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影の闇 iWWCzIjF コメント履歴 No: 100000
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[国際20] 半島情勢の正確な理解の為に、合わせ鏡の日本とその歪んだ部分

韓国国防省(国防部)は、日本同様、実質的には米軍の下部機関であり、米軍のコントロール下にあります。  

そうしてもう一つ、韓国の「保守」は、日本同様、親米派=カイライ勢力ですが、「日本会議」に見られる様に、日本の場合一皮剥けば「大日本帝国」が見え隠れするのに対して、韓国の「保守」は、一皮剥けば、「親日派」が見え隠れする。 

もちろん、それには理由が在ります。 米軍による占領統治は、日本同様、米軍支配にとって邪魔になる勢力(左翼や民族派)の排除が中心であり、本体即ち大日本帝国の仕組みと人材は、多少の手直しはあっても、総体としてみれば手付かずにそのまま、従って「既得権益層」もそのまま。 この「既得権益層」を「保守」と言うのです、日韓共にね。


そうして、日本の「保守」に中国侵略や日米戦争を消去したいという欲求があるように、韓国の「保守」もかっての「親日派」=日帝の代理人(手先、手下)だった過去を消去したいという欲求があるんですな。 更に、穿った見方をするなら、被害者としての実感はあっても、加害者(侵略者、その手先、手下)意識が薄い(何せ、侵略者とかその手先・手下は、国民の中では、絶対少数派ですからね!)日韓の国民の多くも、出来れば「過去」は無かったものとしたい。 つまり、「過去」を消去or隠蔽することにおいて、日韓は共犯関係にあるのです、取り分け「保守」はね。 

「従軍慰安婦」や「強制連行」といった問題が、それ以前の軍事政権下では知られず、90年代の「民主化」以降人々に知られる様になったのも、まさにこの点に在ります。 日本同様、「親米派=反共」の上着に「愛国者」という仮面を付けた支配層=「保守」は、過去の己の(親日派としての)行状を徹底的に覆い隠しましたが、それに合わせる様に、韓国国内も、日本に関する事柄は、長らく、タブー視されておりました。

まぁ、日本だってこの点ではエラソーな事は言えません。 吉田内閣から佐藤内閣までを支配した「対中敵視政策」により、中国に関する事は、事実上、タブー視され、田中内閣による「日中国交回復」までは、一部の専門家や知識人には知られていても、人口に膾炙することはあまり無かったのだから。 このように、「従軍慰安婦」を始め、日本軍が中国大陸で何をやったのか日本で一般に知られる様になるのは70年代、韓国で知られる様になるのは90年代であるのは理由が在る訳です。

そうして、これを”半島ナショナリズム”から見たら一体どのように見えるか?

かっての「親日派」が「親米派」に上着を替えただけで、他は植民地時代と変わらない!
「戦前と戦後はそんなに変わってはいない」とは昭和天皇の言葉ですが、それは韓国にも当てはまるのです。
かって「日帝の代理人」としてでっかい顔していた連中が、(親米という)洋服に着替え、(反共という)仮面を被って、またでっかい顔してふんぞり返る反っている! ーとしたら、「独立」とは何だったのか?−独立したと本当に言えるのか?ーという疑問が、当然、湧いて出て来るでしょう。

そうしてその眼差しで極東を見れば、上記の如く、支配層とそのシステムの骨組みの部分は殆どそのまま、そこにアメリカが日韓台其々と軍事協定を結んでいるという構図は、大日本帝国の支配の、その遺産の上に米軍が載っかってる、という様に見えて来るでしょう。


そこに、デッチ上げてまでも「帝国の遺産」を登録させたことにも見られるように、アベ政権が大日本帝国の再評価を求めるが如き動きを見せれば、否が応にも、上の図式がせり上がって来ることになる。 何といっても、台湾(海域)と朝鮮半島は帝国日本の出発点に在ったのですからね。 従って、この領域で日本の(軍事的)プレゼンスを示すほど歴史が蘇えって来る、という事になるのです。 


つまり、如何に”北の脅威”を叫ぼうと、又如何に米軍事戦略に従ったものであっても、それらは単なる口実に過ぎず、本当の狙いは軍事的プレゼンスの増大それ自体に在り、しかもそれは過去の復権と結び付いているーと彼らの目には映っている、という事です。
そうして更に、日米の軍事的一体化が強まる程一緒くたに見られることになるので、批判の眼差しは米軍にも向けられることになる。

何といっても、戦後日本と同様、韓国を建国し、独立させたのは米軍なのだから、米軍存在だけではナショナリズムのジレンマに陥りますが、そこにアベの日本が加われば、丁度トランプゲームにおけるジョーカーの様な役割を果たすことになるわけです。
 
 加えて、最近の彼の地の幾つもの調査に窺われる様に、金大中・廬武鉉政権の10年を経て、「北は同胞」と見なす認識に反比例するかのように、(韓国の)真の独立を拒んでいるのは米軍という認識が浸透しつつあり、次第に、米軍存在が桎梏になって来ているという状況が出て来ております(だからこその、誇大、かつ過剰な”北の脅威”のプロパガンダなのでしょうが)。

ナショナリズムは「自分でありたい」とする欲求が根本に在り、斯かる意味での「自分であること」(アイデンティティ)を脅かす存在(他者)の覚知こそがナショナリズム発動の要件になる事を考えれば、私には、これは頗る正当なナショナリズムに思えます。

逆に、沖縄の米軍基地問題に現れてる様に、自他の識別さえ不可能になってる日本人の意識は、最早、病膏肓に入るといった段階まで突き進んでいるようで、脱亜入欧、即ち欧米への一体化とアジアへの差別化で形成された近代日本の国民意識ー私はそれをナショナリズムと呼んで良いのか躊躇うところですがーは、自己の所属(存在)を巡って、イソップのコウモリさながらの立ち位置の反映で、常にアイデンティティの不安に付き纏われており、先の戦争はそれがハレーションを起こしたものにも思われますが、最近はそれ以前ーアイデンティティに悩む以前ーへの退行と言えばいいのか、臆面もなく、保護者(アメリカ)との一体化を求める、幼児性退行現象が顕著です。

私はこれを次の様に解します。 先の大戦時に勝る大転換の時代を迎えて、そのような時代状況へのミスマッチー近代日本は過剰適応と不適応を繰り返して来たのですが、そこから一歩進んで、適応不全の兆候を示しつつあることの投影である、と。
丁度、個人レベルでの「赤ちゃん返り」がうつ病や統合失調症の症状であるのと似たものが其処には在ると思われるのです。


目をヨーロッパに向ければ、英国が抜ける後のEUが第三帝国の範図に重なり、今や「ドイツ帝国」(E.トッド)と呼ばれるまでになった所に着目すると、それは殆どヒトラーが夢見た第三帝国が実現したことになり、その事は、その裏腹の(ドイツ封じ込めを主眼とする)「ヤルタ体制」ー大戦後のヨーロッパ支配体制ーの終焉を告げる以外の何ものでもない。 

時代が見えていないが故に同じ反応を示すのでしょうが、先の大戦時、ヨーロッパの情勢に幻惑されて自己を見失っていった様に、今回も、ヤルタが終わったのだから、同じ様に(日本封じ込めを主眼とする)ポツダム体制も終わり、いよいよ日本の出番ーという事でのアベのはしゃぎぶりなんだろうけど、またもや誤認としか思われない。 何故なら、ヤルタ体制とポツダム体制は、通底しているけど、連動はしていない。 その事は、中華人民共和国の「国連復帰」(71年)(連合国と直訳すればハッキリするはずです)によって、名実共に、アジアにおける(国連ならぬ)連合国体制(=ポツダム体制)は完成したこと、更には、何より「従軍慰安婦問題」とか「南京大虐殺問題」が過去のものとなってない事でも明らかでしょう。 そして、何がこの落差をもたらしたのかも又、明らかだと言わねばならない。 

”ホロコースト”や”ポグロム”それ自体については濡れ衣にも係わらず、徹底した謝罪の姿勢を示すことによって、被害者、並びに周辺諸国の支持や承認を取り付けたドイツに対して、それに失敗し続けたままの日本。 あまつさえその責任が被害者側に在るかの如き態度で、謝罪は被害者側が受け入れない限り成立したことにはならないという事さえ気付いていない。 しかもそこには国際政治の罠が隠れているという事には考えが及ばない。

もしもドイツが日本のような態度であったら、被害諸国のドイツへの警戒は続き、ドイツ封じ込め=ヤルタ体制は終わっていなかったでしょう。 被害者の承認を得、周辺、更にはヨーロッパ諸国全体の支持を獲得することによって、国際政治の罠を抜け出したドイツに対して、被害諸国の不信を解消するにはほど遠く、国際政治の罠に搦め取られたまま、依然としてポツダム体制下に在る日本。

 ーそれを別の角度から見たのが「永続敗戦論」(白井聡)ということです。
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/237.html

[国際20] 付記) −”半島ナショナリズム”とは?
世界史を「陸と海のたたかい」と言ったのはカール・シュミットですが、これは、単に、ヨーロッパ中心の見方に止まらず、各国・各地域に於いても言える事ではないかと思います。

 例えば、世界的に見れば海洋勢力の中心はアメリカですが、そのアメリカにしても、トランプ大統領の登場乃至トランプ現象をどのように見るか?について、グローバリズムvs反グローバリズム(アメリカ第一)という表象の背後にある、南北戦争以来の陸と海との対立・葛藤を背景に入れてみて、初めてその意味が見えて来ます。

 お隣の中国にしても、「南船北馬」という言葉があるように、宋(南)→元(北)→明(南)→清(北)→中華民国(南)→中華人民共和国(北)と、南と北がかわりばんこに権力を握っておりますが、船と馬が其々海と陸のシンボルであるろころに着目すれば、ここにもやはり、同じ様な力学が見えるのです。


 そして日本や韓国、乃至朝鮮半島、勿論、島=国と半島は、微妙に似てるようでもあり、微妙に違ってるようでもある。 日本の場合、ドゥルーズ言うところの大陸島と大洋島、即ち大陸(文明)(の端っこ)を意識する存在と大洋島即ち大陸(文明)との隔絶を意識する存在ーNO.1より”オンリーワン”(『世界に一つだけの花』)ーと。 前者は、必然的に、海外の動向に敏感であり、後者は海外よりも国内の方に目が向いているー”ガラ携(ガラパゴス携帯)”なんか典型でしょう。 


無論これらは截然と分かれているという訳ではなく、その時代、或いはその時々でどちらが優位であるのか、ヘゲモニーを握っているのか?という問題になって来ます。 明治以降の日本は、当然のことながら、前者のヘゲモニーの下に在りますが、時々後者が優勢になることがある。 与那覇潤氏のいう「江戸時代化」というのはこれを指しているのです。

そうして韓国乃至朝鮮半島ですが、「半島」という概念が示す通り、半分は海的要素があります。 勿論あと半分は陸的要素、従って陸と海とのせめぎ合いの狭間に在るのが半島ということになります。 日本と中国の間で翻弄される近代が典型でしょうが、それに対して主に二つの態度なり対応が表れる。 一つは、所謂、事大主義です。 ご存知の通り、これは、本来は、大陸即ち中華帝国に対する態度を意味したのですが、中国の威勢が弱まるのに反比例するように海(日本)からの圧迫が強まると、より強い方になびいて自己保存を図るという風に変化する。 大戦後はアメリカであることは言うまでもありません。 それに対して、むしろ自己保存の為に自己主張に重きをなすという態度であり、通常これはナショナリズムと呼ばれるものですが、韓国の場合(これは日本も同様)、伝統的には小中華主義に当たるものです。

つまり、朝鮮半島伝統の事大主義と小中華主義が、現代になって、親米派と民族派の対立・葛藤になって現れ出ているのが韓国の政治状況、ということになります。 マスコミでは、前者を保守、後者を革新と呼んだりしますが、日本同様、戦後体制(占領体制)の受益者で、その体制を守り保つ立場を保守、そのような仕組みを革り変えようするのを革新と言ってるわけで、それ自体(それ以外)の意味はありません。

そしてここからすれば、文在寅政権を「左派政権」とか「親北政権」と呼ぶのが如何に的外れであるか、分かるはずです。

民族派の立場に立てば、「北であれ南であれ我が祖国」(李恢成)なのであり、韓国にせよ北朝鮮にせよ、仮称の、過渡期の存在に過ぎない。 従って、斯かる「北であれ南であれ我が祖国」=”半島ナショナリズム”から見れば、左と右は陸と海の其々の代理人としか見えず、一方に身を寄せること自体、自らの立場を毀損することになるからです。

無論、だから、朴槿恵政権が、中国にすり寄ったかと思うとアメリカに大きく振れるこの4年間の軌跡は、斯かる立場からすれば事大主義の典型に見え、しかも日本にズルズルと接近するとなると、「親日派」の地金が出たという風に見えていることでしょう。

ー以上、ここまで見て来たことで明らかだと思いますが、昨年から今年に掛けて異様な盛り上がりを見せ、遂に朴政権打倒にまで踏み切らせたものは”半島ナショナリズム”であることは間違いない。 だからこそ、繰り返しますが、危機感を覚えた米軍は、謀略(金正男暗殺)を仕掛け、全力を挙げてナショナリズムの抑え込みに掛かった、ということでしょう。

従って、ここから見れば、文在寅政権の動向次第で、再び三度、謀略を含んだ”半島危機”が出て来る可能性も否定は出来ない。 まさか「地下鉄サリン事件」の様な大謀略事件は起こらないとは思いますが、「VX」も直近で使用してることからーVX=北朝鮮との刷り込みは出来た様なのでね!−いつ何時、「BC兵器を使ったテロ」が起こらないとも限りません。

兎に角、この種の事が起きたら、米軍がー或いはその手先がーと考えて間違いないでしょう。

http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/238.html

[国際20] ”半島危機”の真の意味
今回のターゲットは韓国である。  ー”リバランス”で蘇えるニクソン.ドクトリン

このように見てくれば、今回の「危機」のターゲットが韓国であるのは明白というものでしょう。

アメリカが今なおマッキンダーやスパイクマン等の海洋地政学的な発想の下にあることはロシアや中国をその最大の<敵>としていることで明らかですが、その地政学でリムランドに当たる要衝の地、朝鮮半島をもし失うこととなったら、東アジアにおける大陸への足掛かりを失って仕舞うのです。


 李明博、朴槿恵政権の十年近くで、南北関係はすっかり冷え切ったとはいうものの、その前の金大中、廬武鉉政権下の出来事をみれば、南北はいつでも関係が進展する潜在的な状況にあります。 しかも、そもそも金大中、廬武鉉政権が登場してきた原因そのものが94年危機に在るのです。 当時大統領をしていた金泳三氏の回想記には、韓国に諮ることなく、勝手に空爆をやろうとした米軍への怒りが満ち溢れておりましたが、朝鮮半島が戦場になるかも知れないという恐怖が韓国支配層を捉え、それへの反発が既に政治家を引退していた金大中氏を引っ張り出したのです。 金大中氏が欧米のリベラルを始め、ヨーロッパの支配層に支持されてきた人物であることは知る人ぞ知る、ですからね。 しかもその時の米大統領はクリントン氏、韓国が、70年代の、朴政権以来続けて来た対北朝鮮政策とも言える「南北秘密協調路線」を転換し、公然と、堂々と南北融和路線へと踏み出す絶好の環境に在りました。

 かくして、南北融和路線=”太陽政策”は日の目を見、ブッシュjr大統領になって、対北強硬路線への兆しが見えてもなお、いや、だからこそ、それへ抗するかのように、廬武鉉政権を登場させ、引き続き、その路線の堅持を鮮明にした、という訳です。

ところで、このような一種膠着したかのような極東の状況を壊したのが「尖閣」を巡っての日中の確執の勃発なのですが、専門家なる者を筆頭に、その持つ意味が解ってない人が圧倒的なのは改めて驚かされます。

 これは、福田内閣の”棚上げ”に止まらず、田中内閣以来の「対中融和(その裏の対米軍事サボタージュ)路線」を転換するということであり、その意味で「領土問題」ですらないのです。 その前の佐藤内閣までの「対中敵視路線」に戻るということであり、分けてもそれは、朝鮮半島と台湾海域への軍事干渉を公然と表明した日米共同声明(1969)のラインの復活を意味しているのです。 岸・佐藤の長州”安保ブラザーズ”の後継ぎ、アベシンゾーが登場する意味はそこに在ります。
”拉致”や”核”、又「尖閣」も、その為の口実に過ぎないと見るべきなのです。


どうしてそう言えるのか?

