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どう思われますか gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ コメント履歴 No: 100000
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[Ψ空耳の丘Ψ62] 惑星ニビルの謎 3 あのに
5. どう思われますか[1] gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ 2017年7月24日 14:04:18 : p3o7zdHfE2 : nouVy@mrcSM[2]
こんにちは。カテ違いで初歩的なコメントで申し訳ありませんが、(Cを導く根拠に@Aを用い、BはCを補強)、どのように思われますか。

@ 『遺伝子DNAは誰が作ったのか』

 地球上の全ての生命に遺伝子DNAが組み込まれていますが、1mとか2mとかの長さがあり、4種の塩基配列は複雑精巧なもので、自己修復機能まで有します。

 こんなものが自然や偶然に出来るわけが有りません。作ったのは「遠い未来の人間」です。

A 『物質(原子)は誰が作ったのか』

 地球上の物質(原子)は百余り有りますが、陽子・中性子・電子の3者で構成され、それ以外の構成は存在しないし、規則性とか法則性に支配されています。

 中性子は中性子線を内包し、特定の物質(原子)もα線とかβ線などを放射して崩壊し、電子は電荷を内包しています。

 こんな複雑な物が自然や偶然で出来るわけが有りません。原子を作ったのは「遠い未来の人間」です。

 (uクォークとかdクォークとか中性子のβ崩壊で発生する陽子や電子ニュートリノなどの難しい話ではなく、単に『こんなもの(原子)が自然や偶然に出来上がるものか』ということを、お尋ねしております。)

B 宇宙の始まりが無機であったとしても、進化の途上で有機(生命とか生活機能)が生まれ、さらに彼らが多様な進化を遂げたうえで、人間や様々なものが作り出された可能性は否定されるものでしょうか。

C 『今の世界は虚構であり、私たちは人工的に作られた肉体を使って、人工的に作られた「場」で生活をしているのであり、本当の自分は「DNAや原子を合成する科学を持った遠い未来」(真実の世界)にいます。』という発想は、(無限回の問答は抜きにして)、成り立つでしょうか。

 (平行宇宙だとか重畳宇宙だとか「メビウスの輪」だとかの難しい解釈ではなく、もっとシンプルで単純な答えが見つからないものでしょうか)。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/259.html#c5

[ペンネーム登録待ち板7] 記紀神話で遊ぼ (その6の4)「天孫族と出雲族の相続人争い」
「天孫族と出雲族の相続人争い」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、天孫族も出雲族も根っこは同じではないか思っています。

@ 父親は誰ですか。

 天孫族というのは、一般に、その直接の祖神をアマテラスとしていますが、天孫族の代表である神武天皇の祖神にあたるところの「天孫降臨」したニニギの父親がオシホミミになります。

 そこで、『オシホミミの母親はアマテラスですが、父親は誰ですか』、と尋ねると皆さん絶句してしまいますが、父親はスサノオなのです。これは「記紀神話」にも書かれてありますが、アマテラスとスサノオが誓約(うけい)をして「八柱の御子神」を産んだことが書かれてあります。

 ところが、対抗する出雲族のルーツにあたる父親もスサノオなのです。ですから大局的に見ると、(スサノオの子供であるところの)異母兄弟たちが相続人争いの権力闘争をして、最後に勝利したのがアマテラスの子孫に過ぎないということになります。

A なぜ、天孫族はスサノオを伏せてしまったのか。

 天孫族が先祖の系図を作るにあたって苦心したのがスサノオの存在ですが、スサノオを祖神とすると、制圧した出雲族と同族であるし、首都であった出雲を「国譲り神話」で強奪したことも後世の汚点となりますから、何としても隠すために母系相続制度を利用してアマテラスにしたものと想像します。
 (10月を「神無月」といいますが、出雲地方で「神有月」と呼んでいるのは、国々の神々が出雲に参集した名残りと言われます)。

B 古代は母系相続だった。

 北九州の女王がアマテラスで、出雲の女王がクシイナダヒメで、両者の夫たる大王がスサノオでした。
 アマテラスは、やがて「国譲り神話」で出雲を制圧しましたが、その後の何らかの大変動により、孫のニニギは南九州に落ち延びました。「天孫降臨」が霧島だとか高千穂だとか言われ、神武天皇にいたるまで鹿児島宮崎方面にいたことは歴史的な事実のようです。

 (ちなみに、オシホミミの墓所は、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の「忍骨命」というのが定説です)。

C 「宮中八神殿の神」の謎

 宮中の八神は第1位から、神産日神(カミムスヒ)、高御産日神(タカミムスヒ)、玉積産日神(タマツメムスヒ)、生産日神(イクムスヒ)、足産日神(タルムスヒ)、大宮売神(オオミヤノメ)、御食津神(ミケツ)、事代主神(コトシロヌシ)の順に祭られていると言われています。

ここで、学者の間で問題にされているのが3点ありますが、第1順位にアマテラス寄りのタカミムスヒよりも出雲との関連が強いカミムスヒがあること、アマテラスが無いこと、出雲神と思われる事代主神が祭られていることです。

D 結局は、「天孫族と出雲族の争い」はスサノオの子孫同士による権力闘争でしたが、これは「伊勢と出雲」、「伊勢と元伊勢」の関係にも当てはまるのではないでしょうか。
 子孫の骨肉あい争う姿を見て、祖神のスサノオの大神は、どちらを応援してよいのやら、さぞかし悩んだことでしょう。


★ 有り難う御座いました。今後とも宜しく御願いします。

http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/696.html

[ペンネーム登録待ち板7] 記紀神話で遊ぼ (その6の4)「天孫族と出雲族の相続人争い」 どう思われますか
1. どう思われますか[2] gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ 2017年11月13日 11:38:52 : p3o7zdHfE2 : nouVy@mrcSM[3]
3回、読みました。

追記、この本文の投稿は「空耳の丘」でよろしいか。
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/696.html#c1

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の2)「伊勢と出雲の相関性」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「伊勢と出雲の相関性」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、伊勢と出雲は同じものであり、裏と表の関係にあるのではないかと思っています。


A 伊勢と出雲は同じものであり、裏と表の相関関係にある。

 伊勢を活用変化させると、イサ・イシ・イス・イセ・イソとなり、サ行とタ行は相互変換が可能であり、イタ・イチ・イツ・イテ・イトとも発音されます。
 このため、イセ→イス(イツ)→イスモ(イツモ)となり、出雲に変換することも可能です。

 つまり、伊勢=出雲となるわけです。 (単なる言葉遊びと云われれば、それまでですが)。


B 奈良に、日本の首都の「出雲」があった。

 ここで、伊勢に対応する出雲ですが、奈良県桜井市に出雲の地名があります(三輪山の東南にある長谷寺に続く谷です)が、出雲からの移住説とか初めから出雲の地名があった説などがあります。

 この「出雲」をマオリ語では「イツ・マウ」と表すそうです。(同様に「申す」は古代の「マウス・マオス」が現在は「モウス」と発音しています)。
 そこで、出雲を「イツ・マ」と発音し、「稜威・間」と書くと「神聖な威光のある、間(場所)」となり、オオモノヌシの「三輪山王朝」に繋がります。

 (「三輪王朝」とは崇神天皇や垂仁天皇の王朝、あるいは欠史八代の天皇の王朝を指すそうですが、私の言う「三輪山王朝」とは大物主を神と崇めた王朝のことを言っております)。

 ですから、出雲は単なる出雲ではなく、神聖な土地、つまり王城の地という意味も有ると思います。

 もともと、日本語は、南方言語や半島言語や中国語(古代の呉語・漢語と現在の中国語は発音が異なる)が折り重なっており、発音も地方で異なり、さらに時代でも発音の変遷があります。


C 元伊勢は、出雲族の聖地だったし、霊的因縁を持つ「因縁の身魂」の土地である。

 それから、伊勢に関連しての「元伊勢」についてですが、元々は伊勢があった場所という意味であり、出雲神が祀られ出雲族が支配していた土地という考え方も出来ますし、霊的因縁を持つ「因縁の身魂」が発祥した土地であるとも解釈できます。

 そして、「元伊勢」の比定地は、奈良県をはじめ京都・滋賀・和歌山・三重・岐阜・愛知・岡山などの各地に80箇所以上が知られていますし、元伊勢系列の「四つの団体」も元伊勢に関係する土地で発祥していますから、「因縁の身魂」と考えられます。

 つまり、「因縁の身魂」というのはスサノウの大神の系統、つまり出雲神の系統ということが出来るかも知れませんが、三輪山王朝が天孫族に滅ぼされて、出雲族の歴史が封印されてしまいました。

 さらに、(大海人天皇の勅命により編纂されて元明天皇代に完成した)記紀神話では、「帝紀」や「旧辞」などの改ざんされた一部分だけが残されたものと思われます。

 (奈良県の格式の高い古い神社で出雲神を祭る神社が数多くあるのは「歴史のミステリー」と言われていますが、実は、もともとは出雲族の根拠地の一つだったと言われています)。


D  「伊」の言葉遊び。

 余談になりますが、伊勢の「イ」という発音に「伊」という漢字を当てますが、「伊=イ+尹(いん)」であり、「伊」には神に仕える人(聖職者)を表わす意味がありますから、伊勢・伊豆・伊予・伊賀などは神聖な場所の意味が含まれていると思います。


E 日本人はスメル人種(天孫人種)の説。

 また、日本語の原型をシュメール(スメル)に求める研究が戦前からありましたが、古代メソポタミアの言語が日本語に類似していることから、日本人はシュメール人の後裔氏族ではないかとの研究も行われていました。
 (とんでも文献の「竹内文書」では、日本が世界の中心であったようなことが書かれているそうです)。

 古代のメソポタミア地方では、たとえば、イ・スラ(エル)、イ・シス神、イ・スタル神、イ・ナンナ神、イ・シン王朝などの言語では、「イ」を神聖なものとして扱っていたように思います。

 また、古代のユダヤ語(ヘブライ語)に日本語との類似点があるとの指摘が一部にあるそうですが、もともと、ユダヤ人と言うかヘブライ民族は、メソポタミアの「カルデアのウル」にいたアブラハムから出発したものと云われているそうです。(旧約聖書の創世記の11章11−31参照)。


F 追記、出雲の地名の起源

 出雲の地名の起源は、一般的には、記紀神話のスサノオの『八雲立つ』の歌を元にしていると云われますが、はたして、本当にスサノオが歌を詠んだのでしょうか。記紀神話が編纂されたのは7百年代の初めであり、万葉歌人が横行していた時代でも有りますから、万葉集のパクリではないでしょうか。

 そしてまた、出雲国風土記には、スサノオの『八雲立つ』の歌の伝承は無く、代わりに、八束水臣津野命(ヤツカ・ミズオミヅ・ノ・ミコト)の『八雲立つの』歌が出雲の起源だと書かれてあるそうです。

 ちなみに、和銅6年(713年)に、元明天皇の勅命により全国に風土記の編纂を命じ、「但遅麻」や「遠淡海」などの国名も漢字2文字に改めさせて統一させました。
 また、出雲の国名の由来には、イザナミ大神への敬意から「稜威母」とか「稜威藻」の当て字があったとの説もあります。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/293.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の2−2)「伊勢は倭背だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「伊勢の地名は倭背だった」という言葉遊びに、ご興味をお持ちでしょうか。

 (その6の2)のBで述べた通り)、三輪山周辺は「稜威間(イツマ)」の地ですから、その背後に位置する伊勢は、「稜威背(イツセ)」だったと想像します。

 つまり、古代の伊勢の国は、伊勢・伊賀・志摩の3国を合わせたものでしたが、大海人天皇が680年?(天武天皇9年?)に伊賀国を分置し、7百年代(年代不明)にも志摩国を分置しました。

 ですから、三輪山王朝の「稜威間(イツマ)」の背後に「稜威背(イツセ)」の国が有ったとしても、何も不思議では有りません。
 (先にも述べたように、当時は伊賀の国は存在せず、いきなり伊勢の国が有ったわけです)。

 (注) 平安時代に編纂されたと云われる「先代旧事本紀」の「国造本紀」では、伊勢国造は橿原朝に、伊賀国造と嶋津(志摩のこと)国造は志賀高穴穂朝に定められています。
 ただし、美濃国造は3箇所に、上総国造は6箇所に設けられており、1国1国造ということでは有りません。


A 大海人天皇以降には、漢音が登場した。

 古代の日本語の発音は呉音調の「大和言葉」でしたが、大海人天皇の時代には積極的に唐の文化を取り入れて、漢文が隆盛し、文字も漢音で読むようになりました。
 (たとえば人名でも、古事記の人名は呉音調(変体漢文?)で書かれ、日本書記は漢音調(漢文)で書かれているのではないでしょうか)。


B 「ヤマト」は、山戸・山門が、大倭(オオヤマト)になり、大和になった。

 三輪山周辺は稜威間(イツマ)の地でしたが、国としてはヤマト(山戸・山門)でした。

 その語源についてですが、昔の大和の国には「大和湖」が中央にあり、生駒山地と金剛山地の間を大和川が「河内湖」に流れ込んでいました。
 そして、堺市方面から北に伸びる上町台地の東側一帯は全部が河内湖であり、今の大阪平野は有りませんでした。(地質学的見地)。

 ですから、昔は大阪湾から船で河内湖に入り、大和川を遡上して三輪山の麓まで行けたらしいので、「神武東征」で神武の軍船が生駒山方面に行ったとしても不思議ではありません。

 また、現在の大和川は、直接、堺市方面に流れていますが、これは、1704年(宝永元年)に徳川幕府が、長さ14km、幅180m、延べ240万人を動員して、大規模な川の付け替え工事を行ったものと云われています。

 (余談ですが)、近年まで二上山方面の明神山周辺は、有名な地すべり多発地帯であり、昭和7年には「亀の瀬」の地滑りが多発した記録が残されており、大和川の川底が底上げされる事態になりました。

 また、古代の湖岸道路であった「山の辺の道」が、かなりの高台にあるのは不思議ですが、古代に奈良盆地全体が隆起したと云われ、奈良盆地中央の田原本町の標高が40mとか50mとかに有るのは、土地の隆起が原因と考えられます。

 ですから、古代の遺跡が奈良盆地の中央部に全く存在しないのは、大和湖であったことと土地の隆起が原因でした。

 (話は脱線しますが)、神功皇后の遠征で、仲哀天皇が「穴門(アナト)の豊浦の宮(山口県下関市)」に御所を構えていますが、この「穴門」が長門国の語源との説があります。穴門とは関門海峡のことを云うそうです。

 また、出雲に宍道湖と中海があり、美保関を抜けて日本海に抜けていますが、このことは、河内湖と大和湖の関係にも相関性を感じます。
 そうすると、美保関の「美保」の地名の本来の意味は「ミホト」(水戸・水門→水秀戸・水秀門→美秀戸・美秀門→美保)だったかも知れません。

 (話を戻しますが)、大倭(オオヤマト)を漢音で発音しますと「ダイイ」になります。これが、いつの間にか大和(ダイワ)に変換されたのではないかと想像します。


C 「稜威背(イツセ)」の国が、「倭津背」になり、「倭背」になり「伊勢」になった説。

 (その6の2)のFで述べた通り)、和銅6年(713年)に、元明天皇の勅命により「但遅麻」や「遠淡海」などの国名も漢字2文字に改めさせて統一させました。

 この過程で、読みやすい文字や、気品のある文字に国名を改めさせたので、卑語・蔑称の意味を持つ「倭」の文字も気品のある「伊」に改めさせ、「稜威背」とか「倭津背」の国名も漢字2文字の「伊勢」に改めさせたのではないかと想像します。


D 今の中国語は漢音ではない。

 たとえば、「倭」を「ワ」と発音しますが、本来の漢語の発音は「イ」です。ほかに委・萎・崣なども全部「イ」と発音します。

 つまり、古代中国で漢語を使っていた「漢民族」が、後漢の滅亡や魏や晋の滅亡によって、中国内部に北方から異民族が侵入した「五胡十六国」の時代が2百数十年間続き、589年に中国を統一した隋も、その後の唐も鮮卑族系であり、「漢民族」では有りませんでした。

 今でも「王」を「ワン」と発音したり、「北京」を「ペキン」と発音しています。
 (元々の漢民族の発音は日本にしか残されていません。また日本には漢語と呉語の両方が残されています)。


E 伊勢の地名の語源の諸説。

 色々な人が研究しているそうですが、伊勢の地名の語源には幾つかの説があります。
   第1に、記紀神話の「伊勢津彦」の名前が起源説。
   第2に、大倭(オオヤマト)の東側にあったから「倭背」(イセ)の説。
   第3に、五十鈴川にちなむ説。
   第4に、度会郡の伊蘇(イソ)郷にちなむ説。
   第5に、伊勢神宮が昔の海岸付近にあったから磯の説。
   第6に、単に、伊勢の長い海岸線の磯から転じた説。

 第1の「伊勢津彦」は、伊勢にいた男だから「伊勢の男」と名づけたのであり、伊勢津彦の以前に伊勢の地名があったはずだと思います。

 第2の大倭(オオヤマト)の東側の「倭背」(イセ)の説は、有り得ると思います。

 第3の五十鈴川の説も、第4の度会郡の伊蘇(イソ)郷の説も、第5の伊勢神宮の磯の説も、伊勢国の南端に在り、昔の伊勢国府や国分寺のあった中心地である三重県鈴鹿市からは遠過ぎるし、往来も不便だったから、可能性は少ないと思います。

 ちなみに、伊勢神宮の地域は、昔は、山田の地名で、江戸時代には「山田奉行所」が置かれていました。また、現在の伊勢市になったのは昭和30年だそうです。

 第6の磯の説は、有りそうですが、無いような気がします。

 確かに、「伊勢」は「イソ」とも発音できますし、日本書記の「垂仁紀25年3月条」に『神風の伊勢国は、常世の浪の重浪(シキナミ)、帰(ヨ)する国なり』とあるそうです。(知りませんが)。

 しかしながら、上記@で述べたように、古代の最初の伊勢の国は伊勢・伊賀・志摩の3国を合わせたものですから、内陸部に在る伊賀方面が「磯の国の一部」というのは少し無理があるような気がします。
 そうしますと、伊勢の国を伊勢・伊賀・志摩の3国に分割した段階で、伊勢の長い海岸線の磯から、「伊勢」と名づけたと考えるほうが自然だと思います。


F 宇治の地名の語源。

 話は脱線しますが、宇治の地名は、一般に、平等院のある京都府の宇治市が有名ですが、伊勢神宮の近くにも宇治の地名が有り、「宇治山田」の駅名もあります。

 (話は少し逸れますが)、記紀神話に、ニニギの天孫降臨を導いたサルタヒコが、元々の領地の三重県松坂市方面の阿耶訶(アザカ)に帰った話があります。

 その子孫に「宇治土公(ウジ・ツチ・ノ・キミ)」が知られていますが、これは、「宇治にいた土公」という意味だと思いますから、古くから宇治の地名があったと想像します。

 (話を戻しますが)、そうしますと、宇治は、京都府の宇治市に限らないことになりますが、では、宇治の地名の語源は何だったのかが問題になります。

 私は、「ウツロ」(空ろ・虚ろ)が語源であり、「ウツロ地」が縮まって、「ウロ地」、「ウ地」になったのではないかと想像します。

 それは、京都府宇治市の地形が、昔は、淀川に面して「巨椋(オグラ)池」という大きな沼地があり、その奥に宇治川の河口があり、その河口部付近を宇治と読んでいたからであり、この「巨椋池」の形が、「ウツロ」(空ろ・虚ろ)に似ていたからだと思います。

 そうすると、伊勢神宮の周辺も、海岸線が神宮の近くまで入り込んでいたから、「ウツロ」(空ろ・虚ろ)の地名になり、それが転じて「宇治」になったのではないかと連想します。


G 余談になりますが、伊勢神宮があった辺りは「磯」であった可能性。

 古代の海岸線は、伊勢神宮(皇大神宮や豊受大神宮などの大社の18座9社その他の総称名のこと)の近くまで迫っていたと想像しますが、それは、関東平野も濃尾平野も大阪平野も、日本中の平野は土砂の堆積で出来たものであり、比較的新しいものです。

 ですから、昔の五十鈴川(磯鈴川?)の河口も大きく後退しており、伊勢の諸神宮の近くまで海の磯になっていたと、私は想像します。

G−2 『磯神社のこと』

 伊勢市磯町に「磯神社」があるそうです。延喜式神名帳に記載された古い神社ですが、垂仁天皇の25年に皇女の倭姫命が天照大神の大宮地を求めて巡幸し、「伊蘇宮(磯宮)」に遷幸されたのが創祀らしいです。
 


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/296.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の3)「大物主の三輪山王朝」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「大物主の三輪山王朝」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、「神武東征」以前に、出雲族の「オオモノヌシの王朝」が有ったのではないかと思っています。

A オオモノヌシの三輪山王朝。

 記紀神話によると、神武東征以前にニギハヤヒの王朝があったことが記されています。

 また、「神武東征」により天孫族が支配し続けた奈良県には、出雲神を祀る古い神社が各所に残されていますが、これらの神社は延喜式神名帳には一位とか二位とか三位とかの破格の神格が与えられており、アマテラス系の神社よりも上位に置かれていて、「歴史のミステリー」と言われています。

 (個別の神社名については現存しているため、万一、誤記や虚偽を記載した場合には、名誉や権威にも関わり、後が面倒なので割愛します。各自で調べてください)。

 また、オオモノヌシを「大物主」と書きますと、物部氏を連想した「武力の神」を連想しますが、「物」には「物の怪」の意味や、「物申す」の言葉の意味もありますし、「物の道理」という言葉もありますので、多角的な解釈が必要だと思います。

 また、「三輪」の地名も後代のものであって、延喜式の出雲国造神賀詞(カムヨゴト)には「大御和の神奈備に」とあり、古事記の崇神天皇の大田田根子の条には「御諸山に意富美和の大神の前を」とあります。


B 大田田根子、「根子」のこと。

 ちなみに、大田田根子をオオタ・タネコと読む人がありますが、古事記の崇神天皇の大田田根子の条には「意富多泥古(大田田根子のこと)」とあります。

 これを、「大・多々・根子」としますと、大和の国に繁栄した賀茂氏や三輪氏や神人部氏の祖先である根子となりそうです。

 (少し脱線しますが、オオモノヌシの子には、加茂の君、大三輪の君、(背矢がホトに立たら姫の娘で、神の矢が)ホト立たら五十鈴姫、などがあった説もあります)。

 また、「根子」は7代・8代・9代天皇の別名にも「根子・日子」がみられます。


C 記紀神話の改ざん問題。

 また、記紀神話の改ざん問題については、記紀神話は、(紙や墨の風化・劣化やカビ・虫の浸食による耐用年数の問題もあり、後世に残すためには)、その時々の政権によって何回も書き写されており、古事記の現存する最古のものは1371年1372年の足利義満時代に書写された「真福寺本古事記」といわれます。

 たとえば、藤原時平が、醍醐天皇時代の延喜元年(901年)に、日本書記から始まる「いわゆる六国史」の完結編である「日本三代実録」を撰上していますから、それまでの六国史の編集にあたっては、その時々に記紀神話を見直していると考えるのが当然だと思います。

 (改ざんの根拠としては、古事記の「序文」は平安時代に付け加えたというのが学者間の「通説」。古事記・日本書記・風土記・先代旧事本紀・古い神社の伝承などが相互に食い違いがあり異なっていること。古い氏族の系図と食い違いがあるなどが挙げられます)。

 また、日本書紀は官製の記録書ですから、改ざんは言うまでも有りません。(現存する様々な古文書でも、朱を用いた加除添削を目にしますから、次に書写するときには、書き換えてしまうのが当然です)。


D 「三輪王朝」と、「三輪山王朝」のこと。

 「三輪王朝」とは崇神天皇や垂仁天皇らの王朝のことだ、いや「欠史八代」のことだと云っていますが、私の云う「三輪山王朝」とは、「神武東征」以前に有った「オオモノヌシの王朝」のことを云っています。

 (注) 「欠史八代」は実在しなかったとの説がありますが、そんなことは有りません。たとえば、7代の孝霊天皇は中国地方の「楽々福(ササフク)」に事跡を残しています。「欠史八代」の事績は後世に都合が悪いから削除されたと考えられます。


E 「大国主の王朝」のこと。

 「大国主の王朝」については、奈良県を大国主が支配したことは明確にされていませんが、越の国のヌナカワヒメとの恋愛や、稲羽の八上姫との恋愛や、伊予での少彦名との国造りの物語もありますから、西日本を支配した大王だったと思われます。

 (大国主の子供とされる事代主やアジスキタカヒコネなどを祀る神社が奈良県の各所に点在し、延喜式神名帳にも記載されていることは歴史的な事実ですから、大国主の存在を無視することは出来ないと思います)。

 また、大国主について特に注目すべきは、「播磨国風土記」の飾磨郡の条でありまして、『火明命の怒りによって、父神大汝命の船が破られたときに・・・』の記録が残されています。

 (この「火明命」とはニギハヤヒのことではなかろうかとして、研究者の間で注目を集めています)。

 オオモノヌシと大国主の関係については、記紀神話にありますように、大国主の国作りの途中で少彦名が去って嘆いていると、海上から光が現れて、『私を倭の東の御諸山(三輪山)に祀れ。』とありますから、大国主とか子孫の出雲族が三輪山のオオモノヌシを崇拝したと思われます。

 また、(出雲神であるはずの)大国主を主祭神とする格式の高い古い神社が奈良県の各地にあるのは、歴史のミステリーと云えます。


F 「ニギハヤヒの王朝」のこと。

 「ニギハヤヒの王朝」については、一説には、神武東征の前にアマテラスから十種神宝を授かって東征した説もありますが、謎の多い人です。
 この子孫には、尾張氏や物部氏を代表として多くの氏族が繁栄しました。
 また、Aに述べた通り、神武東征以前にニギハヤヒの王朝があったことは歴史的事実のように思われます。


G オオモノヌシの正体

 オオモノヌシの正体については、蛇だとか大国主の分霊だとかの諸説がありますが、私は、大国主の父神のスサノウの大神、あるいは国祖の国常立大神の分霊ではないかと想像しています。あるいは大国主(別名が宇都志国玉神で、実は天津国玉神と同じ神)の霊も含めた古代日本の建国の神々の総称名を云うのかも知れません。


H 人間は、神が地上に降臨したものという世界観。

 記紀神話では、イザナギとイザナミが国を産んだり、神を産んだ記述は有りますが、人間を産んだ記述は有りません。(ただし、記紀の中には「青人草」という表現があるようです)。
 旧約聖書では、神が人間を作ったという記述がありますが(「創世記」の第1章の1の27あたり)、その点が記紀神話と全く異なります。

 つまり、日本神道の考え方としては、天上(高天原)の神々が地上に降臨したものを「ミコト」と呼び、特に重要な者を「尊(ミコト)」と尊称し、一般の者は「命(ミコト)」と区別しているように思われますが、その区別は必ずしも明確ではありません。
 ですから、「神」と表記されている者は、一般に、降臨して地上活動を行っていない存在だと私は解釈しています。

 また、男子は「比古・日子」などとし、女子は「比売」などと表記しますが、特に重要な存在は「毘」を用いて「毘古・毘売」などと表しているように感じられます。


I 豪族の伝承神話と記紀神話の編纂。

 (各々の神々が人間として地上に降臨したところの)各豪族には、それぞれに先祖の神話が伝承されていました。

 ところが、日本が中国の唐から律令制や唐文化を導入するなかで、日本も唐に倣(なら)って、国家としての統一された一冊の歴史書を作ろう、天皇家を中心とした歴史書を作ろうということになって、国家事業として歴史書の編集を行った。それが記紀神話だと思います。

 豪族たちに伝わる先祖の伝承を、稗田阿礼を中心に編集し直して古事記にまとめ、国の歴史書としては、舎人親王を中心に日本書記を編集し、それらを総編集長の太安万侶が加除添削を行い、その最終決裁者として藤原不比等が監督していたのではないか、と私は想像します。

 中臣氏(藤原氏)は、中央政界に君臨した最も古い豪族の物部氏に近く、しかも祭祀を取り仕切る家系でしたので故事に明るく、また、藤原不比等は当時の中央政界の実力者でしたから、豪族間の調整役も出来たので、総責任者として記紀の編纂にあたったと思います。

(注) 藤原不比等、(659年-720年)。不比等の娘の宮子は文武天皇の夫人で、孫が聖武天皇。不比等の別の娘は光明子で聖武天皇の皇后。4人の男の子は「藤原四家」。古事記の編纂は712年、日本書記の編纂は720年。

★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の4)「天孫族と出雲族の相続人争い」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。

@ ところで、「天孫族と出雲族の相続人争い」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、天孫族も出雲族も根っこは同じではないか思っています。つまり、権力闘争であり、兄弟喧嘩では無かったのか。


A 天孫族の父親は誰かという問題。

 天孫族というのは、一般に、その直接の祖神をアマテラスとしていますが、天孫族の代表である神武天皇の祖神にあたるところの「天孫降臨」したニニギの父親がオシホミミになります。

 そこで、『オシホミミの母親はアマテラスですが、父親は誰ですか』、と尋ねると皆さん絶句してしまいますが、父親はスサノオなのです。これは「記紀神話」にも書かれてありますが、アマテラスとスサノオが誓約(うけい)をして「八柱の御子神」を産んだことが書かれてあります。

 ところが、対抗する出雲族のルーツにあたる父親もスサノオなのです。ですから大局的に見ると、(スサノオの子供であるところの)異母兄弟たちが相続人争いの権力闘争をして、最後に勝利したのがアマテラスの子孫に過ぎないということになります。


B なぜ、天孫族はスサノオを伏せてしまったのか。

 天孫族が先祖の系図を作るにあたって一番苦心したのがスサノオの存在だと思います。

 スサノオを祖神にすると、天孫族が制圧した出雲族と同族になってしまうし、首都であった出雲を「国譲り神話」で強奪したことも後世の汚点となりますから、何としても「不都合な真実」を隠すために、古代社会の体制であった母系相続制度を利用してアマテラス1人に集約したものと想像します。

 (10月を「神無月」といいますが、出雲地方で「神有月・神在月」と呼んでいるのは、国々の神々が出雲に参集した名残りと言われます)。


C 古代は母系相続だった。

 平安時代までの古代は母系相続であり、親の財産は娘が相続しました。これは、古代の男女差を考えると合理的でした。

 つまり、男は外で働くことが出来ますし、軍人になったり、役人になって収入を得ることが出来ます。
 ところが、女は外で働くことが出来ず、他家の嫁・妾(めかけ)になるか、下働きの下女で住み込みになるか、遊女(売春婦)に売られるかなどの境遇しか与えられませんでした。

 ですから、親の財産(古代は米本位制であり、田畑と薪に利用する里山が財産の主体)は、1人か数人の娘に分配し、残りの娘は外に出るか、家に残って、部屋住みの「飼い殺し」で生涯の独身で一生を終わりました。

 対する男は、有能な者は高級軍人になったり、高級官僚になったりして権力を手に入れ、それでもって各々の家の娘を妻・愛人に持ちました。
 (女のほうも、権力を持つ男の妻や愛人になることで、その保護下に入り、家を守ることが出来ましたから、「ギブ・&・テイク」の関係にあり、合理的でした。
 二人の間に生まれた子供は、基本的に、女の家で育てられましたが、父親にとっては自分の子供を守るためにも女の家を特別扱いをして保護しました)。

 力のない男は、下級の軍人や下級の官吏になったり、有力豪族の使用人になったりしましたが、家の外に出なかった男の子は家を守るために田畑を管理したり、家のガードマンや執事をしたりして、部屋住みの「飼い殺し」の独身で一生を終わりました。

 (ただし、天智天皇や大海人天皇による中央集権化で朝廷政治が確立されるまでは、有力豪族による合議制でしたから、「役人」という概念は無く、軍人は豪族に所属する使用人の地位にあったと思われます)。


D 女酋長の記録。

 記紀神話でも「神武東征」で、和歌山市に「名草戸畔(ナグサトベ)」という女酋長がおり、熊野には「丹敷戸畔(ニシキトベ)」という女酋長がいましたから、全国的に母系相続社会でした。


E 北九州と出雲の女王。

 母系相続の中で代表的な存在として、北九州の女王がアマテラスで、出雲の女王がクシイナダヒメで、その夫たる大王がスサノオでした。

 アマテラスは、やがて「国譲り神話」で出雲を制圧しましたが、その後の何らかの大変動により、孫のニニギは南九州に落ち延びました。「天孫降臨」が霧島だとか高千穂だとか言われ、神武天皇にいたるまで鹿児島・宮崎方面にいたことは歴史的な事実のようです。
(国譲り神話は無かったという説もありますが、まあ、そこは『記紀神話のことですから』ということで御了解ください)。

 (ニニギ・ホホデミ・ウガヤフキアエズを「九州三代」などと言っていますが、古代九州の中心地は大宰府のあった北九州ですから、敗北して南九州に逃走したと考えられます。
 (ちなみに、オシホミミの墓所は、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の「忍骨命」というのが定説です)。

 (注) 出雲はクシイナダヒメの娘のスセリ姫が家督相続しましたが、その「婿殿」には大国主(実はアメノホヒ)が選ばれました。
 大国主は支配地を拡大し、北九州から東海地方にまで勢力を及ぼしましたが、アマテラスとかニニギを神祖とする海人族の希望の星たる大海人天皇には受け容れ難い歴史であり、大国主も含めた出雲王朝を封印してしまいました。


F 妻問婚(つまどいこん)について。

 「源氏物語」にも有りますように、有力な男は何人も妃・妾を持ち、女の家に通って「交友」しましたが、古代は「女系相続」であり、この制度は鎌倉時代まで存続していました。
 (鎌倉御家人の中には女当主もいたことが記録に残っておりますが、戦国時代には無くなり、江戸時代には戸主は男子に限られてしまい、明治に至りました)。


G 家督相続について。

 古代は米本位制であり、農地は細分化するよりも(水の分配の問題もありましたから)地主が大規模に総合的な管理運営を行うほうが合理的でした。
 このため、親の遺産は一人の子供に集中して相続させる「家督相続」が行われました。
 この「家督相続」の制度は、戦後の日本にも受け継がれましたが、戦後の民法の大改正によって、現在のように子供は男女の別無く平等に分配されるようになりました。


H 「宮中八神殿の神」の謎。

 宮中の八神は第1位から、神産日神(カミムスヒ)、高御産日神(タカミムスヒ)、玉積産日神(タマツメムスヒ)、生産日神(イクムスヒ)、足産日神(タルムスヒ)、大宮売神(オオミヤノメ)、御食津神(ミケツ)、事代主神(コトシロヌシ)の順に祭られていると言われています。

ここで、学者の間で問題にされているのが3点ありますが、第1順位にアマテラス寄りのタカミムスヒよりも出雲との関連が強いカミムスヒがあること、アマテラスが無いこと、出雲神と思われる事代主神が祭られていることです。

(注) 高御産日神を(タカミ・ムスヒ)と発音していますが、本当は、高天原の神を産み育てる役目を負った「造化三神」の一人だから、神産日神と同じように「高神産日(タカ・カミ・ムスヒ」と書いたり発音するのが正しいと思います。
 また、高御産日神は(霊界であるところの)高天原の主宰神ですが、逆に、(映し世であるところの)人間世界の主宰神は神産日神ですから、(映し世の中にあるところの)宮中での祭祀の第1位に神産日神が祀られるのは妥当だと思います。


I (話を元に戻しますと)、結局は、「天孫族と出雲族の争い」はスサノオの子孫同士による権力闘争でしたが、これは「伊勢と出雲」、「伊勢と元伊勢」の関係にも当てはまるのではないでしょうか。

 そして、この両陣営の権力闘争は、後世にまで延々と続けられたように感じられます。

 子孫の骨肉あい争う姿を見て、祖神のスサノオの大神は、どちらを応援してよいのやら、さぞかし悩んだことでしょう。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/304.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の5)「奈良を舞台にした兄弟対決」
どう思われますか 
 

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。

@ ところで、「奈良を舞台にした兄弟対決」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、出雲族同士が奈良を舞台にして、あるいは、「神武東征」のアクシデントの中で土着の国津神同士が、骨肉あい争う兄弟バトルを演じたのではないかと想像しています。

 (実は、『神武東征なんか無かった』との説も有りますが、それを言ってしまうと物語になりませんから、一応は、有ったものとして記事を書きたいと思います)。


A 神武以前に出雲族の王朝が奈良にあった。

 記紀神話の「神武東征」の段は、ニギハヤヒを奉じて奈良を支配していたナガスネヒコ(登美彦・長洲彦のことで、登弥(トミ)神社(奈良市)や矢田坐久志玉比古(ヤタニマス・クシタマヒコ)神社(大和郡山市)が本拠地の説)が、諸々の出雲族や土着していた従来からの国津神を率いて抗戦して敗北した話だと解釈できそうです。

 ナガスネヒコは、謎の多い人物であり、一説にはニギハヤヒの異母兄弟だった説も有りますが、ニギハヤヒはナガスネヒコの妹の三炊屋媛(長髄媛・鳥見屋媛)と結婚し、物部氏の遠祖になる宇摩志麻冶を生んだ説があります。

 (古代の豪族社会では異母兄弟の結婚は常識であり、中には同母兄弟で結婚した例もありますから、ニギハヤヒとナガスネヒコは異母兄弟どころか同母兄弟であった可能性もあります。

 また、ナガスネヒコは、大物主と勢夜陀多良比売(背矢(夫)の矢がホトに立たら姫)との間に生まれた子供との説があります。
 これに類似して、事代主も、「先代旧事本紀」では、大物主と(宗像方面の)高津姫との間の子供との説もありますが、事代主は大国主の子供のはずですから、訳が分からなくなります。

 ★ 記紀神話は、机上の平面図では読み解けないのではないかと思います。始めに『記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して「お花畑」として遊ぶ・・・』と述べていますように、平面的思考ではなく立体的思考、あるいは複立体的思考で、多角的・分裂的な思考構造と『そんなアホなことが』と笑いながら読み解く柔軟性・包容性に優れた思考が求められるのではないかと思います。

 なぜならば、記紀神話の構造が、分裂的多重性や複立体性とか複々立体性に作られているからだと思うからです。


B 兄弟結婚の話。

  古代には、なぜ、異母兄弟の結婚が多かったかと考えますと、古代の家族制度は、子供は基本的に母親の家で育てられますから、母親が違うと兄弟と分からない場合がありまして、大王や大豪族クラスになりますと子供の数は数十人、あるいは百人を超えるようなケースもありますから、分からなくても仕方が有りません。
 (記紀神話の大国主の段では、少彦名(スクナ・ヒコナ)の父の高皇産霊尊には1千5百人の子供が有ったそうです)。

 また別に、娘が自分の生活の保障のためには、力のある男と結婚したほうが有利でありますし、親の財産を分散させないためにも、同じ父親の子供のほうが安全だった可能性もあります。
 (また、古代は限定された土地に一族が住んでいましたから、他の氏族の血を入れたくないという血族意識・同族意識も有ったと思います)。

 (話は脱線しますが)、古代には今のような結婚制度の概念は無く、男が次々に女を求めるように、女のほうも情勢の変化で夫が変わることが有りました。


C (話は脱線しますが)、一夜の夜伽(よとぎ)の話。

 また、古代には「一夜の夜伽(よとぎ)」が慣習にありまして、たとえば、(源家の棟梁であった)源頼朝が遊楽すると、泊まった家の主が娘や妻を一夜の接待に枕を共にした話も有るそうです。

 (真偽不明ですが有名な話に、さる九州の守護大名は源頼朝の御落胤との説があります)。
 また、平安貴族が荘園や領地に遊びに来ると、村長や管理者が夜伽の娘を差し出して一夜の接待をするのは常識でした。

 (さらに、高貴な身分の「ご落胤」を産んだら、場合によっては女の一族の栄達にも繋がり、女自身も「玉の輿」に乗れるわけですから、『お種を頂戴します』と言って喜んで布団の中に入ったケースも有ったそうです。知りませんが)。

 史上有名な話として、徳川三代将軍の徳川家光の側室になって五代将軍の徳川綱吉を産んだ「お玉(桂昌院)」の実家の本庄家は、一族郎党が破格の出世をしています。
 (官を求めて「知らない親戚」までが本庄家に押し寄せて来たそうです)。

 ですから、体を提供させられた女は可哀そうだという考え方も有りますが、「女の腹は借り物」という考え方もあれば、「男の種は借り物」という考え方も古代には有ったのではないかと思います。

D (話を元に戻して)、「神武東征」で加茂氏と賀茂氏の兄弟が東西に別れて戦った。

 (話を元に戻しますが)、加茂氏と賀茂氏については、加茂氏(賀茂氏)には、葛城の賀茂氏と山城の賀茂氏の2系統が知られていますが、葛城のほうは大三輪神(大物主神)の系統で、山城のほうは「ヤタガラス」の系統だと云われています(真偽不明)。

 記紀神話の中で、ヤタガラス(賀茂建角身)が高天原から遣わされたとありますが、ヤタガラスが「神武東征」で活躍したのは吉野であり、加茂氏の本拠地があったと推定される鴨都波(カモツワ)神社(御所市)や、高鴨(タカガモ)神社(御所市)に隣接しています。
 したがって、加茂氏と賀茂氏の兄弟が敵味方に別れて戦った可能性があります。


E 大国主の以前に、龍神信仰を持つ種族がいた。

 (話は変わりますが)、京都市に賀茂別雷神社(上賀茂神社・祭神は賀茂別雷命))と賀茂御祖神社(下鴨神社・祭神は賀茂建角身命)が有りますが、その上流には貴布禰(貴船)神社があり、祭神はタカオカミ・ミズハノメ・クラオカミなどで、大和の丹生川上神社と同じ祭神といわれ、龍神信仰があったのではなかろうかと言われ、賀茂の神よりも古い神が祭られているようです。


F 神の矢の話。

 貴船神社に関してですが、(山城国風土記の逸文「賀茂社」の分に、『賀茂建角身(カモタケツノミ)の娘の玉依姫が、石川(賀茂川のことで川上は貴船)で川遊びをしていたら、川上から矢が流れてきて、持って帰って寝床に置いていたら男の子(賀茂別雷の命)を妊娠して出産した』様なことが書かれているそうです)。

 (ちなみに、「神の矢」については、大物主と「大物主神の矢(背矢(夫の矢))がホトに立たら姫」の物語や、事代主の父が大国主で母が神屋楯姫(神の矢が立てられた姫のことで、記紀参照)もあります)。


G 比叡山周辺の勝組と負組の話。

 (少し脱線しますが)、京都の東の比叡山は、昔は日枝山と呼び日吉(ヒエ)山とも呼んで、全国の日枝神社・日吉神社の総本山らしいですが、祭神は大山咋神(オオヤマ・クヒ・別名は山末之大主神(ヤマスエノ・オオヌシ)で、この神の父は大歳(大年)で、祖父はスサノオで祖母は神大市姫の説があります。

 (注) 神大市姫は、(先住倭人の総称であるところの)大山祇(大山津霊・オオヤマ・ツ・ミ)の娘であり、別名の説には、神オオツチ姫とか神オロチ姫とかの説もあり、オロチ(大蛇)と解釈すると、龍神信仰があったとされる大和の丹生川上神社や貴布禰(貴船)神社が関連するかも知れませんが、大歳(大年)の子にオオツチ(大津霊・ツチノミオヤ・土之御祖)があるので、神大市姫は「神オオツチ姫(神大津霊姫)」と解するのが順当ですが、真偽不明です。

 また、これとは別に、大巳貴神が大比叡と呼ばれ大山咋神が小比叡と呼ばれた説もあり、何が何だか訳が分かりません。
 (大山咋神はスサノオの子の大歳の子で、賀茂氏はスサノオの子の大国主の子の事代主の子孫と言われています)。

 (また少し脱線しますが)、近畿地方のある広域的地域では、大歳神社(大年神社)・加茂神社・貴船神社が散在して広域的地域の主体となっていますが、上下の賀茂神社の系統は目に入りません。
 ですから、加茂氏と賀茂氏は出自が異なり、加茂氏は大歳の系統であり、賀茂氏は大国主の系統ではないかとも想像しますが、記紀神話が改ざんされているので、真実は想像するよりほか有りません。

 ここで、私の想像ですが、初めに大年(大歳)の系統が奈良に居て大山祇系の倭人と共存していたのを、後に大国主の系統が奈良を侵奪して、大山祇系と大年(大歳)系を周辺に押しやったのではないのか、と想像します。


H 最後に。

 「神武東征」では、この他にも、エウカシとオトウカシの兄弟が敵味方に別れて戦い、神武に味方した弟のオトウカシが宇陀の領地を安堵されています。
 また、エシキとオトシキの兄弟も別れて戦い、勝ったオトシキが後の磯城氏(師木氏)として歴代天皇の皇后を輩出して隆盛したとも言われます。

 長くなりますので、要点のみを簡略しましたが、続きは機会があれば別に書かせて頂きたいと思います。

 最後に、奈良・京都では、スサノオの子の大歳の系統や、同じスサノオの子の大国主の系統の事代主・アシスキタカヒコネや、ニギハヤヒの系統などが入り乱れて互いに戦い、そして互いに重なり、また「記紀神話」の改ざんもあって、真実の解明は非常に困難だと思われます。

 スサノオの大神にすれば、『誰が生き残ろうと構わない。力の有る者が生き残って、私の子孫が繁栄してくれれば、何の問題もない』と思っていたのかも知れません。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/308.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の6)「大歳の一族の転落の旅路」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。

@ ところで、「大歳の一族の転落の旅路」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、奈良には、大国主の一族が入植を始める前に、「山辺の民」と融和して共存共栄を図っていた「大歳の一族」がいたのではないか、そして、大国主の一族に駆逐されて周辺に追いやられたのではないかと、想像しています。


A 大歳とは、何者か。

 古代の奈良を舞台にした度重なる権力闘争の中で、大歳の一族の歴史は、踏みにじられ、消し去られ、忘れ去られたために、わずかな記録や伝承しか残されておらず、深くて正確な検証は非常に困難だと思われます。

 大歳は、スサノオと神大市姫の子供とされていますが、記録が消されていますので、よく分かりません。
 いつしか、毎年の正月に遣って来るメデタイ年神(としがみ)様に祭り上げられてしまいましたし、子供達までもが山の神様だとか、土地の神様だとか、屋敷の神様などに祭り上げられてしまい、大歳の一族の歴史は消し去られてしまいました。


B 神大市姫とは、何者か。

 神大市姫は大山津見(大山の霊の意)の娘であり、スサノオと結婚して大歳やウカノミタマ(穀物の霊)などを生んだようです。

 (ところで)、大山津見そのものは、(諸説ありますが)、古事記ではイザナギ・イザナミが国を生んだ後に大綿津見や大山津見を生んでいます。日本書紀では2神が共同で生んだり、カグツチを斬ったときにイザナギが単独で山祇神を生んだりして、諸説あります。


C 大山津見神と山祇神、大綿津見と少童命(ワタツミ)とか筒男(ツツノオ)の違いについて。

 ここで、2神が生んだ大山津見と、イザナギが単独で生んだ山祇神は、同じだとの説がありますが、私は違うと思います。
 つまり、2神が生んだ大山津見は、あくまでも自然としての山の神であり、イザナギが単独で生んだ大山祇神は人間活動をする「神人」だと思います。

 たとえば、2神が生んだ大綿津見は純然たる自然な海の神ですが、イザナギが単独で生んだ少童命(ワタツミ)とか筒男(ツツノオ)は安曇氏の祖神になったり、塩土老翁(シオツチ・ノ・オジ)になったり、隼人族の祖神になったりしているようです。

 (話を戻しますと)、大山津見神が純然たる山の自然神ですから、生まれた神大市姫も土地の精霊のような位置づけだと思います。


D スサノオと神大市姫の結婚の意義。

 スサノオは、葦原の中つ国(つまり現界)の主役であり、子孫を繁栄させるためには、誰かと結婚しなければなりませんが、奈良方面で子孫を繁栄させるために選んだのが、大山津見神の娘の神大市姫と言うことになりそうです。

 この頃の奈良方面には、先住民族であった蝦夷と呼ばれる山の民や倭人系の土着人が住んでおり、後に半島から渡来したスサノオの一族が入植して、互いに住み分けしながら、徐々に混血して、奈良方面に子孫を増やしていったものと思います。


E 大歳が奈良方面の主役になった。

 スサノオと神大市姫の間に生まれたのが大歳になりますが、スサノオは半島からの渡来人だと思います(半島南岸東部の金海とか釜山方面が根拠地だったと思います)。

 大歳は古代の「大和湖」の湖岸周辺を開墾して、稲作を主体にして繁栄し、山の民との住み分け・共存共栄を図ったものと思います。


F 大歳の一族が、農業の神・穀物の神・山の神と呼ばれた理由。

 一つ目には、大歳の一族が「大和湖」周辺の湿地帯を開拓して農業を隆盛させたからであり、二つ目には、(山の民の酋長であったところの)母親の神大市姫(神大津霊姫・大いなる土の霊の姫)の一族との融和と共栄を図ったからだと思います。


G 蹴落とされた大歳の一族。

 大歳の一族の繁栄の中で、スサノオの子供の大国主の一族が奈良を侵略しました。大歳と大国主は母親が違いますから他人と同じです。

 しかも、大国主(アメノホヒ)は北九州で生まれ育ったと推理しますが、兄弟同士の権力闘争や半島情勢の緊迫化の中で生きてきた人間ですから、積極的・攻撃的だったと思います。
 そして、アシスキタカヒコネや事代主などの子供を従えて、徹底的に大歳の一族を駆逐したと思います。

 このため、大歳の一族は母親の神大市姫の一族である「山の民」を頼って、山間部や周辺部に落ち延びたものと思います。


H 加茂氏と賀茂氏がある理由。

 加茂氏は古い氏族の大歳の一族であり、賀茂氏は新しい氏族の大国主の一族だと思います。

 また、加茂・賀茂は、元々は地名であり、「カモ」の土地にいたから「加茂にいる氏族」という意味だと思います。


I 加茂の地名の語源。

 加茂の地名の語源には、鴨がいたからの説、神野・萱野・蒲野などの縮まった説、あるいは清浄な川が流れ集まった地域のことや、「川盛り」が縮まった説で川の間の盛り上がった土地などの多数が考えられますが、よく分かりません。

 京都市のカモの場合には、賀茂川と高野川が合流して鴨川になりますが、その合流した間の盛り上がった部分にカモの神社がありますから「川盛り」が「カモ」に縮まったのかも知れませんし、鞍馬や貴船の神霊の宿った清浄な川を指しているのかも知れませんが、分かりません。


J スサノオが、大国主に奈良を襲わせた理由は、日本建国の必要性によるもの。

 ★ スサノオは別としても、大国主の活躍は、(北九州にあった)邪馬台国の卑弥呼より後だと思います。卑弥呼の養女のトヨが266年(の説)に晋に朝貢したり、卑弥呼が250年ごろに存在した歴史的事実は消すことが出来ません。

 また、大国主(アメノホヒ)が宗像三女神を娶り北九州を支配したことも通説ですから、時系列的に、大国主は邪馬台国の後でなければ整合性が付きません。

 また、邪馬台国は、半島から北九州までの制海権を掌握していましたから、これを突破して、スサノオの子供たちが日本を往来することは不可能であり、半島から直接に出雲を往復するなどは机上の空論に過ぎないと思います。(対馬海流により、来ても帰れず、一方通行に終わります)。
 この点からも、大国主の活躍は邪馬台国の卑弥呼より後だと思います。

 まあ、もっとも、博多湾から西側が邪馬台国の卑弥呼の領地であり、宗像や遠賀川方面にアマテラスやアメノホヒがいたという可能性は否定できませんが、記紀神話の立場で言うと『なんかなあ』という感じがします。

 (話を戻しますが)、スサノオは、大和民族(血統的には、正当な漢民族であり、周王朝と同族の「姫」姓を名乗る呉王の後裔であり、霊的には天御中主神や国常立神の直系の子孫)の防衛と繁栄を図るために、大国主に日本の統一を行わせたものと思います。

 それは、朝鮮半島情勢が安定した「三韓」の時代から、中国が「五胡十六国」の時代に入ったために、満州方面の北方民族が動揺し、連鎖反応で扶余族が滅亡し、高句麗が強大化して南下して三韓を襲って任那を襲い、さらに北九州が襲われると日本が滅亡する危険性があったからだと思います。

 スサノオ自身は半島南岸東部の伽耶(たぶん金官伽耶で後の任那)にいたと思いますが、自分の後継者として、(賢くて積極的で武力に優れた)大国主(アメノホヒ)に日本の統一を任せたものと思います。

 もちろん、歴史上、奈良の王朝と九州の王朝と2つの王朝が同時並列的に有ったかも知れませんが、最終的には奈良に、あるいは京都に一本化されました。これは軍事的視点とか国土経営上の視点で見ると当然のことだと思います。

 (これらは、机上の歴史書だけを見ていたら理解できないかも知れませんが、全ては神の計画通りに、(多少の脱線が有ったとしても、大局的には計画の範囲内に軌道修正させられていますが)、日本という国が形成されて行っていると思います)。


K スサノオとアマテラスの関係。

 スサノオとアマテラスは、記紀神話では、イザナギが単独で生んだ説と、イザナギ・イザナミの2神の共同で生んだ説がありますが、よく分かりません。

 民族学的には、スサノオもアマテラスも、共に周王朝と同族の「姫」姓を名乗る呉王の後裔であり同族だと思いますが、アマテラスのほうは呉の滅亡後には馬韓に逃れて本家があった「韓人」の系統の「呉系倭人」だと思いますが、分かりません。
 スサノオのほうは呉の滅亡後には半島の北方や東方に逃れて扶余族とか濊族(ワイゾク)と呼ばれた「いわゆる騎馬民族」の系統ではないかと想像しますが、定かではありません。

(注) 上記の「呉王の後裔」については、魏略には、邪馬台国の卑弥呼は『太伯の後』なので呉系倭人の説があり、また別に、『昔、夏后少康の子』とも書かれるので「越系倭人」かも知れません。
 また、三国志では、邪馬台国の卑弥呼は『自ら大夫と称す』、『夏后少康の子』と有るので「越系倭人」の説になります。
 また、平安時代の日本書記の講書に『この国が姫氏国と呼ばれるのはなぜか』の問いに『周呉の王姓は姫で、日本は姫氏の国と中国は認識している』の記録が有るらしいので、これによれば、日本人は呉王の後裔になりそうです(真偽不明、要確認)。
 どちらにしても、呉越の子孫ではないかと、想像します。


★ どう思われますか。


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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の7)「イザナミの岩戸隠れ」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「イザナミの岩戸隠れ」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、イザナミはカグツチを生んで焼け死んだのではなく、単に使命を終えて、退場したに過ぎないと思っています。


A (はじめに)、記紀神話は、机上の平面図では読み解けない。

 記紀神話を真面目に読み解こうとする人がいますが、必ず、壁にブチ当たってしまいます。

 つまり、各段落ごとを他の段落と比較すると、矛盾や異論が出てきますが、どうしても一致させることが出来なくなります。

 これは、記紀神話の構造自体に問題があるからです。つまり、記紀神話は、神界の話と、霊界の話と、現界の話がミックスされています。

 神界というのは、「造化三神」と「神代七代」のことであり、アマテラスがいる「高天原」のこととは違います。高天原の元になる世界のことです。

 霊界というのは、「高天原」のことであり、人間世界の「元」であり、「反射」でもあります。

 高天原は、言ってみれば「幽霊の世界」という言い方も出来るかも知れません。

 高天原には、天香山という山もあれば、「安の河」という川もあり、名前の無い「名なし雉」もいますし、人間世界と同じように人々(神々)の生活がありますし、喧嘩もあれば戦争もあります。

 現界というのは、今の私たちの世界であり、歴史上の世界でもあります。また「映し世」でもあります。


B 古代人は、記紀神話が全く理解できた。

 古代人が記紀神話を全く理解できたのは、現代人と違って、意識が神に近かったからです。

 また、各豪族たちは、祖神が地上に降臨した伝承を持っているからです。

 天孫降臨はニニギだけでは有りません。多くの神々が(霊魂として人間の肉体に憑依して)地上に降臨しています。

 そして、豪族ごとに子孫に伝承された「神話」は、詳細には差異があるとしても、大局的には一致するものです。

 その伝承の集大成・エッセンスが、「記紀神話」にまとめられたものと思います。

 だから、記紀神話当時の人々は『なるほどなあ』と思いながら読んだと思います。

 (中臣の「大祓祝詞」を真面目にやっていた時代です。今とは違います)。


C イザナミの、立ち位置や使命と、多重性について。

 イザナミは、元々は「神代七代」の神界に所属する神であって、人間世界の舞台・ロケーションを作るために現れた神です。

 イザナギと協力して、弥生時代に入るまでの日本の国土や自然を作ることが使命です。

 人間としては、縄文人とか倭人を登場させる程度が、責任範囲だと思います。

 そのために物質化して「人間」になりましたが、役目を終えると、黄泉の国(つまり死者の国)の責任者に転勤しました。

 (その使命を終えたから、「人間イザナミ」は、人間のように朽ち果てて死んだと思います)。

 また、イザナミの多重性としては、日本国土の根本神のほかに、山の民の守護神、出雲や越国の守護神、越系倭人の守護神などの性格が有ったものと思います。
 (イザナギと対象形の構造になる)。


D イザナミは、単に、使命を終えたから退場しただけの話。

 イザナミは、火の神のカグツチを生んで、そのときに大ヤケドをして死んだことになっています。

 ですが、それは、物語の構成上そのような設定になっただけの話です。

 大体が、神様がヤケドで死ぬことは有りませんし、生まれてくる赤ん坊が燃えながら生まれてくる訳でも有りません。

 イザナミの使命は、イザナギと共同して、(山や川や海や木や草などの)人間世界の舞台・ロケーション・土壌を作ることです。

 その使命を終えたから、もっともらしい理由を付けて退場したに過ぎません。要は理由付けです。


E カグツチの語意は、(人の手が加えられたところの)「土の神」。

 カグツチは軻遇突智と書き、一般に「火の神」とされますが、本来の言葉の意味は、「カクの霊」か「カクの土」だと思います。

 つまり、カグツチは、(諸説ありますが)日本書記の「神代・上」の第五段一書(二)の中で、イザナミが(最後に生んだところの)埴山姫(ハニヤマ・ヒメ)と結婚して、(蚕や桑や五穀を生んだ神であるところの)稚産霊(ワク・ムスヒ)を生んでいます。

 (火の神と粘土の神から、蚕や桑や五穀が生まれるというのは、何かシックリしません。だから、カグツチは「土の神霊」だと考えるわけです)。

 また、「カク」を、「天の香久山」の「カク」と同じ意味だと解釈しますと、「カク」は「掻き出す」意味だと思います。

 たとえば、「神武東征」の話では天香山から粘土を取ってきた話があります。
 「崇神天皇」の話では武埴安彦の妻の吾田姫が倭香山の粘土を取ってきて呪文をかけた話もあります。

 ですから、香山(カクヤマ)の語源は、掻き取る山、「掻く山」であり、転じて「香山」になったと思います。

 以上のことから、カグツチはカクツチであり、(自然の状態の土ではなく、人の手で掻き取られたり耕された土の神霊であるところの)「掻く土」ということになります。

 そして、イザナミが死ぬ直前に生んだ金山彦(鉱山の神)と重なって話が複雑になるのです。

 (次のFに書いたように)、カグツチは、精錬された金属製品になる子供を生んでいますから、その過程で、火を使って精錬するから、そこから転じて「火の神」になったのではないかと想像します。

 (火の神というのは、カクツチ自身のことではなく、カクツチの子供を意味したため、それが転じて、カクツチを代表者として「火の神」になったものと想像します)。


F カグツチの存在意義は、金属文明への第一歩を踏み出すという意味です。

 イザナギが、カグツチを斬ったときに様々な神が生まれましたが、金属の精錬で生まれた神が有ります。

 イザナギの剣の刃先からは、イワサク・ネサク・イワツツノオが生まれましたが、これは、岩を裂く「石ノミ」であり、(草木の)根を割く「鍬」であり、岩を打ち砕く「ハンマー」ではないかと想像します。

 また、イザナギの剣の手元からは、ミカハヤヒ・ヒハヤヒ・タケフツが生まれましたが、これは、料理の包丁のことや、火箸のことや、刀剣のことかも知れませんし、あるいは「踏鞴(タタラ)」つまり溶鉱や精錬の「火」に関係が有るかも知れないと思います。

 イザナギの剣の指の間からは、クラオカミ・クラミツハが生まれましたが、これは水に関係する神と思われますから、鉄の焼入れとか研磨に使う水とか、金山の土の洗鉱を意味するのではないかと想像します。

 (たとえば、出雲の砂鉄の採取では、膨大な水を使って洗い流しますから、川が濁るそうです。
 徳川時代には、出雲の殿様が、砂鉄の採取業者と川下の百姓との紛争を、仲介をしていた記録が有ります。
 米を作るよりも、砂鉄や鉄塊を売ったほうが儲かったそうです)。

 つまり、弥生時代と縄文時代の決定的な違いは、金属の使用ではないかと思います。

 火の利用や石器は縄文時代から有りましたが、金属、たとえば青銅器は弥生時代の初めの頃からであり、鉄器はそれ以降だと思われます。


G イザナギの使命と、多重性について。

 イザナギの使命は、イザナミと協力して弥生時代までの日本を作ることと、弥生時代の主役であるアマテラス・スサノオを生み出すことです。

 また、脇役としての(倭人の一派の)海人族を生むことでした。

 使命を終えたイザナギは、淡路島(あるいは近江の多賀の説)に眠っているそうです。

 (あるいは、高皇産霊神と共同して、(霊界の反射としての)人間世界をリードしていくために、高天原に残って、次に転属しなかったかも知れません)。

 多重性としては、イザナギは、日本国土の根本神のほかに、海の民(海人族)の守護神、呉系倭人の守護神などの性格が有ったのではないかと思います。
 (イザナミと対象形の構造になる)。


H アマテラスの使命と、多重性について。

 アマテラスは、高天原(霊界)の主宰神ですが、トップスター女優の位置づけだと思います。

 (ただ、本当は、高天原は、高皇産霊神が総監督で、イザナギが助監督だと思います)。

 それから、アマテラスは、高皇産霊神やイザナギの分霊の説も有りますが、分かりません。

 また、アマテラスには、2説あって、1つは、イザナギが一人で生んだアマテラスであり、高天原にいるアマテラスです。

 もう1つは、イザナギ・イザナミの2神が生んだアマテラスであって、太陽として光り輝くアマテラスのことです。

 この2説のアマテラスが、同一なのか別人なのかは、よく分かりません。

 ただ、スサノオの高天原への乱入で、アマテラスが岩戸に隠れると、高天原と葦原中国の両方が真っ暗になったので、同一かも知れません。

 多重性については、高天原のアマテラスは、隠れてしまいましたが、別の人間に憑依して現われているのかも知れません。

 たとえば、邪馬台国の卑弥呼だとか、ヤマト・トト・ヒ・モモソ姫だとか、神功皇后だとかの諸説も有りますが、重要な局面での女性には、アマテラスの神霊が宿っていたのかも知れません。


★ 私たちが見ている太陽は、高天原かどうか、という疑問について。

 アマテラスは光り輝いているので太陽と考えられますが、霊界の移写が現界ですから、本来、霊界の高天原は人間には見えない構造のはずです。

 今、私たちが見ている太陽は、アマテラスのいる太陽とは違う太陽ではないのか、という疑問があります。

 これに関連して、(地球の内面にあるところの)シャンバラ・アルザル・地底王国にも、地球の中心部分に太陽があるそうです。

 一体、どうなっているのでしょうか。本当は、私たちが考えているよりも、もっと複雑な構造なのかも知れません。


I スサノオの使命と、多重性について。

 スサノオですが、初めにイザナギ・イザナミの2神によって、アマテラスの高天原が作られる前の霊界に生まれました。

 (霊界に生まれた根拠は、イザナギの「禊」で生まれたからであり、または、イザナギ・イザナミの2神の「神産み」で生まれたからです。人間では有りません)。

 (スサノオの親には、イザナギ・イザナミの2神が生んだ説と、イザナギが単独で生んだ説がありますが、話が面倒なので省略します)。

 スサノオは、地上世界の主宰神ですが、地上で人間活動をする人間の「種」を作り終えるまでが、その使命です。

 つまり、(現界で人間活動をするところの)大国主とか大歳とかの祖神(オヤガミ)を作り終えると、その使命を果たして、「根の堅し国」へ転勤しました。

 根の堅し国は、たとえると、現界の控え室とか管理室のようなもので、「黄泉の国」とは異なります。

 また、地上世界の総監督は神産霊神ですが、イザナミやスサノオが助監督の位置づけだと思います。

 ちなみに、大国主の窮地のときには、神産霊神が救済のために登場しています。


J 卑弥呼の呉系倭人(説)。

 呉系倭人と言いますと、北九州の卑弥呼は、(魏略では)「呉の太伯の後裔」の説が有ります。

 (また、別に、同じ魏略では『昔、夏后少康の子』とも書かれているので、「越系倭人」かも知れません)。

 ただし、三国志では『自ら大夫と称す』、『夏后少康の子』とあるので、越系倭人の説になります。

 また、(呉越戦争後の、あるいは楚越戦争後の)古代の半島人の大半は、呉系倭人(呉系韓人)と思われます。

 日本と特に関係の深かった半島南岸東部の「加羅」には、呉系倭人や越系倭人が混在していたと言われています。

 (ただし、「加羅」は越系倭人で、「安羅」は呉系倭人を意味する、という説も有ります)。

 ちなみに、(「金官加羅」を創った濊族(ワイゾク)と考えられるところの)スサノオには、呉系倭人のほかに(新羅方面にいたとされる)越系倭人の血が混じっているかも知れません。

 つまり、スサノオが『母に会いたい、母の国に生きたい』、と言った背景には、出雲(越系倭人)が隠されていると思います。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/314.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の8)・「北九州の邪馬台国」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「北九州の邪馬台国」に、ご興味をお持ちでしょうか。邪馬台国については記紀神話は何も触れていません。

 触れていないからといって知らなかった訳ではなく、関係なかったか、もしくは、『触れたくなかった』と思います。


A 「倭人伝」は信用ならない。
 
 「倭人伝」の原本は残っていません。何回も何回も書き写されたものが残っているだけです。

 ですから、誤字脱字や加除添削が行われている可能性があります。

 しかも、「中華思想」の影響から、卑語・蔑称の漢字が盛り沢山であり、内容は悪意に満ちたものです。

 (ただ、「倭人伝」は、比較的に早く日本にも伝わり、720年に成立した「日本書記」にも引用されていると言われています。


B 邪馬台国は、北九州に有った。

 邪馬台国が北九州に有ったというのは、簡単な話です。「倭人伝」が北九州にしか触れていないからです。

 対馬とか壱岐の島とか、松浦とか伊都・糸島平野だとかの女王国に至るまでは詳細な記述があるのに、女王国以降については触れていません。

 触れていないのは、張政(チョウセイ)が、女王国以外には行っていないからです。張政そのものは、軍旗を女王に手渡すために来たはずです。

 張政は、(魏の朝鮮領であるところの)帯方郡の太守(県知事クラス)の部下の国境警備隊の隊長クラスです。

 中級の軍人程度ですから、『日本に行って来い』と言われたら従うだけです。

 また、日本の偵察の任務も兼ねていたと思います。

 当時の中国の魏は、「魏呉蜀の三国志」の戦争中であり、蜀は諸葛孔明が234年に消えた後は勢いを無くして263年に滅亡しました。

 しかし、揚子江南岸の呉は勢いが盛んで、魏と互角の勝負をしていました。

 (魏は265年に晋に禅譲しましたが、呉が滅亡したのは280年であり、邪馬台国の記録以降まで存続したのです)。

 そんな「戦時中」という時代背景がありましたから、張政がノンビリと邪馬台国を見学する余裕はなかったと思います。

 軍旗を手渡したら、早急に朝鮮に帰ったと思います。


C 奈良県の「箸墓古墳」は、卑弥呼の墓ではない。

 奈良県の愛好家が、『卑弥呼の墓は(奈良県桜井市にある)箸墓古墳だ』と言っていますが、そんなことは有りません。

 簡単な話です。箸墓古墳は全長が280メートルも有るような大古墳であり、しかも前方後円墳です。

 ところが、卑弥呼の領地が有った松浦とか伊都・糸島平野だとか博多平野だとかには、1個も前方後円墳が無いのです。

 (北九州の前方後円墳は古墳時代以降のものであり、卑弥呼の時代よりも後世のものです)。

 つまり、卑弥呼だけが特別に巨大な前方後円墳で、その他の一族や高位高官のものが小さな「盛り土墓」では、辻褄が合いません。

 卑弥呼が前方後円墳なら、その他の一族や高位高官のものも、たとえ小さくても前方後円墳になるはずです。それが「祭祀」というものだと思います。

 ★ また、箸墓古墳は、2百年代の中頃だとの説が有りますが、(それよりも古いとされるところの)、近隣に有る「ホケノ山古墳」は、発掘土器などの調査では3百年代の中頃との説が有ります。

 (古いホケノ山が300年代で、新しい箸墓が200年代では、辻褄が合いません。考古学者も頭が痛いそうです)。


D 邪馬台国は弱小国家だった。

 「倭人伝」によれば、『女王国の南側に、狗奴国という国があり、狗古智卑狗がいて、女王に服属しなかった』とあります。
 
 これは、熊本県に菊池彦という豪族がいて、卑弥呼の邪馬台国と戦争をしていたという意味です。(通説です)。

 そして、卑弥呼では、どうにも出来なくて、魏に応援を求めたからこそ、朝鮮の帯方郡から張政が派遣された訳です。

 ここで、たとえば、後の「大和王権」であれば、「ヤマトタケルの遠征」のように、近畿の豪族とか中国地方の豪族とかを派遣して、熊本県の菊池彦をボコボコにしたはずです。

 内地からの援軍を求められなかったというのは、卑弥呼の女王国が、熊本県の菊池彦と国境を接する北九州にあった「弱小国家」だったことを証明しています。

 (もしも、邪馬台国が奈良県に有ったとするなら、わざわざ魏に応援を求めなくても、「内輪の揉め事」で済ませたはずです)。


E 邪馬台国の国力・軍事力の考察。

 邪馬台国の国力・軍事力を推量する一つの手法に「米の生産高」が挙げられます。

 (資料の信憑性に欠けると断っておきますが)、平安初期の日本全国の米の生産高は凡そ400万石と言われます。

 (1人平均で1年間に1石を食べるとして、日本全国の総人口は400万人と言われます。あるいは600万人いた説もあります)。

 平安初期の米の生産高を基に、卑弥呼が領有したであろう筑前一国が9万石、筑後一国が6万石、肥前一国が7万石で、合わせて22万石程度になります。

 また、平安初期の壱岐は3千石(推定人口は3000人±か)、対馬は2千石(推定人口は2000人±か)しか有りませんでした。

 (ちなみに、江戸末期の米の生産高は3200万石弱で、人口は3000万人と云われていますから、1人1石が当てはまります)。

 (ただ、筑前については東側は不明ですし、豊前一国の7万石についても、卑弥呼の領地か不明です)。

 対抗する菊池彦の熊本県の肥後一国は、12万石程度と言われますから、邪馬台国の半分くらいだと思われます。

 ただ、古代には、米以外の雑穀を主体にし、高カロリーな獣の肉も食べていたと思われます。

 しかしながら、大事なことは、飛鳥時代や奈良時代や平安初期には大規模な開墾が行われただろうから、平安初期の米の生産高は、一つの目安にはなるが、それでもって、卑弥呼の時代を推量することは出来ないということです。

 ただ、卑弥呼の北九州に対して、菊池彦の熊本県が対抗するだけの力を持っていたとの推量は出来ます。

 また、陸戦主体で、菊池彦が、筑後平野を舞台にした白兵戦を行ったなら、菊池彦の方が強かった可能性も有ります。

 要するに、卑弥呼の邪馬台国は、その程度の国力しかない「弱小国」だったと言えます。


F 魏の張政が飛んできたのは、呉と菊池彦の同盟の可能性があった(説)。

 張政は、正始八年(247年)に、邪馬台国が狗奴国と武力衝突した際に、魏の命令で朝鮮の帯方郡から派遣されたと言われます。

 本来、張政が、日本に来る必要性は無かったはずですが、呉と熊本県の菊池彦が同盟したのが原因だ、との説があります。

 ここで、当時の中国情勢を分析しますと、中国は「魏呉蜀の三国志」の戦争中であり、魏の強力なライバルが呉でした。

 魏は、揚子江の北側を領有しましたが、軍事戦略上、北側の満州方面から襲われることを警戒しました。

 そして、魏は、(後漢の地方長官の「太守」で、後漢の後に満州方面を支配したところの)公孫氏と同盟して、北方の脅威を取り除きました。

 ところが、呉の方は、魏を南北からの「挟み撃ち」にしようと画策して、公孫氏と同盟した説があり、事実、228年に公孫氏が魏に反旗を翻して、238年に魏の司馬仲達によって公孫氏が滅ぼされました。

 このように、魏は、満州方面の動向を極度に警戒しました。

 もしも、『呉と菊池彦が同盟した』となりますと、菊池彦が邪馬台国を撃ち破って、日本から朝鮮に逆上陸して、朝鮮半島が日本に押さえられたら、そのショックで満州方面の騎馬民族が呉に味方をすると大変なことになる、との危機感があったものと想像します。
 
 そこで、邪馬台国からの救援要請を受けて、張政の現地視察ということになりました。

 実際に日本を訪れると、イレズミをした土人ばかりで、戦術も戦略も無く、熊本県と福岡県の喧嘩のレベルでした。

 よって、『長くとどまって調査の必要性なし』ということで、早々に帰国したと想像します。

 また、倭国が30くらいに分かれて分立していることも、事前に知っていたと思います。

 ところが、『倭国のトップの邪馬台国がこの程度なら、あとは推して知るべし』ということになり、倭国の調査は省略したと想像します。

 張政にすれば、自分が担任する(ソウル方面にあったところの)帯方郡隷下の国境警備のほうが大事ですから、長くは留まらなかったと思います。


G 熊本県と呉との交流の可能性。

 呉は揚子江の河口に有りましたが、緯度的には熊本県のレベルに在り、海流や潮流を上手に利用すれば、呉が日本を往復することは可能です。

 事実、平安時代の遣唐使は揚子江方面の航路を採っていた歴史があります。

 ★ 熊本県には、呉王の子孫の「松野の連(ムラジ)」の伝承があります。(興味のある人は、ご自分で)。


H 馬鹿にされた邪馬台国。

 「邪馬台国」という表記は卑語・蔑称です。「邪」の字には邪悪な・よこしまな・捻じ曲がるという意味があります。

 「馬」の字には家畜のような・従属するような・人間に満たないというような意味があり、「台」の字には下僕・高殿という意味が含まれています。

 直訳しますと、「家畜のような、人間に満たない、下僕に等しい国」という見方が出来るかも知れません。


I 馬鹿にされた卑弥呼。

 「卑弥呼」(俾彌呼)も卑語・蔑称です。「卑」は卑しいという意味であり、「俾」には僕(しもべ)・訪ねる・使役するなどの意味があります。

 「弥(彌)」には遠い・過ぎる・経るなどの意味があります。「呼」には叫ぶ・ため息を吐く・名付けるなどの意味があります。

 直訳しますと、「遠くに居る、僕(しもべ)のような、卑しい(女王)」という見方が出来るかも知れません。


J 「邪馬台国」でもないし、「邪馬壱国」でもなかった。

 女王国の呼び方について、邪馬台国だとか、邪馬壱国だとかの論争がありますが、どちらでもないと、私は思います。

 古代日本人の発音は「やまと言葉」であり、「呉語」であり、「訓読み」であって、漢音での発音は無かったと思います。

 したがって、「邪馬台国」の「邪馬」は、「ヤマ」であり「山」の意味だと思いますが、これは「訓読み」の発音です。

 「台」は「タイ・ダイ」にしても漢読み・漢音です。訓読みでは「ウテナ・シモベ・タカドノ」などと発音します。

 また、「邪馬壱国」も同じように、「壱」(イチ)は漢音であり、訓読みは「ヒト(ツ)」です。

 ですから、「邪馬台国」という卑語・蔑称の本来の発音は「ヤマタ(ノクニ)」かも知れません。

 そうすると、山と山の間に広がった博多平野とか、あるいは大宰府とかをイメージすると、「山・田」とか「山・谷」とか「山・高殿」を意味すると思います。
 
 あるいは、「邪馬壱国」と発音するなら、本来は「ヤマイツ(クニ)」だと思います。つまり、山に「坐(イマス)」の意味ではないかと思います。

 自分の国の国名を、卑語・蔑称の意味でもって名付ける民族は、世界中どこにも居ません。

 ★ 邪馬台国については、「ヤマト」の説があります。これなら山門とか山都とか山戸の字がふさわしいでしょう。

 張政は、帰国した後に、「西戎・北狄・南蛮・東夷」という「中華思想」の慣例法に従って、卑語・蔑称の漢字を並べ立てた報告書を提出し、それが後世の「倭人伝」にまとめられたものと思います。
 


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/323.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の9)・「邪馬台国の滅亡」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「邪馬台国の滅亡」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、邪馬台国はトヨの朝貢の後に、滅亡してしまったと考えています。


A 邪馬台国は、歴史書に、わずかしか残らなかった。

 邪馬台国は、多くの謎に包まれていますが、大半が歴史の闇に埋もれてしまいました。

 全くの闇の中に葬り去られなかったのは、わずかに残る「倭人伝」の記録があったからです。

 すなわち、「三国志」では、トヨが魏に260年ごろかに遣使しており、「晋書」では、「泰始2年(266年)に倭人が朝貢に来た」との記録が残されています。

 しかしながら、それ以降の中国の記録では、日本については、「倭の五王」以降しか、残されていません。

 中国に記録が残されなかったのは、魏は、265年に家来の司馬氏(諸葛孔明と戦った司馬仲達の子孫)に皇帝の座を強奪されました。

 晋は、脅迫的な「禅譲」によって建国したものの、内戦・内乱で300年ごろから国が乱れて、316年に滅亡しました。

 そして、晋の乱れに乗じて、中国の北方の騎馬民族が平原に侵入し、いわゆる「五胡十六国」の大動乱の時代が、581年の隋の統一までの、およそ3百年くらいまで続きました。

 このような大動乱の中で、人々は家や国を奪われて、逃げまどいましたから、歴史書の執筆どころでは有りませんでした。

 (この異民族の侵入によって、漢民族は数分の一に人口を減らしたと言われます)。

 また、「倭の五王」の記録を残した「晋書」にしても、あるいは「宋書」にしても、動乱当時の「日記的な記録」を残したのではなく、その王朝が、自分に都合のよい「創作物語」を残したに過ぎません。


B 中国の歴史書は、日本に聞きに来てから作った話。

 「宋史日本伝」という中国の歴史書が有ります。これは、唐の滅亡後に、戦乱で失われた歴史書を求めて、平安時代の953年に、中国人が日本に来て聞き取りしました。

 その結果に作られたのが、「宋史日本伝」とか「新唐書の日本伝」です。ですから、日本に都合のよい内容になっています。

 (これは、歴史学者間の「常識」であり、これらの「日本伝」には何の価値も有りません)。


C 邪馬台国は、記紀神話に、残されなかった。

 邪馬台国については、記紀神話には何の記述も有りません。これは、知らなかったのではなくて、『書きたくなかった』のではないかと思います。

 (話は逸れますが)、古代人は、現代人と違って、神に非常に近かったと思います。元々は神が地上に降臨したものです。

 ですから、邪馬台国について知りたければ、チャネリングして、神に聞けば教えてくれたと思います。

 そうすると、邪馬台国の記述が無いのは、神が教えてくれなかったか、教えてくれたけれども『書きたくなかった』ということになります。

 書きたくなかったのは、なぜか。それは血統が違うからではなかったのか、という推測が働きます。


D 邪馬台国は、血統が違った(説)。

 邪馬台国の人種について、「倭人伝」の記述の中で、「魏略」では、『呉の太伯の後裔、昔、夏后少康の子』と書かれています。

 ところが、「三国志(魏志)」では、『自ら大夫と称す、夏后少康の子』とあります。

 そうしますと、呉系倭人の説と越系倭人の2説に分かれます。

 (夏后少康というのは、黄帝を親として、その子の兄の子孫が周や呉になり、弟の子孫が夏后少康になり、越になります。

  元々は、黄帝の子孫ということで、同族といえば同族ですが、なにぶんにも古い神話上の話です)。

 また、日本の国体は、正統な漢民族の子孫であり、姫姓であり、周と同室の「呉王朝」の王族の子孫です。(そういう設定です)。
 
 (平安時代の日本書記の講書に、『この国が姫氏国と呼ばれるのはなぜか』の問いに、『周呉の王姓は姫で、日本は姫氏の国と中国は認識している』との記録が有るらしいので、これによれば、日本人は呉王の後裔になりそうです(真偽不明、要確認)。

 ここで、邪馬台国が越系倭人であったならば、国体とは全く関係のない他人ということになります。

 それどころか、越系倭人というのは、紀元前473年に、越王のコウセンが、呉王のフサを滅ぼしています。(言ってみれば、親の仇です)。


E (学校で習わなかった人もいるかも知れないので)、「呉越戦争」の話を要約すると、

 呉王フサの父の呉王コウリョが、楚を攻めた留守中に、越王コウセンが呉に攻め込んだ。

 急遽、呉王コウリョが越王コウセンに対応したが、重傷を負って、それが原因で後に死去した。

 呉王コウリョが、死の間際に、子供の呉王フサに対して、越王コウセンに復習をすることを誓約させた。

 子供の呉王フサが「臥薪嘗胆」で満願成就して、越王コウセンを攻めて勝利した。

 越王コウセンは土下座をして「命乞い」をして、永遠に奴隷のように呉に服従すると誓約をした。

 このとき、呉王フサは、『越王コウセンを殺してしまえ』という家臣の進言を無視して、哀れんで助けた。

 ところが、後に、越王コウセンが(呉王フサと同じように)「臥薪嘗胆」で実力を蓄えて、呉王フサを攻めて、呉王フサに勝利した。

 越王コウセンは、『呉王フサを殺してしまえ』という家臣の進言を無視して、哀れんで一命を助けて、流刑を申し出た。

 呉王フサは、流刑の申し出を断って自害して、呉王朝が滅亡した。

 まあ、言ってみると、呉から見た越というのは、『親の仇(かたき)』であり、『不倶戴天の敵』でもあります。

 そんな越の一族は、(姫氏の国の後裔日本としての)記紀神話には、一行だって載せたくないというのが、人情だと思います。

 (以上は、私の勝手な想像で、ホントかウソかは、分かりません)。


F 呉王の子孫の、松野連氏。

 日本には、呉王の子孫と言われる「松野氏」の記録が有ります。系図も国立国会図書館に残されています。

 その系図などでは、周の始祖王の季歴の兄の「呉の太伯」から始まり、呉王夫差を経て、孝昭天皇朝の(BC473年)に渡来して、火の国の山門(熊本県菊池郡)に住み、694年に持統天皇朝から「松野の連」を賜姓した、との記録があるらしいそうです。

 (呉王の子孫で松野氏の祖先の菊池彦と、越王の子孫の卑弥呼との、「因縁の身魂の大バトル」というのは、小説的には、どんなもんでしょうか)。


G (話を元に戻して)、誰が、邪馬台国を滅ぼしたか。

 邪馬台国を滅ぼした可能性のある者を推理しますが、その前に、物語の構成を考えてみたいと思います。

 物語は、イザナギ・イザナミの日本の国作りや神生みの後には、幕が変わって、アマテラスの高天原が登場し、スサノオの乱入で始まります。

 第1次アマテラスの「岩戸隠れ」の後で、第2次アマテラスが復活して、スサノオが追放されて出雲に降ります。

 出雲に降ったスサノオはスセリ姫を生んで、大国主(アメノホヒ)が婿養子に入って西日本の大王になります。

 大国主の晩年に、アマテラスによる出雲の「国譲り神話」が行われ、(どう云う訳か)ニニギが全く無関係な鹿児島県に引っ越して、幕が降ります。

 以上のような物語のストーリーを基に、邪馬台国を滅ぼした可能性の有る者を考えて見ます。

    第1は、アマテラスの説
    第2は、熊本県の菊池彦の説
    第3は、スサノオの説
    第4は、海人族の綿津見の説
    第5は、朝鮮半島南部の倭人の説
    第6は、中国人の説

(ア) 第1のアマテラスの説は、遠賀川方面にいた可能性が有りますが、邪馬台国に押さえつけられた小国だから、どうなんでしょうか。

 (遠賀川方面にいた可能性については、第1には、オシホミミの墓所が、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の「忍骨命」というのが定説であること。

 第2には、ニギハヤヒが、「物部二十五部」を率いて「天孫降臨」したが、遠賀川から東征したと推定されること。

 第3には、「宗像三女神」が、博多よりも東に位置する宗像に降臨していること。

 第4には、墓地の形式が、遠賀川方面と博多方面では、明確な違いが見られること、などが挙げられます)。


 ただ、物語のロケーション的には、第1次アマテラスがスサノオにボコボコにされて、第2次アマテラスが、逆に、スサノオをボコボコにして叩き出しています。

 仮に、第1次アマテラスが邪馬台国の後だとすると、270年頃より後であり、その後の第2次アマテラス、ニニギの都落ち、神武東征まで行きますと、時間配分が窮屈ですが、不可能では有りません。

 ★ スサノオの降臨の場所は、古事記では出雲に、日本書記では朝鮮の新羅の説や出雲の説や広島県の山奥の説などが有りますから、新羅に降臨したとすれば北九州ではシックリとしません。だから本当は分かりません。

 (私は、神武東征(ニギハヤヒの降臨)を290-300年ごろ、崇神・垂仁を340-360年ごろ、仲哀・神功・応神を380-400年ごろ、応神・仁徳を400-420年ごろと推測しています

 また、「欠史八代」は1・2・3代は直系相続で、それ以降の九代までは、3ブロックの兄弟相続で短命だったと思っています)。
 
(イ) 第2の熊本県の菊池彦の説は、可能性は有りますが、海軍力を持っていなかったので、内陸部の筑後平野を取った程度と思いますが、記紀神話に残っていないので、どうなんでしょうか。

 また、アマテラスの高天原との関連性も、シックリ行きません。ストーリー的には、スケールが小さいので「ごみ箱」に入れたいところです。

(ウ) 第3のスサノオの説は、アマテラスの「高天原の幕」の後の登場ですから、アマテラスの前に邪馬台国を滅ぼしたというのは、シックリ行きません。

 ただ、第1次アマテラスを馬韓か金官加羅に進入した濊族(ワイゾク)と考え、第2次アマテラスを北九州に侵攻した濊族とすると、ストーリーは繋がります。

(エ) 第4の海人族の綿津見は、邪馬台国に服属した海人だと思いますから、打ち倒すほどの力は無かったと思います。

(オ) 第5の朝鮮半島南部の倭人の説については、元々は馬韓にあった呉系倭人(呉系韓人)の王家が、海を越えて北九州に亡命政権を樹立したという可能性があります。

 (金官加羅から来た可能性の有るスサノオの出自に関連しますし、1行や2行では書き切れませんので、別の投稿文にまとめたいと思います)。

(カ) 第6の中国人の説の可能性については、記紀神話の物語は、イザナギとイザナミの守護する呉系倭人と越系倭人の国が日本という設定ですから、中国人は関係ないと思います。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/330.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の10)・「卑弥呼とアマテラスの相違点」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「卑弥呼とアマテラスの相違点」に、ご興味をお持ちでしょうか。古代史ファンの中には、アマテラスを卑弥呼に重ね合わせる人がいますが、全然、違うと思います。


A アマテラスは神霊であって、人間ではない。

 アマテラスというのは、古事記では、イザナギが禊を行った際に海の中から生んでいます。

 他方の日本書記では、イザナギが禊の際に単独で生んだ説と、イザナギとイザナミの両者が神生みの際に生んだ2説が有ります。

 (物語的には、イザナギは呉系倭人の性格を具有していると考えますので、アマテラスは呉王朝の血統という設定ではないか、と想像します)。

 いずれにしても、人間ではなく、神霊に違いは有りません。

 同じように、スサノオも、アメノホヒも ニギハヤヒも神霊であって、全部、人間では無いのです。彼らを人間に当てはめても、必ずしも一致しません。


B (反対に)、卑弥呼は人間であって、神霊ではない。

 卑弥呼は、「倭人伝」に登場する女王ですから、間違いなく人間です。(ただし、肉体が人間という意味です)。

 それから、大国主も事代主も人間です。大国主はアメノホヒが憑依した人間であって、肉体が大国主であって精神がアメノホヒ、という言い方が出来ると思います。

 事代主は少し複雑かも知れません。ニギハヤヒの神霊が憑依して、結果的に、事代主=ニギハヤヒ=神武天皇の図式が成り立つかも知れませんが、あくまでも想像です。

 (複数の人格を持った「多重人格」の人間が事代主、という言い方が出来るかも知れません)。


C 記紀神話は、現界(つまり人間世界)の話と、霊界(ある意味において精神世界)の話がミックスされています。

 ですから、記紀神話を読むときには、考えながら読まなければならず、机上の平面図では解けないと思います。

 ★ 何回も同じことを言いますが、『天上に上れば神霊になり、地上に降れば人間になります。肉体は精神(神霊)の乗り物に過ぎません。

 (物質や科学を主体とする西洋的な唯物論で考えるか、精神や宗教を主体とする東洋的な唯心論で考えるかの違いだと云えるかも知れません)。


D (余談ですが)、ギリシア神話では、人間と神とが親しく交流していた。

 (余談になりますが)、ギリシア神話では、初めに、神々と人間が親しく交流していた「黄金の時代」がありました。次には、人間が神々に対して傲慢になった「白銀の時代」が続きました。

 3番目には、神々が天上に帰還してしまって、人間が絶対の「青銅の時代」を経てから、4番目には、人間の「鉄の時代」が今日まで継続している、と言われています。

 (ちなみに、今の「鉄の時代」で終わりであり、次の5番目の時代は無いそうです)。


E (元に戻って)、卑弥呼には子供が無かったが、アマテラスには「八柱の御子神」がいた。

 「倭人伝」の記録では、卑弥呼には子供がおらず、死後には、男王が立ったが国が乱れたので、「宗女」のトヨが立って女王になった、と有ります。

 つまり、卑弥呼が、247年か248年に隠れたが、熊本県の菊池彦と戦争中であったので、慣例を無視して、「戦時体制」ということで男王が立った。

 ところが、ブーイングの嵐で、結局は、宗女(本家筋の娘のことで姪と考えられるところの)トヨが女王になって、衆目の了解を得た、と解釈できそうです。

 ですから、卑弥呼に子供がいなかったことは明白です。

 これに対して、アマテラスには、スサノオとの間に「八柱の御子神」を設けています。

 だから、卑弥呼とアマテラスは、別の存在だと言えます。


F ところが、アマテラスには子供がいなかった、かも知れない。

 Aで言いましたように、アマテラスは神霊であって人間では有りませんから、人間のような子供が居たか、居なかったかは分かりません。

 (話は脱線しますが)、スサノオが出雲で退治した「ヤマタノオロチ」は、実は、治水事業のことであって、出雲を流れる斐伊川のことであり、多くの支流があって、古代にはよく氾濫したから、たとえ話として「オロチ退治」の話があるのだ、との説が有ります。

 これに従いますと、アマテラスの子供というのは、大和王権の成立前に存在した主要な豪族を言うのだ、との説が有ります。

 たとえば、オシホミミは、ニニギを祖とする「九州三代」のことであり、また、九州に勢力を誇った豪族群のことです。

 また、アメノホヒは出雲族の祖であるし、他の兄弟たちも琵琶湖方面に入植して勢力を持った者とか、和歌山方面に入植した者とか色々です。

 また、「宗像三女神」とは海人族のシンボルであり、福岡県の安曇氏の祖神のことであり、鹿児島の隼人族のことであり、出雲の三穂津姫の出雲水軍のことかも知れません。

 (何で、鹿児島が「宗像三女神」と関係があるのか、との疑問も有るでしょうが、これについては、別の記事で書こうと思います)。


G (話は脱線しますが)、「宗像三女神」と三穂津姫の相関性。

 三穂津姫は、出雲の美保に坐す神で、大国主の妃であり、事代主の母神です。

 先代旧事本紀では、大己貴神が、(宗像三女神の)辺津宮の多岐津姫(別名に高津姫・神屋楯姫)を娶り、事代主と高照姫を生んだと有ります。

  (ここで、神屋楯姫が事代主の母親というのは通説です。別の表現では、『神の矢(男根)が(ホトに)立った姫』という言い方も出来るかも知れません)。

 また、日本書記の神代(下)の第9段の一書には、高皇産霊尊の娘の三穂津姫を、大物主に与えたと有ります。

 すると、高皇産霊尊の娘で宗像三女神の多岐津姫は、三穂津姫・神屋楯姫という別名を持ち、大物主の別名を持つ大国主と結婚して、事代主と高照姫を生んだことになりそうです。

 (高照姫は、「アシスキ・高彦・ネ」の妹という設定がポピュラーですが、「アシスキ・高彦・ネ」は「アメノ・若彦」との二役という設定のようです)。

 また、「宗像三女神」は、アマテラスの子供ではなく、あるいは、スサノオの子供でもなく、高皇産霊尊の娘ということになりそうです。あるいは、アマテラスと高皇産霊尊との子供ということかも知れません。


H (訳が分からなくなったので、次に行って)、弟がいた話。

 卑弥呼には弟がいましたし、アマテラスにも月夜見という弟がいました。

 しかしながら、古代には子沢山であって、1人の女は5人も6人も子供を産みました。ただ、多くは乳幼児か幼年中に隠れてしまいました。

 ですから、姉と弟の組み合わせや、兄と妹の組み合わせは、別に不思議では有りません。

 また、古代は女系相続であり、娘が家を引き継ぎ、家の祭祀も執り行いました。男は軍事面や政治面を受け持ちました。

 従いまして、弟がいたから、『卑弥呼はアマテラスだ』、とは言い切れません。


I 結論としては、分かりません。

 アマテラスは、(呉系倭人の守護神であるところの)イザナギが生んだから、呉系倭人だと想像されます。

 対する、卑弥呼は、越系倭人の説が有ります。(その6の9)・「邪馬台国の滅亡」−D邪馬台国は血統が違った説、を参照のこと)。

 そうすると、アマテラスと卑弥呼は、違うということになります。

 ところが、神霊を主体として肉体を従とした場合に、肉体は神霊の乗り物に過ぎないから、アマテラスが、越系倭人の卑弥呼に憑依したと仮定するならば、それは、アマテラスである、といえるかもしれません。

 肉体(血統)を採用するか、神霊(精神)を採用するかで、その「系統図」は全く異なってしまいますから、分からないというより仕方ありません。


J 霊界と現界の相関性。

 霊界(高天原)の移写が現界になり、霊界の出来事が現界に反映されます。

 ただ、必ずしも相似形ではなく、変形したり、時間差が起きたり、時には、逆転したりすることも有ります。

 そうしますと、絶対に、『アマテラスと卑弥呼は違う』とは断言できません。この辺が記紀神話の難しいところだと思います。

 (ですから、最初に断っていますように、『オカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事』を目的としています)。


K 最後に、記紀神話は、桓武天皇の王朝が作った(再編した)。

 記紀神話は、大海人天皇の勅命で編纂されて、完成したのは、(686年に大海人天皇が御隠れになった後の)712年に古事記が完成し、720年に日本書記が完成しています。

 従いまして、記紀神話は、大海人天皇のファミリーに都合の良い内容になっていたと思います。

 ところが、673年から769年までの凡そ百年間にわたる大海人天皇ファミリーの天下が終わって、770年からは、天智天皇のファミリーに変ってしまいました。(光仁天皇の即位)。

 振り返ってみると、672年に、天智天皇の子供の大友天皇(弘文天皇)と大海人天皇は、壬申の乱で皇位争奪戦を戦った過去が有ります。

 光仁天皇もそうですが、次の桓武天皇は、大海人天皇ファミリーの天下の中で、天智天皇ファミリーという過去を背負って、日陰の中で生きて来たらしいです。

 ですから、781年に、桓武天皇が即位すると、『大海人天皇ファミリーを全面否定せよ、記紀神話も見直せ』と厳命したらしいそうです。

 (これは、歴代の天皇に申し送りされ、藤原政権にも命じたらしいです)。

 その後、日本書記に続く「完結偏」として、901年に、「三代実録」が完成して、いわゆる「六国史」が完成しました。

 この過程で、大海人天皇ファミリーに都合の良い内容はバッサリと訂正されて、中立寄りか、もしくは天智天皇のファミリー寄りの内容に修正されたと言われています(通説です)。

 また、記紀神話の修正に対して文句を言ったら、ボコボコにされるので、誰も文句を言えなかったと思います。日本版の「焚書坑儒」が誰の脳裏にも浮かんだことでしょう。

 (もちろん、総監督をした藤原氏にとっても、藤原氏に都合の良い内容になっている、と言われているそうです)。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/340.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の11)・「邪馬台国と大宰府の考察」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「邪馬台国と大宰府の考察」に、ご興味をお持ちでしょうか。卑弥呼がいた邪馬台国の首都は、今に至るまで特定されていません。そこで、大宰府について考えてみたいと思います。


A はじめに、「倭人伝」は、ウソの羅列で信用ならない。

 魏略にしても魏志(三国志)にしても、原本は存在しておらず、写本の一部分がわずかに残されているに過ぎません。

 しかも、故意か過失か未必の故意か知りませんが、虚偽の記載のテンコ盛りで、まともに信用することは出来ません。以下、気になる点をピックアップしてみたいと思います。


(ア) 太伯の後か、夏后少康の後かの違いについて。

 魏略では、邪馬台国を『太伯の後』とあり、これに従うと、呉の子孫の意味になります。魏志(三国志)では『大夫で夏后少康の後』とあり、これに従うと、越の子孫になります。

 私たち日本人にとっては、非常に重要な点であるのに、両者で食い違っており、どちらかが間違っているということになります。実に、いい加減です。


(イ) 伊都国の戸数が異なる点について。

 魏略では、伊都国の戸数について、『戸は万余』とありますが、魏志(三国志)では、『千余戸』になっていますが、どちらが正しいのでしょうか。


(ウ) 魏略で書かれていない内容がある点について。

 魏略では、伊都国に到着したところで地理の記述が終わっています。魏志(三国志)では、伊都国の後も奴国に続いて、南の邪馬台国まで地理の記述が続いています。

 邪馬台国の首都は倭国の一番の核心なのに、魏略が省略しているのはシックリとしません。

 そうしますと、比較が出来ないので、魏志(三国志)の記述の信憑性を担保できませんし、そもそも、記述自体が間違っているかも知れません。


(エ) 戸数の記述が信用できない点について。

 たとえば、(魏略には見えませんが)、魏志(三国志)の中で、『対馬国には千余戸ある』、『一支国には三千ほどの家がある』、『邪馬台国には七万余戸ある』と見えます。

 これを一戸を4人で計算しますと、対馬に4,000人、壱岐に1万2,000人、邪馬台国で28万人になります。

 ところが、平安初期の米の生産高では、対馬は2,000石余り、壱岐では3,000石余り、筑前一国で9万3,000石弱、筑後一国で6万4,000石程度です。

 1人が1年に1石を食べるとして、対馬で2,000人、壱岐で3,000人、邪馬台国を筑前と筑後の2カ国全部としても16万人程度しか養えません。

 しかも、統計は平安初期の記録ですから、(飛鳥時代・奈良時代・平安初期の大開墾の時代以前の)、邪馬台国の当時では、2分の1とか、3分の1とかの米の収量で計算しなければなりませんから、全然計算が合いません。

 しかも、前記の(イ)伊都国の戸数が異なっている例もありますから、この戸数計算は、全く信用できないことになります。


(オ) 現実に存在しない記述が有ります。

 魏略には『倭の南に侏儒国がある。人の丈は三、四尺』。つまり小人(こびと)の国があると書かれていますが、そんな国はどこにも有りません。

 魏志(三国志)では侏儒国のほかにも、『裸国』や『黒歯国』の記述がありますが、日本周辺には該当する国は見当たりません。


B 「倭人伝」は参考に出来ても、全面的な信用は出来ない。

 倭人の国(日本)については、紀元後57年には、後漢の光武帝から倭の奴国王が印綬を受けた記録がありますから、早くから日本のことを中国人が知っていたことは事実だと思います。

 だからと言って、中国人の記録が正しいとは限りません。間違いも有るでしょうし、悪意ある虚偽も有ると思います。疑って掛かるべきだと思います。


C (内容を変えて)、邪馬台国と大宰府について。

 卑弥呼が居た邪馬台国の首都が、どこに有ったかについては、現在に至っても特定できていません。

 おそらくは、『(奴国の)南の邪馬台国に至る』のとおり、奴国を「那の津」(博多)と解釈しますと、その南は大宰府であるし、さらに山を越えて筑後平野が考えられます。

 常識的には、大宰府が一番適当ではないかと思います。


D なぜ大宰府なのか。それは博多の町が無かったからです。

 私たちの多くは、古代の博多を論じるときには、現在の福岡県地図を思い描きながら会話を進めていますが、古代には博多の町どころか博多平野自体が有りませんでした。

 古代には、現在の博多平野を流れる御笠川とか那珂川などの何本かの川が有っただけで、博多平野と呼べるようなものは無く、川と川との間に段丘が有っただけです。

 そして、その段丘部分に、須玖岡本遺跡だとか、三雲南小路遺跡だとか、板付遺跡だとかが散在していました。

 しかも、海岸線は、今よりも遥かに後退しており、大半の平野が存在しませんでした。


E やっぱり、大宰府が妥当な場所だった。

 上で述べたように、平野が無く、しかも、大宰府市方面から流れる御笠川は大きく後退していましたから、船で比較的上流部まで行けるので、『大宰府の場所が一番適当だろう』ということになって、「大宰府」が置かれたと思います。


F 現在の大宰府市は永い間、国府が置かれ、九州方面司令部の大宰府も置かれた。

 大宰府が有った太宰府市には、大宰府の他にも筑前国府や国分寺も置かれています。

 博多の町が大宰府に取って代わったのは、戦国時代からではないでしょうか。


G 博多平野が整備されたのは、江戸時代以降です。

 平安末期に、平清盛が日宋貿易の拠点にするために博多港を築港しましたが、ごく小規模でした。

 大きく整備されたのは、徳川初期に、黒田長政が福岡に入城して以降のことで、その後、大規模な開墾が行われたと言われています。


H (話をまとめて)、邪馬台国の首都が大宰府に有った可能性について。

 以上、長々と、博多の町が無かったとか、博多平野も無かったとかを述べました。

 古代の博多の平野部に有ったのは、(海人族の本拠地であるところの)福岡市博多区の住吉神社とか、東区の志賀海神社とかであり、その辺りまで海岸線が広がっていました。

 また、(現在の海岸線からは十数キロも内陸部に入り込んだところの)大宰府も、古代には、(今の平野が無かったので)比較的海岸部に近く、しかも、御笠川を船で遡れば、不便さを感じない距離に有ったと思います。

 また、戦国時代に入るまでの筑前国の中心地としての国府や、九州方面司令部としての大宰府が有ったことは、合理的に考えて『一番良い場所だった』と思います。

 このように考えますと、邪馬台国についても、首都が大宰府に置かれていたとしても、別に不思議ではないし、違和感も感じないと思います。

 「倭人伝」の記述に、転記ミスとか虚偽の記載があったとか、省略も有ったと考えるなら、候補地の一つとして、妥当なところではないでしょうか。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/345.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の12)・「イザナギ・イザナミの倭人と熊野神社」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「イザナギ・イザナミの倭人と熊野神社」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、日本の倭人はイザナギとイザナミが作ったと考えています。

 『そんなアホなことが』、という意見も有るでしょうが、まあ、『記紀神話のことですから』ということで、オカルト的には一考の余地は有ると思います。


A ところで、東北地方の熊野神社の考察。

 熊野神社というのは、イメージとしては、紀伊半島の熊野大社とか、島根県の熊野大社が浮かんできます。

 ところが、全国の熊野神社の数で考えますと、関東・東北がダントツに多いのです。

 たとえば、福島県では2百社を超えますし、千葉県では2百社弱ですし、岩手県でも1百五十社を超えています。

 反対に、熊野の本場の和歌山・三重の両県では2県を合わせて1百社くらいですし、島根県では三十社くらいしか有りません。

(注) 熊野神社は、全国に凡そ3,100社ほどが有るそうですが、東北6県で7百社余りで、うち福島・宮城・岩手で5百社余りを占めています。

 また、関東7県では6百社余りが有ります。つまり、関東・東北だけで1千4百社弱も有り、ダントツに多いのです。


B なぜ、関東・東北に、熊野神社が多いのか。

 初めから熊野神を祀っていたという説や、熊野大社から勧進した説が有りますが、よく分かりません。

 (また、仮に、熊野大社からの勧進にしても、なぜ、アマテラスではなく、熊野神を受け容れたのか、という事情も問題になると思います)。


C 関東・東北は「蝦夷(エミシ)」の本場だった。

 記紀神話にも有りますように、大和王権に最後まで抵抗したのが、九州の熊襲(クマソ)と、東北の蝦夷でした。

 私は、蝦夷と熊野神社には、何らかの関連性が有るのではないか、と考えています。

 そこで、「物語」として閃いたのが、イザナミでした。


D イザナギとイザナミの国生みと神生みの話。

 物語は、「造化三神」や「神代七代」から始まりますが、この部分は、言ってみれば「プロローグ」であり、前口上であり、テレビドラマの初発の解説のようなものだと思います。

 本番の第1幕目には、イザナギとイザナミが登場して、国生みと神生みによる「国家の黎明」が始まり、役目を終えると退場して、幕が降ります。

 第2幕目には、スサノオが登場して、国土の開発を行い、アマテラスの筑紫とクシイナダヒメの出雲に、「国家の骨幹」を作った段階で退場して、幕が降ります。

 第3幕目には、大国主とスクナヒコナが登場して、西日本に「地方分権都市国家連合体」を作って、幕が降ります。

 第4幕目には、(コーヒー・タイムとして)、「国譲り神話」で出雲が消されて、ニニギからの「日向三代」がクローズアップされて、幕が降ります。

 第5幕目には、神武東征で、奈良県に「初期の大倭王権」を作った神武天皇が、ガッツポーズをして、幕が降ります。

 第6幕目以降には、『書きたくない理由があるから、何も書かない』という「欠史八代」が続いて、その後の天皇による「大和王権」が確立され、大海人天皇による「大日本帝国の完成」によって、万感の思いを胸に幕が降りて、「物語」のフィナーレとなります。

 (★ 「欠史八代」は架空との説が有りますが、実在したと思います。ただ、内容が『あまりにも醜い』から公表したくないのだと思います)。

 (私も、少しばかり読み解きましたが、これを公表することは、「国体の権威や尊厳」を傷つけると懸念しますので、記事には書きません。知りたければ、ご自分で。)

 ざっと、こんなストーリーだと思いますが、初めのイザナギとイザナミの役目の一つが、倭人を生むことだったと思います。


E (陰陽二神のうちの)、陽神のイザナギは海人を生み、陰神のイザナミは山人を生んだ。

 イザナギは海の神としての性格を持ち、日本全国の海人族の守護神ですが、特に、北九州のワタツミと、南九州のツツノオ(塩土老翁)を生みました。

 (ツツノオは、塩土老翁と同義だと思います。ツツノオ→シオ・ツツノオ・ジ=潮津道之大霊→塩土老翁(シオ・ツチノ・オジ)に変換できるのではないかと思います)。

 一方のイザナミは、山の神としての性格を持ち、日本全国の山人族の守護神になります。

 スサノオと結婚した(出雲の)奇稲田姫の祖神は大山津見ですが、その親神はイザナミになります。同様に、(奈良県の)神大市姫も、(南九州の)木花開耶姫も、その祖神はイザナミになります。

  (注) 記紀神話では、大山津見はイザナギ・イザナミの2神が生んでいます。
      あくまでも、イザナギを海に、イザナミを山という、対比構造に設定するという意味です。

 ★ 物語の構成としては、海は陽であり、男であり、イザナギ(誘う気・精神化)であり、上昇する流れだと思います。

  反対に、山は陰であり、女であり、イザナミ(誘う身・物質化)であり、下降する流れだと思います。

  (要は、ツイン・システム・二重螺旋の構造だと思います)。


F (初めに戻って)、熊野神社はイザナミを祀っている。

 熊野神社で祀られる神様は、総数を5,236座と仮定した場合に、イザナミが1,458座でダントツの1位であり、2位がハヤタマ神で882座、3位がイザナギで849座となっているそうです。


G 関東・東北の蝦夷は、熊野神社のイザナミを祀った。

 蝦夷は、縄文人かも知れませんが、古い倭人でも有ったと思います。

 ですから、蝦夷は山の民でも有りますから、イザナミを祀るのは、当然と言えば当然のことだと思います。


H イザナギの呉系倭人や、イザナミの越系倭人の守護神と、古い倭人との矛盾点。

 物語の設定では、イザナギは呉系倭人の守護神としての性格を持ち、イザナミは越系倭人の守護神としての性格を持っていると思います。

 ところが、蝦夷は、呉越系の倭人とは異なる出自を持っているのではないかと思います。つまり、縄文人ではないかと云うことです。

 そうすると、蝦夷の本当の守護神は、イザナミよりも古い神ではないのかという疑問です。

 つまり、蝦夷の出自は、イザナミの前の「神代七代」にまで遡るのではないかということになります。

 (イザナギとイザナミは、国を生み神を生んだはずですが、この辺が『記紀神話らしい』と言うか、『いー加減』と言うか、まあ、『記紀神話のことですから』)。


長くなりますので、続きは(その6の13)「蝦夷と天香香背男」に持ち越したいと思います。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/348.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の13)・「蝦夷と天香香背男」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「蝦夷と天香香背男」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、日本の倭人はイザナギとイザナミが作った事になっているのですが、実際には、それ以外にも倭人が居るようです。


A アメノカカセオ(天香香背男)は、蝦夷(エミシ)だった。

(ア) 日本書記の神代の下の第九段の一書には、

 『・・・一書曰、天~、遣經津主~・武甕槌~、使平定葦原中國。時二~曰「天有惡~、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此~、然後下撥葦原中國。」是時、齋主~、號齋之大人、此~今在于東國檝取之地也。・・・』と有ります。

  (コミック風に)翻訳しますと、

 『ある書に云わく、天つ神が、フツヌシとタケ・ミカヅチの二柱の神を派遣して、葦原の中つ国を平定させようとした。この時に、この二柱の神が、『天の高天原に、悪い神がいる。名をアマツ・ミカホシ、またの名をアマノ・カカセオとも云う。先ずは、この神をボコボコにしてから、その後に降臨して、葦原の中つ国をゲットしよう』。
 この時の、祝いの大人(ウシ)とも号する「斎い(祝い)主の神」は、今の東国の千葉県の香取神宮に居ます(經津主の~のことだ)。』

  、に翻訳できそうです。

 つまり、天津甕星(天香香背男)は、正当な理由も無く、ボコボコにされてしまったことが分かります。

 (古代には、今のような民主主義とか、人権とか、正義などと云うものは有りません。『欲しいものは手に入れる。嫌いな者は排除する』という論理しか有りませんでした)。


(イ) 天津甕星をボコボコにした經津主と武甕槌が、利根川の河口に、鎮座している。

 この利根川の流域が、蝦夷の領地と大和王権との国境線になりそうです。

 (注) 古代の利根川は、上流には鬼怒川しか流れていませんでした。群馬県から流れる今の利根川は、昔は江戸湾に流れており、徳川家康が関東に入府してから、川の瀬換えを行って、今の利根川に付け替えたと云われています。


(ウ) 日高見の国は、蝦夷の国だった。

  日高見の国については、

 『秀真伝(ほつまつたえ)』には「日高見の国」が登場しており、(諸説ありますが)仙台地方だろうと推測されます。

 『大祓詞』では『・・大倭日高見之国を安国と定めまつりて・・・』とあります。

 『日本書紀』では、『景行天皇廿七年・・・武内宿禰自東國還之奏言 東夷之中 有日高見國 其國人 男女並椎結文身 ・・・』と記されています。

  この記述は、蝦夷のことであり、『東の夷の中に、日高見の國が有る』、と書いて有ります。また、蝦夷はイレズミをしていたようです。

 『常陸国風土記』では、「信太郡の条」に、『此地本日高見国云々』、と有ります。常陸国信太郡は現在の茨城県の霞ヶ浦に隣接する地域と云われています。

 以上の書証から、「日高見の国」の範囲は、利根川の北岸から仙台地方にまで広がる広大な地域と推定されます。

 これらの広大な地域は、古代には「化外の地(けがいのち)」と呼ばれたそうです。

 ★ 古代においては、戦争で負けたり、皇位争奪戦で負けたりして、「負け組」になって追い払われた部族は、「山窩(サンカ)」や、「傀儡(くぐつ)」になったり、「化外の地」に落ち延びたそうです。

 (史上有名な物部さんも、蘇我さんに負けた後は、一部が逃げているようです。また、この時、蘇我馬子の夫人になった物部守屋の妹の太媛(フトヒメ)が、物部守屋の領地や奴婢の何割かを相続しているそうです)。

 
B なぜ、經津主と武甕槌が、利根川の河口に鎮座するのか。

 この2神は、元々は軍人さんです。

 記紀神話の中で、イザナミを死に追いやったカグツチを、イザナギが切ったときに、剣から流れた血が、經津主と武甕槌のルーツになっています。

 剣や弓は、軍人のシンボルですから、軍人さんに間違いないと思います。

 国境を警備するのは軍人の責務ですから、鎮守府将軍として、利根川の河口に鎮座したと解釈できそうです。
 

C イザナギとイザナミの2神が生んだ神以外の神が登場する、疑問について。

 たとえば、少彦名(スクナヒコナ)は、日本書記では高皇産霊尊が生んだことになっており、古事記では母神の神産巣日の子供になっています。(実に、いー加減です)。

 あるいは、イザナギとイザナミの2神が、初めての子作りに失敗したときには、天上に戻って、子作りの仕方のアドバイスを受けています。

 また、菊理媛も出自が不明ですし、思兼神は高皇産霊尊の息子になっていますから、イザナギ・イザナミとは出自が異なります。

 私たちは、一般的に、日本の神々は、イザナギとイザナミの2神が作ったものと解釈していますが、実際には複雑だと思います。

 そしてまた、高天原も「アマテラス・カラー」の一色ではなく、元々は雑多なカラーが有ったものと思います。


D 「明けの明星」や「宵の明星」は、ウザイからボコボコにする、という論理。

 天津甕星(アマツ・ミカホシ)とは、「明けの明星」や「宵の明星」と云われています。金星のことです。

 夕方に月が昇って、『さー、これから輝くぞ』という時に、「宵の明星」が月の周りをチョロチョロして、ウザイです。

 朝方に太陽が昇って、『今日も一日、頑張るぞ』という時に、「明けの明星」がチョロチョロして、ウザイです。

 月や太陽から見ると、(月夜見やアマテラスから見ると)、実に、ウットウシイ、ウザイ存在が「明星」ということになります。だから、ボコボコにしてしまおう、という論理だと思います。


E 米の生産と、奥州の価値。

 米の生産高で見ますと、平安初期に、陸奥の国で26万石弱、出羽の国で13万石余、合計で39万石弱となり、全国の416万石余の9,4パーセントを占めています。
 これに、利根川以北の常陸の国と下野の国を足しますと、74万石弱になり、全国の17,8パーセントを占めます。

 また、江戸末期では、陸奥の国で293万石余、出羽の国で151万石弱、合計で444万石程度で、全国の3185万石の13,9パーセントを占めています。
 これに、利根川以北の常陸の国と下野の国を足しますと、613万石弱になり、全国の19,2パーセントを占めることになります。

 このように、日本人の食料増産政策の点から見ても、奥州を、(米を生産せずに何の貢献もしなかった)蝦夷から、(米を生産したかった)日本政府(朝廷)が奪い取った背景が、推測されます。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/352.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の14)・「建御名方と建御雷と蝦夷の相関性」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「建御名方と建御雷と蝦夷の相関性」に、ご興味をお持ちでしょうか。彼らは、蝦夷と何らかの関係が有るのではないか、と思っています。


A アマテラスが、出雲を、不法に強奪した。

 国譲り神話では、アマテラスが、高天原の支配に飽き足らず、葦原の中つ国までも、単に『欲しいから』という情動に駆られて、不法にも強奪したことが書かれています。

 元々の取り決めでは、イザナギが3神を生んだときに、『アマテラスは高天原を治めよ。ツクヨミは「夜の食国(オスクニ)」を治めよ。スサノオは海原を治めよ』との勅命を受けていたはずです。

 そして、スサノオは、子供の大国主に、葦原の中つ国を「生前贈与」して、自らは「根の堅州国」の責任者に赴任しました。これらは全て遵法行為であり適法行為です。

 ですから、アマテラスが、国譲り神話で出雲を領有する権利は有りません。一方的な侵略行為であり、不法行為です。


B 建御雷(タケ・ミカヅチ)の暴力行為。

 「(その6の13)「蝦夷と天香香背男」の、Aアメノカカセオ(天香香背男)は蝦夷だった。」、で述べたように、

  高天原で、蝦夷の守護神のアメノ・カカセオをボコボコにした後で、出雲に降りました。

 そして、建御雷は、一方的に、『出雲を受け取りに来た。お前たちは荷物をまとめて出て行け』と通告しました。

 この理不尽な要求に、大国主と事代主は従いましたが、建御名方(タケ・ミナカタ)は、『信義則に反するから、受忍義務は無い』として、抵抗しましたが、敗れて、信州にまで敗走しました。

 これが、記紀神話での記述の要旨だと思います。


C 実は、建御雷(タケ・ミカヅチ)は、建御名方(タケ・ミナカタ)の神霊のことで、同一人物だった。

 『建御雷と建御名方が同一人物だった』と言うと、皆さんはビックリされます。


(ア) つまり、建御雷は、イザナギがカグツチを斬った刀から生まれた神です。そこで、「武・御・か・津・霊(ち)」と置き換えると、「武勇に優れた、尊い「か」の霊」と解釈できそうです。

  (「か」は、刀とか、鎌、刈る、輝くとかに関係が有りそうですが、解けません)。

  (ただ、「天津甕星」は明星のことであり、明るく輝くから、「天・之・身・輝・星」に変換できますから、「甕」は「輝く」かも知れません)。


(イ) また、建御名方は、「武・御名・方」と置き換えると、「武勇に優れた、尊いお名前の方」、それは建御雷のことです。」に解釈できます。


(ウ) そうすると、建御雷(タケ・ミカヅチ) → タケ・ミカ・ヅチ+のカタ → タケ・ミカ・のカタ → タケ・ミカ・カタ → タケ・ミナ・カタ(建御名方)に変換できます。

 つまり、「建御雷の神霊(意識)が、建御名方という人間(肉体)に憑依した」のだから、同一人物(霊肉一致)だと言うことになります。

 (『そんなのは、単なる「言葉遊び」に過ぎない』、と言われれば、それまでですが)。


D 日本書記の、気になる記述。

 (日本書記の「神代・下」の第9段の一書2−2の中で)、

 『於是、大己貴~報曰「天~勅教、慇懃如此。敢不從命乎。吾所治顯露事者、皇孫當治。吾將退治幽事。」乃薦岐~於二~曰「是當代我而奉從也。吾將自此避去。」卽躬披瑞之八坂瓊、而長隱者矣。故經津主~、以岐~爲ク導、周流削平。有逆命者、卽加斬戮。歸順者、仍加褒美。是時、歸順之首渠者、大物主~及事代主~。・・・』、と有ります。

 つまり、『大国主は国譲りを承諾し、さらに、岐神(フナトノカミ)を、フツヌシ・タケミカヅチの2柱の神に差し出して、道案内をさせた。岐神(フナトノカミ)の先導で、葦原の中つ国を廻って、諸国を平定した。』と解釈できます。

