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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100042
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[昼休み52] 老化しないための方法は、たったひとつの生活態度で良かった 中川隆
7. 中川隆[-6637] koaQ7Jey 2017年8月22日 14:53:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「運動は体に良いと言ったな。あれは嘘だ。」 高須賀 2017/8/22


運動は身体によいと思っている人もいるだろう。実はそれは真っ赤な嘘だ。


スポーツ健康法は幻想だ。データ上でも、激しい運動を行ったスポーツ選手の寿命は、一般的な寿命と比較して6〜10年ほど短いとされている。人生が80年と仮定すれば、スポーツマンはなんと一般人よりも一割も寿命が短いのである。

「それは極端な運動を行っている人の場合であって、ほどほどに運動している人は健康なんじゃないの?」

そう思う人もいるだろう。しかし残念ながら現実はそう簡単ではない。

データの上では、最も平均寿命が長いとされている人達は東洋の僧侶だ。彼らの生活の特徴は、激しい運動はせずに一日中座ってお経を唱えた生活を行い、かつ食生活は質素だという事があげられる。

この東洋の僧侶を現代の「適度な運動」をしているという人達と比較すると、あくまで傾向ではあるが長寿だという。

スポーツは体にわるい―酸素毒とストレスの生物学 (カッパ・サイエンス)
光文社 発売日1992/11
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実はかなり前から判明しているのだが大規模なデータを分析した結果、人間の寿命にもっとも作用するのは運動量と食習慣だという事がわかっている。他にもいろいろな要素はあるのだけど、この2つが最も人の寿命を左右する。

この2つの組み合わせのうち、最も健康で長生きなのは運動量が少なく・食事量も少ないグループだ。

ちなみに最も短命なのは、よく動き・よく食べる人である。一般的には健康だと思われている彼らだが、実は検討上は最も短命な軍に所属しているという事がわかっている。

ハチも過労死する。

この運動量と寿命の関係は、人間のみならず他のほとんどの動物でも影響がみられる事がわかっている。有名なのはミツバチの過労死である。

このミツハチの過労死のエピソードは以下のような事例により明らかとなった。

ハウス栽培農家では、受粉作業の効率化の為にミツバチを用いる事がある。

もともと自然界でミツバチは、蜜を集めるという行為の過程で体中に花粉がまとわりつくようになっており、この事で雌しべから雄しべに花粉を効率よく運ぶという役割を副次的にではあるが遂行している。

まったく自然というのは実にうまくできているものである。この作業をハウス栽培という人口で作られた環境で行わせることで、植物の受粉作業を極めて円滑に行う事ができるというわけだ。

当然だけど、普通の農家はミツバチなんて所有していない。蜂蜜製造業者である、養蜂家から、受粉の作業の時期にだけミツバチをレンタルして、この受粉作業をミツバチに代行させるのである。

この作業が行われていた当初の頃、養蜂家も「まあ減るもんじゃないし、一時的にミツバチを貸しても構わないだろう」と好意的にミツバチのレンタルをしていたそうである。

だが徐々に養蜂家の間で「農家にミツバチを貸し出すと、ミツバチが早死にする」という事が経験則として蓄積されていき、だんだんとミツバチ・レンタルを渋るようになっていったのである。

「どういうわけだがわからないが、ハウス栽培場に送り込まれたミツバチは早死するらしい」

この事が広く知れわたるにつれ、ミツバチの早死現象は極めて関心深い現象として専門家の間で話題となった。原因について様々な憶測がされたのだが、最終的に導き出された結論は1つだった。過労である。

人だけでなく、ミツバチも過労死するのだ。

実はミツバチに限らず、自然界でも動きすぎによる身体破壊の問題はかなり広範にみられる。

例えばチーターは非常に早いスピードで走れる事が知られているが、その高負荷により年老いた個体はかなりの割合で関節に問題を抱えている事が多い事が知られている。運動で膝を悪くするのも、人間だけの特権?ではないのだ。

激しい運動は、人間だけでなく、全ての生物にとって毒なのである。

寿命に大きく影響するのは運動量、食事量、睡眠時間の3つ

では長寿に最も何が関係するのかが気になる人もいるだろう。一応、科学的に大切だといわれているのは、これまで話した運動量以外に2つわかっている。食事量と睡眠時間である。

先にも少し書いたが、食事量は多いよりも少ないほうがよいといわれている。特に大切だと言われているのが炭水化物の摂取量だ。

これは実は先行研究がされている。東大の医学部を卒業し東北大学で教鞭を取られていた近藤 正二 氏は、長寿者の多い村と少ない村との衛生学的比較調査研究の為に、日本全国くまなく、990カ町村以上を歩き続け、現地探訪の記録をまとめ上げられている。

その研究は著書である<日本の長寿村・短命村―緑黄野菜・海藻・大豆の食習慣が決める>に詳しいのだけど、端的にいうと、塩辛いものを食べて炭水化物をどか食いするタイプの人が多い村は、その他のグループと比較して著しく寿命が短かったのである。

昨今糖質制限ダイエットがブームだが、その理論の骨子となるような事例は近藤正ニ氏によりかなり詳細に調べられている。少々古い本だが、ぜひ図書館で借りるなどして読むとよいだろう。素晴らしい名著である。

他にも睡眠時間も結構重要なファクターだ。僕らの医療業界でも、外科系の医師はその他の医療従業者と比較して、寿命が10年程度短くなるといわれている。

これは長時間勤務の問題もあるが、それに加えて夜中の緊急呼び出しなどという、睡眠時間が不規則になる傾向が左右しているという風に一般的には理解されている。

その他にも速報を扱う事の多い就労時間の不安定な新聞記者等のマスコミ関係者も、定時で終了するような就労時間が安定した職についている人と比較すると、かなり寿命が短い傾向にあるらしい。

作家の佐々木俊尚さんによると、新聞社の社会部に所属する記者の平均睡眠時間は2時間で、死亡平均年齢は61.3歳だという。なんと日本人の平均寿命よりも10年以上も短い。

<参考 職業で寿命が決まる!? 新聞記者時代の睡眠事情【ジャーナリスト・佐々木俊尚】>

やっぱり規則正しい睡眠は最高の妙薬であり、寝ないのは駄目なのである。

こうして眺めてみると、健康で長生きな生活をおくるにあたって特別な機材や習慣は必要ない事がわかるだろう。

あなたがどういう風な人生を選びたいかにもよるけども、これら3つのパラメータを自分や子供の人生に適切に運用するように考えるのは、悪くはないだろう。

まとめると食事は炭水化物をあまり多く取りすぎず、激しい運動をあまり行わず、しっかり寝て身体にストレスをあまり与えないような生活をするのが、いまのところの長寿最適解である。

結局のところ多くの場合において病気を引き込むのは自分の選んだ生活習慣なのである。我々の業界ではよく予防は治療に勝るというけども、まさに上に書いた生活習慣こそが至上の人生戦略といえるだろう。しっかり参考にして欲しい。
http://blog.tinect.jp/?p=42446

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/860.html#c7

[昼休み52] 老化しないための方法は、たったひとつの生活態度で良かった 中川隆
8. 中川隆[-6636] koaQ7Jey 2017年8月22日 14:55:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

がん死亡率ワースト…やってはいけない青森県の不健康習慣 5 : 2015年11月18日

がん死亡率11年連続で1位の青森県。その原因になっている生活習慣はなんなのか?そこで青森県出身の記者ならではの視点で、何げなくやっている習慣をあげてみると、専門家から次々に指摘が!そんな、やってはいけない青森県の不健康習慣を紹介。

 

【朝からスープ一気飲み!ラーメン大好きな県民性】

とにかく青森県民はラーメンが大好き。県庁所在地を調査した総務省の『家計調査』(’13年)では、青森市が中華めんとカップめんの購入数量全国1位に。また、朝からラーメン店は、サラリーマンや主婦で満席。スープはほとんどの人が飲み干す。

 

「ラーメンのスープの塩分が気がかりですね。スープを最後まで飲み干すと、日本人の1日食塩平均摂取量11gの半分近く取ることに。がんや生活習慣病にとっていいはずがありません」(白澤抗加齢医学研究所所長・白澤卓二医師)

 

【病院に行くのが遅い】

「青森県のがんの発症率は全国平均とさほど変わりません。がん検診率も同じく、とりわけ低いワケではありません。それなのに、がん死亡率が高い。その要因のひとつは、転移もなく治療が期待できる『早期発見率』が43.6%の全国平均に比べて10ポイント近く下回っていることです。つまり、医療機関を受診したときには、症状がかなり進行した状態の人が多いのです。今後は、受診する機会を早めていく対策が求められています」(弘前大学医学部附属病院・松坂方士准教授)

 

【やめられない禁断の味。焼き魚に醤油ドバドバ〜】

青森市内の食堂では、焼き魚に醤油をドバドバかけ、真っ黒になった焼き魚でご飯をかっ込む人を多く見かける。

 

「青森県では脳卒中で亡くなられる方が多く、県を挙げての減塩運動をした結果、塩分摂取量は11.7gにまで減り、全国2位から15位に。それでも全国平均よりも高いので、県では塩分摂取量1日8gを目標として、塩分の代わりに県産食材でダシをとる“ダシ活”に力をいれています」(青森県庁のがん・生活習慣病対策課の嶋谷嘉英課長)

 

【日本一ソーセージを愛する人々】

実は、青森は一世帯当たりのソーセージの購入数量も全国トップ。ソーセージといえば、先ごろ、WHO(世界保健機関)がソーセージやハムなどの肉の加工食品を過剰に摂取すると、がんのリスクを18%高めるという調査結果を発表したばかり。

 

「共働きが多く、手軽に作れる加工品が好まれる土地柄です。総菜も揚げ物や肉類が多く脂っこいものが特徴です」(対策課の嶋谷課長)

 

【スナックで、ウイスキーを飲むのがたしなみ】

ソーセージと並んで意外なのが、ウイスキーの購入額も日本一の県だということ。

 

「ウイスキーはアルコール度数も高く、水割りやソーダ割りにすることでがぶ飲みしてしまうお酒。どうせならポリフェノールが豊富な赤ワインに切り替えたほうが見栄えもよくて健康的」(白澤医師)

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/860.html#c8

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
216. 中川隆[-6635] koaQ7Jey 2017年8月22日 15:11:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
長生きするのは温泉が一番


男性で国内最高齢の足寄町、野中正造さん(111)は、雌阿寒岳のふもとで約100年続く旅館「野中温泉」を支えてきた。足腰が衰えて車いす生活になった今も、時折温泉につかって体を温め、寒い冬を元気に過ごしている。

 野中さんは1905年7月25日生まれ。父増次郎さん(故人)は富山県から足寄町に入植し、13年に野中温泉を開湯した。長男の野中さんが経営を引き継いだが、温泉旅館だけでは生活できず、畑作や林業もしながら一家を支えた。

 現在は孫の祐子さんが旅館経営を引き継ぎ、ともに暮らす。猫3匹と犬2匹にも囲まれ、穏やかな日々だ。

十勝毎日新聞社ニュース
111歳 足寄の野中さん 男性国内最高齢に 2016年12月15日 14時01分


国内最高齢の男性となった野中さん。日課として新聞に目を通す(野中温泉別館で)

 足寄町茂足寄在住で、道内最高齢の野中正造(まさぞう)さん(111)が、国内最高齢の男性になったことが15日分かった。厚生労働省によると、これまで最高齢だった男性(112)が死去し、野中さんが男性長寿日本一となった。

 野中さんは1905(明治38)年7月25日生まれ。町内の野中温泉の創業者益次郎さんとキヨさんの長男として町上利別で生まれた。長年、畑作と兼業で同温泉を切り盛りしてきた。現在は同温泉で家族と暮らしている。道内では2013年から4年連続で男性最高齢になっている。

 厚労省によると、これまで男性最高齢だった東京都の吉田正光さんが10月29日、112歳で死去。都から同省に今月14日になって連絡があり、111歳の野中さんが最高齢になった。

 1日3回の食事をきちんと取り、新聞も毎日読むという野中さんは「長生きは温泉のおかげ。今後も時折湯につかり、元気に暮らしていきたい」と話した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0

野中温泉
http://www.minkoku.com/yado/top.php?yado_id=7
http://www.jiyujin.co.jp/onsen/onsen.html?hotel_id=264

北海道足寄郡足寄町茂足寄159
電話: 0156-29-7321


山の宿 野中温泉 - ホーム Facebook
https://ja-jp.facebook.com/Nonakaonsen/


http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c216

[昼休み52] 老化しないための方法は、たったひとつの生活態度で良かった 中川隆
9. 中川隆[-6634] koaQ7Jey 2017年8月22日 15:18:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

長生きするには温泉が一番


男性で国内最高齢の足寄町、野中正造さん(111)は、雌阿寒岳のふもとで約100年続く旅館「野中温泉」を支えてきた。足腰が衰えて車いす生活になった今も、時折温泉につかって体を温め、寒い冬を元気に過ごしている。

 野中さんは1905年7月25日生まれ。父増次郎さん(故人)は富山県から足寄町に入植し、13年に野中温泉を開湯した。長男の野中さんが経営を引き継いだが、温泉旅館だけでは生活できず、畑作や林業もしながら一家を支えた。

 現在は孫の祐子さんが旅館経営を引き継ぎ、ともに暮らす。猫3匹と犬2匹にも囲まれ、穏やかな日々だ。


十勝毎日新聞社ニュース
111歳 足寄の野中さん 男性国内最高齢に 2016年12月15日 14時01分


国内最高齢の男性となった野中さん。日課として新聞に目を通す(野中温泉別館で)

 足寄町茂足寄在住で、道内最高齢の野中正造(まさぞう)さん(111)が、国内最高齢の男性になったことが15日分かった。厚生労働省によると、これまで最高齢だった男性(112)が死去し、野中さんが男性長寿日本一となった。

 野中さんは1905(明治38)年7月25日生まれ。町内の野中温泉の創業者益次郎さんとキヨさんの長男として町上利別で生まれた。長年、畑作と兼業で同温泉を切り盛りしてきた。現在は同温泉で家族と暮らしている。道内では2013年から4年連続で男性最高齢になっている。

 厚労省によると、これまで男性最高齢だった東京都の吉田正光さんが10月29日、112歳で死去。都から同省に今月14日になって連絡があり、111歳の野中さんが最高齢になった。

 1日3回の食事をきちんと取り、新聞も毎日読むという野中さんは「長生きは温泉のおかげ。今後も時折湯につかり、元気に暮らしていきたい」と話した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0

野中温泉
http://www.minkoku.com/yado/top.php?yado_id=7
http://www.jiyujin.co.jp/onsen/onsen.html?hotel_id=264

北海道足寄郡足寄町茂足寄159
電話: 0156-29-7321


山の宿 野中温泉 - ホーム Facebook
https://ja-jp.facebook.com/Nonakaonsen/

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/860.html#c9

[昼休み52] 老化しないための方法は、たったひとつの生活態度で良かった 中川隆
10. 中川隆[-6633] koaQ7Jey 2017年8月22日 15:22:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

難病は温泉水を飲んで治そう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/730.html

癌はニンニクで治そう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/731.html

風邪は 強酸性温泉水 と ドクダミ茶(ジュウヤク) で治そう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/732.html


http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/860.html#c10

[昼休み52] 老化しないための方法は、たったひとつの生活態度で良かった 中川隆
11. 中川隆[-6632] koaQ7Jey 2017年8月22日 15:22:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

酒を飲むとバカになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/723.html

パンやラーメンを食べるとハゲになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html

サラダ油を使うと認知症になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/725.html

塩事業センターの食塩を使うとミネラル欠乏症になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/727.html

加工乳・低脂肪乳を飲むとガンになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/726.html

ホウレンソウを食べると癌、酸欠、発達障害、アルツハイマーになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/728.html

輸入肉を食べると癌になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/733.html

糖質制限を何年も続けると廃人になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/734.html

1日に3杯以上コーヒーを飲むと失明する
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/736.html

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/860.html#c11

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
217. 中川隆[-6631] koaQ7Jey 2017年8月22日 15:25:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

難病は温泉水を飲んで治そう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/730.html

癌はニンニクで治そう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/731.html

風邪は 強酸性温泉水 と ドクダミ茶(ジュウヤク) で治そう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/732.html

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酒を飲むとバカになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/723.html

パンやラーメンを食べるとハゲになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html

サラダ油を使うと認知症になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/725.html

塩事業センターの食塩を使うとミネラル欠乏症になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/727.html

加工乳・低脂肪乳を飲むとガンになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/726.html

ホウレンソウを食べると癌、酸欠、発達障害、アルツハイマーになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/728.html

輸入肉を食べると癌になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/733.html

糖質制限を何年も続けると廃人になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/734.html

1日に3杯以上コーヒーを飲むと失明する
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/736.html

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c217

[政治・選挙・NHK231] 読売と産経の紙面を丸ごと使用、加計学園を擁護する宣伝!偏見報道と掲載!前川氏らを猛批判  赤かぶ
2. 中川隆[-6630] koaQ7Jey 2017年8月22日 15:29:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

前川喜平は何故 安部をそんなに憎んでデマまで流したのか

事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団

この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html


天下り官僚に翻弄される私大の悲惨

文部科学省の前事務次官の前川喜平がどのようなことをしてクビになったかを記事を読めばわかりますが、天下り官僚を引き受けた私立大学がどんな食い物にされているかがわかります。天下り官僚は悪知恵だけが働く悪賢い人材の集団であり、文部科学省ではそれが組織化されていた。

最近になって少子化で大学進学者が減っていくのに大学だけはどんどん新設されてきたのは、天下り官僚の引受先だからだ。大学教授や理事に天下るわけですが、天下り官僚を引き受ければお土産がついてくる。それが全国の大学にばらまかれるわけですが、それが天下り官僚の懐に入る。

日本全国に大量に作られた新設大学は、Fラン大学となり学生集めにも苦労することになる。都心にある一流有名大学なら学生集めも苦労しないでしょうが、一時は都心のキャンパスを売り払って郊外に移転する大学が相次ぎましたが、大学生の評判が悪くてまた都心に戻ってくる大学が多くなりました。

地方では大学生集めに苦労して、中国やベトナムなどからの留学生の引受先になっている。留学生といってもアルバイトに出稼ぎに来ている留学生であり、どのような勉強をしているのだろうか。私がいた頃もそうなのですが、大学は学問の墓場であり、大学という産業で学生たちを食い物にしている。

昔は利口だから大学に進学しましたが、今では利口でないから大学を出て学歴で就職に有利にしようとしている。腐敗堕落しきった大学に行って何を学ぼうとしているのでしょうか。腐敗した大学教授から学べば腐敗した大学生になるだけであり、そんな大学なら進学しないほうがいい。

大伽藍に名僧無しと言いますが、大キャンパスに名教授無しであり、主だった大学のポストは天下り教授に占拠されて、いいように食い物にされてしまう。週に一コマ程度の講義をするだけで年収は2500万円だ。5年勤めて退職金が3000万円だそうですが、いくつもの大学を渡り歩けば5億円もの収入だ。

つまり大学に進学して、霞ヶ関の官僚になり、天下って私のような人物になれと大学生に教育しているのだろうか。中にはやり手の天下り官僚もいて、大学の移転絡みで建設費用から数億円抜いた天下り官僚もいたようだ。森友騒動でも校舎建設で建設補助金がピンはねされて事件になりましたが、このような話はいくらでもあるのだろう。

年々大学の授業料が高騰してきていますが、学生たちは奨学金ローンを借りて学費を払っている。大学を卒業するまでには最低500万円はかかるからそれだけ借金を抱えて卒業する。そこまでして払った学費は天下り官僚の懐に入っていく。有意義な講義をしてくれれなそれでいいのでしょうが、天下り官僚にそれほどの学識があるわけない。
http://2013tora.jp/kabu391.html

2017.8.18 天下り官僚に翻弄される私大の悲惨


日本の学歴ヒエラルキーの頂点に立つ東京大学。官僚などが大学で教鞭をとる形などでの天下りは有名だが、官僚の天下り問題や、旧帝大から私大への天下り的な再就職に批判を続けている元大学教授に話を聞いた。(フリーライター 光浦晋三)


私大を渡り歩いて5億円を荒稼ぎ!
天下り官僚に食い物にされる私大

 元東大教授よりも破壊力が強いのが官僚だ。官僚時代は数百億円の予算を動かしていただけに金銭感覚がズレすぎているという。私大には文科省、経済産業省、財務省など多くの官僚が天下りし、教授の座に収まっている。

「“渡り鳥稼業”の天下り役人は会議の欠席はザラなうえ、仕事の知識もない。仕事は部下に任せてゴロゴロしているだけ。それでも年俸は最低2500万円。さらに5年勤めて退職金が3000万円。これで3〜5つの大学を渡り歩いて計5億円は稼ぎます」

 もっとも何もしないのならマシな部類で、元官僚と悪徳教授が手を組み、大学を食い物にするケースも多々あるそうだ。濱野氏がいた都内の女子大では40億円が消えたこともあったという。

「彼らが株式や投資信託を駆使してマネーロンダリングをやったようですが、証拠が出なかった。また、翌年に取り壊しが決定していた校舎の大規模修繕に3億をつぎ込み、さらに塗装で1億2000万円と、計4億2000万円を無駄遣いしたことも。すぐに跡地に新しいビルを建てるところまで計画済みで、旧ビルでどんなインチキがあったのかはウヤムヤになってしまった。巧妙に証拠が残らない工作だけは一流のため、追跡調査もできなかった。もちろん大学の事務職などは真相を知っていましたが、黙殺したまま。ヘタに口にしようものなら簡単に左遷されてしまいますからね」

 別の学校ではこんなケースも。

「もっとひどいのは、研究業績が大学院生ほどもないクズ教授を学長に仕立て、自分は定年のない常務理事のポストに就いた天下り官僚がいました。さらに、部課長などの大学の要職を、仲間や部下で固め、付属の建物の増改築で稼ぐなど好き放題だった。さらに、法人側の私立学校法違反事項を目ざとく見つけると、理事長選で教授会をけしかけ、当主を追い出し自分が理事長の座に座り、そのまま学園を乗っ取ったヤツもいた。都内有数の伝統校でしたが、その後は、学問はそっちのけとなり、今では生徒の確保にも困るほど疲弊してしまいました」

 悪質な実例はまだまだあるという。

「今時、わざとド田舎にキャンパスを購入し、引っ越さなくてもいい学部の建物まで建てて都内一等地のキャンパスを売却し、その取り壊しとキャンパス移転で数十億を着服する天下りもいました。ゼネコンのリベートで稼いだんです。その大学は生徒集めに窮し、今は中国やベトナムからの留学生で細々と命脈を保っていますが、近々、倒産の噂も聞こえてきます。もちろん、天下り役人はその前にいなくなるでしょうね」

 悪徳教授や官僚を受け入れる私学の側にも落ち度があるとの指摘もあるが、濱野氏はそれは違うという。

「教授会が天下り官僚は採りたくないと考えていても、彼らは巧妙に法人側の上席ポストを占めてしまう。そうなれば、自動的にかつての役所の部下を雇いこむルートができてしまうんです。大学が悪いのではなく、行列を作って乗っ取りに来る方が悪いんです」

 今年3月、松野博一・文部科学大臣は、省庁退職者が許認可や補助金の支出対象である大学や財団に再就職することを当面自粛すると明らかにしたが、果たして実効力がどれだけあるのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。
http://diamond.jp/articles/-/137283


http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/167.html#c2

[リバイバル3] アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた 中川隆
18. 中川隆[-6629] koaQ7Jey 2017年8月22日 16:33:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年08月22日
弾道ミサイル飛来の「可能性」で有事立法は発動するか

1995年の阪神大震災で自衛隊はほとんど住民の救助をしなかった。
その理由は誰も自衛隊に命令しなかったから、出動する根拠が無いというものだった。
引用:http://www.mod.go.jp/msdf/hanshin/about/saigai/img/shinsai1.jpg

冷戦の実態

ソ連との冷戦時代にはこんな予想があり、北海道にソ連軍が上陸し日本占領に取り掛かったが、自衛隊は道路使用許可を取れずに出動できない。

ソ連は自衛隊基地がある地元警察署をまず空襲し、陸上自衛隊は戦車(重量オーバー)などの通行許可を得る事ができなくなる。

出動できるのは大型トラック以下の重量の車両だけで、しかも道路を占有して対空ミサイルを設置するには別の許可証が要る。


警察署の許可を取っても戦車が発砲すると必然的にどこかの建物や家屋に命中し破損するので、戦車の操縦士は器物破損罪などで逮捕される。

不幸なことに笑い話ではなく現実であり、敵の軍隊が攻撃し日本に上陸しても、陸上自衛隊は出動できないし戦う事もできなかった。

なので政府と自衛隊はなるべく海上と空でソ連軍を撃退するよう特化し、特に航空自衛隊は当時世界最強で非常に高価な、F-15やE-2Cを導入して鉄壁の防御を敷いた。


海上自衛隊も対潜哨戒機P-3Cを110機も導入し、米本土周辺より密度の高い哨戒活動を行っていた。

何しろソ連軍が1000人も北海道に上陸したらお手上げなので、上陸前に打撃を与え絶対に上陸されないというのが防衛方針だった。

これが日本の冷戦の実態で、もし上陸を許したら在日米軍も含めて、役所の書類手続きが間に合わないので陸上自衛隊は戦闘できなかった。


「有事の際は道路使用許可などは不要」という有事法制(有事関連法)が成立したのは小泉時代の2003年で、それまで58年間誰も日本本土を守っていなかった。

それでもソ連が日本を攻撃しなかったのは、日本を攻めたら在日米軍と戦闘になり、アメリカと戦争に突入するからでした。

ケネディ大統領時代に「アメリカの同盟国に対する攻撃はアメリカへの攻撃と同じである」と宣言され、長い間暗黙の了解になっていた。

ただし日米安保条約ではアメリカは日本を守るとは書かれていないので、戦争になったら逃げ出しても条約違反ではない。

実戦では反撃できない法体系

小泉首相が有事立法を成立させたのは2001年の同時多発テロがきっかけて、9.11が無ければ成立は困難だった。

日本がテロの標的になる可能性が強調され、一時的な「危機ブーム」では在ったが上手くこれを利用した。(安倍首相よりこういう事が上手かった)

またこの頃は北朝鮮の不審船事件などで、現実に敵国の特殊部隊が日本に上陸していたのも発覚していた。


さて現在日本では北朝鮮の弾道ミサイル攻撃を受ける可能性が指摘されているが、ソ連軍上陸とは違った問題を含んでいる。

ソ連軍はまず自衛隊基地を空襲し、ついで上陸させるので戦闘の開始が明白であり、従来の有事立法でも良かった。

だが北朝鮮の弾道ミサイルはいつ攻撃してくるか分からず、発射しないと思っていたら東京に水爆が飛んでくるかも知れない。


従来式の「総理が有事を宣言し、防衛大臣が命令し、防衛省から自衛隊に、最終的に各部隊に命令する」という手続きではまったく間に合わない。

第一、発射された弾道ミサイルが日本海に落下するか、新潟や秋田市内に落下するか、着弾してみないと分からない。

やっと整備した有事法制だったが、今の時代には既に時代遅れになっている感がぬぐえない。


これを象徴する事件が2011年の東日本大震災で現実になり、北沢防衛大臣は「まだ命令していない」という理由で一度出動した自衛隊機を基地に戻させ、あとで処分していました。

同じ事は1995年の阪神大震災でも起き、近所の住民を救助するため出動したが、同じ理由で帰還させ命令違反で処分されている。

という事は当然、突然外国の軍隊が奇襲してきても、総理大臣や防衛大臣の命令がないまま反撃したら、反撃中止を命令され自衛隊員は処分されます。


もし総理大臣がミサイル破壊措置命令を出していない時に、北朝鮮や中国が日本の都市を攻撃しても、自衛隊は撃墜できないのです。

あまりに時代錯誤で無責任ではないだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/72259781.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html#c18

[リバイバル3] アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた 中川隆
19. 中川隆[-6628] koaQ7Jey 2017年8月22日 16:36:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年08月09日 福島原発事故検証 電源車はなぜ役に立たなかった?

写真では放水車が入っているが、3月11日には周辺が土砂や瓦礫で覆われていた
土砂を除去して電源車を接続したが津波で受電設備が故障していた。
引用:http://cdn-st1.rtr-vesti.ru/p/o_500864.jpg


電源車は空輸できなかった

2011年3月11日の東日本大震災に伴う津波によって福島第一原発事故が発生したが、事故原因は冷却ポンプを動かす電源が止まった事でした。

原発は発電所のくせに、稼動停止すると外部から電気を供給して貰わない限り、最終的に冷却不能になる。

通常は外部の火力発電所から電力を供給していたが、津波でケーブルなどが破損して電力が途絶えました。

          

福島原発には各原子炉に1基ずつ自前のディーゼル発電機が有ったが、津波をかぶって全て使用不能になった。

せめて建物の上に設置すれば水没しなかったが、全て屋外の地上に設置してあった。

そのような場合の為に非常用バッテリーが用意してあるが、数時間しかすべての冷却ポンプを稼動できなかった。


バッテリーはすぐに空になるのが分かっていたので、次に電源車で電力を供給してもらおうという事になった。

地震当日には「電源車が電力を供給するから問題ない」とニュースは繰り返し報道していた。

ところがどうした訳か電源車は遅々として現場に届かず、やっと届いたが電源の規格が違う別の電源車を届けてしまったと報道された。


冷却されないまま原子炉は過熱し、水素を放出し、建屋内に水素が充満して圧力に耐え切れなくなり、水素爆発を起こした。

それが有名な3月12日の爆発で、全世界にテレビで生中継されていました。

翌日になってやっと火力発電所とケーブルでつながり、冷却用ポンプは再稼動したが、電源車は最後まで役に立たなかった。


受電設備は埋まっていた

今回はその電源車がどうして現場に届けられず、また届いた電源車が役に立たなかったのかという話です。

実は東京電力と自衛隊では地震発生直後に連絡を取り、電源車を輸送する準備をしていました。

地震直後に東電は自衛隊幹部に直接電話し救援を求め、自衛隊でも大型ヘリCH47Jで空輸を検討したが、重量が重すぎて不可能と分かった。


在日米軍にも当時約10トンの発電機を空輸可能な大型ヘリはなかったが、皮肉にもこれは後に「反原発派」になる人達が大型ヘリは侵略兵器だと言って、わざわざ小型ヘリにさせた経緯があった。

自衛隊は官邸に無断で東電清水社長を名古屋から東京に空輸したが、これを知った北沢防衛相と枝野幹事長は激怒し、なんと羽田に着陸寸前だったのを名古屋に引き返させた。

これで東電の対応は5時間は遅れてしまい、社長が東京に着いたのは0時を回った翌日だった。


管首相は「東電から連絡が来ない」と激怒し始めたが、実は幹事長や防衛長官や自分自身が東電の活動を妨害していた。

交通網は大混乱し、迅速に輸送できるのは自衛隊だけなのだが、自衛隊と東電が直接電話連絡するのを禁止し、必ず官邸を通すよう命令した。

そして自衛隊が東電の指示で活動するのも禁止し、官邸を通すよう命令したが、これが事態を悪化させていった。


多忙の管首相に連絡を取るだけで時間がかかり、承認を得るために何人もの了承が必要で、一つの許可を得るのに数時間を要した。

電源車69台が福島原発に向かい、11日午後7時には最初の電源車が陸路で第一原発に到着した。

ヘリで空輸できたかどうかは、実は原子炉建屋爆発とは関係がなかったのでした。


東電清水社長が東京に来るのを妨害し、自衛隊の東電支援も禁止したのは、この男だった。
「自衛隊の独自行動はクーデターだ」とまくし立てたと言われている。
74309646
引用:http://art17.photozou.jp/pub/927/191927/photo/74309646.jpg


政府が自衛隊出動を禁止した

政府の発表は二転三転し、最初は「接続ケーブルを忘れてきた」と言い、次に規格が合わない別な電源車を持ってきたと言い、東電と自衛隊をバカ呼ばわりした。

だが実際には電源車は正しい物だったしケーブルも有ったのだが、津波の為に「差し込み口」が瓦礫と土砂で埋まっていた。


厚さ数メートル、距離数十メートルに渡って土や瓦礫や残骸などあらゆる物が堆積し、すべて除去しなければケーブルを接続できなかった。

自衛隊は土砂の撤去を始めたが手作業なので遅々として進まず、建屋内に水素が充満して危険な状況になった。

3月12日の午後3時についに、2号機に電源車を接続するのに成功したが、海水に浸かったせいで配電盤そのものが故障し、送電できないのが分かった。


直後の午後3時36分に1号機建屋が水素爆発を起こして電源車が破損したため接続を断念、火力発電所から送電するしかないと分かった。

電源車自体が結局無駄であり、最終的には何の役にも立たなかったのだが、現場が全力を尽くした結果それが分かった。

水素爆発の原因は北沢防衛相と枝野幹事長が、東電清水社長を乗せた自衛隊機を羽田に着陸寸前でUターンさせたため、ベントの判断が遅れたからでした。


北沢、枝野、管の言い分では政府の指示を受けずに自衛隊機が民間人を乗せるのは自衛隊法違反であり、なおかつシビリアンコントロールに反している。

自衛隊は地震を利用してクーデターを起こそうとしており、今後一切東電と電話すらしてはならないというものだった。

法律上はそうだが非常事態であり、こんな時に憲法理念やシビリアンコントロールを盾に自衛隊の出動を禁止したのだった。


責任を逃れた3悪人

地震後数分で出動した自衛隊は、この事件の後は官邸から命令を受けた後でしか動かなくなり、後手後手を踏むようになる。

東電清水社長は地震翌日0時を回った後で東京に到着し、それから会議をして政府に水素放出(ベント)したいと報告した。

ところがこの時既に官邸は、12日朝に管首相がヘリで福島第一原発視察を決定していて、首相が視察するのに水素放出なんかとんでもないと却下した。


管首相は3月12日朝7時過ぎにヘリで第一原発を視察し、その後東電はベントしようとしたが、既に圧力が上がりすぎてバルブが動かず、圧力を下げられなかった。

もはや全てが手遅れで、午後3時36分に1号機建屋が水素爆発し、続いて3基の建屋も連続して爆発した。

最初の爆発に驚いてベント作業が中断し、4基の原子炉建屋すべてが爆発するまで作業ができなかった。


吉田所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。

菅直人首相は「ボクは原発の事は良く分かっている」と言い、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。

しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電が妨害した事にし、「東電が東電が」と騒いでいました。


この後管首相は「東電が・・・」と嘘の発言を繰り返して、自分の責任を逃れ、福島第一原発の吉田所長に罪をなすりつけた。

東電社長を追い返して事故原因を作った枝野幹事長は、爆発で放射能を放出しているのに「ただちに放射能漏れは無い」と有名な発言を残した。

犯人の1人である北沢防衛相も責任を認めず、2016年に旭日大綬章を受章している。
http://www.thutmosev.com/archives/72108913.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html#c19

[番外地7] 支配層は被支配者を教育で洗脳し、メディアを使って支配層が望む方向へ誘導していく 中川隆
3. 中川隆[-6627] koaQ7Jey 2017年8月22日 16:40:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

東大出身の人間が経営に関わり出すと組織が崩壊する
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/761.html

東芝を破綻寸前に追い込んだ「日本の病」 _ 米国に足元を見られる理由とは?
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/774.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/279.html#c3

[昼休み53] 豊洲市場「空洞」騒動の真実 _ なぜ、デマやウソが阿修羅掲示板を席巻してしまうのか? 中川隆
21. 中川隆[-6626] koaQ7Jey 2017年8月22日 16:51:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年8月22日
【藤井聡】「小池知事・AI発言」の謎を解く 〜「隠蔽」を「隠蔽」し続ける小池炎上劇場〜
https://38news.jp/politics/10971

From 藤井聡@内閣官房参与(京都大学大学院教授)

(1)小池炎上劇場を作り上げる「小池さんなら正しいハズ」という思い込み
7月の東京都議会選挙で吹き荒れた「小池劇場」は「都民ファーストの会」の空前の圧勝をもたらしました。その勢いは未だ衰えず、小池知事の後ろ盾の下「国民ファーストの会」が設立され、その影響は国政にも及びつつあります。

その様相はまさに「炎上」そのもの。

今の日本の政治はこうした「炎上」で動いている──という状況を描写した佐藤健志さんとの対論本 『「炎上」・日本のメカニズム』 (https://www.amazon.co.jp/dp/4166611283)では、炎上というものを、次のようなものとして定義しました。

『炎上とは、特定の「物語」を皆が共有し、その「物語」が正しいハズ──と信ずることにした大衆が、互いに刺激し合いながら、拡大的・爆発的にその「物語」に沿った言動を繰り返していく現象』

つまりそれは、「イェーーイ!!」と盛り上がる「パーティ・ピープル」達の様なもので、人々は特に何かをよく考えて政治的な発言をしているのではなく、単なる「ノリ」や「空気」で、特定勢力を支持したりディスったりする、と言う次第。

そして、今回の「小池炎上劇場」で共有された「物語」とは、

「小池さんなら正しいハズ」

という至ってシンプルなものでした。

(2)「正しいハズの小池さん」が、決定プロセスを「隠蔽」していた!
しかしそれは単なる「ハズ」のものなので、必ずしも「真実」と一致するとは限りません。結果、どうしてもツジツマが合わなくなることも生じます。

その典型が、次の一件でした。

『小池知事 「私が決めたから」市場移転に関する文書残さず』
https://mainichi.jp/articles/20170811/k00/00m/040/057000c

小池知事は、自ら「凍結」した豊洲市場への移転について、本年6月に「豊洲に移転する」と同時に「築地を再開発する」という方針を決定しました。言うまでもなくこの決定は、何千億円という血税が関わる「非常に重みのある重大行政決定」。

一方でこれまで小池知事は、石原都政等でのいわゆる密室行政を激しく批判してきました。つまり「正しいハズの小池知事」は、「不透明な行政の闇」を暴き立てる「正義のヒロイン・ジャンヌダルク」のように振る舞い、世論の期待に大いに応えてきたのです。

(それはまさに「♪過去の記憶を糊塗したところで、見極められないジャンヌダルク♪」(作詞:適菜収『豊洲の女』より)。だったわけですね)
http://amzn.asia/3Xz2IwB

だから、「正しいハズの小池知事」は、今回の重大な行政決定においても、透明性を確保していた「ハズ」なのですが──その決定は全て密室で下され、そのプロセスについて何の文書もないということが(情報公開請求を通して)バレてしまったのです。

これを受けて、毎日新聞では『数千億円規模の巨大プロジェクトの最終判断が「密室」で下され、その資料も存在していないという。知事が改革の「一丁目一番地」とする情報公開も軽視された形だ。』と批判。

何といってもそもそも、小池知事は「豊洲市場の地下に盛り土をしないと決定するまでの議論が文書化されていなかったことは問題」としていたわけで、その認識に基づいて『6月7日閉会の都議会定例会に、重要なことは決めた経過も文書で明らかにすることなどを定めた「公文書管理条例案」を提案。条例案は可決され、方針公表直後の7月1日に施行されている』わけですから、小池知事はどれだけ批判されても致し方ありません。

これまで、他人の「隠蔽」に対して目くじらを立てていた小池知事が、「豊洲移転・築地再開発」という重要な行政決定のプロセスを「隠蔽」したのですから、これぞまさに巨大ブーメラン。世論から総バッシングされても不思議ではない状況に至ったわけです。

(3)「正しいハズの小池さん」が「私=AI」などと、滅茶苦茶な事を言いはじめた
実際、小池知事は記者会見でこの件について追求されます。記者会見で記者が、今回の「情報の隠蔽」の問題について詰め寄ります。

しかし──これに対して小池知事は何とも奇妙な返答をします。この質問に対して彼女は、
何と「それはAIだからです」と、何とも摩訶不思議な回答をしたのです。

その時の彼女の発言を全文掲載しましょう(http://blogos.com/article/240074/)。

『ご質問でございますけれども、情報というか、文書が不存在であると、それはAIだからです。私があちこち、それぞれ外部の顧問から、それからこれまでの市場のあり方戦略本部、専門家会議、いろいろと考え方を聞いてまいりました。いくら金目がかかるかということについては、関係局長が集まった会議で、既にA案、B案、C案、D案と各種の数字が出てきております。よって、試算については既に公表されているものがあります。

最後の決めはどうかというと、人工知能です。人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます。回想録に残すことはできるかと思っておりますが、その最後の決定ということについては、文章としては残しておりません。「政策判断」という、一言で言えばそういうことでございます。』

このやりとりを見て、「なるほど、そういうことか!」と納得できる方はほとんどいないでしょう──ですがあえて解釈するとするなら、次のようになります。

そもそもAIは人工的に作り出した知性ですから、そのオリジナルは単なる知性。その点を踏まえると、要するに、『私は優秀な頭脳を持っており(通常AIが模写しようとする知性は優秀なものに決まっています)、その優秀な頭脳が、様々な情報を適切に処理して、合理的な判断を下したのです」と答えたわけです。

これを、「情報公開という知事の方針に逆行するという指摘があるかどうか?」という質問に対して発言したのですから、これはもう「私の判断は適切なのだから、手続き上の透明性がなくてもかまわない」と宣言したと解釈せざるを得ません。

まさに、滅茶苦茶の極み。

重要な行政決定は皆、文書化し、保存し、公開すべしという「公文書管理条例案」を提案していた彼女自身が、優秀な私だけはそんな条例に従う必要がない、と、自分が作った条例をゴミ箱に捨てる様な宣言をしてしまったからです。

「正しいハズの小池知事」が、こんな滅茶苦茶な発言をする「ハズ」がない──のですが、しちゃったのだから仕方ありません。ここまで滅茶苦茶な対応をしたのだから、やっぱり世論からバッシングが始まったとしても致し方ない状況へと、ますます小池知事は追い込まれていったわけですが──。

(4)「隠蔽」の「隠蔽」が横行。小池炎上劇場はまだまだ進行中。
しかし、小池さんはほとんどバッシングされていません。

ネット上で一部批判はされていますが、未だに彼女に対する高評価状況が続いています。

なぜかと言えば──その理由は、「認知的不協和」理論という社会心理学理論で解説することができます。

そもそも、ツジツマが合わない事実が明らかになり、「認知的な不協和」を経験した人は皆、その不協和を低減させるために様々な対応を(必死で!)図る事が知られています。

『「炎上」・日本のメカニズム』(https://www.amazon.co.jp/dp/4166611283)で整理しましたが、「不都合な事実」に対する代表的な「ごまかし方」は以下の三つ。

(1)その事実がそもそも「無かった」ことにする(スルー戦略)。
(2)その事実が「ウソ」であるということにする(それはデマだ!作戦)
(3)そんな事実はたいした問題じゃ無いということにする(そんなのカンケーネー!作戦)

さて、今回の「文書無し事件」はどうやっても事実は事実。ですので「それはデマだ!」作戦を採用するのは無理です。

一方、「そんなのカンケーネー!」作戦はもちろん採用可能です。実際、小池知事の「AI発言」は、「私は優秀な頭脳(AI)なんだから、記録を残すかどうかなんてカンケーネー!」という「オッパッピー」発言だったわけですから、彼女自身が「そんなのカンケーネー!」作戦を採用したわけです。

とはいえ、小池知事はこれまで「情報公開すべし!」と主張し、知事としてその条例まで作ってしまってるのですから、この作戦を小池知事が採用するのは筋ワルとしか言いようがありません。

実際、小池知事を支援した人々も含めて、皆が「困惑」してしまいます。
http://www.sankei.com/politics/news/170815/plt1708150045-n1.html

そうなるともう、残された方法は「スルー作戦」しかありません。

だから、小池知事もその支持者も、また、各種メディアも、小池知事についての「他の発言」をことさら取り上げ続け、かの小池知事の「情報隠蔽」も「AI発言」も無かった事にし続けていくわけです。

今、メディア、ネット上で見られる小池知事を巡る情報配信は(直接彼女の隠蔽体質を批判するもの以外は)全て、最もシンプルなゴマカシ作戦である「スルー作戦」の一環だったのです。

これぞ、全体主義の時に横行する「隠蔽」。

今、小池知事本人やその周辺の「隠蔽体質」が、メディアや世論総ぐるみの全体主義的な圧力によって「隠蔽」されようとしているのです。

こんな事を続けていて、まともな行政が進められるはずはありません。このままではオリンピックの主催をはじめとして東京都政はこれから大いなる混乱に見舞われることは不可避でしょう。

心ある読者の皆様は是非、こうした「隠蔽の構造」が「小池炎上劇場」において明確に存在することを冷静に認識頂きたいと思います。

その上で、都政について(そして、大阪や名古屋を含めたあらゆる大都市自治において)適切なご判断を下して頂きたいと思います。

追伸:あらゆる「劇場型政治」の背後にある「炎上」の構造にご関心の方は是非、こちらをご一読ください。https://www.amazon.co.jp/dp/4166611283

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/541.html#c21

[政治・選挙・NHK231] <サンデー毎日> 剛腕健在なり 自由党共同代表・小沢一郎が語る/下 「政権奪還論」 「安倍1強」はこうして粉砕!  赤かぶ
3. 中川隆[-6625] koaQ7Jey 2017年8月22日 20:35:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
小沢は中国共産党の指示通りに動いているだけだからね:


そもそも小沢と民主党は、マニフェストを前面に打ち出して2009年に政権の座についたのに、そのマニフェストはまったく実行されなかった。「マニフェストは国民との契約」と言っていたにもっかかわらずそうなのである。

国債を発行しないも嘘だった。増税しないも嘘だった。高速道路無料化も嘘だった。最低賃金を上げるも嘘だった。埋蔵金を発掘して財源とするというのも嘘だった。天下りを許さないというのも嘘だった。暫定税率を廃止するというのも嘘だった。内需拡大して景気回復するというのも嘘だった。ガソリン税廃止するというのも嘘だった。

それでいて、朝鮮人学校無償化、人権侵害救済法案、外国人住民基本法、夫婦別姓、外国人地方参政権等には真剣に取り組み、野田佳彦に至っては福島復興をおざなりにしながら2011年10月19日には韓国との通貨スワップを5兆円に拡大していた。

小沢の様な日本をないがしろにして売国する政治家に国民は我慢の限界に達しており、2012年12月の解散総選挙で民主党は政権の座から転落した。


2009年から2012年まで小沢・鳩山と民主党が仕掛けていた異常なまでの円高によって日本の株価は低迷を余儀なくされていたが、これは安倍政権になってから是正されてやっと株価も上昇するようになり、日本は最悪期を脱した。

民主党政権が存在していなかったら異常な円高はなかったわけで、リーマン・ショックによる株価の落ち込みも早期に回復し、日本の景気も早い段階で立ち直っていたはずだ。

しかし、この小沢・鳩山と民主党政権の地獄の3年間で日本の雇用は大幅に失われ、活力も失われ、株価も回復せず、景気も落ち込んだままだった。

小沢・鳩山と民主党のせいで、中国や韓国に技術も国富も毟り取られ、国内の重要機関も乗っ取られ、日本という国の対外的な信頼も地位も失われ、日本は崩壊寸前となってしまっていた。

小沢・鳩山と民主党の「円高放置政策」が日本経済を駄目にした元凶だったのだが、売国政党である民主党がこの失策を日本国民に謝罪したことは一切ない。


日本の本来の国力以上に、円は強くなりすぎていた

ところで、円高については本来であれば1990年代のバブル崩壊時に是正されて然るべきだったが、そうならなかった。日本はバブル崩壊して国の実力が落ちたのだから、本来は円安になるべきだったのである。

にも関わらず、円だけはずっと円高を志向しており、日本の本来の国力以上に円は強くなりすぎていた。

だから、日本の輸出企業は海外で価格競争力を喪失し、中国や韓国に工場を作るしかなくなり、そのせいで雇用ばかりか技術も盗まれて、日本企業が一気に衰退するきっかけとなった。

中国・韓国の台頭は、日本企業の技術が盗み放題だった1990年代から2000年代に起きていた。

当時の日本企業は、国内に設備投資すれば円高で価格競争力に負け、国外に設備投資すれば技術を盗まれて価格競争力に負けるという状況に陥っていたのだ。

そのせいで日本の衰退は止まらなかったが、にも関わらず円高は加速していった。

円高で日本が苦しんでいると知った小沢と民主党政権は、日本破壊を成し遂げようとでも思ったのか、アクセルを踏んで円高に向かわせたのだった。

小沢・鳩山と民主党はマスコミでも円高誘導を行い、お抱えのジャーナリストには「円は50円になる」「円は10円になる」「円高で日本は復活する」と叫ばせて、日本の経営者を絶望させることさえもしていた。

日本の銀行や保険会社や郵政が、馬鹿のひとつ覚えのように日本国債を買い支えたので、それも円の下落を防いで円高を促す原因にもなった。

安倍政権によってやっと金融緩和が行われて円安になっていったが、これがなければ日本企業は完全に息の根を止められていたことになる。日本は間一髪で助かった
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/172.html#c3

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
118. 中川隆[-6625] koaQ7Jey 2017年8月22日 21:05:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-08-22 反日工作を放置しておくと、やがて日本人の人権も抹殺される


中国・韓国・北朝鮮は、今やなりふり構わず、日本を貶める動きを全方位に、徹底的に、執拗に、展開している。

すでにこの特定アジア三ヶ国は、日本を明確に敵として認定し、日本を叩きのめそうと悪意を持って仕掛けてきている。これは、戦争行為と言っても良い。

中国・韓国・北朝鮮は、すでに日本に敵対しているのである。

これらの反日国家は日本を敵として認識して動いているのだが、逆に日本人には中韓友好や自虐史観を押し付けて敵対させないようにしている。

このような現実は、ここ数年で多くの若者がインターネットで知るようになった。

インターネットでは、すでに反日国家に乗っ取られたメディアによる露骨な偏向報道はさんざん指摘されている。そして、いよいよこの偏向報道に対抗する動きも出てきた。

たとえば、「放送法順守を求める視聴者の会」などは、その先頭に立っていると言える。

(「放送法順守を求める視聴者の会」)
http://housouhou.com/

高齢層が反日メディアに操られて洗脳されていく

「放送法順守を求める視聴者の会」は、いかにマスコミが偏向しているのかを意見広告を新聞に載せて、日本のマスコミの偏向ぶりを世に知らしめようとしている。

これは非常に重要な動きであると言える。偏向が為されていることを、新聞に情報を頼っている高齢層に届けようとしているからだ。

何としてでも、インターネットを使うことのない高齢層に、情報が届かなければならないのだ。

テレビや新聞は、今やインターネットが使えない高齢層の御用達のメディアとなっている。長い時間をかけて中国・韓国・北朝鮮の工作員がこのメディアを押さえてしまった。

だから日本のテレビや新聞は「反日メディア」と化してしまい、反日の記者が跋扈し、反日のコメンテーターが毒々しいコメントを垂れ流し、反日の知識人がうろつくような吐き気を催すような世界と化したのだ。

そして、世界でも類を見ない超高齢化社会の日本で高齢層が洗脳されたままとなっており、偏向報道にやられっぱなしになっている。

一部の賢明な高齢層はもちろん、マスコミが安っぽいアジビラみたいになってしまったのに気付いているが、ほとんどの高齢層は、まだ何も気付いていない。

未だにテレビや新聞が中立だと思っているし、まして中国・韓国・北朝鮮が敵国になったという自覚もない。子供のように素直にテレビや新聞を信じている。

韓国の工作員どもに乗っ取られたテレビ局は、繰り返し繰り返し韓流だとかいう韓国礼賛を高齢者に見せて洗脳させ続けてきた。

洗脳を甘く見てはいけない。いったん洗脳されると、自分が洗脳されたと気付いても抜けられないのである。

(17年経っても消えないマインド・コントロールの恐ろしい手口)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/06/20120621T1717000900.html


そのため、根深い洗脳から脱することができない手遅れの高齢者もいる。


今の日本は、敵を敵と言うことすらもタブーだ

こういった害悪のあるメディアに洗脳された高齢者が、中国・韓国・北朝鮮が敵対化した危険な国家であるという認識がすっぽりと抜ける。

そして、「隣国だから仲良くしないといけない」とか「相手が納得するまで謝り続けなければならない」みたいなことを言う人間に誘導されて、本当にそう思い込んでしまうのである。

中国・韓国・北朝鮮が、日本を敵と認定して激しい反日工作を仕掛けているのに、それを自覚していない高齢者が山ほどいる。これがどれだけ危険なことなのか分かるはずだ。

今の状況では、中国・韓国・北朝鮮の工作員の誘導するがままに高齢層が操られる。

このような状況の中、反日国家に対抗しようとする日本人はまだまだ少ない。彼らが日本にとって危険な存在になっていることに気付いても、どうしていいのか分からずに右往左往しているだけだ。

それに比べて、中国・韓国・北朝鮮の反日は、国そのもので組織的に動いている。日本人がまったく組織化されていないにも関わらず、彼らは徹底的に組織化された効率的なグループで動いているのだ。

客観的に状況を見ると、今の「烏合の衆」のままでは、日本人は中国・韓国・北朝鮮の反日工作に飲まれて負けていくのは確実だ。

日本人は政治的な民族ではない。これは民族的な気質だから仕方がないのだが、その弱点を突かれ、どんどん日本の中枢を食い荒らされるがままになっている。

本来であれば、日本は反日言動をする中国・韓国・北朝鮮とは国交断絶をしなければならない時期にきている。

それなのに、政財界やジャーナリストを見て欲しい。まだ、誰ひとりとして「国交断絶」を訴える人間がいない。

これは異様なことではないだろうか。誰も正論を「言えない」のである。誰も守ってくれないからだ。叩かれるからだ。干されるからだ。孤立してしまうからだ。

今の日本は、敵を敵と言うことすらもタブーにされている。


「日本人に人権はない」ということになるのだ

日本人ひとりひとりが覚醒しなければならないときがきているのに、まったく覚醒できていないと言っても過言ではない。その結果、日本は追い詰められていく。

このまま放置していくと、侵略は静かに進み、日本の領土は奪われ、日本人は全員が反日国家に戦争犯罪者として認定され、「日本人に人権はない」ということになる。

これは日本人の誰もが他人事ではない。日本人すべてが当事者だ。私たちは日本人だというだけで、激しい憎悪にさらされて、どんどん追い詰められていく。

2012年の反日暴動で、中国人が「日本の男を見たら、すぐに殺せ! 日本の女を見たら、すぐに犯せ!」と煽っていたのはよく知られている。

(「日本の男を殺せ、日本の女を犯せ」と、中国で煽られている)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/09/20120918T1545000900.html

実際に、「日本人か?」と確認して、日本人だと分かったら殴ったり蹴ったりするような暴力を振るうようなケースも山ほどある。

大阪では、「生粋の日本人ですか?」と確認して高齢者を殺す狂った男まで出現した。

(「日本人を殺せ!」が、いよいよ実際の行動として表れてきた)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130523T1644000900.html


2017年8月22日には、東京世田谷区三軒茶屋のコンビニエンスストアで金輝俊(キム・フィジュン)という40歳の男が包丁を日本人女性の首に突き立てて殺そうとする事件があったのだが、この男はツイッターで「日本人を大量虐殺する」と宣言する気の狂った人間のクズだった。(「金輝俊(キム・フィジュン)・ツイッター」で検索)

言うまでもなく、反日という感情は妥協のない憎悪なのである。それは日本人を差別し、日本人を殺すことを正当化する。対馬から仏像を盗んでも、靖国神社に小便を垂れ流しても、仏像を叩き壊しても、すべて正当化される。

これほどまで危険が目に見えているのに、まだ何も知らないフリをするつもりなのだろうか?

敵を敵と客観的に認識すらもできないのだから、このまま推移すると、どれほど日本人の立場が悪くなっていくのか想像するのも恐ろしい。


言うまでもなく、反日という感情は妥協のない憎悪なのである。それは日本人を差別し、日本人を殺すことを正当化する。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/08/20170822T1800270900.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c118

[番外地7] 中国・韓国・北朝鮮の工作員がマスコミを押さえてしまった

2017-08-22 反日工作を放置しておくと、やがて日本人の人権も抹殺される

中国・韓国・北朝鮮は、今やなりふり構わず、日本を貶める動きを全方位に、徹底的に、執拗に、展開している。

すでにこの特定アジア三ヶ国は、日本を明確に敵として認定し、日本を叩きのめそうと悪意を持って仕掛けてきている。これは、戦争行為と言っても良い。

中国・韓国・北朝鮮は、すでに日本に敵対しているのである。

これらの反日国家は日本を敵として認識して動いているのだが、逆に日本人には中韓友好や自虐史観を押し付けて敵対させないようにしている。

このような現実は、ここ数年で多くの若者がインターネットで知るようになった。

インターネットでは、すでに反日国家に乗っ取られたメディアによる露骨な偏向報道はさんざん指摘されている。そして、いよいよこの偏向報道に対抗する動きも出てきた。

たとえば、「放送法順守を求める視聴者の会」などは、その先頭に立っていると言える。

(「放送法順守を求める視聴者の会」)
http://housouhou.com/


高齢層が反日メディアに操られて洗脳されていく

「放送法順守を求める視聴者の会」は、いかにマスコミが偏向しているのかを意見広告を新聞に載せて、日本のマスコミの偏向ぶりを世に知らしめようとしている。

これは非常に重要な動きであると言える。偏向が為されていることを、新聞に情報を頼っている高齢層に届けようとしているからだ。

何としてでも、インターネットを使うことのない高齢層に、情報が届かなければならないのだ。

テレビや新聞は、今やインターネットが使えない高齢層の御用達のメディアとなっている。長い時間をかけて中国・韓国・北朝鮮の工作員がこのメディアを押さえてしまった。

だから日本のテレビや新聞は「反日メディア」と化してしまい、反日の記者が跋扈し、反日のコメンテーターが毒々しいコメントを垂れ流し、反日の知識人がうろつくような吐き気を催すような世界と化したのだ。

そして、世界でも類を見ない超高齢化社会の日本で高齢層が洗脳されたままとなっており、偏向報道にやられっぱなしになっている。

一部の賢明な高齢層はもちろん、マスコミが安っぽいアジビラみたいになってしまったのに気付いているが、ほとんどの高齢層は、まだ何も気付いていない。

未だにテレビや新聞が中立だと思っているし、まして中国・韓国・北朝鮮が敵国になったという自覚もない。子供のように素直にテレビや新聞を信じている。

韓国の工作員どもに乗っ取られたテレビ局は、繰り返し繰り返し韓流だとかいう韓国礼賛を高齢者に見せて洗脳させ続けてきた。

洗脳を甘く見てはいけない。いったん洗脳されると、自分が洗脳されたと気付いても抜けられないのである。

(17年経っても消えないマインド・コントロールの恐ろしい手口)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/06/20120621T1717000900.html


そのため、根深い洗脳から脱することができない手遅れの高齢者もいる。


今の日本は、敵を敵と言うことすらもタブーだ

こういった害悪のあるメディアに洗脳された高齢者が、中国・韓国・北朝鮮が敵対化した危険な国家であるという認識がすっぽりと抜ける。

そして、「隣国だから仲良くしないといけない」とか「相手が納得するまで謝り続けなければならない」みたいなことを言う人間に誘導されて、本当にそう思い込んでしまうのである。

中国・韓国・北朝鮮が、日本を敵と認定して激しい反日工作を仕掛けているのに、それを自覚していない高齢者が山ほどいる。これがどれだけ危険なことなのか分かるはずだ。

今の状況では、中国・韓国・北朝鮮の工作員の誘導するがままに高齢層が操られる。

このような状況の中、反日国家に対抗しようとする日本人はまだまだ少ない。彼らが日本にとって危険な存在になっていることに気付いても、どうしていいのか分からずに右往左往しているだけだ。

それに比べて、中国・韓国・北朝鮮の反日は、国そのもので組織的に動いている。日本人がまったく組織化されていないにも関わらず、彼らは徹底的に組織化された効率的なグループで動いているのだ。

客観的に状況を見ると、今の「烏合の衆」のままでは、日本人は中国・韓国・北朝鮮の反日工作に飲まれて負けていくのは確実だ。

日本人は政治的な民族ではない。これは民族的な気質だから仕方がないのだが、その弱点を突かれ、どんどん日本の中枢を食い荒らされるがままになっている。

本来であれば、日本は反日言動をする中国・韓国・北朝鮮とは国交断絶をしなければならない時期にきている。

それなのに、政財界やジャーナリストを見て欲しい。まだ、誰ひとりとして「国交断絶」を訴える人間がいない。

これは異様なことではないだろうか。誰も正論を「言えない」のである。誰も守ってくれないからだ。叩かれるからだ。干されるからだ。孤立してしまうからだ。

今の日本は、敵を敵と言うことすらもタブーにされている。


「日本人に人権はない」ということになるのだ

日本人ひとりひとりが覚醒しなければならないときがきているのに、まったく覚醒できていないと言っても過言ではない。その結果、日本は追い詰められていく。

このまま放置していくと、侵略は静かに進み、日本の領土は奪われ、日本人は全員が反日国家に戦争犯罪者として認定され、「日本人に人権はない」ということになる。

これは日本人の誰もが他人事ではない。日本人すべてが当事者だ。私たちは日本人だというだけで、激しい憎悪にさらされて、どんどん追い詰められていく。

2012年の反日暴動で、中国人が「日本の男を見たら、すぐに殺せ! 日本の女を見たら、すぐに犯せ!」と煽っていたのはよく知られている。

(「日本の男を殺せ、日本の女を犯せ」と、中国で煽られている)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/09/20120918T1545000900.html

実際に、「日本人か?」と確認して、日本人だと分かったら殴ったり蹴ったりするような暴力を振るうようなケースも山ほどある。

大阪では、「生粋の日本人ですか?」と確認して高齢者を殺す狂った男まで出現した。

(「日本人を殺せ!」が、いよいよ実際の行動として表れてきた)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/05/20130523T1644000900.html


2017年8月22日には、東京世田谷区三軒茶屋のコンビニエンスストアで金輝俊(キム・フィジュン)という40歳の男が包丁を日本人女性の首に突き立てて殺そうとする事件があったのだが、この男はツイッターで「日本人を大量虐殺する」と宣言する気の狂った人間のクズだった。(「金輝俊(キム・フィジュン)・ツイッター」で検索)

言うまでもなく、反日という感情は妥協のない憎悪なのである。それは日本人を差別し、日本人を殺すことを正当化する。対馬から仏像を盗んでも、靖国神社に小便を垂れ流しても、仏像を叩き壊しても、すべて正当化される。

これほどまで危険が目に見えているのに、まだ何も知らないフリをするつもりなのだろうか?

敵を敵と客観的に認識すらもできないのだから、このまま推移すると、どれほど日本人の立場が悪くなっていくのか想像するのも恐ろしい。

言うまでもなく、反日という感情は妥協のない憎悪なのである。それは日本人を差別し、日本人を殺すことを正当化する。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/08/20170822T1800270900.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/280.html

[番外地7] 中国・韓国・北朝鮮の工作員がマスコミを押さえてしまった 中川隆
1. 中川隆[-6624] koaQ7Jey 2017年8月22日 21:13:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

阿修羅住民の小沢崇拝は CIA が扇動したものだった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/701.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

反原発派は知恵遅れ
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

共謀罪批判は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/711.html

護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か _ 加計問題は CIA が扇動していた
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/280.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 売国政治家・御用学者 関係投稿リンク 中川隆
24. 中川隆[-6623] koaQ7Jey 2017年8月22日 21:14:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国・韓国・北朝鮮の工作員がマスコミを押さえてしまった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/280.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/461.html#c24
[リバイバル3] ヒグマ注意 中川隆
21. 中川隆[-6622] koaQ7Jey 2017年8月22日 21:29:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

〜ヒグマにエサをやらないで〜 
ソーセージの悲しい最期 知床ヒグマえさやり禁止キャンペーン企画映像 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QZxDmdXYytU


クマに8回襲われ生還の研究者 最も推奨する対処法
加賀谷直人 2017年5月21日15時09分


 日本ツキノワグマ研究所(広島県)の米田(まいた)一彦理事長(69)が

「熊が人を襲うとき」
https://www.amazon.co.jp/%E7%86%8A%E3%81%8C%E4%BA%BA%E3%82%92%E8%A5%B2%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%8D-%E7%B1%B3%E7%94%B0-%E4%B8%80%E5%BD%A6/dp/4864470987


を出版した。明治末期から現在まで起きたツキノワグマによる人的被害を分析、46年間の研究と8回クマに襲われた経験を生かし、独自の知見を加えた。

 米田さんは県自然保護課の職員時代、秋田市の太平山でツキノワグマを追跡調査し、退職後の89年に研究所を設立した。昨年、クマに襲われて4人が死亡した鹿角市十和田大湯の現場に長期間滞在して地形を調べ、加害グマの特定を進めた。

 執筆の資料として集めたのが、クマが生息する各県の地元紙の記事だ。活動期の4〜11月まで調べたところ、狩猟中を除き1993件の襲撃が起き、2255人が被害に遭っていた。

 こうした事故例を月別や発生場所、時間帯ごとに統計をとった。また、農作業、山菜採り、釣りなど被害者がどのような活動中に襲われたのか発生状況も取り上げ、どう対応して助かったのかにも触れた。

 クマに遭遇した時、賛否のある「死んだふり」について、米田さんは有効とする立場をとる。この方法で助かった十数例を取り上げ「うつぶせになって首を両手で守り、背中はザックで守るのが山に慣れていない人には最適」と指摘する。

 米田さんは、ラジオの使用は接近するクマの気配が分からないとして短期間でやめた。クマよけ鈴も音によって効果が違うという。最も推奨するのが、市販されているクマ撃退スプレーだ。自身も山を歩く時2本携帯する。本ではその理由も説明している。「本質的にクマは危険であり、積極的に人を襲う。死亡に至れば食害もあることを知ってほしかった」と言う。


amazon.co.jp 熊撃退スプレー スポーツ&アウトドアストア
https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dsporting&field-keywords=%E7%86%8A%E6%92%83%E9%80%80%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC+

クマ被害、なぜ?どうすれば? 狩猟のプロたちに聞きました 2017年06月25日


全国各地の猟友会員らが集った「ブナ林と狩人の会:マタギサミットinおぐに」=小国町・旧北部小中


 全国各地の猟友会員や野生鳥獣の有識者らが集う「ブナ林と狩人の会:マタギサミットinおぐに」が24日、小国町の北部地区で開幕した。山を知り尽くし、野生動物の生態にも精通した狩猟のプロらが一堂に会する機会。県内でクマの目撃や食害が相次ぐ中、各県の猟友会員に、増え続けるクマ被害の実態や注意点、遭遇時の対処法などについて聞いた。


手入れされない緑が増えた

 ▽小国町猟友会長 遠藤春男さん(68)「木を伐採するなど手入れがされなくなった緑(森林)が民家に近い場所に増えたことや、人里には柿や栗などおいしいものがあると親グマから子グマへと遺伝子レベルで伝えられていることが、目撃増加の要因と考える。

山に入る際、一般的にクマよけの鈴が効果的だと言われるが、高い音だとクマがイライラし、逆に襲われてしまうケースもある。

落ちている枝などで木の幹をたたく方が音が響くし、『人間が来たぞ』と知らせることができる。

クマと出くわしてしまったら、目をそらさずにゆっくりと後ろに下がること。背中を向けて逃げると追いかけてくる。山には複数人で午前中のうちに入ったほうが良い」


里山暮らしに慣れたクマも

 ▽秋田県北秋田市阿仁猟友会長 鈴木英雄さん(70)「人慣れ、車慣れし、里山での暮らしが染み付いたクマが出てきた。クマの生態が、マタギが昔から持つイメージとだいぶ違ってきており、大変な時代になってきたと感じる。

山菜やタケノコ取りで山に入った際に弁当やお菓子のごみ、ジュースの缶などを捨てると、クマが味を覚えてその場所にまた出てくる。山では食べ残しなどを捨ててはならない」


ラジオつけ続け人の存在伝える

 ▽福島県猟友会福島支部 丹野一好さん(66)

「山菜採りなどで複数人で山に入った場合、意図的でなく人間がクマを囲む形になることもある。(獣を囲みながら追い込んで捕らえる)『巻き狩り』に近い状態になり、クマが恐怖を感じて人間に襲いかかってしまう。

また山菜採りに夢中になりすぎると無言になり、クマに人間の存在が伝わらない。自分の存在を知らせるためにも、ラジオをずっとつけておくのが良い」


狩猟によって人との境界引く

 ▽長野県栄村猟友会 福原和人さん(55)「栄村では、春先から民家周辺に子グマが降りてきている。ここ2年ほどほとんど山に狩りに入れておらず、クマの『人間は怖い』という認識が薄れてきているからだと考える。

狩猟で山に入ることが、人間と野生動物の境界を引くことになる。(基本的に)クマは人間を恐れるもので、山に入る際には鈴やラジオなどで人間の存在を知らせれば、クマは自分から離れていく」


小国でマタギサミット

 同サミットは28回目で、同町での開催は3回目。県内各地のほか北海道や秋田県、兵庫県、長野県などから約150人が参加した。初日は兵庫県の野生鳥獣対策連携センターの上田剛平さんと、北海道の酪農学園大農食環境学群・環境共生学類の伊吾田宏正准教授が、シカとイノシシの効率的な捕獲技術や、群れの全滅などを目的とした狙撃体系「シャープ・シューティング」についてそれぞれ講演した。25日はパネル討議を行うほか、五味沢地区猟場を見学する。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/573.html#c21

[番外地7] 「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か 中川隆
22. 中川隆[-6621] koaQ7Jey 2017年8月22日 22:33:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「天下り」がダメなら…国家公務員の「現役出向」増加中
8/22(火) 20:41配信 朝日新聞デジタル

「現役出向」する国家公務員が増え、「天下り」の減少分を補っている


 政府系法人の常勤役員ポストに現役の官僚が出向する「現役出向」が増えている。退職した公務員による政府系法人への再就職(天下り)は、規制が本格化した2010年度からの6年間で53%減ったが、現役出向は逆に44%増えた。常勤役員の4人に1人が国家公務員経験者という構図は変わらず、現役出向が天下り規制の「抜け道」になっている。

 国家公務員が監督先の法人を再就職先にする天下りは省庁と法人の癒着を生み、税金の無駄遣いにつながるとして08年に規制された。現職の公務員が法人への再就職のあっせんや求職活動をすることは禁止されたが、現役出向はこうした規制の対象外とされた。

 内閣人事局などの公表資料を分析すると、天下りで政府系法人の常勤役員に就任した国家公務員OBは、規制後の10年度(270法人)が196人だったのに対し、16年度(259法人)は93人へと半減した。これに対し、現役出向で常勤役員に就いた国家公務員は10年度の193人から16年度は277人へと増えた。役員ポストに占める国家公務員経験者の比率は、10年度27%、16年度26%とほぼ横ばいだ。

 主な独立行政法人や特殊法人計90法人について朝日新聞が聞き取りなどで調べたところ、役員に就いた出向者約170人はほとんどが所管する省庁の幹部で、大半は50代だった。給与は多くが非公開だが、給与基準などによると年収1300万〜1500万円程度が中心とみられる。通勤手当などと合わせ、全て出向先の団体が支払う。天下りの時とほぼ同じ待遇だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170822-00000067-asahi-pol


天下り先「月2回勤務、年収1千万円」 国会どよめく
2017年2月7日21時25分ブックマーク

文部科学省の天下りの構図に関わる元事務次官ら


 文部科学省による「天下り」のあっせんについて、7日に開かれた衆院予算委の集中審議。前事務次官や仲介役OBへの追及から浮かんだのは、OBに厚遇ポストを与え、再就職の支援活動を組織ぐるみで下支えする違法な構図だ。

天下り仲介役、淡々と謝罪 違法性追及に言葉詰まる
文科省の天下り問題をまとめ読み

 「天下り」あっせんの仲介役だったのは、本省の人事課に通算15年以上の勤務経験がある嶋貫(しまぬき)和男氏(67)。職員の異動を担う任用班の事実上の責任者を務め、人事課企画官などを経て2009年に退職した。

 問題の一つとなったのは、顧問だった明治安田生命保険での嶋貫氏の待遇だ。嶋貫氏の処遇について、省内で「保険会社顧問に就任し、再就職支援業務をボランティアベースで行う」とする案がつくられた翌年の14年に就任した。

 民進党の小川淳也議員は、顧問報酬について「月2日勤務で1千万円か」と質問。嶋貫氏が「社に出向く回数は基本的にそう」「金額はその通り」などと答えると、委員や傍聴人からは「おお」「1カ月2回か」とどよめきが起きた。

 小川議員は、省内でつくられた…
http://www.asahi.com/articles/ASK275G1MK27UTIL03R.html?ref=yahoo
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html#c22

[政治・選挙・NHK231] 民主の崩壊:日本政治の右翼化が浮き彫りにするもの:左翼不在の超高齢化社会、その行く末は‥ 手紙
1. 中川隆[-6620] koaQ7Jey 2017年8月22日 23:00:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
中国人は情弱で何も知らないだけさ:


日本共産党はマッカーサーが創設した
http://www.thutmosev.com/archives/71957109.html#more

マッカーサーのこうした写真は全部ヤラセで、俳優のように何度もポーズを取っては撮り直した
引用:http://learnlearn.net/Historie,religion,kunst/res/Default/ESS_PasteBitmap02329.png


マッカーサーの歪んだ人格

連合軍総司令官として日本に乗り込んできたダグラス・マッカーサーには多くの知られていない逸話があり、その一つは事実上「日本共産党」の創設者だという事です。

日本共産党と名乗る団体は戦前から存在し、日本をソ連の植民地にするため活動していたが、非合法テロ組織という位置づけでした。

日本の統治者として君臨したマッカーサーには人格上の欠陥があり、『ニセ写真』作りを趣味にしていた。

         

硫黄島に米国旗を立てる写真とか、マッカーサーがフィリピンの海岸に上陸した写真などは全部”やらせ写真”でした。

マッカーサーは映画監督のように戦場で写真や動画撮影を指示し、気に入った構図で自分がヒーローに見えるように報道させていました。

厚木飛行場の輸送機からコーンパイプを咥えて降りてくる写真も、専属カメラマンに映画撮影のように撮影させました。


この時日本軍は武装解除されていたが、襲われるのではないかという恐怖心から、マッカーサーは小便を漏らしていました。

日本に到着してからも彼は、あらゆる写真で自分が格好良く見えるように撮影するため、専属の撮影スタッフを周囲に置いていました。

昭和天皇とマッカーサーが面会した有名な写真があり、マッカーサーは作業服のような軍服のズボンに手を突っ込んでいます。


正装ではなく平服で、胸のボタンを全部止めず、身体を斜めにして立っていたのも計算しつくした『構図』でした。

昭和天皇が自分よりかなり背が低いのが目立つように、昭和天皇を直立不動にさせ、自分がくつろいでいるように撮らせました。

当時新聞を統制していたのはGHQなので、新聞に掲載する写真も記事も、GHQが決めていました。


「マッカーサーが日本の支配者であって、天皇はこれほどみすぼらしい」と日本人に見せ付けて天皇を貶める目的でした。


GHQは何の根拠で日本を占領していたのか

マッカーサーについて70年間一度も議論されず、タブーになっている事は、実は正式な資格が無いのに日本を統治していたという事実です。

マッカーサーは連合軍司令長官だったが、一体何ゆえに日本の支配者となったのか、この根拠が曖昧なままなのです。

日本が1945年8月15日に停戦したとき「ポツダム宣言を受諾し、占領地を放棄する」と言いましたが、アメリカが日本本土を占領して良いとは誰も言っていません。


アメリカ大統領や国連事務総長、あるいは国連安保理が任命したからと言って「だから何?」という事です。

降伏したら占領されるのが当たり前という主張もあるが、それなら日本はロシアを占領できるし、朝鮮や中国の占領は正しかった事になります。

1945年9月2日に東京湾の米戦艦ミズーリ上で、連合国各国と日本代表団が日本の降伏文書に署名調印しました。


文書には連合国軍最高司令官の指示に基づき、日本政府は日本軍と日本国民を従わせると書かれているが日本占領には触れていない。

8月15日の玉音放送でも、9月2日の降伏文書でも連合軍が日本を占領できるとは書かれていない。

日本軍の武装解除については書かれているが、連合軍の日本占領には、天皇や他の誰も合意していない。


マッカーサーが小便を漏らしながら厚木飛行場に降りたのは8月30日、連合軍先遣隊が厚木に到着し武装解除したのは8月28日だった。

9月2日に降伏文書に調印し、9月15日にGHQ本部が日比谷に設置され、GHQによる日本統治が始まった。

だがマッカーサーは武装解除までは良いとして、一体どのような条約や合意に基づいて「日本占領」をしたのだろうか。


この写真も自分は立派に見え、天皇は「みすぼらしい小男」に見えるよう計算されている
mig


日本国憲法はアルバイトに書かせ脅迫して成立させた

法的根拠がないのに一介の軍人が日本を占領して独裁者になった事が、その後の日本の70年に大きな悪影響を与えた。

例えばマッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、政府が帝国憲法の改正案を示すと、これを拒絶して独自の憲法を創作させました。

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に命じて適当な憲法草案を書かせて、日本政府に無断で新聞に発表しました。


東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣は新憲法が非民主的だとして辞職し、マッカーサーは「もう一度東京を空襲してやろうか」と言って議会を脅迫しました。

日本人は新聞に書いてあるからには日本政府が作ったのだろうと思い込んだが、実際にはマッカーサーがアルバイトに書かせた落書きでした。

東京大学などの法学者もこのやり方に怒り、新憲法反対の立場を取ったが、GHQは反対するものを「戦争犯罪人」として逮捕していきました。


新憲法に反対するものは戦犯になり処刑されるか刑務所に入れられると分かり、反対する人間は居なくなりました。

こうしてできたのが現在の「日本国憲法」であり、日本人は一切関わっていないし、民主主義とは正反対の経緯で成立しました。

マッカーサーが日本を統治するために優遇したのが共産主義者で、特に逮捕歴がある共産主義者を好んで重用しました。


GHQを創設するとすぐに、共産主義者や反政府主義者を釈放させ、労働組合や政党を結成させました。

こうして誕生したのが日本共産党と日本社会党で、事実上GHQが合法化し創設したのです。

マッカーサーの意図は日本の「犯罪者」である天皇や旧時代の権力者に対抗させるため、反政府主義者に力を持たせる事でした。


マッカーサーの共産党優遇

マッカーサー自身は共産主義者ではなかったが、それ以上に日本の「右翼」を嫌っていたので、共産主義者を重用しました。

GHQは主要な新聞社に共産主義者を雇用するよう圧力を掛け、応じなければ事実上活動できなくしました。

こうして日本の新聞社やNHKの上層部は共産主義者や戦前の逮捕者、反政府主義者になり、今日まで続いています。


マスコミだけではなく銀行や企業にもこうした圧力が掛けられ、自動車で有名な「日産」などは特に酷かったとされている。

日産は戦前には三菱や三井以上の最大の財閥だったが、戦争に協力したとしてほとんど解体されました。

自動車生産も認められなかったが、朝鮮戦争勃発で軍事生産が必要になり、共産主義者を経営に参加させる条件でようやく認められました。


こうしたGHQの共産党優遇は1948年まで続いたが、1949年になると米ソ冷戦が始まり、米本国は日本を再軍備させる方針に突然変わりました。

その変化は急激なもので、それまで日本人をわざと飢えさせては笑いものにして楽しんだり、なるべく日本経済が破綻するように仕向けていました。

ところが1949年のある日から、本国は「日本軍を再結成させろ」「日本の産業を立て直せ」と命令してきました。


マッカーサーは最初本国からの指示を無視していたが結局従わざるを得なくなり、1950年には朝鮮戦争が勃発しました。

マッカーサーの間違いは誰の目にも明らかになり、その後アメリカは何度も日本軍を再建しようとしては、日本政府と対立する事になります。

この後日本ではマッカーサーの後遺症で反日カルト政党が大ブームになり、今も日本を破壊するために”日々努力”しているようです。


マッカーサーの占領下では日本を貶めたり日本を破壊する事が正しいとされ、日本の為に貢献する人は戦犯や右翼と決め付けられました。

マスコミは全てGHQの統制下にあったので「日本国民はマッカーサー様を心から慕っています」などの気持ち悪い記事が量産された。

北朝鮮の新聞が金正恩を褒めるのと同じで、これほど気持ち悪い事はない。


そして当時GHQの為に報道していた新聞やテレビは、当時の本当の事を決して話そうとしない。


http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/179.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 人口構造から、日本社会の保守化・右傾化を見る 手紙
1. 中川隆[-6631] koaQ7Jey 2017年8月22日 23:25:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
中国人は本質が理解できないから見当外れの事ばかり言ってるんだな。

日本人が反共になったのは農地改革からなのさ:


農地改革は当事者によればナチス・ドイツの世襲農場法も範とした反共政策として意図されており、政府や GHQ もその勢力拡大を警戒していた日本共産党の力を大幅に削ぐことになった。

従来、賃金労働者と並んで共産党の主要な支持層であった水田および畑作地の小作人の大部分が自作農、つまり土地資本を私有財産として持つようになり、その多くが保守系政党に取り込まれたためである

日本の農地改革

一般的には1947年(昭和22年)、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革を指す。

もともと日本の官僚の間には農村の疲弊を除くために地主制度を解体する案はもとよりあったが、財界人や皇族・華族といった地主層の抵抗が強く実施できなかったものをGHQの威を借りて実現したといえる。

1945年(昭和20年)12月9日、GHQの最高司令官マッカーサーは日本政府にSCAPIN-411「農地改革に関する覚書」を送り、「数世紀にわたる封建的圧制の下、日本農民を奴隷化してきた経済的桎梏を打破する」ことを指示した。これ以前に日本政府により国会に提案されていた第一次農地改革法はこの後GHQに拒否され、日本政府はGHQの指示により、より徹底的な第二次農地改革法を作成、同法は1946年(昭和21年)10月に成立した。

この法律の下、以下の農地は政府が強制的に安値で買い上げ、実際に耕作していた小作人に売り渡された。

不在地主の小作地の全て

在村地主の小作地のうち、北海道では4町歩、都府県では1町歩を超える全小作地
所有地の合計が北海道で12町歩、都府県で3町歩を超える場合の小作地等

また、小作料の物納が禁止(金納化)され、農地の移動には農地委員会の承認が必要とされた。

農地の買収・譲渡は1947年(昭和22年)から1950年(昭和25年)までに行われ、最終的に193万町歩の農地が、延237万人の地主から買収され、延475万人の小作人に売り渡された。

しかも、当時の急激なインフレーションと相まって、農民(元小作人)が支払う土地代金と元地主に支払われる買上金はその価値が大幅に下落し、実質的にタダ同然で譲渡されたに等しかった。

譲渡された小作地は、1945年(昭和20年)11月現在の小作地(236万町歩)の8割に達し、農地に占める小作地の割合は、46%から10%に激減し、耕地の半分以上が小作地である農家の割合も約半数から1割程度まで減少した。

この結果、戦前日本の農村を特徴づけていた地主制度は完全に崩壊し、戦後日本の農村は自作農がほとんどとなった。

このため、農地改革はGHQによる戦後改革のうち最も成功した改革といわれることがある。

一方で、水田、畑作地の解放は実施されたが、林野解放が行われなかったことから、不徹底であったとされる。

この農地改革を巡っては、施行されたばかりの日本国憲法の第29条3項(財産権の保障)に反するとして、一部の地主が正当な価格での買取を求め訴訟を起こしたが、第29条3項で言う正当な補償とは、市場価格とは異なるという解釈がされ請求は棄却された。

また、この農地改革は当事者によればナチス・ドイツの世襲農場法も範とした反共政策として意図されており、政府や GHQ もその勢力拡大を警戒していた日本共産党の力を大幅に削ぐことになった。

従来、賃金労働者と並んで共産党の主要な支持層であった水田および畑作地の小作人の大部分が自作農、つまり土地資本を私有財産として持つようになり、その多くが保守系政党に取り込まれたためである

(当時の共産主義諸政党の政策方針では集団化(農地は自給用の田畑のみがコルホーズの協同組合経営として認められ、残りはソフホーズとして国有化され、農業従事者は国から土地を借りて耕作するという形)を目指していたため)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%9C%B0%E6%94%B9%E9%9D%A9

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/182.html#c1

[リバイバル3] 難病は温泉水を飲んで治そう: 中川隆
16. 中川隆[-6630] koaQ7Jey 2017年8月23日 07:06:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

長生きするには温泉が一番


男性で国内最高齢の足寄町、野中正造さん(111)は、雌阿寒岳のふもとで約100年続く旅館「野中温泉」を支えてきた。足腰が衰えて車いす生活になった今も、時折温泉につかって体を温め、寒い冬を元気に過ごしている。

 野中さんは1905年7月25日生まれ。父増次郎さん(故人)は富山県から足寄町に入植し、13年に野中温泉を開湯した。長男の野中さんが経営を引き継いだが、温泉旅館だけでは生活できず、畑作や林業もしながら一家を支えた。

 現在は孫の祐子さんが旅館経営を引き継ぎ、ともに暮らす。猫3匹と犬2匹にも囲まれ、穏やかな日々だ。


十勝毎日新聞社ニュース
111歳 足寄の野中さん 男性国内最高齢に 2016年12月15日 14時01分


国内最高齢の男性となった野中さん。日課として新聞に目を通す(野中温泉別館で)

 足寄町茂足寄在住で、道内最高齢の野中正造(まさぞう)さん(111)が、国内最高齢の男性になったことが15日分かった。厚生労働省によると、これまで最高齢だった男性(112)が死去し、野中さんが男性長寿日本一となった。

 野中さんは1905(明治38)年7月25日生まれ。町内の野中温泉の創業者益次郎さんとキヨさんの長男として町上利別で生まれた。長年、畑作と兼業で同温泉を切り盛りしてきた。現在は同温泉で家族と暮らしている。道内では2013年から4年連続で男性最高齢になっている。

 厚労省によると、これまで男性最高齢だった東京都の吉田正光さんが10月29日、112歳で死去。都から同省に今月14日になって連絡があり、111歳の野中さんが最高齢になった。

 1日3回の食事をきちんと取り、新聞も毎日読むという野中さんは「長生きは温泉のおかげ。今後も時折湯につかり、元気に暮らしていきたい」と話した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0

野中温泉
http://www.minkoku.com/yado/top.php?yado_id=7
http://www.jiyujin.co.jp/onsen/onsen.html?hotel_id=264

北海道足寄郡足寄町茂足寄159
電話: 0156-29-7321


山の宿 野中温泉 - ホーム Facebook
https://ja-jp.facebook.com/Nonakaonsen/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/730.html#c16

[リバイバル3] スポーツをやっていると早死にする

「運動は体に良いと言ったな。あれは嘘だ。」 高須賀 2017/8/22


運動は身体によいと思っている人もいるだろう。実はそれは真っ赤な嘘だ。


スポーツ健康法は幻想だ。データ上でも、激しい運動を行ったスポーツ選手の寿命は、一般的な寿命と比較して6〜10年ほど短いとされている。人生が80年と仮定すれば、スポーツマンはなんと一般人よりも一割も寿命が短いのである。

「それは極端な運動を行っている人の場合であって、ほどほどに運動している人は健康なんじゃないの?」

そう思う人もいるだろう。しかし残念ながら現実はそう簡単ではない。

データの上では、最も平均寿命が長いとされている人達は東洋の僧侶だ。彼らの生活の特徴は、激しい運動はせずに一日中座ってお経を唱えた生活を行い、かつ食生活は質素だという事があげられる。

この東洋の僧侶を現代の「適度な運動」をしているという人達と比較すると、あくまで傾向ではあるが長寿だという。

スポーツは体にわるい―酸素毒とストレスの生物学 (カッパ・サイエンス)
光文社 発売日1992/11
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AF%E4%BD%93%E3%81%AB%E3%82%8F%E3%82%8B%E3%81%84%E2%80%95%E9%85%B8%E7%B4%A0%E6%AF%92%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E9%82%A6%E5%BD%A6/dp/4334060706?SubscriptionId=AKIAJJXNSRE3ZQJGHHRQ&tag=asyuracom-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4334060706


実はかなり前から判明しているのだが大規模なデータを分析した結果、人間の寿命にもっとも作用するのは運動量と食習慣だという事がわかっている。他にもいろいろな要素はあるのだけど、この2つが最も人の寿命を左右する。

この2つの組み合わせのうち、最も健康で長生きなのは運動量が少なく・食事量も少ないグループだ。

ちなみに最も短命なのは、よく動き・よく食べる人である。一般的には健康だと思われている彼らだが、実は検討上は最も短命な軍に所属しているという事がわかっている。

ハチも過労死する。

この運動量と寿命の関係は、人間のみならず他のほとんどの動物でも影響がみられる事がわかっている。有名なのはミツバチの過労死である。

このミツハチの過労死のエピソードは以下のような事例により明らかとなった。

ハウス栽培農家では、受粉作業の効率化の為にミツバチを用いる事がある。

もともと自然界でミツバチは、蜜を集めるという行為の過程で体中に花粉がまとわりつくようになっており、この事で雌しべから雄しべに花粉を効率よく運ぶという役割を副次的にではあるが遂行している。

まったく自然というのは実にうまくできているものである。この作業をハウス栽培という人口で作られた環境で行わせることで、植物の受粉作業を極めて円滑に行う事ができるというわけだ。

当然だけど、普通の農家はミツバチなんて所有していない。蜂蜜製造業者である、養蜂家から、受粉の作業の時期にだけミツバチをレンタルして、この受粉作業をミツバチに代行させるのである。

この作業が行われていた当初の頃、養蜂家も「まあ減るもんじゃないし、一時的にミツバチを貸しても構わないだろう」と好意的にミツバチのレンタルをしていたそうである。

だが徐々に養蜂家の間で「農家にミツバチを貸し出すと、ミツバチが早死にする」という事が経験則として蓄積されていき、だんだんとミツバチ・レンタルを渋るようになっていったのである。

「どういうわけだがわからないが、ハウス栽培場に送り込まれたミツバチは早死するらしい」

この事が広く知れわたるにつれ、ミツバチの早死現象は極めて関心深い現象として専門家の間で話題となった。原因について様々な憶測がされたのだが、最終的に導き出された結論は1つだった。過労である。

人だけでなく、ミツバチも過労死するのだ。

実はミツバチに限らず、自然界でも動きすぎによる身体破壊の問題はかなり広範にみられる。

例えばチーターは非常に早いスピードで走れる事が知られているが、その高負荷により年老いた個体はかなりの割合で関節に問題を抱えている事が多い事が知られている。運動で膝を悪くするのも、人間だけの特権?ではないのだ。

激しい運動は、人間だけでなく、全ての生物にとって毒なのである。

寿命に大きく影響するのは運動量、食事量、睡眠時間の3つ

では長寿に最も何が関係するのかが気になる人もいるだろう。一応、科学的に大切だといわれているのは、これまで話した運動量以外に2つわかっている。食事量と睡眠時間である。

先にも少し書いたが、食事量は多いよりも少ないほうがよいといわれている。特に大切だと言われているのが炭水化物の摂取量だ。

これは実は先行研究がされている。東大の医学部を卒業し東北大学で教鞭を取られていた近藤 正二 氏は、長寿者の多い村と少ない村との衛生学的比較調査研究の為に、日本全国くまなく、990カ町村以上を歩き続け、現地探訪の記録をまとめ上げられている。

その研究は著書である<日本の長寿村・短命村―緑黄野菜・海藻・大豆の食習慣が決める>に詳しいのだけど、端的にいうと、塩辛いものを食べて炭水化物をどか食いするタイプの人が多い村は、その他のグループと比較して著しく寿命が短かったのである。

昨今糖質制限ダイエットがブームだが、その理論の骨子となるような事例は近藤正ニ氏によりかなり詳細に調べられている。少々古い本だが、ぜひ図書館で借りるなどして読むとよいだろう。素晴らしい名著である。

他にも睡眠時間も結構重要なファクターだ。僕らの医療業界でも、外科系の医師はその他の医療従業者と比較して、寿命が10年程度短くなるといわれている。

これは長時間勤務の問題もあるが、それに加えて夜中の緊急呼び出しなどという、睡眠時間が不規則になる傾向が左右しているという風に一般的には理解されている。

その他にも速報を扱う事の多い就労時間の不安定な新聞記者等のマスコミ関係者も、定時で終了するような就労時間が安定した職についている人と比較すると、かなり寿命が短い傾向にあるらしい。

作家の佐々木俊尚さんによると、新聞社の社会部に所属する記者の平均睡眠時間は2時間で、死亡平均年齢は61.3歳だという。なんと日本人の平均寿命よりも10年以上も短い。

<参考 職業で寿命が決まる!? 新聞記者時代の睡眠事情【ジャーナリスト・佐々木俊尚】>

やっぱり規則正しい睡眠は最高の妙薬であり、寝ないのは駄目なのである。

こうして眺めてみると、健康で長生きな生活をおくるにあたって特別な機材や習慣は必要ない事がわかるだろう。

あなたがどういう風な人生を選びたいかにもよるけども、これら3つのパラメータを自分や子供の人生に適切に運用するように考えるのは、悪くはないだろう。

まとめると食事は炭水化物をあまり多く取りすぎず、激しい運動をあまり行わず、しっかり寝て身体にストレスをあまり与えないような生活をするのが、いまのところの長寿最適解である。

結局のところ多くの場合において病気を引き込むのは自分の選んだ生活習慣なのである。我々の業界ではよく予防は治療に勝るというけども、まさに上に書いた生活習慣こそが至上の人生戦略といえるだろう。しっかり参考にして欲しい。
http://blog.tinect.jp/?p=42446

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/746.html

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
218. 中川隆[-6629] koaQ7Jey 2017年8月23日 07:10:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

スポーツをやっていると早死にする
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/746.html
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c218
[政治・選挙・NHK231] 前川喜平・前文科事務次官が証言「加計学園獣医学部新設は、素人が説明・評価して進められた」(日刊SPA!) 赤かぶ
1. 中川隆[-6628] koaQ7Jey 2017年8月23日 07:13:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

前川喜平は何故 安部をそんなに憎んでデマまで流すのか


最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。

本当に恐ろしい世の中です。

既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。

まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。

これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。

本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。

事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団

この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html


天下り官僚に翻弄される私大の悲惨

文部科学省の前事務次官の前川喜平がどのようなことをしてクビになったかを記事を読めばわかりますが、天下り官僚を引き受けた私立大学がどんな食い物にされているかがわかります。天下り官僚は悪知恵だけが働く悪賢い人材の集団であり、文部科学省ではそれが組織化されていた。

最近になって少子化で大学進学者が減っていくのに大学だけはどんどん新設されてきたのは、天下り官僚の引受先だからだ。大学教授や理事に天下るわけですが、天下り官僚を引き受ければお土産がついてくる。それが全国の大学にばらまかれるわけですが、それが天下り官僚の懐に入る。

日本全国に大量に作られた新設大学は、Fラン大学となり学生集めにも苦労することになる。都心にある一流有名大学なら学生集めも苦労しないでしょうが、一時は都心のキャンパスを売り払って郊外に移転する大学が相次ぎましたが、大学生の評判が悪くてまた都心に戻ってくる大学が多くなりました。

地方では大学生集めに苦労して、中国やベトナムなどからの留学生の引受先になっている。留学生といってもアルバイトに出稼ぎに来ている留学生であり、どのような勉強をしているのだろうか。私がいた頃もそうなのですが、大学は学問の墓場であり、大学という産業で学生たちを食い物にしている。

昔は利口だから大学に進学しましたが、今では利口でないから大学を出て学歴で就職に有利にしようとしている。腐敗堕落しきった大学に行って何を学ぼうとしているのでしょうか。腐敗した大学教授から学べば腐敗した大学生になるだけであり、そんな大学なら進学しないほうがいい。

大伽藍に名僧無しと言いますが、大キャンパスに名教授無しであり、主だった大学のポストは天下り教授に占拠されて、いいように食い物にされてしまう。週に一コマ程度の講義をするだけで年収は2500万円だ。5年勤めて退職金が3000万円だそうですが、いくつもの大学を渡り歩けば5億円もの収入だ。

つまり大学に進学して、霞ヶ関の官僚になり、天下って私のような人物になれと大学生に教育しているのだろうか。中にはやり手の天下り官僚もいて、大学の移転絡みで建設費用から数億円抜いた天下り官僚もいたようだ。森友騒動でも校舎建設で建設補助金がピンはねされて事件になりましたが、このような話はいくらでもあるのだろう。

年々大学の授業料が高騰してきていますが、学生たちは奨学金ローンを借りて学費を払っている。大学を卒業するまでには最低500万円はかかるからそれだけ借金を抱えて卒業する。そこまでして払った学費は天下り官僚の懐に入っていく。有意義な講義をしてくれれなそれでいいのでしょうが、天下り官僚にそれほどの学識があるわけない。
http://2013tora.jp/kabu391.html


2017.8.18 天下り官僚に翻弄される私大の悲惨


日本の学歴ヒエラルキーの頂点に立つ東京大学。官僚などが大学で教鞭をとる形などでの天下りは有名だが、官僚の天下り問題や、旧帝大から私大への天下り的な再就職に批判を続けている元大学教授に話を聞いた。(フリーライター 光浦晋三)


私大を渡り歩いて5億円を荒稼ぎ!
天下り官僚に食い物にされる私大

 元東大教授よりも破壊力が強いのが官僚だ。官僚時代は数百億円の予算を動かしていただけに金銭感覚がズレすぎているという。私大には文科省、経済産業省、財務省など多くの官僚が天下りし、教授の座に収まっている。

「“渡り鳥稼業”の天下り役人は会議の欠席はザラなうえ、仕事の知識もない。仕事は部下に任せてゴロゴロしているだけ。それでも年俸は最低2500万円。さらに5年勤めて退職金が3000万円。これで3〜5つの大学を渡り歩いて計5億円は稼ぎます」

 もっとも何もしないのならマシな部類で、元官僚と悪徳教授が手を組み、大学を食い物にするケースも多々あるそうだ。濱野氏がいた都内の女子大では40億円が消えたこともあったという。

「彼らが株式や投資信託を駆使してマネーロンダリングをやったようですが、証拠が出なかった。また、翌年に取り壊しが決定していた校舎の大規模修繕に3億をつぎ込み、さらに塗装で1億2000万円と、計4億2000万円を無駄遣いしたことも。すぐに跡地に新しいビルを建てるところまで計画済みで、旧ビルでどんなインチキがあったのかはウヤムヤになってしまった。巧妙に証拠が残らない工作だけは一流のため、追跡調査もできなかった。もちろん大学の事務職などは真相を知っていましたが、黙殺したまま。ヘタに口にしようものなら簡単に左遷されてしまいますからね」

 別の学校ではこんなケースも。

「もっとひどいのは、研究業績が大学院生ほどもないクズ教授を学長に仕立て、自分は定年のない常務理事のポストに就いた天下り官僚がいました。さらに、部課長などの大学の要職を、仲間や部下で固め、付属の建物の増改築で稼ぐなど好き放題だった。さらに、法人側の私立学校法違反事項を目ざとく見つけると、理事長選で教授会をけしかけ、当主を追い出し自分が理事長の座に座り、そのまま学園を乗っ取ったヤツもいた。都内有数の伝統校でしたが、その後は、学問はそっちのけとなり、今では生徒の確保にも困るほど疲弊してしまいました」

 悪質な実例はまだまだあるという。

「今時、わざとド田舎にキャンパスを購入し、引っ越さなくてもいい学部の建物まで建てて都内一等地のキャンパスを売却し、その取り壊しとキャンパス移転で数十億を着服する天下りもいました。ゼネコンのリベートで稼いだんです。その大学は生徒集めに窮し、今は中国やベトナムからの留学生で細々と命脈を保っていますが、近々、倒産の噂も聞こえてきます。もちろん、天下り役人はその前にいなくなるでしょうね」

 悪徳教授や官僚を受け入れる私学の側にも落ち度があるとの指摘もあるが、濱野氏はそれは違うという。

「教授会が天下り官僚は採りたくないと考えていても、彼らは巧妙に法人側の上席ポストを占めてしまう。そうなれば、自動的にかつての役所の部下を雇いこむルートができてしまうんです。大学が悪いのではなく、行列を作って乗っ取りに来る方が悪いんです」

 今年3月、松野博一・文部科学大臣は、省庁退職者が許認可や補助金の支出対象である大学や財団に再就職することを当面自粛すると明らかにしたが、果たして実効力がどれだけあるのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。
http://diamond.jp/articles/-/137283

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/185.html#c1

[政治・選挙・NHK231] <ニュースワイドSAKIDORI> 小沢代表、安倍首相をメッタ斬り! 政治家、トップリーダーとして失格!国家が破滅する! 赤かぶ
1. 中川隆[-6627] koaQ7Jey 2017年8月23日 07:17:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本人が小沢を嫌う理由


そもそも小沢と民主党は、マニフェストを前面に打ち出して2009年に政権の座についたのに、そのマニフェストはまったく実行されなかった。「マニフェストは国民との契約」と言っていたにもっかかわらずそうなのである。

国債を発行しないも嘘だった。増税しないも嘘だった。高速道路無料化も嘘だった。最低賃金を上げるも嘘だった。埋蔵金を発掘して財源とするというのも嘘だった。天下りを許さないというのも嘘だった。暫定税率を廃止するというのも嘘だった。内需拡大して景気回復するというのも嘘だった。ガソリン税廃止するというのも嘘だった。

それでいて、朝鮮人学校無償化、人権侵害救済法案、外国人住民基本法、夫婦別姓、外国人地方参政権等には真剣に取り組み、野田佳彦に至っては福島復興をおざなりにしながら2011年10月19日には韓国との通貨スワップを5兆円に拡大していた。

小沢の様な日本をないがしろにして売国する政治家に国民は我慢の限界に達しており、2012年12月の解散総選挙で民主党は政権の座から転落した。


2009年から2012年まで小沢・鳩山と民主党が仕掛けていた異常なまでの円高によって日本の株価は低迷を余儀なくされていたが、これは安倍政権になってから是正されてやっと株価も上昇するようになり、日本は最悪期を脱した。

民主党政権が存在していなかったら異常な円高はなかったわけで、リーマン・ショックによる株価の落ち込みも早期に回復し、日本の景気も早い段階で立ち直っていたはずだ。

しかし、この小沢・鳩山と民主党政権の地獄の3年間で日本の雇用は大幅に失われ、活力も失われ、株価も回復せず、景気も落ち込んだままだった。

小沢・鳩山と民主党のせいで、中国や韓国に技術も国富も毟り取られ、国内の重要機関も乗っ取られ、日本という国の対外的な信頼も地位も失われ、日本は崩壊寸前となってしまっていた。

小沢・鳩山と民主党の「円高放置政策」が日本経済を駄目にした元凶だったのだが、売国政党である民主党がこの失策を日本国民に謝罪したことは一切ない。


日本の本来の国力以上に、円は強くなりすぎていた

ところで、円高については本来であれば1990年代のバブル崩壊時に是正されて然るべきだったが、そうならなかった。日本はバブル崩壊して国の実力が落ちたのだから、本来は円安になるべきだったのである。

にも関わらず、円だけはずっと円高を志向しており、日本の本来の国力以上に円は強くなりすぎていた。

だから、日本の輸出企業は海外で価格競争力を喪失し、中国や韓国に工場を作るしかなくなり、そのせいで雇用ばかりか技術も盗まれて、日本企業が一気に衰退するきっかけとなった。

中国・韓国の台頭は、日本企業の技術が盗み放題だった1990年代から2000年代に起きていた。

当時の日本企業は、国内に設備投資すれば円高で価格競争力に負け、国外に設備投資すれば技術を盗まれて価格競争力に負けるという状況に陥っていたのだ。

そのせいで日本の衰退は止まらなかったが、にも関わらず円高は加速していった。

円高で日本が苦しんでいると知った小沢と民主党政権は、日本破壊を成し遂げようとでも思ったのか、アクセルを踏んで円高に向かわせたのだった。

小沢・鳩山と民主党はマスコミでも円高誘導を行い、お抱えのジャーナリストには「円は50円になる」「円は10円になる」「円高で日本は復活する」と叫ばせて、日本の経営者を絶望させることさえもしていた。

日本の銀行や保険会社や郵政が、馬鹿のひとつ覚えのように日本国債を買い支えたので、それも円の下落を防いで円高を促す原因にもなった。

安倍政権によってやっと金融緩和が行われて円安になっていったが、これがなければ日本企業は完全に息の根を止められていたことになる。日本は間一髪で助かった
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/187.html#c1

[番外地6] 中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威 中川隆
12. 中川隆[-6626] koaQ7Jey 2017年8月23日 07:52:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


5年で感染者5.5倍―― 加速する「梅毒」流行の実態とは 5/16(火)
https://news.yahoo.co.jp/feature/607


この数年、梅毒の拡大が止まらない。性的接触によって感染し、かつては「死の病」と恐れられた。戦後は治療法が確立され、過去の病気として忘れられつつあった梅毒だが、近年、ハイペースで感染が拡大している。原因は何か。感染症対策の専門家・堀成美氏と評論家の荻上チキ氏が、その背景と予防策を対談で探る。(ライター・庄司里紗/Yahoo!ニュース 特集編集部)


日本でまん延する梅毒をめぐり、意見の応酬が続いた(写真:岡本裕志)


かつては20万人以上の感染者がいたとされる梅毒だが、特効薬の普及により、近年は年間600〜800人程度の水準にまで抑え込まれていた。ところが、2011年頃から患者数が増加。2016年には42年ぶりに患者数が4000人の大台を突破。特に20代の女性が感染するケースが目立つという。

医師も知らない梅毒


荻上 梅毒は一般には、すでに「過去の病気」という印象があると思うんですが、実際は今、どれぐらいのペースで増加しているんでしょうか?


