[カルト34] 自民党の総裁選挙の結果が出て、私の考えを書く/副島隆彦 仁王像
16.
土建国家と朝鮮と古墳[1] k3mMmo2RicaCxpKpkU6CxozDla0 2021年10月03日 19:43:23
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「天皇」という表現を「古墳建造」時代の支配権力者
に用いるのは学校で教える「歴史授業」の弊害だと実感する。
おそらくこの「天」というのは「記紀」で書かれてあるところ
の「天津神」と繋がっていると推察する。
出雲に訪れた神スサノオ「国津神」が姉のアマテラス「天津神」
と分けられている事はそのスサノオが最初に訪れた先が「新羅」
であった事と関係しているのではないのかと。
朝鮮半島との鉄資源の交易の中心に居たのは北九州一帯の倭国
でこの「倭国」というのはどうも北九州だけでなく海洋を挟んだ
「朝鮮半島の南部」を含める広い一帯を指すものであったであった
ことも明らかにされている。
「白村江の戦い」での大敗を契機として「日本」の建国が本格的
に開始される以前の列島内での「鉄資源」の流通をコントロール
していたのは「倭国」の北九州支配権力だとされる。
出雲は「鉄資源」或は「鉄生産技術」を手に入れる為に朝鮮半島
(新羅あたり)との独自のルートを構築していたと。
「日本」の建国は「白村江の戦い」での大敗と密接に繋がって
おり今上上皇が天皇当時に「自身のルーツが朝鮮半島の百済辺り」
と述べられた事とリンクさせれば「日本」建国の「天津神」という
のは「朝鮮半島の百済」の代替表現のようにも思えるのである。
「古墳」の規模で当時の主従関係を判断するのが妥当なように
常識の土台が形成されてはいるがその逆も無いとは言えない
隷属的立場にあり続けた「倭国」から脱して朝鮮半島や中国大陸
の向こうを張って「国家」を名乗る為に「権力の規模」を見せつ
ける為に「古墳の巨大化」を行ったという考え方も成り立つ筈。
広い領土と大陸人気質から発するものなのかどうか「大きいこと
はいいことだ♪」の精神かどうか知らないが中国は昔からそうした
やり方で他民族や他国への存在感権力を示してきたわけだし。
蘇我氏や聖徳太子は新羅と友好関係にあったという話と
蘇我氏を滅ぼしたとされる天智天皇が天武天王に取って代わられた
というのは「新羅系(国津神)」と「百済系(天津神)」との間
の権力闘争が繰り返されたと見ることも可能ではないかと。
明治天皇は実質的には「新羅系(国津神)」の復活だったようにも
受け止められそれが大正天皇のときに秘かに「百済系(天津神)」
に戻っているそんな感じがする。
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