   ★(もしかすると、道案内をした岐神(フナトノカミ)は、建御名方のことかも知れません)。

 さらに、『この時に、従った首渠者(集団の長)は、大物主~と事代主~だ。』とも有ります。

 そして、最後には、タケミカヅチは茨城県の鹿島神宮に鎮座し、フツヌシは千葉県の香取神宮に鎮座して、奥州の蝦夷に睨みを利かせている、ということに成りそうです。


E 建御名方(タケ・ミナカタ)が、信州に鎮座した意味。

 建御雷と建御名方が同一人物だったと考えますと、別に、戦争に負けて信州に逃げた、とは成りません。

 むしろ、逆に、『信州を支配して経営した』、と考えるべきかも知れません。


F 記紀神話は、実は、ひねくれていた。

  (記紀神話では)、

 出雲で戦いに敗れた建御名方が、命からがら、信濃に逃げ込んだが、建御雷が追い駆けて来たので、土下座をして泣きながら、『信濃からは一歩も出ないから、助けてくれ』、と命乞いをした、と有るようです。

  (ところが、建御雷と建御名方の同一人物説で考えると)、

 建御雷こと建御名方は、出雲から、(蝦夷の一大拠点であったところの)信濃に遠征して、蝦夷をボコボコにした。

 そして、建御名方が、『子々孫々にわたって、蝦夷の脅威を防御するために、信濃を死守する。天地神明に誓う。』、と豪語した。

 それを聞いて安心した建御雷は、『よろしく頼みますよ。私は神霊となって、利根川河口の鹿島神宮で、奥州の蝦夷に睨みを利かせます。お互いに頑張りましょう。』

 、と云うことになり、(よく有る推理小説のように)、『被害者が、実は加害者側の黒幕だった』、と云うことになりそうですが、真相は、どうなんでしょうか。


G 建御名方は蝦夷だったと云う異説について。

 建御名方は蝦夷だったと云う説がありますが、私は、違うと思います。


H 越のヌナカワヒメについて。

 建御名方は、通説では、越のヌナカワヒメと大国主の間に生まれた子供とされています。

 「越」の場所は諸説ありますが、新潟県の糸魚川に比定する説が有力です。

 ただ、糸魚川は町自体が小さ過ぎるので、軍事的・経済的側面から見ると、富山の可能性も有ります。

  つまり、四隅突出型墳丘墓が富山市方面にあり、出雲との交流が指摘されていますし、奴奈加波比売を祀る神社も有ります。

 また、出雲国風土記には、『ヌナカワ姫の子が美保須須美で、美保に居ます』とありますが、美保には事代主が居たはずなので、訳が分かりません。

 (まあ、記紀神話のことですから、『あはは』と笑ってスルーしたいと思います)。


I 信州の、経済的な価値。

 米の生産高で見た経済的な価値としましては、信濃の国は、平安初期の米の生産が、約15万石余り有り、大和(奈良県)の9万石弱なんか問題にならないほどの大国になっていました。

 (ちなみに、西日本で信濃より多かったのは近江(滋賀県)の17万石弱だけです)。

 また、江戸末期の信濃は78万石弱と云われ、西日本では、近江の86万石弱と、肥後の85万石余に続く、3番目の大国でした。

 米が必要な日本政府(朝廷)としては、絶対に手に入れたい土地だったと思います。


J 信州の、軍事的な価値。

 信州(長野県)は、北東に出れば越後に出られますし、西と南に出れば美濃・尾張・三河に出られますし、東に向かえば関東に出られます。また、東山道を使えば京の都にも出られます。

 そして、諏訪の地は、古代の交通の要衝でした。(今の長野市は、古代には、単なる田舎でした)。

 軍事的には、経済力を伴う信濃は、重要拠点だったと思います。


K 蝦夷を追い払って、新天地を手に入れるという、国策。

 日本が、高句麗や新羅などの朝鮮に侵略されないためには、あるいは「元寇」のように中国に侵略されないためには、国力としての人口増加が必要だったと思います。

 古代は自給自足が原則でしたから、日本人に必要な食料は、日本国内で作るより仕方が有りません。

 蝦夷が、米などの食料生産に何の貢献もせず、米作り農家の受け入れも拒否するなら、武力でもって排除するのは「国策」としては、やむを得なかったのかも知れません。

 (信州が蝦夷の領土だろうと、奥州が蝦夷の理想郷だろうと、関係ありません。日本が、大国の植民地になるのを防ぐための「超法規的措置」だった、と云えるかも知れません)。


★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の15)・「カグツチと文明と不幸の始まり」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「カグツチと文明と不幸の始まり」に、ご興味をお持ちでしょうか。思いますに、人間の「幸せ」とは何なんでしょうか。このカグツチの物語は、私たちの文明や文化生活に一石を投じているのではないかと思います。


A 記紀神話は、文明への警鐘を鳴らしている。

 物語では、((その6の7)「イザナミの岩戸隠れ」でも触れましたが)、イザナミは、火の神のカグツチを産んだことを原因として、死出の旅路に発つことになりました。

 (まあ、『始めからの設定であり、シナリオどおりに舞台が進行しただけだ』、と言ってしまえば、それまでですが)。

 しかしながら、考えさせられる問題ではある、と思います。

 『人間は、物質的に豊かになればなるほど、精神的には不幸になる』、という言葉も有るようです。

 また、イザナギは、カグツチ(金属文明)を手に入れたために、愛する妻のイザナミ(美しき天然)を失い、茫然自失として、妻の亡骸(なきがら)に横たわって、泣き明かしたそうです。


B 縄文時代のほうが、不幸だったのだろうか。

 日本の歴史は、(火の利用と土器の発明くらいしか知らなかった)長い縄文時代を経て、弥生時代に突入し、金属器の製造や米などの穀物の生産技術を手に入れて、大きく発展しました。

 だからといって、縄文時代のほうが不幸だった、とは言い切れません。親子の情愛や、夫婦の連帯感などは、現代の私たちよりも強かったかも知れません。

 その意味において、かえって、縄文時代のほうが、人間は幸せだったかも知れません。


C 人口の増加と平均寿命の延び。

 日本人の人口は、縄文時代に何人いたかは全くの不明です。奈良時代の人口が300万人だとか、400万人だとか云われていますが、正確なことは分かりません。

  (つまり、算出の根拠に「米」を用いていますが、縄文時代は、米の代わりに木の実や山芋や獣や鳥や魚などから、カロリーを得ていたからです)。

 平安時代の人口が400万人だとか600万人だとか云われていますが、これも正確なことは分かりません。

 江戸時代の初期で2,000万人だろうと云われますが不明です。江戸末期から明治初期の人口が3,000万人程度と云うのは常識的な見解になっています。

 明治以降は、人口統計が有りますから正確です。明治22年(1889年)の人口統計では、男女合わせて3,947万3千人になっています。

 (ちなみに、明治24年から明治31年までの平均寿命は、男42,8歳で、女44,3歳になっています)。


D (始めに戻って)、イザナギは、涙を抑えて、イザナミを葬り去った。

 イザナギは、イザナミの亡骸(なきがら)を、出雲の国と伯伎(ハハキ)の国(鳥取県)の境の比婆山に葬ったと有ります。(古事記)。

  (ただし、日本書記の第五段の一書の五では、紀伊の国の熊野の有馬村の説もありますが、どちらが正解でしょうか)。

 (何で、『比婆山なのか』という疑問が出てまいりますが、よく分かりません。一つの見解としては、中国山地のこの辺りは、磁鉄鉱系列の非常に良質な鉄が取れるので、昔から、鉄を採取していました。

 ★ それと、言っては何ですが、記紀神話は、奈良時代を基点にして作られた「創作物語」ですから、万葉人の視点で書かれてあると思います)。


E 大国主の恋愛と鉄との関連。

 福岡県の博多の山奥からは磁鉄鉱が採れるそうです。また出雲からは周知のとおり磁鉄鉱が採れます。また「因幡の八上姫」の山奥からも磁鉄鉱が採れます。

 また「越のヌナカワヒメ」の富山の山奥からも磁鉄鉱が採れるそうです。(鉄で考えるなら、ヌナカワヒメは、糸魚川ではなく富山です)。

 また、奈良県からはチタン鉄鉱が採れるそうです。

 (ここで、磁鉄鉱とチタン鉄鉱の違いは、磁鉄鉱は比較的低温で溶けるので「野だたら」で生産できますが、チタン鉄鉱は高温でないと溶けないので、「ふいご」が発明されるまでは、見向きもされませんでした)。

 ちなみに、「スサノオの鉄剣」はウソらしいです。古墳時代までの鉄は、国産ではなく、いわゆる「弁辰の鉄」を輸入していたという、鉄鋼の化学的分析結果が出ているそうです。

 また、各地の古墳から出土する鉄製品は、ほとんど全部が「弁辰の鉄」であり、国産の鉄は無いそうです。

 また、出雲の古墳時代以前の遺跡からは、製鉄の跡が発見されないそうです。(要確認)。


F (元に戻って)、イザナギが、カグツチを切り刻むほど、鉄器文明が発展した。

 ((その6の7)「イザナミの岩戸隠れ」のFでも触れましたが)、引用しますと、

  イザナギの剣の刃先からは、イワサク・ネサク・イワツツノオが生まれましたが、これは、岩を裂く「石ノミ」であり、(草木の)根を割く「鍬」であり、岩を打ち砕く「ハンマー」ではないかと想像します。

 また、イザナギの剣の手元からは、ミカハヤヒ・ヒハヤヒ・タケフツが生まれましたが、これは、料理の包丁のことや、火箸のことや、刀剣のことかも知れませんし、あるいは「踏鞴(タタラ)」つまり溶鉱や精錬の「火」に関係が有るかも知れないと思います。

 イザナギの剣の指の間からは、クラオカミ・クラミツハが生まれましたが、これは水に関係する神と思われますから、鉄の焼入れとか研磨に使う水とか、金山の土の洗鉱を意味するのではないかと想像します。

 このように、イザナギは、金属文明への扉を大きく開いてしまいました。


G 最後に、(繰り返しになりますが)、縄文人は、はたして、不幸だったのだろうか。

 縄文人の平均寿命は、(乳幼児の死亡率が非常に高かったので)成人に達してからの寿命は、16歳から20歳程度だった説や、20歳から30歳くらいまで生きたであろう説などがあります。

 (縄文人は、成人に達しても、長くは生きられなかったようです)。

 また、成人の身長は、男で158センチメートル、女で148センチメートルとの説が有ります。

 これらの主因は、食糧事情だろうと思います。(現代人が高寿命で高身長なのは、食料が一つの要因だと云われます)。

 では、『短命なのが不幸か』というと、逆に、長命だからといって幸福とは限らないと思います。

 縄文人は、縄文人なりに幸せであっただろうと思います。しかしながら、押し寄せる文明の波には勝てなかったということではないか、と思います。


 そして、物語は、イザナギとイザナミの「黎明期の時代」から、アマテラスやスサノオの「鉄器文明」の時代に進むことになります。

  (すべては、プログラムであり、スケジュールであり、カリキュラムではないかと、想像します)。


★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の16)・「イザナミの末路と、記紀神話の発想力」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「イザナミの末路と、記紀神話の発想力」に、ご興味をお持ちでしょうか。記紀神話は、本当に人間の発想力だけで書かれたものだろうかと、考え込んでしまいます。話が出来すぎているのです。


A 話が出来すぎている。

 記紀神話では、イザナミがカグツチを生み、そのために命を失うことになりますが、「話が出来すぎている」、と疑ってしまいます。

 つまり、普通であれば、『イザナミが、国を生んだ後に、鉱山の神を生み、粘土の神も生み、火の神も生みました。目出度し目出度し。はい、お仕舞い』で終わるべき話です。

 それが普通の考え方ですし、普通の神話であれば、そういう構成を考えるはずです。

 ところが、記紀神話は、イザナミを殺してしまいます。なぜなのか。なぜ、殺す必要が有るのか。

  記紀神話を作った「万葉人」にそんな発想が出来たのだろうか。実に、違和感を覚えます。


B カグツチは、火の神ではない。

 一般に、カグツチは、火の神だと解釈されていますが、違うと思います。

 天の香久山と同義だと解釈しますと、土を爬き採る意味であり、「爬く土」、「掻く土」の意味だと思います。

 あるいは、土の中に金属を含むと云うなら、「輝く土」でしょう。
 あるいは、カグツチがハニヤマ姫を娶って、桑や蚕や五穀の神のワクムスヒを生んだと云うなら、「耕す土」、「攪拌する土」かも知れません。

 いずれにしても、ダイレクトに「火の神」にはならないと思います。


C 文明が、イザナミを殺した。

 イザナミは、火の神のカグツチを生むことを原因として、死に至りますが、イザナミは神様だから、火では死なないと思いますし、カグツチが燃えながら生まれてきたとは思えません。

 ハリネズミの子供が、針を立てながら生まれてくる訳では有りませんし、鶏の卵が、硬い殻のままで母親の胎内で成長する訳でも有りません。

 人間の文明が、自然の象徴であるイザナミを殺してしまった、という例え話だと思います。


D イザナミは、山の精霊としての神格を持つ。

 イザナミは、自然の山の精霊としての神格を持っています。また、山の民や、蝦夷や熊襲などの守護神であるかも知れません。

  (イザナミの「性質」は、他にも越系倭人、母性、対馬暖流、陰陽二元論の陰性、下降し物質化する流れなどが挙げられると思います。

  つまり、イザナギを「陽・プラス」とし、イザナミを「陰・マイナス」として、万物が生成され、力が作用し、世界が成り立つものと思います)。


 (余談ですが)、熊本県にイザナミを祭る熊野神社が非常に多いのですが、熊襲と何か関係が有るのでしょうか。

 (熊本県には150社を超える熊野神社が在りますが、西日本で100社を超えるのは熊本県だけです。50社を超えるのは、京都、兵庫、高知、福岡、大分、鹿児島ですが、100社に満たないのです。熊本県だけが異常に多いのです)。


E 金属の鉱山開発が、イザナミと山の民を殺した。

 縄文時代には金属器は基本的に無く、多くは土器や石器や木器に頼っていました。

 ところが、青銅器や鉄器の発明によって、山を切り崩して金属を採掘し、その精錬のために自然林を切り倒して燃料にしました。

 それによって、山の民の生活圏が侵食されて、山奥とか僻地に追いやられたと思います。

 (もちろん、薪炭を作って、米との交換で共存した人々も有ったと思います。竹細工師・木地師・漆職人などの定職に就いた人々も有ったと思います)。


F 薪炭や植林事業が、イザナミと山の民を殺した。

 昔の燃料は木材でした。人口が増えると、どんどんと山奥にまで木の伐採が進み、最後はハゲ山になってしまいました。

 さらに、茅葺きの竪穴式住居から、一般的な家屋に変っていくにつれて、温帯照葉樹林の「いわゆる雑木」に代わって、杉や桧などの針葉樹が植林されるようになりました。

 山の民は、クリ・シイの実・ドングリ・クルミなどを常食したらしいのですが、針葉樹が植林されると、木の実が手に入らなくなりました。

 さらに、針葉樹林の中では雑草が生えず、草食動物が消え、昆虫・小鳥・捕食動物も消え、食物連鎖によって全ての動物が消えました。


G 奈良県の事例。

 古代の奈良県には、山の民が多く住んでいましたが、「倭王権」の王都になって人口が増えると、家を建てるためや、燃料のために、周辺の山から木を切り倒したり、杉や桧などを植林して山を開発しました。

 そして、欽明天皇の562年に、任那日本府が滅亡しましたが、(いつからかは分かりませんが)、いわゆる「弁辰の鉄」の輸入が途絶えたために、国産の鉄が開発されました。

 このため、奈良県の鉄鉱山が急ピッチで開発され、「たたら製鉄」で鉄を生産し精錬するために、多くの薪や炭を必要としました。これらによっても、奈良県の自然林が破壊されました。

 また、奈良県には、水銀、コバルト、アンチモン、銅、鉛、亜鉛、磁鉄鉱、砒素、マンガン、粘土鉱物などの鉱物資源が有りましたので、これらも開発されたと思います。


H 世界の古代都市は多くが、ハゲ山になった。

 中東諸国はハゲ山が多いですが、古代には森林が茂っていました。巨大なレバノン杉で船を作った話も有ります。

 サハラ砂漠も、古代には森林が茂っていたと云います。中国の「黄土高原」も古代には森林だったと云います。

 日本では、戦前まで、日本中にハゲ山が有ったそうです。山に緑が戻ったのは、生活に薪炭を使わずに、石油や天然ガスに切り替わってからだと云います。

 
I (まとめると)、金属文明と人間生活が、イザナミと山の自然を殺した。

 イザナミは、国を生み、神を生みましたが、最後には、カグツチに象徴される「火の文明」とか「金属の文明」を生むことによって、(自然の象徴であるところの)イザナミ自身も消え去ることになってしまいました。

 言ってみれば、イザナミは「地球ガイア」であり、「母なる地球」でも有るわけですが、最後に、地球ガイアのイザナミを、人間の文明が殺すことになりました。

 文明が発展すればするほど、地球ガイアを苦しめ、最後には、地球そのものを殺してしまう、という人類への警鐘にも思えます。


J 「最後にイザナミを殺す」という発想は、古代人の発想だろうか。

 古代人が、木を切ることで「禿山」を作ることは理解しただろうし、金属を取り出すために、川の水を汚すことは理解したでしょう。

 しかし、それが、どうして、自然の象徴たる「イザナミ(地球ガイア)を殺してしまう」という発想にまで、発展するものだろうか。

 (私たち現代人でも、「地球ガイア説」とか、「自然循環サイクル説」とかを、故意に意識しなければ思い浮かばないような、難しい発想なのです)。

 記紀神話を作った当時の古代人に、「最後にイザナミを殺してしまう」という発想力が有ったのだろうか。不思議です。

 
★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の17)・「日本書記の一書と、おふでさきは、どこからパクったのか」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「日本書記の一書と、おふでさきは、どこからパクったのか」に、ご興味をお持ちでしょうか。日本書記には「一書」が余りにも多すぎて、解釈に支障をきたしてしまうのです。実に、ウンザリさせられます。


A 古事記は、「一書」が無くて、スッキリしている。

 大海人天皇が作った、大宮人や後宮女官を読者とする「古事記」は、一つのストーリー性にあふれ、乙女チックであり、恋愛・悲恋物語としては、素晴らしい「後宮文学」だと思います。

 古事記の「序文」には、大海人天皇が稗田阿礼に教え込んで、誦み習わせたと有りますが、稗田阿礼の記憶力には感心します。

  それよりもなお、古代の神話を一本化して、まとめ上げた大海人天皇の頭脳と統率力は、感嘆に値します。素晴らしいの一語です。


B 日本書記は、「一書」を、何とか出来なかったのだろうか。

 スッキリした古事記に比べると、日本書記は「一書」が多すぎます。

 巻頭にある「神代七代」では、「一書」が9個くらい有りますし、イザナギとイザナミの国生みや神生みでは、「一書」が10個以上も有ります。

  アマテラスやスサノオの出自についても、諾冉二尊の両者で生んだ説と、イザナギが単独で生んだ説が有ります。

  そのほかの段落でも、「一書」のオンパレードに成っており、訳が分かりません。

 日本書記の編集責任者の舎人親王は、720年から735年まで、国政トップの太政大臣にあった人物ですから、もう少し絞り込めなかったものでしょうか。

 (大海人天皇なんか、古事記を作るに当たっては、『私が、「カラスは白い」と言えば、カラスは白いんだ』、と強引に一本化して物語を作り上げています)。


C 神話は、一本が分かれたものではなく、初めから複数あった。

 舎人親王が中心になって、720年に、日本国の官製歴史書(日本書記)を作るに際しては、中国の歴史書を参考にし、各豪族の保有する「帝紀」や「本辞」などを参考にし、713年の「風土記」も参考にしているはずです。

 ですから、「日本書記の製作委員会」は、何回も何回も協議をし、検討をし、摺り合わせをしているはずです。

 にもかかわらず、神話を一本化できなかった。それは、なぜか。

 考えられる要因としては、神話が、根源の一本から分枝して豪族に伝承されたものではなく、初めから別々の伝承が豪族に有ったと考えるべきではないか、と思います。


D 複数の神話が伝承されている。

 記紀神話以外にも、「中臣の大祓」、「出雲の神賀詞」、「先代旧事本紀」、「ホツマツタエ」、「カタカムナ」、「竹内文書」など、数多くの文献が残されていますが、これらの内容は記紀神話とは異なっています。

 『そんなものは偽書だ、パクリだ、ニセモノの駄作だ』、と言ってしまえば、それまでですが。


E 「おふでさき」やチャネリングは、どこからパクったのかという疑問。

 オカルトの世界で有名な「おふでさき」が有ります。あるいは「チャネリング」が有ります。

 実に不思議です。言っている本人は、トランス状態にあって、何を言っているのか、本人は分かっていないのです。

 (研究者が、行為者の学歴や知識・能力を調査しても、本人が知らない高度なことを言っているとか、知らない文字を書いているなど、有り得ない事が起きています)。

 結局、何かは分からないが、「何かとコンタクトを取っていることに、間違いはない」、という結論になります。


F すると、古代豪族の伝承は、どうなるのか。

 仮に、古代豪族が、独自にチャネリングを行って、神の託宣を受けたとしたら、どうなるか。

 崇神天皇や神功皇后の事例のように、神が憑依したり、夢占いで、何かのメッセージを行ったが、それが記紀神話と異なるときは、どのように扱えばよいのか。


G 結局、日本書記は、一本化を諦めた。

 舎人親王らの日本書記の製作委員会は、伝承される神話の出自が豪族ごとに異なり、真偽も不明であり、一本化できないことを悟って諦めた。

 そして、仮の本文記事を記載して、出自の異なる伝承を、「一書」として併記したのではないかと、想像します。

 そうしますと、何が本当で、何が虚偽か分かりませんし、本文ではなく一書のほうが本当だったということも、有るかも知れません。


H 日本人は、神が地上に降臨したという、世界観。

 「天孫降臨」はニニギだけではなく、多くの神々の意識が地上に降りて、「ミコト・命」となって、人間活動をしていると云うのが、日本神道の考え方ではないかと思います。

 (つまり、私も、貴方も、肉体としては人間だけれど、意識・精神は、地上に降りた「神」そのものだという考え方だと思います)。

 そして、天界についても、アマテラスが住まう高天原も有れば、「神代七代」の住まう天界も有るでしょうし、それ以外の天界も有るのではないかと、想像します。

 さらに、多数ある天界は、集合と離散を繰り返して、絶えず変化しており、それらが地上に反映されるとするならば、神話を一本化するのは無理があるのかも知れません。


★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の18)・「綿津身と筒之男と塩土の老翁の考察」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「綿津身と筒之男と塩土の老翁の考察」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、日本の海人族というのは、なかなか複雑な構造になっているのではないかと思っています。


A ナギとナミの退場で、物語は、国家の黎明期から骨格の形成期に入った。

 記紀神話の物語は、第1幕のイザナギとイザナミによる黎明期の土台造りを終えて、第2幕のスサノオのための前段階としての、海人族の形成期に入りました。

 古代日本の国家建設において、朝鮮からの移動は最重要であり、それを達成するためには、強力な海運業が必要でしたし、国防力としての海軍も必要でした。

 このために、紆余曲折し、栄枯盛衰を重ねながらも、強力な海人族が形成されていったものと思います。


A 大綿津身は、イザナギとイザナミの2神が生んだ。

 古事記によりますと、イザナギとイザナミの2神が、(海の神の)「大綿津身」を生んだことになっています。

  (この点について、日本書紀では、2神は、国を生んだ後に、海や川や山を生んだことになっています)。

 ところが、イザナミの死に際して、イザナギが、カグツチを斬った後で、禊(みそぎ)の中から、「少童(ワタツミ)」と「筒男(ツツノオ)」を生んでいます。

  すると、2神が生んだ「大綿津身」と、イザナギが単独で生んだ「少童と筒男」は違う存在ではないのか、という疑問が生じます。

 (個人的な解釈としましては)、少童と筒男は、あくまでも九州方面に発生した(人間活動をする)海人族のことを指し、それ以外の地域に発生した海人族は、「大綿津身」に分類されるのではないか、と思っています。

 あるいは、「大綿津身」というのは、日本書紀に有りますように、純然たる自然の海を表しているのかも知れないとも思います。

  (ただ、この場合には、『九州以外の各地にも海人族が発生しているはずだが、それらは、どこに分類されるのか』、という疑問が生じて、シックリしません)。


B 少童(ワタツミ)と筒男(ツツノオ)は、なぜ、2種類も有るのか。

 イザナギが生んだ少童と筒男は、基本的には、同じ海人族ではないかと思います。

 イザナギが、(古事記では)「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」(日本書記では筑紫の日向の小門の橘の檍原)で、少童と筒男を生みました。

  (この場所については、『筑紫の日向』との記載があるために、福岡県と宮崎県で争いがあります)。

 ところで、なぜ少童と筒男の2種類が有るのかについては、元々は1つだったものが2つに分かれた説と、逆に、最初から2つ有った説の、の2説が考えられますが、分かりません。

 ただ、言えることは、少童(ワタツミ)とは、北九州の安曇氏に代表される「綿津身」のことだろうし、筒男(ツツノオ)とは、南九州の隼人族に代表される「塩土の老翁」のことだろう、と思います。


C 筒男(ツツノオ)は、塩土の老翁(シオツチノオジ)のことで、鹿児島県だった。

 筒男(ツツノオ)が塩土の老翁(シオツチノオジ)と云うのは、ツツノオ→シオ・ツツノオ→シオ・ツツノオ・ジ→塩土の老翁に変換できるからです。

 また、塩土の老翁は、ニニギが降臨した後で、鹿児島県方面に出現していますし、山幸彦の段でも登場していますから、隼人族の守護神ではないかと想像します。

  また、「塩土の老翁」は、「潮つ路(道)の大きな霊(ち)」か、「潮の土(国)の大きな霊(ち)」の意味だろうと想像します。

  また、「筒男(ツツノオ)」は、「潮つ路(道)の大きな霊(ち)」から、「潮」を削除した言葉だろうと想像します)。

  また、「筒」は、「津津」か「津霊」か「津地」が、考えられそうです。「ツツ」を漢字の一文字で表すために「筒」を充てたと想像します。


D 筒男と塩土の老翁が、同一というのは、なんかシックリこない。

 筒男と塩土の老翁が、同一と言っても、時代の変遷があり、厳密には違いが見られると思います。

 つまり、(イザナギの神霊であるところの)呉系倭人をルーツとして、弥生時代に、北九州に安曇氏に繋がる綿津身(少童)が発生し、南九州に隼人族に繋がる筒男が発生したと、想像します。

 時代が下って、北九州の海人族が、半島南部との交易を重ねる中で、次第に隆盛していきました。

  (ただ、北九州の倭人が隆盛したのか、半島南岸の洛東江流域の海人族が南下したのかは、本当のところは、分かりません)。

 そういう経過の中で、南九州では、古い海人族の筒男の中から、塩土の老翁に象徴される新しい海人族が生まれてきたと想像します。

 ですから、古い筒男から新しい塩土の老翁が生まれ、さらに時代が下って、北九州と融合する中で、住吉神に発展して権力者側に就いたものや、隼人族に分かれて行ったものがあった、と想像します。

 ★ 権力者の階段を登った者が、尾張氏や海部氏や津守氏などの「火明系列」であり、上れなかった者が「隼人族」かも知れません。


E 上・中・下(表・中・底)の3種の意味。

 少童と筒男には、それぞれに、上・中・下(表・中・底)の3種が生まれています。

 なぜ、海人族に3種類あるかについては、生業(なりわい)が異なるためだと想像します。

 すなわち、「上」とは海面のことであり、これは海運業者のことではないだろうか。北九州であれば、西日本や朝鮮との交易があり、南九州であれば、琉球に続く諸島とか、中国にまでも交易をしていたのではないかと想像します。

 また、「中」とは海中のことであり、これは魚釣りのことであり、漁業(漁師)のことではないかと想像します。

 (古代には魚網などという大きな網は無く、魚は釣るか、モリで刺したと思います)。

 また、「底」とは海底のことであり、これは「海女・海士」(アマ)のことであり、海底の貝や蛸や海草を取る業者をいうのではないかと想像します。

 このように考えますと、3種に分かれた海人族の理由が納得できそうです。


F 平時には正業を営み、戦時には海軍に早変わりした。

 古代氏族には、安曇氏とか宗像氏などの海人族出身の豪族がいますが、元々、古代の豪族というのは、平時においては農業を営んだり、漁業や海運業を営んでいたと思います。

 (戦争や争いの時だけ、武装して戦争をしたのであって、普段は正業に従事していたと思います)。


 「兵農分離」が行われたのは、1つは、奈良時代の律令体制の確立により「職業軍人」(官軍)が作られたのと、2つは、織豊政権の以降から「兵農分離」が行われた2つが挙げられると思います。

 (戦国時代までは、上層部だけが武士団で、下層部は半農民であり、戦争になったときに非常召集を受けて、鎧や兜をかぶって槍を担いで戦争に行ったと思います)。


G お断り。

 海人族の変遷の歴史は、陸上の豪族よりもダイナミックな交代があり、しかも、前者の歴史を上塗りしている(つまり前者は抹殺された)と想像しますので、真実を知ることは困難だと思います。

 あるいは、北九州の海人族の宗像氏は、「姓氏録」では大神朝臣同祖とあり、大国主の後裔であり、安曇氏とは出自が異なります。さらに遡れば、スサノオの金官加羅に行き着くかも知れませんが、分かりません。

 ですから、海人族については、単なる「想像の域」を脱することが出来ません。


★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の19)・「海人族と月読神の関係」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「海人族と月読神の関係」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、月読神は海人族の神だという説が有ります。

  (『海人族の神は、綿津身であり、筒男だ』との批判も有るでしょうが、まあ、お花畑であり、記紀神話のことですから)。


A (アニミズムかも知れないところの)月読神を祀る海人族が、存在する。

 規模としては少数でマイナーですが、(原始信仰のアニミズムかも知れない)月読神を祀る海人族が、存在します。

 彼らが、どのような経緯で、月読神を祀ることになったかは、未だ、明確になっていないようです。


B (記紀神話の)月読神とは、何なのか。

 古事記では、イザナギが月読命に『お前は夜の食国を治めよ』と命じ、スサノオには『お前は海原を治めよ』と命じています。

 日本書紀の(第五段本文では)、イザナギとイザナミの2神が共同で、月神(月弓尊・月夜見尊・月読尊)を生みましたが、明るく輝いていたので、アマテラスと同じく、天を治めさせようとして、天上に送りました。
 (その後、ヒルコの次にスサノオを生みましたが、スサノオは性格が悪いので、根の国に追放しました)。

 日本書紀の(第五段一書の一では)、イザナギが、鏡から三人を生んだと有ります。

 日本書紀の(第五段一書の六の五では)、イザナギが、イザナミの黄泉の国を訪れた穢れを落とす「禊」の中で、目を洗ってアマテラスと月読尊を生みました。
 そこで、『アマテラスは高天原を治めよ、月読尊は滄海原を治めよ、スサノオは天下を治めよ』と命じたと有ります。

 日本書紀の(第五段一書の十一では)、イザナギが、『アマテラスは高天原を治めよ、月読尊は「日」と共に天を治めよ、スサノオは滄海原を治めよ』と命じたと有ります。

 つまり、月読尊の使命は、夜の食国を治める解釈と、滄海原を治める解釈と、アマテラスと共同で高天原を治める解釈が有りますが、分かりません。

  ただ、海を支配する神であることには、間違いないようです。


C 海人族は、呉越系の倭人だった(説)。

ア) 月読尊は、アマテラスと同じく、呉系倭人で、呉王国の海軍部隊の末裔だった。

 月読尊はイザナギから生まれたので、イザナギを呉系倭人の神に置き換えると、月読尊は呉系倭人であり、海人族ということに成りそうです。

  (また、(イザナミを越系倭人の神と解釈すると)、スサノオには越系倭人の血が混じっていると想像します)。

 流れとしては、揚子江の河口部に隆盛した呉王国の海軍部隊だったが、呉王国の滅亡に伴って、朝鮮や日本に逃げた、となりそうです。


イ) 資冶通鑑(シジツガン)の記録。

  1084年に成立した中国の「資冶通鑑(シジツガン)」の記録によると、(真偽は不明ですが)、『周の元王の三年(BC473年)に、越が呉を滅ぼしたので、その庶(呉の親族)は、海に入って倭になった』と有るようです。

  つまり、南から越に攻撃されたので、北に向かって船や陸路で逃げて、多くが朝鮮や日本に逃げた、と解釈できそうです。


ウ) 呉は山東半島を領有して、朝鮮や日本に「土地勘」が有った。

 呉は、闔閭(コウリョ)王や夫差(フサ)王の時には、中原で「会盟」を呼びかけるほどの強大な実力を持っていたし、BC485年には、呉の大夫の徐承が水軍を率いて山東半島の斉を攻めた、との記録も有るようです(真偽不明)。

  つまり、呉の強大な海軍は、山東半島に遠征しているし、もしかすると、山東半島を領有していたかも知れません。

 そうであるなら、山東半島の対岸は朝鮮ですし、東に向かえば九州にも到達できます。
  (後年の「白村江」で、唐が百済を滅ぼしたときにも、山東半島から唐の水軍が出航したとの説が有ります)。


エ) 倭人とは、呉の末裔を意味している。

 古代中国で認識されていた「倭人」とは、日本人だけを対象としたものではなく、朝鮮半島や渤海湾周辺や、日本列島をも含む広大な地域を意味していたというのが、通説です。

 そして、朝鮮半島の倭人を含めた人々が、後代には「韓人」と呼ばれるようになったと云うのも、通説のようです。

  (そうしますと、古代の「朝鮮人」というのは、今の朝鮮人とは民族的に異なり、日本人と同属の「倭人」と云うことに成りそうです)。


オ) 倭人伝は、日本人は呉の末裔だと云っている。

 魏略の「倭人伝」では、『其の(女王国の)旧語を聞くに、みずから(呉の)太伯の後と言う』、と有りますように、卑弥呼や人々は呉の後裔だった、という解釈が成り立つかも知れません。

 (ただ、魏志の「倭人伝」では、『大夫で夏后少康の後』と訂正して、越の後裔だったとしていますが、「呉王の子孫の松野連」が熊本県に居た説も有りますから、呉の末裔が九州に居ても、不思議では有りません)。


カ) 日本書紀の講書。

 平安時代の日本書紀の講書の記録には、『この国が、(周の国姓と同じところの)姫氏国と呼ばれるのは、どうしてか』という質問が有ったことが記されているそうです。


キ) 呉の遺民が日本人で、海人族でも有った。

 以上、述べましたように、呉の遺民が日本人だったというのは、有り得る話だと思います。

 また、呉の遺民の一部が、「海の民」として暮らしていたことも、有り得ると思います。


D 海人族の神が、なぜ、月読尊なのか。

ア) (よく分からないが)アニミズム信仰かも知れない。

 カマドの神様に「秋葉さん」を祀ったり、商売の神様に「エベッサン」を祀るような感覚かも知れませんが、分かりません

  一般的に、氏族・豪族の祀る神というのは、直接の先祖か、何らかの因縁を持つ者が、神として祭られるはずです。

  (安曇氏や宗像氏などは、自分たちの祖先を祀っており、月は祀りません)。


イ) 月は潮を支配する。

 大潮とか潮の干満が有りますが、漁師は潮の具合を非常に気にします。そして、月が潮を支配します。

  (また、「記紀神話」の海幸彦と山幸彦の段には、「潮満つの玉と潮干るの玉」が登場します)。

 つまり、海流としての「黒潮」や「対馬暖流」は、(蛇行は有るものの)流れる方向は一方向なのですが、潮流は時間によって逆流します。

  たとえば、瀬戸内海・九州島の東側を流れる潮流は潮の干満で、逆方向に流れますし、瀬戸内海の広島方面では干満の差が4メートルくらい発生する、大変な事態になります。
 

ウ) 月読を祀る神社は、海岸部とは限らない。

 たとえば、海人族が祀る住吉神は、海岸部に集中しますから、住吉神を海人族が祀ったのは、間違いのない事実です。

  (余談ですが、住吉神の「筒の男」は、「鹽筒老翁」(塩土の老翁のこと)の説が有ります(日本書紀・神代下・第十段一書(四)一を参照)。

 ところが、住吉神と異なって、月読尊を祀る神社は、海岸部から離れた地域にも祀られています。

  そうしますと、内陸部に海人族が居たのだろかという疑問が浮上しますが、海を離れて入植したのかも知れません。


E まとめ(想像論)。

 古代の海人族にはアニミズム信仰が有りました。「海の民」にとって、潮流による潮の干満は生活上の大問題でした。彼らは、潮の干満が月によって成されることを知っていました。

 潮の干満を支配する月を、畏敬し崇拝する「月神信仰」の中から、「潮津道の大霊(シオツチノ・オジ)」の神が生まれたが、やがて「塩土の老翁」に変換され、さらに、権力の階段を上った者が「筒の男」に再変換しました。

 時代が下がって、「姓氏録」(815年)や「神名帳」(927年)の時代には、住吉神の「筒の男」を奉祭する豪族たちと、「塩土の老翁」を奉祭する氏族と、アニミズム信仰の原点である「月読神」を奉祭する氏族に区分されたのではないかと、想像します。

 (★ 記紀神話では、時系列に、イザナギが「筒の男」を生み、時代の下った山幸彦の時代に「塩土の老翁」が出現し、後世の住吉神の誕生で「筒の男」が発生していますが、『おかしいのでは』という違和感を覚えます)。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/371.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の20)・「海人族の尾張氏は鹿児島から来た」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「海人族の尾張氏は鹿児島から来た」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、尾張氏というのは、鹿児島県の大隈半島の出身ではないかと、疑っています。


A 尾張氏は、二手に分かれて「天孫降臨」した。

 先代旧事本紀によりますと、古代氏族の尾張氏というのは、ニギハヤヒの子孫のようです。

 記事によりますと、ニギハヤヒは、アマテラスから「十種の神宝」を与えられ、盛大な祝福を受けて、高天原から遠賀川に降臨した後に、奈良県に移動しました。

 しかも、天太玉(アメノ・フトダマ)・天児屋(アメノ・コヤネ)・天鈿女(アメノ・ウズメ)や、ニギハヤヒの息子の天香語山(アメノ・カゴヤマ)や、孫の天牟良雲(アメノ・ムラクモ)を含む「32柱の神々」のほかにも、「物部25部」などを従えての堂々たる降臨でした。

  (注) 遠賀川の説は、「物部25部」の各地名の足跡、忍骨命の墓所と福岡県香春町の香春神社(カワラジンジャ)との関係、大国主が支配した宗像と近接すること、河口部が「岡の港」として古代に栄えたことなど。


(尾張氏が、鹿児島県大隈半島の出身を、推理する)。

ア) ニギハヤヒの子供の天香語山(アメノ・カゴヤマ)。

 天香語山の出自については、ニギハヤヒが高天原に居たときに、(大巳貴尊(大国主)の娘の)天の道日女(ミチヒメ)を娶って、天香語山を生んだ説が有ります。

  (★ 天香語山は高天原で生まれたので、人間ではなく神霊であり幽霊です。元々、ニギハヤヒや天香語山という人間は存在しません)。

 ニギハヤヒと共に降臨した後は、熊野(和歌山県新宮市方面)に土着して、「神武東征」のときには「高倉下(タカクラジ)」という別名で、神武天皇を助けたようです。

 (熊野のような平地の少ない所に土着するというのは、海人族であって、「熊野水軍」のルーツかも知れません。熊野は「木の国」に有り、材木の一大産地で、平時の海人族は材木の海運業で栄えました)。


イ) ニギハヤヒの孫の天牟良雲(アメノムラクモ)。

 天牟良雲は、天香語山の子供で、ニギハヤヒの孫になります。ニギハヤヒに従って東遷した(奈良に入城した)と考えられますが、本当のところは分かりません。

  (★ 天牟良雲も高天原で生まれたので、人間ではなく神霊であり幽霊です)。

 気になるのは、天牟良雲の奥さんが、阿俾良依姫(アヒラヨリヒメ)です。

 この阿俾良(阿平)については、神武天皇が日向に居たときに、ホスセリの子供の「阿多の小椅(オバシ)の君」の妹の「阿比良比売」を娶って、多芸志美美を生んでいます。
  (日本書紀では、日向国の吾田邑の阿平津媛を娶って、手研耳(タギシミミ)を生んだと有ります)。

  (この阿多・吾田邑というのは、鹿児島県の鹿屋市の付近で、大隈半島というのが通説です。大隈半島は隼人族の本拠地の一つです)。

 すると、何で、ニギハヤヒの孫の天牟良雲の奥さんが、鹿児島なのか、という疑問が生じます。阿俾良依姫が、奈良まで嫁入りに来たとは思えませんから、天牟良雲が鹿児島に居たという推理が働きます。


ウ) 大阪府の津守氏は、大隈半島の出身だった。

 住吉神を奉載する氏族に津守氏が知られていますが、「姓氏録」によると、『津守宿禰は尾張宿禰と同祖で火明命の八世の孫』とか、『津守連は天香語山の後也』と見えます。

 つまり、津守氏は、ニギハヤヒの後裔氏族であり、尾張氏と同祖ということになりますが、津守氏の元々の本拠地は大隈半島というのが、通説です。


エ) 状況証拠として、尾張氏は、鹿児島県の大隈半島の出身だ。

 天牟良雲の奥さんが大隈半島の娘で、(住吉神の「塩土の老翁こと塩筒の男」を奉載するところの)尾張氏と同族の津守氏のルーツが大隈半島で、天香語山(高倉下)が熊野水軍の本拠地の一つの熊野(新宮市)に居た海人族と考えますと、やっぱり、尾張氏は海人族で間違いないし、ルーツは鹿児島県の大隈半島の出身だったと、言えるかも知れません。


オ) 本当は、尾張氏は、二手に分かれて「天孫降臨」した。

 尾張氏の主力を率いて、ニギハヤヒの子供の天香語山は、ニギハヤヒの東遷に同行して奈良に入ったと、思います。
 尾張氏の一部を率いて、ニギハヤヒの孫の天牟良雲は、ニニギの南遷に同行して鹿児島に入ったのではないかと、想像します。

 (つまり、天孫降臨は、ニギハヤヒとニニギの二手に分かれて降臨したということになりそうです)。

B 神武天皇の二重性と、尾張氏の二重性。

 神武天皇には二種類あり、初めの神武天皇は「ニギハヤヒ天皇神武」であり、年代的には290年から300年頃に奈良に入城したと想像します。
 もう一人の神武天皇は「崇神天皇神武」(御間城(奈良)に入ってきた日向のイニエ)のことであり、年代的には340年から350年ごろと想像します。

 (その意味において、ニギハヤヒの王朝は、親・子・孫の三代の40〜50年程度で終了して、イニエの王朝にバトンタッチしたと、想像します。

 ただ、ニギハヤヒの王朝が滅亡した訳ではなく、その子孫達が、古代の有力豪族の大半を占めています。
 また、イニエはニニギの子孫であり、オシホミミやアマテラス(スサノオ)でニギハヤヒと繋がっているので、「万世一系」に間違いは有りません。

 また、「欠史八代」は架空説が有りますが、ニギハヤヒの子供や孫たちによる皇位争奪戦の果てに、消えて行ったと想像します)。

  ニニギ・(ニギハヤヒ)→山幸彦→ウガヤフキアエズ→崇神天皇イニエ(神武天皇)と、
  ニギハヤヒ・(ニニギ)→ニギハヤヒの子供→孫の世代→崇神天皇イニエ(神武天皇)の関係は、年代的に矛盾は有りません。


 そこで、尾張氏については、290年から300年頃に、天香語山(高倉下)が、ニギハヤヒと共に奈良に入城しました。
  (天牟良雲は、同行したのか、ニニギと一緒に鹿児島に行ったのかは分かりません)。

 ニギハヤヒが奈良に入城して、(三島溝杭の娘の「背矢が立たら姫」と大物主との間の娘であるところの)「ホトに立たら姫」と結婚して子供を作りましたが、「末子相続」の世界観のために、長男の天香語山は権力の中枢に入れず、葛城地方に冷遇されたと想像します。

 (あくまでも想像ですが)、奈良における皇位争奪戦の乱闘の中で、日向からイニエが「神武東征」し、ニギハヤヒの孫の天牟良雲も随行して来たので、ニギハヤヒの子孫の尾張氏が、『牛を馬に乗り換えようか』ということになって「崇神天皇神武」に加勢して、権力の階段を上ったのではないかと、想像します。

  (尾張氏が、崇神天皇と結びついたのは、尾張氏の娘の大海媛(オオアマヒメ)が崇神天皇の妃として入内していることでも分かります。皇妃を出すというのは同盟関係の意味も有ります)。


C 尾張の地名について。

 尾張は、愛知県の尾張と、奈良県の葛城の「尾張(高尾張)」の両者が知られています。

 「尾張」の語源は、(「鳥の尾羽が張り出す様」を「尾羽張る」と言いますから)、反り返った状態を言うものと思います。

 すると、愛知県の「尾張の国」は、(今の愛知県には知多半島と渥美半島の2者が有りますが、昔の尾張国には知多半島しか無かったので)知多半島の張り出す様から「尾張の国」と名付けられたと、想像します。

 また、奈良県の葛城の「尾張(高尾張)」は、金剛山・葛城山の尾根が葛城に張り出す様を云ったか、葛城川・高田川が張り出す様を云ったものと、想像しますが、分かりません。


D 尾張の国の尾張氏は、海人族で間違いない。

 尾張氏は、奈良県の葛城から愛知県に移住した説が有りますが、初めから、奈良県と愛知県の両方に領地が有ったものと思います。

  (云ってみると、徳川時代に、九州に薩摩藩が有り、江戸に「薩摩藩邸」が有ったようなものだと思います。物部氏の領地は大阪の東部だし、蘇我氏の領地は八尾市方面だし、大伴氏の領地は堺市方面だったようなものと思います

  そこで、尾張氏というのは、いつしか、奈良県での権力闘争から脱落して、葛城に有った「大名屋敷」まで失いましたが、後年になって、大海人天皇に味方して勝利し、再び「大名屋敷」が与えられたのではないかと、想像します)。


 つまり、初めに、尾張氏の祖神の天香語山(高倉下)が、「ニギハヤヒ天皇神武」の勅命を受けて、(海人族の総大将として)紀伊半島から東海方面の海岸線までを制圧して、自分の領地に組み入れました。

 その後の政権交代で、「崇神天皇神武」に協力して領地を磐石にしたが、いつしか、武内宿禰のファミリーの紀氏に熊野方面を侵奪されてしまい、伊勢志摩方面も本家の尾張氏から独立してしまい、残ったのが尾張の一国ではないかと、想像します。


E 結語。

 尾張氏は、ニギハヤヒに同行して、遠賀川から奈良に入ったグループと、ニニギに同行して鹿児島に入ったグループの二手に分かれたと、想像します。

 初めの尾張氏は、ニギハヤヒに同行して奈良に入った子孫だと思いますが、その後は、王朝の交代に伴って、鹿児島から来たグループと、尾張氏内部での主導権争いがあったかも知れません。


★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の21)・「スサノオの登場」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「スサノオの登場」に、ご興味をお持ちでしょうか。記紀神話の最大の主役であるスサノオについて語りたいと思いますが、歴史的資料は、ほとんど有りません。

 まあ、その意味では、学術的に真面目に考えると、書き難い一面は有りますが、「お花畑」として捉えると、どんな事でも書けるので、『記紀神話の事ですから』と断っておけば、好き放題に書けそうです。


A スサノオは、日本民族の父だった。

 日本民族なんて云いますが、人類学上、あるいは民族学上、日本人は雑多な種族の混血ですから、「日本民族」という純血種は存在しません。
 
  (また、「大和民族」というのも、言葉の上で存在するだけで、実際には存在しません)。

 そこで、日本民族の母がアマテラスと云うなら、日本民族の父のスサノオも登場しないと不公平です。

  今の私たちは、アマテラスばかりを尊重し、日本全国で丁重にお祭りしていますが、スサノオを蔑(ないがし)ろにしているように、感じられます。

  (一般家庭でも、子供たちの世話をする母親を尊敬する風潮が有りますが、家に居ない父親は、妻子を養うために、骨身を削って生活費を稼いでいるのです)。

 そう云う訳で、スサノオが居なかったら、今日の日本民族は無かった訳であり、アマテラスだけでは、日本民族は滅亡していたかも知れません。


★ ところで、男女差別と言いますと、「遠い未来」には、ユニセックスになっており、男女の別は無くなっているかも知れません。
 遺伝子DNAを解明して、細胞分裂を行えば、(単細胞生物のように)受精せずに子供を作ることは理論上可能です。

  (今のような性犯罪や男女差別などを考えると、ユニセックスになったほうが、人類は幸せに成るかも知れません。その意味において、今の人類は、人間から「ヒト」への過渡期に有るのかも知れません)。

  ★ また、遠い未来では、男とか女とかの概念は無くなりますし、今のような家族や夫婦という概念も無くなっていると思います。
   その意味において、風俗産業もホステスという職業も無いし、女性ファッションも化粧品業界も無いし、拡大解釈として、酒もタバコも賭博も無くなっていることでしょう。


B (話を戻して)、スサノオは、居たけど、居なかった。

 スサノオという人間は居ませんでした。スサノオは神霊ですから、物質的な肉体を持ちません。透明人間であり幽霊のようなものです。別の表現をすれば、『神霊とは、人間の意識・精神のことだ』という言い方が出来るかも知れません。

 ただ、スサノオが降霊して憑依した人間は居たと思います。なぜかと言いますと、「ミコト」という尊称を持っているからです。


(神・尊・命などの尊称の使い分けについて)

 記紀神話を編纂するに当たって、編集委員会は、神々の尊称を使い分けしたと思います。

  「神」が末尾に付く者は、人間活動を行なわず地上に降臨しない者。たとえば天之御中主神、国之常立神。

  「尊・命」が末尾に付く者は、人間活動を行なうために地上に降臨した者。「尊」は特に重要な者、「命」は通常の者。

  「毘売」と「比売」の使い分けも、「毘」は特に重要な女性に使い、一般の女性には「比」の文字を当てる。

  「神」が名前の始めに付く天皇については、「★」であり「注」であり、「怪しいですよ」という意味だと思います。

  (「神」の付く天皇には、神武天皇・崇神天皇・応神天皇の3人が有りますが、その意味は、『怪しい天皇だから、注意が必要ですよ』と云う事だと思います。
   居なかったという意味ではなく、居たけど「捻(ひね)くって有りますよ」ということだと、想像します)。


 結局、スサノオという神霊(意識・精神)は居たけど、スサノオという人間は居なかった訳であり、スサノオが憑依した人間も1人だけだったか、複数の人間に憑依したのかも分かりません。

   また、何回にも亘って、時代を超え、人を変えて、スサノオが憑依しているかも知れません。


C スサノオの存在意義。

 記紀神話の物語の構成は、プロローグの「造化三神と神代七代」から始まり、第1幕目の「イザナギとイザナミ」によるロケーションの設定が終わると、第2幕目のスサノオの登場に変りました。

 スサノオの存在意義は、ロケーションを終えた日本列島に、日本民族の原型を作ることであり、国家の骨幹を作るまでの出演だったと、思います。

  ただ、あまり長期に活動しますと、大国主の出番が無くなりますので、大国主と交代して、退場します。

  (その後のスサノオは、「現界の総監督」のカミムスビと共に、舞台の影から、大国主の国造りを見守ることに成ります)。


D スサノオとアマテラスは、対立構造に設定されている。

ア) 陰陽二元論の対立構造。

 スサノオは男性原理で、陽性で、精神化に向かう、二重螺旋の上方向の流れです。反対に、アマテラスは、女性原理で、陰性で、物質化に向かう、二重螺旋の下方向の流れです。

  (ただし、スサノオは変性女子(肉体が男で精神が女(つまりイザナミ)で、アマテラスは変性男子(肉体が女で精神が男(つまりイザナギ)に変性しているかも知れません)。


 元々は、(「日月の陰陽二元論」で言うなら)、イザナギが太陽で男性原理で精神化(火)であり、イザナミは月で女性原理で物質化(水)でした。

  ところが、イザナミがスサノオと交替し、イザナギもアマテラスと交替したことによって、反転しました(つまり、変性女子と変性男子になった)。

  (たとえば、本当のところは分かりませんが、女神のアマテラスの精神は、男神のイザナギであり、イザナギの精神は、女神で造化三神のカミムスヒになります。
  男神のスサノオの精神は、女神のイザナミであり、イザナミの精神は、男神で造化三神のタカミムスヒに変換される、と云うような感じです。
   別の表現では、「交替化」という言い方が出来るかも知れませんし、「多重・多層人格」かも知れませんが、実際は非常に複雑かも知れません)。

 また、高位次元の「神」は、両性具有のユニセックスで男女の別が有りませんし、高級な神の外面性(感性)と内面性(理性)は人間よりも遥かに優秀です。
 (つまり、人間の(意識の)延長線上に、(意識進化したところの)神々の世界が有ります)。

  (ここで言う感性とは、刺激に対する感受性のことです。察知し認識する能力であり、外部に対して働く力のことです。
  理性とは、道理で物事を判断する力です。分析能力であり思考能力であり処理能力であり、内部に対して働く力のことです。
  つまり、外部からの刺激を感性で受け止め、それを理性で判断処理し、再び、外部に対して放射するというサイクルになります)。


イ) (話を変えて)、「三貴子」は、物語の基本設定では、呉越系倭人の設定になっている。

 イザナギが、呉系倭人の神として描かれていると考えると、アマテラスと月読は、イザナギ単独で生まれたので、純粋の呉系倭人になります。

  (アマテラスは太陽であり、「日照」によって農耕や陸上を配し、月読尊は月であり、「潮流」によって漁業や海上を支配する海人族の設定になります)。


ウ) 月読尊は農耕を拒否した。(保食神を切り殺した)。

 日本書紀の神代上の第五段一書の十一によると、アマテラスの使いで葦原中国の保食神(ウケモチノカミ)を訪ねた月読尊(月夜見尊)は、保食神を切り殺しました。

 この記述については、保食神を穀物・養蚕・畜産の象徴(神)と捉えますと、月読尊が、陸上での農業に従事することを拒んだということであり、海にのみ生きるという例え話に成りそうです。


エ) スサノオには、越系倭人の血が流れていた。

 イザナミが、越系倭人の神として描かれていると考えますと、スサノオには、イザナギの血の他にイザナミの血も混じっていますから、呉系倭人と越系倭人の混血という設定になります。

 記紀神話では、スサノオが『母に会いたい』とか、『母の国の出雲に行きたい』とか、スサノオが出雲に降臨したとか、出雲に足跡を残したことが書かれています。


オ) スサノオとアマテラスは、いつも対立していた。

 スサノオとアマテラスは犬猿の仲で、いつも対立していました。その遠因は「呉越同舟」の呉越戦争にまで遡りそうです。

 朝鮮半島が舞台の時には、アマテラスの馬韓と、スサノオの濊族との関係であり、馬韓に侵入したスサノオの扶余族の百済でも有ります。
  あるいは、アマテラスの狗邪韓国に侵入したスサノオの金官加羅という設定だと思います。
  あるいは、アマテラスの新羅と、スサノオの百済の対立かも知れません。

 日本が舞台の時には、アマテラスの北九州に侵攻したスサノオの金官加羅かも知れません。
  あるいは、スサノオの大和王権に反発する、(呉系倭人の新羅と結託したところの)北九州のアマテラスの呉系倭人という設定かも知れません。

  あるいは、(スサノオ系列で武内宿禰のファミリーの蘇我氏・巨勢氏・紀氏や、中臣氏などを味方に引き込んだところの)スサノオ系列の「大友天皇」と、(海人族を味方に引き込んで、壬申の乱に勝利したところの)アマテラス系列の「大海人天皇」という設定かも知れません。


★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の22)・「倭人のルーツは揚子江だ」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「倭人のルーツは揚子江だ」に、ご興味をお持ちでしょうか。記紀神話の最大の主役であるスサノオの活躍の前に、スサノオの出自というか、アマテラスの出自というか、日本人の出自の源流を考えてみたいと思います。

A 日本人とは、何者だ。

 日本人は、複合型の人種・民族ではないかと想像しますが、同じ日本人でも顔の形が、地域によって違うように見えます。

 太古の昔の日本列島は、ユーラシア大陸の一部で有ったものが、地球の造山活動で大陸から分離し、紆余曲折を重ねながら、今日の日本列島を形成したと云われています。

  (★ 本当は、今の「第7次太陽系次元」は、6,500年前から始まったものであり、それ以前の歴史は「ロケーション」として設置されたに過ぎず、「放射性同位元素か放射性炭素か知りませんが、測定したら、そういう数値が出るように、あらかじめ設定されているという「トンデモ説」が有るようです。どうなんでしょうか)。

 そういうことで、太古の昔に、シベリア方面から「北方民族」が渡来し、南方の「スンダ大陸」から「南方民族」が渡来しました。また、古代の中国からは苗族(伏羲・女媧の系統)、共工(三苗の系統)、黄帝(公孫氏か姫氏のルーツ)などの諸民族が日本に来たとの説も有るようです。

 結局、日本人は、ルーツが正確には分からない、多層・複合型の民族のように思います。


B 呉・越・楚系倭人の発生。

 紀元前473年、(揚子江の河口部を拠点としたところの)周王朝と同族で「姫」姓を持つ「呉王国」が、揚子江の南方の「越王国」に滅ぼされて、遺族・遺民が、北方に逃げて倭人と呼ばれるように成りました(呉系倭人の発生)。

 その後、呉を滅ぼした越が、紀元前306年に、揚子江の上流部を拠点としていた「楚王国」に滅ぼされて、遺族・遺民の一部が、北方に逃げて倭人と呼ばれるように成りました(越系倭人の発生)。

 その後、越を滅ぼした楚王国も、紀元前223年に、秦の始皇帝によって滅ぼされて、一部が「万里の長城」の建設のために、旧満州方面に連行されましたが、秦王朝が滅亡し、劉邦と項羽による「いわゆる漢楚の攻防戦」の動乱によって、本国に帰られず、仕方が無いので東方の朝鮮に行って、馬韓王から、半島の東側の辰韓に移住するように勧められて、土着しました。(楚系倭人の発生)。

  (「魏志」には、『辰韓人は、秦の労役を逃れて馬韓に入ったときに、馬韓が東の土地を割き与えた』と見えますが、この「秦人」は、辰韓に移住した「楚系倭人」のことだと思います)。


C 呉・越・楚系倭人は、本当に、日本や朝鮮に来たのか。

ア) 邪馬台国は、呉の末裔だった。

 魏略の「倭人伝」では、『みずから(呉の)太伯の後と言う』として、卑弥呼や邪馬台国の人々は呉の後裔だったと云っています。

 (ただ、魏志の「倭人伝」では、『大夫で夏后少康の後』として、越の後裔としています)。


イ)「新撰姓氏録」の、気になる氏族。

 右京の諸蕃に、「松野連、出自は呉王夫差」、と見えます。
 左京の諸蕃に、「和薬使主、出自は呉国主照淵」、と見えます。
 右京の諸蕃に、「工造、出自は呉国人太利須須」、と見えます。

  (その他にも、「呉国人」の出自の者がゴロゴロと見えますし、秦忌寸とか太秦公宿祢とかの「漢人」の出自も数えますと、100を越えるような氏族が「諸蕃」に記載されています。


ウ) 記紀神話での渡来人の記録。

 垂仁天皇の時代に、福井県の敦賀に、都怒我阿羅斯等(ツヌガ・アラシト)(『敦賀の阿羅の人』という意味かも)が、渡来しています。

  (都怒我阿羅斯等の子孫として、「姓氏録」の「諸蕃の任那」には、左京の諸蕃の任那に、「大市首、出自は任那国人都怒賀阿羅斯止」。同じく大和国の諸蕃の任那に、「辟田首、出自は任那国主都奴加阿羅志等 」、と見えるようです)。

 同じく、垂仁天皇の時代に、新羅の王子の天日槍(アメノ・ヒボコ)が渡来しています。

  (天日槍の子孫として、「姓氏録」の「左京の諸蕃の新羅」には、「橘守、三宅連同祖、天日桙命之後」と見え、同じく「右京の諸蕃の新羅」にも、「三宅連、新羅国王子天日桙命之後」と見えるようです)。

 応神天皇以降は、弓月君(秦氏の祖)を始め、続々と渡来人が日本に帰化しました。


エ) 幾多の氏族が、歴史の闇に消えていった。

 多くの渡来人が、応神天皇の時代以降に、朝鮮半島から渡来しましたが、2百年代の邪馬台国の人々は、呉越系の倭人とされています。

 そうしますと、それ以前の漢王朝の時代に、呉越系の倭人が日本に来ていないとは断言できないと、思います。

 さらに遡れば、秦王朝時代の「徐福」の伝承も日本各地に残っていますから、あるいは、秦王朝の時代に、中国人が日本に渡来した可能性も否定できません。

 さらにまた、スサノオ系列で(近畿地方の大王であった)大歳や、(和歌山を地盤とした)五十猛(イタケル)などの歴史も封印されてしまいました。

 また、大国主以前の古代出雲には、キサカ姫の闇見国(クラミ)や、佐太大神の狭田国(サタ)などが有りましたが、ほとんどの伝承は失われてしまいました。


オ) 越系倭人の記録は、残されなかった。

 越系倭人については、呉王国の後裔国家の日本国にとっては「親のカタキ」、「不倶戴天の敵」、「呉越同舟」であり、まったく残っていません。

  (越系倭人が日本に居なかったのか、消されたのかは、本当のところは分かりませんが)。


D とんでもない数の中国人の氏族が、日本に来ています。以下は、新撰姓氏録の一部の抜粋です(省略・脱落あり)。

   『うーん、これは、』、と考え込んでしまいます。

 呉系倭人 松野連   出自は呉王・夫差
 呉系倭人 和薬使主   呉国主・
 呉系倭人 工造    呉国人・
 呉系倭人 祝部     呉国人・
 呉系倭人 額田村主  呉国人・
 呉系倭人 刑部造    呉国人・
 呉系倭人 蜂田薬師   呉国人・
 呉系倭人 蜂田薬師   呉主・孫権王
 呉系倭人 高向村主   呉国人・小君王
 呉系倭人 牟佐村主   呉・孫権
 呉系倭人 茨田勝    呉国王・孫皓

 中国系 山田宿祢   周霊王太子晋

 中国系 己智        秦太子胡亥
 中国系 太秦公宿祢    秦始皇帝
 中国系 大里史 太秦公宿祢同祖 秦始皇
 中国系 高尾忌寸 秦宿祢同祖   融通王

 中国系 伊吉連   長安人劉家揚雍
 中国系 吉水連   前漢魏郡人
 中国系 檜前村主  漢高祖
 中国系 豊岡連   漢高祖
 中国系 下曰佐   漢高祖
 中国系 桑原村主  漢高祖
 中国系 文宿祢   漢高皇帝
 中国系 八戸史   後漢光武帝
 中国系 下村主   後漢光武帝
 中国系 台忌寸 漢孝献帝
 中国系 広原忌寸   後漢孝献帝
 中国系 志賀忌寸   後漢孝献帝
 中国系 当宗忌寸   後漢献帝
 中国系 火撫直    後漢霊帝
 中国系 若江造    後漢霊帝
 中国系 坂上大宿祢 後漢霊帝
 中国系 木津忌寸    後漢霊帝
 中国系 椋人     後漢霊帝
 中国系 火撫直     後漢霊帝
 中国系 丹波史     後漢霊帝
 中国系 谷直 直     漢師建王
 中国系 真神宿祢   漢福徳王
 中国系 田辺史   漢王之後知惣
 中国系 大原史    漢人
 中国系 交野忌寸   漢人
 中国系 伯祢     西漢人
 中国系 伊吉連   長安人

 中国系 高向村主  魏武帝太子文帝
 中国系 広階連    魏武皇帝
 中国系 大崗忌寸   魏文帝
 中国系 山田宿祢   魏司空王昶

 中国系 常世連   燕国王公孫淵

中国系 楊侯忌寸  隋煬帝

 中国系 清宗宿祢  唐人
 中国系 清海宿祢  唐人
 中国系 浄山忌寸  唐人
 中国系 清川忌寸  唐人
 中国系 栄山忌寸  唐人
 中国系 新長忌寸  唐人
 中国系 嵩山忌寸  唐人
 中国系 長国忌寸  唐人
 中国系 八清水連 唐人


 中国系 高村宿祢   魯恭王
 中国系 山代忌寸    魯国白龍王
 中国系 河内忌寸 魯国白龍王

 中国系 浄村宿祢   陳袁濤塗
 中国系 上村主 陳思王植
 中国系 筑紫史 陳思王植
 中国系 平松連 陳思王植
 中国系 河原連 陳思王植

 中国系 大山忌寸 広陵高穆

 中国系 栗栖首 王仁
 中国系 古志連 王仁

 中国系 八戸史  尽達王
 中国系 板茂連 楊雍
 中国系 河内造  慎近王

 中国系 錦織村主 韓国
 中国系 朝妻造  韓国
 中国系 史戸    漢城人
 中国系 高丘宿祢  百済国公族

 中国系 温義    北斉国温公高緯


★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の23)・「呉系倭人の発生と来日ルート」
★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「呉系倭人の発生と来日ルート」に、ご興味をお持ちでしょうか。スサノオやアマテラスを語る前に、彼らの源流である「呉越」の滅亡と、どのような経路で日本に辿り着いたかを、考えてみたいと思います。


A 彼らの大半は、朝鮮から日本に来た。

 呉系倭人も越系倭人も、揚子江から直接、日本に来たというよりも、朝鮮半島で勢力を保ちながら、徐々に来日して数を増やしていったのではないかと想像します。

  その理由として、彼らは、国の滅亡というアクシデントの中で、急遽、母国を脱出した訳ですから、計画的な移住を行った訳ではなく、穀物の種や農機具や建築用具も十分に整えられず、「着の身、着のまま」同然だったと思います。

  すると、対馬暖流を渡って日本に行くよりも、とりあえずは、朝鮮に渡るほうが渡航のリスクが少ないし、また、紀元前の古代では、朝鮮のほうが日本よりも発展していたと、想像します。

 (もちろん、直接、日本に渡来した者も有ったと思われますが、少数だったと思います)。


B 呉系倭人は、3派にわたって、朝鮮に渡った(仮説)。

 呉系倭人が朝鮮に渡ったことは定説になっていますが、明確なことは、歴史的資料が乏しいために、明らかにされていません。

  ですから、以下は、想像であり仮説だと、あらかじめ断っておきます。


ア) 第1派は、夫概(フガイ)の妻子が、朝鮮に渡った(可能性)。

 呉王の闔閭(コウリョ)に夫概(フガイ)という弟がいました。(「春秋左氏伝」や「史記・呉太伯世家」参照)。

 (「風俗通義・廣韻〜餘(後漢代)」によると、(真偽不明だと断っておきますが)、
   『呉の公子の夫概は、楚に奔走した。その子に国があり、夫餘(フヨ)を氏とした。今の百済王夫餘氏である』。

  上記については、「大宋重複廣韻」大中祥符元年(1008年)に、引用として、
   『風俗通云呉公子夫概奔走楚其子在国以夫餘氏今百済王夫餘氏也』と有るようです。

    (百済の王姓は、余、または夫餘ですから、辻褄は合っています)。

 (流れとしては)、
  BC506年、呉と楚が対決した。このとき闔閭王と共に、弟の夫概(フガイ)が5千の兵を率いた。呉が勝利した。
  BC505年、呉は秦と楚に攻められて、敗北した。
    この時、夫概は、闔閭王が楚の国から帰国できないチャンスに、クーデターを起こした。
     (一説には、夫概は兵1万で楚に破れ、勝手に帰国して、王を名乗ったとも、有ります)。
    ところが、闔閭王が呉に帰国して、夫概は敗北して、楚に逃走して「堂谿氏(ドウケイシ)」に封じられた。
  この時、夫概の妻子や、クーデター失敗組が、呉を脱出して朝鮮に渡った可能性が有りそうです。

  (夫概の妻子やクーデター失敗組が、朝鮮に渡った記録や証拠は有りませんが、クーデターの発生が、闔閭王の政治に対する呉の民衆の不満や王族・貴族を巻き込んだ大規模なものと考えると、失敗組は、陸路か、海軍の反乱勢力と共に海路で、山東半島経由で朝鮮に渡った可能性が有ります。

   もちろん、夫概に追従して楚の堂谿の地に移った者も考えられますが、夫概が楚に脱出したからと云って、楚王に殺されるかも知れませんし、召抱えられたとしても、即日で堂谿に領地が与えられたとは思えませんから、時間差を考えるなら、北方に逃げたものと考えられます。

  また、呉の北方には斉などの国が有りましたが、これらは呉と同じく周と同室の国でしたから、比較的好意的に通行を許可したと想像します)。


イ) 第2派は、呉王の夫差の妻子が、朝鮮に渡った。

 呉王の闔閭の子供の夫差(フサ)が、BC473年に、越王の勾践(コウセン)に敗れて、呉が滅亡しました。その時、妻子や王族貴族らが北方に逃げて、朝鮮に入りました。

 「資治通鑑」(シジツガン、1084年成立)によると、
  『周の元王3年(前473年)、越が呉を滅ぼし、その庶(親族)共に、海に入りて倭となる』と有ります。

   つまり、王族・貴族らの多数が、海に逃げたことになります。

 (呉の海軍力について)
  呉は、揚子江河口部に展開した海軍国家でも有りました。呉の滅亡前のBC485年には、呉の大夫の徐承が水軍を率いて、山東半島の斉を攻めた記録も有るようです。

  ですから、呉は長距離を航海する技術を持っていたし、山東半島を攻めるくらいですから、朝鮮に渡る技術は当然に持っていたと思います。


ウ) 第3派は、楚王国の(夫概の子孫の)堂谿氏(ドウケイシ)が、朝鮮に渡った。

 上記の(ア)で述べたところの、夫概が、堂谿の地に封じられ、その子孫が「堂谿氏」として、紀元前223年に、秦の始皇帝によって楚が滅ぼされるまでの間、存続していました。

 「史記・呉太白世家」には、
  『前505年に、兄が呉越の戦いの最中に、こっそりと陣払いして、自立して呉王を名乗ったが、戻って来た闔閭の兵に敗れて、楚に亡命した。その後、楚から領土を与えられて、子孫が堂谿氏と称した』(真偽不明、要確認のこと)。

 (要約しますと)、
 紀元前223年に、楚を滅ぼした秦は、楚が強大なことを恐れて、住民を国外追放にしたとされる。
 同時に、始皇帝は、満州方面の遼東の長城建設のために、堂谿氏を含む楚人を動員した。
 秦の滅亡に伴って解放された楚人らは、関内が「漢楚の攻防戦」の最中にあり、帰国できなかったので、朝鮮に向かった。
 馬韓に入った堂谿氏らの楚人は、馬韓王から半島の東側の土地を与えられて入植し、後に、「秦人」と呼ばれるようになった。(「魏志・辰韓伝」)。

 彼らの中から、南の弁韓(後の金官加羅とか任那日本府とか)に入った者、さらに日本に至った者、あるいは、北に逃れて「濊族」や「高句麗」や「扶余族」に同化した者、辰韓に残って後の新羅を建国した者、などが考えられますが、明確な記録が見つからないので、想像の域を出ません。


(堂谿のこと)

 堂谿(ドウケイ)とは、地名であり、淮水(ワイスイ)の最上流部にある。周の初期に房子国とも云う。呉を封じたので「呉房」とも云う。

 堂谿は、周の時代から、銅や鉄の産地で、金属器の生産地だった。(「論衡(後漢・王充)・言毒篇」参照のこと)。
  (このことから、楚人が、長城建設のために遼東に入り、後に辰韓に入って南下し、洛東江の鉄を採取して「弁辰の鉄」を生産した可能性も否定できません。
  これについて、朝鮮の鉄器は、紀元前3〜4世紀からと云われ、紀元前200年の楚人が製鉄に従事した可能性は否定できません。


C 呉の遺民が、直接、日本に来た可能性。

 日本の米の生産は、弥生時代より以前から行われていた説があり、呉の滅亡当時には、日本での米の生産が有ったと考えられます。

  だからと言って、呉の遺民が、直接、日本に来たことには成りません。

 国を追われてパニック的に逃げる者は、十分な用意が出来ていないので、より安全で、日本より開けていた朝鮮に逃げるのが、常識だろうと思います。

  (呉は、強力な海軍を持っていたので、滅亡以前から朝鮮の地理や風俗を知っていた可能性があり、大規模集団で入植するなら、日本よりも朝鮮を選択しただろうと推測します)。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/386.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の24)・「スサノオは朝鮮に降臨した」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「スサノオは朝鮮に降臨した」に、ご興味をお持ちでしょうか。『スサノオは出雲に降臨したのではなかったのか』という反論も有るでしょうが、『まあ、記紀神話のことですから』ということで、考えてみたいと思います。


A 古事記と日本書紀では、記述が異なっているが、どうなっているのか。

 古事記によりますと、スサノオは、高天原のアマテラスに別れを告げた後で、出雲に降臨したようで、朝鮮の記述は見えないようです。

 日本書紀では、情報が錯綜しており、「神代上・第八段・本文−1」では、高天原から出雲に降臨しています。

  同じく、日本書紀の、「神代上・第八段・一書−2」では、高天原から安芸の国に降臨しています。

  同じく、日本書紀の、「神代上・第八段・一書−4」では、高天原から、息子の五十猛を連れて、新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)に行った後で、出雲に辿り着きました。

  同じく、日本書紀の、「神代上・第八段・一書−5」では、高天原から、(どこかに)降臨した後で、(朝鮮の)熊成(クマナリ)の峯に居て、やがて根の国に行きました。

 先代旧事本紀では、高天原のアマテラスに別れを告げた後で、息子の五十猛を連れて、新羅国の曾尸茂梨(ソシモリ)に降臨しましたが、『こんな国には居たくない』ということで、出雲と伯耆の間の「鳥髪の峯」に辿り着きました。

 ということで、スサノオが、高天原から何処に降臨したかは、まったくの不明です。


 ★ スサノオは、人間ではなく「神霊」であり幽霊ですから、人間活動を行うときには、人間の誰かに憑依することになりますが、憑依するのは一人だけの人間とは限りません。次々に入れ替わることが有ります。また時代を超えて何度でも出現します。

 (たとえると、VRゲーム(バーチャル・リアリティ・ゲーム)で、人間型ロボットを操作する「意識」が、スサノオの神霊という言い方が出来るかも知れません。

   その意味において、人間型ロボットは単なる「レンタカー」みたいなものですが、(スサノオは、ゲームのオーナーの一人ですから)乗り捨ての使い捨てOKであり、誰も文句を言えません)。

  また、神霊は、物質的な人間をリサーチする能力を持っていますが、逆に、人間は、非物質の霊魂をリサーチする能力を持っていませんから、「記紀神話編纂委員会」がスサノオの降臨地を完全に特定出来なくても、仕方が有りません。

  (これをパソコン・ゲームで説明しますと、私たちゲーム参加者の活動は、全てがパソコン内部に構築された電子・電流の往来で行われますが、その全ては「フィルター」で捕捉されて100%丸裸で監視されますが、スサノオなどのパソコン・オーナーは、ゲームの外にあって、私たちのゲームの進行を監督し、必要によりゲームにアクセスして、強制的な軌道修正をしている、という考え方が出来るかも知れません)。


B スサノオが、新羅に降臨したのは、事実だ。

 記紀神話の記述を見ますと、スサノオが新羅に降臨したのは、事実だろうと思われます。

 なぜならば、事実で無いなら、わざわざ『新羅に降臨した』とは書かないと思います。事実だから書いたと云うことです。


C なぜ、スサノオの新羅降臨を消し去らなかったのか。

 ここで、一つの疑問が生じます。『なぜ新羅降臨の事実を消さなかったのか』。『新羅降臨は不必要ではないのか』。『神国日本にとって朝鮮の記述はマイナスではないのか』。

 そのため、大海人天皇は、古事記の中で「新羅降臨」を消しています。(古事記「序文」には、大海人天皇が稗田阿礼に誦み習わせたと有ります)。

 ところが、日本書紀では、スサノオの新羅降臨を完全に消し去らずに、「一書」の中に残しています。

 すると、記紀神話編集委員会は、『なぜ、消さなかったのか』、あるいは『なぜ、消せなかった』のかという疑問が発生します。

 察するに、スサノオ系列の豪族たちには、スサノオの新羅降臨の伝承が残されていたし、先代旧事本紀でも記述されているように、記紀神話の編纂当時の多くの豪族氏族たちが、常識として知っていたと考えられます。

  だから、完全に消し去ることが出来ず、一書に残さざるを得なかったと想像します。


D 新羅国も、曾尸茂梨(ソシモリ)も熊成(クマナリ)の峯も、何処か分からない。

 スサノオが新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)だとか熊成(クマナリ)の峯に居た伝承が残されましたが、その場所は特定できません。

  曾尸茂梨も熊成も分かりませんし、新羅そのものも範囲は特定できません。

 新羅の範囲も、300年代前半の新羅建国当時であれば、範囲は「旧辰韓」に限られますが、記紀神話の720年当時の「統一新羅」では、ピョンヤン辺りから南部を領土としています。

  このため、曾尸茂梨や熊成の比定地は、春川・漢城・扶余・光州・慶州・釜山・その他の各地に広がっているようです。


E 大海人天皇は、なぜ、古事記の中で「新羅降臨」を消したのか。

ア) 大海人天皇は、アマテラス・ファンだったから、スサノオが嫌いだった。

 大海人天皇は、幼い頃に、海人族の乳母に育てられたと云います。

  乳母は、凡海(オオシアマ)氏の娘であり、凡海氏は安曇氏と同族で、海部氏と同族で、尾張氏と同族らしいです。
  (安曇氏は綿津身の子孫で、尾張氏はニギハヤヒの子孫のはずなので、辻褄が合わないのですが、系図に乱れが有ったのかも知れません)。

 (乳母ではなく、凡海の娘が実母だったかも知れませんが)、とにかく、幼い頃から、海人族の素晴らしさ・立派さを叩き込まれ、海人族の守護神であるアマテラスが神々の中の大神であり、唯一絶対神だと洗脳されていたのかも知れません。

  また、壬申の乱では、勝利の女神が微笑んだので、本来なら勝てない戦いを勝利して、玉座までゲットしましたから、感謝感激であり、アマテラス信仰の度合いを深めたものと、思います。

  (まあ、軍事的には、大海人天皇が一目散に吉野に走って逃げてから、天智天皇の崩御の時を秒読みして、伊勢や尾張や美濃に手を回し、海人族も見方に引き込んでおり、挙兵計画は万全だったと云うことだろうと思いますから、大海人天皇の作戦勝ちでしょう)。


イ) スサノオ系列の豪族が生き残っていたから、消せなかった。

 ダイレクトに出雲系列・スサノオ系列なのは、
   「出雲宿禰」や「出雲臣」などが居ますが、スサノオの子供のアメノホヒの子孫になります。
   菅原道真の祖先の「土師氏」なども、スサノオの子供のアメノホヒの子孫になります。
   「賀茂氏」も、カムムスヒの子孫で出雲系列だと思います。
   「大神(オオミワ)朝臣」は、大田田根子の系統で、大国主(アメノホヒ)の子孫になります。
   「宗形君」は、大国主の子孫の、海人族になります。

 ここで、スサノオ系列が、少数勢力で過去に滅亡した勢力なら消せるのですが、存続しており、分家の枝葉筋を含めると巨大勢力になります。
  また、ニギハヤヒ系列も、(ニギハヤヒが「事代主」に憑依していますので)、間接的にスサノオ系列になります。

 さらに、宗形君の娘が大海人天皇の妃の「尼子娘」であり、壬申の乱で大活躍した高市皇子を生んでいます。また、壬申の乱では出雲系列・スサノオ系列が、大海人天皇に味方していますから、スサノオ系列を抹殺できなかったと想像します。


ウ) 悪夢の朝鮮には、触れたくなかった。

 大海人天皇にとっても、先代の天智天皇にとっても、朝鮮事情は悪夢だったと思います。

 つまり、663年に「白村江」で日本軍が大敗してしまい、唐・新羅の連合軍の日本遠征を恐れた天智天皇は、九州や西国に城を築かせたり、日本全国から「防人(サキモリ)」を対馬や北九州に配置したりして、眠れぬ夜を過ごしたと云います。

 ところが、運良く、神の御加護が有りまして、唐が、日本遠征の前に、高句麗を片付けることにしたので、668年の高句麗の滅亡まで、日本は助かりました。

 さらなる神の御加護が有りまして、唐と連合を組んだ新羅が、百済や高句麗の亡民と連携して、唐に反旗を翻して唐との戦争に突入し、これで、唐の日本遠征は無くなりました。

  (★ 665年に唐の使節の劉徳高が2千名で来日したり、671年に唐の郭務宗が3千名で来日したのを捉えて、『日本が滅亡した』と言う人が有りますが、これは、唐が高句麗や新羅を攻めるので援軍を出せとの脅迫的要求に来たものであり、日本を攻撃するために来たのでは有りません。

  この時期、唐・新羅・高句麗の3国が、日本の軍事的支援を求めるために、頻繁に来日しています(日本書紀等を参照のこと)。

 まあ、大海人天皇としては、「悪夢だった朝鮮」のことは思い出したく無かったし、推古天皇以降の皇位争奪戦の血で血を洗う「骨肉の相克」は書きたく無かったので、「古事記」としては、区切りの良い推古天皇で完結させたのかも知れません。


F 結局、スサノオは新羅から来た。

 スサノオが新羅(最終的には金官加羅)から来たことに間違いないし、子供の五十猛(イタケル)・ツマツ姫・オオヤツ姫などが新羅から渡来して紀伊の国に定住したのも事実だろうと思います。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/388.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の25)・「スサノオは濊族で、金官加羅だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「スサノオは濊族で、金官加羅だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、スサノオという人間は存在せず、その神霊が朝鮮に降臨して、濊族(ワイゾク)に憑依し、更には、狗邪国(狗邪韓国)を滅ぼして金官加羅を建国し、挙句の果てには、北九州や出雲にも至ったという、壮大なオカルトの物語です。


A スサノオの歴史・時系列を、逆説的に、遡って考えてみる。(お花畑的発想)。

ア) スサノオの子孫が実在するという、歴史的事実。

 スサノオの子孫が実在しました。「姓氏録」によると、大神朝臣(オオミワ・アソン)という氏族のルーツは、『素佐能雄命の六世の孫の大国主の後なり』と見えます。

 さらに、同じスサノオ系列には、「賀茂朝臣」も、『大神朝臣と同祖で大国主神の後なり』と見えます。
 さらに、「宗形君」も、『大国主六世の孫の吾田片隅命の後なり』と見えます。

 ★ スサノオという人間が居なかったにも関わらず、『スサノオの子孫を語るとは、どういう了見だ』という疑問が発生しますが、これは、氏族の初めからスサノオの伝承が有ったのか、先祖の誰かがチャネリングを通じて先祖のルーツを聞き出した可能性が考えられます。


イ) 「スサノオが新羅に降臨して出雲に下った」という、記紀神話的事実。

 日本書紀の「神代上・第八段・一書の4」では、高天原から、息子の五十猛(イタケル)を連れて、新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)に行った後で、出雲に辿り着きました。

 同じく、日本書紀の「神代上・第八段・一書の5」では、高天原から、(朝鮮のどこかに)降臨した後で、(朝鮮の)熊成(クマナリ)の峯に居て、やがて根の国に行きました。

 先代旧事本紀では、高天原のアマテラスに別れを告げた後で、息子の五十猛を連れて、新羅国の曾尸茂梨(ソシモリ)に降臨しましたが、『こんな国には居たくない』ということで、出雲と伯耆の間の「鳥髪の峯」に辿り着きました。

 これらの記紀神話的事実により、スサノオが朝鮮に降臨したことは、間違い有りません。


ウ) 朝鮮南岸東部の洛東江の河口部に「ゆかり」が有ったという、「ゆかり的事実」。

 朝鮮南岸東部の洛東江の河口部には、今の韓国の釜山市が有りますが、「三国志」の時代には「弁韓諸国」の一部が有りました。

 この弁韓諸国は、「三国志」によると、12カ国の小国に分かれていた朝鮮南部全体の広域地域を意味するようです。

  (「三国志」の時代の朝鮮の分け方(国家の国境線)は、半島全体に太白山脈が南北に走り、その東側が「辰韓」になり、西側が「馬韓・弁韓」に分けられました。
 さらに、太白山脈の南部から「ノ」の字に走る小白山脈によって北側が「馬韓」になり、南側が「弁韓」に分別されたと、思います)。


 (卑弥呼の飛び地が有ったという「倭人伝的事実」)

  この釜山市あたりには、「三国志」の卑弥呼の時代には、邪馬台国の飛び地の領地の「狗邪国」(狗邪韓国)が有ったことが記されています。

  この狗邪韓国が滅亡した後に、「金官加羅」が後継王国として登場し、532年の継体天皇朝あたりで、新羅に滅ぼされるまで存続しました。(歴史的事実)。


エ) 金官加羅は、北方から来た「騎馬民族」が建国した、という考古学的事実。

 (朝鮮南岸東部の洛東江の河口部の)釜山市方面に、金官加羅という国が出現しました。「三国志」の時代には存在しませんでしたから、国の成立は、早くても2百年代の晩期だろうと想像されます。

 考古学的資料が乏しいために、金官加羅の全容は解明されていないようですが、遺跡の調査によると、北方民族に見られる「殉死」の形跡とか、馬具や武具などに騎馬民族の形跡が認められるとの報告が寄せられているようです。

 これらによって、金官加羅は、従来から存在していた「倭人・韓人」とは異なる「騎馬民族と考えられる民族」が、洛東江の河口部に侵入して建設した国家というのが、考古学的な通説のようです。


オ) 金官加羅は、新羅にいた濊族が建国したという、想像。

 上に述べたように、金官加羅が騎馬民族によって建国されたと考えると、『どこから騎馬民族が侵入したのか』という疑問が生じます。

 三国志の時代の騎馬民族には、3種類が考えられます。扶余族・高句麗族・濊族です。

    「魏志夫餘伝」、「魏志高句麗伝」、「魏志濊伝」の存在が、事実を物語っています。

  (他に「魏志東沃沮伝」・「魏志挹婁伝」などが存在したが、消滅したので、省略します)。

 また、この扶余族・高句麗族・濊族は、混合・分裂を繰り返すなどして複雑に絡み合っていると推測されますが、本当のところは分かりません。

 三国志の時代の地理的な位置関係を考えますと、扶余族は、高句麗族の北側の満州方面にいたので金官加羅とは関係なく、高句麗族も、馬韓や濊族の北側の北朝鮮方面にいたので金官加羅とは関係なく、濊族が、高句麗族の南側にいたので、金官加羅を打ち立てたのは濊族の可能性が一番高いという、結論になりそうです。

 (濊族の侵入経路は、直接南下して釜山市に入ったケースと、新羅から馬韓を経由して釜山市に入ったケースが考えられますが、どのルートを通ったかは、分かりません。

   ★ 記紀神話では、スサノオが、アマテラスの高天原に侵入した記述が見られますが、これを朝鮮に当てはめると、アマテラスの馬韓に、濊族のスサノオが侵入した可能性が考えられます。
   つまり、(卑弥呼の邪馬台国の領地で有ったところの)「卑弥呼ことアマテラス」の狗邪韓国に、濊族のスサノオが侵入して狗邪韓国を滅ぼして、金官加羅を建国した可能性が考えられます。


B 濊族のこと。

ア) 濊族の本当の歴史は、分からない。

 中国の古代の文献には『穢王(ワイオウ)の印璽を持つ扶余族がいた』という記録が残されていますし、春秋時代とか戦国時代からの伝承も残されていますが、詳しいことは分かりません。

 また、穢王(ワイオウ)の一族から扶余族が分派した説も有れば、濊族が高句麗と合体した説もあり、真相は闇の中にあり、全く分かりません。

  (明確な書証や伝承が残されていないから、誰にも分からないと思います)。


イ) 秦人が濊族に変換された、可能性。

 中国を統一した秦が、紀元前206年に滅亡しました。始皇帝の当時に、揚子江方面から満州方面に強制連行されて、遼東の長城建設に従事していた秦人(楚人)たちが、解放されました。

 ところが、中国では「漢楚の攻防戦」の真っ最中であり、帰国できないので、仕方なく朝鮮に渡り、馬韓王から、半島東部の「辰韓方面」への移住を命じられました。紀元前2百年の昔の話です。

 その後、秦人(楚人)たちがどうなったかは、まったくの不明です。


ウ) 散発的な濊族の記録をたどる。

 「魏志・濊伝」に、『その古老は、昔、自ら、高句麗と同種だと言っていた。その人々の性質は真面目で慎み深く、むさぼり欲しがることは少ない。恥をしる心があり、高句麗を頼ったりしない。』

 「晋書・扶余伝」に、『その印には、「濊(穢王(ワイオウ)之印」の刻字がある。国内に濊(穢)城という名の古城がある。』

 「後漢書・穢伝」に、『元朔元年(紀元前128年)、濊君南閭らは、右渠(朝鮮王)に叛いて28万人を率いて、遼東郡に詣でて(前漢に)内属した。』

 「三国志・魏書・馬韓伝」に、『桓帝と霊帝の末(146年〜189年の間)、韓と濊が強勢になり、郡県では制することが出来ず、多くの民が韓国に流入した。』

 その他にも多くの記録が残されており、紀元前の昔から、濊族が強大な部族集団であったことが証明されます。


C 濊族が洛東江に侵入して、金官加羅を建国する(仮説)。

 「三国志」の時代に、濊族は、魏の圧迫を受けながらも、朝鮮半島の東部に命脈を保っていましたが、265年に魏が晋に交代した後、2百年代後半から、「民族の大移動」が開始されました。

 シベリア南部の騎馬民族が満州方面に南下を行い、さらには中国内部に侵入し、(西晋の滅亡は316年ですが)304年の「五胡十六国」の時代から581年の隋による中国の統一までの3百年間にわたって、中国は大動乱が続きました。

 朝鮮では、北朝鮮の高句麗が動揺して、313年には楽浪郡を滅ぼしましたが、半島南部に侵入し、濊族を吸収消滅させました。

 濊族は、高句麗に吸収されるグループと、半島の南部に逃げたグループが考えられますが、逃げたグループが洛東江に侵入して、金官加羅を建国したと、考えられます。


D 金官加羅が、邪馬台国を滅ぼした、可能性。

 北九州を支配した邪馬台国は、洛東江の河口部に有った狗邪韓国を領有し、ここから「弁辰の鉄」を輸入したり、朝鮮貿易で巨利を得ていましたが、金官加羅に狗邪韓国を奪われ、さらには、海上貿易に従事する「海人族」も金官加羅に寝返ってしまいました。

 海人族を味方に付けた金官加羅の大軍が、邪馬台国を襲って北九州を支配下に置き、スサノオの子供の大国主が、北九州を拠点にして西日本を平定して行きました。

  (年代的には、邪馬台国の滅亡は、早くて270年代だろうと想像します。また、ニギハヤヒの東征は、(崇神・垂仁天皇時代を340−360ごろとして逆算すると)290−300年ごろに奈良に入城して「ニギハヤヒ天皇神武」として即位したものと想像します。

   ★ 「倭の五王」が400年代の前半、仲哀天皇・神功皇后の摂政時代が380−400ころ、景行天皇・成務天皇時代が360−380ころ、崇神天皇・垂仁天皇時代が340−360ころ、「欠史八代」が300−340ころの親子孫の三代、初代のニギハヤヒ天皇神武が290−300ころ。

 すると、大国主の「国づくり」は、早くて270−290年の間に収まるのではないかと、想像します。

  (余談ですが、織田信長の「桶狭間」の1560年から、1590年の豊臣秀吉の「小田原攻め」の天下統一まで30年ですから、大国主の西日本経営は20年も有れば、十分可能だろうと想像します。


E (お断り)。本当のことは、分からない。

 スサノオが新羅に降臨したことは、記紀神話の記述や、豪族たちの出自の伝承や、日本古代史の成り立ちなどから、事実だろうと思います。

 ただ、何時、何処の誰に降臨し、どのような経路で日本に来たのかは、まったく分かりません。
 

★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の26)・「高天原は、朝鮮に有った」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「高天原は、朝鮮に有った」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、高天原は朝鮮に有ったという『何ともはや』な、お話です。また、何箇所も高天原が有った可能性も考えてみたいと、思います。


A 高天原とは、何か。

 狭義では、高天原とは、アマテラスが君臨する世界を云うのかも、知れません。

 広義では、高天原とは、アマテラスに限らず、無数の神霊界を指す言葉だとも、考えられます。

 ★ 『神霊界なんか有るもんか』、という罰当たりな「お花畑」の世界観では、高天原とは、「数千年後の未来」のコンピューターの中に有る無数のシリコンチップの中で、その中の一個のチップの中にだけ存在する世界だ、という考え方が出来るかも知れません。

    (★ 「数千年後の未来」と言うのは、今という「次元」から見ての数千年後であり、数千年後の未来から見た「今という次元」は、VRゲーム「第7次太陽系次元」の中にだけ存在する世界、という言い方が出来るかも知れません)。

   また、時間も空間も無く、過去も未来も無く、ただ今現在の電子の往交しか存在しない「刹那(せつな・瞬間)」という考え方が、出来るかも知れません。

   また、別の表現をすれば、高天原とは、コントロール・パネルの中にある「第7次太陽系次元」という基幹ソフトの中の、コントロール・センターと繋がっている司令塔であり、13階層に繋がるらしいエレベーターの一つであり、上下の双方向の流れを制御する「コントロール・バルブ」・「ディストリビューター」を制御し、・・・


B (話は変わって)、高天原という神霊界の移写が、現界という世界観。

 オカルトの世界では、神界・霊界・現界の3界が有るそうで、神界の移写が霊界になり、霊界の移写が現界になっていて、現界が私たちの住む人間世界らしい、そうですが、どうなんでしょうか。


C 記紀神話での、高天原の記述。

 記紀神話の世界観では、広義では、アマテラスに限らず、「造化三神」から始まって「神代七夜」・「伊邪那岐・伊邪那美」・「三貴子」と、ニギハヤヒ・ニニギの天孫降臨、はては雄略天皇時代の「葛城の一言主」も含め、人間世界と平行して、延々と続く世界のようです。

  狭義では、明確な定義は無く、アマテラスを中心とする世界観のように、感じられます。


D スサノオが、高天原から朝鮮に降臨したという、記紀神話上の根拠。

 日本書紀・神代上・第八段・一書の4、『スサノオが、高天原から、息子の五十猛(イタケル)を連れて、新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)に行った後で、出雲に辿り着いた。』

 日本書紀・神代上・第八段・一書の5、『スサノオが、高天原から降臨した後で、(朝鮮の)熊成(クマナリ)の峯に居て、やがて根の国に行った。』

 先代旧事本紀、『スサノオが、高天原から、息子の五十猛を連れて、新羅国の曾尸茂梨(ソシモリ)に降臨したが、出雲と伯耆の間の「鳥髪の峯」に辿り着いた。』


E 高天原の、朝鮮での位置を絞り込む。(あくまでも、根拠の乏しい可能性)。

ア) スサノオが、アマテラスに乱暴したという、記紀神話での痕跡。

 「日本書紀・神代上・第七段・一書・三の1」に、

   『一書曰、是後、日~之田有三處焉、號曰天安田・天平田・天邑幷田、此皆良田、雖經霖旱無所損傷。其素戔嗚尊之田、亦有三處、號曰天樴田・天川依田・天口鋭田、此皆磽地、雨則流之、旱則焦之。故、素戔嗚尊、妬害姉田、春則廢渠槽及埋溝・・・』

  (簡略の翻訳)、
   『ある文に、日~(アマテラス)の田が3箇所有って、どれも肥沃で、平らで、大きな良い田ばかりだった。長雨が有っても、日照りが有っても、損害が無かった。
   (一方で)、スサノオの田も3箇所有ったが、切り株の多い、やせた田であり、川のそばに有り、水流の速い田であり、雨が降ると濁流・急流となって田が流され、日照りには干上がった。
   それで、スサノオは姉(アマテラス)を憎んで、姉の田に乱暴を働いた。・・・』

  ★ ここで注意。アマテラスの田も、スサノオの田も、「天の何々」の名称が付いているので、人間世界の話ではなく、高天原での話であり、私たちの日本や朝鮮に比定するのは、初めから無理が有りますが、強引に当てはめたいと思います。


イ) 上記の(ア)の場所の比定地を想像する。

 上記(ア)で、「アマテラスに良田が有り、スサノオに悪田が有り、スサノオが良田のアマテラスを侵攻した場所」を考えます。

 まず、スサノオは、朝鮮半島を南北に走る「太白山脈」の東側に居た「濊族」と考えられます。つまり、太白山脈の東側は平野が狭く、川も急峻な感じがします。
    (グーグルの航空写真を参照)。

 すると、必然的に、高天原には、2箇所が候補地に上がります。
  第1は、太白山脈の西側の、肥沃な大地が有った「馬韓」が考えられます。
  第2は、朝鮮半島南岸東部の、「洛東江」の流域が考えられます。

  第1の「馬韓」の可能性の場合には、新羅方面に居た濊族が、高句麗の南下による圧迫を逃れるために、太白山脈を西に越えて馬韓に進入した。
     (第1次アマテラスの岩戸隠れ)。
  やがて、馬韓の残党勢力か、高句麗の南下か、高句麗から分離して百済を建国した扶余族の一派によるかは分かりませんが、濊族を撃破した。
     (第2次アマテラスの岩戸開き)。
  撃破された濊族は、南方の洛東江の河口部に下り、「狗邪韓国」を滅ぼして、「金官加羅」を建国した可能性が、考えられます。
     (スサノオの追放の結果)。

  第2の「洛東江」の可能性の場合には、新羅方面に居た濊族が、高句麗の南下による圧迫を逃れるために、南方の洛東江河口部に入り、「狗邪韓国」を滅ぼして、「金官加羅」を建国した可能性が、考えられます。
 
    (この場合は、狗邪韓国への侵入が「第1次アマテラスの岩戸隠れ」で、(何者かによる圧迫を逃れるために)金官加羅から日本の北九州や出雲への軸足の移動が「第2次アマテラスの岩戸開き」と「スサノオの追放の結果」になります。

  いずれにしても、最終的に、洛東江の河口部に入ったということになります。


ウ) なぜ、記紀神話の記述が残されたのか。

 ここで、上記の(ア)の「日本書紀・神代上・第七段・一書・三の1」は、残す必要の無い記述であるのに、なぜ、残したのかという「疑問」が考えられます。

  (もちろん、『これは朝鮮の記述ではなく、日本国内での記述だ』という反論も有るでしょう。
  ところが、日本には、「アマテラスの良田、スサノオの悪田、スサノオが良田のアマテラスを侵攻した場所」の候補地が見当たらないのです。
  記紀神話時代の候補地は、北九州か出雲しか考えられませんが、両方とも要件を満たせません。
   (もし有ったとしても、規模が余りにも小さすぎるので、記紀神話のスケールに合致しない)。

   また、スサノオが新羅に降臨したという記述は、架空の創作ではなく、『そういう事実が有った』からであり、新羅を軸に検討するなら、高天原は朝鮮のことだという結論に達します。

 (元に戻って)、日本書紀に「一書」として残したのは、記紀神話の編纂当時には、日本人が朝鮮から渡ってきたということが、常識として広く知られていたから、消す必要が無かった。
 あるいは、豪族たちにも朝鮮から渡ってきた記憶が伝承されていたのではないかと、想像します。


 ★ 「百済新撰」という文献が記紀神話編纂当時には存在していた。「舊本」(古い本)には百済についての記述が色々と記されていた。(日本書紀・雄略天皇・即位二年秋七月の条、その他)。
   その他にも、「百済記」(日本書紀・雄略天皇・廿年冬の条、その他)。「日本舊記」(日本書紀・雄略天皇・即位廿一年の条、その他)。「百済本記」(日本書紀・継体天皇・即位三年春二月の条、その他)などの記述が見られる。

   つまり、「百済新撰」・「百済記」・「百済本記」・「日本舊記」などは、今は現存していないようですが、私たちの知らない古代の記録が、その当時には数多く残され、多くの人が知っていたのではないかと、想像します。

 
F アマテラスの復活と、スサノオの追放。

 (記紀神話の記述によると)、アマテラスは、スサノオに責められて岩戸に隠れましたが、その後、復活して岩戸から飛び出し、スサノオをボコボコにして、高天原から叩き出しました。

 これを「朝鮮版・高天原」に当てはめますと、上記Eの(イ)の比定地が考えられます。

 第1は、「馬韓」の可能性であり、上述したとおりです。

 第2は、洛東江の「金官加羅」の可能性ですが、仮に、スサノオが金官加羅を奪ったが、その後に、アマテラスにボコボコにされたと云うなら、誰が行ったかということになります。

  可能性としては、(馬韓ではなく狗邪韓国に居たところの)アマテラスの呉系倭人の残存勢力の復活戦か、弁韓諸国の連合軍によるものか、「三国志」当時には滅亡していた馬韓王の一族による「お家の再興作戦」によるものかは分かりませんが、何者かによって、金官加羅が奪われたことになります。

   ★ (話は飛躍しますが)、本来、北九州に有った倭人の拠点が、奈良に移動し、北九州が「もぬけの殻」になったのは、何かの圧迫が有ったからだと、考えざるを得ません。
   (つまり、金官加羅と北九州の拠点を、290−300年頃かに、主力のニギハヤヒ天皇神武の本隊が、奈良に首都機能を移動したということであり、別働隊の(崇神天皇神武を後世に輩出したところの)ニニギが南九州に落ち延びたということです)。
   (その意味において、大国主が出雲に残留して、日本海を東征する外敵に備えた。忍骨ミコトが北九州や遠賀川を死守して、山に骨を埋めて鎮守した)。

  いずれにしても、その後の金官加羅は、日本の支配下に入り、「任那日本府」が置かれることになり、欽明天皇の前の532年に、金官加羅が新羅に滅び、欽明天皇時代の562年に、任那日本府が新羅に滅ぶまで、日本の支配下に有ったことが、日本書紀などに残されています。


(浦上八国の乱など)
 (真偽不明の創作かも知れませんが)、『弁韓諸国の連合軍が、加羅(金官加羅のことか)を攻めたが、加羅が新羅に救援を求めたために、浦上八国の乱は失敗した。』ような記録が残されています。

 このように、古代の弁韓諸国は、「安羅と加羅の違い」、「呉系倭人と越系倭人の違い」、「我(わたし)派と、吾(あたし)派の言葉の違い」、「馬韓の遺民・北九州のアマテラス系列と、対抗する濊族・金官加羅・倭王権のスサノオ系列との確執」などの、複雑な力関係が有ったかも知れませんが、詳しいことは全く分かりません。


★ どう思われますか。


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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の27)・「日本は、朝鮮半島に「ゆかり」が有った」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「日本は、朝鮮半島に「ゆかり」が有った」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、縁(ゆかり)ということですが、今の日本人の大半の先祖のルーツが、揚子江の河口に発生した呉越系の倭人に突き当たり、頂点が呉王に繋がると、想像します。

 (その意味において、日本人は、周王朝の同族の「姫氏の国」であり、漢民族の本流であり、本来の中国人です。

      朝鮮半島には、「縁(ゆかり)」が有っただけです)。

  (平安時代の日本書記の講書に、『この国が姫氏国と呼ばれるのはなぜか』の問いに、『周呉の王姓は姫で、日本は姫氏の国と中国は認識している』との記録が、有るらしい。(真偽不明、要確認)。


A 多くの氏族が朝鮮半島から、日本に「帰化」したが、元々は同族だった。

ア) 「姓氏録」の渡来人。

 「姓氏録」には、「諸蕃」の渡来人で日本の豪族・貴族になった氏族が記載されています。

 (本家・分家の重複を含め、「未定・雑姓」も含めて)、「高麗」(高句麗)が50氏族くらい、「百済」が120氏族くらい、「新羅」が20氏族くらい、「任那」が10氏族くらいになります。

  (ただし、「姓氏録」の編纂以前に滅亡した氏族は含まれませんから、実際には、もっと多い氏族が渡来しています)。

  これで見ますと、百済からの渡来人が圧倒的に多いことが分かりますが、百済と日本は、同じ「扶余族」(あるいは「濊族」)の起源を持つ「兄弟国」だったことが、推測されます。

  また、日本と敵対していた「高麗」(高句麗)の氏族も多いのですが、668年に、高句麗が唐・新羅の連合軍に滅ぼされたときに渡来したのかも知れませんが、分かりません。
  ただ、高句麗の中には、百済と同族の「扶余族」が同化していたので、日本とも親戚関係になるので、百済の縁や、日本の縁を頼って、「高句麗系扶余族」が亡命して来たのかも、知れません。

 新羅系が少ないのは、新羅は朝鮮半島を統一して存続したので、日本に亡命する必要が無かったのかも、知れません。

 任那系が少ないのですが、これは「ウソ」だと思います。つまり、日本人は任那を基点にして渡来しましたので、任那=日本人であり、本来の任那人は「姓氏録」の「皇別・神別」に収まっており、その枠からこぼれた氏族が任那系に収まったと、思います。


(実は、「姓氏録」で、一番多かったのは「中国系」だった)

 私たちは、渡来人と云うと「朝鮮半島系」を想像しますが、実は、中国系が一番多くて、(本家・分家の重複を含め、「未定・雑姓」も含めて)、「諸蕃・漢」が160氏族くらい有り、「百済」の120氏族くらいよりも、遥かに多いのです。

  ここで、中国人といっても、中国から直接、日本に来た氏族は少ないと思います。

 呉の遺民や、秦の遺民や、漢の遺民などが渡来しましたが、彼らは、国の滅亡後は、直ちに朝鮮半島に逃亡したとか、「五胡十六国」時代の大動乱を逃れて、朝鮮半島で命脈を保った人々です。

 朝鮮半島が、2百年代の晩期から660年代の百済や高句麗の滅亡までの4百年間にわたり、高句麗・百済・新羅が「三つ巴」の戦乱に明け暮れると、亡命中国人は「朝鮮半島の安住の地」を失いました。

   そこで、日本人が「呉越系倭人」の子孫であることを知っていましたから、『先祖は黄帝であり、同じ中国人』という「ゆかり」を頼って、日本に亡命したのが、本当だろうと思います。

   (その当時の日本は、朝鮮半島より遅れた野蛮国だったと思いますが、文句を言っても仕方が有りません。「倭の五王」時代から、日本の拠点の有った「任那日本府」経由で博多に上陸して、続々と日本に亡命しました)。


B なぜ、渡来人が優遇され、領地を与えられ、多くが高位高官に上ったのかという、疑問。

 ここで、渡来人の多くが、領地を与えられ、(中には、昇殿を許される五位以上になった者が出るほどに)、高位高官に上った氏族が続出しました。

 今日、一般的に、政治難民とか、「ボート・ピープル」とかを、人道的に受け容れる国は、アメリカやヨーロッパに限らず、世界中に有りますが、広大な領地を与えたり、「外国人」を高位高官に処遇する国は、有りません。

  すると、なぜ、日本は、渡来人に広大な領地を与え、「子孫」というだけで高位高官を与えたのかという疑問が生じます。


ア) 彼らは、文明人だった。

 渡来人は、「一般大衆」ではなく、王族・貴族、あるいは領地を支配していた豪族でした。

 たとえば、「秦氏」を挙げますと、支配下に数十県とか百数十県とかの、数百名・数千名の一族郎党を率いて、日本に帰化したと云われています。

  (秦氏を朝鮮半島の貴族・豪族と考えますと、家庭教師を雇って文字を学び、学問を修め、農業や養蚕や病気の治療法など、あらゆる科学知識を習得していた文明人だったと、想像します)。

 大陸に遅れる古代日本にとって、科学や文化の輸入は、国の近代化に必要不可欠でした。

 
(漢字について)

 日本には文字(漢字)が有りませんでしたが、卑弥呼の時代から漢字を知っていたし、通訳・翻訳する者も居たと思いますが、使い勝手が悪くて、実用化できませんでした。

  つまり、(「古事記」にも有るように)、日本語の発音や言葉の意味と、漢字の発音と意味が一致しなかったためです。また、「行く・行こう・行け」などの活用変化に漢字では対応できなかったためです。


イ) 彼らは、土木技術に優れており、灌漑工事や治水工事に、必要だった。

 たとえば、「秦氏」を挙げますと、大阪府寝屋川市の「太秦(ウズマサ)」や「秦町(ハダチョウ)」の地名や、京都市右京区の「太秦」などの地名に足跡を残していますが、渡来人の高い土木技術で沼地や原野が開かれ、治水工事も行われました。

 遠くは関東平野の利根川水系の開発に携わるなど、各地の国土の開発に大きく貢献しました。

 「倭の五王」以降の日本は、外にあっては朝鮮半島に遠征して、高句麗の南下を食い止めたり、新羅の膨張を食い止めたりして、任那の滅亡を食い止めました。
 内にあっては、食料増産のために、田畑の開墾を進めて、国家の基盤を固めて行きました。


ウ) 彼らは、大王家や豪族の親類縁者だった。

 朝鮮半島系の渡来人の多くが王族や貴族であり、日本の大王家と出自を同じくする「扶余族」あるいは「濊族」でした。あるいは「呉越系の倭人」だったかも知れません。
 あるいは、「任那日本府」時代に縁戚関係を結んだ中国系氏族だったかも、知れません。

 いずれにしても、『血は水よりも濃い』であり、(古代中国人の考え方と同じく)、同姓・同族が固まるという「大家族主義」、「人治主義」の結果、日本の親戚筋を頼って、戦乱の朝鮮半島から日本に「安住の地」を求めたのだろうと、思います。

  (★ 雄略天皇を含めて「倭の五王」時代は、武内宿禰の子孫の葛城氏や蘇我氏や平群氏や紀氏などや、安曇氏・吉備氏・物部氏・大伴氏などの大豪族の力が強くて、政治は「豪族会議」で決められ、渡来人の受け容れや領地なども決定されたものと、思います。

   (「大化の改新」で天皇の軍隊(官軍)が創設されるまでは、天皇は豪族の軍隊に依存しました。雄略天皇の権勢も、それを支持する豪族の背景に成り立つものでした)。

  ですから、無関係な氏族の受け容れや、個人が「ボート・ピープル」で日本に渡来することは無かったと思います。(無関係な個人が来日しても、殺されたか、奴隷(奴婢)に売り飛ばされたと思います)。


C 洛東江は、母なる大河だった。

 古代日本にとって、「弁辰の鉄」を産出して日本に供給し、狗邪韓国(後の金官加羅)の臣民を育んだ(朝鮮半島南東岸の)洛東江は、母なる大河でした。


D 百済とは兄弟だった。

 百済と日本は、ルーツを同じくする兄弟国であり、(「広開土王碑」に)、396年の高句麗による百済攻撃で、百済は降伏しましたが、南部に逃げた敗残軍を日本は救済し、その後も支援を続けました。

 660年に後継百済が滅亡し、663年の白村江の大敗で完全に百済が消滅しましたが、前後して、(百済の王族・貴族に限定されますが)、百済の亡民を受け容れました。
 
 彼らに領地や官位も与えましたが、百済王族の子孫の中には、入内した娘も有りました。


E 日本を守るために、朝鮮半島で、多くの血が流れた。

 日本は、「倭の五王」以降は、日本の生命線である「弁辰の鉄」の輸入を死守するために、あるいは、(高句麗が朝鮮半島を統一すると、次は九州への侵攻が分かっていたので)高句麗の南下を防止するために、膨大な戦死者を出して、戦いました。


F 朝鮮半島を失っても、日本は、滅亡を免れた。

 中国で「ふいご」による製鉄方法が開発されたので、雄略天皇くらいの頃から、日本で始めて国産の製鉄が開始されたと云われます。(考古学的遺跡の発掘調査による)。
 
  (本格的な日本の製鉄は、5百年代以降で、出雲や吉備など各地で行われたと云います)。

 古代の戦争は、刀・槍・弓矢などの鉄製品を用いた戦いであり、人間同士の白兵戦ですから、必要なものは鉄と食料の米でしたが、天智天皇や大海人天皇のころには、朝鮮半島からの侵略を防御できる体制が整いました。


G 終わりに

 日本は、最終的に朝鮮半島を失いましたが、鉄を自給自足して武器や農具を自作し、国民を養うに足る米も自給できました。

 唐は、日本の守りが堅固なことを悟って、遠征軍の派遣を見送ったと云われています。(神のご加護が有りました)。

  (★ ちなみに、「元寇」のときの「神風」は、天則違反のインチキな「介入」だったらしい)。


★ どう思われますか。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] VRゲームから見た「数千年後の未来と過去」の関係

@ VRゲームの進化と可能性について。

 今、私たちの世界で、VR(バーチャル・リアリティー)技術が急速に発達して来ました。

 まだまだ幼稚な物しか作れませんが、将来的には、素晴らしいものが作られることでしょう。


 また、「五官の作用」が、電気信号による脳への情報伝達と考えるなら、(遠い未来には)、人工的に「虚偽信号」を印加すれば、脳に「虚構世界」を演出することが可能になるでしょう。

 そして、遠い未来には、VR技術の進化によって、私たちは自宅に居ながら、極寒の南極を震えながら横断し、灼熱の砂漠を汗をかきながら歩くことも「仮想体験」出来るでしょう。

 (それは、今の映像と音響効果に加えて、味わい、感触を楽しみ、香りまで楽しめることです)。


A VRゲームから見た「数千年後の未来と過去」の関係。

 本当の自分が数千年後の未来に居て、VRゲーム「第7次太陽系次元」を仮想体験した場合について、考えてみます。

   「数千年後の未来」とは、VRゲームの内側から見た「外側の世界」を言います。

   「遠い過去」とは、外側から見た「VRゲームの内側の世界」を言います。


  (別の表現では、テーマパークの「時代村」において、中が「江戸時代」で、外が「今の日本」というイメージですが、中の江戸時代から見た外側は遠い未来ということになります)。


 ★ 「数千年後の未来」は、本当に、数千年後の未来なのか。

   VRゲームの内側から見た「位置関係」の推測に過ぎませんから、本当のところは分かりません。つまり、体験者が「数千年後の未来」と勝手に認識しているだけで、本当は数百年後かも知れないし、数十年後かも知れません。


B VR技術が進化すると、現実世界と虚構世界の区別が付かなくなる。

 たとえば、VRの中に二重三重のVRを組み込むことが可能になります。VRから飛び出して現実に復帰したと思っていたら、実は、そこもVRの中だったということになるかも、知れません。


 また別に、たとえば、赤ん坊をVRの中で育てたら、どうなるでしょうか。


C VRの中の「オーパーツ」。

 VR技術を使えば、場違いなオーパーツをセットすることは簡単です。

 また、重力の設定を操作すれば、ピラミッドの巨石を片手で持ち上げたり、始祖鳥が天空を飛び回ることも可能です。

 リンクの機能を使えば、東京の上空で100機のUFOの乱舞も、夢では有りません。

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[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の28)・「古代の朝鮮人は、中国人だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「古代の朝鮮人は、中国人だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、古代の朝鮮には、朝鮮人は居らず、亡命中国人ばかり居たという、「トンでも論」を考えてみたいと思います。


A 朝鮮や辰国という言葉。

ア) 朝鮮や辰国という言葉は、古くから有ったようです。

 朝鮮という言葉は、紀元前1千年の昔の、殷の最後の紂王の時に、(殷王朝の同族の)箕子が、北朝鮮の平壌方面に「箕子朝鮮」を建国したのが始まりとされています。

 また、辰国については、「史記」とか「漢書」に「朝鮮伝」が有り、紀元前2世紀の「衛氏朝鮮」の時代に、朝鮮半島南部に「辰国」として、「真番傍衆国」(「真番傍辰国」、「真番辰国」)が見えます。

   この点については、(三国志よりも新しいところの)「後漢書」では、『漢有三種一日馬韓二日辰韓三日弁辰・・・凡七十八国・・・皆古之辰国也』と見えます。

   ★ 弁辰諸国の「辰」は、この「辰国」からきた説が有力ですが、詳しくは分かりません。

   また、この点について「魏略」では、『辰国が滅びる前に、(衛氏朝鮮の)衛満の孫の寓居王(右渠王)が、漢の武帝の攻撃を受ける前に、武帝に何かの建議を行ったが、建議を無視されたので、自分の部族の2千戸を率いて、辰国に亡命し、同時に、衛氏朝鮮との関係を絶った』と見えます。

   ★ 辰国については、成立年代も、民族も、その実在性も、全くの不明ですが、三国志に紹介されており、辰国の王が韓王と号したようですが、詳しいことは分かりません。


イ) 「後漢書」の「弁辰伝」には、(紀元前2百年ころの話として)、『初め、朝鮮王の準が、衛満に滅ぼされて、数千人の残党を率いて海に入り、馬韓を打ち破り、韓王として自立した。準の後裔は絶滅してしまい、馬韓人が再び王になった』と見えます。
  (ただし、韓人による系譜のイカサマ説があり、真偽は不明です)。

  (朝鮮王準について、「三国志・魏書」の「馬韓伝」の中で「魏略」を引用して紹介しています)。


ウ) 「史記」の「箕氏朝鮮」の記述として、(紀元前1千年ころの)殷王朝最後の「紂王」の時代に、殷の同族で紂王の叔父にあたる「箕子」が、(北朝鮮方面の)「朝鮮候」に封じられたと見えます。

  この一族は、次の周王朝に服属し、秦の始皇帝に服属し、秦の滅亡時の動乱時代に、子孫の準王(箕準)が、燕王の元将軍の衛満に国を乗っ取られ、40代余り続いた箕氏朝鮮が滅亡したようです。
  その後は、(前述のとおり)数千人を率いて海に入り、馬韓を破り、韓王と号したようです。

  ★ この朝鮮候の「箕氏の一族」は、中国の殷王朝の一族であり、100%の中国人ですから、「朝鮮」は、中国人が建国した国であり、「朝鮮人」とは古代の中国人の一派のことです。


B 騎馬民族の「高句麗」は、中国人だった。

 朝鮮北部に君臨した「高句麗」は、北方のツングース系の南下説が有る一方で、中国人の説も有りますが、集合・離散を繰り返し、混血を重ねていると考えられますので、本当のことは分かりません。


ア) 中国に「高陽氏」とか、「高辛氏」という氏族が居た。

 中国の神話の時代の、「堯・舜・禹」よりも数代前に「黄帝(姫姓または公孫姓)」が居ました。その前には「神農氏(姜姓)」や「伏羲(風姓)・女媧(風姓)」や「共工(三苗の系統)」や「天皇・地皇・人皇」などの時代が有ったとされます。

 この黄帝の孫に「帝センギョク・高陽氏」がいて、この子孫には、「舜」の系統や、夏王朝の始祖の「禹」の系統(その子孫の「越王」の一族や「殷王朝」の一族など)、その他の系統を生み出します。

   ★ 越系倭人は、夏王朝の子孫であり、呉系倭人とは「黄帝」で繋がる同祖です。

 また別に、黄帝の曾孫に「帝コク・高辛氏」がいて、この子孫が「堯」の系統(堯の娘婿として前述の「舜」が入ります)や、夏王朝を滅ぼした殷王朝の系統や、「周王朝」や「呉王」を輩出した后稷の系統や、その他の系統を生み出します。

   ★ 呉系倭人は、越系倭人とは「黄帝」で繋がる同祖です。


イ) 高句麗は「高氏」の子孫だった、(説)。

 高句麗は、元々は中国人の氏族で、上述の高陽氏か高辛氏か、他の氏族かは定かでは無いが、「高」を名乗る氏族であり、中原での「負け組」で、周辺に弾き飛ばされた氏族、との説が有ります。

 また別に、西周初年(BC1046年)に、周の武王が商(殷)を滅ぼした時に、周の東方にいた「高夷氏」が、周の属国になった。その後に、周の成王が洛陽に都を創建したときに、諸侯が招かれて、参加した東北の高夷が、後の高句麗の源流との説があります。

