独立」を主張することは十分ありえます。そこまでいかなくても、住民投票で次々と反日的政策を進めていくことでしょう。
私は、どの国の人も差別しません。しかし、「外国人参政権を与えるかどうか」は差別とは関係ありません。私はモスクワに27年間住んでいますが、もちろん参政権はありません。私は「外国人」なので、参政権がなくて当然なのです。そして、日本国内に住む外国人も、参政権がなくて当然なのです。
そういった意味で、「外国人参政権反対」を踏み絵にする小池さんの決定は素晴らしいと思います。
http://www.mag2.com/p/news/287616
日本人は謀略工作や心理戦に弱い。
我々社会が堅気の人間で構成されているせいか、各人の良心を信じる性善説が強いからだろう。
しかし、日本から一歩外へ踏み出せば、腹黒い奴らばかりで、朝鮮半島は根性がひん曲がった下郎でいっぱいだし、支那大陸は普通の人間でも匪賊、盗賊、殺人鬼、詐欺師、ゴロツキ、といった「人でなし」に直ぐ変身できる。
ましてや、生まれつきの悪人だと子供の頃から一端(いっぱし)のギャングだ。
落合信彦など「支那人の子供は目の輝きが違う」などと雑誌『サピオ』に書いて失笑を買ったが、国際ジャーナリストを自称する法螺吹きだから仕方ない。
しかし、有名大学の長老教授や新聞論説員に騙されて支那人を厚遇し、「人さま」扱いしていた日本人は哀れだ。
隣人を信頼できて、他人も気配りをしてくれる国など、地球上で日本以外にはあり得ない。ユーラシア大陸は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する闇黒地帯で、お人好しの日本人が生活できる世界ではなく、下手をすれば身ぐるみ剝がされて虐殺されてもおかしくはないのだ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68677889.html
中国の最終兵器は移民爆弾 _ 外国人参政権を認めると中国に日本を乗っ取られる
国会で話題になっていた「外国人参政権の問題点」は、対象者のほぼすべてが「在日韓国・朝鮮人」であることです。
この法案を積極的に推し進めている政党(賛成派)を知っておいたほうが良いでしょう。
「外国人参政権法案」の国会提出回数
公明党 27回(賛成)
民進党 15回(賛成)
共産党 11回(賛成)
自民党 0回(反対)
国民新党 0回(反対)
みんな 0回(反対)
※外国人参政権にもっとも積極的に賛成なのが公明党(創価学会)
※民主党(現在:民進党)は韓国民潭からの要請を受けて提出
※社民党・共産党も賛成 →共産党は被選挙権(立候補する権利)まで要求
※「自民党、国民新党、みんなの党、維新の会」は”反対”
(最後に/移民・難民問題)
日本国内で失踪する外国人(中国人)が増加
失踪目的で、技能研修を受けるものもいる
在日の犯罪の件数は多いのか、多い地域、どこにある?川崎市
その一方で日本には、イスラム圏からも多くの外国人が難民申請をしています(現在は多くが却下されている)
今後どのようになるかは分かりません。
http://www.geocities.jp/tokua33/
http://www.asyura2.com/18/hasan126/msg/793.html#c1
12. 中川隆[-10945] koaQ7Jey 2018年4月22日 09:41:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-11800]
AUDIO な日々
QUAD の時代
◦QUAD ESL-63 との出会い(前編)
◦QUAD ESL-63 との出会い(後編)
◦最後のアナログプレーヤー・最初の CD プレーヤー
PHILIPS の時代へ
◦PHILIPS LHH-800R との出会い
◦PHILIPS LHH-A700 との出会い(前編)
◦PHILIPS LHH-A700 との出会い(後編)
◦PHILIPS LHH-P700 との出会い
◦PHILIPS LHH-A700 BTL 接続
◦Marantz Project-D1 との出会い
コンピュータがオーディオへのなぐりこみ
◦Region Free DVD-Player (Video 兼用) の組み立て
◦M-Audio Audiophile-2492 との出会い
◦静音を考えた File Server の組み立て
◦Vine Linux との出会い
番外編
◦番外編:JBL J216Pro との出会い
◦番外編 AUDIO と MIDI と PIANO と・・・
◦番外編: Rogers Studio 7 との出会い
〜〜〜 原音再生なんて幻想だ! 〜〜〜
http://www.schumann.jp/old/audio/au01.html
QUAD ESL-63 との出会い(前編) (98/5/5 記)
大学生活も終わり、私は、初期研修のために親元を離れて八戸にて生活をし始めた。 オーディオ装置やLPをも全て連れていった。 アパートの遮音が良くないので、あまり大きな音で鳴らすことは出来なかったが、オーディオ機器にとってはまずまずの環境であった。 ある日、回りの住人がいないのをいいことに、大音量で鳴らしてみたところ、以前と音が全然違う。 低音が出てこない。 おかしいなぁ。 アンプがおかしいのかしらん? などとアンプを調べるも問題なし。 それではと、スピーカーを調べると・・・
なんと、スピーカーのエッジのウレタンがポロポロになっていて、空気が漏れている始末。 完全密閉型の Fostex A-300 では致命傷だ。 さっそく、メーカーに電話をかけて、修理可能かどうかを問い合わせたところ、修理は可能だが、修理費用は \ 30,000 / ch で、修理期間は未定とのこと。 費用はともかく、修理期間未定というのは困るので、あっさり、あきらめて新しいスピーカー探しに走った。
いくつかのオーディオショップをまわって、試聴したのは、タンノイのスターリング、インフィニティの kappa、ダイアトーンの DS-505、デンオン、カントン(ドイツのメーカー)、ハーベス、リンなど、実売で 300,000 / pair クラスの製品を多数。 心がなびいたのは、タンノイのスターリングとインフィニティという性格の異なるスピーカーたち。 リンと国産メーカーは、一聴して脱落。 カントンは、当初気に入ったのだが、聴くにつれて、音の硬質さと平板さが気になり脱落。 ハーベスは、使いこなしが難しいようで、この時の試聴では、いまひとつだった。 タンノイかインフィニティか? で悩む毎日。
タンノイのスターリングは、何を聴いても安心して身を任せられるというか、とにかく聴いていて楽しい。 音像がシャープにまとまり、定位感がよい。 欠点は、何を聴いても、タンノイサウンドというか、タンノイ流のキャラクタが音についてまわる。 それと、ピアノの響きがよそよそしいこと。 一方、インフィニティは、細やかで神経質な音でありながら、破綻することなく音楽が聴ける。 ピアノの響きがすばらしい。 逆に欠点は、録音のあら捜しが上手なこと。 録音が悪いと、聴いていられないような悲鳴をあげること。 録音モニタには最適だろうけれど、音楽観賞用としては、これは、むしろ欠点だ。 もうひとつは、定位感が悪いこと。 例えば、バイオリンの音の定位が、音程が上がるにつれて、上の方にひっぱられると同時に不明瞭になっていく。 3メートル以上離れて聴けば、このようなことはなくなるが、私のアパートでは不可能だ。
予算枠を超えてしまうが、タンノイやインフィニティの上位のスピーカーも試聴してみた。 値段に値するだけの違いはわかるものの、タンノイとインフィニティとの中庸を求める私の要求とは相いれなかった。 そんなある日、デパートのオーディオ売り場(今にして思うと、何故デパートのオーディオ売り場にこんな製品があったのかが疑問だ。)で、中古の QUAD ESL を見かけた。 さっそく鳴らしてもらった。 残念なことに、片チャンネルは不調で、途中で鳴らなくなてしまったが、この音は非常に好ましかった。 外見は大きいが、ロクハンのシングルを聴くがごとき音像の小ささには驚いた。 この時まで、私は QUAD の音を聴いたことがなかったのだ。 礼を言って、デパートを出て、さっそくオーディオ店に飛び込むが、QUAD の製品なんかはおいていなかった。
