「日本の市民の皆様へ」と言う題目で2011年から断片的に本ウエブに投稿をして来た者です。このウエブの読者の方々は殆ど男性だと思います。貴方達の知り合いの女性の、或は女性のお子さんお孫さんの方々に今後続く一連の最終投稿を読んで貰える様勧めて頂けたらと思います。今の日本の社会は人口の半分を占める女性が市民として覚醒しない限り良い方向に向かうとは思えない。小生時代遅れのオッチャンなもので、FacebookやTwitter等のアカウントを持っていません。どうか私に代って本投稿をTwitter等で拡散して下さい。心よりお願いします。
おい、大丈夫なのか、今のままで?何が悪いのだろう?どうしてこうなってしまったのか?
何故世間の皆さんはこの問いを発しないのだろう?私が何を言いたいのかもう判るでしょう?日本の社会が病んでしまった事。会社もそうじゃないか?日本の産業界の宝と言われた半導体の会社東芝、シャープ、サンヨー等見事に凋落を通り越して没落してしまったがこれも日本の社会が病んでしまった結果生じて来た問題のほんの一部なのである。その様な事も気にしないでお笑い中心のTVやLINEに夢中な日本の市民。日常の自分に、社会に問いがないから、本当の事が見えなくなってしまった。
さて、今まで直近でほぼ一週間毎に投稿して来た章は以下となります。
1章 破壊されてしまった三権分立の原則
2章 音楽は政治を批判してはならない
3章 欲望の行き着く果てに
4章 何処から、何処へ、何ゆえに <== 今回分
5章 そして全てが逆行する社会へ
6章 喧噪の中で失ってしまった大事な事
7章 行為とその帰結。怒りと不安と希望と
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4章 何処から、何処へ、何ゆえに
この様な人間としてのモラルから派生する問いを投げかける事が出来る現代日本の政治家はまず居まい。当たり前の問いなのだが政治家がそれを言ったらキザなのだ。その判断をするのにはまず政治家の眼を見よ。そしてその眼光に人々に共通な気持ちが宿っているかどうかで判断して下さい。そして、言葉が軽い政治屋は内省が軽いかそれとも無い事を理解すべきなのである。こんな面々が国会に大きな顔をしてのさばってるから日本の市民の生活苦が一向に改善出来ないのである。前章と同様この章にて喧噪と欲望 対 沈黙、内省とモラルについて考える。
国政を司る者達、政治家や官僚組織の各省の従業員達がギトギトとした欲望に溢れ、強欲な人間達であったらその社会において子供達を含め、日本の市民一人一人がにこやかに又幸せな気持ちで明るく暮らせる様な政治が実現出来るのであろうか?否、断じて否だ。日本の市民の声が国政から無視され続けられ、日々大変な思いをしながら生き残りに必死になって努力している事。世相が暗いのはこの様な行き詰まりの社会で前に進もうと暗闇の中を這っても、這っても明るい出口が見えないから。これは己の投票権を行使し強欲な面々を選んだ、或はこの政治的な表現の自由、即ち投票権を行使しなかった為に強欲な政治屋が低い支持率にも関わらず選ばれ、国政を取り仕切っている事の帰結/結果の訳。その様な社会に今我々は生きている。
そうなのだ。「欲望の行き着く果てに」自分の欲望のまま行為する人と「何処から、何処へ、何ゆえに」を己に問え続ける人において、その2つは真逆の性向なのである。身近な例として、天皇皇后両陛下の眼からは誰も欲望の「よ」の字も感じ取る事は出来ない筈である。一方公務上での各地を訪問され続けていらっしゃられていたが、それぞれの場所でとった行為やそこで発した言葉の奥底には両陛下を突き動かしているお気持ちが読める筈。それは、権力欲にまみれた原理主義者達と政治屋が、静かにそして非常に長い期間をかけて国体の変革を希求し、変革に向けての法律を立法し、昭和の戦後の産みの苦しみの結果としての「平和」、を陵辱し続けて駆け抜けて来た平成の時代を見ればよい。表面上は静かだがこの激動の平成の時代の終わりにあたり、昭和と言う過去におこった出来事を背負ってこれを振り返り、未来を見据えながら、この日本は「何処から来て、何処へ行こうとしているのか、そして何ゆえに」との問いを発しているのを感じ取れるのは私だけだろうか。お気持ちを察すればおそらく両陛下はこの日本で、日本の憲法が改憲されてしまうのを目撃したくないと一番強く願っているのではと私は思うのである。
心の状態。何ら目新しい言葉ではない。心此処に有らず。貴方の心は"busy monster"か?それとも貴方自身が"busy monster"なのか?心が落ち着いていないのである。他方は、心此処にまします。心が鎮座している。この世界の中、私と私の心、貴方と貴方の心、私の家族、私の家族の内にある心、これらを自然と内省する生活。
この章で表題に引用した言葉はドイツの精神分析家で哲学家のKarl Jaspers[1]が1964年にドイツのTVで講義した内容を本にした「哲学の学校」[2]と言う著作から取った。人は一体何処から来てそして何処へ行こうとしているのか。又何ゆえに?と言う問い。人間存在の意味又は意義とでも言えるか。Jaspersは精神病理学者、哲学者で第二次世界大戦後の西洋哲学に多大な影響を与えた人である。