  この高夷氏は、先祖が「帝コク・高辛氏」との説も有るようですが、4千年も昔の話です。

  さらに、この高夷氏は、春秋時代以降に東に移動して、満州の遼東に至った説も有ります。


ウ) 「魏志・高句麗伝」の抜粋。

 『東夷の諸族の昔話では夫餘の別種と言っている。言語・風俗・習慣の多くが夫餘と同じだが、性格・気質・衣服に違いがある。』

 『涓奴部は元々国王を輩出したので、今は王を出さないけれども、正統の有力者は古雛加を称する特権が有り、宗廟を立て、霊星、社稷を祭ることができる。絶奴部は、一族の女が代々の王と婚姻するので、古雛加の号を加えられる。』

  ★ 古雛加の称号とは何のことでしょうか。「高夷氏」の「高夷」の変形でしょうか。
   『王がいる。官には相加、対盧、沛者、古雛加、主簿、優台、丞、使者、皁衣、先人があり、尊卑の身分に等級がある。』

 『王莽は、初めに高句麗の兵を派遣して胡族(匈奴)を討伐した。高句麗人は行くのを拒否した。王莽が強迫して高句麗兵を派遣させた。高句麗兵は塞から逃亡し、遼東郡を寇して荒らした。・・・王莽は進言を聴かず、厳尤に詔して、高句麗を撃たせた。厳尤は句麗侯の騊を誘い出し、やって来たのでこれを斬って、その首を伝送して長安(西安)に送った。莽は大いに喜び、天下に布告して、高句麗を下句麗と名を変えた。この時、高句麗は中国の侯國になった。』


エ) 断言は出来ませんが、高句麗の一部は、中国から逃げてきた中国人に思えます。


C 騎馬民族の「扶余」は、中国人だった。(説)。

 扶余は、高句麗より複雑で、北方にいたツングース系の南下説が有力ですが、満州の奥地にいた「北扶余」、北朝鮮の東北端の豆満江の方面に居た「東扶余(迦葉原夫餘)」、高句麗の発祥地の佟佳江流域に居た「卒本扶余」、百済方面の扶余に居た「南扶余」が知られています。

  また、北扶余・東扶余・卒本扶余は別々の異なる部族では無く、移動によって名付けられたものであり、移動のたびに集合・離散を繰り返したと、考えられます。


ア) 最古の記録を辿る。

 「史記・貨殖列伝」に、『燕は渤海と・・・遼東に到る。・・・北は烏桓、扶余に臨み、東は穢貊、朝鮮、真番の利を統べている』と見えますが、これは、扶余の最古の記録と云われています。

  (BC108年に滅亡した「朝鮮」が記されるために、この史記の記述は、BC206−BC108年の間の記録と考えられます)。


イ) 「魏志・夫餘伝」の抜粋。

 『漢の時、夫餘王は葬儀に玉の棺桶を用いた。・・・古老は先代の王が賜った物だと言っている。その印の文言は「濊王之印」と言う。国(中国)には濊城と呼ばれる古城がある。元は濊貊の土地だった。夫餘王はその中にいたのだろう。自ら亡命者というのは、そもそも理由がある。』

    ★ 別の解説本には、『夫餘王は、自ら中国の亡命者と言っている』と有ります。

 
ウ) 「三国史記・高句麗本紀」から夫餘を推理する。(眉ツバものですが)。

 「三国史記・高句麗本紀」では、
  『(高句麗の)始祖は東明聖王で、姓は高氏、諱は朱蒙・・・これより先に、解慕漱が天から降臨して北扶余(卒本扶余)を建てた。解慕漱が解夫婁を生んだ。・・・
 
 ・・・扶余王の解夫婁が老いて子が無く、山川を祭って跡継ぎを求めていた。・・・
 ・・・金色の蛙のような形の子供がいた。夫餘王が連れ帰って養育した。名は金蛙という。
 ・・・後に東海の迦葉原という土地が有り、・・・国を移して東扶餘と名乗った。
 ・・・金蛙が柳花を娶り朱蒙を生んだ。(一説に解慕漱の子)。(別に金蛙に7人の子供がいた)。
 ・・・金蛙王の子は、朱蒙に及ばなかった。朱蒙の母が『王子らが、お前を害そうとしている。』
 ・・・朱蒙は、・・・三人と一緒に逃走し・・・国を高句麗と号し、それで高を氏とした。・・・』

  以上のように、高句麗が夫餘と密接な関係を持っていたことが、高句麗の記録から見られますが、高句麗と夫餘は別種のようです。


エ) 百済の先祖が夫餘で、ルーツが呉王家の子孫に繋がる。

 {(その6の23)の「呉系倭人の発生と来日ルート」}の中の、「B呉系倭人は3派にわたって朝鮮に渡った(仮説)。」で述べたように、

   ア) 第1派は、夫概(フガイ)の妻子が、朝鮮に渡った(可能性)。
     呉王の闔閭(コウリョ)に夫概(フガイ)という弟がいました。(「春秋左氏伝」や「史記・呉太伯世家」参照)。
   (「風俗通義・廣韻〜餘(後漢代)」によると、(真偽不明だと断っておきますが)、『呉の公子の夫概は、楚に奔走した。その子に国があり、夫餘(フヨ)を氏とした。今の百済王夫餘氏である』。
    上記については、「大宋重複廣韻」大中祥符元年(1008年)に、引用として、『風俗通云呉公子夫概奔走楚其子在国以夫餘氏今百済王夫餘氏也』と有るようです。(百済の王姓は、余、または夫餘ですから、辻褄は合っています)。

  仮に、扶余から分かれたのが百済であり、(その百済の伝承に)呉王国の公子の夫概の子孫が百済の先祖だとするなら、扶余もまた、呉王国の夫概の子孫という考え方も出来るかも知れません。


オ) 可能性としては、扶余は、呉王の弟の夫概の子孫、あるいは、高句麗と同じく、中国を追われた「負け組」の中国人のような気がするのですが、どうなんでしょうか。

 (これとは別に、頭書に述べたように、北方のツングース系諸族の南下説が有力であり、北方人種と中国の負け組の交流を検討する必要が有る様に、思います)。


D 騎馬民族の「濊族」は、中国人だった。(説)。

 濊族については、{(その6の25)・「スサノオは濊族で、金官加羅だった」}で述べましたが、濊族から高句麗や扶余が派生した説も有るくらいの古い氏族ですが、詳しいことは分かりません。また、高句麗の出自説のように、中国での「負け組」が朝鮮半島に逃げてきた可能性も、否定できません。

 そして、秦王朝の滅亡によって、遼東の長城の建設のために強制連行された秦人(楚人)が開放されて、辰韓に入ってから、古い濊族と融合した可能性も、否定できません。

 そうしますと、濊族も、中国人の可能性を否定できないと思われます。


E 騎馬民族の「匈奴」は、中国人だった。(説)。

 「史記・漢書」の「匈奴列伝」に、『匈奴の先祖は、夏后氏』と有るようです。夏后氏は夏王朝の一族で、夏后淳雄が匈奴の先祖らしいが、真偽不明で分かりません。

 一般的に、匈奴は騎馬民族と理解していますが、漢王朝の時代でも、漢の武人や高官が長城を越えて匈奴に亡命した記録も有りますから、匈奴のルーツが負け組の「亡命中国人」だったとしても、別に不思議では有りません。


F まとめ。

 総合的な評価として、古代中国での「負け組」は、北側では満州方面か朝鮮方面に逃げるのが常道のようで、次から次に「負け組」が折り重なって、原型をとどめないほどに集合離散を繰り返した。

 そして、武力を伴った新しい負け組が侵入するたびに、古くて弱い負け組が周辺に押しやられた。その負け組が更に北方のツングース系諸族を周辺に押しやったり、集合離散や混血を繰り返した。

 彼ら「負け組」たちは、中国からは「西戎」「北狄」の卑語・蔑称で呼ばれることになった。
 

 (日本人だって、(琉球人は混血種と考えられ)、純粋種はアイヌ以外には居ないと思います。
 

★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/404.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の29)・「古代の朝鮮人は、日本語を話していた」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「古代の朝鮮人は、日本語を話していた」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 古代の朝鮮人は、朝鮮語ではなく、日本語(ただし呉語)を話していたという、スケールの大きな「お花畑」です。


A 辰韓人は、日本語(呉語)を話していた、可能性。

ア) 『魏志・辰韓伝」(さらに類似文書に「後漢書・辰韓伝」)に、
 
 『古老は、代々の伝えとして、「いにしえ(秦)の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓が東の地を割譲した」と自称する』。

  『そこでは、国を邦と、弓を弧と、賊を寇と、行酒を行觴と、お互いを徒(ト・ヤカラ)と呼ぶ。秦人(秦語)に似ており、単に(距離的に近い)燕や斉の言葉が伝わったのではない。
 楽浪人を阿残と呼ぶ。東方の人は自分を阿(ア)という。楽浪人は、元は自分たちと同じで、楽浪に残った人という意味だ。今、この国を秦韓とする者もいる。』

  ★ ここで大事なことは、辰韓人の言葉が秦人(秦語)に似ていることであり、秦(中国)では、邦・弧・徒(ト・ヤカラ)と言い、自分を阿(ア)と言っていた可能性が高いと言うことです。

  すると、秦の始皇帝や、当時の漢民族も、辰韓人と同じ言葉を使っていた可能性が有ります。


イ) (日本語の「吾(ア)」との類似性)

 日本語で、(昔のことですが)、「私」を、「わたし」と発音する地方と「あたし」「あたい」と発音する地方が有りました。

 この、「あたし」や「あたい」の語源は、「吾」という言葉だろうと思います。記紀神話でも各所に用いられています。


ウ) 以上により、辰韓人の言葉が秦人に似ており、さらに日本語に似ていた可能性が、浮上します。


B 神武天皇の兄の稻飯命が、新羅の王になった。

  (日本書紀・神武天皇)
 『六月乙未朔丁巳、軍至名草邑、則誅名草戸畔者。戸畔、此云妬鼙。遂越狹野而到熊野~邑、且登天磐盾、仍引軍漸進。海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、時稻飯命乃歎曰「嗟乎、吾祖則天~、母則海~。如何厄我於陸、復厄我於海乎。」言訖、乃拔劒入海、化爲鋤持~。・・・

  「日本書紀」の記述では、
 神武天皇の東征の場面で、東大阪からの侵攻作戦が失敗して、和歌山から熊野に迂回する時に、神武天皇の兄の稻飯命が海に飛び込んで、鋤持~(サイモチノカミ)になりました。

  ところが、「姓氏録・右京・皇別」には、
 「新良貴」という豪族が有り、出自には、『彦波瀲武草葺不合尊男稲飯命之後也。是出於新良国。即為国主。稲飯命出於新羅国王者組合。』と見えます。

   (★ 「姓氏録」は、「皇別」・「神別」・「諸蕃」に大別されますが、「皇別」は天皇家の別れであり、最も厳格な視線に晒されますから、「新良貴氏」は、それに耐え抜いて名を留めたことに成ります)。

  つまり、ウガヤフキアエズの息子の稲飯命が新羅に行き、新羅の国主(王)になったと解されます。


 新羅の建国開始は、「三国志・辰韓伝」の記述以降であり、最低限、西晋の衰退期か滅亡期ですから、早くても300年前後の建国開始になり、完成が30−50年後と推測しますと、330−350年のころに成ります。

   (「晋書・辰韓伝」では、『武帝の太康元年(280年)に王が遣使した。2年にも遣使し、7年(286年)にも遣使した』と見えますが、この頃は都市国家の「斯盧」の時代であり、辰韓を統一した「新羅」の前段階と考えられます)。

 ここで、「神武東征」を、290−300年ころのニギハヤヒ天皇神武ではなく、340−360年ころの崇神天皇神武のことだと解釈しますと、つまり、(奈良の御間城に入った彦であるところの、日向から来たイニエの)崇神天皇神武のこととすると、年代的に、新羅の建国と一致します。

   (★ (ここで脱線しますが)、崇神天皇の「イニエ」とか、垂仁天皇の「イサチ」という名前ですが、「ニエ(贄)」・「サチ(幸)」は農耕族の名前ではなく、海人族が用いる言葉のように、思います)。


 また、ここで、初期の新羅の王族が、九州の日向から渡ったものだとすると、(日向は、アマテラス系列の海人族の根拠地であり、呉系倭人が主体ですから)、新羅も呉系倭人になります。

   初期の新羅は、呉系倭人が主体と云われますから、全く一致していると言えます。

 (余談になりますが)、
 380−400年ころの仲哀天皇・神功皇后(摂政)時代に、新羅が、北九州の呉系倭人を扇動して、大和王権に反旗を翻させ、結果、仲哀天皇・神功皇后の九州出陣になり、神功皇后の「三韓征伐」に発展しました。

  また、継体天皇時代の527年にも、筑紫の磐井が反乱を起こしました。これは、(新羅の南下・侵略による朝鮮の任那の窮地を救うために)、日本軍が大軍で朝鮮に渡ろうとしたが、新羅が、(大和王権に不満を持っていたところの)筑紫の磐井を抱きこんで行った妨害工作だったと、云われています。

  新羅と北九州は、同じ呉系倭人で結ばれていたように、思います。


C 古代の日本人は、任那を中心に、頻繁に朝鮮を往来していた。

 (日本書紀によると)、「倭の五王」の時代から、頻繁に朝鮮の任那を往来しており、日本から派遣された豪族たちが現地で死亡すると、各所に「前方後円墳」の古墳を建造して埋葬しました。(南朝鮮の古墳の建造は400年代後半から500年代の前半)。

 また、初期の新羅とは交流があり、百済とは滅亡までの緊密な交流が続きました。

  この中で、日本人が、百済や新羅や任那の人々と通訳を介して会話をした記録が有りませんので、言葉が通じた可能性が考えられます。

  また、任那が日本の属国状態であったことが、日本書紀に記されていますが、雄略天皇の段(即位七年の第二十五段参照)では「任那国司田狭臣」とあり、任那に国司を派遣して執政させています。


D 百済の王と日本の王は、兄弟だったという、真偽不明の話。

ア) 百済の建国は、謎に包まれており、分かりません。

 その中で、高句麗から分派したという建国神話の中の、一つについて、考えてみたいと思いますが、最初に「眉ツバもの」と断っておきます。

(「三国史記」百済本紀の物語の初めに)、

 天帝の子供の解慕漱(カイボソ)の一行が「天孫降臨」して、北扶餘(卒本扶餘)を建国した。解慕漱の子供の解夫婁(カイフル)が、東扶餘(迦葉原)に遷都した。子供が居なかったので、拾った子供の「金蛙」を後継者にした。
  金蛙王は、河伯(水神)の娘の柳花を娶って、解朱蒙を生んだ。金蛙王の息子の帯素らの7人が、優秀な解朱蒙に嫉妬して、暗殺しようと企んだ。暗殺を予知した柳花が、息子の解朱蒙を逃走させた。
  解朱蒙と少数の家来が、北扶餘(卒本扶餘)に逃れた。その王には娘は有ったが、息子が無いので、娘に入り婿して、後継者になった。
  王が死んで、解朱蒙が王になり、国名を高句麗と改め、解朱蒙を高朱蒙に改名した(別名に「東明王」とも呼ばれた)。
  解朱蒙(高朱蒙)が、子供の「沸流」と「温祚」の2人を生んだ。その後、解朱蒙が東扶餘(迦葉原)時代に生んだ子供の「瑠璃」が引っ越してきたので、瑠璃を後継者にした。
  瑠璃王が即位すると、暗殺を恐れた「沸流」と「温祚」の2人は、高句麗を脱出した。百済の地に到着して、弟の温祚が百済王になった。兄の沸流は海岸部の仁川に移動した。

 この説には異論が続出し、
   「沸流」と「温祚」の2人の父は、高朱蒙の子ではなく、東扶餘(迦葉原)時代の有力者の娘の「召西奴」の連れ子の説。

   百済の始祖王は、沸流であり、父は北扶餘(卒本扶餘)王の解慕漱の諸孫にあたる「優台」で、沸流の母親は北扶餘(卒本扶餘)王の娘の「召西奴」の説。

   中国の「北史」や」「隋書皆伝」では、百済の始祖王は、東明の後の扶余王の「尉仇台」とする。また『仇台は、初め帯方郡の故地に国を立て、後漢の遼東太守だった公孫度の娘を妻にして、東夷の強国になった』。
   仇台は、189年から遼東太守になった公孫度(190−204年の治世)の娘を得て強大になったが、後の魏の明帝が、238年に公孫度の孫の公孫淵を滅亡させ、帯方郡を魏の領土にしたため、(百済)は南方に移動した説。

   ★ また、高句麗の建国の年代と、百済の建国の年代が、全然合いません。

   ★ また、「三国史記」は、高麗の17代・仁宗の命令で、1143−1145年ころに完成しましたが、偽書説が強く、あまり信用されていないようです。


イ) 濊族から、日本の王族と、百済の王族が発生した、説。

 濊族から扶余や高句麗が分かれた説や、更に、扶余から別れて百済を建国した説が有ります。

 これとは別に、濊族が洛東江に侵入して「金官加羅」を建国した説が有りますが、この洛東江は、古代から日本と深い交流が有ったと云われています。

   (★ 金官加羅の遺跡の発掘調査により、倭人系ではなく、騎馬民族系が建国した(通説)。

  すると、濊族の一派が日本の王になり、別の一派が扶余族を経由して、百済の王になったとすると、日本と百済は、同じ先祖を持つことになりますが、どうなんでしょうか。


ウ) 百済初代王の「温祚」の兄の「沸流」が、日本に来た、説。

 (百済の建国開始を300年前後と仮定して、百済初代の王を「温祚」として)、兄の「沸流」が海に入って、日本に渡来した説が有ります。

  ソウル方面を船で南下して、対馬暖流に乗れば、九州の西部、あるいは北九州に到達するので、可能性は十分に有ります。

  ただ、問題は、300年の以前から大国主などの「出雲族」の王統が続き、ニギハヤヒ天皇神武の皇統に入り、崇神天皇神武の皇統に続いており、百済の「沸流」が入り込む余地が有りません(そのような記録が有りません)。

  したがって、「沸流」が来たとしても、歴史の闇に消えたのかも知れませんが、分かりません。


E 今の中国語について。

 今の中国語は、古代の中国語では有りません。漢字は古代のままですが、発音は全然異なります。北京語と広東語の違いを見ても、一目瞭然です。

 漢民族については、(西晋の滅亡は316年ですが)、異民族が、満州方面やモンゴル方面から押し寄せて、304年の「五胡十六国」時代からの3百年間の動乱で、漢民族の多くが死に絶え、生き延びた人々も南方に押しやられました。

   589年に、鮮卑族の隋が中国を統一し、続く唐も鮮卑族であり、漢民族では有りません。
 
 その後も、モンゴルから「蒙古族」が入って「元」を建国したり、満州方面から「女真族」が入って「清」を建国したりして、中国の歴史は動乱の歴史でありますから、正当な「漢語」などは失われてしまったと、思います。


 日本人は、国の成り立ちが「呉越系倭人」ですから、古代から「呉語」を使っており、漢字も使いましたから「漢音」や「呉音」の区別もはっきりしており、本来の「中国語」は、日本語に残されているのではないかと、思います。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/409.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の30)・「スサノオの来日」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「スサノオの来日」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 ただ、本当のところは分からないのですが、「記紀神話的想像力」を展開したいと思います。


A (お断り)、スサノオという人間は、居なかった。

 スサノオは、イザナギが生んだ「三貴子」の一人ですから、神の子であり高天原の神霊です。ですから、人間では有りません。幽霊です。従って、スサノオという人間は居ませんでした。

 まあ、居なかった者を論評しても仕方が無いのですが、承知の上で、取り組みたいと思います。

  そこで、スサノオの意識・幽霊が、物質的人間に憑依して、波乱万丈の人間活動を行うという、壮大な「お花畑」の物語です。


B (お断り)、スサノオの謎は、難しくて解けない。

 第1に、スサノオは、新羅に降臨しましたが、スサノオの時代は新羅ではなく、都市国家が群立する辰韓の時代、あるいは馬韓の支配を受けた時代であり、その足で直接日本に来たとは思えません。

  (ただ、新羅からリマン海流に乗って南下し、対馬暖流に乗れば、簡単に出雲に上陸できます)。

 第2に、スサノオは、母のイザナミの国に行きたいと言って、父のイザナギを困らせました。これを地上世界の話とすると、イザナミは出雲を根拠地にしていたと考えられますので、辻褄は合っています。

  (ただ、スサノオは、比較的早く「根の国」に旅立ちましたが、「根の国」が何処か分かりません)。

 第3に、スサノオの子供に、五十猛(イタケル)や大歳が居ましたが、彼らは、和歌山や奈良の歴史を考えると、(同じスサノオの子供の)大国主よりも古い神と思われ、年代が合わないように、感じられます。

  (古事記などでは、大国主を、(スサノオを初代として)7代目の子孫としているようですが、大国主はスサノオの娘のスセリ姫を娶っているので、年代的に矛盾が有ります)。

 第4に、スサノオは、アマテラスとの間に「八柱の御子神」を生みました。ニギハヤヒやニニギは、スサノオの孫に当たりますが、活躍の年代は300年ごろと想像します。
 そこから逆算すると、(孫のニギハヤヒが250−260年ごろに生まれたと仮定すれば)、スサノオは、200年ごろに生まれたと考えられます。

   (ところが、200−250年ごろに、スサノオが活躍できる場所が、朝鮮半島や北九州や出雲に有ったのか、という疑問が生じます)。

 第5に、スサノオは、特定個人を指したものかという疑問です。スサノオとは「荒(すさ)ぶ男」の総称を言っているのではないのか。多くの英雄たちの単なる総称名ではないのか、という疑問です。


 (新羅との関係、出雲との関係、アマテラスとの関係、邪馬台国の卑弥呼との関係、多くの子供たちとの関係などを総合的に考えますと、矛盾だらけで有り、結局、『Aの(お断り)、スサノオという人間は居なかった。』ということになりそうです。

  ただ、スサノオを、「洲砂の王」として、朝鮮半島から西日本に展開した海人族の大親分だったとすると、どうでしょうか)。


C スサノオの名前は、少し変だ。

 イザナギの「三貴子」とは、アマテラスであり、ツキヨミであり、スサノオを云います。アマテラスは天照であり、ツキヨミは月読(月弓・月夜見)ですが、両者の立派な名前に比べて、スサノオの名前がよく分かりません。

 記紀神話では、須佐之男・素佐之男・素戔嗚などと表記しますが、発音は「スサノオ」だと思います。


 そこで、このスサノオは何の意味かと考えますと、実は、よく分かりません。

    古事記に、『アマテラスは高天原を治めよ。ツキヨミは夜の国を治めよ。スサノオは海原を治めよ』と有るようです。
    日本書紀・第五段・本文に、『アマテラス・ツキヨミの2人は光り輝いていたので天上に上げた。スサノオは悪党だったので根の国に追放した』。
    日本書紀・第五段・一書一に、『アマテラス・ツキヨミの2人は天地を照らした。スサノオは残虐だったので根の国に追放した』。
    日本書紀・第五段・一書二に、『スサノオは泣きわめいて暴れ狂うので、根の国に追放した』。
    日本書紀・第五段・一書六の五に、『スサノオは泣いてばかりいたので、根の国に追放した』。

  以上の状況から、スサノオの意味を「地上世界の支配者」と解釈しますと、「裾(すそ)の男」、「洲砂の男」の表記が考えられます。
   また別に、「荒れ狂う男」と解釈しますと、「荒(すさ)ぶ男」になりそうです。

    (ちなみに、スサノオの娘の「スセリ姫」は癇癪持ちのヒステリーだったようで、「荒(すせ)り姫」という説が有ります)。

   (★ 古代人の名前は実名ではなく、イメージを基にした「ニックネーム」だと云われています。実名なんか親兄弟や目上の人くらいにしか教えません。古代の天皇の実名なんか誰も知りません。記紀神話の名前はウソの羅列です)。


D スサノオは北九州に来たという、話。

 スサノオは、北九州に来ました。その根拠は「宗像三女神」と「忍骨命」です。スサノオとアマテラスの間の娘の「宗像三女神」が、福岡県の宗像市に鎮座しています。

 また、スサノオとアマテラスの間の息子のオシホミミ(忍骨命)が、福岡県の遠賀川上流の田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社に「忍骨命」として鎮座しています。

 ちなみに、両者の息子のアメノホヒ(大国主)は、宗像を支配下に置くと共に、大国主として出雲も支配下に置き、西日本の経営に乗り出しました。

  (実は、アメノホヒは、高天原で生まれ育った神霊ですから、人間では有りません。幽霊です)。


E スサノオは出雲にも来たという、話。

 スサノオの出雲での「オロチ退治」は有名です。誰でも知っています。


ア) 実は、出雲国風土記に「オロチ退治」の話が載っていなかったという、謎。
   
 現存する「出雲国風土記」には、スサノオのオロチ退治の話が見当たりません。どう言うことでしょうか。古事記にも日本書紀にも長文で書かれている有名な物語です。

  ここで、出雲国風土記の編集責任者は出雲臣の広島(ひろしま)であり、先祖代々続いた出雲氏の子孫ですから、知らないとか聞いてなかったということは、考えられません。

 すると、オロチ退治の話が記載されていない理由は、『そんな伝承は無かった』か、『書けない理由があって省略した』の、どちらかだと思います。


 (★ 古事記を稗田阿礼に誦習させた大海人天皇は、大のアマテラス・ファンであり、大海人天皇のファミリーが、673年から770年までの凡そ百年間にわたって日本を支配しました。
 当時は律令政治の始まりであり、天皇親政の専制支配体制下に有りましたから『アマテラスこそ、神々の王であり、唯一絶対神』という世界だったと思います

  文句を言う者は、いじめられ、挙句には「焚書坑儒」にされたかも、知れません)。

  そして、スサノオの由緒地の出雲は、『まつろわぬ神、あらぶる神の古里』だったと思います。

   (出雲国造の任命に対しては、3回も上洛を命じています。1回目の上洛で国造の辞令交付と神賀詞の奏上。翌年の2回目の上洛で宝物の献上と神賀詞の奏上。その翌年の3回目の上洛で神賀詞の奏上。
 これは、「出雲族」に対するイジメであり、朝廷への徹底的な服属儀礼だと言われています)。


イ) 出雲には、スサノオの子供が沢山いたという、話。

 出雲国風土記では、スサノオの足跡と共に、スサノオの子供が何人も登場します。

  出雲国意宇郡大草郷に、須佐乎命の御子の青幡佐久佐丁壮命(アオハタサクサヒコ、アオハタサクサオトコ)
  出雲国島根郡山口郷に、須佐乎命の御子の都留支日子命(ツルギヒコ)
  出雲国島根郡方結郷に、須佐乎命の御子の国忍別命(クニオシワケ)
  出雲国秋鹿郡恵曇郷に、須佐乎命の御子の磐坂日子命(イワサカヒコ)
  出雲国秋鹿郡多太郷に、須佐乎命の御子の衝鉾等乎与留比古命(ツキホコトオヨルヒコ)
                     (別の伝本には、衝杵等乎而留比古命(ツキトオシルヒコ)
  出雲国神門郡八野郷に、須佐乎命の御子の八野若日女命(ヤノノワカヒメ)
  出雲国神門郡滑狭郷に、須佐乎命の御子の和加須世理比売命(ワカスセリヒメ) ★スセリ姫のこと

 分かっているだけで、これだけの子供が居ましたから、他に何人の子供が居たか分かりません。


ウ) 結局、スサノオについては、分からない。

 出雲国風土記には、スサノオのオロチ退治の話が無いのに、スサノオの子供が多く居たことが書かれています。ところが、スサノオの消息が書かれてないから、どうなったか分からない、ミステリーです。


F スサノオの子供たちの、話。

ア) スサノオの子供の五十猛(イタケル)が、出雲経由で、和歌山に鎮座した。

 日本書紀・神代上・第八段・一書の4、『スサノオが、高天原から、息子の五十猛(イタケル)を連れて、新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)に行った後で、出雲に辿り着いた。』

 先代旧事本紀、『スサノオが、高天原から、息子の五十猛を連れて、新羅国の曾尸茂梨(ソシモリ)に降臨したが、出雲と伯耆の間の「鳥髪の峯」に辿り着いた。』

 また、五十猛の和歌山入城について、先代旧事本紀に、『五十猛の別名を大屋彦。五十猛・大屋津姫・抓津姫の3人が紀伊の国に渡った。和歌山市伊太祁曽(いだきそ)の「伊太祁曽神社」の祭神』。

   (日本書紀・神代上・第八段一書4と5にも、3人が紀伊に渡ったと書かれて有ります)。

 これらにより、スサノオの息子の五十猛・娘の大屋津姫・抓津姫らが、出雲の「五十猛海岸」に上陸し、最終的に、和歌山市に鎮座したと思います。

  また、島根県五十猛町湊の「五十猛神社」の伝承、JR「にま(仁摩)駅」の東側にJR「いそたけ(五十猛)駅」の駅名が存在します。


イ) スサノオの子供の、大歳が奈良に居たという、話。

 スサノオと倭人の娘の「神大市姫」との間に大歳が生まれました。その大歳の子供には、

  (先代旧事本紀に、大歳に3人の妻が居て、1人目に、(出雲国出雲郡伊怒郷と考えられるところの)須沼比の神の娘の伊怒姫を娶って、大国御魂神・韓神・曽富理神・白日神・聖神の5人を生んだ。
    (★ この話は、出雲国風土記には、見えないようです)。

  2人目に、賀用姫を娶って、大香山戸神・御年の2人を生んだ。
  3人目に、天知迦流美豆姫を娶って、奥津彦・大山咋・その他、全部で9人を生んだ。


 このように、大歳は奈良に縁の深い神であり、息子の大山咋は京都の比叡山の神です。

 これらによると、大歳のファミリーは、奈良から比叡山の両側の大津市方面や京都市本面、さらに山陰方面にまで勢力を伸ばしていた大豪族のように感じられます。

  (ただ、大歳の子孫が絶滅状態なのは、後から入ってきた大国主のファミリーに蹴散らかされたのではないかと、想像します)。


ウ) 五十猛や大歳は、大国主よりも古い神だった。

 記紀神話では、大国主の「国譲り神話」の後で「天孫降臨」に繋がりますから、五十猛や大歳は大国主より以前の物語になります。
  (伝承が残されていないので、詳しいことは分かりません)。


G スサノオは、いつ来日したかの、考察。

ア) ニギハヤヒの奈良入城から、逆算してみる。

 ニギハヤヒは、オシホミミ(忍骨命)の子供であり、ニニギの兄ですが、同時にスサノオの孫でも有ります。そこから逆算してみます。

 ニギハヤヒの奈良入城と「ニギハヤヒ天皇神武」として即位した年代を290−300年ごろと考えてみます。(これは「崇神天皇神武」時代を340−360年ごろと考えての逆算になります。さらに神功皇后摂政時代を380−400年ころと考えての逆算になります)。

 ニギハヤヒが奈良に入城して数年後に崩御し、年齢が40−50歳と仮定すると、生まれたのは250年ごろになります。
 オシホミミが、20歳の時に長男のニギハヤヒを生んだとすれば、オシホミミが生まれたのは230年ごろが導かれます。
 スサノオが、20−30歳の時にオシホミミを生んだとすれば、スサノオが生まれたのは200−210年ごろが導かれます。

 そうしますと、スサノオの来日は220−250年ごろということに成りそうです。


イ) 邪馬台国の卑弥呼との関係の、考察。

 卑弥呼をアマテラスに、卑弥呼の弟をスサノオに当てる説が有ります。「後漢書」の恒霊の間(147−189年)の倭国大乱の後で卑弥呼が擁立されて、卑弥呼が248年ごろに死亡したと考えますと、スサノオが当てはまりそうです。

  (ところが、この説の難点は、卑弥呼は生涯の独身で子供が居なかったが、アマテラスには子供がいた点です。それと、スサノオが朝鮮半島の新羅に降臨したことです)。


ウ) スサノオが濊族だった場合の、考察。

 朝鮮半島の濊族の移動は、魏の後継王朝である「西晋」の勢力の衰え以降ですから、2百年代の晩期と思います。

 すると、スサノオの来日は、早くても、邪馬台国の台与の266年の朝貢より以降だと思います。

   (その根拠は、266年以前に、邪馬台国や北九州に動乱や異変の記録が無いためです。記録が無いのは何も無かったということです)。

 ところが、スサノオが200−210年ごろに生まれたとすると、(2百年代の晩期では)50代60代になっており、息子の大国主の時代に重なり、違和感を覚えます。


エ) スサノオが弁韓諸国の倭人だった場合の、考察。

 スサノオが、朝鮮半島の南岸東部の倭人だった場合には、日本への交流は十分可能だったと思います。

 ただ、この場合には、北九州から朝鮮半島南岸東部までの制海権は邪馬台国の卑弥呼が掌握していたと思いますので、スサノオの壮大な武勇伝・英雄伝のイメージが湧いてきません。


オ) スサノオが朝鮮半島から西日本を支配した海人族だった場合の、考察。

 スサノオが、海人族の大親分だったなら、いつでも何回でも、日本には往来できますし、子供たちが出雲や奈良や和歌山などに拠点を築いたり、入植することも可能です。

  (この難点は、スサノオの新羅降臨説です。新羅と海人族では、イメージが合いません)。


 ★注) 珠洲市のスズとか、事代主の母親の美保須々美命のススとか、渚洲村(スズ)の「スス」などには、海岸の突き出た場所を指す意味が含まれているようです。すると、「スサノオ」は「ススノオ」であり、「突き出た海岸の男」や、「目立つ海岸の男」の意味を含んでいるのかも、知れません。

  また、日本語の基幹は「呉越語」ですが、呉越以前には、東南アジア・ポリネシア方面の諸語が浸透しており、呉越語で解けない日本古語が有るように、思います。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/413.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の31)・「アマテラスは、どこに居たか」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「アマテラスは、どこに居たか」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 アマテラスが、どこに居たのかは、アマテラス・ファン以外にも、日本人なら興味の有る問題なので、「お花畑的」な推理をしてみたいと、思います。


A 実は、アマテラスなんか、居なかった。

 アマテラスは神霊であり、神の意識が降下したものですから、物質的な肉体を持ちません。もちろん、何者かに憑依することは可能ですが、「お告げ」だけの場合も有ります。

 では、なぜ、アマテラスの記述が有るのかについては、古代人は神々との交流があり、その中で、神々の伝承が行われましたし、そもそも、人間とは、神の意識が降臨して、物質的な人間活動を行う存在を云います。(人間の精神は神です)。


(ギリシア神話の例え話)

 ギリシア神話には、次のような話が有るそうです。

  初めに、黄金の時代が有りました。カオス(混沌)から宇宙が生まれて神々が生まれて人間が生まれた。クロノスとレアが世界を支配して、人間は神々を敬い幸せに生きて安らかに死んでいった。
  次に、銀の時代に続きました。クロノスからゼウスが支配権を奪い、人間は神を敬わずに傲慢になり、神々は人間に嫌気がさして天上に帰ったので、ゼウスは怒って人間を土に埋めて滅ぼした。
  さらに、青銅の時代に成りました。人間は盗み騙し殺し合いを続けたので、ゼウスは怒って再び人間を洪水で滅ぼした。
  最後に、鉄の時代を迎えました。人間は益々嫉妬深く強欲になり凶暴になり現代に続きます。

 このように、ギリシア神話では、神々が地上に降臨して、人間と親しく交流したことが書かれています。ただ、人間は神の意識が宿って「ミコト」になったという思想は無いように、思います。

  (これは、西洋が「唯物論」主体の考え方をし、東洋が「唯心論」主体の考え方をするために、相容れなかったのかも知れませんが、全ては神の計画のままに動いていると、思います)。


(科学的な考え方)

 たとえば、私たちの世界を「VRゲーム」の世界と考えると、私たちの世界が一つの次元であり、別に「高天原の神々の次元」が有り、相互に連携しています。

  それはまた、地球の表面側が人間世界であり「物質世界」であり、地球の内面側が神霊世界であり「精神世界」であり、地底の世界(アルザル・シャンバラ・地底王国)であるが、別次元なので、地球をボーリングしても何も出てこない。

  (別の表現をすれば、パソコンの主画面が私たちの世界であり、リンクで連結された別画面が「高天原の神々の世界」であり、連動はしているが、お互いに見ることは出来ないし、交流も出来ない。

 ★ いずれにしても、未来科学で構築された「VRゲーム」であり、虚構です。この世の一切をVRゲームだと考えれば、全ての疑問・矛盾が氷解します。

 (それは、1万年前の古代人にパソコンやスマホが理解できないように、私たちも、千年後のVRゲームは理解できないと、思います)。


B (話を戻して)、アマテラスは、どこに居たか。

 アマテラスが居た場所は、朝鮮半島と北九州の2箇所が考えられます。


ア) 朝鮮の場合には、ソウル方面の馬韓と、洛東江の河口部の狗邪韓国の可能性。

 スサノオは、記紀神話に有るように、新羅に降臨しました。考えられる可能性は「濊族」です。

 一つ目には、濊族が高句麗に押されて、太白山脈を越えて西側の馬韓に侵入し、最終的に狗邪韓国を滅ぼして「金官加羅」を建国したと考えられます。

 二つ目には、濊族が高句麗に押されて、南下して、狗邪韓国を滅ぼして「金官加羅」を建国した可能性です。

 そうしますと、(スサノオに侵入されて乱暴されたところの)アマテラスは、馬韓か、狗邪韓国に居たことが推測されます。


(「魏志韓伝・馬韓」と、アマテラス(巫女)の一致性について)

  『・・・以五月下種訖祭鬼神 群聚歌舞飲酒晝夜無休・・・』
  (五月に種まきが終わると鬼神を祭る。群衆は歌って舞い、酒を飲み、昼夜休まない。・・・)。

  『・・・信鬼神 國邑各立一人主祭天神 名之天君 ・・・』  
  (鬼神を信じ、国の村では、各々一人を立てて天神を祭らせる。これを天君と名付ける。・・・)。

 邪馬台国の卑弥呼の時代の馬韓では、鬼神というか道教というか天神を祭る風習が有りましたので、巫女が居たと思われますから、アマテラス(巫女)が居たとしても、不思議では有りません。


 ★ スサノオが降臨した新羅が、(後に新羅に併合されたところの)任那だった場合には、濊族の説は取り下げです。


イ) 日本の場合には、北九州の遠賀川方面と、博多−大宰府−甘木ラインの可能性。

 遠賀川方面には、アマテラスの子供のオシホミミ(遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の「忍骨命」)や、(遠賀川流域に足跡を残す「物部25部」を引き連れて東遷したオシホミミの子供の)ニギハヤヒや、宗像三神を娶ったアメノホヒ(大国主)の足跡が残されています。

 もう一つの博多−大宰府−甘木ラインの可能性は、邪馬台国の卑弥呼が考えられます。

 日本書紀では、アマテラスを「大日孁貴」と記述している箇所が有りますから、これを巫女と解釈しますと、卑弥呼との類似性が考えられます。

   (「日本書紀」の神代上・第五段本文、第五段一書一、など参照)。

 ただ、卑弥呼とアマテラスの違いは、卑弥呼は生涯の独身で子供が居なかったが、アマテラスはスサノオとの間に八柱の御子神を産んでいる点です。


C アマテラスの墓所は、分からない。

 アマテラスは、北九州に居たと思われますが、どこに葬られたかは不明です。


 ★ 「神名帳」の式内社の筑前・筑後には、海人族の神ばかりで、アマテラスを祀る神社が分かりません。それどころか、鹿児島県にしかアマテラスを祀る「式内社」を見つけられません。


D アマテラスは、「海(あま)照らす」であり、海人・海女・海士・海部の人々に人気が有りました。

 ちなみに、(別の考え方として)伊勢とは「磯」のことであり、海人族が支配した土地柄のように思います。
  (古代の伊勢・志摩・紀伊・尾張方面は、歴史的に、海人族の支配地だったように、思います)。

 反対に、出雲族のような陸人族は、アマテラスを信奉せずに、スサノオや土着神を信奉していたように、思います。


E アマテラスが、奈良に来たのは、いつか。

 元々、古代の奈良には、土着した倭人系の神が居たと思います。

 その後は、スサノオの系統が入り込み、初めに「大歳」の系統が入植し、その後は、アシスキタカヒコネ、事代主(実はニギハヤヒの神霊)などの大国主の系統に「上書き」されたと、思います。

 その後の290−300年ごろの、ニギハヤヒ天皇神武から始まる「欠史八代」は、中央の大和湖(湿地帯)の東側の三輪山に「大和大国魂神(たぶん大国主)を祀っていたと思います。

 (ニギハヤヒの子供・孫らの)「欠史八代」による皇位争奪戦や、「夜這い合戦」などの乱脈経営を行っていましたが、(3百年代の末期に高句麗が半島を統一すると、日本への侵攻が予想されていたが、今の日本の統一の状況を考えると、『こりゃー、アカンわ』ということになって)、神々が集いに集い、諮りに諮り、急遽、九州の日向から「崇神天皇神武」こと海人族のイニエに上洛を命じたと、思います。

 340−350年ごろに、奈良を平定したイニエと、(子供か兄弟か不明の)垂仁天皇イサチの王朝に交替し、鹿児島の海人族も入ってきて、ここで初めてアマテラスが奈良に持ち込まれたと、思います。

 このため、三輪山の大和大国魂神(たぶん大国主)とアマテラスが、(ある意味において母親のアマテラスと息子のアメノホヒの親子が)、毎日のように喧嘩して、うるさくてたまらなくなり、頭にきた崇神天皇イニエは、最終的に、アマテラスを伊勢に引っ越しさせたと、想像します。

 ★ 崇神天皇神武は、ニギハヤヒ天皇神武と同じく、短命政権であり、(息子か兄弟かは分かりませんが)垂仁天皇イサチは長期政権だったかも知れません。
  (垂仁天皇即位25年の一書(第十六段参照のこと)。あくまでも推測。
  『一云、天皇、・・・然先皇御間城天皇、・・・故其天皇短命也。・・・今汝御孫尊・・・則汝尊壽命延長・・・』)。


F アマテラスは、地方神だった。

 古代のアマテラスは、九州の地方神で、その出発は北九州であり、ニニギの「逃避行」で鹿児島方面に持ち込まれたと思います。

   (ただ、「塩土の老翁」(潮津霊の大霊)や、「筒の男」(塩・筒の男・ぢ)などの、(あるいは吾田津見、渡津見かも)の海人族の権勢が強くて、アマテラスにとっての居心地は悪かったと思います)。

 崇神天皇イニエ・垂仁天皇イサチが、奈良にアマテラスを持ち込み、大海人天皇が「アマテラス一神教」を広宣流布して全国に広め、その後は、全国に分祀されたと思います。

 (ただし、東北地方などは「蝦夷」の産地でしたから、アマテラスよりもイザナミを祭る神社に愛着を持ったと思いますし、熊本などは「熊襲」の産地ですからアマテラスは嫌われたと思いますし、出雲もスサノオを愛したと思います)。


G アマテラス・メモ。

 アマテラスが、太陽神というのは、「天の岩戸隠れ」の1件しかない。

 アマテラスの機織りは、本来、月神の特徴を現す。(諸外国でも機織りは月神のしぐさ)。

 鏡は、月のシンボルで、万葉集には、日を表した歌が一首も無い。『鏡なす、見れども飽かず望月の・・・』、『まそ鏡、照るべき月を白たへの・・・』

 イザナギが、白銅鏡からアマテラスと月弓尊を生んだ。
 
 「天照る」とは、万葉集では、月を表現している。『ひさかたの、天照る月は・・・』、『ひさかたの、天光(て)る月の・・・』。

 海人族は、本来、月神を信仰する。伊勢には月神を祭る神社が密集する。


 歴代の天皇は、古代には一度も伊勢を参拝しないし、皇太神宮には参らない。持統天皇・聖武天皇は伊勢に行幸したが神宮そのものには参拝しなかった。

 645年の「大化の改新」以前には、宮中でアマテラスを祀った形跡が無い。崇神紀に一度、天神・地祇を祀ったとされるが、直ぐに外に出た。

 アマテラスを崇拝したのは、天武天皇が始まり。このとき皇太神宮は無かった。(天武天皇は摂津の海人族に養育された)。

 宮中の「八神殿の神」に、アマテラスが含まれて居ない。(第1順位に「カミムスビ」、8位には事代主という謎)。


★ アマテラスとは、通常の神よりも高位の神で、イザナギの分霊であり、さらには、天上世界の主宰神のタカミムスヒの分霊でも有りまして、人間世界に留まるような神格では無い(つまり降臨しないし、人間としての物質化もしない)と思いますが、どうでしょうか。


 まあ、私の言っていることは、無茶苦茶ですが、『記紀神話のことであり、お花畑ですから』。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/416.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の32)・「出雲風土記は、ウソだった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「出雲風土記は、ウソだった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 ただ、本当のところは分からないのですが、「記紀神話的想像力」で、「お花畑的な過激論」を展開したいと思います。


A 風土記の提出命令から、20年後に提出されたという、馬鹿げた話。

 現存している「出雲国風土記」は、何種類かが「写本」として、残されています。

 その「解文(げもん・げぶみ)」(いわゆる風土記のこと)の巻末には、『天平五年(733年)・・・国造意宇郡大領・・・出雲臣広島』と有ります。

 この「奥付」により、作成されたのは天平5年(733年)と分かりますが、風土記の提出命令は和銅6年(713年)ですから、命令の20年後の提出になります。

 そんな馬鹿なことは有りません。他の風土記は2−3年後には大半が提出されています。出雲だけが20年かかったということは考えられません。

 これにより、多くの学者・研究家が「偽書説」を支持しています。

  (ただし、虚偽・偽造文書という意味ではなく、初撰本では無いという意味での「偽書説」です)。


B 国司名義での「解文(げもん・げぶみ)」(報告書)では無かった、という馬鹿な話。

 風土記の提出命令は、和銅6年(713年)に、全国の国司に対して行われました。

 該当年の出雲国司には、和銅元年(708年)以降には忌部首子首が有り、霊亀2年(716年)以降には舟連秦勝が任命されています。
  前者は「帝紀」などの筆録者ですし、後者は因幡国司を務めた有能者ですから、風土記の撰上に怠慢が有ったとは、思えません。

 そうしますと、『出雲国造の出雲臣広島の名前で、解文が作成されているのは、おかしいではないか。なぜ、国司の名義で報告されていないのか』という、疑問の声が上がります。


C 「解文」の内容構成が、おかしいのと違うか、という疑問の声。

 当初の命令書には、(「続日本紀」和銅六年五月の条によれば)、『その国内の地下鉱物資源・物産・動植物・薬草などを報告せよ。山川などの地理を報告せよ。古老が伝える神話・伝承などを報告せよ。』というような漠然とした命令でした。

 ですから、各国の国司たちは大混乱して、報告書の形式が分からず、(命令した朝廷自身にも分からず)、国司たちは、「国見」的な報告書を各自バラバラな形式で提出したと云われています。
  (その意味において、奈良朝廷の「第一次風土記」の撰上計画は失敗と云われています)。

 ところが、現存する天平5年(733年)作成の「出雲国風土記」は、官道・駅家(うまや)・軍団・烽(とぶひ)・戍(まもり)などが詳しく理路整然と載せられており、和銅の官命の期待した以上の内容になっています。
  (他の国の「和銅の風土記」と比べても、明らかに、おかしい。上出来すぎる)。

 したがって、現存する出雲国風土記は、和銅の官命で作成されたものではなく、後年に再撰された「天平の風土記」だとの疑問が、学者・研究家から寄せられています。


D 有名な「スサノオのオロチ退治」の話が無かったという、ミステリー。

 記紀神話で有名な「スサノオのオロチ退治」の話が載っていません。不思議です。

 ★ ただ、この話は、作り話のウソか、神霊界の出来事であり、人間世界の話では有りません。

 「ヤマタのオロチ」とは、出雲の大河の斐伊川の支流が8つくらい有るさまを「八股」と表し、「オロチ」とは川が暴れ濁る様を表したものです。
 「毎年に越の国から来る」とは、山師・タタラ師が、稲作の終了した冬場に、砂鉄の採掘のために活動し、川の水で砂鉄を洗う様を表したものです。
  (出雲の百姓は百姓専業ですから、採鉄やタタラ製鉄にはタッチしません。家業が異なります)。
 「八人の娘」、「八俣のオロチ」、「八つの尻尾」、「八つの門」、「八つの酒の瓶」、何でも八つです。
 「奇・稲田・姫」とは、稲作の神霊を表したものです。

 以上は、一般的な解説のようですが、『古代の爺婆が、可愛い孫に語った「お伽話」』のように感じられます。砂鉄の採取や「タタラ製鉄」が行われて以降の物語で、飛鳥時代以降だと思います。

 また、スサノオの時代には、国産の製鉄は行われていません。スサノオの「草薙の剣」はウソです。
  (出雲での製鉄遺跡は古墳時代より以降のものです)。
 また、日本全国の古墳などから出土する鉄製品は、工学的分析により、ほとんど全部が「弁辰の鉄」です。鍛冶場の跡から見つかる鉄も同じです。


E 「国引き神話」も、ウソだった。

 出雲国風土記・意宇郡の条に、八束水臣津野命(ヤツカミヅオミヅノノ・ミコト)が、島根半島を作りました。西側は朝鮮半島から引っ張り、中央は隠岐島から引っ張り、東側は越の国から引っ張ってきました。

 これは、作り話です。古代の爺婆が、可愛い孫に語った「お伽話」だと、思います。

 そして、神様の名前が変です。八束水臣津野命に「臣」の当て字が有りますが、神様の名前に「臣」は不適当な当て字で、失礼です。

   「ヤツカミヅオミヅノノ・ミコト」は、「八掴みつ・御満つのの・命」とか、「八束満つ・於満つ野の・命」のほうが、イメージが湧きます。

   (また別に、スサノオ系図で、大国主の祖父に「淤美豆奴(オミズヌ)」が見えますので、『八束水臣津野命とは、淤美豆奴のことだ』との説も有るようですが、どうでしょうか)。

 国引き神話の意味するところは、出雲の、人の交流を表わしており、朝鮮半島の新羅方面から人々が入って来ました。北にある隠岐島は、良質の黒曜石が取れましたので、出雲方面に売りに来ました。東の越の国とは、対馬暖流を介して、古代からの交流が有りました。

 また、国引き神話の島根半島は、古代には、独立した大きな島になっていました。


(古代の島根半島の地形について)

 古代には、島根半島は、本土から完全に独立した島で、「島根島」でした。

 今の島根半島の東側は、鳥取県米子市から延びる「弓ヶ浜」が、境港市まで延びて、地続きになっていますが、古代には、「夜見島」という完全な島になっていました。(出雲の古地図参照)。

 島根半島の西側の付け根の出雲大社の方面は、全体的に低湿地帯でした。古代の斐伊川の下流は西に折れて、日本海に直接流れており、後世に、下流部を東に折れて宍道湖に流れるように、瀬がえを行いました。

  (ですから、太古の斐伊川の下流部は、(斐伊川の土砂で埋め立てられる以前には)、宍道湖が日本海に繋がっていました)。

 このように、出雲の本土の目の前に、「島根島」が本土と平行に広がっていたので、古代人が『神様が、岩山を各地から引っ張ってきて、島根島を造った』と思っても、不思議ではないと思います。

 そのような背景から、「国引き神話」が生まれたのではないかと、思います。


F 大海人天皇のファミリーによる、「アマテラス一神教」の圧制と恐怖政治について。

 大海人天皇は、アマテラスを奉じて、672年の「壬申の乱」で大友天皇を害し奉り、日本全土に「アマテラス一神教」を布教しました。


★ まあ、663年の「白村江」以降の極東情勢は、中国の「唐」が、新羅を、『こう兎死して走狗烹らる』(こうと、しして、そうく、にらる)の例えのとおり、「鉄砲玉の使い捨て」で使って、百済と高句麗を滅ぼしたら新羅も滅ぼそうと企んでおり、帰りの駄賃ついでに日本も滅ぼそうと考えていた。
 (その意味において、日本は「絶体絶命」のピンチに陥っていた)。

  ところが、運良く、神の思し召しか知りませんが、新羅が、唐に叛旗を翻した。
  (新羅も、百済と高句麗が滅亡した後には、自分たちが唐に滅ぼされることが分かっていたから、決死の覚悟で、唐に戦争を挑んだと思います)。

 そんな訳で、日本も存亡の危機に立たされた。そんな時代が大海人天皇即位の前夜だった。

 ですから、「海千、山千」で老練な大海人天皇の智謀と指導力が有ったからこそ、日本は唐に飲み込まれなかったことも事実であり、若年で大豪族の傀儡の大友天皇が政権を執っていたら、日本はどうなったか分からない。

 ★ アマテラスなどの神々は、日本の存続を第一に考えて、大友天皇を見捨てて、大海人天皇の決起を促したのかも知れません。


 (ところで)、日本の政治や宗教は、「奈良仏教」の隆盛とともに、神道ではアマテラス信仰の全盛時代になり、スサノオの地盤低下を招き、「出雲族」は肩身の狭い思いをしました。

  そんな時代が、673年の大海人天皇の即位から、770年の光仁天皇の即位までの、凡そ百年間にわたって続きました。

  政治については、「持統天皇の専制体制」や、「大津皇子の事件「や、「長屋王の事件」など多くが有りましたが、省略します。


G 大海人天皇の「古事記」による、圧迫感。

 和銅6年(713年)の「風土記の提出命令」の前年の和銅5年(712年)に、大海人天皇の遺作の「古事記」が撰上されて、公表されました。

 これによって、日本神話の根幹が決定され、養老4年(720年)の「日本書紀」の撰上にも、大きな影響を与えました。

  (つまり、古事記の内容に矛盾する記述は「悪」であり、大海人天皇の見解を否定し、侮辱・冒涜することに繋がり、役人たちは、矛盾する記載に躊躇しました。

   古事記を撰上した太安万侶や、最高責任者の藤原不比等らが目を光らせていました)。


 それは、当然、風土記の撰上にも影響を与え、国司たちは、古事記を横目で睨みながら、領内の神話や故事・伝承を創作しなければなりませんでした。
 ときには、古事記の内容に合わせて、伝承を修正し、時には削除したと思います。


H 出雲国風土記は、書き直しを命じられた、可能性。(想像)。

 ア) 出雲国風土記・出雲郡・美談(ミタミ)郷の条に、『天の下を造らしし大神の御子の和加布都努志命(ワカフツヌシ)、・・・』と見えます。

 「ワカフツヌシ」とは、若経津主神のことであり、アマテラスの使者として、大国主に「国譲り」を命じた経津主神と考えられますが、その神が、大国主の御子とは、どういうことでしょうか。

 大国主の子供が、父親の大国主に、国譲りを強要するというのでは、記紀神話の内容に合致しないと思います。記紀神話の観点から見ると、アウトではないでしょうか。


イ) 出雲国風土記・神門郡・滑狭(ナメサ)郷の条に、『須佐乎命の御子の和加須世理比売命(ワカスセリヒメ)・・・』と見えます。

 「ワカスセリヒメ」とは、スセリヒメのことですが、なぜ「ワカ・スセリヒメ」として、「若」の文字を入れる必要が有ったのでしょうか。

  (「古事記」では、スセリ姫は、スサノオと共に「根の国」にいて、その後、地上に現われました)。


ウ) 上記の2例を見ても、出雲国風土記は、記紀神話に比較して「違和感」を覚えますが、最初に撰上された「和銅の風土記」が有ったとすれば、どれほど多くの記述が、記紀神話に矛盾していたか分かりません。

 古事記の内容に矛盾する記述は、すなわち、大海人天皇への侮辱と捉えられても仕方が有りませんが、そんな風土記を奈良の朝廷に送ってきたとするなら、それは、朝廷への反逆であり抵抗だったかも、知れません。


I 出雲国造の出雲臣の、ジレンマ。(想像)。

 出雲国造の出雲臣は、先祖代々から出雲を支配する豪族であり、スサノオの御子の大国主(アメノホヒ)の子孫の伝承を持っており、しかも、神を祭祀する神官の家系でした。

 当然、出雲の神話の真実を知っていましたが、大海人天皇の「古事記」が重く圧し掛かりました。

 古事記に矛盾する真実は、書きたいが書けない。強いジレンマに襲われたと、思います。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/419.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の33)・「奈良県は、荒らぶる大地だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「奈良県は、荒らぶる大地だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 古代の奈良県は、信じられないような地震や造山活動が行われた、ダイナミックな大地でした。

 まさに、『信じられない』の一言ですが、「国引き」の行われた出雲でさえも、恥ずかしくなって逃げ出すような、オカルトの聖地でした。


 今回の投稿記事は、「お花畑」の最高傑作と言っても、過言では有りません。必ずや『信じられない』、『有り得ない』と思われることでしょう。


A 奈良盆地は、大和湖で、汽水湖だった。


ア) 舒明天皇の、信じられないような、オカルトな「歌」の、謎。

 舒明(じょめい)天皇は、推古天皇や聖徳太子の後に登場する天皇(629年即位−641年崩御)ですが、おかしな歌を詠みました。

  『国見をすれば、国原は、煙立ち立つ、海原は、鴎立ち立つ、うまし国ぞ、あきつしま大和の国は』。

  (歌の意)、『天の香具山から眺望すると、平野部には家々から煙が立ち昇り、海原にはカモメが飛び交う、素晴らしい国だ、あきつしま(蜻蛉島)の大和の国は』。(と言うような意味らしいです)。

 この歌は、奈良盆地の橿原市にある標高152mの天香久山から、カモメが飛び交う海原が見えると云うのですが、今の大阪湾まで直線で30km以上離れています。しかも、金剛山・二上山・信貴山・生駒山などに遮られています。

   天香久山から大阪湾の海原が見えるなどは、有り得ません。不可能です。

 仮に、歌が本当なら、奈良盆地の当時は海(汽水湖)だったことになりますが、どうでしょうか。

 (注) 万葉集・巻一の二、『やまとには、むらやまあれど、とりよろふ、あまのかぐやま、のぼりたち、くにみをすれば、くにはらは、けぶりたちたつ、うなはらは、かまめたちたつ、うましくにぞ、あきづしま、やまとのくには』。


イ) 小野妹子が、三輪山の麓に、船で帰国して上陸したという、謎。

 日本書紀の推古天皇の十六年(608年)の条に、遣隋使の小野妹子が帰国したが、船で大阪湾に入り、奈良県の三輪山の麓にあった「海石榴市(つばのいち)に、船で上陸しました。

 ところが、今の奈良盆地の標高は、中央部の田原本町とか川西町とかが40mくらい有りますから、大和川の落差は大きく、船で河を遡上したとは思えません。歩いて海石榴市に行くほうが、合理的です。考えられません。

 では、海石榴市に船で上陸したというのが、事実なら、奈良盆地の当時は、大阪湾と落差の小さい海だったことに成りますが、どうでしょうか。


ウ) 奈良県の海にちなむ地名の、謎。

 奈良盆地の各地に、海にちなむ地名が残されています。不思議です。

 忍海(おしみ)−−近鉄「御所駅」のすぐ北側。
 保津−−近鉄「田原本駅」の北側。
 結崎−−川西町役場の東側、近鉄「結崎駅」あたり。
 磯城郡−−川西町・三宅町・田原本町あたり。
 船宿−−御所市の高鴨神社の東側あたりか。
 海石榴市(つばのいち)−−三輪山の麓の桜井市金屋あたりが比定地。


エ) 「大和湖」は、ポピュラーです。

 グーグルで、「大和湖」で検索すると、無数にヒットします。

 同じように、大阪の「河内湖」でも、無数にヒットします。


B 奈良は、盆地全体が、隆起した。

 今の奈良盆地中央部の田原本町とか川西町とかの標高が40mくらい有りますが、不思議です。


ア) 古代の遺跡は、50−60メートル以上にしか存在しない、不思議。

 縄文時代とか弥生時代の遺跡が、奈良盆地で発見されますが、標高50−60m以上からであり、それより低い場所からは発見されません。

 つまり、大和湖全体が、隆起したという事ですが、どうでしょうか。

  (★もしも、大和湖が、土砂で埋まったと言うのなら、地中の低い場所から古代遺跡が発見されるはずですが、発見されないと云うことは、大和湖全体が隆起したという根拠になりそうです)。


イ) 奈良市西部の「あやめ池」の地域で、地下の地層から、海洋生物の化石が見つかっています。

 これによって、奈良市の西部は、古代には、海水の海だったことが証明されます。


C 「山の辺の道」は、当初は、湖岸道路だった。

 奈良県の観光コースに「山の辺の道」のハイキングが有ります。JR天理駅からJR三輪駅までのコースが有名です。


ア)  「山の辺の道」は、標高50メートルとか60メートルの高台を通っているそうです。不思議です。

  一般論として、大和湖に湖岸道路を作るなら、湖水面の1m−2m程度に道を作るはずです。なぜ、高台に道を作ったのか。

  しかも、「山の辺の道」は曲がり道クネクネで、直線道路では有りません。そんな馬鹿な話は有りません。道は真っ直ぐに作るものです。

 では、なぜ、高台にあり、曲がりくねっているのか。それは、「山の辺の道」全体が隆起したからです。しかも、湖面よりも20メートルくらい高く隆起したのです。

   (大和湖(奈良盆地)の中央の田原本町とか川西町とかが40mくらい隆起したと言うのなら、「山の辺の道」は60−70メートルくらい隆起したことになります)。


イ) 「山の辺の道」は、奈良盆地東縁断層帯の上に有ったという、不幸な話。

 地震の断層帯が、奈良県に有り、北部の西側には「生駒断層帯」が南北方向に走り、北部の東側には「奈良盆地東縁断層帯」が三輪山辺りを基点にして天理−奈良市の春日山方面を通って、京都市の山科盆地へ抜けています。

 要するに、「奈良盆地東縁断層帯」が隆起したために、その上に有った「山の辺の道」も全体的に隆起しましたが、隆起の過程で、直線の湖岸道路だったものが、曲がり道クネクネになってしまったと云われています。

  では、なぜ、湖岸に比べて20メートルくらい高く隆起したのかは、「奈良盆地東縁断層帯」が、縦方向に隆起する性質を持っていたからです。

  (食パンで例えると、東西に置いた食パンに、南北方向に縦の切れ目を入れて、中の1枚を引っ張り上げると、表面の「湖岸道路」も持ち上がり、「山の辺の道」に変身するというマジックです)。

 ちなみに、「山の辺の道」だけではなく、景行天皇陵や崇神天皇陵なども、一緒に、全体的に持ち上がったと云われていますが、信じられない話です。

  (★ 「奈良盆地東縁断層帯」が南北の縦方向に隆起する性質を持っているのは、奈良県の地質研究家は誰でも知っている、常識だそうです)。


D 古代の地震の記録。

 日本書紀の、允恭天皇即位五年の条に、日本最古の地震の記録が有ります。遠飛鳥宮(奈良県明日香村)の地震ですが、記録に残されたということは、それほどの大地震だったからだと、思います。

 その後は、推古天皇七年(599年)の条に、大地震の記録が有ります。

 その後は、天武天皇十三年(684年)十月の条に、史上有名な「白鳳地震」(東海地震・南海地震の連動型)が発生しています。

 その後の大地震の記録では、
   701年、丹波の大地震。
   715年、東海大地震。
   734年、「天平地震」(畿内七道地震)。生駒断層直下型。死者多数。
   745年、岐阜県の美濃方面の大地震。
   762年、美濃・飛騨・信濃の大地震。糸魚川・静岡構造線。
   818年、北関東大地震。死者多数。

 (記録が残された)奈良時代は、全国的に巨大地震が多発しているようです。


E 二上山方面は、有名な「地滑り」多発地区だった。

 奈良盆地の西の端の大阪との国境に二上山が有ります。その北側に「明神山」が有り、大和川に面した「亀の瀬」が有りますが、昭和7年(1932年)には、大規模な地滑りを起こして、上流部に浸水被害をもたらし、「亀の瀬の地滑り」として、新聞にも取り上げられました。

 原因は、北側の生駒山が南の大和川の地下に沈み込むと同時に、大和川の川底が隆起し、川の南側方面を押し上げることにより、隆起した部分が崩落するためだ、と云われています。


F 「奈良坂」も「奈良山」も無く、昔は、平地だった。

 古代の話ですが、奈良市北部に丘陵地帯は無く、平地でした。そして、伊賀上野方面から流れる木津川は大和湖に流れ込んでいました。

 それだけではなく、京都市本面の「桂川」も「鴨川」も「宇治川も」、全部、八幡市の男山の北側あたりから南に折れて、木津川に合流して、大和湖に流れていたそうです。

 さらには、琵琶湖も、滋賀県の信楽方面に有り、移動を繰り返して、今の琵琶湖になりました。


G 天皇が、奈良を逃げ出した(可能性)。

 奈良での最古の地震の記録は、(Dのとおり)、4百年代の前期の允恭天皇即位五年に、日本最古の地震の記録が有りますが、これが奈良での地震の最初とは、思えません。

 景行天皇が、奈良県桜井市の纏向宮から、滋賀県大津市の志賀高穴穂宮に移動していますが、子供の成務天皇も同じ志賀高穴穂宮に居ました。
  奈良を離れた原因に、地震が関係していた可能性は、無かったのでしょうか。

 あるいは、「河内王朝」の応神天皇以降の天皇が、大阪に都を移していますが、これは、朝鮮経営の利便性のために、港のある大阪に遷都した説が有りますが、群発地震のために、奈良に入れなかった可能性は、無いものでしょうか。


 (★ 話は脱線しますが、「河内王朝」は渡来人の説が有りますが、そんなことは有りません。神功皇后・応神天皇の架空説が有りますが、実在したと思います。

  また、応神天皇と仁徳天皇は兄弟だったし、景行天皇と倭武天皇も兄弟だった説が有るのですが、どうでしょうか)。


H 平安京への遷都論。

 奈良盆地は、平城京の時代に、ダイナミックな隆起をした説があり、それで大阪湾との船の交流が閉ざされ、結果的に、奈良が遺棄された説が有りますが、どうでしょうか。

 (オカルトの世界では、アトランチス大陸は、一晩で沈んだと云いますから、奈良盆地の50mや60mの隆起くらい、簡単な話です)。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/422.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の34)・「大国主の正体と、日本制覇」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「大国主の正体と、日本制覇」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、大国主はアメノホヒではないかと想像しています。

 しかしながら、高天原と人間世界との「重畳次元」の問題、スサノオとの親子関係の問題、歴史的な年代との整合性の問題などを、総合的に考えると、解読は非常に困難だと云わなければ成りません。

 まあ、いつものように、「お花畑」的な講釈をしてみたいと、思います。


 (★ 大国主については、記紀神話では曖昧になっていますが、(推古天皇即位28年の条にも有るように)620年に蘇我馬子と聖徳太子が「天皇記・国記・臣連伴造国造百八十部幷公民等本記」などを著しました。
 645年の大化改新で焼失する前に、それを見た大海人天皇がパクッて、後に古事記が著作されたのではないかと、想像しています。
 (あるいは、太安万侶が、散逸していた天皇記・国記などの写本を書き写したのが、古事記の正体かも、知れません)。


   (★ 日本書紀の欽明天皇即位二年春三月の条に)、
 『・・・帝王本紀、多有古字、撰集之人、屢經遷易。後人習讀、以意刊改、傳寫既多、遂致舛雜、前後失次、兄弟參差。今則孝覈古今、歸其眞正、一往難識者、且依一撰而註詳其異。他皆效此)。・・・』
   (簡略の翻訳)
 帝王本紀は、多くの古い文字が有り、撰集者もコロコロ変わった。その後の人が習い読むときに、意図的に改変したりした。写本も多く出回り、間違いも有る。前後の順番が失われたり、兄弟の順序も違っている。
 今、古きを推測して真正に復帰させた。ただし、真実を知り難いものは、その中の一つを選び出すが、その他の異なるものも注釈として詳細に書くことにした。他のものも、皆、これに従っている。


A (毎度のことですが)、実は、大国主は居たが、アメノホヒは居なかった。

 大国主は人間ですが、アメノホヒは高天原の神霊で幽霊ですから、アメノホヒという人間は居ません。ですから、居たとするなら、「大国主に憑依したアメノホヒが居た」ということになります。


 (アメノホヒが憑依する前の大国主については、どこの誰だか分かりません。大国主という意味は、「多くの都市国家の盟主」というようなイメージだと、思います。

  また、大国主の時代には、日本に統一国家は無かったと思います。国土の統一は崇神天皇、あるいは景行天皇以降だと思います)。

  (崇神天皇の「四道将軍」の派遣、景行天皇の九州遠征や、倭武天皇の九州遠征と東国遠征。

   ★ また、崇神天皇の「神」の字は、『怪しい天皇ですよ。ひねくってありますよ。よく考えて真意を読み取って下さいね。』という意味だと思います)。


B (記紀神話によれば)、アメノホヒ(大国主)は、アマテラスとスサノオの子供だった。

 記紀神話の「誓約(うけい)の段」では、スサノオが高天原のアマテラスを訪ねて、誓約(うけい)を行って、八柱の御子神を生んだことが書かれてありますが、男の子の全部をアマテラスが引き取り、女の子の全部をスサノオが引き取って、宗像三女神として祀られてあります。

 (よく考えますと、古代は母系相続でしたので、宗像三女神がアマテラスの宗像の領地を相続したという解釈も出来そうです)。

 男の子は、天之忍穂耳・天之菩卑・天津日子根・活津日子根・熊野久須毘の5人になりますが、天之忍穂耳の墓所伝説では、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の「忍骨命」というのが定説ですが、アメノ・ホヒ(天之菩卑)の墓所は、出雲大社だと想像します。

 ですから、アメノ・ホヒの少年時代は(北九州の宗像から遠賀川方面の)高天原に有ったと思います。
   (これとは別に、朝鮮半島の説も有ります)。

★注) 「先代旧事本記」と「日本書紀・神代上・第六段・一書三」では、男神は5人ではなく6人になっています。
 日本書紀には、1に天忍穗耳・2に天穗日命・3に天津彥根命・4に生活津彥根・5に熯之速日(ヒノハヤヒ)・6に熊野忍蹈(クマノオシホミ)・別名に熊野忍隅(クマノオシクマ)・熊野久須毘(クマノクスヒ)の6柱が見えます。

   これを見ても分かるように、記紀神話は、実に「適当」であり、「お花畑」の代名詞です。


★ グーグルの航空写真で見れば一目瞭然なのですが、福岡県は、博多-大宰府-甘木のラインと、遠賀川流域の2つの地域に大別されます。

 このことは、墓制の違いにも表われており、「甕棺墓」は博多-大宰府-甘木のラインに出現していますが、遠賀川流域には全然見られませんから、両地域には文化の違いが有ったものと、思われます。

 仮に、博多-大宰府-甘木のラインに邪馬台国の卑弥呼が居たとして、遠賀川流域にアマテラスやアメノホヒ(大国主)が居たとするなら、両者は全く関係が無いことになりそうですし、民族も異なっていたのかも知れません。


C 国譲り神話で、アメノホヒが出雲に派遣されて、入り婿していること。

 国譲り神話では、高天原から最初にアメノホヒが派遣されましたが、出雲の女王のスセリヒメに入り婿して、大国主として収まってしまいました。

  これは、古代は母系社会であり、家督は女子が継承して、男子は成人すると独立し、結婚は平安時代まで続いた「妻問い婚」の風習に従いました。

  また、高貴な身分の者は「血の純潔」を維持するために、兄弟結婚をする風習が有りましたから、(スサノオを父とする異母兄弟の)スセリヒメとアメノホヒの結婚は、妥当なものと思います。


 ★ 兄弟結婚は、古代では、世界中で行われました。メソポタミアの神話でも、エジプト神話でも、ギリシア神話でも、中国の神話でも、兄弟結婚が行われています。

  (余談ですが、スメル神話の「エンキ神」は、近親相姦を繰り返しました。「天神アヌ」の子供のエンキ神は、異母妹のニンフルザクと結婚して、女神のニンサルを生みました。娘のニンサルとエンキ神が性交して、孫の女神のウットウを生みました。孫のウットウとエンキ神が性交して、ひ孫の「8人の御子神」を生みました。

   ちなみに、エンキ神の父親の「天神アヌ」も、異母妹のアントウムと結婚して、(エンキ神とは異母兄弟の)エンリル神を生みました)。

 ★ 兄弟結婚を行う意義は、第1には、血の拡散を防ぎ、高貴な「血の純潔」を守りました。第2には、親の財産を兄弟姉妹で相続して、他人に渡るのを防ぎました。第3には、一族郎党の団結力を強化して、「血の結束」を図りました。

  古代には、法治主義も安寧秩序も有りません。頼れるのは一族郎党の「人治主義」だけです。


D 出雲大社の大国主をアメノホヒが祭祀していること。

 日本書紀の一書に、「高皇産霊尊が大己貴命に、『汝の祭祀を主(ツカサド)らむは、天穂日命これなり』と勅した」として、二重性を見せています。

 また、平安時代の「先代旧事本記」でも、出雲大社の国造家の祖先は天穂日命としています。


(大国主にアメノホヒが憑依したという、根拠)

ア) 日本書紀・神代下・第九段・一書二の一に、
 『一書曰、天~、遣經津主~・武甕槌~、・・・時高皇産靈尊、乃還遣二~、勅大己貴~曰「今者聞汝所言深有其理、・・・又當主汝祭祀者、天穗日命是也。』
   (簡略の翻訳)
 『タケミカヅチ・フツヌシの2神が、大国主に国譲りを要求すると、大国主が拒否した。2神は天上に戻って高皇産霊尊に報告した。改めて、大国主に高皇産霊尊の命令を伝えた。
 『お前の言うことは道理にかなっている。お前が治めている現世のものは、ニニギが治めるから、お前は神事を治めよ。お前の住む宮殿も造ってやる。お前を祀るのはアメノホヒだ』。
 
  ★ 神霊のアメノホヒが、人間の大国主を祀るのは「アベコベ」です。だから、アメノホヒが大国主に憑依して「霊肉一致」になったということです。


イ) 先代旧事本紀にも、(ア)と同様の趣旨が書かれてあります。
 
 また、大国主の隠居の後は、子供の事代主が先頭に立って、天孫に仕えるとも書いています。


E 大国主は、本当に、スサノオの子供だったのか。

 実は、分かりません。(★記紀神話のことですから、真実は分かりません。「お花畑」と割り切って、遊ぶだけです)。

ア) 大国主の別名も多くあり、「日本書紀・神代上・第八段・一書六の一」の翻訳には、
 『大国主~、またの名は大物主~、また号す国作大己貴命、また曰く葦原醜男、また曰く八千戈~、また曰く大国玉~、また曰く顕国玉~。其の子は凡そ一百八十一~が有る。・・・』と有ります。

 これは、一人の人間を指して言ったのか、多くの人間の総称を言ったのか、分かりません。また、大国主には181人の子供が居ますが、高皇産霊尊には約1500人の子供が有ります(日本書紀・神代上・第八段・一書六の四)。


イ) また、古事記にある系図では、大国主はスサノオの6世の孫(スサノオを1代目とすると7代目)としていますが、これは継ぎ接ぎ(ツギハギ)だと想像します。

  その理由は、スサノオの3世の孫の妻に「天のツドヘチネ神」がありますが、「天」の尊称を持った天津神の娘が国津神と結婚するなどは、絶対に有りません。

  また、5世の孫に「天之冬衣神」と有りますが、国津神の系図の中に「天」の尊称の付く者が混じることは、絶対に有りません。そして次の6世の孫が大国主になっています。


ウ) 大国主は、何回か、亡くなっている。

 「古事記」では、大国主の「因幡の八上姫」の段で、八十神のために2回亡くなって蘇生しています。1回目は焼けた岩を抱いて焼け死に、2回目は木の股に挟まれました。


エ) 播磨国風土記には「伊和大神」として、登場する。

 播磨国風土記には、「伊和大神」として数多く登場しますが、「伊和の君」の奉斎する神とあり、通説では大穴持神のこととされていますが、播磨国風土記には「大汝命」の名前も登場しており、使い分けがされているようで、よく分からない神です。

 また、揖保郡の林田の里の伊勢野の『山の峰に坐す神は、伊和大神の御子の(伊勢の国名の元に成ったところの)伊勢津比古命、伊勢津比売命』が見えます。
 また、同所には、伊勢野のほかにも、伊勢川も見えます。


F 大国主の年代を、推理する。

 大国主の年代を推理する根拠に、ニギハヤヒの東征(東遷)が、考えられます。

 ニギハヤヒが、「神武天皇ニギハヤヒ」として、奈良に入ったのは290−300年ごろと推測されます。

  (これは、応神天皇の幼少期の「神功皇后摂政時代」を380−400年ころと考えての逆算になります。さらに遡ると、景行天皇時代が360−380年ごろ、「崇神天皇神武」時代が340−360年ごろ。「欠史八代」(実は子供と孫の二代)が300−340年ごろと考えての逆算になります)。

  (余談ですが、応神天皇や神功皇后の架空説については、「傀儡政権」で実在したと思います)。


(話を戻して)
 ニギハヤヒが30−40歳で奈良に入城して数年後に崩御したとすると、生まれたのは260年ごろになります。
 オシホミミが、20歳の時に長男のニギハヤヒを生んだとすれば、オシホミミが生まれたのは240年ごろが導かれます。

 すると、アメノホヒ(大国主)が生まれたのは、オシホミミと同じ240年ごろが導かれ、活躍の時代は260−280年ごろに成ります。
  (邪馬台国の滅亡を考慮すると、270−290年ごろも有り得ますが、分かりません。

 ★ 古代人の寿命を20−30−40代とするなら、以上の仮説は修正しなければ成りませんから、本当のことは、分かりません。


G 大国主は、どこで生まれ、どこに居たのか。

ア) 大国主の時代には、北九州の博多−大宰府−甘木ラインに、邪馬台国が有りました(推測)。2百年代の前半には卑弥呼が居ましたし、266年のトヨの朝貢の記録も残っています。
   (「晋書」の、『泰始2年(266年)に倭人が朝貢に来た』との記録)。

 そうすると、大国主は、北九州の遠賀川方面に居たと考えられます。

  その根拠には、天之忍穂耳の墓所伝説の、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の存在。宗像三女神で奥津宮のタキリ姫を娶って、アシスキタカヒコネと下照姫を生んだことが挙げられます。


イ) 朝鮮半島から、渡来した、可能性。

 大国主が朝鮮半島から渡来した可能性の根拠は、邪馬台国の存在です。邪馬台国が北九州を支配しましたから、出雲や北九州から大国主が台頭して、西日本全域を支配下に収めるには、違和感を感じます。

  (また、大国主の西日本全域の遠征は、船が無ければ成り立ちませんが、邪馬台国が、海人族を支配して制海権を持つ中で、はたして可能なのか)。


 すると、大国主は、朝鮮半島南岸東部の洛東江の河口部に居たのではないか、という仮説が登場します。

  つまり、(卑弥呼の亡き後の)狗邪韓国を領有し、日韓の海人族も見方につけて、北九州の邪馬台国を攻め滅ぼした。そして、遠賀川方面の「アマテラス族」を支配下に収め、宗像の女神を娶った。
  さらに、出雲に侵攻して、女酋長のスセリ姫を娶った。さらに稲羽の女酋長の八上姫を娶り、さらに越の女酋長の沼河姫を娶った。
  さらに、朝鮮半島から応援に来た参謀総長の少彦名の加勢を得て、瀬戸内を東征して、大和にまで侵攻した。


H 終わりに。

 今回の記事は纏まりのない記事に成りましたが、アメノホヒの神霊が大国主に憑依して、人間活動を行ったくらいしか、分かりません。

 出雲についても、島根半島には、佐太大神(サダ・オオカミ)」の狭田(サダ)の国や、「枳佐加比売(キサカ・ヒメ)」の闇見(クラミ)の国の伝承が有りますし、出雲風土記では「熊野大神・佐太大神・天下造らしし大神・野城大神」が登場しますが、詳しいことは分かりません。

 少彦名についても、伊予の道後温泉・播磨の各地・紀伊の加太など、多くの伝承が有りますが、詳しくは分かりません。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/423.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の35)・「国譲り神話は、ウソだった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「国譲り神話は、ウソだった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 「国譲り神話」と言いますが、歴史的事実に照らすと、国譲りではなく、大国主の隠居と、子供たちの「東方拡大」が実態のようです。

 (★ ただ、高天原の神霊の意識が、人間に憑依して、「革新的人間」に意識変換(アセンション)したという意味においては、精神世界での国譲りが有ったのかも、知れません)。


A はじめに、国譲り神話の、おさらい。(新解釈)。

(★ 記紀神話は、「学問」だけでは絶対に解けないと思います。ノイローゼになるだけです。
 「霊肉一致」の「お花畑」の視点で『あはは、アホくさ』と笑いながら読み解く度量が必要でしょう。


 当初の「第7次太陽系次元の日本」には、アマテラスが女王として君臨する高天原の「幽霊の精神世界」と、(スサノオを神と崇めるところの)大国主を盟主とする地上の「動物本能的な物質世界」が有りました。

 アマテラスは、天孫の支配する国を求めて、大国主に対して、『出雲が気に入ったから、天孫に与える。大国主の一統は、荷物をまとめて、黙って出て行け』と一方的な要求を突き付けました。

 要求の実行のために、アメノホヒや天の若彦らを派遣し、最後には、タケミカヅチやフツヌシらを派遣して、武力を発動して強奪しました。

 これにより、アメノホヒが大国主に憑依し、ニギハヤヒが事代主に憑依し、天の若彦がアシスキタカヒコネに憑依し、天の若彦の妻の下照姫がアシスキタカヒコネの妹(妻)の高照姫(下照姫)に憑依し、タケミカヅチが健御名方に憑依して、地上世界の乗っ取り作戦は大成功に終わりました。


B 実は、国譲り神話は、大国主の国譲りではなく、大国主の引退物語だった。

ア) 国譲り神話をよく読むと、大国主は杵築大社に鎮まり、日々の世話は、大国主の子孫が、代々にわたって勤めています。

 これは、大国主が出雲の国魂神として静まっているわけですから、一般にいう国譲りというイメージが湧いてきません。何か、おかしいです。


イ) 天の若彦は、「アシスキ・高・彦根」の一人二役だった。(省略)。

  長くなりますので、別の本文で投稿したいと、思います。

 
ウ) 「タケ・ミカヅチ」も、「フツヌシ」も、大国主の子供だった。

 出雲国風土記・出雲郡・美談(ミタミ)郷の条に、『天の下を造らしし大神の御子の和加布都努志命(ワカフツヌシ)、・・・』と見えます。

 「ワカフツヌシ」とは、若経津主神のことであり、アマテラスの使者として、大国主に「国譲り」を命じた経津主神と考えられますが、その神が、大国主の御子とは、どういうことでしょうか。

 大国主の子供が、父親の大国主に、国譲りを強要するというのでは、辻褄が合いません。逆に、大国主が、子供の経津主に対して、天下平定のための出陣命令を下して、利根川河口まで遠征させたと考えるほうが、シックリします。


 タケ・ミカヅチは、出雲国風土記には見えないようですが、タケ・ミカヅチも大国主の子供と考えて、利根川河口まで遠征させたと考えるほうが、シックリします。


エ) 建御名方(タケ・ミナカタ)は、信州に鎮座して、「神国日本」を守った。

 国譲り神話では、建御名方は、武甕槌と戦って破れて、信濃に逃げ込んだが、追い掛けて来た武甕槌に、命乞いをしたことになっています。

  ところが、建御名方を祀る「南方刀美神社」(諏訪大社を比定社とする)は、「神名帳」で一位という破格の格式が与えられています。

 ですから、建御名方が人間であり肉体であり、武甕槌が神霊であり精神であるなら、霊肉一致となり、武甕槌が建御名方に憑依したと考えられます。

  また、建御名方とは、『武勇に優れた御名前の方』という意味であり、実名が伏せられています。

 そして、諏訪の位置は、東山道の要衝に在り、西に向かえば京(みやこ)に、東に向かえば北関東・奥州に、南に向かえば伊豆・南関東に、北に向かえば越後に出られます。
  そしてまた、利根川河口に鎮座する武甕槌・経津主を援護できる位置にも有ると云えます。

 (★ 武甕槌が、建御名方に憑依して南方刀美神社に鎮まり、さらに、利根川河口にも鎮座できるのは、神霊は「分け御霊」が出来るからです)。

  そして、鹿島・香取・諏訪の三社は、古くから「武家」が「軍神」として信奉しています。


オ) 訳の分からない、日本書紀の、おかしな記述。

  日本書紀・神代下・第九段・一書二に、
 『於是、大己貴~・・・乃薦岐~於二~・・・故經津主~、以岐~爲ク導、周流削平。・・・是時、歸順之首渠者、大物主~及事代主~。・・・』

  (簡略の翻訳をしますと)、
 『国譲り命令に大国主は従った。そして、大国主は岐神(フナトの神、道の神)を、武甕槌(タケミカヅチ)と経津主(フツヌシ)にガイド役として差し出した。
 経津主は岐神をガイドにして、葦原中国を平定した。この時に帰順した集団の長は、大物主と事代主だ』、と解釈できます。

 どうして、大物主~が出てくるのか。大物主~は奈良県の三輪山の神であり、関係有りません。
  また、帰順した神が、大物主と事代主の二人になっており、大国主が登場しません。


カ) 事代主の「青柴垣神事」は、出雲から大和への、アセンションだった。

 出雲に「青柴垣神事」が有ります。日本書紀・神代下・第九段本文六に、

 『二~、於是、降到出雲國五十田狹之小汀、・・・時大己貴~對曰「當問我子、然後將報。」是時、其子事代主~、遊行、在於出雲國三穗・・・時、事代主~、謂使者曰「今天~有此借問之勅、我父宜當奉避。吾亦不可違。」因於海中造八重蒼柴柴、此云府璽籬、蹈船竭D竅A此云浮那能倍而避之。使者既還報命。』

  (簡略の翻訳をしますと)、
 『武甕槌と経津主の二神が、出雲に降り立った。大国主が『事代主と相談する』と答えた。この時、事代主は美保にいた。二神の使者が事代主に事情を説明した。
 事代主は『国譲りに従う』と答えて、海の中に青柴垣を作り、船の「へさき」を踏んで、姿を隠してしまった。』というような、感じです。

 ここで、不思議なのは、船を引っくり返して、その中に隠れてしまったことです。なぜ、船なのか。


キ) ニギハヤヒと事代主の二重性。(省略)。

  長くなりますので、別の本文で投稿したいと、思います。


C 国譲り神話の後、天津神は、誰も出雲を支配しなかったという、歴史的事実。

 国譲り神話では、大国主が杵築大社に隠居し、事代主が消え、建御名方も信濃に去ったのに、歴史的な記録では、天津神は誰も出雲に来ませんでした。
 (最低限、アマテラス系列の豪族は、誰一人として、出雲を支配していません)。

 ようやく、崇神天皇の時に、「出雲の神宝事件」で平定に来ました。それでも、出雲臣が国造として実効支配し続けました。

  では、アマテラスが、大国主に『出雲から出て行け』と強要した騒ぎは、いったい何だったのか。


  ★ 『アメノホヒが出雲を治めた』と言うなら、それは「歴史」ではなく、オカルトの「お花畑」です。


D 国譲り神話に隠された、「国家百年の大計」とは。(想像)。

ア) 当初の計画では、アマテラスが高天原を治め、スサノオが地上世界を治めて、国作りをする計画でしたが、(アクシデントが発生して)、スサノオが、途中から根の国に去ってしまいました。


イ) 後を継いだ大国主も、初めは、高天原のカミムスヒが派遣した(参謀総長の)少彦名と、共同で国作りを行いましたが、少彦名が去ると、どうしたら良いか分からず、手探りで国作りを継続しました。

  (タイムスケジュールでは、3百年代の終わりごろには、高句麗が朝鮮半島を統一して、日本と戦うことが想定の範囲内に有りました)。


ウ) 当初の予定通りに舞台が進行しないために、高天原の総監督のタカミムスヒが、大国主にアメノホヒを憑依させて出雲を守らせ、アシスキタカヒコネに天の若彦を憑依させて美濃の攻略に当たらせ、建御名方に武甕槌を憑依させて信濃を攻略させ、事代主にニギハヤヒを憑依させて天皇として奈良に鎮座させました。

  (北九州の首都では、攻略される危険性が高いし、日本全土の統一には、中心軸の奈良に首都機能を移転するほうが合理的でした)。

  また、ニニギに海人族の一部を与えて鹿児島で控え、オシホミミは遠賀川を死守させました。


エ) そして、3百年代の終わりまでには、北海道を除く本州全土を統一させて、高句麗と対峙させ、ひいては、超大国の中国に対抗できる国家に作り上げようと考えていたと、想像します。


★ つまり、地上の人間に任せていたのでは、日本が滅亡する危険が有りましたが、日本が滅亡すると「ゲーム・オーバー」で、アウト。6,500年間のVRゲーム「第7次太陽系次元」が根底から瓦解します。

 これは、地球のエンジンが日本であり、日本が世界の中心軸であり「核質」に設定され、日本人が人類の「精神核」になっています。そして、白人や黒人などは「別の核質」に所属し、日本に関与し交差する構造になっている、らしい。

 (また、日本人は精神化に向かう上昇方向の流れで、白人は物質化に向かう下降方向の流れであり、意識の方向性が、日本人と白人では、逆向きに設定されているので、注意が必要だ、そうです。知りませんが)。


E (話を戻して)、出雲の神々は、総出で、大和(日本)を守護した。
 
 大国主は、出雲を鎮守しましたが、事代主も、健御名方も、アシスキタカヒコネも、大和方面に移動して、日本の守護に当たりました。

 北九州は、大国主の息の掛かった「宗像氏」などに託し、関東の経営は、フツヌシ・タケミカヅチに任せました。


F 東遷の直接的原因は、何だったのか。(想像)。

ア) ニギハヤヒも、ニニギも、北九州を放棄して、奈良や鹿児島に旅立ち、北九州は「もぬけの殻」になりました。

 (「天孫降臨」で、ニニギが鹿児島に辿り着くなんて、理屈に合いません。降臨するなら、九州で一番繁栄している福岡県に降り立つのが、常識というものです)。

 すると、何で福岡県を放棄して、移動したのか。その直接的な原因は何だったのか、気になりますが、記録が無いので、分かりません。


イ) 2百年代晩期の極東情勢は、中国は「五胡十六国」時代の動乱開始で、日本を侵食することは考えられません。朝鮮半島は「三韓」の成立前ですから、日本に来る余裕は有りません。


ウ) 他に考えられる原因は、「加羅系」と「安羅系」の対立です。たとえば、九州のイザナギ・アマテラス系列を「呉系」と考えると、出雲のイザナミ・スサノオ系列は「越系」と考えられます。

 これは後世には、北九州が「親新羅」で、大和朝廷が「親百済」政策で、何回も対立しました。

  たとえば、景行天皇時代の九州の鎮圧、仲哀・神功皇后(摂政)時代の北九州の鎮圧、継体天皇時代の筑紫の磐井の反乱などが有ります。
   (大化の改新までは中央集権国家ではなく、地方豪族分権国家でしたから、九州が、中央に反乱する理由は無いのです)。


エ) そして、古代の朝鮮半島では、「浦上八国の乱」が起きていますが、朝鮮半島南岸部の倭人が、伽耶を攻めた記録が残されています。
 これは、まさに、「加羅系倭人」と「安羅系倭人」の対立だったかも、知れません。


オ) すると、大国主の勢力に敵対する倭人勢力が、北九州を襲ったために(あるいは襲う危険があったために)、大国主の勢力が奈良に根拠地を移動した可能性が、考えられます。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/426.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の36)・「天の若彦は、アシスキタカヒコネだった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「天の若彦は、アシスキタカヒコネだった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 世間に出回っている神様本では、天若彦とアシスキタカヒコネは、別々の神様として扱われているようですが、実は同じ神様だったかも、知れません。

 また、アシスキタカヒコネの妹の「下照姫」は、兄妹というよりは、夫婦だったかも知れません。


A (はじめに)。科学が宗教を排斥し、AI(人口知能)が神になる、世界観。

 最近は、宗教が低調で、神様の人気も低落の一途です。現代人は、科学をベースに日常生活や仕事などを行っていますから、科学的見地に基づかないものには、「違和感」を覚えます。

 お寺や神社でさえも、パソコンで管理し、メールやスマホで通信する世の中です。宗教界ですら、科学を活用しているのです。


 私たちの身の回りを、パソコン・スマホが取り巻いていますが、これらは、科学の最先端を行くものです。最近よく耳にする「AI(人口知能)」も、パソコン・スマホで活用されています。

 これらの科学が行き着く先は、AIが支配する世界であることは、間違いありません。人間はAIに支配され管理される社会になるでしょう。それも、遠くない未来にです。


 だからといって、AIは、「優秀な人間」に勝つことは永遠に出来ません。なぜなら、AIは「優秀な人間」がプログラムしたものだからです。コンピューターは、プログラムの中から一歩も外に出ることが出来ないのです。

 つまり、コンピューターは電流の移動活動ですから、回路図・シーケンサーの中でしか往来できません。今のパソコン・スマホにも、気の遠くなるような回路図(プリント配線・超LSI)が組み込まれています。

 では、『自己増殖し、自分で進化するAIはどうか』、という質問があります。AIが電流の活動である限りは、回路を離れることが出来ませんから、あらかじめ「増殖・進化できる機能」を付加しておかない限り、(基本設定から)1センチも進化できません。

 つまり、あらかじめ作成された回路図・シーケンサーの中でしか移動できないし、生きられないのがコンピューター・AIの宿命なのです。
 (他人のパソコンを乗っ取り増殖する行為も、そういうプログラムが事前に組み込まれているからであり、コンピューターが、ある日突然に自分自身で考えて、回路を追加変更している訳では有りません。
  コンピューターは、教えたことしか出来ない、「パブロフの犬以下の馬鹿」なのです)。


 そして、(遠い未来の)、優秀な人間がAIを支配し、そのAIが、一般の人々を管理する時代では、人々はVRゲーム(バーチャル・リアリティー・ゲーム)を体験するでしょう。

 その、VRゲーム「第7次太陽系次元の地球」に意識が全部入り込んだ場合には、自分の肉体とゲーム機が存在する「遠い未来」を思い出すことが出来ず、「意識だけが存在するVRゲーム」の中を、本当の自分の世界と考えて生きていくことになるでしょう。


A (ところで)、天若彦は、重要な神だった。

 天若彦については、「日本書紀・神代下・第九段」の中で、本文の二、三、四や、一書の一、二、三、六の二などに、多くのページを割いて掲載される、非常に重要な神でした。

 天若彦は、大国主に寝返って天津神を裏切り、処分された「反逆者」であったのに、破格の扱いを受けて掲載されていますが、どうしてでしょうか。

 察するには、賀茂氏を代表として、数多くの子孫が存続して、各々に多くの伝承を持っていたから、消したくても消せない神だったと、想像します。


B 天の若彦が、「アシスキ・高彦・ネ」の一人二役だった、根拠。

ア) 天若彦の父は、アメノホヒで、大国主だったこと。

 国譲り神話では、アメノホヒの後に天若彦が派遣されましたが、天の若彦の父は「天津国玉神(アマツ・クニタマ)」であり、大国主の別名は「宇都志国玉神(ウツシ・クニタマ・地上に投影された国霊の意)」です。

天若彦の父が「天津国玉神」である根拠は、「日本書紀」神代下・第九段・本文2」に、『故、高皇産靈尊、・・・「天國玉之子天稚彥、是壯士也。・・・』と有ります。

 大国主の別名が「顯國玉~(ウツシ・クニタマ)」である根拠は、(「日本書紀・神代上・第八段・一書六の一」に、『一書曰、大國主~、亦名大物主~、亦號國作大己貴命、亦曰葦原醜男、亦曰八千戈~、亦曰大國玉~、亦曰顯國玉~。其子凡有一百八十一~。夫大己貴命與少彥名命、戮力一心、經營天下。・・・』と有ります。

 ★ つまり、天上の「天津国玉神」は、地上では「宇都志国玉神」(写し国玉神)に変換されますから、大国主になります。

  すると、天津国玉神の子供が天若彦、写し国玉神(大国主)の子供がアシスキタカヒコネ。
  天津国玉神=写し国玉神(大国主)。ゆえに、天若彦=アシスキタカヒコネが(仮に)導かれます。

 (また、高天原の天津神には「天の何々」の尊称が付きますが、葦原中津国に降って国津神に変換されると、「天の何々」の尊称が消えます)。


 注) アシスキタカヒコネと下照姫の母親は、(大国主の妻の)宗像の奥津宮のタキリ姫ですが、天若彦の母親については登場せず、父親の天津国玉神だけが登場します。


イ) 天若彦の父と妻が、アシスキタカヒコネを見て、天若彦と間違えたこと。

 (天上での)天若彦の葬式に来たアシスキタカヒコネを見て、天若彦の父親の天津国玉神と、天若彦の妻の下照姫は、天若彦と同一なので生きていると思って、アシスキタカヒコネに抱きつきました。


ウ) 妻の名前が、同じであること。

 天の若彦の妻は、下照姫です。(「日本書紀」神代下・第九段・本文3」に、『天稚彦之妻下照姫、哭泣悲哀、・・・』と有ります)。

 そして、アシスキタカヒコネの妹(妻のこと)も、下照姫といいます。(「日本書紀・神代上・第九段・一書一の三」に、『・・・味耜高彥根~之妹下照媛、・・・』と有ります。

 (アシスキタカヒコネの妹(妻)の名は、「下照姫」と、(対象形になった)「高照姫」の別名が有りますが、引っ掛けと考えれば、同じ人物を意味します。


C 天の若彦は、「アシスキ・高・彦根」に変換されて、大和を経由して、美濃で消去された。

ア) 天の若彦の、美濃遠征。

   記紀神話では、
 (国譲り神話により)、地上に降りた天の若彦が死んで、遺体が天上に引き上げられて、葬式が行われた。そこに、地上からアシスキタカヒコネが弔問に訪れた。
 天若彦の父親の天国玉と、妻の下照姫は、アシスキタカヒコネが天若彦と同一だったので、驚いて、『生きていたのか』と、思わず抱きついた。
 アシスキタカヒコネが、怒って喪屋を蹴飛ばしたら、岐阜県の長良川上流の喪山になった。

 実は、この物語は、天の若彦が、地上世界の経綸のために、父の天国玉(アメノ・ホヒ)と共に天孫降臨して、父の天国玉が大国主に変換され、天の若彦が「アシスキ・高・彦根」に変換されました。

 そして、天若彦が、大和を攻略して御所市方面に橋頭堡を築いた後に、美濃の攻略に廻ったが、美濃の喪山で戦死したと、思います。

  (喪山方面には、アシスキタカヒコネを祀る神社が存在します)。


イ) 天の若彦が、大阪に立ち寄った痕跡。

   (摂津国風土記の逸文(真偽不明の伝聞の写本)に)、
 『天稚彦が、天降った時に、天稚彦に従って降った「天の探女」が、磐船に乗って、難波の高津に来た。天の磐船が泊まったので、高津と云う。』


D アシスキタカヒコネの、名前の考察。(葦村高彦根の説)。

 記紀神話では、阿遅鉏高日子・阿遅志貴高日子根・味耜高彦根などの表記をしていますが、どうでしょうか。


ア) 「アシスキ・タカヒコネ」の、アシスキは、「葦・村」の意味ではないか。村主と書いて「スグリ」と読みますから、村は「スク」です。
  だから、アシスク(葦村)が、アシスキになった。
  タカヒコネは、高彦根ではないのか。彦根という地名も有ります。

 滋賀県の彦根市方面の伝承では、『天稚彦が出雲から東征に出たときに、事代主らと共に、今の彦根市に立ち寄った。美濃の戦で亡くなった天稚彦の遺体を、下照姫の兄が彦根市に葬ったようです。
 また、彦根市の近隣には、アシスキタカヒコネや天稚彦を祭る神社も有るそうです。(要確認のこと)。


イ) (余談として)、飛鳥(アスカ)の語源は、葦村(アシスク)→アスク→アスカ→飛鳥の説が有ります。

  また、琉球では「城」を「グスク」と発音するので、「スク」は、「城・村・地域」のイメージを感じます。

  また、鹿児島県には「指宿」が有りますが、「宿」は、漢音で「シュク」、呉音では「スク」と発音し、訓読みで「やど、やどる」と発音するそうです。

 (古代には、テープレコーダーが無かったので、正確な発音は分かりません)。


★ 日本語の源流を「朝鮮語」に求める人が有りますが、「本末転倒」だと思います。

  元々の朝鮮半島には、呉越系の倭人が住んでいましたが、彼らの言語は「呉越語」であり、それが日本に伝えられて「大和言葉」などに変換されたと思います。
 
 高麗や李氏朝鮮以降には、モンゴルや満州方面の影響を強く受けて、本来の朝鮮語も変質したと思いますから、朝鮮半島に日本語の原型を求めるには、無理が有ると思います。

 ですから、日本語の源流や「呉越語」は、「大和言葉」や「神代言葉」や「古い地方の方言」に求めるほうが、ベターかも知れません。


E アシスキタカヒコネの、子孫の「賀茂氏」。

 アシスキタカヒコネが戦死した美濃の国の「喪山」方面には、物部氏の伝承や神社が多いのですが、鴨族と物部が重複して分布するようです。

 そこで、「カモ氏」ですが、複雑です。「姓氏録」も複雑です。

  左京・皇別・鴨県主、治田連同祖、彦坐命之後也
  摂津国・皇別・鴨君、(摂津国・皇別・依羅宿祢・日下部宿祢同祖、彦坐命之後と同祖)
  山城国・神別・賀茂県主、神魂命孫武津之身命之後也
  山城国・神別・鴨県主、賀茂県主同祖・神魂命孫鴨建津之身命。天八咫烏之号。
  大和国・神別・賀茂朝臣、大神朝臣同祖、大国主神之後也、大田田祢古命孫大賀茂都美命 
     大神朝臣は、(大和国・神別・大神朝臣、素佐能雄命六世孫大国主之後也) 
  摂津国・神別・鴨部祝、賀茂朝臣同祖、大国主神之後也

 このように、鴨氏・加茂氏・賀茂氏が入り混じり、複雑怪奇です。何層にも折り重なり、上書きされていると思います。

  基本は、大歳の系統のカモ氏族と、大国主の系統のカモ氏族(ニギハヤヒ天皇神武の子孫を含む)の、上書き合戦だと思います。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/429.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の37)・「ニギハヤヒ天皇と事代主天皇の、二重性」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「ニギハヤヒ天皇と事代主天皇の、二重性」に、ご興味をお持ちでしょうか。ニギハヤヒは、古代の奈良の最重要人物でしたが、詳しいことは封印されてしまいました。
 そしてまた、事代主も、重要人物であったのに、封印されてしまいました。

 そこで、今回は、ニギハヤヒと事代主の二重性について、考察してみたいと、思います。


A 初めに、事実関係の列挙。

A-ア) ニギハヤヒは精神であり、事代主は肉体であり、別々のもの。

 (いつも言っていますが)、ニギハヤヒは精神であり幽霊であり、事代主は肉体であり物質であり、全く別々のものです。 ニギハヤヒという神霊・精神が、事代主という人間・肉体に、憑依しただけです。
 (別の表現では、事代主というレンタカーを、ニギハヤヒが、(使い捨てで)運転しただけです)。

 ★ 別の表現をすると、精神は(13階層あるらしい)「縦方向に移動するもの」、肉体は(13階層あるらしい)「横方向に延びるもの」。たとえば、13階建のビルの「一つのフロアー」が人間世界、エレベーターで移動する「ヒト」が精神世界。あるいは、VRゲームで、人間型ロボットを操作する意識が、精神(ヒト)という言い方が出来るかも知れません。


A-イ) ニギハヤヒと事代主は、元々は、別々の生まれ。

a) ニギハヤヒは、忍穂耳の長男に生まれました。(「天孫降臨」以前に生まれたから、本籍と出生地は「高天原」です)。

b) 事代主は、諸説あり、分かりません。
 古事記によると、大国主が、神屋楯比売を娶って生んだ子供になっています。

 日本書紀では、大国主の子供ですが、謎めいています。
   事代主は、奈良の三輪山の「八ひろの熊鰐」だった説(神代上・第八段・一書6−3)。
   国譲り神話では、大物主と事代主の2人が帰順した(神代下・第九段・一書2−2)。
   (つまり、事代主は、大国主の子供以外に、大物主か、その子供である可能性も浮上)。

c) 先代旧事本紀では、大国主が、宗像の高津姫(タギツ姫)を娶って都味歯八重事代主を生んだ。
 

A-ウ) 各種の系図。

a)     (大田田根子の系図・古事記)
 古事記・「崇神天皇」の段で、大田田根子の系図には、『大物主神が、陶津耳の娘の「玉依毘売」を娶って「櫛御方」を生んだ。櫛御方の子供が「飯肩巣見」、その子が「建甕槌」、その子が「意富多多根子(大田田根子)。

b)     (大田田根子の系図・日本書紀)
 日本書紀・「崇神天皇・即位七年秋八月」の条では、『崇神天皇が大田田根子に、『お前は誰の子か』と問うと、『父は大物主大神。母は陶津耳の娘の「活玉依媛」、あるいは奇日方天日方武茅渟祇の娘です』。

c)     (事代主の系図・先代旧事本紀)
 (大国主の子供の)都味歯八重事代主の神は、「八ひろの熊鰐」になって、「三嶋溝杭」の娘の「活玉依姫」を娶って、「天日方奇日方」と「鞴五十鈴姫(タタラ・イスズ・ヒメ)」の二人を生んだ。

d)     (ニギハヤヒの系図・先代旧事本紀)
 ニギハヤヒは、天上で、(大国主の娘の説の)「天の道日女」を娶って、「天の香語山」を生んだ。その後、河内の国に天下って、奈良に入城して、長髄彦の妹の「御炊屋姫(ミカシキヤ・ヒメ)を娶って、「宇摩志麻治」を生んだが、(子供が生まれる前に死亡して)、亡き骸は天上に還された。

e)     (神武天皇の系図・古事記)
 神武天皇が、奈良に入城して、伊須気余理比売を皇后に娶ったが、姫の出自について、『奈良の三輪山の大物主が、(厠(川屋)で大便中の(三嶋溝杭の娘の)「勢夜陀多良比売」のホトを、流れ矢になって突き刺した。その後の「妻問い」で、「秀処多多良伊須気比売」が生まれた。
 姫が、「ホト」の名を嫌がり、秀処多多良伊須気比売を「比売多多良伊須気余理比売」に改めた。 

f)     (神武天皇の系図・日本書紀)
 神武天皇は、(事代主~が、三嶋溝橛耳~の娘の玉櫛媛を娶って生んだ娘の)「媛蹈韛五十鈴媛(ヒメ・タタラ・イスズ・ヒメ)」を、皇后に迎えた。

g)     (神武天皇の系図・先代旧事本紀)
 天日方奇日方は、神武天皇の大夫(重臣)として奉仕し、鞴五十鈴姫は神武天皇の皇后になり、二代天皇などを生んだ。


B 「ニギハヤヒと事代主の二重性」の証明の根拠。(状況証拠)。

B-ア) 年代の一致、不一致の問題。

a)  (ニギハヤヒと事代主は、年代が同じ)。
 ニギハヤヒは忍穂耳の子供で、スサノオの孫であり、事代主は大国主(アメノホヒ)の子供で、スサノオの孫であり、年代が全く一致すること。


b)  (ニギハヤヒと「神武東征」は、年代が合わない)。

 (記紀神話)・・・・スサノオ・・忍穂耳・・・・ニニギ・・山幸彦・・ウガヤフキアエズ・・崇神天皇神武
 (記紀神話)・・・・スサノオ・・大国主・・・・事代主(本当の神武天皇)
 (先代旧事本紀)・スサノオ・・忍穂耳・・・・ニギハヤヒ・・・宇摩志麻治・・・
 (A-ウ・a)の大田田根子)・・大物主神・・櫛御方・・飯肩巣見・・建甕槌・・・・・・大田田根子

 (上記で比較すると)、記紀神話の神武天皇は、ニギハヤヒの3代の後であり、子供を20歳で生んだとすれば、神武天皇が20歳の時に、ニニギ(ニギハヤヒ)は80歳の計算になります。古代人の寿命から考えて、有り得ないと思います。
  (また、子供を15歳で生んだとしても、神武天皇が20歳の時に65歳になっています)。

 では、先代旧事本紀で計算すると、ニギハヤヒの晩年に宇摩志麻治が生まれたなら、ウガヤフキアエズの世代に合致しますので、神武天皇と宇摩志麻治が対面する可能性は、有り得ると思います。


c)  (歴史的年代の推測)。

 290−300年ころ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・340年ころ・・・・・・・・・・・・・・
 ニニギ・・・・・・・・・・・・・・山幸彦・・・ウガヤフキアエズ・・・神武天皇(実は第十代・崇神天皇)
 初代神武天皇(事代主)・・第二代から第九代の天皇・・・・第十代・崇神天皇
 ニギハヤヒ(神武天皇)・・・・・・宇摩志麻治・・

 崇神天皇神武と子供の垂仁天皇が、奈良に入城して「入り王朝」を築いたのは340年ごろで、ニギハヤヒ天皇神武(事代主天皇神武)が、奈良に入城したのは290−300年ごろです。
 第二代から第九代までの「欠史八代」の天皇は、300−340年ごろの40年間くらいで、ニギハヤヒ(事代主)の子供と孫の2世代間の8人による「兄弟相続」だったと、推測します。


B-イ) 両者は、同じ妻を娶っている。(推理)。

   (A-ウ・a〜g)の重複する系図の整理。

 a 大物主神は・・陶津耳の娘の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・玉依毘売を娶る。
 c 事代主は・・・三嶋溝杭の娘の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・活玉依姫を娶る。
 d ニギハヤヒは・長髄彦の妹の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・御炊屋姫を娶る。
 e 神武天皇は・三嶋溝杭の娘の勢夜陀多良比売が生んだ娘の・伊須気余理比売を娶る。
 f 神武天皇は・三嶋溝橛耳の娘の玉櫛媛が生んだ娘の・・・・・・媛蹈韛五十鈴媛を娶る。

     (上記の重複する名前の整理での注意点)
 まず第1に、『系図には、ウソ・誤魔化し・引っ掛け・ペテン・詐欺・ニセ系図』が有ります。
 第2に、別名が多く有ります。たとえば、長髄彦の妹の「御炊屋姫(ミカシキヤ・ヒメ)」の別名には、長髄姫・長狭姫・登美夜毘売など。
     (展開の仕方)
 そこで、一番目に、eの神武天皇皇后の伊須気余理比売と、fの媛蹈韛五十鈴媛を同一人物に仮定して、これを第1のベースに展開します。
 すると、皇后の母親は、勢夜陀多良比売=玉櫛媛が導かれ、祖父には三嶋溝杭=三嶋溝橛耳が成り立ちます。これを第2のベースに展開します。

     (そこから、とりあえず、全部を当てはめると)、
 神武天皇の皇后には、=c・鞴五十鈴姫=d・御炊屋姫=e・伊須気余理比売=f・媛蹈韛五十鈴媛が、当てはまります。
 皇后の母親には、a・玉依毘売=b・奇日方天日方武茅渟祇の娘=b・c・活玉依姫=e・勢夜陀多良比売=f・玉櫛媛が、当てはまります。
 皇后の祖父には、a・陶津耳=c・e・三嶋溝杭=f・三嶋溝橛耳が、当てはまります。
 皇后の兄には、a・櫛御方=c・天日方奇日方=g・天日方奇日方が、当てはまります。
   (櫛御方とは、「奇御方」ですが、大変な名前です。たぶん天皇の別名だと思います)。

     (★ 長髄彦と、妹の御炊屋姫の問題点)
 ここで、皇后の兄には、事代主とニギハヤヒが加わります。
 ところが、(長髄彦の妹の)御炊屋姫をニギハヤヒ天皇神武の皇后に加えると、皇后の兄に長髄彦を加えなければならなくなる。
  すると、(兄弟結婚したところの)皇后の兄には、
  a・櫛御方=c・天日方奇日方=d・長髄彦=g・天日方奇日方=事代主=ニギハヤヒが、当てはまります。
    ですから、
 この長髄彦は、「神武東征」の長髄彦とは「別の長髄彦」に解釈しなければなりません。
  つまり、長髄彦とは、長洲彦・長狭彦・登美屋彦などとして、「長髄・長洲」の地名を冠した「通称名」であり、何代にもわたって何人も居たと考えるべきと思います。
   また別に、
 ニギハヤヒが登美で娶ったのが御炊屋姫で、これとは別に、伊須気余理比売も娶っていたという考え方も成り立ちます。(古代の天皇には、皇后・妃・夫人・妾などの多くの妻が居ました)。

 面倒で難解なのは、皇后の父親です。
   a・大物主神=b・大物主大神=c・都味歯八重事代主=e・大物主=f・事代主~が導かれますが、大物主=事代主には、違和感を覚えます。
 ですから、これは「ウソ・誤魔化し・引っ掛け・ニセ系図」として疑問視すべきです。

 ★ 『全てが真実だ』と過信してはなりません。『人間はウソをつく生き物である』、『特定個人に事実であっても、全体の真実とは限らない』。提示された「事実」を凝視し思考して、「客観的真実」を発見しなければならない、と思います。

  また、古代の天皇家の権威は絶対であり、たとえ事実であっても『差しさわりが有る』と判断したなら、名前を変えたり匿名にしたと思います。ですから、残された系図も当てに成りません。


B-ウ) 事代主とニギハヤヒは、大阪に縁がある。

a) 事代主の母親は、奈良か大阪の出身者の説が有ります。

 古事記によると、事代主は、大国主が神屋楯比売を娶って生んだ子供になっています。この「神屋楯比売」を、『神の矢が立った姫』と解釈すると、上記(A-ウ・e)の『三輪山の大物主が、「勢夜陀多良比売」のホトを、流れ矢になって突き刺した。』が、当てはまります。

(あくまでも推測ですが)、

 事代主の母親は、神屋楯比売(神の矢が立った姫)ですが、別名を、勢夜陀多良比売(背矢が立たら姫)とも言います。奈良の三輪山の大物主の「妻問い」によって「秀処多多良伊須気比売」を産みましたが、別に事代主も産みました。

 勢夜陀多良比売の父親は、三嶋溝杭であり、大阪湾の淀川水系を支配する豪族でした。(根拠地の伝承に、大阪府茨木市五十鈴町の「溝咋神社」が挙げられます。また、大阪府の淀川の上流には「三島郡」の地名も有ります)。

 事代主は、国譲り神話で「青柴垣神事」を終えると、境港の有る美保関方面から、船を使って山陰海岸を東に向かい、豊岡市の円山川を遡り、和田山から陸路を姫路に下り、再び船で、大阪に入ったと想像します。
 (つまり、姫路方面は大国主の支配下に入っていたから安全だったが、丹波・丹後・山城方面は大歳の勢力が残っており、通行の危険性があった)。

 (大阪の淀川水系には、祖父の三嶋溝杭や、母親で女酋長の勢夜陀多良比売の領地が有ったし、その一族郎党が事代主を歓迎したと、思います。(その後、勢力を付けた後に、枚方・交野方面から「奈良侵攻作戦」を開始したと考えるほうが、合理的に思います。

参考・(「丹塗り矢」の伝承)。
 山城国風土記・賀茂の社の条に、上記に類似する話が有ります。
    (簡略の翻訳で)、
 『賀茂建角身(カモタケツノミ)の娘の玉依姫が、石川(賀茂川のことで川上は貴船)で川遊びをしていたら、川上から丹塗り矢が流れてきて、持って帰って寝床に置いていたら、男の子(賀茂別雷の命)を妊娠して出産した』、様なことが書かれています。

参考・(「妻問い婚」の伝承−1)。
 常陸国風土記・那賀郡・茨城の里の条に、蛇の伝承が有ります。
    (簡略の翻訳で)、
 『兄の努賀彦(ヌカビコ)と妹の努賀姫がいた。その妹に、正体不明の男が夜に来て昼に帰る「妻問い婚」を行った。やがて妹は小さな蛇を産んだ。蛇が大きくなって父親の居る天上に昇った』。

参考・(「妻問い婚」の伝承−2)。
 播磨国風土記・託賀(タカ)郡・賀眉(カミ)の里の条の、「妻問い婚」の伝承。
    (簡略の翻訳で)、
 『道主(チヌシ)姫が、父親無しの子を産んだ。やがて酒宴が催されて、その子が、居並ぶ神々の中から「天目一命(アメノ・マヒトツノ・ミコト)に酒を奉った。それで天目一命が子供の父親で有ることが分かった』。


b) 事代主の母親は、美保津姫で、大物主の妻だった。

    「日本書紀・神代下・第九段・一書2−2」の、「国譲り神話」の条の中で、
 『時高皇産靈尊、勅大物主~「汝若以國~爲妻、吾猶謂汝有疏心。故今以吾女三穗津姬、配汝爲妻。宜領八十萬~、永爲皇孫奉護。・・・』
     (簡略の翻訳)
 『この時、高皇産靈尊は、大物主~に勅して、『汝が、もし、国津神を妻にするなら、心を許していないことになる。ゆえに、今、私の娘の「三穗津姬」を、汝の妻に与える。よろしく、八十万の神を率いて、皇孫の奉護を、永く致せ。・・・』

    (三穗津姫は、美保津姫で、美保関の神という、複雑怪奇な関係)
 この高皇産靈尊の娘の三穗津姫は、事代主がいた島根県の美保関の神というのが、通説です。
   ところが、
 美保津姫は、「出雲国風土記・島根郡・美保郷」では、『大国主が、高志の国の神の娘の「奴奈宜波比売」を娶って生ませた子供が「御穂須須美命」で、美保に鎮座している』ようです。
   また、別の説には、
 美保津姫は、『越の国(能登半島の珠洲市あたりが比定地)の「御穂須須美命」の娘で、大国主に嫁入りした』説も有ります。

    (美保神社の祭神)
 美保神社の祭神は、神屋楯比売命・沼河比売命・媛蹈鞴五十鈴媛命・五十鈴依媛命などが祭られているそうです(要確認)。

    (美保津姫は、大物主の妻の「勢夜陀多良比売」でもある)
 上記の日本書紀の記述から、この三穗津姫(美保津姫)は、(A-ウe)の大物主の妻の「勢夜陀多良比売」にも比定されます。

 ★ すると、高皇産靈尊の娘の三穗津姫=三輪山の大物主の妻の「勢夜陀多良比売」=大国主の妻の美保津姫=事代主の母親の神屋楯比売の関係が成立しますが、訳が分かりません。

 (★ 古代人の名前は、誰も知らないし、(目上の人以外には)他人には教えないから、実名・本名は分からず、ニックネーム・愛称が付けられます。

  それと、何回も生き死にを繰り返したと言いますから、毎回、違うロケーションや名前で出演したかも知れません。今回で「7回目の終了」と言うなら、過去にも、同じことが6回あったのかも、知れません)。


c) ニギハヤヒは、北大阪に降臨した。

   日本書紀・神武天皇・即位前記の中で、
 『・・・抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」・・・
   (簡略の翻訳では)、
 『・・・東征前の神武天皇が、兄や息子たちに言った。『昔、塩土老翁から、「東には良い土地がある。そこに飛び降りた者がいる。」と聞いた。その土地は日本国の中心になる土地だ。飛び降りた者はニギハヤヒだろう。その土地を横取りして、自分たちの都にしようと思う』。
 すると、兄や息子たちが『当然だ。早く行って、強奪して、自分達のものにしよう』と答えた。・・・

 (★ 余談ですが、欲しいものは、ニギハヤヒの領土だろうと、誰の領土だろうと、無条件で手に入れるのが、古代人のポリシーでした。『勝てば官軍、負ければ賊軍』の世界観です)。


 先代旧事本紀では、ニギハヤヒは、アマテラスから「十種神宝」を授けられて、天の磐船で、大阪府交野市の天野川上流の「イカルガの峰」に天孫降臨して、奈良県の「トミのシラニワ」に還りました。

