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[ペンネーム登録待ち板6] 英エリザベス女王、死去 !


英エリザベス女王、死去 英王室発表

2022年9月9日

英王室は8日夕、エリザベス女王が滞在中のスコットランド・バルモラル城で亡くなったと発表した。96歳だった。
王室は声明で、「女王は本日午後、バルモラルで穏やかに亡くなった」と発表。「国王と王妃は今晩、バルモラルにとどまり、明日ロンドンに戻る」と発表した。
エリザベス女王の死去を受けて、長男チャールズ皇太子が国王となった。これからイギリスの追悼の先頭に立つ。国王は正式名がチャールズ3世となる。
チャールズ国王は声明を発表。「私の最愛の母である女王陛下の死は、私と私の家族全員にとって最大の悲しみとなる瞬間です。私たちは、大切な君主であり、とても愛されていた母の死を深く悼んでいます」とした。
そして、「女王の喪失は、国、王国、英連邦、そして世界中の無数の人々によって深く感じられることでしょう。この喪に服し変化する時期に、私と家族は、女王が広く抱かれていた敬意と深い愛情を知ることで、慰められ、支えられていくでしょう」と続けた。
トラス首相が追悼の演説
リズ・トラス首相は、官邸前で演説。女王の訃報に「私たちは皆、打ちのめされています」とし、女王の死は「国民と世界にとって大きな衝撃」だとした。
トラス氏は女王を、「現代のイギリスにとっての礎(いしずえ)」だったと表現。「イギリスが今日のような偉大な国になったのは、彼女のおかげだ」と述べた。
また、女王が自らにとってだけでなく、多くのイギリス国民にとっても、個人的にインスピレーションを与えてくれる存在だったとし、「彼女の職務への献身は、私たち全員の模範だ」と話した。

*エリザベス女王の経歴とは ?

年譜
1926年4月21日、父方の祖父ジョージ5世国王治世下のイギリスにおいて、首都ロンドンのメイフェアで、ヨーク公アルバート王子(後の国王ジョージ6世)とエリザベス妃(スコットランド貴族第14代ストラスモア=キングホーン伯爵クロード・ボーズ=ライアン末娘)の第1子・長女として誕生。宮廷内で養育された。
1936年12月11日、父のアルバート王子が、彼の兄であるエドワード8世の退位を受けて、ジョージ6世としてイギリス国王に即位すると、エリザベス王女は推定相続人(王位継承順位第1位)となった。また、第二次世界大戦中に英国女子国防軍に属して公務に携わるようになった。
1947年には、フィリップ・マウントバッテンと結婚(英語版)。チャールズ(第1子/第1王子)、アン(第2子/第1王女)、アンドルー(第3子/第2王子)、エドワード(第4子/第3王子)の4人の子女(3男1女)を出産した。
1952年2月6日、父の国王ジョージ6世が崩御し、1701年王位継承法に基づき、25歳という若年にして「エリザベス2世(Elizabeth II)」としてイギリス女王(君主)に即位した。なお、夫のフィリップは共同君主・共同統治者ではなく、「Prince Consort(いわゆる王配)」の称号も持たない。1953年6月2日に執り行われた自身の戴冠式は史上初めてテレビ中継された。
1952年2月6日にイギリス女王(国王)に即位してイギリス連邦に加盟する独立国家たる7か国、すなわち、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンの女王(国王)になる。連合王国女王のレルムに属する国家および領土の数は1956年から1992年までに独立あるいは共和制移行により少しずつ減少していった。例えば、1956年3月23日には共和制移行によってパキスタン王の称号を失った。
彼女が亡くなる前は、上記の国々のうち、当時まで君主制が存続していた4か国(英、加、豪、NZ)に加え、ジャマイカ、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスの合計16か国それぞれが、エリザベス2世女王を君主としていた。クック諸島など、上記の国と自由連合制をとる国や、王室属領でもエリザベス2世を元首としていた。また、共和制国家を含むコモンウェルス・オブ・ネイションズ(英連邦)には50か国以上が名を連ね、エリザベス2世はその元首(コモンウェルスの長(英語版))として連帯の象徴である。
2011年のアイルランド共和国への公式訪問(英語版)や、ローマ教皇との間の相互訪問など、多くの歴史的な訪問および会見をこなしただけでなく、イギリスにおける権限委譲(地方分権)やカナダ憲法におけるパトリエーション(英語版)のように、立憲君主制下での重大な憲法改正を自身の治世で目の当たりにしてきた。このほか、個人的な出来事としては、4人の子女(3男1女)の出産と結婚、および孫と曾孫の誕生、プリンス・オブ・ウェールズの叙任(英語版)(立太子の礼に相当)、そして自身の在位25周年記念式典(英語版)(1977年)、在位50周年記念式典(英語版)(2002年)、在位60周年記念式典(英語版)(2012年)、在位70周年記念式典(英語版)(2022年)と、それぞれの祝事を経験した。
2007年4月21日、81歳となり高祖母たるヴィクトリア女王を抜いて、イギリス史上最高齢の君主になった。
2015年1月23日にはサウジアラビア国王のアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズが90歳で崩御したことにより、88歳(当時)で存命する在位中の君主の中で世界最高齢になった[2]。
2015年9月9日には、在位期間が63年と216日となり、ヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最長在位の君主となった[3]。
2016年4月21日に90歳の誕生日を迎えたが公務への意欲は衰えず、晩年まで積極的に取り組んでいた。彼女が2015年度に常時の住居であるバッキンガム宮殿やウィンザー城などの宮殿や居城で接遇した人数は9万6000人に及ぶ。イギリスでは年度ごとの叙勲者には、女王(国王)が一人ひとりに勲章や記章を手渡すことが慣例となっている。近年では長男のチャールズ3世国王(当時、皇太子)や孫の一人であるウィリアム王子もこれを担うようになってはいるが、それでも彼女がこなす公務は年間200件を越えていた[4]。また、医療や福祉の充実、科学や芸術の振興、教育や歴史的文化財の保護、動物保護や環境保全などの団体の会長や総裁を務めている。関係する団体は、イギリス本国だけではなく、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど英連邦王国構成国をはじめ世界16か国にまたがり、2016年8月時点で648団体にのぼる[4]。
2016年10月13日にはラーマ9世(タイ王国国王)の崩御により、2022年4月21日時点(96歳)、存命の君主では世界第1位の長期在位君主となった。
2022年6月13日には在位期間が70年と127日となり、タイのプミポン前国王(在位1946年〜2016年)の記録を抜き、世界史上第2位の長期在位君主となった。1位はフランス国王ルイ14世(在位1643年〜1715年)であり(在位72年と110日。ギネス世界記録。)、2024年5月までエリザベス2世の在位が続けば、この記録が塗り替えられるはずであったが、2022年9月8日(現地時間)に崩御した。在位期間は70年7カ月だった。



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