26. 戦わずして丸く収まる[1] kO2C7YK4grWCxIrbgq2O@4Lcguk 2021年11月10日 00:46:47 : cTcAvfvYCw :TOR SDVCUHlMTUo4WUU=[7]
>>16
自身のコメントに対する「コメント」への返答
はしないことにしていますが阿修羅板で孤軍?奮闘
されているそのコメントの内容それから考え方感じ方の
心棒に共鳴する場合がある「地下爺」氏なので敢えて
「縄文人」と「弥生人」と明確に分ける捉え方が
そもそもの誤解を生む元ではなかろうかと
いろいろと調べていて感じたことです
規模にもよりますが支配者が君臨する地帯とそうではない
地帯と発展の仕方がそれぞれ異なっていた筈ですし「縄文」
に区分される時代に既に「弥生」の特徴を有する地帯が併存
していた可能性も当然あるでしょうし日本列島内部で発展
の仕方に大きな差があったことは否めません
それは住居形式や着物でもそれぞれの場所の環境や生活
スタイルに大きく左右されていたでしょう
「弥生」時代に突入しても「縄文」時代の生活様式を維持
ししたままの集団が存在したことも判っていますし
後から現われた者が支配権力を奪う為に「大量殺戮」を
敢行せずとも「ムラ」や「小国」の「長」の命を奪うか屈服
させるかすれば事足りる場合も当然あったことでしょうし
「喧嘩」というのは基本そういうもので集団と戦う場合は
その集団の「頭目」を叩きのめせばそれで勝負がつくもの
だとよく言われます
要は「これは勝ち目がない」「逆らっても無駄だ」と頭目や
その子分らが戦わずして屈服するような「圧倒的な力」を
見せつければよいと「戦わずして勝つ」という戦法
「鉄文化」を手に入れた者が「銅文化」に留まっていた集団
を支配下に組み込んだのもそういう方式ではなかったかと
出雲地方の墳墓と思しき地中に「大量の銅剣が埋められていた」
という話も何かこう集団で戦う以前に既に雌雄が決していたような
印象を受けるのです
http://www.asyura2.com/21/cult34/msg/596.html#c26