堀 2011年あたりから増えましたね。当時827人だった感染者数は、昨年(2016年)末の時点で約5.5倍の4518人にまで急増しています。今年に入っても勢いは止まらず、4月16日時点の感染者数は1307人。前年を上回るペースです。


ずっと横ばいだった感染者数が、2011年以降、一気に増加している(国立感染症研究所のデータより作成)


荻上 爆発的、といえる伸び方ですよね。堀さんは感染症対策のスペシャリストとして日々、患者さんと接しているわけですが、急増の背景にはどんな要因がありますか?


堀 まず多くの人が「梅毒」という病気についてほとんど知らないんです。


荻上 知識がないと、病気だという自覚を持ちにくいですね。


堀 じつは医療者側にも、梅毒を知らない人が増えているんです。なぜなら、昔は多かった梅毒患者が、撲滅といえる水準までいったん減ったから。「過去の病気」になったせいで、症状から梅毒を見抜けない医療者が増えてしまったんです。


20代女性感染者の爆発的増加が目立つ(国立感染症研究所のデータより作成)


日本有数の繁華街、東京・新宿の歌舞伎町から北東に1キロほどの位置にある国立国際医療研究センターで、今回の対談は行われた。立地の関係から多くの性感染症を診療する機会が多く、国内や海外での研究発表も活発に行われている。堀成美氏は同センターの感染症対策専門職である。評論家の荻上チキ氏は、論壇サイト「シノドス」を運営する傍ら、個人売春(ワリキリ)を行う若い女性たちの実態調査などフィールドワークも行ってきた。医療、そして社会問題というそれぞれの視点を軸に、梅毒に関する対話はまず医学的な考察からはじまった。


特に日本では、「過去の病気」となっていたはずの梅毒だったが……(写真:岡本裕志)

自覚症状の乏しさで発見が遅れる


荻上 実際、梅毒はどんな症状が出るんですか。


堀 全身疾患なので、症状が多彩なんです。性器のしこりや全身のブツブツ以外にも、頭髪の脱毛や難聴、目のかすみといった症状があるので、梅毒を診たことがない医師には診断が難しい実情があります。


荻上 原因や感染経路は?


堀 梅毒は「梅毒トレポネーマ」という病原体が性的な接触によって皮膚や粘膜から入り感染する性感染症の一つです。比較的感染力は強く、挿入行為がなくてもオーラルセックスや皮膚の小さな傷の接触でうつります。だから、コンドームでも100%は防げない。でも、多くの人は性病を「パンツの中の病気」だと思っているので、挿入以外でも感染するとは夢にも思っていないわけです。


荻上 挿入行為は危ないけれど、オーラルセックスは安全だと思っている人は多いですよね。「挿入しなければ浮気じゃない」ではないけど、「挿入しなければ病気もうつらない」みたいな認識で、風俗や出会い系サイトなどでリスキーな性行為を繰り返す人も少なくない。


堀 私たちの立場から言えば、浮気かどうかは関係ない。性器同士の接点はありましたか、性器と口はどうですか、コンドームを使いましたかという話。感染につながる行為があれば梅毒はうつりますからね。悪いことに、梅毒は感染後もしばらくは自覚症状がないので早期発見が難しく、これも感染を広めてしまう一因になっています。


荻上 梅毒は潜伏期間が長いそうですね


堀 3〜6週間程度といわれています。その後、性器などに小さなグリグリしたしこりができます。ただ、痛みはないし、場所が場所だけに「どうしよう」と悩んでいるうちに、いったん消えてしまうんですよ。ここが梅毒の厄介なところで、患者さんは「よかった、治った」と思って病院にも行かず、性的接触を繰り返してしまう。


堀 成美(ほり・なるみ)1968年生まれ。神奈川県出身。国立国際医療研究センター・感染症対策専門職、看護師。民間病院等の感染症科勤務を経て2009年、国立感染症研究所 実地疫学専門家コース修了。同年から聖路加国際大学・助教(〜2012年)、2013年から現職。2015年からは国立国際医療研究センター国際診療部 医療コーディネーターも併任。性感染症の予防、ケアに携わりながら、地域における感染症予防を含めた「性の健康」教育にも取り組んでいる(写真:岡本裕志)

報告数は実数の3割程度?


荻上 梅毒の急増の原因として、知識不足のほかにはどんな理由が考えられるでしょうか?


堀 感染者数が急に増えるような場合、テレビなどの報道を見て不安になった人が検査を受けることで発見数そのものが増加するケースも考えられます。ただ、今回の梅毒については、その可能性は低い。つまり、リアルに患者数が増えている。現場の実感としては、報告されているのは実数の3割程度ではないかと思っています。私が個人的に調べた範囲ですが、梅毒専門の治療薬の販売量が、報告されている患者数に比べてかなり多いというデータもあるんです。


荻上 でも、梅毒はHIVや結核と同じで、診断で陽性がわかれば医師が保健所に届け出なければならない感染症の一つですよね。


堀 本来は法律で全数報告が義務づけられているんですが、実際にはクリニックの医師が見落としていたり、報告を怠ったりしているケースもあるんです。


荻上 では、実際にはもっと感染が拡大している可能性もあるわけですね。感染パターンには何か明確な傾向があるんですか?


荻上チキ(おぎうえ・ちき)1981年生まれ。シノドス編集長。評論家・編集者。複数のメディアを運営する傍ら、テレビやラジオへの出演も多数。メディア論を中心に政治経済、社会問題まで幅広く論じる。著書に『社会的な身体』(講談社現代新書)、『彼女たちの売春』(扶桑社)、『夜の経済学』(扶桑社、飯田泰之と共著)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)など、近著に『セックスメディア30年史』(ちくま新書)がある(写真:岡本裕志)


堀 男性は同性間、異性間の性的接触で感染するパターンが半々ぐらいで、女性は異性間によるものが多くを占めています。ただ、男性の同性間感染の中には、一定の割合でHIV感染者が含まれるんです。HIVに感染すると治療のため定期通院が必要ですから、その過程で発覚し、統計に反映されやすい。でも同性間、異性間カップルの母数を考えると、実際は異性間による感染の方が多いと思います。


荻上 実態の正確な把握には、そういった統計上の誤謬に気をつける必要がありますね。


堀 ただ、梅毒に関して20代の女性たちに感染が目立つのは事実です。私が勤める国立国際医療研究センターを含めて、新宿区内の医療機関には風俗店に勤める女性や出会い系サイトを使った「ワリキリ(個人売春)」の女性も多く受診しますが、現場にいると彼女たちの職業上のリスクが心配になります。


荻上 感染した女性が、自覚症状のない期間に毎日複数のお客さんと性的接触を繰り返すわけですから、その拡散力は大きいでしょうね。オーラルセックスだけという形態の風俗でも、その日のうちに次々に感染しますからね。


「本来は法律で全数報告が義務づけられているんですが、実際にはクリニックの医師が見落としていたり、報告を怠ったりしているケースもあるんです」(堀氏)、「では、実際にはもっと感染が拡大している可能性もあるわけですね」(荻上氏)(写真:岡本裕志)

ハイリスク層へのサポートを


堀 風俗店は定期検査をしているところがありますが、先ほどもお話ししたように梅毒は潜伏期間が長いので、月1回程度の検査ではすり抜けてしまうことも多いんです。


荻上 僕は2010年から出会い系サイトや出会い喫茶などを使ったワリキリ経験者にアンケート調査をしているのですが、そのうち3割が性感染症になったことがあると回答しています。コンドームなしの性行為を許している女性も3割近くいる。彼女たちの目的は主に短期的な収入であり、「職業」として性的なサービスをしている感覚がなく、定期検査のような自己管理も難しい。こうした女性たちは、小規模とはいえハイリスク層になるでしょうね。


堀 ワリキリしている女性は全国にどれぐらいいるんでしょうか?


荻上 僕たちの調査では、おおむね10万人前後ではないかと推計しています。ただ、ワリキリ利用者は固定的で、なおかつテクニカルな知識が必要なので、風俗ほど簡単にアクセスできるものではない。ボリュームとしては風俗店で感染するパターンが多いのではないでしょうか。風俗店に勤務している女性は30万人ほどいると言われていますので。


堀 偶然かもしれませんが、臨床の現場で梅毒が有意に増えてきた時期と、訪日外国人客が増加した時期が重なるんですね。受診した性サービス業の女の子たちからも「外国人のお客さんが増えた」という声を耳にしました。梅毒は現在、アメリカや中国など世界的にも増加傾向にあります。病原体は国境を簡単に越えますので、粘膜や皮膚の接触という最もリスクの高い行為によって、梅毒だけでなく治療薬の効きにくい(多剤耐性の)淋菌などが広がることを医療者は心配しています。


荻上 インバウンド(外国人の訪日旅行)仮説はしばしば指摘されますね。ただ、疫学調査がないので、特定はできない点が注意です。一般論としては、性感染症は昔から花柳病と呼ばれ、セックスワーカーにとっては大敵で、当事者のための情報提供などは重要になるでしょうね。


荻上氏の調査では、女性の個人売春経験者のうち、3割が性感染症になったことがあるという(写真:岡本裕志)


荻上氏の調査によれば、風俗やワリキリをする女性たちの最終学歴は高卒以下が多く、貧困率や精神疾患の罹患率も高いという。「女性たちが生きる手段として、性労働という手段があるという、経済的側面は重要です」と荻上氏は言う。

感染者には社会的弱者も少なくない


荻上 貧困や病気への認識などの関係はどうですか。


堀 医療機関では学歴や収入を調査しないので明確な情報はわかりません。例えば、指示されたとおりに薬を飲めるか、指定の日時に再度受診ができるかということに影響する話です。ご本人の治療効果や、感染拡大防止にも影響します。


荻上 ワリキリや風俗の女性に聞き取り調査をすると、学歴が高い人は多くありません。経済力も厳しい。そもそも貯蓄という行動そのものを知らない場合もある。それらは成育環境などの違いもあるので、そうした個人へのバッシングをしてもしかたがないと思います。そうした傾向があるなら、どうやって医療と結びつけやすくするかを考えなくてはいけない。


堀 医学の視点で言えば、それは「弱者」なんですね。もし彼女たちが問題を抱えているなら、周囲はサポートしてあげなければいけないんです。


荻上 だとすると、やるべきことは、ふつうの感染症対策と同じように、いちはやく有効な対処法を広げることだと思うんです。たまたまセックスワークの話になったけれど、特定職業に限る話でもありませんし。


堀 おっしゃるとおりで、そもそも梅毒は治療法が確立された、予防できる病気なんですよ。それなのに感染の拡大が止まらないのは、世界のスタンダードになっている対策が日本ではとられていないから。感染者が性交・接触した相手の検査の徹底はされていないし、第一選択の治療薬であるペニシリンの注射が使えないままです。この2つだけでもかなり拡大は抑えられるはずなのに、問題といわれながら数年対策がとられていない。検査を徹底して、治療に効果の高いペニシリン注射を復活すれば、感染はかなり抑えられるはずなのに、なぜ動かないのか。理解できません。


「感染拡大が止まらないのは、有効とわかっている基本的な対策さえとられていないから」(堀氏)(写真:岡本裕志)

薬価が安いから、つくられない注射


荻上 抗生物質の内服以外にも、ペニシリン注射という治療法があるんですか?


堀 内服だと一定期間、薬を飲み続ける必要がありますが、注射だと感染初期であれば1回の接種で済みます。だから梅毒治療においては「ベンザチンペニシリン注射」が世界標準の選択薬です。でも日本にはこの注射がないんですよ。大変安い治療薬のため、今から開発や承認のための臨床試験のコストを考えると、製薬会社にインセンティブがありません。


荻上 はしかや結核については国がしかるべきサポートをしてくれるのに、こと性感染症となると自己責任のように扱われる。しかも女性の場合、「貞操観念のない乱れた女」として偏見や攻撃の対象になることすらある。こうした風潮には違和感を覚えますね。


堀 梅毒は、夫や恋人など特定のパートナーからうつることも少なくありません。つまり、梅毒を放置して誰が一番被害を受けるかといえば、妊婦さんや赤ちゃんなんですよ。妊婦が感染すると、流産や死産してしまったり、赤ちゃんが先天梅毒を持って生まれてくる可能性があるんです。


国が作成した、STI(性感染症)/HIVの啓蒙用ポスター。ふきだしは堀氏が作成したもの(写真:岡本裕志)


荻上 国は性教育でもっとリアルな性感染症対策を教えるべきだと思いますが、性教育へは保守的な反応も強いですね。また、セックスワーカーの支援団体などと連携するなど、当事者参加で様々なハイリスク層に確実に届ける仕組みづくりも必要でしょう。こんな啓発ポスター作っている場合じゃない。個人に責任を転嫁しちゃってますし、具体的知識が書かれてもいないですし。


堀 梅毒に対して、個人が取りうる対処法は大きく2つです。コンドームと定期検査。まず、必ずコンドームを使用すること。ただ、予防効果は100%ではないので、リスクの高い性的接触があったときやパートナーが変わったときは、そのインターバル期間に検査をする。血液検査は医療機関は有料ですが、無料でやっている保健所もあります。地域の保健所の検査プログラムをぜひ調べてみてください。


荻上 感染症を放置するということは、周囲の人にも影響が出るかもしれない。逆に自分が予防することは、集団的な防疫にもなります。そして衛生環境を整えるには社会的な対応が必要だという認識が、もっと広がる必要がありますね。
https://news.yahoo.co.jp/feature/607
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/565.html#c12

[リバイバル3] 枚方市 東香里 ジャズ喫茶 ブルーライツ 富山誠
4. 中川隆[-6625] koaQ7Jey 2017年8月23日 08:08:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2015/12訪問
大阪 枚方市東香里|至高のアナログ音響空間 優しい雰囲気のジャズ喫茶


大阪府郊外。東香里のランドマーク・TSUTAYA近くの住宅街に
至高のアナログ音響空間を備えた喫茶店があります。
オーディオ通の方や専門誌でも高く評される「BLUE LIGHTS」です。

初めて訪れた時、心に深く刻まれた豊かな音像。
懐かしく思い訪れてみました。

最初に扉のベルを鳴らすと、
すぐに優しい方だとわかるウェルカムな対応。
二代目のマスターご夫妻だそうです。

店内正面には巨大な2基のコンクリートホーンが鎮座し
時を経て磨かれたモノクロームな質感。
まるでアート作品のように深い趣を放っています。

メニューはコーヒー、紅茶、小菓子、缶ビールなど。
ママさんが親切に対応下さり
リストからレコード片面3枚までリクエスト可能とのこと。

注文したのは
■□コーヒー500円|ティラミスチョコ200円
■□紅茶 500円

サイフォンで入れられるコーヒーは本格的な味わい。
紅茶はフレーバーがほどよく、
一番音が良いという前列中央に座ってみると
なんて深みのある音なんだろう。
真空管のオーディオシステムによる音楽は
まるで目の前で演奏してるかのような臨場感。
プチプチっと混ざるグリッチ音も味があります。

■□古色を帯びた店内は
1981年に初代のマスターが始められ
この音響システムは手作りなんだそう。(興味のある方はサイトを)

お店を出る際にはいろいろ教えていただき
豊かな音響と丁寧な対応に終始リラックス。
特にジャズを好んで聴かなくても
こういう喫茶店には代え難い文化的な価値を感じます。

駅から遠いので公共機関はバスのみだけど
敷地内には無料駐車場があるので車の方もぜひ☆
普通の喫茶店としても気軽に利用できる
多くの方に知ってほしい希少なジャズ喫茶です。


--------------------------
以下はお店のサイトより

●オーディオシステム
音の分離を良くするため少なくとも4ウェイ以上のマルチ型と考えました。
暖かみのある真空管のオーディオシステムで再生しています。

▼スピーカー&ホーン
高音・・・JBL 2405 × 2
中音・・・JBL 2420 & JBL 2345 HORN × 2
中低音・・JBL 2440 & JBL 2328 & CONCRETE HONE × 2
低音・・・ALTEC515B × 4 & CONCRETE HONE × 2

▼プリアンプ
marantz7モデル改良型、uesugi U・BROS-31
SHINDO-LABORATORY M-77、

▼パワーアンプ
dynaco STEREO 70 × 4、EXCLUSIVE M4

▼チャンネルディバイダー
Sound Matuo真空管式4 Wey、AccuphaseF5,金田式4Way

▼レコードプレーヤー 
Garrard 401、Technics SP-10MKU、YAMAHA GT2000

▼アーム
SME 3009U、SME 3012R、Ortofon RMG 309

▼ヘッドシェル、カートリッジ 等
Audio Technica AT14Ea、Victor Z-1 S、DENON DL-103、
ELAC D455-E、EMPIER 4000 D/1、
Ortofon MC20、Ortofon SPU-G、Ortofon SPU-A、
SHURE M44G、SHURE SC35C、SME S2
https://tabelog.com/osaka/A2707/A270704/27089412/dtlrvwlst/B134600662/?use_type=0&smp=1#40044349
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/418.html#c4

[リバイバル3] 枚方市 東香里 ジャズ喫茶 ブルーライツ 富山誠
5. 中川隆[-6624] koaQ7Jey 2017年8月23日 08:12:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

Jazz Spot BLUE LIGHTS
http://jazzspotbluelights.web.fc2.com/index.html
https://tabelog.com/osaka/A2707/A270704/27089412/

 

■ 大阪府枚方市東香里元町15-23

■  Tel 072-854-1633
■ mail jazzspot.bluelights@gmail.com

■ 営業時間  13:00〜17:00
■ 営業日   金曜日、土曜日、日曜日
(2017年7月より変更)

■  駐車場・あり


地図
https://www.google.com/maps/place/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%81%E3%80%92573-0076+%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%B8%82%E6%9D%B1%E9%A6%99%E9%87%8C%E5%85%83%E7%94%BA%EF%BC%91%EF%BC%95%E2%88%92%EF%BC%92%EF%BC%93/@34.781749,135.656483,14z/data=!4m5!3m4!1s0x60011e97f3c589af:0xb7268e6a65598554!8m2!3d34.7817549!4d135.6564777?hl=ja


<<公共の交通でのアクセス>>

★京阪本線 「香里園駅」(京橋より急行15分) →バス (約10分)→徒歩3分
香里園駅 京阪バス のりば3 
東香里病院前下車 (バス停7つ目)


★京阪本線 「枚方市駅」(京橋より特急15分、丹波橋より特急19分)→バス (約20分) →徒歩3分
枚方市駅南口 京阪バス のりば2 、但し〔9A〕高田経由、香里園行き、のみ 
東香里病院前下車 (バス停12コ目)


★京阪交野線「交野市駅」→バス (約10分)→徒歩3分
交野市駅 京阪バス のりば3 
東香里病院前下車 (バス停7つ目)

※新香里経由のバスは東香里病院前には止まりませんのでご注意下さい。

☆バス停【東香里病院前】から、電柱ブルーライツ看板の矢印が示している道を北へ、2角目左へ

★JR東西線・学研都市線 「星田駅」(京橋駅より快速で18分) →タクシー (乗車約5分)
http://jazzspotbluelights.web.fc2.com/access.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/418.html#c5

[番外地7] 「しょぼくれたアメリカ」への怒りが より過激なトランプ新大統領を生み出した 中川隆
32. 中川隆[-6623] koaQ7Jey 2017年8月23日 08:26:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選挙に勝利した理由2016年11月9日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4615

2016年のアメリカ大統領選挙でのドナルド・トランプ氏の当選が決まった。恐らくは日本のメディアの偏向報道によりヒラリー・クリントン氏優勢の報道ばかり耳にしていた日本の人々には驚きをもって迎えられる結果かもしれないが、投票日以前にもトランプ氏優勢の世論調査は少なくなかったことはここで伝えてきている通りである。ヒラリー・クリントン氏を支持するメディアが報じていなかっただけである。

•トランプ氏支持率優勢の報道で騒ぐ日本国民のおめでたさ

しかしトランプ氏がこれほどの支持を集めた理由についてはここでも断片的にしか説明していなかった。そこで、この記事ではドナルド・トランプ氏が有権者に選ばれた理由について包括的に説明してゆきたい。

民主党の候補者選び

先ず第一に言えるのは、トランプ氏が勝利したのは、対立候補となった民主党の候補者がヒラリー・クリントン氏だったからである。

そもそもヒラリー・クリントン氏は政治家とメディアと大企業の支持によって民主党の大統領選候補となった政治家である。民主党支持の有権者の多くは貧困層に味方するバーニー・サンダース氏を選んでいた。しかしサンダース氏は有権者における人気にもかかわらず、民主党候補を選ぶ予備選でクリントン氏に敗退した。これは民主党の候補者選定システムのためである。

サンダース氏は一般の民主党支持者の支持率においてはヒラリー・クリントン氏を大きく引き離したが、民主党の政治家の票を獲得出来ず、その結果有権者における不人気にもかかわらずクリントン氏が民主党の候補として選ばれることとなった。一方でトランプ氏が出馬した共和党では純粋に一般有権者の支持によって候補者が決まる。民主党は元々が政治家と癒着した大企業を利するシステムなのである。

こうした結果は民主党支持者に大きな禍根を残した。そして政治家や大企業によって歪曲された民主党の党内政治を印象付ける結果となった。トランプ氏が選挙戦を通して非難していたのはそういう腐敗した政治システムそのものだったのだから、サンダース氏の支持者の一部がトランプ氏に流れたのは想像に難くない。

クリントン氏の薄い人望

原因はヒラリー・クリントン氏自身にもある。クリントン氏が権力以外の何にも興味がないことはアメリカ国民なら誰もが知っている。

例えば、クリントン氏は大企業の利益となるTPPに賛成していた。TPPは未だに内容が明らかになっていないが、食品などに使われる農薬などに対する規制緩和が含まれていると推測され、一般市民の健康を犠牲にして大企業を利する条約として悪名高いが、ヒラリー・クリントン氏にはそのようなことは関係がなかった。

しかしトランプ氏やサンダース氏などがTPPに反対してアメリカ国民の支持を得ると、途端にクリントン氏はTPP反対に回った。彼女に政策など存在しなかった。存在するのは大統領になれるかどうかという打算と、どのような政策を打ち出せば企業が政治献金をしてくれるかということだけである。

一方でトランプ氏は政治献金をほとんど受け付けず、主に自腹による選挙活動を行った。選挙資金ではクリントン氏に大いに見劣りし、広告合戦では不利な面もあったが、それがトランプ氏の反政治腐敗のイメージを植え付ける結果となった。トランプ氏の選挙戦は主にTwitterとFacebook、そして各地での集会によって行われた。

日本ではトランプ氏こそが大統領になりたいだけだとか、売名行為だとかいう非常に浅い理解による馬鹿げた評が一部見受けられたが、そのような子供じみた理由で私財の多くを投げ打ち、暗殺されるリスクを顧みずに大統領選挙に出馬する人間はいない。常識的に考えれば分かるだろう。それが良いものであれ悪いものであれ、トランプ氏には目的があったのである。クリントン氏にはそれが無かった。

マスコミのヒラリー贔屓

そのような「何もない」ヒラリー・クリントン氏を無理矢理持ち上げようとしたのがメディアである。例えばこれまでの世論調査では、クリントン氏優勢となっているものが恣意的に選ばれて報道されていた。トランプ氏優勢のものが一度だけ報道されたとき、それに驚いていた日本人の反応に苦言を呈したのは少し前のことである。

•トランプ氏支持率優勢の報道で騒ぐ日本国民のおめでたさ

マスコミはこぞってヒラリー・クリントン氏を常識的な選択とし、トランプ氏の支持者は頭の悪いレイシストだとして扱った。ヒラリー・クリントン氏も自らそういう発言をした。非常に残念ながら日本でのイメージも大多数の人にとってはそういうものだろう。

しかしそれはアメリカ国民の思いとは完全に乖離している。ヒラリー・クリントン氏に反対するアメリカの有権者には断固たる理由があった。そしてマスコミに心無い非難をされ、馬鹿に馬鹿と言われたトランプ氏の支持者たちは、自分たちの票で大統領選挙を覆そうと強く決心した。そして元々はクリントン氏の支持者であっても、このようなメディアの偏向報道を見て何かがおかしいと思った有権者もあったことだろう。

高まる反グローバリズムの気運

そして最後に挙げられるのはやはり反グローバリズムである。上に書いたTPPなどは格好の標的となった。大企業は国民を農薬漬けにすることで金を儲けようとしている。反移民もトランプ氏の大きな支持基盤の一つである。大企業は安い労働力が欲しいためだけに移民政策を推進する政治家を支持し、メディアはそれを援護射撃するために可哀想な移民の子供の写真を載せるのである。

一部の指摘によればそうした写真の一部はでっち上げられたものだと言う。しかし自分の頭で考えない一部の有権者にはそのようなことは関係がない。その結果、現地の女性が性的暴行を受け、多くの人々がテロで殺されたとしても政治家や大企業、メディアの知ったことではないということである。ヨーロッパでは大惨事となっている。

•ヨーロッパ移民問題: 止まらない大量殺人と性的暴行、今度はミュンヘンでイラン人が銃乱射

このような馬鹿げた事態にもかかわらず、メディアによればグローバリズムは常識的、理性的選択であり、彼らはそれに反する政治的主張は反理性主義であるとまで言い放った。しかし彼らの選択によって現地住民はおろか騙された移民でさえも不幸な目にあっている。文化も言語も異なる国にいきなり移り住んで生計を立てることが簡単であるはずがない。繰り返すが、彼らの多くは難民ではなく、自国でも十分暮らせたであろう出稼ぎの移民なのである。

•ヨーロッパには移民受け入れ能力はない: イタリアで邂逅した少女の話とドイツの欺瞞

ヒラリー・クリントン氏の支持者はトランプ氏を嘘つきだと繰り返し主張したが、嘘に塗れていたのはクリントン氏の裏で団結したグローバリズムという利権である。このような偽善に反旗を翻さないまともな人間があるだろうか? イギリス人は少なくともそれを知っていたのである。

•国民投票でEU離脱を選んだイギリス人の凄まじい精神力

ヨーロッパでは既に惨劇が起きたが、アメリカはそれを未然に防いだ形となる。アメリカの有権者の方が日本人よりもよほどまともである。

今や先進国でグローバリズムを喜々として推進している国は日本だけとなった。TPPも移民政策も日本だけが乗り気である。

•安倍首相がシリア難民150人受け入れを発表、日本の治安と文化は終焉へ

グローバリズムの闇についてはここでは語り尽くせないほどのことがある。興味のある読者は他の記事も読んでみてもらいたい。大富豪のジョージ・ソロス氏も、OECDも、日本で言えば財務省も、すべては同じ穴の狢なのである。彼らの終わりの日が来たということである。日本人も立ち上がるべきではないか。


•ソロス vs イスラエル: イェルサレム・ポストがジョージ・ソロス氏の政治活動を痛烈批判

•イギリスのEU離脱でOECDと財務省が化けの皮を剥がされる

http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/4615
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/105.html#c32

[番外地7] 「しょぼくれたアメリカ」への怒りが より過激なトランプ新大統領を生み出した 中川隆
33. 中川隆[-6629] koaQ7Jey 2017年8月23日 08:30:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

世界最大のヘッジファンド、米国株下落の原因を説明2017年8月22日
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6772

米国株がやや荒れている。この株安については著名投資家のガントラック氏が事前に予想していたが、しかし株価はガントラック氏の予想したものとは異なる理由で下落しているということを前回の記事で説明したばかりである。
•ガントラック氏の米国株下落予想は当たったのか?

ガントラック氏によれば、世界的な経済成長への期待から長期金利が上昇し、金利上昇が株式市場にとって重荷になるということであった。しかし実際には、金利はむしろ低下したにもかかわらず、株式市場は下落を開始した。

では、米国株を下落させた本当の原因は何だったのか? 丁度良いタイミングで世界最大のヘッジファンドBridgewaterを運営するレイ・ダリオ氏が、このテーマについてLinkedIn内のブログ(原文英語)で語っているので、これを紹介したい。

ダリオ氏が語る米国株下落の原因

米国株の下落の理由は金利上昇ではなかった。それは長期金利のチャートを見れば明らかだろう。

金利はむしろ低位に留まっている。

では何が原因なのか? ダリオ氏が指摘する本当の原因は政治リスクなのだが、彼は単にトランプ政権内の混乱というよりも広い視野でこの問題を見ているようである。

昨年の大統領選挙の様子をここでリアルタイムで追いかけていた読者にはある程度分かってもらえると思うが、アメリカ国内の保守派とリベラルの対立はかなり激化している。トランプ氏を支持するか、ヒラリー・クリントン氏を支持するかで、家族や友人と仲違いしたり、中には離婚に陥ったアメリカ人も居るようである。

•ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選挙に勝利した理由

ダリオ氏はアメリカ国内がこのように政治的に分断されている状況を、統計を持ち出して以下のように端的に説明している。


例えば、ドナルド・トランプの支持率35%というのは、共和党支持者の79%と民主党支持者の7%で成り立っている。トランプ大統領を支持する層のうち、61%は彼が何をしようとも支持し続けるだろうと言い、非支持者の57%は大統領について今後意見を変えるつもりはないと言っている。

言い換えれば、アメリカ人の大部分は政治と国の未来について強力かつ頑固に対立しているということである。

ダリオ氏の指摘で重要なのは、これはトランプ政権に限定された問題ではなく、どういう大統領かにかかわらず、アメリカの人口の大半はそもそも政治的に反対の方向に行きたいと思っており、この対立は誰が大統領になろうとも落ち着くことはなく、一方が満足すれば他方が不満足になるということである。

では、この対立は株式市場にどのような影響をもたらすか? ダリオ氏は以下のように語る。


現状、アメリカ経済自体には大したリスクは認識されていないが、日々高まってゆくこうした対立が、政権が法案を議会に通して成立させる能力を損なったり、その他の問題を引き起こしたりすることを心配している。

因みにダリオ氏は、トランプ相場の初期において、トランプ政権の経済政策が実現すると仮定すれば、米国株が上昇するのは「完全に論理的」であると主張していた。だからトランプ政権の政策が議会を通らないのは米国株にとって下落方向のリスクというわけである。

•世界最大のヘッジファンド: トランプ相場で株価上昇は完全に論理的

しかし、ダリオ氏の論点は、このアメリカ国内の分断はトランプ大統領の任期4年に限定されたものではなく、何らかの形で解決されない限り、今後ずっとアメリカ国内にくすぶり続ける問題だということである。

恐らく、ダリオ氏が見ているのはこの問題が米国株の短期的下落に留まらず、国際社会全体にとって大きな問題に波及する可能性だろう。彼は今年に入って何度も、今の状況と第二次世界大戦勃発前の国際社会とを比較している。


われわれは経済的、社会的に分断され、重荷を負っている状態であり、その状況は1937年に非常に近いもののように思える。

結論

米国株を下落させたのは、ガントラック氏の予想した金利上昇ではなく、ダリオ氏が以前より心配していた政治リスクの方であった。現状を以上のように分析して、ダリオ氏は自分の現在の投資方針をこう語る。


この状況をどれだけ上手く切り抜けられるかどうかは、従来重要とされていた金融及び財政政策よりも、経済と人々の生活に対して大きな影響を及ぼすと考えている。引き続き状況がどう対処されるかを注意深く見続けようと思う。現状では、上手く対処されていないので、短期的にリスクオフの姿勢を取っている。

短期的なリスクオフというのは、他の著名な投資家と同意するところだろう。

しかしより大きい問題は、この西洋社会の分断が結局はどのように進んでゆくのかということである。イギリスは移民歓迎のリベラルに背を向けてEUを離脱した。アメリカはトランプ大統領を選んだ。フランスは反移民のルペン氏を退け、親EUのマクロン大統領を選んだ。


•国民投票でEU離脱を選んだイギリス人の凄まじい精神力

•ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選挙に勝利した理由

•フランス大統領選挙結果速報: マクロン氏が史上最年少の仏大統領へ


この社会的分断が今後どうなるかである。世界最高のヘッジファンドマネージャーの一人、レイ・ダリオ氏が危惧する世界大戦というシナリオが実現しないことを祈りたいものである。しかし、投資家としてはその時の金融市場の動きの想定を、頭の片隅に置き始めなければならないのかもしれない。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6772
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/105.html#c33

[近代史02] 戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき 中川隆
42. 中川隆[-6628] koaQ7Jey 2017年8月23日 09:15:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本陸軍が終戦後に毛嫌いされた理由

関東軍は100万人以上の満州日本人に、ソ連との開戦も知らせず避難指示も出さず、見捨てて逃走した。
引用:http://www.yomiuri.co.jp/special/70yrs/main/img/honsho_1_06_sub_03.jpg

関東軍の敵前逃亡

現代では旧日本陸軍は悪の象徴とされていて、悪い事はなんでも全て日本陸軍のせいになっている。

このような思想が広まったのは戦後GHQによる統制と、世界的な宣伝の為だが、他にも理由があった。

朝鮮と満州で日本陸軍関東軍は、永遠に日本人から恨みを買うような行為を、終戦前の最後の5日間で行っていました。

          
関東軍は1945年8月9日にソ連が攻撃を開始すると、防衛地域を放棄して、いの一番に逃げ出したのでした。

しかもソ連の攻撃や、もうすぐソ連地上軍がやってくるのを住民には隠し、「絶対に安心だからここから動くな」とまで指示していました。


関東軍が防衛していた満州国の首都は新京だったが、8月9日にソ連の空襲(大した空襲ではない)を受けると、なんとその日のうちに全軍脱走しました。

しかも軍の逃走を市民に隠すために主要道路を封鎖して鉄道を使用し、「ソ連軍と戦いに行くのだ」と大嘘をついて出発しました。

軍が避難するために8月10日まで鉄道は使用禁止に成り、8月11日から「軍人の家族だけ」避難指示が出ました。


その次に8月13日ごろ満州国の公務員に避難指示が出て、一般市民(100万人以上)に避難指示が出たのは8月15になってからでした。

日本の降伏を知ると同時に中華民国軍とソ連軍、暴徒化した中国人が日本人に襲いかかり、帰国できずに悲惨な目に遭って満州でなくなった人も多かった。

朝鮮半島は38度線で分断されたが、これは関東軍がソ連参戦と同時に38度線まで撤退したためで、このために裏取引までしていたようです。

北朝鮮に残された日本人

関東軍はアメリカには米軍に早く来るよう促し、ソ連にはソ連軍に朝鮮を明け渡すかのように、仄めかしていました。

ソ連は8月10日から米軍の朝鮮上陸までの15日間、のらりくらりと立ち回る関東軍への攻撃をためらい、8月25日に米軍がソウルに上陸しました。

この15日間の関東軍の行動によって、韓国はソ連占領を免れ、現在の民主国家に発展していきました。


関東軍がこうした行動を取ったのは韓国人のためではなく、満州の日本人を躊躇無く見捨てたのを見れば、日本人の為でもありませんでした。

釜山から日本への海上航路は米軍艦と空襲によって途絶しており、関東軍が帰国するには朝鮮南部をソ連から防衛する必要があったからでした。

朝鮮北部と満州在住の日本人に避難指示が出たのは8月15日以降で、しかも鉄道は軍が独占していて、指定された列車にしか乗れませんでした。


軍属、軍人の家族が優先され、次が婦女子と子供、その後は鉄道が機能しなくなり、取り残されてしまいました。

朝鮮北部の日本人は線路に沿って歩けば38度線を越えれるので歩いたが、途中で大半がソ連軍につかまって捕虜になった。

捕虜を拘束しておくと食料が必要になったので、ソ連軍は面倒になり、翌年までに歩いて南側に行くように指示して解放された人が多かった。


だが食料や医療品をくれた訳ではないので、38度線を越えるまでに倒れてなくなった人が多かった。

終戦後も数ヶ月間は朝鮮南部に関東軍が駐留していたので、38度線さえ越えれば復員船で釜山から帰国できた。

朝鮮北部からの日本人の脱走を助けたのは朝鮮人たちで、日本人を襲う朝鮮人が居た一方で、食料を分けたり匿った人も居ました。


朝鮮北部は南部に比べて日本人が少なく、日本に敵意を抱いていた人間も多かったと言われている。

それでも満州の中国人やソ連兵に比べると、朝鮮人に捕まったほうがましだった。

全ての朝鮮人や韓国人が日本人を憎むようになるのは、北と南の政府が反日教育を行った後のことです。


氏名が分かっただけで未帰還者31万人だから、総数は遥かに多かったかも知れない
0901Yomiuri37
引用:http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/0901Yomiuri37.jpg

満州に残された日本人

満州に取り残された日本人はもっと過酷で、日本から遠い上に歩いて日本軍支配地域へ行く事はできなかった。

しかも米軍は日本本土と朝鮮南部を占領したが、満州や中国本土に進駐しなかったので、米軍の保護下に入ることもできなかった。

「我が皇軍に撤退なし」と言っていた関東軍は一番先に逃げ出してしまい、満州は完全な無法地帯になりました。


満州には100万人以上の日本人が取り残されたと推測され、翌1946年5月まで誰も関心を持たず放置された。

後に判明した事実によると、大本営は関東軍に「本土は食糧不足だから日本人は帰国させるな」という命令を出していたようです。

米軍は1946年5月から軍用船舶で日本人の輸送を始めたが、これは保護のためではなく、「日本人が中国で暴動などをしないように」との配慮だった。

つまりアメリカは日本人が現地で全滅せず生きていたので、中国から除去したかったのだった。


引揚者は米軍によって犯罪者のように輸送されたのだが、帰国できなかった人が何人居たのか、現在も分かっていない。

ただ差し引きすると30万人以上が満州で行方不明になっていて、残された日本人の4人に1人は現地でなくなったようです。

つまり中華民国(台湾政府)とソ連は無抵抗な30万人の満州の日本人を犠牲にしたと推測できる。

最後の皇軍

一方の日本陸軍関東軍だが、その最後は非常に情けないものだったとされている。

優秀な兵士や優秀な部隊は太平洋の戦場に引き抜かれて米軍と戦い、関東軍は戦意のない劣等な兵士や新参兵、高齢者(40代)だけになっていました。

脱走者が続出し、我先に帰国しようとし、避難民に紛れ込んで38度線を目指した。


避難民に「荷物を持ってあげましょう」と言って、僅かな食料や金品を持ち逃げする脱走兵が数多く目撃されていました。

さらに避難民の家族が兵隊に出ていると知ると、「XXXX殿は亡くなられました」と嘘の報告をします。

当時家族の戦死をしらせてくれた人には、どんなに困窮していてもお礼をするのが礼儀であり、脱走兵は僅かな食料目当てに誰にでも「ご家族はなくなられました」と言いふらしていました。


戦場を放棄して敵前逃亡したうえに、保護するべき住民を見捨てて逃走し、最後は避難民からわずかな食料を騙し取った。

これが置き去りにされた日本人が最後に目撃した日本陸軍の姿であり、この悪評はたちどころに本土の日本人にも広まりました。

だから東条英機や日本陸軍将校が裁判にかけられても、反対する日本人があまり居なかったのです。
http://www.thutmosev.com/archives/72262171.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html#c42

[政治・選挙・NHK231] <ニュースワイドSAKIDORI> 小沢代表、安倍首相をメッタ斬り! 政治家、トップリーダーとして失格!国家が破滅する! 赤かぶ
4. 中川隆[-6627] koaQ7Jey 2017年8月23日 09:32:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>3
また嘘言ってる

超円高で日本企業が海外生産に切り替えたから、安部がいくら頑張っても国内需要が増えなくなったんだろ

すべて小沢が中国共産党の指示でやった売国政策の影響だ
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/187.html#c4

[番外地7] 中国が尖閣・沖縄を乗っ取ろうとする理由

戦略の地政学―中国の海洋進出を阻む沖縄―
秋元千明 (英国王立防衛安全保障研究所アジア本部所長)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10404

なぜ沖縄に米軍基地が集中するのか。地図を眺めるとその戦略的な重要性がよくわかる。

 日本政府が2012年9月、尖閣諸島の3つの島を国有化してからというもの、中国は恒常的に海洋警備の艦艇を尖閣諸島の周辺に侵入させ、そこが中国の領域であることをさかんにアピールしようとしている。力を使って緊張を高め、外国の領域で強引に自分たちの主張を通そうとする姿勢は、国際社会の安定に責任を持つ大国の行動としては到底容認できるものではない。ただ、なぜ中国がそれほどまでに沖縄県の南端の小さな島々を欲しがるのか、中国の意図についてはあまり議論されていない。

 沖縄周辺に豊富な海洋資源があるためか、もしくは軍事的な野望があるのか、様々な見方が混在する。それを理解するにはまず地図の見方を変えなくてはならない。

 英国では戦略専門家がしばしば、世界地図を逆さまにしたアップサイド・ダウンと呼ばれる地図を用いる。対象となる地域をいろいろな角度から眺めるほうが、相手国との関係を客観的に読み取れるからだ。 

 富山県が発行した日本列島の北と南を逆さまにした「環日本海諸国図」や、新潟県佐渡市が発行した「東アジア交流地図」は、まさにそれである。逆さ地図は、大陸の中国人の目に、日本列島がどのように映っているのかを明解に説明している。まず気づくのは、日本列島が中国の沖合に壁のように鎮座し、中国の海への進出を阻んでいる事実である。

 1990年代以降、中国は海の権益を核心的利益だとして、海軍力の強化に取り組んできた。めざすのは太平洋、インド洋など外洋への進出である。

 黄海に面した中国山東省の青島には、中国人民解放軍の北海艦隊の司令部があり、ここを拠点に日本近海の東シナ海や西太平洋で活動している。とりわけ、太平洋への進出は外洋型の海軍をめざす中国にとっては最も重要であり、そのためには次の4つのルートを通って、太平洋に抜けなくてはならない。すなわち、

 @日本海からオホーツク海を経由して太平洋に抜けるルート
 A日本海から津軽海峡を抜けて、太平洋に出るルート
 B沖縄県の宮古島と沖縄本島の間の広い海域を抜けるルート
 C台湾海峡を抜け、南シナ海を経由して、太平洋に抜けるルート

以上の4つである。


http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10404

 このうち、中国にとって、沿岸国を刺激せず、迂回せずに太平洋に出られるのはBの沖縄本島と宮古島の間を抜けて行くルートである。そして、そのルートの入り口近くに尖閣諸島があるのだ。つまり、中国が沖縄県の一部の領有を主張する背景には太平洋進出の拠点を確保しようとする軍事的思惑があることは間違いない。

「太平洋の要石」と呼ばれた沖縄

 それでは、東アジアの中で沖縄はどのような位置にあるのだろうか。

 沖縄の那覇から台北までの距離は620キロ、台湾海峡まで750キロと、沖縄本島は日本本土よりはるかに台湾に近い。また、北京まで1860キロ、中国海軍の北海艦隊の司令部がある青島まで1300キロ、中国の特別行政区である香港まで1430キロである。

 一方、朝鮮半島までの距離は、北朝鮮のピョンヤンまで1440キロ、韓国のソウルまで1260キロの距離にある。

 つまり、沖縄は、日本の安全保障上の脅威になるそれぞれの地域とほぼ等距離の位置にあり、台湾海峡に非常に近いことが指摘できる。将来、危機が予想される地域に対して、近過ぎず遠過ぎず、ほどよい距離に沖縄は位置しており、そこに緊急展開部隊である海兵隊を配備していれば、有事の際、迅速に危機に対処することが可能になるのである。太平洋戦争の際、沖縄が「太平洋の要石(かなめいし)」と呼ばれたのはこのためである。

 また、沖縄の位置を地球規模で眺めてみよう。世界のいくつかの場所を中心に半径1万キロの円を描いてみる。地球は球体なので、平面の地図に同心円を描くと、波打つように表される部分がその範囲となる。すると、1カ所だけ、世界中のほとんどの地域をすっぽりと覆ってしまう都市がある。それはロンドンであり、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸の全域と南米の北半分がその範囲に収まる。かつての大航海時代、英国が7つの海を支配できたのは、英国が世界各地へアクセスしやすい場所に位置していたことと無関係ではない。

 そして、ロンドンの次に、同じ同心円で世界の主要な地域を覆うことができる場所は、実は沖縄である。那覇を中心とする半径1万キロの範囲には、ユーラシア大陸のほぼ全域、オセアニア、アフリカの東半分、北米の西半分が含まれ、これほど世界各地へのアクセスが容易な地域は太平洋には他にない。


http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10404?page=2


 一方、戦略拠点として知られる、インド洋のディエゴ・ガルシアは、確かにユーラシア大陸のほぼ全域とオセアニアを完全にカバーするが、北米、南米は範囲に含まれない。つまり、アジアと欧州、中東、アフリカをにらむ戦略拠点であることが容易に理解できる。

朝鮮戦争を招いたアチソンライン

 それでは沖縄は地政学的に見た場合、日本の安全保障上、どのような意味を持っているのだろうか。

 米国が第二次大戦後、太平洋西部に配置した防衛線は、かつて「アチソンライン」と呼ばれた。アチソンラインはハリー・トルーマン大統領のもと、国務長官に就任したディーン・アチソンが共産主義を封じ込めるために考案したもので、アリューシャン列島から宗谷海峡、日本海を経て、対馬海峡から台湾東部、フィリピンからグアムにいたる海上に設定された。アチソン国務長官は、この防衛線を「不後退防衛線」と呼び、もし、共産主義勢力がこのラインを越えて東に進出すれば、米国は軍事力でこれを阻止すると表明した。当時はランドパワーのソビエトが海洋進出を推し進めようとしていた時期であり、これを阻止するための米国の地政戦略がアチソンラインであった。

 ただ、このアチソンラインには重大な欠陥があった。朝鮮半島の韓国の防衛や台湾の防衛が明確にされておらず、むしろこれらの地域を避けるように東側に防衛線が設定されていたため、誤ったメッセージを発信してしまった。北朝鮮が、このアチソンラインの意味を読み誤り、米国が朝鮮半島に介入しないと解釈したことが朝鮮戦争の引き金をひくことになったというのが定説である。

 このように、はなはだ評判の悪い防衛線ではあったが、現代でも米国は海軍の艦艇をこのアチソンラインに沿った海域に定期的に展開させており、海上の防衛線と言う意味では、アチソンラインはいまだに米国の安全保障戦略の中に息づいていると言ってよい。

 ただ、現代では、韓国と台湾はいずれも米国の防衛の対象とされているから、現代の「新アチソンライン」は、アリューシャン列島から宗谷海峡、朝鮮半島の中央を突き抜けて、東シナ海から台湾海峡を通り、南シナ海へ抜けるルートであると解釈すべきだろう。実際、米国の海軍艦艇は、現代でも、この線の東側で活動するのが一般的であり、西側に進出することはほとんどない。


日米と中国の利害ぶつかる海域
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10404?page=3


 一方、これに対抗して中国が1990年代に設置した防衛線が、第一列島線と第二列島線である。第一列島線は、九州を起点として南西諸島、台湾、フィリピン、ボルネオ島に至る防衛線であり、中国は有事の際、第一列島線より西側は中国が支配することを狙っているといわれている。一方、第二列島線は、伊豆諸島から小笠原諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアに至る防衛線であり、中国は有事の際、第二列島線より西側に、米国の空母攻撃部隊を接近させない方針だといわれている。

 つまり、米国の防衛線、新アチソンラインよりはるか東側に中国は二重の防衛線を設置していることになる。この米国の新アチソンラインと中国の2つの列島線に挟まれた海域こそ、日米と中国の利害が真っ向から衝突する海域ということになる。


そして、この海域には、日本の生命線であるシーレーンが集中している。シーレーンは中東方面から物資を日本に輸送する船が航行する海上交通路であり、日本の輸入する原油の90パーセント近くが、中東からシーレーンを通って運ばれてきている。

 シーレーンは、インドネシア周辺のマラッカ海峡から南シナ海を経由して、バシー海峡から太平洋に入り、南西諸島の東側に至り、日本本土に達するルートか、もしくは、インドネシアのロンボク海峡から、フィリピンの東側の太平洋を北上して、南西諸島に通じる遠回りのルートの2つがあるが、いずれも南西諸島の東沖で合流し、日本本土へ達する。つまり、南西諸島の東側の海域は、日本のシーレーンが集中する海域であり、日本の死活的利益がここにある。

 そして、まさにその海域で米国の防衛線と中国の防衛線が向かい合っているのである。米国の新アチソンラインは南西諸島のすぐ西側を台湾海峡に向かって南下し、これに対する中国の第一列島線は、まさに南西諸島そのものに設置されている。

 南西諸島は、日本の九州から台湾にかけて連なるおよそ1200キロに及ぶ長大な島嶼群だが、そのほぼ中央に沖縄本島が位置し、そこに米軍基地が集中しているのである。つまり、日本の生命線の中心に米軍は駐留していることになる。

 このように、地政学的に見た場合、沖縄を中心とした南西諸島周辺は、日本にとってシーレーンが集中する戦略的要衝であると同時に、米国と日本という太平洋の二大海洋国家・シーパワーと、中国という新興の内陸国家・ランドパワーのせめぎ合いの場であり、その中心に位置する沖縄がいかに日本や米国にとって重要な戦略拠点であるかはこれ以上の論を俟(ま)たないであろう。

 そして、その戦略的価値は将来、沖縄の米軍基地が大幅に縮小されることはあっても、ほとんど変わることはないだろう。大陸と海を結ぶ玄関口に沖縄があるからである。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/10404
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/281.html

[番外地7] 中国が尖閣・沖縄を乗っ取ろうとする理由 中川隆
1. 中川隆[-6626] koaQ7Jey 2017年8月23日 09:57:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

尖閣は中国人の言う通り中国の領土かもしれない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/327.html

武田邦彦 尖閣、竹島、四島・領土と国
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/466.html

釣魚島の一草一木たりとも取引は許さない[人民網日本語版]
http://www.asyura2.com/12/china3/msg/302.html

台湾は中国ではないんだけど
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/288.html

中国人のこういう所が大好き
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/289.html

牙をむき始めた中国
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/508.html

中国大好き _ 古代漢民族はコーカソイドだった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/281.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 「ハイ、これでオシマイ」ではない森友事件!  赤かぶ
2. 中川隆[-6625] koaQ7Jey 2017年8月23日 11:52:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
官僚利権を徹底的に追及するのが残された仕事だ


加計騒動とは 内閣人事局を巡る官僚と首相の人事権闘争

官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
人事が公正に行われたりしたら、官僚は美味い汁を吸えなくなってしまう。
引用:http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201405/__icsFiles/afieldfile/2014/05/30/30jinjikyoku1.jpg


加計騒動を支援している「闇の天皇」

安倍首相周辺と加計学園を巡る騒動は一向に治まる気配が無く、7月2日の東京都議会選でも惨敗が予想されている。

前川前文部科学次官がマスコミにしゃべっている間は「怪文書」だと言っていたが、文部科学省の内部調査で同じ文書が出てきた。

文書は日付や作成者の署名がない匿名で、これでは公式文書ではないが、萩生田官房副長官が安倍首相の名前を出して働きかけをしていた。

          


萩生田氏は事実無根だとしていたが、今度は萩生田氏と文部官僚との録音テープなるものが出てくると言われている。

仮にこれらが事実だとすると一連の出来事が一つにつながり、その出所は萩生田官房副長官だった事になる。

まず萩生田氏が文部科学省に押しかけて家計学園獣医学部の新設を認可するよう働きかけ「総理の意向だ」と言って期日を区切って要求した。


萩生田氏の要請に基づいて恐らく文部科学省の次官か局長が、『官邸の最高レベル』からの要請だというメールを作成し送信した。

『総理は平成30年(2018年)4月開学とおしりを切っていた』という文面があり、文部省では今年8月までに認可の判断を行う。

加計学園獣医学部は戦略特区制度によって愛媛県今治市が新設を希望し、用地を無償で提供した上、認可を強く希望している。


いったい四国の田舎の獣医学校の何が重要なのか、どうでも良いような気がするが、前川前次官と文部省にとっては重大事件だった。

加計学園騒動が始まる半年前の2017年2月に文部科学省の天下りが発覚し、前川喜平次官が責任を取らされて辞任した。

前川氏と文部官僚はこの懲罰を不満に思って官邸と全面戦争を始めるのだが、その背後には「闇の天皇」と呼ばれる財務省の後押しがあった。


本当の戦いは官僚の人事権

安倍政権は2014年)5月30日に内閣人事局を設置し、それまで各省庁がやっていた官僚人事を、官邸で行う事とした。

つまり今まで官僚の人事は官僚自身が決めていて、総理大臣や国会といえども絶対に口を出す事は出来なかった。

それを今日から総理大臣が官僚人事を決めるとなったので、官僚側は猛反対し財務省を中心に反安倍闘争を展開した。


2015年ごろに安保法制が異様な盛り上がりを見せ、日本中のマスコミが左翼化したかのように(左翼だが)反自衛隊、反米軍キャンペーンを始めた。

日本の全マスコミに対して一斉に指示を出せるのは官僚だけで、反安保闘争を操っていたのは財務省だったと見られる。

財務省はすべての省庁の財政を握っており、クビを横に振れば簡単に干す事ができるからです。


財務省の強大な権限は官僚自身が人事権を握っているからで、人事権が総理に移れば権力も総理に移ってしまいます。

安倍首相が消費増税に反対しているのもあって財務省は安倍政権を潰したくてしょうがなく、加計問題は渡りに船でした。

今冶の山奥の獣医学校は本当はどうでも良く、官僚特に財務官僚と安倍首相との、官僚人事権を巡る闘争なのでした。


そこに乗っかって安倍首相を退陣に追い込んで自分が総理になろうとしているのが、石破・麻生・二階・岸田・菅らの自民党幹部たちで、必ずしも安倍首相の味方ではない。

石破氏ははっきりと野党に加勢して安倍首相を退陣に追い込む姿勢を見せていて、狙いは次期総理です。

こうした「安倍包囲網」に乗っかっているのが野党や小池勢力で、都議会選挙は小池新党に有利だといわれています。
http://www.thutmosev.com/archives/71561248.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/192.html#c2

[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
413. 中川隆[-6624] koaQ7Jey 2017年8月23日 12:03:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2013年11月30日 『日本古代国家と部落の起源』
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099148.html


石渡信一郎さんが1994年11月に出された

『日本古代国家と部落の起源』
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%A8%E9%83%A8%E8%90%BD%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E7%9F%B3%E6%B8%A1-%E4%BF%A1%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4380942724

に、やっとめぐり会えた。この20年前の本を、20年前の私が読んでいたとしたら、今のように石渡説を受け入れられただろうか。


受け入れたとしても底の浅い、他人に伝えることもない知識で終わっただろう。つまり「私の問題」で終わり、終わるという程度の問題意識しか無かっただろう。だが、今は違う。

昨今、日本や世界の支配層の究明に自分の大事な時間を費やす人がいるが、私がこの20年少なくとも学んだことからすると、私なら私につながる祖先を見つけ出すために、自分の大事な時間を費やす。今や「私の祖先」は「私の」にとどまらない。私の祖先=被差別部落民は、暗黒の封印された歴史の扉を開ける。


若い私は、「部落問題」を他人に訴えた。差別の現実を訴え、人に理解して貰うために行動した。それは間違いでは無い。部落解放運動の理論上で、「部落差別はみんなの問題」と訴えた。それも間違いでは無いだろう。


しかし、訴える側のわたしたちの内面にいつも在った空疎感、空疎=内容のない事と表現すれば言い過ぎだと思われるだろうが、訴えれば訴える程わき起こる疎外感と言うべきむなしさは、私には現実であった。「問題」なのに実体が明らかに出来ない。差別は間違いだと解るのに、その間違いを「人の意識の問題」としか扱えない。

その「弱々しさ」故に苦しんだのが、私の現実であった。故に私は、飛騨天孫族を求めたのだ。

本書「はじめに」で石渡さんはこう書いている。


「部落の源流は、律令国家(日本)の侵略に対して、何も抵抗せずに帰順(きじゅん・そむいた者が服従すること)したエミシの俘囚(ふしゅう・捕虜)ではなくて、抗戦して捕らえられたエミシの戦士である」


熱いものが私のからだを包んだ。からだが反応した。
第1章は「行方不明の日高見国のエミシ」とある。連れて来られたのだ。

瞬時に過去はつながった。あの本のあの記述、この「村の祖先」の記述、飛騨に残る言葉、連れて来られたエミシたちを見張り苦役に従わせた祖先たちのこと、石清水八幡宮などである。


神棚に向かった。
息を大きく吸った。
私のこれまでの人生を再び見い出し、忘れ去られた祖先をお出しするために、私の大事な時間を使おうとおもう。



この記事へのコメント


石渡さんの論証の展開はよどむことなく、清流のように時間を超えて行くように、読んでいて感じます。本の中で空海の書を取り上げてあります。当時の賤民を、権力者と同様の視点で書き残したのを、石渡さんは批判されているのです。私が言うと、「空海よ、あんたもか?」であり、およそ稀代の宗教者らしくない差別的な文章を批判されているのです。こんなところにも、石渡さんの姿勢が現れているとおもいます。
Posted by 龍 at 2013年12月01日 14:55

龍さん、2011年9月18日の記事(資料)で以下のツイートを取り上げていました。

神 ● 風
http://twitter.com/#!/kamikaze_tokkou

明治天皇は「奇兵隊の天皇」とも言われるが、その中にある力士隊は、被差別部落と密接に関係、あるいは被差別部落そのものであった。

力士隊の屯所は、明治天皇が維新の前年まで過ごした麻郷近くの岩城山にあった。

被差別部落というのは元々、坂上田村麻呂の東北遠征の捕虜流配地であったという事を。
9月8日
Posted by まゆみ at 2013年12月01日 19:07
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099148.html
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c413

[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
414. 中川隆[-6623] koaQ7Jey 2017年8月23日 12:09:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2013年12月01日 はじめにー抜粋

私(石渡信一郎)は、前著『古代蝦夷と天皇家』(三一書房)で、律令国家(日本)が朝鮮系渡来人の国家であること、エミシがアイヌ系民族で、大部分の現代東北人の祖先であること、『日本書紀』にみえる日高見国(ひたかみこく)がエミシの独立国であることなどを明らかにしたが、本書では、主として、次のことを論証している。


1八、九世紀に、日高見国のエミシが多数行方不明になっているが、その数は数万人に及ぶとみられる。(第1章)


2それらの行方不明のエミシの大部分は、俘囚ではなくて、捕虜とされたエミシの戦士とその家族であり、彼らは、律令国家(日本)によって、唐の制度にならって官有の賤民とされた。(第1章)

※「官有の賤民」とは、官の上は天皇ですから、「天皇の奴隷」ということです。本の中で「官有の賤民」は「官賤民」と表されます。


3平安時代に、屠児(とじ・動物(馬や牛など)を殺す人)・餌取(えとり・鷹(たか)のエサにするために牛馬などの肉を切りさく人)などと呼ばれて賤視(せんし)されていた人々は、そのエミシの戦士の子孫である。(第2章)


4八世紀(700年代)に、律令国家(日本)は、天皇家を最上位、エミシの捕虜を最下位とするカースト的身分制度を成立させた。(第2章)


5中世に、非人・河原者などと呼ばれて賤視されていた人々も、その捕虜とされたエミシの戦士の子孫である。(第3章)


6近世にエタと呼ばれて賤視された人々は、中世の非人・河原者の子孫である。つまり、部落の源流は、官賤民とされたエミシの戦士であり、部落差別は、古代カースト的身分制度の残滓(ざんさい・のこりかす)である。(第4章)

※「残滓」という表現に反応せず、石渡説を読み解いていってください。石渡さんは第4章に、「史実を隠してきた学者の単一民族幻想」の中で、信長・秀吉・家康について述べています。
「…政権を握ることはできたが、古代以来のカースト的身分制度を大きく変えることはできなかった。彼らの政権は、天皇家を最高位の身分とする、古代以来のカースト的身分制度に依拠したものであり、天皇家の権威と権力(官位任命権など)を借りなければ成立し得なかったからである。………」

つまり、「身分制度」は、私たちが教えられたように、家康の「発明」でも何でもなかったのです。「近世に形成された身分制度」の通説を批判し、「残滓」と言い切る、大きな理由があり、読者の視点を「近世」から離すための、本質を理解さえすれば「残滓」なのだと、秀吉・家康は利用しただけなのだという表現だと、含んでいてほしいと考えます。

※最近、賞をとった本に「秀吉は河原者」とありました。家康は賀茂氏の末裔を自認し、徳川の家紋は葵ですが、「賀茂」の名付親は欽明天皇ですから、賀茂氏は大田タネコの子孫ですから、宇佐神宮の大神比義も同じ一族ですから、大した者ではありません。

7部落が近世に形成されたとする通説は、非科学的であり、合理的な根拠は一つもない。部落の起源に関する網野善彦氏の説も、きわめて主観的・恣意(しい・自分勝手な考え)的なものである。(第4章)
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099149.html


2013年12月01日 第1章行方不明の日高見国のエミシ


1記録されなかったエミシの強制移住


エミシとは?

『日本書紀』(720年に成立)などにみえるエミシ(蝦夷)については、和人説やアイヌ説などがあり、その末路は定かでないなどともいわれている。これは、古代史学者が、人類学・遺伝学・言語学・民族学などの研究成果を利用する、いわゆる学際的研究を怠ってきたためである。私は、この点に留意し、前著『古代蝦夷と天皇家』では、多数の文献史料のほかに、人類学・遺伝学・言語学・民族学など多くの資料を使用し、エミシの実体について、主に次のようなことを明らかにした。


1エミシは、アイヌと和人(主に朝鮮系)の中間的な体質をもっており、アイヌ語を使用していたアイヌ系集団であり、朝鮮系の倭国(=ヤマト国家。七世紀後半以降は律令国家と書く)の支配層からみて、異民族であった。エミシは、五世紀の倭王武の上奏文にみえる「毛人」(『宗書』)であり、当時の東日本の先住民である。

※「倭王・武」は誰だったでしょう?


2六世紀前半までに、倭国(=ヤマト国家)は、太平洋側では岩手県南部、日本海側では山形県北部まで支配領域を広げた。

※渡来朝廷の天皇は、おおむね欽明の代ごろです。ちなみに、倭国王・欽明天皇は第9代と推定されます。


3六世紀後半に、岩手県南部のエミシが反乱を起こし、エミシの独立国をつくったが、七世紀後半には、この独立国の領域は、ほぼ岩手県全域と宮城県北部に及んでいた。このエミシの独立国が『日本書紀』にみえる日高見国(ひたかみこく)であり、八世紀に建てられた多賀城碑(たがじょうひ)にみえる蝦夷国である。日高見国は、成立直後から八世紀まで倭国(=ヤマト国家)とその後身の律令国家に朝貢(ちょうこう・朝廷にみつぎ物をすること)していた。


3『日本書紀』では、「蝦夷」という語は、広義(こうぎ・ひろい意味)と狭義(きょうぎ・「広義」の反対の意味で、せまい意味)の二通りで使用されており、広義では陸奥(むつ)・出羽(でわ)・越(こし)・渡嶋(わたりしま・北海道)のアイヌ系住民、狭義では日高見国のアイヌ系住民を指している。


4七世紀後半以降(600年代後半から)、律令国家は、東北地方侵略を再開し、八世紀前半には、日高見国の南部を侵攻した。


5八世紀後半には、律令国家は、太平洋側では、宮城県北部の日高見国の領域を侵略し、日本海側では出羽のエミシを征服して、日高見国のエミシと出羽のエミシを切り離した。そして、774年(宝亀五)に律令国家は本格的な日高見国侵略戦争を開始したが、この侵略戦争は、811年(弘仁二)に日高見国が滅亡するまで38年間続いた。


6律令国家に帰服(きふく・降参して従属すること)したエミシは、俘囚(ふしゅう・とらわれた人)とか夷俘(いふ・「夷」という語には「東方の未開の異民族」と意味を持たせていますが、「夷」は差別的な表現で「未開」=野蛮な異民族=野蛮であるから従わない、の意味を含ませています)と呼ばれて、居住地にそのまま置かれたか、もしくは奥羽以外の諸国に移配(いはい・「移」=うつされ、「配」=(物のように)くばられた)された。
とくに、八世紀前半から九世紀初めにかけて、律令国家は、日高見国と出羽の帰服したエミシを俘囚として奥羽以外の諸国に移住させ、その代わりに律令国家の住民を東国などから移住させるという、大規模な住民交換を行った。移配された俘囚の大部分は、平民以下の身分に置かれ、警察業務などを強制されたから、日高見国侵略戦争は、奴隷獲得戦争の側面をももっていた。


7東北地方のエミシは、一二世紀ごろまでに、文化的に和人と同化した。古代末期には、エミシはエゾと呼ばれるようになった。


エミシの強制移住

以上のように、東日本のアイヌ系の先住民であったエミシは、朝鮮系の日本古代国家によって征服された。エミシという呼称(こしょう・呼び方)が中世にはエゾに変わったために、エミシと呼ばれた人々が消え去ってしまったかのようにみえるが、東日本の現代人にはエミシの血を引いている人が多数いるし、東北地方北部の現代人は、ほとんどエミシの子孫であるといっていい。


しかし、エミシの中には、実際に行方不明になった人々もいるのである。律令国家の侵略に激しく抵抗した日高見国(岩手県全域と宮城県北部)とその周辺の地域に居住していた多数のエミシが姿を消しているのである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099150.html


桓武天皇の勅

私は、本書で、この消えたエミシの行方を追おうとするのであるが、まず律令国家が行ったエミシの強制移住について、簡単に説明しておきたいと思う。

※ブログ記事の読者ならお分かりでしょうが、石渡さんの説かれた「律令国家」は、通説の国家像ではありません。本ブログ記事にも少し転載しましたので、検索して読んでください。石渡説は素晴らしく、日本人必読の古代史であり、日本の再生さえ可能ならしめる内容を備えています。


前述のように、律令国家は、八世紀前半から九世紀初頭にかけて、陸奥国や出羽国の多数のエミシを俘囚として奥羽以外の諸国に強制移住させた。

800年(延暦一九)五月二二日の桓武(かんむ)天皇(在位781〜806・平安京に遷都した天皇)の勅(ちょく・天子(天皇)のおおせ『類聚国史』(るいじゅうこくし))に、

それ夷狄(いてき)を招きて中州に入れるは、野俗を変じて以て風化に靡(なび)かしめんが為なり。

とある。
エミシの俘囚を中州(中国・中華と同じく、律令国家の自称。具体的には、奥羽以外の諸国を指す)に移住させるのは、野蛮な風俗を変えて文明人になるように教化(きょうか・教え導いて善良化させること)するためだというのである。


しかし、これは建前にすぎず、俘囚の強制移住は、彼らを原住地から切り離して、
1日高見国侵略を容易にするためと、
2彼らを奴隷として使役するためであったが、
1が最大の目的であり、帰服した俘囚を抵抗を続けるエミシと切り離して日高見国の軍事力を弱め、俘囚が居住していた地に律令国家の住民を柵戸(キノヘ)として移住させ、律令国家が侵略した地域を防衛させることをねらったとみていい。


ちなみに、柵戸(キノヘ)とは、辺境の地の城柵に附属させた民戸で、サクコとも呼ばれる屯田兵(とんでんへい・平時は農業(開拓)に従事している兵)の一種である。

※アメリカ映画のカウボーイの牧場には、牛や馬が外に出ていかないように、木で大きな柵が設けてあります。

俘囚が居住していた地に大きな柵を設けて、その柵は律令国家のものとの目印で、外から入ることを許さないということで、中には律令国家の派遣した兵士が住んでいます。

記録に最初に現れる柵戸は、647年(大化三)越国の渟足柵(ぬたりのさく)に置かれたものであり、陸奥・出羽に置かれた柵戸(キノヘ)の出身地は、主として関東地方、東日本である。

こうした目的のための律令国家の俘囚移配は、日高見国北部(岩手県北部)のエミシが征服された811年(弘仁二)ごろには終ったが、記録にみえる移配俘囚の数は、725年(神亀二)から800年(延暦一九)の間で、2000人足らずである。しかし、967年(康保四)に施行された『延喜式』(律令の施行細則)にみえる俘囚料から、当時の俘囚の数は4600人近いと推計されているので、記録されていない俘囚の移住がかなりあったとみられる。

俘囚料

すなわち、『延喜式』によると、律令国家六八カ国(68カ国)のうち、三五カ国に俘囚が居住している。『延喜式』には、その三五カ国の俘囚が記録されているが、高橋崇(『蝦夷』)によれば、俘囚料とは、「各国が春に一定数量の稲(本稲)を農民に強制的に貸し付け、秋の収穫時に三割の利息(利稲)を徴収するという公出挙(くすいこ)、税の一種であって、その利息の稲をもって俘囚などの食料や禄料(ろくりょう・支給物品購入費とする)にあてることにしたもの」であり、三五カ国の俘囚料の合計109万5509束は、4565人ほどを養うことができる数であるという。

しかし、『延喜式』の俘囚料の数字は、高橋崇自身も、「現実に各国にいる俘囚らの数を必ずしも正確に反映しているとはみなしにくい」といっている。例えば、駿河の俘囚料は、一人分にも足りないし、日向でも、五人分弱である。また、畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)には、俘囚を移配したという記録があるにもかかわらず、これら五国の俘囚料は記載されていないのである。


また、一〇世紀前半に成立した『和名類聚抄』(わみょうるいじゅうしょう・以下、『和名抄』と略す)によると、上野(こうずけ)国の碓氷(うすい)・多胡(たこ)・緑野(みどの)の三郡と周防(すおう)国の吉敷(よしき)郡に俘囚郷(ごう)があり、播磨国の賀茂・美嚢(みなぎ・元の字が見当たりません)の二郡に夷俘郷がある。俘囚郷と夷俘郷を合計すると六郷になるが、ふつう一郷は五〇戸であるから、かりに一戸を一〇人とみると、六郷で3000人ということになる。したがって、これらのことを考慮すると、八、九世紀に移配された俘囚の人数は、一万人を上回ると考えられるのである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099152.html

大規模な住民交換

※『日本古代国家と部落の起源』石渡信一郎著・三ー書房を転載中です。


では、八、九世紀に、柵戸(キノヘ)として、陸奥・出羽に移住させられた律令国家側の住民の数はどうであろうか。記録されているものだけをみると、八世紀前半には、次のような移民が行われている。

714年(和銅七)尾張・上野・信濃・越後等の国の民二〇〇戸を割(さ)いて、出羽の柵戸に配する。

715年(霊亀元)相模・上総・常陸・上野・武蔵・下野の六国の富民ー〇〇〇戸を陸奥に配する。

716年(霊亀二)信濃・上野・越前・越後四国の百姓各一〇〇戸を出羽国(出羽柵)に付かせる。

719年(養老三)東海・東山・北陸三道の民二〇〇戸を遷して、出羽柵に配する。

722年(養老六)柵戸ー〇〇〇人を陸奥鎮所(ちんじょ)に配する。


「鎮所」は軍政・軍令の機関で、後に「鎮守府」(ちんじゅふ)と名称が変わったものとみられているが、八世紀前半には、律令国家は、陸奥に一〇〇〇戸と一〇〇〇人、出羽に八〇〇戸の柵戸を移住させたわけである。

※「鎮守」は歌にありました。「♪もりの鎮守の神さまの、今日はめでたいお祭り日♪」。明るい歌に、こんな悲しい出来事が隠されていました。


また、記録によると、八世紀後半には、陸奥に一万二六〇一人、出羽に二五五ー人の柵戸が移住しており、九世紀前半には、陸奥に四〇〇〇人が移されている。したがって、陸奥国には、八世紀前半から九世紀前半までに一〇〇〇戸と一万七六〇一人、出羽国には、八世紀に八〇〇戸と二五五ー人が柵戸として移住したことになる。

そして、古代の平均的家族数を一七・五八人とする山田安彦(『古代東北のフロンティア』)の見解に基づいて、一戸=一七・五八人として計算すると、八、九世紀には、陸奥に三万五ー八ー人、出羽に一万六六ー五人、合計して両国に五万ー七九六人が柵戸として移住したことになる。

※石渡信一郎さんは、「人類学・遺伝学・言語学・民俗学など多くの資料を使用し、エミシの実体について」研究してきたと述べておられる。
本の次の節は、「日本語のアクセントと頭型分布」「渡来系住民の言語」「野生ハツカネズミの分布図」と展開される。
これらの節は「石渡説シリーズ」で転載したので省略するが、まだご存じない方は当ブログ記事を検索して読んでほしい。石渡説を論証する資料として重要です。

私の転載は、あくまで概略にしか過ぎない。
本をまるごと転載するつもりは初めからありません。
私はこうして転載をする中で、一人でも多くの方が、石渡信一郎さんの心血を注がれた本を、ぜひぜひ、手元にされることを願います。

………以上のように、律令国家が行った大規模な住民交換は、日本語のアクセントの分布や野生ハツカネズミの分布にもうかがえるのであるが、前述のように、陸奥と出羽に置かれた柵戸の人数は、記録されているだけでも、合計五万ー七九六人と推計されるから、移配された俘囚の数を両国合わせて一万人を上回るとみても、たいへんな差があることに気付く。

この大きな差は何を意味するのであろうか。

※研究者の緻密な作業を、ぜひ読みとってください。
結論を急ぐと、私たちも鍛えられません。「おいしいところ」だけをとって、知ったかを決め込んで何になりますか。

「難しく見えるけれど、隠そうとしたってほら、こうして見ていくとわかるでしょう」と、石渡さんが見本を示してくださいます。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099153.html
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c414

[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
415. 中川隆[-6622] koaQ7Jey 2017年8月23日 12:17:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

移配された俘囚の数

この疑問の答えを出すために、次に、律令国家がほろぼした日高見国の領域(岩手県全域と宮城県北部)における住民交換に問題をしぼって、検討してみたい。


722年(養老六)に陸奥鎮所に柵戸(キノヘ)1000人が置かれているが、陸奥鎮所は、当時律令国家の支配領域にあった多賀城周辺に設置された可能性が強いので、この柵戸の人数は除くことにする。とすると、八、九世紀に日高見国の領域に置かれた柵戸の人数は、三万四ー八一人となる。

一方、この地域から俘囚として強制移住させられたエミシの数は、前述の「一万人を上回る」数の八割とみて、大まかに一万人前後とみても、この数は、柵戸の三万四ー八ー人という数に比べるとやはり非常に少ない。


従来、この点については、日高見国のエミシが未開野蛮な段階にあったから、その人口が少なかったためと考えられてきたが、これは、学者が、日高見国のエミシに関する『日本書紀』の記述を鵜呑みにしていたからである。

日高見国南部は、六世紀には、いったん倭国(=ヤマト国家)の支配領域に入れられており、渡来系の移民がエミシと混住して、稲作を行っていた。六世紀後半には、北上川中・下流域にエミシの国である日高見国が生まれたが、日高見国は八世紀まで倭国(=ヤマト国家)とその後身の律令国家の朝貢国となっていて、その文化に接する機会があったから、日高見国のエミシは、東国の渡来系住民とほぼ同じような水準の稲作を行っていたと思われる(『古代蝦夷と天皇家』)。

したがって、八世紀〜九世紀初めの日高見国のエミシの人口は、ふつう考えられているより、はるかに多かったとみられるのである。

※食料事情は安定、戦いは無しですから、人口は増えるわけです。

宮城県北部のエミシ人口

そこで、まず日高見国の一部であった宮城県北部のエミシの人口について考えてみよう。

770年(宝亀元)四月に、「陸奥国黒川(くろかわ)・賀美(かみ)等一十郡の俘囚三千九百廿人」(3920人)が、「自分たちの先祖は、もとは王民であったが、エミシに捕らえられて、その奴隷にされた。今、敵を殺して逃げ出し、家族も増えた。俘囚の名を除いて、調庸(ちょうよう)の民にしてほしい」と願い出て、許可されているが、このことから、宮城県北部に居住していた渡来系の住民がエミシの奴隷となっていたことが分かる(『古代蝦夷と天皇家』)。


この渡来系住民の先祖は、七世紀前半ごろ、柵戸のような移民として、主に奥羽以外の諸国から宮城県北部に移されたとみられるが、エミシの奴隷となった後も、その子孫は農耕に従事していて、人口も増えたとみていい。したがって、宮城県北部でも、東国とほぼ同じような技術水準で稲作が行われていたから、律令国家の侵略が始まる前の、七世紀末におけるこの地域のエミシの人口も相当な数であったとみられるのである。


試みに、七世紀末のこの地域における渡来系の奴隷の人口を約2000人とし、当時のこの地域のエミシの人口を求めてみよう。

律令国家の奴隷の人口が総人口に対して占める割合(奴隷の人口比)を五〜一〇%とみる説(社会工学研究所『日本列島における人口分布の長期時系列分析』)に基づいて、総人口を求めると、答えは二万〜四万人となる。この二万〜四万人から渡来系の奴隷の人口2000人を引くと一万八〇〇〇人〜三万八〇〇〇人となるが、これが求めるエミシの人口ということになる。

※数字の表記を統一しましょう。いくら原文に忠実にと表しても、やはり見づらいですね。

また、山田安彦(『前掲書』)が推定した、星河(黒川)・色麻(しかま)・志太(志田)・玉造・長岡・小田・桃生(ものう)・牝鹿・栗原・登米(とよま)・気仙各郡の古代の人口(非エミシ系)は、合計5万1568人である。これは、住民交換が行われた後の人口であるから、律令国家の侵略が始まる前のエミシの人口を、この非エミシ系の人口の半分とみると約2万6000人、三分の二とみると、約3万4000人となる。

そこで、これらの数字から、七世紀末の宮城県北部のエミシの人口は、3万人前後とみていいであろう。勿論、この数字は、きわめて大まかなものなので、当時のエミシの人口を考えるための一応の目安としていただきたいと思う。

※最終的な行方不明となったエミシの数は、「数万人に及ぶと推測される」と、石渡さんは結論する。
さて、あともう少しで結論へと導かれる。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099154.html


日高見国侵略戦争

次に、774年(宝亀五)以後、38年間にわたって行われた日高見国侵略戦争(38年戦争)の記録から、岩手県南部のエミシの人口を考えてみよう。


この38年戦争の間に律令国家が動員した兵力は、記録されている限りでは、次のようである。

1、774年〜777年 2万7000人

2、780年〜781年 数万余人

3、789年 5万2800余人

4、794年 10万人

5、801年 4万人

6、811年
約2万人


エミシの首領は「一以て千に当たる」(『続日本紀』)とか、「弓馬の戦闘は夷リョウ(エミシを指す)の生習にして、平民の十も其の一に敵する能わず」(『続日本後紀』)と書かれているように、エミシは勇猛であったが、いかに勇猛とはいえ、日高見国のエミシの人口が非常に少なかったら、律令国家はこれほどの大兵力を動員する必要はない。

3の789年の戦争では、5万人2800余人の律令国家の大軍が、アテルイ(阿弖流為)の率いる1500人のエミシ軍に大敗している。

このときの戦場は、現在の水沢市の東部、北上川の東岸であるから、アテルイの軍は、この地域とその周辺に居住していたエミシの戦士からなっていたとみられるが、高橋崇(『蝦夷』)は、1500人のほかに、律令国家軍の北上川渡河作戦を阻止したエミシの兵が数百人いたと考え、アテルイの兵力は2000人前後とみている。

そこで、2000人という兵力から、これらの地域のエミシの男女総人口を割り出してみよう。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099155.html


岩手県南部のエミシ人口

沢田吾一(『奈良朝時代民政経済の数的研究』)によれば、律令国家の正丁(せいてい・人頭税を負担する21歳から60歳までの健康な男子)の男女総人口に対する割合は、17・02である。つまり、正丁の数は、男女総人口の二割弱である。

そこで、エミシの戦士の年齢層が、律令国家の正丁の年齢幅より大きいとみて、約2000人をエミシの男女総人口の三割とみると、これらの地域のエミシの男女総人口は6700人弱(A)ということになる。


また、この戦争で焼かれた、衣川から北の北上川東岸のエミシの村落は「十四村」、「宅」は合計して「八百許エン(火に因=煙)」と記録されている(『続日本紀』)。一村平均57エンとなるが、一煙(エン)一戸とし、一戸の平均家族数を10人とみた場合は8000余人(B)のエミシが、戦場になった、衣川から水沢市の北上川東岸までの地域に居住していたことになる。


これらの数字(A、B)から、当時アテルイの指揮下にあったエミシの男女総人口は7000〜8000人前後(C)とみていいであろう。だが、この人口は、岩手県南部全域のエミシの人口の一部にすぎない。

10万人の大兵力が動員された794年(4)の戦闘では、日高見国の「七十五処」が焼かれている(『日本紀略』)。この「七十五処」をエミシの村落とし、一村=平均50戸、一戸=平均10東とみると、3万7500人(D)のエミシの家が焼かれたことになる。

この数は、処=村とすることに問題があるが、CとDの数字を考え合わせると、当時岩手県南部全域に居住していたエミシの総人口は、どんなに少なめにみても、3万人を大幅に下回ることはなかったと思われる。794年に10万人という律令国家の大軍が動員されたことも、当時の岩手県南部のエミシの人口をこのように考えれば納得がいく。


そこで、律令国家の侵略が始まる前の八世紀末には、岩手県南部に3万人前後のエミシが居住していたとみて、七世紀末の宮城県北部のエミシの人口3万人前後と合計すると、6万人前後という数になる。つまり、時期は異なるが、合わせて6万人前後のエミシが、律令国家の侵略が始まる前に、両地域に住んでいたことになるわけである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099156.html


行方不明になったエミシの数

一方、八世紀〜九世紀初頭に俘囚として移配された、日高見国南部のエミシの数を、前述のように1万人前後とすることにし、俘囚としてこの地域に残されたエミシの数を1万〜2万人前後とみて、この二つの数を合わせると、2万〜3万人前後となるが、この数を、前述のエミシの人口の6万人前後から引くと、残りは3万〜4万人前後となる。これが、八、九世紀の律令国家の侵略によって、行方不明となった日高見国南部のエミシの数というわけである。

そして、日高見国北部と出羽で行方不明になったエミシの数を大まかに1万人前後とみて、この3万〜4万人前後という数に加えると、八、九世紀に、日高見国全域と出羽で合計4万〜5万人前後のエミシが行方不明となったことになる。


1八、九世紀末の岩手県南部のエミシ人口=3万人前後

2七世紀末の宮城県北部のエミシ人口=3万人前後

3 1+2=6万人前後

4日高見国南部から移配された俘囚の数=1万人前後

5日高見国南部に残された俘囚の数=1万〜2万人前後

6 3ー(4+5)=3万〜4万人前後=日高見国南部の行方不明者数

7日高見国北部と出羽の行方不明者数=1万人前後

8 6+7=4万〜5万人前後=日高見国全域と出羽の行方不明者数


もっとも、この数字は、きわめて大まかなもので、将来この問題についての研究が進めば、これよりもはるかに正確な数字が算出されると思われる。しかし、4万〜5万人前後という、この数字は、少なめにみてあるので、将来上方修正されることはあっても、大幅に下方修正されることは決してないであろう。したがって、私は、ここで次のように指摘しておきたい。


【八世紀から九世紀初めにかけて、日高見国(岩手県全域と宮城県北部)とその周辺の出羽国のエミシが行方不明になっているが、その数は数万人に及ぶと推測される。】


では、これらのエミシの行方を追うことは可能であろうか。答は、イエスである。

幸いなことに、手掛かりとなる記録がたった一つ残っている。次の節では、その貴重な記録について説明したいと思う。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099157.html


石渡説を支持します

「八幡では太政官布告が出されるより早く、明治二年六月京都天部村から人別の取り調べがあった。この人別取り調べに対して、〇村と〇〇村の総代は当時の八幡宮社務南五位の証と合わせて、次の願書を京都府へ提出している。……」


「……この願書では「穢村」ではあるが八幡宮の神職の一つ「御前之神人」と称して、これまでは他の八幡領住人同様社務の支配を受けてきたので、天部村からの人別調べがあったとはいえ、他の者同様の取り扱いをして欲しいと訴えたのである。」


「しかしながら、………両村とも人別調べでは「穢多村」とされ、編籍では「新平民」とされたのである。」(『八幡市誌』第三巻第六編「近代の八幡」P182)


明治二年六月、京都のエタなどを取り仕切る役人村から「人別調べ」があり、私の祖先の村総代は、当時の石清水八幡宮の社務、南五位(五位は天皇から与えられた位)の証(証書)と合わせて、嘆願書を京都府へ提出した。


私の生まれた村は、八幡宮の支配下に永くあり、願書にあるように「御前之神人」として生きてきた。石清水八幡宮の神職であるということが、祖先の生きる誇りであった。しかし、願いは叶わなかった。


「御前之神人」とはどういう事だったのだろうと聞きに行くと、「八幡における被差別部落が、明治四十一年の『山城綴喜郡誌』にあるように「石清水放生会(ほうじょうえ)神事(しんじ)還御鹵簿(かんごろぼ)の前駆なり、汚穢(おえ)不浄の排除するの神役を勤む、之を御前と云ふ」」(『八幡市誌』第二巻第五編「近世の八幡」P305〜306)を、「市誌」担当者は教えてくれた。勿論、意味も聞いた。

つまり、勅祭である「放生会」の祭りの際、行列の先頭を行き、「汚穢不浄の排除」を任されたのだ。それは「きよめ」という役目で、祖先にはそれが仕事だったのである。

『八幡市誌』にはこうある。
「…八幡においては、二ヵ所に被差別部落が形成されたのであるが、この二つは、いずれも中世以来の中世賤民の系譜を持つものと考えられる。」
と、通説の「徳川幕藩体制下に形成」では、八幡の被差別部落形成は当てはまらないのだ。それは、八幡の場合、資料がしっかりと残っているためだ。


『八幡市誌』の記述である。
「中世の「きよめ」という神社・寺院の散所民であったものが、掃部所(かもんどころ)などの支配から、山角・雑職(身分)などの支配する役人村として編成されたもので、」

「八幡宮社境内及び山上山下寺院、その他郷内の社寺の掃除や死牛馬などの廃棄処理も含めて、」

「中心には宮領内の治安、巡検・行刑等の役を負っていたと考えられる。」

これが『八幡市誌』にみえる私の祖先たちの記述である。
先に、「穢村」と願書に祖先は書いた。それを京都府は「穢多村」とした。私はこれを、こうみる。
「確かにわたしたちは穢多の仕事をして来ました。しかし、それは、神事であり、永く石清水八幡宮の神人として仕えたのですから、他の八幡領(はちまんりょう)住人同様の扱いにしてください」。

この祖先たちの願いに、八幡宮社務、南五位はこたえて「証」を提出している。これは異例であろう。

この先も石渡説を紹介していく。石渡さんの「行方不明のエミシの戦士」は、奈良から京都に都がうつるのと同じく、京の天皇のもとに連れて来られた。天皇は官賤民(エミシ)を、神社・寺院の労働力として神社・寺院に下賜する。それが『八幡市誌』の「中世の「きよめ」という神社・寺院の散所民」である。

しかし、石渡さんは、「中世の賤民は平安時代の末期に解体された」との説で、エミシの戦士=官賤民こそが穢多とされたと述べている。これは重要な視点である。私は想う。


京の河原に連れて来られた官賤民=エミシの戦士たちは、天皇の祖廟である石清水八幡宮の支配下に置かれた。八幡宮領は、南は和歌山、北は福井、西は遠く九州まであり、それら八幡宮領地域から「税」を取り、形の上では「独立」していた。後の「天領」も同様の意味を持つ。

では、具体的に、これら離れた八幡宮領から「税」を徴収する者が居なければならない。また、男山(雄山)山頂に置かれた神社の維持には、多くの具体的な労働力が必要である。一例をあげれば、燈籠、山頂への階段、土砂流出を防ぐ加工された石、この重い石を急な山頂付近まで運んだのは誰だろう。

一例をあげれば、神馬を山からおろし、「馬場」で運動させ、その糞の世話は誰の仕事だったろう。神官や宿坊(48の坊があったという)の僧の人糞の世話は誰の仕事だったろう。

毎日の清掃、雑用に、どれだけの人の手が必要だったろう。


私の父方の祖父の家に、天井付近のところに、長さ1メートルちょっとの古く錆びた槍を、中学生だった私は見たことがある。祖父は本家から分家し、昭和16年にこの家に引っ越した。兄と妹が本家に居たが、私の親父が生まれたのを契機に独立したのだと思う。

その槍は変わっていた。侍(さむらい)が持つ物でない事は、中学生の私でも分かった。今ではその槍は、江戸時代ごろに持たされた物だと理解している。


元々が、「村」は「八人」が始まりだと古老は言っていた。宇佐から神を御輿に担いだと私たちは聞いてきた。途中から今の場所に移り住んだのだと聞いた。その移り住んだ神人が槍を持ったのだ。


私は想う。
槍を持ったのは、本当に身分制度が再固定された江戸時代だったのだろうか、と。
その槍は、祖先の生きた何かを表してはいなかっただろうかと。

私は今想う。
神人の槍は、「奴隷」を管理監督するための、権力者から与えられた役目の象徴であったのだと。「役人村」の神人たちが見張ったのは、外から八幡宮領に来て悪さをしようとする者よりも、既に「そこ」に強制的に住まわされた人たちだったのではなかったのか。

そう考えると、「村」に意識としてあった「分断」の実像が現れる気がする。

所によっては、「うちは「上(かみ)」や、お前とこは「下(しも)」じゃ」と、同じように差別を受けてきた者たちが互いを下げずんだ事も、事実が現れる気がするのだ。

私の知る私の生まれた部落は、京都府下最大の被差別部落である。
その最大という本当の意味は、石渡説を知る今、石清水八幡宮領に本質を見出だすべきだと自覚する。天皇家の石清水八幡宮領には、最大とならなければならない労働力が必要であったのだ。その「労働力」を管理監督したのが「槍」の祖先であり、槍を向けられた一方の祖先が、今学習する祖先ではないか。

私はこれからも祖先たちの実像を追う。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099158.html


2、官賤民にされたエミシの戦士とその家族

貴重な記録

消えたエミシの行方を追うための貴重な記録というのは、『続(しょく)日本後紀(にほんこうき)』弘仁二年(811)一〇月一三日条にみえる、嵯峨天皇(在位809〜823)の勅である。

この年、陸奥出羽按察使(あぜち・按察使は地方行政の監督官)の文室(ふんやの)綿麻呂(わたまろ)らが、2万人弱の兵と延べ3000人の奥羽の俘軍(俘囚の兵士)を動員して、日高見国北部のエミシを征服した。

一〇月初めの綿麻呂らの報告には「斬獲稍(ざんかくやや)多く、帰降少なからず」とあったが、この勅は、その報告を受けて出されたもので、


※読み下し文だけ転載します。

「蝦夷は、将軍らの申請通り、中国に移配せよ。ただ、俘囚は便宜を考慮して、その土地に置き、よく教喩を加えて、騒ぎを起こさせないようにせよ。また、新たに捕らえられた蝦夷は、早く進上せよ。ただし、彼らの数が非常に多く、道中は困難であろう。強壮な者は歩行させ、体が弱い者には馬を与えよ」

とある。


「蝦夷」と「俘囚」の違い

この勅の中で、「蝦夷」と「俘囚」がはっきり区別されている点に注意していただきたい。按察使の綿麻呂の報告の「斬獲稍多く、帰降少なからず」と合わせ考えると、この「蝦夷」は「斬獲」の「獲」、「俘囚」は「帰降」にあたると思われる。


「新獲の夷」(新たに捕らえられた蝦夷)は前述の「蝦夷」を言い換えたもので、天皇に「進上せよ」と命じられているところから、この捕虜のエミシは畿内方面に連行されたものと考えられる。「蝦夷」が、このように移配されたのは、律令国家の軍と戦ったため、移配という刑罰の対象となったとみられる。これに対して、「俘囚」は、当土に安置されたところから考えて、律令国家と戦わなかったので、移配という刑罰を受けなかったと思われる。


ところが、学者たちは、この勅にみえる「蝦夷」と「俘囚」の意味の違いに気付かず、この「蝦夷」の移配は、記録にみえる、この(嵯峨天皇の)勅(ことば)以前の俘囚の移配と同じだと考えている。

確かに、776年(宝亀七)出羽の俘囚を「賤」としたという例もあるように、俘囚の移配が刑罰の意味をもっていたこともある。また、移配された俘囚は、故郷に帰ることも許されず、居住や職業の自由を奪われ、彼らの多くは、調庸の民(平民)になかなかなれなかったから、客観的にみれば、律令国家は俘囚を奴隷もしくは賤民とするために移配したといえる。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099159.html

俘囚移配の目的

しかし、八世紀の律令国家自体は、原則として、俘囚の移配を刑罰とは考えていなかった。前述の800年(延暦一九)五月の桓武の勅で「野俗を変じて、風化に靡(なび)かしめんが為」などと、移配の目的を説明しているのもそのためである。

また、798年(延暦一七)六月二ー日の桓武の勅(『類聚国史』)には、相模・武蔵・常陸・上野・下野の諸国に移配された夷俘(この場合は俘囚と同じ)が望郷の念を起こさないように、国司らは、夷俘を常にいたわりめぐんで、衣服・食料などの生活必需品を毎年夷俘に支給するようにせよとある。

800年(延暦一九)には、出雲国の介(次官)が、俘囚を厚遇しすぎたために、時の天皇桓武から叱責されている(『類聚国史』)のも、律令国家の俘囚優遇政策の一端を示している。

既にのべたように、俘囚移配の主な目的は、日高見国侵略のためであった。日高見国やその周辺の出羽のエミシの中で、律令国家の侵略に抵抗せずに帰服したエミシを俘囚(夷俘)として、奥羽以外の諸国に移配したのは、彼らを抵抗するエミシと切り離し、彼らの居住地に律令国家の住民を移住させるのが、主な目的であった。前述の811年(弘仁二)10月の勅で、俘囚の移配を停止したのは、この年の文室綿麻呂の軍事作戦で、日高見国が完全に征服されたので、抵抗せずして帰服したエミシを、俘囚として移配する必要がなくなったからである。


このように、俘囚に関しては、移配は原則として刑罰を意味しなかったが、しかし、抗戦して捕らえられたエミシは、律令国家にとって反逆者であるから、その移配は、当然刑罰の意味をもっていた。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099160.html


「謀反」の罪

律令時代盛期である、八世紀に成立した『日本書紀』や『続日本紀』には、エミシやハヤト(隼人。古代、九州南部に居住していた原住民)らの反乱が謀反(むほん)とか反と書かれているが、エミシなどの謀反や反に対する刑罰はどのようであったろうか。

※私の住む隣町に「おおすみ」があります。
『日本地名の語源』(石渡信一郎著、三ー書房)の第3章「古代地名に残る倭国の国名」P71に、「綴喜郡大住」の説明がしてあります。

「この地は古代に九州南部の住民、大隅(おおすみ・オホスミ)のハヤト(隼人)が移配された地であるが、但馬国城崎郡香住(かすみ)郷の遺称地である兵庫県城崎郡香住(かすみ)町にも隼人(はやと)という地名がある。」

「また、相模国大住郷の地には、平安時代に糟屋(かすや)庄(しょう)があった。」

「こうしたことから、オホスミ(大住・大隅)は、カスミ(霞・香住・香澄)と同義で、カスカラ(大東加羅〈百〉)のカ(大)がオホ(大)と変わり、スカラがスカラ→スキラ→スキ→スミ(隅・住)と転訛した地名とみられる。」
※〈百〉の表記は「百済系倭国」の国名であることを示す。

転訛=なまって転じたこと。


718年(養老二)に編纂が開始され、757年(天平宝字元)に施行された養老律令は、「八虐」(はちぎゃく)と呼ばれる八つの重罪の最初に「謀反」、次に「謀大逆」(むたいぎゃく)をあげているが、「謀反」は「国家を危うくしようと謀ること」、「謀大逆」は「山陵及び宮闕(きゅうけつ)を毀(こぼ)とうと謀ること」としている。

つまり、「反」は「天皇・国家に危害を加えること」、「大逆」は「山陵と宮闕を破壊すること」を意味する。

養老律令の賊盗律には、謀反と大逆に対する罰則として、

(読み下し文だけ転載します)

謀反と大逆を犯した者はすべて斬刑とせよ。その父と子(男性)、もしくは家人(民有の奴婢。奴は男性、婢は女性。律令制度の下の賤民の一)・資財(奴婢を含む)・田宅はすべて没官(政府の所有物とすること)。八〇歳の者と篤疾(律令制に規定された身体障害者。廃疾より重い)の者は免除せよ。祖父・孫・兄弟はすべて遠流(律令制の三つの流罪の一。最も重い流罪)に配せ。籍の同異は関係ない。


