6. よろぼい日記[1] guaC64LagqKT@otM 2023年2月19日 14:10:07 : lCBVZw9plM : UE16akZRbmdIZUU=[2]
●●ミルクのみ人形……♪毒死列島 身悶えしつつ野辺の花♪by石牟礼道子●●
むざんにうつくしく生まれついた少女のことを、ジャーナリズムはかって、“ミルクのみ人形”と名づけた。現代医学は、彼女の緩慢な死、あるいはその生のさまを、規定しかねて「植物的な生き方」ともいう。
黒くて長いまつ毛。切れの長いまなじりは昼の光線のただ中で茫漠たる不審に向けて見ひらき、その頭蓋の底の大脳皮質や小脳顆粒細胞の“荒廃”や“消失”に耐えている。
――ゆりちゃんかい。
母親はいつもたしかめるようにそう呼びかける。
――ごはんうまかったかい、と。――どれどれおしめば替えてやろかいねえ、と17歳の娘に向かって呼びかける。
奇病にとりつかれた6歳のときから、白浜の病院でも、熊大の学用患者のときも、水俣市立病院の奇病棟でも……ずっと今までそうやって来たのだ。
姉娘は“軽症”だから入院できないから、家におかねばならない。
夫は専業漁師をやめて、失対人夫にゆく。
冬は、夫婦とも手がしびれる。唇のまわりも。
母親はかすかな笑みをうかべていう。――わたしどんも水俣病ばい。箸ばおっこしよったもね。このへんの者は誰でん、しびれよったばいあの頃。
しかし、この夫婦は名のり出ない。“このへんの者”たち同様に。
カラス ナゼナクノ
カラス ハ ヤマニ
カアイイ ナナツ ノ
コガ アルカラヨ
娘はそううたっていた。4歳のころ。カラスナゼナクノと母親は胸のなかで唄う。
「とうちゃん、ゆりは達者になるじゃろうか」
「……」
「まさか達者にゃなるめえな」
「――さあ、なあ」
「とおちゃん、ゆりは、とかげの子のごたる手つきばしとるばい。そして鳥のごたるよ」
「あんまり考えるな、さと」
「魂のなか人形じゃと、新聞にも書いてあったげなが……、大学の先生方もそげんいうて、あきらめたほうがよかといいなはる。親ちゅうもんはなあ、あきらめられんよなあ。おかゆを流し込んでやればひっかかりながらものどはすべり込む。便もおしっこも人間のものを出しよるもね。手足こそ鳥の子のようにやせ干こけるが、顔はだんだん娘らしゆうなっていきよるよ」
「そうじゃなあ」
「とうちゃん、ゆりが吐きよる息は何の息じゃろか――。草の吐きよる息じゃろか。うちは不思議で、よくゆりば嗅いでみる。やっぱりゆりの匂いのするものね。ゆりの汗じゃの、息の匂いのするももね。体ばきれいに拭いてやったときには、赤子のときとはちがう、肌のふくいくしたよか匂いのするもね」
「いくら養生してもあん子が性根は元に戻らん。目も全然見えん、耳も聞こえん。えらか先生に何十人も手がけてもろうて治らんものを、もうたいがいあきらめたほうがよか」
「あきらめとる。あきらめとる。大学の先生にも病院にもあきらめとる。まいっちょ、自分の心にきけば、自分の心があきらめきらん」
「もうあきらめろあきらめろ、頭に悪かぞ」
「あきらみゅうあきらみゅう。ありゃなんの涙じゃろか、ゆりが涙は。心はなあんも思いよらんちゅうが、なんの涙しゃろか、ゆりがこぼす涙は、とうちゃん――」
●熊本大学水俣病研究班が昭和31年から10年の歳月をかけてまとめ上げた「水俣病に関する研究」の中に変わり果てていく少女の姿が散見的に、記録されている。●
例2 杉原ゆり 女(No4)
発病年齢 5年7ヶ月
発病 昭和31年6月8日
漁業、姉も発病、本人はそれまでまったく健康。
7月 視力障害。発語不能。
8月 狂騒状態。嚥下障害。泌尿失禁。
●毒死列島 身悶えしつつ野辺の花●
石牟礼道子さんの「苦海浄土」草の親より。
http://www.asyura2.com/22/genpatu54/msg/196.html#c6