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大倉二郎 keWRcZPxmFk コメント履歴 No: 100000
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[ペンネーム登録待ち板6] 自公連立で生活と平和を守る


【主張】参院選を終えて 自公連立で生活と平和を守る
2022年7月11日

最終盤まで野党との競り合いが続き、選挙区も比例区も最後まで気を抜けない厳しい戦いだった。
この激戦を乗り越えられたのは党員、支持者、創価学会員の皆さまの寝食を忘れての懸命の支援があったからこそであり、心から感謝と御礼を申し上げます。また、公明党に1票を投じてくださった多くの有権者の皆さまに対し深く感謝を申し上げます。今回の参院選は国際情勢が揺れ動き、その影響が日々の国民生活にも影を落とし始めた時期と重なった。不透明感が漂う現在の世界にあって、日本の対応力が問われた。
まず、ロシアのウクライナ侵略によって国民の間に安全保障に対する関心が高まった。同時に、ロシアへの経済制裁や国際的な物流の停滞などに伴う物価高騰の影響も広がっていった。またコロナ禍の先行きもなかなか見通せない。公明党はこの難局を突破するには、自公連立政権の基盤を一層強化し、政治を安定させることが不可欠であると訴え続けてきた。その理由は、主要な野党が安全保障に関していまだに現実的な対応ができていないこと、また、超高齢社会の中で拡大する社会保障費の主要な財源となっている消費税の減税や廃止を明確な財源も示さずに公約としていたからだ。このような野党が参院で主導権を握るようなことがあれば、国民が最も願っている「生活」と「平和」を守るための政策決定が滞る。選挙戦最終盤の8日、奈良市内での街頭演説中に安倍晋三元首相が銃撃され死亡した。心から哀悼の意を表したい。民主主義の根幹を支える自由な言論を封殺する暴挙であり絶対に許してはならない。公明党は暴力に屈することなく、言論戦で政治を進めていくことを固く誓う。「大衆とともに」の立党精神から60年の節目の選挙だった。公明党はこの原点を改めて深く胸に刻み、国民の不安を取り除き、日本の未来に安心と希望を広げていくため、全力を挙げていく。

*自公連立―「水と油」の自民党・公明党がなぜ組んだ?

著者・佐高信が語る『自民党と創価学会』2016/06/30

●自民党と公明党はそもそもとんでもなく仲が悪かった

 最近、『自民党と創価学会』という題の本を書きました。この5月に集英社新書から出る予定です。自民党と公明党が連立政権を組んで17年ほどになりますが、実は、そもそもはとんでもなく仲が悪かったのです。いまから20年あまり前の1994年、自民党が野党だった時、「自由新報」という自民党の機関紙で計20回にわたって激しい公明党批判、創価学会批判を行いました。私はこの現物を手に入れて読みましたが、公明党、創価学会がどのように日常の活動をしているか、いかに税金の問題を恐れているかなど、微に入り細にわたった批判をしていました。
 それから自民党と公明党が連立政権を結ぶまで、わずか5年です。1999年に、小渕恵三と、官房長官などの役割を果たした野中広務が連立政権をスタートさせています。その後、自由党と自民党と公明党の自自公、自由党から分かれた保守党が加わった自公保連立が間にはさまりますが、基本的には自民党と公明党の連立が続いてきました。しかし、この連立は、1994年の「自由新報」の批判を読むと、まったく水と油の野合といわざるを得ないわけです。

●公明党は完全に自民党に屈服した

 では、それほど激しく全否定された公明党、創価学会がなぜ自民党と手を結んだのかといえば、そこには「密会ビデオ問題」が絡むのです。後に喧嘩してしまいますが、公明党のバックにある創価学会が当時「本山」と呼んでいた日蓮正宗・大石寺が、静岡県富士宮市にあります。その富士宮市を中心とする暴力団に、山口組きっての武闘派と言われた後藤組がありました。後藤組は、本山の墓石、墓苑の土地問題におけるいざこざを収めるボディーガードの役割を果たしていたのです。しかし、後藤組と本山、そして創価学会の間が近すぎたために問題が起こります。それを収めるために、公明党の都議会議員を異例に長く務めた藤井富雄と、後藤組組長の後藤忠政が密会した現場を映したビデオテープがあるというのです。これを嗅ぎつけたのは、自民党の亀井静香だといわれています。そして、亀井、野中の間で密会ビデオの存在が明らかになってから、公明党は一も二もなく自民党の軍門に下ったというわけです。

 だから、表向き、公明党は自民党と対等関係だといっていますが、密会ビデオ問題を考えると、実際には、公明党は完全に自民党に屈服したのです。野中広務が、後に回想録の中でどうやって公明党を籠絡したのかと聞かれて、たたきにたたいたら、向こうからすり寄ってきたと言っています。また、後藤忠政という暴力団の組長は、その後、山口組の本部といざこざを起こし、破門されて引退して、『憚りながら』というすごい本を書いています。この中に「創価学会との攻防」という章を一つ設けています。

 自民党と公明党は、理念で結び付いたわけではないのです。笑止なことに野党共闘は野合だと自民党と公明党が言っていますが、自民党と公明党以上の野合はありません。1994年の自民党の公明党批判を読み返してみれば、「自民党と公明党以上の野合はない」ことがよく分かります。

●タカ派自民党と公明党が結び付いたのが現在の自公連立政権

 もう一つ大事なのは、藤原弘達の『創価学会を斬る』という本についてです。これは予言的な本で、出版当時(1969年)には誰も考えもしなかった自民党と公明党の連立を予想しています。そして、自民党と公明党の連立が実現したら、自民党のタカ派的、右翼的、ファシズム的要素と、公明党、創価学会の宗教的ファナティックな要素が結合して、日本はとんでもなく恐ろしいことになるだろうと予言しているのです。すさまじい指摘だと思います。

 田中派の流れをくむ小渕恵三が首相の時に自公連立が始まったため、田中派と創価学会が近いように考えられています。確かに、『創価学会を斬る』という本の問題では田中角栄が動きますが、もともとは岸信介と創価学会第二代会長の戸田城聖の関係の方が深いのです。

 当時の聖教新聞に出ている話だということですが、岸信介は首相の時、創価学会の儀式に招かれ、その儀式が出席しようとしていました。さすがに現役の首相が出ては問題になりますから、思いとどまった方がいいと言う人がいて、夫人の良子と、娘の岸洋子、その旦那の安倍晋太郎、つまり安倍晋三のお母さんとお父さんが出たのです。事実、安倍晋三自身が、その後、首相になってから公明党の大会に出て、「御党と岸家の関係は、自分の祖父の代にまでさかのぼる」と言っています。






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