とあり、このほか、謀反といっても、実際に多数の者を動かすことがなかったときは、共謀者は皆斬、父と子(男性)は遠流に配せよ、資財は没収しなくともよいと定めている。天皇や国家に対する攻撃である「反」を謀るだけで、本人は斬刑に処せられ、全財産は政府に没収され、父や子(男性)や家人は、官戸(かんこ・官有の奴婢。律令制度の下の賤民の一)にし、祖父や孫(男性)は遠流に配されるというわけである。

この規定は、律令国家の国民が、謀反を起こした場合に適用されるのであるが、異民族のエミシやハヤトの反乱に対しては、もっと厳しい刑罰が加えられたと思われる。

藤原広嗣の乱

というのは、740年(天平一二)の藤原広嗣の乱で、広嗣の側についたハヤト軍が、「官軍に刃向かったら、妻子親族まで処罰される」と告げられて、追討軍と戦うことを止めたということがあるからである。

この年九月、太宰少弐(だざいのしょうに・弐は太宰府の次官。大弐と少弐がある)の藤原広嗣は、藤原氏の家運を盛り返そうとして、反乱を起こした。

律令政府は、大野東人(おおののあずまひと)を大将軍として追討軍を派遣したが、『続日本紀』天平一二年(740)一〇月九日条によると、広嗣が率いる北部九州の一万余の軍と、東人の部下の佐伯宿禰常人(さえきすくねつねひと)らが率いる六〇〇〇余の軍が豊前の板櫃(いたびつ)川を挟んで退陣した。

広嗣の軍にはハヤトの軍勢が参加していた。そこで、常人は、自分の部下のハヤトに、

(読み下し文だけ転載します)

反逆者広嗣に従って、官軍に抗戦する者は、自分が殺されるだけではなく、その罪は妻子親族にも及ぶであろう。

と大声で叫ばせた。すると、広嗣のハヤトと兵は、矢を放つことができず、広嗣も一度は恭順の意を示したという。


前述のように、養老律令では、謀反の罪を犯した場合、妻・母・娘など女性は処罰されないが、ハヤトに対しては、官軍に抗戦した場合、「妻」まで罰すると警告しているのである。そこで、この場合「子」「親族」の中には、母や娘などの女性も含まれていたと考えられる。

こうしたことから、律令国家の国民の場合と違って、ハヤトが官軍と戦った場合は非常に厳しい刑罰に処せられることが分かるが、次に延べるように、同じような厳しい刑罰が、官軍に抵抗したエミシに対して、実際に加えられていたと思われる。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099161.html

http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c415

[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
416. 中川隆[-6621] koaQ7Jey 2017年8月23日 12:20:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

休憩ー自由にする

石渡さんの本を転載していると、「そうだ」「やっぱり」と、頭ではなく身体の記憶で反応している自分を感じる。石渡説は、現在では「一つの研究成果」という扱いになるのだろうが、私にすればそれは違う。


石渡説を、私が私の人生で知り合った人、死んで行った人たち、私の身内たちに説明したら、どんなに長年の霧が晴れて彼らは喜ぶだろうと、真っ先におもう。

差別されて来た人たちが知りたいのは、その原因である。差別されて来た人たちは、いつも怒りを持って生きているのではない。いつも怒りを持って生きていると、それはとても疲れるし、自分たちが受けている差別の原因を、外にさがすのは、ある意味やむを得ないことになる。

差別する人を「差別するのをやめろ」と言ったところで、どうなるかは、私たちはよく知っている。知ってはいるが、「差別するのをやめろ」と言わないわけにはいかない。けれども、本当はとても疲れるのである。


こんな、例えるならば、同じ土俵の中で、私たちは、この国に生きる人間は、何度も何度も繰り返し繰り返し、互いに戦い、勝ち負けを争うようにしむけられて来た。
だから、「その」原因が、どんなことが過去にあったのか、知りたかった。


私は、石渡説を転載している中で、自由になる。私は、怒りが人を自由にさせないことも学んだ。だから私は、もっと自由になる。


私たちがどれほど、真の自由を望んで来たか、部落差別から解き放たれたかったか、それ故に石渡説を受けとめている。


人の世の熱と光は、生きている人の責任として、わたしたちが今拡げなければならない。
私たちは決して、祖先をぼうとくするような愚かな行為をしてはならない。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099162.html


天皇の所有奴隷

※本では次は「唐の律令をまねた捕虜制度」ですが、これをとばして次に進みます。でも、「ピンッ」と来ますよね、藤原不比等のことが。石渡さんも『日本書紀』編纂修了の頃を、「エミシを奴隷として移配しはじめた」とみておられます。つまり、それは、まぎれもなく日本国です。


(唐の)官奴婢は、世襲的な身分で、子孫は長く命ぜられた場所で強制労役に従わされた。唐の侵略に対して戦う者は、皇帝ないしは国家に対して「反」を犯した者、重罪を犯した者とみなされたわけである。

唐の律令制度を模倣した律令国家の支配層は、日高見国を侵略したときのトリコ(虜)の処遇も、唐にならったものとみられるから、前述の811年の勅にみえる、移配される「新獲の夷」と、居住地に安置される「俘囚」は、それぞれ唐における捕虜と降虜に相当すると判断されるのである。

つまり、律令国家は、唐にならって、日高見国侵略にあたっては、抵抗したエミシの男性の親族ばかりではなく、妻・娘・母・姉妹などの女性の親族をも刑罰の対象とし、国家=天皇所有の奴隷として奥羽以外の諸国に移配したとみられるのである。


抗戦のエミシの移配

では、律令国家は、いつごろから抵抗したエミシとその一族を、奴隷として移配するようになったのであろうか。私は、720年代であろうと考えている。


720年(養老四)、陸奥国のエミシが反乱を起こして、按察使(あぜち)正五位下(げ)の上毛野(かみつけの)朝臣(あそん)広人(ひろひと)を殺したため、律令政府は、多治比真人(たじひのまひと)県守(あがたもり)を征夷大将軍として、陸奥に派遣している(『続日本紀』)。
また、724年(神亀元)にも、海道の蝦夷が反して、陸奥国の大掾(だいじょう・掾は国の判官。律令制の四等官の第三位。介(次官)の下で、陸奥のような大国では、大掾と少掾がいた)であった従六位上の佐伯宿禰児屋麻呂(こやまろ)を殺したので、律令政府は、直ちに藤原朝臣宇合(うまかい)を持節大将軍に任命し、海道のエミシの反乱を鎮圧させている(『続日本紀』)。

このころ、律令国家が、日高見国の領域であった宮城県の大崎平野を侵略しつつあり、エミシがその侵略に反対して戦っていたから、上毛野朝臣広人や佐伯宿禰児屋麻呂が殺されたのも、その戦闘の渦中であったとみられるのである。


そして、児屋麻呂が殺された翌年の725年(神亀二)には、陸奥国の俘囚144人が伊予国に、587人が筑紫に、15人が和泉に配されているが、俘囚という語は、八世紀初めごろには、抵抗せずして帰属したエミシの呼称であった(『古代蝦夷と天皇家』)から、「俘囚」と正史に記録されている。

これらのエミシは、反乱エミシとは考えられない。このとき反乱を起こしたエミシの戦士の捕虜は、一族とともに政府の奴隷として、奥羽以外の地に移配されたが、彼らは、律令国家にとって、憎むべき存在であったから、律令国家は、彼らの移配を正史に記録することはなかったと思われる。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099163.html


「新獲の夷」

以上述べてきたように、律令国家は、抗戦したエミシとその一族を奴隷として移配するという、厳しい刑罰に処したと推定されるのである。


そこで、こうした観点から、「新獲の夷」を早く進上せよという、811年の勅(嵯峨天皇の勅)を改めて検討してみよう。


「新獲の夷は、将軍等の奏により、宜しく早く進上すべし。但し人数巨多、路次報(おもむ)き難し。それ強壮の者は歩行せしめ、羸弱(るいじゃく)の者には馬を給えよ」


ここで、天皇に早く進上するようにと命じられている「新獲の夷」には、捕虜となった戦士のほかに、その一族の老幼男女が含まれていたと思われる。もちろん、斬刑に処された首謀者の一族も含まれていたであろう。

将軍らが、「新獲の夷」を天皇に「進上」したいというのは、多数のエミシ捕虜を奴隷として天皇に贈り、褒められたいからである。また、「人数巨多」は、「新獲の夷」の中に、捕虜となったエミシの戦士ばかりではなく、その一族も含まれているからである。

護送する人数が非常に多く、道中が困難なので、下手をすると、エミシ捕虜とその一族の中の体の弱い者は、護送の途中で死んでしまうかもしれない。そこで、彼らの中で、馬に乗っている者は、歩かせ、彼が弱い者にその馬を与えてやれと命じているのである。では、捕虜になったエミシの戦士がなぜ馬に乗っていたのであろうか。


当時、エミシの馬が珍重されていたことは、787年(延暦六)・815年(弘仁六)の太政官符(だじょうかんぷ・太政官から直属(ちょくぞく)の官吏へ命令する文書)などによって知ることができる。

787年(延暦六)の太政官符は、陸奥按察使(あぜち)に対して出されたものであるが、この官符(文書)には「王臣や国司らが、エミシの馬や奴婢を争って買っている」とあり、815年(弘仁六)の陸奥出羽按察使向けの官からにも、「権貴の使、豪富の民がエミシの馬を求めて、絶えず往来している」とある。


エミシは騎馬戦闘に習熟していたから、エミシの戦士が捕らえられたとき、その乗馬もともに捕獲されることが多かったであろう。捕虜のエミシが、強制連行されるときには、戦利品としてのエミシの馬を無事に輸送するために、馬の扱いに慣れたエミシの捕虜がそうした馬に乗って行くことが許されていたと考えられる。

また「羸弱(るいじゃく)の者」は、捕虜のエミシとともに連行される、か弱い女性や子供たちを指していると考えられる。だが、「強壮の者は歩行させ、羸弱の者は馬を与えよ」という言葉は、女性や子供達に対する思いやりから出たものでは決してない。彼女らに同情するなら、強制連行を中止して、故郷に置いておけばいい。

彼女らに馬を与えよと命じるのは、無事に目的地まで着かせるためである。奴隷とするエミシの子孫を増やすためにも、彼女らは、律令国家の支配層にとって貴重な戦利品であったのである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099164.html


最下級の賤民

天皇が、奴隷の献上を望んでいたことは、次の記事からも知ることができる。


『続日本紀』宝亀一一年(780)六月二八日条によると、陸奥に侵攻した政府軍が少しも戦果をあげないので、光仁(こうにん)天皇(在位770〜781)は、勅を出して、早くエミシを討伐せよと将軍たちを督励しており、その勅の中に、「佇(たたず)んで俘を献ずるを待つ」と書いている。

戦闘が行われている最中のことであり、この「俘」は、俘囚ではなく、抵抗したエミシの捕虜を意味するとみられるから、「佇んで俘を献ずるを待つ」という言葉は、エミシの捕虜が天皇の奴隷として「献上」されることを、天皇が待ち望んでいることを物語っているのである。


さて、捕虜になった日高見国などのエミシの戦士とその一族は、前述の勅にみえるように、天皇ないしは国家に「進上」された。彼らの身分は、天皇ないしは国家が所有する奴隷であり、唐の官奴婢と同様に、彼らと彼らの子孫は、官賤民として強制労役に従わせられたとみて間違いない。


移配された俘囚の大部分も、律令制下の、令に規定されていない賤民とされたが、移配されたエミシの戦士とその一族は、俘囚よりさらに下の、最下級の賤民とされたのである。

ちなみに、令で定められた官奴婢も、賤民とされていたが、彼らのほとんどは渡来系の人々であった。

渡来系の官奴婢さえ、賤民として差別されていたのであるから、エミシに対する民族差別が激しかった古代に、最下級の賤民とされたエミシ系の人々が、極度に差別されたことはいうまでもない。

律令国家の支配層のエミシに対する差別・偏見については、『古代蝦夷と天皇家』で説明したので、ここでは、簡単にふれておくだけにしたい。


空海の差別思想

律令国家の支配層は、エミシを未開野蛮で、凶悪な集団とみなしていたから、エミシについて「狼子野心」(ろうしやしん・狼の子のように狂暴であって、荒々しくて、反乱を起こす心。=『続日本紀』。とか、「野性獣心」=『日本紀略』)などと書いている。


空海(774〜835)も、エミシを「羅刹(らせつ)の流(たぐい)にして非人の儔(ともがら)なり」(人を食う鬼の類であって、非人=悪鬼の仲間である。『性霊集』とか「人面獣心」『前掲書』)とののしっているし、菅原道真(745〜903)も、エミシの性は「狼子」であり、「野心」をもっていると書いている(『菅家後集』)。

彼ら支配層は、エミシを人間とみていなかったのである。


そこで、俘囚でさえも、律令国家の渡来系の支配層や平民とは民族的に違うことから、「夷俘の性、平民に異なり」(『類聚国史』)とか「俘夷の性、本より平民と異なる」(『日本三代実録』、以下『三代実録』と書く)などと差別されている。


エミシに対する、このような差別意識があった古代社会で、天皇や国家に対する反逆者として最下級の賤民とされ、律令国家の各地に移配されたエミシの戦士とその一族が、支配層や一般の住民から、人間と見なされないほど賤視され、憎まれ、嫌われたことは疑いない。

一〇世紀になると、彼らの子孫は「屠児」「屠者」「濫僧」などと書かれて記録に現れる。次の章では、このことについて説明したいと思うが、以下、官賤民とされたエミシの捕虜とその子孫はエミシ系官賤民と書き、移配された俘囚とその子孫は通常通り俘囚と書くことにする。

※石渡信一郎著『日本古代国家と部落の起源』第1章の転載は終わりです。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099165.html
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c416

[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
417. 中川隆[-6620] koaQ7Jey 2017年8月23日 12:25:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

転載の方向について

『日本古代国家と部落の起源』を転載していますが、第2章は3項「エミシ系官賤民と古代日本のカースト制」を転載し学びたいと考えます。なお、第2章の各項は次の通りです。

第2章 エミシ系官賤民と奈良・平安時代

1 官賤民としての屠児=餌取=キヨメ

(各節は次の通り)
屠児という語
「和名抄」の記録
主鷹司の餌取
検非違使庁統轄下の官賤民
「濫僧屠者」
清目=濫僧=屠児
河原人=カワラ=河原法師
河原人の仕事
『源氏物語』『枕草子』の記録
清水寺周辺の清目


2 屠児=餌取はエミシの戦士の子孫

律令制の賤民
隠された官賤民
移配されたエミシの捕虜
「異類」という言葉
鷹狩を好んだ桓武天皇
『今昔物語』の法師
往生物語にみる僧侶


続いて3項「エミシ系官賤民と古代日本のカースト制」です。第2章はこれで全部です。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099166.html


「日・ユ同祖論」と被差別部落ー休憩

DSC_0571.JPG私はこれまで、「日本・ユダヤ同祖論」を批判してきた。「日・ユ同祖論」は、明治以降の日本の支配層が利用し、世界支配層の悪たくらみに加担したことにより、日本のフリーメーソン員によって急速にひろめられた。その意味は、すべて「問題」の本質隠しである。

日本人の祖先、中でも皇室と被差別部落の祖先が、この「日・ユ同祖」とする説の大きな根拠にされたのが、ある時期の伊勢神宮参道に置かれた、カゴメ紋の石燈籠だといわれてきた。


『ふつうの人の神道』(三橋一夫著、中央アート出版社)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%B5%E3%81%A4%E3%81%86%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A5%9E%E9%81%93%E2%80%95%E5%BC%A5%E7%94%9F%E7%A5%9E%E9%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8E%E7%81%AB%E6%B0%B4%E4%BC%9D%E6%96%87%E3%80%8F%E3%81%BE%E3%81%A7-%E4%B8%89%E6%A9%8B-%E4%B8%80%E5%A4%AB/dp/4886396550


に、「伊勢の神灯の謎」と題した文章の中に、次にような記述がある。

(P261〜)「この御神灯を制作したのは西宮市の木藤石材株式会社ですが、ある時、その社長・木藤昌宏氏を訪ねてきた二人の男がいました。」

「一人は伊勢神宮奉賛会会長だった大阪タクシー株式会社社長の森岡善輝氏、もう一人は「神宮庁長官」と名乗る二荒(ふたら)伯爵という人物。この二人が、神宮に奉納する御神灯の注文に来ました。」

「二人が示したのが、三つの紋章を入れることでした。」

※石灯篭の屋根には「皇室の紋章である十六菊」、灯をともす火袋の外側には「ひまわりと似た紋」、下の台座には「カゴメ紋」が彼らの注文でした。

「木藤社長は、一つの石灯篭に三つの紋章を入れるのはデザイン的におかしいと言ったのですが、二荒と名乗る人はどうしても三つ入れることを強く主張しました。が、その理由は説明しません。ただ、ポツンと、台座のユダヤの紋章は、伊勢神宮の奥宮である伊雑(いぞう)の宮の紋所(もんどころ)だと言っただけでした。」

「この話は農学専士・川瀬勇著『日本民族秘史』の初版に載ったのが最初で、それ以来、いろいろな人の著作に、日本とユダヤとは同じ祖先だったという説の大きな根拠として取り上げられています。」

著者は「二荒」という名前に記憶があり、調べていくと、まず「神宮庁長官」なる役職は存在しないと解る。「二荒伯爵」は、「戦後はボーイスカウト日本連盟顧問」で、昭和29年から「同連盟の総コミッショナー」だったことを思い出された。そうして調べていくと、フリーメーソン結成に関わった人たちが明かになる。

つまり、濃厚に、しかも伯爵までが実際に動き、日本フリーメーソン員による、伊勢神宮の御神灯のカゴメ紋が浮かび上がったのである。


今日でも、大本神諭を読みもしない人が、「大本の筆先にイスラエルの流れ」とあると、そんな筆先は無いのに、日月にせ「神示」と大本神諭を混同し、自説に有利に大本神諭を利用するだけの人が、「日本の秘史」を本にして売っている。


「日・ユ同祖論」は、日本の支配層のモノであって、私たちを混乱させる意図をもって広められている。

ネット上の数々の「秘史」の多くが、支配層のモノであって、私たちを混乱させる意図をもって広められている。根は同一なのである。


私的に、石渡説は、こうした偽「秘史」に鉄槌を下すと考えている。
差別のない、争いのない、悪企みのない、陰謀のない、世界の民はひとつなら私は喜ぶ。しかし、現実はまったく反対だ。


「日・ユ同祖論」これは、日本の支配層の罠である。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099167.html


エミシ系官賤民と古代日本のカースト制

『日本古代国家と部落の起源』第2章「エミシ系官賤民と奈良・平安時代」3項

「エミシ系官賤民と古代日本のカースト制」

法華経の戒律

『妙法蓮華経(法華経)』の安楽行品(あんらくぎょうほん)第一四には、


旃陀羅と及び猪・羊・鶏・狗を畜(やしな)い、畋猟(のかり)し、漁捕(すなどり)する諸の悪律儀(あくりつぎ)のものとに親近せざれ。

とあって、旃陀羅、豚肉や鶏肉などを売る業者、猟師、漁師をはじめ、仏が悪と定めた業をする者たちに近づくことを禁じており、さらにその偈(げ・韻文で、教理を説いたもの)には、


屠児と魁膾(なますつくり)と 畋猟し漁捕して
利のために殺害するものとに 親近するなかれ
肉を販(う)って自活し
女色を衒売(てらいう)る
かくの如きの人に
皆、親近すること勿れ。


とあり、屠殺を業とする者、獣肉や魚肉を細かく切って売る者、猟師、漁師、肉を販売して生活する者、売春宿の主人などと懇意になることを禁止している。

また、『妙法蓮華経』普賢菩薩勧発品(かんぽつほん)第二八にも、懇意にしてはならない者として、屠児や、猪・羊・鶏・狗を畜うもの、猟師、女色を衒売るものが例としてあげられている。


安楽行品の安楽行は、「身に危険なく、心に憂悩なくして行がなされるという意味」(岩波文庫『法華経(中)』)で、品(ほん)は仏典で章・篇の意である。

普賢菩薩勧発品は、「普賢菩薩が末の世に自らのために法華経を修行する者を、守護することを説く章」(『前掲書』)である。

※これは、宗教批判です。「法華経の影響」と題した節が、後で書かれています。
現実の「官宗教」は、官賤民を救わなかった。救わなければならない者を、空海さえののしっていた。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099168.html

古代インドカースト制

修行者が懇意にしてはならない者として、法華経が、最初に旃陀羅もしくはその代表として屠児をあげているのは、もちろん古代インドのカースト制度を反映している。

※旃陀羅(せんだら)
インドの四種姓(ヴァルナ)以外の最下級の身分。狩猟・屠殺などを業とした。(広辞苑)


インド人は、カーストを「生まれ」すなわち出自・家系を意味するジャーティという語で呼んだ。「カースト」という語は、一六世紀に、インドに渡航したポルトガル人が、「家系」「血統」を意味する自国語のcastaという語で、ジャーティ集団を呼んだのに由来する。


閉鎖的集団であるカーストの成員になるための条件は、高崎直道(「古代インドにおける身分と階級」『古代史講座』7)によると、次の三点である。

1、族内婚ー同一カーストの成員相互の間にのみ婚姻が許される。

2、食事の共同ー食事は同一カーストの成員のみと同席できる。

3、世襲職業ー成員はその所属するカースト固有の商業・手工業その他の職業によって生活するべきであり、他のカーストのそれに従事してはならない。

この三つがカーストの成員にとっての鉄則であり、インドは、約3000のカーストよりなるという。


インドには、カーストの上下関係を決定するものとして四つのヴァルナ(種姓。バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの四つ)があり、各カーストは、「不可触民」と呼ばれる階層を除いては、一般に四つのヴァルナのいずれかに属している。

四つのヴァルナの順位は、第一位バラモン(祭官・僧侶)、第二位クシャトリヤ(王族・貴族ないし武士)、第三位ヴァイシャ(農民・商人などの庶民)、第四位シュードラ(奴隷)である。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099169.html

不可触民の仕事

※法華経が、インドのカースト制度を反映していたのなら、法華経・最勝王経を重んじた律令国家の支配層にたどりつくために、カースト制度とはいかなるものかを知らなくてはいけない。

ヴァルナという語は、本来は「色」を意味する。

紀元前1500〜紀元前1000年ごろ、白色人種に属する遊牧民アーリア人が、インド北西部からパンジャブの地に侵入し、黒色で低鼻の先住民を征服し、定住した。アーリア人は、自分たちとこれら先住民とを皮膚のヴァルナ(色)で区別したので、征服者と被征服者という二種のヴァルナ(階層)が生まれた。


紀元前1000〜紀元前600年ごろ、アーリア人はガンジス河上・中流域に進出して、先住民の農耕民族を征服し、アーリア人自らも農耕民族となり、四つのヴァルナ(階層)からなるヴァルナ社会が生まれた。

バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャはアーリア人であったが、シュードラはアーリア人の一部と征服された先住民であった。そして、ヴァルナ社会の周囲に居住していた先住民は、征服されてアウトカーストの「不可触民」とみなされ、ヴァルナ社会で屍体処理や汚物清掃など、バラモン(祭官・僧侶)が不浄として忌み嫌う仕事を強制されるようになった(山崎元一「カースト起源論」『アジア経済』一四巻九号)。


仏教が繁栄したマウリヤ王朝(紀元前324〜紀元前187年ごろ)の時代から、こうした不浄とみなされる仕事が増加したが、高崎直道(「前掲論文」)は、その最大の原因は、仏教やジャイナ教(インドで紀元前六世紀ごろ生まれた宗教)のアヒンサー(生き物に対する不殺生・非暴力などの意)の教えが普及し、狩猟・漁労や、皮革業等をも、不浄な仕事としたことにあると指摘している。

法華経などの仏典に旃陀羅(せんだら)と書かれているのは、チャンダーラと呼ばれて、これらの仕事をさせられた「不可触民」である。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099170.html


http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c417

[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
418. 中川隆[-6619] koaQ7Jey 2017年8月23日 12:29:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

最下級に落とされた戦争捕虜

「不可触民」は、ヴァルナ制度の枠外に置かれたアウトカーストとして、現在でも極度に差別されている。


カーストの研究者である英国のハットンは、1946年に書いた(本の名は英語で略)本で、東南アジアの仏教国であるミャンマー(旧称ビルマ)のアウトカーストについて報告しているが、ハットンは、そのアウトカーストの中で最も賤視されている仏塔奴隷の源流として戦争捕虜をあげている。


仏教国のアウトカーストの源流として、最初に戦争捕虜があげられていることは、【アウトカーストの成立に宗教が基本的には関与していないことを示すものである。】


七世紀後半、日本の律令国家とほぼ同じころ成立した統一新羅も、王家を頂点とするカースト的身分制社会であった(三品彰英「骨品制社会」『古代史講座』7)。

朝鮮渡来系の支配層がつくった日本の律令国家も、天皇家を頂点とするカースト的身分制の社会であったが、八世紀に日高見国侵略戦争を始めた律令国家の支配層は、唐(中国)の捕虜に対する処置を真似して、エミシの捕虜を律令制外の最下級の官賤民としたのである。

しかし、エミシの捕虜の身分を決めるときに、律令国家の支配層の頭の中には、同時にインドのチャンダーラ(旃陀羅)のこともあったと考えられる。次に述べるように、彼らは、法華経などの仏典を読むことによって、インドのカースト制度やヴァルナ制度に関する知識を豊富に得ていたと思われるからである。

※律令国家の支配層の中心は、みてきたように、藤原不比等でした。不比等を中心にした『日本書紀』編纂メンバーは、今でいうところの、官僚の高官たちとの見立てが出来ます。

律令国家は、宗教をたくみに利用し、古代国家の身分制度もまた、国と同様につくりあげました。そのプロセスに熟知した連中は、藤原不比等の大きな影に隠れて、私たちには姿を見せません。

権力者は、藤原氏のように、栄華を極めることが出来ますが、それは現在では表舞台に立つ政治家などの様にも見えますが、国の成り立ちの一部始終に熟知した「仕事師(事情通)」をどこか頭の中に置いておく必要があります。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099171.html


法華経の影響

法華経は、大化以前に既に倭国に伝えられていたと思われるが、仏教を信仰した聖武天皇(在位724〜749)は、734年(天平六)11月、僧尼の統制を強化するために、僧尼に対して法華経一部あるいは最勝王経一部の暗誦(あんしょう)を課している。

そして、740年(天平一二)6月には、諸国に法華経ー〇部の書写と仏塔の建立を命じ、翌741年(天平一三)には、国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)の創建を諸国に命じ、国分尼寺を「法華滅罪之寺」としている。


このような状況からみて、法華経を重視していた、八世紀の律令国家の支配層が、最下級の官賤民としたエミシの捕虜をチャンダーラ(旃陀羅)と同一視していたことは疑いがない。

律令国家は、チャンダーラ(旃陀羅)と同じように、チャンダーラ(旃陀羅)が(インドにおいて)強制されていたような仕事、例えば、宮殿・役所・街路・神社・寺院などの清掃と警備、人間や動物の屍体処理、家畜の屠殺、奴婢(ぬひ)などの逃亡者や犯罪者の逮捕、犯罪者の処刑などを強制したと思われる。

※インドのカースト制を見本にしていたなら、この類似はよく理解されるでしょう。

空海は、弘仁年間(810〜824)に書いた文書(「高雄の山寺に三綱を択び任ずる書」『性霊集』)の中で、旃陀羅を「悪人」「仏法と国家の大賊」とし、「大賊」は、死後は無間(むけん)の地獄に入り、諸仏も菩薩も救護できないと書いている。

律令国家の支配層が、官賤民としたエミシの捕虜を旃陀羅とみていたと考えると、鎮護国家のために仏教を弘めた空海が、旃陀羅を「仏法と国家の大賊」と書いたのもよく理解できる。


旃陀羅(せんだら)=エミシ系官賤民は諸仏も菩薩も救護できない「大悪人」と考えられていたわけであるが、平安時代初頭から、神に菩薩号を与え、権現(ごんげん)の名で呼ぶことが行われ、神仏一体とみる習合思想が発展したから、「律令国家に対する謀反人とその子孫」であるエミシ系官賤民は、神仏も救うことができない「大悪人」とみられていたと考えられるのである。

※習合思想の「見本」は、石清水八幡宮です。
「そんな神仏ならいらん!」(龍)


さて法華経に典型的にみられる、不浄や殺生を忌む思想は、律令国家の支配層の神祇(じんぎ)信仰にも大きな影響を及ぼした。

725年(神亀二)7月20日、聖武は、「神を敬い、仏を尊び、清浄を先にす」とし、諸国の神社と寺院に清掃を重視するように命じている。

※さて、つながってきました。
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徒役囚の労役

清掃(キヨメ)を重視した律令国家は、早くから、その労役を囚人に課している。

関口明(「古代の清掃と徒刑」『日本歴史』412号)によると、既に七世紀ごろには徒刑囚の清掃従事の原型がみえ、704年(慶雲元)12月26日に出された太政官判は、徒役囚の労役として道路と橋をつくることと雑事を定め、724年(神亀元)6月4日の太政官判は、降雨の翌早朝に囚人に宮闕(きゅうけつ・宮中)の周辺の汚物と東西の厠(かわや・トイレ)の掃除をさせることを定めている(『令集解』職員令囚獄司条)。

※雨で空気が停滞し、それによって臭いがこもるからでしょう。

また、『延喜式』刑部省(ぎょうぶしょう)、囚獄司(しゆごくし)にも、徒役囚は、道路・橋を作り、雑事に使役されるほか、囚獄司に率いられて、六日毎に四面の掃除と、雨後の明け方に宮城内の「穢汚」と「厠溝」の清掃に駆使されることが定められている。


関口明は、これらのことに基づき、仏教などによって汚穢視されていた清掃の仕事が、王権に対する犯罪者の労役とされていたことを指摘しているが、古代では、王権に対する犯罪者自身もケガレているとみなされた。

769年(神護景雲三)、和気清麻呂(わけのきよまろ)は、道鏡を皇位につけよという宇佐八幡の神教があったので、姉の広虫の代わりに、宇佐に派遣され、これを否定する神教を復命(報告)したために、称徳天皇(在位764〜770)と道鏡(どうきょう)によって、姉は別部狭虫(わけべのせまむし)、弟は別部穢麻呂(けがれまろ)と改名され、それぞれ備後と大隅に流されている。

※この事件の背景は、どうみても権力争いです。また、八幡宮がらみです。


王権に対する犯罪が、ケガレとみなされたわけであるが、エミシの捕虜とその子孫も、反逆者すなわち王権に対する犯罪者として、ケガレた存在とされ、この汚穢視されていた清掃(キヨメ)の仕事を課されたとみていい。
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触穢思想

殺生禁断についていえば、天武天皇(在位672〜686)は、675年(天武四)に、「牛馬犬猿鶏の宍(肉)」を食べることを禁じ、翌676年(天武五)8月には、諸国に対して放生(ほうじょう・捕らえられている動物を放ち逃がす)を命じ、10月にも、飛鳥の京に近い国々に詔して放生を行わせている(『日本書紀』)。


文武天皇(在位692〜707)は、697年(文武元)8月に、諸国に毎年放生するように命令しており、元正(げんしょう)天皇(在位715〜724)は、721年(養老五)7月に、詔(みことのり)して、殺生を禁じ、放鷹司(主鷹司の前身)の鷹や犬、諸国の鶏や猪などを放たせている(『続日本紀』)。


仏教を熱心に信仰した聖武は、726年(神亀三)6月に天下諸国に放生させ、730年(天平二)9月には、籬(かき)をつくり兵馬を発して猪や鹿を一度に多数捕ることを禁じた元正の命令を確認し、741年(天平一三)2月には、「馬牛は人に代わりて勤労して人を養う」として、その屠殺を厳しく禁止している(『続日本紀』)。

※私は人間が悪いので、「悪い坊主にまんまとのせられてるな」とおもいます。それを、「事情通」は見逃さなかったとおもいます。


ところで、ふつう、死穢・弔葬・産穢・月経などのケガレに触れることを忌む思想すなわち触穢思想は、平安中期ごろに現れたとされているが、実は、既に奈良時代からみられるのである。


770年(宝亀元)9月22日の称徳天皇の77回忌に、光仁天皇は「京師及び天下の諸国大祓」し、翌23日、従来のように一年間喪に服することを停(や)めて「天下吉に従わし」めており、782年(延暦元)7月、桓武は、父光仁の喪服期が終わる直前、諸国で喪服を脱ぐ者は「祓(はらい)の使(つかい)の到るを待ちて国内を祓い潔(きよ)め」た後に喪服を脱げと命じている(稲田陽一『被差別部落と天皇制』)。

稲田陽一がいうように、このころ既に、死んだ天皇の霊までが、死霊として祓いキヨメられるべき穢(え)となっているのである。


穢を清める仕事

平安時代になると、宮廷やその守護神を穢から守ろうとする思想はますます強くなる。

例えば、『延喜式』臨時祭は、穢を忌む時期について、人の死は30日限り、産は7日、六畜(馬・牛・羊・犬・豕(いのしし)・鶏)の死は5日、産は3日(鶏の産は除く)、六蓄の宍(肉)を食べたときは3日と定め、喪を弔ったり、病人を見舞ったりした場合などは、当日内裏(だいり・天皇の御所)に入ることを禁じている。


神社を穢から遮断するためにも、律令国家の支配層は夢中になっている。

841年(承和八)3月1日の太政官符は、奈良の春日神社の四至内での狩猟や樹木の伐採を禁止し、844年(承和一一)11月4日の太政官符は、上賀茂神社と下賀茂神社の清潔を保つために、賀茂川の上流での遊猟を禁じている。

『延喜式』神祇三、臨時祭で、濫僧・屠者が下賀茂神社の南辺に居住することを禁じられているのも、穢に対する禁制が、賀茂川の上流から下流にまで拡大されたことを物語っている。

通説では、触穢思想が強まったために、濫僧・屠者が賤視されるようになったと説明されているが、こうした説明が誤りであることはいうまでもない。
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天皇の贈物

では、エミシ系官賤民は、どこに配置されたのであろうか。

まず、776年(宝亀七)に出羽の俘囚の78人が賤として、諸司や参議以上の貴族に天皇から「斑賜」された(『続日本紀』)ことから、エミシ系官賤民は、諸官庁に隷属していたほか、寺院・神社や上級貴族に天皇から贈られたと類推できる。

※官賤民=奴隷については、記録がありません。支配層は上っ面は、熱心な仏教信仰者ですから、化けの皮をはがして実像を究明するためには、「類推」しか実体究明の方法はありません。しかし、類推は、より多くの現存する記録=『続日本紀』などの古文書にあたる必要があるために、より深く古代史を学ぶ必然が生まれます。

石渡さんの類推=「筋立て」は見事なものです。既存の「資料」(図書館などの本)でも、根気よく参考資料と扱えば、このように、隠された実像を浮かび上がらせることが可能だと、学習の仕方はこうだと、示されているようです。素晴らしい努力です。

清水寺の周辺に、非人・乞食と呼ばれたエミシ系官賤民が居住させられていたのは、同寺が坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ・758〜811)が建てた寺だからであろう。

周知のように、田村麻呂は、桓武時代に征夷大将軍となって、日高見国南部の首長アテルイを降伏させ、日高見国に壊滅的な打撃を与えた人物である。

田村麻呂は、延暦年間(782〜806)に私寺として清水寺を建てたが、この私寺を弘仁年間(810〜824)に嵯峨天皇が国家鎮護の道場としたという。

おそらく、田村麻呂の功績に報いるために、多数のエミシ系官賤民が清水寺に天皇から贈られたのであろう。ちなみに、戦争で功績をあげた将軍に、奴隷として捕虜を与えることは、古代朝鮮で行われたことである。


奈良時代〜平安初期には、清水寺のほか、藤原氏の氏寺興福寺や氏神を祭る春日神社にも、天皇からエミシ系官賤民が贈られたと思われる。後述するように、鎌倉時代に興福寺の支配下にあった、奈良の非人(キヨメ)が興福寺と春日神社の「重役の清目」と称し、清水寺の非人(キヨメ)を興福寺の末寺の清目と書いているからである。

※これら有名な寺院・神社に、「記録古文書」が本当に存在しないのか、どうだろう。
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エミシ系官賤民の居住地域

しかし、エミシ系官賤民が配置されたのは、畿内やその周辺ばかりではなかった。数万人とみられるエミシ系官賤民の、畿内やその周辺にだけ配置された場合、彼らを統制することが非常に困難であり、大規模な反乱を起こす危険性すらあった。

したがって、彼らは、俘囚と同様、奥羽を除く、諸国全体に分散配置されたとみていい。そして、律令国家は「夷を以(もっ)て夷を制す」という政策を好んだし、第4章で説明するように、平安中期以降、俘囚は検非違使庁(けびいし(ちょう)・今の裁判官と警察官とを兼ね権力は強大だった)の下部としてエミシ系官賤民を使役(しえき)していたし、俘囚は警察力としても利用されていたから、律令国家は、諸国のエミシ系官賤民の監視と使役を俘囚にさせたものと思われる。


したがって、畿内を除いては、『延喜式』などから推定される平安中期の俘囚の分布は、ほとんどそのまま、エミシ系官賤民の分布をも示しているとみられるのである。例えば、九州北半部と瀬戸内海に俘囚が多く分布しているのは、外国の侵略や海賊などに対する防衛のためであるから、エミシ系官賤民も、清掃などの任務のほかに外敵や海賊に対する防衛の任務を課せられ、俘囚とともに、これらの地域に配置されたと考えられるのである。

そして、古代国家日本の国家権力に強く把握されていたエミシ系官賤民は、中世になっても、解放されなかった。つまり、濫僧・エタ・キヨメ・河原者・非人などの中世の被差別民は、エミシ系官賤民なのである。
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「エソ三百七十人」

では、エミシ系官賤民の監視と使役をさせられていたとみられる俘囚は、平安時代に解放されたのであろうか。

俘囚の大部分も、調庸の民(平民)となることができず、律令制外の賤民の身分に置かれ、支配層から、「平民と異なる」として差別されていた(『古代蝦夷と天皇家』)。移配された俘囚に関する記録は、平安後期の『台記』ものが最後であるが、その記録によっても当時なお俘囚が差別されていたことが分かる。すなわち、近江の俘囚は古代国家日本の威風を示すために、節会(せちえ・朝廷で行われる節日の宴会)などに出席することを強制されていたが、『台記』には、1146年(久安二)11月の節会に、近江の俘囚が出席したくないといったと書かれているのである。


俘囚の大部分の者が、鎌倉初期まで賤視されていたことは、滋賀県甲賀郡信楽(しがらき)町の玉桂寺の阿弥陀如来立像の胎内から発見された文書からもうかがえる(『古代蝦夷と天皇家』)。

この文書には、全国各地の道俗男女四万五〇〇〇人以上の名前も記されていた。この男女は、浄土宗の開祖法然の弟子の源智がこの阿弥陀像を造立するために浄財の喜捨(きしゃ)を求めた人々であるが、その中に「エソ三百七十人」の男女の名前が記されていたのである。

この阿弥陀像は、胎内から発見された造立願文によって、1212年(建暦二)に造立されたと知られるので、この文書の作成されたのはそれ以前の時期とみられている(『玉桂寺阿弥陀如来立像胎内文書調査報告書』)。

※法然展の阿弥陀如来立像のすがしい姿にうたれ、その状態で小説『木津川』に出会い源智さんを知りました。この阿弥陀如来立像は、源智さんが建立されたのです。源智さんを知って知恩院に通い、最近は知恩寺を初めて訪れました。

源智さんに、地元の人間としてのノスタルジアを感じて、何かそのことが唯一の光のようにおもいました。今また、あの阿弥陀如来立像の胎内文書にあった「エソ三百七十人」を見つけ、真実の信仰者の姿を知り、ありがたいとおもいます。

阿弥陀様はながく真言宗の寺(玉桂寺)に脇仏としてあったのだそうです。それを「法然上人800回忌展」(2011年・京都国立博物館)にて、私が初めて見たわけです。現在は浄土宗に移されて、仏教大学(広沢池近く)のセーター内に保管されているようです。

この「エソ」の人名には、「きみこ」(吉弥候)「あへ」(安倍・阿部)のように古代の東北地方に多い姓もみえるが、ほとんどは無姓であり、「いぬ」(犬)「くま」(熊)などの動物の名前や、「まつ」(松)「とち」(栃)などの植物の名前、「むさし」(武蔵)「たんバ」(丹波)「ひたち」(常陸)「こし」(越)「かつさ」(上総)などの国名、「やくし」(薬師)・「くわうをん」(観音)などの仏菩薩号、「かなわう」(金王)「ふくわう」(福王)などの童子名がみえる。これらは、中世の非人の名前の特徴と共通している。こうしたことから、「エソ三百七十人」を近江の俘囚とみる説が有力である。


「エソ三百七十人」の人名が記載されている小冊子には、1236人の一般の男女の名前も載っており、その中に「のしろ」という地名があることから、「エソ三百七十人」を東北地方の住民とみる説も唱えられている。しかし、「のしろ」とともに、「うぢ」(宇治)「あなを」(穴太)「はくい」(羽咋)「みくに」(三国)などの、京都府・滋賀県・石川県・福井県の地名もみえるから、「のしろ」は秋田県の能代を指すものではなく、現在の石川県小松市のあたりにあった野代(のしろ・苗代)という古地名を指すものと考えられる。野代は『源平盛衰記』(げんぺいせいすいき)にもみえる地名である(吉田東伍『大日本地名辞書』)。

平安末期の東北地方は、エミシの血を引く平泉藤原氏の支配下にあったし、エミシ(エゾ)が多数居住していた。その東北地方で、エミシ(エゾ)集団が、非人に類する下層民とみなされたとは考えられない。また、三尺ほどの小さな阿弥陀様の建立のために、東北地方まで勧進(かんじん・金品をつのること)が行われたと考えるよりも、玉桂寺のある近江や北陸地方で勧進がなされたと考える方が合理的であるし、近江は、俘囚が最も多く移配された国でもある。したがって、中世の非人と同じような名前を残した「エソ三百七十人」は、近江の俘囚とみるべきであろう。

以上のように、俘囚の大部分は、鎌倉初期まで卑賤視されており、完全な平民にはなれなかったとみられる。したがって、俘囚よりも下位の身分のエミシ系官賤民が、その身分から解放されずに、中世の被差別民となったことはいうまでもない。これは、古代の最上位の身分である天皇家が、中世の最上位の身分である天皇家と系譜的に続いているのと同じである。

※第2章の終わりです。
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[昼休み45] 被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです) 小沢内閣待望論
419. 中川隆[-6618] koaQ7Jey 2017年8月23日 12:39:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

第3章について

第3章の項・節は次の通りです。


第3章 エミシ系官賤民と中世社会

1、中世の非人(キヨメ)もエミシ系官賤民

「非人」という語
中世非人の中核
非人の抗争
公家政権から鎌倉政権へ
「長吏法師」の由来
検非違使庁と非人
賤視された非人
非人施行
「神おろし」できない身分
犬神人と呼ばれた非人


2、『塵袋』『天狗草紙』とエミシ系官賤民

『塵袋』のエタ
エタの語源
『天狗草紙』
エタの実生活
エトリに由来するエタ
蓬髪の非人
犬神人と河原者の抗争
芸能の道


3、能・狂言とエミシ系官賤民

散所・散所者
散所法師と声聞師
エミシ系官賤民の種類
声聞師の組織
猿楽と宿
観阿弥と世阿弥
狂言
エミシ系官賤民の闘争


第3章は、私の判断で、抜粋して転載します。
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第3章エミシ系官賤民と中世社会

※第3章は抜粋、転載します。


1 中世の非人(キヨメ)もエミシ系官賤民

「非人」という語

中世賤民の中心をなしたのは非人であるといわれている。そこで、まず特定の人間を指す非人という語について考えてみたい。

〇特定の人間を指す非人という語が最初に使用された例は、815年(弘仁六)に書かれた空海の「野陸州に贈る歌」(『性霊集』)にみえるもので、エミシを指している(既述)。

〇842年(承和九)、非人という語が、謀反の罪を犯した橘逸勢(彼は後に無実とされた)の姓とされている(既述)。

※(P67〜68に既述)
橘逸勢は、この年(842)、伴健岑(とものこわみね)とともに皇太子を擁して東国に挙兵しようとしたとして捕縛され、伊豆国に遠流となり、その途中遠江国で病死したが、後に、彼は無実であることが分かった。逸勢の場合は、非人は姓であり、身分ではないが、九世紀には、非人という語が、律令国家に対する反逆罪と関係があり、「悪人」の意味で使用されていたことが分かる。

『続日本後記』承和九年七月二八日条

「罪人橘逸勢、本姓を除き、非人の姓を賜い、伊豆国に流す」


〇『小右記』は、1020年(寛仁四)九月、後一条天皇(在位1016〜1036)が「邪気」に侵されたとき、「非人の儀、四天王の護(まも)り無きか」と書いているが、このことについて、丹生谷哲一(『日本中世の身分と社会』)は、

これは天皇の「非人」への転落の普遍性と、非人が仏神の加護の外にある存在とみられていたことを示している。

と書いている。非人が、仏神の加護の外にある存在とみられていたという、この指摘は特に重要である。

※非人という語は、本来は仏教用語で、『法華経』序品(じょぼん)では、天・竜・夜叉(やしゃ)などの異類を指し、「鬼霊」とも訳されている(岩波文庫『法華経』上)。(P67)


〇エミシ系官賤民を非人と書いた最古の用例は、1055年(天喜三)の「小野守経請文(しょうもん)」(『東大寺文書』)にみえる「非人之長吏」である。後述するように、長吏は、本来は検非違使(けびいし・平安初期から置かれ、京中の非法・非違を検察し、追捕・訴訟・行刑をつかさどった職)などの役人を指す語であったので、この場合の非人は、長吏(検非違使など)の管轄下にあったエミシ系官賤民などを指すとみられる。


〇大江匡房(まさふさ・1041〜1111)の『江談抄』によると、検非違使庁の放免が賀茂祭のとき、華美な綾羅(りょうら)錦繍(きんしゅう・あや絹のうすい布地に錦と刺繍を施した)の服を着て検非違使供人(ともびと)となっていることについて、その可否を問われた藤原斉信は「非人之故、不憚禁忌也」と答えたという。放免が非人である故、禁じられている綾羅錦繍の服を着ても構わないとされたわけであるが、放免は、徒刑・流刑を免ぜられ、その代わりに検非違使庁で使役された者であるから、この場合でも、非人という呼称が罪人と関係があることが分かる。


〇中世には、世俗を捨てて遊行する念仏者などは、非人=エミシ系官賤民のような格好をしていたので、彼らも非人・非人法師・乞食法師などと呼ばれるようになった。また、熱心な求道者が、「非人のように卑賤な者」の意味で、仏の前に自分を卑下するときにも、非人・乞人(きつじん)などという語が用いられるようになった。例えば、鎌倉時代前期の僧明恵(みょうえ・高弁)も、1197年(建久八)に、写経奥書(おくがき)に「求法乞人高辨(弁)」、写経識語(しきご・写経本文のあとの説明文)に「華厳宗非人高辨記之」と自ら書き、1213年(建保元)にも、その著『摧邪輪』(さいじゃりん)の奥書に「非人高辨上」と自著(サイン)しているが、これは、後に日蓮(にちれん・1222〜1282)が自ら、「旃陀羅が子」(『佐渡御勘気鈔』)と称したのと似ている。


〇中世には、非人という語は、「らい者」・盲・聾などの人々や乞食(エミシ系官賤民を含む)の呼称ともなった。鎌倉後期、大規模な非人施行(せぎょう・この場合は「ほどこし」)をした叡尊(えいそん・鎌倉時代に戒律宗を中興させた僧)は、1269年(文永六)、奈良の般若寺(はんにゃじ)西南の地に、2000人の非人を集めて施行をしたが、このとき彼が書いた願文では、「盲聾」の人々、「疥らい病」の人々、乞食が救済の対象とされている。この乞食の大部分は、エミシ系官賤民と思われる。


〇「後深草院崩御記」(西園寺公衡筆。宮内庁書陵部所蔵)には、1304年(嘉元二)8月に行われた非人施行に関する記事がみえるが、その記事には、施行が行われた蓮台野(れんだいの)・安居院(あぐいん)悲田院(ひでんいん)・東悲田院・獄舎(検非違使庁が管轄した牢屋)・清水坂・大籠(たいろう・大楼。籠=牢。鎌倉幕府の六波羅探題が管轄した牢屋)・散在・散所(さんじょ)の非人の集住地などと、施行の対象となった非人の数が記録されており、末尾に「非人施行」「非人二千二十七人」と記されている。この記事から、獄舎や大籠の囚人・放免や悲田院の病者・孤児なども非人と呼ばれていたことが分かる。


以上のように、特定の人を指す非人という語は、さまざまな意味で用いられているが、中世の非人は、あらまし次のように分類することができる。


非人

1 エミシ系官賤民
(キヨメ・河原者・濫僧・屠者・エタ・宿(夙・しゆく)の者・坂の者・犬神人(いぬじにん)・散所(さんじょ)(者)・声聞師(しょうもじ)・乞食・カワタなど)

2「らい者」・盲・聾などの身体障害者

※本書発行1994年。

3 放免・獄囚・乞食・孤児

4 遊行の念仏者・求道者

5 仏神の加護の外にある存在。観念的には天皇を含む一般の非人がこれに転落する可能性があるが、実際には主に 1 および 2 の人々。
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2『塵袋』『天狗草紙』とエミシ系官賤民

『日本古代国家と部落の起源』著者石渡信一郎(三一書房・1994)を抜粋、転載中です。

大切な文章がたくさんあります。是非とも手にしてお読みください。長年の「霧」が晴れます。次に行きます。


『塵袋』のエタ

エミシ系官賤民の呼称として、中世に新たに現れるものの一つにエタ(エンタ・エムタ・エッタ)がある。エタという語は、1280年前後に成立した辞書『塵袋』(ちりぶくろ)に既に現れている。
『塵袋』には、


一キヨメヲエタト云ウハイカナル詞(ことば)ゾ

根本ハ餌取ト云ウベキカ。餌ト云ウハ、シシムラ、鷹等ノ餌ヲ云ウナルベシ。其レヲトル物ト云ウ也。エトリヲ早クイイテ、イイユガメテ、エタト云エリ。タトトハ通音也。エトヲエタト云ウナリ。エトリヲ略セルナリ。子細知ラヌモノハラウソウトモ云ウ。

(改行します)

乞食等ノ沙門ノ形ナレドモ、其ノ行儀僧ニモアラヌヲ、濫僧(ろうそう)ト名ヅケテ施行(せぎょう)ヒカルルヲバ濫僧供(く)と云ウ。其レヲ非人、カタイ、エタナド、人交(まじ)ロイモセヌ、同ジサマノモノナレバ、マギラカシテ非人ノ名ヲエタニツケタル也。ラムソウト云ウベキヲ、ラウソウト云ウ。イヨイヨシドケナシ。天竺(てんじく)ニ旃陀羅ト云ウハ屠者也。生キ物ヲ殺シテ売ルエタ躰(てい)ノ悪人也。


とある。
大意は、「キヨメをエタというが、本当は餌取というべきか。餌とは、肉すなわち鷹などの餌をいうのであろう。餌取りという語を早くしゃべるので、訛(なま)ってエタという。タとトは通じる音なので、エトリのリを省略したエトをエタという。この子細を知らない者は、エタをロウソウ(濫僧)ともいう。僧侶の格好をしている乞食などを濫僧といい、その供養をすることを濫僧供というのであるが、非人・カタイ・エタなどが、一般の人と交際しない、同じ様子をした者たちなので、非人の名である濫僧という名をエタにつけている。濫僧はランソウというべきなのに、ロウソウというから、いよいよおかしい。天竺(インド)で旃陀羅と呼ばれるのは屠者であるが、旃陀羅は、生き物を殺して売る、エタに似た悪人である」というものであろう。

『塵袋』の著者は、餌取りについて、鷹の餌にする肉を取る「物」だと説明しているが、物という字を使っている点にも、強い差別意識がみられる。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099182.html


エタの語源

『塵袋』にエタと書かれた人々は、キヨメすなわち鴨川の河原に居住していたエミシ系官賤民である。

『建内記』正長元年(1428)六月一〇日条に、

川原者 穢多事也 参入

と書かれており、1444年(文安元)に成立した国語辞書『下学集』(かがくしゅう)に、

えた 屠児也 河原者

とある。また、1446年(文安三)に成った『〇(あい・土に蓋)嚢鈔』(あいのうしょう・『塵袋』に倣った国字・漢字などの解説書)に、

河原ノ者エツタト云ウハ何ノ字ゾ。
エツタトイイツク也。常ニハ穢多ト書ク。ケガレ多キ故ト云ウヲ古キ物ニ餌取ト書ク。真ニハエトリト云ウベシ。

(改行します)

餌トハ肉鷹等ノ餌也。其レヲヒサグ物ナレバエトリト云ウ。タト云ウハ同意也。エトリヲエタト云ウハ、リヲ略セル詞也ト云エリ。

生キ物ヲ害メ売ル者ヲバ唐ニハ屠者ト名ヅク。ホフル者ト云ウ也。天竺ニ旃陀羅ト云ウモ同ジ餌取躰(エトリテイ)ノ膩(キタナ)キ者也。屠殺ヲモエタト読ム也。

とある。大意は、「河原者をエッタというのはなぜか。エッタといい慣れているが、通常は穢多と書く。これは、ケガレ(穢れ)が多いためであるが、古い書物などでは餌取と書いているから、本当はエトリというべきであろう。」

「鷹などの餌(えさ)である肉を売る者だから、エトリといった。エトリをエタというのは、リを略したのである。生き物を殺して売る者は唐(中国)では屠者、すなわちホフル者という。天竺(インド)で旃陀羅という者も餌取に似た不浄の者である。屠殺もエタと読む」というものであろう。


この記事から、エタ=河原者=餌取=屠者であることが知られるが、エタという語が、エトリ(餌取)に由来するという『塵袋』の説に対しては、異説が多数出されている。

喜田貞吉(「エタ名義考」『民族と歴史』二巻一号)も、エトリ説に賛意を表しながらも、異説をいくつか提出している。次に、その中の主なものを、二つほど紹介したい。


一つは、エタはエトリ=屠者ではないというのである。喜田貞吉によると、『塵袋』のエタはキヨメすなわち掃除人足であった。
1362年(貞治元)の『師守記』にみえる「穢多」は井戸堀り人足であった。また、1365年(貞治四)の『師守記』にみえる「穢多」は、祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)の駕輿丁(かよちょう・かごかき)であった。
『あい嚢鈔』にみえる「エッタ」は河原者であった。そして、『雍州府志』(ようしゅうふし・1680年代に成立)に「穢多の本(もと)」と書かれている京都の小島・舁揚(かきあげ)の部落が、平安時代の墓場であった佐比・石原の地であったことから、これらの部落は墓所の世話人に起因したと考えられるので、墓守が同時にエトリ=屠者ではあり得ないというのである。


今一つは、エタは、エッタといわれていることが多く、『あい嚢鈔』にも「エッタ」とあり、『芸苑日渉』(げいえんにっしょう・1807年に成立)には「越多」と漢字で書かれている。エトリがエッタと転訛することがあろうかというのである。

江戸時代中期の学者谷重遠(『秦山集』)も、エタは古代に移配されたエゾ(蝦夷)の子孫で、「えぞたみ」が略されてエタとなったという説を唱えている。


このほかにも、いろいろな異説が出されているが、いずれも根拠のない憶測にすぎないので、紹介を省くことにする。

さて、エタの語源を考えるにあたっての有力な史料として、『天狗草紙』(てんぐぞうし)がある。『天狗草紙』は、1296年(永仁四)ごろ制作された絵巻物で、『天狗草紙』伝三井寺巻第五段には、次のような詞書(原文のまま)がある。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099183.html


『天狗草紙』

如此天狗処々道場にいたりて異曲をわかし凶害をなす、これによりて人多邪見に往して愚儀をもはらにす、天狗ともしおほせたる心地して、ここかしこに遊行し興宴しけるに、ある天狗酔狂のあまり四条河原辺にいてて肉食をせむとしけるに、穢多肉に針をさしておきたるを、しらすしてにきてけるに、はりを手にたててすてんとしけれともすてかねて、穢多童にとられてくひをねちころされにけり、

(改行します)

はかなしともいふにたえす、あさましかりける事なり、同行いそきゆきて、たすけんとしけれとも、其身あふなかりけれハ、身にかへてこそ思つらめとも、ちからなくて、おちちりけるはねともをひろひて、なくなく帰て、としころあさからすかたらひける垂髪の天狗にとらせて、かたみにもし給へといひけれハ、垂髪これをみるよりふしまろひもたへこかれてかなしみけり、おきあかりて、このをちはをとりてかくそよみける、

(改行します)

なからへて我もこの世にあらハこそ
人のかたみをあはれとも見め

といひて、またつはさをそかをにおほひける、風の身にしむ秋のくれにも、ねくらをあらそふとももなく、霜をきまよふ冬の暁にも、つはさをかさぬる人もなし、古寺の棟木のすまひもさひしく、から木の枝のたちともすさましくなりにけれは、いつとなく木居をしてねをのミそなきける、(以下、絵巻五段の図中)


あらわひしやたかきのうへにある心地して、
めのまうそや、いかに御わたり候そ、
あらえいやそそろにえいてあらかなし、
これはゆめかや(中略)


おそろしきものハよな尊勝陀羅尼大仏頂火界の真言慈救咒、
おこないふるす不動尊ところさひのふる剱あかきのつかのこしかたな、
穢多かきもきりまてもおそろしくおほゆるおほゆる、
けふは、れうのききけるそや、
わかとりにてありける、よきはねかな、(下略)


『天狗草紙』興福寺巻の序文に、「日本国の天狗おほしといへども七類をいでず、興福・東大・延暦・蘭城(おんじょう)・東寺・山臥(やまぶし・山伏)・遁世の僧徒なり」とあるところから、『天狗草紙』は、当時勢力があった、これらの大寺の僧たちや山伏などを天狗にたとえて、その腐敗堕落ぶりを風刺したものといわれている。

この詞書(ことばがき・絵の説明書き)の大意は、「天狗たちは、誤った教えを説いて、多くの人々をだましおおせたので、喜んでここかしこに遊行し興宴していたが、ある天狗が酔狂のあまりに、四条河原辺に出て、肉食をしようとしたところ、エタが肉に針を刺しておいたのを知らずに、その肉をつかんでしまい、針が手に刺さって逃げられず、エタ童(わらわ)に首をねじられて殺されてしまった。同行の天狗は助けることもできず、落ちていた天狗の羽を拾って帰り、死んだ天狗が年ごろ可愛がっていた稚児の天狗に形見として与えると、稚児の天狗は嘆き悲しみ、羽を手に取って、亡き天狗を偲(しの)んで歌を詠(よ)み、その後いつまでも泣いていた」というものである。


堕落した天狗が、賤視されていたエタに殺されるという話の筋には、堕落僧に対する作者の激しい反感がみられる。絵を描いたのは宮廷画家、詞書を書いたのは公家とみられているが、エタという呼称を「穢多」と漢字で書いていることから、公家たちのエミシ系官賤民に対する激しい差別意識をはっきりとみることができる。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099184.html


エタの実生活

横井清(『中世民衆の生活文化』)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E6%B0%91%E8%A1%86%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B4%BB%E6%96%87%E5%8C%96-%E4%B8%8A-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A8%AA%E4%BA%95-%E6%B8%85/dp/4061598481


は、『天狗草紙』(絵巻)について、鎌倉末期におけるエタの実生活についてもいろいろと示唆を与えてくれるとし、


詞書(ことば書き)中に「けふは、れうのききけるそや」「わかとりにてありける、よきはねかな」などと見え、鷹(タカ)をつかって小鳥を狙うのを生業(なりわい)としていることがわかるし、絵では何よりも明白にこのことが示され、貧しい小屋の前で鷹を扱う二人の乱髪の穢多童、そして右の方には烏帽子姿の男が腰をおろして、捕獲した鳥類を調理するところが描かれている。

鳥肉はむろんのこと、むしりとった羽もまた洛中にて商沽の品となり、かれらの生活の資となったのであろう。そのような生業とその担い手たちが、こののちどのような発展をみせるものか、新たな関心を喚(よ)ぶものがある。

だが、ここで最も注目しておきたいのは、この穢多童の住処(すみか)がほかならぬ四条河原辺だったことである。

実際、描かれたところでは、小屋のわきを河が流れ、住居に付属した僅かばかりの菜園もみえる。いわゆる河原田畠のたぐいである。しかも、垣で囲われた菜園の前には、牛か馬の皮革らしいのが二枚ひろげられて地面に固定され、天日に乾燥されている。

河原の住居、河原田畠、放鷹の枝、鳥の調理、羽の採集、皮革生産等々、いずれにせよ、これほどまでに事こまやかに中世賤民生活の具体相を描ききったものは他に類例をみないのである。


と説明している。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099185.html

エトリに由来するエタ

さて、鎌倉末期のエタの実生活がかなり分かったところで、エトリをエタの語源とする『塵袋』の説を検討してみよう。


鷹を使って小鳥を捕っている点、鴨川の河原に居住している河原者である点、牛馬の死体を処理し、皮革を生産している点、極度に賤視されているキヨメ=エミシ系の住民という点で、『天狗草紙』にみえるエタは、平安時代のエトリと共通している。

また、エトリ・キヨメ・濫僧・屠児・屠者・河原人・非人という、平安時代におけるエミシ系官賤民の呼称は、『塵袋』『下学集』『あい嚢鈔』にみえるように、エトリがエタ、河原人が河原者と代わっているほかは、そのまま鎌倉時代のエミシ系官賤民の呼称でもある。

そして、エタは穢多とも書かれており、エトリ(wetori)とエタ(weta)の音はよく似ている。したがって、エトリをエタの語源とする『塵袋』の説は、きわめて合理的であるといえる。


新村出(「賤民名称考」『経済論叢』四巻一号)も、エトリをエタの語源とみて、

王朝時代ニイワユルえとりハ、鎌倉時代以後ソノ音転訛シテえたトナリ、足利時代ニハ普(アマネ)クコノ称ヲ以テ呼バレ、以テ徳川時代ニ及ビシナリ。

平安朝末期ヨリ鎌倉時代ニ亘ル時期ハ、国語沿革史上ニ〇テモ、最モ注目スベキ時期ニシテ、国語ガ音韻上及ビ文法上種々ノ変化ヲ受ケタル時期ナルガ、コノ際語尾ノり、るノ脱落ヲ見タル形跡顕著ナルニ因リテ観レバ、えとりノ語末ナルりモコノ期間中同様ニ落チタリト認ムルヲ得ベク、且ツ「餌取」トイウ観念、即チ語源意識缺乏(けつぼう)スルニ到リテハソノ語ノ発音ハ愈(いよいよ)転訛ヲ来シシモノト考エラルベシ。

お列ノ音ガあ列ノ音ニ転ズルコトハ、鎌倉時代ニ実例多シヤ否ヤ未ダ究メズト雖(いえど)モ、いたくトいと、ひたりトひとりナドノ如ク、古言中、たトとトノ通ズル例アレバ、えと(り)ガえたト変ジタリト為スハ決シテ不合理ニアラズ、寧(むし)ロ甚(はなは)ダ自然的ナリトスベシ。

と書いている。

新村出は、エトリのリが脱落し、トがタとなまったとする『塵袋』の説を支持しているわけである。新村出の説は、現在通説となっているが、私も新村説は正しいと思う。

前述のように、喜田貞吉は、『あい嚢鈔』などのエッタという呼称が、エトリから転訛することがあろうかといっているが、ビチュウ(備中)がビッチュウとなまっている例もあるから、エッタは、エタと同じくエトリに由来するものとみて差し支えない。なお、エンタ(エムタ)という呼称も、山口・大分県の方言で「蜘蛛の巣」を「エバ」「エンバ」という例(『全国方言辞典』)があることからみても、エタに由来するとみていい。


エトリがエタに転訛した過程については、私は次のように考える。『今昔物語』にみられるように、餌取=屠児は餌取法師とも呼ばれていた。植物の名のカエルデ(蛙手)がカエデ(楓)となまったように、語中のラ行の音はよく脱落するので、エトリホウシのリが落ちてエトホウシ・エットホウシとなり、タとトが通じることから、エッタホウシともなった。そして、エッタホウシのホウシを略したエッタという呼称が生まれ、エッタがなまったエンタ・エムタという呼称も使用されるようになった。そして穢多と書くようになってから、エタという呼称が生まれ、さらにエタともなった。

※「エタという呼称が生まれ、さらにエタともなった」の、最初の「エタ」のエは鼻にかかる発音のエです。探しましたが古い「エ」が見つかりません。

※次の節はとばし、3項頃「能・狂言とエミシ系官賤民」の散所・散所者に入っていきます。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099186.html


3能・狂言とエミシ系官賤民

散所・散所者

中世の被差別民の中には、散所・散所者などと呼ばれた人々もいた。彼らは声聞師(しょうもじ)といわれることがあったが、『建内記』正長元年(1428)6月10日の条には、

禁中川原者 穢多 事也 参入。 御庭事に召仕わる。 不浄の者として、然るべからざるの処、去年より停止せられ、 散所者 声聞所 事也 を召さる。

とある。

古くから宮中の庭作りなどに使役されていた川原(河原)者=エタが、「不浄の者」として宮中に入ることを停止され、あらたに散所者が使役されるようになったわけであるが、このことから、散所者が、河原者ほどは賤視されていなかったことが知られる。もっとも、一六世紀初めまでには、河原者が再び宮中に出入りするようになっている(丹生谷哲一『検非違使』)。


「御深草院崩御記」の非人施行(せぎょう)記事は、検非違使による非人施行=濫僧供の内容を記したものとみられているが、この記事には、蓮台野・清水坂・安居院悲田院(あぐいんひでんいん)・東悲田院・獄舎・大籠・散在の次に、散所と記されており、散所の非人が、清水坂の非人(キヨメ)と同じく、濫僧であり、検非違使庁の統括下にあることが分かる。

散所(散所者)は濫僧であったから、散所法師とも呼ばれていた。また、丹生谷哲一(『前掲書』)によると、一ー〜一二世紀に醍醐寺に隷属していた散所は、清掃・道路の普請・庭作りなど、醍醐寺に寄付された餌取(清目)とほとんど同じ仕事をしていたという。そこで、散所者(散所)も、エミシ系官賤民とみて間違いない。


丹生谷哲一(「散所の形成過程について」『日本史研究』121号・「散所発生の歴史的意義ー律令官制との関連について」『日本歴史』268号)は、散所という呼称について、あらまし次のように説明している。()内は筆者の注。


本来、散所という語は、律令官職制における中・下級官人が院宮(院(上皇・法皇・女院)と三宮(太皇太后・皇太后・皇后〈または中宮〉と東宮〈皇太子〉など)の総称)・摂関(せっかん)大臣家(摂政・関白・大臣を出す家)・社寺へ賜与され、律令官職制における本所(衛府など)を離れて、散在して仕えている状態をいった。

例えば、散所随身(ずいじん)・散所召次(めしつぎ)という呼称があるが、随身に任ぜられるのは左右近衛府の官人や中務省(なかつかさしょう)の内舎人(うどねり・天皇の雑役や警護にあたる役人)であり、召次は、院宮・大臣家に伺候して雑事などに従った者である。


彼らが本所を離れて、散在して仕えていたので、散所随身・散所召次と呼ばれたのである。中世には、散所は、その中・下級官人を賜与された院宮・摂関大臣家・社寺を指したり、「本宅に対する別荘」の意味に近づいたり、「散在」という単純な意味でも使用されるようになった。


丹生谷哲一が指摘しているように、散所随身・散所召次などは、中・下級官人であり、散所法師の「散所」は、天皇から院宮・摂関大臣家・社寺へ「賜与」され、本所から離れて仕えている状態を意味する「散所」であろう。なお、散所法師の「散所」に対する「本所」は、検非違使庁と侍所と思われる。


中世後期に、場所を意味する散所という語が賤視されるようになったのは、その散所の住民がエミシ系官賤民であったからであろう。また、この時期に、散所という語が賤称となったのは、散所に居住するエミシ系官賤民を散所法師・散所などと呼ぶようになったためであって、ちょうど、餌取・長吏という呼称が、エミシ系官賤民を指すようになると、賤称となったのと同じである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099189.html


散所法師と声聞師

次に、森末義彰の『中世の社寺と芸術』を参考にして、散所(散所法師)と院・摂関家・社寺の関係を簡単にみることにしたい。

院には、散所召次(めしつぎ)や散所雑色(ぞうしき)がいたことが記録されているが、後述するように、東寺の散所法師たちは、1318年(文保二)に、後宇多(ごうだ)法皇(天皇としての在位期間は1274〜1287)が院宣(いんぜん)によって寄進したものである。


摂関家には、多くの散所があったが、近江国穴太(あのう)には摂関家のものとみられる散所があり、1368年(応安元)には、「穴太散所法師原(ほつしばら)」が延暦寺の命を受けて道普請を行っている(『続正法論』)。1405年(応永一二)、京都烏丸の公家山科教言の屋敷が焼失したため、再建するとき、熊法師という人たちが築地を築いているが、この熊法師は山科家に所属する散所法師とみられている(『教言卿記』)。


京都の石清水八幡宮には、境内に散所法師が居住しており、修正会(しゅじょうえ)の咒師(じゅし・散楽(さんがく)と呼ばれた芸能の一(ひとつ))の鬼の役を勤めさせられていた。

祗園社にも、社領の今小路に散所があって、「今小路散所熊石法師」の名がみえる。

北野天満宮の西京散所は、池浚(さら)い・清掃の仕事をしていたが、祭礼などのときは、アヤツリなどの興行を行っていた。


前述のように、東寺の散所は、院政を行っていた後宇多法皇が、東寺に寄進したものである。その寄進の院宣から、東寺の近辺に居住していた散所法師一五(15)人が、掃除などをさせるための人夫として寄進されたことが分かる。

彼らは、亀菊法師という散所長者の下に統率されており、東寺の散所法師となった後も身柄は検非違使庁の支配下にあった。東寺の散所法師は、築地作りもしていたが、室町時代になると検非違使庁の権限を受け継いだ侍所の管轄下に入り、その結果、侍所の権限で彼らに課役(かえき・仕事を割り当てること)を催促することが頻繁になった。


仁和寺(にんなじ)にも雑役に従事する散所法師がいたし、醍醐寺の西惣門と河林寺には散所法師がおり、正月に千秋万歳(せんずまんざい)の祝言を述べている。また、西惣門の散所法師は三宝院の庭作りの仕事をしている。

相国寺の門前の北畠柳原散所は、1458年(長禄二)に足利義政が「掃除料」として相国寺に寄進したものであるが、北畠柳原散所には、祗園会のときにいろいろな遊芸を行ったり、正月に宮中で千秋万歳の祝言を述べたり、クセ舞を演じたりした声聞師が居住していた。

※被差別民が、日本の文化の真の担い手だったんですよ、勉強して祖先の誇りを取り戻さなくては、今のあなたが強くなれませんよ。

祖先は、自分で動き、自分で考え、自分で作ったのです。だから、京都の有名な寺の庭や建物などを見た時に、それを想像してください。私なんか、「〇〇寺はわしの庭や」「はちまんさんは、先祖の仕事場や」と誰にもはばからず、嫌味を含んで、そう言うてます。ええ、偉いのは金を出した人間では無く、働いた人間です。

森末義彰は、散所法師と声聞師は違うと考えているが、次のようなことから、現在では、散所法師=声聞師と考えられている。

一三世紀半ばごろ成立したとみられている語源辞書『名語記』(みょうごき)に、

千秋万才トテ、コノゴロ正月ニハ、散所ノ乞食法師ガ仙人ノ装束(しょうぞく・服装)ヲマナビテ、小松ヲ手ニササゲテ推参シテ、様々ノ祝言ヲイイツヅケテ、録物ニアズカルモ、コノハツ日ノイワイナリ。

とあり、醍醐寺の散所法師も正月に千秋万歳の祝言を述べているし、前述のように、『建内記』にみえる散所者は「声聞師」とも書かれている。また、京都の八条坊門の散所町が「コシキ町」と呼ばれ、『大乗院寺社雑事記(ぞうじき)』に「声聞師法師ハ乞食也」と記されている(脇田晴子「散所論」『部落史の研究』前近代編所収)。

また、大和の声聞師は、民間の門に立って、鉦(かね)を叩き念仏を唱えて喜捨(きしゃ・ほどこし)をもらったり、いろいろな遊芸を演じて報酬を得たりしていたが、追捕・刑の執行・清掃・葬送・土木作業などにも使役されており、『大乗院寺社雑事記』には「非人」とも記されている(喜田貞吉「大和における唱門師の研究(上)」『民族と歴史』三巻七号)。

※唱門師=声聞師
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099190.html
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c419

[番外地7] 日経のウソ記事にだまされるな 中川隆
1. 中川隆[-6617] koaQ7Jey 2017年8月23日 12:48:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


08月23日 

さて、今日は

「個人の証券投資290兆円、過去最高に 5年で2倍」

という事で、日経新聞に記事が載っておりまして、株は売り越しを続けているのに、証券投資が最高?投信でどんどん買っているのか?と、思いながら記事を読み進めてみましたが、

結局のところ投信が値上がりしたために、資産価値が上昇しただけであり、新規の投資額は微増に過ぎないという事が分かりました。

副題が投信値上がり・・・でありますから、中身を読めばそのままその通りの記事なのですが、主題はちょっと表現が違うと言いますか、過剰ではなかろうかと思った次第です。
http://ssoubakan.com/blog-entry-2612.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/277.html#c1

[番外地6] 米ネオコンとは? 中川隆
23. 中川隆[-6617] koaQ7Jey 2017年8月23日 18:15:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017.08.23
グローバル化に異を唱え戦争に反対するバノンを排除したネオコンは自分の傀儡からも嫌われている


ステファン・バノン首席戦略官が解任された。グローバル化を批判するバノンをアメリカの支配層が排除したということだろう。バラク・オバマ政権がダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を生み出したと語っていた元DIA局長のマイケル・フリン国家安全保障担当補佐官をホワイトハウスから追い出した段階で道筋は決まっていたとも言える。

バノンの政策を「保護主義」と表現してきた日本のマスコミなどは今回の解任を肯定的に伝えている。確かに問題のある人物ではあるが、巨大資本が全てを支配するシステムに異を唱え、戦争に反対していたことは事実。それを大手メディアは嫌っている。中国との経済戦争をバノンは望んでいたが、朝鮮の核兵器開発問題では軍事的な解決を否定、「忘れろ」と語っていた。

しかし、ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派は軍事的な手段しか思い浮かばないようだ。19世紀に経済破綻を侵略戦争(幸徳秋水が言うところの切取強盗)と麻薬でイギリスは乗り切ろうとしたが、アメリカは同じことをしようとしている。

日本を含む西側のメディアはアメリカの巨大資本が君臨する世界を夢想している。政府、議会、司法を上回る権力をアメリカの巨大資本に与えるISDS(国家投資家紛争処理)条項を含むTPP(環太平洋連携協定)を推進してきたのはそのためだ。

こうした夢想を実現できると彼らに思わせる出来事が1991年12月に起こっている。ソ連が消滅したのだ。これによってアメリカは「唯一の超大国」になったと認識したネオコンは残された服わぬ国々を武力で制圧しようとする。それが1992年2月に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。1991年のうちにポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はイラク、シリア、イランを殲滅すべき国として挙げていた。

イラクは2003年に侵略されたが、その前にアフガニスタンが攻撃されている。自分たちが作り上げたタリバン政権がコントロールできなくなり、破壊しようとしたのである。アメリカの傀儡として大統領に就任したのがハミド・カルザイだが、今はアメリカに批判的で、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はアメリカが作った道具だとしている。

1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックはアル・カイダについてCIAから訓練を受けた戦闘員のデータベースだと説明したが、その戦闘員の多くはサウジアラビアが雇い、送り込んだサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、アフガニスタンでソ連軍と戦わせることが目的だった。

イラクでサダム・フセイン体制が倒された後、アメリカは親イスラエル政権を樹立しようとして失敗、ヌーリ・アル・マリキが首相になる。この人物もアメリカの影響下にあったはずだが、2014年3月にアメリカの同盟国であるサウジアラビアやカタールが反政府勢力へ資金を提供していると語り、ロシアへ接近する姿勢を見せた。21世紀に入ってウラジミル・プーチンが大統領になると、ロシアは再独立して国力を急速に回復させていたのだ。

その年の4月に実施された議会選挙でマリキが党首を務める法治国家連合が第1党になるのだが、マリキは首相になれなかった。アメリカ政府が介入したと見られている。マリキはペルシャ湾岸産油国を批判しただけでなく、アメリカ軍の永続的な駐留やアメリカ兵の不逮捕特権を認めなかった人物で、アメリカ支配層に嫌われたようだ。

しかし、新しく首相になったハイデル・アル・アバディ首相もアメリカに背く。2015年9月30日にロシアがシリア政府の要請で空爆を始め、その成果を見た彼はイラクもロシアに空爆を頼みたいという意思を示したのだ。そこでジョセフ・ダンフォード米統合参謀本部議長がイラクへ乗り込み、ロシアへ支援要請をするなと恫喝したようだ。

そうした状態であるため、アフガニスタンでもロシアや中国の存在感が強まっている。戦略的に重要な場所にあるだけでなく、アヘン戦争以来、米英がカネ儲けに使っているケシ(アヘンやヘロインの原料)の産地。ケシの畑を守ることもアメリカ/NATOの役割だと言う人もいる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708230000/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/751.html#c23

[リバイバル3] 修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない 中川隆
137. 中川隆[-6616] koaQ7Jey 2017年8月23日 18:20:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

473 by 周辺住民さん 2017-08-11 22:25:13

基本的に経営不振の格式高い高級老舗旅館を格安で買収するのが星野リゾート。
中堅〜安宿を買収するのが伊東園グループ、大江戸温泉ですね。

487 by 匿名さん 2017-08-23 17:05:13
>>473: 周辺住民さん

バブル全盛期には、地上げ屋が 目を付けた ターゲット物件にダンプカーやトラックを突っ込ませて、邪魔な住宅を壊したり、暴力団が関わり、暴力的手段によって立ち退きを迫ったりして目的の物件を手に入れてきた。

現場を目撃した者は、面倒に巻き込まれるのを恐れて口をつぐんでしまう。
そんな時代がかってあったようだ。

現代版 地上げ屋が、星野リゾート星野佳路社長だと思う。

「経営不振に陥った リゾート施設や 旅館の再生」とメディアに公表していたが
それは 星野佳路社長の自作自演のキャチフレーズに過ぎない。

地上げ屋 の手口で、経営不振では無い 、如何しても手に入れたい旅館を強引に格安で手に入れる 追い出し屋だ。

元の旅館社長自殺後、6ヶ月程で星野佳路社長の名義になった。

メディアには、長く休館していた旅館を星野リゾートが再生と嘘を書かせた。
メディアに自作自演を書かせて成り立つ会社だと思う。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c137

[原発・フッ素47] 反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界 中川隆
214. 中川隆[-6615] koaQ7Jey 2017年8月23日 19:45:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年08月23日
EV増加でドイツは原発廃止できなくなる

メーカーは短期間にEV転換すると言っているが、ドイツにはその電力がありません。
引用:http://www.ingenieur.de/var/storage/images/media/ingenieur.de/images/hugo-bilder/bundeskanzlerin-angela-merkel-elektroauto/3791613-1-ger-DE/Bundeskanzlerin-Angela-Merkel-mit-Elektroauto_image_width_560.jpg

ドイツもEV販売を重視

イギリスとフランスは2017年夏にあいついで、2040年にガソリン・ディーゼル車の販売を禁止すると発表しました。

日本のマスコミはなぜか殆ど報道しなかったが、「ハイブリッド車を除く」と注意書きが書かれていました。

つまりHVやPHVであれば2040年以降も、エンジン車を販売して良いという事を、逆の言い方で発表したのでした。

         
ドイツは両国に賛同せず、特にディーゼル車廃止にはメルケル首相が慎重論を唱えていました。

だが8月下旬になってメルケル首相は「いずれガソリン車とディーゼル車は販売禁止になる可能性がある」と発言しました。

まあ2050年以降でも「いずれ」なので、ここはそう言っておいた方が、国民の受けが良いと考えたのでしょう。


それに2040年にはメルケルは86歳なので、仮に間違った決定でも責任を問われる事はありません。

ドイツのビッグ3と言われるVW、ベンツ、BMWは非常に乗り気で、VWは2025年にEVの販売比率を25%にする目標を掲げています。

むろんメーカーが言っているEVとは「PHVを含むEV」の事で、エンジンが無いEVも含んでいます。


現在日本では新車の3分の1がHVとPHV・EV車で、充電方式ではないものの、33%クリーン化を既に達成しています。

2025年にこれをPHVに転換するのは難しくないと考えられるので、実はドイツメーカーが言ってるほど、凄い事ではないです。

エンジンを搭載しないEV車となると、2025年でもPHVやHVの1割も売れたら奇跡でしょう。

ドイツはEVが売れると困る

問題は英仏独ともEVが目標どおり売れたとして、電力をどうするかが説明されていません。

エンジン車は売れたらGSで給油すれば良いが、EV車の電気は政府が用意しなくてはなりません。

EV転換とは車が売れる売れないではなく、エネルギー問題なのに、これが華麗にスルーされています。


ドイツは太陽光が進んでいるから太陽パネルで発電できますが、残念ながら太陽光発電の電気はEVに利用できません。

充電需要が増える週末の前の日が、無風で曇りだったら太陽光や風力では発電できないし、電気は溜めて置けないのです。

EVの充電需要はおそらく急激に増えたりまったく無かったりするでしょうから、需要に応じて大電力を生み出す必要があります。


今の所それができるのは火力発電しかないのだが、発電所でCO2や有害ガスを排出して、自動車はクリーンという滑稽な事になります。

火力発電所の電気でEVを動かした場合、有害ガスやCO2は現行HV車と同じ程度と言われています。

ドイツは現在原発の新規建設を停止していて、10年後くらいに再検討する事になっているが、火力発電を減らすには新規原発が必要になります。


ドイツは実は原発廃止など決めた事はないのだが、なぜか日本では原発を廃止すると報道されました。

実際には「当分の間、新規建設を停止する」だけで、検討した結果また新規建設する道が残されています。

英仏も急にEVが売れまくって電力不足になるのは困るので、実はEVはゆっくり普及して欲しいのです。


その為の詭弁というか経過措置がPHVやHVであり、「クリーンな事をしている」と国民も納得するでしょう。

これは日本も同じで、もし日本でEVを大量に売るなら、多くの原発を再稼動させる必要があります。
http://www.thutmosev.com/archives/72278749.html
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c214

[政治・選挙・NHK231] 皇室と悪徳政権の関係性。400億円以上税金を横領した犯罪が公になっても安倍晋三と麻生太郎が辞任しない訳。 工藤投手
2. 中川隆[-6614] koaQ7Jey 2017年8月23日 19:53:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>加計学園問題はアメリカは関係ないからねー


関係あるよ

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。

しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。

だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。


外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。

日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。

だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。

矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。

率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html


詳細は

共謀罪批判は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/711.html

護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か _ 加計問題は CIA が扇動していた
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/210.html#c2

[政治・選挙・NHK231] 皇室と悪徳政権の関係性。400億円以上税金を横領した犯罪が公になっても安倍晋三と麻生太郎が辞任しない訳。 工藤投手
4. 中川隆[-6613] koaQ7Jey 2017年8月23日 20:18:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>3

それはマイナーな意見

真実は

日本は攻撃用兵器を保有できるか? 巡航ミサイル導入議論


防衛だけしていても「防衛」はできないという矛盾を自衛隊は抱えている


日本がトマホーク導入希望

一部報道によると北朝鮮情勢が厳しくなる中で、日本政府が巡航ミサイル導入を希望しているとされている。

米国製「トマホーク」導入を想定し、来年度予算に調査費計上を予定していると、政府関係者が語ったという。

自民党は4月30日、北朝鮮の弾道ミサイルなどを想定し、敵基地攻撃能力の保有を政府に提言していました。

過去には日米防衛協力のための指針、日米ガイドラインで日本は敵基地を含めるよう要請したが、米側が拒否してきた。

この議論は日本国内で何度か盛り上がった事があったが、アメリカの反対などで毎回断念してきた。

アメリカは何度か日本に戦争への参加や攻撃能力取得を求めたが、日本側が要望したときには拒否してきた。


古くは1950年の朝鮮戦争時、非武装だった日本に「日本軍再結成」と朝鮮出兵を求めてきて、日本側は拒否した。

ベトナム戦争の時も協力要請があったが、やはり日本側は直接の協力を拒否し、湾岸戦争でも出兵を拒否した。

それでいて日本がF2戦闘機やF22戦闘機取得で攻撃能力を得ようとすると、アメリカは毎回拒絶してきた。


1993年に北朝鮮が核開発と弾道ミサイル開発を本格化させたとき、米クリントン政権は北朝鮮攻撃を決め、日本に協力要請してきた。

日本側はまた協力を拒絶した一方で、日本が戦闘機に攻撃能力を持たせる件を、アメリカ側が拒絶してきた。

こうした両国の食い違いによって北朝鮮は野放しになり、日本は攻撃用兵器を取得できずにいる。


日米安保の機能不全

日本が戦闘機などに敵基地攻撃能力を持たせようとすると、アメリカは必ず「極右政権」や「侵略戦争を肯定している」のような批判を浴びせた。

つまりアメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などで自分が負けそうに成ると「おい日本、敵を攻撃しろ」と言ってくるが、攻撃用の兵器を持とうとすると反対している。

2013年頃にも自衛隊が独自開発する短距離弾道ミサイルを配備するという話があったが、その後情報はなく立ち消えになったかも知れない。


今回の巡航ミサイル導入も、トマホークはアメリカ製兵器であり、アメリカが許可しなければ導入できない。

一連の出来事で分かるのは、アメリカ政府は日本が攻撃用兵器を保有する事を、過去ずっと拒絶してきたという事です。

敵基地を攻撃できるという事はハワイやグアム、アメリカをも攻撃できるという事で、アメリカ軍にとって脅威となる。


生かさずころさずという言葉があるが、アメリカは日本が「過剰な軍事力」を持たないように、日米安保という枠に嵌めている。

日米安保が有る限り日本は守られるが、その一方で日本が攻撃兵器を持つことは許さない。

日本が他国を攻撃できなくすることで、アメリカは日本の軍事的主導権を握り、何でも要求を飲ませる事ができます。


早い話、日本が核ミサイルを保有してしまえば、アメリカが貿易赤字で騒いでも、日本政府は「だからなに?」と突っぱねるでしょう。

現実の日本はアメリカに安全保障を依存しているので、アメリカの要求を拒否することはできません。

アメリカの機嫌を伺っているのだが、攻撃用兵器を保有しないことで、ますます日本のアメリカへの発言力は低下している。
http://www.thutmosev.com/archives/70798368.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/210.html#c4

[政治・選挙・NHK231] 原発容認候補の応援に自民党総がかり 茨城県知事選の異様(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 中川隆[-6612] koaQ7Jey 2017年8月23日 20:35:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

世界は脱原発に向かっていない


反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/214.html#c1

[経世済民123] うますぎる日本のインスタント麺5選―中国メディア 赤かぶ
1. 中川隆[-6610] koaQ7Jey 2017年8月24日 04:54:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ラーメンを食べるとハゲになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/326.html#c1
[番外地7] 内田樹の大学不要論〜腐臭を発しはじめた大学

琉球新報主宰「琉球フォーラム」での講演 (内田樹の研究室) 2015年07月13日


「憲法と戦争 − 日本はどこに向かうのか」


●すでに腐臭を発しはじめた大学


皆、言いたがらないけど(マスメディアと同様に)大学もそうです。
ビジネスモデルとしては、もう末期的です。

高校生を相手に講演するときに言うのは、

「昔は大学進学先を決めるときには、自分の偏差値と行きたい学校の偏差値を見比べて、あとは住みたい街はどこかとか、学費はいくらかとか、そういう条件を考えて進学先を決めたものだけれども、今は違う。

君たちが大学を選ぶ時の最優先の基準は『卒業した後もその大学が残っているかどうか』だ」って。

卒業して何年かして「どこのご卒業ですか?」って訊かれて大学名を言っても、誰も知らない、もう存在しない、そういうケースがこれから多発します。

定員割れの学科を抱えている大学はすでに全体の50%に達しました。
教育予算も年々削られている。

国公立大学はこれからさらに縮小を強いられる。理系に予算を集めて、人文系の学部学科はどんどん潰される。その結果、さらに学術的な生産力が下がる。

日本の大学の論文数はかつてはアメリカに次いでいましたけれど、2002年から下がり始め、その勢いが止まりません。

中国に抜かれ、イギリスに抜かれ、ドイツにも抜かれました。学術的生産活動性の指標である人口当たりの論文数はOECD最下位です。韓国より台湾よりも下なんです。20世紀の終わり頃、日本の教育は東アジア最高レベルでした。それがわずか20年で、先進国最低レベルにまで落ちた。

システムが崩れる時って早いんです。腐ったシステムが崩れだすと、もう止められない。「選択と集中」の原理に基づいて、今は理系に教育資源を集めようとしてますけど、これは必ず失敗します。

少し前に韓国がそれをやりました。グローバル資本主義に最適化した学術領域に教育資源を集中させた。人文系の学部の予算を削った。

だから最初に進学者がいなくなったのは、韓国語学、韓国文学、韓国史学でした。自国の言語も、文学も、歴史も知らない、興味がないという子どもたちにしか出世のチャンスがない、そういう教育システムを作った。

そういう子どもたちが将来どういうエリートになるのか。少なくとも自国のため、同胞のために活動する意欲はきわめて低い人たちばかりがエリート層を形成することでしょう。

同じことは日本でももう起きていると思います。「金になるか、ならないか」だけを基準に教育資源を傾斜配分してきた結果、この15年間で日本の学術的生産力は劇的に低下した。

これは動かしようのない統計的事実です。でも、文科省はその事実を認めようとしない。認めないどころか、絶対に失敗することが確実な教育政策をさらに強化しようとしている。

地方の国公立大学は遠からず統廃合されてゆくことになると思います。となると、いずれ無大学県が出てくる可能性もある。

僕は日本の大学についても大学生の頃から40年間間近で観察していますけれども、もう末期だということは実感しています。もう腐臭を発している。大学に限らず、日本社会のさまざまな仕組みが同時多発的に壊れ始めている。
http://blog.tatsuru.com/2015/07/13_1100.php
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/282.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 日本文化関係投稿リンク 中川隆
50. 中川隆[-6609] koaQ7Jey 2017年8月24日 05:09:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

内田樹の大学不要論〜腐臭を発しはじめた大学
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/282.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/466.html#c50
[番外地7] 内田樹の大学不要論〜腐臭を発しはじめた大学 中川隆
1. 中川隆[-6608] koaQ7Jey 2017年8月24日 05:13:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

天下り官僚に翻弄される私大の悲惨


文部科学省の前事務次官の前川喜平がどのようなことをしてクビになったかを記事を読めばわかりますが、天下り官僚を引き受けた私立大学がどんな食い物にされているかがわかります。天下り官僚は悪知恵だけが働く悪賢い人材の集団であり、文部科学省ではそれが組織化されていた。

最近になって少子化で大学進学者が減っていくのに大学だけはどんどん新設されてきたのは、天下り官僚の引受先だからだ。大学教授や理事に天下るわけですが、天下り官僚を引き受ければお土産がついてくる。それが全国の大学にばらまかれるわけですが、それが天下り官僚の懐に入る。

日本全国に大量に作られた新設大学は、Fラン大学となり学生集めにも苦労することになる。都心にある一流有名大学なら学生集めも苦労しないでしょうが、一時は都心のキャンパスを売り払って郊外に移転する大学が相次ぎましたが、大学生の評判が悪くてまた都心に戻ってくる大学が多くなりました。

地方では大学生集めに苦労して、中国やベトナムなどからの留学生の引受先になっている。留学生といってもアルバイトに出稼ぎに来ている留学生であり、どのような勉強をしているのだろうか。私がいた頃もそうなのですが、大学は学問の墓場であり、大学という産業で学生たちを食い物にしている。

昔は利口だから大学に進学しましたが、今では利口でないから大学を出て学歴で就職に有利にしようとしている。腐敗堕落しきった大学に行って何を学ぼうとしているのでしょうか。腐敗した大学教授から学べば腐敗した大学生になるだけであり、そんな大学なら進学しないほうがいい。

大伽藍に名僧無しと言いますが、大キャンパスに名教授無しであり、主だった大学のポストは天下り教授に占拠されて、いいように食い物にされてしまう。週に一コマ程度の講義をするだけで年収は2500万円だ。5年勤めて退職金が3000万円だそうですが、いくつもの大学を渡り歩けば5億円もの収入だ。

つまり大学に進学して、霞ヶ関の官僚になり、天下って私のような人物になれと大学生に教育しているのだろうか。中にはやり手の天下り官僚もいて、大学の移転絡みで建設費用から数億円抜いた天下り官僚もいたようだ。森友騒動でも校舎建設で建設補助金がピンはねされて事件になりましたが、このような話はいくらでもあるのだろう。

年々大学の授業料が高騰してきていますが、学生たちは奨学金ローンを借りて学費を払っている。大学を卒業するまでには最低500万円はかかるからそれだけ借金を抱えて卒業する。そこまでして払った学費は天下り官僚の懐に入っていく。有意義な講義をしてくれれなそれでいいのでしょうが、天下り官僚にそれほどの学識があるわけない。
http://2013tora.jp/kabu391.html

2017.8.18 元東大教授と天下り官僚に翻弄される私大の悲惨


日本の学歴ヒエラルキーの頂点に立つ東京大学。官僚などが大学で教鞭をとる形などでの天下りは有名だが、実は東大教授が他大学へ再就職するケースも頻繁にあり、問題も多いのだという。それが私大をどれだけ破壊するのか。官僚の天下り問題や、旧帝大から私大への天下り的な再就職に批判を続けている元大学教授に話を聞いた。(フリーライター 光浦晋三)

肩書きにこだわるが何もしない
元東大教授が私大に与える弊害


ブランド力などをアテにして元東大教授を雇ったはいいものの、むしろ学内を引っ掻き回されるだけで終わるケースも少なくないという(写真はイメージです)

 かつて、定年を迎えた東大教授が私大に再就職するのは当たり前のことだった。近年は少子高齢化や大学の統廃合が増えたこともあって、その数こそ減っているが、他大学に比べれば東大教授の“ブランド力”は今なお絶大だ。

 東大教授の定年は65歳。定年前になると、多くの私大がモーションをかけて来るという。私大にとって、「元東大教授」という肩書きはかなり魅力的なもの。ある私大准教授は「東大教授として素晴らしい研究実績を残した教授が定年を迎えた後に、私大が招くことはあります。その教授の名前があるだけで 、ブランド力が上がりますからね」と語る。

 東大教授の再就職を受け入れるメリットはそれだけではない。東大教授の学生時代の同期には文部科学省の官僚がたくさんおり、東大教授は文科省官僚と密接な関係がある。そのため東大教授を“私学助成金の架け橋”として期待している側面もあるという。

 しかし、私大が元東大教授を受け入れることには弊害も多いという。警鐘作家の濱野成秋氏は東京大学研究員を経て早稲田大、一橋大、京都外語大、日本女子大などで教鞭を執ってきた。大学教授歴は40年近く、天下り官僚と戦う老教授を描いた小説「ビーライフ!白亜館物語」を著してもいる。そんな濱野氏は元東大教授が再就職先の私大にもたらす弊害をこう断言する。

「麗しき花園ともいえる私立大学は、東大勢がはびこると“不毛の砂漠”となり果てます。三流の私大では学科長クラスの待遇で迎えるわけですが、東大の人は“親方日の丸”のメンタリティですから、生徒集めの苦心などはまるで知りませんからね。それでも意見は言うし、周りも受け入れざるをえない。その結果、入試志願者が激減してしまうことになる」

 濱野氏が経験してきた実例を挙げてもらった。

「定員の5割減になっても、『今年は定員割れした』と他人事のように言うだけ。『定員割れとは96%で終わったときに言うセリフであって、5割減になってまで何を言うか』と、どやしつけた先生もいた。常識的判断しかできないし、過当競争でしのぎを削っている私大を経営的にサポートしようという気が全然ない。責任を取らないくせに、要職には就きたがる権力志向があさましいほど強い」

 運営費交付金で手厚く保護されている国立大学の中でも、東大は特に安泰。そんな環境の中で生きてきたため、私大にとって大切な学生集めに関心もなく、当然のように愛校心もない。結局のところ、何もしない人が多いのだという。

「有名予備校の経営者が建学した、埼玉県にある某法科大学院では、当初、司法試験合格者数で東大に比肩できるぐらいの人気校にしようと、本郷の法学部の権威ある教授を高給で多数採用しました。ところが全員やる気がなく、ご自分が司法試験の審査員のくせに生徒をよう育てもせん教授たちだった。初年度も次年度も合格者数は数名という空振り三振ばかり。これが何年も続いて大学院経営はガタガタになった。経営者は神様を雇ったつもりになっていたら、とんだビンボー神だった、というお粗末です」

私大を渡り歩いて5億円を荒稼ぎ!
天下り官僚に食い物にされる私大

 元東大教授よりも破壊力が強いのが官僚だ。官僚時代は数百億円の予算を動かしていただけに金銭感覚がズレすぎているという。私大には文科省、経済産業省、財務省など多くの官僚が天下りし、教授の座に収まっている。

「“渡り鳥稼業”の天下り役人は会議の欠席はザラなうえ、仕事の知識もない。仕事は部下に任せてゴロゴロしているだけ。それでも年俸は最低2500万円。さらに5年勤めて退職金が3000万円。これで3〜5つの大学を渡り歩いて計5億円は稼ぎます」

 もっとも何もしないのならマシな部類で、元官僚と悪徳教授が手を組み、大学を食い物にするケースも多々あるそうだ。濱野氏がいた都内の女子大では40億円が消えたこともあったという。

「彼らが株式や投資信託を駆使してマネーロンダリングをやったようですが、証拠が出なかった。また、翌年に取り壊しが決定していた校舎の大規模修繕に3億をつぎ込み、さらに塗装で1億2000万円と、計4億2000万円を無駄遣いしたことも。すぐに跡地に新しいビルを建てるところまで計画済みで、旧ビルでどんなインチキがあったのかはウヤムヤになってしまった。巧妙に証拠が残らない工作だけは一流のため、追跡調査もできなかった。もちろん大学の事務職などは真相を知っていましたが、黙殺したまま。ヘタに口にしようものなら簡単に左遷されてしまいますからね」

 別の学校ではこんなケースも。

「もっとひどいのは、研究業績が大学院生ほどもないクズ教授を学長に仕立て、自分は定年のない常務理事のポストに就いた天下り官僚がいました。さらに、部課長などの大学の要職を、仲間や部下で固め、付属の建物の増改築で稼ぐなど好き放題だった。さらに、法人側の私立学校法違反事項を目ざとく見つけると、理事長選で教授会をけしかけ、当主を追い出し自分が理事長の座に座り、そのまま学園を乗っ取ったヤツもいた。都内有数の伝統校でしたが、その後は、学問はそっちのけとなり、今では生徒の確保にも困るほど疲弊してしまいました」

 悪質な実例はまだまだあるという。

「今時、わざとド田舎にキャンパスを購入し、引っ越さなくてもいい学部の建物まで建てて都内一等地のキャンパスを売却し、その取り壊しとキャンパス移転で数十億を着服する天下りもいました。ゼネコンのリベートで稼いだんです。その大学は生徒集めに窮し、今は中国やベトナムからの留学生で細々と命脈を保っていますが、近々、倒産の噂も聞こえてきます。もちろん、天下り役人はその前にいなくなるでしょうね」

 悪徳教授や官僚を受け入れる私学の側にも落ち度があるとの指摘もあるが、濱野氏はそれは違うという。

「教授会が天下り官僚は採りたくないと考えていても、彼らは巧妙に法人側の上席ポストを占めてしまう。そうなれば、自動的にかつての役所の部下を雇いこむルートができてしまうんです。大学が悪いのではなく、行列を作って乗っ取りに来る方が悪いんです」

 今年3月、松野博一・文部科学大臣は、省庁退職者が許認可や補助金の支出対象である大学や財団に再就職することを当面自粛すると明らかにしたが、果たして実効力がどれだけあるのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。
http://diamond.jp/articles/-/137283

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/282.html#c1

[番外地7] 内田樹の大学不要論〜腐臭を発しはじめた大学 中川隆
2. 中川隆[-6607] koaQ7Jey 2017年8月24日 05:20:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 17/7/3(945号)官邸への報復

加戸守行前愛媛県知事の証言

加計学園の獣医学部新設が問題になっているが、メディア主導で変な方向に向かっている。前川という前文科省事務次官が、行政が歪められたと官邸を告発した。しかし実態を調べると、むしろ正反対の話がどんどん出て来る。

