1. 義仲寺と阿蘇の火の神[1] i2CSh46bgsaIopFogsyJzoLMkF8 2022年4月24日 16:34:00 : yscXBTvscM :TOR RkpSOXRtMGlCSUk=[68]
北海道知床遊覧船の事故で思い浮かんだのが
内田康夫の浅見光彦シリーズでも扱われた
「七里ヶ浜の哀歌」(真白き富士の根)
>アメリカの讃美歌を原曲に用いた転覆事故の鎮魂歌
>事故の犠牲となったのは、
>神奈川県逗子開成中学校の12人の生徒たち。
>ボートは沈みぬ 千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
>みたまよ何処に 迷いておわすか
>帰れ早く 母の胸に
時系列で振り返ると
「開成本校」そして「早稲田」出身岸田首相は
熊本を訪問していたようである
>観光船浸水で首相が帰京
>熊本訪問切り上げ
>岸田文雄首相は23日夜、熊本県訪問の日程を切り上げて
>自衛隊機で東京に戻った。
因みに青函トンネル内特急列車発煙事故が起きたのは
七年前の四月三日である
逗子開成中学校・高等学校について調べると
>戦前・戦中期
>太平洋戦争前は帝国海軍の退役将官が校長を歴任し、
>学年を「中隊」・学級を「小隊」と改称したり、
>「振武隊」と称する楽隊(現在の吹奏楽部)を作って
>軍艦行進曲を演奏させるなど、
>校風はきわめて軍隊調となっていった。
>これらの海軍寄りの校風から
>卒業後の進路として海軍兵学校を志す者も多く、
>終戦を迎えるまで逗子開成は
>半ば海軍兵学校の予備校のようになっていた。
先日湘南で故石原慎太郎氏の遺言である海洋への散骨が
行われたことも報道されている
>近年
>その後、1984年に旧経営陣を一掃し
>自ら理事長兼校長となった徳間の下で種々の改革が行われた。
この徳間氏は1980(昭和55)年の暮れに起きた
同校の北アルプス八方尾根遭難事故の学園の騒動にも対処
その徳間康快氏(とくま やすよし、1921年10月25日 - 2000年9月20日)は
ウィキペディアによると日本の実業家・映画プロデューサーとあり
「大映」そして「徳間ジャパン」の社長を務めているそうである
>来歴
>逗子開成中学校を経て、
>早稲田大学商学部卒業。
>青年期は日本共産党に入党していた。
>1943年に読売新聞社(現・読売新聞東京本社)に入社したが
>読売争議により1946年、2年半で同社を退社。
>同盟通信を退いた松本重治の民報で社会部次長となるが1948年に倒産。
http://www.asyura2.com/22/cult38/msg/189.html#c1