46. 秋篠宮家と八足之鹿[1] j0iOwot7icaCxpSqkauUVo6t 2021年10月16日 01:26:58 : IqqBG8s84Y : SW5jbWZjUy9tQlk=[6]
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「八足之鹿」と蘇我赤兄
蘇我赤兄は蘇我馬子の孫にあたる。父は蘇我倉麻呂であり、兄は大化改新に加担したとされる石川麻呂である。
蘇我氏は馬子の世代以来いくつもの家に分裂していた。大化改新において滅ぼされたのは、蘇我蝦夷・入鹿の蘇我本宗家のみであり、その他の家や枝分かれした氏族はいずれもその後も政府に重用されていた。
赤兄についての有名なエピソードは、有間皇子の謀反事件である。赤兄が『日本書紀』に初めて登場する斉明四年十月、彼は斉明天皇の紀温湯行幸に際して留守官に任命された。十一月に赤兄は、孝徳天皇の唯一
の皇子である有間皇子に斉明天皇の失政を三つ挙げて語った。そして有間皇子と謀反について語り合うが、その夜、赤兄は有間皇子らを謀反を企んだとして一斉に捕らえ、天皇行幸先の紀温湯に送った。有間皇子は十月十一日に藤白坂に於いて処刑された。この時の位は大錦上であった。
この後赤兄の名が史料に登場するのは、10年後の天智七年二月である。『日本書紀』によると、赤兄の女常陸娘を天智天皇の妃とし、山辺皇女を生ませたとある。有間皇子の謀反事件から次に名が登場するまでに、かなりの時間の差がある。しかし、娘が天智天皇の妃になっていることから、天智朝において、赤兄が重要な存在になっていたように思われる。
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天智天皇(四十二)新たな漏剋・筑紫の八つ足の鹿
原文
夏四月丁卯朔辛卯、置漏剋於新臺、始打候時動鍾鼓、始用漏剋。此漏剋者、天皇爲皇太子時、始親所製造也、云々。是月、筑紫言、八足之鹿生而卽死。
現代語訳
(即位10年)夏4月25日。漏剋(ロコク=水時計)を新しい台に置きました。初めて候時(トキ)を打ちました。鍾鼓(カネツヅミ)を轟かせました。初めて、漏剋(ロコク)を用いました。この漏剋(ロコク)は天皇が皇太子になった時に、初めて自ら製作したのです。云々。
この月、筑紫国が言いました。
「八つの足がある鹿が生まれて、すぐに死にました」
解説
漏剋(ロコク)
斉明天皇即位6年5月にまだ皇太子だった天智天皇が「漏剋を作り、民に時を知らせた」とあります。
斉明天皇(二十)漏剋・50人の蝦夷・粛慎との宴会
前回の漏剋とは別の新しいものを設置したのでしょう。水時計による時刻は「正式」な文書に書き込まれるようで、「中央」や「戦地に近い」場所では必要という認識があったようです。
8つ足の鹿
多足の動物は、五行思想によると奸臣の予兆らしいです。奸臣ってのは国を傾ける臣下の事。しかし、五行思想がどういうものか分からないし(私が分からないって事)、当時の日本が8つ足の鹿について五行思想によって捉えたかどうかも、なお分からない。だって「ヤタガラス」って三本足って定説があって、ヤタガラスは別に不吉な存在ではありませんよね。まぁ、それとこれとは違うと言っちゃえばそうなんですが、多足だから不吉とは限らず、単に、「事実」を述べただけで伏線とも限らない。と思いますね。
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