[ペンネーム登録待ち板6] 習主席,岸田首相にお見舞いの電報
中国 習主席 新型コロナ感染の岸田首相にお見舞いの電報
2022年8月23日
中国の習近平国家主席は、岸田総理大臣が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたことを受けて、お見舞いの電報を送りました。
中国国営の新華社通信によりますと、習近平国家主席は、岸田総理大臣が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたことを受けて、22日、お見舞いの電報を送りました。
この中で習主席は「岸田総理大臣が新型コロナウイルスに感染したことを知り、心からのお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い回復を願っている」と伝えたということです。
そのうえで「ことしは中国と日本の国交正常化50周年にあたり、新時代の要請に応える両国関係の構築を、ともに推し進めていきたい」としています。
日中両国は、中国が海洋進出の動きを強めていることなどに加えて、台湾情勢の緊張も波及し、関係が悪化していますが、先週、秋葉国家安全保障局長と、中国の外交を統括する楊潔※チ政治局委員が会談した際には、国交正常化50年の節目を来月に控えていることも踏まえ、対話の重要性を再確認していました。
習主席は、アメリカのバイデン大統領が先月、新型コロナウイルスの陽性が確認された際も、お見舞いの電報を送っています。
*松野官房長官 中国側の対応を歓迎する姿勢示す
これについて松野官房長官は、記者会見で「お見舞いのメッセージがあったことは、両国首脳間の信頼関係の強化に資するものと受け止めている」と述べ、中国側の対応を歓迎する姿勢を示しました。
*習近平国家主席のプロフールとは ?
経歴[編集]
1953年6月15日、北京市に生まれる。1965年、中学校である北京市八一学校に入学したが、1966年5月の文化大革命の発生により学校が解散された。この事により習の学校教育が中断された[12]。習は世界最強の囲碁棋士の1人に数えられる聶衛平と北京25中学からの友人で、聶によれば中国人民解放軍の劉衛平少将との3人で「北京25中学の三平」と呼ばれていたとされる[13]。八大元老でもあった父の習仲勲が迫害された文化大革命において反動学生として批判された。紅衛兵によって十数回も批判闘争大会に引き出され、4度も監獄に放り込まれた[14]。
1969年1月から7年間陝西省延安市延川県に下放される中、1974年1月に中国共産党に入党した[15]。下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。1975年、時は文化大革命の期間中で全国普通高等学校招生入学考試が中断しており、中学1年以降に正式な教育を受けていない。しかし、「工農兵学員」という模範的な労働者・農民・兵士(個人の政治身分)の推薦入学制度を経て、国家重点大学の清華大学化学工程部に無試験で入学し、有機合成化学を学んだ[16]。1979年4月に同大学を卒業した後、国務院弁公庁及び中央軍事委員会弁公庁において、副総理及び中央軍事委員会常務委員の耿飈の秘書をかけ持ちで務めた。1985年にアメリカ合衆国を視察で訪問し、当時のアイオワ州知事で後に駐中国大使のテリー・ブランスタッドと親交を結んでホームステイをした[17]。1998年から2002年にかけて、清華大学の人文社会科学院大学院課程に在籍し、法学博士の学位を得た。しかし、海外の複数メディアから、論文の代筆の疑惑が報じられている[18]。廈門副市長、福州市党委員会書記を経て、2000年に福建省長となった。2002年11月、張徳江に代わって49歳で浙江省の党委員会書記に就任し、この時期に浙江省軍区党委員会第一書記、南京軍区国防動員委員会副主任、浙江省国防動員委員会主任を兼任した。2006年9月、上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委員会書記の陳良宇が罷免された。翌年の2007年3月24日、書記代理を務めていた上海の韓正市長に代わって上海市党委員会書記に就任した。これにより、第17期の党中央政治局入りは確実とみられた。同年10月の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「2階級特進」を果たし、中央書記処常務書記、中央党校校長に任命された[注 3]。上海市党委員会書記は兪正声が引き継いだ。中央党校校長時代は「幹部は歴史を学べ。世界四大文明の中で中華文明だけが中断せずに今日まで続いている」と述べた。後年にエジプト・イラク・インドなどを集めた「世界古代文明フォーラム」の共同設立[20]を唱える習の歴史観や思想戦略が既に形成されていたとされる[21]。
政治局常務委員・書記処書記
中国共産党第17期政治局常務委員には、胡錦濤直系である共青団出身の李克強も習と同じ第5世代の中核として選出され、習と李のいずれかがポスト胡錦濤となると見られたが、習が李よりも党内序列が上であり、また、胡自身も党総書記就任までの2期10年を中央書記処書記として経験を積んだことを考えると、習がポスト胡錦濤に一番近い存在であった。なお、習はかつて中央軍事委員会弁公庁秘書や南京軍区国防動員委員会副主任などを務めており、第17期政治局常務委員で唯一国防文官の経歴を有する人物であった。この事は習と軍部との結びつきを強める一因ともなった。
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/15939.html
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