32. 新羅仏教開明派[1] kFaXhZWni7OKSpa@lGg 2021年4月07日 12:54:59 : QUfiP0kzVk :TOR Lk05ZnNGZWRtLnc=[15]
日ユ同祖論がひとつ参考になるか
「日本人とユダヤ人」の著者イザヤ・ベンダサンが山本七平
だという話も含め浅見定雄氏の著書で詳しい内容が判る
明治天皇すり替えと明治天皇ロスチャイルド血統といった話や
李家=ユダヤ人で李家による日本の政治宗教システムの乗っ取り工作
が行われたといった話まですべてリンクしているのかもしれない
浅見氏は統一教会の問題にも関わっていらっしゃるようだし
因みにトランプ大統領離任後陰謀論としてバッシングの槍玉にあがっている
Qアノン関係者は「ユダヤ人」というのは存在しない支配権力層による
「創作」だと発言していた
「ユダヤ人」という著作を出しているサルトルと同じ意味合いになるか
また下記の情報にあるように時代によって「定義」が変わるということとも
共通しているかも
蘇我氏ではないが秦氏に関して掲載されている部分は下記のとおり
三番目の内容で興味深いのは明治天皇すり替えとロスチャイルド血統の話が
事実ならば明治天皇の孫と名乗る方が古代日本そして天皇と古代イスラエル
との関係を明治天皇から直接聞かされたという主張がどういう目的でなされた
ものか容易に判断できるようにも
新羅仏教を支持していた蘇我氏がユダヤ人だという人だとするとユダヤ教だか
原始基督教だかの影響を受けたという話の神道と併せて既に当時「神仏習合」
が成立していたという話になりそう
百済と親交関係を築いていた天智天皇は百済の王から贈られた仏教物品を
確か蘇我氏に授けて神道オンリーを貫いたと言われている
ユダヤ人という人なのに神仏習合ってこの当時はOKなわけかな
以下転載
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96
8.秦氏渡来年代の矛盾
批判
「秦氏はネストリウス派キリスト教を信仰するユダヤ人だった」という説には年代から考え矛盾がある。ネストリウス派は431年のエフェソス公会議で「異端」とされ、その後、東方に布教活動を移したことが知られているが、中国へ伝来したのは7世紀、唐の太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」らによって伝えられたころであり、秦氏の日本渡来より200〜300年あとのことである。
反論
景教ネストリウス派の中国への伝来は公式には7世紀であったとしても、一派が先に渡来していたかもしれないという可能性を無視しており、よく調査せずに決定付ける事には無理がある。秦氏の日本への渡来は複数回あったとされる。
(これこそ憶測の域を出ておらず、可能性があるかもしれないという希望的観測に過ぎない。)
https://rakusen.exblog.jp/28311673/
※昭和天皇と言うより、実務は正力松太郎に裏から指示をしていた八咫烏トップで仏
ロスチャイルド家(実際は仏パリ・ロスチャイルド家のギー・ド・ロチルド)に4才で養子のように育てられた金井敏伯か?(古代から天皇家を作り、「おっかない」の語源にもなった、と言われる金井一族 =金井氏の人口密集度が高い町に日高病院=高句麗の北朝鮮系?)2016年2月に亡くなる前まではリニア新幹線を進める東洋起業株式会社などを大阪心斎橋駅近くの三都ビル3階303(住所も大阪市中央区南久宝寺町3ー3-3で「3」は「安定」を意味する、と)で運営していた。ビルテナント写真
また明治天皇の表の顔を田布施の大室寅之助にし、昭和天皇の出自は裏の明治天皇の
睦仁の子とか!朝鮮人に暗殺などの指示を出す八咫烏は仏ロスチャイルドの金井敏伯
など!
https://tocana.jp/2016/11/post_11396_entry.html
■「明治天皇の孫」が語った真実
この“皇室内の秘密”について、筆者はまったく何の根拠もなく書いているわけではない。実は、「明治天皇の孫」を自称する人物が語っている内容が、天皇家と古代イスラエルとの関係を示唆しているのだ。
三笠宮さまは天皇家のヤバすぎる秘密をご存知だった!? ユダヤ(古代イスラエル)と日本の知られざるつながりに戦慄の画像51890年頃の明治天皇 画像は「Wikipedia」より引用
その人物とは小林隆利氏といい、大正14年に名古屋で生まれているが、母親は「仁(しのぶ)内親王」という女性で、その父が明治天皇だという。もちろん、公的にそのような名の内親王は存在しないのだが、実際に明治天皇に何人の側室がいたかは極秘とされており、公表されていない内親王が存在した可能性は否定できないだろう。小林氏がキリスト教系の雑誌『HAZAH(ハーザー)』(2001年2月号)のインタビューで明かしたところによると、小林氏の母は明治天皇から次のように聞かされたという。
「仁、私は天皇の権限で日本という国を調べた結果、日本は、神道である。しかし神道は、本来はユダヤ教である。そしてキリスト教はユダヤ教を完成させるものだ」
これがもし本当であるとすれば、実に驚くべきことだろう。明治天皇が自らの権限によって皇室の秘密を調べ、このような事実がわかったというのだ。さらに明治天皇は、仁内親王に対して次のように語ったという。
「仁、おまえが結婚して男の子が与えられたならば、キリスト教の牧師にするのだよ。きっと役に立つ時がくるぞ」
そして、小林氏の母は天皇の遺言通りに、小林氏を牧師にさせた。この話は、古代の天皇が何らかの形でユダヤ教あるいはキリスト教を日本にもたらしたとも受け取れるではないか。真実であれば、天地がひっくり返るような大変な事態だ。
■天皇は日本を征服した騎馬民族(原始基督教徒)だった?
ところで、三笠宮殿下が1954年に提唱され、初代会長を務められた「日本オリエント学会」という学術団体がある。そして後に会長となった人物には、「騎馬民族日本征服説」で知られる江上波夫氏(故人)がいる。
三笠宮さまは天皇家のヤバすぎる秘密をご存知だった!? ユダヤ(古代イスラエル)と日本の知られざるつながりに戦慄の画像6イメージ画像:「Thinkstock」より
三笠宮殿下と江上氏は非常に親しい関係にあったようだが、そもそも江上氏のような学説を唱える人物は、皇室にとって好ましくない存在であるはずだ。なにしろ騎馬民族日本征服説によれば、万世一系とされる天皇家のルーツが実は日本にはなく、東北アジアの騎馬民族が4世紀に日本を征服して天皇となったというのだ。
その江上氏だが、東大時代には景教(中国のキリスト教、ネストリウス派)の研究で世界的権威である佐伯好郎(よしろう)氏に師事していた。佐伯氏の学説によると、景教は古代日本にも伝わっていたといい、それをもたらしたのが景教徒であった古代豪族の秦氏だという。その秦氏が、日本の神社にキリスト教的要素を取り込んだというのが、いわゆる日ユ同祖論者の多くが語るところだ。佐伯氏の弟子だった江上氏は、この景教渡来説を日常的に佐伯氏から聞かされていただろうし、その説に多少なりとも影響を受けていたかもしれない。
http://www.asyura2.com/21/senkyo280/msg/148.html#c32