「火垂るの墓」と阪神大震災
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阪神大震災から、22年が経ちました。
その22年目の日に当たる今日、ふと、思ひ出した事が有ります。
22年前の今日(1995年1月17日)、私は、東京で、作家の故・野坂昭如(のさかあきゆき)氏にお会ひして居ました。
或る会合で御一緒する目的で、銀座でお会ひしたのですが、二人で食事をしながら、その日起こった阪神大震災について、野坂氏から、驚くべき話を聞いたのです。
野坂氏は、「あれは、虫の知らせだったんだ。」と言ひました。
それは、当時、野坂氏が執筆してゐた、或る週刊誌のコラム(記憶では、週刊文春だったと思ひます)についてです。野坂氏に依ると、野坂氏は、阪神大震災が起こる少し前に、自分が書いてゐたその雑誌コラムに、「神戸は地震に備えるべきだ。」と書いてゐたと言ふのです。
周知の通り、野坂氏は、「火垂るの墓」の作者です。
「火垂るの墓」は、野坂氏の実体験に基づいて書かれた物語であり、戦争中から終戦直後の神戸の状況と、その中で、若き日の野坂氏が、飢餓に苦しみ、命を落とした自分の妹さんの死を語った作品です。ですから、その「火垂るの墓」の舞台であった神戸は、野坂氏にとって、特別な場所でした。
その神戸について、阪神大震災が起こるほんの少し前(数か月前、と野坂氏は言った気がします。)、野坂氏は、自分が担当してゐるコラムで、「神戸は、地震に備えるべきだ」と書いてゐたと言ふのです。
野坂氏は、興奮して居ました。そして、その事を「虫の知らせだったんだ。」と言って、私に語って聞かせてくれたのです。
今日、阪神大震災から22年目の日に、22年前の今日、野坂氏が私に言った「虫の知らせ」と言ふ言葉を、私は思ひ出しました。
平成29年(西暦2017年)1月17日(火)
阪神大震災から22年目の日に
西岡昌紀(にしおかまさのり・内科医)
(関連する記事)
「医師たちは何故足止めされたのか?−−阪神大震災の時、厚生省は何をしたか」)
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7760795.html
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■阪神大震災から22年 遺族らが各地で犠牲者を悼む
(朝日新聞デジタル - 01月17日 06:06)
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6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から22年を迎え、各地で遺族らが犠牲者を悼んだ。
神戸市中央区の東遊園地では午前5時から「1・17のつどい」があった。「1995 光 1・17」の形に並べられた約7千本の竹灯籠(どうろう)に火がともされ、発生時刻の午前5時46分、遺族や市民らが黙禱(もくとう)した。
神戸市の自宅が全壊し、妻の裕美子さん(当時32)を亡くした大鳥居慎司さん(58)=大阪府和泉市=が遺族代表としてあいさつ。「震災から22年、これだけ経つと、歴史の世界になってしまう。でも私にとっては歴史で済ますことはできない。夢の中でも妻に会って、これまでの話を聞いてもらいたい」と語った。
兵庫県西宮市の西宮震災記念碑公園や同県淡路市(淡路島)の北淡震災記念公園などでも、参加者らが祈りを捧げた。