11. チカ爺[1] g2CDSpbq 2019年1月18日 08:00:19 : 4Exlh1atJU : wgVA0Rqr7Fk[361]
下記は きっと根も葉もない 噂に違いない。
by 安倍晋三閣下マンセー@チカ爺.50円おくれー
※50円獲得を目指し努力中のチカ爺
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リテラより 抜粋
>実は、竹田氏は40年ちょっと前、若い女性を轢き殺す交通事故を起こしたことが
あるのだ。当時、竹田氏は馬術の選手で、国体の試合に出るため会場に車で向かう
途中のことだった。
この事故について、1974年10月23日付の読売新聞夕刊が〈五輪馬術代表の竹田選手
女性はね死なす〉という見出しで記事にしているので、全文を紹介しよう。
〈茨城国体に出場する東京都の馬術選手の乗用車が、二十二日夕、会場近くの
茨城県稲敷郡新利根村で歩行者をはね、死亡させた。このため、東京都は、
二十三日以降の全馬術競技の出場を辞退した。
二十二日午後五時ごろ、新利根村角崎の県道を歩いていた同村××××、
会社員××××さん(二二)は、茨城国体馬術競技東京都代表、竹田恆和選手
(二六)(東京都港区高輪三の一三の一)の乗用車にはねられ、頭を強く打って
近くの病院に収容されたが、二十三日午前零時過ぎ死んだ。江戸崎署の調べでは
竹田選手が対向車のライトに目がくらんだのが事故の原因。
竹田選手はIOC(国際オリンピック委員会)委員の竹田恒徳氏の三男で、馬術の
ミュンヘン・オリンピック日本代表。茨城国体には、二十三日午後の
一般飛越競技に東京都の代表選手として出場するため、会場の同郡美浦村の
馬術会場近くの合宿所に行く途中だった。
竹田選手の事故責任をとり、東京都チームは二十三日朝、この日以降の全馬術競技の
出場を辞退することを決定、大会本部に連絡した。〉
40年以上前の話とはいえ、こんな重大事故を引き起こした人物が、今、日本の
五輪組織のトップに君臨しているというのも驚きだが、問題だと思うのは
この事故の後の竹田氏の身の処し方だった。
新聞報道によれば、明らかに竹田氏側の過失だと思われるが、竹田氏は重い
刑事責任を問われることもなく、ほどなく馬術競技に復帰。事故から2年も
経っていない1976年に開かれたモントリオールオリンピックに
出場しているのである。
>竹田氏はこの後、1984年のロサンゼルス五輪で日本選手団コーチ、92年の
バルセロナ五輪で日本選手団監督と、JOC内部でどんどん出世していくのだ。
そして、2001年にはとうとう日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任し、
以来、16年という長い期間にわたって、JOCトップに君臨し続けている。
「JOCでの力は完全にコネですね。竹田さんの父である竹田宮恒徳王が戦後、
JOC会長、IOC委員を務めており、JOCは以前から竹田家と縁が深かったんです。
それで、父君の時代の側近たちがお膳立てして、息子の恆和さんのJOC会長への
道筋をつけたんです」
>竹田恆和という人物は、どんな不祥事を起こしても周りがカバーしてくれて、
出世の段取りをしてくれるという環境の中で生きてきたのだ。そして、本人も
無自覚にそれに乗っかっていく。
そういえば、2020年のオリンピックの開催地を決めるIOC総会前の会見で、
外国人記者から福島原発の影響を聞かれて、竹田会長は
「福島は東京から250キロ離れており、皆さんが想像する危険性は東京にない」と
発言。まるで福島を切り捨てるような、あまりに他人事な発言に批判が殺到した
(といっても、海外メディアとネットだけで、国内マスコミはほとんど批判
しなかったが)。
ようするに、こういう人物だから、今回のような贈収賄に問われる重大事態が
起きても、まったく当事者意識がなく、問題解決ができないのだろう。
いや、今回のことだけでなく、これまで起きた国立競技場やエンブレム問題なども
そうだ。竹田会長の当事者意識のない無責任な姿勢が森喜朗氏や電通の暴走を
許し、さまざまなトラブル、不祥事を誘発してきたともいえるだろう。