132. 中川隆[-6093] koaQ7Jey 2017年10月19日 15:53:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
保導連盟事件 韓国人が隠す犠牲者100万人の闇
事件の多くは米兵立会いのもとで起き、米軍も承認していた
http://www.ilbe.com/files/attach/new/20140625/377678/2616075466/3774345375/a24ea677d342d986c41d93d3be31be25.jpg
建国と同時に自国民を粛清
韓国建国と同時に、日本帝国の押さえが無くなった朝鮮人は、南北で戦争を始めただけでなく、互いに自国民を粛清した。
北朝鮮の金日成が自国民を弾圧したのは知られているが、南朝鮮も北朝鮮以上に自国民を弾圧しました。
弾圧を始めたのは38度戦以南を占領した在韓米軍で、北朝鮮を支持したり半島統一を主張する者が対象でした。
最初の弾圧は韓国建国前からで、1945年9月7日に連合軍がソウルを占領し、軍政実施を宣言するとすぐ反対運動が起きた。
1945年8月15日に天皇が停戦命令を発し、9月2日に降伏文書調印、9月6日に朝鮮総督府は「朝鮮民主共和国」独立を宣言しました。
日本軍は朝鮮を独立させることで影響力を残し、本土引き上げを円滑にすると共に、戦後も半島で権益を保持しようとした。
そうはさせまいとアメリカ軍はなんと建国翌日にこれを取り消し、朝鮮人たちは「新しい侵略者」を自分たちの敵と認識した。
日本時代には分断されていなかったのに、米軍とソ連軍が勝手に侵略し分割したとして、統一運動が起こりました。
半島統一運動=反米運動であり、1946年には物価高騰やコレラなど疫病蔓延、軍政への反発によって南朝鮮全土で反米暴動が起きました。
1946年10月1日には230万人が参加する反米暴動があり、占領軍は市民に発砲して百数十人がなくなりました。
済州島四・三事件から保導連盟事件へ
米軍が戦後ドヤドヤ乗り込んで来て軍事統制と弾圧をやり始め、経済は滅茶苦茶になり、疫病まで蔓延させました。
こうした反発から反米運動が南朝鮮に蔓延し、米軍は警察や軍隊、ヤクザやならず者まで動員して、反対派を襲撃させました。
事態が急激に悪化したのは1948年4月3日で、済州島の統一運動家らをアメリカ陸軍司令部が、ヤクザを使って襲撃させました。
続いて警察や治安部隊、軍隊も動員し、1957年までに島民30万人のうち8万人がなくなったと推測されています。
手に負えなくなったアメリカは南朝鮮を独立させる事にし、1948年8月13日に大韓民国を独立させ、親米運動家の李承晩を任命した。
李承晩は済州島での弾圧を米軍から引き継いで、島民が10分の1に減少するまで続けました。
だがこの済州島での弾圧ですら、その後韓国全土で行われる大弾圧の、最初の始まりに過ぎませんでした。
韓国を独立させるとアメリカは朝鮮半島への興味をすっかり失い、さっさと占領軍を引揚げてしまいました。
1950年6月25日に金日成の北朝鮮軍が38度戦を突破すると、韓国軍はあっという間に釜山まで追い詰められました。
韓国軍が撤退する最中に起こしたのが保導連盟事件で、住民を手当たり次第「スパイ」として粛清しました。
韓国軍は住民を捕まえてはスパイとして粛清した
引用:http://3.bp.blogspot.com/-HmeKhJ1Eudk/UVpZRGBdTkI/AAAAAAAAG2k/2zHK_P1nDHM/s1600/396.jpg
保導連盟事件で100万人以上が犠牲
朝鮮戦争では韓国側の民間人被害が67万人だが、保導連盟事件の犠牲者は100万人以上と言われています。
スパイ狩りにはまたしても米軍が関わっていて、多くのスパイ粛清を米軍は知っており、見て見ぬふりどころか立ち会っていました。
現存する写真の多くをアメリカ兵が撮影したが、つまり米兵は現場にいて事件に加担していた事になる。
朝鮮戦争の原因のひとつが、反米運動と米軍による弾圧、李承晩による済州島弾圧で韓国国民の反発が大きかったからでした。
北朝鮮軍が「解放者」として南に進軍すれば、南朝鮮の人達は一斉に蜂起すると、金日成は考えていたようです。
北朝鮮軍は6月25日に38度戦を突破し、9月始めには釜山周辺と済州島を除く全土を占領し、戦勝は確実と思われました。
僅かに残った釜山と済州島は在日米軍が守り、日本からの支援によってかろうじて防衛されていました。
李承晩による韓国本土でのスパイ狩りは、北朝鮮軍が侵攻した6月25日に開始され、手当たり次第住民を捕まえては、北のスパイとして粛清しました。
統一運動に参加したものや李承晩に反対したもの、反米運動に加わった者、親日家など誰でも対象にされました。
韓国政府は今日に至るまで事件を認めず、公式な統計もないが、100万人以上というのが定説になっています。
北朝鮮軍と李承晩から逃げ出した韓国人は日本に密航し、朝鮮戦争前後に20万人前後が渡航し、「在日韓国人」になりました。
アメリカ軍側には、米軍立会いの下で「スパイ」の刑執行が行われた記録が数多くあり、米韓は共謀して行っていました。
こうして朝鮮人は、アメリカ軍とアメリカが決めた無能な指導者のために、数年で全てを失い流民になった。
国民全員が無一文のホームレスになった韓国を助けたのが、またしても日本だったのだが、1952年に李承晩は竹島を侵略して自分の手柄にしました。
この時まだ自衛隊や警察予備隊はなく、米軍占領下だったので「侵略しても日本は反撃できない」と見越しての行動でした。
竹島占領後も日本は韓国への援助を続け、1960年代には日本の援助が国家予算の半分も占めていました。
李承晩は1960年で退陣するが、国内で済州島事件や保導連盟事件が追求され始めると、韓国政府と韓国マスコミは一斉に「従軍慰安婦」で騒ぐというカラクリになっています。
http://www.thutmosev.com/archives/73156663.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c132