さて、どこでなら試聴できるか? 仙台でもおいているところはなかったので、東京まで出るしかない。 オーディオのためだけに東京まで出るのはちょっとと思っていたところ、外科の先生から、盛岡のオーディオ店の広告に、中古の QUAD ESL-63 があるよと聞いた。 運の巡り合わせというのは、こういうことなのだろう。 さっそく電話をかけてみたところ、中古の依頼品があるとのこと。 自分のところで販売した ESL-63 だが、持ち主が、他のスピーカーに熱を上げてしまったので、依頼販売になっているのだという。 現時点では、販売依頼を受けているだけで、現物はお店にはないから、試聴はできないとのこと。 中古といっても、使用歴はわずか6カ月で、新品同様で渡せるとのこと。 新品販売価格の 2/3 程度でどうだろう? と情報を得た。
オーディオ雑誌をみて、ESL-63 についての情報を集めたが、評判はあまりよろしくない。 低音がでない。 箱庭的な音。 かまぼこ型の音。 う〜ん。 唯一の良い情報は、ESL-63 PRO の改造品を、私の大好きな Philips レーベルがモニタスピーカーとして使用しているということだけだった。 1週間ほどして、先のお店から電話がきた。 依頼主が、しびれをきらして、値段を \ 50,000 下げてきたとのこと。 まだ踏み切れなかった私は、オーディオ雑誌の評価記事を引用しながら、試聴していないスピーカーの購入に踏み切れないことなどを話した。 しかし、このお店の常連の外科の先生は、私の音の好みや感じ方から、ESL-63 は良い候補だと考えたようで、店主に「もう大丈夫だから、もう送ってよこせ!」と言い出す始末。 結局、さらに \ 50,000 値引きさせて、試聴もしていないスピーカーを購入してしまった。
3日後にESL-63 が届いた。 まず最初に、大きさに驚いた。 そのくせ 20 kg に満たない。 さっそく適当にセッティングして、DENON PMA-970 でドライブしてみる。 音が出ない! どうして? と思ったら、スピーカーにもコンセントがある。 そうだった、コンデンサ型だった。 電源がいるのだ。 再度、トライ。 第一印象は、購入して正解 であった。 確かに、最低音部が全く出ていないのは確かだが、これは、先に試聴したタンノイ・スターリングや、インフィニティ・カッパでも、充分に出るわけではない。 音楽の再生に大切な、100 Hz 前後の低音は充分だ。 高域については、かまぼこ型と表現した評論家の耳がおかしいに違いない。 第一印象は良かった。 少なくとも、先のタンノイやインフィニティよりは良さそうだ。 しかし、聞き込むにつれて、不満が出始める・・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-09.html
QUAD ESL-63 との出会い(後編) (98/5/19 記)
聴き込むにつれて出てきた不満は、音が固いことだ。 私の大好きな Elly Ameling の声が無機的に聞こえる。 血が通っていないような感じさえ受ける。 それなのに、ピアノの音は、ぼやけて聞こえる。 特に高音域では、音が鈍るような感じだ。 弦楽器の音は重く、響きが沈む。
原因は、私でも容易に想像がついた。 DENON PMA-970 と音色が合わないのだろう。 さっそく、管球アンプの登場だ。 一番手は、6V6GT Single (K-NFB) アンプだ。
真空管な日々(その2)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-05.html
で紹介した 6G-A4 Single に 6V6GTを差しかえて、カソード NFB をかけたものだ。 さすがに、最大出力 0.8 W では、低能率の QUAD ESL-63 では、管弦楽では若干つらいものがあるが、ピアノ曲や室内楽なら、出力の少なさも気にならない。 少なくとも、DENON PMA-970 よりは、良い。
お次は、球を差し替えて、6G-A4 Single で試した。 カソード NFB をかけたまま試してみた。 室内楽曲を聴くと、弦楽器のしなり感はよく表現されるし、ピアノのカチンとした硬質なところもきちんと出る。 まとまりもいいし、なかなかなものだ。 ただ、最大出力がたりないのか、オーケストラでは、トゥッティで、歪み感とまでは言わないが、伸び悩む感じがあった。
手持ちの最後は、6G-A4 Push-Pull。 無帰還アンプらしい、のびのびした音で、ほとんど気になることはない。 あらを探せば、ピアノの音がやや太すぎるか? という程度。 オーケストラでも 6G-A4 Single のように破綻することはない。 ということで、メインアンプの座は、DENON PMA-970 から、6G-A4 Push-Pull へ移った。
QUAD ESL-63 のいいところは、何と言っても、定位感。 セッティングには若干うるさいところがあるが、比較的至近距離で、直接音だけを聴くような聴き方をしても、音場が狂うことはない。 左右のステレオ感のみならず、前後感というか奥行きもよく分かる。 ただ、普通のスピーカーと違って、奥行き感は、スピーカーの後方に広がる感じがする。 その分、近づいて聴くと、今度は、大きなフォルムに圧倒されるかもしれない。 こんなのは慣れてしまえば、それだけのこと。 とはいえ、このスピーカは6畳間で聴くのは、ちょっと厳しい。 最低でも8畳間ぐらいないと、スピーカーと聴き手の後ろのスペースをとれない。 コンデンサスピーカーは、後ろ側にも音が出てしまうので、スピーカーの後ろ側のスペースは重要だ。 場合によっては、吸音材をおくのも良いようだ。 聴き手の後ろのスペースも、けっこう重要なようで、聴き手の後ろがすぐ壁だと、持ち味の定位感が失われるようだ。
音楽にひたっていられるおおらかさを持ちながらも、モニタ的な(オーディオ的な、と言い換えてもよい)聴き方にも耐えうるのもよい。 Phillips がモニタスピーカーに採用しているのも、よくうなずける。 もちろん、最低音域は、原理的にも出るはずがないが、音楽のベースになる 100 Hz 前後は充分だ。 コンデンサ型の欠点は、低音の音量ではなくて、音質だと思う。 軽いコーンのウーファだと、「どすん」と落ちるところが、「ど〜すぅぅぅぅん」と、歯切れが悪くなってしまうのだ。 コントラバスなんかだと、(よく言えば)ゆったりとした感じで悪くないが、ドラムは、いまひとつ。ピアノも同様なのだが、私の場合は、ピアノの好みが Boesendolfer ということもあって、それが必ずしも欠点にはならない。 結局、クラシック向きといわれるのは、こういったところにあるのだろう。 この時にふと思ったのは、質の良いスーパーウーファーと組み合わせたら、楽しいだろうなぁということだ。 機会があれば、やってみたいものだ。
さて、アンプも決まったことだし、6G-A4 のスペアを買っておこうと、学会帰りに秋葉原に直行。 ところが、「置いていない」お店が多い。 唯一あったお店では、なんと ペアで、18,000 円とのこと。 1ペア 1430 円の時代はどこへいってしまったのだろうか? MJ「無線と実験」 の広告で、見かけないのはこういうことだったのだと、やっとわかった。
こうなると、代替えの球を探したほうが良さそうだなぁ(影の声: 他の球に浮気したかっただけでしょ)と思っていたところ、LUX の CL-34 と MQ-70 の出物を発見。 改造してもいいかなぁ、なんて不埒な考えで購入した次第。 6G-A4 Push-Pull と聴き比べると、意外なことに、MQ-70 のほうが、若干クールで腰がしっかりしている(低音が締まっている)感じがするが、それ以外は、よく似ている。 どちらが好きかと言われると、困ってしまう。 すっかり気に入った。 MQ-70 を使う以上、私の次作プリアンプでは、ゲインが足りないので、CL-34 と MQ-70が、常用アンプの座に。 高価な買い物をしたので、当分オーディオ機器は買わないと決めたのだが、そんな私に、物欲大魔王が襲いかかる・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-10.html