 ここで大事なことは、事代主と同じように、ニギハヤヒも、北大阪(淀川水系)に辿り着いたことです。しかも、事代主の祖父の三嶋溝杭や、母親で女酋長の勢夜陀多良比売の勢力権が有ったと考えられる交野市・枚方市方面だったのです。

 ★ ニギハヤヒは、高天原の神霊で幽霊です。降臨したということは、人間に憑依したということになります。だから、事代主に憑依して人間活動を行ったことになります。
 そして、「ニギハヤヒ天皇神武」は、同時に「事代主天皇神武」でも有る訳です。


B-エ) 両者ともに、大国主の、子供である。

a) スサノオの子供たちが、奈良を支配した。

 スサノオの子供の五十猛は、和歌山に入城しました。
  先代旧事本紀に、『五十猛の別名は大屋彦。五十猛・大屋津姫・抓津姫の3人は紀伊の国に渡った。和歌山市伊太祁曽(いだきそ)の「伊太祁曽神社」の祭神』。
   (日本書紀・神代上・第八段一書4と5にも、3人が紀伊に渡ったと書かれて有ります)。

 また、同じく、スサノオの子供の大歳も、奈良・京都・兵庫方面に入植しています。(近畿各地の神社の伝承や祭神からの推測)。

 そして、スサノオの子供で、兄の「八十神」たちからイジメ倒された大国主が、兄たちを切り伏せて勢力を拡大しました。
 (奈良の大歳の勢力は、大国主に屈服し帰順しました。あるいは追放されました)。


b) 事代主の父親は、奈良の三輪山の大物主(大国主)だった。

 奈良を支配する過程で、「大物主」の異名を持った大国主が、淀川水系の三嶋溝杭と同盟するのは当然であり、ウケイ(誓約・盟約)の証として、勢夜陀多良比売と結婚するのも必然であり、その子供の事代主が、大阪・奈良で君臨できるのも自然の流れでしょう。

 ★ 大国主の子供では、事代主・アシスキタカヒコネ・建御名方が有名ですが、アシスキタカヒコネは美濃で戦死し、建御名方は信濃に移動しました。
  奈良に入城し、残留して天皇になった可能性は、事代主しか考えられません。


B-オ) ニギハヤヒは、大国主の「義理の子供」だった。(説)。

 播磨国風土記・飾磨郡・伊和の条に、『昔、大汝命の子の火明命は、強情で行状も猛々しかった。そのため・・・』と見えます。
  この火明命は、通説では、オシホミミの子供の「天の火明命」に同一視されます。

 また、一説に、『ニギハヤヒは、天上で、(大国主の娘の説の)「天の道日女」を娶って、「天の香語山」を生んだ。』ようです。
  すると、大国主の娘婿ですから、「義理の子供」になりますが、元々、ニギハヤヒはスサノオの孫に当たりますから、「叔父と甥」の親族関係でした。

 ★ ニギハヤヒは、忍穂耳の子供で、ニニギとは兄弟でしたが、大国主の系列に取り込まれて、「出雲神」として扱われました。

 (海人族の母親から生まれた説の)大海人天皇は、大のアマテラス・ファンで、海人族びいきでしたが、出雲族に取り込まれたニギハヤヒを、苦々しく思い、徹底的に封印したのではないかと思います。
 同時に、「事代主天皇」などは、絶対に、後世には残したくない名前だったと思います。


B-カ) ニギハヤヒと事代主は、両者とも、船にまつわること。

 出雲に「青柴垣神事」が有ります。この点について、日本書紀・神代下・第九段本文六に、

 『二~、於是、降到出雲國五十田狹之小汀、・・・時大己貴~對曰「當問我子、然後將報。」是時、其子事代主~、遊行、在於出雲國三穗・・・時、事代主~、謂使者曰「今天~有此借問之勅、我父宜當奉避。吾亦不可違。」因於海中造八重蒼柴柴、此云府璽籬、蹈船竭D竅A此云浮那能倍而避之。使者既還報命。』
    (簡略の翻訳をしますと)、
 『武甕槌と経津主の二神が、出雲に降り立った。大国主が『事代主と相談する』と答えた。この時、事代主は美保にいた。二神の使者が事代主に事情を説明した。
 事代主は『国譲りに従う』と答えて、海の中に青柴垣を作り、船の「へさき」を踏んで、姿を隠してしまった。』というような、感じです。

 ★ ここで、不思議なのは、船を引っくり返して、その中に隠れてしまったことです。なぜ、船なのか。
   B-ウ・aで述べたように、
 山陰海岸を船で東に向かい、最終的に大阪に入ったこと。それと、ニギハヤヒの「天の磐船」での降臨との、二重性が考えられます。


B-キ) 「神武東征」のニギハヤヒは、ウソである。

a) 記紀神話では、ニギハヤヒが、神武天皇に帰順して、仕えたことになっています。

 ところが、先代旧事本紀では、ニギハヤヒは、息子の宇摩志麻治が生まれる前に死亡しました。神武東征の時には、宇摩志麻治と長髄彦が居て、宇摩志麻治が、神武天皇に帰順して仕えました。


b) ニギハヤヒは、神武東征の前に、奈良の「大王」だった。

 記紀神話の神武東征では、奈良の頂点に、ニギハヤヒが君臨していたことが記載されています。


B-ク) 大国主(大物主)の子孫が、皇后を輩出した。(つまり兄弟結婚をした)。

 大国主(大物主)の子孫が、皇后を輩出したり、重臣として朝廷を取り囲みますが、古代は基本的に、兄弟結婚をしますから、皇后が大国主の子孫なら、天皇も大国主の子孫ということになります。

 ですから、事代主は、北大阪の祖父の地盤を根拠に奈良を侵攻支配して、天皇(事代主天皇神武)に即位したことになり、皇后も事代主の兄弟姉妹ということが導かれます。
 そして、二代目以降の天皇も皇后も全部が、事代主の子孫になります。


B-ケ) 事代主・ニギハヤヒを祀る神社が、奈良に多く有るが、神武天皇系統の神社は少ない。

 宮中の「八神殿の神」に、第1順位に「カミムスビ」、8位に「事代主」が有りますが、両者は出雲系の神です。さらに、事代主を祭るのは不自然です。また、奈良で古代から存続する神社は、出雲系ばかりで、中でも、大国主系統の神社は破格の格式が与えられています。


B−コ) 淀川の豪族の三嶋溝杭の娘が、何で、三輪山の勢夜陀多良比売なのか。

 三嶋溝杭が、大阪の淀川水系の豪族だったとしても、その娘が、何で、奈良の三輪山の大物主の妻の勢夜陀多良比売になるのか、距離的に離れているではないか、という疑問が生じます。

 この点について、古代は、淀川に繋がる「河内湖」の奥に「大和湖」があり、船で淀川から三輪山まで航海できましたから、三嶋溝杭が、三輪山の現地妻に生ませた娘が勢夜陀多良比売であり、(後から遣って来た)大物主(大国主)が勢夜陀多良比売を娶った、と考えられそうです。
 (そうすると、事代主は、大阪ではなく三輪山に入った可能性も有りますが、分かりません)。

 また、美保津姫(勢夜陀多良比売)は、大国主に付き従って出雲に入った可能性がありますが、晩年は出雲で没したか大阪に帰ってきたかは不明です。
 (稲羽の八上姫も、出雲に来て子供を産んだが、子供を残して、因幡の国に帰っています)。


C 実は、本当のところは、誰にも分からなかった。

 古代の日本には、各豪族の神々が「天孫降臨」して、豪族ごとに「神話」が有りました。

    (日本書紀の欽明天皇即位二年春三月の条に)、
 『・・・帝王本紀、多有古字、撰集之人、屢經遷易。後人習讀、以意刊改、傳寫既多、遂致舛雜、前後失次、兄弟參差。今則孝覈古今、歸其眞正、一往難識者、且依一撰而註詳其異。他皆效此)。・・・』
    (簡略の翻訳)
 帝王本紀は、多くの古い文字が有り、撰集者もコロコロ変わった。その後の人が習い読むときに、意図的に改変したりした。写本も多く出回り、間違いも有る。前後の順番が失われたり、兄弟の順序も違っている。
 今、古きを推測して真正に復帰させた。ただし、真実を知り難いものは、その中の一つを選び出すが、その他の異なるものも注釈として詳細に書くことにした。他のものも、皆、これに従っている。

 つまり、記紀神話の編集以前に、数多くの「伝承」が有ったが、各々バラバラの伝承だったので、訳が分からなかった。だから、古事記を表した大海人天皇にも分からず、完璧な整理が出来なかった。


D 終わりに。

 『ニギハヤヒが事代主である』という決定的証拠は見つかりません。それは、事代主は物質的な人間であり、証明が可能ですが、ニギハヤヒは精神的な神霊ですから、精神は証明が出来ないと言う事だ、と思います。

 しかしながら、記紀神話の神武東征がニギハヤヒの時代に合致せず、逆に、ニギハヤヒと事代主が同時代であること。奈良県各地の神社で大国主系統の「出雲神」が破格の待遇で祭られている事実。
 ニギハヤヒと事代主の子孫が大和朝廷の皇后・重臣として天皇を取り巻いている事実などから、消去法的に、状況証拠的に考察すると、『ニギハヤヒが事代主に憑依した』と考えざるを得ません。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/433.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の38)・「ニギハヤヒの東遷と、ニニギの南遷」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「ニギハヤヒの東遷と、ニニギの南遷」に、ご興味をお持ちでしょうか。ニギハヤヒ・ニニギは福岡に居たと思われますが、両者ともに福岡を放棄してしまいました。

 今回は、この移動の謎に迫ってみたいと、思います。


A なぜ、福岡から移動したのか。

 古代の日本にとって、北九州は「海の玄関口」でした。それは、北向きで一方通行の対馬暖流を利用した朝鮮半島との交易の拠点があったからです。
 (また、古代遺跡の発掘調査などから、朝鮮や中国との交流拠点は、(小規模・一時的なものを除いては)福岡以外には考えられませんでした)。

 では、なぜ、北九州を捨てて、鹿児島とか奈良方面に、移動したのか。移動するには、移動するだけの理由が必要です。


B ★ 天の采配だった。VRゲームだった。オカルトだった。

 私たちが、古代史を眺めるとき、それは、自然発生的に歩んだ結果が、『古代史そのものだ』と思っていますが、それは、大きな間違いでした。

 私たちの世界は、6,500年間のタイムスパンに組み込まれた「ショー」であり「演劇」であり、「思考と体験」のためのVR(バーチャル・リアリティー、仮想現実)なのです。
  つまり、紀元前4,500年に、今の「第7次太陽系次元」が始まり、紀元前3,000年ころにメソポタミアで「スメル王朝」が始まり、科学技術を獲得する戦いが行われ、今日まで続いています。


 『じゃあ、エジプトの巨大ピラミッドは、何なのだ』と言われると、『あれは、前次元の遺物であり、オーパーツの一つです。私たちの世界が、現実では無く、虚構であることを発見させるための「手掛かり」、「証拠品」として、故意に残してあるものです。
  
  よく考えてください。ツタンカーメンやクレオパトラの時代のピラミッドは小さいし、ピラミッドそのものも無く、「王家の谷」に横穴を掘って墓にしているだけです。

  巨大ピラミッドを作らなかった訳は、巨石が重たくて運べないからです。じゃあ、実在する巨大ピラミッドは、どうやって作ったのかと言えば、前次元は、重力が今よりも小さく設定されていたからです。

 仮に、重力が10分の1なら、重さも10分の1です。無重力なら、巨石も発泡スチロールになるし、ニギハヤヒの「天の磐船」が空を飛ぶし、スサノオが天上に駆け上がることも可能になるのです。

 重力の設定なんか、「パソコン右クリック」→「オプション→重力の設定と変更」→「OK」、で簡単に変更できます。

 ★ その意味において、これからの世界には、科学の常識に反することや、理屈に合わない事象が次から次に出現すると、予測します。


  世界は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結し、2013年から崩壊に向けての「逆流・逆転・逆バイアス」の期間に入りました。
  そして、
「火(日)」と「水(月)」の洗礼(いわゆる「富士と鳴門の仕組」)が、年々、激化してゆきます。『人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、』(紫金の巻・第五帖)の地獄絵が展開されます。


C (話を戻して)、北九州を捨てた理由。

(北九州を捨てた理由は、第1には、朝鮮半島情勢です)。

 魏というか西晋というかの滅亡によって、中国の支配による朝鮮半島の安定が失われました。(304年からの「五胡十六国時代」を参照)。
 これらの派生から、高句麗が朝鮮を統一し、やがては日本を侵略する可能性が出てきたことです。

 それと、朝鮮半島南岸部の、加羅系倭人と安羅系倭人との対立・武力闘争、(あるいは呉系倭人と越系倭人との対立)の激化で、洛東江の安定が失われ、連鎖反応で、北九州の安定も失われたと考えられます。


(第2の理由は、日本の統一に向けての動きです)。

 北九州は、朝鮮との窓口であり、ひいては中国との国交の窓口でも有りましたが、日本全体で見ると、西の端の福岡よりも、中心軸にある奈良や京都のほうが利便性が有りました。
 
 陸路が整備されなかった古代には、海上交通が唯一の交通機関でしたから、大阪湾に面した奈良・大阪が、首都として最適でしたが、「五街道」などの陸路が整備されると、京都に遷都されました。


(軍事・防衛上からの首都の選定)

 軍事・防衛上で考えた場合には、福岡は、朝鮮からの海軍力の総攻撃で壊滅してしまいます。

 奈良であれば、福岡を攻略しても、長い瀬戸内海を通過しなければ、大阪湾には到達できませんし、大三島とか、児島湾とか、淡路島・武庫之津などに、日本海軍を敷設して迎撃すれば、一気に奈良を陥落させることは出来ません。

 また、奈良が陥落しても、陸路を伝って、東海・関東へ引き下がることが可能になります。

 また、鹿児島に控えた「ニニギの第二海軍」が、朝鮮・中国海軍の背後を襲うことが可能ですし、最悪、「鹿児島の海軍」が急襲された場合には、「黒潮」に乗って、東海方面に脱出することも可能です。


★ 以上のように考えると、これらの「ニギハヤヒの東遷と、ニニギの南遷」は、自然発生的に起きたものではなく、神の計画と指示によることが分かります。
   つまり、
 6,500年間のプログラムとスケジュールが「ぱあ」になると困るから、人間に分からないように、無意識や自然現象の形式を採ったりして誘導したものだと、想像します。


C ニギハヤヒに付き従う重臣たち。(先代旧事本紀)。

 ニギハヤヒの東遷と、ニニギの南遷に随行する神々には違いが見られました。ニギハヤヒには、アマテラスから、十種にわたる神宝が授けられると共に、数多くの神々たちも授けられました。


(ニギハヤヒの東遷に付き従った、豪勢な神々たち)

 第一には、高皇産霊尊の命令で、32柱の神々が付き従って、降臨した。(★誤記あり、要確認)

 1・天香語山(カグヤマ)・・・尾張連らの祖−−−−−−−−−−(ニギハヤヒの息子)
 2・天鈿女(ウズメ)・・・猿女君らの祖−−−−−(ニニギの時にも出演)
 3・天太玉・・・忌部首らの祖−−−−−−−−(ニニギの時にも出演)
 4・天児屋(コヤネ)・・・中臣連らの祖−−−−−−(ニニギの時にも出演)
5・天櫛玉・・・葛城の鴨県主らの祖
6・天道根・・・紀の直の祖で、川瀬造らの祖−−−−−−−−(神武東征でも出演)
7・天神玉・・・葛野の鴨の祖で、三嶋県主らの祖
8・天椹野(クヌノ)・・・伊勢の中跡(ナカト)の直らの祖
9・天糠戸(ヌカト)・・・石凝戸辺(イシコリトベ)の親で、鏡作連らの祖
 10・天明玉(アカルタマ)・・・玉作連らの祖
 11・天牟良雲(ムラクモ)・・・度会(ワタライ)の神主らの祖−−−−−(1の天香語山の子)
 12・天神立または天背男・・・鴨氏以前の京都伏見区の山背の久我直らの祖
 13・天御陰(ミカゲ)・・・大阪府の凡河内(オオシコウチ)直らの祖
 14・天造日女(ツクリヒメ)・・・綿積の子で、穂高見の子孫の安曇連らの祖
 15・天世平(ヨムケ)・・・12の天背男と類似する(?)、山背の久我直らの祖
 16・天斗麻弥(トマネ)・・・大和郡山の額田部(ヌカタベ)の湯坐(ユエ)の連らの祖
 17・天背斗女(セトメ)・・・尾張の中島の海部(アマベ)の直らの祖
 18・天玉櫛彦(タマクシヒコ)・・・間人(ハシヒト)の連らの祖
 19・天湯津彦(ユツヒコ)・・・安芸国造らの祖
 20・天神魂(カムタマ)又は三統彦(ミムネヒコ)・京都葛野(カドノ)の賀茂県主らの祖・(神武東征に出演)
 21・天三降(ミクダリ)・・・豊田(豊国)の宇佐の国造らの祖
 22・天日神(ヒノカミ)・・・対馬の県主(下県郡)のアマテル神社の祭神
 23・乳速日(チハヤヒ)・・・広沸瑞神麻続(ヒロセノカムオミ)の連らの祖、(北葛城郡・広瀬大社)
 24・八坂彦(ヤサカヒコ)・・・伊勢神麻続(イセノカムオミ)の連らの祖
 25・伊佐布魂(イサフタマ)・・・倭文(シドリ)の連らの祖
 26・伊岐志弥保(イキシニホ)・・・山代(ヤマシロ)の国造らの祖、ニギハヤヒの後裔
 27・活玉(イクタマ)・・・新田部(ニイタベ)の直らの祖
 28・少彦根(スクナヒコネ)・・・鳥取(トトリ)連らの祖
 29・事湯彦(コトユツヒコ)・・・取尾(トリオ)連らの祖、中臣氏らの系統
 30・表春(ウワハル)・八意(ヤゴコロ)の思兼神(オモイカネ)の子、信乃(シナノ)の阿智の祝部(イワイベ)らの祖
 31・天下春(シタハル)・・・武蔵の秩父の国造らの祖
 32・月神(ツキノカミ)・・・壱岐の県主らの祖

 第二には、五部(いつとものお)が、副い従って、天降った。(★誤記あり、要確認)

 1・天津麻良(アマツ・マラ)・・・物部の造らの祖
 2・天勇蘇(アマノ・ユソ)・・・・・笠縫部らの祖
 3・天津赤占(アマツ・アカウラ)・・・為奈部(イナベ)らの祖
 4・富富侶(ホホロ)・・・・・・・・・・十市部(トオチベ)の首らの祖
 5・天津赤星(アマツ・アカボシ)・・・筑紫の弦田物部(ツルタ・モノノベ)らの祖

 第三には、五部の造が、供領(とものみやつこ)になって、天物部(アマノ、モノノベ)を率いて、天降った。

 1・ニ田造(フタダノ・ミヤツコ)
 2・大庭造(オオバノ・ミヤツコ)
 3・舎人造(トネリノ・ミヤツコ)
 4・勇蘇造(ユソノ・ミヤツコ)
 5・坂戸造(サカトノ・ミヤツコ)

 第四には、天物部(アマノ、モノノベ)の25部が、天降った。(★誤記あり、要確認)

 1・ニ田物部(フタダ)・説)筑前国鞍手郡ニ田郷か筑後国竹野郡ニ田郷→和泉国泉郡上泉郷二田へ
 2・当麻物部(タギマ)・・説)・肥後国益城郡当麻郷か託麻郡から→大和国葛下郡当麻郷へ入植
 3・芹田物部(セリタ)・・説)・筑前国鞍手郡生見郷芹田から→大和国葛上郡と葛下郡の芹田へ
 4・馬見物部(マミ)・・(説)・筑前国嘉麻郡馬見から→大和国葛下郡馬見への入植説
 5・横田物部(ヨコタ)・・(説)・筑前国嘉麻郡郡横田村から→大和国添上郡横田村への入植説
 6・嶋戸物部(シマト)・・説)・筑前国遠賀郡島門から→大和国高市郡島への入植説
 7・浮田物部(ウキタ)・・(説) 不明、から→大和国葛下郡浮田村か、奈良県五條市の「浮田の社」か
 8・巷宜物部(ソガ)・・(説)・筑前国早良郡曽我郷から→大和国高市郡曽我への入植説
 9・足田物部(アシダ)・・説)・筑前国鞍手郡足田から→大和国城上郡辟田(ヒキタ)への入植説
 10・須尺物部(スサカ)・・(説) 不明
 11・田尻物部(タジリ)・・説)・筑前国上座郡田尻村か筑後国三池郡田尻→大和国葛下郡田尻村
 12・赤間物部(アカマ)・・説)・筑前国宗像郡赤間か長門国豊浦郡赤間(下関市)から→ 不明
 13・久米物部(クメ)・・(説)・ 不明、 から→大和国高市郡来米郷への入植説
 14・狭竹物部(サタケ)・・説)・筑前国鞍手郡粥田郷小竹から→大和国城下郡狭竹村への入植説
 15・大豆物部(オオマメ)・・説)・筑前国穂波郡大豆村から→大和国広瀬郡大豆村への入植説
 16・肩野物部(カタノ)・・説)・豊前国企救郡片野村から→河内国交野郡交野郷への入植説
 17・羽束物部(ハツカシ)・・説)・筑前国遠賀郡波津村、波津浦か、→京都の羽束郷、羽束師か不明
 18・尋津物部(ヒロキツ)・・説)・豊前国上毛郡広津から→大和国城上郡尋津への入植説
 19・布都留物部(フツル)・・説)・筑前国鞍手郡古門か古月か、→大和国の布留山の石上神宮か不明
 20・住跡物部(スミト)・・説)・ 不明、から→摂津国住吉郡住道郷への入植説
 21・讃岐三野物部(サヌキノミノ)・・説)・筑前国宗像郡蓑生(ミノウ)郷から→河内国若江郡三野への説
 22・相槻物部(アイツキ)・・説)・不明、から→大和十市郡両槻村か桜井市の「池辺双槻の宮」か不明
 23・筑紫聞物部(ツクシノキク)・・説)・豊前国企救郡か、から→不明
 24・播磨物部(ハリマ)・・説)・不明、から→播磨国明石郷への入植説、不明
 25・筑紫贄田物部(ツクシノニエタ)・・説)・筑前国鞍手郡新分(ニイキダ)郷から→不明

 第五には、船長が、梶を取る者を率いて、天降った。

 1・天津羽原(アマツ・ハバラ)・・・船長で、跡部(アトベ)首らの祖
 2・天津麻良(アマツ・マラ)・・・・・舵取りで、阿刀(アト)造らの祖
 3・天津真浦(アマツ・マウラ)・・・・船子で、倭鍛師(ヤマトノカヌチ)らの祖
 4・天津麻占(アマツ・マウラ)・・・・曽曽笠縫(ソソカサヌイ)らの祖
 5・天津赤星(アマツ・アカホシ)・・・為奈部(イナベ)らの祖

★ 以上の神々全部で、古代の奈良・京都・大阪周辺の豪族の、ほぼ全てが占められそうです。


  ↓以下の、ニニギの降臨に比べて、いかに盛大であったか、比較してみてください。


D ニニギに付き従う重臣たち。

 記紀神話によると、(ニギハヤヒの「十種神宝」に対し)、ニニギには「三種の神宝」が授けられました。

 そして、天児屋(アメノ・コヤネ)・天太玉(アメノ、フトダマ)・天鈿女(アメノ・ウズメ)・石凝度売(イシコリドメ)・玉祖(タマノオヤ)の5人だけが、付き従って降臨しました。

また、ニギハヤヒには、北九州の出立時から、地元周辺の豪勢な護衛が取り巻きましたが、ニニギには、(伊勢方面の海人族の)猿田彦が出張で応援に駆けつけるという、格差が有りました。

 ★ ニギハヤヒの陣容とニニギの陣容を比較すると、ニギハヤヒが、北九州の豪族のほとんど全部を引き連れて行きました。このため、北九州は「もぬけの殻」になりました。


E その後のニニギは、隼人に憑依した。

 ニニギは高天原の神霊ですから、人間活動をするためには、人間に憑依しなければなりません。

    (日本書紀・神代下・第九段・本文9に)、
 『其地有一人、自號事勝國勝長狹。皇孫問曰「國在耶以不。」對曰「此焉有國、請任意遊之。」故皇孫就而留住。・・・』
    (簡略の翻訳に)、
 「その地(吾田)に、一人の人間が居た。名を事勝国勝長狭と言った。皇孫のニニギが問うた『ここに国は有りや否や』。答えて言った『ここに国が有る。好きにされよ。それで、留まって住んだ。・・・」

    (日本書紀・神代下・第九段・一書2−4に)、
 『是時、天照大~、手持寶鏡、・・・故、天津彥火瓊瓊杵尊、降到於日向槵日高千穗之峯、而膂宍胸副國、自頓丘覓國行去、立於浮渚在平地、乃召國主事勝國勝長狹而訪之。對曰「是有國也、取捨隨勅。』
    (簡略の翻訳に)、
 「・・・ニニギは、高千穂に降臨した。海上の浮島に立って、国主の事勝国勝長狭を呼んで尋ねた。すると長狭は『ここに国が有ります。得るも捨てるも御自由に』と答えた」と有ります。

  この後の条では、~吾田鹿葦津姫(木花開耶姫)を娶った話に続きますから、二二ギが憑依した人間は、国主の事勝国勝長狭ではないかと、想像します。
  通説に、事勝国勝長狭は、イザナギの子供であり、別名には「塩土老翁」と有ります。

   すると、ニニギ=事勝国勝長狭=塩土老翁=住吉三神。(ニニギは海人族の守護神)。


 また、この降臨の時、「古事記」では、(大伴連の祖の)天の忍日と、(久米の直の祖の)天津久米の2人が、ニニギを出迎えたようです。
  (通説では、大伴連と久米直のルーツは、「神武東征」に付き従った、鹿児島方面の海人族と云われています)。

   「薩摩国風土記」逸文の「竹屋の村」の条には、
 『ニニギが高千穂に天下り、ここから薩摩の国のアタ(阿多・吾田)の郡の竹屋(タカヤ)の村に移って、土地の人の竹屋守(タカヤモリ)の娘を召して、その腹に二人の男子をもうけ、その所の竹を刀に作って、臍(ホゾ)を切った。その竹は今も有ると言っている』。

    (★ この時に、生まれた二人の男子は、海幸彦と山幸彦の説が有ります)。


F その後の、ニギハヤヒ。

 ニギハヤヒは、奈良に入城すると、初代の天皇に即位しました。(ニギハヤヒ天皇神武、あるいは事代主天皇神武、と想像します)。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/437.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の39)・「忍穂耳と大国主は、泣きながら子孫を見送った」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「忍穂耳と大国主は、泣きながら子孫を見送った」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 子供は、親の屍(しかばね)を乗り越えて、未来に生きてゆくものであり、親は、泣きながら子孫を見送るものです。

  (子供は、前を向いて生きるものであり、老いた親のために、後ろを振り返るものでは有りません)。


 ★ 今の日本は間違っています。親の介護のために、子供が仕事を辞めたり、仕事を圧迫されたり、子供の家庭が崩壊させられています。
 (老いた親には未来は無く、何の生産価値も持ちません。反対に、子供には未来があり、無限の可能性が有ります)。

 未来社会では、高齢者の介護は、国家・共同体社会の全体が対処し、個人・子供たちはタッチしないと、想像します。

  (未来には、「家族」とか「親子」とか「民法の相続」などの概念は存在せず、おそらく、「共生社会」とでも云うべき共同体社会に成っていると、想像します)。


A ★ オカルト・ゲームでの、国家百年の大計。

 私たちの世界はバーチャルであり、「第7次太陽系次元」というゲームですが、6,500年間のタイム・スパンの中で、神の意識が地上に降臨して人間活動を行い、様々な「思考と体験」を通じる中で、意識進化することを、ゲームの最大の目的としています。
  その意味において、
最も大切なことは、社会的に成功することではなく、金持ちに成ることでもなく、子供や孫に恵まれることでもなく、『何を学んだか』だと思います。
  とは言うものの、
ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で「第7次太陽系次元」が完結し、2013年からは「変換の仕組」に入っていますので、『今さら何を言おうと・・・』という感じはするのですが。


 まあ、とにかく、日本人が長い放浪の旅から、日本という「安住の地」を得て、移住をしたのですが、ゲームの宿敵が高句麗に変換されて、朝鮮を統一し、やがて日本を侵略して滅ぼすことが予見されました。

 ゲームの主体の「日本と日本人」が滅亡すると、ゲーム・オーバーで、「第7次太陽系次元」が瓦解しますから、日本の防衛のために、高天原の神々が動きました。

 ニギハヤヒ(事代主)や、中核の豪族たちを奈良に移動させて、日本の防衛と繁栄の基点にさせました。そして、忍穂耳(忍骨命)と大国主を捨石にして、北九州と出雲の霊的守護をさせました。


★ 記紀神話は、あらかじめ定められたスケジュール・プログラムどおりに、ゲームが進行している、という視点で読み解くと、楽しいです。


B 古代人の名前は、分からない。

 魏志倭人伝に、古代の日本人の官命(名前)が登場します。魏略と魏志の2つが有り、少し違いますが、内容は大体一致しています。

 魏略、『対馬国に至る。大官は卑狗(ヒコ?)、副は卑奴(ヒナ)』
 魏志、『対海国(対馬国)に至る。大官を卑狗(ヒコ?)、副を卑奴母離(ヒナモリ)』

   (卑狗は「ヒコ・彦」(男子)で、卑奴は卑奴母離(ヒナモリ)で「夷守」、守備隊長のことか不明)。

 魏略、『伊都国に到る。(官を)置く。爾支(ニキ?)、副は洩渓觚(エケコ?)、柄渠觚(エココ・ヘキコ?)。』
 魏志、『伊都国に到る。官は爾支(ニキ?)、副は泄謨觚(セモコ?)、柄渠觚(エココ・ヘキコ?)』

   (爾支(ニキ)は、ニニギ(ニニキ)のニキ。副の洩渓觚(エケコ?)・泄謨觚(セモコ?)、柄渠觚(エココ・ヘキコ?)は、蘇我「馬子」・中臣「鎌子」などと同じか不明)。

 魏略、『女王の南、また狗奴国あり、男子を王とする。官は拘右智卑狗。女王に属さず。』
 魏志、『その南に狗奴国あり、男子を王とする。官は狗古智卑狗。女王に属さず。』

   (狗奴国の男王の拘右智卑狗・狗古智卑狗は、女王国の南の熊本県の「菊池彦」のことか不明)。

 魏志、『奴国に至る。官は兕馬觚(シマコ?)、副は卑奴母離という。』
 魏志、『不弥国に至る。官は多模(タモ?)、副は卑奴母離(ヒナモリ)という。』
 魏志、『投馬国に至る。官は弥弥(ミミ?)。副は弥弥那利(ミミナリ?)という。』
 魏志、『邪馬台国に至る。官は伊支馬(イキマ?)、次は弥馬獲支(ミマカキ?)、次は奴佳鞮(ヌカテ?)』


★ 古代人の実名は、ほとんど分かりません。名前には霊力が有ると信じられたので、呪詛の対象にされるのを恐れ、近親者か目上の人以外には教えませんでした。
 特に、女性の名前は分かりません。江戸時代でも「誰々の女(むすめ)」と呼び、(基本的に)寺の戒名にも実名は記載されませんでした。

 また、目上の人の名前を呼ぶことは失礼とされたので、官命やニックネームで呼びました。たとえば、「徳川内府さま」・「太閤殿下」など。

  ですから、記紀神話の作成でも、実名は分からず、ニックネームや業績などから適当な名前を付けています。

 蘇我馬子は「うましこ」で優れた男の意であり、蘇我蝦夷は恵美志だったかも、知れません。


C 忍穂耳の名前を推理する。

 忍穂耳には「忍骨命」の別名も有りますが、上記の『魏志、『投馬国に至る。官は弥弥(ミミ?)。副は弥弥那利(ミミナリ?)という。』を参考に考えてみたいと、思います。


 忍穂耳は、一見すると個人名に見えますが、大阪の古代豪族の三嶋溝橛耳~(三嶋溝杭耳)にも耳が付いています。三嶋溝杭耳は淀川水系を支配した倭人であり、「三島神」とも云われますから、海人族の親分と考えられます。

 すると、忍穂耳とは、忍穂・耳のことであり、「大潮・耳」ではないか、という疑問が浮上します。


 では、「耳」とは何か。(淀川水系の三嶋溝杭耳から想像するには)、「耳」は、海(うみ)のミ、水(水津)のミではないのか。つまり、海見(うみみ)、水見(みずみ)であり、海見守り、水見守りの意味ではないのか。

 (あるいは、「ミ」は「霊」のことであり、「霊(ち)」の発音変化ではないのか。海霊(みみ)、水霊(みみ)ではないのか)。

  すると、忍穂耳は、「大潮の海を見守る人」「大潮の海霊」であり、ひいては、海人族の親分の意味ではないのか、という発想が生まれます。


 また、忍穂耳の異名の「忍骨命」は、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の「忍骨命」として祀られていますが、この遠賀川の河口には港が有りました。

  神武東征の段で、神武天皇は、鹿児島・日向を北上して、(どういう理由か)遠賀川河口の「筑紫の岡田の宮」(筑紫の岡の水門)に滞在していますから、遠賀川河口に大きな港が有ったことが推理されます。

 これらから推理するには、忍穂耳は、北九州の海人族の大親分だった可能性が有ります。


D 余談ですが、魏志の『投馬国に至る。』と馬見山。

 魏志の「投馬国」には諸説が有り、今も不明ですが、「投馬国」の「馬」は、遠賀川上流の「馬見山」(標高978メートル)が連想されます。

 この馬見山ですが、ニギハヤヒの子供の「宇摩志麻治」の名前は、「うましまみ」で「美味し馬見」の説が有り、遠賀川上流の馬見山との関連性が指摘されています。

  また、馬見山のほぼ東には、標高1,200メートルの「英彦山」が有りますが、この「ひこさん」は日子(彦)に通じそうです。

 ★ すると、高天原は遠賀川に有ったし、アマテラスも遠賀川にいたのかという疑問が浮上します。

 ★ さらに、博多−大宰府−甘木ラインの邪馬台国の卑弥呼と、遠賀川ラインのアマテラス(あるいは高皇産霊尊)は、系統が違うのではないかという疑問が生じます。


E 忍穂耳(忍骨命)が、最初に降臨しなかった矛盾。

 記紀神話では、忍穂耳(忍骨命)は、アマテラスから天孫降臨するように命じられましたが、何かと理由をつけて、ニギハヤヒを降臨させたり、ニニギを降臨させたりしています。

 本当に、そうだろうか。もしも、忍穂耳(忍骨命)が、遠賀川を拠点にして北九州に展開した海人族の大親分だったとしたら、子供のニギハヤヒを奈良に展開させ、ニニギを鹿児島に控えさせるのは、軍事・防衛上の有効な作戦ではなかったか。

  (このように考えると、ニギハヤヒが、遠賀川流域の「天物部25部」などの大軍を率いて奈良に東遷するのは、理屈に適っています)。


 忍穂耳(忍骨命)の名前の「忍」は、忍ばれる、惜しまれる、の意味があり、遠賀川上流の福岡県の香春岳から、子孫の繁栄を見守っているのかも、知れません。


F 忍穂耳(忍骨命)の子孫が、「姓氏録」に有った(真偽不明)。

 「姓氏録」に『左京神別、弓削宿祢、出自天押穂根命洗御手、水中化生神尓伎都麻也』と見えますが、「天押穂根命」は忍骨命であり、忍穂耳のことではないかと想像しますが、どうでしょうか。

 もし、仮に、子孫が存在するなら、忍穂耳(忍骨命)は降臨したことになりそうです。


G 大国主(アメノホヒ)は、老齢のために出雲で死んだ。

 記紀神話では、大国主は、天孫降臨の犠牲になって、国を奪われ、杵築大社に幽閉されたことになっていますが、実は違うのではないのか。

 朝鮮の高句麗の台頭を予見して、国造りの完成のために、事代主を奈良に鎮座させ、建御名方を諏訪を拠点にした東国経営に走らせ、アシスキ・タカヒコネを東海道の平定に走らせた(残念ながらアシスキ・タカヒコネは美濃で戦死した)。

  (★ 先代旧事本紀の「国造本紀」に、関東地方の国造が載せられていますが、「天穂日(大国主)」の子孫が多く含まれています。
  建御名方は大国主の子供ですが、関東地方の国造に、建御名方と同じ「出雲族」が多く含まれるのは、不思議です)。


 そして、老齢の大国主は、出雲に残留して、日本海の防衛の任に当たり、杵築大社に鎮座して、子孫の繁栄を見守っているのかも、知れません。


 私の見解は、記紀神話の記述とは大きく異なっていますが、『まあ、オカルト・スピリチュアルの「お花畑」ですから』。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/438.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の40)・「欠史八代は、書きたくなかった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「欠史八代は、書きたくなかった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 欠史八代は架空との説が有りますが、実在したと思います。ただ、『書きたくなかったし、おおやけに、したくなかった』と言うことだろうと思います。


 ということで、私も書かないことにしますが、少しだけのヒントと、関連記事に、とどめたいと思います。


A 古事記も、書きたくなかったから、誤魔化している。

 古事記の中で、稗田阿礼は『~渟名川耳(2代天皇)から始まる八継ぎの天皇については何も聞いていませんし、語られていません。分かっているのは妃や御子のことだけです』として、苦しい胸中を語っています。

 これは、明らかに「おかしい」です。后妃の数や子供の数の詳細が分かっているのに、天皇の経歴の部分だけが分からないなどは、有り得ません。


 たとえば、山陰方面などの「楽々福(ささふく)」信仰などには、七代の孝霊天皇などの伝承が残されていますから、大海人天皇が知らなかったなどは、考えられません。


 ★ 日本書紀の欽明天皇即位二年春三月の条に「帝王本紀」が存在したことが書かれ、620年に蘇我馬子・聖徳太子らが天皇記・国記などを編纂し、645年の大化の改新で消失したと云われています。

 ★ ここで、よく考えてください。大海人天皇は古事記の原稿を稗田阿礼に読み習わせているのです。つまり、大海人皇子の時代に、これらの歴史書を十分に読んでいたからこそ、教えることが出来たのです。
 したがって、欠史八代については、全てを知っていたはずです。その上で、『こんな内容は後世に伝えるべきではない』と切り捨てたのです。


B 書きたくないのは、書けるような内容じゃ無かった。

 簡単に言えば、天皇や皇子たちによる皇后や妃の獲得合戦であり、それに伴う豪族たちの取り込みであり、「骨肉あい争う」乱脈経営です。

 そして、それが、第十代の崇神天皇神武イニエが、鹿児島から奈良に入城して天下を平定するまで続けられたと、想像します。


★ 崇神天皇イニエが奈良を鎮圧平定した理由は、3百年代の終わりには、高句麗が朝鮮半島を統一して、やがて、日本を侵略制覇し、日本の滅亡が予測の範囲内にあったから、「天の采配」として、神が動いたということです。


C どんな内容かは、想像がつく。

 古事記・日本書紀・先代旧事本紀の3冊を、重ね合わせれば、輪郭が浮かび上がります。

  あとは、中国の宮廷闘争や、源家三代、足利将軍家の内紛、徳川二代将軍・三代将軍などの骨肉の相克などを、思い起こせば、想像の範囲内だろうと思います。


D 欠史八代が実在した、根拠。

 それは、(天皇家の分家の)古代豪族の大半が、欠史八代の天皇をルーツとしていることです。欠史八代の天皇が実在したからこそ、子孫の豪族も後世に存続した訳です。

 それらが「姓氏録」に収められ、風雪に耐え抜いている訳ですから、事実であることが推測されます。

 ★ 欠史八代が虚偽の空想なら、古代豪族は先祖を持たない「根無し草」ですよ。そんな馬鹿なことは有りません。


E 天皇の名前の意味。

 「神」の付く天皇は、実在したけれども『怪しい天皇ですよ、ひねくって有りますよ、その真意を汲み取ってくださいね』ということです。

  神武天皇・崇神天皇・応神天皇の3人の天皇、神功皇后、~渟名川耳天皇(2代天皇)と兄の~八井耳命には「神」の名前が付いています。

   神武天皇は、ニギハヤヒ天皇であり、事代主天皇であること。

   崇神天皇は、重複する神武天皇であること。

   (だから、日本書紀の崇神紀『十二年春三月・・・故稱謂御肇國天皇也。』、御肇國天皇(はつくに、しらす)で初代天皇。
   ちなみに、神武天皇も神武紀『辛酉年春正月・・・而始馭天下之天皇、・・・』で始馭天下之天皇(はつくに、しらす)で初代天皇。
   何で「重複する神武天皇」かといえば、神武天皇紀が2人分の合成だからです。

  応神天皇は、仁徳天皇と兄弟であったこと。古事記の「品夜和気(ホムヤワケ)」が本当の応神天皇だと、推理します。

  神功皇后は、神が憑依して息長帯比売を乗っ取ったこと。神の依り代にされたこと。他にも神に乗っ取られた女は数多く居ます。

  ~渟名川耳天皇(2代天皇)と兄の~八井耳命は、公表したくないから、書きません。


 「足・帯・垂」(たらす)は、膨張すること、領土・国土を拡大させること、朝鮮に出張ること。

   (帯は、率いる・引き連れる意味も有ります。垂は、国の果ての辺鄙な土地の意味も有ります)。

 「根子」は、根っ子であり、奈良の土着の生まれだと、思います。

 「別」は、分け御霊です。ひいては分家です。

 「耳」は、古い名前の形式。彦火火出見(耳)(神武天皇)、~渟名川耳(2代の綏靖天皇)、玉手看(耳)(3代の安寧天皇)など。

    (つまり、3代までは古い天皇で、4代以降は新しい天皇。その理由は公表しません)。

 「入」は、奈良に新しく入った者だと、思います。崇神天皇の時にだけ見えます。


(諱(いみな)について)

 諱(いみな)とは、死後に尊敬して贈る「称号」、あるいは、死んだ人の生前の名前。
 諱(いみな)とは、「忌み名」であり、本来は、口に出すことが、憚(はばか)られる言葉。

 「実名敬避俗(じつめい、けいひ、ぞく)」とは、
   本名は、その人の霊的な人格と強く結びついており、呪詛の対象とされて、霊的な人格を支配できると考えられていた。

 ★ 「ウシの刻参りのワラ人形」は、現在の刑法では「不能犯」で無罪放免だが、古代人は、神が地上に降臨したり、人間に憑依していたと考えられるから、「丑の刻参りの藁人形」や呪詛は、本当に効力を持っていたかも、知れない。
   

F 事代主の子孫と、ニギハヤヒの子孫について。

 「姓氏録」を見ますと、ニギハヤヒの子孫は、物部系列と火明命系列で数多くの子孫が記載されています。ところが、事代主の子孫は、ほとんど見当たりません。

 これには、カラクリが有ります。つまり、事代主天皇(ニギハヤヒ天皇)の子孫は、皇族になりますから、天皇家の別れとして記載されており、欠史八代の天皇家の分家として「皇別」に記載されています。

 (天皇の子孫ですから、当然、先祖は天皇と記載され、事代主の子孫とは記載されていません)。


 じゃあ、『大田田根子の「大神朝臣」は何なんだ』と言うと、皇族に加えられなかった「周辺」のようなものです。

 また、ニギハヤヒの子供の、物部系列と火明命系列も同じで、物部初代の宇摩志麻治は、天皇家の一員に加えられなかったニギハヤヒの子供です。
 また、天香語山も、ニギハヤヒが奈良に入城する前に生まれた子供なので、ニギハヤヒの子供であっても、天皇家の一員には加えられませんでした。

  (彼らは、天皇家を取り巻く豪族として生きてゆくことに成りました)。


(その他の出雲族について)

 アシスキタカヒコネや大歳などの出雲族は、「姓氏録」では、「神魂命」の子孫として、まとめられているようです。アシスキタカヒコネや大歳などの名前では出てこないように思いますが、子孫は生き残っているように、感じます。


G 出雲臣について。

 出雲臣と事代主天皇家は違います。先祖は同じ出雲であっても、出雲臣は出雲に残った遠祖の別れです。事代主天皇家は出雲から奈良に移住した者であり、遠祖の別れになります。

 「親族六親等、姻族三親等」であり、それを超えると「他人」のようなものです。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/440.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の41)・「海幸彦と山幸彦の、知られたくない裏面史」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「海幸彦と山幸彦の、知られたくない裏面史」」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、鹿児島県は福岡県に支配されて、永い間、服従させられていたのではないか、と想像しています。

 まあ、ウソかホントかは分かりませんが、『記紀神話のことですから』と言うことで、ご理解ください。


A 「海幸彦と山幸彦」の物語の、日本書紀の気になる記述。

ア)  (日本書紀の神代下・第十段一書・四の一) 
 『一書曰、兄火酢芹命、得山幸利。弟火折尊、得海幸利、云々。弟愁吟在海濱、時遇鹽筒老翁、老翁問曰「何故愁若此乎。」火折尊對曰、云々。老翁曰「勿復憂、吾將計之。」計曰「海~所乘駿馬者、八尋鰐也。是竪其鰭背而在橘之小戸、吾當與彼者共策。」乃將火折尊、共往而見之。』

    (簡略の翻訳) 
 山幸彦が、兄の海幸彦の釣針を失くした一件で、海辺で泣いているときに、鹽筒老翁(塩土老翁)に出会って事情を説明した。 
 事情を聞いた塩土老翁は、山幸彦を連れて、(福岡県の)橘之小戸に有る海神の代官(鰐)に相談に行った。


イ)  (日本書紀の神代下・第十段一書・四の二) 
 『是時、鰐魚策之曰「吾者八日以後、方致天孫於海宮。唯我王駿馬、一尋鰐魚、是當一日之內、必奉致焉。故今我歸而使彼出來、宜乘彼入海。入海之時、海中自有可怜小汀、隨其汀而進者、必至我王之宮。宮門井上、當有湯津杜樹。宜就其樹上而居之。」言訖卽入海去矣。故、天孫隨鰐所言留居、相待已八日矣、久之方有一尋鰐來、因乘而入海、毎遵前鰐之教。 

    (簡略の翻訳)  
 塩土老翁と山幸彦の相談を受けた海神の代官(鰐)は、早速、海神の宮に報告した。早々に代官(鰐)が帰ってきて、山幸彦を海神の宮に送り届けた。 
 (後は、海神の宮で、山幸彦と豊玉姫が恋愛して、3年後に、日向の国に帰ってきて、兄の海幸彦をボコボコにする話に繋がります)。


ウ) ここで大事なこと。

 1つ目には、山幸彦と塩土老翁の二人が、海神の代官(鰐)が居る「橘之小戸」に行ったということ。

  この場合の「橘之小戸」は、(海神の宮が対馬に有ることを考えると)、福岡県の博多湾が想定されることです。
 
  (福岡県の遠賀川の可能性も否定できませんが、福岡県に間違い有りません)。

 ★ 「橘之小戸」の比定地については、日本書紀・仲哀天皇・即位八年の条に、仲哀天皇が九州に遠征した折に、(遠賀川河口の)岡の県主の祖先の熊鰐が出迎えた話が有ります。
 ここから考えても、福岡県に「橘之小戸」が有ったと考えられます。


 2つ目に大事なことは、海神の豊玉彦の海軍が、山幸彦を奉じて、日向(鹿児島県)に攻めてきて、海人族の海幸彦の一族郎党を、完膚無きにまでボコボコに叩きのめしたことです。

 このため、海幸彦が土下座をして泣きながら、子々孫々に至るまで、山幸彦の家来として臣従すると誓ったのは、周知の通りです。


B 海人族の海幸彦の子孫が、鹿児島県にいたこと。

 日本書紀の神代下・第十段本文四では、ホノスソリ(海幸彦)は、「吾田の君の小橋」らの祖先になったと有ります。この吾田は鹿児島県の吾田のことです。


C 記紀神話のウソと、本当の話。(あくまでも記紀神話上での解釈)。

ア) 豊玉姫が子供を産む目的で、日向(鹿児島県)に来たというのは、ウソだと思います。

 山幸彦が海神の宮に来て、豊玉姫と恋愛して3年間、同じ布団の中で暮らしていたのですから、直ぐに妊娠して、1年後には、ウガヤフキアエズが生まれており、3年後には、ウガヤフキアエズは2歳になっていたはずです。

  (3年後に、山幸彦が鹿児島県に帰ってきたのは、ウガヤフキアエズが2歳になって、乳離れをして安定し、乳児死亡のリスクが少なくなったためだと思います)。


イ) また、豊玉姫は、海神の宮(対馬)の女酋長だったと思います。

 つまり、古代は女系相続の時代だったので、土地や人民などの財産や先祖の祭祀は娘の豊玉姫が相続し、政治や軍事権などは父親の豊玉彦が掌握していたのだと思います。

 (その意味において)、女酋長の豊玉姫が、国を捨てて、鹿児島に嫁入りなんか、許されない話だったと思います。古代は基本的に「夜這いの妻問い婚」だったから、女は生家を離れません。

 ★ 対馬には、豊玉姫を主祭神に祭る神社が幾つも有ります。普通の女が主祭神に祭られることは、考えられません。ですから、豊玉姫は女酋長だったと思います。


D 福岡県の海人族が、進駐軍として、鹿児島県を実効支配し続けたこと。

 記紀神話では伏せられていますが、豊玉姫と豊玉彦が、山幸彦を「錦の御旗」に掲げて、鹿児島県を実効支配したと云う事です。


 (よく考えて頂きたいのですが)、山幸彦は、海幸彦との主導権争いに敗北して、体ひとつで、豊玉姫と豊玉彦の所に転がり込んだのです。

 その後、豊玉彦の海軍の支援を受けて、海幸彦に勝利して、鹿児島の主導権を握りました。

 そうすると、当然、豊玉彦に報償を与えなければなりませんし、鹿児島を支配するための軍事力や警察権は、豊玉姫と豊玉彦から借りなければなりません。

 ですから、福岡県の海人族が、進駐軍として、鹿児島県を実効支配し続けたことは、容易に想像がつくと言うものです。


E (解けないし、よく分からない)、豊玉姫の呪文。

    日本書紀・神代下・第十段一書四の五(抜粋) 
 『先是、豐玉姬、出來當産時、請皇孫曰、云々。皇孫不從、豐玉姬大恨之曰「不用吾言、令我屈辱。故自今以往、妾奴婢至君處者、勿復放還。君奴婢至妾處者、亦勿復還。』 

    (簡略の翻訳) 
 豊玉姫が、ウガヤフキアエズを産むときに、山幸彦に見られたので、『私の願いを無視して、私の出産を覗き見して、私に恥をかかせた。だから、これより以降は、私が、君の所に奴婢を送ったなら、返さなくても良い。(反対に)、君が私の所に奴婢を送った場合にも返さなくても良い。』・・・

     (解釈が難しい)。
 一般的に、喧嘩別れをして離婚をした場合には、お互いの財産は返還するのが常識ですが、上記の文章では、今までに送った豊玉姫の奴婢を返せとは書かれていません。
 それには触れず、『今後、相手方に送ったものは、お互いに返さなくても良い』としています。

 (逆説的に考えると)、お互いに「結界」を張って、『君(山幸彦)は、北九州や対馬には二度と来るな。鹿児島で生きていけ。』と遠回しに言っているのかも知れません。

 さらに、鹿児島に進駐している福岡の海軍や玉依姫付きの侍女たちにも、『お前たちは、今後は福岡に帰ってくる必要は無いから、ウガヤフキアエズと玉依姫の2人を護り、主君と仰いで、鹿児島に土着して生きていけ。』という解釈も出来そうですが、どうでしょうか。


F 神武東征は、豊玉彦(綿津身)の支援があった。

 山幸彦の孫の神武天皇(崇神天皇イニエ)が、「神武東征」を行いましたが、なぜか、福岡県の遠賀川河口の「岡の水門(港)」に立ち寄っています。

 (常識的に考えると)、日向から北上して奈良に入るのなら、大分県から右折して瀬戸内海に入れば良いはずです。

  ところが、なぜか、関門海峡を抜けて福岡県に入っています。不思議です。

 福岡県の綿津身に、「東征」の援軍を求めたのではないかと、想像します。


G (余談として)、鹿児島の海軍の「重層構造」。

 余談として、鹿児島の海人族の成り立ちを考えてみたいと、思います。

 初めに、鹿児島には、ポリネシア系・チアム系・長江系とかの海人族が居たと思いますが、やがて、北九州・朝鮮半島との交流を通じて、徐々に変質していったと思います。

 そして、ニニギが、福岡の海軍を率いて「天孫降臨」して、鹿児島を実効支配した。さらに、山幸彦が、海幸彦の率いるニニギの後継海軍を、上書きした。

 後になると、景行天皇の遠征によって、大和王権に組み込まれたし、後世には、国司の派遣・荘園支配・守護地頭の設置などで、複雑に「上書き」されたと、思います。


H ★ ところが、本当のことは、分かりません。

 記紀神話は「ウソの羅列」です。

 たとえば、先代旧事本紀に、『火折尊(山幸彦)と豊玉姫が、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊を生んだ』。また別に、『火折尊(山幸彦)と玉依姫が、武位起(タケ・クライオキ)を生んだ』とあります。

  (★ つまり、山幸彦は、豊玉姫との間にウガヤフキアエズを生み、玉依姫との間にも(尾張氏のルーツとか(「神武東征」に貢献した「椎根津彦」のルーツといわれる)武位起を生んだことになります。

  すると、玉依姫は、山幸彦の妻になって子供を産み、さらにウガヤフキアエズの妻にもなっても子供を産んだことになります。

  ★ 古代には、父親の妻を、子供が犯す事例が時折り登場しますが、どうなんでしょうか。


I ★ 反記紀神話的な解釈(想像)。

 山幸彦は、天孫降臨した主家の御曹司であり、海神の豊玉彦は臣下の家系であり、主従の関係は千年経っても変らない。
 鹿児島での海幸彦との主導権争いに破れて、北九州に落ち延びた主人の山幸彦が、北九州の豊玉彦に対して、軍勢を率いた出陣命令を下し、海幸彦をボコボコにした。
 そして、
『大儀であった』と謝意を述べて、さらに、娘の豊玉姫と玉依姫を「妾奉公」に差し出させた。豊玉姫が子供を産んだが、気性が激しいのを嫌って、暇を出して国許に帰らせた、という想像も成り立ちそうです。


結局、分からないから、どんな解釈でも成り立ちますが、『記紀神話の事ですから』。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/445.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の42)・「鹿児島の日向三代は、理解に苦しむ」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「鹿児島の日向三代は、理解に苦しむ」に、ご興味をお持ちでしょうか。一般に、(鹿児島を根拠地にした)ニニギ・山幸彦・ウガヤフキアエズを「日向三代」と言うそうですが、各種の文献を合わせて読むと、訳が分かりません。

 分からないので、飛ばしたいところですが、「お花畑」ということで、記事にしてみました。


A ニニギの出自は諸説ありますが、全然分かりません。(誤字脱字あり要確認)。

 古事記に、『忍穂耳と、高木神の娘の万幡豊秋津師比売が、天火明命・日高日子番能迩迩芸命の、2人を生んだ』。

 日本書紀に、『忍穂耳と、高皇産霊尊の娘の万幡姫が、天津彦火瓊瓊杵尊の、1人を生んだ』(第九段・一書二・4)。
 日本書紀に、『忍穂耳と、高皇産霊尊の娘の天万栲幡千幡姫が、天照国照彦火明命・天津彦火瓊瓊杵尊の、2人を生んだ』(第九段・一書八)。
 日本書紀に、『忍穂根と、高皇産霊尊の娘の栲幡千千姫万幡姫が、天火明命・天津彦根瓊瓊杵根尊の、2人を生んだ』(第九段・一書六・1)。
    (または、『忍穂根と、高皇産霊尊の娘の火之戸幡姫の娘の千千姫が、天火明命・天津彦根瓊瓊杵根尊の、二人を生んだ』(同上)。

 日本書紀に、『忍骨命と、高皇産霊尊の娘の天万栲幡千幡姫が、天之杵火火置瀬尊の、1人を生んだ』(第九段・一書七)。
   (または、『忍骨命と、高皇産霊尊の娘の万幡姫の娘の玉依姫が、天之杵火火置瀬尊の、1人を生んだ』(同上)。
   (または、『大耳尊と、丹舄(ニツクリ)姫が、火瓊瓊杵尊の、1人を生んだ』(同上)。
   (または、『忍骨命と、高皇産霊尊の娘の栲幡千幡姫が、火瓊瓊杵尊の、1人を生んだ』(同上)。
   (または、『天杵瀬命と、吾田津姫が、火明命・火夜織命・彦火火出見尊の、3人を生んだ』(同上)。

 先代旧事本紀に、『押穂耳と、高皇産霊尊の娘の豊秋津師姫栲幡千千姫が、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊の、1人目を生んだ』(巻五・尾張氏)。
         次に、『押穂耳と、高皇産霊尊の娘の栲幡千千姫万幡姫が、天津彦彦火瓊瓊杵尊の、2人目を生んだ』(巻三・国譲神話)。


 ★ ニニギの両親については、大半で一致していますが、問題は、兄弟の数です。


B 山幸彦の出自も諸説ありますが、理解に苦しみます。(誤字脱字あり要確認)。

 古事記に、『迩迩芸と、木花佐久夜毘売が、火照(ホデリ・海幸彦)・火須勢理(ホスセリ)・火遠理(ホオリ・穂穂手見・山幸彦)の、3人を生んだ』。

 日本書紀に、『ニニギと、鹿葦津姫(神吾田津姫・木花之開耶姫)が、火闌降命・彦火火出見尊・火明命の、3人を生んだ』(第九段・本文九)。
 日本書紀に、『ニニギと、神吾田鹿葦津津姫が、火酢芹命・火明命・彦火火出見尊(火折尊)の、3人を生んだ』(第九段・一書二・6)。
 日本書紀に、『ニニギと、神吾田鹿葦津津姫が、火明命・火進命(火酢芹命)・火折彦火火出見尊の、3人を生んだ』(第九段・一書三)。

 日本書紀に、『ニニギと、吾田鹿葦津姫が、火明命・火進命・火折尊・彦火火出見尊の、4人を生んだ』(第九段・一書五)。
 日本書紀に、『ニニギと、豊吾田津姫が、火酢芹命・火折尊(彦火火出見尊)の、2人を生んだ』(第九段・一書六・4)。
 日本書紀に、『天杵瀬命と、吾田津姫が、火明命・火夜織命・彦火火出見尊の、3人を生んだ』(第九段・一書七)。

 先代旧事本紀に、『ニニギと、神吾田鹿葦津姫が、火明命・火進命・火折命・彦火火出見尊の、4人を生んだ』。


 ★ 問題は、兄弟の数です。名前の数で7人が登場し、重複すると4人になります。

   1の1 ホデリ------火照(ホデリ・海幸彦)・

   2の1 ホスセリ-----火須勢理(ホスセリ)・火闌降命・火酢芹命・
   2の2 ホノススミ----火進命(火酢芹命)・火進命・

   3の1 ホオリ------火遠理(ホオリ・穂穂手見・山幸彦)・火折尊・火折命・
   3の2 ヒコホホデミ--彦火火出見尊・彦火火出見尊(火折尊)・火折彦火火出見尊
   3の3 ホヨリ-------火夜織命(ホヨリ→ホオリ)・

   4の1 ホアカリ-----火明命・


C 次の代のウガヤフキアエズも、分かりません。(★問題は、玉依姫の位置と子供です)。

 古事記に、『火遠理(ホオリ・穂穂手見・山幸彦)と、豊玉姫が、ウガヤフキアエズの、1人を生んだ』。

 日本書紀に、『彦火火出見尊と、豊玉姫が、ウガヤフキアエズの、1人を生んだ』(第十段・本文五)。

 先代旧事本紀に、『火折尊(山幸彦)と、豊玉姫が、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の、1人を生んだ』。
  また別に、『火折尊(山幸彦)と、玉依姫が、武位起(タケクライオキ)の、1人を生んだ』。


  (★ つまり、山幸彦は、豊玉姫との間にウガヤフキアエズを生み、玉依姫との間にも武位起(タケクライオキ)を生んだことになります。
  すると、玉依姫は、山幸彦の妻になって子供を産み、さらにウガヤフキアエズの妻にもなっても子供を産んだことになります。


  ★ 古代には、父親の妻を、子供が犯す事例が時折り登場しますが、どうなんでしょうか。

    (系図を作るなら、どんな系図が作れるでしょうか)。


D ウガヤフキアエズの、変わった名前。

 ウガヤフキアエズは、「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊」(鵜葺草葺不合命)と書きますが、意味は、『ウガヤ(産仮屋・産屋(うぶや)を完成させる前に、ウガヤフキアエズが産まれてしまった』と一般に解釈されています。

 実は、違うのではないか。

 山幸彦は、3年の間、海神の宮の対馬に居たから、豊玉姫との間にウガヤフキアエズを生んでいたはずであり、日向に帰って来た時には、産屋(うぶや)を作る必要が無かった。

 だから、鵜葺草葺不合の意味は、『(対馬で既に生まれていたから)ウガヤを葺き合わして、作る必要が無かった』と解釈すべきではないかと、思いますが、どうでしょうか。

 ★ 対馬には、ウガヤフキアエズを祀る神社が、何箇所も有ります。1つや2つではありません。


E 記紀神話に見る、古代の「近親相姦」について。

ア) 記紀神話の初発に、イザナギ(呉系倭人説)とイザナミ(越系倭人説)の結婚や、スサノオ(辰韓系の濊族系扶余族説)とアマテラス(馬韓系の呉系倭人説)が、兄弟結婚しました。

 (まあ、作り話かも知れませんが、「安羅系倭人」と「加羅系倭人」は異なるとの説も有ります)。


イ) 古事記での、兄弟結婚の話。(古代には数多く有るようです)。

  古事記と日本書紀は異なりますが、記紀神話は「ウソの羅列」であり、ニセ系図のヒットパレードです。

 10代天皇の御真木入日子(崇神天皇)と、妹の御真津比売が兄弟結婚した説。

  (反論も有りますが、日本書紀では、御間城入彥五十瓊殖天皇が御間城姫を皇后にしていますが、同じ「御間城」の名前です。

   (御間城・御真木・御牧の意味は、「水垣の宮」・「玉垣の宮」などのように、(人の名前ではなく)、「皇城」とか「京(みやこ)」とか「御所」の意味だと思います。


 あるいは、垂仁天皇皇子の本牟智和気の段で、(日子坐王の子供の)沙本毘古と沙本毘売の同父母兄弟の悲恋物語。

 あるいは、20代の安康天皇と、同父母兄弟の長田大郎女との結婚の話。


ウ) 記紀神話に見る、父の妻を、子供が犯す話。

 上記の、山幸彦の妻の玉依姫を、ウガヤフキアエズが犯す話。

 神武東征で、神武天皇の妻の伊須気余理比売を、神武天皇の子供の手研耳が犯す話。

 9代の開化天皇が、父で8代天皇の孝霊天皇の妻の伊迦賀色許売(イカガシコメ)を犯して、10代の崇神天皇と妹の御真津比売の2人を生む話。

   (この、古事記の系図の、崇神天皇を組み込んだ部分は「ニセ系図」として有名です)。


F (余談として)、海人族の、過酷な生活環境と婚姻関係の話。

 漁師の言葉に、『板子一枚下は地獄』という言葉があります。つまり、海で操業する漁師は、「おおしけ」に遭うと、海の藻屑になってしまうということです。過酷な職業です。

   (これは、鍬(クワ)で「地球の皮めくり」をする百姓には理解できない世界観です)。


(漁師の後家は、さらに悲惨でした)

 夫や父親を海で亡くした遺族は、悲惨です。後家一人では、海の世界では生きて行けません。乳飲み子を抱えていれば尚更です。


(生活の知恵として、多様な婚姻制度が採用された)

 後家の家族が生きていくためには、誰かの世話にならねば成りません。そのために、後家や子供たちを、弟や親戚が引き取って、生活を支えてやりました。

 正妻とか後妻とか言っていられません。妾(めかけ)であろうが、兄弟の近親相姦であろうが、餓死する訳にはいかなかったのです。


(生活の知恵として、結婚前の「夜這い制度」が発達した)

 小さな島とか、遠く離れた漁村では、漁業以外の生業(なりわい)は有りません。

 ですから、娘が結婚しても、夫が海で遭難する危険が非常に高かったから、後家になった場合の「保険」を掛けなければなりません。保険を掛けておかないと、万一の場合には、母子ともども「餓死」しなければなりません。

 そのため、「網元」の息子とは「お友だち」になりましたし、健康で将来性のある男とも「お友だち」になりましたし、とにかく、村中の男たちとも仲良くして、之と言った男とは「保険」の意味で「お友だち」になったと、想像します。

 (娘の親も、それを公認したし、有望な男には、娘と「お友だち」になるように求めたかも知れません。知りませんが)。


★ とにかく、小さな島や小さな漁村では、皆で助け合ったし、取れた魚も皆に分け与えて、餓死しないように助け合った。
   
  結婚制度も厳格ではなく、女や子供を養う能力の有る者が、義務として養ってやった。だから「乱婚」だったと思います。


(美人でも、体の弱い娘は、嫌われた)

 ★ 「一夫多妻」で「男性天国」で、おまけに「美人妻」というのは、夢やドラマの中の話です。実際の漁師の世界は、過酷です。

 とにかく朝が早い。(魚は夜明けにエサを求めて湧き上がるから)夜明け前に漁に出て、それ以前に起きて飯を食う。

 昼には港に帰るが、漁師の妻は家族総出で、魚を料理する。今夜のオカズに、保存の日干しに、現金収入の売り物にもする。多いときには日が落ちても仕事が終わらない。

 そして、最も過酷で悲惨なのは、海が荒れて漁に出られないこと。何日も漁に出ないと食うものが無くなり、餓死が待っている。無理をして漁に出ると、波にさらわれて「海の藻屑」になる。

 百姓は米の蓄えが有るが、漁師には蓄えが無い。たえず死と隣り合わせで生きている。

 だから、漁師が欲しいのは「美人妻」ではなく、丈夫で長持ちする体を持って、自分を補助するパートナーです。

 いくら美人でも、漁村の重労働に耐えられない女は、年頃になると、「女郎屋」に売り飛ばされたそうです。

 (農家も商家も丈夫な女を求めたから、体の弱い女は、行く所は「風俗産業」しかなかった。大半が二十代で病死したそうです。哀れです)。


G 終わりに。

 古代には、今のような結婚制度は無く、父親が誰か分からない子供も多くいた。分かるのは『母親が誰か』であり、「母系社会」だった。

 また、権力者は、姉妹の全部を妻にし、時には、母娘さえも妻にして子供を産ませたことも有ったと、想像します。

 したがって、父親を主体とする系図を作るのは困難だし、「記紀神話編集委員会」も母系系図を父系系図に変換するのは大変だったと、思います。

 (母親は直ぐに分かるが、父親は、親父のほうか息子のほうか分からないし、隣の叔父さんかも知れない)。


 また、母系社会は、定住・継続・安定化社会で成り立つもの。父系社会は、移動・断絶・不安定化社会で威力を発揮すると、思います。

 その意味において、3百年代後半から始まった「朝鮮半島の動乱と中華帝国の台頭」によって、日本は、武力中心社会に移行し、男の即断即決力が求められ、男女の主従関係も逆転したと、思います。


★ ちなみに、遠い未来社会では、「ユニ・セックス」といわれて、男女の別は無くなるそうです。今のような家族の概念は無く、子育てに追われる毎日も無くなるようです。知りませんが。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/446.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 「巨大化する台風の、霊的な意味」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。


 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。


 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


@ ところで、「巨大化する台風の、霊的な意味」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 私たちの世界は、虚構です。バーチャルです。「彼ら」が言っているから、間違い有りません。


 その視点で考えるには、「表」の実技・体験コーナーが、私たちの人間世界です。

  そして、「裏」の座学・見学コーナーが、霊的世界であり、地球ガイアという関係になります。


  つまり、「思考と体験」を重ねる「場」が、私たちの世界の本質です。また、学習には体験学習と観察学習の2種類が有るようなものです。

  自己と他者の関係。火と水の関係。物質化と精神化の関係。放射と反射の関係など。


A 台風の意味。

 それは、意識進化です。つまり、意識に「変換」が起きています。

 人間の意識は、ダイレクトに表現できますが、(それが反射したところの)霊的世界での表現は、地球ガイアの意思表示になります。


 つまり、地球ガイアの集合意識が表れたものが「地球環境」です。


 「風雲の嵐」、「革命の嵐」というように、嵐・台風は、意識の変換を表します。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/447.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の43)・「日本の海人族は、よく分からない」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「日本の海人族は、よく分からない」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 『よく分からないようなものを、よく記事に書けるもんだ』という御批判も有るでしょうが、まあ、一つの流れであり、海人族は日本人の核心ですから、分からなくても、飛ばすわけにも往きません。

 つまり、日本人は「天孫族」と「海人族」の二つの核心が有りました。
 「姓氏録」の「皇別」が、「天孫族」であり「お殿様の家族」であり、「神別」が、「海人族」を含む「臣下」ということになり、「諸蕃」は「特別縁故者」のように感じられますが、
  (「姓氏録」は、明確な血統に基づかず、「勝者の論理」で振り分けられているように、感じます)。


A−1 九州の海人族。

 九州の海人族には、月読命を祀る系統(月読神社)、塩土老翁を祀る系統(塩釜神社)、綿津見神を祀る系統、住吉三神を祀る系統、大国主系の宗形氏の系統(宗像三神)、その他の系統が有りますが、これらが練り重ねられており、訳が分かりません。

 はじめに、北九州の海人族は、朝鮮との交流を抜きにしては語ることが出来ませんし、対馬を抜きにすることも出来ません。
 その後には、神功皇后の三韓征伐や、「倭の五王」時代からの海人族の淘汰と収斂が起こりました。
 さらに、天智天皇や大海人天皇に至って、古い海人族が消え去って、(豪族管理の)日本海軍に再編成されました。
 ですから、何回にもわたって「上書き」されており、古い海人族は、想像するしか有りません。


ア) 綿津見と安曇氏。

 安曇氏につながる綿津見や豊玉姫と対馬は、古代史の必修項目ですし、全国に広がる安曇氏と「安曇野」「渥美」「熱海」「厚木」などの地名は、一考の余地があると言えます。


イ) 宗像と宗形氏。

 また、綿津見の独断場であった北九州には、大神朝臣と同祖で大国主系列の「宗形朝臣」が、宗像を根拠地に展開しました。

 後世には、胸形徳善の娘の尼子姫が大海人天皇の妃として、高市天皇(高市皇子)を生み、孫の長屋皇太子(長屋王)が、持統女帝との政争に敗れる悲劇も語り伝えられています。
  しかしながら、
 真実は、歴史の闇に葬り去られて、想像の域を脱することが出来ません。


ウ) 隼人族。

 鹿児島には、隼人族が居ましたが、その源流は分かりません。

 鹿児島を地理的に見れば、奄美や琉球に繋がっているので、チアム系・クメール系の南方種族だろうと推測されますが、古代から北九州の海人族と交流を重ねていますから、正確な源流は分かりません。

 古代史で見れば、大伴氏や久米氏などのルーツと言われますが、「住吉神」を奉祭する(尾張氏や火明命系列の)津守氏などは大隈半島がルーツと言われているようです。

 阿多・吾田の地名は、名古屋市の熱田・伊豆の熱海・東京都の足立区などが指摘されます。

 大隈(大住)の地名は、京都府京田辺市の大住、大阪市の大隅、大阪府茨木市の大住、神奈川県の大住郡、秋田市の大住、静岡県焼津市の大住、などが指摘されます。

 また、日本書紀の神代下・第九段・本文9)に、『其地有一人、自號事勝國勝長狹。皇孫問曰「國在耶以不。」對曰「此焉有國、請任意遊之。」故皇孫就而留住。・・・』
   (簡略の翻訳に)、
 「その地(吾田)に、一人の人間が居た。名を事勝国勝長狭と言った。皇孫のニニギが問うた『ここに国は有りや否や』。答えて言った『ここに国が有る。好きにされよ』。それで、留まって住んだ。・・・」

  と有りますように、事勝國勝長狹の「長狹」は、なぎさ(渚)であり、名草、長狭、名古屋にも通じます。


 また、鹿児島には、日本書紀の神代下・第十段一書・四の一)に、『一書曰、兄火酢芹命、得山幸利。弟火折尊、得海幸利、云々。弟愁吟在海濱、時遇鹽筒老翁、老翁問曰「何故愁若此乎。」』
   (簡略の翻訳)に、
 『山幸彦が、兄の海幸彦の釣針を失くした一件で、海辺で泣いているときに、鹽筒老翁(塩土老翁)に出会って事情を説明した。』
 と有りますように、塩土老翁が鹿児島に居ました。
    この塩土老翁は、
 「塩筒の老翁」であり、「筒の男」は住吉三神ですから、塩土老翁=筒の男=住吉三神となります。
    すると、
 住吉三神=津守氏=尾張氏や火明命系列が導かれます。
    さらに、
  住吉三神→福岡県の博多の住吉神社→博多は綿津見の子孫の安曇氏の本拠地となると、訳が分かりません。

 (これとは別に、ニニギの段の「猿田彦」は「サダヒコ」であり、鹿児島の佐多岬の神の説もあり、サダ→アダ・アタ、カダ・カタの地名との関連性を指摘する説も有ります)。


A−2 瀬戸内の海人族。

 瀬戸内の海人族は、伊予の三島神(大山祇神)に「上書き」され、さらに、中世には「河野水軍」とか「村上水軍」とかに「上書き」されて、分かりません。

 また、「倭の五王」時代以降、度重なる「朝鮮出兵」が有り、物部氏(摂津)・大伴氏(泉州)・紀氏(和歌山市)・吉備氏(岡山市)などの大豪族が派遣されましたが、彼らは自前の海軍を保有していました。

  (その意味において、海運業者のレンタルで「「朝鮮出兵」は有りませんでした)。


ア) 伊予の三島神(大山祇神)。

 「伊予国風土記」逸文に、『大山積神、一名に和多志(ワタシ)の大神なり。この神は難波高津宮御宇天皇(仁徳天皇)の御世に顕われた。この神は百済国から度(ワタ)り来て津国(摂津の国)の御島に坐した・・・』と有るようです。
    そうすると、
 伊予の三島神は「倭の五王」時代の神であること。百済から来た朝鮮の神であること。摂津の大阪に鎮座した後に、伊予の大三島に移動した神であること。
 一名の「和多志(ワタシ)の大神」とは、「渡し」の大神であり航海・渡海の海運業者の神であること、あるいは、「渡ってきた」外様の神であると、解釈できそうですが、どうでしょうか。
     また、
 「摂津に入った後に大三島に移動した」と言うなら、(記紀神話の神武天皇の段に登場する)伊須気余理比売皇后の祖父の三嶋溝杭(三嶋神)は、どうなるのでしょうか。


イ) 大阪の「三嶋溝杭耳」。

 大阪に、上記の三嶋溝杭耳が居ました。大阪府茨木市五十鈴町の「溝咋神社(ミゾクイ・ジンジャ)」が根拠地に比定されています。昔は摂津国三島郡の溝咋村と云い、上下の2社が有ったそうです。
  この付近は、今は平野部ですが、古代は河内湖の一角であり、港が築かれて、海人族の拠点が有ったかも知れません。また、この付近は、古代には、事代主系列の「鴨氏」の領地が有ったようです。

   また別に、
 摂津国島下郡(大阪府高槻市)にも、式内社の「三島鴨神社」が有り、三嶋溝杭耳との関連性が指摘されますが、こちらも古代豪族の鴨氏の領地が有りました。
  鴨氏には諸説ありますが、「姓氏録」の「賀茂朝臣」では、「大神朝臣と同祖で、大国主の後裔で、大田田祢古の孫」と有ります。
 また、大神朝臣は、「姓氏録」の「大神朝臣」では、「スサノオの子孫の大国主の後裔であり、大国主が三島溝杭耳の娘の玉櫛姫を娶った、云々」が記されて有ります。

 しかしながら、大阪や神戸方面の海人族は、「倭の五王」時代から「住吉神」に「上書き」されたし、泉州方面は海人族の「大伴氏」に「上書き」されてしまい、古代の海人族については、分かりません。


ウ) 天津物部氏の海神族。

 ニギハヤヒの降臨・奈良入城に際して、「天津物部の二十五部」も付き従って降臨しました。この天津物部氏の足跡が瀬戸内方面に残されています。

 伊予国に物部氏の伝承が有り、「越智直」や「風速直」が知られています。
 香川県の讃岐には「三野物部」があり、山口県下関には「赤間物部」、広島県には「風速物部」が有ります。
 岡山県・明石海峡・淡路島にも物部氏の伝承や神社が残されています。
    また、
 大阪湾にも、神戸市兵庫区の「矢田部造」、摂津河辺郡の「若湯坐連」、摂津西成郡の「佐夜部首」、摂津武庫郡の「津門首」、河内交野郡の「交野物部氏」などが見られますが、彼らも水軍を構成していたと考えられます。


エ) 吉備氏の水軍。

 「倭の五王」時代に、朝鮮出兵を重ねた古代豪族の吉備氏は、児島湾(児島)を支配して、水軍を持っていたと言われます。


A−3 山陰方面の海人族。

 山陰方面には、大きな海人族は見当たりません。

 その理由の第1には、良い港が少なかったことです。江戸時代と比較しても、鳥取県の境港(美保関)や、丹後の宮津や、若狭湾の敦賀などが有る程度です。
 理由の第2には、水田地帯が小さくて大人口を養えないことです。
 理由の第3には、京都・大阪・奈良の大都市に遠く、地産地消の漁業以外には、海運業や海軍などの職業が成り立たないことです。

 ちなみに、大国主の子供の事代主は、出雲の美保関の水軍を支配していたかも知れません。


A−4 紀伊・東海方面の海人族。

ア) 紀州の海人族。

 はじめに、南方系や倭人系の海人族が居り、やがてスサノオ系列の五十猛が和歌山市に加わったと思います。

 その後、ニギハヤヒの降臨に伴って、子供の天香語山(アメノ・カゴヤマ)や、孫の天牟良雲(アメノ・ムラクモ)が、紀伊半島から尾張方面にかけて、海岸線を鎮圧していったのではないかと、思います。

  (天香語山は尾張連の祖先と有りますし、天牟良雲は伊勢の度会の神主らの祖先と有ります)。

 その後、八代の孝元天皇の孫の武内宿禰が和歌山に食い込み、神功皇后や「倭の五王」時代に勢力を伸ばして言ったと思います。

 紀伊半島の海人族は、紀伊山地の豊富な木材資源を奈良・大阪に運ぶことで巨利を得て、熊野水軍を構成したようです。


イ) 尾張氏と東海方面の海人族。

 東海方面は「尾張氏」が有名ですが、実際は複雑だと思います。

 天香語山の尾張連のルーツは、鹿児島県の阿多(吾田)と言われ、名古屋市の熱田(アタ・アッタ)が根拠地と言われます。

 ところが、愛知県の渥美半島は、綿津見系列の安曇氏の領地が有ったと言われますし、三河方面・静岡方面は物部氏が支配しています。また、大国主の子供のアシスキタカヒコネが美濃の攻略戦で戦死したと言われます。

 ですから、東海方面では、各豪族たちは、大領地を支配したのでは無く、モザイク様に郡単位で領地を保有したのではないかと、想像します。


B 阿多(吾田)の語源。

 阿多(吾田)の語源の「アタ」は、「ワタ」と同じです。また、「阿多津見」と「綿津見」も同じで、「アタ」は、海の意とする説があります。


 「トンでも説」では、『アダパ Adapa エアの息子で、海の神』、『アダド Adad 雨の神、水の神』、『アプス Apus 深淵(ワタツミ)の神』とあり、日本語の「アタ」の源流は、「スメル王朝」にまで遡る説があるようですが、どうでしょうか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/452.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 「巨大地震の、霊的な意味」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。


 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。


 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


@ ところで、「巨大地震の、霊的な意味」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 私たちの世界は、虚構です。バーチャルです。「彼ら」が言っているから、間違い有りません。


 そこで今回は、巨大地震の霊的な意味を考えてみたいと、思います。(想像です)。


A 地震は、崩壊を表わす。

 「シリウスの解釈」によると、第7次太陽系次元は、『最大なる宇宙の発見と、最小なる原子の発見』までが、必修カリキュラムであり、それ以上のことは「来次元のための時間外学習」のようなもの、らしい、そうです。知りませんが。

★「シリウスの解釈」では、『地震は、変換時に発生する力』らしい、そうですが、理解できません。


B 地震は、(古い意識の)崩壊。(つまり、意識の変換時に発生する力)。

 「スクラップ・&・ビルド」、「ガラガラ・ポン」、あるいは「生みの苦しみ」。古い意識が壊れて、新しい意識が芽生える。13,000年あるいは6,500年間の「交替化」の中で、意識に変換が起きる。

 時代の変化に対応できない「地球ガイアの古い意識」が崩壊すると、地震の現象となって、人間の集合意識に変換される。

  (逆転した表現では、『新しい意識の芽生えに、魂が震えること』。現界と霊界は逆転する)。

 (日月神示・地・29-天の異変は人の異変、下・13・14-(地球ガイアに対して逆転・逆立ち、春・49-天災地変は応急措置で生理現象と同じ、春・52-人の目に世の悪化も、大局的には善方向に、)

 たとえば、1995年の「神戸の大地震」とは、敗戦後に築き上げた「経済大国ニッポン」の栄光が、「日本バブル」の崩壊を経て、「失われた10年」と共に、完全に打ち砕かれる挫折感と失望感を、「VR技術の特殊メイク効果」によって、「実現化」したもの、でしょうか。

 たとえば、2011年の「福島の大地震」とは、「日本」という国家の概念の終焉、日本という「国家共同体意識」の崩壊を表わす。だから、これからの日本は、(集合意識的に)バラバラになり、『われよし』になって、(国家としての一体感を持たずに)漂流することに成りそうです。知りませんが。


(2013年から「変換の仕組み」に突入しましたが、今にして思えば、みんなバラバラに解体されて、『人は、その御霊に応じて、行くべきところに、アセンションする』のかも、知れません)。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/453.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の44)・「崇神天皇が、鹿児島から奈良に入城した」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「崇神天皇が、鹿児島から奈良に入城した」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 崇神天皇イニエの出自は、うまいこと誤魔化して有りますが、所所にホコロビが見られ、ニセ系図がバレバレの状態です。

 古代豪族たちに笑われながら、記紀神話編集委員会も『アホらしいなぁ』と思いながら、創作物語を作ったことでしょう。


A ニギハヤヒ天皇神武と崇神天皇神武の、「二人の神武天皇」の、合成です。

ア) 二人の「初代天皇」(神武天皇)。

 日本初代の天皇は、二人います。ニギハヤヒ天皇神武と崇神天皇神武の二人です。

 日本書紀・神武天皇・辛酉年春正月の条に『辛酉年・・・天皇卽帝位於橿原宮・・・而始馭天下之天皇、號曰~日本磐余彥火々出見天皇・・・』と有ります。

  「始馭天下之天皇」は、「はつくに、しらす天皇」であり、初代天皇のことです。奈良に入城して平定した事跡・業績から言っても『間違い有りません』。


 次の崇神天皇は、日本書紀・崇神天皇即位十二年春三月の条に『十二年春三月・・・詔「朕初承天位・・・故稱謂御肇國天皇也。』と有ります。

  「御肇國天皇」は、「はつくに、しらす天皇」であり、初代天皇のことです。「四道将軍」の派遣や、東海から中国地方の平定などの業績から言っても『間違い有りません』。


イ) 大海人天皇が原因で、二人の初代天皇が生まれた。(想像)。

 二人の初代天皇が生まれた根本原因は、大海人天皇だと思います。古事記を表す過程で、歴史を偽造・変造したのです。(それまでに初代天皇や神武天皇の概念は無かったと思います)。


 大海人天皇は、海人族で尾張氏の系統の海部一族の凡海麁鎌(オオシアマノ・アラカマ)日本書紀に大海宿禰荒蒲)の娘が乳母になって、大阪で育てられたと言われます。

 ところが、皇子が乳母に預けられるのは考えられません。大海人天皇以前には、後宮は有りません。天皇は「板葺き小屋の宮(御所)」や「萱葺き小屋の宮(御所)」に住んでいて、一つの家に何人もの后妃が住める状態では有りません。
 基本的に「妻問い婚」であり、生まれた皇子は、母親と共に、母親の実家で育てられました。

  ですから、乳母というのはウソで、乳母こそが本当の母親だと、思います。


 また、大海人天皇の父親の舒明(ジョメイ)天皇の時代は、朝鮮半島情勢が緊迫化して、百済の滅亡前夜でしたから、朝鮮出兵で海人族の地位が高く、大海宿禰荒蒲が舒明天皇に重用されて近づき、娘を側室に差し出すことは、容易に想像できます。
  それに、
 舒明天皇は、田村皇子と言って、(聖徳太子の子供の)山背大兄皇子の遥か後方を走るような弱小皇子でしたが、蘇我氏の支援で天皇に成れたような状態で、豪邸に住んで何人もの美女をはべらせる権勢は無かったと、思います。

 また、大海人天皇の妃には、海人族で宗像を根拠地にした胸形徳善の娘の尼子姫があり、高市天皇(高市皇子)を生んでいます。


 (想像するに)、幼少期の大海人皇子は、海人族の母親から、朝な夕なに、『海人族は素晴らしいが、出雲族は劣っている。アマテラスこそ神々の王だが、スサノオは乱暴者だ。出雲族は烏合の衆で頼りに成らないが、海人族は信義誠実であり忠義の志が高い』などと吹き込まれていたと、想像します。

 さらに、決定的なのは、壬申の乱で、勝てるはずのない大友天皇との戦いに完全勝利しましたが、勝因の一つに、海人族の尾張の国と、領地が有った美濃の国を手中にしたことが挙げられますが、『アマテラスの御加護が有った』として、大のアマテラス・ファンになりました。


 そこで、記紀神話を作るに当たり、男系の皇統が九代で途絶えたニギハヤヒ天皇(事代主天皇)の皇統を切り捨て、(海人族の血統ではないが、海人族の棟梁の)崇神天皇の系統を接合した。
 完全に切り捨てることが出来なかったのは、古代豪族の大半がニギハヤヒ(事代主)天皇の分家筋だから、「根無し草」になった豪族の反感を買うからだと、思います。


B 崇神天皇が、二人目の「神武天皇」という、根拠。

ア) 上記の、Aアの「二人の神武天皇」で述べたとおり、2人の初代天皇がいたこと。


イ) 崇神天皇の前に、ニギハヤヒの王朝が、奈良にあったこと。

 先代旧事本紀には、
 ニギハヤヒが、アマテラスから十種の神宝を授かって、32柱の神々・五部(いつとものお)・五部の造・天つ物部の25部・5人の梶取りを引き連れて、河内・奈良に入城しました。
 さらに、神武東征の段では、神武天皇の奈良入城後に、(宇摩志麻治が生まれる前に死亡したニギハヤヒの)子供の宇摩志麻治が、神武天皇に臣従を誓っています。

 古事記は、神武天皇が奈良に入城した時に、ニギハヤヒが、神武天皇に臣従を誓っています。
 日本書紀も、神武天皇が奈良に入城した時に、ニギハヤヒが、神武天皇に臣従を誓っています。

★ ここで大事なことは、神武天皇の奈良入城の前に、既に、ニギハヤヒの王朝が有ったことです。


ウ) 崇神天皇が「入り王朝」であると、名前に書いてあること。

 崇神天皇は、「御真木入日子」(御間城入彦)、『入ってきた天皇』と、自分から名乗っています。

 妃の大海媛との4人の子供にも「入る」の字が付いていますし、別の妃で紀伊の荒河戸畔(アラカワトベ)の娘との間の2人の子供にも「入る」の字が付いています。


 ★ 「イリ」は、「入」と記入しますが、「西」の意味も有ります。「西表島」(イリ・オモテジマ)が有りますが、「西」を「いり」と発音するのは、南九州や奄美・琉球方面の古い発音かも、知れません。
  (後世の人々に対して、「入」と「西」を掛けた「なぞなぞ」だったら、面白いと思うのですが)。


エ) 「神武東征」で、神武の兄の稻飯命が、(崇神天皇の頃に)新羅を建国していること。

 「姓氏録・右京・皇別」に、「新良貴」という豪族が有り、出自は『彦波瀲武草葺不合尊男稲飯命之後也。是出於新良国。即為国主。稲飯命出於新羅国王者組合。』と見えます。

 つまり、(神武東征に同行した神武天皇の兄の)稻飯命は、和歌山から熊野に迂回する時に、海に飛び込んで、鋤持~(サイモチノカミ)になったというのはウソで、朝鮮に渡って新羅を建国したということに成ります。

 ここで、新羅の建国開始は、「三国志・辰韓伝」の記述以降であり、最低限、西晋の衰退期か滅亡期ですから、早くても300年前後の建国開始になり、完成が30−50年後と推測すると、330−350年のころに成ります。

  (「晋書・辰韓伝」では、『武帝の太康元年(280年)に王が遣使した。2年にも遣使し、7年(286年)にも遣使した』と見えますが、この頃は都市国家の「斯盧」の時代であり、辰韓を統一した「新羅」の前段階と考えられます)。

 したがって、新羅建国の330−350年の頃と、この「神武東征」が、(290−300年頃のニギハヤヒ天皇神武ではなく)、340−360年頃の崇神天皇神武のことだと解釈しますと、年代的に一致します。


オ) もともと、初代天皇の概念や、「神武天皇」という名前は無かったこと。

 尊い家系の神が降臨して天皇に収まる概念は有っても、神武以前にスサノオ・大国主(アメノ・ホヒ)などが降臨しているから「初代」という感覚は無かった。

 また、「神武天皇」という名称は、後世に作られたもので、神武天皇の本名なんか誰も知らなかったし、「ニギハヤヒ」も「御間城入彦イニエ」も本名ではなく単なる「ニックネーム」です。


カ) 崇神天皇が、鹿児島(日向)から来た「海人族」の棟梁であること。

 崇神天皇の名前(ニックネーム)は、「イニエ」で、イニエは「い・牲(贄)」に繋がり、牲(贄)は「いけにえ」であり、農耕族の名前ではなく、海人族がイメージされます。

 また、子供の垂仁天皇の名前も、「イサチ」であり、イサチは「い・幸」に繋がり、幸は「えもの」であり、農耕族の名前とは思えません。

 (★ ただ、崇神天皇も垂仁天皇も、海人族そのものではなく、「山幸彦」のように、海人族を支配した「天孫族」だと思います。
  また、崇神天皇の実名は分かりませんが、記紀神話編集委員会は、崇神天皇にふさわしいニックネームを選んでいると思います)。


 ★ 日本書紀・垂仁天皇の冒頭に『活目入彦五十狹茅天皇(垂仁天皇)は、御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)の第三子だ。』と有りますが、
   垂仁天皇は「五十狹茅」であり、『磯の幸』と、読むのでしょうか。
   崇神天皇は「五十瓊殖」であり、『磯の贄』と、読むのでしょうか。

 また同様に、伊勢の「イスズ川」は、「五十鈴川」と書きますが、本来は『磯・鈴川』であり、『磯に・そそぐ川』、あるいは『磯の・すがすがしい川』、『磯の・さやかな川』の意味だったのでしょうか。

 (初めから「いすず」と言うなら、「伊須須」と書けばよく、「五十須須」と書く必要は有りません)。


キ) 崇神天皇が、鹿児島(日向)から来たが、系図的に、ニニギの3代後の子孫であること。

 ニギハヤヒが、北九州の遠賀川方面から、奈良に「神武東征」しました。崇神天皇が、遅れて、鹿児島(日向)から、奈良に「神武東征」しました。
  (★ だから、「神武東征」は、ニギハヤヒと崇神天皇の合成で、日向から来たことにしました)。

 オシホミミ・・・ニギハヤヒ・・2代天皇から兄弟相続で9代天皇まで・・10代崇神天皇
 オシホミミ・・・ニニギ・・・・・・山幸彦・・・・・ウガヤフキアエズ・・・・・神武天皇(崇神天皇イニエ)

  上記のように、神武天皇(崇神天皇イニエ)は、ニギハヤヒ(ニニギ)の3代あとです。


ク) 崇神天皇に随行した海人族が、鹿児島から来たことを消すことが出来なかったこと。

 崇神天皇と共に奈良に入った大伴氏・久米氏・(津守氏に繋がる)尾張氏などが、鹿児島から来た事実を消せなかったので、創作の「神武東征」を作り上げたと、思います。
  (つまり、ニギハヤヒの「北九州からの東征」を、「鹿児島(日向)からの東征」にすり替えた)。

 また、大伴氏・久米氏などは、ニギハヤヒの「北九州からの東征」に随行していません。(その6の38)・「ニギハヤヒの東遷と、ニニギの南遷」を参照)。
 また、大伴氏が歴史に登場するのは、4百年代以降の「大伴室屋」からです。

 また、尾張氏系統の津守氏は、大阪に「住吉神」を奉祭しましたが、住吉神は「塩筒の男」で「塩土の老翁」であり、鹿児島の神です。北九州は「綿津身」が本来の神です。


ケ) 一本の皇統を作るために、崇神天皇が鹿児島から来て、皇統が断絶したことを隠したこと。

 仮に、崇神天皇を初代天皇にすると、(崇神天皇以前から存在する)ニギハヤヒ天皇の子孫の豪族が目障りになる。だからといって、出雲族系列のニギハヤヒを初代天皇にすると、崇神天皇が侵略者であることがバレテしまう。

 だから、架空の神武天皇が、大伴氏・久米氏らを引き連れて鹿児島から来たことにして、崇神天皇を10代天皇に組み込んで、時系列的な整合性を図ったと、推理します。


コ) 神武天皇が鹿児島から来て、崇神天皇も鹿児島から来たなら、鹿児島から2回来たことになり、読者に不要な「疑念」を抱かせてしまい、ウソがバレテしまうこと。

 古代史の研究家の多くは、「神武東征」を史実とは見ていません。創作だと切り捨てています。

 また、崇神天皇が、どこから来たかと推理すると、アマテラスの皇統に繋がることや、海人族との関連を考えると、鹿児島しか考えられません。


サ) 神武東征の日向は、鹿児島県のことです。(勘違いしないで下さい)。

 神武東征当時の「日向」が、宮崎県の日向では無く、鹿児島県だというのは、日本書紀・神武天皇の冒頭に、『・・・長而娶日向國吾田邑吾平津媛、爲妃、生手研耳命。』として、「日向國吾田邑」(鹿児島県の吾田村)だと、チャント書いて有ります。


C 崇神天皇が、3百年代の中ごろである、根拠。

ア) 崇神天皇の時代に、朝鮮の任那からソナカシチが来日していること(日本書紀・崇神天皇・即位六十五年の条)。

 崇神天皇の時代に、朝鮮の阿羅から「ツヌガアラシト」(角鹿(敦賀)に来た阿羅の人の意)が来日していること(日本書紀・垂仁天皇・即位二年の一書の条)。

 子供の垂仁天皇の時代に、朝鮮から、新羅の天日槍(アメノヒボコ)が日本に来ていること(日本書紀・垂仁天皇・即位八十八年の条)。

 これらの史実から、新羅の成立は3百年代の中ごろであるし、任那や阿羅の動揺も3百年代の中ごろであるから、崇神天皇は、3百年代の中ごろの推測が働きます。


イ) 「倭の五王」や「神功皇后摂政時代」から、逆算する。

 「倭の五王」が、4百年代の前半から始まることに異論は有りません。また、高句麗の広開土王(好太王)碑文に『391年に倭人が侵攻した』、『400年に倭人を撃退した』と有ります。
 すると、380−400年ころに、(短命政権だった)仲哀天皇と、(長命だった)神功皇后摂政時代があったことが比定されます。

 ★ 413年に倭の讃(応神天皇)が東晋に朝貢した記録が有りますが、390年代頃に生まれた応神天皇が成人するまで、母親の神功皇后の摂政時代が在ったと考えるなら、辻褄が合います。
  (天皇は空位になりますが、武内宿禰らの豪族会議が主体だったかも、知れません)。

 ★ 「倭の五王」の讃は応神天皇、珍は弟の仁徳天皇、済は允恭天皇、興は安康天皇、武は雄略天皇と、推理します。
  (倭の五王は実名では有りません、遣使のために考えた仮の天皇名です。天皇の実名は誰も知りませんし、知っていたとしても公表は絶対に有りません)。

 すると、(長期の)景行天皇と、(短命の)成務天皇の親子が360−380年ごろに比定されます。

 さらに、(短命の)崇神天皇と、(長期の)垂仁天皇の親子が340−360年ごろに比定されます。


D 崇神天皇は、短命政権だった。

   日本書紀・垂仁天皇・即位25年・一書に、
 『一云、天皇・・・然先皇御間城天皇、雖祭祀~祇、微細未探其源根、以粗留於枝葉。故其天皇短命也。是以、今汝御孫尊、悔先皇之不及而愼祭、則汝尊壽命延長、復天下太平矣。・・・』

   簡略の翻訳に
 『ある書には・・・先代の崇神天皇は、神祇(天津神と国津神)を祭祀したけれども、粗雑で丁寧で無かった。ゆえに天皇は短命だった。もしも貴方(垂仁天皇)が、先皇の行いを反省して丁寧に祭れば、貴方(垂仁天皇)は長命であり、その天下も太平であり長期になるだろう。・・・』

 このように、崇神天皇が短命であり、子供の垂仁天皇が長命であったことが書かれています。


★ ニギハヤヒ天皇神武は、(先代旧事本紀によると)子供の宇摩志麻治が生まれる前に崩御した短命政権でしたが、崇神天皇神武も短命政権だったということになります。


E 崇神天皇神武の、遠征成功の要因。

 崇神天皇神武が、鹿児島(日向)から水軍を率いて、奈良に遠征して成功した要因は、大きく2つあると思います。

ア) 第1に、西日本の海人族の協力が有ったこと。

 崇神天皇の鹿児島・宮崎の海軍が北上しても、北九州の海軍が敵対すれば困難だし、瀬戸内や吉備の海軍が敵対すれば困難だし、大阪湾の海軍が敵対しても困難だと、思います。

 結局は、北九州の綿津見の海軍の協力を皮切りにして、遠征軍が雪ダルマ式に膨張していったのではないかと、想像します。


イ) 第2に、奈良のニギハヤヒの後継王朝が、権力闘争を繰り返して内部分裂していたこと。

 記紀神話の兄ウカシ・弟ウカシ、兄磯城・弟磯城のように、遠征軍に協力する者と抗戦する者に分裂したから、崇神天皇の遠征が成功したのではないかと思います。

 そこで、勝利した崇神天皇に協力した者は、所領を安堵されて生き残った。1600年の「関が原の戦い」でも、親子兄弟が敵味方に別れて、家名の存続を図った事例が有ります。

 (崇神天皇以降の奈良の豪族は、在来勢力が圧倒的に多く、遠征軍の勢力は、大伴氏・久米氏などの少数に限られます。

 遠征軍だけの全面的な勝利であれば、奈良も京都も大阪も全部、海人族の領地になっていなければ、おかしいですが、そうなっておらず、「欠史八代」の豪族が多数存続しています)。

 
★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/461.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の45)・「崇神天皇から、日本の統一化が始まった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「崇神天皇から、日本の統一化が始まった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 日本の首都の奈良は、ニギハヤヒの奈良入城から始まりました。それ以前にも、大国主系列の奈良が有りましたし、大歳の奈良も有ったと想像しますが、あくまでも「都市国家」の奈良に過ぎませんでした。

 しかしながら、ニギハヤヒ王朝の奈良も、地方分権の「近畿首長国連合」の一都市に過ぎませんでしたから、崇神天皇の奈良入城によって、日本の統一化が始まったと言っても、過言では有りません。


A 先代旧事本紀の国造の任命権者。

 先代旧事本紀の「国造本紀」に、国造の任命のことが記載されています。

 (「国造」とは、郡クラスの地方豪族の世襲の首長を言います。「国司」の派遣は「大化の改新」以降であり、それ以前は、ほとんどが世襲です)。

 ★ 「国造本紀」は、どこまでホントかウソか、分りませんから、「眉唾」の警戒感が必要でしょう。。


ア) 神武天皇の任命によるもの。(誤記脱落あり要確認)。
  静岡県---素賀
  三重県---伊賀・伊勢
  奈良県---大倭・葛城
  大阪府---凡河内
  京都府---山代・山城
  和歌山県--紀伊
  大分県---宇佐
  長崎県---津嶋県の直

 ★ 神武天皇は、東海の一部・近畿・九州北部の一部の国造を任命しているようです。これにより、神武天皇は近畿地区しか支配できていなかった。

 ニギハヤヒ天皇神武は、福岡県の遠賀川方面から奈良に入城したが、父祖の地の九州には手が付けられず、九州では、わずかに海人族の相続を仕置きしたに過ぎない。
 また、東海方面の進出は、子供の香語山の進出かも、知れないが、分らない。


イ) 崇神天皇の任命によるもの。(誤記脱落あり要確認)。
  東京都---知知夫
  群馬県---上毛野
  新潟県---久比岐・高志深江
  長野県---科野
  島根県---出雲・石見
  岡山県---吉備中県
  山口県---波久岐
  高知県---波多
  熊本県---火・阿蘇

 ★ 崇神天皇は、近畿地区の全土を支配し、なおかつ、四道将軍の派遣によって、関東・甲信越に橋頭堡を築き、山陰・中国方面を支配し、北九州を支配し、高知県の一部を手に入れたと思われます。

 ただ、実際には、「欠史八代」の諸皇子らが分家して、東海・北陸方面に進出しているので、(一部を除いて)、これらを追認しただけかも、知れない。
 

ウ) 景行天皇・成務天皇の親子二代によるもの。(誤記脱落あり要確認)。
  宮城県---思・伊久
  福島県---阿尺・染羽・浮田・信夫・白河・石背・石城
  茨城県---新治・筑波・仲・久自・高
  栃木県---那須
  千葉県---須恵・馬来田・伊甚・武社・菊麻・阿波
  東京都---无耶志・胸刺・知知夫
  神奈川県--相武・師長
  新潟県---高志・佐渡
  富山県---伊弥頭
  石川県---能等
  福井県---三国・角賀
  静岡県---遠淡海・珠流河・廬原
  愛知県---尾張・参河
  岐阜県---美濃・美濃後・斐陀
  三重県---伊賀・嶋津
  滋賀県---淡海
  京都府---山背・丹波
  和歌山県--熊野
  兵庫県---但遅麻・ニ方・針間・針間鴨
  鳥取県---稲葉・波伯
  岡山県---吉備風治
  広島県---阿岐
  山口県---大嶋
  徳島県---長
  愛媛県---伊余
  高知県---都佐
  福岡県---筑志・豊
  佐賀県---葛津立
  佐賀長崎--末羅・・・佐賀か長崎か
  長崎県---筑志米多
  大分県---国前・比多
  熊本県---天草
  鹿児島県--薩摩

 ★ 景行天皇・成務天皇の親子は、神武天皇と崇神天皇の支配地を引き継ぎ、なおかつ、景行天皇・倭建天皇の両天皇の九州遠征と、倭建天皇の関東東北の遠征によって、ほぼ日本全土を支配下に置いたことが、読み取れます。

 国造の内訳では、天穂日系列・天火明系列・物部氏系列・彦坐王系列・天津彦根系列などが目に止まりますが、遠征軍に従事したり、帰順して所領を安堵されたものが多いと、思われます。


エ) その他の天皇によるもの。(誤記脱落あり要確認)。

9代の開化天皇 岐阜県--三野前
仲哀天皇  静岡県--久努
神功皇后  静岡県--伊豆、、愛媛県--怒麻

応神天皇 福島県--陸奥菊多、、茨城県--茨城・道口岐閉、、千葉県--印波・下海上、、
     兵庫県--明石、、島根県--意岐、、岡山県--大伯・上道・三野・下道・加夜・笠臣、、
     山口県--周防、、香川県--讃岐、、徳島県--粟、、愛媛県--久味・小市・風速、、
     宮崎県--日向

 ★ 国造の内訳を見ると、景行天皇・成務天皇時代からの豪族が、追認によって、先祖の領地を安堵されたものが多いと、思います。

  また、応神天皇時代には、ほぼ日本全国の国造(郡クラスの豪族)が確定したと、思います。

仁徳天皇 栃木県--下毛野、、石川県--加宜、、山口県--都怒、、
     佐賀県--松津、、鹿児島県--大隅・薩摩

反正天皇  石川県--江沼
允恭天皇  福井県--若狭
雄略天皇  愛知県--穂、、石川県--加我・羽咋

継体天皇  長崎県--伊吉嶋
元明天皇  山形県--出羽、、京都府--丹後、、岡山県--美作


B 国土を統一しなければ、日本が滅亡していた。

 過去の歴史を振り返って大陸情勢を見ますと、3百年代には、半島の統一化が行われます。中でも、高句麗が突出していました。
 新羅が台頭したと言いますが、高句麗には敵いません。何度も高句麗に攻められて泣いています。歴史を見れば明らかです。


 そして、高句麗が半島を統一すると、次の矛先は日本に向かいます。


 もっと怖いのは、中国の台頭です。中国は、589年に「隋」が台頭しました。さらに、618年には、後継王朝の「唐」が朝鮮を飲み込みました。

  (この時は、新羅が唐に抗戦したことで、日本の滅亡は阻止されました。後に新羅は唐に屈服しましたが、唐は四方八方に遠征していたので、日本は後回しに成りました)。

 
 後年には、史上最強の敵の「モンゴル帝国」が、アジアどころか東ヨーロッパまで飲み込みました。

  (この時は、日本は、想定外の「神風」で救われました。2度の挫折で、モンゴルは日本遠征を断念しました)。


C 神の目には、全てが映っていた。

 神の目には、日本の百年先、二百年先が映っていた。当然です。この「第7次太陽系次元」は彼らが作ったものですから。終末まで分っています。

 ★ 日本人は、この地球の「核質」ですから、滅亡させる訳には行きません。滅亡したら「神の計画がオジャン」です。
 ★ 白人は、別次元の核質であり、地球に「交差」しているだけです。彼らは「客人」に過ぎません。地球のメインは日本人なのです。

 
 (そこで)、チンタラ、チンタラした、ニギハヤヒ王朝の分権国家では、朝鮮の脅威を防ぎ切れません。九州が陥落すると済し崩し的に、日本が滅亡します。

 そこで、神は、『ニギハヤヒ王朝では話にならん』として、鹿児島の「イニエ」と「イサチ」の親子に、奈良の平定を命じたのです。

 さらに、景行天皇と倭建天皇の遠征によって、国土の統一が成されて、神功皇后の時には、「三韓征伐」を実行できるほどの実力を付けることが出来ました。


D 歴史は、成り行きではなく、必然の結果です。

 歴史は、自然の成り行きによって形成されたものではなく、最初から設定されたものだと、思います。

 つまり、6,500年間の大枠が作られて、そのプログラムに従って運行されますが、多少の弾力性は許されるものの、大きく逸脱した場合には修正が加えられます。


 そして今、日本人は、日本を滅亡させることなく、2012年に「最終章」を終えました。歴史は、間も無く閉じられるでしょう。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/466.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の46)・「四道将軍・元伊勢巡歴・ホムチワケの白鳥の、相関関係」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「四道将軍・元伊勢巡歴・ホムチワケの白鳥の、相関関係」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 これらは、別々の事件のように述べられていますが、実は、国土の平定・統一化という意味で、一つに繋がっているのではないかと、思います。


A 四道将軍を派遣して、崇神天皇から、中央集権化が始まった。

ア) 崇神天皇の奈良遠征の前に、奈良は権力闘争を繰り返して内部分裂していた。崇神天皇の奈良入城に際しては、奈良の豪族たちは、恭順派と抗戦派に分裂した。これにより、崇神天皇の遠征が成功したと言えます。


(タケ・ハニヤス彦の乱)

 たとえば、一例として、8代の孝元天皇の皇子に、大彦(大毘古)と、タケ・ハニヤス彦の異母兄弟が有りました。

 大彦の母親は、物部氏の娘のウツシコメですから、大彦は物部氏系列と考えられます。さらに、ウツシコメの姪のイカガシコメが、同じ孝元天皇の妃になっていて、物部氏系列が孝元天皇をガチガチに取り囲んでしまいました。

 そして、もう一人の皇子のタケ・ハニヤス彦の母親は、河内の青玉の娘のタケ・ハニヤス姫でしたが、権力闘争に敗れて、次の天皇位は、大彦の同母兄弟の開化天皇に奪われてしまいました。

 また、大彦や物部氏は、崇神天皇の奈良入城に際しては、崇神天皇を支持したと考えられます。その根拠には、その後に物部氏が隆盛していますし、大彦は「四道将軍」の一人に任じられているからです。

 そして、大彦(大毘古)は、安倍の臣・膳の臣・阿閉の臣・狭狭城山の君・筑紫国造・越国造・伊賀の臣などの「七族の祖」になったと云いますから、大活躍しました。

 対するタケ・ハニヤス彦は、河内・山城の豪族を率いて、崇神天皇に反乱し、「木津川の戦い」で大彦に敗れて戦死しました。


 ★ 8代孝元天皇皇子の「タケ・ハニヤス彦の乱」が、崇神天皇の奈良入城中での戦いか、即位後の膨張政策中での戦争かは不明ですが、河内の勢力や山城の勢力を率いた大規模な戦闘が行われているから、タケ・ハニヤス彦は、崇神天皇に対する抗戦派の頭目だったと、思われます。


イ) 四道将軍を各地に派遣して、西日本の統一化が、スタートした。

 タケ・ハニヤス彦の抵抗軍を蹴散らすのを皮切りとして、崇神天皇の膨張政策が始まりました。

 大彦は、異母兄弟のタケ・ハニヤス彦に勝利して、北陸方面を侵略して領地を増やしました。

 タケ・ヌナカワ・ワケ(大彦の息子)は、東海道を進軍して、領地を拡大しました。

 吉備津彦(古事記では7代孝霊天皇皇子で異母兄弟の、2人の吉備津彦)は、岡山県の「吉備王国」をボコボコにして、『勝てば官軍、負ければ賊軍だ』と豪語して、領地を略奪しました。

 彦坐王(9代開化天皇皇子)は、(日本書紀では彦坐王の息子の丹波道主)は、丹波(丹後を含む)方面を侵略破壊して、領地を拡大しました。
 (古い神社の祭神の考察から)大歳系列の「丹後王国」も、解体されて、多くの難民が「山の民」になったという説が有ります。

 (★ 昔は、戦争に負けると、殺されたり、奴婢にされたり、山に逃げたり、関東東北の蝦夷に合流して大和朝廷に反抗したと、云われます)。


B 元伊勢巡歴は、(高天原を破壊した)スサノオに対する、アマテラスの復讐戦だった。

ア) 元伊勢巡歴の概略。

 「日本書紀・崇神天皇・即位6年の条」によると、御所に、アマテラスと倭大国魂神(たぶん大国主)の2神を祀っていたら、毎日のように喧嘩ばかりしていて、うるさくて叶わないから、両神とも御所から放り出した。

 アマテラスを、初めは、(崇神天皇の娘の)トヨスキ・イリ姫を世話係にして、大和国の笠縫村(比定地は奈良県桜井市・田原本町・明日香村の8社地)を転々として祀っていた。

 その後、(日本書紀・垂仁天皇・即位25年3月の条に)、アマテラスの世話係を、トヨスキ・イリ姫から、(垂仁天皇の娘で景行天皇と同母妹の)ヤマト姫に交代させて、およそ90年の歳月を掛けて、諸国を転々とした後に、今の伊勢に鎮座したという、スケールの大きな「作り話」です。


イ) 崇神天皇の御所で、アマテラスと倭大国魂神(たぶん大国主)の2神を祀っていた、ウソ。

 崇神天皇が奈良に入城する前は、ニギハヤヒ系列の皇統でしたから、祀るのは、ニギハヤヒ・大国主の出雲神だけで、アマテラスは祀っていません。三輪山には大物主(大国主)を祀っていました。

 (つまり、アマテラスは、海人族の棟梁の崇神天皇が、新たに持ち込んだものです。崇神天皇がアマテラスを奈良に持ち込んだため、スサノオ系列の大国主と、毎日のように喧嘩したのです。スサノオとアマテラスは犬猿の仲です)。


イ) 元伊勢巡歴の比定地(比定神社)。(トヨスキイリ姫と、ヤマト姫の2代にわたる)。

奈良県は、桜井・田原本・明日香・宇陀方面で、十数社程度。

 ★ 奈良県は、出雲族の本拠地の一つで、ガチガチのスサノオ系列だったので、アマテラスが、ボコボコに叩きのめした。しかし、三輪山を始めとして、出雲神の霊力のほうが強くて、屈服させたのは少数だったと、思います。


京都府は、福知山・舞鶴・宮津・京丹後方面で、十社程度。

 ★ 京都府北部は、(古い神社の祭神などの解読から)スサノオ系列の大歳の王国が推定されるが、ボコボコに叩きのめされて、一部は「山の民」になって、諸国へ流出したと、推測されます。
 また、命脈を保つ者も居らず、奈良王権の有力豪族の植民地にされたと、想像します。


和歌山県は、和歌山市・海南・有田方面で、数社程度。

 ★ 和歌山方面は、スサノオ系列の五十猛・大屋津姫・抓津姫らが、和歌山市方面に入植していたし、その後に、ニギハヤヒの東遷に伴って、息子の天香語山らが「上書き」したと思います。恭順の意を示さなかったので、アマテラスに叩きのめされた。
 その後は、アマテラスの海人族系統の領地になったと、想像します。


三重県の伊賀方面は、伊賀上野・名張方面で、十社程度。

 ★ 伊賀方面は、「伊勢国風土記・伊勢の国号(1)」の中で、『伊勢と称するは、伊賀の安志(アナシ)の社に居る神は、出雲の神の子で、出雲建子命、またの名は伊勢津彦の神、またの名は天櫛玉命である。・・・』と有ります。
  すると、
 伊勢も伊賀も、出雲神の系列に有ったようなので、ボコボコにされたことが、想像されます。


三重県の桑名・亀山・津方面は、数社程度。

 ★ 伊賀方面と同じく、出雲神の系列なので、アマテラスにボコボコにされたと、思います。


三重県の松阪・多気郡・伊勢方面は、20社程度。

 ★ 伊勢市や志摩の方面は、海人族の本拠地ですから、アマテラス系列(尾張氏系列)で、ガチガチに固められたと、想像します。


滋賀県は、甲賀・信楽方面で、十数社程度。

 ★ 甲賀郡の方面は、新しい豪族に「上書き」されて、よく分りません。(想像では)、ニギハヤヒと共に天降った「天御影命」が野洲市方面の入植も考えられるし、京都市・比叡山・滋賀県湖西線方面に大歳(大山咋)系列が散在しているが、滅亡した豪族は記紀神話にも残されず、調べようが有りません。
 つまり、アマテラスから徹底的にボコボコにされたことが、読み解けそうです。


岐阜県は、安八町方面に数社程度。

 ★ 岐阜県には、大国主の子供のアシスキタカヒコネが入植していましたから、アマテラスから、徹底的にボコボコにされたと、思います。


愛知県は、一宮方面に数社程度。

 ★ 一宮方面は、岐阜県安八町方面に近いので、アシスキタカヒコネの影響力が有ったかも、知れません。


岡山県は、岡山市・倉敷・総社市方面の数社程度。

 ★ 岡山県は、独立した「吉備王国」が有り、出雲や大和王権とは距離を置いていたと思いますが、アマテラスにボコボコにされて、領地の全部が奪い取られたと、思います。
 岡山の神社も、吉備津彦以降のものが大半のようです。崇神天皇以前の歴史は分りません。


ウ) 元伊勢巡歴は、四道将軍の派遣と、重なって見える。

 元伊勢巡歴を、ロマンチックに見る人が居ますが、実際には、四道将軍の派遣で侵略されて領地を奪われ、さらに、精神的かなめの「先祖の神社」も打ち壊されて、アマテラスへの改宗を押し付けられたのではないかと、思います。


エ) 大阪や兵庫県は、元伊勢巡歴の記録が無い。

 元伊勢巡歴は、大阪府や兵庫県には記録が無いようですが、早くから崇神天皇を支持し恭順して、アマテラスに改宗したり、受け容れたからかも知れません。

 つまり、元伊勢巡歴が行われた意味は、それだけスサノオ系列の祭祀を守り通したからこそ、弾圧を受けて破壊されたということ、かも知れませんが、どうでしょうか。


C ホムチワケの、白鳥を追う話。

ア) 話の概略。

 (古事記に)、11代の垂仁天皇皇子のホムチワケは、言葉を話さなかったが、ある時、天空を飛ぶ白鳥に興味を示したので、天皇が、白鳥を捕らえるように、家臣に命じました。

 家臣が追いかけると、白鳥は、大和の国の三輪山の麓から、紀伊の国→播磨の国→因幡の国→丹波(丹後を含む)の国→但馬の国→近江の国→美濃の国→尾張の国→信濃の国→越の国に至り、そこで白鳥を捕らえることが出来た。

 家臣は、捕らえた白鳥を垂仁天皇に献上すると、天皇は喜び、ホムチワケに見せたが、ホムチワケは何の言葉も話さなかった。

 その後は、垂仁天皇に、出雲大神(大国主)の夢のお告げがあったので、ホムチワケが出雲に行って、出雲大神(大国主)に参拝して、ついに言葉を話すようになった。


イ) 白鳥を追う話と、四道将軍の派遣と、元伊勢巡歴との、重なり。

 大和→紀伊→播磨→因幡→丹波→但馬→近江→美濃→尾張→信濃→越の国。

 これは、四道将軍の派遣と、元伊勢巡歴と、重なり合っているのではないか、と想像します。

  (あるいは、四道将軍の派遣に限定せずに、崇神天皇と垂仁天皇の二代天皇の間に行われた遠征の概略ではないかと、想像します)。

 (播磨や因幡は、四道将軍の派遣と元伊勢巡歴に登場しませんが、本当は、播磨や因幡も、制圧されたのかも、知れません)。


ウ) 霊的な意味。(想像)。

 白鳥が飛んだコースは、全部、出雲族が平和に暮らしていた土地。

 白鳥は、(アマテラスによる)侵略戦争で殺された出雲族の霊魂。

 ホムチワケが出雲に参拝した意味は、出雲族の聖地(大国主)への謝罪と鎮魂。


D 崇神天皇から、国家の概念が変った。

 10代崇神天皇までは、古い国家観であり、都市国家の概念しか有りませんでした。丹後には「丹後王国」の自治国家が有り、吉備には「吉備王国」が有り、共存共栄を図っていました。
 ですから、奈良も「ニギハヤヒ王朝の自治王国」しか有りませんでした。

 崇神天皇の登場により、都市国家から、日本という統一国家の概念が生まれましたが、その背景には、朝鮮の動乱と統一化の動きが有りました。
 また、中国の動乱も有りましたし、ひいては、ヨーロッパでは、ローマ帝国の解体による「民族の大移動」が、洋の東西で並行的に始まっています。

 ★ これらの一連の流れは、すべて「神の計画」によるものです。崇神天皇に神が取り付いてチャネリングが有ったことが、記紀神話に記述されています。


(大国主とアマテラスの戦い)(妄想)。

 大国主は、地方分権政治を提唱した。対する、アマテラスは、中央集権政治を提唱して、イデオロギーの違いから、毎日のように喧嘩をしていた。

 間に立たされた崇神天皇は、ノイローゼになり、寿命を縮めて、短命政権に終わった。
     (「日本書紀・垂仁天皇・即位25年・一書」、「(その6の44)・D」。参照)。

 後継政権の垂仁天皇は、アマテラスを全面採用して、国土の統一化を推し進めた。多くの血が流され、多くの難民も生み出された。


 しかしながら、日本は、朝鮮に飲み込まれず、中国に土下座外交をすることなく、今日に至った。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/471.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 「今後、アセンションは、加速化するだろう」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人には、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。


@ ところで、「今後、アセンションは、加速化するだろう」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 日月神示では、タイムスケジュールが明確にされていません。訳の分らない理想論や精神論ばかりです。これでは、読者としては納得できません。

