25. 4−−4[1] glOBfIF8glM 2021年4月04日 04:44:34 : osZ89F6pYg :TOR MGhWdVJFVTlYT2M=[12]
災害が起こった地方に取材で訪れるTVクルースタッフやタレント
らの姿に嬉々とする子供達の姿を見ると日頃軽蔑しているTV放送
とやらも子供の心を明るくしてくれる役割を演じている点においては
それなりの意味があるのかと
コロナ感染を理由に一般市民の様々な活動が規制され人が人である
ための人同士の触れ合いやコミニュケーションの仕方がコントロール
下に置かれ人権や生きる権利が剥奪されたりしても黙って耐えるしかない
状況下
五輪やナチスに関連付けされた五輪のセレモニーはそうした抑圧鬱屈
状態に延々と置かれ続けた一般市民にどういった感覚で受け止められて
いるのだろうか
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
限られた権力層らが私腹を肥やすために災害復興や励まし名目で五輪開催を
利用誘致した連中を「坊主」と看做せば「五輪」は袈裟ということになろうか
まあタダで坊主が立派な袈裟を身につけることができる筈も無く
布施や支援金を差し出す組織や人々があればこそ
袈裟がカネとは切っても切れない関係の上に存在しているのは五輪も同様
身銭を切らされる一般庶民がそこに何らかの意味や価値を認めていれば
こその袈裟であり五輪
マスコミが大々的にプロパガンダしてきたコロナ感染状況を真の現実だと
信じていれば五輪開催はこのご時勢を弁えないキチガイ沙汰のようにも受け
止められるだろうし
逆にコロナ感染を理由に暗いご時勢とキチガイ沙汰が現出し幅を効かして
いるからこそ渡りに船で五輪開催でガス抜きという意味を見出すのもアリ
なのかもしれず
五輪開催中止がどうにもコロナ感染を理由とした一般市民の人権や生きる権利
剥奪と同一目的同一線上の流れのような印象が否めないのである
「日本人」というターゲットを特定した上での