2. 中川隆[-5804] koaQ7Jey 2017年11月28日 17:16:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2015-06-12
激しい差別と迫害の中でユダヤ人がサバイバルできた理由
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html
ヨーロッパを流浪する民族「ロマ」は、地域社会に同化せず、独自の文化を頑なに守り続けて今もヨーロッパ社会の底辺をさすらいながら問題を起こしている。
(1000年も「ロマ」と共生できないのに多文化主義など絵空事)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150610T0603560900.html
ところで、ヨーロッパには、このロマと同じく毒蛇のごとく嫌われた流浪の民族もいる。ユダヤ民族である。
ロマが流浪していたのは自らの意思だったが、ユダヤ人が流浪していたのは、国を失ってどこに定住しようとしても排斥されたからだ。
キリスト教社会の中にあって、イエス・キリストを殺した民族として新約聖書に記されたユダヤ人は、キリスト文化が続く限り迫害の対象になる運命だった。
ユダヤ人の流浪は1948年5月14日にイスラエルという国が建国されるまで続いてきた。いや、イスラエルができてもイスラム教徒と激しい闘争を繰り広げ、今もまだ流浪していると言っても過言ではない。
イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿
新約聖書の物語は、イエス・キリストが奇跡を行う前半と、ユダヤ人に売られて十字架に張り付けにされる後半に分かれている。イエス・キリストが戦っていたのはユダヤ人だった。
ユダヤ人はイエス・キリストを告訴し、死刑にしろと叫び、実際に十字架に追いやった「主犯」だった。銀貨30枚でイエス・キリストを売り飛ばしたユダという男もまたユダヤ人だった。
「人類の救済者」という位置付けのイエス・キリストを迫害して死に追いやったのはユダヤ人だと、聖書は繰り返し述べているのである。
新約聖書は、イエス・キリストを挑発し、迫害するユダヤ人の姿でいっぱいだ。
そのキリスト教がローマ帝国の国教となり、そこからユダヤ人の受難が始まった。ユダヤ人は「イエス・キリストを殺した民族」として、どこに言っても迫害され続けたのである。
ユダヤ人は流浪するしかない民族となった。そして、どこを流浪しても迫害される民族となった。まさに「イエス・キリストの呪い」を受けた民族だったから、キリスト教徒にとってユダヤ人は許すことのできない敵だったのである。
この迫害は1000年以上も続いてきた。19世紀の東ヨーロッパで「ポグロム」という激しいユダヤ人虐殺が行われたが、このポグロムというのは「破壊」という意味のロシア語である。
「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。このユダヤ人排斥は組織的に、そして継続的に行われ、土地を追われたユダヤ人は、新天地を求めてさまよい続けた。
迫害の中で、悠々と屋根の上に登ってバイオリンを弾く英雄は現れなかった。こうしたポグロムの中で、6万人のユダヤ人が殺されたウクライナのリヴィヴ・ポグロムは写真でも記録されている。
ユダヤ人の老人を後ろから蹴り飛ばすウクライナ人。「ユダヤ人は殺してもいい」「ユダヤ人からは奪ってもいい」というのがポグロムだった。
資産家として成り上がって行くユダヤ人も多かった
ロマと共に迫害されていたユダヤ民族だが、ではユダヤ人が各地で極貧の身であったのかと言えば、実はそうではない。
もちろん、ユダヤ人ゲットーという隔離地に押し込まれて、まともな仕事を与えられない貧困のユダヤ人も多かった。しかし、それでもその地で資産家として成り上がって行くユダヤ人もまた多かったのである。
ユダヤ人がどこかに定住して自由にビジネスできるようになると、彼らは常にその地の民族を圧倒して富裕層になっていく。そして気が付けば、ユダヤ人が彼らを雇って主従関係が逆転するようなことにもなっていった。
ドイツでも18世紀にはユダヤ人のゲットー(隔離地)からロスチャイルドという一族が銀行業によって資産家に成り上がっていく動きがあった。
ウクライナでもユダヤ人はその地域の富裕層として君臨し、ウクライナ人の上に立っていたのである。
このあたりは、流浪しながら窃盗や売春や胡散臭い占いビジネスで底辺を這い回っていたロマ民族とは、まるっきり立場も運命も違っていた。
ロマとユダヤのこの差はどこから生まれていたのか。
それは、まぎれもなく「教育」に対する姿勢であったと言われている。
ユダヤ人は「本の民族」であると言われている。迫害されても、貧困に落ちても、流浪の中の絶望にあっても、彼らは教育と書に対する熱意をまったく失わなかった。
モーセ五書を記した「トーラー」と呼ばれる書を子供の頃から教え、子供たちは旧約聖書を何度も何度も反復してそれを暗唱できるまで鍛え上げられた。
そして、激しい迫害の中で、どのように生きればいいのかを「タルムード」を通して教育されてきた。
ユダヤ人排斥の中で、人前で服を剥ぎ取られたユダヤ人の女性。どこに定住しても、ユダヤ人に対する迫害は止まることはなかった。
「迫害される環境から、いかに生き残るか」の書
ユダヤ人は、国もなければ安住の地もない。常に迫害され、差別され、時には略奪の対象とされて、築いてきたものは一瞬にして破壊された。
彼らは生き延びるために、土地にも財産にも共同体にも頼れなかった。頼れるのはただひとつ、サバイバルするための「頭脳」だけだったのである。
だから、教育は彼らの最大の武器であり、旧約聖書も、トーラーも、タルムードも、「迫害される環境から、いかに生き残るか」について微に細を入れて書かれていた。
ユダヤ人にとって本を読むというのは娯楽ではない。教育とはサバイバルだったのだ。本を読んで学ぶことが、ユダヤ人にとっては殺されるか生き残るかの苛烈な社会の中のサバイバルの指針だったのである。
だから、同じ流浪の民族であっても、ロマ民族と、ユダヤ民族は、その運命はまるで違っていた。
ユダヤ人は、外からふらりとやってきて底辺を這い回るのではなく、その頭脳によっていつしか富裕層に成り上がって現地の民族を支配する立場になっていく。
それが激しい恐怖を生み出し、宗教的な憎しみも加わって、激しい虐殺を生み出す元になっていったのだ。
東ヨーロッパで吹き荒れた「ポグロム」は、1930年代以降は自分たちの上に君臨する豊かなユダヤ人から奪うという歴史的な背景もあった。
異質な民族が自分たちの上に君臨して自分たちを支配することの恐怖も、ユダヤ人に対する過剰な虐殺の原因のひとつであったとしても不思議ではない。
ユダヤ人の武器である「教育」とは、それほどまで凄まじいものであったとも言える。
集団で暴行され、服を脱がされるユダヤ人女性。こうした「ポグロム」の後、ユダヤ人はナチスによる「ホロコースト」で民族虐殺に追いやられていった。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150613T0010550900.html
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