日本を取り巻く周辺諸国との関係を見てみるといい。 殆ど全ての周辺国との間に「領土問題」を抱えている。 つまり、潜在的な係争関係に在り、お互いの都合ーそれ以上に、特に軍事的隷属関係に在るアメリカの思惑次第で、いつでも相手国との紛争状態になるのです(唯一領土の係争が無いのが北朝鮮、その代わりに拵えられたのが「拉致問題」です)。 アメリカの思惑次第ー即ち2011年11月の、オバマのアジア再回帰表明、いわゆる”リバランス”政策こそがその翌年、今度こそ時節到来とばかり、身代潰しのボンクラ三代目を再登場させた理由なのです。

http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/239.html

[国際20] Re: ”半島危機”の真の意味 -ニクソン.ドクトリンで浮上する長州安保
それは、ベトナム戦争の軍事的敗退以来低下していた東アジアにおける米軍のプレゼンスの復活のサインであり、取り分けニクソン.ドクトリンの復活ー日韓の軍事的役割の増大の要求へと繋がるのだから。


 そして、こうした動勢をみれば、日韓秘密軍事情報保護協定(GSOMIA)がその具体的な現われであることが分かるでしょうし、逆に、李明博氏が締結寸前(一時間前!)にそれをドタキャンし、「竹島上陸」や「慰安婦問題」の蒸し返し、天皇への謝罪要求等、一見して、唐突とも言える程に、日本人の神経を逆撫でするような行動をエスカレートさせたのか?が分かるはず、です。

一時的にせよ、日韓関係を修復不能の状態へ落とし込むことによって、「協定」締結への機運を遠ざけることーアメリカの圧力を根本から撥ね退けることが出来ないが故に採られた非常手段だった、ということです。 もしもそのまま締結に至っていたら、”第二の李完用”として、売国奴の汚名を浴びせかけられたのみならず、国論は分裂し、一挙に、社会不安や不和が押し寄せて来たでしょうから。

 そしてそれは、図らずもその4年後、朴槿恵氏により、現実のものとなりました。 朴槿恵氏に対する韓国民の怒りは、政治家としての能力を持ち合わせない、単なる木偶だったということでしょうが、のみならず、無能であるが故に、「慰安婦問題」を皮切りに、次々に日米の要求を受け入れー飲まされたーと感じ取られている、ということでしょう。

去年(2016)の7月の韓国国防省のTHAAD配備決定で一線を越えたと見做され、それが秋からの一連の朴追放劇と繋がって行ったのでしょう。 本来であれば(これまでだったら)、大統領退任後に出て来たであろう問題が、その一年以上も前に噴き出し、一挙に、急激に「政権打倒」にまで拡大した背景には、半島を巡る情勢が急速に悪化した事が挙げられます。 別けても、それまで数万規模に止まっていた米韓合同軍事演習の参加人員が、”リバランス”辺りから数十万規模へー昨年には何と30万人、今年は米韓合わせて35万近くにと、空前の規模に達したことです。

 あのNATOでさえ冷戦以降最大規模とされた合同軍事演習が5万程度であることを考えれば、これがどれだけ異常な数なのかは分かるはず。 「北朝鮮の挑発or脅威」と思い込むのはマインドコントロールされた日本人ぐらいのもの、90年代より始まった南北融和への動きが特に金大中・廬武鉉政権で各段に進み、遂には南北両軍がエールの交換を行うまでになったということに鑑みても、<敵>としての意識よりも、<同胞>としての意識が上回って来ているのは間違いないところでしょう。 だから、逆に、斯かる南北接近への危機感こそが米軍が過剰に反応し、軍事的なタガを引き締め直すためー更に、それに”リバランス”以降のアジア戦略が絡むーとみるべきです。
そしてその柱となるのが日韓秘密軍事情報保護協定(GSOMIA)とTHAAD配備ということです。 

 してみれば、前年より50%増え、30万にまで一挙に拡大した理由も、セウォル号事件を契機として、朴政権が求心力を失い、政権批判の高まりと共に、政治が流動化の兆しが見えたから、でしょう。 それは、前政権からの与党「保守」勢力に課せられたGSOMIAという「宿題」(要するに、日韓の軍事連携ね)が果たされる機会が遠ざかることを意味しますので。 野党勢力が政権に復帰したら、まずはその芽はありませんからね。 だから、春と秋、其々二か月に渡って行われたこの大演習は、韓国への、恫喝と言ってもよい、無言の圧力です。


”チームスピリット”の名で始まった米韓合同軍事演習は、1976年という日付で分かる様に、元々二つの側面を有していました。 対米本国と対韓国。 前者の場合、「在韓米軍の全面撤退」を公約に掲げて登場したカーター大統領に対する軍部(現地派遣軍)の意思表示であり、後者の場合、今の北朝鮮さながら、「独自核武装」を公然と志向し、米軍離れを鮮明にし始めた朴正煕大統領(奇しくも、朴槿恵氏の父親ですが)への恫喝という意味を含んでおりました。 


前者は、やがて、現地派遣軍のトップ、シングローブ国連軍司令官が解任されて、軍との軋轢が表面化しますが、結局これは軍の勝利に終わります。 後者も又、米軍やCIAの意を受けた朴大統領側近(KCIA長官)による暗殺、ということでその幕は降ろされることになる。

http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/240.html

[国際20] そのターゲットは”半島ナショナリズム”
むろん、今回もその二つは覗えます。

 候補者段階から米軍撤退に言及し、対外軍事関与そのものに消極的なトランプ新大統領に向けて、しかしながら、それにも増して、今回の主要目的は、やはり、上記で示した様に、韓国内の情勢に在ると言わねばならない。


 何故なら、”リバランス”に呼応したのは、東アジアでは、結局、アベの日本のみ、途中まで南シナ海(南沙諸島等)問題をハーグの「国際司法裁」に提訴して、率先して米軍干渉に道を開いたフィリピンは、ドゥテルテ新大統領で、180度方向転換しましたからね。 もしこれで、韓国が米軍にとって機能不全状態になったら、”リバランス”が失墜するどころか、日韓による軍事的肩代わりの増大というグアムドクトリン以来の米軍の目論見が潰えることになります。 例の”オフショアバランシング”にせよ”エアシーバトル”にせよ、グアムドクトリンの具現化として位置付けられるでしょうが、世界で唯一機能するかに見える極東域でこの有り様だとすれば、それらは、砂上の楼閣ならぬ、海の上の蜃気楼としてしか見られなくなるでしょうから。

そしてそれは、ただでさえ低下していた東アジアにおける軍事プレゼンスが一層沈み込んでいくことになる、かも知れないのです。 斯かる観点から言っても、日本には無い大陸への足掛かりということで、地政学的には遥かに重要な韓国の軍事的タガを嵌めておくことは至上命題となってくる訳です。 その障害となっていたのが「慰安婦問題」という訳ですが、この問題が再燃した経緯から言っても、アメリカの強要を拒むことが(隠された)真の目的だったと考えられるから、「合意」に至ることは本来なら考えられない。 


それが大統領就任から3年経った15年12月に「合意」することになるのです。 この間、大統領及びその周辺にどのような圧力があったのか、詳らかになっていないので憶測に止めますが、「合意」以降、以下の如く一瀉千里、立て続けに、以前には考えられなかった事態が現れたことで、その中身が窺い知れるというものです。 


15年12月   「慰安婦問題」合意
16年3月    日米韓が対北朝鮮はあらゆる分野で協力することで一致
 〃 3月〜4月 米韓合同軍事演習
 〃 6月    日米韓初のミサイル防衛共同演習
 〃 7月    韓国国防省、THAADミサイル配備決定
 〃 8月〜9月 米韓合同軍事演習
 〃 11月   日米韓合同訓練


一目見て分かる様に、昨年一年を通して、断続的に、しかも日本を前面に出す形で行われたこの軍事事象が何に向けてのデモンストレーションだったかは明らかでしょう。 40年前の事がトラウマになっていた朴槿恵氏がそれで腰砕けになったーとは流石に穿ち過ぎだろうけど、唯々諾々と従い、このような圧力に曝される中、日韓秘密情報保護協定(GSOMIA)が11月に締結されたわけです。

しかしながら、それが「職務停止」直前だったことから分かる様に、既に大統領としての実権を失っていたー権力の空白というか、真空状態を狙って、ドサクサ紛れに強行された、と言わざるを得ない。 或いは、今度こそ、ドタキャンされる前にーということだったのかも知れませんが。

今、韓国においては、前政権からの引継ぎが全面ストップして、大問題になってるようです。 「国政資料」全てが破棄又は消去されていて、前政権が何をやっていたのか全く分からない異常な状態との事ですが、これらを念頭に置いてみれば、その意味も見えて来るでしょう。
「慰安婦合意」やTHAADミサイル配備、そしてGSOMIAがどのような経緯でなされたのかーそれが明らかになる、となれば。
更にもう一つ、そこに「金正男暗殺事件」の真相に関わるものが含まれているとしたら。

http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/241.html

[国際20] ”半島ナショナリズム” VS ニクソンドクトリン=長州安保

 今年になって、2月に「金正男暗殺事件」という奇怪な事件が起き、3月から「米韓合同軍事演習」が始まります。 丁度同じ3月に朴槿恵氏は弾劾・罷免され、韓国は「大統領選挙」へとなだれ込むわけですが、これに符節を合わせたかの様に、昨年を更に上回る史上最大規模の演習が始まる、と同時に、主に日本を中心に、かってない程異常に”北朝鮮の脅威”が叫ばれ、明日にも戦争が始まり、ミサイルが日本に飛んで来るかの如き偽情報(これはもう報道とはとても言えないー真実or客観的な事実が無視or軽視される”ポスト.トゥルース”そのものです)が溢れ返る。 


この際だから言っておきますが、南北が戦うことは100%無く、北から日本にミサイルが飛んで来る事は99.9%ありません。 −0.1%の意味は『ムクゲの花が咲きました』を読んだ人なら分かるでしょう、日本と韓国が戦うことになった時のみ在り得る、可能性としてね。

まぁ、70年以上占領状態に在り、安全保障以前の状態を強いられている現実を直視出来ない者どもには、どだい理解は無理な話ではありますが。 また「在韓米軍」ですが、この前シリアでやったシンボリックな爆撃程度は何時でも在り得るでしょうが、本格的な交戦はあり得ません。 もしホントにそれをやったら、後ろからタマが飛んで来ることになりますからね

 ともあれ、ここまで見て来た方は分かると思いますが、米軍発の、日本で増幅された今度の”半島危機”のターゲットは、ズバリ、大統領選挙で盛り上がる”半島ナショナリズム”であり、更にもう一つ付け加えるなら、THAADミサイル配備問題の最終的な決着です。

大統領の指導力の無さに、この際だから懸案事項を片付けちゃえとばかり、昨年7月、唐突に、韓国国防省が導入配備を決定しましたが、沖縄のオスプレィ以上に地元では反対運動が盛り上がっており、配備に慎重な文在寅氏が大統領になると配備自体が極めて困難になってくることが考えられる。 従って、文氏登場前に、この問題を決着・終了させる必要が出て来るわけです。

だから、4月16日という大統領選最中に訪韓し、大統領代行との間で、対北強硬姿勢を確認し、THAAD配備継続で一致したことを強調する、わざわざね。 そうして、投票日一週間前の今月2日に、THAAD配備終了を宣言する。 本来であれば、この種の事柄は、まもなく誕生する新しい政権との間でなされるべきであろうに、代行という単なる繋ぎ役相手に、しかも急いで事を処するー逆に言えば、其処にこそ今回の問題の本質は現れている、ということです。 たとえ新大統領に文在寅氏がなったとしても、当面、相反する行動が出来ぬ様に、身動きが取れない様に、言うならば、型に嵌めておくということ。 

史上空前の規模、韓国軍総兵力の半分以上を動員して行われた大演習にしても同様の意図、即ち”北朝鮮の脅威”を煽りに煽ってーついでに日本から”危機”をブローバックさせてー大演習との相乗効果を狙い、”半島危機”を演出する。 今度は米軍自身が「北風」を吹かしたわけですが、”安保危機”を作り出せば、”半島ナショナリズム”は、沈静化しないまでも、その抑制は可能と踏んだのでしょう。

つまりは、”半島危機”の演出による”半島ナショナリズム”の牽制、更には進んで抑制こそが狙いだった、ということです。 北朝鮮はその為のダシに使われた過ぎない、これまで通りに、です。

果たしてこの狙いが当たったのかどうか? 3月当初では数%しか無かった「保守」の支持率が20数%にまで回復し、対北接近に積極的だった文在寅氏も大幅にトーンダウンして、慎重な姿勢に転じたのだから、それなりの効果はあったというべきでしょうが。

こうしたアメリカの狙いを見透かした様に、「大演習」が終わった翌日、北朝鮮は、”危機は峠を越えた”と、冷ややかに言い放ったのです。
 またトランプ政権の方も、早速5月に入るや米朝協議に言及し始め、一週間も経たない内に、”半島危機”というショーの一幕は終わったとでも言わんばかりに、ノルウェーで、米朝(非公式)接触に至る。

私はここで「ショーの一幕」と言いましたが、もちろんこれからも、「二幕」「三幕」と、韓国内の情勢とアメリカの都合次第で、何度でも起こり得ます。 北朝鮮は関係無い、あくまでも韓国内の情勢とアメリカの都合次第で、です。


http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/242.html

[国際20] ”半島危機”の真の意味 -94年半島危機との違いー94年のターゲットは日本

前回の94年危機を振り返ってみましょう。


1990年9月金丸訪朝 −日朝国交樹立への動き。
1991年7月北朝鮮、朝鮮半島非核化共同宣言提案
  〃  9月南北国連同時加盟  同9月米国、地上配備の短射程核の撤退・廃棄発表
  〃 11月慮泰愚大統領、朝鮮半島非核化宣言 同12月慮泰愚大統領 韓国内核不在宣言
  〃 12月「南北間の和解と不可侵および協力交流に関する合意書」調印 同12月「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」草案仮調印1992年1月チームスピリット中止
  〃  1月「朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言」正式調印 

見られる通り、92年まで、日本も含めて、北東アジア地域は緊張緩和と南北融和に向けた動きが本格化しております。 
そうして、93年1月にIAEA保障協定調印 4月にIAEA保障協定発効と、この辺りまでは順調に推移しますが、盧泰愚氏が退任するのと入れ替わる様に、南北合同軍事演習”チームスピリット”が再開され、雲行きが怪しくなってくる。 特にそれに拍車を掛けたのがIAEAの動きです。 IEIA(国際原子力機関)は国際機関とは名ばかり、しばしばアメリカの思惑に沿って動くーとはそこで広報部長まで務めた吉田康彦氏の証言ですが、この時もまさにその通りに動き、北朝鮮を巡る情勢は次第にきな臭くなっていく。 


それでも6月に米朝共同声明(武力不行使、IAEAの査察同意)を出し、小康状態を保ちますが、一年も持たず、94年春には急激に悪化し、一触即発の状況になる。 


そこにあったものこそ細川連立政権の登場です。 考えてもみられるがいい。 この政権の中心に在り、”普通の国”を掲げ、対米自立を標榜する小沢氏を中核とする勢力が力を持ってくるとどのようなことが起きるか? 取り分け彼が主唱する「国連待機軍構想」が具現化する時のことを考えてみればいいのです。 「在日米軍」はその存在理由を根底から失う事になる。 更にこの構想がヨーロッパに飛び火した時に起こるのは? −米軍の、ひいてはアメリカの安楽死です。 

欧州政治に少なからず影響力を持つフランスのJ.アタリが「NATOにロシアと中国の参加を」と提唱したのは、それが絵空事ではないことを示すものです。
こういった世界的に波及するポテンシャルを持つ構想力を示せるところが、K.V.ウォルフレンなどが小沢氏を「国際的に並ぶものなき政治家」と高く評価する所以だろうし、逆にアメリカから、そしてその意を受けたカイライ勢力ー清和会や外務省を中心とする霞が関から忌み嫌われる理由なのでしょう。


とまれ、細川政権が国民の高い支持を得ている間は燻ぶった状態にあったのが、2月に「国民福祉税」騒動で躓き、国民の支持と政権への求心力が失われると見るやいなや、一気に、半島危機が燃え上がります。  3月4月と、米軍は本気だと、メディアを通して煽らせる一方で、極めて乱暴に、内政に介入してくるー北朝鮮との関わりで社会党と武村正義氏の排除を強要ーむろん、政権内の最大会派社会党と政権の接着剤である武村正義氏を切ることで細川政権を瓦解に追い込んでいく狙いが在った訳で、事実、その様に事態は推移します。 そうして、替わって登場した羽田政権は少数与党に転落し、単なる「職務執行内閣」として、その力を急速に失っていき、6月に入ると、退陣は時間の問題となる。

 6月半ばにカーター元大統領が突如訪朝し、何故か、「危機」は急に終息に向かう訳ですが、こうして見て来ると、一応、表面的にはカーター元大統領が留め男とされているけど、単なる幕引き役であり、「危機」の本当の狙いは小沢氏の勢力の追い落としに在ったことが見えて来るのではないでしょうか。

そうして、小沢氏を支えた霞が関官僚をターゲットとして、狙い打たれたのが「地下鉄サリン事件」だったのです。

宦官たち  ー鳩山政権を挫折に追い込んだもの
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/256.html
投稿者 影の闇 日時 2010 年 6 月 29 日 19:08:26: HiXvZf/FmwPNU

http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/243.html

[政治・選挙・NHK230] ”半島危機”の真の意味 ー94年のターゲットは日本、そうして今回のターゲットは韓国である。
いやそれにしても、日本の状況は年を追う毎に酷くなっていってますなあ、、

トランプのアメリカに勝るとも劣らない、ぶっちぎりで、真実or客観的な事実が無視or軽視される”ポスト.トゥルース”の時代の先頭を突っ走っているようで、小泉以来顕著になってきたこの傾向は、アベになって益々、歯止めがかからなくなって来ておるような、、 

またそれはB.バーバーのいう消費社会における「幼児化」及び公共空間の狭小化(民主主義の減退)と相俟って、何か糸の切れた凧というか、ブレーキの利かぬ車に乗り合わせたような恐怖を感じさせるものになりつつあります。 先の大戦の様な事は起こらないでしょうが、それでも、中東で起きているような紛争は極東でも起こり得る状況ではあるだけにね。 


ところで、私は、その何れも、アメリカのアガキに因るものと見ております。 つまり、何れも、アメリカの覇権(影響力)維持というところから来ておる。 アメリカの覇権の源泉の軍事的側面はNATO(ヨーロッパ)であり、極東(日米・韓米)安保ですが、その一角、韓国がひょっとして崩れるかも知れないという不安から今回の事態(米軍の軍事的突出)は現出している、と考えるべきです。 北朝鮮はあくまでダシに過ぎない、と。

以下の”半島危機”の考察は、以前別のところでの議論の為に用意したものですが、現在もなお有効と思うし、これからも益々この視点は重要になって来ると考えるので、こちらにも載せておきます。 興味のある方は覗いてみてください。 そうして、大マスコミの「報道」とどちらが説得力があるか読み比べてみて下さい。


 ”ポスト.トゥルース”は決してそれ自体独立した現象ではなく、流言飛語がその社会システムへの信頼の喪失である様に、大マスコミや社会への不信と相関関係にあるのです。 大マスコミが信用するに値せず、”ポスト.トゥルース”もその乱反射に過ぎないとしたら、我々は自前で事実なり真実を探り当てねばならない。 多少なりとも、その為の手掛かりとなっているのかは保証の限りではありませんが、マスコミの視点や報じるものに今一つ納得いってない人には考える切っ掛けにはなろうかと思います。