さて、1945年7月16日に米国ニューメキシコ州にて行われた人類最初の核実験が行われ、1ヶ月も経たずに無垢の日本の市民の頭上に2回にわたり原子爆弾が投下され、核兵器開発の黎明期に既にこの兵器の使用が現実となってしまった。その後1952年に水素爆弾の核競争の時代に突入[3]した結果核の存在が蝕む人間存在の意義を非常に深く憂う時代が到達した。暫く後の1958年、人間存在の意味を問うJaspersが"The atom bomb and the future of man"[4]を出版した。東ヨーロッパと背後に控えるソビエト連邦と対峙する核の前線西ドイツにおける市民生活の中、何時核戦争が始まるのか不安に囚われた息苦しさを予見するしかし明かりへの道筋を示す本である。その本の序文の中で"An altogether novel situation has been created by the atom bomb. Either all mankind will physically perish or there will be a change in the moral-political condition of man. This book is an attempt to clarify what strikes us as a choice between two fantasies."日本語訳すると、「目新しい事態が一挙に原子爆弾により創られてしまった。全人類が物理的に死滅するか、人間の中のモラルと政治の関係に変化がおこるかのどちらかになるだろう。この本は、この空想的である二つの状況への選択が、私達の心に何を突きつけるのかを明らかにしようと試みる本なのである。」
非常に大事な問いだ。予見に基づいた行動が出来るかどうか。何もしないで人間が滅ぶのを選ぶか、手探りながらも明かり(希望、生存)の方へ這い出て行くのか。この問題は他人事ではない。人類の持続的な生存の可/不可が問われている訳。これは人々のモラルが政治を動かし核兵器を廃絶出来るか。残念ながら現在もこの作業中であるが。だが人類を取り巻く問題は核兵器だけではない。環境問題もしかり。更に裏カバーで以下この本を紹介しているコメントがある:"... Our hope, Jaspers believes, lies in the possibility that fear of nuclear warfare will pervade the individual consciousness and grow into a new ethos, a moral force in history, that could create a politics adequate to the threat of extinction...."日本語訳は、「Jaspersが信じる処によると、核戦争の恐れが個々人の意識の中に浸透しこれが新たな'ethos'として育ち、歴史上のモラルの力となり、絶滅の脅威に対する適切な政治を産み出す可能性、の中に我々の希望がある。」
このコメントは息詰まる悪意に満ちた社会や国家が本書発刊41年後の1989年のベルリンの壁の崩壊の後消滅させられてしまった原動力、モラルの力を思い浮かべさせてくれる。尚Google translateでは'ethos'は: the characteristic spirit of a culture, era, or community as manifested in its beliefs and aspirations... synonyms: spirit, character, atmosphere, climate, mood, feeling, tenor, essence, disposition, rationale, morality, moral code, value system, principles, standards, ethics"日本語訳:「信念や向上心の中に現れている文化、時代、又は地域の特徴的な精神。同義語:精神、キャラクター、雰囲気、風潮、ムード、気持ち、進路、エッセンス、気質、道理をわきまえた、道徳、道徳的なおきて、価値観のシステム、原則、基準、倫理」。私はこれを社会の雰囲気、風潮と理解している。
そう。病んだ、悪意に満ちた希望の持てない日本の社会の風潮(ethos)。日本は一体これから何処へ行こうとしているのか?善良なる人々が邪悪な欲望だらけの風潮に対抗する新たな、モラルのある風潮を産み出して行かなければならない時代となったのは確実である。
5章の教訓: 「モラルも良心もない人々が政治に携わってはいけないのである。」と何故ハッキリ言わないのか?
参考文献等:
[1] 「カール ヤスパース、」 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9
[2] 「カール・ヤスパース、『哲学の学校』 (No.760 10/07/01)」、ミネルバのフクロウ、
https://weltgeist.exblog.jp/11445450/
[3] 「核兵器の歴史」、ウィキペディアより、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
[4] Karl Jaspers, "The atom bomb and the future of man," 英語版、1961年 The University of Chicago
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/751.html