20. 日米密約の人[1] k_qVxJanlvGCzJBs 2024年9月25日 11:01:33 : WrMJqjurSU : S2prTFpVS0kxckk=[100]
獨協大学の古関彰一名誉教授が1981年に
米国で機密解除された公文書の中から発掘した事実
1950年秋、米国政府は連合国の占領終結後も米軍の日本駐留を認めることなどを条件に、
日本と講和条約を締結する方針を決定。
そして、翌年の1月から日本政府との交渉を開始。
この交渉で米国政府は、占領終結後の日米の安全保障協力について定める協定に、
有事の際は警察予備隊(自衛隊の前身)など日本の部隊を
米軍司令官の指揮下に置くという規定を入れるよう要求。
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し日本は主権を回復。
同日、日米安全保障条約も発効し、占領軍であった米軍はそのまま日本への駐留を継続。
その3ヵ月後の7月下旬、
吉田茂首相、岡崎勝男外相、マーク・クラーク米極東軍司令官、ロバート・マーフィー駐日米国大使の4人が会談。
日本政府は、「憲法と関連して重大問題をまきおこす懸念がある」などとして
明文化することには強く反対。
しかし、当時の吉田茂首相が、
明文化しない代わりに、有事の際に米軍司令官が日本の部隊を指揮することに同意すると密かに約束した。
ですか、、、
それで日本政府首相の交代前に「麻生」が訪米したわけね。
なるほど、よくわかりました。
「日米地位協定」も「日米合同委員会」も
現在でいうところの、首相(もしくは麻生)と外相・米極東軍司令官・駐日米国大使
なんかで行っているのだろうか。
その為のどこから出ているのか分からない「契約金」を運ぶために
あんな大きな航空機を使っているのかもね。
http://www.asyura2.com/24/senkyo295/msg/556.html#c20