”半島危機”の真の意味 -94年半島危機との違いー94年のターゲットは日本
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/243.html
投稿者 影の闇 日時 2017 年 8 月 06 日 12:14:03: HiXvZf/FmwPNU iWWCzIjF

”半島危機”の真の意味
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/239.html
投稿者 影の闇 日時 2017 年 8 月 06 日 12:01:42: HiXvZf/FmwPNU iWWCzIjF

付記) −”半島ナショナリズム”とは?
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/238.html
投稿者 影の闇 日時 2017 年 8 月 06 日 11:56:24: HiXvZf/FmwPNU iWWCzIjF

半島情勢の正確な理解の為に、合わせ鏡の日本とその歪んだ部分
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/237.html
投稿者 影の闇 日時 2017 年 8 月 06 日 11:52:51: HiXvZf/FmwPNU iWWCzIjF

http://www.asyura2.com/17/senkyo230/msg/335.html

[議論31] 作られる”多数派”に”圧勝”  アフター・リベラル、デモクラシーへ
今回の総選挙結果、今度も又、公明党(創価学会)の存在が決定的な鍵を握っていたことは明らかであり、簡単な算術でその意味も掴めると思いますが、その公明党について、結党以来の半世紀は凡そ三つの時期に分れます。

70年代の左派路線、80年代〜90年代半ばまでの中道路線、清和会政権登場以来の右派路線。 なおこの「左」「右」はそれ自体意味は余り無く、アメリカとの距離、と考えればいい。

 他方、この半世紀の政治のもう一つの側面はこの公明党(創価学会)を巡る自民党内の争いであり、党人派と官僚派のどちらに軍配が上がるか?でした。 隠れ田中派と言われた70年代から一・一ライン(小沢一郎・市川雄一)の90年代半ばまでは党人派側でしたが、結局、最終的に官僚派の軍門に下ったことを示すのが元検察官僚、”そうはイカンザキ”神崎武徳の代表就任(98年)です。

また同時に、自民党のヘゲモニーを官僚派(清和会)が完全に掌握したことをそれは示します。
70年代から90年代半ばまで続いた、執拗かつ異常な創価学会大バッシングが、清和会にくっ付いて以降ピタリと止んだのはそれ故です。
 
 つまりは、70年の『創価学会を切る』(藤原公達)に始まる創価大バッシングの狙いは、この巨大宗教団体を(国家)官僚の側に屈服させることだったのです。 後は狙い通りの効果を発揮することになる。

 

『自民党 「一強」の真実』(中北浩爾)で指摘されてる通り、この間ずっと、”アベ一強”下においてさえ、自民党の絶対得票率は低下したまま(小選挙区25%前後、比例15〜20%)です。

この状況下で”圧勝”を作り出す為には@低投票率であることA或る程度の得票を持つ、固定的な補完勢力、仮に@を60%以下とすると、Aは10%近くを期待できる存在が是非とも必要であることは分るでしょう。 だから、一割近いの絶対得票率の公明党ー創価学会なのです。

とはいえ、アベになって、この二回で200万票数を減らしておりますが、創価学会婦人部を中心に、女性のアベ政治への拒絶感はそれ程強い、ということでしょう。 アベの表情が今一冴えないのも、補完勢力に如実に現れた、女性からの強い拒絶感の意味を感じ取ってるからかも知れません。 女性からの受けが良いコイズミ息子を前面に押し立てたのも同じ理由と思われます。


更に@を実現するー即ち低投票率を将来に渡って続けるー為には「投票で変えることが出来る」という幻想を徹底的に打ち砕かなければならない。 09年の民主党「政権交代」はその為に在った、と言っていいのです。 

 当時、永田町や霞が関、及びマスコミ周辺では、「政権交代」させない為の政権交代だと言われ、民主党政権の失敗が既定のものとされておりましたが、鳩山政権が、細川政権同様、短命に終わると見ていた私は、肯けるものではありました。

実際、霞が関官僚による露骨(分かる人には分かるという意味で)かつ隠微(一般には分り難いという意味で)なサボタージュを含め、右派を先頭に、マスメディア総掛かりで、民主党政権は、これでもかとばかりに、徹底的に愚弄され、その無能ぶりを満天下に曝け出すことになる。  本当は、その背後の黒衣役(官僚)が、そのように見せかけていたのですが。 兎にも角にも、これ程霞が関にコケにされた政権はこれまでありませんでした。

結果、民主党というよりそれを越えて、期待が大きかった分だけそのベクトルが逆に働き、政権交代そのものへの幻滅となって現れ出る。
09年に比べ、12年選挙で民主党が失った2000万人とはその意味であり、そういう人達は二度と「投票で変えることが出来る」という幻想は抱かないだろうし、その多くは投票に行くことはないでしょう。 この後、6割を超すということは二度と無い、と思われます。

その一方、自民党(絶対)支持層の大半は既得権益層であり、又衰退する一方の地方においては、江戸時代の領民意識さながらに、自民党支持が固着している。
従って、絶対得票率(小選挙区25%前後、比例15〜20%)は、漸次逓減傾向はあっても、殆ど変わる事はない、と思われます。


ー以上の事から、これからも、雨が降ろうとやりが降ろうと、何回やっても全く同じ”圧勝”という結論が導き出せるわけです。


但し、都議選や今回の選挙の様に、「政権交代」までは望まなくても、政権への不満や批判が一挙に膨れ上がるという事態も、当然の事ながら、考えられる。 その時「活躍」するのが、石原チンタやハシゲ、そして今回の小池の様に、野心満々の政治家もどき、タレントもどきの、マスコミ受けが良い”トリックスター”の面々です。 本人の意識とは別に、果たしている役割は、客観的には、批判票が一つの大きな塊りにならない様に、それらを分散(分断)することで、結果的には、与党”圧勝”に大きく貢献する。

これからも、そういう政治的”一発屋”は、入れ替わり立ち替わり、現れて来ることでしょう。


ところで、こういったことが永続して行くとなると、どういった事態が招来されることになるのか?

何度やっても、いつまでやっても結果は同じ!

ー 選挙の形骸化は必然的に議会の形骸化に繋がり、これまで以上に、議会は政府の追認機関と化すのです。
それを別の言い方に直すと、政府の更なる議会軽視が強まるということで、早くも、形だけの「特別国会」、「野党の質問時間削減」「臨時国会」も開かないという様に、現政権の姿勢の中にもそれは現れております。

何れにせよ、このままだと、議会は在っても無くても同じーという様な状況が早晩訪れるに違いないし、更にそれは選挙は在っても無くても同じーという様な認識を醸成していくことになるでしょう。

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/546.html

[議論31] Re:アフター・リベラル、デモクラシー  「中国共産党化」の真実

又一方で、自民党という政党の在り方も、清和会が権力を掌握して以降、決定的に変わっております。

コイズミが”自民党をぶっ壊す”と言ったのは、それまでの党人派主導の組織や体制を壊すということであり、結果、従来のボトムアップ型、意見集約型の党運営は完全に無くなり、トップダウン型、上意下達の一方通行が罷り通っている。 

当然の如く、これまでの派閥が並び立つという光景は消え失せ、共産党真っ青の、ピラミッド型の政党に成って行くでしょうし、その中で、派閥の意味も従来とは様変わりして、中国共産党における「団派」「上海派」「太子党」の様に成って行くのでしょう。

かって日本においては、政党政治の終焉は大政翼賛会という形で現れましたが、今日においてのそれは、知らず知らずのうちに、中国共産党の似姿に成って行くのかも知れません。 大政翼賛会のモデルがソ連共産党であったことを考えれば、別に怪しむに足りないとは言えますが、しかしながら、それ以外、全く別の要素が其処に在る様にも思えます。


「大政」とは天皇親政を意味しますが、そのトップを以って近衛幕府とか東条幕府と言われた様に、殆どそれは徳川幕府の「大政委任」と変わり無く、イギリス型の統治システム(議会、政党)の行き詰まりに代わって登場した、アンシャンレジームの甦りという側面がある。
同様に、中国共産党の似姿に成って行く自民党も、上部の政治体制の違いとは異なる、共通するものが其処に見て取られるのです。


即ち「一君万民」型が東アジアに普遍的に共通する王権システムであり、「一党万民」型(與那覇潤)の中国はその変形※とするなら、同じ力学が日本にも働いている、但し特殊日本の変形としての「大政委任」、しかしながら天皇がアメリカで上書きされた戦後の日本においては、「大政」とは「アメリカ親政」を意味し、実質的にはアメリカ傀儡と選ぶ処は無いわけですが。

※今度の共産党大会で益々鮮明になった「習一強」は、文字通りの「一君万民」になる。


それにしても、議会の空洞化といい、政党政治の衰滅又は変質といい、どうしてこの様な事態が出て来たのか?

端折って結論から言うなら、世界(史)的視点における英米アングロサクソン主導で進んだ近代がいよいよ終焉に向かいつつあり、それが議会や政党という政治システムの形骸化や空洞化となって現れ出ているということであろうし、その過程の一環として、グローバリズムの進展による国家の弱体化、その反動として国家権力(行政権力)の強大化、更には専制化、独裁化(ボナパルティズム)が起きてるということで、日本の現象も例外ではない、ということでしょう。

つまりは、そういった体制システムへの不信や不満、不安などを強権を以って抑え込むということで、その点は洋の東西は変わりないとはいうものの、斯かる危機への対処の中に、旧来の、本源的な在り方が蘇っている、ということです。


だから、「独裁」とか「一強体制」とか、本当の問題はそこには無く、前回同様、目指す方向が誤ってるから<危機>がその様な尖鋭な形にならざるを得ない、ということなのです。


無謀な対米戦争に向かう東条幕府の奥庭に、戊辰戦争の落とし前をつけるという動機が隠されていたとするなら、あらゆる処で進行する危機から目を逸らし、危機の先送りを繰り返すアベ薩長政権の隠された動機は、隠しようも無くなった明治維新の破綻を糊塗或いは覆い隠し、のみならず改めて、世の内外に、明治の選択を上書き(承認)させるというところに在る、と思えるからです。


それでは、民主主義の減退とアンシャン.レジームの甦りの中で、ではどうするのか?
回天、或いは「大政」の転位が可能なのか?

稿を改めて、それについては論じたい、と思います。

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/547.html

[政治・選挙・NHK235] 偽りの多数派、上げ底の”圧勝” そして中共化する自民党
今回の結果は実に予想されたものでした。

つまり成るべくして成ったというわけなのですが、むろん、成るべくして成った、即ち必然の結果だとしても、そこに作為的な要素が無かったか?というと、そんなことはない。
 ただそれを「陰謀論」的に処するよりも、そうした(簡単な!)仕掛けでそれが可能になるカラクリや作為的な事を作為的と思わせぬこの社会の仕組みにこそ着目しておくべきであり、更にはそういった物事が何を可能にし、何を不能にしているのか?総じて、それらが意味するもの、或いはそれによってもたらされる事への考察が今必要ではないかと思います、投票結果に一喜一憂するよりもね。


また、『中国化する日本』(與那覇潤)を読んだ人であれば、スレッドのタイトルにある「中共化する自民党」の部分を見ただけで、言わんとする所は察知して貰えるかと思います。  「中国に似た社会になってゆくこと」を中国化と呼ぶ與那覇氏に倣うなら、中国化する政治状況の指標として、自民党が中国共産党と同じ様な国家政党(包括政党)になって行くことを指して言っております。 もちろん、「民主主義」の減滅もそういった文脈で起きてることなのです。


議論板での下記の論考は前回(2014)の「総選挙」の際に書いたモノですが、その時予想した通りの事が今回起き、更に数年後にあるだろう「総選挙」でも(”圧勝”という)同じ結果しか在り得ないと思われるので、何故そうなるのか?何故そう言えるのか?を、「中国共産党化」という視点も新たに付け加えて、論じてみました。


作られる”多数派”に”圧勝”  アフター・リベラル、デモクラシーへ
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/546.html


既に思想の現場では”ポスト.デモクラシー”(C・クラウチ)や”アフター・リベラリズム”(I・ウォーラーステイン)が論じられて久しく、世界的に見ても、現下の情勢は益々その観を深めておりますが、国や地域で、それは固有の形になって現れ出る様に思えます。

その意味で、30年代危機の時に現れた「大政翼賛会」を今日的視点で捉え返してみることは是非必要であり、以前下記スレでやりましたが、
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/321.html
今回は「中国共産党化」という補助線を入れて、全く異なる角度から考察しております。


”モリカケ疑惑”にせよ”国家私物化”にせよ、或いは”公私混同”にしたところで、「中国共産党化」という視点を入れてみて初めてその意味が解り、「大政」の本当の意味を理解して初めて、アベ(勤皇ならぬ)勤米政権の深刻なーその意味で犯罪的な役割への理会が深まるものと思われる。

「大政翼賛会化」「ファシズム」などと批判して、それで思考停止している人が殆どですが、そういう発想自体、戦後支配体制(アメリカ支配!)に回収されて仕舞うものでしかないことを、この際ですから、ダメ押して置きます。
http://www.asyura2.com/17/senkyo235/msg/136.html

[政治・選挙・NHK235] <正しい>室井佑月さんが日本の外交を「ポチ的」と評価「中国は日本みたいな全部従うポチ的な外交はしないと思ってる」  赤かぶ
9. 影の闇[3] iWWCzIjF 2017年11月10日 09:50:09 : mfOgGlTt1o : ogm_e2c4c8U[2]
〉多摩散人


論理のスリカエと倒錯、だなw

何も知らない者が、知った風なクチは利かぬことだww


先ず敗戦があり、占領がある。

占領体制に形を与えたのが「憲法」であり、占領体制の「独立」後のバージョンが安保体制である。
つまり、「安保」とは継続された軍事占領なのであり、そこに「9条」を置いてみれば、何故歴代政権のみならず、国民多数がこれまで「9条」を墨守して来たかが解るだろう。

明らかにそれは占領に対しての軍事サボタージュを意味する。

他方、岸やアベ等長州「安保」派、及びオマエ等右派は、「憲法改正」すれば棚ボタ的に独立出来る、若しくはアメリカの軍事的手先(手下)を務めれば、何時の日にか、対等な関係になれると思い込んでるが、無論、それは妄想に過ぎない。 

そんな事は、ベトナム戦争に参加し、アメリカの軍事的手先(手下)を務めた韓国をみれば明らかだろう。


韓国の現在が、独立といった点で、日本より多少マシなのは、ひとえに、北朝鮮の存在に依る。
だからこそ、アメリカは今回の「半島危機」を作り出したわけだが。

”半島危機”の真の意味
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/239.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo235/msg/509.html#c9

[政治・選挙・NHK235] <孫崎 享氏>日本の大手メディアはかつてのソ連紙のプラウダより酷くなったのでないか。安倍首相に都合の悪い事はカット。  赤かぶ
10. 影の闇[4] iWWCzIjF 2017年11月10日 10:09:08 : mfOgGlTt1o : ogm_e2c4c8U[3]
その通りだな。

「大政翼賛会」がモデルにしたのがソ連共産党なのだから、当然、そうなるのだなw

ファシズム考5 今日のボナパルティズムの様相 ー今日版の「大政翼賛会」ーメディアクラシーへ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/321.html

http://www.asyura2.com/17/senkyo235/msg/510.html#c10

[国際21] 日本が提唱する日・米・印・豪などを軸とした新海洋戦略に、韓国、中国の反発を恐れしり込み・・・加盟拒否か(産経ニュース) 怪傑
1. 影の闇[5] iWWCzIjF 2017年11月10日 19:55:43 : mfOgGlTt1o : ogm_e2c4c8U[5]
〉怪傑

まぁ便所メディアの3Kのホードウを真に受けて、そのまま載っけるところがBレベルの悲しさかw


新海洋戦略?そもそもアベ「せんりゃく」なんて、世界は誰も相手にしないってw
絵に描いた餅見ても、誰も食いたいなんて思わないだろ? しかもド下手の、アメリカが後ろの二人羽織で描いたモノなんざ!