最後の LP プレーヤー・最初の CD プレーヤー (98/6/29 記)
スピーカーも買ったし、それに合う管球アンプも買った。 もう買うものはないだろうと思っていた矢先のことだった。 DENON レーベルから、Ingrid Haebler の Mozart Piano Sonata の新録音が CD でのみ発売となった。 昭和 63 年の秋のことだ。 私のなじみのレコード屋(仙台レコードライブラリー)は、世の中が CD 時代に入ってからも、輸入版の LP を提供してくれていたので、私は、CD プレーヤーを買わずとも、事足りていたのだった。 ところが、今回の発売は全世界的に CD のみ。 そういうわけで、私も、世間に遅れること数年で CD プレーヤーを買わないわけにはいかなくなった。
CD プレーヤーのオリジネーターは、皆様ご存知のように Philips と Sony だ。 今までにも書いてきたように、私は、Philips の音作りが好きだから、当然のごとく、Philips の製品を買おうと思ったのだが、調べてみて唖然とした。 業務用(らしい) LHH-2000 が 120 万円、LHH-1000 が 60 万円ぐらい。 高価すぎて、私には手が出ない。 でも、音はいいんですよねぇ。
それなら Sony かと思いきや、こちらは、数分の試聴でパス。 良くも悪しくも 細くて硬い Sony らしい音で、聴いていて疲れる。 機械的な音というか、腺病質で神経質な音に聞こえた。 ああいう音が好きな人もいるのだろう。
販売店の私へのお勧めは、なんと Marantz。 「えっ! どうして?」 と言葉を失った私への答えは、Marantz の製品は、 Philips の OEM (相手先のブランドの名前で、製品を作ること。 この場合は、Philips が実際には製品を作っていることになる)だからだという。 Marantz CD-94 Limited + CDA-94 Limited は、シャンペンゴールドのボディになっているが、ボディ色を除くと Philips LHH-1000 と全く同じデザインだ。 さっそく試聴させてもらった。 LHH-1000 と比較試聴すると、LHH-1000 に軍配が上がることは確かだが、温かめで、つややかな音で、好感が持てた。 同一条件で比較試聴しないと、LHH-1000 との差は、私の耳ではわからないかもしれない程度の差しかない。 でも、値段は半分だから、私にはとてもお買い得。
およそ1週間して、我が家に Malantz CD-94 Limited + CDA-94 Limited が届いた。 大きすぎて、今まで使っていたラックにはいらない! という問題を除けば、とても良かった。 買ってから数ヶ月経つIngrid Haebler の CD が綺麗に響く。 大きな買い物が続いたけど、買って良かったなぁと思っていたところ、MJ 無線と実験にショッキングな記事が。 マイクロ精器のアナログプレーヤが、ほぼ全面的にモデルチェンジし、今後は軽量級の一体型のアナログプレーヤのみになるとのこと。 マイクロといえば、超ど級の糸・ベルトドライブで、オーディオマニアのみならず、音楽マニアにも良く知られている。 こういうものは、無くならないだろうと思っていた。
さっそく、週末に、オーディオ店に行くと、新製品の(マイクロとしては)軽量級のデモをやっていた。 音が悪いわけじゃないけど、物足りないというか、なんというか。 店の奥を覗くと、あった〜〜。 旧製品が。 ベルトドライブで、レコード吸着付きの SX-111FV。 さっそく聴いてみると、やっぱりいいなぁ。 (影の声: 単純に、ココロが満足しているだけで、実際の音の差じゃないだろ! n'Guin:お黙り!) さっそく値段の交渉。 ところが、お店の人曰く 「これは、デモ用に使っていた器械で、売り物じゃないんです。 傷もついているし。 新品はもう無いし、売れません。」とつれない答え。 「その現品でいいから、売ってほしい」と頼み込むも渋い顔。 ちょうどそのときに、顔なじみの社長が通りかかったので、頼み込んだら、「1ヶ月待ってほしい。 オーバーホールに出して、傷も消してお売りしましょう。 値段は新品の 30 %引き」とうれしいお言葉。 社長曰く「1ヶ月といっても、どうせアーム選んでいる間に過ぎちゃうでしょ(笑)。」 実際、その通りで、今度はアーム選びに時間がかかったが、結局、社長のご推薦の Audio Craft AC-3000MC に決定。 50 万弱になるほどの(私にとっては)大きなお買い物でしたが、これは一生モノだと思って自分を納得させた。
購入から、既に 10 年が経過したが、CD プレーヤーの Malantz CD-94 Limited + CDA-94 Limited も LP プレーヤーの Micro SX111FV + Audio Craft AC-3000MC も立派に現役だ。
LP のほうは、さすがに最近出番が減ってきているが、ベルトの交換ぐらいで、元気に働いている。 吸着システムは、やっぱり聴いていて不安を感じなくていい。 若干 LP が反っていても、問題ないのが何より良い。 LP の経験がない方にはわからないだろうが、反った LP だと、音が揺れるし、スピーカーにも負担がかかるし、いいことが無い。 そんな心配をしなくて良いのが、何よりうれしい。
CD のほうは、そろそろ新品を買いたいと思っているのだが・・・。 たまに、新製品の試聴もしているのだが、私が購入できる価格帯の製品では Marantz CD-94 Limited + CDA-94 Limited を明らかにしのぎ、君が欲しいと思える製品には、まだお目にかかっていない。 最近では、Philips の LHH-500 シリーズなんかがよさそうに思えるのだが、ピラミッド型というか、どっしりした音場構成が得られない不満があって、購入にまで至っていない。 予算的に 30 万程度までというのが、原因か・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-11.html
QUAD 44 + 405 との出会い (98/9/20 記)
平成7年の4月に、私達は、現在のマンションに移り住んだ。 およそ 80 m² 弱の居住スペースに、占有できる庭が、25 m²。 仙台の中心部としては、まずまずの広さのマンションである。 リビングのおよそ 14 畳弱のスペースには、オーディオ類とローセットテーブルと食器ダンス2つのみということで、オーディオ鑑賞用には、できるだけのスペースをとったつもり…
ここに引っ越してくるまでは、8畳弱の部屋に、オーディオのみならず、いろいろと押し込めて聴いていた。 引越し後は、やっと ESL-63 も真価を発揮してくれるようになり、喜んでいた。 しかしそれもつかの間。 右チャンネルからの音が、おかしい。 バランスが取れない。 故障だ。 調べてみたら、メインアンプの Lux MQ-70 の右チャンネルの終段の 6C-A7 が駄目になっていた。 さっそく近くのお店から、EL-34 を2ペア入手して、差し替えて調整をしなおした。
調整をしてみて感じたのは、MQ-70 は、そろそろ寿命が近いこと。 今回駄目になったのは、終段球だけであるが、真空管の様子からすると、おそらく、ドライバ段の 6240G も近い寿命が来そうな雰囲気。 真空管マニアの方はご存知のように、6240G は、ラックス独自の球で、代替球がない。 そうなると、完全に改造しなおさないといけない。 以前の私なら、腕を振るう場面がきたと喜んだかもしれないが、時間がない現在の私にはつらい話だ。 そういうわけで、代替アンプを探すことに相成った。
