4. 呉系弥生人と越系弥生人[1] jOCMbpbtkLaQbILGiXqMbpbtkLaQbA 2022年5月27日 23:00:05 : qIBEZhwBhE : TnBoWUl2Q01iVU0=[5]
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12059335072.html
日本の歴史と日本人のルーツ
日本の歴史と日本人のルーツを解明します。
基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。
学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。
なぜ斉系弥生人と漁師は仲良く日本列島に移住したのか
今から2300年前、斉の国民の一団が山口県下関市豊北町の土井ヶ浜辺りに渡来した。彼らは山東半島の付け根の臨淄(りんし)の住民で、渤海湾あたりの海の幸を蛋白源としで、ご飯をたべる民であった。時代は斉の国が滅亡し、田斉と言う偽の斉国に支配された時期にあたる。平和であればどこにでも移住する覚悟があった。
それに対し、渤海湾は現代の気候とそんなに変わらないとすると、冬季、湾が凍結して漁師には辛い休漁期間があった。漁師としても拠点を凍結の無い日本列島に移したかった。すなわち斉の国民と漁師の海人族安曇氏にはとって、日本列島への移住は共に渡りに船であった。渡海先は先住民(縄文人や呉系弥生人など)が少なく、漁師の港に適した入江が多い響灘から山陰海岸(北浦海岸)であった。この辺りはカタクチイワシ(鯷)漁の中心地としても好都合であった。
当時、北九州の福岡平野から筑後平野などは広大な平野は呉系弥生人が銅剣文化圏、東は越系弥生人が銅鐸文化圏をなしており、空白は山陰側で好都合であった。この辺りは、冬季でも対馬海流のおかげで凍結することはなかった。冬場の季節風と雪は厳しい自然環境を思わせるが、海ばかりではなく、陸上も凍結することはなかった。
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