インドにしたところで、テキトーに付き合って実利を得る程度で、真剣に日本(その背後のアメリカ)に向き合うことなんか考えていないはず。 独立後ずっと、インドは「非同盟運動」(という名の反米)のリーダーだったんだからな。

ムロン、韓国だって「中国刺激避ける」為じゃあない。 アベのモーソウにいちいち付き合ってられるか!ってところだろう。
いや、そもそもアメリカの強要、ゴリ押しを押し止める為の「独島」であり、「慰安婦問題」だったんだから、ね!

http://www.asyura2.com/17/kokusai21/msg/180.html#c1

[政治・選挙・NHK246] ベトナム戦争、ニクソン・ドクトリン  隠れたものが見えて来た”会談”、そして愚劣なピエロ
半世紀近く前の「ニクソン訪中」前後の状況を知っている人であれば、今回の「トランプ・金正恩会談」を巡る状況をみて、強い既視感に捉われたでしょう。


北朝鮮を中国に置き換えれば、日本政府の姿勢は丸で瓜二つ、判で押した様に同じものだからです。

即ち「日米共同声明」(1969)で、自国の安全と朝鮮半島及び台湾海域の安全保障を結び付けて、周辺地域への軍事干渉を公然と表明する一方、「四次防」(第四次防衛力整備計画)を策定し、世界有数の軍事費を持つ大国へと躍り出ようとする。 斯かる軍事力強化のターゲットが中国であり、これは岸政権以来の「中国敵視」への回帰を意味するものでした。 だからこそ中国は”日本軍国主義の復活”を訴えて、警鐘を乱打したのです。 今日から見ても、その反応は故無しとしない。 何故なら、日本の軍事外交路線の出発点にあったのが「台湾出兵」(1874)と「江華島事件」(1875)、即ち朝鮮と台湾だったのであり、軍事的プレゼンスの増大を目指す矛先は、何処よりも先ず、この地域に向かったのだから。


他方「日米共同声明」は、その直前の「ニクソン・ドクトリン」の具現化を意味するものでした。  「アメリカは今後、アジアにおいては後方に下がる、前に出るのはアンタ等」−というのを受けての、日本側の態度表明だったのですから。
そうして、日本を押し出す一方で、その舌の根も乾かぬ内に、それまでの態度を180度変えて「対中接近」に踏み出す。 いわゆる”ニクソンショック”と呼ばれる「訪中声明」(1971.7)で、その言葉通り、日本政府は激震に見舞われます。 まさしく、二階に上って梯子を外されたかの如く、呆然と、為す術も無く、右往左往、効果的な対応は丸で出来ず、折からの、中国の国連代表権を巡っても後手後手に回って、貧乏クジを引く役回りになり、結果的に、佐藤政権の外交的無能を曝け出すことになったのです。


今回にしたところで、アベがやってることは、”栄作じゃなくて無作”と嘲笑された大叔父の政権末期の轍を踏まないこと、兎も角出ずっぱりにして、自らの無能、無策を糊塗し、あたかも”世紀のイヴェント”に参加している感を醸し出すことー無駄に繰り返す「日米会談」の本当の意味はそこにしかないのです。 無論トランプにしても、前のめりになってる「会談」のエクスキューズとして、丁度都合が良い、その都度経済的な利益も引き出せるのだしね。 いや日本にとって「拉致問題」は重要だから、と言う人はこの男の政治サギに引っ掛かっているのです。 この男が登場して以降の「拉致問題」は変質し、対北のハードルを最大限に上げる為に、捏造されたものになったのだから。

 
 さてその「訪中」発表当時、政府部内から”アメリカの裏切り”と怨嗟の声が上がったそうですが、自分達の政治オンチ、国際政治への無知ぶりを晒したに過ぎません。 何故ならば「ニクソン・ドクトリン」とは、マッキンダーやスパイクマン等の、所謂「海洋地政学的戦略」の破綻を自ら認めたものであり、大戦後の主たるターゲットである中国への明確なシグナルだったからです。 今後中国を軍事的なターゲットとしない、という。 
従って米中友好関係の樹立と、引き換えに、地政学的戦略で”橋頭堡”とする半島からの撤退は必然的な流れでした。

実際、71、72年より、ベトナム、韓国からの段階的撤退が始まったのですが、この時、待ったを掛け、正面から立ち塞がったのが軍部でした。


特に軍事的敗退が決定的になったベトナムとは異なり、休戦協定や「国連軍」等、それなりに現状が固定されていた在韓米軍の場合、韓国内の政治不安も手伝って、遅々として進まず、業を煮やした米国支配層(東部エスタブリッシュメント)の意を受け、「在韓米軍の全面撤退」を公約に掲げたJ.カーター氏が登場しますが、この時示した軍部の反発は異様と言えるものでした。 予想以上の抵抗に出会い、大統領として、「地上軍の撤退」に限定して実施しようとした時、「在韓米軍」のトップが真正面からそれを批判するという、前代未聞の造反劇に見舞われたのです。 
カーター氏は直ぐにその司令官J.K.シングローブを解任し、撤退に踏み切ろうとしますが、その時、ペンタゴン(国防総省)の奥の院から登場し、大統領の前に立ちはだかったのが、その力は大統領をも凌ぐと言われた、伝説的な軍事戦略家A.マーシャルでした。
彼が豪腕をもって大統領の施策を阻止し、結局、撤退は棚上げされた形になったのです。

 後に、自ら起草した「アジア2025」(1999)の中で、彼は、朝鮮半島に執着したのは誤りであったと、自己批判しておりますが、この時軍部が示した朝鮮半島への強い執着こそが、今日まで引き続く、北東アジアの様々な問題を引き起こしたのです。 軍事戦略的には最早意味の無くなった極東への軍の居直りと居座りーそれを正当化する為の数々の謀略とテロ・破壊活動、昨年の「金正男暗殺事件」まで、今日北朝鮮がやったとされる事件の殆どが米国の情報・工作機関、及び日韓のその手先(手下)によるものです。


 何より「日本人拉致」、辛光洙事件の様に、明らかに南北共同のミッションとしか思えないものも含まれているので一概には言えませんが、北朝鮮は、恐らくは知らぬ間に、韓国特殊機関が仕掛けるこの「謀略」にしてやられたのです。 期待した人材や技術者はやって来ず、タダの普通の人、しかもどうやら(意に反して)強引に連れて来られたらしいとなれば、自分達はハメられたかも?自分達側の工作員だと思っていたのが相手側のダブルスパイだったのでは? ー薄々感付いたからこそ、その舞台をヨーロッパに変えたのだと思われますが、一連の事件を通して垣間見えるのは、表向き敵対してはいても、共通の利害(例えば対日本)へは協同するという暗黙の了解が南北間には在る、ということです。 後に、北朝鮮が「拉致」を認めて謝罪した際、処罰したのが「対南工作の責任者」だったのはそういう意味でしょう。

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この投稿は、過去に書いた「70年代が分かれば現在が分かる」シリーズの一環として、書いております。 下に関連するスレッドを載せておきますので、併せて読めば我が論旨はより理解して頂けるかと思います。

70年代が分かれば現在が分かるー(その5)2つの「拉致事件」
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/133.html
70年代が分かれば現在が分かるー(その4)田中角栄と朴正熙(2)
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/131.html
田中角栄と朴正熙(3)「太陽政策」の源流
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/132.html


http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/490.html

[政治・選挙・NHK246] Re: トランプ大統領登場の本当の意味 −愚劣なピエロもまた
ところで、以上の様に見てきたら、軍事戦略的にさして意味の無い処への軍の強い拘りとか執着の背景には、かっての日本軍とっての満州の同様、自分達が多大な犠牲を払って獲得したものという意識が在るように思えます。 

私は、戦後の日本を満州国−「海の満州国」と思ってるのですが、そこからすれば極東(在日・在韓)米軍は「海の関東軍」と言えると思うのです。 

言うならば、日本軍にとって満州は”聖域”であったように、極東(韓国、日本)は米軍にとっての”聖域”、米国の歴代大統領が「撤退」を手掛けながら、結局、断念したのも、この軍の”聖域”に踏み込むことが出来なかった、ということでしょう。


かくして、北朝鮮が万難を排して核や長距離弾道ミサイルを手にした本当の理由も見えて来ます。
米軍の”聖域”の為の、生かさず殺さず、蛇の生殺し状態にされておくのを拒否し、グアムやハワイ、更にはアメリカ本土まで射程に入れることにより、”聖域”という幻想そのものを無化する。 


 今回、殆ど全ての人が、”会談”に対する北朝鮮の目的を「体制保証」と思ってる様ですが、まことに一面的、かって北朝鮮と交渉した元担当官が(北朝鮮は)「体制保証」には然程関心はないようだったと証言しておりますが、「非核化」と「体制保証」はコインの表裏、本質的な問題は米朝間の信頼をどのように作り上げていくのか?というところにしかないからです。

そこからすれば、米朝の接点というか、北朝鮮の立場の収束点は、畢竟、米軍の慰みものになるのは拒否するが、米軍自体は拒否しない、というところになる。


もし私の見方が正鵠を射てるとするならば、今回、表向き「非核化」ではあっても、その本当の処は、詰まるところ、在韓米軍の処遇に行き着かざるを得ない。 即ちそれは、本来の視点から言えば、「ニクソン・ドクトリン」のソフトランディングか?ハードランディングか?ということになります。 


アメリカにとって望ましいのは、米軍存在を韓国国民が支持し、承認するということでしょうが、沖縄における米軍と同様、国民多数が「半島平和の妨害」と感じてる以上、北朝鮮と強引に戦端を開き、結果、否応なく出て行かざるを得ないことになるハードランディングか?又は、それこそ段階的に撤退して行くにせよ、名存実亡状態に成って行くということになるソフトランディングか?ということですが、しかしながら、そこに上の北朝鮮の立場を付き合わせると、その中間のグレーゾーンも出て来ることに気付くのです。

「米韓安保」を極端に薄めると同時に、「米朝友好」を最大限にするーそれを通して、北東アジアの<バランサー>なり<調停者>として、「在韓」よりも「極東米軍」として、名実ともに、北東アジアの「国際公共物」的な地位に押し上げて行く。


そうして、この様に見て来れば、今年初めまでの、トランプ大統領の一連の軍事強硬発言も別の色を帯びていたことに気付かれるでしょう。

表向き北朝鮮に向けられたものではあっても、その実、在韓米軍に対して、このままではハードランディングだぞ!って言ってるのに等しいものだったのですから。 そうしてそれは、考えられる限りアメリカにとって最良の選択であると思える、北東アジアの<バランサー>なり<調停者>の地位を永久に失うことを意味するのです。


 金大中・廬武鉉政権と、10年続いた「南北融和路線」で、”聖域”が色褪せるのとは反比例して、米軍存在が浮いたものとなり、それ故に”半島危機”を最大限演出し、そこに、佐藤政権以来40数年ぶりに、今度こそ「安保路線」の時節到来と錯覚したアベのジャパンが参加することによって、北東アジア全体に”危機”が拡大され、それを韓国にブローバックさせて、かっての如く右派や親米派有利の状況を招き寄せるー
斯かる目論見も、「南北融和路線」の継承者、文在寅氏が登場することによって、敢え無く、潰え去って行きました。
即ち「安保危機」を演出すれば必ず右派や親米派有利に傾く日本とは異なり、”危機”を煽れば「半島ナショナリズム」=南北融和に傾く傾向がよりハッキリとしたことをそれは意味します。

しかもそこに、”コスト”を声高に唱えるトランプ氏が登場して来たのです。 「在韓米軍はコストパフォーマンス上無駄」、事情通とか薄々感付いてる人には共通認識を敢えて口に出すことによって、状況の大転換を図ろうとする。 
”コストパフォーマンス”はアメリカ国民の共感を得る為であろうし、本音は「在韓米軍は無駄」という処に在ると思えます。

つまり、これは、結果的に、「ニクソン・ドクトリン」の後始末をすることになるのです。

そうして私には、もしかしたらこれは、トランプ氏が「ベトナム戦争世代」であることに深い処で繋がっているのかも知れない、と思うのです。
同年齢のクリントン元大統領は反戦運動に参加していた様ですが、政治的立場がどうであれ、世代的当事者として、ベトナム戦争とその敗北の意味を他の世代以上に意識せざるを得ない。

何で太平洋の遥か向こうまで出て行って、戦いに負け、深く傷付いて帰らなければならなかったのか?という思いは、個人レベルにおいても、澱の様に沈殿していったと思われます、否応なしに。

そうして、思想的、又は理性的な答えというものには縁遠い多数派、米国白人の最大公約数的な結論は、結局は、”野蛮人”を遠ざけよor”野蛮人”から遠ざかれーというものであろうと考えられるのです。 例のメキシコ国境の”壁”でも中東からの移民への対応を見ても。
その一大転機となったのがベトナム戦争なのだから、その思いはひと際強烈に刻印されている、と思えるのです。

従って、ベトナム戦争敗北からニクソン・ドクトリンへの経緯は知らなくても、その流れ(アジアからの撤退)は必然と感じ取っていたでしょう、別けても「ベトナム戦争世代」には。

もしかしたらトランプ氏から見た「在韓米軍」という存在は、ベトナム戦争の残された最後の「遺物」の様に見えているのかも知れません。

今回、”会談”に前のめりになるトランプ氏について、個人的な野心とか資質の問題として論じられていますがーむろん、それを否定はしませんがー私にはむしろ、「在韓米軍の撤退」にまで言及する彼の姿勢に、澱の様に溜まっていた「世代のつけ」、更には「NATO不要論」が持論であることも考え合わせたら、無駄に、無意味に拡大を続けた20世紀アメリカの落とし前をつけようとする意識が心の何処かに在る、と考えるのは穿ち過ぎでしょうか?


かくして、昨今の北東アジアの政治状況は、1970年代初めに順接したかのように、一方で20世紀の(熱戦の)後片付けがあるとするなら、他方では、大叔父のリベンジよろしく、「日米共同声明」路線の復活を夢想した動きが確かに在る。 周知の如く、40数年前は、田中政権登場による電撃的な日中国交回復によって、外交姿勢を180度転換し、近隣諸国との融和路線に踏み出したわけです。


もしもあの時、佐藤政権か若しくはその亜流が続いていたら、日中関係は遅れに遅れ、結局、アメリカの後塵を拝することになったでしょう、アメリカの狙い通りに。
つまりは、アベに支配された日本は、これからその仮定を上書きすることになるのです。
この男には、大叔父に止まらず祖父のリベンジ、更にはそれを越えて、この百年を端折り、実質自分達、長州が主導した”明治の栄光”に順接したいという欲求に支配されたルサンチマンがあるのでしょう。

彼が政権復帰の際、大文字で唱えた「日本を取り戻す」というのはそういう意味なのです。

そしてその”明治の栄光”が、当時の覇権国家、大英帝国の世界戦略に国策を合わせて達成したことに倣って、アメリカの世界戦略に国策を合わせて、その再現を夢想するー私は、あらゆる機会を通じて、それが妄想に過ぎないことを論証しようと思っております。
既に、この間の北朝鮮を巡る状況の中で、この男は、妄想の儘に、醜悪にして、愚劣なピエロの役回りを演じたのですから。

http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/491.html

[政治・選挙・NHK253] 追い詰められるのは日本政府の方  −今回の判決及び「慰安婦・徴用工問題」の核心はポツダム(カイロ)宣言に在る
先ず、この問題の本当の意味をアナタが理会しているかどうか、次の様に問題設定をしてみる。


 もしもアベが登場して来なかったら、「徴用工問題」はもちろんのこと、「慰安婦問題」もこれ程こじれることは無かった。 −これを別の視点で言うと、小渕政権までは日韓関係が良好だった様に、そのまま党人派政権が続いていたら、そもそもが斯かる問題は起こらなかったかも知れないし、起こったとしても、少なくとも、日韓の深刻な政治問題になることは無かった。

裏返して言えば、アベを登場させるような国内外の政治状況が斯かる「問題」を浮上させ、今回の判決を呼び込んだのである。


如何ですかな? 

チンプンカンプンの方は、日韓関係はむろんのこと、日本国内の政治状況も知らないー少なくとも、上っ面の理解しか出来ていないと思われたい。

ナルホドと、ぼんやりでも掴めた方、又その先を知りたい方は、その国内外の政治状況も含めて、この後、「アベ6年のソーカツ」として、書き込む予定なので、そちらを見られたい。


このスレでは、「判決」で新たな段階に進んだ感のある日韓関係を解くカギを提示しておこうと思う。

そのカギとはポツダム(カイロ)宣言である。


 改めて言うまでもないとは思うが、日本に対して、カイロ宣言とは米英中三か国による戦争目的の共通意思の確認、ポツダム宣言とは戦後処理を含めた降伏勧告である。


特に朝鮮半島に関わるカイロ宣言の次の件りを見られるがよい。

@「日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ノ奪取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ」
A「前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」

@とAは連動しており、@は「日韓併合」の不当性、Aは「朝鮮の人民は奴隷状態にある」との認定、更に「奴隷状態からの解放」が戦争目的の一つであることをハッキリと謳っている。


申すまでも無く、戦時下に、その「奴隷状態」が現れ出たものが「慰安婦」や「徴用工」であり、この点が他の場合とは決定的に別つものなのである。

巷間、カイロ宣言そのものに対する疑義がなされたりしているが、その第8項に「カイロ宣言の条項は履行さるべきもの」としたポツダム宣言を受諾した時点で、斯かる疑義は言い掛かり以外では在り得ない。

本質的な問題は、斯かる認識を抱合するポツダム宣言を日本側は受け入れたということであり、それは即ちその認識も受け入れた事を意味するからである。

まただからこそ、敗戦後、朝鮮人を「解放国民」としたのである。 当然、この時点では、カイロ宣言を踏まえた上で、「戦勝国側」と認識されての呼び名であろうから。
周知の如く(と言っても、一体、どれ位の人が知ってるのか疑問だが)、それが劇的に変わったのが、朝鮮戦争の勃発による、米国の対朝鮮半島政策の転換である。 そしてその転換が投影されたのが、日本側の、「第三国人」という言い替えなのである。

第三国、即ち当事者ー「戦勝国」or「敗戦国」―ではない、ということ。

今日に至るまで、日本は、基本的に、このスタンスを変えていない。 ー当然であろう、アメリカの対朝鮮半島政策が変わっていないのだから。

一方の韓国はそのまま、植民地支配を全否定しているのだから、これまた当然だが。


この両国の認識のギャップを抱えたまま、日韓基本条約も請求権協定も調印されており、その意味で、元々不安定な基盤に立っていることは押さえておくべきだろう。 特に日本の場合、米国の対朝鮮半島政策次第で、一挙に、不利な立場に立たせられるのである。


ではこの両国、展望はどちらにあるのか?と言えば、それは偏に、ポツダム宣言ーポツダム体制の有効性如何であるが、セットとして捉えられてるヤルタ体制も併せてみれば、これから、そしてその行く末も見えて来るであろう。


ヤルタ協定が大戦後の様々な取り決めをし、その中から「国連」が誕生する訳だが、「国連」と日本が呼んでいるのは印象操作の最たるもので、戦勝五か国がそのまま安保常任理事国になってる様に、本来は「連合国」と呼ぶべきであり、「敵国条項」に明確に窺われる様に、その本質は「戦勝国体制」なのである。 そしてその全てにリーダーシップを取ったアメリカが、事実上、盟主の座に座り、ヨーロッパ「ヤルタ体制」アジア「ポツダム体制」の庇護者の位置に付く。


従って、ヤルタ体制の目的は、アメリカを主役とし、ソ連をジュニアパートナーとして、ドイツの封じ込めを通した、ヨーロッパの管理体制ー「冷戦体制」はその更新版ーであるという事が出来る。

その意味では、EUと成り、それが”ドイツ帝国”と呼ばれるようになった現在では、ヤルタ体制は形骸化し、名存実亡状態になりつつある訳だが、最近のNATOを巡る米欧の軋轢にも覗える様に、アメリカを必要としているのはむしろヨーロッパ諸国なのである。
対ロシアに加え、ドイツに対しても周辺諸国の警戒感は解けないだろうし、ドイツ自身としても、不要な不安を周辺に与えない為にも、当面、重石或いはバランサー役として、アメリカの存在は必要ということだろう。