代替アンプとして、候補に上がったのは、Accuphase、LUX の真空管アンプ、A-Class プリメインなどなど・・・。 一度は憧れの高級機 Accuphase とも思ったのだが、細く、腺病質な響きは、好みに合わない。 値段を考えたら割に合わない・・・ということで、試聴一発でパス。 次は、ラックスのアンプ群であったが、??? 感性があわないというか、よく出来たアンプだと思うのだが、食指が動かない。 今にして思えば、リラクセーションの表現が苦手だということに尽きるのだと思うが。
次に、紹介されたのは、LINN のアンプ群。 LINN に惚れこんでいる方が、アンプを自宅まで運んでくれて試聴させていただいた。 高域に癖があって、私の大好きな Ameling がヒステリーのおばさんになってしまう。 アンプを持ちこんだ方にいわせると、カートリッジが悪い、LP プレーヤが悪い・・・ということなので、結局、愛聴盤を持ちこんで、ご自慢の LINN システムを聴かせていただいたが、全く同じ印象である。 あげくは、『 LP が悪い。 演奏が悪い・・・。』とのたまわれる始末。 さすがに、こちらの堪忍袋の緒が切れた。
代替アンプを探す旅は続く。 ここまできて、QUAD のアンプは、どうなのだろう・・・? という疑問。 オーディオ雑誌などの評価は、いつも低い QUAD のアンプではあるが、どんなものだろう。 純正組み合わせという点では、興味深いものがある。 興味はあるが、仙台では試聴できるところもない。
そういうときに限って、中古の良い出物が、無線と実験の広告にでたりする・・・。 保証付きの 44 + 405。 値段は、当初の Accuphase を購入する半分以下。 純正アンプだから、一台持っていても、いいよなぁ・・・ ぐらいの軽い気持ちで購入を決定。 電話を入れると、「すみません。 もう売れてしまいました。」とのこと。 逃がした魚は大きいと思うのが、人の常。 「もうちょっと値段が張りますが、もっといいのがありまっせ・・・」と悪魔が来たりて笛をふけば、踊ってしまうのが私・・・(笑)。
届いて、聴いてみてびっくり! 私にとっては、非の打ち所がないアンプである。 響きの良い、自由闊達な音で、神経質で腺病質な音から最も縁遠いアンプである。 オーディオには興味がないが、音楽には興味のある(ヴァイオリン弾き)の女房も、LUX CL-34 + MQ-70 からの音の変わりようには、驚いたようで、『断然、新しいアンプの方が良い。 安くて良いアンプというのもあるのねぇ。』とご満悦。
驚いたことに、405 の説明書には、回路図までついている。 基本的には、オペアンプ+SEPPで構成されているアンプで、こんな回路からいい音がするはずはない・・・ と思ってしまうのだが、出てくる音には、満足させられてしまう。 回路設計より、耳で作った音作りが重要視されている海外製品らしい出来あがりともいえる。 このときに思い出したのは、是枝重治氏が、ラジオ技術増刊『集大成プリアンプ』(1985年刊)で、次のように述べられていらしたことです。
海外製では QUAD 22, 33 が抜群
1968 年ころに 22 の後継機種として TR 化(トランジスタ化)された 33 型が発売されましたが、これは意外に優秀なプリアンプです。 回路構成はまことに古めかしく頼りない設計なのですが,実に良い音がしました。 聴感上の帯域はとても狭く音場感に乏しい音なのですが,必要な帯域内の再現力は素晴らしく,力感と輝きに満ちていて素敵です。
(中略)
一般的に英国機は小型に作られいて気をてらったような回路とか,豪華さだけの外観とは一切無縁です。 しかしながら,使ってみると,扱いやすく,そして愛着の沸く独特の雰囲気に満ちています。 これは現代の英国機にもいえることです。 いまだに英国は真の大国,いわば大人の国なのでしょう。
ラジオ技術別冊『集大成プリアンプ』(1985)より、
プリアンプ設計の系譜(p.29 - 60 是枝重治 著)
プリアンプ設計の必要条件
プリアンプの設計家というのは独特の人格を形成している人物が少なくありません。 物事に執着し、躁鬱的な気質を有する人が良い作品を造るように思われます。 前述のようにプリアンプというのは回路だけいくら練っていても作れないものです。 熱狂的な音楽愛好家であり、ものごとをシステム的に分析し,機械の存在を人間との有機的な結合として考えることができる人にしかプリアンプは作れません。
(中略)
一般的に雑誌などにプリアンプの製作記事が少ないことは,第一に製作が複雑だという理由のほかにソフト部門を軽視する日本人および日本社会の特性が如実に現れていると私は思います。 ソフトを軽視しているのはコンピュータだけではないのです。 あれほど稚拙な回路のクォード 33 がプリアンプとしてきわめて優秀な理由は、実はここにあるのです。 日本人として優れたプリアンプ設計家だった故瀬川冬樹氏も、そういえば本職は工業デザイナーでした。 氏がかつて『ラジオ技術』誌に発表したプリアンプ論は 1960 年代中期としては、たいへん優れたものでした。
ラジオ技術別冊『集大成プリアンプ』(1985)より、
プリアンプ設計の系譜(p.29 - 60 是枝重治 著)
引用が非常に長くなりましたが、この指摘は、現在の高級オーディオでもあてはまることだと思います。 書かれてから、既に 15 年近くがたっている文章ですが、全く古さを感じさせられないどころか、思い当たるふしが、いくつでも出てきます。 QUAD 44 以降、日本でどれだけのプリアンプが発表されたかわからないほどですが、現在なお名前を挙げられる機種はどれだけあることでしょうか。 時間という最も過酷な評価を経て、なおも現在に残っている機種がいかに少ないか・・・ ということを日本の高級オーディオ界はどうとらえているのでしょうか? もしも瀬川冬樹さんが生きていらっしゃれば、お嘆きになることは間違いありません。
さて、本題の、Quad 44 + 405 に戻りましょう。 満足しているのは、言うまでもないのですが、音が良くなればなったで、欲がでてくるのが、人の常。 若干の難点をあげつらえば、あまりにまとまりすぎているということか。 それと、QUAD ESL などコンデンサ型の欠点でもあるのだが、低域の伸びがちょっと物足りず、後期ロマン派以降の大編成物を聴くのは、ちょっと苦手・・・ ということか。 それなら、良質の Super Woofer を入れたらどうなるのだろうと思ってしまうが、QUAD + Super Woofer なんてあまり聞いたことないなぁ・・・・
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-13.html
PHILIPS LHH-800R との出会い (99/2/28 記)
話は、1995 年ごろに遡る。 私が大好きな PHILIPS(MC ヘッドアンプに挑戦 を参照)が LHH-A700 というアンプを出した。 オーバーオール帰還を廃した半導体アンプで、出力は 40 W/Ch といった製品。 興味はあったが、なかなか試聴できる機会がない。 たまたまケーブルを買いに行ったオーディオ店で、偶然、試聴できた。 記憶が定かでないのだが、試聴させていただいたときのスピーカーは、スペンドールかハーベスで、LUX の管球アンプと比較試聴させていただいたように思う。
半導体アンプらしからぬ躍動感と奔放な音の出方に、驚くと共に、このアンプを手に入れたいと思った。 PHILIPS の製品というと、私の好みには合うことが多いものの、ちょっと反応がとろいというか、ひかえめでおとなしい音というイメージがあったのだが、LHH-A700 では、PHILIPS らしい上品さをそのままに、音が前に出てくる躍動感がみなぎっている。 ブラインドテストをしたら、出来のよい管球アンプだといわれたら、そのまま信じてしまうだろう。 とにかく気に入ってしまった。 しかし、すぐにドイツ留学をひかえていたので、すぐには購入できなかった。 その時に、店員さんに事情を話すと、PHILIPS の LHH-A700 は、けっこう評判がよいので、後継機が出てくるでしょうとのことであった。
