8. 99ミッチー[2] gliCWIN@g2KDYIFb 2017年5月05日 18:03:01 : fnjJz1bQNw : LZsSHQqR1ag[3]
昭和7年生まれ。石原慎太郎氏と同年世代です。
皆さんにその時代の情景を理解していただくために部分的ではありますがお知らせしたいと思います。
戦前、戦中、戦後と分ければ戦前は子供でも幼児だったので状況はうっすらと覚えている程度でその背景や是非はわからりません。小学校入学から間もなく国民学校と改称され授業の中でも戦時色が強くなったのを覚えています。
さて、
小学校では年間に数日ある祭日には授業は休みでしたが式というものがあり全校生徒は講堂に集められて教育勅語を校長先生から聞かされたものでありました。
講堂の前方は舞台のように一段高く作られており壁の中央部分にはかなり大きな天皇・皇后の写真(御真影と言っていた)が飾られておりました。普段は立派な収納箱に収められてカーテンで見えないようになっていましたが式の当日は白い手袋をした校長先生がそのカーテンの紐を自ら引き写真に向かって恭しく一礼します。そこへ四角い形の黒塗りの立派なお盆のようなものの上にのせられた細長い箱に入った勅語が別の先生によって運ばれてきました。
ここで校長先生は丸めて収められている教育勅語を取り出し、また一礼して丸まっていた勅語を両手で広げ厳かにに「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民・・・・」とお経のように節をつけ朗読したものです。その間生徒たちは頭を下げ咳ひとつせずありがたく拝聴させられました。
勿論、当時の小学生は何年生か覚えておりませんが教育勅語を全部暗唱させられました。
教育勅語を聞いた後すぐに学校から帰ったものです。
戦時中とはこんな風景だったのです。
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