同じ様な事はポツダム体制の東アジアについても言える。
何より日本が必要としているのだし、他の周辺諸国も、台頭する中国へは元より、日本への警戒感も完全に解消された訳ではない、また中国にしたところで、アメリカよりも百倍も厄介な中ロ関係の為にも、逆説的に、アメリカは必要とされているのである。

斯くして、ヨーロッパにおいてもアジアにおいても、アメリカという存在は有用なのであり、その意味で、君臨すれども統治せずという、王様の様な地位なり役割を果たしていくことになるであろうことが予想されるのである、不要な邪気と無用な波風を立てなければ。

その意味で試金石となるのは対朝鮮半島政策である。

これまで通り「日米韓」の陣形に固執する限り当事者であり、調停者の役回りを演じることは出来ないし、日米でもそれは不可能。
  朝鮮半島問題について、周辺諸国の中で、唯一相反しているのが日本だから、である。

とすれば、その結論は見えて来るだろう。 
どのような形を取ろうとも、何れ、アメリカの対朝鮮半島政策は修正されることになるのである、それも日本に距離を置く形で。
当然、その時は南北関係も決定的な変化を伴う。


そうしてその時に浮上するのは、朝鮮戦争の勃発により転換した対朝鮮半島政策以前の姿である。

そもそもが、上記のヤルタ体制と同様、ポツダム体制とは、アメリカ主役とし、中国をジュニアパートナーとして、日本の封じ込めを通した、アジアの管理体制であったが、朝鮮戦争勃発と国連から中国が排除された事により、戦後長らく機能不全だったこの体制が甦ったのは「国連代表権問題」が決着し、中国が「連合国体制」に参加(復帰)することによってである。

従って、後残る米国の対朝鮮半島政策が修正されれば、結果として、ポツダム(カイロ)宣言が浮上して来るのは自明であろう。

また、逆にその事で、日韓基本条約も請求権協定も、斯かるポツダム体制の機能不全状態の上に建てられた、砂上の楼閣であったことが鮮明になって来るであろうし、間を置かずして、調印時のこの両国の認識のギャップは、ポツダム(カイロ)宣言に照らして、どちらに正当性が在るのか?という問題に収斂されていくことになるであろう。

考えてみるがいい、アメリカの対朝鮮半島政策が転換する時に、その上に乗ってきた従来のスタンスの維持が可能かどうか。
しかも、統一韓国或いは朝鮮、如何なる形になるのであれ、新たなる朝鮮半島の統治形態に向かう流れの中で、何れ日韓基本条約の改廃が避けて通れない問題になって来るのである。


 約半世紀前のいわゆる”ニクソンショック”、「ニクソン訪中発表」で、アメリカの対中国政策が電撃的に転換した際、後手後手に回り、それまでの「日華条約」に呪縛されて身動きが取れなくなったまま、取り残されて貧乏くじを引く破目になった佐藤政権の二の舞いになること必定だろう。


今回の韓国「最高裁判決」はより明確に、カイロ宣言とその認識を同じくするものであり、一歩踏み込んで、ポツダム体制の下でなされたものする認識が必要なのである。

となれば、今回の判決に対する日本政府の過剰とも言える反応の意味するものが分かるだろう。

 それは、「第三国人」から日韓基本条約や請求権協定まで一貫して貫く、見たくないもの、見ないで済ませて来た歴史的事実(敗戦!)を想起させるからであり、「敗戦の否認」(白井聡)の上に形成されて来た戦後意識を逆撫でするから、である。


日本人の多くが脳裏から消し去っているポツダム宣言とその体制であるが、以下の様に見れば、まさしく現在であることが分かるだろう。


ポツダム宣言の具体的な適用がGHQによる「占領体制」であり、その「独立」後バージョンが「日米安保体制」、最近の「再定義」まで更新を重ねてるが、「地位協定」や「横田空域」の問題をみても、それが「占領体制」=ポツダム体制の適用である事実は変わっていない、一方での、日本以外のアジア諸国に対する在日米軍の位置付け、いわゆる”瓶のふた”が、まさしくポツダム体制の今日風の言い替えであるところを見ても。

そうして、何よりも、日本国憲法もこのポツダム体制の日本への適用−日本から見たら適応―なのである。


こうしてみると、アベが、片方で「安保」を強化しながら、他方「憲法改正」と結び付けて、”戦後レジームの転換”を喚き立てるデタラメさ、”日本を取り戻す”なる支離滅裂が分かろうというもの。

「安保」=「占領体制」を強めながらの「憲法改正」とは、より一層隷従を強めながら独立をという矛盾、精々が、奴隷を強制されるのは否だが自らの意思で奴隷になるのはOKという、些かグロテスクな、倒錯した自己満足にしかならないのである。


そもそもこの男が”戦後レジーム”を何処まで射程に入れて使っているのか、日本以外は見えないし、見ない(=見ないものは存在しない)とする、日本人の多くに在る”ガラパゴス”心理を幾らも出るものではないはずである。
そうでなければ、”戦後レジーム”とは、上記で示した通り、「占領体制」=「日米安保体制」―ポツダム体制に他ならず、従って”戦後レジーム”の最大の受益者はアメリカである事は分かるはずである。 果たして、利害相反する対象に過剰に依存したままの改変が可能なものか、これは子供でも分かるはずだ。

負け組が勝ち組が作ったレジームを変える事が出来るのは戦争か革命、そうでなければそのレジームの自然消滅を待つ以外にはないだろう。
そのレジームの受益者が居て、アベのジャパン以外がそのレジームを容認している以上、”レジーム・チェンジ”は不可能である。


日本は先の大戦の敗者であり、本来「連合国体制」の外様なのである。


精々出来るのは、同じ敗者で外様のドイツがやってる様に、周辺諸国の理解と支持を得て、少しでも有利な地歩を固めーEUが事実上ドイツ帝国と言われる如くー実質的な敗者復活を図ることであろうが、アベのジャパンがやってることは真逆、結局は、それは敗戦状態を永続化させること、即ちポツダム体制を裏側から支えることにしかならないのである。

http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/401.html

[政治・選挙・NHK263] 「反原発」を掲げて徳川宗家出座  再び三度、甦る幕末の構図

かたや、野党側(立憲民主党)に徳川宗家19代目の家弘氏(松平容保の玄孫)にれいわ新選組、此方、与党側に薩長(維新主体勢力)政権+ボウフラのオーサカ維新※。

※別に、澱んだ、汚い処に湧いて出てるという意味ではない、念の為。


更に視野を全国に広げると、野党側は、東北を中心に、東日本で健闘し、与党側は、九州を中心に、西日本で優勢。


となると、これはまさに幕末の構図に成って来る!、、、

3.11以後或いはアベ登場辺りから次第に顕われて出ているこういった傾向は、単に偶然のことでも、一過性の事でもないだろう。
国民意識の深部で地殻変動が起きている、とでも見做すべきではないか?

それが何なのか?何故そう言えるのか?
以後、断続的にupして、論じて行こうと思ってる。

予め言っておくが、選挙結果に一喜一憂するよりも、選挙という政治の表層部分に顕われた現象の深部に何が起きているのか?ということへの洞察が決定的に重要である。

何故なら、日本は元より、アメリカを見てもヨーロッパを見ても、又他の何処においても、統治形式としての選挙制や議会政治が決定的に空洞化し、跛行的になっているのは明らかなのだから。

既に論壇においては「民主主義・以後」(E.トッド)が公然と議論されているのである。

国家主義或いは国家権力の強化はそれに符節を合わせて起きているのであり、又”デモ”とか抗議行動などの対抗現象も同位と見做されるべきである。

とはいえ、日本などの様にデモや抗議行動が不活発な処においては尚更、依然として、選挙がある種のバロメーターなのもまた確かだろう。
だからこそ、重ねて言うが、選挙という政治の表層部分に顕われた現象の深部に何が起きているのか?という考察が必要なのである。


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/466.html

[政治・選挙・NHK263] 「反原発」を掲げて徳川宗家出座  再び三度、甦る幕末の構図 影の闇
3. 影の闇[6] iWWCzIjF 2019年7月21日 22:06:07 : Nahvobpafk : Z2cuTVJlNHVhN1U=[2]
〉成る程、極右売国の「威信の怪」が大阪発祥、というのは偶然ではないのですね!


我が地文化学的発想に依れば、大阪はヨーロッパにおけるローマなんですね。 ついでに言えばギリシアは福岡(北部九州)。
つまり、ローマがヨーロッパ文化・文明の揺籃の地であるように、大阪(近畿圏)は日本の文化・文明の揺籃の地である―だった、ということです。
ところが、この間の(20年、30年のスパンで見ても)日本の在り様を観るにつけ、半世紀前に三島由紀夫が予言した文化的零落”空っぽな日本”、更に加えて、森嶋通夫が20年前に「なぜ日本は没落するか」で指摘した事がいよいよ現実のものとなって来ているようで、何やら薄ら寒い。 
彼が言った様に、日本は政治によって没落するのだと思います。

特に小生が深刻に考えるのは、日本の政治家から”経綸”といったものが欠片も覗えない。
トップからして、政治家として必要な資質、それを養う文化とか教養が完璧に欠落しているのだから維新如きでとは思いますがね。

ともあれ「無機的な、からっぽな、抜け目がない」といったことが丸事、完全に当てはまるのが維新という政党(??)又政治家だろうと思う訳です。

”ラストベルト”がトランプを登場させた様に、文化的零落、言うならば文化的”ラストベルト”が維新を登場させたのだと思っています。

〉2. 佐助

前回も貴殿は似た様なコメをしていたみたいだが。

毎度自分の妄想を開陳するのみで、興味ある論点や観点の提示はなく、徒に思い込みを重ねてるだけ。
しかも基本的な事実認識すら出来てないようなので、一々応えるのがアホくさく、悪いが以後粘着は止してくれ。
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/466.html#c3

[政治・選挙・NHK263] アベは、相手の手を全然見ずに、己の手ばかりを見ている麻雀打ちである、この男はヤクマンを志してヤクマンに振り込んでいる

タイトルの文は、小説家の山田風太郎が松岡洋右について評したものを安倍晋三現首相に置き換えてみたのだが、どんピシャリと感じられないだろうか? 

兎も角、この男が得意とする外交とやらを見てみるがいい。


”対中国包囲網”

南進ー  フィリピンやベトナムを炊き付け、東南アジア諸国を糾合して中国包囲網を築くというモクロミは、肝心のフィリピンに背かれ、ベトナムにもていよくあしらわれて、殆ど二階に上って梯子を外された状態に陥り、敢え無く座礁。 ―却って、中国がアセアン諸国との関係強化に取り組む切っ掛けを与えることになった、という次第。


南進がダメだったら今度は北進とばかり、性懲りもなく、ロシアに愛想を振り撒き、大風呂敷を拡げて関心を買い、殆ど松岡洋右ばりの対ロ接近をやる。 あわよくば中露に楔を打ち込もうとの算段だったのだろうー主観的にはね。  表向きは「北方領土」ということになっておるが、いわゆる”ダレスの恫喝”をみても分かる通り、「領土問題」とは、アメリカ離れしないようにー周辺国全てと潜在的な紛争状態にしておくー(アメリカから!)仕掛けられた機雷であって、だからこそ外交当局は、アメリカの世界戦略に沿った形で、歴代、「領土問題」を処して来たのである。


 無論相手もその事はとっくの昔に承知しており、だからこそロシアは、「領土問題」に本気かどうか、「日米安保」というリトマス試験紙を入れたのである。 日本側のソッコウ反応で本気でないのがバレバレになり、逆に足許を見られることになって、以後はロシアのペースに、しかもアベの目論見とは真逆、中ソ同盟時代を上回る、政治や軍事及び経済面での中露関係の更なる強化を見せつけられる破目に。 この前の「プーチン発言」に至っては、アベ外交の本質を「やってる」ポーズと見抜き、詐欺の相方をつとめるのはゴメンこうむる、ということだろう。


対韓国・北朝鮮はもう無残というしかない。 


恐らくは94年の時と同様、「半島の安保危機」を最大限誇張して伝える、日米韓の安保マフィアからもたらされる偽情報を鵜呑みにして、この機に乗じて、極東における日本の軍事プレゼンスの増大を図る一方、戦時体制に向けて、国民の意識改造を目論んだのだろう。
最早愚民化、というより井の中の蛙状態が益々酷くなっている国民の洗脳は容易かったとしても、偽情報を信じ込んだ分だけ、自ら、その後の、現実の情勢の展開との余りの落差に戸惑い、辻褄合わせさえ出来ずに、狼狽え、翻弄されることになるのである。

94年も今回も、”危機”を演出した日米韓安保マフィアの本当の狙いは日韓のナショナリズム勢力の排除であり、94年の場合細川(小沢)政権の退場でその目的は達し、今回は文在寅政権登場でその目的は失敗した、ということなのだ。

下記スレを参照されたい。

”半島危機”の真の意味 -94年半島危機との違いー94年のターゲットは日本
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/243.html
”半島危機”の真の意味
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/239.html
Re: ”半島危機”の真の意味 -ニクソン.ドクトリンで浮上する長州安保
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/240.html
そのターゲットは”半島ナショナリズム”
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/241.html
”半島ナショナリズム” VS ニクソンドクトリン=長州安保
http://www.asyura2.com/17/kokusai20/msg/242.html


従って文在寅政権登場で局面は完全に変わったのであり、その結果として、トランプによる電撃的な米朝会談とは、言うならば、鳶が油揚げをさらった、ということである。

それを逆に、「文在寅政権登場で自らの思惑が叶えられなかった」と、逆立ちして捉え、文在寅憎しで凝り固まっているのがアベなのだ。
しかも、斯かる対北朝鮮・対韓国への対応に、無意識の裡に、この政権の深層に潜む明治日本への先祖返りが蘇っているのである。
別途述べるが、「徴用工問題」も含めて見え隠れするのは、明治期に戻った如くかの、朝鮮半島への高圧的な姿勢である。
それは即ち、再び、半島ナショナリズムの圧殺者として登場して来た、ということを示す。

明治日本の在り方を肯定する限り、「アジアのナショナリズムの抹殺」は必然的な道行なのだから。

その事を裏返せば、アベは、今回の事で「半島ナショナリズム」に火を付けることになったのである。

アベは、韓国を屈服させる、「半島ナショナリズム」を制することが出来ると、タカを括っているかも知れないがそれはない。
その前提になってる「アメリカは日本側」というのは思い込みに過ぎないからだ。

日本を選ぶか?韓国を選ぶか? ―当然、韓国である。

何故か? 考えてみるがいい。


どうせ日本は、踏み付けられようが蹴飛ばされようが、何処までも付いて行きます下駄の雪―に比べて、韓国を失うことは朝鮮半島即ち(中国)大陸への足掛かりを失うことに繋がるのである。
ベトナム(インドシナ半島)を失った南シナ海を見ればいい。

精々”航行の自由作戦”とやらで、”オフショア”―沖合に艦船を遊弋させることが関の山、年を追う毎にアメリカのプレゼンスは低下して行っているのである。 韓国を失うと、いよいよ米海軍は日本列島をグルグル遊弋させることしかなくなるだろう。 佐藤優は「対馬沖にアチソンラインが」と言っておったが、それが意味が無いからこそ韓国に執着した、と考えるべきなのだ。

「イラン外交」にせよ、今回のアベの軽挙妄動は貧乏くじを引く破目になるであろうことを先回りして言っておく。


こうしてアベのアジア外交は八方塞がりになって仕舞った訳で、最近の「対中接近」及び北との「対話希望」は、単に、慌てて、斯かる外交的破綻を取り繕ったものに過ぎない。 政治巧者の中国の場合、米中摩擦への深謀遠慮からアベのアプローチを受け入れてるだけで、田中角栄ー小渕恵三(プラス鳩山由紀夫、小沢一郎)の党人派主導の「日中友好」路線に戻れたとは露ほども思ってはいないだろう。
反対に、日本は、足元を見られた分だけ、此れから、後手後手に回るだろう。

ところで、「大失敗をやらかした」と思ってる松岡に大喝采を送った国民は、今また、失敗続きのアベ外交に拍手・喝采を送っている。
変わらないのだなあ、、、、井の中の蛙は、、

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/520.html

[政治・選挙・NHK264] アベ7年のソーカツ−「時間かせぎ」から見える三度目の正直と「夢よもう一度」の末路
既に多くの人に知れ渡ってるが、「時間かせぎ」とはアベの政治手法―手を変え品を変え、目先を変えて、常に「何かやってる」感を醸し出し、政権の「現前化」を図ることによって、途切れること無く「風」を送り込み、「空気」※を醸成する。 

※「空気」を差配し操作するのがTVのプロデューサーやデレクター等のメディア官僚であり、霞が関官僚にも増して警戒し、厳しい眼を向けるべきはこのメディア官僚である。 

社会の木鐸だったはずのジャーナリズムが殆ど機能していないこともそうした状況に棹差す結果となっている。 産経、読売を筆頭に、政府広報、大政翼賛を臆面も無く勤める新聞も酷いが、これに輪を掛けて酷く、最早犯罪的と言っていいのがテレビを中心とする視聴覚メディアなのである。

理性的に物事を捉えるよりも、元来が「空気」に流され易い国民多数の性向に加えて、新自由主義による社会的連帯の破壊やIT化などによる社会の希薄化に乗じる形で、メディアによる<像>(イメージ)の現前化、<像>が支配し、君臨する事態を招いているのである。 ―現実よりも<像>の方が現実感(リアリティ)を持つという倒錯した状態―若者ほどこの傾向は酷くなっており、アベ支持が多いのも斯かるメディア現象と捉えるべきなのだ。

 
 この事と密接に繋がってるが、これ程メディアへの干渉と露出度の高い政権は過去に無かったし、アベは突出している。 何かにつけてシャシャり出て来て、全てを仕切ってるが如く振る舞う、一方で途切れることなく芸能・スポーツ界等のタレント・有名人との交歓を頻りにアピール―それも、ジャニーズやヨシモトなど、メディアの人気度の高いのを選んで、会食に誘い、時にはそういった番組に出たりする。
 「世論調査」(内閣支持率)の動向が政権維持更には浮揚に重要なモメントになってる事をみれば、これは、単なる好感度アップに止まらず、純然たる政治活動と見做されるべきであろう。 タレント・芸人の人気や好感度はメディアへの露出度と相関関係にあるのは知られていようが、政権への支持もこの「好感度」と似通って来ているからである。
ジャニーズやヨシモトのタレント・芸人が「報道番組」※に数多く進出しているのも底流で繋がっているのだろう。  ジャーナリステックなセンスがあるとはとても思えない彼らが何故重用又多用されるのか、我々は事態をもう少し深刻にみるべきであろう。


※これまでの純然たる報道番組は数少なくなり、多くが「情報バラエティ番組」になっている。 つまり、報道するという事よりも、情報を「ワカリ易く、オモシロく)差配する方にシフトして行ってるのである。 従って、従来にも増して、メディア官僚のちょっとした匙加減で受け取る印象がガラリと変わる。 何故芸人が多用されるのかもこの事に関わってる。 メディア官僚の醸し出す暗黙のナビゲートに阿吽の呼吸で応えるのがタレント・芸人であり、他の誰よりもその場の「空気」を読むのに長けてるのがタレント・芸人なのである。


他方、政治を遠く感じてる(政治は分らない)多くの層(特に若者)にはこういったことはアピールするのであり、意識下に、彼等タレント・芸人のイメージにダブって、政権への肯定的な空気感が植え付けられる、という訳だ。 政権の「現前化」―「何かやってる」感―と並んで、斯かる「空気」によってこの国の政治は支配されてるのである。 もちろん、だから、中身の無い、風船の様な「支持」なのだが、彼等にすれば、それでいいのである。 実際、そのような風船の様な「支持」で、「安保法制」始め、この国の進路を左右する政策決定がなされて来たのだから。


下記スレ参照
ファシズム考5 今日のボナパルティズムの様相 ー今日版の「大政翼賛会」ーメディアクラシーへ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/321.html

それにしても、どうしてそうなったのか? 

