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帰還した731部隊員 i0GK0oK1gr03MzGVlJHgiPU コメント履歴 No: 100000
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[原発・フッ素38] 驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 魑魅魍魎男
60. 帰還した731部隊員[1] i0GK0oK1gr03MzGVlJHgiPU 2025年2月08日 18:04:54 : Rls7YUGpuk : YVEuWTBjR2pxN2s=[59]
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無事に内地に帰還した731部隊員が何をやったのか?
https://matome.naver.jp/odai/2150268676836515401

大半の隊員が、医師免許を持っていて、帰還後、大学の研究者になったり、
厚生省の医官になったり、あるいは、新しい医療産業を創立したりした。
例えば、ロボトミー実験手術で悪名高い、東大医学部教授、台弘の名前も、
帰還者名簿に掲載されている。
731部隊員を疑われていた山下俊一の恩師、重松逸蔵の名前は記載されていないが、
関係者だったと疑われている。

https://web.archive.org/web/20150807215132/http://hirukawamura.web.fc2.com/731/731.htm

戦後、数十年の間は、厚生省医官や六大学医学部教授は、
731部隊出身者でなければなれないともいわれるほど、医学界での確固たる地位を占めていた。
内藤良一らは、731部隊での研究成果を生かして、戦後、血液関係の企業を興し、
ミドリ十字社を創立し、血液製剤・ワクチン製造業を始めた。
代替血液として開発されたフルオゾールも731部隊の研究成果といわれるが、
有毒性のため医療からは消えた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%89%E3%83%AA%E5%8D%81%E5%AD%97

内藤らが戦後、最初に行った事業は、日本ブラッドバンクという血液事業であった。
私の記憶では、1960年代まで、名古屋市の太閤通3丁目の交差点から黄金通りに入った右側に、
血液銀行の建物があって、ここに年中、浮浪者が集まって血を売りに来ていて、
周辺の雰囲気は頗る悪いものだった。
売血に来るのは顔色の悪い麻薬常用者などばかりで、人が倒れているのは普通のことだった。
ほぼ全員が、肝炎を患っていたのではないだろうか?

これが日本に肝炎ウイルスを蔓延させたと社会的糾弾を受けて、
日赤に事業を譲渡してから、今度は、血液製剤事業であるミドリ十字社を設立したのだが、
これも、帝京大、安倍英らによるHIV感染拡大などで、信じられないほどの杜撰さ、
人権軽視が暴露されて、今は三菱ウェルファームに譲渡されている。

問題は、日本ブラッドバンクが社会的に否定されてから、たくさんの社員を食べさせるために、
あるいは金づるを維持するために、同じ731出身の厚生省医官と結託して、
「エックス線検診協会」を作りだし、児童結核集団エックス線検診を法的に強制することで、
新たな検診巨大利権を作り上げたことだ。
先に書いた、中村区の血液銀行が消えた跡地には、結核集団検診協会ができて、
エック線撮影バスが停まっていた。

これが、冒頭に紹介した労働安全衛生法の集団胃がんエックス線検診という巨大利権に発展し、
バリウム検診によって癌を発見するよりも、
もの凄い被曝量によって癌を発生させるイニシエーションと認定されている、
日本以外の国で、すべて否定されているエックス線強制検診が、
厚生省による法的強制の上にあぐらをかいて行われるようになり、
未だに強固な組織で続いている。

バリウム胃がん検診では、一回につき、冒頭に書かれている20ミリどころではなく、
動態観察では50ミリシーベルト近い被曝量が常識といわれている。
ICRPは、「累積線量」が100ミリシーベルトを超えると、発癌リスクがあると明記していて、
仮に毎年20ミリを検診で浴びていれば、5年でリスク線量を突破するのである。
普通は、二回も受診すれば、100ミリシーベルトを軽く超える可能性がある。
https://www.anktokyocancer.or.jp/endoscope/barium/

https://biz-journal.jp/2016/08/post_16493.html

また、厚生省によって児童エックス線検診が始まったのは、1950年頃で、
この当時のX線技術は、まだ未熟だったので、被曝量がもの凄かった。
https://jata.or.jp/rit/rj/373-18.pdf
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/205.html#c60

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