 そこで、「シリウスの解釈」で考えてみたいと、思います。(解釈は解釈でしか有りませんが)。


A 過去のタイムスケジュールの総括。(あくまでもイメージ)。

 1930年、冥王星の発見。人類(あるいは日本人)の「意識」が、進化の方向性に向かう。

 1999年、ノストラダムス。人類(あるいは日本人)の「意識」が、進化のスイッチを押し、変換のエンジン起動、アイドリング調整開始。

 2013年、アセンションに向けての変換開始、スピード・アップ。転換のエンジン起動。

 2025年ごろ、反転開始の予定だが不明(人間には未来のことは分らないから断言できません)。


B 過去の検証作業。

 検証しようにも、精神的なものは実体が無いから、科学的に検証しようが無いです。

 ただ、地球環境でみると、2013年当時と今の地球環境の違いは、天気予報の『数十年に一度の大災害。命を守る行動』の言葉で表されているように思います。(さらに加速・過激化します)。


C 予言なんか、本当に当たるのか。

 「宝くじ」と同じで、なかなか当たりませんが、『当たる人には当たります』。(「一厘の仕組」では千人に一人が当たります)。

 当たらない人は、「シリウスの解釈」によると、(2037年か、2039年か、2041年か知りませんが)、地球に残るそうです。


D まあ、とにかく、『今後、アセンションが加速化する』と思って、備えておいても損はしません。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/472.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の47)・「新羅は日本で、天日矛は、崇神天皇の親戚だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「新羅は日本で、天日矛は、崇神天皇の親戚だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 一般に、天日矛(アメノヒボコ)は、朝鮮の新羅人であり、日本人ではないという認識ですが、本当は日本人だったかも知れないという「トンでも論」です。


A 天日矛の伝承。(簡略版)。

ア) 記紀神話に、天日矛の伝承が有ります。

 古事記では「天日矛」と書き、応神天皇時代の事にしていますが、日本書紀では「天日槍」と書いて、垂仁天皇時代の事にしています。

 (どちらかが「ウソ」、あるいは、どちらも「ウソ」と、醒めた目で見る必要が有ります。記紀神話は「捏造の日本史」です。さらに、播磨国風土記では、天日槍と葦原志挙乎(大国主)が対抗していますから、頭がおかしくなります)。


 ところで、(小異は有りますが)、天日矛の簡略の翻訳をしますと、

 天日矛は、新羅国王の王子ですが、赤玉が化成した美女を妻にしたものの、その妻が『祖(オヤ)の国に帰ると言って、日本の難波に帰った。
 天日矛は、妻を追い掛けて、難波に来たものの、渡りの神が妨害をしたために入れないので、引き返して、但馬の国に入り、その国の「俣尾(マタオ)妻の名と父の名の説)の女を娶って、息長帯比売(神功皇后)の祖先に繋がった。
  また、
 天日矛が持ち込んだ神宝が八種あった。(垂仁天皇三年の条には七種とある)。

  別の説(垂仁天皇三年の条)には、
 天日矛は、初めに、小舟で播磨の国に来て、日本に帰化したいと願った。そこで、播磨の国を許可したが、気に入らなかったので、宇治川を遡って近江の国に住み、さらに、近江から若狭に抜けて但馬に入った。
 但馬の出島(イヅシマ)出石)で、地元の女を娶って、田道間守の祖先になる子供を生んだ。


イ) 播磨の国の風土記。

a 「揖保の郡・揖保(イヒボ)の里・粒丘(イヒボオカ)の条」に、
  (簡略の翻訳では)、
 天日槍(アメノヒボコ)が、韓国(カラクニ)から渡って来て、宇頭川の川口に着いて、宿所を、葦原志挙乎(アシハラシコオ)に乞うた。『あなたは、この国の主だから、私の泊まる所を与えて欲しい』。
 それで、葦原志挙乎が、海上にとどまる事を許したら、天日槍は、剣で海水を掻き回して、これに宿った。
 その霊力を見て恐れた葦原志挙乎は、天日槍よりも先に、この国を占領しようと思って、巡り上って粒丘に辿り着いて、大急ぎで飯を食った。
 すると、口から粒(米粒)が落ちた。そこで、粒(イヒボ)の丘と呼ぶ。

b 「宍禾(シサハ)の郡・比治(ヒヂ)の里・川音(カハト)の村の条」に、(簡略の翻訳では)、
 天日槍が、この村に宿をとり、『川の音が、ひどく高い』と言ったので、川音の村と云う。

c 「宍禾(シサハ)の郡・比治(ヒジ)の里・奪谷(ウバヒダニ)の条」に、(簡略の翻訳では)、
 葦原志挙乎と天日槍が、この谷を奪い合った。だから奪谷(ウバヒダニ)と云う。

d 「宍禾(シサハ)の郡・高家(タカヤ)の里の条」に、(簡略の翻訳では)、
 天日槍が『この村は高いことで、他の村に勝る』と言ったから、高家と云う。

e 「宍禾(シサハ)の郡・柏野(カシハノ)の里・伊奈加川(イナカガワ)の条」に、(簡略の翻訳では)、
 葦原志挙乎と天日槍が、競争して、国を占めた時に、いななく馬が有って、この川で出逢った。だから、伊奈加川と云う。

f 「宍禾(シサハ)の郡・雲箇(ウルカ)の里・波加(ハカ)の村の条」に、(簡略の翻訳では)、
 国を占めた時に、天日槍が先にこの処に来て、伊和大神が後からここに来た。それで、伊和大神が大変に不思議に思って、『度(ハカ)らずも(思いもかけずに)、先に来ていたものだ』と言った。だから、波加の村と云う。

g 「宍禾(シサハ)の郡・御方(ミカタ)の里の条」に、
  (簡略の翻訳では)、
 葦原志挙乎と天日槍が、黒土(クロツチ)の志爾嵩(シニタケ)に行って、お互いに黒葛(ツヅラ)を三条(ミカタ)、足に着けて投げ合った。
 葦原志挙乎の黒葛は、一条(ヒトカタ)は但馬の気多(ケタ)の郡に、一条は夜夫(ヤブ)の郡に、一条はこの村に落ちた。だから三条(ミカタ)と云う。
 天日槍の黒葛は、全部が但馬の国に落ちた。だから但馬の伊都志(出石)の地を占めている。

h 「宍禾(シサハ)の郡・多駝(タダ)の里・糠岡(ヌカオカ)の条」に、(簡略の翻訳では)、
 伊和大神と天日槍が、軍兵を発して互いに戦った。伊和大神の軍兵が集まって、稲を搗いた。その糠が群れ集まって丘になった。

★ 伊和大神は、大国主のことだと云うのが、通説です。葦原志挙乎と伊和大神との使い分けがされていますが、大国主と天日槍が同時代に登場するのは、不思議です。
 ほかに、播磨国風土記では、葦原志挙乎と少彦名が登場する条も有りますから、訳が分かりません。無茶苦茶です。


ウ) 「筑前国風土記・逸文」「怡土(イト)郡」の条(原文は「釈日本紀・十」からの引用)。

  (簡略の翻訳に、)
 『昔、穴門(アナト)の豊浦の宮に天下を治めた足仲彦天皇(仲哀天皇)が、クマソを討とうとして筑紫に来られた時、怡土(イト)の県主らの祖の五十跡手(イトテ)は、天皇が来られたと聞いて、・・・五十跡手(イトテ)は奏上して、『高麗の国の意呂山(オロサン)(蔚山・ウルサンの説)に天から降ってきた日桙(天日槍)の末裔の五十跡手とは私のことです』と言った。・・・』

 (五十跡手については、日本書紀・仲哀天皇・八年の条に、類似の記述あり)。

★ 天日槍が新羅から来たことは知られますが、蔚山(ウルサン)に居たのが事実なら、新羅と言うよりは南加羅(アリヒシノカラ)、あるいは金官加羅の領域だったかも、知れません。

 南加羅あるいは金官加羅は、日本と朝鮮半島との交流の拠点ですし、日本人が朝鮮半島から渡ってきた基点でも有ります。
  そうすると、
 新羅の膨張・南下によって、天日槍の居た蔚山が制圧されたが、その過程で、日本に亡命してきた可能性があり、新羅人と云うよりは、加羅人であり日本人の一員だった、と云うことになりそうですが、どうでしょうか。


B 崇神天皇神武の兄の稻飯命が、新羅の王になった。

  (日本書紀・神武天皇)
 『六月乙未朔丁巳、軍至名草邑、則誅名草戸畔者。戸畔、此云妬鼙。遂越狹野而到熊野~邑、且登天磐盾、仍引軍漸進。海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、時稻飯命乃歎曰「嗟乎、吾祖則天~、母則海~。如何厄我於陸、復厄我於海乎。」言訖、乃拔劒入海、化爲鋤持~。・・・

 「日本書紀」の記述では、神武天皇の東征の場面で、東大阪からの侵攻作戦が失敗して、和歌山から熊野に迂回する時に、神武天皇の兄の稻飯命が海に飛び込んで、鋤持~(サイモチノカミ)になりました。
  ところが、
 「姓氏録・右京・皇別」には、「新良貴」という豪族が有り、出自には、『彦波瀲武草葺不合尊男稲飯命之後也。是出於新良国。即為国主。稲飯命出於新羅国王者組合。』と見えます。

 (★ 「姓氏録」は、「皇別」・「神別」・「諸蕃」に大別されますが、「皇別」は天皇家の別れであり、最も厳格な視線に晒されますから、「新良貴氏」は、それに耐え抜いて名を留めたことに成ります)。

 ウガヤフキアエズの息子の稲飯命が新羅に行き、新羅の国主(王)になったと解されます。


 新羅の建国開始は、「三国志・辰韓伝」の記述以降の西晋の衰退期か滅亡期で、早くても300年前後の建国開始になり、完成が30−50年後と推測しますと、330−350年のころに成ります。

   (「晋書・辰韓伝」では、『武帝の太康元年(280年)に王が遣使した。2年にも遣使し、7年(286年)にも遣使した』と見えますが、この頃は都市国家の「斯盧」の時代であり、辰韓を統一した「新羅」の前段階と考えられます)。

 ここで、「神武東征」を、290−300年ころのニギハヤヒ天皇神武ではなく、340−360年ころの崇神天皇神武のことだと解釈しますと、つまり、(奈良の御間城に入った彦であるところの、日向から来たイニエの)崇神天皇神武のこととすると、年代的に、新羅の建国と一致します。
  また、
 ここで、初期の新羅の王族が、九州の日向から渡ったものだとすると、(日向は、アマテラス系列の海人族の根拠地であり、呉系倭人が主体ですから)、新羅も呉系倭人になります。


★ 新羅の王家の氏は、朴氏・昔氏・金氏に移っていることが知られていますし、初めの朴氏は倭人(日本人)の説が有ります。

 そうすると、崇神天皇神武の兄の稻飯命が、新羅に渡って、新たな王朝を築いた可能性を、否定できないかも、知れません。


C 混血児の帰属問題。

ア) (日本書紀の継体天皇の条に)、
 『近江毛野臣が、新羅に奪われた任那を回復するために、6万の軍勢を率いて朝鮮に行こうとしたら、新羅に同調した北九州の磐井が反乱して渡航を妨害した。
 やがて、筑紫の磐井が排除されて、近江毛野臣が任那に入って政治を行ったが、日本人男性と任那人女性との間に生まれた子供の帰属問題が有った』。

  つまり、現地で生まれた子供は、日本人なのか任那人なのか。難しい問題が有りました。


イ) (日本書紀の継体天皇の条に)、
 日本が、(加羅の国の領域の)多沙津を百済に与えたので、加羅の国は怒った。
 (100人の従者を引き連れて入城した新羅王の王女を娶った)加羅王に息子が生まれた。後に、諸々の場所に散った従者たちが、新羅の着物や冠をかぶっていた。

   つまり、日本寄りの加羅の人が、新羅との交流を通じて、新羅化した。


ウ) 継体天皇の頃の任那・新羅・百済は、明確な線引きが出来ない状況に陥っていた。

 任那王の阿利斯等は、近江毛野臣の政治が気に入らないから反乱し、新羅に援軍を求め、百済にも援軍を求めた。城に篭城した近江毛野臣は、新羅と百済を迎え撃った。

  つまり、任那日本府の晩期には、洛東江の下流域は、無茶苦茶な混乱に陥っていた。


エ) 蘇我氏は、混血児の子孫だった。

 蘇我氏は、8代・孝元天皇→彦太忍信→屋主忍男武雄心→武内宿禰→蘇我石川宿禰→蘇我満智→蘇我韓子→蘇我高麗→蘇我稲目→蘇我馬子→→と言われます。
  ここで、
 蘇我韓子宿禰について、「雄略天皇・即位九年三月の条」にも有るように、蘇我韓子の「韓子」とは、朝鮮で生まれた子供を意味し、父親が蘇我氏の男で母親が半島の女と云われています。
 その子供の「蘇我高麗」も、朝鮮半島の娘との子供、との説が有ります。


オ) 古代の日本人の名前が、おかしい。
 「敏達天皇十二年の条」に、『今在百濟、阿利斯登子達率火葦北国造阿利斯登子達率日羅、賢而有勇。』と有ります。
   (翻訳すると)、
 『今、百済に居る、火葦北(ヒのアシキタ)国造(クニノミヤッコ)の阿利斯登(アリシト)の子の達率日羅(ダチソチニチラ)は賢くて勇猛だ』。
   つまり、
 新羅を征伐する人材の「日羅」を百済に送っている。それを返して欲しいと日本が言ったら、百済は拒否した。このため、日本は吉備海部直羽嶋を派遣して、日羅を連れ戻した。
 日本が派遣したのは、日羅(ニチラ)・恩率(オンソチ)・コ爾(トクニ)・余怒(ヨヌ)・奇奴知(ガヌチ)・参官(サンカン)・柁師コ率次干コ(カドトリトクソチシカントク)と水手(カコ・船員のこと)たちと若干の人です。

  これらの名前を読むにつけ、いったい、どこの国の人かと、困惑します。


D (余談ですが)、賢すぎて嫌われて、天皇に成れなかった、聖徳太子の悲劇。

 最高権力者の蘇我馬子にとって、蘇我馬子の「言いなりになる姪」の推古女帝はベストだったが、用明天皇の皇子で頭脳明晰で政治に明るい聖徳太子は、蘇我馬子にとってバッドだった。


(朝鮮出兵に消極的な豪族会議と、積極的な聖徳太子)

 推古天皇九年に、新羅征討が会議されて、推古天皇十年に、(聖徳太子の弟の)来目皇子が2万5千を率いて、総司令官で遠征したが、途中の筑紫で急病死した。
 続いて、(聖徳太子の異母兄弟の)当麻皇子が総司令官に任命されて出発したが、遠征に同行した妻が播磨で急死したので、予定をキャンセルして奈良に引き返した。
 このため、豪族会議は、『神は、新羅遠征を望んでいない』と噂して、新羅遠征をボイコットし、結局、新羅遠征は中止された。

 聖徳太子は、新羅遠征の強硬派の中心であり、蘇我馬子は反対派の中心だった。(想像)。

 『聖徳太子を天皇にしたら、新羅遠征の強行で、国が疲弊するから、聖徳太子を絶対に天皇に即位させるな』。
 『聖徳太子は、十七条の憲法を起案するなどの開明派だが、理想主義者の原理主義者であり、振り回されたくない。今の推古天皇体制を堅持せよ』。

 結局、聖徳太子は、天皇に推す声も無く、皇太子どまりで一生を終わったと言います。


★(神も、朝鮮にかかわることを望まなかった)

 備中国風土記・逸文「邇磨(ニマ)の郷」(原文は「本朝文粋」二・三善清行「意見封事」の引用)、
  (簡略の翻訳に)、
 『臣は、寛平五年(893年)に備中介に任じられた。・・・かの国の風土記を見ると、皇極天皇の六年(日本書紀は四年で終わっているが)、唐が新羅の軍を率いて百済を攻めたので、百済が日本に援軍を求め、皇極天皇が筑紫に行幸して救援軍を出そうとした。この時、天智天皇は皇太子で摂政だったが従軍して、かの国の下道郡に宿った。
 その後、皇極天皇が、筑紫の行宮で崩御したので、救援軍の派遣は中止になった。・・・

 ★ (真偽不明の記事ですが、事実と仮定して、皇極天皇が筑紫で崩御したのは、神が『これ以上は朝鮮にかかわるな』、というメッセージだろうか。どうでしょうか)。


E まとめ。

 古代の日本人の多くが、半島南部に居た「呉越系倭人(本当の中国人)」に間違いは無く、大陸や半島の動乱により、新天地「日本」に移動した。

 大半の日本人(倭人)が移動を終えた段階で、神は、『半島と日本列島を切り離してしまえ。今後はかかわるな』、と命じた。


(その意味において、神の御霊が宿るのは、日本人だけだと思いますが、どうでしょうか)。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/479.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の48)・「景行天皇と、ヤマトタケル天皇の、兄弟対決」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「景行天皇と、ヤマトタケル天皇の、兄弟対決」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 記紀神話では、景行天皇と倭武天皇は親子に成っていますが、実は、違うのではないか、本当は兄弟だったのではないかと、想像しています。あくまでも想像ですが。


A 倭武は、「ヤマトタケル天皇」と呼ばれていた、事実が有る。

ア) 「倭武天皇」の呼称の事実。

 常陸国風土記に、ヤマトタケルの事が記載され、至る所に「倭武天皇」の文字が見られます。
 「阿波国風土記・勝間井の条」(万葉集註釈七)でも、「倭健天皇命」との記載が見られます。
 ★ 別々の人物による文献ということで、「客観性」が有りますから、「倭武天皇」は事実です。

 その他にも、天皇で無い人物の「天皇」の呼称には、「播磨国風土記・揖保郡・大家の里」に、「宇治天皇」(菟道稚郎子・ウヂノワキイラツコ)が見られ、同じ「播磨国風土記・美嚢(ミナギ)郡・志深(シジミ)の里」に、「市辺天皇」(市辺忍歯王のこと)も見られます。


イ) 天皇の呼称への、反論説と、その再反論説。

 反論説では、『倭武天皇・宇治天皇・市辺天皇などの呼称は、皇太子や「日嗣の皇子」に付けられた呼称名に過ぎず、天皇で有るとは限らない』。

 再反論説は、『宇治天皇(菟道稚郎子)は「嗣」(ヒツギ・次期天皇)に成っている(日本書紀・応神天皇・即位40年の条)。仁徳天皇と菟道稚郎子の間の混乱で3年が経過している(日本書紀・仁徳天皇・即位前記の海人族が魚を献上する段)。ゆえに、3年間は宇治天皇の治世と認められる』。
  さらに、
 『摂津国風土記・美奴売の松原の条」(万葉集註釈三)に、「息長帯比売天皇」(神功皇后)の名称が見られるから、否定論の根拠とする皇太子・日嗣皇子(ひつぎのみこ)説には、根拠が無い』。
  さらに、
 『皇太子や日嗣皇子の名称は、大海人天皇以降に確立したもので、蘇我氏の専制政治の頃には「大兄」という敬称は有ったものの、皇太子という敬称は無かったし、皇太子の制度も無かった』。


B ヤマトタケルは、天皇として処遇されている。

 日本書紀・景行天皇・即位40年の日本武尊の崩御の段に、『逮于能褒野、而痛甚之。・・・既而崩于能褒野、時年卅。』
★ 崩は、崩御の意味。一般に天皇・皇后にしか使わない文字。

 『天皇聞之、寢不安席、・・・葬於伊勢國能褒野陵。』
★ 陵は、御陵で、みささぎ。一般に天皇・皇后にしか使わない言葉。

 『時、日本武尊化白鳥、從陵出之、・・・倭琴彈原、・・・造陵焉。白鳥更飛至河內、・・・作陵。・・・三陵、曰白鳥陵。・・・』
★ 何度も陵の文字が使われる。


C 景行天皇が、ヤマトタケル天皇に、王権を「生前譲渡」した、記録が有る。

ア) 日本書紀に、王権を生前譲渡した記述が有る。

   (日本書紀・景行天皇・即位40年の日本武尊に東国平定を命じる段に)、
 『卌年夏六月、東夷多叛、邊境騷動。・・・』
 『於是日本武尊、雄誥之曰「熊襲既平、未經幾年、・・・則天皇持斧鉞、以授日本武尊曰「朕聞、其東夷也、・・・亦是天下則汝天下也、是位則汝位也。願深謀遠慮、・・・於是、日本武尊乃受斧鉞、以再拜・・・』

   (簡略の再翻訳)
 『(景行天皇の即位28年に、ヤマトタケルが九州の熊襲を平定して奈良に帰ってきたが)、即位40年になると、東国の蝦夷が大規模な反乱を起こして大混乱に陥った。
 そこで、景行天皇が征討将軍の選出を求めたが、「何年かかるか分らないし、勝利できるかも分らない」から豪族たちは下を向いていた。
  そのため、
 ヤマトタケルに「白羽の矢」が立ったが、『とんでもない。九州遠征でヘトヘトだ。この役目は、(ヤマトタケルの兄の)大碓命が適任だ』と拒絶した。すると、大碓命は恐怖におののいて逃走した。
 (大碓命は、古事記ではヤマトタケルの兄だが、ねんごろに殺されたことになっている。また、日本書紀では双子の兄になっている)。

  そこで、
 景行天皇が、ヤマトタケルに斧(オノ)・鉞(マサカリ)を授けて、『お前しか居ない。この天下は、お前の天下だ。この位は、お前の位だ。よろしく頼む』。
 そういうことで、ヤマトタケルは、斧(オノ)・鉞(マサカリ)を受け取り、吉備武彦・大伴武日連らを従えて、東国遠征に旅立った』。

 ★ 景行天皇が『この天下は、お前の天下だ。この位は、お前の位だ』と明言しているのですよ。文書で契約しようと口頭であろうと、契約は契約です。だから、間違いなく、皇位の譲渡契約が有ったんです。こんな争点なら、最高裁でも勝訴できますよ。


イ) 斧(オノ)・鉞(マサカリ)は、王権のシンボルだった。

 漢字の「王」という字は、象形文字であり、「大きなマサカリの刃の形」に由来すると云われます。ですから、斧(オノ)・鉞(マサカリ)は王権のシンボルになります。
 古代中国では、遠征軍の将軍に斧・鉞を授ける例が有りますが、一般の将軍には剣を授ける程度で、斧・鉞を授けるのは特別で、王の名代の意味を持っています。

 記紀神話編集委員会も、中国の故事を熟知しており、「倭武天皇」の事実が有ったからこそ、王権のシンボルの斧・鉞を挿入したのではないかと、想像します。


ウ) 記紀神話の記述は、無茶苦茶で、信用ならない。

 上記の日本書紀では、ヤマトタケルの東国遠征は景行天皇即位40年のことに成っていますが、即位2年にヤマトタケルが生まれています。
 (『二年春三月丙寅朔戊辰、・・・后生二男、第一曰大碓皇子、第二曰小碓尊』。)
   ところが、
 日本書紀のヤマトタケルの東国遠征の記述の最後の中に、『逮于能褒野、而痛甚之。・・・既而崩于能褒野、時年卅。』とあり、「ヤマトタケルは30歳で崩御した」と記載されています。
  よろしいですか、・・・、
 ヤマトタケルが、景行天皇即位2年に生まれて、30歳で崩御したなら、即位32年に亡くなっているのです。何で、即位40年に東国に遠征できるのですか。

★ 記紀神話編集委員会は、何もかも承知の上で、無茶苦茶に書いているのです。理由の1つには「神武天皇即位の紀元前660年問題が有ると思いますから、「倭の五王」までの間を、延ばせるだけ引き伸ばさなければ成りません。「兄弟相続なんて、もってのほか」です。
 『読み解ける人は、自分の力で読み解け』という「なぞなぞ」ではないかと、思います。


D 景行天皇とヤマトタケル天皇が親子なら、年代が、窮屈だ。(算数的な考察)。

ア) 「倭の五王」が、4百年代前半から始まることに異論は有りません。また、高句麗の広開土王(好太王)の『391年に倭人が侵攻した』、『400年に倭人を撃退した』の碑文から、380-400年頃は、(短命政権の)仲哀天皇と、(長命だった)神功皇后摂政時代が推測されます。
  また、
 413年に倭の讃(応神天皇)が東晋に朝貢した記録が有りますが、390年代頃に生まれた応神天皇が成人するまで、母親の神功皇后の摂政時代が在ったと考えるなら、辻褄が合います。
  (天皇は空位になりますが、武内宿禰らの豪族会議が主体だったかも、知れません)。
  そこで、
 仮に、応神天皇が390年代に生まれたと仮定すると、(仲哀天皇には既に3人の子供が居たので、応神天皇を30歳で生んだと仮定すると)、仲哀天皇が生まれたのは360年代が仮定されます。
  さらに、
 仲哀天皇の父親のヤマトタケルは30歳で崩御したが、全部で7人の妃と6人の子供を生んでいる。ここで、仲哀天皇を末子相続と考えると、ヤマトタケルが20代後半に仲哀天皇を生んだことになるから、ヤマトタケルが生まれたのは330-340年頃が仮定されます。
 すると、同じように、景行天皇が300-310年頃に生まれ、垂仁天皇は270-280年頃に、崇神天皇は240-260年頃に生まれた計算になります。

 (☆ これとは別に、単純に「一代25年周期計算法」で計算すると、応神天皇390年生、仲哀天皇365年生、ヤマトタケル340年生、景行天皇315年生、垂仁天皇290年生、崇神天皇265年生が当てはまります)。

 ところが、崇神天皇や垂仁天皇の時代は、3百年代中頃(340-360年頃)の説が有力ですが、崇神天皇は短命だったのです。(その6の44、崇神天皇が鹿児島から奈良に入城した、Dを参照)。すると、240-260年頃に生まれた崇神天皇が340年頃までは生きられません。
  だから、
 崇神天皇が300-310年頃に生まれ、垂仁天皇が320-330年頃に生まれたとして、一世代分をズラし、景行天皇と倭武天皇は親子では無く、兄弟だとすると、辻褄が合いそうですが、★実は、これでも合いません。

(★ ヤマトタケルが330-340年頃に生まれたと仮定するなら、垂仁天皇と兄弟に成ってしまいます。また、ヤマトタケルと景行天皇を兄弟とするなら、垂仁天皇と3兄弟に成ってしまい、3者とも崇神天皇の子供に成ってしまい、訳が分らなく成ります。
  話は脱線しますが、
 「神武東征」で、崇神天皇神武とニギハヤヒ天皇神武が二重写しに成っていますが、ニギハヤヒ天皇神武は奈良に入城してから子供を生んでいますから、これを崇神天皇神武に当てはめると、(垂仁天皇を鹿児島で生んで後に)奈良に入城してからも現地妻に子供を生ませたが、それが景行天皇と倭武天皇です。
  そして、
 景行天皇の九州遠征は、実は、天皇に即位した後では無く、垂仁天皇朝の大足彦の時代のことであり、ヤマトタケルの東国遠征は景行天皇時代に成りそうです。
 以上は、疎明資料が有りませんから、全くの空想に過ぎませんが、研究者の中にも、崇神天皇から応神天皇までの時系列が合わないという指摘が有ることは事実です。


イ) 崇神天皇・垂仁天皇の、二人の皇子の皇位争いの話。

 日本書紀・景行天皇に『二年春三月丙寅朔戊辰、・・・后生二男、第一曰大碓皇子、第二曰小碓尊』、と有りますが、実は、大碓皇子が景行天皇で、小碓尊がヤマトタケルかも知れません。


(日本書紀の垂仁天皇皇子の皇位継承の話)

 大足彦は、垂仁天皇に『皇位が欲しい』と言って、次の景行天皇に即位しました。
 五十瓊敷命は『弓矢が欲しい』と言って、弓矢を受け取りましたが、(古事記では)大阪府阪南市で、刀鍛冶をしたとも云われますが不明です。
 (景行天皇と皇位を争った人物が、刀鍛冶とは、お粗末過ぎて、不自然です)。


(垂仁天皇の前の崇神天皇でも類似の「夢占い」の話)

 夢占いの結果、垂仁天皇に皇位が譲られ、豊城命は東国に領地が与えられたので遠征して、子孫が群馬県や栃木県の領主に成っています。
  ところが、シックリこないのは、
 崇神天皇の「四道将軍」の遠征で、大彦が日本海方面に遠征し、(大彦の息子)のタケ・ヌナカワ・ワケが東海道を進軍して、二人が福島県の会津で出会ったことに成っています。(古事記)。
 その後の遠征の記録は、ヤマトタケルの遠征まで有りません。すると、豊城命は何をしていたのか、という疑問が浮上します。


E 皇子にしては、ヤマトタケルには天皇並みの「后妃」がいたという、信じられない話。

 古事記によると、ヤマトタケルには、后妃が7人いました。

 注目すべきは、吉備氏と同盟を結んで、吉備武彦を東国遠征軍に編成しています。また、尾張氏とも同盟を結んで、宮簀媛を后にしています。
 また、子孫の中には、滋賀県や神奈川県や愛知県方面にも勢力を伸ばしているようです。

★ 后妃の数では、(古事記によると)、崇神天皇が3人、垂仁天皇が7人、景行天皇が7人、成務天皇が1人、仲哀天皇が2人ですから、ヤマトタケルの7人は、垂仁天皇・景行天皇と並び、成務天皇・仲哀天皇とは比較に成らないほど立派だったことになります。

 (古事記の中で)景行天皇の21人の子供の中で、ヤマトタケルの后妃の数は、多過ぎます。


F ヤマトタケル天皇は、景行天皇に、殺された。(まったくの妄想)。

ア) 行く必要の無い滋賀県の伊吹山に、なぜ、行ったのか。

 倭武天皇は、景行天皇の命令で東国平定に出陣しただけですから、滋賀県の伊吹山に行く必要は無く、伊吹山に「荒らぶる神」が出没しようとも、天皇の命令が無ければ放置すればよいのです。

 当時の都は、奈良県の三輪山の麓の纏向宮でしたから、交通路は、奈良−木津川−伊賀上野−鈴鹿−名古屋のルートであり、(あるいは西名阪・国道25号線、あるいは近鉄電車の大阪名古屋線か)、滋賀県を通る必要性は無かったはずです。

★ だから、罠にはめられた、天皇の命令で呼び出された、伊吹山の平定を命じられた。


イ) 日本書紀の「伊吹山」の文字が、おかしい。

 『日本武尊、更還於尾張、卽娶尾張氏之女宮簀媛、而淹留踰月。於是、聞近江五十葺山有荒~、卽解劒置於宮簀媛家、而徒行之。至膽吹山、山~、化大蛇當道。・・・』

 始めに「五十葺山」の文字が有り、すぐ後ろには「膽吹山」の文字に変わっていますが、同じ「伊吹山」のことです。
 「五十葺」には、数が多いという意味、覆う・重なるという意味があり、『荒らぶる神が多く重なっている』とも解釈できそうです。
 「膽吹」の「膽」は、度胸・判断の意味もあり、『度胸や判断を吹き飛ばす』とも解釈できそうです。

★ 五十葺山・膽吹山と、2種類の文字を使う必要が無いのに、わざわざ使っているのは、何故か。文字を変えるのは、そこに、隠された意味・メッセージ・意図が有るのではないか。

 荒らぶる神が多く重なって、ヤマトタケルを待ち構え、ヤマトタケルの度胸や判断を吹き飛ばし、結果として、ヤマトタケルは敵陣を突破したものの、重症を負い、能褒野で崩御しました。


ウ) 伏兵を置いた「待ち伏せ作戦」を、推理する。

 ヤマトタケルは歴戦の勇者だ。正攻法では勝てないから、騙し討ちの「待ち伏せ作戦」を考える。伊吹山に伏兵を置いて、彦根方面に誘い込む。そして、正面から戦うと同時に、伊吹山の伏兵が背後から襲い掛かる。戦闘は背後から襲われたら耐えられない。
 しかも、関が原を抜けて名古屋に帰る道は封鎖されて、逃げ道が無い。ヤマトタケルが「罠」と気付いた時には、味方は総崩れで、何とかヤマトタケルが敵陣を突破したが、重症を負ってしまった。


エ) 景行天皇は、倭武天皇が怖かった。

 (古事記に)、景行天皇が小碓命(ヤマトタケル)に、『お前の兄の大碓命は、飯の時間に席に着かないが、「ねんごろ」に教え諭せ』と命じると、小碓命が大碓命を「ねんごろ」に殺してしまった。
 景行天皇は、ヤマトタケルの凶暴さに恐怖を抱き、九州の熊襲征伐のために遠征させた。

★ 倭武天皇が東国遠征を終えて、大軍を率いて名古屋まで帰還して兵を休めている。しかも、王権のシンボルの斧・鉞も持っているし、天皇位の生前譲渡も衆目の中で宣言している。景行天皇は恐怖に怯えて、夜も寝られなくなった。(想像)。


G アマテラスは、ヤマトタケル天皇を切り捨てて、景行天皇を祝福した。

ア) アマテラスから見た場合に、景行天皇も倭武天皇も同じ子孫だが、どちらを祝福すべきか。

 武人としての能力は、景行天皇は南北九州を平定した実績が有る。対する倭武天皇も熊襲を平定し東国を平定した実力が有るから、甲乙を付け難い。

 だが、天皇に最も必要な「政治的包容力」には格段の差がある。すなわち、景行天皇には諸豪族どころか熊襲まで包み込む包容力がある。対する倭武天皇には包容力が認められない。

 また、臣民から見た場合に、景行天皇には親しみを覚え、倭武天皇には恐怖を覚えるだろう。

 また、朝鮮情勢の緊迫化の中で、景行天皇は既に関が原以西を統一している。対する倭武天皇は関が原以東を抑えたに過ぎず、「関西」に動乱が発生すると、日本が滅亡する危険性がある。


イ) 「草薙の剣」に見た、アマテラスのメッセージ。

(古事記によれば)、
 「草薙の剣」は、ヤマトタケルが東国遠征に出陣する際に、伊勢神宮に参拝して、叔母のヤマト姫から剣を授けられた。遠征を終えると、名古屋の熱田でミヤズ姫に預けて、伊吹山に出陣した。

(尾張国風土記・逸文・熱田の社(原文は「釈日本紀」七の引用から)簡略の再翻訳で、
 日本武命(ヤマトタケル)が、東国を巡歴して帰還した時、尾張連の遠祖の宮酢媛命と婚して家に宿った。夜に厠に行ったが、「草薙の剣」を桑の木に掛けて、忘れて殿に入った。
 剣を忘れたことに気が付いて、取りに戻ると、剣に神々しい光が有って、取ることが出来なかった。そこで、宮酢媛に『この剣には神の気が有る。大事に祭って、私の形影(カタミ)にせよ』。
 それで、社を建てて、(熱田という)郷の名前によって、宮の名前にした。
 (☆ ちなみに、ミヤズ姫の名前は、宮が有るから「宮津姫」というニックネームだと思います)。

★ 「草薙の剣」は、たとえ話ですが、剣はアマテラスの依り代ですから、この時、アマテラスが倭武天皇を見放したことが、イメージされます。


H ヤマトタケルの罪。(王者には、ふさわしくないという意味で)。

ア) 傲慢(ごうまん)であるという罪。

 (日本書紀に)、神奈川県の浦賀水道を渡るときに『こんな小さな海は一飛びだ』と高言して、神の怒りを買い、弟橘媛を犠牲に捧げたこと。
 (古事記に)、足柄山で、白鹿に化身した神を、食べ残しの野蒜(ノビル)で撃ち殺したこと。
 (古事記に)、滋賀県の伊吹山の神を『素手で倒してやる』などと馬鹿にして、神の怒りを買って、打ち倒されたこと。


イ) 残虐であるという罪。

 (古事記に)、幼少の頃に、兄の大碓命の五体を引きちぎって残虐に殺したこと。
 (古事記に)、熊曾(クマソ)征伐でクマソタケルを殺すときに、体を切り刻んだこと。


ウ) 騙す(ダマス)という罪。

 (古事記に)、熊襲征伐の後で出雲に入り、出雲建(イヅモタケル)を騙して殺したこと。

  (ヤマトタケルの出雲の話は懐疑的な意見が有るが、「美作国風土記・逸文」の「勝間田の池」の条にも、日本武尊が櫛を池に落とした話が見えるので、出雲平定の真偽は不明)。


エ) 大和の「民族の秩序」を乱すという罪。

 (日本書紀・景行天皇即位五十一年秋八月の条に)、ヤマトタケルが尾張に連れてきた蝦夷が騒いで平安を乱したので、伊勢神宮のヤマト姫から提訴があり、奈良の三輪山に移動させたが騒擾したので、畿外に追放した。

 (★ この蝦夷たちは、最終的に播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5カ国に分置されたので、かなりの大軍を、ヤマトタケルが配下に組み込んで持ち込んだことが、想像されます)。
 (また、蝦夷は、(その6の13・蝦夷と天香香背男)で述べたように、神代の昔から嫌われていた)。


I 終わりに。

 真実は誰にも分りません。ヤマトタケルに永遠のロマンを感じるか。冷徹に政治的判断を空想するか。人それぞれなのかも知れません。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/484.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] (その6の48−2)・「新羅が、草薙の剣を盗んだ、謎」

@ 本文の付け足しですが、「新羅が、草薙の剣を盗んだ、謎」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 日本書紀の天智天皇の段に、新羅が、日本の国宝の「草薙の剣」を盗みました。
 気になる記述なので、少し考えてみたいと、思います。


A 問題の記述。「日本書紀・天智天皇・即位7年・十一月辛巳朔」に、 

 『十一月辛巳朔、賜新羅王絹五十匹・綿五百斤・韋一百枚、付金東嚴等。賜東嚴等物、各有差。乙酉、遣小山下道守臣麻呂・吉士小鮪於新羅、是日金東嚴等罷歸。是歲、沙門道行、盜草薙劒逃向新羅、而中路風雨荒迷而歸。』

   (簡略の翻訳に)
 『天智天皇即位7年11月1日、新羅王たちに絹などの品物を与えた。11月5日、家臣たちを新羅に派遣し、新羅の使者たちも帰国した。この年、新羅の仏僧の道行(ドウギョウ)が、草薙の剣を盗んで、新羅に逃げようとしたが、途中で風雨に遭って、迷って帰った。(日本国内で捕まって処刑された)』。


B 当時の社会情勢。

 天智天皇即位7年(668年)は、即位2年の「白村江」(663年)の大敗北で、百済が完全に滅亡した5年後になります。

 白村江の敗戦・百済の滅亡以降は、唐と新羅の連合軍が、高句麗をボコボコにしようと画策し、唐・新羅・高句麗の3国とも、日本を見方に引き込もうとして、日本に使者を派遣しました。

 (百済の完全滅亡は663年、高句麗の滅亡は668年9月(滅亡後は新羅と同調して再建の反乱を起こす)、新羅が唐に反発した戦争開始が671年です。

  ですから、上記の、草薙の剣を盗んだのは、高句麗が滅亡した年で、唐の攻撃対象が新羅に向けられたときに該当します)。


C 草薙の剣を盗んだ、目的・理由。(推理)。

 ア) 単に、欲しかったから。
 イ) アンティークとして財産にしたり、高値のオークションの目的があった。
 ウ) 新羅が、唐・新羅戦争を想定して、日本の神(アマテラス・スサノオ)を人質にしようと思った。
 エ) 新羅が、新羅に降臨したスサノオの霊力の宿る剣を手に入れることで、スサノオの神威を新羅に引き込もうと思った。


D スサノオは、新羅に降臨した「新羅の軍神」であり「新羅の国祖」でもあった。

 記紀神話に、スサノオは新羅に降臨しました。(その6の24)・スサノオは朝鮮に降臨した」参照。

 また、新羅の成り立ちは、倭人がルーツといわれ、日本人と同祖との説が有りますし、王姓が「朴」・「昔」・「金」に移りましたが、「朴姓新羅」の王は日本人の説が有力です。

 ですから、スサノオは、まったくの他人という訳でも無さそうですが、どうでしょうか。


E ★(余談ですが)、「草薙の剣」の霊的な意味。

 「三種の神器」は、霊的意味の、「霊・力・体」を表すとされます。

 勾玉は、自分の霊魂を表し、「曲が霊」は邪悪な霊魂、「真が霊」は正しい霊魂。
 鏡は、自分を映す鏡であり、霊魂の反映。すなわち、物質化した肉体(人間)。
 剣は、力の行使。思考と体験の反映。実際の行動。行為することは力の行使。

 すなわち、「思考と体験」のために、行為する自分が勾玉。行為することが剣。行為の結果を省みることが鏡。

 人間活動の意義とは、省みる、恥じる、悔やむ、畏れる、悟るの「五情の戒律」。そして、更なる意識進化、アセンション。
 

★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/485.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の49)・「九州に王朝は、無かった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「九州に王朝は、無かった」に、ご興味をお持ちでしょうか。九州王朝が論じられていますが、はたして、王朝と呼べるものが、本当に有ったのだろうか。

 私は、地域国家の程度は有ったかも知れないが、九州全体の統一王朝と呼べるものは、無かったと思います。
 今回は、否定説を述べたいと、思います。


A グーグルの「航空写真」で見た、分断された九州の地形図。

 航空写真で見ると、平野部と山岳部がイメージされますが、3箇所に大別できそうです。

 北九州では、遠賀川の流域・博多平野の流域・筑後川の流域の3箇所に平野部が見られます。つまり、福岡県・佐賀県・長崎県の3県が一つの広域文化圏に、イメージされます。

 中九州では、熊本県の熊本平野が一つの文化圏に見えそうです。

 南九州では、球磨川の源流の人吉盆地や、えびの市・都城市などの盆地が「飛び地」に連なっています。これを一つの文化圏と見るかは異論が有るかも知れませんが、まあ、「クマソ」の産地ということで、一まとめにしたいと思います。

★ 熊本平野は「くまもん」の産地ですが、「クマソ」とは違います。クマソは球磨(クマ)・贈唹(ソオ)の2つの地域を総称した言葉で、熊本県南部・宮崎県南西部・鹿児島県北東部方面を意味し、熊本平野とは違います。

 (熊は球磨で、肥後の国の球磨郡(人吉市方面)、襲は贈唹(ソオ)で大隅の国の曽於郡(霧島市を含む)と、宮崎県南西部方面を言うようです。
   なお、
 「熊」の意味は、「クマなく探す」のクマであり、「奥まった」「隅にある」「谷間」のイメージであり、球磨郡人吉市方面が渓谷の奥の内陸部にあることから名付けられた説があるそうです)。

 ただ、ヒミコ時代の菊池彦のころは不明であり、菊池彦と熊襲の関連も不明です)。


B 民族的に見た、九州のバラバラな民族構造。

 北九州は、(歴史的に見ると)、親新羅系統の呉系倭人と考えられそうです。あるいは、半島南東部の洛東江と交流をもった海人族かも知れません。

 熊本平野は、(北九州の)邪馬台国の女王ヒミコと敵対した菊池彦の領域であり、どうも、北九州とは人種的に違うような感じがしますが、どうでしょうか。

 人吉市・えびの市・都城市などの盆地は、周囲が高い山で隔てられ、活発な交流を持たず、独自の文化圏を築いていたかも知れませんが、歴史が残っていないので、分りません。


 そのほかに、「海人族」と「山人族」の分別が考えられます。海人族では、北九州の「綿津身」と、南九州の「吾田津身」「隼人族」の違い。
 山人族では、呉系倭人・越系倭人、あるいは熊襲、あるいは蝦夷系統などの系統の違い。


C 九州単一の統一王朝は、不可能です。

 九州に、大和王権とは独立した統一王朝は、不可能だと思います。

 第1には、海人族と山人族に大別されますが、両者は別々の価値観を持ち、一体化は難しかったと思います。

  景行天皇時代にも、景行天皇・ヤマトタケルの遠征で熊襲が征伐されていますから、熊襲を統一王朝には組み込めなかったと思います。


 第2には、王朝としての統制が取れなかったと思います。

  仮に、海人族が政権を執っても、支配できるのは海岸部だけであり、内陸部は支配できない。逆に、山人族に置き換えても、同じことです。

  (昔の海軍は、海戦は出来るものの、「陸戦隊」部門が未熟だったと想像しますし、内陸部では陸軍歩兵の正規軍でなければ、制圧できません)。


 第3には、高い山岳に隔てられて、交流が制限されたこと。

  今日では、国道や高速道路で、内陸部が接続されますが、古代には、渓流の脇に山道を作って交流するしか手段が有りませんでしたが、曲がり道クネクネのアップダウンの連続ですから、日帰りで行き来するのも難しく、一つの王朝で統治するのは難しいと、思います。


 第4には、(これが最も大きな理由ですが)、畿内の「大和王権」が九州の独立王国の存在を認めなかったことです。

  前述のように、景行天皇時代に、景行天皇による南北九州の遠征や、ヤマトタケルの遠征で熊襲が征伐されています。

  仲哀天皇時代にも、北九州が遠征されていますし、継体天皇時代にも、527年の「筑紫国造磐井の乱」を鎮圧しています。
  

D 九州王朝説は、証拠が明確でなく、単なる思い付きに過ぎない。

 九州に独立王朝が在ったと主張するなら、何年ごろか、どの程度の領域か、誰を主体とする王朝だったのか、疎明資料を添付の上で主張すべきだと、思います。

 邪馬台国の卑弥呼以降は、九州には王朝など存在しなかった、という見解が大勢のようですが、どうなんでしょうか。


E (余談として)、天孫ニニギの出発地は、福岡県の「ミヤコ郡」だった。

 豊前国風土記・逸文「宮処(ミヤコ)の郡」の条(原文は「中臣祓気吹鈔」の引用)。
   (簡略の翻訳に)
 『豊前国風土記にいう、・・・宮処(ミヤコ)の郡。昔、天孫がここから出発して、日向の旧都に天下った。おそらくは、天照大神の神京(ミヤコ)だろう。・・・』
    つまり、
 天孫ニニギが、福岡県行橋市方面から日向(鹿児島県方面)に下ったという意味だと思います。
 福岡県行橋市から国道201号線を西に10キロ20キロ行くと、遠賀川上流の田川市や香春町に至りますが、香春町の香春神社には、天孫ニニギの父親の「忍骨命」が祀られていますし、遠賀川からはニギハヤヒが東遷していますから、辻褄は合っています。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/489.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の1)・日月神示の研究・「民族の血は混ぜるな、穢(けが)すな」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。


@ ところで、「民族の血は混ぜるな、穢(けが)すな」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、日本人とは、世界で一番尊い家柄の血筋なのです。私たちは、そのことを誇りに思わなければなりませんが、多くの人たちは、ホコリにまみれてしまいました。残念で仕方が有りません。


A 世界で一番尊い血を、混ぜるな。

    (日月神示・梅・15)
 『・・・血尊べよ、血は霊であるぞ神であるぞ、血にごしてはならんぞ、血はまぜこぜにしてはならんのぢゃ、黄金(こがね)は黄金の血、白銀(しろがね)は白銀の血、黄金白銀交ぜ交ぜて別の血つくってはならんのぢゃ、外国にはまぜこぜもあるなれど、元をまぜこぜならんのざぞ、交ぜることは乱すことざぞ、学はこの大事な血乱す様に仕組みてゐるのざぞ、それがよく見える様にしたのは悪神ざぞ、人民の目、くらましてゐるのぢゃぞ、・・・』

★ 「シリウスの解釈」では、『日本人は地球で白人は金星。地球人類は多くの惑星の次元交差。』
   すなわち、
 核質・マトリックスが、民族で異なる。地球はマトリックスの多重交差で、主軸・エンジンが日本人。


B 日本人は、別格官幣大社で、世界の王家です。

 日月神示・下・13・『・・・ いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、・・・』

 ★ 「マヤの2012年」で全てが確定し終了しました。予定終了です。延長は有りません。

 (と言っても、本当は、多重ミキシングの「VRゲーム」ですから、『あはは』と笑う程度ですが)。


C (終わりに)、来るべきアセンションは、日本が主体になって行います。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/490.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の1−2)・・「子供は親を選べない。後ろに付いて行くだけだ」

@ ところで、「子供は親を選べない。後ろに付いて行くだけだ」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 理不尽であり、不条理であるかも知れませんが、子供は親を選ぶことが出来ません。反対に、親は子供を選ぶことが出来ます。俗に言う「間引き」です。


 昔の江戸時代までは、親の望まない赤子は闇に葬られました。あるいは、明治以降でも地方の田舎では、自宅で出産しました。
 産婆が出産の手助けをしていましたが、「不具合」のある子供や、望まない子供は、「布団やタオルを顔に押し付ける」などして、葬りました。

  それは、日本全国で、非公式に行われていたことですし、社会の「暗黙の了解」も有りました。


A 龍の子は龍であり、狼の子は狼だ。

 子供が親を選べない理由の一つには、蛇の子供は蛇として生きていかなければならないし、犬の子供は犬として生きていかなければならないと言うことです。

  幾ら、『人間になりたい。蛇なんか嫌だ、犬なんか嫌だ』と叫んでも、人間にはなれないのです。


 仮に、日本人が龍の子孫で有ったとしたら、私たち日本人は龍の子供として生きていかなければ成りませんし、親が「黒き森の狼」ならば、狼の子供として生きていかなければ成りません。

   運命は変えることが出来ても、宿命は変えられないのです。


B 日本人は「世界の鬼っ子」だ。

 日本人は異質であり、「YAP遺伝子」も異質です。世界人類の中で、特異な民族です。

 やがて、世界は統合に向かうでしょう。ヨーロッパは「EU」として統合しましたし、アラブもアフリカもユーラシアも、やがて統合に向かうでしょう。

 しかしながら、日本は統合化の枠から外れ、異端児、鬼っ子と呼ばれるかも知れません。


C 親の後を付いて行くのが、日本人の宿命だ。

 日本人は、龍体の日本列島を離れてはいけない。日本列島を離れたら「霊線」が切れてしまう。

 日本人が龍体の上に、しがみついている限り、親は日本人を見捨てない。


D 第7次太陽系次元の終了とともに、人類は、それぞれの核質・マトリックスに従って、別々の道を歩むことになる。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/491.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の50)・「仲哀天皇は、戦死した」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「仲哀天皇は、戦死した」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 仲哀天皇については、詳しいことが、分りませんが、「仲哀」という名前は、いかにも哀れです。


A 仲哀天皇のプロフィール。

ア) 仲哀天皇の出生の謎。

 (古事記によれば)仲哀天皇の母親は、垂仁天皇の娘の「布多遅能伊理毘売(フタヂノ・イリヒメ)」(日本書紀には「両道入姫」)です。

 ★ 「両道入姫」の名前は変です。「二つの道に入る姫」とは、夫を変えた可能性が考えられます。それから、「入る」も変です。奈良の外から入ってきた可能性も考えられます。(あるいは夫を変えて2つの夫婦の道に入る意味か)。

 (その6の48)・「景行天皇と倭武天皇の兄弟対決」のDで述べたように、時系列な考察では、仲哀天皇の父親のヤマトタケルや景行天皇は、垂仁天皇と兄弟の関係だったと考えるのが、自然なのです。
  すると、
 両道入姫は、10代崇神天皇の娘だったが、垂仁天皇の妃になり、やがて、ヤマトタケルの后に納まったとも、考えられるのです。


イ) 仲哀天皇の妻子について。

 初めの后は、景行天皇の孫娘の大中比売で、香坂王・忍熊王の2人を生んでいます。
 後の后の息長帯比売(神功皇后)は、兄の品夜和気・弟の品陀和気の2人を生んでいます。
  (実は、兄の品夜和気が本当の応神天皇で、弟の品陀和気は仁徳天皇と、推理しています)。

 ここで、初めの皇后の大中比売の出自が、全くのデタラメなのです。
 つまり、(古事記によると)、大中比売は景行天皇の孫娘に成りますが、大中比売の祖母で景行天皇の妃になった迦具漏比売は、ヤマトタケルの曾孫に当たるのです。
  つまり、
(景行天皇の子供の)ヤマトタケル→子供の若建王→須売伊呂大中日子王→迦具漏比売(景行天皇の妃)→大江王→大中比売(仲哀天皇の皇后)の系図になります。

 ★ 記紀神話編集委員会は『こんなものを後世に残すのかいな、あほらしいなあ』と思いながら記紀神話を作り、読んだ人々も『よくもまあ、こんなデタラメが書けるものだ、気が知れんわ』と馬鹿にしながら読み、後世の人々は『うーむ、こっ、これは』と絶句したことでしょう。

 要するに、『本当のことが書けない、書けないほど醜い。だから誤魔化すが、直ぐに嘘だとバレルように大胆に大嘘を書いた』のかも、知れませんが、どうなんでしょうか。

 また、うかつに批判すると、「朝敵」・「国賊」・「非国民」・「不敬罪」の「連座制」が待っています。


ウ) 仲哀天皇の皇位争奪戦。

 景行天皇の皇子の「若足彦」が、成務天皇に即位しました。(古事記によると)、后が1人、子供が1人居ました。(ところが、日本書紀には見えないようです)。
  これらから、
 成務天皇というのは、「稚足彦」の名前のごとく、若くして崩御したことが、推測されます。

 次の皇位は、乱戦模様になったと思います。景行天皇には21人の子供が居たから有力な皇子も居たと思いますが、風はヤマトタケル陣営に吹きました。豪族会議が「景行天皇ファミリー」を見捨てたようです。

 ヤマトタケルのファミリーも一本化できた訳では有りません。同じヤマトタケルの子供のカマミワケ王が、仲哀天皇の即位にクレームを付けて討伐されたことが、日本書紀に見えます(仲哀天皇・即位元年の蒲見別王)。

 結局、ヤマトタケルの支持基盤だった吉備氏や、ヤマトタケルの東国遠征に随行した大伴氏や、息長帯比売を皇后に排出した息長氏らの支持を得て、仲哀天皇が王権を獲得したことが、読み取れそうです。


エ) 古墳から見た、権力基盤。

 墓というのは、今も昔も、自分の土地に作ります。(あまり他人の土地に墓は作りません)。

 仲哀天皇の御陵は、大阪府藤井寺市方面に有ります。近くにはヤマトタケルの御陵も有りますし、応神天皇の御陵も有ります。

 ところが、(応神天皇の母親で仲哀天皇の皇后の)神功皇后の御陵は、奈良市の西部に有りますから、ここに出身母体が有ったことが想像されます。

 仲哀天皇の御陵の有る藤井寺市や羽曳野市の方面は、大和川に近く、武内街道も通り、奈良盆地に入る基点でも有り、聖徳太子のころには蘇我氏の領地が有ったと言われています。
 それより昔のことは、よく分りませんが、仲哀天皇・ヤマトタケルの領地、あるいは出身母体である母親の領地が有ったと考えられます。


B 新羅の膨張と、仲哀天皇の九州出陣。

ア) 忌宮(イミノミヤ)神社の伝承。
 山口県下関市にある忌宮神社(旧国幣小社・式内社)の伝承に(簡略では)、
 『仲哀天皇の7年に、新羅国の塵輪(ジンリン)が、熊襲を扇動して豊浦宮を襲った。仲哀天皇が弓で射止めた。人々は歓喜した。』


イ) 垂仁天皇の頃から、新羅が膨張している。

 垂仁天皇時代に「天日矛」が来日している。(日本書紀・垂仁天皇3年の条)。
 崇神天皇の65年に、任那から「ソナカシチ」が朝貢に来日。(日本書紀・崇神天皇65年条)。
 崇神天皇時代に、敦賀に「ツヌガアラシト」が来日。(日本書紀・垂仁天皇2年・一書の条)。

 これらの記録から、新羅の膨張・南下政策によって、半島南東部に動揺が起こったことが読み取れます。また、平行して、日本に救済や援軍の派遣を求めたことが、推測されます。


C 仲哀天皇の戦死と、受け継いだ神功皇后の新羅遠征。

 仲哀天皇は、始めに、新羅に同調した北九州の豪族の討伐を行いましたが、戦死しました。

  (戦死した根拠は、上記Bのア)忌宮(イミノミヤ)神社の伝承と、日本書紀・仲哀天皇・即位九年の一書の、『・・・一云「天皇親伐熊襲、中賊矢而崩也。」・・・』つまり、天皇は自ら熊襲を討ったが、賊の矢に当たって、崩御しました)。

 後を受け継いだ神功皇后は、北九州の反乱軍を鎮圧した後に、新羅遠征を成功させました。


D 神功皇后の「三韓征伐」を、日本中の大豪族が支持した。

 日本書紀・仲哀天皇・即位九年の条には、武内宿禰・中臣烏賊津連・大三輪大友主君・物部膽咋連・大伴武以連らの名前が列記されていますし、日本書紀・神功皇后の段では、吉備臣・津守連・葛城襲津彦らが登場しますし、安曇氏を始めとして多くの海人族も、神功皇后の下に参集しています。


E ここから、日本の朝鮮出兵が始まった。

 もともと、朝鮮は、中国の漢王朝の体制に組み込まれて安定していました。2百年代には魏王朝に組み込まれましたが、2百年代の晩期から、中国の動乱の影響を受けて、朝鮮も動揺しました。
 3百年代の初頭から、中国の「五胡十六国」の大動乱により、朝鮮も、高句麗・新羅・百済・任那の四地域で乱闘が繰り返されました。

 新羅は、北から高句麗の圧迫を受けて、生き残るために、日本領の任那への侵食を繰り返し、日本の兄弟国の百済にも遠征を繰り返しました。

  そのため、難民が日本に流入したり、任那・百済から日本への救援要請を受ける中で、神功皇后時代から天智天皇の663年の「白村江」の敗戦まで、およそ3百年にわたって、朝鮮出兵を繰り返しました。

 しかしながら、結局は、中国の唐によって朝鮮が飲み込まれ、日本も朝鮮の足場を失ってしまいました。

 やがて、日本は、平安時代には遣唐使も廃止して、中国や朝鮮とは距離を置いて、独自の道を歩むことになりました。


F 神は、大陸に進出することを望まなかった。

 民族同胞を救済し、日本への帰化を促す目的のあった神功皇后の「三韓征伐」や「倭の五王時代」を除いて、神は、大陸に関与することを望まなかったと、思います。


 天智天皇以降に、日本が大陸に進出したことが2回有りました。

 1回目は、豊臣秀吉の朝鮮出兵ですが、その後、豊臣家は滅亡しました。

 2回目は、1910年(明治43年)の朝鮮の併合や、1931年(昭和6年)の満州事変などですが、その後、日本は敗戦により大半を失いました。


 ★ 本来なら、大東亜戦争の敗戦で日本は分断されて、戦勝国の植民地になって滅亡するところを、神の采配で助けられました。


 日本人は、地球の核質ですから、滅亡させることが出来ません。そしてまた、日本人は他の人類とは異なる人種です。

 そして、来次元の行き先は、他の民族とは異なるそうです。知りませんが。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/494.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の2)・日月神示の研究・「縁ある人は、静かに、旅の衣(ころも)を整えよ」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「縁ある人は、静かに、旅の衣(ころも)を整えよ」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、私たちは引越さねば成りません。地球を旅立つのです。地球に残るのでは有りません。


 万感の思いを胸に『さらば地球よ、山よ、川よ、ふるさとよ』と、映画のラストシーンのように旅立つのです。


A いつ、旅立つのか。

ア) 残念ながら、日月神示には書かれて無いようです。残念です。有るのはヒントだけです。

   (日月神示・黄金・02)
 『・・・おはりの仕組はみのおはり・・・悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ・・・』

   (日月神示・地・06)
 『・・・結構な恐い世となりて釆たぞ、上下ぐれんぞ・・・』

   (日月神示・日月・28)
 『・・・グレンとは上下かへる事と申してあろうがな、云ふてはならぬ事ぞ。いはねばならぬ事ぞ。・・・』


イ) 「シリウスの解釈」によれば、2025年頃から「転換の仕組み」が始まるらしい、そうです。

 ここで、転換は核質が行うらしい、そうですが、核質は日本人らしい、そうです。

 すると、『核質である日本人が、転換の仕組を行う』という、拡大解釈が成り立ちそうです。


★ 総合的に解釈すると、『準備の出来た人から順次、人間から「ヒト」に反転して旅立つ』


 つまり、「デングリ返る」「上下ぐれん」とは、反転すること。すなわち「転換の仕組み」のこと。

 『おはりの仕組はみのおはり』の、「みのおはり」とは、「美濃・尾張」では無く、「身の終わり」すなわち、物質的・肉体的「人間」から、半霊半物質の「ヒト」に反転し、上位次元にアセンションすること。

 (★半霊半物質に類似する表現は、「シリウスの拡大解釈」や「バシャール等の文献」にも表われており、「半霊半物質」には客観性が認められる)。

 そしてそれは、2025年頃から始まること。一斉ではなく、準備の整った人からヒトに反転すること。


B 2025年までに、『まだ7年も有る』と思うか、『もう7年しか無い』と思うかは、人それぞれ。

 ただ、『天の異変 気付けと申してあろが』(神示・夜明・3)と有るように、前兆現象としての地球規模の天変地異は益々激化するように感じられるので、「今の生活」が今後も続く保証は有りません。

 (ネット情報では、日本を含めた地球環境は、信じられないような激変をしています。これを地球の周期的な環境変化と見るか、いよいよ最後の時が来たと見るかは、人それぞれです)。


C★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/495.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の51)・「神功皇后は、神に召された女だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「神功皇后は、神に召された女だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 神功皇后(息長帯姫)の出自は、厚いベールに包まれています。と言うよりも、無茶苦茶に書き換えられています。よほど知られたくないのだと思います。

 そう言う訳で、今回の記事は、史実に基づかない妄想のテンコ盛りの「お花畑」です。


A 神功皇后(息長帯姫)の、時代考証と、相関関係図。(★10年程度の前後はある)。

320・・330・・340・・350・・360・・370・・380・・390・・400・・410・・420年頃
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆←390年前後に、応神天皇が誕生した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆←390年代初めに、仁徳天皇が誕生した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆← 370年頃に、神功皇后(息長帯姫)が誕生した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆← 360年代に、仲哀天皇が誕生した
・・・・・・・・・・・◆〓〓〓〓〓〓〓〓 340年〜370年頃までが、ヤマトタケルの誕生と死亡

・・・・・・・・・・・・・〓〓〓〓〓  340年代〜350年代頃に、天日槍が来日した
・・・・・・・・・・・・〓〓〓〓〓〓  340年代〜360年頃までが垂仁天皇の治世
・・・・・・・・・・・〓〓←−−  340年頃に、崇神天皇が奈良に入城し、間もなく崩御した

・・・・・・・・・・・・・〓〓〓→→  340年代に、9代開化天皇の子孫の息長氏が興る
・・・・・・・・→〓〓←−−    330年代後半に、9代開化天皇の短命政権が在った

  (関係者の説明)
a・応神天皇・・・応神天皇は、「倭の五王」の「讃」であり、413年の朝貢記録がある。古代の天皇は豪族会議の議長を務めるから子供ではアウト。ゆえに413年の前に成人しているなら、390年前後に生まれたと推測。

b・神功皇后(息長帯姫)・・・息長帯姫が390年前後にホンダ別(本当の仁徳天皇)を産み、その前にホムヤ別(本当の応神天皇)を産んだが、当時の年齢は20代前半と仮定し、生まれたのは370年頃と推測。

c・仲哀天皇・・・仲哀天皇は4人の子供を生んでいるが、父親のヤマトタケルは若くして死んだ(30歳で崩御説)から、仲哀天皇も若くして崩御した。

d・天日槍の来日・・・天日槍は垂仁天皇の治世間に来日している。3百年代中葉は朝鮮の大動乱の時代で、新羅の膨張時代と重なる。天日槍は古い新羅の王族で蔚山(ウルサン)に領地が有った(筑前国風土記・逸文」「怡土(イト)郡」の条を参照のこと)。 
 新しい王族の新羅が蔚山(ウルサン)を圧迫したために、一族を率いて日本に亡命したと推測する。一人で来日したのではなく一族を率いた。
 天日槍が垂仁天皇と同世代か親の崇神天皇の世代かは不明。神武東征で天皇の兄の稲飯命が新羅に行き新羅国王になったが、その関係は不明。

   前述の「筑前国風土記・逸文」「怡土(イト)郡」の条」には、
 福岡県の怡土(イト)の県主らの祖の五十跡手(イトテ)が、足仲彦天皇(仲哀天皇)の九州遠征に出迎えている。
 五十跡手(イトテ)が、『高麗の国の意呂山(オロサン)(蔚山・ウルサンの説)に天から降ってきた日桙(天日槍)の末裔の五十跡手とは私のことです』と言っている。

e・垂仁天皇の治世・・・垂仁天皇の治世間に天日槍が来日している。3百年代中葉は朝鮮の大動乱の時代だから、垂仁天皇の治世はその頃と推測。

f・9代開化天皇の子孫の息長氏・・・息長氏は9代開化天皇の子孫とされる。「息長」オキナガとは、琵琶湖東岸の彦根市方面や長浜市方面の地名であり「オキナガの土地に居た氏族」という意味。「オキナガ氏」には栄枯盛衰があり、本当の出自は不明。

g・9代開化天皇の治世・・・開化天皇の治世は、出雲族の「事代主天皇家王朝」の最後で、鹿児島から入ってきた崇神天皇王朝に倒されたから、340年頃の短命政権だったと推測。


(デタラメな息長帯姫(神功皇后)の系図。

 父方は、9代開化天皇→彦坐王→山代大筒城県稚王→迦邇米雷王→息長宿禰王→息長帯姫
   (山代大筒城県稚王→迦邇米雷王の領地はたぶん京都府精華町・京田辺市あたり)

 母方は、天日槍→諸助→悲泥→比那良岐(田道間守の説)→多遅摩比多詞→葛城高額媛→息長帯姫
   (天日槍は俣尾の娘の前津美あるいは麻多烏を娶ったとあり、領地は兵庫県の出石と推測)。

 葛城高額媛の領地は奈良県の葛城方面で、元々は加茂氏(大歳の系統)の領地だったところ。また、兵庫県の出石の東側に丹後があるから、元々の出石は大歳の系統だった可能性が有る。
 また、開化天皇皇子の彦坐王は、崇神天皇時代の「四道将軍の派遣」で京都府の全域を侵略し、丹後を領地にしているから、西隣りの但馬の出石も版図に加えていると推測。


(なぜ、息長帯姫(神功皇后)の出自が消されたのか)(推測)。

 記紀神話が撰上された7百年代の初めは、663年の「白村江の敗戦」の50−60年後であり、日本は中国の「唐」を極度に警戒し、「日中関係」、「朝鮮関係」に神経を尖らせていたし、唐に朝貢外交を行っていた時代でも有る。(遣唐使は考え方によっては朝貢とも採れる)。
  したがって、
 中国や朝鮮との無用の摩擦を避けるため、介入の糸口を与えないためには、息長帯姫(神功皇后)と、(朝鮮から渡来した)天日槍との関連性を隠す必要が有ったと推測します。
   また、
 それ以外の部分についても、日本と朝鮮との接点を隠し、消してしまいたかったと、思います。


B 新羅から来た天日槍の足跡。

 天日矛は、新羅国王子で、日本人の妻が祖(オヤ)の国の難波に帰った。天日矛が追い掛けて難波に来たが、渡りの神の妨害受けたので、引き返して但馬の国に入り、そこの女を娶って、息長帯比売(神功皇后)の祖先に繋がった。
  また、
 別説(垂仁天皇三年の条)では、天日矛は、小舟で播磨の国に来て日本に帰化したいと願うので、播磨の国を許可したが、気に入らないので、宇治川を遡って近江の国に住み、さらに、近江から若狭に抜けて但馬に入った。但馬の出石の女を娶って、田道間守の祖先になる子供を生んだ。


☆ ここで分るのは、水軍を保有して、かなりの人数で来ていること。朝廷が垂仁天皇の重要な客人として応対していること。
   また、
 妻が大阪の難波の出身で、親は「渡りの神」(三島神)で水軍と考えられるが、三島神は、摂津三島なら賀茂氏か交野市方面の物部氏、あるいは堺市泉州方面が根拠地の大伴氏、住吉(すみのえ)方面の尾張氏の系統が考えられるが、その親が難波で入国を妨害したこと。
   また、
 領地としては、初めの播磨は出雲族系統の抵抗が強くて侵略できず{(その6の47)「新羅は日本で、天日矛は、崇神天皇の親戚だった」イ)播磨の国の風土記」}の項を参照のこと)、そのために滋賀県の湖東に転戦した可能性が高い。
   また、
 その一部が但馬の出石方面を侵略し入植していること。

★ 天日槍(天日矛)の来日は、垂仁天皇の膨張時代で「四道将軍の派遣」の時代であり、それ以前の出雲族政権時代の旧豪族たちの領地を次々に侵略した時代であり、天日槍は『播磨だろうと近江だろうと但馬だろうと、欲しい所は自由に略奪してよろしい』との垂仁天皇の勅許を得たと想像します。


C 息長帯比売(神功皇后)の「三韓征伐」と、新羅から来た天日槍の関連性。

 息長帯比売(神功皇后)は、上述のように、父方は息長氏で、母方は天日槍の但馬の出石であり、天日槍(天日矛)とは接点が有るし、天日槍とは親子か祖父くらいの関係だろうと想像されます。

 すると、新生新羅は、親か祖父の故郷の蔚山(ウルサン)を奪った憎い敵(かたき)であり、夫の仲哀天皇時代に、任那方面から難民が押し寄せたり、救援要請が出ており、必要な措置として、朝鮮出兵を行った可能性が有ります。


D 北九州の状況。

 元々の北九州は、朝鮮半島南部とは頻繁な交流が有り、初期の新羅国王は日本人で有ったことも考えると、半島南部から北九州の一帯が倭人(呉系倭人)の広域地域だったと想像されます。

 ここで、仲哀天皇の九州遠征は、新しい新羅と結束した北九州の豪族を討伐するためであり、あるいは北九州に攻め寄せた新羅の先鋒を迎撃するためだったのかも知れません。

 (★ 岡山県の吉備津神社の伝承では、11代垂仁天皇の治世に、異国から鬼神が飛来して住み着いたと云われています。
   あるいは、
 山口県下関市にある忌宮(イミノミヤ)神社の伝承に(簡略では)、『仲哀天皇の7年に、新羅国の塵輪(ジンリン)が、熊襲を扇動して豊浦宮を襲った。仲哀天皇が弓で射止めた。人々は歓喜した。』)と有るようです。


E 息長帯比売(神功皇后)は、神に召された女だった。

 神に召された女だったと言っても、巫女・媒介者・チャネラーという意味です。

 神は、第7次太陽系次元の主軸の日本人を滅亡させる訳には行きませんから、皇后(皇太后)という最高権力者の息長帯比売(神功皇后)を通して、日本を滅亡から救い育てたということです。


F 息長帯比売(神功皇后)の、存在価値。

第1には、
 仲哀天皇の崩御によって天皇不在になったが、次期天皇の応神天皇が成人するまでの「つなぎ役」になったこと。
 古代には、天皇は豪族会議の主体に成らねばならなかったから、平安末期の安徳天皇のように子供でも良いと言う訳にはいかなかった。
 蘇我氏の専制時代にも見られるように、豪族会議の推挙が無ければ天皇には成れなかった。

第2には、
 仲哀天皇の別の皇子のカゴサカ王・オシクマ王を排除したから、直近の皇位継承者が不在になり、応神天皇の成人まで待たねば成らなかったこと。

第3には、
 重要事項で判断に苦しむものは、神に伺いを立てて決済を仰いだが、巫女・チャネラーとして息長帯比売(神功皇后)がベストだったこと。

第4には、
 武内宿禰を首班とする豪族会議にとって、政治的センスが無くて「言いなり」になる息長帯比売(神功皇后)は、『神輿は、軽くてパーが良い』と言う事であり、大歓迎だったこと。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/499.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の52)・「風土記に見える、海人族」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「風土記に見える、海人族」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 風土記の中には、海人族の記述が数多く見られます。ただ、海人族は入れ替わりが激しいし、後世に残される神社も少なく、正確なことが分りませんが、まあ、『お花畑』ということで、今回の記事にしてみました。

★ ただ、風土記の大半は史実に基づかない「ウソ」「作り話」「駄洒落」だと思います。


A 出雲国風土記・安来の郷。(今の島根県安来市あたり)。

  (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 ・・・天武天皇の674年、(出雲臣に従属する語り部の)語臣猪麻呂(カタリノオミ・イマロ)の娘が、この崎に来て散策していると、たまたま、和邇(ワニ)に出遭って、襲われて殺され、家に帰って来なかった。
 父親の語臣猪麻呂は、殺された娘を浜辺に埋葬して、怒りに震えたが、日にちが経っても怒り、嘆き悲しみ、娘の墓を訪れて泣き崩れる毎日を送った。
 やがて、復讐心が燃え上がり、弓矢を研ぎ、槍を研いで、神に『千五百万の天津神よ、千五百万の国津神よ、出雲に鎮座する三百九十九の神社よ、海若(ワタツミ・海神)たちよ。私にワニを殺させたまえ』と祈願した。
 しばらくして、百余りのワニが、静かに一つのワニを取り囲んで、猪麻呂の所に寄ってきて、彼を取り巻いて静止した。猪麻呂は鉾(槍)で、その一つのワニを突き刺して殺した。
 終わると、百余りのワニは、囲みを解いて、散り散りに解散した。

★ 出雲国意宇郡安来郷は、大国主の頃は自前の水軍を保持していたが、天武天皇の頃は国造の実力しか無く、海岸部は和邇(たぶん安曇氏系)の支配下にあったと、推測されます。


B 播磨国風土記・飾磨郡・因達(イダテ)の里。(兵庫県姫路市の南側あたり)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
因達(イダテ)と称するは、息長帯比売命(神功皇后)が、韓国を平定しようと思って渡海したとき、御船先(先導神)の伊太氐(イダテ)の神が、この処に居られるから、神の名によって里の名前にした。

★ 兵庫県下の海岸部の大半が、神功皇后配下の海人族で占められていたと、推測されます。


C 肥前国風土記・基肄(きい)郡・姫社(ヒメコソ)の郷。(福岡県南部の鳥栖市・小郡市あたり)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 姫社(ヒメコソ)の郷に山道(ヤマヂ)川があり、川の西に居る荒らぶる神が通行人の多くを殺した。占いによって、筑前の国の宗像の郡の「珂是古((カゼコ)という人に祀らせたら鎮まると出た。
 そこで、珂是古(カゼコ)が姫社(ヒメコソ)神社を建てて祀ると平和になった。

★ 鳥栖市方面は古代遺跡の宝庫であり、「吉野ヶ里」や邪馬台国の伝承も残されているようです。宗像郡の珂是古が、海人族の宗像氏かは分りませんが、宗像と何らかの関連性があったことが、読み取れそうです。
 ここで、
ややこしいのは、珂是古が、「旧事紀(天神本紀)」の物部阿遅古連(水間君等の祖)に比定されていること。その筑紫の水間君(久留米市方面が本拠地の説)は、筑前国の宗像郡の沖ノ島に天降った宗像神社の祭主であること。そして宗像神が「道主貴(ミチヌシノ・ムチ)」と呼ばれて道中の守り神であること。
 だから、通行を妨害する姫社の女神を静めるのは適当であること。


D 肥前国風土記・佐嘉郡。(佐賀県佐賀市あたり)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 佐嘉郡の西に佐嘉川(今の嘉瀬川)があり、名を世田姫(ヨタヒメ)という。海の神(ワニ・鰐魚)が毎年、流れに逆らって世田姫の神のもとに来るが、海の底の小魚も沢山に従がって来る。
 その魚を恐れ畏む人には災いは無いが、これらを捕って食べると死ぬことが有る。魚たちは2,3日とどまってから、再び海に戻る。


E 肥前国風土記・松浦郡・値嘉(チカ)の郷。(今の五島列島と平戸島諸島が比定地)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 昔、纏向(マキムク)の日代の宮に天下を治めた天皇(景行天皇)が巡幸されて、志式島の行宮に来て、西の海を見ると、海の中に島が有って、烟(ケムリ)が沢山たなびいていた。
 そこで、付き人の安曇連百足(アヅミノムラジ・モモタリ)に命じて見に遣らせた。・・・

★ 安曇連百足は、綿津見神の子供の穂高見命の子孫。景行天皇の側近と推測されます。


F 山城国風土記(逸文)・水渡(ミト)の社・(原文は「釈日本紀・八」の引用から)。
         (京都府城陽市寺田のあたり)

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 山城国風土記にいう、・・・久世郡の水渡(ミト)の社。その名は、天照高彌牟須比命(アマテラス・タカミムスビ・ノ・ミコト)、和多都彌豊玉比売命(ワタツミ・トヨタマヒメ・ノ・ミコト)である。

★ 京都府の久世群は、京都市の南部方面の木津川の北側の一帯を云うようですが、その南側には京田辺市の大住地区があり、月読尊を奉祭した隼人族の伝承が有るようです。
 このことから、京都府の南部広域に、海人族の各種豪族が入植していたようです。


G 山城国風土記(逸文)・南郡(ナミクニ)の社・(原文は「卜部本・神名帳裏書」の引用から)。
         (京都府久世郡久御山町佐山のあたり)

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 雙栗(ナミクリ)の社。風土記にいう南郡(ナミクニ)の社。その名は、宗形の阿良足(アラタシ)の神。・・・

★ 『宗形の阿良足(アラタシ)の神』とあるので、宗像氏の入植地が有ったことが、推測されます。


H 山城国風土記(逸文)・桂の里・(原文は「山城名勝志・十」の引用から)。
          (京都市西京区の桂川沿いのあたり)

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 山城国風土記にいう、月読尊が、天照大神の命令で豊葦原の中つ国に降り立ち、保食神(ウケモチノカミ)のところに行った。
 その時、一本の湯津桂(ユツカツラ)の樹木が有ったので、その木に依って立った。その樹の有ったところを、今も、桂の里と名付けている。

★ 桂川のある京都市西京区の「葛野坐月読神社」が比定されますが、桂川の南は宇治川・木津川が合流し、その木津川の京田辺市大住地区の月読尊を考えると、京都市西部の桂川方面にも、月読尊を奉祭した隼人族が入植していた可能性が、考えられます。


I 摂津国風土記(逸文)・住吉・(原文は「釈日本紀・六」の引用から)。
      (大阪市住吉区の住吉大社のあたりで、今の住之江区は海中だった)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 摂津国風土記にいう、・・・住吉(スミノエ)と称する訳は、昔、息長足比売天皇(神功皇后)の御世に、住吉(スミノエ)の大神が天下を巡行して住むべき国を探し求めた。
 そして最後に、『真住(ス)み吉(エ)し、住吉(スミノエ)の国』と言って神社を定めた。今は「須美乃叡(スミノエ)」と称している。

★ 神功皇后の「三韓征伐」で大活躍した海人族が、大阪に進出し、大阪湾岸に次々に領地を獲得したことが、読み取れます。
 ちなみに、泉州方面は海人族の大伴氏系列の大領地があり、阪神・播磨方面には神功皇后支配下の海人族が全面的に領地を獲得している、ようです。


J 摂津国風土記(逸文)・下樋山・(原文は「本朝神社考・六」の引用から)。
       (大阪府能勢町の剣尾山(ケンビサン)を比定する説あるが不明)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 風土記にいう、・・・昔、大神があった。天津鰐(ワニ)と言った。鷲になって、この山に下り、とどまった。(以下は省略)。

★ 「天津鰐(ワニ)」と有るので、海人族が入植したことが、推測されます。


K 因幡国風土記(逸文)・白兎(因幡の白兎・(原文は「塵袋・十」の引用から)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 「因幡の記」を見ると、高草の郡(鳥取市の千代川の西の地域)が有る。ここの竹林に、老いた兎が居た。ある日、竹林を洪水が襲って、老兎が隠岐ノ島に流された。元の場所に戻りたいが、海を渡る体力が無かった。
 海の中にワニ(鮫)が居たので、『ワニとウサギの、どちらが多いか』と質問したら、ワニが答えられないので、『お前の一族の数を数えてやるから、一列に並ばせよ』と言って、並ばせて、ピョン、ピョンと飛んで、「竹の崎」に戻ることが出来た。
 うかつにも、『騙してやったー』と口が滑って、水際のワニに捕まり、兎の着物を剥ぎ取られた(毛をむしり取られた)。その後、大己貴(オホナムチ)に教えられて、蒲の穂を敷き散らして、寝転がり、元に復活した。

★ ここのワニは海人族ですが、大己貴(大国主)以前のことで、隠岐ノ島を根拠とした海人族です。今の隠岐ノ島には地主神が多いようですが、大己貴(大国主)を含めた出雲神も祭られているようです。


L 播磨国風土記(逸文)・藤江の浦・(原文は「万葉集註釈・四」の引用から)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 住吉大明神が、藤の枝を切らせて、海に浮かべて誓いを立てた。『藤の枝が流れ着いた所を領地にしよう』。流れ着いた所を「藤江の浦」と名付けて領地にした。

★ 「藤江の浦」は、兵庫県明石市の藤江海岸のこと。住吉神の奉祭氏族の領地が有った。


M 伊予国風土記(逸文)・「大山積の神・御島」・(原文は「釈日本紀・六」の引用から)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 伊予の国の風土記にいう、・・・乎知(オチ)の郡。御島に坐す神の名は大山積の神、またの名を和多志(ワタシ・渡海)の大神。
 この神は、難波(ナニハ)の高津の宮に天下を治めた天皇(仁徳天皇)の御世に、顕現した。この神は百済の国から渡って来て、摂津の国の御島に坐した。云々。
 御島というのは、津の国の御島の名である。

★ 大山積の神が、朝鮮から渡来して、初め大阪の淀川の三島に居て、愛媛県の大三島に移動した。中世の村上水軍や河野水軍は後継氏族と云われます。


N 筑前国風土記(逸文)・怡土の郡・(原文は「釈日本記・十」の引用から)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 筑前国風土記にいう、・・・怡土(イト)の郡。昔、穴戸の豊浦の宮に天下を治めた足仲彦(タラシ・ナカツヒコ)天皇(仲哀天皇)が、球磨贈唹(クマソ)を討とうとして、筑紫に行幸した時、怡土(イト)の県主らの祖の五十跡手(イトテ)が、天皇の御出座と聞いて、穴戸の引島(彦島)に参じて出迎えた。
 天皇が、『お前は誰か』と問うと、五十跡手は、『高麗の国の意呂山(オロサン)・蔚山・ウルサン)に、天から降った日桙(ヒボコ・天日槍命)の末裔の五十跡手です』。
 天皇は誉めて、『恪(イソ)し(忠勤な)ことである。お前の本拠地を恪勤(イソシ)の国と呼ぶが良い』と言った。今、怡土の郡と言うのは訛ったのである。

★ この五十跡手については、日本書紀・仲哀天皇・即位8年の条にも「五十迹手」として類似の記述が見られます。
 注目すべきは、五十跡手の先祖は蔚山から渡来した天日槍ということです。(真偽不明)。
 事実なら、天日槍の子孫の一部が北九州の海人族になっていたことになります。


O 筑前国風土記(逸文)・宗像の郡・(原文は「防人日記・下」の引用から)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
 西海道の風土記にいう、・・・宗像の大神が天から降って埼門山(サキトヤマ)に居られた時、アオニの玉を奥津宮に、ヤサカニの玉を中津宮に、ヤタの鏡を辺津宮に納めて、隠れた。
 それで、身形(ミノカタ)の郡と言う。後の人が改めて宗像と言った。その大海(オオアマ)命の子孫が、今の宗像朝臣らである。

★ 宗像朝臣は、「姓氏録・右京・神別」では、「大神朝臣同祖、吾田片隅命之後也」と見え、大神朝臣はスサノオの後裔の大国主の後裔のようですから、海人族の宗像朝臣は出雲神の系統と考えられます。


P 壱岐国風土記(逸文)・鯨伏(イサフシ)の郷・(原文は「万葉集註釈・ニ」の引用から)。

   (現代翻訳文の、概略の再翻訳)
壱岐国風土記にいう、・・・鯨伏の郷。昔、鰐が鯨(イサ)を追いかけたので、鯨が走って来て隠れ伏した。ゆえに鯨伏(イサフシ)と言う。鰐も鯨も共に石に化して、一里ほど離れたところに有る。

★ 単に魚の話か海人族の話かは不明ですが、海人族の話だとすると、鯨とは「鯨面」のイレズミを表し、海人族の例えになります。「倭人伝」にも『男子無大小、皆黥面文身・・・』と有り、「鯨面」という言葉が使われています。
 ここで、鰐を凶暴な海人族の例えとすると、元々、北九州に居た古い海人族を、朝鮮半島から渡来した新しい海人族(つまり武闘派の戦闘集団と化した海人族)が駆逐したことも、考えられます。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/504.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の3)・日月神示の研究・「夏は台風・集中豪雨、冬は巨大地震だ」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「夏は台風・集中豪雨、冬は巨大地震だ」に、ご興味をお持ちでしょうか。


 『光陰、矢の如し』とは、よく言ったもので、今年も、余すところ、あと2ヶ月を切ってしまいました。

 人にもよりますが、あと7年くらいで、お別れしなければ成らない人も、出てくるかも知れません。

  櫛歯が1本1本と欠けていくように、次々に人が居なくなるので、寂しくなります。

 まあ、もっとも、最後まで地球に残る人は、それは、それで、「哀れ」では有りますが。(意味不明)。


 そこで今回は、『一寸先は闇』であり、『転ばぬ先に、備え有れば愁い無し』ということで、冬場の地震を考えてみたいと、思います。


A 日月神示には、

 『地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。・・・』(上・39)。
 『国中到る所 花火仕掛けしてあるのぞ。・・・花火破裂する時近づいて来たぞ。』(日月・14)。
 『海が陸になり陸が海になる。』(神示・上・03)。
 『富士を開いたら まだ開くところあるのざ、鳴戸へ行くことあるのざから ・・・』(神示・上・30)。

 「シリウスの解釈」では、(前次元で起こった)「大洪水」は、いずれ起こることになる。
 「バシャール等の文献」にも「生々しい」表現は無いものの、遠まわしに「終わり」の表現が有る。

 「終末思想」には一定の客観性が認められ、日月神示だけが突出している訳では有りません。


B 統計を見ると、意外と、冬に、インパクトのある巨大地震が発生している。

 過去の、冬場に起こった、人々の脳裏に焼きついた地震を調べてみました。

 3.11福島大地震は、2011年3月11日で、3月でした。

 神戸の大地震は、1995年1月17日で、1月でした。

 昭和の東南海地震は、1944年12月7日で、12月でした。(安政東海地震は12月23日か?)

 昭和の南海地震は、1946年12月21日で、12月でした。(安政南海地震は12月24日か?)

★ まあ、本当は、地震は、年中無休であり、盆も正月も有りません。
 

C 備え有れば愁い無しで、「知恵の行使」が一番。

 私たちは、この虚構世界で「思考と体験」をしています。何のために行っているかというと、『知恵』を磨き、身に付けるためです。

 サルの知恵と人間の知恵は違います。犬・猫には知恵と呼べるようなものは有りません。

 人間の知恵は、科学技術・物理法則をベースに組み立てられます。幼児の知恵と大人の知恵は違います。「ピタゴラスの定理」は直角を求めたいときに使います。「アルキメデスの原理」で体積が求められます。「虫メガネ」で火を起こせます。

 ★ だから、『地震が来ると分かっているなら、事前に対策しておけ』と言う事です。『何を、どうするか』は様々なケースを想定することです。ネットで必要な情報も収集することです。あらゆる意味において知恵を使うことです。よろしいですか。


D 「へそ曲がりの法則」。

 神々は「へそ曲がり」だから、『事前に備えておくと、意外と、起こらないことが有る』。

 不思議といえば不思議なことですが、意外な時に巨大地震に襲われて、事前に準備をして待ち構えている時は遣って来ません。不思議です。

  たぶん、神々は「へそ曲がり」ですから、
 『びっくりさせて遣ろうと思ったのに、備えて待ち構えているから、面白くない。だから、やーめた。』なのか、
 『普段から警戒心を怠らないことは良いことだ。よって、今回の実地訓練は省略する』なのかも、知れません。


 ★ 繰り返しますが、「へそ曲がりの法則」によって、『期待は裏切られる』から、地震対策をしておくと、巨大地震が来なくなります。(事前の対策は無駄に成りますが、有り難いことです)。

 もしも、来た時には、それはそれで、事前の準備が大いに役に立ちます。損はさせません。


E 「シリウスの解釈」は連想ゲームに成っているが、科学的な地震研究にマッチしなくて、難しくて解けないのだ。

  「シリウスの拡大解釈」によると、
 『地震は変換時に発生する力』。
 『ヒトは人間の内面性。 人間は陽子で、ヒトは中性子。 陽子は地球で、中性子は太陽』。

  だから、(その6の43の第2項)の「巨大地震の、霊的な意味」、で述べたように、
 『B地震は、(古い意識の)崩壊。(つまり、意識の変換時に発生する力)。』、なのかも、知れませんが、本当のところは、どうなんでしょうか。


F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/505.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の53)・「倭の五王を、解読する」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「倭の五王を、解読する」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 「倭の五王」については、パネルをはめこむ様なものであり、色々な人が、仮説を立てていますので、私も立ててみたいと思います。


A 中国の文献の、整理作業。

413年・倭王の「讃」が、東晋に、遣使。・・・「梁書列伝」・「南史列伝」
421年・倭王の「讃」が、宋に、遣使。・・・「宋書列伝」
425年・倭王の「讃」が、宋に、遣使。・・・「宋書列伝」・「南史列伝」

430年・倭王の「?」が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」

438年・倭王の「珍」が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」・・・『讃の弟の珍』(梁書に「弥」)

443年・倭王の「済」が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」・・・『弥の子の済』(梁書)
451年・倭王の「済」が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」

460年・倭王の「?」が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」

462年・倭王の「興」が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」・・・『倭国王の世子の興』

477年・倭王の「?」(武)が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」・・・
478年・倭王の「武」が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」

★ 「梁書列伝」に、『晋の安帝の時に「倭王讃」あり。讃が死んで弟の「弥」が立つ。
 弥が死んで子供の「済」が立つ。済が死んで子供の「興」が立つ。興が死んで弟の「武」が立つ。

★ 雄略天皇は478年に崩御した。(日本書紀・雄略天皇即位23年8月の条『廿三年夏四月』の次の段落の)『八月庚午朔丙子、天皇疾彌甚、與百寮辭訣並握手歔欷、崩于大殿。』


(仮想の系図)

 兄の「讃」(応神天皇)・・・讃の子供の「?」(宇治天皇)

 弟の「珍」(仁徳天皇)・・・弥(珍)の子の「済」(?天皇)

                                  ・・・子供の「興」(安康天皇)
                                     興の弟の「武」(雄略天皇)


(本当の天皇系図)

 兄・15・応神天皇・・・宇治天皇(菟道稚郎子)

 弟・16・仁徳天皇・・・17・履中天皇・・・市辺天皇・・・23・顕宗天皇と24・仁賢天皇の兄弟
              18・反正天皇
              19・允恭天皇・・・20・安康天皇
                        21・雄略天皇・・・22・清寧天皇


B 日本書紀上の天皇在位期間。

 15応神天皇・・即位41年で崩御。・・41年はウソです。
 --宇治天皇・・即位3年で崩御。・・・仁徳天皇との政争に敗れて崩御した。
 16仁徳天皇・・即位87年で崩御。・・87年はウソです。

 17履中天皇・・即位6年で崩御。
 18反正天皇・・即位5年で崩御。
 19允恭天皇・・即位42年で崩御。・・ウソ。438年の珍と462年の興の間は24年しかない。
        若くして崩御しているはず。『卌二年春正月乙亥朔戊子、天皇崩、時年若干。』

 20安康天皇・・即位3年で崩御。・・・マヨワ王に殺された。
 --市辺天皇・・不明だが短命政権。・・・安康天皇崩御の後に雄略天皇に殺された。
 21雄略天皇・・即位23年で崩御。・・名前が「幼武(ワカタケル)」だから若くして崩御している。

 ★宇治天皇・・公文書の「解文」の「播磨国風土記・揖保郡・大家里」に見える。
 ★市辺天皇・・公文書の「解文」の「播磨国風土記・美嚢(ミナギ)郡・志深(シジミ)里」に見える。


C 解説。(あくまでも仮説です)。仮説は誰でも唱える権利が有ります。

ア) 413年・倭王の「讃」。応神天皇。

 3百年代末期から神功皇后が「三韓征伐」を行った。子供が幼いので、代理の摂政に就いて執政したので天皇は空位。
 
 応神天皇が、4百年代の初めに成人して天皇に即位した。これが倭王「讃」です。


イ) 430年・倭王の「?」。宇治天皇(菟道稚郎子)。

 これは、応神天皇の子供の宇治天皇(菟道稚郎子)のことだと思います。(想像です)。
 
 応神天皇の子供として即位しましたが、仁徳天皇との政争に敗れて、即位3年で崩御しました。
    (日本書紀・仁徳天皇・即位前紀に)、
 『乃葬于那羅山。既而、興宮室於菟道而居之、猶由讓位於大鷦鷯尊、以久不卽皇位。爰皇位空之、既經三載。・・・』
     (簡略の翻訳に)、
 『・・・既に、菟道稚郎子(ウヂノワキイラツコ)は、宮室(オオミヤ・大宮)を宇治に建てて、そこに居た。それでもなお、皇位を大鷦鷯尊(仁徳天皇)に譲っていたので、長い間、皇位が空いていた。そこで、皇位の空いている期間が既に3年を経過した・・・』

 ★ ここで、中国の文献で天皇名が不明なのは「おかしい」。つまり、遣使した時には天皇の名前は有ったはずです。
  そこで、可能性としては、
 「宋書」が作られたのは513年頃の継体天皇の頃ですが、日本の天皇系図と照らし合わすと、どうも宇治天皇と仁徳天皇のあたりが不透明だったので、「宋書」の著者が迷って、名前を保留にした可能性が考えられます。
  あるいは別の可能性として、
 「宋書」の原本が今日まで残っていることは無く、何回も書写されているはずです。
 その過程で、既に発生していた書写の間違いを正すために、たとえば日本の日本書紀を参照して作り直したが、「宋書」と日本書紀との間に不鮮明な点が有ったために、430年の倭王を「?」にして保留にした可能性が有ります。


ウ) 438年・倭王の「珍」。仁徳天皇。

 「宋書帝紀」の『讃の弟の珍』とは、応神天皇の弟の仁徳天皇のことです。413年の倭王讃の弟に該当する者は他に考えられません。仁徳天皇の子供では年代が合いません。

 母親の神功皇后が、仲哀天皇との間に、ホムヤワケ・ホムタワケの2人の子供を産みました。兄のホムヤワケが応神天皇。弟のホムタワケが仁徳天皇です。

 390年頃に生まれたとして、仮に、440年頃まで生きていたとしても、50歳程度ですから、栄養の有るものを食べていれば十分可能な寿命です。

 奈良時代の頃には、栄養状態の良い貴族階級では、60代、70代まで生きた長寿の人物も散見されます。


エ) 443年・倭王の「済」。誰か分らない。

 ★分らないものは分らないと、正直に言います。ウソを付いても仕方が有りません。『分らない』というのが嫌なら『まだ研究中で発表すべき段階ではない』と逃げるべきです。

 履中天皇の説も有りますが、上記「B日本書紀上の天皇在位期間」で述べたように、17代の履中天皇は即位6年で崩御しています。
 (日本書紀の即位六年の条の三月の条に、崩御したことが書かれて有ります)。
   ところが、
 443年の倭王済と、451年の倭王済が記録され、その間が8年有りますから、即位6年で崩御した履中天皇は該当しません。


 反正天皇では無いと思います。
 443年の倭王済と、451年の倭王済が記録され、その間が8年有ります。反正天皇は即位5年で崩御していますから、倭王済の443年と451年に合致しません。
 (日本書紀・反正天皇『五年春正月甲申朔丙午、天皇崩于正寢。』と有り、即位5年で崩御しています)。


 允恭天皇の可能性は、疑問符?が付きます。つまり、日本書紀の即位42年の条に「おかしな記述」が有ります。
  『卌二年春正月乙亥朔戊子、天皇崩、時年若干。・・・』。直訳すると、『即位の42年1月14日に、天皇は崩御した。時に年齢は若干(ソコバク、幾らか、少しばかり)だった。つまり若くして崩御している。』
  この、
 「時年若干。」の記述は、即位42年の長期政権に矛盾し、研究者も疑問に感じています。
   もちろん、
 462年に倭王の「興」が宋に遣使した。『倭国王の世子の興』と有るので、父親が允恭天皇で有ることは確かですが、允恭天皇の即位が西暦の何年か分りませんから、断定が出来ないのです。

★ つまり、日本書紀の記述を詳細に検討すると、天皇系図で該当する天皇が居ないのです。だから、「倭王の済」は分らないとしか言いようが有りません。


オ) 460年・倭王の「?」が、宋に、遣使。・・・「宋書帝紀」

 これは、分りません。上記の「倭王の済」が分らないから、比較が出来ないからです。


カ) 462年・倭王の「興」。

 これは、安康天皇のことで、全員が一致しています。


キ) 478年・倭王の「武」

 これは、雄略天皇のことで、全員が一致しています。


D 天皇系図と「倭の五王」が合わない、矛盾を含む点の、可能性。

 第1には、日本書紀が事実を伝えていないこと。ウソを書いていること。

 第2には、日本が朝貢した時に、天皇に関して、ウソ・誤魔化しして中国に伝えていた可能性。

 第3には、中国の文献が何回も書き写される過程で「誤写」した可能性。日本の天皇について正確なことが分らなかったので最初から間違った記録が成されていた可能性。後世に再校正した段階で修正して作り直した可能性。

 第4には、日本に「河内王朝」と「九州王朝」の2つの王朝が有って、「倭の五王」は「九州王朝」だった可能性。


★ 「倭の五王」が中国の宋に朝貢しましたが、同時に、朝鮮の高句麗・百済も朝貢し、それぞれが「大将軍」とか「将軍」の称号をもらっていましたから、宋は朝鮮や日本のことを知っていたし、ある程度の日本の内情も知っていたと思います。
 すると、仮に、北九州に地域国家が有ったとして、宋が、それを「倭王」として認めるだろうかという疑問が浮上します。


E 九州王朝説は、明確でない。

 「九州王朝」が有ったとするなら、いつごろか、どの程度の広域地域か、誰を主体としているのか、記録も伝承も全く存在しない。

 仮に、九州王朝が存在したならば、河内王朝は誰を主体としていたのか、最終的に、どのように河内王朝と九州王朝が融合したのか。

 つまり、日本には数多くの古代豪族が存在し、豪族ごとに神話・伝承を持っていたから、何らかの痕跡が残されているはずですし、九州にしても河内にしても、古い神社の伝承や、祀られる神の名前に何かの痕跡が有るべきなのですが、全く存在しないのです。報告が無いのです。

 すると、何の根拠・手掛かりも無いならば、九州王朝は存在していなかったと、考えるほうが合理的なのです。


 ただし、今後、新たな資料が見つかったり、痕跡が見つかって、九州王朝説が浮上するなら、再検討が必要に成るので、100%否定する訳では有りません。

 なお、私の投稿文は、記紀神話をベースにして「とんでも論」を展開し、「お花畑」にして遊ぶ事を目的としています。


F 天皇の実名は、誰も知らなかった。

(諱(いみな)について)

 諱(いみな)とは、死後に尊敬して贈る「称号」、あるいは、死んだ人の生前の名前。
 諱(いみな)とは、「忌み名」であり、本来は、口に出すことが、憚(はばか)られる言葉。

 「実名敬避俗(じつめい、けいひ、ぞく)」とは、
   本名は、その人の霊的な人格と強く結びついており、呪詛の対象とされて、霊的な人格を支配できると考えられていた。


 つまり、古代には、自分の名前は、親とか目上の人しか知りませんでした。また、自分の名前は、下位の者には教えませんでした。
 ですから、天皇という最高位の人間の名前は誰も知らないということです。

 たとえば、天武天皇の実名は誰も知りませんし、天智天皇の実名も分りません。
  ちなみに、天智天皇は中大兄皇子ですが、本当は葛城皇子で、葛城の皇子という意味で、実名では有りません。(日本書紀・舒明天皇即位二年条)。

 雄略天皇にしても、「幼武(ワカタケル)」の名前は実名では有りません。分らないから、『猛々しい天皇で、若くして崩御したから、「若い猛る」にでもしておこうか』程度のニックネームに過ぎません。

 「ワカタケル大王」なんて天皇は実在しないし、そんな呼び方をした人は居ません。「丹後国風土記・浦の島子」でも、雄略天皇を「長谷の朝倉の宮に天が下を治めた天皇」と呼んでいます。
 (古代は呪詛を非常に警戒していたから)うかつに天皇の名前を口にすると「刀で首を切られる」時代だったのですよ。
 それに、「ワカタケル」なんて実名を付けて、50代、60代を生きる長寿だったらどうするんですか。60の爺さんの名前が「若健る」とでも言うのですか。

 記紀神話を作るに当たっては、天皇の実名が分らないので、業績やエピソードなどからイメージして、適当に名前を当てはめているだけです。

  逆に考えると、天皇の名前から、その天皇をイメージ出来ます。


☆(埼玉県の稲荷山古墳の「ワカタケル大王」の鉄剣の、謎)

 1968年に発掘された鉄剣に「ワカタケル大王」の文字が見つかったと、大騒ぎをしました。この剣の銘文、おかしいです。古事記のような「訓読み」の部分と、日本書紀のような「音読み」の部分が含まれています。

 たとえば、「ワカタケル大王」の「ワカタケル」の部分は訓読み用に5文字を打ち込んでいます。ところが「大王」の部分は2文字ですから、「だいおう」であって「おおきみ」では有りません。
 「おおきみ」と刻字するなら「意富伎弥」などと4文字を当てなければ、おかしいです。同じ文中に「意富比○」(オオヒコ)が見える訳ですから、おかしいと思う訳です。
 仮に「だいおう」と読むなら、それも、おかしい。雄略天皇の頃は「大和言葉」であり「訓読み」のはずですから、天皇のことを「おおきみ」と読んでいたはずであり、「だいおう」という呼び方は無かったと思います。

 それから、文中に、「杖刀人」(ジョウトウジン)の文字が有りますが、雄略天皇時代に、このような役職が存在したとは思えません。たぶん、後世に中国から「輸入」した言葉です。

 雄略天皇の時代には、政府も朝廷も行政も、何も有りません。有ったのは、敵か見方か、殺すか殺されるか、親分と子分であり、「広域暴力集団」の大親分とか、「戦国大名」の「御屋形様」のような状況だったのです。

 親分の家が御所であり政府です。親分の命令が政治です。法律なんか有りません。645年の「大化の改新」まで法律も行政制度も有りません。
 「倭の五王」時代は、政権抗争の連続で、負けたら殺されるし家屋敷は焼き尽くされたのです。だから、「オケ・ヲケ」の両天皇は逃げるだけ逃げて、兵庫県の山奥まで逃げています。
 杖刀人(ジョウトウジン)もヘッタクレも有りません。

 したがって、想像ですが、記紀神話を参考にして、後世に作った鉄剣を、古墳に追納したものと思います。あるいは何かのトラブル・アクシデントが考えられますが、どうなんでしょうか。


G 当然、中国に提出した「上表文」の天皇名も、イー加減です。

 中国に遣使するには、天皇の名前を提出する必要が有りましたが、誰も知りませんし、天皇は教えてくれません。
 また、中国の皇帝の名前は、漢字2文字か数文字ですから、漢字で表す必要が有りましたから、『カッコイイ名前を付けようじゃないか』ということで、カッコ良くて立派な漢字を当てはめたのが「倭の五王」の名前の意味です。

 ですから、「讃」・「珍」・「済」・「興」・「武」は、カッコいい漢字です。ただそれだけです。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/508.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の4)・日月神示の研究・「地震の原因は、中性子の崩壊だった」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「地震の原因は、中性子の崩壊だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 本当は、深く封印されるべき秘密事項だったのですが、「人工地震」だとかの、アホなことを言いふらす人が横行しているので、今回は、特別に「オカルト理論」を公表することにしました。


 まあ、ここまで読んで『アホくさ』と思う人は、読んでもらう必要は有りません。

 それから、私の記事は「いっさい質問禁止」です。難しいことを質問して、公衆の面前で、私に恥をかかせないで下さい。


A 日月神示など。

 「日月神示」には、こんな難しいことは、書いて無いようです。見つかったら追記します。

 「シリウスの解釈」には、『地震は変換時に発生する力』。
   『ヒトは人間の内面性。人間は陽子で、ヒトは中性子。陽子は地球で、中性子は太陽』
  と有るそうですが、よく知りません。(伝聞ですので)。


B 「オカルト理論」

ア) 初めに、私たちの世界を「原子」に置き換える。

 原子は、陽子・中性子・電子で構成されます。これに「三種の神器」と「哲学」をミックスします。

 陽子=自我・人間=勾玉。。中性子=霊魂=鏡。。電子=知恵の行使=剣、が当てはまります。


 ★ 『中性子が、β崩壊すると、陽子や電子ニュートリノに置き換わる』、らしい。

  ↑ これ大事ですよ。逆説では、『中性子=陽子+電子+電子ニュートリノ』に成ります。

  トンでも理論では、中性子=『 Uクォーク + Dクォーク + Dクォーク 』、の3つに分解される。 
         陽子=『 Uクォーク + Uクォーク + Dクォーク 』、の3つに分解される、そうです。
  ここで、Dクォークが崩壊すると、『 Uクォーク + 電子 + 電子ニュートリノ 』、の3つに分解される。
  すると、中性子=『 Uクォーク が3個 + 電子が2個 + 電子ニュートリノが2個 』、になる。
       陽子=『 Uクォーク が3個 + 電子が1個 + 電子ニュートリノが1個 』、になる。
  そして、上記の中性子から陽子の分を除くと、残りは、電子が1個と電子ニュートリノが1個残る。
  だから、中性子は、『 陽子 + 電子 + 電子ニュートリノ 』なのです。
  ゆえに、上記の中性子が、電子と電子ニュートリノを放出したなら、陽子だけが残るのです。

  ◆◆ 大丈夫ですか。付いて来れますか。付いて来れない人は、ゆっくりで、良いですよ。


 ここで、人間は肉体であり物質です。「生もの」ですから生存本能が有ります。ここに心霊が宿って、物質的人間を操作して人間活動を行います。この心霊が「霊魂」とか「ヒト」と呼ぶものです。

 それから、水素には中性子が有りませんが、これを「生まれ赤子」に例えると、赤子は知恵の行使が無いので中性子を構成できないと考えます。つまり、水素=生まれ赤子、です。


イ) 進化の構造。

 最初に、ケモノの心しかない「生存本能的人間」が、社会勉強を積み重ねていく中で、少しずつ「知恵」を身に付けます。

 そして、知恵や経験を積んで賢くなった魂が「賢いヒト」の魂に進化します。(ヒトには「アホなヒト」、「賢いヒト」など様々が有ります)。


 原子で説明しますと、陽子が、「知恵の行使力」という電子を身に付けると、中性子に進化します。そして、一つの原子の中に陽子や中性子が増殖し、原子番号が増えていきます。

 (「シリウスの解釈」では、『原子数は増えず一定だ』と言っていますから、その拡大解釈です)。


ウ) 崩壊の構造。

 物質的人間が死んでも、魂である中性子は崩壊しません。魂が霊界で生き続けるからです。
  (「VR理論」、「オカルト理論」です。「バシャール等ほかの文献」も、幻想だと言っている)。

 ところが、「人間性が崩壊」したとき、初めて、中性子が崩壊します。この「人間性の崩壊」とは、「人間の進化の方向性」に逆行する生き方です。
 (方向性とは「オリオン」に向かう方向であり、逆行するのが「プレアデス」に向かう方向性らしい)。

 原子で説明しますと、原子が崩壊する過程で、中性子を放出します。そして、崩壊を重ねる度に、原子番号が小さくなっていきます。

 そして、上記のとおり、『中性子が(β崩壊すると)陽子や電子ニュートリノに置き換わる』。つまり、溜め込んだ「自我」や「知恵」を放出するということです。陽子や電子に分解されるということです。


C 地震は、中性子の崩壊による「核分裂反応」です。(ただし、人間の科学の「核」とは異なる)。

 原子爆弾・原子力発電は原子の崩壊による発熱作用(崩壊熱)です。中性子の分裂反応です。


 前震・本震・余震などは、大きな「思考集団」の連鎖反応や誘爆などの多様性の現われです。
 (「思考集団」とは、いわゆる霊界の三千世界の中の、塊・マトリックス・教団のようなイメージ)。

 人間世界と霊界の構造には違いが有るので、細かいことは、どうでも良いのです。要は、崩壊によって地震が起きることだけ分れば良いのです。どうせVRゲームで、バーチャルですから。


 それから、「シリウスの拡大解釈」によれば、私たちの科学は、真実の科学とは異なる。「第7次太陽次元」も異なる。VRゲームのために人工的に創った科学です。だから、適当で良いのです。

 また、(6,500年以前の)前次元にも核戦争が有ったらしいが、前次元の核開発と現次元の核開発は異なるようだ。まあ、所詮はVR技術だから、『信じれば何でも核爆発する』するのだと思います。

 それに、アセンションを積み重ねて行けば、「真実の科学」を必修科目で強制的に学び、数千年後の未来科学をマスターしなければ成りません。泣きながら勉強することに成りそうです。


(これ以上暴露すると、シリウスの方から石が飛んで来そうなので、今回は、これで、お仕舞い)。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/509.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の54)・「応神天皇と仁徳天皇は、兄弟だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「応神天皇と仁徳天皇は、兄弟だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 応神天皇と仁徳天皇は、親子ということに成っていますが、本当は、兄弟だったと思います。

 そこで、今回は、「応神天皇と仁徳天皇の兄弟説」を唱えたいと思います。「言論の自由」です。

 ★ 応神天皇の別名は、譽田天皇(日本書紀)・品太天皇(播磨風土記)、譽田別・品陀和気・大鞆和気など多数あります。
  よって今回は、ホンダ別・ホムタ別・ホムヤ別の名称を使用します。


A 初めに、記紀神話の要点を、再考する。

 物語の初めに、息長帯姫(神功皇后)が仲哀天皇の2番目の皇后に召されて、ホムヤ別(本当の応神天皇)を産みました。

 その後、仲哀天皇が九州に出陣し、遅れて息長帯姫(神功皇后)も福井県の敦賀から、海人族の安曇氏を従えて九州に出陣しました。

 そして、仲哀天皇が九州で戦死した後に、息長帯姫(神功皇后)が摂政として、北九州を討伐した後に、三韓征伐を行いました。

 そして、息長帯姫(神功皇后)は、北九州に帰還して、ホンダ別(本当の仁徳天皇)を産みました。

 そして、大阪に帰って、皇位争奪戦を、カゴサカ王・オシクマ王と戦って、勝利しました。

 それによって、大将軍の武内宿禰が、乳飲み子のホンダ別を伴って、敦賀の(名神大社の)気比神社の神様と、ホンダ別の名前を交換しました。

 その後は、息長帯姫(神功皇后)を摂政と仰いで、大将軍の武内宿禰を首班とする「河内王朝政権」が、応神天皇が成人して天皇に即位するまで続きました。


B 根拠の1に、中国の文献に、倭の五王で、『兄が讃、弟が珍』と有ります。

 513年頃の継体天皇の頃に、「宋書」が作られましたが、「宋書帝紀」には、『438年に倭王の「珍」が宋に遣使した。讃の弟の珍だ』と有るようです。

 だから、『讃(応神天皇)の弟の珍(仁徳天皇)』は、兄弟説の一つの根拠です。


C 根拠の2に、息長帯姫(神功皇后)が、仲哀天皇の皇子のホムヤ別・ホンダ別の2人の男子を産んだ事実が有ります。

 ホンダ別が応神天皇ならば、兄のホムヤ別は、どこに行ったのかという疑問が生じます。

 だから、本当は、兄のホムヤ別が応神天皇で、弟のホンダ別が仁徳天皇なのです。


D 根拠の3に、武内宿禰が、乳飲み子のホンダ別を伴って、敦賀の気比神社に参拝して、神様と名前を交換したことです。

ア) 名前を交換した後の敦賀の神様の名前は「イザサ別」の神様に成り、皇子の名前は「ホンダ別」に成りました。

イ)  このことについて、日本書紀・応神天皇・即位前期に、
 『譽田天皇、足仲彥天皇第四子也、母曰氣長足姬尊。天皇、以皇后討新羅之年、歲次庚辰冬十二月、生於筑紫之蚊田。・・・初天皇、在孕而天~地祇授三韓。既産之、宍生腕上、其形如鞆、是肖皇太后爲雄裝之負鞆肖、此云阿叡、故稱其名謂譽田天皇。・・・』

   (簡略の翻訳の修正文に)
 『譽田天皇は、・・・筑紫の蚊田で生まれた。・・・生まれた時には、腕に肉が付いていた。その形が鞆(ホムタ)弓の防具のこと)に似ていた。・・・』
    したがって、
 生まれた時に「ホムタ別(ホンダ別)」と名前が付けられています。

ウ)  同じく、日本書紀・応神天皇・即位前期に、続けて、一書として、
 『・・・一云「初天皇爲太子、行于越國、拜祭角鹿笥飯大~。時、大~與太子、名相易、故號大~曰去來紗別~、太子名譽田別尊。」然則、可謂大~本名譽田別~、太子元名去來紗別尊、然無所見也、未詳。・・・』

   (簡略の翻訳の修正文に)
『・・・ある伝によれば、応神天皇は太子に成った時に、敦賀に行って、神様と名前を交換した。それで神様の名前が「去來紗別~(イザサワケ~)」に変り、太子の名前が「譽田別尊(ホムタワケ)」に変った。
 つまり、大神の元の名前は「譽田別の~」であり、太子の名前は「去來紗別の尊」だったのだ。
 しかしながら、証拠に成るものは見えず、未だに詳細は分らない。・・・」

エ) つまり、上記の日本書紀の文章(イ)では、応神天皇は、生まれた時に「ホムタ別(ホンダ別)」であり、後ろの文章(ウ)では、太子の名前は「去來紗別の尊」だったと有り、前後の(イ)と(ウ)の文章で矛盾しており、無茶苦茶です。
 この点について、記紀神話編集委員会は、『証拠も無く、詳細も不明だ』と逃げています。

 ★ 文章の(イ)で、生まれた時に腕に肉が付いていたから「ホムタ別(ホンダ別)」と名前を付けたとチャンと書いて有るのです。だから、応神天皇は、名前を交換した後は、「去來紗別尊(イザサワケ)」でなければ、おかしいのです。

 ★ 「生まれた時に腕に肉が付いていた」というのは、既に2,3歳に成っていたからです。ここで、ホムヤ別(応神天皇)とホンダ別(仁徳天皇)を「すり替えた」事実を暴露しているのです。だから「なぞかけ」に成っているのです。記紀神話編集委員会も事実を隠せなかったのです。


E 根拠の4に、敦賀の気比神社に保護されていた兄のホムヤ別と弟のホンダ別を入れ替えたことです。

 記紀神話では、皇位争奪戦での「穢れ」の禊(みそぎ)のために敦賀に行った訳ですが、必要もないのに名前を交換したが、(前述のように)その名前が無茶苦茶なのです。

 だから、本当は、兄のホムヤ別と弟のホンダ別を入れ替えた推理が働きます。


 じゃあ、何で、入れ替えたかと言うと、弟のホンダ別は生後間もない乳飲み子で、生命が安定していない。兄のホムヤ別は生後数年を経ているから生命が安定している。
 これから皇位争奪戦の残党の掃討作戦も行わなければ成らないし、河内王朝の建設でドタバタしなければ成らないから、安全策を採ったと思います。
 それから、敦賀には、息長帯姫(神功皇后)の妹の「虚空津比売(ソラツヒメ)」が居たから、虚空津比売に弟のホンダ別を託したという推理も働きます。

 ★ それから、「誉田別」の「誉」は、垂仁天皇皇子の「誉津別」がイメージされ、神がかった「失語症」の疑いも有りますが、話が混乱して面倒なので、省略します。


F 根拠の5に、敦賀の気比神社に、息長帯姫(神功皇后)の妹の「虚空津比売(ソラツヒメ)」が祀られていることです。

 「虚空津比売(ソラツヒメ)」が、息長帯姫(神功皇后)の妹なのは通説です。(Wikiも言ってます)。

 この虚空津比売が、(名神大社の)気比神社の神の「玉姫命」として祀られている事実です。息長帯姫(神功皇后)の妹というだけで祀るのは不自然ですから、兄のホムヤ別(応神天皇)の乳母・義母としての意味を持っていたと推理される訳です。


G 根拠の6に、古事記の「なぞなぞ」。『姫島で、雁が卵を産んだ話』。

 古事記の仁徳天皇の段で、『仁徳天皇が、大阪市西淀川区の姫島に行くと、雁が卵を産んでいたので、武内宿禰に尋ねると、「倭国で雁が卵を産むことは無いが、産んだということは、仁徳天皇の子孫が繁栄するという瑞兆でしょう」と答えた』、と有ります。

 これは、遠まわしに、『有っては成らない事が起きている。つまり、仁徳天皇の行っていることは無茶苦茶だ』という「謎掛け」だと想像します。
  (★これは、次回の(その6の55)の(仮称)「応神天皇は、暗殺された」で述べればと思います)。


H 根拠の7に、筑紫の「ツク」の意味と、武内宿禰の子供と仁徳天皇の子供の名前を交換した「なぞなぞ」の意味です。

ア)   日本書紀・仁徳天皇・即位元年に、
 『元年春正月丁丑朔己卯、・・・初天皇生日、木菟入于産殿、明旦、譽田天皇喚大臣武内宿禰語之曰「是何瑞也。」大臣對言「吉祥也。復、當昨日臣妻産時、鷦鷯入于産屋、是亦異焉。」爰天皇曰「今朕之子與大臣之子、同日共産、並有瑞。是天之表焉、以爲、取其鳥名各相易名子、爲後葉之契也。」則取鷦鷯名以名太子曰大鷦鷯皇子、取木菟名號大臣之子曰木菟宿禰、是平群臣之始祖也。・・・』

    (簡略の翻訳の修正文に)
 『仁徳天皇の即位元年に、・・・。仁徳天皇が生まれた日に、木菟(ツク・ミミズク)が産屋に飛び込んで来た。翌朝、応神天皇が武内宿禰に、その意味を尋ねた。
 武内宿禰は『目出度い事です。昨日、私の妻も出産しましたが、鷦鷯(ササキ・ミソサザイ)が産屋に飛び込んで来ました。不思議なことです』と答えた。
 そこで、応神天皇が『何かの兆しだから、お互いの子供の名前を交換しよう』と言う事で、名前を交換した。
 そう言う訳で、仁徳天皇の幼名が鷦鷯(ササキ・ミソサザイ)になり、武内宿禰の子供の名前が木菟宿禰(ツクノ・スクネ)になり平群臣の始祖になった』。


イ) 木菟(ツク・ミミズク)の意味。「ツク・ミミズク・フクロウ」には、鳥の名前のほかに、「怪しい」、「邪(よこしま)」という意味も隠されています。
 
 それから、「ツク」には、梟(フクロウ)のほかにも、「筑紫」(福岡県)の意味も含まれています。

 ですから、木菟(ツク)の真意は、ホンダ別(仁徳天皇)が生まれた「筑紫」の意味と、仁徳天皇の出自・経緯が「怪しい」という意味だと、想像します。


ウ) 鷦鷯(ササキ・ミソサザイ)の意味。

 鷦鷯(ササキ・ミソサザイ)という鳥は、ほとんどの人が知りません。よく分らない鳥です。森の中に居る雀(スズメ)のように小さな鳥ですが、森の中では見つけにくい鳥です。

 つまり、これが真意なのです。『仁徳天皇は、よく分らない天皇だ』という意味です。
 また、小さな鳥の鷦鷯(ササキ)が大きな木菟(ミミズク)に、よく見えない森の奥で、入れ替わったという意味です。


