41. 獣の刻印種痘の成分は?[1] j2KCzI2PiPOO7ZOXgsyQrJWqgs2BSA 2022年1月24日 23:06:41 : 1F0SOP08mw :TOR SU1JMEZUVy5yUXM=[20]
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=8183
種痘をすれば牛になる
種痘の起源は1796年にあり、過去数億人が種痘の接種を受けたが、牛になったという事実確認や、その理論を肯定する論文が話題となったことを知らない。わが国でも緒方洪庵が1849年、大阪に牛痘を用いた「除痘館」という種痘所を開設したとき、「種痘をすれば、牛になる」という流言飛語の払拭に苦労したという2)。
「牛になる」の出発点は種痘はウシ由来のワクチンを使用するところにある。ウシ由来の薬剤で予防するということは、発明された当時から経験則として知られていた。ウシのエキスを人体に植え込めば牛となってしまう、と飛躍して揶揄したのであろう。当然そこには現在でも牛にすることが不可能である遺伝子組み換えの理論など存在しない。この流言飛語は種痘の発祥の地、医学先進国であるヨーロッパでもあったという。それが外国との交易が少ない日本にどのようにして浸透したのであろうか。
>天然痘は、
>エボラ出血熱のような恐ろしい病気です
>種痘を辛辣に批判したとして知られる人の一人が
>ベンジャミン・モズリー医師です
>町のやぶ医者のような人物ではなく、
>立派な経歴を持つ医師でした
>ジェンナーの開発した種痘は、
>安全性に問題があり、
>特に長期的な影響については全く分からないと
>激しく非難しました
>さらに、ウィリアム・インスという男の子の例を挙げました。
>インスは生後4か月で種痘を接種しました。
>モズリーが言うには、
>インスは種痘を接種した後に、
>全身に炎症と発疹が現れ、
>身体から、まるで牛のような白や茶色の毛が生え始め
>最後には死んでしまったというのです。
世界初のワクチン反対運動
日本でも古くから天然痘の患者が知られており、平安時代に書かれた続日本紀では、西暦735年に朝鮮半島の新羅から日本に天然痘が伝わったと書かれています。近代では、明治天皇の父である孝明天皇も江戸時代末期に天然痘に倒れました。
天然痘は致死率が非常に高く、5割程度の致死率があったそうです。そして運よく助かったとしても、顔や手足などに瘢痕(はんこん)が残ります。天然痘は、エボラ出血熱のような恐ろしい病気ですが、
種痘を辛辣に批判したとして知られる人の一人がベンジャミン・モズリー医師です。モズリーは町のやぶ医者のような人物ではなく、立派な経歴を持つ医師でした。モズリーは1742年にイギリスのエセックスで生まれ、ロンドンやパリで医学を学び、イギリス統治時代のジャマイカで外科医として活躍しました。モズリー医師は、ジェンナーの開発した種痘は、安全性に問題があり、特に長期的な影響については全く分からないと激しく非難しました。そしてジェンナーが開発した「種痘」を「牛の梅毒」と呼びました。梅毒は性病の一つですが、当時は特効薬がなく、梅毒になると鼻がもげたりして最後には脳が侵され死亡することもある深刻な病気でした。その梅毒に例えて、ジェンナーが開発したワクチンを、「牛の梅毒」と罵ったのです。彼は様々な例を挙げて、いかに種痘が危険かを力説しました。種痘を打ったヒトには、牛疥癬、牛皮膚病、牛頭症、牛顔症などの様々な新たな病気が現れると主張しました。サラ・バーレーという患者は、種痘を打った後に顔がゆがみ、牛のような顔になってしまったというような報告や、エドワード・ジーという患者は、種痘を打った後に痛みが現れ、牛の毛が身体から生えてきたという報告をしました。さらに、ウィリアム・インスという男の子の例を挙げました。インスは生後4か月で種痘を接種しました。モズリーが言うには、インスは種痘を接種した後に、全身に炎症と発疹が現れ、身体から、まるで牛のような白や茶色の毛が生え始め最後には死んでしまったというのです。このように当時の立派な業績を持つ医師ですら、天然痘のワクチンは危険であり、決して打ってはいけないと反対したのです。
http://www.asyura2.com/21/iryo8/msg/364.html#c41