CD Player も LHH-800R, 900R と新製品がでてきていたし、音の傾向も LHH-A700 と同様に、音ばなれの良さに驚いていた。 それでいて、野蛮さを微塵も感じさせないのは、やはり PHILIPS らしい。 ドイツ留学から帰ってきたら、それらの後継機を購入するつもりになっていた。 知人がオーディオを購入するにあたり、PHILIPS LHH-A200, LHH-200RX を勧めて、満足してもらうなど、PHILIPS 製品が、けっこう、市場に出回っていたのである。
ところがところが・・・。 日本に帰ってきた 1998 年には、PHILIPS は、既に高級オーディオからは撤退してしまったようで、LHH-A700 はもちろん、LHH-900R でさえ後継機がない。 困った・・・。 いずれ、また好みの機会が出てくるのを待とうと思っていたところ、Rogers Studio 7 を購入したお店の中古情報に、LHH-900R が載っていた。 さっそく発注したのだが、タッチの差で売れてしまっていた。 こうなると、物欲大魔王が騒ぎ出す。 インターネットのオーディオ中古情報を探しまくる。 今度は、某大手の高級オーディオ店に LHH-800R があった。 女房に相談してから発注したところ、これまた、タッチの差で売れてしまっていた。 新着情報として掲示されてから、わずか2日で売れてしまっている。 こうなったら、とにかく探しまくるしかない。 しかしながら、オーディオの中古店それ自体を見つけられない。 (余談ですが、最近の YAHOO Japan は、サーチエンジンとしては、もう失格ですね。 新たなページを登録しても、掲載率は 30 % ぐらいなそうです。 サーチエンジンは、電話帳みたいなものですから、載っている量が多くなければ、使う意味がないのに。) LHH-800R, 900R のどちらでも良いから、手に入れたい・・・。 毎日のように巡回してみるものの、そうそう出物はない。 ふと思いついて、LHH-800R で検索してみたら、吉田苑(YOSHIDAEN) というお店の中古情報がひっかかった。 すぐに電話を入れたところ、まだ売れていなかった。 ラッキー!
注文して、1週間ほどで LHH-800R が家に届いた。 電源を入れて、1時間ほどヒートアップして、音を聞いてみる。 音が団子になっていて音場も広がらない。 ラジカセのような音。 以前に聴いた時にはこんなことはなかったんだけどなぁ・・・。 とにかく、アコースティックものには、めっぽう強い PHILIPS のはずなんだけど・・・。 なんなんだ、これは???
余談
吉田苑(YOSHIDAEN)
http://www.yoshidaen.com/
というオーディオ店は、PHILIPS 製品を、日本で一番多く取り扱ったお店なそうです。 ここのホームページは、とてもおもしろいです。 パスワードがないと入れない、おもいっきり言いたい砲台が、何よりのお勧めです。
砲手の有森さんは、ピアノの調律師の資格をお持ちなそうです。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-17.html
audio PHILIPS LHH-A700 との出会い(前編)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-18.html
CD Player LHH-800R を購入を決意して、発注した翌日に、パワーアンプの LHH-A700 の展示品の広告をみかけた。 LHH-800R の時には、何度も注文したときには売り切れていて、物欲大魔王があばれた2週間を送ったので、LHH-A700 のときは、一瞬の迷いもなく、電話に手が伸びた。
さて、困ったのは、CD Player の LHH-800R の音だ。 以前に聴いたときのようなみずみずしく、純度の高い音が出ない。 音が団子状態で、低音も伸びず高音も伸びない。 以前から使っていた 10 年選手の Marantz CD-94 Limited & CDA-94 Limited のほうが、よっぽど良い。 一体型の CD Player でもあり、音を変化させる術もない。 途方にくれてしまった。 とりあえず、エージングを進めるために、サブシステムで鳴らしておくことにした。 グスン (T_T) (T_T) (T_T)
CD Player が届いてから、3日後の朝に、LHH-A700 が届いた。 焦る心を押さえながら、2時間のウォームアップをさせて、CD Player につなぐ。 CD Player は、以前から使っていた Marantz CD-94 Limited & CDA-94 Limited のほうだ。 Quad 44 + 405 と比較しても、あまり大きな変化はない。 しかし、LHH-A700 だと、少しでも録音が悪いと、その悪さを露骨にまくし立てる。 1970 年代の録音でも、ちょっと厳しい。 これは困ったことだ。 トータルでみると、Quad 44 + 405 のほうに魅力を感じてしまう・・・。
CD Player の LHH-800R といい、パワーアンプの LHH-A700 といい、どちらも、どうにもならない音が出てきてしまっている。 以前に試聴したときにはとってもよかったのに・・・。 おかしいなぁ。 MJ 無線と実験の記事では、PHILIPS の CD-Player の開発中に、既存のアンプでは音質追求に限界がきたために、LHH-A700 のプロトタイプが作られたとあるんだけどなぁ。 記事によれば、オーディオフェアで、CD-Player の音出しにそのプロトタイプ・アンプが使われて、CD-Player もさることながら、そのプロトタイプ・アンプへの問い合わせが断たなかったとのこと。 そうか。 もしかすると、LHH-800R は、既存のアンプでは、駄目なのかもしれない。 でも、入力機器の質が上がって、音が悪くなるなんて経験はしたことがないなぁ・・・。
まぁ、LHH-800R と LHH-A700 とで聴いてみるか。 サブシステムの部屋から、再度、LHH-800R を Quad ESL-63 の部屋に持ち込んで、試聴してみる。 半分、ヤケなので、ウォームアップ時間もなし。 ところが、音が出た瞬間に、感動がやってきた。 音が前に出てくるし、躍動感もある。 音の分離も自然だ。 いかにも、音の分解能が優れています・・・といった、人工的な、いやみなオーディオ臭い音を決して出すことはない。 音場感も非常に良くて、左右はもちろん、前後関係も非常によく描出してくれる。 録音のあら捜しもしなくなった。 細かな難点をあげつらえば、ちょっと音が荒れ気味で、もう少し上品に押さえてくれた方が、私の好みかなぁ。
いったいどうしたことなのだろう。 入力機器の質が上がって、かえって、音が悪くなる経験をしたことは、これまでなかった。 これは、単に相性ということなのだろうか? 手持ちのアンプと CD Player を総動員して、聞き合わせてみる。
CDP
Marantz CD-94 Limited & CDA94 Limited
Philips CD-750
Philips LHH-800R
アンプ
6G-A4 Single 管球アンプ
DENON PMA-970
QUAD 405
Philips LHH-A700
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-18.html
Philips LHH-800R + Philips LHH-A700
この組み合わせの音が 試聴機器中でベスト
上の表
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-18.html
からわかるように、どのアンプでも、Philips CD-750 と Marantz CD-94 Limited & CDA-94 Limited との比較では、Marantz に軍配があがる。 ところが、Phililps LHH 800R と Malantz との比較では、Philips LHH-A700 以外のアンプでは、Malantz の方が良い。 要するに、試聴するアンプが違うと、評価された CD Player の順位が入れ替わってしまうわけだ。 それでは、アンプ単体を評価するとどうだろうか。 正直言って一長一短としかいいようがない。 やはり相性の問題なのか???
