[ペンネーム登録待ち板6] 山口公明党代表、8選へ「難局乗り越える」
山口公明党代表、8選へ「難局乗り越える」2022年09月13日
公明党の山口那津男代表(70)は13日の記者会見で、党代表選に立候補すると表明した。他に出馬の動きはなく、代表選が告示される15日に8選が事実上確定する見通し。25日の党大会で正式に承認される。
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山口氏は「今日の政治状況、公明党の課題、内外の声を受け止め、この難局を乗り越えるために党の結束の要として役割を果たしたい」と強調。「統一地方選に総動員して当たっていかなければならない。私自身が先頭に立つ」とも語った。
当初は山口氏が退任して石井啓一幹事長(64)に交代するとみられていたが、今夏の参院選が振るわなかったことから、来春の統一地方選をにらみ実績のある山口氏の続投論が浮上していた。
山口氏は、自民党とともに野党に転落した2009年、落選した太田昭宏氏の後継として代表に就任。在任期間は1998年の党再結成以降で最長の13年に及ぶ。
* 山口公明党代表の来歴
生い立ち
1952年(昭和27年)7月12日、茨城県那珂郡那珂湊町(那珂湊市を経て、現在はひたちなか市)に誕生、高等学校卒業まで日立市で育つ。父は日立市天気相談所所長、母は小学校教員だった。
茨城県立水戸第一高等学校を経て、1972年、東京大学文科一類に入学。弁護士を目指して司法試験の勉強を始める。年齢も入学年度も同じでともに弁護士志望だった魚住裕一郎と親友になり、しばしば喫茶店で社会問題を論じたという[PR 1][注釈 1]。1978年に東京大学法学部を卒業。
弁護士時代
1979年、26歳で司法試験に合格する。1982年、司法修習34期を修了し、東京弁護士会に弁護士登録した。司法修習の同期には伊東秀子、谷垣禎一、千葉景子、松野信夫らがいる。1988年3月から日本弁護士連合会調査室嘱託。
衆議院議員
神崎武法の誘いで1990年(平成2年)2月、第39回衆議院議員総選挙に旧東京10区から公明党公認で出馬し、初当選。1993年8月の第40回衆議院議員総選挙でも旧東京10区で再選。総選挙後に発足した細川内閣(細川護熙首相)では防衛政務次官に任命された。
1994年12月、公明党解党に伴い公明新党を経て新進党結党に参加。党「明日の内閣」安全保障副担当、党副幹事長などを歴任する[3]。1996年10月の第41回衆議院議員総選挙では、東京17区から新進党公認で出馬したが、自民党公認の新人平沢勝栄に敗北し、落選した。その後1998年1月の新進党分党により、新党平和を経て公明党再結成に参加。1999年、自民党との自公連立政権形成(小渕恵三第2次改造内閣)により、政権与党となる。その翌年、2000年の第42回衆議院議員総選挙では再度平沢に敗北し、落選した。
参議院議員
2001年7月、第19回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から公明党公認・保守党推薦で出馬し、参議院議員として初当選。2003年12月、党参議院国会対策委員長に就任。2004年6月には党参院政策審議会長に就任した。
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で再選。2008年8月、公明党代表太田昭宏の下で党政務調査会長に就任する。
公明党代表
2009年9月8日、民主党への政権交代が起き自公両党が下野した第45回衆議院議員総選挙で落選し党代表を辞任した太田の後任として、(野党第二党の党首として)公明党代表に就任[4][5](その8日後の9月16日、麻生内閣総辞職および鳩山由紀夫内閣成立)。なおその20日後の9月28日、同じく総選挙で敗北した自民党の麻生太郎総裁も(太田と異なり、落選こそしなかったものの)引責辞任し、その後継に総裁選挙を経て谷垣禎一が就任した。2010年9月、党代表に無投票再選。2012年9月、党代表に無投票3選。また、同年の自民党総裁選挙で谷垣の任期満了に伴う後継として、安倍晋三が就任。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では自民党が第一党に復帰し、公明党も議席を回復。自民党総裁の安倍晋三から自公連立政権の3年ぶりの再樹立を打診されたため、同月25日に安倍と連立合意文書を取り交わす。同月26日に野田佳彦第3次改造内閣総辞職により旧・民主党政権が終焉し、第2次安倍内閣が発足した。これに伴い、山口は与党第二党党首となった。
2013年1月、第2次安倍政権の与党幹部として初めて[6]中国共産党中央委員会総書記習近平と会談し[注釈 2]、内閣総理大臣安倍晋三から託された親書を手渡す。同年7月の第23回参議院議員通常選挙に公明党公認で出馬し、参議院議員として3選を果たした。2014年9月、党代表に無投票4選[7]。2016年9月、党代表に無投票5選[8]。2018年9月、党代表に無投票6選[9]。2019年7月、第25回参議院議員通常選挙で4選。2020年9月27日の党大会で、無投票により7選[10]。なお、(安倍首相の発病による辞任表明を受けて)この13日前の9月14日に行われた自民党総裁選挙で菅義偉が選出され、2日後の9月16日に首相就任、(第4次安倍第2次改造内閣総辞職に伴い)菅義偉内閣が発足。
2021年(令和3年)9月3日、自由民主党総裁である菅義偉は2021年自由民主党総裁選挙に立候補しないことを表明した。これにより山口が2009年(平成21年)9月8日に公明党の代表に就任して以来、連立相手である自由民主党は5人の総裁が就任することになる。なお1人目の麻生太郎に関しては山口が就任した8日後である2009年9月16日に辞任、10月1日には谷垣禎一が自民党総裁に就任した。その後安倍晋三、菅義偉の順に就任している。9月29日の投開票の結果、岸田文雄が総裁に就任することが決定、これで公明党代表に山口が就任して5人目の連立相手のトップは岸田ということになる。
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