96. 七三一部隊とナチス[1] jrWOT4jqlZSR4ILGg2mDYINY 2022年4月27日 22:57:37 : P5A5qAq2WE :TOR dE4yOUVsZklyZFU=[39]
松谷みよ子氏
「被害者の戦争から加害者の戦争へ」から抜粋転載
私にとって戦争は被害者の立場から見た戦争であり、語り継ぐ
ならそこのところと単純に割り切っていた自分が省みられた。
子供が戦争ってなあに、問うとき、戦争をまるごと知りたいの
だと。
当時私は現代の民話を集めていた。河童・天狗・あの世・夢、
切り口はいくらでもあったが、戦争の中にこそ語り継ぐべき
現代の民話があると思い、「軍隊」の取材にとりかかった。
(中略)
戦場から帰った男たちの証言は続々と集まった。
当時私の研究室で働くため、近くにアパートさがしをしていた
若い女性は、不動産屋の広野さんに、戦争に行きましたかと
問いかけ、恐ろしい体験の持ち主と知った。
押切り機で首も切ったよ。大釜煮立てて子供から放り込んだよ。
女は何人もで強姦して井戸へ捨てたよ。あがれねえように石で
蓋したね。
敗戦後、中国の収容所に入れられた広野さんは荒れ狂い、ガラス
窓を叩き割り飯を便器に捨てた。
中国兵は悲しげに言った。いま中国ではガラス一枚手に入れる
のも困難です。食料も不足です。飯は便器に捨てないで下さい。
残れば我々が食べますから、と。
やがて盲腸になったとき、中国兵は徹夜で看病し入院するときは
中国服を着せ、怒り狂う民衆から守ってくれたという。
それから私は変わりましたと広野さんは言った。
生体解剖で知られる七三一部隊の越さんは長野の人だったから、
私の山荘のある黒姫で七三一への入隊のいきさつから敗戦処理、
貴重なものをかくすため内地でどう動いたかまで、こと細かに
語ってくれた。
二十三歳で軍属として入隊した彼は、すぐペスト米作りを担当。
ペスト米はネズミのエサになり、ペストネズミは何百万という
ノミのエサに投げこまれ、あっという間に白骨となる。
出来上がったペストノミは陶製の爆弾に詰められ中国の村々に
投下された。
ガス実験は三方ガラス張りの実験室に、丸太と呼ばれた中国人の
収容者を入れ、日替わりのガスを注入。断末魔の状況は映写された。
冷凍庫に入れられて抱き合って泣きながら凍っていくのも見た。
生きながら乾燥機に入れ百度の熱風を吹き付けるミイラの実験。
ドーナツの皮みてえになるよ。
運転手だった越さんは実際に手を下さなかったが、生体解剖の
内臓がバケツの中で動いているのも見た。
(中略)
一九七八年、私はアウシュビッツにも行っている。
しかし、七三一は日本のアウシュビッツではないか。
私にとっての昭和は軍国少女であり、被害者の立場にしか立て
なかった私の戦争が、実は加害者の戦争だと知った、そのとき
だったのかもしれない。