そう思っていたころに、LHH-800R を購入させていただいた吉田苑の思いっ切り言いたい砲台のパスワードが届いた。 そこには驚くべき記事が・・・・
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-18.html
PHILIPS LHH-A700 との出会い(後編) (99/3/28 記)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-19.html
吉田苑の思いっ切り言いたい砲台の記事には、某社の新型アンプの記事が掲載されていた。 新型アンプに、LHH-900R(私が購入した 800R のリファイン版)の DAC 部分を発展させた、Marantz Project D-1 を鳴らした記事だ。 新型アンプに、Marantz Project D-1 をつないだところ、音が団子状で、高音も低音も出が悪い状態になってしまうそうだ。 ところが、同じアンプに、普及価格帯の CD Player の某銘品をつなぐと、非常によく鳴るそうだ。 記事では、新型アンプが、以前に比べて良くなったものの、Marantz Project D-1 のダイナミックレンジと情報量の多さについていけないために、Marantz Project D-1 を鳴らしたときには、音が非常に悪かったのだろうと、掲載されていた。
うちでも、同じような現象がおこったのであろうことは、容易に想像がつく。 入力機器の質があがったがゆえに、音が悪くなることがあるというのは、私にとっては初体験であった。 (同じような経験をお持ちの方は、メール)か、掲示板 にて、ご報告ください。 歓迎します。) LHH-800R が届いたときの落胆は大きかっただけに、LHH-A700 と合わせて聴いたときの変貌ぶりには、本当に驚かされた。 もしも、LHH-A700 を買っていなければ、LHH-800R の音の悪さに辟易して、やっぱり、MULTI-bit DAC じゃないと音が悪い・・・とか、ここに書き込んでいたに、違いない。 うまくいったのは、神様からの贈り物だったのかも。 いや、神様じゃなくて、物欲大魔王からの贈り物?(^^;;;)
ところが、まだ問題は残っていた。 LHH-800R + LHH-A700 をダイレクトにつなぐぶんには、先の優れた音質で聴けるが、Quad 44(プリアンプ)を間に入れると、良さがわからなくなってしまう。 つまり、セレクタあるいは新しいプリアンプが必要ということだ。
そうなると、LHH-A700 の専用セレクタの LHH-S700 を購入して、LP 用のイコライザアンプを自作する・購入するのが、一番早そう。 でも、LHH-S700 なんて、そうそう中古がでてくるなんて思えないし・・・。 とりあえず、手持ちの部品で間に合わせのセレクタを作って、LP からの信号は、
以前に作成した真空管プリアンプ(真空管な日々(その3)を参照)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-06.html
をつないで、使用した。 当初は、満足して使っていた。 LHH-800R + Quad で聴いたときのひどさが頭にこびりついていたからだろう。 ところが、使い始めて1週間もしたころには、不満がでてきた。
音が荒いというか、つややかさが、わずかに欠けているのだ。 私の最愛のソプラノ歌手の Elly Ameling の声が、ちょっとがさつつくときがある。 伊藤恵のピアノの音でも、弱めで優しげで、はかなげなキータッチで弾かれている部分が、ごわごわの麻でくるまれた感じというか、シルキーなタッチに欠けてしまう。 Marantz の CD-Player と Quad の組み合わせで聴いていたときには、こういうデリカシーに富んだ表現は、非常にうまく聴かせてもらっていたのだが・・・。 何らかの対策が必要だ。 情報量の多い、クリアな音質を維持しながら、先に述べたデリカシーを確保することが課題となるわけだ。
セレクタが汎用品だから、悪いのか? いや、そういう問題ではない。 LHH-800R と LHH-A700 とをダイレクトにつなぐと、先の欠点は、むしろ増強されるからだ。 やはり、本格的なプリアンプが必要だということなのだろう。 良かった良かった・・・ で終わるかと思ったら大間違い(^^;;;)。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-19.html
PHILIPS LHH-P700 との出会い (99/3/28 記)
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-20.html
さて、どんなプリアンプを購入するか? それとも自作するか? 自作するとすれば、以前に作成した真空管イコライザアンプ(真空管な日々(その3)を参照)の設計をベースとしたアンプということになるだろう。 LHH-A700 は、BTL 接続することが可能なので、バランス出力可能なプリアンプを作りたい。 回路設計の時間は、苦しみながら、楽しむという自虐の時間である。
MJ 無線と実験のバックナンバーをあたっても、プリアンプの記事は非常に少ない。 先に引用したようにプリアンプは、単なる電気特性だけをそろえるだけでは駄目で、熱狂的な音楽愛好家であり、ものごとをシステム的に分析し,機械の存在を人間との有機的な結合として考えることが必要だということなのかもしれない。 現在の私が作るとすれば、ハイブリッド構成の無帰還アンプを作ることだろう。 真空管の選別をして、ある程度、高 S/N のプリアンプを作ることは可能であるが、長期間、その性能を維持することは至難の業だからだ。 現実に、手持ちの真空管イコライザアンプの S/N は、作成時に比べて、12 - 15 dB ほど悪化している。 真空管の経時変化のためのようで、初段管を交換すると、値が変化する。 しかし、手持ちの真空管では、作成時ほどの S/N を得ることはできない。 やはり、10 年使って問題がおこってこない設計というのは、むずかしいのだ。
閑話休題。 BTL 接続のために、もう一台、LHH-A700 を、インターネット上で探していたところ、LHH-P700 という機械がひっかかってきた。 LHH-P700 だって? そんなのあったっけ? 型版からすると、プリアンプらしい。 Infoseek で検索をかけてみると、確かにプリアンプで、オーディオ・テクニカの社長さんの愛機だとかという噂があるようだ。 無線と実験のバックナンバーを探すこと1時間。 幸運なことに、LHH-P700 の記事をみつけだせた。 MC/MM イコライザアンプ付きのプリアンプで、バランス入出力付きで、アンバランスの入力をバランスで出すことも可能。 値段は、発売当時 \ 100,000 だったようだ。 LHH-A700 と同じ設計者によるプリアンプでもあり、LHH-A700 との相性は抜群なようだ。 特に、LHH-A700 を BTL 接続したときの評価は高いようだ。 LHH-P700 欲しい病にかかってしまった。 有名メーカーの人気商品なら、中古も潤沢だろうけど、LHH-P700 がでてくるかなぁ??? ところが、こういうのは、タイミングがあるようで、インターネットの検索エンジンで、某所の中古に出ていた。 すぐに連絡をとったが、残念ながら、またも売約済み。 しかし、そこの店長から、先に LHH-800R を購入した吉田苑が、PHILIPS 製品の取り扱いが多いので、LHH-P700 の中古が見つかりやすいでしょうと教えていただいた。 さっそく、吉田苑に連絡をとったところ、待つこと1ヶ月あまりで入手できてしまった。 なんてラッキー(^^)
数日で、LHH-P700 が到着した。 小さな筐体の背面は、入出力端子で一杯になっているが、前面は音量調整とセレクタのみというシンプルなアンプ。 (左右の)バランス調整さえ、省略されている。 それにもかかわらず、バランス入出力可能という構成には、驚く限りだ。 さて、音質は?