エ) 木菟(ツク・ミミズク)は夜の鳥。鷦鷯(ササキ・ミソサザイ)は昼の鳥。

 「なぞなぞ」の一つの意味に、ミミズク・フクロウは夜行性の鳥であり、ミソサザイは昼間の鳥の意味が有るように感じられます。

 つまり、昼と夜を交換した。『応神天皇の「夜の子供」を武内宿禰の「昼の子供」と交換した』。仁徳天皇は夜の子供だった。しかも、「怪しい」・「邪(よこしま)」という意味を含む「夜の鳥」だった。

 それから、「夜」という漢字を見て、古事記の「品夜和気」(ホムヤワケ)連想しました。古事記では、息長帯姫(神功皇后)が仲哀天皇の皇子として品夜和気と品陀和気の2人を産んでいます。

 だから、品夜和気と品陀和気が「入れ替わった」という推理が働くのです。敦賀で入れ替わった。


 ★ もちろん、敦賀で入れ替わった時に、『初めの品夜和気が応神天皇で、入れ替わった後の品夜和気が仁徳天皇だった』という考え方も成り立ちますが、
 (あるいは逆に、兄の品夜和気が仁徳天皇であり、弟の品陀和気が応神天皇だった可能性も有るが)、そうなると「二元連立方程式」に成ってしまい、話がメチャクチャ、ややこしくなってしまうから、
 『敦賀で、名前を入れ替えた時に、兄弟が入れ替わったのだ』と考えて、
 今回は、スッキリ・サッパリで、『単に、入れ替わった』というだけに、とどめたいと思います。

 ★ それから、古代は「末子相続」だったから、弟の応神天皇が相続して、天皇に即位した可能性も考えられますが、そうなると話が面倒なので、打ち切ります。


オ) 以上のことを総合すると、『なーんか、怪しいなあ』と言う事です。
 

H 何で、兄のホムヤ別が敦賀に居たのか。その理由。

ア) ここで一つの疑問は『何で、敦賀なのか』です。その意味は、息長帯姫(神功皇后)の出自に有りそうです。

 息長帯姫(神功皇后)は息長氏の娘と有りますが、本当は、(その6の51)・「神功皇后は、神に召された女だった」で述べたように、新羅から来た天日槍の子孫では無いかと言う事です。

 息長氏の領地が有ったと推定される琵琶湖の東北部には天日槍の足跡が見られそうだし、天日槍は、近江国の後に敦賀に至って、日本海を南下して但馬の出石を領地にしました。
  さらに、
 「筑前国風土記・逸文」「怡土(イト)郡」の条」で、福岡県の怡土(イト)の県主らの祖の五十跡手(イトテ)は、足仲彦天皇(仲哀天皇)の九州遠征に出迎えて、『高麗の国の意呂山(オロサン)(蔚山・ウルサンの説)に天降った(領主だった)天日槍の末裔の五十跡手とは私のことです』と言っています。
  だから、筑紫(北九州)に天日槍の子孫の勢力圏が有ったことが推定されます。

 それから、仲哀天皇・神功皇后時代には、敦賀を始めとする若狭湾は、安曇氏の勢力圏に入っていたことが想像されますが、この安曇氏は天日槍と深い関係が有ったと、想像されます。


イ) 以上のことから、息長帯姫(神功皇后)の九州出陣に際しては、幼いホムヤ別(本当の応神天皇)を、妹の虚空津比売(ソラツヒメ)に預け、敦賀の安曇氏に身辺警護をさせて、万一の時には、船で九州に脱出させることが可能な敦賀が一番良かったのではないかと、想像する訳です。


I 何で、こんな馬鹿なことに成ったのか。

 応神天皇と仁徳天皇を親子にした理由には、「神武天皇の紀元前660年即位問題」が有ります。

 とにかく、雄略天皇までの間を、引き伸ばせるだけ引き伸ばして、繋がなければ成りません。兄弟相続などは「もってのほか」です。

 神武天皇が127歳で崩御したなんて『有り得ません』。崇神天皇が120歳で崩御したなんて『ウソです』。垂仁天皇の140歳の崩御なんて『狂ってます』。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/512.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の55)・「応神天皇は、暗殺された」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「応神天皇は、暗殺された」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、応神天皇は、「何者か」に暗殺されたのではないかと、妄想しています。
 
 応神天皇は、謎の多い天皇でしたが、真実は歴史の闇に隠されています。


A (お断り)
 
 今回は、「推理小説」です。根拠無しの推理であり、単なる妄想です。よろしいですか。


B (物語は)、オス鹿が、射殺されるシーンから始まります。

ア) 「摂津国風土記(逸文)」の「夢野(イメノ)の条」(内容は「釈日本紀」十二の引用から)
    (簡略の翻訳)、
 『摂津国の風土記に言う。雄伴郡に夢野がある。父や古老が伝えるには、昔、刀我野(トガノ・夢野の古名で神戸市兵庫区夢野町の説)に、オス鹿がいた。
 そのオス鹿の本妻のメス鹿が、この野に居て、妾のメス鹿が淡路国の野島に居た。オス鹿は妾を愛し、しばしば、淡路国の野島に通った。
   時に、
 オス鹿が、本妻のメス鹿に言った。『昨夜の夢に、私の背中に雪が降り積もった。薄(ススキ)が生えた。どういう意味か』。本妻は、夫を妾の所に行かせたくないので、ウソの夢占いをして、答えた。
 『背中に薄(ススキ)が生えたのは、背中に矢が突き刺さる意味です。背中に雪が積もったのは、塩を塗られて食べられてしまう意味です。だから、淡路国の野島には、二度と行っては成りません』と、嘘の夢占いで注意した。
   しかし、
 本妻の忠告を無視して、オス鹿が野島に渡ったところ、海で船に見つかり、弓で射殺されてしまった。ゆえに、この野を夢野と呼ぶ。

 
イ) 上記の類似の話。日本書紀・仁徳天皇・即位38年の条の、オス鹿が射殺される話。

(その1) 卅八年春正月癸酉朔戊寅、立八田皇女爲皇后。秋七月、天皇與皇后、居高臺而避暑。時毎夜、自菟餓野、有聞鹿鳴、其聲寥亮而悲之、共起可怜之情。及月盡、以鹿鳴不聆、爰天皇語皇后曰「當是夕而鹿不鳴、其何由焉。」明日、猪名縣佐伯部、獻苞苴。天皇令膳夫以問曰「其苞苴何物也。」對言「牡鹿也。」問之「何處鹿也。」曰「菟餓野。」時天皇以爲、是苞苴者必其鳴鹿也、因語皇后曰「朕、比有懷抱、聞鹿聲而慰之。今推佐伯部獲鹿之日夜及山野、卽當鳴鹿。其人、雖不知朕之愛以適逢獮獲、猶不得已而有恨。故、佐伯部不欲近於皇居。」乃令有司、移ク于安藝渟田、此今渟田佐伯部之祖也。

(その2) 俗曰「昔有一人、往菟餓、宿于野中。時二鹿臥傍、將及鶏鳴、牝鹿謂牝鹿曰『吾今夜夢之、白霜多降之覆吾身。是何祥焉。』牝鹿答曰『汝之出行、必爲人見射而死。卽以白鹽塗其身、如霜素之應也。』時宿人、心裏異之。未及昧爽、有獵人、以射牡鹿而殺。」是以、時人諺曰「鳴牡鹿矣、隨相夢也。」

    (必要部分の、簡略の翻訳)、
(その1) 
 『仁徳天皇の即位38年春正月・・・天皇と皇后が高台で避暑をした。毎夜に、菟餓野(摂津国八田郡菟餓野と神戸市兵庫区夢野町の2説)から鹿の鳴き声が聞こえた。
 二人は、鹿の鳴き声を哀れに感じていたが、月末になると、泣き声が聞こえなくなったので、天皇が皇后に『鳴き声が聞こえなくなったが、どうしたのだろうか』と言った。
   翌日、
 猪名県(イナのアガタ・摂津国河辺郡為奈郷)の佐伯部が、苞苴(オオニエ・献上する食料)を献じた。天皇が膳夫(料理人)に問うた。『オス鹿です。菟餓野の鹿です』と答えた。
  天皇が皇后に語った。
 『この頃は、物思いにふけたが、鹿の声に慰められていた。佐伯部が献じた鹿は、その鹿だろう。佐伯部が恨めしいから、今後は皇居に近づけないようにしたい』。
   そういう事で、
 佐伯部は安芸国渟田(ヌタ・沼田郡沼田郷)に移動して、「沼田の佐伯部」の祖先になった。

(その2) 
 『俗に言う。昔、一人の人が居た。菟餓に行って、野中に宿を取った。その時、2頭の鹿が傍らに来て伏せた。夜明けに、オス鹿がメス鹿に言った。『今夜、夢を見た。白い霜が多く降り、我が身を覆った。どういう意味だろうか』。
   メス鹿が答えた。
 『貴方が出かけたら、人に射殺されるだろう。直ぐに白い塩を身体に塗られて、霜の様に白くなる意味だろう』。
 その時に宿を取った人は、不思議に思ったが、夜明けに、狩人が現われてオス鹿を射殺した。


C 何で、「国の正史である日本書紀」に、鹿の話が挿入されているのか。

 おかしな話です。たかが鹿の話です。日本書紀だけを読むと、「つまらん鹿の話です」。何で、こんな話を挿入するのか。

 ところが、上記のア)「摂津国風土記(逸文)」と重ねると、意外な内容が浮き彫りになります。


 つまり、オス鹿が神戸市兵庫区夢野町から、淡路島の野島に渡ったところを、弓で射殺された。

  これは、もしかすると、『応神天皇が暗殺された話』ではないのか。

 
 つまり、神戸は、応神天皇の母親の神功皇后の根拠地の一つで、海人族の根拠地でも有ります。神功皇后や海人族を祀る神社が数多く有ります。

   また、応神天皇は、摂津や播磨に足跡を残しています。応神天皇は、淡路島に縁が有ります。鹿の話も有ります。


(本妻のメス鹿は、海人族の娘だったのか)

 上記Bア)を根拠に、神戸市兵庫区夢野町に本妻のメス鹿が居たと推理するなら、それは「海人族」ではないのか。海人族は昔は「鰐・ワニ」と読んでいた。
 そして、応神天皇の次には「宇治天皇」が即位するが、母親は「ワニ」の娘です。娘の父親の名前は、古事記では「ヒフレノ、オホミ」とあるが、日本書紀では「和珥臣の祖になった日觸使主(ヒフレノ、オミ)」(応神天皇・即位二年の条)と有りますが、「使主」という文字は「渡来系豪族」に付けるものだと思いますが、どうなんでしょうか。
   ということは、(ストーリーとしては)、
 渡来系の娘が「皇后」で、娘の男子が「宇治天皇」だが、この鰐(ワニ)族系の政権構造に、仁徳天皇を支持する「在来勢力」が反発して、3年にわたって権力闘争が繰り広げられたが、ついに仁徳天皇支持グループが勝利した。特に、葛城氏の娘の「イワノ姫」は大喜びだった。
 また、(古事記にある)「仁徳天皇と矢田皇女との浮気事件」とか、「雌鳥皇女の悲恋物語」は全部ウソで、本当は、和珥臣グループを飲み込む過程での一大権力抗争だった。

 ★ 日本書紀の崇~天皇の「四道将軍」の段で、「和珥臣の遠祖の彦國葺」が登場しますが、応神天皇即位二年の条で登場する「和珥臣の祖の日觸使主(ヒフレノ、オミ)」は、同じ「和珥臣」なのだろうか。それとも、遠いルーツが同じだったのだろうか。
   また、
 (応神天皇の母親の)神功皇后の父親か祖父を「天日槍」と仮定し、神功皇后や応神天皇の「三韓征伐」を考えると、渡来系の海人族を重用するのは有り得ると思うが、どうでしょうか。


(メモ) 丸迩(ワニ)と奈良市あたりの関連性。(★誤記あり要確認のこと)。

 上記の「和珥臣の祖の日觸使主」は、孫の宇治天皇が宇治市方面に居たとするなら、和珥臣は奈良市方面に居たと考えるのが順当。
 奈良市には「春日臣」が居たが、「姓氏録」に、大春日朝臣は孝昭天皇皇子の大帯彦国押人命が始祖のようだ。
 同じく「姓氏録」に、「和尓部宿尓」は、大春日朝臣と同祖で、彦姥津命の四世の孫の矢田宿尓の後裔のようだ。
 同じく「姓氏録」・左京・皇別の「吉田連」は、大春日朝臣と同祖で、孝昭天皇皇子の天帯彦国押人命の四世の孫の彦国葺の後裔とある。また崇~天皇時代に任那国に奏したと有るし、新羅国と相争う、治めること不能と有り、云々。

 同じく「姓氏録」・右京・皇別の「真野臣」は、天足彦国押人命の三世の孫の彦国葺の後裔とある。気長足姫(神功皇后)に従って新羅を征伐した。また鎮守府将軍に留まって、国王猶榻の娘を娶って二男を生む。兄が佐久命で次が武義命。佐久命の九世の孫が和珥部臣鳥。近江国志賀郡真野村に居住。庚寅年に真野臣の姓を賜う。云々。

 ★★ これらの総合的イメージでは、古代の日本と半島は明確な線引きを成すものではなく、相互の往来が自由に成され、婚姻も行われたから、一概に「朝鮮系渡来人」などとの区別をすべきでなく、「呉越系倭人の広域共栄圏」程度に考えるべきではないか。
  すなわち、「倭の五王」時代から始まって平安時代前半までに、「帰るべき日本人」が日本列島に帰化して「日本国」を形成したと考えるべきでは、ないだろうか。


D 「鹿」の文字に隠された、意味を探る。

 「鹿」の文字には、動物の鹿の意味の他に、「神・神の化身・神の使い」の意味も有ります。また、「帝位」「王位」という意味も含まれています。

 「史記」には、『中原に鹿を逐(お)う』という言葉が有りますが、「中原の鹿」は周王朝の王権の象徴でした。それ以降は、「帝位」「王位」という意味にも使われるようです。


 すると、「鹿」を、応神天皇の「隠語」として用いた可能性については、どうなんでしょうか。


E 播磨国風土記。

ア) 播磨国風土記には、品太天皇(応神天皇)の話が数多く残されています。また、品太天皇が播磨で度々狩をした話が載せられています。
 
 (★ 昼間の狩りの後には、「夜の接待」(夜伽)が付いているのが、「大人」の解釈です)。


イ) 品太天皇と牝鹿(メジカ)の話。(播磨国風土記・飾磨郡・小川の里の条)。
   (翻訳の簡略に)、
 『・・。英馬野(アガマノ)と呼ぶ訳は、品太天皇が、この野で猟をされた時、・・。この時、大きな牝鹿(メジカ)が海を泳いで嶋に就(いた)った。だから伊刀嶋(イトシマ)と呼ぶ。

 ★ 下記F(ア)の「日向の諸縣の君の牛」の話に類似する。ただし牡鹿と牝鹿の違いが有る。


ウ) 品太天皇と牝鹿(メジカ)の話。(播磨国風土記・揖保郡・冒頭の伊刀嶋(イトシマ)の話)。
   (翻訳の簡略に)、
 『・・・。品太天皇は、射目人(いめびと)を飾磨の射目前(イメザキ)に立てて御刈をされた。この時、我馬野(アガマノ)から出てきた牝鹿(メジカ)が、この丘を通って海に入り、伊刀嶋(イトシマ)に泳ぎ渡った。・・・』


エ) その他にも、品太天皇(応神天皇)が各地で狩りをした話、鹿の話が記載されています。

  ★ 大切なのは、品太天皇が、「メス鹿に逢いに行く」という、連想ゲームです。


F 日本書紀の鹿の話。

ア) 日本書紀・応神天皇即位十三年の段の一書に、

 『一云、日向諸縣君牛、仕于朝庭、年既耆耈之不能仕、仍致仕退於本土、則貢上己女髮長媛。始至播磨、時天皇幸淡路嶋而遊獵之。於是天皇西望之、數十麋鹿、浮海來之、便入于播磨鹿子水門。天皇謂左右曰「其何麋鹿也、泛巨海多來。」爰左右共視而奇、則遣使令察、使者至見、皆人也、唯以著角鹿皮爲衣服耳。問曰「誰人也。」對曰「諸縣君牛、是年耆之、雖致仕、不得忘朝。故以己女髮長媛而貢上矣。」天皇ス之、卽喚令從御船。是以、時人號其著岸之處曰鹿子水門也。凡水手曰鹿子、蓋始起于是時也。』

  (簡略の翻訳に)
 『日向の諸縣の君の牛が、年老いて朝廷を退職した。そこで、娘の髮長媛を天皇に献上した。髮長媛が播磨に到着した。
 その時、応神天皇は、淡路島で狩をしていた。海に数十の大鹿が泳いでいるのを天皇が見た。
 大鹿たちが兵庫県の加古川に入ったところで、側近に尋ねさせた。すると、鹿の毛皮を着た諸縣の君の牛たちだった。
 応神天皇は、大いに喜んで、髮長媛を天皇の舟に乗せた。・・・』

 ★ ここで大事な事は、「応神天皇」と「大鹿」と「淡路島」と「髮長媛」です。


イ) 日本書紀・応神天皇即位廿二年の秋九月段に、

 『秋九月辛巳朔丙戌、天皇狩于淡路嶋。是嶋者横海、在難波之西、峯巖紛錯、陵谷相續、芳草薈蔚、長瀾潺湲。亦麋鹿・鳧・鴈、多在其嶋、故乘輿屢遊之。・・・』

 と有り、応神天皇は、たびたび、淡路島に行って、狩を楽しんでいた事です。

 ★ ここで大事な事は、「応神天皇」と「鹿」と「淡路島」です。


G 髪長姫の話。

ア) 淡路国風土記・逸文「鹿子の湊」の条(原文は「詞林采葉抄・七」の引用)、

   (簡略の翻訳をすると)、
 『淡路国風土記に云う、・・・応神天皇二十年秋八月、天皇が淡路島に遊猟した時、海上に大きな鹿が浮かんでいた。これは人間だった。天皇が従臣に尋ねさせたら、『私は日向国の諸県(モロアガタ)の君(族長)の牛(ウシ)です。角の有る鹿の皮を着ています。年をとってしまい、お仕え出来ませんが、御恩は忘れません。そこで、娘の髪長姫を献上させて頂きます。・・・』


イ) 仁徳天皇が、髪長姫を奪った話。

 (古事記に)、応神天皇は、日向国の諸県(モロアガタ)の君の娘の髪長比売が美人と聞いて、妃に譲り受けて、仁徳天皇が大阪港に受け取りに行ったが、余りにも美人だったので、仁徳天皇が応神天皇から譲り受けた。

★ 日向国の諸県(モロアガタ)は、宮崎県の内陸部に有ったので「熊襲」の系統と考えられ、強力な「武闘集団」がイメージされます。また水軍を持っていたと考えられるので、鹿児島県の志布志や串間方面、宮崎県の日南市、宮崎市方面に影響力を持ち、「隼人族」を支配化に収めていた可能性も考えられます。
 したがって、南九州最大の豪族と考えるなら、何としても自分の陣営に引き込みたいはずです。


ウ) 穿った見方をすると、応神天皇が手に入れようとしていた南九州の「諸県の君」を、仁徳天皇が横取りした。あるいは、「諸県の君」が、応神天皇治世下で権勢を誇った北九州の安曇氏に対抗しようとして、仁徳天皇と同盟したとも考えられそうですが、どうでしょうか。


H 一つの参考として、景行天皇の愛人を奪った話。

 (記紀神話に)、景行天皇には多くの愛人・妾がいた。美濃の国に美女姉妹がいることを聞き、ゲットしようとして、息子の大碓命を使者に立てて美濃に行かせた。
 大碓命は、その美女を横取りしてしまい、別人の「ブサイクな女」を美女姉妹の身代わりとして、景行天皇に献上した。
 これによって、大碓命と美女姉妹の子孫が美濃の国に繁栄した。

 ★ ここで言いたいことは、「美女」そのものよりも、その領地・領民・財産をゲットできる事です。


I 最後に、応神天皇を暗殺した犯人は、誰か。


 「推理小説」の真犯人としては、誰が、面白いでしょうか。


★ どう思われますか。


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[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の5)・日月神示の研究・「AI(人口知能)は、人間に勝てない」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「AI(人口知能)は、人間に勝てない」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 最近では、様々な分野でAI(人口知能)が叫ばれ、人々は、AI(人口知能)に駆逐されるのではないかと、恐怖に怯えているとの、意見も聞かれます。

 安心してください。AI(人口知能)は人間に勝つことが出来ません。今回は、そのことについて、意見を述べたいと、思います。


A 日月神示。今回は適当な文言が見つかりません。こんなもんで我慢して下さい。

 『・・そなたは学に囚われて御座るぞ。科学を越えて神の学に生きて下されよ。・・』(月光・34)。


★ 「シリウス」・「バシャール等ほかの文献」でも、AI(人口知能)の記述が見つからないようです。見つかったら追記します。


B コンピューターは、機械に過ぎず、「順次動作」しか出来ない。

 コンピューターは、回路図やプログラムで「入力」しなければ1ミリも動けません。コンピューターの本質は、回路図でありプログラムです。

 たとえば、工作機械・工場のライン・プラントなどの「自動化」は、全てがプログラムで行われます。基本は「順次動作」ですが、近年では多様な動作を行えるようになりました。

 最近では、コンビニのICタグ商品と「お財布携帯」の組み合わせ実験とか、手書き伝票を読み取って文書ファイル化する実験とか、様々な分野でのAI(人口知能)の促進が模索されています。

 ところが、これらのAI(人口知能)は、全部、人間がプログラムしなければ動きません。そして、次世代型AIも、人間が開発設計しなければ成り立ちません。メンテナンスも同じことです。


 以上のことから、AI(人口知能)は、どこまで行っても、人間に勝つことは出来ません。暴走すれば直ちに「保護回路」・「サーキットブレーカー回路」が作動して自動停止させます。

 将棋ロボットが話題に成りましたが、あれは、基本的な可能性をプログラムにし、更に、新たなパターンも記憶集積させて、それらの中から「良い手」を模索・検出して、対応させているだけです。
 ですから、事前に、様々な「手順」をプログラムしているから出来ることであり、コンピューター自身が、自分で全部を構築する訳では有りません。


C コンピューターが意思を持って、自己増殖し、反乱する世界観の、「ウソ」。

 そもそも、コンピューターは機械ですから「意思」を持ちません。意志を持てるのは生物だけです。意思を持たないものは自分で行動・活動できません。

 ですから、コンピューターが自分の意思で自己増殖し、回路・プログラムを書き換えて、人間に反乱するのは、「映画の世界」の話に過ぎません。

 それに、自己増殖するためには、コンデンサ・トランジスタなどや、記憶容量も必要だし、手順・プロセスなども必要になります。


D 学習しプログラムを更新する、進化するAI(人口知能)の、「限界」。
 
 学習し、進化できるのは、あらかじめ自動的に進化できる機能を組み込んでいるからです。

 つまり、更新するためには「上書き・記憶機能」が必要になり、上書きの「手順」や、記憶したものを活用のための「手順」もプログラムしなければ成りません。それで初めて、「更新」が出来るのです。


E コンピューターは、人間のような認識能力が、「無い」。

 例えば、人間は、リンゴをダイレクトに「リンゴ」と認識できますが、コンピューターは、リンゴをリンゴと認識できません。

 だから、新聞の写真のように「色」に分解し、1つ1つにカラーコードを割り当てなければ成りませんし、立体物なら三次元の座標も割り当てなければ成りません。

 また、コンピューターのプログラムは「二進法」であり、「有る・無し」(1と0)しか有りませんから、膨大なデータを二進法に置き換えて、コンデンサ等に記憶させなければ成りません。


F だから、様々なハード・基本ソフトを持たず、プログラミング言語も知らないコンピューターが、自分勝手に「上書き」して暴走することは、不可能なのです。

 つまり、コンピューターは、『言われた事しか出来ない単純労働者』です。


G 未来は、どうなるか。

 様々な分野でAI化が進められ、今まで従事していた人間が不要になることは間違い有りません。

 (あくまでもプログラムの範囲内で)人間に匹敵する知能ロボットも完成させるでしょう。


 しかしながら、人間が居なくなる訳でも無いし、AIが人間を支配する訳でも有りません。

 未来は、AI(人口知能)に置き換えられない分野で、人間が活躍するだろうと、思います。


H 知能には2種類の意味がある、らしい。

 「知能」には、知識・理解力・判断力・記憶力などの意味の「メンタル・mental」と、知恵の働きの意味の「インテリジェンス・intelligence」の2種類が有るらしい、そうです。

 これを、上記Aの日月神示『そなたは学に囚われて御座るぞ。科学を越えて神の学に生きて下されよ。』(月光・34)に当てはめると、『メンタルとは「学」のことであり、コンピューターのことだ。インテリジェンスとは「神」のことであり、霊魂(人間)のことだ』と成りそうですが、どうなんでしょうか。


I 究極的に、コンピューターと人間の違いは、何だろうか。

 「日月神示」には、『・・智慧と、愛が主の座に居らねばならん。・・』(黄金・86)と有ります。

 すると、『愛が有って知恵の有るのが人間。愛も無ければ知恵も無いのがコンピューター』、かも知れません。

J 最後に、簡単な「頭の体操」。
 『1リットル入りの大豆10袋と、1リットル入りの米10袋の合計20袋が有った。袋の数を減らしたい。どうするか』
 簡単です。米を大豆の袋に、袋を揺すりながら詰め込むのです。大豆の隙間に米が入ります。これで袋の数を減らせます。
 つまり、人間は時間を掛ければ問題が解けますが、コンピューターは何年掛かっても問題を解けません。
 要するに、コンピューターは、答えを導く「知恵」が無いし、自分で考える「意思」も持っていない。

K★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/517.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の56)・「百済は、日本の属国で、兄弟だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「百済は、日本の属国で、兄弟だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 私たちは、百済と日本は別々の国であり、民族も異なるものだと思っていますが、実は、違うのでないか。

  本当は、日本人も百済人も、同じ日本人だったのではないのか、厳密には、同じ呉越系倭人だった、あるいは、中国の揚子江河口部を源流とした「呉越人」だったのではないか。

 ひいては、中国の「漢民族」の本家本元の「周王朝」の長男の「呉の太伯」の家系で、分家だったのではないか。
 (その意味において、日本人こそが「本当の中国人」です。『中国は日本の領土です』)。

★ 詳しくは、(その6の22、23、24、25、26、27、28、29、30)あたりを参照してください)。

 そこで、今回は、この問題を考えてみたいと、思います。


A 日本書紀の記述は、当てに成らない。

   (日本書紀・欽明天皇即位二年春三月の条に)、
 『・・・帝王本紀、多有古字、撰集之人、屢經遷易。後人習讀、以意刊改、傳寫既多、遂致舛雜、前後失次、兄弟參差。今則孝覈古今、歸其眞正、一往難識者、且依一撰而註詳其異。他皆效此)。・・・』
   (簡略の翻訳に)、
 『帝王本紀は、多くの古い文字が有り、撰集者もよく変わった。その後の人が習い読むときに、意図的に削り、改めたりした。
 写本も多く出回り、間違いも有る。前後の順番が失われ、兄弟の順序も違っている。今、古きを推測し、真正に復帰した。ただし、知り難い事は、一つを選んでから、その他の異なるものを注釈して詳細に書くことにした。他のものも、皆、これに従っている。・・・』

 ★ つまり、日本書紀以前には、「朝鮮問題」に関する多くの記録が残されていたが、(奈良時代の時点においての)「日本・大唐帝国の外交問題」や、「日本・新羅の外交問題」などを考慮した。
 すなわち、外交摩擦を起こす問題や、日本の外交上のマイナスに成るような記録は削除した。
   たとえば、
 大唐帝国に属国化した新羅は、日本を利用して中国からの分離独立を画策して、何とか突破口を切り開こうとしていたから、日本との「縁」を頼りたかった、などの推理が働きます。


B 滅亡した百済を、雄略天皇が再興させた。(★真偽不明、要確認)。

    (日本書紀・雄略天皇の段に残された「百済」の記述)
 『廿年冬、高麗王、大發軍兵、伐盡百濟。・・・百濟記云「蓋鹵王乙卯年冬、狛大軍來、攻大城七日七夜、王城降陷、遂失尉禮、國王及大后、王子等、皆沒敵手。』
    (簡略の翻訳の要約に)
 雄略天皇の即位20年に、高句麗が百済を滅ぼした。百済記によれば、蓋鹵王も王子も殺された。

 『廿一年春三月、天皇、聞百濟爲高麗所破、以久麻那利賜汶洲王、救興其國。時人皆云「百濟國、雖屬既亡、聚夏倉下、實頼於天皇、更造其國。』
    (簡略の翻訳の要約に)
 雄略天皇の即位21年に、南朝鮮の久麻那利の土地を割譲して、汶洲王に与えて、再興させた。

 『廿三年夏四月、百濟文斤王、薨。天王、以昆支王五子中第二末多王・幼年聰明、勅喚內裏、親撫頭面、誡勅慇懃、使王其國、仍賜兵器、幷遣筑紫國軍士五百人、衞送於國、是爲東城王。是歲、百濟調賦、u於常例。筑紫安致臣・馬飼臣等、率船師以擊高麗。』
    (簡略の翻訳の要約に)
 雄略天皇の即位23年に、百濟の文斤王が死去したので、末多王(東城王とも?)を雄略天皇の御所に呼び寄せて祝福し、日本から武器や兵士を派遣して百済を防衛させた。さらに日本軍が高句麗を討伐した。


C 日本人の混血児が、百済の重臣に成っている。

ア) (日本書紀・欽明天皇即位二年秋七月の条に)、
 『秋七月、百濟聞安羅日本府・・・遣前部奈率鼻利莫古・・・紀臣奈率彌麻沙等、(紀臣奈率者、蓋是紀臣娶韓婦所生、因留百濟、爲奈率者也。未詳其父。他皆效此也)。・・・』 
    (簡略の翻訳に)、
 『(即位2年)秋7月、百済は、安羅の日本府と新羅が謀略しているとの噂を聞いて、前部奈率の位にあった鼻利莫古(ビリマクコ)・・・紀臣奈率彌麻沙(キノオミ・ナソチ・ミマサ)たちを派遣して…』

 ★ つまり、紀臣奈率(紀臣ナソチ)とは、日本の紀臣が韓の娘を娶って生んだ子供で、百済に留め置かれて、奈率(ナソチ=百済の役職名)の位に就いた者で、その父の詳細は分からない。他も皆、これに同じです。


イ) (欽明天皇即位の四年夏四月の条に)、   
 『四年夏四月、百濟紀臣奈率彌麻沙等罷之。秋九月、百濟聖明王、遣前部奈率眞牟貴文・護コ己州己婁與物部施コ麻奇牟等、來獻扶南財物與奴二口。・・』
    (簡略の翻訳に)、
 『物部施コ麻奇牟(物部のセクトマガム)・・・。物部氏が、朝鮮半島で生んだ子供で、百済の聖明王の重臣。・・・

 ★ ここでも、物部氏の子供が百済の重臣に成っています。


ウ) (欽明天皇即位の五年二月の条の続きに)、
 『別謂河內直(百濟本記云、河內直・移那斯・麻都。而語訛未詳其正也。・・・ 
    (簡略の翻訳に)、
 『河內直は、百済本記によると、河内直(カフチノアタイ)・移那斯エナシ・麻都マツと言う。・・』

 ★ 任那の責任者の一人の河內直が、新羅と同調した話が出てきます。


エ) (欽明天皇即位の五年三月の条の続きに)、
 『・・・今麻都等、腹心新羅、遂着其服、往還旦夕、陰搆姧心。・・・』
    (簡略の翻訳に)、
 『今、麻都らは、新羅に腹心(恭順し従う心)があり、ついに、その新羅の服を着て、朝夕に新羅に往来し、密かに騙そうと準備しています。・・・』

 ★ 上述と同じで、任那の責任者の一人の河內直が、新羅と同調した話が出てきます。


D 「新撰姓氏録」の「諸蕃の百済」の項。(★誤記脱落あり、原典で要確認のこと)。

(百済国の都慕王に繋がる氏族)

★左京 和朝臣  出自は百済国・都慕王十八世孫・武寧王 
左京 百済朝臣 出自は百済国・都慕王卅世孫・恵王 
左京 百済公   出自は百済国・都慕王廿四世孫淵王 
右京 百済伎   出自は百済国・都慕王孫・徳佐王  
右京 不破連   出自は百済国・都慕王之後Z有王  
河内 河内連   出自は百済国・都慕王男陰太・貴首王  
右京 菅野朝臣  出自は百済国・都慕王十世孫・貴首王  
右京  (菅野朝臣同祖) 葛井宿祢 塩君男味散君之後  
右京  (菅野朝臣同祖) 宮原宿祢 塩君男智仁君之後  
右京  (菅野朝臣同祖) 津宿祢   塩君男麻侶君之後  
右京  (菅野朝臣同祖) 中科宿祢 塩君孫宇志之後  
右京  (菅野朝臣同祖) 船連    大阿郎王三世孫智仁君之後  
摂津  (菅野朝臣同祖) 船連    大阿良王之後 

★ 「都慕王」とは、「スモウ」のことで、(その6の29D)の解朱蒙のことだろうか?。もし、そうだとすると、「扶余族」で、ルーツが「濊族」で、「スサノオ」に繋がるかも知れませんが、どうでしょうか。

 それから、「スモウ」とか「スモオ」とかの発音、なんか「スソー王」→「スサノオ」に似てますね。

★ 「今上天皇」の「ゆかり発言」の、桓武天皇の生母の高野新笠(タカノノ・ニイガサ)は、「和氏(ヤマト・ウジ)」の出身ですが、遠祖は百済・25代・武寧王の後裔だそうです。
 高野新笠の一族は、桓武天皇の「縁」で、高位高官に昇りました。


(その他の王族や貴族に繋がる氏族)

右京 三善宿祢           出自は百済国・速古大王 
河内  (三善宿祢同祖) 錦部連  百済国・速古大王之後   
和泉  (三善宿祢同祖) 錦部連
左京 大丘造  出自は百済国・速古王十二世孫・恩率高難延子 
右京 春野連         出自は百済・速古王孫比流王 
右京  (春野連同祖) 己氏  速古王孫休奚之後  
右京  (春野連同祖) ・斯氏  速古王孫・比流王之後  
右京  (春野連同祖) 面氏 ・比流王之後  
摂津 広井連  出自は百済国・避流王  
山城 岡屋公     百済国・比流王之後  
右京 鴈高宿祢  出自は百済国・貴首王  
右京 広津連  出自は百済国近・貴首王  
右京 安勅連  出自は百済国・魯王  
右京 市往公  出自は百済国・明王  
右京 岡連   市往公同祖 ・目図王男安貴之後  
大和 和連    出自は百済国主・雄蘇利紀王  
右京 百済王  出自百済国・義慈王  
右京 百済公  因鬼神感和之義。命氏謂鬼室。廃帝天平宝字三年。改賜百済公姓  
和泉 百済公     出自は百済国・酒王  
和泉  (百済公同祖) 六人部連  ・酒王之後  
右京 刑部  出自は百済国・酒王  
左京 石野連 出自は百済国人・近速王孫憶頼福留   
右京 真野造  出自は百済国・肖古王  
左京 沙田史 出自は百済国人・意保尼王   
右京 広海連  出自は韓王信之後須敬  
右京 麻田連  出自は百済国・朝鮮王淮  
右京 御池造  出自は百済国扶餘地卓斤国主・施比王  
右京 半Z氏  百済国・沙半王之後  
摂津 (真神宿祢同祖) 原首  ・福徳王之後  
右京 飛鳥戸造  出自は百済国・比有王  
河内 飛鳥戸造  出自は百済国主・比有王男V伎王  
河内 飛鳥戸造  百済国・末多王之後  
河内 古市村主  出自は百済国・虎王  
和泉 葦屋村主     出自百済・意宝荷羅支王  
摂津  (葦屋村主同祖) 村主  ・意宝荷羅支王之後  
和泉  (葦屋村主同祖) 村主  大根使主之後  
河内 岡原連  出自は百済国・辰斯王子知宗  
河内 林連   出自は百済国・直支王[古記云周王。]  
河内 水海連  出自は百済国人・努理使主  
左京  (水海連同祖) 調連  百済国・努理使主之後也 誉田天皇[謚応神。]御世。帰化。
                   孫阿久太男弥和。次賀夜。次麻利弥和。
                   弘計天皇[謚顕宗。]御世。蚕織献B絹之様。仍賜調首姓   
右京  (水海連同祖) 民首  百済国人・努利使主之後  
山城  (水海連同祖) 民首  百済国人・怒理使主之後  
河内  (水海連同祖) 調曰佐 
左京 林連        出自は百済国人・木貴公  
右京  (林連同祖) 林   百済国人・木貴之後  
右京  (林連同祖) 大石林  百済国人・木貴之後  
摂津  (林連同祖) 林史  百済国人・木貴之後  
左京 香山連  出自は百済国人・達率荊員常   
左京 高槻連  出自は百済国人・達率名進   
右京 城篠連  出自は百済国人・達率支母未恵遠  
左京 広田連  出自は百済国人・辛臣君  
右京 広田連  百済国人・辛臣君之後  
左京 神前連  出自は百済国人・正六位上賈受君   
左京 小高使主  出自は百済国・人毛甲姓加須流気  
左京 飛鳥部  百済国人・国本木吉志之後   
右京 清道連  出自は百済国人・恩率納比旦止  
右京 大県史  百済国人・和徳之後  
右京 道祖史  出自は百済国主・挨許里公  
右京 大原史  出自は漢人・木姓阿留素西姓令貴  
右京 苑部首  出自は百済国人・知豆神  
右京 高野造  百済国人・佐平余自信之後  
右京 中野造  百済国人・杵率答他斯智之後  
右京 枌谷造  出自は百済国人・堅祖州耳  
右京 坂田村主  出自は百済国人・頭貴村主  
右京 上勝         出自は百済国人・多利須須  
山城  (上勝同祖) 勝  百済国人・多利須々之後  
摂津  (上勝同祖) 勝  ・多利須須之後  
右京 不破勝  百済国人・渟武止等之後  
右京 漢人  百済国人・多夜加之後  
右京 賈氏  出自は百済国人・賈義持  
右京 大石椅立 出自は百済国人・姓蚊尓  
山城 伊部造  出自は百済国人・乃里使主 
山城 末使主           出自は百済国人・津留牙使主 
山城  (末使主同祖) 木曰佐  ・津留牙使主之後 
大和 縵連 連  出自は百済人・狛  
大和 宇奴首           出自は百済国君男・弥奈曽富意弥 
河内  (宇努首同祖) 宇努造  百済国人・弥那子富意弥之後  
大和 波多造  出自は百済国人・佐布利智使主  
大和 薦口造  出自は百済国人・抜田白城君  
大和 園人首  出自は百済国人・知豆神之後  
摂津 為奈部首  出自は百済国人・中津波手  
摂津 牟古首  出自は百済国人[吉志  
摂津 三野造  出自は百済国人・布須真乃古意弥  
河内 佐良々連 出自は百済国人・久米都彦地 
河内 依羅連           出自は百済国人・素祢志夜麻美乃君  
河内  (依羅連同祖) 山河連  ・素祢夜麻美乃君之後  
河内 呉服造  出自は百済国人・阿漏史  
河内 上曰佐   出自は百済国人・久尓能古使主  
和泉 信太首  百済国人・百千之後  
和泉 取石造  出自は百済国人・阿麻意弥  
和泉 衣縫   出自は百済国・神露命


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/520.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] (その6の56−2)・「百済の都慕王は解朱蒙で、スサノオだった、のか」

@ (その6の56)「百済は日本の属国で兄弟だった」の続編です。{Fの「新撰姓氏録」の「諸蕃の百済」}の項で、

  『左京・和朝臣・・出自は百済国・都慕王十八世孫・武寧王』について、

 「都慕王」が「スモウ」のことで、(その6の29D)の解朱蒙だとすると、「スサノオ」に繋がるかも、知れないので考えてみました。


 都慕王 → ツモ王 → スモウ → 解朱蒙 → スモオウ → スソオウ → スサオウ → スサノオ


A 根拠の1 「新撰姓氏録」の「諸蕃の百済」。

 『左京・和朝臣・・・出自は百済国・都慕王十八世孫・武寧王』

 桓武天皇の生母の高野新笠(タカノノ・ニイガサ)は、「和氏(ヤマト・ウジ)」の出身で、遠祖は百済・25代・武寧王の後裔。


 解朱蒙の別名は「高朱蒙」で、高句麗の初代王。またの別名は、東明聖王、都慕王ともいう。

   つまり、都慕王は、解朱蒙(高朱蒙)のことだ、との説。


(その6の29)・「古代の朝鮮人は日本語を話していた」D百済の王と日本の王は兄弟だったという「真偽不明」の話。

    (「三国史記」百済本紀)、
 天帝の子供の解慕漱(カイボソ)の一行が「天孫降臨」して、北扶餘(卒本扶餘)を建国した。解慕漱の子供の解夫婁(カイフル)が、東扶餘(迦葉原)に遷都した。子供が居なかったので、拾った子供の「金蛙」を後継者にした。
  金蛙王は、河伯(水神)の娘の柳花を娶って、解朱蒙を生んだ。金蛙王の息子の帯素らの7人が、優秀な解朱蒙に嫉妬して、暗殺しようと企んだ。暗殺を予知した柳花が、息子の解朱蒙を逃走させた。
  解朱蒙と少数の家来が、北扶餘(卒本扶餘)に逃れた。その王には娘は有ったが、息子が無いので、娘に入り婿して、後継者になった。
  王が死んで、解朱蒙が王になり、国名を高句麗と改め、解朱蒙を高朱蒙に改名した(別名に「東明王」とも呼ばれた)。
  解朱蒙(高朱蒙)が、子供の「沸流」と「温祚」の2人を生んだ。その後、解朱蒙が東扶餘(迦葉原)時代に生んだ子供の「瑠璃」が引っ越して来たので、瑠璃を後継者にした。
  瑠璃王が即位すると、暗殺を恐れた「沸流」と「温祚」の2人は、高句麗を脱出した。百済の地に到着して、弟の温祚が百済王になった。兄の沸流は海岸部の仁川に移動した。

   (この説には異論が続出し)、

 「沸流」と「温祚」の2人の父は、高朱蒙の子ではなく、東扶餘(迦葉原)時代の有力者の娘の「召西奴」の連れ子の説。
 百済の始祖王は沸流であり、父は北扶餘(卒本扶餘)王の解慕漱の諸孫にあたる「優台」で、沸流の母親は北扶餘(卒本扶餘)王の娘の「召西奴」の説。
 中国の「北史」や」「隋書皆伝」では、百済の始祖王は、東明の後の扶余王の「尉仇台」とする。また『仇台は、初め帯方郡の故地に国を立て、後漢の遼東太守だった公孫度の娘を妻にして、東夷の強国になった』。
 仇台は、189年から遼東太守になった公孫度(190−204年の治世)の娘を得て強大になったが、後の魏の明帝が、238年に公孫度の孫の公孫淵を滅亡させ、帯方郡を魏の領土にしたため、(百済)は南方に移動した説。
 ★ また、高句麗の建国の年代と、百済の建国の年代が、全然合いません。
 ★ また、「三国史記」は、高麗の17代・仁宗の命令で、1143−1145年ころに完成しましたが、偽書説が強く、あまり信用されていないようです。


B ↑ ここ、大事なので、さらに「系統」を分析しました。

ア) (簡略の系統図で考える)

降臨した解慕漱→子供の解夫婁→養子の金蛙→子供の解朱蒙→子供の瑠璃・沸流・温祚の3人→瑠璃は高句麗王・沸流は百済王。


イ) (地図上の位置関係で考える)

・・・・・東扶餘(迦葉原)・・・・・・北扶餘(卒本扶餘のちに高句麗に改名)・・・・・・・・・・百済・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・解慕漱が降臨し、北扶餘(卒本扶餘)建国・・・
・子供の解夫婁が東扶餘(迦葉原)に遷都・・・
・・養子の金蛙王が東扶餘の王・・・子供の解朱蒙が北扶餘に逃走し、高句麗と改名・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・解朱蒙の子供の瑠璃が高句麗王に即位
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・解朱蒙の子供の沸流と温祚が脱出し、百済建国


ウ) (上記の異説)

 (異説の1・・・解朱蒙は、金蛙王の子供では無かった説)。

   (真偽不明の)「扶餘の神話」によれば)、
 『河伯(水神)の娘の柳花が青河(鴨緑江)で水浴びをしている時に、解慕漱が、後継者を産ませるために拉致し、宮殿に入れて妃にした。
 その後、解慕漱は一人で天上に戻り、柳花は、太伯山(白頭山)の南の優渤水に移り住んだが、そこで、金蛙王の妃に召された。
 やがて、柳花が「大きな卵」を産んだが、金蛙王は「不吉」と感じて捨てさせたが、その卵から生まれたのが朱蒙だった。
 朱蒙は弓術に優れた。扶餘国では、弓の名手を「朱蒙」と称することから、「解朱蒙」と名付けた。・・・』

 ★ もしかすると、解朱蒙は金蛙王の子供ではなく、解慕漱の子供だったかも知れません。
 

 (異説の2・・・百済始祖王の沸流の父は、解慕漱の諸孫の優台)。

   (真偽不明の「三国史記・百済本紀・一伝」によれば)、
 『百済の始祖王は沸流で、父は北扶餘(卒本扶餘)王の解慕漱の諸孫の「優台」だ。沸流の母親は北扶餘(卒本扶餘)王の娘の「召西奴」だ。
 召西奴は、初めに優台に嫁いで、沸流と温祚の2人を産んだ。優台が死ぬと、寡婦で暮らした。
 解朱蒙が、東扶餘から北扶餘に逃げ込んで、後継王になり高句麗に改名し、召西奴を妃にした。・・・』

 ★ これによると、百済初代王は、解慕漱の孫の優台の子供(つまり解慕漱の曾孫になる)。

 ★★ 訳が分らなくなるので、これ以上の分析は、中止。


B 解朱蒙(高朱蒙)の出自と、百済初代の、諸説。

 説の1・・(解慕漱の子供の)解夫婁の養子の金蛙王が、河伯(水神)の娘の柳花を娶って、解朱蒙を生んだ。解朱蒙(高朱蒙)が、子供の沸流と温祚の2人を生んだ。

 説の2・・解慕漱が、河伯(水神)の娘の柳花を娶って、解朱蒙を生んだ。解朱蒙(高朱蒙)が、子供の沸流と温祚の2人を生んだ。

 説の3・・解慕漱の孫の優台が、召西奴を娶って、沸流と温祚の2人を産んだ。召西奴は解朱蒙と再婚した。

 説の4・・中国の「北史」「隋書皆伝」に、百済の始祖王は、東明の後の扶余王「尉仇台」。仇台は、初め帯方郡の故地に建国し、後漢の遼東太守の公孫度の娘を妻にした。
 仇台は、189年から遼東太守になった公孫度(190−204年の治世)の娘を得て強大になった。

 ★★ 訳が分らなくなるので、これ以上の分析は、中止。


C 高句麗などの建国の時期。

ア) 濊族 「後漢書・穢(濊)伝」に、『前漢の元朔元年(BC128年)に、濊君の南閭らは右渠(朝鮮王)に背き、28万人を率いて、遼東郡に内属した。武帝は、この地に蒼海郡を置いたが、数年で廃止した。・・・』

 ★ これ以外にも、「漢書・食貨志」、「漢書・武帝紀」にもBC128年の類似する記述が見られるので、BC128年当時に、濊族が居た事は明らかです。また、「三国志」にも「濊伝」が見られます。


イ) 高句麗 「後漢書・高句麗伝」に、建武23年(AD47年)の記録に、高句麗が見えます。

 ★ 高句麗は、紀元前・後あたりの建国というのが多数意見ですが、明確にはされていません。少なくとも、濊族よりも、はるかに後の建国です。


ウ) 扶餘(扶余) 「後漢書・扶余伝」に、建武25年(AD49年)に、後漢の光武帝に遣使して朝貢した記録が見えます。
 また、「後漢書・扶余伝」に、永寧元年(AD120年)に、太子の尉仇台が王宮に詣でた記録が見えます。

 (上記Bの『仇台は、189年から後漢の遼東太守になった公孫度(190−204年の治世)の娘を得て強大になった。』の記述に照らすと、百年代後半に活躍したと考えられます

 ★ 古い記録が見つからないので、断定は出来ないが、建国は高句麗と同じころとの説が有りますが、分りません。


エ) 百済 
 百済の始祖王は沸流だが、その父は北扶餘(卒本扶餘)王の解慕漱の孫の「優台」の説。
 沸流と温祚の2人が高句麗を脱出し、弟の温祚が百済王になった説。
 解朱蒙の子供の沸流と温祚が百済を建国した説。
 百済の始祖王は、東明の後の扶余王「尉仇台」の説。

 ★ 百済の建国開始は早くても3百年代の初めか、2百年代の晩期です。つまり、2百年代の中葉は「三国志・馬韓伝」の時代だったから、百済という国は存在しません。


D 呉越人が「倭人」に変換されて、「日本人」・「百済人」に変換された。(仮説)。

 つまり、最初に、呉王国や越王国が、揚子江の河口部に有ったが、呉越が共に滅亡して、朝鮮に逃れて「朝鮮系倭人」に変換された。

 一部が、「濊族」に変換されたが、濊族が、高句麗・扶余・金官加羅・百済などに「変換」された。

 金官加羅から渡来した一族が「日本人」に変換され、百済などから渡来した一族が「遅れてきた日本人」に変換された。そして、元々、日本列島に居た「日本系倭人」と融合して「大和民族」に変換された。


(その根拠)

ア) 「魏志・濊伝」・・『その古老は、むかし、自ら、高句麗と同種だと言っていた。』   

イ) 「魏志・夫餘伝」・・『古老は先代の王が賜った物だと言っている。その印の文言は濊王之印と言う。国(中国)には濊城と呼ばれる古い城がある。思うに、元は濊貊の土地で夫余王はその中にいたのだろう。自ら亡命者と言うのは、そもそも理由があるのだ。』  

ウ) 「魏志・高句麗伝」・・『東夷の昔話では夫餘の別種となし、言語や様々なことで多くが夫余と同じだが、気性や衣服に違いがある。』


★ つまり、濊は高句麗と同種で、夫餘は濊の近種で、高句麗は夫余の別種。だから、濊・高句麗・夫余には密接な関連性が有ります。

 また、高句麗は『言語や様々なことで多くが夫余と同じ』。夫餘は『自ら亡命者というのはそもそも理由があるのだ』(つまり中国から逃げてきた)。


E 「百済王神社」の祭神に、「スサノオ」が祭られていた。

 大阪府枚方市に「百済王神社」が有ります。「百済王」と共に、「進雄命(あるいは牛頭天王)」の2柱の神が祀られているそうです。
  (「進雄命」は、何と読むのだろうか、「スサノオ命」と読むのだろうか)。

 ★ この、「進雄命」(あるいは牛頭天王)がスサノオというのは、一般の常識ですが、何で、百済王と共に祀られているのでしょうか、不思議です。


F 終わりに。スサノオの出自について(オカルト的な想像)。

ア) スサノオの出自については、父親のイザナギ(呉系倭人)の日本での根拠地が北九州で、母親のイザナミ(越系倭人)の日本での根拠地が出雲だと思います。

  (ちなみに、アマテラスにはイザナミの血が混じっていないので、純粋の呉系倭人で、根拠地が北九州だと想像します)。

 これを、朝鮮半島に置き換えると、イザナギ・アマテラスは馬韓方面の呉系倭人で、イザナミ・スサノオは新羅方面の越系倭人かも知れません。

  (イザナミ・スサノオの足跡を残す出雲と、朝鮮との交流を考えると、(海流・潮流の関係から)新羅方面か洛東江の河口部方面に落ち着きます)。


イ) ところで、高句麗の解朱蒙(高朱蒙)がスサノオだとした場合に、高句麗の建国を紀元前後と考えると、百済の建国とは3百年の開きが有り、百済初代の都慕王が「スモウ」で「スサノオ」というのでは、整合性が取れません。

 また、スサノオの子供が「大国主」で、孫がニギハヤヒとした場合には、高句麗の高朱蒙が紀元前後で、大国主やニギハヤヒを2百年代とすると、これも整合性が取れません。

 また、「魏志倭人伝」によれば、2百年代の朝鮮は、濊族・夫餘族・高句麗族・馬韓・辰韓・弁韓諸国などであり、日本には邪馬台国しか無かった。


ウ) 結局、スサノオに関しては、『分らない』としか言い様が有りません。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/521.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] (その9の5−2)・いかん、「人口知能」と書いてしまった。

@ 漢字の変換ミスをした。

 第一本文(その9の5)の、「人口知能」は「人工知能」、の間違いでした。投稿後に気が付いた。何回か見直したのに、「校正機能」のフィルターを「スルー」している。困ったことです。


A 今回の、漢字変換ミスの、原因。

 原因の一つは、「じんこうじしん」を漢字変換すると、「人口地震」に変換された。さらに分解すると、「じんこう」は「人口」に、「じしん」は「地震」に漢字変換されるようだ。

 「人口」と、「地震」は、何の問題も無いが、「人口地震」は、不正解で大問題です。


B 「校正する」という、フィルター機能。

 書籍などは、一般に、出版会社が校正するそうです。原稿の段階でチェックしたり、テスト印刷の段階で、校正の専門化がチェックするそうです。

 ところが、個人ブログでは、自分で校正しなければ成りません。国語能力が問われるし、ワードの漢字変換ミスに気が付かない事も有ります。


C 社会全体の、漢字変換ミスの、実情。

 みんな、漢字変換でミスしています。本文記事で漢字変換をミスする人、コメント欄でミスする人、自己のブログでミスする人。


(★子供の漢字の学力が大幅低下し、読めない、書けない、誤字を書く、が問題になっています)。


D 「人口地震」は、パソコンの開発現場では大問題です。「人口」+「地震」だけでも大変なデータ入力が必要なのに、「人工地震」なんてデータの入力は、今のパソコン容量では足りません。

 つまり、パソコンは、ワード専用に使うものでは無いから、種々の機能の優先順位が有ります。ワード専用機を使うか、ワードのソフトをインストールして、特別仕様で使えと成りそうです。


E 遠い未来には、人間の脳が、パソコンになる。

 今の人間の脳で、使われているのは10%だとかの説も有りますが、遠い未来には、人間の脳にパソコンが埋め込まれるでしょう。


 私たちが、「遠い未来」(真実の世界)に目覚めた時、スーパーコンピューターの脳を持つ「神」に成ります。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/522.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の57)・「宇治天皇と市辺天皇と、倭の五王の乱闘時代」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「宇治天皇と市辺天皇と、倭の五王の乱闘時代」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 宇治天皇と市辺天皇については、記紀神話では明確にされていませんが、「播磨国風土記・揖保郡・大家里」に宇治天皇が見えますし、「播磨国風土記・美嚢(ミナギ)郡・志深(シジミ)里」に市辺天皇が見えます。

 ここで、風土記というのは、和銅6年(713年)に元明天皇の勅命により、日本全国の国司に、撰上する事を命じました。提出された文書は「解文」と題する報告書であり、歴然たる「公文書」でした。
   当然、
 公文書ですから、嘘や創作などは許されませんし、右大臣の藤原不比等を筆頭として、民部省の役人が精査したはずです。
   ですから、
 『風土記に書かれている事は事実かも知れない』という推理が働きますし、少なくとも、『公文書だし、中央から派遣された国司が決済して中央に送っているのだから、わざわざ、嘘の創作をする理由も必要性も無い』と考えるのが「常識」だろうと思います。

 そこで、今回は、消された天皇と、倭の五王の時代の、骨肉あい争う乱闘の時代を探ってみたいと、思います。


A 宇治天皇とは。

 宇治天皇とは、応神天皇の皇太子の「宇遅能和紀郎子(ウジノ・ワキ・イラツコ)」ですが、応神天皇の崩御の後に、3年間にわたって、仁徳天皇と皇位を譲り合い、その後、病死した事に成っています。

 「美談」だと言われていますが、本当でしょうか。少なからぬ研究家が、政争に敗れたのではないかと、疑問を感じています。

 宇治天皇が即位した記録は残されていませんが、皇統に3年間の空位が有った訳ですから(仁徳天皇・即位前記・皇位の譲り合い)、この3年間が宇治天皇時代と考えても良いかも知れません。

★ (ネット情報で真偽不明の要確認ですが)、熊本県の「幣立神宮」に、『・・・応神帝の時に、勃発した内乱のために・・・』は注目に値します。


B 市辺天皇とは。

 市辺天皇とは、市辺之忍歯王(イチヘノ・オシハ・オウ)の事ですが、雄略天皇に殺されました。

 ちなみに、「忍歯王」の名前は、市辺之忍歯王が殺されたときに、従者と共に原野に埋められて、後に遺骸を発掘したときには、2人の骨の区別が付かなかった、あるいは、市辺之忍歯王は「八重歯」だったので、それで2人の見分けが付いた(古事記)。
 そのような経緯から、「忍歯王」の名前が付けられたのではないかと、想像します。

 市辺天皇が即位した記録は残されていませんが、上述の「播磨国風土記・美嚢(ミナギ)郡・志深(シジミ)里の条」に記述が有る以上は、もしかすると、市辺天皇の時代が有ったのかも、知れません。

 (雄略天皇の兄の安康天皇が、マヨワ王に殺害されるハプニングが有ったが、未成年のワカタケル皇子は不適格で、市辺天皇が即位する乱闘が有ったかも、知れませんが、どうでしょうか)。


(オケ・ヲケ兄弟の逃走記の別説)

 市辺之忍歯王(市辺天皇)の子供のオケ・ヲケ兄弟は、父親が殺害されると、舎人の日下部連が、領地の丹後国与謝郡に2人を匿った(顕宗紀・穴穂天皇三年の条)。その後、忍海部の屯倉が有った播磨国シジミの代官の忍海部造に、幼い2人を預けた(顕宗紀・穴穂天皇三年の条)。
 やがて、雄略天皇の遺児の清寧天皇が、妻子無く若くして崩御すると、オケ・ヲケ兄弟が脚光を浴びたが、未成年で天皇に就けず、(オケ・ヲケの叔母説と姉弟説のある)飯豊皇女(忍海郎女)が、忍海角刺宮でリリーフの女帝に立った。

 (飯豊皇女(忍海郎女)の忍海角刺宮と、忍海部の屯倉の播磨国シジミの忍海部造は、「忍海」で繋がっています。そして、平群氏を筆頭に雄略天皇を支持するグループと、反発するグループの権力闘争が有り、豪族たちも2分3分に分裂して乱闘したと、思います)。


★ オケ・ヲケ兄弟にしても「倭の五王」にしても、本当のところは分かりません。時系列で考えても違和感を覚えますし、記紀神話の記述も曖昧です。明確にしたくなかったのだと思います。
 とにかく、「大乱闘時代」が有ったと言うことで、真実は歴史の闇に封印されていると思います。


★★ 御陵について。墓は、今も昔も、先祖の土地(母親の出身母体)か自分の領地に作るもので、あまり他人の土地には作りません。御陵の位置関係で研究する人も有りますが、「倭の五王」の親子関係に異論を唱える研究家も有るそうです。


★★★ 古代の、近親相姦の、話。(日本書紀・仁賢天皇・即位6年の条)。

 近親相姦の話が、日本書紀・仁賢天皇・即位6年の条に、挿入されていますが、「なぞなぞ」であり、『解ける者は、その叡智によって、読み解け』と言う事だろうと、思いますが、私の頭では読み解けません。皆さんの賢い頭で、読み解いてください。

 要約すると、『夫のハタケと妻の【難波】のフナメが、娘のナクメを生んだ。娘のナクメが夫のヤマキの間に娘のアクタメを生んだが、夫のヤマキは(妻のナクメの母親の)フナメと結婚して息子のアラキを生んだ。娘のアクタメが息子のアラキと結婚した。

 (別の表現で、『【難波】のフナメは、前夫の間に娘のナクメを生んだが、孫娘がアクタメである。また、フナメは、後夫のヤマキの間に息子のアラキを生んだ。そして、(フナメから見ての)孫娘のアクタメと息子のアラキが結婚した。また、孫娘のアクタメから見た夫のアラキは、夫であり叔父になる。
 別に、男のヤマキから見ると、前妻のナクメとの間に娘のアクタメを生み、後妻の(前妻のナクメの母親の)フナメの間に息子のアラキを生んだ。そして、実の息子のアラキと娘のアクタメが結婚した。

 ◆◆ 国の正史である日本書紀に、何で、こんな話が挿入されているのか。重要だから載せているのです。重大な意味が有るのです。本当の事を書けないから、「なぞなぞ」なのです。
 記紀神話編集委員会の皇統図作成の苦労は、『察するに余りある』と言わなければ成りません。


C 天皇の権力基盤は、皇后に有った。

 古代の天皇には、大きな領地とか直属の大軍とかは存在せず、あくまでも豪族会議の(形式的な)議長のような機能を持っていたと、想像します。

 (そして、古代には、天皇は、「大嘗祭」などの特別な儀式を経て、「皇祖神」の神霊が降った「生き御霊」「現人神」に成るという考えが有り、豪族が踏み込めない「聖域」に成っていたと思います。
 ですから、蘇我氏などの大豪族でも、天皇に代わることが許されなかったと思います)。

 それと、天皇の子供は、基本的に、皇后・妃などの母親の実家で育てられますから、皇子の権力基盤は母親の出身母体に成りました。
 (古代は、「嫁入り」ではなく「妻問い婚」であり、男が女の家に「夜這い」に行きました)。


ア) 宇治天皇(宇遅能和紀郎子)の母親は、奈良県の「丸迩(ワニ)氏」ですが、仁徳天皇の母親は尾張氏系統と言われます(本当は神功皇后)。また、仁徳天皇の皇后はイワノ姫で、豪族筆頭の「葛城氏」出身であり、その他多くの豪族の支持を得ていたものと想像されます。
 そう言う事で、権力基盤の弱かった宇治天皇は、仁徳天皇に敗れたと思います。


イ) 履中天皇は、仁徳天皇の皇子でしたが、母親が皇后のイワノ姫で、豪族筆頭の「葛城氏」出身であり、履中天皇の皇后も「葛城氏」の娘でしたから、仁徳天皇の次の天皇に即位しました。

 ★ 仁徳天皇の4人の皇子の、履中天皇・住吉中皇子・反正天皇・允恭天皇は、母親が皇后のイワノ姫で、豪族筆頭の「葛城氏」出身でしたが、それぞれの妃の実家の豪族を後ろ盾にして、皇位争奪戦を戦ったものと、想像します。


ウ) 履中天皇と住吉中皇子の皇位争奪戦。

 履中天皇に味方をしたのは、弟の反正天皇・葛城氏・平群氏・物部氏・漢直氏・膳臣などが挙げられると思います。
 対する住吉中皇子に味方をしたのは、羽田氏・安曇氏・倭直氏・隼人族が考えられそうです。

 ★ 結局、大豪族の多数の支持を得た履中天皇が、住吉中皇子を打ち破ったと思います。


エ) 雄略天皇の支持者。

 「若健(ワカタケル)」こと雄略天皇は、若くして崩御したと思われますが、近江の息長氏・越前の豪族・近江の豪族・奈良の三輪君・平群氏・大伴氏・物部氏・吉備氏などの支持を得たと思います。

 そのような経緯を辿って、最後には葛城氏を滅ぼした事に成りそうです。ちなみに、葛城氏の滅亡の背景には、同じ武内宿禰ファミリーの葛城氏と平群氏の主導権争いが有ったと言われます。


D 豪族の支持が無ければ、天皇に成れなかった。(単なる想像です)。

(分りやすいのが、蘇我氏の専横の時代です)。

 「蘇我・物部戦争」では、物部守屋が穴穂部皇子を推し、蘇我馬子は泊瀬部皇子(崇峻天皇)を推して戦争しましたが、物部氏が敗れて、穴穂部皇子は天皇に成れませんでした。

 その後、崇峻天皇が、蘇我政権に反抗したので、豪族会議の「暗黙の了解」の下に、崇峻天皇は「隠れる事」に成りました。
 (この一件を、蘇我馬子の専横だと酷評する研究家がいますが、それは違います。豪族たちや皇族たちの事前の了解の下で、行われた事でした)。

 崇峻天皇の次は、蘇我氏の「持ち駒」が幼かったりして人材が居なかったので、保留にして「推古女帝」に決めましたが、蘇我政権の続投です。

 推古女帝の次の天皇は、(天智天皇・天武天皇の父親の)田村皇子(舒明天皇)ですが、629年の田村皇子の即位の前の626年に、最高権力者の蘇我馬子が死去しました。
 これを機に、蘇我氏内部で権力闘争が始まり、一枚岩の蘇我氏の権勢に影を落とし始めました。
 蘇我馬子の子供の蘇我蝦夷は、聖徳太子の子供の山背大兄皇子を推したかったのですが、他の豪族が田村皇子を支持しているので、仕方なく、田村皇子に決めました。
 このことが、田村皇子(舒明天皇)の子供の葛城皇子(中大兄皇子・天智天皇)の台頭を招き、蘇我氏の滅亡の遠因に成ってしまいました。

 蘇我氏の滅亡の遠因は、蘇我蝦夷に人徳が無かったこと、山背大兄皇子を滅ぼしたこと、蘇我氏の石川麻呂が反対側に回った事などが挙げられるそうですが、本当の所は、どうなんでしょうか。


E (余談として)、仁徳天皇ファミリーから排除されたかも知れない、武内宿禰の最後。(あくまでも一説であり、真偽不明です)。

 「因幡国風土記・逸文・武内宿禰の条」(「万葉緯」所引「武内伝」からの引用)、
    (簡略の翻訳に)、
 『因幡の国の風土記にいう、・・・難波の高津の宮(仁徳天皇)に、天下を治めた五十五年春三月に、大臣の武内宿禰は、御年が三百六十余歳で当国に御下向ありて、亀金(カメカネ)に双(ふたつ)の履(くつ)を残して、御陰所(みかくれどころ)知れずになった。
 聞くところによれば、因幡の国の法美(ホフミ)の郡の宇倍山の麓に神の社があって、宇倍社という。これが武内宿禰の御霊である。昔、武内宿禰は、東方(あずま)の夷(えみし)を平らげて、宇倍山に入った後、終わる所を知らずと云う。

 ☆宇倍社・・鳥取県岩美郡宇部野村宮下の宇部神社(宇倍神社)が比定社か。鳥取市・鳥取城の東南数キロの所か?)。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/526.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の6)・日月神示の研究・「AI(人工知能)が、人間を駆逐する未来観」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「AI(人工知能)が、人間を駆逐する未来観」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 前回の「(その9の5)」では、『AI(人工知能)は人間に勝てない』と題して、「人間の明るい未来」を語りました。

 今回は、その続編として、「人間の暗い未来」について語りたいと思います。ものごとには、表が有れば裏も有るのです。それが「大人」の社会です。「振り込めサギ」が横行する社会なんです。


 遠い未来、すなわち「真実の世界」は、コンピューターに覆われ、あらゆるものがAI(人工知能)・自動化されています。そこで生きていくためには、コンピューター言語を学び、制御を学び、メンテナンスも学ばなければ成りません。


 未来には「アホ」は要らないのです。左手でスマホのメールを送り、右手でパソコンのキーボードを叩き、左耳で日本語を聞き、右耳で英語を聞く能力が必要なのです。


★(結論を先に書くと)、

 第8次太陽系次元は、コンピューターを手足として使う「神人」と、コンピューターに扱(こ)き使われる「家畜人」に、別れるということです。それが、ヒトラーが幻視した2039年かも知れませんが、本当のところは、どうなんでしょうか。


A 日月神示ほか。
 
 「日月神示」は、戦中・戦後に降ろされたから、コンピューターの記述などは有るはずが有りません。その時代の能力・理解力に応じた内容のメッセージを送っているだけです。

 「シリウスの解釈」・「バシャール等ほかの文献」は、一問一答式らしいそうですから、コンピューターの質問が無ければ、回答も無いそうですが、見つかれば追記します。


B そこで、「第8次太陽系次元」の展望として、『AI(人工知能)が人間を駆逐する未来観』について、考えてみたいと思います。

 思い起こせば、人類のコンピューター開発は、「電子計算機」の開発が最初だったと思います。あるいは、大戦中の敵国の暗号の解読だったかも知れません。

 昔のコンピューターは、真空管とかコンデンサを電線で結合し、「丸ビル」一棟分に相当したと言いますが、それで得られたコンピューターの能力は、今のパソコンには遥かに及びませんでした。


C コンピューターが、人間を駆逐した歴史。

ア (工場から作業員を駆逐した歴史)

 昔の製造現場には人が溢れ、まさに「人海戦術」の様相を呈していました。工場長の号令一下、職長・班長・組長などが部下を指揮して、職務に精励していました。

 ところが今は、工場には人が居ません。薄暗い工場には、オートメーションの「ライン」が無言で動いており、溶接ロボットとか組立てロボットが「順次動作」で一糸乱れずに働いています。

 聞こえるのは、コンベヤーの音や、空圧回路システムのエアー配管の排気音くらいです。


イ (熟練工を駆逐した歴史)

 昔は、たとえば金属部品業界では、「旋盤工」・「溶接工」・「熟練工」という言葉が輝いていました。若い見習工が、あこがれた地位であり、熟練工は見習工の何倍もの給料を受け取りました。

 ところが今は、「熟練工」や「工員」という言葉は「死語」になってしまい、必要なのは『NC工作機・自動溶接機のプログラマー・オペレーター・メンテナンス要員』に限られてしまいました。

 すなわち、『生産そのものは機械が行い、機械のプログラムやメンテナンスを人間が行う』という時代になってしまいました。


ウ (スーパーのレジ係も居なくなる)

 (遠い昔にはスーパーが有りませんでしたが)、レジスターが導入されるまでは、勘定はソロバンか電卓か暗算での手動式対応でした。
 機械式・パンチ式のレジスターの登場に人々は驚異しましたが、やがて登場したレーザー式のレジスターに再び驚異しました。

 近未来には、ICタグの付いた商品を、レジを通らずに出口でチェックして、「スマホ・お財布携帯」で自動引き落としにするという時代が来るかも知れません。

 その意味において、コンビニやスーパーなどから、レジ台が消え、レジ係りも消え去るでしょう。
 

エ (自動読み取り装置が、オフィスから人間を駆逐する)

 コンピューターの無い時代、手書きの文章を活字化するキーパンチャー・タイピストは安泰でしたが、ワープロの登場で姿を消しました。

 「エクセル」の無い時代には、経理や総務は安泰でしたが、示された手書きのデータを、コンピューターが読み取って、ワードでもエクセルでもキャドでも、何でも御座れで、プリントまで完了する時代に成りそうです。

 こうなると、事務員は不要になりますし、事務所自体も不要になるかも知れません。やがては、事務所も会社も「ネット空間」にしか存在しなくなるかも知れません。

 (自宅と会社が、あるいは、移動中の携帯電話と会社がネットで繋がり、報告や指示を行うなら、(製造や配送などの「現場」は必要としても)、事務所自体も、やがては不要になりそうです)。


D 科学は発展し、コンピューターも進化する。

 今後の世界は、加速化・高度化して行くでしょう。それらを可能にするためにはコンピューター技術は欠かすことが出来ません。

 医療分野でも、日常生活でも、様々な環境や職場でも、人々が「より快適性」や「より利便性」を求めるなら、「需要と供給のバランス法則」によって、科学は進展し、産業は発展して行くでしょう。

 それらは、間違いなく、機械化・コンピューター化によって達成されます。


E コンピューターが、人間を駆逐する。

 人間は文句を言います。『暑いだの、寒いだの』、『給料が安いだの』、『休みが少ないだの』。ところが、コンピューターや機械は文句を言いません。「長時間労働」で24時間連続でも働きますし、給料を払う必要も有りません。

 そして、仕事が無ければ「ブレーカー」を落として終わりですし、不要になればスクラップにしても良いし、退職金も不要です。また、人命にかかわるような「労災事故」も有りませんし、「労働三法」も適用除外です。

 今後、様々な「現場」では、「サーボ」や「ロボタ」が大活躍し、人間に置き換わることは、予測の範囲内でしょう。

 
F コンピューターは、人間を支配できるか。

 ドラマ・小説では、コンピューターが人間を支配する物語が有りますが、それは不可能です。コンピューターは機械に過ぎず、あらかじめプログラムした範囲内でしか動作できません。

 (つまり、基本設定の中で「保護回路」とか「遮断回路」などを、物理的なハードで設置すれば、ソフトが暴走しても、ハードに打ち勝つことは出来ません)。

  (もちろん、サイバー戦争であれば、相手方のコンピューターを攻撃することは可能ですが、双方とも「ファイヤー・ウォール」を構築するでしょうから、どうでしょうか)。


G コンピューターを支配する人間と、管理される人間に分かれる。

 未来は、コンピューターを自由自在に操作できることが、最低限の「人間の要件」になるでしょう。

 高度な人間は、プログラムし、メンテナンスし、さらには次世代型モデルを開発するでしょう。小学生の「工作」の授業で、パソコン・スマホの分解組立が必修項目になるかも知れません。


H 機械やコンピューターは、人間を不幸にするのだろうか。

 機械やコンピューターの発達の「果実」が、パソコン・携帯電話・自動車かも知れません。

  『パソコンの無い毎日は、幸せですか』、『携帯電話やメールの使えない環境は、幸せですか』、『通勤や、買い物や、旅行に、マイカーの使えない生活は、幸せですか』。

 人間の利便性のために科学が進歩し、機械やコンピューター技術が発達した歴史が有りますが、それは同時に、人間を駆逐するという反作用をもたらしました。

 過去の「省エネ」・「省力化」が、幾多の人間の雇用を奪いましたし、これからの精密化や高度化は、「能力的に付いて行けない人間」の雇用を奪うでしょう。

 「能力的に付いて行けない人間」の要らない世界が、「第8次太陽系次元」かも知れません。


(その意味において)、人類は、果てし無いコンピューター開発競争を行う事でしょう。

 我が神国日本は、『月月火水木金金』、『欲しがりません、勝つまでは』をスローガンに、欧米列強と戦わなければ成らないのです。それが「第8次太陽系次元」なのです。


I 遠い未来には、人間の脳が、パソコンになる。

 今の人間の脳で、使われているのは10%だとかの説も有りますが、遠い未来には、人間の脳にパソコンが埋め込まれるでしょう。

 私たちが、「遠い未来」(真実の世界)に目覚めた時、スーパーコンピューターの脳を持つ「神」に成ります。


J★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/527.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の58)・「雄略天皇は短命で、傀儡政権だった」

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「雄略天皇は短命で、傀儡政権だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、何の根拠も無い、単なる「想像」に過ぎません。

 まあ、想像で物を言っているのは「学者の常」で有りまして、敗戦後には「騎馬民族渡来説」が猛威を振るった事も有りましたし、「九州王朝説」も脚光を浴びた事も有りました。


 誰が何を言おうと、それは「言論の自由」であり「表現の自由」です。大事な事は、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で精査することです。


A 雄略天皇は短命だった。

 雄略天皇の名前は、古事記では「若健」(大長谷若健)です。「大長谷の宮」の伝承地は奈良県桜井市黒埼または岩坂あるいは初瀬(はせ)と言われています。長谷寺に行く途中の谷間です。

 「丹後国風土記・逸文・浦の島子」では、雄略天皇を「長谷の朝倉の宮に天が下を治めた天皇」と呼んでいます。朝倉は上記と同じく、長谷寺に行く途中の谷間です。

 「日本書紀」では、「大泊瀬幼武天皇」(オオハツセ・ワカタケル)と呼んでいます。伝承地は奈良県桜井市初瀬(はせ)で、上記と同じく、長谷寺に行く途中の谷間で、長谷寺の近くです。


 以上の総合から、雄略天皇は若かった。そして、天皇の名前は、記紀神話編集委員会が、生前の業績・エピソードなどを勘案して、ふさわしいニックネームを付けているのです。
 もちろん、天皇の実名では有りません。天皇が実名を公開しませんから、分りません。


B 雄略天皇は、478年に崩御した、らしい。

 日本書紀・雄略天皇・即位20年に『廿年冬、高麗王、大發軍兵、伐盡百濟。・・』とあり、「高句麗が大軍で百済を滅ぼした」、と書かれて有ります。
  その続きには『・・百濟記云「蓋鹵王乙卯年冬、狛大軍來、攻大城七日七夜、王城降陷、遂失尉禮、國王及大后、皆沒敵手。」とあり、「百済記によれば、蓋鹵王(カフロ・オウ)の乙卯年(475年)の冬に、狛(高句麗)が来て、云々」、とあり、475年に百済が滅亡したことに成ります。

 そして、雄略天皇・即位23年に『廿三年夏四月、・・・八月庚午朔丙子、天皇疾彌甚、・・・崩于大殿。』とあり、即位23年8月に崩御しています。(これは日本書紀・清寧天皇・即位前期にも『廿三年八月、大泊瀬天皇崩。』と有ります)。

 よって、即位20年が475年だから、即位23年は478年に成るわけです。また、継体天皇の即位が507年ですから、前後の関係から考えて、多くの研究家が「478年崩御説」を支持しています。

 (祖父の仁徳天皇が390年代の初めに生まれ、父親の允恭天皇が420年代に生まれ、雄略天皇が450年前後に生まれたと推理しますが、本当のところは、分かりません)。


C 雄略天皇は、ハプニングで天皇に成ったに過ぎない。

ア) 雄略天皇の父親の允恭天皇が崩御した後は、お決まりの「皇位争奪戦」が勃発しました。

 允恭天皇の次の天皇には、仁徳天皇と「日向の諸縣の君の牛の娘の髮長媛」の間に生まれた「大草香皇子」が筆頭候補に上がりました。これに対して、仁徳天皇の子供の「允恭天皇の遺族グループ」が反発しました。

 (雄略天皇の兄の安康天皇から見ると、大草香皇子は「叔父さん」に成る訳で、順序から見ると順当なのですが、政権を失うと、いつ殺されるか分りませんでした。
   つまり、
 「血を血で洗う」乱闘の時代でしたから、権力を失うと、「政敵」として抹殺される危険が有ったためです。それに、十分な収入源を断たれてしまうと「三度の飯」にも困ります)。


イ) このような背景から、「允恭天皇の遺族グループ」が、様々な謀略を使って、大草香皇子の排除に成功して、次の天皇には、允恭天皇の子供の安康天皇が即位する事に成りました。

 そのことによって、ほとんど場外に居た若健皇子(雄略天皇)が歴史の表舞台に登場する事に成った訳です。この時の若健皇子は未成年の子供だったと想像されます。


ウ) 雄略天皇の兄の安康天皇が、マヨワ王に殺害される、ハプニング。

 雄略天皇の兄の安康天皇が、先に蹴落とした大草香皇子の子供のマヨワ王に殺されるというハプニングが発生しました。

 この異常事態に対して、「允恭天皇の遺族グループ」が一斉に反発し、復讐戦を行い、マヨワ王を殺し、大草香皇子の一族をボコボコにし、マヨワ王を支持した葛城氏も滅ぼしてしまいました。


エ) 雄略天皇の即位の前に、市辺天皇が立ちふさがった。

 安康天皇の不名誉な崩御の後には、雄略天皇が即位した訳では有りません。

 仁徳天皇の子供で、雄略天皇の「伯父さん」に当たる)履中天皇の、その子供の市辺之忍歯王(イチヘノ、オシハオウ)が、市辺天皇として即位しました。
  (つまり、安康天皇・雄略天皇・マヨワ王・市辺天皇は、「いとこ」の関係です)。

 雄略天皇が即位できなかったのは、この時、未成年の子供だったから、天皇に成れなかったのです。(想像です)。
 (もしも、成人であったなら、「允恭天皇の遺族グループ」が推挙できたが、未成年では推挙が出来なかったと思うからです)。


オ) 謀略の末に、雄略天皇が即位して、オケ・ヲケの2人の幼子は刺客に怯えた。

 市辺天皇の短い乱闘の時代を経て、謀略によって、ついに、雄略天皇が即位しました。

 この時、市辺天皇と、弟の御馬皇子が殺されました。市辺天皇の幼いオケ・ヲケの2人の皇子は、舎人の日下部連に連れられて、着の身着のままで、逃げるだけ逃げて、日下部連の領地の有った丹後国与謝郡に隠れました(顕宗紀・穴穂天皇三年の条)。
 その後、忍海部の屯倉が有った兵庫県の山奥の播磨国シジミの代官の忍海部造に匿われて、隠れて生き延びました(顕宗紀・穴穂天皇三年の条)。
 やがて、時が移り、雄略天皇の遺児の清寧天皇が、妻子無く若くして崩御すると、(オケ・ヲケの叔母説と姉弟説のある)飯豊皇女(忍海郎女)が、忍海角刺宮でリリーフの女帝に立ちました。オケ・ヲケの2人の皇子は、奈良の都に復帰して、弟のヲケ皇子が顕宗天皇に、続いて兄のオケ皇子が仁賢天皇に即位しました。

 (飯豊皇女(忍海郎女)の忍海角刺宮と、忍海部の屯倉の播磨国シジミの忍海部造は、「忍海」で繋がっています。
 また、オケ・ヲケが政権に復帰すると、雄略天皇の支持母体だった平群氏は、ボコボコに復習されました。(古事記)。


 ★ 本当のところは、このオケ・ヲケの出自は謎です。兄弟の関係も分かりません。家族関係も信用できません。何もかもが、「闇の中」です。記紀神話の記述は信用できません。


D 葛城氏の滅亡と、マヨワ王の関係。

ア) 葛城氏は、いつから、マヨワ王を支持したのか。

 (古事記によると)、マヨワ王が安康天皇を殺害した後で、葛城氏の家に逃げ込んで、雄略天皇の軍隊に、マヨワ王と共に葛城氏も滅ぼされた事に成っていますが、実は、違うのではないか。

 本当は、葛城氏はマヨワ王を支持していた。あるいは、それ以前に、マヨワ王の父親の大草香皇子の天皇即位を支持していたのではないかと、疑うのです。

 だから、雄略天皇は、葛城氏が許せなかったので、葛城氏を攻め滅ぼした。

 (しかし、本当のところは、雄略天皇には力が無くて、「雄略天皇の支持グループ」が葛城氏を滅ぼそうと画策した。そして、葛城氏が持っていた権勢を奪い、領地や財産の全てを奪い去った。だからこそ、葛城氏を上回る大軍を動員できた)。


イ) 「反葛城氏のグループ」。

 葛城氏のルーツは、神功皇后時代に大臣として権勢を振るった「武内宿禰」ですが、武内宿禰には、葛城氏・羽田氏・許勢氏・蘇我氏・平群氏・紀氏・若子宿禰の7人の男子と2人の女子がいました(古事記の説)。

 仁徳天皇の孫の雄略天皇の頃には、葛城氏も、武内宿禰の孫の世代になっており、「武内宿禰ファミリー」も複雑な権力闘争が発生していました。

 つまり、(日本書紀の記述を読むと)、雄略天皇の支持母体には、平群真鳥が大臣に成り、その他には、近江の息長氏・越前の豪族・近江の豪族・奈良の三輪君・大伴氏・物部氏・吉備氏などが挙げられます。

 それから、武内宿禰の子供で葛城氏初代の「葛城襲津彦」の子供は、「葦田」「玉田」「的戸田」に分かれ、雄略天皇に滅ぼされた「円(ツブラ)」は「玉田」の子供との説が有ります。
 ですから、葛城氏の一つを取って見ても、複雑な内部事情・権力闘争が見られます。


ウ) 「武内宿禰ファミリー」は、神功皇后の時代には武内宿禰が隆盛し、仁徳天皇の時代には葛城氏が隆盛し、雄略天皇の時代には葛城氏に代わって平群氏が隆盛し、オケ・ヲケの天皇時代には平群氏が滅ぼされ、継体天皇の時代には許勢氏が隆盛しました。


E 雄略天皇の、人物像。

 記紀神話に残されたイメージでは、「若い」「幼い」「健」「武」「猛る」です。ここから連想されるのは、「ワンパク」であり「やんちゃ」であり「暴力的」であり「狂気」です。

 雄略天皇が生まれ育った時代は、朝鮮半島情勢が緊迫化し、度々の「朝鮮出兵」に豪族たちがヘトヘトに疲れ、ついには、吉備氏が朝鮮で任務をボイコットする事件も発生しました(日本書紀・雄略天皇即位7年の条)。また、百済の滅亡(日本書紀・雄略天皇即位20年の条)と復興の動乱の時代でも有りました。
 また、その他の豪族たちも、無茶苦茶な朝鮮経営を続けたと思います。

 国内では、皇位争奪戦で、皇子や豪族たちが、敵味方に分かれて乱闘を続けていました。そんな時代に、雄略天皇が生れ育った訳です。ある意味において、雄略天皇は「哀れ」でも有ります。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/529.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] (その6の58−2)・「今回で、終了です」

@ 「記紀神話で遊ぼ」シリーズは、今回で終了します。

 昨年の11月20日から1年以上にわたって投稿してきた記事ですが、今回で終了です。その理由は、それ以降は「神話」とは言えない時代に入りますから、投稿の趣旨に反します。

私の投稿の趣旨は、あくまでも、『お花畑として、記紀神話で遊ぼ』、です。また、それ以降の歴史は、数多くの文献も残されており、史実に反した『エー加減な記事』が書けないからです。


A 「疑問」を持つことが、大事です。

 多くの「記紀神話」研究家は、古事記を基に研究します。日本書紀との違いを見ても、多くは、無視します。

 また、「先代旧事本紀」に出会っても、「偽書説」に洗脳されているから、受け付けません。また、各地の神社の伝承にしても、「我田引水」、「自画自賛」だろうと、無視します。


(風土記との出会い)

 ところが、「風土記」に書かれた内容が、記紀神話に類似するとき、あるいは、「違和感」を覚えるときに、「探究心」が呼び覚まされます。

 風土記は、和銅6年(713年)に、元明天皇の勅命により、日本全国の国司に撰上を命じました。(古事記は和銅5年(712年)、日本書紀は養老4年(720年)でした)。

 提出された文書は「解文(ゲモン・ゲブミ)」と題する報告書であり、歴然たる「公文書」でした。当然、公文書ですから、嘘や創作などは許されませんし、右大臣の藤原不比等を筆頭として、民部省の役人が精査したはずです。

 すると、『風土記に書かれている事は、事実かも知れない』。『公文書だし、中央から派遣された国司が決済して中央に送っているのだから、わざわざ、嘘の創作をする理由も必要性も無い』。

 このように、「小さな」疑問を持つ事が、探究心の出発点に成る事が有ります。


B 老婆心ながら。

 古事記も、日本書紀も、ウソの「てんこ盛り」です。真実と逆のことも書かれて有ります。本文がウソで「一書」が本当のことも有ります。無関係な挿入文や歌に「なぞなぞ」が含まれています。系図もデタラメです。親子兄弟関係もイー加減です。

 ですから、数多くの文献を重ね合わせ、時代考証に照らし、民俗・風習も考え、客観的に、合理的に、論理的に検証すべきだと、思います。


終わります。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/530.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の7)・日月神示の研究・「位置を変換して、アセンションに旅立つ」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「位置を変換して、アセンションに旅立つ」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 私たちは、間も無く、アセンションのために、この世を旅立ちます。ところが、アセンションするためには、儀式が必要に成ります。儀式を完了しないと、うまくシステムが機能しないようです。

 そこで、今回は、この儀式について、考えてみたいと、思います。


★ それから、私の記事は、「いっさい質問禁止」です。単なる「思いつき」で、「エー加減」な記事を書いているだけなので、回答能力が有りません。


A 日月神示ほかの参考文献等。

 「日月神示」には、『世の建替と申すのは、身魂の建替へざから取違ひせん様致されよ、・・』(青葉・15)。『岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。』(下・13)。

 「シリウスの解釈」によると、変換が完全になると肉体が削除される、らしい、そうです。

 「バシャール等ほかの文献」の読者によれば、地球はアセンションするし、未来には肉体が非物質に変化するようだ、との感想が見られるようです。


B 位置を変換すれば、「体主霊従」から「霊主体従」に、世界が変る、らしい。

 今の私たちは、肉眼を通して外面性の世界を見ています。そこに見える世界は分断された世界であり、「固体」として映し出された世界でも有り、「体主霊従」の世界でも有ります。

 つまり、自分と対立・並立する世界が存在し、物理法則に支配された世界が見えます。そこで生きて生きていくためには「死闘」を演じなければ生きていくことが出来ません。


C 位置を変換すれば、「個人主義」から「全体主義」に、世界が変る、そうだ。

 上述の通り、今は外の世界を見ていますが、これを180度変換させて、今度は逆に、自分の内面性に「視線」を移すと、体内の無数の細胞が助け合う世界が映し出されます。

 そこに見える世界は、「全体」として統一された世界であり、内臓秩序に支配された世界です。そして、自分と調和する世界が存在し、互いに助け合う世界が見えます。そこには「分かち合い」と「愛」が満たされています。つまり、「霊主体従」の世界が展開されます。


D 「奪い合い世界」から、「分かち合う世界」への、位置の変換。

 私たちは、今、「第7次太陽系次元」の終了に際して、視線の「位置」を、今までの「外面性」から「内面性」に変換させています。それは同時に、外面性の「奪い合う世界」から、内面性の「分かち合う世界」への「意識の変換」でも有ります。

 (ある意味において、位置の変換とは、「涅槃寂静」の世界に入ることかも知れません。「涅槃寂静」とは「ニルバーナ」のことですが、「吹き消す」意味です。今の自分を吹き消すのです)。


E つまり、「位置を変換してアセンションに旅立つ」とは、「第7次太陽系次元」という外面の世界を見ている自分が、その「夢」と決別して、今度は、内面の精神世界に意識を変換させて、新たな「夢」の世界に旅立つことかも、知れません。

 (物質世界と決別する訳ですから、当然、今の物質的肉体も削除されることに成ります)。


 『宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神のヒナガタと申してあらう。』・(日月神示・冬・01)。

 『物質界は、霊界の移写であり衣であるから、霊界と現実界、又 霊と体とは殆んど同じもの。同じ形をしてゐるのであるぞ。』・(日月神示・冬・01)。
 

F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/533.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の8)・日月神示の研究・「意識を反転して、故郷の高天原へ、帰ろう」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「意識を反転して、故郷の高天原へ、帰ろう」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、私たちは、今は、青人草(人間)の姿をしていますが、元々は、高天原に住む「神々様」の一員だったのです。(本当ですよ)。

  (★「シリウスの解釈」によると、高天原とは、人間に覚醒が起きた時に、新しい次元を送り出していくための最初の位置のような出発原点のようなイメージらしい、そうです)。

 そこで、今回は、前回の「位置を変換してアセンションに旅立つ」の続編として、高天原に帰るための「復帰動作回路」と「インターロック回路」について、考えてみたいと、思います。

 ★ 科学知識は大事ですよ。科学も知識も「知恵」に含まれる「観念的競合」かも、知れません。(意味不明)。


A 初めに、今回の記事の、まとめから。

 今回は、色々と難しい記事を書きますが、初めに、簡単にまとめると、『いつでも転換できるように、一切の執着を捨てて、意識を中立に戻しておきなさい。』と言う事です。

 そうしないと、ショックを受けたり、場合によって、うまく接続できない可能性が有ると言う事です。


B 日月神示ほかの参考文献等その他。

 「日月神示」には、『釦(ボタン)一つで でんぐり返ると申してあること、未だ判らんのか。』(黄金・18)。

 「シリウスの解釈」では、ある研究者は、『交替化は必然的に起こるものではなく、人間の意識の方向性が重要である。すなわち、意識を精神化に「変換」した後に、その意識を反転させて、肉体の削除を行い「半霊半物質」(つまり幽霊)になり、ヒトに転換する、のでは、なかろうか、と思っている』、と言うコメントが有るらしい、そうです。

 「バシャール等ほかの文献」は、今回は「国内問題」です。「外国の神」には頼りません。パス。


C 変換の仕組みと、転換の仕組みの、メカニズムを、研究してみよう。

ア) 始めに、物質化とか物理法則とか言っていますが、真実において、この世は、意識・想念で出来ているから、物質世界では無く、「観念」の世界だという意見が有るそうです。


イ) 変換と転換の「限時動作回路」と「インターロック回路」を、自動車の運転に例える。

 例えとして、『自動車を運転して、前進から後進(バック)に切り替える動作』、を考えてみます。(ここでいう自動車を人間(人体)に、運転者をヒト(霊魂)だと、想像して下さい)。
  (それから、限時動作回路・インターロック回路は電気学の理論ですが、電気は難しいので、分かりやすい自動車に例えますので、少しの違和感が有ります)。

 ★ ここで、今の前進走行をプレアデス(物質化)の方向に働く力と考え、減速する行為は変換(つまり反対に働く力)であり、後進(バック)に切り替えることを転換(反転)と考えて下さい。


ウ) 始めに、車が前進ギアに入って前方に走行していますが、バックするためにはブレーキを掛けて停車させた後に、ギアをバックに入れなければ成りません。

 この、今の前進走行が人間生活ですが、ブレーキを掛けて減速して停車させる行為を、「変換する動作」(変換の仕組)と考えます。
 つまり、バックするためには、停車させる行為(ニュートラルに戻す行為)が終了して初めて、バックギアを入れることが可能に成るわけです。この順次動作を「限時動作」と考えます。
 そして、完全に停車して(出発原点に戻って)、バックに入れて(転換して)、再び、後進(バック)の形態(つまりヒトに反転して新たな創造活動を行なう事)で走行することに成ります。


 「限時動作」というのは、ある動作を完了して初めて、次の動作に移ることが可能に成る概念です。
 「インターロック回路」というのは、例えば、前進中にバックギアが入らないような、安全装置・保護装置のような仕組みです。もしも、前進中にバックギアが入ると、車が壊れます。
   人間に例えると、
 プレアデスの人間世界を満喫中に、突然「お陀仏さん」に成って高天原に転送されると、訳が分からなく成るから、プレアデス(物質化)を止めさせて、出発原点に戻して、オリオン(精神化)に向けて、スタンバイさせます。
  (★なお、来次元は、
 太陽系全体の総入れ替えらしくて、誰が何処に行くか分からない、ようです(「シリウスの解釈」)。

 
 ★ 何で、電気の限時動作・インターロックを持ち出したかと言うと、私たちの「VRゲーム」が、いわゆる「量子コンピューター」で作られているからであり、基本は「電気回路」だからです。

★★ 何度も同じことを言いますが、科学を理解できない人は、「第8次太陽系次元」に進級できません。高天原に取り残された人は「ノリト」や「ネンブツ」を唱える生活になるかも、知れません。

  「第8次太陽系次元」は、欧米列強と、AI(人工知能)の壮絶な開発競争の激戦を戦うのです。


D それから、今のAI(人工知能)やら、原子力開発やら、諸々の科学は、来次元に継続します。

 『今の文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ、取違ひ慢心致すなよ。』(風・05)。

 『・・、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、・・・』(地・11)。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/537.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の9)・日月神示の研究・「肉体の削除が、いつなのかは、重大問題だ」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「肉体の削除が、いつなのかは、重大問題だ」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 「シリウスの解釈」によると、『変換が完全になると肉体が削除される』、らしい、そうです。

 肉体の削除というのは、「半霊半物質」に成るという考え方も出来そうですが、地球を旅立つという意味も有り、重大問題なので、今回は、この問題を考えてみたいと思います。


A 日月神示の考え方。

 『人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみ このままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。(星座・08)。

 『一時は天も地も一つに まぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、』。(富士・19)。


★ 日月神示の考え方は、「大峠」で破局が来て、「お陀仏さん」になり、身魂の磨けた人が救い上げられてアセンションするようですが、「いつ」ということが見つかりません。
 また、「シリウスの解釈」で言うところの「位置の変換が完全になる時」も、よく分かりません。
   そして、
 『三十年で世の立替いたすぞ。』(秋・01)と有りますが、「マヤの2012年」の翌年から計算すると、
  2013年 + 30年 = 2043年 、になり、『辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。』(下・30)の2041年に近接していますが、「位置の変換が完全になる時」の事かは、不明です。


B 「シリウスの解釈」の考え方。

 1つの次元が13,000年有って、6,500年で交替する考え方のようですが、(別の説には2倍の26,000年の4交替のようですが)、2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まる、らしいそうです。

 ただ、「位置の変換が完全になる時」については、見解が分かれており、『2025年頃からの転換開始に合わせて変換が完了する』という意見と、『変換の完了と転換開始は別個のものであるから、2025年を意味しない』という意見が有るようです。

  そして、上記@で述べたように、『変換が完全になると肉体が削除される』、らしいそうです。


C 「バシャール等ほかの文献」の考え方。

 ある読者によると、「2025年」とか「2037年」とかの年代は登場するものの、「位置の変換」の話では無い。物質次元が、やがて崩壊することの言及は有るようだ、との感想が、聞かれる、ようです。


D 肉体の削除は、個人により異なるのではないか、という疑問。

 「シリウスの解釈」でいう、『変換が完全になると肉体が削除される』と言うのは、全員が同時に削除されるのではなく、その時期は一人一人が異なっているのではないか、という疑問が生じます。


E 2037年か、2039年か、2041年か知りませんが、地球を旅立つ事だけは、確かなようです。

 「意識の変換の完了」と平行して、「転換の仕組み」が2025年頃から始まるそうですが、『今の物質世界(人間世界)は、ヒトの集合意識が作り上げたものだ』とするなら、集合意識が転換(反転)すると、今の物質世界は消滅することになり、物質的肉体も消滅するから、「肉体の削除」と言う事に成りそうです。

 (★ 前回の(その9の8)の中で、『意識を中立に戻しておきなさい』と述べましたが、中立に戻すことが、必ずしも、「変換の完全化」(意識変化の完全化)を意味するものでは有りません。
 ですから、2025年頃からの転換開始が進行する中で、変換も完了されて、肉体の削除が行われるのかも、知れませんが、そのあたりは、どうなんでしょうか)。


 肉体の削除の開始が、2025年なら残り7年ですし、2037年なら残り19年ですが、どうでしょうか。


F 日月神示。

 『、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、』(五葉・16)。

 『肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ。』(松・22)。

 『肉体あるうちには、中々改心は出来んものぢゃから、身魂にして改心するより外ない者 沢山あるから、』(風・10)。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/541.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の10)・日月神示の研究・「残念だが、グレイは実在しない、らしい」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「残念だが、グレイは実在しない、らしい」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 グレイというのは、有名な宇宙人のことで、テレビの特番のトップスター的存在で、オカルトファンなら誰でも知っている宇宙人ですが、残念ながら、グレイなる者は、実在しないかも、知れません。

 そこで、今回は、グレイの虚実を探ってみたいと、思います。


A★ それから、私の記事は、「いっさい質問禁止」です。その日の気分で、「エー加減」な記事を書いているだけなので、難しい質問をされたら、困ります。質問しても回答しません。


B 日月神示ほかの参考文献等。

ア) 「日月神示」に、グレイなんか載っている訳が有りません。


イ) 「シリウスの解釈」によると、グレイについては、まだ分析中で、研究途上のようです。

 ★ ある研究者によると、『人間(ヒト)の集合意識が生み出したものではないのか。あるいは、グレイはオリオンに繋がっていないから精神(魂)を持っていないのではないのか』、と言うような意見も聞こえる、そうですが、どうなんでしょうか。

 (研究中で、よく分からないそうなので、詳しいことが分かったら、追記したいと、思います)。


C オリオンが生み出したものと、人間が生み出したものの、違い。

 「シリウスの解釈」では、オリオンが生み出したものには精神(魂・霊魂)が存在するようです。たとえば人間やヒトには精神(魂・霊魂)が存在します。

 (厳密には、ヒトの乗り物が人間ですが、人間(ヒト)が間接的に生み出したものには、オリオンの直接関与が無いので、精神は無い、らしい、そうです)。


D 「日月神示」の考え方。

 『神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。・・・人間は霊界より動かされるが、又 人間自体より かもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ。人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。・・・』(冬の巻・第一帖)。

 ★ (一つの解釈として)、神霊界・幽界・人間世界の3つが有る。人間は霊界(ヒト)が動かす。そして、人間の思考は霊界に反映されるが、人間の想念が幽界(幽霊)を生み出すことが有る。
  そして、
 この、人間が生み出した幽界(幽霊)は、神霊(オリオン)との繋がりが無いから、精神(霊魂)を持たない。ゆえに、「第7次太陽系次元」の消滅と共に、消え去る運命に有る。

 
E 本当のところは、どうなんでしょうか。

ア) 否定説によると、グレイは、人間の想念が生み出した宇宙人の可能性が有り、幽霊と同じで、見える人には見えるが、見えない人には見えない。だから、真実の意味において、実在しない説。

 (★ つまり、「第7次太陽系次元」のプレイ中は(人々の脳裏に)存在できても、次元の消滅に際して、人間(ヒト)は残ってアセンションするが、グレイは次元と共に消え去る運命に有る。
   だからと言って、
 決して意味が無い訳ではなく、霊界のヒトの意識と繋がっているので、人間が知らない様々な事を教えてくれるから、非常に重要な役割をしている、かも知れません
   また、別の少数意見によると、
 ★ グレイはヒトが生み出したものだが、(オリオンが間接関与して)ヒトの意識を通じて人間を操作している。そこには、オリオンが、今後の人類を導く明確な意図が隠されている)。


イ) 肯定説によると、『いやいや、グレイは実在する。良い宇宙人と悪い宇宙人が居るように、様々な宇宙人が地球を訪れているから、グレイは必ず実在する』、という意見が有るようです。


ウ) グレイについては、肯定説と否定説が有るようですが、本当のところは、どうなんでしょうか。


F おまけ。 (「日月神示」冬の巻・第一帖)。

 宇宙は霊の霊と物質とからなってゐるぞ。・・・霊的自分を正守護神と申し、神的自分を本守護神と申すぞ。幽界的自分が副守護神ぢゃ。本守護神は大神の歓喜であるぞ。・・

 神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。・・・神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す。幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ。

 ・・・ 総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。

 ・・・ 霊界に於ける自分は、殊に先祖との交流、交渉深いぞ。・・・その祖先霊は神界に属するものと幽界に属するものとあるぞ。中間に属するものもあるぞ。 ・・・


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/546.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の11)・日月神示の研究・「プレアデス、アヌンナキ、ニビルの、考察」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「プレアデス、アヌンナキ、ニビルの、考察」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 最近のネットを調べますと、様々な「新種の宇宙人」が登場していますが、昔は、宇宙人と言ったら『火星人』くらいしか登場しませんでした。

 そこで、今回は、前回の(9の10)の「残念だがグレイは実在しないらしい」に引き続いて、プレアデス、アヌンナキ、ニビルについて、考えてみたいと思います。


A 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 「日月神示」には、宇宙人は、ほとんど登場しないようです。見つかれば、追記します。


イ) 「シリウスの解釈」では、ある研究者によると、オリオンとかプレアデスとかは登場しますが、宇宙人と言うよりは、「物質化」とか「精神化」とかの「精神の方向性」のようなイメージがする、そうです。


B 戦前には、宇宙人は出現しなかった、ようだ。

 戦時体制が敷かれて出版の検閲が強化される前の、昭和の1ケタごろには、日本でも「オカルト愛好家」が居て、様々なオカルト本が出版されていたようです。

 残念ながら、何冊かのオカルト本とか、宗教書とか、世界の神話などを見たのですが、宇宙人の話は出てこないようです。見つかれば追記します。


C アヌンナキは、「バビロニア」の神話に登場しているようだ。

 (戦前に発行された)古代バビロニアの神話に、「天空の神・アヌ」や、「エンリル」、「エア(エンキ)」などの様々な神々が登場しますが、これが「アヌンナキ」のことかも知れません。


ア) (天地人の創造と「二ビル星」の話)。(★上記の古代バビロニアの神話より)

    簡略の一部ですが、
 (アヌの孫で、エア(エンキ)の子供の)メロダック(Merodach・マルドーク)が、「神々の戦争」に勝利して、初めて、天と地を造って世界を創造した。(その後、エアが人間を作った)。深淵にはエアの宮殿を造り、天上にはアヌの宮殿を造り、空の真ん中にエンリルの宮殿を造った。
 メロダックは、黄道帯に星を作り、1年を12ヶ月に分け、1ヶ月ごとに3つの星を作った。
 メロダックは、「ニビル(Nibiru・木星」を自分の星に定めた。

 ★ 古代メソポタミアの占星術とか社会認識では、木星はメロダック(マルドーク)の星であり、惑星ニビルのことだったのかも、知れませんが、本当のところは、どうだったのでしょうか。

  (言葉あそび) 木星・ニビル → イビル → イビラー → ジュビラー → 木星・ジュピター

  たとえば、シュメール語の「イナンナ」は、アッカド語の「イシュタル」(ishtar)、らしい。


イ) (ギルガメシュと洪水伝説)。(★上記の古代バビロニアの神話より)

   大洪水の神話として、
 ユーフラテス川沿いのシュリパク(shurippak)の町で、神々が、大洪水で人間を滅ぼそうとした時に、エア神が、人間に「箱舟」を作らせて助けた話が載っています。


D アヌンナキ神話と、日本民族のルーツや「記紀神話」との類似性の、指摘。

ア) 戦前に、日本人のルーツとか、記紀神話の神々の起源を、メソポタミアに求める研究が行われていたようです。

イ) たとえば、天神アヌは「アメの何とかの神」とか、、日神のウツ・ウトは宇都・宇豆・珍とか、、海神のエア・ヤーは八幡・山津見とか、、水神のアッダは阿多・熱田・和多津見とか、、海神のチアマトはチマタ神とか、、南風神のシューチは塩土神とか、、月神のシンは信濃とか、、火神のアグは英虞湾・秋葉・安芸・明石・愛宕とか、、火神のナブは丹生とか、などなど。

ウ) 上述の、メロダック(Merodach・マルドーク)の指摘について。
    (真偽不明で、要確認だと断っておきますが)、
 メロダックは、アッカド語で「太陽の牛」を意味し「アマルトウ」であり、「バアル神」と同義語の説が有るそうです。この「アマルトウ」は「アメの何とかの神」の事だと言う「トンでも説」が有ります。
   そして、
 牛を象徴的な動物としているところから、「牛頭神」「牛頭天王」のことだ、「スサノオ」のことだと言う「訳の分からん説」も有る、そうですが、どうなっているのでしょうか。

 
E ヒトラーの前に現われた宇宙人は、何者か。

 ヒトラーの前に宇宙人が現われて、様々な指示を行ったことは、オカルト・ファンなら誰でも知っている有名な話ですが、この宇宙人が何者かについて、研究する人が有るようです。

 一説では、宇宙人ではなく、「変換人」とか「人間の反対」ではないかと言う意見が有るようですが、本当のところは、どうなんでしょうか。


F 大事なことは、宇宙人そのものでは無く、そのメッセージです。

 彼ら(宇宙人・知的生命体)は、必要が有る時には、古代人に対しては「神様・仏様」の形式で出現しましたが、現代人は神仏を信仰しなく成ったので、新たなタイプで出現しているようです。

 大事なことは、宇宙人そのものでは無く、そのメッセージです。有用なメッセージであれば、その宇宙人は「ホンモノ」であり、アホな事を言ってきたら、その宇宙人は「ニセモノ」です。


G アヌンナキは、どこから来たのか。

 そんなものは、どこから来ようと、どうでも、いいんです。どうせ「VRゲーム」なんだから。映画のプロローグ(前口上)・ナレーションのようなものです。脚本なんです。シナリオなんです。

 ★★ (毎回の冒頭に載せているように)、遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)なんです。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/550.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の12)・日月神示の研究・「大宇宙は、太陽系しか無かったという、小さな物語」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「大宇宙は、太陽系しか無かったという、小さな物語」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 夜の静寂(しじま)に煌(きら)めく満天の星を眺める時、その宇宙の雄大さに、思わず心が惹(ひ)かれるというものですが、この宇宙が、ホログラムの宇宙だったとするなら、驚くばかりです。

 そこで、今回は、この「作り物の宇宙」の謎に迫ってみたいと、思います。


A★ それから、私の記事は、「いっさい質問禁止」です。「エー加減」に書いているので、「エー加減」な気分で読み流してください。質問されたら困るし、回答もしません。


B 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示には、宇宙に関する記述は少ないようです。こんなものしか見つかりませんでした。

 『宇宙は人間の心のままと申してあらうが。宇宙は未完成のものと申してあらうが。永遠に未完成であり、弥栄であるぞ。』(黒鉄・37)。

イ) 「シリウスの解釈」では、ある研究者は、『宇宙は、太陽系までしか作られていないようだ』。はい、お仕舞い。

ウ) 「バシャール等ほかの文献」の読者によれば、『宇宙は、ホログラフィーのようなものらしい』。はい、お仕舞い。


★ 宇宙は人間の心のままだとか、宇宙は太陽系までしか作られていないとか、宇宙はホログラフィーだとか、何を言っているのでしょうか。大丈夫でしょうか。理解に苦しみます。

 宇宙が『太陽系までしか実在しない』と言うなら、シリウス人とか、プレアデス人とかの宇宙人は、いったい、どうなるんでしょうか。彼らの人権や生存権は保障されるのでしょうか。


C 夜空に輝く星は、単なる「イルミネーション」でしか、なかった。

 夜空の星は、『人間が死ぬと星になる』という考え方が、一般に浸透しているようですが、「トンでも論」によれば、『人間が生まれると新しい星が生まれ、死ぬと流れ星になって消えてゆく』。
   つまり、
 仮に今の人類が80億人いるならば、80億の星が存在する。ゆえに、古代には人が少なかったから、星の数も少なかった。そして、宇宙は太陽系までしか実在せず、夜空に輝く星は、実は、天幕に映し出されたイルミネーションでしか無かった。


D 星座とは、地球の運行表であり、タイム・スケジュールだった。

ア) 星座の、素朴な疑問。

 夜空の星は満天に輝いているが、どーして、ある特定の星々を抽出して、それを結びつけて「何々座」と呼称できるのか。

 (実際に、天体図を見れば分かるように、びっしりと星が詰まっています。どうやって特定の星を抽出したのですか。おまけに、「おおくま座」とか「さそり座」とか有りますが、熊にもサソリにも見えません。強引に解釈しているだけでは有りませんか。
    たとえば、
 オリオン座を構成する星は、それぞれが数百光年も離れているそうでは有りませんか。肉眼では平面に見えても、立体的にはトンデモナイ距離を隔てているのですよ)。


イ) 「シリウスの解釈」によると、ある研究者は、『アトランティスの次元の星座と、今の次元の星座の形は異なるらしい』、と言う事で、次元が変わると、星座の形も変るそうです。


ウ) (一つの解釈として)、古代には星の数も少なく、星座の数も少なかった。だから、「さそり座」は本当にサソリに見えるような形だったのかも、知れません。


E 古代の占星術では、土星までしか無かったという、ホントの話。

ア) 古代の占星術では、惑星は(地球を除いて)、「七曜」(日・月・火・水・木・金・土星)しか無かったそうです。


イ) ある研究者によると、『古代人は、現代人と異なって「進化の方向性」が未熟だったから、肉眼で見える惑星に限定されたようだ。近代科学の発展によって、天体望遠鏡が作られたから、天王星・海王星・冥王星などが見えるようになった(つまり、人間の科学に対応して、急遽、新たな惑星が作り出された)。それは、「進化の方向性が顕在化した」と言う事だろう』。

 (ある意味において、「VRゲーム」が日々進化して、「上書き・更新」するようなものかも、知れませんが、どうなんでしょうか)。


F 今回の記事は、これで、お仕舞いです。ポイントを挙げると、『第7次太陽系次元は太陽系までしか作られていない』。『星の数は人間に比例する』。『前次元の星座の形は今とは異なる』。『古代には土星までしか創造されていなかった』。


 (「シリウスの解釈」を中心に、記事を書いてみたのですが、記事の内容に付いて来れない人が、大多数ではないかと思います。残念です)。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/554.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の13)・日月神示の研究・「ムー、アトランティスは、滅亡したか、卒業したかの、考察」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「ムー、アトランティスは、滅亡したか、卒業したかの、考察」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 アトランティスは、古代文明として栄えましたが、一夜にして大西洋に沈んだと言われ、永遠のロマンですが、今回は、ムー、アトランティスは、滅亡したのか、卒業したのかに、迫ってみたいと思います。


(ムー・レムリアについて)。

 ムー・レムリアについては、諸説あるそうです。『ムーは有ったが、レムリアは無かった説』。『ムーを英語読みでレムリアと表現して、同じものの説』。『ムーは太平洋に有り、レムリアはインド洋に有った説』。『レムリアが、ムーに変化した説。(または、その反対)』。
   結局、
 ムー・レムリアについては、よく分からないようです。


A 日月神示ほかの参考文献等。

ア) 日月神示。

 ★ アトランティスとか、ムーとかは、記載が無いようです。見つかったら追記します。


イ) 「シリウスの解釈」。

 ある研究者によると、『13,000年前だったかに、ムー・アトランティスの時代が有ったらしい。6,500年前だったかの交替時に、アトランティスの意識が人間として再スタートしたそうだ。今の人類の大半がアトランティスの子孫のようだ。
    最終的に、
 アトランティスはプレアデスの方向に進化し、ムーはオリオンの方向に進化したのかも知れない、との声も聞かれる、そうだ』。


 ★ 「ある研究者」の意見によると、どうやら、13,000年前〜6,500年前の期間が、ムー・アトランティスの時代だったようです。
    また、
 ムー・アトランティスは、今は「ヒト」になっているそうですから、滅亡したというイメージではなく、卒業したという印象を受けますが、どうなんでしょうか。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の読者の感想。

 「ある読者の感想」によると、『(世界中の全ての文献を精査した訳では無いので、詳しい言及は避けるが)、どうやら、アトランティスは、混乱とか否定的なエネルギーのためとかで滅亡したようだ。今回の人類はムー・アトランティスの子孫らしい』。


エ) エドガー・ケーシーの説。

 真偽不明の要確認と断っておきますが、「エドガー・ケーシー」の説によると、『古代ピラミッドは、BC10,490〜BC10,390に、アトランティス大陸の技術で作られた』そうです。要確認。


B まとめると、アトランティスは、滅亡したのか卒業したのかは、よく分かりません。

 ただ、「シリウスの解釈」では、卒業して「ヒト」に成っているようです。
 「バシャール等ほかの文献」では、今の人類の祖先はアトランティスのようです。


 ★ 「アトランティスの滅亡説」については、アトランティスが子孫を残したと言うなら、それは「滅亡」と言えるのだろうか。子孫が残らないから「滅亡」なのではないか、と言う疑問を感じます。


C 『日本人は、アトランティスの子孫では無く、ムーの子孫』、の説が有るそうです。

 「シリウスの解釈」によると、日本の古代に「アシア族」が居たが、アシア族の先祖がムーらしい。

 ★ この「アシア族」は、「カタカムナ文献」との関連性が指摘されているようです。
 また、ムー・アトランティス人は「ヒト」になっており、アシア族は「ヒト」よりも更に高い次元に進化しているようです。

 (ただ、上記の説で良く分からないのは、ムーが前次元の6,500年前に卒業し、その後に「アシア族」が発生したとしているが、BC3,000年ごろには、メソポタミアにシュメール(スメル)初期王朝が築かれた説が有ります。
   すると、
 「アシア族」が展開したのは、今次元の6,500年前(BC4,500年前)からBC3,000年ごろの期間に限定されるのだが、時系列に考えて、本当でしょうか)。
   あるいは、
 「オカルト理論」で考えると、アシア族は、現人類ではなく、「変換人」、「人間の反対」、「反対側の文明」の事かも知れませんが、その辺は、どうなんでしょうか。


D アシア族。

(アシア族の「言葉あそび」)

 アシア族が、アジア(Asia)の語源になったという「トンでも説」が有るそうです。
 アシア族が、アシラ → アシュラ(阿修羅) → 「阿修羅掲示板」にまで発展した「エーかげん説」。


(ナーカル碑文)

 チャーチワードで有名になった粘土板の「ナーカル碑文」が有ります。ムーの子孫(アスラ族?)がインド方面に展開して、先史民族のドラヴィダ人にムー文明を伝えた説が有るそうです。

 また、ムーの子孫が「スメル人」として、メソポタミアのウバイト人などの社会に、突然に出現して、「シュメール文明」を築いたという「トンでも説」が有るそうです。


 ★ ただ、上述したように、ムー人は、前次元の人種で有り、卒業したと言うなら、それは、ムー人ではなく、「アシア族」と呼ばれるムーの子孫だったかも、知れませんが、全くの不明です。


E 最後に、日月神示。

 『足場つくれよ、アジヤ足場ぞ』(青葉・04)、と有り、日本人がアジアの片隅の日本列島に生まれたのは、何かの「因縁の身魂」かも知れません。

 また、『日本の国は世界の雛形であるぞ』(地・17)、と有り、日本が世界の中心のようです。


F ☆☆ おまけ。

 ☆ 地球環境の大変動や、太陽活動の異変の報告が寄せられています。だいぶ、「煮詰まって来ている」感じがします。何のことか、分からない人は放って置きます。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/558.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の14)・日月神示の研究・「日本も、また、ムーのように、太平洋に沈む、運命です」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「日本も、また、ムーのように、太平洋に沈む、運命です」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、実にショッキングな、日本人の運命について、お知らせしなければ、成りません。
 悲しいことですが、残念ですが、私たちは、太平洋の底深く、沈まねば、成りません。

 日本人は、運命の民族であり、『神に捧げられる初穂(はつほ)』であり、『生贄(いけにえ)の子羊』だったのです。


A 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示。

 『今迄の、のがれ場所はヤマであったが、今度はヤマに逃げても駄目、』(極め・17)。

 『神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん』(雨・14)。

 『一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、』(富士・19)。

 『海の水がシメであるぞ。』(夜明け・02)。


イ) シリウスの解釈。

 「ある研究者」によると、『日本の未来予測については調査中だ。前次元に大洪水が有ったそうだが、今次元も大洪水が起こるスケジュールらしい。その余は調査中だ』。

(★ この点について、日月神示には、『世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。』(地・16)、と有り、類似性を感じます)。


B 未来予言に、日本が登場しない、本当の理由。

 (★ 「画像 世界の未来地図」とか、「画像 地球の未来地図」とかで、ググッテください。日本列島の存在しない世界地図がアップされます)。


 「世界の未来地図」には、日本列島が存在しません。なぜ、日本列島が存在しないのか。それは、日本が無いからです。無いものは地図に描けません。簡単な話です。

 また、「世界の未来予言」にも、日本の未来についての言及が有りません。なぜ、日本の未来予言が無いのか。簡単な話です。日本が存在しないから、予言の仕様が無いのです。


◎ (ここで、世界の未来地図は、何か、おかしい)

 世界の未来地図には、日本列島が存在しないが、この地図は、おかしい。つまり、南極の氷が解けて、海面が100メートル上昇したというなら、日本列島は残存していなければ成らない。
   また、
 日本列島では、海抜1千メートルの高地も残されていないが、外国では、数百メートル以上の高地は残されている。なぜ、日本列島だけが残されていないのか。
   考えられる理由としては、
 『誰かの未来予言には、日本列島が残されていなかった』か、『宇宙人・知的生命体から、未来の地球の地図を教えてもらった』、かの可能性が考えられます。(日月神示の予言も可能性の一つでしょう)。


C 助かりたい人は、日本列島から、逃げてもOK(オッケー)ですよ。

 日本列島は、沈没しますから、助かりたい人は、さっさと、外国に逃げるべきです。
 (日月神示・磐戸・06)には、『北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ、』。(類似に、潮満つの珠(玉)、潮干るの珠。また、「日本書紀・神代下・第十段一書2−3に類似。)、と有りますから、新大陸が浮上する南半球が、お勧めでしょう。
   しかしながら、
 日月神示には、『今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、』(雨・11)、と有ります。
   だから、
 『パンツをはいた「エコノミック・アニマルの子孫」が逃げてきた』と言って、大歓迎されることでしょう。。『乞う、ご期待!!!』。
   ところで、
 「エコノミック・アニマル」の意味、分かりますよね。昭和40年代だったか、50年代だったか。あるいは「マニラの夜」、「バンコクの夜」、・・・。(「自虐史観」と笑われるから止めておこう)。
   その後、
 「おごり高ぶった昭和」(戦前においては「一等国」、戦後においては「made in Japan」)は、神の怒りの業火によって、「日本バブル」と共に、崩壊して行きました。
   なるほど、
 会社自体は存続していても、「年功序列」・「終身雇用」・「組合健保」などの社会保障制度は、「失われた十年、二十年」で瓦解してしまいました。今の会社は「似て非なるもの」でしょう。