最近の産経新聞や日テレニュースだけがその正しいと思われる経緯を少し伝えている。しかし主要な新聞やテレビはこれらのことをどういう理由か伝えない(調べれることは簡単に分ることばかり)。まず今治における獣医学部新設は、加戸守行前愛媛県知事達が10年以上前に立ち上げた四国4県(四国は獣医師不足が深刻)のプロジェクトであった。しかし加戸氏が獣医学部新設で先頭に立って奔走したが、獣医師会や自民党の獣医師議員連盟が猛烈に反対し実現が難しかった。ところが民主党政権が発足し局面が変わった。地元選出の民主党の白石洋一衆議院議員が獣医学部新設に取組み始めたのである。ところで当初から獣医学部新設に積極的だったのは加計学園であり、加計が学部新設するものと想定されていた。民主党・鳩山政権の終盤には構造改革特区で「対応不可」から「実施に向け検討」に格上げされた。

また先週号で述べたように、加計学園の地元である岡山選出の民進党の高井崇志衆院議員や江田五月最高顧問などもこの案件を積極的に押し進めた。このように加計学園の獣医学部新設は、自民党ではなく元々は民主党・民進党の案件であった。ところが新設が実現する寸前になって、今度は民主党の中にこれに反対する獣医師議員連盟ができた。安倍総理と加計学園の理事長の仲を国会で追求した玉木雄一郎民進党幹事長代理などは、この民主党獣医師議員連盟の事務局長であり獣医師会から政治献金を受けていた(父と弟は獣医師)。


日本のメディアは、安倍総理と加計理事長が友人だからの獣医学部新設が実現したというストーリを作っている。そのため安倍総理と加計理事長が一緒に写っている写真は何回となく放送されてる。しかしこのような報道は明らかに印象操作である。要するに安倍総理が友人のために行政を曲げて、獣医学部新設を実現したという事実とは異なる話を作り上げることが目的である。

安倍総理は、国会でこのストーリを何回も否定している。しかし作り上げられた嘘話を否定することは難しい。特に反安倍の報道機関がこぞってこのストーリを毎日流し続けているため、世間の人々はこの嘘話を半分以上信じている。


加戸前愛媛県知事はこの話を即座に否定している。またテロ等準備罪(共謀罪)がなければ、獣医学部新設は話題にもなっていなかったと感想を述べている。つまりテロ等準備罪(共謀罪)の法案成立を阻止したいメディアが、一斉に加計学園問題に飛びついて安倍総理を攻撃したと述べている。筆者も同感である。

加戸氏は文科省の官僚OBで、偶然にも前川前文科省事務次官の上司であった。加戸氏は「前川君は地方の獣医師不足の実状を全く知らないのだろう」と言っている。また驚くことに加戸氏は安倍総理と加計理事長が昔からの友人だったことは全く知らなかったという。

ちなみに加計理事長は安倍総理と昔からの知り合いであるが、一方で獣医学部新設で動いてくれている民進党の高井崇志衆院議員や江田五月最高顧問とも親しい。両者と加計理事長が一緒に写っている写真を筆者はネットで一度見たことがある。どうも加計理事長は自民党だけでなく民進党も強く支援してきたと見られる。


次に考えることは、前川前文科省事務次官が「官邸によって行政が歪められた」「加計ありきでことが進んだ」と告発した目的である。反安倍のメディアは、前川氏の告発を「正義の告発」「硬骨漢の元官僚が官邸に立ち向かっている」という話に仕立てている。これは前川氏の狙い通りであった。また前川氏の思惑通り、加計学園疑惑は連日報道され野党を巻込み大騒ぎになった。

前川氏は森友学園問題が「総理への忖度」ということで大騒ぎになっているのを見て、部下が作った「官邸の意向」という文言のある文章をマスコミに送ったと筆者は考える。朝日新聞や週刊文春は情報元を隠しているが、文章は前川氏が送ったものと一般には見られている。どうも問題の文章をマスコミ各社が受取ったが、新聞の中で取上げのは朝日だけだったようだ。ただし前日夜にNHKもこれを流したが「官邸の意向」という部分は伏せられていたという話である。


天下り斡旋、出会い系バー、新国立競技場

「官邸によって行政が歪められた」という前川氏の言い分はもちろんマスコミ向けであり、真相ではないと筆者は言いたい。どう見ても文科省の天下り問題が発覚し、就任からわずか6ヶ月で事務次官職を辞任するよう官邸に迫られたことへの「報復」と見るのが妥当である。これは永田町・霞ヶ関では常識になっていると思われるが、マスコミは分っていてもほとんどこれに触れない。「正義の告発者」という自分達が勝手に作ったストーリを壊したくないのである。ちなみに「官邸の意向」といった文言は、加戸前愛媛県知事が現役の文科省官僚時代にもよく使ったという。

文科省は組織的に天下りの斡旋を行っていた。昔はこのようなことを他の官庁でも行っていたが、これが禁止されてからは組織的にやっていたのは文科省だけであった。このことは天下り斡旋禁止令を作った張本人である高橋洋一氏がテレビで指摘している。高橋氏は「こんな法律に引っ掛かるなんて文科省は本当にアホだ」と言っていた(他の官庁はもっと巧妙にやっているのであろう)。しかもその中心人物が前川事務次官だったという話も出ている。


「出会い系バー」への出入りも、当然、辞任に関係していると思われる。前川氏は昨年9月頃に杉田副官房長官からこの件で叱責されている。この「出会い系バー」は暴力団関係者が経営しており、常に警察にマークされていた。警察庁出身の杉田官房副長官にこの情報が届いたと見られる。官邸は読売新聞が報道するまでこの話を知らなかったと言っているが、おそらく前から知らされていたと筆者は見ている。

天下りの斡旋の話に戻れば、何かと官邸に反抗していた文科省の局長がある大学に斡旋され天下っていたことを官邸が見つけ腹を立てたという。この違法な天下り斡旋が発覚し、官邸は前川事務次官に斡旋に関わった文科省幹部への処分案を作るよう命じた。前川氏はこれに応じ処分案を作成し官邸に持って行った。ところがこの処分案の中に、なんと前川事務次官自身の名がなかったという(前川氏は斡旋の中心人物と目されているのに)。さすがにこれに官邸は立腹し前川氏にとうとう辞任を迫ったようである。菅官房長官の「前川事務次官は自分の地位に恋々としていた」というセリフはこのような経緯があったからと考える。


「官邸によって行政が歪められた」うんぬんのセリフは明らかにマスコミ向けであり、官邸告発の真相とは関係がないと筆者は考える。そもそも前川氏は獣医学部新設に関心はなかったと筆者は見ている(上司であった加戸守行前愛媛県知事の「前川君は地方の獣医師不足の実状を全く知らないのだろう」発言でも明らか)。実際、月間文芸春秋7月号に前川氏の手記が掲載されているが、そこでも加計学園の獣医学部新設に自分は関わってこなかったと述べている。当然、6ヶ月で事務次官を辞めさせられたことが原因と考える。たまたま「官邸の意向」という告発に都合の良い文章(部下が言い訳のために作った嘘と本当が混じった)が手元にあったと見るのが自然であろう。

辞任を迫られた前川氏は「天下りの斡旋は他の省庁でもやっている」と反論したという話がある。ところが最近の2回目の記者会見では「天下り斡旋が禁止されていることを知らなかった」と言い方を変えていると高橋洋一氏が指摘している。しかし前川氏を持上げているマスコミは、このような点を全く追求しない。


前川氏が深く関わっていたのは新国立競技場の建設であった。しかし旧競技場の解体費用が異常に増えたり、設計に無理があり期限までに完成するか不安視されていた。政府は建築の素人である文科省に任せておく訳には行かないと判断し、急遽、競技場建設の主体を国交省に変更し設計のコンペをやり直した。この時動いたのが国交省出身の和泉首相補佐官と言われている。前川氏の口からよく和泉首相補佐官の話が出るのは、このことが影響していると筆者は見ている。

国民の7割が加計学園問題の真相が分らず何かを政府が隠していると思っていると言う。しかしそれは大々的に問題を取上げている大手メディア(一部を除く)が、本誌の先週・今週号で述べたような本当と思われることに全く触れないからである。本誌の先週号と今週号の内容は、新聞・テレビで見聞きしネットで調べたことに筆者の若干の憶測を加えたものである。しかし個人的な特別ルートで得たような情報は一切含まれていない。要するにちょっと調べれば全て分ることばかりである。
http://www.adpweb.com/eco/

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/282.html#c2

[政治・選挙・NHK231] 安倍首相なぜ官邸に来ない/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
1. 中川隆[-6606] koaQ7Jey 2017年8月24日 10:43:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>官邸に出てこないのはなぜか


CIAに盗聴されてるからに決まってるだろ:


アメリカの手先の官僚とマスコミ、CIA・中国の工作員から政治家を守ろう


反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

共謀罪批判は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/711.html

護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か _ 加計問題は CIA が扇動していた
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/235.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 安倍首相なぜ官邸に来ない/政界地獄耳(日刊スポーツ) 赤かぶ
2. 中川隆[-6605] koaQ7Jey 2017年8月24日 10:46:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本の首相がアメリカ・中国に逆らおうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚する


安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。

しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。

だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。

最近では日韓合意がありますが、これも密約のようなものですが正式な外交条約ではない。だから守らなくてもいいのですが紳士協定のようなものであり、日本は密約を守る国であり韓国は密約を守らないというだけの事だ。外交的に難しい交渉をする時には表向きの条約と裏側の密約とに分かれていることが多く、国民には密約は公開されない。

外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。

日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。

だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。

矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。

率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/235.html#c2

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
425. 中川隆[-6604] koaQ7Jey 2017年8月24日 12:05:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日経平均は安値を

2/12 → 6/24 → 11/9 → 4/17

の5か月サイクルで付けているから、次の安値は 9/25 前後になる

9/25 前後で騰落レシオが 60以下になった時が数年に一度しか来ない買いのチャンス


騰落レシオ
https://nikkei225jp.com/data/touraku.php
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/invest_tool/compass/compass.asp


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c425

[リバイバル3] キタキツネ物語 中川隆
5. 中川隆[-6603] koaQ7Jey 2017年8月24日 12:22:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「キツネに2度グラブを盗まれた男」滝川西・佐野の親孝行
8/24(木) 10:30配信 スポーツ報知


「キツネに2度グラブを盗まれた男」滝川西・佐野の親孝行


右手でキツネの形を作る滝川西・佐野大夢


 あれから、キツネの被害はないという。19年ぶりに夏の甲子園に出場した滝川西のことだ。

【写真】新グラブで「最高のプレーを」キツネに2度盗まれた“騒動”に叔母がプレゼント

 1回戦で仙台育英に3―15で敗れたものの、ナインは胸を張って北海道に帰ってきた。新チーム始動日、5番・左翼で先発した佐野大夢(3年)が部室の掃除中に話しかけてくれた。ボロボロになった赤いグラブを手に取りながら…。

 7月中旬。練習後のミーティング中に、佐野は外野手用グラブを野生のキツネに持って行かれた。滝川市は札幌から車で約2時間のところにあり、グラウンドは田畑に囲まれるなど、自然豊かな町だ。よく出没するキツネに、これまでも革製品を狙われたことはあったそうだ。その日は、ナイター照明をつけて部員全員で捜索したが、見つからず。翌朝、ボロボロにかみちぎられたグラブがグラウンドに“返却”されていた。

 大切なものだった。2年生の春。佐野が捕手から外野手に転向した際、母・早苗さん(47)が買い替えてくれたグラブだった。必死の捜索も実らなかった夜、佐野は母に泣いて謝った。「ごめん」。ただ、早苗さんは「みんなが探してくれたんだから。結果で恩返ししなさい」と優しく声をかけてくれた。

 女手一つで育てられた。滝川駅から15分ほど離れた赤平駅から電車で通う。夜は2時間に1本ほどしか電車が走っておらず、家に帰宅するのは午後10時を過ぎる日もあった。それでも、早苗さんは毎晩ご飯を作って佐野の帰宅を待ってくれている。「母がいたから、ここまで野球ができた」と佐野は言う。ボロボロになったグラブはもう使えない。だが、大会期間中はずっと部室に保管してきた。

 私は「甲子園でそのグラブと一緒にプレーしたかったんじゃない?」と聞いてみたが、佐野は即答した。「いいんです。代わりに母を甲子園に連れて行くことができたので」。キツネの被害にあったのは1度だけではなく、2度もあったことからメディアにも「キツネに2度グラブを盗まれた男」と紹介された。ネットでも話題となり、甲子園後は地元で歩いていると、市民から「手でキツネポーズされました」ということもあったという。

 チームでも主軸を任され、将来有望の長距離打者だったが、野球は高校で引退し、これからは地元の市職員を目指し、勉強に励むつもりだ。「僕、弟がいるんです。高いレベルで野球をやりたいとも思いましたけど、弟が大学に行きたいと言った時のためにも僕が働いていた方がいいかなと思って」。そう言って佐野は、ボロボロのグラブを見せてくれた。手のひら部分には『親孝行』の文字が、しっかりと刺しゅうされていた。

 キツネが返してくれた理由が分かった気がした。きっと今も、反省しているのかもしれない。(記者コラム・清藤 駿太)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/608.html#c5

[リバイバル3] キタキツネ物語の世界 中川隆
13. 中川隆[-6602] koaQ7Jey 2017年8月24日 12:23:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「キツネに2度グラブを盗まれた男」滝川西・佐野の親孝行
8/24(木) 10:30配信 スポーツ報知


「キツネに2度グラブを盗まれた男」滝川西・佐野の親孝行


右手でキツネの形を作る滝川西・佐野大夢


 あれから、キツネの被害はないという。19年ぶりに夏の甲子園に出場した滝川西のことだ。

【写真】新グラブで「最高のプレーを」キツネに2度盗まれた“騒動”に叔母がプレゼント

 1回戦で仙台育英に3―15で敗れたものの、ナインは胸を張って北海道に帰ってきた。新チーム始動日、5番・左翼で先発した佐野大夢(3年)が部室の掃除中に話しかけてくれた。ボロボロになった赤いグラブを手に取りながら…。

 7月中旬。練習後のミーティング中に、佐野は外野手用グラブを野生のキツネに持って行かれた。滝川市は札幌から車で約2時間のところにあり、グラウンドは田畑に囲まれるなど、自然豊かな町だ。よく出没するキツネに、これまでも革製品を狙われたことはあったそうだ。その日は、ナイター照明をつけて部員全員で捜索したが、見つからず。翌朝、ボロボロにかみちぎられたグラブがグラウンドに“返却”されていた。

 大切なものだった。2年生の春。佐野が捕手から外野手に転向した際、母・早苗さん(47)が買い替えてくれたグラブだった。必死の捜索も実らなかった夜、佐野は母に泣いて謝った。「ごめん」。ただ、早苗さんは「みんなが探してくれたんだから。結果で恩返ししなさい」と優しく声をかけてくれた。

 女手一つで育てられた。滝川駅から15分ほど離れた赤平駅から電車で通う。夜は2時間に1本ほどしか電車が走っておらず、家に帰宅するのは午後10時を過ぎる日もあった。それでも、早苗さんは毎晩ご飯を作って佐野の帰宅を待ってくれている。「母がいたから、ここまで野球ができた」と佐野は言う。ボロボロになったグラブはもう使えない。だが、大会期間中はずっと部室に保管してきた。

 私は「甲子園でそのグラブと一緒にプレーしたかったんじゃない?」と聞いてみたが、佐野は即答した。「いいんです。代わりに母を甲子園に連れて行くことができたので」。キツネの被害にあったのは1度だけではなく、2度もあったことからメディアにも「キツネに2度グラブを盗まれた男」と紹介された。ネットでも話題となり、甲子園後は地元で歩いていると、市民から「手でキツネポーズされました」ということもあったという。

 チームでも主軸を任され、将来有望の長距離打者だったが、野球は高校で引退し、これからは地元の市職員を目指し、勉強に励むつもりだ。「僕、弟がいるんです。高いレベルで野球をやりたいとも思いましたけど、弟が大学に行きたいと言った時のためにも僕が働いていた方がいいかなと思って」。そう言って佐野は、ボロボロのグラブを見せてくれた。手のひら部分には『親孝行』の文字が、しっかりと刺しゅうされていた。

 キツネが返してくれた理由が分かった気がした。きっと今も、反省しているのかもしれない。(記者コラム・清藤 駿太)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/609.html#c13

[経世済民123] ガソリン車、世界的に禁止へ…日本の自動車メーカー、大規模な人員削減と下請け淘汰必至(Business Journal) 赤かぶ
1. 中川隆[-6601] koaQ7Jey 2017年8月24日 12:51:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

電池より、まず原発を沢山つくらないと電気が供給できない時代になるね


反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

反原発派は知恵遅れ
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/330.html#c1

[昼休み52] 意図的な世論誘導報道で悪魔呼ばわりされているシリア アサド大統領 富山誠
33. 中川隆[-6600] koaQ7Jey 2017年8月24日 13:27:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017-08-18
世界を動かす12の原理-8〜アメリカのイラン、シリア攻撃に関する「大ウソ」〜
http://www.kanekashi.com/blog/2017/08/5407.html

イラン攻撃オバマ悩みシリア攻撃

「国家のウソ」とそこから見える「本音」と「建前」の続きです。

今回は、イラン戦争とシリア攻撃についてです。

イラン戦争は以前も扱ったことや、「本音」についてもかなり世間一般に周知されていることもあり、端的にまとめました。

シリア攻撃については、中身がやや複雑で「本音」の背景が、非常に興味深い内容です。アメリカによるマッチポンプの様相があったり、また、結果的には自分で自分の首を絞めることになったりと、それまで通用していた「本音」の部分が、ネットによる暴露→拡散の影響もあって、通用しなくなっています。

化学兵器に関しては、以前当ブログでも紹介したクライシス・アクター(アクトレス)等を使った捏造等も絡んで、これまでの「建前」では、世論の共認形成がし難くなっていることが伺えます。

以下、「クレムリン・メソッド」〜世界を動かす11の原理〜(北野幸伯著)

からの紹介です。

****************************

■アメリカがイランを叩く理由は「核兵器開発」であるという「大ウソ」

(ここでは本文から抽出した「本音」と「建前」をまとめました)

アメリカのイラン攻撃の「建前」の理由は、イランが「核兵器を開発しているから」

基本的な事実は以下

@イランは核兵器を開発する意向を一度も示したことがない。

Aアメリカも数年前まで、イランには「核兵器を開発する意図がない」ことを認めていた

B核兵器開発が「戦争」の理由であるならば、真っ先に攻撃されるべきはイランではない。

@について

・「核開発」は「原発用」だとしています。

Aについて

・「国家情報評価」(NIE)は、「イランは2003年秋に核兵器開発計画を停止させた」と分析していた。

・「国際原子力機関」(IAEA)のトップ、日本人・天野之弥氏は、2009年12月就任直前に「イランは核兵器開発を目指していない」と断言している。

Bについて

・イラン攻撃の可能性を何百回も公言しているアメリカは「北朝鮮は攻撃しない」と断言している。

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アメリカのイラン攻撃の「本音」の理由は、

1 ドル体制防衛

・前回触れました

2 石油、ガス

FRBのグリーンスパン元議長が「米軍によるイラク開戦の動機は石油利権だったと曝露」したように、イラン攻撃も同様。

イランの原油埋蔵量は、1570億バレルで世界4位。天然ガス埋蔵量は33.6兆立方メートルで世界1位。世界有数の資源大国。

3 イスラエル防衛

イランが、アメリカと非常に近いイスラエルを敵視していることも理由の一つと考えられます。

4 中国封じ込め

米中「派遣」争奪戦の観点から見ると、アメリカにとって、イランは非常に重要です。

中東産油国の民衆は、イスラム教徒で概して反米。

しかし、トップは、おおむねアメリカと良好な関係を築いています。

とはいえ、中東産油国で反米の国もあります。その代表がイラクとイランでした。

しかし、アメリカはイラクを攻撃し、傀儡政権をつくった。

残るはイランです。

これは非常に重要なのですが、アメリカがイランに親米反中傀儡政権をつくれれば、ほぼ「中東支配」は完了したとえます。するとどうなるか?米中関係がいざ悪化してきたとき、中東産油国を脅して中国に原油を売らせないようにすることができる。中国の方にもそういう危機感があります。

■米英仏がシリア攻撃を回避したのは、その根拠が「大ウソ」だったから

2013年、アメリカのオバマ大統領は、「シリアと戦争する!」と宣言した。ところがしばらくすると、今度は「やっぱ戦争やめた」といい、世界を驚かせました。

この理由は、以下二つの「絶対的定説」:「建前」があります。

@アメリカがシリア攻撃を検討したのは、アサド大統領の軍が、「化学兵器を使ったから」である。

Aアサド大統領は、「独裁者で悪」である。反アサド派は、「民主主義者で善」である。

どうでしょう?

ほとんど全ての人が、「そのとおりじゃないか!」と思っていることでしょう。

しかし、この二つの「ウソ」が暴露された。

中東シリアは、1971年から現在に至るまで、40年以上「アサド家」が支配しています。

1971年から2000年までは、ハフィズ・アサドが大統領だった。

2000年にハフィズが亡くなり、息子のバシャル・アサドが大統領になりました。

ですから、アメリカが「アサドは独裁者だ!」と非難するとき、それを否定する人はいません。この点で、アメリカは正しいのです。

中東・北アフリカでは、2010年末から「民主化」「反政府」運動(いわゆる「アラブの春」)が起こってきます。

2010年1月ごろから、シリアにもその影響がおよんできました。

はじめは小さな「反アサド・デモ」でしたが、徐々に規模が大きくなっていきます。3月には、既に数千人規模の大規模でもが全国で起こるようになった。

4月、デモは暴力を伴うようになってきた。各地で数万人規模のデモ参加者が、治安部隊と争うようようなります。

さて、内戦は激しさを増し、アメリカは2013年8月、「シリアを攻撃する!」と発表した。

理由は、既述のように、「アサドが化学兵器を使った!」というのです。

米英仏は、「アサドが化学兵器を使った!」ことを理由に、「戦争」を開始しようとしたのです。

この三ヶ月前に、国連はどんな報告をだしていたか?

国連が調査した結果、化学兵器を使っていたのは、「アサド派」ではなく、「反アサド派だ!」というのです。

もちろん、私も、「アサド派が化学兵器を使った可能性」を排除しません。

つまり、可能性は二つです。

@「アサド派」も「反アサド派」も化学兵器を使った。

A化学兵器を使ったのは、「反アサド派」だけである。

Aについて、「国連は『反体制派が化学兵器を使った』と報告しているが、『確定』ではないのでは?」という意見もあるでしょう。

そのとおりです。

しかし、だからといって、米英仏がこの調査結果を「完全無視」し、「アサド派だけ使った!」と強弁するのも、かなり無理があります。

化学兵器を「アサド派」も「反アサド派」も使ったのなら、米英仏は、「アサド派を攻撃」し、「反アサド派も攻撃」しなければならない。

そういうことでしょう?

しかし、米英仏は、「国連の調査で『化学兵器を使った』とされる、『反体制派』」を支援している。

これは、どう見てもおかしいですね?

これで、シリアに関する絶対的定説の一つが崩れました。

■「シリア反体制派は民主主義者で善である」という欧米の主張の「大ウソ」

シリア問題については、オバマが「戦争宣言」をする二ヶ月前の2013年6月、G8で協議されています。

このとき、いわゆるG7は、「好戦的なムード」だった。

ただ一人プーチン・ロシアだけが「反戦」だったのです。

では、プーチンは何を根拠に、アサドを守ったのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

16日、キャメロン英首相との会談後の会見でプーチン大統領は、シリア反体制派が政権側軍人の遺体を食べる映像を公表したことに言及し、「殺害した敵の内臓を食べる人たちを支援するのか」と欧米を批判。

G8議長のキャメロン首相は、シリア問題で譲歩しないロシアを外し「G7」での声明を出すことも検討したと伝えられた。(毎日新聞配信)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プーチンが、「人肉を食べる人たちを支援するのは嫌だ!」と反対したら、「じゃあ、ロシアをG8からはずそう!」となった。

さらに、プーチンは,「化学兵器を使ったのは、『アサド派』ではなく、『反アサド派』だ!」と国連と同じ主張をします。

■シリアの「反体制派」内に、「イスラム国」というアルカイダ系がいる「真実」

さて、もう一つ、超重要な事実があります。

「反アサド派」「反体制派」といっても、いろいろな勢力がある。

彼らが、「内輪もめをした」ことを、AFP(フランス通信社)と時事通信が報じています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シリア北部の町占領、反体制派とアルカイダ系勢力対立の背景

とることの国境沿いにあるシリア北部アレッポ県の町、アザズで18日に戦闘になったシリア反体制派「自由シリア軍」と国際テロ組織アルカイダ系武力勢力「イラク・レバントのイスラム国(ISIS)」が停戦に合意したと、イギリスを拠点とするNGO「シリア人権監視団」が20日、明らかにした。

(AFP=時事)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同じ反体制派内の「自由シリア軍」と「イラク・レバントのイスラム国(ISIS)」が仲間割れして、戦闘になったと。

そして、この「イラク・レバントのイスラム国」は、「アルカイダ系武力勢力」である、とはっきり書いてあります。

いったい彼らは、なぜアルカイダと共闘していたのか?

先の記事は、こう解説しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シリア反体制各派は、安定的な兵器の供給を受けて支配地域を拡大し「政府軍に匹敵する」ともされる残忍さを示すISISに怒りを募らせて折り、個々数ヶ月、反体制派がその大半を支配下において入るシリア北部を中心に反体制各派とISISの間で緊張が高まっていた。(同前)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シリア国民連合の内部にアルカイダがいるにもかかわらず、アメリカ、イギリス、フランスは、支持を表明した。

理屈は、「われわれが支援するのは、『自由シリア軍』でアルカイダじゃない」です。

これに関して、二つの問題があります。

一つが、米英仏が「自由シリア軍」に武器を与えた。しかし「自由シリア軍」と「アルカイダ系」は、同じ「シリア国民連合」に属している。

つまり、米英仏は、「間接的にアルカイダに武器を供与する」ことになる。

もう一つは、もしシリア国民連合が、アサド政権を打倒したとしましょう。

そうなれば、シリア国民連合は、新政府を組織する。

そのとき、大活躍したアルカイダ系勢力を、新政府から排除することができるだろうか?常識的に考えれば、難しいでしょう。

そうなれば、アメリカは、「9.11を起こした犯人たちが新シリア政府をつくるのを、全面的に支援した」結果になります。

このことをアメリカ国民が広く知れば、どうなるか?

結局、オバマは、「シリア戦争」を「ドタキャン」しました。

ちなみに、「反アサド派」でアルカイダ系の「イラク・レバントのイスラム国(ISIS)」は、現在「イスラム国」と名を変えています。

そして、2014年10月現在、「イスラム国」は、イラク現政権(アメリカの傀儡)と激しく対立している。

アメリカは、

自分で樹立したイラク政権を守るために、自ら支援して育てた「イスラム国」に空爆を繰り返すという「マヌケな」結果になっている。
http://www.kanekashi.com/blog/2017/08/5407.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/816.html#c33

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
121. 中川隆[-6599] koaQ7Jey 2017年8月24日 13:40:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

世界共通語となる可能性を持った日本語
森川林 2010/07/07

 日本語という言語には、他の言語には見られない特徴があります。

 第一は、外界を人間化してとらえる母音言語という特徴です。日本語では、自然の音を左脳の言語脳で把握します。「雨がザーザー降っている」「セミがミンミン鳴いている」という表現です。音だけでなく、様子についても、「雲がふんわり浮かんでいる」「太陽がぽかぽか照っている」と様態を母音で表します。

 母音を人間世界の音、子音を非人間世界の音とすると、自然の音も含めてすべて母音の含まれる音で表す日本語は、自然そのものを人間的なものとして受け入れる言語だと言えます。日本文化におけるアニミズムは、この言語における自然の人間化と密接な関係を持っています。

 この外界を人間世界と同じようなものとして受け入れる発想から、自然に対する繊細な観察眼が生まれました。日本人は、自然を、人間が征服すべき単なる外界の素材と考えるのではなく、人間に協力してくれる意志を持つ仲間のように考えます。例えば、針供養は、針を道具としてではなく、仕事の協力者として見る発想から生まれました。

 自然や道具に対するこの人間化した見方が、自然や機械と対話する日本文化を生み出しました。日本の工業製品の品質が優れているのは、人間と製品の間に、人間どうしの間に見られるような対話があるからです。その対話の土台となっているものが、日本語の母音性から来るアニミズム的な発想だと思います。


 第ニは、表意文字と表音文字を組み合わせて視覚的な理解を促す漢字かな混じり文という特徴です。日本語における漢字とかなは、脳の異なる部位で処理されています。漢字は、絵と同じようなものとして認識されているので、日本語の文章を読むと、文字が視覚的な映像を伴って処理されます。このため、漢字かな混じり文は、一目で全体を理解しやすいという特徴を持っています。

 アルファベットのような表音文字の場合でも、文章を読む量が増えてくるにつれて、単語という文字の塊を一種の図形のように認識するようになるようです。しかし、図形化の度合いは、もともと表意文字である漢字の方が優れているので、日本語は西欧のアルファベット言語よりも、物事を理解する手段として有利な言語なのです。

 また、漢字が主に名詞として概念を表すのに対して、ひらがなは主に概念と概念をつなぐ媒介としての役割を果たします。中国語が語順によって概念と概念の間にある関係を表すのに対して、日本語は語順ではなく、漢字と漢字の間にひらがなをはさむことによって概念相互の関係を表します。ひらがなが介在することによって、概念を表す漢字の組み合わせ方が自由になるというところに、日本語の発想の豊かさがあります。

 日本語は、表意文字の部分で理解力を高め、表音文字の部分で創造性を高めるという不思議な特徴を持った言語なのです。


 第三は、助詞や助動詞という語尾のニュアンスで微妙な差異を表現する膠着言語という特徴です。英語や中国語と異なり、日本語は、文の最後まで聞かないと、その文を正しく理解できません。例えば、「私は、明日、学校に行く……」まで聞いても、そのあと、「行くでしょう」か、「行くかもしれません」か、「行く気はありません」か、どのように続くか判断できません。

 そのため、日本語は、話し言葉でなかなか句点をつけずに、いつまでも続くような形をとりがちです。「その件については、前向きに善処したいと、このように考えているわけである、と言いたいところですが、やはり、何と申しましても……」というような言い方になると、聞き手は最後まで気を緩めることができません。

 この膠着語における文末の微妙さが、日本文化における微妙な差異に対する関心を生み出しました。そのため、話し言葉では、文末は、しばしばぼかされる形で微妙な雰囲気を相手の受け取り方にゆだねます。「この間は、どうも……」「はい、おかげさまで……」「ちょっと、そこまで……」などという言い方です。

 話し言葉の特徴は、書き言葉にも表れます。書き言葉では、文末をぼかす形がとれないので、言い切らない表現が多様されます。「そうである。」という断定ではなく、「そうであろう。」「そうだと思われる。」「そうだと言える。」「そうだと言いたい。」などという表現です。また、ニュアンスを表すための顔文字や「(汗)」「(笑)」などが多用されるのも、相手の微妙な受け取り方を前提にして文章を書くという日本語の特徴です。

 膠着語は、微妙な差異を生み出せるために、互いに相手の受け取り方に気をつかうという配慮の文化を生み出したと言えます。


 20世紀の世界言語は英語でした。それは、世界共通の言語としてコミュニケーションのツールに役立つ特徴を備えていたからです。

 しかし、今後は人工知能の発達によって、言語は次第に自動翻訳が可能な表現手段になってきます。

 世界に何千もの言語があることを考えると、個人が学習によってそれらの言語に精通することは不可能です。英語が世界の共通語になったのは、言語の習得に時間がかかることから、言わば消去法として選ばれたという事情があります。

 人工知能が世界中の言語の自動翻訳を可能にする時代に、言語に求められる役割は、もはや世界の人々とのコミュニケーションではありません。新しい時代の言語の役割は、コミュニケーションのツールではなく、理解や認識や思考のツールとしての役割です。

 しかし、言語が認識のツールになるためには、その言語が個人の母語になっている必要があります。コミュニケーションのツールであれば、後天的に習得することが可能でした。しかし、ある言語が認識のツールとなるためには、その言語が母語として血肉化されている必要があります。また、バイリンガルの教育法が開発され整備されれば、母語は複数であることも可能です。

 こう考えると、日本語は、感受性と理解力と創造性を育てる言語として、将来の世界共通語になる可能性があります。しかし、このことは、まだ日本人以外には、ほとんどの国の人が気づいていないと思います。
https://www.mori7.com/index.php?e=954
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c121

[リバイバル3] アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた 中川隆
20. 中川隆[-6598] koaQ7Jey 2017年8月24日 14:07:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年08月24日
防衛費過去最大5.2兆円要求も、GDP1%超えず

グローバルホークが在れば北朝鮮を監視できるが、予算が無いので購入を辞めるという。
引用:http://livedoor.blogimg.jp/hiroset/imgs/8/e/8e80d7fc.jpg

日本を縛る防衛費1%枠

ロイターなどによると防衛省は、2018年度予算に5兆2551億円を要求する。

2017年度予算の5兆1251億円に比べて2.5%増と高い伸び率になるが、米軍再編費などが2200億円以上を占める。

自衛隊予算に使える真水は5兆円少々で、創設以来始めて5兆円を突破する。

          

ところで日本は1967年に三木首相が「防衛費は国民総生産の1%に限る」と閣議決定してからGNPまたはGDP比1%以内に制限されてきました。

来年度はどうかというと2017年6月時点で、実質GDP531兆円、名目GDP545兆円で、来年度までに2%程度成長する可能性が高い。

三木首相の時代は名目GNPだったと思うので、来年時点の日本の予想名目GDP556兆円の1%は5兆5600億円になります。


防衛省要求が満額認められても5兆2551億円なので、1%にはまったく及びもつかない低予算です。

大手マスコミはそろって「過去最大」「空前の規模」と言っていますが、GDP比では以前より減少しているのです。

1950年台に自衛隊が発足した頃には防衛費はGNP比3%以上だったが、高度成長が始まると2%台になり、1967年に1%を切りました。


1986年に中曽根首相が1%枠撤廃を宣言したが、中曽根政権でも1%丁度が上限で、突破した事は一度もなかった。(端数を除く)

2012年に防衛費増額を掲げて安倍政権が誕生し、2016年に計算上突破するかに思えました。

だがここで、内閣府はGDPそのものの計算方法を見直したために、GDPが20兆円ほど増えました。

世界最低の軍事費で尖閣、ミサイル防衛は不可能

計算方法を見直さなくても2017年末の名目GDPは約530兆円なので、防衛費5兆1251億円は、やはり1%に届いていません。

「増えた、増えた」とマスコミは言っていますが、実際には1986年に比べてGDP比で大幅に減額されていたのです。

日本の防衛費はいうまでもなくGDP比で先進国最低で世界123位、しかも日本は米軍協力費を引いたら世界最低水準になります。


防衛費のGDP比を見る限り、安倍政権では防衛費が増額どころか減額されていて、以前より低下しています。

予算不足の影響は顕著に現われていて、自衛隊装備品の後年度負担比率が徐々に上昇しています。

自動車ローンのように手付け金だけ払っておいて残りは分割払い、翌年も翌々年もローンは増えていきます。


2017年度に新規後年度負担は2兆5052億円に達していて、防衛予算の半分以上のローンを毎年している事になります。

原因は尖閣・竹島・北朝鮮・南シナ海などで自衛隊の負担が激増しているのに、安倍政権が予算を増額しなかったからでした。

予算がないのに買わなければいけない装備が多いので、「そうだ全部後払いにしよう」となったのです。


こんな事をしていたら借金が膨れ上がり、いつかは首が回らなくなるのが目に見えています。

実は自衛隊ではこうなるのを見越して新規後年度負担を増やし続け、後で防衛費を増額せざるを得なくしたとも言われています。

借金を踏み倒すわけにはいかないし、この国際情勢で防衛費の減額もできないので、政府は防衛費を増額するだろうという計算です。


防衛省は最近「予算不足で無人偵察機グローバルホークを購入できない」のような事を言っています。

グローバルホークは何年もかけて日米で導入準備をし、今更中止などできないほど進んでいます。

もしグローバルホークが導入できないと、日本は北朝鮮の弾道ミサイルがどこから発射されるか、偵察衛星でしか確認できなくなります。


これなども防衛省が「欲しいなら予算増やせよ」と言っている予算の駆け引きの臭いがぷんぷんします。
http://www.thutmosev.com/archives/72288701.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html#c20

[近代史02] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 中川隆
426. 中川隆[-6597] koaQ7Jey 2017年8月24日 14:29:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日経平均 (日経平均) 【0000】 株価 チャート
https://kabutan.jp/stock/chart?code=0000

ドル建て日経平均 (日経平均 ドル換算)
https://nikkei225jp.com/data/dollar.php

松本鉄郎のポイント・アンド・フィギュアによる実戦相場予測|FXブログ|外為どっとコム
http://www.gaitame.com/blog/matsumoto/

海外投資家売買動向(投資部門別売買動向)
http://karauri.net/kaigaidoukou/
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/stocks_data/investment_3/investment_3.asp

アダム・スミス2世の経済解説
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/

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今、日本エリオット波動研究所の新著を読んでいますが、これはエリオット波動、というかテクノカル分析で現時点で最良の教科書ですね。 是非買って読んで下さい:


あなたのトレード判断能力を大幅に鍛えるエリオット波動研究– 2017/7/16
一般社団法人日本エリオット波動研究所 (著) ¥ 3,024
https://www.amazon.co.jp/dp/4775991523/

日経225CFD 日本エリオット波動研究所
http://jewri.org/category/nikkei/

エリオット波動 中川隆
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/591.html



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/430.html#c426

[番外地6] エリオット波動 中川隆
22. 中川隆[-6596] koaQ7Jey 2017年8月24日 14:41:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

今、日本エリオット波動研究所の新著を読んでいますが、これはエリオット波動、と言うよりテクニカル分析で現時点で最良の教科書ですね。 是非買って読んで下さい:


あなたのトレード判断能力を大幅に鍛えるエリオット波動研究– 2017/7/16
一般社団法人日本エリオット波動研究所 (著) ¥ 3,024
https://www.amazon.co.jp/dp/4775991523/

日経225CFD 日本エリオット波動研究所
http://jewri.org/category/nikkei/

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/591.html#c22

[政治・選挙・NHK231] 日本を破壊し始めた危険な安倍晋三!  赤かぶ
1. 中川隆[-6595] koaQ7Jey 2017年8月24日 15:02:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>日本国の借金は1000兆円を優に超えている。

また嘘言ってる

日銀が買った国債は償還したのと同じだから、日本政府の借金は既に400兆円以上減って、今は先進国で一番借金が少ないよ


>そんなことは気にせず安倍晋三は海外に行くたびに、湯水のようにカネをばら撒く。

安部さんは高橋洋一に、ここまでは外国にばら撒いても大丈夫だ、と指示された価格内でしか金を出してないよ
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/241.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 日本を破壊し始めた危険な安倍晋三!  赤かぶ
2. 中川隆[-6594] koaQ7Jey 2017年8月24日 15:05:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

因みに、500兆が

高橋洋一が安倍首相にここまでは使っても大丈夫だと教えた金額だよ
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/241.html#c2

[政治・選挙・NHK231] 馬鹿な男には馬鹿な対価が用意される。(日々雑感) 笑坊
2. 中川隆[-6593] koaQ7Jey 2017年8月24日 15:09:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

全然わかってないな

外務省官僚がロシア領土返還の邪魔をしたんだよ

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。

しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。

だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。

最近では日韓合意がありますが、これも密約のようなものですが正式な外交条約ではない。だから守らなくてもいいのですが紳士協定のようなものであり、日本は密約を守る国であり韓国は密約を守らないというだけの事だ。外交的に難しい交渉をする時には表向きの条約と裏側の密約とに分かれていることが多く、国民には密約は公開されない。

外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。

日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。

だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。

矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。

率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/238.html#c2

[政治・選挙・NHK231] 日本を破壊し始めた危険な安倍晋三!  赤かぶ
8. 中川隆[-6595] koaQ7Jey 2017年8月24日 19:12:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>6
>日銀保有の国債価格が暴落したらどうなるか?


市場の国債価格が暴落したら日銀が安値ですべて買い取ればいい

日銀保有の国債価格が暴落しても何も困らない


http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/241.html#c8

[昼休み53] 日本は現在でも米国の軍事占領下にある _ 日本の政治を決定している日米合同委員会とは 中川隆
3. 中川隆[-6594] koaQ7Jey 2017年8月24日 19:35:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟 内閣改造でも絶対に変わらないこと
2017.08.05 矢部 宏治  現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html


私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっているという。

たとえば2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」が、大きな注目を集めたが、日本での首脳会談が近づくにつれて事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられなかった。なぜ、いつまでたっても北方領土問題は解決しないのか。はたして、この国を動かしている「本当のルール」、私たちの未来を危うくする「9つの掟」とは?

『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」を解き明かす。

■事実か、それとも「特大の妄想」か

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」いつもそう思っているのです。

けれども、8月17日発売の新刊『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。

以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。

<★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?>

もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった7年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を1冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。

そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。


六本木ヘリポート(googlemapより)

■北方領土問題が解決できない理由

さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。

そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。

■「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。


日米安全保障条約:外務省外交史料館で展示されている署名(1960年1月19日・Photo by World Imaging creativecommons)

私が『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。

私がこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。

今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。

そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。


本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/532.html#c3

[リバイバル3] アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた 中川隆
21. 中川隆[-6593] koaQ7Jey 2017年8月24日 19:35:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟 内閣改造でも絶対に変わらないこと
2017.08.05 矢部 宏治  現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっているという。

たとえば2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」が、大きな注目を集めたが、日本での首脳会談が近づくにつれて事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられなかった。なぜ、いつまでたっても北方領土問題は解決しないのか。はたして、この国を動かしている「本当のルール」、私たちの未来を危うくする「9つの掟」とは?

『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」を解き明かす。

■事実か、それとも「特大の妄想」か

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」いつもそう思っているのです。

けれども、8月17日発売の新刊『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。

以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。

<★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?>

もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった7年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を1冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。

そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。


六本木ヘリポート(googlemapより)

■北方領土問題が解決できない理由

さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。

そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。

■「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。


日米安全保障条約:外務省外交史料館で展示されている署名(1960年1月19日・Photo by World Imaging creativecommons)

私が『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。

私がこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。

今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。

そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。


本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。
http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/292.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html#c21

[政治・選挙・NHK231] 米国は、日本の反米意識を恐れている。だから安倍の政治生命をお終いにするだろう  赤かぶ
1. 中川隆[-6592] koaQ7Jey 2017年8月24日 19:38:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アメリカの手先の官僚とマスコミ、CIA・中国の工作員から安部先生を守ろう


反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

共謀罪批判は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/711.html

護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か _ 加計問題は CIA が扇動していた
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。

しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。

だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。

最近では日韓合意がありますが、これも密約のようなものですが正式な外交条約ではない。だから守らなくてもいいのですが紳士協定のようなものであり、日本は密約を守る国であり韓国は密約を守らないというだけの事だ。外交的に難しい交渉をする時には表向きの条約と裏側の密約とに分かれていることが多く、国民には密約は公開されない。

外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。

日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。

だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。

矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。

率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/252.html#c1

[リバイバル3] アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた 中川隆
22. 中川隆[-6591] koaQ7Jey 2017年8月24日 19:41:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。

しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。

だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。

最近では日韓合意がありますが、これも密約のようなものですが正式な外交条約ではない。だから守らなくてもいいのですが紳士協定のようなものであり、日本は密約を守る国であり韓国は密約を守らないというだけの事だ。外交的に難しい交渉をする時には表向きの条約と裏側の密約とに分かれていることが多く、国民には密約は公開されない。

外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。

日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。

だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。

矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。

率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html#c22

[昼休み53] 日本は現在でも米国の軍事占領下にある _ 日本の政治を決定している日米合同委員会とは 中川隆
4. 中川隆[-6590] koaQ7Jey 2017年8月24日 19:43:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになった。

「株式日記」では、霞ヶ関が国政の実権を握っており、その権力の源泉は米軍にあると以前に書いたことがありますが、沖縄の問題ひとつとっても密約だらけであり、そのことは日本の政治家も国民も知らないことが多いようだ。密約を結ぶのは政治家であっても、総理も大臣もコロコロ代わっていくうちに密約のことを知らない政治家ばかりになる。

しかし霞ヶ関には密約の番人がおり、密約を破ろうとすると官僚が動いてスキャンダルを暴露されて失脚するか、不慮の病死で葬り去られる。安倍総理もプーチンとの会談を重ねて北方領土返還に動こうとしたのに、待ったをかけたのは外務官僚であり、米軍との密約で日本のどこにでも米軍基地を作れるという文言があるらしい。

だからプーチンが北方領土には米軍基地を作らせないという約束ができるのかと聞かれて、安倍総理はその密約を知らなかったらしい。でなければ安倍総理が北方領土返還交渉をするわけがない。プーチンの方が日米間の密約のことはよく知っており、そこをプーチンは突いてきたのだ。

安倍総理が憲法改正を言い出した途端にモリカケ問題で振り回されるようになったのも、日米間には日米安保と現行憲法とはセットであるという密約のことを知らなかったのかもしれない。安倍総理の祖父は岸元総理だから誰よりも密約のことは知っているはずですが、密約は密約であり公式の外交条約ではないから守る必要はない。

最近では日韓合意がありますが、これも密約のようなものですが正式な外交条約ではない。だから守らなくてもいいのですが紳士協定のようなものであり、日本は密約を守る国であり韓国は密約を守らないというだけの事だ。外交的に難しい交渉をする時には表向きの条約と裏側の密約とに分かれていることが多く、国民には密約は公開されない。

外務官僚が日本の内閣内部の動きを逐一アメリカに報告しているのは、明らかにスパイ行為ですがウィキリークスでこのような行為が行われていることが暴露された。それに対して日本はアメリカの政府内部の動きを何も掴むことができない。日本にスパイ防止法ができないのもこのような密約があるからだろう。

日本は在日米軍が存在する限りはアメリカの植民地であり、日本の独自外交など存在はしない。逐一外務省がアメリカに日本政府部内の動きを報告しているからだ。そのようなスパイ行為が正々堂々と出来て、日本の政治家がどうすることもできないのは在日米軍が目を光らせているからだ。

だから安倍総理がいくら頑張っても、外交は元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長が行っており、岸田外務大臣は蚊帳の外だった。このように政治家と官僚とのずれが生じるのは、政治家が通訳を介さないと交渉ができないのに対して、官僚は通訳を通さずに交渉ができるから、アメリカは密約を官僚に持ちかけてくる。

矢部氏によれば、「そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。」と書いているように、日本の日米交渉は密約だらけで伏魔殿のようになってしまっている。

率直に言えば日本国憲法も占領期間中に作られたものであり、だから無効だと宣言できるのでしょうが、日米安保とセットだからどうすることもできないのは密約によるものだ。日米地位協定も密約の塊であり、日本の政治家は誰も改正を持ち出せない。日本は法治国家ではなく米治国家であり、憲法以上の日米間の「掟」が存在している。
http://2013tora.jp/kabu390.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/532.html#c4

[お知らせ・管理21] 2017年8月 削除依頼・削除報告・投稿制限連絡場所。突然投稿できなくなった方は見てください。2重投稿削除依頼もこちら 管理人さん
33. 中川隆[-6589] koaQ7Jey 2017年8月24日 20:07:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
魑魅魍魎男と けろりん はIQ低いだけ

お天道様はお見通しは精神分裂病患者

知る大切さはバイト工作員


http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/495.html#c33

[政治・選挙・NHK231] 民進議員に読ませたい 小沢一郎政権奪還論のリアリティー(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 中川隆[-6588] koaQ7Jey 2017年8月24日 20:42:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
民進議員に読ませたい 小沢一郎の詐欺の手口


小沢一郎に学べ!

幹事長だった小沢のもとで作成されたマニフェストも、小沢自身によって破られる始末

「ガソリン値下げ隊」まで作り、ガソリン暫定税率廃止をマニフェストに記載してまで当時幹事長だった小沢一郎が国民に約束したにもかかわらず、マニフェストは反故にされました。

なんと小沢自身が官邸に乗り込んで、ガソリン暫定税率維持を首相に押し込んだのです。


そもそも小沢と民主党は、マニフェストを前面に打ち出して2009年に政権の座についたのに、そのマニフェストはまったく実行されなかった。「マニフェストは国民との契約」と言っていたにもっかかわらずそうなのである。

国債を発行しないも嘘だった。増税しないも嘘だった。高速道路無料化も嘘だった。最低賃金を上げるも嘘だった。埋蔵金を発掘して財源とするというのも嘘だった。天下りを許さないというのも嘘だった。暫定税率を廃止するというのも嘘だった。内需拡大して景気回復するというのも嘘だった。ガソリン税廃止するというのも嘘だった。

それでいて、朝鮮人学校無償化、人権侵害救済法案、外国人住民基本法、夫婦別姓、外国人地方参政権等には真剣に取り組み、野田佳彦に至っては福島復興をおざなりにしながら2011年10月19日には韓国との通貨スワップを5兆円に拡大していた。
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/255.html#c1

[経世済民123] 日本コンビニが好調 明確な市場戦略など3つの理由(人民網日本語版) 無段活用
1. 中川隆[-6588] koaQ7Jey 2017年8月24日 20:46:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国人はアホだからコンビニの怖さが全然わかってないんだな:


コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ) 
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html

http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/332.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 日本を破壊し始めた危険な安倍晋三!  赤かぶ
12. 中川隆[-6587] koaQ7Jey 2017年8月24日 21:44:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>9
>日銀が持っている膨大な国債も暴落するんだぞ。

品薄の国債を日銀が買えばすぐに暴騰するんだよ
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/241.html#c12

[政治・選挙・NHK231] 国民生活を破壊する悪魔。竹中平蔵の犯罪を山本太郎が国会で追及!(お役立ち情報の杜(もり)) 赤かぶ
1. 中川隆[-6586] koaQ7Jey 2017年8月25日 02:13:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
山本太郎君も長生きいないな

ビルの屋上から空中遊泳するのか

小渕さんみたいに原因不明の奇病で意識不明になるのか


りそな銀行のスキャンダルを調べたんです。
竹中平蔵が、民間銀行どれ起きても、潰していいって言ったんですよ。

要するに、コーキュー化されると、株価ちゃらになる。
そうすると、このお財布みたいに、買いたいかって。
お金は入ってないけど、請求書入ってる。
これを買ったら、請求書を払わなきゃならないと。
で、当然、誰も買いたくないけれども、自民党の間で、
とにかく、一千万円でもあれば、絶対、りそな株買えと。

で、ちなみに、りそなの経理の担当が、自殺か他殺に追い込まれて、
それで破産させられたんですよね。

で、買ったのは、ロックフェラーの建前企業と、自民党の関係者、大量にその株を買って、
結局、竹中、2兆3000億円、公的資金、皆さんの税金を入れちゃって、みんな大儲けしたんですよ。

で、これを調べだした、あの植草(植草一秀)さんっていう、早稲田大学の教授が、
いきなり、横浜で、女の人のパンツを鏡で見て逮捕されるんですよ。
で、今度、太田(太田光紀)さんっていう国税庁の人が、同じ事を調べて、
横浜で同じようにパンツを鏡で見て逮捕されるんですよ。

で、去年12月17日、鈴木(鈴木敬一)さんっていう朝日新聞の論説委員が、
あのリクルート・スキャンダルを暴露した男が、
りそな銀行は、他の銀行の十倍は政治献金をやっていて、
インサイダー取引の可能性が高いという記事を出したら、その夜、横浜湾で遺体が見つかったんです。
今度、竹中平蔵担当の記者が、読売新聞の記者が、今年(2007年)の4月、
口に靴下入れられて、テープ貼られて、後ろに手錠をかけられて、お尻にバイブを入れられて、
遺体が見つかった時に、まっ、変態プレーしていて死んだと。訳のわからない、ね。


●石井紘基:民主党議員。政界を震撼させるようなネタが見つかり、国会で追及する準備中に刺殺。犯人は金に困った男だとされたが、石井の懐の30万円には手をつけず、鞄の中の資料のみを持ち去る。

【911関係】

●長谷川浩:NHK解説主幹。イスラエル国籍を持つ数百人が被害を免れていたことを発表。数日後にビルから転落死。

●米森麻美:元日本テレビアナウンサー。義父がゴ−ルドマンサックス証券名誉会長。出産3週間後の2001年9月16日自殺。

【りそな関係】

●平田公認会計士:りそな銀行を監査中に自宅マンションから転落死。

●鈴木啓一:朝朝日新聞で敏腕記者として知られた人物。次期天声人語執筆者と目されていた。りそな問題後、りそなの政治献金が10倍になっていることを記事にし東京湾に浮かぶ。自殺。

●植草一秀:ご存知、経済学者のミラーマン。手鏡でスカートを覗き、痴漢逮捕。

●太田調査官:国税調査官。りそなの脱税問題を調査中に手鏡でスカートの中を覗き、痴漢逮捕。

【郵政関係】

●石井誠:読売新聞政治部記者。郵政問題の記事を書いていた。総連の隣のマンションで変死体で見つかる。事故死。

【ライブドア】

●野口英昭:証券マン(エイチ・エス証券)で、ライブドアの匿名投資組合に関する入れ知恵をしていた人物。沖縄のホテルで受付に助けを呼びつつも割腹自殺。

【耐震偽装】

●森田信秀:森田設計事務所社長。木村建設/総研/ヒューザーなどの耐震偽装問題が浮上する直前に鎌倉市の海岸で遺体を発見。

●姉歯元1級建築士の妻:姉歯が失踪し「消されたか?」と囁かれだした直後、突然自殺。 その後姉歯が姿を現し、逮捕される。

●斎賀孝治:朝日新聞デスク。耐震偽装問題を調べていて自殺。

【イラク関係】

●奥克彦在英国大使館参事官、井ノ上正盛イラク大使館三等書記官:イラクで銃撃死。政府が情報公開を拒むなどしたため米軍誤射など様々な憶測を呼ぶ。

【厚生関係】

●元厚生事務次官山口剛彦氏と妻美知子さん:小泉が厚生相時代に厚生省&社会保険庁の使い込み問題で、火消し役で任命された。 ←New!

●元厚生事務次官吉原健二さん氏の妻靖さん:山口氏と同じく夫吉原氏が小泉厚生相時代に厚生省社会保険庁の使い込み問題で、火消し役で任命された。 ←New!


小沢一郎先生の場合はこの程度だったんですけどね:


アメリカは小沢氏を脅すために徐々にスキャンダルを流し始めた。懐刀の東元議員の山田洋行への天下り、山田洋行から600万の献金、田村氏の2億の選挙資金、など


複数の民主党議員からの情報によると、福田総理が民主党の小沢代表との会談の際にCIAの1991年の湾岸戦争の際の資料を見せた。それはその時に小沢氏が戦争費用絡みの裏金をもらった証拠資料だった。

しかし小沢氏は田中角栄と同じ作戦に負けるべきじゃない。まず自分から開き直って、その大昔の時代に(殆どの自民党の議員と同様に)軍事利権の裏金をもらったと認めるべき。その上で「しかし日本のそういう金銭政治が嫌になったので今の民主党と組んでいる」と返し、逆に「何で一国の総理大臣がCIAの脅し工作に協力をしているか」と聞くべきだ。
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2007/11/cia.html


http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/270.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 日本はまもなく「中国の周辺国」に…米メディアが突きつける未来予想図(まぐまぐニュース) 赤かぶ
1. 中川隆[-6585] koaQ7Jey 2017年8月25日 02:31:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
そもそも中国はもう人間が住めない土地になってるから、
中国と言われている所は100年後は砂漠が広がってるだけの土地になる


中国からの移民さえ入れなければ
日本は東アジアで唯一人間の住める土地として残る
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/266.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 日本はまもなく「中国の周辺国」に…米メディアが突きつける未来予想図(まぐまぐニュース) 赤かぶ
2. 中川隆[-6584] koaQ7Jey 2017年8月25日 02:36:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国から移民を受け入れれば日本はこうなる:

50年後の日本地図 (日本人は放射能汚染された東日本に押し込められる)
http://blog.goo.ne.jp/hps777/e/ee6e8a91af4cf1c9b0adb452f1667b7e


中国人は悪い。

遠からず中国人は大陸の資源を完全に食い尽くして、日本に何億人もの難民が押し掛ける事になるよ。5年先か10年先かはわからないが。

もし中国にこちらから侵略戦争を仕掛けないのなら、海上封鎖の準備をして日本に侵入して来る中国人難民を全滅させる方法を考えておいた方がいい。

中国人の頭上からガソリンを撒いて火炎放射器で火を付けるのが一番簡単か。

硫酸をかけて体ごと溶かす方が良いか?

とにかく早急に日本人の知恵を集めて何としても中国人難民の日本上陸を阻止しないといけないね。

まあ、そういう時代になれば中国人・朝鮮人撲滅ビジネスで日本中好景気に沸く訳だ。 めでたいことだな。 小沢先生の最愛の祖国は地上から消滅するけどねwwww


とりあえず、道で中国人を見つけたら必ず生卵をぶつけてやる習慣をつけた方がいいね
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/266.html#c2

[番外地6] コンビニオーナーは使い捨て 中川隆
1. 中川隆[-6583] koaQ7Jey 2017年8月25日 10:05:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
なぜセブンイレブンは、コンビニ業界内で圧倒的にスゴいのか?完成された経営システム
http://biz-journal.jp/2017/08/post_20316.html
2017.08.25 構成=小野貴史/経済ジャーナリスト Business Journal


「国内5万店限界説」が指摘されてきたコンビニ業界だが、店舗数が約5万8000店となった今でも、業界は成長し続けている。「コンビニ生みの親」といわれた鈴木敏文氏のセブン&アイ・ホールディングス会長電撃退任劇、ファミリーマートとサークルKサンクスの運営母体である旧ユニーグループ・ホールディングスとの経営統合、そしてそれによるローソンの業界3位転落など、ここ数年だけをみても激しく変化するコンビニ業界は、今後どこへ向かうのか。

           
『コンビニの傘はなぜ大きくなったのか ―コンビニファンタジスタ 知れば話したくなる、あなたの知らないコンビニ活用術26―』(著:渡辺広明/編集:森中航/good.book)

 今回は8月に出版された『コンビニの傘はなぜ大きくなったのか ―コンビニファンタジスタ 知れば話したくなる、あなたの知らないコンビニ活用術26―』(NextPublishing)の著者で、 ローソンのバイヤーとして約600品の商品開発に携わった経験を持つ流通アナリストの渡辺広明氏に話を聞いた。

――セブンイレブンがインドネシアからの撤退を発表しました。酒類販売の禁止措置や日本本社との連携の支障などが撤退の背景と報道されています。地場のコンビニエンスストアがいくら台頭しても、現時点でセブンイレブンを撤退に追い込むほどの競争力があるとは思えません。真相はなんでしょうか。

渡辺広明氏(以下、渡辺) 現時点で真相はわかりません。酒類の売上構成比が大きかったのであれば、販売禁止は大きなダメージになります。それから、たぶんエリア本部となった現地企業の力が弱かったのではないでしょうか。自国の企業を育成するために外資を規制するケースは珍しくありません。小売業の場合、たとえば出店地の規制です。良い条件の立地への出店は自国の企業を優先させ、外資は収益性を期待できる立地に出店できないわけです。現地でトップランクの企業なら政府とのパイプが太いので、外資規制に対して特別な措置を受けられるでしょうが、そうでない企業は、外資規制で一気に追い込まれてしまいます。

 また、陣取り合戦でもあるコンビニで、インドネシア国内企業のアルファマートとインドマレットが1万店以上の店舗を展開していて、すでに好立地を押さえていたこともあり、進出が遅きに失したのも撤退の大きな理由かもしれません。

――コンビニに日本国内の出店余地はまだあると思いますか。

渡辺 全国のコンビニ店舗数は約5万8000店です。今後の需給関係を予想するうえで鍵になるのは、買物弱者が増えていくことです。経済産業省は買物弱者を「流通機能や交通網の弱体化とともに、食料品等の日常の買物が困難な状況に置かれている人々」ととらえ、その数は過疎地や高齢者が多く暮らす団地などを中心に約700万人と推計しています。

 買物弱者の多数を占める高齢者は日常の買い物で700メートル以上歩かないと言われています。たとえば私の母は76歳になりましたが、10分歩いたところにある総合スーパーよりも、たとえ1品につき10円や20円高くても近所のコンビニに行くようになりました。しかも東日本大震災以降、各コンビニともPB商品の品揃えを増やしたので、「コンビニは案外安い」という評判が浸透してきています。

 買物弱者の増加とともに、日常の買い物については、コンビニと「まいばすけっと」などの食品ミニスーパーの需要が高まっていくでしょう。したがって、店舗数の伸びが鈍化しても、1店舗当たりの売上が増える可能性はあります。

■イートインコーナー併設店

――渡辺さんはご著書でイートイン併設店の成長性を取り上げています。併設店の業績は従来型の店舗に比べると、かなり上回っているのでしょうか。

渡辺 いえ、イートインコーナーの併設効果はまだ検証されていません。複数の商品を購入した来店客が、どの商品を通常通り持ち帰って、どの商品をイートインで食べたのか。イートインコーナーで飲食する目的で来店した客は何人か。イートインコーナーで飲食される商品の単価はいくらか。今のところ、こうした分析はされていません。

 ただ、イートインコーナーの需要はどんどん高まっています。郊外のコンビニでは、若者だけでなく高齢者がイートインコーナーを集いの場に活用している光景もたくさん見られます。都心のコンビニでは、ビジネスパーソンが打ち合わせ場所として利用する機会が増えています。打ち合わせ費用が1人当たりコーヒー代の100円で済むので、コンビニを利用すれば安上がりなのです。

 現状で新規出店のほとんどがイートインコーナー併設型で、コンビニ全店の50%が併設可能とみられ、3年後の店舗数を6万店と仮定すれば、約3分の1の2万店前後が併設型に転換している可能性もあります。

――他にも新しい出店形態で注目している事例はありますか。

渡辺 ローソンがオフィス向けに始めた「オフィスグリコ」のような方式でセルフレジを活用して軽食などを販売する「プチローソン」は、伸びると見ています。これを店舗数にカウントすれば、店舗数は相当な勢いで増えていくのではないでしょうか。

――ローソンの発表によると、7月30日時点でITや金融など39企業の57カ所に導入が完了。また、導入が決定している拠点は65企業101カ所で、当初計画通りという状況だそうです。セブンイレブンが参入して、シェアを奪ってしまうことも想定できますか。

渡辺 あり得ると思います。コンビニ淹れたてコーヒーを最初に導入したのはサンクス・サークルKですが、その後セブンイレブンが導入して一気に展開したことで、いつのまにかセブンイレブンが最初に手がけたようなイメージが世間に広まりました。同じことがオフィス設置型のコンビニで起きることは、十分に考えられます。

■セブンイレブンの強さの秘密

――昨年のことですが、ファミリーマートを数店経営していた元オーナーに取材したら、こんな話をしていました。「ファミリーマートの店舗に入った途端、セブンイレブンとの品揃えのギャップにガッカリしてしまう」と。セブンイレブンと他社との決定的な違いはなんでしょうか。

渡辺 端的に言って、セブン&アイ・ホールディングス元会長の鈴木敏文氏が在籍していたか、在籍していなかったか。その違いです。鈴木氏は天才であって、他社の経営者がどんなに優秀でも太刀打ちできません。

 鈴木氏に限らず、小売業を立ち上げて大企業に育て上げた経営者は、ほとんどが天才です。ファーストリテイリングの柳井正氏、ダイソーの矢野博丈氏、ドン・キホーテの安田隆夫氏、ヨドバシカメラの藤沢昭和氏、アマゾンのジェフ・ベゾス氏、皆さん天才ですよ。天才ゆえに、経営の話を聞いていても、時折何を言っているのか理解できない面もあります。

――ローソン時代の渡辺さんから見て、鈴木氏の手腕はどんな局面に表れていましたか。

渡辺 徹底力です。ファミリーマートとローソンで、新商品の販売など新しい施策が全店舗に周知徹底される割合が60%程度の場合でも、セブンイレブンではあっという間に80%の店舗に周知徹底されていました。それだけの差がありました。軍隊のようにトップの命令直下で即座に動く組織風土が形成されているからですが、これは鈴木氏の手腕の賜物でしょう。

――大物創業経営者の後を誰が継いだところで、同様のリーダーシップは発揮できません。鈴木氏は正確には創業者ではありませんが、日本におけるセブンイレブンの創業者ですね。退任して1年がたちましたが、セブンイレブンの今後をどう見ていますか。

渡辺 鈴木氏の指導を直々に受けた人たちが経営幹部で在籍している間は、とくに不安材料はないのはないでしょうか。しかもセブンイレブンの場合、経営全体のシステムの完成度が相当高いので、天才が退任しても、そう簡単にはぐらつかないと思います。ただし、神通力が完全に消えるであろう5年後にはわかりません。

――メーカーやベンダーとの関係も、他社に比べて強固に固めているのでしょう。

渡辺 メーカーもベンダーも、当然のことですが、より多く販売してくれるチェーンとの取引を優先します。戦略商品の納品も、より多く販売してくれるチェーンを優先して生産や物流の体制を組んでいます。一方、メーカーやベンダーに対しては、意欲を引き出すかかわり方も極めて重要です。

――どんな方法で意欲を引き出すのですか。

渡辺 たとえばメーカーが提案してきた新商品を手に取って、バイヤーが「何これ? こんな美味しくない物が売れるわけがないだろう」とはねつけるような態度を取ったら、メーカーの担当者は意欲を失うでしょう。どのメーカーでも「こんな商品をつくりたい」という思いを持っています。その思いをどうすれば商品化して、コンビニで売れるようにするかという視点で、いっしょに取り組む姿勢が不可欠です。

■コンビニのこれから

――昨今は、コンビニには宅配便やネット通販の受取拠点として機能することが期待されています。しかし、荷物を保管するスペースの確保や、従業員の手間を考えると簡単ではないと思います。

渡辺 荷物の保管スペースなら、棚最上段から天井までのスペースを活用する方法が考えられます。床に置くことにとらわれる必要はありません。従業員の手間については増員すれば解決しますが、そのためには受取手数料を上げることが必要でしょう。現在の手数料は1個につき50〜140円前後といわれていますが、人件費を確保するには2倍に引き上げたいところだと思います。

 日本フランチャイズチェーン協会の調査によると、コンビニの平均客単価は614円です。粗利益率は30%前後なので、これに宅配便の受取手数料をどれだけ加えられるか。その額次第では人件費を確保できて、宅配便の受取事業を安定的に運営できるようになるでしょう。要は知恵の勝負です。

――コンビニの新たな機能には、地域ケアの拠点機能もあると思います。ローソンが介護事業所との複合店舗を出して話題になりましたが、地域ケアの拠点としてコンビニを機能させる路線は有効でしょうか? 自治体を取材すると、コンビニを有力な地域資源ととらえて、訪問介護などケアの拠点として期待する意見が多いですね。

渡辺 ケアの拠点にすることが目的ならば、介護事業所が店舗を併設するなどして、コンビニ経営を手がけるほうがうまくいくでしょう。逆に、コンビニが介護事業も手がけるというパターンはうまくいかないと思います。

――どんな機能を付加するにしても、従業員の確保がハードルになるのではないでしょうか。

渡辺 今後 人手不足が深刻化するのは間違いありません。さらにコンビニ経営で勘違いしがちなことは、オーナーや店長が従業員を部下として扱い、定着率が下がり、従業員不足に拍車をかけることです。企業の管理職経験者が独立してコンビニのオーナーになると、前職の感覚で従業員を部下として扱おうとする傾向が強いのですが、従業員はアルバイトなので、嫌なことがあれば、すぐに辞めてしまいます。

――いまや中小企業では、雇用主よりも“退職”という切り札を持った従業員のほうが、立場が強くなったケースも増えています。従業員にはどんな接し方をすればよいのですか。

渡辺 コンビニの従業員にはフリーター、主婦、外国人、学生などいろいろな立場の人がいます。店の方針を上から降ろしたところで、素直に従ってくれるとは限りません。フランチャイズオーナーには、それぞれの立場の人たちの心に寄り添うことが求められます。企業の管理職出身者は従業員を一律に「部下」として見る感覚が身についているので、なかなか一人ひとりに寄り添うことができないようです。コンビニ経営には向いていないといえるでしょう。

――かりに渡辺さんがセブンイレブンか、ファミリーマートか、あるいはローソンから経営指導を依頼されたら、どんな戦略を提言しますか。

渡辺 セブンイレブンは先ほど申し上げたようにシステムの完成度が高く、石橋を叩いて新規案件を実施する企業風土のため、ドラスティックな提案で外部のコンサルタントが思い切って切り込む余地はあまりありません。ローソンは総体的に見てコンビニ業界3位というポジションに落ち着いてしまったので、おもしろいコンサルティングができないのではないかと思います。

 私が手がけてみたいのはファミリーマートです。ファミリーマートはドン・キホーテと提携して共同店舗の出店や共同で用品開発を仕掛けていくと報じられていますが、機会をいただけるなら、私は両社共同のPB商品開発をやってみたいと思っています。どのジャンルで、どんな商品を開発してみたいかはまだイメージしていませんが、両社の経営資源を活用すれば、革新性の高い商品を開発できるのではないかと思います。

――ところで、渡辺さんは消費者としてはどのコンビニが好きですか。

渡辺 ローソンに22年勤務したので、やはりローソンに愛着はあります。ただ、弁当だけは苦手で、あまり食べたいとは思いません。ローソンに限ったことではありませんが、コンビニ弁当のレンジで温めたあとの、ラップ・フィルム・容器のかすかな匂いが嫌なのです。私はローソン時代に直営店の店長を3年半務めたことがあり1人で3店舗の掛け持ちをしたりの環境で、25年前当時の直営店のコンビニ店長は今と違って、残業時間が毎月100時間をゆうに超えていて、いつ過労死しても不思議ではない労務環境に置かれていました。ラップなどの匂いからは、その時代の過酷な環境を思い出してしまうので、コンビニ弁当は好きになれないんです。

――ありがとうございました。

(構成=小野貴史/経済ジャーナリスト)


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/776.html#c1

[リバイバル3] マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る 中川隆
72. 中川隆[-6582] koaQ7Jey 2017年8月25日 10:16:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

世界で「殺人的熱波」50度超も
航空便、農作物に影響 2017/8/25 10:03


洪水に襲われた村=15日、インド・アッサム州(AP=共同)

 世界各地が「殺人的な熱波」(米メディア)による異常気象に見舞われている。中東とアジア、北米で気温が50度を突破し、豪雨や森林火災で死者が続出。航空便の離着陸、農作物にまで被害が広がり「過去10年で最も厳しい夏」(イタリアのマルティーナ農林相)に苦しんでいる。

 海外メディアによると、アジアと中東に熱波が襲来したのは5月下旬。パキスタンでは54度を記録。ユーラシアやアフリカ、オーストラリア大陸を含む東半球の観測史上最高気温に並んだ。6月にはイラン、アラブ首長国連邦(UAE)でそれぞれ50度以上を観測した。(ローマ、ニューデリー、東京共同)



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html#c72

[リバイバル3] アホは何でも やり過ぎる

エクストリーム(極端)が自滅につながっていく7つの理由
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170825T0130180900.html

この世には、エクストリーム(極端)を追求する人たちが大勢いる。

バスケットボールを抱えているようなシリコンの巨乳を入れる女性、顎を削り鼻を高くし彫りを深くし目を大きくするような顔面すべてを激変させるような極端な整形手術。

全身を覆い尽くすような凄まじい刺青、舌から鼻から耳から目尻から性器まですべてに入ったピアス、全身のありとあらゆるところを切り裂く自傷行為、ステロイドを利用してどこまでも筋肉を増強させていくボディービル……。

あらゆる分野で、人間の身体を意図的に、そして想像以上に変えてしまう人たちは、枚挙に暇がないと言っても過言ではない。なぜ、こんなことになっていくのか。

それは、その業界その世界で成り上がるのに、最も簡単なのが特質をエスカレートさせることだからだ。

タトゥーであれば、まったくタトゥーが入っていない集団の中では、背中や腕に小さなタトゥーを入れるだけでも目立つ。しかし、小さなタトゥーを入れている集団の中ではそれは目立たない。ではどうするのか。全身のすべてをタトゥーで覆い尽くせば目立つのだ。

極端なまでにタトゥーで覆い尽くすことによって「伝説」となっていく。

極端を取り入れるその無謀さが仲間内で賞賛される

ファッションでもそうだ。流行しているファッションを適切に取り入れると、普通の人たちの間では目立つ。

しかし、ファッションに敏感な人たちの間に混じると、「適切」くらいではまったく目立たなくなる。では、どうするのか。そのファッションの特徴をどんどんエスカレートさせれば目立つようになる。

たとえば、2000年代にはアメリカのストリートファッションで「サギング」というものが流行した。日本では「腰パン」と呼ばれたものだが、下着が見えるまでジーンズを下げる独特のファッションだった。

これが流行ると、どうなったのか。

どこまでズボンを下げて歩くのかがこのファッションを取り入れている男たちの競争となり、ズボンが下がれば下がるほど賞賛されることになったのである。

まわりから見れば滑稽極まりないまでズボンが下げられたファッションが彼らの間では賞賛され、伝説となった。

女性のビキニでも少し露出を多くすれば、普通の女性たちの間でいる分には目立つのだが、露出が多いビキニを着ている女性の中では目立たない。

そこで目立つにはどうすればいいのか。簡単だ。もっと露出を過激にすればいい。だから、一部の女性はどんどん露出を高くしていく。

アクション映画でも、普通のアクションをそのまま見せても目立たないのだが、どんどん過激に、どんどん破壊的にすれば目立つ。だから、爆発は巨大で暴力描写も過激になっていく。

ホラー映画でも同じことが言える。より残酷に、より不快に、よりグロテスクにすれば目立つので、どんどん描写がエスカレートしていく。

他の人が踏み入れない部分まで過激にエクストリーム(極端)を追求していくと、うまくいけば時代の寵児になる。名前が売れる。そして伝説になる。

人が恐れてやらないところに踏み込んで突き進んでいくのだから、ある意味「無謀」なのだが、その無謀さが仲間内で賞賛されるのである。

どこまでズボンを下げて歩くのかがこのファッションを取り入れている男たちの競争となり、ズボンが下がれば下がるほど賞賛されることになったのである。


ハードコアにまで到達すると、どうなるのか?

実は普通の感覚を持った人たちが受け入れられる「心理的な限界」がある。

そのため、ある分野の過激な部分を突出させる試みは、「心理的な限界」を越えると、そこから先はどんなに過激でも受け入れられなくなってしまう。

確かに目立つのだが、興味深いことに、それは賞賛ではなく嫌悪につながっていく。

たとえば、適度な筋肉を持った人は美しいのだが、筋肉の増強を極度なまでに追求するボディビルダーの身体は、一般受けするとは限らない。

ボディビルダーの身体はカルト的な人気があるのだが、あまりにも人間離れし過ぎて、それに拒絶感を覚える人たちもまた多く生み出す。

普通の人が持つ「心理的な限界」がどこにあるのかを見極めるのは難しいが、恐らく「普通に日常生活が送れない」ところまで到達したものが拒絶感を生み出すように思える。

この「普通の生活を送れないところまで到達する」というのが、実はエクストリーム(極端)の入口であり、そこからがハードコアの領域に入る。

普通の人はそこで振り落とされるので、エクストリーム(極端)はその業界・グループ・仲間内だけの常軌を逸したマニアの世界となり、伝説となり、カルトとなる。

ハードコアまで到達すると、どうなるのか。

もはや普通の人が理解できなくなるので、狭い世界の中に自分が閉じこもることになる。また時代が変わり、流行が変われば新しい世界に適応できなくなって取り返しがつかないことになっていく。

あるいは、自分がふとその世界に飽きたり関心を失ったりしたとき、元に戻れなくて戸惑うこともある。つまり、エクストリームに突き進んだ結果、普通には戻れなくなるのだ。

また、エクストリーム・タトゥー&ピアス、整形手術、極端なファッションのように外観が違っている場合は、普通の人たちから拒絶感を持たれやすく病みやすい。

さらに、社会からも孤立して貧困に堕ちやすい。


そこからどうやってマネタイズするかが問われる

エクストリームは激しい嫌悪を持たれることも多いので、社会的に孤立することも受け入れないといけなくなってしまう。

エクストリームを追求すると、以下の7つの点で自滅する可能性を増やすのである。

(1)理解してくれる人が極度に少なくなる。
(2)時代・流行が変われば取り返しがつかなくなる。
(3)自分の関心が変わったときに戸惑う。
(4)生き方を変えることができなくなる。
(5)肉体的にも精神的にも問題を抱えやすくなる。
(6)拒絶感を持たれやすくて病みやすくなる。
(7)社会に受け入れられず、貧困に堕ちやすくなる。

エクストリームの追求は、のめり込んだら止められないような性格的なものが含まれているので、デメリットをよく吟味して踏み込むというよりも、わき目を振らず突っ込んでいくタイプが多い。

だから、デメリットがあってもエクストリームを追求する喜びの方が勝って、どんどん深みに潜り込んでいく。その結果、世間とは大きく乖離して上記のような問題を抱えることになっていく。

しかし、エクストリームを追求すると凄まじいインパクトを得る。だから、カルト的な人気を手に入れることができる。

逆に言えば、その分野が数十年も生き続けるものであれば、数十年に渡ってカルト的な人気を得られるということでもある。そこからマネタイズできる能力があれば、エクストリームは本人にとって悪いものでもない。

時代はすでにインターネットが席巻しており、インターネットでは全世界のエクストリームが結びつき合う。

そこはニッチで極小のジャンルだったとしても、全世界が自分のエクストリームを誇示する舞台になると、ニッチだったはずの世界が莫大な人口を抱えるジャンルになり得る。

世界人口の0.0001%しか理解してくれないとしても、それは約76億人の人口で見ると76万人の理解者がいることになるのだから、エクストリームもそんな簡単に消えることもない。

エクストリームの追求は、自ら生きにくい世界を作り出すことになり、自滅しやすいという問題がある。しかし、もはやエクストリームに突っ切ってしまった人はもう戻れない。

それであれば割り切って、あとはそこからどうやってマネタイズするかが問われることになる。

エクストリームの追求は、自ら生きにくい世界を作り出すことになり、自滅しやすいという問題がある。しかし、もはやエクストリームに突っ切ってしまった人はもう戻れない。それであれば割り切って、あとはそこからどうやってマネタイズするかが問われることになる。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170825T0130180900.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/747.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
59. 中川隆[-6581] koaQ7Jey 2017年8月25日 10:58:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アホは何でも やり過ぎる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/747.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c59
[] 「覚醒剤」
78. 中川隆[-6580] koaQ7Jey 2017年8月25日 11:01:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017.08.25
トランプ大統領がアフガニスタンに米軍を増派するの理由はネオコン将軍が言う資源のほか麻薬も


選挙キャンペーン中の公約を忘れたわけではないだろうが、ドナルド・トランプ大統領はヒラリー・クリントンのような好戦的政策を打ち出している。ジャック・キーン退役大将は6月にアフガニスタンへ1万から2万人の部隊を送り込むべきだと語っていたが、そうした圧力に流されているようにも見える。

2011年当時、ISAF(国際治安支援部隊)として国外からアフガニスタンへ入っていたのは約14万名で、そのうち約10万人がアメリカ兵。それをバラク・オバマ大統領は撤退させると言っていたのだが、2014年5月に9800名は残すと発表した。

こうした流れの中、ニューヨーク・タイムズ紙はアフガニスタンが資源の宝庫で、「リチウムのサウジアラビア」だとする記事を掲載する。アフガニスタンに手つかずの鉱物があることは以前から知られていた話。つまり「ニュース」ではない。アメリカ軍を撤退させるべきでないという宣伝だと見なされている。

8月には同じ主張をISAF司令官だったデイビッド・ペトレイアスがテレビの番組で語っている。アフガニスタンの近くを中国が計画している「陸のシルクロード」が通ることを指摘、アメリカ軍が撤退すると、そうした資源が中国に支配されるとしている。

それ以外にも、アメリカ軍を投入する理由があるとする人もいる。麻薬の原料になるケシの畑をアメリカ兵が守っているというのだ。

1970年代の終盤にアメリカがアフガニスタンで秘密工作を始めてからアフガニスタンとパキスタンをまたぐ山岳地帯は世界最大のケシ栽培地になっている。ベトナム戦争の時にはCIA、地元の武装勢力、そしてアメリカの犯罪組織が連携して東南アジアの山岳地帯、いわゆる黄金の三角地帯が最大のケシ産地だったが、アフガニスタンで戦争が始まると産地も移動したわけだ。

ちなみに、ケシの子房に浅く傷を入れて流れ出た乳液の固まったものが生アヘン。これを乾燥させたものがアヘンで、その主成分がモルヒネ。このモルヒネをジアセチル化したものがヘロインだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708250000/
http://www.asyura2.com/0310/dispute13/msg/126.html#c78

[リバイバル3] 廃墟と化した水上温泉 中川隆
48. 中川隆[-6579] koaQ7Jey 2017年8月25日 11:12:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

安倍首相は間違った政策を実施して、せっかくの経済成長を潰そうとしています。


第一の危機は2019年に迫る消費増税で、実施したら再びマイナス成長とデフレに戻るが、安倍首相は増税すると発言しています。

今までの消費税創設と増税でマイナス成長にならなかった事は一度もなく、税収が増えたことも在りませんでした。


第二の危機は安倍政権の輸出偏重で、今まで輸出を増やそうとしたり、外国人観光客を誘致してきました。

その結果、輸出はマイナスで観光客も成長に寄与していないという結果が出ているわけで、今回外需はマイナスでした。

日本経済の8割が内需で外需は15%程度なのに、一生懸命外需を増やして内需は消費増税で潰してきました。


まるで逆噴射しながら離陸しようとする飛行機のようで、これでは日本経済の高度が上がる筈が在りませんでした。

内需を増やすには消費支出、個人消費、設備投資、公共事業を増やすことで、まず政府が支出を増やす必要があります。

今までの25年間、政府は支出を減らしてきたたために、個人消費と設備投資が減少し、GDPが減り税収も減らしました。


安倍首相が同じ間違いを繰り返すようなら、日本経済も同じようにマイナス成長になり、財政も悪化します。
http://www.thutmosev.com/archives/72298540.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/624.html#c48

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
93. 中川隆[-6578] koaQ7Jey 2017年8月25日 13:17:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本語系統論 の現在:こ れか らどこへ
ア レキサ ンダー ・ボ ビン ハワイ大学
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3203502/pdf/rspb20110518.pdf
https://repository.ninjal.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=21&item_id=764&item_no=1
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/2003-12-26-1/s001/s006/pdf/article.pdf

日本 語 系 統 の 仮 説

日本 語の起源 については、少 な くとも二百五十年程前か ら、色 々な仮説が 出されて きた。 これまで多 くの学者 に支持 され ている 日韓 同源説 も、新井 白石 とい う国語学者 によって、江戸時代中期に初めて提案 され た。 しか し、十 八世紀には比較言語学 の方法 が存在 しなかったので、なかには何の根拠 もない夢想 的な仮説 もあった。 現在 は比較言語学 の方法が確立 されてすで に百八十年 にな るが、今だに十八世紀 と同 じレベルの仮説 が提起 され続 けてい るのは信 じ難 い事実で ある。本稿 では、 日本語 がSumer語 に関係が ある とか、 どこかの西 アフ リカの言語 に関係があ るとか とい う何の根拠 もない理論 を考慮に入れるつも りはない。 ここで取 り上 げるのは、少な くとも可能性がある仮説 だけである。 以下、可能性 の低 いものか ら可能性の高い ものの順序で詳 しく見てい きたい と思 う。

タ ミ ル 語 仮 説(大 野 晋)
タ ミル 語 仮 説 は 日本 の 大 野 晋 が発 展 させ て き た(大 野1980、1994ab、2000)。 一 部 の タ ミル 人 言 語 学 者 に支 持 され た と同 時 に 、 日本 とイ ン ドの タ ミル ナ ドゥ州 で あ る程 度 マ ス コ ミの 人気 を得 た が、 世 界 中の ドラ ヴ ィダ 諸 言 語 の 専 門 家 と 日本語 の 専 門 家 に は受 け入 れ られ なか った
(村 山1982,Zvelebill990,Krishnamurti2001)。

特 に 、 国 際 日本 文化 研 究 セ ン ター で 開 か れ た『日本 語=タ ミル 語 同 系説 』 とい うシ ン ポ ジ ウム で は 、 大 野 晋 の タ ミル 語 仮 説 は 日本 の言 語 学者 や イ ン ド学 者 に も強 く批 判 され た(長 田1996、 児 玉1996、 家 本1996、 山下1996)。 そ こで 明らか にな った の は 、大 野 晋 の タ ミル 語 仮 説 に は、歴 史 的 、考 古 学 的 、文 献 学 的 な 間違 い が 多 く、そ の上 大 野 晋 が比 較 言 語 学 の 方 法 を正 し く使 って い な い とい う事 実 で あ っ た。 た とえ ば、 大 野(2000:35)は 日本 語 とタ ミル 語 の 問 に 次 の 『対応 』 を掲 げ てい る。

タ ミル 語c一:日 本 語s一
タ ミル 語c一:日 本 語 ゼ ロ
タ ミル 語 ゼ ロ:日 本 語s一

こ の よ うな 分裂 した対 応 が存 在 しない わ け で は ない が 、 何 の 条 件 も提 示 され て い な い場 合 には 、信 頼 性 に欠 け る。 とに か く、 村W、 長 田、児 玉 、家 本 な どが 出 した 大 野 晋 の タ ミル 語 仮 説の批 判 が 完 全 な の で 、 こ こでそ れ に付 け加 え る必 要 は ない だ ろ う。


オ ー ス ト ロ ネ シ ア 語 仮 説(川 本 、Benedict)

大 野 晋 の タ ミル 語 仮 説 と同 じよ うに、 資 料 の扱 い 方 と対 応 の 規 則 に 大 き な 問題 が あ る。 私 は以 前 に も川 本 とBenedictの オ ー ス トロネ シ ア 語 仮 説 につ い て の細 か い 批 判 論 文 を 出 した の で
(Vovinl994a,1994c)、 こ こ で ま た 自説 を繰 り返 す つ も りは な い 。 しか し、 大 野 晋 の タ ミル語 仮 説 と比 べ て、 オ ー ス トロネ シ ア 語 仮 説 の 方 が ま だ注 目す べ き 点 が あ る。 そ れ は、Benedict
が 提 案 した 語源 の うち の い くつ か は 、オ ー ス トロネ シ ア語 起源 か も しれ ない とい うこ とで あ る。

とはい え、 そ の語 源 の数 は非 常 に少 な く、 日本 語 は 元 来 オ ー ス トロネ シ ア語 の 一 つ だ っ た というこ との 証 拠 に は な らな い。

ア ル タ イ ・オ ー ス ト ロ ネ シ ア 混 合 言 語 仮 説(P・livan・v1924、 村 山1981な ど、 崎 山1985な ど 、板 橋(90年 代 の半 ば よ り))

この 混 合 言 語 仮 説 に た て ば、 アル タイ 諸 言 語 の 立 場 か らで は説 明 で き な い 日本 語 の要 素 を説明 で き る可 能 性 が あ る。 しか し、 前 に も言 及 した よ うに、 オ ー ス トロネ シ ア語 の要 素 は 日本 語に は非 常 に 少 ない と思 う。

も し 日本 語 が アル タイ ・オ ー ス トロネ シ ア 混 合 言 語 だ とす れ ば 、 今 ま で に 掲 げ られ た オ ー ストロネ シ ア 語 起源 とみ な され る対応 語 に は、 比 較言 語 学 の見 地 に立つ と、問 題 点 が 多 い。 特 に、村 山七 郎 と崎 山理 の掲 げた 対 応 語 の 中 には 、 正 しい 対 応 語 が 全 くな い わ け で は な い が 、 問題 点が 多 い 。 ア ル タイ ・オ ー ス トロネ シア 混 合 言 語 仮 説 の うち板 橋 の 混 合 言語 説 が最 も将 来 性 の ある仮 説 だ が 、 まだ 疑 問点 が 残 って い る よ うに 思 う。

た と えば 、板 橋(1998)は 上 代 日本 語 の 人 称 代名 詞 の 起源 に つ い て 重 要 な仮 説 を 出 した。 その 仮 説 に よれ ば 、

上 代 日本 語wa一 「わ 」(a一 とい う軟 音 化 は上 代 日本 語 に とって 典 型 的 な 変 化 で は な い。(wameku>ameku「 喚 く」 は そ の軟 音化 の も う一 つ の例 で あ る か もしれ な い)。

よ って 、 上 代 日本 語wa一 「私(一 人 称 単 数)」 と上 代 日本 語a一 厂私(一 人 称 単数)」は 多 分 別 々 の語 源 を もつ とい う板 橋 の 説 明 は 正 しい だ ろ う。 しか し、別 々 の語 源 で あ る か ら とい う理 由 で 上 代 日本 語a一 「私(一 人 称 単数)」 とオ ー ス トロネ シ ア 祖 語*aq 「私(一 人 称 単数)」 を 直 接 につ な げ られ るか 、 とい うの は別 問題 で あ る。 私 の知 る 限 りで は 、 どん な オ ー ストロネ シ ア 語 も 、*a一 は 第 一 人 称 代 名 詞 と して は 使 わ れ て い な いi。 い つ も*aq ま た は そ の省略 形*q と して しか 表 れ て い な い の で 、 上 代 目本 語a一 とオ ー ス トロネ シア 語*aq を対 応 させ るの は難 しい よ うに思 わ れ る。


1フ ィ リ ピ ン の カ ガ ヤ ヌ ン語 に はa「私 」 は存 在 す るが 、カ ガヤ ヌ ン のaはfbcusedactorの 形 式 だ け で 、non fbcusedactorの 形 式 はkoで あ る。 又 、カ ガヤ ヌ ン語 は マ ノボ 語 群 の フ ィ リピ ン語 の一 つ で 、 このa「 私 」が フ ィ リ ピ ン祖 語 に は さか の ぼ らな い。 最 後 に 、 カ ガ ヤ ヌ ン語 につ い て 知 られ て い る事 は実 に少 な く、
特 に カガ ヤ ヌ ン語 の 史 的 音韻 論 は ま った く不 明 な ので 、 このa「私 」 とい う形 式 が ど うい うふ うに成 り立 っ
た か全 く分 か らな い 。

最 近 のオ ー ス トロネ シア 諸語 との比 較 を 見 る と き、 一 番 大 きな 問題 は どの オ ー ス トロネ シ ア語 と比 較 す るか とい うこ とで あ ろ う。 まず 、 オ ー ス トロネ シア祖 語 との 比 較 は 不 可能 で あ る。
オ ー ス トロネ シ ア 祖 語 は少 な く とも 紀 元 前6,000年 に さ か の ぼ る とい う こ とだ か らだ(Blust2000,私 信)。 ま た 、 日本 語 の オ ー ス トロネ シ ア 系 の 語 源 は お そ ら くオ ー ス トロネ シア 祖 語 と
は ほ とん ど一 致 しない とい うこ とだ 。 た と えば 、 日本 祖 語*ta-Cil.3b:L-L「 手 」 は よ く オ ース トロネ シ ア 祖 語*tangan厂 手 」 と比 較 され る。 しか し、*tanganは マ ライ 系 の 言 語 に しか 出 てこ な い の で あ る。 オ ー ス トロネ シア 祖 語 の 「手 」 に 相 当す る単 語 は 間 違 い な く*limaで 、 日本語 に はそ れ に対 応 す る単 語 は な い だ ろ う。

崎 山理 はア ル タイ ・オ ー ス トロネ シ ア混 合 言 語 仮説 の 支 持者 の 一 人 と して 、 この 問題 を は っき り理 解 して い る よ うに思 わ れ る。 従 っ て 崎 山は オ ー ス トロネ シ ア祖 語 で は な くマ ライ ・ポ リ
ネ シ ア祖 語 と 日本 祖 語 を比 較 してい る(崎 山1990、1991、1996、2001)。 しか し、 この 比 較に も問 題 が あ る。 マ ライ ・ポ リネ シ ア祖 語 と 日本 語 の 基礎 語彙 を 比 較 す る場 合 に は 、 可能 とみ
られ る対 応 語 は大 抵 日本 祖 語 で は 一音 節 で 、 マ ライ ・ポ リネ シア祖 語 で は 二 音節 な の で あ る。

とす る と、 日本 祖 語 とマ ライ ・ポ リネ シ ア 祖語 との 間 に規 則 的 な 対応 を成 り立 た せ るた め に は、日本 祖 語 の 中 に音 節 の脱 落 の 証 拠 とな る規 則 的 な 変 化 を見 つ けな けれ ば な らな い。 通 常、 このよ うな音 節 の 脱 落 の影 響 は ア クセ ン トに残 るは ず で あ る。 しか し、 日本 語 も 日本祖 語 も ピ ッチ ・ア クセ ン トな の に もか か わ らず 、 マ ライ ・ポ リネ シア祖 語 の 二音 節 語 の うち一音 節 の脱 落 の 日本 語 にお け るア クセ ン トへ の影 響 が 見つ け られ な い の で あ る。 い い か えれ ば 、 マ ライ ・ポ リネシア祖 語 の 二音 節 語 と対 応 す る と思 わ れ る 日本祖 語 の一 音 節 語 に は 、 ア クセ ン トに 着 目す る と、規 則 的 な 対 応 が ない の で あ る。 た とえ ば 、 次 の 二 つ の 例 を見 る と、 この こ とが 明 白に な る だ ろ
う。

崎 山理 は 日本 祖 語*ma-Cil.3aL-H「 目」 とマ ライ ・ポ リネ シ ア 祖 語*mata「 目」 とを 比 較し、 ま た 一 方 で は 、 日本祖 語*po-Ci1.3bL-L「 火 」 とマ ライ ・ポ リネ シア 祖 語*apuy「 火 」とも比 較 して い る(崎 山2001:471)。 日本 祖 語 のC、V、C、V、 の構 造 に お け る*ta一 く*tanganの ような第 二 音 節 が脱 落 す る可 能 性 を否 定す る わ けで は ない が 、 後者 の マ ライ ・ポ リネ シ ア の語 源を よ く見 る と、 彼 の比 較 は規 則 性 に欠 け て い る のが 分 か る。 前者 の 例 と違 い 、 こ こで は最 後 の音 節 で は な く 、最 初 の 音 節 が脱 落 してい る。 しか し、 日本 祖語*ma-Ci1.3aL-H「 目」、*ta-Ci 1.3bL-L「 手 」、*po-cil.3bL-L「 火 」 は 、 いず れ も同 じ低 起 式 の ア ク セ ン ト類 に 属 し、 ア ク
セ ン トの立 場 か ら見 る と、第 一 音節 の脱 落 、 第 二 音 節 の脱 落 が 不 規 則 的 に起 こ る こ とは考 え られ ない 。

日本 語 の ア クセ ン トをみ るか ぎ り、 マ ライ ・ポ リネ シア祖 語 か ら 日本祖 語 ま で に い たる音 節 脱 落 を証 明す る の は不 可 能 で あ ろ う。

崎 山理 は最 近 、基 礎 語 彙 だ けで はな く、 マ ライ ・ポ リネ シ ア祖 語 と 日本祖 語 の 文 法要 素 の比較 も試 み て い る(崎 山2001:473-478)。 しか し、 崎 山 の 比較 は だ い た い 上代 日本 語 の動 詞 と形
容 詞 の接 頭 辞 と代 名 詞 で あ る。 まず 、 上 代 日本 語 の動 詞 と形 容 詞 の 接 頭 辞 を一 通 り見 てみ よ うと思 う。

崎 山 は 自分 自身 が 比較 の対 象 に使 っ てい る上 代 日本 語 の 動 詞 と形 容 詞 の 大 部分 の接 頭辞 の文 法 的 な 意 味 を知 らな い よ うで あ る。 た とえ ば 、 崎 山 は 上 代 日本 語 のta一が 「偶発 性 」 で 、
ka一が 「被 災 的 」 で 、sa一が 「類 似 概 念 の 派 生 」 だ と指 摘 して い る(崎 山2001:473)。 しか し、ア レキサンダー ・ボ ビン
この 崎 山が あ げ てい る文 法 的 な意 味 が 何 に基 づ く もの な の か が全 く示 され てい ない 。 信 憑 性 の高 い 上 代 日本 語 の参 考 書 をみ て も、 そ の 定 義 と崎 山の解 釈 は一 致 しな い の で あ る。 た とえ ば 、「時代 別 国 語 大 辞 典 」 に は 次 の よ うに定 義 され て い る。ta一に は 「ひ ろ く名 詞 ・副 詞 ・動 詞 ・形容 詞 に冠 して 用 い られ る 」 と して 定 義 が な く(澤 潟1967:408)、ka一 は 「主 と して形 容 詞 に接して そ の意 味 に 一種 の 色 調 をそ え る」(澤 潟1967:170)で 、sa一が 「ほ とん ど実 質 的 な 意 味 はな い 」(澤 潟1967:317)。

岩 波 「古 語 辞 典 」 を調 べ る と、ta一が 「意 味 は 不 明 」(大 野1990:
755)、ka一 が 「見 た 目に … の さ まが 感 じ取れ る とい う意 を表 わす 」(大 野1990:261)で 、sa一は「語 義 不詳 」(大 野1990:530)と あ る。 崎 山 が 比 較 に選 ん だ そ の 他 の 厂上代 日本 語 の 接 頭 辞 」
は形 態 論 的 な 分析 の 間違 い だ け に は と どま らな い 。 た と えば 、 使 役 のpa一は(崎 山2001:473)上 代 日本 語 に は存 在 しない ので あ る。

この よ うな 、 あ る言 語 に は存 在 して い て も 、 あ る言 語 では存 在 しな い 接 頭 辞 の文 法 的 な意 味 の 比 較 は、 何 も証 明す る こ とは で き な い。 崎 山 が これ らの上 代 日本 語 の接 頭 辞 の 「文 法 的 意 味 」 を、 そ の 比 較 の対 象 で あ るマ ライ ・ポ リネ シ ア語 の接 頭
辞 に対 応 させ る た め に作 り上 げた とい うこ と は明 白で あ る。 い うま で もな く、 そ の よ うな方 法は比 較 言 語 学 の方 法 に反 して い る。 崎 山 は上 代 日本語 の代 名 詞 の 分析 も試 み て い る が、 そ の分
析 法 も比 較 言 語 学 の方 法 に反 して い る。 しか し、 そ の批 判 は長 くな るの で こ こで は省 略 す る。

ア ル タ イ 語 仮 説(Mille・ 、Itabashi(90年 代半端まで)、Star・stin,V・vin(最近まで))

アル タイ語仮説 は、 タ ミル語仮説 とオース トロネシア語仮説 に比べれば、長所 は多 いが、短所 も少 なくはない。
日本語 とアル タイ諸言語 のあいだ の子音 とア クセ ン トの対応 がだいたい成 立す るとい う意 見が ある(Starostin1991)。 しか し、 明 らかで ない点 もまだ多 く見 られ る。 特 に、語 中の子音
の対応が十分 に調べ られ てい ない。い うまで もなく、規則 的な音韻対応 だけでは言語 の同系の証拠 にはな らない。 た とえば、 中古 中国語 と日本語の間 には理想 的な ほど、子 音だけでな く母音 の規則的 な対応 も存在す る。 しか し、中古 中国語 と 日本語 は同系の言語ではない。 その完璧とい える対応 は基礎語彙 と基礎文法要素 まで には及 ばず、借 用語 にとどま るか らであ る。

後 に詳 しく述べ るが、アル タイ語族 が五つ の言語(日 本語、韓国語、満 ・ツングース語 、モ ンゴル語 、チ ュル ク語)か らな って いる とい うMiller-Starostin説のアル タイ諸言語 の問には、 その音韻対応 を後 ろ楯す る基礎語彙 と特 に基礎文法要素 が非常 に少ないので ある。

また、アル タイ語仮説 には、他 の問題 も少 な くない。た とえば、母音の対応 が明 らかで はない。今 まで掲 げ られ た母音対応 は、ほ とん どの例 において規則的で はなく、例外が非常 に多いのである。 アル タイ語仮説 の積極的 な支持者 の論証 には言語学的、資料 の扱い方の間違 い などの重大 な欠 点がある。 そのよ うな間違 いの中には信 じ難い ほど稚拙 なものもある。 ここで は、スタロスチ ンのアル タイ語仮説 を例 に して、そのよ うな間違い の幾つか を詳 しく見てみ よ うと思 う。

ス タ ロ ス チ ン の ア ル タ イ 語 仮 説

1)資 料 の 取 扱 いの 問題 点

兎 は卵 。
Dolgopolsky(1999:84)に よ る と、Starostinが た て た アル タ イ 祖 語 に*u「 卵 」 とい う単 語 があ った とい う。 そ して 、 そ の 再構 は 日本 語 に基 づ くのだ とい うの で あ る。 しか し、 日本 語 に は*u「 卵 」 な ど とい う単 語 は な い。 お そ ら くStarostinは 漢 字 の 「卯 」 と 「卵 」 の 区別 がつ か な か った ので あ ろ う。

人 間 に は 目が 二 つ あ るか ら、 祖 語 に も 「目」 と い う単 語 が 二 つ あ った 。

ス タ ロ スチ ン の 日本 語 再 構 は よ くア ル タ イ 語 源 に一 致 す るが 、 日本 語 の デ ー タ を無 視 して いる。 た と えば 、 ス タ ロ スチ ン は 日本 祖 語*m潘-i(1991:87)と 日本祖 語*m瀛N「 目」 を(1991:
265)両 方 再 構 した 。 彼 の再 構 は 中期 韓 国語 のnw「 目」 と一 致 す る こ とに な っ てい る が 、 この再 構 は 日本 語 の デ ー タ に沿 うも の で は な い 。 ま ず 、 一ノ〉 は波 照 間 のmi/>「 目」 に 基 づ い た再
構 だ が 、 この 一1>は 波 照 間 に しか 存 在 しな い た め、 疑 わ しい 。 や は り、 こ の一Nは二 次 的 な も ので あ る と考 え られ る。 波 照 間 のputugiN「 仏 」 な どを 見 れ ば(Martin1987:74-75)、 明 白 だ。 第
二 に、 ス タ ロス チ ンの 日本 祖 語*m潘一 は波 照 間 のmil>「 目」 と対応 して い な い 。 波 照 間 の/i/は琉 球 祖 語 の*e(opon一>opo一 とい う変 化 が 、 後 に続 く/m/の 前に お い て は 自然 で あ る。 上 代 日本 語opo一 〃sonoに は 平安 時代 と鎌 倉 時 代 に 「お も の」 と 「を もの 」 の 二 通 りの振 り仮 名 使 い が あ る。opo一>o一 とい う変 化 が 日本 語 歴 史 上 独 特 で 、 丁 寧 語 の接 頭 辞 で あ る 「お ほ 」 以 外 に 見 られ な い。 こ の接 頭 辞 以 外 の上 代 日本 語 の/opo/と い う音 韻 連続 が平 安 時 代 の/OWO/と 現 代 日本 語 の/0:/に対 応 す る。 よ って 、 こ の単 語 に つ い て は アル タ イ 諸語 との 関係 を想 定 す るの は 不 可能 で あ ろ う。


4)日 本 語 の 中 の 中国 語 借 用 語 は ア ル タ イ 説 を 支持 す る 。

ス タ ロス チ ン は ア ル タ イ祖 語*sir、o「 漏 れ る、 に じみ 出 る 」(チ ュル ク祖 語*sir2一,モ ン ゴ
ル 祖 語*sir一,ツ ン グー ス 祖 語*sire,韓 国祖 語*hを 日本 祖 語*situ「 湿 っぽ い 」 と比 較 してい る(Starostin1997:337)。 日本 語 の 歴 史 を無 視 して い る ス タ ロス チ ン に とっ て は 、彼 が 日本 祖 語 とみ な す 単 語*situが 、 なぜ 「っ れ つ れ 草 」 中 に 初 め て 使 わ れ て い る の か が わ か ら ないよ うで あ る。 実 は 、彼 の比 較 の 対 象 に選 ん だ 日本祖 語*Slip「 湿 っ ぽい 」 は 明 らか な 中古 中 国語
の借 用 語 な の で あ る。 「しつ 」 は 「湿 」 の 漢 字 の慣 用 音 で あ る2。 ま た 、 中期 韓 国語h は「漏 れ る 、 に じみ 出 る」 で は な く、 「流 れ る」 とい う意 味 で 、 ツ ン グ ー ス 語*sire(実 際*sir一
ま た は*siri一)は 「絞 る、 乳 を搾 る」 とい う意 味 で あ る(Cincius1977:93b)。 さ らに 、 韓 国祖語 の*hは*の 必 要 の な い 、 文献 で す で に確 認 され た 中期 韓 国語 の 形 で あ る。 ス タ ロス チ ンは 、 こ こ で も ま た 、 韓 国祖 語 の 再 構 を無 視 して い る。 中 期 韓 国語h は ア クセ ン ト上 、 八類 の動 詞 で 、 韓 国 祖 語*h一に さか の ぼ る(Ramsey1991:236)の で あ る。 こ の単 語 の うちの 、二番 目の/一Uはア ル タイ語 との 関係 の確 立 を よ り困難 に してい る。 最 後 に、 モ ン ゴル 祖 語*sir一は お そ ら くWMsiNbigine一 「し と し と降 る 、水 を ま く」 か ら うま く切 り と られ た 要 素 で 、 残 りの 一bigine一は勝 手 に省 かれ た ま ま、 何 の 説 明 も施 され て い な い 。


5)音 韻 対 応 も無 視/他 の 問題

ス タ ロ ス チ ン は アル タイ 祖 語*bio:ji「 尊 敬 す る」(チ ュル ク祖 語*ba:j;モ ン ゴル 祖 語*bejle,ツ ン グ ー ス祖 語*buje一,韓 国祖 語*p6y-hw6一)を 日本 祖 語*bij竏と比 較 して い る。 まず 、 音韻 対 応 を み る前 に 、対 応 よ りさ さい な 問 題 を 見 て み よ う と思 う。 意 味 的 に は 、 チ ュル ク祖 語 *ba:jは 「金 持 ち」 だ が 、 金 持 ちの 人 々 が 尊 敬 され る可 能 性 は あ る。 中期 韓 国 語phwス タロス チ ンが 行 っ た よ うに二 つ の 形 態 素 に わ け る根 拠 は な い)は 「勉 強 す る」 とい う意 味 で あ る。

次 の例 は も っ と問題 が 大 き い。 モ ン ゴル 祖 語bejle「 三位 の親 王 」 は モ ン ゴル 人 が 清 時 代 以 前 には使 っ て い な い 爵位 で(Jagchid&Hyer1979:276)、 満 州 語 のbeile「 三位 の 親 王 」 か らの 明らか な借 用 語 で あ る。 こ の他 に も、 ス タ ロ スチ ン式 の アル タイ 語 学 は言語 の歴 史 だ けで は な く、2「 しつ 」 は めっ た に しか 出 て こな いsyuu慣 用 音ritu(め っ た に しか 出 て こ ないryuu慣 用 音situ(め っ た に しか 出て こな いsyuukeseeg
「拷 問 に か け る 」 ,aru一 「意 識 を 回 復 す る 」 ニ>arctg 「復 興 す る 」,jalup一 「満 ち る 」=>jalupk
「満 た す 」(Vasilevich1940:93)
,満 州 語 の 稀 なanticausative-gi一:algi一 「有 名 だ 」<aZa一 「報
告 す る 」 同 じ語 源 の 可 能 性 あ り。
上 代 日本 語
於 毛 思路 伎 野 乎婆 奈 夜 吉 曽.
omosirwo-kyinwo-wobanayak-yi-so
美 しい 一連 体 野原 一対 格 否 定 一焼 く一動 名 詞 一す る
美 しい野 を 焼 か な い で(萬XIV-3452)
夜 気 牟志 婆 加 岐
yakey-m-u siba-gakyi

焼 ける一推量 一連体 柴 一垣
焼 ける柴垣(古 事記歌謡109)
中期 韓 国 語
ha-nmwul-ulhe-no-n-i
大 きい 一連 体 物 一対 格 壊 す 一現在 一連 体 一動 名 詞
大 きい 物 を壊 す(金 剛 経1:7)
nolh-ihel-Gi-timwot-ho-mye
刃 一 主 格 壊 す 一 受 け 身 一 動 名 詞 で き な い 一 す る 一 接 続
刃 は 壊 れ な く て_(,月 印X:70)
エ ヴ ェ ン キ 語:
perroneme-cee-1-dipassazhir-il-dijalup-caa-n
ホ ー ム 来 る 一 過 去 一 複 数 一 具 格 乗 り手 一 複 数 一 具 格 満 ち る 一 過 去 一3単
ホ ー ム は 来 た 乗 り 手 で 満 ちた(Boldyrev1994:213b)
dilacaacuutuuma-watigekeen-me-tinjalup-iknan-innama-t
太 陽 青 い 一 対 格 カ ッ プ ー 対 格 一3複 満 ち る 一 か ぎ りま で 一3単 暖 か さ 一 具 格
.ノalup-k鹹aa-n
満 ち る 一 使 役 一 過 去 一3単
太 陽 は 暖 か さ で 青 い カ ッ プ を 端 ま で 満 た し た(Boldyrev1994:213b)
(3)否 定 詞*一e
日 本 語=上 代 日 本 語 一Lv/i<*一e,否 定 詞 、 た と え ばkyik-yi「 聞 き 」 ψヅ 「言 い 」
韓 国 語=韓 国 中 世 語 一e/ye%a,否 定 詞 、 た と え ばkel-e「 歩 き 」;kask-a「 壊 し 」。
?チ ュ ル ク 語:OT一一a,否 定 詞 、 た と え ばegir一 「囲 む 」、egir一艨u 囲 み 」、tut一 「持 つ 」,tut-a
「持 ち 」。(Tenishevetal .1988:474).
上 代 日本 語
都 流 伎 多 智 許 志 爾 刀 利 波 枳 佐 都 由美 乎 多 爾 伎 利 物 知 提
turugyi-tatikφsi-nitwor-ipakyisate-yumyi-wo
剣 一太 刀 腰 一 与格 取 る 一否 定 詞 一佩 く一否 定 詞 狩 猟 一弓 一対 格
ta-nigyir-i-mot-i-te
手 一握 る 一否 定詞 一持 つ 一否 定詞 一接 続
[若 い男 が]剣 太刀 を 腰 に お び、 弓矢 を 手 に 握 り持 っ て(萬V:804)


中 期 韓 国 語
kilpes-esswo-sy-aseysal-aytati-n-i
道 はず れ る 一否 定詞 射 る 一敬 語 一否 定 詞 三 つ 矢 一与 格 皆 落 ち る 一連 体 一 動名 詞
道 か らはず れ て 、 射 て 、[彼 を追 う]三 人 は 三 っ の 矢 で 落 と され た(龍 飛 御 天 歌36)
古 代 チ ュ ル ク語
toquzer-igegir一舩oq鹽
九 武 士 一対 格 囲む 一否 定 詞 撃 ち破 る 一過 去
[彼 が]九 人 の 武 士 を 囲 ん で 、 撃 ち破 っ た(KTb36)


日本語系 統論 において基礎語彙 の比較 は、あま り決定的 な結果 には到 ってい ないが、今す ぐ諦 めず に、 この よ うな細 かい文法要 素の比較 を行 ってい けば、徐 々に 日本語 の系統が分か るようになるだ ろ う。長 田(本 論文集掲載)は 否 定的だが、私 はそ う期待 してい る。

文 献

日本語の文献
古事記歌謡,712
萬 万葉集759以 後
中期韓国語の文献
金剛経
,月印
金 剛 経 彦 解,1464
杜 詩 彦 解,1481
月 印 釈 譜,1459
龍 飛 御 天 歌1445
満州語の文献
MYK
SA
Manju-iYargiyanKooli,十 七 世 紀 後 半(?)
TaizuHwangdiMinggurun-icooha-beSarglin-deambarame
efulehebaita-betucibumearahabithe,十 七 一 十 八 世 紀
モ ンゴル文語
UD ワliger一dalai,十 八 世 紀(?)
古代チュルク語
KTb
KTs
KTeginの 大碑 銘732
KTeginの 小 碑 銘732

参 考 文 献
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伽vθ rめノ(ゾ飾 照'ノo'漁 ηoo
Keywords:Japonic,Japanese,Altaic,Austronesian,mixedlanguages,Korean,
Manchu-Tungusic,Manchuric.
Thisarticlepresentsabriefoverviewofthemajortheoriesconcerningthe originsoftheJapaneselanguage.Inparticular,Idemonstrateinsomedetail whytwopartiallyexcludinghypotheses:thetheoryofthemixedAustronesianAltaicoriginandtheAltaictheoryhavemultipleshortcomingsatthepresent time.IbelievethatthemostpromisingtheoryisthetheoryoftheKoreoJaponiclinguisticrelationship,anditalsomayturnoutthatbothKoreanand JaponicareultimatelyrelatedtoManchu-Tungusic.IpresentsomeinitialevidenceinfavorofthistentativefamilywhichIcall"Manchuric."