まず、リファレンスの Elly Ameling の LP だ。 使用カートリッジは、もちろん、MC 型の Philips 922-II だ。 つややかで、良く澄んだ、それなのに暖かみのある声が部屋一杯にひろがる。 これは良い。 Quad 44 + 405 と同様に Elly Ameling の良さを引き出してくれる。 Quad に比べると、やや硬質だが、清楚で、シルキーな感じで悪くない。 Quad のほうが、ちょっと古めで懐かしめな音ともいえよう。
次は、伊藤恵 で、シューマンのピアノソナタ第一番と第三番だ。 このピアニストは、キータッチを変えることによって、一台のピアノで、いろいろな音色を弾きわける、数少ないピアニストの一人だ。 この違いをうまく描出できるかどうかが、試聴ポイントだが、これまた、非常によい。 LHH-P700 が LHH-800R と LHH-A700 との間をうまく仲介してくれているようだ。 プリアンプが間に入るより、コード一本で直結するほうがよいと、原音再生論者は、盲目的な信念をもっているだろうが、オーディオを音楽を聴く道具だと割り切っている私は、よりよい音楽表現が得られれば、手段は選ばないのだ。
やっと、めでたし、めでたし・・・ということだが、ここまできて、はっとしたことがひとつ。 「 QUAD 中心のシステムのどこかを変えようとすると、結局、総換えになる。」 という言い伝えを思い出した。 CD Player を PHILIPS LHH-800R ではなくて、Quad CD67 あたりか、ルボックスあたりを導入すれば、こうはならなかったのかもしれない。 ともあれ、QUAD 44 + 405 は、メインシステムから引退だ。 さらば、QUAD 44 + 405! などと書きながら、QUAD 44 + 405 の記事は終わらなかったりして・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-20.html
PHILIPS LHH-A700 BTL 接続 (2005/4/25 記)
私に限ったことではない(と信じたい)が、アンプを購入して、取扱説明書を真面目に読んでから使い始める人は、自作オーディオもやっている(いた)人なら、ほとんどいないだろう。 接続の仕方は、実機を見れば、あきらかすぎるぐらい、あきらかだからだ。 うまくいかないときに、初めて読む???
私がPHILIPS LHH-S700 の取扱説明書を読んだのは、購入して1年ぐらいしてからだろうか。 正確に言うと、読もうと思ったのではない。 このまま適当なところに置いておくと、なくなってしまうだろうと思い、しっかりしまおうと思ったからだ。 しまう前に、ペラペラめくってみただけだ。 そして、驚いた。 LHH-A700 を BTL 接続により2台使用した説明図がたくさんでてくる。 その量たるや、半端ではない。 参考図1枚というのではない。 なんだ、これはというぐらい、たくさんでてくる。
/* ここに、説明図をいれる */
ここで、火がついてしまったのは、皆さまおわかりでしょ。 もう1台って。 なくなる前に、もう1台。 ボーナスがでたときに、購入・・・! 設計者の鈴木××氏に関する逸話を知ったのは、実は、このころ。 PHILIPS にはまりこんで、相当たってから。 NEC A-10 の設計をしたとか・・・。 みなさまには、意外に思われるかもしれない。 鈴木××氏のことを知ったおかげで、BTL 接続によって、低音がしっかり出るとか、ドライブ感が増すとか・・・期待しちゃうじゃないですか。 アンプが倍だから、出力も倍・・・。 アンプが倍だから、物量も倍・・・。 そんな思いがムクムクと。 いわゆる、オーディオ的な聴き方も、得意になるかなぁと、期待していた。
しっかりヒートアップさせてから、大編成ものを聞き始めた。 失望した。 これまでと、ほとんど変わらないのだ。 そんな馬鹿な・・・ そんな馬鹿な・・・ そんな馬鹿な・・・ 何とか違いを見つけようと、視聴を繰り返すが、大編成ものでは、違いがあんまりわからない。 しいていえば、ディテールの表現が良くなったかなぁという程度。 馬鹿な買い物をしたと、後悔したと、本気で思ったことを、正直に書いておきたい。
しかし、違いは、唐突にわかった。 Elly Ameling を聞いた瞬間である。 静寂の表現のうまさだ。 歌い終わった余韻の漂い方が、数枚上手なのだ。 1台で聞いていて、不満があるわけではない。 1台で聞いていて、決して悪くない。 しかし、BTL 接続で聞くと、もう戻れない。 次に、室内楽曲やピアノ独奏といったジャンルを聞く。 やはり、pp(ピアニッシモ)の表現が良い。 大げさな表現で恐縮だが、体育館で聞いていた演奏が、ホールに変わったような印象をうけるのである。 ダイナミックレンジが、下の方に拡大した言えば、正確な表現なのかもしれない。 この良さがわかると、もとには、もう戻れない・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-29.html
原音再生 なんて 幻想 だ!
さて、ピアノに JBL サブシステムを乗っ取られたので(陰の声:それが目的でピアノを買ったんじゃないの?)、当然ながら、サブシステム用のスピーカー購入が急務となった。 手持ちは、QUAD, JBL なので、当然、それ以外のメーカーからの選択が妥当だ。 スピーカーが、そのシステムの音質を、おおよそ方向づけるのはよく知られたことだ。 私は、原音再生なんて、幻想だと思っているので、いろいろな傾向をもつシステムがあった方がよいと考えているからだ。
原音再生とは何なのか? そもそも原音とは存在し得るのか?