上でも言った様に、これまであれば、その間にジャーナリズムが在って、それなりに距離を保ち、そのような政権のやり口に対して批評or批判的な視点を示し、理性的に観る場を提供して来たのだが、コイズミ、特にアベ以降メディアが完全に変質したのである。


その背景には、世界的な傾向と日本固有の事情と、大きく分けて二つある。

 一つはグローバリズムへの反発も含めた揺り戻しの中で、次第に顕在化しつつある「世界内戦」(笠井潔)への対応として、世界各国が国家権力の強化の方に大きく舵を切ってきている、ということ。

もう一つ、これは日本固有の事情になるが、3.11東日本大震災である。 

丁度、関東大震災が「大正デモクラシー」を窒息させて行った様に、東日本大震災は空洞化しつつも続いていた戦後の民主主義的傾向の息の根を止めたのである。
別けても「原発事故」によって引き起こされた国民多数の漠とした不安の極大化を背景に、強いリーダーシップを求める潜在心理が働き、それに加えて、霞が関官僚の隠微かつ巧妙なサボタージュにより、民主党政権のモタモタ振りが際立ったことも、これに一層拍車を掛けることになったのであろう。

そして、国家権力の強化は、『民主主義の死に方』(レブツキー/ジブラット)指摘通り、先ずは官僚機構と情報メディアへの統制強化に向かうのである。


アベ一期目には無かったこれらの流れに乗って「長期政権」は続いてる訳だが、しかしながら、言うならば、これらは必要条件である。
では十分条件は何か? 権力の正統性(レジティマシー)である。

此れまでであれば、サル山(国会)とサル(国会議員)と見做して、自らの意のままに動かせると豪語していた霞が関官僚が、清和会、特にアベ政権になったら何故借りてきた猫の様におとなしく、縮まるのか? 民主党政権をあれ程愚弄した彼等官僚が、アベには下僕の如くなってしまうのは何故なのか?

これらはこの権力の正統性(レジティマシー)※といった視点を入れてみて初めて分かるのである。

※下記スレ参照
近代政治史とは<統治>官僚と<代表>政治家の対立史
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/103.html


官僚機構にとって、民主主義の制度上選挙によって選ばれた政権は受け入れざるを得ないが、その支配に服すかどうかは正統性があるかどうか?である。
戦後の歴代政権を自民党の二大潮流、<官僚派>と<党人派>に分けて見てみればいい。※

※なお<官僚派>と<党人派>については下記参照。

南部大統領と薩長政権 その4
http://www.asyura2.com/09/idletalk37/msg/190.html
南部大統領と薩長政権 その2
http://www.asyura2.com/09/idletalk37/msg/188.html

特捜部を中心に、検察は、日頃より<党人派>の有力政治家(首相になりそうな)の政治スキャンダルネタを集め、その対象の党人派政権が出来たら、タイミングを見計らって、国策メディアの「文春」や「新潮」にリークし、時には野党を使いながら、民心の離反を図るのである。 そこには、短命に終わらせる、言い方を変えれば長期政権にはしない(力を持たせない)という、霞が関の集合的無意識が働いているのが見て取れるのである。
長期政権は殆ど<官僚派>であり※、<党人派>政権は例外なく2年程度の短命政権なのはその結果、と考えるべきなのだ。  

※唯一例外が中曽根政権だが、本人は元内務官僚で、内閣の要、官房長官に同じく元内務官僚・警察庁トップを置いて全省庁に睨みを利かす一方、「行革」を掲げ、その本当の狙いが「自社=55年体制」の解体であることを示し、それでも足らずと思ったのか、従来以上にアメリカを引き込んで、自らに足りない正統性を強化したのである。  独立後、アメリカの干渉、翻ってアメリカへの依存がこれ程強まった政権はないが、今日の”属国””隷従”状態にする引き金を引いたナカネネは、それだけで万死に値するものであり、コイズミやアベ同様、全面的に断罪されるべきであろう。

以上、”アベ一強”の背景を見て来たが、私が、殊更に「長州」或いは「薩長政権」を強調するのは更にもう一つ理由が在る。

アベ政権はここ何年も、歴代政権と比較相対して、「世論調査」で5割前後の、高位の支持を得て推移している。
無論、これはインチキ・マヤカシの類いの最たるものであり、そのどれも回収率(回答率)5割を切る中での5割、即ち実体は四分の一を切ったものである。 

にしても、その中で相対的に支持が高い理由は、支持者の少なくない部分が、漠然と、アベ政権に、此れまでの政権とは異なるものを感じているから、だろう。
勿論、国民が感じてる此れまでの政権とは異なる何かがアベが志向するものと合致しているとは限らないが、「東京オリンピック」(20)から「大阪万博」(25)と、まさしく「高度成長期」を反復する様なマネをやるこの国の少なくない部分に、「夢よもう一度」の気分が忘れられない、というのもあるだろう。 

そうして、この「夢よもう一度」の気分が強い国家を求める気分と結び付く時、アベが目指すものに限りなく接近して行くのである。


次スレで、それが何なのかを明らかにしたい。


http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/148.html

[政治・選挙・NHK264] アベは、右でも保守でもない、「明治」である
さて、ではその「時間かせぎ」で図る三度目の正直とは、明治以来の「欧米仲間入り」が、前半の軍事中心で失敗し、戦後の経済中心でも果たせず、清和会の政権復帰と共に、社会のルールやシステムのアメリカへの同化※―つまり、身も心も同じくするので、どうかお仲間と認めて下さい―として現在進行中ということ。 そして夢よもう一度とは、大英帝国の世界戦略に合わせて成功した明治の栄光再びということで、アメリカの世界戦略に合わせ、軍事的プレゼンスを高めて行く路線に舵を切るに伴い、明治期に戻ったが如く、国権の強化を前面に打ち出している、ということ。


※下記スレ参照
神助事件の真相と深層  −TPPと”コンプライアンス”ーその為の浄化purificationーは車の両輪
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/488.html

トランプ政権の対外姿勢―拡張から縮小へ!共和党本来の路線であるルーズベルト以前への回帰―が鮮明になって来るにつれ、軌道修正を余儀なくされてる感はあるが、基本的な根本的な志向は変わらないであろう。

何故か?

幕末以来の大方針であった「富国強兵」−国を富ませ、強力な軍事力で防衛、攘夷を実現するー明治維新という大回天は、幕府ではそれが不可能という処に在ったはずである。 しかも、中華世界に留まっていてはそれも実現能わずということで、これまでの在り方を捨て、ひたすら西欧列強の見倣いに専心する。 ーこうした、薩長主導の明治の選択の結末は、ではどうだったのか?


「強兵」の破綻を示すのがヒロシマ、「富国」の破綻を示すのがフクシマ、しかもそれが実現不可能だからということで否定した中国の、そのどちらにおいても、後塵を拝するまでになっている。 加えて、そもそもが(中国の様に)植民地化されないようにということだったのに、国の内外から、”属国”とか”保護国”という声が公然と上がる程に、又現実を見るにつけても、独立国家、主権国家とは到底言えない状態に成り果てて仕舞っているのである。   


それに比べ、中国はどうか? 

今言った様に、「富国強兵」、どちらにおいても既に日本を圧倒しており、文字通り、それを実現するか,若しくは実現しつつある。
”レコンキスタ”失地回復も、第一次日中戦争(日清戦争)で失った台湾を除いて、ほぼ成し遂げつつあるのである。

つまり、150年前と、日中の立場が完全に逆転しているのだ!

これでは何の為の”脱亜入欧”であり、何の為の明治維新だったのか?という疑問が当然湧いて来るーはずだ。 

 別途述べることにするが、近代化それ自体と薩長主導の明治維新は別物と見做されるべきであり、明治維新の本当の意味は中華世界からの離脱、即ち西南戦争以降本格化した、薩長取り分け長州主導のいわゆる”脱亜入欧”、欧米仲間入りにこそ在ったのだから。


つまり、冒頭に記した様に、明治維新の総決算は斯かる明治の選択=欧米仲間入りをこそその俎上に載せられべきなのである。

そうしてここに、「三度目の正直」「夢よもう一度」とばかりに、清和会なる平成の薩長閥、更には昭和から平成に掛けての長州閥の頂点に居る安倍一族の三代目が登極して来る理由が在るのだ。 

即ち、なりふり構わず、何が何でも明治の(自分達の)選択は正しかったと国の内外に認めさせること。
憲法「改正」はその為の道標であり、アベノミクスは言うまでもなく、「拉致」も当然、又外交でさえその為の方便でしかないのである。

http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/149.html

[政治・選挙・NHK264] アベ7年のソーカツ  −「拉致問題」から見えて来る「時間かせぎ」の本当の狙い
ともかく、この男が満を持して再登場してからの、この6年余りを振り返ってみればよい。


 お隣韓国の、「左派・リベラル」から政権を奪い返した「保守」李明博政権が、自らの名から採った”MBノミックス”というキャッチフレーズを掲げ、”経済大統領”を前面に押し出して、国民の支持を獲得したのを観て右に倣ったのだろうが(笑)、民主党から政権を奪い返してやったのは、同じく自らの名を冠して、”アベノミクス”というキャッチフレーズを大々的に掲げ、大風呂敷の”経済成長”を前面に、全面的に押し出す。 その際、演出効果を最大限高めるの仕掛けがあらゆるメディアを通じて為され、書店にはアベノミクス礼賛本が溢れる。

 「安保右派」本命の再登場を期すに当たり、前回の轍を踏まぬ様、此の勢力の総力を挙げて、周到に準備された感があるが、どう見ても、これはお笑い芸人のいう”つかみ”というやつであろう。

 一時的にせよ、国民の耳目を集め、興味や関心を引き付ければいいのである。 そうして、一旦興味・関心を掴めば、後は、次々に、手を変え品を変え、目先を変えて、あたかも新しいステージに移って、兎に角、何か新しい事に取り組んでるというポーズを取り続けるーそれも絶え間なく。 ジックリと、国民が考える時間を与えない、判断する材料も与えない。  だから、大半の国民が、判断がつかぬまま、ポカンと、狐につままれたような気分で、次々替わる景色を眺めーさせられている、といったところか。 只々、何となく、「何かやってる」と感じさせればいいのである。


 今井がその人かは知らぬけが、よほど周りに知恵者が居るのだろうー斯かる、詐欺と言うべき、極めてトリッキーな政治スタイルを、吉田徹は、その本質は「時間かせぎの政治」として、そこにみられる「期待値の操作」という政治手法を厳しく指弾している。 即ち、実際の成功を目指していない。むしろ、成功しないことの方が意味を持つ。なぜならば、永遠の不成功こそが、成功への期待を持続させることができるからだ、と。 「自ら実現を掲げるものが失敗する限りにおいて、自らは必要とされる」という訳だが、その為にも、常に「何かやってる」感を醸し出す事が肝要、ということだろう。

 アベノミクス同様、それがてき面に、最も効果的に現れたのが「拉致問題」である。

 この男が事実上主導権を握って16年、首相になってからさえ6年余り経つのに、この問題は1ミリも動いていないのである。

 しかも、こうした事実さえ知らない人が殆どだろうが、少なくともそれまで、周辺諸国の中で、北朝鮮との対話のチャンネルやパイプが最も大きかったのは日本だったのだ!

ーにもかかわらず、この男が登場して以降、制裁に継ぐ制裁、圧力一辺倒で、それらを全て立ち切って仕舞う。
ーつまり、1ミリも動いていないどころか、明らかに後退したのだ!!


 普通であれば、まともな理性の持ち主であれば、この男はハナから解決する気など無いと結論付けるであろうし、アベ路線の完全破綻を意味する「米朝接近」という新事態を迎えて、慌てて失態を取り繕うと、米国を筆頭に、周辺諸国にまでこの問題の打開を依頼しまくるなんて、怒りを通り越して、あまりにもみっともないと、呆れ果てるしかないはずだろう。 せめて、平沼騏一郎に倣って、「極東情勢は不可解」と、政権を投げ出してくれた方がどれ程良かったことか!

ところが、国民の方には、「米朝会談」に対しての執拗に繰り返された(電話も含む)日米会談でー常に「何かやってる」感を醸し出すことによってー真逆の効果を生むのである。 まぁ、アベの口車にマンマと乗せられた自分達の不明に思い至るのではなくそれを糊塗してくれるということもあるのだろうが、これなんか詐欺に遭った者が騙されてることに気付かないー気付きたくない!−という心理にソックリだと思える。 −どうせ私を騙すなら、死ぬまで騙して欲しかった、というところか。


 ま、女というより、大衆にはそうした側面はあるとして、問題は、この「時間かせぎの政治」で、この男が何をやったのか?又やろうとしたのか?ということである。


「拉致問題」については既に明白なのだが、その意味を正確に理会する為には、70年代後半から80年代前半に掛けて起きた「拉致事件」と、小泉訪朝(02年)以降の「拉致問題」は全く別物と、分けて見る視点が必要である。


前者は「日朝国交樹立」に向けた動きを封じる為の謀略であり、後者は、戦後の民権型の日本から、敗戦以前の、国権型の日本への転換を狙って、新たにフレームアップされたものなのだ。


即ち前者の場合、「日中の次は日朝」とする田中派主導の動きを、「日中の二の舞はしない」とばかり、清和会に繋がる謀略勢力、「金大中拉致事件」(73)や「朴大統領暗殺未遂事件(文世光事件)」(74)の際に暗躍した、日米韓にまたがる安保マフィアの裏勢力(公安当局の一部も含む)により、その阻止の為に為されたものであることに対して、後者は、「憲法改正」「自衛隊国軍化」等、国権を回復する(アベの言う、日本を取り戻す、ねw)千載一遇のチャンスとばかり、その表部隊というべき勢力によって仕立てられたでっち上げであり、本当は一大フレームアップと見做されるべき性質のシロモノである。
 

そしてその意味で、結果的には、その一年前の、米国の”9.11”に比すべきものとなった、ということなのだ。


即ち「拉致」という行為自体が、極限にまで達した北朝鮮への敵愾心と憎悪、恐怖の入り混じった隣人への警戒感等、アメリカ国民にとっての”9.11”と同様の政治的効果を生み出したのである。 つまり、”9.11”が殆ど”ショックドクトリン”=惨事便乗or活用戦略として作動し、アメリカをいとも簡単に”対テロ戦争”に向かわせた様に、「拉致」も又、一連のイワユル「安全保障」関連の施策を推進する為の、またとない、極めて強力な追い風になったのである。 

1昨年の”Jアラート”騒ぎを見られるがよい。 ミサイルが飛んで来る可能性なんて100%無いにも拘らず、80年前もかくやと思わせるが如く、コクミンは、唯々諾々と、黙って従ってくれるのである。 こんな便利で使い勝手の良いものを手放す訳があるまい!  何せ「拉致」「ミサイル」、北への恐怖をその都度喚起するだけで、打ち出の小槌の如く、「安保」右派の望む方に事態が動くのだから。

 アベに「拉致問題」を解決する気なんざサラサラ無いし、上記の事由が、この16年、この問題が1ミリも動いていない理由である。 また、アベを2度に亘って登場させた理由でもあるのだ。
 
今年の「防衛白書」なる作文に見られる如く、「北朝鮮の脅威」はまだまだ使いでがある、いや、当面、それしかないのだろう。 核やミサイルについて、戦力的には比較にならない中国やロシアに対するよりも、”北の脅威”の方が遥かに(実感的で!)効果的だと判断してのことだろうからーそれ程までに、国民へのマインドコントロールは効いているということだ。

結論である。

 これからも日朝関係が好転することはないであろう。 あるとすれば、日中関係が後戻りできない程悪化した時か、または権力の中心から清和会勢力が一掃された時ぐらいか? 無論、「拉致問題の解決」など金輪際在り得ないのである。 「家族会」こそいい面の皮だと感じる人も居るだろうが、こ奴らこそアベの親衛隊、宣伝要員として、「問題」の本質を見えなくする役目を担ったのであり、その果たした犯罪的役割は徹底的に糾弾されて然るべきであろう。 実質的に、アベ詐欺の片棒を担いだのだから。
http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/176.html

[政治・選挙・NHK264] 「晋三は宿命の子」(安倍洋子)!! ―平成の薩長政権―”アベ一強”は何故、又どのようにして登場したのか? 併せて日産の事など

ここ何年か、グローバリズムへの揺り戻しも含めて、国際的には、英国のEU離脱や”トランプ現象”、「習一強体制」の中国、又世界の各地で見られる政権の「右傾化」「独裁化」など、其々の国や地域の(歴史的)文脈に応じた形で現れて出ているが、私はこれを「右傾化」「独裁化」或いは「ファッショ」と論断するのは誤り、乃至は一面的と思っており、国家なり国権の強化ということで、ボナパルティズムと捉えるべきだと思っている。 

即ちマルクス言うところの例外現象、しかしながら例外現象にこそ本質が顕現するとするシュミット的視点に従うなら、近代国家の本質※が顕れ出ていると見るべきである、と。 

※そういう意味では「近代国家は絶対主義国家」という小室直樹の見立ては正鵠を射てるのだろう。


また他方、その意味で、中国の場合、毛沢東がその典型になるだろうが、「一君万民」型の東アジアの王権システムへの本卦帰りと見做されるべきであろう。  念の為に言っておくけど、それは2.26事件の青年将校が夢見た天皇像である。


 現実の政治過程はソ連共産党を真似た大政翼賛会という一党独裁となり、そのトップを捩って近衛幕府、東條幕府と言われた様に、それは「一君万民」型の日本的変形である大政委任、つまりは幕府への本卦帰りと成って行ったのだが。 しかしながら2.26事件やポツダム宣言の受け入れに天皇が決定的な役割を果たした事で解る様に、「例外事態に決定を下すのが主権者」というシュミットの定式通り、主権者はあくまで天皇、従って、言う処の「委任独裁」=天皇主権下の東條独裁ということであった。

敗戦後、それはGHQ主権下の吉田ワンマンとなり、今日の米軍主権(安保体制)下のアベ一強となる訳である。
 
 もちろん、この間、戦後民主主義の進展とその背景に在った中間層の増大に合わせて、政党及び議会政治の隆盛があったものの、”バブル崩壊”の90年代以降、中間層の空洞化或いは二極化に敷設を合わせて、政党及び議会政治の形骸化、劣弱化が進行して行き、総じて、民主制そのものも減退して行ったのである。 そしてその最後の一撃となったのが、コイズミ改革という名の、新自由主義的施策の強行であり、その最大のターゲットになったのが郵政省ー「郵政民営化」である。


そうして、この「郵政民営化」を以て、80年代の国鉄や電電公社の民営化に始まる「サッチャー改革」日本版の仕上げとなる。

 どうして、そう言えるのか?

