2. 死ぬと困るからうたた寝[1] joCCyoLGjaKC6YKpgueCpIK9gr2QUQ 2022年1月04日 15:12:43 : osZ89F6pYg :TOR MGhWdVJFVTlYT2M=[18]
主人の命令意向期待に忠実に従い決して裏切らない「犬」を飼う「人」
そもそも主従関係という意識がなく主人の命令意向期待などどこ吹く風
思うが儘マイペースの「猫」を飼う「人」
「馬鹿」の壁を指摘されそれを喜び支持した「馬鹿」はどちらに属するのだろう
昔からこの養老の主張内容に素直に首肯できない小生は自称「猫」である
話は飛躍するが「吾輩は猫である」の「漱石」の細君が主人の死に際に
とった行為は「悪妻」のそれなのか「人間的」な素直なものなのか
「猫」である小生には大変よく首肯できるのである
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1272261877
ID非公開さん
2011/9/28 19:34
1回答
夏目漱石の「ここにみずをかけてくれ、死ぬと困るから」
とは言葉通り死なないためだったのでしょうか?
補足
水をかけてくれと言うあたり、病気でその部分が熱かったのでしょうか?苦しかったのでしょうか?
ベストアンサー
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jh3********さん
2011/9/28 21:35(編集あり)
それは、死ぬ前に伝えたいメッセージがあったためだと思います。
夏目漱石ほどの人物が「死なないため」に言った言葉ではないと思います。
まして修善寺での大吐血での、いわゆる「30分の死」を経験した漱石に、そのような執着があったとも思えません。
これは下記ですね。
「漱石の思い出」の最後の方にある
“この暮れ方、非常に苦しがりまして、私がちょっと席をはずしたうちに、胸をあけて、ここへ水をかけてくれと申しますので、看護婦が霧を吹きかけてやりますと、「死ぬと困るから」と何とか言ったと思うと、そのまま目を白くしてしまって、全く意識を失ってしまいました。”
ですね?
おそらく、まだ言えなかったメッセージが漱石の心の中にあったのでしょう。
亡くなる1時間ほど前に、友人である高浜虚子が枕元で「高浜ですが・・・」との言葉に「ありがとう」という最後の言葉があったそうです。
もっと多くの友人、門下生、そして鏡子さんや子供さんにも、最後の言葉がかけたかったのだと思います。
また亡くなる10日ほど前の出来事からもうかがわれます。
「夏目漱石」(下) 小宮豊隆氏
“その夜(11月28日)11時半ころかになって、今まですやすやと眠っていた漱石が、急にむくりと起き上がるや否や、頭を掻きむしるようにしながら、「頭がどうかしている。水をかけてくれ、水をかけてくれ・・・・」・・・”
病の中、薄れゆく意識の中で、懸命に最後の出会いを求めていた漱石をうかがわせるエピソードです。
【補足】
少しでも、意識を保っていたかったのでしょう。そして、色々な人へ、高浜虚子へ言ったと同じような「ありがとう」が言いたかったのではないでしょうか?
苦しかったのは、苦しいでしょうが、それ以上に、漱石の心の奥底の叫びのように思えます。
【補足2】
出血性ショック状態にある人が、身体が熱いなど感じません。むしろ血液が失われ、身体は冷えていき、震えるほどです。
また患部は腹部ですが、水をかけてくれと言ったのは胸ですね。
夏目漱石が大好きな精神科看護師より
https://dot.asahi.com/wa/2021061700050.html?page=1
「死ぬのが楽しみになった」夏目漱石の言葉とは?
2021/06/21 07:00
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
夏目漱石の肖像 (c)朝日新聞社
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「漱石の魅力」。
【死生観】ポイント
(3)漱石は死んでから本来の自分に還れると考えていた
弟子の森田草平に宛てて「君、弱いことをいってはいけない。僕も弱い男だが弱いなりに死ぬまでやるのである」「今でも御覧(ごらん)の通りのものしか出来ぬが、しかし当時からくらべるとよほど進歩したものだ。それだから僕は死ぬまで進歩するつもりでいる」と書いています。また、門下の岡田耕三にはこうあります。
「私は意識が生のすべてであると考えるが、同じ意識が私の全部とは思わない。死んでも自分はある。しかも本来の自分には死んで始めて還れるのだと考えている」
やはり漱石は、死後の世界の存在を信じていたのです。しかも、死んでから、本来の自分に還(かえ)れるというのです。私もこれを読んで死ぬのが楽しみになりました。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2021年6月25日号
https://ameblo.jp/9216ama/entry-11876161629.html
「漱石の思い出」を読んで
2014-06-11 05:37:18
「漱石の思い出」 夏目鏡子 述・松岡譲 筆録
https://50daidemofiremezasu.com/natsumekyouko/#i-6
夏目漱石の妻、夏目鏡子は悪妻?実は良き妻、良き母であった。
2021年4月17日 2021年4月21日
夏目鏡子
夏目鏡子はかの有名な文豪、夏目漱石の妻です。
鏡子の存在は漱石にとって、なくてはならない存在ですが、なんと悪妻・猛妻説が多々見受けられます。本当にそうなのでしょうか?
いくつかの文献によると実は違います。
夏目鏡子は良き妻、良き母でした。
どうして悪妻説が出たのかを調べてみました。
Contents [hide]
1 悪妻と噂された原因と考えられる鏡子の行動と言動
1.1 子供の頃
1.2 朝寝坊
1.3 手紙を出さない
1.4 字が汚い
1.5 食事が美味しくない
1.6 臨終間近のうたた寝
1.7 印税で豪邸
1.8 漱石のことを赤裸々に語る
2 漱石の妻として
2.1 夏目漱石との出会い
2.2 熊本で新婚生活
2.3 鏡子の自殺未遂
2.4 漱石がイギリス留学へ
2.5 「吾輩は猫である」の名もなき猫
3 今は高く評価される
http://www.asyura2.com/21/cult35/msg/375.html#c2