26. 床屋発祥の地下関市[1] j7CJrpStj8uCzJJuibqK1o5z 2022年5月31日 21:16:40 : Xk3wwQYiCE :TOR N2V5bVM0Y08vbEE=[4]
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日本の歴史と日本人のルーツ
日本の歴史と日本人のルーツを解明します。
基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。
百済からの渡来人はお公家さん、新羅からの渡来人は東国武士になった
百済からの渡来人は従来からのヤマト政権と同族で、日本列島に到着すると直ぐに、政権側として振舞った。
これに対し、新羅からの渡来人は東国を開拓しながら武士として心身を鍛錬し、平安末期ころから政権に進出し、ついに鎌倉幕府からの徳川幕府までの武家政権を樹立した。
参考
@ 山口、郷土のあゆみ(参考)
平安時代から鎌倉時代にかけては、地方の武士団が台頭し、周防国では朝鮮半島の百済(くだら)の王族を祖と称する大内氏、長門国では厚東氏が、確固たる地位を確立していきました。
室町時代に入ると、大内氏が、24代弘世(ひろよ)のとき防長2国を平定。山口に京の都を模した町をつくるとともに、朝鮮や明との貿易で財力を蓄え、大陸文化の導入に努め ました。その結果、山口は「西の京」と呼ばれるようになり、絢爛(けんらん)たる大内文化が開花しました。
栄華を誇った大内氏も、31代義隆が家臣陶晴賢(すえはるかた)に討たれて衰え、その陶氏を厳島(いつくしま).(広島県宮島)の戦いで破った毛利元就(もとなり)が、やがて中国地方のほぼ全域に勢力を広げました。元就の孫輝元(てるもと)は最盛期120万石を誇りました。
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瑠璃光寺の五重塔、山口市
A 百済人は滅亡した秦の末裔で倭語(日本語)を喋った(参考)。そして、琵琶湖東岸(参考)や大阪市(参考)などに入植した。
天智天皇が奈良から遷都した近江朝で、学頭職(今でいえば大学総長クラス)を務めた鬼室集斯も、百済の遺民である。近江朝では、百済の高官たちが数多く関わった。
B 「渡来人が文化発展に寄与」天皇陛下の発言一部抜粋(参考)
平城京について私は父祖の地としての深いゆかりを感じています。そして、平城京に在位した光仁天皇と結ばれ、次の桓武天皇の生母となった高野新笠(たかののにいがさ)は続日本紀によれば百済の武寧王(ぶねいおう)を始祖とする渡来人の子孫とされています。
我が国には奈良時代以前から百済を始め、多くの国から渡来人が移住し、我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました。
仏教が最初に伝えられたのは百済からでしたし、今日も我が国の人々に読まれている論語も百済の渡来人が持ち来ったものでした。
C 百済人の子の桓武天皇の子孫の平氏のうち、東国に勢力を伸ばした武家平氏(坂東平氏)について(wikiより)
高望王流桓武平氏の始まりの地である東国は当然のことながら武家平氏の盤踞地であった。すなわち坂東平氏の一族がその後中央(朝廷)に勢力を伸ばし、西国にも平氏勢力が広がったとするのが適当である。武家平氏としては例えばその祖である上総介の平高望や、東国に独立政権を樹立しようとして失敗した下総の平将門、将門を倒した常陸の平貞盛などが良く知られるが、時代が下って平氏政権で台頭した平家(平清盛の家)を出した伊勢平氏も、貞盛の四男維衡の子孫が伊勢に移り住んだものであり、これを倒した源頼朝を支えた鎌倉幕府の執権北条氏や坂東八平氏も同じく坂東に土着した高望王流桓武平氏の末裔であった。
、、、平氏の棟梁は百済の子孫であるが、武家平氏の家臣(武士)は東国に勢力を張った新羅人の末裔で、同じく東国で勢力を張った源氏の家臣(武士)と同族であることを示唆する。
D 東国の武士は新羅からの渡来人の末裔か?!
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鶴岡八幡宮、鎌倉市
E 現代朝鮮民族(wikiより)
カトリック医学大学のキム・ドンウック(金東郁)教授と慶応大学の岡本真一郎教授がHLA(ヒト白血球型抗原)を分析した結果、日本人と比較すると遺伝的な同質性が低いという結果が出ている。大阪医科大学名誉教授松本秀雄は著書『日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く』で、「朝鮮民族は強く漢民族などの影響(混血)を受けており、これは中国と朝鮮との間の、相互移民や侵入などによって、北方少数民族や漢民族との混血の機会が多く、これが民族の形成に影響した」と述べている。HLA遺伝子による調査で朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い。 血統のルーツは現代アジア民族との繋がりは薄く、ロシアのエヴェンキ族と同一性が特に多く認められている。ユーラシア大陸内陸部から朝鮮半島への集団移住により定住したものと考えられる。
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