 D.ハーヴェイによれば、新自由主義の狙いは「階級権力の強化」であり、それは、それと裏腹の、それまで権力を分有してきた中間的組織の解体的再編及び「資本中心のヘゲモニー獲得」が中心になる。 


 「サッチャー改革」の主要な敵が炭労(を始めとする労働組合)であった様に、戦後労働運動の中核部隊だった「国労」が先ずは狙い打たれるー分割民営化(JR)である。 返す刀で電電公社の民営化が強引に推し進められ、田中角栄が病気で倒れた後を襲う様にして、その分割民営化が成される。 当時、「電電民営化(NTT)」を以って、「日米の巨大資本が遂に田中角栄を倒した」(山川暁夫)と評されたのだが、郵政省の外郭である電電公社の分割民営化は、将来見込まれる情報産業の隆盛を背景にして、政策官庁として霞が関で伸して来た郵政省の片翼を剥ぎ取ることであり、それは其の儘、田中氏の政治生命に繋がっていたのである。
 
そうして、「サッチャー改革」から20余年を経、新自由主義が限界とそれを上回る弊害をもたらすことが明瞭になっていた2005年の時点で何故、コイズミは、狂気の如く、「郵政民営化」に突き進んだのか?

ー建設省と並んで、郵政省は党人派の中核勢力、田中派ー経政会の牙城だったが、先に省庁統廃合で「族議員」(その多くが党人派)を排し、この勢力の強さの源泉である事業部門、即ち巨大な郵貯マネー及び「財政投融資」等の運用先とその差配なども含め、全国津々浦々に張り巡らせたそのネットワークを解体・再編する!


つまりは、こういうことだ。


 中間層及び中間組織の政治的表象としては議会であり、所謂”55年体制”、自民党と社会党が中心となるが、自民党においては、経済の高度成長が本格化するに連れて伸して来た田中角栄氏を筆頭とする、所謂党人派とされる勢力が主体であり、又社会党は、その主要な支持基盤が公労協主体の総評であった様に、公務員層が中心になるのだが、先に「国鉄民営化」で、総評の最も戦闘的な実働部隊だった国労の解体と「大きな政府」から「小さな政府」への流れで、公共部門の縮小と先細りに向かう中、産業報国会一歩手前の、連合なる翼賛組織に水膨れ的に組み込まれ、結局それが社会党解体の呼び水となり、本丸の方も、経政会分裂の煽りを受けて弱体化し、この「郵政省解体=総務省(旧内務省!)吸収+事業民営化」で以って最後の止めを刺された、ということである。

なお、この問題は、ゴーン氏で揺れる日産についても当てはまる。

日産は、創業者が長州出身、また本来の日本産業という名が示す通り、国策会社として出発・発展し、更に満州重工業開発株式会社(満業)に改組するなど、帝国主義的進出の先兵乃至中核企業として、常に国家と共にあったが、敗戦後、それ故に創業者鮎川義介の戦犯追放と財閥解体の煽りを受けて、企業統治が混乱し、労働争議が頻発する。 そのような敗戦後の混乱から戦後復興、そして高度成長に至る過程で力を持ってきたのが労働組合であり、そのトップ塩路一郎は”天皇”と呼ばれる程権勢を誇るが、80年代に入り、”国際化”の掛け声の下、新自由主義が猖獗を極める英国進出を巡って経営陣と衝突し、田中角栄と殆ど同じ時期に失脚、表舞台から消える。


結局、日産はその様なグローバルな展開が徒となり、企業倒産の危機に瀕し、外国資本(ルノー)の下に、マッカーサーならぬゴーン氏の進駐・専制を許し、今日見る様な事態へと繋がって行くわけである。

こうして見てくると、日産の軌跡は上で見た近代日本の縮図の様に思えてこないだろうか?


ここで更に付け加えれば、日産のこうした問題は、天皇制を巡っての、この国の在り方についての極めて深刻な問題を投げ掛けているのだが、これは又、別途論じることとする。

とまれ、戦間期、”大正デモクラシー”を挟んで、冷戦終焉前後までの半世紀余り主役の座に在った大衆社会や民主主義の発展を支える中間層及び中間組織は、薩長中心の系譜を引き継ぐ近代日本のエスタブリッシュメントにとって、所詮成り上がり者であり、その意味で外様の域を出るものではなかったのだが、二極化と空洞化で、中間層の弱体化が鮮明になった時代状況においては、上で申した通り、これまで権力を分有してきたこれらの勢力はバラバラに解体し、自らのヘゲモニーの下に組み敷くものでしかなかった、ということである。


後は一瀉千里、三年間の民主党政権さえその引き立て役、それ以上に復とない露払い役となって※、無人の野を行くが如く、清和会独裁への道が拓かれ、アベ一強となったという次第、斯くして、明治期の藩閥政府と帝国議会さながらに、この勢力の専横、更に又、”お友達内閣”や”モリカケ疑惑”に現れてる様に、露骨な縁故政治が罷り通ることになるのである。


※下記スレ参照されたい

作られる”多数派”と”圧勝”  アフター・リベラル、デモクラシーへ
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/546.html
Re:アフター・リベラル、デモクラシー  「中国共産党化」の真実
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/547.html


http://www.asyura2.com/19/senkyo264/msg/234.html

[政治・選挙・NHK265] アベの妄想は潰え、残されるものは負債化した「遺産」と先の大戦の敗者としての真実の姿  併せて、ポツダム体制が続いている事の証明
どうしてこうなるのか?


全ては、戦後支配体制と「冷戦体制」を同一視し、”レジーム・チェンジ”即ち「体制転換」の時代に入ったと誤認したことに在る。

―のだが、その事を理解する為には、広義のヤルタ体制と狭義のヤルタ体制と、二つに分けて考える必要がある。

広義のヤルタ体制とは、第二次世界大戦の戦勝五か国が其の侭安保理常任理事国になっている事で解る様に、戦後世界の支配体制として結実した連合国体制=国連体制を指し、狭義のヤルタ体制とは、ドイツ封じ込めを共通利害にした、米ソによるヨーロッパ管理(支配)を指す。 そうして、狭義のヤルタ体制の戦後更新版こそが「冷戦体制」なのである。

ここからみれば、「冷戦体制の崩壊」とは米ソによるヨーロッパ管理(支配)が崩れたという事であり(に過ぎず)、それはEU登場と表裏を為す。

他方、狭義のヤルタ体制と並んで、戦後世界の支配体制のもう一つの柱、ポツダム体制は健在なのである。

その理由は幾つか在る。 ドイツが、周辺諸国の信頼と協力で、封じ込めを内部から突き崩して行ったのとは対照的に、党人派主導の善隣友好路線が、清和会勢力によって悉く潰され、破壊されていき、自らその支配体制を突き崩す道を放棄したことも大きいだろう。

しかしながら、世界(史)的視点で言えば、”冷戦の崩壊”から30年経って益々ハッキリしつつあるが、ヨーロッパが世界現象から地域現象に成って行くのに反比例して、中国の比重が著しく高まったことの方が、やはり、重要なポイントであろう。


今後数十年で、経済のみならず、軍事、更には科学技術方面に於いても、アメリカを凌ぐか匹敵する力を持つに至ると推測される現下の中国だが、それに応じて、かってのソ連を遥かに上回る地位及び位置を占めていくことが予想され、当然の事だが、その影響力も、大きくなることはあっても、低下することはまず考えられないだろう。

だとしたら、中国が関与する戦後アジアの支配秩序(ポツダム体制)も、当面、揺らぐ気配はない、と考えるべきだろう。

更にここで考えておかねばならないのは、ドイツを唯一の<負け組>とするヤルタ体制は、実亡状態に在るとはいえ、今なお続いていると見做されることである。  その理由も又簡単である。
唯一<負け組>ということはドイツ以外の当該国にとっては<勝ち組>側であり、他の欧州諸国には支配秩序を壊す積極的な動機は無いのである。 
他方ドイツにしても、事実上EUの盟主となり、実質的にはドイツ帝国と言われる現状においては、敢えて戦後の秩序を壊す動機は弱いであろう。 折角、半世紀以上掛け、欧州諸国の信頼と合意を得て今日の地位まで築き上げて来たもの―しかもそれはナチスが力付くでやろうとして失敗したもなのだ―を水泡に帰すが如き真似はしないであろう―少なくとも国連の「敵国条項」が無くならない限り。


全く同じことは、日本を唯一の<負け組>とするポツダム体制についても言えることは解るはず。

日本を除いて、この”戦後レジーム”を壊したいと思うアジアの国はいないし、そう考えるべきだろう。

ところがここに、そのようなアジア諸国の眼差しなど気に留めることなど無く、”戦後レジーム”を専ら日本の対外行動を縛るもの=平和憲法とガラパゴス的に限定し、自ら課した戒めを解いて、対米貢献を励めばかっての”栄光”を取り戻せる、と勘違いした者が出て来たのである。

彼等には、従って”戦後レジーム”とは、アジアにおいてはポツダム体制を意味することすら認識されていないであろうし、それが占領体制(日米安保体制)及び憲法(平和憲法)とセットで結び付いているなんて、考えも及ばないことだろう。

中国や韓国の批判はポツダム体制に基いたものなのだが、ワシントン体制と同じく、自らを不当に縛り付ける桎梏程度にしか認識されてないはずである。

となると、先の戦争に至る過程において、ズルズルと、その気も無いのに深入りして仕舞った日中戦争(日華事変)の二の舞いになる可能性は常に引きずっているとみた方がいいのである。 何せ「米英(アングロ)と戦うな」が先の戦争の最大の(唯一の)教訓!?となると、裏を返せばそれ以外の要素は些末なものになるのだから。


特に岸ー佐藤ーアベと続く清和会勢力にはその傾向が強く、しかもそこに、戦後支配の中で、ベトナム敗戦で一旦失った立場を回復し、少しでも有利な地歩を固めたいというアメリカの思惑が絡んでくるとなると、半世紀前の”罠”がいっそう現実味を帯びてくるのである。

例のGSOMIAにしても、THAADも含めて、益々ナショナリズム傾向を強める韓国に対する軍事的タガの締め直し以上に、そこに日本を絡ませることで、この”罠”の仕掛けを目論んだものだろう。 まぁトランプと文政権登場でその勢いが殺がれた感は否めないが、しかしながら極東米軍の最大の権益が掛かっているだけに、文政権やトランプ政権の動向次第で、再び三度、朝鮮半島或いは極東がキナ臭くなる可能性はある、と考えておいた方がいい。

現に文政権誕生直前、韓国軍部がクーデター一歩手前まで行った事が報じられているし、その一年前には韓国情報機関によって「金正男暗殺」が引き起こされているのである。

日本と同じく、韓国の軍部や情報機関は米軍やCIAの事実上の下部機関だが、特に韓国の場合は、歴史的経緯からも、謀略的体質を色濃く引き継いでいる事は何度でも強調しておかねばならない。 この際だから言っておくが、「日本人拉致」を計画・立案したのは韓国の情報機関(KCIA)であり、日本の公安当局と組んで北朝鮮を嵌め、返す刀で、北朝鮮の工作機関と組んで日本を嵌めたのである。 「拉致事件」が、当初より日本の当局が知っていたにも拘らず伏せられ、又「事件」が明らかになって15年以上経つのに、事件の全貌どころか欠片も明らかになっていない※のは、斯かる極東安保の裏地図が深く関わっているからなのだ。

※現在世間に流布している「事件」に関わるものは、その殆どが韓国情報機関による偽情報である。 日本は二重に欺かれているのだ。

他方、現在文政権を攻撃している日本のマスメディアの「韓国情報」は野党(保守)経由、或いはその目線で作られており、その偏向ぶりは異常である。 
保守派とは親米派であり、従って親米派発の、或いは親米派経由の情報又は報道により、我々の「韓国観」は形成されているのである。


見られる通り、「拉致」にせよ韓国報道にせよ、構図は変わらない。
そうして、愚弄されているのは我々であることも!


ところで、ここまで読まれた方は、「ポツダム体制」と言っても、”米中新冷戦”とか”米中軍事衝突”と言われる現在においては、既に失効しているのではないか?過去のものではないか?と思われてる方も居るかも知れない。 だが、そういう人達は、そもそも「冷戦体制」自体が「ヤルタ体制」の戦後バージョンであり、米ソによる、ドイツ封じ込めを通したヨーロッパの管理支配だったという、「冷戦体制」の真実を知らないか、思いも至らない、オメデたい人達である。

更に、そういう人達には下記の事実を挙げておこう。 「ポツダム体制」が続いていることの、これ以上ない証明であろう。


米中両軍が南京で合同演習 (2018年11月)
https://www.asahi.com/articles/DA3S13767452.html


勿論、双方200人づつということで、あくまで儀礼的であり、その意味でシンボリックなものに過ぎないだろうが、しかしながら、「南京」という、日中戦争の極め付きのシンボリックな地※を選んだということで、それが強い政治性を帯びたものであることが分かるだろう。 

  ※例えば「アウシュビッツで米露両軍が合同演習」という事を考えてみればいい。 ―誰に向けての、如何なる政治的なメッセージなのか明白であろう。


この合同演習は1998年から20年続けられているが、一方で同じ時期、朝鮮半島有事を想定した「新ガイドライン」(97年)が出来ているのである。
GSOMIAも含め、こうした動きが半世紀前の”罠”の現実化に向けたものであることは明らかなのだが、一見相反するこれらの何処にポイントを置くかによって、丸で違った光景が見えて来るのは分かるはず。 

つまりは、中国や北朝鮮の脅威の為にとする肯定派も、日本の軍事的野心の顕われとする否定派も、上の「合同演習」という事実に突き合せたら、どちらも等質な誤謬であることが解るであろうし、米軍の仕掛ける”罠”という見解に納得されると思う。

最後に確認するとともに、銘記しておきたい。


日本は先の大戦の<敗者>であり、ポツダム体制の<負け組>なのである、また斯かる意味で、連合国体制=国連体制の<外様>である。


http://www.asyura2.com/19/senkyo265/msg/770.html

[政治・選挙・NHK265] 日本の領土獲得を断罪したカイロ宣言―それは、中国の主張をアメリカが受け入れたという事で、中国に敗北した事を示す、それ故日本は隠蔽し、徴用工問題を突っぱねる
こうしてみれば、大戦後のアジアの管理及び支配体制について、歴史的経緯から言っても、ポテンシャル及びポジションからしても、アジア側のカウンター・パートナーは、中国で在り得ても、日本では在り得ないし、成り得ないことも解かるだろう。


第一、大陸に足掛かりさえ持たぬ点で、そもそもが戦後日本は「日英同盟」の時代には遠く及ばない存在なのだし、アメリカに絡め取られたままでは手下or手先にしか成り得ないのは自明の理というものであろう。 


斯くして、中国をジュニア・パートナーとして、日本を封じ込める事を共通の利害に、東アジアを管理・支配する「ポツダム体制」は極めて合理的、且つ論理的必然とさえ言えるのである。


 此処で注目しておくべきは、日本の部分を除けば、この管理・支配のやり方は、19世紀半ばまでの―大清帝国とその支配システム=冊封体制の弱体化が顕著になる以前(アジア諸国の植民地化はその結果である)の―大英帝国の東アジアへのスタンスと同じということである。

そして、ここから見れば、カイロ宣言の持つ意味がハッキリと見えて来るであろうし、チャーチルが口実を設けて署名しなかった理由も解るであろう。

カイロ宣言とは、これまでの経緯から英国は参加させるが、あくまで名目上であり、実質は米中による仕切り―中身を探れば、中国の主張をアメリカが受け入れた、というところに在る―つまりはそれは、以後のアジアは米中でやる、ということを宣言したものなのだ。

