22. 敵と反体制派を作り支援[1] k0eCxpS9kcyQp5RogvCN7ILojniJhw 2022年9月27日 16:42:34 : eyXcrUkcfI :TOR cXpRWmdHUTVCNXM=[1]
https://naotatsu-muramoto.info/rekisinobenkyou/iransi/iransi35.html
イラン・コントラ・ゲート事件
(年表A 1985〜87年)
(『兵器ディーラー』ハーマン・モール著から抜粋)
1985年
1月
ウィリアム・ケイシーCIA長官は、ビジネスマンのロイ・ファーマークに「アメリカ政府は、イラン向けの兵器取引を承認する事になる」と話す。
ファーマークは、ゴルバニファーと兵器ディーラーのアドナン・カショーギに会い、兵器と人質(ベイルートで誘拐されたアメリカ人)交換の取引について検討する。
2月27日
フランス人の兵器ディーラーであるベルナール・ベイヨは、イラン空軍に戦闘機39機を供給する契約に調印する。
4月
アメリカの国家安全保障委員会の顧問マイケル・レディーンは、イスラエルを訪問する。
そして、兵器と人質を交換する取引へのイスラエルの援助を協議する。
5月17日
CIAは、イラン向けの兵器売却の禁止を緩和するように勧告する。
7月 3日
イラン側は、TOWミサイル500基が欲しいと言い、見返りとして人質解放を請け負った。
8月 6日
レーガンは、アメリカ製兵器をイスラエル経由でイランに供与する事を、口頭で承認する。
8月30日
TOWミサイル100基などのアメリカ製兵器が、イスラエルからイランに輸出される。
ポルトガル経由で行われ、CIA所有の航空会社も関与する。
イランは、カショーギを通じて100万ドルを支払う。
これは、イスラエルがアメリカから購入した時よりも相当高かった。
9月13日
追加のTOWミサイル408基が、イスラエルからイランに送られる。
300万ドルがイスラエルに支払われる。
2日後に、アメリカ人人質のベンジャミン・ウェアが解放される。
11月30日
ビジネスマンのリチャード・ブレネクは、ブッシュ副大統領を含む政府高官に、「イランへの兵器売却を私的に試みたらどうか」とのメモを送る。
12月31日
CIAにコネを持つベルナール・ベイヨは、「アメリカが直接的にイランに兵器を売却する事について、ブッシュ副大統領の承認が間近だ」と、ハシェミに話す。
1月 6日
レーガン大統領は、アメリカ製兵器のイスラエルからイランへの輸出を認める認定書に署名する。
1月17日
レーガンは、今度はアメリカから直接にイランに兵器売却する事を認める認定書に署名する。
CIAがTOWミサイル4000基を、国防総省から徴用してイランに渡すことに。
2月 5日
イランとアメリカの代表団が、フランクフルトで会談する。
ノース中佐とゴルバニファーも同席する。
この会談でゴルバニファーは、「兵器売却で得た金は、コントラ支援に使えるのではないか」と提案する。
ノースは後に公聴会で、「素晴らしいアイディアだった」と証言する。
2月 7日
サム・エバンスは、「ワシントンが兵器取引にゴーサインを出した」と、ハシェミに伝える。
「シュルツ国務長官は反対しているが、ブッシュ副大統領が賛成派だ」と話す。
2月13日
TOWミサイル1000基が、イスラエル経由でイランに送られる。
11月 5日
アメリカの各誌も、イランとの取引を報じ、『イラン・ゲート事件』と命名する。
11月13日
レーガン大統領は演説で、兵器をイランに渡した事を認める。
11月25日
イランへの兵器売却の利益が、ニカラグアの反政府ゲリラであるコントラ援助に転用されていた事が、明るみに出る。
ポインデクスターは、大統領補佐官を辞任し、ノースはNSCから解任される。
イスラエルは、イラン・ゲートに関与していた事を認める。
(2014年3月5日に作成)
http://www.asyura2.com/22/senkyo288/msg/322.html#c22