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http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c93

[エネルギ3] やがて来る寒冷化、それに備えるには! taked4700
1. 中川隆[-6577] koaQ7Jey 2017年8月25日 13:21:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
デマはもういよ

これから熱帯は平均気温 50℃になるんだ

南極は草原化する


http://www.asyura2.com/16/eg3/msg/119.html#c1

[近代史02] 戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき 中川隆
43. 中川隆[-6576] koaQ7Jey 2017年8月25日 18:03:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

北朝鮮からの脱出1945 僅かな判断ミスが生死を分けた

引揚げ船で満州から帰国した避難民、カメラのような高級品は略奪されたため、引き揚げ中の写真はほとんど無い
引用:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/007/257/52/N000/000/011/135139922049213111794_IMG_0002_NEW_20121028134020.jpg

多くの人は帰国を躊躇した

第二次大戦終了後に、朝鮮半島北側に取り残された日本人は、30万人以上と言われています。

満州で取り残された日本人は100万人以上で、ソ連と中国支配地域を合計すると、200万人に達したとされています。

このうち帰国できなかった人は50万人前後と推測されるが、正確な人数は今も分かっていません。

          


この50万人はソ連と中華民国(台湾)、共産党軍(中国)によって捕らえられたり、暴行された末になくなりました。

これほど多くの残留者を出した原因は、日本本土の大本営が「日本は食糧が不足し混乱している」として帰国させるなと関東軍に命令したからでした。

200万人もの大陸在留日本人が帰国したら、ただでさえ危機的状況にあった本土の食糧事情が、さらに悪化すると考えました。


その一方で関東軍は自分たちだけは安全に帰国できるように計らい、満州や朝鮮北部から、38度線南側に密かに撤退しました。

満州と朝鮮北部の在留日本人には撤退を秘密にし、ソ連と戦いに行くと言って騙して逃げ出していました。

まず軍人が逃げて、ついで軍人の家族が逃げ、次に軍属や警察官、役人が逃げ出して、民間人が列車に乗るのを禁止すらしました。


関東軍が撤退した後でやっと一般人が列車を使えるようになったが、既に8月15日になっていました。

ソ連軍が満州や朝鮮北部に攻撃開始したのが8月9日で、それから終戦の15日まで、民間人は事実上避難を禁止されていました。

ソ連軍は北から満州と朝鮮に進軍を開始し、一刻も早く逃げないとソ連占領地域になってしまいます。

わずかな判断ミスで帰国できなかった人達

ところが関東軍や日本軍はソ連と日本が開戦した事や、日本が降伏した事実すら民間人に秘密にしたため、避難しなかった人が多かったのです。

在留日本人は8月15日に戦争が終わったのは知っていたが、「戦争は終わったのだから逃げる必要はない」と考えた人が大勢居ました。

終戦時点では朝鮮や満州の行政機構はそのまま存在し続ける可能性があり、日本人の資産も保護されると考えられていました。


満州や朝鮮北部に居住していた日本人の多くは、何十年もかけて家を建てたり現地で生活を築いて来たので、捨てるのをためらいました。

かなりの日本人居住者は、このまま自分たちの資産が保全されるほうに期待をかけ、なるべく避難したく無かったのです。

だが関東軍が撤退してしまったので、ソ連軍も日本軍を追いかけるように南下し、戦闘せずに38度線に達する事ができたのです。


ソ連軍はすぐに南下した訳ではなく、その速度は牛歩の歩みくらいゆっくりしたもので、すぐに行動すれば逃げれない訳ではなかった。

理由はソ連軍主力がドイツ占領のため欧州に集中し、極東ではトラックすら不足し、兵士は徒歩で歩いていたからでした。

国境付近にいた日本人がソ連軍に襲撃され、避難民(当時避難民と言っていた)が南下するのを見て人々は始めてソ連軍が迫っているのを知りました。


日本軍や政府が避難指示を一切出さなかったため、避難するかどうかは個人の判断にまかされ、多くの人は「残りの給料を貰ってから」「家や家財を処分してから」ゆっくり日本に戻ろうと思っていました。

8月15日にはソウル行きの列車が出ていたのに(ソ連軍が到達していない地域は、また日本帝国が支配していた)、何日か遅らせたために列車の運行が止まりました。

ソ連軍は満州や朝鮮北部を占領すると鉄道を自分のために使用し、日本人が列車に乗るのを禁止しました。


しかもソウルや38度線近くまで行けば良いのに、「食べ物を調達したい」(暫くは日本円が通じた)一晩休みたいなどの理由で途中下車したグループが大勢居ました。

8月15日から数日間は一日や1時間で列車の運行状況が悪化し、途中で降りた人は全員ソ連に拘束される事になります。

ソウル直行列車は既に運行していないので、どのみち列車が止まった場所で降りる事になるが、ここでも多くの避難民グループが致命的な判断ミスを犯します。


ソ連や中国に捕まった日本女性は兵士の略奪対象になった

引用:https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fo%2Fooidoya%2F20150104%2F20150104213716.png&twidth=1000&theight=0&qlt=80&res_format=jpg&op=r

避難民を襲う負の連鎖

38度線までは数百キロで、線路沿いに一日30キロから50キロ歩けば数日であり、しかも8月15日からしばらくはソ連軍は38度線に到達していませんでした。

少し無理をすれば歩いて帰れるのに、ほとんどのグループは「列車が再開したら乗って帰ろう」と思い、降車駅の学校などで滞在してしまいました。

列車の再開を待っている間に、ソ連の先発隊が町にやってきて日本人の移動を禁止し、全員が収容所に拘束される事になります。


終戦から1ヶ月ほどは徒歩なら移動は自由で、朝鮮総督府はまだ(一部が)機能していて、日本円で買い物もできたので、これが最後のチャンスだった。

だが多くの人は無為に時間を潰してしまい、朝鮮総督府は崩壊し、日本円は数分の一に下落し、朝鮮の人々の日本人への態度は悪化しました。

日本帝国や総督府が存在したから朝鮮人は日本人に従っていたので、それがなくなりソ連という新たな支配者が来れば、日本人への態度はきついものになります。


それでも朝鮮北部の避難民は満州よりは良く、満州では日本発行通貨の価値が、半年で400分の1になりました。

退職金代わりに現在の価値で数百万円貰った公務員が多かったが、半年後には1万円分の価値しかなくなっていたのです。

朝鮮北部ではそれでも、3割ほどのレートで朝鮮通貨に交換でき、38度線への帰還でも現金が重要な役割を果たしました。


1945年の冬は日本人はソ連収容所に入れられ、飢えと寒さと疫病で多くの人がなくなりました。

最初に列車に乗って楽をして帰りたいと思ったために、もう歩く体力すら失って力尽きた避難民が多かったのでした。

ソ連軍は略奪を繰り返し、銃をぶっ放しては「女を出せ」と言って暴れ、ソ連占領地域に残った女性全員が被害に遭ったと考えられています。


ソ連はわざと衰弱させて反抗できなくする管理方法を取っていたので、男は栄養失調で動けなくなり反抗するものはいなくなりました。

中国人や中国軍の捕まっても同じ事で、男は衰弱させて反抗できなくし、数十万人の女性全員が暴力の対象になりました。

朝鮮北部の冬は北海道程度の寒さなので健康でも歩く事は出来ず、1946年の春になってから、ソ連軍や朝鮮人になけなしの現金や金目の物を渡して、ようやく避難民は38度線を目指しました。

日本政府とソ連と冷戦

実は38度線は完全に閉鎖されていたのではなく、朝鮮人は裏道から南北を自由に往来していて、目先の聞く日本人もこうしたルートで38度線を越えていました。

1946年になると収容所の日本人の多くが飢えと病気で衰弱し、これがアメリカとソ連の冷戦外交に利用されました。

アメリカは散々日本人をいたぶってきたくせに「ソ連は非人道的だ」と善人ヅラして非難し日本人を帰国させるよう圧力をかけた。


ソ連はこれで困ってしまい、もし帰国させたらソ連が日本人に暴行して数十万人も死なせたのがばれてしまいます。

そこでソ連は外交問題にならないようにこっそりと、夜中に日本人を列車に乗せたり歩かせたりして、少しずつ38度線を越えるように仕向けました。

集団ではなく少人数でバラバラに帰還させることで、戦争犯罪が表面化しないようにしたのです。

ソ連は1946年10月19日に日本人帰還を正式に発表したが、すでに取り残された人の97%は脱出するか亡くなった後だった。


1946年6月には満州からの正式引揚げも始まったが、略奪や襲撃にあい、多くの人が帰国できずになくなった後でした。


不可解なのは日本政府で、敗戦前も敗戦後も大陸に取り残された日本人に一切関心を持たず、帰国を要請した形跡も見られません。

どちらかというとアメリカの方が、大陸で日本の影響力が残るのを懸念して帰国させるよう圧力を掛け、渋々日本側が応じたように見えます。


1946年の日本は1000万人が餓死すると総理大臣が訴えたほど深刻な食糧不足で、アメリカは飢えて苦しむ日本人を見て楽しんでいました。

帰国者を受け入れる余裕が無いのも確かだったが、それでも敵前逃亡して逃げてきた関東軍を受け入れて、取り残された在留日本人を放置するのはおかしい。

特に日本帝国が地上の楽園と宣伝して送り出した満蒙開拓団は、ほとんどが中国人やソ連軍に襲撃されてなくなっています。

さらにおかしいのは現在の日本政府の安倍首相に至るまで、こうした中国、台湾やソ連(ロシア)による悪行に対して、抗議した事すらないことです。
http://www.thutmosev.com/archives/72311647.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html#c43

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
106. 中川隆[-6575] koaQ7Jey 2017年8月25日 18:14:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「賃貸は家賃を捨てるだけ、持家は将来資産になる」はフェイクだった タワマンは“砂上の楼閣”なので…
2017.08.25 牧野 知弘 オラガ総研代表取締役  現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/348.html


東京オリンピックの競技会場に近い、江東区湾岸部の高級タワーマンションが人気だ。1000戸以上の新築が1年もしないうちに完売するという、驚異の売れ行きだという。購入者からは、立地や価格を考えれば「お得感がある」との声も聞かれるが、本当だろうか。ベストセラー

『2020年マンション大崩壊』(文春新書)
https://www.amazon.co.jp/2020%E5%B9%B4%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%B4%A9%E5%A3%8A-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%89%A7%E9%87%8E-%E7%9F%A5%E5%BC%98/dp/4166610392/ref=as_li_ss_tl?_encoding=UTF8&qid=&sr=&linkCode=sl1&tag=gendai_asyuracom-22&linkId=10d162d1766ae2cae01f9bc3385b4d29


の著者、牧野知弘氏に聞いてみた。


■「建物は有限、土地は永遠」という真理

不動産事業に長く関わってきて強く思うことがある。土地は劣化しないということだ。

たとえば東京都中央区銀座の土地。銀座の地価は、景気の状況を敏感に反映して変化する。中心部の四丁目付近では、ここ30年くらいの間でも、現在のように坪当たり1億円を超える値段をつける時代があれば、3000万円台まで下落したときもあった。それでも土地は変わらず銀座に存在し続けている。

土地はこの世から消えてなくなることはない。価格はその時代時代の気配を表象するだけのものにすぎない。所有し続ける意思があるのならば、銀座四丁目という土地の持つ効用は変わらずに享受できるのである。

建物はどうだろうか。古代ギリシアのアクロポリスに建設されたパルテノン神殿。紀元前438年に竣工したとされるこの壮大な宮殿は、いまでも古代ギリシアの繁栄を物語る遺跡として見学する人たちの心を鷲掴みにしている。しかし、神殿自体としての使用価値はとうの昔に失われている。


ギリシア・パルテノン神殿。その神殿としての使用価値は失われている photo by iStock

建物の命は有限なのだ。会計上でもこのことは明確に定義されている。建物は有限であるがゆえに「減価償却」され、最後にはほとんど価値のないものと判断される。

もちろん、これは会計上の都合によって定めたルールなので、償却期限が過ぎたからといって建物が使えなくなるわけではない。したがって建物寿命という概念とは基本的に異なるものだが、建物が「有限」の存在であることに変わりはない。

どんなに立派で美しい建物であっても、建物は年がたつにつれ、老朽化していく。その時代の最新鋭の設備を具備していたとしても、設備自体の老朽化、技術の進歩などで設備として持つ価値は次第に減じられていく運命にある。

いっぽう、土地は永遠の存在だ。たとえ地震や津波で上部にある建物が流されたとしても、津波がひいたあと、土地は再びその姿を現し、存在価値を主張し続けることができる。不動産価値の源泉が土地にあることは、こうした歴史が証明していると言っても過言ではない。

■価格の「4分の3が建物代」

ひるがえって、現代社会においてごく一般的な居住形態となったマンションに、はたしてどの程度の不動産価値があるのかを考えてみよう。

数年前に都内湾岸エリアに分譲された、あるタワーマンションを事例として取り上げる。

□敷地面積   5800坪
□建物面積   3万6500坪
□総戸数    1100戸
□平均住戸面積 23坪(約76平方メートル)
□平均分譲価格 約7000万円(坪当たり単価304万円)

このマンションの価格構成はどのようになっているのか推測してみる。

まず、周辺の土地の取引価格から推定して、土地代は坪当たり350万円程度と見込まれる。敷地は5800坪だから、土地全体では約200億円だ。建設費は、当時の相場から坪当たり約110万円程度とすると、建物面積が3万6500坪なので約400億円。この土地建物原価に、一般的な諸費用(分譲利益を含む)分約30%を加算すると、総額は約780億円になる。

建物全体の面積のうち共用部等を除く住戸部分の面積の割合を仮に70%とおくと、住戸部分の面積は2万5500坪。これを戸当たり平均23坪で売り出すとき、総戸数は約1100戸となる。戸当たり約7000万円で売却すれば売上は約780億円。原価から導き出した金額とぴったり一致する。マンションの価格構成はおおむねこんな構造になっているのである。


巨大なタワーマンションだが、土地の持ち分で考えるとたった5坪ほど…。 photo by iStock

これを1戸あたりの資産価値として考えてみよう。

敷地面積は5800坪と広大な敷地だが、1100戸も分譲されているので、1戸当たりの持ち分はわずか5.3坪程度となる。土地代は坪当たり350万円だったので、1戸当たりの土地の持ち分評価額は1855万円(350万円×5.3坪)だ。

残りが建物代とすれば、販売価格の7000万円から差し引いた5145万円ということになる。土地建物の比率で考えると、土地比率が26.5%、建物比率が73.5%。つまり、このタワーマンションの資産価値は、そのほとんどが建物代ということになるわけだ。

不動産価値の源泉は土地にある、と冒頭で書いたが、購入総額のほとんどが建物代にあてられるマンションに、不動産価値はあるのだろうか。

■持家は本当に「将来資産になる」のか

いままでは、当たり前のように「住宅を買わなくては」と多くの人が考えてきた。賃貸住宅に居住していても家賃は毎月捨てるだけ。同じくらいの金額の負担をするのであれば、「持家」に払ったほうが将来資産になる――と多くの人が考えてきたからだ。

とりわけ、近年都心部に続々建設されたタワーマンション(タワマン)は、都心居住の象徴として人気が高い。またタワマンを買った多くの人が、将来自分が手に入れたマンションが「値上がり」することを期待しているという。

本当に「将来資産になる」のだろうか。先ほどの事例で考えてみよう。

このマンションの1戸当たりの面積は平均23坪(約76平方メートル)、分譲価格は7000万円だ。ここで、同じエリアに建つ別のマンションの賃貸物件を調べてみると、築8年で同じ面積の部屋が、月額賃料約20万円で賃貸に出されている。

話を簡単にするために、持家として取得するお金を全額、期間25年の住宅ローンで調達するとしよう。また、安全性を考えて期間中を固定金利として、現行の金利1.69%を適用する。毎月返済額は28万6247円(元利均等返済)になる。年間返済額にして約343万円の負担だ。

いっぽう、賃貸案件だと年間賃料は240万円。更新料として2年ごと月額賃料の1カ月分(20万円)を負担したとしても、年間負担額は250万円ということになる。

持家の場合、これに加えて、管理費と修繕積立金で月額約3万円、年間で36万円の負担が必要になる。さらに固定資産税等で年間20万円ほどかかる。したがって、年間の総負担額は約400万円にもなる。金利変動がない好条件のもとですら、マンションを自分のものにできるまで、総額約8587万円を支払わなくてはならないのだ。

最近では住宅ローン減税という新築優遇税制があるが、それとて住宅ローン残高の1%(最大控除額年40万円)かつ10年間の措置にすぎないので、全体の支払額に貢献する割合はそれほどではない。

これが賃貸住宅の場合、住んでいるマンションは自分の資産にはならないものの、住むためのコストだと割り切れば、25年間で6250万円の賃料を支払うだけでいい。

■手元に残るのは「築25年のマンション」

さて、本当に大事なのはここからだ。

ここまでの比較で明らかになったように、賃貸より25年間で約2337万円も多くのお金をつぎ込んだとしても、「26年目からは自分の資産になる」というのが、“持家有利”論の根拠となっている。たしかに、賃貸住宅は26年目以降も賃貸住宅だ。

しかし、大切なのはこの25年間という時間である。25年後、ついに自分のものとなったマンションはどんな資産になっているのか。そのことに想いをめぐらす人はあまりいない。

ローン完済後に眼前にそびえ立つのは、経年劣化が著しくなった「築25年のマンション」だ。これまで低廉に抑えられてきた修繕積立金も、値上げがくり返されていることだろう。一部のブランド立地のマンションを除いて、資産価値が上昇する可能性がほとんど期待できないなか、(資産価値を維持向上させる)大規模修繕工事のための追加費用が必要になるからだ。


資産価値が上がらない時代、せめて価値の劣化を防ぐための修繕工事費がかさむようになる photo by iStock

1100戸にもおよぶ入居者世帯も、25年もたてば時代の変化の波にさらされる。全員が同じように希望を持って取得した湾岸タワーマンションも、すっかりコモディティ(汎用品)と化していることだろう。

ローン金利も含めて多額のお金をつぎ込んだマンションだが、取得価額並みの価値を保持するのは正直かなり難しい。それどころか、建物代が不動産価値の多く(上の試算では4分の3)を占めるタワーマンションは、25年もたてば、建物の劣化によりその価値が半分以下になっていてもまったく不思議ではない。

純粋に資産価値に重点をおいた「投資」としてとらえた場合、25年後に取得価額を維持できず、場合によっては半額くらいに元本が減じてしまう投資商品は、本来誰も買わないだろう。

自分が「住む」だけの利用価値を考えるならば、ごく一部のエリアを除いて、マンションという資産はあまり魅力的なものとは言いがたいというのが筆者の結論だ。

ましてや、長年のローン支払いから解放されてからも、維持修繕費やマンション内の空き住戸問題、管理費未納・滞納問題など、自分はちゃんとやっていても他人のせいで居住環境の維持が難しくなるような資産である。本来、所有することには慎重になったほうがよいのかもしれない。

■「マンションは賃貸用資産」が常識になる

賃貸住宅としてのマンションは、借りる側にとってはまことに都合のよいものだ。

利便性がよく、住戸の管理がしやすく、安全性の高いマンションは、都会の棲家としては格好の住宅だ。自身の人生の変化、リストラにあう、事故でけがをする、病気になる、地震などの天変地異に遭遇する、などなどのリスクが身にふりかかったとしても、住み替えてしまえば大きな負担を背負い込む心配はない。

25年後、子どもがいたとしても、すでに独立して夫婦二人で暮らしているケースが多いだろう。場合によっては、妻と離婚しているかもしれない。病気になっているかもしれない。人生には想定しなかったようなさまざまなリスクがあるものだ。その時々の状況に応じて、自分の身の丈にあった住居に住み替えていくには、賃貸住宅は利用価値が高い。

もちろん、高齢になると、賃貸住宅に申し込んでも、年齢を理由に入居を断られるケースが増えるのは事実である。しかし、それも「いま」という時代において事実、というだけのことだ。

人口減と高齢化が進む日本では、今後も空き家が増え続け、「貸し先」に困ったマンション所有者の多くが、高齢者(や外国人)の入居を拒むどころか、廉価で賃貸する社会がやってくるだろう。

ローン完済後に、老朽化した建物の維持管理に頭を悩ます必要もなく、家賃は住むための「必要コスト」と割り切れば、考え方も劇的に変わってくるはずだ。

こうやって考えてみると、マンションは賃貸資産として考えるのが一番自然かもしれない。

買って住むのではなく、借りて住む。または所有して人に貸して運用する。一定年限のなかで確実に収益を上げ、建物の償却を享受すれば、賃貸資産としては決して悪い資産ではない。

そのためにはやはり都心部で交通利便性の高いマンションが賃貸用としては優位になる。マンションは立地のよい賃貸用資産、という概念が実はこれからの「常識」となるのかもしれない。

人気の江東区湾岸タワーマンションの資産価値はこれからどう動いていくのか。人工知能を用いて、部屋ごとの価格を高い精度で試算できるサービス

「家いくら?」
https://www.ieikura.com/

がスタートした。ぜひご活用いただきたい。(現代ビジネス編集部)


人口減少と高齢化を背景に、国のあり方が大きく変わろうとしています。定年までの安定雇用で住宅ローンを返済し、静かな老後生活へ、という人生は、とっくに過去のものとなりました。


家を買うのか借りるのか、どこで、どんなふうに暮らすのが幸せなのか。これからは一人ひとりが新しい時代の「住まい方」を考える時代。現代ビジネス編集部はこのたび、特設サイト

『住まい方研究所』
http://gendai.ismedia.jp/list/theme/sumaikata


を開設しました。皆さんが住まい方を考え、選ぶための役に立つ情報を、さまざまな視点からお届けして参ります。
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/348.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c106

[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
21. 中川隆[-6574] koaQ7Jey 2017年8月25日 18:15:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「賃貸は家賃を捨てるだけ、持家は将来資産になる」はフェイクだった タワマンは“砂上の楼閣”なので…
2017.08.25 牧野 知弘 オラガ総研代表取締役  現代ビジネス
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/348.html


東京オリンピックの競技会場に近い、江東区湾岸部の高級タワーマンションが人気だ。1000戸以上の新築が1年もしないうちに完売するという、驚異の売れ行きだという。購入者からは、立地や価格を考えれば「お得感がある」との声も聞かれるが、本当だろうか。ベストセラー

『2020年マンション大崩壊』(文春新書)
https://www.amazon.co.jp/2020%E5%B9%B4%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%B4%A9%E5%A3%8A-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%89%A7%E9%87%8E-%E7%9F%A5%E5%BC%98/dp/4166610392/ref=as_li_ss_tl?_encoding=UTF8&qid=&sr=&linkCode=sl1&tag=gendai_asyuracom-22&linkId=10d162d1766ae2cae01f9bc3385b4d29


の著者、牧野知弘氏に聞いてみた。


■「建物は有限、土地は永遠」という真理

不動産事業に長く関わってきて強く思うことがある。土地は劣化しないということだ。

たとえば東京都中央区銀座の土地。銀座の地価は、景気の状況を敏感に反映して変化する。中心部の四丁目付近では、ここ30年くらいの間でも、現在のように坪当たり1億円を超える値段をつける時代があれば、3000万円台まで下落したときもあった。それでも土地は変わらず銀座に存在し続けている。

土地はこの世から消えてなくなることはない。価格はその時代時代の気配を表象するだけのものにすぎない。所有し続ける意思があるのならば、銀座四丁目という土地の持つ効用は変わらずに享受できるのである。

建物はどうだろうか。古代ギリシアのアクロポリスに建設されたパルテノン神殿。紀元前438年に竣工したとされるこの壮大な宮殿は、いまでも古代ギリシアの繁栄を物語る遺跡として見学する人たちの心を鷲掴みにしている。しかし、神殿自体としての使用価値はとうの昔に失われている。


ギリシア・パルテノン神殿。その神殿としての使用価値は失われている photo by iStock

建物の命は有限なのだ。会計上でもこのことは明確に定義されている。建物は有限であるがゆえに「減価償却」され、最後にはほとんど価値のないものと判断される。

もちろん、これは会計上の都合によって定めたルールなので、償却期限が過ぎたからといって建物が使えなくなるわけではない。したがって建物寿命という概念とは基本的に異なるものだが、建物が「有限」の存在であることに変わりはない。

どんなに立派で美しい建物であっても、建物は年がたつにつれ、老朽化していく。その時代の最新鋭の設備を具備していたとしても、設備自体の老朽化、技術の進歩などで設備として持つ価値は次第に減じられていく運命にある。

いっぽう、土地は永遠の存在だ。たとえ地震や津波で上部にある建物が流されたとしても、津波がひいたあと、土地は再びその姿を現し、存在価値を主張し続けることができる。不動産価値の源泉が土地にあることは、こうした歴史が証明していると言っても過言ではない。

■価格の「4分の3が建物代」

ひるがえって、現代社会においてごく一般的な居住形態となったマンションに、はたしてどの程度の不動産価値があるのかを考えてみよう。

数年前に都内湾岸エリアに分譲された、あるタワーマンションを事例として取り上げる。

□敷地面積   5800坪
□建物面積   3万6500坪
□総戸数    1100戸
□平均住戸面積 23坪(約76平方メートル)
□平均分譲価格 約7000万円(坪当たり単価304万円)

このマンションの価格構成はどのようになっているのか推測してみる。

まず、周辺の土地の取引価格から推定して、土地代は坪当たり350万円程度と見込まれる。敷地は5800坪だから、土地全体では約200億円だ。建設費は、当時の相場から坪当たり約110万円程度とすると、建物面積が3万6500坪なので約400億円。この土地建物原価に、一般的な諸費用(分譲利益を含む)分約30%を加算すると、総額は約780億円になる。

建物全体の面積のうち共用部等を除く住戸部分の面積の割合を仮に70%とおくと、住戸部分の面積は2万5500坪。これを戸当たり平均23坪で売り出すとき、総戸数は約1100戸となる。戸当たり約7000万円で売却すれば売上は約780億円。原価から導き出した金額とぴったり一致する。マンションの価格構成はおおむねこんな構造になっているのである。


巨大なタワーマンションだが、土地の持ち分で考えるとたった5坪ほど…。 photo by iStock

これを1戸あたりの資産価値として考えてみよう。

敷地面積は5800坪と広大な敷地だが、1100戸も分譲されているので、1戸当たりの持ち分はわずか5.3坪程度となる。土地代は坪当たり350万円だったので、1戸当たりの土地の持ち分評価額は1855万円(350万円×5.3坪)だ。

残りが建物代とすれば、販売価格の7000万円から差し引いた5145万円ということになる。土地建物の比率で考えると、土地比率が26.5%、建物比率が73.5%。つまり、このタワーマンションの資産価値は、そのほとんどが建物代ということになるわけだ。

不動産価値の源泉は土地にある、と冒頭で書いたが、購入総額のほとんどが建物代にあてられるマンションに、不動産価値はあるのだろうか。

■持家は本当に「将来資産になる」のか

いままでは、当たり前のように「住宅を買わなくては」と多くの人が考えてきた。賃貸住宅に居住していても家賃は毎月捨てるだけ。同じくらいの金額の負担をするのであれば、「持家」に払ったほうが将来資産になる――と多くの人が考えてきたからだ。

とりわけ、近年都心部に続々建設されたタワーマンション(タワマン)は、都心居住の象徴として人気が高い。またタワマンを買った多くの人が、将来自分が手に入れたマンションが「値上がり」することを期待しているという。

本当に「将来資産になる」のだろうか。先ほどの事例で考えてみよう。

このマンションの1戸当たりの面積は平均23坪(約76平方メートル)、分譲価格は7000万円だ。ここで、同じエリアに建つ別のマンションの賃貸物件を調べてみると、築8年で同じ面積の部屋が、月額賃料約20万円で賃貸に出されている。

話を簡単にするために、持家として取得するお金を全額、期間25年の住宅ローンで調達するとしよう。また、安全性を考えて期間中を固定金利として、現行の金利1.69%を適用する。毎月返済額は28万6247円(元利均等返済)になる。年間返済額にして約343万円の負担だ。

いっぽう、賃貸案件だと年間賃料は240万円。更新料として2年ごと月額賃料の1カ月分(20万円)を負担したとしても、年間負担額は250万円ということになる。

持家の場合、これに加えて、管理費と修繕積立金で月額約3万円、年間で36万円の負担が必要になる。さらに固定資産税等で年間20万円ほどかかる。したがって、年間の総負担額は約400万円にもなる。金利変動がない好条件のもとですら、マンションを自分のものにできるまで、総額約8587万円を支払わなくてはならないのだ。

最近では住宅ローン減税という新築優遇税制があるが、それとて住宅ローン残高の1%(最大控除額年40万円)かつ10年間の措置にすぎないので、全体の支払額に貢献する割合はそれほどではない。

これが賃貸住宅の場合、住んでいるマンションは自分の資産にはならないものの、住むためのコストだと割り切れば、25年間で6250万円の賃料を支払うだけでいい。

■手元に残るのは「築25年のマンション」

さて、本当に大事なのはここからだ。

ここまでの比較で明らかになったように、賃貸より25年間で約2337万円も多くのお金をつぎ込んだとしても、「26年目からは自分の資産になる」というのが、“持家有利”論の根拠となっている。たしかに、賃貸住宅は26年目以降も賃貸住宅だ。

しかし、大切なのはこの25年間という時間である。25年後、ついに自分のものとなったマンションはどんな資産になっているのか。そのことに想いをめぐらす人はあまりいない。

ローン完済後に眼前にそびえ立つのは、経年劣化が著しくなった「築25年のマンション」だ。これまで低廉に抑えられてきた修繕積立金も、値上げがくり返されていることだろう。一部のブランド立地のマンションを除いて、資産価値が上昇する可能性がほとんど期待できないなか、(資産価値を維持向上させる)大規模修繕工事のための追加費用が必要になるからだ。


資産価値が上がらない時代、せめて価値の劣化を防ぐための修繕工事費がかさむようになる photo by iStock

1100戸にもおよぶ入居者世帯も、25年もたてば時代の変化の波にさらされる。全員が同じように希望を持って取得した湾岸タワーマンションも、すっかりコモディティ(汎用品)と化していることだろう。

ローン金利も含めて多額のお金をつぎ込んだマンションだが、取得価額並みの価値を保持するのは正直かなり難しい。それどころか、建物代が不動産価値の多く(上の試算では4分の3)を占めるタワーマンションは、25年もたてば、建物の劣化によりその価値が半分以下になっていてもまったく不思議ではない。

純粋に資産価値に重点をおいた「投資」としてとらえた場合、25年後に取得価額を維持できず、場合によっては半額くらいに元本が減じてしまう投資商品は、本来誰も買わないだろう。

自分が「住む」だけの利用価値を考えるならば、ごく一部のエリアを除いて、マンションという資産はあまり魅力的なものとは言いがたいというのが筆者の結論だ。

ましてや、長年のローン支払いから解放されてからも、維持修繕費やマンション内の空き住戸問題、管理費未納・滞納問題など、自分はちゃんとやっていても他人のせいで居住環境の維持が難しくなるような資産である。本来、所有することには慎重になったほうがよいのかもしれない。

■「マンションは賃貸用資産」が常識になる

賃貸住宅としてのマンションは、借りる側にとってはまことに都合のよいものだ。

利便性がよく、住戸の管理がしやすく、安全性の高いマンションは、都会の棲家としては格好の住宅だ。自身の人生の変化、リストラにあう、事故でけがをする、病気になる、地震などの天変地異に遭遇する、などなどのリスクが身にふりかかったとしても、住み替えてしまえば大きな負担を背負い込む心配はない。

25年後、子どもがいたとしても、すでに独立して夫婦二人で暮らしているケースが多いだろう。場合によっては、妻と離婚しているかもしれない。病気になっているかもしれない。人生には想定しなかったようなさまざまなリスクがあるものだ。その時々の状況に応じて、自分の身の丈にあった住居に住み替えていくには、賃貸住宅は利用価値が高い。

もちろん、高齢になると、賃貸住宅に申し込んでも、年齢を理由に入居を断られるケースが増えるのは事実である。しかし、それも「いま」という時代において事実、というだけのことだ。

人口減と高齢化が進む日本では、今後も空き家が増え続け、「貸し先」に困ったマンション所有者の多くが、高齢者(や外国人)の入居を拒むどころか、廉価で賃貸する社会がやってくるだろう。

ローン完済後に、老朽化した建物の維持管理に頭を悩ます必要もなく、家賃は住むための「必要コスト」と割り切れば、考え方も劇的に変わってくるはずだ。

こうやって考えてみると、マンションは賃貸資産として考えるのが一番自然かもしれない。

買って住むのではなく、借りて住む。または所有して人に貸して運用する。一定年限のなかで確実に収益を上げ、建物の償却を享受すれば、賃貸資産としては決して悪い資産ではない。

そのためにはやはり都心部で交通利便性の高いマンションが賃貸用としては優位になる。マンションは立地のよい賃貸用資産、という概念が実はこれからの「常識」となるのかもしれない。


人気の江東区湾岸タワーマンションの資産価値はこれからどう動いていくのか。人工知能を用いて、部屋ごとの価格を高い精度で試算できるサービス

「家いくら?」
https://www.ieikura.com/

がスタートした。ぜひご活用いただきたい。(現代ビジネス編集部)

人口減少と高齢化を背景に、国のあり方が大きく変わろうとしています。定年までの安定雇用で住宅ローンを返済し、静かな老後生活へ、という人生は、とっくに過去のものとなりました。


家を買うのか借りるのか、どこで、どんなふうに暮らすのが幸せなのか。これからは一人ひとりが新しい時代の「住まい方」を考える時代。現代ビジネス編集部はこのたび、特設サイト

『住まい方研究所』
http://gendai.ismedia.jp/list/theme/sumaikata


を開設しました。皆さんが住まい方を考え、選ぶための役に立つ情報を、さまざまな視点からお届けして参ります。
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/348.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c21

[番外地6] 阿部定の足跡 中川隆
1. 中川隆[-6573] koaQ7Jey 2017年8月25日 18:20:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本のアンダーグラウンドにも流れ者の女たちが潜んでいる

アンダーグラウンドに堕ちて、身体を売りながら底辺を転々とする根なし草の女性は今でも日本にいる。最近そんな女性を横浜で知ることになった。

(出稼ぎ風俗嬢(1)東京から神戸まで転々と身体を売り歩く)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20170802T0024290900.html

流れ者の女性。人生の旅人。

すべての女性に当てはまるかどうかは別にして、一般的な話をすれば、女性は自分の慣れた場所に定住する生き方を好み、そこで自分の居場所を作り上げて生きる。

しかし、中には自分の住所すらも持たず、どこかの性風俗店の用意した寮に転がり込み、仕事に飽きたら寮を出てまた見知らぬ土地に向かっていく女性がいる。

日本には地方にも多くの温泉街や歓楽街があって、その裏側には置屋やソープランドのような性風俗の店が静かに隠されている。

そうした場所を転々としていけば、10年でも20年でも日本のアンダーグラウンドをさまよい歩いて生きることができる。

そうした日本女性が本当にいることを知って、私は深い感銘を受けた。また、根なし草の人生を送っている女性の孤独にも関心が向いた。


気が付けば深い孤独に追いやられていくのが流れ者

私自身も20代から東南アジアをウロウロして一ヶ所に居つかない人間だった。

そのため、どこにも定住せずにふわふわと流れるように生きている女性には、何となく自分の人生とかぶるものがあり、それだけで共感を感じた。

流れ者は孤独だ。社会の底辺をさまよい歩く人間であれば、表社会の人たちに相手にされない分、なおさらひとりぼっちになりやすい。その底知れぬ孤独は、実際に流れ者になった経験がないと分からない。

知らない場所を転々とするというのは、まわりはいつも知らない人たちとなる。自分がいる場所も右左もよく分からず、どこに何があるのかも知らない。その土地の文化も詳しくないし、話している言葉も違う。

新顔は警戒されるし、言葉が違ったりその土地の文化を知らなかったりすると受け入れられなかったりする。受け入れられるどこか排除されることさえもある。必然的に部外者(アウトサイダー)となるのである。

流れ者は疎外感の中に生きる。

こうした疎外感は、ときに解放感ともなる。なぜなら、部外者はどのみち出ていくので、その地域や人間関係に責任も持たないで済む。

仕事で新しく誰かと知り合って人間関係ができたとしても、それが重くなる前に関係を断ち切って去ることができる。

だから、流れ者の中で人間のしがらみが好きでない人は、疎外感の中の解放感に浸って喜びを感じることもある。それは、流れ者ゆえの解放感である。

しかし、こうした生き方に馴染んでしまうと、自分を心から心配してくれる親友もできず、気心知る友人もできず、生活も落ち着かない。

人生は時に逆風にさらされる。病気になったり、収入が消えたり、貯金がなくなったり、仕事が見つからなかったりする。流れ者の解放感に浸っているうちに歳を取って、気が付けば自分には何もないことに愕然とする。

かくして、深い孤独に追いやられていく。それが流れ者の人生である。転々と日本の地方の性風俗を渡り歩く女性の姿に私は自分と似たような匂いを感じて一緒にいる時間が心地良く感じた。


社会の底辺には根なし草の女性がたくさんいる

私たちはまったく意識しないが、日本の社会の底辺にはこうした根なし草の女性がたくさんいる。

たとえば、尼崎のかんなみ新地にいるのは沖縄の女性が多いと言われている。

(尼崎の「かんなみ新地」に沖縄出身者が多いのはなぜか?)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20161211T0257080900.html


大阪の「飛田新地」も日本全国から流れて来た女性が仕事をしている。1日に5回転も10回転もして男たちにセックスを提供する彼女たちの中には東京から流れてきた女性も多い。

関西には雄琴や神戸にソープランドがあるのだが、こうしたソープランドにも短期間の「出稼ぎ」の女性で占められており、彼女たちの出身は様々である。

「出稼ぎ」という言葉は表社会ではもうほとんど使われない単語だが、日本のアンダーグラウンドの女性たち、特にデリヘルやソープランドに所属している女性たちは今でもごく普通に「出稼ぎ」という言葉を使う。

性風俗の女性たちは年功序列も終身雇用もない。歳がいけばいくほど収入が落ちていく。

若い頃は高級店で働いていた女性でも、20代の後半あたりから客が取れなくなって、次第に人妻店や格安店にランクを落としていくことになる。

しかしランクを落とせばすぐに稼げるのかと言えば、そんな甘いものではなく、待機の方が長くなったりする。ときに10時間以上も待機してひとりの客が取れない日も出てきたりする。

このとき、女性の中には「自分が稼げなくなった」というのを認めず「この店は稼げない」と考えて、あちこちの店を転々とするようになる。

それでも駄目だと「この場所は駄目だ」と考えて、地方に向かっていく。出稼ぎするのである。

地方に流れる女性はどちらかと言えば年齢のいった女性が多いと言われているが、もちろん若いときから地方で出稼ぎする女性もめずらしくない。

あちこちの店でトラブルを起こしながら店を移り変わる女性のことを「転々虫」と呼ぶ。

(転々虫(1)。なぜ彼女は店を3日で辞めてしまうのか?)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20170103T0159170900.html

こうした女性が、ほとぼりを冷ますために地方に出稼ぎすることも珍しくない。ただ単に性格が根なし草だから流浪する女性だけでなく、流れ者にはいろんなタイプがある。


売春地帯「飛田新地」にいた阿部定と福田和子

稀代の淫婦と呼ばれている阿部定(あべ・さだ)も流れ者の女だった。

彼女は東京生まれだったのだが、15歳のときに強姦されたことによって自暴自棄な生活に陥るようになり、激怒した父親に「そんな男が好きなら遊郭にでも行ってろ」と言われて遊郭に売られ、それから流れ者になった。

最初に売られたのが横浜住吉町の遊郭だった。しかし、ここで金で揉めて飛び出し、以後、彼女は日本の売春地帯を転々とすることになる。

大阪に流れてからは有名な飛田遊郭に居ついている。飛田遊郭は今も「飛田新地」として現役の売春地帯である。飛田はいつの時代でも、流れ者の女たちでビジネスが成り立っている。

ここでもトラブルを起こした阿部定は、今度は兵庫の京口新地に向かって、そこを脱走して、名古屋・大阪と流浪して最後に東京に戻って「阿部定事件」を起こしている。

(阿部定(さだ)事件。彼女は、どこから来た女だったのか?)
https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20120420T0043110900.html

日本のアンダーグラウンドを転々として、やはり「飛田新地」にも所属していたという女性がもうひとり知られている。「松山ホステス殺害事件」の福田和子だ。

彼女は1982年に同僚の女性を殺してから日本各地を転々としていた。整形手術までして15年近くも逃げおおせ、時効が成立する21日前に福井県でやっと逮捕された。

福田和子は愛媛県松山市出身だったが、母親が売春ビジネスにどっぷりと浸っていた関係で、彼女もまた17歳頃からどんどんアンダーグラウンドに転がり堕ちていき、18歳で強盗で逮捕されたという経歴を持っていた。

流れ者として日本のあちこちを転々とし、飛田新地の他にも信太山(しのだやま)のちょんの間にも所属していた。

人を殺して逃げ回る女性もまた必然的に流れ者になり、性風俗のアンダーグラウンドで生きながら、誰とも深いかかわりを持たずに姿を現したり、消したりして人生を生きている。

そんな女性に深い関心を持たずにおられない。

流れ者の女性たちが通り過ぎる大阪「飛田新地」。今でもここで多くの女性が身体を売っている。どこにも定住せずにふわふわと流れるように生きている女性には、何となく自分の人生とかぶるものがあり、それだけで共感を感じる。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170815T0515550900.html

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/676.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 小池が吠える! 関東大震災の折、朝鮮人が大勢死んだ。しかし、それは、災害のためであった(何を言ってサンタルチア)  赤かぶ
4. 中川隆[-6606] koaQ7Jey 2017年8月26日 01:43:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
【関東大震災発生】

 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。

地震の規模はマグニチュード7.9、震度6であった。

焼失家屋24万戸、崩壊家屋2万4千棟、死者5万9千人、行方不明者を入れると犠牲者は10万人以上という被害が発生した。

これにより関東一円の商工業地区が壊滅的大打撃を受けた。被害総額は当時の金で約100億円(当時の一般会計の6.5年分、現在で数兆円)と推定される。


 関東大震災の翌9.2日急遽、軍による戒厳令司令部を設置した。

この日、後藤新平が内務大臣に就任している。

 警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事が特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


「内務大臣・後藤新平と正力の繋がり」について


 正力は、この後藤新平と深く繋がっており、「直接ルート」の間柄。正力の富山四高時代の友人にして官房主事であった品川主計は、回想録「叛骨の人生」の中で「正力君は、後藤新平内務大臣に非常に信用があった」と記している。

同書に拠れば、越権的な「汚れ役」(ダーティーワーク)仕事を躊躇無く引き受けることで信頼を得ていったとのことである。

「仕事の鬼としての出世主義的性格」が強かった、ということになる。

正力は、後藤内相の下で警視庁警務部長となる。

同時に、財界のご意見番的存在であった郷とも親しくなって行った。


【流言飛語飛び交い、朝鮮人、社会主義者、アナーキストの検束始まる】


 直後、

「朝鮮人、中国人、社会主義者、博徒、無頼の徒が放火掠奪の限りを尽くしている」

との噂が飛び交い始めた。

発生源は在郷軍人会、民間自警団辺りからとされているが、今日なお真相不明である。


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、「朝鮮人による放火、井戸への投毒」という風評を逆手に取って朝鮮人と社会主義者、アナーキストの検束を始めた。

9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。


 東京朝日の石井光次郎営業局長の次のような証言がある


 「建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。

夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。

帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。

そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。

石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。


 『正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい』。

間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。

その部下が言うには、正力から、

『朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。

君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ』

との伝言を託されてきたというのである。


 そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。

下村の『その話はどこから出たんだ』という質問に、石井が『警視庁の正力さんです』と答えると、下村は言下に『それはおかしい』と言った。

『地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。

予期していれば、こんなことになりはしない。

朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。

流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん』。


 石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。

正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。

いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた」


 内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、

「こうなったらやりましょう」と息まいている。


この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。


 正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、

[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]

と結論づけている。

更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、


「この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり」

と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。


【関東大震災時事件その@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺】


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、

「朝鮮人による放火、井戸への投毒、襲撃」、

「震災の混乱にまぎれて、朝鮮人と社会主義者が政府転覆を図っている」

という風評を逆手に取って警察と軍による朝鮮人、中国人、社会主義者、社会主義的労働者の検束を始めた。

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/311.html#c4

[政治・選挙・NHK231] 小池が吠える! 関東大震災の折、朝鮮人が大勢死んだ。しかし、それは、災害のためであった(何を言ってサンタルチア)  赤かぶ
5. 中川隆[-6605] koaQ7Jey 2017年8月26日 01:49:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。

自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm


1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/311.html#c5

[近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
22. 中川隆[-6604] koaQ7Jey 2017年8月26日 02:37:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

戦後ゼロ年 東京ブラックホール 〜「天皇家の隠匿財宝」
 

「戦後ゼロ年 東京ブラックホール|NHKスペシャル」
http://www.nhk.or.jp/special/blackhole/

を見て、あのNHKが「金貸しの元締めの天皇家」を一部でしかないが放映した事に驚きが有りました。

>隠匿物資見つかる
http://www.nhk.or.jp/special/blackhole/movie-09.html

フランスで発掘された衝撃の映像。時代考証を行い、映像をカラー化している。東京湾で発見された金塊。日本軍の隠匿物資だった。隠匿物資は20億ドル(現在の数兆円)にものぼると言われる

るいネットでも

寺社は「金貸し」であり、その頂点が天皇家
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=322938

の記事があります。

Cosmic dance 宇宙の円舞
http://cosmic-dance.blogspot.jp/


より転載します。
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2017年8月20日

戦後ゼロ年 東京ブラックホール|NHKスペシャル
どの程度まで、公開されるのか興味深いですね。

アジア全土から日本軍がしらみつぶしにかっさらった金の調度品・仏像・装飾品・工芸品が戦後どう使われて行ったか。

それについては高橋五郎がかなり詳しく調べて「天皇の金塊」に記してます。
天皇とその取り巻き連中にとって、あの戦争は勝ち負けの戦ではなく、アジア全土にあった金の略奪が一番の目的でした。

その金と引き換えに、あのイベントでは負ける役を演じてきたのです。

現場で指揮を執ったのは天皇家一族。

どの寺にどのくらいの金が眠っているか。情報は逐一連合国側から事前に頂いてました。そのため効率よく金の輸送が出来るシステムが出来ていたのです。貴金属を金の延べ棒にして本国まで輸送するしくみです。

溶金するための施設はフィリピンで行なわれ、それを経営する会社の社長はマッカーサーの父親だったそうです。

フィリピン沖には、ドイツのUボートが停泊しており、金がそこで山分けされました。行き先はバチカンです。

要するにあの金はその後、ドイツ・イギリス・アメリカに渡り皆で山分けしていたのです。

これが第二次大戦というイベントを仕掛けたもっとも大きな目的でした。

天皇家側も独り占めしたいので、分け前の申告を低く見積もり、連合国側には分からないように隠してきました。

戦後それをほじくりに行ったのがA級戦犯たちです。

たぶんTVでは最初に書いた2行程度の内容が綿密に凡長に流れる程度でしょう。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=329075


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c22

[昼休み53] 日本は現在でも米国の軍事占領下にある _ 日本の政治を決定している日米合同委員会とは 中川隆
5. 中川隆[-6603] koaQ7Jey 2017年8月26日 10:03:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

現在も日本は米軍支配の下にある。
 

これは、実質上アメリカ支配の下にあるという比喩的な意味ではない。

今なお日本は米軍の直接支配の下にあるという衝撃的内容である。そのことを明らかにした

矢部宏治氏の著書『「知ってはいけない」〜隠された日本支配の構造〜』
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062884399/asyuracom-22


から要約引用したい。


@日本の空は米軍に支配されている。

横田空域(東京都西部から伊豆半島に及ぶ)、岩国空域(山口、島根、広島、愛媛の4県にまたがり、日本海から四国北部に及ぶ、嘉手納空域(沖縄全域に及ぶ)。これらの上空は米軍が定めた空域(高さ以外)、日本の旅客機は飛行することは許されない。またこの空域では米軍はいかなる軍事演習を行うことが出来、日本政府の許可を得る必要もない。2020年には横田空域に墜落事故の多い悪名高きオスプレイの配備が決定されており、沖縄と同様、低空飛行による演習も可能になる。

特定空域だけではない米軍はこのような優先空域を日本全土の上空にいつでも設定できる権利を持っている。事実、航空法(飛行機の安全な運行のための43条に及ぶ規制)は、航空法特例法によって全て米軍機には適用されない。

A米軍は日本全域において治外法権

大使館の敷地や、米軍基地の敷地内は勿論のこと、日本の全域において米軍には日本の警察の捜査は及ばない。

「日本国の当局は、所在地のいかんを問わず、米軍の財産について、捜索、差し押さえまたは検証を行う権利を行使しない」
(「日米合同委員会=日米安保や在日米軍の運用について決定する委員会」議事録より)
といった合意に基づく。

従って墜落事故はもとより交通事故に至るまで一切日本警察は捜査出来ない。

B米軍は日本全土(及びその周辺)に軍を配備できる

「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」(日米安全保障条約6条)

「日本は安保条約の遂行に必要な基地を提供する。具体的内容は日米合同委員会で定める」(地位協定2条)「アメリカは米軍基地の中で絶対的な権限を持つ。米軍基地の外でも必要な権力を持つ。具体的には日米合同委員会で協議する」(地位協定3条)

「合同委員会の議事録や合意文書は原則として公開しない「合同委員会にて決定した日米合意は、日本の国会の承認を必要としない」(日米合同委員会での合意

C自衛隊は米軍の指揮下にある。

「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであることに合意した。」(占領終了後の1952年7月、吉田茂首相とクラーク大将が合意した密約の統合参謀本部への機密報告書)
現在に至るもこの合意を覆す日米間の合意事項はない。

これらの事項は、いまだに米軍の占領下にあるということを超えて、占領下における戦争協力体制といえる。
これほど米軍に従属的な協定は日本と韓国の安全保障条約及び地位協定だけである。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=329076

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/532.html#c5

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
92. 中川隆[-6602] koaQ7Jey 2017年8月26日 10:20:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017.08.26
94年前の9月1日に起こった関東大震災は虐殺事件を引き起こし、日本をJPモルガンの属国にした


8月も終わり、9月を迎えようとしている。

1923年9月1日、日本にとって大きな節目になる出来事が起こった。相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲い、10万5000名以上の死者/行方不明者を出し、その損害総額は55億から100億円に達したのだ。

震災対策の責任者は朝鮮の独立運動を弾圧したコンビ、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監だった。震災当日の夕方、赤池総監は東京衛戍(えいじゅ)司令官の森山守成近衛師団長に軍隊の出動を要請、罷災地一帯に戒厳令を布くべきだと水野内相に進言しているが、その頃、「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」、「朝鮮人が来襲して放火した」といった流言蜚語が飛び交いはじめ、翌日の夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電した。

そうした中、朝鮮人や社会主義者が虐殺され、千駄ヶ谷では伊藤圀夫という日本人が朝鮮人に間違われて殺されそうになる。伊藤圀夫はその後「千駄ヶ谷のコリアン」をもじり、千田是也と名乗るようになった。アナーキストの大杉栄が妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉の甘粕正彦に殺されたのもこの時だ。この虐殺には治安当局が関係している疑いがあり、その意味でもこの時の犠牲者を追悼するという姿勢を東京都知事は見せてきた。それを止めるという意味は対外的にも重い。

震災後、山本権兵衛内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だった。

震災手形で日銀の損失が1億円を超えた場合は政府が補償することも決められたが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だ。

復興に必要な資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモントだ。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。

この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。

金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。

1932年にはアメリカでも大きな出来事が引き起こされている。巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破ったのだ。

フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた。利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

このフーバーは1932年、駐日大使としてジョセフ・グルーを選び、日本へ送り込んだ。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻。またグルーが結婚していたアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代を日本で過ごしている。その際、華族女学校(女子学習院)へ通っているのだが、そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后である。

グルーの皇室人脈をそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)

そうした人脈を持つグルーだが、個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には岸信介とゴルフをしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

当時、アメリカの大統領就任式は3月に行われていた。その前、2月15日にルーズベルトはフロリダ州マイアミで開かれた集会で狙撃事件に巻き込まれている。ジュゼッペ・ザンガラなる人物が32口径のリボルバーから5発の弾丸を発射、ルーズベルトの隣にいたシカゴのアントン・セルマック市長に弾丸が命中して市長は死亡した。

群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外した可能性があり、本来なら事件の背景を徹底的に調査する必要があるのだが、真相は明らかにされなかった。ザンガラは3月20日に処刑されてしまったのである。

そして1934年、名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人、海兵隊のスメドレー・バトラー退役少将がアメリカ下院の「非米活動特別委員会」でウォール街の大物たちによるクーデター計画を明らかにしている。少将の知り合いでクーデター派を取材したジャーナリストのポール・フレンチは、クーデター派が「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたと議会で証言している。

バトラーに接触してきた人物はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領を健康問題で攻撃し、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」のような50万名規模の組織を編成して大統領をすげ替えることにしていたという。クーデター計画と並行する形で、ニューディール政策に反対する民主党の議員は「アメリカ自由連盟」を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だった。

それに対し、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら自分は50万人以上を動かして対抗するとバトラーは応じた。内戦を覚悟するように警告したわけだ。そうしたこともあり、クーデターは実行されていない。クーデターを計画したとされた人々は誤解だと弁明、非米活動特別委員会はそれ以上の調査は行われず、メディアもこの事件を追及していない。捜査当局も動かなかった。

言うまでもなくジョセフ・グルーは第2次世界大戦後にジャパンロビーの中心的な存在となり、日本で進んでいた民主化の流れを断ち切り、天皇制官僚国家を継続させている。大戦前、思想弾圧の中心になった思想検察や特高警察の人脈は戦後も生き残った。これが「戦後レジーム」の実態であり、「戦前レジーム」とはウォール街の属国になることを意味している。そうした意味で、安倍晋三の言動は矛盾していない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708260000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c92

[政治・選挙・NHK231] 小池氏「一部の犠牲者の特別扱い控える」 関東大震災の朝鮮人追悼文取り止め(朝日新聞) JAXVN
3. 中川隆[-6604] koaQ7Jey 2017年8月26日 14:09:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>2
それは正力松太郎が流したデマだよ:


研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。
自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm


1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/328.html#c3

[政治・選挙・NHK231] 小池氏「一部の犠牲者の特別扱い控える」 関東大震災の朝鮮人追悼文取り止め(朝日新聞) JAXVN
6. 中川隆[-6603] koaQ7Jey 2017年8月26日 14:38:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>5
その新聞記事自体が正力が流したデマだったんだよ
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/328.html#c6
[経世済民123] 風俗嬢に現役難関大生が増加、ある女性が語る「仕事・お金・将来」(ダイヤモンド・オンライン) 赤かぶ
1. 中川隆[-6605] koaQ7Jey 2017年8月26日 18:43:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
ヘルペスとかになったら一生治らないのを知らないんだろうな

中国人客急増で“性病”大流行 日本の風俗業界に猛威
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/565.html
http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/360.html#c1

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
119. 中川隆[-6604] koaQ7Jey 2017年8月26日 19:17:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017-08-26
韓国から謝罪と賠償を要求されない中国の報復外交を見習え


徴用工の賠償問題は、韓国と日本の政府間で1965年の日韓請求権協定で解決済みであったが、韓国は何度も何度もそれを蒸し返して日本と謝罪と賠償を求めようとする。

2017年8月8日にも韓国は三菱重工に賠償を命じる判決を言い渡しているが、解決済みの問題をいくらでも蒸し返す韓国人の性格がよく表れている。

戦場売春婦問題でも、韓国はその都度「これで終わりにする」と言って、日本の歴代首相を何度も謝らせたのだが、朴槿恵も文在寅も再び蒸し返して永遠にゴールポストを動かし続けている。

日本はずっと弱腰外交を続け、安倍政権も岸田文雄前外相がどのみち守られもしない日韓合意みたいなものを結んで10億円を毟り取られて泣き寝入りしている。

ソウルの大使館前の慰安婦像は撤去せず、それどころか日韓合意後にも釜山に慰安婦像を立てて嫌がらせを倍加させている。

「いかなるときでも被害者になりきり、何度も何度も謝罪と賠償を要求する」

これが客観的に見た韓国人の体質である。被害者になりきって謝罪と賠償を要求して生きる民族なのだ。しかし、韓国が謝罪と賠償を要求しない国がある。中国だ。

中国が韓国に被害者ビジネスを仕掛けられない理由

なぜ韓国は中国に謝罪と賠償を要求しないのか。日本にやっているように、執拗にそれをしないのか。

なぜなら、中国は韓国が裏切れば徹底的に報復外交をしてくるからだ。韓国がひれ伏すまで、中国は容赦せず外交で叩きのめすのである。

韓国がTHAAD(サード:高高度防衛ミサイル)の配備を決定した瞬間に中国はどうしたのか。

中国は激しく韓国を恫喝し、貿易を制限し、中国国内の韓国企業の不買運動を行った。それだけではない。観光客の韓国行きを制限し、下らない韓流もシャットダウンし、韓国に徹底的な報復外交を仕掛けている。

中国政府は公式的な制裁をしているわけではない。表面的にはまったく今までと変わらないのだが、裏側では組織的に韓国を叩きのめしているのだ。

それは今も止まっていない。

韓国企業の輸入時の検査を不必要なまでに引き延ばしたり、衛生許可を遅らせたり、営業停止処分を下したり、税務調査をしたり、新聞社が公然と韓国製品へのボイコットを呼びかけたりしている。

中国政府が組織だってやっていることは明白だ。

中国は2017年8月23日は韓国との国交正常化25周年を祝ったが、韓国が共催を呼びかけても中国は拒絶した。

中国に手出しすれば報復外交をされる。被害者になりきってもまったく無駄で、とことん報復されるので韓国人はまったく何も言わないのである。謝罪と賠償の要求どころか、強い中国にはおもねようとさえする。

中国が韓国に被害者ビジネスを「仕掛けられない」のはここに理由がある。

中国は韓国が何かやれば徹底的に報復外交を行うので、韓国は最初から中国相手に被害者ビジネスをしようと思わない。韓国が被害者ビジネスをするのは日本のように報復外交をしない日本人だけなのである。


中国と同様の報復外交をしなければならなかった

このような事実を客観的に見つめれば、報復外交をしない日本の政治がいかに日本を傷つけているのか分かるはずだ。

日本は過去を蒸し返して被害者ビジネスを仕掛けてくる韓国に対しては中国のように毅然とした報復外交をしなければならないのである。

「蒸し返さないでくれ」とヘタレ腰になりながら10億円を支払う岸田文雄前外相の外交スタイルが、いかにマズくて意味がないものであるのかは、もっと野党は追及してもいい。

いかに外務省が役立たずの組織なのか、もっと政治家や日本人は糾弾してもいい。

そして、マスコミが「相手がいいというまでもっと謝れ」と言う村上春樹のような愚かな知識人を総動員している現状も、もっと強く批判されて然るべきだ。

(村上春樹が「相手」についてまったく無知と嘲笑されている)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/04/20150420T1753460900.html


政治家や外務省の弱腰やマスコミの誤誘導が日本を傷つけているということを、もっと日本人は真摯に考えた方がいい。

日本は、約束を守らず次から次へと捏造ファンタジーで謝罪と賠償を突きつける韓国に対して、中国と同様の報復外交をしなければならなかったのである。

・韓国人の入国を制限する。
・韓国でビジネスをさせない。
・韓国に団体旅行に行かせない。
・韓国企業との貿易を制限する。
・韓国製品の不買運動を行う。
・下らない韓流をシャットダウンする。
・韓国製品の検査を徹底する。
・韓国企業の営業を停止処分する。
・韓国企業の税務調査を徹底する。
・韓国人の犯罪者を強制送還する。
・韓国の呼びかける政治イベントを拒絶する。

中国がやっているこれらの報復外交は、日本政府が今すぐやらなければならないことでもある。どのみち守られるはずのない日韓合意を結ぶよりも、ずっと韓国の謝罪と賠償を止めさせることができる効果的な方法でもある。


政治家も国民も甘すぎて「平和ボケ」と嘲笑される

韓国がいかなるときも被害者になりきり、何度も何度も謝罪と賠償を要求するのは、いちいち日本がそれに応えて何度も何度も謝罪して賠償するからである。

岸田文雄前外相は馬鹿なことに10億円を韓国に毟り取られて泣き寝入りすることになった。「日本は脅せばやっぱり金を出す」という前例をまたしても作ってしまった。

そういう意味では、岸田文雄というのは言語道断の政治家でもある。こんな弱腰の人間が政治家をやっている限り、日本は永遠に韓国にたかられ続ける。

これを転換するためには、報復外交を始めるしかない。報復外交をしないと、いつまで経っても、ありとあらゆる問題で韓国は日本を恫喝してくる。

韓国と対峙するには、効果があると分かっている中国方式を日本でも取り入れるしかないのである。

そして重要なのは、政治家に報復外交をさせるためには、日本人がひとりひとり目覚めて、日本の国益を損なう韓国人を徹底的に追い込むという決意が必要だ。

今までの「誠意を持った話し合い」だとか「人類みな兄弟」みたいな能天気な外交ではやっていけない。価値感の違う人間とうまくやっていけると思ってはいけない。

人間は親兄弟でもうまくやっていけるとは限らない。まして、被害者ビジネスをする人間とうまくやれると思ったら大間違いだ。価値感が違えば誠意など一片も通じない。

世の中には付き合ってはいけない人間も存在するという現実をまずは認識すべきだ。

(絶対に付き合ってはいけない性格・気質を持った人間20項目)
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2013/08/20130802T1507000900.html


「おもてなし」だとか何だかでへりくだって誰でも受け入れていないで、「竹島を返せ、慰安婦像を撤去しろ」と日本にいる韓国人に説得しなければならない。

日本人は、政治家も国民も甘すぎる。だから「平和ボケ」とか言われて嘲笑される。

そろそろ日本人も変わるべきだ。


日本はずっと弱腰外交を続け、安倍政権も岸田文雄前外相がどのみち守られもしない日韓合意を結んで10億円を毟り取られて泣き寝入りしている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/08/20170826T1629020900.html
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c119

[政治・選挙・NHK231] 保守分裂の茨城県知事選で自民が背水の陣 原発再稼働反対の現職知事がアベ官邸のやり口や口利きを告発する異例の展開に(リテラ 赤かぶ
1. 中川隆[-6603] koaQ7Jey 2017年8月26日 23:13:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

これからは電気自動車の時代、原発を沢山つくらないと電気を安定的に供給できない時代になるからね


反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

反原発派は知恵遅れ
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/353.html#c1

[政治・選挙・NHK231] 保守分裂の茨城県知事選で自民が背水の陣 原発再稼働反対の現職知事がアベ官邸のやり口や口利きを告発する異例の展開に(リテラ 赤かぶ
2. 中川隆[-6602] koaQ7Jey 2017年8月26日 23:17:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

民主党が政権を取っていなければ福島原発事故は起きなかった

福島原発事故検証 電源車はなぜ役に立たなかった?

写真では放水車が入っているが、3月11日には周辺が土砂や瓦礫で覆われていた
土砂を除去して電源車を接続したが津波で受電設備が故障していた。
引用:http://cdn-st1.rtr-vesti.ru/p/o_500864.jpg


電源車は空輸できなかった

2011年3月11日の東日本大震災に伴う津波によって福島第一原発事故が発生したが、事故原因は冷却ポンプを動かす電源が止まった事でした。

原発は発電所のくせに、稼動停止すると外部から電気を供給して貰わない限り、最終的に冷却不能になる。

通常は外部の火力発電所から電力を供給していたが、津波でケーブルなどが破損して電力が途絶えました。

          

福島原発には各原子炉に1基ずつ自前のディーゼル発電機が有ったが、津波をかぶって全て使用不能になった。

せめて建物の上に設置すれば水没しなかったが、全て屋外の地上に設置してあった。

そのような場合の為に非常用バッテリーが用意してあるが、数時間しかすべての冷却ポンプを稼動できなかった。


バッテリーはすぐに空になるのが分かっていたので、次に電源車で電力を供給してもらおうという事になった。

地震当日には「電源車が電力を供給するから問題ない」とニュースは繰り返し報道していた。

ところがどうした訳か電源車は遅々として現場に届かず、やっと届いたが電源の規格が違う別の電源車を届けてしまったと報道された。


冷却されないまま原子炉は過熱し、水素を放出し、建屋内に水素が充満して圧力に耐え切れなくなり、水素爆発を起こした。

それが有名な3月12日の爆発で、全世界にテレビで生中継されていました。

翌日になってやっと火力発電所とケーブルでつながり、冷却用ポンプは再稼動したが、電源車は最後まで役に立たなかった。


受電設備は埋まっていた

今回はその電源車がどうして現場に届けられず、また届いた電源車が役に立たなかったのかという話です。

実は東京電力と自衛隊では地震発生直後に連絡を取り、電源車を輸送する準備をしていました。

地震直後に東電は自衛隊幹部に直接電話し救援を求め、自衛隊でも大型ヘリCH47Jで空輸を検討したが、重量が重すぎて不可能と分かった。


在日米軍にも当時約10トンの発電機を空輸可能な大型ヘリはなかったが、皮肉にもこれは後に「反原発派」になる人達が大型ヘリは侵略兵器だと言って、わざわざ小型ヘリにさせた経緯があった。

自衛隊は官邸に無断で東電清水社長を名古屋から東京に空輸したが、これを知った北沢防衛相と枝野幹事長は激怒し、なんと羽田に着陸寸前だったのを名古屋に引き返させた。

これで東電の対応は5時間は遅れてしまい、社長が東京に着いたのは0時を回った翌日だった。


管首相は「東電から連絡が来ない」と激怒し始めたが、実は幹事長や防衛長官や自分自身が東電の活動を妨害していた。

交通網は大混乱し、迅速に輸送できるのは自衛隊だけなのだが、自衛隊と東電が直接電話連絡するのを禁止し、必ず官邸を通すよう命令した。

そして自衛隊が東電の指示で活動するのも禁止し、官邸を通すよう命令したが、これが事態を悪化させていった。


多忙の管首相に連絡を取るだけで時間がかかり、承認を得るために何人もの了承が必要で、一つの許可を得るのに数時間を要した。

電源車69台が福島原発に向かい、11日午後7時には最初の電源車が陸路で第一原発に到着した。

ヘリで空輸できたかどうかは、実は原子炉建屋爆発とは関係がなかったのでした。


東電清水社長が東京に来るのを妨害し、自衛隊の東電支援も禁止したのは、この男だった。
「自衛隊の独自行動はクーデターだ」とまくし立てたと言われている。
74309646
引用:http://art17.photozou.jp/pub/927/191927/photo/74309646.jpg


政府が自衛隊出動を禁止した

政府の発表は二転三転し、最初は「接続ケーブルを忘れてきた」と言い、次に規格が合わない別な電源車を持ってきたと言い、東電と自衛隊をバカ呼ばわりした。

だが実際には電源車は正しい物だったしケーブルも有ったのだが、津波の為に「差し込み口」が瓦礫と土砂で埋まっていた。


厚さ数メートル、距離数十メートルに渡って土や瓦礫や残骸などあらゆる物が堆積し、すべて除去しなければケーブルを接続できなかった。

自衛隊は土砂の撤去を始めたが手作業なので遅々として進まず、建屋内に水素が充満して危険な状況になった。

3月12日の午後3時についに、2号機に電源車を接続するのに成功したが、海水に浸かったせいで配電盤そのものが故障し、送電できないのが分かった。


直後の午後3時36分に1号機建屋が水素爆発を起こして電源車が破損したため接続を断念、火力発電所から送電するしかないと分かった。

電源車自体が結局無駄であり、最終的には何の役にも立たなかったのだが、現場が全力を尽くした結果それが分かった。

水素爆発の原因は北沢防衛相と枝野幹事長が、東電清水社長を乗せた自衛隊機を羽田に着陸寸前でUターンさせたため、ベントの判断が遅れたからでした。


北沢、枝野、管の言い分では政府の指示を受けずに自衛隊機が民間人を乗せるのは自衛隊法違反であり、なおかつシビリアンコントロールに反している。

自衛隊は地震を利用してクーデターを起こそうとしており、今後一切東電と電話すらしてはならないというものだった。

法律上はそうだが非常事態であり、こんな時に憲法理念やシビリアンコントロールを盾に自衛隊の出動を禁止したのだった。


責任を逃れた3悪人

地震後数分で出動した自衛隊は、この事件の後は官邸から命令を受けた後でしか動かなくなり、後手後手を踏むようになる。

東電清水社長は地震翌日0時を回った後で東京に到着し、それから会議をして政府に水素放出(ベント)したいと報告した。

ところがこの時既に官邸は、12日朝に管首相がヘリで福島第一原発視察を決定していて、首相が視察するのに水素放出なんかとんでもないと却下した。


管首相は3月12日朝7時過ぎにヘリで第一原発を視察し、その後東電はベントしようとしたが、既に圧力が上がりすぎてバルブが動かず、圧力を下げられなかった。

もはや全てが手遅れで、午後3時36分に1号機建屋が水素爆発し、続いて3基の建屋も連続して爆発した。

最初の爆発に驚いてベント作業が中断し、4基の原子炉建屋すべてが爆発するまで作業ができなかった。


吉田所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。

菅直人首相は「ボクは原発の事は良く分かっている」と言い、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。

しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電が妨害した事にし、「東電が東電が」と騒いでいました。


この後管首相は「東電が・・・」と嘘の発言を繰り返して、自分の責任を逃れ、福島第一原発の吉田所長に罪をなすりつけた。

東電社長を追い返して事故原因を作った枝野幹事長は、爆発で放射能を放出しているのに「ただちに放射能漏れは無い」と有名な発言を残した。

犯人の1人である北沢防衛相も責任を認めず、2016年に旭日大綬章を受章している。
http://www.thutmosev.com/archives/72108913.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/353.html#c2

[番外地7] クルト・ザンデルリング 名演集

クルト・ザンデルリング(Kurt Sanderling, 1912年9月19日 - 2011年9月18日)

ブラームス

Brahms Symphony No 4 Kurt Sanderling - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SgKHI4jEFEo


ベルリン交響楽団
クルト・ザンデルリング(指揮)

録音時期:1990年
録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
録音方式:デジタル(セッション)
プロデューサー:ハインツ・ヴェーグナー
エンジニア:エーベルハルト・リヒター

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/283.html

[原発・フッ素47] 反原発派は知恵遅れ _ 原発再稼動で温室効果ガスが減少 再生可能エネルギーの限界 中川隆
215. 中川隆[-6601] koaQ7Jey 2017年8月27日 00:01:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

世界で「殺人的熱波」50度超も
航空便、農作物に影響 2017/8/25 10:03


洪水に襲われた村=15日、インド・アッサム州(AP=共同)

 世界各地が「殺人的な熱波」(米メディア)による異常気象に見舞われている。中東とアジア、北米で気温が50度を突破し、豪雨や森林火災で死者が続出。航空便の離着陸、農作物にまで被害が広がり「過去10年で最も厳しい夏」(イタリアのマルティーナ農林相)に苦しんでいる。

 海外メディアによると、アジアと中東に熱波が襲来したのは5月下旬。パキスタンでは54度を記録。ユーラシアやアフリカ、オーストラリア大陸を含む東半球の観測史上最高気温に並んだ。6月にはイラン、アラブ首長国連邦(UAE)でそれぞれ50度以上を観測した。(ローマ、ニューデリー、東京共同)

http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/781.html#c215

[経世済民123] セブンの「おにぎり百円セール」は○○のサイン?1店舗日商はサンクスの1.6倍(Business Journal) 赤かぶ
1. 中川隆[-6605] koaQ7Jey 2017年8月27日 08:12:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
コンビニおにぎりと弁当は危険!
原価5円?添加物まみれで健康被害の恐れ
2015.10.12 文=郡司和夫/食品ジャーナリスト Business Journal


 英ロンドンで行われているラクビーワールドカップでの日本代表チームの大活躍が、世界中のラクビーファンを熱狂させています。

 そんな日本代表チーム躍進の原動力を支えているのが、おにぎりだというのです。10月5日のJNNニュースによると、イギリスの食事だけでは選手が持たないと、試合前後に1人2個ずつ、ロンドンの居酒屋店女将がつくったおにぎりを食べているといいます。具はサケで、海苔は消化が悪いため付けていないとのことです。

 このニュースを見て、「やっぱり日本人はおにぎりだよな」と、納得しました。日本代表チームには外国籍の選手も多くいますが、皆、長期間日本でプレーをしている選手たちで、おにぎりも日頃から食べています。

 しかし、おにぎりとはいっても、コンビニエンスストアのおにぎりで今回のような力を発揮することができたのかは疑問でしょう。読者諸氏も、日本代表チームがおにぎりを食べて劇的な活躍をしたのに刺戟されて、「俺もコンビニおにぎりを食べるぞ」なんて決して思わないことです。

「安い、うまい、便利」ということで、コンビニおにぎりを愛好している人は少なくありません。ところが、コンビニおにぎりは、コメ本来の味を引き出した食品ではありません。うまいと感じているのは化学調味料(うまみ味調味料)など食品添加物の味です。おにぎりは、ごはんと具だけのシンプルな食べ物だから添加物の心配は少ないと思っていたら、とんでもないのです。コンビニ食品でよく見かける「保存料・合成着色料不使用」のキャッチコピーに騙されてはいけません。これは添加物不使用ということではありません。保存料、合成着色料に代わる添加物は使用されているのです。

 まず、ほとんどのコンビニおにぎりに使われている添加物がグリシンという炊飯改良剤です。ごはんのつやを出す効果や保存性を高める目的で添加されています。グリシンは人工的に合成されたアミノ酸です。体内でつくられるアミノ酸のグリシンは脳に働きかけ睡眠を深くさせる作用があります。こうしたことから、添加物グリシンは一部の製薬会社から安眠効果を高めるサプリメントとして販売されています。

■人工合成されたグリシンに要注意

 しかし、人間の体内でつくられるアミノ酸のグリシンと、人工的につくられた添加物のグリシンとは別の物質と理解しておかないと、予想もしない健康被害に遭う恐れがあります。もっとも心配されるのが過剰摂取です。「食品添加物公定書」という公的な専門書には、グリシンをモルモットに大量に与えると、筋緊張の消失と一過性の完全麻痺が起こったという報告があります。また、大きな特徴として右回りの円運動を行うとも報告されています。大量に食べると、ということですが、グリシンはコンビニおにぎりだけでなく、ほとんどのコンビニ弁当に使われています。

 合成アミノ酸を大量に摂取する怖さは、「L-トリプトファン事件」が実証しています。これは1988年から89年にかけて、昭和電工が製造した合成アミノ酸のL-トリプトファンを添加した清涼飲料水を飲んだ人が、米国で38人も死亡した食品公害事件です。日本でも同様の清涼飲料水が発売される予定でしたが、米国での被害が表面化したため、急遽発売を中止し、難を逃れたのです。

 今のように、量的にも対象食品も無制限にグリシンを使用している状態では、いつL-トリプトファン事件のような事態が起こるかわかりません。身を守る一番の方法は、グリシンの添加された食品、サプリメントは摂取しないことです。

 おにぎりの具といえば、梅干しやサケが頭に浮かびます。ラクビー日本代表チームでもサケが一番の人気だったのことです。コンビニおにぎりでは、そのサケにも添加物が使われています。サケの身のつや出しに甘味料のソルビット(ソルビトール)、品質保持のためにpH調整剤などが使われています。ちなみに、海上自衛隊(呉補給廠)では、pH調整剤の添加されているパックご飯は使えないことになっています。おそらく、国を守る隊員に対しては、健康に悪影響を与える食品は提供できないということなのでしょう。

 普段コンビニおにぎりを食べている人は、「コンビニおにぎりが体に良いとは思えないけれど、何しろ安いから、背に腹は代えられない」と言うかもしれません。

 確かに、1個100円前後ですから安いと思うでしょう。しかし、コンビニおにぎり1個の原価(コメのみ)は、間違いなく5円以下です。

昨年などコメの取引価格が暴落して、産地によって違いはありますが、多くは60キロ(1俵)7000円台で生産者から卸業者へ売られています。コンビニおにぎりに使用されるコメは1個当たり80グラムほどですから、7000円台のおコメで計算すると、1個3円程度です。少し高いコメを使っても5円以下のはずです。

具とか輸送費、人件費などを入れても1個100円はとんでもなく高い価格です。スーパーで5キロ2500円のおコメを買ってきておにぎりをつくれば、1膳分(140グラム)30円、1500円のおコメなら18円です。

「安くて、安全で、おいいしい」おにぎりは、絶対に手づくりに徹するべきです。

(文=郡司和夫/食品ジャーナリスト)
http://biz-journal.jp/2015/10/post_11916.html


【 豚にコンビニ弁当与え奇形・死産続出』
豚の臓器は限りなく人間に近いと言えます。

滅多に食べないのが、先日食べた処とある人から
指摘されて調べると、保存料とか着色料にも
問題ありますが。

西日本新聞社発行のブックレット「食卓の向こう、側」によれば、
福岡県内の養豚農家で、あるコンビニの弁当やおにぎりを母豚に
毎日3キロずつ与えたところ、奇形や死産が相次いでいた
ことが分った。
具体的なコンビニ名を報道しないことについて同社は、
「公表するとパニックになる」と説明した。

当該記事は、福岡県で最大部数(約63万部)を発行する
西日本新聞社が、昨年3月19日付朝刊に掲載したシリーズ
『食卓の向こう側』を ブックレット に収めたもの。

同記事によると、2002年ごろ、福岡県内の養豚農家であるコンビニの
弁当やおにぎりを母豚に毎日3キロずつ与えたところ、
豚の妊娠期間である114日後のお産で、死産が相次ぎ、
やっと生まれた子豚も、奇形だったり虚弱体質ですぐに死に、
透明なはずの羊水がコーヒー色に
濁っていたという。

与えたコンビニ食は、回収業者が持ち込んだもの。期限切れと
はいえ、腐っているわけではなく、農家の主が「ちょっとつまもうか」
と思うほどの品だった。当初の目的は月20万円のえさ代を
浮かせることだった。

「豚にコンビニ弁当・・・死産続出」に係る意見

これはアジアから来た留学生が死亡していると大阪府内C大学の教授が昨年
公開講座で講じています。

その名は「ローソン」。

また関西にあって国際的に著名な研究所の所長も「ローソン」の食品・弁当は猛毒だと講演しています。
http://asyura2.com/0505/health10/msg/732.html


http://www.asyura2.com/17/hasan123/msg/367.html#c1

[リバイバル3] 枚方市 東香里 ジャズ喫茶 ブルーライツ 富山誠
6. 中川隆[-6604] koaQ7Jey 2017年8月27日 09:07:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

不定期ですが、イベント(Jazz トーク&レコード鑑賞会)やライブも開催。
詳しくはblogをご覧下さい。


BLUE LIGHTS Jazzトーク&レコード鑑賞会
https://ameblo.jp/jazz-spot-blue-lights/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/418.html#c6

[番外地7] 犬はなぜ飼い主を守るのか――科学的な理由を探る

絆?共感? 犬はなぜ飼い主を守るのか――科学的な理由を探る
2017.08.26 Sat posted at 10:09 JST
https://www.cnn.co.jp/fringe/35103342.html

犬が飼い主を守る理由について、科学的見地から探ってみた

(CNN) 米メリーランド州ボルティモアで昨年の夏、火災が発生した家に閉じ込められた乳幼児の救出に入った消防士たちは信じがたい光景を目にした。

生後8カ月の女児は重いやけどを負っていたものの、生きていた。CNN提携局のWBALによると、不思議なことに、飼い犬のポロが女児の上に覆いかぶさった状態で発見されたという。これが女児の命を救うことにつながったようだった。ポロは火災が原因で死亡した。

2012年、コネティカット州では、犬が真夜中に両親を起こした。幼児期の娘の呼吸がとまったことを警告するようだった。その後、両親は赤ちゃんを蘇生させることに成功した。

こうした話題はメディアの見出しを飾るとともに、次のような疑問を投げかける。家庭の犬が人間の飼い主を守ろうとする動機は何なのだろうか。ペットが命を賭した行動へと駆り立てられる場合、その心や頭の中では何が起こっているのだろうか。

スイスのベルン大学獣医公衆衛生研究所で博士課程に所属するアニカ・フーバー氏によれば、犬は我々への共感を可能にする人間に似た感情を持ち、これに基づいて行動している可能性があるという。

実際、犬は人間に共感する能力を持つと示唆する研究もある。実験のひとつでは、共感能力と「あくびの伝染」の間に関連があることが判明。そばの人間があくびをしていると、犬もあくびをし始めた。

同研究ではこの現象について、「犬が基礎的な共感能力を持つことを示している可能性がある」と結論づけた。もっとも、単に疲労やストレスから犬があくびをしていたとも考えられるという。

米デューク大のブライアン・ヘア博士によれば、犬は人間との間に絆を作ることを学び、他の動物とは異なって一定程度まで「我々の心を読める」ようになったという。

犬が我々との間に絆を作る方法は、人間の親子が絆を形成する過程に若干似ている。この絆の存在は、「オキシトシン・ループ」として知られる生理現象を通じて確認されてきた。


赤ちゃんが親の目を見るとき、両者の体内ではホルモンが放出される。ヘア氏によれば、オキシトシンと呼ばれるこのホルモンにより我々は気分が良くなる。そこからオキシトシン・ループが生じ、赤ちゃんのことを守り、気に掛けようという思いが触発されるという。

人間と犬の間でも似たようなことが起きている。犬が飼い主の目を見るとき、飼い主のオキシトシン濃度は増大する。飼い主が犬の目を見ると、今度は犬のオキシトシン濃度が増えるという。

犬の脳が人間の声に反応するか確かめるため、MRI(磁気共鳴断層撮影装置)を使った研究も行われてきた。犬の脳の活動を示す画像を調べたところ、人間のポジティブな声を耳にした場合、脳の特定の部位が活性化していた。

別の研究では、人間の表情に表れるさまざまな感情の違いを犬が区別できることも示された。

フーバー氏が以前飼っていた犬は、同氏にストレスがかかる状況でのみ、飛びかかってきたり吠えたりするなど興奮した反応を示しているようだった。ストレスがかかっていない状況では、こうした行動は見せなかったという。

ただ、一部の飼い犬が命を賭して人間を守ろうとする本当の理由をめぐっては、依然として多くの未解決の疑問が残る。

例えばボルティモアの昨夏の住宅火災の場合、ポロが女児の命を救った理由は不明だ。ヘア氏は、ポロの行動を説明しうる科学的な答えは今のところ存在しないとの見方を示した。

同氏によれば、科学者は恐らく将来的に、共感能力以外の犬の複雑な能力についても研究を深めていくとみられる。「道徳的行動」のような、従来は人間に特有のものと考えられてきた能力が研究対象になる可能性もあるという。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/284.html

[番外地7] 犬はなぜ飼い主を守るのか――科学的な理由を探る 中川隆
1. 中川隆[-6603] koaQ7Jey 2017年8月27日 09:14:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

キタキツネ物語の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/609.html

札幌はいつまでヒグマを放置し続けるのか?
http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/658.html

ヒグマ注意
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/573.html

ムツゴロウの黒い噂 と 伝説の御蔵入りインタビューなど
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/621.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/284.html#c1

[番外地7] 犬はなぜ飼い主を守るのか――科学的な理由を探る 中川隆
2. 中川隆[-6602] koaQ7Jey 2017年8月27日 09:25:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

猫が猛犬に体当たり、飼い主の子ども救う
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/266.html

死んだ仲間を必死で守るリス、近寄るカラスに立ち向かう
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/367.html

馬は人の表情を認識、怒り顔に心臓バクバク 英調査
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/684.html

飼いネコ:アジアでの進化は欧米と別 
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/577.html

犬の起源は欧州、狩猟時代にオオカミが家畜化
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/512.html

悲しいから鳴く?オオカミの遠吠えの意味
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/656.html

オオカミってやっぱすごい! ほんの少数のオオカミの群れが自然に奇跡をもたらすまで(米イエローストーン国立公園)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/632.html

畑正憲 子猫物語
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/622.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/284.html#c2

[番外地7] 「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か 中川隆
23. 中川隆[-6601] koaQ7Jey 2017年8月27日 10:32:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 17/8/21(952号)日本のテレビ局をBPOに告発


デマを平気で流す日本のテレビ

あれだけ騒がれた加計問題であるが、最近ではマスコミもほとんど取上げなくなり人々も関心を失ったようだ(ただ今度は校舎の設計でワインセラーの設置が予定されていることが問題になっているが・・筆者もワインセラーはやめた方が良いと思う)。本誌は、日本のマスコミ、特に影響力が大きいテレビのこの問題の扱い方に問題があると強く批判してきた。またこれについては来週になるが、加計問題を取上げるマスコミの行動の裏に変な動きを感じる。

どうも加計問題のテレビの取上げ方が異常と感じたのは筆者だけではないようである。「日本平和学研究所(小川榮太郎理事長)」が、7月10日の第一回目の参考人招致(国会閉会中審査)の各参考人の発言をテレビがどれだけ放送したか調査し、この結果を公表している(ネットで公開している)。調査対象はNHKと民放キー局の30番組である。

前川前文科省事務次官の発言の放送時間が2時間33分46秒であった。これに対し、前川発言の内容を全面的に否定する加戸守行前愛媛県知事の発言の放送時間はたったの6分1秒と日本平和学研究所は報告している。前川発言の実に25分の1しか放送されなかったのである。また国家戦略特区ワーキンググループでの決定の正統性を訴えていた原英史委員の発言に到っては、何と2分35秒しかテレビでは放送されなかった。つまり前川氏の言い分だけを一方的に、日本のテレビ局は放送したことになる。日本平和学研究所というものが思想的にいくら右側に傾いている団体としても、この調査結果は筆者が感じたものと同じである。


この調査結果を受け、「視聴者の会」の上念司事務局長は、日本のテレビ局が政治的公平性を著しく欠くとしてBPO(放送倫理・番組向上機構)に告発することを検討すると言う。このような動きが出ることは当然であり、もちろん筆者も是非とも告発すべきと思っている。

新聞や雑誌の記事がどれだけ偏向していても構わないし許される。しかし電波を独占的に割当てられているテレビやラジオは事情が異なる。法律で政治的公平性を保つことが求められている。意見が対立する政治的問題については、なるべく両者の言い分を公平に扱う義務がある。

ところが政治的公平性を保つべき日本のテレビは、加計問題に関し上記のように反対意見や異論を全て抹殺するといった方法で偏向した放送をしている。また新聞や雑誌が偏向していると言っても直接的な影響力は限られているが、テレビはこれらの偏向した記事をそのまま大きく拡散することで極めて大きな影響力を社会に与える。


問題は国会閉会中審査の参考人質議のテレビ放送だけではない。テレビの放送内容が異常だったのは加計学園の問題が浮上した当初からである。前川前事務次官は「正義感に燃えた硬骨漢」、これに対する安倍総理や官邸は「行政を歪め獣医学部新設を強行した」という構図を勝手に決め、この前提でテレビは加計問題を扱ってきた。これに反する事実(例えば加戸守行前愛媛県知事の証言など)が出ても、一切報道しないという徹底ぶりである。

加計問題の本質は、規制を撤廃したい勢力と何としても規制を守りたい側との戦いである。このためかデマや非論理的な話が飛び交っている。規制を守りたい側はかなりいい加減なことを言っているが、日本のマスコミはこれらのデマまがいの話を検証しないまま放送している。


例えば日本のペットの数は減り続けていて、将来、獣医師は余るという話が通説になっている(どうも獣医師会側が流したデマのようだ)。しかし減っているのは「飼い犬」であり「飼い猫」は横ばいないしむしろ増えている。また「飼い犬」は数年前まで(08年がピーク)まで増え続けていた。ところが「飼い犬」が増え続けていた時代であっても、頑として獣医学部の新設は認めなかったのである。

またペットの数と獣医師の需要が必ずしも相関するわけではない。昔のように拾ってきた野良犬や野良猫をペットにしていた時代は、ペットを病院に連れて行くといった習慣や発想はほとんどなかった。しかし今日はペットショップで高額なペットを買う時代になり、飼い主はなるべく長生きさせるため動物病院に連れて行くケースは増えているはずである(統計があるはずだが見かけない)。実際のところ犬も猫も平均寿命はかなり延びている。また学生は獣医師が有望な職種と見ているからこそ、獣医学部の受験倍率は他の学部に比べ異常に高い(15〜20倍)。


異常な文科省の告示

まず文科省が卒業生の就職を考慮して大学の学部の新設を認めるかどうかを決めること自体がおかしい。高校生が将来の就職を考え学部を選ぶのは当然である。もし受験生が集らないようなら、大学や学部が潰れることはしょうがない。逆に受験倍率が非常に高い獣医学部の新設を認めないことは極めて異常である。