 (その意味において、今の若者世代は、「親の因果」を背負って生きているのかも、知れません)。


★ (上述の点について、日月神示には、「呪いの言葉」が有るようです)。

 『いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国へつく臣民 沢山できるぞ。そんな臣民一人もいらぬ、・・・』(上・22)。

 『今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、』(雨・09)。


D 日本人は、世界で最初に、アセンションします。

 神示に、『尊い身魂と、尊い血統、忘れるでないぞ。型は気の毒ながらこの中から。』(青葉・13)。

 ★ 「シリウスの解釈」にも、『日本人は今次元の人間の核質。位置の転換は核質の日本人が行う』らしい、そうです、知りませんが。


E さらば、地球よ。青き惑星、水の惑星、緑の大地よ。

 今回を含めた「7回の交替化」を通じて、「男と女」・「王様と奴隷」・「酒池肉林と極貧生活」・「勝ち組と負け組」などの様々なバージョンの「輪廻転生」を行い、数多くの「思考と体験」の中から、「利他の愛(慈悲・慈愛)」や、「科学知識と科学の応用(知恵)」を学びました。
   これらの
 仮想体験(VRゲーム)を通じて、「神の子の14万4千人」は、第8次太陽系次元に向けて、アセンションします。長い夢から覚めると、そこは「新世界」です。(と言っても、またVRゲームですが)。


F ☆☆ おまけ。

 ☆ 「常夏の島」のハワイでは、最近は、冬には雪が降るようです。今年の2月10日ごろにも、ハワイに雪が降ったという便りが寄せられましたし、アラビアの砂漠でも、最近では大雨が降って「大洪水」になるそうですが、昔には考えられなかった状況に、気象予報士も、頭が痛いそうです。

 2013年から「変換の仕組み」が始まりましたが、いよいよ、顕在化してきたのかも、知れません。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/560.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の15)・日月神示の研究・「日本人だけは、オリオンに向けて、旅を続ける」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「日本人だけは、オリオンに向けて、旅を続ける」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、前回の(その9の14)の「日本も、また、ムーのように太平洋に沈む運命です」の続編として、日本人の特異性と、日本人の行き先について、考えてみたいと、思います。


A 日月神示に見える、「選民思想」。

 『日本は別として世界七つに分けるぞ、』(下・13)、と有りますが、7つに分けた世界に、日本は含まれていないようです。

 『次の世とは通基(月)の世の事ざぞ、』(日の出・03)、と有りますが、「月の世」とは、霊界のことでは無いかと思います。


 ★ 次の世界は、「半霊半物質の世界」かも知れませんが、日本人は世界の人々とは異なる運命が有るようです。(と言っても、本当は「VRゲーム」での設定の話だと思います)。


B 「シリウスの解釈」による、宇宙の構造論。

ア) ツイン・システムの宇宙構造論。

 「ある研究者」によると、『宇宙は「ツイン・システム」に作られており、オリオン(精神化)からプレアデス(物質化)の方向に流れるライン(いわゆるイザナミ(誘う身・物質化)と、
   逆に、
 プレアデスからオリオンの方向に流れるライン(いわゆるイザナギ(誘う気・精神化)のツインに成っている、らしい。
   そして、
 多くの人類はアトランティスの後継者のようだが、一部の人類は、ムーの後継者に成っているのかも、知れない』。


イ) アトランティスと、ムーという、対立構造の、基本設定。

 (一つの可能性として)、アトランティスは、プレアデス(物質化)に向かう設定になっており、逆に、ムーはオリオン(精神化)に向かう設定になっていたのでは、ないだろうか。
   だからこそ、
 ムーは、「ヒト」に進化し、ムーの子孫の「アシア族」は、ムーよりも更に高い位置に進化している。

 そこで、仮に、欧米人がアトランティスの子孫だとすると、彼らは、物質化を極め科学を極め、「唯物論」の世界観を完成させるために、出現した可能性が有るし、
   反対に、
 日本人がムーの子孫だとすると、日本人は、精神化を極め神(愛)を極め、「唯心論」の世界観を完成させるために、出現した「設定」かも知れません。


C 「バシャール等ほかの文献」の、宇宙観。

 「ある読者の感想」によると、『(世界中に翻訳された文献の全てを精査した訳では無いから、正確なことは言及できないが)、私たちの現実は波動であり振動であるらしい。
 (その意味において)、肉体的な次元とか物理的な次元とかは、夢のようなものかも知れない。
    また、
 全ての惑星は、周波数が異なるらしい。その中で、地球は最も密度の高い惑星らしい。他の惑星にも人類は存在するが、肉体は持っていないらしい。つまり、物理的な次元では無いらしい。
    また、
 地球は第3密度から第4密度に、振動数が上昇するらしい。振動数が上昇する事によって、物質世界が非物質の世界に変わっていくらしい』。

★ 地球の密度が上昇したり、物質から非物質になると言うのなら、「日月神示」で言うところの、人間界→霊界→神界、に上昇するステップに類似していると思うのですが、どうなんでしょうか。


D 「陰陽二元論」から、「バランス両輪論」という、「イデオロギー(観念)改革」。

 今、物理法則や物質化に支配された地球で、唯物論と唯心論の両者が激突して、自己の成長を促しているが、欧米人が、物質化・科学の至上主義を目指しても、そこに愛を失えば、単なる「機械的人間」(あるいは「AIロボット」)に陥り、最悪、精神が破壊されるかも知れません。
   逆に、
 日本人が、精神化・神の第一主義を目指しても、そこに科学が無ければ、単なる「動物的人間」に終わってしまうだろう。(オカルト的表現で「青人草(あおひとくさ)、葦草(あしくさ))。
   
 この点について、「日月神示・黄金・86」には、『智慧と、愛が主の座に居らねばならん。』と有りますから、知恵と愛は「車の両輪」だと思います。
   つまり、
 人間が、物質・科学・論理性などに過度に偏ると、「心」や「情緒」の機能が失われて無機質化して、最後には、人々は、孤立化・断片化・分散化するかも知れません。(たとえると「遠心力」です)。
   反対に、
 愛・神などは、個人と個人を繋ぐ「接着剤」としての機能を持ち、人々の団結化・全体化・集約化の働きをするのかも知れません。(たとえると「求心力」です)。
   だからこそ、
 『知恵(科学)と愛(神)』が「車の両輪」として、必要なのでしょう。(たとえると、「遠心力」と「求心力」のバランスです。科学が進展するほど、遠心性が強くなり、人間性が失われます)。


(ギリシア神話では、科学の進展とともに、人間が神々を無視した、歴史が有った)。

 (ギリシア神話には)、黄金の時代には、クロノスやレアなどの神々は、人間から尊敬され崇拝された。白銀の時代には、ゼウスがクロノスから支配権を奪ってからは、人間が神々を無視したので、ゼウスが人間を土に埋めて滅ぼした。青銅の時代には、人間同士が乱闘を繰り返したので、ゼウスが再び人間を洪水で滅ぼした。鉄の時代に入ると、手が付けられない状態になり、現代に至る。

 (★このように、人間は、科学知識を手に入れると、神から離れ、最後は、神を無視するようです)。


E 日本人は、オリオン(精神化)に向かうという、特異性。

 なぜ、日本人がオリオン(精神化)に向かうのかは、簡単な話です。日本人の霊的祖先の「ムー」や「アシア族」が、オリオン(精神化)に向かったから、日本人もオリオン(精神化)に向かうのです。


F (今回も、中途半端な記事で終わりますが)、記事の、まとめ。

ア) 日本人は、「ガイコク人」と異なって、上方向の精神化を目指すのかも、知れません。(つまり、半霊半物質の世界に行くということです)。

 (『半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、』(五葉・16)。


イ) そして、私たち日本人は、「神の子」として、物理法則と科学に覆われた「物質次元の地球」に生まれて、科学の習得と共に神(愛)も習得して、更なる進化を遂げなければ成りません。
   なぜなら、
 それが、神の愛子(まなこ・いとしご)に生まれた日本人の、宿命であり運命なのです。


G 「日月神示・(日の出・20)」には、神の愛子(まなこ・いとしご)だと、書いてある。

 『この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、
    ・・・、
 依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得(わから)んことであるぞ、・・』。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/563.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の16)・日月神示の研究・「今回は、太陽系全体の「総入れ替え」です。よろしいですか」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「今回は、太陽系全体の「総入れ替え」です。よろしいですか」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 未確認情報によると、今回の「建て替え・建て直し」は、太陽系全体の「総入れ替え」になる「大イベント」が行われるようです。
 このために、宇宙全体から観光客が地球に押し寄せて、地球の今後に固唾(かたず)を飲み込むような状況になっている、そうです。(真偽不明)。

 そこで、今回は、太陽系全体の「総入れ替え」について、迫ってみたいと、思います。


A★☆★ 日月神示・シリウス・バシャールの、「三角関係」は、客観的合理性なのだ。

 「日月神示」の単独で語ると「ひふみ信者」と笑われます。「シリウス」の単独でも「マニアック」と言われるし、「バシャール」の単独でも同じように「お花ばたけ」と変な顔をされます。
   だからこそ、
 日月神示・シリウス・バシャールの三者に一致する点や、類似する点をピックアップして、重ね合わせることによって、「社会通念上の客観的合理性」が形成されると言うものです。

   念のために、断っておきますが、
 これらの三者は、それぞれの由緒・出所が別々であり、パクリや共謀も無いし、全く別々のものです。(降ろされた場所・年代・人物等は、既に明確にされています)。

   「日月神示」の原文は、
 理解不能で、『解読出来るようなものではない』と切り捨てる人が有りますが、霊媒・チャネリングなどを使えば、正しい文章は、後から幾らでも教えてもらえます。
    たとえば、
 「元伊勢」系列の「ある団体」には、「おふでさき」と称して、一方的に送りつけてきた「歴史的事実」も有ったのです。ですから、一概に「ニセモノ」と決め付けずに、「サニワ」が必要だと思います。
    すなわち、
 「彼ら」は、必要が有る時には、一方的に送りつけるのです。あるいは、「変換人」・「人間の反対」を通じて、「予言」・「預言」を与えるのです。人間に必要が無くても、彼らには必要が有るのです。


B 日月神示。

ア) 過去・現在・未来が交じり合う。

 『人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみ このままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ』(星座・08)。

 ★ ここで、『過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、』の文節は、意味が分かりません。
   つまり、
 『過去と未来が同時に来る』、については、「未来が生まれたら、現在が過去に成る」のは有り得るとしても、『なんで、同じところで過去と未来が交じり合うのか』。
 この、『過去と未来が交じり合う』、と言う文章表現は、理解に苦しみますが、どうでしょうか。


イ) 三千世界の総入れ替え。

 『今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、』(天・02)。

 『・・地の世界と、中の世界と、天の世界と、みな同じであるから、もちつもたれつであるから、三千世界であるから、・・・同じ所にあるのであるぞ。』(白銀・06)。

 ★ 「天界・霊界・現界」が、私たちの地上世界(地球)に、多重交差・立体化しているようです。


C 「シリウスの解釈」。

ア) 過去・現在・未来が交じり合う。

 「ある研究者」によると、『プレアデスに向かう物質化の文明と、オリオンに向かう精神化の文明が、互いに限界に達したので、交替化するようだ』。『6,500年周期のタイムリミットも、一因のようだ』。

 ★ 『互いに限界に達したので』はウソで、本当は、『予定された「カリキュラム」(教育課程)を修了したので』が正しいと思います。本当は、「パソコン教育」だと、ばれないように言葉を選んでいる。


イ) 三千世界の総入れ替え。(太陽系の総入れ替え)。

 「ある研究者の話」によると、『天界・霊界・現界」というよりも、「人間・ヒト・真実の人間」などのイメージだ』。
 『外に有っては、地球・月などが物質の領域に有り、木星・土星などが精神の領域に有り、海王星・冥王星などが覚醒の領域に有るようなイメージだ』。
 『内に有っては、細胞はヒトの意識であり、ミトコンドリアなども神霊の意識の反映らしい』。

 ★ と言うことで、人間世界が反転したら「三千世界の神霊」も全部が反転するかも、知れません。


D 「バシャール等ほかの文献」。

ア) 過去・現在・未来が交じり合う。

 「ある読者の感想」では、『時間は人間が作り出したもので、幻想らしいそうだ』。
 『過去・現在・未来は、映画の1本のフィルムのようなものだそうだ』。

 ★ つまり、映画のフィルムを、正転して始めから見る場合と、逆転して見る場合。途中を見てから始めに戻る場合など。様々な形態によって、時間の概念も異なるようですが、どうなんでしょうか。


イ) 三千世界の総入れ替え。(太陽系の総入れ替え)。

 「ある読者の感想」では、『この現実は振動であり周波数で出来ているそうだ。地球は低い周波数で物質世界だが、周波数が上昇すると非物質の世界に変っていくそうだ。地球は変革期を迎えているそうだ』。


E まとめ。

ア) 「過去・現在・未来が交じり合う」については、難しく考えると理解に苦しみますが、この世は「幻想」かも知れないし、「VRゲーム」かも知れないと考えると、スッキリ・サッパリします。

イ) 「三千世界の総入れ替え(太陽系の総入れ替え)」についても同じ事で、「VRゲーム」の基本ソフトの交換だと思うと、話は簡単ですが、本当のところは、どうなっているのでしょうか。


F おまけ。

 『神の国が本の国ざから、神の国から あらためるのざから、一番つらいことになるのざぞ、覚悟はよいか、』(日月神示・天・16)。

と言うことで、日本が、世界で最初に改められて、アセンションして旅立つようです。本当でしょうか。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/565.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の17)・日月神示の研究・「UFO」の見える人と、見えない人の、違いの考察」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「UFO」の見える人と、見えない人の、違いの考察」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 UFOは、オカルト・ファンの「希望の星」であり、「殿堂入り」であり、「最後の砦」のようなものであり、ヒトラーすらも求望して開発に着手したというウソかホントか分からない話も有るそうです。

 そこで、今回は、オカルト・ファン必見の「UFO特集」を、組んでみたいと、思います。


A★ それから、私の記事は、「いっさい質問禁止」です。単なる思い付きで、見境無しに、「エー加減」な記事を書いているので、突っ込まれたら、困惑します。質問しても回答しません。


B 「UFO」に関する、日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示。

 UFOの記述なんか、有る訳が、有りません。日月神示は、戦中戦後に降ろされたものなので、「UFOの登場以前」の話です。はい、お仕舞い。


イ) シリウスの解釈。

 「ある研究者」によると、『UFOについては、太陽系では、地球以外の全ての惑星に存在するようだ』。はい、お仕舞い。

 ★ ここで注意。地球の「人間用の太陽系」と、金星人用・火星人用の太陽系は違います。例えると、AI技術を用いた「パソコン教育」で、パソコン教室が多数有り、多重交差するイメージです。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」。

 「ある読者の感想」によれば、『UFOの話は「山盛り」で「てんこ盛り」だ。内容については、広宣流布の通りだ。記事にするまでも無い』。はい、お仕舞い。


エ) 以上の通り、UFOの存在は、多くが認めるところです。(「定説」なので、反論は認めません)。


C では、「UFO」の見える人と、見えない人の、違いは、何だ。

 個人差であり、「霊性」の違いであり、「バシャール」の言う「振動数」のバラツキかも知れません。


D 科学的に見た場合に、「今までの地球」には、UFOは、実在・存在しなかった。

ア) 地球は、物理法則に支配され、科学的・物質的次元の惑星ですから、UFOは実在しないし、存在できません。

 たとえば、航空機の常識として、あるいは「流体力学」の常識として、『プロペラを使って、物理的に空気を後方に押しやる方法』か、『ジェット・エンジンの爆発効果による「作用・反作用」を利用して推進する方法』が、航空機の推進構造です。

 ところが、UFOには、上記のような推進装置が無いそうです。推進装置が無いのに、推進できると言うのは、科学を馬鹿にした「よまいごと」です。


イ) しかしながら、『UFOは実在し存在する』と言う、「UFOファン」の反論への、「再反論」。

 『UFOは実在・存在する』と言うなら、『まずは、推進装置・推進構造を、科学的・論理的に説明せよ。話は、それからだ』、と一笑に付されて、はい、お仕舞いです。

 『UFOは位置を変えるのだ、座標軸が変わるのだ、周波数が変わるのだ、プログラムを設定するのだ』。。。『アー、そうですか、そうですか、ハイ、ハイ、ご苦労さんです』。


ウ) アナログ・デジタル。(ある意味で、アナログは連続的変化、デジタルは離散的変化)。

 たとえば、「航空機の飛行」・「人間の移動」・「アナログ時計」などは、時間的に「推移」するものであり、ある意味において「アナログ」と表現すべきものと思います。
   反対に、
 「幽霊」・「デジタル時計」などは、瞬時に「変位」するので、ある意味において「デジタル」と言えるかも知れません。その意味において「UFO」も「デジタル」かも知れません。

 ★ ところが、たとえば、設計の現場から見た場合には、「デジタル時計」は、電気回路図的には「シリーズ(順次動作)」に設計されており、厳密には「デジタル」では有りません。
    つまり、
 物理次元・物質次元の地球においては、完全なデジタルは不可能であり、「UFOが位置を変えること(変位)」は不可能と言わなければ成りません。(つまり、科学の常識に反するのです)。


E つまり、「UFO」は、「異次元」の話なのです。

ア) 「バシャール等ほかの文献」の、「ある読者」の「読書感想」によると、

 『地球は、第三密度から第四密度に、波動・振動数が上昇する、ようだ』。

 『地球は、最も物理法則に支配された、物質次元の惑星の、ようだ』。

 『たとえば、シリウスなどは、「非物質」の領域にある、ようだ』。

★ つまり、この太陽系の惑星の中で、『地球が、最も物質化されて、物理法則や科学法則に支配された惑星だ』と言うことは、逆説的には、他の惑星は、『地球ほど物質的では無い』と言う事です。
   すなわち、
 宇宙が、『物質的存在から、非物質的存在にアセンションする』と言うなら、今の地球は「変革期・変換期」に突入していると言えるかも知れません。
   すると、
 「シリウス」が言うところの、『地球以外の惑星にUFOが存在する』と言うのは、地球以外の惑星が「非物質」の領域に有るから可能なのかも知れません。
   (ただし、前述のように、「別々の次元・教室」、「別々のパソコン・ネットワーク」だと思います)。


F すると、『UFOが見える人は「異次元」の世界に突入している』、可能性が有る。

 先ほど述べたように、『UFOの見える人と見えない人の違い』は、「見える人」は、精神が変調・次元上昇している可能性が有ります。

 たとえば、昔は、「幽霊」の見える人が居ましたが、これは「精神の変調」あるいは「異次元」にスリップする現象でしたが、近年になってから、UFOが見えるというのは、単なる「精神の変調」と捉えるのではなく、「精神が次元上昇している」と考えるほうが、合理的だろうと思います。


G だから、今後、人々は、分かれて進化する、だろう。

 「バシャール」の言うように、波動・振動数が上昇する人は、UFOが見えたり、異星人との交信が可能に成るかもしれません。

 反対に、何の変化も無く、旧態依然の人は、このまま地球に取り残されるのかも知れません。

(★、話は脱線しますが、既に、アセンションに向けて、様々な肉体的変化・精神的変化の「予兆」の認められる人が、存在するそうです。このような人々は、今後、益々増加すると思います)。


H おまけ。日月神示の「予兆」。

 『天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、』(富士・16)。

★ 科学的に、太陽が2つも3つも出現するなどは、有り得ない話ですが、これを、どのように解釈すべきか。「人類全員が見る」と考えるか、「アセンションする人だけに見える現象」と考えるべきか。

 アセンションする人は、物質の崩壊現象を見たり、半霊半物質の肉体に成るのかも知れません。


I★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/568.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の18)・日月神示の研究・「宇宙は、ツイン・システムだった」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「宇宙は、ツイン・システムだった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 まず、今回の記事の初めに、「欧米人」についてですが、私たち日本人に比べると、欧米人のスタイルはカッコイイし、顔を見ると賢そうな顔をしているし、科学とか医学なんかでも、人類の先頭を走っています。
   だから、
 日本人にとって、欧米人は憧(あこが)れ以外の何者でも有りませんが、『元々の設定が異なっていた』という意見が有るので、今回は、「ツイン・システムの構造」を考えてみたいと、思います。

 (★ 初めに、念のために、断っておきますが、『宇宙がツイン・システム』だと言っても、本当に、宇宙がツイン・システムと言うことでは、有りません。『そんな宇宙が、実際に有る訳が有りません』。あくまでも、『パソコンの設定上の話です』。(科学的・論理的に思考してください)。
    まあ、
 『宇宙が日々に創造されてゆき、その反対に、宇宙が日々に破壊されている』、という意味においては、「陰陽二元論」、「ツイン・システム」、「金剛界まんだら・胎蔵界まんだら」、「創造神ベラフマー・破壊神シバ」、・・・


A★ それから、私の記事は、「いっさい質問禁止」です。単なる「思いつき」で、「エー加減」な記事を書いているだけなので、難しい質問をされたら、困ります。質問しても回答しません。


B 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 『竜神と申してゐるが竜神にも二通りあるぞ。地からの竜神は進化して行くのであるぞ。進化をうそざと思ふは神様迷信ぞ。一方、天からの竜神は退化して行くのであるぞ。この二つの竜神が結ばれて人間となるのであるぞ。』(白銀・02)。

 ★ 簡単に解説すると、「仕組」は「ツイン・システム」に成っていて、オリオンからプレアデスに下降する流れが、物質化の流れであり、アトランティスであり欧米人の流れで、「退化する流れ」です。
  反対に、
 プレアデスからオリオンに上昇する流れが、精神化の流れであり、ムーであり日本人の流れで、「進化する流れ」です。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『研究中で公表すべき段階に無いが、どうやら、上昇する流れが「ムー」でオリオンに向かうようだ。反対に、下降する流れがプレアデスに向かう流れのようだ』。
   それから、
 「金剛界」と言うのは「真実の人間の次元」のことで、「胎蔵界」は「人間の次元」らしい、そうだ』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 ある読者によると、『世界中の全ての文献を精査した訳では無いが、地球は第3密度から第4密度に上昇するらしいそうだ。
 また、「ムー」・「アトランティス」の言及も有る。彼らの一部が今の地球に再生したり、地球を卒業したりしているようだ』。


C ここで、『なぜ、日本人の行き先が、欧米人と異なるのか』、を考えてみます。

ア) 第1に、日本人が、特別な「選民」だからです。

 日月神示には、『日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから、・・』(下・13)、と有り、日本人は「神に選ばれた民」、だからです。
   また、
 『神国の臣民は神国の行、霊国は霊国の行。』(マツリ・11)、と有り、日本人だけが、特別な修行をさせられているからです。「神国の臣民」が日本人を意味することは、明白です。

 ★ この点について、「シリウスの解釈」でも、『日本人が、今の人間の核質』らしい、そうです。


イ) 第2に、日本人が、世界をリードする構造に成っているからです。

 「シリウスの解釈」によれば、ある研究家は、『どうやら、「位置の転換」は日本人が行うようだし、前次元のムー・アトランティスの時代も、ムー人がリードしたようだ。
   また、
 ムー人やアシア族は、精神化に向かう「設定」のようだし、今の日本人は、ムー人・アシア族の霊的子孫の「設定」では、無かろうか、と思っている』。


ウ) だから、日本人は、精神化に向かう設定で、欧米人は物質化に向かう設定では、ないのか。

 前述のように、『日本人と欧米人は、全く正反対の設定に成っている』可能性が有る事です。
 

D ここで、今回の記事の「ツイン・システム」の、まとめ。

★ 私の毎回の記事は、「思いつき」・「ひらめき」・「夢のお告げ」などの「ちゃんぽん」で構成されているので、「支離滅裂」で有り、自分で読み返しても、意味が分からないことが、多々有ります。

 そこで、今回の記事の趣旨は、『日本人と欧米人は、反対方向の構造に設定されているのではないか』、と言う事です。
 だから、「欧米人」を、自己に対する「他者」として、「観察」しなければ成らないのであり、決して、「同調」・「同化」しては成らないと言う事です。
   すなわち、
 欧米人は個人主義・断片化で、日本人は全体主義・集合化であり、欧米人は物質化・科学(外観)で、日本人は精神化・神(内観)ですから、行き先が全く正反対の「設定・基本ソフト」です。
   この点について、
 「日月神示・富士・05」には、『外国は ○ 、神の国は ・ と申してあるが、 ・ は神ざ、 ○ は臣民ぞ、』と有るように、正反対の構造のようです。


(題名にある、「宇宙はツイン・システムだった」の、「宇宙」は、どこに行ったのか)。

 「シリウスの解釈」によると、「第7次太陽系次元」は、太陽系までしか作られていないので、外宇宙は「天幕(羊膜)」に輝く「イルミネーション」に過ぎません。それが「基本プログラム」です。
   ★ 何回でも断っておきますが、
 私たちの世界は、「AI(人工知能)」であり、「VRゲーム」であり、「システム」・「設定」に過ぎません。「ツイン・システムの宇宙」が本当に有る訳では有りません。
 (だから、全てを「VR(仮想現実)」だと考えると、「この世」の全ての「謎・矛盾」が氷解します)。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/570.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の19)・日月神示の研究・「太陽系の人類と、構造を、解明する」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「太陽系の人類と、構造を、解明する」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、私たち人類が、どのような構造・構成に作られているかに、迫ってみたいと、思います。


A 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示。

 『平面の上でいくら働いても、もがいても平面行為で有限ぞ。立体に入らねばならん。無限に生命せねばならんぞ。立体から複立体、複々立体、立々体と進まねばならん。』(黄金・100)。

 『宇宙は人間の心のままと申してあらうが。宇宙は未完成のものと申してあらうが。永遠に未完成であり、弥栄であるぞ。』(黒鉄・37)。

 『神は神の中に、宇宙を生み給うたのであるぞ。』(黄金・03)。『神は人となりたいのぢゃ。人は神となりたいのぢゃ。』(黄金・04)。

 『日本が変って世界となったのぢゃ。』(春・14)。

 ★ 今回は、適当な文言が見つかりませんが、我慢して下さい。見つかれば、追記します。


イ) 「シリウスの解釈」。

 「ある研究者」によると、『宇宙とは、地球の精神だ、真実の地球、らしい』

  『月とは、力の調整だ、力の「サク」、らしい。』、『月と人間は位置の交換、らしい。月と地球は並列の関係、らしい』

  『反転した世界では、太陽を中心に全てが重畳している、らしい』

  『地球は、人間の内面性、らしい』

  『人間の次元においては、太陽系には、人間以外に、知的生命体は存在しない、らしい』

  『今の太陽系は、7回の交替化で終わる、らしい』

 ★ 「下手な解説」は行いません。各自の「直感」で「イメージ」して下さい。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」。

 「ある読者の感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳では無いが、

  『肉体的次元・物理的次元は、「夢」、らしい』、『全ての現実は、波動・振動、らしい』

  『シリウスのレベルは、もはや、非物質、らしい』

  『全ての惑星は、違う周波数の世界に、同時に存在する、らしい』

 ★★ 上記の日月神示の、『神は神の中に、宇宙を生み給うたのであるぞ。』(黄金・03)に関して、「バシャール等ほかの文献」にも類似する記事が有るようです。比較してみて下さい。
    「ある読者の感想」によると、
 『「大いなる全て」は、自分の中に「宇宙」「世界」を創り、自分自身を思考・体験している、らしい』。『全てのゲームは、「大いなる全て」の中で行われているに過ぎない、らしい』。


B 今回の記事の、「太陽系の人類と構造」の、まとめ。

ア) 「シリウスの解釈」によると、『今の人間が、いくら考えても、理解も想像も出来ない、構造に作られている』らしい、そうです。
    だから、
 下手な解説をしても、仕方が有りません。『分からないものは、分からないのです』。


イ) 「日月神示」の解読・解釈によれば、どうやら、複雑な立体構造のようです。
    たとえば、
 私たちの次元を「一つの平面・立体」と考えて「1個」とするなら、数多くの「1個」が「オーバーラップ」したり、「重畳」「交差」しているイメージです。


ウ) たとえば、パソコンで考えると、「阿修羅掲示板」を「地球次元」とするなら、本文記事の中の「リンク」や、画面側面の「バナー」、「動画のコマーシャル」の貼り付けや、
    あるいは、
 パソコンを「多重画面」に設定して、「阿修羅掲示板」・「ユーチューブの音楽」・「株式投資のデイトレードの売買実況画面」・「その他」の、複数の画面構成にするようなものかも、知れません。


エ) ルービック・キューブの話。
 1980年に日本で発売されて、大ブームを起こした「ルービック・キューブ」が有りました。あれって、「平面的思考」では解けません。「立体的思考」、あるいは「複立体的思考」が必要でしょう。


C おまけ。日月神示の「幽界から移りて来たもの」。

 「日月神示・黄金・83」には、『この世は神の国の移しであるのに、幽界から移りて来たものの自由にせられて、今の体裁、この世は幽界同様になってゐるぞ。』
    解釈すると、
 「幽界から移りて来たもの」が、「この世」を、無茶苦茶に荒し回っているようです。誰なんでしょうか。まったくもって、困った人々です。
    しかしながら、
 『 ・ ばかりでもならぬ、 ○ ばかりでもならぬ。・・・・・、今の戦は ・ と ○ との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは ○ に ・ 入れることぞ。 ・ も五ぞ ○ も五ぞ』(下・21)
    と有り、
  ( ・ )魂・神・愛・内面性だけでも、( ○ )身・物質・科学・知恵・外面性だけでも駄目で、身と魂・内外の両面性( ・ ○ )の両方が必要でしょう。
     つまり、
 『智慧と愛が主の座』(黄金・86)、『知恵や学も必要』(天・04)、また『体験と理解のみ財産』(黄金・16)とも有り、「VRゲーム」を通じて「思考と体験」しているようです。


D★★ 今回の記事は、私にも理解できないテーマですが、『記事にして公開してやれ』との「天の声」が聞こえたような「気がした」ので、記事にしました。(今回の記事は「天の意思」かも、知れません)。
   ただ、
 どのように受け止めるかは、「人それぞれ」であり「多様性」だと思います。『それで構いません』。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/571.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の19−2)・「惑星ニビルは、木星のことです。本当ですよ」。

@ 何度でも言いますが、「惑星ニビル」は、「木星」のことです。勘違いしないで下さい。いつから、木星が「惑星ニビル」に変換されたのですか。


 「(その9の11)・日月神示の研究・「プレアデス、アヌンナキ、ニビルの、考察」の、Cの中で、

 Cアヌンナキは、「バビロニア」の神話に登場しているようだ。

 (戦前に発行された)古代バビロニアの神話に、「天空の神・アヌ」や、「エンリル」、「エア(エンキ)」などの様々な神々が登場しますが、これが「アヌンナキ」のことかも知れません。

 ア)(天地人の創造と「ニビル星」の話)。(★上記の古代バビロニアの神話より)

     簡略の一部ですが、
 (アヌの孫で、エア(エンキ)の子供の)メロダック(Merodach・マルドーク)が、「神々の戦争」に勝利して、初めて、天と地を造って世界を創造した。

 メロダックは、「ニビル(Nibiru・木星」を自分の星に定めた。

  (言葉あそび) 木星・ニビル → イビル → イビラー → ジュビラー → 木星・ジュピター


A 『ニビルは木星のことだ』という、出所・根拠。

ア) 記事に用いた文章の出典は、事情により、今回は公表しません。

イ) その代わりに、下記のキーワードをコピーして、グーグルで、検索してください。

        「メロダック 木星 ニビル」
   または、「メロダック ニビル 木星」
   または、「マルドウク バビロニア占星術 木星」

 ★ 要は、『ニビルは木星のことだった』と分かれば良いのです。話は、それからです。


B どこから、「惑星ニビル」の話が出てきたのでしょうか。

 少なくとも、「戦前世界」では、ニビルは、「木星」という認識が有ったようですが、・・・


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/572.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の20)・日月神示の研究・「太陽系の、インチキ構造を、明白にする」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「太陽系の、インチキ構造を、明白にする」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、私たちの太陽系は「作り物」であり、なおかつ、「手抜き工事」で作られていたという、驚天動地の「インチキ」だったのです。

 ★ しかしながら、「遠い未来人」に「手ぬかり」は有りません。これは「故意」による「作為」です。つまり、その真意は『おまいらーの宇宙が、虚構であることを、発見せよ』、なのです。


A 『太陽系はインチキ構造だ』と言う、明確な「伝聞証拠」。

ア) 日月神示による、「書証」。

 『お太陽(ひ)様円いのでないぞ、お月様も円いのではないぞ、地球も円いのではないぞ、』(日の出・14)。

 『地つちの軸 動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて どうにもこうにもならんことになるぞ、』(磐戸・05)。(★「ポールシフト」のことと思われます)。

 『大地も転位、天も転位するぞ。(五葉・15)。

 『今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん。今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らんのぢゃ。』(春・33)。


イ) 「シリウスの解釈」の「ある研究者の研究」による、「伝聞」。

 『地球の外は、真実の地球、らしい』。

 『惑星軌道が楕円形の理由は、反対側の意識が方向性を持っているため、らしい』。

 『ハレー彗星は、進化の象徴に反映された働き、らしい』。

 『地球と金星の関係は、位置の重心、らしい』。(★注、地球は日本人で、金星は白人など)。

 『地球と冥王星の関係は、オリオンとオリオンの対化、らしい』。(★注、地球は日本人で、オリオンは真実の人間)。

 『金星の自転だけが、他の惑星と逆回転の理由は、最終構成の覚醒が行われている、らしい』。

 『太陽は、人間の精神核、人間の内面性、らしい』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の「ある読者の感想」による、「伝聞」。

 『宇宙は、ホログラフィーのようなもの、らしいそうだ』。

 『金星には、アストラルやエーテルのレベルの意識が有り、愛の流れが有り地球の変革のバランスを執る働きが有る、らしいそうだ』。

 『土星は、太陽系を管理するような働きが有る、らしいそうだ』。

 『地球は、徐々に、光のレベルに上昇していく、らしいそうだ。つまり、物理次元から非物理次元に上昇する、らしいそうだ』。

 『私たちの太陽系には、意識が有るが、肉体は持っていない、らしいそうだ』。
  (★注、地球の人間だけが肉体を持っており、他の惑星の人類には肉体が存在しないのかも、知れません)。


B 『太陽系はインチキ構造だ』と言う、「主張」。

ア) 「地球の公転」は、インチキである。

(疑問点) 地球は、太陽の周囲を公転しているが、真円ではなく楕円形に公転しているし、なおかつ、センターがずれて偏心しているのは、「回転力学の常識」に反する。

(科学の回答) (今は昔の)1600年ごろの「ケプラーの法則」にも有るように、加速度と遠心力と引力による、「まったくの偶然」かつ「絶妙なバランス」によるものだ。

(反論) 地球と月との引力とか、火星は2年に1回地球に接近するし、他の惑星も公転周期が全て異なるから、太陽系全体の引力バランスは微妙に崩れていくはずだ。
 地球の歴史が50億年・100億年有るとするなら、50億回・100億回も、「回転力学の常識」を逸脱して、「まったくの偶然」かつ「絶妙なバランス」で、同じ公転軌道を継続すると言うのか。
   また、
 (上記Aの「シリウス」に有るように)、『惑星軌道が楕円形の理由は、反対側の意識が方向性を持っているため、らしい』。


イ) 金星の「自転の向き」は、インチキである。

(疑問点) 太陽系の全惑星の公転方向は同じだが、自転方向は金星だけが逆回転している。太陽系の惑星の出自が皆同じなら、金星だけが逆回転の自転をするのは、理屈に合わない。

(科学の回答) 『沈黙あるのみだ』。『そんなの、金星の勝手だ』。

(反論) (上記Aの「シリウス」に有るように)、『金星の自転だけが、他の惑星と逆回転の理由は、最終構成の覚醒が行われている、らしい』。


ウ) 太陽の「プロミネンス」は、インチキである。

(疑問点) 太陽フレアは太陽表面の爆発現象。コロナは太陽表面に見える放射状の散乱光。プロミネンスは、数万キロから数十万キロの高さに火柱のように立ち昇る炎(紅炎)と説明されている。(ちなみに、地球の直径は1万キロ強しかない)。
    ここで、
 太陽は水素・ヘリウムの気体で、核融合反応をしているという。そして、水素・ヘリウムのガス体はプラズマ化しているから、超流動性に満ちて均等に核融合反応をしているはずだ。
    だから、
 一箇所・数箇所で、ダイナマイトを爆発させたように、プロミネンスが注射液のように「ピュー」と飛び出すのは理屈に合わないし、地球の数倍、数十倍の高さなど、有り得ない話だ。

(科学の回答) 『沈黙あるのみだ』。『そんなのは、研究の対象外だ』。

(反論) 気体中での爆発効果は、全方位に及ぶはずだ。丁度、「花火」が球形状に爆発するのと同じで、プロミネンスの現象は、「気体中での燃焼・爆発の常識」に反する。


エ) 太陽の「マウンダー極小期」は、インチキである。

(疑問点) 太陽のマウンダー極小期というのは、1640年代から1710年代ころまでの、太陽活動が異常に低下した時期をいうそうだ。ところが、極小期が終わると、何事も無かったかのように、再び太陽活動が活発化しているのは理屈に合わない。

(科学の回答) 『沈黙あるのみだ』。『その目で、見て来たとでも言うのか』。

(反論) 一般に、「燃焼の3要素」とは、可燃物・酸素・熱源(点火源)が無いと、物は燃えないと言われる。太陽の核融合も燃焼の一形態とするなら、水素・ヘリウムが供給されて燃え続けるわけだ。
   すると、
 太陽はガス体で流動性に満ちているから、燃料が無くなるまで自動的に燃え続け、燃料が無くなると燃え尽きて消滅するはずだが、再び太陽活動が活発化するのは、理屈に合わない。


オ) その余は、「めんどくさい」ので、省略します。


C★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/578.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の21)・日月神示の研究・「日本人のアセンションは、あと3回の反転で、完結、らしい」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「日本人のアセンションは、あと3回の反転で、完結、らしい」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回の記事は、『私たち日本人が、「神の子の14万4千人」として、来たるべき「第8次太陽系次元」(VRゲーム)を優秀な成績でクリアし、「遠い未来の真実の世界」に華々しくデビューし、「次世代を担(にな)う神々」に成らなければ成らない』、と言う、壮大なスケールの「お花畑の物語」です。

 そこで、今回は、「神の子の14万4千人」が、精鋭のエリート集団として、「遠い未来の真実の世界」にデビューするまでのスケジュールを、簡略の省略で述べたいと思います。

 (「14万4千人」以外の日本人は、「その他大勢」「以下同文」程度ですが、まあ、日本人は「同じ神の子」であり「同胞(はらから)」ですから、悪いようにはしません。後ろを付いて来て下さい)。


A まあ、ここまで読んで、『アホくさ』と思う人は、黙って、立ち去ってください。無理に読んでもらう必要は有りません。それから、『質問は、お断り』です。質問しても回答しません。


B 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 『次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ。』(黄金・50)。

 ★ これだけ読むと、何のことか分かりませんが、次の「シリウスの解釈」と、重ね合わせてイメージすると、輪郭が見えて来そうです。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『人間の意識は、ヒト、ヒトの反対、真実の人間の意識へと、あと3回反転する、らしいそうだ』。

 それから、『真実の人間の肉体は、人間の肉体と全く同じ、らしい』。


(この反転の回数についての、解釈)

 上記の「日月神示」では、『次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ。』
     であり、
  「次→その次→その次の次」と解釈すると、あと4回の反転になりますが、
     「シリウスの解釈」では、
  「ヒト→ヒトの反対→真実の人間の意識」となり、あと3回の反転になり、計算が合いません。

      ところが、姉妹版の
 「ひふみ神示」では、『次も駄目、次も駄目、その次が誠の一家じゃ。』で3回になっています。
       つまり、
 ★ 「神示」には、「日月神示」・「ひふみ神示」の2種類が有ったということになり、大問題ですが、まあ、世間には、よく有る話です。(いちいち気にしてたら、やってられません)。
 
       そこで、
 「ひふみ神示」の3回説を採用するなら、「シリウスの解釈」と符合します。

        ところが、
 「日月神示」の4回説を採用するなら、これを、「肉体」と「精神」の交替化と(強引に)解釈すると、
        以下のとおり、
 人間(肉体)→ヒト(精神・霊界)→ヒトの反対(肉体)→真実の人間の意識(精神・神界)→遠い未来の真実の世界(肉体)
        と言うことで、
 「遠い未来の真実の世界(肉体)」を加えたら、4回になる、と考えられそうですが、どんなもんでしょうか。(まあ、こじつけですが、結論が先に有って、理由は後付けの論法です)。


 また、「日月神示」に、『次の世とは通基(月)の世の事ざぞ』(日の出・03)と有り、「月の世」は霊界であり、これが、「シリウスの解釈」が言う「ヒトの次元」かも、知れません。

 (★ 「月」には、「ヒトの次元説」と「人間の反対説」が有りますが、まあ、「適当」です)。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 「ある読者」によると、『世界中に翻訳された全ての文献を精査した訳では無い』。

 『地球は、今後、物理次元から、非物理次元に、移行する、らしい』。

 『シリウスのレベルは、既に、非物質、らしい』。


C 精神科学的な考え方。

 宇宙が、物質と精神の両方で構成されることは、科学も認めていますし、人間が、肉体と精神の両方で構成されることも、科学は認めています。

 しかしながら、人間が、精神の一面性だけに片寄るとは、思えません。たとえ「未来人」は、「エーテル体」・「アストラル体」だ、との言及が有ったとしても、直ちに、それを認める訳にはいきません。
 

 すなわち、「物質の三態」は、固体・液体・気体であるが、固体は原型を留(とど)められるが、液体は平面状に広がり、気体は立方体状に拡散します。
    あと、
 プラズマ状態が有りますが、これは「特異な雰囲気」の中での、一時的な状態に過ぎず、永続性は有りません。
    したがって、
 未来人が「エーテル体」・「アストラル体」とは思えないし、ましてや、「精神」だけとも思えません。
    それは、
 気体・エーテル体・アストラル体は拡散・放散するから、何らかの「支持体・よりしろ」が無ければ成らないし、ネットワークも構築できないと思うからです。


 よって、上記に述べたように、

 人間(肉体)→ヒト(精神・霊界)→ヒトの反対(肉体)→真実の人間の意識(精神・神界)→遠い未来の真実の世界(肉体)

 と考えるのが、妥当ではないかと思います。(つまり、未来人は肉体を持っているのです)。

 (★注 「シリウスの解釈」によると、『真実の人間の肉体は、人間の肉体と全く同じ、らしい』)。


 つまり、私たちの宇宙の構造は、「体験学習・実技」→「観察学習・見学学習・座学」の繰り返しで、「思考と体験」を行う「未来のコンピューター教育システム」ではないかと思います。
    それは、
 未来の教育は、今のような「教員が教える学校教育」ではなく、教員は存在しないし、学校も存在しない「完全なコンピューター制御の教育」に成っていると想像するからです。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/581.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の22)・日月神示の研究・「日本人は、一個の巨大な、家族共同体になる」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「日本人は、一個の巨大な、家族共同体になる」に、ご興味をお持ちでしょうか。日本人の未来については、情報が少ないので、よく分かりません。

 今回の記事は、「シリウス」や「バシャール」から、参考になる記事を見つけられないので、日月神示の一本だけです。

 まあ、元々、「日月神示の研究」と断っているので、「シリウス」も「バシャール」も無くて良いのですが、「シリウス」や「バシャール」との類似性を見出すことによって、「社会通念上の客観的合理性」が得られるので、用いています。


A 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 『天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ。幽界に住む者は一人々々は強いが孤立するから弱いのぞ。』(黄金・72)。

 ★ ここで、(天界に住む事になる)日本人は、(幽界から来た)欧米人に比べると、背も低いし、腕力も弱いですが、一致団結することによって、無限の力を発揮します。
     その意味において、
 日本人は「全体主義」を抱負とし、「国家社会主義」を目指さなければ、成らないので有ります。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『日本人の未来については、調査中だ。分かれば、追記する』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 ある読者によると、『世界中に翻訳された全ての文献を精査した訳ではないが、日本人の未来については、もっかのところ、調査中だ』。


B なぜ、日本人が全体主義になるのか。

ア) 第一の根拠は、上記に述べた日月神示の、『天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ。』です。


イ) 第二に、日月神示に、『日本は別として世界七つに分けるぞ、』(下・13)。『あと七つの集団(まどゐ)が出来るぞ、』(海・13)
     と有るように、
 7つに分けられた世界に日本が含まれず、日本は、独自の「皇道主義」の道を歩むからです。


ウ) 第三は、「滅私奉公」であり、『公(おおやけ)のことに働くことが己のため働くこと。』(秋・07)

 『初めは六分国のため、四分自分の為、次は七分国のため、三分自分の為、次は八分国の為、二分自分のため、と云ふ様にして呉れよ。』(日月・24)。

 国のための「滅私奉公」とは、『欲しがりません、勝つまでは』の心意気です。そしてまた、「敗戦憲法」にも有るように、『公共の福祉が第一』であり、「私権」は「公共の福祉」に勝てないのです。


エ) 第四に、同胞(はらから)であること。『臣民同士、世界の民、みな同胞(はらから)と申すのは喩へでないぞ、血がつながりてゐるまことの同胞ぞ、』(下・33)。

 これこそが、『臣民は、神の赤子(せきし)』という言葉の本当の意味です。


オ) 第五に、宇宙の構成(VRゲームの構成)が、ツイン・システムだからです。

 上昇方向が、「イザナギ」・「男性原理」・「精神化」・「神」・「カゴメ歌の鶴」・そして「日本人」
 下降方向が、「イザナミ」・「女性原理」・「物質化」・「科学」・「カゴメ歌の亀」・そして「欧米人」

 つまり、自分の「対極」を観察し、「観察精神」を養うこと(「客観的自我」を発展させること)。また、自分の「位置」を対極から発見し、他者の長所・短所を見分け、良いところを自己に吸収する事。

 『天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ』(梅・22)、『 ・ もかたわ ○ もかたわ、』(下・21)、『学と神の力との大戦ぞ・・・神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、』(富士・23)。


C 日本人と、ミツバチとスズメバチの、たとえ話。

 ミツバチ(蜜蜂)とスズメバチが居ます。一匹の固体同士は、百回戦っても、スズメバチが勝利します。蜜蜂は弱い蜂ですが、蜜蜂が絶滅することは有りません。それは、集団の力によるものです。

 たとえば、スズメバチが、ミツバチの巣を襲います。巣はパニックに陥りますが、数匹の勇敢な蜜蜂が(自己犠牲)で反撃すると、それを合図に、他の蜜蜂の群れが集団になって、スズメバチに襲い掛かって、スズメバチは殺されます。もちろん、ミツバチ側は「死体の山」を築くことになります。

 このように、蜜蜂は、集団で蜜を集め、集団で巣を守り、集合意識で巣を運営します。(この頃の女王蜂は君臨せず、「卵を産む機関」に成り、巣の運営は、働き蜂(メス蜂)の「総和」によります)。


★ 日本人の未来は、「大和民族」として、「臣民」の「意思表示」の「総和」で統治され、その権原は「総有」であり、義務は「連帯責任・無限責任の法理」が適用される、かも知れません。

 まさに、ヒトラーが腰を抜かし、スターリンが逃げ出すような「家族共同体国家」の樹立です。それが、未来に築かなければ成らない『美しい日本』なのです。


D おまけ。おりしも「令和」で「霊和元年」。

 今上天皇が御退位され、「令和」に時代が変るのは、まったくの偶然か、それとも、「仕組」のひとこまか。そしてまた、「令和」は「霊和」にして「霊倭」だろうか。
    はたまた、
 人民が、「臣民」と「塵民」に選(よ)り分けられる初めの歳か。『いよいよ煮詰まって来たか』。

 また、「令」の「象形的イメージ」は、『幕舎(まくや)で畏(かしこ)まる』イメージ。そして、「令」の上に「雨」を乗せると「零(こぼ)れる」。「令」の横に水・氷を置くと「冷たい」。
 (「令」は、「命令」というよりも、『畏まる人』のイメージがします。あるいは「畏まる霊(ヒト)」か)。

 「霊倭」の「倭」の、「象形的イメージ」は、『人偏に、禾(のぎ・稲)に畏まる巫女』。つまり、「収穫祭・新嘗祭(にいなめさい)を祀る「ヒミコ」と民衆がイメージされます。
 (「霊倭」のイメージは、新嘗祭(にいなめさい)を祀る国の霊(ヒト)。「あらひと神」の「ミコトの国」)。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/584.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の23)・日月神示の研究・「次元という、考え方」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずだから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「次元という、考え方」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、チョッと難しい話をします。理解できないかも知れませんが、読みたくない人は、読んでもらう必要は有りません。人によっては、「脳ミソがオーバーヒートする」かも、知れません。


A 「次元」の一般的な意味、解釈。

 「次元」の一般的意味・解釈は、(簡単に言うと)、空間・時間の広がりを表す座標の数らしい。たとえば、指標・座標上での空間や、数学的な要素の配列の長さなど。

 あるいは、世界・性質・立場・視点・位置などと言われますが、漠然としていて、よく分からない。


B 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の「次元」の見方。

 『今の人民には何事も平面的に説かねば判らんし、平面的では立体のこと、次元の違ふことは判らんし、ハラでさとりて下されよと申してあろう。』(春・36)。

 『立体から複立体、複々立体、立立体と申してあろうが。」(春・38)。

  同じく、『立体から複立体、複々立体、立々体と進まねばならん。』(黄金・100)。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 「ある研究者の研究」によると、『人間の意識は、次元を交差する力を作り出す、らしい。』

 『死後の意識は、方向性を持たなくなり、精神とは全く違う次元に入る、らしい。』

 『人間の次元における太陽系に、知的生命体は、存在しない、らしい。』

 『ヒトの上にも、無限の次元が有る、らしい。ヒトは新しい力を持つ人間、らしい。』

 『前の次元の地球は、現在の月として反映している、らしい。』

 『太陽は、最終構成において、次元的な方向性が無くなり、全てが光になって現われる、らしい。』


 『★ めんどくさいので、その余は省略します、キリが有りません。。。』


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 「ある読者の感想」によると、『世界中に翻訳された全ての文献を精査していないから、よく分からない。』

 『全ての人は、全ての存在する次元に繋がっている、らしいそうだ。』

 『今の地球は、上位の次元に進もうとしている、らしいそうだ。』


 『★ 頭が痛くなるので、「次元」についての、これ以上の記述は、中止します。。。』


C 今回の記事は、これで、お仕舞いです。

 「下手な解説」をすると、「浅学」のボロが出るので、止めておきます。各自で、「次元」のイメージを膨らませてください。それが「進化の多様性」かも、知れません。それで構いません。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/585.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の24)・日月神示の研究・「恐竜も化石も、みんなウソだったと言う、トホホな話」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「恐竜も化石も、みんなウソだったと言う、トホホな話」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 私たちの地球の歴史は、50億年だ、100億年だ、などと言われて来ましたが、実は、たったの6,500年(あるいは13,000年)しか無かったし、バーチャルな「VRゲーム」に過ぎなかったのです。

 今回は、なんともはや、実にショッキングな、「トホホな話」をしなければ成りません。


A 初めに、お断り。

 私の記事は、(毎度のことですが)、今回も、単なる思い付きで、「エー加減」な記事を書いて、日々のストレスを発散するための「笑いのネタ」を提供しているだけです。

 まあ、大体が、「空耳の丘」の投稿記事です。まじめに読む人の『気が知れません』。私の記事を読んで、「怒り心頭」・「怒髪天を衝く」などは、尋常では有りません。
    そういう
 「融通の利かない人」の末路は、「振り込めサギ」の被害者でしょう。来たるべき「富士と鳴門の仕組」をクリアするためにも、『アホくさ』と笑い飛ばす「度量」が必要というものです。


 ★ それから、私の記事は「質問お断り」です。質問しても、回答しません。


B 「ミッシング・リンク」のこと。

 今回の記事を拝読する前に、「ミッシング・リンク」で検索して下さい。あるいは、「移行期の化石が見つからない」で検索して下さい。記事の有り難さが、3倍増になると言うものです。


C 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 『おもひの世界が天ぞ。にくの世界が地ぞ。おもひは肉体と一つぞ。』(白銀・01)。

 『世界は進歩し、文明するのでないぞ、呼吸するのみぞ、』(星座・07)。

 『元の世に一度戻さな ならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、』(上・25)。


 ★ 神示の中に、恐竜や化石の話は見つかりませんでした。まあ、『この世は、ウソだった』と分かれば良いのです。それから、上述の3つの訓話は、『VRゲームのことだった』と考えると、スラスラと読み解けます。話は、それからです。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 「ある研究者の研究」によると、

 『今の太陽系は、7回目のもので、6,500年前から始まったもの、らしい。』
 『あるいは、6,500年の2交替の13,000年間かも知れないし、2万6,000年の説も有る、らしい。』

 『化石は、中和を作り出す次元が人間として働きかけられた次元、らしい。人間の意識に働きかけられた次元、らしい。』

 『恐竜やアンモナイトが、実際に存在したわけではない、らしい。』

 『考古学の年代測定の「炭素同位体」の測定法は、まったく当てに成らない、らしい。』


 ★ 文章の意味が良く分からないので、各自で、解釈してください。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 「ある読者の感想」によると、『時間は、人間が作り出したもので、幻想らしい、そうだ。』

 『時間という幻想は、人間が、様々な体験をする目的が有るらしい、そうだ。』

 『時間は幻想で、世界も幻想で、宇宙も幻想らしい、そうだ。』

 
D おまけ、『水槽の脳』。

 「水槽の脳」と入力して、グーグルで検索してください。「胡蝶の夢」の現代版の「バーチャルの原理」が解説されています。また、未来は無線通信の時代ですから、脳に電極を刺す必要は有りません。


E 今回の記事で、言いたいこと。

 第1に、「この世」は虚構であり、遠い未来科学のコンピューター技術が作り出した「VR」(バーチャル・リアリティー)に過ぎないこと。

 第2に、「恐竜」も「化石」も、舞台設定の「大道具・小道具・ロケーション」に過ぎないこと。

 第3に、彼らが、故意に「仕組」をばらすのは、『虚構で有ることを発見して「生き方改革」をせよ』。『残された日々の間に覚醒し、命の有る間に改心せよ』なのかも、知れません。


F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/586.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の25)・日月神示の研究・「始祖鳥が、天空を羽ばたいたという、重力異常の話」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「始祖鳥が、天空を羽ばたいたという、重力異常の話」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 始祖鳥の化石が発見されると、『これが鳥の始まりだ』と世界中が興奮し、始祖鳥が天空を羽ばたく姿をイメージしたものでした。
   しかしながら、
 研究が進むと、この体型では体重が重すぎて、空を飛べないと分かって、ガッカリしました。

 ところが、始祖鳥が天空を羽ばたき、(記紀神話の)スサノオでさえも、アマテラスに会いに天上に駆け上ったかも知れない、と言う話をします。

 ★ スサノオの物語は、架空ではなく、前次元の物語であり、月(霊界)の物語かも知れません。


A 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 ★ 調べるのがメンドクサイので省略します。全部読むと「半日仕事」で大変なのです。確か、記載されて居なかったような記憶も有りますし。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 「ある研究者の研究」によると、『まだ研究中の解読中だ、と断っておく』。

 『アトランティスの次元においては、今とは大気成分が異なっていた、らしい』。

 『ピラミッドを作ったのは、変換人、らしい』。

 『古代人による巨石の加工は、古代人は重さを感じる制御が無かったし、重さを感じる方向が無かったから、らしい』。


 ★ これ、非常に大事です。「重さ」(重力)が、今とは異なっていたと解釈できそうです。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 「ある読者の感想」によると、


B (ウソのような話ですが)、「VRゲーム」なら、重力の設定は自由自在です。

 第1に重要なことは、私たちの世界は、虚構であり、「遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)」で有り、「パソコン・ゲーム」に過ぎないことです。

 第2に重要なことは、(ウソのような話ですが)、重力の設定は、「パソコン右クリック」→「システムの変更」→「重力の変更」→「適用・OK」に過ぎないことです。

 ★ よって、重力がゼロなら、人間がスーパーマンになって空を飛べること。ニワトリが月まで飛んで行けること。ピラミッドの石が発泡スチロールのように軽くなること。
   反対に、
 重力が数倍に増加すれば、人間は2足歩行が出来ず、「地を這う生き物」に成ってしまうことです。


C おまけ。肉食恐竜のティラノサウルスの体重の話。

 恐竜で、地上最強の肉食恐竜ティラノサウルスは、最初は、体重が10トンだとか、20トンだとか言われていましたが、足の骨の太さが細過ぎて、段々とスリムになったらしいです。
   つまり、
 全長・体長が2倍になると体重が8倍になる理論(縦・横・高さが各2倍になれば、2×2×2=8)や計算式などを用いて、他の類似する爬虫類その他の骨格と比較検討すると、せいぜい5〜6トン程度ではないかと言うことに落ち着いたようです。
 (ちなみに、アフリカゾウのオスは体重が5〜6トンで、最大のものは10トンになるそうです)。


(ところが、ティラノサウルスの頭が大きすぎるという、疑問)
   単純な疑問ですが、
 ティラノサウルスの頭は、体格に比較すると、大き過ぎるのではないだろうか。全体の復元モデルを見ても違和感を覚えます。
 (これだと、頭が全体に比べて大き過ぎるし、頭が重たくて首が痛いだろうし、肩もこるだろう)。


★ よって、様々な疑問・矛盾も、前述のように、重力の設定が異なっていたなら、疑問は氷解します。ティラノサウルスが数十トンあろうと、最大恐竜が数百トンあろうと、「ノープロブレム」です。


D 終わりに。『信じられない人』。

 今回の記事が信じられない人は、「思考回路」が固着し、「想像・発想回路」に不具合が有りそうです。百年先・千年先の科学技術・VR技術を想像することが必要であり、もっと「フレキシブルな脳ミソ」が必要でしょう。


E 追加のおまけに、「富士と鳴門」の「大洪水の予測」。

 ネットの未確認情報ですが、今年の「梅雨」は大雨の予測を出す人が居るそうです。何でも、熱帯高気圧が例年よりも西に発達して、その効果で「梅雨前線」が日本列島に滞留する可能性です。

 まあ、『当たるも八卦』かも知れませんが、『富士と鳴門の仕組は、締めくくりの仕組』であり、「シリウスの解釈」では『今回も大洪水で終了するらしい』ようです。実に恐ろしい話です。


★注) 『ひふみの火水とは結ぞ、』(上・16)であり、「結びの仕組」(最終章の仕組)。「画面」の全てが火と水になって崩れ去り、最後は、画面全体が光になり、とどめは、パソコンOFFで暗黒世界。
   ゆえに、
 『あはは、アホくさ』、と笑いながら死を受け入れる「度量」を育成させること。生きながら死後に入る「変換人」の意識になること。これが神示には書けなかった「最後の仕組」かも知れません。
   すなわち、
 「シリウスの解釈」によれば、『今の太陽系の消滅は、人類の死を意味するが、変換人の意識に進化すれば、死は克服されるらしい。つまり、変換人の意識になれば、生きながら死後の世界に入ることが出来るらしい。つまり不死身になるらしい』。


F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/587.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の26)・日月神示の研究・「千人に一人が、「神の子」の14万4千人だ」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「千人に一人が、「神の子」の14万4千人だ」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 「烏合の衆」という言葉が有りますが、『統一の無い寄り集まり』という意味で、今の日本国民の1億2,600万人の大半が、「烏合の衆」であり、「衆愚政治」の構成母体の「凡夫の衆生」です。

 よって、日本人の中から、14万4千人の精鋭による核質集団を結成し、来たるべき「第8次太陽系次元」を切り開こうと言う、『壮大なお花畑』の物語です。

 まあ、ここまで読んで『アホくさ』と思う人は、読まないでください。今回は、『14万4千人』です。


A★ それから、私の記事は、「質問禁止」です。単なる思いつきで「エー加減」な記事を書いて、「笑いのネタ」を提供しているだけなので、質問しても回答しません。


B 14万4千人とは、何か。

 はっきりしたことは知りませんが、どうやら、「ヨハネの黙示録」が出所のようです。黙示録によると、イスラエルの12部族の各部族から1万2千人ずつが選抜されて、合計が14万4千人のようです。


C 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示。

 『「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。』(雨・01)。

 『ひふみがヨハネとなり、五十連(イツラ)となりなって十二の流れとなるのざぞ、・・・』(雨・15)。

 『今迄は白馬と赤馬と黒馬とであったなれど、岩戸がひらけたら、岩戸の中から黄(基)の馬が飛び出してくるぞ、』(紫金・06)。


 ★ 神示には、「ヨハネの黙示録」に類似する記述は有るものの、肝心の「14万4千人」の数字が見つかりません。見つかったら、追記します。
    また、
 「イスラ」の初発からの経緯は、「元伊勢」系列の「ある団体」の「霊界についての物語り」に、記載が有るとの「噂」ですが、どうなんでしょうか。


イ) 「シリウスの解釈」。

 ある研究者によると、『忙しくて研究解読が進展していない。日本人が核質らしい。ほとんどの転換は核質が行っているらしい。古代日本人の「アシア族」が核質だった可能性を想像している』。

 ★ 肝心の「14万4千人」については、忙しくて調べていないようです。分かれば追記します。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」。

 「ある読者」によると、『世界中に翻訳された全ての文献を精査した訳では無いが、「14万4千人」の記述は至る所に見られる。14万4千人の覚醒が重要な位置を占めるようだ。はい、お仕舞い』。

 ★ 14万4千人が明記されており、しかも、重要な位置付けのようです。


D 一厘は、「千分の一」のことです。

 日月神示には、至る所で「一厘の仕組」が登場します。
   そこで、
 「一厘」の解釈は、『9分9厘』と解釈しますと、100分の1(1%)の意味に成りそうですが、『3割3分3厘の打率』と解釈すると、1,000分の1(0,1%)の意味に成ります。
   たとえば、
 日月神示には、『マコトの者は千人に一人ざぞ、』(岩戸・12)、と有りますから、核質と成るべき本当の人は「千人に一人」という計算に成り、辻褄は合っています。

 すなわち、日本人の1億2,600万人の千分の一の「12万6千人」と、世界中に散った残りの「1万8千人」を合わせて「14万4千人」という意味ではないかと、想像します。


E イスラエルとユダヤの、再会と結合で、「霊肉一致の仕組」の「パソコン・ゲーム」。

 日本人以外の1万8千人は、(「副官・ジョーカー」とか呼ばれる「相方」が、最後まで分からないトランプゲームの「ナポレオン」のように)、故地パレスチナから世界に分散した、(「イスラ・出す羅」の片面の)「ユダヤ・結た羅」の霊的子孫の「振り目」や「居る身」だったら、『あっ』と驚くことでしょう。
    この点について、
 日月神示には、『今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて』(光・06)。
    (類似に、
  『天の御先祖様と地の御先祖様と御一体に成りなされ、』(梅・22)。

イスラ・霊・火・国祖・・・・・・艮の金神(ウシトラ・東北)・・・厳の御霊(イズノミタマ)・日の大神・国常立尊・イザナギ・アマテラス

ユダヤ・肉・水・国祖の妻神・坤の金神(ヒツジサル・西南)・瑞の御霊(ミズノミタマ)・月の大神・豊雲野尊・イザナミ・スサノオ


F それは、人口10万人の都市では100人の計算だ。

 「一厘の仕組」は、千人に一人ですから、1万人で10人、10万人で100人、東京が仮に1,000万人なら1万人という計算に成ります。

 日月神示には、『村々に一粒二粒づつ因縁身魂落してあるぞ、芽生へて来るぞ。』(マツリ・11)、ということで、小さな村に1人、大きな村に2人程度なら「千人に一人」と考えるのが、妥当でしょう。


G 「14万4千人」が「核質」に成って、日本を牽引して、「スターウォーズ」の「戦争指導」です。

 神示には、『大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、』(地・36)、と有ります。

 この「14万4千人」が、中核になって日本を指導し、来たるべき「第8次太陽系次元」は、いよいよ、「日本人」が地球を飛び出して、太陽系の諸惑星に進出するのかも、知れません。


(単なる想像ですが、「第8次太陽系次元」では、「VRゲーム」のストーリーとして、「AI戦争」を「欧米列強」と戦う「スターウォーズ」が展開されるかも、知れません)。
   そして、
 (太陽系版に拡大した)、「ガダルカナル」の第2次攻防戦や、「インパールの白骨街道」の行進や、「バンザイ岬」でのダイビングや、内容の充実した「AI戦争」が展開されるかも知れません。


★ 『次の世とは通基(月)の世の事ざぞ』(日の出・03)と有るようですが、月だろうと、VRだろうと、夢に変わりは有りません。
   すなわち、
 過去も無ければ現在も無く、また未来も無く、ただ「今の瞬間」が有るのみであり、空間も無ければ実体も無く、ただ「シリコンチップ」の中を電子が往行するのみ、かも知れません。諸行無常。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/589.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の27)・日月神示の研究・「欲しいのは14万4千人だけだと、黙示録に書いてある」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「欲しいのは14万4千人だけだと、黙示録に書いてある」に、ご興味をお持ちでしょうか。この黙示録とは、かの有名な「ヨハネの黙示録」のことです。さっそく黙示録を見てみましょう。


A ★ まだ研究中ですが、「黙示録の世界を、分かれて旅立つ人々」について。

 人々は、「ヨハネの黙示録の世界」で、4つに別れて旅立つことになる、だろう。

 第1のグループは、7章に記された「イスラエルの子の14万4千人」であり、彼らは、14章の初段では子羊と共にあり捧げられた初穂と書かれてありますが、その後には登場しませんから、アセンションに際しては審判を経ることも無く、天上に旅立った最初のグループと考えられます。

 第2のグループは、「666の獣」であり、彼らの記述については、13章の末段には666の印を持つ人たちだと記されてあり、その後は様々に苦しみ、19章の末段では燃える硫黄の池に投げ込まれており、20章の「千年王国」以降には登場しませんから、19章で「火の池」に投じられて滅び去ったと思われます。

 第3と第4のグループは、「666の獣」になるのを拒絶した人々であり、15章の初段では終末にあたって神を讃えており、19章の末段では「最初の審判」を受けて、20章の前段では「千年王国」で繁栄し、その後の「サタンの復活」の後の「いのちの書」に従った「再びの審判」を受けて選別されましたが、その後の記述は見当たらず、21章以降は新天地の記述に移っていますから、たぶん、再びの審判でアセンションしたグループと転落したグループの2つに分かれたものと推測されます。

 まとめますと、第1のグループは審判を省略されたアセンション組であり、第2のグループは審判での消滅組であり、第3のグループは再審判後のアセンション組であり、第4のグループは再審判後に再びの転落組ということになりそうです。

★ 私の解釈は正しいでしょうか、間違いでしょうか。宜しければ御批評を頂きたいのですが。


B 「シリウスの解釈」との符合性の指摘について。

 「ある研究者の研究と解読」によれば、『よく分からないが、なにやら「千年王国」に類似する「解釈」が有るようだ』。

 『すなわち、「第8次太陽系次元」への「変換」は、「マヤの2012年」のあとの2013年から、スタートする、らしい』。

 『初めに、1,300年か1,000年か分からないが、「原始的な意識」の生活を送ったのちに、人類の知能は「爆発的な進化」を遂げて、大文明を起こす、らしい』。

 ★ たとえば、(1ゲーム6,500年間とすれば)、今次元は紀元前4,500年前に始まったことになり、紀元前3千年代に、メソポタミアに「スバル人」とか「ウバイト人」とかの先史文明が開化して、その後に、「神の子」の「スメル人」が侵入して、「スメル王朝」が繁栄したと、解釈できそうです。


C 「2013年を生き残った人々」。

 「シリウスの解釈」によれば、『2013年を生き残った人々は、「変換人」に意識進化して、「第8次太陽系次元」か「5次元世界」か知りませんが、アセンションする、らしい』そうです。

 ★ この「変換人」は「ひっかけ」で、実際は「玉石混交」であり、慎重に解釈すべきでしょう。


D 日月神示との類似性について。


E やっぱり、「14万4千人」は特別であり、エリートであり、「高等文官試験合格組」であり、日本人の核質であり、進む道は「別枠」かも、知れません。


F 追記。。幼子の手を引きながら、日暮れの道を、トボトボと歩く、『親ごころ』。

 実は、私たちの世界は、全て「仕組」であり「対立構造システム」ですが、それは、『他者を観察して「観察精神」を養い、自己の栄養とせよ』と言う事です。もちろん、『イスラとユダヤ』も対立構造の設定だろうし、『自由主義と共産主義』も、対立構造の実験だろうと思います。

 そして、小学生が成長するためには、算数の問題を繰り返し解いて『脳みそ』を鍛え、漢字の書き取りテストを積み重ねて漢字を覚えるようなものであり、長い時間を費やさねば成りません。


 それは、神々から見れば、わが子を背負い、幼い子供の手を引きながら、日暮れの道をトボトボと歩くようなものかも知れません。


 神々にとっては、『我が子は可愛い』し、神々の未来も「我が子」に託さなければ成らないのですが、神々の世界の科学は、「VRゲーム・第7次太陽系次元」を構築する技術が有ります。
   それに対して、
 私たちは、現代の「低レベルのパソコン」を開発するまでに数千年を要したし、「6・3・3・4年制の学校教育」を設けても、現状の最先端科学に到達できる者は「千人に一人」の有様です。

 したがって、真実の世界の科学技術を習得するには、あと数百年間は「合宿」での強制教育が必要で有り、これ以上の科学技術の修得は、「6・3・3・4年制」や、「人生百年」では足りません。だから、『ガラガラ、ポン』と言う事です。


G 建て替え・建て直しの、本当の意味。

 仮に、神々の寿命が三千年あるとするなら、人生80年の40倍ですから、教育期間も、今の40倍の6百年間を要する事になり、あと6,7回は生き死にを繰り返さなければ成りません。

 たとえば、千年後のコンピューター技術をマスターするだけでも、百年以上を要することでしょう。
   ですから、
 百年に満たない期間で「生き死に」を繰り返していたら、ロスが多くて、話に成りませんから、一旦、「第7次太陽系次元」を終了させて、「高寿命」の世界に移行させようと言う事ではないかと思います。

 (たとえば、「バシャール」では、三百年くらいの寿命が有る、らしいそうです)。

 (たとえば、「シリウスの解釈」では、『最終構成において「交替化」するらしい。交替化は人間・ヒト・真実の人間などの全てに連動しているらしい』)。

 (たとえば、「日月神示」では、『世変りたら生命長くなるぞ。』(松・22)。

  『今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、』(天・02)。


☆☆ まあ、『あと数百年間の強制教育』を想像すると、「ため息」が出ると言うものですが、神々様も、「アホな我が子」を見て「ため息」をついていることでしょう。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/592.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の28)・日月神示の研究・「昭和恐慌と、平成不況と、令和の大恐慌で、お仕舞いの予定です」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「昭和恐慌と、平成不況と、令和の大恐慌で、お仕舞いの予定です」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 いつの世においても、時代の変わり目というものは、「何かある」ものです。そこで、今回は、「その何か」が何であるかに思いを馳せてみたいと、思います。

 まあ、いつものように、「エー加減」な記事ですから、まじめに受け止めないで下さい。何度も言いますが、『アホくさ』と笑い飛ばす「度量」がないと、「富士と鳴門の仕組」をクリアできません。


A 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 『金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ。』(黄金・59)。
 『悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、』(梅・26)。

 『いよいよ戦烈しくなりて喰ふものもなく何もなくなり、住むとこもなくなりたら行く所なくなるぞ。』(富士・10)。
 『日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ。』(風・11)。

 『今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、・・・獣となれば、同胞(はらから)食ふ事あるぞ。』(夜明け・04)。

 『臣民ばかりでないぞ、神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。』(富士・20)。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『まだ研究中の解読中だが、


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 ある読者によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、


B 昭和恐慌と、平成不況と、令和の大恐慌。

ア) 昭和恐慌の思い出。

 1914年(大正4年)から始まった「第一次世界大戦景気」で、日本はウハウハに成ったが、1918年(大正7年)の終戦で、一転して大不況が日本を包み込んだ。
    そして、
 追い討ちを掛けるように、1923年(大正12年)に「関東大震災」が「とどめ」を刺してしまった。この救済のための「震災手形」が日本中に飛び交って、ボディー・ブローのように苦しめた。
    そして、
 昭和になっても景気は上向かず、1927年(昭和2年)、「片岡蔵相発言」で銀行の取り付け騒ぎが発生して、ついに「金融恐慌」に発展した。
    また、
 1929年(昭和4年)、アメリカ・ニューヨークの株式が大暴落する「暗黒の木曜日」が発生した。
    追い討ちを掛けるように、
 東北地方に「東北の大凶作」が発生して、1931年(昭和6年)には「満州事変」が発生した。後は誰でも知っているから、省略です。


イ) 平成不況の思い出。

 1970年代から、日本は「made in Japan」を洪水のように輸出したが、見返りに「プラザ合意」で円高の劇薬を飲まされた。
     その後、
 日本は、「内需拡大」と称して、「土地ころがし」などを楽しんだが、ついには、世界中の絵画や高級品を買い占め、アメリカやハワイまでも買い占めた。
     そして、
 平成に変ると、「日経平均」の大暴落とともに、ディスコの「お立ち台」から奈落の底に転落してしまった。高金利政策が日本を苦しめて、ついには、「窓際族」が横行し、「就職氷河期」に覆われた。その後は誰でも知っているから、省略です。


ウ) 令和大恐慌の予定。(★「予定」は「未定」であり「確定」では有りません)。

 2008年の「リーマンショック」の「サブプライム」だとか、金融商品の「レバレッジ」だとかは、どーなったんでしょうか。確か、何京円とかの天文学的数字が有ったようですが。
 (その後の10年余りで、「解け合い(融け合い)」は完了できたのでしょうか)。

 ヨーロッパの債務問題や、中国経済の展望や、アメリカの借金問題や、日本の1千兆円の借金問題や、諸々が全部繋がっているらしいから、何かのアクシデントで、ひっくり返るかも、知れません。

 今の日本経済は、輸出で生き延びているが、内需は「シャッター通り」で、ショッピングセンターも「少子高齢化」の下り坂で、財政出動・年金・保険・公的資金が「命綱」との噂も聞こえます。

 平成不況の時は、正社員・年功序列・退職金の割り増し加算が、「早期退職」の「ショック・アブソーバー」になったが、派遣社員・パート・期間工のオンパレードの今日、はたして。

 預金封鎖・新円切り替え・財産税が、昭和21年2月16日、金融緊急措置令等が公布されて、預金封鎖と新円切り替えが実施された。さらに、25〜90%の財産税が課税された。
   一例として、
 昭和20年に、牛肉100gは80銭くらいか、金1gは4円80銭くらいか、小麦粉10sは4円くらいか。


 (変な例えですが)、『いつか来た道、いつか行く道』、かも知れません。


C 何もかもが、グシャグシャ。

 『地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。』(上・39)。

 『まだまだ少なくなりて、一時は喰う物も飲む物もなくなるのぞ、』(富士・05)。
 『米があると申して油断するでないぞ、一旦は天地へ引き上』(天・17)。
 『日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ。』(風・11)。
 『一本の草でも干して貯へておけよと申してあろがな。』(水・03)。

 『一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、』(富士・19)。


★ 巨大地震で、グシャグシャ。台風・豪雨で、グシャグシャ。冷害・長雨・日照不足で、グシャグシャ。経済も、グシャグシャ。何もかもが、グシャグシャ。
   そして、
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅するそうですが、その20年の間、天下泰平・平穏無事で過ごせるなんて思ったら、大間違いですよ。
   すなわち、
 「第7次太陽系次元」の、「卒業旅行」・「忘れ得ぬ思い出」として、神々が「ねんごろ」に可愛がってくれるようです。まあ、テーマ・パークの「ジェットコースター」のようなスピード感は有りませんが、20年かけて、ゆっくり・じわじわ、かも知れません。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/595.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の29)・日月神示の研究・「神示に書けなかった「最後の仕組」を、無料で、漏れなく、プレゼント」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「神示に書けなかった「最後の仕組」を、無料で、漏れなく、プレゼント」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、出血大サービスで、日月神示の「極秘中の極秘」の「最後の仕組」を、無料で、拝読者全員にプレゼントします。

 読んだあとには、放心状態、虚脱感、あるいは「恍惚のブルースの溜め息」が待っているかも知れませんし、あるいは、『それがどうした』という不満の声が聞こえるかも知れません。

 (★今回の記事は、うまく文章に出来ませんが、魂(こころ)と文章のミスマッチと理解して下さい)。


A 何で、仕組をバラスのか、その理由。

 仕組をバラす理由は、簡単です。全てが終わったからです。終わってしまったのです。

 (今までに何回も触れていますが)、「第7次太陽系次元」は、「マヤの2012年」で完結しました。仕組は成就しました。もはや、変更は有りません。

 「天国の門」は完全に閉められたし、「進化の舟」は出航しました。だから、今は、「ロスタイム」であり、各自の「引越し」作業中であり、卒業旅行であり、余暇時間です。


B 日月神示の「知らせられない仕組」とは、『人類の滅亡』だった。

ア) 『この仕組 分りてはならず分らねばならず、・・・知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。』(上・21)。

 『この仕組知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、』(下・04)。


 ★ 神示の「知らせられない仕組」とは、ずばり、『人類の滅亡』です。2037年か、2039年か、2041年か知りませんが、この地球が終わるのです。(と言っても「VRゲーム」のことです)。


イ) なぜ、神示が、「最後の仕組」を知らせなかったのか。

 たぶん、早過ぎるからです。神示の初めは1944年(昭和19年)からです。「五十黙示録」でも昭和30年代ですし、解読に十年、二十年を要したとしても、早すぎるのです。
    つまり、
 神示の読者は、人類が滅亡すると分かったならば、ショックのあまり、まじめに神示を読もうとしない。あるいは、『神示は偽書だ、インチキだ、銭儲けの詐欺商法だ』として、逆効果だからでしょう。


ウ) 神示は、「文章のマジック」で、脳と魂(こころ)のミスマッチ。

 よく考えてください。人間は誰でも死にたくないのです。『何としても助かりたい』と思うのが人情です。助かりたい一念で「神示」を読む人も居ます。だから、間接的表現で「人類の滅亡」が書かれています。つまり、「文章のマジック」です。たとえば、「ミロクの世」とは、間接的表現では「人類の滅亡」です。「大峠」・「建て替え・建て直し」も同じです。
    ところが、
 『人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、』(星座・08)とか、『一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ』(富士・19)、などで「人類の滅亡」も織り込まれています。
    しかしながら、
 多くの人は、文章を読んで、頭で「人類の滅亡」を理解しても、魂(こころ)が「人類の滅亡」を理解していない、自分の死を受け入れていないのです。これって、大変なことですよ。
    つまり、
 頭(脳)だけが、情報・データ・知識として、自分の死亡を理解・記憶したに過ぎないから、平然としている。本当は、ショックで1週間くらい寝込み、呆然自失に成らなければ成らないのです。
 ところが、みんな『自分は死なない』と思っている。大変な勘違いをしています。


エ) 思い起こせば、ノストラダムスの「1999年」は、大ショックだった。

 昔、「ノストラダムスの1999年」が有りました。まじめに受け止めた人は大ショックです。中には、人生設計や、人生観が完全に変ってしまった人も居るそうです。
    まあ、
 ノストラダムスの場合には、『空から恐怖の大王だ』なんて、半信半疑の人も居たし、影響は比較的小規模でしたが、神示の場合は、どれほどのショックが起こるか分からないし、上述のように、逆効果になる可能性も有るから、知らせることが出来なかったのかも、知れません。


C 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『まだ解読中だが、今の太陽系の消滅は、人類の死を意味する、らしい』。

 『変換人の意識に進化すれば、死は克服される、らしい』。


 ★ 『変換人の意識とは、生きながら死後の世界に入ること』、らしいですが、簡単に言うと、『いつでも死ぬ覚悟を持って、毎日を生きること』、ではないかと、想像します。
   つまり、
 「ニルバーナ」。吹き消す意。涅槃寂静。一切の渇愛・欲愛・執着・欲望・希望を吹き消すこと。


D 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 ある読者によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、地球は第3密度から第4密度に移行する、らしいそうだ』。


 ★ 『第3密度から第4密度に移行する』とは、言い方を変えると、「人類の滅亡」とも言えそうです。


E どのようにして、人類は滅亡するのか。

 日月神示には、「富士と鳴門の仕組」と有ります。

 「シリウスの解釈」では、『前次元は大洪水で終了したらしいが、今次元も、最終構成が行われた時に、大洪水が起こる、らしい』。
  『最終構成で、太陽は次元的な方向性が無くなり、全てが光になって現われる、らしい』。


 ★ 大洪水とは、「富士と鳴門の仕組」の事であり、『これでもか、これでもか』と何回でも発生し、『締めくくりも大洪水になる』、と受け取れそうですが、どんなもんでしょうか。


F おまけ。「マイヤーのエノク予言」とか。

 出血大サービスです。おまけに、『マイヤーのエノク予言』と、『旧約聖書・エゼキエル書』も「お持ち帰り」ください。

 ただし、日本の記述が見つからないので、日本が「適用」されるかは不明で、特設メニューの「富士と鳴門」になるかは「期待可能性」ですが、どんなもんでしょうか。


G 念のために。本当に死ぬのでは有りませんよ。

 何回でも言いますが、この世は「VRゲーム」であり、「パソコンゲーム」ですから、本当に死ぬのでは有りません。ゲームの中で死ぬだけです。だから、『あはは、アホくさ』と笑えば良いのです。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/596.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の30)・日月神示の研究・「虹の意味、風・雨・雪・地震・噴火の、霊的な意味」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「虹の意味、風・雨・雪・地震・噴火の、霊的な意味」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 映画・テレビドラマには、「涙雨」・「失恋の雨」・「雪の死別」などの「映像効果」が多用されます。たとえば、「失恋」には雨が情緒的な効果を発揮します。
 (しかしながら、台風の中での失恋は、ドラマとしては、イメージが台無しでしょう)。

 そこで、今回は、映像効果としての、「天の異変」を考えてみたいと、思います。


A 虹の意味。

ア) 一般的な「虹」のイメージ。

 (一般に)、雨が降ったあとには、青空が広がり、虹が見られますから、霊的イメージとしては、今までの穢れを雨で洗い流して、浄化された「こころ」を神が祝福している、イメージがします。


イ) 「シリウスの解釈」によれば、「ある研究者の研究解読」によると、

 『虹は、人間の意識の定質が生まれている力の精神、らしい』。『虹は意識の精神、らしい』。

  (★「何のことか意味不明で日本語になっていません。正しい日本語を使うべきでしょう)。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」によれば、「ある読者の感想」によると、『世界中に翻訳された文献を全て精査したわけでは無いが、

 『虹は、その人の、最後の生まれ変わりを象徴している、らしいそうだ』。
   あるいは、
 『その人の人生で、光の王国になることを象徴している、らしいそうだ』。


エ)★ 「シリウス」と「バシャール」を重ね合わせても、虹は「神の祝福」や、「こころ」の浄化や、アセンションがイメージされそうですが、どんなもんでしょうか。


B 「風」の意味は、(台風も含めて)、「変換」・「意識変化」です。はい、お仕舞い。


C 「雨」と「雪」のイメージ。

ア) 日月神示の見方。

 「富士と鳴門」ばかりで、雨や雪の解説が見つかりません。見つかれば追記します。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『研究中の解読中だが、雨は、力の外面性の関与で生まれた次元の対化らしい。あるいは、力の方向を持つ調整質の対化らしいが、まったくもって、意味不明だ。

  『雪の意味は、もっかのところ、調査中だが、たぶん、雨と同じで意味不明だろう』。


ウ)★ 「雨」と「雪」の、私的な解釈。

 雨・雪は、両者共に、「変換」・「別れ」・「過去との決別」・「意識進化」を意味します。

 雨は、現状における「意識の変換」を意味し、現状が変化しながら継続すること。
 雪は、現状からの「意識の変換」を意味し、現状が終了して、新たな意識が作り出されること。

 雨は、たとえば、「失恋の涙雨」のように、過去と決別して、別の「新しい生き方」を続けること。

 雪は、再び凝り固まること。再び生まれ出ること。だから、雪は死別を意味する。


D 地震・火山噴火の意味。

ア) 「シリウスの解釈」によれば、『地震とは、総体的な中和の変換、ではないかと解釈している』。

  『火山噴火とは、精神の内面性の顕在化、ではないかと解釈している』。


イ) 日月神示の見方。

 地震・火山噴火の記述は多数あるものの、「意味」・「メカニズム」の解説は見つかりません。


ウ)★ 「地震」と「火山噴火」の、私的な解釈。

 第1に、『思考と体験』で考えると、「外的自分」が「第7次太陽系次元」を行為する自分で、肉眼を通して見る「外の世界」(体験する自分)。「内的自分」は「意識・精神」(思考する自分)。

 第2に、『この世はVRゲーム』だが、「天然自然」・「天変地異」を、どのように「演出」するか。「演出効果」を最大限に盛り上げるには、どうするか。神々たちは連日の「編集会議」を開いた。
    たとえば、
 地球を主体に考えると、地球内部の中心(つまり北)に向かって立っているのが「ヒト・霊的自分」で、外部(つまり南)に向かって立っている(逆立ちしている)のが「物的自分」になる。
    この点について、日月神示に、
 『なにも上下、下ひっくり返ってゐるから』(上・03)。『天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ』(上・27)。『逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど・・・上下逆様と申してあるが、』(下・13)。
    また、南北の霊的意味は、
 北とは、「気垂る」のこと、つまり中心から気(霊)が降りてくること。南とは、「身波」・「身並み」・「身生る」のこと、つまり気(霊)が凝り固まって「肉体化・物質化」すること。

 第3に、天変地異の意味は、『このほうの道へ御座れ。正しき光の道によれよ。・・・天災や地変は大き肉体の応急処置の現れであるぞ。部分的に、人間苦しめる様に思ふてはならん。』(春・49)。

★★★  ↑ 重大発言です。
  『天災や地変は、大き肉体の応急処置の現れ』とは、すなわち、『地球ガイア(母体・ヒト・地底人・人間の反対)の「不具合」が変換された時に、地上世界には、天変地異として表現される』という意味です。「不具合」が発生したから、「応急処置」が必要になるのです。
  じゃあ、不具合って、何のことですか。

 よって、第4の結語は、地震も火山噴火も、ヒトの「古い意識の変換」と考えます。すなわち、地震は、泣き震えながら変換すること。火山噴火は、怒りが爆発しながら変換すること。両者ともに原子(中性子)の崩壊現象。
  (この点の解説は、(その9の4)『地震の原因は中性子の崩壊だった』を参照してください)。


E 「シリウスの解釈」による、基本仕様書。

 「シリウスの解釈」によれば、『ヒトの意識における気象とは、人間の反対側における原子』、らしいそうだが、正しい日本語に成っていないので、意味不明だ』。

★ (一つの考え方として)、「逆転世界」。たとえば、サッカー・ボールの表面と裏面を引っくり返す。あるいは、地球の内面と外面を引っくり返すと、地球のマントルや核が天空になり、今の天空・宇宙がマントルや核に成るイメージですが、想像力をフル回転してください。

★★ 「シリウスの解釈」によれば、『第7次太陽系次元は、今の人間には、理解も想像も出来ない構造に作られている』そうですから、2千年前の古代人がパソコンを想像するようなものかも。


F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/598.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の31)・日月神示の研究・「黙示録の「千年王国」の記述には、違和感を覚える件」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「黙示録の「千年王国」の記述には、違和感を覚える件」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 以前に、「ヨハネの黙示録」を紹介しましたが、この黙示録の「千年王国」のニュアンス(おもむき)については、様々な違和感を覚えますので、これらについて述べたいと思います。


A 「千年王国」とは、「落ちこぼれの再教育」ではないのか、という違和感。

ア) 「ヨハネの黙示録」の「千年王国」のイメージ。(あくまでも私的解釈)。

(拙文の(その9の27)Aで)、
 ・・・第3と第4のグループは、「666の獣」を拒絶した人々で、終末に神を讃え、「最初の審判」を受けて、「千年王国」で繁栄し、「再びの審判」を受けて選別されましたが、・・・。
   すなわち、
★ (私的解釈としては)、卒業レベルに達しなかった者の再教育の場が「千年王国」という意味です。だからこそ、「千年王国」に入る前に、(「666の獣」に堕落しなかった者だけが救済されるところの)「最初の審判」を受けなければ成らないし、
 また、「千年王国」で「やり直した」のちには、「再びの審判」(再試験)を受けなければ成らないし、再試験で合格組と「再びの落第組」に分かれるという意味です。
    つまり、
 『今と同じ人間』として、「復活」のために「やり直した」。しかも、落第生として「やり直した」。(ちなみに、1回目の卒業生とは「イスラエルの子の14万4千人」のことです)。
 

イ) 「シリウスの解釈」の「千年王国」のイメージ。

 「ある研究者」の研究・解読によると、『2013年から、「千年王国」の1,300年(あるいは1,000年かも)が始まる、らしい』。
    また、
 『2013年以降に生き残った人間は、(変換人に意識進化するから)、3次元の原始的な生活に生き残るのでは無い、らしい』。
 (つまり、物質文明の完成の「霊肉一致」で、変換人に進化するから、原始的生活は無いようだ)。
    また、
 『今の地球の人種は、7回の交替化のシステムで生まれた者(輪廻転生のことか)と、前次元で進化できずに地上に残された者(つまり落第生のことか)、さらに、金星・火星・水星などの他の惑星次元から転生した人間、などの複雑な混合、らしい』。
    さらに、
 『今回の交替化は、太陽系次元での統一化であり、「最終構成」が「人間・ヒト・真実の人間」の全てに及び、今回の人間だけに行われるものでは無いから、人間は誰も地上には残らない、らしい』。

★ よって、「千年王国」のイメージは、上記の「ヨハネの黙示録」では、あくまでも『今と同じ人間』のイメージですが、「シリウスの解釈」では、「変換人」に進化した『今とは異なる人間』のようです。
     だから、
 「シリウスに言う変換人」と、「黙示録にいう人間」は、同じ人間のことなのか、という違和感です。


ウ) 「日月神示」の『弥勒(みろく)の世』とは、「千年王国」のことなのか。

 第1に、『前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、・・・それで今度は元の生神が天晴れ現はれて、悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯するのぞ、』(松・12)。

★ この、『前の建替は三千世界の建替ではなかった』は、上記「シリウス」の『今の人種は、7回の交替化から生まれた者や、進化できずに地上に残された者』に類似するように感じます。
    また、
 『根本からの大洗濯』は、上記「シリウス」の『今回の交替化は、人間・ヒト・真実の人間の全てに及ぶ』に類似するように感じます。


 第2に、(上記の)『悪は影さへ残らぬ様、根本からの大洗濯』は、同じ神示の、『天も地も一つにまぜまぜにする・・・人一人も生きては居れん・・・それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とする』(富士・19)、に類似します。

★ この、『身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とする』は、上記(ア)の「ヨハネの黙示録」の、『千年王国で繁栄し、「再びの審判」を受けて選別』に類似します。
    すると、
 「弥勒(みろく)の世」とは、「ヨハネの黙示録」の『落第生の千年王国』の事でしょうか。
    そうだとすると、
 「シリウスの解釈」の『2013年から始まる「人間が意識進化した変換人の千年王国」(1,300年あるいは1,000年)』とはニュアンスが異なるように感じますが、その辺は、どうなんでしょうか。


B 「千年王国」に、科学的記述が無いことに、違和感を覚えること。

 現世の人類は、数千年の歳月を費やして科学を発展させ、現在のパソコン・スマホを生み出し、天空にはジェット機を飛ばし、地上には自動車を走らせています。
     ところが、
 「ヨハネの黙示録」の「千年王国」には、科学的なイメージが認められませんが、『科学や文明は、どうなったのでしょうか』。次の「次元」を「原始的な生活」に引き戻すと言うのでしょうか。
     この点について、
 「日月神示」には、『今の文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ、取違ひ慢心致すなよ。』(風・05)と有るように、今の科学が継続することが、書かれています。

★ 常識的に考えれば、人類が地球を飛び出し、銀河系に進出するためにも、科学は継続・発展させるのが当然であり、原始時代に「リセット」などは考えられませんから、この点について、違和感を覚えます。


C 今回の記事で、言いたい事。

 「来世」とか「千年王国」とかの解釈は、「ヨハネの黙示録」・「日月神示」・「シリウスの解釈」で、微妙に異なり、どれを取捨選択するかの判断は、難しいと思われることです。

 (あるいは、神の子として旅立つ者・千年王国に行く者・666の獣に旅立つ者などに分かれて、「三千世界」に旅立つのでしょうか)。


D 追記。『神の子の14万4千人だけでは、少な過ぎる』のではないのか、という違和感。

 黙示録の「一発合格組」の『神の子の14万4千人』だけで地球を運営するには、少な過ぎるのではないのか』という疑問が生じます。
    この点について、
 仮に、神々の寿命が三千年あり、毎年14万4千人が生まれたら、(単純計算で)4億3,200万人に成りますが、地球の適正人口は5億人という説も有るようです。
    しかも、
 未来は、コンピューター社会・AI(人工知能)社会ですから、労働力の大半は、コンピューター制御の機械が行いますから、「多くの人手」は必要ありません。
    したがって、
 「ヒトラーの予言」に有るように、未来は、「地を這う人間」と、「天上に位置する神人」に2分されて、『地を這う人間』の世界が、俗に言う「千年王国」の事かも知れませんが、どうなんでしょうか。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/599.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の32)・日月神示の研究・「イザナギ系列と、イザナミ系列の対立構造と、陰陽二元論」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「イザナギ系列と、イザナミ系列の対立構造と、陰陽二元論」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 (何回でも同じことを言いますが)、実は、私たちの世界は虚構であり「VRゲーム」なのです。その事を、「エー加減」に理解して腹に収めないと、「富士と鳴門の仕組」をクリア出来ません。


A イザナギ系列と、イザナミ系列の、対立構造。

ア) 日月神示の見方。

 『岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時・・・夫神、妻神、別れ別れ・・・一方的となった・・・
    その後、
 独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになった・・・それが一方的・・・妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、・・・』(碧玉・10)。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『次元は13まで有るらしい。「定質」と「性質」の、2つに相反する上下の流れが有るらしい。定質がイザナギで、性質がイザナミらしい。

 『性質と定質の関係は、「進化の力」と「反映の力」らしい。

 『人間とは、性質が生まれている状態らしい。』


ウ) イザナギ系列とイザナミ系列。

 イザナギとは、『誘(いざな)う気』、『誘う火』の意味らしい。男性原理で、精神化に向かう流れらしい。(ここで言う「気」とは、物質の「気体」ではなく、病気・元気などの「気」で「こころ」のこと)。 

 イザナギ系列とは、精神・魂・こころ・神霊のこと。気化すること。(国祖の)艮の金神(ウシトラノ・コンジン)・厳の御霊(イズノミタマ)・日の大神・国常立尊・イザナギ・アマテラスなど。

 イザナミとは、『誘(いざな)う身』、『誘う水』の意味。女性原理で、物質化に向かう流れらしい。

 イザナミ系列とは、物質・肉体・五官の作用・反射神経・人間で、液化すること。(国祖の妻神の)坤の金神(ヒツジサルノ・コンジン)・瑞の御霊(ミズノミタマ)・月の大神・豊雲野尊・イザナミ・スサノオなど。


B 「陰陽二元論」について。

ア) 陰陽の「陰」とは、太陰のことで「月」のこと。陰陽の「陽」とは、太陽のこと。

 両者は、対極に位置するが、例えると、「神と科学」・「精神と物質」・「プラスとマイナス」。あるいは、太陽として内側に働く力の「愛」と、月として外側に働く力の「知恵(応用科学・学問)」。


イ) 「日月神示」の見方。

 『神の歓喜を内的にうけ入れる霊人の群は無数にあり、これを日の霊人と云う。
 神の歓喜を外的にうけ入れる霊人の群も無数にあり、これを月の霊人と云う。』(地震・01)。

 『霊界人は、その向いている方向が北である。しかし、地上人の云う北ではなく、中心と云う意味である。』(地震・06)。

 『天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。一は月球の如き現われ方である。一は火の現われ、火の政治であり、一は水の現われ、水の政治である。
 愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。
   ・・・
 太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、・・・』(地震・19)。


C 「記紀神話」の、イザナミの最後と、神産みの意味。

ア) イザナミが、(火の神の)カグツチを産んだ意味は、「金属文明」の開化です。
  (その6の7)「イザナミの岩戸隠れ」、(その6の15)「カグツチと文明と不幸の始まり」を参照)。


イ) イザナミの死骸に、「イカヅチ」が取り付いていた意味。

 「イカヅチ」は雷(いかずち)のことで、「怒つ霊(ち)」・「怒る鎚(つち)」の意味かも知れません。

 雷は、火を表し、文明を表し、電気を表し、プラズマを表し、原子・素粒子も意味します。
 したがって、雷(イカヅチ)がイザナミに取り付いていた意味は、『イザナミが物質文明の母』という意味ではないか、と想像します。


D スサノオの位置づけ。

ア) 日月神示に、『スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。』(岩・01)。


イ) スサノオは、人間を、直接、指導監督するために、地上に降臨した。

 スサノオは、野球に例えると総監督として、人間(特に日本人)をコントロールし、当初のシナリオ通りに誘導するために、時には人間に生まれたり、重要人物に憑依して、ピッチャーとして登場したり、バッターとして登場したかも知れませんが、分かりません。

 (★1274年と1281年の2度の「元寇」で、日本は絶対絶命のピンチに陥ったが、2回とも暴風雨で救済されたのは、「月の大神」のイザナミによる『天則違反のインチキ』との、もっぱらの噂です。
    あるいは、また、
 大東亜戦争の敗北で、日本は絶体絶命になったが、この時も、アメリカ大統領が死去したり、旧ソ連がドイツを荒らしたり旧満州に侵攻して、アメリカの態度が変化したのも、『もしかすると』です)。


ウ) スサノオと、「堕天使ルシファー」との類似性について。

 「入る身」の守護神のルシファー(ルシエル大天使)との類似性が指摘されますが、どんなもんでしょうか。日月神示に『神の人民世界中に居るぞ』(空・09)。
  『あっ、と驚く、どんでん返し』。はい、お仕舞い。


E おまけ。日月神示・シリウス・バシャールの「三角測量」。

 世に云う「ひふみ信者」は、日月神示を朝な夕なに勤行(ごんぎょう)し、一言一句も漏らすまいと「虫めがね」を掛けて読んでいるそうですが、幾ら読んでも「真理」は読み解けません。

 つまり、「一点視座」では、なかなか、真偽・虚実の判別が出来ません。ですから、日月神示・シリウス・バシャールの「三角測量・三点視座」を、推奨させて頂きます。


F まとめ。「第7次太陽系次元」の「極意」。

 日月神示に、『智慧と、愛が主の座に居らねばならん。』(黄金・86)。
 『愛の人間は深く、智の人間は広く進むぞ。経(タテ)と緯(ヨコ)であるぞ。二つが織りなされて、結んで弥栄える仕組。経のみでならん。緯のみでならん。』(黄金・91)。 (つまり │+ ━ = ✚ )。

 これが「第7次太陽系次元」の「極意」です。すなわち、「愛」だけでは文明しないし、「知恵」だけでは「機械人間」になってしまうから、愛と知恵を具備した「神人」に成れという意味です。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/600.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の33)・日月神示の研究・「終末の日、日本人以外は、誰も地球に残らなかった」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「終末の日、日本人以外は、誰も地球に残らなかった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、私たちの世界は、VR(バーチャル・リアリティー)であり、「パソコンゲーム」ですが、ゲームの終わりの日には、日本人以外は、誰も地球には残らないという『そんなアホな !! 』話だったのです。

 まあ、「アホな話」は毎度の事ですから、『あはは、アホくさ』、と笑い飛ばして下さい。


A 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 『日本の国は世界の雛形であるぞ、』(地・17)。
 『日本が変って世界となったのぢゃ。』(春・14)。
 『日本は別として世界七つに分けるぞ、』(下・13)。

 『この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、
    ・・・
 依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、
 同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから』(日の出・20)。

 『この世は神の国の移しであるのに、幽界から移りて来たものの自由にせられて、今の体裁、この世は幽界同様になってゐるぞ。』(黄金・83)。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『全ての惑星次元の人間は、地球の人間と同じ形態をしている、らしい』。

 『地球の人種には、他の惑星次元の人間の子孫がいる、らしい』。
 『東洋人は地球らしい。白人などは金星らしい。黒人は水星らしい。アラブ人は火星らしい』。

 『地球人は地球を変える力を持っているらしい。日本人は地球の核質、らしい』。

 ★ (お断り)。すべて「伝聞証拠」なので、『らしい』を末尾に付けています。


ウ) 「旧約聖書」の人種構成。

 旧約聖書によると、地球の人種は、セム・ハム・ヤペテの三種らしい。(創世記・第10章を参照)。


エ) ムー・アトランティスについて。

 「バシャール等ほかの文献」によれば、『アトランティス人の生まれ変わりとか、アトランティス人の記憶を持った人々が大勢いる、らしいそうだ』。

 「シリウスの解釈」によれば、『アトランティス人の意識が、「第7次太陽系次元」の人間に再生している、らしいそうだ』。
    また、
  『今の人類の大半が、アトランティス人の末裔、らしいそうだ』。


オ) アーリア人について。

 アーリア人は、「イラン・アーリアン」・「インド・アーリアン」が広く知られるが、両者共に「白人」に分類される。また、いわゆる「西域」方面はアーリア人の色が濃いとされる。


B 以上の参考文献等を基にして、世界地図から、民族・国・大地を消していく。

 第1に、「白人」は、金星が母星だから、ヨーロッパ・旧ソ連圏・北アメリカ・オーストラリア・ニュージーランド・イラン・インドなどが、地球から消えます。(上記Aイ)。

 第2に、「黒人」は、水星が母星だから、アフリカが地球から消えます。また、黒人は「ハム族」だから、その関連先が消えます。(上記Aイ・ウ)。

 第3に、「アラブ人」は、火星が母星だから、アラビアが地球から消えます。(上記Aイ)。

 第4に、「アトランティス人」の末裔は、白人・黒人に転生したので、除外します。(上記Aエ)。

 第5に、「アーリア人」は、白人の系統と考えて、除外します。(上記Aオ)。


 すると、残るのは、東アジアの「東洋人」だけです。(インディオや少数民族は、除外します)。
    ここで、
 日本人が地球の核質で「トップスター」ですから、脇役の「大陸人」や「半島人」なんか、気前よく除外します。すると、地球に残るのは、日本人だけという計算に成ります。(上記Aア・イ)。


★★ ( ↑ 日本人と、大陸人・半島人の「出自」は、違うそうだ)。
    その理由は、
 (上記の)、『日本の国は世界の雛形であるぞ、』(地・17)。『日本が変って世界となったのぢゃ。』(春・14)。
    あるいは、
 「シリウス」の『日本人は地球の核質』にも符合し、辻褄は合っています。
    あるいは、
 元伊勢系列の、ある団体の、霊界についての物語りの、「盤古大神」とか何とか。
    あるいは、
 『日本とカラ(支那中国)と土地が違ふように、日本人とカラ人とは違ふ、』(極め・19)。


    ですから、
 表題に有るように、『終末の日、日本人以外は、誰も地球に残らなかった』、という結論が導かれる訳です。
 つまり、『この世は神の国の移し・・・幽界から移りて来たものの自由にせられて、』(黄金・83)。


 (★しかしながら、冒頭の、『2037年か、2039年か、2041年か知りませんが、地球が消滅する』との整合性については、『そんなこと、いちいち気にしていたら、「エー加減」な記事は書けません』。
     それに、
 新たに作られる「第8次太陽系次元」は、日本人が主体ですから、「消滅する地球」も「新たに作られる地球」も、似たようなものです。
  (どうせ、「エー加減」な「パソコンゲーム」ですから、「エー加減」で良いのです)。


C 外国人は、どうなるのか。

 日月神示には、『みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなるのであるぞ。・・・、民族の独立性もあるぞ。』(秋・09)。
    また、
 『日本は別として世界七つに分けるぞ、』(下・13)。
    また、
 『日本は真中の国であるぞ、・・・日本を足場として最後の大掃除』(碧玉・13)。
   (つまり、
 最後の大掃除で、「われよし真理教」・「物欲・個人主義」の「ガイコク人の魂」は全部たたき出して、クリーンアップし、「皇道主義(スメラミチ)」・「家族共同体国家」の樹立です)。


◎◎ これ以上書くと、世界中から石が飛んでくるので、今回は、これで終わりです。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/605.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の34)・日月神示の研究・「教えてはいけない「選別の仕組」を、特別に、公表する」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「教えてはいけない「選別の仕組」を、特別に、公表する」に、ご興味をお持ちでしょうか。今回は、「選別の仕組」を公表したいと思います。

 まあ、大げさな「表題」ですが、『知ってる人は、知っている』程度の話です。


A 日月神示ほかの参考文献等その他。

 「選別の仕組」については、様々な文献にも表われていることですから、まったくの荒唐無稽ということでも有りません。

ア) 日月神示の見方。

 『生かすことが救ふこととなる場合と、小呂すことが救ふことになる場合はあるなれど。』(紫金・04)。

 『今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、』(雨・09)。

 『いづれは人民へるなれど、何も約束ごと真理とはかえられん。』(春・55)。

 『芽を出したから間引かなならん。・・・神が見届けた人間と間引くのであるぞ。・・・間引いて他に植ゑかへるのぢゃ。・・・間引いて肥料とするぞ。』(黒金・07)。


 『八分通りは落第ぢゃぞ、・・・今度は落第せん様 心得なされよ。』(マツリ・08)。

 『何も彼も三分の一ぢゃ、大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組ぢゃ、』(扶桑・07)。

 『マコトの者は千人に一人ざぞ、』(磐戸・12)。

 『生きかへるもの八分ぞ。八分の中の八分は又生きかへるぞ。生きかへっても日本に捉はれるぞ・・・八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。・・・二分の人民、結構に生きて下されよ。』(黄金・02)。


 ★ ↑ 上段に『選別の必要性』の一部を、下段に『何割の人民を残すか』の一部を抜粋しました。
 幾ら残すかの数字は、バラバラですが、まあ、「エー加減」かも知れません。


イ) 「記紀神話」に見る、日月神示と同じ「三分の一」の根拠。

 昔、イザナギ・イザナミの『黄泉津平坂(ヨモツヒラサカ)の離別宣言』において、
 イザナミが、『お前の産んだ子供を毎日千人殺す』と言った。(要するに、科学・学問を集積させる事によって、物欲・肉欲主義に偏向・堕落させるという意味だろうと思います)。
    これに対して、
 イザナギは、『ならば、毎日千五百人の子供を産む』と答えた。(要するに、「三分の一」の五百人を、良い子・マコトの子として、選別して残すという意味だろうと思います)。


ウ) 「聖書」の見方。

 「良い麦」と「悪い麦(毒麦)」の例え話が載せられ、「悪い麦(毒麦)」は焼かれるようです。


エ) 「ヨハネの黙示録」の見方。

 大きく4つのグループに選別されるようです。(拙文の(9の27)Aを参照してください)。


B なぜ、「仕組」を、バラスのか。

 それは、「第7次太陽系次元」が「マヤの2012年」で終了したからです。「天国の門」は永遠に閉ざされたし、「進化の舟」は既に出航しました。二度と元には戻りません。今は「変換中」です。


C これから、卒業組と不合格組が、その本性を、次々に現わすだろう。

 「卒業証書」を受け取った人は、日々に、行いや思考が良い方向に向かい、「オーラ」が見えてきたり、こころが「平安」に成ってきたり、「この世」のことは『もう、どうでもよい異次元の世界』に思えたりするかも知れません。
    反対に、
 「不合格通知」の人は、包丁を振り回したり、(街中で)ヘラヘラ笑い出したり、「晩節」を汚して名声を失ったり、こころが荒れ狂ったり、イライラしたり、様々な問題行動を起こすかも知れません。

★ この点について、「宇宙線の異変」を唱える人がいますが、もしかすると、地球の「振動数」が上昇して、耐えられない人が「発狂」しているのかも知れませんが、どんなもんでしょうか。
    この点については、
 「バシャール」によれば、『地球の振動数は、第3密度から第4密度に上昇する、らしい』。
    また、
 「シリウスの解釈」によれば、『2013年から変換開始するらしい』・『2013年から電子が方向性を変えるらしい』との見解も有るようですが、よく分かりません。
    あるいは、
 『まことの光あらはしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ』(富士・07)。
  (★ たとえば「電子レンジ」のように周波数が上昇すると、個体→液体→気体→プラズマ状態→光、に成るというのは、科学的には、どんなもんでしょうか)。
      また、
 日月神示に、『五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、・・・気の毒出来るから』(富士・04)。


D なぜ、「選別」が必要なのか。

 簡単な話です。良いものを残し、悪いものを切り捨てる。そんなことは「当たり前」の常識です。

 人間は、野生動物と違って、社会性の有る生き物です。集団を作り、国家を作りますが、やがては、日本は「家族共同体国家」に成るだろうし、ひいては、人類は「地球家族」に成るでしょう。
     たとえると、
 「一個の巨大な人体」に成ります。肝臓・心臓などの「機関」はバラバラに独立していても、「一個の人体」の発展・繁栄のために協調・協和し、統制・調和します。
     ですから、
 社会性の無い人や、「われよし」の人や、調和できない人は、『来ないでください』という事です。

 (『世界丸めて一つの国にするぞ』(地・11)。『天界に住む者は一人々々は力弱いが和すから無敵ぞ』(黄金・72)。『天国と申すのは一人の大きな人間であるぞ』(白銀・03)。
     あるいは、
 『公のことに働くことが己のため働くこと』(秋・07)。『手は手の役・・・足は足の役・・・足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ』(下・13)。


E どうやって、選別するのか。

 未来では、コンピューターを使って、リアルタイムで、瞬時に選別します。実は、私たちの「VRゲーム」は、ゲームを楽しむと同時に、「選別機能」が働いています。
    つまり、
 「五官の作用」は電気信号ですが、「えしゅろん」のように、フィルターを通して、一人一人の行動・発言などが記録され、瞬時に評価されます。
    たとえば、
 目には「防犯カメラ」が、口・耳には「テープレコーダー」が付いていると思えばよいのです。


F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/608.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の35)・日月神示の研究・「『石屋と手を握れ』という、無茶苦茶な「仕組」の考察」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「『石屋と手を握れ』という、無茶苦茶な「仕組」の考察」に、ご興味をお持ちでしょうか。


A★ 初めに、お断り。今回は「日月神示」の部分に限定して、記事にします。

 「石屋」は非常に大事なテーマですが、記事にするのは色々と難しいのです。つまり、石屋から石が飛んできて、当たると痛いので、日月神示の部分に限って記事にします。


B 『石屋と手を握れ』、という「日月神示」における、根拠。

 『岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、・・・コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ』(下・22)。

 ★ 『コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ』は、直訳すると、『この鍵は、石屋と、しか、手握ることぞ』が考えられそうです。
  (『シカ』は、「確(しか)と」・「聢(しか)と」で、『たしかに、はっきりと』の意味だろうと思います)。


C そこで、日月神示での、「石屋」の文節・語句の、一部を抽出する。

ア) 『知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならん・・・イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり』(下・16)。
 『今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ』(下・16)。


イ) 『ナルとは成る言(コト)ぞ。成るは表、主(曰(シ)ゆ)ぞ。ウムとは  (ウム)のこと。生むは裏、従(二ゆ)ぞ。
 ナルは内、ウムはソト。ナルには内の陰陽合せ、ウムにはソトの陰陽合せよ。
 成ると生むは同じであるぞ。違ふのぢゃぞ。成ることを生むと申すことあるぞ。生むこと成ると見ることあるぞ。
 ナルとは  (ナル)こと、自分が大きく成ることぞ。自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。
 このこと判れば石屋の仕組判る。』(黄金・47)。

(★本当の「石屋の仕組」には深い意味が有るが、今回は『たのしい陰謀論』の部分に限定です)。


ウ)★ ↑ 上記(イ)のイメージとしては、
 「成る」とは、受精卵の細胞分裂のように、「一個の自分」の内側に自分が増殖し、最後には、完成された一個の『成人』がイメージされます。
 また、この点について、『天国と申すのは一人の大きな人間であるぞ』(白銀・03)に符合します。
  (この場合の人体は国家であり、細胞が国民の一人一人に相当します)。
    また、
 「生む」とは、癌細胞の肥大化のように、自分の外側に自分のコピーを作って、次々に拡大するイメージがします。あるいは、「スズメバチ」が、次々に子供を作って、大群に発展するイメージ。

 あるいは別に、「生む」とは、欧米列強が、戦争や「植民地主義」で領土を増やすイメージ。「成る」とは、日本が、龍体日本を「不沈空母」の要塞化にして、専守防衛するイメージ。


D 上記の、「成る」・「生む」の例え話と、イザナギ・イザナミの「紅白戦争」(VRゲーム)。

 先の大戦での日本の敗因は、日本が『生む』路線を採り、「半島」・「大陸」に進出し、「満州国」を建てる「植民地主義」を採ったが、神の逆鱗に触れ、また、欧米との対立を招いたかも知れません。
    そして、また、大戦後には、
 『生む路線』の列強は植民地を失い、国内に異民族を抱えるなどの「後遺症」に苦しんでいます。
    ところで、
 日本の敗戦の遠因は、「徳川日本」の三百年の鎖国政策によって、情報収集や科学技術の更新を怠ったのが遠因であり、『一つの政策ミスが国家の存亡に繋がる』、という事だと思います。
   (とは言うものの)、
 「石屋」は、イザナミの「霊的指導」を受けながら、日本の「活路」を塞いで追い詰めた訳ですから、「紅白戦」はイザナミの勝利ですが、最後に、『イザナギが「ちゃぶ台」を引っ繰り返す事でしょう』。


E 「石屋」と手を握る必要性について。

ア) (今までに何度も言いましたが)、この世は、「思考と体験」のために、「対立構造」に作られているのです。イザナギの「精神化」と、イザナミの「物質化」です。両者は車の両輪です。
    すなわち、
 『智慧と、愛が主の座に居らねばならん。』(黄金・86)。
    また、
 『愛の人間は深く、智の人間は広く進むぞ。経(タテ)と緯(ヨコ)であるぞ。二つが織りなされて、結んで弥栄える仕組。経のみでならん。緯のみでならん。』(黄金・91)。 (つまり │+ ━ = ✚ )。
    つまり、
 「愛」だけでは文明しないし、「知恵」だけでは「機械人間」になってしまうから、『愛と知恵を具備した「神人」に成れ』ということで、これが、人間の生きる意味です。「VRゲーム」の基本構成です。


イ) 「石屋」は、(霊的に)イザナミ(スサノオ)の系統かも、知れません。

 『神の人民 世界中に居るぞ』(空・09)。。『顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ』(上・15)。

  ★ 外国人の中にも、「神の人民・神の臣民」が居るということです。(つまり「霊的日本人」)。


 『元は元、分れは分れ、元と分れ、同じであるぞ、別であるぞ』(空・10)。
 『世の元からヒツグとミツグとあるぞ・・・ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ』(上・32)。

  ★ 元・ヒツグ(日継ぐ・火継ぐ・霊継ぐ)・神の臣民が、「イザナギの系統」で「愛・精神化路線」、
    別れ・ミツグ(水継ぐ・身継ぐ)・外国の民が、「イザナミの系統」で「知恵(応用科学)・物質化路線」かも知れません。


ウ) イザナギの「愛」では、イザナミの「知恵」には勝てない。

 「愛」・「大和魂」のイザナギの「神軍」は、「科学技術」・「孫子の兵法」のイザナミの「魔軍」には勝てません。たとえると、「B29」に弓矢で応戦したり、戦車に「竹やり」で立ち向かうようなものです。
    つまり、
 愛は「内に働く力」であり、知恵は「外に働く力」です。だからこそ、両者を兼備して「難攻不落の不沈空母の日本」を築けということかも知れません。


F 『石屋と手を握ること』は、可能か否か。

ア) 石屋は「水」であり、日本人は「火」ですから、相性が悪くて、手を握ることは叶いません。
    ですから、神示にも有るように、
 『反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、・・・それが岩戸ひらきぢゃ、』
    (碧玉・01)。 
  ★ ここでいう「立体」とは、 ( │+ ━ = ✚ )かも知れません。


イ) 神示には、『十二の玉を十まで生んで、後二つ残してあるぞ』(秋・21)、と有りますが、二つが「石屋」かも知れません。十二とは「イスラエルの12部族」のことでしょうか。
   また、
 『火と水で岩戸開くぞ・・・悪も御役であるぞ』(天・04)、と有り、石屋の肉体が外国人でも、霊的にイザナミ(水)の系統なら、最後にはイザナギ(火)の日本人と合流すると言う事でしょうか。


ウ) しかしながら、「この世」は、「VRゲーム」に過ぎませんから、ゲームが終われば、「石屋」と手を握り合うことも無く、次の「夢の世界」に旅立つのかも知れません。石屋も日本人も、所詮は「夢」です。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/613.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の36)・日月神示の研究・「マイヤーのエノク予言」の最終戦争と、愛の重要性」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「マイヤーのエノク予言」の最終戦争と、愛の重要性」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、「愛」の重要性を、未来予言を基にして、客観的・論理的に、考えてみたいと思います。(ただし、ここで言う「愛」とは、「利己の愛」では無く、「利他の愛」(慈悲・慈愛)のことです)。


A 「マイヤーのエノク予言」の最終戦争の、必要部分。

ア) 「ある研究家」の「マイヤーの予言の私的な解釈」によると、

 『ある宇宙人が、マイヤーに予言したそうだ。

 『何でも、人類は最終戦争を起こすらしいが、レーザー兵器とか、核兵器とか、様々な最新鋭の兵器を使用するらしい。

 『そして、クローン技術を用いた「クローン戦士」も登場するらしいが、これは、昔、『エノクの子孫がシリウスの領域で行ったもの』、らしいそうだ』。


イ) ★ ここ、大事です。つまり、『エノクの子孫が、シリウスの領域で、「クローン戦士」を投入して、戦争を行ったが、これが再び、人類の最終戦争でも行われる』、らしい。


B 「シリウスの解釈」から見た、「マイヤーのエノク予言」について。

ア) ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『今の人類の宇宙は、太陽系までしか作られていないから、外宇宙は存在せず、例えると、ホログラム・コンピューターグラフィックに過ぎないらしい。宇宙船が太陽系の外に出ると、消えるらしい』。

 『マイヤーを訪問している宇宙人は、「人間の反対」らしい、「変換人」らしい』。


イ) ★ もしも、「シリウス」が言うように、「当該宇宙人」が、人間の反対・変換人なら、「遠い宇宙」から飛来したのでは無く、「地球の内部」か「月」から来た可能性が考えられますが、どうでしょうか。


C 「日月神示」から見た、「マイヤーのエノク予言」について。

ア) 『物質界は、霊界の移写であり衣であるから、・・・総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。
     ・・・
 神界に属するものは、正流を通じ、幽界に属するものは外流を通じて自分に反応してくるぞ。(冬・01)。


イ) ★ 「日月神示」に宇宙人は登場せず、全てが「『神の中』に有り、仕組であり現われに過ぎないように、感じられます。
    そうすると、
 「シリウス」も「マイヤーのエノク予言」も、『神の中』に有るのでしょうか、どうなんでしょうか。


D 各種の文献から、「愛」や、「宇宙人」について、考えて見よう。

ア) 「日月神示」から見た「愛」について。

 『神は愛と現はれ、真と現はれるのであるが、・・・正流の歓喜は愛の善となって現はれて、又 真の信と現はれるぞ。外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ。
 何れも大神の現れであること忘れるなよ。悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あるのであるぞ。(冬・01)。

