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[ペンネーム登録待ち板6] 万死に値のゼレンスキー大統領転向 !


万死に値のゼレンスキー大統領転向 !

植草一秀氏ブログ「知られざる真実」 2022年10月11日

戦争はおろかなことだ!戦争に勝ちも負けもない。
あるのは滅びだけである。
永井隆博士のこの言葉をかみしめるべきだ。
ロシアの攻撃は非難してウクライナの攻撃は絶賛する。
これは反戦の主張でなく戦乱推進の主張だ。
ウクライナ戦乱で犠牲になっているのはウクライナの市民と前線で戦うロシアとウクライナの兵士だ。
ウクライナ市民も戦乱に巻き込まれて苦しみを強要されている。
ウクライナ議会は国家総動員令を制定した。
成年男子は国外避難を許されない。
国家総動員令の下、戦争に駆り出されている。
ロシアだけが市民に苦役を強いているわけではない。
そもそもウクライナの国境線の設定に問題があった。
かつてウクライナがソ連邦に属していたとき、便宜的に国境線が定められたが国民国家としての国境画定とは程遠いものだった。
ウクライナが国家として独立して31年の時間しか経過していない。
そのウクライナは西北部と東南部で成り立ちがまったく異なる。
西北部はウクライナ語を使用するウクライナ人が多数を占め、宗教はカソリック。
東南部はロシア語を使用するロシア系住民が多数を占め、宗教はロシア正教だ。
この国で一方の勢力が他方の勢力を支配しようとすれば、必ず分裂か内戦になる。
こう喝破したのはキッシンジャー米元国務長官だ。
ウクライナ独立後、親ロシア政権が樹立された。
このウクライナで親ロシア政権を打倒し、親米政権を樹立する政権転覆が2度にわたって実行された。2004年と2014年だ。
いずれも米国が地下工作を展開し、政権を転覆したもの。
この政権転覆の正統性が疑われている。
2004年は選挙で親ロシアのヤヌコビッチが選出された。
米国が創作した市民グループが不正選挙を叫び、再選挙が行われた。
親米候補のユシチェンコの顔面がダイオキシン中毒でただれる事態が発生した。
2回目選挙の前にユシチェンコサイドが中毒は親ロシア勢力による謀略であるとアピールだ。
しかし、実際には、ユシチェンコサイドの自作自演の可能性が疑われている。
このダイオキシン騒動が影響してユシチェンコが大統領に選出された。
しかし、ユシチェンコ体制は長続きしなかった。
政権の腐敗が深刻化し、2010年の大統領選で,親ロシア派のヤヌコビッチが,大統領選で正式に勝利した。
そのヤヌコビッチ政権を転覆する工作が展開されたのが2013年から2014年にかけてだ。
ヤヌコビッチ大統領は,EUとの連携協定が,ウクライナ国民の利益にならないと判断し、連携協定への署名先送りを決定した。
これに合わせて大規模デモが創設された。
米国の地下工作によるものだ。

*ゼレンスキー大統領のプロフールとは ?

来歴[編集]

生い立ち[編集]
1978年1月25日、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(当時)のクルイヴィーイ・リーフにユダヤ系ウクライナ人として生まれた[12][13][14][15][16]。44歳だ。
父のオレクサンドル・ゼレンスキーはドネツク・ソヴィエト貿易研究所(ウクライナ語版)(現・ドネツク国立経済貿易大学)のクルイヴィーイ・リーフ校に勤務する研究者で、母はエンジニアであった[17][18][19][注 1]。父の仕事の関係で、幼少期の4年間をモンゴルのエルデネトで過ごした。祖父はソ連軍でナチス・ドイツと戦い、親戚の多くがホロコーストで命を落としたという。
子供時代からゼレンスキーは話芸の才能を示し、旧ソ連時代からの伝統を持つロシアのバラエティー番組『KVN(ロシア語版)』(Клуб весёлых и находчивых、面白い奴らのクラブ)にウクライナ代表のアマチュア芸人として出演している[20]。学業面ではキエフ国立経済大学のクルィヴィーイ・リーフ校で法学を専攻しているが、大学卒業後は法曹ではなくコメディアンへの道を選んだ[12][21]。
ウクライナ東部出身のために母語はロシア語。元々ウクライナ語は苦手で俳優業やメディアではこれまでロシア語を使用してきた[22][23]。大統領当選以降はウクライナ語の特訓を受け、会見等ではウクライナ語を使うことが多くなったが、誤解が生じると感じた場合は通訳を通さず英語で話すこともある[10]。

大統領就任[編集]
2019年5月20日、大統領就任[1][2]。同年7月21日に行われた最高議会選挙では、自身の新党「国民の僕党」は、424議席中240議席以上を占める圧勝をした[48]。ウクライナの議会選史上、初めて単独過半数を大きく上回る勝利で、現有議席ゼロから一気に第1党になった[49]。
しかし、ウクライナが抱える経済、汚職、紛争といった難問を解決できず、当初7割台だった支持率は下落した[50][51]。自身もまた、選挙から支援を受けていた存在がウクライナのオリガルヒのイーホル・コロモイスキーである為、検事総長や国立銀行総裁らを排除したと指摘されていた[52][53]。また、「ミンスク合意」で取り決められた親ロシア派の分離独立を認めずに「主戦論」を唱える民族派の猛反発に直面。この状況に対処するため、自らも失地回復を唱えるように方針転換をした[50]。そのため、ロシアとの関係正常化はなくなった。その後はミンスク合意の反故やNATO加入に対する西側諸国の支持取り付けに動いたが、2021年9月の訪米でも法律主義や経済の未熟さを理由に回答は得られなかった[54]。こちらでも成果をあげることはできず、2021年10月には支持率25%まで後退した[55]。
2021年3月5日、アメリカ合衆国国務省はゼレンスキーの政治支援を行っていたウクライナのオリガルヒ・イーホル・コロモイスキーとその家族を知事時代の不正蓄財容疑で入国禁止処分とした[56]。
同年10月26日、東部の紛争地域で親ロシア派武装勢力への攻撃にトルコ製ドローン「バイラクタル TB2」を初めて使用。親ロ派の後ろ盾のロシアは27日、紛争をエスカレートさせる恐れがあると警告していたが、攻撃動画を公開し、欧米がウクライナに苦言を呈する中、ゼレンスキーは29日、「領土と主権を守っている」と強気の声明を出した[57][58]。年内に50機の購入計画に加え、翌年2022年2月3日にトルコ企業が開発した攻撃ドローンに関して、ウクライナでの生産を進めることでトルコ側と合意。記者会見でゼレンスキーは「新たな(ドローン)技術は、ウクライナの防衛能力強化を意味する」と述べた[59]。


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