56. 弱さと権力迎合と虚勢[1] juOCs4LGjKCXzYx9jYeCxouVkKg 2022年2月05日 15:24:27 : fyroMR7zTA :TOR dERTZ1EuM0hyLmc=[21]
生物学的遺伝子「生き残り」の法則
第一子の長男は「母親」に似る(長女は「父親」に似る)
第二子の次男は「父親」に似る(次女は「母親」に似る)
自身の原作「太陽の季節」の映画に特別出演した
若き石原慎太郎氏が突き倒されるシーンを観た時
その後「政界」に進出しあらゆる放言を繰り返して
いた「ふてぶてしい」態度とは裏腹の本質的な弱さ
を感じたものである
作家の「太宰治」が自身の本質的な社会との
乖離や人生の懐疑自身の不適応性と弱さの自覚破滅願望
本音を小説で吐露するという生き方は石原慎太郎氏の
「生きる美学」と正反対に位置している筈である
自身の本質的な「弱さ」を覆い隠すため「生き残る」
「勝ち抜く」ために「権力」や「暴力」や「無軌道」
や「弱者苛め」を志向体現「虚勢」を張る生き方を
選択する人はこの世の中に大勢存在する
石原慎太郎氏からバトンを渡されるとき「ヒトラーの
再来」と称された人物も同じ系統ではないかと想像
太宰治が社会との隔たりを狭くするために「道化者」
を演じたように自らの本質的な弱さを覆い隠す為に
「ヒトラー的政治家」を演じる生き方を選択したと
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以下副島氏のブログ記事から抜粋転載
当該記事「石原氏」に関するコメントは最下部
この数年で、圧倒的に強くなった、世界中を支配するぐらいの勢いの、グーグル傘下の Youtube に、ニコ動は、激しく追い詰められて、経営危機にまでなっていた。
ところが、このようにして、ニコ動nicovideo は、生き延びている。実に、喜ばしいことだ。なぜなら「ユーチューブ」が、アメリカのトランプ革命の政治闘争を、あの巨大な不正選挙が有った (郵便投票で8千万票。バカじゃないの。投票というのは、衆人環視で、投票所で行うべきものだ)のアメリカ大統領選挙(202011月4日)の直後からの。
激しいアメリカの国民闘争 を、他の巨大ネットメディア(GAFA+M → BigTech ビッグテック)と同様に、ユーチューブが、弾圧して、2021年〇月から、どんどん削除しはじめた。そして日本国内で、トランプたちの戦いを勇敢に真実の報道(もう、報道だ)をしていた、20人ぐらいの有名なユーチューバーの動画番組もすべて削除されて、私たちは、完全に見れなくなった。 恐るべき世界規模の言論弾圧である。
そうやって、ずるずると2021年が終わって2022年になった。この間に、仕組まれた生物化学戦争 bio chemical warfear であるところの コロナウイルス騒動と、さらにワクチン接種騒動が続いた。 これらのコロナウイルス(日本には存在しない。αもβも 0 オミクロン株も )と ワクチンの危険性を、訴えて真実の投稿をした人たちの動画もすべて、削除、消滅させられた。
一番頂点から、世界を支配する Deep State ディープステイト のやることは、
このように愚劣であり、許しがたい。世界人民からの大きな反撃が、始まらなければいけない。
イギリスの ボリス・ジョンソン首相が「もうフェイスマスクもパスポートも要らない」と、ディープステイト(英国女王)のお膝元で、反旗を翻(ひるがえ)した。
日本の政権にまで、上から、ワーワー、新たな感染拡大だ、200万人が感染した、と、空虚な奇怪な巨大圧力を、ディープ・ステイトが掛けてくる。各国の政府というのは、こういう得体のしれない強力な世界支配力に、屈服して従わなければいけないようになっている。このことの奇怪(きっかい)さを、私、副島隆彦は、ずっと考え込んでいる。
「2回打った人は、3回目が正念場」だそうだ。
ワクチン問題は、自分の意思で打った(接種した)人たちの、体調不良と、苦悩の問題だ。 体制順応で、ずっと「お上の言うことには逆らわない」「会社から言われたとおりにする。自分がイジメられたくないから」「世の中の多くの人たちがすることに自分も従う」という生き方をしてきた人たち自身が、自分の体と命を守る、ことを真剣に考えなければ済まない。
5歳から11歳の幼児、子供たちにまで、アメリカと同様に、日本でもワクチン接種が始まった。狂気の沙汰である。子供たちだけは守らなければいけない。
アメリカの主要メディアは、「反ワクチン派の非常識な親たちは、自分の子供にワクチンを打たせなないことで、子供たちをウイルス感染の危険に晒(さら)している」と盛んに報道している。どっちが非常識か。良識ぶって、正常な判断力を失って、子供たちにまでワクチンを打ちまくる。ここまで気が狂うと手の付けようがない。どっちが狂っているのか。
私は、この他に、石原慎太郎が死んだ(89歳)こととか書かなければあいけない。2月1日の午後2時ごろ。私は、2日間しらなかった。新聞記事は驚くほど小さかった。この男は、本当に、自分のことしか考えない政治家だった。いや、死ぬまで芸能人だったのだろう。
オレがオレがで、自己顕示欲の塊だった。だから、いくら愛国者、民族主義者 を長年、気取っても、その正体を日本国身から見抜かれていた。だから誰も哀悼しない。石原慎太郎の死で泣く人がいない。国民のために死ぬほど苦しんだ指導者しか国民は尊敬しない。民衆を大事にしない指導者は嫌われる。
「人間の価値は、お棺の蓋(ふた)が閉まる時に決まる」のだそうだ。
その他のことも、すぐに書きます。 副島隆彦拝
http://www.asyura2.com/22/senkyo285/msg/401.html#c56