とあるサイトで、ホールの場所によって音が変わるので、原音再生なんて幻想だという論に対して、それならホールの中央前列の音を原音と定義すれば良いと、原音再生派が強弁されておられた。 原音再生派の幻想も、ここまでくると、私にはただの滑稽な喜劇である。 私自身は、同じホールでも、演奏の種類によって、異なる席を選ぶのを常にしている。 例えば、オーケストラであれば、ホールのほぼ中央よりやや後方。 室内楽ならほぼ中央よりやや前方。 ピアノであれば、中央は避けて、少し側方にずれる。 ピアノの反響版からの直射音は単調で、つまらなく聞こえるからである。 このように席を選ばないと、心地よい音が得られないのである。 こんなことは、クラシック音楽聴きには常識なのだが、オーディオ評論家にはわかっていないらしい。 ホールの中央前列の音をオーディオ再生の目標にされたら、どんな音が聞こえるのであろうか? もちろん、そんなデリカシーの欠けた音を聞くのはごめんこうむりたい。
原音を横に用意して、その都度比較しながら再生音を評価すると、記憶の曖昧さがなくなって飛躍的に精度は向上する。これが「原音比較法」である。その例を挙げてみよう。 一番簡単なのは直流の掛かっていない場所の結合コンデンサーである。短い銅線でショートした時の音を原音として、コンデンサーを通した音を「そのコンデンサーの音」と評価すれば良い。小生が何度か実施したコンデンサーの音質評価はこの方法である。
とあるサイトより引用
これは、一見正しい論法のように見えて、実は、何の意味もない方法である。 ちょっと電気に詳しい方なら、すぐにおわかりいただけると思うが、直流がかかっていないところに、何故に結合コンデンサーをいれる必要があるのか? そんなところにコンデンサをいれて、音質の評価になるのか? 結合コンデンサは、そもそも直流電圧がかかっているところにおかれるものであり、直流がかかっているときと、かかっていないときでは、そのコンデンサの音質が異なるというのは、良く知られた話である。 OS コンなんかは、そういう状況でないと、正常に動作できないことが良く知られている。 そもそも直流がかかっていたら、導線でショートしたら、電気的に回路が正しく動作しなくなってしまう。 この意味で、上記の「原音比較法」というのは、ただのまやかしに過ぎないように私には思える。 文句があるなら、私を論破して欲しいし、加えて、トランジスタなどの増幅素子の「原音比較法」をどうやって実現するのかも説明して欲しいものだ。 上記の原音再生論は、MJ「無線の実験」にも執筆なさっている方のページにからの引用であるが、よりよい音楽を聴きたい、一介のオーディオファンの私から見てさえも、論点があやふやで、議論に耐えないレベルに思える。(ご意見大歓迎! 掲示板で議論しましょう。) かくいう私自身も、20 年前は、原音再生という錦の旗をふりかざしていたものであるが・・・。
閑話休題。 本論に戻る。 わたしの今回の選択は、使用場所から、20 cm 2 way 程度に限られた。 幅 30 cm 奥行き 45 cm 程度が限界である。 日本製では、Victor SX-V1X あたり、アメリカ製では、Infinity ヨーロッパだと、B&W CDM-1SE あたり、Rogers, KEF, Harbeth, Spendor, Tannoy と留まるところを知らない。 Tannoy, Infinity あたりが当初の本命(QUAD ESL-63 との出会い(前編)を参照)だったのだが、ともに、大きさの制限から脱落。 B&W CDM-1SE は、振興オーディオの店員のお勧め品で、試聴させていただいた。 確かに、端正なまとまりの良い音で、ニュートラルな感じがある。 最近、B&W に興味ひかれる人が多いのもわかるような気がする。 一台目のスピーカーなら、これを購入したかもしれない。 しかし、今回は、より個性的な音を求める意味でパス。 むしろ、Rogers などの LS 3/5A や Victor SX-V1X に、より大きな魅力を感じた。 使いこなしは若干難しそうだが、人の声が艶やかに聞こえる傾向があるスピーカーたちだ。 オールマイティとはいえないかもしれないが、Quad や JBL とは、明らかに異なる個性といえる。
こんな経緯から、Rogers, Spendor, KEF といった、BBC Monitor Speaker の系譜をひくスピーカーから、今回は選ぶことにした。 これらのスピーカーは、どちらかというと、きらびやかな中高域が目立つ傾向がある。 その中から、置き場所の制限を考えて、もっとも大きなスピーカーを選択することにした。 エンクロージャーが、ユニットに対して大きければ、低音の余裕を感じることが多いので、どちらかというと高音が勝りがちな、これらのスピーカー群ではエンクロージャーが大きい方が良いだろうと考えたからだ。 Rogers Studio 7 を選んだのは、そうした理由からだ。
自宅に来た Rogers Studio 7 は、思ったより大きめであったが、もちろん、うまく設置できるぎりぎりの大きさである。 最初は、JBL Subsystem 用の A-Class 10 W x 2 の自作アンプで駆動したが、全く歯が立たない。 うるさいだけで、聴いていられない。 次に、Quad 44 + 405 のお出ましだ。 温和な音の Quad なので大丈夫だろうと思ったところ、全く駄目で、やかましい音のままだ。 そうなれば、管球アンプのお出ましである。 6G-A4 シングルで鳴らしてみる。 中高域のエネルギー感が勝る音ではあるが、トランジスタアンプと異なり、しなやかさが加わって、ここちよく聞こえる。 無帰還の方が、低音のはずむような感じがして心地よい。 Rogers E-20a / 40a という純正組み合わせが、6L6 のプッシュプルアンプであることを考えると、ダンピング・ファクタがやや低めのほうが、このスピーカーにお似合いなのかもしれない。
このスピーカーの特質は、なんといっても、人の声の明瞭度が高く、かつ美しく響くことだ。 Quad や JBL では、こんなふうに鳴り響くことはない。 私の大好きな Elly Ameling が、とても美しく聞こえる。 さよならコンサートの時の感動がよみがえるようだ。 Fischer Dieskau や Peter Schreier の録音も、とても美しく聞こえる。 これまで、生を聞いて満足していても、LP/CD では、今一つの録音だと思っていた人たちである。 これまでの私のところの再生装置では、コンサートの感激を再現してもらえなかった。 しかし、この Rogers Studio 7 なら、感激が再現される! オーディオ的に言うと、リラクセーションの表現が得意だということになるのだろう。 私自身は、こういう良いリラクセーションのある音を、TAD や JBL や、ましてや、レイ・オーディオ のスピーカーから聞いたことがない。 (これらのスピーカーは、求めるところが違うわけだ! というのが私の意見だ。) Rogers Studio 7 は、アンプをかなり選ぶものの、私にとっては、良いスピーカーと言えるだろう。 低域のボリューム感がもう少し欲しいが、エージングがすすめば、バランスが取れてくることを期待したい。
追伸:
(99/2/28 記)
先日、Y氏のお宅におじゃまして、マルチアンプシステムによる JBL 4 way の自作システムを試聴させていただいた。 Y氏のシステムは、一般的な JBL らしい音から一歩も二歩も抜け出たナチュラルな音質であった。 ブラインドで聴かせられたら、JBL のホーンスピーカーが使われているとは、とても思えない(これは、もちろん褒め言葉です。)音でした。 JBL から、あれほどニュートラルな音を聴いたのは初めての体験でした。 まだ、チューニングの途中なそうで、さらにチューニングを進めれば、リラクセーションの表現は、さらに向上すると思いました。 よって、上の段落の JBL には、横線をひきました。 脱帽。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-16.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c12