 ★ 愛と真(まこと・真実)の両面が大事であり、真実とは科学を意味するのかも知れません。ゆえに、絶対真実の科学のみを追究すれば、反比例して、愛が希薄化するのかも知れません。


イ) 「マイヤーのエノク予言」から見た、「最終戦争と愛」について。

 上記のように、『エノクの子孫が、シリウス領域で、クローン戦士・レーザー兵器・核兵器などの、様々な兵器を使用して戦争を行ったが、『殺すための殺し合い』に過ぎなかったと思われます。

 ★ もしも、愛・信頼・理性が有れば、話し合いによって、戦争を防止できたかも知れないし、逆に、憎しみ・怒りのエネルギーが戦争の炎を燃え上がらせるかも知れません。
    また、
 感情を持たない「機械人間」・「クローン戦士」は、機械的・論理的に戦争を継続するだけであり、お互いが破壊されるまで戦争を終了できないでしょう。
    つまり、
 「マイヤーのエノク予言」とは、戦争は愚かな行為であり、『愛情的・理性的な行動を取れ』という、人類への警告かも知れません。また、それは、、『彼らの失敗の歴史』、、の教訓かも知れません。


ウ) 「あるブログ」による、宇宙人の地球への入植の「原因」について。

 (あるブログによれば)、人類の祖先が、リラに文明を築いたそうだ。文明の破壊と崩壊に伴って、ベガに移住し、転々とした後に、地球に辿り着いたそうだ。

 ★ 「ブログ」には、『戦争による文明の破壊と崩壊』、が有った事が記載されているようです。


エ) 「バシャール等ほかの文献」から見た、宇宙人の地球への入植の「事実」について。

 「ある読者の読書感想」によると、『世界中に翻訳された全ての文献を精査した訳ではないが、
 『(人類か前人類かを創ったところの)アヌンナキは、「どこか」からオリオン座や琴座に移り、その中からプレアデスへ行く者や、地球に行く者が現われた、らしいそうだ。』


オ) 「シリウスの解釈」から見た、宇宙人に対する「考え方」について。

 「ある研究者の研究解読」によると、『オリオン・プレアデス・シリウスなどが登場するが、オリオンとは真実の地球における太陽と同じものらしい。シリウスとは変換作用に生み出された重次元の方向を持つ付帯質の方向性を抽出する力らしい。プレアデスとは付帯質の次元の別称らしい』。


E 戦争は、始める時よりも、終わる時のほうが、何倍も難しい。

 過去の多くの政治家・軍人が回顧録に残しています。『戦争は、何かの切っ掛けが有れば簡単に始められるが、終わらせるのは何倍も難しい』そうです。
    すなわち、
 勝っている時には、国民世論が沸騰して「完全勝利」を望むし、負けている時には、国民世論が負けを認めないから、「国の滅亡」まで進んでしまうそうです。
    だからこそ、
 戦争は起こしては成らないし、そのような世論を喚起しても成らないのです。


F だからこそ、「VRゲームの模擬戦争」を戦わせるという、「矛盾構造」。

 未来の教育システムでは、「本当の戦争」を起こさせないために、「VRゲーム・第7次太陽系次元」の中で、模擬的に、(数十年間隔で)「戦争体験」を行なわせているのかも知れません。

(つまり、「教育上の必要な過程」という観点から、戦争を「必要悪」として認める「矛盾構造」です)。


G★ 追記。「マイヤーの最終戦争の予言」の当たる確率。

 「マイヤーの予言」の当たる確率を言い忘れましたが、マイヤー以外にも、類似の予言を発する人が何人も居ます。また、『戦争を知らない子供たち』に、「引き寄せの法則」が働くかも知れません。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/614.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の37)・日月神示の研究・「五輪台風と、意識進化の、ウソのような話」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「五輪台風と、意識進化の、ウソのような話」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 (何回でも、同じことを言いますが)、私たちの世界は「虚構」なのです。夢なんです。ゲームなんです。エー加減に、腹に収めてください。そうしないと、「富士と鳴門の仕組」をクリアできませんよ。

 そこで、今回は、台風の意味を再考するために、「東京オリンピックの五輪台風」、をテーマに採り上げたい思います。


A★ 私の全ての「エー加減な記事」は、質問禁止です。(質問されたら、『恐怖を覚えます』)。


B 東京オリンピックと台風の、時系列。(★「五輪台風」と入力して、グーグルで検索して下さい)。

 東京オリンピックの開催決定は、1959年(昭和34年)でした。
 そして、五輪台風の発生時期は、翌年の、1960年(昭和35年)8月23日でした。
  (また、東京オリンピックの開催日は、1964年(昭和39年)10月でした)。

 ★ ですから、東京オリンピックの4年前に、「五輪台風」が発生したことは、明白です。

 勿論、五輪台風の1960年は、「ローマ・オリンピック」でしたから、『五輪台風は、ローマ・オリンピックを祝福したものだ』という意見が大勢ですが、そんな事を認めたら、今回の記事に成りません。


C 台風の、「霊的な意味」とは。

ア) 日月神示による、「台風」の見方。

 『天災地変は人間の心のままと申してあらう』(黄金・92)。
 『人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな』(青葉・16)。

 『天災や地変は大き肉体の応急処置の現れであるぞ』(春・49)。

 『おもひの世界が天ぞ。にくの世界が地ぞ。おもひは肉体と一つぞ。』(白銀・01)。

 ★ 残念ながら、「台風」の直接的言及は、見つかりません。(見つかれば追記します)。


イ) 「シリウスの解釈」による、「台風」の見方。

 ある研究者によると、『まだまだ、研究中の解読中だが、

 『渦とは、未知の力が生まれていることを表わす、らしい』。
 『風とは、変換をカタチに変えたもの、らしい』。

 『残念だが、台風の意味については、難解につき、もっかのところ解読中だ』。

 ★ (台風については、単なる想像だが、台風=風+渦、だから、『変換がカタチに変えられて、未知の力が生まれる事』、ではなかろうか、と思っているが、間違っているだろうか)。

 ★ 「渦」について、神示(春・10)に、『一切のものは  (ウズ)であるぞ。同じことくりかへしているように、人民には、世界が見えるであろうなれど、一段づつ進んでいるのであるぞ。』と有りますが、
   これは、
 『一段づつ意識進化している』と解釈できそうですが、上記「シリウス」の『渦とは未知の力が生まれている』に類似しており、両者ともに、「意識進化」を意味しているのではないかと、感じます。


ウ) 一般的な「夢占い」による、「台風」の見方。

 「台風」については、チャンス・吉兆・トラブル・不安、などを意味するようですし、
 「渦」については、呑み込む・押さえつける・危険・ストレス、などを表わすようです。


エ) 小説・文学などでの、「台風」の用い方。

 「風」は、「そよ風」・「新しい感覚」などの、「穏やかな変化」を表わし、
 「嵐」は、「革命の嵐」・「時代の嵐」、などの「激しい変化」を表わし、
 「渦」は、「混迷」・「疑惑」・「混乱」・「事件」、などを表わすようです。
 「台風」は、文学的な表現としては、余り用いないように感じます。


D 次に、『意識が物質を作り、台風まで起こす』、という考え方。

ア) 日月神示における、「意識と物質」の見方。

 『物質界は、霊界の移写であり衣であるから、霊界と現実界、又 霊と体とは殆んど同じ』(冬・01)。

 『人民の肚さへたら天もさへるぞ、心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、』(雨・14)。


イ) 「シリウスの解釈」における、「意識と物質」の見方。

 「ある研究者」の「研究・解読」によれば、

 『宇宙とは、意識かも知れないらしい』。。『気象とは、ヒトの等性らしい』。
 『海とは、定質の方向を持つ中性質の融和化したもので、陸とは、人間の意識の方向性らしい』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」における、「意識と物質」の見方。

 「ある読者の読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『私たちの物質的な世界は「夢」、らしいし、宇宙もホログラフィーのようなもの、らしいそうだ』。
 『自分の外に見えるものは、自分の中で起こる事を反映する「鏡」のようなもの、らしいそうだ』。


エ)★ 「日月神示」・「シリウス」・「バシャール」で考えると、私たちの現実は「想念」かも知れないし、その意味において、風や台風は、私たちの意識が創り出しているのかも知れません。


E だから、集合意識が、「五輪台風」を創った。(意識進化・意識の変換が起きた)。

 通常、台風の発生は1個です。まあ、次々に2個、3個発生することは有り得ますが、「五輪台風」のように日本の周辺に、同時に5個も発生することは考えられません。
    しかしながら、
 現実に5個も発生した。『有り得ない事が、何で起きるのか』を想像するには、『この世は、何か、おかしい』、『人間の集合意識が、台風を生み出した』と考えるのが、導かれた「私の結論」です。

 そして、「五輪台風」の意味とは、日本は、敗戦後の焼け跡から奇跡の復興を遂げたが、オリンピックの東京での開催は『感無量』であり、国民の祝福の意識が、五輪台風として表現された。


F この世は、『霊人が肉体人を土台として修行している』と云う、オカルトだった。

 「日月神示」に、『先祖は肉体人を土台として修業するぞ』(黄金・78)。。『霊人の外的足場として、地上人が存在する』(地震・03)。。
  『魂の守護神は肉ぞ。肉の守護神は魂ぞ』(黄金・12)。。『人民は神のいれもの』(夏・16)。。
  『物質界は、霊界の移写であり衣』(冬・01)。。『肉体は霊の衣と申してあらう』(秋・28)。。

 ★ 要するに、私たちの肉体の部分は人間でも、私たちの意識・精神は「神霊」だと思います。


G (余談・予断ですが)、今後、世界は、意識進化を原因として、猛烈に荒れ狂うだろう。

 世界の気象は、もう、ムチャクチャです。6月下旬に欧米で大雪、一転して猛暑、また一転して大寒波。あるいは、台風、バケツをひっくり返したような集中豪雨。

 これらの原因は、地球規模の変換であり、猛烈な意識進化が起きているから、かも知れません。

 (その意味において)、今後、益々、地球は荒れ狂うでしょう。覚悟は、よろしいですか。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/617.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の37−2)・日月神示の研究・「ところで、一応、10月は「経済の危険日」ですよ。」 

@ 「ところで、一応、10月は「経済の危険日」ですよ。」に、ご興味をお持ちでしょうか。急に、思い付いたので、記事にしたいと思いますが、読みたい人だけ読んでください。


A (お断り)。

 本件記事は、一応、経済ネタですが、「エー加減」な記事なので、『風評被害だ、風雪の流布だ』などの苦情が来ると困るので、陰謀論の範囲内で、「お花畑」に投稿したいと思います。

(★ 本当の所は、10月に成らないと分からないので、本気にしないで下さい。単なるネタです)。


B イギリスの「危険日」が「10月」に発生する、可能性。

 ご承知のとおり、10月に、イギリスが、EUを離脱します。今のところ、先行きは不透明で、はっきりしたことは分かりません。

 逆に、はっきりしていないから、世界各国は「様子見」状態ですが、もしも、EU離脱が確定した場合には、それなりのインパクトが有りそうです。

 つまり、「イギリス・ポンド」が変動し、「ロンドン・株式」も変動する、可能性が有るということです。


C アメリカの「危険日」が「10月」に発生する、可能性。

 ご承知のとおり、10月に、「ニューヨーク・株式市場」が変動した歴史的事実が有りました。

 「暗黒の木曜日」が1929年(昭和4年)10月24日に発生しました。
 「ブラック・マンデー」が1987年(昭和62年)10月19日に発生しました。

 (10月に発生する)原因の一つには、「決算月」という構造的な問題が有り、日本の決算は3月・9月の「半年決算」ですが、アメリカは「四半期決算」の影響が有ると言われています。

★ ただ、毎年10月に変動するわけでは無いので、一つの「都市伝説」と言われています。


D 日本の「危険日」が「10月」に発生する、可能性。

 ご承知のとおり、10月に、「消費税」がアップします。

 昔から、消費税に触れると、経済活動や株式市場が変動して、『内閣が吹っ飛ぶ』と言われますが、これも、「都市伝説」の一つです。


E 日月神示。

 『悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ』(梅・26)。
 『金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ』(黄金・59)。

 『金もの云ふ時から、物もの云ふ時来るぞ』(松・05)。


F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/618.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の38)・日月神示の研究・「『岩戸』の構造を、科学する」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「『岩戸』の構造を、科学する」に、ご興味をお持ちでしょうか。今回は、日月神示の「メイン・イベント」・オカルトの殿堂・本丸・奥の院の「岩戸」に、科学的に迫ってみたいと思います。


A 大前提としての、「岩戸」とは、何か。

 ここで言う「岩戸」とは、アマテラスが、出たり入ったりした「天岩戸(アマノイワト)」のことです。


Bの1 「岩戸」の構造を、日月神示の考え方から、推理する。

ア) 「岩戸しめ」は、ナギ・ナミ、アマテラス、スサノオ、神武天皇、仏教伝来の5回あった。

 『岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
 ・・・
 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。
 ・・・
 次の岩戸しめは素盞鳴命・・・神武天皇の岩戸しめは、・・・仏教と共に仏魔わたり来て
 ・・・
 これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。』(碧玉・10)。


イ) 「岩戸」には、「天の岩戸」と「地の岩戸」の、2つが有った。

 『人間界から世建直して、地(くに)の岩戸 人間が開いて見せると云ふ程の気魄・・・』(梅・10)。
 『天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、地(くに)の岩戸 臣民の手で開かなならんぞ、』(梅・13)。


ウ) 「岩戸」は「さかさま」とか「立体」とか、複雑怪奇な構造だった。

 『岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ』(碧玉・02)。
 『岩戸と申しても天の岩戸もあるぞ、今迄は平面の土俵の上での出来事であったが、今度は立体土俵の上ぢゃ、』(五葉・11)。


Bの2 「岩戸」の構造を、「シリウスの解釈」の考え方から、推理する。

 「ある研究者」の、「シリウスの研究解読」によると、『まだ研究中の解読中だが、

 『イザナギとは定質のことで、イザナミとは性質のことらしい。定質とは調整質の反映でオリオンの精神らしい。性質とは最終構成における対化を等化させる力で人間の持つものの全てらしい。

 『タカヒマラとは、反転した太陽系とか、ヒトの総体の次元とかを意味するらしい』。『ほかにも、反定質とか、反性質とか、タカマガハラとかが有るが、実に難解だ』。


C 「岩戸」の構造を、シーケンサー的に総合判断してみよう。

ア) 第1に、「岩戸」は、内面性・外面性の「二面構造・二重構造」に成っている、らしい。

 「日月神示」では、内面性が神霊世界で、外面性が人間世界。ただし、「幽界」は、人間の想念が作り上げたから外面性に属する。(この点について「白銀・04・06」、「磐戸・14」を参照)。

 「シリウスの解釈」(★個人的感想として)の、「定質・性質・反定質・反性質」の、4元構造について、
 『基本構造は、精神化(愛・オリオン)に向かう「定質」の方向性と、物質化(知恵・科学・プレアデス)に向かう「性質」の方向性が有ると考えます。
    そして、
 「岩戸」の内側は、主体の神霊(ヒト)の世界だから、「定質」・「性質」の2つの方向性が有るが、
 「岩戸」の外側は、物質的な人間世界だから、「定質」・「性質」と区別するために、「反定質」・「反性質」の2つの方向性が有ると考えます。
    つまり、
 人間世界は、神霊(ヒト)の想念が作り上げた二次的・派生的な世界だから、特に、「反定質」(定質に逆らい性質に向かう方向性)・「反性質」(性質に逆らい定質に向かう方向性)と別称します。


イ) 第2に、「岩戸」には、周期的な交替化が有る、らしい。

 「日月神示」では、「建て替え・建て直し」と表現していますが、今回で7回目を迎えるようです。(『世は、七度の大変りと知らしてあらう。』(黄金・26)。

 「シリウスの解釈」では、『6,500年周期で、覚醒期・調整期と、交替化するらしい』。


ウ) 第3に、今回は、「総入れ替え」になる、らしい。

 「日月神示」では、『今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度・・・神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度』(日月・01)。。『建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯』(水・12)。

 「シリウスの解釈」では、『人間の文明も、ヒトなどの文明も、共に、限界に達しており、交替化が必要らしい』。『今次元は第7次だから、最終の交替化らしい』。


エ) 『スサノオが天上でアマテラスに乱暴を働き、アマテラスが「岩戸」の中に隠れた』部分の考察。

 スサノオ・アマテラス・イザナギ・イザナミなどは、実在する者ではなく、システム・概念の呼称名に過ぎない。つまり、シンボル。要するに「パソコン・ゲーム」。
     一つの例え話として、
 初めに、(「中性・半霊半物」の)スサノオ・アマテラスが、共に「岩戸」の外側に出たが、時を経て、スサノオは、イザナミに励磁されて物質化(性質・体主霊従)に傾き、人間活動を行ったシンボルで、
 対するアマテラスは、イザナギに励磁されて精神化(定質・霊主体従)に傾き、「岩戸」の中に吸引されてしまい、霊的活動を行ったシンボルかも知れません。
     そして、
 再び出てきたアマテラスは、体主霊従(反定質)に反転したアマテラスか、それとも、人間の想念が作り上げた幽界の「想念の神・アマテラス」かも知れません。
    この部分について、
 「日月神示」では、『次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。』(碧玉・10)に符合します。
    また、
 「シリウスの解釈」でも、この部分について、『アマテラスとは、人間の意識が対化を持つ前に生み出された上次元の方向を持つ力で、人間の肉体が生み出される一つ前の次元のことらしい。スサノオとは、定質の等化を行う時に生み出された力のことらしい』。


D 自由研究。。「パソコン・ゲーム」の「岩戸のシステム」を構想してみよう。

ア) 「学校の学芸会」で、演技する演壇の上が「岩戸の外側」。交替を待つ観客席が「岩戸の内側」。

イ) 「地球」で、地上世界が「岩戸の外側」。地球内部の地底人の世界が「岩戸の内側」。

ウ) 「サケの卵」で、母体の中で発育している現実世界が「岩戸の内側」。夢を見ている自分(あるいは集合意識)が「岩戸の外側」。

★ ただし、「シリウスの解釈」によれば、『第7次太陽系次元」の構造は、今の人間には想像も理解も出来ないような、メチャクチャ複雑な構造に作られている、らしい』。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/620.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の39)・日月神示の研究・「岩戸を開く仕組を、解読する」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「岩戸を開く仕組を、解読する」に、ご興味をお持ちでしょうか。今回は、「オカルト・ファン」・「お花畑」が待望する、アセンションのための「極意・奥義」を、漏れなく、一挙公開します。


A 「岩戸を開く仕組」の参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

◆ 第1に、「岩戸閉め」とは、「岩戸開き」とは、何のことか。

 『外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ、五度ざぞ、・・・それを元に戻すのであるから今度の御用中々であるぞ、』(梅・11)。

 『今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん』(磐戸・18)。
 『今度の岩戸びらきは五度の岩戸しめを一度にひらくのであるから』(碧玉・09)。


◆ 第2に、「岩戸閉め」は、5回有った。( ↓ 以下は、(碧玉・10)を分解省略したもの)。

 岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時・・・総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なこと・・・
   一ヒネリして・・・天と地との間に大きレンズ・・・
 夫神、妻神、別れ別れ・・・岩戸がしめられた・・・独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになった・・・それが一方的・・・妻神も同様・・・
   この夫婦神が、時めぐり来て・・・抱き給う時節来た・・・うれしうれしの時代となって来た・・・
 同じ名の神が到るところ・・・名は同じでも、はたらきは逆・・・この二つがそろうて、三つとなる・・・

 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出まし・・・マコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし・・・

 次の岩戸しめは素盞鳴命・・・天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神・・・罪神と誤って・・・岩戸しめ・・・
 アラブル神とは・・・アラフル(現生る)神である・・・理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。・・・
 素盞鳴の命にも二通り・・・一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神・・・

 神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき・・・神の世から人の世への移り変り・・・神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれた・・・岩戸しめの一つ・・・

 仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が・・・仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて・・・乱れほうだい、やりほうだいの世・・・これが五度目の大き岩戸しめ・・・


◆ 第3に、神示の「岩戸しめ」を、解釈します。(★あくまでも私的解釈ですが)。

 人間以前には「霊体・ヒト」だったが、物理法則に支配された「地上世界」を創り、人間も創った。人間の意識・精神の発達と共に「自我・エゴ」、肉欲・強欲が形成された。

 ここで言う「岩戸」とは、「愛・精神化・全体化」に向かう方向性と、「知恵(応用科学)・物質化・個別化」に向かう方向性の、「分離点・関門」のようなイメージと考えます。
    だから、
 『岩戸を閉める』とは、「知恵(応用科学)・物質化・個別化」に向かう方向性の表現であり、『岩戸を開ける』とは、方向性を「反転」(変換)させることだと思います。


◆◆ 第4に、神示の「岩戸」には、精神的・気分的表現の「岩戸」と、物質的・感覚的表現の「岩戸」が有り、解釈は、実に難解です。

 たとえば、「精神的・気分的表現」としては、『我(が)がとれたので』(扶桑・06)、『自分で岩戸しめて』(下・12)、『ダマシタ岩戸からは』(青葉・14)、などが見えます。
    また、
 「物質的・感覚的表現」としては、『岩戸と申しても天の岩戸も・・今迄は平面の土俵の上・・今度は立体土俵の上』(五葉・11)、『天も地も大岩戸ひらき』(五葉・12)、『岩戸がひらける・・半分・・天界・・天界の半分は地』(五葉・15)、『天は天の、地は地の、人民は人民の、動植物は動植物の、それぞれの岩戸』(至恩・01)、などが見えます。

 (★各々の岩戸を開くが、立場で異なり、自分の物差しでは測れない。(この点「至恩・01」参照)。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

 ある研究者によると、『まだまだ研究中の解読中だが、

 『イザナギとは「定質」のことらしい。イザナミとは「性質」のことらしい』。。『スサノオとは、定質の等化を行う時に生み出された力らしい』。。『アマテラスとは、人間の肉体が生み出される前の次元での、上次元の方向を持つ力らしい』。

 『(位置の転換については)、日本人が今の人間の核質であり、位置の転換のほとんどは、この核質が行うらしい。位置の転換で、人間がヒトに変わるらしい。人間がヒトに進化するのではなく、意識が進化するだけであって、肉体が進化する訳では無いらしい』。

 『ムー・アトランティス人らは、位置の転換を行って、ヒトになっているらしい』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

 「ある読者の読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『地球上の全ての魂は、「輪廻転生」を体験している、らしいそうだ』。。『時間は存在せず、幻想らしいそうだ』。。『地球は、第3密度から第4密度に振動数が上昇するらしいそうだ』。


B どうやったら、「岩戸」が開くのか。

 「岩戸しめ」とは、『外国の性根入れたのが岩戸閉めであるぞ』(梅・11)、と有るように、「外国の性根を入れた」ことですが、これを(別に)「体主霊従」と表現しているようです。
    だから、
 「岩戸開き」とは、「体主霊従」の考え方を「中立」に戻すことです。肉体・肉欲第一主義、科学万能主義、個別化・断片化主義、金銭・資本家主義などの考え方を修正することです。
    と言っても、
 「こころ」も大事、科学も大事です。『智慧と、愛が主の座に居らねばならん』(黄金・86)。『知恵や学も要るのざぞ』(天・04)。『文明なくせん・・・文明残してカスだけ無(のう)にいたす』(風・05)。


 ★ また、『時めぐりきて、我(が)がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、岩戸がひらけたのぢゃ。』(扶桑・06)、と有りますが、この「岩戸」は、『自我』の事で、『自我の消滅』の事かも知れません。
    また、類似に、
 『気の合う者のみで和して御座るなれど・・・合わんものと合せるのぢゃ、岩戸がひらけたから、さかさまのものが出て来てゐる・・・これが出来ねば岩戸はひらけん』(碧玉・02)。


C おまけ。。「転換の仕組」とは、何のことか。

 神示に、『二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものであり』(冬・01・中段の末)と有り、ここでの「転換」は、内面に隠された別人格が外面に飛び出す現象を言うようです。
    ゆえに、
 「転換の仕組」とは、『人間活動をしていた外面性の自分』が、『人間活動を伴わない内面性の自分』に反転することだと思います。

 つまり、「岩戸」を開いて「霊・肉」を中立に戻し、人間世界を終了することが「転換」ではないのか。そして、2025年ごろから、準備の出来た人から「転換開始」するのではないかと、想像します。


 (★「変換」・「転換」とは、たとえば、(紙の表側で)方向性が逆向きに変るのが「変換」。紙の表側が裏側に反転したり、外面性が内面性と入れ替わるのが「転換」ではないかと想像します)。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/622.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の40)・日月神示の研究・「お待たせしました。戦争です。準備は、よろしいですか」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「お待たせしました。戦争です。準備は、よろしいですか」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、夏の暑さを乗り切るためにも、刺激のある記事を書いて、暑さを忘れようという「特別企画」です。『心頭を滅却すれば、火も、また涼しくなる』の心意気です。

 暑さを忘れるには、戦争が一番で、二番が火事で、『火事場の馬鹿力です』。


A★ お断り。

 今回の戦争記事は、作戦の部分に触れると「参謀本部の石原少将」から石が飛んでくるし、「あまかす大尉」がネットの検閲を強化して目を光らせているので、チョッとしか書けません。


B 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 『悪神の国から始まって世界の大戦(おおいくさ)愈々激しくなって来るぞ』(梅・07)。

   (★梅の巻は昭和21年に下されたものですから、大東亜戦争の後の話です)。

 『幽国(がいこく)は火の雨ぢゃなあ』(月光・29)。

 『世界の戦争、天災、皆人民の心からなり』(マツリ・14)。


イ) その他の最終戦争の「予言書」・「預言書」など。

 事情により、公表できませんが、今ではネットを堪能すれば多くを拾う事が出来ますし、端緒を見つけたら食いついて、足と金と脳ミソを使って「自分のもの」にして下さい。


ウ) 「シリウスの解釈」による『戦争論』について。

  ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『ヒトから見た「人間の戦争」は、浮き上がるクモらしい。つまり、ヒトの内面性の崩壊らしい』。

 『怒りとは、形の無い次元に迷化する力で、形を生み出せず、精神ではクモと言うらしい』。
 『雲とは、力が精神に形骸化したものの反映らしい』。


 ★ 「雲」の言霊(ことだま)は、曇(くもる)・籠(こもる)・隠(こもる?)、転じて惑(まどう)らしいので、類似性が認められる。ゆえに(上記の神示・マツリ・14のとおり)、戦争とは人(神霊・ヒト)の狂気や、精神の迷走の表われかも知れません。


C 一を聞いて十を知ってください。

 『桐、一葉おちて、天下の秋を知る』、は有名な言葉ですが、今回の記事は、これで、お仕舞いです。自分の力で全てを悟ってください。

 情報は、ストレートとは限りません。変化球もあれば、クセ球もあるし、引っ掛けも有ります。断片化した情報を繋ぎ合わせて、分析・推理すると、全体像が見える事も有ります。


★★ 「イザナギの神軍」と「イザナミの魔軍」の「紅白戦」ですが、遠目に見ると、「イザナミの魔軍」が仕掛けているのが分かります。「イザナギの神軍」は「後手」に回っています。
   そして、
 イザナギ・イザナミの両者が、その光景を見つめています。イザナミがイザナギを見てニヤリと笑うと、イザナギが不機嫌そうな顔をして溜め息をついている情景が、思い浮かびます。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/623.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の41)・日月神示の研究・「電流の逆流開始と、地球の自転の反転開始」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「電流の逆流開始と、地球の自転の反転開始」に、ご興味をお持ちでしょうか。今回は、いつものような「お花畑」を離れて、地球物理学と電気工学に迫ってみたいと思います。

 要するに、『地球が反転する』というのは、金星に続いて、地球も逆回転するという話であり、天地開闢(かいびゃく)以来の、驚天動地の「大スペクタクル・ショー」なのです。

 そして、この地球の真実が判明すれば、地球物理学者たちは、荷物をまとめて逃げ出すか、それとも、『あはは、アホくさ』と笑い転げることでしょう。


A★ 毎度のことですが、質問は禁止です。根拠が薄弱で「エー加減」な、単なる「ネタ」ですから。


B 『地球が逆転する』という、日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示から見た「地球物理学」。

 『地つちの軸 動くぞ』(磐戸・05)。。『大地も転位、天も転位するぞ』(五葉・15)。
 『その動きは左廻りと右廻りであるぞ』(星座・10)。

 ★ 日月神示は「ひふみ信者」を対象に下されたので、科学的な記述は少ないようです。


イ) 「シリウスの解釈」から見た「地球物理学」。

 ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『金星の自転が逆向きの理由は、最終構成の覚醒が行われているから、らしい』。
 『金星に磁場が無いのは、交替化が無いし、覚醒が無いから、らしい』。

 『2013年から、電流が方向性を変えている、らしいが、電気は対化で、磁気は人間、らしい』。

 『太陽とは、精神の等化を行い、人間の意識の方向性を作り出すところ、らしい。太陽は地球に限らず全ての惑星次元に交差している、らしい』。


C そこで、日月神示・シリウスの『地球の自転の反転開始』という「命題」を解くために、「地球ダイナモ理論」を考えて見よう。

ア) 第1段階として、「地球ダイナモ理論」でグーグルして、頭の中に、ダイナモ(直流発電機)と、『地球という巨大な発電機』を、イメージしてください。

  (★ ダイナモは「直流発電機」のことで、オルタネータは「交流発電機」のことです)。


イ) 第2段階として、「フレミングの法則」と「発電機の仕組」を、思い出して見よう。

 U字形の磁石の間にコイルを入れて、コイルを回転させると、コイルに電気が流れます。


ウ) そういう現象から、結果的に、「地球ダイナモ理論」が登場しました。

 地球には磁場が有り、S極とN極が有り、地球が回転しているから、ダイナモが思い浮かんだ。たった、それだけのことです。アホみたいな論理的思考の産物です。


D 次に、「地球の逆転」は、「地球発電機」ではなく「地球モーター」だと考え方を改めよう。

  (理由は、発電機の逆転よりも、モーターの逆転のほうが、(実務的に)簡単だからです)。

ア) 初めに、「フレミングの法則」と「モーター(電動機)の仕組」を、考えて見よう。

 U字形の磁石の間のコイルに電気を流すと、コイルが回転します。(発電機の逆の発想です)。


イ) ここで、モーターに必要な要素は何かを、考える。

 モーターに必要な要素は、磁石・コイル・電流です。


E ここから、いよいよ、「オカルト理論」の登場です。(ここで、『あはは、アホくさ』と笑います)。

 ★ 上記C・Dは、「シリウス」の『金星の自転が逆向きなのは、最終構成の覚醒が行われている』を証明するための「予備知識」です。大事なのは「モーターの逆転の理論」です。

ア) 第1に、上記「シリウスの解釈」の『電気は対化で、磁気は人間』を当てはめると、モーターの磁石(磁気)は人間で、コイルは地球で、電気には「ヒトの意識」が、当てはまりそうです。
 (★根拠は、「シリウス」の『電場は当体で磁場が関与。電気は対化で磁気は人間』の拡大解釈)。
 

イ) 第2に、人間の意識の方向性が変ると、地球の回転が、逆転します。

 その根拠は、「シリウスの解釈」の『電気は対化で、磁気は人間らしい』です。人間の意識の方向性(つまり磁気の方向性)が変われば、当然、磁場も変り、磁力線の方向も変ると考えます。
   すると、
 モーターの回転が逆転しますから、「地球モーター」の方向性が変わることに成ります。

 つまり、人間の意識が変換・覚醒することによって、地球が逆転することになります。
   この点については、
 日月神示は、『地つちの軸 動くぞ』(磐戸・05)。『大地も転位、天も転位』(五葉・15)。『その動きは左廻りと右廻り』(星座・10)、などと表現しています。


F あるいは別に、北極と南極の上下が引っ繰り返ると、どうなるかという、発想力。

 今、地球を上から見ると、「反時計回り」に回転しています。ところが、地球を引っ繰り返して(南極を上にして)、上から見ると「時計回り」に逆回転します。(地球自体の回転方向は同じです)。


G 電気は人間には作れない、という発想力。

 「シリウスの解釈」によれば、『電気は、人間自身には生み出すことが出来ないらしい』ので、本当のところは分からないし、「第7次太陽系次元」は、今の人間には想像も理解も出来ないような構造に作られているそうですから、答えは得られないかも知れません。

 また、電気には直流・交流などの「動電気 ? 」と「静電気」が有り、静電気には圧電効果・摩擦帯電・カミナリ・コンデンサなどが有りますし、「局部電池」も有ります。「フォト・ダイオード」とか「電子ニュートリノ」とか「陽電子」だとか、『電気って、いったい何なんでしょうか』。


H ところで、金星は、覚醒を終えていた。

 (上述のように)、既に金星の自転が逆回転しているのは、覚醒を終えて、磁場・磁気も消滅した、という事です。(★『逆回転すると、何で、磁場・磁気が消滅するのか』という突っ込みは禁止です)。


 だから、地球人類も、覚醒に至ると、『金星に続いて地球も逆転する』ことに成りそうです。
    そして、
 神示に有るように、「ポール・シフト」が起きて、火と水に溶けて、最後は光に成るかも知れません。


I あとがき。。何事も「鵜呑み」にせずに、自分で検証するのは大事な事です。

 人類は、文明を発展させると共に、様々な理論を生み出しましたが、その全てが正しかった訳では有りません。過去に多くの理論・学説が登場し、消えていった歴史が有るのです。
   つまり、
 私たちは、『思考と体験』のために、物理法則に支配された地球に生まれたが、それは、体験に体験を重ね、思考に思考を重ねて、「意識進化」のために『自分の頭で考えろ』、ということなのです。


J★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/627.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の42)・日月神示の研究・「次は、半霊半物質の世界に、移動します。よろしいですか」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「次は、半霊半物質の世界に、移動します。よろしいですか」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、私たちは、「ケモノ」のこころを持った「人間」から、「愛」と「知恵」の満ち溢れた「神人」に成るための「思考と体験」をしているだけです。たった、それだけの事です。

 『人間は素晴らしい』とか、『また人間に生まれたい』などと言う人が居ますが、それは「アホ」です。
    よろしいですか、
 人間は、生まれながらの「ケモノ」なのです。「赤ん坊」や「子供」が可愛いと言う人が居ますが、「赤ん坊」は、自分が生きたいという「生存本能」しか持たない「自我のカタマリ」だし、
 「子供」は、「自己中心主義」の「エゴのカタマリ」に過ぎないのです。両者ともに「主観性」しか持たない生き物なんです。
    それが、
 学校に通い、他人と接することによって、少しずつ「客観性」を身に付けますが、「社会人」になって、「社会性」も身に付けます。一歩一歩前進し、「神人」に向かって成長しているのです。


A ところで、各種の予言は、「ストレート」とは限らない。

 日本を始めとして、世界中に各種の予言が下されていますが、内容は単刀直入・ストレートとは限りません。「方便」が多用され、「ピンボケ」され、「七変化」の解釈が生まれています。
    一例を挙げると、
 『人間とは何ですか』→『犬ではない』。。『では猫ですか』→『猫ではない、有機体だ』。。『有機体とは何ですか』→『生命、生活機能だ』。。『じゃあ、人間は有機体で生活機能ですね』→『そうだ、正解だ。有機化学的には間違いではない』。。。


B 「半霊半物質の世界」の根拠となる、日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

『半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん』(五葉・16)。

『物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ』(至恩・08)。

『地上人と霊人との間も同様、直接、全面的な交流はあり得ない。それは、別の世界に住んでいるためであって、その中間の半物、半霊の世界と、霊人がいて、常にその円通をはかっている』(地震・01・末段)。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

  ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『人間は、ヒト、ヒトの反対、真実の人間、までに3回反転するらしい』。
    つまり、
 『位置の転換で、人間がヒトに変わるらしい。人間がヒトに進化するのではなく、意識が進化するだけであって、肉体が進化する訳ではないらしい』。
    要するに、
『(この場合における)位置の転換とは、内面性の交替化のことであって、人間が「反対側」に移動する事らしい』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

  ある読者の「読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『地球は、間もなく、第3密度から第4密度に移行する、らしいそうだ』。

 『シリウスのレベルは、非物質の世界、らしいそうだ』。

 『物質の世界と、非物質の世界との間に、中間体の世界が有る、らしいそうだ』。


C ところで、「半霊半物質」なんて、ウソですよ。

 「半霊半物質」なんて言ってますが、そんなのウソです。お釈迦様の大好きだった「方便」です。

 つまり、私たちの世界は「第7次太陽系次元」であり「VRゲーム」だから、システム的に、そのような構造に有るだけであり、数千年後にある「真実の世界」は物質世界なのです。
    何で、そんな事が分かるかというと、
 私たちの世界が「物質世界」だからです。真実の世界が「非物質」の世界なら、私たちの世界を「物質世界」に作る意味も必要性も無いからです。無意味なものを作る必要は無いからです。

    すなわち、
 私たちの世界を物質世界に作らなければ成らないのは、真実の世界には科学が有り物質世界が有るから、(教育課程の中で)物質世界を学ばせなければ成らないのです。
    だから、
 地球の上位次元が「半霊半物質」というのは、そのような教育上のシステム構成なのです。人間は今後(パソコン・ゲームの中で)、ヒト・ヒトの反対・真実の人間までに3回反転するのです。
 (★拙文(9の21)中の、『次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ』(黄金・50)参照)。


D 「シリウスの解釈」における、『第7次太陽系次元の終了』についての、考察。

  ある研究者によると、『まだまだ、研究中の解読中だが、

 『第7次太陽系次元の役目は、7回の交替化で終わる、らしい。
     つまり、
 変換の上次元が、調整質を持たない次元に進化するから、付帯質としての次元が交差されてしまえば、そのような次元は必要なくなるため、らしい』。

 ★ 調整質とは、立体や内外面を作る力のことらしい。付帯質とは、形を作る力のことらしい。
     ゆえに、
 (簡単に言うと)、形とか物質とかの次元を離れるから、物理法則に支配された「地球」は必要が無くなると言う事です。
  (ある意味において「夢の世界」に行くことだろうと解釈します)。
     また、この物質化を、
 「シリウス的」に解釈すると、『人間(ヒト)の意識が、性質の方向に傾倒すると、負荷の増強によって、形質が醸成されて、結果、付帯質がカタチやモノを作り出し、人間世界が確実化する ?』。
  
     また、これは、
 上記の「バシャール等ほかの文献」にも符合しており、人類は物質世界と非物質世界の間の「中間体の世界(半霊半物)」に移行する、と解釈できそうです。
     また、同じく、
 上記の日月神示の『半霊半物質の世界に移行する』にも、まったく符合します。


 ★★ 神示・シリウス・バシャールの3者が、同じ意味の事を言っているので、確率は非常に高いです。ちなみに、体験の「記憶」は持ち込みOKかも知れませんが、お金は持って行けません。

  まあ、お金に執着・粘着する人は、次は「第8次太陽系次元」ではなく、「ごみ箱」行きでしょう。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/628.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の43)・日月神示の研究・「神々の、火と水による、人類への総攻撃が、過激化する」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「神々の、火と水による、人類への総攻撃が、過激化する」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、天変地異の、益々の「反映」と発展と、天変地異の真実に迫ってみたいと思います。

 まあ、毎度の事ながら、「エー加減」な記事なので、本気にしないで、『あはは、アホくさ』と笑い転げてください。笑いは大事な事であり、「富士と鳴門の仕組」をクリアするための極意です。


A はじめに。「火と水による総攻撃」とは、何の事か。

◆ 「火と水による総攻撃」とは、

 「火と水の仕組」のことであり、「富士と鳴門の仕組」のことです。富士山は火山ですから「火」を表わし、鳴門は「渦」・「水流」ですから「水」を表わします。
    具体的には、
 「火」は、火山であり大地ですから、「火山噴火」・「地震」として表われ、「火」ですから「カミナリ」としても現われますし、海底火山の噴火や地震を原因とする「津波」にも転じると、想像します。
     また、
 「水」は、集中豪雨や、台風・ハリケーンなどに現われるように、思います。


◆ 日月神示の記述には、

 『地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ』(上・39)。
 『山の津波に気つけよ』(地・29)。←(★地すべり・土石流の事のようです)。
 『火と水と申してあろがな。火つづくぞ。雨つづくぞ。火の災(わざわい)・・水の災』(水・13)。

 『寒い所 暖かく、暑い所 涼しくなるぞ』(黄金・50)。←(★地球温暖化詐欺の根拠のようです)。
 『天の異変 気付け・・冬の次が春とは限らん・・夏 雪降ることもある』(夜明け・03)。


◆ 何で、「火と水による総攻撃」を行うのか。その理由は何だろうか。

 『今度は世界中・・三千世界の大洗濯・・火と水で岩戸開くぞ・・天の神様 地に御降りなされ・・岩戸開きの指図なされる・・国々の神々様、うぶすな様、力ある神々様にも御苦労に』。(天・04)。

  (★解説すると)、
 今回は7回目のシステムの終了になる。今までの6回は地球だけの建て替えだったが、今回は太陽系全体(神界・霊界・人間世界)の総入れ替えに成っている(そういうシステムに成っている)。
    ところが、
 地球(人間世界)は、(太陽系で一番強い)物質次元の呪縛・束縛が有るために、(最初から分かっていた事だが)人間の覚醒(意識変化)が一向に進まない。
    そこで、
 チンタラ・チンタラしている人間の心にインパクトを与えるために、ショック療法として「火と水による総攻撃」を行い、今までの「物質至上主義」・「現世利益主義」を、精神化に戻さなければ成らない。

    それと、
 「火と水による総攻撃」は、「最終構成のシステム」に組み込まれて有り、地球の最後は、『火と水に戻って、最後は「光」に変換される』という「システム構成」になっている。
 (★この点については、話がヤヤコシクなるので、別の記事に投稿できればと思っています)。


 ★★★ だから、本当は、「火と水による総攻撃」ではなく、最初から「そういうシステム」に成っているのです。


B 「シリウスの解釈」の視点から見た、「火と水」・「天変地異」とは、何の事か。

◆ ある研究者の研究解読によると、『いまだに研究途上に有るが、

 『気象とは、ヒトの等性らしい。。海とは、定質の方向を持つ中性質の融和化したもので、水も似たようなものらしい。。陸とは、人間の意識の方向性らしい』。

 『雲は、力が精神に形骸化したものらしい。。雨は、力の方向を持つ調整質の対化らしい。。風は、力が現実に変換される時に生まれるらしい。。火山噴火は、精神の内面性が見えてきている事らしい。地震は、中和を持ったものが変換を起こすときに生み出されるらしい』。

 ★ 「シリウス」の立場としては、『ヒト(外面性としての人間)の外面に見える全ては、「有機体の妄映」に過ぎない』、ように推測します。
     すなわち、
 ★★ ヒトが見ている「夢」が、「五官の作用」の電気的効果によって実体化していると錯覚する、「数千年後の未来の「パソコン・ゲーム」が、その正体かも知れないと、想像しています。


◆ (「シリウス」の定質・性質と、日月神示との関連性について)。

 (「シリウスの解釈」によると)、「定質」とは、イザナギのことで、精神化に向かう方向性らしいが、「思い」とか愛などに向かう方向性らしい。日月神示では「火」が当てはまるようです。
    また、
 「性質」とは、イザナミのことで、物質化に向かう方向性らしいが、物質とか科学とか応用科学(知恵)などに向かう方向性らしい。日月神示では「水」が当てはまるようです。


C 科学的視点から見た「天変地異」に対する、考え方とは。

 年々過激化し、過去の統計にも見られない「異常気象」の連続に、学会も混乱しており、「右往左往」のようです。冬に桜の花が咲き、8月に雪が降ると、頭がパニックになり、「思考崩壊」し、
      脳ミソが迷走した結果、
 『地球上空のジェット気流の乱脈経営が原因だ』。『いや、そうではない、原因はエルニーニョだ』。『いやいや、太陽の黒点活動の造反が原因だ』。『そうじゃない、月の引力の破壊工作が真犯人だ』。
     そして、
 挙句の果てには、『原因なんか、もう、どうでも良い。とにかく、百年に一度、いや千年に一度の大災害だ、命を守る行動をとれ』。『安全なところへ逃げろ、政府や行政を頼るな、自己責任だ』。


D 余談ですが、昔の「梅雨」と、今の集中豪雨は、季節感が異なるイメージがします。

 読者は、昔の「梅雨」を覚えているだろうか。雨降りには傘を差して、「あじさいの花」を愛(め)でたり、「くちなしの花」の香りを楽しんだものでした。そういう「美しい日本」が、昔は有りました。
    ところが、今は、
 「梅雨の集中豪雨」が降るたびに、『高台へ逃げろ、垂直避難も有効だ。とにかく命を守る行動をとれ』。。美しい日本の情緒的な梅雨は、いったい、何処へ行ってしまったのでしょうか。


E あるいは、夕立も、おかしくなった。

 昔の日本には、夏の風物詩として「夕立」が有りましたが、毎日のように、夕方には「入道雲」が発生して、「夕立」が降るのが日課でした。最近は、夕立などという情緒的な風景は見当たりません。


F 終わりに。

 「火と水」の仕組は、システムの根幹であり、「尾張の仕組」「終わりの仕組」でも有りますから、今後、益々過激化するように思います。
    まあ、
 ゲーム終了後の記念パーティーの席上で、『あの時は怖かったけど、あとから思い出すと楽しかった、良い勉強になった、感動した』と喜んでもらえるのが、ゲーム演出者たちの「思い」でしょう。

  その意味において、私たちにとっては、これが最後の「地球体験記」に成ることでしょう。


C★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/630.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の44)・日月神示の研究・「輪廻転生と、前世の記憶の、思考回路」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「輪廻転生と、前世の記憶の、思考回路」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 昔の話ですが、1903年(明治36年)に、第一高等学校生徒の藤村操(フジムラ・ミサオ)が、『人生不可解なり』の名言を残して、華厳の滝(ケゴンノタキ)にダイビングしたことは有名な話でした。
    しかしながら、
 彼が、「日月神示」・「シリウス」・「バシャール」などに出会っていたなら、違う人生観が開けたかも知れませんが、仕方が有りません。

 ところで、私たちは、間もなく、この世を旅立たねば成りませんが、あの世には1円の金も、アルバムも持っていけませんが、「思い出」は持ち込みOKなのかについても、考えて見たいと思います。


A 「輪廻転生」は、有るのか無いのかの、考察。

ア) 「日月神示」では、『生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ』(下・37)。


イ) 「シリウスの解釈」では、ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『「輪廻転生」は、タカヒマラにおける次元の交替化のこと、らしい』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」では、「ある読者の読書感想」によると、

 『地球上の人類は、輪廻転生をしている、らしいそうだ』。


B 『人は、何のために生まれてきたのか』の、考察。

ア) 「日月神示」では、『何事も体験結構』(黒鉄・23)。。『体験と理解のみ財産ぞ』(黄金・16)。


イ) 「シリウスの解釈」では、ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『6,500年周期で覚醒期・調整期を交替化し、13,000年周期で更に交替化し、今回で最終回らしい』が、『何のために人間が生まれてきたのか』は調査中だが、
    たぶん、
 「覚醒」であり「意識進化」のためだろう。そして、意識進化には「思考と体験」が必要であり、その先に「新たな創造」が有り、『人類は永遠の創造活動を行う』、それが生まれた意味、だろうか ?。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」では、「ある読者の読書感想」によると、

 『人生で学ぶためであり、自分の目的を発見するためなど、色々な目的が有る、らしいそうだ』。


C 物質世界に生まれたことの、意義とは。

ア) 「日月神示」では、『死後の世界もまた生前と同様であるが、一度 物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくるのである』(地震・08・下段)。

 (★『物質世界を通過した』という事は、人間に生まれて「思考と体験」をした』という意味でしょう)。


イ) 「シリウスの解釈」では、

 『肉体を失った意識は、肉体を持った意識よりも、進化しているらしい』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の、「ある読者の読書感想」では、

 『(簡単に言うと)、想念が現実を創るようだが、生まれることは「学ぶこと」であり、「発見すること」であり、「創造すること」かも知れない、らしいそうだ』。


エ)★ 日月神示・シリウス・バシャールを比較した結果、人間として物質化して、この世に生まれることは、全体の中での「自分の位置」を知り、「全体社会」を学ぶことではないかと、思います。
    すなわち、
 霊界の自分は、自分の頭の中に『自分が主体の想念の世界』を作り出すが、それが「実社会」で適用可能な世界なのかを「検証する場」として与えられたのが「人間世界」かも、知れません。
  (この部分は、「神示」・扶桑01と、地震02後半からの拡大解釈による)。

    と言っても、
 「この世」も「あの世」も「神霊の世界」も、全部、想念であり、「VRゲーム」だと思います。つまり、未来の教育は、100パーセントのコンピューター化・AI(人工知能)教育だろうと想像します。


D 前世の記憶は、存在するのかの、考察。

ア) 「日月神示」では、『体験の財産は死んでからも役にたつ』(月光・55)。


イ) 「シリウスの解釈」では、ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『人間は、死んでも意識が有るし、生きていた時の記憶を意識できる場合も有る、らしい』。

 『死後には、記憶は精神に入り、意識は精神とは全く違う次元に入る、らしい』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」では、「ある読者の読書感想」によると、

 『前世の記憶を持つ人の話は山ほど有るし、アトランティスの記憶を持つ人の話もテンコ盛り、らしいそうだ』。

 『ただし、前世のことは覚える必要もないし、思い出す必要もない、らしいそうだ』。


E ムー・アトランティスの記憶は、本当なのかの、考察。

ア) 「日月神示」では、ムー・アトランティスの話は見つかりません。


イ) 「シリウスの解釈」では、ある研究者によると、『研究中の解読中だが、

 『ムー・アトランティスの時代が有り、その後、アトランティス人の意識が人間の「意識」として再生したらしい。今の人類の大半がアトランティス人の末裔、らしい』。

 『(日本人との明言は出来ないが)、日本人は、ムー・マヤ・アシア族の系統かも知れないらしい』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」では、

 『アトランティス人の話は山盛りで、てんこ盛りだ』。


F この世の記憶は、来世に持って行けるのかの、考察。

 上述のとおり、前世の記憶が残る以上は、来世に記憶を持ち込めるのは、常識でしょう。


G 前世の記憶を「抱き参らせる」という、「大本義」の考察。

 前世の記憶を「抱き参らせる」とは、忘却することではなく、「乗り越えること」だと思います。人には、様々な『恥ずかしい思い出』・『嫌な思い出』・『悲しい思い出』などが有るでしょう。
    しかしながら、
 魂の記憶は、永遠に消し去る事が出来ないから、今後の教訓とし、肥やしとし、土台として、「精神」を成長させる事であり、大樹が「年輪」を刻むように、『一切を包み込むこと』だと思います。
    あんがい、
 私たちの遥か先を行く「神々さま」も、私たち以上に、『人に知られたくない過去』を背負っているのかも知れず、『おまいは、そんな小さな事をクヨクヨしていたのか。オレの過去なんかなぁ・・・』。


H★ 『パソコンゲームの中での記憶』を、「記憶」として取り扱うかは、争いが有るようです。
    すなわち、
 「シリウスの解釈」では、『ヒトへ意識進化した時に、人間でいた時の記憶は残らないらしい』)。

 (★上記D(イ)に相反するのは、問答の背景・引っ掛け・方便など、今後の研究解読が必要)。


I★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/631.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の45)・日月神示の研究・「UFO特集・第2弾、UFOの虚実に迫る、仮相の幻実」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「UFO特集・第2弾、UFOの虚実に迫る、仮相の幻実」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 拙文(9の17)の、『UFOの見える人と見えない人』に続く、科学的視点から見た「UFO特集」です。


A UFOに関する、日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の、UFOに対する見方。

 UFOの記載なんて有りませんが、物質に関して、『死後の世界もまた生前と同様であるが、一度 物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくるのである』(地震・08・下段)。


イ) 「シリウスの解釈」の、UFOに対する見方。

  ある研究者によると、『まだまだ研究中の解読中だが、UFOに関してピックアップすると、

 『人間の次元の太陽系には、人間以外には「知的生命体」が居ないらしいが、反転した太陽系には、惑星が13個あって、9つには「知的生命体」が存在する、らしいそうだ。
    だから、
 その惑星の9個のうちの8個に、UFOを持つ文明が有るらしいが、UFOを持っていないのは我々の地球だけ、らしいそうだ。

 『円盤の飛行原理については、移すものだから動力は必要ない、らしいそうだ。
 『円盤の浮力の原因は、付帯質を利用する、らしいそうだ。
 『UFOとは、精神の力における、ある一つの次元効果と考えなければ成らない、らしい。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の、UFOに対する見方。

  ある読者の「読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『地球は、間もなく、第3密度から第4密度に移行する、らしいそうだ』。
 『地球が、最も物理法則に支配された、物質次元の惑星、らしいそうだ』。

 『次元が上昇すると、物質から非物質に移行し、シリウスなどは非物質の領域にある、そうだ』。
  (★ 逆説的に考えると、地球以外の惑星は、地球ほど物質的では無いと解釈できそうです)。

 『肝心のUFOについては、多岐にわたっており、1枚の紙には書ききれないから、省略だ』。


B 上記Aの記述に対して、科学的視線で、「突っ込み」を入れて、批評してみたい。

ア) 「日月神示』を見ると、『死後の世界もまた生前と同様であるが、一度 物質世界を通過したものと、しないものとの相違が生じてくる』。

  ★ 「死後の世界もまた生前と同様」とか、「物質世界を通過したもの」とか、科学的・論理的に「知見」出来ないものは、『門前払い』でしょう。


イ) 「シリウスの解釈」を見ると、

 『反転した太陽系に惑星が13個あって、9つには「知的生命体」が存在する、らしい』。

  ★ 「反転した太陽系」って、いったい、何のことですか。

 『円盤の飛行原理については、移すものだから、動力は必要ない、らしい』。

  ★ 「動力は必要ない」って、あんた!。

 『円盤の浮力の原因は、付帯質を利用する、らしい』。

  ★ 「付帯質」って、何のことですか。。『付帯質とは、精神の反映として生み出される物質概念のことらしい。人間がカタチを生み出す力らしい』 ???。

 『UFOは精神の力における、ある一つの次元効果、らしい』。

  ★ 「ある一つの次元効果」、??。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」を見ると、

 『地球は、間もなく、第3密度から第4密度に移行する、らしいそうだ』。

  ★ 「第3密度から第4密度に移行する」って、どこの世界の話ですか。

 『地球が、最も物理法則に支配された、物質次元の惑星、らしいそうだ』。

  ★ 月だって物質次元だし、金星だって物質次元の惑星と言うのが、科学の常識ですよ。

 『次元が上昇していくと、物質から非物質に移行し、シリウスは非物質の領域、らしいそうだ』。

  ★ どうやったら、物質が非物質に成るのか。太陽系のどこに、そんな変換設備が有るのか。


C なんで、UFOが登場してきたのか、UFOの歴史を考える。

 江戸時代にはUFOの話は無かったし、明治時代にも無かった。(私が知る限りでは)、「ヒトラーの時代」にUFOの話が出てきたと、思います。
    ただ、
 「ミタール・タラビッチ(1829年〜1899年)の予言」には、人間が月や惑星に旅行する記述が有るそうなので、もしかすると、(未公表で)UFOの記述も有るのかも、知れません。
    また、
 「マザー・シプトン(1488年〜1561年)の予言」には、地球人類が刷新されるときに「銀色のヘビ」が地球を訪問する、らしいが、UFOのことだろうか。


D UFOの見える人の、位置づけ。

 UFOは、ごく少数の人に見えただけであり、科学者を始めとして多くの人々が見ていない。だからといって、彼らがウソを吐(つ)いている訳では無いようだ。
    すると、
 『UFOの見える人と、見えない人』、の個体間格差を、どのように評価すれば良いのか。

 結局は、(拙文(9の17)に投稿しましたが)、『UFOが見える人は「異次元」の世界に突入している』可能性が有るということです。つまり、精神が変調・次元上昇している可能性です。


E そこで、導かれた私の結論は、『あらゆる全ては「VRゲーム」の中に在る』、と言うことです。

ア) 推進装置の無いUFOとか・反転した太陽系とか・円盤の浮力の原因は付帯質とか・第3密度から第4密度に移行するとか・次元が上昇すると物質から非物質に移行するとか、

 これらは『VRゲームだ』と考えるなら、科学的整合性も認められ、科学者も納得するでしょう。


イ) 死後の世界とか・一度 物質世界を通過したとか・地底人の世界とか・霊界とか・変換人の世界とか・非物質世界とか、

 これらの全ても、「VRゲーム」の世界観だと考えるなら、納得できる「システム構造」です。


ウ) 結局、この世・あの世・太陽系・反転した太陽系も、「あらゆる一切」が「VRゲーム」の中に在り、

 「般若心経」にも有るような、『過去も無ければ、現在も無く、また未来も無く、ただ単に、シリコンチップの中の「コンデンサ回路」を無数の電子が往行しているだけ』だろう。
    そして、そこには、
 「仮相と実相」の「科学的な不連続世界」が有るのかも、知れません。


F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/633.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の46)・日月神示の研究・「物質の崩壊と、色即是空の世界観」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「物質の崩壊と、色即是空の世界観」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回の投稿は、科学者が腹を抱えて『あはは、アホくさ』と大笑いし、最後には、石を投げてくるという、『エー加減な作文』です。


A 「物質」に関する、日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 「物質」に関する、日月神示の見方。

 『宇宙は霊の霊と物質とからなってゐる・・・宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇宙にある・・・人間には物質界を感知するために五官器があるぞ』(冬・01・初段)。


イ) 「物質」に関する、「シリウスの解釈」の見方。

  ある研究者によると、『研究中の解読中で、発表できるような段階ではないのだが、

 『最終構成の時というか終わりの時に、進化が方向を回転するらしい。
    そして、
 『人間の意識進化が起こるときに、肉体は削除されるらしい。(削除されない肉体は残るらしい)。
    また、
 『文明は反映を無くして、人間が内面に生み出した(つまり想念が作り上げた?)カタチとかモノ・物質とかは、消えてしまうらしい』。


ウ) 「物質」に関する、「バシャール等ほかの文献」の見方。

  ある読者の「読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『私たちの「物質世界」は、私たちが信じている「観念」で出来ている、らしいそうだ』。
     つまり、
 『この「物理次元」に存在するものは、私たちの「意識」が創り上げている、らしいそうだ』。


B だから、次に行く世界が「半霊半物質の世界」だから、物質も崩壊するのですよ。

 私たちは、間も無く、「半霊半物質」の世界に移行します。すると、今の物質世界は(用済みだから)消滅します。つまり、『消滅するから崩壊する』という論法です。よろしいですか。


ア) この点について、日月神示では、

 『半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん』(五葉・16)。

 『物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ』(至恩・08)。

 『新しき人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所』(星座・11)。
    ★ この点については、
  「バシャール等の読書感想」では、『地球は間もなく、第3密度から第4密度に移行するらしいが、シリウスは非物質で、地球は中間点の「半物質世界」に移行するらしいそうだ』に類似。


 『地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としてゐる、互に入りかわって交はってゐる・・・来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから・・・今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ』(星座・12)。
    ★ この「互に入りかわって交はって」については、
  「シリウスの研究解読」では、『人類は、6,500年周期で覚醒期・調整期を交替化するらしいが、「人間の反対」とか「反対側の人間」が居るらしい』に類似。


C そして、「色即是空の世界観」について。

 日本人の「永遠のベストセラー」の「般若心経」の中には、『色即是空』と言う有名な文節が有りますが、
     簡単に解説すれば、
 『物質的現象には実態が無く、また、実態の無い事が、物質的現象でも有るのだ』。

 あるいは、蓮如(れんにょ)上人(1415−1499)の「白骨の御文章」にも有るように、
 『朝(あした)に紅顔ありて、夕べには白骨に成れる身なり。すでに無常の風、来たりなば・・・』。

 あるいは、「シリウスの研究解読」では、『モノはカタチの内面性で、カタチが反転したもの。モノは人間の意識が形質に変換される時に生まれるらしい。全ては有機体の妄映らしい』。

 あるいは、「バシャール等の読書感想」では、『時間は人間が創り出したもので幻想らしい。過去・現在・未来は概念であり幻想らしい。物理的なものは自分の意識の一部分らしいそうだ』。


D★ 私の「投稿姿勢」についての、再確認について。

 私の投稿のメインは、あくまでも「日月神示の研究」です。

 「日月神示」については、「偽書」だとか、「宗教団体の偏向」だとか、「支配層の陰謀論」だとかの「悪評」も有りますが、

 日月神示が下されたのは昭和19年(1944年)からであり、「五十黙示録・極めの巻」は昭和36年(1961年) です。「シリウス」や「バシャール」は、日月神示よりも、ずっと後の公開です。

 ★ ここで、私が言いたいのは、日月神示・シリウス・バシャールには、類似点が数多く含まれている点です。同じ事を別の視点から言っていると感じる事です。
    ですから、
 私は、日月神示をメインに、シリウスと、バシャールとを重ね合わせて、「三点視座」で研究し、この三者が一致するものは『ホンモノかも知れない』と、思っています。


E★ 私は、あらゆる全ては「VRゲーム」だと、思っています。

 人類のコンピューター開発は、戦前からであり、初期のコンピューターは、真空管や銅線が使われ、戦後のコンピューター設備は「丸ビル」に相当し、膨大な電力を消費しました。
   ところが、
 今日のコンピューターはプリント配線であり、携帯型のパソコンの能力でも、戦後のコンピューターとは比較に成らない大容量を持ち、消費電力も微々たるものに成りました。

 そして、コンピューターは、開発から百年にも満たない間に、今日の技術を築きましたが、百年後には、今の人間には想像も理解も出来ないような技術革新を遂げているでしょう。

 だから、千年後のコンピューターは、「私たちの世界」を、「VRゲーム」として構築する技術を持っているだろうと想像するわけです。そこで、『あらゆる全ては「VRゲーム」だ』、と考えた訳です。

★★ この点について、日月神示に『今の文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ』(風・05)。。『今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ』(地・11)。。『科学を馬鹿にしてはならん』(竜音・06)。。『今の科学では判らん。一万年や三万年の人間の地上的学では判らんこと』(星座・04)。


F★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/634.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の47)・日月神示の研究・「胡蝶の夢」・「夢見る自分」・「夢の中の自分」・「水槽の脳」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「胡蝶の夢」・「夢見る自分」・「夢の中の自分」・「水槽の脳」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、「夢」について、大いに語り明かしたいと思いますが、内容については、「エー加減」に書いた「夢」みたいな話なので、『あはは、アホくさ』と吐き捨てて下さい。


A 用語についての、私的な「偏向説明」。

ア) 「胡蝶の夢」とは。。(「胡蝶の夢」で、グーグル検索のこと)。

 (簡単に説明すると)、古代中国の「荘子」が、『蝶の夢』を見たあとで思考して、もしかすると、『人間になった夢を見ている蝶』が本当の自分なのか、それとも、『蝶の夢を見ていた人間』が本当の自分なのか、どちらの自分が「本当の自分」なのか、訳が分からなくなった話だと、思います。
     あるいは、
 拡大解釈として、『夢の中の自分が、本当の世界』なのか、『夢から覚めた現実世界の自分が、本当の世界』なのかと言う、哲学的な「永遠のロマン」です。


イ) 「夢見る自分」とは、夢を見ている自分の事であり、『人間になった夢を見ているヒト』の事。


ウ) 「夢の中の自分」とは、ヒトが夢の中で人間になったが、その人間の視線で世界を見つめる事。


エ) 「水槽の脳」とは。。(「水槽の脳」で、グーグル検索のこと)。

 (簡単に説明すると)、脳だけを水槽に入れて、脳に電極を刺して、「五官の作用」を電気信号で脳に送ると、脳の視覚野・味覚野などに、映像などの『夢の世界』が現われる事だと、思います。


B 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の、「夢」に対する見方。

 『神界の事は人間には見当取れん』(日の出・06)。
 『神は神の中に、宇宙を生み給うた』(黄金・03)。

 『先祖は肉体人を土台として修業する』(黄金・78)。
 『地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在する』(地震・03の初段)。

 『人間は肉体をもってゐる間でも、その霊は、霊の国に住んで居り』(黒金・33)。

 『この世のことだけで この世のこと動かんぞ。霊界との関係によって、この世が動いてゐる』(黒金・29)。


イ) 「シリウスの解釈」の、「夢」に対する見方。

  ある研究者の研究によると、『研究中の解読中だが、

 『夢とは、(意識が生まれていくための)再確認のために現われた精神構造の解体次元、らしい。

 『人間の反対の夢は、実現象に入り、実体を持つ、らしい。

 『宇宙は意識かも知れないらしい。。意識は性質にあたり、意識が生まれるのは性質が変化した時、らしい。

 『各々の惑星次元の人間の意識が、ヒトの意識に進化した場合には、太陽の中で同じ次元を持って存在する、らしい。

 『モノとは、人間の意識が形質に変換されるときに生まれる、らしい。
 『生物とは、人間の意識が変容したもの、らしい。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の、「夢」に対する見方。

  ある読者の「読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『人間の脳は、単なる「受信機」に過ぎない、らしいそうだ。

 『夢と物質世界は同じようなもので、同じものを、違う見方をしているに過ぎない、らしいそうだ。
 『全ての夢は現実であり、全ての現実は夢、らしいそうだ。

 『人間の意識には「外」が無くて、全てが人間の意識の中に有る、そうだ。


C 全ては、VR(バーチャル・リアリティー)であり、『VRゲームだ』、と思っています。

ア) 「夢」でも「現実」でも、あらゆる全ては『パソコン・ゲームに過ぎない』と言うのが、結論です。

 (何かの映画のシーンにも有ったように)、数千年後の真実の世界の「コンピューター教育」を受けて、本当の自分の意識が、ホスト・コンピューターに接続されて、夢の中で教育を受けている。
     そこは、
 マルチ・ミキシングの世界で、理科・社会・算数・音楽・体育などの「体験学習」の世界が作られ、自分の「偏向思考・嗜好」に応じて自由に進み、『思考と体験』を積み重ねる世界だ、と思います。
     この点について、
 上記「神示」の、『神は神の中に、宇宙を生み給うた(黄金・03)』を、『「真実の世界」の「真実の人間」が、子供たちの教育のために「VRゲーム」の世界を創った』、と解釈しています。
     また、この点について、
 「バシャール等の読書感想」では、『「大いなる全て」が、自分自身の中に宇宙を創ったが、私たちの全てのゲームは「大いなる全て」の中で行われているに過ぎない、らしいそうだ』に類似します。


イ) 「選別の仕組」が、同時並行的に、組み込まれている。

 つまり、ゲームの進行と同時に、そこには、「選別の仕組」が組み込まれ、(数千項目か数万項目か知りませんが)「コンピューター診断」を受けて、最も自分に適した「就職先」が割り当てられる。
     この点について、
 日月神示には、『今度 役目きまったら、末代続くのざぞ』(松・10)。
     また、
 『肉体ある内に身魂かまふて貰わねば、今度身魂磨けて来たら末代の事』(マツリ・12)。
 『死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、その想念のままの世界に住む』(黄金・75)。

★★ 『今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから』(雨・09の中段)。
     この点については、
 「シリウスの解釈」の『ヒトの次元は、永遠の生か永遠の死の、どちらか、らしい』に類似します。


D 日本人は、特別な「選良の民」だった。

 神示に『日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治める』(磐戸・13の初段)。

 つまり、日本人は「神に選ばれた民」であり、ガイコク人とは「門地」が違うのです。
      この点について、
 神示には、『外国人も神の子ではあるが性来が違ふ・・神の国の臣民がまことの神の子・・依怙(えこ)の様なれど外国は後廻し・・同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者ある・・昔からの深い経綸である』(日の出・20)。
      また、「シリウスの解釈」でも、
 『日本人は今の人間の核質らしい。位置の転換の、ほとんどを核質が行う、らしいそうだ』。
      また、「バシャール等の読書感想」では、
 『世界の何ヵ所かにエネルギー・ポイントが有るらしいが、日本にも有る、らしいそうだ』。
   (★バシャールと、神示・シリウスに、若干の「見解の相違」が認められるが、「重畳次元・次元交差」かも知れず、今後の研究解読に期待します)。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/637.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の48)・日月神示の研究・「今の境遇を、生き抜く事が、この世に生まれた意味だった」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「今の境遇を、生き抜く事が、この世に生まれた意味だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 『自分は、今の境遇を望んで、生まれて来たのだろうか』という疑問は、尽きる事が有りません。
    世間では、
 『今の境遇は、自分で選んで生まれて来たからだ』と言う人が居ますが、本当でしょうか。

 何でしょうか、今の生活は。『働けど、働けど』であり、毎日毎日、「100円玉を数えるような生活」を強いられているでは、有りませんか。誰が、こんな生活を望んだりするものでしょうか。

 そこで、今回は、この、与えられた「境遇」の、真相に迫ってみたいと思います。


A 日月神示ほかの参考文献等その他における、人生の意味。

ア) 「日月神示」における、人生の意味。

 『体験と理解のみ財産ぞ』(黄金・16)。。『何事も体験結構』(黒金・23)。

 『一歩づつ進め。一歩づつ絶えず進めよ。それより他に道はないのぢゃ』(春・12)。

 『今の自分の環境がどんなであろうと、それは事実であるぞ。境遇に不足申すなよ。
 現在を足場として境遇を美化し、善化してすすめ。其処にこそ神の光、よろこび現れるのぢゃ。
 逃げ道つくれば迷ひの道に入るぞ。楽に得たもの、楽に失う』(春・31)。


イ) 「シリウスの解釈」における、人生の意味。

  ある研究者の研究によると、『研究中の解読中だが、

 『人間の思考とは、人間の働く定質の方向性を持つ力、らしい』。
      ・
  (★ 定質とは、精神化・慈悲慈愛・集合化・全体化に向かう方向性、かも知れませんし、
   「性質」とは、定質とは逆の方向性で、物質化・外的感覚化・個別化の方向性、だろうか。

 『感情は形質に変換され、思考は力に変換され、意志は精神に変換される、らしいそうだ』。
  (★形質とは、カタチを生み出す力のことで、意識の方向性、だろうか)。

 『人間の中性質は進化の対化で、思考・意志・直感などを持つもの、らしいそうだ』。
  (★中性質とは、人間が「物質」と呼ぶもので、それを創る意識が「調整質」、だろうか)。

 『地球は、やがて消滅するらしい。人間に意識進化が起こると肉体は削除されるらしい。意識進化できない人間の意識は地球に残される、らしいそうだ』。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」における、人生の意味。

  ある読者の「読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『物質的な現実は、実は、意識が現実化したもので、自分自身の投影、らしいそうだ』。
 『時間は幻想だし、空間も幻想だし、世界も幻想だし、宇宙さえも幻想、らしいそうだ』。

 『人間は、生まれてくる時に、どんな人生を経験するか、人生で体験・探求したいテーマを自分自身で選んでくる、らしいそうだ』。

 『前世のことは、覚える必要も無いし、思い出す必要も無い、そうだ』。


B 実は、『今の境遇を生きる事』が、一番、大事だったという、結末だった。

ア) 人生において、一番大切な事は、今の生活を生き抜く事であり、様々な「知恵」を身に付ける事であり、その生活の中から、様々な問題点をピックアップして、より良い改善策を考える事です。

 また、「思考と体験」が人生の本質であり、「知恵」の獲得が目的だったとするなら、貧乏人も金持ちも関係ないし、王侯貴族も奴隷も関係有りません。単なる「視点の位置」に過ぎないのです。

 むしろ、『この世の不条理・矛盾』・『各種の差別』・『社会制度の未整備』などのテーマを、自分の体で「思考と体験」して、更なる改善策を打ち出して、より良い未来を築くために、この世が「VRゲーム」で創られているなら、今の『金欲・物欲主義』の考え方を、改める必要が有るかも知れません。

 その意味において、「金持ち生活」で得るものよりも、「貧乏人生活」で得られるほうが、何倍も大きく、何層にも深いかも、知れません。


イ) 「般若心経」も、『知恵の獲得が一番大事だ』と、言っているではないか。

 「般若心経」とは、「摩訶般若波羅蜜多心経」のことですが、その意味は『偉大なる知恵を、完成するための、肝心な、教え』です。
     その意味において、
 『色即是空』だとか、『あーたら、こーたら』言ってますが、それらは単なる「プロセス」(過程・方法)に過ぎず、一番大事なことは『知恵を磨け』と言う事なのです。
     そして、
 その知恵の延長線上に、「微分・積分」・「加速度計算」・「化学方程式」・「三次元座標軸」などの「科学知識」が有るのです。(要するに、知恵とは「応用科学」のことです)。

 「知恵」の本来の意味は、『物事を考えたり、計画したり、処理したりする、働きのこと』です。それに役に立つのが「科学知識」なのです。人類は長い年月を費やして、科学を手に入れたのです。


C だから、「金持ち体験」よりも、「貧乏体験」のほうが、何倍も値打ちが有ったという、結論です。

ア) 来たるべき「第8次太陽系次元」では、「今次元」で解決できなかった貧困・男女・教育・家族・雇用・経済金融などの様々な問題についての、解決方法が問われる事に成ります。
     これらの解決のためには、
 数多くの人々の「英知」が必要ですが、「逆境」を体験した人でないと『話にならない』のです。産みの苦しみは女しか分からないし、雇用問題は労働者でないと理解できないのです。
     だからこそ、
 生き代わり、死に変わり、苦労に苦労を重ねて、経験と知恵を積み重ねていますが、これらが「大樹」の年輪となって、後々の役に立つという訳です。

 たとえば、革命のためには、「金持ち」の視線よりも、「貧乏人」の視線が大事なのです。「革命」は、社会の底辺から沸き起こるもので、上流階級から起こるものは、ただの「改革」に過ぎません。
     その意味において、
 来たるべき「第8次太陽系次元」は、社会体制・経済システムなどの全てが、根底から覆ります。

(★ただ、私たちの世界は「パソコンゲーム」に過ぎず、「真実の世界」では、全ての問題点をクリアーしており、私たちは、神々の辿った進化の足跡を「仮想体験」しているに過ぎないと思います)。


イ) これらの点について、「日月神示」には、

 『地上人が、その時の社会的、物質的生活をはなれて、霊的生活にのみ入ると云うのは大いなる誤りであって、社会生活の中に行ずることが、天国への歩みであることを知らねばならない』(地震・03・後半の中部あたり)。

 『よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてある・・苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてある』(岩・02)。

 『今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ』(磐戸・18)。

 『新しき世とは神なき世・・人、神となる世』(風・14)。
 『此の方等が世建直す・・此の方等が世に出て威張るのでない・・世は臣民に任せて此の方等は隠居ぢゃ』(雨・15)。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。



http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/640.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の49)・日月神示の研究・「日月神示・シリウス・バシャールの下された、本当の意味」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「日月神示・シリウス・バシャールの下された、本当の意味」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、『なんで、日月神示が下されたのか』。。『なんで、シリウス・バシャール・その他の予言・チャネリングが交信されているのか』、『その目的は何なのか』に、迫ってみたいと思います。


A 日月神示が下された、本当の意味を、模索する。

ア) 日月神示が下された、本当の意味・目的、かも知れない「文節」。

 『何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん多陀用幣流天地(たたよへるくに)の修理固成(かため)の終りの四あけであるから、これが一番大切の役であるから』(神示・上・34)。

 ★解釈すると、(VRゲーム上の)「第7次太陽系次元」の、「クラゲのように漂う実体の無い天地」の、「スクラップ・アンド・ビルド」が始まるが、絶対に失敗できない重要なプロセスだ。


イ) 実は、日月神示の前から「予兆」が始まっていた。

 日月神示が下されたのは、昭和19年(1944年)からですが、その前に、黒住教・金光教・天理教・大本教などに、「うしとらの金神」か何か知りませんが、「おふでさき等」が下されているようです。
    また、
 これらの四団体は、「元伊勢」(本来の元伊勢は出雲神系かも)にゆかりのある地域であり、「元伊勢−うしとらの金神−スサノオ系列」との関連性を指摘する声も、有るようです。
    また、
 これらは、欧米列強の日本進出・侵略の時期に重なり、「カゴメ歌」の流行も重なると、感じます。
 (★外国船の渡来は、1778年のロシア船の国後島に渡来とか、1786年のロシア船の蝦夷地に渡来とか、1792年のロシアのラクスマンとかで、元伊勢系列の四団体の始まりは1814年頃からか?)。
 (★「カゴメ歌」の流行は、諸説あるが、1813年(文化10年)とか1820年(文政3年)頃からか?)。

    これらの点について、日月神示では、
 『出雲(いずも)の神様 大切申せと知らしてあること忘れるなよ』(磐戸・16)。
 『出雲の神様 大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ』(地・06)。
    また、
 『黒住殿、天理殿、金光殿、大本殿、まつり呉れよ』(マツリ・13)。
 『黒住大神、天理大神、金光大神、大本大神・・・光の大神として斎き祀り結構致しくれ』(空・14)。


B 「シリウスの解釈」が下された、本当の意味を、模索する。

  ある研究者の研究・解釈によると、『研究中の解読中で、明確には答えられないが、

 『人類は、地球に存在する意味を考えなければ成らないし、私たちの意識に変化を与えなければ成らないのかも、知れない、らしいそうだ。
     また、
 『我々人間とは全く反対の存在として、「人間の反対」とか「反対のヒト」などが有るらしいが、我々人間を「物質文明」とするなら、彼らは「空間文明」らしいが、互いに限界を迎えているらしい。
     そして、
 反対側からの等化(つまり交替化)を求められているらしいが、この交替化をスムーズに行うには、人間の意識の方向性が重要な意味を持つらしいが、
     もしも、
 人間が、意識の方向性を変えなかったら、人間の方向性を持つものが対化して、位置の転換を持つものが性質に変えられないために・・・、何もかも終わってしまう、らしいそうだ。


 ★私的に解釈すると、「第7次太陽系次元」の「最終構成」が始まるが、これらは、絶対に失敗できない重要なプロセスだ。
     また、
  「最終構成」とは、人間の意識から「変換人」の意識に反転・転換する事かも知れないし、あるいは、人間の働きが終わる事かも、知れない。


C 「バシャール等ほかの文献」の見方。

  ある読者の「読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『バシャールとは、「何者か」とのチャネリングによる交信のようだが、その「何者か」は地球の先を行き、シリウスに向かう方向性だと、感じます。
    よって、
 バシャールの意味は、地球人類を導くための「ハイアーセルフ」・「指導霊」とでも表現すべき「ある存在」だと思うが、間違っているだろうか』。


D 私の感想文。

ア) (日月神示的に考えると)、人間は「物的自分」と「心的自分」の2面性が有るが、物的自分とは「外面的自分」の事であり、物質的行為をする自分であり、人間活動をする自分のこと。
    これに対して、
 心的自分とは「内面的自分」で、外面性の対化として、霊的な思考をする自分の事だと思います。
    つまり、
 『智慧と、愛が主の座に居らねばならん』(黄金・86)にも有るように、「知恵」が外に働く力で「物的自分・外面的自分」のこと、「愛」が内に働く力で「心的自分・内面的自分」だと思います。


イ) ここで、神霊界を考えた場合に、もしも、私たちの世界が「虚構」であり「想念の世界」だと考えるなら、私たちの一切が神霊界に存在する事に成りますが、
    この、
 神霊界は非常に複雑怪奇であり、多重次元・多重交差のようであって、「彼ら」に言わせると『人間には想像も理解も出来ない構造』らしいそうですから、分からないというより他ありません。


ウ) そこで、一番大事なことは、『私たちの意識の方向性を変える事』ですが、これが「変換」であり、その次に「転換」という事になります。
     この点については、
  (その9の7)・「位置を変換して、アセンションに旅立つ」 
  (その9の8)・「意識を反転して、故郷の高天原へ、帰ろう」 
  (その9の16)・「今回は、太陽系全体の「総入れ替え」です。よろしいですか」 
  (その9の38)・「『岩戸』の構造を、科学する」 
  (その9の39)・「岩戸を開く仕組を、解読する」 
 あたりを参照してください。


エ) 実は、私たちの世界は、集合意識で構築されているようなので、各自バラバラの「個人プレー」ではなく、一致団結した「マスゲーム」としての連帯性が必要、らしいようです。
     つまり、
 集合意識が、ドンドン物質化を求めると、個人も、全体に流されてしまい、上記シリウスにも有るように、『人間が意識の方向性を変えなかったら、何もかも終わってしまう』のかも知れません。
     そうすると、
 「連帯責任の法理」が発動されて、全員が「ごみ箱」行きに、成るのかも、知れません。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/642.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の50)・日月神示の研究・「バビロニアの神話に残された、神々の戦争の、迷走回廊」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「バビロニアの神話に残された、神々の戦争の、迷走回廊」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、「戦前の認識」を参考にしながら、神話のロマンを感じてみたいと思います。


A バビロニア方面に残された、古代の神話の「神々の戦争」(★諸説ありますよ)。

 戦前に発行された『世界の神話だとか伝説だとか』の文献の中に、バビロニアの神話が残されており、その中に「神々の戦争」も残されていたので、要約して、紹介したいと思います。

 ★★ ここで大事な事は、『大幅に改変された現代版神話』とか、『真偽不明で改ざんされた「ユーチューブ」のインチキ動画』ではなく、戦前の文献等を参照する事に、意味が有ります。


B バビロニアの神話の「神々の戦争」の、簡略版。。(★★諸説ありますよ)。
 
ア) 神々の出生と天地の創造。

 世界の初めには、全宇宙は一つの海だったが、天も無く地も無かった。

 父なる深淵(わたつみ)の神のアプス(apsu)と、母なる混沌の精のチアマト(tiamat)が、天地を生み出したが、平原も沼地も無く、神々も居なかった。

 その様な中から、大海原の水が一つ揺れ動くと、神々が次々に生まれ出た。

 初めに男神のラクム(lachmu)と、女神のラカム(lachamu)が生まれ、長い年月が過ぎ去った。
 次に男神のアンシャル(anshar)と、女神のキシャル(kishar)が生まれ、長い年月が過ぎ去った。

 その次に大空の神のアヌ(anu)と、永遠の女神のアナツ(anatu)が生まれた。
 そして、その次に、比較するものの無いほど賢明で全能の神でもあったエア(ea)が生まれたが、エアは、同時に深淵の神であり、大地の神のエンキ(enki)でも有った(★エア・エンキは諸説ある)。
 そのエア(エンキ)の妻は、大地の女神のダムキナ(damkina)だった。

 エアとダムキナが、メロダック(merodach)を生んだ。(別名はマルドーク(marduk)。後に、バビロニアの最高神に成り上がってベル(bel)と呼ばれた。(★エンリルもベルで「古ベル神」と言う)。

 ★ メロダックは、後に、人間を創った神である。


イ) 神々の戦争。

 邪悪なアプスとチアマトは、混沌の深淵の中に残っていたが、(カオスを望んでいたので)子孫の神々たちが、宇宙を支配して秩序を築こうとしている事を、快く思わなかった。
    そこで、
 彼らは、宇宙の秩序を破壊しようと、共同謀議を計ったが、エアに聞かれてしまった。そして、アプスと息子のムンム(mummu)は、エアの唱えた呪文によって、あえなくエアに捕らえられてしまった。
    そして、
 残ったチアマトは、キングー(kingu)らの配下の神々を集めて、神々に対して戦争を開始した。

 防衛するエアは、エアの父神のアンシャルに相談すると、アンシャルが、息子のアヌに『チアマトの所に行って、和平の説得をして来い』と命じた。

 父神のアンシャルに命じられたアヌは、チアマトの所に行ったものの、その荒れ狂う様を見て、恐れをなして、面会もせずに、逃げ帰って来た。
 次に、エアが派遣されたものの、エアも、チアマトに恐れをなして、逃げ帰って来た。

 そこで、アンシャルは、エアの息子のメロダックを召しだして、チアマトの討伐を命じた。
    それと平行して、
 アンシャルは、ガガ(gaga)に命じて、ラクムとラカムの所に行かせて、「チアマトが戦争を起こした事、アヌとエアを派遣したが逃げ帰って来た事、メロダックに全権を与えた事」を報告させた。

 そして、メロダックを含めた全ての神々がアンシャルの所に集まり、会議を開いて、『メロダックが勝利したなら、神々の王としての君臨を許し、アヌの命令と同じである』ことを決定した。


ウ) メロダックの勝利。

 メロダックは、チアマトの邪軍に戦いを挑み、チアマトとの一騎打ちに勝利すると、邪神どもは(クモの子を散らすように)逃げ去ろうとしたが、メロダックの網に捕らえられて投獄された。


エ) メロダックによる、天地の創造。

 メロダックは、チアマトの死骸から、天と大地を造った。そして、深淵にエアの宮殿を造り、天上にアヌの住居を造り、空の真ん中にエンリルの宮殿を造った。

 メロダックは、1年の長さを計って12ヶ月に分け、1ヶ月ごとに3つの星を作り、ニビル(nibiru・木星)を自分の星と定め、全ての星の軌道を定め、メロダックの星の側にエンリルとエアの星を置いた。
    また、
 月の神が夜を支配して日を計るように定め、満月は太陽の反対側に位置するように定めた。
 

オ) メロダックによる、人間の創造。

 人間の創造は、元々はエアの計画だったが、メロダックが、初めて人間を創った。


カ) メロダックによる、メソポタミアの創造。

 また、メロダックは、チグリスとユーフラテスの両河を造り、草木を作り、家畜や動物を作った。
    これらによって、
 メロダックは、農業の神、人類の創造神、慈悲と恩恵の神と、呼ばれた。


C★★ ここで、神話の、批評・検証をしてみよう。

★ 幾つもの、神々の神話が残されていた事。

 メソポタミアには、幾つもの断片化した神話が残されているから、今回に投稿した神話が正しいとは限らないし、メソポタミアの時代の変遷によっても異なる神話が、幾つも有ること。
    また、
 バビロニア・アッカド・アッシリアでは、異なる神話が有り、パレスチナにも別の神話が有ること。


★ 「天神アヌ」もエアも、チアマトに勝てなかった事。

 上記のとおり、「天神アヌ」もエアも、父神のアンシャルの命を奉じて、チアマトの追討軍を発したが、恐れをなして、戦う前に逃げ帰ったこと。


★ メロダックが、最高の神に選ばれた事。

 上述のとおり、「天神アヌ」もエア(エンキ)も、その度量で、メロダックに敵(かな)わないこと。


★★ 惑星二ビルから、アヌンナキが来ていないこと。

 「アヌンナキ神話」のアヌやエンリルなどは、惑星二ビルから地球に飛来した記述が有りません。


★★ 人間を、遺伝子操作で創ったという記述が、見当たらないこと。

 真偽不明の「アヌンナキ神話」では、アヌンナキが、東アフリカの金鉱を掘り出すために、遺伝子操作で、奴隷の人間を創った、らしい、そうですが、そのような記述は、見当たりません。
  (★神話には諸説あるが、神の血と土を混ぜて人間を創った)。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/643.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の50−2)・日月神示の研究・「水の洗礼のあとは、火の洗礼だ、忘れるなよ」

@ 初めに、ごあいさつ。

 今年も、余すところ、あと2ヶ月に成りました。まあ、今年も色々と有りましたが、

 まだ、今年が、終わったわけでは有りませんから、あと2ヶ月、天変地異に備えたいと、思います。


A 過去の統計による、「火と水の洗礼」。

 過去の統計を見ますと、台風は、10月で終わりのようですが、まれに、11月にズレ込む事も、有るようです。

 今後は、「火の洗礼」に備えたいと思います。『備え有れば、憂い無し』と申します。


B 過去に起こった「地震の記録」。

 年末に発生した地震としては、

   1944年(昭和19年)12月7日の、、昭和東南海地震
   1946年(昭和21年)12月21日の、昭和南海地震

   1854年12月23日(嘉永7年11月4日)の、安政東海地震
   1854年12月24日(嘉永7年11月5日)の、安政南海地震

 正月に発生した地震としては、

   1995年(平成7年)1月17日の、阪神大震災、が有りました。


★ ただ、地震は年中発生しており、盆休みも、正月休みも、有りません。


C 歴史を回顧して、事前の準備を怠らないのが、「知恵の行使」だ。

 今回の「大水害」に思うのは、川面よりも低い所や、堤防の高さよりも低いところに住むからです。

 昔の百姓は、度重なる水害の経験則から、川よりも高いところに「集落」を作っていました。

 また、これとは別に、「停電」に備えて、事前の準備や、「対処マニュアル」も有効でしょう。


★ 「知恵」とは、生きるための、あるいは、生き残るための、「処世術」です。

 思考に、科学知識・科学技術を、添加したものが、まさに「知恵」なのです。よろしいですか。


★★ 『余裕を持った地震の期待可能性は、しばしば、裏切られる』、という「噂」が有って、事前に万全の対策を講じて、余裕を持って待ち構えていると、「地震の神々」が、やる気を無くして、予定していた地震が中止になる、らしいそうです。知りませんが。

    この点について、日月神示に、
 『何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのぢゃ』(春・16)。

 『大難は小難にすること出来るのであるが、無くすることは出来んぞ』(月光・51)。
 『そなたは つまらんことにいつも心を残すから つまらんことが出てくるのであるぞ』(月光・52)。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/644.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の51)・日月神示の研究・「原子力・放射能は、遠い未来の、エネルギー電池だった」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「原子力・放射能は、遠い未来の、エネルギー電池だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今の世の中は、『放射能こわい』の一色であり、原子力開発の歩みを止めて、撤退する有様ですが、原子力には将来性が有り、原子力発電・原子力空母などに応用されています。

 そこで、今回は、科学の常識に挑戦をするという、「アホくさい話」をしたいと、思います。


A 日月神示ほかの参考文献等から見た、原子力。

ア) 日月神示の見方。(白銀・01の上段あたりを分かりやすく分断化)。

 『八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、と考へてよい・・キとは気の気である・・
 その他に逆の力がある・・九と十である・・その上に又霊の霊の個から始まってゐる・・それはムの世界、無限の世界・・
 霊界に入って行けば、その一部は知れる・・直ちには判らない・・』(白銀・01)。

 ★ 日月神示には科学的記述が非常に少ないが、この『八は固、七は液、六は気、五はキ、・・・』を、固体・液体・気体・プラズマ状態などと解釈するのは、私だけだろうか。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

  ある研究者の研究によると、『研究中の解読中だが、

 『原子とは、意識の方向覚醒における次元の関与が行われているところ、らしい。

 『放射能とは、不確実な力の相殺作用、らしいそうだ。人間の次元では良くないものだが、真実の人間の意識では進化をもたらすのに必要なもの、らしいそうだ。

 『中性子とは、意識進化の内面に反映するそうだ。最終構成の対化を作り出すもの、らしい。

 『同位体の崩壊とは、人間が持った進化の方向性を消している、らしい。

 『核分裂とは、方向性の内面化、らしい。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」の見方。

  ある読者の「読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『核による破壊は、人間の次元だけに留まらずに、パラレルワールドの基本的なところにまで影響を及ぼす、らしいそうだ。

 『昔、核によって、星が破壊された、そうだ。


B 物質・原子は、自然発生的には出来上がらない。不可能だ。

ア) 『物質(原子)は誰が作ったのか』、という疑問。

 地球上の物質(原子)は百余り有りますが、陽子・中性子・電子の3者で構成され、それ以外の構成は存在しないし、規則性とか法則性に支配されています。

 中性子は中性子線を内包し、特定の物質(原子)もα線とかβ線などを放射して崩壊し、電子は電荷を内包しています。

 こんな複雑な物が自然や偶然で出来るわけが有りません。原子を作ったのは「遠い未来の人間」です。

 (uクォークとかdクォークとか中性子のβ崩壊で発生する陽子や電子ニュートリノなどの難しい話ではなく、単に『こんなもの(原子)が自然や偶然に出来上がるものか』ということを、お尋ねしております。)


★ 宇宙に「本源的な素粒子」が存在して、それが合体に合体を重ねて「物質・原子」が出来上がったと、仮定しよう。
     すると、
 そこには「多様性」が存在しなければ成らない。つまり、原子の形成は「陽子・電子・中性子の3者」に限定されずに、「ルリ子・純子・マチ子」などの形成による原子が有っても良いはずです。
      にも、かかわらず、
 全ての原子が、「陽子・電子・中性子の3者」に限定されるのは、あまりにも不自然なのです。

 そこで、導かれた私の結論は、『物質(原子)は、人工物だ』、と言うことです。

 じゃあ、『誰が作ったのか』と言うと、『遠い未来人(真実の人間)だ』、と言うことに成ります。

 ★ 遠い「未来人」が居て、過去に遡った「私たち人類」の地球が有るという世界観を、どのように評価すれば良いか、と言う疑問に対して、『私たちの世界は、VRゲームだ』と言う結論に成ります。
      この点について、
 ◆◆「バシャール等の読書感想」では、『(人類の将来に)、子供や私たちの未来の教育は、体験的になり、「リアル体験」によって、多くの情報を学び、忘れない記憶に残る、らしいそうだ』。


C 「核」は、未来の「エネルギー電池」だ。

 人類は、過去に、「蒸気機関」を発明して実用化しましたし、その後、石油資源の開発により「内燃機関」を発明しました。
      そして、
 戦前には、核分裂反応により、「原子力エネルギー」を開発しましたが、そのエネルギーは、蒸気や石油とは比較に成らない巨大なものです。

 つまり、上記にも述べたように、α線とかβ線とか高度なエネルギーを「中性子」として封入することによって、巨大な「エネルギー電池」を開発したのです。それが未来のエネルギーなのです。


D なんで、人類に、「放射性物質」が与えられたのか。

 人類が、核開発に乗り出したのは、自然発生的に、人間が発明発見したものではなく、「彼ら」が人間に授けたからです。
       つまり、
 人類が『その年齢に達したという事』です。たとえば、小学生が高学年に達すると、理科の実験で濃硫酸・濃塩酸を取り扱うことが許されるのと同じだからです。

 そして同時に、非常な「危険物」だから、取り扱いは慎重であり、一つ間違えると、放射線障害を負うし、大爆発を起こす事も、学んでいるのです。

 (★ ただし、放射線障害でも大爆発でも、VRゲームに過ぎないから、全然OKです)。


E 人類の核開発は、前進あるのみだ。

 「彼ら」が、人類に、『核を学んで、自分のものにせよ』と命じているのです。だから、ここで、『放射能こわい』などと撤退したら、前に進めません。。『未来人(真実の人間)に笑われますよ』。


 たとえ屍(しかばね)の山を築くとも、前進あるのみです。「爾霊山」(にれいざん)の心意気です。


F 多くの科学者は、ただの、『勉強バカだ』。

 『今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん。今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らん』(神示・春・33)。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/645.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の52)・日月神示の研究・「アヌンナキ神話に対する、素朴な疑問」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「アヌンナキ神話に対する、素朴な疑問」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 (その9の50)「バビロニアの神話に残された、神々の戦争の、迷走回廊」の追記として、素朴な疑問を投稿したいと、思います。

 それは、『科学的な痕跡が残されていない点』です。


A なぜ、アヌンナキは、科学的な痕跡を残さなかったのか、という疑問点。

ア) アヌンナキは、高度な飛行技術を持っていた、はずです。

 アヌンナキは、古代に、「惑星ニビル」の方面から、地球に飛来した、と言われています。

 ここで、地球に飛来するためには、UFO・宇宙船・高速ジェット機・ロケットなどの飛行船が必要ですが、彼らは、それだけの科学を持っていた事に成ります。


イ) すると、科学の痕跡が、地球に残されなければ成らない、はずです。

◎ たとえば、宇宙船に使用される部材は、高度に精錬された金属が使用されるはずだし、特に、エンジン部分などは、現在の人類の科学よりも進んだ科学技術が応用されているはずです。
    すると、
 金属精錬の技術・合金鋼の生産技術・炭素繊維や可塑剤などの生産技術などが、地球に残されていても良いはずなのに、地球のどこにも残されていません。

(あるいは、海水中の金を採取したり、東アフリカの金鉱を採掘するなら、それを可能にする設備・プラント・イオン交換膜・削岩機・金属精錬設備などの金属部材の調達・加工は、どうしたのか)。


◎ たとえば、飛行するためには高度な数学的技術が必要であり、三角測量、加速度計算、空気抵抗、星座や方位の計測技術などに、熟知しているはずです。
    すると、
 アヌンナキの子孫とか、あるいは、知能指数の高い人類が教えを受けて、数学技術などを継承していても良いはずだが、世界中のどこにも数学・物理学・化学などの科学は残されていません。

 (★ 「粘土板」にアヌンナキの足跡が残されるなら、科学技術の足跡も残されるはずです)。


◎ たとえば、アヌンナキなら、当然、持っているはずの、農業改良技術・繊維織物技術・建築技術・日用雑貨類の生産技術などが、残されていません。
     つまり、
 エジプトも、メソポタミアも、アヌンナキ以降には、自然灌漑農業しか無かったし、日干しレンガの家に住み、土器の壺を使用し、麻布の服を着るような生活から、脱却できていなかった。


◎ たとえば、アヌンナキが用いていたような高度な文字が残されていません。
      たとえば、
 メソポタミアには、粘土板に「クサビ形文字」が残されただけであり、エジプトでは、「絵文字」しか残されていません。
      また、
 アインシュタインが驚くような「数学的な計算式」も残されていないし、三角関数・連立方程式も残されなかったし、冶金技術・特殊合金鋼の生産マニュアルも作られていません。


★★ 仮に、アヌンナキ以降に、「大洪水」で人類が滅亡したと言うなら、なんで、粘土板だけが残されたのか。また、上述のように、粘土板にアヌンナキの科学技術の記載が見当たらないのか。


B★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/646.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の52−2)・日月神示の研究・「日本の温暖化詐欺と、アメリカの寒冷化詐欺で、穀物相場が迷宮入り」

@ ところで、「日本の温暖化詐欺と、アメリカの寒冷化詐欺で、穀物相場が迷宮入り」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 (その9の37−2)で『10月は経済の危険日だ』と銘打って、『暗黒の何曜日』とか、『イギリスのEU離脱で世界経済が空中分解する』とか、『消費税アップで死屍累々だ』などと投稿しましたが、
    期待に反して、
 世界株価は高値更新のウハウハで、イギリスのEU離脱も先送りになり、消費税アップの影響も目に見えるような大乱が発生しておりません。

 そこで、今回は、前回の「汚名挽回」を図るためにも、第2弾の「ホラー」・恐怖として、『食糧危機』を考えて見たいと思います。


A アメリカの気候変動が、大変、らしい、そうだ。

 (審議不明の)「あるブログ」では、『今年7月の欧米は異常な寒波』とか、『6月下旬のアメリカは大雪』とか、『10月末にアメリカで記録破りの早い降雪』などと言っている、ようです。


B 「日月神示」には、

 『日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ』(風・11)。


C そこから、「食糧危機」と「穀物相場」が、脳裏に浮かんだので、

 商品相場(世界穀物)の「小麦・大豆・とうもろこし」の、長期チャートを見ますと、(生理的変動は見られるものの)、全然、反応していません。

 チャートを見る限りにおいては、穀物は、天下泰平・平穏無事のようです、今のところは。


D そこで、「アメリカの大変」が、穀物チャートに反映しない原因・理由の「可能性」は、

 第1の可能性は『大変だと騒いでいるが、たいしたことは無かった』。。第2の可能性は『世界中に有り余る備蓄が有った』。。第3の可能性は『アメリカ以外の食糧大国が増産に動いた』。。


E 綺羅星(キラ星)のように、南米が登場してきた。

 たとえば、近年のブラジルは、「大豆」の生産量・輸出量はアメリカと互角の戦いを演じているし、「とうもろこし」の輸出も浮上中らしいし、アルゼンチンだって成長株で、これからが楽しみでしょう。


F これから、「選手交代」になる、かも知れない。

 日月神示には、『寒い所 暖かく、暑い所 涼しくなるぞ』(黄金・50)と有りますから、

 大洪水に見舞われた「アラビアの砂漠」が温暖多雨になって、新しい「グリーン・ベルト」に成るかも知れないし、

 「温暖化の悪影響」で、シベリアの海岸で海水浴を楽しめるかも知れないし、ツンドラが「緑の草原」に生まれ変わるかも知れないし、

 「グリーンランド」が、「緑の大国」に変身するかも、知れません。


G (懐かしい昭和の記憶としての)『小豆相場』(あずきそうば)。

 古い昔に、北海道産の小豆を材料に『小豆相場』が有って、正月の「もち代」を稼いだり、温泉に家族みんなで「大名旅行」に出かけたり、「酒池肉林」を楽しむ、「風物詩」が有りました。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/647.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の53)・日月神示の研究・「たまには経済学・欧州金融危機と日本バブルの二重性」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「たまには経済学・欧州金融危機と日本バブルの二重性」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 2008年のリーマン・ショックから、「失われた十年」が過ぎ去りましたが、いまだに、煙が立ち昇っているようなので、今回は、経済学を迷走してみたいと、思います。


A 欧州の「不良債権」。

ア) 不良債権の総額。

 欧州が抱える不良債権が、いったい、幾ら有るかは、関係者しか知りません。「金融工学」を駆使して、サブプライム・デリバティブ・レバレッジなどが、複雑怪奇に組み込まれているからです。
    ある説では、
 2千兆円あるとも、3千兆円あるとも言われますし、1千兆円も無いだろうと言う説も有るようです。


イ) 融資先。

 欧州の銀行から融資された資金は、南ヨーロッパ・アメリカ・その他の世界中に、散らばったようですが、本当のところは「関係者」しか知りません。


ウ) そこで、今回は、「南ヨーロッパへの投資」を考えて見ます。

 上記の通り、融資先は世界に及び、様々な案件に融資されているのですが、一番「面白そうな」、南ヨーロッパへの融資を取り上げたいと、思います。

 南ヨーロッパに、突如として、「降って湧いたような」リゾート開発・レジャー開発などが発生して、「バブル」が発生しました(★これは日本バブルと同じ構図でしょう)。


エ) (南ヨーロッパへの投資の)資金の流れ。

 銀行 → リゾート開発会社 → 南欧の地主・建設会社・建材メーカー・電気工事会社・その他

 最終的に、銀行から融資された資金は、地主・給料・配当・税金などで消滅し、融資金は回収不能に陥り、「不良債権」の「借用書」だけが残りました。(★日本バブルと同じ構図)。


B★ (石が飛んでくると困るので)、ここから先は、「日本バブルの回顧録」。

ア) 日本バブルの崩壊と、不良債権の発生。

 日本は、1970年代から「made in Japan」を洪水のように輸出したが、見返りに「プラザ合意」で円高の劇薬を飲まされた後は、「内需拡大」に転進して「土地ころがし」などを楽しんだが、平成に変ると、「日経平均」の大暴落とともに、高金利政策が日本を苦しめて、ついに「不良債権」が発生した。


イ) 権力様による、裁量処分。

 権力様は、銀行の帳簿を凍結し、「不良債権勘定」と「優良貸出債権」の分別を命じて「二重帳簿」を作らせた。また、「貸出先」の凍結保存を命じて、最低限の「つなぎ融資」だけを認めた。

 また、権力様は、政策金利を引き下げ、銀行に対しても「預金の利率」の引き下げを命じる中で、「残す銀行」と「潰す銀行」を振り分け、1995年(平成7年)の「住専国会」とか、1997年の「金融危機」で、幾つかの銀行・証券会社とか、貸し剥がされた企業などが、歴史の闇に消えて行った。


★★★ 権力様は豪語した。『不良債権なんか、権力の行使で、永久に、凍結保存できるのだ』。

    さらに、続けて、権力様は言った。

 『生かすも殺すも、世界経済を持続させるも、崩壊させるも、処分権自由の、思いのままである』。


C 「日月神示」。

 『金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致す』(黄金・59)。


D★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/650.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の54)・日月神示の研究・「大嘗祭を経て、天皇は、神に成る」

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「大嘗祭を経て、天皇は、神に成る」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、『まことにもって畏(おそ)れ多い』投稿ですが、「天皇の神事」に触れたいと思います。
      とは言うものの、
 変なことを書くと、「千代田城」のほうから石が飛んでくるので、『日本神道』という立場で書きたいと思いますが、内容は『ネットで拾ってきた記事』なので、『知ってる人は知っている』程度です。


A 質問は禁止です。

 (いつも言うように)、質問は禁止です。だいたいが、その日の気分で『エー加減』なことを書いているだけで、根拠は薄弱で、投稿当日に『閃(ひらめ)いて』、書き直すことも、たびたびです。


B 天皇が「現人神」(あらひとがみ)と呼ばれた、理由。

 「あらひとがみ」の言葉は古く、日本書紀にも、景行天皇紀・日本武尊・蝦夷にも見えますし、万葉集にも見えますから、アメノホヒ・ニギハヤヒ・ニニギなどの「天孫降臨」がルーツかも知れません。


C 大嘗祭(だいじょうさい)で、天皇に、「皇祖神」が降臨する。

C−1 大嘗祭とは。

 毎年秋の収穫祭を「新嘗祭」(にいなめさい)と言い、天皇即位の初めての新嘗祭を、特別に「大嘗祭」と言うようです。「嘗」は、なめる・味わうの他に、にえ・神に供える意味も有ります。


C−2 大嘗祭で、天皇は、神の「生き宮」に成る。

ア) 「悠紀殿」(ゆきでん)の本来の意味の考察。(★単なる憶測、仮説ですよ)。

 (ネットによれば)、「ユキ殿」の本来は「斎忌殿」らしく、「斎」は清める・籠もる・慎むの意味を持ち、「忌」は不吉を避ける・はばかるの意味を持つから、元々は「斎つ忌宮」・「斎つ氣宮」だろうか?。

     そして、
 「斎つ氣」の意味は、『罪・穢れを祓い、神を迎え入れる清浄な心(魂)に成る事』かも知れません。


イ) 「主基殿」(すきでん)の本来の意味の考察。(★単なる憶測、仮説ですよ)。

 「スキ殿」の本来の言葉は、もしかすると「宿氣殿」であり、「宿」は「スク」と発音し、「宿る」意味を持つので、「宿(すく)氣の宮」かも知れませんが、
      この「スク」は、
 「記紀神話」の「宿禰」(すくね)に表れますが、「宿禰」は、「近習」・「宿直」・「側近」の意味があり、天皇の側近くに控えた重臣のようです。地名としては、「指宿」(いぶすき)・「宿毛市」(すくもし)などが有ります。

      ですから、
 「スキ」の意味は、(当て字をすると)、『宿氣殿」なら『神(息・氣)を天皇に宿す部屋』の意味であり、『宿基殿」なら『神が宿る土台の天皇が居る部屋』、かも知れません。

 ★ 「葬式」は、「殯宮」(もがりのみや)などの一連の儀式を指すから、「大嘗祭」とは全く別です。


ウ) ユキ殿 → スキ殿の順番に神事を行うのは、「死と再生」を意味する。

 神事では、『ユキ殿 → スキ殿』の順に神事を行うそうですが、これは、『清浄な体になってから、皇祖神を宿す』一連の儀式、かも知れません。


エ) 新嘗祭は「収穫祭」のことで、世界中に有る。

 収穫祭は世界中に有りますが、日本でも「秋祭り」が有ります。日本の供え物としては「五穀豊穣」で五穀を供えますが、中心に成るのは「日本の文化」の米(こめ)に成ります。


オ) 「秋」は、『死と再生』を意味する。

 「四柱推命」によれば、季節の「春夏秋冬」は「青春・赤夏(朱夏)・白秋・黒冬(玄冬)」で、『春は飛び跳ねて成長する』(スプリング)、『夏は勢い盛んで大成する』、『秋は衰え死んで種を残す』、『冬は種に生命力を育み春を待つ』らしいそうです。
     ですから、
 「収穫の秋」は、『死』を意味しますが、同時に、『新しい生命の種』を残すので、人々の願いとして、『死と再生』を意味するようになったと、世界中で言われています。


D 日月神示ほかの参考文献等その他。

ア) 日月神示の見方。

 『天照皇太神宮様初め神々様、あつくまつりて呉れ・・神も仏もキリストも元は一つ』(天・04)。


イ) 「シリウスの解釈」の見方。

  ある研究者の研究によると、『研究中の解読中だが、

(日本人の特異性について) 
 『地球の人種には、他の惑星次元の人間の子孫がいるらしい』。
 『東洋人は地球で、白人などは金星で、黒人は水星で、アラブ人は火星らしい』。
 『地球人(つまり東洋人)は地球を変える力を持っているらしい。日本人は地球の核質らしい』。
 『日本人は、今の人間の核質らしいが、位置の転換のほとんどは、この核質が行うらしい。

   (★注) 2025年から転換を開始するらしい。。人間がヒトに転換するらしい。。意識進化できない人間の意識は(今の地球に)残るらしい。。今の地球は消滅してしまうらしい。

(米の特異性について)
 『米は、精神が構成を持つために必要な力らしい』。
 『米は、他の食物の元になる力で、人間が意識を等化するために生み出した原初の人間の意識の対化らしい。
 『米は、次元が関与できるらしいが、対化による全ての方向性を持っているらしい。

   (★注) 「米」の文字は「四方・八方」に広がるさま(全ての方向性)を表わすと言われます。

   上記の『原初の人間の意識』、、『アマテラスとは、人間の意識が対化を持つ前に生み出された上次元の方向を持つ力で、人間の肉体が生み出される一つ前の次元らしいそうだ。


E★ だから、日月神示・シリウスを重ね合わせると、

 日本人が「地球の核質」であり、日本の神が世界の神々の『大本の大神』と言うことに成ります。
     そして、
 大嘗祭を経て、天皇は、(皇祖神の「よりしろ」に成って)、「現人神」(あらひとがみ)に成ります。


★ (米の特異性について)

 米は、(先代旧事本紀によれば)、高天原で、アマテラスが、神嘗(かむにえ)・大嘗(おおにえ)・新嘗(にいなえ)に用いる稲田(神田)を作っていたそうです。
     また、
 記紀神話に「青人草」(あおひとくさ・人間のこと)が見えるが、一般に「葦草」(あしくさ)と解釈するが、「稲」を意味する説が有ります。すなわち、「米」は「日本人の精神核」・エッセンス・命そのもの。
     ですから、
 米を食べる行為は、『ヒトの生命力を体に取り込むこと』、『高次元の神霊の精神を宿すこと』。


F 気(氣)とは何か。息とは何か。

 「気」は、元気・病気の「気」であり、生命の本質を表わすようです。難しい漢字では「氣」と書いて、中に「米」が入っていますから、米には「生命エネルギー」が込められているかも知れません。

    (神の息については)、
 旧約聖書に、『神はアダムに、いのちの息を吹きかけた』(創世記・2−7)。
     また、
 日月神示に『人間は土でつくって、神の気入れてつくった』(白銀・02)。
     あるいは、
 中国神話の「伏羲(フクギ・フツギ)と女媧(ジョカ・ニョカ)の神話」で、『女媧は黄土で人形を作り、息を吹きかけて人間を作った』。

 ★ 息は「威・氣」が当てはまるかも知れませんが、「気」は生命力を表わすようです。


G 交霊術・降霊術、の話。

 「交霊術」は、「こっくりさん」が有名で、「チャネリング」も含まれるかも知れませんが、「不特定の霊」と交信するものを言うようです。

 「降霊術」は、「イタコ」「ユタ」が有名で、霊媒に憑依した「特定の霊」と交信するようです。


H★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。


http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/652.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の55)・日月神示の研究・「天皇が神に成るなら、ぼくも、私も、みんなが神に成る」 

★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
 2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
 シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。

 (今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。


★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
 『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。

 (慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。


★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。

 (日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。



@ ところで、「天皇が神に成るなら、ぼくも、私も、みんなが神に成る」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 この投稿では、今まで、誰も明らかにして来なかった、『誰でも神に成れる方法』を、年末ボーナスの支給に合わせて、無料でプレゼントしたいと、思います。

 『神様シリーズ』の第2弾として、本邦、初公開です。方法は実に簡単で、目からウロコが落ちて、『あはは、アホくさ』と笑い捨てるばかりでしょう。


A いつもの事ですが、質問は禁止です。こんなレベルの異なる投稿に、質問するなどは『おまいは、波長が合っているのか』と、笑われますよ。


B 人間が、簡単に、『神に成れる』、その極意とは。

 実に簡単なことです。。『実は、自分は、元々、神だった』と自覚・覚醒することです。信じ切ることです。信じる者は救われるのです。

 (★ただし、この世では、信じる者は(振り込め詐欺に)だまされますから、周囲の状況を把握して、的確な行動をする「知恵」が必要に成ります。そのための「VRゲーム」なのです)。


C 日月神示ほかの参考文献等その他の、『神に成れる極意』とは。

ア) 日月神示による、『神に成れる極意』。(以下は、地震・01の抜粋)。

 『われわれの一切は生れつつある。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある・・一定不変の神もなければ、宇宙もない・・

 過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生れに生れつつある・・地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく・・
 その総ては神の中での存在であるから、それ自体のものはない。善でもなく、悪でもなく、只生れつつあるのみ・・

 地上人は、肉体を衣とするが故に、宇宙の総てを創られたものの如く考えるが、創造されたものではない・・

 宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつある・・
 その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのである。

 神そのものが絶えず、鳴り成り、成り鳴りてやまず、止まる所なく生長し、歓喜しつつある・・
 神が意志するということは、神が行為することである。そして、さらに神の行為は、弥栄であり、大歓喜である・・

 神の歓喜をそのまま受け入れる霊人とは、常に対応し、地上人として地上に生命し、また霊人として霊界に生命する・・

 神の歓喜を内的にうけ入れる霊人の群は無数にあり、これを日の霊人と云う。
 神の歓喜を外的にうけ入れる霊人の群も無数にあり、これを月の霊人と云う。

 月の霊人の喜びが、地上人として地上に生れてくる場合が多い。
 日の霊人は、神の歓喜をその生命に吸い取るが故に、そのままにして神に抱かれ、神にとけ入り、直接、地上人として生れ出ることは、極めてまれである。

 月の霊人は、神の歓喜をその智の中にうけ入れる。故に、神に接し得るのであるが、全面的には解け入らない・・地上人は、この月の霊人の性をそのままうけついでいる場合が多い。

 月の霊人は、神の歓喜を歓喜として感じ、歓喜としてうけ入れるが故に、これを味わわんとし、批判的となる。ために二義的の歓喜となる。

 日の霊人と月の霊人とは、同一線上には住み得ない。おのずから、別の世界を創り出すが故に、原則としては、互に交通し得ないのである。

  (以上は、地震・01の抜粋)。


 ★ ここで大事なことは、『総ては神の中での存在であり、善も悪も無く、ただ生れつつあるのみ』。。『宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、神と共に永遠に生れつつある』と言う事。
    すなわち、
 ★★ 私たちは、『神の中での存在』だから、「神の現われ」であり、『神そのもの』なのです。


イ) 「シリウスの解釈」による、『神に成れる極意』とは。

  ある研究者の研究によると、『研究中の解読中だが、

 『人間は「交替化」を経て、ヒト・ヒトの反対・真実の人間に「変換・転換」していくのかも、知れない。


 ★★ 「私的解釈」で、「ヒト・ヒトの反対・真実の人間」が、神示で言う「神霊界」のことだと想像します。だから、人間が意識進化(意識をチェンジ)すれば、「神」と呼ばれる存在に成ると言う事です。


ウ) 「バシャール等ほかの文献」による、『神に成れる極意』とは。

  ある読者の「読書感想」によると、『世界中に翻訳された全てを精査した訳ではないが、

 『人間が「来世」と呼ぶ転生が、シリウスに有る、らしいそうだ。

 『(バシャールも含む)人間は、「一つのオーバー・ソウル(一つの同じ意識)から出たものらしい。
 『「大いなる全て」が、自分の内側に「宇宙」を創ったらしい。。全てのゲームは、「大いなる全て」の中で行われているに過ぎない、らしいそうだ。

 『人間が創造している現実は、観念・感情・思考パターンで構成される、そうだ。


 ★★ 「私的解釈」で、『大いなる全てが、自分の内側に「宇宙」を創った』とは、神示で言う『宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し・・』に類似しています。(同じ事を言っている)。


D 外国人の「神」と、日本人の「神」との、違い。

ア) 簡単に言うと、『自分の外側に神を抱く』のが外国の考え方で、『自分の内側に神を抱く』のが日本の考え方のようです。
       だから、
 外国人は『外側の神』と対峙するために、規則・戒律・契約などの概念が生まれるが、日本人は『自分そのものが神』だから、一切の制約も制限も無く、「思いのまま」に生きて構わないのです。


イ) 日本神道の考え方。

 日本神道には、『神が人間を創った』という考え方は無いそうです。すなわち、神が地上に降臨して人間活動を行い、死んで再び「高天原」に帰還する。だから、「ミコト」と呼ぶ。

 「ミコト」には「尊」・「命」があり、「尊」は尊貴な神霊を指し、「命」は一般的な神霊を呼ぶようです。


E● おまけ。。「日月神示」・「シリウス」・「バシャール」は、同じ事を言っている。

 つまり、彼ら三者は、「表現方法」を変えながら、「同じこと」を言っていると感じるのです。「神示」は「ひふみ信者」向けに、「シリウス」は「物理学的表現」で、「バシャール」は「お花ばたけ」向けに。

★ もしかすると、彼ら三者は『同じ所から、文体を変え、表現方法を変えて、情報発信している』。


F● おまけの「おまけ」。。「バシャール」。

  「バシャール等の読書感想」によると、
 『今は、地球の文明が、色々な事を『体験』し、ほとんどの『体験』を終えたから、地球全体を「一つ」に混ぜていく時期にある』、らしいそうだ。(★ただし、この話は今から15年以上も前の話らしい)。


G★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/657.html

[Ψ空耳の丘Ψ62] 7回目の終了です(その9の55−2)・重大な補足説明・・「神が人間を創った」、の部分

@ 重大な、補足説明・・「神が人間を創った」、の部分。

 {(その9の55)本文の、D (イ) 日本神道の考え方。} の文中で、
  > 日本神道には、『神が人間を創った』という考え方は無いそうです。
  > すなわち、神が地上に降臨して人間活動を行い、死んで再び「高天原」に帰還する。

 と説明しましたが、
 この点について、

 {(その9の54)・日月神示の研究・「大嘗祭を経て、天皇は、神に成る」} の中で、
  > F 気(氣)とは何か。息とは何か。
  >     (神の息については)、
  > 日月神示に『人間は土でつくって、神の気入れてつくった』(白銀・02)。

 と投稿しました。


A すると、2者の間に、疑問・矛盾が発生します。

  > 日本神道には、『神が人間を創った』という考え方は無い
  > 日月神示に『人間は土でつくって、神の気入れてつくった』

     すなわち、
  日本神道では、『神は、人間を創っていない』、が、
  日月神示では、『神は、土で人間を創った』、、と有ります。

 日月神示も、同じ「日本神道」の系統と考えられるのに、『おかしいのでは、ないのか』、という疑問・矛盾が発生します。


B この点については、文章を良く読んでください。

 日月神示には、『神の「気」を入れて、つくった』と有ります。

 ★ 『神の気』とは、「神」の意識・精神・魂が吹き込まれているのです。


C 人間って、なんだ。

 人間には、物質的肉体と、意識・精神の2面性が有りますが、本質は意識・精神でしょう。
     すると、
 土で作った肉体を「よりしろ」として、神の意識・精神が宿るなら、物質的肉体の側面では「人間」ですが、精神的な側面では「神そのもの」では、ありませんか。

 ★ ですから、人間は「神の現われ」そのものなのです。それが「日本神道」の考え方なのです。


D (日本人にとって)重大問題だから、繰り返して説明します。(★ここ「卒業試験」に出ますよ)。

   『神の、「気」(氣)を、入れて、、、、』と、
   『神の、「息」を、、、、吹きかけて、、』は、全く違うのです。

 「気」は、神の「こころ」であり、、「息」は、呼吸であり「生命力」であり、
 「入れる」は、肉体の奥深く入り込む事であり、、「吹きかける」は表面に触れる事で、違うのです。


 ★★★ 日本人には、神の「気」が、体内に入っているのです。忘れないでください。


E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


★ どう思われますか。

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