当然それは、ポツダム体制の裏側の真実、大英帝国にとって代わって、アメリカがそのポジションに座る、ということである。


戦後それが上手く出来なかったのは、言うまでも無く、中国に共産党政権が誕生したからであるが、しかしながら、”ドミノ理論”を掲げて東南アジア諸国に介入したのも、又それが真逆の効果となって、恐れていた通りの結果になったのも、冊封体制以来の、中国の周辺諸国への影響力の根強さを逆に証明することになり、言わば裏側から「ポツダム体制」の妥当性―米中関係が基軸―を示すこととなったのである。

その際、以前の様な主導権は失ったものの、日本に加えて朝鮮半島(韓国)と台湾、即ち大日本帝国の範図(遺産!)を押さえていたことにより、政治的には首の皮一枚繋がった形になったのではあるが、とまれ、周恩来とキッシンジャーの会談(71)での、核武装を含む日本の潜在的な軍事的脅威への認識を一致させることで、米中間において、「ポツダム体制」の有効性を確認したわけである。

これに70年代前半の北東アジアの政治状況を重ねてみるとよい。

日米共同声明(69.11)で、朝鮮半島と台湾海域を自国の安全保障に結び付けて、同地域での軍事プレゼンスの増大を公然と表明した日本を受ける形で、中国は”日本軍国主義の復活”の一大キャンペーンを開始し、北東アジアは俄かにきな臭くなる―70年代前半の斯かる状況に上の米中の認識を重ね合わせれば、一方で日本を焚き付け、唆して、周辺地域での軍事的緊張を作り出しながら、他方でその抑え役としての米軍存在の意義を高めるという、典型的なマッチポンプにアメリカの政治的意図が透けて見えるであろう。

つまり、日本が軍事的プレゼンスを増大させ、軍事緊張を高めれば高める程、米軍の存在理由とその役割も高まり、「ポツダム体制」におけるアメリカのバーゲニング・パワーも高める事が出来る、という訳だ。


 このアメリカの仕掛けた罠を回避出来たのは、70年代半ばの、インドシナ半島からの軍事的敗退を伴う東アジアの激変によるものだが、田中政権による電撃的な日中国交樹立とその善隣友好路線で、佐藤路線を、事実上、葬り去った事も見逃せない要素であり、小渕政権までのいわゆる党人派政権でその路線は墨守され、東アジア(日中関係)は平穏だったのである。

局面が変わり、潮流が一変したのは清和会政権が登場してから、別けてもアベの再登板以降、かって(佐藤路線)に戻った―ばかりか、ルビコンを渡った感があるのはご存知の通り。


我々は、岸―佐藤路線が続いていたら―何が起きたのか?をこれから見せつけられることになるわけだが、アベにとって不幸なのは(という事は我々にとって僥倖ということだが)北東アジアの状況が一変していることである。 少なくとも50年前であれば、韓国や台湾に「反共」を前面に掲げる軍事政権が健在で、又人脈を中心に、大日本帝国の遺産とも言うべきものも残っており、日本の軍事プレゼンスの増大に呼応する動きも期待出来たのだろうが、今日ではそれが全く望めない状況になってきているのである。

―穿った見方をすれば、「帝国の遺産」が尽きようとする時だからこそ「帝国遺産の継承人」が登場した―ということだろうが。

従って、これは皮肉でも何でもない、歴史の不可逆性を示すものだが、アベの登場が却ってその傾向に拍車を掛けたと見るべきである。

わけても、歴史的経緯から、隣国日本の政治動向に人一倍敏感にならざるを得ない韓国にとって、”戦後レジームのチェンジ”を掲げ、「拉致問題の解決」を前面に立て、政治の中心に躍り出て来たアベの「日本を取り戻す」の意味するものが、瞬時にして、分かったことだろう。

かっての栄光を取り戻す!―かってと同様、その為の舞台であり、踏み台、即ちその犠牲にされるのが朝鮮半島である、ということが。

明治日本が帝国主義化していく出発点が「江華島事件」であり、踏み台にしたのが朝鮮半島である、又戦後いち早く蘇り、経済大国へのジャンプ台になったのも”朝鮮特需”=朝鮮戦争である。 そもそもが、上記の「日米共同声明」にも顕われてる様に、対外的なプレゼンスを高めようする時に―古代から此れまで、又地政的に言っても―先ず布石を打つ対象が朝鮮半島だったのである。


清和会政権以降ギクシャクし出した日本と韓国の関係だが、アベ登場と共に悪化の一途を辿った理由はここまで読んで来た人は解ると思う―繰り返すが、隣国日本の政治動向に人一倍敏感にならざるを得ない韓国にとって、半世紀前の「声明」のいよいよの具現化であり、自民党右派―近代日本の”レコンキスタ(失地回復)”を狙う―の中心人物の登極で、極東で、これから何が起きるか?−起こそうとしているのか?―が予想されたのである。 ―50年越しのマッチポンプの、その火つけ役が登場するに及んで。

従って、現在起きてる”日韓摩擦”の本当の意味は、アベの日本が、再び明治の様に、朝鮮ナショナリズムの圧殺者として登場して来たことを示す。
―のだが、それでは、此のまま、1930年代の様に、三度、アジアのナショナリズムの圧殺者になって行くのか?というと、ここまで読んで来られたら、これまた、それはあり得ないことは理解されたことと思う。

トランプの真の意図も読まず、当初の対北強硬発言の尻馬に乗って、「圧力」一辺倒でハシャギ捲くり、”核ミサイル危機”を世界に訴えかけても呼応し同調する動きは皆無、却って東アジアの周辺諸国から完全に浮き上がってる現実があからさまになる―ばかりか、トランプの態度急変に異様な醜態を晒す羽目になった事は、如何にこの政権が世界の流れから外れ、時代に取り残されているかを露呈する事になったのである。 ―この事が示す通り、精々出来てアメリカのバーゲニングパワーの―しかも格落ちの―手駒であり、恐らくは半世紀前程にも、その政治的、或いは軍事的影響力を発揮することは不可能なのである。


今回だって、アベの主観的には、日韓貿易摩擦を米中貿易摩擦の第二戦線として、日米一体化の一環とでも位置付けているかも知れないが、”トランプ亜流”と見做されて、軽蔑と警戒を呼び起こし、国際的には大きなマイナス要因でしかないだろう、第一、米中貿易摩擦の展開も含めて、ババを掴むだけに終わることだってあり得るのである。


しかも、である。 その結果、アベ登場以前は最も太かった北朝鮮とのパイプを断ち、自らを、対北の外交的袋小路に追い込んだ様に、朝鮮半島への(最後に残った!)経済的足掛かりをさえ、自ら断ち切ろうとしているのである。

斯くして、強硬度を増せば増すほど自らの首を絞め、これまで見てきた事で解る様に、内政外交共に、アベのやる事なす事全てマイナスの、負の連鎖のプロセスに入っている、と断ぜざるを得ないのだ。

http://www.asyura2.com/19/senkyo265/msg/771.html

[政治・選挙・NHK265] 日華事変(日中戦争)は日本にとって「対インディアン戦争」だった
ところで、戦後74年経つ現在においても、「大東亜戦争」についての国家的総括も国民的結論も得られていないのは何故か?
大東亜戦争即ちアジア・太平洋戦争について、「太平洋戦争」と明らかな因果関係にある、肝心の対中戦争について思考停止したままだからだ。


東條政権の「自存・自衛」に始まって、「大東亜戦争肯定論」(林房雄)や一般に流布している「白人支配からの解放」等、その殆どが対米英戦争に関してであり、本丸の対中戦争に関するものはごく少なく、負け犬の遠吠えの様な「日本だけが侵略国家だったのか?」ぐらいが精々な有り様。
考えてみるまでも無く、これは実に奇妙なことではないだろうか?

”侵略戦争”という評価からして対中戦争を指しているのであって、日本が先の戦争で動員した軍隊(陸軍)の大半は中国戦線で、また断罪されたものの多くが日中戦争に関わったもの―即ちカイロ宣言で告発され、ポツダム宣言で懲罰を宣されて、実際に「東京裁判」で裁かれた「戦争犯罪」の主要なものが中国において―にも拘わらず、である。


実は彼我のこの「評価」の落差、懸隔こそが先の戦争の真実の姿を見えなくしているわけだが、それを明らかにするとなると、朝鮮戦争からベトナム戦争、そして今日の南西アジアに至る”対テロ戦争”まで含めて、大戦後の「アメリカの戦争」まで対象化して考える必要が出て来るのである。 

即ち日本の対中国の「大陸政策」はアメリカの模倣とするH.ミアーズの視点『アメリカの鏡、日本』に従うなら、自ら「討匪戦」―匪賊※討伐戦―と呼んだ日中戦争は、日本にとって、「対インディアン戦争」に他ならず、また他方大戦後のアメリカの、中国をその真の標的とする対アジア政策―先ず朝鮮半島を北上し(朝鮮戦争)、膠着状態になると南進してインドシナ半島から入って泥沼に陥る(ベトナム戦争)―は日本軍(の行動)を上書きしたものだった、ということになる。

※匪賊とは悪党、ブッシュ流の言い回しでは”ならず者”という意味

つまりは、”タリバン政権相手にせず””フセイン政権相手にせず”で、”テロリスト”や”ならず者”退治に突っ込んでいった「対テロ戦争」は”国民政府相手にせず”で突っ込んでいった「討匪戦」の、またホーチミンよりもその背後の中ソの幻影に振り回されたベトナム戦争は、蒋介石よりもその背後の米英の影に振り回された日中戦争の正確な似絵だったということになり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そうして”コミュニスト”が”テロリスト”に変わった”対テロ戦争”は、アメリカにとって、その本質は、対日戦争の延長線上にある「対インディアン戦争」だった、ということである。


してみると、何故日本が日中戦争について、「侵略」という外からの評価のまま、日本に主体的な総括が出来ぬのか、分かろうというもの。

模倣したその相手から断罪され、しかもその相手は、今に至るまで、やり口を変えていないし、反省もしていないのである。

何が正しくて、何処が間違っていたのか、見当も付かない―精々真似する方としてはその態度を真似るしかない、といったところになるしかない。
挙句の果てに出て来るのは”日米は運命共同体”と、一蓮托生で、思考停止して仕舞う。


こんな場合、模倣する相手が、又は模倣すること自体が間違いだった、とはならないのである。
何故か? そこに近代日本が陥った宿痾と言うべきものが凝縮して現れ出ているのである。

脱亜入欧  ―意識が「脱亜」した日本は、欧から米へ模倣の対象が変わる事はあっても、アジアへの眼差しの脱落は変わる事はないのである。


視野を全体に拡げて見ていけば、先の戦争は明治以来の必然的な道行であり、明治の選択の破綻としか言いようのないものにもかかわらず。


更にもう一つ、

虚心坦懐に観ていくなら、ポツダム(カイロ)宣言で浮かび上がるのは、より露骨に言えば、日本は、太平洋を巡る覇権争いでアメリカに敗れ、アジアの”盟主”を巡る争いで中国に負けたということである。
そうして、世界、或いは国際政治的観点から言えば、大英帝国からアメリカへの覇権の交代で、日本は、双方からいい様に利用され、使い捨てられたという事実だけが残り、それは其の儘、これから先も使い捨てられる運命しか待ってない、ということを暗示する。

斯くして、アメリカは日本の死に至る病である

http://www.asyura2.com/19/senkyo265/msg/772.html

[政治・選挙・NHK265] 帝国の承継人  岸からアベへ引き継がれた錯誤! ―「太平洋戦争」はアメリカにとって「対インディアン戦争」だった
明治の成功に倣い、アメリカの覇権を助けー手先or手下ーになることで、対米、更には対世界への地位向上ーその先に、名実共に、対等な盟友として迎えられ、長州主導の明治の選択が正しかったことを、今度こそ、内外に認めさせる。

此れまでの一連の投稿にも記したが、アベの思い描く「日本を取り戻す」アウトラインは斯くの如きものだろう。


タイミング良く(?)祖父岸信介の首相在任時の外交文書が開示され、アベの言動が岸の「遺業」に在ることを示している。

だが、我々としては、この「遺業」にこそ近代日本の宿痾が凝縮して顕れ出ていると見るべきであり、アベを全面否定する根拠も、まさにそこに、この点にこそ在るのだ。

岸の「遺業」の、少なくともその中心に在るのは―対等な日米関係になる為の軍事貢献―その為の「憲法改正」を―というものだろう。
ー即ち「軍事貢献」をやればー積み重ねればー日米は対等な関係に成って行く(!)という思い込み、というより妄想。


何故、妄想なのか?

内閣の一員として、自らもその当事者であった大東亜戦争の意味―特にアメリカから観たイワユル「太平洋戦争」の意味―が全然理解出来ていない―当然の如く、自ら被告席に立たせられた「東京裁判」の国際政治的な意味も理解のソト。

岸自身の当時の言動から覗われるのは「負ければ賊軍」、即ち明治維新―戊辰戦争の敗者の立場になったという、まさに井の中の蛙―国内の論理の外延でしかない。

それは”栄光の明治”の立役者の一人である小村寿太郎の認識にも遠く及ばない―もしも、イロコワ族に擬えて、日本の立ち位置の危うさを指摘した小村の認識があれば、アメリカにとっての対日戦争とは「対インディアン戦争」に他ならず、従ってその勝利、翻ってその敗北は、日本は、アメリカインディアンの如く、居留地に封じ込められ、家畜よろしく、柵の中で無力化されること―占領体制の独立後バージョンである安保体制こそがその柵であることが分かろうというもの。


言うまでもなく、柵に入れられたまま対等な関係を求めるのは背理というものであり、従って「対等な関係」が謳い文句の「安保改定」はインチキ・マヤカシの最たるもの―その本質は「安保」の合理化、従って占領体制の合理化である。 また、だからこそ岸は「憲法改正して軍事貢献すれば」と、それをスリ替えたのだろうが、依然として、それがインチキ・マヤカシであることは変わらない―それは単なる願望、希望的観測に過ぎないからだ。 何よりも、その実例がお隣韓国である。


岸がもしも「憲法改正」に成功していたら、最初に「軍事貢献」したのは1964年に始まるベトナム戦争になったのは間違いないところだろうが、そのベトナムに、10年に亘って、米国以外では最多の、延べ32万に上る軍隊を派遣し、その意味では最大の「軍事貢献」をした韓国が、少しでも、対等な関係に近付いたかどうかを考えてみるがよい。 十指の指すところ、十目の視るところ、否!であろう。 
それどころか、「最大の軍事貢献」したが故にベトナム敗戦後の米国における戦犯追及(ロッキード事件等)の煽りを受け(コリアゲート事件)、排除された韓国大統領朴正煕と同じ様な運命を辿った可能性は極めて高いのである。 その事は、ロッキード事件及びグラマン事件で、日本における本来の(真の)ターゲットは岸であった事でも明らかだろう。 朴と同じ運命を辿らなかったのは、逆に、「軍事貢献」しなかった故に罪一等を減じられた、ということであろう。

まさしく「狡兎死して走狗烹らる」の図そのもの―その意味で、同じくCIAの子飼いで、米国に散々利用された挙句、捨てられたフセインやビン.ラディンと同類なのだ。

しかし、それよりも何よりも、致命的なのは岸の国際政治(状況)への無知である。

米軍や右派はその気であっても、米国自体は日本の「軍事貢献」に否定的であったというが、当たり前だろう。

 そもそも、アメリカの東南アジアを含むアジア諸国に対するリーダーシップの源泉は、その「自由」や「民主主義」等の理念と共に、”平和の破壊者”として、「日本軍国主義を打倒した」というところに在る。

しかも、大戦後20年、内外共に、戦争の記憶や傷跡未だ生々しく冷めやらぬ時である。
そんな中に、ベトナムを始め東南アジア諸国に、「元凶」とされた日本の軍隊が出て行くとなるとどういう否定的な政治的効果を生じさせるのか、火を見るよりも明らかというものだろう。

 東南アジアの政治や経済を牛耳る華人勢を中心に、「日本軍」への恐怖と憎悪が甦り、その眼差しは、やがて、アメリカにも向けられることになるのである。 それから遥かに時を隔てた90年代に至ってさえ、「湾岸戦争」後の「自衛艦派遣」を巡って議論が起きた時、東南アジアのご意見番役、リー・クアンユーシンガポール首相が「アルコール中毒患者にウイスキー入りのチョコレートをあたえるようなもの」と酷評して、同地域に残る「日本軍」への根強い警戒感を代弁してみせたが、現在においてもなお、基本的な構図は変わっていないのである。 その事を改めて示したのが、南シナ海での”中国包囲網”を目指したアベの目論見が、東南アジア諸国の沈黙の拒絶に出会って、敢え無く座礁したことだろう。 中国は嫌だが、それ以上に日本も御免蒙る、という訳だ。


アジア諸国に遍在する、斯かる日本への潜在的な脅威感に向けられたものが「在日米軍=瓶の蓋」であることは論を俟ないが、それは又日米安保体制(占領体制)の裏側の真実でもあるのだ。 
そうして真の問題は、斯かる周辺諸国の疑念が付き纏う限り、否、もっと、恐らくは国連の「敵国条項」に刻印されてる限り、「保護観察付き」の処分は解かれぬのである。 言うまでもなく、「保護観察」するお役目はアメリカ―それを「日米安保体制」と言ってるのだ。

そしてこの視点から見ると、「日米安保体制」は、「日本を守るため」などでは全然なく、ヤルタ体制=連合国体制の一環としての、戦後アジアの支配体制(=ポツダム体制―中国をジュニア・パートナーとし、共通の利害(日本封じ込め)を通して、アジアを管理する)の柱であるという冷酷な真実が見えて来るだろう。

また、当然のことながら、それは、そもそもが「アメリカの為のもの」である、ということも。 そうしてそれは、例え戦後の激変(中国共産党政権登場、朝鮮戦争等)が無かったとしても為された、ということも。

以上の様に見てくると、岸からアベに引き継がれたものが錯誤の上に在り、そしてその錯誤の根幹が先の戦争である、ということが解るだろう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo265/msg/774.html

   

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