このように卒業生の進路が有望かどうかを判断するのは受験生であり文科省ではない。そもそも卒業生の就職を考えて学部の新設を決めるといった発想自体が異常である。だいたい文学部(特に哲学科など)や芸術学部などの卒業生の需要なんて誰にも分らない。実際のところ、いつも問題になる獣医学部・歯学部・医学部(特殊な3学部)を除けば、学部の新設はほぼ自由になっている。


ところが獣医学部・歯学部・医学部の3学部は、文科省の告示で新設の申請さえ受付けないことになっている。告示とは法律ではなく役所が勝手に決める内規みたいなものである。加計学園は10年以上申請を続けていたが、この異常な告示によって全て門前払いされて来たのである。学部新設の許認可権を持つ文科省なのに、審査もせず全て撥ね付けて来たのである。

この悪質な文科省の告示がずっと問題になっていた。この告示は、当然、圧力団体(獣医師会、歯科医師会、医師会)の意向を組んだものである。もちろん圧力団体の下で働いているロビイストや議員連盟の政治家の働き掛けも背景にある。つまり今日の特殊な3学部の新設に関わる行政は完全に歪んでいるのである。しかしさすがに圧力団体もこれはちょっと酷過ぎると感じ、今回、医学部と獣医学部ついては1校だけ新設を認めたのである。

そこに飛出したのが前川前事務次官の「行政が歪められた」発言である(説明したように真実は全く逆)。これに対する麻生副総理(獣医師問題議員連盟会長)の最初の発言が印象的であった。「前川は今頃何を言っているのか、もう決まった話(加計学園の獣医学部新設)じゃないか」「前川をそそのかしているのは麻生ではないかと噂されとんだ迷惑である」と言っていた。


加計学園問題を巡って民進党が妙なことになっている。今回の国会閉会中審査において、民進党の代表として獣医学部新設に反対する立場で詰問していたのが玉木衆議院議員(民主党獣医師議員連盟の事務局長)と桜井充参議院議員である。玉木議員は獣医師会から政治献金を受けているバリバリの族議員であるが、桜井議員の方も歯科医療議員連盟の会長でありりっぱな族議員である。文科省の告示を死守する立場で両氏は同じ穴のムジナと言える。それにしてもこのような議員を党の代表として質問させる民進党の神経を疑う。

ところが加計学園の獣医学部新設を昔から推進してきたのは民主党・民進党であった。10月22日に衆議院愛媛三区で補選が行われる。この補選で民進党の立候補者として白石洋一氏(落選中)が名乗りを上げている。白石氏は

17/7/24(第948号)「加計問題と日本のマスコミ」
http://www.adpweb.com/eco/eco948.html

(ここで白石氏と村上誠一郎議員と同じ小選挙区のライバルと記したのは筆者の間違い。白石氏は三区であり村上氏は二区)で述べたように、民主党議員時代、加計学園の獣医学部新設に奔走していた。

三区は今治市がある二区の隣であるが、住民は加計学園の獣医学部は地元の問題と捉えている。推進してきたはずの民進党が一転して獣医学部新設に反対するようになり、地元では「民進党は裏切り者」と思われている。また愛媛県では獣医師連盟の会費の支払を拒否する獣医師が出ているという。ここに獣医学部新設に奔走していた白石氏が民進党から出馬するのだから事態は複雑になった。
http://www.adpweb.com/eco/


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html#c23

[番外地7] 安倍首相もハマった、マスコミが疑惑だけで罪人を作る3つの方法 中川隆
4. 中川隆[-6600] koaQ7Jey 2017年8月27日 10:33:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 17/8/21(952号)日本のテレビ局をBPOに告発

デマを平気で流す日本のテレビ

あれだけ騒がれた加計問題であるが、最近ではマスコミもほとんど取上げなくなり人々も関心を失ったようだ(ただ今度は校舎の設計でワインセラーの設置が予定されていることが問題になっているが・・筆者もワインセラーはやめた方が良いと思う)。本誌は、日本のマスコミ、特に影響力が大きいテレビのこの問題の扱い方に問題があると強く批判してきた。またこれについては来週になるが、加計問題を取上げるマスコミの行動の裏に変な動きを感じる。

どうも加計問題のテレビの取上げ方が異常と感じたのは筆者だけではないようである。「日本平和学研究所(小川榮太郎理事長)」が、7月10日の第一回目の参考人招致(国会閉会中審査)の各参考人の発言をテレビがどれだけ放送したか調査し、この結果を公表している(ネットで公開している)。調査対象はNHKと民放キー局の30番組である。

前川前文科省事務次官の発言の放送時間が2時間33分46秒であった。これに対し、前川発言の内容を全面的に否定する加戸守行前愛媛県知事の発言の放送時間はたったの6分1秒と日本平和学研究所は報告している。前川発言の実に25分の1しか放送されなかったのである。また国家戦略特区ワーキンググループでの決定の正統性を訴えていた原英史委員の発言に到っては、何と2分35秒しかテレビでは放送されなかった。つまり前川氏の言い分だけを一方的に、日本のテレビ局は放送したことになる。日本平和学研究所というものが思想的にいくら右側に傾いている団体としても、この調査結果は筆者が感じたものと同じである。


この調査結果を受け、「視聴者の会」の上念司事務局長は、日本のテレビ局が政治的公平性を著しく欠くとしてBPO(放送倫理・番組向上機構)に告発することを検討すると言う。このような動きが出ることは当然であり、もちろん筆者も是非とも告発すべきと思っている。

新聞や雑誌の記事がどれだけ偏向していても構わないし許される。しかし電波を独占的に割当てられているテレビやラジオは事情が異なる。法律で政治的公平性を保つことが求められている。意見が対立する政治的問題については、なるべく両者の言い分を公平に扱う義務がある。

ところが政治的公平性を保つべき日本のテレビは、加計問題に関し上記のように反対意見や異論を全て抹殺するといった方法で偏向した放送をしている。また新聞や雑誌が偏向していると言っても直接的な影響力は限られているが、テレビはこれらの偏向した記事をそのまま大きく拡散することで極めて大きな影響力を社会に与える。


問題は国会閉会中審査の参考人質議のテレビ放送だけではない。テレビの放送内容が異常だったのは加計学園の問題が浮上した当初からである。前川前事務次官は「正義感に燃えた硬骨漢」、これに対する安倍総理や官邸は「行政を歪め獣医学部新設を強行した」という構図を勝手に決め、この前提でテレビは加計問題を扱ってきた。これに反する事実(例えば加戸守行前愛媛県知事の証言など)が出ても、一切報道しないという徹底ぶりである。

加計問題の本質は、規制を撤廃したい勢力と何としても規制を守りたい側との戦いである。このためかデマや非論理的な話が飛び交っている。規制を守りたい側はかなりいい加減なことを言っているが、日本のマスコミはこれらのデマまがいの話を検証しないまま放送している。


例えば日本のペットの数は減り続けていて、将来、獣医師は余るという話が通説になっている(どうも獣医師会側が流したデマのようだ)。しかし減っているのは「飼い犬」であり「飼い猫」は横ばいないしむしろ増えている。また「飼い犬」は数年前まで(08年がピーク)まで増え続けていた。ところが「飼い犬」が増え続けていた時代であっても、頑として獣医学部の新設は認めなかったのである。

またペットの数と獣医師の需要が必ずしも相関するわけではない。昔のように拾ってきた野良犬や野良猫をペットにしていた時代は、ペットを病院に連れて行くといった習慣や発想はほとんどなかった。しかし今日はペットショップで高額なペットを買う時代になり、飼い主はなるべく長生きさせるため動物病院に連れて行くケースは増えているはずである(統計があるはずだが見かけない)。実際のところ犬も猫も平均寿命はかなり延びている。また学生は獣医師が有望な職種と見ているからこそ、獣医学部の受験倍率は他の学部に比べ異常に高い(15〜20倍)。


異常な文科省の告示

まず文科省が卒業生の就職を考慮して大学の学部の新設を認めるかどうかを決めること自体がおかしい。高校生が将来の就職を考え学部を選ぶのは当然である。もし受験生が集らないようなら、大学や学部が潰れることはしょうがない。逆に受験倍率が非常に高い獣医学部の新設を認めないことは極めて異常である。

このように卒業生の進路が有望かどうかを判断するのは受験生であり文科省ではない。そもそも卒業生の就職を考えて学部の新設を決めるといった発想自体が異常である。だいたい文学部(特に哲学科など)や芸術学部などの卒業生の需要なんて誰にも分らない。実際のところ、いつも問題になる獣医学部・歯学部・医学部(特殊な3学部)を除けば、学部の新設はほぼ自由になっている。


ところが獣医学部・歯学部・医学部の3学部は、文科省の告示で新設の申請さえ受付けないことになっている。告示とは法律ではなく役所が勝手に決める内規みたいなものである。加計学園は10年以上申請を続けていたが、この異常な告示によって全て門前払いされて来たのである。学部新設の許認可権を持つ文科省なのに、審査もせず全て撥ね付けて来たのである。

この悪質な文科省の告示がずっと問題になっていた。この告示は、当然、圧力団体(獣医師会、歯科医師会、医師会)の意向を組んだものである。もちろん圧力団体の下で働いているロビイストや議員連盟の政治家の働き掛けも背景にある。つまり今日の特殊な3学部の新設に関わる行政は完全に歪んでいるのである。しかしさすがに圧力団体もこれはちょっと酷過ぎると感じ、今回、医学部と獣医学部ついては1校だけ新設を認めたのである。

そこに飛出したのが前川前事務次官の「行政が歪められた」発言である(説明したように真実は全く逆)。これに対する麻生副総理(獣医師問題議員連盟会長)の最初の発言が印象的であった。「前川は今頃何を言っているのか、もう決まった話(加計学園の獣医学部新設)じゃないか」「前川をそそのかしているのは麻生ではないかと噂されとんだ迷惑である」と言っていた。


加計学園問題を巡って民進党が妙なことになっている。今回の国会閉会中審査において、民進党の代表として獣医学部新設に反対する立場で詰問していたのが玉木衆議院議員(民主党獣医師議員連盟の事務局長)と桜井充参議院議員である。玉木議員は獣医師会から政治献金を受けているバリバリの族議員であるが、桜井議員の方も歯科医療議員連盟の会長でありりっぱな族議員である。文科省の告示を死守する立場で両氏は同じ穴のムジナと言える。それにしてもこのような議員を党の代表として質問させる民進党の神経を疑う。

ところが加計学園の獣医学部新設を昔から推進してきたのは民主党・民進党であった。10月22日に衆議院愛媛三区で補選が行われる。この補選で民進党の立候補者として白石洋一氏(落選中)が名乗りを上げている。白石氏は

17/7/24(第948号)「加計問題と日本のマスコミ」
http://www.adpweb.com/eco/eco948.html

(ここで白石氏と村上誠一郎議員と同じ小選挙区のライバルと記したのは筆者の間違い。白石氏は三区であり村上氏は二区)で述べたように、民主党議員時代、加計学園の獣医学部新設に奔走していた。

三区は今治市がある二区の隣であるが、住民は加計学園の獣医学部は地元の問題と捉えている。推進してきたはずの民進党が一転して獣医学部新設に反対するようになり、地元では「民進党は裏切り者」と思われている。また愛媛県では獣医師連盟の会費の支払を拒否する獣医師が出ているという。ここに獣医学部新設に奔走していた白石氏が民進党から出馬するのだから事態は複雑になった。
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http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/278.html#c4

[政治・選挙・NHK231] 速報! ついに今治市長が坪80万円と“自白”した!  赤かぶ
25. 中川隆[-6599] koaQ7Jey 2017年8月27日 10:34:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

経済コラムマガジン 17/8/21(952号)日本のテレビ局をBPOに告発

デマを平気で流す日本のテレビ

あれだけ騒がれた加計問題であるが、最近ではマスコミもほとんど取上げなくなり人々も関心を失ったようだ(ただ今度は校舎の設計でワインセラーの設置が予定されていることが問題になっているが・・筆者もワインセラーはやめた方が良いと思う)。本誌は、日本のマスコミ、特に影響力が大きいテレビのこの問題の扱い方に問題があると強く批判してきた。またこれについては来週になるが、加計問題を取上げるマスコミの行動の裏に変な動きを感じる。

どうも加計問題のテレビの取上げ方が異常と感じたのは筆者だけではないようである。「日本平和学研究所(小川榮太郎理事長)」が、7月10日の第一回目の参考人招致(国会閉会中審査)の各参考人の発言をテレビがどれだけ放送したか調査し、この結果を公表している(ネットで公開している)。調査対象はNHKと民放キー局の30番組である。

前川前文科省事務次官の発言の放送時間が2時間33分46秒であった。これに対し、前川発言の内容を全面的に否定する加戸守行前愛媛県知事の発言の放送時間はたったの6分1秒と日本平和学研究所は報告している。前川発言の実に25分の1しか放送されなかったのである。また国家戦略特区ワーキンググループでの決定の正統性を訴えていた原英史委員の発言に到っては、何と2分35秒しかテレビでは放送されなかった。つまり前川氏の言い分だけを一方的に、日本のテレビ局は放送したことになる。日本平和学研究所というものが思想的にいくら右側に傾いている団体としても、この調査結果は筆者が感じたものと同じである。


この調査結果を受け、「視聴者の会」の上念司事務局長は、日本のテレビ局が政治的公平性を著しく欠くとしてBPO(放送倫理・番組向上機構)に告発することを検討すると言う。このような動きが出ることは当然であり、もちろん筆者も是非とも告発すべきと思っている。

新聞や雑誌の記事がどれだけ偏向していても構わないし許される。しかし電波を独占的に割当てられているテレビやラジオは事情が異なる。法律で政治的公平性を保つことが求められている。意見が対立する政治的問題については、なるべく両者の言い分を公平に扱う義務がある。

ところが政治的公平性を保つべき日本のテレビは、加計問題に関し上記のように反対意見や異論を全て抹殺するといった方法で偏向した放送をしている。また新聞や雑誌が偏向していると言っても直接的な影響力は限られているが、テレビはこれらの偏向した記事をそのまま大きく拡散することで極めて大きな影響力を社会に与える。


問題は国会閉会中審査の参考人質議のテレビ放送だけではない。テレビの放送内容が異常だったのは加計学園の問題が浮上した当初からである。前川前事務次官は「正義感に燃えた硬骨漢」、これに対する安倍総理や官邸は「行政を歪め獣医学部新設を強行した」という構図を勝手に決め、この前提でテレビは加計問題を扱ってきた。これに反する事実(例えば加戸守行前愛媛県知事の証言など)が出ても、一切報道しないという徹底ぶりである。

加計問題の本質は、規制を撤廃したい勢力と何としても規制を守りたい側との戦いである。このためかデマや非論理的な話が飛び交っている。規制を守りたい側はかなりいい加減なことを言っているが、日本のマスコミはこれらのデマまがいの話を検証しないまま放送している。


例えば日本のペットの数は減り続けていて、将来、獣医師は余るという話が通説になっている(どうも獣医師会側が流したデマのようだ)。しかし減っているのは「飼い犬」であり「飼い猫」は横ばいないしむしろ増えている。また「飼い犬」は数年前まで(08年がピーク)まで増え続けていた。ところが「飼い犬」が増え続けていた時代であっても、頑として獣医学部の新設は認めなかったのである。

またペットの数と獣医師の需要が必ずしも相関するわけではない。昔のように拾ってきた野良犬や野良猫をペットにしていた時代は、ペットを病院に連れて行くといった習慣や発想はほとんどなかった。しかし今日はペットショップで高額なペットを買う時代になり、飼い主はなるべく長生きさせるため動物病院に連れて行くケースは増えているはずである(統計があるはずだが見かけない)。実際のところ犬も猫も平均寿命はかなり延びている。また学生は獣医師が有望な職種と見ているからこそ、獣医学部の受験倍率は他の学部に比べ異常に高い(15〜20倍)。


異常な文科省の告示

まず文科省が卒業生の就職を考慮して大学の学部の新設を認めるかどうかを決めること自体がおかしい。高校生が将来の就職を考え学部を選ぶのは当然である。もし受験生が集らないようなら、大学や学部が潰れることはしょうがない。逆に受験倍率が非常に高い獣医学部の新設を認めないことは極めて異常である。

このように卒業生の進路が有望かどうかを判断するのは受験生であり文科省ではない。そもそも卒業生の就職を考えて学部の新設を決めるといった発想自体が異常である。だいたい文学部(特に哲学科など)や芸術学部などの卒業生の需要なんて誰にも分らない。実際のところ、いつも問題になる獣医学部・歯学部・医学部(特殊な3学部)を除けば、学部の新設はほぼ自由になっている。


ところが獣医学部・歯学部・医学部の3学部は、文科省の告示で新設の申請さえ受付けないことになっている。告示とは法律ではなく役所が勝手に決める内規みたいなものである。加計学園は10年以上申請を続けていたが、この異常な告示によって全て門前払いされて来たのである。学部新設の許認可権を持つ文科省なのに、審査もせず全て撥ね付けて来たのである。

この悪質な文科省の告示がずっと問題になっていた。この告示は、当然、圧力団体(獣医師会、歯科医師会、医師会)の意向を組んだものである。もちろん圧力団体の下で働いているロビイストや議員連盟の政治家の働き掛けも背景にある。つまり今日の特殊な3学部の新設に関わる行政は完全に歪んでいるのである。しかしさすがに圧力団体もこれはちょっと酷過ぎると感じ、今回、医学部と獣医学部ついては1校だけ新設を認めたのである。

そこに飛出したのが前川前事務次官の「行政が歪められた」発言である(説明したように真実は全く逆)。これに対する麻生副総理(獣医師問題議員連盟会長)の最初の発言が印象的であった。「前川は今頃何を言っているのか、もう決まった話(加計学園の獣医学部新設)じゃないか」「前川をそそのかしているのは麻生ではないかと噂されとんだ迷惑である」と言っていた。


加計学園問題を巡って民進党が妙なことになっている。今回の国会閉会中審査において、民進党の代表として獣医学部新設に反対する立場で詰問していたのが玉木衆議院議員(民主党獣医師議員連盟の事務局長)と桜井充参議院議員である。玉木議員は獣医師会から政治献金を受けているバリバリの族議員であるが、桜井議員の方も歯科医療議員連盟の会長でありりっぱな族議員である。文科省の告示を死守する立場で両氏は同じ穴のムジナと言える。それにしてもこのような議員を党の代表として質問させる民進党の神経を疑う。

ところが加計学園の獣医学部新設を昔から推進してきたのは民主党・民進党であった。10月22日に衆議院愛媛三区で補選が行われる。この補選で民進党の立候補者として白石洋一氏(落選中)が名乗りを上げている。白石氏は

17/7/24(第948号)「加計問題と日本のマスコミ」
http://www.adpweb.com/eco/eco948.html

(ここで白石氏と村上誠一郎議員と同じ小選挙区のライバルと記したのは筆者の間違い。白石氏は三区であり村上氏は二区)で述べたように、民主党議員時代、加計学園の獣医学部新設に奔走していた。

三区は今治市がある二区の隣であるが、住民は加計学園の獣医学部は地元の問題と捉えている。推進してきたはずの民進党が一転して獣医学部新設に反対するようになり、地元では「民進党は裏切り者」と思われている。また愛媛県では獣医師連盟の会費の支払を拒否する獣医師が出ているという。ここに獣医学部新設に奔走していた白石氏が民進党から出馬するのだから事態は複雑になった。
http://www.adpweb.com/eco/

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/306.html#c25

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
122. 中川隆[-6598] koaQ7Jey 2017年8月27日 12:07:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

内田樹の研究室 2017.08.26 英語の未来


『中央公論』8月号が「英語一強時代 日本語は生き残るか」という特集を組んでいた。読みでのある特集だった。『日本語が亡びるとき』で問題提起をした水村美苗さんのインタビューが最初にあって、重要な指摘をしていた。

一つはイギリスのムスリムの女性学者ふたりが日本を訪れたときに水村さんに言った言葉。

「その時、彼女らが、

『日本では英語がまったく通じない。なんて気持ちのいい国なんでしょう』

と言うのです。日本においてはみなが日本語で通じ合い、英語で通じ合えることがリートのサインではない。英語ができる人が威張っており、収入もよく、社会の権力側に立つという構造になっていないと言うのです。

パキスタンでも、インドでも、それからブラッドフォードでも、英語が流暢か流暢でないかによって、階層が作り出されている。現に彼女たちの親は、その英語のアクセントで、たんに言葉が流暢ではないというという以上の意味をもって、差別されている。

 私は日本にはそういう構造の社会にだけはなってほしくないし、そうなるのを免れた歴史を大事にしてほしいと思うのです。世界を見回せば、インテリが読む言語は英語で、それ以外の人が読むのが現地語だという国がいかに多いことでしょう。」
(水村美苗「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」、『中央公論』2017年8月号、中央公論新社、28頁)

「私は最近いよいよごく少数を除けば、日本人は日本語が堪能であればよいのではないかと考えるようになっています。非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しいのです。エリートも庶民も、全員当然のように日本語で読み書きしているという、この状況を守ること自体が、日本という国の使命ではないかとすら思います。」(同書、29頁)

前半の引用には私は全面的に賛成である。言語(それも会話時の発音)による階層差別をverbal distinction と言う。肌の色でなされる差別と構造的には同じである。口を開けば一瞬でその人が「自分たちの仲間であるかないか」が判定できる。
バーナード・ショーは(今日はショーさんの出番が多い)『ピグマリオン』(『マイ・フェア・レディ』のオリジナル戯曲)の冒頭で、口を開けば出身地や所属階層や学歴や職業までがわかってしまうイギリスの言語状況を嘆き、全員が所属階層にかかわりなく「美しい英語」を語る理想的な言語環境を望見するヘンリー・ヒギンズに演説を語らせる。

もちろん、そんなことは不可能なのであって、ヒギンズはすさまじいコックニー訛りで話すイライザが「王族のような英語」を語り出すと、彼女の言葉が指示する所属階層に(それが虚構と知りつつ)魅力を感じてしまうのである。

言葉による差別というのは、一度始まると止めることができない。

植民地というのは宗主国の言語をうまく話すことができる人間と、そうではない人間の間に乗り越え不能の階層差が生じる場所のことである。

水村さんが「植民地化」と言っているのは、そのことである。

第二の引用については、私は同意したいのだが、根拠がまだ不確かなのである。
ほんとうに外国語ができる人間は「ごく少数」でいいのか、わからないのである。
一つには私自身が「外国語を学ぶ」ことが大好きだからである。

私は中学生になって初めて英語と漢文を学んだけれど、この二つの「外国語」に同じくらい強く惹きつけられた。二つの科目の授業を心待ちにしていた。
それは外国語の有用性によってではない。

漢文の知識をいくら仕込んでも受験以外にそれを発揮する機会など現実にはほとんどない。

英語で会話したことも二十代後半まで一度もなかった(私が生まれてはじめて英語で会話をした相手は自由が丘道場に来たイギリスの青年で、彼に合気道の技を説明をしたのである)。

それでも外国語を学ぶことはつねに私を高揚させた。母語とは違う文法、違う語彙、違う音韻を通じて、母語的現実とは違う世界に触れることができるということが私を興奮させたのである。

そういうことが「好きだ」という子どもは一定の比率でいるはずである。それは決して「ごく少数」ではないという気がする。そして、どの子どもが外国語の習得を好むかを、外国語学習に先立って選別することはたぶんできないと思う。

ただ、ここに私がこれまでほとんど考えたことのない変化が生じてきた。それは自動翻訳の長足の進歩である。これについては特集の最後に置かれた専門家二人の対談が興味深かったので、それを紹介したい。

自動翻訳はいま三世代目に当たる。

第一世代は「ルールベース翻訳(RBMT:Rule-Based Machine Translation)」文法をプログラム化してコンピュータで動かす。難点は精度を上げようとすると規則の数がどんどん増えて管理が難しくなること。

第二世代が「統計翻訳(SMT: Statistical Machine Tranlation)。大量の対訳データを覚えさせて、ある文が何を意味するかを統計的に処理する(例えば「何で来たの?」という文が「交通手段」についての問いなのか、「理由」についての問いなのか、あるいは「帰れよ」という促しなのかを統計的に判断する)。

第三世代が「ニューラル翻訳(MMT: Neural Machine Translation)」。対訳データを大量に仕込むのだけれど、学習方法に「深層学習」というアルゴリズムを用いる。

今の機械翻訳はすでにTOEIC600点くらいのところまで来ていて、2020年には700点か800点に達する見込みだそうである。

これがスマートフォンに装着されると、日本語をしゃべると英語音声に翻訳されるということができる。『ドラえもん』の「ほんやくコンニャク」みたいなものである。

ニュアンスの難しい翻訳や文学の翻訳は人間の手に頼るしかないが、「平均的なこと、陳腐なことなら機械は得意です」(隅田栄一郎、内田麻理香、「英語を勉強しなくてもいい時代がやってくる?」、同書、64頁)。学術論文のようにフォーマットが決まっていて、かつ一意的であることが必須の文章の場合は自動翻訳で問題ないそうである。

自動翻訳の専門家である隅田はこう言う。

「翻訳者、通訳者、外交官などは英語を勉強しなきゃいけないと思います。そういう人たちって何%くらいでしょう。1%くらい? (…)だとすると、99%の人は中学校や高校で英語を勉強しなくてもいいじゃないかと思うんです。今や小学校でも英語を勉強することになっていますが、自動翻訳機械で代替できるという意味ではその必要はないのではないか。」(65頁)

もちろん「異文化教育」は必要だけれど、自動翻訳でコミュニケーションのハードルが下がれば異文化との接触機会はむしろ増す。

何よりも英語に投じていた学習リソースをそれ以外のものに振り向ければ子どもたちの知的なパフォーマンスは高まる可能性もある。

英語学習枠組みそのものが根本的に変わると予測されている時に、なぜか日本の教育行政は「小学校から英語を勉強させる」という、悪くすると10年も経たないうちにまったく無駄になる学習プログラム改革を膨大な手間暇をかけて実行しようとしている。

同じことは脱原発や電気自動車へのシフトなどの遅れにも見られる。

今が世界史的な変化のただ中であるということをまったく自覚しないで、10年前20年前の「常識」と「既得権益構造」に居着いている日本の政策決定者たちの脳内にどのような未来が見えているのか、私にはまったく理解の外である。
http://blog.tatsuru.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c122

[リバイバル3] GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり

GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり
http://blogos.com/article/242547/?p=1



連合国軍総司令部(GHQ)のトップとして、戦後の日本で「王」のように振る舞ったダグラス・マッカーサー。だが、1950年に勃発した朝鮮戦争ではまったく役に立たず、軍人としての適性を疑わせるほどだった。「朝鮮半島に原爆投下を主張」に匹敵する“能なし司令官”のエピソードを紹介しよう――。


前線視察のため金浦飛行場に到着、米軍第24師団の兵士を閲兵するマッカーサー国連軍最高司令官(韓国/写真=時事通信フォト)


■仁川上陸作戦で形勢を逆転したが

朝鮮戦争において米韓側の軍隊の指揮をとったのは、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーでした。この戦争の中でマッカーサーが原爆の使用を主張し、トルーマン大統領から反対されて総司令官を解任されたことは有名です。

しかし、原爆使用の問題以前に、マッカーサーは総司令官としての適性に欠ける人物であり、解任されるべくして解任された「能なし司令官」と言えます。

彼が指揮するGHQは、第二次世界大戦後の日本に対する占領統治の主体でした。当時の占領政策を考えるうえでも、マッカーサーの人間性についてはよく知っておいたほうがよいでしょう。

1950年6月25日、北朝鮮が38度線を越えて侵攻を開始してから1週間後の7月2日、ようやくアメリカ軍は半島に本格介入しはじめます。本格介入したとはいえ、アメリカ軍は朝鮮半島南端の釜山近郊まで、北朝鮮軍に追い詰められました。そこでなんとか踏みとどまり、反転攻勢を掛けていきます。

マッカーサーは9月15日、ソウル近郊の仁川(現在の仁川国際空港がある付近です)から米軍部隊を奇襲的に上陸させ、北朝鮮軍の補給路を断つ「仁川上陸作戦」に成功。以後、米軍側にはイギリス軍なども参画し、国連軍が編成されました。国連軍は9月28日、ソウルを奪還しました。

直前まで日本に逃亡する計画すら立てていた李承晩大統領は一転、「北進統一」を掲げ、強気の攻勢を主張しはじめました。マッカーサーも、北朝鮮をつぶしての半島統一を考えており、両者の思惑は一致しました。

■「中国の介入はない」という思い込み

しかし、半島統一に向けた軍事行動に際し、マッカーサーはトルーマン大統領から、ある条件をつけられていました。「ソ連や中国が半島に介入するようなことがあれば、北進はダメだ」というのがそれです。ソ連や中国を相手にアジアで大戦争をする気は、トルーマンにはありませんでした。

この点についてマッカーサーは、「ソ連は言うまでもなく、中国の介入の可能性はない」と、トルーマンに答えています。

一方、中国の周恩来首相は「(アメリカの)帝国主義的な領土侵犯を許さない」と警告を発しており、この段階で、中国の軍事介入(義勇軍という形で)の準備はかなり進んでいました。状況を少し、調査すればわかることであったにも関わらず、マッカーサーは自らの偏った心象にのみ頼り、「介入はない」と大見得を切りました。

マッカーサーらは中国軍の侵攻が間もなくはじまることに全く気付かず、北部一帯に補給線も確保しないまま、前線をむやみに拡大させました。アメリカ国務省からは、中朝国境付近では中国・ソ連を刺激することのないよう、韓国軍以外は展開させるなと指令が出ていましたが、マッカーサーはこれを無視しています。

10月20日、平壌を制圧し、マッカーサーは得意満面、平壌の空港に降り立ちます。厚木飛行場に降り立った時のように写真を撮らせ、自分を英雄の如く見せるワンパターンな猿芝居がまた演じられたのです。ただ、この時は一言、気の利いたせりふが付いていました。

“Where is Kim Buck Tooth?”

(出っ歯の金日成の出迎えはないのか?)

■ボスの意を「忖度」し、敵を過小評価した部下

アメリカではマッカーサーを喝采する声が沸き起こります。彼のような「英雄」に対し、中国軍介入の可能性やその作戦について異議を申し立てることもはばかられました。アメリカ軍はマッカーサーを崇拝する若い将校たちで固められていました。マッカーサーが「中国軍の介入はない」としたために、中国軍の動きについての情報はマッカーサーに上げられませんでした。

中国はアメリカとの前面衝突を避けるために、朝鮮への派遣軍を正規の「人民解放軍」とせず、私的な「義勇軍」としました。「義勇軍」はソ連から支給された最新鋭の武器で武装し、100万人規模の強大な軍隊でした。

毛沢東の側近であった彭徳懐が率いる「義勇軍」の先発隊30万人は10月19日、ひそかに中朝国境を流れる鴨緑江を渡ります。30万もの軍隊でしたが、マッカーサーには「3万」という報告が上げられます。マッカーサーの意を「忖度」した将校たちが、兵力を下方修正して報告したのです。

マッカーサーは東京で指揮を執っていました。平壌にやって来た時も、日帰りで東京に戻り、現地の詳細な状況を把握していませんでした。自らは東京や横浜の高級ホテルに宿泊し、食事のたびに料理にケチを付けていたようです。

マッカーサーは国境を渡った中国「義勇軍」が「3万」であると聞いて安心し、意に介しませんでした。あくまでも、「中国は本格介入しない」が絶対的前提であったのです。この誤った認識が、英雄気取りのマッカーサーを追い詰めていくことになります。

1948年11月1日、中国「義勇軍」の大部隊が前線のアメリカ軍・国連軍に、突如猛攻を仕掛けてきます。アメリカ軍はパニックに陥り、各部隊を壊滅させられながら、撤退していきます。

■プライドの高さと功名心で罠に落ちる

この時、中国「義勇軍」は撤退するアメリカ軍を追撃せず、すぐに軍を引き上げます。司令官の彭徳懐は「誇り高き」マッカーサーが復讐心に燃えて、必ず報復してくると読んでいました。彭徳懐はアメリカ軍を待ち伏せ、返り討ちにする戦略を立てていました。彭徳懐ら中国「義勇軍」は、国民党軍や日本軍との長く苦しい戦いを数多く経験し、戦い方を熟知していたのです。

体勢を立て直したアメリカ軍は、哀れにも彭徳懐の読み通り、中朝国境付近に陣取る中国「義勇軍」をめがけて突進して来ました。国境付近は山岳地帯の入り組んだ地形で、大軍は身動きが取れません。そのことをマッカーサーに進言する部下もいましたが、マッカーサーは自分の名誉を回復することに躍起になり、聞く耳を持ちませんでした。

マッカーサーは「人の話に耳を傾けることができない人間だった」と、多くの将校が証言しています。会議でも延々と自分一人がまくし立てるのみで、他の者に発言させなかったといいます。彼の副官を努めていたこともあるドワイト・アイゼンハワー(後に第34代大統領)などは、「マッカーサーの自己顕示欲には嫌気がさす」と言っています。

中国「義勇軍」の大軍は、罠にはまったアメリカ軍を包囲し、一斉攻撃を加えます。犠牲者が次々と出はじめ、撤退をはじめるアメリカ軍でしたが、マッカーサーは「前進せよ」と命令しています。

このマッカーサーの命令のため、アメリカ軍は退路をほとんど確保できず、中国「義勇軍」の餌食になりました。こうして、「アメリカ陸軍史上最大の敗走」が展開されることになります。ちなみに韓国軍は、国境付近で中国「義勇軍」と戦う前からおじけづき、われ先にと逃げています。

マッカーサーは自らの失態が招いた「最大の敗走」の事実を隠すため、国境付近に出した偵察部隊が中国軍により攻撃を受けたという虚偽の報告をしています。

度重なる失態でもはや引っ込みがつかなくなったマッカーサーは、中国「義勇軍」の補給ルートになっている中国東北部に、「原爆を50発落とせ」という主張をはじめることになります。この続きは、次回くわしく掘り下げます。
http://blogos.com/article/242547/?p=1
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html

[番外地7] 支配層は被支配者を教育で洗脳し、メディアを使って支配層が望む方向へ誘導していく 中川隆
4. 中川隆[-6597] koaQ7Jey 2017年8月27日 21:41:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年08月27日 ニュースは最初からフェイクだった

新聞は書き手にとって都合が良い事だけを書き、人々の対立を煽ってきた
引用:http://barnessite.weebly.com/uploads/1/3/1/4/13141100/951411743.jpg

世界は偽ニュースに汚染された

現代の世界ではフェイク(偽)ニュースが飛び交っていて、欧米や日本では選挙や政治を左右するほどになっています。

アメリカではトランプ大統領を巡って双方が偽ニュースを発信し合い、伝統的な大手メディアまで参戦しています。

ワシントンポスト、NYT、CNN、フェイスブックなどもフェイクニュースを配信していました。



大手メディアはすぐにばれる嘘よりも、「一方的で偏ったニュースだけを放送する」という手段を好みます。

例えばフェイスブックは大統領選挙期間中「共和党に都合が良いニュースは配信するな」という指示をニュース選択部門に出していました。

期間中FBのニュースでは「共和党また不祥事」「民主党がリード」という記事だけが配信され、反対の記事は掲載されませんでした。


日本のテレビや大新聞も全部これをやっていて、自分が反対する政党やグループには悪い記事だけを流し、良い記事は掲載しません。

受信料を強制徴収しているNHKですら、はっきりと中国に都合が良い報道だけをし、中国に都合が悪いニュースは放送しません。

フジテレビは「韓流騒動」の頃、韓国に都合が良いニュースだけを流し、日本については悪いニュースだけを流し続けました。


例えばフジテレビのフィギュアスケート番組では、日本の選手については転倒した場面だけを繰り返し流し、韓国選手は成功した場面だけ放送していました。

欧州でも同じで、イギリスのEU離脱国民投票のとき、賛成反対双方が偽ニュースを流し、結果は離脱に決まったが非常に後味が悪いものになった。

フランスの大統領選挙も偽ニュースでの叩きあいに終始し、結果はマクロンが勝ったが、フランス国民は「なぜこの男に投票してしまったのだろう」と自問しているようです。

新聞の始まりはフェイク

こんな世界になってしまったのはインターネットが普及して、個人が偽ニュースを配信し、影響力を持つようになったからでした。

2011年の東日本大震災で、既存の大メディアの情報を人々が信じなくなり、ネットの「まとめサイト」が大ブームになりました。

まとめサイトの情報源は玉石混合で、新聞社のサイトをソースにする事が多かったが、個人が書いた記事も多かった。


ネット世界に対抗するように、テレビや新聞、大手メディアも自分に都合が良いフェイクニュースを流しだしました。

こうして世界は大混乱に陥っているのですが、「では偽ニュースが飛び交う前は『正しい情報』だったのか」という疑問が沸きます。

日本では数十年間信じられていた従軍慰安婦が、朝日新聞社による捏造だったのが判明しました。


同じように南京事件、731部隊、東京裁判、関東大震災の朝鮮人襲撃などが、次々に「偽ニュース」ではないかと疑惑をもたれています。

反対に新聞やテレビはアメリカ軍やソ連、中国に都合が悪い事は70年間隠し続け、あたかも日本人が一方的な悪者だったかのように報道してきました。

アメリカや英米、ドイツなどでもこうした捏造は数十年間続けられていて、既存の大手メディア全てが加担していました。


するとメディアは昨日今日フェイクになったのではなく、少なくとも70年前からフェイクニュースを配信し続けていたのです。

さらに戦前に遡っても、各国の新聞社はそれぞれ好き勝手な嘘を報道していて、アメリカなどは偽ニュースによって、日本人への憎悪を国民に植え付けていました。

ニュースの始まりは新聞ですが、その始まりは欧州では1600年ごろの英仏独で始まり、最初から自分に都合が良い記事だけを掲載していました。

最初の記録もフェイク

考えてみれば自分に都合が悪い記事など書く人はいないので、最初からニュースはフェイクだったのです。

フランス革命では新聞による偽ニュースで市民の怒りを煽り、王妃マリー・アントワネットが『パンが無ければケーキを食べなさいよ』と言ったなどがでっち上げられた。

王家や貴族の贅沢な暮らしぶりは誇張され、革命家たちの冷酷さは一言も記事にしませんでした。


フランス革命は美化されていますが、実際の事実だけを検証すると、テロリストが民衆を操って暴動を起こし、大量の人をしなせたに過ぎません。

だがこれが才能有る芸術家によって文章や絵画になると、崇高で美しい出来事に思えてくるのです。

日本でも1600年代から「かわら版」が始まりましたが、読み物としての面白さが重視されていて、事実かどうかは後回しでした。


各国で最初のニュース報道は聖書や古事記のような宗教書で、古くからの伝承を記録したものと言われています。

文字が発明されるまでは口頭で伝えるしかなかったので伝承は重要であり、何かの出来事を伝えようとした痕跡が見られます。

伝承は多くの人に「伝言ゲーム」のように伝えるため、記録性より大げさで覚えやすい事が重視されます。


「紅海を渡った」よりも「モーゼは海を割った」のほうが覚えやすいしドラマチックで注目を集めやすいという事です。

皆既日食や天候不順と言うより「アマテラスが岩戸に隠れて太陽が消えた」の方が伝えやすいのです。

もちろん伝承を伝える人に都合が悪い事は伝えなかった筈で、このように考えるとニュースは最初からフェイクだったとも言えます。
http://www.thutmosev.com/archives/72323299.html.

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/279.html#c4

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
120. 中川隆[-6599] koaQ7Jey 2017年8月28日 07:37:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

【在日外国人の犯罪率の日本人との比較(日本人を1とした場合)】

外国人全体・韓国朝鮮人・韓国朝鮮人以外の外国人比較 (平成18年の国籍別犯罪比率の計算から)
http://web2.nazca.co.jp/midorinosono/#433
                                 韓国朝鮮人
                                 を除いた
  国籍・国   外国人全体  韓国・朝鮮人    外国人    日本人
 犯罪の種類
  刑法全体    1.5       2.9       0.7      1
 凶悪犯全体     1.8       3.2       0.9      1
    殺人    1.7       2.8       1.1      1
    強盗    2.4       4.5       1.1      1
    放火    0.6       1.2       0.2      1
    強姦    1.8       3.0       1.1      1
  粗暴全体    2.3       4.5       0.9      1
    暴行    2.2       4.1       1.0      1
    恐喝    1.6       3.6       0.4      1
    詐欺    1.1       2.4       0.3      1
    横領    0.8       1.9       0.1      1
覚醒剤取締法    2.5       5.0       0.8      1
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c120

[リバイバル3] GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり 中川隆
1. 中川隆[-6598] koaQ7Jey 2017年8月28日 07:50:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本共産党はマッカーサーが創設した
http://www.thutmosev.com/archives/71957109.html#more


マッカーサーのこうした写真は全部ヤラセで、俳優のように何度もポーズを取っては撮り直した
引用:http://learnlearn.net/Historie,religion,kunst/res/Default/ESS_PasteBitmap02329.png


マッカーサーの歪んだ人格

連合軍総司令官として日本に乗り込んできたダグラス・マッカーサーには多くの知られていない逸話があり、その一つは事実上「日本共産党」の創設者だという事です。

日本共産党と名乗る団体は戦前から存在し、日本をソ連の植民地にするため活動していたが、非合法テロ組織という位置づけでした。

日本の統治者として君臨したマッカーサーには人格上の欠陥があり、『ニセ写真』作りを趣味にしていた。

         

硫黄島に米国旗を立てる写真とか、マッカーサーがフィリピンの海岸に上陸した写真などは全部”やらせ写真”でした。

マッカーサーは映画監督のように戦場で写真や動画撮影を指示し、気に入った構図で自分がヒーローに見えるように報道させていました。

厚木飛行場の輸送機からコーンパイプを咥えて降りてくる写真も、専属カメラマンに映画撮影のように撮影させました。


この時日本軍は武装解除されていたが、襲われるのではないかという恐怖心から、マッカーサーは小便を漏らしていました。

日本に到着してからも彼は、あらゆる写真で自分が格好良く見えるように撮影するため、専属の撮影スタッフを周囲に置いていました。

昭和天皇とマッカーサーが面会した有名な写真があり、マッカーサーは作業服のような軍服のズボンに手を突っ込んでいます。


正装ではなく平服で、胸のボタンを全部止めず、身体を斜めにして立っていたのも計算しつくした『構図』でした。

昭和天皇が自分よりかなり背が低いのが目立つように、昭和天皇を直立不動にさせ、自分がくつろいでいるように撮らせました。

当時新聞を統制していたのはGHQなので、新聞に掲載する写真も記事も、GHQが決めていました。


「マッカーサーが日本の支配者であって、天皇はこれほどみすぼらしい」と日本人に見せ付けて天皇を貶める目的でした。


GHQは何の根拠で日本を占領していたのか

マッカーサーについて70年間一度も議論されず、タブーになっている事は、実は正式な資格が無いのに日本を統治していたという事実です。

マッカーサーは連合軍司令長官だったが、一体何ゆえに日本の支配者となったのか、この根拠が曖昧なままなのです。

日本が1945年8月15日に停戦したとき「ポツダム宣言を受諾し、占領地を放棄する」と言いましたが、アメリカが日本本土を占領して良いとは誰も言っていません。


アメリカ大統領や国連事務総長、あるいは国連安保理が任命したからと言って「だから何?」という事です。

降伏したら占領されるのが当たり前という主張もあるが、それなら日本はロシアを占領できるし、朝鮮や中国の占領は正しかった事になります。

1945年9月2日に東京湾の米戦艦ミズーリ上で、連合国各国と日本代表団が日本の降伏文書に署名調印しました。


文書には連合国軍最高司令官の指示に基づき、日本政府は日本軍と日本国民を従わせると書かれているが日本占領には触れていない。

8月15日の玉音放送でも、9月2日の降伏文書でも連合軍が日本を占領できるとは書かれていない。

日本軍の武装解除については書かれているが、連合軍の日本占領には、天皇や他の誰も合意していない。


マッカーサーが小便を漏らしながら厚木飛行場に降りたのは8月30日、連合軍先遣隊が厚木に到着し武装解除したのは8月28日だった。

9月2日に降伏文書に調印し、9月15日にGHQ本部が日比谷に設置され、GHQによる日本統治が始まった。

だがマッカーサーは武装解除までは良いとして、一体どのような条約や合意に基づいて「日本占領」をしたのだろうか。


この写真も自分は立派に見え、天皇は「みすぼらしい小男」に見えるよう計算されている
mig


日本国憲法はアルバイトに書かせ脅迫して成立させた

法的根拠がないのに一介の軍人が日本を占領して独裁者になった事が、その後の日本の70年に大きな悪影響を与えた。

例えばマッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、政府が帝国憲法の改正案を示すと、これを拒絶して独自の憲法を創作させました。

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に命じて適当な憲法草案を書かせて、日本政府に無断で新聞に発表しました。


東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣は新憲法が非民主的だとして辞職し、マッカーサーは「もう一度東京を空襲してやろうか」と言って議会を脅迫しました。

日本人は新聞に書いてあるからには日本政府が作ったのだろうと思い込んだが、実際にはマッカーサーがアルバイトに書かせた落書きでした。

東京大学などの法学者もこのやり方に怒り、新憲法反対の立場を取ったが、GHQは反対するものを「戦争犯罪人」として逮捕していきました。


新憲法に反対するものは戦犯になり処刑されるか刑務所に入れられると分かり、反対する人間は居なくなりました。

こうしてできたのが現在の「日本国憲法」であり、日本人は一切関わっていないし、民主主義とは正反対の経緯で成立しました。

マッカーサーが日本を統治するために優遇したのが共産主義者で、特に逮捕歴がある共産主義者を好んで重用しました。


GHQを創設するとすぐに、共産主義者や反政府主義者を釈放させ、労働組合や政党を結成させました。

こうして誕生したのが日本共産党と日本社会党で、事実上GHQが合法化し創設したのです。

マッカーサーの意図は日本の「犯罪者」である天皇や旧時代の権力者に対抗させるため、反政府主義者に力を持たせる事でした。


マッカーサーの共産党優遇

マッカーサー自身は共産主義者ではなかったが、それ以上に日本の「右翼」を嫌っていたので、共産主義者を重用しました。

GHQは主要な新聞社に共産主義者を雇用するよう圧力を掛け、応じなければ事実上活動できなくしました。

こうして日本の新聞社やNHKの上層部は共産主義者や戦前の逮捕者、反政府主義者になり、今日まで続いています。


マスコミだけではなく銀行や企業にもこうした圧力が掛けられ、自動車で有名な「日産」などは特に酷かったとされている。

日産は戦前には三菱や三井以上の最大の財閥だったが、戦争に協力したとしてほとんど解体されました。

自動車生産も認められなかったが、朝鮮戦争勃発で軍事生産が必要になり、共産主義者を経営に参加させる条件でようやく認められました。


こうしたGHQの共産党優遇は1948年まで続いたが、1949年になると米ソ冷戦が始まり、米本国は日本を再軍備させる方針に突然変わりました。

その変化は急激なもので、それまで日本人をわざと飢えさせては笑いものにして楽しんだり、なるべく日本経済が破綻するように仕向けていました。

ところが1949年のある日から、本国は「日本軍を再結成させろ」「日本の産業を立て直せ」と命令してきました。


マッカーサーは最初本国からの指示を無視していたが結局従わざるを得なくなり、1950年には朝鮮戦争が勃発しました。

マッカーサーの間違いは誰の目にも明らかになり、その後アメリカは何度も日本軍を再建しようとしては、日本政府と対立する事になります。

この後日本ではマッカーサーの後遺症で反日カルト政党が大ブームになり、今も日本を破壊するために”日々努力”しているようです。


マッカーサーの占領下では日本を貶めたり日本を破壊する事が正しいとされ、日本の為に貢献する人は戦犯や右翼と決め付けられました。

マスコミは全てGHQの統制下にあったので「日本国民はマッカーサー様を心から慕っています」などの気持ち悪い記事が量産された。

北朝鮮の新聞が金正恩を褒めるのと同じで、これほど気持ち悪い事はない。


そして当時GHQの為に報道していた新聞やテレビは、当時の本当の事を決して話そうとしない。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html#c1

[リバイバル3] GHQに君臨した"マッカーサー"の愚将ぶり 中川隆
2. 中川隆[-6597] koaQ7Jey 2017年8月28日 07:50:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?

空襲でホームレスになり上野駅に避難した人達
引用:http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/d/3df4faa4-s.jpg


アメリカはわざと日本人を飢えさせた

テレビや映画や小説では「戦後」は美しいものの同義語で語られていて、まるで理想郷のように描かれている。

そこでは貧しいながらも人々は協力して生き、戦後の復興をなしとげたとされている。

またGHQは困窮した日本人に食料を支給して助け、民主主義を与えたとも言われている。

          
こうした物語は映画やドラマの中だけで十分であり、事実とは程遠いか、正反対だった。

GHQは日本人に食料を与えるどころか奪い取ってわざと飢えさせて、日本人を従わせる手段に用いていた。

戦争前後は食糧難だったのはよく知られているが、戦時中に日本国内で(朝鮮台湾でも)飢えて亡くなった人や、その危険はなかった。


都会の人は空襲で疎開したが、農村には食べるものがあり、十分ではなかったが飢餓状態などではなかった。

それが戦争が終わって平和になり、アメリカ軍が占領したら食料が足りなくなり、「来年は1000万人が食糧不足で亡くなる」と総理大臣が警告する事態になった。

多くの要因があるが最大のものはアメリカ合衆国自体で、戦争の報復としてわざと日本人を飢えさせていました。


占領軍による妨害で日本は食糧の輸入ができなくさせられ、生産活動も制限され、経済破綻しました。

農業も経済の一部なので、国が経済破綻すると農業生産が停止して、食糧不足に陥ります。

終戦の昭和20年から昭和25年まで、日本はほとんどの工業生産を禁止され、前近代社会になりました。


経済破綻するように仕向けた

戦前から存在する設備を更新することは出来ず、農業生産に支障を来たし、外地に出兵した男達は中々帰ってきませんでした。

「戦争が終わって平和になった」と書いたが、そのこと自体が日本経済を破綻させる原因を作り出しました。

戦争中はあらゆる兵器をフル生産していたが、それが8月15日を境に全面停止になり、一切の生産活動が停止した。


困った日本政府は紙幣を印刷して「金融緩和」したが、激しいインフレを引き起こしました。

物を生産していないのにお金だけばらまいたからだが、当時の日本政府は他にどうする事もできなかった。

あらゆる工場が全て操業停止、鉄道は空襲で破壊しつくされ交通網が分断され、労働者たる男達は外地に居るか戦犯として逮捕されていた。


空襲によって東京など都市部の多くの人は家を失ってホームレスになっていて、路上や公園などで生活していました。

この頃アメリカ本国では、日本人のこうした窮状を伝えては「楽しんでいた」のが分かっています。

自分たちが倒した敵が飢えて苦しんでいるのを見て面白がっていたのが、本当の戦後の世界でした。


一例として占領軍は広島や長崎の被爆者を診療したが、治療をせずに「治療するふり」をして、どのように悪化するか観察しました。

生産活動が禁止され輸入も禁止されているので、復興が進まずホームレスが溢れているのも、無論そうなるように仕向けていました。

さらに占領軍は日本人同士が憎み会うように、心を破壊する政策を実行していました。


アメリカは日本人の食料を絞り上げた上で、自分の手で少し援助した。
援助を受け取った人達はアメリカに感謝し日本を憎むよう仕向けられた。
enjo
引用:http://blog.nihon-syakai.net/blog/wp-content/uploads/img2011/enjo.jpg


美しくない戦後

NHKというラジオ放送局(当時唯一のラジオ)で「真相はこうだ」という日本軍や戦前の日本の暴露番組を放送させました。

内容は日本軍がいかにアジア人や欧米人に酷い事をしたかという物だったが、内容は全て嘘だったのが分かっています。

だが当時の日本人はこうした「真相」を信じ、日本人同士で憎みあったり攻撃するようになりました。


愚かなことに「こんな酷い日本を倒してくれて有難う」「原爆を投下してくれて感謝します」とアメリカ軍に感謝する連中すら大勢居た。

人々は最初アメリカ軍を鬼畜だと思っていたが、食料を恵んでくれるので、感謝するようになっていった。

実は占領軍はわざと食料を絞り、日本人を飢えさせてから、犬を手なずけるように「餌」を与えていきました。


学校では子供たちに「日本は悪の国」「アメリカは正義の国」と教え込み、拒否する教師は戦犯として逮捕しました。

じゅうたん爆撃や原爆で数百万人が犠牲になり、本来なら犯人であるアメリカ人を憎むべき所なのだが、次第に日本のせいだと思い込むようになった。

終戦時に外地には日本軍数百万人が存在したが、ソ連や中華民国の捕虜になった日本兵は、洗脳した順番から帰国を許された。


集団学習や反省、謝罪(今日使われるような軽い意味ではない)などで日本は悪の国と教え込み、拒否したものは永遠に帰国できなかった。

アメリカ軍の捕虜になると多少ましだったが、戦犯として裁かれ、やはり徹底して「日本は悪の国」と教え込んだ。

こうして「日本に原爆を落としてくれて有難う」などと言う日本人が大量生産され、この人達が現在の左翼になっていきます。


この状況が1948年まで続き、1950年に朝鮮戦争が勃発して、急にアメリカは日本の工業力や日本軍の軍事力を必要とするようになります。

ここから日本側の発言力が強まって復興へと繋がっていくのだが、戦後数年間の占領が長く日本を蝕むことになります。
http://www.thutmosev.com/archives/72011631.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/748.html#c2

[リバイバル3] 倍賞千恵子 名唱集

倍賞千恵子 名唱集


倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年〈昭和16年〉6月29日 - )


倍賞千恵子 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%80%8D%E8%B3%9E%E5%8D%83%E6%81%B5%E5%AD%90


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/749.html

[番外地6] 米ネオコンとは? 中川隆
24. 中川隆[-6595] koaQ7Jey 2017年8月28日 08:14:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017.08.27
GWブッシュ政権からベネズエラの自立政権を倒すクーデターを米政府は計画、トランプ政権も継続


アメリカはベネズエラの体制転覆を目論んでいる。ドナルド・トランプ大統領はベネズエラを軍事侵攻する可能性があると8月11日に語り、25日にニッキー・ヘイリー国連大使はベネズエラに対し、「独裁制」を許さないと語った。7月20日にはマイク・ポンペオCIA長官がベネズエラの「移行」が期待できるとアスペン治安フォーラムで語っている。

そうした動きに対抗、ベネズエラ政府は中国から融資を受け、ロシアの企業へ石油を売却、石油生産設備を外国へ売ることでアメリカの石油企業や銀行に乗っ取られることを防ごうとしている。ここでもアメリカは中国やロシアと衝突しそうだ。

世界を股にかけて侵略戦争を繰り返し、殺戮と破壊を続けている自分たちの「帝国」にとって目障りな政府は公正な選挙で選ばれていても「独裁政権」というタグが付けられる。タグの付け替えで人心を操作しようというワンパターンの手口。そのタグを信じる、あるいは信じている振りをする人も少なくない。

世界有数の産油国であるベネズエラはラテン・アメリカ自立のカギを握る国で、ここを制圧すれば残る国を屈服させることは容易になる。アフリカ大陸におけるリビアがそうだったのと同じような立場だ。

そのベネズエラをアメリカから自立させたのが1999年から大統領を務めたウーゴ・チャベス。アメリカで2001年に誕生したジョージ・W・ブッシュ政権はアフガニスタンへの先制攻撃を実施、03年にはイラク侵略を先制攻撃したが、その間、チャベス排除も試みている。

2002年にクーデター計画が始動したのだが、その黒幕と指摘されているのはイラン・コントラ事件でも登場するエリオット・エイブラムズ、キューバ系アメリカ人で1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そして1981年から85年までのホンジュラス駐在大使で、後に国連大使にもなるジョン・ネグロポンテ。

クーデターの際、アメリカ海軍がベネズエラ沖で待機、新政権は実業家のペドロ・カルモナを中心に組閣されることになっていたというが、この計画は事前にOPECの事務局長を務めていたベネズエラ人のアリ・ロドリゲスからチャベスへ知らされたため、失敗に終わっている。

WikiLeaksが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもクーデターが計画されている。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに組み込まれた機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入、チャベス派を分裂させ、アメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるというのだ。

そのチャベスは2013年3月、癌のため、58歳の若さで死亡した。癌の原因が人為的なものかどうかは不明だが、生前、キューバのフィデル・カストロから暗殺に気をつけるよう、経験に基づいて警告されていたことは確か。さまざまな暗殺手段が存在するが、癌を引き起こすウイルスも使われていると言われている。「疑惑の人」も指摘されている。チャベスの側近として食べ物やコーヒーなどを運んでいたレムシー・ビリャファニャ・サラサールだ。この人物は後にアメリカへ亡命、保護されている。

カリスマ性のあったチャベスの死はアメリカの支配層にとってありがたいこと。それでも選挙でチャベスの政策を引き継ぐという立場のニコラス・マドゥーロが勝利、アメリカ支配層は社会不安を煽る御得意の工作を始めた。

2015年2月にもクーデター未遂があったと言われている。この政権転覆作戦を指揮していたのはNSC(国家安全保障会議)で、それを許可したのはリカルド・ズニーガ。CIAの人間で、対キューバ工作の責任者でもある。2月12日にはベネズエラ軍を装った航空機で傭兵会社のアダデミ(かつてのブラックウォーター)が大統領官邸を爆撃、マドゥーロを殺害することになっていた。軍事行動の責任者はSOUTHCOM(アメリカ南方軍)で情報部門を統括していたトーマス・ゲリー准将(当時)とアダデミのレベッカ・チャベス。例によって作戦の司令部はアメリカ大使館で、NEDなどを介して現地のNGOを動かしていた。

アメリカの支配層がベネズエラを「バナナ共和国」へ逆戻りさせたい理由のひとつはシェール・ガス/オイルを軸にした戦略の破綻。アメリカはロシアの重要な収入源である石油や天然ガスの輸出ルートを断ち切ってロシアを乗っ取る一方、自国のシェール・ガス/オイルを売りつけようと目論んでいたのだが、大きな問題が浮上している。

ひとつは生産コストの高さ。2014年の原油相場急落はロシア経済を破綻させることに失敗、イギリスの北海油田にダメージを与え、サウジアラビアを財政赤字に陥らせた。そしてシェール・ガス/オイルの採算割れだ。

もうひとつは短い生産持続可能期間。当初の生産両を維持できるのは4、5年程度で、7、8年経つと8割程度下落すると言われている。また、シェール・ガス/オイルの採掘方法は地下水を汚染し、地下水に頼っているアメリカの農業の死滅を早めることになる。つまりシェール・ガスやオイルに頼るわけにはいかないのだ。

ロシアで産出される天然ガスや石油の主要マーケットはEUであり、その主要な輸送ルートであるウクライナを属国化することで輸送を断ち切ろうとしたのがアメリカの好戦派。2014年2月にネオコンはネオ・ナチを手先に使い、ウクライナでクーデターを成功させるのだが、思惑通りには進まなかった。EUは窮地に陥ったが、ロシアは東を向き、中国と結びついたのだ。両国は戦略的なパートナーになった。

ウクライナのクーデターから間もなくして原油相場が急落したが、これはアメリカやサウジアラビアが仕掛けたと言われている。2014年9月11日にアメリカのジョン・ケリー国務長官とサウジアラビアのアブドラ国王が紅海の近くで会談しているが、これは相場下落の謀議だったとも噂された。

ネオコンのH・R・マクマスター国家安全保障補佐官はベネズエラへ近い将来に軍事侵攻することを計画していないと語っているが、軍事侵攻しないということではない。トランプ大統領の過激発言によって軍事侵攻しにくくなったという側面もある。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201708260000/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/751.html#c24

[政治・選挙・NHK231] 古賀茂明「安倍政権の内閣人事局による官僚支配は諸悪の根源か?」〈dot.〉 赤かぶ
1. 中川隆[-6594] koaQ7Jey 2017年8月28日 08:33:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団

この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html

安部首相より文部省次官の方が偉い理由
日本の官僚に指示を与えて動かしている日米合同委員会とは


日本政治を図らずも30年近く見てきて、いつも不思議に感じてきたことがある。

それは、「地方分権」と言われながら、いまだにすべての情報は中央、東京に集中し、内政における大枠の情報がほとんど東京に集中していることである。しかも国家主権にわたる外交、安全保障、国の経済政策、教育政策、福祉政策、医療政策、その他の分野でも大きな方針、政策は、すべて霞ヶ関から、国会議員に「勉強会」という形で官僚から卸されてくるのである。

そこで国会議員になった人間は、その中の一つか二つの分野に精通し、期数を重ねることによっていわゆる族議員というものになって、その内政の利権のお裾分けに預かる。この仕組みが、今も続く戦後の日本政治である。

さらに不思議なことは、その霞ヶ関に大きな政策を棚卸ししてくるのが、戦勝国であるアメリカなのである。

今回は、その大きな役割の一つを担っている「日米合同委員会」なるものを改めて紹介したい。不勉強の小生はこの組織のことを知ったのが、十年ちょっと前である。2011年の311以降、ネットや一部の本でもやっと言及されるようになったが、多くの日本人はマスコミがほとんど報道しないので全く知らないのではないだろうか。

そのためにいまだに一般の日本人には、認識されていないが、「日米合同委員会」というものが、戦後日本政治をコントロールしてきた最重要会議であることは間違いないのである。憲法で規定された国権の最高機関である国会を現実には超越していると言っても過言ではない。今回の安保法制を巡ってもテレビのニュース等で、あたかも日本が独立国としてこの法制を審議しているかのような報道がなされているが、残念ながら、このような報道は戦後に創られた共同幻想を維持するためものでしかない。


ところで、話題の書である矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、矢部宏治氏は、「日米合同委員会」についてこう書いている。


日本はなぜ帰途と原発を止められないか


「官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです」


日米合同委員会の構成メンバーを見ると、米側がほとんど軍人である。

米側代表は在日米軍司令部副司令官である。

代表代理として在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。在日米軍の軍人が威嚇するかのごとく居並んでいる。


日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長である

代表代理は、法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官である。選挙で選ばれた政治家は一人も入っていない。


これは極めて象徴的な演出で、米国側は意識的に軍人を出している。現在も日本が米国の軍事占領下にあることの象徴なのだろう。わかりやすく言えば、日本官僚はネイティブの日本支配者であり、在日米軍の意向を受けて官僚の利権を維持拡大しているというわけである。

そして、日米合同委員会から多くの検事総長を出す。そして日本の対米隷属に異を唱え、真の独立を目指す人間を裁判にかけて攻撃する。その対象になったのが、最近では小沢一郎氏であった。

また、日米合同委員会で決まったことが公表されることはない。記録として残されることもない。いわば密約である。それが日本官僚を通じて政権与党である自民党に降ろされている。前回のレポートでも指摘した覇権国である米国経済の実情を考えると、もっと多くの日本人がこのことを知るべき時を迎えている。


日米合同委員会1日米合同委員会2

下記の参考資料を読んでいただければ、総理になった人間ですら、日米合同委員会のことを知らなかったことがわかる。日本の政治は見事なまでに空洞化しているのである。


<参考資料>

(*週プレNews 2014年12月16日より)

「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」で話題の矢部宏治が鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!


矢部宏治

鳩山友紀夫元首相(右)と矢部宏治氏が日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩むための方法を議論


<民主党・鳩山政権の崩壊と沖縄の基地問題を出発点に、日本の戦後史を振り返った話題の新刊

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%81%E3%80%8C%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%8D%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E7%9F%A2%E9%83%A8-%E5%AE%8F%E6%B2%BB/dp/4797672897


の著者・矢部宏治(やべ・こうじ)氏。
そして、まさにこの本を執筆するきっかけとなった鳩山友紀夫元首相。

このふたりが、辺野古移設反対派の圧勝に終わった11月の沖縄県知事選や総選挙を踏まえ、事実上、今も米軍の占領状態が続いているこの国の姿と、日本が「真の独立国」として新しい戦後を歩んでいくためにはどうすればいいのか、その方法を考えた!>


首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体

―まずは鳩山さんに、矢部さんの本を読まれた率直な感想から伺いたいのですが?


鳩山  正直申し上げて“ぶったまげた”というか、矢部さんがここまで勇気を持って取材され、この本を書かれたことに敬服しました。先にこの本を読んでいれば、私も総理を辞めずに済んだかもしれない、と(笑)。

もちろん、私は自分の非力について言い訳する気はありません。総理として一度は沖縄県民に期待感を与えながら(県外移設を)実現できなかったのは私に大きな責任があります。

ただ、この本を読んで、当時、自分がもっと政治の裏側にある仕組みを深く理解していれば、結果が違っていた部分もあるのかなとは思いました。それだけに、自分が総理という立場にありながら、この本に書かれているような現実を知らなかったことを恥じなきゃいかんと感じるわけです。


矢部  鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?


鳩山  物事が自分の思いどおりに進まないのは、自分自身の力不足という程度にしか思っていませんでした。本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。その裏側、深淵の部分まで自分の考えは届いていなかったのです。

 しかし、矢部さんのこの本はもっと深いところで米軍と官僚組織、さらには司法やメディアまでがすべてつながって一体となった姿を見事に解き明かしてくれて、いろんなことが腑(ふ)に落ちました。この本を読んで、目からうろこが何枚落ちたかわからないくらい落ちましたね。


矢部  在日米軍と日本のエリート官僚で組織された「日米合同委員会」の存在は、当時ご存じなかったということでしょうか?


鳩山  お恥ずかしい話ですが、わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。

 私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。


矢部  日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのですが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。

 なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということなんです。

 しかも、在日米軍基地の違憲性をめぐって争われた1959年の砂川裁判で、当時の駐日米国大使だったダグラス・マッカーサー2世が裁判に不当な形で介入し、「日米安保条約のような高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしない」という判例を残してしまった。ですから日米合同委員会の合意事項が仮に憲法違反であっても、日本国民にはそれを覆(くつがえ)す法的手段がない。


鳩山  それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。


矢部  ですから、鳩山さんの言う「官僚たちが忠誠を誓っていた何か別のもの」、つまり鳩山政権を潰(つぶ)したのは、この60年続く日米合同委員会という米軍と官僚の共同体であり、そこで決められた安保法体系だというのが現時点での私の結論ですね。


―そうした仕組みの存在を知った今、鳩山さんはどのような思いなのでしょうか。

鳩山  日米合同委員会に乗り込んでいきたいぐらいだね。「何をやってるんだ、おまえら!」みたいな感じで。

 ただ、そういうものが舞台裏で、しかも、憲法以上の力を持った存在として成り立っていたとしても、決してメディアで報道されることもないし、このメンバー以外にはほとんど知られないような仕組みになっているわけですよね。


矢部  このような「見えない力」の存在は、政権内にいないと、野党の立場ではまったく知り得ないものなのでしょうか?


鳩山  私も自民党時代がありましたので、8年は政権党にいたわけですが、当選1回や2回の新人議員の間は、官邸内部で何が動いているか知りようもありませんでした。でも与党の一員としては扱ってもらっていたと思います。

 それが野党となると、与党、特に与党の中枢の方々とは情報量が圧倒的に違う。官僚も野党に話す場合と与党に説明に行く場合では、丁寧さも説明に来る人の役職も全然違う。そのぐらい野党に対しては、官僚は区別し、冷たい対応をしていました。

 つまり、自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

 この先、特定秘密保護法によって、ますます国民には何も知らせない国になるわけで、非常に恐ろしいことだと思います。


日本全土が「米軍の基地」という現実

矢部  「横田空域」という、1都8県の上に米軍が管理している広大な空域がありまして、日本の飛行機はここを飛べない。これなんか典型的な「米軍が自由に日本の国土を使える」事例ですね。


鳩山  私も横田空域のせいで、日本の航空会社が非常に不自然な飛行ルートで飛ばされていることは知っていましたが、「沖縄と同じように、米軍の優位性というのが東京や関東周辺にもあるんだな」という程度にしか理解していなかった。

 しかし、具体的に図を見ると、関東上空がこれほど広範囲に米軍に「占領」されているという事実に仰天しますよね。沖縄だけではなくて、実は日本全体がアメリカに今でも支配されているも同然ですから。


矢部  飛行ルートの阻害もありますが、それより問題なのは、米軍やCIAの関係者が日本の国境に関係なく、この空域から自由に出入りできる、入国の「裏口(バックドア)」が存在することです。これはどう考えてもおかしな話で、こんなことは普通の主権国家ではあり得ません。

 この問題なんて国際社会にアピールしたら、みんなすごく驚くと思うんです。これは今、日本で起きているほかの問題、特に原発の問題にも絡んでくる話ですが、日本という国が置かれている状況の歪(ゆが)みやおかしさを伝えるいい事例になると思っています。

 結局、日米安保条約とは、米軍が「日本の基地」を使う権利ではなく、「日本全土」を基地として使う権利を定めたものなのです。

 旧安保条約の第1条で米軍にその権利が認められ、60年の安保条約で文言は変わっていますが、その権利は残されている。これを「全土基地方式」というのですが、これはなんとしても国際社会にアピールして変えていかないといけない


鳩山  矢部さんの本だと、米軍がそんなことをできる根拠は、敗戦国である日本を今でも「敵国」と見なした、国連憲章の「敵国条項」があるから、という話でしたが。


矢部  そこの説明は少し複雑で、旧安保条約第1条には、そうしたメチャクチャな軍事利用のあり方は、日本側が望み、アメリカ側がそれに応えたものだということが書かれている。そうした戦後処理を日本が望んだ以上、日本の主権や国民の人権がいくら侵害されていても、国連は口を出せないというロジックになっているんです。一種の法的トリックと言ってもいい。

 ですから、日本にちゃんとした政権が誕生して、国際社会で堂々と議論し、「全土基地方式はやめてくれ」と言ったら「それは敵国条項があるから無理だ」とは絶対ならないと思います。


米軍の占領状況を米国民に訴えろ!

鳩山  矢部さんのような方の努力もあって、私もようやく目隠しが外れて真実が見えてきたわけですが、問題はそこから先をどうするかです。やはり一部の人たちだけが目隠しを外すんじゃなくて、日本の国民の多くに触れられるPR戦術というか、日本の戦後の背後には何があるのかをきちんと解き明かす手段が必要だと思いますね。

 それと、日米関係に関わっている米軍関係者を除けば、アメリカの議会や国民は日米合同委員会なるものがどういう役割を果たしてきたのか、それが今も日本の主権をさまざまな形で侵害している事実も知らないと思います。しかし、こうした状況はアメリカの国民から見ても「異常なこと」だと映るはずですから、われわれが海外、特にアメリカの議会や国民に対して「日本は今も事実上、米軍に占領されているけれど、本当にこれでいいのか?」と訴えることが重要です。


矢部  情報発信という意味では、今、ドイツなど多くの国が日本の原発汚染に対して「何を考えてるんだ!」って相当に怒っている。基地の問題だけだと「勝手にやっててくれ」となるかもしれないけれど、原発の問題はそうはいかない。全地球的な問題です。

 あれだけ深刻な原発事故を起こした日本がなぜ、今再び原発推進への道を進もうとしているのか? その背景には「日米原子力協定」という、自国のエネルギー政策すらアメリカの同意なしには決められないという、客観的に見ても非常に歪(いびつ)な構造がある。それをうまく国際社会にアピールできたら、こうした日本の歪んだシステムに世界の光が当たる可能性はあります。


鳩山  そうですね、日本のメディアも完全に取り込まれてしまっているのであれば、基地の問題だけではなく、原発も併せて海外に訴えるほうが、圧倒的に意義があると思います。

ただし、そうした「外圧」に頼るだけでなく、結局はこの国の政治を変えない限り、そして多数派にならない限り、こうした流れは大きく変えられません。


*2015.03.16 NEWSポストセブンより

「米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在」


東京都港区南麻布。都内屈指の閑静な高級住宅地も、そこだけは異空間が広がる。

入り口には屈強なガードマンが立ち、脇には「100%、IDチェック」と書かれた案内書きがある。米軍施設の「ニューサンノーホテル」である。


 在日米軍関係者は、

「ここは赤坂の米国大使館以上に、米国にとって重要な施設。表向きは来日した米軍関係者の宿泊施設ですが、米海軍情報部や CIA の拠点が置かれていて、日米のインテリジェンスの集積地です」

と説明する。

 日本のメディアどころか、政治家も立ち入れない。そんな場所で、日本の高級官僚と在日米軍関係者は、定期的に会合を重ねていた。それが日米合同委員会後述するが1960年に締結された日米地位協定(※注1)をどう運用するかを協議する実務者会議だ。


※注1/1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」が前身。1960年に日米安全保障条約を締結した際に改めて交わされた。 

そこでは、日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から、米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。 前者は在日米軍基地の移転・縮小、米海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備といった問題、後者は基地内のゴミ処理、航空機の騒音問題などだ。

かつては、米兵の犯罪並びにその処遇も、開かれた法廷ではなく、密室の話し合いによって、解決がなされたこともあった。 

日米合同委の組織は、米国側は在日米軍司令部副司令官、在日米大使館公使など、日本側は外務省北米局長を代表として法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長といった面子だ。

 日本側の代表者及び代表代理は、将来的に事務次官を狙えるポストにある。そんな高級官僚が、在日米軍や米大使館の有力者と密議を交わすことから、日米合同委は「影の政府」との異名もつく。

 ただし、彼らが一堂に会するわけではない。同委員会は、基地問題、刑事、環境など35の分科会や部会に分かれ、担当ごとに参加者が決まる。実際に出席したことのある官僚が明かしてくれた。


「日米の責任者(担当者)が最低一人、書記および通訳などの職員が最低二人は出席する。対話は基本的には日本語で行なわれますが、日本側も英語の話せる通訳を連れているため、微妙なニュアンスで日米の解釈が異なるという事態は生じない」


 関係者らの話をまとめると、毎月2回ほど開かれ、開催場所は米国と日本で持ち回りとなる。米国ならニューサンノーホテル、日本の場合は外務省を中心に、分科会や部会ごとに代表者の所属する官庁内で開催されているという。

 だが、会合の中身は一切明かされない。合意の一部は外務省、防衛省のホームページに公表されているが、それも簡潔に記されているだけだ。

 同委員会を所管する外務省北米局に日米合同委の詳細を問い合わせても、「回答できるのは、既に公表しているものだけ」の一点ばりで、防衛省広報課に問い合わせても、「外務省が所管なので、外務省に聞いてください」という堂々巡りだった。


 元琉球新報論説委員で、在日米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学大学院教授・前泊博盛氏は語る。


「日米合同委に合意内容を公表する義務はない。日米双方の合意がない限り公表しない取り決め(※注2)になっているからです。」


※注2/1996年2月に、日米両政府は日米地位協定の9項目についての運用改善で合意。「日米合同委員会の公表」もそこに含まれた。しかし、結果的に「合意内容」の公表こそ一部改善はされたものの、会合内容が公表されることはなかった。


 「基本的に軍事関係の取り決めなので米軍側は、情報を出したくない。また、米軍に有利に推移した合意内容を表に出して、日本人の神経を逆なでしたくないという思いもある。日本側としても、米国との交渉に負けた、との誹りを避けるために、できるだけ隠密に事を収めたい」


 必然的に日米合同委は「密約の温床」になってしまう。(終わり)
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1991  

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/397.html#c1

[番外地7] 「面従腹背」に官邸疑心=加計問題、霞が関の不満影響か 中川隆
24. 中川隆[-6593] koaQ7Jey 2017年8月28日 08:35:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

古賀茂明「安倍政権の内閣人事局による官僚支配は諸悪の根源か?」〈dot.〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170827-00000021-sasahi-pol
AERA dot. 8/28(月) 7:00配信


 安倍政権が、森友学園、加計学園、防衛省PKO日報問題などで、一切その非を認めず、強硬路線を採り、その過程で官僚に嘘をつかせたり、無理な忖度をさせたりしていることで、安倍政権の「官僚支配」が問題視されている。

 特に、最近、「内閣人事局ができて、政治家が官僚の人事権を握ったので、官僚が正しいことを言えなくなったり、過度に官邸の意向を忖度するようになった」という批判が目に付く。

 私は、2008年から09年にかけて、内閣審議官として、公務員制度改革を担当していたことがある。実は、その時に作った国家公務員法改正案で、初めて内閣人事局の創設を提案した。当時の問題意識は、以下のようなものだった。

――国家公務員法では、元々、官僚の人事権は各省大臣にある。しかし、実際には、大臣が官僚を敵に回すと仕事ができなくなるのではないかなどと恐れて、その人事権を十分に行使できない。官僚人事は、事務次官を頂点とする官僚組織が行い、それを大臣や官邸が追認するのが慣例となっていて、それを破って大臣や官邸が官僚の人事案を否定することは極めて異例。政権側が、官僚との全面対決を覚悟しなければならないほどだ。そのため、官僚への統制がきかず、「官僚主導」がはびこって、特に天下り利権を奪うような改革ができなくなるという問題がある。その問題を解決するために、内閣人事局創設による政治主導の人事を実現しなければならない――

■役人の抵抗がすごかった

 もちろん、官僚側の抵抗は激烈だった。財務省を頂点として、私をはじめとした事務局の改革派メンバー(当時の渡辺喜美行革担当相によって一本釣りで集められた元官僚や民間人が中心)に対して、事務局の一般官僚まで動員して我々を誹謗中傷する怪文書がマスコミに配布されたりもした。

 抵抗したのは官僚だけではない。官僚と結託して利権を維持しているいわゆる族議員たちもあからさまに抵抗した。最後は数少ない自民党の改革派議員でさえ、霞が関の恨みを買うことを恐れて、櫛の歯が欠けるように改正案の条文の骨抜きを黙認せざるを得なくなるほどであった。

 逆に言えば、政治主導の人事が、官僚や族議員にとって如何に邪魔なものなのかが証明されたようなものだ。事務局の改革派メンバーは、自分たちの提案にますます自信を深めて、結束を固めた。さらに、マスコミに改革案とそれに抵抗する官僚の実態をリークすることで全面的なサポートを受け、その世論を背景に、人事局創設を含む公務員法改正案が自民党の総務会まで承認され、正式な改正案となったのである。ただし、その直後に自民党政権が崩壊し、民主党政権に移行したため、その法案が成立することはなかった。

■“安倍憎し”で内閣人事局をなくせと言いたくなるが……

 上記の改正案は、第2次安倍内閣誕生後、様々な骨抜き措置を加えられた後、ようやく日の目を見たのだ。

 ところが、安倍政権は、極めて強引な政治を強行し続けた。その過程で、官僚が無理な行政を遂行させられ、それに伴う情報の隠ぺいなどに積極的に加担する姿が白日の下に晒された。

 実は、安倍政権の下では、おそらく、内閣人事局など必要なかったと私は考えている。元々あった、国家公務員法上の大臣による公務員に対する人事権があれば、いかようにもできる。大臣は安倍総理の言いなりだから、それに指示すれば官邸主導人事など簡単に実施できるのだ。

 もし仮に、内閣人事局が諸悪の根源だという批判が正しいのであれば、内閣人事局をなくして、官僚の人事に官邸が介入することを止めれば正しい行政が行われるということになるはずだ。また、そもそも官僚人事に対する政治介入が悪だということであれば、大臣の人事権に制約をかければよいだろう。それによって正しい行政が実現するはずである。

 しかし、実際には、そうはならない。おそらく、官僚は、以前のように自分たちの利権、とりわけ天下りの仕組みを守るために、国民の利益を犠牲にして、必要な改革を止めようとするだろう。それを正そうとする政権が現れても、それには徹底的に抵抗する。昔の「官僚主導」の復活である。

 もう一つ、内閣人事局をなくせという批判は、実は官僚たちが「安倍憎し」と思っている記者たちを誘導して書かせているという面が少なからずあることに気づかなければならない。これを機に、大げさに問題を指摘して、昔の「官僚主導」を取り戻そうというわけだ。

■政治主導そのものは間違いではない

 そもそも「政治主導」の考え方には暗黙の前提がある。それは、内閣は国民のために仕事をするという前提だ。

 憲法の考え方に基づけば、内閣は国会で選ばれる総理大臣が作るのだから、当然国民のために働くと想定されている。逆に言えば、官僚が行政においてどんなに重要な役割を果たすとしても、内閣と違って、国民あるいはその代表である国会に対して直接責任を負わない以上、官僚が主役になることは許されない。

 簡単な例を挙げればこういうことだ。大臣の指示に対して、官僚が「それはおかしい」と言って従わなかったらどうなるか。国会によって選ばれた総理と総理が選んだ閣僚の意思よりも官僚の意思が優先することになる。それでは、主権者たる国民の声が行政に反映されなくなり、国民の権利の侵害、すなわち、国民主権の否定につながる。

 官僚は内閣の指揮を受けた大臣に従うのは当然で(国家公務員法上も官僚の人事権は大臣にある)、それに従わない官僚は人事上の不利益を受けて当然。逆に内閣の方針に沿って実績を上げた官僚が出世するのも当然ということになる。

■安倍政権は想定外の怪物だったのか?

 ところが、加計学園の問題で露呈したのは、本来国民のために働くはずの内閣、とりわけ総理が、自己の利権のために仕事をしているという疑惑だ。これでは、官邸主導は、総理個人の利益追求を助長する仕組みになってしまう。憲法が想定したのとは全く逆の事態だ。

 また、官邸(内閣)主導と言いながら、実は総理独裁になっているのではないかという問題もある。憲法では、行政権は内閣に属するものとされ(65条)ていて、決して総理個人に属するものではない。したがって、現在安倍政権が批判されている様々な問題については、果たして「内閣」による行政として行われているのか、あるいは、それを逸脱した「総理個人」の意向で行われているのかという問題を明らかにしていくことも必要だ。

■正しい「政治主導」が実現する可能性が見える

 ところで、安倍政権によって引き起こされた数々の問題が、やりたい放題で誰も止められないものになっているのかというと、実はそうではないということが起きている。暴政ともいえる強引で不透明な行政に対する国民の批判によって、都議選で自民党が大敗し、内閣支持率が大きく下がった。政権の存立が危機に瀕する事態だとも言われている。

 このような事態になれば、安倍政権もこれまでのような行政の進め方はできなくなるという見方もできる。
実は、これこそ、憲法が想定している事態だ。こうした国民の監視が十分な歯止めになれば、今の仕組みを変える必要はないということになる。

 つまり、加計学園の問題も、政治主導が問題なのではなく、決定した政策が適切だったか、その決定手続きや情報開示が公正だったか、そして、特に利権誘導になっていなかったかという観点で国民の監視と評価が適切に政治に反映されるかどうかが問題なのである。その点をしっかり評価し直さなければならない。

■情報公開とマスコミの機能強化がカギ

 そのような観点では、ここまでひどい状態になるまで国民による政治のコントロールがきかなかったことに焦点が当てられなければならないだろう。安倍政権になってから、3回もあった国政選挙で、何故国民は安倍政権にノーを突き付けられなかったのか。

 その最大の理由としては、国民がこんな事態になっていることを知ることができなかったこととこれまで起きてきたいくつかのスキャンダルなどをマスコミがしっかり批判してこなかったことが挙げられる。

 今の憲法も国家公務員法も性善説を前提にしている。しかし、性善説とは言っても、実際には、政治家も官僚も聖人君子ではない。私は以前から「性弱説」を唱えている。要するに、人間は、おおむね正しいことをするのだが、人に見られていない、絶対にばれないと思うと、ついつい他人の利益を害してでも自分の利益を追求してしまう傾向がある。暗い夜道で10万円拾った時、誰も見ていなければ、そのまま懐に入れてしまう人が一定程度出るものだ。一方、後ろから歩いてくる人の足音が聞こえたら、交番に届ける人が圧倒的に多いだろう。要するに多くの人々は、特に悪人でもなく特別な善人でもない。普通の人である。そして、普通の人は「弱い」のである。

 政治家も官僚も同じだ。彼らもそういう弱い存在であるということを前提にしたときに、最も重要なのが、正確な情報開示であることは自明のことだ。自分たちの行動を見られていると思えば、多くの場合、悪いことはできない。しかし、この面において、今回、そこに大きな欠陥があることが明らかになった。

 問題がわかれば、それを正すのは難しくない。情報開示についていえば、政策決定過程のあらゆる文書を残して開示することを担保するための公文書管理法と情報公開法の抜本的改正案を次の臨時国会に提出すべきだ。特定秘密保護法の改正も必須である。

 個人メモだろうが、メールだろうが、携帯メールやLINEのやり取りであろうが、役所の仕事に関係するものは全てを保存する。昔と違って、パソコンもサーバーもその容量はけた違いに増えている。予算と人さえつければそれを実行することは十分可能だ。

 また、どんな些細な情報でも廃棄する場合は、事前にその旨をネット上で公示し、国民から保存要請があったら、全て公文書館に移管して保存する。情報公開はネット上で受け付け、ネット配信なら無料とする。それくらいのことはやる気になればできる。

 それとともに、今回の一連の問題で明らかになったのが、内部告発の重要性だ。森友も加計も防衛省日報も内部告発がなければ、闇に葬られていた可能性が高い。独立した第三者による告発受理機関を設立することが必要だろう。

■マスコミ、特に政治部の改革が必須

 今回の件で、マスコミの機能が非常に弱体化していることが明らかになった。内部告発の情報を入手してもNHKがなかなか放送できなかったというのが最たる例だ。

 また、官房長官会見では、東京新聞社会部の望月衣塑子記者の国民目線の鋭い質問が注目を浴びたが、逆に言えば、それまで政治部の記者は何をしていたのかということだ。今も、各社において、政治部が他の部の安倍政権批判の記事に横やりを入れたり、官邸の記者クラブが官房長官会見での望月氏らの質問を妨害する動きを見せるなど、どちらを向いて仕事をしているのかと思われるような状況になっている。

 国連人権委員会の特別報告者や国境なき記者団、その他の海外の機関から問題視されている記者クラブを直ちに廃止することが国民のためだ。

 それとともに、新聞よりもはるかに萎縮がひどいテレビ局についても、例えば、政権との交際についての自主ルールの公表などを求めたい。加計学園のスキャンダルが大問題になっているさなかに、テレビ朝日の早河洋会長が報道局長、政治部長、現場の政治部記者まで連れて、安倍総理と長時間密室で飲み食いしていたという問題が報じられたが、こういうことは法律などで規制することは難しい。

 視聴者が、こうしたテレビ局の番組は見ないとか、あるいは、批判の意見を送るというような形で監視していくことも極めて重要だ。



http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/114.html#c24

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
219. 中川隆[-6593] koaQ7Jey 2017年8月28日 09:02:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

安い立ち食いそばは人体に危険…殺鼠剤や防虫剤使用の中国産が蔓延の恐れ
http://biz-journal.jp/2017/08/post_20339.html
2017.08.28 文=南清貴/フードプロデューサー、一般社団法人日本オーガニックレストラン協会代表理事 Business Journal


 夏の盛りが過ぎ、秋風が吹く頃になると、おいしい秋の食材が出回りはじめるのが楽しみになってきます。なかでも筆者は「新そば」を楽しみにしています。あの香りと味は、何ものにもかえがたいものです。うどんもそうめんも大好きですが、やはり究極の麺類となると、そばです。

 新そばは、10月中旬くらいから出始める「秋そば」が主ではありますが、その前に出る「夏そば」もあります。香りや味は秋そばにかないませんが、夏そばにもそれなりのおいしさがあります。

 そばの栄養価の高さは、つとに知られていますが、特にルチンの効果・効能は有名です。植物栄養素の一種である、ポリフェノールの仲間のフラボノイドに分類されるルチンという栄養素は別名「ビタミンP」とも呼ばれ、適正に血圧を下げ血栓ができるのを防ぎ、強力な抗酸化作用でがんや動脈硬化、心臓疾患などの、いわゆる生活習慣病を予防するといわれています。抗菌・抗ウィルス作用も強く、免疫力強化にも役立ちます。

 そんな効果を知ってか知らずか、そばは昔から世界中で食べられてきた、優れた食材のひとつです。そばはタデ科の植物なので、正確にいうと穀物ではなく、ヒユ科のアマランサス、アカザ科のキヌアなどと並んで、擬穀物(ぎこくもつ)と称されます。いつ頃、どのようにして日本に伝来してきたのかは定かではありませんが、縄文時代後期の遺跡からそばを食べていた痕跡が見つかっているといいますから、その歴史はそうとう古いです。

 ルチンのほかにも、そばにはビタミン様作用物質と呼ばれるコリン、ビタミンB1やパントテン酸などのビタミンB群、必須アミノ酸のリジンやトリプトファン、そして腸内の有害物質の排泄を促し便秘を解消してくれる食物繊維など、重要な栄養素が豊富に含まれています。

 コリンは私たちの神経細胞を造る成分のひとつですが、記憶力をはじめとする脳のさまざまな機能にかかわっていると考えられています。アルツハイマー病の人にはコリンが不足しているというデータもありますから、日常の食生活でしっかり摂っておきたい栄養素です。また、コリンは体内でレシチンや、アセチルコリンという物質の原材料にもなり、血管内壁に余分なコレステロールなどがたまるのを防いでいるのです。したがって、コリンが十分にあると動脈硬化を防ぐだけでなく、肝臓に脂肪がたまることも阻止してくれます。

■輸入物や乾麺は要注意

 ロシアのそば粥「カーシャ」は有名ですが、イタリアでも「ポレンタ」という一種のおかゆのような料理に使い、中国の北の地域では「猫の耳」と呼ばれる料理があります。インド北部やブータン、ネパール、カシミールなどの国々では「ロティ」という、日本のお好み焼きのような料理があり、ナンやチャパティにそば粉を混ぜたりもするようです。また、最近はフランス・ブルターニュ地方の伝統料理「ガレット(そば粉のクレープ)」が日本でもポピュラーになってきました。

 こうしてみてみると、そばを麺にして茹でて食べるのは日本と朝鮮半島、そしてブータンくらいのようです。それは、茹でてしまうと、そばに含まれるコリンなどの水溶性の栄養素が湯の中に逃げてしまうからかもしれません。それを補うために日本では、そば湯を飲むようになったのでしょう。つまり、そば湯を飲むことで、そばが持つ栄養素をすべて摂り込もうとしたのだと考えられます。

 日本人は、栄養学が入ってくる前から、経験的にそば湯を飲んだほうがいいとわかっていたのでしょう。しかし、乾麺のそばを茹でた場合、そのそば湯は飲まないほうが賢明です。そこには大して栄養物質があるわけではなく、塩分濃度が高いことも考慮すべきだからです。

 このように、食材として本当に素晴らしいそばですが、最近はほとんど小麦粉でつくられ、申し訳程度に少しだけそば粉を混ぜた商品ばかりになってしまったのは、嘆かわしい限りです。さらに、その小麦粉もそば粉も、ほとんどが輸入となっており、日本の伝統も泣こうというものです。

 そば粉の輸入先の大半は中国(約80%といわれている)ですが、ご存じのとおり中国産の食材はあまり褒められたものではありません。そば粉も同じで、農薬や化学肥料の害もさることながら、保管の段階で使われる殺鼠剤や、輸入する段階で使われる防虫剤に警鐘を鳴らす専門家もいます。

 チェーンの立ち食いそば店やあまりにも安いそば店は、使っている原材料に不安があるので筆者は絶対に食べません。詳しくは拙著『行ってはいけない外食』(三笠書房)をご参照ください。

 そばに需要があるからこそ、日本では多くのそば店が営業できているわけで、それだけ日本人がそば好きだということの証左でもあるのですが、ここでもまた食の安全性が問われるわけです。

 素晴らしい日本の食文化のひとつであるそばを守るためにも、そばを栽培している日本の農家を応援してあげてください。落語の「そば清」の主人公ほどではないにせよ、かなりのそば好きを自認する筆者としては、「そばくれぇはなんの心配もしねぇで食えるようにしてくれねぇかい」と、啖呵のひとつも切りたくもなるのです。

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c219

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
107. 中川隆[-6592] koaQ7Jey 2017年8月28日 09:09:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

銀行と業者が結託?狙われる地方家主 相続税節税のアパート経営でトラブル続出〈dot.〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170827-00000015-sasahi-bus_all
AERA dot. 8/28(月) 7:00配信


 相続税の節税のため、アパート建設が増加する中、不動産管理業者が家主に家賃保証して借り上げ、入居者に貸し出す「サブリース」契約を巡るトラブルが地方で続出している。銀行と不動産管理業者が結託し、「損はしない」と甘い誘いをかけ、家主が経営に乗り出すが、数年で空室が増え、借金が返せなくなるケースが目立つ。

*  *  *
 千葉県野田市に住む男性(76)は裁判所から届いた手紙の前で頭を抱えていた。男性は自宅の住宅ローンの借金約570万円と、アパートを購入した際の借金2千万円以上を抱える。自宅は差し押さえられた。裁判所から自宅の評価額の通知を待っている。

 現役時代は中堅の広告代理店で働き、年収1千万円の時期もあった。狂い始めたのは、業者の甘い勧誘を受けてからだ。

 1992年3月、男性は銀行を含む金融機関と約6千万円の融資契約を結んだ。金利は固定金利の7・75%で期間は30年。この資金は、大手不動産管理会社と契約したアパート建設資金約5900万円に充てられた。

 購入したアパートは山梨県に建てられた。「都市部は地価が高すぎる。これからは地方の時代」と言われたからだ。

 男性はアパートを契約する前、すでに銀行から借金し、千葉県野田市に自宅を購入していた。当時その住宅ローン返済に月約5万円を支払い、年収は600万円ほど。副業や不動産収入はない。追加で6千万円もの借金をするには、本来なら融資する側も慎重に審査すべき案件だ。

 男性は契約時、大手不動産管理会社の営業担当者から口頭で(1)10年間、月40万円の家賃保証(2)購入後5年〜10年の期間は無条件で契約時の売買金額で売ることができる特約を説明された。

「家賃保証があり、購入額と同じ金額で売却できるなら」と軽い気持ちでサブリース契約を結んだ。

 アパートのローン返済額は月43万円。家賃保証でもらった40万円を差し引いても、すでに3万円の赤字だったが、「当時の給与で3万円の支払いならば問題なかった」という。

 そして契約から8年を過ぎたころ、アパートの売却を申し出た。購入時の金額で売却できるか、担当者に問うと「そんなことできるわけがありません」と突っぱねられた。男性が反論すると、「証拠となる書類を見せてください」と言われた。その特約を示す書類はどこにもなかった。

 さらに契約して10年を過ぎてからは家賃保証の金額を17万円まで一方的に引き下げられ、自宅の住宅ローンを含めローンの支払額は月に30万円を超えた。

 会社を退職してから、支払いは困難になった。男性は裁判を起こしたが、訴えは棄却された。

「事実と違う説明をされてモノを売りつけるのは違法ではないのか」と憤る。

■地方で増えるサブリース契約をめぐる被害相談

 国民生活センターには、冒頭の男性と同じようにサブリース契約を結んでアパート経営を始め、首が回らなくなった家主からの相談が相次いでいる。

 山陽地方に住む70代の女性は2000年に不動産会社からしつこい営業をかけられ、アパート経営を始めた。銀行から借金をして購入したアパートは徐々に空室が目立つようになり入居者は8部屋中、3部屋まで減った。当初の契約は30年間の家賃保証があったが、契約更新の際、担当者から一方的に賃料を下げると言われた。さらに10年後のリフォーム資金にかかる費用負担の説明が一切なかった。最終的に銀行への返済金が家賃収入を上回り赤字になった。

 国民生活センターには、▽しつこい勧誘▽リスクを明示する重要事項の説明がない▽節税対策と思って契約したが、契約更新の際、不利な条件がつきつけられた――という相談が並ぶ。

 国民生活センターは「アパート建設は、大切な相続のお話に直結する。契約する前に一度立ち止まり、親子で共有することで冷静な判断ができる」とアドバイスする。

 サブリース被害対策弁護団によると相談件数は2012年、月に2〜3件だったが、昨夏から年明けにかけ、地方を中心に相談件数は4倍以上増えた。

 サブリース大手「レオパレス21」(東京都)などを相手に、家主たちが集団提訴を起こすケースも地方で目立つ。

■銀行と不動産管理業者が結託?ビジネスのカラクリ

 冒頭の千葉県の男性がサブリース契約を結ぶ時、背中を押したのは、6千万円の融資をした銀行融資担当者の一言だった。

「家賃保証が付いているこのビジネスモデルはすばらしい」

 だが、このビジネスモデルにはカラクリがあった。

 ある地方銀行の融資担当者はこう打ち明ける。

「銀行が不動産管理業者にアパート建設の顧客を紹介した場合、業者から紹介手数料を受け取る契約を結んでいる」
 銀行と業者間の手数料のやり取りはあまり知られていないが、昔から存在する。一般的に業者が銀行に支払う手数料は建築価格の3%以内とされ、銀行関係者は「銀行が銀行窓口で生命保険を販売する見返りに受け取る販売手数料と同じようなもの」と話す。

 金融庁は3月30日、銀行などに対し、顧客本位の融資を実現するよう注意を勧告。利益相反の適切な管理や手数料の明確化などを求めている。

 銀行と業者間で手数料が発生し、顧客がそのやり取りを知らされていなければ、不利益を被る可能性があるからだ。

 実際、業者が銀行に支払った手数料分を建築価格に上乗せしているか、否かは素人では判断できない。金融庁は「銀行は判断できる立場」とし、顧客本位の業務運営を求めている。

 元地方銀行の融資担当者は顧客本位とは程遠い実情をこう明かす。

「顧客は、メーンで利用する銀行からサブリース契約を紹介されれば、まず信頼する。さらに融資の確約まで得られれば、他社と比較せず金額交渉もしない。銀行への紹介手数料分が顧客の負担になり、建築価格が膨らんでもまず、わからないだろう」

■アパート融資は地方銀行のノルマ達成の頼みの綱

 ある大手地方銀行の融資担当者はこう打ち明ける。「支店の業績表彰のために、事業性融資の金額の底上げが必要になる。アパート融資を推進する理由は、高金利のほかに、アパート融資もこの事業性に組み込まれていることが要因」

 事業性融資とは、企業が手がける事業の成長性などを評価して貸し出す仕組みだ。この事業性部門は支店の要で、融資担当者にとって、アパート融資の目標達成は人事上での評価も高いという。

「これまで銀行全体としてアパート融資に積極的だった。一定の給与収入があれば、支払い能力があると判断し、アパートの家賃収入の試算が甘くても融資できた。(貸出額を引き上げるための)最後の頼みの綱だった」(前出の担当者)

 しかし、ここ半年ほどで雰囲気が変わった。

「本部がアパート融資に歯止めをかけ始めている」というのだ。

 それでも現場レベルでは貸し出す企業がなければアパート融資に頼る現状は変わっていない。

「震災復興需要で業績が良い企業にアパート融資をお願いしたりして、企業向け融資(事業性融資)を稼いでいる支店が多い」のが実情だ。

 日銀が8月10日発表したアパート融資の新規融資額を示す「個人による貸家業」の統計によると、4〜6月期は7171億円で、前年比で14・6%減少した。前年比2期連続で新規融資が減った。

 一方、日銀が09年度からアパート融資の残高を把握するために始めた統計によると、大手銀行の10年3月末のアパート融資残高は11兆円。一方で地方銀行は8兆9千億円。その後大手行は残高を下げ、17年3月末に8兆3千億円まで落とした。一方、地方銀行は逆に右肩上がりに残高を積み増しし、17年3月末に13兆8千億円まで増加していた。

 サブリース被害対策弁護団の増田祐一弁護士は「昨年9月に国交省が通知を出し、一部業者に対し、家主へのサブリースのリスク説明を徹底させた。その後、大手の不動産業者、都銀は過度な営業活動を控えている」

 しかし、人口減少に直面する地方銀行はアパート融資が増加。地方では貸し出しできる企業が少ないため、アパート融資で貸出残高を積み増ししてきた実態が透けてみえる。

 不動産コンサルタントの長嶋修さんはこう分析する。

「不動産業者、地方銀行の多くは今もアパート融資に積極的。アパート経営をしたことがなく、不動産投資に疎い地方の地主が狙われやすい。駅から遠いなど、需要がない場所でもアパート建設の営業をしている事例も多い」

 前出の増田弁護士によると、最近は大手ではなく、中小の不動産業者と契約した相談者から、「アパートがいつまで経っても建てられない」といった、より悪質な被害相談も増えているという。(佐藤拓也)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c107

[政治・選挙・NHK231] プロパガンダに惑わされず、史料に基づく歴史の検証を行おう。(日々雑感) 笑坊
1. 中川隆[-6591] koaQ7Jey 2017年8月28日 09:45:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>南京大虐殺では25万人しかいなかった南京城内で30万人が虐殺されたとするデマが大々的に宣伝されたからだ。

またデマ流してる

真実は

日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少 2014年01月08日

吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。人民日報海外版が伝えた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。(編集NA)

 「人民網日本語版」2014年1月8日
http://j.people.com.cn/94474/8507124.html


30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。 電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。

2002/12/21 09:31 【共同通信】
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/480.html#c1

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/400.html#c1

[政治・選挙・NHK231] プロパガンダに惑わされず、史料に基づく歴史の検証を行おう。(日々雑感) 笑坊
2. 中川隆[-6590] koaQ7Jey 2017年8月28日 09:49:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>実際に朝鮮人が徒党を組んで東京の深刻な被災地を荒らし回っていたのも事実のようだ


