9. 単一無理数に名付す者[1] klCI6pazl52QlILJlryVdIK3jtI 2018年10月27日 23:40:30 : 8kcbP6Fygw : 1fSALCAIe7g[1]
何者かを答えなければ社会的な地位(命)を抹殺すると脅され、何者かを定義しなければならなくなった者達へ。
「かけがえのない自我や意識が存在しないと仮定した場合の振る舞い」より。
宗教や世間体、国家の圧力により、歴史的にはある程度自我や意識は在らねばならない対象となっていたが、科学技術の発達に伴い、先進国を中心にその意義は見失われつつある。
だが、今となっても自我や意識は証明するまでも無く在って当然と考える人間は多い。
実験台Iは肉体の殺人は法的な拘束力を持つが、成人の自我や意識の消去(非破壊的な大脳(新)皮質の初期化)については大半の国家は持っていない事からの試みである。
爬虫類同様、懐かない、感情はない、危険を察知し回避する等の本能的欲求にのみ従う。
だが、自我以外は初期化されていない大脳や大脳皮質は自由に使うことができるため、爬虫類の行動原理とは異なり、生体維持の為にそれらを使う。
生体維持のみが目的の場合、必要がなければ生き甲斐も個人もアイデンティティも言語も流動的または現れなかった。
赤の他人である多数の第3者は約20年に渡りIへの対話・盗聴・尾行等を試みたが、知識や言葉以外での自我や意識の存在(何者か?)を実感という形では得られなかった。
背理法として考えれば、諸説あるが少なくとも脳幹には自我や意識は存在しない。
脳死とされる脳幹+]の機能を持つ生体に高次機能を移植する事で、感覚刺激と接合が成功すれば少しずつ哺乳類の生体、人間と呼んでいる生体の順にニューラルネットワーク成長し、対話が可能となる。
ただし、上述のように必ずしも期待される自我や意識が生まれる保証はない。また、精神外科は杜撰で失敗であった。
ここで成功を仮定すると、自己組織化を使用はしているものの、この人工的な存在を所謂生体AIとして見なすのであれば、AIは自我や意識と同義で、かけがえのない自我や意識は存在しないという結論になる。
脳の中の幽霊と言われるように自我や意識は静的に観測された実績はなく、肉体だけでは自我や意識の存在は不可能である。
また、脳神経内の量子ネットワーク構造の動的な振舞い(プランクサイズスケール)ではないかとも言われているが、“現実”が3次元空間を指すのであれば矛盾する。文字や映像になった瞬間には確実に消える。
存在するためには少なくとも3.0…を超過する次元の空間でしか存在は不可能であるが、通常、何の断りも無しに現実は離散数である3次元の空間であると乱暴に扱われる。
ただし、この現実が存在すると仮定すると法律や社会、文化、政治、対話、文字・発音等の記号等、歴史的に積み上げてきた“非物質的な”在り方も大半はこれまで通り存続が可能である。
つまり、実際の自我や意識の存在の有無に有無にかかわらず、存在を仮定した公理体系のもので特定の人間の在り方を認める事で万物の議論への妨げを防ぐ事も可能であり、存在しないと仮定した議論も否定はしない。
これは神仏精霊等の場合も同様で、時と場合に応じて必要であれば登場する程度で生体維持は大抵保たれる。
生体維持は子孫繁栄ではないため、種の保存には都合の良い自我や意識を人工的に培養し続ける必要がある。
“都合の良い”状態に地球上の各地域で最初に偶然到達した肉体が権力への意思を示し、種(家族や民族)の拡大へと躍起となっていたが、それも科学技術の進化とともに衰退が始まっている。
現在の科学技術をある程度理解した(ヒトという生物とは何か)上で尚も種の保存へ熱心になれる自我や意識を開発する国家規模の予算を注ぎ込む自称人間は現れていないようである。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/736.html#c9