これは警視庁の正力松太郎が流したデマだとわかっている:


関東震災後の朝鮮人虐殺の黒幕は警視庁だった


■「虐殺」という表現について

 関東震災後の日本人による朝鮮人殺害について、「虐殺」と表現するのが適当かどうか。今回の参考文献に、以下のような記述があった。俄かに信じられない(あるいは信じたくない)内容だと感じると同時に、ここに書かれているのはやはり事実なのではないかと思う。正直に言って、どう取り扱うべきかは手に余る問題だったので、虐殺と言う表現の妥当性については、各位の判断にお任せする。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。
 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……

身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、

という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。
(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

〈関東大震災から80年〉 朝鮮人女性への残虐な性的虐待


荒川放水路の四ツ木橋付近での虐殺に関する証言に次のようなものがある。


 「22、3人の朝鮮人を機関銃で殺したのは四ツ木橋の下流の土手だ。

西岸から連れてきた朝鮮人を交番のところから土手下におろすと同時にうしろから撃った。

1挺か2挺の機関銃であっという間に殺した。

それからひどくなった。

四ツ木橋で殺されるのをみんな見ていた。

なかには女もいた。


女は……ひどい。

話にならない。

真っ裸にしてね。いたずらをしていた」

(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会「風よ 鳳仙花をはこべ」教育史料出版会、1992年、58〜59ページ)


 これは朝鮮人女性を性的にもてあそんだうえで虐殺したということなのであろう。

これは例外的な事件ではない。

女性に対する性的虐待、虐殺の事例は数多くあった。


 東京府南葛飾郡での朝鮮人女性に対する虐待、虐殺事件

 湊七良、亀戸五の橋で朝鮮人女性のむごたらしい惨死体を見た。

「惨殺されていたのは30ちょっと出たくらいの朝鮮婦人で、性器から竹槍を刺している。

しかも妊婦である。

正視することができず、サッサと帰ってきた」

と回想した。
(「その日の江東地区」『労働運動史研究』第37号、1963年7月、31ページ)


 亀戸署内では習志野騎兵連隊の軍人たちが朝鮮人や日本人労働者たちを虐殺した。

この状況を目撃した羅丸山の証言によると、殺された朝鮮人のなかには「妊娠した婦人も一人いた。

その婦人の腹を裂くと、腹の中から赤ん坊が出てきた。

赤ん坊が泣くのを見て赤ん坊まで突き殺した」

(崔承万「極熊無筆耕−崔承万文集−」金鎮英、1970年、83ページ)


 当時砂町に住んでいた田辺貞之助は多数の朝鮮人惨殺死体を見た。


「なかでも、いちばんあわれだったのは、まだ若い女が、腹をさかれ、6、7カ月くらいと思われる胎児が、腹ワタの中にころがっているのを見たときだ。


その女の陰部には、ぐさりと竹槍がさしてあった。

なんという残酷さ、

あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」

(「恥ずべき日本人」『潮』1971年9月号、98ページ)


 野戦銃砲兵士第一連隊兵士の久保野茂次は1923年9月29日の日記に岩波少尉たちが小松川で

「婦人の足を引っ張り又は引き裂き、あるいは針金を首に縛り池に投げ込み、苦しめて殺した」

ことを記した。

(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編「歴史の真実 関東大震災と朝鮮人虐殺」現代史出版会、1975年、18ページ)


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺の歴史的意味


 上記のような朝鮮人女性に対する言語に絶する虐殺の残酷さは、民族差別にさらに女性差別が加わって行われた結果であろう。

このような日本人の行動は、朝鮮人が暴動を起こしたとデマが流されたので、自衛のために自警団を結成したといったものではなく、極めて攻撃的である。

それは民族的には支配民族としての優越心、性的には男性としての優越心に発した行動であったと思われる。


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺に関しては、当時も、その後も議論、反省されることは皆無だった。

その無反省がアジア・太平洋戦争の時期の「従軍慰安婦」制度を生み出したといえないだろうか。

吉野作造は、千葉で行われた朝鮮人少年に対する日本人の虐殺事件をつぶさに日記に記し、その末尾に「これを悔いざる国民は禍である」と記した。

(「吉野作造著作集」14、岩波書店、1996年、357ページ)


 日本人拉致事件発表後の他者のみに厳しく自己に甘い日本人の二重基準を見ると、朝鮮や中国に対する日本人の良心喪失を憂慮し続けた吉野の言葉を日本人は今もう一度かみしめなければならないように思われる。

(山田昭次、立教大学名誉教授)

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0827-00001.htm


関東大震災直後の朝鮮人に対する殺人行為


 当時,埼玉県の「児玉郡本庄町」や「大里郡熊谷町」(いずれも当時の名称,現在の本庄市・熊谷市)で発生した朝鮮人殺戮事件は,関東大地震発生後,東京方面ですでに起きていた朝鮮人などに対する殺人行為から彼らを保護する目的で,その被害の少なかった埼玉県や群馬県方面に彼らを避難させようとする最中に起こされた出来事である。

 本庄町のばあい,地元の住民たちによって結成された自警団が,本庄警察署に到着したトラックに乗っていた朝鮮人たちに襲いかかり,リンチに発展した。

警察は人員不足から阻止することもできないまま,この事件で50人から100人程度の朝鮮人を殺させた。

しかも,殺された朝鮮人たちは,妊婦の女性や子どもたちも大勢含まれていた。


 それでも,このリンチにくわわった者の多くは,事後に開廷された裁判の判決では「執行猶予付の騒擾罪」を受けるだけの「穏便な処分」で済まされていた。

さらにあとでは「恩赦」があり,彼らの刑罰は免除されてもいた。


これが,朝鮮人の子どもたちの首を刎ね,女性(妊婦)にも竹槍を突きさし,男性を日本刀で切りさいて殺す,などという凶行を働いた人たちに対する「事後の法的刑罰」であった。 


この歴史的な殺人事件の犯人たちは,大地震後の社会不安の状況のなかで「流言蜚語」に惑わされてしまった結果,本庄町では,警察が避難させるために保護し護送してきた子どもや妊婦も含む朝鮮人たちを,50人か100人くらい殺してしまった。

けれども,事後にいちおう裁判がおこなわれたものの,犯人たちは「執行猶予」付きの判決で「実質無罪にされ」だけでなく,さらに恩赦もあって,受けた刑をとり消してもらっていた。


第2次大戦後後に法務省の高官は,外国人〔=在日韓国・朝鮮人など〕は「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」(1965年の発言)と言ってのけた。


 関東大震災直後に起きた朝鮮人〔など〕の虐殺事件は,それよりも32年も前の悲惨な出来事であったけれども,すでに庶民の次元で「朝鮮人はけしからぬ奴ども」だから,「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」という残虐な情念に即して,同じ地震の被災者でもあった朝鮮人たちを「殺してもかまわぬ」という気持を実行に移していた。


裁判の最中に殺人行為に関してみなで哄笑する

 1) 殺人行為の様子

 1910年に朝鮮〔当時は大韓帝国と称していた〕を軍事的に脅して合邦し,植民地にした日本帝国であった。

朝鮮民族の底しれぬ怒り・恨みを買ったことはいうまでもない。

この事実が反転されて,日本人・日本民族側の気分においてはどうなったかといえば,朝鮮民族を心底でひどく恐れる感情を醸成してもいた。

 関東大震災直後,官庁関係〔警察・政府・戒厳司令部など〕から意図的に提供された《流言蜚語》を真に受けた庶民たちは,

「朝鮮人が井戸に毒を撒いている」

「朝鮮人たちが徒党を組んで攻めてくる」

と聞かされたのだから,大地震のために混乱した状況のなかで自衛し,朝鮮人どもを「捕まえてなんとかしてもかまわぬ」と考えた。

ある意味でこの考えは理の必然でもあった。


 国家当局側,それも一部で作為的な虚報を流した部署の関係者においては,たとえば軍隊は「東京などでは朝鮮人が反抗したといった理由で銃剣で刺殺或いは射殺するなどの虐殺をおこなった。

こうしたことは,目撃者の談話などでも明らかにされている」。


さらに,その「流言の拡大に驚いて,日本刀,竹槍,鳶口,棍棒などで武装した自警団が各地に出現したが,こうした軍隊,警察の行動をみて,凶暴な行動に出たことはいうまでもない」。

 「各地で “鮮人狩り” がはじまった」。

その「あまりのひどさに驚いて出したと」いう「9月3日の警視庁の宣伝ビラ『急告』も」「鮮人の大部分は順良にして・・・」といいながらも「『不逞鮮人の妄動』を否定していない」始末であった(前掲『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』13頁)。

萱原白洞「東都大震災過眼録(1924)」の写真は,震災後にその記憶を頼りにして描かれた絵画であるが,よくみると右下部分には「虐殺された朝鮮人の死体」が転がっていた(つぎの左側にその部分を切りとった画像をかかげておく)。

まわりの人たちは「朝鮮人をやっつけたぞ!」といって「歓声を挙げている」図である。

これは,萱原の網膜に焼きついて忘れられなかった記憶を復元させたものである。

     

 この絵画全体(9月1日参照)を観察すると,警察官をはじめ,法被を着た男,そして手に棒切れをもった子どもまで描かれていることに気づく。

前段の著作『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』に説明された当時の,官民一体になる殺人実行の現場の様子がこの絵画には正直に写されている。

 前掲右側の写真は,関東大震災時における殺人行為を現わした〈有名な1葉〉である。

警察官と民間人が「殺した朝鮮人2体」を,それも民間人は棒で突くかのような格好で,あたかも記念写真を撮るかのように構えている(前掲書,口絵より)。


「凶器は日本刀,鳶口,竹槍,鉄棒や長さ6尺位の棍棒,小刀,包丁或いは石棒など奇抜なものがズラリ」(同書,167頁)。


 2) 裁判の様子

 さて,警察が東京方面からトラックに乗せて避難させてきた朝鮮人を殺した人たちのうち,埼玉県熊谷市の人びとに対する裁判もおなわれていた。『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』はその一場面をつぎのように描写している。


 a) ある被告の答弁。

裁判長から「お前は首を落とす積りで再びやったというぢゃないか」と叱られると

「そうです。そうですが首は落ちませんでした」

といい,石を打ちつけたことについては,「黒い石はこの位でした」と大きな輪を作る。

満廷もクスクス笑う。

事件とは思われぬ光景だ(158−159頁,1923年10月22日『東京日日』夕刊)。


 b) 「裁判長の突っ込みも茶気たっぷりで曽我廼家の芝居でも見ているようだ」。

「裁判長が『お前は一番最年長だのにどうしてそう無分別だ』と揶揄すると『毎晩4合ずつ引っかけやすのでツイその』と満廷を笑わせてひとまず休憩・・・」。

〇〇万治は

「私は倒れていた鮮人を殴っていると警官が『もう死んでいるからいいじゃないか』と申しました」
(159頁,1923年10月23日『東京日日』)。


 c) 「〇〇隣三郎は事実を是認したがこの樫棒で殴ったろうといわれた時ヘイそのちょっとやったまででと答え,

裁判長からこの6尺もある樫棒ではちょっとやられたってたまるものかといわれ,判官はじめ満廷も吹き出させた。

また,それがそのちょっと飲んでいたものですからというのに,裁判長が酒を飲んでいたのか,ちょっととはどの位飲んでいたのかと問われ,4合ですと答えてまた満廷を吹き出させた」(161頁,同上)。


 d) 「『本庄警察の方が騒がしかったのでいって見ますと,3台の自動車に鮮人が乗せられてその内ころがり落ちた3鮮人の胸を刺しました。

一ぱい機嫌でしたからついへゝゝ』

とありのままを申し立て『お前のやった事について今日はどう思っている』ときかれても返事も出来ぬ程の被告である」(175頁,1923年10月25日『東京日日』朝刊)。


それにしても,殺人事件の裁判であるにもかかわらず,この法廷に関する当時の報道をとおしても「ずいぶんに和気あいあい」とした雰囲気が,よく伝わってくるではないか。


 そもそも,関東大震災時のこうした虐殺事件で犯人=被告となって裁判を受けた人びとは,関係した非常に多人数の犯行者全員を被告とするわけにもいかない事情があったため,しかたなくその代表として選ばれ応じて出廷していた一部の者であった。

したがって,前段 a) b) c) d) に紹介した法廷におけるやりとりのように,人殺しの犯人たちにしてはふざけたような口調さえ聞こえてくる。

 つまり,関東大震災のさい「惹起された他民族殺戮行為」は,官憲がわがでっち上げた朝鮮人騒擾「説」を契機に起こされていた。

しかもこのように,殺人事件の審理とも思われない〈身内を庇うかのような共有の感情〉のなかで,被告たちが裁かれていた(!?)のであるから,その「異常な事態を異常とも思わない」当時の時代精神の恐ろしさがあらためて疑われてよい。


 要するに,この大量殺人事件を裁くために開廷された場所においては,裁判官にも被告にも傍聴席にも「満廷に笑いの渦」が吹き出ていたというのである。

そもそも軍隊が,多数の朝鮮人・中国人を大衆の面前で虐殺していただけでなく,社会主義者・無政府主義者もついでにといっていいように,無法なかたちでもって捕縛・虐殺していた。

これでは,国家機関である裁判所が,関東大震災時において殺人行為を犯した一般庶民をまともに裁けるはずもなかった。
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2394667

歴史の汚点といえば、大正12年(1923年)関東大震災のときの朝鮮人虐殺はどうであろう。

日本人はよくアメリカ人のマネが得意だといわれるが、なぜこのような、おぞましいことまでまねる必要があったのだろうか。

それもたんなる排斥にとどまらず、虐殺の挙にでたところなど、出藍の誉れというべきか。

しかもその虐殺は、政府筋の計画的煽動に乗って一般の民間人がおかした犯行だという点で、アウシュビッツのことは、その存在さえも知らなかったというドイツ人のばあいとも異なる。


震災がおそった9月1日の午後、東京市内の被害状況を巡視した内務大臣水野錬太郎(元朝鮮総督府内務総監)は、その惨状のなかにあえぐ人々のいら立ちがが支配階級に向けられることを防ぐためには、朝鮮人と社会主義者の弾圧が必要であると判断し、

1日夜から2日夜にかけて、東京、神奈川の各警察署に朝鮮人暴動のデマを流させ、

さらに3日午前、朝鮮人暴動の「事実」についての電文を作成、船橋海軍無線送信所から全国地方長官当宛に打電させた。


中山競馬場の名物になっていたこの無電台が1971年夏撤去され、「なつかしい風物詩」が消え去ったことを嘆く人も少なくないという。

しかしわたしはあの不気味な鉄塔をながめるたびに、背筋に寒気をおぼえずにいられなかった。



朝鮮人暴動のデマは、またたく間に日本全国にひろまり、警察とそれに呼応した民間の自警団は、政府公認の朝鮮人虐殺を開始した。


竹槍で刺し、トビグチで頭を割り、ノコギリで首をひき、さしみ包丁で妊婦の腹をさく……


阿鼻叫喚の地獄絵図のなかで、抵抗のすべもなく殺されていった朝鮮人の数は6,000人をこえた。



「ハダカ同然の死がいが、目をあけたまま頭を北にして空地に並べられていました。

数は二百五十ほど。

ノドを切られて気管や食道が見えている人、

首筋を切られて肉がザクロのようにわれている人、

無理に首をねじ切られたらしく、皮と筋がほつれている人…


なかでもあわれだったのは、まだ若い女性の腹が真一文字に切りさかれ、その中に六、七ヶ月の胎児が目をとじて姿でした」



以上は仏文学者田辺貞之助氏が目撃した、その日の朝鮮人の姿である。



「旦那、朝鮮人はどうですい。

俺ァきょうまで六人やりました。…

天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさァ。…

電信柱へ、針金でしばりつけて、…

焼けちゃってナワなんかねえんだからネ…。


そして、殴る、蹴る、鳶で頭へ穴あける、竹槍で突く、めちゃめちゃでさァ。



けさもやりましたよ。…

奴、川へ飛び込んで、向かう河岸へ泳いで逃げようとした。…

みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ、でとうとう舟を出した。


ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分位も水の中へもぐっていた。

しばらくすると、息がつまったとみえて、舟のじきそばへ頭を出した。

そこを舟にいた一人の野郎が、鳶でグサリと頭を引掛けて、ズルズル舟へ引きよせてしまった。…

舟のそばへ来れば、もうめちゃめちゃだ。

トビグチ一つでも死んでいる奴を、刀で斬る、竹槍でつく…」


『横浜市震災誌』に記録されている、ある日本人のその日の武勇談である。



サンフランシスコ震災で、日本人排斥運動が燃えあがったとき、大統領テオドル・ルーズベルトは怒りにふるえてこれを非難したという。

大統領が国会に送った年頭教書(1906年12月4日)を読むと、大統領は日本人排斥運動を「ウィキッド・アブサーディティー(悪辣な愚行)」と痛罵し、これがアメリカの恥であることを述べ、もしこのような愚行がやまないならば、日本人保護のために、軍隊を動員するとまでいきまいている。



日本のばあいどうか。


虐殺が行われた大正12年から今日にいたるまで、わたしたちは、責任ある日本の為政者から、一言たりとも陳謝の言葉を耳にした記憶はない。

いや、「貧乏人は麦を食え」で勇名を馳せた池田勇人元首相からは一言きいたことがある。


「朝鮮を併合してから、日本の非行に対しては私は寡聞にして存じません」。
http://blog.livedoor.jp/danjae/archives/51404976.html

震災当時、修羅の巷と化していた東京近郊では、もう一つの惨劇が発生していました。

事実無根の流言蜚語に踊らされた人々が、次々に無辜の朝鮮人を虐殺していったのです。


 元来、巨大地震などの激甚災害襲来直後には、情報の空白が生まれ、その中でさまざまな流言蜚語が生まれるといわれています。

関東大震災の時にもやはり、根拠の定かではない怪しげな噂が東京周辺を駆け巡っています。

最初は巨大地震再来や大津波襲来、富士山大噴火の噂が流れました。

これら自然の脅威に関する噂は、震災の記憶が生々しい間には威力を振るいますが、事態が小康を得るにつれ、次第にフェードアウトしていきます。

これに取って代わるように頭をもたげて来たのが、世情不安に絡む諸々の噂です。

地震によって刑務所から放たれた受刑者たちが暴動を起こすと言う噂、平生の世の中に不満を持つ社会主義者たちが混乱に乗じて暗躍すると言う噂…。


そして、日本社会で虐げられてきた朝鮮人が、震災を千載一遇のチャンスとばかりに日本人に対する逆襲を行うと言う噂です。

世情不安型の噂の中でも、朝鮮人に関する噂に対する反応は、前二者に比べてひときわ鋭敏だったようで、つまるところそれが虐殺に結びつきました。


 当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。

背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。


そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。

その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。

しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。

日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。

小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。


 惨劇を招いた流言はどこから発生したのか。

噂・流言研究の題材としては定番中の定番ともいえるようなこの関東大震災時流言ですが、実のところ最初の流言が、いつ、どこで発生したのかについて、はっきりとしたことは分かっていないようです。

確認できる範囲でもっとも早い段階の事例だと思われるものは、地震が発生した9月1日当日の夕方、横浜市本牧町あたりのもののようです。

実際には、似たような噂が同時多発的に発生していたと見るのが自然でしょう。

最初に囁かれた噂は、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火を行っている」という様なものです。


噂は夜を越えるうちに、朝鮮人による強盗、強姦、殺人、井戸水への毒の投げ込みという形へ発展していきました。

噂の伝播・変質をもっと長いスパンで捉えた場合には、「朝鮮人が伊豆大島に爆弾を仕込んで地震を起こした」というような突飛なものまでも発生したようです。


 井戸水へ毒を投げ込まれるという毒水流言は、古くその歴史を遡る事ができ、決して関東大震災に特有の珍しいものではありません。

中世ヨーロッパでは、(大正期日本における朝鮮人と同じように差別待遇を受けていた)ユダヤ人が井戸水にペスト菌を投げ込むと言う噂が流れた事があります。

日本国内の酷似した事例では、明治19年、愛知県下之一色村(当時。現在の名古屋市中川区下之一色)での出来事があります。

当時、全国的にコレラが流行しており、下之一色でも患者が発生しました。

そこで官憲が公衆衛生維持のために井戸水へ消毒薬を投げ込んだのですが、これを見た村人たちは「住人を殺害するために毒薬を投入した」と誤解し、竹槍や鎌で武装して暴動を起こしました。

そして鎮圧に動いた官憲と衝突、双方に死者を出しています。

若干余談になりますが、この名古屋の事例からは、人間には自分の命を脅かす者を容赦なく殺す部分があることをうかがえます。

虐げられた朝鮮人の存在は、震災時に毒水流言の真実味を補強する材料となりましたが、虐殺という行為に直接つながったのは、民族差別とは別次元の要素なのかもしれません。


 地震によって井戸水が濁るのは良くあることです。

関東大震災の時も上野でこの現象があり、知識のない一般人にとっては、これが毒水流言の真実味を補強する材料となりました。


 東京帝国大学教授・吉野作蔵の調査によると、

「朝鮮人はもともとテロ活動を目論んでいたが、震災の破壊と混乱を千載一遇のチャンスとして蠢動しはじめた」

という見方が、数多くの流言の底流にあったと思われる節があります。

そう考えた人たちにしてみれば、「火災被害の拡大も朝鮮人の暗躍のせい」となりました。


 また偽情報の傾向を追っていくと、朝鮮人の襲撃は神奈川方面から東京を目指して行われると考えられていたようです。

あるいは、噂の伝播の傾向と一致するものなのでしょうか。

 このように流言蜚語による混乱が生じた場合の対処には、正確な情報の周知徹底が必要である事は論を待ちません。

現代的な感覚で言えば、行政の広報や、各種マスコミが正しい情報を発信する役割をになう事になります。

では関東大震災の時、各種情報インフラはどのような状態だったのでしょうか。


 当時まだテレビなど存在していなかった事は言わずもがなですが、大正12年にはラジオの放送も行われていませんでした。

NHKによるラジオ放送開始は、震災から2年後の1925年(大正14)の話です。

この時代の情報伝達の手段としては、電信・電話網が重要な役割をになっていたようですが、これも被災して壊滅状態。

在京各社の新聞報道も社屋の被害により停止状態。

復旧が順調だった東京日日新聞の場合で、新聞の発行が再開されたのは5日の夕刊から。遅いところでは19日になるまで新聞記事を発行する事ができませんでした。


これに対し、震災の被害を被らなかった地方新聞は、流言の内容を真に受け、そのまま報道するという失敗(脚注参照)を犯しています。

また地震により発令された戒厳令の関係で、官憲による情報管制も敷かれました。


 その官憲は、早い段階においては流言の内容を信じ、むしろ自分が朝鮮人虐殺に加担していたと言われています。


官憲は自分自身が流言情報の権威付けを行った上でこれを民衆に向けて発信し、そこから跳ね返ってきた情報を自分で受信してそれを信じ込むという過ちを犯してしまったようです(脚注参照)。


官憲による虐殺は、関連資料の多くが隠蔽されたため、実態が良く分かっていません。


そもそも、この流言の発生源が、他ならぬ官憲であったとする陰謀論の見方も根強く、これが一定の説得力を有しているようです。


亀戸事件・甘粕事件など、憲兵隊は流言による混乱に乗じて、日ごろから自分達が不穏分子と見なしていた集団の「粛清」を行ってもいます。

マッチポンプの可能性すら疑われている憲兵に比べ、警察や震災を受けて発足した戒厳令司令部は、比較的早い段階で流言はあくまで流言に過ぎないことを看破し、事態の収拾に向けて動き出しています。


 日本では伝統的に隣組的な組織が存在しており、その点で自警団の結成をうながす素地はあったと言えます。

関東大震災時に結成された多くの自警団も、もともとは朝鮮人に限らず火事場泥棒に対し、また、地震被害に対処するために自然結成されたものでした。

自警団に参加していた人の言によると、飢餓と流言が自警団を虐殺行為へと駆り立てたという実感があるようです。

また、民衆の中でも流言が流言である事に気づいている人が少なくなかったのかもしれません。


しかしながら、そのことに気づきつつ、これを積極的に吹聴した者もいました。

また、内容に不信を持っていても、頭からそれを否定するような事をしにくい空気があったようです。


噂を否定する事で回りから浮き上がってしまう恐れもあったのでしょうし、万一の危険の可能性を見逃してしまう事を恐れたからなのかもしれません。


ある種の使命感に駆られて積極的に言いふらした者もいたようですが、不思議なもので、事実かどうかは怪しいことを自覚しているはずの情報も、「事実である」と言う触れ込みで吹聴して回っているうちに、話者の中で次第に紛れもない事実であると認識されれるようになっていくようです。


 自警団の活動は、流言が盛んに飛び交い始めた前述の1日夜を越えたあたりから始まりました。

手近で武器になりそうなもの、中には銃や日本刀で武装した彼らは、中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせる朝鮮人狩りを開始しました。

外見上では日本人との明確な差異を認められない朝鮮人を識別するために用いられた方法の代表的なものが、「十五円五十銭」と発音させてみる方法です。

朝鮮人には、「チュウゴエンコチュッセン」としか発音できない人が多いそうです。


この方法は官憲も用いていました。


これ以外の識別法としては、「教育勅語の暗誦」「座布団と言わせる」「歴代天皇の名前を答えさせる」「ザジズゼゾ、ガギグゲゴを発音させる」「君が代を歌わせる」「いろはカルタを言わせる」などといったものがあったようです。


もちろんこの方法は、簡易ではあるものの確実な識別法ではなく、勘違いから日本人や中国人も殺害されています。


被害者数は調査主体でまちまちですが、「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」(内務省警保局調査)、「2711人」(吉野作造調査)、「6415人」(独立新聞調査)などの数字があがっています。内務省警保局の算出した数はあまりにも少ないと言えます。


事後の事務処理を簡略化するため、「虐殺」の認定条件を極端に厳しくしている可能性があるようです。

その反面、独立新聞=朝鮮人側の新聞が提示した6000人超と言う数字も、他の事実との整合性に問題があるために絶対的に信頼の寄せられるものではありません。

政治的思惑がもっとも薄いと思われるのが、吉野作造による調査結果ですが、組織力=調査力において他の二者に見劣りする感が否めないのも事実です。

なお、この件に関する犠牲者をもっとも多く出したのは、神奈川県ということで間違いないようです。


 最終的に事態が沈静化に向かったのは、民衆が警察などが発信する情報を受け入れて冷静さを取り戻したためではなく、自警団が軍による力での押さえつけに屈したからだと見るのが妥当なようです。

民衆が理性的な判断を行ったのは、力で行動を押さえつけられ、文字通り手も足も出なくなってからの事でした。

なお余談になりますが、当時の警察は、人員数はもちろん、そしてその武装の内容においても、自警団に劣っていたため、最終的には軍部の軍事力を背景にして事態の沈静化に乗り出さなければならなかったようです。


■各地方紙の誤報 ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋


「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。

東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)


「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 

火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」
(福島民友新聞、九月四日)


「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 

爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 

警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)


「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 

彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」

(北海タイムズ、九月五日)


■官憲の主な動き(時系列) ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P66より抜粋

九月二日十四時ごろ:内務省警保局長より呉鎮守府、地方長官宛電報。

東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。

スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。


九月二日夕刻:警視庁、戒厳令司令部に、朝鮮人による火薬庫放火計画があると報告。

同    :警視庁菅下各警察署に通達。
 
鮮人中不逞ノ挙ニツイテ放火ソノ他凶暴ナル行為ニイズルモノアリテ、現ニ淀橋・大塚等ニ於テ検挙シタル向キアリ。

コノ際コレラ鮮人ニ対スル取締リヲ厳ニシテ警戒上違算ナキヲ期セラレタシ。


 九月三日十六時三十分:海軍省船橋送信所所長電信発信(独断)。全国で受信。

船橋送信所襲撃ノオソレアリ。至急救援頼ム。騎兵一個小隊応援ニ来ルハズナルモ、未ダ来タラズ。


九月四日八時十分:船橋送信所電信発信。

本所(船橋送信所)襲撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団接近、騎兵二十、青年団、消防隊等ニテ警戒中、

右ノ兵員ニテハ到底防御不可能ニ付約百五十ノ歩兵ノ急派取計イ度ク、当方面ノ陸軍ニハ右以上出兵ノ余力ナシ。


■不逞鮮人

 震災当時の政治用語。抗日的な運動を行う朝鮮人に対し、官憲が用いた呼称。

この言葉にも当然、「朝鮮人」と同じ問題が付きまとう。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。

 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、

一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……


身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。

実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。

そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、

その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、


という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。


なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。

したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。

(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


 魔女狩りを彷彿とさせる、集団ヒステリーが生んだ狂気か。


 この「虐殺」に関する話は、関東大震災を起源とする「防災の日」の各種行事の場面などでも、滅多に触れられる事がないのだという。

この種のイベントは専ら自然災害としての地震の恐ろしさに対する啓蒙を目的に行われるものらしく、天災から派生した人災についてはほとんど言及しないのだそうだ。そして、その現状を無念に思う韓国人・朝鮮人は多い。


参考文献
山岸秀 、2002年、『関東大震災と朝鮮人虐殺 80年後の徹底検証』、早稲田出版
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生。
この時政府の宣伝


「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」

に乗せられた民衆は、社会主義者、労働組合幹部や朝鮮人に対して野蛮なテロを行い、9.3日、亀戸事件により南葛労働組合の指導者・川合義虎らの社会主義者やアナーキストらが亀戸警察署で虐殺された。

9.16日、大杉栄が妻・伊藤野枝、甥(おい)の橘宗一と共に甘粕正彦憲兵大尉に殺害された。


 9.7日、政府は、関東大震災時の混乱に対して「治安維持の為の緊急勅令」を公布した。

これは、前に成立を見なかった「過激社会運動取締り法案」を、このたびは天皇の名のもとに議会の審議を要しない緊急勅令という形で公布したということである。

しかし、政府はなお満足せず、やがて治安維持法に向けて着々と周辺整備していく。


 「第一次共産党事件」と「関東大震災直後の反動攻勢」に接して、獄中闘争組の中からも解党的方向が提起されたようである。

幸徳秋水の大逆事件、関東大震災時の大杉栄虐殺事件という官憲側のテロル攻勢に「緊急避難」の名目で党の解党止む無し論が強まっていった。


 これに関連して福永操は次のように述べている。

「革命運動の犠牲者たちは、人民が(人民のほんの一部でもが)その犠牲の意義をみとめて心の中で支持してくれると思えば、よろこんで死ねるであろう。

なさけないのは、大逆事件関係者に対する日本の一般民衆の反感がものすごかったことであった。

事件そのものにまったく無関係であった社会主義者たちまでが、この事件のとばっちりを受けて、『主義者』というよびかたのもとに一括して世間からつまはじきされて、文字どおり広い世間に身のおきどころもない状態になったことであった。

労働運動も火が消えたような状態になった」(福永1978)。


 以下、検証する。 


【関東大震災発生】

 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。

地震の規模はマグニチュード7.9、震度6であった。

焼失家屋24万戸、崩壊家屋2万4千棟、死者5万9千人、行方不明者を入れると犠牲者は10万人以上という被害が発生した。

これにより関東一円の商工業地区が壊滅的大打撃を受けた。被害総額は当時の金で約100億円(当時の一般会計の6.5年分、現在で数兆円)と推定される。


 関東大震災の翌9.2日急遽、軍による戒厳令司令部を設置した。

この日、後藤新平が内務大臣に就任している。

 警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事が特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


「内務大臣・後藤新平と正力の繋がり」について


 正力は、この後藤新平と深く繋がっており、「直接ルート」の間柄。正力の富山四高時代の友人にして官房主事であった品川主計は、回想録「叛骨の人生」の中で「正力君は、後藤新平内務大臣に非常に信用があった」と記している。

同書に拠れば、越権的な「汚れ役」(ダーティーワーク)仕事を躊躇無く引き受けることで信頼を得ていったとのことである。

「仕事の鬼としての出世主義的性格」が強かった、ということになる。

正力は、後藤内相の下で警視庁警務部長となる。

同時に、財界のご意見番的存在であった郷とも親しくなって行った。


【流言飛語飛び交い、朝鮮人、社会主義者、アナーキストの検束始まる】


 直後、

「朝鮮人、中国人、社会主義者、博徒、無頼の徒が放火掠奪の限りを尽くしている」

との噂が飛び交い始めた。

発生源は在郷軍人会、民間自警団辺りからとされているが、今日なお真相不明である。


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、「朝鮮人による放火、井戸への投毒」という風評を逆手に取って朝鮮人と社会主義者、アナーキストの検束を始めた。

9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。


 東京朝日の石井光次郎営業局長の次のような証言がある


 「建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。

夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。

帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。

そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。

石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。


 『正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい』。

間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。

その部下が言うには、正力から、

『朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。

君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ』

との伝言を託されてきたというのである。


 そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。

下村の『その話はどこから出たんだ』という質問に、石井が『警視庁の正力さんです』と答えると、下村は言下に『それはおかしい』と言った。

『地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。

予期していれば、こんなことになりはしない。

朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。

流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん』。


 石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。

正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。

いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた」


 内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、

「こうなったらやりましょう」と息まいている。


この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。


 正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、

[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]

と結論づけている。

更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、


「この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり」

と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。


【関東大震災時事件その@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺】


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、

「朝鮮人による放火、井戸への投毒、襲撃」、

「震災の混乱にまぎれて、朝鮮人と社会主義者が政府転覆を図っている」

という風評を逆手に取って警察と軍による朝鮮人、中国人、社会主義者、社会主義的労働者の検束を始めた。


 9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。

自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺も発生している。

無抵抗の者を陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが一方的に撃ち殺したところに特質がある。この時官憲テロルに倒れた朝鮮人は3千名、中国人は3百名。

 その後毎年、9.1日は共産主義運動、朝鮮民族運動の逃走記念日として追悼されていくことになる。


【関東大震災時事件そのA、川合義虎らが虐殺される亀戸事件発生】


 9.3日午後10時頃、亀戸事件の被害者となる南葛労働組合の指導者にして共産青年同盟初代委員長にして党員北原龍雄と共に第一次共産党事件後の留守委員会を構成していた川合義虎ら8名の社会主義者と、アナーキスト系の元純労働組合長・平沢計七らが亀戸警察署に拘束監禁された。


 9.5日、河合義虎ら7名の革命的労働者(北島吉蔵、山岸実司、吉村光治(南喜一の弟)、加藤高寿、近藤広造、鈴木直一)、アナーキスト系の平沢計七らが亀戸警察署で虐殺された。

これを「亀戸事件」と云う。

 その遣り口が憤激に耐えない次のような史実を残している。

古森署長は事後対策を警視庁に上申。この時のこの時の警視庁官房主事が正力松太郎(米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った)で、正力は軍隊への応援依頼、千葉県習志野騎兵第13連隊(田村騎兵少尉指揮)がやって来て、留置された中から最も指導能力を有していた危険な人物を選別し、演武場前広場へ引きずり出し、銃剣と軍刀で虐殺した。

 その虐殺の様について今日奇跡的に伝えられた二葉の写真があり、これを見るに多数の刺傷はそれとしても生きたまま打ち首にされている。

遺体は家族に引き渡されず、二、三日放置された後、荒川放水路の一般の火葬死体の中に投擲された。

田村少尉らは軍法会議にもかけられておらず、「この乱痴気が軍隊と警察と裁判所、検事局と監獄とを、内部から腐敗堕落させた」(志賀義雄「日本革命運動の群像」)とある。

 ちなみに、南喜一は、弟の吉村光治虐殺という権力の横暴に義憤して、共産党活動に入った。

「大正13年の春、私は工場や家を全部処分し、17万円の金をつくつた。

妻子に4万円渡し、13万円を持って、亀戸の南葛飾労働組合に入った。

共産党に入党したのだ」、


「大正15年の共同印刷の争議までは、命ぜられることを名誉とし、火の中でも水の中へでも喜んで飛び込んだ」(「南喜一著作全集」)とある。


【関東大震災時事件そのB、中国人留学生・王希天虐殺事件発生】


 この時、東京中華日キリスト教青年会幹事、中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生・王希天は、亀戸署に拉致監禁された上陸軍に引き渡され、陸軍将校の手で斬殺されている。

死体は切り刻まれて川に捨てられた。

警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」。警察と軍の関係を取り持っていたのは、官房主事の正力であった。


 10.20日、中国代理公使から王の殺害について抗議が為される。

中国政府は王希天殺害調査団を派遣してくることになり、一気に国際的大事件となった。日本政府はその対応に苦しむことになった。

警視庁はじめとする当局は口裏を合わせて知らぬ存ぜぬの「徹底的に隠蔽するの外無し」対応に終始した。

結局、事件そのものは当時の日中の力関係を反映し、最後にはうやむやのままに葬り去られることになった。


【関東大震災時事件そのC、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件発生】


 9.16日関東大震災の混乱に際して、アナーキストで社会運動家のリーダー的存在だった大杉栄は妻・伊藤野枝(いとうのえ、28歳)、甥(おい)の橘宗一(たちばなそういち、6歳)と共に甘粕憲兵大尉(あまかすまさひこ、32歳)に殺害された。

享年38歳。妻野技は1895年1月12日生、享年28歳、甥橘宗一は1917年4月12日生、享年6歳。


 この日、大杉は、その妻(婚姻はしていなかったので正式には同棲)の伊藤野枝と横浜鶴見にあった弟の家から自宅へ帰る途中に東京憲兵隊本部に検束された。

一緒にいた甥の橘宗一も一緒に連れ去れた。検束された大杉達は、麹町憲兵分隊に連行された。


午後8時頃、取調中だった大杉に対し、部屋に入ってきた憲兵大尉《甘粕正彦がいきなり背後から大杉の喉に右腕を回し締め上げた。

大杉がもがき後ろに倒れると、背中に乗りさらに締め上げ絞殺したと伝えられている。

続いて伊藤野枝も絞殺され、橘宗一は部下の憲兵が殺害し、遺体は憲兵分隊内にあった古井戸に投げ込まれた。


 ちなみに甘粕のその後は次の通り。

大杉虐殺事件の軍法会議の進行は非常に早かった。戒厳令下の10.8日に第一回、以後、11.16日、17日、21日の4回で結審となり、12.8日に10年の禁固刑に処せられたものの、軍閥団体の助命運動によって3年で出獄、満州国へ渡り参議の地位に上り詰めていく。


 この大杉栄の拘束・殺害が発端となって、軍部による社会主義者の徹底的な弾圧が始まる。


【官房主事・正力松太郎の暗躍】


 この時、警察と軍の関係を取り持っていたのは、警視庁官房主事の正力松太郎であった。

これを追跡してみる。正力は米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、特高制度の生みの親であった。

後に読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買うことになる。


 9.2日、大震災の翌日急遽、軍による戒厳令司令部が設置された。

船橋の海軍無線送信所から「付近鮮人不穏の噂」の打電が為されている。

今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


 9.3日、「内務省警保局長」名で全国の「各地方長官」宛てに、要約概要「鮮人の行動に対して厳密なる取締要請」電文打たれる。

内務省が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


実際には「不逞鮮人暴動」は根拠が曖昧で「流言飛語」の観がある。


この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。

つまり、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。


 9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

 9.11日、更に、正力官房主事名で、

「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令


が発せられている。

 研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。

自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm


 正力松太郎の生態はもっと研究されて良いように思われる。
内務省特高課(戦前日帝の諜報・弾圧機関)の創設者にして終始黒幕で在り続けた後藤新平に見出され、米騒動、関東大震災時の「暗躍」で「血塗られた強固な同盟」が確立する。以下、この関係を追跡する。


【後藤新平の履歴(1857〜1929)】


 岩手県水沢市の小藩出身。

幕末の蘭学者高野長英の親族。

須賀川医学校を卒業して医師となりも愛知県立病院長を経て内務省に入る。

1892年衛生局長(現在の厚生省事務次官)。

その間ドイツに留学し、プロイセン国家の統一ドイツ建国過程をつぶさに見て、ビスマルク政治に憧憬したと伝えられている。

1895年日清戦争で台湾を割譲させたが、4代目台湾総督になった児玉源太郎が後藤を見出し民政長官となって赴任。


後藤は、「アメと鞭を併用した辣腕政治」で判明するだけで抗日ゲリラ1万1千余名を虐殺している。

結果的に「台湾島民の鎮圧と産業開発で名声を高めた」。


 後藤は、台湾総督府初代民政長官を皮切りに、以後、

1906年満鉄初代総裁、1908(明治41)年桂太郎内閣の下で逓信大臣兼鉄道院総裁、1916(大正5)年寺内正毅内閣の下で内務大臣、

続いて1918(大正7).4.23日外務大臣、

山本権兵衛内閣の下で内務大臣再任を歴任し、晩年に伯爵の位を得ている。


植民地政策の統合参謀本部・満鉄調査部を設置したのも後藤である。

未解明であるが、阿片政策にも手を出しており、その収入が機密費として縦横に駆使された形跡がある。


 その政治的軌跡は、伊藤博文の後継者。後藤は言論統制に著しく関与している。

 1919(大正8)年、後藤は、寺内内閣の総辞職を機会に欧米視察の旅に出た。

訪問先はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オランダ。

帰国するやいなや、「大調査機関設立の議」建白書を政府に提出している。

これは、アメリカのCIA(中央情報局)のような強力な組織を設立せよという構想であった。


【内務省】


 内務省は、一口で云えば「天皇制警察国家」と呼ばれる当時の大日本帝国の最高官庁であった。

要するに内政にかかわる一切の行政権を一手に握っている中央官庁であった。

現在の機構に当て嵌めれば、国家公安委員会、警察庁、公安調査庁、消防庁、自治省、厚生省、労働省、建設省、農林省の一部、法務省の一部、文部省の一部的機能を持つ官庁であった。

全国の知事と高級官僚は、内務官僚が任命し派遣するというシステムで、地方行政は市町村議会の監督権まで含めて内務省が握っていた。

内務官僚は、天皇直属であり、平常時の警察機構、緊急時の法律に対抗する緊急勅令権、警察命令権を握っており、いわば万能であった。


 大逆事件の年の1911(明治44)年に高等課特高係(特高)が新設され、後に特別高等部に昇格し、得意な指揮系統を持つ事になった。

新聞の統制など言論動向の調査は特高の中の検閲課の任務であり、更に全国の警察機構の元締め内務省警保局の図書課でも行われた。

両者の関係は、図書課が本庁であり、検閲課は出先機関となる。


 内務省本省の図書課は、後藤新平内務大臣時代の1917(大正6).9月、直接の声係りでロシア革命への対応を意識して拡張された。

同時に警視庁の人員増強も要請され、当時の6000名が6年後には1万2000名に倍増された。特高も同時期に12名から80名へと約7倍化している。


【正力松太郎の履歴(1857〜1929)】

 1885(明治18).4.11日、富山県の土建請負業の旧家に生まれる。

青春時代を柔道に打ち込む。

 1911(明治44)年、東京帝国大学法科大学独語科卒業(26歳)。

翌年に内閣統計局に入り、高等文官試験に合格し、1913(大正2).6月、警視庁に雇用される。

直ちに警部となり、翌年に警視、日本橋堀留署長となる。


 1917年、第一方面監察官。

 1918(大正7)年、米騒動鎮圧に一役買い、勲章を貰う。

 1919(大正8)年、刑事課長。

 1920(大正9)年、普通選挙大会の取締まり、東京市電ストの鎮圧。

 1921(大正10)年、警視庁で警視総監に次ぐbQの位置とされる官房主事となり、高等課長を兼任(36歳)。


本人自身が「私ほど進級の早いのはいません」(「週間文春」1965.4.19日)と語っている。


 1923(大正12)年、正力の警視庁官房主事、共産党の猪俣津南雄宅にスパイを送り込み、早稲田大学研究室の捜査、6.5日、第一次共産党検挙を指揮した。

 「米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、

読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、

軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った」。


 「関東大震災時の暗躍」


 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告がある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。

いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


関東大震災に便乗した治安対策


陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒

 正力が指揮した第一次共産党検挙が行われたのは、一九二三年(大12)六月五日である。

 それから三か月も経たない九月一日には、関東大震災が襲ってきた。

このときの警視庁の実質的な現場指揮者は、やはり正力であった。

この一九二三年という年は、日本全体にとっても正力個人にとっても激動の年であった。

月日と主要な経過を整理し、問題点と特徴を明確にしておきたい。


 六月五日に、第一次共産党検挙が行われた。

この時、正力は官房主事兼高等課長だった。

 九月一日に、関東大震災が起きた。正力の立場は前とおなじだった。

 一二月二七日には、虎の門事件が起きた。この時、正力は警務部長だった。

 虎の門事件の際、警備に関して正力は、警視総監につぐ地位の実質的最高責任者である。

警視総監の湯浅倉平とともに即刻辞表を提出し、翌年一月七日に懲戒免官となった。

ただし、同じ一月二六日には裕仁の結婚で特赦となっている。


 以上の三つの重大事件を並べて見なおすと、

第一次共産党検挙と虎の門事件の背景には、明らかに、国際および国内の政治的激動が反映している。

その両重大事件の中間に起きた関東大震災は、当時の技術では予測しがたい空前絶後の天災であるが、この不慮の事態を舞台にして、これまた空前絶後で、しかも、その国際的および国内的な政治的影響がさらに大きい人災が発生した。

朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件である。


 さて、以上のように改めて日程を整理してみたのは、ほかでもない。本書の主題と、関東大震災における朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件との間に、重大な因果関係があると確信するからである。

そこで以下、順序を追って、虐殺、報道、言論弾圧から、正力の読売乗りこみへと、その因果関係を解き明かしてみたい。


 どの虐殺事件においても明らかなことは、無抵抗の犠牲者を、陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが、一方的に打ち殺したという事実関係である。

正力は、当然、秩序維持の責任を問われる立場にあった。

正力と虐殺事件の関係、正力の立場上の責任などについては、これまでにも多数の著述がある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-1.html


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見


 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。

内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


『大阪朝日』は九月四日、「神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。

『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。


『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。

この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。


 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。

わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。

念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の九月二日から四日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。


 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。

報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。

各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。

各社は保存していたはずだから、九月一日から四日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。

戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。


 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「九月三日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。

要点はつぎのようである。


「東京の鮮人は三五名づつ昨二日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」


「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、一日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に十余名の死傷者」


 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。


 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。

同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。

発行は一九三二年(昭7)である。のちの読売社長、務台光雄は元報知販売部長で、同時代人だから、この二人は旧知の仲だったに違いない。

ところが、この二人が残した記録は、肝心のところで、いささか食い違いを見せるのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-3.html


号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄


 務台の伝記『闘魂の人/人間務台と読売新聞』(地産出版、以下『闘魂の人』)には、務台が、震災直後から一週間ほど社の講堂で寝泊まりしたことやら、その奮闘ぶりが克明に描き出されている。

「活字が崩れてしまったので、大きい活字を使って、号外のような新聞を、四日には出すところまでこぎつけた」ということになっている。

ところが、『新聞生活三十年』には、「写真1」のような「九月一日」付けの報知号外のトップ見出し部分のみが印刷されているのである。

「四日」と「一日」とでは、この緊急事態に際しては大変な相違がある。


 謎を解く鍵の一つは、まず、『別冊新聞研究』((4)、77・3)掲載、「太田さんの思い出」という題の、務台自身の名による文章である。

そこでは、「直ちに手刷り号外の発行を行う一方、本格的新聞の発行に着手、まず必要なのは用紙だ」となっている。

地震で電気がこないから、輪転機が動かせない。

輪転機用の巻紙もない。

だが、活字を組んでインクを塗れば、「手刷り」印刷は可能だった。

しかも、「手刷り」には、もう一つの手段があった。


 さきの『新聞生活三十年』を出典とする「朝鮮人暴動説」の号外は九月三日付けだが、「写真2」のようなガリ版印刷である。

本文中には、「汗だくになって号外を謄写版に刷る」という作業状況が記されている。


 務台のフトコロ刀といわれた元中部読売新聞社長、竹井博友の著書、『執念』(大自然出版局)によると、電気がこないので九月九日まで、「四谷の米屋からさがしてきたガス・エンジンでマリノニ輪転機を動かして」いたという。

普段よりは印刷能力が低かったので、手刷りやガリ版印刷で補ったのであろう。

晩年の務台から直接取材したという『新聞の鬼たち/小説務台光雄(むたいみつお)』(大下英治、光文社)では、震災当日に「手刷り」と「謄写版」の号外を出した事を認めている。

つまり、務台自身が、段々と真相の告白に迫っていたのだ。


 もう一つの手段は、近県の印刷所の借用である。

斉藤久治の表現によれば、「報知特有の快速自動車ケース号(最大時速一時間百五十哩)」で前橋の地方紙に原稿を届け、九月七日までに、「数十万枚を東京に発、送し、市内の読者に配ることに成功した」という。

 さて、そこからが一編の歴史サスペンスを感じさせるところである。

『新聞生活三十年』の本文には、問題の号外の文章は復原されていない。

そのほかにも本文には、「朝鮮人暴動説」報道に関しての記述はまったくないのである。

 「写真2」は同書の実物大(WEB上の注:87ミリ×53ミリ)である。

もともとのガリ版が乱筆の上に、かなりかすれている。

しかも、極端に縮尺されているから、拡大鏡で一字一字書き写してみなければ、判読できない状態である。

結果から見て断言できるのは、「写真2」のガリ版号外が、『新聞生活三十年』の本文の記述を裏切っているということである。


奇妙な話のようだが、当時の言論状況を考えれば、真相は意外に簡単なことかもしれない。

著者の斉藤が、手元に秘蔵していたガリ版号外の内容を後世に伝えるために、検閲の目を逃れやすいように判読しがたい状態の写真版にして、印刷の段階で、すべりこませたのかもしれないのである。

 わたしは、このガリ版号外の件を『噂の真相』(80・7)に書いた。

読売の役員室に電話をして務台自身の証言を求めたが、返事のないまま務台は死んでしまった。

あの時代の人々には、この種の秘密を墓場まで抱いていく例が多いようだ。残念なことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-4.html


「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、発生地帯の研究などもあるが、いまだに決定的な証拠が明らかではない。

軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告もある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。


いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。

 さきに紹介した「内務省警保局長出」電文の打電の状況については、「船橋海軍無線送信所長/大森良三大尉記録」という文書も残されている。

歴史学者、松尾尊兌の論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」(『思想』93・9)によると、

大森大尉は、

「朝鮮人襲来の報におびえて、法典村長を通じて召集した自警団に対し四日夜、

『諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』

と訓示したために現実に殺害事件を惹起せしめ」たのである。


 九月二日午後八時以降と、一応時間を限定すれば、「噂」「流言」、または「好意的宣伝」を積極的に流布していたのは、うたがいもなく内務省筋だったのである。

 なお、さきの船橋発の電文例でも、すでに「戒厳令」という用語が出てくる。

「戒厳」は、帝国憲法第一四条および戒厳令にもとづき、天皇の宣告によって成立するものだった。

前出の『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、この経過をつぎのように要約している。


「一日夜半には、内相官邸の中庭で、内田康哉臨時首相のもとに閣議がひらかれ、非常徴発令と臨時震災救護事務局官制とが起草された。

これらは戒厳に関する勅令とともに二日午前八時からの閣議で決定され、午前中に摂政の裁可を得て公布の運びとなったのである」


 前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」によると、この戒厳令公布の手続きは、「枢密院の議を経ない」もので「厳密にいえば違法行為である」という。

ただし、このような閣議から裁可の経過は、表面上の形式であって、警視庁は直ちに軍の出動を求め、それに応じて軍も「非常警備」の名目で出動を開始し、戒厳令の発布をも同時に建言していた。


 戒厳令には「敵」が必要だった。

警察と軍の首脳部の念頭に、一致して直ちにひらめいていたのは、一九一八年の米騒動と一九一九年の三・一朝鮮独立運動の際の鎮圧活動であったに違いない。

 首脳部とは誰かといえば、おりから山本権兵衛内閣の組閣準備中であり、臨時内閣に留任のままの内相、水野錬太郎は、米騒動当時の内相だった。

その後、水野は、三・一朝鮮独立運動に対処するために、朝鮮総督府政務総監に転じた。


 震災当時の警視総監、赤池濃は、水野の朝鮮赴任の際、朝鮮総督府の警務部長として水野に同行し、一九一九年九月二日、水野とともに朝鮮独立運動派から抗議の爆弾を浴びていた。

 震災発生の九月一日、東京の軍組織を統括する東京衛戍司令官代理だった第一師団長、石光真臣は、水野と赤池が爆弾を浴びた当時の朝鮮で、憲兵司令官を勤めていた。

 つまり、震災直後の東京で「市内一般の秩序維持」に当たる組織の長としての、内相、警視総監、東京衛戍司令官代理の三人までもが、朝鮮独立運動派から浴びせられた爆弾について、共通の強い恐怖の記憶を抱いていたことになる。

さらに軍関係者の方の脳裏には、二一か条の要求に反発する中国人へのいらだちが潜んでいたにちがいない。

 その下で、警視庁の実働部隊の指揮権をにぎる官房主事、正力は、第一次共産党検挙の血刀を下げたままの状態だった。

正力自身にも、朝鮮総督府への転任の打診を受けた経験がある。


 かれらの念頭の「仮想敵」を総合して列挙すると、朝鮮人、中国人、日本人の共産党員または社会主義者となる。

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戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺


 戒厳司令部の正式な設置は、形式上、震災発生の翌日の午前中の「裁可」以後のことになる。だが、震災発生直後から、実質的な戒厳体制が取られたに違いない。

前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」には、当時の戒厳司令部の参謀だった森五六が一九六二年一一月二一日に語った回想談話の内容が、つぎのように紹介されている。

「当時の戒厳司令部参謀森五六氏は、正力松太郎警視庁官房主事が、腕まくりして司令部を訪れ

『こうなったらやりましょう』

といきまき、阿部信行参謀をして

『正力は気がちがったのではないか』

といわしめたと語っている」


 文中の「阿部信行参謀」は、当時の参謀本部総務部長で、のちに首相となった。

これらの戒厳司令部の軍参謀の目前で、腕まくりした正力が「やりましょう」といきまいたのは、どういう意図を示す行為だったのであろうか。

正力はいったい、どういう仕事を「やろう」としていたのだろうか。

「気がちがったのではないか」という阿部の感想からしても、その後に発生した、朝鮮人、中国人、社会主義者の大量「保護」と、それにともなう虐殺だったと考えるのが、いちばん自然ではないだろうか。


森五六元参謀の回想には、この意味深長な正力発言がなされた日時の特定がない。


だが、「やりましょう」という表現は、明確に、まだ行為がはじまる以前の発言であることを意味している。

だから、戒厳司令部設置前後の、非常に早い時点での発言であると推測できる。

警察と軍隊は震災発生の直後から、「保護」と称する事実上の予備検束を開始していた。

その検束作業が大量虐殺行動につながったのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-6.html


「社会主義者」の「監視」と「検束」を命令していた警視庁


 関東大震災後の虐殺事件では、直接の殺人犯を二種類に分けて考える必要がある。

 第一の種類は、いわゆる「流言」「噂」または「情報操作」にあおられて、朝鮮人や中国人を無差別に殺した一般の自警団員などの民衆である。

前項で検討した材料から判断すれば、虐殺を煽ったのは正力ほかの警察官であり、こちらの方がより悪質な間接殺人犯である。

背後には日本の最高権力の意思が働いていた。


 同じ中国人の殺害でも、のちにくわしくふれる王希天のような指導者の場合には、ハッキリと「指名手配」のような形で拉致監禁され、しかも、職業軍人の手で殺されている。

日頃から敵視していた相手を、地震騒ぎに乗じて殺したことが明らかである。

朝鮮人についても同じような実例があったのかもしれない。

社会主義者の虐殺に関与したのは、明白に、警察と軍隊だけであった。

これらの、相手を特定した虐殺の関与者が、第二の種類の職業的な直接的な殺人犯である。

その罪は第一の種類の場合よりもはるかに重いし、所属組織の上層部の機関責任をも厳しく問う必要がある。

上層部による事後の隠蔽工作は、さらに重大かつ悪質な政治犯罪である。


 正力らが犯した政治犯罪を明確にするために、虐殺事件の問題点を整理してみよう。

 中国人指導者の王希天や日本人の社会主義者の場合には、かれらが警察と軍の手で虐殺されたのは、いったん警察に「指名手配」のような形で拉致監禁されたのちのことである。

警察の方では、軍に身柄を引き渡せば殺す可能性があるということを、十分承知の上で引き渡している。

軍の方が虐殺業務の下請けなのである。

当時の制度では、戒厳令のあるなしにかかわらず、市内秩序維持に関するかぎりでは警視庁の要請で軍が動くのであった。

全体の指揮の責任は、警視庁にあった。警視庁と戒厳司令部の連絡に当たっていたのは、官房主事の正力であった。


『巨怪伝』では、つぎのような経過を指摘している。

「九月五日、警視庁は正力官房主事と馬場警務部長名で、

『社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ』

という通牒を出した。

さらに十一日には、正力官房主事名で、

『社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ』

という命令が発せられた」


 これによると、「社会主義者」の「監視」または「検束」に関する警視庁の公式の指示は、九月五日以後のことのようである。

ところが、「亀戸事件」の犠牲者、南葛労働組合の指導者、川合義虎ら八名の社会主義者が亀戸署に拉致監禁されたのは、それ以前の「三日午後十時ごろ」なのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-7.html


「使命感すら感じていた」亀戸署長の暴走を弁護する正力


『関東大震災と王希天事件/もうひとつの虐殺秘史』(田原洋、三一書房、以下『関東大震災と王希天事件』)では、川合義虎ら八名の社会主義者が近衛騎兵によって虐殺された「亀戸事件」の経過を細部にわたり、「時系列にしたがって検分」している。

 かれら八名の社会主義者が

「三日午後十時ごろ、理由も何もなく、狙い打ちで検束されてしまった」

時点では、十一日の「検束」命令どころか、五日の「監視」通牒さえ出ていなかったのである。


 亀戸署管内では、別途、それに先立って、中国人大量虐殺の「大島事件」と、反抗的な自警団員四名をリンチ処刑した「第一次亀戸事件」も発生している。

署長の古森繁高は、社会主義者らの生命を奪うことに「使命感すら感じていた」という点で、「人後に落ちない男」であった。


古森は、「朝鮮人暴動説」が伝えられるや否や、自ら先頭に立ってサイドカーを駆使して管内を駆け巡り、「二夜で千三百余人検束」し、「演武場、小使室、事務室まで仮留置場にした」のである。


 社会主義者の検束に当たって古森が「とびついた」のは、「三日午後四時、首都警備の頂点に立つ一人、第一師団司令官石光真臣」が発した「訓令」の、つぎのような部分であった。

「鮮人ハ、必ズシモ不逞者ノミニアラズ、之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ」

 つまり、社会主義者が朝鮮人の「暴動」を「悪用」する可能性があるから、注意しろという意味である。

『20世紀を動かした人々』(講談社)所収の「正力松太郎」(高木教典)には、正力が亀戸事件について語った当時の新聞談話が収録されているが、つぎのような説明ぶりで、古森署長の行動の後追い弁護になっている。


「実際、二日、三日の亀戸一帯は、今にも暴動が起るという不安な空気が充満し、二日夜も古森署長は部下の警官を集めて決死の命令を下す程、あたかも無警察の状態で、思想団、自警団が横行していたそうで、

軍隊の力を頼んで治安維持を保つべく、ついにこうしたことになったのであるが、

今回の事件はまったく法に触れて刺殺されたものである。

警官が手を下したか否かは、僕としては、軍隊と協力、暴行者を留置場外に引き出したことは事実であるが、刺殺には絶対関与していないと信ずる」


 この新聞談話から、社会主義者にかかわる部分を抜き出して、検討してみよう。

 まずは、「思想団」が「横行していたそうで」というが、そのような事実があったと主張する歴史書は皆無である。

つぎには、「法に触れて刺殺」と断定していうが、せいぜいのところ、留置場のなかで抗議の大声を挙げたり、物音を立てたぐらいのことであって、

そのどこがどういう「法に触れ」たのかの説明がまったくない。

「暴行者を留置場外に引き出したことは事実」としているが、これも同じ趣旨である。

正力はいったい、どの行動を指して「暴行」だと断定しているのだろうか。


 最後の問題は、「[警察側が]刺殺には絶対関与していないと信ずる」という部分にある。

正力としては、虐殺の責任を「軍隊」になすりつけ、監督責任を逃れたかったのであろう。

だが、すでに指摘したように、当時の制度では警視庁の要請で軍が動くのであった。


『関東大震災と王希天事件』には、古森署長がみずからしたためた「第一次亀戸事件」に関する報告が収録されている。

警視庁が編集した『大正大震火災誌』からの引用である。

引き渡しの理由は、「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」たからだとなっている。

古森は、「兵器」による「鎮圧」を予測しつつ、または希望しつつ、反抗的な自警団員四名を軍に引き渡したのだ。

結果は、違法なリンチ処刑だった。


 この四名の自警団員の場合は、道路で日本刀を持って通行人を検問していた。

警官が検問の中止を勧告したところ、「怒って日本刀で切りかかった」のだそうである。本人たちは、警察が流した「朝鮮人暴動説」に踊らされていたわけだから、中止勧告が不本意だったのだろう。

留置場内で警察の悪口を並べ、「さあ殺せ」とわめいたりしたようである。

「結局、軍・警察の処置は妥当と認められ、四人は死に損となった」とあるが、リンチ処刑が「横行」するような「無警察」状態を演出したのは、いったいどちらの方なのだろうか。

 しかも、『関東大震災と王希天事件』ではさらに、この四日夜の「第一次亀戸事件」を、川合義虎ら八名の社会主義者の虐殺、いわゆる「亀戸事件」への導火線になったのではないかと示唆している。

反抗的な自警団員四名の引き渡し以後、留置場内は「前にもまして騒然となった」のである。そこで「古森は、ついに五日午前三時」、川合らを騎兵隊に引き渡した。同書では時系列の記述の最後を、つぎのように結んでいる。

「古森は『失態』を告発する恐れのある川合らを抹殺した。

両次亀戸事件の犠牲者十四人の死体は、こっそり大島八丁目に運ばれ、多くの虐殺死体にまぎれて焼却された」


 同書はまた、この「両次亀戸事件」に、中国人指導者王希天虐殺事件と大杉栄ら虐殺事件に共通する「パターン」を指摘する。

「法にしばられる警察は、自ら手を下さずとも、戒厳令下で異常な使命感と功名心に燃え狂っている中下級軍人を、ちょっとそそのかすだけで、目的をとげることができた」のである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-8.html


留学生で中華民国僑日共済会の会長、王希天の虐殺事件


 さらに重大な問題は、すでに何度か記した在日中国人の指導者、王希天の虐殺事件であった。

 ここで「さらに重大な問題」と記した意味には、虐殺そのものとは別の側面も含まれている。

この事件は、読売の紙面が輪転機にかける鉛版の段階で削除されるという事態を招いていた。

つまり、この事件は、本書の主題の読売の歴史に、深い影を落としているのだ。


 元警視庁警務部長が、こともあろうに首都の名門紙に「乗りこむ」という事態は、一種の政治犯罪を予測させる。

だが、およそ重大な犯罪の背景には、間接的または一般的な状況だけではなくて、直接的な契機、または引くに引けない特殊な動機があるものである。

とくに、一応は正常な社会人として通用してきた人物を「重大な犯罪」に駆り立てるためには、それだけ強力で衝動的な動機が必要である。

わたしは、この事件の真相を知ることによって初めて、長年の、もどかしい想いの疑問の核心部分に達したと感じる。

読売の紙面の鉛版削除という稀有な事態を招いたこの事件こそが、正力の読売「乗りこみ」という、これまた稀有な事態の直接的な動機だと、確信するに至ったのである。


 関東大震災と朝鮮人・社会主義者の虐殺の関係は一応、一般にも広く知られている。

 だが、虐殺の被害者の中でも「中国人」の三文字は、これまで付け足りのようだった。

とくに知られていなかったのは、王希天虐殺事件そのものと、その国際的な重要性であった。

中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生、王希天は、陸軍将校から斬殺されていた。

「行方不明」と発表されていた王希天の捜査、調査活動は、当時の政界、言論界を揺るがす国際的な大事件に発展していたのである。


 一九九五年には、さまざまな角度から日本の戦後五〇年が問われた。

試みに、その年の暮れの集まりで会った在日朝鮮人の研究者と、駐日特派員の中国系ジャーナリストに、「王希天虐殺事件を知っていますか」という質問を向けてみた。

案の定、二人とも、まったく知らなかった。

詳しく話すと、真剣な表情で耳を傾けてくれたのちに、「大変に貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました」と、ていねいにお礼をいわれた。

その後、何人かの日本人ジャーナリストにも同じ質問を向けてみたが、やはり、王希天の名を知っている人は非常に少ない。

ただし、わたし自身も数か月前に知ったばかりで、自慢などできる立場ではなかった。「五十歩百歩」そのものである。


 王希天が代表としてノミネートされる中国人の大量虐殺事件については、いまから七三年前の一九二三年(大正12)、関東大震災の直後に、中国政府が派遣した調査団が訪日している。

日本政府が対応に苦慮した国際的大事件である。ではなぜ、そんな大事件が、いまだに広くどころか専門家にさえ知られていないのだろうか。


 中心的な理由は簡単である。

当時、日本政府首脳が「徹底的に隠蔽」の方針を決定し、全国の警察組織を総動員して、新聞雑誌(放送は発足前)報道をほぼ完全に押さえこんだからである。

基本的には、そのままの言論封鎖状況が続いているのだ。


 王希天は、関東大震災の直後、亀戸署に留置されたのち陸軍に引き渡され、以後、警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」となっていた。

陸軍当局も、当時は警視庁官房主事兼高等課長の正力松太郎を実質的責任者とする警視庁も、王希天殺害の事実を知りながら、国際的追及の最中、必死になって、ひた隠しにしていた。

実際には王希天は、陸軍の野戦重砲第三旅団砲兵第一連隊の将校たちにだまされて連れ出され、背後から軍刀で切り殺されて、切り刻まれて川に捨てられていた。

事件そのものは、当時の日中の力関係を反映し、最後には、賠償問題さえうやむやのままに葬り去られた。


 象徴的なドラマは、「支那(ママ)人惨害事件」と題する読売新聞(23・11・7)の社説および関連記事の周辺に展開された。

同社説(別掲)と記事をそのまま載せた地方向けの早版は、少部数だが輪転機で刷り出され、発送まで済んでいたのだが、急遽、検閲で不許可、発売禁止となり、各地で押収されたのである。

同時に、その問題の紙面には、「写真3、4」のような鉛版段階での削除という稀有の処置が取られた。


 関係資料は十数点ある。

戦後最初の大手メディア報道は、毎日新聞(75・8・28夕)の「『王希天事件』真相に手掛かり/一兵士の日記公開/『誘い出して将校が切る』」だが、同記事の段階ではまだ、王希天殺害についての証言は、所属部隊の一兵士の「伝聞」にしかすぎない。

以後、日本の研究者、ジャーナリストらの招きで、王希天の遺児が来日した際に、数件の報道があった。

しかし、残念ながら、それらの報道の中には、当時の言論弾圧状況の紹介がなかった。

 専門雑誌の記事、少部数の単行本、断片的なマスコミ報道、それだけでは世間一般どころか普通の企業ジャーナリストの目にさえ、「事件は存在しない」と同様である。

わたしが湾岸戦争以来、「マスコミ・ブラックアウト」と名付けている現象である。

王希天事件の場合には、この現象が意識的かつ政治的に作り出され、しかも、約四分の三世紀にもわたって続いていることになる。

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「震災当時の新聞」による偶然の発掘から始まった再発見


 おおげさなようだが、わたし自身も、この問題に関する「マスコミ・ブラックアウト」の被害者の一人である。

というのは、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆の際、わたしは王希天について何も知らなかった。

正力と関東大震災後の虐殺事件の関係を調べるために、何冊かの関係書に当たったが、そこには王希天のことは書いてなかった。

実際には、すでにそのころ、雑誌論文や何冊かの単行本に、王希天に関する研究が発表されはじめていたのだが、わたしの資料探索は、そこまで達していなかったのである。


 旧著の発表後にも、つぎつぎと新たな資料が発表されていた。

 前出の『関東大震災と王希天事件』の終章の題は「事件発掘史」となっているが、それによれば、王希天に関して戦後に最初の国内論文が発表されたのは一九七二年である。

 関西大学講師の松岡文平は、『千里山文学論集』(8号)に「関東大震災と在日中国人」を発表した。

その研究の発端の説明は、「震災当時の新聞に、王の『行方不明』が大きく報じられているのに疑問を抱き」始めたからとなっている。

つまり、当時の新聞を調べていたら、偶然、「王希天」というキーワードに突き当たったわけである。


 一九七五年に出版された『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会)には、松岡論文を米軍押収資料など裏付け、さらに発展させた横浜市立大学教授、今井清一の研究が収められている。

だが、その時点では、王希天虐殺の事実については、つぎのような推測の範囲にとどまっている。

「野重[野戦重砲第三旅団砲兵]第一連隊の将校が、おそらく旅団司令部の意もうけて人に知られない時間と場所とを選んで殺害したのであろう」


 『甘粕大尉』の著者、角田房子は、一九七九年に同書の中公文庫版の「付記」として、つぎのように記している。

「『甘粕大尉』執筆中私は、関東大震災直後のドサクサの中で惨殺された王奇天を調べたが、努力の甲斐もなく確かな資料を見つけることが出来なかった。

 本書初版は昭和五十[一九七五]年七月二十五日に出版された。それから一ヵ月後、八月二十八日の『毎日新聞』夕刊に『「王奇天事件』真相に手掛り/一兵士の日記公開』という記事と、王奇天の経歴が発表された。関連記事は九月一日夕刊にもあった」

 角田は「希」を「奇」と誤記している。わたしの旧著、『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社、79刊)は、この『甘粕大尉』の「付記」が書かれたのと同じ年の、一九七九年に出版されている。そのころまでは、こんな状況だったのである。

 さきの毎日報道から七年後、『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋(よう)は、王希天を殺した本人の「K中尉」こと、元砲兵中尉(のち大佐)の垣内八州男を探し当てた。

垣内は、拉致された王希天の「後ろから一刀を浴びせた」ことを認める。

「[殺害を指示した佐々木大尉]は、上から命令を受けておったと思います。……

後で、王希天が人望家であったと聞いて……驚きました。

可哀そうなことをしたと……[殺害現場の]中川の鉄橋を渡るとき、いつも思い出しましたよ」、

などと、その後の心境を、ポツリ、ポツリと告白する。


『将軍の遺言/遠藤三郎日記』(宮武剛、毎日新聞社、86刊)は、毎日新聞の連載記事をまとめたものである。

のちに紹介するが、遠藤は当時、垣内中尉の直属上官だった。

 つい最近の一九九三年に発行された『震災下の中国人虐殺/中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』(仁木ふみ子、青木書店、以下『震災下の中国人虐殺』)には、「日本側資料について」の項目がある。

それによると、「軍関係資料」の内、参謀本部関係は米軍による接収以前に処分されており、防衛庁戦史資料室には皆無である。

警視庁関係は米軍に接収され、現在は国会図書館と早稲田大学で一部のマイクロフィルムを見ることができる。

一部の、しかし、きわめて貴重な資料が、外務省外交史料館に、「一目につかない工夫をして保存」されていたようである。

『関東大震災/中国人大虐殺』(岩波ブックレット、91刊)の著者でもある仁木ふみ子は、以上のような資料探索の結果、ついに、外務省外交資料館に眠っていた「まぼろしの読売新聞社説」までを発見した。

 これだけの材料が揃っているのを知ったとき、とりわけ、「まぼろしの読売新聞社説」の「発見」について、最初に『巨怪伝』の記述を目にしたとき、徐々に、そしてなお徐々に徐々に、長年の疑問と戦慄の想いが、わたしの胸の奥底からこみ上げ、背筋を走り、全身に広がり始めた。

これらの発見は、わたし自身にとっても、大変な半生のドラマの一部だったのである。

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「相手は外国人だから国際問題」という理解の重大な意味


 以上の資料に接するより一六年前、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の仕上げの段階で、わたしは一応、国会図書館のマイクロ・フィルムで当時の読売の記事を検索していたのである。

そこには明らかに、輪転機にかける鉛版の段階での削除と見られる紙面があった。だが、その時には、それ以上の詳しい追及をする時間の余裕がなかった。

そこで旧著では、「なお、読売新聞の紙面そのものの細部にわたる調査も必要である」という心覚えを残し、つぎの点だけを中間報告として記しておいたのである。

「実物をみると、関東大震災の記事に、相当量の、鉛版段階における全面削除がみられる。一部の残存文字から察するに、震災時の朝鮮人、社会主義者に関する記事であることに間違いない」

 ところが、「間違いない」と断定的に書いた記事内容の推測は、不十分であった。

まずは「中国人」が抜けていた。

拡大した「写真5」で見れば、全面を削り取られた一九二三年一一月七日の読売記事の残存文字のなかには、明らかにルビ付きで「王希天氏(おう き てん し)」とあるのだが、その意味が、当時のわたしには分からなかった。

その左隣の、やはりルビ付きの「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」の方だけに気を取られて、王希天を朝鮮人だと思い込んでしまったのである。

残念といえば残念だが、わたしは、長年の戦慄の想いに終止符を打ち、この訂正と調査不足の告白を余儀なくしてくれた諸氏の研究に感謝する。


『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋の場合には、わたしとはまったく逆で、偶然の機会に王希天事件の存在を知り、それから追跡取材を開始した。

 念のために田原本人にも直接聞いて確かめたが、田原は別の用向きで、元陸軍中将の遠藤三郎と会った。

話がたまたま関東大震災当時におよび、遠藤が、当時は大尉で、江東地区の第一線の中隊長だったと語った。

田原が「大杉栄が殺されましたね」と相槌を打つと、遠藤は意外なことを語りだした。

 正確を期すために、田原の著書の方から引用すると、遠藤は、「大杉栄どころじゃない。もっと大変な(虐殺)事件があったんだ」と言い出した。

「オーキテンという支那人(原文傍点有り)労働者の親玉を、私の部隊のヤツが殺(ヤ)ってしまった。

朝鮮人(原文傍点付有り)とちがって、相手は外国人だから、国際問題になりそうなところを、ようやくのことで隠蔽(いんぺい)したんだ」

 文中の支那人(原文傍点有り)と朝鮮人(原文傍点有り)の傍点は、田原が付けたものである。

遠藤が育った時代の用語そのままだから、別に他意はないと思う。

最大の問題は「相手は外国人」の部分にある。

 わたしの場合、この部分を自分のワープロで入力した時に、初めて、その意味の重大さに気付いた。


それまでの頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」を、関東大震災の際の「虐殺被害者」という項目で一括して考えていたのである。

「虐殺」を告発する立場の人々の多くは、わたしと同じ錯誤に陥っている可能性が高いと思う。

ところが、立場が違えば、同じ物が別の角度から見える。時の権力の頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」の三者は、まったく別の項目で整理されていたのである。

とくに「中国人」は、別扱いの「外国人」だった。

監督官庁としても外務省が加わるから、行政上では決定的な違いが出てくる。


 震災時の朝鮮人の大量虐殺事件も、もちろん重大であるし、国際的にも非難を浴びた。

しかし、当時の国際法の秩序からいえば、植民地保有とその支配自体は非合法ではない。

許しがたいことではあるにしても、いわゆる欧米列強の帝国主義国を中心とする国際外交上で考えるかぎりでは、日本人の社会主義者の虐殺問題と同様の国内問題である。

ところが、中国人の虐殺となると、当然のことながら、明確に外国人の虐殺であり、国際外交上の問題とならざるをえない。

だから遠藤は、「大杉栄どころじゃない」と語ったのである。


 しかも、当時の日本は、満鉄の利権拡大を中心に、中国東北部への侵略の意図を露骨にしていた。

第一次世界大戦中の一九一五年(大4)には、火事場泥棒で奪った旧ドイツ領の青島に増兵を送って威圧を加えながら、対中国二一ヵ条要求を突き付け、その内の一六ヵ条を承認させていた。

中国の内部での反日運動も高まっていたし、国際的な批判も日を追って増大していた。

だから、「中国人指導者・王希天」の虐殺は、現在の日本人が感じるよりも、はるかに重大な国際問題だったのである。


 その後の資料探索で、田原は読売の紙面の削除を知り、紙面の検索をしている。田原は、事前に、その削除された紙面の執筆者が、中国通の著名記者、小村俊三郎だということまで知っていた。

「中国問題に詳しい小村俊三郎」については、『読売新聞百年史』にも非常に簡単ながら、その「入社」が、松山社長時代の項に記録されている。それだけのキャリアが認められる人物だったのである。

しかし、削除された紙面の内容については、まだ、残存文字という手掛りしかない。田原は、非常に残念そうに、つぎのように記していた。

「削除された記事は、いまとなっては復原の方法はない。

『読売』のバックナンバーは、削られた白紙のままだし、小村も記録は残していない」

 田原はさらに、つぎのような想像を付け加えていた。

「そこで推測するしかないが、この記事の筆者は小村俊三郎記者であった。

彼は期するところがあって、ある“過激な”記事を書こうとした。検閲にかけたのでは通りっこないから、何らかの策を使って『鉛版』をとり、ともかく早版を刷り出すところまでは行った。

が、いよいよ近郊版を刷ろうとしたところで誰かにストップをかけられてしまった。

鉛版工のベテランが、指定された記事に削り(のみを使う)を入れる。……

と、そのとき、小村が必死の形相で近より『ここだけ削り残してくれ』と耳打ちする。

あるいは何らかの方法で、小村の“頼み”が伝えられた。

残せといった文字は『王希天』の三文字であった。

この三文字が残っていれば、何が書かれていたか、およその察しはつくのである」

 田原の想像は、おそらく「当たらずといえども遠からず」であろう。

さきにも記したし、「写真3」で明らかなように三文字のみではないが、「王希天氏(おう き てん し)」と「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」という決定的に重要なキーワードだけが、なぜか明瞭に残っているのだ。

とうてい偶然の結果とは思えない。

戒厳令が敷かれていた当時のことだから、その鉛版がはまっていた輪転機の側には、警察官、それもかなり重要な地位の検閲のベテランが、にらみを利かせていたのではないだろうか。

そうだとすれば、まさに、その目の前で、緊迫の鉛版削りのドラマが展開されていたことになる。

 この想像のドラマの緊迫感が、わたしの全身に、いい知れぬ戦慄を走らせるのだ。

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「まぼろしの読売社説」の劇的発見! 分散して資料を温存か?


 さて、それだけのドラマを秘めた削除紙面の実物が、また、なんとも劇的なことには、その後に発見されたのである。

削除は二か所にわたっていて、二面は社説、五面は関連記事であった。

「写真6、7」の「要保存/発売禁止トナレル読売新聞切抜」がそれである。

 発見者の仁木は、元日教組婦人部長である。

会ってみると、かつてのいかめしい肩書きとは違って、優しい教師そのままの気さくな人柄だった。

「定年後に時間ができて、ただただシラミ潰しに探し回っただけのことですから……」と、静かにほほ笑む。

とくに事前にお願いしたのでもないのに、貴重この上もない発見資料のコピーをも用意してくれていた。

わたしは、それを押し頂いて、発見の経過をうかがった。


 仁木は、『震災下の中国人虐殺』の中で、つぎのように記している。

「これは『要保存、発売禁止となれる読売新聞切抜』と墨書されて、外務省外交資料館にひっそりとしまわれていたのであった」

 この「ひっそりと」という表現の裏にも、おそらく大変な戦慄の人間ドラマが潜んでいたようなのである。

仁木は、「人目につかない工夫をして保存」されていたという表現もしている。

くわしくは同書を参照していただきたい。

何か所にも分かれて外務省外交資料館の資料管理状況が記されている。

とりあえず簡略に要約紹介すると、「書類を分散させて一見関係なさそうな項目の下に配列し」てあったのである。

最後には、つぎのように謎を解く鍵の人名が出てくる。


「だれがこのような文書配列をしたのであろうか。

事件の結末に何とも納得できなかった一青年事務官が、歴史の検証の日に備えて、暗号のように分散させ保管したのではなかったか。

かれの名は多分守島伍郎である。後の駐ソ大使、戦後は自由党代議士一期。

日本国連協会専務理事、善隣学生会館理事長をつとめ、一九七〇年、七〇歳で亡くなった」


 田原によれば、守島は、「同じ外交出身のワンマン吉田茂(一八七八〜一九六七)とは一定の距離を保ち、『オレは社会党から出てもおかしくはない』と語ることもあった」という。

いわゆるリベラル派であろう。

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中国側の調査団は「陸軍の手で殺されたと思う」と語って帰国


 さて、以上はまだ、王希天虐殺事件をめぐる緊迫のドラマの導入部にしかすぎない。

もう一度、物語の主人公を紹介し直し、この事件の国際的および国内的な位置付け、引いては歴史的な意味を確認し直したい。

 王希天は、当時はエリートの留学生で、その後に満州国がデッチ上げられる中国東北部の吉林省から来日していた。

推定二七歳。東京中華留日キリスト教青年会の幹事、および中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった。


1948年、東京にて、前列右から周恩来、王希天
写真提供:仁木ふみ子


 事件発生当時においても、日本国内の報道よりも中国での報道の方が早かった。

『中華日報』(23・10・17)の社説では、「共済会長王希天が警察に捕らわれたまま行方不明」という事態を「故意の隠蔽」と疑い、「軍、警察の手」によって「殺された」可能性を指摘していた。

仁木はさらに、王希天の出身地、長春、吉林省の新聞、『大東日報』(23・11・1)の記事から、つぎのような憤激の呼び掛けの部分を紹介している。


「本件発生につき考うるに彼等は吾に人類の一分子と認めざる方法を試みたるものなり。

吾々もし放任し、彼等を問罪せず黙認せば吾々は人間にあらざるなり。同胞起きて醒めよ」


 情報源は、捜索に当たった王希天の友人の留学生や、震災発生後、上海に送還された中国人労働者たちだった。

上海や吉林省などの現地の憤激を背景にして、北京政府も調査団を日本に派遣した。

日本側当局は事実の隠蔽に終始したが、中国側代表団は帰国する前に日本の外務省書記官に対して、「王希天は大杉栄同様陸軍の手で殺されたと思う」と語っていた。

『震災下の中国人虐殺』では、「まぼろしの読売新聞社説」という小見出しを立てて、つぎのように指摘している。

「十一月七日、『読売新聞』の朝刊は発売禁止となり、二面の社説と五面の記事を削りとって、この部分は空白のまま発行された。

政府に強烈なインパクトを与えたといわれる『まぼろしの読売社説』は復原すると次のようである」

 以下、二面の社説、「支那人(ママ)惨害事件」の全文は、巻末(367頁・WEB版(15)資料)に小活字で紹介する。

とりあえず要約すると、「惨害」の犠牲者を「総数三百人くらい」としている。

「支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天も亀戸署に留置された以後生死不明となった事実」を指摘し、「重大なる外交問題」の真相を明らかにしないのは、「一大失態」だと論じている。

 結論部分は、「本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。[中略]

故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する」となっている。

 仁木は、この「まぼろしの読売新聞社説」を、つぎのように評価している。

「戒厳令下の執筆であるが、実に堂々たる論調である。[中略]

一本の筆に正義を託す記者魂が厳然とそこに立つ」


 同時に鉛版から削除された五面の記事は、

「支那政府を代表し抗議委員が来朝する/王氏外百余名の虐殺事件につき精査の上正式に外務省へ抗議申込/我態度を疑う公使館」

という三段大見出しで、本文約八〇行である。

これは、もしかするとわたしの新発見なのかもしれないが、削除された二面の社説の下のベタ記事を眺めていたら、「虐殺調査委員/支那から派遣する」という本文七行の「北京四日国際発」電が残っていた。

いずれも記事の本文では「調査委員」または「特別委員」となっているのに、見出しで「抗議委員」または「虐殺調査委員」と表現している。

社説の題にも「惨害」とある。

当時の読売新聞のデスクの、この事件に対する判断基準が伝わってくるような気がする。

 読売の全面削除された社説は当然、王希天その人と中国側の動きを知り、その惨殺の事実を知るか、またはその事実にせまりつつあったジャーナリストの存在を示している。

 全面削除の社説を執筆した小村俊三郎(一八七二〜一九三三)は、「外務省一等通訳官退職後、東京朝日、読売、東京日日など各新聞社で中国問題を論評、硬骨漢として知られる中国通第一人者」だった。

王希天事件については、その後も独自の調査を続け、外務省に「支那人被害の実情踏査記事」と題する報告書を提出している。

 しかもこの小村俊三郎は、日露戦争後のポーツマス条約締結で有名な小村寿太郎と、祖父同士が兄弟の再従兄弟の関係にあった。

いわば名家の出でもあるし、もともと東京の主要名門紙に寄稿するコラムニストなのだから、顔も広い。

政府筋が個人的に攻撃すれば逆効果を生み出しかねない。

当時の松山社長時代の読売には、そういう人材が集まっていたのである。

『巨怪伝』では、当時の読売の報道姿勢を、つぎのように指摘している。

「大杉栄殺害の事実を、時事と並んでいち早く号外で報じたことにも示されるように、関東大震災下に起きた一連の虐殺事件の真相と、政府の責任を最も鋭く追及したのが読売新聞だった」

 もしかすると、内務省関係者は、田原が想像したような、「王希天」の三文字をかすかに残す印刷現場でのひそかな抵抗のドラマにも気付いて、警戒の念を高めていたのかもしれないのである。

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九二四件の発売禁止・差押処分を大手紙の社史はほぼ無視


 さて、ここで愕然とせざるをえないのは、日本の三大新聞、朝日・毎日・読売、すべての社史に、ほぼ共通する実情である。

王希天虐殺事件はもとより、関東大震災下の言論弾圧に関しての記述が、あまりにもお粗末なのである。

 まずは前項の「まぼろしの読売社説」の件であるが、『読売新聞百二十年史』を最新とする読売の社史には、たったの一行の記述もない。

それどころか、関東大震災後に報道規制があったことすら、まったく記されていない。

改めて呆れはしたが、読売のことだから、さもありなんと諦めた。


 毎日新聞はどうかというと、『毎日新聞七十年』にはまったく記載がないが、最新の『毎日新聞百年史』には、つぎのように記されている。

「新聞は“大杉栄殺し”を直感したが、戒厳令下、報道の自由はなかった」

 ただし、これだけでは、陸軍憲兵隊による社会主義者大杉栄の一家惨殺事件のみが、報道規制の対象になったかのような、誤解が生れかねない。

「王希天」の三文字はもとより、「朝鮮人」という単語も、「中国人」という単語もない。

 朝日の場合も、『朝日新聞の九十年』には確かに、「惨禍の中で特報や号外を連発」の見出しはある。

「『大阪朝日』数十万部を増刷して、船と汽車で東京に送」ったことなどの奮闘の経過は、八頁にもわたって克明に記されている。

だがやはり、報道規制の「キ」の字も出てこないのである。

 朝日は『百年史』を発行せずに、「百年史編修委員会」名で、創立から数えると一一一年目に当る一九九〇年から『朝日新聞社史』全四巻の社内版発行を開始し、一九九五年から全巻を市販している。

本文六五九頁の第二巻、『朝日新聞社史/大正昭和戦前編』には、つぎのように記されている。

「震災直後の流言からおこった社会主義者や朝鮮人の陰謀騒ぎで多数が殺された事件の実態は、九月二日に出された戒厳令によって報道が差し止められ、東朝[東京朝日]は十月二日になってその一部の報道が許された」

 ここでかろうじて「朝鮮人」という単語が、報道差し止めとの関係で登場する。

しかし、「中国人」も「王希天」もない。


 この状況は、いかにも不自然であり、不都合なのである。

国際的にも評判の「横並び」方式による隠蔽工作が、いまだに継続されているのではないかとさえ思えるのである。

 歴史的な資料がなかったわけではない。

さきに挙げたほかにも、たとえば、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会、75刊)では、これらの一連の虐殺事件に関する「ジャーナリズムの沈黙と右傾化」と、それを促進した権力の「強圧」を指摘している。

出典として『災害誌』(改造社編)などを挙げており、当時の新聞統制の模様を、つぎのように要約している。

「甘粕事件、内鮮人殺害、自警団暴挙に関する差止事項を掲げた日刊新聞で、発売頒布を禁止されたものは、寺内内閣当時の米騒動の際における処分に比すべきものと見られ、

新聞紙の差押えが、十一月頃まで殆ど三十以上に及び、一新聞紙の差押えが優に二十万枚に達したものがあった」


 ただし、ここにも「中国人」が登場しないという弱点があるし、さらには、この数字でも実は、まだまだ控え目だったようなのである。

おそらく、ここでいわれている「米騒動の際における処分に比すべきもの」という水準をはるかに越えていたに違いない。

日本の言論弾圧の歴史上、最大規模の問題として根本的な見直しをせよ、日本のメディア史の研究をやり直すべきだと、強調せざるをえないのである。

『関東大震災と王希天事件』の著者、田原は、当時の内務省警保局図書課の秘密報告を入手し、「表1」の「(秘)震災に関する記事に依り発売禁止並びに差押処分に付せられたる新聞件数調」を作成している。

「総件数」は、なんと、さきの『災害誌』の「三十以上」という数字を一桁以上も上回り、「九二四件」に達しているのである。

その内、「亀戸警察署刺殺事件に関する記事」(王希天行方不明記事を含む)と分類されているものだけでも、「三〇件」である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-6.html


後藤内相が呼び掛けた「五大臣会議」で隠蔽工作を決定


 これだけの言論弾圧を行った当時の内務大臣は、いったい誰だったのであろうか。

 おりから新内閣の組閣中で、

関東大震災発生の九月一日までは留任中の水野錬太郎(一八六八〜一九四九)、

二日からは再任の後藤新平(一八五七〜一九二九)だった。

つまり、内務大臣としては水野の先輩に当る後藤が、この激動の際に、二度目の要職を引き受けていたのである。


 後藤が果たした役割については、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』に、つぎのように記されている。


「一〇月中旬に王希天の行方不明が報道され、同二〇日に中国代理公使から王の殺害について抗議をうけると、日本政府も対策の検討をすすめた。

内務省当局では大島事件、王希天事件を両者とも隠蔽する意見で、

一一月七日には閣議のあと後藤内相、伊集院彦吉外相、平沼騏一郎法相、田中陸相、それに山本首相も加わって協議したうえ、

『徹底的に隠蔽するの外なし』と決定し、中国がわとの応対方法については警備会議に協議させることになった」


 この「閣議のあと」の「協議」については、『関東大震災と王希天事件』にも『震災下の中国人虐殺』にも、さらに詳しい記述がある。

内務省や外務省の関係者の記録が残されているからである。

「協議」の場は「五大臣会議」と通称されている。

 本稿の立場から見て、もっとも重要なことは、この「五大臣会議」が行われた「一一月七日」という日付である。

つまり、「まぼろしの読売社説」を掲載した少部数の早版が、輪転機で刷り出されてしまい、その後に急遽、鉛版が削られた日付なのである。

日付の一致は偶然どころではない。

これこそが「協議」開催の原因であることを示す明白な記録が、すでにたっぷりと発掘されているのである。

 閣議後に協議を呼び掛けたのは後藤である。

だが、内務大臣の後藤が「五大臣会議」を発案したという経過の裏には、なにやら、ご都合主義の謀略的な臭気がただよう。


 本来の建て前からいえば、内務省は、犯罪を捜査し、処罰すべき主務官庁である。

ところが後藤個人は、すでに簡略に紹介したように、外務大臣時代に推進したシベリア出兵とそれに続く米騒動に際して、外務省の霞倶楽部の記者たちと紛争を起こしたり、報道取締りの先頭に立ったりしていた。

メディア界の進歩的勢力とは激しい対立関係にあった。

すでに紹介したように「新聞連盟」結成工作、ただし時期尚早で実らず、などの「新聞利用」なり「新聞操縦」政策を展開していた。

ラディオ放送の支配に関する構想をも抱いていたはずである。

後藤は、しかも、首相の座を狙う最短距離にいた。

その機会に備えて、メディア界の敵対分子を排除したいと腹の底で願っていた可能性は、非常に高い。

当の読売社説の内容自体も重大な問題ではあったが、それを逆手を取って政府部内の主導権を握り、一挙に、かねてからの狙いを実現しようと図ったのではないだろうか。

 政府部内の主導権を握る上では、王希天の虐殺事件は絶好の材料だった。

後藤と田中陸相とは不仲だったというし、外務省は国際世論上、日頃から言論統制には消極的だった。

ところが、この際、後藤と相性の悪い陸軍は加害者であり、被告の立場である。

外務省は国際世論対策で四苦八苦である。

いまこそ特高の親玉、内務官僚の出番であった。

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「荒療治」を踏まえた「警備会議」と正力の「ニヤニヤ笑い」


『関東大震災と王希天事件』では、関係者が残したメモ類を多数収録している。

その日の午後五時から開かれた「警備会議」の冒頭で、岡田警保局長は、つぎのような発言をした。

「本日、急に五大臣会議を開いたのは、今朝の『読売』のためであります。

相手の出方を待つ姿勢で、政府がふらふらしていると、新聞に対する取締まりも徹底を欠くし、むずかしい。

今朝は、

危いところで削除 → 白紙のまま発行

という荒療治になってしまったが、今後は隠蔽の方針も定まったことであるし、お互いに緊密なる連携のもとに、ことを進めたいと思うので、よろしくご協力をお願いします」

 早版地区に送られた少部数の「削除前」の読売は、配達直前に押収されていた。

「五大臣会議」の決定は、あくまでも政府段階での正式決定であって、内務省はすでに隠蔽工作を実施していた。

検閲の実務担当者たちは、「まぼろしの読売社説」を目にした時、冷汗三斗の思いだったに違いないのである。

「警備会議」は、実務担当者による実行手段の相談の場である。

そこには、なんと、小村寿太郎の長男の小村欣一が、外務省情報部次長の立場で参加していた。

読売社説の執筆者、小村俊三郎は、東京高等師範学校に在学中、寿太郎の邸宅に書生として住み、この欣一の家庭教師をしていた。

岡田警保局長が、小村たちに事情を話して隠蔽の「諒解を求むる」という方針を報告すると、欣一は、小村たちについて、「主義上の運動者」だから「諒解を求ることすこぶる困難なるべし」という意見をのべ、「考慮を要する」と注意した。

 いやはや、こうなると最早、何ともものすごい接近戦である。

敵味方入り乱れての白兵戦の様相である。

関係者たちは、上を下への大騒ぎ、という感じがしてくる。

 警視総監の湯浅倉平は「すこぶる沈痛なる態度」であった。

以下、関係者のカナまじりのメモに残された湯浅の「熱心説述」を、ひらがなで読みやすいようにしてみよう。


「本件は、本官のいまだ際会せざる重大問題なり。

本件は実在の事件なれば、これを隠蔽するためには、あるいは新聞、言論または集会の取締をなすにつきても、事実においてある種の『クーデター』を行うこととなる義にて、誠に心苦しき次第なり。

また本件は必ず議会の問題となるべきところ、その際には秘密会議を求め得べきも、少くとも事前あらかじめ各派領袖の諒解を求めおく必要あり。

 さればとて、本件の隠蔽または摘発、いずれが国家のため得策なるかは、自分としては確信これ無く、政府において隠蔽と決定したる以上、もちろんこの方針を体し、最善の努力をなすべきも、自分の苦衷は諸君において十分推察されたし」

 この「苦衷」を訴えた警視総監、湯浅倉平は、その後、正力松太郎とともに虎の門事件で責任を追って即日辞任届けを提出し、のち懲戒免官、恩赦となる。

警視総監になる以前に岡山県知事、貴族院議員になっていた。

虎の門事件の恩赦以後には、宮内相、内相となっている。

 湯浅の発言のあとには、「北京政府が派遣する調査団および民間調査団の調査にどう対処するか、新聞取締などが話題」になった。

新聞取締に関する警保局長の提案は、つぎのようであった。

「適当の機会に主なる新聞代表者を招致し、大島町事件は厳密調査を遂げたるも、結局事実判明せず、

ついては事実不明なるにかかわらず揣摩(しま)憶測して無根の記事を掲載するにおいては、厳重取締をなすべき旨を告げ、

もって暗に発売禁止の意をほのめかせば、効果あるべし」


 この発言内容には、当時の言論弾圧の実情が露骨に表れている。

警保局長はさらに、「新聞取締の必要上、戒厳令撤廃の延期」まで提案したが、これには同意者が少く、そのままとなった。

 この時にはまだ官房主事兼高等課長だった正力松太郎は、職責からいえば、当然、右の「警備会議」に出席しているはずであるが、以上に挙げた資料の「警備会議」の発言者の中には、正力の名はない。

まだ位が低いのである。

もちろん、研究者たちは、正力の存在を十二分に意識してきた。

 田原は、遠藤元中将から直接の証言を得て、詳しい経過を記している。


 正力は、遠藤を警視庁に呼び出していた。

「ニヤニヤ笑いを浮かべ」ながら、「聞き込みも一応終わっています」などと脅しを入れた。

すでに後藤と「五大臣会議」の間にただよう「臭気」を指摘したが、この件で、正力または内務省勢力は、陸軍と対等に取り引きができるネタを握ったわけである。

その強みが正力の顔に表われていたのではないだろうか。

田原はさらに、その後の読売への正力の乗りこみと、小村俊三郎の退社との因果関係をも指摘している。

『将軍の遺書』の方には、つぎのような日記添付「メモ用紙」部分の記載がある。

「佐々木兵吉大尉、第三旅団長の許可を得て、王希天のみをもらい受け、中川堤防上にてK[垣内]中尉、その首を切り死がいを中川に流す。[中略]

正力警備課長[警視庁官房主事の誤記]は、その秘密を察知ありしが如きも深く追及せず」

 以上、概略の紹介にとどめるが、いやはや、驚くべき本音の記録の連続である。

これらの発言記録を発見したときの、田原ら先行研究者の興奮が、じかに伝わってくるような気がするのである。


 事件の翌年、一九二四年(大13)二月二六日に、正力は読売「乗りこみ」を果たす。

 同年一〇月四日、読売記者の安成二郎は、築地の料亭で開かれた前編集長千葉亀雄の慰労会での会話を、あとでメモし、「記憶のために」と注記しておいた。

本人が三六年後に自宅で再発見したこのメモは、『自由思想』(60・10)に発表された。

内容のほとんどは、大杉栄ら虐殺事件の関係であるが、その最後の短い(三)は、つぎのようになっている。

「(王希天はどうしたんでせう、軍隊では無いでせうが……)と千葉氏が言うと、

正力氏は(王希天か、ハハハ)と笑って何も言はなかった」


 この正力の「ハハハ」という笑い声は、どういう響きのものだったのだろうか。

壮年期の正力の声については、『経済往来』(10・3)に、「男性的で丸みがあり、声量があって曇りがない」と記されている。

六尺豊かの大男が、柔道で鍛え、警官隊を指揮してきたのだったから、それだけの迫力のある声だったに違いない。

だが、「虐殺」の話題で出た「ハハハ」という笑い声には、いわゆる「地獄の高笑い」のような、真相を知りつつとぼける不気味さが、漂っていたのではないだろうか。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-8.html


戒厳令から治安維持法への一本道の上に見る正力の配置


 軍や警察当局が恐れていたのは、新聞報道の内容や新聞そのものだけではなかった。

小村欣一の発言にもあったように、「主義上の運動者」の動きもあった。

すでに「警備会議」の「話題」にものぼっていた「民間調査団」がある。

そこには、読売の小村記者以外に、東京日日(毎日系)、大阪毎日、東京朝日の記者が参加していた。

かれらは中国から来日した宗教家の調査団と接触する一方、吉野作造邸で協議をしていた。北京政府が派遣した調査団も、吉野作造邸に立ち寄っていた。


 吉野作造(一八七九〜一九三三)は、東大法科卒で、同大教授として政治史を講義していた。

デモクラシーを「民本主義」と訳したことでも知られている。

東大新人会の総帥でもあり、いわゆる大正デモクラシーの理論的主柱ともいうべき存在であった。

後日談になるが、関東大震災の翌年に当たる一九二四年(大13)には、朝日新聞社論説顧問に迎えられ、五か月あまりで退社した。

退社の原因は、「五ヶ条のご誓文は明治政府の悲鳴」という講演内容などを、右翼団体が「不敬罪」として告発したためである。

『朝日新聞の九十年』でも、退社の経過について、「検察当局の意向もあり」と記している。

「不敬罪」の告発自体は不起訴となったが、この件でも朝日は「白虹事件」の時と同様、右翼と検察のチームプレーに屈服したのである。


 さて、以上のような状況を背景にしながら、強権の発動による王希天虐殺事件の隠蔽工作が行われたのだが、それはまず戒厳令下にはじまっている。戒厳令は約二か月半も続いた。

解除は一一月一六日である。『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、戒厳令の解除後に「かわって憲兵が大増強され、警察官もまたピストルまで配備された上に増員された」と指摘する。

 戒厳令下、および以後の虐殺問題報道の全体像をも、調べ直す必要があるだろう。

田原は、王希天虐殺事件の隠蔽工作と大杉殺害事件の関係を、つぎのように示唆する。


「王希天事件は『行方不明』扱いで、十月十七日から二十日にかけて、各紙に掲載された。

『殺害』をにおわせる記述は厳重にチェックされたので、さりげない震災エピソード風に受けとめられ、やがて“関係者”以外には忘れられた。

大杉栄殺害事件で、甘粕らがスケープゴートとなった意味は、単に『犯人』を買って出ただけでなく、報道操作の陽動作戦に必要な犠牲バントとしての役割もあったのである」

 大杉栄殺害事件の軍法会議の進行は、非常に早かった。

戒厳令下の一〇月八日に第一回、以後、一一月一六日、一七日、二一日の四回で結審となり、一二月八日には、甘粕に懲役一〇年などの判決が出ている。

この間の新聞報道は、シベリア出兵以来の「反ソ」キャンペーンとも呼応している。

社会主義者への世間一般の反感をも土台にして、甘粕らに同情的な風潮さえ作り出したようである。


 その後、甘粕はたったの三年で釈放され、満州国の黒幕となる。

緊急事態を根拠にして公布された「治安維持勅令」は、そのまま法律化され、翌々年の一九二五年(大14)に制定される治安維持法への橋渡しの役割を果たした。

このようなドサクサまぎれの突貫工事によって、外にはシベリア出兵、内には米騒動、関東大震災という人災、天災のはさみうちの混乱のなかで、昭和日本の憲兵・警察支配、治安維持法体制は完成を見たのである。


 わたしは、正力の読売「乗りこみ」を、以上の政治状況と深くかかわりながら企まれた一大政治謀略に相違ないと確信している。

 さらにさかのぼれば、当時の読売が「出る釘は打たれる」のたとえ通りの襲撃目標に選ばれた理由には、まさに日本のメディア史の矛盾を象徴するような典型的経過があったというべきであろう。

 第一の理由は、その明治初年以来の歴史的ブランドである。

第二の理由は、「白虹事件」残党を中心に形成されつつあった大正デモクラシーの「メディア梁山泊」としての位置づけである。

最後の第三の理由、すなわち、「まぼろしの読売社説」をめぐるオロドオドロの衝撃ドラマは、それらの歴史的経過の必然的な帰結であった。

読売は、日本の歴史の悲劇的なターニング・ポイントにおいて、右旋回を強要する不作法なパートナー、正力松太郎の、「汚い靴」のかかとに踏みにじられたのである。

 日本の最高権力と、それに追随する勢力は、関東大震災という天災を契機として、大量の中国人とその指導者を虐殺し、卑劣にも、その事実の徹底的な隠蔽を図った。

この虐殺と隠蔽工作とは共に、以後ますます拡大される中国大陸侵略への狼煙の役割を果たした。

 正力社長就任以後の読売新聞は、最左翼から急速に右旋回し、「中道」の朝日・毎日をも、さらに右へ引き寄せ、死なばもろとも、おりからのアジア太平洋全域侵略への思想的先兵となった。

正力の読売「乗りこみ」は、いいかえれば、この地獄の戦線拡大への坂道を転げ落ちようとしている日本にとって、雪だるまを突き落とす最初の、指のひと押しの位置づけだったのではないだろうか。

 正力本人は、戦後にA級戦犯として巣鴨入りした。

だが、この時も、アメリカの世界政策上の措置によって、その罪は裁かれずに終わってしまった。

今こそ改めて、多数の中国人労働者と王希天の虐殺事件とその報道状況とを、日本のジャーナリズムの歴史の中央に位置づけ直し、事実関係を確認し直すべきなのではないだろうか。

自社の歴史を正確に記して過去を反省するか否かは、また、メディア企業の決定的な試金石でもあろう。

 わたしは一応、読売新聞広報部に電話をした。本書に記したような事実を読売新聞は把握しているか、今後の社史などで明らかにする予定があるか、などを問いただした。

しかし、「お答えすべき筋のことではないと思う」という、番犬の唸り声のような返事だけだったので、この件について、本書を「公開質問状」とすると告げた。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-9.html


http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/400.html#c2

[リバイバル3] 淡路島5人殺害事件

淡路島5人殺害事件とは、2015年(平成27年)3月9日午前7時過ぎに兵庫県淡路島の洲本市中川原町中川原で、犯行当時40歳の住民の男Xにより、2家族の男女5人が殺害された殺人事件。


2015年3月9日午前7時15分頃、洲本市中川原町中川原の民家から「人が刺された」と110番通報があった。兵庫県警察洲本警察署署員が駆け付けたところ、この民家に住む兵庫県洲本土木事務所嘱託職員の男性A(当時62歳)、その妻B(当時59歳)、その母親C(当時84歳)が殺害されているのが発見された。また近くに住む無職男性D(当時82歳)、その妻の無職女性E(当時79歳)も遺体で発見された。


Aの娘は事件当時家にいたが、父親のAから「逃げろ」と言われて別の民家に逃げ込み難を逃れた後、午前7時15分頃に「お父さん、お母さんが刺された」と110番通報した。通報により洲本署員が駆けつけ、家の外でAが、家の中でB・C両名が倒れている状態で発見され、いずれも搬送先の病院で死亡が確認された。また周辺家屋を調べたところD夫婦の遺体も発見された[1][2]。

午前7時45分頃、現場近くの路上で血の付いた衣服を着ていた男X(犯行当時40歳)に署員が職務質問したところ、事件への関与を認めたため、A一家に対する殺人未遂の容疑で現行犯逮捕した。

被害者5人の遺体の状況などから、兵庫県警はXが強い殺意を持った上で就寝中もしくは寝起きのD・Eを襲撃し、その後A一家を襲撃したとみた。

また、Xの自宅から複数の刃物が押収され、うち1本は凶器に使われたとみられるサバイバルナイフだった。

逮捕当時Xは刃物は持っていなかったため、犯行後にいったん帰宅して刃物を自宅に置いてきた可能性がある。

Xが事件前にインターネットでナイフを購入していたことも判明した。


被害者家族とXとの間には近隣トラブルがあったのではないかと推測されている。

洲本市役所によると、Dの娘が事件直前の3月4日に同市による無料法律相談に参加し、応対した弁護士にXに関係すると見られるトラブルについて対処法などを尋ねたという。事件当時、Dの娘と孫は外出していたため難を逃れていた。

X宅と被害者家族の家はいずれも半径約50mの範囲に存在する。

Xは両親が離婚しており、自宅で父親と祖母の3人暮らしだったが、Xは離れで1人暮らししていた。

Xは会員制交流サイトである Facebook や Twitter などに本名で登録し、2009年夏頃にD一家とトラブルになって以降、その数か月後から被害者家族やそれ以外の近隣住民を「集団ストーカー犯罪とテクノロジー犯罪の常習犯」などと、実名を挙げて一方的に誹謗中傷する書き込みを繰り返していた。

殺害されたAは知人に対し、事件の1、2カ月前に

「矛先が自分に向いてきた。わしが変な宗教に入っとることにされとる」

などと話しており、さらにXはA・Dら近隣住民や親類のほか、警察、行政、病院関係者ら約140人・団体の実名、住所を「スパイリスト」としてネットに公表し

「電磁波犯罪とギャングストーキングを各地で行っている」

などと一方的な誹謗中傷を行っていた。


2015年になってから近隣住民への批判が増え、事件直前の3月5日にはAの家族の実名や自宅の地図・外観写真、D一家の顔写真や自宅地図を掲載した上で誹謗中傷した。

Twitterでは事件前に被害者やその親族の名前を挙げて「人類の敵」などと攻撃的な書き込みの他、勤務先などを書き込んでいた。

書き込みの中には「人類の敵」の他、

「(近隣住民や被害者が)工作活動を行なっている」

「電磁波兵器で他人の心を破壊工作」

等と辻褄の合わない記述もあり、Xの刑事責任能力の有無や程度について調べられている。

他にもFacebookの自己紹介欄には「管理ネット代表」と称し好きな言葉は「勧善懲悪」、

またアメリカ合衆国軍や日本政府、日本の警察に対する批判も書き連ねており、XのFacebook・Twitterそれぞれのカバー写真には

「米軍、日本政府はストーカー行為を行っている」

と書き込まれていた。

Twitter にはXが書籍を贈りつけた日本共産党からの礼状がアップされているが、同党関係者によると「書籍を贈ってこられたので礼状をお送りした」という以上の関係がないという。

Xは2010年にインターネットでDの孫を中傷したとして名誉棄損容疑で洲本署に逮捕されていた。しかし言動が不自然だったため留置されることなく、精神科に入院した。

D夫妻は就寝中に寝室でXに襲われた可能性が高く、寝室から血痕が発見されている。

Xの言動や精神状態にはXの家族も心配して、10年前から洲本市や明石市にある兵庫県健康福祉事務所(保健所)に計4回の相談をしていた。

県警は、2004年の加古川7人殺害事件や2012年に発覚した尼崎事件を受けて住民相談への対応強化を進めてきたが、行政と連携して事件を防ぐことはできなかった。

刑事裁判

神戸地方検察庁は4月10日から8月31日までの約5カ月間、Xを鑑定留置した上で専門家による精神鑑定を実施した。その結果、責任能力に問題はないとして、勾留期限の2015年9月8日にXを殺人罪、銃刀法違反で起訴した。

第一審(神戸地裁・裁判員裁判)

2017年2月8日、裁判員裁判の初公判(長井秀典裁判長)が神戸地方裁判所で開かれた。

検察側は冒頭陳述で

「向精神薬の副作用で体にかゆみが生じたことを電磁波の攻撃と思い込むようになった」

と指摘し、Xが事件の際に被害者らとのやりとりをレコーダーで録音した上でインターネットに「復讐一部成功」と投稿していたと明かし、刑事責任能力が問えると主張した。

これに対し弁護側は事実認定を全面的に争う姿勢を示し、Xの主張を補足した上で

「あり得ない話だとするなら病的な妄想に支配され、心神喪失もしくは心神耗弱としか言えない」

と述べ、責任能力の欠如を主張した。

長井秀典裁判長はXに「無職ですか」の質問をしたがXは「サイトのサポーターをしている」と答え、さらに

「電磁波兵器によって殺害を強制された」

「本当の被害者は私で、被害者とされる5人らに仕組まれた完全な冤罪だ」

と語り、罪状認否では手元の紙を見ながら独自の見解をまくしたて

「(殺害した5人は)サイコテロリストである」

と中傷した。


2月14日の被告人質問で、弁護側から質問を受けたXは5人の殺害を認めた一方で

「電磁波兵器によって無意識下で自由を奪われ肉体を操られた」

と述べ、自分の意思ではなかったと主張した。

A一家・D夫婦の2家族が対象になったことについてXは

「両家族は電磁波兵器を使う工作員で、自身の私生活の情報を盗み見ていたため、その報復だった」

などと主張し、殺害状況をボイスレコーダーで録音していたことについては

「身の潔白を証明するためだった」

と答えた。また、事件前にXを強制入院させた兵庫県の「措置入院」を巡る質問については

「人体実験をするためで精神科医は全く信用できない。
(裁判前に精神障害と診断された精神鑑定の結果も)おかしい」

と話した。

翌15日の公判では殺害されたAら3人の被害者遺族がXに対し「家族を亡くす気持ちが分かるか」「謝罪の気持ちはあるのか」など計15の質問をしたが、Xは「答えたくありません」と繰り返し、証言に応じなかった。

3月3日に行われた論告求刑公判では検察側は

「Xは犯行当時、完全責任能力を有していた。5人を次々に殺害した残忍な犯行で、反省の念も見られず、更生の余地もない。死刑に処すべきである」

として、Xに対し死刑を求刑した。

一方で弁護側は最終弁論で動機や責任能力をめぐり検察側の主張に反論し、犯行当時Xは心神喪失もしくは心神耗弱だったと主張し、無罪もしくは死刑回避を主張して結審した。

3月22日、神戸地裁はXの完全責任能力を認めた上で「一定の計画性の下で非常に強い殺意があり、動機も身勝手。落ち度のない5人もの命を奪った上、犯行を正当化し続けている」として、検察側の求刑通りXに対し死刑判決を言い渡した。弁護側は判決を不服として大阪高等裁判所に即日控訴した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%B3%B65%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/750.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 凶悪犯罪 関係投稿リンク 中川隆
8. 中川隆[-6589] koaQ7Jey 2017年8月28日 12:28:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

淡路島5人殺害事件
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/750.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/595.html#c8
[近代史02] 日本の農村は怖い _ 狭山事件の背景 中川隆
123. 中川隆[-6588] koaQ7Jey 2017年8月28日 12:48:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

奇習! 小作人の嫁や娘と強引セックス ― 女たちを孕ませ続けた豪腕名主のハーレム生活=東北地方
http://tocana.jp/2017/08/post_14068_entry.html

いつの時代も権力者というものは、得てして、その力のままに、無力な一般人を虐げるものであるが、そうした被害に遭う人々というのは、その理不尽さをわかっていながらも、それに抗うことすらなく、権力者の意のままに、多くの辛苦を味わい続けるものである。

「そうですね、当時はあのあたりの人間はみんながみんな貧しい小作農ばかりでしたからね。名主様に楯突く人間なんていやしませんでしたし、そんなこと、思い浮かべることすらありゃしませんでしたよ」

 かつて東北地方のとある地域で絶大な権力を誇り、“小農王”とまで呼ばれた名主による専横ぶりについてそう語りはじめたのは、現在、北関東の小さな町に住む元農業・川崎昭次郎さん(仮名・89)。川崎さんの話によると、彼が生まれたその地域に君臨していたその名主は、文字通り、地域の人々を隷属させ、傍若無人の振る舞いを続けていたという。

「日常生活の締め付けが厳しかったのはどこも一緒でしょうけれども、あの名主さんは本当に酷い仕打ちばかりをする人間でしてね。どの家の嫁も娘も、それこそ女という女は手当たり次第に手をつけては孕ませていましたよ……」

 英雄色を好むとは言うが、その名主、地域の取りまとめ役としては、ある意味、“優秀”な辣腕家ではあったものの、同時に、酒と女に目がなく、複数の愛妾を囲っていたのはもちろんのこと、それだけでは飽き足らず、小作人たちの中にいる女衆をかき集めては、強引に関係を持ち続けていたという。そのため、当地においては彼の子種を元に出産する女性が後を絶たず、まさに彼にとってはハーレムで、同時に小作人たちにとっては生き地獄のような悲惨な暮らしぶりが常態化していたというのだ。


「なにせどの家でも名主様に金を借りたりしていましたからね。というか、そういう方向になるように持っていかれているわけですから、当たり前なんでしょうけども、そういう借財がどんどん膨らんでいって、やがてはどの家も、身一つしかない状態になってしまう。そうなれば、嫁だろうと娘だろうと、言われるがままに差し出すしかない。かといって、そうした暮らしから逃れようとすれば、当然、夜逃げしかないですし、そうなると親類縁者や近隣のみんなに迷惑がかかるからそれもできない。となれば、従うより他ないんです」

 川崎さんの話によると、こうした名主による小作人への搾取は、彼が死ぬまで続き、その間、彼によって無理やり犯され、子供を生むことになった女性は数え切れないほどの人数に上るという。こうした話は、なにも我が国に限ったことではなく、類話は世界各地にリアルタイムで存在しているが、やはり富や権力というものは、いつの時代も、その所有者如何で、数多の悲劇を生むものなのかもしれない。
(取材・文/戸叶和男)


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html#c123

[政治・選挙・NHK231] 戦争にブレーキをかけることができるのは愛国心だけだという珍説(小笠原誠治の経済ニュースゼミ) 赤かぶ
1. 中川隆[-6592] koaQ7Jey 2017年8月28日 15:31:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
日本が核武装すれば永遠に平和になるというだけの事

核兵器が無ければいずれイラクみたいな人間が住めない土地にされる

日本人は世界中の国から嫌われているからね:


中国『開放雑誌』2004年意識調査。

25歳以下の青少年の82? %が、捕虜や婦女子の銃殺に「賛成」。

「日本人婦女は強姦して殺すべき」

「日本人の男は腸を開いて皮を剥ぎ、女は輪姦して殺すべき」

「日本人は嬰児から老人まで殺しつくすべき」

という回答が多数。


中国の反日教育の実態

Anti-Japanese Education in China
http://jp.youtube.com/watch?v=8Db4vorG0ug
(英語ナレーション・日本語字幕)


日本人の絶滅の為に尽力するのが中国人の「愛国心」


日本では大量の中国野菜が安価で輸入されていますが、野菜類の47.5%から猛毒で発がん性もある有機リン系殺虫剤メタミドホスなどの高濃度の残留農薬が発見されるなどして2001年から輸入禁止が相次ぎ、大手のスーパーではあまり見かけなくなりました。しかしそういう野菜や畜産品はなくなった訳ではありません。生のままではなく、「加工」「業務用冷凍」されて日本に輸入されているのです。

これらの加工品の一部からは高濃度の水銀やダイオキシン、チクロやDDT、TBTO、BHC、クロラムフェニコール、クロルテトラサイクリン、マラカイド・グリーンといった毒性抗生物質などの使用の痕跡や高濃度の残留が認められています。もちろん中国産の食品の全てが危険な訳ではありませんが、これが一方の厳然とした現実でもあります。最近では中国産ビールの95%に発がん性物質ホルムアルデヒドが含まれているなどの衝撃的なニュースや、食品そのもの以外に、例えば中国製の食品包装袋の50%に発ガン性物質のベンゼンが残留しているとの報道もありました。

中国の食品を信頼するのは危険です。ましてや日本や日本人を「敵である」と明確にしている国なのですから、日本向けの食料品がまともである保障などあるはずがありません。かつて安価な白ゴマを高価な黒ゴマに見せかけるために、有害なタールで着色したタール黒ゴマ事件がありましたが、何らの教訓も得ず国が率先して「着色政策」を推進しているのは残念です。魚や肉、松茸に鉛を入れて重量をごまかした事件もありました。国は違いますが、同じ反日の国、韓国で生ゴミを素材にした餃子が問題となった際は、摘発された業者は「生ゴミを使った餃子は日本などに向けた輸出品だけなので、国内の消費者は安全である」と開き直ったほどです。
http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/archives/50010839.html
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/415.html#c1

[外国人参政権・外国人住民基本法01] 猿人間のジャップには毒入り牛肉でも食わせておけ 中川隆
11. 中川隆[-6591] koaQ7Jey 2017年8月28日 15:51:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?

空襲でホームレスになり上野駅に避難した人達
引用:http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/d/3df4faa4-s.jpg


アメリカはわざと日本人を飢えさせた

テレビや映画や小説では「戦後」は美しいものの同義語で語られていて、まるで理想郷のように描かれている。

そこでは貧しいながらも人々は協力して生き、戦後の復興をなしとげたとされている。

またGHQは困窮した日本人に食料を支給して助け、民主主義を与えたとも言われている。

          
こうした物語は映画やドラマの中だけで十分であり、事実とは程遠いか、正反対だった。

GHQは日本人に食料を与えるどころか奪い取ってわざと飢えさせて、日本人を従わせる手段に用いていた。

戦争前後は食糧難だったのはよく知られているが、戦時中に日本国内で(朝鮮台湾でも)飢えて亡くなった人や、その危険はなかった。


都会の人は空襲で疎開したが、農村には食べるものがあり、十分ではなかったが飢餓状態などではなかった。

それが戦争が終わって平和になり、アメリカ軍が占領したら食料が足りなくなり、「来年は1000万人が食糧不足で亡くなる」と総理大臣が警告する事態になった。

多くの要因があるが最大のものはアメリカ合衆国自体で、戦争の報復としてわざと日本人を飢えさせていました。


占領軍による妨害で日本は食糧の輸入ができなくさせられ、生産活動も制限され、経済破綻しました。

農業も経済の一部なので、国が経済破綻すると農業生産が停止して、食糧不足に陥ります。

終戦の昭和20年から昭和25年まで、日本はほとんどの工業生産を禁止され、前近代社会になりました。


経済破綻するように仕向けた

戦前から存在する設備を更新することは出来ず、農業生産に支障を来たし、外地に出兵した男達は中々帰ってきませんでした。

「戦争が終わって平和になった」と書いたが、そのこと自体が日本経済を破綻させる原因を作り出しました。

戦争中はあらゆる兵器をフル生産していたが、それが8月15日を境に全面停止になり、一切の生産活動が停止した。


困った日本政府は紙幣を印刷して「金融緩和」したが、激しいインフレを引き起こしました。

物を生産していないのにお金だけばらまいたからだが、当時の日本政府は他にどうする事もできなかった。

あらゆる工場が全て操業停止、鉄道は空襲で破壊しつくされ交通網が分断され、労働者たる男達は外地に居るか戦犯として逮捕されていた。


空襲によって東京など都市部の多くの人は家を失ってホームレスになっていて、路上や公園などで生活していました。

この頃アメリカ本国では、日本人のこうした窮状を伝えては「楽しんでいた」のが分かっています。

自分たちが倒した敵が飢えて苦しんでいるのを見て面白がっていたのが、本当の戦後の世界でした。


一例として占領軍は広島や長崎の被爆者を診療したが、治療をせずに「治療するふり」をして、どのように悪化するか観察しました。

生産活動が禁止され輸入も禁止されているので、復興が進まずホームレスが溢れているのも、無論そうなるように仕向けていました。

さらに占領軍は日本人同士が憎み会うように、心を破壊する政策を実行していました。


アメリカは日本人の食料を絞り上げた上で、自分の手で少し援助した。
援助を受け取った人達はアメリカに感謝し日本を憎むよう仕向けられた。
enjo
引用:http://blog.nihon-syakai.net/blog/wp-content/uploads/img2011/enjo.jpg


美しくない戦後

NHKというラジオ放送局(当時唯一のラジオ)で「真相はこうだ」という日本軍や戦前の日本の暴露番組を放送させました。

内容は日本軍がいかにアジア人や欧米人に酷い事をしたかという物だったが、内容は全て嘘だったのが分かっています。

だが当時の日本人はこうした「真相」を信じ、日本人同士で憎みあったり攻撃するようになりました。


愚かなことに「こんな酷い日本を倒してくれて有難う」「原爆を投下してくれて感謝します」とアメリカ軍に感謝する連中すら大勢居た。

人々は最初アメリカ軍を鬼畜だと思っていたが、食料を恵んでくれるので、感謝するようになっていった。

実は占領軍はわざと食料を絞り、日本人を飢えさせてから、犬を手なずけるように「餌」を与えていきました。


学校では子供たちに「日本は悪の国」「アメリカは正義の国」と教え込み、拒否する教師は戦犯として逮捕しました。

じゅうたん爆撃や原爆で数百万人が犠牲になり、本来なら犯人であるアメリカ人を憎むべき所なのだが、次第に日本のせいだと思い込むようになった。

終戦時に外地には日本軍数百万人が存在したが、ソ連や中華民国の捕虜になった日本兵は、洗脳した順番から帰国を許された。


集団学習や反省、謝罪(今日使われるような軽い意味ではない)などで日本は悪の国と教え込み、拒否したものは永遠に帰国できなかった。

アメリカ軍の捕虜になると多少ましだったが、戦犯として裁かれ、やはり徹底して「日本は悪の国」と教え込んだ。

こうして「日本に原爆を落としてくれて有難う」などと言う日本人が大量生産され、この人達が現在の左翼になっていきます。


この状況が1948年まで続き、1950年に朝鮮戦争が勃発して、急にアメリカは日本の工業力や日本軍の軍事力を必要とするようになります。

ここから日本側の発言力が強まって復興へと繋がっていくのだが、戦後数年間の占領が長く日本を蝕むことになります。
http://www.thutmosev.com/archives/72011631.html

http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/516.html#c11

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
128. 中川隆[-6590] koaQ7Jey 2017年8月28日 19:37:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>126
千葉県には癲癇病質者が多いから関わるとえらい目に遭うんだな

悪い事言わんから千葉県人とだけは関わるな
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c128

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
129. 中川隆[-6589] koaQ7Jey 2017年8月28日 19:58:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
>>52, >>53, >>64, >>66, >>74, >>77, >>85 の続き

千葉県の人間はみんな頭がおかしい(8)


【“貧困”無間地獄の現場】(05) 2003年『千葉少女墓石撲殺事件』の舞台――不良だらけの荒れた街が老人だけの枯れた街に

「貧しい昭和がこびり付いたような街」――

『最貧困女子』(幻冬舎新書)
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E5%A5%B3%E5%AD%90-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E5%A4%A7%E4%BB%8B/dp/4344983610


で貧困問題を世に問うたジャーナリストの鈴木大介氏は、最貧困女子の出身地をそんな表現で語ったことがあった。


その1つが千葉市の千城台、正確には千葉市若葉区の千城台市営住宅団地だ。
言葉は悪いが、“最貧困女子の故郷”とでも言おうか。

地図
https://www.mapion.co.jp/m2/35.62610819,140.18221072,16


千葉駅からモノレールに乗り換える。タウンライナー(千葉都市モノレール)からは、新興のニュータウンと自然豊かな公園の景色が広がる。

約25分、終点の千城台駅に到着する。この街は以前、取材で訪れていた。

2003年10月に起こった『千葉少女墓石撲殺事件』である。犯罪史に残る陰惨且つ稚拙な事件。

風俗店(抜きキャバ)で働いていた16歳の石橋裕子さんが、偽装結婚していた夫(当時22歳)に離婚を切り出したところ、夫は地元の高校生ら5人と共謀し、石橋さんを墓地に連れて行き、歯形がわからなくなるまで殴りつけ、指紋を消し去る為に灯油で焼き殺した。

主犯の夫は、偽装結婚で戸籍をロンダリングしては、消費者金融からカネを借りる詐欺行為を繰り返していた。

当時、この夫は新しい相手と偽装結婚する予定だったが、身元不明状態では離婚できないと気付いて「自分の妻」と名乗りを挙げた結果、呆気なく御用となった。

事件の当事者たちは全員、市営住宅の出身者だった。
石橋さんの働いていた風俗店も千城台にあった。

次に偽装結婚する予定だったという別の16歳の少女を取材した。
彼女もやはり、市営住宅出身者だった。

彼女に事件をコピーした記事を見せた際、「漢字、読めないから」と言われて強い衝撃を受けた。

主犯の夫と族仲間だったという不良3人にも取材したが、やはり漢字が読めず、全員が無免許と自慢げに語っていた。

「21世紀の日本で、こんなことがあり得るのか…」。それが当時の印象だった。

千城台はニュータウンとして開発が進む一方、その裏手には古びた市営住宅団地が現存していた。夜ともなれば、漢字も読めないガラの悪い連中が団地から溢れ出て来る。治安の悪さでは、千葉でも屈指の場所と言われていた。その構図に、現在も違いは無い。

モノレールの駅を降りれば静かなニュータウンの表情を見せるが、古びた脇道を1本入れば、“貧しい昭和がこびり付いた街”がいきなり目の前に現れる。

この界隈の市営住宅の多くは、1960年代半ばから後半にかけて建設されている。
半世紀以上経っているのだから古臭くて当然だが、それでも以前の取材時には活気だけはあった。しかし、今夏に訪れた時、市営住宅は妙な静けさの中にあった。違和感を覚える。明らかに、2003年とは何かが違うのだ。

最も古い木造平屋建ての市営住宅に行く。犬の世話をしていたお婆さんが言う。

「ああ、今、ここは取り壊し前でね。半分以上があっちの新しい団地に移ったよ。私かい? ほら、この子(犬)がいてねえ。犬や猫を飼う為に残っているんだよ」。

このお婆さんが説明した通り、周囲の市営住宅の多くは新規建て替えや改修の真っ最中だった。「前に住んでいた若い人の多くも出て行ったよ」と寂しそうに語る。

夜になって、漸く違和感の原因に気付いた。周囲にコンビニが全く無くなっていたのだ。

駅前界隈は小中学校が揃い、市営住宅とニュータウンの住人合わせて1万人以上が住んでいる。明らかに異常だろう。プール帰りの小学5年生ぐらいの少女にコンビニの場所を尋ねたら、「あそこにあった」と潰れた店を指差された。

そう言えば、駅前にも赤提灯1つ無く、大手チェーンの居酒屋も無かった。
何とか探したところ、市営住宅の脇にスナックが2軒あるだけだった。

その1軒のマスターが言う。「この数年かな。駅前の飲み屋も全部、無くなったんだよ。前はキャバクラや風俗店もあったんだけど」。

私が「事件の影響ですか?」と尋ねると、「若い人が夜に集まりそうな場所は、警察が厳しく取り締まったからね」と頷きながら説明する。

客の1人も、「コンビニは、ほら、トイレで子供を産んで捨てた事件あったろ? あれ以降、どんどん潰れたんだよ」。

これは2011年、地元の20歳女性が千城台のコンビニで起こした事件のことだろう。

8月、お盆前だというのに、街に屯する不良たちが公園で花火に興じる様子も無ければ、暴走族が撒き散らす騒音も聞こえてこない。

マスターは、「兎に角、そういう若者はこの街から本当に消えたんだよ」と繰り返す。昭和の貧しさがこびり付いた街は、急速に変貌しているようだった。

「違法住人の楽園だった」。
市営住宅に暮らす60代の老人客が自嘲気味にそう語る。

母子家庭と言いながら夫と暮らす。夜の店で働きながら生活保護を受け、子供の給食費を払わない親たち。

毎日、パチンコをして飲み屋で暴れる――そうした“貧者の楽園”は消え去ろうとしているのだと、このスナックの客たちは誰もが実感している。

老人客が続ける。

「今、古い市営住宅は建て替え中だろ? 新しい市営に入れるのは、俺のような高齢の年金暮らしや生活保護は大丈夫だけど、以前のように20代の働き盛りで子供がいるとか、偽装結婚しているような家は契約を更新できないからな。だから、親が子を追い出しているんだよ。『お前らがいたら新しい市営住宅に住めないから』って」。

こうして、市営住宅から不良たちや若い層は消え、老人だけの枯れた街になりつつある。

“貧しい昭和がこびり付いた街”は、市の指導の下、健全且つ理想の街へと生まれ変わるのだろう。

12年前、主犯の夫と“偽装結婚”する予定だった16歳の少女の顔を思い出す。
漢字が読めず、「東京の都心は怖いので、夢は葛西に住むこと」と言っていた彼女は今、28歳となり、どこで何をしているのだろうか。

「(殺された石橋さんと)PUFFYの曲をデュエットで、朝までカラオケしたんだよ」。
そう嬉しそうに思い出を語っていた彼女は、既に都会の片隅で最貧困化しているかもしれない。

だが、その姿が顕在化することはないだろう。

夜8時過ぎ。千城台の駅から部活動で健康そうに日焼けした、或いは塾のテキストを持った学生たちと、ネクタイを締めたサラリーマンが続々と降りて来る。そして、小奇麗なニュータウンへと消えていった。 (取材・文/西本頑司)
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1118.html?sp

千葉少女墓石撲殺事件とは、2003年(平成15年)10月1日に千葉市若葉区の墓地で発生した殺人事件である。


2003年10月1日の午前7時10分頃、千葉市若葉区の墓地駐車場で、ジョギングしていた男性が遺体を発見した。遺体は、若葉区千城台東の飲食店アルバイトだった少女(当時16歳)であった。

遺体は頭を鈍器で強く殴られて殺害された後、焼かれていた。
千葉県警は少女の夫で若葉区千城台西の運転手である男(当時22歳)を殺人の容疑で逮捕。共犯として高校3年の男子生徒(当時18歳)などを含む若葉区内の未成年の男子あわせて4人も逮捕した。


加害者と被害者の偽装結婚

被害者の少女は幼い頃は活発な少女で、中学時代はハンドボール部に所属していた。しかし部活を引退した3年の秋から性格が変わり始めた。不良グループと付き合うようになり、そこで後に自らを殺害する男に出会う。高校に進学するが、1年生の10月には自主退学し、以後はカラオケ店でアルバイトを始めた。

主犯の男は母親が再婚した義父と折り合いが悪く、家庭内で喧嘩を繰り返した。そして恐喝事件を繰り返し、高校1年の時には少年鑑別所送致にされる。18歳の時にはコンビニ強盗事件を起こして東北少年院送致となり、出所後も遊興費欲しさに窃盗事件を繰り返した。

少女はカラオケ店で働いたものの、給料面などから不満を持っており、水商売で働こうと考えていた。しかし18歳未満という年齢では働くことは不可能である。そこで男は自分との結婚を持ちかけた。結婚すれば成人として扱われるからである。ただし民法の上では成人扱いになるが、風俗営業法による規制から16歳で就職することは禁じられている。そして2人は2003年7月に婚姻届を提出し、少女はキャバクラで働き始めた。

ただし両者の間には恋愛感情は無く、2人の利害が一致したためでの偽装結婚に過ぎなかった。男は消費者金融に300万円に及ぶ多額の借金を抱えており、以前も別の女性と偽装結婚していた。女性の苗字を名乗って名前と戸籍を変更することで、消費者金融の借金を踏み倒そうとしていたのである。

しかし男は少女に結婚した見返りとして上納金を要求する。少女は初めこれに応じたが、次第に金銭トラブルを引き起こすようになり、遂に少女は偽装結婚を警察に通報すると言い出す。男は以前に起こした詐欺の事件で執行猶予中であった。

これが通報されれば猶予を取り消される可能性もあり、口封じを決意し、仲間の未成年4人を「自分たちの起こした窃盗事件を少女が警察に通報しようとしている」と騙すことで犯行に加わらせ、2003年10月1日午前3時過ぎに駐車場内でハンマーで少女を順番に殴りまわしたうえ、重さ70キロもある墓石用の石材を少女の顔に何度もたたきつけて殺害した。

そして少女の遺体にオイルを10数本もかけて火をつけて逃走したのである。
後に少女を発見した男性の証言では、発見したときには少女の遺体の上半身が炭化しており、まだ火もついているという状態だったという。

逮捕と裁判

事件発覚後、男は自ら警察に情報を提供して自分に疑いがかけられないようにした。またマスコミのインタビューにも悲痛な発言をすることで被害者を装っていた。

しかし警察は男と少女の偽装結婚をつかみ、さらに近所のスーパーやコンビニで大量にライターオイルを購入または万引きする男と少年らの防犯カメラの映像を入手して、男と少年らを逮捕する。男は最初容疑を否認していたが、少年4人が犯行を自供したため、遂に男も犯行を認めた。

2005年2月23日、千葉地裁で判決公判が開かれ、「暴行は想像を絶する残虐さ」、「自己中心的で幼稚極まりなく、動機に酌むべき点は無い」、「確定的殺意に基づく極めて残虐な犯行で、矯正は不可能」として、求刑通り無期懲役となる。4月19日に控訴を取り下げて刑は確定した。

また、未成年の少年らも、殺害と遺体損壊に加わった3人を5年から10年の不定期刑に、遺体損壊に加わらなかった1人を3年半から7年の不定期刑に処して確定した。こちらも「残虐な犯行」、「遺体損壊に対する悔悟の念が感じられない」とされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B0%91%E5%A5%B3%E5%A2%93%E7%9F%B3%E6%92%B2%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c129

[中国11] 中国社会科学院、『中日関係の発展に関する6つの基本見解』を発表(チャイナネット) 無段活用
1. 中川隆[-6588] koaQ7Jey 2017年8月28日 20:39:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無い

漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


勝てないロシア

中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。

1979年にソ連は国ですらないアフガニスタンの武装勢力に惨敗し、10年後の1989年に撤退しました。

この敗戦はチェルノブイリ事故や大韓航空撃墜とともに、ソ連崩壊の原因になった。

この時アメリカが結成した武装勢力が「アルカイダ」で2001年にNYで9.11テロを起こし、現在も活動している。


「アルカイダ」はさらに湾岸戦争時に米軍グリーンべレーの軍事訓練を受けて「イスラム国」へと進化しました。

アメリカが軍事訓練したのはイラクのフセイン政権と戦わせるためでしたが、今はアメリカが「イスラム国」と戦っています。

こういう理由でソ連が戦ったアルカイダは、今考えるとかなり強く、もしかしたら当時の米軍でも負けたかも知れない。


ロシアの領土はもともとアイヌ人のような北方民族の土地で、彼らを追い出して住み着き、国を作った。

以来千島樺太を含めて、領土化したのは全て北方民族の土地で、その領土を守る事に掛けては強い。

だが日露戦争など他の列強と呼ばれた国には、ほぼ勝った事がない。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html

http://www.asyura2.com/17/china11/msg/887.html#c1

[昼休み53] 釧路にだけは住んではいけない 中川隆
54. 中川隆[-6587] koaQ7Jey 2017年8月29日 01:50:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

美人中国人失踪事件に新展開?? - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Jtr3T9xwKI4


北海道で失踪した美人中国人女性とみられる遺体が釧路市の海岸で発見される。
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/451.html#c54

[政治・選挙・NHK231] <ネトウヨ発狂確実>政府が国民に最も読んで欲しくない本はこれだ!(お役立ち情報の杜(もり)) 赤かぶ
3. 中川隆[-6586] koaQ7Jey 2017年8月29日 02:02:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
第二次大戦の歴史観を見直す
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2017/08/7056.html
終戦記念日である8月15日。日本人ならあの悲劇を思い出し、二度とあのような戦争が起こらぬよう願うもの。アメリカの圧倒的物量を目の前に、開戦の前から「負ける」と分かっていた戦争に、なぜ日本は突き進んだのか。それは、天皇や財閥が金儲けのために仕掛けた戦争だからだ。

今、私達日本人は、第二次世界大戦の歴史観を見直す時期に来ている。

昭和天皇をはじめA級戦犯が死刑を免れたのも、財閥解体といいつつ、今なお諸財閥が存続し続けていることなどを考えても、戦争の立役者であった者達の戦後の動向は不整合が大きい。今回は、その一端を紹介したい。


以下は、こちらからの引用です。(赤字は引用者による)

天皇家の秘密―再掲 日本人は知ってはいけない。
http://cosmo-world.seesaa.net/article/118366403.html


天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など何も考えていない事は明白である。(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」マルジュ社)

なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは何故なのか?

敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?ん???

天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行くことになります。

天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンで、そしてここでも「何故か」CIAと天皇は「共同経営者」であります。

天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を「移し」始めますが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーがユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行でした。

天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族の蓄財を隠していました。

天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であったわけです。(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 ベストセラーズ 及び、濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)

1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立さましたが、日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった事は知られていません。

天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉があります。

「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」

この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言です。

日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのです。

天皇一族は神でも「象徴」でも無く、人間のクズの集団でしかありません。

天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。


以下は、こちらからの引用です。(赤字は引用者による)


原因を理解していない人間が、結果を変えられるわけがないのである - 戦争
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-2120.html


・東京大空襲で皇居や財閥系企業の施設は被害を受けなかった。

・三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなかった。

・東京裁判では米国にとって最大の「敵」であったはずの人物は無罪とされた。

・天皇の戦争責任を追及したアメリカ人ジャーナリストのバーガミニは、日本ではなく米国から妨害工作を受け、ジャーナリスト生命を断ち切られた。

・戦時中、財閥系企業は「天皇の軍隊」を利用して莫大な利益を上げた。

・財閥解体なんて嘘八百であり、戦後も存続・拡大し続けている。

・昭和天皇はガーター騎士団の一員(エリザベスの臣下)であった。日本がイギリス相手に戦争を起こすということは、君主への反逆を表すことになる。

・石油も鉄くずも所有していない日本が、何故に4年も戦争を続けることが出来たのか。敵国であるはずの米国から、裏ルートで輸入されていたからだ。

・白洲次郎やヨハンセン・グループは、空襲や原爆の情報を事前に教えられていた。

・満州国で実権を握っていたのは、岸信介をはじめとした田布施グループである。

・満州国で岸信介は麻薬を取り仕切っていた。麻薬の製造方法や販売手段を日本は知らなかったはずである。それらの情報を教えたのは誰か。

・田布施グループの一人である松岡洋右が国際連盟脱退のお膳立てをすることによって、日米開戦の原因を作った。

・ロンドン海軍軍縮条約を締結させて日本海軍の弱体化を謀った幣原 喜重郎は、フリーメーソンだった。

・幣原喜重郎の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女である。ここでフリーメーソンと三菱が繋がってくる。

・太平洋戦争開戦以前に、「日支闘争計画」が存在していた。これは、日本と中国を戦争させる計画である。

・開戦前の二.二六事件も、終戦の際の八.一五宮城事件も、ヤラセであった。ともに「あの戦争は軍部が独走して起こしたものであり、天皇は戦争に反対していた」という嘘を広めることが目的だった。


そして天皇が国際金融資本家らの思惑に沿って太平洋戦争へ邁進していった。こちらからの引用です。(赤字は引用者による)


山本五十六の真実D鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密−2・26事件 ♪ペリマリ♪
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html


天皇は皇統派を一掃し、統制派を参謀本部に配し、ついに自らの住む御文庫の中に彼らを入れて太平洋戦争に突入するべく机上演習を始める。誰ひとり天皇に逆らえる者ない、であった。この机上演習の中から、真珠湾攻撃とシンガポール攻撃が登場してくる。そのために一番役立ったのがヴェルサイユ会議で日本に与えられた、委任統治権であった。天皇は太平洋戦争の前から、闇の権力者たちが創作した、世界のグランド・デザインをどうやら知っていたらしい。近々日本が「非常に苦心せざるべからざる環境に置かれる」とは、戦争以外のなにものでもない。大戦後に、まさしくアメリカとソ連が世界を二分する大帝国となることも知っていたらしい。それにもまして「十年を覚悟し」さえすれば、「有終の美を挙ぐる」とは、敗戦後五年で、1950年に講和条約ができ、日本は再び独立国となる、ということであろう。そのために、一年後に戦争に入るべく努力をしているのだ、と天皇は語っているように思える。

さらには、原爆の広島投下を決定したのは、天皇だった。こちらからの引用です。(赤字は引用者による)

米国指令で「広島」原爆投下地決定したのは昭和天皇 !? 今この時&あの日あの時
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ba5e.html


終戦直後の昭和天皇とマッカーサーとの会見は単なるセレモニーで、実は終戦の前に連合国側は天皇家の存続と昭和天皇の生命、財産の保全を決めていたのです。天皇制をうまく利用する方が日本統治上好都合と判断したからです。

それを事前に知らされていた昭和天皇は、だからこそポツダム宣言も安心して受諾したのです。

それはともかく。米国側からヨハンセングループを通して原爆投下地を決定するよう要請された昭和天皇は、「広島」と返答しました。

なぜ広島だったのか?それには理由があったのです。

その時点で終戦決定していた天皇にとって、一番の障害となることが予想されたのが陸軍の存在です。終戦と聞いてクーデターを起こしかねなかったからです

そして、無条件降伏と言いつつも、國体護持を唯一の条件として天皇はポツダム宣言を受託する。


・國体護持のための終戦(1)
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2015/08/5126.html

・國体護持のための終戦(2)
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2015/08/5132.html


戦後以降のアメリカ支配は、天皇家や田布施一族との深い繋がりのなかで継続されたきた。奴隷密売で外国へ売り飛ばされた者達、無益な戦争で亡くなった多くの兵士達の命は、一握りの者達の私益のために消えて行ったという事実を、受け止めなければならない。

我々日本人が本当に闘わなければいけない相手は誰なのか。それを見失ってはいけない。
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2017/08/7056.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/432.html#c3

[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
22. 中川隆[-6585] koaQ7Jey 2017年8月29日 02:07:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

タワーマンション居住は人体に危険…精神疾患や流産リスク増、低層階はストレス過多
http://biz-journal.jp/2017/08/post_20285.html
2017.08.29 文=喜屋武良子/清談社 Business Journal


 今や住んでいることがステータスとなっているタワーマンション。不動産経済研究所が発表した「超高層マンション市場動向2017」によると、2017年以降に完成予定の高層マンションは日本全国で285棟もあり、東京都心部や東京湾岸エリアを中心にハイペースで供給が進んでいる。

 現代の日本人にとって、それだけタワマンは“憧れ”であり、人気の物件なのだ。しかし一見、快適そうに見えるタワマンも「いいことずくめ」というわけではなさそうだ。なかでも意外と知られていないのが、高層階がもたらす「健康被害」の可能性である。

■タワマン居住で健康被害が発生する?

 そもそも、タワマンの高層階に住めば、少なくとも地上から15m以上は離れた場所で生活することになる。そこで危惧されるのが、抑うつなどの症状だ。

 建設省建築研究所(当時)の渡辺圭子教授が1994年に発表した論文「集合住宅のストレスと居住者の精神健康」は、「高層集合住宅はその高さゆえに、外の明るさ、雨の音、樹木の緑といった外界による刺激が乏しい」と指摘する。

 また、感覚遮断研究では「刺激を極度に絶たれた被験者は無気力、抑うつなどの症状に陥りがち」だといい、渡辺教授は、高層階でもそれと同様の傾向が表れるのでは、と類推している。

 さらに、高層階での居住は「流産率が高まる」との報告もある。公衆衛生学の権威で『コワ〜い高層マンションの話』(宝島社)の著者である逢坂文夫氏は、94年の研究「住居環境の妊婦に及ぼす健康影響について」で「高層階の居住者ほど流産の割合が高くなる」と発表しており、10階以上の高層階に住む女性の流産割合は38.9%に達するとしている。

 その原因についてはまだわかっていないが、同研究によると、戸建てに住む女性の流産割合は8.2%なので、高層階に住む女性との差は4倍以上になる。眺望の良さはタワマン高層階の魅力のひとつだが、それが逆に健康を蝕む要因になっているのだとしたら、驚きである。

■タワマン特有のマウンティングもストレスに

 また、不動産投資顧問で金森実業代表取締役の金森重樹氏はこう語る。

「高層階の住人は富裕層が多いため、その直下の低層階に住んでいると、『上と比べれば自分はたいしたことない』といった劣等感を抱きやすい。それが慢性的なストレスを生み、健康を害する可能性も考えられる」(金森氏)

 文部科学省のレポート「日本の『健康社会格差』の実態を知ろう」では、学歴や所得と健康状態の関係について、いくつかの仮説が挙げられているが、そのひとつに「相対的剝奪仮説」という項目がある。

 相対的剝奪感とは、周囲と自分を比較したときに芽生える劣等感やあきらめ、ねたみといったマイナスの感情のこと。同レポートでは、相対的剝奪感を持ちやすい状況にある高齢男性は、そうでない人に比べて死亡リスクが1.2倍も高いという研究結果も報告されている。

「外から見ればタワマンに住んでいる人に憧れるかもしれませんが、マンションによっては高層階の住人が下層階の住人を低く扱うというマウンティングがあります。賃貸か購入かによっても序列があり、そのプレッシャーがマンションに住んでいる限りはずっと続くため、ストレスの原因になることもあり得るのです」(同)

 仮に人並み以上の暮らしをしていても、まわりがそれ以上に裕福なら、劣等感を抱くことになる。「階層」というわかりやすい格差が存在するタワマンの住人は、相対的剝奪感が芽生えやすい環境といえるのではないだろうか。

■同調圧力が強い?タワマン内の住人コミュニティ

 しかし、「それでもタワマンに住みたい」という人もいるかもしれない。その場合は、どんな対策を立てればいいのか。金森氏は「必要なのは出費に対する見極め」とアドバイスする。

「居住用としてタワマンを購入する人の多くは経済的に恵まれていて、それなりに社会的信用も高い。しかし、多くのタワマンでは住人コミュニティ内の同調圧力が強く、保有する車のグレードや余暇の過ごし方、さらに子育てなどについて、ある一定のレベルを超えていないと仲間外れにされてしまうことがあります。

 タワマンに住めば、そうした生活費以外の部分での出費が増加しがちです。そのため、そうした生活に耐えていけるかどうかを見極める必要があるでしょう」(同)

 タワマン購入が身の丈に合っていなければ、それだけ経済的にも健康的にもリスクが高まるということなのかもしれない。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c22

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
50. 中川隆[-6584] koaQ7Jey 2017年8月29日 08:59:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

国の中の90%以上の女性が文字をまったく読めないとしたら?

ひとり当たりの年間所得が最も少ない国をIMFの2016年のデータから拾い上げると南スーダン、マラウイ、ブルンジ、中央アフリカ、マダガスカル、モザンビーク、ニジェール、ガンビア、リベリア、コンゴ……と続く。

ここで上げた国は、人が貧しいというよりも国そのものが極貧にあって、経済発展はなかなか厳しいものがある。

もうほとんど報道されなくなっているのだが、南スーダンでは国土の6割が戦乱地区と化しており、中央アフリカでもコンゴでも大量虐殺が続いている。

アジアでも、アフガニスタンやネパールは非常に貧しい地区であり、EU(欧州連合)には、アフガニスタン難民も大量に入り込んでいるのはあまり知られていない。

政府が脆弱な国は、貧困が蔓延している。戦争が吹き荒れる国もまた貧困が吹き荒れる。

その結果、多くの人たちから教育の機会が奪われる。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、人々が安全な地区を目指してさまよい歩いているような地区で、あるいは教育を与える必要がないという声が支持される地区では、意図的に教育の機会が踏みにじられるのだ。

中でも、女性の教育が犠牲になることが多い。

人材を作るには、教育に力を入れる必要がある

途上国では、誰がリーダーになっても、経済を立て直し、貧困を撲滅するのは非常に難しい仕事になる。

途上国のあらゆる問題は貧困から来ている。そして、その貧困のあらゆる原因は、インフラや汚職や内戦や先進国の収奪から生まれている。

豊かな国だったとしても、一度、国が衰退してしまうと立て直すのが難しいのは、歴史を見ると分かる。

日本は第二次世界大戦の敗戦で、国は焼け野原になってほぼ壊滅したも同然だったが、そこから奇跡的な復興を遂げて現在がある。

しかし、こういった奇跡は「例外中の例外」だ。普通は、国が壊滅すれば、その後は何十年も立ち直れないのである。

国が回復するには、経済が回らなければならない。経済が回るためには人材や資源が必要になる。資源があるかどうかは、その国の運次第だ。資源がないのであれば、人材を強化するしかない。

人材を作るには、教育に力を入れる必要がある。

ところが貧困国は、底なしの貧困ゆえに教育制度が破綻していることが多い。それならば、教育に金をかければいいという話になるのだが、ここにひとつ問題が発生する。

教育の成果を見るには、長い時間がかかるということだ。

1年や2年ではない。10年も20年もかかるのだ。だとすれば、任期が数年の政治家が教育に力を入れ続けるのは、相当な意思と覚悟が必要になる。

どこの国でも、教育の大切さを自覚する政治家は少ない。

教育はいつも置き去りにされる。「女性に教育は必要ない」と決めつけるアフガニスタンのような国もある。

アフガニスタンはわざわざ作られた女子学校を、イスラム原理主義のタリバンが叩き壊して回っている。

このタリバンのイスラム主義はパキスタンにも広がっているのだが、だからパキスタンの地方都市でも女子学校の破壊やテロが起きたりしている。

さらにこのような動きはナイジェリアでも広がり、テロ集団ボコ・ハラムが女子学生を大量拉致してイスラム原理主義に洗脳したり、自爆テロに使ったりするようにもなった。

そこまでして教育を奪おうとしている国もあるのだ。


アフガニスタンはわざわざ作られた女子学校を、イスラム原理主義のタリバンが叩き壊して回っている。このタリバンのイスラム主義はパキスタンにも広がっているのだが、だからパキスタンの地方都市でも女子学校の破壊やテロが起きたりしている。


90%以上の女性がまったく文字を読めない国もある

教育の機会が奪われたら国はいつまで経っても立ち行かない。これは、多くの途上国が共通して抱えている問題である。

教育がしっかりしていれば、その国は立ち直る余地はある。あるいは、すべてを失っても成長する余地がある。

どんなに国が傾き、経済破綻し、暴力・麻薬・売春が吹き荒れ、汚職が蔓延していたとしても、教育がしっかりしていれば嵐の中で芽が育つ。

逆に、教育自体がおざなりになっていたり、荒廃していたり、教育行政が破綻していたりすると、成長している国であっても、次世代の衰退は間違いない。

何を差し置いても教育に力を入れる風土があれば、その国は助かる。そうでないのであれば、その国の政治家が一時的に何かをやっても、結局は貧困に戻っていく。

教育は軽く見てはいけない問題だ。なぜ貧困層がそこから抜け出せないのか。

それは教育を受けていないからだ。

教育を受けても成功するとは限らない。しかし、教育を受けていなければ、スタート地点にすら立つことができない。

先進国にいると、文字が読めて、計算ができるというのは当たり前のように思えるかもしれない。しかし、それは当たり前のことではない。教育の成果だ。

日本の識字率は99%なので、国民のほぼすべてが文字が読める状態である。だから、文字が読めない人がいるというのが信じられないかもしれない。しかし、途上国では想像以上に文字が読めない人が多い。

たとえば、教育を奪われているアフガニスタンでは、女性の識字率は17.6%であると言われている。これを逆に言えば、女性の82.4%が文字が読めないということだ。自分の名前を読むことも書くこともできない。

国民の85%がイスラム教であるギニアでも女性の教育がほとんど為されておらず、女性の87.8%が文字を読めない。やはりイスラム教が圧倒的大多数を占めるニジェールに至っては、女性の91.1%が文字を読めない。

国の半分を占める女性が無教育なのであれば、国の半分は知的能力を必要とする現代社会で落ちこぼれるということだ。これでは国の再建や発展どころではない。


幼少の頃にきちんと教育を受けていれば……

インドでもカンボジアでもバングラデシュでもインドネシアでも、文字が読めない人たちは想像以上に多い。

私が知り合ったインド・コルカタの物乞いの女性たち、あるいはコルカタの売春地帯にいた女性たちも文字が読めなかった。

(書籍『絶対貧困の光景』インドの取り残された女性たち)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20140610T1741180900.html


彼女たちは知的能力が劣っていたわけではない。現に、彼女たちはヒンディー語を話す以外に、英語もきちんと話して欧米人と会話もできる。

文字は書けないのだが、ストリートで覚えた英語を駆使して欧米人と渡り合っている。もし、彼女たちが幼少の頃にきちんと教育を受けていれば、何十年も物乞いで生活していなかったかもしれない。

彼女たちに欠けていたのは教育だということが分かる。教育の機会がなかったのだ。

教育を受けると、物事を判断したり、分析したり、専門を極めていくことが可能になる。それもまた、貧困から抜け出すのに重要な要素である。

教育と言っても大学で学ぶような高度な専門知識の話をしているわけではない。読み書きソロバンの基礎的な教育の話をしている。それすら受けられないと、何もできない。

何しろ、名前も書けず、計算もできないのだ。そうなると、仕事は単純労働でしかない。単純労働の賃金は、どこでも最低賃金そのものだ。

最低賃金で生きていても、貧困から抜け出すことはできないのだ。字が読めないし書けないのだから、できる仕事は限られてしまう。賃金をごまかされても、計算ができないから抗議すらもできない。

また、世の中の仕組みはすべてドキュメント(書類)によって記されている。契約書も、賃金明細書も、請求書も、何もかも書類に記されて、そこには文字が書かれている。

それらの書類が読めず、意味も分からなければ、自分の置かれている立場すらも分からないままだ。やはり抑圧されたままの人生を送るしかなくなる。

国はどれだけ多くの国民に教育を受けさせることができるか。自分や子供たちは教育に接することができるか。そして、教育はどれだけ適切で実用的か……。

それが、貧困撲滅の鍵を握っている。しかし、多くの国でそれが理解されない。その結果、貧困が永遠に続いていくことになる。

教育を受けても成功するとは限らない。しかし、教育を受けていなければ、スタート地点にすら立つことができない。教育がきちんと続かなければ、彼女には将来がない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170829T0223580900.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c50

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
51. 中川隆[-6583] koaQ7Jey 2017年8月29日 09:07:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

日本でも貧困地域の子供は漢字が読めない

【“貧困”無間地獄の現場】(05) 2003年『千葉少女墓石撲殺事件』の舞台――不良だらけの荒れた街が老人だけの枯れた街に


「貧しい昭和がこびり付いたような街」――

『最貧困女子』(幻冬舎新書)
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E5%A5%B3%E5%AD%90-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E5%A4%A7%E4%BB%8B/dp/4344983610


で貧困問題を世に問うたジャーナリストの鈴木大介氏は、最貧困女子の出身地をそんな表現で語ったことがあった。


その1つが千葉市の千城台、正確には千葉市若葉区の千城台市営住宅団地だ。
言葉は悪いが、“最貧困女子の故郷”とでも言おうか。

地図
https://www.mapion.co.jp/m2/35.62610819,140.18221072,16


千葉駅からモノレールに乗り換える。タウンライナー(千葉都市モノレール)からは、新興のニュータウンと自然豊かな公園の景色が広がる。

約25分、終点の千城台駅に到着する。この街は以前、取材で訪れていた。

2003年10月に起こった『千葉少女墓石撲殺事件』である。犯罪史に残る陰惨且つ稚拙な事件。

風俗店(抜きキャバ)で働いていた16歳の石橋裕子さんが、偽装結婚していた夫(当時22歳)に離婚を切り出したところ、夫は地元の高校生ら5人と共謀し、石橋さんを墓地に連れて行き、歯形がわからなくなるまで殴りつけ、指紋を消し去る為に灯油で焼き殺した。

主犯の夫は、偽装結婚で戸籍をロンダリングしては、消費者金融からカネを借りる詐欺行為を繰り返していた。

当時、この夫は新しい相手と偽装結婚する予定だったが、身元不明状態では離婚できないと気付いて「自分の妻」と名乗りを挙げた結果、呆気なく御用となった。

事件の当事者たちは全員、市営住宅の出身者だった。
石橋さんの働いていた風俗店も千城台にあった。

次に偽装結婚する予定だったという別の16歳の少女を取材した。
彼女もやはり、市営住宅出身者だった。

彼女に事件をコピーした記事を見せた際、「漢字、読めないから」と言われて強い衝撃を受けた。

主犯の夫と族仲間だったという不良3人にも取材したが、やはり漢字が読めず、全員が無免許と自慢げに語っていた。

「21世紀の日本で、こんなことがあり得るのか…」。それが当時の印象だった。

千城台はニュータウンとして開発が進む一方、その裏手には古びた市営住宅団地が現存していた。夜ともなれば、漢字も読めないガラの悪い連中が団地から溢れ出て来る。治安の悪さでは、千葉でも屈指の場所と言われていた。その構図に、現在も違いは無い。

モノレールの駅を降りれば静かなニュータウンの表情を見せるが、古びた脇道を1本入れば、“貧しい昭和がこびり付いた街”がいきなり目の前に現れる。

この界隈の市営住宅の多くは、1960年代半ばから後半にかけて建設されている。
半世紀以上経っているのだから古臭くて当然だが、それでも以前の取材時には活気だけはあった。しかし、今夏に訪れた時、市営住宅は妙な静けさの中にあった。違和感を覚える。明らかに、2003年とは何かが違うのだ。

最も古い木造平屋建ての市営住宅に行く。犬の世話をしていたお婆さんが言う。

「ああ、今、ここは取り壊し前でね。半分以上があっちの新しい団地に移ったよ。私かい? ほら、この子(犬)がいてねえ。犬や猫を飼う為に残っているんだよ」。

このお婆さんが説明した通り、周囲の市営住宅の多くは新規建て替えや改修の真っ最中だった。「前に住んでいた若い人の多くも出て行ったよ」と寂しそうに語る。

夜になって、漸く違和感の原因に気付いた。周囲にコンビニが全く無くなっていたのだ。

駅前界隈は小中学校が揃い、市営住宅とニュータウンの住人合わせて1万人以上が住んでいる。明らかに異常だろう。プール帰りの小学5年生ぐらいの少女にコンビニの場所を尋ねたら、「あそこにあった」と潰れた店を指差された。

そう言えば、駅前にも赤提灯1つ無く、大手チェーンの居酒屋も無かった。
何とか探したところ、市営住宅の脇にスナックが2軒あるだけだった。

その1軒のマスターが言う。「この数年かな。駅前の飲み屋も全部、無くなったんだよ。前はキャバクラや風俗店もあったんだけど」。

私が「事件の影響ですか?」と尋ねると、「若い人が夜に集まりそうな場所は、警察が厳しく取り締まったからね」と頷きながら説明する。

客の1人も、「コンビニは、ほら、トイレで子供を産んで捨てた事件あったろ? あれ以降、どんどん潰れたんだよ」。

これは2011年、地元の20歳女性が千城台のコンビニで起こした事件のことだろう。

8月、お盆前だというのに、街に屯する不良たちが公園で花火に興じる様子も無ければ、暴走族が撒き散らす騒音も聞こえてこない。

マスターは、「兎に角、そういう若者はこの街から本当に消えたんだよ」と繰り返す。昭和の貧しさがこびり付いた街は、急速に変貌しているようだった。


「違法住人の楽園だった」。
市営住宅に暮らす60代の老人客が自嘲気味にそう語る。

母子家庭と言いながら夫と暮らす。夜の店で働きながら生活保護を受け、子供の給食費を払わない親たち。

毎日、パチンコをして飲み屋で暴れる――そうした“貧者の楽園”は消え去ろうとしているのだと、このスナックの客たちは誰もが実感している。

老人客が続ける。

「今、古い市営住宅は建て替え中だろ? 新しい市営に入れるのは、俺のような高齢の年金暮らしや生活保護は大丈夫だけど、以前のように20代の働き盛りで子供がいるとか、偽装結婚しているような家は契約を更新できないからな。だから、親が子を追い出しているんだよ。『お前らがいたら新しい市営住宅に住めないから』って」。

こうして、市営住宅から不良たちや若い層は消え、老人だけの枯れた街になりつつある。

“貧しい昭和がこびり付いた街”は、市の指導の下、健全且つ理想の街へと生まれ変わるのだろう。

12年前、主犯の夫と“偽装結婚”する予定だった16歳の少女の顔を思い出す。
漢字が読めず、「東京の都心は怖いので、夢は葛西に住むこと」と言っていた彼女は今、28歳となり、どこで何をしているのだろうか。

「(殺された石橋さんと)PUFFYの曲をデュエットで、朝までカラオケしたんだよ」。
そう嬉しそうに思い出を語っていた彼女は、既に都会の片隅で最貧困化しているかもしれない。

だが、その姿が顕在化することはないだろう。

夜8時過ぎ。千城台の駅から部活動で健康そうに日焼けした、或いは塾のテキストを持った学生たちと、ネクタイを締めたサラリーマンが続々と降りて来る。そして、小奇麗なニュータウンへと消えていった。 (取材・文/西本頑司)
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1118.html?sp

千葉少女墓石撲殺事件とは、2003年(平成15年)10月1日に千葉市若葉区の墓地で発生した殺人事件である。


2003年10月1日の午前7時10分頃、千葉市若葉区の墓地駐車場で、ジョギングしていた男性が遺体を発見した。遺体は、若葉区千城台東の飲食店アルバイトだった少女(当時16歳)であった。

遺体は頭を鈍器で強く殴られて殺害された後、焼かれていた。
千葉県警は少女の夫で若葉区千城台西の運転手である男(当時22歳)を殺人の容疑で逮捕。共犯として高校3年の男子生徒(当時18歳)などを含む若葉区内の未成年の男子あわせて4人も逮捕した。


加害者と被害者の偽装結婚

被害者の少女は幼い頃は活発な少女で、中学時代はハンドボール部に所属していた。しかし部活を引退した3年の秋から性格が変わり始めた。不良グループと付き合うようになり、そこで後に自らを殺害する男に出会う。高校に進学するが、1年生の10月には自主退学し、以後はカラオケ店でアルバイトを始めた。

主犯の男は母親が再婚した義父と折り合いが悪く、家庭内で喧嘩を繰り返した。そして恐喝事件を繰り返し、高校1年の時には少年鑑別所送致にされる。18歳の時にはコンビニ強盗事件を起こして東北少年院送致となり、出所後も遊興費欲しさに窃盗事件を繰り返した。

少女はカラオケ店で働いたものの、給料面などから不満を持っており、水商売で働こうと考えていた。しかし18歳未満という年齢では働くことは不可能である。そこで男は自分との結婚を持ちかけた。結婚すれば成人として扱われるからである。ただし民法の上では成人扱いになるが、風俗営業法による規制から16歳で就職することは禁じられている。そして2人は2003年7月に婚姻届を提出し、少女はキャバクラで働き始めた。

ただし両者の間には恋愛感情は無く、2人の利害が一致したためでの偽装結婚に過ぎなかった。男は消費者金融に300万円に及ぶ多額の借金を抱えており、以前も別の女性と偽装結婚していた。女性の苗字を名乗って名前と戸籍を変更することで、消費者金融の借金を踏み倒そうとしていたのである。

しかし男は少女に結婚した見返りとして上納金を要求する。少女は初めこれに応じたが、次第に金銭トラブルを引き起こすようになり、遂に少女は偽装結婚を警察に通報すると言い出す。男は以前に起こした詐欺の事件で執行猶予中であった。

これが通報されれば猶予を取り消される可能性もあり、口封じを決意し、仲間の未成年4人を「自分たちの起こした窃盗事件を少女が警察に通報しようとしている」と騙すことで犯行に加わらせ、2003年10月1日午前3時過ぎに駐車場内でハンマーで少女を順番に殴りまわしたうえ、重さ70キロもある墓石用の石材を少女の顔に何度もたたきつけて殺害した。

そして少女の遺体にオイルを10数本もかけて火をつけて逃走したのである。
後に少女を発見した男性の証言では、発見したときには少女の遺体の上半身が炭化しており、まだ火もついているという状態だったという。


逮捕と裁判

事件発覚後、男は自ら警察に情報を提供して自分に疑いがかけられないようにした。またマスコミのインタビューにも悲痛な発言をすることで被害者を装っていた。

しかし警察は男と少女の偽装結婚をつかみ、さらに近所のスーパーやコンビニで大量にライターオイルを購入または万引きする男と少年らの防犯カメラの映像を入手して、男と少年らを逮捕する。男は最初容疑を否認していたが、少年4人が犯行を自供したため、遂に男も犯行を認めた。

2005年2月23日、千葉地裁で判決公判が開かれ、「暴行は想像を絶する残虐さ」、「自己中心的で幼稚極まりなく、動機に酌むべき点は無い」、「確定的殺意に基づく極めて残虐な犯行で、矯正は不可能」として、求刑通り無期懲役となる。4月19日に控訴を取り下げて刑は確定した。

また、未成年の少年らも、殺害と遺体損壊に加わった3人を5年から10年の不定期刑に、遺体損壊に加わらなかった1人を3年半から7年の不定期刑に処して確定した。こちらも「残虐な犯行」、「遺体損壊に対する悔悟の念が感じられない」とされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B0%91%E5%A5%B3%E5%A2%93%E7%9F%B3%E6%92%B2%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c51

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
130. 中川隆[-6582] koaQ7Jey 2017年8月29日 09:10:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

千葉県に住むと未来が無くなる理由


>事件の当事者たちは全員、市営住宅の出身者だった。
>石橋さんの働いていた風俗店も千城台にあった。

>次に偽装結婚する予定だったという別の16歳の少女を取材した。
彼女もやはり、市営住宅出身者だった。

>彼女に事件をコピーした記事を見せた際、「漢字、読めないから」と言われて強い衝撃を受けた。

>主犯の夫と族仲間だったという不良3人にも取材したが、やはり漢字が読めず、全員が無免許と自慢げに語っていた。

>「21世紀の日本で、こんなことがあり得るのか…」。それが当時の印象だった。

>千城台はニュータウンとして開発が進む一方、その裏手には古びた市営住宅団地が現存していた。夜ともなれば、漢字も読めないガラの悪い連中が団地から溢れ出て来る。治安の悪さでは、千葉でも屈指の場所と言われていた。その構図に、現在も違いは無い。


国の中の90%以上の女性が文字をまったく読めないとしたら?


ひとり当たりの年間所得が最も少ない国をIMFの2016年のデータから拾い上げると南スーダン、マラウイ、ブルンジ、中央アフリカ、マダガスカル、モザンビーク、ニジェール、ガンビア、リベリア、コンゴ……と続く。

ここで上げた国は、人が貧しいというよりも国そのものが極貧にあって、経済発展はなかなか厳しいものがある。

もうほとんど報道されなくなっているのだが、南スーダンでは国土の6割が戦乱地区と化しており、中央アフリカでもコンゴでも大量虐殺が続いている。

アジアでも、アフガニスタンやネパールは非常に貧しい地区であり、EU(欧州連合)には、アフガニスタン難民も大量に入り込んでいるのはあまり知られていない。

政府が脆弱な国は、貧困が蔓延している。戦争が吹き荒れる国もまた貧困が吹き荒れる。

その結果、多くの人たちから教育の機会が奪われる。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、人々が安全な地区を目指してさまよい歩いているような地区で、あるいは教育を与える必要がないという声が支持される地区では、意図的に教育の機会が踏みにじられるのだ。

中でも、女性の教育が犠牲になることが多い。


人材を作るには、教育に力を入れる必要がある

途上国では、誰がリーダーになっても、経済を立て直し、貧困を撲滅するのは非常に難しい仕事になる。

途上国のあらゆる問題は貧困から来ている。そして、その貧困のあらゆる原因は、インフラや汚職や内戦や先進国の収奪から生まれている。

豊かな国だったとしても、一度、国が衰退してしまうと立て直すのが難しいのは、歴史を見ると分かる。

日本は第二次世界大戦の敗戦で、国は焼け野原になってほぼ壊滅したも同然だったが、そこから奇跡的な復興を遂げて現在がある。

しかし、こういった奇跡は「例外中の例外」だ。普通は、国が壊滅すれば、その後は何十年も立ち直れないのである。

国が回復するには、経済が回らなければならない。経済が回るためには人材や資源が必要になる。資源があるかどうかは、その国の運次第だ。資源がないのであれば、人材を強化するしかない。

人材を作るには、教育に力を入れる必要がある。

ところが貧困国は、底なしの貧困ゆえに教育制度が破綻していることが多い。それならば、教育に金をかければいいという話になるのだが、ここにひとつ問題が発生する。

教育の成果を見るには、長い時間がかかるということだ。

1年や2年ではない。10年も20年もかかるのだ。だとすれば、任期が数年の政治家が教育に力を入れ続けるのは、相当な意思と覚悟が必要になる。

どこの国でも、教育の大切さを自覚する政治家は少ない。

教育はいつも置き去りにされる。「女性に教育は必要ない」と決めつけるアフガニスタンのような国もある。

アフガニスタンはわざわざ作られた女子学校を、イスラム原理主義のタリバンが叩き壊して回っている。

このタリバンのイスラム主義はパキスタンにも広がっているのだが、だからパキスタンの地方都市でも女子学校の破壊やテロが起きたりしている。

さらにこのような動きはナイジェリアでも広がり、テロ集団ボコ・ハラムが女子学生を大量拉致してイスラム原理主義に洗脳したり、自爆テロに使ったりするようにもなった。

そこまでして教育を奪おうとしている国もあるのだ。

アフガニスタンはわざわざ作られた女子学校を、イスラム原理主義のタリバンが叩き壊して回っている。このタリバンのイスラム主義はパキスタンにも広がっているのだが、だからパキスタンの地方都市でも女子学校の破壊やテロが起きたりしている。


90%以上の女性がまったく文字を読めない国もある

教育の機会が奪われたら国はいつまで経っても立ち行かない。これは、多くの途上国が共通して抱えている問題である。

教育がしっかりしていれば、その国は立ち直る余地はある。あるいは、すべてを失っても成長する余地がある。

どんなに国が傾き、経済破綻し、暴力・麻薬・売春が吹き荒れ、汚職が蔓延していたとしても、教育がしっかりしていれば嵐の中で芽が育つ。

逆に、教育自体がおざなりになっていたり、荒廃していたり、教育行政が破綻していたりすると、成長している国であっても、次世代の衰退は間違いない。

何を差し置いても教育に力を入れる風土があれば、その国は助かる。そうでないのであれば、その国の政治家が一時的に何かをやっても、結局は貧困に戻っていく。

教育は軽く見てはいけない問題だ。なぜ貧困層がそこから抜け出せないのか。

それは教育を受けていないからだ。

教育を受けても成功するとは限らない。しかし、教育を受けていなければ、スタート地点にすら立つことができない。

先進国にいると、文字が読めて、計算ができるというのは当たり前のように思えるかもしれない。しかし、それは当たり前のことではない。教育の成果だ。

日本の識字率は99%なので、国民のほぼすべてが文字が読める状態である。だから、文字が読めない人がいるというのが信じられないかもしれない。しかし、途上国では想像以上に文字が読めない人が多い。

たとえば、教育を奪われているアフガニスタンでは、女性の識字率は17.6%であると言われている。これを逆に言えば、女性の82.4%が文字が読めないということだ。自分の名前を読むことも書くこともできない。

国民の85%がイスラム教であるギニアでも女性の教育がほとんど為されておらず、女性の87.8%が文字を読めない。やはりイスラム教が圧倒的大多数を占めるニジェールに至っては、女性の91.1%が文字を読めない。

国の半分を占める女性が無教育なのであれば、国の半分は知的能力を必要とする現代社会で落ちこぼれるということだ。これでは国の再建や発展どころではない。


幼少の頃にきちんと教育を受けていれば……

インドでもカンボジアでもバングラデシュでもインドネシアでも、文字が読めない人たちは想像以上に多い。

私が知り合ったインド・コルカタの物乞いの女性たち、あるいはコルカタの売春地帯にいた女性たちも文字が読めなかった。

(書籍『絶対貧困の光景』インドの取り残された女性たち)
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20140610T1741180900.html


彼女たちは知的能力が劣っていたわけではない。現に、彼女たちはヒンディー語を話す以外に、英語もきちんと話して欧米人と会話もできる。

文字は書けないのだが、ストリートで覚えた英語を駆使して欧米人と渡り合っている。もし、彼女たちが幼少の頃にきちんと教育を受けていれば、何十年も物乞いで生活していなかったかもしれない。

彼女たちに欠けていたのは教育だということが分かる。教育の機会がなかったのだ。

教育を受けると、物事を判断したり、分析したり、専門を極めていくことが可能になる。それもまた、貧困から抜け出すのに重要な要素である。

教育と言っても大学で学ぶような高度な専門知識の話をしているわけではない。読み書きソロバンの基礎的な教育の話をしている。それすら受けられないと、何もできない。

何しろ、名前も書けず、計算もできないのだ。そうなると、仕事は単純労働でしかない。単純労働の賃金は、どこでも最低賃金そのものだ。

最低賃金で生きていても、貧困から抜け出すことはできないのだ。字が読めないし書けないのだから、できる仕事は限られてしまう。賃金をごまかされても、計算ができないから抗議すらもできない。

また、世の中の仕組みはすべてドキュメント(書類)によって記されている。契約書も、賃金明細書も、請求書も、何もかも書類に記されて、そこには文字が書かれている。

それらの書類が読めず、意味も分からなければ、自分の置かれている立場すらも分からないままだ。やはり抑圧されたままの人生を送るしかなくなる。

国はどれだけ多くの国民に教育を受けさせることができるか。自分や子供たちは教育に接することができるか。そして、教育はどれだけ適切で実用的か……。

それが、貧困撲滅の鍵を握っている。しかし、多くの国でそれが理解されない。その結果、貧困が永遠に続いていくことになる。

教育を受けても成功するとは限らない。しかし、教育を受けていなければ、スタート地点にすら立つことができない。教育がきちんと続かなければ、彼女には将来がない。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170829T0223580900.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c130

[政治・選挙・NHK231] 加計問題「第2幕」へ 96億円補助金に今度は“マル暴”の影(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
1. 中川隆[-6581] koaQ7Jey 2017年8月29日 09:16:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

前川喜平は何故 安部をそんなに憎んでデマまで流すのか

最近はマスコミの力によって、法に触れずとも国民感情に触れると追い落とされますからね。

本当に恐ろしい世の中です。

既に忘却の彼方になっているかも知れませんが、東京の元知事であった舛添要一氏も、「セコイ」だけで法律に触れた訳ではないのですが、マスコミが世論を煽って辞任に追い込みました。

まあ、確かにセコイとは思いましたが、政治家としてはそれ程悪くなかったと思うのですが、本当にマスコミとは恐ろしい存在であります。

これは今の加計学園問題にも言える事で、特区なんだから総理が独断で決めても良い事であり、何も法律に触れている訳ではないのです。

本来マスコミは特区を作る法そのものが間違っていると報道すべきだと思うところです。

経済コラムマガジン 17/8/14(951号)

行き詰る「国家戦略特区」

前段の「投資を喚起する成長戦略」について具体例で補足する。「国家戦略特区」の代表となった観がある加計学園の獣医学新設の経済効果を試算してみる。今治に獣医学が新設されることになり、校舎が建設されたり教員が採用される。筆者は、これらの直接投資額とその波及効果を合算して経済効果は200億円程度になると見積もる。

しかし今治の獣医学新設の影響によって、当然のことであるが他の既存の獣医学部の投資が長期的には抑えられる(これはマイナス効果)ことが考えられる。したがって日本全体で見れば、長期的には経済効果はほぼ中立と筆者は見る。

04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
http://www.adpweb.com/eco/eco338.html

などで述べたように、昔から構造改革派が行う規制緩和の経済効果の試算の特徴は、マイナス効果を過小に見積るところにある。

たしかに今治市にとって200億円の経済効果は大きく「国家戦略特区」の恩恵は目に見える。しかし全国的、また長期的に見て他方で投資が抑えられることを考えると、合計した経済効果はほぼゼロと筆者は考える。


仮にマイナス効果を全く考慮せずとも、今治の獣医学新設の経済効果はたった200億円程度である。日本のGDPを500兆円とすれば、200億円はたった20分間で達成される生産額である。他の「国家戦略特区」の経済効果も同様に小さいものばかりと見られる。つまりGDP増大(経済成長)効果が極めて小さいのが「投資を喚起する成長戦略」政策の特徴である。

たしかに一つの民間企業が構造改革や合理化によって成長することは有りうる。特に売上が伸びている企業にとっては、構造改革による生産性の向上は重要である。しかし国全体、あるいは一国の経済の経済成長となれば話は別である。国全体で需要が伸びないのなら構造改革による生産性の向上は不要である。むしろ構造改革は失業を生むだけである。

日経新聞には「国家戦略特区」政策などによる構造改革で生産性を上げ経済成長を実現すべきという主張がいまだに見られる。しかし日本のように経済が成熟した国の場合は話が違ってくる。生産性を上げるのではなく、日本は需要さえあれば経済は成長すると筆者はずっと言って来た。また生産性が上がるから経済が成長するのではなく、経済が成長すれば単に計算上で生産性が上がったことになるのである。そもそも「国家戦略特区」が対象にしている事業は小さいものばかりである。仮にマイナス効果を考慮しなくとも、規制緩和はやたら時間が掛るだけでなく日本のGDPを押上げる力はほとんどないと筆者は見ている。それなのに本当に小さい加計学園の獣医学部新設で躓いたのである。


一斉を風靡した構造改革派であるが、最近では冴えない。既に構造改革派は考えが違ういくつかのグループに割れていると筆者は見る。まずいまだに構造改革によって経済が成長すると真剣に思っている人々はたしかにいる。しかし筆者はこれはかなり少数派になっていると思っている。

また構造改革派を装おう財政規律派がいる。「国家戦略特区」の審議委員の中にも何人か紛れ込んでいると筆者は見ている。もう一つが積極財政派に傾きつつある構造改革派である。霞ヶ関埋蔵金の話が出た頃から、構造改革派の中にも財政政策の有効性を認める者が現れた(つまりシカゴ学派離れ)。またこのような人々は、経済成長にこだわりを持ち、消費増税に反対している。


今度の加計問題によって「国家戦略特区」制度は行き詰ると筆者は見る。規制緩和の対象となる事業者と政治家の関係を制度上断つという構想自体に無理がある。例えば事業者が、過去に政治家に対し政治献金を行っていたとか、選挙を手伝ったということは十分有りうることである。そのようなことを安倍政権の倒閣に燃えるマスコミは必ず騒ぎ立てると見て良い。このようなことが続けば、政権は持たないと思われる。
http://www.adpweb.com/eco/

http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/446.html#c1

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
423. 中川隆[-6580] koaQ7Jey 2017年8月29日 10:02:49 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

いくら安くついても絶対に住んではいけない街がある

【“貧困”無間地獄の現場】(05) 2003年『千葉少女墓石撲殺事件』の舞台――不良だらけの荒れた街が老人だけの枯れた街に


「貧しい昭和がこびり付いたような街」――

『最貧困女子』(幻冬舎新書)
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E5%A5%B3%E5%AD%90-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E5%A4%A7%E4%BB%8B/dp/4344983610


で貧困問題を世に問うたジャーナリストの鈴木大介氏は、最貧困女子の出身地をそんな表現で語ったことがあった。


その1つが千葉市の千城台、正確には千葉市若葉区の千城台市営住宅団地だ。
言葉は悪いが、“最貧困女子の故郷”とでも言おうか。

地図
https://www.mapion.co.jp/m2/35.62610819,140.18221072,16


千葉駅からモノレールに乗り換える。タウンライナー(千葉都市モノレール)からは、新興のニュータウンと自然豊かな公園の景色が広がる。

約25分、終点の千城台駅に到着する。この街は以前、取材で訪れていた。

2003年10月に起こった『千葉少女墓石撲殺事件』である。犯罪史に残る陰惨且つ稚拙な事件。

風俗店(抜きキャバ)で働いていた16歳の石橋裕子さんが、偽装結婚していた夫(当時22歳)に離婚を切り出したところ、夫は地元の高校生ら5人と共謀し、石橋さんを墓地に連れて行き、歯形がわからなくなるまで殴りつけ、指紋を消し去る為に灯油で焼き殺した。

主犯の夫は、偽装結婚で戸籍をロンダリングしては、消費者金融からカネを借りる詐欺行為を繰り返していた。

当時、この夫は新しい相手と偽装結婚する予定だったが、身元不明状態では離婚できないと気付いて「自分の妻」と名乗りを挙げた結果、呆気なく御用となった。

事件の当事者たちは全員、市営住宅の出身者だった。
石橋さんの働いていた風俗店も千城台にあった。

次に偽装結婚する予定だったという別の16歳の少女を取材した。
彼女もやはり、市営住宅出身者だった。

彼女に事件をコピーした記事を見せた際、「漢字、読めないから」と言われて強い衝撃を受けた。

主犯の夫と族仲間だったという不良3人にも取材したが、やはり漢字が読めず、全員が無免許と自慢げに語っていた。

「21世紀の日本で、こんなことがあり得るのか…」。それが当時の印象だった。

千城台はニュータウンとして開発が進む一方、その裏手には古びた市営住宅団地が現存していた。夜ともなれば、漢字も読めないガラの悪い連中が団地から溢れ出て来る。治安の悪さでは、千葉でも屈指の場所と言われていた。その構図に、現在も違いは無い。

モノレールの駅を降りれば静かなニュータウンの表情を見せるが、古びた脇道を1本入れば、“貧しい昭和がこびり付いた街”がいきなり目の前に現れる。

この界隈の市営住宅の多くは、1960年代半ばから後半にかけて建設されている。
半世紀以上経っているのだから古臭くて当然だが、それでも以前の取材時には活気だけはあった。しかし、今夏に訪れた時、市営住宅は妙な静けさの中にあった。違和感を覚える。明らかに、2003年とは何かが違うのだ。

最も古い木造平屋建ての市営住宅に行く。犬の世話をしていたお婆さんが言う。

「ああ、今、ここは取り壊し前でね。半分以上があっちの新しい団地に移ったよ。私かい? ほら、この子(犬)がいてねえ。犬や猫を飼う為に残っているんだよ」。

このお婆さんが説明した通り、周囲の市営住宅の多くは新規建て替えや改修の真っ最中だった。「前に住んでいた若い人の多くも出て行ったよ」と寂しそうに語る。

夜になって、漸く違和感の原因に気付いた。周囲にコンビニが全く無くなっていたのだ。

駅前界隈は小中学校が揃い、市営住宅とニュータウンの住人合わせて1万人以上が住んでいる。明らかに異常だろう。プール帰りの小学5年生ぐらいの少女にコンビニの場所を尋ねたら、「あそこにあった」と潰れた店を指差された。

そう言えば、駅前にも赤提灯1つ無く、大手チェーンの居酒屋も無かった。
何とか探したところ、市営住宅の脇にスナックが2軒あるだけだった。

その1軒のマスターが言う。「この数年かな。駅前の飲み屋も全部、無くなったんだよ。前はキャバクラや風俗店もあったんだけど」。

私が「事件の影響ですか?」と尋ねると、「若い人が夜に集まりそうな場所は、警察が厳しく取り締まったからね」と頷きながら説明する。

客の1人も、「コンビニは、ほら、トイレで子供を産んで捨てた事件あったろ? あれ以降、どんどん潰れたんだよ」。

これは2011年、地元の20歳女性が千城台のコンビニで起こした事件のことだろう。

8月、お盆前だというのに、街に屯する不良たちが公園で花火に興じる様子も無ければ、暴走族が撒き散らす騒音も聞こえてこない。

マスターは、「兎に角、そういう若者はこの街から本当に消えたんだよ」と繰り返す。昭和の貧しさがこびり付いた街は、急速に変貌しているようだった。


「違法住人の楽園だった」。
市営住宅に暮らす60代の老人客が自嘲気味にそう語る。

母子家庭と言いながら夫と暮らす。夜の店で働きながら生活保護を受け、子供の給食費を払わない親たち。

毎日、パチンコをして飲み屋で暴れる――そうした“貧者の楽園”は消え去ろうとしているのだと、このスナックの客たちは誰もが実感している。

老人客が続ける。

「今、古い市営住宅は建て替え中だろ? 新しい市営に入れるのは、俺のような高齢の年金暮らしや生活保護は大丈夫だけど、以前のように20代の働き盛りで子供がいるとか、偽装結婚しているような家は契約を更新できないからな。だから、親が子を追い出しているんだよ。『お前らがいたら新しい市営住宅に住めないから』って」。

こうして、市営住宅から不良たちや若い層は消え、老人だけの枯れた街になりつつある。

“貧しい昭和がこびり付いた街”は、市の指導の下、健全且つ理想の街へと生まれ変わるのだろう。

12年前、主犯の夫と“偽装結婚”する予定だった16歳の少女の顔を思い出す。
漢字が読めず、「東京の都心は怖いので、夢は葛西に住むこと」と言っていた彼女は今、28歳となり、どこで何をしているのだろうか。

「(殺された石橋さんと)PUFFYの曲をデュエットで、朝までカラオケしたんだよ」。
そう嬉しそうに思い出を語っていた彼女は、既に都会の片隅で最貧困化しているかもしれない。

だが、その姿が顕在化することはないだろう。

夜8時過ぎ。千城台の駅から部活動で健康そうに日焼けした、或いは塾のテキストを持った学生たちと、ネクタイを締めたサラリーマンが続々と降りて来る。そして、小奇麗なニュータウンへと消えていった。 (取材・文/西本頑司)
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1118.html?sp

千葉少女墓石撲殺事件とは、2003年(平成15年)10月1日に千葉市若葉区の墓地で発生した殺人事件である。


2003年10月1日の午前7時10分頃、千葉市若葉区の墓地駐車場で、ジョギングしていた男性が遺体を発見した。遺体は、若葉区千城台東の飲食店アルバイトだった少女(当時16歳)であった。

遺体は頭を鈍器で強く殴られて殺害された後、焼かれていた。
千葉県警は少女の夫で若葉区千城台西の運転手である男(当時22歳)を殺人の容疑で逮捕。共犯として高校3年の男子生徒(当時18歳)などを含む若葉区内の未成年の男子あわせて4人も逮捕した。


加害者と被害者の偽装結婚

被害者の少女は幼い頃は活発な少女で、中学時代はハンドボール部に所属していた。しかし部活を引退した3年の秋から性格が変わり始めた。不良グループと付き合うようになり、そこで後に自らを殺害する男に出会う。高校に進学するが、1年生の10月には自主退学し、以後はカラオケ店でアルバイトを始めた。

主犯の男は母親が再婚した義父と折り合いが悪く、家庭内で喧嘩を繰り返した。そして恐喝事件を繰り返し、高校1年の時には少年鑑別所送致にされる。18歳の時にはコンビニ強盗事件を起こして東北少年院送致となり、出所後も遊興費欲しさに窃盗事件を繰り返した。

少女はカラオケ店で働いたものの、給料面などから不満を持っており、水商売で働こうと考えていた。しかし18歳未満という年齢では働くことは不可能である。そこで男は自分との結婚を持ちかけた。結婚すれば成人として扱われるからである。ただし民法の上では成人扱いになるが、風俗営業法による規制から16歳で就職することは禁じられている。そして2人は2003年7月に婚姻届を提出し、少女はキャバクラで働き始めた。

ただし両者の間には恋愛感情は無く、2人の利害が一致したためでの偽装結婚に過ぎなかった。男は消費者金融に300万円に及ぶ多額の借金を抱えており、以前も別の女性と偽装結婚していた。女性の苗字を名乗って名前と戸籍を変更することで、消費者金融の借金を踏み倒そうとしていたのである。

しかし男は少女に結婚した見返りとして上納金を要求する。少女は初めこれに応じたが、次第に金銭トラブルを引き起こすようになり、遂に少女は偽装結婚を警察に通報すると言い出す。男は以前に起こした詐欺の事件で執行猶予中であった。

これが通報されれば猶予を取り消される可能性もあり、口封じを決意し、仲間の未成年4人を「自分たちの起こした窃盗事件を少女が警察に通報しようとしている」と騙すことで犯行に加わらせ、2003年10月1日午前3時過ぎに駐車場内でハンマーで少女を順番に殴りまわしたうえ、重さ70キロもある墓石用の石材を少女の顔に何度もたたきつけて殺害した。

そして少女の遺体にオイルを10数本もかけて火をつけて逃走したのである。
後に少女を発見した男性の証言では、発見したときには少女の遺体の上半身が炭化しており、まだ火もついているという状態だったという。


逮捕と裁判

事件発覚後、男は自ら警察に情報を提供して自分に疑いがかけられないようにした。またマスコミのインタビューにも悲痛な発言をすることで被害者を装っていた。

しかし警察は男と少女の偽装結婚をつかみ、さらに近所のスーパーやコンビニで大量にライターオイルを購入または万引きする男と少年らの防犯カメラの映像を入手して、男と少年らを逮捕する。男は最初容疑を否認していたが、少年4人が犯行を自供したため、遂に男も犯行を認めた。

2005年2月23日、千葉地裁で判決公判が開かれ、「暴行は想像を絶する残虐さ」、「自己中心的で幼稚極まりなく、動機に酌むべき点は無い」、「確定的殺意に基づく極めて残虐な犯行で、矯正は不可能」として、求刑通り無期懲役となる。4月19日に控訴を取り下げて刑は確定した。

また、未成年の少年らも、殺害と遺体損壊に加わった3人を5年から10年の不定期刑に、遺体損壊に加わらなかった1人を3年半から7年の不定期刑に処して確定した。こちらも「残虐な犯行」、「遺体損壊に対する悔悟の念が感じられない」とされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E5%B0%91%E5%A5%B3%E5%A2%93%E7%9F%B3%E6%92%B2%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c423

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
424. 中川隆[-6579] koaQ7Jey 2017年8月29日 10:11:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

千葉県にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html

釧路にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/451.html

北海道の最低市町村ランキング
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html

日本の農村は怖い
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/340.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c424

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
425. 中川隆[-6578] koaQ7Jey 2017年8月29日 10:33:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

767 :名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2015/10/16(金) 07:35:27.25

リゾートマンション買うなら、思いっきりハイグレードの物件のビリっけつを買うのがいいよ

ゴールデンウィーク、お盆に偵察に言って、駐車場に、
ベンツ、アウディ、、、みたいな外車の展示会状態、歩いているのは上品な富裕層(なんとなく)、
みたいなところのがいい

だいたい管理費滞納状況と相関関係ありますから
大規模修繕工事といっても、貧乏人がたくさんいると反対意見が出て進まない
みんな他にも不動産もっていて余裕のある連中ばかりの物件は安全。

それに、三井パークシティLALA横浜の「ピサの斜塔事件」もあるけど、
たぶん三井なら損害賠償に応じる。財閥だから。

こういうことを考えると、リゾートマンションは、思いっきり高級なところがいいと思う
予算がないなら、その低層階の小さい部屋を買えばよい
居住用物件とまったく違う世界だから

768 :名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2015/10/16(金) 07:41:33.45

うちの富士五湖のほうは、積立修繕金が事実上無い。
そのかわり、各戸、負担金の請求がくる。

うちは、50平米のワンルームで、100万くらい
これが5年ごとに請求される。
まあ、1ヶ月に換算したら2万円以下か。

こりゃ、大規模修繕は揉めるかな?と思いきや、
ぜんぜん平気なんだよね。

別荘地の中にあるマンションで、金持ち多いから。
その程度のお金で揉めることはない。

リゾートについては「金持ちの中に入り込む」のが安全。
なぜなら、別荘地でもマンションでも、共用部の管理が崩壊したら、すべて終わる。
管理が命、これがリゾートの宿命。

じぶんは庶民だけど、一部上場企業の役員だらけのところが絶対にいいよ

湯沢で、地元の貧乏人が居住用にしたり、国民年金7万円の下層老人が、貯金はたいて買うような物件は、 絶対アウト。そのうち、負担金で揉める
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/ski/1434758230/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c425

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
131. 中川隆[-6577] koaQ7Jey 2017年8月29日 10:43:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

住むなら金持ちが沢山いる所に限る

767 :名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2015/10/16(金) 07:35:27.25

リゾートマンション買うなら、思いっきりハイグレードの物件のビリっけつを買うのがいいよ

ゴールデンウィーク、お盆に偵察に言って、駐車場に、
ベンツ、アウディ、、、みたいな外車の展示会状態、歩いているのは上品な富裕層(なんとなく)、
みたいなところのがいい

だいたい管理費滞納状況と相関関係ありますから
大規模修繕工事といっても、貧乏人がたくさんいると反対意見が出て進まない
みんな他にも不動産もっていて余裕のある連中ばかりの物件は安全。

それに、三井パークシティLALA横浜の「ピサの斜塔事件」もあるけど、
たぶん三井なら損害賠償に応じる。財閥だから。

こういうことを考えると、リゾートマンションは、思いっきり高級なところがいいと思う
予算がないなら、その低層階の小さい部屋を買えばよい
居住用物件とまったく違う世界だから


768 :名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2015/10/16(金) 07:41:33.45

うちの富士五湖のほうは、積立修繕金が事実上無い。
そのかわり、各戸、負担金の請求がくる。

うちは、50平米のワンルームで、100万くらい
これが5年ごとに請求される。
まあ、1ヶ月に換算したら2万円以下か。

こりゃ、大規模修繕は揉めるかな?と思いきや、
ぜんぜん平気なんだよね。

別荘地の中にあるマンションで、金持ち多いから。
その程度のお金で揉めることはない。

リゾートについては「金持ちの中に入り込む」のが安全。
なぜなら、別荘地でもマンションでも、共用部の管理が崩壊したら、すべて終わる。
管理が命、これがリゾートの宿命。

じぶんは庶民だけど、一部上場企業の役員だらけのところが絶対にいいよ

湯沢で、地元の貧乏人が居住用にしたり、国民年金7万円の下層老人が、貯金はたいて買うような物件は、 絶対アウト。そのうち、負担金で揉める
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/ski/1434758230/


詳細は

苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c131

[議論31] 藤永茂「ISというテロ集団が米国によって操作されていることは確か」なら大きな疑問がいくつかある 仁王像
3. 中川隆[-6576] koaQ7Jey 2017年8月29日 11:30:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2017.04.11
反シリア政府の武装集団に穏健派はいないとDIAが報告したその月にオバマ大統領は化学兵器話
シリアのイドリブで毒ガスが4月4日に漏れたと言われている。アメリカ政府は証拠を示すことなく、調査もせず、シリア政府軍が化学兵器を使ったと叫びながら7日にはホムスにあるシリア軍の航空基地をトマホーク巡航ミサイルを攻撃した。59発のミサイルが2隻の駆逐艦、ポーターとロスから発射され、ロシア側の主張によると、23発が目標に到達したという。

2013年にもアメリカ政府はシリア軍による化学兵器の使用を口実にして直接的な軍事介入を目論んでいる。アメリカ/NATOとアル・カイダ系武装集団の連携で体制を転覆させるというシナリオで、9月3日には地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射されている。そのミサイルは途中で海中へ落下、後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だったと主張したが、実際に攻撃を始めたとも見られている。事前に通告はなく、発射実験だとする主張に説得力がないからだ。ジャミングなど何らかの手段で落とされたと推測する人もいる。

今回、アメリカ軍は59発のミサイルをほぼ一斉に発射している。ロシアの説明が正しいならば、その半数以上が目標に到達できなかったわけだ。2013年の反省から、シリア側の防空システムをかいくぐるため、60発近いミサイルを一気に発射した可能性がある。

かつてシリア軍も化学兵器を保有していたが、2013年に廃棄したことは国連の査察官も認めていること。それ以降、シリアで化学兵器を保有しているのはアメリカ/NATO、サウジアラビア/ペルシャ湾岸産油国、イスラエル、トルコなどが支援してきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)。

アル・カイダ系武装集団やダーイッシュの戦闘員の主体はワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団だが、シリア政府軍と戦っている相手はこうした集団だとする報告書をマイケル・フリンが局長だった時代のDIAはホワイトハウスへ報告している。2012年8月のことだ。

2013年12月に公表された調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュの記事によると、反シリア政府軍(国外から侵入した戦闘集団)はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。

それだけでなく、2011年10月にリビアでムアンマル・アル・カダフィ体制が倒された後、戦闘員だけでなく武器/兵器がトルコ経由でシリアへ運び込まれたとハーシュは報告している。その工作の拠点がベンガジにあったCIAの施設で、クリストファー・スティーブンス大使も工作に参加していた。2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃され、大使も殺されているが、その前日にスティーブンスは武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていたという。その当時、CIA長官だったのがデイビッド・ペトレイアスであり、国務長官はヒラリー・クリントンだ。

ペトレイアスもクリントンも化学兵器が反シリア政府軍の手に渡ったことを知っていたはずで、オバマも自分たちが支援している戦闘集団がアル・カイダ系武装集団やダーイッシュだということを2012年8月に知らされていた。そのオバマは2012年8月20日、シリアに対する直接的な軍事介入のレッド・ラインは生物化学兵器の使用だと発言している。その年の12月5日にクリントンは、自暴自棄になったシリアのバシャール・アル・アサド大統領が化学兵器を使う可能性があると主張している。

そして2013年1月29日、イギリスのデイリー・メール紙は興味深い記事を掲載している。シリアで化学兵器を攻撃に使い、その責任を政府軍になすりつけ、国際的な軍事行動に拍車をかける作戦はホワイトハウスは承認したというのだ。これはイギリスを拠点とするブリタム防衛なる会社のデイビッド・グールディング部長から同社を創設したフィリップ・ダウティへ宛てた電子メールの中に書かれていたという。そして同年3月と8月に西側の政府やメディアはシリアで化学兵器が使用されたと宣伝、その嘘が暴露されたわけだ。この辺の事情は本ブログでも採算書いてきたので、今回は割愛する。

それから4年、アメリカは同じことを繰り返したように見える。ただ、修正した点はあるようだ。シリア政府軍側で使わず、ロシア側に衛星写真を撮られてしまうので自分たちのミサイルは使わっていない。

それでもアメリカ側の主張に説得力はない。この問題に少しでも興味のある人なら、アメリカ側の説明を信じないだろう。それでも強行した。そうした行動に駆り立てた一員はリビア情勢にあるかもしれない。

イラクを先制攻撃する口実に大量破壊兵器(核兵器)という作り話が使われたが、今回は化学兵器だ。そうした演出をするのは、自分たち(アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルなど)が編成、訓練し、武器や資金を提供してきたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュでは体制を転覆させられないからだ。イラクは勿論だが、ウクライナと同様、リビアもシリアもアメリカなどの侵略であり、これを「内戦」と表現すること自体が犯罪的である。

2017年4月5日、リベラル派の権威、あるいはスターとして知られているノーム・チョムスキーのインタビューをデモクラシー・ナウは流したが、その中で彼はアサド体制は道徳的に不健全だとしたうえで、彼らは恐ろしいことを行い、ロシアが手を貸していると主張した。カタールやサウジアラビアが「聖戦グループ」を支援していることには触れたが、アメリカやイスラエルなどとの関係は語らない。つまり戦争の本質から目をそらしていた

チョムスキーが振らなかった侵略の黒幕はシリアをリビアと同じような状態にしようとしている。そのリビアはカダフィ体制が破壊されてから破綻国家になり、ダーイッシュが跋扈している。

そうした中、リビアのカリファ・ハフター司令官はロシアを訪問、ダーイッシュと戦うための支援を要請、今年の3月にはロシア軍の特殊部隊がエジプトのリビアに近い地域に派遣されたと伝えられた。カダフィ体制の破壊に成功したと思っていたリビアでロシアが影響力を強める可能性が出てきたのだ。強引であろうと、ロシアの動きを止めなければならないとアメリカの支配層が考えたとしても不思議ではない。アメリカの支配層は追い詰められているとも言える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201704100001/

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